第154回国会 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会
第3号 平成14年5月9日(木曜日)
参考人(株式会社三井物産戦略研究所所長) 寺島 実郎君
○寺島参考人
この二十年の間というのは何を意味しているかというと、一九四九年に中国に共産中国が
成立して、毛沢東の中国ができた。アメリカのワシントンで、戦前から戦中戦後と、いわゆる
チャイナ・ロビーという言葉があるんですけれども、中国を支援して、反日親中国の論陣
あるいは活動を展開していた一群のグループがあるんです。例えば、ヘンリー・ルースなんと
いうタイム・ワーナーの創始者なんかがその中心にいた人物です。
彼は、たまたま山東省で長老派プロテスタント教会の宣教師の子供として中国に生まれて、
みずから育てたタイムとかライフとかフォーチュンなんという雑誌を駆使して、戦前のアメリカの
世論を、自分が生まれ育った中国にひたひたと攻め寄せていく日本を、中国を支援して排斥し
なきゃいけないという考え方で一大キャンペーンを張って、蒋介石夫人の宋美齢をアメリカに
呼んで一大ヒロインに祭り上げたりしたんですね。
要するに、真珠湾に向けて米国の世論を反日親中国に変えた男と言われていますけれども、
例えば、そのヘンリー・ルースのような男に代表されるチャイナ・ロビーの人たちが、今まで
自分たちが支援してきた蒋介石が敗れて台湾に追い詰められたことに衝撃を受けて、ちょうど
バイメタルがひっくり返るように、日本を西側陣営の一翼に取り込んで、戦後復興させて、反共
のとりでにしていかなきゃいけないという考え方がすっと浮かび上がったんですね。
翌年、御承知の朝鮮動乱。それが一九五一年のサンフランシスコ講和会議につながっていく
という意味は、当時ダレスとヘンリー・ルースの間に行き交っていた書簡なんかを、私「ふたつ
のフォーチュン」という本をそのことについて出しているんですけれども、分析してみるとよく
わかりますが、要するに、一群のチャイナ・ロビーの人たちが、大陸の中国を封じ込めるために、
日本を西側陣営に取り込んでいこうというシナリオがすっと浮上してきた。
>>396 したがって、こう説明すれば一番わかりやすいんです。
敗戦後、わずか六年で日本が国際社会に復帰できた最大の理由は何だということなんです。
イラクが湾岸戦争に敗れて十年以上たっていますけれども、国際社会に復帰するというのは
容易じゃないです。まるでモーゼの十戒の海が割れるように、日本にとっては僥幸にも近い
タイミングで中国が二つに割れた。そのことによって今申し上げたようなシナリオが浮上してき
た。それが五一年、サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約というシナリオの下地に
なった。
さらに、こういう言い方をすると一番意思が伝わるかと思うんですけれども、もし戦後の中国を
蒋介石がしっかり掌握し続けていたとしたら、日本の戦後復興は三十年おくれただろうと言わ
れています。なぜならば、アメリカのアジアに対する投資も支援もすべて中国に向かって、
戦後のアジアは戦勝国の中国とアメリカによって仕切られていった、日本の戦後復興の余地
はかなりおくれただろうというふうに、これはもう一つの常識みたいな話です。つまり、間隙を
つくように日本の戦後復興の可能性というシナリオが浮かび上がってきた。
松本重治さんという有名な国際問題の研究者がおられましたけれども、戦前、一九三〇年代
の上海でジャーナリストとして活動して、六本木の国際文化会館なんかをつくった人ですけれ
ども、彼はなぞ解きのような言葉を実は残していまして、後進に対する教訓ということで、
日米関係は米中関係だという言葉をくどいほど言い残しているんですね。それは何を意味して
いるかというと、日米という関係は二国間関係で完結しない、中国という要素が絡みついて
いるということを言いたかったんですね、彼は。
事実、そうなんです。この過去百年間の日米中の関係史を分析すると浮かび上がってくること
ですけれども、日米関係の谷間には常に中国という要素が絡みついている。ところが、戦後の
日本人は、幸いなことと言えると思うんですけれども、このことを忘れていられた。(中略)
>>397 しかし、今、アメリカのアジア政策の基軸が根底のところで変わっている。それはどういう意味
かというと、中国という要素の新たなる展開といいますか、要するに、表層観察していると、
政権がかわるごとに米国の対中政策は揺れ動いているように見えますけれども、根底のところ
で、二十一世紀の経済大国、二十一世紀の軍事大国になりつつある中国に対するビジネス面
からの期待という意味と脅威という意味の二重の意味で、アメリカの中国に対する関心はいや
が上にも高まっている。
したがって、アメリカの東アジア外交の基本性格が、日本がバイパスされて米中同盟ができ
るなんという、そんな単純な話じゃなくて、日本も大事だけれども中国も大事という相対的な
ゲームに変わりつつあるということは間違いない。(中略)
つまり、私が言いたいのは、戦後のこの半世紀というのは、特に米国の対中政策が空白期
に入った二十年間というものの余韻を引きずって、アメリカのアジア外交の基軸が日本であり
続けるという、ウイッシュフルシンキングという言葉があるんですけれども、期待感みたいなもの
で成り立ってきた。ところが、構造的にその期待が持ち得ない状況に入ってきているということ
を、日本人として我々は腹にくくっておく必要がある。(中略)
そこで、私が申し上げたいポイントに入っていくわけですけれども、誤解していただきたくない
のは、私は反米でも嫌米でもなく、自分では、私ぐらい親米派はないといいますか、アメリカに
十何年世話になってきて、アメリカの社会システムの持っている多様性だとか、経済の活力を
生み出している源泉だとかということについてはだれよりも評価している立場だと思っています。
むしろ親米派がこそ、今まで戦後五十年、日米安保がこの国の安定軸を確立する上で大きな
役割を果たしてきてくれたということを一定の評価をする立場の人間こそ、この先五十年どうし
ていったらいいかということについて、ある固定観念から脱却して、アメリカとの関係を冷静に
再設計しなければいけない時点に差しかかっているんではないかということを申し上げたいわけ
です。(後略)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010915420020509003.htm