へぇー、前スレ初期の頃の最近はご無沙汰の住人だけど
あの時は新スレ移行するまで伸びるとは思わなかったナア
とりあえず乙です
吉原の遊女っておいくら?
>>7 どのレベルかによるなぁ
太夫とか呼び出し花魁だと、茶屋代や花魁をよぶ費用以外に取り巻きやらなんやらにチップも必要で
しかも初回は顔を合わせるだけ、二度目でちょっと話して、三度目でやっとお床入り
そこまでで、百両以上必要だったらしいから、大藩の家老以上か大店の旦那くらいしか呼べなかった
吉原でも、切り見世の安い女郎なら、夜とか昼とか時間を区切って一朱(1/16両)くらいで遊べた
仁スレにあって面白かったので
■江戸時代に「未来」なんて概念あるの?
→ 平家物語巻三「このおとどは不思議の人にて未来の事をもかねてさとり給ひけるにや」
また江戸中期には、「未来記もの」という未来の江戸を想像した滑稽本が庶民の間に流行したと
江戸風俗研究家の杉浦日向子先生の著作「一日江戸人」にもあります
江戸時代の未来予想
・季節感がなくなる(旬の時期がべラボーに早まる)
・諸事高級志向となり、贅を極めた後はマニアックな趣味に走るようになる。
・各界での女性の台頭。(男性独占分野がなくなる。)
・自然破壊(山奥まで宅地化が進み、神聖な山も俗っぽくなる)
・プロとアマの差がなくなる。(特に芸能関係で)
・今まで家庭で創っていたものが、セット物として売られる。(七夕セット、お正月セットなど)
・草双紙(マンガ)が大人の読み物となり、小難しい本を読む子どもが増える。
・子どもが辛い物好きになる。
・日本語が乱れ、通言(業界用語)が流行り、得体の知れないカタカナ語が横行する。
・遊女(風俗ギャル)が金持ちになり、実業界に乗り出す。
・年寄りの若作り、老いらくの恋が流行し、(逆に)若者は老人趣味になる。
・盆と正月がのべつ一緒にくる。(イベント流行)
未来人予想図
ttp://jewelrycraft-column.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_5d0/jewelrycraft-column/E69CAAE69DA5E4B98BE59BB3EFBC92.jpg
>>8 切見世の女郎は
奉行所の手入れで挙げられてタダ働きさせられてる岡場所の女や夜鷹、隠し売女
年を喰ったのや病気持ちで使えないからって上の見世からさらに売り飛ばされてきたのが多いと聞いたが
何やらおっかねえな
浅野内匠頭とか吉良上野介の「頭」とか「介」って、
律令制の「かみ すけ じょう さかん(漢字は仕える役所によって変わる)」
ってやつですよね?
これって自分で好きなように名乗るものなの?
また、名乗るに当たってどっかに届け出たりするものなんでしょうか
13 :
名乗る程の者ではござらん:2009/12/01(火) 23:08:35 ID:LWYMHg14
>>11 正式なのは、大名家の当主になったりや旗本の場合はソコソコの家格や一定の役職に就けば
実質的にキチッと管理している幕府によって任命される
大体、その家々によって決まっているみたい
もっとも、そういう身分のない人が
伊賀介、采女、内匠、兵部、織部といった名前として独り歩きしたのを名乗るのはOKなのだが
大藩の重臣とかで甲斐や志摩とか守を取り除いて名乗るのは
戦国期までの受領名(ずりょうめい=非公式な官名)の名残なのかな
話題振りで、もう一度貨幣の件をまとめておこうか 間違っていたらゴメン
江戸時代の三貨制度(金、銀、銅貨) 〜大体、元禄から享保期 1700年頃〜
・小判1両=4分=16朱
・小判1両=銭4000文前後の変動制
・銭1000文=銭1貫文
・銭1貫文=銀15匁(もんめ)前後の変動制
・銀60匁前後=小判1両の変動制
・銀1貫=銀1000匁
尚、幕府がこの時期に定めた公定比率は1両=銀60匁=銭4000問=米に換算すると1石ぐらいかな
江戸では金、上方では銀貨幣が広く使用された
小判は25枚ないし50枚で両替商の包封されたのがおなじみであるが
上方が舞台の物語では
秤量銀貨である丁銀(1枚40〜60匁)豆板銀(一粒10匁など色々)はいちいち量を秤るのが煩わしいので
たぶん丁銀の端っこを切り落として43匁にしてのを銀1枚として、何枚かを包封したのや
500匁で包封したものも登場したりする
16 :
名乗る程の者ではござらん:2009/12/22(火) 22:37:51 ID:t9SSvEpd
暇つぶしに作ってみたべ
→【子】→ ‖ →【丑】→ ‖ →【寅】→ ‖ →【卯】→ ‖ →【辰】→ ‖ →【巳】→ ‖ →
→九つ→九つ半→八つ→八つ半→七つ→七つ半→明六つ→六つ半→五つ→五つ半→四つ→四つ半→
→零時 →1時 →2時 →3時 →4時 →5時 →6時 →7時 →8時 →9時 →10時 →11時→
→【午】→ ‖ →【未】→ ‖ →【申】→ ‖ →【酉】→ ‖ →【戌】→ ‖ →【亥】→ ‖ →
→九つ→九つ半→八つ→八つ半→七つ→七つ半→暮六つ→六つ半→五つ→五つ半→四つ→四つ半→
→12時→13時→14時→15時 →16時 →17時 →18時 →19時 →20時 →21時 →22時 →23時→
一刻2時間を上刻、中刻、下刻に三分割して、例えば申の上刻とかいう表し方もある
・・・→18時 →19時 →20時 →21時 →22時 →23時→の行は
左にズレてしもうたわ
許されよ
たしか水戸黄門かなんかで「昼の五つに云々」
ってセリフがあったような気がするけど
あれは分かりやすいように5時→五つと言ったのかな
にしてもどうして江戸の人はこんなおかしな時間表示にしたんだろ?
なんで1・2・3はないんだろ?どうして9から下がっていくんだろ?
丑三つ時っていつなの
江戸時代の大阪って何藩だったの?
大坂(大阪の旧名)は、天領地(幕府直轄)
他に、長崎とか佐渡金山、石見銀山もそう
ただし天領と呼ばれるようになったのは、
明治に入って、幕府直轄から天皇直轄地になってからのことで
当時は、幕府領と呼ばれていたはず
>>22-23 正確には大坂の陣で豊臣家滅亡のすぐあとに
松平忠明が十万石で入って、4〜5年後に大和郡山に移るまでは大坂藩って言えるのかもしれない
そのあと、幕府領になって城の主を徳川将軍家とする新生大坂城の建設に着手して
実際には有力な譜代大名から選ばれた大坂城代を筆頭に
大坂定番2名、軍事的予備軍として大坂加番数人を小大名等を中心に選抜して、さらに諸奉行、諸役人を幕臣から任命して
政治面、それから軍事的そして行政面などをそれぞれ当たらせた ・・・てな感じかな?
へ〜、江戸時代にも大阪城ってあったんだ?
時代劇とかには全く出てこないよね?
>>26 大坂が舞台の時代劇自体がそうそうナイもんね
あとは水戸黄門などの旅モノや幕末の鞍馬天狗や新選組が代表選手?
ただし実際の天守閣は江戸城同様、40年かそこらで焼失して
以後、天主閣ナシの城だったそうな
今建っている天守閣は、昭和の初期に再建されたのだよ
水戸黄門とかのベタドラマでも大阪ジョーダイとかゴジョーダイ様とかはよく耳にしたな。
葵信吾が大阪城に閉じこめられて城代とかたくさん斬ってたね
鞍馬天狗もよく大阪城で鉄砲で撃たれてお濠に落ちてる
城代ってたくさんいるのか?
定員1名、江戸時代通じて70人くらい
大まかな流れで
奏者番・寺社奉行→大坂城代→京都所司代→老中って大名の出世コースに乗れるから
大坂城代になりたい大名がワンサカいたらしい
>>29 斬り捨て御免では、悪の首領で翁とかいうのが
大坂城代だったか、城代を操っているかで
最終回で主人公たちと悪の一味が無茶苦茶な大坂城攻防戦をしていたようなw
日本酒はみりんみたいにこくがあって黄金色だった