武豊(ブホウ)
後漢末期の武将。字は不明
実力は平凡そのものであったが、一族は強力な貴族であり
その背後にはさらに強大な政財界のパトロンが控えていた。
社交界デビュー当時からコネに物を言わせ駒だけはそろえてはいたが
分不相応な馬に騎乗しては人気を裏切り、愛馬を怪我させては他の武将の愛馬を強奪していた。
一族共々顔に特徴があり、その右目はロンドンを凝視し、
左目はパリをも見据える壮大な視野を誇った異能者でもあった。
比類なき口達者でもあり「朝昇竜が・・」「取材拒否」「枠順が・・」「ノーリーズン」等など
ありとあらゆる言い訳を試み、一族の後ろ盾の強みもあり、失態を免れ甘えを享受していた。
営業力だけは超一流との噂ではあったが後年自らも口にしているようにその実態は会食程度であったという。
呂布との一騎打ちでは敗れたものの「馬が良ければ勝っていた」という名言も残す。
奥方が芸能兼側室出身であり、その性質から種は宿しておらず子宝には恵まれなかった。
ジェットスキー騎乗の発明者でもある。
2 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/10 08:39 ID:VACdb1zN
2
3 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/10 08:47 ID:5ktIutFW
武豊は宦官だろ
字は種無で
競馬日本史とかも面白そうだヽ(^ヮ^*)ノ
6 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/10 09:21 ID:vAym6POu
勝春(ショウシュン)
勝負弱い。
馬鹿や文才のない奴が敬遠するスレだな
8 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/10 11:24 ID:ChT2MB4g
木刀(ボクトウ) B.C.185年〜?
字は浩輝。三国・晋にかけて活躍した武将。
平民の出で、これといったバックボーンを持たなかったが、
良き師に恵まれたことから若年の頃より頭角を現す。
しかし、それを己の実力と勘違いして師と決別。
それからは中堅どころとして特に目立つ活躍はなかった。
箔を付けようと武者修行と称して西域へ旅立つもこれといった成果を上げられずに帰国。
出世コースから外れた焦燥感からか、著しい活躍をみせていた若手武将吉豊に言いがかりを付け暴行。
無抵抗な吉豊に足腰が立たないほどの大怪我を負わす。
が、本人は全く反省せず、その不遜な態度から蟄居を命じられる。
さすがの木刀もこれでは拙いと、かつての師と和解。
師のとりなしを受け地方の山賊退治を中心に容易な戦で戦功を重ね、中央への復権を果たす。
京にて行われた武芸大会で反則してまで勝とうとするも失格。性格は相変わらずのままであった。
安田の戦いに於いて、伏兵を成功させて戦功第一の華々しい活躍を収めた。
その論功行賞の席で感激の涙を見せるも、周囲の関心を引くためのウソ泣きと分かり場をしらけさせた。
照帝から名馬白鳥を下賜されて北方遠征を行うも、あと一歩のところで詰めの甘さから油断し、大魚を逸した。
秋天の戦いでは功を焦り、作戦を無視して吉豊と無謀な先行争いを展開。
味方を大混乱におとしいれて敗走した。
大敗の責任を吉豊一人にかぶせようと意味の分からない理由で口汚く中傷するも、
当然照帝の逆鱗に触れ、白鳥を取り上げられて地方へと左遷された。
以後中央を夢見て目立つことだけを考え続けたといわれているが詳しい記述は残っていない。
10 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/10 15:47 ID:ChT2MB4g
照帝(ショウテイ)
三国時代社台の第二代皇帝。
父である初代皇帝善帝がまだ地方の小さな一群雄であった頃に生まれ、厳しく育てられた。
若い頃父の命令で西域へ単身赴き帝王学、領国経営を学び、その後父の片腕として活躍した。
一説には社台が台頭するきっかけとなった、名馬北味や日静の発見において
善帝以上の功績が有ったとも言われている。
目は細くいつもたれ下がっており、ヘラヘラとして笑顔を絶やさなかったが、
眼光は鋭く頂点に立つ者としての冷徹さを持ち、失敗は許さない性格であった。
この時代随一の英雄である父善帝と比すると、その凡庸さは否めないが、
無難に国を治める能力を持ち、立派に跡を引き継いだため、功績を讃えられ照帝と諡された。
また、この時代随一の相馬眼を持つといわれた裸婦庵の総帥繁幸と少年時代から友人で、
長じて敵対する関係となってからもその友情に変わりはなかったといわれる。
12 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/10 16:45:44 ID:OSmL/coF
境勝(キョウカツ)B.C143〜
字は太郎。黄門侍朗の位を得た優れた内政官。
身の丈は六尺余りと小柄だが、重さは優に人の平均を超える。
主に内政面での功績が目立つ人物だが、、
後漢〜黄巾の乱の頃までは前線で奮闘する武将として活躍し名を挙げた。
とにかく口が過ぎる性格で、羅派(当時の吹奏楽器の一つ)という徒名をつけられた。
だが、性格は正直、明瞭なので、恨みを買うことはなかったようである。
帝の失脚後はしばらく第一線を離れたが、持ち前の性格から慕う人物は多く、
再び頭角を現していった。
彼にとって大きな転機となったのは、異民族の名門である全一族との交友を持つ
小太(ショウタ)との出会いのからであろう。小太、全一族との繋がりを得て以後は
その資金力と小太の武勇を元に、一大勢力である桜(オウ)を築くに至った。
(一説には小太は桜の覇業の足を引っ張ったとも言われている)
西方の豊かな資源には敢えて手を出さず、国内の発展に努めるなど、仁政を轢き、
後年になっても活力は失わず、宿願であった有馬方面の攻略に大きな功績を残す。
以後は隠居し、小太に全てを任せた。
境勝キョウショウ
田原(デンゲン)
武幸
後漢末期の武将で武豊の弟で字は四郎
初陣で敵の大将の首を取るという離れ業をやってのけた
女癖が悪く、女のために戦を嘘ついてさぼるなど、戦友の評価は良いものではない
しかし勝ち戦での戦功が優れていることはあまり知られていない
またここ一番の戦で劣勢な時に異常な強さを発揮する(例 秋華の陣、卯印我の乱
特に卯印我の乱では圧倒的劣勢の中、逃げに逃げて敵を策にはめて勝利を勝ち取った
一説によると「逃げるが勝ち」という言葉はこの戦いが由来だと言われている
最愛の女性は富士郡の諜報部の高島と言われているが、他にも多くの妾を囲っていたという説もある
合昆の達人でその腕前で彼の右に出るものはいないという
みんな上手すぎ!すばらすぃ
17 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 01:48:45 ID:/9+Sfz9+
藤伸
北方の貧しい家の出で、立身出世を夢見て中原入りした。
昔「頼れるのは己の身のみ」との思いから、覚えた格闘術で
培われた思い切りの良さを生かした、明らかに劣勢と思われた
合戦で勝利を次々と挙げ、メキメキと頭角を現した。
ただ、成り上がり者にありがちな、かって自分もそうであったにも
関わらず、地方出身者を「田舎者」と軽く見下したり、又勝利を得るため
にはあらゆる犠牲をも厭わない、というその強引な気質が疎まれることも
度々あり、論者によって評価の分かれる武将である。
すまん、煽りじゃなくどこが上手いのかよくわからん。
17ぐらいじゃないか?引用してるのは。
19 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 01:58:47 ID:x7dEumEr
禿しく良スレあげ
20 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 02:11:59 ID:zs+JPLM3
>>18 ネタスレなんだから気に入らなければこなければいい
おれは普通におもしろいと思う
魏 君主 吉照
丞相 吉勝
宦官 吉晴、吉伸、吉均、吉美、吉永
主な武将 吉豊、吉稔、安勝、福永、蛯正、横典
呉 君主 業腹
丞相 岡田
宦官 関口
武将 二柳、中舘、角田
蜀 君主 武豊
丞相 和雄
宦官 森禿、松国、田原
武将 木刀(五虎大将軍)
勝春(五虎大将軍)
善臣(五虎大将軍)
岡爺(五虎大将軍)
武幸(五虎大将軍)
屁理絵(南蛮族)
出室(南蛮族)
あと適当に足してくれ
基本的にどうでもいい奴は呉に放り込んで
魏は関西
蜀は関東
呉は地方
蜀 君主 岡爺
丞相 加藤
宦官 坂井、田剛
武将 木刀(五虎大将軍)
勝春(五虎大将軍)
善臣(五虎大将軍)
海苔(五虎大将軍)
蛯正(五虎大将軍)
屁理絵(南蛮族)
出室(南蛮族)
25 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 07:26:08 ID:BfZCV7UR
田原大先生のがないぞ。
自分で作れたら作るんだけど、苦手なのでよろ。
字は薬中かな?
やっぱ田原は田氏の末裔ですか?
昔ゲームでやった三国志の登録武将、みんな騎手の名前にしてたのを思い出すなぁ・・・。
田中勝(デンチュウカツ)
名は春、後漢末〜魏初期の武将。
柴善臣(サイゼンシン、名は田)と共に華北の将来を背負う武将
として大きな期待を受ける。その周囲の期待に答えるかの様に
順調に軍歴を重ね、最大の勲章となる安田(アンデン)の役で
奇跡的な勝利を挙げ「常勝将軍」「是田中勝一身馬也」
(共に田中勝伝)と当時の民衆から称えられる事になった。
又「実際の出時は鮮卑也。その発想、漢人にあらず」(魏略)
という話が伝わる程騎馬の扱いに長けており、戦場のただ中で
突然馬を止める等の奇矯な行動も幾度となくあったという。
安田の役後、幾度か続いた敗北を危惧した友人達に彼は笑顔で
「闘いはたとえ99度負けたとしても最後の1度に勝てばよい」
と語ったという。後の世に彼が残したものはこの言葉と
現代のおみやげ屋の片隅で見かけることもある
「田中勝、春ウララ」と書かれたお守り、だけであった。
出鱈目なのは許して・・・
にしても朝から何やってるんだ俺w
知らない間に秒単位まで投稿時間が表示される様になったのね
郷原(ゴウゲン
中国の地域の名前で洋氏が支配していた平原
全盛期は行が統治していた時代で
優れた収穫量を誇り、観光名地としても名を馳せた
その行の優れた統治能力は皇帝から「豪腕」の称号を戴くほどであった
しかしその息子司により栄華は終わりを告げた
かつての美しい町並みは消え、気づけば荒れ果てた大地が残るのみであった
その荒れ方は尋常でなく、馬が歩いただけで骨を折ると言われるほどであった
一説によると「骨を折る」という言葉はここからきているという
また常に暴風が吹き、真っ直ぐ歩いているはずなのに、気づけば斜めに歩いてしまうほどだという
当時無敵だった呂布もここでの戦だけは避け
劉備はあまりに荒れ果てたこの地を見て涙を流したという
近隣の住民はこの平原を恐れ、名前を言うだけで不吉だとされ
この地域のことをゴと呼ぶようになった
後の人たちは悪さをしてきかない子供たちに
「悪いことしてるとゴが来て食べられますよ」
などどいって躾をしたとも言われている
ゴ来々
31 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 11:13:13 ID:Uw5kTXMd
木刀
蜀の武将。字は浩樹、またはウンコといい、身長4尺、きもい目ときもいエラを持っていた。
若い時から夜這いや不意撃ちなどを好み、奇襲術数に通じた。前漢の名臣・田原の後裔といわれる。
師は栗東の老害・雄爺の親族、伊正であり、霊帝の頃太尉となった人物である。
自分の遊蕩ぶりにうるさく口出しした師、伊正を騙した話は有名である。
20歳で岡爺に推挙され、パシリに任ぜられると5色の木刀を用い厳しく取り締まりを行なった。
木刀の乱の際、美浦・若駒寮へと吉豊討伐に出かける。その功で安田の相となった。
福島で斜行を謀ったときには「あんな駄馬なんて隅を走ってればいいんだ」と怒号したが
名臣・高市の耳に入り、結局木刀は、逆に高市に撲殺されてしまう。
34 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 15:16:09 ID:HXJN5HLg
このスレ、おもろい。もっとよろしく。
36 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 18:00:56 ID:x7dEumEr
あげ
司馬善
字は糞臣、本名は柴善という説もある
若かりし頃に頭角をあらわし、次代を背負うものと期待されたが
秋の皇帝との謁見で「笑いが止まらない」と失言を放ち失脚、東方へ左遷される
しかし諦めず東方で地盤を築き、確固たる地位を築く
「西に武豊あれば、東に司馬善ありよ」の言葉はあまりにも有名であろうか
その成功は大戦を避け、多くの小競り合いを制したことからきていると言われている
小競り合いに極めて優れ、これについては勝るものはいないと言われている
しかし大きな戦は得意ではなく、出陣しても無難な戦しかしなかったという
このため彼を批判する者たちも多かったと言われている
彼の戦いぶりから「塵も積もれば山となる」という言葉が生まれたという説もある
まためっぽう朝が早く、午前3時には目を覚ましていたという
しかしその分就寝も早く、午後2時にはすでに就寝の準備を始めていたという記録も残っている
また彼の功績を称え、彼を呼ぶ時に敬意をこめ先生と呼ぶ者たちが後を絶たなかったという
39 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 18:45:11 ID:uFQEw/ix
ヘ:::::::::;;: -‐''''""( )1
゙、::::::::-‐''""" ̄"'i
:V;;||:::: ■■ ■
i!f !:::: <・) <・)
i!ゝ!:::::. :/(´ヽ >
i::/:、:::::::((━━) < 蜀の丞相ですが、何か?
 ̄ハ:::::\::::::::::::ノ
>>27 「是田中勝一身馬也」
イイ!!。元ネタは趙雲ですな。
小林淳(コバジュン)
蜀将。木刀とは竹馬の友。木刀のマスコミ露出攻勢と呼応して、
韻愚の乱にて一時台頭しかけるも、春の皇帝庇護の好機に自重したのが裏目となる。
翌年の第二次韻愚の乱で奇将横典が大戦果を上げるに至っては、断罪されるには至らずも、
元のごとく閑職に甘んじるようになる。
木刀と異なり打算高さに乏しく、第一次韻愚の乱で薔薇芸などを破った際の
「僕まだこれで三勝目なんですよ」の名言は、周囲の冷笑を誘った。
ただし悪意をほとんど感じさせないその人柄は、周囲の人望を集めた。
東福など辺境の合戦ではさらに信頼感が高い。マクリの戦術に長ける。
柏木(ハクボク)
字は集保。人物鑑定家。彼によって評価された武将・軍師の多くは戦場で功績を挙げるので
その鑑定眼を支持する人が多いが、やたらと数値を用いる手法を嫌う人も少なくなかったという。
「○○の武力は93しかありません。△△は98あります。倒すのは難しいんじゃないでしょうか。」
「××の知力は94ですか。ちょっと物足りないですね。書物で知力を増やさないと大合戦での
主役は無理でしょう。」
これには傍らの皓正も「そうでございますですか」としか返せなかったと伝えられる。
有馬の戦いで3番手だった若馬を、「君は治世の覇王、乱世の珍馬」と評したのはあまりにも有名。
彼の人物鑑定は『日刊』と呼ばれるが、別に毎日開かれていたというわけではなかったようだ。
45 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 21:44:54 ID:x7dEumEr
趙良スレ
みんなageようぜい
張遼スレ
47 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 22:57:21 ID:wFwMTv9U
典横(テンオウ)
曲乗り師の賀兄とは同族
その比類無き茶髪と素行の悪さで、いにしえの悪童(あくどう)と比肩された
派手な演出で士気を高める猛将であり、名将・武豊の初期の好敵手
大慶先生の支持を受け、目白の駿馬で有馬攻城に参戦するが
武豊との一騎打ちに破れ、以後彼との差は開いていった
最大の見せ場は安田の役
五十八斤の雷太刀を振るい、前方の人馬を血煙にしたのは語り草
このスレまじでワラタ
49 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 23:28:22 ID:l3IBwwC5
50 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 23:32:32 ID:wFwMTv9U
田照(デンショウ)
字は吉哉
三国時代に経済界を支配した田氏の総領
魏・呉・蜀それぞれに近代武器を供給した武器商人
業物「北味」や大業物「日静」などを輸入し
戦いそのものを変えさせた影の支配者
その資金力は、目白氏や新堀氏、半島地域の桜氏の追随を許さなかった
先代・田善の口癖は「よきかな、よきかな」
51 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 23:35:14 ID:tysW9xSn
中栄(チュウエイ)
字は野治。騎馬戦を得意とし、その華麗な騎乗には敵からも感嘆の声があがったという。
しかし、立身出世の策に乏しく、若い時には合戦にはあまり抜擢されなかった。
その為か、酒乱となり、体調を維持する事が出来ない事が多く、他の君主、武将からは遠ざけられた。
そんな折、加藤軍師から「風神」という名の名馬を与えられる。
これに発奮した中栄は、最大の戦、優駿の乱に出陣し、見事な勝利を収める。
その時の獅子奮迅ぶりはすさまじく、勝利の宴の時には「中栄、中栄」と、10万人を越える兵士達から、
鳴り止まぬ喝采を浴びた。
52 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 23:36:33 ID:1+eGrE8A
53 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/11 23:42:20 ID:1+eGrE8A
>>51 GJ!
うまいです!
自分は文才ないので、職人さん頑張ってです!!
54 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 00:04:16 ID:Vs4b409Z
角田(カクデン)
字は晃一。
漢国の田舎に生まれたが、名家渡家に見初められ上京。武豊が見限った愛馬、北飛行と共に
戦場を駆け回り功を成す。ただ当人は周りの称賛もどこ吹く風。
木打(ゴルフの始まりといわれる)に夢中になっていたようだ。
そんな彼だが、君主渡家からの命で優駿の戦いに赴き、最大の功を挙げ
国中から喝采を浴びる。
その後も菊の戦い、宝塚の乱でも功績を挙げる。
一説には宝塚の乱で角田に武器を調達した商人は、莫大な財を手に入れたという。
56 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 00:12:47 ID:Et2Iw8qP
次スレは戦国競馬でおながいします。
57 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 00:15:48 ID:Uc6Umg+s
英二(エイジ)
戦いにおいては常に先陣争いを好み、特に「全釜の戦い」では
愛馬・双過給を駆り、あまりに無謀とも思われた単騎での突撃を
敢行しながらも大勝利を収め、一躍その名を高める。
彼は主たる合戦には参加することが少なく、地方の小さな小競合いに
遠征することが大半で、この活躍の評価については意見が二分するが
本人は「大合戦の一勝も、小さな合戦の一勝も同じ勝ち」と意に介しない。
58 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 00:18:22 ID:x4f2nSBi
59 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 00:23:05 ID:TCGrgwax
小太(ショウタイ)
三国時代随一の猛将
半島の桜氏を頼り、婿入りして以後頭角を現す
桜氏の資金力を背景に優駿の乱で武功を上げ勇名を轟かせた
しかしお世辞にも戦上手であったとは言えず
戦績が不安定なのは、腕力はあったものの乗馬が不得手であったためと言われる
中山の従軍では、当代随一の駿馬「北斗」を駆りながら
単騎で隊列のはるか右を走り遅参するという失態を演じた
退役後は桜氏の後継者としての道を歩み
特徴的な顔の造形から「大鼻君」の異名をとった
60 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 00:43:27 ID:plJd9BWS
仕¬┬┬ト冂
|___l|= 0=「
/ll< o° )
|:llノ ━ ━|
ハ!| <・) <・)
ヒヾ、 , db |
ヽ( ∈∋ノ < 張遼スレ
rイ \__/
_イ{:::\ `ヾ小、
//:::ヽ:::::\ /::::ヽ
伊雄(イユウ)
朗外先生。荊州に住む名士。数々の猛将・策士を見出した名伯楽である。
人の才を見抜く鑑定眼は抜群であり、優れた人材を発掘するためなら
三顧の礼を尽くすことも辞さなかったという。
のちに弟子を引き連れて軍師として呉に仕え、数々の戦に功績を残した。
秋天の戦では養女を用いて藤和の軍の大将を籠絡し、これを退けた。
他にも兵を休ませておきながら敵を破るなど、奇抜な戦法を好んだ。
特にこの「休みて勝つ」の戦略は有名で、「果報は寝て待て」という言葉の由来とも言われる。
常に飄々として心の内を明かさず、傍目には食えない人物として見られていた。
晩年は「休みて勝つ」の戦略に往年の冴えがなくなったのか
名将の力を発揮させることがままならなくなり(敵を欺く策略であったという説も根強い)
「休みて、休む」「老害先生」とあざ笑われることも多かった。
また、功績があれば優遇するが失敗をすればたとえ愛弟子であっても
冷たくあしらって地方に左遷することをためらわなかったり
明らかな勝ち戦においても
「武豊が大将でなくては負け戦だ。今すぐ撤退の準備をするがよろしかろう」
と将軍に進言したりして、
個人の才能を重要視するあまり、普段からの奇妙な言動・態度も裏目に出て、
周囲の反目を買うことも少なくなかった。
だが、たとえ嫌われても己の信念を曲げない生き方は、名伯楽としての意地だったのかもしれない。
藤沢(トウタク
若かりし頃に外国の異文化を学び
その後晋家の名君瑠普に目をかけられ、頭角をあらわす
その頃に同じ瑠普帝の臣下幸雄(コウユウ)と義兄弟の契りを交わす
瑠普帝引退後、東国で国を開き頭角をあらわす
義兄弟の幸雄を大将軍の地位におき
主に晋家、大樹公と同盟を結び活躍した
とくに大樹公との信仰は深く
嵐帝主導の第一次北伐は失敗に終わるものの
沙取帝率いる第二次北伐は空前の大成功に終わった
また有能な者は肌の色を気にせず登用するのも彼の特徴であった
とくに洋人の比吏瑛の活躍は凄まじいものであった
そんな彼も晩年は年老いた将軍幸雄の後継者探しや大樹公の没落に苦悩、失意し
西方統一を成す事ができぬまま亡くなったと言われている
そんな彼を称え、後人は「魔偉羅」の称号を彼に与えたという
また彼の肖像画が現世に伝わっているとも言われている
元雄(ゲンユウ)
字は大坪。蜀の鑑定軍団の中でも常に先陣を切る勇猛果敢な人物
ところが戦場では常時眠気との闘いの毎日を送る
絹道の戦では石巻が話しかけているのにもかかわらず無言を貫く男前
女性の評価に定評があり例を挙げれば「決勝線手前抜け出してくる脚が男」
「女というかまるで男のような体」「女らしからぬ雄大な体」など名言は数知れず
特に皐月の戦で敗れ去った臼田の名駿を坂路ではなく線路で鍛錬したと言って
沈ませたのはあまりに有名
栄進軍団や舞寝軍団が多数に渡って出陣してくるともはや混乱の境地に追いやられて
「とりあえず○○軍団」とまとめるのはもはや日常の光景
また、日本優駿の戦を勝ち切って生涯一度の栄誉を手にした近藤の名駿が
その秋に菊の戦に出陣した際も十五の精鋭たちの戦いとは露知らず
「名駿は十六,七番手での戦いになるだろう」と言い切るなど伝説は終わらない
まずは蜀の若武者太宰はあの歴史上の人物太宰治ではないと教えてやるべきだろう
伏永(フクナガ) 字は祐一
前漢の名将(伏永洋一)を父に持ち
父の跡継ぎとして期待を一身に集め、伏一族の御曹司として生をうける
不運にも洋一は戦場で受けた矢傷が元で一生馬に乗れない体となり歴史の表舞台から去ることになる
祐一が初陣を迎える頃には伏一族はすっかり落ちぶれていた
だが、名将洋一を慕う豪族達の援護を受け祐一は順調に戦績を伸ばし続け
桜の合戦で一番の武勲をあげることになる
積極的に辺境の地であった南蛮にも出陣し彼と愛馬触素豚は恐れられたようだ
対応策として南蛮では外敵からの侵攻を受けるたびに強烈な包囲網が敷かれることになった
ちなみに名馬歌劇王を駆った和田斜亜は青洲12期生の1人で祐一の好敵手であった
65 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 01:12:53 ID:L3Zv3kiA
個人的には
>>47イイ!!
大慶先生の支持ワラタ
「来安!」とか神託授けたか?
典韋に横山かぶせてるのも秀逸
真山(シンザン
中国に古くから伝わる伝説の山
一年中菊の花が咲き、頂上には皐月と言う可憐な娘と
空を翔る優駿がいるといわれている
またその菊を煎じて飲むと長生きできるという
山道はとても険しく常人では登ることが不可能と言われていたらしいが
栗勝(リッショウ)という坊主が特殊な足袋をつけて登りきったという伝説が残っている
その足袋の名前は山の名前にちなんで真山足袋と言われている
現在もその足袋は保管されているようだが、それが本物かどうかはいかがわしいものである
また天下分け目の有馬の戦いではこの山を挟んでの戦だったのにもかかわらず
真山の怒りを恐れて全軍外を回り迂回して戦ったといわれている
真山を越えると宝が山ほど入っている塚があるという伝説は子供でも知っており
幾多の猛将が「真山を越えろ」を合言葉に進軍したが
それを成功した者は二人といない
ただ一人、晋家の名君瑠普帝が成功したといわれるが、これは本当かどうか定かではない
余談であるが真山に一番近い村と言われている美穂村生まれの猛将秦山は
真山が遣わした御子であると言われている
〜競馬三国志外伝〜 名駿編 其ノ壱
小栗(オグリ)
別名怪物。出生地不詳。戦乱の世に突如現れた不世出の白色名駿。
若年時より、その類まれな戦根性により獅子奮迅の活躍をみせる。
特に、有馬の戦いでは「玉藻交差」「超小川」「蹴球少年」などの名馬たちを次々に撃破。
東方の名臣E爺氏に勝利を呼び込む。
その後、怒涛の如き進撃をみせるも、二度目の有馬の戦いにて「稲荷壱」に惨敗。
一度安田の乱で功績は残すも、以降なかずとばず。
臥薪嘗胆で迎えた三度目の有馬の戦いで、「白石」「目白」などを蹴散らすなどの
超常的活躍をみせたのち、兵士達から惜しまれつつも戦乱の世より身をひく。
なお、其の時馬上に存していたのは「小栗嫌い」公言していた武豊(ブホウ)であったのは
あまりにも有名。
何かそのまんまのやつばっか増えてきてつまんなくなってきた
66はけっこう良かったけど
シンザンイイ
71 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 02:26:48 ID:hPEI2OaQ
馬編は悪い予感がする。
オグリあたりはいいけど、三銃士とダルタニアンが出てきたら、また荒れるぞ。
田原先生でやってくれ。
田原(デンゲン)
西方ではよく名の知れた武将だったが、病を患って以後は陣頭に立てなくなり
内政官となった。同時に粉の商売も始める。
密書を駆使し、情報を仕入れていたが、密書の存在が発覚して立場が悪化し、
扱っていた粉も禁じられていたものであることがバレて失脚。
追放されて以後は卜占家となった。
演義では気が荒く粗暴な者として描かれるが、正史によれば多才にして
支持者の多かった人物だったらしい。
73 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 02:51:42 ID:GAT94wIx
田原大先生は俺の文才と知識では無理だな。
田原(デンゲン)は、簡単かと思ったが、案外難しいんだな。
馬の耳盗聴器事件、見習い調教師時代調教サボリ、小林稔波紋事件、
記者殴打事件、栗東へ来ない、911直後刃物持ち込み事件。
1000勝特典あぼーんの張本人、JRAから三行半、谷厩舎B
落馬腎臓摘出、ビッグゲッツ、本宮ひろし、黒の軍団、城みちるそくーり。
一時は玉三郎と呼ばれたアイドルw、サルノキング、サンエイサンキュー、
十字を切って投げキッス、サテライト電波、薬物中毒・・・
さすが、タヴァーラ大先生w
小栗(ショウリツ
地方の名も無い豪族の倅
若い時からその才能をあらわし、白髪の怪物と呼ばれる
下僕の安勝(アンショウ)とともに地方を平定し、中央政府の戸口勉(ココウベン)に目をかけられる
戸口勉との中央進攻のために泣く泣く安勝と別れを告げる場面は、見る者涙を流さずにいられなかったという
中央進攻するも勢いは留まることを知らず、中央制圧も時間の問題かと思われたが
南克将軍の玉藻の陣に苦戦し、2度の敗北を味わうこととなった
しかし天下分け目の有馬の戦で見事玉藻の陣を打ち破り中央を制圧したのであった
それもつかの間、小栗は度重なる戦による疲れで病に倒れてしまったのだ
その隙に同じ名も無い地方出身の豪傑李成腕(リナリワン)に中央政府を牛耳られてしまった
これはいかんと立ち上がった小栗だが、秋の御前試合で若武者武豊に敗北を喫してしまう
この屈辱をはらさんがために、彼は西方平定と南蛮討伐を同時に行うことに決めた
かつての宿敵南克将軍を擁し西方に遠征した彼は
絶対不可能な位置から奇襲をかけ、武豊率いる板家を滅亡させた
そして南蛮戦では魔女と呼ばれる濠玖珠女王には遅れをとったものの、面目躍如した
しかし第二次有馬戦役で再び李成腕に遅れをとり、中央を掌握されてしまう
しばしの休養後彼は有力貴族の安氏から田圃を授かったものの
肝心要の宝の方は年下で格下の者に奪われしまった
その後秋の御前試合や南蛮征討も大敗に終わり、かつての英雄も地に堕ちたと言われたが
これが拙者の最後の戦であると公言した、第三次有馬戦役ではかつての敵将武豊の力を借り、見事勝利を飾ったのである
この英雄の見事の幕の引き方に感動した兵達は、敵味方を問わず「小栗、小栗」と賞賛の言葉を送ったという
しかしさしもの彼も後継者には恵まれず、晩年は楽隠居の身で終わったといわれている
岡田(コウデン)
字は繁幸。裸婦庵軍団の総帥。華北の名家・岡家の長男として生まれる。幼少の頃より神童と謳われた
相馬の天才である。吉照(のちの照帝)と共に西域に遊学するが、岡田はそのまま犬拓鬼の呉梵の食客
となって数多くの戦に赴き、軍師として鬼謀を発揮したという。
やがて同僚の女傑Ruffianと恋に落ちるが、彼女を戦で失い失意のうちに帰国。家督を弟に譲り、自らは
裸婦庵主人と称して私塾を開き、晴耕雨読の隠遁生活に入った。
しかし、相次ぐ天変地異と貧苦にあえぐ地方民衆の惨状を前に心を痛め、民衆を省みず酒池肉林に耽る
中央貴族の打倒を決意。義勇兵を組織して兵を挙げる。
岡田を慕って集まった者たちはまたたく間に数十万にも膨れあがり、舞寝流と呼ばれる独自の兵法を
用いて、官軍を相手に次々と勝ちあがっていった。これが世に言う裸婦庵・舞寝流の乱であるが、
この軍団がみな赤い勝負服を着ていたことから、赤巾賊の乱とも言う。
前203〜204年にかけては、地方農民出身の若武者・嵐冬将軍率いる馬留駆軍を中心に快進撃を続け、
朝日・短波・共同・弥生など要衛の地を次々に攻略し、ついには洛陽を裸婦庵軍団全五軍で包囲。
都の陥落は時間の問題と思われた(鞍疾駆の役)。だが、官軍の総大将・安勝率いる金亀軍に対して、
哩の戦いではじめて敗北。続く東京決戦では、功を焦った木刀将軍の暴走をきっかけに軍団の指揮系統
が崩壊。金亀軍の猛攻を前になすすべなく壊滅。裸婦庵側の兵士の半数以上が討ち死にするという壮絶
な敗北であった。また、この乱を鎮圧した大将軍・安勝が、嵐冬と同じく地方農民出身であったことは歴史の
皮肉であろう。
このように裸婦庵軍団は、地方での小反乱のうちは奇襲戦法で連戦連勝を重ねたものの、社台を中心とする
精鋭部隊を相手にすると惨敗が目立つようになり、鞍疾駆の役の後はしだいに鎮圧されていった。
79 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 19:38:31 ID:Ykfm7fW8
森行(シンコウ)
字は禿。藤沢、伊雄、松国と並ぶ名軍師。
特に、他国への侵略の野望を常に持ち、ある時には、単身、仏国へと乗り込み、
真珠探索人などを使い、モーリス氏(といわれている)の客人を誘拐したという。
その一方、中央平定よりも、未だ開拓されていない地方の平定を狙い、
野簿弱、野簿真実などと呼ばれていた武将を用い、地方を荒らしまわった。
彼等の横暴はすさまじく、地方では「野簿野簿」と呼ばれ、畏怖の対象となったという。
また、記録によると彼等は元中央の役人であり、勲一等の称号も貰っている。
そんな彼等が地方を荒らす存在にまで落ちぶれたことは興味の沸くところである。
余談ではあるが、森行は自分の髪が無い事に強いコンプレックスを持ち、
この時代には珍しいカツラを着用していたという。
80 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 20:55:30 ID:cNFLxJ24
おもしろい
81 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/12 20:58:36 ID:ZqGfrxGa
なんかまったりしてきたので
ちょっとまとめようや
とりあえず騎手=武将でいいだろ
されから調教師=軍師な。藤沢(トウタク)も捨てがたいが
馬主は皇帝?商人?
吉田照を照帝とするか田氏とするかだな
皇帝かな
これまででうまくマッチしてるのは
悪来・典韋→悪童・典横
董卓配下の華雄→藤沢配下の幸雄
泰山→真山
みんな頑張ろう
堅くまとめなくてもいいと思うけど、そんなもんでいいんじゃない
馬や人によって色々違うのもいいことさ
グダグダのまま進めようぜ
武英(ブエイ
後漢末期の武将
特に秀でた才はなく
日の目を浴びることも、歴史の表舞台に立つこともなくその人生を終えた
なかなかよくできてる話がいっぱいあっておもろいね。
オグリキャップは意外とひねりがなくていまいちかな。
>>77は
>>10とリンクしてて物語が膨らんでおもしろいと思ったよ。
木刀は色々おもろいネタがあるから上手い人に創って欲しい。
>>8じゃいまいちでつまらないし。
88 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/13 14:00:08 ID:VPZt/Yha
89 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/13 16:47:48 ID:RUfmixRg
卯印河
かつて存在したとされる伝説の魔の河
この河に挑んだ猛者達は次々と力を奪われ対岸の自慰湾村にたどりつく
ことができなかったといわれる、
特にこの河に挑んだ大器一族は河の中州あたりまでくると極端に力を奪われ
みな大きく流されていってしまいなかなか自慰湾村にたどりつけず
河の手前の自慰山村で長いこと足止めを食ったといわれている
鈴静(レイセイ)
字は煤図(バイト)。橋田将軍の大抜擢を受けて一軍を率い、初陣で大勝利をあげる。
才気煥発な若者であったが素行が悪く、寄り道をしては酒屋の暖簾をくぐって
前後不覚に酔っぱらったあげく、軍議に遅れることもたびたびあった。
気性も激しく、無鉄砲で功を焦る傾向も目立った。
そのため上司の上村・河内と折り合いがつかず、打皮の戦・真要の戦などで惨敗を喫してしまう。
連戦連敗の後、さすがに落ち込んだ彼は名将・武豊に相談を持ちかけたところ、
知識深め見聞を広げるべきであると薦められ、以後南方へ遊学し学問に励むようになった。
これより知勇兼備の将となり、その変わりように驚いた橋田に「栗下の阿静にあらず」と言われ、
鈴静が「士、別れて三日、刮目して相待す」と返したという逸話がある。
無策に戦うことをやめて勝機を見極め、風のような速さで敵を制圧して勝ちに勝ちを重ねた結果、
ついには「常勝将軍」の呼び名を欲しいままにした。
高羅塚では空回・金滞・白明、毎黄関では若いながらも勇猛で知られた得昆・倉湾らを破った。
しかし帝に謁見するため洛陽に向かう途中、魔の巣窟と伝えられていた富仲の森で急死した。
司馬善の命を受けた刺客・外横の罠によって死んだとされている。
彼の死に武豊は泣きながら酒を大量にあおり、橋田も寝床で崩れ落ちたままぼろぼろと涙を流したという。
>>90 学がないから、字の由来と、
>その変わりように驚いた橋田に「栗下の阿静にあらず」と言われ、
>鈴静が「士、別れて三日、刮目して相待す」と返したという逸話がある。
がわからない。説明きぼん。
鈴静かが出たから、そろそろ競馬板四天王の登場か。
もうこのスレも終わりかな・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
92 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 06:04:49 ID:7hYBR0fm
93 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 06:05:00 ID:7hYBR0fm
94 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 06:10:43 ID:sDFZg9ud
95 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 06:12:13 ID:U1fr/zGy
96 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 10:12:01 ID:S8iFw7Od
杉(スギ
名は浦。字は宏昭。160年生。北海出身。
もとは平民であったが、樫山一族の仲介により名門豪族二柳家に身を寄せる。
主な仕事は城の備えや敗残兵の追い討ちなどであり下級武将だった。
193年花冠の戦いにおいて久々の戦果を挙げたが、
不和を囁かれていた名将岡爺に馬上にて斬られた。
正史
花冠の戦い後、恨みを持つ岡爺に馬を斬られたが、深く恥じ入った岡爺は自ら髪を斬り謝罪。
以後両者は歩み寄り友情を温めたという。
>>91 それは三国志で最も有名な故事成語のひとつ、呉下の蒙ちゃんですよ
アモーレ
99 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 19:18:42 ID:VnkHSfap
一部のうますぎるヤシのせいで、なかなか書き込みにくくなってしまったなw
すっかり良スレと化してるな。
個人的にお気に入りは中栄と新山と鈴静かな。
102 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 20:53:27 ID:VnkHSfap
大橋(ダイキョウ)
字は次郎(ジロウ)。本名は橋弘(キョウコウ)なのだが、度々大ぼらを吹く
ことが多かったので、このように呼ばれるようになった。名馬、舞暗中とともに
戦場を駆け巡る姿は華麗で、「月は光を消し花も恥じらう」と喩えられるほどの
美丈夫だったと伝えられているが、真実を知るのはその時代の者たちだけであろう。
名将、橋田(キョウデン)とは数々の名勝負を繰り広げ、人々は二人を「栗東の二橋」
と呼び、褒め称えたという。彼らの武勇のすさまじさは、あの武豊が二橋を
欲しがっていたという逸話からも推して知るべしである。
その大橋も、良きパートナーであった舞暗中の死後は運に見放されたのか、
合戦において活躍はするも、あと一歩のところで大将の首を逃すことが度々
であった。しかし、菊花の戦いにおいて、彼は久々に敵の大将を討ち取ることに
成功する。舞暗中の子供、是最高とともに・・・
103 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 20:53:51 ID:/jctjCq9
>>101 典横も好きだな。
馬良・馬謖ネタ( ゚д゚)ホスイ・・・
上洋(ジョウヨウ)
字は村行(ムラユキ)。仕官後すぐにその才能を開花、
数々の功績をあげ、「関西の若虎」として将来を期待される。
かの名将・橋田(キョウデン)もその才能を愛した一人で、彼を重宝した。
その後、鈴静(
>>90参照)などの名将を得て、いよいよ橋田軍は天下統一を企み出兵。
橋田軍は快進撃を続け、そして、天下分け目の決戦目前の、神聞の戦いを迎えた。
橋田はこの戦いに負ければ、天下統一は白紙に戻ると考え、
必勝を期すため、上洋を大将、鈴静を副将とし、軍を任せる。
橋田には絶対の自信があった。上洋と鈴静の才能を信じて疑わなかったのである。
しかし、己の才能を過信した上洋は判断を誤り、まさか大敗を喫してしまう。
この敗戦を橋田はとても悲しみ、軍法会議の場で泣きながら上洋を死罪とした。
こうして上洋は斬られ、才能を開花させることなくその生涯を閉じた。
ススズをぶっ殺したのは先生じゃなくて種無し。
いくら上手くても史実を捻じ曲げて良い訳ではないですよ。
馬のネタが出るとこうなると思った・・・
この話題終了
110 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 22:08:53 ID:H1hqT8/q
「泣いて石山を切る」
軍師「浜田(ハマデン)」は、来るべき大決戦となるであろう「王架の戦い」を
目前にして、その前哨戦となる「中立府」での戦いで勝利し、その勢いを保持
したまま、王架へと駒を進めたいともくろんでいた。
この時彼には「石山(セキザン)」と言う子飼いの武将がおり、中立府には
彼に軍を率いさせるつもりであった。ただ、彼は若く大合戦の経験も無いため
周囲の反対の声も強かったが、浜田はそれを押し切り、彼を指名した。
浜田は石山に「合戦になった時は中段に布陣し、頃合を見て前団へ突撃せよ」
と指示。戦力面から言っても、ミスがなければ勝てる戦だった。
ただ、ここで彼の経験の無さが露呈。動揺した彼は「中段に布陣」の指示を
守れず、おまけに帯同していた「布亜令(ファレ)」との意思疎通まで欠いて
けっきょくこれが原因で、予想外の敗北を喫した。
浜田は「この戦を通じて何とか一人前の武将になって欲しい」との願いが
あったが、このままでは周囲に対してけじめがつかないと判断した浜田は
王架の戦いには、実績のある武豊(ブホウ)を指名し…
「泣いて石山を切った」と言われている。
駄作のスレ汚しスマソ。
111 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/14 22:09:48 ID:ZgsbqhjC
じゃ、覇王歌劇、南蛮人芝驚異&南米鷹、特別週でやってみな。
時代は少し違うけど「汗血馬を追い求めて」ってのよくね?
113 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/15 00:02:27 ID:ubO7VfaF
馬ネタはやめとけよ。
基地がうるせー。
気楽にやれよ。いい話にしようとしなくていいからさ。
恣意的になると逆につまらんよ。
115 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/15 00:42:52 ID:NVQ4oWyp
松永(ショウエイ)
字は幹久。鼻筋の整った美顔を持ち、実力も兼ね備えた才色兼備の武将。
好色の気があり、日常生活では男性よりも女性と関わる事を好み、
戦には常に女性を引き連れて出たという。
中には、胡蝶蘭、磯野、不亜備などの歴史に名を残すくのいちがおり、
その奮戦ぶりは男に勝るとも劣らないものであった。
また、その人柄の良さからか、好色ながらも女性についての問題は全く起こらなかった。
幹久って誰だw
寝ぼけてるなオレ_| ̄|○
分かってるとは思うけど幹夫ね。
東幹久か
118 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/15 00:52:56 ID:GLkd+0CI
正史っていうより、コーエー付属の武将列伝風だね
単帆射座
字は待鐘。
北味の息子として生まれる。
大陸の歴史において特異な地位を占める名将細川(サイセン)の寵愛を受け将来を嘱望されるも
大和盃の戦いには戦前に受けた負傷により、
続く在魔の戦いに置いては食中毒による体調不良により参戦かなわず、物笑いの種となった。
しかし高末美弥の戦いに置いて、猛将新発田(しばた)と共に女傑として名高い亜麻損を打ち破り
その優れた資質の片鱗を見せつけた。
樹車(ジュシャ)
大樹氏国はバクトリアの古代騎馬民族国家であるが、
バクトリアの五翕侯(きゅうこう、諸侯の意味)のうち赤澤が大樹氏に代わり支配権を握った。
樹氏はその際中国へと亡命した大樹氏の末裔とされているが定説はない。
樹車は一族の樹振の紹介で藤沢に面会した。
彼をいたく気に入った藤沢は幸雄将軍の部下として樹車を取り立てた。
樹車は騎馬軍団を率いて湯仁・巣腕・真要・崇臨・慶鴎といった主要都市を次々と制圧し、
北方民族の織園樽(ショクエンソン)との戦においても功を得た。
幸雄の命で西域に使いし、安田に赴いたとき、織園樽の使者が来あわせていた。
そのとき彼は「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言って数人の部下を率いて織園樽の宿舎を襲い、
使者ら十人余を斬り殺して、安田を服属させた。
のちに西域都護に任ぜられ、部下の若円和を大秦国(ローマ帝国)への使者として派遣し、
当時の複雑な国際情勢やさまざまな西アジアの知識を中国にもたらすことに成功した。
中央に戻ってからも、幾度となく起きていた真要での乱を徹底的に鎮圧したが、
崇臨での舞寝流の乱討伐の折、若武者・羅布の奇襲攻撃を受け、流れ矢に当たって負傷した。
その怪我が元で戦場を退くことになるが、以後は内政面で大いに貢献し、財を築いた。
その財産で塔を建立し、矢傷にちなんで「矢守立塔」と名付けた。
矢守立塔はその後長きにわたって、次世代を担う若者の育成の場として用いられたという。
122 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/15 08:46:38 ID:8VlR5MrA
「尾北基地の乱(オペキチのラン)」
長きにわたって絶大な勢力を誇っていた日静帝がついに崩御した。
彼には数百を超える后を抱えており、その世継ぎ候補も数多くいたが
いずれも彼の域には程遠く、再び覇権をめぐっての争いが起ころうとしていた。
そんな中、かって一時代を築いた「尾北羅王(オペラオウ)」を信奉する
一派が、彼を「世紀末覇王」と称して、再び尾北羅王の天下を作り上げようと
蜂起。これが後に言う「尾北基地の乱」と呼ばれるものである。
日静已死 (日静すでに死す)
尾北当立 (尾北まさに立つべし)
時有尾北 (時はオペに有り)
馬券大当 (馬券大当たり)
この乱は、当時容認されていた馬を走らせてその勝ち馬を当てる賭博に
熱中しながらも当たらない人々まで巻き込んで、尾北についていけば
必ず馬券が当たるという妙な噂が流れたため、尾北基地の規模は、たちまち
全土に拡がった。
尾北基地は皆揃って、桃色に緑の帯の入った衣を身にまとい、「尾北当立」
「尾北最強」「尾北マンセー」と発しながら各地で荒らし活動を行い
大混乱が起こった。
それに対抗するかのように「安置」と呼ばれた義勇兵が鎮圧に乗り出すも
効果はなく、今もこの抗争は死体の山ならぬ、糞スレの山を築くのであった…
安西子(アンセイシ
美穂村に産まれ後にマリーアントワネットに並ぶ悪女と呼ばれる
始めて歴史の表舞台に現れたのは、小栗が覇権争いをしていたころである
小栗に近づきそのコネを利用して、一般人に邪教の開祖になったと言われている
またその後尼になり邪教をひろめ、全国的規模となる
有力者とのコネを作るのも忘れず、司馬善ら多くの武将と交流を行っていたそうだが
これは安西子の一方的な接触で、武将側は大きな迷惑としていたそうである
名士伊雄が彼女のあまりにも痛々しさ、自分勝手ぶりに飽きれ
面会謝絶、邸内立ち入り禁止にしたことは有名である
彼女本人いわく自分は人の心が読め、戦の勝敗まで読めるという
しかし実際のところそのような能力はなく、ただの妄想であったそうだ
実際彼女の行動により被害を受けた人々は多いとされている
しかし愚かな人々は彼女に騙され入信した人々はかなりの数だという記録が残っている
その信者たちから巻き上げたお布施でかなりの財を築いたという
男癖が悪く、数回嫁いだものの、長続きせずほどなく離縁したという
晩年に薄幸の少女春麗を捕らえ見世物にするという忌まわしい行いもある
彼女を大衆の前で恥ずかし者にし、彼女の体毛を抜き、春画を書いて売ったり
名将武豊のもとに嫁がせ、それにより名声と多額の金銭を得たりと
その悪行は留まる所を知らなかった
三国志はあんまり悪女出てこないので
悪女に関しては史記とかの方がネタにしやすいね。
名羽(メイウ)
字は雲長。名一族の娘の子。
蜀の名将・関羽にあやかって名付けられたようだが、
髯の長さが一尺だったため「雲短」と呼ばれた。
128 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 01:24:43 ID:D8HXCJnI
彩羽夢(アヤパン)
姓は高島、字は彩。競馬界における伝説の女神。
父は早逝した関東の名臣。富士電視台の食坊2代目長官を勤めた名族である。
なお、彩羽夢の由来は、天下統一を果たした社台の善哉が夢でみたという色彩鮮やかな羽を持つ女神のことである。
晩年の善哉が不老不死を求め、彩羽夢探しに夢中になっていたことや
神と崇められた名軍師大川が有馬記念で「彩羽夢、彩羽夢」と叫んだことはあまりにも有名。
西暦20世紀末から21世紀初頭にかけて、
中原(府中、中山)を擁する関東は、地方部族関西の侵略にあっていた。
一計を案じた富士電視台は、地方関西馬ひきいて関東馬を苦しめていた武一族を排除する為、計略を行った。
これが「連環の計」と呼ばれる策である。
絶世の美女彩羽夢を最高競馬長官として配置し、武一族の武幸に反逆をそそのかした。
まんまと富士電視台の策にはまった武幸は、新潟遠征途中で反旗を翻し関東に進路をかえ、美浦の有力者小島のもとに身を寄せるようになった。
一方、その他の武一族も内部分裂がはじまっていた。
長兄は自ら「埋伏の毒」を飲んで失脚。
豊は度重なる長期遠征で失敗し「タメ殺し」の汚名をきせられ失脚。
子孫もなかったことから武一族は没落していった。
隊長のくせになにげにそれらしく作っているのにワラタ
>>130 細かなマジレスだけど、姓・名・字だから高島は姓名なのでは……。
>>132 そうだ!
じゃあ、姓は高、名は島、字は彩にしよう!
玉緒とか淑子も頼むわ
見虎(ミルコ)
羅馬(ローマ)人。見虎は姓ではないとの説もあるが定かではない。
三国末〜南北朝という一連の歴史の流れにおける大きな特徴は
異民族による新勢力の確立だが、その代表的人物の一人である。
西方絹の道・小倉での旗揚げ後、瞬く間に勢力を拡大、
史上初の異民族による府中城入城という歴史的偉業を成し遂げる。
「東京優駿」の旗がたなびく府中城にて愛用の名剣「新世界」
を手にしながら見虎は彼を迎え入れた十数万の民衆による
「見虎!」の歓声に両の眼を濡らしつつも笑顔で答えたという。
腐敗し停滞した政に不満を持った貧困層、一部大豪族を中心に
高い支持を受けたものの強引な手法は必ずしも全面的な支持を
得た訳では無く、特に既得権益を持つ一部の将校達からの
強い反発(「般若伝」等)を招く結果となった。
が彼自身はそういった悪評をさして気にも止めなかった様で
自らの政治手法や振る舞いを変える事は無かった。
事実、中山城にて降伏した敵将田春(名門田家の当主)の頭を
大衆の面前で「叩く」という行為や愛用の名剣「新世界」を
「言葉を発するを除いて不可能無し」と評するなどいかにも
当時の常識の枠から外れた西洋人的言動を数多く残しており
その点では未だ歴史的評価の定まっていない人物である。
136 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 10:05:03 ID:/UdvUDJp
| l | | l ヽ ヽ ヽ `ー' | |
{ヽ | L ゝ-`─ ニニニニニー-|
ヽ ソ_,. -‐ ' -‐ニ ̄r┐ に! {__j jト
l _,.ィ ´ r j ヒ! ー' _,.二 ニ_ ヽ1
l´ トr‐i _,..-‐ ' ´ ̄ `ヽ}
| l|└' 「ミ ,..__ _ _,|
レ⌒ヽ「| 「ミ /,--`ニ‐ァ' ./ニ-}
!{ ヾ | ! |.ゞ ,.rヒァリ |,ィァ.|
', { ゝリ !  ̄ |  ̄ |
. ヽ ` ! | | ! | → うむ
ヾヽ_j ! ヽ j__ } / いかん
ヽT|! i ヽ ,r彡ソミミゝi
人 ヽ」、 i 〃r'´ ̄`ヾ|!
/! \ \ミ、 lソ '´ ̄`lll|
-< ! ヽ ヽミミ 、, '' ,i; }l!_
:::::\ \ ミミ彡ミヽ,.ッールーリト `ヽ
:::::::::::ヽ \ ヾミ彡川川川lリ ト、
:::::::::::::::ヽ \ ミミ彡川川ソ l ソ
目に見えてつまらなくなってきたな…orz
138 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 12:01:57 ID:E3gds5jC
そろそろ世紀末覇王伝を・・・
139 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 12:05:57 ID:+g39NZ59
良スレもそろそろ終わりか…
ありがとう そして さよおなら
141 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 12:28:39 ID:+jS0G+UC
保守
成頂道(せい・ちょうどう)
整った顔立ちに栗色の髪を持つ美形の武将。
彼の足は非常に速く、仁川の戦場の端から端までを誰よりも早く往復した伝説を残している。
当時、まだ弱小であった蹴球一族に生まれながら、メキメキと頭角を現し、
如月の戦で栄監を討ち、弥生の戦では後に日静の後継とまで呼ばれる事となる
賛織星を退け、若くして「西に成頂道在り」とその名を轟かせた。
しかし、初の遠征となった中山皐月の戦において、腹臣・渡薫のミスにより、
後に生涯の宿敵となる歌劇王に敗れ、盟友であった武礼人にも裏切られてしまう
屈辱を味わう。雪辱を期した東京攻略戦では、歌劇王をねじ伏せるも、
賛織星に出し抜かれ、一番手柄を逃してしまった。
その後、賛織星に従えられる身となり、野心を失ったかに見えた成頂道であったが、
それは凡愚と罵られていた彼の腹臣・渡薫の一世一代の計略であった。
賛織星と歌劇王が雌雄を決すべく激突した淀の大合戦において、成頂道は
一瞬の隙を突いて賛織星を捕らえると、異変に気づいて突撃してきた歌劇王と、
静鈴の弟・暴鈴をまとめて撃破。再び西の頂点に返り咲いた。
この時、渡薫は人目もはばからず号泣したという。
その後、成頂道は歌劇王を倒す事ができず、天下の統一を果たす事はできなかったが、
歌劇王らが一線を退いた後も新興勢力らとよく戦い、後に天下統一を果たす
踏踊市を打ち破るなどの活躍を見せた。晩年の彼についての資料は少ないが、
照帝に招かれて宮中に仕える身となり、妻を娶り、彼を慕い弟子入りした谷酒らと
共に幸せに過ごしたと言われている。
その風貌、人柄から多くの人々に愛された成頂道は、後世、彼を愛する人々から
「彼の腹臣が渡薫で無ければ、彼は天下はおろか天上までも支配する大帝となったであろう。」
と惜しまれた。
日静帝紀 第一
太祖日静帝は米国揚鳥州の人で、姓は安、名を息日、字を江栖江栖と言った。
父は呂部流戸系の重鎮、閉路である。
太祖は若い頃には病弱で痩身し、大領主半刻苦の後ろ盾と才気を備えるも、
彼を評価する者はなかった。ただ、憂天我無、芸羅亜土だけが評価していた。
二歳の時には、一般的な実績しか残せぬも、三歳になり鞍疾駆が始まると
蟻打の雄、飯爺呉亜を二度に渡って打ち破り、ついには揚鳥王に登った。
続く部流門戸の戦で、太祖は飯爺呉亜に阻まれ、三冠の位には付けなかった。
太祖の戦功は他に並ぶ者なく、この年の終わりに人は太祖を年度覇者と呼んだ。
日静帝紀長過ぎ。
144 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 18:33:41 ID:+g39NZ59
また良スレ復活の予感。
もう限界の予感がするのは俺だけじゃないはず。
渡薫(ト・クン)
字は蔕令。栗国の士族の出身。
地味な一士族に過ぎなかったが、竹飛乃という有力武将に拾われ、
歴史の表舞台へと躍り出る。だが、地元を制圧し、関東へと出陣した
彼らを待っていたのは、今まで見た事も無いほどの豪傑や策士たちであった。
さらに、中山での戦、犬英知慧哩の戦と、渡薫は相次いで作戦ミスを犯してしまう。
敵の大将である女傑・不亜美に対し、飛乃と2人で挑み、それを討ったものの、
逃亡中に力尽きた飛乃は討たれ、渡薫は命からがら逃げ帰るのがやっとであった。
故郷に帰った渡薫は、「天下一の大馬鹿者」、「凡愚」などと罵られ、遁世的な
暮らしを余儀なくされてしまう。
哀れな渡薫を見かねた彼の恩師・沖芳は、自身の教え子でもっとも優秀な生徒であった
成頂道に彼に紹介し、渡薫は頂道に仕えるようになる。(その後の二人の活躍は
>>142参照)
成頂道の下でも数々の失態を演じた渡薫であったが、その誠実な人柄から人望は厚かったと言われている。
成頂道が宮中に移った後、彼は奈謝という武将の軍師となり、活躍したと伝えられている。
147 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 20:25:23 ID:SmW51yN6
| l | | l ヽ ヽ ヽ `ー' | |
{ヽ | L ゝ-`─ ニニニニニー-|
ヽ ソ_,. -‐ ' -‐ニ ̄r┐ に! {__j jト
l _,.ィ ´ r j ヒ! ー' _,.二 ニ_ ヽ1
l´ トr‐i _,..-‐ ' ´ ̄ `ヽ}
| l|└' 「ミ ,..__ _ _,|
レ⌒ヽ「| 「ミ /,--`ニ‐ァ' ./ニ-}
!{ ヾ | ! |.ゞ ,.rヒァリ |,ィァ.|
', { ゝリ !  ̄ |  ̄ |
. ヽ ` ! | | ! | うむ
ヾヽ_j ! ヽ j__ } / → いかん
ヽT|! i ヽ ,r彡ソミミゝi
人 ヽ」、 i 〃r'´ ̄`ヾ|!
/! \ \ミ、 lソ '´ ̄`lll|
-< ! ヽ ヽミミ 、, '' ,i; }l!_
:::::\ \ ミミ彡ミヽ,.ッールーリト `ヽ
:::::::::::ヽ \ ヾミ彡川川川lリ ト、
:::::::::::::::ヽ \ ミミ彡川川ソ l ソ
おもしろい。競馬板の底力をかんじる。
ミルコをクロコップだと思ってしまう時点で、私も修行が甘いようだ。
150 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/16 22:51:49 ID:N3qE98gP
関西の俺には
>>63がツボにはまった
上手くはないが面白かったよ。
職人さん頑張れ
特週 (とく・しゅう)
日静の流れを汲み、古来より続く名門の末裔を母として生まれた。生まれてすぐ
母を亡くし、乳母に育てられる。名将・武豊にその才能を認められ、早くから
出世し、やがて西域を統一。東の虞羅須と対立するようになる。
両者は仁川に置いて対決したが、この戦いで特週は虞羅須に一方的に撃破されてしまう。
この敗戦にショックを受けた特週は、続く淀の戦いで鶴強にも敗れ、没落の一途を
辿るかに見えた。
だが、軍師として彼に味方していた武豊に与えられた奇策を用い、府中の戦で奇跡的な大勝利を果たすと
特週は再び勢いを得、府中に侵攻してきた異国の軍勢をも蹴散らす事に成功する。
関東に一大勢力を築いた特週は、その年の暮れに中山に置いて虞羅須と対峙。
激しい戦いの末、最後は大将同士の一騎打ちとなると、特週は必殺の一撃で虞羅須を
叩き切った。しかし、虞羅須の悪運は強く、かろうじて致命傷を免れた虞羅須の
反撃を受けた特週はあえなく敗れてしまった。
その後、一命をとりとめ隠居した特週は北の地で多くの子をもうけ、再び虞羅須と
戦う日を夢見て過ごしたと言われている。
152 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/17 00:05:00 ID:f2G9jZQk
復活キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!
153 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/17 00:15:01 ID:D3MeC7/T
密林穴(みつ・りんけつ)
涼州・隴西郡の人。四方老人に見いだされ、老将渡栄配下となる。
以前、渡栄は軍師角田晃とともに府中攻略に挑むも、配下の将軍富士奇の急逝により、その夢は断たれていた。
往年の野望を再び胸にした老将渡栄・角田晃は密林穴とともに府中攻略を企図する。
そこ立ちはだかったのは好敵手多賀之である。
対鮮卑戦・府中近郊の戦いでも先陣を奪われ、密林穴の出世は遅れることとなった。
しかしながら、多賀之は朝日の攻防戦で討ち死にした。
そのころ都を制圧していたのは司隸校尉部・河内郡出身の陳亜光であった。
両軍は日に日に勢力を増し、府中近郊の皐月の陣で対戦することとなった。
この陣では陳亜光軍の圧勝であったが、この後陳亜光は急逝し、府中周辺は混沌とした状況となった。
その機を見計らったのが鮮卑の黒船単于である。
即座に府中に進軍した密林穴は黒船単于を府中で討ち、遂に府中攻略をなしえることができた。
なお、「八家後漢書の一つである元雄『後漢書』巻二十五・密林穴伝によると
密林穴の父親は富士奇のなっているが、ほかの全て著作では父は杜児紊とされている」、
『三国志』密林穴伝の裴松之注の記述にはあるが、詳細は不明である。
目白幕(もくはく・ばく)
字は叔外。名門・北氏に仕える武将。白髪が生えていたが眉が特に白かった。
目白三人衆の中で目白幕がもっとも優秀だったところから
「目白氏の三外、白眉もっとも良し」と呼ばれ「白眉」の故事が生まれた。
彼が歴史上に姿を現すのは、三人衆の一人・目白頼を総大将とした聞夏の戦での大勝利である。
このとき目白幕はわずか40人で敵の守りを突破し大将首を討ち取ったという。
目白幕は武勇を認められ、春天の攻略を任ぜられる。
春天・秋天は二天と呼ばれ、古代の三皇五帝がこの地を拠点にしたという伝説から、
古くから中国の政治の要所となって栄えた都市だった。
そのため群雄割拠の時代、武将達はこぞって二天の支配権を争い、戦が絶えなかった。
北氏はかつて目白幕の祖父・目白浅らの功績によって二天を手中に収め、目白幕の父・目白巨もこれをよく守り抜いた。
その後北氏はこの地を追われることになるが、今二天は混乱のさなかにあり、千載一遇の機会であった。
目白幕は持久戦で難なく春天を陥落させ、高羅塚で戦っていた目白頼にも援軍を送った。
秋天の攻略は失敗に終わり、蛇斑の戦・在間の戦でも敗戦を喫するものの、
「東帝の親征」で春天に侵攻してきた東帝軍を完膚無きまでに破った。
しかしその後策士・米雨に春天を奪われ、北氏は再びこの地から退かざるを得なくなった。
退却の途中、目白幕は目白巴とともに殿軍をつとめ、高羅塚・京典で敵の追撃を阻んで主君の命を救った。
>>153 「かわち」と「かだい」をかけたところが巧い
というか当て字ばっかで分けわかんなくなってきた
昔みたいに分かりやすい方がいいわ
このメンツで誰かシミュレーションGAME
作ってくんないかな(俺にはそんな能力ありません _| ̄|○ )
ここ読んでるとだんだんムズムズイライラしてくる。
俺って正史厨だったんだ…と気付いた。
159 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/17 12:22:15 ID:edbrOfn1
>>158 三国志に組み込むネタよりも三国志風に語るネタが主流になってると思うが・・・
訓読みの当て字がどうしても気になってしまう・・・・・
161 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/17 13:28:26 ID:Rlw/nRmZ
>>153 >なお、「八家後漢書の一つである元雄『後漢書』巻二十五・密林穴伝によると
>密林穴の父親は富士奇のなっているが、ほかの全て著作では父は杜児紊とされている」、
>『三国志』密林穴伝の裴松之注の記述にはあるが、詳細は不明である。
誤字脱字がなければ…w
「ゴ丈原」ネタきぼんぬ。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」を引っかけたネタなら最高でつ。
んで、デンゲン先生murder?
>>163 下はこのまえ地方であった逃げて抜かれて直線で差しかえしたのが題材にいいと思う。
青雲空を作ろうとしたが上手くいかない。誰か漏れの代わりに作ってくれる神キボンヌ。
167 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/18 02:03:13 ID:BCrcsEdZ
漢楚軍団ネタはどうだ?
168 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/18 10:39:47 ID:VyZ8tH3U
全部読んでみた
初期のころの
>>47なんかシンプルでイイね
岱 鉄 休 超 騰
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
/ヾ∧ /ヾ∧ /ヾ∧ /ヾ∧ /ヾ∧ ソレイケ!
彡| ・ \ 彡| ・ \ . 彡| ・ \ 彡| ・ \ . 彡| ・ \
彡| 丶._)つ 彡| 丶._)つ彡| 丶._)つ 彡| 丶._)つ 彡| 丶._)つ ズドドドド…
( つ\></ ( つ\></ ( つ\></ ( つ\></ ( つ\></
⌒ヽ / ⌒) / ⌒) / ⌒) / ⌒) / ⌒) Y⌒ヽ
人 /__ し. /__ し /__ し. /__ し /__ し ノ⌒ヽ 人
Y⌒ヽ)⌒ヽ し Y⌒ヽ..し Y⌒ヽし Y⌒ヽ..し Y⌒ヽ. .し Y⌒ヽ Y )⌒ヽ
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岱 鉄 休 騰
↓ ↓ ↓ ↓
/ヾ∧ /ヾ∧ /ヾ∧ /ヾ∧ 天皇賞に呼ばれたぞ!(4頭出し)
彡| ・ \ 彡| ・ \ . 彡| ・ \ 彡| ・ \
彡| 丶._)つ 彡| 丶._)つ彡| 丶._)つ 彡| 丶._)つ ズドドドド…
( つ\></ ( つ\></ ( つ\></ ( つ\></
⌒ヽ / ⌒) / ⌒) / ⌒) / ⌒) Y⌒ヽ
人 /__ し. /__ し /__ し. /__ し ノ⌒ヽ 人
Y⌒ヽ)⌒ヽ し Y⌒ヽ..し Y⌒ヽし Y⌒ヽ..し Y⌒ヽ Y )⌒ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
昨日、虎に襲われる夢をみたよ・・・
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧ ←超 ↓ホウ徳
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡|.;丶._) (・∀・ ) |< それは凶夢ですね!
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
岱
↓
/ヾ∧ タイヘンダ、みんな予後った・・・
彡| ・ \
彡|.;丶._)つ ズドドドド…
( つ\></
⌒ヽ / ⌒) Y⌒ヽ
人 /__ し ノ⌒ヽ 人
Y⌒ヽ)⌒ヽ し Y⌒ヽ Y )⌒ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
馬軍団ワラタ
隊長(・∀・)イイ!!
面白い。
今まで蛆虫以下の扱いだった隊長の評価が突然上昇したスレはここですか?
(((;゚Д゚))) ガクガクブルブル
元々AAに関してはちょこちょこやってたけど
馬騰一家暗殺にAAがはまり過ぎ。
馬岱が乞食風だったら俺的にかなりツボ。
吉川三国志ベース
がいいみたいだね!
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡| 丶._) (・∀・ ) |< 正史は馬岱のことあんまり書いてないし!
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
やべ、隊長がこのスレの神になりつつある
一瞬の輝きですよ
とりあえず、
>>170の続き
リベンジしなきゃ・・・でも、これから、どうしようか・・・
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧ ←超 ↓韓遂
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡|.;丶._) (・∀・ ) |< とりあえず、潼関S(GII)を使ってみましょう
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
◇潼関S(GII)結果
1.馬超 5.侯選 9.楊秋
2.ホウ徳 6.李堪 競争中止(予後不良):程銀、張横、成宜
3.馬岱 7.梁興
4.韓遂 8.馬玩
圧倒的じゃないか!我が軍は!
「西涼の錦」ってニックネームもついたぜ!
ところで、一気に有馬記念いっちゃう?
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧ ←超 ↓韓遂
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡| 丶._) (・∀・ ) |< 賈言窒ウんが寒いから故障しやすいって言ってました!休養しましょ!
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
休養中は暇だね!っていうか
お前、早く春のローテ考えておけよ!
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧ ←超 ↓韓遂
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡| 丶._) (・∀・ ) |< あせらずじっくりいきましょう!
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
おい!ローテはどうした!調教は!
相手は氷のトレセンで調教積んでいるんだぞ!
それに、おまえ仇敵曹調教師と仲いいらしいな!
どういうことだ!
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧ ←超 ↓韓遂
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡| 丶._) (・∀・ ;) |< ・・・・(超うぜ〜)
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
馬超ってウザイヨネ!
やめちゃおうぜこんな厩舎!
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧∧_∧∧_∧ ヒソヒソ
(*・∀( )∀・ *) ヒトヅカイアラスギ!
( つ ( つ ⊂ )
( _)(⌒)(⌒)_(_)ノ
↑ ↑ ↑梁興厩務員
韓遂 馬玩厩務員
|
| チラッ
|ヾ∧
|・ \
|丶._)
| /
|/ ←超
|
|
オラァ!
/ヾ∧
彡| ・ \ .| |ガ ガ ガッ
彡| 丶._) | |
と ) | | 人 ↓韓遂
Y /ノ .人 < >__Λ ∩
/ ) .人 < >__Λ ∩Д´) ;;`;;':/ ボト!
_/し' < >_Λ∩Д´)/ / ミ
(_フ彡 V`Д´)/ / ;;`;;':つ
/ ↑梁興
↑馬玩 つづく(疲れた)
横山三国志かよ
185 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/19 06:06:53 ID:EKN25qQD
うをー
隊長が輝いている・・・
隊長(・∀・)イイ!!
ちょっと趣旨ずれてきてないか?
ここって競馬を三国志風にするんだろ?三国志を競馬風にするんか?
つーかまるで面白くないんだが
三国志好きの度合いによりそう。
ゲーム程度のライトファンは、前の流れの方がいいんじゃないかな。
隊長はむしろ三戦板で名スレなレベル。
>>188 いいところに気付いた!
馬岱が魏延斬るまでやってたら、彩ちゃんの応援が疎かになっちまうよ!
>>190 列伝が停滞してたから、AAを貼ってみただけだよ!
こりゃ深追いは危険だな!
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヾ∧ ←司馬懿
彡| ・ \ ∧_∧ \ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彡| 丶._) (・∀・ ;) |< 孔明、死んでないじゃん!
( )__( ) _| \__________
_∧ ∧_∧ ̄ ̄ ̄/.//|
) ( ) /┃.| |
 ̄ ̄ ̄\ )_/ |__|/
|| ┃
|_
司馬懿
↓
/ヾ∧ ニゲロー(本業に戻るよ♪)
彡| ・ \
彡| 丶._)つ ズドドドド…
( つ\></
⌒ヽ / ⌒) Y⌒ヽ
人 /__ し ノ⌒ヽ 人
Y⌒ヽ)⌒ヽ し Y⌒ヽ Y )⌒ヽ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
諸葛謹のAAが目立つようですが、気のせいでしょうか?
驢馬に、見えなくもないな。。。
保守
195 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/20 16:14:28 ID:/31mv0Zv
ネタ切れか
やはり隊長は一瞬で燃え尽きたか
穂驟
198 :
名無しさん@お馬で人生アウト:04/09/20 22:39:19 ID:YUukAJLG
つまんねぇし、サッサと引っ込め>隊長
一回豆腐の角に頭ぶつけて逝って来い。
ネタカケヨ!
/ヾ∧
彡| ・ \ \\
彡| 丶._) | | ガッ
と ) | |
Y /ノ 人
/ ) < >_∧∩
_/し' //. V`Д´)/ ←
>>198 (_フ彡 /
安康(アンコウ
安家の伊の子として産まれる。
酒を好み朝に弱く、得意戦術は後方からの一気の突撃。
鳴尾の戦いで日光旗将軍と共に武豊軍と戦いの末に女傑の空虞瑠を討ち取り、
秋華の戦いでは豊前蝋と共に劣勢の中大勝利を上げ、その名を中原に轟かせるも、
この頃から酒乱などが災いし、戦場に現れる機会が激減し、一時期は在野に下り酒屋を始めたり、
本格的に占星術に没頭するなど、波乱万丈な武将人生の幕を開けた。
そして“名将”怒涛将軍と共に中原への覇を唱えるべく大いに進出するが、和田軍の無敗将軍、歌劇王に
常に僅差で敗れ、撤退を余儀なくされる。一時期は宝塚の戦いで大いに成果を上げるも、
中原の覇者となる事はついぞ無かった。
その後は後方一気の戦術をいよいよ確立し、館山将軍と共に神出鬼没な活躍を時より見せる。
京の記念的な戦いで“真っ黒”な甲冑を身にまとい、圧倒的に乏しいと言われた戦力での、
最後方から一気の差し切り等は本当に圧巻であった。
>最後方から一気の差し切り等
なんだって?
202 :
200:04/09/21 00:09:00 ID:+oPFJEeT
ごめん、俺も酔ってるから無理でした・・・
203 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/21 21:05:01 ID:+uEip9//
鈴木淑子で1発
205 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/23 03:46:09 ID:GqnmWLCQ
_,.-‐"':" ̄~゙'ヽ、 __
_,---‐" ̄\ / ``ー‐-、 ノ \
/ ヽ ;" ) / \
/ ぐ わ | / |ノ/ \
/ ら か | | )/.| ・ オ |
| .い ら | | ,;';;,, /ノ | ・ レ |
| ・ な | |::::.................:::::::::;;,'^;、::::::'''..,,_;、丿 | ・ に |
| ・ い | /:::::::::::::::::::::::::::;"゙, /゙~゙`''::;'゙; | ・ だ. |
| あ こ | `、;;::::::::::::::::;/ ),;' :.'.,、 | ・ っ |
| る と | ,へノ `'''''"´ .:; .:::_ヽ | ・ て |
| ・ Y \ .::; ::::ゝ .| ・ |
| ・ ∧ \ ::::::、 .:;` | |
| ・ |ヽ丶 \;; :::;;;;::..,,、. ::i | |
| ・ | ` \;;;;/ `゙" \
206 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/23 05:07:26 ID:vxU22MHV
ネタ切れだし、そろそろ終わりかな。
最後に競馬板の、魏=エル伍=グラ蜀=スペ晋=オペをやってくれ。
207 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/23 05:12:26 ID:ZUe1K2QS
三国志には男のロマンが詰まってる!
競馬にも男のロマンが詰まってる!!
良スレage
楼園の誓い
三国志演義中で最も有名且つどうでもいいエピソードの一つだが
可笑しくもほろ苦い数々の出会いと別れが詰まっており
現代の読者にも人気の高い名場面の一つとされている
これに付随する話として戦場で常に隣り合うように先陣を争った
同門の二人の武将による友情を物語った数々の逸話も有名
209 :
153ですが改変:04/09/23 21:59:01 ID:l7P3btB7
密林穴(みつ・りんけつ)
涼州・隴西郡の人。四方老人に見いだされ、老将渡栄配下となる。
過去に、渡栄は軍師角田晃とともに府中攻略に挑むも、配下の将軍富士奇の急逝により、その夢は断たれていた。
往年の野望を再び胸にした老将渡栄と角田晃は密林穴とともに府中攻略を企図する。
そこ立ちはだかったのは好敵手多賀之である。
対鮮卑戦・府中近郊の戦いでも先陣を奪われ、密林穴の出世は遅れることとなった。
多賀之は朝日の攻防戦で名門出身の目白聘に討たれ、府中内部は混沌とした状況となる。
そのころ府中周辺に急速に迫ったのは、司隸校尉部河内郡の名族陳氏・陳飛の実弟陳亜光であった。
両軍は日に日に勢力を増し、府中郊外の皐月の陣で対戦することとなった。
この陣では陳亜光軍の圧勝であったが、この後陳亜光は急逝し、府中周辺は混沌とした状況となった。
その機を見計らったのが鮮卑の黒船単于である。
即座に府中に進軍した密林穴は黒船単于を府中で討ち、遂に府中攻略をなしえることができた。
この活躍により密林穴は照帝に召され、府中防衛戦では江南の小覇王・鄭歌劇を見事に屈服させることとなる。
『三国志』密林穴伝の裴松之註では
「八家後漢書の一つである元雄『後漢書』巻二十五・密林穴伝によると
密林穴の父親は富士奇となっているが、ほかの全て著作では父は杜児紊とされている。
おそらく元雄の誤解もしくは誤記によるものであろう。」
とあるが、詳細は不明である。
桜驀進
豊王の子。鞍馬車台の近親。
親子2代に渡り軍師小島太(シャオタオタイ)と共に戦った。
名門の出身であり、特に騎兵を用いた短期決戦を得意とする。
特に二度に渡る「酢不凛他の戦い」に置いてその名を残している。
第一次合戦に置いては大陸屈指の名将是腐亜(ゼフア)を打ち破り
第二次合戦に置いては異民族の軍勢と戦い、歴史上いかなるものも収めた事の無い大戦果を上げる。
この戦いに置ける彼の活躍は
「位置焚奈々廟位地」(いかなるものをも寄せ付けない様)と言う言葉となり現代にも残っている。
隠居後もその勢力は衰える事なく
息子小何間付の公松急の戦いにおける勝利等一族の活躍は枚挙に暇が無い。
211 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/24 04:41:24 ID:YNeIfJM6
>>210 女傑北飛行との名勝負も書いてほしかった。
やはりこのスレへの誤爆であったか、二一一殿。
213 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/24 13:22:23 ID:oNP+fLFh
剣山
古の名将・十点の一族の分家の出身ではあるが、父親は何の武功も持たない
凡庸な武将だったため、家柄・父の武勲が大きくモノをいうこの世界では
あまり大きな期待は当初かけられていなかった。
ただ、名師・森行(
>>74参照)に見出され、まだ武勲の無い身で菊花・自衛士
有馬と転戦をする。大きな戦果は挙げられなかったものの、下級武士の身で
大合戦に帯同させたあたり、森師の期待の大きさが伺える。
大将首は挙げられなかったものの着実に武勲を積み重ね、特に三度の香国
への長征により、勝利を得た功績は大将首に匹敵するものと後の史家は語る。
その後、8歳の高齢にして金鯱の戦いで勝利するなど、晩年まで活躍し
老いてもまだ盛んな者は「剣山のような者」と呼ばれるようになったいう。
8歳の高齢ワラタ
215 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/24 17:12:18 ID:oNP+fLFh
>>214 やはりそこを突っ込まれたか…
年齢をどう表記するか悩んで、結局そのまま書いたんだが…
216 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/25 00:03:33 ID:DzatsAZM
雪努力
かつての英雄裴成功の孫に当たる武将。
地方で慎ましく暮らしていたが森行(
>>79)に見出され中原の戦に参加、
しかしあまりの功績のなさに周囲からは『このような下賎の者が何故居るのか』と批難される。
しかしその後勃海の地で力をつけ、新興一族の壮観や桜荊山王らを破るが、札幌の戦いで
女傑空虞瑠に大敗を喫し西方の地へと移る。
再びそこで盛り返した彼は群馬の戦いで復帰戦を飾ると、佐賀、生産金、日本電視台、錯乱坊と
立て続けに西域各地で勝利を収め、『砂の鬼』と呼ばれる。
だが、東を目指して進軍しようとした矢先に奇病にかかり、長期にわたって療養を余儀なくされる。
その後幽州の地で彼を見たとの報告があったが、旧知の者がそこへ行った時には既に勃海に
隠遁していたという。
後世、引き際を誤らなければ彼も子孫を残せたのではと少数血統主義者の間では悔やまれている。
蹴玉少年
>142
成頂道の父。
このほか狂都死地、診羅刳瑠、青要例分、など優れた息子に恵まれていた事で知られる武将。
本人も将来を嘱望された武将であったが生来病弱であった為その実力を存分に発揮する機会には恵まれなかった。
同期に稀代の名将小栗(>76)がおり、これと争ったこともある。
若年に置いては幡真の戦いにで大功を収め西域の若手武将の仲で頂点に立った。
箱縦の戦いに置いては未だ若輩の見でありながら歴戦の猛者達を相手に、
これらが寄せ付けることすら出来ぬ戦果を挙げる。
そして参流の戦いに置ける勝利は当時の儒者過元(カゲン)をして
「是恐怖的存在」と言わしめた。
だが、それから一戦を経た後、生来の病弱が原因となり再び戦場に立てる体ではなくなってしまい、引退した。
今尚、「仮に彼が病弱でなければ、如何程の活躍を成し遂げたであろうか」と伝えられる武将である。
蹴玉とか雪努力とか
そのまんま且つありえない名前で萎える
219 :
166:04/09/25 01:10:56 ID:WfTHPKrB
青雲空
父は西域で2つの大きな戦で勝利を収めた名将であったが、後継者と目された者達はことごとく功を成せず、
青雲が将軍となったときには既に父は失脚していた。
当然、初陣では低い評価を受けるも中山の戦で二度圧勝し、若き東の名将として名をあげる。
その後、弥生の陣では生涯の好敵手となる特週(
>>151参照)に敗れるも、
皐月の戦では猛将、典横(
>>47)と共に特週、太陽王らの大軍を撃破した。
しかし、その後の優駿の乱では太陽王軍の暴走による乱戦の中で、特週軍に大敗を喫した。
その敗戦の後、彼は典横と謀を巡らせ、
先に突撃し敵の勢いを鈍らせ、その後に敵を引き付け、最後に引き付けた敵を包囲する奇策を用いて京都の戦に臨み、
大賞典の陣では歴戦の将である目白輝、絹正義、黄金旅程らを破り、菊花の乱では特週らを圧倒した。
この菊花の乱は歴代の菊花の乱の中で最も早く終結したといわれている。
また、彼の軍は多くの白馬を用いた騎馬隊が主力であったために、彼は白馬将軍と呼ばれて恐れられた。
ところが、この奇策は見破られると脆く、京都の戦の後は小さな戦で2つの勝利を挙げたのみであった。
220 :
名無しさん@実況で競馬板アウト:04/09/25 09:37:45 ID:VM4veq9p
早く歌劇覇王と南蛮人具羅巣をやれ
名前確かにひねった方がいいな。
まあひねりすぎてもわからなくなりそうだけど。