939 :
名乗る程の者ではござらん:2009/07/21(火) 15:18:52 ID:FHfL5Xm0
>>937 家の中なんかだと、かまどの熾き火(炭火)などで火を確保して、着火の手間を減らしてた。
蝋燭や灯明、煙管には火打ち石で着火は難しいし、日が暮れてからじゃ何も出来ないからね。
携帯出来る火種としては、火縄(竹や木綿の繊維で作った縄に硝石を含ませた物)も使われてた。
煙草に使う火は、煙草盆に火入れと灰吹き(灰皿代わり)を
セットで用意しておいたんじゃないかな
茶道やってると、今でも煙草盆の用意するよ
火入れっていうのは、炭火(火のついた炭)を、
灰をたっぷり入れた陶器の中に
端だけ見えるようにして埋めとくの
それ用の陶器をさす場合もあるけど
それから、お店の帳場とかには、箱火鉢も常設していたはずだから
そこからも、火種はとれるよね
941 :
名乗る程の者ではござらん:2009/07/21(火) 19:12:20 ID:FHfL5Xm0
>>940 そういえば鬼平も起き抜けの寝煙草とかしてたっけ。
煙管は本格的なので安いのもあるけど、煙草盆は高いんだよなー
長火鉢が、いいよなあ
旦那が座る上座から引出が使えるんだよな
オレも今買おうかと迷ってる。
フローリングだけど・・・
>>943 くしゃみするときは気をつけないと、灰が舞って大惨事になるぜ。
>>943 だったら長火鉢よりも、座卓囲炉裏や囲炉裏テーブルの方が現実的じゃないか?
>>945 それじゃめ組の頭ごっことか香具師の元締めごっこが出来ないじゃないか
フローリングの部屋でやるのか、それ?
それより囲炉裏が欲しいな。メシも作れそうだし。
一通り読んで書かれてないようなので質問を
時間を決めていたのは何処(誰)だったのでしょうか?
特に江戸は広いし太陽の位置で決めていたとは思うけど
何カ所も鐘を鳴らす所は有ったと思うのですが
それぞれが、それぞれの判断で鳴らしていたのでしょうか?
素破抜く(すっぱぬく)
素破とは忍者のこと
忍者が情報を探るような様から
前から思ってたんだけど、この時代の人相書きってのは、似てる似てないはともかく、
本当に時代劇に出てくるような劇画調のリアルなヤツなの?
日本画の肖像画や浮世絵の大首絵とか見てると
とてもそんな写実性が当時の絵描きにあったようには思えないんだけど。
>>952 人相書き自体あまりなかったらしい
文章で顔や身体の特徴書いてあったりとかで
数少ない本物の人相書き見たけどちびまる子の脇役みたいな絵だった
>>953 そんなもんで捕まえられてたなんて、冤罪も現在の比じゃないんだろうな・・・
目立つホクロや痣などがなければ、分からないよな
そんなんで捕まる奴も捕まる奴だな
■武士の学問
松平定信の「寛政の改革」
上級武士にのみに与えられていた学問
↓
「身分を問わず」 太平を維持していくための人材開発の機構として
林羅山が上野に私塾として学問所を開いて朱子学を教える
↓
「昌平坂学問所」 昌平坂の土地においた江戸幕府直属の学問所
↓
学問の場だけでなく、「学問吟味」「素読吟味」の試験場になる
「素読吟味」 少年組の試験 (条件 基本的に17歳から)
合格→嫡男の家督相続や次男三男の婿入りの基本的条件
「学問吟味」 官吏登用試験 (条件 「素読吟味」に合格していること)
合格→役なしの小普請組でもご番入りとして登用される可能性がでる
藩校
各藩が、藩士の子弟を教育するためにおいた学校
江戸中期より盛んになり、江戸末期にはほぼすべての藩が設置していた
「昌平坂学問所」を模範とするものが多い
ほんとんどの藩が、義務教育として藩の子弟(7〜8歳以上の者)に強制的に通わせていた
※ 一部、奨励のみで強制ではない藩もあった
※ 11歳以上の藩の子弟が通う藩校もあったが、その場合には
寺子屋や学問指南所などで初歩的教育をすませていた
10両盗めば首が飛んでた時代の一般庶民の年収を教えてください。
時代劇中に侍とかがよくする変装に虚無僧があるけど、
当時の実際の虚無僧って坊主なんだから坊主頭じゃないの?
変装中の侍が時々堂々と茶店でアノ蓋とってチョンマゲ姿で茶飲んでるけどいいの?
>>960 >無僧(こむそう)とは禅宗の一派である普化宗の僧であり、剃髪しない半僧半俗の存在である。
>虚無僧の様相については、
>「尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧」とされており、
>「多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。」
>>961 じゃあ、チョンマゲOkなんだね?
半俗ってことは武士でも農民でもいいってこと?
>虚無僧というのは普化宗(ふけしゅう)という禅宗の一派の修行僧です。
>この宗派は尺八を吹くことで悟りを得ることを目指し、武家の出でなければ入門できません。
>剃髪はせず天蓋(てんがい)という深編笠をかぶり、尺八を吹いて托鉢をすることになっています。
>こむそう【虚無僧】《宗教》
> 普化宗の僧であり、剃髪せず僧衣もつけない半僧半俗の存在。
>幕府によって諜報にも用いられたが、浪人対策としての面も多かったらしい。
>一応元武士でなければならないと決まっていたが、
>のちには食い詰めた町人などか勝手に虚無僧のなりをする事もあった。
新参者でございます。
素朴な疑問が湧いたため、ご教示願えれば幸いに存じます。
通常、関所は暮れ六ツ〜翌日の明け六ツまで閉じるものと心得ておりますが、
この時間帯に早駕籠が関所へ差し掛かった場合、
明け六ツまで待たされるのでしょうか?
それとも、特例として通行手続きがなされるのでしょうか?
>>964 関所はどうなんだろうな
江戸の木戸番には、番太とよばれる人が寝ずに番をしていて
木戸をあけてくれて、次の木戸の番太に
急ぎで通る人が今からいくよ〜と
拍子木を鳴らして教えることになっていたはずだけど
関所にいるのって、お役人だものな
偉い身分の人だったら、鑑札確認で通した可能性もあるかな?
966 :
名乗る程の者ではござらん:2009/10/26(月) 04:49:38 ID:44d4UWlu
他スレで興味深いレスを見たので転載
「接吻」について
>ただし、性行為としてのキスは、昔からあった。
>文献に残る以前の太古の時代からキスはあったと推定されるようだが、
>はっきりと文献に残る分でも、室町時代からキスはあった。
>当時は「口吸い(くちすい)」と呼ばれていた。
>動詞としては「口吸う」という言葉があった。
>他に「口口」や、江戸後期には口2つで「呂」などと呼ばれた例もあるが、
>「口吸う」がもっとも古く、平安時代に遡る。
>郭言葉では「おさしみ」とも言い、これはそれが2人で刺身を食べる様に似ている、ということらしい。
「江戸後期には口2つで「呂」などと呼ばれた例」
洒落の好きな江戸っ子らしくていいね
ついでにフェラチオとクンニの歴史についてもお願いします。
>>967 ピンク板ではないので、ちょっこっと気持ちだけ改行
クンニリングス → 花菱ぜめ ・ 片男波(かたおなみ)
フェラチオ → 尺八 ・ 千鳥の曲 ・ 口とり
69 → あいなめ ・ 巴どり
『女閨訓』
「口取り」の奥義は「夫の仰向けに臥せるそばに座し、右の手にて男根を握り、
締めはやめつ扱きあげこき下げし、同時に唇にて雁首をくわへ、
舌先に力を入れて鈴口の辺りを舐め回す」
体位48手 鵯越えの逆落とし
男性は、逆立ちした女性の両足を支えながらクンニリングスを行う。
双方にとって辛い姿勢を強いられる体位。
「馬鹿夫婦 春画を真似て 手を挫き」
という川柳がありますな
そんな昔から二次はファンタジーだったのか
春画なんて、日本人お得意のデフォルメバリバリだしね
フロのない時代に最初にコーマンを舐めたヤツは偉いな
974 :
名乗る程の者ではござらん:2009/11/18(水) 01:04:28 ID:+LwjuZ9V
良スレでありんす
>>973 上二つを買ってみた
「ものしり江戸名人」は、淡々とジャンル別に問題が出て解いていくだけ
「江戸文化歴史検定」は、おまけ部分が充実していて
ゲームとしての面白みはあるけれど
問題の出され方が系統だっていないので、勉強用には不向き
自分のように両方買うならいいけれど
どっちか一本にしぼろうとなると、帯に短し襷に流しだな
襷流しちゃらめぇ
977 :
975:2009/11/19(木) 15:44:44 ID:???
うわっ本当だ 恥ずかしい///
愛いやつめ
あ〜れ〜
一両は10万円くらいと思えば良いのか?
>>964 関所の夜間通行の場合
公儀の上使、公儀御用の継飛脚以外は
格別に老中の許可書が必要だったんじゃないかな
尾州、紀州の七里飛脚でさえ許可が無ければムリだったような気がする
>>981 金が三千円くらいだなんて保管してたらウハウハだな
985 :
964:2009/11/22(日) 18:14:01 ID:???
>>983氏
ご教授有難うございます。
憑き物が落ち……、もとい。
胸のつかえが取れました。
埋め立ては深川百万坪かな
芝浜埋め立て