1 :
名乗る程の者ではござらん:
1両=小判1枚=現在の価値で約4万円
2 :
名乗る程の者ではござらん:04/01/31 20:53 ID:uoqnMPBm
岡場所=現在のソープランド
質問
吉衛門は幸四郎の兄?弟?
カツオはキンノスケの兄?弟?
上様=将軍、上方=大阪
5 :
名無し募集中。。。:04/01/31 21:09 ID:22dja2S8
岡場所はソープじゃねぇよ!
大阪(おおさか)じゃなくて大坂(おおざか)
良スレの予感
なるべく基本の基本から教えてくらさい。
8 :
名乗る程の者ではござらん:04/01/31 21:17 ID:OFtE11vM
>>3 吉右衛門は幸四郎の弟
嘉津雄は錦之助の弟
(補足トリビア→獅童の父は錦之助、嘉津雄の兄)
9 :
名乗る程の者ではござらん:04/01/31 21:23 ID:6wxABGDm
中村錦之助
中村嘉津雄
松本幸四郎
中村吉右衛門
中村獅童
この人たちって一応みんな血縁者なんだよね。血の濃度はそれぞれ違うけど。
>>1 そもそも、1両の価値も4万円って断定できないだろう。
とっ!それはさておいてネタふりとして
吉原と岡場所、また柳橋は場所もすることも違います。
11 :
名乗る程の者ではござらん:04/01/31 21:24 ID:OFtE11vM
>>1
それ間違い
このあいだテレビで違うこと言っていたよ。
つーか、昔の貨幣価値は今の価値では置きかえられねーんだよ。
米価基準にしたって、今は江戸時代より米の価額が相対的に下がってるしね。
米価基準なら、1両は江戸初期で10万円弱だった。
中期で4〜5万円、後期で2〜3万円、幕末は乱高下して数千円。
知識ゼロの人が、時代劇を楽しむためだったら、
>>1は役立つんじゃないの?
>>12 ちなみに大坂は銀が主要貨幣ですって難しいかな?
時代劇的には放火の度に大儲けする材木問屋は木場に多く有ります。
>>9 中村勘九郎、勘太郎、七之助も血縁者
幸四郎、吉右衛門の母方の祖父=初代吉右衛門(長男)と
錦之助、嘉津雄の父=三代目時蔵(次男)と
勘九郎の父=勘三郎(三男)は
兄弟だからね。おやじは歌六。
ちなみに、幸四郎、吉右衛門と団十郎と先代辰之助(松録の父)は
父方の従兄。
勘九郎の母方の祖父(六代目菊五郎)の養子の子は菊五郎。
つまり藤堂と捨助は従兄弟ということね
>>15 ちがう。また従兄弟。
幸四郎・吉右衛門と獅童と勘太郎・七之助がまた従兄弟。
貨幣価値の判断は難しいよなあ。
「坊っちゃん」の時代の貨幣価値を考察してるサイトがあったけど、そこでは昔も今も
価値があまり変わってないだろうというものとして、銭湯代を基準にしてたな。
18 :
名無し募集中。。。:04/01/31 21:51 ID:22dja2S8
一両の価値についてはこう考えてみてくれ
・庶民の感覚で大金である
・しかしまったく手が届かないわけではない
・金貨1枚
このへんのイメージから、俺は1両=10万円として変換してる
江戸時代でも時代によって貨幣価値違うからね。
300年もあるのだから当然っちゃ当然。
>>14 それにしても歌舞伎の世界は凄いな。最高クラスの役者がみんな血縁とは!
白鴎、幸四郎、吉右衛門、錦之助、嘉津雄、勘九郎、団十郎はみんな大好きな役者だ。
一両=四分
一分=四朱
>>19 髷や衣装も違う・・・
忠臣蔵とか見てて、侍の羽織の襟や袖の部分が違う柄だったりするけど
あれは当時流行のファッションみたいなものか?
>>18 池波小説には「1両=10万円」と換算できる記述があったな。
なんの小説だったかな・・・
>>20 でも、名門といっても、意外とみんな、昔の役者からは血は繋がって
ないんだよね。
勘九郎はひいじいちゃんから、団十郎・幸四郎らはじいちゃんから
役者をはじめている。
絶えている血筋も多い中で、なぜか↑この血筋は栄えてるね。
>>10 しかし、ま、男と女だもの、行き着く先にやるこたぁ一緒かも。
その過程と段取りは全然違うけどね。
岡場所が本来は傍場所とかいて
傍場所=傍目八目=傍惚れ
「傍=本来の場所とは違う、外れたところ。横」
という知識まで知っておくべきなんだよ。時代劇は!
>>26 それに関しては大変勉強にはなるけど
んな事まで知らなくとも普通に楽しめるような気がするんですが…
>>27 そうか、細かすぎたか(´・ω・`)
じゃあ
「さんぴん」というのは「三両一人扶持」のことで
本来は貧乏武士に対する悪口で、町人に言うのは間違いだ
というのはどうか
29 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/01 00:18 ID:PGgIiaGC
くだらねぇスレだな
勉強してこいよ自分で
こんな、時代風俗豆知識みたいのが無くたって面白く見れるよ。
PHPから時代劇用語の本が出てるからそれ買って勉強しろや廚よ
そりゃそうだけど、まぁあってもいいんじゃないの!
>>28 その程度のレベルで良いと思うよ。
そんな知識なくたって困らないが知るとへぇ〜な
時代劇トリビアのスレってことでひとつよろしく。
すいません「ごくもん」ってなんですか
>35
「獄門」のこと?
刑罰の一つで斬首の上、首をさらされること。
さらされる首を載せるのが獄門台・
>>36 むかし、なんかの時代劇のお白州の場面で
打首獄門のところ罪一等減じて・・と言った瞬間、罪人の顔がゆるんだが
そのあと、死罪申し付ける!・・でガクッってなったのは激しくワロタ。
>>37 確かに死罪のほうが軽いからね
ただ罪一等を減じるといった場合、死刑関係は遠島になることだけど
>>38 言われてみればそうだな・・
しかし、奉行が淡々と申し渡すのがまた面白かったのよ。
ひょっとして大岡越前かな?・・・でも、ワカラン!忘れちゃった
必殺の初期のやつでも、火盗改に捕まれば良くて打首、悪くて磔だって
慌てるシ-ンがあったから、ごっちゃになってるかも・・・
40 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/01 02:17 ID:Rqhgfz77
あの、市中引き回しってほんとにやってたんですか?
また、ほんとにあったのならいつ頃なくなったんでしょうか?
>>40 江戸時代中、ずっとやってただろ。
獄門とセットの刑だっていうし。
昔コントのお白州の場面で遠山役が「これにて一件落、チャックウィルソン!」っていったら、舞台端からチャックが出てきて壁をぶち破りつつ下手人を向こうに連れさったことがあったっけな
こういうスレを待ってました!イイヨイイヨ〜!
ここまで読んで、確認&質問を挙げてみました。
>>8 中村獅童の父親は本当に萬屋錦之介?
>>17 銭湯料金は20年前頃から劇的に上昇してるので・・・
それを言うなら、やっぱり鶏卵?
>>26 じゃあ、岡引の岡も正式じゃないという意味?
>>28 ○両○人扶持、の意味は?
>>38 遠島になったら、2度と戻ってこれないの?脱出も無理?
>>43 >>8 >中村獅童の父親は本当に萬屋錦之介?
錦之助・嘉津雄の兄という意味で書いたんだろう
ようするにあの兄弟の甥っ子
>>26 >じゃあ、岡引の岡も正式じゃないという意味?
そのとおり
本来、岡引には捜査権も逮捕権もない
>>28 >○両○人扶持、の意味は?
年棒が○両、それと米を○人が一年食べる分もらえるということ
>>38 >遠島になったら、2度と戻ってこれないの?脱出も無理?
お白州で遠島○年と決まるんじゃなかったっけ?
自分でイカダ作って脱走した例もあるけど、成功率はかなり低かったはず
>>43 えらい質問多いな・・・
俺
>>37だけど、なりゆきで
>>38の質問だけ資料で調べたよ。
記録によると、遠島は江戸の場合、伊豆七島(新島、三宅、御蔵、八丈島など)に
送られる。
罪の軽重によって送られる島も異なり、重罪人はより遠い島に流された。
八丈の場合、江戸期を通じて送られてきた罪人は約2000名で内600人
ほどが赦免されたそうだ。
島抜け(脱走)は記録なし。というより残せんやろ! 実際、新島とかなら
可能性というか生還率もあるだろうが、八丈なんか無理だろう。
遠島で送られた後の様子を描いた作品ってあまりないけど、俺が見たのは
断崖絶壁の御蔵島に流人船が嵐で接岸できず、罪人が泳いでたどり着けって
役人に海へ突き落とされて、溺れ死んでるのもいた。
>>44 早速のレス、ありがとん。
自分も斬九郎でハマるまで、大名・旗本・御家人の違い、
町奉行・与力・同心の違いも分からず、公式サイトか何かで意味を知ったら
凄く時代劇が面白くなったので、絶対に需要のあるスレだと思います。
・だいたい何両何人扶持くらいが平均だったのですか?
・島では、どうやって生活していたのですか?
自給自足?コミュニティがあった?懲役のような強制労働もあった?
>>46 流人担当です。
島ごとによって扱いも違ったよう。
でも、大体質問の通りです。
もっとも、島には島民もいるので常時監視され、日常生活も細かく制約されます。
>>45、
>>47 おお!こちらもサンクスです。
>>10にあった
>吉原と岡場所、また柳橋は場所もすることも違います。
とは、どういう意味でしょう?
あと、ドラマで八丁堀の町方が、
武家屋敷は取り締まれなかったりする場面が出てきますが、
武士に対する警察組織はなかったの?
なんか過去ログが面白すぎて教えてクンになってますが、
気の向いた方に答えていただけるだけで結構で、
解答を強制してるわけではないので、ググれ、でスルーしないでね。
>>48 武家でも幕臣(直参)と大名など監察糾弾する組織は違う。
・大目付は大名等の監察糾弾。
・目付は幕臣(特に旗本など)の監察糾弾と徒目付・御小人目付を支配します。
・徒目付・御小人目付(カチメツケ・オコビトメツケ)は残九郎などの御家人や西尾伝三郎
などの役人、つまり将軍お目見え以下の幕臣などの監察糾弾。
・大名家はそれぞれ各大名家に目付に準じた機関があり、内部で処理される。
ヤクザの大親分、大前田英五郎の子分が
八丈だかどこかに遠島になって、島抜けしようと筏作ったけど
結局失敗して死んだって話を子母沢寛の本で読んだ記憶がある
岡っ引きっていうのは、結局いまでいうヤクザなんか?
52 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/01 11:04 ID:x1cc7gL4
1万石以上の知行地持ちだと大名で、
それ未満だと旗本だと聞いたことがある。
ってことは、1万石だと参勤交代が義務づけられていて、
9999石だとそれが免除されるわけ?
その場合、旗本の方が余計な出費が無くていいかも。
よく丁半博打をやってるシーンがあるけど
あれは丁に賭けた金額と半に賭けた金額を
同じにしてから目をあける決まりになってる
「丁半、駒そろいました」っていうのはそういう意味
だから一人の客がバカ勝ちしても、胴元懐は痛まない
客の金が右から左に流れるだけ
胴元は勝った客から5%くらいのテラを取ることで儲けてる
JRAのテラ25%はどう考えてもボリすぎ
>>48 吉原忘れてた。
・吉原、針吉原の事・・幕府公認の遊郭、浅草寺北方の日本堤にある。
おいらんの居る所。料金もとてつもなく高い。
残九郎のOPでバイトしてるシ−ンがたぶんそう。
・岡場所・・非公認のモグリ遊郭。江戸府内に多数アリ。非公認なので
店の間口も狭い。料金も庶民的。非公認だが役所に付け届け
(ワイロ)をしてるので黙認され、半ば公然と営業している。
・柳橋・・・・蔦吉姐さんのような芸者と遊ぶ所、料理屋が軒を連ねる。
両国橋東詰めのところ。橋の西詰めにある江戸一番の繁華街
浅草と直結している。残九郎のEDの模型は両国橋。
55 :
:04/02/01 11:46 ID:iEvfw10U
>>53 そりゃあ賭場はそれだけ運営に費用がかかりませんからね。
せいぜい場所の管理費と人件費くらいなものでしょう。
JRAはその管理費や人件費にむちゃくちゃ金がかかる。
その上上納された分の多くが馬産や畜産振興に回される。
賭場はそういう分は一切ないですから。
>>48 >>54の吉原・岡場所を今風に言うと、
吉原=吉原
岡場所=渋谷&大塚&鶯谷等のDC
>>54 針吉原=新吉原のまちがい。
>>51 ついでに
幕末の関八州(北関東)にいるやくざの中には、十手捕り縄を預けられる者もいた。
いわゆる二束のわらじ。 実際の代官所は水戸黄門に出てくる悪代官みたいに
人数がいないので子分の大勢いるやくざは何かと重宝したそうです。
ただし、弊害も多かった。
>>42 遅レスだけど
結構うけてるのは俺だけか?
吉原と岡場所の関係は、隆慶の「吉原御免状」読むとよく分かるよ
61 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/01 14:26 ID:pc6h+ebd
スゲー良スレ発見
こういう時代考証がしっかりしてるのは、どんな作品?
やっぱり鬼平とかの平成CXかな?
特に原作もしっかりしてるやつ(池波、山本、藤沢、柴田、司馬あたり)。
時刻や時間の単位について教えて下さい
お金の単位は金貨、銀貨、銅銭、ぜんぶ違うんだよな。
だから銀行という。
ちなみに4進法。
>>65 >だから銀行という。
だから交換所が必要なのであって、現在のソレを銀行という。
端折り過ぎたw
江戸は金本位
大坂は銀本位
68 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/01 15:55 ID:Cy33f5YG
>>52 >1万石だと参勤交代が義務づけられていて、
>9999石だとそれが免除されるわけ?
原則としてはその通りなんだけど、「交代寄合」といって、旗本でも参勤交代の
ある家も、数は少ないながらも一応ある。
交代寄合は基本的に格式の高い家柄。最上家や朽木家などのように旗本に格落ち
した元大名家、山名家などのような高家の一部、鍋島家などの大名家の分家筋、
久能山で家康の霊廟を守る榊原家(徳川四天王・榊原康政の兄の子孫)など、交代
寄合の資格を持つ家柄の内実は多種多様。
石高の高い家柄が多かったものの、参勤交代の経費、江戸屋敷の管理費、大名並み
の交際費が必要となるので、借金の多い家もあったらしい。
……時代劇を見る上では役に立ちそうもない知識でスマン。
池波の小説だと
「このような大旗本は大名家ほど格式に縛られることもなく
内情は裕福なものであった」
見たいな一文が必ず入るよなw
70 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/01 16:23 ID:ILUM+RkM
>>51 ヤクザじゃなくて同心の下で働く民間人(町人)て事なのでは?
質問。
藩の財政状態によっても違うのかもしれないけど、「たそがれ清兵衛」だとトモエの実家は
400石(海坂藩は7万石)でもそんな大した家格に見えない。でも「壬生義士伝」だと大野家
400石(南部藩は20万石)は家老並の家格に見える。
藩によってこんたな違いがあるものでござんすか?
>>71 「剣客商売」に出てくる四谷の弥七(三浦浩一)や傘徳(山内としお)などが
いちばん近い感じでは・・下っ引きの傘徳は十手すら持っていない。
あと深川の茂七なんかも。
実際はなんか商売やってるところ多いよね、めしや、髪結いとか・・
女房とかにやらしておけばいいわけで・・加えて、町内から付け届けとかで
ワリと実入りが良かったりする。
73 :
52:04/02/01 20:49 ID:???
>>68 ありがとん!
適当な家柄の適当な石高の旗本が一番気楽なんでつねw
>>68 ちょっとした疑問なんだが
足高の制で一万石以上になった場合
参勤交代は今まで通りしなくてもいいの?
補足
一万石未満で、参勤交代のない一般の旗本ね
>>74 足高は何らかの役職に就いたときに適用されるわけで
役職つきの場合、参勤交代は免除でしょう。
厠=トイレ
厨=キッチン
>>71 「たそがれ清兵衛」の描写の方が正解では・・・
幕末といえど東北の藩なんてあんなモンでしょう。少々行き過ぎた感はあるけど
それに藩によって違いも大いにあるでしょう。場所も実高(実収入)も違いがあるし
具体的に良い所と悪い所の例を挙げればイイんだけど、それは専門の方へ
岡引きの給料は、同心のポケットマネー
guest/guest
前々から思っていたんだが、用心棒のことを「先生」と言う風習は
本当に存在したの?つうか「用心棒」って言葉自体あったの?
84 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/02 22:21 ID:lzQZkpmd
>>83 なるほどな〜、そんなん考えたことなかったけど・・たしかに謎だ
子分とかに剣術教えたりしたら先生って呼ばれるんじゃない。
「用心棒」の語源は知らない
用心棒というのは確か扉のしんばり棒のこと。
いざというときは武器としても使ったことから、
ガードマン的な人物のことを用心棒というようになったらしい。
>>86 やっぱりそうか・・・
チョッと自信なかったのでが答え避けたんだ。。。。アリガトね!
おはよう!
朝からでワリィが質問
チョンマゲの髷って、いつ頃から頭のてっぺんに乗せるようになったの?
戦国時代と江戸初期と後期と違いますよね
錦兄ィの「宮本武蔵」なんか色々な髷した人が登場するけど
また黒澤映画では戦国時代でも頭の上に髷があるし、
かといって大河では家光の頃でも束ねてるだけだし、よくわからん?
なるほど。確かに疑問だ。
いまやってる大河を観ても、香取は前髪を剃ってるけど、邦衛は剃ってない。
職業や年齢によって髪型が決まっているのか?
それともオシャレ(髪型選択の自由)?
そもそも月代を考案したのは誰?
ものすごい前衛的なんだけど。
誰かは知らんが、元は戦国時代に兜を被っても蒸れない為
烏帽子に合わせた髪形なんじゃ?
兜、烏帽子・・・・なるほどーありがとう。
でも、剃らないだろ、普通。
辮髪から来てるのかなとチラと思った。
山田風太郎が「半分、出家したつもりで始めたのではないか」とか書いてたけど
流石にそれには俺も納得できなかったw
よく浪人や渡世人が口に葉っぱや爪楊枝をくわえているシーンを見るけど
あれって何かのおまじない?
>>95 すばらしい!
茶筅髪と二つ折りっていうのか。
この記述によれば、家光の頃に髷の変遷があったわけで
他にも詳しく出ていますね>
しかし、この「時代風俗考証事典」の著者林美一って人、有名ですな。
かの大江戸捜査網の時代考証の名にこの人の名前が出てた。
ていうか幕末期には武士階級の人間も総髪にする人が結構いるけど
(勝海舟とか)あれもはやりか何かなのでしょうかね
>>98 国の事で忙しくて、月代の手入れなんてやってられないゼ★
>>96 これはクセってもんで〜
・・・・・・・・・・・・くせ?クセ?癖?
>>99 てめえは、あまり詳しくありやせんが・・・・
海舟って名乗るあたりとなにか関係があるんですかい?
完
まげを束ねる元結(もっとい)が小さくなったのは、吉宗のときの贅沢禁止令が
キッカケって聞いたことがある。
【仕置き】 法によって処刑することを、江戸時代こう呼んだ
【ミス住】荒らし
時代劇板にもいるのか、ミスの人
【 ´D`】 ののたんは奇跡
106 :
名乗る程の者ではござらん:04/02/12 20:02 ID:b4JOro80
「いってんちろく」って何なんでしょうか?
>107
どうも!サイコロでしたか。
109 :
島原見廻:04/02/16 07:54 ID:QSDgxBjR
ヒマそうなので、閑話を。
江戸小話に嫁さん貰った若殿が翌朝ジイにあれは下々もああかと聞いて、ジイが
ヒトでござりますれば同じと答えると、贅沢である、控えさせえというのがある。
一方、その手の後嗣ぎは、そっちの能力開発が最重要課題のため幼時より側の女
どもがよってたかって刺激して、乳母も長じると実施指導したとか。
時代は違うが、足利8代は、乳母の方がいいと言ったとか。
江戸小話は、上つ方の事情に暗い庶民の想像に過ぎないと、二重におかしいが、
この手の話を本にまとめたものとか、ご存知でしたら、ご紹介を。
>>109 その時代の倫理感みたいなのにも興味あります。
司書役ヨロ。
111 :
島原見廻:04/02/17 19:33 ID:RQM7rm9e
司馬遼太郎の「街道をゆく」の受け売りだが、近世までは、次の世代の人をどう
確保するかに重点があったのではないか。夜這いの風習が残っていて、子が出来
ると、女性に父親を指名する権利があり、父親は自分の子でなくても共同体のた
めに育てる。長じると若衆宿で共同生活をする。若衆は自警団であり、消防団で
もある、という。
応仁の乱以降、長子相続に傾いて来ると、血筋を言うようになるが、秀吉が淀の
産んだ子の血をとやかく言わなかったのは、次世代願望のゆえと思える。
秀忠の嫁さんは、3回目の結婚だったが、出産経験があるというのは、子をなす
能力が保証されたも同然なので、秀忠は否応を言わなかったのでは。嫁さんもバ
ツ2を全く卑屈に思っていないみたいだ。
女性の貞操を強く求め出したのはいつかは、よく分からないが、江戸に入り、武
士の学問に儒教の色彩が強くなり、二夫にマミえずとかになってからではないか。
(戦がある時代は後家はゴマンといるので、マミえないと立ち行かない)
日本は古代から女系社会だし、庶民レベルでは
江戸時代くらいまで、性風俗に対してかなり大らかだったみたいだね。
男尊女卑がはびこったのは明治以降だよ
113 :
島原見廻:04/02/17 23:54 ID:C0vl/eDf
稲作、養蚕など女性が働き手のところは、男尊女卑は希薄の傾向。上州のカカア
天下がその例。
明治以降といえば、給料取りが増えて、主婦専業化がその一因ではないか。
あと、嫁入りは本人の意思が無視された話が多いので、女卑と思ってしまう。
女性の自害を認めているなんて、すごい社会だと思う。
こんな潔さを先人が持っていたのか、と感動する。
質問です。
女性の自害には作法があるのですか?
乱れないように足を縛ることくらいしか知らない。
>>111 血筋、という言葉の割にはあんまり「血」にはこだわっていないような。
矛盾ぽく感じるんだよね。簡単に養子縁組しちゃう所とか。
「名」っていうのがすごく大きいんだよね。
「血」じゃなくて、「家」に拘ってるって言えば分かりやすいんじゃないかな。
下級武士から大名まで「お家の為に」生きてるって言っても過言じゃないしね
117 :
島原見廻:04/02/21 09:48 ID:vULS3b/c
血筋といったのは、その前までは、実力中心で、例えば兄がなくなり、その子が
幼いと、弟が跡目を継いで、叔父甥の争いが起きるが、これを避けるためか、宗
家思想が出て来たという意味合い。
血族がいなければ、親等の近いところから、養子を入れる。近いものがいなけれ
ば、他に探すとか、二の手、三の手の考えがあったように感じる。
(担ぎ手が多いオミコシを探すようなもの)
家といえば、私的な任意団体みたいだが、田畑にしろ、知行地にしろ、今でいえ
ば、財団法人みたいなところがあるので、成員の生活のために組織維持を図った
と考えているのだが、はずれでしょうか。
二世議員が親の地盤を継ぐというのも、地盤が一種の財産という考えでは。
ちょっと極端ですが、社長が死んだら会社は解散とは行かないでしょうから。
質問!
大河で、百姓の土方が刀を二本差ししてるのはおかしいって叩かれてたんだけど、
実際には取り締まりとかほとんどしてなかったから、勝手に二本差しして歩いてる人も
けっこういたって話も聞きました。
(今で言う未成年の飲酒喫煙みたいなもの?)
どっちが本当なんでしょうか?
自分が百姓だってことを誰も知らない土地にいってやるならいいけど
普段暮らしてる生活圏でやるようなのは変てことじゃないの?
新撰組!はもう見てないからどんな場面かは知らんが・・・
>>119 確か、江戸での場面だったと思う…けど、いっつも二本差してる。
地元じゃないからいいのかな。
御三家と御三卿について質問です。
将軍後継問題が起きた場合、どっちから次期将軍をだすのでしょうか?
>>121 御三卿から。
>>122は室町幕府の話だろ?
徳川幕府は、家康(=将軍)の威光・権威が政治的イデオロギーになっていた。
ゆえに、将軍家からの分家たる御三家は将軍継嗣問題の解決機関として作用してきた。
しかし、時代が進むにつれ、将軍家の継嗣問題がレアな状態(=将軍家から次期将軍が現われる)がしばらくつづくと、将軍家と御三家の血縁的・親族的格差が大きくなった。
このような状態が続くと、将軍継嗣問題が起こった場合に、政治的イデオロギーの面で問題が発生する。
そこで、@将軍継嗣問題とA将軍家との血縁的・親族的格差を調節するため、新たに作られた将軍継嗣問題解決機関が『御三卿』である。
ちなみに、御三卿は、大名ではない。
御三家=尾張、紀州、水戸。本家の子孫が絶えた時にはここから後継ぎを選出する。
御三卿=清水、田安、一橋。八代将軍・徳川吉宗(紀州の生まれ)が御三家に代わり、
生み出した後継ぎ候補(要するに、尾張、水戸ではなく、自分の血筋から後継ぎを出したいと考えた)。
125 :
124:04/03/02 09:22 ID:???
つまり、将軍後継問題が起きた場合、七代将軍・家継までは御三家から。
八代将軍・吉宗以降は御三卿から選出された。
『江戸を斬る』でお馴染みの、西郷輝彦の娘は
辺見えみり
127 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/02 13:03 ID:zouuIL8O
>>126 このスレはトリビアスレじゃなく時代劇を面白く観るための知識のスレだ
128 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/02 13:06 ID:0eBE+9EX
根本的な疑問なんだけど、時代劇を面白く観るのにそれほどの知識って
必要なんだろうか?
下手すると、知識を得てしまったが為にかえって面白く観ることができなく
なって、その結果時代考証厨になってしまったなんてことになるんじゃないか?
時代劇を観るのに必要な、根本的な知識 → 悪い香具師は必ず懲らしめられる
>>128 時代考証にうるさくなるのも楽しみかと…
ちなみに、有名なとこでは、『水戸黄門』で八兵衛が『御隠居!この旅籠は、サービスがいいですね!』といったとかいわなかったとか…
ほんと『うっかり』ですなw
あと『江戸を斬る』で、小林秀治が『チップだよ』とか言ったとか言わなかったとか…
>>130 それはただの都市伝説だよ
他にも「御隠居、ラッキーですね」とか「ファイトですよ!」とか
いろんなVer.があるが、何部の何話かということは誰も知らない
>>130 『暴れん坊将軍』の腕にBCGの跡があり、弓引くときに見えたのも都市伝説?(゚д゚)ウマ-
>124
水戸の一橋というのは「水戸家の分家の一橋」
って意味ではなかったのですね。
すごく分かり易いです。
ありがとう。
135 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/02 22:12 ID:LYmzsGxh
新撰組の給料
局長 近藤勇・・・50両(1両3万円として150万円)
副長 土方歳三・・・40両(120万円)
助勤沖田、永倉、井上、藤堂・・・30両(90万円)
ベテラン平隊士・・・10両(30万円)
ヒラ隊士 ...3両(12万円)
ただ、1両あれば家族4人一ヶ月暮らせたとか、3両あれば1年1人暮らせたという時代なので、
現代とは金銭感覚は10倍くらい違う。
よって、現代人の感覚で言えば新撰組の月給は
近藤月収1500万円、年収1億8千万、土方年収1億4千万強、沖田など年収1億って感じ。
おお、リッチ。プロ野球のスター選手みたいなもんだな。
火付盗賊改は、金がかかる役職だった。
>>136 ちょっと調べてみたら正式には盗賊火付改役というんですね。
任命されても本役の御先手頭の他にあまり御役料も付かないようですね。
「鬼平」でも長谷川平蔵が私財も投げうっているとか・・シ−ンがあったけど
実際のところ副収入があったにしても差し引きすると苦しかったのかな?
>>137 町奉行と火盗との縄張り争いとかどうだったのかな?
『鬼平』や『大岡越前』では描かれてなかったけど『江戸を斬る』では、メインストーリーだったね。
『死神の重蔵』なんてかっこいいネーミングの火盗が出てたっけ…
139 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/03 10:51 ID:I79ccOBt
>>135 1両3万ってのが現代の価値に直してなのにそれを更に10倍にしてどーするよw
140 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/03 15:16 ID:EdFrJTX7
>>135 貰っている割りに、あちこちの商家へ借金して踏み倒しのは、
何に使ったのでしょうね。日野の留守宅に蔵が立ったとも聞かない。
>>138 お巡りさんと機動隊。機動隊は、佐々敦行さんの担当。
>>139 購買力による修正
141 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/03 22:38 ID:rsUGAK+u
age
江戸を斬る
ドラマでは、遠山金四郎を町奉行にしたのは、水戸のナリアキということになっていて、老中の水野とはやや敵対関係であるが、実際は、金四郎を町奉行にしたのは、水野。
鎌倉や室町時代の時代劇ってないかなぁ?
144 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 00:50 ID:UriMS3wJ
>>118 本来なら武士以外の人間が勝手に二本差ししてたら取締りの
対象。苗字帯刀を許された武士以外の身分の人は除く。
ただし、苗字帯刀を許されていても届けとか結構うるさかったらしい。
145 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 01:32 ID:yWiiEICs
>>143 「一休さん」
足利義満 水戸黄門、徳川吉宗
蜷川新右衛門 遠山金さん、大岡越前
146 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 02:13 ID:YbRL7kIN
火付盗賊改役の役所は定まっておらず
自身の屋敷が役所になる。
135によって1両=30万円という新説が提示されたわけだが。w
148 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 03:07 ID:xPvhq8a3
>>147 生活レベル的な修正だろ。
1両=3万円、月収3両でも、中国の後進地やアフリカあたりに行けばお大尽様になれるようなもんで。
149 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 03:22 ID:IWuJTvb/
必殺仕掛人の第4話で、
元締め(山村總さん)が、
「箱根山 箱に乗る人 担ぐ人 捨てたわらじを拾う人」
って言うセリフがあるんですが、これって何か元ネタが
あるんでしょうか??
>>148 物価や生活水準を考慮して修正済みのデータに、なんでさらにまた修正を加える必要が有るのかと。
151 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 04:14 ID:J0LhVgKS
>>150 1両=3万円、3両=1石は物価や生活水準を修正していないと思われ(確か米価基準だったかだと思う)。
当時の女中の年収が3両の時代だぜ。
今、年間9万円で1年暮らせるか?
>>151 だいたい、昔の人は米を常食として食っていたのか?
(白)米は今でいう、『ステーキ』とかじゃねぇの?
あと、その他の日曜雑貨などは、今よりもやすかっただろうし、買うものも特になかったんじゃない?壊れてもリサイクルなどして、使い回すし。
<結論>
やはり1両=¥4万か?
日常的なさまざまな物価や経費を考慮して1両は2万〜10万とか聞いたけどなあ。
エンゲル係数だって違うだろうし。
30万なんてベラボーな数字は初耳ですよ。
>>151 当時と現在では生活様式から社会構造まで全てが違うのにいきなり年収で単純比較して補正を掛ける理由が分からん。
155 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 05:45 ID:or6BwpsU
>>152 常食というよりコメは貨幣に近いし。
御家人とか諸藩の下級武士はコメを給料としてもらっていたわけで。
○○俵支給とか。
「壬生義士伝」でも渡辺謙が御家人になって、○○俵もらえるってんで感動してたでしょ。
>>154 生活レベルでの補正は意味あるよ。
例えば交通事故などの損害賠償などでも、被害者が外国人の場合、母国の平均年収などを考慮して裁判所も補正している。
出稼ぎにしているアラブの人なんかで日本人なら200万円の慰謝料なら半年程度の収入だろうが、
母国に帰ると、お大尽になってしまうので、20万円などに補正したりする。
武士の収入はお金+米だし、女中は衣食住込みの最下層ランクでしょう。
比較としては間違ってるな。
米価ベースも正確なものではないが、135のような比較よりはマシですね。
>>152 水飲み百姓ならともかく、地方の庄屋クラス以上や江戸の町人は、普通に白米
を喰ってたよ。
158 :
幸兵衛:04/03/04 11:48 ID:uaXPMpqO
大変、面白い話題、ズーと疑問に思ってきた。
私の理解。
金、銀、銭は、円とドルとユーロみたいに思わないと間違う。
米は、通貨で、農民は造幣局。畑百姓は馬鹿にされた。
(松前藩、南部藩の石高は、換算額だった)
江戸時代の始めと幕末では、様相が現代人が思う以上に異なる。
纏めたモノの本が、少ないのは、このためではないか。
当時は、皆の常識だから、改めて誰も書き残さない。
作家も書ききれない。悪く言えば、逃げている。
始めは、1両=100万円に近いイメージ。幕末は2〜3万円。(物価基準込)
最初に決めたときは、1両=1石=1人1年の消費米。1人扶持は1日5合の計算
で、1.8石になるが、これは給与だから。(1石=10斗、100升と置いて。異
なる換算もあったみたいだし、マスも全国統一かどうか、自信がない)
副食が少なく、1日5合位食ったかも知れない。玄米と白米のこともあるし。
(5合食う武士は、どの身分かの基準も分からないが。)
で、
>>156 揚げ足を取るつもりはありませんが、
3両貰う女中は、時代にもよるが、住み込み職人なみでないか。
女中も、いろいろあるし、宿下がりして嫁に行くときは、道具をそろえるとかも
あったようだし。奥女中とかもあるし。金額だけではなんともいえない気がする。
したがって、「間違っている」というのは、ここへの書きこみの都合も斟酌しな
いといけないが、決め付けるのは、どうか。なんせ、事実がよく分からない。
いや、こういうのに、こうあったとかあれば、マジメな気持で知りたい。頼む。
>>158 年収3両は人並みに暮らしていけないレベルの金額ですよ。
>>135が書いてる「3両あれば1年1人暮らせた」というのは
いわゆる「サンピン」のことですね。
年収が3両と米1年分で、町人からも馬鹿にされるほど貧しい生活の侍のことです。
現在とはあらゆる部分で違っているので何を基準にするかで
大きく変わってきますが、当時は圧倒的に今よりエンゲル係数が
高いので米価基準というのが実態に近い数字だと思います。
160 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/04 16:54 ID:hd+KD4a7
>146
確か寺社奉行の役所も、任命される大名屋敷が役所になったはず。
>>132 それは間違いなく都市伝説。BCGの後は数週間で消えてしまう。暴れん坊将軍に
出演するくらいの年になってから接種するのは考え難い。
でも、20数年前のテレビガイドの写真で、方袖を脱いで弓矢を構える松平健の腕に
種痘の痕が見えたのは事実。
水戸徳川家は、御三家といっても、将軍を排出できる家柄ではなかった
また、参勤交代も課されてなく、江戸に駐留し、許可を得て、国元へ帰っていた。
実際、将軍継嗣問題が出てきたときは、紀伊か尾張で検討した。
ただ、15代将軍は、水戸家出身だが、御三卿へ養子に出て、そこから将軍になった。
164 :
幸兵衛:04/03/05 10:43 ID:d/209Hdd
>>159 ついでに、サンピンはいつごろから使われだしたか分かりませんか。
当たったけど、分からない。
>>163 水戸家は、いろいろイビツで、頼房もえらく遠慮っぽい。なんか経緯を
ご存知?
165 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/05 11:19 ID:hshXh4Ow
定府の大名って、どれくらいいて、どんな人たちだったんでしょう?
>>164 尾張・紀伊・水戸の藩祖の中では一番年下だからじゃないの?
その後は光圀の大日本史編纂の影響で親朝廷になって幕府に睨まれてたから
室町幕府の『四職』を知ってるマニアはいまつか?
管令と四職の関係を江戸幕府で例えてください。
おぉ〜早い。はい、歌さん。
なんで江戸幕府で例えなきゃならないのかがわからねぇ
尾張徳川家からは将軍は1人も出ていないね
170 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/05 23:50 ID:uA25XqEq
>169
家継死後の最有力将軍候補だった吉通が早死にしなければ尾張から
将軍が出ていたはずだった。
171 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/06 00:27 ID:F7Gx8Aj1
>>165 御三家の分家、例えば水戸藩から分かれた宍戸藩とか、紀伊の別れ
伊予西条藩とかetcは定府というパターン多し。
また外様大藩などの分家(○○新田藩とか)、旗本が加増されて
大名になったパターンの大名も定府という事が多いですね。
例えば西大平藩の大岡家とかも定府です。
>>170 大河の吉宗では堤真一が踊りながら口から血を吐いて倒れた殿様だな
173 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/06 01:05 ID:F7Gx8Aj1
共産圏の『書記長』が権力もつのと同じくらい、朝廷の軍事担当の『征夷大将軍』が政権を担当するのがよく分からん。
あと幕末の京都所司代と京都守護職との関係も。
どちらも間に合わせの肩書きという意味で共通ということでいいのか。
書記長が最高権限なのは全ての国家機密を書記長として知り得る権利があるから。
征夷大将軍も同様に考えればいいと思うんだが、
それだと、征夷大将軍と秀吉の太閤・関白と黄門の違いが説明できん。
うーん。
征夷大将軍というのは武家としての官職で
関白や大納言というのは公家の官職だからね
関白は天皇の輔弼をして日本を統治するけど
征夷大将軍が幕府を開いて統治する根拠は
まぁ頼朝以来の先例というか・・・
177 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/06 09:34 ID:F7Gx8Aj1
征夷大将軍も関白も、いわゆる律令制下の正規の官では無いことは同じ。
いわゆる令外の官。
後者はあくまで非常の任命だし、本来は軍事的役職で政権に携われる役職じゃ
ない。頼朝は武家としての政権を作りたいが為、朝廷の役職とは別格の役職を
得たいと考えていた。そこで欲したのが征夷大将軍の役職。それを知っていたから
後白河法皇は最後まで任命を渋っていた。
本来、征夷大将軍は武家に限らない官職だったけど、結果的にはこの事が後世の
先例となり征夷大将軍=武家と言う事になった。歴代の将軍たち(鎌倉・室町・江戸)も
全て大納言、右、左大臣の官を受けて、同時に将軍宣下で征夷大将軍に任じられている。
結果的に政権を担当するのも多分にご都合主義的理由(武力と経済力を把握していた)から
だな。
178 :
165:04/03/06 10:47 ID:???
>>177さんにちょっと付け足し。
左大将のような常任の職が朝廷のシビリアンコントロール下にあるのに対して、
戦時職の征夷大将軍は当該地域(蝦夷との対戦地ね)の役人・住民を幕下に
おさめて政治・軍事の全権を司る権限が与えられていた。その機関が幕府。
今風に言えば、非常事態宣言を出して軍事政権を樹立、とか。
もちろん本来は奥州限定のものなのだけど、これを拡大解釈し、義経捜索・
奥州藤原氏対策に名を借りて全国規模にもっていったのが、頼朝とそのブレーン。
そして、(朝廷任命ではなく)将軍任命による守護・地頭を設置して武士による
支配体制を確立させた。
将門のような完全独立や、清盛のような貴族化による失敗例を参考に考案された
だろうだけのことはあって、この一見複雑に見える二重権力構造がその後数百年
引き継がれることになった。
でもさ、発足当時の必然性がその後も存在し続けていたのかは疑問で、後世の人
たちオリジナリティー無さすぎ、って気もする。ただ、オリジナリティーバリバ
リに発揮して、体制を大変化させようとしていた信長はあんなことになっちゃっ
たわけだし、不思議な国民性だな、って気はする。
>>171さんありがとうございます。
三百諸侯のうち、どれくらいの数だったんでしょう? 20くらい?
また、定府とは「参勤交代しなくて済む」というメリットと「人質のように国元
へ帰れない」というデメリットと、どっちの意味合いの方が強いんでしょうね?
幕府が命令するものなのか、許可するものなのか?
179 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/06 12:30 ID:1djoN6Mm
>>178乙。
> 政治・軍事の全権を司る権限が与えられていた。その機関が幕府。
ちなみに臨時の機関なので建物がなく幔幕を張りめぐらせたものだったので
「幕」府と呼ばれた、、、らしい。
定府は、なぜ大岡越前守はいつも江戸に居るのか、柳生但馬守は参勤交代
しなくていいのか、などと疑問に思っている人に教えてあげます。
ところで、刀の打粉って原料何ですか? シッカロール?
江戸時代、将軍家には『大奥』があったけど@天皇家A鎌倉時代B室町時代にもそれぞれあったのかなぁ?
高級な売春宿か?プゥッ
1両は8万だと聞いたが
誰に聞いたが知らないが
「だいたい8万円くらいの価値」とかいわずに
ずばり「8万円」といったのなら、そんな奴は信用するな
185 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/06 16:38 ID:UXqlh/lX
>おさめて政治・軍事の全権を司る権限が与えられていた。その機関が幕府。
幕府なんて機関は存在しないよ。
幕府は「将軍の住む館」の意味だから、今で言えば「(総理)官邸」みたいなもの。
今でも総理や総理周辺を「官邸」というように、将軍もしくは将軍周辺を「幕府」と言っていただけ。
あと、武家を中心とした政権という意味の「幕府」って言葉は江戸時代中期に学者が言い出したもの。
いずれにしても幕府という「機関」は存在しない。
今も一応、小泉幕府と言う言い方もできるよな。
将軍は朝風呂
189 :
幸兵衛:04/03/06 18:25 ID:yY3EZ8An
>>171 ちょっと戻るが、宍戸藩が定府って、気にしていたら、水戸から分かれて、
代代お殿様は江戸住まいで、年貢取り扱いのみの陣屋を置いていたようだ。
警察機能などは水戸に依存していたということで、いっちょ前の大名とは
ちょっと違う。慶喜が入った一橋家も簡易組織みたいだった。
経理部のみの会社で、人事、総務とかは、親会社依存みたいだね。
>>188 俺、幕府って宰相の治世だと高校の時に教えられたが、
あの教師、俺をたばかったか!?
191 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/06 18:50 ID:F7Gx8Aj1
>>189 いわゆる支藩って、大体そんなもんです。宍戸藩などは藩の構成員も
水戸藩からの出向だったようですよ。あと高知新田藩なども同じ
出向者+藩庁も土佐藩庁内に有って、まったく独自性は無かったよう
でつ。宍戸藩と言えば、天狗党事件の時に藩主が担ぎ上げられて、後日
その責で切腹させられてますね。
高知新田藩主5代山内豊福も佐幕と勤皇で本藩との関係に悩み自殺
してます。色々と苦労が有ったんでしょうな。現代の子会社社長みたい
な感じで・・・・・。
旗本は、1万石未満の参勤交代のない大名と考えていいのですかな?
旗本の最高役職は大目付ですか?
旗本といっても、将軍にお目通りできるのは五百石以上でないと駄目。
貧乏旗本なんか御家人と変わりません。ピンキリですな。
194 :
幸兵衛:04/03/06 23:42 ID:vbIeimQT
>>191 そういうのに比べると、長州の一部の支藩は、強気だったんだ。
>>192 そういうことでしょうが、1万石未満は、大名とはいわないと理解して
いるが。
195 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 00:09 ID:V4T7dteS
旗本にも、領地を持つ知行取りと幕府から俸禄を貰う蔵米取りの二種類
がある。
さらに知行取りの旗本の中には、大名に準ずる扱いを幕府から受け、
参勤交代の義務を負う者もある。
これを交代寄合と呼ぶ。
196 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 00:13 ID:FyjC8ylv
こ の 文 章 を 見 た 人 に は 、 身 の 回 り で 、
3 日 後 に 何 か と て も 悪 い 事 が お き ま す 。
悪 い 事 を 起 き な く さ せ る た め に は
こ れ と 同 じ 文 を 2 日 以 内 に 、
違 う 所 に 5 回 書 き 込 ん で く だ さ い 。
5 回 書 き 込 ま な か っ た 女 子 中 学 生 が 、
書 き 込 み を 見 た 後 、 3 日 後 に 死 に ま し た
>>185 > いずれにしても幕府という「機関」は存在しない。
なんか、ずいぶん「機関」という言葉にこだわっているみたいだけど、
政府だって幕府だって国連だって村役場だってみんな機関だよ。
公共機関とか天皇機関説とかいう言葉知ってるだろ。
>>195 旗本の氏(うじ)って、どんなのがあるの?
あと、旗本って、どんな祖先だったのかな?徳川家の雑兵?
仮に親父が浪人でも、その息子が仕官すれば侍になれる希望はあるの?
↑
親父が侍になるんじゃなくて、
親が浪人のままでも息子は侍のお役目につけるのかってことね。
>>200 なれます。
ただし家督を息子に譲っている形にしなければいけないので
親は隠居です
>>201 人がいないこの板にしては早いレス感謝。
買ってきた江戸切絵図の本見てるんだけど、あらためて見ると結構面白いね。
深川木場の材木問屋
浅草蔵前の札差
日本橋の廻船問屋
横山町・大伝馬町から日本橋にかけての呉服問屋,木綿問屋
あと当時の金座の場所にいまの日本銀行があるのかな?
204 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 08:26 ID:2LG31+Gb
>>198 195さんじゃないけど、旗本の氏は千差万別。原則的には三河以来の
直参の家柄云々を良く聞くけど、家康の勢力拡大に応じて召抱えられた
武田遺臣の家柄(例えば柳沢家とか三枝家とか)、北條遺臣(水戸附家老中山家
とか)、今川遺臣etcが結構旗本になってます。もちろん御家人クラスでも、
例の八王子千人同心などは丸ごと武田遺臣です。
それと大名の分家した家などや、分知または減封したために万石に足りなく
なり結果旗本になった家も有ります。
交代寄合の生駒家とか朽木家とか、福島家、加藤家のパターンね。外様でも
鍋島家が旗本になってるし、藤堂家、前田家などもあります。
もちろん主力は三河以来の家柄が主です。
家柄も元雑兵〜上級家臣、徳川分家までバラエティーに富んでます。
高家も旗本だけど、それこそ戦国の元大名やら名門の末裔ですし。
205 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 10:36 ID:Tn+Az38c
火縄銃の火蓋ってさ、
「開く」もの? それとも、「切って落とす」もの?
>>1 むしろ、何の知識もない方が面白く見られると思われ。
なまじ知識なぞ持つと「揚げ足取る蔵君」になっちゃうよ。
208 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 11:21 ID:2LG31+Gb
>>207 ある程度の知識を持っていた方が面白いと思う。
時代劇が史実に全く忠実だなどと思ってる人はいないだろうし、
逆に時代劇を見て、それが史実と思い込むほうが怖い。
何も考えず劇に没頭するも良し、揚げ足取るも良し、これらも
時代劇の楽しみ方の選択肢と言えると思うけどね。
209 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 15:44 ID:xAHfdZm9
>>207 2chに巣食ってるような輩は、もともとあげ足とるのが大好きな連中が多いから、
それは別に構わないけど、2chで得た知識をもとにしてると痛い目みるかも。
でも、この板、妄想キャスティングばっかりやってるスレが多くてうんざりだから
ここは良スレになって欲しい。
せめて良質の雑談スレに、、、
しかし、江戸幕府って、何のためにあったのかな?
現代の政府は、国民のためにあると理念的にはいえるよね?
幕府は、誰のために何をしたかったのかな?
212 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/07 19:55 ID:xAHfdZm9
>>210 発足理念は、秀吉死後に群雄割拠の戦国時代に戻るのを防ぐため、でしょうね。
庶民は疲弊しますし、諸侯は現在の地位を守りたいでしょうし、加えて、明朝鮮と
交戦状態にあるので、ある程度強力な中央集権(諸侯にとっては封建制を残しつつ)
が要求されるわけですが、秀吉が残した機構は、幼児を頂点にした、有力大名の
合議制。こんなのは過去うまくいったためしがない(例えば室町幕府の管領四職)。
そこで、政界再編成、ってことでしょう。
平和維持、ということに関しては、その後二百五十年以上成功したわけですし、
すごいですよね。家光以降は「体制維持そのもの」に目的がすり変わっているわけ
ですが、その手段であった、士農工商の身分制の確立、参勤交代等による大名統御、
儒教朱子学による思想統制、どれをとっても明治まで破綻していません(経済面で
は多々失政が見られますが)。
外圧とそれにたいする反発がイデオロギー闘争に結び付いて徳川幕府は崩壊するわ
けですが、国内の分裂による長期内戦状態は、慶喜の英断により避けられました。
徳川政権の理念は、最後まで貫かれたのではないでしょうか?
べつに、徳川マンセーというわけではありません。
こんな見方もあるかな、と思って書いてみました。長文スマソ。
>>212さん
ありがとうございます。
>>210ですが、あなた、す〜っっっごい方ですね。
どこで、かような知識、を学んだのですか?
話を戻しますと、幕府が『徳川家の存続・繁栄目的』であるならば、長谷川平蔵でお馴染みの『火付盗賊改』が商家を襲う凶賊を切り捨て御免していたというのは、かなり『サービス』がよかったということでしょうか?
おいらんって教養あったというけど、どれくらい?
京都島原の角屋のおじさんいわく、
花魁と太夫は別物なそうな。
花魁は売春をするが太夫は売春をしない。
宴席にはべって芸を見せるだけ。
そういや吉原は風魔一族が関係してたよな。
217 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/08 18:30 ID:lj2vfzM3
>>216 なんか聞いたような記憶もあるが、風魔とどんな関係だったっけ?
風魔小太郎は北條瓦解後、江戸で盗賊となり捕まって処刑されたって
話もあるな。
218 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/08 18:34 ID:kZlFR2NT
☆ ☆ |l≡≡≡|ミ| ☆ ☆
☆ ☆ |l≡≡≡|ミ| ☆
o。_。_lコ<o> |l≡≡≡|ミ|_<o>_。≠_〇o
。+ +。。。。。 |l|FFFFFFF|。 。 .。 +|l≡≡≡|ミ|EEEEEEEEEEE|lll| .。+
* o o. |l|FFFFFFF / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
。。oo |l|FFFFFF | 来年春頃、煉炭自殺でもしようかしら・・・・ |
/| ̄ ̄ ̄l ::|FFFFFFF \ /
|ミ|:」」:」」:」| ::|FFFFFF  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|ミ|:」」:」」:」| 〇 FF.。 ヘ⌒ヽフ |l≡o + +! + 。 〇 +
lミl.」」.」〇 ++ + ( ´・ω・) o 〇 。 o + 〇 。 +
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〇 + ゜ ,-' i ヽl゙ 〇
〇 _ l/ l! \「
_ i/ ll \「
− l/ |l \「
−_ ~l/ |.l
−__ l/ } |
219 :
幸兵衛:04/03/08 19:30 ID:???
先週、たそがれ清兵衛を見たが、あれが外人によく伝わったと思った。
吹き替えで見たのか、テロップだろうか。方言の雰囲気などどうして
いたんだろう。
足利尊氏って、歴史的に悪者なの?
221 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/08 20:45 ID:lj2vfzM3
>>220 皇国史観的には悪者。何あろう、天皇陛下に逆らい忠臣楠正成、新田義貞、名和長年たち、
そして護良親王の皇族をも殺しetc・・・って事だからね。
もしお近くに80歳半ば以上の方がいたら聞いてみて、「足利尊氏って悪いやつ?」って。
だから、太平記を大河でやったときはその筋では結構な騒ぎだった。
>>217 吉原を作った人間は忍術もマスターしてた。
吉原の護衛(用心棒?)は風魔残党がやったっていう話もある。
>>213 >話を戻しますと、幕府が『徳川家の存続・繁栄目的』であるならば、
>長谷川平蔵でお馴染みの『火付盗賊改』が商家を襲う凶賊を切り捨て御免していたというのは、
>かなり『サービス』がよかったということでしょうか?
お膝元で盗賊騒ぎが続くと
盗賊も取り締まれない幕府という評判になり沽券に関わるから
鬼平がやったことも間接的に幕府のためです。
ついでに、治安が安定すれば経済活動も活発になり租税収入の安定が見込まれるおまけもつきます
226 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/08 23:38 ID:lj2vfzM3
>>223、224
レスさんくす。後でググッてみまつ。
>>222 漏れもリアル厨房頃までは、無条件に尊氏&師直=極悪謀反人って祖母から
受けた知識そのままでいますた。足利義教が殺されたのも義輝が殺されたのも
ざまー見ろ!報いだ、、、なんて感じで。
工房なってから色々と知識が増えてきて、後醍醐帝と一派の「建武の新政」の
非現実な実体、功労者の武家達に対する朝廷側の扱いなどを知るにつれ、尊氏も
ありだなあって感じで今に至ってます。w
実際、当時の記録でもかなり気前良く、いいヤシだったようですな。それが今一
室町幕府の行く末を決めてしまったような感無きにしもあらず、ですが。
考えてみれば、尊氏どころじゃないのが義満ってわけで・・・・・。皇位簒奪計画説、
結構信憑性があるんかなあっと。
>>225 実際、時代劇のように、奉行や長官が市中をブラブラしていたのでしょうか?
この前、日本橋付近をブラブラしたのですが、案外広かったですな。
安藤広重の暮らしていた住居跡を見つけましたw
日本橋界隈で、どっか『江戸』を感じるようなとこありますかね?
足利義満も皇位剥奪を目論んで朝廷を監視する為、
当時禁じられていた御所の中を見渡せる高さのある塔を建てたと聞いたけど、
今それはないんだよね?
町奉行は登城したり、奉行所に帰ってきても事務処理やなんかで忙殺され
その上、月に数回評定所で打ち合わせや裁判に出席したりでなかなか激務だったそうな
日本橋界隈なら皇居と答えるのが普通なのかな?
キワものなら囚獄跡とか???
>>229 サンクス
囚獄跡とは?
皇居よりも、日本橋などで江戸を感じるとこがいいですな…
町奉行ってそうとう激務だったみたいね。
金さんが若い頃家出してたのは確かだから、その頃は町をブラブラしてただろうが。
金四郎の入れ墨って本当にいれていたかどうか分からない
>>203 江戸切絵図は面白いよね。自分も2冊ほど持っている。
>あと当時の金座の場所にいまの日本銀行があるのかな?
そう、金座の一角が今の日銀。
234 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/09 16:22 ID:jC1lgkZ0
耳袋で有名な根岸肥前守鎮衛も江戸町奉行ですたな。
あと有名なのは、大岡越前守 、金さん、妖甲斐こと鳥居甲斐守くらい?
235 :
:04/03/09 17:49 ID:VM5k32pt
江戸時代、江戸の町は犯罪なんてほとんど無かった。
特に大店に押し入るなんて有り得ない。
じゃあ、火付盗賊改は、いまの公安調査庁みたいな陰薄い官庁だったの?
237 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/09 21:28 ID:Rp9QZN6d
金さんは天保の改革の奢侈禁止令で「刺青の禁止」を
提言してるので本人は刺青は無かった可能性が高い
また初めて金さんが講談に登場した時の刺青は桜吹雪ではなく
桜の木の下で女の生首が巻き物を口にくわえている画だった
>>236 火盗改は広域捜査担当でもあるよ
235の犯罪がほとんどなかったは何を根拠に言っているかわからんけど
鬼平のときの火盗改での裁判記録もそれなりにある
殺し盗みより喧嘩などの軽犯罪が多いが
鬼平の火盗役宅、清水御門外ってなってるけど、あそこらへん、いまは千代だ区役所がある辺りだよね?
盗賊が狙う商家のある日本橋あたりには町奉行所の方が近い?
町奉行所は度々若干の距離の移転があったが
最終場所は南町奉行所=数寄屋橋門内(有楽町マリオン附近)
北町奉行所=呉服橋門内(東京駅八重洲口の国際観光会館附近)
ちなみに火盗改めも1組だけでなく、御先手頭から2・3組と増役された。
>>230 正確には囚獄=牢屋奉行という役職
牢獄=小伝馬町にある牢屋敷
もっと分かりやすく言えば牢屋の他、仕置場や拷問するところもあった。
241 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/10 09:12 ID:ogv41x8M
時代劇じゃ、たいてい貧乏侍の代名詞みたいな八丁堀の旦那方だけど、
実際は各方面からの付け届けやらなにやらで、かなり裕福な暮らし振り
だったそうな。
江戸の町衆からも粋な男に数えられていて人気有ったらしいし。
でも世襲じゃなくて一代抱えなんだね。まっ、本人が隠居したらその
子供が一代抱えされて、事実上は世襲だったみたいだけど。
不浄役人と言うことで他の侍からは差別が有った様だけど、元々は
どういう家柄の武士が同心になったんだろう?
>>241 御家人じゃなかったっけ?
将軍直属の部下らしいが、戦国時代は、雑兵だったのかなぁ?
243 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/10 15:58 ID:sC7gb0DS
最近の捕物の殺陣はつまらない。
逆手技や十手術を駆使していた杉良の捕物がなつかしい。
244 :
幸兵衛:04/03/10 19:07 ID:???
>>243 時代劇というのは多少荒唐無稽な活劇というのが、典型的だったが、
小説も含めて、人情ものとかが増えて、かてて加えて、暴力ものを
牽制する風潮が蔓延してきたと思う。現代社会の変化の反映とも言
えるが、マンネリとかいわずに、活劇にはこだわる、骨があるやつ
が欲しいものだ。コンテンツ不足で再放送も困るが。
雷蔵の「忍びの者」なんて、新境地だった。
忠臣蔵、浅野タクミノ守は、どんな仕事を負かされたのでしょうか?
246 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/10 22:54 ID:hNcjPYZd
247 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/10 23:19 ID:CGBiv3Cf
>245
正確には勅使接待役。
饗応役です。
浅野家は外様ですか?
250 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/11 01:24 ID:eAdXgvli
>>249 外様。
豊臣秀吉の奥さんの「ねね」の実家。
もっとも、浅野家は家康が淀殿や豊臣秀頼を潰すときに、
「ねね」の同意を得たってことを大義名分にしていたため
徳川家からは大切にされた。
251 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/11 01:29 ID:vEs5kezq
>>249 そうです。豊臣家五奉行の一人だった浅野長政の子孫です。
浅野家は名家じゃないですか?
なんでまた切り付けたんですかね?
最近だと、『御乱心』説も囁かれてますが…
ちょっと話しずれますが、大名と旗本は、@政治的A身分的B経済的に同格ですか?
明治維新後の家族に旗本は入りましたか?
253 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/11 07:54 ID:jlV+vKCr
>>252 大名と旗本は一番の違いは1万石未満か以上かの違いですが、@の
政治的には、幕府内の役職に大名役(老中・大目付など)、旗本役(勘定奉行
・町奉行・目付など)の区分が有り、職務に厳然たる区分が有りました。
ただし外様小藩と大藩には幕府の役職に付くチャンスなどは、まず有りません
Aに付いては官位で判断をすると、10万石くらいまでの大名がもらう官位
(従五位〜従四位)は上級の旗本や、奉行などを歴任した旗本に授けられて
いますので(例:従五位下大岡越前守、従四位上吉良左近衛少将etc)、あながち
旗本が身分的に下とは言えないと思いますが、原則大名なら必ず貰う官位ですが、
旗本では一部の家柄、功績が有ったものしかもらえないので、やはり大名の方が
身分的には高かったと言えるでしょう。旗本が加増されて大名になるパターンも
多いですし。
Bの経済的には、まあ9000石の旗本と1万石の大名では収入的には大差無いかも
知れませんが、ほとんどの旗本は3000石以下200石以上ですから(知行取りの場合)
万石以上の大名のほうが経済力が有ったと言えるでしょう。
それと華族の件ですが旗本は除外です。華族になる条件に「1万石以上」の条件が
有りましたから。ですから交代寄り合い旗本平野家とか山名家などが、明治になって
から駆け込み高直しをして無理やり1万石を得て、華族になってます。
大沢家のように、水増し高直しで1万石を得たものの後日バレて華族身分を
没収された例もあります。大名はほぼ無条件に華族でしたからね。
勝海舟は伯爵になってますが、これは「維新に勲功のあった者」と言う条件を
満たしているからです。
以上うまく言えないんですがご参考まで。長レスすまそ
赤穂浅野家の藩祖は浅野長重(浅野長政三男)
秀吉の死後、徳川に人質に出され秀忠に仕える。
慶長6年(1601年)に2万石を与えられ下野真岡にて立藩、のち加増されて5万3千石で
常陸真壁を経て、元和8年(1622年)に笠間へ移封。
その子浅野長直(内匠頭長矩の祖父)の代の正保2年(1645年)に播州赤穂へ移封。
赤穂在封は正保2年(1645年)から元禄14年(1701年)まで。
本家は浅野長政の嫡男浅野幸長の系統で安芸広島藩42万石。
赤穂藩は前の領主池田輝興(池田輝政六男)の場合、発狂して妻や侍女を殺害し改易された。
255 :
幸兵衛:04/03/11 09:34 ID:???
>>245 細かいことながら、「カミ」の字は、官職名でいろいろの字が当てられる。
ここは、「頭」。他に、守、正、督があるが、まだある?
ところで、大石内蔵助はなぜ「大夫」と呼ばれたのでしょう。
仲間内の私称?
>>255 筆頭家老もしくは城代家老のことを「大夫」と呼んでいたらしい。。。
本当かあまり自信がないけど・・・・
>>253>>254 >>253 浅野家って、関東にいたんですな
前の藩主も赤穂で発狂したなんて、なにか変な電磁波でも出てるんですかね?
>>253 1石って、どのくらいの量の米なんですか?
1万石未満・以上で大名・旗本に分けるのは、とくに意味はないのですか?
将軍である徳川家も分類上は大名ですか?
そうすると『江戸』を支配していた大名は、将軍になるんですか?
一石二俵半大人一年分
259 :
253:04/03/11 18:19 ID:jlV+vKCr
>>257 池田輝興の奥方は、福岡藩黒田家の出身なんだよね。
赤穂藩は3万5千石、奥方は47万石黒田家の姫君だから何かと実家を
かさにきて旦那をコケにしたらしい。一緒に付いて来た侍女達も
奥方と一緒になって大きな顔をしていたとのこと。
事有るごとに実家に相談したり、また黒田家からもあれこれと輝興に
指図がましい事が有ったらしい。で今風に言えばノイローゼになって
しまったらしいよ。輝政の6男坊だけど、生来気の小さい人だったらしい
から溜まりに溜まってキレてしまったわけでつな。
260 :
253:04/03/11 19:12 ID:jlV+vKCr
>>257 >1万石未満・以上で大名・旗本に分けるのは、とくに意味はないのですか?
あります。大名と旗本はイコールじゃ有りませんから。
>将軍である徳川家も分類上は大名ですか?
将軍は大名じゃありませぬ。なぜなら日本の全地を有する将軍家(徳川家)
が所領を安堵し、その土地・人民の支配権を認めて封じているんです。
その封じられた人がすなわち大名です。
以下でいいですか?
ちなみに『⇒』=直属という意味です。
江戸時代
将軍⇒旗本・御家人
室町時代
将軍⇒奉公衆
鎌倉時代
将軍⇒御家人
>>257 単位で言うと
1石は10斗で100升で1000合で約180リットル
>>259 つ、辛かったじゃろうなぁ(;´Д`)
石高で、地位が決まっていたのですか?
池田家は外様ですか?
江戸時代の大名は、平均で何万石高なんでしょうか?
旗本から見たら、羨ましい話でしょうな…
大名:旗本=銀行:信金
黒田:池田=都市銀行:地方銀行
264 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/11 23:01 ID:1QDD2eMR
>>263 むしろ大名:旗本=地方首長:代議士
黒田:池田=県知事:町長
ではなかろうかと。
>>263 池田家は外様と親藩扱い、両方あり
池田輝政と家康の娘との間の子供の家系が鳥取池田家などになるが
これらは親藩扱い
266 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/11 23:42 ID:jlV+vKCr
サンクス
旗本の大半は江戸に常駐していたのですか?
大名と旗本の区別基準、石高1万石以上の1万石の意味ってありますか?
たまたま決められたのですか?
268 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 00:06 ID:epLQdOdZ
>266
下のサイトで、「加賀藩は百万石なのに「侯爵」となっっています。鳥羽伏見戦争に遅れを
とった失態が響いたと思われます。」と書いてあるけど、これは間違い。
爵位は石高で決められたわけではないんですね。
鳥羽伏見戦争に遅れようが遅れまいが、前田家は侯爵です。
269 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 00:22 ID:6eXn9IfZ
>>268 表高じゃなくて実高で振り分けたんでしたっけ?
270 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 00:25 ID:epLQdOdZ
>269
租税収入です。
271 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 00:33 ID:epLQdOdZ
旧大名の爵位は、元治元年から明治元年までの租税収入によって決まりました。
租税収入15万石以上→侯爵
5万石以上15万石未満→伯爵
5万石未満→子爵
だから表高が30万石の大名でも、租税収入が15万石に満たなければ伯爵。
男爵はどうなのですか?
爵位の『公・侯・伯・子・男』語源はなんですか?
ちなみに、公爵はその他貴族に、『おい、おまえ』と呼んでいいのでしょうか?
>>259 池田輝興の生母はたしか徳川家康の娘,督姫でしたね。
こじ付けかもしれんが
池田(松平)輝興が改易された時、赤穂領の接収の使者は備中松山藩主水谷勝隆。
その水谷氏も次の次の水谷勝美の時、元禄6年無嗣断絶。
その時の松山城接収の使者が赤穂藩主浅野長矩。
なにか皮肉なものを感じるな〜
大河ドラマでも大石内蔵助と水谷家家老の鶴見内蔵助の2人の内蔵助対決が描かれたね。
274 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 01:28 ID:blIT0/NT
>>271 元治元年から明治元年までではないと思うが。
例えば会津松平家は子爵だが、これは別に反官軍だからではなく、
戊辰戦争により会津藩23万石から下北3万石になったから。
>>272 紀元前1100年に成立した中国周王朝が諸侯を「公候伯子男」の爵位を与えたことから。
しかし、日本語では「公爵」と「侯爵」は同じ音なので、わかりにくいとの批判もあった。
275 :
幸兵衛:04/03/12 10:42 ID:???
公爵は、薩長の2軒のみ。だったよね。公家は分からないが。
弘前城の櫓の最上階に額に入れて展示されているのを見た。
何箇所かお城は見たが、あんなのは初めてだった。
何が動機なんだろう。
因みに、聖徳太子はなぜ別の位階を採用したんでしょう。
>>275 徳川家も公爵じゃなかった?
何が櫓に展示されていたの?
277 :
公爵一覧:04/03/12 11:09 ID:iYsOXCRv
>>275 公家 近衛、九条、一条、二条、鷹司のいわゆる五摂家(藤原家本流)
三条(実美)、岩倉(具視)、西園寺(最初侯爵)、徳大寺(最初侯爵)
大名 徳川本家、徳川慶喜家、水戸徳川家、島津本家、島津久光家、毛利家
元勲 伊藤博文(当初伯爵)、山県有朋(当初伯爵)、松方正義(当初伯爵)
大山巌(当初伯爵)、桂太郎(当初子爵)
278 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 11:15 ID:aeRqOupS
280 :
幸兵衛:04/03/12 15:21 ID:???
>>276 旧大名家の爵位の木版のポスタみたいの。
>>278 ほんとだ。お手盛りだ。年齢も出ていると良かったのに。
こうゆうの載せる人、世が世ならと思っているのかな。
>>268 話がずれてるな
そのサイトでは「前田家が公爵になれなかったのは・・」ってニュアンスでしょう
もちろん鳥羽伏見に間に合ったかどうかで決まるような話でも無いでしょうが
282 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 21:23 ID:DI9lZmYG
>>241 >>242 御家人ではないようです。
同心の身分は足軽(卒族)であり、侍(士族)ではないとのこと。
昔の江戸は現在でいうとどこから田舎になってしまうのですか?
新宿などは狐がでたとか、渋谷には山賊がいたとか、いま考えると不思議です。
284 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/12 22:48 ID:IF9Yb/DH
>>283 江戸時代は、江戸城近辺、下町以外はみんな田舎。
明治時代になっても、銀座が開けた程度であとは田舎。
新宿、渋谷、池袋なんて今の感覚では奥多摩みたいなもん。
早稲田大学の校歌の「都の西北〜」ってのはそんな状況を歌っている。
今じゃ早稲田大学は都心の大学だろうから、いまいちピント来ないが。
285 :
幸兵衛:04/03/12 23:48 ID:???
>>283 東京江戸博物館とか、深川資料館とか、その手に一度行って見ると
面白いよ。本屋にない、売れない資料なんか置いてあったりする。
樋口一葉記念館では、遊郭のこと聞いて、無視されたけど。
あ、デジカメあったら、持参お勧め。フィルムに焼くほどではない。
四ツ谷って昔、どういうとこでしたか?
四ツ谷駅近辺は、皇居に近いし、四ツ谷3丁目は新宿御苑に近いですし…
四ツ谷に関する、噂などありますか?
江戸開府から幕末では江戸の市街地も拡大されているので、どの辺から田舎と
線引きは難しいのでは・・・・資料によると、
・新宿(内藤新宿)=元禄11年(1698年)幕府が四ツ谷大木戸の先の
信州高遠藩内藤家下屋敷の一部を返還させて、甲州街道の宿駅としたもの。
つまり、内藤家の屋敷跡に新設された宿駅なので内藤新宿と呼ばれた。
参勤で通過する大名は少ないが
奥多摩・秩父からの石灰や綿を江戸へ運ぶ産業道路だった。
ここより西方の農村地帯で産出された農作物の集散地でもあった。
茶屋・旅籠やが軒を連ね、飯盛り女の評判もよく品川・千住とならぶ
遊郭街の性格もあった。と言う理由で繁昌していたらしい。
>>287のついでに
・玉川上水の余り水を四ツ谷大木戸から分離して南下する川を渋谷川と呼ばれた。
渋谷から麻布の南側にかけて渋谷川の清流は川筋に広尾と名の付く町屋が出来て、
将軍家の鷹狩り場があったが、鷹狩りが行われなくなると江戸市民の野遊の地と
なった。
目黒あたりにあると田畑と武家地が点在するようになるが、目黒不動や祐天寺に
通じる白金あたりは、縁日のある日は参詣客で賑わうが、夕刻にもなると
追剥ぎや辻斬りが横行し危険だったらしい。
この辺のくだりは「鬼平」や「藤枝梅安」でも描かれていた記憶がある。
渋谷に行ったときに渋谷川を見たことがあるが
なんとも情けない姿であった。
>>289 ♪〜あなたはもぅ忘れたかしら?
…省略…
♪〜窓の下には『渋谷川』〜
四ツ谷の見所ってありますか?
今じゃ加持力の聖地化してまつよ>四谷
292 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/14 08:18 ID:XbdYcOW1
>>291 加持力とはなんですか?
>>292 四谷稲荷ってどこにありますの?
大名博物館?なるものどっかにありませんでしたっけ?
>>283 渋谷とかのあたりが本格的に開発されてきたのは
東京オリンピック以降で、かなり最近の話じゃないか。
昔の人は、何で尻を拭いていたのですか?
296 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/16 03:25 ID:9+x7c/Tg
>>288 辻斬りといえば、江戸時代は田舎だった池袋も辻斬り頻発地帯だったらしい。
享保年間に、一晩で二十人以上殺された事件があって、犠牲者の供養のために
建てられた供養塔が、今でも池袋駅東口付近にある。
一晩で二十人以上って凄いな
モノ盗り目的というより試し斬りでもしてたのかな?
298 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/16 07:50 ID:+zxr1WWl
ティキ
299 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/16 07:56 ID:+zxr1WWl
ティキ
300 :
幸兵衛:04/03/16 08:21 ID:???
>>297 今でも辻斬りのたぐいはいる。刃物は違っていたりするが。
暗い夜道は気をつけよう。
江戸時代には、山手線沿線は東京駅近辺を除き、田舎であったという認識でいいですか?
でも、皇居(江戸城)から新宿まで、4km足らずですが、江戸は4km四方だったのですね?
『…かねまつまでは江戸のうち』なんて川柳もあらますしね…
4kmが最大生活範囲なら、いまの小学校の学区と大差ない!?
302 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/16 12:24 ID:W4aTmXDN
ずいぶん前に見た江戸時代中期ごろの地図では、今の
千代田区・中央区・新宿区東部・文京区東部・港区北部・台東区
あたりが市街地で、あとは真っ白だった記憶がある。
町人がすんでいたのは主に江戸城より東側でしょ。
江戸は、現代アメリカの『ワシントンD.C.』と考えてよろしいか?
305 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/16 22:33 ID:hSKhsSaI
辻斬りといえば、若き日の徳川光圀も一時はまっていたそうな。
家光もしたとかしないとか話があるな。
しかし、戦国気分収まらぬ寛永頃までならいざ知らず、享保の頃にも
辻斬りがあったとはちょっと驚き。
>>296 想像するに付近に番所もなさそうだし、ある意味辻斬り追剥ぎやりたい放題だったのでは?
目黒あたりも治安が悪いのが原因で町屋の発達が遅れたと記述があった。
俺が役人だったとしても、役所からあんなに遠い所まで検視に行くのも嫌だし
まして捜査なんて・・・・う〜ん不真面目かな
関八州取締役と火付盗賊改が、同じ盗賊追ってガチンコしたらどちらが権限強いの?
関八州取締役はFBIみたいなもんか?
辻斬りって今でいう通り魔もしくはオヤジ狩りの類?
それとすごく初歩的なこと聞きたいんだけど
八丁堀の同心→今でいう警察?
遠山の金サン→裁判署?
X署○所
>>308 同心→(近いのは)刑事、市中見回り(警邏)もした。
因みに交番に近いのは、自身番(町内会の自警)。
澤田ふじ子の「公事宿事件帳」(はんなり菊太郎)などを
見ると、民事も扱ったようだ。
金サン→警察庁長官、検察庁長官、裁判官を兼務。未分化。
但し、寺社、武士などは管轄が違う。また、江戸から見ると、
他藩は、今の外国なみ。
町奉行は都知事と警視総監を兼ねたくらいの要職だと聞きました
江戸時代、家康の母国、三河は誰が治めてたのですか?
記念碑なんかすでにあったのでしょうか?
>>310 まぁ捜査して捕まえる人間と
裁く人間が同一人だからなんでもありだろうな
>312
吉良上野之介
315 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/17 15:05 ID:ixR+sCin
>>313 そういうの法律用語で『糾問主義』といいます。
現在の裁判制度は『弾劾主義』といって、捜査と裁判が制度的に分かれています。
本当に、遠山金四郎のような裁判官がいるなら、糾問主義がベストです。
老中や目付など、幕府の重職についていた人たちは
領主も兼ねているんですよね?
そういう人たちの参勤交代ってどうなっているんですか?
参勤交代のとき、大名はずっーと籠に乗っているんですかね?
ときどき一緒に歩いたりしてね。
九州の大名なんか大変だろうな…
>>318 薩摩なんかは途中まで船を使っていたような気がする。
320 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/18 15:37 ID:Y6q4dEQ3
目明かしの十手には房は付いてなかったそうですね。
十手って、刀をとらえることできたのか?
以前、TVで鉄砲がついた十手があった
欲しいなぁ。
どっかで売ってるとこないかなぁ?
322 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/19 00:59 ID:fKwDzhhv
>>317 老中在任中は、原則もちろん江戸にいずっぱりだよ。
目付は大名役じゃ無く旗本役。大目付は大名役だけど。
>>322 大目付って、旗本役じゃなかったっけ?
確か、遠山影元が、町奉行のあとになったってきいたけどね。
324 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/19 01:49 ID:mCUlOvCE
大名役は大目付じゃなくて寺社奉行では?
325 :
322:04/03/19 02:11 ID:fKwDzhhv
>>323,324
訂正。大目付が大名役なのは江戸初期だけだったのね。
謹んでお詫び申し上げます。
OO藩XX家様参勤御道中
初泊・蕨宿 二日目・上尾宿 三日目・本庄宿 四日目・熊谷宿・・・・
しかし実態は
街中=「下に〜下に〜」ゆっくり進む
以外=「エイホッ!エイホッ!(心の中で呟きながら)」ほとんど駈け足
そして、泊数をごまかし、
御行列の人員を江戸を返す、国許に近付くとまた増やす。
大目付は閑職(゚д゚)ウマ-
<問題>
大目付を監督していた役職はどこだったか知ってる?
また、目付はどこだっか?
これは、質問だけど、御家人の監視役も目付だったのかなぁ?
旗本について
遠山家・大岡家・長谷川家の先祖について詳細キボンヌ
また旗本は戦場では今で言うとどのクラスでしたか?
>329
遠山家は元は美濃の豪族。
長谷川家は先祖が三方が原で戦功があったとか
平蔵のとっつあんが京都の西町奉行をつとめた事ぐらいしか知らんわいな〜
>>329 そんな有名どころなら、ちょっと探せばいくらでも出てくるだろう。
聞くよりよっぽど早いぞ。
卒業式シ−ズンになったけど
オレなんかも当日はス−ツか紋付にするか迷ったモンでした。
ところで
時代劇の服飾で羽織を結ぶのに付いている胸の下のフサフサのヤツ・・・
(調べたら羽織紐っていう名称らしい)
「柳生一族の陰謀」とか江戸初期を描いている作品には単に結んでいるだけの羽織で
「忠臣蔵」でもお馴染みの元禄期でも登場しない
大河の「八代将軍吉宗」でも登場しなかった・・・・実際いつ頃普及したんだろ?
テレビの水戸黄門や長七郎や右門なんかは完全に風俗は江戸後期のになってると
解釈するが・・・・・
334 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/20 15:22 ID:a0UyLS0I
老中・江戸家老・城代家老とはどういうお役目をする人なのですか?
335 :
熊谷の住人より:04/03/20 16:44 ID:7ZSSDpBk
326さんへ
上尾と本庄の間に熊谷があるんですけど。
江戸時代までは『養老律令』が日本の法律だったわけだが、実際上、政権は完全に武士に移行していた。
この不具合は、律令をどのように解釈することで解決していたわけですか?
明智光秀が謀反を起こしたのは、某大名の陰謀だった。
>>335 ホントだわ。。。
じゃあ、本来のコ−スは上尾・熊谷・本庄・高崎・松井田・・だったけど
本庄で忘れ物に気が付いて引き返したら熊谷附近で道に迷って野宿
その後、北関東を迷走して筑波山で解散という事で許して
340 :
幸兵衛:04/03/21 13:28 ID:???
>>333 縞の着物は江戸後半となにかで読んだ気がする。
助サン、格サンが縞を着ているときがある。
物知りのご意見を聞きたい。
>340
自分で調べろ。
江戸時代のご飯ってうまそうですね。
有機肥料、無農薬、カマド炊き…
いま、このようなご飯を食べるにはどうしたらよいでしょうか?
343 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/22 22:21 ID:TgGQ2l6P
質問。小説で「鎧通し」っていう刀の名前が
出たんですがこれって胴田貫のことでしょうか?
345 :
343:04/03/22 22:27 ID:TgGQ2l6P
>>342 一概には言えんよ。
まず、米の種類が違う。
また、保存も現在のように保冷保湿庫じゃないから
新米の時はいいけど、夏なんかじゃだいぶ落ちるし、
そもそも、古米も多い。
あと当たり前だけど、
かまどで下手に炊くくらいなら、電気釜の方がいい。
つうか、もともと知識をひけらかすスレだったのに
いつの間にか質問スレになっとるね。
347 :
幸兵衛:04/03/23 08:32 ID:???
質問は、ひけらかしてもらいたいための催促と受け止めて下され。
>>342 しばらくの間、粟や稗を食いつづけてからおもむろに米を食え
俺は一ヶ月コ50麦50の飯を食いつづけてのちに100%米の飯を食ったとき
「ああっこれはまさに銀シャリだ!」と感動した経験がある
>>348 それ分かるなぁ。
ただ、いま米50麦50の飯食べたら、かえって『素朴な味!』とかでうまく感じたりしてね(笑)
試す価値はあるね。
>>349 麦飯にハマッてね、どんどん麦の割合を増やしてったんだよ…
でも麦米半々までいくとボソボソになっちゃうんで
トロロ飯にするとか工夫しないと食いづらかったです
トロロって、麦飯の食感を緩和するためみたいですな。
>>352 食感だけじゃなく、消化の助けにもなるはず。
武士が町人を訳も無く斬ったりすると、捕まるの?
>>354 そうしないと、時代劇が成り立たないだろう?
>>354 どこまで本当かわからないが、切捨て御免は実際はほとんどなかった
らしい。というのも町民・百姓が無礼を働いた、という証拠がない場合は
斬ってしまった武士側が責任を問われる(殺人の罪)ため。
>>357 勝手に補足ゴメソ。
切捨て御免にも作法があって、一刀の元に切り捨てなければならないらしい。
それが出来なかったら士道不覚悟で切腹。
切捨て御免は、刀を抜くほうもまさに命がけ。
だから実際にはあまり無かった・・・という話を聞いたことがありまする。
と言いつつも
取り調べるのも同じ武士なんだからテキト-に処理してたんじゃないかな。
目付や奉行所も他家とコトを構えるのもイヤだろうし・・・
切り捨て御免に代表されるように、江戸時代になってから、武士って他の身分の人にたいして威張りだしたよね…
戦国の乱世を平定したからかな?
>>360 だと思う。
しかし、時代と共に金で身動きが取れなくなる。
斬り捨て御免や試し斬り、辻斬りのもみ消し相場は50両くらいか?
あるいは上役からチョット声が掛かったら即釈放と言うことで・・・
362 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/25 00:45 ID:+YSO8FwC
>>358 明らかに町人(一般民衆)側の非礼が明らかな場合以外は
357の通り、処罰の対象になりまつ。
実際、無礼打ちが認められずに蟄居・隠居を命ぜられたり
家禄召し上げになった旗本などもいるよ。
無礼打ちがあった場合の詮議は、一般的な印象とは異なり
かなり緻密に調査して是非を判断していたようです。
話は変わりますが、領民の女房を強姦したことが幕府にばれて
転封させられた殿様もおりますな。w
昔の人は、何で尻を拭いていたの?
荒縄
>>362 どっかでそんな事書いてある本見た覚えがある。
どこのお殿様だっけ?
参勤の道中で他領地を通行中、行列を横切った猟師の子どもを無礼打ちにしたお殿様、
数年後、同じ所でそのオヤジに鉄砲でズドン! どこまでホントなんだろ?
366 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/25 13:34 ID:bPXuArQC
創価学会員の漫画家が詳しくかいてるよ武士の無礼とかそのへん。
367 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/25 14:32 ID:9XnAl0q3
>>365 農婦を犯したため国替えさせられたのは浜松藩主・井上正甫。奏者番まで務めた
のに、その一件で出世を棒に振ってしまった。
尾張藩の猟師の子供を無礼討ちにしたせいで、父親の猟師に撃ち殺されたと伝え
られているのは明石藩主・松平斉宜(十一代将軍家斉の子)。
公式には病死扱いなので、撃ち殺されたのか本当かどうか今となっては確かめ
ようもないが、領民(それも幼い子供)を手討ちにされた尾張藩が激怒し、以後
明石藩の行列が領内を通行するのを禁じたのは記録に残された事実。
この一件は映画「十三人の刺客」の元ネタ。ただし、映画に登場したバカ殿様は
斉宜ではなく、なぜか先代の斉韶ということになっている。
旗本って退屈だったのかなぁ?
旗本の次男三男は仕事なくバイトも出来ず嫁も貰えない超暇人だな。
>>367 エッッ なんと尾張と明石藩?
またそれが「十三人の刺客」の元ネタだったとは2度ビックリ!
1石=2.5俵=3両
「壬生義士伝」では、渡辺貫一郎が旗本取立て40俵取りになって大喜びしているが、
年収にすれば、16石、48両になったことになる。
新撰組隊士の平均月収が月10両(永倉談)とすれば、むしろ減収になっているような。
石取りの武士に換算すれば、4公6民だとすれば、40石取りの武士になったようなもの。
大野次郎衛は200石取りなので、まだまだ差はある。
373 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/26 01:30 ID:waXA2fcf
>>370 だからやる事はこずかい貰って岡場所とか吉原とか行くの。
タマに変人が生まれる。
374 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/26 01:38 ID:ITGKMVkV
>>367 行かされたのは奥州棚倉だよね。実高が表高の半分しかない所。
>明石藩の行列が領内を通行するのを禁じたのは記録に残された事実。
後に藩領の通行を許可されたけど、裏街道を殿様も駕篭を降りて徒歩、しかも
槍道具類を全て倒して全員頬かむりして抜けたと聞いたことがあります。
たしかその猟師も、元尾張藩士だったとか何かで読んだ記憶があります。
375 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/26 01:52 ID:HADQ8mb9
>>374 奥州棚倉といえば、問題を起こした譜代大名の左遷先として有名ですね。
吉宗に一時期疎まれた松平武元(後に復権して老中になる)とか、農婦を犯した
井上正甫とか、出石藩の御家騒動に関わって老中職を失った松平康任の子の
康爵とか、兵庫開港の責任をとって老中職を辞した阿部正外の子の正静とか。
直参は甲府勤番へどうぞ
やる気のあった旗本の次男三男坊は何をやっていたのかなぁ?
>377
うんこしてました。
379 :
幸兵衛:04/03/26 11:11 ID:???
>>377 うんこもしていたが、ひたすら身を修めて、声(肥え)がかかるのを待った。
>>377 やる気はともかく、
身を立てようとしたときに一番手っ取り早いのは養子でしょ。
あと、剣客商売なんか読んでると、
剣か、医者で身を立てるというのがあるが、どうなんかね。
382 :
幸兵衛:04/03/26 18:45 ID:???
>>381 家督を継いでも、無役はつらい。家禄召し上げもある。
親子鷹もお読みくだされ。
おいらんの相場はいくらくらいですか?
384 :
名乗る程の者ではござらん :04/03/27 00:02 ID:opbrVRTt
落語の紺屋高尾によりますと、二十五両必要かと・・・
飲み食い、祝儀、等々で・・・
江戸の庶民は、普段どういう物食ってたんですか?
>>385 鰻なんか最初は筒切りにして溜まり味噌を付ける庶民料理じゃなかったっけか。
388 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 02:56 ID:CvTMUaGL
>>385 昔面白ゼミナールであったな。
なんだたっか忘れたが腐りにくくて、甘く濃いい味付けだったとか・・・?
389 :
381:04/03/27 10:51 ID:???
>>382 まずは、家督を継げる立場にならなければどうにもならんと思ったのですが。
養子になれば必ず身が立つ
と言っているわけじゃないですよ。
390 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 16:37 ID:f0UHJIJG
江戸時代ではセックスのことを何て言ったの?
レイプは「手篭め」だろうけど。
391 :
幸兵衛:04/03/27 17:00 ID:???
>>389 養子になっても単純じゃありません。
吉田松陰、上杉鷹山、松平容保、...がんばった人も多いが。
婿養子になっても家付き娘が権高だと大変でしょう。
堀部安兵衛など親父も娘もよくできていたように伝えられてる。
めずらしいんでしょうか。庶民の願望でしょうか。
>391
うっさいハゲ
393 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 18:16 ID:9bjJaQIB
>>375 左遷先で有名ですね。棚倉城址に逝ったことありますが、城はなかなか
立派だった気がします。丹羽長重の築城でしたね。
意外なのは立花宗茂も関が原のあと、棚倉に減転封されてるんですよね
(城は赤館城だけど)。でも結局柳川に復帰してるし、他の大名もそのあと
栄転してるのが多いですね。その点、まだ見込みある(?)大名の一時置き場って
感じします。
それと盗賊日本左衛門の捕縛に失敗したせいと言われてる掛川の太田家も
一時期左遷されてなかったっけ?
>>391 しかし先に出てる明石藩他、家斉の粗製濫造男子を押し付けられた家も
大変では?w
394 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 18:17 ID:+oQ3OTk1
虎ノ門書房田町店の藤井さん、かわいい
395 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 18:45 ID:9bjJaQIB
>>385 講談社選書メチエで「江戸のファーストフード」ってのが出版されてます。
そのあたりの事が詳しく出てますよ。納豆、てんぷら、すし、そばetc・・・
大体江戸後期には、今ある和食の基本形は出来てたみたい。
それと小学館ライブラリーの鈴木晋一著「たべもの噺」ともう一冊(書名忘れ)
前者にはずばり鰻の事が出ています。
江戸初期から中期くらいは、まず醤油が一般化してないし、当然砂糖の使用も
高価なため制限されてるから、今もしタイムスリップしちゃったら困るだろう
なあ、って思います。蕎麦、うどん、そうめんなどは有りますがそばつゆが
味噌(溜)ベースしかないし、刺身には煎り酒か芥子酢・たで酢・・・おまけに
握り寿司も存在しないし。元禄期頃までは茶店もほとんど無かったそうです。
江戸後期なら、菓子も練羊羹あり大福あり柏餅・桜餅有りで結構暮らせる
気がします。
396 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 18:52 ID:UDhApoci
>>395 飢饉とか打ちこわしとか言ってるが、やることやってるなコンニャロウ
397 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/27 22:19 ID:9bjJaQIB
>>395 しかし、本に出てるのは、ほとんど江戸、大坂などの都市部のこと
で、地方農村部などのことはほとんど触れいません。
江戸町人は余程の貧民層でも白米を消費していたそうですが、
農民はハレ以外では、白米など食えなかったってのが事実らしいですし。
現代でも消費文化は都会と地方では異なる部分が大きいですが、江戸〜戦前
にかけての時代には、格差が非常に大きかったと言えるんじゃないですか?
だから米相場の高騰によって、それが食生活をモロ直撃する都市民は打ち壊し
に走るし(農村部では打ち壊しは少ない)、飢饉になって餓死者が多く出るのは
農村部です。
398 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/28 00:42 ID:VgF0855W
>>393 家斉の子供を押しつけられて大変だった藩としては、既出の明石藩の他では、
盲目の子供(斉善)を養子として押しつけられた越前福井藩も有名。
その斉善の養子としてあとを継いだのが松平慶永(春嶽)。
399 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/28 00:44 ID:dncQFKkK
里正って庄屋さんのことだっただね。
知らんかった。
>>397 江戸〜戦前ってのは範囲広すぎじゃない?
戦前ってのは、だいたい昭和30年代初頭と同レベルだよ。
「もはや戦後ではない」ってのが白書にのったのが昭和31年で、
これは戦前の経済レベルに追いついたって意味。
もしかして、戦前って、鳥羽伏見以前ってことか。
灯明や行灯の油ってどういう変遷をたどったんすかね?
ごま、菜種、鯨油、他に何がありゃぁす?
どうも時代劇は、夜だってぇーのに明るすぎてきけねぇーや。
>>401 蝦蟇の油
もとい綿実油。あと、日本の照明を語るに和蝋燭は欠かせない気がする。
今ならエロい人が教えてくれるかな。
先週、近藤があっちこっち行ったり来たりしてたのが気になったんだけど
試衛館から彦五郎さんちってどのくらいの距離だったの?
404 :
403:04/03/28 21:29 ID:???
誤爆した
ごめんなさい
>>403 彦五郎さんちは日野でしょ。
試衛館は諸説あるようだけど、
少なくとも大河では市ヶ谷になってる。
で、その間だとJRでは35Kmだね。
笹塚って古墳があったのですか?
>>405 早駕籠なら用も足して日帰りも出来そうだな
いまだに、新選組が結成された理由がよく分からない。
今の組織だと、NGO?
>>408 京で暴れる西国浪人を浪人剣客団の新選組に始末させ、やばくなったら『あれは
新選組を名乗る不逞浪士の一団が勝手にやったこと』で逃げるために新選組の
会津藩預かりを認めたという話も。
>>406 面白い疑問ですねえ。一度「笹塚 由来」でぐぐってみたら。
以前、わたしも「荻窪」が不思議で、「荻」を初めて知りました。
今じゃ、テレビで「ススキ」っていうののかなりが「荻」ってことを見分けて
います。「荻」は竹と同じで根茎で増える暴力植物で、人が手入れしていない
証拠とにらんでいます。新川崎の線路にも生えていました。
>>408 ごもっとも。旗本という正規軍がいるのに、傭兵を編成というのもおかしい。
もっとも正規軍が長年、家禄を食んでいたのに、使いものにならなかったからも
でもあるでしょうが、今なら、形は、イラクへ失業者から希望者を募って
送るようなものでしょうか。資格要件、狙いが違うので例えるのは難しいし、
変な例えは、不謹慎になるでしょう。
(新撰組も京では、壬生浪士とか言われたようで、幕府も足元を見られた
気がします。壬生義士という言い方もありますが。)
>>410 荻窪は「荻」より「窪」を調べたほうがおもしろいかも知れませんよw
そのた大久保など…
新選組って、京都では嫌われていたのでしょうか?
いまでも、残っていたら面白いのですがね…
「足袋」っていつ頃からです? 鎌倉時代の時代劇は裸足ですよね。
それと、あしぶくろ、はどうやっても、たび、とは読めないんですが、語源は?
大河なんか見てると
大坂城では秀吉だけ足袋履いていた。
徳川の代に変わって家光の頃になると家臣も色の付いた足袋を履いていた。
大昔の忠臣蔵の映画をみると
元禄の頃は、江戸城などはALL白足袋で他の武家屋敷や地方の城にいる家臣は色足袋だった。
ところで江戸後期でも町奉行所の同心は黒足袋で与力は白足袋ですな。
>>412 『足袋』は当て字だと思われ
もともとの倭詞に『たび』(=くつした)という言葉があり、それに意味的に漢字をあてたのではないでしょうか?
>>412-413 「足袋の豆知識」でぐぐるべし。
江戸城では、役目で足袋の色が決まっていたとか。私も初めて知った。
家康が浜松のころ、家臣の倹約に、下帯を黄色にしろとかいった話があるが、
あれを思い出した。襦袢の襟も武家の一部を除き、白は着なかった。
(えらい人は、一度着た下着は二度と着ないとかもあるようだが)
時代劇で、若い娘の襦袢の襟が、薄い青色や桃色というのは、精一杯の時代
考証かと、勘ぐったりしている。
黍団子って、うまいものですか?
むかし、お世話になっていたおばぁさんから、黍団子をもらったことがありました。
そのおばぁさんの知人が岡山に行ったおみやげだったらしいのです。
食べた記憶はありますが、味は覚えてません。
どなたか、黍団子を表現してくれませんか?
417 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/31 07:28 ID:A9SLLYo7
文字通り黍で作った団子だね。
岡山の黍団子は菓子だけど、本来の黍団子は黍餅同様
甘さなど無い団子だったと思われ。
粟餅と同じで、黍をもち米に併せて蒸したんでしょう。
もち米の節約が目的だから、現代人が食べたらうまいと
思えるかは微妙では?
>>415 サンクス。
でも結局、時代についても語源についても分かんないままだね。
服飾文化研究家さん、降臨キボン。
>>417 ありがd
東京駅に『きびだんご』売ってませんかね?
420 :
名乗る程の者ではござらん:04/03/31 16:14 ID:niPCdgV+
>>416 子供の頃におみやげか何かでもらって食べた黍団子は、かなり甘かった記憶がある。
粘りけも相当あったような。
>>420 駄菓子でもあるよね?
これはかなり甘い。
話まとめると、『黍団子』(料理)≠『きびだんご』or『きび団子』(菓子)となる?
時代劇的に『四ツ谷』ってどんなとこですか?
423 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/02 05:43 ID:/gTjtSFN
>>422 怪談の舞台、下級旗本の居住地ってイメージ
>>423 上級旗本はどこに住んでいたんですか?
四谷にまつわる話、何かないですか?
425 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/02 11:01 ID:T557NAxO
http://www.toride.org/study/195.htm 創価学会・公明党の犯罪白書
これでもホンの一部なのだから呆れる!!
吉展ちゃん誘拐殺人事件 (昭和三十八年)
犯人の小原保は、毎日勤行を欠かさない真面目な学会員で
手に入れた身代金を仏壇の前に置き、感謝の題目をあげていたとか。
宝石商強盗殺人事件 (昭和五十九年)
犯人の沢地和夫(元警察官巡査部長)は学会員で、強盗殺人で得たお金で借金が返せたことを
千葉の支部総会で「功徳です」と体験発表していました。
428 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/02 19:13 ID:BZVM6iac
>>424 コピペだが
>江戸で,埋立地や半湿地帯には商工民の居住区が割り当てられ,
>段丘の上は専ら大名・旗本屋敷と江戸城が占めていました.それなので
>,江戸時代にすでに,下町=卑賤・庶民的,山の手=高級の感覚はありました.
> それが,明治維新以後,武家屋敷が大量に空き地になり,
>そこに行政組織の建物群(丸の内〜大手町)や,明治政府の高官や富豪が家
>を構えることになりました.そこで,山の手=高級住宅街のイメージが確立したのです.
> ただし,江戸期の山の手は,駿河台や丸の内,三田より少し内陸くらいまででしたが,
>都市の発達とともに次第に西へ西へと,その指す地>域が移動していきます.
>(今,山の手と一般に言われている中野・杉並・世田谷あたりは,明治初期ですら,東京市内ですらない田舎でした.)
> 他の地方での山の手の用法はこの江戸〜東京の用語の転用です.
> 概して低湿地は住宅に向かないうえ開発しやすさから先に市街ができている事が多いので,
>後発開発の高級住宅地は概して台地上に発>展しやすいのですね.
これでいいかね?
>>428 ありがとうございます。
四谷は下町ですか?
>>429 そうなると地理とかの分野の話ですね。
そちら方面で聞かれてはどうでしょうか?
私は名古屋なのでこれ以上は・・・・
>>429 四谷は下町じゃないですよ。
東京近辺に住んでいるなら、行ってみるのがよいでしょう。
そうじゃないなら、地形図を見るのが良いと思います。
大雑把に言えば、四谷御門の内側は旗本屋敷
外側は下級旗本や諸組の組屋敷、御家人、大小名の下屋敷などが点在している感じかな
甲州街道ぞいには町屋もあって、
山の手のなかでは結構賑やかだったらしいよ。
「時代劇的」には伊賀組の組屋敷が在ったんじゃなかったヶ?
しかし、実際には忍者や網タイツくノ一なんか居ねえけんどな!
>>430-432 ありがd
話がズレますが、四ツ谷は住むにはどう思いますか?
私は東京近郊に住んでますので、たまぁ〜に四ツ谷をブラブラすることがあります。
よくよく考えると、新宿に近いのに、妙に住宅が密集してますよね?
日当たりなどはよくなさそうですが…
ですから、四ツ谷情報が知りたいです。歴史的でも現在でも…
ちなみに、『舟町』というのがありますが、何か舟と関係してるのですか?
なんか釣りのような気がしてきたが・・・
舟町というのは検索して調べたら
http://www.nihonbashi.gr.jp/history/history_6.html こことしがない漫画知識を引用するけど
江戸は当時100万都市だったので夥しい物資を消費する巨大都市で
それを賄う生活物資を運搬する航路の整備をしていたのだが
陸路より海路の方が大量にはこべるので町の細かいところまで
運河張り巡らされていたの、んでその物資の荷揚げをする場所
を中心に舟町といわれるようになったと思われ。
ちなみにそういう町並みは都市の発展とともに整備されてきた
ところだからいばる武士などがいなくてけっこう町人主体の活気がある
風潮らしいよ、情報伝達も早くて老中の誰々が死んだとかの情報が
ながれると物が凄い勢いでうごいたとか。
ちなみに四谷というのは四つのお店があって「四谷」って呼ばれたらしいね。
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-enmt/yamate/yotuya.html とにかく本屋行くか勉強サイト見つけて検索の仕方覚えたほうが
早そうだね。まだまだいろいろ情報がでてきそうだ。
いいな東京にすめるの?
個人的な感想だと古い町で商店街とかあって犇めき合ってる家が
一杯な感じでそのかわり運河を埋めて道路作ったから環状線か
街道がありそうなところかな?古い地元民が占めていて余所者は
入れなかったりして。
435 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/03 10:57 ID:n0pDTcPq
東京に行ってきました。
赤坂見附や、六本木周辺なんだか道がうねうねしていて
解り難かったですが、
あれは元は運河だったんでしょうか?
>>434 ありがd
舟町…あんな内陸なとこがなんで『舟』ってつくのか不思議でしたが、『運河』があったのですか!
>余所者…
そうなんですよね。あぁいうとこって排他的であること多いですからね。
マンションとか建っているので、やはり住むとしたらそこですかね…
まま、空き地とかあるのですが、かなり権利者が錯綜していそうですな。
四谷に住んでいる方から情報が欲しいです。
奉行所、同心と火盗改メって具体的に何が違うの?
後者に斬り捨て御免の許可が出ていることくらいしか知らない。
>>437 奉行所 町方の行政、司法、消防など生活に携わることを一手に引き受けた超多忙な役所。 市役所+警察+消防=奉行所
火盗改め
まず「改め」これは新撰組が「御用改め」と言いながら家宅捜査することから捜査でいいと思いま。
火盗だけど読んだそのまま火をつけて盗みを働く=超凶悪犯罪者の呼称ではないでしょうか?
江戸時代の司法には詳しくありませんげ凶悪犯者には逮捕前に司法の判決が下っており発見しだい殺害
の許可があったのでしょういかね?
同心 これ調べてるけど凄いややこしい(w 簡単に言うと下級武士の将軍家警護役全般をするひとかな?
結構いろんなこと(いいように)使われている。
国語辞典だと
(2)心を合わせて事にあたること。特に、戦いで味方すること。
(4)江戸幕府の下級役人。諸奉行・所司代・城代・大番頭・書院番頭などに属し、
与力の下にあって、庶務・警察のことなどにあたった。町奉行の下で江戸市中の
警察事務にあたった町方同心が有名。
(5)戦国・安土桃山時代、侍大将などに率いられる下級の兵卒。
時代劇に出てくる町並は日本橋ってことなのかな?
あと、水路の畔をよく歩いていたりするけど、あれってどこらへんだ?
>>441 >時代劇に出てくる町並は日本橋ってことなのかな?
日本橋付近も出てくるけど、
別にそこだけに限られるわけじゃない。
神田、八丁堀など、そのあたり一帯が舞台。
ちなみに、町奉行所は有楽町あたり。
詳しく知りたければ江戸の古地図や、その手の本を買ってほしい。
>水路の畔をよく歩いていたりするけど、あれってどこらへんだ?
当時は水運が盛んで、運河が多数あったから、どこというわけではない。
>>442 この前、八丁堀行ってみた。
何もなかったね…
どこか江戸を感じるとこはないかなぁ?
両国の博物館は行ったけど、団子だか蕎麦だかを食べてみたい。
食の江戸がいいね。
ところで、神田ってJRの神田駅近辺のとこ?
あそこに鰻の老舗があるって聞いたけど、知ってますか?
>どこか江戸を感じるとこはないかなぁ?
大江戸温泉物語・・・
ではなく、意外と川越がお勧め
あちこち歩き回って感じたことだけれど、海運や舟運は昔の高速道路だな。
川越、前橋などに飛び地みたいに文明開化の跡が見られる。鉄道や道路基準
では見間違う。(今の川は上流がダムで水量が少なくところが多い)
旧道は曲がってはいるが、平坦。車が出てからの道は、坂はあるが真っ直ぐ。
街道筋は川に沿っていて、山に入って、やむを得ないと坂を上って、峠に
出る。まれに尾根を走る旧道もあるが。
関八州取締役≒FBI
御手先組≒シークレットサービス
時代劇に出てくるようなうまい鰻屋って、山手線沿線だとどこですか?
お値段もあわせて教えてください。
なるべく庶民的な料金のとこがいいです。
>>451 新選組ってドキュソなの?
確かに、あの番組では、どうしようもないのが揃ったけどね…
新選組が制しようとしたのは、さらにドキュソなのかな?
江戸時代は奥が深いなぁw
>>452 >>408のいう結成された理由は幕府から見たものだから、
まさに、
>>451の言うとおりだと思うよ。
結局は薩長が勝って幕府が崩壊してしまったから、
長州等の勤皇の志士たちは、歴史上、悪者扱いされてないけど、
幕府から見れば、そいつらは悪者以外のなにものでもない。
また、江戸市中の浪士がやっかいものなのはいうまでもない。
簡単に言えば、
ごろつき(=浪士組)で犯罪者(=勤皇の志士)を抑える
ということ。
>>453 そこまで期待してたかなぁ?
とりあえず、江戸から出てってもらいたかったんだと思う。
455 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/06 13:58 ID:tzFWFsCO
松平康直が奇跡的に棚倉から抜け出して川越に増転封できたしね。
>>454 江戸だけでなく京・大坂でも御用盗とか悪質な手合いもいたからな
もう奉行所だけではとても対応できんわいな
>>455 ん? 老中松平康英のことか?
棚倉から出れば、よっぽどの減封でない限り(そういう例は無いが)、
実質加増だろう。
458 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/06 15:15 ID:tzFWFsCO
>>457松平康英が棚倉を脱出できた代わりに阿部正外が白河から棚倉に転封になったとか
ならなかったとかいうことですが、兵庫開港に関する阿部の失態ってそんなに
ひどかったんですか?
>>452 現代のDQNと江戸時代のDQNはベクトルが真逆
460 :
437:04/04/06 18:37 ID:???
遅レスだが皆さんセンクスです。
ためになりました。
新選組 = ワイルド7
と考えればいいのかな。
千葉県民です。
手賀沼の鰻って、昔はブランドだったといいます。
また復活してもらいたいものです。
いまも鰻がいるんでしょうが、食べる気はしませんな…
>>463 千葉県ってワースト1の水質でしたっけ?
逆に美味しい水は青森と岐阜、長野だったかな?
木曽川の水だから名古屋も都会ながら上位。
さすが時期首都名古屋。
>>463, 464
スレ違いだろ。千葉や名古屋の時代劇でも挙げてくれ。
それとも、首都権とか作って、名古屋が東京から買い取るとかするなら、次期
首都もあるかな。
466 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/07 13:45 ID:EaGK1G4O
首都圏って買い取り制度なんですかとつられてみる。
>>466 圏じゃない。権。ほら、サッカーとか移籍料って高いじゃ。
都知事ものって来るかも。アイデアだと思うが。
オリンピック招致ですごい金使うとこもあるし。額は違うが。
ニュー速の過去ログ漁ったら、こんなカキコを発見した
どうせ行かない板で糞スレを立てて報告するスレ
http://ex4.2ch.net/test/read.cgi/news/1080702512/ 17 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:04/03/31 12:11 ID:OXtaPJXC
立てたことすら忘れてるケースが多い
何気にそこに行ったら以外と伸びてるケースもある。
18 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:04/03/31 12:13 ID:rkCbH4fF
>>17 あるある。
時代劇板に「この知識があれば時代劇が面白くなる」というスレッド立てたら、
400超えてた。
>>1には、1両=4万円、と書いただけだったのに。
470 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/08 12:27 ID:H7BiAsXK
>>469 時代考証の方も面白いと思っていたんだが、沈没したみたい。
スレタイって、短いのに、今時のキャプションみたいな効果があるんですね。
営業センスだ。脱帽もの。
奈良平安期の中央官制について、刑部省と弾上台の違いってなんですか?
検非違使の設置後も上記の役職は残ったのでしょうか?
しかし実際はどうあれ
女忍者はミニスカの網タイツじゃなかったら
なんかガックリくるな
>>473 すこし間違ってる「全身網タイツ」だよ。
知識スレだから固いこと聞くんだけれど、網タイツはともかく、
そのようなものが、鎖帷子だったら、何キログラムになるんだろう。
時代劇の網タイツ忍者って意外に歴史は古い
全身鎖帷子ってみてみたいような
でも重くてジャンプ出来ないか
最近物騒で幼時の背中やお尻を刺すバカがいるとか。
鎖帷子を防犯グッズで売らないかな。ヒマゴに着せたい。
(袖なし様で、後ろのみ鎖とか。重いので。前は、女の子用にはフリルで)
478 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/11 20:54 ID:jlV+vKCr
>>477 鎖帷子は斬撃には強いが、刺突には弱いよ。
壬生浪人とは?
480 :
477:04/04/12 06:36 ID:???
>>479 夕べやっていた。今度の土曜見るべし。
しかし、壬生ってあっちこっちあるような印象
昨夜の『新選組』で、伊東四朗の家の戸に、ほうきが逆さまに置かれていたのって、『かえれ』っていう合図なの?
>>482 昨夜の新撰組は見てないから(つまりsの演出の意図不明)なんとも言えんが、
ほうきがさかさまになってたら、それは普通、カエレ!ちう意味ですな。
正しくは「イヤな客を早く帰すためのおまじない」なんだけど、
それが広く一般に浸透しちゃってるから、おまじないどころか
無言の意思表示ってことになりますな。
>>483 ありがc
NHKの『新選組』では、近藤勇(香取慎吾)がカナーリいい人として描かれ、芹沢鴨(佐藤浩一)がカナーリ嫌な香具師と描かれてるけど、実際、そうだったのかな?
>>484 いま生きている人でさえ、
いい人か悪い人かよく分からんときも多いのに、
答えるのは無理でしょ。
そもそも「いい人って何?」すら答えられないし。
>>485 いいね、俺も自分の言葉に「あったことも無い人を善悪好悪の判断つくわけないだろう」ってのがあるよ。
488 :
幸兵衛:04/04/13 09:51 ID:???
ごく普通にいい人わるい人という言い方は、そのときの世間の受け止め方で、
気楽にいう場合が多いが、時代が移って、見なおされて、例えば、朝敵とい
われた尊氏も大河ドラマで取り上げられるようになると、見方も違ってくる。
(周五郎の原田甲斐もそんな印象だったような)
小説などで、主人公にされると作者は主人公の立場になって描くので、つい
読む方も肩をもって読むのだが、この心理というのは不思議なものだといつも
思う。484も、三谷が勇を中心にしていて、鴨が勇の足を引っ張る役になっ
ているのをそう言っていると思う。どうでしょうか。
唯一、作者が主人公に冷たい印象だったのは、司馬遼の「義経」だとの記憶が
あるが、読後気分がいつもと違っていた。こういうことありませんか。
(大方の読者は、ハッピーエンドを期待しているってのもあると思うが。
もうひとつ司馬遼は南北時代は書きたくないって言っていたと思う。永井
路子は書いている。司馬遼は南北時代はエゴしかなかったという見方らしい)
一つの発言に2つのことを書いてすみません。小説ネタでスレはずれかな。
>>487 そうやって判断を保留して、なんでも灰色にしておけば、誰からも叩かれず
非難されず、対立せずに済むけれど、それは「逃げ」だよ。
>>489 あー若いな。
俺が言いたいのは判断したいなら「会え」ってこと。
オレも若い頃は
>>487みたいなのが「大人」の考え方だと思っていたが
最近は、それが「青い」って感じる。
会ったことがないから分からない、と判断不能・思考停止にしてしまうの
は簡単だしガキにでも出来る。そうじゃなくて出来る限り資料・情報を集
めて、自分の頭で考えて自分なりの結論を出す、ということを何事につけ
やっていかないと、結局つまらない人間・つまらない人生になってしまう
と思えるようになってきた。
もちろん間違うこともあるだろうけど、別に究極の真実を求めているわけ
ではないし、科学論文を書いているわけでもない。間違ったら、間違った
ことを認めて、また自分で考え直せばいい。間違うのが怖くて判断不能に
しておくのが「若さ」だと感じる。
学園ドラマの熱血教師っぽいが、案外そういうのって正しいようだぞ。
さて、
>>490よ、「君は」芹沢鴨をどう思う?
>>491 芹沢鴨の人物評価がしたいのか
会えない人の評価をすることに意味があるのか、ないのかの
議論どっちがしたいの?
鴨ならこっち
http://academy2.2ch.net/history/ 鴨が自分に対して
攻撃してくるなら 全力を持って撃退
何もしてこないなら何もしない
必要な人なら貢物、接待、情報の提供などしてギブ&テイク
この三つ以外考えは浮かばない。
貴方がいう判断と思考はこういうときに必要でしょう。
>>492 鴨様は神道無念流免許皆伝だから、あなたでは撃退できません。
身の程をわきまえてね(はーと)
熱血教師はともかく、藻前は対人関係その程度のバリエしかないのか、かわいそうな香具師
>>492(=490?)
XXX流免許皆伝こんな奴が沢山死んでいったよな
名も無い奴にやられて
>>494 君がいう名軍師並みのバリエーションっての披露してごらん。
名も無いヤツってことはないだろ?
芹沢鴨の話だした者です。
この前のテレビの芹沢は沖田に『大人になってほしい』ということだったのではないかと思いました。
表現が乱暴でしたが、『汚れ』というのは、これからドキュソ相手にするのですからね、やはり、ある意味、人格者のような気もします。
499 :
幸兵衛:04/04/14 11:09 ID:???
質問して答えを貰って消えるのならまだしも、繰り返し意見をいう場合は、
固有のハンドル名を使うとか、最初の発言番号を使うとかしたらどうですか。
お互い、お考えがよく分かって、よろしいと思うのですが。
でないと、単に「お前のかあさん、でべそ」と繰り返すような稚技になり
かねない。おせっかいながら、一言 小言幸兵衛。
>>499 時代劇見て人生の教訓うんぬんいってる奴の口論見て
感情的になるなよ(w
501 :
幸兵衛:04/04/14 18:06 ID:???
>>500 いえね。以前は口論してても、昼時になると、おいメシにしようと、
連れ立って、ケロッとしてたもんだが、最近は、キレて棒切れ振り
回すとかあるもんで。
それに、折角のお話がもったいない。結構、ああそうなんだと思う
こともありますよ。2ちゃんねるは寄席みたいなところもあるし。
>>501 詰まらないのはネタ降って話を変えるか徹底した無視を決め込むこと。
逆に無視できない貴方が悪いと言わざる終えない。
だけど議論したい奴見てると口論になってるね。
一回詭弁のガイドラインを見ておいてから話をするといいよ。
>>491 なんか一生懸命書いてるけどすり替え丸出して萎えたよ。
いっそうのこと全身網タイツの由美かおるコラでも作成しようかと(w
503 :
幸兵衛:04/04/15 10:58 ID:???
>>502 口論ってえのは、最後はどうでもいいことで言い争い、
議論ってえのは、落とし所を何とかしようと言い争うものではないかと、
思うのだが、他の人は違いは分かっているのかなあ。
>>逆に無視できない貴方が悪いと言わざる終えない
...貴方が間違っている...位でないの。逆撫でしたいなら別だけど。
時代劇板だから、幕末の京都くらいの荒れ方が面白いといえば面白いが。
鴨の河原で千鳥が騒ぐ♪
>>491 高校の時そういう先生いたなぁ。うっとうしいからみんな無視してて、
浮きまくってたけど、漏れはひそかに好きだった。卒業以来会ってないけど
今でもたまに、その先生が言っていたことを思い出す。
誰かネタ振って、スレ違いは何処かに消えろ。
次スレ立つときは
>>1ぐらいに
歴史上の人物の好嫌論は禁止!
もし話したいなら遺伝子を手に入れてクローン作って一ヶ月一緒に旅行を
してからにすること。
今思ったんだけど
ここには近藤、芹沢に付いて見識が深いと
思われる御仁がいそうだから一ヶ月旅行する仮定話
書き込んで結論だせ!
>>506 仕切るなよ、糞が。
嫌ならお前が出ていけ。
言葉は悪いが正論。
蔵人頭は、いまでいう何の役ですか?
権力とかあったのかな?
で前々から不思議に思っていたことをたずねます。
時代劇全般のナレーターの解説では
「元治元年X月・・・」とあるりますが、今の視聴者には西暦
で説明してくれたほうが時系列の認識がわかりやすいと思うので
すが、なぜ年号で解説するのでしょうか?
やっぱり原作者が資料しらべるときに資料が年号なので
そのまま年号で書いてしまうのでしょうか?
わたしはぜひこれからのドラマは西暦で説明してほしいとおもいます。
あとできれば旧暦を新暦に直して欲しい。
さてこれ以外に年号が使われる理由はあるのでしょうか?
西暦だと太陽暦になりずれが生じるからだよ。
>>512 時代物としては年号であらわした方が風情があるからだよ
むしろ資料は大抵西暦を併記する(文章の中で初めて出てきた年号に西暦を示す形が多いが)
ある期間の歴史を現すのに〜年間といって年号を用いた方がわかりやすかったの昔は
現在だって1985年から言われるより昭和60年からといったほうが実感できる人がいるのと同じ
現代でも元号使っているのって、日本だけ?
516 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/17 18:18 ID:YXm6nxmd
戦後は日本だけ。
1945年までは、旧満州国(康徳)、安南(保大)も使用していた。
ちなみに台湾は「中華民国○年」という紀年を使っている。
517 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/17 18:21 ID:YXm6nxmd
>>510 天皇の側近にあって機密を取り扱う蔵人所の長官。平安初期の嵯峨天皇が設置。
今で言うと内閣官房長官みたいなものか。
1両=10万て聞いたが
>>518 江戸時代の始めは1両 100万円はオーバにしても、大判、小判の質も良くて、
感覚では、そんなイメージ。
幕末は3万円位。物価と貨幣の質と両方から。だからここの4万円は許して。
水戸黄門さまのころは、切り餅2つとかは豪勢。ぬしもわる...くなるわ。
10万円とは、いつ頃のことか。誰か教えて。
>>517 ありがd
日本史の年代語呂あわせの参考書に蔵人頭の設置(810年)のとこに、マンガ的なイラストがあって、そこに「CIA」と書いてあったのですが、これはどういう意味なのか謎です。
あと薬子の変のときに、蔵人所設置した理由は、ご説明で分かりましたが、検非違使を設置した理由は何なんでしょうか?
>>520 CIA=アメリカ中央情報局
蔵人所も機密を扱う所だから似たような現代組織を持ってきたのでしょう
ほんとはちょっと違う機関だけどな
キンピラの子どもはチンピラ
キンピラの父は金太郎
523 :
みぶな:04/04/18 14:32 ID:tuYJjvXR
物心ついたら,壬生に住んでいました。ちなみに
みぶなとは、みずなのことです
ドラマの最初に「花いりまへんかー」や「薪いらんかえー」
と売り子さんを入れるのは、舞台が京都である場合のお約束なのでしょうか?
526 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/19 09:46 ID:FC3aAf1Q
お約束です。
527 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/19 09:49 ID:Fd1ngu0o
>>525 あと、五重塔の遠景に「ゴ〜ン……」と鐘の音を流すのもお約束です。
戦におけるタブーは何ですか。
529 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/21 02:26 ID:jiLNHQTz
背景に電信柱があるとか空に飛行機の影があるとか
>>528 鎧を斬ったり、クワガタを曲げたりしてはいけない。
大事に使いまわしして、制作費を浮かせましょう。
532 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/21 20:47 ID:ke9uwG6z
>>528 サラブレッドに乗ってることに突っ込まない。
義経が非戦闘員の漕ぎ手を射ったら
めちゃくちゃ叩かれたと聞きました。
534 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/21 22:00 ID:TC524Gtl
幕末の官軍で、赤と白のライオン頭のズラ(歌舞伎とかで見かける)は何という名前ですか?
またあれを被ってる意味は?
官軍が行進する時の、ピーヒャラの笛はなんと言う曲ですか?
幕末物を見るときいつも気になってます。
535 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/21 22:22 ID:JEuMqmyo
>>528 平安、鎌倉時代辺りまでかもしれないけど、名乗りを挙げている時に、攻撃する事。
高校の先生が、外国にはそんな風習通用しないから、
「元寇の時、朗々と名乗りを挙げていると、次々に射撃で殺されてしまいました。」
とか言ってた。
一人が殺された後も、「相手は卑怯だが、名乗らなくては自分も卑怯」と思って、
次々と名乗っては射殺されたそうな。
ホンマか?
537 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/22 06:51 ID:mg1uVzPE
>>534 赫熊(しゃっくま)
曲名の方は知らん。
538 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/22 06:54 ID:mg1uVzPE
補足
かぶってる意味は威嚇、装飾以外のなんでもない。
将校クラスが使っていた。兜の唐頭と同じでヤクの
毛で作られた。
>>536 その先コウにいってやれ
「元寇の戦をしてきたことあるのですか?」
あかっぱじかかせられるぞ(w 反面にらまれるけど。
ニコニコしておいて内心馬鹿にして聞き流せ。
>>536 ウソではない。次々と殺されたかは、分からない。
当時のいくさは、個人戦主体で、手柄を立てたことが分からないと、ご褒美
がもらえないので、オレだ、オレだって名乗りを上げた。
(関が原だって首をいくつも取ってきて、ホレこんだけ取ったと記録係りに
申告したようだ。業績は他人に分かるように上げないと給料は上がらない
のと同じ)
541 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/22 09:57 ID:8D+L9CC5
>>534 俗に「官軍マーチ」とか「維新マーチ」とか言われてるやつじゃないかなあ
>>540 自分が言いたいのはウソ、ホントではないのだが・・・・まぁいいや。
ながしの戦いは完全集団戦だな、誰が手柄立てたのかむづかしいな
論功行賞はどんな決着がついたのか興味あるな。
543 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/22 14:28 ID:MZPy9+Is
【人口の推移】
8世紀
奈良時代(710〜)の後期 400万人 → 平安時代(794〜)の初期 800万人
16世紀
応任の乱のころ(1467〜77) 800万人 → 関ヶ原の戦い(1600)1,600万人
17世紀
関ヶ原の戦い(1600)1,600万人 → 元禄のころ(1688〜1703)3,100万人
20世紀
明治(1868〜1911)初期 3,500万人 → 終戦(1945)7,200万人
終戦(1945)7,200万人 → 現在(1998)12,500万人である。
平家の軍が3,000とかで天下を制したのは凄いと思う。
545 :
534:04/04/22 23:16 ID:???
>>537,541,534
ありがとうございました。長年疑問に思ってたのが晴れました。
これで幕末物が楽しみです。
546 :
540:04/04/23 00:06 ID:???
>>543>>545 宮さん宮さん(トンヤレ節)と、534氏が尋ねているピーヒャラとは別物だよ。
ピーヒャラは、山国隊の軍楽。
京都の時代祭で毎年演奏されている。
詳しいことは「山国隊」でググってみ。
縄文時代の時代劇ってありますか?
549 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/23 23:53 ID:s6iPCzNM
市川崑監督の実写版?のあるよ・・・ただし卑弥呼の時代
かな〜りのビックリ映画
大魔神…は実質的には戦国か。
江戸時代の医者は、どういう身分なのさ?
>>553 医者とか教師とかは、資格試験があったわけではないのに、
不思議な受け止め方ですよね。おおらかだったのでしょうか。
遡れば、修験者の加持祈祷も、よく世間が頼ったものだと思います。
下って、遊行僧が子をなして、後に家康が出て来るのも不思議。
>>553 ちゅうか、当時だと医者の勉強ができるような余裕は武家にしかなか
っただろうから、
ほとんどの医者は同時に武士なんじゃないの?
浪人だったりすることはあるんだろうけど。
556 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 13:48 ID:Uz5QzZ88
>>74>>76 足高の制は役職料ではありません。
それぞれの役職にはその役職の責任を担うため、一定の家格が必要でした。
つまり高い家格はその能力の高さを意味するという建前からです。
ある役につくためにはそれなりの家格にならなければならず、そのためには見合うだけの録を加増しなければなりません。
しかしそれでは家臣の録が増えるだけで幕府としても大変です。
そこで考えられたのがこの制度です。
その役についた時だけ、足りない分を支給するというものです。
加増とは違い、役が変われば足高の分は返却されるわけです。
ここから本題。
足高で万石以上になることは絶対ありません。
斉藤って沖田とか平助より年下なんだよな・・・
558 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 14:01 ID:Uz5QzZ88
交代寄合
旗本で参勤交代をする。ただし高家と同じように、旗本とは違う家格だという説もある。
ちなみに交代寄合の中には、200石の岩松家(新田氏の子孫)や無禄の米良家(九州・菊池氏の子孫)などもあった。
寄合席
無役の旗本のこと。
御家人の場合は小普請。
旗本
万石以下の将軍直参の武士で、世襲でき、代々将軍にお目見えできる家のこと。
御家人
万石以下の将軍直参の武士で、将軍にお目見えできない。
ちなみに御家人の中にも代々世襲できる譜代席、一代限りの抱え席などの区別ああった。
559 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 14:08 ID:Uz5QzZ88
囚獄
牢奉行のこと。
千葉一族の石出帯刀は、代々帯刀という名と、牢奉行の役を世襲した。
560 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 14:14 ID:Uz5QzZ88
譜代と外様
大名諸侯の分類。
旗本にはこの分類はなく、その意味合いから譜代と見なされる。
そのため、外様大名の分家でも加増されて大名になった場合、譜代大名となる。
561 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 17:54 ID:6Pe/03p8
願い譜代についても語れ。
562 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 18:07 ID:Vc7a8Xjb
>>555 そんな事は無いよ。富農層とか町人出身者も多い。
ある程度の財力が無いと医術は学べなかったようだが(今と同じ?)
563 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/24 19:19 ID:Z3QZZwkP
医師免許なんて無かったから医者だと言えば医者になれた
藪
565 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/25 01:33 ID:w6QhY2aa
>>558 訂正
寄合席
無役で三千石以上の旗本。
それ以外の旗本は小普請支配。
御家人は小普請組。
今日、新撰組隊長の近藤勇が処刑されますた1866年)
今日、新撰組隊長の近藤勇が処刑されますた1866年)
∴pm8:00からのNHK総合を見るように(海老沢会長)
, - ' ゛ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
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!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゛ヽ
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゛、''゛ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゛T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| |
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568 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/25 10:05 ID:dpxaKSOO
1866年では大政奉還以前になってしまうのではないか?
>>566 ふと気になったが、太陰暦(天保暦)と太陽暦の違いを修正してあるんだろうか?
それとも日付で決めてるんだろうか?
さらに、太陰暦と皆一括りにしているけど、江戸時代の寛政の暦や天保暦と、
それ以前の暦のズレって、無視なんだろうか。皆適当に合わしてやってんのかな。
>>569 元号と合わせて使うときとか、月日は、当時のまま使うって、聞いたか、読んだか
したことがあるが。資料、書きつけとの整合性のためらしい。
3月桃の季節ってのは、今の4月になり、花も咲いているので合う。
旧正月、月遅れ桃の節句とか、月遅れの盆とかの風習もこれ。
関が原の9月も今の10月で、農閑期だとか。家康もそれを待ったとか。
571 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/26 16:53 ID:YhvX+lH+
捕り方とはどんな身分の人がなるのですか?
572 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/27 02:45 ID:g059tPrP
小者
573 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/27 17:07 ID:DFCCNqzn
遅レスだが医者は、頭を丸めないとダメなので
坊主同様の扱いを受ける。
解脱(出家)したモノだけが、身分を超えて人の体を触れるという考えらしい。
>>573 町医者は違うんじゃない?いや、よく知らないケド。
町医者だと総髪とかも多い。
御数寄屋坊主もハゲと毛の有るヤツがいるな・・・・
これは役者とか番組の違いだろうな
577 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/30 17:07 ID:3OEWpbUr
578 :
名乗る程の者ではござらん:04/04/30 17:10 ID:3OEWpbUr
>>576 茶道華道は、本来仏事なのでホントに頭も身分も坊主です。
>>577 いや、画像一つ持ってきて、全部みたいに言われても。
確かに坊主はいたけどさ。杉田玄白とか。
それで全部がそうだという証拠にはならないんじゃ?
>>573が正しければホントは赤ひげ先生も
大岡越前の伊織も
破れ傘の刀舟先生も
みんなつんつるつんじゃなきゃいかんということなのか……
>>580 そんなんイヤヤッ〜!
でも、つるつるの伊織や刀舟を想像すると噴きだしそうになった
医者は柔も使えるのが、普通なのか?
破れ傘刀舟だけはやめてけれ。
「てめぇら人間じゃねぇ!たぁたっきったる!!」
「うわっ、つるピカはげ丸やん!」
「ちゃうわボケ!」
吉本になってしまう。
584 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/03 19:29 ID:KKZYF+Sk
age
中仙道ってどっからどこまでのこと?
586 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/04 07:18 ID:0t57eL0T
江戸では、岡場所ってえと、お宮の側を思いつくが、お寺の側では、どこどこに
あったんだろう。
薀蓄家、ご披露方。
そういえば捕方って十手くらいしか持ってないようだけど
日本刀とどうやって戦ったんだろう?
589 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/05 18:26 ID:tBTyk/OI
>>588 強敵相手だと、周りから梯子や手押し車みたいなので取り押さえたり、縄を
投げてグルグル巻きにしたりすることもあるよ。実際にどうやったのかは
知らないので、あくまでドラマ中での話。
そういえば、硬貨を悪人に投げつける不届き者もw
>>589 むかし、杉良主演の「魔像」だったけ?いう単発で
杉良扮する神尾某vs石橋連司率いる大岡越前配下(最期は100人以上いたかも)
ラスト15分くらいの大捕り物シ−ンで投げ縄に大八車、梯子、雨戸使って全部やってた
最期は目潰しを喰らった後、さす股とかで押さえ付けられた。
あんな大捕物、映画全盛期以来見たことない
591 :
名無し募集中。。。:04/05/07 13:46 ID:9wCgxtKW
592 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/07 14:30 ID:tg32UuaN
>>588 捕方が普段持ってるのは六尺棒だと思うが・・・。新五捕物帳や
暁に斬る!では捕方は十手を持ってないよ
593 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/07 15:54 ID:ZMOx4q3n
>>579 「牽頭坊主の流行医者も多くありしといふ。
これらをや野夫居竹庵さんといふならんか」
とか、バカにした歌がうたわれるくらい、ふつうに坊主だが。
〜庵という医者はもれなく坊主。
小石川の医者も坊主じゃないとダメ。
ちなみに、頭剃ってない医者は、ふつう、香具師やまじない師のことです。
うえにも、やぶ云々とあるが、野巫、と元々かいてたらしく
まじない師のことで、そこから藪医者になる。
594 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/08 19:14 ID:pCeIhpQ2
藤枝梅安もスキンヘッド
高野長英の肖像画?もスキンヘッドだね
>>594 梅安は按摩でしょ。高野長英の若い頃の肖像は、髷結ってる。学者だったからって
事かな。大村益次郎も村医者の時は村田良庵と名乗ってるね。これも坊主だったの
かしらん。ちょっとイメージ違い。
597 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/12 01:29 ID:/MYzKfND
九つ半も過ぎたし寝るべか
598 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/12 05:42 ID:iqR0Pw+x
599 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/12 07:12 ID:BH2sGu1C
江戸時代の人って歩き過ぎ。
江戸から京都まで歩くなんて信じられない。
当時の「歩く」を科学してくらさい!
600 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/12 09:55 ID:9umil9ws
>>595 幕末の蘭医は総髪が多い。
おそらく蘭医は正式な医者じゃないという理由で坊主でなくとも良かったのでは。
>>600 何が違うから、坊主頭か総髪かを思うに、一つに官位が絡んでいるのではと思う。
医者も位が高いと、法眼だとか付いたと思う。幕末の、松本良順も坊主ではなか
ったか。有職故実、しきたりの要素が大きいと思われる。
エライ人に会うには、位がないと側に寄れないけど、そういう機会ないの人は、
どんな振りしてもいいわけだ。
良スレあげ。
そういえば儒学者も江戸初期には坊主扱いだったな。
林大学信篤から総髪になったんだっけ。
604 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/19 23:54 ID:uDriLgnB
>>599 優雅に駕籠か馬に乗って京に上りたいな
小判1枚あったら日本橋からどの辺りまでいってくれるんだろ?
605 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/21 09:39 ID:yzArquqd
>>604 一両だと、町駕籠を10回乗れば終了。
詳しくは分らないけど、郊外に出ようとすると大変な金額だろうね。
東海道や中山道は、10-15日で上京できたみたいです。
昔の人は健脚だなぁ・・・
駕籠って、凄く酔い易そう。
あんまり乗りたくないな。
なんで日本には馬車がなかったのかな?
>>606 牛車があったんだから馬車もありそうなもんだけど、確かに幕末まで
荷馬車は無かった。前になんかで読んだけど、荷馬車が発達しなかったのは
単に駕籠屋や飛脚が仕事にあぶれない様にするためだったそうです。
効率よりも庶民の生活の安定を選んだ、と。
町駕籠って結構高いんだな
なるほど・・早駕籠なんかもっとベラボ−な値段すんだろうな
609 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/26 08:39 ID:0T3/gXsT
江戸の治安を守ってたのはどれ?
○南町奉行(暴れん棒将軍)
○同心(大江戸捜査網)
○番所(斬切捨て御免)
○十手持ち(銭形平次)
610 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/26 08:57 ID:/oIgTI4Q
旅に出るのに皆、手甲を巻いているのはわかるのですが、
よく、大名や将軍が着物の下に白い長袖シャツのような物を
着ているのは何なのですか?
長年の疑問です・・・
611 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/26 12:38 ID:AC0GbKe5
なんだろうあのジジシャツみたいなヤツだよね…名前わからん
>>606 道路整備されてないから
車椅子に乗って舗装されてない道路を動いてみ
>>611 驚くことはない。色は違うが、忍者も着ている。
テレビでは、忍者はたもとのついた衣装をつけているが、たもとがあった分には
動きにくくてしゃない。
形からいえば、おえんさん正解。木綿に見えないのが、不満。
614 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/27 11:29 ID:XBe0d7xS
>>609 各町の関所のおかげに決まってる
昔は町ごとに関所があって夜間は、自由に歩けなかった。
615 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/27 11:44 ID:x467mtPn
>>606坂田金時が牛車に乗って車酔いした話があった
平安の京都内でもそんな感じだから…
616 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/27 11:51 ID:x467mtPn
>614というか、ほとんどお爺ちゃんの仕事だから、実際は町内の絆
今じゃ隣に誰が住んでるかも解らない
江戸の治安を守ったのは
刑場の獄門台に晒されている首
>>617 確かに、鈴が森なんて江戸の入り口にあれば、わりいことするとこうだってんで
デモ効果確実。
他の入り口はどうしたんでしょう。
京都は入り口でなく、河原だったね。西の三条にもあったか。
619 :
名乗る程の者ではござらん:04/05/29 23:01 ID:4hcWz9jL
小塚原も千住と浅草に通じる路沿いにあり、新吉原のすぐそばだし効果抜群かも
大坂の千日前もすぐ北側に道頓堀が控えてるしな
京都は牢屋敷は六角に在ったらしいが刑場は知らない、はてどこだろう?
>>619 澤田ふじ子のには、紙屋川・三条西あたりが出てくる。
秀吉が気づいた洛中洛外の境界の土居の近辺と思われる。
621 :
名乗る程の者ではござらん:04/06/03 19:27 ID:zN2pya5D
紙屋川西土手はよく分からないが
粟田口(蹴上)のところなんか京の入口で往来も結構ありそう
旧前の蹴上の電停あたり、今でも交通量は多いのに
道路沿いの山の斜面とかは鬱蒼としてて気味悪く感じなくもない
時代劇で、殿が病気の時に頭にしているハチマキみたいなのは何というのですか?
一見、助六のハチマキみたいな感じなのですが。
625 :
名乗る程の者ではござらん:04/06/06 19:42 ID:g+nUjiYy
>>622 病結び(やまいむすび)
梅干と日本刀 「樋口清之」に載ってるよ。
江戸時代の紫の染料に使ったものが、薬草だったとのこと。
その他の図書でも見たけど、どれだったか忘れた。
626 :
名乗る程の者ではござらん:04/06/06 19:53 ID:g+nUjiYy
梅干と日本刀 (樋口清之) 面白いよね!
この本読めば、現代人は昔の人より優れているなんて
いえなくなる。
確か、初版から二十年ぐらいたっているんじゃなかったっけ?
627 :
622:04/06/09 19:11 ID:???
遅レスになって申し訳ない。色々ありがとうございました。
ハチマキも紫で無いとダメなんですね。勉強になりました。
>>626 >>...現代人は昔の人より優れているなんていえなくなる。
こういう言葉を聞くと、いつも、生物で習った「個体発生は系統発生を繰り返す」
ってえのを思い出す。
自分の DNA には自分の知識経験が格納されるのか、考えて暗澹たる気分。
>>628 藻前も一度生物の教科書読み直せ。言ってることがめちゃくちゃだ。
今日の黄門さまで、ミスを見つけた。
柳井縞ってのが出たが、中期以降(1760年前後〜)のもの。
黄門さまは、1628-1700 とか。
因みに、錦帯橋は 1673年10月完成(すぐ流れたが)。これは整合。
全国漫遊がウソだから固いこというなってのもあるが。
黄門自体がウソだらけだからねえw
ウソは泥棒の始まり。善人ぶって悪を広めるとは、これいかに。
悪代官もウソだらけですよ。毒を持って側を制す。
あれ?
昨日の黄門さまにもちょっとムリがあった。
悪いやつをやっつけるため、ユメン温泉へ誘い出したが、画面ではホンの
町外れの印象だった。実在のユメンは城下から山2つを越える6里超も
ある遠隔地。
因みに湯免温泉は、天保の改革者、村田清風の出身地で田んぼの中。
車ならすぐだが、寄って行こうと気軽に考えると、日が暮れるよ。
635 :
630:04/07/13 06:24 ID:???
昨日の黄門さまも、悪い人は、縞を着ていた。
縞には意味があるのだろうか。
岡っ引きが十手を持ってるのも本当はありえなかったらしい。
位の高い町奉行しか持てなかったと聞いた。下級武士の同心すら持てなかったとか。
638 :
630:04/08/05 08:06 ID:???
>>636 江戸時代後期、縞は new fashion。
天保の頃からの、ヤクザは縞の合羽とか着用していたので、そのイメージで、
縞を着せて、見たらすぐ、この手の人間と分かるようにしているのではないか。
黒幕の悪徳商人には、着せていない。
悪い代官の手のものも、青や緑の揃いの羽織を着て、「やられ」役であること
を分かりやすくしている。あれが全部私服羽織だと、見ててわけがわからない
でしょうね。
過去レスに
1両=4分
1分=4朱
までは書いてあったけど、朱の下は文になるの?
でも1朱=4文ではなさそうだな。教えてエロい人。
あと1石=1俵?
金一両=寛永通宝4000文=永楽銭1000文=銀50匁(後、60匁)
米:1俵は4斗(60kg)、1石は10斗。
大雑把だが、1石は、人一人の一年の消費量。藩の石高は領民の数に近い。
江戸時代初期は大体1石=1両。
(米作りは、現金を作るようなもの。畑百姓は、半人前扱い。)
尺貫法は、人間の大きさとかを考慮した原単位で、分かりやすい面がある。
1石は担いで運べないので、俵にしたと思われる。今時担げる若者は少ないが。
尚、幕末になると、新田開発やインフレで、バランスが崩れ、整合しなくなった。
東京江戸博物館で、歴史小辞典を売っていたが、まだあるのかな。
近くの人、教えて。
642 :
639:04/08/25 15:39 ID:???
>640
サンクス。遅レス御免。
あげとく
644 :
名乗る程の者ではござらん:04/11/22 11:42:37 ID:k30G4T2O
来年の大河の題材にもなった義経にはいろんな逸話がありますけど
どれが本当のことで、どれが作り話なんですか?
天狗に育てられたとか、弁慶が刀集めしてたとか、
八艘とびとか、弁慶が死ぬときの事とか、モンゴルに渡ったとか
どれが史実なんですか?
646 :
名乗る程の者ではござらん:04/11/26 21:10:32 ID:RidXOxXs
一両の通貨換算で何やら揉めているようじゃが、米価にせよ湯銭にせよ現代とは生活水準が違う
故、単純比較は意味が無いのではないじゃろうか
あと既出では無いと思うが、「南町奉行所」だの「火付盗賊改」だの「○○藩上屋敷」だのの看
板や「中村主水」などという表札は当時は無かったの。あれは完全に偽りじゃよ。
647 :
名乗る程の者ではござらん:04/11/27 01:00:22 ID:eT7V3urG
>636
町奉行は十手など持たぬぞ、持つのは采配又は乗馬の鞭じゃよ
鉤付十手は与力、同心が持つのじゃ、鉤の部分で刀を受け止めるのじゃな
捕り方(奉行所小物)は突棒、下っ引きはごく小型の十手を持っておった
火盗改めは独特の棒状の十手を使用しておったな
648 :
647:04/11/27 01:01:34 ID:eT7V3urG
碇が間違っておった
>647は>637へのれすじゃ、許されよ
649 :
名乗る程の者ではござらん:04/11/27 01:20:53 ID:eT7V3urG
営中席次
大廊下 上段 御三家・御三卿
大廊下 下段 前田家・島津家・松前松平家・因幡池田家
大広間 四位以上の国持大名(伊達・細川・黒田・浅野・毛利・鍋島・藤堂・蜂須賀・山内・上杉・津軽など)
黒書院溜の間 会津松平家・高松松平家・井伊家
(溜り詰:老中経験者)
溜の間 御次 京都所司代・大阪城代
帝鑑の間 城主格・願譜代・交代寄合
柳の間 四位以下の外様大名・高家・寄合衆肝煎及び寄合衆
雁の間 譜代の中堅大名・高家衆
菊の間 三万石以下の譜代大名・大番頭・書院番頭・小姓組番頭・旗奉行・槍奉行・持弓頭・持筒頭・百人組頭・使番・定火消御役
芙蓉の間 寺社奉行・町奉行・勘定奉行・大目付・奏者番・駿府城代・京都町奉行・伏見奉行
桔梗の間 新番頭・新番組頭
躑躅の間 勘定奉行所勘定吟味方・大番組頭・御先手弓頭・御先手鉄砲頭・鉄砲方・小十人頭・御徒頭・船手頭・火事場見廻・本所深川火事場見廻
山吹の間 中奥小姓・中奥番
紅葉の間 小姓
焼火の間 納戸組頭・納戸方・側用人勘定組頭・寺社奉行吟味物調役・寄場奉行・勘定奉行勘定組頭・同勘定吟味方改役・同切米手形改・金奉行払方蔵奉行・油漆奉行・林奉行・材木奉行・川舟奉行・大筒役・二の丸御留守居
中の間 小普請組支配・御広敷留守居番
土圭の間 新御番衆
虎の間 書院番衆
650 :
名乗る程の者ではござらん:05/01/12 17:23:42 ID:tipMItal
江戸時代の時間の表し方って、どうもよくわからない。
「一刻」が2時間っていうのはわかるんだけど、ほかにも「一時」とか「一つ」とかあるようだし。
ぐぐっても「一刻」と「一時」と「一つ」は同意語だと書いてあったり、
「一刻」を「一つ、二つ、三つ、四つ」で分けるって書いてあったり…。
「丑三つ時」っていう言葉があるから十二支で表すときだけ4つにわけるのかな。
そもそも「一刻」は「いっこく」と読むのか「いっとき」と読むのかすら良くわからない。
ヒット数の多さで判断すれば「いっこく」でいいようだけど、「しはんとき」って言うしなあ。
斬九郎の、「無役、三十俵三人扶持」ってのの生活レベルはどんなもの?
(もっとも麻佐女様がいる限りいくら金があっても足りないだろうが)
それと、大給松平家の末裔なのに最下級の御家人で、にもかかわらず
葵の御紋を身に付け(ドラマでは扇子だった)、それを見せただけで周囲がひれ伏す、
水戸黄門じゃあるまいにそんなことが可能だったのか?
652 :
名乗る程の者ではござらん:05/01/13 02:26:51 ID:rgoliOXI
>>651 先祖が旗本から落とされたとか・・・じゃないだろうか?
ちなみに葵にというか、麻佐女さまにひれ伏している感じがする。
>>650 一刻は、必ずしも2時間じゃないよ。
太陽の出ている間、出ていない間を6等分しているから、冬至と夏至では長さが違う。
江戸では、時報代わりに鐘を打つ人がいて、周囲からお金をもらってたんだそうな。範囲は「聞こえる範囲」(w
紫式部は、宮中の事をろくに知らなかった、かも知れない。
「光源氏」の生母は「桐壺更衣」で、彼女の殿舎は帝の住まう清涼殿から
一番遠い淑景舎(桐壺)。
いかにももっともらしいが、淑景舎のすぐ南にある昭陽舎(梨壺)は
東宮(皇太子)の住居。淑景舎はその「北」…といえばもうお分かりであろう。
「淑景舎」「桐壺」というのは皇太子妃の住まいであり、一応天皇妃である
更衣が住んでいるのはおかしいのである。
「枕草子」の中で清少納言が定子の妹で皇太子妃である女性を「淑景舎さま」と
呼んでいたので、「?」と思っていたら、作家の橋本治氏が著書の中で
この事にしっかりツッコミを入れてくれましたw
この件に関して合理的な説明できる方いらしたらお願いします。
保守保守
危ない所でおじゃったわ〜
大名って参勤交代するから江戸に屋敷というか藩邸を構えてますよね?
当然江戸の藩邸に勤める藩士がいて、江戸に住んでるわけだけど(いわゆる定府)
江戸詰めの藩士及びその家族はどこに住んでたの?
独身者は藩邸の中に部屋というか長屋を与えられていたんだろうと想像はつくんですが、
既婚者・子持ちもそうだったんでしょうか?
それから同じ藩士でも家老もいれば足軽もいるわけで
家老が足軽と同じ長屋住まいというワケにもいかないような気もするし。
家老なんかは藩邸以外の場所に住むことが許されていたのかな?
そんなに詳しくはないが、大名家の大小や家臣の家格等にもよるのでは?
外に屋敷を拝領した者も居れば、藩邸内に構えれる者、お長屋に住む者とか・・・
長屋って言うと汚らしい棟割長屋とか想像するけど、
実際は藩邸の外側をグルッと囲む2階建とかの立派な建物がそうなんでしょう。
忠臣蔵で例えれば、吉良家の家老で左右田なにがしは長屋に居たそうだけど
吉良家の(旗本の土屋主税じゃない方の)お隣の屋敷は本多孫太郎って人が主で
越前福井松平家の家老職で確か1万石の知行が貰っていたとか聞いた事がある。
659 :
侍見習:2005/11/24(木) 20:28:58 ID:QSxhHcZI
>>11 明治はかけそば一杯16文カレーは25文
だそうだ
660 :
侍見習:2005/11/24(木) 20:35:02 ID:QSxhHcZI
>>38 遠島はどっちかというと、
政治犯、危険思想犯に多いらしい
661 :
侍見習:2005/11/24(木) 21:23:42 ID:QSxhHcZI
>>114 初期の詰腹に男女の違いは無いようです。
心の臓が弱い方は読まないように
室町ぐらいはたしか、
初めに腹の左端に差し腹部右にもって行きます
その後刃を返しへその辺りに持っていき刃を上にもって行きます
一度刀を抜き心の臓を十字に切り最後に喉を刺します。
>>205 「火蓋を切れ」は閉じろと同じ火の粉による暴発を防ぐために閉める
火皿に火薬を置く時か狙って打つ時ぐらいしか開かないこれを「火蓋を開く」と言う
発射手順
筒に火薬と弾を入れ棒で押し込む
火蓋を開け火皿に点火火薬を入れれ火蓋を切る
火縄に火を付ける
狙い火蓋を開ける
引き金を引く
後のぜんまい発火式火縄銃等は、判らない。
662 :
侍見習:2005/11/27(日) 19:03:27 ID:OEmhUBYS
火蓋を切って落とすは
「火蓋を切って火縄を落とす」がつづまった語句
で
「火縄を落とす」は、引き金を引いて火縄を火皿に落として
発射する事
>>13 に便乗 だから江戸方面で使う金と大坂方面で使う銀を交換して手数料をとる
両替商という商売が成り立っていたのです
日本の戦闘では、楯を持つ剣術ってなかったけど何か理由でもあるんですかね?特に理由はなさそうかな?
665 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/23(月) 00:03:46 ID:899w+TdG
ヅラ装着は確実に禿る
666 :
侍見習:2006/01/26(木) 14:53:03 ID:???
>>664 畳が楯の代わりになる、
楯90cm、横60cm、厚さ5.5cm
人一人が隠れられ尚且つ鉄砲玉を防げる厚さ、
織田信長が考案し、後の一畳になる。
>楯を持つ剣術っ〜
何処かの流派に笠を楯代わりに使う技があったような。
日本刀には鎬という部分があってそこを楯代わりにしていたため楯の必要性が無かったとなんかで見たか聞いたかしたような…
668 :
名乗る程の者ではござらん:2006/01/29(日) 13:55:08 ID:FF//AHG7
>>667 俺はずっと刃で受けるもんだと思ってたんだけど抜刀習い始めてから刀は鎬で受ける
ようにしろって言われてから気付いた。
確かに刃を刃で受けてたらすぐにボロボロになって勿体無い罠‥
質問なんだけど西郷隆盛の「隆盛」って忌み名だったの?
西郷自身「隆盛」を使うことは無かったらしい‥‥他にも当時は通称で呼ばれてたのに
今は忌み名で名前が定着しちゃった人もいるみたい。
あと「藩」ってのも明治過ぎたあたりから使い始めて幕末で「○○藩の○○役、○○じゃ」
って名乗ることは無かったたしいんだけど‥‥
誰か教えてエロい人。
少なくとも当時の地図には藩邸は藩名ではなく
「酒井雅楽頭」「秋元但馬守」などと記されてて
主な領地の姫路や館林の文字は見当たらないしな・・・・
「松平伊賀守家来 馬廻役何某」で「国元は信州上田」って付け足しみたいなものだろうか?
薩摩や加賀などの大藩は文書はともかく、どう名乗りってたか気になるな。
薩州侯、加賀黄門、○○家家中、という言い方でやはり藩名は使わぬ。
>>666 そうか!だから畳返しという必殺技が!?
>>664 単純に刀が両手用だったからじゃないの?
確かに西洋の剣は「突き」がメインだから片手でも十分かもしらんけど
日本刀だと片手じゃ相当な強力じゃなきゃ骨まで断てないらしかったからな
674 :
侍見習:2006/02/02(木) 13:07:13 ID:???
>>668 刀身で受けなけれはならない時は平で受ける、受け流しも同じ
675 :
名乗る程の者ではござらん:2006/02/02(木) 13:15:03 ID:dyJ6WXuM
西洋の剣は棍棒と同意義だと聞いた事がある
町方は寺社地には入れない、これは常識しかし、新撰組や庄内藩の江戸の治安維持部隊はどうなんでしょ
>>677 一応は原則どおりじゃないのかな
京都は所司代やその支配の東西町奉行所も寺社の管理もしているし
というか事実行為として入りまくりで何かあれば後日報告とかw
江戸は何気に難しそう・・・ 結局、各藩の管轄地域、南北町・寺社奉行分担の上で共同作業にさるのかな?
保守age
680 :
名乗る程の者ではござらん:2007/02/03(土) 11:50:20 ID:rzlJr8se
上げ板
捕手
御用だ!御用だ!
682 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/24(火) 03:33:14 ID:s/O4tI7f
ヨタカはいくらで抱けるの?
683 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/24(火) 16:24:43 ID:fYeqUpUU
知識というかテレビの中で言っているのでは
まけて200にしとくよや
500だっ!てけいよー!なんて言ってるよな。
娼婦はどうやって避妊してたの?
紙を詰めてた
江戸時代の時間の計算って、一時(いっとき)が二時間くらいでいいの?
うん
689 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/25(水) 23:15:16 ID:3G5x+mGb
>>668 古来、日本では言霊思想があり、人が本名を呼ばれるとその相手に支配されると
思われてきた。
そのため、貴人は自らの本名(正式の名称)を呼ばれることを避け、
父母又は主(あるじ)以外の者が、その人を正式の名称で呼ぶことは非礼とされた。
信長の父が「信長」と呼ぶことはあっても、家来が「信長様」などと呼ぶことはない。
他人に呼ばれることを忌み避けるという意味で諱(いみな)と呼ばれる。
小さい頃は幼名、成人したらほとんど通称で済まされ、正式な名称は公文書等に
記載される以外は、ほとんど使用されることはない。
江戸時代までは侍の世界では、幼名、通称(とおりな)、諱、諡(おくりな:死後
の名前)が使い分けられ、名前の変更も随時行なわれてきた。
普段は諱を使わないから、誰も西郷の本名(諱)を知らなかったというのは当然。
西郷、大久保は諱で戸籍を登録したが、板垣は退助(通称)で登録している。
ちなみに坂本竜馬は、通称は竜馬、諱は直柔(なおのり)
さむらい探偵事件簿で「ちょべりば」ってレンジが言ってたけどどういう意味ですか?
691 :
名乗る程の者ではござらん:2007/07/26(木) 22:27:52 ID:ge9GbOG2
女のランク
@佳人
A麗人
B別嬪
C美人
D並上
E並
F並下
Gブス
Hおへちゃ
Iへちゃむくれ
J鬼瓦
K夕日の鬼瓦
693 :
名乗る程の者ではござらん:2007/08/05(日) 18:55:11 ID:bRC6QqHc
hos
695 :
名乗る程の者ではござらん:2007/08/09(木) 19:12:21 ID:mPHu9bOY
他人の家を訪ねるときは、玄関で刀を預ける。
刀を持ったまま相手に会うときは刀は右手に持つ
座るときは必ず刀を自分の右側に刃が自分の方に向くように置く。
左側において座ると敵意があるものと見なされ、相手に斬られても文句はいえない。
乗馬しているときは刀の刃が下側を向くようにする。
この場合、刀を抜くときは上に向かって抜く。馬の体に当たないようにする配慮。
徒歩のときは、刀の刃が上を向くようにして刀を抜く。
この場合、刀をやや下向きに前の方に抜くことになる。
馬に乗るときは馬の右から乗る。馬に跨るとき刀が抜落ちないようにするためである。
これを忠実にやっているかどうか時代劇を見るのも面白い。
696 :
名乗る程の者ではござらん:2007/10/19(金) 19:50:41 ID:+Z3jD5OG
オランダ人の名前が高確率でカピタンなのは何で?
698 :
696:2007/10/19(金) 22:53:40 ID:???
>>697 うわああ・・・そうだったのですか!
他所で言う前にここで聞いて良かった
ありがとうございます
英語で言うとキャプテン、になるんだろうかね。
オランダでは「カピタン翼」なんだろうか。
なるほど、キャプテンが訛ってキャピテン→キャピタン→カピタンか
時代劇によく出てくる毒薬で「いわみぎんざん」というのは何ですか?
ググッたらどうやら地名のようですが・・・
>>701 ヒ素。
実は銀鉱脈じゃなくて銅の鉱脈の方から産出されるんだそうだ。
703 :
名乗る程の者ではござらん:2008/07/27(日) 23:55:50 ID:w1yRMcq2
最近の時代劇は
役所や侍屋敷の門に表札を掲げることはなくなってしまったね
>>701 鼠とり。702氏の言うとおり銅の副産物としてとれたらしい。
気になっている事があるのだが、丁半博打でコマが揃わなかったらどうするんだ?
誰かが揃わせるまで待つのか?それともサイの振りなおしというか仕切り直し?それとも胴元が足りない分を賭けるのか?
「拙者」と「みども」と「それがし」の使い分けが知りたい
>>706 それは知らないけど、なぜかその順番で奥ゆかしいキャラに聞こえる
708 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/05(火) 23:42:52 ID:V0L5GJeS
>>703 実際の奉行所なり、大名屋敷なり表札なんか掲げなかったらしい。敵とかにばれるから。
テレビ上の演出で、門の所に表札や看板を掲げている。後は武士なんかはあまり喋らなかった。会津藩のように、戸外で婦人と会話してはいけないという決まりがあったくらいだ。これもやはりテレビ上の演出。
最近、加護ちゃんが出てきているのも、テレビ上の演出。
709 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/06(水) 16:36:38 ID:5k/fqE4x
十手→(じゅって)と発音しているが「じって」が正しいらしい。
711 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/07(木) 16:28:28 ID:gxOfKjhD
波よ来い 6発ほど来い
>>708 でも奉行所内にも牢とかあったようだし、目立たないように門番とかはいたんじゃなかろうか。
表札がないから間違ってドロボウが入っちゃった、なんてのはありえなさそうだけどねえ。
大名屋敷などは表札がなくとも
門のところに家紋がついていたし辻番所や切絵図で最終確認出来るしね
714 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/14(木) 18:00:09 ID:x2re9p63
お奉行様は時代劇みたいに事件ごとに一々お白州でさばいてたんですか?
江戸みたいな大都市にも2人しかいないみたいだし
他の仕事だってあるだろうしで体が持たないと思うのですが
715 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/16(土) 12:59:31 ID:R+GkOWzc
頭を丸めると許されるのはなぜですか?
髪なんか禿じゃなければほっときゃそのうち生えてくるし
そもそもサカヤキそってるから
頭頂部はもともと生えてないしで痛くもかゆくもないでしょ?
>>708 表札出してなくても、地図には屋敷名やら
何やら細かく書き込まれているんだから関係ないような気がする
その手の地図は区画ごとに大量に印刷されていて
火事がおこると、それに赤印を上から印刷して号外として売ってたんだと
それ見て火事場見舞いをするからかなり正確な地図だったってさ
ありんすなどの花魁(廓)言葉は、遊女の田舎訛りを隠すためのもの
それぞれの店によって違っていたので、
言葉を聞けば、どこの店の花魁か判断できたらしい
〜ありんす、〜なんし、〜ざんす、〜まし、〜おす
719 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/17(日) 15:22:15 ID:tX1DLKpG
髪の毛どうやって洗ったのかな?糠だけじゃ臭そう
まあ周りがみんなそうなら気にもならないんじゃね?
よく長屋の浪人とかひとり者が
飯屋みたいので丼食べてるけど
あれはなんですか?
あおれと当時の一人身の食事はあんなものんだったんでしょうか?
ただのどんぶり飯のような気がする
ご飯とおしんこと味噌汁じゃないかなー
>>714 仰せのとおり、おぶぎゃう様は常にもの凄く忙しいので
重大事件の申し渡し(判決公判)ぐらいしか顔を出さなかったんじゃないかな
しかも、進行役は吟味与力がほとんどやって
ぶぎゃう様は余程の事が無い限り口出ししないとか・・・
超重大事件については審理も陪席する場合も有るが、その時は御目付衆やその配下の連中もやってくる場合も
ただ拷問も含めて何をするにしても、一応はおぶぎゃう様の許可サインはいるみたい
死罪判決やその執行は公方様、御老中さまの許可もいるし
もっともお手軽場合は大番屋や伝馬町の牢に
吟味与力が出向いて尋問をしたり申し渡しもする場合もあったかな?
以上は資料は有るんだけど、今は見れないので多少間違いがあるかもしれない。
>>722-724 次の三種の飯屋が、江戸っ子に手軽で安いと受けてたらしい
深川飯 → あさり・油揚げ・豆腐・ネギを味噌で煮込んだ具をどんぶり飯にかけたもの
女川菜飯 → 油菜などを刻んで味をつけたご飯に混ぜたもの
奈良茶飯 → お茶と塩とで炊いた炊き込みご飯
(炒り大豆や焼き栗など具になるものを混ぜて炊くものも含む)
これらに香の物や汁物がついて、25文前後
※そばが16文前後、鰻の蒲焼きが200文前後
おっ、蕎麦か、
「値段が十六文なのは、二八蕎麦(2×8)だから
ただし、つなぎの小麦粉と蕎麦粉の割合から二八蕎麦って説も」
は、有名すぎるか。
江戸初期は、蕎麦と言えは、蕎麦の実を雑炊にしたものか蕎麦粉を練って湯がいた蕎麦がきのこと。
蕎麦切りと言われる今の蕎麦のスタイルが主流になるのは中期。
その頃は十割蕎麦でぶつぶつ切れるから、湯がかずに蒸篭(せいろ)で蒸してた。
今でも、蕎麦が蒸篭に入れられているのはその名残。
つなぎに小麦粉を使えるようになって江戸後期から湯がくのが主流に。
贅沢なトッピングがされた、天麩羅(芝エビのかき揚げ)蕎麦や、
しっぽく(蒲鉾、卵焼き、椎茸など)蕎麦、卵とじ蕎麦などもその頃から。
中村梅之助の「そば屋梅吉捕物帳」に出てくる蕎麦は美味そうだったなあ
天秤棒みたいな棒を肩に担いで
その先っちょに汁の入った徳利みたいなのと小箱をぶら下げて
小箱の引き出しの中に蕎麦が入っていた
なにやら蕎麦協会の監修がついていたようだがw
藤枝梅庵で川谷拓三が演じていたおでん屋のおでんが食いたい
おでん、いいなおでん
当時は屋台だから、全部串刺しおでんだったのかな
731 :
名乗る程の者ではござらん:2008/08/25(月) 08:28:09 ID:LEAY8zCT
知識といっていいことかどうか微妙だけど
時代劇は結構化政年間の大御所時代が舞台の作品が多いので
その後25年ちょいでくる明治維新後も
主要キャラクターは存命してる可能性が十分あることを知っておくと
最終回のあと幕府が倒れた後の彼らの人生を思えてちょっと面白いよ
金さん(のモデルの遠山さん)は惜しくも死んでますがライバルの
同時期の南町奉行鳥居さんは普通に明治も生きてるし
中村主水も映画で死が描かれる前の一部の設定では
「維新により奉行所がなくなって同心失職したので警察官採用試験受けたんだけど落ちた」とされていたわけで
こっちのスレ向けなネタかな?
734 名前: 名乗る程の者ではござらん 投稿日: 2008/08/25(月) 00:53:17 ID:4hFjH5ga
パンツない時代に生理中の女はどうしてたんだろ
735 名前: 名乗る程の者ではござらん [sage] 投稿日: 2008/08/25(月) 01:05:09 ID:???
>> 734
さらし木綿でできた、ふんどし状の月経帯に
和紙や布をあてていたらしい
贅沢ができる人は、やわらかな新しい和紙や新しい木綿
庶民は、晒しなおした和紙(今でいう再生紙)や古布で
大家(差配)について
江戸の長屋の「大家」は、今の大家(=オーナー)とは意味合いが違う
本当の長屋の持ち主(大店の店主が多い)や地主から
何棟か管理を任された管理人のことをさす、「差配」ともいう
仕事は、長家の持ち主の代わりの家賃の徴収から、
店子(長屋の借主)の選別、店子のもめごとの仲裁
五人組を作り、名主などの町役人の補佐をし、自身番に交代で詰めることも
収入は、徴収した家賃の一部、無償で提供される自分の住まい、
他に自分が管理している長屋の共同便所の肥を売る権利もあって
これがかなりいい収入になるので、家賃を払わない店子がいたら補てんもできた
下肥は、力仕事をする住人が多い長屋のものが高く売れた
(力仕事をする人は、食べるものもスタミナがつくものが多くて肥も栄養満点だから)
仕事人で、湯女が生卵を割って手でかき混ぜるシーンがあったけど
あれは今で言うところのローションという事なのか?
与力や同心が、着流しの時に羽織を折って短くするのって
あれは、しつけ糸か何かでとめてるのか?
折ったのを、下から帯に挟み込んでるだけ
「巻き羽織」って言うらしい
着流しに羽織っていう他の武士と区別するために、同心独特の着方らしいね
他にも、紺色で裏が白くなっている裏白の紺足袋が同心の基本だったとか
今年の夏みたく猛暑のときは、いっそ昔風の着流しとかのほうがすごしやすいと
思うんだけど、いざそれで外に出るとなるとやっぱ気後れしちゃうんだよなあ。
若い子とかがチャラっと和服を着こなしてるのをみると、ちょっとうらやましくなる。
一重の着流しは、確かに涼しそうだ
若い子が着るのはいいが、男は帯を腰でしめてくれよって思う
ウェストマークすんなよ
昔は今ほどきっちり着ずに、胸元もゆったりしてたんだよな女も
時代劇ではみんなキッチリ着てるけど。
あれじゃクーラーのない時代に、あせもだらけだろな
>>739 そういう年長者?からの反感ももひっくるめて、文化って感じがする。
なんかで読んだけど、元禄あたりかな?下に着た柄物が、裾だったか襟だったか、ちょっと
見えるように着るオシャレが流行ったとき、年長者がそれを嘆いた〜とかなんとか。
いつの時代もおんなじだけど、なんか風流w
江戸時代の離婚
男性の側からの一方的な申し出
持参金・諸道具・着物 すべて返却
女性の側からの一方的な申し出
諸道具・着物 のみ返却
男性としては、持参金を全額返金は大変なので
女性の不都合(不義)などを騙ることも多かったとか
また女性も、三行半がなければ再婚できないので
持参金なんかいいと、手を打つ場合も多いとか
江戸は、都会ということで男たちが仕事を求め集まるのに
「出女入鉄砲」で、女はなかなかそうはいかない上に
裕福な男性が、側室や妾で複数の女性を囲うため
独身男性にたいして独身女性の比率がかなり低かった
よって、女性は再婚相手に事欠かなかったとか
>>742 江戸に限らず、記録に残っている宇和島藩の例だと
結婚した武家56組の夫婦を追跡調査したところ、
3年後には、そのうちの20組が離婚or死別していて
残されたほとんどの女性が再婚していたらしい
>>743 現代の日本よりもすごいな、それ
寿命の短かった当時の死別も入ってるにせよ
居眠り磐音スレにあったけど、ここ向きなので
江戸の銭湯の話
>>安永の小咄 湯汲みの言葉
>>「アイサ朝の五つから夜の五つまで(美しい女の裸を)飽きるほど拝みます」
>
>つまり季節によって多少変わるけれど、午前8時から午後8時迄が営業時間
>夜が早いのは当時は遅くなったら木戸がしまることと
>火の用心が大切なので早仕舞いが大切だったかららしい
>火を落とした後の仕舞い湯は、もう少し遅くまで入れたという話も
>
>それと、実況スレであの頃は蒸し風呂だったとか言ってる人がいたけど
>磐音の時代には、湯船がある銭湯も多かった
>また混浴だったはずって言う人もいたけれど
>風俗上問題があるといって、何度か混浴禁止令がでて
>男湯と女湯は分けることになってる(なかなか守られなかったらしいけど)
>
>江戸の銭湯の構造
>
ttp://www.geocities.co.jp/Playtown/6757/furo03.html ただコピペしてきただけでもなんなので、八丁堀七不思議ネタ
「八丁堀近くの銭湯には、女湯なのに刀掛けがある」
ということで、八丁堀の与力や同心たちは朝なら女湯に入ることが許されてた
理由には諸説あって
1 女湯に入って、隣の男湯の話に耳を傾け密かに情報を仕入れていた
2 朝湯には女が少なかった(朝の支度で忙しいから)ので、特権として
朝っぱらから銭湯に行って風呂なんか入ってる暇あるんでしょうか?
おおらかな時代だったのかなぁ
商家に勤める商人や、朝市で仕入れをして売り歩くぼて振りなどはともかく
江戸の街には暇な人も多かったと思うよ
例えば、朝なら女湯に入れる特権を持つ廻り方同心(時代劇に良く出てくる捕り物をする同心)は
町内を廻ることが仕事だから、奉行所へは毎日勤務しなくて良かった
朝一から町内を廻ってもたいして仕事にはならないから
廻り方の同心たちは、朝は暇だった
他にも役についてない小普請組の貧乏侍は、
月に2回ある就職活動をする以外は何も仕事がなかった
浪人ならともかくは、仕事についてないだけで一応幕府お抱えだから、
金がなくても表立って他の仕事するわけにも行かず
身分を隠してどこかの藩で臨時で働くか、家で内職するしかなかったから、暇といえば暇
他に、江戸に多かった屋台や小料理屋・酒屋兼煮売り屋は、
昼から夜(深夜までやってた)が稼ぎ時だから、ゆっくりできるのは朝だけ
それでも、仕込がありはしただろうけれどね
大工や左官、庭師なども、雨が降れば朝からお休み
安い日給のぼて振りとかでも、博打や大酒に浸らなければ
月に半分、独身ものなら一週間も真面目に働けば
やっていけたらしいね、杉浦日向子の「一日江戸人」によれば
家賃、数日毎に床屋、銭湯は毎日、毎日三食+少々の寝酒 etc
親子三人くらいは、ぼて振り月半分の働きでまかなえたんだと
季節の折々の着物とか手に入れるなら
やはり毎日精を出さないと無理だったかも知れないけど
江戸町人のほうが現代人より楽して生きてそうだな
時代劇だと百姓は地獄だが
(あと商家も対立する店と奉行と加賀君で無理難題きたり
皆殺しの押し込みが起きたりしてるけどね)
ばくちやらずにそこそこ酒も飲めるなら天国じゃないか
今の税率なら江戸時代だったら筵旗が揚がるレベルというしねw
それはそれとして除夜の鐘が鳴り終わるまで逃げ切れば
盆までつけはらいでまた生きて行けたそうですが
生涯それで逃げ切って一銭も払わなかった人とかもいたんでしょうか?
家賃は踏み倒しても 下肥がいい値で売れたから
さほどきつい催促されないって聞いたけれど
米や味噌は、何度も踏み倒してたら売ってもらえなくなるんじゃない?
>>749 百姓が地獄ってのもかなりドラマやなんかの間違った印象っぽい。
フランスなんかは普通の年でも日本の大飢饉なみに死んでたそうだ。
そりゃ革命も起きるわ。
当時は、薪の節約と手間(竈でご飯を炊くのはつきっきりで一仕事)を省くために
長屋では、ご飯を炊くのは一日一回の所が多かった
江戸 朝炊いて、昼は冷や飯、夕は茶漬け
上方 昼炊いて、夕は冷や飯、朝は冷や飯を粥に
真夏とか腐らないの?
冷蔵庫とかないし
お櫃は、すぐれものだよ
調湿性能に優れててるし、殺菌効果もあるから、痛みにくい
夏場は酢飯にしたり梅をほぐして混ぜたりと工夫もしてたらしい
また、傷んで表面が粘ったら、水で洗ったあとザルにあけて日干しし、
干飯にして、軽く炒って醤油などで味付けして食べたとも
あと今ほど暑くなかっただろう。流石に。
蒸し暑くはあったろうけれど、ヒートアイランド現象はなかったろうしね
特に江戸市中は、ベニス並みに堀・水路が発達していて
船が大切な交通手段だったくらいだから、今よりずっと涼しそう
でも棟割長屋は、入口しか開口部がなくて
窓はなかったから、家の中は暑そうだ
そうそう冷蔵庫のかわりに、井戸を使ってたそうだね
夏は、麦茶を鉄瓶に入れて井戸に吊るして冷やしてた
あたり前すぎる知識だけど、満年齢と数え年
当時は、母親の腹にいる期間も勘定に入れていたから
オギャーと生まれた日に、既に1歳
誕生日に年をとる習慣はなくて、年が明けるとみんな一つ年をとった
だから、12/31に生まれたら、生まれてたった二日で、二歳ということに
今でも使われる「おやつ」の語源について
八つ時とは、今の午後三時
江戸の中期までは一日二食が一般的だったので
お腹がすく三時ごろに、菓子などを食べたことからきてる
お八つついでに、「菓子」と「水菓子」と「果物」
昔は砂糖などの甘いものもなく「菓子」と言えば、果物をさした
その後、一般的なお菓子が考案されるようになって
それらと区別するために、果物を「水菓子」と呼ぶようになった
葛切りや寒天などのお菓子を水菓子と呼ぶようになったのは近年
「おやつ」が出てるから、花まるマーケットで使われて有名になった「おめざ」について
「おめざ」は「お目覚め」「お目覚まし」を略した
幼児語(ただし、元は「おみおつけ」と同じ女房言葉だったらしい)ですが
そこから、幼児が目を覚ました時に
ちゃんとした食事にありつくまでに食べる軽食やお菓子を指すようです
もちろんそんなものを食べられるのは、そのへんの餓鬼ではなく
大店などの嬢ちゃん坊ちゃんや、大藩や大身のお子様たちだけ
例えば、大店の場合、店の朝はどこも忙しいので
お坊ちゃん嬢ちゃんが、おなかが空いたと言っても、かまっている暇はない
そこで、朝、寝床に軽食をお重に入れておいておく風習があったそうな
それでも食べて大人しくしててねってことですな
おかげで、大店の子供たちは歯が悪い子が多かったとか
太る気がする・・・
俺も経済的な理由で一日一食にしてから肥満解消したし
そんなに子供の時から食ってたら太るんじゃないか?
糖尿病は当時からあったらしいから、やはり肥満の人もいたんじゃないかな?
ttp://www.oasis-health.com/jouhou/tounyou_q11/tounyou_q11.html >江戸時代になりますと、糖尿病についての記述も詳しくなり、
>江戸中期に医師の香川修徳が著した医学書「一本堂行余医言」には、
>その症状が詳しく書かれており、糖尿病による合併症についても記されています。
>しかし、古くから糖尿病の記録があるにもかかわらず、その原因は不明とされ、
>科学的な研究が始まる近代まで不治の病とされていたのです。
江戸中期の俳人が掲げた十訓は、今のメタボ対策と相通じるものがある。
>「健康十訓」 横井也有(西暦1702-1782)・尾張の俳人
>一.少肉多菜(肉を控えて野菜を多く摂りましょう。)
>二.少塩多酢(塩分を控えて酢を多く摂りましょう。)
>三.少糖多果(砂糖を控えて果物を多く摂りましょう。)
>四.少食多噛(満腹になるまで食べずよく噛んで食べましょう。)
>五.少衣多浴(厚着を控えて日光浴し風呂に入りましょう。)
>六.少車多走(車ばかり乗らず自分の脚で歩きましょう。)
>七.少憂多眠(くよくよせずたくさん眠りましょう。)
>八.少憤多笑(いらいら怒らず朗らかに笑いましょう。)
>九.少言多行(文句ばかり言わずにまずは実行しましょう。)
>十.少欲多施(自身の欲望を控え周りの人々に尽くしましょう。)
他に有名な江戸時代の贅沢病は、「脚気」だよね。
玄米を食べずに精白米ばかり食べる江戸っ子は、
脚気(当時は、江戸に住む人しかならないので「江戸患い」と言われていた)になりやすく、
その治療法として旅に出て地方の空気を吸うことが奨励されてたらしい。
実際は地方の空気がいいんじゃなくて、旅に出ると地方の旅籠では、
白飯はなくて玄米食や麦・雑穀まじりの白飯だったから、脚気が治ったらしいw
>>762 江戸っ子だけじゃなく、参勤交代で江戸勤番にも多かったんだろ
国許からやってきて白飯に感激して、そればかり食べ過ぎたんだろうな
そういえば時代劇でよく出てくる病気の
「持病のしゃく」って何なの?
胃痙攣とか虫垂炎から女性の勘気によるヒスから果ては寄生虫が暴れる痛みまで
全部総じて癪らしいですよ
>>761 現代日本で経済的に1食しか食えないなんてありえん
大学出てればそんな状況には絶対ならないし
今は全国民が大学にいける時代なのでありえないということになる
出ていなくてもどんな日本国民も最低限の文化的生活を送る権利が保障されているのでありえない
現に僕の周りに気がは存在しないしね
どんなに努力しないで遊びお呆けても飯の種と家だけはいただけるのが現代日本のはずだ
君が国外からアクセスしてるなら知らないが
そんなことはどうでもよいし時代劇に関係ないのでスレチガイどころか板違いだ
時代劇の捜査で「この○○は〜」ってかんじで手掛かりになったものの持ち主が
すぐに見ただけでわかるシーンがあるのですが
当時の奉行所の連中は誰がなに持ってるかわかるぐらいまで把握してたんですか?
同じもの持ってる人もいるだろうに・・・
あと瓦版は実は御禁制だったという話を聞いたことがあるのですが
堂々と売り歩いてるのが気になります
OKだったのでしょうか?
どうやって昨日のネタとかを拾ってきて発行していたのかも気になります
いまほど取材能力もなかっただろうし
>>766 何、そんなに一人で気張ってるの?
>>761は、自分でそうしたって言ってるんだから
欲しいものとかがあって、一時的に一食にしてただけかもしれないじゃないか
こうやってネットできてる所から考えても、本当に困窮している訳ではないだろ
つか、この人はともかく、今の日本でも生活保護などの網からはずれて
(というか、はずされて)食べるのにこと欠いて、餓死する人だっているだろ
北九州の生活保護打ち切りで餓死した人がいて問題になったのはつい去年の話だ
>>767 >「この○○は〜」ってかんじで手掛かりになったものの持ち主が
>すぐに見ただけでわかる
これはどんなシーンか分からないからなんとも
ただ昔は、着物にしても持ち物にしても余分に持ってない町民が多かったから
誰がどんなものを持っているかは、みな知ってたのかもね
根付けとか、価値のあるものは量産できた時代でもないし
刀だと銘が入っているからすぐ分かる
それから、瓦版には二種類あって、堂々と売り歩いていたのは
火事見舞い用の号外や、今で言う雑誌的な読み物
火事のお知らせなどは武士も買うくらいで問題なし
それらを印刷する版元や売り歩く棒手振りも、鑑札(=幕府のお許し)を持ってた
ご禁制だったは、いわゆるご政道批判の記事
これは捕まったらとんでもないことになるから
こそっと持って歩いては、訳知り顔で耳打ちして買いませんか?
とやっていたらしい、その方が信憑性も増すというかね
危ない橋を渡るから、数人が集まって
記事書いて版におこして刷って売りさばいたら、住処をかえていたらしい
本当に危ない情報だと、手書きで書き写すこともあったとか
追加
火事の知らせの号外記事は、刻々と火の手が上がる場所を号外するから
一日に何版も刷られるくらい、素早かったらしいよ 以前
>>717 にも書いたけど
居眠り磐音スレからコピペ
>江戸時代の刑罰について書かれている本を読んでいたら
>過去スレや過去レスで言ってたことは違ってたよ
>
>まず、「10両盗めば死罪」というのは、押し込み強盗には適用されない
>これは、知り合いの家に遊びに行って盗む気ではなかったがつい魔が差したとか
>店の者が、店のお金や品物(品物は金に換算して届け出た)を横領した場合などに適用
>
>はじめから、盗む気満々で押し入った場合は、金額に関わらず死罪だそうだ
>
>ただし面白いのは、押し入った先に不注意があった場合、一気に刑罰が軽くなること
>不注意というのは、夜、家を無人にしていたとか、戸締りがきちんとしていなかったとかの場合
>このときは、盗まれる方が悪いということで、重い敲き刑と所払い(江戸から離れること)だけですんだらしい
>
>吉祥天の親方の場合、まずは狙った店に仲間を雇わせて
>そいつに、中へひきこみさせていたから
>店にもきちんと身元を調べずに泥棒を雇った責任がでてくるから
>吉祥天の親方の刑罰は、店の責任がどこまで追及されるかで違うらしいよ
>口入屋(職業斡旋)の信用とか、身元保証人をきちんと調べたかとかね
>抜けてた
>
>>重い敲き刑と所払い(江戸から離れること)だけですんだらしい
>
>これに、「入れ墨」が付け加わるんだった
「十両盗めば首が飛ぶ」も、盗みよる(窃盗と強盗?)ということと
戸締りしていたかどうかの違いで、死罪が所払いになるって、驚いた
所払いってのはたんに引越せばそれでいいんですか?
刑罰か?それって・・・
>>772 >>771じゃないけれど、元のレスを書いたものですw
で、所払いとは、江戸から出て行けって事なんだけれど
当時は、江戸を出たらあまり職がない時代であることや
そのような目にあって所払いされた人は、次に住める土地が
なかなかみつからない(身請け人がでてこない)ことが多いから
無宿者として、放浪するしかない人が多かったらしい
江戸の五人組のように、どこでも連帯責任制度があったから
受け入れる側としても、前科者は……ね
金でなんとか身元引受人見繕って身分偽ろうとしても
入れ墨があれば前科持ちってバレる
面白いのは、そういう所払いをされた人であっても
身内の法要の時だけは江戸に戻ってよかったらしい
ただ、その場合は、誰の法要でいついつまでというのを
町の番屋などで証明になるように書いてもらって
しかも身なりは手甲などの旅装束のまま着替えてはいけなかったとか
廻り方同心や御用聞きに見つかっても、その旅姿で
証明になるものを持っていれば許されたとのこと
昔の人は健脚で、旅の時も毎日かなり歩いたって聞くが
一日どれくらいの距離を歩いたんだろ?
水戸黄門とかは、のんびり歩いているっぽい
京都所司代で江戸までの通行手形を発行してもらうと
江戸までは十五日以内に行き着くこと決められてたそうですよ
これには天候悪化などによる川止めなど余裕も入っているので
だいたい十二日くらいで歩きつく計算とか
日の出から日暮れまで昼ご飯などの休憩を入れながら
女性や老人でも一日に25km、男性なら40kmは歩いたそうです
駕籠かきなどの体力自慢は、人を乗せた籠をかついで45〜50kmとも
それよりもドラマの黄門さまでは、問題の起こった旅の宿に
何日も連泊しているようですが、あれは違法らしいですよ
湯治客や天候が悪く川止めにあった者以外は
宿場で同じ宿に連泊は禁止されていたとか
宿は旅の途中の夜を明かす場所なので
そんな場所に連泊する人はその地で
何かよからぬことを仕出かそうとしていると思われたらしいです
旅の途中で体調を崩して、旅行ができずに連泊する場合でも
その旨を、宿場町の役所に届け出る必要があったとか
そんなに!
一日位なら我慢して歩けても、それを何日も続けるのは自分には無理だ
チャリで東海道を旅したのもいい思い出箱根が結構つらかった途中で夜になっちゃたし
それは置いておくとして15日以上かかっちゃたらどうなったんですか?
なんらかの罰を得たんでしょうか?
それとよく旅人というひと(物見遊山や無宿人ではなく漂泊が目的な人)が出てきますが
彼らはどういう扱いなんですか?
真面目に詮索されたら捕まるような存在なんでしょうか?
人別とかもどこにのってるのか、とか長く旅をしているということは
その間の家の家賃とかどうなってるんだろうとかなんですが
あとどうやって旅費や宿泊費などの収入を得ているのかとかも
長い旅になるなら、家賃を余分に払える金持ちはともかく
他の人は、持ち物を売って、家を空けるんじゃないだろうか
当時の人は、もともと持ち物が少なかったはずだから簡単
この場合でも次の落ち着き先が決まるまでは
人別帳からはずれないはずだから
旅から帰ってきて、自分が居たところに人が住んでいれば
元の大家に身元保証を書いてもらって次の家を探すんだと思う
路銀だけど、伊勢参りなどでは、お参りする人に布施したり食事を振舞うのは御利益があるからってことと
寺宿に泊まれたから、ほとんど旅費はいらなかったらしいね
剣術の研鑽であちこち回るなどの場合には、最初に紹介状と手形を発行してもらったら
次の落ち着き先で、また次を紹介してもらってって形だと思う
以前、旅費を盗まれて、宿場町の日雇い仕事などで稼いでは次に行くって時代小説読んだことがあったな
そんな風に、身元などの調査が適当な仕事を見つけては働いてって人もいたのかねぇ
金を盗まれたら、実家に金があれば、飛脚で事情を説明して為替を送ってもらうのが一般的らしいけど
人別帳は、出立するときは放浪すると明言して行くんじゃないだろうからそのままなのかな
夫が帰ってこないからと届出をして、それでも数年行方知らずだと
人別帳からはずされて、残された妻は再婚できるらしいから
知らずに人別帳から消えている人もいるだろうね
人別帳が正しいかどうか、十数年に一度は総改めなどしたらしいけれど
それは、増え続ける江戸の人口を減らすためで
各地から集まってきた身元不確かな人間を追い払うものだから
最初に通行手形だけもらっていれば、関係ないんだろうね
地方の人も、特に問題をおこすのでなければ
いちいち江戸まで身元を確かめるなんてしないでしょ
無宿人とか渡世人とかの人はどうだったのかな
やくざと言ってもいい無宿人や渡世人が、人別帳とか届とか気にしてたら笑うw
金がなくなれば、誰ぞを脅すとか、賭場で巻き上げるとかじゃないか
旅って言うと、昔は草鞋履きだったんだよね
草鞋でそんな長距離を歩いてたんだ
足袋履いてても足ボロボロになりそうだね
昔の人はそれで四六時中歩き回ってたから、足の裏もそれなりに丈夫だったと思うよ
花魁などは、かかとの美しさを競ったものだそうだが
花魁のようなずっと部屋住みの人間以外は
かかとも足の裏も固くなっていそうだな
江戸初期は「最近の武士はけつが柔らかくて騎馬ですぐ萎える」って
じい様たちが嘆いていたらしいから環境によって皮膚はいくらでも固くなるんでしょうなぁ
ハラン(笹の葉のでかいようなやつ)に食べ物を包むようになったのは江戸以降(植物自体が日本に渡ったのが江戸時代だから)
だから戦国ものでハランが出てきたらダウト。
すみません、剣士の掛け声というか気合いみたいなやつで「ちぇすとぉー!」って、英語のchestなんでしょうか?
だとしたら何故?
くだらないことですが、ずっと奇妙に感じています。
知っている方がおられたら教えてください。
>>786 薩摩藩の古流剣術・示現流の掛け声で
「それっ」「やぁ」「えい」と同義らしいけれど、由来については諸説あってわからないらしい
まぁ、掛け声なんて「やぁ」だの「えい」だの気合さえ入れば、何でもいいような気も
薩摩は歴史上海外とも係わりが深いから
確かに、外来語からという可能性もありますね
ちなみに、剣道の掛け声で多いのが「やぁ」「とぉー」なので
江戸時代の町人は、剣術のことを「やっとう」と呼んでいたらしい
既出かもしれんが
江戸時代の貨幣制度は金銀銅の三貨制度。
金貨は小判(一両)を基準にした四進法。
一両=四分(ぶ)=十六朱(しゅ)
銀貨は重さを基準。
一貫=千匁(もんめ)=一万分(ぶん)
銅貨(銭貨)は一貫文(いっかんもん)=千文(もん)
一貫文は穴に紐を通して、一組にして扱われたが、
その際は千文より少ない枚数で一貫文としていた。
何故少ない枚数で通用するのかは、
数え賃とかいわれるが、詳しいことは分かってない。
因みに金1両で銀何匁とかいうのは変動相場制が導入されていたので
わかりません。
もひとつ。
トリビアとかで西郷隆盛の名前は本当は・・・・・・みたいな奴が
あったので知ってる人も多いが、諱は殆ど使わない。
系図にかかれるための名前であって、日常つかうものではない。
旗本クラスなら叙位任官するとき(従五位下何とかの守みたいなのをもらう時)
ぐらいしか呼ばれることはない。
江戸末期の旗本で外国奉行などを務め、
江戸城無血開城時に唯一、江戸城を枕に自殺したことで有名な川路聖謨は、
出世して叙位任官するときに自分の名前の読み方が分からず、
林大学頭に自分の名前の読み方について相談してる。因みに読み方は、としあきらな。
聖謨とかそういう感じの名前は漢字が大切。
左衛門とかそう云う感じの名前は読み方が大切。
だから、同一人物で同一の書物でも佐衛門、左衛門って両方で書かれてる場合も多いし、
博文をヒロブミ、ハクブンとか複数の読み方で読まれる事も多い。
西郷従道なんて、じゅうどうとかつぐみちとか教科書にも二つ載ってるとおもう。
>>777、778
江戸時代の旅について。
五代将軍、綱吉が出した生類憐みの令以後、
人命尊重というか人道的な視点ってのが生まれる。
幕令である程度基準が設けられ、各藩もそれなりに基準をつくる。
旅の途中で病気や怪我などで旅が困難になったら、
困難になった場所に近い村や町がその旅人を保護しなければいけなかった。
医者代、薬代、食費等の諸費用は全部村、町が受け持つ。
正確にいうと、宿泊した家や旅籠が負担して、その後で小物成(年貢の一種)
として村や町全体で分担した。
東北の村から伊勢参りにきて、伊勢あたりで倒れた場合でも
家に帰りたいといえば、家まで送る。
この場合は村をリレーして駕籠で送るのだが、ルートなどは病人の意向が尊重された。
しかしながら、病人を長らく泊めておくことは村にとって負担になるため、
強引に送り出す事例などが目立ち、多くの藩で村送り厳禁となる。
それ以後は基本的に全快してから自分の足で帰ることになった。
旅人が困ったときに頼りになるのは通行手形。
通行手形には、死亡したときの埋葬方法、住んでいる場所
そして、領主がかかれており、この通行手形を持っている旅人が
困っていたら絶対に助けなければいけない。
助けなかったら、奉行や代官から罰金刑を処された。
病気の旅人が助けを求めてきたら、庄屋→大庄屋→奉行or代官と云う風に
報告が上がり、代官から京都等にある藩屋敷を通じて、旅人の領主にお伺いをたて、
身元の確認等をして報告するのが一般的。
病気が悪化して死亡してしまったりしたら、通常よりも厳しい取調べがまってる。
その上で奉行を通じて旅人の領主に報告する。
旅する方も迎える方も、気軽なもんではなかったんですね
勉強になるなぁ
捨て子も、引き取り手がなければ町内で育てていたらしいもんね
なかなか、できた制度だなあ
794 :
名乗る程の者ではござらん:2008/10/01(水) 05:01:43 ID:t0HzD9Jr
>>790 >>791 地域差があったから、一概にはいえないけどな。
あと通行手形には領主じゃなくて、
菩提寺が載ってると思う。
通行手形自体、菩提寺が発行することが多いようだし。
まあ江戸時代の何時頃かってので大分ちがうけどね。
後期には領主側の奉行とか代官とかが署名してたかな・・・
よく覚えてない。大庄屋とかは署名してたと思う。
それも全部地域差があるからな。
仇討ちの対象が複数いる場合ってどうなるんだ?
みんな殺さないと家は継げないのか?
>>795 そう。
もっとも、仇が誰だか分かっていない場合は仇討ちにならず、
大抵は喧嘩の末に、とか真剣で立合いの後勝ち逃げ(同じ家中での真剣勝負は勝っても切腹が普通)
とかなので、多くて二〜三人程度と思われる。
多人数で誰だか分かっている場合は、主家に対する謀反扱いになるんじゃないかと思う。
800 :
名乗る程の者ではござらん:2008/10/20(月) 14:34:58 ID:Pw7cc/fm
最近、時代劇にはまった新参者ですが、お金の単位が分かりません(>_<)詳しい方いらっしゃれば、教えて下さい。
両、銭、分、文、シュ、など小さい単位から何枚で次の単位になるなか、さっぱり?分かりません、
>>800 超簡単にまとめまする
ザックリいくと、一両=四分 一分=四朱 一両=四千文
【貨幣 小判一枚(一両)との換算数】
・金貨
二分金=2枚
一分金=4枚
二朱金=8枚
一朱金=16枚
・銀貨
一分銀=4枚
二朱銀=8枚
一朱銀=16枚
五匁銀=12枚
丁銀・豆板銀=相場による秤量貨幣(1700頃で50〜60匁)
・銅貨
寛永通宝=銭4000枚
これで計算出来まするか?
なお、江戸では金本位制、京・大坂の上方では銀本位制が長らく続きました
802 :
名乗る程の者ではござらん:2008/10/20(月) 16:38:09 ID:Pw7cc/fm
おー!
>>801さん、ありがとう!^ ^大変参考になりまする
現代の通貨に換算すると、小判一両って何円くらいなんですか?
旅人とか渡世人が荷物入れにしてる葛籠(紋次郎がOPで木の枝に引っかけて置忘れそうになるアレ)
ってなんとなくフィーリングでつづら折りとか呼んでたけど、正式名称はなんていうの?
「つづら」で、いいよ
え〜と、正式名称かどうかは知らないけど
劇中では振分や振分荷物なんて言い方もしたっけ
808 :
名乗る程の者ではござらん:2008/10/30(木) 09:35:32 ID:mvJR83gX
時代劇に出てくる忍者について教えてくだされ。
よく出てくる伊賀とか甲賀は同じ時代に栄えたの?違う時代?どっちが正義とか悪とかあったの?
あと、伊賀や甲賀以外の組織は存在したの?
何卒、宜しくつかまつり早漏。
どっちも雇われて隠密活動してるだから、正義も何もないだろ
雇い主の意向次第だし、雇い主が今の時代どう思われているかどうかで
正義とみるか悪とみるかなんて変わってくるだろ
あと伊賀と甲賀は骨肉の争いというわけではなく
山を隔てただけの親戚みたいなもの。
>>808 俺の偏見だが
真田ものだと伊賀が悪い
他はたいてい甲賀が悪い
江戸時代になると
伊賀組は江戸城大奥警護、甲賀組は各城門警護の役にそれぞれ就いたんだっけ
風魔は北条氏あぼーん後散り散りになったのかな
食い詰めて火付け強盗とかなんとか
江戸初期の江戸で大暴れ>風魔
ただし有名な北条の風魔当主小太郎(身長215cm)はれっきとした武士扱いで
軍議にも忍者の頭目としてではなく将として参加してる
その息子が江戸で暴れて懸賞金かけられて旧武田忍者高坂甚内
(高坂昌信のこという噂もあり)により補縛処刑されて滅んだ
んで、その残党やらあぶれたほかの連中やらを集め今度は高坂が暴れ出す
10年後に補縛され磔に
死に際に「病(マラリアだそうな)さえ患っていなければ捕まらなんだものを・・・
今後我を祀ればこの病治してやる」と言い浅草でマラリア治癒の神社に祭られ神となった
お皿数えるお菊さんの親父という設定にもされている
服部半蔵の子は伊賀同心(いわゆる伊賀忍者)をひどく扱って騒動を起こされ改易
当主の正就は名誉挽回を賭けて大坂の陣に参加するも行方不明となる
(先の騒動の際の指導者が2名がほど処刑を逃れ行方不明になっておりいくさのどさくさにまぎれ
彼らに殺されたというある意味忍者っぽい逸話もあるが信憑性は定かではない)
子孫は桑名藩士として現代に続く
忍者たちの末路は決して華やかではない
>>814 つまり忍者が町奉行配下の捕方らにとっ捕まったの・・・?
そうなら何とも言えん話だな
でも、ドラマになったら見るかもw
だれが捕まえたか知らんけど高坂はつかまちゃったんだよねぇ・・・
風魔の残党は吉原の成立に関与していたとか・・・
(庄司甚内が風魔出身という説がある)
古着屋で成功した人も(鳶沢さん)
>>815 実際の忍者なんて夜盗に毛の生えたようなもんじゃなかろうか
385 :名乗る程の者ではござらん:2008/11/05(水) 17:16:29 ID:???
お経を上げているシーンで屏風が逆さになってなかった?
387 :名乗る程の者ではござらん:2008/11/05(水) 17:59:59 ID:???
>>385 さかさ‐びょうぶ【逆さ屏風】‥ビヤウ‥
死人の枕元に屏風を逆さにして立てること。また、その屏風。
[広辞苑 第四版]
そういう風習
389 :名乗る程の者ではござらん:2008/11/05(水) 18:07:00 ID:???
http://www.good-stone.com/hp/top/qa/qa-60.htm もっと詳しい感じで。
そういう装置にもちゃんとこだわってる美術さんナイス。
武者修行にはいくらぐらい持ってけばおk?
>>819 とりあえずの路銀程度でいいんじゃないの?
泊まる場所も、ツテを使って道場や寺の軒先とかだろうしさ
沢山持っていても、追剥に狙われるだけだ
不足すれば、その土地で人足なり用心棒なり何なりして稼ぐってことで
>>819 まあ、1日2食として、1泊いくらの旅籠に泊まるかってことだな。
武者修行にも色々あって、一人であちこち山や寺篭もりしたり、道場をめぐって教えを請うものと
何人もの弟子を引き連れて、派手な服装をしてあちこちの道場や藩をまわっていくものとがある
前者は本当の意味の武者修行で、後者は仕官のアピールのためのもの
実際は、後者の武者修行の方が多かったらしい
その場合は、かなりお金がかかるんじゃないのかな
水戸黄門みたいな珍道中には、いったい一人いくらぐらいかかってるんだろ?
泊まっているのはどこも、木賃宿ではなくちゃんとした旅籠で
やたらあちこちの茶屋で休憩しまくってるものなw
ttp://www4.airnet.ne.jp/sakura/senka_fr1.html >【旅の費用】
> 旅籠屋の宿泊料は,夕食と朝食付きで130文から200文までの間で,
>食事のつかない木賃宿は50文ほど,湯を沸かす薪の料金を木賃といった。
> 江戸周辺から伊勢神宮までは,おおよそ15日程度の行程で,
>江戸末では旅籠はたご代 は1泊200文程度が相場だったようで,
>また,昼食代は70〜80文といったところ。
> この他,川越・渡船の運賃,人足の酒代(チップ),一服した茶屋での代金,
>駕籠や馬の乗り賃,旅館でのマッサージ代などが必要となる。
ただし、物価が高騰すれば、こんなこともある
>東海道では文久三年(一八六三)には、二五〇文から
>三五〇文(二二五〇円から三一五〇円)程度で泊まっている旅人が多いのだが、
>翌年の元治元年(一八六四)になると突然八〇〇文(七二〇〇円)と高額になっている
>このように旅籠屋代が急騰するのは世情が騒然としてきてからのことで、
>『東海道中膝栗毛』が出版された享和二年(一八〇二)からおよそ六〇年間は
>二〇〇文程度を維持していて、値段はさほど変わっていない
ttp://www.bunshun.co.jp/yonda/yonitsure/yonitsure.htm
>>824 当時二八ソバは15文でしょ?
80文のランチって、どんだけ豪華なんだよ?
>>825 江戸八百八町の町々に一軒はかならずあるという
競争の激しいそば屋とは事情が違うのかもね
街道筋って、かなりぼってそうだよな
高速のドライブインと同じだ
当時、江戸から一番近い湯治場ってどこですか?
有名なのは、箱根の万座温泉
群馬の草津温泉あたりかな
志村けんのバカ殿の石高は12万石らしい
ただし初期は50万石だったらしいので
殿がなんかしでかして大減封食らったものと思われる
幼名竹千代だし家紋が三つ葉葵っぽいので将軍家にごく近い親藩であろうから
そっちの配慮で改易を免れたのだろう。城主大名だし。
よく出てくる爺とかは2000石くらいだろうか?
(上島さんとかは1000石くらいで)
落語の目黒のさんまの殿さまなどの石高は12万3456石7斗8升9合1つかみ半分。
赤門がある(将軍家息女が嫁に来ている)からという理由で名前が赤井御門守だったりするが
親藩かどうかはわからない。石高もほぼ同じと考えると両者の地位関係はおそらく
バカ殿>目黒だと思われる
武士の刀って大小あるけど、長い方は斬り合い用?
短い方は自害用?
長い方 → 本差 (太刀・大刀)
2尺以上で鍔あり・笄や小柄小刀つきが多い
短い方 → 脇差 (小刀)
1尺以上2尺未満1尺未満 鍔あり
本差が破損などにより使えない時に使用される予備の武器
戦国時代の頃は、敵の首を落としたり、自害用に使用することも
武士でなくとも、護身用として届け出れば町人や百姓も携帯を許され
無礼討ちや上意討ちに対しても正式に抗うことができた
自害用 → 短刀
1尺未満鍔なし 懐中に入れておく場合が多い
長刀は野外戦用で脇差は屋内戦用じゃね?
あ、昔の人はみんな小人だから、部屋の中で本差振り回してもおkか?
脇差は道中差しってのとはまた違うんですか?
あとごろつきが持ってる刃物も。
835 :
名乗る程の者ではござらん:2009/02/26(木) 01:46:34 ID:aODun0/1
聞く時位はあげちゃおうぜ
>>834 ヤクザやゴロツキが持っているの俗に長脇差でしょ
太刀より短く、脇差より長いやつ
>>833 確かに背の高い現代人が演じている時代劇では、本差は屋内向きではないが、
今より平均身長が30cmぐらい低い江戸時代ではブンブン振り回しても鴨居にガコンは無かったろうな。
天井も昔は低かったって可能性は?
>>838 小金井公園にある高橋是清邸に入ってみるとすごい作りがコンパクトと言うか
倍率0,8倍くらいの印象を受ける。
やっぱ昔の人って小さかったんだな、と。
と言う事は、何かで坂本竜馬は大柄ではなかったと検証されたらしいけど
かと言って小柄と言うわけでもなかったんだね
江戸東京博物館と深川江戸資料館に行きました
深川の方の長屋復元展示には厠もあったんだが、なんか嬉しかったぞよ
ttp://www.umakato.jp/archive/ede/03_01.html >もちろん今の化粧品と同じく化粧水、白粉、口紅などもあり、
上流階級の女性の間では「爪紅」今でいうマニキュアまであったのだそうです。
時代劇でマニキュアした女性を見た覚えがないけれど、
セレブ女性の演出にはもって来いだね。
時代考証に適ってるのだから、堂々と押し通せる。
てっきりマニキュアが西洋伝来のものと
思い込んでいる人にも新鮮だろう。
>>842 爪紅って、ホウセンカの花の搾り汁とかで染めてたんじゃないの?
ほんのり爪が紅色に染まる程度じゃないかな。
ちなみに、鳳仙花が別名「ツマクレナイ」と言うのは爪紅に使っていたから。
844 :
名乗る程の者ではござらん:2009/03/21(土) 23:40:52 ID:yowRoias
ドラマではよく武家屋敷の表札のアップがでてくるが、当時は表札はなかったとテレビでいってたな
845 :
名乗る程の者ではござらん:2009/03/22(日) 00:18:50 ID:cvYEZgE8
居眠り磐音江戸双紙読本にだいたい載ってて便利だよ
女性が着物の懐に入れてる紙のようなものは何ですか?
どういう意図でそうしているんですか?
それって男も持ってない?
ある程度の身分ある男女両方持ってたような<懐の紙
なんにでも使える万能の紙
今でいったらハンカチとかポケットティッシュ?
刀の血糊拭いてバーッて撒くやつか
懐紙だろ。男は刀の血糊、女は生理ナプキン代わりにだな。
851 :
名乗る程の者ではござらん:2009/03/22(日) 21:41:27 ID:+Osxd31T
膝の下に着けてる三角布って何かな?
幽霊は頭に着けてるけど、関係あるのかな?
852 :
名乗る程の者ではござらん:2009/03/22(日) 22:48:12 ID:RBIa2EfR
北町奉行所は東京駅近く、南町奉行所は有楽町駅近くにあった
>>851 関係は…… 全くないよw
膝下の三角布は、「脛巾(はばき)」のちの「脚絆(きゃはん)」
旅装束の一つで、足のうっ血を防止したり、虫刺されや蛭などから足を保護したり、
旅の途中でお灸をした時の火傷の保護やお灸跡を隠したり、という目的で巻いたもの
幽霊が頭につけている三角布は、「紙冠(しかん)」または「額紙(ひたいがみ)」「宝冠(ほうかん)」
元々、平安時代の頃「額烏帽子(ひたいえぼし)」と呼ばれていた悪魔払いの儀式に使う黒い布が
後の江戸時代に、死者が地獄の悪霊から逃れられるようにつけられるようになり
額に白い紙製のものをつけるように変化していったもの
(地域や時代によっては、死者だけでなく喪主などの葬儀をする人もつけた)
>>853 外来語で説明するなら、ニーパッドというより、ゲートルみたいだね
布を巻いて保護する部分が "膝" ではなくて、"膝下から、ふくらはぎ又は足首まで" だから
オンライン辞書を引いてみても
ゲートル [仏 guetres]
西洋風の脚絆(きゃはん).ズボンの裾を押さえて、足首から膝まで覆うもの.
厚地の木綿,麻,ラシャまたは革製で足を包んで留め具で留めたりひもで編み上げる形と,
足に細長い布を巻きつける形がある.日本では後者をいうことが多い
ニーパッド [英 kneepad]
膝当て.膝を保護するために当てておく物.また、ズボンの膝の部分に当てる布
って、なってる
個人的にはゲートルって旧日本軍の軍人のイメージだけどね
江戸時代の晩御飯の定番と、
こんなオカズが出たら子供が
「母ちゃんやったね!」
って喜びそうな料理を教えてください。
野菜の煮物とおから
>>856 武家と町民では違うからなあ
一般の武士は基本的に、麦入り白飯+味噌汁+香の物+野菜の煮付け
月に数回、魚がつけばいい方
江戸の町人は、白飯+味噌汁+野菜の煮物+魚の焼き物か豆腐や蒟蒻など+香の物
日雇いなどの力仕事をする町人の方が、貯蓄もしないために口が奢っていた
(そのため、武家長屋よりも町人長屋の方が栄養がある肥がとれると価値があったらしい)
江戸後期の鰻や天麩羅は、屋台で串で買えばそこまで高くはないけれど
お母さんが用意する晩御飯のおかずではない
庶民は、食材を買いにわざわざ出かけることはほんどなくて
天秤棒をかついだ振り売りが長屋に持ってくるものを買うから
かまぼこなどの練り物は贈り物として重宝されるから
おかずというよりも、どこからか頂いた贅沢な「到来物」扱い
卵や鶏肉は、庶民はまずめったに口に入らない贅沢品
↓のページに当時の食べ物や食材の物価があるよ、参考になる
作左衛門 縁側日記 江戸見聞記 十
ttp://sakuzaemon.blog57.fc2.com/blog-entry-81.html
859 :
851:2009/03/23(月) 15:17:56 ID:???
懐やそでの部分に物しまうと
服の中で大変なことになりそうなんだけど
そういうことも考慮して和服って作られてるのかな?
それこそ菓子から小判まで何でもしまってるし・・・
861 :
名乗る程の者ではござらん:2009/03/27(金) 23:06:52 ID:Y9LB/82v
>>860 昔茶道習ってた頃、余ったお菓子を懐紙に包んで入れたりしてたけど、
落としたりしたことは無かった。>そでの部分
ただ、きっちり包んでおかないと、中でばらけちゃって袖の中が
あんこまみれor砂糖だらけにはなるかも
昔の着物って洗濯できないんだよね?
長屋のおばちゃんたちがいつも洗ってるのは腰巻だけ?
>>862 そんなに頻繁じゃないけど、洗えるよ
一度、糸を解いて、洗って、縫い直すから面倒だけどね
「洗い張り」っていう方法
もちろん豪華な刺繍とか模様染めしてあるようなのは
なかなか洗えなかったみたいだけれど
普段は、襟とか汚れるところに別布をあてて
それを洗っていたみたいだね
あと浴衣とか襦袢(肌着)はそのまま頻繁に洗ってらしい
お武家や金持ち商人のおべべはそうかもしらんけど、
長屋暮らしのパンピーの着てる物も一応着物なんだよね?
あれも頻繁には洗わなかったの?
基本的に、着物なんてものは、あまり洗わないものです
洗えば洗うほど、布地って傷むしね
着物を毎日着ている知り合いの茶道の先生も
普段は、脱いだらほこりを落として陰干しして
たまに汚れた部分だけベンジンで染み抜きしてるだけ
季節の変わり目にクリーニングに出してはいるみたいだけどね
まして江戸の貧乏長屋じゃ、まさに着たきりすずめ
着物は一枚しか持ってないなんて当たり前だったから
しょっちゅう洗ってたら着るものがないw
単衣→袷→綿入れって衣替えの折り目に洗う位じゃないのかな
ああ、夏に着る単衣は、浴衣と同じで生地も薄くて
洗いやすいから、もう少し頻繁に洗ったかもね
じゃあ、長屋のおばちゃんたちは毎日何をあんなに一所懸命洗っているのさ?
ふんどし、腰巻、襦袢、かえ襟、おむつ とかかな
当時は石鹸もないし、せいぜい灰汁で洗うくらいで
洗濯板すらなかったので手揉みか足踏み洗いだから
ちょっとしたものを洗うのでも、時間も力もいったんだよ
運動部とかにいると、毎日洗濯はトラウマのように刷り込まれるけど、
実際真夏でも無い限り、現代でも下着以外は無理に洗濯する必要も無いしなあ。
時代劇「暴れん坊将軍」の冒頭の白馬について、
当時の日本には、ずんぐりむっくりの馬しかいなかったと
批判する知ったかさんがいるが、これは間違い
サラブレッドは無理でも、馬好きの吉宗将軍は
アラブ馬などの西洋馬をカピタンに所望して献上され、
西洋式の馬術も会得して、体格のいい西洋馬で
遠乗りにでかけていたらしい
吉宗自身もガタイが良かったそうだから
西洋馬も颯爽と乗りこなしたに違いない
ちょっと面白そうなTV番組を見つけたので告知
本日[NHK総合]24:10〜24:40
タイムスクープハンター「江戸同心24時」
> 江戸の治安を守っていた当時の警察官“同心”。彼らはどんな活躍をしていたのか?
> 重大犯罪であった賭博捜査、同心のおとり捜査の一部始終をリアルな映像で記録していく。
> 280年前の徳川吉宗が治めた時代、犯罪取締りの強化が行われていた。
> 江戸の治安を守っていたのが、当時の警察官である「同心」。彼らはどんな活躍をしていたのか?
> タイムスクープハンターの沢嶋雄一(要潤)が、同心に密着ドキュメント。
> 射幸心をあおる賭博は、江戸時代も重大犯罪であった。
> 同心の甚九郎は、おとり捜査で賭博の現行犯逮捕をねらう。
> はたして成功するのか? 同心たちの犯罪捜査をリアルな映像で記録する。
ありがとう、早速見るわ
いくら生真面目な同心といっても、粋なはずがボサボサな髪型ってどうよ?とか
突っ込みたいところは色々あったけれど、とりあえず面白かった
来週も見ようっと「戦国救急救命」
今日の「同心24時」といい、悪ノリしてるなw
いや、あのボサボサ頭は逆にリアルで良かったぞ。
月代ももっと残してくれればなお良かった。
録画を今見た、面白いなコレ
昔のCMパロ「病気の子供はいなかった」にも笑った
ところで、同心のボサボサ頭ってリアルか?
浪人ならともかく、奉行所勤めの侍は
きっちりしていないと、まずいんじゃないか?
それに、侍の中でも特に廻り方同心って
不浄役人扱いされるから、逆に身なりには
かなり気を使ってたんじゃなかったっけ
町火消しと同じように、粋でいなせが真骨頂で
髷の結い方も小粋に「小銀杏」
黄八丈も女幅で裾が翻るようにしたりしてさ
あれが隠密廻り同心だったら、浪人に化けることもあるから
ボサボサ頭もアリだとは思うが
最も自分は、ボサボサ頭よりも、奉行所からつけられているはずの
中間がいないのが気になった
髪結はどのくらいの間隔でやってもらうんだろうね?
月代やマゲのお手入れも毎日やるのかな?
中間と小者と岡引とじゃ、誰が偉いの?
中間は、奉行所から給金が出ているし
半分武士扱いで、奉行所にも同心に従って出入りできる
小者は、奉行所までは同心に従うが
中に入ることはできない (同心が私的に雇っていて非公認なので)
同心の家や敷地内の長屋に住んで寝起きを共にすることが多い
岡っ引き(目明かし・手先・御用聞き)は、奉行所には一切近づけない
(非公認だというだけでなく、犯罪者上がりも多かったので)
親分さんなどと呼ばれるのが彼らで
女房に飲み屋などさせたり、自分も何か別に仕事を持つことが多い
その岡っ引きの手下が、下っ引き
その番組は見てないのでどんな描写だったのか分からないけど
南北町奉行所配下の同心与力なら、俺の持っている書籍によると
八丁堀組屋敷に毎朝髪結いが来て日髪日剃で
武家と町人の中間みたいな八丁堀風の結髪に月代は青々として朝湯に入っていると
記されているけどね
時代劇で、提灯持って「御用だ!御用だ!」って言ってるのが、小者でいいんだよね?
>>879 毎朝床屋さんやってもらって朝風呂入ってから出勤?
そんな優雅な生活だったの?
鬼平犯科帳の二人語ゴロゾーでは週イチとかじゃなかったっけ?
特に定町廻り、臨時廻り、隠密廻りの三廻りに吟味方は
諸家や町方から付け届けに加え・・・と
禄高や役料の数倍の副収入があったらしい
今の中国みたいなもんなんだね。
東海道を往復すると
幾らくらいかかったのかな?
利用するのが旅籠か木賃宿か、徒歩か籠か
長い江戸時代のいつ頃か?などで違うけれど
一日に必要な路銀が、400文〜800文
東海道なら2週間くらいだから、片道一人約8500文 (10万円前後)
>>824 あたりも参照
江戸時代の道路って、どのくらい整備されていたの?
時代劇では道に砂利のようなものが敷いてあったり
土をきれいにならした感じだったり、わだちがあったりするけど
田舎道ならともかく、大きな街道はきれいに道路整備されていたのかな
>>888 日本で馬車が発達しなかったのは道が悪いから(起伏も激しい)と聞いたことがあるが
どうなんだろ
>>889 馬車を引かせるようなデカイ馬がいなかったからだろ。
>>888 時代劇で砂利がまいてあるのは、舗道をごまかすためと聞いたことがある
>>891 でもあれって遠目から見るとアスファルトと変わりないんだよねw
>>889 外国人が幕末か明治の初めの頃に撮った写真を見ると
東海道や江戸の市街地でさえ
ガタガタ道ではなかったが起伏が激しかったり、道にも側溝やらが横断してたりして
コレ大八でもしんどそうな道が有ったよ
>>888 荷車が峠を通行しやすいように石が敷かれていたそうだ
「日ノ岡 車石」で検索どうぞ
タイムスクープハンター [NHK総合]火曜深夜 24:10〜24:40
4/28 第4回 「落ち武者」
5/05 第5回 「リストラ武士のカステラ職人修行」
>>889 物流コストよりもセキュリティ(軍勢が高速で移動できないようにした)を重視
した結果、と高校の教師が言っていたが、どうなんだろう?
古代ローマと対照的で面白い説なんだが。
この前TVで大名家で使われてた皮製のコンドームのことやってたけど、
江戸時代の一般庶民の避妊手段って外出ししかなかったの?
コンドームとかはもちろん無かったんだよね?
899 :
名乗る程の者ではござらん:2009/05/06(水) 01:18:50 ID:gd/RIre6
ピルでしょ!
それよりパンツの無かった江戸時代の女性の生理用品が気になる。
もっと昔は生理中は専用の小屋に閉じ込められてたって話だが、
江戸あたりだとやっぱフンドシに綿でも詰めたかな?
>>901 へ〜。オレもコンドーム無い時に紙詰めてみよっと。
>>902 おいおい「オレ」さんは、どこに詰めるつもりだ?尿道か?w
正しく相手の女性に使おうするなら全力で拒否られるぞ
ま、当時はそうやって避妊しても
いつも成功するとは限らずに妊娠しては、
朝顔の種(下剤だけれど子おろしにも使用)や
冬に井戸水をかぶったり、中条流(堕胎医)の世話になったりしてるんだから
しないよりはマシって程度だと知っとけよ
朝顔の種ってよく聞くけど、下痢する程度の毒なのに
それで流産するのが不思議
量を加減したのかな?それとも迷信めいた話なのか?
>>904 それを直接膣から至急へ突っ込んだらおkなんじゃね?
そんなことはしないよw
種の芽になる部分を粉末にして服用するだけ
妊娠初期は、ちょっとしたことでも流産につながりやすい
(もともと赤ちゃんは母体にとって異物だから、排除しようとする働きがある
妊娠初期につわりがあるのも、母体が異物に対して拒否反応があるから)
下錠を使うのも、冷水をかぶるのも、同じこと
妊娠初期を過ぎたら、そんなことで流産させるのは無理だから
堕胎医が必要になる
×下錠 ○下剤
この前松本城に行ってふと思ったんだけど、
昔の殿様もこんな狭くて急な階段を登っててっぺんまで上がったのかな?
かなりマヌケな格好だけど・・・w
熊本城と松山城の天守閣に登ったことがあるけれど
へっぴり腰になるか、手をついて登るかしないと難しいよね
>>909 そうそう、どうしても手を突いちゃうし、当時は脇差も邪魔だったんじゃないかな?
殿様に手をつかせるなんてトンデモないと思うけど・・・
天守閣なんぞ平時は物置だったみたいだから
殿様が上がる事なんか無かったんジャマイカ
じゃあ松本城
>>916 あのな、それくらい自分で調べろ
ここは、お前さん専用の質問箱じゃない
>>917 オマエには聞いてないから、もう死んでよ
それが人にものを聞く態度かね
天守閣の何階とかでなく、城内の二ノ丸とかの御殿に住んでいた事でしょう。
御殿の場所は城によってまちまちでしょうから必ずしも二ノ丸とは限りません、
山城なら城郭の外に御殿がある場合もありますし、
平城で二条城の様に天守閣は無しで御殿を壁と堀で囲んだだけと言うのもあります。
そもそも、天守閣が居住スペースで無い事は現存する古城の天守閣を見てみれば一目瞭然でしょう。
殿さまの居住地のどこに、教えてチャンの琴線に触れるものがあったのやら
>>922 やっぱあんたバカでしょ?でしょ?でしょ?
分かったからもう帰ってください
基本的に武家の御偉いさんは、平屋住まいだよなぁ
時代劇でも二階家なんて、商宅とか町家とか蔵、花街の揚屋、風呂屋、宿屋とか
そういうのしか出てこないよな?
>>924 ああ、やっぱバカだったんだ。あはははー
>>925 確かに見ないね>時代劇で武家屋敷の二階に家長がいるシーン
だからこそ、悪役お代官様たちの所に乗り込む時も、庭からでokなんだし
それに1階じゃないと、出合え出合えで下っ端の切られ役もでてこれないw
ところで旅籠や商家の二階も、道路沿いにあるものについては
町人が武士を見下ろしてはならぬってことで
天井の低い中二階仕様だったような
それなりに立派な建物で、天井が高いちゃんとした二階があるのは、
治外法権の吉原ぐらいかもしれない?
武家の御殿で二階建てつぅのは無い訳ではない。
秋田藩の江戸屋敷なんかは財政困難な時期に豪華な二階建てにして大変なことになってたりする。
ただ、それはどちらかと言うと例外だろうけどな
>>925 確かに見ないね>時代劇で二階建の武家屋敷
悪役お代官様たちの所に乗り込む時も、庭からだもんねw
それに町家の二階も町人が武士を見下ろしてはならぬってことで
きちんとした二階にはなってなかったような
天井が高いちゃんとした二階があるのは、
治外法権の吉原ぐらいじゃなかったか?
でじゃぶ?
うん
刀の区分はおおざっぱに
〜一尺 短刀
〜一尺五寸 脇差
〜二尺未満 長脇差
二尺以上 大刀
二尺以上の長さの刀は武士しか帯刀できない
なので変装中の助さん格さんの刀はちょっと短い
幕末には長州などで勤皇刀と呼ばれる長刀が流行したが、差し添えに短刀を用いる事が多かった
道中差しってやつ?
>>933 そう。
旅行中の護身用として使われた、短刀〜長脇差サイズのものを道中差しという。
助さん格さんのは一尺七寸〜一尺八寸くらいの長脇差と思われる。
良く見ると柄も短め。
たそがれ清兵衛で清兵衛が使った差し添えの脇差は一尺五寸くらい。
日本刀というのはたいへん錆び易い。
人を斬ったりすると、いくら丁寧に拭いてもごく薄く錆びてしまい、刀身が曇ってしまう。
これを血曇りといい、砥ぎ直さないと消えない。
血液は、水分とたんぱく質と塩分でできているし
肉体を切れば、べったり脂肪もつくだろうしね
日本刀だけでなく、もともと鉄製の刃物って曇りやすいし錆びやすいよね
普段は手入れの楽なステンレス製かセラミック製の包丁ばかり使ってる
大きな魚をもらったり、大きな冊でお刺身もらった時だけ、
昔ながらの柳刃包丁を使うんだけど
毎日使ってないからか、とりだすとたいてい曇っているし
錆びも浮いているときがあるね
使う前に、砥石で砥がないといけない
でも、その面倒さを考えても、ステンレスやセラミックの包丁で切るのとは
刺身の切れ方が違う、ひいては味すら違うんだよね
937 :
名乗る程の者ではござらん:2009/07/16(木) 17:49:28 ID:2jyFrwq9
あの、昔から疑問だったんだけど
江戸時代ってどうやって火を起こしてたの?
まさか縄文時代みたいに木と縄で起こしてたんじゃないよね?
マッチがある時代とも思えないし…
>>937 火打ち石を金属(火打ち金)に当てて火種を作ってた
遠山の金さんで、め組のおかみさんが縁起担ぎに
親方の出立時に肩越しに鳴らしてるだろ
939 :
名乗る程の者ではござらん:2009/07/21(火) 15:18:52 ID:FHfL5Xm0
>>937 家の中なんかだと、かまどの熾き火(炭火)などで火を確保して、着火の手間を減らしてた。
蝋燭や灯明、煙管には火打ち石で着火は難しいし、日が暮れてからじゃ何も出来ないからね。
携帯出来る火種としては、火縄(竹や木綿の繊維で作った縄に硝石を含ませた物)も使われてた。
煙草に使う火は、煙草盆に火入れと灰吹き(灰皿代わり)を
セットで用意しておいたんじゃないかな
茶道やってると、今でも煙草盆の用意するよ
火入れっていうのは、炭火(火のついた炭)を、
灰をたっぷり入れた陶器の中に
端だけ見えるようにして埋めとくの
それ用の陶器をさす場合もあるけど
それから、お店の帳場とかには、箱火鉢も常設していたはずだから
そこからも、火種はとれるよね
941 :
名乗る程の者ではござらん:2009/07/21(火) 19:12:20 ID:FHfL5Xm0
>>940 そういえば鬼平も起き抜けの寝煙草とかしてたっけ。
煙管は本格的なので安いのもあるけど、煙草盆は高いんだよなー
長火鉢が、いいよなあ
旦那が座る上座から引出が使えるんだよな
オレも今買おうかと迷ってる。
フローリングだけど・・・
>>943 くしゃみするときは気をつけないと、灰が舞って大惨事になるぜ。
>>943 だったら長火鉢よりも、座卓囲炉裏や囲炉裏テーブルの方が現実的じゃないか?
>>945 それじゃめ組の頭ごっことか香具師の元締めごっこが出来ないじゃないか
フローリングの部屋でやるのか、それ?
それより囲炉裏が欲しいな。メシも作れそうだし。
一通り読んで書かれてないようなので質問を
時間を決めていたのは何処(誰)だったのでしょうか?
特に江戸は広いし太陽の位置で決めていたとは思うけど
何カ所も鐘を鳴らす所は有ったと思うのですが
それぞれが、それぞれの判断で鳴らしていたのでしょうか?
素破抜く(すっぱぬく)
素破とは忍者のこと
忍者が情報を探るような様から
前から思ってたんだけど、この時代の人相書きってのは、似てる似てないはともかく、
本当に時代劇に出てくるような劇画調のリアルなヤツなの?
日本画の肖像画や浮世絵の大首絵とか見てると
とてもそんな写実性が当時の絵描きにあったようには思えないんだけど。
>>952 人相書き自体あまりなかったらしい
文章で顔や身体の特徴書いてあったりとかで
数少ない本物の人相書き見たけどちびまる子の脇役みたいな絵だった
>>953 そんなもんで捕まえられてたなんて、冤罪も現在の比じゃないんだろうな・・・
目立つホクロや痣などがなければ、分からないよな
そんなんで捕まる奴も捕まる奴だな
■武士の学問
松平定信の「寛政の改革」
上級武士にのみに与えられていた学問
↓
「身分を問わず」 太平を維持していくための人材開発の機構として
林羅山が上野に私塾として学問所を開いて朱子学を教える
↓
「昌平坂学問所」 昌平坂の土地においた江戸幕府直属の学問所
↓
学問の場だけでなく、「学問吟味」「素読吟味」の試験場になる
「素読吟味」 少年組の試験 (条件 基本的に17歳から)
合格→嫡男の家督相続や次男三男の婿入りの基本的条件
「学問吟味」 官吏登用試験 (条件 「素読吟味」に合格していること)
合格→役なしの小普請組でもご番入りとして登用される可能性がでる
藩校
各藩が、藩士の子弟を教育するためにおいた学校
江戸中期より盛んになり、江戸末期にはほぼすべての藩が設置していた
「昌平坂学問所」を模範とするものが多い
ほんとんどの藩が、義務教育として藩の子弟(7〜8歳以上の者)に強制的に通わせていた
※ 一部、奨励のみで強制ではない藩もあった
※ 11歳以上の藩の子弟が通う藩校もあったが、その場合には
寺子屋や学問指南所などで初歩的教育をすませていた
10両盗めば首が飛んでた時代の一般庶民の年収を教えてください。
時代劇中に侍とかがよくする変装に虚無僧があるけど、
当時の実際の虚無僧って坊主なんだから坊主頭じゃないの?
変装中の侍が時々堂々と茶店でアノ蓋とってチョンマゲ姿で茶飲んでるけどいいの?
>>960 >無僧(こむそう)とは禅宗の一派である普化宗の僧であり、剃髪しない半僧半俗の存在である。
>虚無僧の様相については、
>「尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚修行した有髪の僧」とされており、
>「多く小袖に袈裟を掛け、深編笠をかぶり刀を帯した。」
>>961 じゃあ、チョンマゲOkなんだね?
半俗ってことは武士でも農民でもいいってこと?
>虚無僧というのは普化宗(ふけしゅう)という禅宗の一派の修行僧です。
>この宗派は尺八を吹くことで悟りを得ることを目指し、武家の出でなければ入門できません。
>剃髪はせず天蓋(てんがい)という深編笠をかぶり、尺八を吹いて托鉢をすることになっています。
>こむそう【虚無僧】《宗教》
> 普化宗の僧であり、剃髪せず僧衣もつけない半僧半俗の存在。
>幕府によって諜報にも用いられたが、浪人対策としての面も多かったらしい。
>一応元武士でなければならないと決まっていたが、
>のちには食い詰めた町人などか勝手に虚無僧のなりをする事もあった。
新参者でございます。
素朴な疑問が湧いたため、ご教示願えれば幸いに存じます。
通常、関所は暮れ六ツ〜翌日の明け六ツまで閉じるものと心得ておりますが、
この時間帯に早駕籠が関所へ差し掛かった場合、
明け六ツまで待たされるのでしょうか?
それとも、特例として通行手続きがなされるのでしょうか?
>>964 関所はどうなんだろうな
江戸の木戸番には、番太とよばれる人が寝ずに番をしていて
木戸をあけてくれて、次の木戸の番太に
急ぎで通る人が今からいくよ〜と
拍子木を鳴らして教えることになっていたはずだけど
関所にいるのって、お役人だものな
偉い身分の人だったら、鑑札確認で通した可能性もあるかな?
966 :
名乗る程の者ではござらん:2009/10/26(月) 04:49:38 ID:44d4UWlu
他スレで興味深いレスを見たので転載
「接吻」について
>ただし、性行為としてのキスは、昔からあった。
>文献に残る以前の太古の時代からキスはあったと推定されるようだが、
>はっきりと文献に残る分でも、室町時代からキスはあった。
>当時は「口吸い(くちすい)」と呼ばれていた。
>動詞としては「口吸う」という言葉があった。
>他に「口口」や、江戸後期には口2つで「呂」などと呼ばれた例もあるが、
>「口吸う」がもっとも古く、平安時代に遡る。
>郭言葉では「おさしみ」とも言い、これはそれが2人で刺身を食べる様に似ている、ということらしい。
「江戸後期には口2つで「呂」などと呼ばれた例」
洒落の好きな江戸っ子らしくていいね
ついでにフェラチオとクンニの歴史についてもお願いします。
>>967 ピンク板ではないので、ちょっこっと気持ちだけ改行
クンニリングス → 花菱ぜめ ・ 片男波(かたおなみ)
フェラチオ → 尺八 ・ 千鳥の曲 ・ 口とり
69 → あいなめ ・ 巴どり
『女閨訓』
「口取り」の奥義は「夫の仰向けに臥せるそばに座し、右の手にて男根を握り、
締めはやめつ扱きあげこき下げし、同時に唇にて雁首をくわへ、
舌先に力を入れて鈴口の辺りを舐め回す」
体位48手 鵯越えの逆落とし
男性は、逆立ちした女性の両足を支えながらクンニリングスを行う。
双方にとって辛い姿勢を強いられる体位。
「馬鹿夫婦 春画を真似て 手を挫き」
という川柳がありますな
そんな昔から二次はファンタジーだったのか
春画なんて、日本人お得意のデフォルメバリバリだしね
フロのない時代に最初にコーマンを舐めたヤツは偉いな
974 :
名乗る程の者ではござらん:2009/11/18(水) 01:04:28 ID:+LwjuZ9V
良スレでありんす
>>973 上二つを買ってみた
「ものしり江戸名人」は、淡々とジャンル別に問題が出て解いていくだけ
「江戸文化歴史検定」は、おまけ部分が充実していて
ゲームとしての面白みはあるけれど
問題の出され方が系統だっていないので、勉強用には不向き
自分のように両方買うならいいけれど
どっちか一本にしぼろうとなると、帯に短し襷に流しだな
襷流しちゃらめぇ
977 :
975:2009/11/19(木) 15:44:44 ID:???
うわっ本当だ 恥ずかしい///
愛いやつめ
あ〜れ〜
一両は10万円くらいと思えば良いのか?
>>964 関所の夜間通行の場合
公儀の上使、公儀御用の継飛脚以外は
格別に老中の許可書が必要だったんじゃないかな
尾州、紀州の七里飛脚でさえ許可が無ければムリだったような気がする
>>981 金が三千円くらいだなんて保管してたらウハウハだな
985 :
964:2009/11/22(日) 18:14:01 ID:???
>>983氏
ご教授有難うございます。
憑き物が落ち……、もとい。
胸のつかえが取れました。
埋め立ては深川百万坪かな
芝浜埋め立て