>>86 三流でしょうね。どう見積もっても (;´Д`)
>>87 >つーか、ここでいってる大蔵経って大正蔵のことじゃないの?
違います。
>そーすると、漢文を一元化すること自体おかしいんじゃない?
誰も一元化なんかしていません。
私が言いたかったのは、仏典の漢訳という作業が、支那の思想史の
中で、極めて特異な異文化理解(誤解)という側面をもっていたと
いうことだけです。所謂玄学以降の支那思想には、不可避的に
異質なものとしての仏教思想が絡み合って来ますが、それは飽く迄、
翻訳を通じての大いなる誤解、換言すれば歪斜解釈の集積に過ぎなかった、
ということだけです。翻訳文のもつ意味を考えていただけの事で、
漢文の一元化などというのは別問題だと思います。
あと、関係無いですが『大論』はいいですね。私は好きですよ。
>ところで院では何を対象にしてたの?
私の対象は基本的には「荘子」でした。
仏教思想により汚染-混交される以前の、支那人固有の思想に
興味があったのですが、事情により働かざるを得ない状況に
追い込まれ、志半ばにして研究を放擲しました。
仏教思想に興味をもったのは、老荘の語彙でもって漢訳された
仏典がかなり多いということに気づいてからです。
すみません、昼休み終わりです。今から床磨きです。