1 :
おさかなくわえた名無しさん :
2012/02/23(木) 14:24:10.34 ID:KC6zyASb
悟りを開くのと2ゲットするのはどちらが困難ですか?
2ゲットじゃないかな
前スレはみんな1000取り狙ってるのか、998でレスがピタッと止まってるw
6 :
泥団 :2012/02/23(木) 22:36:37.92 ID:q38xEIkx
>>1 さん、乙です。
>>2 すごいわ!そのまま悟れるかも。
坐禅や立禅を3年弱続けているですが、少し困って居ます。 元々気候太極拳を10年以上やっていて、姿勢や呼吸を意識すると脳天の百会が ジンジンするのですが、最近は就寝しようと布団に入ってからもこの百会のジンジンが 出てしまい長時間寝付け無くなる日が多く成ってしまいました。 出来ればこのまま坐禅や立禅を続けていきたいと思って居るのですが、 ほっといたらいずれこの状態にも慣れて、直ぐに寝付けるように成ると思いますか?
8 :
泥団 :2012/02/24(金) 18:09:50.10 ID:7ias1cMl
>>7 上下の気のバランスが偏っているようにも思えますけど、
その他に以前と変わったことは特に起きていないのですか?
もし気功・太極拳の教室に通われているのでしたら、先生に聞かれるのが
確実と思います。
完全な独学でしたら、一度中止して様子をみる覚悟も時には必要と思います。
>>8 気功に通っていた時期もありましたが、今は通ってません。
気功太極拳というのは鄭氏太極拳です。これも型を習得してからは稽古には行ってません。
なので自己流という訳ではありません。
あなたは気功や太極拳の経験が有るのですか?
鬼和尚さん 思考、心の奴隷にならないようにするには思考、心を停止し、 それを観察していけば良いのですか? 数息観やってる最中、思考が邪魔してなかなか停止できません。
ツイッターという短いつぶやきを投稿できるサイトをよく利用しているのですが 「お腹が空いた」とか「今日はどこそこ行ってきた」とか、発言者の個人的な近況の投稿が多くて 他人が読んで役に立つようなものが、割と少ないような気がしてきました。 もちろん自分の発言も他人が読んで面白くもないだろうし、役に立たないと思う。 せっかく利用するなら誰かの役に立てるような使い方をしたいのですが、 どんな事を話せばいいでしょう?なにか知恵があればお願いします。
>>1 ご苦労さんじゃ。
>>2 わしは2ゲットしていないからわからんのじゃ。
おぬしが悟りを得れば判るじゃろう。
速やかに修行をしてみるのじゃ。
>>7 気が頭に集中してしまっているようじゃのう。
イメージで気が下におりていくとコントロールするのじゃ。
滝を浴びているとか、薬が体の中を流れて下におりるとイメージするのじゃ。
>>10 そうじゃ。
焦ってはいかんのじゃ。
ただひたすらに呼吸に集中していくのじゃ。
そうすればいずれ思考も流したり、止まるのがわかるようになるのじゃ。
>>11 そうじゃのう、おぬしが今までに経験した、生活とか仕事で役に立った方法とか、心がけとかを呟くと良いじゃろう。
知識よりも他人の実際の体験が役に立つものじゃ。
自分の役に立った事ならば、他人にも役に立つじゃろう。
14 :
泥団 :2012/02/24(金) 20:01:26.70 ID:7ias1cMl
>>9 一応習っています。
百合の感覚は私も経験がありますし、気功中は感じる方が多いようです。
>>7 で書かれている坐禅中のその感覚が、気が中脈を上昇した時のと似ている
ので、終わった後も気が降下せずにそのあたりに留まっているのではないか、
と推測したのです。
もし間違っていたら、ごめんなさい。
あともう少しで鬼和尚さんがいらっしゃいますから、聞いてみましょう。
15 :
泥団 :2012/02/24(金) 20:02:15.46 ID:7ias1cMl
あら、もう来てたw
16 :
泥団 :2012/02/24(金) 20:07:39.72 ID:7ias1cMl
>>12 ありがとうございます。
常に氣を下げるようには心掛けてるんですけどね。
数息観をする時は鼻からの呼吸の出し入れに集中しようとしてますが、
立禅や太極拳の時に意識してるのは丹田ですし、日常生活でも感情的に成ってるなと
感じる時は丹田を意識するようにしています。
気を丹田に集めると言われている不動明王真言も唱えてますし。
ただその丹田にを意識を集中すると、余計に百会のジンジンが強く感じられるんですよね。
まあ、寝る時以外は別にそれで構わないんですけど。
とりあえずそのレスの内容ですと、坐禅や立禅を中止する必要は無さそうですね。
>>14-16 そうですか。
私は普段何気なく過ごしている時でも頭頂は常に敏感な感じですね。
だからと言って、氣が上がってるという感じでも無いんですけどね。
就寝時は横に成るから氣が上がってるのかな。
小周天とかもたまにやってるんで、ちょっと色々やり過ぎなのかも知れませんね。
白隠に関しては本も何冊か読んでますし、軟酥の法も寝る前にたまにやっていましたが
当分の間、毎日続けてみます。
ありがとうございました。
18 :
泥団 :2012/02/24(金) 22:24:31.25 ID:7ias1cMl
>>17 小周天されてるんですね。
お詳しいのに横からすみませんでした。
不動明王真言にそんな効果があったなんて・・・。
19 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/24(金) 23:33:30.51 ID:t5sI9s0k
前スレ落ちたんだ・・ 最後どうなったんだろう まァいいや さとりを開いた方、またはお詳しい方へ、質問です。 さとりを「悟り」と書く人と、「覚り」と書く人、二種類います。 何の気なしに書かれている方もいるでしょうけれど、もしも表記に意味を持たせている方がいれば、 良ければ理由を教えて下さいませ 個人的には、さとりは本性に目覚める(めざめる)、耳覚める(にざめる)事なので、「覚り」と表記しています・・
>>7 さまへ。
親指ひとさし指の又組みます。みぎの甲に左のてのひら、のっけるかたち... 組んで、
そのまま右のてのひら、おなかに置いて、じぶん時計だとして、反時計まわりに36回、
なでてみて... どお? 気ぃさわぐの、おさまった? やくにたたなかったら、ゴメンね...
21 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 08:24:59.45 ID:B8xIehx5
『覺』 字源 会意形声。 「見」+音符「?」。 「?」は「?(キョク:両手で抱えるの意)」+「宀」(建物)+音符「爻」でまじわり伝えるの意の「學」の原字。見聞きしたことがつたわること。 意義 おぼえる。 さとる。
22 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 08:27:27.98 ID:B8xIehx5
『心』 字源 象形。心臓を象る。 意義 1、常に動いて血液を送り出す臓器。心臓。 2、考える又は思うこと。精神。心理。 3、真ん中。中心。
23 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 08:32:21.56 ID:B8xIehx5
『五』 字源 指事。×の上下に線を入れ、「交差する」意を表す。互と同系。 意義 1、(数字)5
24 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 08:34:36.98 ID:B8xIehx5
『口』 字源 象形 意義 1、くち 2、最初の場所
25 :
泥団 :2012/02/25(土) 11:25:20.67 ID:e3xWKIDt
>>20 さん、もしかしたらその動作、男性は逆かもしれませんよ。
収功と同じ動作だとしたら、手の組み方も逆だしね。 掲示板の書き込みを鵜呑みにするのは本当に危険。 書き込む人も、うろ覚えの知識を書き込むのはやめましょう。
私、おかしいかもしれないです 成人してるのに親や身近にいる人に甘えたくなります。 親がテレビみて私にかまってくれないと 「なんで産んだんだよ」って気分になります。 彼氏できても八つ当たり、依存して困らせてしまう 対人関係が全体的におかしい・・辛い 数息観などをしてみて、楽になれた 今は心を沈めようとしてみても、辛い気持ちが勝ってしまう どうすればいいと思いますか、
28 :
泥団 :2012/02/25(土) 12:55:26.37 ID:e3xWKIDt
>>27 いつ頃から「おかしい」って思うようになったんですか?
それ以前はどうでしたか?
あと、今後どうなりたいですか?
泥団って、女性というよりはオカマっぽいよね。
30 :
泥団 :2012/02/25(土) 13:04:14.00 ID:e3xWKIDt
やっぱりオカマキャラだったかw
32 :
泥団 :2012/02/25(土) 13:11:48.70 ID:e3xWKIDt
そうねぇ。 もしかしたら北川景子似かもしれないし、マツコ似かもしれないわ。 いろいろ想像してみて。 でも、もし私がガチムチアニキでも愛してね。(´・ω・`)
33 :
泥団 :2012/02/25(土) 13:17:24.14 ID:e3xWKIDt
そうだわ、 オカマさんって収功は、右回り・左回りどっちにしたらいいのかしら。。。
チンコがあれば右回り、工事済みなら左回りだろw
35 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 14:03:56.99 ID:VX4OBOuT
>>27 > 数息観などをしてみて、楽になれた
> 今は心を沈めようとしてみても、辛い気持ちが勝ってしまう
> どうすればいいと思いますか、
数息観などしても、一時的な逃避に過ぎない。
お釈迦様が説いた瞑想は、数息観ではなく安般念です。
自分の呼吸を意識しながら、身体全体を詳細に観察し、衝動を沈めるのです。
次に身体に起こる感覚を詳細に観察し、衝動を沈めるのです。
次に心を詳細に観察し、心の衝動を沈めるのです。
最後は法を観察するのですが、とりあえずは心まで落ち着けば十分でしょう。
>>28 ありがとうございます。他人に依存しはじめたのは19歳ごろです(今21歳です)
それ以前は、、辛くても、気付かないフリをしてやり過ごしていました。
(鬼和尚さんのブログの最新記事のような、心をゴミ箱にしていた感じです。)
気付かないふりをしていたので、溜め込んでいた辛さがどっときたのかもしれません。
生まれてから私はある程度幸せでしたが、思春期にある事件がおき、それがきっかけで生きるのが辛いものに変わりました
私が中学生のころ、反抗期で汚い言葉づかいをしていたピークのときに、
父親が夕食時にニラとイカの酢味噌和えをすすめてきたんですね、
でも私はその料理きらいだったんで、遠慮しとくと断ったんです
でも父は、「いいから食べてみなって」って笑顔ですすめてきました。
私はそのとき満更でもない気持ちでしたが、ちょっと強めに言ったら食べなくてすむんじゃないか、と思ったんだとおもいます。
そして「こんなもの食えるか!」と言ってしまったらしいんです。今思えばばかでした。
そして父親はキレまして、ちゃぶ台がひっくり返り、すごい勢いで怒鳴られ殴られました。
母がとめに入りましたが、「これは躾だ!」と私のお腹にけりをいれてきました
あとで知ったんですがその料理は父の母がつくったものだったんです。
あのとき「そんな言い方はないんじゃない、これはおばあちゃんのつくったものなんだよ」
と手よりも先に言葉で示されてたらな、と思います。そして私ももっと自分の言葉のひどさを顧みれば。
父はいままで、母を怒鳴りつけたり、普通の人より怒りっぽかったのをしっていましたが、私には甘く
いままで大体のわがままが通り、蝶よ花よと甘やかされて育ってきたので、いきなりの暴力にとても混乱しました
続きます
(続き) 「これ、言われたら相手はどう思うかな」ってまず考えて言葉を出ことができるようになったのでこの経験はよかったと思います 父がいなくてもいつかはこんなふうになってたのかもしれません。 今後は、多少つらいことがあったも、自分を傷つけたりしないで、生きていきたいです あの日から、疑心暗鬼に陥り、にくしみや破壊衝動など心に良くないマモノが棲みついたようで、それが時々顔をのぞかせます あの事件がおこるまえは、多少いやなことがあっても、へこたれませんでした。 今は、自分を信じられてないから、ほんの些細なことで不安定になります それが他人への依存とかにもつながっているんだと思います できることならもういちど反抗期がやりなおしたいですが、、 このようなマモノとは、どうやって付き合っていけばいいですか?
38 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 15:22:01.97 ID:VX4OBOuT
そこまで自己分析できる人なら大丈夫でしょう。
>>35 に書いたように、毎日自分を観察し、衝動を抑え、不安定な自分を
安定させていくのです。不安定を生じる原因が滅すれば、常に安定した平穏
な人生を歩めるようになるでしょう。
39 :
泥団 :2012/02/25(土) 16:33:23.34 ID:e3xWKIDt
>>36 、37
>>38 さんのおっしゃるように、第三者から見ると、まずあなたは冷静に
ご自分を把握できてらっしゃるように見えますよ。
きっかけの出来事も、それが自分の心に影響していることもちゃんと
わかっておられます。
ただ、その出来事が当時のあなたにとって少々ショッキングで刺激が強すぎた
のは確かなようですね?
たぶんその時、相当自信やアイデンティティが揺らいだことと思います。
特に思春期でしたから。
それで、今でもそのショックが36さんの中に残っていて、時々顔をのぞかせますね?
自分が気づかないところで、ひそかに人間関係上でなにか悪さをしている
ようにも見えています。
そこで、「それは本当にマモノでしょうか?」
もし、仮に36さんが一度まったく目をそらしたり、嫌ったり、自分を攻撃
してくる!と身構えることなしに、ただその部分を真正面から見てあげる
ことができたとしたら、それはどんな感じになるでしょうか?
見てみたいと思いませんか?
(これをするとき、もし逃げるともっと大きくて怖いマモノに見えるかもしれません)
たった一回の事でこんなふうに成っちゃうんだもんな。 よほど衝撃的だったんだろうね。 泥団が何がキッカケでオカマキャラになったの?
41 :
泥団 :2012/02/25(土) 16:49:24.26 ID:e3xWKIDt
衝撃的すぎるわよ。 でも、冷静・客観的に振り返っている。偉いわ。 私のことはいいわよ。w
>>25-26 わたし習ってるのじゃ、こうなんです... 25、26さまのと違って、ごめんなさい。(汗)
あ、男女ぎゃくなの、ゆうとおりです。わたし7さまと性別ちがうんで、わたし自身は時計
まわりです。人からみてわたしが時計。おなかが針まわってるばしょ。いきは、楽〜に...
>>17 丹田に集中すると大量の気が発生して頭に上がるのじゃ。
クンダリニーという奴じゃのう。
頭の天辺に穴が開いて気が出て行くというイメージも良いのじゃ。
試してみるのじゃ。
>>19 特に無いのじゃ。
無意味じゃ。
>>27-
>>37 信じていた者に裏切られて代わりを探している状態のようじゃのう。
最初は父親を信じて頼り切っていたが、それがいきなり暴力を振るわれて、信頼を裏切られ、頼るものを無くしたのじゃ。
その心の傷を癒すために代わりの者を欲しがっているのじゃろう。
先ずは辛かろうが己の本心を観なくてはならん。
父親にいきなり暴力をふるわれた事を、本当は怒り、悲しみ、苦にしている事を認めなければならん。
裏切られたとか、憎しみとかそのような思いがあれば、そのままに認めるのじゃ。
そしてその思いから他人への依存が起こり、それが満たされないから苦があると、己の心を観察するのじゃ。
さらにその原因が無ければ、他人に依存する気も無く、満たされなくて苦しむ事もないと観察するのじゃ。
そうすれば苦は滅して行くじゃろう。
>>43 大量の気が発生して頭に上がると悟れますか
>>43 横レスで申し訳無い。
自分のトラウマを観察する所までは分るんだけど、
>さらにその原因が無ければ、他人に依存する気も無く、満たされなくて苦しむ事もないと観察するのじゃ。
この部分がいつも引っかかるんだよね。
その原因が無ければ苦しみが無いのは分るよ。でも原因はあったんだから
どうやってそれを無かった事にするの?
その方法を教えないと駄目なんじゃ無いかと、いつも思うんだよね。
46 :
泥団 :2012/02/25(土) 21:03:30.17 ID:e3xWKIDt
>>37 さん、
「罪悪感」もね。
怖くないですよ。ただ自分の本当の気持ち、本当はどう感じてるか、素直な感情を
認めるだけでいいのですよ。
47 :
泥団 :2012/02/25(土) 21:08:16.05 ID:e3xWKIDt
>>42 習われてるんですね。
押しつけがましくて、ごめんなさい。
そっかー。。。
(本当はどっちでもよかったりしてね。w わからないけど)
玉だけ取って、竿はまだ残してるパターンか?
49 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 21:14:54.54 ID:hACCCCdE
>>21-24 大変に精しく、ありがとうございます。
「覚」は「見」を両手で抱えているのですか、なるほど。
見る事を完全に我が物としている、という感じなのですかね・・
「悟」は心と五つの口から成り立っているから、
両目、両耳、口が「心」になる、
つまりとても良くなる(鋭敏になる?)、
という感じなのでしょうね・・
そう言えば「聖(ひじり)」という文字は、耳と口の王、と書きますね。
どうも「正しく(物が)見られ、正しく(物に)耳が開かれ、正しく口が開く」ようになるのを、古人は良しとしたようですね・・
ありがとうございました。
50 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 21:26:03.39 ID:hACCCCdE
>>43 横レスだけれど、「悟り」の定義によるんじゃないですか・・?
前スレでニュートンが万有引力の存在を悟ったという話が出ました。
そういった発見、何かに気がつくというのを、広義の悟りとしたら、たとえば「気」という世界の何かを得ても、それは悟りと言えるでしょう。
ただ、釈迦の覚りに則したいなら、釈迦は「気」とかは語らなかったと思うんですけど・・
51 :
泥団 :2012/02/25(土) 22:05:25.03 ID:e3xWKIDt
チベットでは僧が脊椎の気の上昇の修練をするそうですよ。 丹田がそろって気が上昇すれば自然にサマーディに入る、とは 鬼和尚さんのブログにありましたね。 修行者にとっては気の上昇があった方が結果的に大悟しやすくなるのかも? そういえばチャクラって車輪って意味だから、ルートに近い下丹田を意識すると モーターが回る要領で気が発生するのかしら。。。 エネルギーが見える人は、人体のツボは渦、らせん状の気の出入り口 なんだそうです。 でも、じゃあ小周天なんかで巡らすのとはルートが違うんだろうか、 とかいろいろ疑問もわきますね。
52 :
泥団 :2012/02/25(土) 22:08:47.74 ID:e3xWKIDt
あ、 5行目のルートは「根」rootの意味で、 9行目のは「道」routeの意味で使いました。
53 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 22:28:49.84 ID:hACCCCdE
>>51-52 「気」の修練も、面白そうではありますね。
知識を鍛える、筋肉を鍛えるのと同様、克己が何かの役に立たないという事は、ないと思います。
・・ただ、たとえば「正定(正しい集中力)」などは、上記様々な周辺要素に打ち込んでも、身につけるのは難しいかも知れません。
釈迦が周辺要素を説かなかったのは、最も的確なのを知った(抽出した)からなのかな
54 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 22:47:53.12 ID:hACCCCdE
「気」の話が出たついでに、超能力的、超感覚的エピソードから、少し覚りを研究してみましょう。 前スレに出ていたムルティ氏は、トラと会うのに車内という仕切りを必要としたそうです。 しかし中国禅の事実上の祖、慧能は、トラとのあいだに仕切りなく、向かい合う事が出来たと、伝わります。 勿論↑の二つの逸話の内、古いほうは所謂「伝説」の類かも知れないですが、 敢えて真に受け、研究に使うと、 真の覚者は何か近寄りがたいエネルギーを放っていて、それがトラの超感覚には見えた(感じられた)、 だからこれは真の覚者、覚りを見分ける、対比的エピソードになるよと、解釈出来るのでしょうか。 エネルギー論にお詳しい、泥団さんに良ければ、伺いたいと思います。
そんなのラオウには虎がビビって、ケンシロウには虎がなついたってのと一緒だろ。
56 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 22:53:55.29 ID:T2PMnn76
>>33 収功ってはじめてきいたけど
螺旋エネルギーが回りやすい向きのことかな?
自来也先生は頭のつむじをみりゃあすぐわかるってゆっとたぞ
一人がとてつもなく怖くて寂しいです。 一人で強く生きていくにはどうすればよいでしょうか?
収功って言うのは、読んで字のごとく気功を収める。 氣を沈めて体に収める事だね。 站とう功とかやった後は必ずやらないと、集めた氣がすぐに分散しちゃうとかなんとか。
59 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 23:19:21.93 ID:hACCCCdE
>>55 ん?
ラオウ?
ケンシロウ?
何か聞いた事ある気するけど、よく知らない・・ (ゲームや漫画は、精しくないのです)
ビビると懐くのとで分かれたわけじゃないよ、件の逸話は。
壁が無くて会える、会えないで、分かれてる。
敢えてビビる、懐くを基準にするなら、トラに、「ビビる」か「懐く」の反応しか出ない事が、慧能には判っていた。
まァ、ビビるも懐くも、「近寄りがたい」に含まれると理解すれば、いいかな
60 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/25(土) 23:26:55.31 ID:hACCCCdE
>>57 達磨のやり方を借りて、
「怖いのはどうして?」と自問、
「一人だから」と自答、
「じゃあ一人だと何が怖いの?」と自問、
「一人だとやれる事が少なくて・・ 」と自答、
「少なくてもいいんだよ、ほら何も怖い事は無いじゃないか」と自答、
このようにして、「なんだ、考えてみれば怖い事ってあまり無いかも・・ 」と安心してみる。
・・安心問答と言うのですが、内容は自由に変えて、上記一連の取り組みをしてみれば、いかがでしょう。
61 :
泥団 :2012/02/25(土) 23:44:22.22 ID:e3xWKIDt
>>54 解釈は各自の自由だと思います。
真偽の確定が不可能なエピソードのみを材料にしての判断も、あまり意味がないのでは
ないでしょうか。
ただ、普段から野生の動物や子供、エネルギーに敏感な人は覚者だけでなく、
人の発する気の質を色々に感じ取っているんじゃないでしょうか?
私たちは鈍化していますけれど、それでも無意識にそういう感覚をうっすらと
使っている時もありますよね。
気と仏教的覚醒については、あくまで私個人の意見ですけど
肉体と精神が不可分であるのと同様に、身体感覚方面からのアプローチも
選択の一つとしてあるのでは、と思っています。
でもたしかに、気感や気のコントロール(の理論)のみで最後まで行くのは無理じゃないかしら。。。
気の修練をしても人格が伴わなければ諸刃の剣でしょうし、脊椎の修練を
していなくてもサマーディに入る人もいますから。
ただ、心を清浄にして目的を明らかに修練していれば、自ずと正定も成る場合が
あるのかもしれません。この辺は鬼和尚さんに聞いてみたいところですね。
62 :
泥団 :2012/02/25(土) 23:50:14.82 ID:e3xWKIDt
エネルギーと螺旋の話っておもしろいわね つむじかあ。。。 DNAも螺旋だものね
63 :
泥団 :2012/02/25(土) 23:58:28.95 ID:e3xWKIDt
そう。
私自問自答って好きだわ。
直感で質問して、深く考えずに素直に答えていくと、自分についておもしろいことが
わかったり、ちょっとびっくりするようなことが起きたりするのよ。
人間、他人のことはよくわかるんだけど、自分はなかなか見えないのよね。
>>37 さんにぜひおすすめしたいのだけれど。。。
64 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 04:10:35.58 ID:4fy7Qvjz
泥団さんは何の気功をやってるの? 流派は?
65 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 04:29:08.75 ID:HPJieH+Z
>>54 さまへ。
わたしかかってるお医者さま (気功の先生でもあります) 、こどもの頃から、とらとよく
遊んだそうです... 白い、すごいおっきいとら! 中国、そおゆうのいるんです。先生が
おとなになって、会いに行ったしゃしん、のこってます。ほかの人たち、隠れちゃってた...
>>65 さまへ。
医大出た先生に、習ってます。でも生まれつきふしぎなこどもで (お産うまくいかなくて
かんじょう失くした。仮死状態とかで生まれると、なんかヘンなの持って来るみたい) 、
医学生の頃よくキャンパスの壁とおりぬけてみたいだよ... 気功って感じじゃないね?
泥団もかなり怪しい。 気功はやってるというのに、数息観は医者に止められてるとか言ってたしな。
70 :
泥団 :2012/02/26(日) 11:40:52.63 ID:/Cvj/e1Z
私は無流派の先生よ。
もしかしたら
>>58 さんと同じかも。w
治療院の先生は、独自の理論持ってるから色々言うのよ。
でも最近は数息観くらいならやってもいいかな、って判断変えつつあるところ。
どんな偉い人からアドバイスもらっても、最終的には自己判断・自己責任よね。
あなた、いつもカルトの心配してくれてる人かしら?
カルトはダメよね。
でもなんでもかんでもカルト呼ばわりも損よ。
依存してなければいいのよ。でもそれもその人の自由判断よ。
アホw カルトに嵌ったら自己判断が出来なく成るから 他人がしっかり見てなくちゃいけないんだろ。 治療院の先生というのが確立的に一番危ないんだよ。 治療の腕が良い人が一番やっかいで、通ってる人は今まで体の不調に苦しんできたのが その人の治療で改善が見られた場合、途中でなんか言ってることがおかしいなと思っても 逆らうと治療効果が無くなるんじゃ無いかと心配に成るから、疑いを持ちつつも そいつのいう事を鵜呑みにせざるを得なくなる。 そうやってどんどん深みに嵌っていくんだよ。 整体師や鍼灸師なんかは、ただ患者の自然治癒力を引き出してるだけで 自分はその手助けをしてるだけと認識してる人でなくちゃならないのに、 何で虎と写ってる写真を患者に見せる必要があるんだ? あんたにしたって気功は良くて数息観は駄目って、不思議じゃないのか? その治療院の先生は何を基準にそんな話をあなたにするんだ? それが正しいってあんたは何を基準に判断してるんだ?
上に書いたのは、気功の先生でも一緒な。
>医学生の頃よくキャンパスの壁とおりぬけてみたいだよ.. こんな事言う医者がまともな人間だと思うか? それをまた信じる人もまともな人間のなのかよ? 普通に考えれば分る事だろ。
74 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 13:33:16.38 ID:DHUaUOzo
「気」(という得体の知れないエネルギー)に嵌る人は、 どうも超能力志向、超感覚志向が強いみたいですね・・ 敢えて話を振り、コミュニケーションに幅を持たせてみようとしましたけれど、 個人的には、覚りと全然違うと感じ、相容れなそうと判断しました。 申し訳ないですが、距離をとらせて頂こうと思います。
コテも付けないで誰があんたを認識出来るんだよ それで「申し訳ないですが、距離をとらせて頂こうと思います。」ってw あんたも相当カルト脳っぽいよなw
76 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 13:42:25.78 ID:DHUaUOzo
釈迦は本当に、「気」や呼吸法等、肉体行を説いたのでしょうか・・? 原語にあたったわけではないですが、日本で出版されている原始仏典とされるものを読んだ印象では、 呼吸法や座禅のやり方、それに費やす時間等は、特に書かれていませんでした。 肉体行の価値を、認めないわけではありません。 ただ、それは仕事やスポーツ、学問の研究等と、区別されるべきものではないように思います。
77 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 13:51:34.92 ID:DHUaUOzo
なお慧能は、次のように言っています。 「坐とは、外にあらゆる存在に対して心の起こらぬ事。 禅とは、本性に目覚めて乱れぬ事。」 坐禅とは肉体行のそれではなく、覚りを開いて表出される、ある種の精神状態なのではないか。
大体 >「気」(という得体の知れないエネルギー)に嵌る人は、 なんて言いながら、自分は「覚り」なんていう得体の知れないものに嵌ってるんだろw
79 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 14:16:45.58 ID:DHUaUOzo
勿論、覚りは体に起きるものなのですから、 体と不可分というわけにはいきません。 ・・敢えて、可能な限り健全な表現を試みるなら、 「精神が最も「楽」と感じる、(そういう意味での理想の)神経回路が、体に作られる事」 これが↑、覚りなのではないでしょうか。 そしてそれを造るのに一番的確なのを、釈迦は遺した・・ 一度造られれば、それが自動的に、一番楽な精神活動を紡いでくれる。 覚りを開いた結果としての、精神活動の自動性が、見事に表現された言葉が、実は遺されています。 「心の欲する処(ところ)に従いて矩(のり)を超えず」 孔子の言葉です。
80 :
泥団 :2012/02/26(日) 15:59:19.53 ID:/Cvj/e1Z
>>71 ちょっとw
いえいえ、そんなに心配してもらって、なんだかありがたいわ。ありがとうね。
でも、大丈夫よ。ほんと。
みんな、あなたと同じセンサーちゃんと持ってるから。
本当に危険と感じたら、ちゃんと適切に判断できるわ。でもどの線まで、とか
なにが適切かはそれぞれが決めるのよ。
それでたとえ失敗したとしても、それもその人の経験なの。
みんな、せっかく生れたんだからいろいろ試したいし、試していいのよ。
思いたいように思っていいし、やりたいようにやっていいの。
みんな、ね。
81 :
泥団 :2012/02/26(日) 16:06:24.52 ID:/Cvj/e1Z
DHUaUOzoさんって、もしかして私の昨夜のレスに対して書いてる? なんだか箱に入って中でおひとりでしゃべっているみたい。 なにやら探し物をしてらっしゃるようだけど、たぶん、そこから出るまでは お気に召すものは見つからないんじゃないかしら。
82 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 16:36:38.62 ID:ZeuQ+Z8q
悟りって胡散臭いんだがやっぱ悟ってる本人はそういう自覚くらいはあるよね?
>>80 アホw
>でもどの線まで、とかなにが適切かはそれぞれが決めるのよ。
だからカルト脳にはこういう所の正常な判断が出来ないって言ってるんだろ。
正常な判断が出来ない人が、やりたいようにやっていい訳ないだろう。
ここでコテ付けてるのはあんたと健真くらいだから、嫌でも書き込みは目に入る。
あんたの今までの書き込みを見てて、あんたがカルト脳だから注意してるんだよ。
奇跡とか信じるタイプだって自分でも言ってたし、鬼和尚に接する態度だって、
グルに接する信者そのものだよ。
まあ今の所、鬼がカルトだとは言わないし、あんたと施術者の関係もそこまで深刻とは思わないけど
あんたにはカルトに嵌る素養が十二分にあるという事を、自覚しておいた方がいい。
同じアホでも、健真にはカルト云々は言わない。
>>81 こういう表現を使いたがるのもカルトの特徴。
カルトじゃ無くてカルト脳
>>44 それだけではサマーディまでしか行けないのじゃ。
その状態で自我の想起される瞬間を観察すれば自我は滅するのじゃ。
そして自我が滅した後にもそれを観る認識がある。
その認識をも滅した状態が悟りと呼ばれるものなのじゃ。
>>45 それは無いと想うだけなのじゃ。
その原因が無かったらどのようになるかと、心の中で想い、心の反応を観察するのじゃ。
例えば手にりんごを持っていたとして、それが無ければどうなるかとか想うとする。
りんごが無ければ、手にかかる重みが無いじゃろう。
冷たい感触とか、匂いも無いじゃろう。
そのようにもし無かったらどのようであるかと想い、その反応を観察するだけでよいのじゃ。
>>57 なぜ1人が怖くて寂しいのか、心の中に原因を探してみるのじゃ。
昔、いきなり1人にされて寂しかった記憶があるのかもしれん。
あるいは1人で居る時に怖い思いをしたのかもしれん。
自らの心の中に原因を探してみるのじゃ。
87 :
泥団 :2012/02/26(日) 19:50:59.60 ID:/Cvj/e1Z
>>86 >もし無かったらどのようであるかと想い、その反応を観察するだけでよいのじゃ
ここは私も聞きたかったところでした。
理屈で「原因がなかったらそらないじゃんww」じゃなくて、
実際にそうであったらどうか、を丁寧に体感してみる作業ですね。
それを何度も繰り返す。
思考と実感を明確に分ける必要がありますね。
88 :
泥団 :2012/02/26(日) 20:01:25.02 ID:/Cvj/e1Z
>>83 それじゃあ、「今のところ」私がカルト脳ってのを自覚すればいいわけね?
いいわよ。w
カルトと戦うのもたまにはいいわよね。
>>88 >カルトと戦うのもたまにはいいわよね。
あんたがカルトを認識出来るかな?
今のままだと気づかないと思うよ。
あんたが
>>80 で書いてた事は、薬やる奴と一緒なの。
最初のうちは体に害が出るまではやらないし、他人に迷惑を掛けるような事はない。
その位の判断は自分で出来るし、それに自分の体がどうなろうと自分の勝手だろ。
とかみんな言うんだよ。
でもそのうちの三分の一くらいの人が中毒になっていき、薬を手に入れる事が
人生最大の目的となって、終いには周りの人まで巻き込んで不幸にする。
カルトはこれと全く一緒。
嵌ったら必ず周りを巻き込んで不幸にする。
あんたには今までも、色んなものに手を出して来た臭いがするからね。
それが宗教だかスピリチュアル系だかは分からないけど。
まあ、あんたより
>>66-67 の方が深刻だけどな。
90 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/26(日) 23:56:19.84 ID:DHUaUOzo
>>82 本来胡散臭いものではないと思うのですが、
釈迦ご自身が(かなり)おどろおどろしい内容を言い遺したので、どこかオカルト的な、胡散臭い雰囲気を纏ってしまったのでしょう・・
そう言えば慧能も、言葉がかなり強いと言うか、おどろおどろしさの否めない部分が、あります。
釈迦も慧能も、今少しおどろおどろしさを削れなかったものでしょうか・・
それとも真の覚りというのは、言葉にどうしても強さ、おどろおどろしさを、纏うものなのでしょうか・・
「地獄」とかを語ってしまうと、オカルト的雰囲気を纏うのは、避けられなくなりますよね・・
その点、道徳経と論語は、おどろおどろしさが皆無と言えて、かなりアッサリした記述となっています。
後代、派生的カルトも生み出していないところが、高く評価出来ると言えるでしょう。
自分にすがって生きていけないなら神仏にすがればいいよ。
>>86 あったものを無いと妄想して、それが無くなるとは思えないんだけど。
それが無かったら自分はこんなふうに成らなかったな。と思ってもそれは実際にあったんだからさ。
それとも覚者以外が見てるこの世の事はみんな自分の頭の中の妄想だから、
その境地まで達しろって事?
93 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/02/27(月) 14:54:56.47 ID:gWl8yPG5
過去に起こったことや記憶がそのままでも今の精神状態に影響を与えなくすることは出来る。 過去の自分の失敗がそのまま笑い話になることもある。
94 :
泥団 :2012/02/27(月) 15:09:09.35 ID:OJih11NZ
>>89 ちょっとw、なに勝手にプロファイリングしてご満悦なの? (キリッ!)てwww
妄想が激しいわよ。w それがカルト脳とかいうのね。
それから、あなたいつも冗長なのよ。自称カルト博士さん。
すぐわかるからできたらコテつけてね。
カルトカルトって聞いてたら、アラカルトソフトトリュフ食べたくなってきたわ。
ニキビできたらカルト博士のせいにするからね!
>>93 まあそういう事もあるよな。
ただ相談者から離れちゃったから分かりにくくなっちゃったけど
実際生きていくのが辛いくらいのトラウマになったものをどうするんだって話だからさ。
偽にも具体的な方法があったら、教えてよ。
思考や感情を観察することにより、イライラして怒ったり悲しんだりという強い感情はなくなったのですが、 漠然と気分が落ち込むというか、何かよくわからないけど不安になるというか、 穏やかなんですが薄い負の感情に覆われているような状態です。 覚者の方は逆に穏やかに幸せを感じている状態なのかなと思うんですが、 今のなんとなく不安状態を抜け出すにはどのようにすればよいでしょうか?
鬼和尚さんみたいに悩み相談や人助けをしたいのですが、 苦しんでる人を余計に苦しませてしまうのではないか不安です。
>>87 そうじゃ、そのように想う事によって、原因から起きた反応が滅するのじゃ。
それは原意から起きた反応を滅する作業なのじゃ。
記憶は残るがそれから起きる反応がなくなるのじゃ。
>>92 それが無くなるのではないのじゃ。
原因の記憶はありつづけるじゃろう。
しかし、そこから次々に起こる反応が滅するのじゃ。
例えば親にぶたれたとかの記憶から他人への過度の依存が起こり、満たされぬと、そこからの逃避として酒や薬にまで依存するようになると言うような反応があるとしよう。
原因から観想して反応が完全に観察されれば、原因となった記憶は残っておる。
しかし、その原因から起こる他人への依存や満たされぬ苦や、そこからの逃避としての依存も起こらなくなるのじゃ。
それを理解するのじゃ。
>>96 それもまた原因を心の中に探してみるのじゃ。
本心を自らに開き、心の奥に隠していたものや逃避していたものを全て見てみるのじゃ。
それこそ心を整える道なのじゃ。
>>97 今の自分に完全に判る事だけを言えば良いのじゃ。
知ったかぶりや背伸びをせずに、自ら体験した事を話せば役に立つ者もいるじゃろう。
悟りをひらいた人なら、正しいアナパナサティ知ってるよね? 後生のため一度教えてくださいな。
>>98 何か
>>86 と言ってる事変わって来てない?
なら何にも依存しないで、ただただ苦しみに耐えてる場合はどうするの?
実際に親に虐待を受けた過去があって、それで人間関係を上手く築けなく成るなんて人はいくらでも居るし
その人達がみんな酒や他人に依存してるわけじゃ無いでしょう。
その場合その人達が、自分が人間関係を上手く築けないのは親に虐待を受けたからだ。
それが無ければ自分は人間関係を上手く築けるはずだなんて思うだけじゃ
苦しさからは開放されないと思うよ。
もっと具体的はアドバイスは無いですか?
あってもなくても同じってことだよ 同じようにいぬに噛まれても、いぬが怖い人もいればこわくないひともいる
>>71 俺も最近その状態になってたけど、そういう疑問とかもっとぶつけていっていいと思う。
俺が行ってた医者は、医者にしても何にしても自分のために“使って”くださいって言ってて、
自分が思った疑問とか悩みを素直に言ったら、それは病気である部分とそうじゃない部分があるとか、こうこうでこういだからこの薬を出していますとか、
いろいろちゃんと説明してくるし、もししてくれなかったらその医者は使えないからやめて別のとこに行けばいい。
俺もおまえと多分おんなじなんだと思う、医者いわく俺は、なんにでも遠慮しちゃうみたいで、おまえも心の中では疑問に思ってても、
なんか遠慮しちゃって思ってる疑問を打ち明けられないんだよな。
もっと言っていいと思う。そしたらカルトも使えないなら使えないってはっきりさせられるからいちいちカルト脳だとか言って噛みつく必要もなくなるし。
104 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/02/28(火) 00:42:24.53 ID:qOA1aVox
>>95 まずは原因を探ってみたら? 大雑把にではなくなるべく詳細にね。
例えば「誰々があの時ああ言ったから傷付いた」だけではなく、何故自分は
その時そう言われて傷付いたのかとか、自分の側の理由を詳細にね。
例えば「傷ついた」とかいう言葉を与えることでそこで納得しちゃうんだよな。そこで止まっちゃう。 安易に言葉を与えてしまう。もっと味わわないといけないんだろう。
>>102 そういう事でトラウマに成る人は、それが無くても他の問題がトラウマに成るって事?
>同じようにいぬに噛まれても、いぬが怖い人もいればこわくないひともいる
こんな事はみんな分かってると思うよ。
>>103 なんだろうな。
理由も無く毎日のように殴られた奴はそれを全部思い出す事もできないだろう。
親の側を分析したって自分の妄想なだけで、それは消えないだろうし。
>>106 理由もなく殴られたんなら少なくとも自分は悪くないし、あぁお父さん社畜で辛かったんだろうなとかそういう感情移入の仕方で少しはトラウマは癒せるよ
108 :
泥団 :2012/02/28(火) 11:44:09.29 ID:oQcPx0y+
私は、
>>105 さんのが言い得て妙と感じるわ。
理屈、理論じゃないのよ。
頭だけで考えて行き詰まってるときって、実は意識もできないくらいの微妙さで
習慣的思考法に頼ってるだけで、「今ここ」でそれを実感はしてないわ。
「これがなかったら、この苦もないに決まってる、当たり前!」って。それで終わり。
それってよーく見ると、実は記憶や今までの経験則にしたがって自動処理
してるだけで、それを実際に見てはいないの。
今ここ、この瞬間にそれを味わえてない。
当たり前よね。
体も心も無意識に痛みを避けようとする自然な防御反応があるから。
熱いものに触ったらとても痛いという経験をし、体の自然な反応で手をひっこめる。
次からはその経験・記憶にのっとって、習慣としてニ度と触らない。
別に意識して深く考えなくてもね。
トラウマもその時心身共に痛い経験をしたわけで、ありのままを十分に経験して
感じ切れてないままなら、常にそこその痛みが残ってて必死で避けてる状態。
それだと日常生活に支障をきたすから、徐々に抑圧したりなかったことにするわけ。
いちいち意識してなくても自然な反応として、心身が勝手にそれを避けようとして
くれるわ。
思い出さない、感じない、別の解釈を付け加えて納得のできるものに
すりかえる、そもそもそれが別の経験であったということに記憶を変えて
しまう、自分が悪かったことにする(ある場合はその方が楽だから)etc・・・。
それをあえて痛いとわかってる熱いヤカンにもう一度触ってみようというんだから、
当人にとっては最初はものすごく勇気がいるのよ。
109 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/02/28(火) 12:37:54.57 ID:GG4rKs+K
自分が悪かったことにするってのは避けた方が良いね。もちろん怒って暴力振るう 側はお前が悪いと断定するだろうが、しかし、その言葉を信じてはいけない。 信じてしまうと同じような人間になってしまう。
110 :
泥団 :2012/02/28(火) 15:22:05.95 ID:oQcPx0y+
避けたいのはやまやまなんだけど、苦しくて堪らないのに他に逃げ場がない から、脳が一時的な暫定処理としてそうしてくれるんですよ。 そのおかげでその後も日常がまあなんとか維持できるんです。 だけどあくまで一時的処理だから、本格的な処理が十分できるころになったら 「この件はまだ未処理ですよ。そろそろ・・・」のサインが出てくるの。 このサインってのがたまに怪物みたいに思えて怖かったりするんだけど(私も怖かったわよ!!)、 サインも体の自然な回復反応なんです。 ネタバレしちゃうけど、最初悪役、実は味方、みたいな感じ。
>>100 出入息経を読んだら良かろう。
今は本屋で現代語訳が売っているのじゃ。
便利な世の中じゃのう。
>>101 最初から行う事を説いておるのじゃ。
苦に耐えておる者ならば、原因から苦が生じ、それに耐えていると観察するだけじゃ。
耐える事も原因から生じた苦から起きた反応なのじゃ。
これは語ることではなく、行う事なのじゃ。
自らやってみて他人が何を語っていたかわかるものじゃ。
例えば泳がない者が水泳ついて何を聞いてもわからぬようにのう。
想うだけでは何もならんのじゃ。
心の反応を観察するのじゃ。
これが真に具体的なアドバイスというものじゃ。
行わない者には何の効果も無いのじゃ。
すでに何人にも教え、実際に苦が滅したという者も多いのじゃ。
おぬしも思うのはひとまず置いて行ってみるのじゃ。
>>111 結局、具体的な事は言えないって事なんでね。
まあその人じゃ無いから、妄想になっちゃうか。
なら例えばさ、あなたは子供の頃だかに死にかけて、それから死ぬのが物凄く怖くて
それで仏教とか悟りとかにのめり込んで行ったとか言ってたよね。
ならそれをどうやって克服したのか、それこそ順を追って書きこんでくれれば
凄く参考になると思うんだけど。
.,.,.,. ,),ツツ''" "ツシッ,,. ,.,.,.,.,;ツ' "''彡 ,: ''"'" "';、 ,:'" '; ,.,'" 彡 ミ 彡 ,;'" ミ ミ ミ 彡 彡 ミ ミ ミ , 、 ミ ミ ミ 、ミ ミ ミ (●ノ ミ ミ ミ ミ }`ヽ、_____゙ ミ ミ ミ ミ シ | " , <、、 ,., ヾヾ ヾ ,.ミ゙ レ ' ゙':;, ヾヾ ,,,.,ヾヾ .,.ヾ゙ ゙''-、,,,,..,.,..ミ、,;,,::,:ヾヾ }゙''}''" __, --ノ ト、ゝ / / _,,..,,,,_ . _ `ーー'ノ, ヘ、ヽ / { / ,' 3 / ヽ--、 / / -=ニニァ ,、\ l / ヽ/ //- ヽ \ /`'ー/_____/ ∠/ \ゝ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>109 そう言えば、偽和尚は親との関係をどうやって克服したの?
親が無明だったとか納得して簡単に消えちゃったとか?
偽和尚は学生の時に変容が起きて、1〜2ヶ月間一如の状態に成ったとか言ってたから
時に消えちゃったとか?
言いたくなければ無理にとは言わないけど、誰かの具体的な話があると参考に成ると思うんだよね。
>>114 × 時に消えちゃったとか?
○ その時に消えちゃったとか?
鬼和尚さん オショーが、自分の内側を見る第三の目がある。 眉と眉の間、ちょうどその真ん中。 毎日瞑想していればある日突然、第三の目が開く。 と言ってましたが、 これは妄想をなくし自分を観察することの比喩ですか? それとも本当に感覚的に第三の目があるのですか?
118 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/02/28(火) 22:59:21.14 ID:qOA1aVox
>>114 参考になるのか? 単にどうでもよくなっただけだが。
119 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/02/28(火) 23:02:12.41 ID:qOA1aVox
ああ。そうそう。怒りの感情に振り回されると何がどうなっていようがうまく行かんと思うよ。 完全に怒りの感情がなくならなかったとしても、とにかくそれに振り回されなければとりあえず なんとかなると思う。
>>118-119 ありがとう。
どうでも良くなったのに、親が殺されたら喜ぶかもなんて冗談でも言うか?
まあ良いけど。
怒りの感情が無くなるには結局観察って事に成ると思うけど、
それこそ頭で分かっても出来ないって部類のような気がする。
結局みんな全然具体的じゃ無いんだよね。
日本古来の信仰でもある「神道」についてどう思われますか? その歴史的意義や教義などについて
122 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/02/29(水) 10:31:22.68 ID:JUKGtiSJ
>>120 まあ、自分でやってみればいいんじゃない?
そうすればもう少し詳しくわかるだろう。
123 :
泥団 :2012/02/29(水) 13:19:32.06 ID:eC7rt/9V
>>120 一回、もっと具体例を示されなければ、もっと他人に言葉をつくして
もらったら理解できるかもしれない、ってレールから外れてみないと。
そこを何回もなぞっててもしょうがないわ。
もう分析も質問も十分やったんだから、あとはやるかやらないかよ。
実践が先、理解はあとよ。
>>112 おぬしが自分の苦に付いて具体的な事を書かなければ、誰にもわからんのじゃ。
しかし、死についての苦であるならば、悟りを得るしかないのじゃ。
真の死と死の恐怖とは違うものじゃ。
誰も未だ死んだ事が無い故に、死そのものを恐れる事は出来ないのじゃ。
死の恐怖には、死後の未知についての恐怖とか、死ぬ時の痛みや苦に対してのものとか、己がなくなる事への恐怖とかがあるのじゃ。
わしは悟りを得て死にも変化しない意識に到達し、未知のものへの恐怖が無くなった。
肉体を己と認識する事が無くなった故に、死ぬ時の痛みや苦しみへの恐怖が無くなった。
すでに自我は無く、意識は永遠と知る故に死もまた無いと知るに至った。
故にもはや死は無く、死への恐怖も無いのじゃ。
>>117 そこにチャクラというものがあって、透視が出来るとか言うのう。
それは集中力をつけさせるための方便でもあるのじゃ。
>>121 神降しとか、神託政治の民間信仰じゃのう。
民衆を掌握する為に有効だったのじゃろう。
民間信仰には教義とかは最初は無く、後から付け加えたりするから意味が無いのじゃ。
民衆を統治する有効性によって存続しておるようじゃのう。
出家して僧になっても、あまり苦悩を滅する役には立たないと考えますか? 俗世間にいても悟れるのなら、僧になる価値などあるんでしょうか? 仏教を学びたい、真面目に修行したいと言う気持ちで出家しても、やはり意味はありませんか?
127 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/02/29(水) 20:14:07.07 ID:kfEgTqln
>>126 > 出家して僧になっても、あまり苦悩を滅する役には立たないと考えますか?
僧になれば僧なりの苦悩があるだろう。
> 俗世間にいても悟れるのなら、僧になる価値などあるんでしょうか?
> 仏教を学びたい、真面目に修行したいと言う気持ちで出家しても、やはり意味はありませんか?
俗世間にいても悟れるが、僧になる方が捗ることが多い。
学問は大学に行かなくても学べるが、大学行く方が効率がいい、というのと同様だ。
ただし、ちゃんと悟りまで導くシステムがないところでは意味はないだろうが。
>>124 悟ったから死の恐怖が無くなったって事ね。
ならしょうがない。ありがとう。
130 :
泥団 :2012/02/29(水) 22:25:25.45 ID:eC7rt/9V
鬼和尚さんは、修行を始めてから死の経験を思い出したことはありますか?
人間以外の時のでも。
どんな感覚とか、何を思っていたとか、死んだあとの情景・状態とか、
よければそのときの様子を教えてください。
>>128 自分のレス読み返すと、たしかにヤな感じだわ。
出娑婆ったりして、ごめんなさいね。
>>90 さまへ。
そだね、お釈迦さま、お話こわい... ぶるぶる震えてきちゃうぐらい... くらべてわたし
かかってるお医者さま、こわいことゆわないです。まぁお医者さまってのもあるのかな?
人こわがらせてどおするってお仕事。お空飛んだりみせるけど、嚇さない。いばんない...
だます、しい行為って意味かな... 浜辺あるいてて、西遊記のお話出た。こんなお空 飛び回れたってゆいますね。きいて、ヒュンッ、水平線まで飛んでみせてくれたんです... しいとか、そおゆうじゃないんです... こわいお話、したときないよ? お金もとんない...
>>133 だから飛んでるように見えるように騙してるんだよ。
西遊記はただの作り話だからね。
>>135 その病院の名前と場所教えてもらえるかな?
>>126 死人に経を唱えるような寺のものならば、出家しても苦を滅する役には立たないじゃろう。
真の悟りを求めさせる寺でないならば、出家の意味は無いのじゃ。
真のお釈迦様の教えを知らない寺で、どのようにして学んだり、真面目な修行が出来るじゃろうか。
>>129 おぬしも修行すると良いのじゃ。
またおいでなさい。
>>130 大体白い世界じゃ。
家とかは同じであるがみんな白く清浄なのじゃ。
先に死んだ者が居るのじゃ。
観ようと思えば誰にでも観られるものじゃ。おぬしも観た事がある筈じゃ。
思い出せばよいのじゃ。
白い家の夢でも見たんだろ
139 :
泥団 :2012/03/01(木) 20:28:11.55 ID:9fWoT4MO
>>137 ありがとうございます。
白い家・・・、思い出せないわ。。。
先に死んだ人を認識できるということは、自我が落ちない限り死後もかつての
肉体=自分という意識のまま、その記憶やデータを保持したままなんですね。
その一つの生(肉体)の記憶が新しいものにとって変わられるのは、やはり
転生が決まった時とか受胎時ですか?
肉体を必要としない転生もあるのでしょうか?
あと、「みんな清浄」っていうのがちょっと腑に落ちないですが、
生前の行いの因果は死後反映されてないのですか?
他の生きものを苦しめた者も、よく多く善をおこなった者も、みんな同じステージ?
なるべく方便を使わずに、率直に本当のことを教えてください。
それと、死の直前はどうでしたか?
普通の人が死に対して抱くイメージの通り、本当に肉体的・精神的に
苦しかったでしょうか?
納得し、やすらかな息の引きとり方ができた時もあったのでしょうか?
なんだかいっぱい質問してしまったけれど、
やはり死についての疑問はつきないもので。。。。
140 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/01(木) 23:46:45.05 ID:5LoZ29sr
釈迦が死後の世界をおぞましく語ったのは、 当時のインドの寿命が短く、 またそこかしこに死体が転がっていて、 社会全体が言わば終末医療の様相を呈していたから、なのかも知れません。 死後と生前が、何と言うか、境が曖昧だった。 実際釈迦は、死をデジタルなものとして言い遺していませんからね・・ 生と死が、原始仏典を読むと、どこかアナログに扱われている。 時代性が表現を微妙にし、(後代)誤解を招いただけで、釈迦は本当は死後の世界なんて語らなかったのかも・・
141 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/01(木) 23:49:56.14 ID:5LoZ29sr
まァ解釈は人それぞれですし、どんな見解にせよ「これが(絶対)正しい」と思い過ぎては、いけないのでしょうけれど・・ 「忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違う事を怒らざれ。 人皆心あり。 心おのおのの執れる事あり。 かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。 われ必ずしも聖にあらず。」 聖徳太子の言葉です。
>>137 その白い世界には、人間の言葉を話す白い犬のお父さんは居ましたか?
鬼和尚はよく「自分が本当にやりたいことを探せ」と言われますが、 日々仕事に追われるしがないサラリーマンは、したいことを探す時間がとれません。 休日は疲れて寝てしまいます。どうやって本当にしたいことを探せばいいのですか?
144 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/02(金) 19:22:47.58 ID:gEq91HmG
>>143 その人にとっては「仕事」が一番「したいこと」なのだろうから、それでいいのでは?
解脱者の方の叡智を授けてください 今、日本は増税してでも安心の社会保障実現や財政再建を目指すべきでしょうか? あるいは増税なし、むしろ法人税減税などによって企業の国際競争力を上げて 景気回復を目指すべきなのでしょうか? どちらにもそれぞれ一理あり、自分ではなかなか判断が出来ません どちらがより日本にとっての次善策なのでしょうか?
>>139 おぬしも本当は知っているのじゃ。
特に新しいものにはならないのじゃ。忘れているだけなのじゃ。
そこは中有だからじゃ。
死んだ後しばらくそこにいるのじゃ。
報いは生まれる時に出るものじゃ。
死んだのがわからなかったり、いろいろなのじゃ。
おぬしも自分が生まれる前にどこにいたとか、遡って観ると良かろう。
いろいろ思い出すじゃろう。
>>142 おぬしも行って観てくると良かろう。
いずれどのようにしても行く事になるがのう。
>>143 自分が歳を取ってもはや死ぬ時の事を観想してみると良い。
もはや生きるチャンスは無くなり、後10分ぐらいで死ななければならないとしたら、おぬしは何をしておけば良かったと思うじゃろうか?
もっとやりたかった事があるとしたらそれは何じゃろうか?
それがおぬしのやりたい事とわかるのじゃ。
>>145 金が無いから増税するしかないのう。
その前に総理大臣とかの給料は返上するのじゃ。
経済は規制緩和とかで誤魔化すのじゃ。
政治家も大変じゃのう。
>>145 社会主義と資本主義の国家同士で第三次世界大戦を起こさせれば、日本は復興する。
149 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/02(金) 23:10:56.31 ID:gEq91HmG
>>145 どちらでもよい。
どちらの社会でも、同様にしっかり生きればよい。
社会制度としてどちらがすぐれているかも、細部による。
どちらの場合も、細部の設計をうまくやればうまくいくし、間違えばどちらでも
失敗する。
150 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/03(土) 05:00:00.00 ID:pm85w26A
>>135 マジレスするとそれは浮くんじゃなくて(空中浮揚というヤツ)、
飛んでるの?
で、そういう超能力が悟りの証拠なんだよと言いたいのか。
しかし赤子の時から憶えないと使えないんだったら超能力は悟りと関係ないんじゃね?
赤子の時悟らないと悟れないってことになるからな。
152 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/03(土) 07:31:57.12 ID:rgGuLvFH
武術が好きで長年中国武術を学んでいた。 七年目にようやく腰が治った。と同時に、手から気が出るようになった。 外気照射と言うのだろうか。 これを他人へ施すと、腰や肩凝りが楽になったと言われる。 照射する時、ジジジーと音がする。初め人に指摘されて気がついた。魔法瓶の湯が鳴る音に少し似ている。 こうなって分かったよ。白隠の言った隻手の音声の意味が。 白隠は仙人に、今で言う気功法を習ったから、この音が出せるようになったのでは。
153 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/03(土) 09:06:50.67 ID:KnKn7z6x
大変面白い解釈ですね。 隻手の音声とは、「気」の出る音・・ このような説を唱えた方は、おそらく初めてじゃないでしょうか。 白隠慧鶴は計三回、大きな悟りを得たと言いますが、その最初の一回目になる「隻手音声」は、こう解釈するのも有りかも知れません。
154 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/03(土) 09:08:52.53 ID:KnKn7z6x
・・ちなみに白隠の二度目の悟りは、托鉢をしていた際に、老婆に箒でバシバシ叩かれ、 その痛みと怒り、情けなさを、全て精神的に「受け容れた」時、起きたと言います。 「あァ、全ては無常だ・・ 全ては受け容れられる・・ 」 そう心から(努力感なく)感じられるようになり、そうなると生きる苦しみが消え、 これこそ釈迦の言い遺した「悟り」なのだと、思ったそうです。 禅を志した若い頃、ある意味出発点ともなった、いにしえの趙州という禅師の遺した言葉、「犬猫に仏性は無い」、 その意味は最後の謎として残ったものの、最早それは過去の(まやかしとさえ言える)遺物に感じられ、興味は無くなった、と・・
155 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/03(土) 09:12:08.54 ID:KnKn7z6x
・・しかし、ある秋の夜。 夕涼みをしていた白隠の耳に、鈴虫の音が聞こえてきた。 リーリーリー 「美しい・・ 」 そう素直に感じ、何気なく庭を見たら、犬がその音に無反応でいた。 ・・ハッ!! その時、白隠は趙州の言葉の意味が、解かったのだそうです。 そして解かった時、それまで悟ったと思っていた状態が、自然ではない、ある意味(精神的に)ムリをしていたものだというのが、 解かったのだそうです。 それは白隠にとって三度目の、そして本当の「覚り」だったのでした。
156 :
>>27 :2012/03/03(土) 11:04:39.93 ID:bwBCoo0D
>>39 泥団さん、
>>38 さん、
>>43 鬼和尚さん答えてくれたみなさん
ありがとうございました。返事が遅くなってすみません
あの日から、相談したからか胸がスッとして依存心がおこらなくなっていましたが、
またいつ起こるかわからないので対策をおこたらないようにしようと思います。
原因について、私も
>>45 さんのような疑問がありましたが、鬼和尚さんの回答を見て、
なんとなくわかったような気がします。
原因がなかったらどうなるのか心の反応を観察するのですね。
皆さまの回答がこころから嬉しかったです。ありがとうございました
157 :
泥団 :2012/03/03(土) 11:20:07.44 ID:04dUd/Uf
>>156 よかったー。こんなところでも少し吐き出すと楽になりますよね。
もう書いちゃったから言うけど、マモノも本当はあなたのお友達だし、
感じる機能は誰でも持ってるから、気楽な遊び感覚で
ゆっくり気長にやっていくといいと思うわ。
>原因がなかったらどうなるのか心の反応を観察する 原因は無くならなくてもこの観察をする事で、結局全ての苦は自分が作り出してるにすぎない という事が分かるって事かな? 原因が無かったら苦も無い。しかし実際には原因があった。 でもその原因自体が無ければ苦は無いんだろ? 元々無いものが、その原因による心の反応として苦に成った。 苦になる原因があったとしても、心の反応によっては苦にならない。 なら自分で苦を作ってるって事だね。 う〜ん。なんかしっくり来ないな。 苦の原因があったとしても、元々そんなものは無かったんだから そんな事を思い出して苦しむのは馬鹿馬鹿しい。 これじゃ苦は滅しないな。 ただ単にその原因が無かったらどんな人生だったかを妄想して楽しむ。 これは話にならないな。 突き詰めて行くと、その原因が無ければ今の人格では無い。 なら自分で自分だと思ってるものは何なんだ? ん?もしかしたら悟れるかもw って喜ぶ。 なんかどうでも良くなって来た。もしかしてこれが狙いか?
要するに、自分が原因だと思いこんでることは原因じゃないってことだよ。 タンスの角に足の小指をぶつけた、電車で足の小指をわざと踏まれた、 かわいい女の子に間違って踏まれた、これがどれも同じ痛みなのに 状況によって異なる反応を自分が示すとしたら、原因は痛みじゃない ことになる。わかるかなあ。
その場合原因は痛みだろう 痛みによって色んな反応を示すんだからw
161 :
泥団 :2012/03/03(土) 18:58:16.39 ID:04dUd/Uf
>>146 中有かー。
人間世界ではだいたい49日ですね。
じゃあホイットニーは今まだそこにいるんだわ。
いつごろそういうのが観れるようになるのかしら。。。
162 :
泥団 :2012/03/03(土) 19:09:23.67 ID:04dUd/Uf
>>158 上の2つはまさに思考してるだけだからたぶんペケね。
3番目が惜しい感じかも?
どんな人生になってたろうと考えるんじゃなくて、自分の体がどんな
反応をしめすだろうって、予測とか期待とか一切抜きで今ここで実際やってみる
って感じじゃないかしら。
案外これはやってないと思う。
>>156 どういたしまして、またおいでなさい。
>>158 判らなくて良いのじゃ。
観察は知識や理解を得るためのものではないのじゃ。
原因から起こる苦の反応を厭離するためのものなのじゃ。
自ら行えばわかるじゃろう。
>>161 今も観ようとすれば観られるのじゃ。
寝ている時に観たりするのじゃ。
死者と生きる者の意識はつながっているのじゃ。
>>160 痛みだけが原因なら、反応は3つとも同じになるはずだ
>>164 いやだから、原因が自分でぶつけたか、相手に踏まれたかだったら
また別の話になるでしょう。
そのとおり。何が原因だろうと、自分次第でその解釈は変えられるんだよ。 背中に燃えた草を乗せられるのは拷問かもしれないし、治療かもしれない。 辛い記憶はただのトラウマかもしれないし、人間的成長に必要な試練かもしれない。 解釈次第でどうにでもなる。
言いたい事はわかるんですが、例えば光市母子殺害の被害者は、あれで良かったと解釈次第でいいとはどうしても思えないです…
168 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/03(土) 23:42:22.03 ID:BHyENXpy
どう解釈しようと、事実は変らない
踊り念仏で無我の境地を体感することはできますか? 南無阿弥陀仏と一心に唱えることで、どんな境地へ到達できるのですか?
一歩進めて、解釈をしないという方法もある。ヴィパサナってやつだな。 足を踏まれたら「痛み、痛み」とだけ認識する。相手が誰だとか、踏まれた理由とか 一切考えない。もちろん、避けられれば避けたらいい。事実と感情を切り離す。 ま、世間にどっぷりつかって固定観念から離れられない凡人には無理な方法だが、 一応紹介してみた。
>>151 さまへ。
ボンッて跳ねる。ふわって浮く。そおゆ人いるの、知ってます。でも先生、ちがうんです...
すごいスピードで、お空飛ぶ。ヒュ、キュン、って感じ。とちゅう、軌道とぎれたりするの...
たぶんワープもしてるとおもう。UFOと、おんなし飛び方... えっ、と (汗) ... やっぱ
信じらんないよね... ごめんなさい... きょうみないかもだけど、飛べるようになったの
なんでか、話してみるね... あかちゃんとき、夜よくふしぎな人が、むかえにきた。山に
連れてかれたみたいだよ。その人、あかちゃんだった先生小脇にかかえて、山から山、
ひとっ飛びしてたんだって... いつもそうしてもらってた。だから教わるでもなく、飛ぶの
おぼえたらしいです... あるくのおぼえるのと、おんなしかも? おんぶされてあるいて
もらう。それだけであるくのおぼえるからね... 飛ぶのやったげられる人、少ないだけ...
>>167 どうして?
一切皆苦から逃れられたんだぜ
無差別に殺される人々は幸せだ
運がいいとしか言いようがない
前の戦争で日本人が中国人の首を切り落としまくった時、
中国人は抗いもせず素直に処刑台にたったらしいよ
「おっ、死ねるのかラッキー♪」みたいなかんじだったんだってさ
不幸なのは夫だけさ ともに苦しみを分かち合う伴侶を失ったんだからな 夫も一緒に殺さなかったのがこの犯人の罪だな
お前らはなにか忘れてないか 俺達の生存の礎が先祖による殺戮のおかげだということを 俺達は全員、人殺しの息子だ
種を撒いた所でカラスがほじっ食ってしまったら芽がでない だからカラスを皆殺しにしてしまえ という了解のもとに俺達は社会を作ってきたはずだ 俺達は全員、血塗られた血筋を持っているのだよ どこぞの母子が殺されたからと大騒ぎしているバカどもは恥を知るといい
176 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/04(日) 00:44:00.60 ID:amBx3if4
>>173 全てが同時に消えないと、また新たな苦しみが生まれるのです。
処刑が、体の一部だけを処刑したら、以前より遥かに悪い。
それと同じで、一部の人間だけを消したら、残された人間に苦しみが生まれ、総体として以前より遥かに悪く、苦しみは増大します。
ゆえに人を殺してはいけないのです。
>>166 それは鬼和尚のいう苦を滅するという話とは違いと思うよ。
結局それは物事の捉え方の問題でしょ。
関西方面でよくある話なんですが、市職員の特定枠に特定地域出身者を 優先的に採用するという慣習があり、その特定枠で入ってきた職員の 不祥事が多発しています 以前に比べると多少は報道されるようにはなりましたが、それでも 不祥事の量と報道の量を考えるとまだまだバランスが取れていないと思われます。 しかし、あまり詳しく報道すると差別問題に発展する可能性もあり、難しい問題です。 解脱者様はこの問題をどう捉えていらっしゃいますか? また、特定枠採用の不祥事多発問題について、どれくらいの詳しい報道が 正しい報道のあり方なのでしょうか? また、あまり詳しくやりすぎると差別問題に発展する可能性があることについても どういう見解をもっていらっしゃいますか?
差別とか正しい報道というものはないのじゃ。 どうなってもよいのじゃ。
"差別"や"正しい報道"があるとされてもいいし、それがないとされてもいい この文章自体がないとされてもいい。さぁ解放してやったぞ?どうする?
誰が何をしたかだけ報道すればいい。被差別部落出身者だとか報道する必要はない。 そのために採用に不正がなかったかどうかさかのぼって調べてるわけだし。
>>169 長い間やっていれば成る事もあるじゃろう。
サマーディにまでは到達できるじゃろう。
>>178 そのような事はもはや辞めたらよかろう。
逆に差別なのじゃ。
普通に報道するのじゃ。
本当の事はただそのままに報道するが良かろう。
常に本当の事を伝えていれば、どこから抗議が来てもありのままに報道したと言えるのじゃ。
183 :
泥団 :2012/03/04(日) 19:52:55.10 ID:x+1Nss/M
>>163 特に集中力が強くなくてもですか?
寝る前に強く思う、だっけ。
でもいろんな思い込みや観念が邪魔になって「そんな簡単に観れるわけない」
とか「でも本当は観るのがこわい」とかになってそう。
>>171 さんの話で、ハリー・ポッターを連想してしまいました。
>>179-182 どうもありがとうございました
あった事実だけを淡々と報道するのが吉ですね
どうして人は生きるの?
>>181 在日の犯罪の場合、在日の誰それが〜という報道もおかしいのかな
>>183 本当は誰もが親しい人と夢の中で会ったりしているものじゃ。
眠りの意識と死の意識は同じなのじゃ。
起きた時に変な夢を見たとか知識で解釈してしまうと忘れるのじゃ。
それは合理的で秩序のある自分の世界を、壊さないようにしたいという願望から起こるものじゃ。
>>184 そうじゃ、正直が一番の戦略と誰かが言っていたのじゃ。
またおいでなさい。
死ぬと生まれ変わるから 死者と会うのは無理じゃないですか
>>185 その答えは人がどうして死ぬのかという答えと同じです。
鬼も完全にボケて来たな
152 :名無しさん@12周年:2012/03/02(金) 22:22:21.23 ID:n+23CAor0 生前幸福だった人にとっては死は壮絶な苦しみだよな すべての名誉も財産も蜃気楼と解るときだしね 死は絶対的な平等だね
192 :
sage :2012/03/06(火) 11:04:05.18 ID:GuYP8qRc
>>191 この世は物質が全てじゃ〜、と思っていたらそうかも知れないね。
だけどそうではない。それを感じることができるかどうかだな。
悟りの第一歩♪
193 :
泥団 :2012/03/06(火) 12:45:33.56 ID:SvgOww0D
>>187 そっかー、覚えてないだけってのはありえますね。
また、覚めている間に現実世界をどうとらえているかが、逆に夢の世界を
どう解釈するかに影響するんですね。
たとえば、人生思っているようにうまくいかないとかで苦悩の多い人は
「現実とはつらいものだ」的な眼鏡を無意識にかけてしまっていることが多いけど、
そしたら夢の世界も起きてから思い出すときにそんな視点から解釈してしまうんだわ。
本当は本心にかなった夢を見ているかもしれないのに。
独断かしら。。。
でも、きっと本当の自分を知ることは、現実世界をありのままに見ることに
つながっているのだわ。
歪んだ眼鏡なしに。
>>185 いろいろな理由からじゃ。
ただ死ぬのが怖いとか、やりたい事があるとか人によってちがうのじゃ。
>>188 生まれる前に会えるのじゃ。
人によって違うが間があるのじゃ。
>>193 そのようなものじゃ。またおいでなさい。
195 :
151 :2012/03/07(水) 06:24:33.34 ID:psc+0ZT+
>>171 俺は超能力が悟りの証拠なのかと聞いたんだけどな。
インチキヨガのグルがやる空中浮揚のパフォーマンスと違いそうだというのは
分かった。
それでもそれを悟りの証拠と考えるのは違うんじゃね?と言いたい。
何度でも言うぞ。悟りとは超能力の獲得ではない。
昨日、家のじいちゃんが亡くなりました(TT) 病室で最後を見取るために家族全員がそろいました。 僕が「なにか最後に言いたいことない?」って聞いたら、じいちゃんが虫の息のように小さい声でこういいました。 「そそが観たい」と…(そそ)というのは女性のアソコの別名です。 僕は「じいちゃんスケベだったからな〜」っと思いましたが、さすがに「えらいもん聞いてもうた」と思いました。 早速家族会議がその場ではじまり、皆口々に「どないしよ、どないしよ、看護婦さん?そら無理やわ」ってかんじで会議をしていたら、 兄の妻が、「私でよければ…」と言ってくれたので、皆悩んだ末「お願いします」と頼んだ。 後で聞いたところ、昔兄の借金をじいちゃんが立て替えてくれたその恩返しだったらしい。 兄嫁は「失礼します」とベットの爺の顔の上にオシッコ座りをしました。 2〜3秒過ぎて、俺が「じいちゃん満足か?」って聞いたら、「そそやない、外や」って…
悟りを開いてる人と開いてない人の違いって、 真理に気づいてるか気づいてないかの違いだけ?
198 :
泥団 :2012/03/07(水) 15:57:44.99 ID:SDyVz30v
>>194 鬼和尚さん、ありがとうございます。
今朝の夢の中で、過去と現在と未来が混然一体となって日常のありさまを形成して
いて、夢の中っていつもそうだと気づきました。体験している私も
覚めるまでは、それを当たりまえのように受け取っていました。
夢の世では現実世界でまかり通っている時間の束縛がないみたいなので、
きっと死の世界もそうなのでしょうね。
>>196 んまあ、そそっかしいご家族ね
こうかしら。
199 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/07(水) 18:24:02.35 ID:wyrD3Ov8
>>195 仮にそうだったとしても、悟っていない超能力者との区別がつかないので分からないことには変わりがない。
>>197 違うのじゃ。
普通の者には自我があり、記憶に依存した認識がある。
悟った者は自我を滅し、記憶に依存した認識をも滅しておる。
>>198 そうじゃ、それは混沌の世界なのじゃ。
またおいでなさい。
201 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/07(水) 19:59:01.37 ID:Xt3hjX2G
>>197 違う。理解しているだけでなく、実践できているのが覚者だ。
>>200 >悟った者は自我を滅し、記憶に依存した認識をも滅しておる。
違う。悟った者でも、自我や自己認識はある。
大阪で問題になっている「刺青を入れた市職員」についてどう思われますか? 同時に「刺青を入れているという理由での免職」についてはどう思われますか?
203 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/08(木) 00:08:06.14 ID:t9CNURL1
>>201 >違う。悟った者でも、自我や自己認識はある。
これについて最近出た「魂のヨーガ」っていうOSHOの本 (
http://www.amazon.co.jp/dp/488178191X ) に
こんなことが書いてあったよ (ここで言う「マインド」は「自我」のこと)。
(P.89)
仏陀もマインドを使うが、彼のマインドはあなたの脚のようなものだ。次々と人々がやって来て
私に尋ねる、「光明を得た人のマインドはどうなるのですか? ただ消えてしまうのですか? マインドを
使えなくなるのですか?」
主人としてのマインドは消え、召使としてとどまる。受身の道具としてとどまる。マインドを使いたい
と思えば、仏陀はマインドを使える。仏陀があなたに話すときは、マインドを使わなければならない。
マインドなしには話せないからだ。マインドは使わざるを得ない。あなたが仏陀のもとへ行ったとき、
あなたが以前にも来たことが彼にわかるとしたら、彼はマインドを使っている。マインドがなければ
認識できないし、マインドがなければ記憶もない。ただし、彼はマインドを使っている。いいかな、
ここが違うところだ。あなたはマインドに使われている。仏陀はいつでも使いたいときにマインドを使う。
使いたくないときは使わない。マインドは受動的な道具であり、それが仏陀を牛耳ることはない。
だから、仏陀は鏡のような状態にある。あなたが鏡の前に来ると、鏡はあなたを映し出す。
あなたが行ってしまうと、あなたの姿は消え、鏡には何も映っていない。あなたは鏡のようではない。
あなたが誰かを見る・・・その人が行ってしまっても思考は続き、その人の姿は消えない。
あなたは彼のことを考えつづける。たとえやめたくても、マインドは言うことを聞いてくれない。
204 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/08(木) 00:24:06.13 ID:t9CNURL1
>>202 刺青は日本の場合はまだファッションとしては定着してないからしょうがないんじゃないかな。
それと市職員という公的な仕事なら市民に余計な誤解を与えない人の方が良いだろうし。
今後社会が変化して刺青がヤクザ者を表すものではなくなり、ただのファッションになって
行って、更にもっと感覚が緩んで誰がしていても大半の人がほとんど気にしない状態になれば、
しているやつが市職員だろうがなんだろうが関係なくなるんだろうけどね。
こういう感覚というのは時代と共に変化して行くものだ。昔は子供が歌謡曲を歌っただけで
不良と呼ばれた時代もあったらしい。それからすると今は誰も何とも思わないしカラオケで
歌い放題なわけで、同じことの意味や受け取られ方が大きく変わることはある。(そういえば
茶髪も変わったね。普通の会社の会社員が少し茶髪になっていても不自然ではなくなった)。
刺青もだけど、まずは日本国を守る政治をすべき。 そんな人材なら刺青くらいしててもいいよ。 乱れたら掲示板でこんな話もできなくなる。
206 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/08(木) 12:23:35.27 ID:3tnscTXM
>>205 なんとなく国という枠組みにとらわれたままだと軍拡するだけで終わるような
気がするのでそこで考えるのを止めてはいけないと思うな。最終的には国の枠組み
取り払って個人単位で考える方が良いと思う。というのは国というのは個人の
集まりで実体がないからだ。国という何か大きな動物が存在するわけではない。
ただそのようなものであると仮定して集団生活しているだけだ。そういう意味で
国というものはあるともないとも言える。人間の心の中で作られた幻想とも言える。
幻想なので必死にそれが「ある」と宣伝し続ける必要がある。忘れ去られたら
お終いだからね。記憶によって支えられている自我と同じだ。
207 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/08(木) 13:17:27.71 ID:uNXBDcty
彫っちゃったものはしょうがないし過去は咎めないけど わざわざ彫る必要はないね、ファッションだとしても。
208 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/08(木) 13:55:32.70 ID:F9HBB2pb
あんまりもっともらしい話ばっかして自己陶酔してんじゃねーぞ? 等身大で語る人間にしか悟り人は居ねーよ 考えたら分かることだろ 我欲が自分を大きく見せたいわけだから
209 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/08(木) 14:22:17.42 ID:uNXBDcty
というか悟った人にしろ質問するにしろ 2ちゃんねるでっていう中途半端感は否めない
>>201 誰がそんな事を言っているのじゃ?
おおかわなんとかかのう。
>>202 わしはなんとも思わないのじゃ。
政治には怨みをつくらないようにするのが肝要じゃ。
自ら身を削る事無く下の者を惨く扱うならばいつか報いを受けるじゃろう。
悟りとは拘りを捨てること、達観すること、って感じですね
212 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/08(木) 20:14:06.61 ID:YZLBMJGH
>>210 >
>>201 誰がそんな事を言っているのじゃ?
お釈迦様だよ。経典を読みなさい。
「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、
当然自我がある。
自己認識が無ければ、他者との会話も成り立たない。
自我な無くなれば、支離滅裂な精神病患者だ。
>>212 それは極論だろ
記憶に依存しないだけで記憶自体はあるんだよ
214 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/08(木) 23:49:46.43 ID:YZLBMJGH
>>213 つまり、解脱と言ってもそれは自我や自己認識にとらわれてないというだけのことで、
自我や自己認識自体はある。
>>214 それは本当に自我なの?意識があって自我がない状態は不可能なのか?
216 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/09(金) 00:27:06.00 ID:SgDitw2b
そもそも自我とは自己意識のことだ。
>>199 意味不明。悟っていない超能力者との区別って?
区別と書くなら両方書かないと意味が通じない。悟っていない超能力者と何との区別?
218 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/09(金) 13:17:00.04 ID:Jk4NMuga
>>217 元の話は超能力の有無で悟っているか否かを判別出来るかどうかだったので、
無関係ないんじゃないかという意味で書いた。
219 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/09(金) 13:55:31.68 ID:GR5WkO0j
要は名言でも偉人が言うから言葉に説得力が出てくるわけで 凡人がどっかの偉人の名言を借りて言い放ったところでってのはある この場合、いかに言葉そのものには価値が無いかが分かるだろ
220 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/09(金) 15:29:55.15 ID:Jk4NMuga
世の中には「偉人」と「偉人でない者」が居て、「偉人」の方が価値が高い、 という思考は妄想。
真に人間らしい、価値ある生き方を教えてください。 そして、そのためにまず何を始めたらよいのか知りたいです。
222 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/09(金) 19:32:56.06 ID:SgDitw2b
>>221 在家がどう生きるべきか、釈尊はスッタニパータでこう教えてくれている。
259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。
260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、──これがこよなき幸せである。
261 深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、──これがこよなき幸せである。
262 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、──これがこよなき幸せである。
263 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、──これがこよなき幸せである。
264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、──これがこよなき幸せである。
265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。
266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと──これがこよなき幸せである。
267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。
268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。
269 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。
>>212 我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?
>>221 おぬしが本当に価値ある生き方を知りたいのならば、先ず始めに真実を自ら確かめる事を学ぶべきじゃのう。
他人の言葉をわしの言葉でさえ鵜呑みにしてはいかんのじゃ。
自らの身を以って確かめるのじゃ。
数息観をすれば本当に心は静まるのか?
観察をすれば苦は本当に滅するのか?
確かめるが良いのじゃ。
常に己で真実を確かめれば、幻想や妄想に取り付かれて無価値な生き方をしなくて済むじゃろう。
224 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/09(金) 20:09:38.46 ID:SgDitw2b
>>223 >我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?
自我がないと誰が言っているのだ?
釈尊は、
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう」
と説いておられる。
仏の教えは「自我に固執するな」という教えであって、自我がないわけではない。
このことが理解出来ないならば、悟りにはまだまだ遠い。
これが真に理解できたとき、預流果の悟りに至るであろう。
頑張って励め。
>>221 足るを知る
諸悪莫作
衆善奉行
自淨其意
四文字熟語の意味は「しょあくまくさ」でググって下さい。
これだけで大方の苦は無くなり、
幸せになり、価値ある生き方が出来ます。
悟りを開いてない者にも可能な事です。
226 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/09(金) 22:30:11.72 ID:GR5WkO0j
>>220 もう少し深く読み取れよ?
人間の価値なんて話はしてないだろ?
目に見える結果が伴った言葉のほうが手放しに参考に出来るって意味だよ
228 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 02:14:50.24 ID:uwMq0XIC
>>226 じゃあ同じような意味だな。
>>227 ごめん。編集ミスだ。「無」かその後の「い」を取って読んでくれ。
229 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 02:50:34.00 ID:Swk9Z2v9
>>227-228 お二人の会話を見ていて、なぜ超能力志向がいけないのかを(僭越ながら)説きますと、
出来もしない事を口にしたところで、それは何の意味も無いからです。
強いて(僅かにでも)意味が有るとすれば、
医学、生物学的に、こういった特殊な症状が存在しましたと、淡々と記録係に徹するなら、若干意味も無くないでしょう。
しかし「こうじゃなければいけないんだ!」と、それを(出来もしないのに)勝手に基準にし、
超能力志向ではない事に批判的であったりするなら、それは一番良くない。
超能力志向は、これ↑に陥りやすいので、
古来、殊更な追求が(少なくとも仏法では)戒められたのではないでしょうか。
230 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 03:03:00.96 ID:Swk9Z2v9
>>224 自我は、
「無い」のではなく、
「固執するべきでない」のですか、
なるほど。
まァ確かに、自我が本当に「無い」のなら、自分が誰かも解からない事になるので、
それはただの認知症なのでは、と・・・・
勿論、自我の定義によりますけれど、
他との意識の境が消え、「世界は一体」と感じられる境地になったとしても、自分が解からないという事は、無いでしょうね。
231 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 03:05:57.78 ID:Swk9Z2v9
>>203 ジャイン氏も良い事を仰っていますね。
正鵠を射ていると思いました。
232 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 03:23:17.71 ID:sodW6O7D
>>230 > 他との意識の境が消え、「世界は一体」と感じられる境地
それは臨済宗や曹洞宗などの禅の思想だけど、なんだかバラモン教の梵我一如みたいだな。
「世界は一体」と感じられる境地、なんてただの妄想や錯覚。
悟りや解脱の境地はそういうものではない。
233 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 03:54:34.87 ID:Swk9Z2v9
>>232 まァ仰る通りでしょうね・・・・
そういった超感覚を即ち覚りとするのは、個人的には反対です。
234 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 04:28:26.75 ID:UIS+6Sz0
大学院で理系のある分野を専攻して居ます しかし業界的に就職が厳しく希望の業界に就職が決まりませんでした ダメだった理由は、必要な2つの能力の内1つが足りなかったからです 能力がつかなかった理由は学部時代から不勉強でその能力をつける機会を逃してきたからです しかし院ではそれなりに努力してもう一つの能力はそこそこの物を得ることができました ただし就活では両方が要求されていたようで、片方がある程度ダメでももう一つでカバーなんて事は難しいようでした 就活に失敗して自分が何をやりたいかといったら、学部時代に真面目にやらなかった自分が悪いと思いつつ、その分野の仕事をどうしてもしたいと考えています そこで、業界に居る親戚に相談したら、もう一年か2年勉強し直す為に留学したら?と言っていました。 自分でも留学でもして足りない部分を学び直したい気持ちはあります。 しかし年齢的なものであったり、帰国後は即戦力を求められる可能性があったり そもそもが普通のレールから外れてしまうためリスクが高く迷っています。 どうしたら良いんでしょうか。 リスクを冒して自分の好きなように生きたいと言う気持ちはあるけども 親にこんなこと考えてるっていったら、いかにリスクが高いかを語られてテンション下がっています 自分の気持ちとしては好きなように生きたい リスクを背負うような冒険をしてみたいと考えており、そういうことをするラストチャンスではないかと思っていますが やはり踏ん切りがつきません ギャンブル見たいに人生掛けてやりたいことに挑戦するか好きなように生きるべきか やりたいこと諦めて、別の道でサラリーマンとしてやりがいを見出して真っ当な道へ行くか
235 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 05:03:23.45 ID:Swk9Z2v9
>>234 どちらへ進むにせよ、ベストを尽くせば心残りは生じないと思います。
「真っ当な」と仰ったほうの選択肢にも、若さの求められるパートは、意外に多く出てくるものです。
236 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 05:19:14.54 ID:sodW6O7D
>>234 そればかりは、他人が「こっちの方がいいよ」、と示せるものではないね。
状況も刻々変わるし、社会全体が不景気でも特定の業界だけバブルになることもあれば、
逆に、社会の景気が回復したのに、特定の業界だけ厳しいって場合もある。
安定を取るか、リスク覚悟で挑戦るかも、あなたの生き方の問題。どちらが正しいとも
言えない。
仏教で言えば、出家生活を選ぶか、在家生活を選ぶかも人それぞれなのと同様だ。
と言っても今の時代完全な安定なんてなく、公務員ですら風当たりは冷たくなっており、
相対的な差異でしかない。諸行は無常だ。
変化にびくびくして生きるよりは、変化を恐れず堂々としている方が、どんな時代でも
強いだろう。
死んだらどうなるか想像してみた 力は抜けて、痛覚やその他周りの出来事が情報として入っても それを認識するだけで何もしない 実際は認識もないんだろうけど、私の想像力ではこれが限界
>>234 親を泣かせたくないっていう気持ちが最大の束縛なんだよ
やりたいようにやれば?
自分のやりたいことに親の価値観なんて持ち込まなくていいと思う。
100%自分の選択で生きてみようよ
3.せいこく を 射(い)る-日本国語大辞典 「せいこく(正鵠)を得(え)る」に同じ。
正鵠を射てどうする。
少しくらい自分でも知らべろよ
ちなみに俺は
>>231 では無いけどなw
せい‐こく【正鵠】
《慣用読みで「せいこう」とも》1 弓の的の中心にある黒点。2 物事の急所・要点。
243 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 12:24:26.86 ID:Swk9Z2v9
>>237 死後の世界。
そんなものはありません。
だから安心し、生に打ち込まれてみて下さい。
異界思想という「異安心」が無くならないと、苦は本当には消えないですから。
244 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 19:23:07.17 ID:uwMq0XIC
>>232 それは断定できないことでは? 現時点で妄想や錯覚を見ていないとも限らないわけだし。
245 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 19:52:50.59 ID:sodW6O7D
>>244 「『世界は一体』と感じた」としても、単にそう「感じた」というだけのことであって、
「世界は一体である」ということにはならないのだよ。
>>224 おかしいのう、なぜわしの質問に答えられないのじゃ?
おぬしがそれを本当に正しいと思っているならば正々堂々と自分だけが言っているとか、おおかわなんとかが言ってるとか書けばよい。
何一つ隠すような事はないじゃろう。
カルトの宣伝であるから書けないとか、そのような理由が無ければ普通に書ける事じゃ。
おぬしは一度は間違えたが、もう一度チャンスを与えるために聞くのじゃ。
お釈迦様がそのように説いたから、自我がないわけではない。と、言っているのは誰なのじゃ?
なにも怖くないから答えてみるのじゃ。
>>234 賭けて見ると良かろう。
賭けて見ると、
後で後悔はしない。
能力を伸ばせる。
見聞を広める。
というような効果があるのじゃ。
諦めさえしなければいくらでも生きる道はあるものじゃ。
後でサラリーマンになる事も出来るじゃろう。
>>237 その認識も無いと想像してみるのじゃ。
すると認識も無いはずなのに意識が在るとわかるじゃろう。
マハリシもそれを観たのじゃ。
248 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 20:22:50.82 ID:sodW6O7D
>>246 >
>>224 おかしいのう、なぜわしの質問に答えられないのじゃ?
> おぬしがそれを本当に正しいと思っているならば正々堂々と自分だけが言っているとか、おおかわなんとかが言ってるとか書けばよい。
根本的に間違っている。
釈尊の教えは、「自我がある」とか「自我がない」とかの主張ではないのだ。
そのような概念にとらわれるな、執着するな、というのが釈尊の教えなのだ。
だから貴殿の問「我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?」の答えは
「誰も(私も釈尊も)そんなことは言っていない」ということだ。
249 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 20:30:28.51 ID:sodW6O7D
それとおおかわなんとかとか、カルトとかは何のことだ? 鬼和尚はデタラメな教えを吹聴して人を惑わすばかりか、 妙な被害妄想にとらわれているようだ。 謙虚に一から修行しなおすことをお勧めする。 勝手な妄想で自己流の瞑想をするのではなく、ちゃんと経典を読み、 戒律を守り、心身を整えて、諸々の執着を断て。
250 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 20:31:18.53 ID:uwMq0XIC
>>245 もちろんその通りだが、逆に「世界は一体でないと感じた」についても同じことが言えるのでは?
つまり、何一つ「こうである」と断定出来ることはない。
251 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 20:37:15.30 ID:sodW6O7D
>>250 >もちろんその通りだが、逆に「世界は一体でないと感じた」についても同じことが言えるのでは?
もちろんだ。「世界は一体である」とか「世界は一体でない」というのは脳が作り
出した「概念」であって、知覚対象ではない。
「世界は一体である」とか「世界は一体でない」とかの概念にとらわれず、
そんなことは放っておきなさい、ということだ。
252 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 20:53:53.41 ID:sodW6O7D
>>250 > つまり、何一つ「こうである」と断定出来ることはない。
これはまた極論だ。
人間は事物を直接知覚して、知ることができる。
目で直接見たり、手で触れたり、音を聞いたり。
それらによって「こうである」と断定して、ほぼ支障
なく生活することができる。
しかし、「世界は一体である/ない」などのようなことは、
直接の知覚体験とはなりえない。「世界は一体である/ない」という
のは知覚ではなく「解釈」だからだ。
つまり、「解釈」に過ぎないものは、「事実」とは区別すべきであり、
一方、直接知覚により「コップがある」と分かるような場合は、
「コップがある」と断定してかまわない。
(厳密には、コップに見えたものを「コップである」と判断したところには解釈が
入り込んでいるが、そもそも「コップ」とは大雑把には「コップに見えるもののことである」
とも言えるので、一般にはそれで差し支えない)
253 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 21:05:48.84 ID:pgECKNku
>>252 ああ。まあほぼ支障はないだろうが、「ほぼ支障はない」と単に感じているだけで、
実はそうではないかも知れないよね。w
254 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 21:07:59.51 ID:pgECKNku
>>251 知覚対象ではないと断定することも出来ないのでは?
単にそう感じているだけかも知れないわけだし。
255 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 21:09:04.11 ID:sodW6O7D
>>253 支障を感じないのであればそれでいいのでは?w
>>249 ちなみに、あなたはどのような正しい修行をなさってますか?
どのように正しく執着を絶ちましたか?
その釈尊の教えが真実である根拠はなんですか?
257 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 21:16:35.92 ID:pgECKNku
>>255 ああ、まあ、本当に全く支障がないならいいんだろうけどね。
258 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 21:21:44.40 ID:sodW6O7D
>>254 それはね、他者との体験の相同性において判断されるのです。
私がコップを見て(あるいは触ったり使用してみたりして)「コップがある」と断定し、
別の人が同じコップを見て「コップがある」と断定し、
また別の人が同じコップを見て「コップがある」と断定する。
そのような一貫した共通体験を通じて、個人的感覚や妄想ではなく、事実として「コップがある」
という現実世界を認識するわけです。
しかし、そこでもし1人でも、「俺にはコップが見えないのだが・・・」となれば、問題が
発生します。その場合、その人が冗談を言っているとか、あるいは視覚に異常
が発生しているとか、あるいは何か精神障害を患っているとか、逆にその人が正しくて、
その人以外の全員が催眠術にかかっているとか、色んな可能性がありますが、
普通はそういうことは滅多にないので、そういう心配はいちいちしないわけです。
通常の知覚体験は、万人に共通のものであり(あるいは共通の知覚体験にだけ基づいて
コミュニケーションを取り、それらによって構成した共通の現実世界を共有している)、
その範囲において、言語や論理による共通理解が成立するのです。
ところが、「幽霊が存在する」とか「神が存在する」とかは、そのような知覚体験とは
性質を異にするものです。およそ共通の知覚体験などではなく、みんなバラバラに
勝手に違うことを言うのだから。共通体験として、幽霊や神を直接体験してはいない。
個人的体験として語る人はいるが、共通体験として共有できない以上、現実と妄想の
区別は原理的につかない。
「アートマンが存在する/しない」とか「世界は一つである/ない」とかも、それと
同様の命題であり、他者と共有されるものではない以上、何の役にも立たないし、
無駄に不毛な論争のネタになるだけの無益な命題なのです。
259 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 21:34:06.62 ID:sodW6O7D
>>256 > ちなみに、あなたはどのような正しい修行をなさってますか?
大体原始経典にある通り。
和訳が少ないので英訳を読むことが多いが、和訳であれば
スッタニパータやダンマパダにあるようなことだけでも、十分な指針となるであろう。
たとえば在家であれば、
>>222 にあるようなことを真剣に徹底して気をつければ、それだけでもかなり
成長するであろう。
「父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと──これがこよなき幸せである。」とあるように、
無理に家族や社会生活を捨てる必要はない。
> どのように正しく執着を絶ちましたか?
完全には断っていない。悟りには様々な段階がある。
あまり自分自身について具体的に書くと戒めに反するので、この程度にしておくが。
ちなみに、特別清貧な生活をしているわけでもない。
仏典にも、在家生活しながら(初歩の)悟りに達した人々はたくさん登場する。
勤勉な商人で、自ら稼ぎまくり裕福になりながらも、恵まれない人に施しをし、
仏教修行僧に土地や寺院を寄進し、人々に慕われ、預流果に悟った者などがいる。
日本人はとかく「世を捨てよ」とか「貧しく生きよ」と言う者が多いが、修行僧ならとも
かく、在家は金儲けしながらでも悟りに至ることはできる(もちろん不正な金儲けは
ダメだが)。
> その釈尊の教えが真実である根拠はなんですか?
実践し体験してみれば、真実であると確信できるし、完璧に納得できる。
260 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 21:37:05.64 ID:pgECKNku
>>258 他人が存在し、その他人が自分と同じようにコップがあると言った、という一連の
認識をしているのは常に自分で、そして自分が正確な認識をしているという保証は
どこにもないわけだよね。もしかすると単にそう感じているだけで実は他人もコップも
最初からないかも知れない。
集団催眠にでも掛かってるとでも言うのかw
集団催眠というより同じ言葉で同じものや意味を共有してるという幻想はあるんじゃまいか?
263 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 21:46:38.88 ID:sodW6O7D
>>260 極論すればその通りであり、マトリックスの映画のような設定や、ソフィーの世界の
ように、我々は上位次元の存在の作った物語の登場人物に過ぎないことを否定する
根拠もないわけだが、それならそれで仕方ないではないかw
ただ、「物語の登場人物に過ぎない」ことは、知覚も証明もできないわけで、
空想ゲームとしてそういうことを考えて遊ぶのはよいとしても、真剣に議論するような
ことではないし、それによって仏教的な生き方に何か影響するということもない。
264 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 21:48:40.54 ID:pgECKNku
>>261 自分一人が狂えばそうなる可能性あるのではないか? もちろん自分では狂っているとは気付かずにね。
他人がいるという幻覚を見てコップの幻覚を見てそしてその幻の他人が同意すれば良い。
統合失調症になれば起こり得ることだよな。
265 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 21:50:44.64 ID:sodW6O7D
まあ、あまりにメタ的空想に没頭したり、ラプラスの悪魔のような予定説的な 思想にこだわると、本当に精神を病む場合があるからほどほどにw カルト宗教にハマっている人に結構その手のがいる。
往々にして共有部分よりも共有できない部分が多かったりするんだなあ。 人間社会がぎくしゃくするひとつの理由かもしれなくない?
267 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 21:54:54.67 ID:sodW6O7D
>>264 それは実際に症例としてありますね。
統合失調症は自分では気づかないと言われるが、自己と周囲をよく観察できる人であれば、
自己の知覚と他者(現実の)とのギャップに気づきそうなものだが。
>>264 何で精神疾患有りきなんだ?
偽和尚はいつも極端すぎるんだよw
269 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 22:00:12.53 ID:pgECKNku
>>263 ああ。確かに仕方がない。仕方がないのだが、知っていた方が安心は出来るだろうな。
何も知らないよりは。
270 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 22:06:27.65 ID:pgECKNku
>>268 極論かねえ? 症状の強さは違っても誰でも同じようなもんだと思うが。
症状の強い人から弱い人まで緩やかに地続きみたいな感じ。で、強すぎる人は
生活が破綻して医者の世話になると。
271 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 22:06:28.01 ID:sodW6O7D
>>269 それこそが執着なのだ。
どうせ知ることはないと納得し、そんなことはどうでもよい(どちらでもよい)と
自信をもって今を生きることができるようになれば、それが絶対的安心なのだ。
「どんな状況に放り込まれても私は困らない、動揺しない、不安にならない」という
境地が絶対安心の解脱なのだよ。
272 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 22:11:58.80 ID:pgECKNku
>>271 どのような状況に放り込まれても困らないと真に思える状況は、実際にそうであることを確認するまでならないと思うが?
う〜ん。戦争を体験したとか、ヤクザに拉致・監禁された経験があって そういう事言ってるなら、説得力もあるけど・・・
274 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/10(土) 22:29:57.74 ID:sodW6O7D
>>272 そうではない。状況を確認することによって安心を得るのではない。
不安を生じる芽を積み、不安の因を滅することによって、不安が生じなくなるのだ。
だから状況は関係なくなる。
>>273 もちろんそのような経験はしていないし、私は解脱しているわけでもない。
ただ、何度かそのような深い安心感と無条件の自信を経験していて、
この先に、絶対安心(平安)の境地も存在していると確信している。
昔はビクビクしていたようなことでも、今では動じないので、
社会生活を営む上での大抵の場面では、不安を感じることはほぼ無くなった。
尤も、「それは程度問題であって『絶対的平安』なんてあるはずがない、信じられない」と
思う人もいるであろう。そう思ってもかまわない。今よりも苦悩が軽減し、安心が増えればそれでよい。
それを積み重ねていった先に、いつかゴールが見えるかもしれない。辿りつかなくても、今より成長す
ることは確実だから、損はないだろう。
男系の皇統をつなげる手段としての側室制度復活に対してどう思われますか? やはり、いかなる理由があろうと現代社会において側室制度はありえないですか? それとも、皇統の男系維持の為の手段としてありですか?
276 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/10(土) 22:56:41.60 ID:pgECKNku
>>274 不安の生じる芽を摘むというのが本当に大丈夫だと確認することだよ。
それそのものが起こる必要はない。大丈夫と分かれば良いだけだから。
例えば物は上から下へ落ちると分かれば下から来る心配は消える。
どう考えても大丈夫だなと納得すれば不安は滅する。未確認な部分が残ると
そこから不安が発生する。
277 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 00:00:20.20 ID:sodW6O7D
>>275 皇族が好きに決めればよいことだ。
> やはり、いかなる理由があろうと現代社会において側室制度はありえないですか?
> それとも、皇統の男系維持の為の手段としてありですか?
今でも禁じられているわけではない。大正天皇以降側室を取っていない
というだけで、何か制度を変更したわけではない。
民法における重婚の禁止も、皇族には及ばないだろう。
理論上は可能でも、今後も側室を取ることがあるとは考え難いが。
>>276 > 不安の生じる芽を摘むというのが本当に大丈夫だと確認することだよ。
> それそのものが起こる必要はない。大丈夫と分かれば良いだけだから。
その確信は自ら体験しないことには分からないよ。
278 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/11(日) 01:33:36.67 ID:53CqbNAj
>>277 > その確信は自ら体験しないことには分からないよ。
ああ、しかし、あらゆることを体験することは出来ないだろう。だから何か確信を持てるような、
絶対に起こらない仕組みになっているとか、そういうのを一つ発見するしかない。
279 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 02:09:34.60 ID:QBwqiyh3
>>278 >だから何か確信を持てるような、絶対に起こらない仕組みになっているとか、そういうのを一つ発見するしかない。
因を滅するというのは、まさにそういうことだ。
280 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 03:12:35.93 ID:d/DZIKgm
>>250 「何一つ「こうである」と断定出来る事はない―― 」
というのは、サンジャヤの説でしたね。
・・う〜ん、申し訳ないけど、普通に断言出来ると思いますよ。
たとえば貴方が、「私はここに本当は書き込んでいないかも知れない・・ 」と仰ったところで、悪いけど、誰がどう見ても書き込んでいるし。
事実は事実として、ありのままに見る。
無意味な事を考えすぎない。
これ↑が大事だと思う。(釈迦も確かそのような事を仰ったような・・?)
釈迦が外説として扱ったサンジャヤ説が、ムルティ氏、そして今なお現代にと、歴史は繰り返されるんだなァと、驚かされるばかりです・・
281 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 03:24:17.35 ID:d/DZIKgm
同様に、「自我が無い」も、 確か釈迦の最初の師だった、アーラーダカーラーマの説でしたね。 「我と彼に区別は無い。 全ては一体なのである(と感じられるまで瞑想を深める)」 これ↑も、釈迦が捨てた説でしたよね・・ どう見ても(実体として)一体ではないのだから、釈迦の判断も尤もだと思います。 アラーダカーラーマ説も、サンジャヤ説も、既に二千数百年もの昔に唱えられ、そして釈迦に「間違い」と判断されたものなのに、 時が経てばたびたび復活し、それを真実だと唱える人が出る事に、歴史は繰り返すんだなァと、驚かされるばかりです・・
仏教の矛盾点もあるんだから、釈迦が絶対って訳じゃ無いだろ。
>>259 社会生活に疲れて世を捨てるのは逃避と考えますか?
仏教や宗教に頼るのは、心が弱い証拠だの逃げだのと言う意見も多いし。
在家でも悟れるなら、修行僧になる意味など無いと?
清貧な生活も、解脱には関係ないと考えてますか?
生きることに疲れて、働く気力も失い、何もかもが虚しいと感じて苦しんでいる人が目の前にいたら、あなたはなんと声をかけますか?
さぁ逝こうか・・・
他人が嘘をついているかどうかを、見分けるコツはありませんか? 確率の高い方法、お願いします。
286 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 16:50:11.32 ID:QBwqiyh3
>>283 > 社会生活に疲れて世を捨てるのは逃避と考えますか?
逃避だが逃避が必要な場合もある。
> 仏教や宗教に頼るのは、心が弱い証拠だの逃げだのと言う意見も多いし。
逃げで仏門に入る人もいれば、真理を求めて積極的動機で入る人もいる。人それぞれ。
> 在家でも悟れるなら、修行僧になる意味など無いと?
学問と同じだ。学問を極めるには、大学、大学院で専門教育を受ける方が
効率がいい。しかし、学校へ行かずに独学でできないわけではない。
在野の学者で大学教授に劣らない人もいるのだ。
もちろん修行僧になることに意味がないわけではない。どれだけ修行に時間を使うかとい
う選択の問題だ。人生の全時間を修行に集中したいなら、修行僧になればいい。よき師
や仲間に恵まれれば、在家よりもずっと効率がいいだろう。恵まれないならば、独り修行
する道もある。ただ、完全に全てを捨てて独りで修行するのは現代日本では不可能だろう。
托鉢の文化もないし、気候的にも、法的にも、住居も資産も捨てて生きるのは無理だ。
乞食、ホームレスは日本では疎まれる存在だ。僧院に属さず、独りで修行してる乞食が、修行僧として尊敬
される文化は残念ならが日本にはない。インドや東南アジアに行けば可能かもしれないが。
> 清貧な生活も、解脱には関係ないと考えてますか?
そんなことはない。清貧な生活に徹する方が、一般には成長が早いだろう。これも選択の
問題だ。しかし、たくさん働いてたくさん稼ぎ、たくさん税金を収め、たくさん布施をする生活も善行である。
> 生きることに疲れて、働く気力も失い、何もかもが虚しいと感じて苦しんでいる人が目の前にいたら、あなたはなんと声をかけますか?
苦しんでいる時はむしろ真理に目覚めるチャンスでもある。常にハッピーな人は自省し自己鍛錬するきっかけがない。
しかし「気力がない」状態というのはいずれにしろよくない。まずは休養し栄養をつけ、気力を取り戻すのだ。
287 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 18:11:26.88 ID:d/DZIKgm
>>282 「釈迦が絶対―― 」
というわけではなく、一体じゃないの(等)を絶対と書いているでしょ、よく読めば。
>>283 競わなければ、生きる疲れが幾らか解消されますよ。
>>285 話している、扱っている事柄について、理にかなった説明が出てこない場合、
その人はウソを吐いている可能性が、高いと思います。
288 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 18:22:29.53 ID:3ZQ1WqAc
悟った人は、人が間違ったことを言っているときどういう反応をしますか? たとえばこのスレにいる方は悟りを主題に話してますが、悟りに執着はない? 悟りの核心についてそれは違うだろうと思うことを言ってるのを見たとして、どんな反応 心、また実際にしますか?
289 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 18:38:40.39 ID:QBwqiyh3
>>288 ケースバイケースです。訂正した方がいい場合は指摘するでしょうし、
言っても無駄、余計なこと言うと害がある、という場合は黙しているでしょう。
すみません 一回開いたのに閉じてしまいました
291 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 18:52:20.20 ID:3ZQ1WqAc
>>289 そこに我は入らないということですか?
たとえば自分が間違った相手に否定されても特に何も思わない?我の部分では。
292 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 19:07:19.62 ID:QBwqiyh3
>>291 > そこに我は入らないということですか?
悟った人と言っても、悟りには色々な段階がありますから。
完全に解脱した人なら執着は一切ありませんが、そうでない人なら
段階によって執着が残っています。
> たとえば自分が間違った相手に否定されても特に何も思わない?我の部分では。
解脱した人は何も思わないでしょう。悟りの初級くらいだと、非難されて動揺したりはしますし、自分が正しいと
信じる教えに執着するでしょう。筏を捨てるのは最終段階です。
初期仏教教団も、釈尊の死後すぐにどんどん分裂していったことを見ても、拘りや論争を捨てるのはなかなか難しい
ことだと分かります。
293 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 19:17:40.69 ID:3ZQ1WqAc
>>292 ありがとうございます。やはり悟りにもいろいろな段階があるんですよね。
それでいうと解脱というのはかなり難しいように思えますが、エゴ側からすると生きながらの死みたいなものを
通らないと無理なようにも思えますが、何を通せば悟りから解脱、一切我がないような状態になるのでしょうか?
たとえばキリストなどは我、身体から神の愛に同化していたため、磔刑時も苦痛もなかったといいますよね。
そこまでとは言わなくても実際解脱したひとはどのくらいいると思われますか?
悟った人は確かにたくさんいると思いますが。もしよかったらお願いします。
294 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 19:28:12.19 ID:3ZQ1WqAc
悟りというか解脱というのは完全な反転だと思うのです。 自分がいない、というか。それを受け入れられた人っているのだろうかと思って。 たとえば誰かにいきなり殴られて馬鹿にされても、自分がいないなら何でもないわけですよね。 相手の我も見えてないわけですよね。
>>287 だから、一体じゃ無いのが絶対とも限らないだろ。
>>248 またおかしな事を書いておるのう。
おぬしは
>>212 に「「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、当然自我がある。」
と、言っておる。
>>224 に、「仏の教えは「自我に固執するな」という教えであって、自我がないわけではない。」
と、言っておる。
それ故にわしは我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?
お釈迦様がそのように説いたから、自我がないわけではない。と、言っているのは誰なのじゃ?
と、聞いたのじゃ。
教典に何がどのように書かれているかという以前に、嘘をついてはいかんのじゃ。
おぬしが本当にお釈迦様の教えを信じ、実行しようと思うならば、先ず嘘をつく事を止めなければならん。
「いつわりを語る人は地獄へ堕ちる。またこの世で自分が言ったのとは異なった行いをする人も地獄へ堕ちる。
この両者は死後には等しくなると説かれている。来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから」
297 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 20:21:00.52 ID:4gxgS/6Y
じゃじゃって生意気な口調はよせ 謙虚になれよ自称悟り人
298 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/11(日) 20:23:56.05 ID:FwGb58UA
>>280 サンジャヤは全部理屈で説明しようとしてハマった感じがするな。
仏教だと無記になっていると思うが。或いは極端を避けるということでは中道かな。
認識については唯識があるな。これは釈迦が言っていたことではないだろうが。
> 事実は事実として、ありのままに見る。
> 無意味な事を考えすぎない。
そうなんだけど、問題はそれが可能かどうかだな。ある程度は可能な感じはする(もちろんこれ自体が
ただの思い込みかも知れないが)、しかし完全ではないから苦を受けることになるように思える。
ところで、「何一つこうであると断定出来ることはない」という言葉はこの言葉自体にも掛かって
来てしまい、このように断定することも出来なくなるので「私は嘘つきだ」と同じような言葉だ。
結局言葉では伝えられない。w
>>275 わしは何も思わんのじゃ。
民主主義の社会では民衆の意見が大事なのじゃ。
民衆はそのような考えを支持しないじゃろう。
昔もあったという女子天皇でなんとかするじゃろう。
>>285 目を見ると良かろう。
人によって違うが、人は嘘をついた時、目を逸らしたり、下を向いたり、横を見たりするのじゃ。
普段から良く観察していれば、嘘をついた時の反応がわかるものじゃ。
>>288 わしに直接聞けば間違っていると言う。
わしに直接聞かなければ放って置くのじゃ。
違う事を言うのを見れば笑うのみじゃ。
この世には愚かな間違いばかりあるものじゃ。
本当に真実や悟りを求める者ならば、それらの愚かしい間違いを見抜き、何が悟りを得た者の正しい言葉であるのか、自ら見極められなければならんのじゃ。
それが出来なければ教えを受ける事すら出来ないのじゃ。
300 :
285 :2012/03/11(日) 20:38:15.31 ID:n05a329s
301 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 20:48:40.58 ID:QBwqiyh3
>>296 > それ故にわしは我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?
貴方が言っているのだ。
「我と言うと自我はある」という表現は貴方が勝手に解釈して書いた言葉だ。
私は「我と言うと自我はある」とは書いていない。
> お釈迦様がそのように説いたから、自我がないわけではない。と、言っているのは誰なのじゃ?
これも、貴方が言っているのだ。
私が言ったのは、
「「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、当然自我がある。」ということだけだ。
貴方は法を理解していないために、根本的な思い違いをしているようだが、
この自我はもちろん永遠不滅の我(アートマン)などではない。単に自己意識、自己認識を意味する自我なのだ。
貴方は、「我(アートマン)がある」とか「我がない」とかいう概念に強くとらわれているようだ。
そのような思い込み、執着を即刻捨てよ。
> 教典に何がどのように書かれているかという以前に、嘘をついてはいかんのじゃ。
> おぬしが本当にお釈迦様の教えを信じ、実行しようと思うならば、先ず嘘をつく事を止めなければならん。
>
> 「いつわりを語る人は地獄へ堕ちる。またこの世で自分が言ったのとは異なった行いをする人も地獄へ堕ちる。
> この両者は死後には等しくなると説かれている。来世ではともに下劣な業をもった人々なのであるから」
いつわりの教えを述べ、詭弁を弄し、仏法に関心を示している者を惑わし道を誤らせているのは貴方だ。
猛省せよ。
302 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 21:12:12.28 ID:QBwqiyh3
>>293 何か特異なことをするわけではない。通常の修行の延長線上に解脱はあるのだ。
苦の原因を一つ一つ滅していくのが修行だが、最終的に完全に滅し尽くした状態が
解脱なのだ。
> たとえばキリストなどは我、身体から神の愛に同化していたため、磔刑時も苦痛もなかったといいますよね。
新約聖書の4つの福音書のうち3つは、キリストは最後に、大声で叫んだと記述しており、
2つの福音書は、「神よ、神よ、どうして私をお見捨てになったのか」と嘆く言葉を記述
している。
これらを見るかぎりは、「神の愛に同化していた」とか「苦痛もなかった」とは考え難い。
> そこまでとは言わなくても実際解脱したひとはどのくらいいると思われますか?
> 悟った人は確かにたくさんいると思いますが。もしよかったらお願いします。
経典にはたくさんいるが、現代にどれくらいいるかは知らない。
303 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/11(日) 21:49:20.83 ID:f4Srsq7K
>>299 ありがとうございます。同じレベルで争いが起こるなんていいますが、自分は決して
全ての相手に、間違ったことを言っているのをみて笑う(受け流す)心境にはなれて
いないなあと思います。
自分の心を見つめなおしたいと思います。
>>302 苦の原因というと自分は身体という障壁?が大きいです。体自体が消えることは何も怖くない
のですが、身体という確実性のないものが、コントロール不能になったりアクシデントで壊れたり
そういう状況に閉じ込められる、こういう状態が続くとき達観していられるのも解脱でしょうね。
実際的にどうなんでしょう。
キリストの話は聖書だけが真実ではないといいます。上の話は具体的にはACIM(奇跡のコース)から
です。仏教とは違うのですみません。
>>301 鬼和尚にもあなたにも半信半疑というスタンスでいます。
どちらが正しいのかわからないので、あなたの意見も色々と伺いたい。
そのために質問ばかりなのは申し訳ないが。
誤りでない正しい瞑想法を一つでいいので具体的なやり方を説明してほしい。
仏法に関心を持つ人々に、わかりやすく教えて頂きたい。
経典通り、とか言うのでなく、自らの口で説明して下さい。
305 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 00:56:30.49 ID:O2h3mIyy
>>304 「正しい瞑想法」などというものはないのだ。
しかし「正しい道」と「誤った道」はあり、気をつけなければならない。
たとえば、学問や受験勉強を想像すれば分かりやすいだろう。やたらと「正しい勉強法」を探すことにこだわる人がいる。
一日何時間勉強すべきか、どの参考書や問題集をやるべきか、
英単語をいくつ覚えるべきか、そしてやれ「一冊の網羅的な問題集をじっくり繰り返しやるべき」だの
逆に「薄い問題集をたくさんやるべき」だの、いい加減なことを言って結論の出ない議論をしている。
そんな議論する暇があったら問題の一つも解けば良いのに。
瞑想法に関する混乱やこだわりも、これと似たようなものだ。
確かに手法によって良し悪しはあるものが、それは人それぞれ違うのだ。人によって
向き不向きがあるのだ。良き師ならば、対機説法によってそれぞれにぴったりの
指導をしてくれる。良き学校の先生が、それぞれの学生の能力や性質にあった
指導をしてくれるように。しかし、もし良き師に巡り合えていないならば、自ら自分に
合った手法を見つけ出すしかないのだ。ただし手法にこだわる必要はない。正しい
道さえ歩んでいれば、必要な時に必要なことが自ずと分かるからだ。正しい道とは、
心身が落ち着き、明朗でいて、知恵を働かせることを心がける生き方だ。
人に親切で、心清らかにあれ。
>一つでいいので具体的なやり方を説明してほしい。
以上書いたように、人それぞれ相応しい瞑想法が違うのだが、一つ具体的に
挙げるとすれば、万人に応用が効き、害の心配のない安般念だ。これも細かい
ことを言い出せばきりがないのだが、基本はこうだ。ゆったりと安定して背筋を
伸ばして座り、呼吸を見ながら、心身をよく見て鎮めていくのだ。この時、頭の中を無に
するべきかとか、呼吸を数えるとか、そんなつまらないことにこだわる人が多いが、
ただ鎮めようという意識を向けるだけでよい。無理やり鎮めようとするのでもない。
落ち着こう、静まるまで待とう、という念を持って、静まるのを待てばよいのだ。
この「意思」が重要なのだ。頭を空っぽにしたり、数を数えているだけでは、意思の力が
働かないので意味がない。いくら瞑想しても進歩がないという人は、自分の意思や志を再確認するとよい。
306 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 07:09:37.00 ID:UJkAMFxm
>>300 どう致しまして・・
あまりいい回答じゃなかったかも知れませんが、
ウソというのは、個人的な経験から、欧米人の考える「曖昧」に似たものと、理解しています。
よく言われる事に、欧米人はミスは許すけれどウソ(曖昧)は許さない。
日本人はウソ(曖昧)は許すけれどミスは許さない。
どちらが正しいとも、言えるものではありませんが、外国人の経営する企業で働いた経験から、
上記欧米人的考え方にも、一面の真理があるなァと、思ったものでした。
ミスばかり見ようとする、言い換えれば過程を飛ばし結論(ばかり)を逸ろうとする日本イズムは、やや良くない面もあるでしょうね・・
307 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 07:23:19.80 ID:UJkAMFxm
>>296 オニ氏、いきなり「地獄へ堕ちるぞ!」とか言うんじゃなくて、
まずは自我とは何なのか、オニ氏なりにはどう定義しているのかを、淡々と説明してみては・・?
>>200 に、こう書かれていますね。
「普通の者には自我があり、記憶に依存した認識がある」
記憶に依存した認識のある状態が、「自我がある」と、
こうお考えという事で、宜しいでしょうか。
>>301 さんは自我を、「自己意識、自己認識」と定義しています。
現時点ではオニ氏の定義がややハッキリしないため、
>>301 さんとの異同もハッキリせず、だからそこをまず書いたほうが、いいと思うのですが・・
301のやつは単に鬼を否定したいだけだから話がどんどんかみ合わなくなる あげく自我のことを自己意識とか言い出した こういう奴には何を言っても無駄だから無視するのがいい
俺には鬼の方が揚げ足取りをしてるように見えるけどな。 鬼も誰が言ってるのじゃとか、おぬしがどうのとかじゃ無く、自分がどう思うかを書いて欲しい。 相談板で自分には考えが無いとか言ってたから無理なのかなw
鬼様に対抗されてる方もネット上の言論によって何かお導き下さるというならば お名前を入れていただきたいのだが
311 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 12:22:12.16 ID:Cks5ngmo
鬼和尚さん、私は心を病んでいます。 それでも座禅は効果がありますか?
誰が何をしても操られているだけであり、自我が凝り固まるだけである。 自我が本物だと思っている限り、身体は本物だと思ってる限り、法(幻) からは逃れられず、無駄な人生というものを全うしてしまうのです。 鬼和尚は身体と分離して無我になったのですか?
313 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 15:33:09.63 ID:UJkAMFxm
>>308 「否定したいだけ―― 」
には見えないですね。
なぜならきちんと、説明しているからです。
個人的には、結論を逸り過程(=説明)を抜かすのは「否定したいだけ」で、過程(=説明)に丁寧に取り組むのは「そうではない」と、考えます。
314 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 15:40:50.07 ID:UJkAMFxm
>>312 いや、体は本物でしょう?
・・もし体を幻とするなら、では壁とかをも通り抜けられるとでも?
(なんか、このスレでそんな話を聞いたような・・ )
全てを空なりと観る事は、現実逃避とは違うのです。
悟った人も、毎日カロリーを摂取しないとやせ衰えて餓死するし、 睡眠せずにはいられないしと、仙人になれるわけじゃないし。 イメージ 大多数の人間は、自分が大河の流れの「水の一滴」であると自分では 全く知らぬまま、下流にどんどんと否応無く運ばれていく。 悟った人は、大河の岸辺に立っている人。流れの観察者。 覚者は、大河に飛び込み戯れるもよし、観察者に戻るも自由自在。
316 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 16:09:58.20 ID:O2h3mIyy
>>307 > 現時点ではオニ氏の定義がややハッキリしないため
鬼和尚に限らず、「我(Atman)」を「自己の根源、永遠不滅の実体(以下、真我と記す)」という
意味だと思い込んでいる人が多いのだ。
しかしそれはバラモン教の特殊な思想なのだ。
経典における「我(Atman)」の使用はそれだけではない。単に「一人称(われ、私)」としても使われるし、
現代の哲学や精神分析学で使われるような「自我(自己意識、自己認識)」という意味でも
使われる。
それは当たり前で、Atmanはもともとサンスクリット語で「自分」というだけの意味であって、
それにバラモン教が特殊な意味を付加したのだから。
丁度、日本人が、単なる一人称の漢字である「我(ワレ)」を「我(ガ)」と読んで、特殊な意味を
無意識に付加しているように。大和言葉の「ワレ」と漢字音読の「ガ」を使い分けていること
からしても、違いは明白だろう。漢字で「我」と表記すると見分けがつかなくなる。
つまり、「我」には、「私、自己、自我」(ワレ)という用法と、「真我」(ガ)という用法の2通りがあるのだ。
ところで、経典の中でどの意味で使用されているかは、その都度、文脈や状況、誰が話しているのか、という
ことから総合的に判断するしかない。バラモンが「我と梵は同一なのじゃ」「己を世界と一体にするのじゃ」
などと言っていれば、その「我」は当然「真我」のことだ。
そして、そのような「真我」なるものは妄想に過ぎない、というのが釈尊の教えなのだ。
「非我なるものを我と思いなし、名称と形態(個体)に執著している。「これこそ真実である」と考えている。」
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。」
この場合の「我」は、バラモン教における「真我」の意であって、そのような思想に執着するな、と言っているのだ。
一般に現代人が「自我」からイメージするような、「自己意識」を捨てろ、などというようなことではない。(続く)
317 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 16:27:20.84 ID:O2h3mIyy
>>316 (続き)
ところで、一般の現代日本人は、2500年前のインド人とは違い、
「真我」や「梵我一如」などという思想を最初から持っていない。「真我」がある
などと誰も思っていないのだ。最初から無我なのだ。
だから、現代日本人に対してドヤ顔で「我」があるとかないとか説いても
意味ないのだ。「我(真我)を捨てよ」などと言ったところで、最初から無いものを、
捨てることはできない。
そういう意味で、現代日本人は、当時のバラモンやその教えを
信じて「真我」に固執していた民衆よりも、幸運にも、生まれつき悟りに一歩
近づいている存在なのだ。
しかしおかしなことに、日本の大乗の坊主の多くは(特に禅では)、バラモン教の思想に毒されていて、
「自他の区別を無くして無二になれ」とか「世界は一つであることを体験することが悟り」(梵我一如)とか、
バラモン教の教えをまき散らしているw
挙句に、「我(真我)」など誰も持っていないし、そんなものに誰も執着していないのに、
「我(真我)を捨てよ」などと言うw
「我(真我)を捨てよ」はバラモン教そのものではなく、「我(真我)は実在する」という
バラモン教の教えに対するアンチテーゼではあるのだが、あくまでバラモン教の教えを信じている
ことを前提にして成立するアンチテーザなのだ。現代日本人には関係ないことなのだ。
「我(真我)」の思想に執着しているのはむしろ大乗の坊主自身なのだ。
318 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 18:01:53.81 ID:O2h3mIyy
>>314 その通り。
「空」も中国大乗の漢語に引きずられて、変な意味に誤解されているが、
本来「空虚、虚しいもの」という程度の意味なのです。
しかも、何もかもが「空」なのではない。「空」でないものもある。
大乗は全ては空(一切皆空)などと言っているが、それは間違い。
たとえば、マッジマ・ニカーヤにはこうある。
「空であるものは、この想いにあるものであって、(それは)村についての想いに向かうものである」と知る。
「空であるのは、この想いにあるものであって、(それは、)人についての想いに向かうものである」と知る。
「あるのは、この、森についての想いによる独住であって、それだけが、空でないものである」と(知る。) 」
つまり「空」(むなしいもの、空虚なもの)なのは、村(享楽の場)や人(大衆)に執着する「想い」
であって、「森についての想いによる独住」、つまり執着を離れた修行は空しいものではないから「空」ではないのだ。
また、こういう言葉もある。
「空であるものは、この想いにあるもので、欲の煩悩としてあるものである」と知る。
「空であるものは、この想いにあるもので、生存の煩悩としてあるものである」と知る。
「空であるものは、この想いにあるもので、無明の煩悩としてあるものである」と知る。
「あるのは、この身体だけによって六処をもつものであって、(それは)命を縁とすることによっている、これだけが、空ではないものである」と(知る)。
欲や生存や無明の煩悩としてある「想い」が「空」なのであって、「この身体だけによって六処をもつもの」は「空」ではなく、「ある」
と言っているのだ。
だから「世界が空なりと観ぜよ」という言葉も、
世間は虚しいもの、空虚なもの、執着すべきでないもの、と観て、諸々の執着を捨てよ、
という意味なのだ。
物質や魂の存在論のような話では全くないのだ。
319 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 18:12:58.48 ID:O4B7xEKe
なんだw念仏だけ唱える気になったか?w それともただ座るのか?w
320 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 19:48:13.55 ID:pehNuLYz
>>316 真我は神だよね。それは妄想ではない。釈迦は釈迦の生涯では神を取り扱わなかった。
本当の悟りを得たのは釈迦としての生涯ではなかったから。
そういう話もありますし、だから釈迦の教えが絶対だと思い込まない方がいいかもしれません。
>>301 もはや錯乱しているようじゃのう。 聞いているわしがなぜ言っている事になるのじゃ?
それにおぬしはわしの同じ質問に
>>248 で「だから貴殿の問「我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?」の答えは
「誰も(私も釈尊も)そんなことは言っていない」ということだ。」
などと言っておる。
誰もと言うからにはわしも入っておるはずであるが、今度はわしが言ったなどと言っておる。
誰も言っていないのか、わしが言っているのか、どちらかが嘘か両方とも嘘と言うことじゃのう。
わし自身がそのような事は言っておらんと明言しておるからには、わしが言ったなどという事は完全に嘘であるがのう。
更には
>>248 で「釈尊の教えは、「自我がある」とか「自我がない」とかの主張ではないのだ」
と、書いて居るが、おぬし自身が認めた通り「「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、当然自我がある。」などというおぬしの主張はお釈迦様の教えではなく、勝手な解釈でありいつわりである事になるがそれでいいのかのう。
本当はおぬしも嘘を吐く気はなく、自分が前に書いた事を忘れてしまい、教典の読み込みや研究も十分ではないから、レスによって矛盾した事を書くのじゃろう。
お釈迦様もわしも、悟りを得た者でさえ間違いを犯すものじゃ。
おぬしも普通に最初の言葉は間違いであったと認めれば、もはや嘘はつかないですむのじゃ。
>>303 どういたしまして、またおいでなさい。
>>307 わしは地獄へ堕ちるなどと言ってはおらんのじゃ。
お釈迦様が言っておるのじゃ。
自我の定義とかそのような事を論じる前に、ただ本人の言葉を確認するために聞いただけでわけのわからない嘘を吐いて話にならんのじゃ。
悟りを得た者は鏡のようじゃと、誰かが言っておったが、わしにレスをつけて聞くから嘘が勝手に露になるのじゃ。
まさか本物の悟った者が居るとは思っていなかったようじゃのう。
記憶に依存した認識のある状態が、「自我がある」と言う事ではないのじゃ。
記憶に依存した認識は自我を起こす因となるだけなのじゃ。
自我が無く、記憶に依存した認識のある状態もあるのじゃ。
いわゆる小悟という状態じゃのう。
記憶に依存した認識のが滅すれば悟りに至るのじゃ。
自我とは記憶に依存した認識が、作り出した言葉とイメージの事となるじゃろう。
>>309 ここが相談板じゃ。
相談に答えるだけなのじゃ。
おぬしも相談すると良かろう。
>>311 心を病んでいるならば座禅は止めた方が良かろう。
なぜならそれは病気の治療の為のものではないからじゃ。
最近の研究ではうつ病などは首の後ろの凝りが減トンと言う報告もあるという。
座禅では首は治らないのじゃ。
病気を治してからやるとよかろう。
>>312 違うのじゃ。
体も無我なのじゃ。
体も我が無くて動くものじゃ。
特に慣れた動作をする時、観察してみればまったく己無しで体が動くのがわかるじゃろう。
325 :
312 :2012/03/12(月) 20:40:31.77 ID:NzgKm2yZ
じゃあ鬼和尚は身体からの束縛から離れているのでしょうか?
326 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 20:45:37.41 ID:O2h3mIyy
>>321 > もはや錯乱しているようじゃのう。 聞いているわしがなぜ言っている事になるのじゃ?
「我と言うと自我はある」はあなたが書いた言葉だよ。私が書いた言葉ではない。
> 誰もと言うからにはわしも入っておるはずであるが、今度はわしが言ったなどと言っておる。
「『我と言うと自我はある」』と誰が言っているのか?」と聞かれて「誰もそんなことは言っていない」、というのは
「私も貴方以外の誰もそんなことは言っていない」という意味だよ。『我と言うと自我はある』はあなたの書いた言葉でしょう。
私は『我と言うと自我はある』などとは書いていないのだから、「『我と言うと自我はある』と誰が言っているのか?」
などと聞かれても、「私も(貴方以外の)誰もそんなことは言っていない」、としか答えようがない。
「貴方以外の」を明示しなかったことで混乱したのであれば、言葉足らずであったかも
しれないが、普通の国語力を持った人なら当然理解できるものと思った。
> 誰も言っていないのか、わしが言っているのか、どちらかが嘘か両方とも嘘と言うことじゃのう。
どちらも嘘ではなく、(貴方以外の)誰も言っていない、すなわち貴方が言っただけ、ということなのだ。
> わし自身がそのような事は言っておらんと明言しておるからには、わしが言ったなどという事は完全に嘘であるがのう。
ん?「我と言うと自我はある」というのは、貴方が書いた言葉でしょうw もう忘れたのか?
初出は223で、「我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?」という問の中で貴方が言っているのだ。
327 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 20:56:55.21 ID:O2h3mIyy
> 更には
>>248 で「釈尊の教えは、「自我がある」とか「自我がない」とかの主張ではないのだ」
> と、書いて居るが、おぬし自身が認めた通り「「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、当然自我がある。」などというおぬしの主張はお釈迦様の教えではなく、勝手な解釈でありいつわりである事になるがそれでいいのかのう。
前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。
後者の「自我」は一般に人々が用いている「私自身」「自己認識」という意味の「自我」なのだ。
それらの違い、使い分けについては316-317に詳しく書いた。
>お迦様もわしも、悟りを得た者でさえ間違いを犯すものじゃ。
違うなw 貴方が間違いを犯しているのは、悟りには程遠いばかりか、釈尊の教えの基本を全く理解していないからだ。お釈迦様も間違いは犯すかもしれないが(弟子を集団自殺させてしまったり、教団の分裂を
避けられなかったり)、自らの教えの基本を間違うなどということはない。 「お迦様もわしも、悟りを得た者」などと自らを並列に記すなど、不遜が過ぎるぞ。
貴方は、「悟った者は自我を滅し」などと主張(間違っているが)するわりには、自己執着が強すぎるw
>>322 >
>>307 わしは地獄へ堕ちるなどと言ってはおらんのじゃ。
> お釈迦様が言っておるのじゃ。
それを詭弁と言うw 「嘘をついてはいかんのじゃ。」と言って、補強するつもりで(虎の威を借りて?)お釈迦様の言葉を引用することは、
貴方自身が「地獄へ堕ちるぞ」と言っているのと同じことだ。
それとも、「嘘をつくと地獄へ堕ちる」という言葉を、「正しくない、支持しない」というつもりで
引用したのかな?そうではあるまい。
口意を整えよ。口を慎め。いい加減なこと、妄語を語るな。
328 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 21:11:59.21 ID:O2h3mIyy
>>322 > 記憶に依存した認識は自我を起こす因となるだけなのじゃ。
> 自我が無く、記憶に依存した認識のある状態もあるのじゃ。
ほらまた適当なことを書く。
あなたの言う自我(バラモン教のアートマン)など誰も最初から持ち合わせていないんだよ。
最初から無いのだ。「記憶に依存した認識のある状態もあるのじゃ」ではなく、記憶と認識
しかはじめからないのだよ。
> 記憶に依存した認識のが滅すれば悟りに至るのじゃ。
違うのだ。認識作用を滅すれば死んでしまう。
「寿命と熱と識別作用が身体を離れたとき、(身体は)うち捨てられて横たわり、意識なきものとして、他のものの食べ物となるのである。」
釈尊の悟りは、識別作用を滅するのではなく、識別作用に対する執着から離れることなのだ。
「色形に関して離れ、感受作用についても離れ、表象作用についても離れ、志向作用についても離れ、識別作用についても離れる。離れたものは、貪欲を離れて解脱する。」
329 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 21:17:39.11 ID:O2h3mIyy
>>328 認識作用と識別作用が混在してしまったが、ここでは感受作用、表象作用、志向作用、識別作用などの
心の働き(受想行識)をまとめて認識作用と呼んでいる。
331 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/12(月) 22:35:19.98 ID:9I7kUPPu
>>326 >> わし自身がそのような事は言っておらんと明言しておるからには、わしが言ったなどという事は完全に嘘であるがのう。
>
>ん?「我と言うと自我はある」というのは、貴方が書いた言葉でしょうw もう忘れたのか?
>初出は223で、「我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?」という問の中で貴方が言っているのだ。
話の流れはこうなんじゃないの?
>>200 > 悟った者は自我を滅し、記憶に依存した認識をも滅しておる。
↓
>>201 >違う。悟った者でも、自我や自己認識はある。
↓
>
>>201 誰がそんな事を言っているのじゃ?
> おおかわなんとかかのう。
↓
>>212 >「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、
> 当然自我がある。
↓
>>223 >
>>212 我と言うと自我はあると、誰が言っているのじゃ?
332 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/12(月) 22:42:58.64 ID:9I7kUPPu
>>327 >> 更には
>>248 で「釈尊の教えは、「自我がある」とか「自我がない」とかの主張ではないのだ」
>> と、書いて居るが、おぬし自身が認めた通り「「我はシッダールタだ」「我は解脱した」などと度々言っているのだから、当然自我がある。」などというおぬしの主張はお釈迦様の教えではなく、勝手な解釈でありいつわりである事になるがそれでいいのかのう。
>
>前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。
>後者の「自我」は一般に人々が用いている「私自身」「自己認識」という意味の「自我」なのだ。
>それらの違い、使い分けについては316-317に詳しく書いた。
そんな使い分けをするならする前に書いておかないと誰も分からないのでは?
333 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/12(月) 22:47:02.09 ID:9I7kUPPu
>>327 >不遜が過ぎるぞ。
ところでここ読んで思ったんだが、もしやあなたは釈迦を崇めてるの?
334 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 22:48:10.38 ID:edHuUAiq
言葉は記憶でできている。 記憶を滅すると単語すら出ない。 記憶を滅したといいながら夢を覚えており 前世を見たという。 どんだけー。
335 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 22:58:25.67 ID:O2h3mIyy
>>332 言わなくても普通は分かるであろう。
鬼和尚は我(アートマン)にとらわれておるから分からなかったのだ。
鬼和尚は、「悟った者は自我を滅し、記憶に依存した認識をも滅しておる。」などと言っているが、
バラモン教の我(アートマン)なら、「ある」と思ってる常住論者にとっては、永遠不滅
の実在だから「滅する」ことはできない。また、「ない」と思っているものにとっても、
ないものはないのだから「滅する」ことができない。そしてまた、単なる自己認識、意識作用として
の自我は、「自我に固執する見解をうち破る」べき対象ではあるが、「滅する」対象ではないのだ。
「自我を滅しなさい」というのは「自殺しろ」と言っているに等しいのだ。
336 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/12(月) 23:02:26.06 ID:O2h3mIyy
>>333 「崇める」の定義は?
私は釈尊を少なくとも「尊敬」はしている。
>>334 簡単に言えばそういうことだな。どんだけー、だよ。
自我を滅したと言いながら、「鬼和尚」と名乗り、妄言を書き連ねているのだから、
滅茶苦茶な話だ。自我を滅したらそもそも生きてはいない。
自我を滅した存在は、死者だけだ。
337 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/12(月) 23:39:01.04 ID:9I7kUPPu
>>335 その辺はどういう言葉を使って説明するかの問題のように思うけどな。
>>336 ひれ伏してる感じかな。そして水戸黄門みたいに印籠出して他の者を従わせようとしている感じ。
あなたはそんな感じで釈迦を利用しているように見える。
338 :
支那名無し :2012/03/12(月) 23:52:39.07 ID:kaHwc7ca
はじめまして。 「崇める」の「崇」の字源は、文机の上に積まれた巻子本の絵。 経典などを両腕で眼より上部に捧げ持ち、机に運ぶことが「あがめる」ことですから 「ひれ伏す」的な謙譲の姿勢はイメージとして間違っている、と思いましたので おじゃましました。
知識だけあっても知恵や慈悲がなければ、何の意味もない。
340 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/12(月) 23:57:13.72 ID:9I7kUPPu
悟りについて議論したいのであれば宗教板の悟りスレに行って下さい
342 :
善聖 ◆rgBot67fe. :2012/03/13(火) 00:13:54.25 ID:v8Fu9F7w
>>331 それより避難所がくそスレ化してる方が嘆かわしいですw
343 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/13(火) 00:16:57.10 ID:unH13vZ2
>>342 よし。それではあなたの力で思い切り良スレに変えてみてくれ。頼んだぞ。w
344 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 00:18:57.04 ID:nSk9M3od
慈悲を期待しても無駄だろうw ここは「鬼」スレだからなw 鬼に相談してもらうスレに変えろw 仏か鬼かどちらと訊かれれば、 鬼だと答える自覚はないかい?w
345 :
善聖 ◆rgBot67fe. :2012/03/13(火) 00:21:19.03 ID:v8Fu9F7w
たまにはカキコしたいです。 偽和尚さんもそろそろハンドル変えてもいいんじゃないの?w
346 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/13(火) 00:26:13.43 ID:unH13vZ2
>>345 あー。改名ねえ。「偽OSHO」とか?w
典型的なマナーを守る真面目な人間でしたが、 あまりマナー違反が世にはびこる現実にもう自分も180度転換して 自己本位になろうかと思い始めました。 が、それはやはり嫌なのですが、 このまま真面目に行うことが何にもならないことも嫌です。馬鹿らしいです。 要はマナー違反を見ても動じない心が欲しいのですが、どうすればいいでしょうか?
348 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 00:37:00.50 ID:nSk9M3od
宗教板やvip板でロムってれば大概のことは慣れます
2ちゃんなどは見なければいいだけです。 しかし現実での出来事は違います。
350 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 00:50:13.46 ID:nSk9M3od
ん? まきこまれたくないの? それとも強い心が欲しい?
347に書いてあります。
352 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 00:57:24.58 ID:Ri+grR5G
>>347 マナーとは自分が守るものであって、他人に強要するものではない。
他人に強要できるのは法律だけだ。
他人のすることはほっておきなさい。
>352 例えば、車の運転時に 空いている左折レーンの先頭まで走ってから 混んでる中央レーンに横入りするのが一番得ですよね。 そういう行為を「ほっとけ」で毎度毎度許せるかどうか、自分に許すかどうか、なんです。
354 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:02:33.51 ID:nSk9M3od
原因があれば心は動じます。 しょうがないです、縁起だから。 でも起こったものはいずれ収まります。 長く収まらないのは記憶を追いかけてるから。 心の対照を変えるんですよ、近くの物体とか 景色とか、好きな趣味とか今日の晩御飯どうしようとか。
355 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:04:50.86 ID:OisjfmcV
彼らの文言は、あまりに心なく、的外れなものが多い。 けれども、時に足元を見つめさせてくれるものもある。 「あんな文才のないやつが」と書かれれば文章を磨くことに貪欲になれるし、 「障害があること以外に何のウリもない」と指摘されればウリを作ろうと必死になれる。 匿名だからこそ好き勝手に書けるけれど、匿名だからこそ本心が出る。 僕をよく思っていない人たちの存在を知り、意見を聞くことで、見たくない自分の姿が見えてくる。 そこから目をそらすことの方がよっぽど簡単でラクなことだとはわかっているけれど……。 sports.cocolog-nifty.com/ototake/2003/06/?post.html
>354 つまり気をそらすとか忘れるとか逃げですよね。 それしかないんでしょうか。
357 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:11:14.79 ID:Ri+grR5G
>>353 > 例えば、車の運転時に
> 空いている左折レーンの先頭まで走ってから
> 混んでる中央レーンに横入りするのが一番得ですよね。
それはマナー違反ではなく、道交法違反ではないのか?
「左折レーンの先頭」は交差点のはずで、交差点付近で車線変更はできないでしょう。
>357 失礼しました、「左折+直進レーン」にしましょう。
359 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:22:49.68 ID:nSk9M3od
では全身全霊で感情に向き合ってください あくまで真正面に。寸分の逃げを作らない覚悟で。 天地一杯未来永劫向き合うくらいで。 犬が西向きゃ尾は東です。 心がふっと消えます。
で、先頭なら直進できちゃうんで、 左折車が前にいて直進できない状態みたいなね。 言いたいことは、「法律違反」ではないがマナー違反である状況の話です。 また自転車の無灯火等、ほぼ適用されない「法律」なら同じ事ですね。
361 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:32:38.36 ID:Ri+grR5G
>>358 >>360 > で、先頭なら直進できちゃうんで、
> 左折車が前にいて直進できない状態みたいなね。
左折車が前に連なっていて(交差点から離れていて)、前進できず、中央レーン
に安全に(十分な車間距離をとって)車線変更できるなら、何も問題わないだろう。
別にマナー違反でもないだろう。
強引な割り込みをしないと入れない場合は、強引な横入りはダメだが。
しかしその場合も、中央レーンの親切な車がスピード落として入れてあげたりもするだろう。
つまり、ケースバイケース。
> また自転車の無灯火等、ほぼ適用されない「法律」なら同じ事ですね。
自転車の無灯火は最近は取り締りやってますよ。
362 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/13(火) 01:36:35.95 ID:unH13vZ2
>>347 誰かが守れと言っているから仕方なく守るという場合は当然守りたくなくなるな。
しかし仮に誰かが守れと言っているのであってもそれによって自分の利益に
繋がるのであれば守ろうとするだろうな。
他人のルール違反が許せないというのは恐らく自分が嫌々守っている(全く自分の
足しにならないと感じる)ルールがあって、そのストレスが溜まっているからではないか?
もしそうならば、そのルールが適用されない所に行くか、または適用されない状態に
なるか、またはルールを変更出来る立場になって変更してしまうしかないと思う。
>>353 交通ルールの場合は自分の命を守るために守ると思った方が良いと思うよ。
(まあ、守りさえすれば必ず安全が保障されるというわけではないが、普通は
安全性が高まる)。
363 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:37:50.22 ID:nSk9M3od
感情にかまけると事故起こしやすいので 運転にに集中してなきゃね
ちなみに私は運転しません。乗って見ているだけです。 「例」なのでもっとマクロ的に考えて欲しかったのですが やはりダメですね。
365 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:43:43.81 ID:Ri+grR5G
>>364 >>358 >ちなみに私は運転しません。乗って見ているだけです。
乗って見ているだけなら、運転手に任せるべき。貴方が怒ったりイライラしたり
する必要はない。
> 「例」なのでもっとマクロ的に考えて欲しかったのですが
> やはりダメですね。
ケースバイケースですから。その都度状況に応じて考え対応できるのが知恵です。
366 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 01:52:41.17 ID:nSk9M3od
時速五十キロで走り出すと秒速14メートルくらいだから 2台割り込まれてもこっちの時間の損失は一秒もないよ。 同乗者が毒づくとかえって運転手も落ち着くかもよ
367 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 02:06:43.34 ID:uPa0Riv3
拭いきれない傲慢さや自己主張や対立意識みたいなものが出てくることがあります。 どうしたらなくせますか?自分が正しいと分からせたい、というか。
368 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 02:26:23.11 ID:nSk9M3od
譲るとこは譲る。 譲れないとこは譲れないんでいいんじゃないかい? 人の価値観は千差万別だし違って当たり前 主張なんて通る時は通るし通らないなら通らない
369 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 02:38:18.92 ID:uPa0Riv3
>>368 ありがとうございます。自己主張はしていいんですよね。
相手を否定したうえで自己主張してる感じがあって、傲慢さみたいな負けたくないみたいな
ものが出てくるときがあるんです。内容を伝えるというより我を押し出してるような。
自分しか見えてないんだろうか。自分と他人を上からみる視点みたいなところに立てればいいのかな。
370 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 02:51:46.10 ID:nSk9M3od
分かり合うためにはお互いの情報をだし合う ことかなあ。 怒るツボなんかも人それぞれでおおざっぱで すまないんだけど男の人に多い理屈や筋を通す タイプと女の人に多い感情や雰囲気を優先するタイプ。 すれ違いが出やすいね。 自分はこういうのに嫌な気がするんだとか 自分の目的はこうこうで、そのためにこういうけど 悪いけど聞いてねみたいな歩みよりがあればいいね。
371 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 03:11:20.27 ID:uPa0Riv3
>>370 ありがとう、分かります。
自分の感じ方や意図を正直に言わないと、言っちゃいけないと我慢したりしてると
変な方向に行きますよね。
分かってくれてるだろうと思っててもそれは違う人間だから言わないと分からない
に決まってますよね。
自分とは違う、っていう認識が最初にないと分からせようとしたり、疑ったりで
歩み寄れませんもんね。ありがとうございました。
372 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 03:21:16.61 ID:nSk9M3od
遅くまでお付き合いありがとう。 もう寝ます。おやすみなさい。
373 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 03:34:46.35 ID:uPa0Riv3
おやすみなさい、こちらこそありがとうございました。
374 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 11:36:33.59 ID:MZGv5Zcw
なんで、こんなくだらん雑談スレになるのかね?実にくだらん。
鬼和尚さん 過去の記憶と未来への思考が、自我を作ってるのですか?
>>325 身体の束縛から完全に離れてしまえば死ぬのじゃ。
身体もまた境界の無い意識の表れに過ぎないと感じるのじゃ。
今わしは感覚や思考の慣習に随う事によって仮の束縛を作り、この世に居るのじゃ。
>>326 そのように他人の言葉を一部だけ切り取り、適当に意味をつけて捏造してよいならば何でも言えるのじゃ。
文脈から見ればわしがまったく逆の主張をしている事は明らかであるからのう。
例えばおぬしの言葉の「言葉足らずであった」という所だけ切り取り、おぬしもようやく自分の間違いを認め居った、などと書く事も出来るじゃろう。
しかし、わしはそのような事は書かない。
なぜならばそれは他人の言葉を勝手に切り取り、捏造する事であり、お釈迦様が禁じた妄語になるからのう。
わしは真実を正しい言葉で教える故に、捏造も嘘も行わないのじゃ。
>>327 おぬしは先ず始めにアートマンは自我ではない事を知らねばならないようじゃのう。
以前にも書いたがアートマンとは無によってのみ定義される、空と同じ観念を破壊する法なのじゃ。
学者の書く本にさえ間違った事が載せられている故におぬしが知らなくても仕方が無いがのう。
アートマンは自我ではない。
アートマンについて正確な知識をもつ者が自我とアートマンを同じとする事は無い。
そのようにひとつの単語に間違った知識によって別の意味を持たせるならば、何でも言えるのじゃ。
例えばおぬしが釈尊と言って尊敬しているのは大川何とかじゃとかのう。
しかし、わしはそのような事はしない。
それはお釈迦様の禁じた妄語であり、嘘になるからじゃ。
真実を正しい言葉で伝えるわしはそのような事をする筈も無いのじゃ。
わしはお釈迦様の言葉をそのまま信じる事も正しいとする事も支持する事も無い。
お釈迦様も間違いを犯す者であるからのう。
誰かが実際に嘘を吐いた事で地獄へ堕ちたら、それが正しい言葉であったと知るのみじゃ。
>>328 アートマンは自我ではない。
識別作用と記憶に依存した認識は同じ物ではない。
それはおぬしの得意の捏造でしかないのじゃ。
>>330 すまんのう、間違えたのじゃ。
生活板の相談スレじゃな。
おぬしも相談したら良いのじゃ。
>>334 おぬしイメージを忘れておる。
それに記憶を滅したらただの記憶喪失じゃ。
もっと良く読むのじゃ。
>>347 お釈迦様はこのように言っておる。
50 他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
これを覚えて実践すれば動じなくなるじゃろう。
おぬしが他人のした事を見ず、マナーを守れば事故を起こす確率が減り、万一起こしても自分はマナーを守っていたと言えるのじゃ。
そして他人にも自分はマナーを守って事故がないと教える事が出来るじゃろう。
そのような利益がある事を知り、これからも守ると良いのじゃ。
>>367 それが闘争の要求から起こる事を観察してみるのじゃ。
おとなしい人間でも闘争への欲求はあるものじゃ。
実際の暴力的な闘争が禁じられたりすると、言論などで相手を叩きのめしたいと思うのじゃ。
真の賢者は自ら主張する所無く、現今の状況に応じて臨機応変に智恵を出すものじゃ。
己の心を観察し、闘争の欲求から出る主張を押さえ、他人の意見を広く吸収するのじゃ。
そうすれば次の智恵の次の段階である、様々な意見を多角的に見られる境地に進むじゃろう。
>>375 人によってはそのような者も居るじゃろう。
感情によって自我を作る者も居る。
肉体や感覚を己として認識する者も居る。
人によって違う故に、悟りの道も多くあるのじゃ。
380 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 21:08:10.68 ID:bNRKDR+f
>>379 闘争への要求、分かります。本当には望んではいないのに引っ張られるような。
突き詰めて見ると相手を攻撃したい、それはエゴの自己憎悪からくるものでしょうか。
結局自己攻撃というか。根源的な何かがあるんですよね。
むっと感情が湧いて来た時に、ひっぱられないで何が原因か観察できる視点に立つ練習をしてみたいと思います。
ありがとうございました。
381 :
善聖 ◆rgBot67fe. :2012/03/13(火) 21:14:15.55 ID:v8Fu9F7w
>>346 うーん、偽というのが引っかかりますね。
そういえばオショーの本とか読まれてるんですね?
なんか良いのがあったらまた教えてください。
解脱者さま 下記の報道に関してどう思われますか? 自分は宇治市の方針が何で問題なのかわかりません むしろ宇治市に抗議して謝罪させた(似非)人権派弁護士が怪しくて仕方ありません 【政治】 生活保護で「母子家庭は男と同居禁止」 「外国人、日本語話せず仕事ないのは自己責任。勉強を」 誓約書→京都・宇治市が謝罪★3
383 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/13(火) 22:14:32.32 ID:nSk9M3od
どんなに憎らしいアイツも死ぬ時はくるのです。 怒りの樹木には悲しみの刃で
384 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/14(水) 00:37:33.89 ID:8ImlG2LO
385 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/14(水) 03:11:18.91 ID:uzrhZ9hd
>>322 「お釈迦様が言っておる―― 」
からと言って、無批判(という表現は好きじゃないですが)に流用するのは、どうかと思います。
特に迷妄の異界などは、釈迦の遺した言葉の中でも、トップクラスにオカルト、間違った事に、思えますけれど・・
自我の定義については、お答え頂き有難う御座います。
>>301 さんの定義する自我 ・・・ 自己意識、自己認識
オニ氏の定義する自我 ・・・ 記憶に依存した認識が、作り出した言葉とイメージの事
とりあえずは↑のように、(お二人の見解は)塗り分けられました。
時間が無く、ちょっと今は一瞬しか立ち寄れないので、他のお話が確認出来ず、部分レスになるのは、申し訳ありません。
386 :
泥団 :2012/03/14(水) 04:14:23.20 ID:WOegF+DF
闘争の欲求って、きっと誰でも自我が芽生える3歳ごろからあるのじゃないかしら。 これって、突き詰めると生存したい、(自己の)存在をたしかにしたいという 欲求に行き着きそうね。 人間は社会的な生き物だから、自分は安全な状態から分離している、という 誤謬から、自己を守りたい欲求の連鎖として「他者を排除しなきゃ」とか 「自己の正当性に対する他者からの承認が必要だ」って気分になるのかしらね。
387 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/14(水) 05:47:08.97 ID:c/be982W
エゴという、分離(他者からも、神、真我からも)という錯覚を維持するためのものは 投影という技を使うらしいです。 本当の一体としての自分(真我)を思い出させないために、というか思い出したくない ために、その理由は、神から離れて安全じゃなくて怖くて、そんな状況に自分をしてしまった 自己憎悪。それを真我という本当の答えのある場所じゃなく、この分離の世界に求めさせる ために、周りや他人になすりつける。自分が自分を憎んでいたり、安心じゃない理由を。 からまわり。 そういう倒錯に気づくことがエゴを逆転していくことにも(分離から一体へ)繋がるのかなあ。 分離、エゴの存在を確かにするために闘争を必要とするっていうのは、完全にエゴの支配下に 入ってますものね。
>>379 鬼和尚さん、ありがとうございます。
白陰禅師が36回もの悟りを開いたと言われるのは
多くの悟りの道を歩んだからなのですね。
今でも鬼和尚さんは悟りを開くことはありますか?
389 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/14(水) 17:26:09.04 ID:QpiQS92U
>>378 > アートマンは自我ではない。
一体何を言っておるのだ。
既に説明したように、アートマンは「自分自身」という意味でも「自我」という意味でも
「永遠不滅の自己の根源」という意味でも使われる。
アートマンは英訳すれば"self"に当たる言葉だよ。ただそれだけなのだ。
それが色々な意味で使われているのだ。
>識別作用と記憶に依存した認識は同じ物ではない。
誰が同じだと言ったのだ?w
>>380 全ての原因は自らの心の中にあるじゃろろう。
またおいでなさい。
>>382 ただ単にそのようなきまりがないのに、職員が勝手にやっていたというだけのようじゃのう。
もしそうしれというきまりがあったのなら問題ではなかったのじゃろう。
それが役所と言うものじゃ。
>>385 仏典を読む者ならば、自分に都合の悪い文句をも受け入れなければならないじゃろう。
言葉を操れるから捏造でも何でもして良いという訳ではないのじゃ。
自分は正しい事を教えるから、何でもやってよいというのならばオウムなどの凶悪カルトと同じになってしまうじゃろう。
己の主張だけが正しいと昂ぶり、捏造を行う者にこそふさわしい教えと言えるのじゃ。
>>388 白陰の言うのは気づきじゃのう。
観察をすれば日々気づきはあるものじゃ。
>>389 そのような間違った話しか書いていない駄本を読んで受売りで語っても無意味じゃ。
無によって定義されるものが英訳など出来るはずも無い。
ウパニシャッドをちゃんと全て読めばアートマンとはそのような単純なものではないとわかるじゃろう。
392 :
善聖 ◆rgBot67fe. :2012/03/14(水) 21:35:29.00 ID:VrwQmZ/Y
393 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 05:48:05.94 ID:J1exToxw
>>390 「自分に都合の悪い文句をも受け入れなければならない―― 」
のは、まず誰よりもオニ氏ご自身だと思いますよ。
客観的に事の真偽を研究する事と、しない事(していなかった事)を指摘され省みるのは、
社会常識の範疇かと。
「オウムなどの凶悪カルト―― 」
は、個人的には直撃世代でないため詳しくないですが、
事あるごとに(無差別に)オウムを連想し、オウムだオウムだ当て嵌めようとするのは、
それも洗脳されている姿に他なりません。
もういいかげん、オウムからは離れたほうがいいのではと思います。
本質的にオウムを生み出したのはジャイニズムである事も、真剣に考えるべきでしょう・・
394 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 06:23:54.02 ID:J1exToxw
>>385 の続き。
オニ氏の言う自我とは、「記憶に依存した認識が作り出した、言葉とイメージ」なのですね。
そういった定義に拠るなら、自我を「無く」する事も、可能でしょう。
オニ氏の仰った事は、特に間違いではないと思います。
・・ただ同時に、
>>301 さんの仰る事も、
>>301 さんの定義に拠るなら、正しいと思います。
要は、定義の問題なのです。
だから意見が分かれた際は、淡々と定義の説明をするのが、良いのでは、と・・
「地獄へ堕ちるぞ!」とか言っちゃうのは、社会的にやや不適切な表現に思えます。
395 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 07:18:32.32 ID:Qbf1WDVS
>>391 >
>>389 そのような間違った話しか書いていない駄本を読んで受売りで語っても無意味じゃ。
> 無によって定義されるものが英訳など出来るはずも無い。
何またトンチンカンなことを言っておるのだ。私はサンスクリットやパーリ語の経典とその英訳、学術論文
などを通して仏教を学んでいるだけだ。そして、サンスクリットやパーリ語で書いてあるものが英訳できないわけがないだろ。
同じインドヨーロッパ語族の言語だから、中国語や日本語訳よりも親和性がよい。
貴方は特殊な大乗の伝統に染まり手垢にまみれた漢語訳で先入観をもって読むから
内容が理解できないのだ。
> ウパニシャッドをちゃんと全て読めばアートマンとはそのような単純なものではないとわかるじゃろう。
話にならないな。「ウパニシャッドをちゃんと全て読めば」などと書いてるが、貴方は一つも読んだことないのだろう。
こんなことは常識なのだが。
Britanicaの百科事典にも、こう解説してある。
"atman, ( Sanskrit: “self,” “breath”) one of the most basic concepts in Hinduism,
the universal self, identical with the eternal core of the personality that after death
either transmigrates to a new life or attains release (moksha) from the bonds of existence.
While in the early Vedas it occurred mostly as a reflexive pronoun meaning “oneself,” in the
later Upanishads (speculative commentaries on the Vedas) it comes more and more to the
fore as a philosophical topic. "
ヒンズー教ではアートマンは不変な自己の根源と考えられているが、初期ヴェーダでは
ほとんど「自分自身」という再帰代名詞で使われているだけなのだ。そして後期ウパニシャッドに
なって哲学的な様相が強くなってくるのだ。
中期ウパニシャッドでも紀元前300年頃だから釈尊の死後かなり経っているし、後期ウパニシャッドは
紀元前200年頃なのだ。釈尊の生きていた頃は、初期ウパニシャッド末から中期の
初め頃で、その頃は再帰代名詞的用法のアートマンと哲学的意味合いを含有したアートマンが混在
していたのだ。貴方が思い込んでいるような一意的な言葉ではないのだ。文脈で判断しなければならない。
396 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 07:28:33.53 ID:Qbf1WDVS
>>394 > オニ氏の言う自我とは、「記憶に依存した認識が作り出した、言葉とイメージ」なのですね。
> そういった定義に拠るなら、自我を「無く」する事も、可能でしょう。
ならないよ。大脳新皮質の言語野と視覚野、海馬などを切除すれば悟れるとでも言うのか。
ただ廃人になるだけだ。
鬼和尚の言っている悟りというのは、廃人のことなのだ。
世俗的な悩みで悩んでいる人に隠遁生活を進めたりしてるが、無責任な話だ。廃人にするだけだ。
釈尊はそんな無責任なことはしなかった。俗世間から離れることを勧めた相手は
ちゃんと自分の教団で受け入れて面倒を見たのだ。教団も一つの社会だ。社会から
離れて生きていける人間は滅多にいない。そのような環境が提供できないのなら、
俗世間にあっても在家として真っ当に生き、労働をして自分と家族を養い、その余暇で仏教を学ぶべき
なのだ。
100 無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうが優れている。
398 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 11:36:23.37 ID:bzT2gLOB
今日会社休みなので、この時間からスーパーに買い物に出ました。 道で、腰の曲がった70歳は超えている老婆に声をかけられ、 「米を買うお金もないので、300円でいいから貸してくれませんか」と 頼まれました。 そのお婆さんの身なりからして、確かに裕福そうには見えず 腰が曲がっているし足取りも遅くて、気の毒な様子でしたが、 一瞬のうちに色々なことが脳裏に浮かんで、結局は貸しませんでした。 自分自身が一人暮らしをしていて、特に生活に余裕があるわけではない。 実家の両親が津波で被災者であり、お婆さんにお金を貸す(あげる)なら 両親に何か送ってやるべきではないのか。 お婆さん、裕福そうではないけど物乞いって程ではないし 本当に米を買うお金ないのか??等などが一瞬で浮かんできたわけです。 今思うと、自分や親兄弟が将来あのお婆さんのようになったらどうだろうとか、 お婆さんが餓死でもしたら、その原因の一部は私になるのかと考えたり。 いやいや、自分がジリ貧になった時にあの300円があれば・・・ と後悔しそう等考えたり 終わったことなのに考え出して、少々もやもやしています。 一体、このような時、どうするべきなのでしょうか。
本当にそうなら役所に行けと言えばいい。 それくらいの年齢で自活力がないなら生活保護の手続きをとってくれる。
その婆ちゃんが真実であれば、きっと貸したくなったろうし、 胡散臭い素性であるなら、貸したくないときっぱり拒絶出来たろう。 けれど、その話の時点では、婆ちゃんのバックグラウンドは不明。 であれば、下せる判断は「自分が300円あげたかったか、どうか?」のみ。 300円捨てた感覚で施した人も正解。婆ちゃんが真実がどうか不明だから
うっかり切れた。 婆ちゃんが真実かどうか不明な状態で、300円はあげられないと思う人。 この人も正解。 その瞬間に下した自分の感覚そのままが、その場での正解。 398がした行動は不正解でもなんでもない。
402 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 12:07:00.55 ID:bzT2gLOB
>>399 生活保護、その時は浮かびませんでした。勉強になります。
>>400 確かに、その曖昧な状況では、自分の感覚に頼るしかないですよね。
もやもやした気分が少し晴れました。ありがとうございます。
あげたければあげればいいじゃん 詐欺だろうと貧乏人だろうと、 自分の意志でサイフから300円だすという事実にかわりはない
404 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/15(木) 13:23:45.23 ID:NK3fq3F+
>>398 今の俺だったら300円はあげちゃうな。今の俺だとその金額は小さく感じるからね。
昔の金のない頃だったら断る。
ていうか、あまり深く考える必要ないと思うよ。金奪ったわけじゃなし、元々
一円の金の受け渡しもなくて当然なんだから。
それにその人は放っておいても大丈夫だよ。繰り返せばそのうち300円ぐらい何も
考えずに出せる気前のいい人に出会うから。
>>398 まず、突っぱねても罪では無いよ
本来、常識的ではない行為なわけだから
前にテレビで、人に施しをしたときに脳の働きが活性化して健康に良いとか
何とかってデータがあるとかやってたな
要するにそういうことに遭遇してその場では無視したとして帰宅してから
おばあさんに悪いことをしたかもと後悔するくらいなら、予めそうならないように
施しをした既成事実だけでも作っておけば自分自身、勝手に安心してるもんだろ?
結局、自分が納得するかしないかの話であって全く気に留めない者は留めないし
本人の性格によるとしか言い様が無いよね
406 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 14:02:51.85 ID:bzT2gLOB
>>403 シンプルに考える方が良さそうですね。
ありがとうございます。
>>404 納得のいく内容、ありがとうございます。
今頃は、気前のいい人にあってるかも知れませんよね。
407 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 14:16:19.80 ID:bzT2gLOB
>>405 最後の一文、本当にその通りです。
悩まずに済む方法、参考になりました。
2ちゃんで他人に感謝することは、それ程多くないですが
今回は本当に有り難く思ってます。
レスをして頂いた皆さん、ありがとう。
>>404 何こんなとこで金持ち自慢してんの。
>>398 人に金を渡すのは布施。
布施は自分が正しいと思う人に出しなさい。それが正解。
409 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 18:12:00.23 ID:Qbf1WDVS
布施で最も後腐れがないのは、現物を布施することだ。金が絡むとややこしいことになるのが人間社会だ。 私なら、300円分の米を家から持ってきて渡すか、コンビニでおにぎりでも買って布施するな。 ありがたく受け取る人もいれば、「そんなものいらん」と突っぱねる人もいるw これで見分けがつく。 本当に「米を買うお金」が欲しいのであれば、現物でいけないはずはないのだ。
>>393 世の中にはおぬしのように、まともに研究しようとする者ばかりではないのじゃ。
例えばおぬしはオウムとジャイアニズムという言葉を使った。
その言葉だけを切り取り、おぬしがオウムの信者であり、ジャイアニズム信奉者であると書いたならば、それは捏造であり、嘘になるじゃろう。
文脈からはむしろ否定的な主張を持っている事は明らかであるからのう。
釈尊を尊敬しているといいながら、そのような捏造や嘘を繰り返す者に、お釈迦様はどのような言葉を述べているか示すのが、言わば知る者の義務と言うものじゃ。
>>394 定義以前に知識が間違って居るのじゃ。
アートマンは自我と同一ではないのじゃ。
ウパニシャッドを読めば判るのじゃ。
411 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 20:15:13.06 ID:2XwaA2on
そのおばあさまの正体は観音様かマリア様だね。おれなら、300円と言わず、お米を一俵買っておばあさんちまで運んであげた。
412 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 20:26:53.17 ID:Qbf1WDVS
話が噛み合ってないぞ。 鬼和尚は日本語も不自由なようだな。
その手のばばあにバス代が無いから200円恵んでくれといわれたことがあったな。 200円ならと思って「いいよ」といったものの小銭入れに500円玉と10円玉数個しかなかったので 500円くれてやった。しねよばばあ。
>>395 最も古いブリハッド・アーラヌカヤ・ウパニシャッドにはすでにこのように書かれておる。
「万物の中に在って万物とは異なるもの、万物はそれを知らず、それの身体が万物であるもの、
万物をその内部にあって制御しているもの、それがあなたのアートマンである」
「実にアートマンこそ見られるべきもの、聞かれるべきもの、思考されるべきもの、瞑想されるべきものものであ。
アートマンが見られ、聞かれ、思考され、認識される時、この世の全ては知られるのである」
おぬしの自我は万物の中に在って万物とは異なるであろうか?
それは自分自身という再起代名詞で使われているじゃろうか?
仏典と同じくウパニシャッドも原典を読まなければ、本当の意味は知られないのじゃ。
仏教学者はウパニシャッドを読まず、ウパニシャッドを読む者は仏典について書かない故に、アートマンが自我という妄説が広まるのじゃ。
おぬしもこのように過ちを教えられたからには、お釈迦様の言葉に随うが良い。
76、(おのが)罪過(つみとが)を指し示し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、その賢い人につき従え____
隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように。そのような人につき従うならば、善いことがあり、悪いことは無い。
>>398 自らの行いを悔いるならば、次からは金を与えると良いのじゃ。
与えないで悩むよりは与えて悩まないほうが良いのじゃ。
次はやる事にしたらもはや悔やまないで良いのじゃ。
416 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 21:18:28.01 ID:Qbf1WDVS
>414 やれやれ、相変わらず人の話を理解しない頭の堅い自称覚者だな。困ったものだ。 >最も古いブリハッド・アーラヌカヤ・ウパニシャッドにはすでにこのように書かれておる。 それはヤージュニャヴァルキヤの思想であろう。 彼は真我論者なのだから、彼の言葉の中の「アートマン」が真我の意で使用 されるのは当たり前なのだ。だから私は、どのような状況で「誰が」言った言葉なのか、 文脈で判断しなければならないと言っているのだ。 初期ウパニシャッドに、そのような思想の片鱗がないとは言っていない。しかし初期ヴェーダ全体を 通してみれば、再帰代名詞的用法が圧倒的に多いのだ。文脈から切り離して「アートマン」がどうしたこうした 言っても、全く意味はないのだ。また、真我論もとなえるものも、その細部において互いにかなり違うのだ。 >アートマンが自我という妄説が広まるのじゃ。 おぬしもこのように過ちを教えられたからには え?? 私は、アートマン=自我などと言ってないだろう。最初から否定している。 アートマンは単なる「再帰代名詞」としても、「自我(自己意識)」という意味でも、「魂」という意味でも、「真我」という意味でも、 様々に使用される言葉なのだ。 それはちょうど、日本語の「我」」が色々な意味で使用されるように。我は一人称としても 使われるし、「真我」の意味でも使われるし、「我を張る」(自分の考えを押し通して譲らない)という用法でも 使われるのだ。「我を張る」場合の「我」が「真我」の意味でないのは明らかであろう。 文脈の中で判断しなければならないのだ。
417 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/15(木) 21:26:24.50 ID:NK3fq3F+
>>408 300円で自慢って。
まあ感覚は人によって違うから自慢に見えたのかも知れないが。
418 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 21:33:37.06 ID:PxhVaoN/
>>396 うーん・・
あくまで「言葉とイメージ」に限るなら、
消す事は出来るかも知れません・・
たとえば人がハダカでいたとしましょう。
それが若く美しい女性だったとしましょう。
それを見たら、普通の人は「裸」という言葉(単語)が真っ先に浮かび、
付随して、「美しい」「見れて嬉しい」といったイメージが、出てくる事かと思います。
・・しかし、言葉とイメージを司る神経回路(詳しくは存じませんが)が、そっくり作り変わっている人の場合、
同じものを見ても、「中に血と糞尿の詰まった皮袋」という言葉と、「虚しい」というイメージが、真っ先に涌く。
記憶は消せないので、「裸」という単語、「美しい」というイメージは、二番目、三番目あたりに、意識の片隅に涌くでしょうけれど、
「真っ先に涌く言葉とイメージが、普通の人と大分違う」のが、オニ氏の言う「自我が無い(消せている)」なのかも知れません。
・・まァ以上の説明は、
>>301 さんの言う「自我に拘らない」に、あっさり包括されていると言えば、されているんですけれど。
状況証拠的には真っ黒であるが物証はなく、本人も否認している木嶋香苗事件に関して、 解脱者様はどういう見解を持っておられますか? 詐欺は認めていますが殺人に関しては完全否認であり、有罪の場合はおそらく死刑、 無罪であれば(殺人に関しては)完全無罪という究極の判決になる見込みですが・・
420 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 21:45:54.58 ID:PxhVaoN/
>>410 ジャイアニズムではなく、ジャイニズムです。
ジャイアニズムを検索したら、「オレの物はオレの物、オマエの物はオレの物」という、
思想らしいですね。
ジャイニズムは、ジャイン氏の思想並びに、取り組み方全般の事です。
真理を得るために、ヨガなどを改変した様々な肉体行法を用いる主義。
・・盲目的に悪いと決め付けるのもいけないでしょう、
しかし大いに誤解を招きそうなイズム。
事実、オウムなどのカルトは、ジャイニズムに走り過ぎたがために、仏法から大きく外れたわけですから・・
421 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 22:06:05.67 ID:Qbf1WDVS
>>418 > たとえば人がハダカでいたとしましょう。
> それが若く美しい女性だったとしましょう。
>
> それを見たら、普通の人は「裸」という言葉(単語)が真っ先に浮かび、
> 付随して、「美しい」「見れて嬉しい」といったイメージが、出てくる事かと思います。
若く美しい女声を見ても、そのようなイメージが出てくるとは限らない。
また、たとえそのようなイメージが出てきたところで、何か困ることがあろうか。
執着しなければ別に問題はないのだ。
> 同じものを見ても、「中に血と糞尿の詰まった皮袋」という言葉と、「虚しい」というイメージが、真っ先に涌く。
別に無理にそのように見る必要はないのだ。
不浄観はとても危険な修行なので、素人が手を出してはいけない。
不浄観は特殊な修行であって、よく理解しない者が指導者の監視の外で勝手に実践してしまい、
厭世観のあまり自殺してしまうこともあるのだ。数十人単位の集団殺害(依願殺人による自殺)事件が、釈尊の教団でさえ起こったことが
あるのだ。
>>301 さんの言う「自我に拘らない」に、あっさり包括されていると言えば、されているんですけれど。
そう、それでいいのだ。妙な思想に引きずられることなく、素直に自分の心を観察し、余計な拘りや執着を除いていけばそれでいい話なのだ。
簡単に言えばそれだけのことなのだが、人格の完成してない者は指導者としての格好がつかんので、小難しい概念や思想を創作して、他人や弟子を圧倒しようとする輩が出てくるのだ。
気をつけなければならない。
422 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 22:08:53.08 ID:Qbf1WDVS
ジャイアニズムwww ほうじ茶吹いたじゃないかwww
423 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 22:54:07.21 ID:Qbf1WDVS
>>419 社会制度や刑罰論は悟りとは無関係だ。
国民が好きにすればいいのだ。
個別事件については、公判に参加もしていなければ傍聴もしていないし、
細部まで全て報道されるわけでもないから判断しようがない。
>>423 ちなみに一審でどんな判決が出ると予測しますか?
425 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 23:15:16.03 ID:Qbf1WDVS
>>424 内容がよく分からないから予測しようがない。報道されてるのは
記者の主観混じりの断片だけだし。
本当に何の証拠もないのであれば無罪だろうし、強い状況証拠により
彼女が間違いなく犯人で他の可能性がないと証明されれば有罪だろう。
426 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/15(木) 23:35:47.41 ID:2XwaA2on
,イ │ // |:! //,. -/r‐- 、| ! /,/ ./ | _」 ト、 /.\`/ |二...-┘ ヽ . i ,.>、;/ー- 、 l ! ∠.._;'____\ | ,!イ く二>,.、 <二>`\.、ヽ. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|´レ--‐'ノ. `ー---- 、 |\ ヽ、 |シャアニズムとジャイアニズムの差が \ | `l (!" Jfヽ! | `''-;ゝ .|菩提の決定的差ではないということを教えてやる /| / |、jヽ ヾニニゝ ゙イ" } | |´|\ ノへ.____________________ .| \/ `/\ ー / ,ィ_}|. \ソ | . \ // .| `ー ''´ _/ |' \ ./ .\/∨ ノ\_ _/ |、∨ .\/ ,──"´/ |;;ヽ ▽ /| ` ー`──-、 . / イ / |;;;;;\ ./;;;;;| \ ヽ
>>396 在家で労働して家族を養って余暇で仏教…とあるけど、
そんな恵まれた環境で生きてる人は少ないように思います。
夜遅くまでヘトヘトになるまで働いて、休みは無いわ結婚もできないわ
あるいは正規雇用すらままならない人など山ほどいますし。
貯蓄がなくて将来が不安でたまらない、けど仕事が見つからない。
見つかっても非常識な労働環境でこき使われてクタクタ、仏法どころではない。
バイト生活なら余暇は持てるかもしれないけど、社会人として真っ当と言える生き方でしょうか?
悲惨な老後が待ってる可能性も高い。
隠遁生活したいわけではないけど、
世俗に疲れ果てて嫌気がさした人間には道など無いものですかね。
428 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/16(金) 00:30:21.60 ID:YSkbpYeK
>>427 > 在家で労働して家族を養って余暇で仏教…とあるけど、
> そんな恵まれた環境で生きてる人は少ないように思います。
別に恵まれている必要はない。時間などいくらでも作れる。
> 夜遅くまでヘトヘトになるまで働いて、休みは無いわ結婚もできないわ
> あるいは正規雇用すらままならない人など山ほどいますし。
そう言うわりには、テレビやネットなどくだらないことに時間を無駄に浪費している
人は多い。勉強する時間も瞑想する時間も、その気になれば一日数時間は作れるであろう。
寝る間もないほど、一日20時間も労働して息を継ぐ暇もないなんて人は滅多にいない
だろうし、「正規雇用すらままならない人」は逆に時間はいくらでも有り余っているだろう。
> 見つかっても非常識な労働環境でこき使われてクタクタ、仏法どころではない。
そのような労働の場でも修行の場になり得るのだ。
クタクタ疲れる場合も、肉体的な疲れと精神的な疲れは別だ。
精神的に疲れることが無くなれば、長時間の肉体労働でも案外平気なものだ。
風呂入って飯を食って寝れば回復する。
逆に、精神的な疲れの方は、ただ座ってデスクワークしてるだけでもクタクタに疲れを感じるし、後に尾を引く。精神的な疲れは修行により克服できる。
> バイト生活なら余暇は持てるかもしれないけど、社会人として真っ当と言える生き方でしょうか? 悲惨な老後が待ってる可能性も高い。
50年後のことなど誰も分からないだろう。正社員だっていつリストラに合うか、会社が倒産するか分からないのだ。
大企業でもある日突然倒産したり、東電のように不測の事態に見舞われたりするのだこの世は無常なのだ。いちいち悲観していても仕方が無い。
70年ほど前の日本は戦争で爆弾の雨の中を皆頑張って生き抜いていたのだ。外に安心を求めても得られるものではないのだ。
> 世俗に疲れ果てて嫌気がさした人間には道など無いものですかね。
疲れの大部分は錯覚なのだ(実際に身体がしんどく感じるのは事実だから、最初は信じられないだろうが)。
修行により、現代の労働程度では疲れなくなる。
鬼和尚さんにお尋ねします 心臓がキューっとしたり、咳が風邪でもないのに出たり、ちょっと頭痛がしたり そんな後 アレっと気付いてみれば精神がちょっとばかり上等になってるような、 例えば、前より怒らなくなった、優しくなった、そんな経験があります。 悟りと少しは関係あるんでしょうか。 健康診断異常なしです。
430 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/16(金) 12:50:28.61 ID:JP3J+d4j
>>427 なんとなく読んでて思ったのだが、今のあなたの思考は、何故か「ダメな理由を探す」
モードになっているように見える。
もちろん、だからといってそれがダメということもないのだが、その湧き出る思考に
そのまま従ってしまうとあまり面白くない人生になると思うので、まずはあらゆる
ことについて「本当にそうなのか」と疑ってみることをおすすめする。それから
その疑いに従って実際に色々と自分で調べて確認してみると良い。なるべく人に
聞いたり本や雑誌やネットを利用せずに可能な限り自分で直接ね。利用しても
良いけど直接的なことから離れれば離れるほど情報が欠落したり歪む率が上がる
ことは忘れずに(その場に行ってみたら聞いていたことと全然違った、なんてこと
あるからね。悪いやつだと聞いていたのに直接会ってみたらいいやつだったなんて
こともある)。
431 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/16(金) 14:46:15.06 ID:JP3J+d4j
人間の脳は結構馬鹿で、人から聞いたりテレビ、新聞、雑誌、本などから得た情報 だけなのに何故か自分で見たり体験したりしたと錯覚することがある(更に情報を 沢山得ると「自分はそれをよく知っている」と思い込んでしまうこともある)。 催眠にかかっているようなものだ。 国外に出たこともなく毎日ほとんど同じ場所に居て直接出会う人も少なく大半の 情報をテレビ、新聞、雑誌、ネット、本などから得ているだけなのに世界中の ことを「分かった」と思い込んでしまい、そのせいで自分で直接確認したり直接 体験しようとしなくなる。「自分は分かっているしよく知っている。だからもう良い。」 ということだ。しかし本当は何も知らない。
>>416 ようやく文脈と言う言葉を覚えたようじゃのう。
なんだか漫才のようになってきたのう。
おぬしは
>>327 に「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」
>>328 にはおぬしは「あなたの言う自我(バラモン教のアートマン)など誰も最初から持ち合わせていないんだよ。」と書いておるような気がするのう。
文脈から見れば否定的に用いられているが、やはりアートマン=自我という用法じゃのう。
>>327 の自我がアートマンでなければ、やはりおぬしは矛盾した事を言っている事になる。
わしは始めからアートマンなどという言葉は使っておらん。
おぬしが勝手に「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」と、言い出したのじゃ。
おぬしもわしもアートマンが自我ではないとわかっているならば、何故そのような事を言い出したのじゃ?
またなにか言い訳するのであろうが、面白いから答えてみるのじゃ。
>>419 もし本当にやったのならば、自ら破滅に向かっていくじゃろう。
他人は騙せても自分の心は騙せないのじゃ。
>>420 そうじゃったか。間違えたのじゃ。すまんのう。
いやジャイアニズムで良いのかもしれん。
結局力による略奪しか考えていなかったようであるからのう。
>>429 それはむしろ肉体の変化によるもののようじゃのう。
年を取って丸くなったというようなものかもしれん。
鬼和尚さんは消費税増税に賛成ですか?反対ですか? できれば理由も教えてください
435 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/16(金) 21:31:56.74 ID:YSkbpYeK
>>432 >
>>416 ようやく文脈と言う言葉を覚えたようじゃのう。
何言ってるんだ??
316の書き込みで「経典の中でどの意味で使用されているかは、その都度、文脈や状況、誰が話しているのか」ということから判断すべきだと
書いているし、その後395でも書いている。
貴方が他人の書き込みを読みもせず、思い込みでいい加減なことを言っているのを
自白しているようなものだ。墓穴掘り過ぎ。
> 文脈から見れば否定的に用いられているが、やはりアートマン=自我という用法じゃのう。
貴方がそういう間違った用法で使っているという指摘をしているのだ。
> わしは始めからアートマンなどという言葉は使っておらん。
> おぬしが勝手に「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」と、言い出したのじゃ。
釈尊が否定した「我」の思想は、バラモンの特殊思想であるところの「真我」の思想なのだ。(無我、あるいは非我の思想)
ただし、「否定」とはそれが「無い」とか「間違っている」とかいう意味ではなく、そんな思想は何の役にも立たない
から執着するな、という意味なのだ。
存在論のレベルで「ある」とか「無い」とか「賛成」とか「否定」とか言っているわけではないのだ。
この主張を理解できない人が多い。二項対立的思考(正しいか間違いかのどちらか決定でき、決定されなければならない)に染まっていて、幼少から
洗脳されているからなのだ。この思い込み、執着を破らないと、悟りは得られない。
> おぬしもわしもアートマンが自我ではないとわかっているならば、何故そのような事を言い出したのじゃ?
貴方が分かっていないからだ。貴方は「アートマンが自我ではないとわかっている」つもりでいるだけで、
実は全く分かっていないのだ。その上自分が悟ったなどと勘違いしている。
真に悟る気があるのならば、まずその執着を捨てよ。
436 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/16(金) 21:52:50.40 ID:YSkbpYeK
そもそも、現代人の使う「自我」という言葉が「真我」を指していないと分かっている人ならば、 「自我を滅する」などと言うはずがない。自我を滅する必要などないからだ。 釈尊が説いたのは非我(真我説の否定)であって、それ以外の意味で「自我を滅せよ」 などとは言っていないのだ。 「自我に固執する見解をうち破れ」と言っているのであり、「自我を滅せよ」「自我を捨てよ」などとは 言っていないのだ。 和訳では時々「自我を捨てよ」と誤訳している者があるが、原典や英訳で確認すれば分かる 通り、"Destroying the view of one's self"(自分自身に対する(固執した)見方を破壊する) や"Not clingin to merit or evil, he abandons what has been taken up"(利益や悪事にしがみつかず、執着した事柄を捨てる) というのが釈尊の教えなのだ。
>>435 だからその文脈や状況からそう受け取った根拠を示せばいいだけの話だろ
それだから否定したいだけみたいに受け取られるんだろうよ
議論する上でのいろはぐらいはわきまえておけ
じゃないとどこに行っても否定厨扱いされるぞ
「我思う、ゆえに我あり」 「我あり、ゆえに我思う」 これはいったいどちらが正しいのでしょうか?
名前入れろよマジで
>>314 さまへ。
わたしかかってるお医者さま、眠ったとき、ないそうです... こないだ62んなったけど、
62年、いちどもだって... 理由よくわかんないけど、難産でなんか脳に負ったのかな...
生まれつき感情無い。生まれつき眠んない... だから起きてる世界が、夢とおんなし。
おもったの、そのままできちゃう... 医大かよってたころ、キャンパスのいどう、めんどう
だった。壁ちょくせつ、とおってた... たまに人いて、がっこう、よくさわぎにしてたらしい
よ... この世はまぼろし。それひょっとして、ホントかも... こおゆう人、生きてじつざい
してんの知ると... あ、げんじつ逃避いけないの、そのとおりです。先生、生まれつき
びょうき治せた。村の牛、ぐあいわるいとき、治したりした。(えっと、わたし26、先生62
なんで、昔のお話は聞いただけになります) でもべんきょうして、お医者さまんなった。
441 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/17(土) 12:24:54.14 ID:6lqyPVBo
>>440 > 眠ったとき、ないそうです
> 62年、いちどもだって
> 難産でなんか脳に負ったのかな
> 生まれつき眠んない
ググったらこんな記事が出てきた。
居なくはないようだ。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃眠らなくてもよいという特異な能力を備えた人はざらにいるものではなく、
┃オーストラリア、イギリス、フランスに数名いるだけです。
┃ある人は、欠伸をして顎が外れて以来そうなったと言い、
┃ある人は交通事故で脳に傷を受けてから寝なくてもよくなりました。
┃脳に何らかの障害が起こると無眠者になる場合があるということですから、
┃残念ながら意識して無眠者になることは出来ないのです。
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>>428 結局は個人がどの道を選択するか、という事ですかね。
どう働くか、どう生きるかは自分で選びなさいと。
私は働いてて体より心のほうが刻々と疲弊していってる状態が苦しくて仕方が無い。
消えたい、逃げてしまいたいという気持ちが自分の中にあるのかもしれない。
心が脆弱で不安や恐れがいつも渦巻いてる。
修行という道があって、苦しみを少しでも減らせることができるなら
それが正しいのかどうか本気で追求してみたいと思う。
>>430 頭でっかちになるな、という事ですね。
尚更、自分で体験して自分で道を追求するのが大事なのかなと。
>>434 わしは仕方なく賛成と言う所じゃのう。
政府にお金が無いから仕方が無いのじゃろう。
こまったものじゃ。
>>435 文脈と言う言葉だけ覚えて実際にはわかっておらんようじゃのう。
文脈がわかっているならば、わしが最初からアートマンが自我ではないと、言っているのがわかる筈じゃ。
おぬしが最初に
>>327 で「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」などと、言い出したのじゃ。
ウパニシャッドの原典をも示し、それが自我ではないと証明したわしが、なぜアートマンが自我ではないと知っていない事になるのじゃ?
文脈を無視して勝手な事を言っても全然反論になっておらんのじゃ。
おぬしが反論しようとするならば、
@ ウパニシャッドの原典からアートマンは自我であると翻訳者の注釈などでなく、はっきり書いてある文章を示すのじゃ。
A そして
>>327 の「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」という言葉と
>>416 の「アートマン=自我などと言っていない」というどちらが本当なのか、はっきりさせるのじゃ。
というような事をしなければならんのじゃ。
これだけはっきり書けば文脈がわからんおぬしにもわかるじゃろう。
>>436 文脈がわからんおぬしがそう言っておるのかのう。
そうすると悟りへの道と悟りそのものの区別がついているかどうかあやしいものじゃ。
そのようにして悟ると、それが悟りであるという言葉の違いが、おぬしにはわかるじゃろうか?
>>438 本来は我あり、故に我思うじゃのう。
しかし、人は我思う故に我ありと認識しているのじゃ。
445 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/17(土) 23:07:06.02 ID:l1FB65BF
>>443 > ウパニシャッドの原典をも示し、それが自我ではないと証明したわしが、なぜアートマンが自我ではないと知っていない事になるのじゃ?
まだ分からんのか。
貴方は、アートマンが真我の意で使用されている事例を引用しただけで、「それが自我ではない」という証明を全くやっていない。嘘をついてはいけない。
>@ ウパニシャッドの原典からアートマンは自我であると翻訳者の注釈などでなく、はっきり書いてある文章を示すのじゃ。
また意味不明なことを言う。
「自我」は単なる訳語であり(しかも心理学用語の援用)、アートマンの訳語の一部として使われているのだ。
翻訳を離れて「アートマンは自我であるとはっきり書いてある文章」って、なんのこっちゃ。
> A そして
>>327 の「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」という言葉と
>
>>416 の「アートマン=自我などと言っていない」というどちらが本当なのか、はっきりさせるのじゃ。
本当に理解力のない人だな。何度も書いているように、アートマンは、自分自身という再帰代名詞的用法としても、自我としても、真我としても
使われるのだ。だからイコールではないのだ。
446 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 05:17:06.79 ID:yL3QvX5Q
>>440 ID:9OBoL3spさんの主治医は悟ってそうだなあ
前に書いてた虎の話も面白かったです
447 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 06:12:16.13 ID:rbIZNwZk
詐欺師の常套手段
てめえも早く証明しやがれ いたちごっこはもうやめようね
>>443 最終的に財源が足りないなら増税もやむなしと思っていますが、
現状では天下りなどへ大金が流れていますし、公営住宅の家賃や
保険料、保育料、奨学金その他の公共料金に莫大な滞納金があります
こういった無駄なお金や滞納金を清算してから増税すべきだと思いますが、
この意見はどうでしょうか?
甘いですか?
450 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 14:36:50.99 ID:bZDLGp3c
>>421 「不浄観―― 」
という修行法の話ではなく、特殊な(そしておそらくは正しい)言葉とイメージが、自然に、つまり修行法としてではなく、出てくるという話です。
>>446 「虎の話―― 」
をしていたのは、私ですが・・・・ (→
>>54 )
451 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 15:09:42.68 ID:bZDLGp3c
452 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 15:30:14.15 ID:bZDLGp3c
お詫びに(と言うには足りないですが)、最近また新しく仕入れた、その種の話を紹介します。 徳川三代将軍家光が、他国から虎を寄贈された際、 初代大目付(今で言う警視総監)であり剣術家の柳生但馬守宗矩に、「どうだ、この檻に入る事が出来るか」と振ったらしいです。 宗矩は「宜しいでしょう」と承諾、刀を抜き、檻の中へと入っていきました。 虎を低く唸り、頭を下げ、飛びかかる姿勢をとる。 しかし宗矩は、その「頭を下げる」という予備動作を逐一捉え、下げれば頭へ剣先を突きつけるを、繰り返します。 対峙する事、長時間、虎が飛びかかれず目線を逸らし始めた時、 宗矩は刀を虎へ向けたまま、ジリジリと後ずさり、サッと扉を後ろ手に開け、素早く檻の外に出、ピシャッと見事無事に扉を閉めたのでした。 おォー、パチパチー、と、衆人から歓声、拍手が湧き起こる。 宗矩は汗ぐっしょりになっていたそうですが、流石は当代屈指の剣豪だなと、その胆力に驚かされる逸話です。
453 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 15:33:31.42 ID:bZDLGp3c
454 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 15:51:23.87 ID:bZDLGp3c
家光は、その場に居合わせた沢庵禅師へも、 「どうだ、お主も入ってみんか」と、振りました。 沢庵「お望みとあらば」と快諾し、何と刀も何も持たず、スタスタとそのまま入っていこうとしました。 「おー、オイオイ(汗)」と衆人が慌てたものの、沢庵そのままカラリと扉を開け、中へ入ってしまいます。 構えず停まらず、虎へスタスタ近づいていったら、虎が猫のようにゴロゴロと懐いて来る。 その頭を沢庵は撫で、何事もなく悠々と戻ってきて、カラカラ、パタンと扉を閉めた。 衆人は沢庵の、宗矩とのレベルの違いに、驚いたのだそうです。 沢庵は『不動智神妙録』の著者ですが、これが本当の不動智、不動心なのかも知れないですね・・・・
455 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 15:58:46.24 ID:6Q3jXV7i
>>450 >付随して、「美しい」「見れて嬉しい」といったイメージが、出てくる事かと思います。
美しい女性を見て、「美しい」「見れて嬉しい」といった感情が出てくるのは自然なこと。
修行僧でもないならば、無理に壊す必要はない。
こんな話がある。
預流果程度の初歩的な悟りで、自分は阿羅漢になったと勘違いした修行僧がいた。しかし彼はある時
殺人犯を見て恐怖を覚え、自分は阿羅漢ではないと気づいた。
次に、美しい女性と手が触れ、心がときめいてしまい、自分は不還果でもないと気づいた。
逆に言えば、預流果や一来果くらいだと、女性にときめいたり、死の恐怖を感じたりするのだ。
物質的な欲望や怒り憎しみなどは、最初の悟りで無くなるか軽減するが、生物として持っている根源的な欲求は、最後まで残るのだ。
それらの克服を目指して修行するのも悪いことではないかもしれないが、無理に捨てようとして、捨てることに執著したのでは本末転倒だ。
何のために修行するのか。目的を見失ってはいけない。これらの根源的欲求は、意識して消すというよりも(意識して消すことはそもそも無理だろう)、
結果的に消えているものだ。
鬼和尚さん質問させてください。 ニーチェのいう『超人』とは悟りとなにか関係はあるんでしょうか?
457 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 16:32:20.96 ID:bZDLGp3c
虎は胆力エピソード(と言うか精神世界全般)に使われる事が、多いようですね。
せっかくなのは、このスレに挙がった(ほとんどが私の挙げたものですけれど)逸話集を、時代順に並べてみましょう。
. .慧能 ・・・ (武装もせず)歩み寄るだけで、虎が金縛りになった
. .柳生但馬守宗矩 ・・・ 刀一本で、虎と対峙する事が出来た
. .沢庵 ・・・ 何も持たず近づいたら、虎が猫のように懐いた
. ムルティ氏 ・・・ 虎と会うには車内に居る必要があった
>>66 さんの掛かっている医師 ・・・ 虎といつも遊んでいた
なお、これは「基準を作る」という智慧であり、逸話が事実かどうだったかに中心を置くのは、ややピントのずれた見方と言えるでしょう。
458 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 16:36:21.32 ID:bZDLGp3c
457 × せっかくなのは ○ せっかくなので
459 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 16:42:12.21 ID:bZDLGp3c
>>455 「無理に―― 」
ではなく、自然に、です。
自然に、すなわち「意図せずひとりでに」そうなっている。
――というのが「自我が消えている」なのでは、という話です。
「結果的に消えている―― 」
という話を、(初めから)しています。
もう一度
>>418 を読まれて下さい。
こちらに文章力が無かったのであれば、謝ります。
460 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 17:12:36.29 ID:6Q3jXV7i
>>459 > 自然に、すなわち「意図せずひとりでに」そうなっている。
>
> ――というのが「自我が消えている」なのでは、という話です。
欲望への執著が無くなるのは、別に「自我が消える」わけではありませんよ。
自分が誰かちゃんと分かってますし、自己同一性(アイデンティティ)も保っているのです。
鬼和尚は、自分は自我が消滅したが「人と話をする為に擬似的自我を作り出したのじゃ」
なんて言ってるが、それは結局「自我がある」ということです。
自我というのはもとより人の心(脳)が作りだしているものなので、凡夫だろうと聖者であろうと、
皆「擬似的自我」を持っていて、違いはありません。それを「自我」と呼んでいるだけです。
凡夫には「本当の自我」があり、聖者には「擬似的自我」がある、なんてことはありません。
凡夫の「自我」だって、仮設的なものです。脳が作り出している現象に過ぎません。
しかし脳が作り出す「現象」としては、確かに「ある」のです。
461 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 17:38:02.63 ID:bZDLGp3c
>>460 「擬似的自我―― 」
という概念の、敢えて解釈を試みれば、
たとえば服を着なくても良いという心境へ達したものの、しかし社会に合わせ服を着る、それを表現したのではないでしょうか。
凡夫(と言っては失礼ですが、解かりやすく敢えて)は本当に服が来たいと、たとえ社会規範の無い場所でも、そう(心から)思う。
これが自我。
覚者は服は着なくても全然オーケーと(心から)思っているものの、凡夫の自我(とそれの作り出した社会規範)に合わせ、服を着る。
これが擬似的自我。
シンプルに、このように理解してはいかがでしょう。
462 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 17:46:59.01 ID:6Q3jXV7i
>>461 > たとえば服を着なくても良いという心境へ達したものの、しかし社会に合わせ服を着る、それを表現したのではないでしょうか。
別に悟ってなくても、ジャイナ教徒でも「服を着なくても良いという心境」に達しますし、
欧米のヌーディストビーチへ行けばそんな人はいくらでもいます。
そして彼らは、社会で必要な場では、ちゃんと服を着ています。
> 凡夫(と言っては失礼ですが、解かりやすく敢えて)は本当に服が来たいと、たとえ社会規範の無い場所でも、そう(心から)思う。
> これが自我。
いや、服が着たいから着ているわけではないでしょう。温泉に入る時、「本当は服が着たいけど、濡れるから嫌々脱いでいる」のですか?
そんなことはないでしょう。
普段は単に社会規範や常識に合わせて、服を着ているだけです。
あと、単純に寒いから、ってのもありますね。
お洒落などになれば、大分煩悩が入ってきますが。
> 覚者は服は着なくても全然オーケーと(心から)思っているものの、凡夫の自我(とそれの作り出した社会規範)に合わせ、服を着る。
> これが擬似的自我。
それも違うでしょう。釈尊は、森林の奥深く、他人から見えないところでは裸でいなさい、などとは言っていませんし、比丘は誰も
そんな行動はしません。むしろ、「いつでもちゃんと衣を整えてしっかり着ていなさい」と言っています。
463 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 17:55:24.50 ID:bZDLGp3c
>>462 「たとえば」と(最初に)断った通り、
説明のための言葉に囚われても、仕方ないと思います。
「服」とは、単語であったり、書類であったり、食べ物や考え方であったり、様々です。
まァもっと良い喩えがあれば、いいのですが。
464 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 18:02:22.69 ID:6Q3jXV7i
>>463 > 「たとえば」と(最初に)断った通り、
> 説明のための言葉に囚われても、仕方ないと思います。
真実は細部に宿るのです。現実に基づかない、具体性のない観念論には意味がない。
> 「服」とは、単語であったり、書類であったり、食べ物や考え方であったり、様々です。
> まァもっと良い喩えがあれば、いいのですが。
どれを取っても同じですよ。
465 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 18:12:36.10 ID:bZDLGp3c
>>464 「観念論―― 」
ではありません。
「具体性―― 」
は、あります。
敢えて言葉に潜るとすると、「ヌーディストビーチ」と仰いますが、あくまで「着なくても良い(という心境)」であり、
積極的に脱ぎたいというのでは、ありません。
「温泉に入る時―― 」や「裸でいなさい―― 」も、同じ。
「しなくてもいい」と「(積極的に)こうしたい」とでは、全然違うんですよ。
466 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 20:21:45.97 ID:6Q3jXV7i
>>465 >
> 敢えて言葉に潜るとすると、「ヌーディストビーチ」と仰いますが、あくまで「着なくても良い(という心境)」であり、
> 積極的に脱ぎたいというのでは、ありません。
「積極的に脱ぎたい」と思う必要があるの?
467 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 20:28:02.90 ID:6Q3jXV7i
それと、ヌーディストビーチに行く人は、「積極的に脱ぎたい」人だと思うけどなあw 露出狂も同じw
>>445 これではっきりしたのう。
おぬしはウパニシャッドの原典によってアートマンが自我であるという証明を出来なかった。
アートマンは自我ではない。
おぬしはそれを知らずに「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」という嘘を書いた。
その言葉が嘘でしかないと自ら証明したのじゃ。
>>248 の「釈尊の教えは、「自我がある」とか「自我がない」とかの主張ではないのだ」という
言葉に対する嘘であるからには、それも嘘となるのう。
人間は一度嘘をつけばそれを隠すためにさらに嘘をつかなければならなくなるものじゃ。
今書いているそれらの言葉「それが自我ではない」という証明を全くやっていない。」というのも嘘じゃのう。
すでに証明したがおぬしにはわからないだけじゃ。
このように矛盾した事を言いながら、間違いを認めなければそれを隠すために、次々と嘘をはかなければならなくなるものじゃ。
わしのように間違えたら間違えたと言い、知らなければ知らない、出来なければ出来ないと言う事が正しい言葉と言うものじゃ。
間違えても間違いを認めず、知らないことも知ったかぶりする者の言葉を信じる者は居ないじゃろう。
よく考えるのじゃ。
311 、 茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行僧の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。
469 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 20:39:32.17 ID:6Q3jXV7i
>>468 > おぬしはウパニシャッドの原典によってアートマンが自我であるという証明を出来なかった。
> アートマンは自我ではない。
私はアートマン=自我だなどと言っていないんだが?何度説明しても理解できないようだな。
>「前者の「自我」は、永遠不滅の常住を意味するバラモンの特殊思想であるところの「我」(アートマン)なのだ。」という嘘を書いた。
いや、アートマン=自我ではないが、その「自我」は意味内容的にアートマン(真我)を指している。
> 今書いているそれらの言葉「それが自我ではない」という証明を全くやっていない。」というのも嘘じゃのう。
> すでに証明したがおぬしにはわからないだけじゃ。
他人に分からないならそれは証明ではないだろうw 貴方の脳内で完結してても意味はない。
> このように矛盾した事を言いながら、間違いを認めなければそれを隠すために、次々と嘘をはかなければならなくなるものじゃ。
それは貴方自身のことだね。
> わしのように間違えたら間違えたと言い、知らなければ知らない、出来なければ出来ないと言う事が正しい言葉と言うものじゃ。
貴方は全く自分の間違いや無知、悟っていないということを認めていないではないか。
大嘘つきなのは貴方だよ。
>>449 それも正論と言えるじゃろう。
しかし政治はあまり厳密にやりすぎると貧しい者や弱い者に一番惨くしわよせがいったりするものじゃ。
政治は難しいものじゃ。
>>456 関係あるといえばあるかもしれんのう。
超人は信仰による束縛を離れた理想の人間像とも言うべきものであるから、悟りへの道を選ぶ前の人間を表していると言えよう。
神が全てを管理しているという世界観があれば、死ぬのもまた神任せであるからそれ以上は考えたりしないものじゃ。
信仰を離れて死というものが在ると知れば、必然的にそれを超える道を選ぶじゃろう。
超人はその前の段階と言えるかもしれんのじゃ。
471 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 20:44:31.57 ID:6Q3jXV7i
まあこれ以上このバカ(迷妄に陥った凡夫)に付き合っても、スレを汚すだけだ。 論争は無益、論争するな、というのは釈尊の戒めるところでもある。 真理について聞かれたなら教えてやるが、そうでないならもう相手しない。 ただ、デタラメなことを相談者に吹聴して目に余る場合は、相談者の安全のために訂正はさせてもらう。
>>469 おやおや嘘つきと言った方が嘘つきなのかのう。もはや小学生じゃな。
おぬしとの漫才は終わりじゃ。
1つ教えを垂れておくのじゃ。
お釈迦様の時代にもすでにウパニシャッドはあり、否定によってのみ表されるアートマンは知られていた。
当然修行者となったお釈迦様も学んだであろう。
それを知った上でアートマンは無であると言うのは如何なる事であるのか、自分の頭で考えるのじゃ。
学者の本には従来のバラモン教の説との違いを表すために、アートマンが自我とか、自意識とか、そのように訳し、それを否定した事で教えに特色を付加しようとしているものじゃ。
お釈迦様が本当は何を言いたかったのか知るためには、やはりウパニシャッドからアートマンとは何であるか学ばなくてはならんのじゃ。
おぬしも本当のお釈迦様の教えが知りたければ、ウパニシャッドから学び、わしを言い負かせるぐらいになるがよい。
473 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 20:59:00.87 ID:6Q3jXV7i
ウパニシャッドから学び理解しないといけないというのは私が最初から 貴方に諭していることで、最後にそれを盗まれてもねww あまりにみっともないぞ。
活気が出てきて良いですね 結局は読んで判断すればいいしね 鬼さんがしつこくその名を挙げていますが 対抗されている方は幸福の科学と何か関係があるのですか?
475 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 21:21:07.35 ID:6Q3jXV7i
何も関係ないよ。鬼和尚の単なる思い込み、執著だ。 私はそもそも幸福の科学についての知識自体がほとんどない。 教祖が何やら降霊術のようなパフォーマンスをやっているのを動画サイトで見た程度だ。
476 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/18(日) 23:16:22.89 ID:oLuykSFh
鬼和尚さまは、 スカイツリーの天辺に命綱なしでしがみついている状態にもしもなったとしたら、 恐くて震えますか?あるいは、アー気持ちいいと思いますか?
>>470 本当に困って滞納してる人はともかく、実際にはただのごね得というのが
多いと思います。
本当に困ってる人は然るべき手順を踏めば免除や減免があると思いますし。
ごね得をそのまま放置した状態で増税を行い、広く国民に痛みを強いるのには
賛成しかねるのですが・・
478 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 01:12:14.86 ID:gLEuzdrq
479 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 01:37:30.62 ID:Hyn134pP
>>478 何度読んでも、読み間違いはしていないようだが。
480 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 10:30:53.66 ID:gLEuzdrq
481 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 10:51:11.18 ID:U14ua/71
よく飴と鞭ってみんな言うけどおかしくないか? 明らかにたかが飴もらったくらいで鞭に打たれたら割に合わないと思う
482 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 12:12:19.79 ID:8ujIbGQ3
心理学でいうとこの逃避行動的発想で悟り的発想を真似るやつばっかだな 意味わかります? 実社会で上手くいかないやつが悟りの境地なんて行けるわけないでしょ? 飛び級みたいなもんですよw
484 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 13:36:10.85 ID:U14ua/71
いくら悟りを開いても何物にもなれない愚かな方々ですね
485 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/19(月) 14:31:57.48 ID:U/YPmQ32
>>483 社会的にどうであるかは無関係だと思うよ。但し社会的に成功しちゃってると
悟り辛いかも知れないな。人にもよるだろうが、執着が強いと中々うまく行か
ないと思う。社会的にでなくても、例えば沢山教典を勉強してしまった人とか、
中々それを捨てられないよね(記憶を捨てるって意味じゃなくて沢山のことを知っ
ている「私」を捨てられないって意味ね。何も知らず何も持っていなかった頃の
純真無垢な精神状態に戻るのは知っている量や持ってる量が多ければ多いほど
普通は困難だろう。財産全部捨てて外国に引っ越して一から始められるかって
いうのと似たようなものだから。不可能じゃないけどね。「ラクダを針の穴に通す」
ようなもんになるかもね)。
それと確か教典には自分の名前も覚えられない馬鹿にずっと掃除だけやらせて悟った
というのも書かれていたと思うので、知識の量も全く関係なしだと思う。但し
あまりにない場合は何が起こったかを人に説明出来ないが。
486 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 15:30:11.50 ID:gLEuzdrq
知識がなぜいけないのかを解くと、 全体ではなくストップモーションだからでしょうね。 たとえば、走り幅跳びの分解写真、あるいは部分映像を見たとします。 踏み切りの瞬間と、それ以降からの写真、あるいは映像しか見ず、 それをそのまま正しいと思い実行しても、なぜか全然距離が稼げない。 これ↑が知識です。 正しくは、助走の勢いを使うから、遠くまで跳べるのです。 これ↑が全体。 そして「真理」とも言います。 知識は、それが真理だと思い込むと間違いをおかすので、良くないのでしょうね・・・・
487 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 16:47:00.29 ID:oTP8sahL
偽和尚の書くことは理屈ばっかしだな。体験を書けよ。 でないと単なる言葉遊び。
488 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 17:02:37.68 ID:Hyn134pP
>>486 知識がいけないなんてことはない。
>正しくは、助走の勢いを使うから、遠くまで跳べるのです。
>これ↑が全体。
>そして「真理」とも言います。
それも知識だよw
489 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 17:50:12.48 ID:gLEuzdrq
「助走をし、踏み切って跳ぶ」 = 「象」
490 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 18:04:26.70 ID:Hyn134pP
>>489 象であると知り、判断するのも「知識」。象についての知識が無ければ、全体を見ても
それが「象」であることは分からない。
491 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 18:14:16.87 ID:Hyn134pP
大乗信者は、知識や言葉を軽視する(ほぼ無視する)傾向があるな。 もちろん知識や言葉だけで解脱できるわけではないが、 知識や言葉が修行する上でとても重要なものであることも事実。
492 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/19(月) 18:15:47.03 ID:U/YPmQ32
>>487 え? 放浪の旅に出た時のことを延々と書けば良いのか?w
てか、人の体験談なんかいくら聞いたって役に立たんだろう。テレビや映画見てる
のと同じでどれだけ見ても自分は何一つ体験してないんだから。
493 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 18:59:36.05 ID:gLEuzdrq
>>490 こういう生き物(存在)だという事は、全体を見れば解かるでしょう。
名前は、(今の主旨では)関係ないと思います。
・・ただ、知識という言葉に囚われては物が見えなくなるので、
以下のように呼び変えてみてはいかがでしょう。
知識 ⇒ 断片
真理 ⇒ 全体
このように(呼称を)置き換えて取り扱えば、理解しやすいと思います。
断片を集めても全体が見えてくる可能性はありますが、そのまま全体を(直接)見たほうが、すぐに全体が見えます。
494 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 19:37:53.17 ID:Hyn134pP
>>493 > ・・ただ、知識という言葉に囚われては物が見えなくなるので、
そんなことはない。それは大乗信者の思い込み、妄想。
> 以下のように呼び変えてみてはいかがでしょう。
>
> 知識 ⇒ 断片
> 真理 ⇒ 全体
だからなぜそんな恣意的な決め付けをする。
知識は断片で、真理は全体だなんて決めつけをするから、そう思い込んでしまうんだ。
現象の全体を総合的に理解した結果だって、「知識」だ。
495 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 19:49:51.13 ID:Hyn134pP
そもそも真理とは正しい知識のことだ。 知識と真理に二分することが既におかしい。
>>476 怖いと感じようとすれば感じるのじゃ。
気持ちいいと思おうとすれば気持ちいいと思えるのじゃ。
何も思わないで居ようとすれば何も思わないのじゃ。
自在なのじゃ。
>>477 そうかもしれん。
弱い者にしわよせがいかんようにして行えば良いのであるがのう。
なかなか難しいものじゃ。
>>481 なんか意味が違うような気がするのう。
もう一度ヤフったりしてみるのじゃ。
497 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 21:35:40.88 ID:Hyn134pP
バンジーの紐と血圧計と心拍数を測る装置をつけて、鬼和尚をスカイツリーのてっぺんから 放り投げて欲しいな。そしたらはっきりするw
498 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:08:00.49 ID:gLEuzdrq
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / \ / \ / \ / \ / \ | | | | | | | | | 全 体 | | | | / ̄ ̄ ̄\ | | / \ | | | | | \ | 断. 片 | / \ | | / \ \ / / \ \___/ / \ / \ / \__________/
499 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:11:12.77 ID:gLEuzdrq
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ / \ / \ / \ / \ / \ / \ | | | | | | | | | 真 理 | | | | / ̄ ̄ ̄\ | | / \ | | | | | \ | 知. 識 | / \ | | / \ \ / / \ \___/ / \ / \ / \__________/
500 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:23:32.17 ID:Hyn134pP
>>499 なんじゃこりゃ。知識は即ち真理なのか。
501 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:45:07.26 ID:gLEuzdrq
小さな円は大きな円のほんの一部に過ぎないのです。 手で筒を作って、小さな円にのみ、焦点を合わせてみましょう。 ・・見えるものは間違いではないですが、 しかし「見えた、見えた!」と小躍りし、それがなにか全てであるかのように思ってしまうと、本当の全体が見えなくなります。
502 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:46:13.57 ID:J2zoR/lr
>>485 いやいや
バカはなにやっても頭がいい人間には勝てないと言ったのよ?
悟りの境地に行けたのはバカのほうだったなんて都合のよい現象が起こると思う?w
要するに悟りに論理が必要か?って話だよ
無心じゃ悟れないだろ?
503 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:48:19.71 ID:Hyn134pP
>>501 「全体は『知識』ではない」、というのがあなたの恣意的な決め付けだと言ってるの。
部分だけ見ててももちろんダメだが、全体も細部も理解するのが正しい知識だよ。
504 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 22:55:28.02 ID:Hyn134pP
>>502 その通り。悟りを得る過程では当然知能、論理的理解力、知識なども必要だ。
それだけではないが、頭がいい人の方が一般に成長も早い。
ただ、中途半端に頭がよくてこだわりや思い込みが強い人よりは、
多少頭が弱くても素直な人の方が成長は早いかもしれない(よほど極端なバカでない限り)。
悟りは色々な要素を「縁」として起きるのであって、どれか特定の要素の有無で決まるものではない。
505 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 23:06:49.69 ID:gLEuzdrq
>>503 アンドリューワイルズが、大難問に取り組んだ長年月を振り返り、
「暗い中を長い間手探りで動き回った。
ようやくスイッチを見つけ、灯りに照らされ、全体の風景、自分がどういう部屋にいたのかが、見えた」
と、仰いました。
真理とは、全体とは、容易に見渡す事は出来ないのです。
知識を、断片を、真理、全体と見做すのは、矢張りやや強引な解釈(=意味の押し広げ)に思えてなりません。
そこまで断片と全体とでは、意味、実体に、開きがあります。
・・ただ、「知識」という言葉の意味を、広大無辺に拡げたいという人がいれば、それはそれで仕方ないと思いますけれど。
506 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 23:20:09.40 ID:Hyn134pP
>>505 あなたは、「知識」を価値の低いものと決めつけたいだけ。そういう恣意的な定義をしたいだけ。
だから「知識」=「断片的なもの」という勝手な解釈をしている。
しかしそんな解釈をしなければならない根拠はない。
アンドリュー・ワイルズも、「全体の風景」や「部屋」が知識ではないなんて言ってないだろ。
フェルマーの最終定理は、かつて「予測」に過ぎなかったものが、ワイルズの証明によって「正しい知識」(=真理)になったのだ。
>ただ、「知識」という言葉の意味を、広大無辺に拡げたいという人がいれば、それはそれで仕方ないと思いますけれど。
言葉の意味を、広大無辺に拡げているのではなく、これが「知識」という言葉の一般的で普通な用法だ。
507 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 23:29:53.82 ID:gLEuzdrq
>>506 「なった―― 」
と仰った通り、それまでは「それじゃなかった」わけです。
つまりそれは、二つ(以上)の異なった物が存在するという事になります。
一方に名前をつければ「断片(あるいは知識)」、もう一方に名前をつければ「全体(あるいは真理)」
シンプルに、↑のような話をしています。
「異なってはいても、どちらにも同じ名前をつけていいんだ!」と考えるなら、別に反対は致しません。
あくまで名前に過ぎませんので。
・・ただ、紛らわしくはありますよね。
508 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 23:49:23.44 ID:Hyn134pP
>>507 > と仰った通り、それまでは「それじゃなかった」わけです。
そりゃそれまではただの「予測」だからね。証明して初めて「正しい知識」になるのだ。
> 「異なってはいても、どちらにも同じ名前をつけていいんだ!」と考えるなら、別に反対は致しません。
> あくまで名前に過ぎませんので。
ん?何言ってるか意味不明。
「知識」には、「間違った知識」(思い込み、妄想)と、「正しい知識」(真理)の二つがあるだけ。
509 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/19(月) 23:59:23.41 ID:gLEuzdrq
>>508 それまでは(ここでは「予測」ではなく)断片でした。
しかし「その瞬間」、断片は集まり、全体になったのです。
全体になる前の(状態)と、全体になった後の(状態)と、
異なる別の(状態)が存在していて、それぞれにどういう名前をつけるか、という話です。
わざわざどちらにも「断片」とつける必要は無く、
それぞれ「断片」「全体」と、解かりやすく名を振り分けたほうが・・ という話です。
ただ、どうしても(同じ名前がつけたい)―― と言うのであれば、
同じ名前を振っても構いませんよ、と。
510 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 00:09:29.05 ID:8J0czdPb
>>509 > それまでは(ここでは「予測」ではなく)断片でした。
> しかし「その瞬間」、断片は集まり、全体になったのです。
>
> 全体になる前の(状態)と、全体になった後の(状態)と、
> 異なる別の(状態)が存在していて、それぞれにどういう名前をつけるか、という話です。
だからそれがあなたの思い込み。妄想。フェルマーの最終定理は、断片ではなく、
完全に定式化された数式として存在していて、経験的には正しいだろうと「予測」されていたの。
証明された瞬間に何かが集まって全体になるとか、どんなオカルトだよ。
> それぞれ「断片」「全体」と、解かりやすく名を振り分けたほうが・・ という話です。
何も解りやすくないが。断片でないものを断片と呼び、「正しい知識」(真理)を
それは知識ではない、などと言う。詭弁を弄してるだけだろう。
511 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 00:29:28.11 ID:UUNNPIGB
>>510 予測を証明せんと、それまで成された、生み出された様々なアプローチ。
これが断片です。
しかし断片は断片であり、集まって全体になる事、
すなわち証明へと至る事は、ありませんでした。
断片と全体(知識と真理)の違いは、このように理解してはいかがでしょう。
勿論、断片に価値が無いなどという事は、ありません。
断片である時点で、それ自体は正しいのですから。
(間違っていたら断片ですらない)
・・しかし同じ量の(場合それ以上の)断片を、多く所有していた(他の同時代の)数学者が、
誰一人、全体の完成、すなわち証明へとは至らなかった事実は、見なくてはいけないでしょう。
512 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/20(火) 00:34:26.84 ID:3Iu64075
>>502 いや、だから、馬鹿かどうかは無関係ってこと。
> 無心じゃ悟れないだろ?
無心になれないと悟りには近付かんと思うがな。
まあ、必ずそうかどうかは知らないが。無念無想にならないで悟るってのは珍しいことだと思うよ。
(ストレスが頂点に達してから神秘体験ってパターンはあるみたいだが、それは悟る所までは
行かないでまた元に戻るのが普通みたい)。
513 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 00:41:59.86 ID:8J0czdPb
>>511 > 予測を証明せんと、それまで成された、生み出された様々なアプローチ。
> これが断片です。
それはあなたの勝手な奇妙な定義・用法であって、一般に通じないよ。
> しかし断片は断片であり、集まって全体になる事、
> すなわち証明へと至る事は、ありませんでした。
ん?現に証明されたじゃん。
> 断片と全体(知識と真理)の違いは、このように理解してはいかがでしょう。
なぜ全体、真理を「知識」と呼ぶことをあなたは頑なに拒否するの?
> ・・しかし同じ量の(場合それ以上の)断片を、多く所有していた(他の同時代の)数学者が、
> 誰一人、全体の完成、すなわち証明へとは至らなかった事実は、見なくてはいけないでしょう。
証明の手法としてどれを選ぶかには、運もあるからです。ワイルズも0から何もかも証明したわけではなく、
他人の多くの論文に触発されて、何度も挑戦と失敗を繰り返しながら、ある時選んだ手法がたまたま正解だったわけです。
514 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 00:57:25.19 ID:UUNNPIGB
>>513 「一般に通じ―― 」
るよう、ではシンプルに「知識」と呼びましょう。
証明せんと使われた、作られた知識。
「現に証明され―― 」
ませんでしたよ。
ワイルズがするまでは。
「頑なに拒否―― 」
する必要はないと思いますよ。
いずれの名前も。
「運―― 」
が(場合)無いと、形を成さないのが「全体」ですが、断片はかなり確実性を以って手に出来ます。
その事からも、断片と全体は、性質が異なると言えるでしょう。
515 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 01:10:57.17 ID:UUNNPIGB
なお、「知識」を辞書検索すると、「客観的で確定的な認識内容」という意味でした。 ・・これからすると、「間違った知識」というのは、意味が通らない言葉になります。 間違っていたら、確定的ではないですからね・・ また、真理、全体は、見渡す事がしにくい、すなわち客観が成立しにくい対象なので(「確定」もされづらい)、 あまり「知識」という表現を当てるには、そぐわないのです。 ・・このように理解してはいかがでしょう。
516 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 01:18:12.11 ID:8J0czdPb
>>514 > 「現に証明され―― 」
>
> ませんでしたよ。
> ワイルズがするまでは。
ワイルズが現に証明したじゃん。
何を言いたいのか分からん。
> 「頑なに拒否―― 」
> する必要はないと思いますよ。
> いずれの名前も。
ならば普通に「知識」と呼べば良いじゃん。「知識」は何の説明もなく誰にでも通じるが、
あなたの言う断片とか全体とかは何のこっちゃ分からん。
517 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 02:12:34.39 ID:gqPcq9UY
>>504 縁?
要するに噛み砕いて言うと「偶然」ってことかい?
また、悟りに到る方法論だけじゃなく、論理的、合理的な発想ってのは
要するに摂理に基づくものであるわけでしょ?
要するに理(ことわり)ってもの
例えば、達観してんのか知らないが、そういう人がここでも人生相談に応えてるわな
悟りは論理ではないと言いつつ論理でしか物事を見てないでしょ?
悟り=論理で良いんじゃないの? と思うわけ
心にもことわりってもんがあるんじゃないの?法則的なもの
だとしたら結局すべては論理に行き着かない?普通に素直に考えるならだよ?
518 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 02:47:19.98 ID:8J0czdPb
>>517 > 縁?
> 要するに噛み砕いて言うと「偶然」ってことかい?
そうじゃないよ。ここは仏教用語が通じるかと思ったがそうでもないのかな。
> 悟りは論理ではないと言いつつ論理でしか物事を見てないでしょ?
何を言ってるのか分からん。
> 悟り=論理で良いんじゃないの? と思うわけ
悟りというのは、「状態」あるいは「境地」のことだ。「論理」とイコールではないよ。
ここでも誰か書いてたと思うが、「覚り」と表記する方がいいかもな。
> 心にもことわりってもんがあるんじゃないの?法則的なもの
> だとしたら結局すべては論理に行き着かない?普通に素直に考えるならだよ?
「心にもことわりってもんがあるんじゃないの?法則的なもの」というのは、まさに
その通りだよ。全く正しい。ただ、その法則や論理を「悟り」と呼んでいるわけでは
なくて、それらを習得して、心を完全にコントロールできるようになった状態を「悟り」
と呼んでいるわけだ。メカニズムは論理で説明できるけど、コントロールはテクニック
だから、論理だけでは完結しない。練習や訓練が必要。
自動車の運転のようなものだよ。車の動く仕組みや、運転の仕方の基本は論理で
説明できるけど、運転のうまい下手など、説明の難しい感覚的なことになると、
論理で捉えるのは難しくなってくるし、たとえ説明できたとしても、それを聞いた
だけで同じテクニックが即身につくわけじゃない。自分で実践しないとどうにもならない
部分がある。
公営住宅って言うのは、「低所得者にできるだけ廉価で住宅を供給する」ことを 目的にしていると思います。その為に多額の税金が投入されているのだと思います。 しかし、場所によっては高級マンションのような豪華で瀟洒な公営アパートが あったりします。もちろん家賃は民間に比べれば格安です。 しかも、豪華で格安にも拘らず、公営という性格上滞納する人が出てきます。 なぜ、多額の税金を投入した公営アパートでこんな豪華で瀟洒なアパートを 作る必要があるのでしょうか? 議員宿舎や公務員住宅は批判されやすいし、自分も批判して然るべきだと思いますが、 豪華で瀟洒な公営アパートが批判されないのは不思議で仕方ありません。
520 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/20(火) 09:24:15.82 ID:3Iu64075
>>519 あなたが先頭に立って批判すれば良いのでは? 詳しいようだし。
うまく行けば本当になくなるかも知れんよ。
>>520 もちろん周囲には言ってますよ
現実に今の時点で「高級マンションのような公営アパートを税金で作り、
格安で提供する」目的や意味は何なんでしょうか?
「低所得者へ廉価で住宅を提供する」という理念なら、わざわざ必要以上の
税金を投入して高級マンションみたいな公営アパートを作る必要はないですよね
522 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 10:26:11.66 ID:khNhfpN3
それ聞く相手が間違ってるよ。
523 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/20(火) 10:29:41.19 ID:3Iu64075
>>521 理由はそれを作ることを決定した人や関係者に聞けば分かるのでは?
ここで聞いても本当のところは分からないと思うが。
たまたま関係者が見ていなければ本当の答えは得られないだろうしね。
まあ、見ていても本当のこと書いてくれる保障はないが。
何となくありそうな理由は作ろうと決定した人は世の中の状態の変化をあまり把握出来ていなかったんじゃ
ないかということかな。でも、これもただの部外者である俺の勝手な推測であり妄想だ。
本当の答えはともかく、解脱者さんや知恵のある方、徳のある方の見解や解釈を 聞ければと思っております。
どれくらい豪華で照射か具体例がないとなんともいえないが 民間と比べてそう安価ってわけでもないはず。収入に応じて家賃が上がる仕組み。
526 :
312 :2012/03/20(火) 17:05:08.38 ID:AIlfBtvT
意識は極楽浄土まで届き生きたまま極楽浄土に行けるでしょうか? 無我というものは分別、例えば現実生活を送る意識、極楽浄土に居る意識とか そういう分別は出来るのでしょうか? 無我って自分抜きってことですよねだとしたら身体を自己視(客観的に見る) ことって出来ますよね。僕が言いたいのは無我(身体)を離れることは身体 が死ぬってことではないですよね。よって無我を離れたところに涅槃というもの を想定したらだめですか?無余涅槃
527 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 19:42:21.87 ID:8J0czdPb
>>526 意識は脳細胞(ニューロン)のネットワークと活動電位が作り出している現象に
過ぎない。したがって、死んで脳の活動が止まれば、意識も無くなる。
528 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 19:47:56.26 ID:IXwfCeO5
>>516 「ワイルズが―― 」
ただ一人、断片を集め全体を成す事が出来たのであり、
他は誰も出来なかった、つまりそれ程までに、「断片は断片。集まって全体を成す事は無かった」のです。
ただ一人しか到達しえないものを、知識(=既存の客観的で確定的な認識内容)と呼ぶのは、ややムリがあるのでは・・?
529 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 20:01:16.00 ID:8J0czdPb
>>528 > ただ一人、断片を集め全体を成す事が出来たのであり、
> 他は誰も出来なかった、つまりそれ程までに、「断片は断片。集まって全体を成す事は無かった」のです。
どっちだよ。「出来た」んだろ?
> ただ一人しか到達しえないものを、知識(=既存の客観的で確定的な認識内容)と呼ぶのは、ややムリがあるのでは・・?
え?? 何で??
ニュートン力学にしてもアインシュタインの相対性理論にしても、それまでは誰にもきちんと捉えられなかったものが、一人の天才によって捉えられて、
きちんと誰にでも分かる形で説明がなされたことで、それ以後は(学べば)誰でも理解できるものとなる。それが「知識」だろ。
530 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 20:08:12.48 ID:gqPcq9UY
>>518 なるほど 正直俺は悟りのことは知らない
ならば、悟ることと、ここでやってるような人生指南みたいなのはそもそも関係無いよな?
要するに達観した人間の視点ってのが下世話な庶民とは異なるとしても
物の理に関わることってのは悟りとは無関係なもんでしょ?
例えば、ケツの拭き方なんてのにも理屈ってのがあるわな?
悟ってもケツの拭き方は変わんないだろ?
なんとか和尚ってのは何のやり取りをしてんだ?って疑問だよ
悟り人に特化した意見はしてないだろ?w
531 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 20:16:26.18 ID:8J0czdPb
>>530 > 例えば、ケツの拭き方なんてのにも理屈ってのがあるわな?
> 悟ってもケツの拭き方は変わんないだろ?
そりゃ拭き方自体は変らないだろうが、丁寧にはなるかもなw
トイレットペーパーの使用量を節約したり、上質なトイレットペーパーを使わず、
品質の悪いトイレットペーパーで我慢したり(日本にはまずないけどw)などの
変化もあったりして。
> なんとか和尚ってのは何のやり取りをしてんだ?って疑問だよ
> 悟り人に特化した意見はしてないだろ?w
さあな。俺はなんとか和尚は鬼だろうが偽だろうが、悟ってないと確信してるから、
どんなデタラメ言ってても驚きはしないが、悟っていると信じちゃった人は、
振り回されてしまうだろうね。一生懸命呼吸を数えちゃったり(数息観)してねw
可哀想だが、盲信する弊害も、自業自得ではある。
532 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 20:26:06.64 ID:gqPcq9UY
>>518 要するに世の中の多くの人は悟ってないわけだよ?
理性に基づき合理的に生きたいと願ってるわけでしょ?
で、それに関して疑問が生じた場合にこうした場で質問をぶつけてみようとか
考えるわけだが、「悟ってる人」は理屈に
詳しい人間でも何でもないんだよな?そもそも
専門的な話はその道の専門家に聞いたほうが100倍は有意義な意見が聞ける
であろうし、経験談を参考にしたいなら世捨て人で生き方に偏りがあるような
人間に相談してもしょうがないだろ?
悟ってるやつも素直に「その質問はスレチです」と言えばいいものを
いかにももっともらしい回答をして悦に入ってる
まったく笑える構図だよ
これを下世話と言わずして…ってレベルの話ではないかい?
>>519 そのようなものは公共工事の面もあるからのう。
ある程度、豪華に作ったほうが民活になるのじゃろう。
程度の低い住宅ばかりであると、最低限度の生活しかさせていないと非難もでるからのう。
>>526 苦が無ければこの娑婆世界も即極楽なのじゃ。
悟りを得ればもはや楽も求めないものであるがのう。
534 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 20:33:34.33 ID:QxQ+K1Np
324 、「財を守る者」という名の象は、発情 期にこめかみから液汁をしたたらせて強暴に なっているときは、いかんとも制し難い。捕ら えられると、一口の食物も食べない。象は象の 林を慕っている。 これはどういった意味なのでしょうか?
535 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 20:39:37.63 ID:8J0czdPb
>>532 それはその通りだ。
そもそもここに悟ってる人は(ほぼ)いないけど、
悟ってる人がいたとしても、指導者に相応しいとは限らない。
釈尊の弟子のうち、悟って阿羅漢になった者たちの中にも、
教えるのが超絶下手糞な阿羅漢は何人もいた。弟子との相性も
あって、うまく行かない場合は、師弟を取り替えたりもした。
あと、律蔵を学んだものなら分かることだが、「自分は完全に悟った」と言うこと自体が
違反だ。
もし自覚的嘘なら、波羅夷という最大の罪で、教団追放だし、自分は悟ったと
間違って思い込んだ場合は、それほど大きな罪ではないが、人々を惑わすことに
なるのでやはり罪であり、反省しなければならない。本当に阿羅漢であれば
理屈上は問題はないわけだけど、本人が間違う場合もあるし、他人にも見分けが
つかず、無用な論争の的になるだけなので、いずれにしろ余計なことは語らない
のだ。
自覚的嘘は大罪だが、勘違いしてるアホはそこまでの罪じゃないよ、アホはアホだけど、
というのは仏教のルールの合理的で近代的な一面で面白いと思う。
536 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 21:27:33.73 ID:8J0czdPb
>>534 「「財を守る者」という名の象」というのは、Dhanapalakaという名の象の、名前の直訳です。
"dhana"は宝という意味で、palakaは守護者、という意味です。
象は一般に非常に温厚で優しい動物ですが、発情期の時だけは別で、
暴れて手が付けられなくなります。毎年インドでは暴れ象によって死人が出るほどです。
また、発情期にはこめかみ付近から、タール状の液体を分泌します。
「発情期にこめかみから液汁をしたたらせて強暴に なっているときは、いかんとも制し難い。」
というのはそういう状況です。
「捕らえられると、一口の食物も食べない。象は象の 林を慕っている。」は、
発情期の象を捕らえて制しても、林にいるメス象を恋焦がれて、食事も喉を通らないほどだ、
という意味です。
つまり、普段温厚で大人しい者でも、欲望に捕らわれるとこれほど落ち着きが無くなり
自分を見失ってしまう、それほど欲望とは強力なものなのだ、ということを説いているのです。
> これはどういった意味なのでしょうか?
537 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 21:29:47.14 ID:gqPcq9UY
>>535 なるほど
天然のアホには罪が無いわけですか?
それにより他人を惑わしても罪ではないと
要するに悪気は無かったのなら問題無いと?
例えば原発事故でも初期対応であるとかそもそもの危機管理にも同じようなことが言えますね
「悪気は無かった」では済まされない話ですなぁ
アホは他人に迷惑を及ぼす恐れのある重要なポジションには居座らせてはいけない
と僕などは考えますけどね
一部のアホにより全員が危機に陥れられる恐れっていうんですかね
存亡に関わることだってあるわけです
538 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/20(火) 21:43:13.40 ID:8J0czdPb
>>537 > 要するに悪気は無かったのなら問題無いと?
比較的罪は軽いということです。教団を追放になるほどではない。
懺悔し反省すれば許される罪です。
> 例えば原発事故でも初期対応であるとかそもそもの危機管理にも同じようなことが言えますね
> 「悪気は無かった」では済まされない話ですなぁ
それは法整備の問題でしょう。
> アホは他人に迷惑を及ぼす恐れのある重要なポジションには居座らせてはいけない
> と僕などは考えますけどね
もちろんその通り。
539 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 02:08:49.69 ID:gsnsYQ2A
>>536 よくわかりました。
丁寧な説明ありがとうございます。
540 :
312 :2012/03/21(水) 12:10:52.41 ID:E9JJB9VK
空と身体は繋がっていて、それを分離することが菩提だと思っています。 僕は無我にもニルバーナにも極楽にも興味はありません。しかし悟りを開くことに 興味はあります。南無阿弥陀仏が最高の悟りであり、仏陀は浄土を持っているといいます。 僕は悟りを開いて浄土を持ちたいです。鬼和尚は浄土を持っているのですか?
鬼和尚さん 不動心と無関心の違いを教えてください。 あらゆる物事は縁起によって全て関わってるので、 どんな小さな物事でも無関心になるのは間違ってると思ってます。 しかし不動心を得た方が、なぜ自分に関わる物事でさえ 心が動じないのかわからないのです。
不動心=感激も感動する心も無くす、じゃないよねー。
543 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 15:41:27.16 ID:PFpqEBJ8
>>529 「どっちだよ―― 」
と、元を見失ってしまわないのも、智慧です。
最初のレスの、まさに第一行目を(そっくり)忘れておいでです。
大難問に取り組ん「だ」長年月―― と書いてありますよ。
544 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 15:56:45.74 ID:FAfiJJYi
>>543 > 大難問に取り組ん「だ」長年月―― と書いてありますよ。
長年大問題に取り組んで、最終的に「出来た」んだよね。それで?
545 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 16:07:35.88 ID:PFpqEBJ8
>>544 「最終的に出来た―― 」
のは、全体がです。
つまり真理がです。
断片が、知識が、ではありません。(それは既に(皆が)持っていた)
546 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 16:18:51.95 ID:FAfiJJYi
>>545 最終的に証明「出来た」ものが「知識」ではないって何を根拠に言ってるの?
フェルマーの最終定理も相対性理論も「知識」だよ。
547 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 16:35:54.60 ID:PFpqEBJ8
>>546 「知識―― 」
ではないですよ。
それは(既に)最初に書かれています。
お解かりになりますか。
548 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/21(水) 16:37:26.23 ID:FAfiJJYi
>>547 解らないから聞いてるんだが。なぜ「知識」ではない?
>>534 それだけではわからんが続きを読むのじゃ。
325 、 大食いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、
くりかえし母胎に入って(迷いの生存をつづける)。
326 、 この心は、以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう、
象使いが鉤をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるように。
この続きを読めば、心というものと対比させられていたと判るのじゃ。
文脈を見れば発情期の象のように好き放題にさすらう心を、象使いが押さえつけるように、整えるのじゃと言っておると判るのじゃ。
さまよう心の隠喩として象を出しているのじゃな。
文脈を読んで理解するのじゃ。
>>540 ここが既に浄土じゃ。
例えばお腹が痛い人は遊園地に行っても何も面白くなく苦痛なだけじゃ。
お腹が痛くない者には楽しい所じゃ。
そのようにこの世も苦がある者には穢土であるが、全ての苦を滅した者には浄土なのじゃ。
こらエロ和尚!ウンチク語るのはお止めなさい!
>>541 無関心は対象を見ても関わらない、注意を向けない心じゃろう。
不動心は対象を見て関わり、注意を向けているが何が起きても動じないのじゃ。
例えば人が交通事故を起こした場合、無関心ならば関わらずにいる。
不動心があれば関わっても動揺しないで対処できるじゃろう。
なんで伝聞推測なんだよ。いい加減なこと言うな。断定しろ。
>>433 有難うございました(
>>429 です)
年を取って怒りっぽくなる人もいますが、
怒らないようにするとホンワカした気分になるもんですね。
気分が戻らないようにします。
554 :
312 :2012/03/22(木) 16:54:11.14 ID:6gRbPNGo
描いた空想にぴったりの場所って絶対あると思いますか? 言葉には実在が隠れているという思想があるのですが そしてその場所に行けるでしょうか?
色々あって少し前に仕事を辞めたんですが、次の仕事を探す前に ゆっくり時間をとって修行してみたいと思うようになりました。 けど、そこに自分の心を見つめ直したいとか、悩み苦しみを減らせたら いいなとか、修行によって何かが変わることを期待してる部分があります。 なにかを期待する修行は修行とは呼べませんか? 修行とはどういう心構えで行なうべきですか?
556 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 19:22:30.77 ID:5eIRPVMt
>>548 もう少し(ご自身で)考えてみましょう。
最初からの全てのレス(断片)は、目の前にあるのですから、
集めて全体にしてみて下さい。
・・コツは、一つ一つの断片に拘らない(捕まらない)事です。
557 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 19:27:23.26 ID:criyggfz
>>556 つまりあなたは「知識」を低レベルなもの、低次元なものと位置づけたいだけだ。
そう思う込みたいからそう考えている、ということ以外内容は何もない。
558 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 19:44:15.94 ID:5eIRPVMt
>>557 「低レベルなもの―― 」
とは言っていないですよ。
これも最初から言っている通り、(知識は)「それに拘りやすいから良くない(傾向がある)」
これ以上でも以下でもありません。
巧く使えれば、(知識は)良いものとなるでしょう。
しかし巧く使えないなら、たとえば全体を著しく見渡せなくなったりしたなら、
それは「巧い使い方をしなかった」、という事です。
ケースバイケースであり、全体にこそ取り組む時は、特にここで述べた事が、適用されるでしょう。
559 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 19:50:27.99 ID:criyggfz
>>558 > これも最初から言っている通り、(知識は)「それに拘りやすいから良くない(傾向がある)」
> これ以上でも以下でもありません。
「よくない傾向がある」と見ているのは、低く見ているということだよ。
あなたは、知識を真理とは認めないのだろう?
> しかし巧く使えないなら、たとえば全体を著しく見渡せなくなったりしたなら、
> それは「巧い使い方をしなかった」、という事です。
それは「知識であるかないか」という問題とは全く無関係ではないか。
「知識」を「巧い使い方をしなかった」ことが悪いだけで。
>>553 どういたしまして、またおいでなさい。
>>554 あったりなかったりするじゃろう。
空想であるからのう。
あったら行ける事もあるじゃろう。
無ければ行けないじゃろう。
>>555 期待しても良いが、期待が外れると失望する事もあるじゃろう。
それによって意欲を失い、止めてしまうかもしれん。
そのような事が無いならば期待しても良いじゃろう。
本来、全ての修行は死を超えるまで続けようという心構えで行うべきじゃのう。
561 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 20:23:51.98 ID:5eIRPVMt
>>559 低い、低くないなどというのは、存在しないんですよ。
ジグソーパズル(の完成)には、ピースが必要なのであり、ピースを「低い」「低くない」と論じるのは、ピントの外れた行為と言えるでしょう。
「知識であるかないか―― 」
を、
>>558 では教えていません。
「知識の用い方」の話をしています。
流れ、すなわち全体(=真理)を見失わないよう、よく気をつけて歩まれて下さい。
コツは、断片に囚われない(捕まらない)事です。
流れの中で舵をとるのが、不動智です。
562 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 20:30:42.28 ID:criyggfz
>>561 > 低い、低くないなどというのは、存在しないんですよ。
それじゃなぜ、断片的なものだけを知識と呼び、全体を知識と呼ぶことを頑なに拒否する?
あなたが「低い、低くないなどというのは、存在しない」と言うのとは裏腹に、知識を低いものと
見ている証拠だ。
> ジグソーパズル(の完成)には、ピースが必要なのであり、ピースを「低い」「低くない」と論じるのは、ピントの外れた行為と言えるでしょう。
ピースが知識なのではなく、ジグソーパズルの完成形が知識なのだよ。
あなたはジグソーパズルの完成形を知識とは認めず、ピースだけを知識と言い張るのだから、
知識を未完成なもの、下等なもの、と見なしたいという願望が見て取れる。
> 「知識の用い方」の話をしています。
なら完成形=知識、でいいだろ?
スレの流れとかよく分かりませんが、 悟りを開いた人は死への恐怖とかはどんな感じでしょうか。
564 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 20:38:39.67 ID:criyggfz
>>563 完全に解脱した人には、死の恐怖もない。
565 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 20:42:40.15 ID:5eIRPVMt
>>562 「全体を知識と呼ぶ事を頑なに拒否―― 」
してはいませんが、今の主旨だとそれはムリがあります。
「パズルの完成形が知識―― 」
ではありません。
もう一度最初から(と言うか最初「を」)見てみましょう。
「完成形―― 」
は、完成しないと存在しません。
そして人は、未来には生きられないのですから。
>>564 ……その感覚が分からないと言いますか、分かりようがないんですけどね。
「危険を察知しなくなる」ということであれば、
例えば階段を下りるというよりは落ちるような状態になってしまうのではないかなと。
567 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 20:45:03.48 ID:5eIRPVMt
>>563 痛覚とか、そういう意味では、当然あります。
関係的な、つまり心残りという意味では、無くなります。
568 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 21:06:41.82 ID:criyggfz
>>566 > ……その感覚が分からないと言いますか、分かりようがないんですけどね。
そりゃ完全に同じ感覚は解脱しなければ分からないでしょう。
しかし、想像し理解することができないわけではありません。
あなたはなぜ死を恐れますか?おそらく、現世の生への執着があるからでしょう。
しかしそうではない人もいます。
たとえば死後の世界の実在を信じて確信しているイスラム過激派は、平気で
自爆テロをやります。現世より来世の幸福を確信していれば、死の恐怖はないわけです。
あなたは、今日が終わったら明日がやってこないかもしれないという恐怖がありますか?
普通はないでしょう(しかしそういう病気の人もいます)。
今日の次に明日が来ると確信しているように、死の次にすぐ幸福な来世が来ると確信
している人は、死に対して恐怖を感じません。
仏教における解脱では、イスラム教のような来世を信じるわけではありませんから、
理屈は違いますが、現世への執着が無くなるために、死の恐怖を感じなくなるのは同じです。
> 「危険を察知しなくなる」ということであれば、
> 例えば階段を下りるというよりは落ちるような状態になってしまうのではないかなと。
危険を察知しなくなるわけではありません。解脱した人も、身の安全は守ります。
死を恐れないからと言って、イスラム過激派のように命を粗末にしたり、自殺したり
はしません。寿命が尽きるまでは、やるべきことがたくさんあり、命を粗末にはできないからです。
>>567 現世への執着がなくなるということですね。
>>568 確実に幸福な来世が来ると信じられるのなら、
たしかに「いつ死んでもいい」にはなりますね。
だからといって積極的に死に向かうわけではなく、
現世以外のものを基軸にして生きるような感じでしょうか。
ありがとうございました。
570 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 21:34:32.16 ID:criyggfz
>>569 > 確実に幸福な来世が来ると信じられるのなら、
> たしかに「いつ死んでもいい」にはなりますね。
そうなのですが、それは輪廻転生を信じるヒンドゥー教や極楽浄土などを
信じる大乗仏教、天国を信じるキリスト教やイスラム教などの諸宗教に
おいての話です。本来の仏教では、そのようなものを信じることなしに、
死の恐怖を乗り越えることがミソです。
死に関する仏典の言葉をいくつか引用します。
「物質的領域を熟知し、非物質的領域に安住し、消滅において解脱する人々は、死を捨て去ったのである。」
「この世の人々が、諸々の生存に対する妄執にとらわれ、ふるえたいるのを、わたしは見る。下劣な人々は、種々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。」
「ねがい求める者は欲念がある。また、はからいのあるときには、おののきがある。この世において死も生も存しない者、──かれは何を怖れよう、何を欲しよう。」
「 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。」
「バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」
「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界が空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は、見ることがない。」
571 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 21:41:59.06 ID:jHCRff+7
死を恐れないとかは要は強い思い込みでそうするってことなんでしょ? かっこいいことを言わないならば
572 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 21:49:00.39 ID:criyggfz
>>571 そうではない。強い思い込みによって抑えるならば、自分を騙しているだけなので、安定したものではなく、
ちょっとした拍子に解けてしまい、また恐怖にとらわれてしまう。
来世を信じる宗教にすがって信仰した場合などは、最後まで信じ続けられる人もいるかもしれないが。
しかしそれは悟っているとは言えない。
>>570 ありがとうございます。
最後の方法論のが文章も理屈も一番分かりやすかったような気がします。
空なりと観ずる方法は全くわかりませんが……。
悟りを開こうとするのは、自分の感覚を何か別のものにしようという 行為なのでしょうか? そうであれば、「戻ってこれないかも」といった恐怖はないのですか?
575 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 22:18:11.47 ID:criyggfz
修行は納得と理解の上で進んでいきますから、そんな恐怖はありません。 無理やり自分の感覚を矯正したり、自分を騙したりするわけでもありません。 簡単にいえば、何者にも動じない強い心を作ることです。 「 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、──これがこよなき幸せである。 深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、──これがこよなき幸せである。 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、──これがこよなき幸せである。 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、──これがこよなき幸せである。 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、──これがこよなき幸せである。 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと──これがこよなき幸せである。 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。」 内容は簡単なことばかりです。簡単ですが、真剣にブレずに実践を続けるのは難しいことです。 「世界を空なりと観ずる」というのも、大乗仏教の「空」の観念に引きずられて訳されていますが、「虚しい、空虚である」という意味です。世界には 執着すべきものは何もない、と認識する、ということです。そして動じない心になった結果として、死の恐怖も自然に消滅します。いずれ死ぬことは当たり前のことと受け止められ、どうでもよくなるのです。
>>575 >>内容は簡単なことばかりです。
これで簡単なのですか(いや私は少々汚れた人なので)……orz
>>執着すべきものは何もない、と認識する
その認識が死ぬまで続けば良いのでしょうけど、
もし途中で元に戻った場合、「執着しないようにしていた期間」が
空白期間になるという「後悔」に繋がる恐れもありますね……。
ありがとうございました。
577 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/22(木) 23:14:47.77 ID:criyggfz
>>576 > >>内容は簡単なことばかりです。
> これで簡単なのですか(いや私は少々汚れた人なので)……orz
理屈は簡単って意味ね。簡単なことほど、実践は難しい。
> もし途中で元に戻った場合、「執着しないようにしていた期間」が
> 空白期間になるという「後悔」に繋がる恐れもありますね……。
別にその期間ただじっとしているわけではありませんから、そんな心配には及びません。
むしろ在家は、普通に仕事もしますし、余計な執着が無ければ、人間関係も仕事もうまく
いくことが多いです。社会的成功と、仏道修行は矛盾しません。
釈尊の在家の弟子の中にも、大富豪はたくさんいます。教えを実践して、ますます成功
している人がたくさんいるのです。(もちろん、そういう人は貧しい人や教団に布施をしたりして、
社会に還元もしますが。)
そして、あなたの仰る通り、行ったり来たりしながら人は成長します。
悟りには色々な段階があり、預流果や一来果の段階では、まだ後戻りします。
不還果に達して始めて、もう後戻りしないと言われています(不還果ではまだ死の恐怖は
残っています)。
しかし元に戻ってしまった場合も、執着を離れていた期間は心に嬉しい経験しかしていませんので、
「「執着しないようにしていた期間」が 空白期間になるという「後悔」」なんて起きませんし、
むしろ逆で、一度経験すれば忘れられないので、元に戻ってしまった人でも、何度でもまた
仏の教えを思い出して、挑戦しよう、ということになるのです。
578 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 00:17:39.64 ID:7XNDwMn7
>>572 そもそも信仰って思い込みじゃないですかね?
まあそれは置いといて、悟った人は結局、目で見たものに惑わされない境地
くらいには行ってるんでしょ?
こういう人に3D映像で自分に石が飛んでくる映像とかいきなり見せても避けないですかね?
結局、そういった鍛練なんでしょ?実在論とかそういう話
579 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 00:56:02.67 ID:KPKqBXDI
>>578 > そもそも信仰って思い込みじゃないですかね?
信仰の定義によるが、迷信じみたことを根拠もなく信じることを信仰と言うならば、
それは釈尊も否定している。
「たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。そ
のとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、「大石よ、浮かびいでよ。浮かび上がって、陸
に上れ」、と祈願し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、汝はいかに思うか。その大
いなる石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。・・・
たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に、油のつぼを投じたとするがよい。そし
て、つぼは割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。そのとき、大勢の人々が集まり来て、
「油よ沈め、油よ沈め、なんじ油よ、水の底に下れ」、と祈りをなし、合掌して、湖の回りを回
ったとするならば、なんじはいかに思うか。その油は、人々の合掌祈祷の力によって、沈むであろうか。 」
「(師ブッダが現れていった)ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」
「かれらは希望し、称賛し、熱望して、献供する。利得を得ることに縁って欲望を達成しようと望んでいるのである。供犠に専念している者どもは、この世の生存を貪って止まない。かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く。」
祈祷や迷信などのような信仰は捨て去るべきものです。
> まあそれは置いといて、悟った人は結局、目で見たものに惑わされない境地
> くらいには行ってるんでしょ?
> こういう人に3D映像で自分に石が飛んでくる映像とかいきなり見せても避けないですかね?
生理学的な錯覚が起こらなくなるということはない。視覚的錯覚は、目の構造や機能、視神経、脳の視覚野の生理学的
働きによるものだからね。
また、ものが急に飛んできた(ように見えた)とき、それを避けようとするのは反射であって、
これも生理学的な働きだ。解脱者でもそれは変らないだろう。
580 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 01:35:55.24 ID:7XNDwMn7
>>579 でも信仰には「奇跡」ってのがつきものだよね
また、信仰の見返りにご加護を期待してるわけでしょ
それが当たり前になっちゃってますけどね
逆にそれが無くなっちゃったら信仰の存在意義が無くなるんじゃないの?
581 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 01:43:43.01 ID:KPKqBXDI
>>580 > でも信仰には「奇跡」ってのがつきものだよね
> また、信仰の見返りにご加護を期待してるわけでしょ
> それが当たり前になっちゃってますけどね
釈尊はそれらを否定したのです。それが本来の仏教。
しかし、仏教にまた様々な迷信が混入して、現在のような姿になってしまっている。
密教なんて積極的に加持祈祷を行なっている。本来戒律では禁止されていることです。
> 逆にそれが無くなっちゃったら信仰の存在意義が無くなるんじゃないの?
だから本来の仏教は信仰や宗教ではない、と言われている。
ダライ・ラマも時々そういうことを言っている。
"Buddhism is not a religion but rather a science of mind."
(仏教は宗教ではなく、むしろ心の科学です)
それはよく言われることだな 個人的な見解ではキリストでも同じことが言えると思うんだけどな 『宗教っぽく』していったのは後世の人間
583 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 02:32:13.42 ID:7XNDwMn7
>>581 なるほどね
要するに今だとハーバード大のサンデル教授がやってるような問答みたいなのが
始まりだったのかね?
584 :
312 :2012/03/23(金) 12:16:00.26 ID:vA4ZuxOr
今は変えれないんですか? いつも未来=過去じゃないですか 僕は今を滅したいんですよ。そしたら今の連続に生きることもないわけだし 今という世界に鬼和尚はもういないんでしょう?いたとしても慣習に従ってる だけでしょう。だとしたら新たな世界にいることになりますよね? 今はなくならないんですか?
嘘をついて、ずっとそれをつき通したらどんな報いがありますか? 嫌な状況から逃避したくて、周りに嘘をついて逃げてしまいました。 おかげで逆に心配されたりして、よけいな迷惑をかけてしまいました。 情けなくて苦しい。気落ちして寝込んでいます。 どうやって償えばいいですか?
正直に本当の事を言いなさい それだけだ。
>>585 そうだなあ。練習でどんな嘘をついたのか
ここで白状しなさい。
いつ、誰が、どこで、何の嘘を、どのようについたか、
ここに書き込みなさい。
固有名詞は伏せでかまいません。
>>563 もはや無いのじゃ。
例えば普通の人間が爪を切る時恐怖が無いように、悟った者はいらない体が無くなる時にも恐れは無いのじゃ。
>>571 本来人が死を恐れるのは肉体が己であるとか、肉体だけが己であるとか思い込みがあるからなのじゃ。
それが無くなれば自然に死の恐れは無くなるのじゃ。
>>574 感覚は変化しないのじゃ。
記憶に依存した認識そのものが滅し、本来の認識に戻るのじゃ。
肉体や感覚器官がいずれ100%の確率で消えてしまう事を確かに知れば、そのような恐れは無いじゃろう。
死を超える道はそこにしかないのじゃ。
>>584 心が変われば今も変わるじゃろう。
おぬしの心次第じゃ。
>>585 お釈迦様は地獄行きとか言っておるのう。
しかし、懺悔告白して二度としないと誓えば許されるのじゃ。
590 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 21:54:11.78 ID:KPKqBXDI
皇室内部のことに、臣民ごときがごちゃごちゃ意見するでないよ ほっときんさい ただただ敬っておればよい。
591 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/23(金) 22:47:19.40 ID:7XNDwMn7
>>588 いや だからそれは単なる言葉遊びに過ぎないことで
>>571 と実質かわりないことでしょ?
かっこいいことを言おうとするなと俺は予め釘を刺してるはずだが
どこがかっこいいんだよ・・・ それに鬼さんは特におまえの言うこと否定してないじゃん かっこいいかどうかなんて言葉の意味となんの関係もないし くそをする と お手洗いに馳せ参じる は同じ意味だろ
593 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/24(土) 03:24:59.93 ID:pqMH/sgg
>>592 はぁ?
とにかく俺は内容の無い話は嫌いなタイプなの
哲学も大嫌いだから
それを言いにここに来たの? ツイッターでやれ
>>593 >哲学も大嫌いだから
しかし、ここに来たのだね(^_^)。
596 :
312 :2012/03/24(土) 08:03:02.17 ID:ll+VNCiW
鬼和尚はこの世界の身体からの束縛を完全にないというところまでは 行ってなくて慣習に従って生きていると言われましたがだとするなら なぜ、この浄土がおしいのですか?
瞑想して、意識を長い時間つなぎとめることができるようになりましたが、しばらくすると 手強い雑念が必ず出てきて、何度戻しても、必ずその雑念に心が連れていかれてしまう。
599 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/24(土) 14:32:08.15 ID:rczldz1P
崇拝がいけないのは、自分と隔絶させちゃうからです。 出来もしない事を「出来るようになろうともしないで」話すと、 自分と関係の無い、つまり意味の無い事に、ただただ「興味を持つ」だけに、なってしまう。 それは時間のムダですし、 また勝手な理想を基準にし、「オマエはワタシの想い描く理想ではない」と、片っ端から批判して回る姿に、陥ったりもします。 奇跡(超能力)は、そういう傾向を纏いやすいものの、それが(崇拝の)本質ではありません。 単純に、「争論しない」なども、人によっては奇跡と同じにしています。 「自分にはどうせ出来ないからいいや、幾らでも争論してやれ」という人は、多いです。
>>591 それは思い込みではなく実感なのじゃ。
実際に感じる事と思い込みは違うのじゃ。
おぬしも昔、好きだったぬいぐるみとか、おもちゃがいらなくなれば捨てても何も思わないじゃろう。
ぬいぐるみとか、おもちゃが捨てられても何も思わないのはかっこいいふりをしている訳ではなく、本当にいらないと実感しているからじゃろう。
それと同じように何の思い込みも無く、かっこいいことでもなく肉体への執着が無ければ、もはや捨てられても何も感じないものじゃ。
>>596 特に惜しくも無いのじゃ。
執着が無ければ無理に捨てる必要すらないのじゃ。
いずれ無くなるものであるからのう。
>>597 それはおぬし自身が強く執着したり、恐れたりしている事であるからかもしれん。
それに囚われるのは何が原因なのか、観察し追求してみると良かろう。
それもまた修行になるじゃろう。
花粉症、消し方書くね... 背中、横にぎゅー、とひらく。(まるめる、ってゆうのかな... ) 肩なるべく、あげないで... 胸も、横にぎゅー、とひらく。 ...いちにち100おうふくで、 オケーです。これだけでなおるよ... ためしてみてね♪ 効かなかったら、ごめんなさい...
602 :
泥団 :2012/03/24(土) 21:44:32.05 ID:8Utx3UgG
前に物乞いをされた人のレスがありましたが、私も最近はすっきりと気持ちのよい 布施は意外とむずかしいと感じています。 決まった場所で、いつも同じやり口で寸借詐欺をする有名おばあさんや、 少し前の中国の駅では身体障害者の物乞いの群れが一斉に押し寄せてきて 大変だったこととか、つきつめるとしがない個人としての自分が 貧困や経済という巨大な問題とどう付き合うか、というあてどもない思考に とらわれてしまう。 件の中国の身体障害者の群れは、大人が健常な子供をわざと不具にしたてるために 手足を切ったりするとも、当時聞きました。 そこで乞われるままに布施をすることが本当に正しい、自分が後悔しないことなのか、 また本当に本人のためになる善いことなのかどうか、はたしてその状態をよけいに 助長させたり、裏社会に利益をもたらすことになったり、新たに親から不具に される子供ができることにはならないか、など瞬時に判断はしにくいものです。 鬼和尚さんなら、こういう場合どうしますか? また、こういう問題は一体自分の中のどういう意識の表れなのでしょうか。
>>579 > かれらは生や老衰をのり超えてはいない、とわたしは説く
老衰って乗り越えられるの??
それは具体的に? それとも誌的な意味で? 老衰を恐れなくなるとか
間違えた 詩的なだった
605 :
泥団 :2012/03/24(土) 21:57:52.02 ID:8Utx3UgG
>>601 さん、それは背筋(ていうか肩甲骨あたり?)と胸筋を交互に開く
ストレッチすればいいのですか?
1日100回ってけっこう大変ね・・・。
606 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/24(土) 22:06:55.76 ID:f8rLthqu
>>603 >老衰を恐れなくなるとか
そういう意味だ。
607 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/24(土) 23:24:56.51 ID:zjnt8hza
花粉症は治らんよ 治ると言っている連中は元々花粉症が無かっただけ
608 :
591 :2012/03/24(土) 23:51:47.77 ID:pqMH/sgg
>>600 そんなのは霊魂とか信じきってるオカルト主義者にも起こり得るもんだろ?
もしもそんなもんがはっきりと「無い」となった場合には君のほうが思い込みで
そうした「如何にも最もらしい発言」をしてたってことになるんだぞ?
証明出来ないからといってそこまで見てきて確信してるかのような口調で人を惑わしてはならない
自分でそう悟ったわけでもあるまい?
自分の発言が宗教にインスパイアされてる時点で「思い込み」であることは否定出来ないんだよ?
昨日までまったく宗教に興味関心が無かった者が突然何らかの衝撃でそういう不思議な
気持ちになるほうがまだ自然なものだと思うけどな
君は長年、信仰にゾッコンだったわけだろ? 純粋な自分なんて持って無いんじゃないのか?
だからそうしたどっかで借りてきたような言葉しか出てこない
609 :
泥団 :2012/03/24(土) 23:51:49.01 ID:8Utx3UgG
2月上旬から毎日ヨーグルト(砂糖、添加物なしの自家培養のもの)を 食べて乳酸菌をしこんだ年は、驚くほど楽だったわ。<花粉症 でも外出しないのが一番効く。w
610 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 00:07:32.38 ID:pqMH/sgg
>>600 要するに君がいわゆる解脱とかの状態にあるかも、解脱という事象事態、実際存在するのかも
何も実証出来ないわけだから、そうしたアドバイスを人にする場合にはいちいちでも
「僕が思いますに〜」とか「僕は分からないですけど釈尊が仰られますに〜」
とか前置きしてから喋んなきゃダメだよ
そんな断定口調で人を惑わすような話をしちゃダメだよ?
611 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 00:38:32.51 ID:HPN1vi/t
>>600 >
>>596 特に惜しくも無いのじゃ。
> 執着が無ければ無理に捨てる必要すらないのじゃ。
> いずれ無くなるものであるからのう。
典型的な詭弁だな
いらないいらない言いながらしがみついているw
「無理に捨てる必要すらないのじゃ」という表現をすること自体が、捨てることにハードルを感じている証拠だ。
そうでなければ「無理に」〜などとは書かない。
>>611 かといって、失踪という意味での蒸発はあるけど、人間が蒸発死するのは不可能。
肉体から脱出した後、肉塊の始末に役所的手続きは「当人」には無理。
他人の手を煩わせるという面倒がある。
613 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 02:32:06.11 ID:ZNsIWpT1
>>611 悟った人が別に会話のプロではないですよ
私なんか学力も無いですし、会話なんか実際カミカミですよ
会話もしたこと無いけどすくなからずそんな自分でも和尚さんの発言の意味はわかるんですよ
ここで言う「無理に捨てる必要すらないのじゃ」は
苦痛に感じてた事がどうでもいいことになるからなんですよ。
昨日食った飯を10年後まで覚えてようとする?どうでもいいでしょ?
でももし覚えてたとき無理に捨てる必要すらないのじゃとなる
614 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 02:40:05.80 ID:HPN1vi/t
>>612 ごめん、何言ってるか分からん。
>>613 あくまで鬼和尚は悟ってる前提なんだw
>苦痛に感じてた事がどうでもいいことになるからなんですよ。
それならばそう言えばいい。そう言う方がずっと分かりやすいんだから。
悟っただの自我が滅しただのと、本人自身よく理解してないことを言う必要はない。
615 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 02:54:41.24 ID:ZNsIWpT1
>>614 なるほど
確かに、私も人に教えようとしたらとても伝えづらいのですよ
あなたで例えると鬼和尚さんの悪いところばかりを見ている
それを逆に鬼和尚さんのいいとこだけを見れませんか?
それを自分自身にもすれば苦は楽に変わるという発想の逆転なのですよ
616 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 04:32:20.95 ID:HPN1vi/t
>>615 > あなたで例えると鬼和尚さんの悪いところばかりを見ている
> それを逆に鬼和尚さんのいいとこだけを見れませんか?
悟ってるなどと自称しなければ何も言わないよw
どんな妄想抱こうと人の勝手だからね。
そもそも悟った人に「悪いところ」があったらダメだろw
人を教化する場合は
>>610 も言ってるように、人を惑わすような話をしてはダメだ。
> それを自分自身にもすれば苦は楽に変わるという発想の逆転なのですよ
悟りというのは「苦は楽に変わるという発想の逆転」などではないよ。
「楽であろうと、苦であろうと、悲苦悲楽であろうとも、内的にも外的にも、およそ感受されたものはすべて、
「これは苦しみである」と知って、滅び去るものである虚妄の事物に触れるたびごとに、衰滅することを認め、このようにしてそれらの本性を識知する。諸々の感受が消滅するが故に、修行僧は快を感ずることなく、安らぎに帰している。」
>>616 ちょっとお聞きしたいが、なぜ悟りに関してそんなに自信満々な事が言えるの?
その知識や経典が正しい証拠はどこにあるの?どういう根拠に基づいてる?
それが妄想でないと証明できますか?自分が正しい事を言っていると、どう説明する?
618 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 13:33:35.78 ID:3b5pxqjQ
619 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 13:55:19.11 ID:QyMSOIjD
>>614 私が
>>612 さんの言葉を噛み砕いて教えますと、
「自分で命を絶つのも自分勝手な行為になる」という事なんですよ。
デフォルメして伝えると、覚者が車を運転していたとして(同乗者つき)、
覚者: 「ワシャもういつでも命投げ出せるんだも〜ん」(ポイッとハンドルを離してしまい、自殺への車ダイブ)
同乗者: 「なァァーーーー!!??(怒)」
こんな行為↑へと覚者が走ったら、あまりにも自分勝手でしょう?
現実には、ここまで解かり易い形にならないだけで、しかし本質はこれと同じなんですよ。
自分勝手な行為は、そもそも執着の表れなのです。
人と接すると気分がかき乱されてなやんでます。 自己啓発本などを読んでみて感化されますが、 実際に人と接してみるとやはり心がかき乱されて 家に帰ってくると、心ここにあらずというか、自分がここにいないような感覚になってボー然となってしまいます。 数日後には回復し、自分らしさを取り戻します。 例えるなら、石を積み上げて、外にでるとばらばらにされ、家に帰ったら散在した石を拾い集め、 集めた石を積みあげるといった感じです。だから毎日外に出るのがキツイです。 原因は、自分と相手との境界線があいまいになってることじゃないか?と最近思えてきました。 実際に相手と話すとき心のフィルターを意識してみるとちょっとだけうまくいきます。 でも何も知らない、話さない人、関わりのない人(たとえばレンタルCDやの店員など)からも 表情や声、まとわりつく空気などから相手の心情や性格を感じ取ってしまい (それが当たってるかはわかりませんが)なんかとてつもなく怖いんです。 この前、病院の待合室に居た人から怖い雰囲気を感じ取ってしまい、 「ここで死ぬか殺されるんじゃないか?」とおもい、「いやそんなことはない」と落ち着こうとしましたが、 心臓の動悸が止まらず、おさえられないパニック状態になりそうだったので「調子がわるい」と申し出て帰ってしまいました・・ 予約して行ったのに、迷惑をかけてしまいました。 これは克服しなきゃずっと続くようなほっとけない問題のような気がしてます。 今は自分の考えがある程度まとまったので、 デイケアやボランティアなどいつでも行ってよくて利益の生じない場所で人と接してみようかと考えています でもやっぱりなんだか怖いし、またパニック状態になったらどうしようかと思います どう克服すればいいでしょうか・・社会復帰したいです まず何をして、次になにをすればいいのか、、段取りをお教え下さい
621 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 15:25:31.29 ID:HPN1vi/t
>>617 > その知識や経典が正しい証拠はどこにあるの?どういう根拠に基づいてる?
それが悟りの定義だから。
> それが妄想でないと証明できますか?自分が正しい事を言っていると、どう説明する?
釈尊は死ぬ間際に「法を拠り所とせよ、そして己を拠り所とせよ」と言い遺しています。
しかしそれは自分勝手に解釈していいということではない。
こうも言っているのです。「私の死後、本当の教えはこうだ、本当の悟りはこうだ、本当の
法はこうだ、と言いふらす人や、釈迦の真意はこうだ、私は悟った、などと言う人が出てくる
だろう。その言葉が正しいかどうかは、経典を参照しなさい。本物の聖者が説いた教えでも、
それが正しいかどうかは経典を参照して判断し、偽物が説いた教えも、経典を参照して
間違いであると判断しなさい」
622 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 15:33:29.60 ID:HPN1vi/t
>>619 >「自分で命を絶つのも自分勝手な行為になる」という事なんですよ。
流れを読んで下さい。611の答えになってないでしょう。
私は「悟ったら死ななきゃいけない」などと言っているわけではない。しかし死ぬことは
別に「命を無理に捨てる」ことにはならない。捨てたいなら簡単に捨てられるのです。
釈尊の前生譚の中にある、自分の虎に自分の身を差し出した逸話のように、何の躊躇も
なく命を捨てられるのです。
>こんな行為↑へと覚者が走ったら、あまりにも自分勝手でしょう?
なんでわざわざ他人を巻き込むことを想定する?他人に迷惑かけなければいいだけのはなしでしょう。
623 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 15:50:32.92 ID:QyMSOIjD
>>622 「
>>611 の答えに―― 」
なっていると思います。
オニ氏は「無理に」を否定しました。
無理とは「理が無い」、つまりたとえば人へ迷惑をかけるだとかの、死に方になります。
「捨てたいなら簡単に捨てられ―― 」
ませんって。
よほど状況が整わない限り。
イコール、無理が生じない状況にならない限り。
「前世―― 」
とか、そういうオカルトめいた話は、今は一旦置いておきましょう。
あくまで現実に立脚した見方を、したほうがいいです。
理が無く命を捨ててしまうと、必ず他人を巻き込みますよ。
現代日本で「身体を捨てる」というのは難しい。単にそれだけ言いたかった。 生きるの死ぬも同じなので肉体を捨てた。さてその遺体の始末は誰に負担してもらう? 遺書を残して「完全な自由意志による自死」であっても警察は縁者を探す仕事がある。 では天涯孤独の身であればいいのか?いや骨が見つかったらやはり同じ。 遺体も骨も粉砕され残らないように準備、もしくは鳥葬がデフォの外国に行けばいいのか、 そこまでして身捨ての舞台を整えるというのは、逆に囚われとは言わないか。 悟り人の指すところは、想像でしかないが、一年草が、咲いたその地で枯れていく。 そこには何の手も加わっていない。そういうあり方ってことじゃないかなあ。 体内活動の自律が止まるまで、何も身構える必要はない。
625 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:14:26.96 ID:HPN1vi/t
>>623 > 「捨てたいなら簡単に捨てられ―― 」
>
> ませんって。
> よほど状況が整わない限り。
それは言い訳です。その気になればいくらでも状況を整えられます。
結局、鬼和尚は生きることに執着しているのです。別にそれが悪いとは言いません。
誰でも命に執着していますから。しかし「特に惜しくも無いのじゃ。」などと嘘をつくのはいけません。
> 「前世―― 」
>
> とか、そういうオカルトめいた話は、今は一旦置いておきましょう。
オカルトではなく寓話です。
> あくまで現実に立脚した見方を、したほうがいいです。
あなたや鬼和尚こそ現実に立脚してください。あなたがなぜそこまで無理やり
擁護するのか分からないが(信者だから?)、素直に、生きることに執着していることを
認めればいいのです。それが人の現実なのですから。
626 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 16:27:34.51 ID:EuYDX9Xv
>>625 ところで本当に生きることに執着していない人が居たとして、そのまま「生きることに執着していない」
ということを伝えたい場合は、一体どう書いたら良いのかね? そのまま書いた場合はあなたは確実に
嘘つき呼ばわりするわけだよね? w (まあ、あなたのことをほっときゃ良いだけではあるがw)
>>624 > 生きるの死ぬも同じなので肉体を捨てた。さてその遺体の始末は誰に負担してもらう?
寿命まで待って死んでも、自分で死期を早めて死んでも、同じ事ですよ。
寿命まで待てば後始末の問題が無くなるわけではない。
釈尊も死期を自分で決め、危険と分かっている茸を、他人には食べてはいけないと言いながら
自ら食べましたし(つまり一種の自殺)、遺体の後始末は信者たちに委ねました。
> 遺書を残して「完全な自由意志による自死」であっても警察は縁者を探す仕事がある。
> では天涯孤独の身であればいいのか?いや骨が見つかったらやはり同じ。
後始末は信者に委ねてもいいし、一人になりたいなら、
全ての人との縁を断って、 どこか山奥深くに土地を買い、深いを穴や洞窟を掘って
入り口を塞ぎ、即身仏となればよいのです。全ての縁を切っていれば捜索願を出す人も
ありませんし、見つかることもありません。まあ何百年か後の考古学者が発掘するかも
しれませんが、それはそれで学術的貢献になるので、問題ないでしょう。その人たちのためにメッセージなんか残しておくと粋かもしれませんね。
> 遺体も骨も粉砕され残らないように準備、もしくは鳥葬がデフォの外国に行けばいいのか、
> そこまでして身捨ての舞台を整えるというのは、逆に囚われとは言わないか。
「そこまでして」と難儀に感じることが囚われですよ。解脱した人に難儀なことなどありません。
これくらいの行動力は朝飯前。即身仏になった僧は日本にもたくさんいます。
> 悟り人の指すところは、想像でしかないが、一年草が、咲いたその地で枯れていく。
そんなことはない。悟った人は一箇所に留まるものではありません。
>何の手も加わっていない。そういうあり方ってことじゃないかなあ。体内活動の自律が止まるまで、何も身構える必要はない。
それをきちんと実践するなら、じっとして動かず、「わざわざ」飲み食いなどせずに、衰弱して死ぬだけです。
628 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:33:00.40 ID:QyMSOIjD
>>625 「いくらでも状況を整えられ―― 」
ません。
仕事や財産を全て人へ譲り渡し、さァ死ねるかと言ったら、遺される者の「あまりの」悲しさを考えれば、そうは行かない。
遺される者を全員覚らせてから逝けば良いのでしょうけれど、それが現実可能かと言うと、不可能でしょう。
「寓話―― 」
にせよ何にせよ、事実かどうかが極端に危うい内容を、その時話している中心テーマの、基準に持ってこないで下さい。
「無理矢理擁護―― 」
しているわけじゃないですよ。
「理」がある(と思う)から、それを否定する発言に、「それは理が無いんじゃないですか?」と申し上げているだけです。
生きる事に執着していると仰るなら、釈迦も自ら命を絶ちはしませんでしたよ。
629 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:37:06.99 ID:HPN1vi/t
>>626 > ところで本当に生きることに執着していない人が居たとして、そのまま「生きることに執着していない」
> ということを伝えたい場合は、一体どう書いたら良いのかね?
執着の滅した人は、「『生きることに執着していない』ということを伝えたい」などという煩悩も執着も
生じません。だからそんなことは言いたいとも思いませんし、いちいち他人に言う必要はないのです。
そもそも他人には関係のないことだからね。
630 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:39:43.83 ID:QyMSOIjD
>>627 「釈尊も死期を自分で決め―― 」
るのに、何年掛かりました?
35で覚って、亡くなったのが79。
44年も掛かったのですね。
容易ではない年数ですね。
「朝飯前」とは、到底いきませんね。
「即身仏になった僧は―― 」
覚っていたのですか?
631 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 16:42:10.32 ID:EuYDX9Xv
>>629 人から生きることに執着があるのかないのか質問された場合は?
632 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:45:17.48 ID:HPN1vi/t
>>628 > ません。
> 仕事や財産を全て人へ譲り渡し、さァ死ねるかと言ったら、遺される者の「あまりの」悲しさを考えれば、そうは行かない。
それはその遺される者の思いに執着しているんですよ。
それこそが世のしがらみであり、普通の人がなかなか断ち切れない束縛なのです。
> 「寓話―― 」
>
> にせよ何にせよ、事実かどうかが極端に危うい内容を、その時話している中心テーマの、基準に持ってこないで下さい。
「寓話」という意味が分かりますか?事実かどうかはどうでもいいのです。
そこに込められている意味、教えを掬い取って下さい。
イソップ童話は明らかに事実ではないでしょうが、そこには様々な教訓が込められているのです。それを寓話と言います。
仏教のジャータカ物語も同様です。
> 生きる事に執着していると仰るなら、釈迦も自ら命を絶ちはしませんでしたよ。
いえ、自ら絶ちました。危険と分かっている茸を、周囲の人には食べてはいけないと言いながら、
自分は食べて激しい腹痛を起こし、そのまま衰弱して死んだのですから。
633 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:47:36.31 ID:gaXKb2mo
つまらん議論してる。
634 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:51:31.29 ID:HPN1vi/t
>>630 いえ、釈迦は悟った瞬間に一旦死期を決めたのです。このまま死のうと考えました。
しかし止められてしまったのですね。ぜひ教えを説いて下さい、と。
それで、教えを説き始め、悟った者がたくさん現れて、教団も経典も完成し、
釈迦が死んでも教えが継承されていく体制を整えるまでに44年かかったということです。
つまりそれだけ習得の難しい繊細な教えなのです。
> 「即身仏になった僧は―― 」
>
> 覚っていたのですか?
そうかもしれないしそうでないかもしれない。
でも生命への執着は断ったからこそ即身仏になったのでしょうね。義務ではないのだから、
生命が惜しければわざわざ即身仏になどならないでしょう。実際ならない僧の方がずっと多い。
635 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 16:55:56.78 ID:HPN1vi/t
>>631 > 人から生きることに執着があるのかないのか質問された場合は?
「あなたが気にすることではありませんよ、あなたの修行には関係ありませんよ」、と
答えればいいのです。
解脱しているかどうかテストするのと同等な質問です。このような質問に答える必要は
ありませんし、答えてもいけないのです。
636 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 17:00:03.20 ID:EuYDX9Xv
>>635 何故ストレートに答えてはいけないのかね?
637 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:00:32.49 ID:HPN1vi/t
>>620 >例えるなら、石を積み上げて、外にでるとばらばらにされ、家に帰ったら散在した石を拾い集め、
>集めた石を積みあげるといった感じです。だから毎日外に出るのがキツイです。
この例えは分かりやすいですね。
他人の影響を受けすぎ、他人に惑わされすぎなのです。
石を積み上げる時、強力な接着剤で固めながら積み上げて下さい。
動じない心を作って下さい。
638 :
312 :2012/03/25(日) 17:05:50.78 ID:Hz8rdEnx
鬼和尚は凡夫からスタートしたのですよね。つまり時の衆生からの派生で すよね。悟りを開く人に種類はありますか?例えば鬼和尚みたいに明らかに 悟りを開いている人と一見悟りを開いているようには見えない人と 鬼和尚はどこかでテレビやネットを見る限りいないとおっしゃいましたが そういう鬼和尚でさえ分からない本人しか分からない悟りを開いた人っているのですか?
639 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:06:14.65 ID:QyMSOIjD
>>632 「遺される者の思いに執着―― 」
ではなく、単に「社会常識」ですね。
「事実かどうかはどうでもいい―― 」
わけないでしょう。
今の会話のテーマでは。
「危険と分かっている茸を、周囲の人には食べてはいけないと言いながら―― 」
というのは、本当ですか?
不勉強なのかも知れませんが、あまり聞いた事は無いですね・・・・
それにもしも事実だとして、「まさか死ぬとは思わなかった」とも、考えられます。
超能力的薬学者じゃないのですから、ミスって(毒力を見誤り)死ぬ事は、普通に考えられます。
640 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:12:46.56 ID:QyMSOIjD
>>634 「止められてしま―― 」
うんじゃないですか?
個々の事情の違いはあれど。
釈迦だけ特別な事情があったと考えるのではなく、誰にでも一人一人、特別な事情があるのですよ。
「生命への執着―― 」
って、何ですか?
生きる事が執着で、死ぬ事は執着ではないと?
死ぬ事も、何かそこにハデハデしい意味を持たせようとするなら、それは執着だと思います。
641 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:15:34.75 ID:ZNsIWpT1
やめ〜〜〜〜い(笑)
642 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:15:39.29 ID:HPN1vi/t
>>636 > 何故ストレートに答えてはいけないのかね?
理由は色々あります。全部説明するのは大変ですが、いくつか説明してみます。
一つは、本人も他人も証明できないことなので、嘘をついている偽物に騙され、カルト信仰に
ハマってしまう人が出てくることです。だから「聖者は本人も他人も証明できないことは言わない」と
いうルールにしておけば、逆にそういうことを言う人は怪しい、危険だから信用するな、と避ける
ことができ、カルト信仰にハマるのを防ぐことができるのです。
また一つは、自称覚者と、正直に「私はまだ悟っていない」と言う徳の高い修行者が混在した場合、
愚かな大衆は、前者を持ち上げ、前者にばかりすがろうとする傾向が生じます。しかし前者には
偽物がたくさん混じっている危険が大きいし、正直な修行僧はまだ悟っていなくても凡夫よりは
ずっと修行レベルが高いのですから、正直な修行僧の方を師にすべきなのです。しかし凡夫は
愚かなのでそうはしません。この弊害は大きいのです。本当か嘘か確認しようもない自称覚者を
師とするのは大変危険なギャンブルなのです。しかも割の悪いギャンブルです。自称覚者はいつ
の時代もほぼ偽物なのですから。ですから、悟りを自称することも、逆に師となる人が「私は悟っていない」と
言うことも禁止なのです。
また一つは、修行の妨げになるからです。「自分の師は悟っているのかどうなのか」という
ことを気にする強い執着、煩悩を生じるのですから、大変危険です。こういう煩悩こそ真っ先に
滅しなければなりません。
他にもまだまだ理由はありますが、どれ一つとっても、真の覚者の態度としては矛盾を生じるのです。
643 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:29:44.65 ID:HPN1vi/t
>>639 > 「遺される者の思いに執着―― 」
>
> ではなく、単に「社会常識」ですね。
社会常識? 何がどう社会常識なのか分かりませんが、社会常識に囚われているのは、
悟りどころか、ほとんど何の修行もしていない最低レベルの段階です。話になりません。
> 「事実かどうかはどうでもいい―― 」
>
> わけないでしょう。
> 今の会話のテーマでは。
いえ、どうでもいいのです。事実でなければ困る、事実でなければ意味がない、と思うのは
強い執着です。
> 「危険と分かっている茸を、周囲の人には食べてはいけないと言いながら―― 」
>
> というのは、本当ですか?
> 不勉強なのかも知れませんが、あまり聞いた事は無いですね・・・・
有名な話です。釈迦の最後について経典である大般涅槃経にあります。
鍛冶工のチュンダという人物が、釈迦に食事の布施をしたのです。
次のレスにその内容を書きます。
> それにもしも事実だとして、「まさか死ぬとは思わなかった」とも、考えられます。
> 超能力的薬学者じゃないのですから、ミスって(毒力を見誤り)死ぬ事は、普通に考えられます。
この話は様々な部派で同様に伝わっていますから(北伝でも南伝でも)、史実と考えられています。
(ただ、中毒を起こした食べ物が茸か豚肉かの相違はありますが。その料理はスーカラ・マッダヴァというものですが、訳に二通りあるのです)
また、釈尊一人だけが直後から激しい症状を起こし、他は皆元気だったのだから、他の人には食べるなと言って自分だけあえて食べたというのも本当でしょう。
644 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 17:30:48.73 ID:EuYDX9Xv
>>642 >だから「聖者は本人も他人も証明できないことは言わない」というルールにしておけば、
ルールにしておけば? そんなルール勝手に作ったところで誰も守らないのでは?
仮に守る人が居たとしてもそれによる利がある一部の人だけになると思うが?
>ですから、悟りを自称することも、逆に師となる人が「私は悟っていない」と言うことも禁止なのです。
師となる人なら良い?
(ここは書き間違えてない?)
>また一つは、修行の妨げになるからです。「自分の師は悟っているのかどうなのか」という
>ことを気にする強い執着、煩悩を生じるのですから、大変危険です。こういう煩悩こそ真っ先に
>滅しなければなりません。
まあそうだろうな。釈迦も悟っていないと思った方が良いかも知れない。
>他にもまだまだ理由はありますが、どれ一つとっても、真の覚者の態度としては矛盾を生じるのです。
そうかなあ?
645 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:31:49.69 ID:HPN1vi/t
>>639 鍛冶工チュンダは、夜も明けないうちから美味しい柔らかい食べ物、かたい食べ物を料理し、さらにたくさんの茸の料理を用意して、仏陀に食事の用意ができた事を告げました。
そこで仏陀は修行者達とともにチュンダの住居に行き、用意された座席に座してチュンダに言われました。
「チュンダよ、汝の用意した茸は、私に供養しなさい。そして残りの柔らかい食べ物、かたい食べ物を修行僧達に供養しなさい。」
チュンダは仏陀の指示に従って、茸の料理を仏陀に供え、他の料理を修行僧達に差し上げました。
その時、仏陀は更にチュンダにこう言われました。
「チュンダよ、残った茸はすべて穴に埋めなさい。この茸を消化できる人は、如来以外に、天人の世界にも人間の世界にもいない。」
そこでチュンダは仏陀の言われるとおりに、残った茸をすべて穴に埋めました。
その後で、チュンダは尊い師に近づき、敬礼し、一方に座しました。
座したチュンダに対して、仏陀は法話をし、法話によってチュンダを教え、さとし、鼓舞し、喜ばしめました。
そして、座より立って去りました。
チュンダの食を召された尊き師に、重い病が起こり、赤い血がほとばしり出て、死に近い激しい苦痛が起こりましたが、仏陀は正しい思惟によって、苦しみにとらわれないで、苦しみを克服して住しておられました。
646 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:38:07.99 ID:QyMSOIjD
>>643 「社会常識―― 」
とは、人へ物質的精神的迷惑をかけない、などです。
「事実でなければ―― 」
基準には使えないでしょう。
「釈尊一人だけ―― 」
ご高齢だったから、とも考えられます。
自殺だったとするには、判断材料に欠くと思います。
毒力(=自身の耐力)を見誤ったから、という解釈を、そう出るものではないようです。
647 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:39:23.84 ID:HPN1vi/t
>>644 > ルールにしておけば? そんなルール勝手に作ったところで誰も守らないのでは?
守らない人は、悟っていないと見なして捨ててしまえばいいのです。
> >ですから、悟りを自称することも、逆に師となる人が「私は悟っていない」と言うことも禁止なのです。
> 師となる人なら良い?
> (ここは書き間違えてない?)
「悟っていない」と言うことが禁止、というのは、「悟っている」と言うことではありません。
悟っているとか悟っていないとか、そのような話には関わらない、ということです。
私が『「悟っている」と言ってはいけない』、と述べていることの意味は、『「悟っていない」と言え』、
ということではないのです。
> まあそうだろうな。釈迦も悟っていないと思った方が良いかも知れない。
そう思っても構いませんよ。悟っていようと悟っていまいと、自分よりレベルの高い師を見つけて、師に並ぶまで
修行すればいいだけです。並んだ時に、もっと上があるのかないのか、自ずと分かります。
648 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:44:07.00 ID:QyMSOIjD
>>643 >>645 出典と、その内容を、ありがとうございます。
・・・・内容的には、やや神格化の入ったものになっているので、全ては真に受けられませんけれど、
旧い、綺麗な言葉に触れるのは、それだけで気持ちがいいです。
ややズレた感想になりましたが、ありがとうございます。
649 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:53:29.75 ID:ZNsIWpT1
650 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:55:54.41 ID:HPN1vi/t
>>646 > 「社会常識―― 」
>
> とは、人へ物質的精神的迷惑をかけない、などです。
「迷惑」と思うのは人の勝手です。釈迦は「社会常識」的にはあり得ないことをしました。
王位継承者としての責務を投げ出し、両親も妻子も捨てて、独断で勝手に出家して、故郷と
おさらばしたのです。後継者を失った王は悲しみに暮れ、病に倒れましたし、遺された妻子も大変です。正当な
世継ぎを失った国は、力を失い、傾き、最後は滅ぼされてしまうのです。
これ以上の「人への物質的精神的迷惑」がありますか?
これだけ冷徹に何もかも切り捨てる覚悟がなければ、出家自体できませんし、解脱など
到底できません。
「遺される者の思い」などという他人の執着など、意に介しません。
> 「事実でなければ―― 」
>
> 基準には使えないでしょう。
論理ですから、内容が分かればいいのです。事実であろうとなかろうと、論理は変わりません。
> ご高齢だったから、とも考えられます。
もっと高齢の阿羅漢や比丘はたくさんいました。釈迦が教団の最高齢ではありません。
釈迦より先に高齢のために死んだ弟子もたくさんいます。
> 毒力(=自身の耐力)を見誤ったから、という解釈を、そう出るものではないようです。
他人には危険だから食べるな、地中に埋めろ、と言っておいて、自分だけは大丈夫と思って食べて食中毒で
死んだと言うのですか?それじゃただの馬鹿でしょうw
釈迦はまた、チュンダが後で責められないように、チュンダを擁護する説法をしています。自分はそれを食べて涅槃に入る(死ぬ)のだから、如来にとって最上の優れた供養の食であり、チュンダには功徳と果報があると。
まああなたが、釈迦はただの馬鹿だったと思いたいなら、あなたの勝手ですが。
651 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 17:58:50.44 ID:HPN1vi/t
>>649 その質問には答えません。
ただしここは「悟りを開いた人に聞くスレ」だそうです。
652 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:01:44.80 ID:ZNsIWpT1
>>651 悟ると悟る人も案外見てわかるんですよ。
釈迦でなく現代人にもいっぱい悟ってるひといるんで
昔話以外でよろしく。今は2012年だし
653 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:02:43.47 ID:VA4NZ57L
創価学会は嫌いだ
654 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:05:17.93 ID:HPN1vi/t
>>652 > 釈迦でなく現代人にもいっぱい悟ってるひといるんで
いっぱいはいません。私が知っているのは、二人だけです。
655 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:08:05.85 ID:QyMSOIjD
>>650 「何もかも切り捨て―― 」
られませんでしたよね。
命は投げ出さなかった。
貴方の批判している「命を捨てない他の人」と、同じじゃないですか。
「釈迦が教団の最高齢―― 」
だったという話ではなく、耐力的に厳しいおトシだったのでは、と言いました。
「自分だけは大丈夫と思って―― 」
いたのでは?
「この茸を消化出来る人は、如来以外にいない」と仰ったのでしょう?
「消化」の定義によりますけれどね。
「ただのバカ―― 」
という事には、なりません。
毒力(=耐力)を精確に捉えるのは、至難の業なので。
あまり釈迦を、超能力的に崇拝しないほうが、宜しいかと。
656 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:16:53.39 ID:HPN1vi/t
>>655 > 命は投げ出さなかった。
いえ、二度投げ出しています。一度は苦行の末、悟りを得られるまで断食を続けると心に決め
(つまり断食して悟りを得られなければ死んでしまう。死ぬ覚悟が完全にできている)、その結果
ぶっ倒れて気絶していたところを、通りがかりの女性に救われたのです。(死ぬまで断食するというのは、インドの苦行の極地です。今でも理想とされています。)
そのまま気づかれなければ、死んでいたでしょう。しかしこの女性に救われたおかけで、苦行は無意味だと気づき、悟りを開くきっかけになるのです。
そして二度目は、菩提樹の木の下で悟った時です。これで目的は達成したから、このまま
座り続けて、このまま死のうと決心しています。しかしそれも他人によって妨げられてしまいました。
教えを説いて下さい、と妨げられなければ、そのまま死んでいたことでしょう。
> 貴方の批判している「命を捨てない他の人」と、同じじゃないですか。
>
> 「釈迦が教団の最高齢―― 」
>
> だったという話ではなく、耐力的に厳しいおトシだったのでは、と言いました。
>
> 「自分だけは大丈夫と思って―― 」
>
> いたのでは?
> 「この茸を消化出来る人は、如来以外にいない」と仰ったのでしょう?
>
> 「消化」の定義によりますけれどね。
>
> 「ただのバカ―― 」
>
> という事には、なりません。
> 毒力(=耐力)を精確に捉えるのは、至難の業なので。
>
> あまり釈迦を、超能力的に崇拝しないほうが、宜しいかと。
657 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:24:52.15 ID:QyMSOIjD
消化を、敢えて医学的な耐性力と解釈し、少しオカルティックな視点を、導入しましょう。 帝政ロシアを騒がせた、グレゴリーラスプーチンは、 青酸を料理に混入されても、何ともなかったらしいです。(「口が痺れる」と言っていたくらい) 釈迦の言う「天人にもいない」消化力を、ラスプーチンは持っていたという事でしょうか・・ ラスプーチンの場合、青酸が死因にならなかったそうなので、 釈迦よりも消化力は上と言えます。 ・・ただ、ラスプーチンが(齢)56、釈迦が79であった事を考えれば、 耐力差と解釈するべきか。
658 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 18:29:42.93 ID:HPN1vi/t
>>655 > 「自分だけは大丈夫と思って―― 」
> いたのでは?
> 「この茸を消化出来る人は、如来以外にいない」と仰ったのでしょう?
これはチュンダに気を使いつつ、他の人を助けるために言ったことに決まってるでしょう。
文脈から明らかです。まああなたが文字通り「過信」としか受け取れないなら仕方ないですが。
また、チュンダの事件の前に、私はいついつ入滅します、と予言をしています。
> 「ただのバカ―― 」
> という事には、なりません。
> 毒力(=耐力)を精確に捉えるのは、至難の業なので。
> あまり釈迦を、超能力的に崇拝しないほうが、宜しいかと。
何も超能力的なことではありません。毒キノコに関する知識があったというだけでしょう。
王子時代に、様々な高等教育を受けていますからね。アーユルヴェーダなどの医学・植物学
の知識も身につけていたはずです。
チュンダの施食に毒茸が入っていたのが見て分かったから、自分の分以外は捨てて埋めなさいと言い、
チュンダに恥をかかせず、かつ丁度自分の死期を定めていた時期だったために、丁度よい機会だったので
食べた、というだけの話です。超能力などどこにも必要ありません。
>>652 悟る、と言っても、悟りにも段階があるんだって。
預流向(よるこう)=苦を見つめるぞ、と腹を決める段階
-----------------------------------
預流果(よるか)=最初の気付き。大きくは108ある煩悩の内の、3煩悩が消える
1.有身見(うしんけん)←『「私」という独立した存在がある。』という錯覚のことを指す煩悩
2.疑(ぎ)←「疑」という煩悩が無くなるということは、「真理(諸行無常・諸法無我・因縁等)に
対しての疑いが無くなる。」という意味
3.戒禁取(かいごんじゅ)←しきたりや作法・儀式、苦行等に対してこだわりをもってしまう煩悩
一来向(いちらいこう)
一来果(いちらいか)=もう一度の「無我(私がいない)」という瞬間の訪れ。
2度目の内的体験。「貪欲(欲)・瞋恚(怒り)・愚痴(無知)」の
『三毒(三大煩悩)』それらが 弱 く なります
何かを死に物狂いで追いかけることもなく、誰かや何かに必死にしがみつくこともなく、
執拗に怒り続けることもなく、しつこく悲しみ続けることもなく、自分の「あり方」がハッキリしてくる。
煩悩が薄れるほど、自由になっていくことを実感しているので、自ずと修行(瞑想)も進みます。
不還向(ふげんこう)
不還果(ふげんか)=「一瞬の無我体験」をさらに上回る「圧倒的な禅定体験」 このレベルに達するには、瞑想を習熟して、自らの意志で 自由に「禅定」に入るだけの、心の落ち着きが必要 「預流果」で消えた煩悩に加え、「激しい欲」と「激しい怒り」が消える(のだそう 欲界への執着が消えました。それゆえ、死後は欲界(六道)のどこにも生まれ変わらない。 「欲界」に帰ることがなくなるので「不還(ふげん)」と呼ばれています。 梵天界への執着も「欲」と捉え、それすらも滅することに興味が向きます。その状態が「阿羅漢向」 阿羅漢向(あらかんこう) 阿羅漢果(あらかんか)=本当の意味での「悟り」。「仏陀」つまり「目覚めた者」の完成 「自己」がなく残るは「行為」だけ。不還果者同様、死後はフッと消えるだけ(だそうな …世俗で人に絡み絡まれて生きる人間には、不還以上の世界は縁遠い。
661 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 19:19:43.59 ID:EuYDX9Xv
>>647 >
>>644 > > ルールにしておけば? そんなルール勝手に作ったところで誰も守らないのでは?
>
> 守らない人は、悟っていないと見なして捨ててしまえばいいのです。
悟った人がそれを守るとは限らないと思うが?
> > >ですから、悟りを自称することも、逆に師となる人が「私は悟っていない」と言うことも禁止なのです。
> > 師となる人なら良い?
> > (ここは書き間違えてない?)
>
> 「悟っていない」と言うことが禁止、というのは、「悟っている」と言うことではありません。
>
> 悟っているとか悟っていないとか、そのような話には関わらない、ということです。
>
> 私が『「悟っている」と言ってはいけない』、と述べていることの意味は、『「悟っていない」と言え』、
> ということではないのです。
しかし「あなたは悟っていないのか?」と質問されて答えなければ結局は悟ったと
言っていることと同じになり何の意味もないと思うがなあ。
> > まあそうだろうな。釈迦も悟っていないと思った方が良いかも知れない。
>
> そう思っても構いませんよ。悟っていようと悟っていまいと、自分よりレベルの高い師を見つけて、師に並ぶまで
> 修行すればいいだけです。並んだ時に、もっと上があるのかないのか、自ずと分かります。
自分よりレベルの高い師かどうかは自分では見分けがつかないのでは?
とりあえず世間的に高いと思われている何者かに引き寄せられて行っちゃうだろうが、
それが本物である保証もなくそれを確認する方法もない。
662 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 19:21:14.50 ID:EuYDX9Xv
663 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 19:32:24.82 ID:EuYDX9Xv
>>659-660 その分類で行くとやはり完全に悟る前のサマーディと元に戻ることを繰り返している
状態を悟りに含めちゃってるようだね。結局のところ最後の阿羅漢果まで行かないと
元に戻っちゃう(行為者も居るように感じる普通の状態に戻る)わけだし。
664 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 19:37:03.26 ID:HPN1vi/t
>>661 > 悟った人がそれを守るとは限らないと思うが?
だから凡夫としては、悟った人に相応しい言動をしない人は、悟っていないとして
扱えばいいのです。
たとえば麻原彰晃は悟っていて、何か凡夫には理解できない深淵な理由があって
テロ事件を起こしたのだ、と強弁することだって可能でしょう。実際信者はそう信じてる人も
いるでしょうね。
しかしその言動を見て、偽物だと判断するのが正しいのです。偽物のふりしてるだけで本当は悟ってるかも?
そんなこと知ったことではありません。そんな存在はいりませんから、切って捨てればいいのです。
>しかし「あなたは悟っていないのか?」と質問されて答えなければ結局は悟ったと
>言っていることと同じになり何の意味もないと思うがなあ。
「悟ったと言っていることと同じ」になりませんよ。
> 自分よりレベルの高い師かどうかは自分では見分けがつかないのでは?
それくらいは見分けがつきます。
自分よりも落ちついているか、人格が優れているか、言動に気をつけているか、
知識が豊富か、一目瞭然です。
> とりあえず世間的に高いと思われている何者かに引き寄せられて行っちゃうだろうが、
> それが本物である保証もなくそれを確認する方法もない。
神秘的内容などに惑わされずに、その人の立ち居振る舞いを見れば、まず間違えることは
ありません。贅沢したりぶくぶく太ったり女を侍らせたり、そんな聖者はあり得ません。
>>662 あなたの知らない人です。
>>602 何も考えず自分に憐れみと余裕があれば与えれば良いのじゃ。
何が正しいのかと考えると、わからなくなるものじゃ。
観念でしかない正しさを求めればどこまでも果てが無いのじゃ。
自らの慈悲心に従うのじゃ。
慈悲によって行うのが善事なのじゃ。
>>608 迷信によるものとは明らかに違うものじゃ。
例えば家に宝石があれば、それが無くならないかとか、傷つかないかとか不安や恐れが湧く。
しかし、それが他人の物とわかればみはやそんな恐れや不安は無い。
同じように身体も我ではなく、我が物ではないと正しく気づいたならば、恐れは無くなる。
わしの書いた事は真実であるからもっともらしい発言であるとか心配せんでよいのじゃ。
すでに説明しておるが、理解出来ないならば三毒の1つ痴を去るべく修行すると良かろう。
わしは自ら悟りを得て感じる事を書いておるのじゃ。
それがなんとか教にいんすぱいあとか思うならば、おぬしの頭の中にそれがあるからじゃろう。
余計な知識を捨てて自ら試すという事すら出来ないのならば、お釈迦様が目の前に居ても気づかないじゃろう。
666 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/25(日) 19:51:51.69 ID:EuYDX9Xv
>>664 > だから凡夫としては、悟った人に相応しい言動をしない人は、悟っていないとして
> 扱えばいいのです。
悟っていないが悟っているかのように演じる人も居るよね?
> しかしその言動を見て、偽物だと判断するのが正しいのです。偽物のふりしてるだけで本当は悟ってるかも?
> そんなこと知ったことではありません。そんな存在はいりませんから、切って捨てればいいのです。
それは普通に法律で規制すればいいだけでは?
> 「悟ったと言っていることと同じ」になりませんよ。
少なくともそういう疑いは残る。答えていないんだからね。
> それくらいは見分けがつきます。
> 自分よりも落ちついているか、人格が優れているか、言動に気をつけているか、
> 知識が豊富か、一目瞭然です。
それではそのように演じる偽物を見抜けないのでは?
> 神秘的内容などに惑わされずに、その人の立ち居振る舞いを見れば、まず間違えることは
> ありません。贅沢したりぶくぶく太ったり女を侍らせたり、そんな聖者はあり得ません。
本当にそうかなあ?
少なくとも世間的な枠組みが一回外れた人だろうしね、そういう形で現れないとは断定できないと思うんだが。
まあ、世間的に価値がないと思われるような形で現れる方が多いような気はするがね。
>
>>662 > あなたの知らない人です。
それは有名ではない一般人だから名前書いてもわからないという意味?
>>610 既に存在の全てがわしの解脱を実証しておるのじゃ。
おぬしももし悟りを得たのならば、すべては実証されていたと気づくじゃろう。
わしの言葉を聞けば賢い者は自ら理解して迷いを去り、賢くなくとも心正しき者は自ら試して真実を知るじゃろう。
邪な心と痴を去る事の出来ない者は自ら惑い、迷いのうちにあるものじゃ。
それ故に真の目覚めた者に会っても理解出来ないのじゃ。
668 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 20:01:27.60 ID:8rnR8tP+
>>620 おぬしには対人恐怖があるようじゃのう。
そのために他人に会うと、自分を押し殺してまで他人に合わせてしまい、自分を無くしたような感じになるのじゃろう。
他人に嫌われたくない、他人に気に入られたいという要求から、よけいに合わせてしまうようじゃ。
先ずは数息観などをして心を落ち着ける事を学ぶが良い。
そして心の中に対人恐怖の原因を追求してみるのじゃ。
それは過去に他人から怖い目に会わされたからかもしれん。
あるいは親の教育に問題があったからかもしれん。
そのような原因を探してみるのじゃ。
>>638 無理に隠そうとすればそのように見分けがつかなくなるかもしれん。
しかし、悟った者がそのような意味の無い事をするとは思えんのう。
670 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 20:08:05.19 ID:HPN1vi/t
>>666 > 悟っていないが悟っているかのように演じる人も居るよね?
「私は悟っている」などと嘘を言わなければ問題ありません。
また、聖者を演じきれるものではありません。必ずボロが出るでしょう。
> それは普通に法律で規制すればいいだけでは?
だから戒律で禁止されています。悟っていないのに「私は悟っている」などと嘘をつくのは、教団を追放になる最大の
罪(大妄語戒違反)ですし、嘘をつくつもりはなくても、自分が悟ったと思い込んでいるだけって可能性もありますから、
公言することはないのです。
> > 「悟ったと言っていることと同じ」になりませんよ。
>
> 少なくともそういう疑いは残る。答えていないんだからね。
それは疑う方の問題なのだから、ほっとけばいい。答えていないことについて他人がどんな
憶測をしようと、そんなことまで責任は持てない。
> それではそのように演じる偽物を見抜けないのでは?
偽物がそのように完璧に演じられるものではありませんよ。そもそも、そこまで完全に自分を律する
ことができるなら、その人は悟っていますw 悟った状態とは、要は完璧に自己コントロールのできる状態なのだからね。
> 本当にそうかなあ? 少なくとも世間的な枠組みが一回外れた人だろうしね、そういう形で現れないとは断定できないと思うんだが。
だから何度も言うように、そのような「悟ってないふりをしてるだけで、本当は悟っているかも」なんて可能性は無視すればいいのです。模範にならない。そういうことをいちいち言い出したらキリがない。「凡夫は実はみんなもともと悟ってるかもしれない」なんて
バカみたいな話に拡大していくのです。大乗の中ではそういうこと言う人も多いですが、そんな教えは何の役にも立たない。成長の糧にならない。我々には何の役にも立たないのだから捨ててしまって、聖者らしい人だけ参考にすればいいのです。
> それは有名ではない一般人だから名前書いてもわからないという意味?
そうです。
671 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 20:21:32.30 ID:HPN1vi/t
>>667 あなたは、自分自身の妄想と事実をどう区別していますか?
「すべては実証されていたと気づく」ことが、悟った根拠?
それが妄想ではないという根拠は何?
あなたが悟っていることを「実証」しているものなど、残念ながら何一つありませんよw
>>671 例えばこのスレが相談のスレと気づくのが事実じゃ。
そこに相談でもない事をえんえんと書き込む者は妄想を抱いていると言えよう。
わしも慈悲の故に答えて居るが、おぬしもそろそろ妄想から覚めた方が良いのではなかろうかのう。
悟った事に根拠があるとすればおぬし自身が自ら悟りを得て、確かめるしかないのじゃ。
おぬし自身が確かめる事じゃ。
例えば大学生が高等数学の証明をしたが、小学生には理解できなかったからといって、証明をしなかった事になるじゃろうか?
そのようにおぬしが理解できなかったからと言って実証が無い事にはならんのじゃ。
わしはすでに悟りを得て人々に教えを説き、それを自ら行って心安らぎ、苦を滅した者も居る。
賢い者は未だ悟りを得なくとも、目覚めた者の言葉が正しいと、自らの行いで証明できるものじゃ。
673 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 21:03:08.21 ID:HPN1vi/t
>>672 >
>>671 例えばこのスレが相談のスレと気づくのが事実じゃ。
> そこに相談でもない事をえんえんと書き込む者は妄想を抱いていると言えよう。
悟りに関する相談に答えているのだが?
あなたは、自分にとって答えやすい自分の好む相談しか相談と認められないのかな?
エゴと妄想がまだまだ強すぎますよ。もっとちゃんと修行に励みなさい。怠けすぎ。
> わしも慈悲の故に答えて居るが、おぬしもそろそろ妄想から覚めた方が良いのではなかろうかのう。
私が一体何の妄想に囚われていると言うのか?具体的に言ってみなさい。
> 悟った事に根拠があるとすればおぬし自身が自ら悟りを得て、確かめるしかないのじゃ。
> おぬし自身が確かめる事じゃ。
では私が、「私は悟っている。自ら悟りを得て確かめた結果、鬼和尚は大嘘つきだ」と言ったらどうする?
> 例えば大学生が高等数学の証明をしたが、小学生には理解できなかったからといって、証明をしなかった事になるじゃろうか?
> そのようにおぬしが理解できなかったからと言って実証が無い事にはならんのじゃ。
あのなあ。高等数学の証明だろうと最新物理理論だろうと、懇切丁寧に一ステップずつ教えれば、小学生にだって
理解できるのだよ。それが論理というものだ。
しかしあなたの言う「実証」とはそのようなものではない。
「おぬし自身が自ら悟りを得て、確かめるしかないのじゃ」などと言っているように、カルトの詐欺論法と全く同じなのだ。
釈尊はそのようないい加減な嘘は全く言っていない。小学生にも分かるようにきちんと一ステップずつ教えているのだ。
> わしはすでに悟りを得て人々に教えを説き、それを自ら行って心安らぎ、苦を滅した者も居る。
> 賢い者は未だ悟りを得なくとも、目覚めた者の言葉が正しいと、自らの行いで証明できるものじゃ。
それが全てあなたの妄想でないという根拠は何だ?その質問にあなたはまだ答えていない。「悟れば分かる」と無責任なことを言うが、
私があなたに同意したとして、二人とも妄想に陥っているだけという可能性を否定できまい。オウムの信者たちのように。あなたの原理的な欠陥はここにあるのだよ。あなたはまだ悟りの初歩の初歩にも至っていない。
674 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 21:20:21.53 ID:fCmFhc+9
>>672 前にも2ちゃんでお前みたいなのを相手した覚えがある
その人間が悟っているかを証明するなら自分自身が悟りの境地に行くしか方法が無いとか云々
そいつが言うにはそもそも悟りの目的ってのが「知恵」を産むためらしい
正しい倫理観に基づいた合理性とかいうことだと思うけどさ
そいつはニュアンスの違いにこだわってあーだこーだ言ってたけどさ
そいつにも言ったと思うが、知恵があるなら凡人の俺でも君が「悟りの境地」
に居ることを確認出来る手段っていうかな
そういったアイデアくらい出ないもんかね?
知恵が出ないかい?w
論理的に考えるなら逆説的に「知恵が出ない」=「悟ってはいない」
と見なされてもしょうがないわけだが
それは俺の個人的見解ではなく事実的なことだぞ?w
誤解しないで欲しいが俺は君を理解してあげたい気持ちでいっぱいなんだが
俺が努力するしかないわけか? めんどくさいなw
675 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 21:30:09.40 ID:XMR4k3R3
>>673 あなたが悟ってると嘯いても認めてもらえないんじゃないかな。
少なくとも一連のやり取りをみる限り、俺はそう思う。
俺は二年ほど鬼和尚の話を聞いてきたが、鬼和尚が悟ってるかどうかは半信半疑ってところ。
だけど、悟ってるかなんかよりも、鬼和尚の言葉には納得できることが多いし、
自分の成長に凄く役立ったよ。
俺は悟りの境地や覚者の存在を願う立場だけど、
今は確認できなくても良い。
自分の心に響き、役立つ言葉を求め、
それを取り入れたいからね。
そんなこといってたら釈尊にだって「それは妄想だろ」というしかないだろ。 もしいえないとしたら、釈尊にいえて、鬼和尚にいえない理由は何かな?
あ 逆だな
678 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 21:47:00.91 ID:HPN1vi/t
>>676 釈尊の教えは、鬼和尚のデタラメとは真逆だからね。
また釈尊は「悟った事に根拠があるとすればおぬし自身が自ら悟りを得て、確かめるしかないのじゃ。」
などという無責任でいい加減なことも言わない。ちゃんと誰にでも分かる論理的な言葉だけで
教えを説いている。大乗信者は自ら経典を読まず、勝手な思い込みで自己流の滅茶苦茶な修行をしたり
自己流のいい加減な教えを説いたりするから、その本来の意味が全く分からなくなってしまっているのだ。
679 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 21:54:55.12 ID:HPN1vi/t
>>675 > あなたが悟ってると嘯いても認めてもらえないんじゃないかな。
だから私は自らそのようなことは言わないよ。認めてもらおうなどとも思っていないしね。
「認めてもらいたい」などという欲にとたわれている人は、それだけで悟っていない証拠なのだ。
> 自分の心に響き、役立つ言葉を求め、
> それを取り入れたいからね。
それならば他人に頼るのは止め、自ら経典を読み、自ら確かめなさい。
鬼和尚とかかわっていても、無駄に時間を浪費するだけだ。瞑想の仕方すら知らず、
数息観などというヨーガ由来のデタラメな方法(釈尊は数息観など教えていない)を
指導しているようだが、愚かなことだ。
釈尊って誰にでもわかる論理的な言葉で悟りに至る方法を説いてたっけ。 じゃあ、どうして仏教信者とそうでないひとがいるんだ。非仏教信者は 論理がわからないバカばっかしってこと?
681 :
泥団 :2012/03/25(日) 21:56:26.45 ID:VlH+EwU5
真剣に困って相談にきてる人そっちのけでその人のレスが埋もれちゃうほど 自我主張や他者批判だけに特化したオナニーレスが満載なのが問題なのよね。 それもただ「他人のしてることが俺の気にいらない」っていう理由だけで。 だけど、それもまたあるべくしてあるのね。w
682 :
泥団 :2012/03/25(日) 21:59:53.90 ID:VlH+EwU5
>>665 ああ、そうでした。
観念と思考に頼ることを手放してみます。
683 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 22:11:38.64 ID:HPN1vi/t
>>680 現代語訳がほとんど存在しないからね。スッタニパータとダンマパダと、あといくつかの
断片くらいしか現代語訳がないからね。
サンスクリット語とパーリ語を学んで原文で読むのが理想だが、幸い英語訳の文献
ならたくさんあるので、英語で読めばいい。
684 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 22:21:17.36 ID:HPN1vi/t
ちなみにスッタニパータやダンマパダも、大乗用語の特殊な概念に引っ張られて、 日本語訳では意味不明なところが多い。 しかし英語だと、同じインド・ヨーロッパ語族の言語だけに、翻訳がしやすく、意味も 明快だ。「空」というのも、実在論云々の議論の話ではなく、単に「空虚なこと、虚しいこと」と いう意味なのです。
じゃあ 英語で読んだひとは全員仏教信者になるわけか。 現実はそうなってないのはどうしてかなあ。
686 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 23:05:57.70 ID:HPN1vi/t
>>685 もともと仏教に関心が高い人でなければ読まないでしょ。
しかし読んだ人はほぼ誰でも感銘を受けると思うね。
いやいや、釈尊が悟ってるってことは、経典を読めばわかるっていってるんでしょ。 どこを読めばそれがわかるの? 俺も明日から同じこというから、教えて欲しい。
688 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/25(日) 23:33:20.40 ID:HPN1vi/t
>>687 >釈尊が悟ってるってことは、経典を読めばわかるっていってるんでしょ。
何か誤解してるな。釈尊の教えの内容を理解することを「悟り」と言うのだよ。
689 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 00:29:06.41 ID:hLgBpBBl
理解というのも要するに理を解することであって悟りが無きゃ 本来出来ないものらしいな 昔、胡散臭いやつが言ってた
>>605 さまへ。
あ、肩甲骨てゆうほうが、正しいかも... ありがとうございます。肩甲骨、ひらくよせる、
くりかえす。前かがみになっちゃだめだよ... 反るのもだめ。まるめんの、筒みたいに...
タイヤみたいには、だめだからね... 背中ひらくの、腕、前ん伸ばすと、効きいいかな...
> 釈尊の教えの内容を理解することを「悟り」 理解というと「頭」だけが知るっていうニュアンスでなんかしっくりこない。 自転車こぐ事を体得したら、もうその運転方法は手足連動の説明でなく、 それは本人と一体になり溶け込んでいる状態。 そして、いったんこげる様になったら、以前のこげない状態には戻らない。
>>679 自分が疑われる事も当然、承知の上でしょうね?
鬼和尚も疑わしいけど、あなたも充分に疑わしいというのが私の意見。
経典が正しい証拠がどこにあるの?あなたの言ってることが妄想でない証拠がどこにあるの?
今まで一度たりとも納得のいく詳細かつ丁寧な説明が出てきてませんよ。
色んな人がスレを読んでるんだから、自分なりに仏法を学んで何かを掴んでるなら
小学生にもわかるように詳しく丁寧に説明をして頂きたいものですな。
釈尊が経典を読めと?本当に釈尊がそんな事を言ってたと、あなたはどう証明するのですか?
で、その経典とやらが真理を語ってる確証は?なぜに経典至上主義?経典そのものがウソかもしれないでしょ?
あなたの推奨する瞑想法がどうして正しいと自信満々に言えるの?
ずいぶん釈尊を理解しているような口ぶりだけど、それを信用する理由が見当たらないよ。
あなたの言説に関わって時間が無駄でないという確証もまた疑わしい。
仏法を学んで色々書くのは結構だけど、全体的に不親切感が強いんですよ。
正直な意見です。わざと悪く言いたいわけじゃない。
>>688 僧侶や仏教学者はみんな悟ってるのかな
それともだれも理解してないのか
694 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 01:48:53.80 ID:mMpSoceE
>>692 > 鬼和尚も疑わしいけど、あなたも充分に疑わしいというのが私の意見。
それでいいのです。誰が言ったことであっても、正しいか間違っているかは経典を参照して
判断しなければならないのです。
> 色んな人がスレを読んでるんだから、自分なりに仏法を学んで何かを掴んでるなら
> 小学生にもわかるように詳しく丁寧に説明をして頂きたいものですな。
具体的に聞かれたら答えますよ。相手の理解度に合わせてね。
> 釈尊が経典を読めと?本当に釈尊がそんな事を言ってたと、あなたはどう証明するのですか?
経典に書いてあります。
> で、その経典とやらが真理を語ってる確証は?なぜに経典至上主義?経典そのものがウソかもしれないでしょ?
経典そのものがウソとはどういう意味ですか?釈尊の教えではなく、誰かが捏造した可能性の
ことですか?それはもちろん慎重に検討しなければいけないことです。中国で捏造された
ことが明らかな偽経は当然排除すべきですし、古いパーリ語の経典でも、後世に混入した土着の信仰や迷信などは、慎重に取り除かなければなりません。ですから文献学的研究が行われているのです。
> あなたの推奨する瞑想法がどうして正しいと自信満々に言えるの?
私が推奨する瞑想法ではなく、釈尊が説いた瞑想法の話です。
> ずいぶん釈尊を理解しているような口ぶりだけど、それを信用する理由が見当たらないよ。 あなたの言説に関わって時間が無駄でないという確証もまた疑わしい。
だからご自分で経典を学んで下さい。
一般の大乗信者は経典を軽視し過ぎています。不立文字、只管打坐と言われる禅の影響なのかも
しれませんが、経典を読まなくていいと勘違いしている人が多い。しかし禅の総本山の永平寺でも、実はしっかり経典を読み学んでいるんですよ。
ちゃんと経典の講義があるのです。ただ座禅ばかりしてると思っている人が多いですが、大体ですが、早朝1時間、お昼前1時間、午後2時間、夜2時間の、一日にたった6時間座禅してるだけです。それ以外の時間は作務をしたり経典を勉強したりしています。
仏教を学んで修行をし、悟りを開きたいなら、経典を学ばなければ始まりません。単に瞑想だけしてればいいというものではありません。
695 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 02:00:44.93 ID:mMpSoceE
>>691 >>693 もちろん知識として吸収するだけではダメで、ちゃんと理解し煩悩を捨てて解脱しなければなりません。
ウダヤさんがたずねた、
「瞑想に入って坐し、塵垢を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた(師)におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、正しい理解による解脱、を説いてください。」
師(ブッダ)は答えた、
「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、
平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
2ちゃんやってることは煩悩に含まれないようだね
鬼和尚さん 慈悲の心を教えてください。 私が人に優しくする理由は、人に好かれたい気持ちがあります。 好かれることで私は存在価値があると喜び、 逆に嫌われると私は存在価値がないと苦しみます。 いつもどうすれば好かれるのか悩み、人の目を気にして行動してます。 この苦しみをなくし、慈悲の心で人に優しくしたいです。
698 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 09:37:17.12 ID:Owp793w6
>>670 >「私は悟っている」などと嘘を言わなければ問題ありません。
>また、聖者を演じきれるものではありません。必ずボロが出るでしょう。
そうかなあ? 騙す相手はいわゆる凡夫だから、あっさり騙されるのでは?
というか簡単に騙せちゃうから現状がこんな感じなんじゃないかと思うが。
>だから戒律で禁止されています。悟っていないのに「私は悟っている」などと嘘をつくのは、教団を追放になる最大の
>罪(大妄語戒違反)ですし、嘘をつくつもりはなくても、自分が悟ったと思い込んでいるだけって可能性もありますから、
>公言することはないのです。
いや、オウムみたいなのは普通に国の法律に引っかかることをしたわけで、それで普通に取り締まれば
よかったわけで、そして実際にそうなった(当時の警察や公安の連携が悪くて手間取ったというのはあったが)。
もうあそこまで行っちゃうと戒律がどうのとかそういう内輪の話のレベルじゃないわけだが。
>それは疑う方の問題なのだから、ほっとけばいい。答えていないことについて他人がどんな
>憶測をしようと、そんなことまで責任は持てない。
惑わすことには変わりないのでは?
>偽物がそのように完璧に演じられるものではありませんよ。そもそも、そこまで完全に自分を律する
>ことができるなら、その人は悟っていますw 悟った状態とは、要は完璧に自己コントロールのできる状態なのだからね。
いや、単にコントロール出来るだけなら抑圧しているだけかも知れず、ある日突然おかしくなるかも知れないと思うが?
>だから何度も言うように、そのような「悟ってないふりをしてるだけで、本当は悟っているかも」なんて可能性は無視すればいいのです。模範にならない。そういうことをいちいち言い出したらキリがない。「凡夫は実はみんなもともと悟ってるかもしれない」なんて
>バカみたいな話に拡大していくのです。大乗の中ではそういうこと言う人も多いですが、そんな教えは何の役にも立たない。成長の糧にならない。我々には何の役にも立たないのだから捨ててしまって、聖者らしい人だけ参考にすればいいのです。
糧にならない? それは見ている側の問題だよね。
何も見ようとしないなら目の前に釈迦が居ても何の足しにもならないだろうね。
699 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 09:40:27.00 ID:Owp793w6
>>621 > その言葉が正しいかどうかは、経典を参照しなさい。
ところでその表現は本当にそうだったの?
確か経典は釈迦の死後に作られたと思うんだけど、違ったっけ?
それとも死後に作られることを釈迦は予め知っていたということ?
700 :
312 :2012/03/26(月) 10:21:47.20 ID:QRGFbSLe
しかし鬼和尚は刹那滅の世界に生きているのですよね?
701 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 11:01:57.25 ID:Cwunwl/U
>>688 その表現だと単に勉強して知識として覚えて理解するだけのような印象を受けるな。
悟りそのものは仏教に関係なく、また経典の有無も関係なく、更に修行の有無にも
関係なく起こるときは起こるだろう。でなければ釈迦は悟れていない筈だ。
>>695 仏教を専門的に勉強しているひとたちがだれも理解してないのなら、
>>678 >ちゃんと誰にでも分かる論理的な言葉だけで教えを説いている。
は、間違ってるね。誰にでも理解できるものではないんだから。
703 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 14:42:11.12 ID:IY3luSYg
>>658 「予言―― 」
とか、そういったオカルトを真に受けないほうがいいと思いますよ。
どこに書いてありました?
毒キノコ事件が(元々)予言とセットに紹介されているなら、事件全体がやや真に受けられないものとなりますね・・
「毒キノコに関する知識―― 」
だけでは、精確な毒力と耐力を判断するのは、難しいと思いますよ。
見極めには超能力が必要となります。
自殺目的で「イチコロ」と判る物であれば、超能力は要りませんが、そういう話はしていないので、勝手に変えないで下さいね。(争論しない)
704 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 14:50:03.41 ID:IY3luSYg
>>656 「死ぬまで断食するというのは、インドの苦行の極地です。今でも理想と―― 」
しないで下さい。
なんで釈迦が否定した苦行主義に戻っちゃってるの??
過去に苦行で命を落とした者や、かつて命を落としそうになった自分自身を、釈迦は否定していませんでしたっけ??
それに苦行時代は(釈迦は)まだ覚りを開いていなかったのですから、
「覚れば命も投げ出せるようになる」という論理には、使えないと思うのですが・・
35で覚りを開いた時、「死のう」と思った事については、全ての状況を整えるのに44年を掛けたのですから、
結局最初に私の申し上げた、「容易に状況は整えられません」に、帰結するのでは。
705 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 15:11:40.17 ID:mMpSoceE
>>698 > そうかなあ? 騙す相手はいわゆる凡夫だから、あっさり騙されるのでは?
> というか簡単に騙せちゃうから現状がこんな感じなんじゃないかと思うが。
経典を読まず、聖者がどういう者か理解していないから、あっさり騙されるのです。
戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、心が清らかな者、
そのような人物がカルト宗教の教祖などにいるでしょうか?皆真逆でしょう。
そういう観点で人を見ず、超能力のようなことをやってみせるとか、カリスマを感じるとか、
さも悟り切った風な調子で偉そうに語るとか、そういうところで信じるから騙されるのです。
> いや、オウムみたいなのは普通に国の法律に引っかかることをしたわけで、それで普通に取り締まれば
> よかったわけで
違法行為を始める前は? また、目立った違法行為はしていないカルトはたくさんありますよ。
>惑わすことには変わりないのでは?
勝手に思い込むのと、惑わすのとは違いますよ。
自分が参考にしようとしていた修行者が「わしは悟ったのじゃ」などと言い出した場合、
本当か嘘か深刻な問題になるからです。本物でない限り嘘であり大罪なので、そんな
嘘つきから学ぶわけにはいかないからです。騙されますから。そして嘘つきである確率は
極めて高い。世のカルト教祖なんてみんな「わしは悟ったのじゃ」などと言いますから。
しかしそういうことを言わない人からは、冷静に懐疑的な見方も交えながら、教えを学ぶ
ことができるのです。
> いや、単にコントロール出来るだけなら抑圧しているだけかも知れず、ある日突然おかしくなるかも知れないと思うが?
抑圧して我慢してるだけなのか、煩悩を捨てた生活を心から楽しんでいるのかは、顔を見れば分かりますよ。
そもそもそれ以前に、偽物はそんなコントロールをしようともしませんしちょっとした抑圧にも耐えられないのですぐにボロがでます。
706 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 15:12:26.22 ID:mMpSoceE
> 糧にならない? それは見ている側の問題だよね。 > 何も見ようとしないなら目の前に釈迦が居ても何の足しにもならないだろうね。 釈迦や比丘が蓄財して贅沢をしたり女を侍らせて遊んだり長時間寝て怠けたり暴飲暴食したりすれば、人々は誰も尊敬しないし何も学ばないでしょう。 何の足しにもなりません。
707 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 15:26:03.89 ID:mMpSoceE
>>698 > 糧にならない? それは見ている側の問題だよね。
> 何も見ようとしないなら目の前に釈迦が居ても何の足しにもならないだろうね。
釈迦や比丘が蓄財して贅沢をしたり女を侍らせて遊んだり長時間寝て怠けたり暴飲暴食したりすれば、人々は誰も尊敬しないし何も学ばないでしょう。
何の足しにもなりません。だから釈迦はそのようには振る舞いませんし、教団全体が信用を失っては意味がないので、比丘にも戒律を定めてきちんとした
振る舞いをするように教えたのです。そして心が本当に清らかでなければ、守り切れるものではありません。カルト教祖が自分は釈迦の生まれ変わりだ
などと言って釈迦の真似をしようとしても無理です。
>>699 >> その言葉が正しいかどうかは、経典を参照しなさい。
> 確か経典は釈迦の死後に作られたと思うんだけど、違ったっけ?
生前から作られたのもありますし、死後に作られたものもあります。
(編集したのは死後の仏典結集の時ですが)。
生前の釈迦を知っている人、直弟子などが伝えたものは、信用してよいでしょうし、実際のどの経典の
どの部分がいつの時代の成立かは、文献学的研究によってある程度分かってきています。
それに論理的にも当たり前なことです。釈尊の思想を知るには、経典を学ぶ以外に
方法がないでしょう。ただ瞑想しているだけで分かると思い込むことがおかしいのです。
>>701 >でなければ釈迦は悟れていない筈だ。
釈迦は自分自身でメカニズムと理論を考えて理解しましたから。
アインシュタインが相対性理論を考えたのと同じです。我々が勉強する時は教科書で勉強
するでしょう。何もないところから考えるのは大変ですし、よほど天才じゃないと無理です。
瞑想だけしてればいいと思ってる人は、瞑想してるだけで相対性理論が分かると思い込んでる
ようなものです。ナンセンスです。
708 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 15:43:48.09 ID:mMpSoceE
>>701 >その表現だと単に勉強して知識として覚えて理解するだけのような印象を受けるな。
その通りですよ。
「愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、
平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
この「真理に関する思索」を正しく自分で考えられる天才は、釈迦のように独りで悟れるでしょうが、凡夫には普通は
そこまでの才能はないので、経典で学んで「真理に関する思索」を正しいプロセスで追わない限り、理解するのは
無理です。だから、瞑想しているだけで悟れるなどということは、到底望めません。
>>702 仏教を専門的に勉強しているひとたちがだれも理解してないと、何を根拠に言っているのですか?
欧米にはたくさんいますし、日本にも、増谷文雄先生とか中村元先生とか、正しく理解していた
人たちはイますよ。(残念ながら両人ともお亡くなりになっていますが)
>>703 > 「予言―― 」
> とか、そういったオカルトを真に受けないほうがいいと思いますよ。
別にオカルトではありません。私の祖父も晩年、一ヶ月後の自分の死を予言して、
その間に身辺整理などをして、予言した通りの丁度その日に息を引き取りました。老衰です。生前お世話になっていた人に、手紙を出していて、いついつ自分は死ぬから今礼を言う、と書いていました。
手紙を貰った人は皆驚いていましたが、変わった人ではあったが正直で真面目な人だったので、誰も疑う人はいませんでしたね。
超能力でもオカルトでもなく、精神の鍛えられている人はこれくらいのことは普通にできますし、珍しい話ではありません。自分の生命力を自分である程度コントロールできるのでしょう。
まあ予言=オカルトと思うなら、予言というより告知と言った方が言いかもね。
> どこに書いてありました?
経典に書いてあります。
709 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 15:52:54.46 ID:mMpSoceE
>>703 > 自殺目的で「イチコロ」と判る物であれば、超能力は要りませんが、そういう話はしていないので、勝手に変えないで下さいね。(争論しない)
いえ、あなたが勝手に超能力と決めつけているだけで、私は最初から、毒キノコの知識
だと思ってますし、「精確な毒力と耐力を判断」などしていないと思っています。
なぜあなたが、「超能力」だとか「精確な毒力と耐力を判断」したと思い込んでおられるのか分かりませんが。
>>704 > 「死ぬまで断食するというのは、インドの苦行の極地です。今でも理想と―― 」
> しないで下さい。
> なんで釈迦が否定した苦行主義に戻っちゃってるの??
インドでは仏教が廃れて滅びましたから。今は復興運動が行われてはいますが。
インドへ行くと、今でも苦行をしている人はたくさんいますよ。
> それに苦行時代は(釈迦は)まだ覚りを開いていなかったのですから、
> 「覚れば命も投げ出せるようになる」という論理には、使えないと思うのですが・・
そういう意味で言っているのではなく、命を投げ出すことなど悟るまでもない、ということです。
苦行者もイスラム過激派も命を投げ出しますよ。
チベットでも、僧侶の焼身自殺が相次いでいます。
> 35で覚りを開いた時、「死のう」と思った事については、全ての状況を整えるのに44年を掛けたのですから、
> 結局最初に私の申し上げた、「容易に状況は整えられません」に、帰結するのでは。
釈迦には仏教を起こす使命がありましたからね。しかしそれは既に達成されたのだから、
現在の覚者に、そのような義務はありません。
> 釈迦には仏教を起こす使命 使命って釈迦は「誰」かに言われたからこの世に降りてきたってこと?
711 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 16:07:31.20 ID:mMpSoceE
>>710 いえ、菩提樹の木の下で悟った直後は、そのまま死ぬつもりでしたが、
世間の人々に法を説いて導いて下さいと頼まれたので、仏教を世に伝える
決心をしたということです。
悟ってから、きのこ鍋でうっかり(?)死ぬまでの44年間も教団を率いて… じゃないな、弟子たちに請われてこのよに留まって、釈迦はそこまで生きたのなら もうちょっと存在しても良かったのに。 この世に居る、去る、の天秤が「この世を去る」方にガックリ傾いたのって、 どんな干満が釈迦の中に起こってたんでしょうね。こういう想像って不敬にあたる?w
713 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 16:33:03.85 ID:mMpSoceE
>>712 説くべき法を全て説き尽くし、安定して仏教が継承されていくための基盤が完成したということでしょう。そう釈迦自身が経典内で説明しています。
釈迦の最後の言葉です。
「この修行僧たちには、仏陀に関し、法に関し、教団に関し、あるいは悟りに関し、修行の方法に関して、
一人の修行僧にも、疑いもなく迷いもない」と正しい知恵によって知っている。 ここにいる五百人の修行僧のうち、
最下の修行僧ですらも、修行の初期段階である預流果(よるか)の悟りに達している。
それゆえ、再び仏教の修行から離れることがないように決定(けつじょう)している。
そして彼らは最後には必ず正しい悟りに達するのである。」
「いざ、修行僧たちよ、汝らに告げよう。
もろもろの存在は変化する性質のものである。
諸行は無常である。 怠らず修行せよ。」
>どんな干満が釈迦の中に起こってたんでしょうね。こういう想像って不敬にあたる?w
仏教に不敬なんてことはありませんよ。誹法や大妄語戒のような罪さえ犯さなければ大丈夫です。
>>709 >仏教を専門的に勉強しているひとたちがだれも理解してないと、何を根拠に
>言っているのですか?
>欧米にはたくさんいますし、日本にも、増谷文雄先生とか中村元先生とか、
>正しく理解していた人たちはイますよ
>>688 >何か誤解してるな。釈尊の教えの内容を理解することを「悟り」と言うのだよ。
別の人なの? 内容理解したら悟りなら、増谷、中村や欧米のひとは悟ってるの?
仏教は、釈尊が「こんな難しい教えは誰にも理解出来ない」と一度は諦めた教え
なんだよ。理解するのがそんな簡単なわけないじゃん。
715 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 18:32:55.48 ID:eaSRfSE/
釈迦が教えの基盤を築いたから、釈迦以降の覚者はこの世に留まる必要はない、 と言うのは違和感を覚えるのだが。 だって世界中の人が経典の元の言語を習得して仏法を学ぶなんて無理でしょ。 諸行無常なら、その時代の価値観や言葉を持ち出しながら、 万人に悟りへの道を教える必要があるでしょ。 そこで鬼和尚さんへ率直な質問です。 あなたは何故、この世に留まり、この世へアプローチするのでしょうか? 生命の本質が、慈悲や愛だからなのですか? 覚者はそうするのが当たり前なのでしょうか?
>>673 その言葉が悟りに関する相談への答えと言うのかのう。
わしは相談などしておらんし、それに答えているとおぬしが思うならば明らかに妄想じゃのう。
おぬしは相談でもない事を相談と思う妄想に囚われ、それに答えていると言う妄想を抱いておる。
おぬしが嘘をつこうとわしはどうもしない。
お釈迦様は地獄に行くとか言っているが、知りながら地獄へ行くのもおぬしの自由じゃ。
おぬしも一ステップずつ修行すれば理解できると言うのじゃな。
励むが良い。
おぬしの修行が正しければいずれわしの正しさがわかるというものじゃ。
これは相談ではない故におぬしの答えは要らないのじゃ。
と書いても答えるじゃろうが相談ではない事にもはやレスはしないのじゃ。
717 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:02:29.48 ID:mMpSoceE
>>714 >内容理解したら悟りなら、増谷、中村や欧米のひとは悟ってるの?
悟ってるかも知れませんね。
釈尊の時代も、説法を一度聞いただけで悟った人はたくさんいましたし、
釈迦が亡くなる時は500人の弟子全員が悟ってました。
「ここにいる五百人の修行僧のうち、
最下の修行僧ですらも、修行の初期段階である預流果(よるか)の悟りに達している。」
> 仏教は、釈尊が「こんな難しい教えは誰にも理解出来ない」と一度は諦めた教え
> なんだよ。理解するのがそんな簡単なわけないじゃん。
それを釈尊が分かりやすく解説してくれましたからね。独力で到達できるほど簡単ではないが、努力しても
理解できないほど難しくもない。
>>715 > 釈迦が教えの基盤を築いたから、釈迦以降の覚者はこの世に留まる必要はない、と言うのは違和感を覚えるのだが。
そうは言ってませんよ。経典を分かりやすく現代日本語に翻訳するなど、やるべきことはまだたくさんあります。
しかし経典を教えず、ただ瞑想しなさいと言うだけの自称覚者は偽物です。
瞑想だけで悟れるはずはないし、瞑想で悟れるのなら、釈尊もただ瞑想しなさい
とだけ言えばよかったはずで、膨大な量の種々の教えを説くはずはありません。
> だって世界中の人が経典の元の言語を習得して仏法を学ぶなんて無理でしょ。
> 諸行無常なら、その時代の価値観や言葉を持ち出しながら、万人に悟りへの道を教える必要があるでしょ。
だからそれを翻訳し、正しく伝えるのが覚者の仕事です。
少なくとも中国の僧まではそういうことをしていました。サンスクリット語やパーリ語から
漢語に翻訳していました。しかし仏教が日本へ来てからは、そのような努力を一切止めてしまったのです。
718 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:11:27.01 ID:mMpSoceE
>>716 > わしは相談などしておらんし、それに答えているとおぬしが思うならば明らかに妄想じゃのう。
あなたの相談など受けていないよw 自意識過剰ですね。
悟りに関心があって質問してる人に、間違ったことを答えている危険人物がいるから、
質問者が惑わされないように、気をつけるように注意しているのだ。
> おぬしが嘘をつこうとわしはどうもしない。
> お釈迦様は地獄に行くとか言っているが、知りながら地獄へ行くのもおぬしの自由じゃ。
> おぬしも一ステップずつ修行すれば理解できると言うのじゃな。
> 励むが良い。
> おぬしの修行が正しければいずれわしの正しさがわかるというものじゃ。
傲慢な口を閉ざせ。全てはお前自身に反る。
「バラモンよ、そなたの家にも、時には友達や親戚など、客が来訪するであろうか。」
「そうだとも、ゴータマ(瞿曇)よ、わが家にも、時には友達や親戚など、客の来訪があるよ。」
「ではバラモンよ、そんなときには色々とご馳走を出すこともあるであろうか。」
「そうだとも、ゴータマよ、そんな時にはむろんご馳走を出す事もあるよ。」
「だがバラモンよ、その時もし彼らがそのご馳走を頂戴しなかったならば、それはどういう事になるであろうか。」
「ゴータマよ、もしお客様が食べて下さらなかったら、それはまた自分のものになるより他はない。」
「バラモンよ、それと同じ事である。 今そなたは私の前に罵詈雑言を並べた。
だが、私はそれを頂戴しない。 だから、バラモンよ、それはまた自分のものになるより他はあるまい。
バラモンよ、もし誹謗するものを誹謗仕返し、罵詈するものを罵詈仕返えすならば、それは主と客が共に食い、共に歓を交わすというものである。
だがバラモンよ、私はそなたと共に食せず、共に歓を交わさない。
だから、バラモンよ、これはそなたのものである。バラモンよ、これはそなたのものである。」
719 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:15:31.29 ID:mMpSoceE
>>717 言葉足らずのところがあったので訂正
独力で到達できるほど簡単ではないが、努力しても理解できないほど難しくもない。
↓
独力で到達できるほど簡単ではないが、釈尊の教えを学んで努力しても理解できないほど難しくもない。
>悟ってるかも知れませんね。 なにそれ。「わしは悟っておる」という人にはいんちき、でたらめといっておいて そうでないひとには悟ってるかもしれませんねじゃあ、単純に逆を言ってるだけじゃん。 釈尊も自分は悟ってるっていってたんだから、いんちき、でたらめでない可能性は まったくないとはいえないわけでしょ。経典で「誰にでもわかりやすく論理的に説明」 されてるからいんちきじゃないっていうなら、経典と同じように暗記して説明できれば 釈尊と区別がつかないことになる。 世の中には悟ってると自称するいんちきなひとはたくさんいるけど、それを見分ける 方法はないよ。なにもかも疑ってかかるしかない。あなたが「悟ってるかもしれませんね」 という見方を、悟りを自称するひとにも同じように向けるしかないと思うよ。
>>674 例えば料理のレシピを教えられ、それが本当に美味いか知るには実際に作って食べてみるしかなかろう。
或いは泳ぎ方を習ってもそれで本当に泳げるか知るには、実際に泳いで見るしかなかろう。
料理評論家が美味いと言ったとか、誰かがその泳ぎで海峡を渡ったとか聞いても自分で味わい、泳いでみなければ実際にはわからんじゃろう。
先ずは数息観などを行ってみるのじゃ。
そして苦を滅する法を試すのじゃ。
おぬしにも何か苦はあるじゃろう。
その苦は滅する事ができるとお釈迦様は教えた。
観察する事によって苦が滅する事を、おぬしも味わう事で目覚めた者の法が実際に働く事を知るじゃろう。
例えばかつて医者の無い村に来た医者がさまざまな処方箋で人を癒したが、居なくなって処方箋がわからなくなったとしよう。
村人は風邪の薬を腰の痛みに使ったり、処方箋を何やらありがたいと唱えたりしていおる。
そこに新しい医者が来て処方箋を理解し、確かに病を治したら人々は彼もまた同じ医者であると知る。
そのように苦を滅する医者の王と呼ばれたお釈迦様は居なくなったが、新しい目覚めた者の処方箋で苦を滅し、確かに法は正しく示され医者の王は再びここに来たと知るが良いのじゃ。
722 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:25:11.94 ID:eaSRfSE/
>>717 >釈迦には仏教を起こす使命がありましたからね。しかしそれは既に達成されたのだから、
>現在の覚者に、そのような義務はありません。
?
言ってること矛盾してるけど。
>>682 そうじゃ、やってみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>697 そのように自分の心を観ているならば理解もできるじゃろう。
人に好かれたいと言う心がどのような原因から起こるのか、追求してみるのじゃ。
その原因から人に好かれたいと思い、人の目を気にすると観察するのじゃ。
そして逆にその原因が無ければ人に好かれたいと言う思いが無く、人の目を気にする事も無いと観察するのじゃ。
その原因そのものも対人恐怖と孤独とか、複数あったりする事もあるのじゃ。
その時はそれぞれの原因について順逆に観察してみるのじゃ。
必ず苦は滅するじやろう。
>>700 そのように刹那滅というのも方便なのじゃ。
全てが1つなのに刹那滅と刹那滅でないものがある訳は無いからのう。
ただ時間というのもまた観念でしかないと気づくのじゃ。
724 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:35:09.40 ID:mMpSoceE
>>720 > なにそれ。「わしは悟っておる」という人にはいんちき、でたらめといっておいて
> そうでないひとには悟ってるかもしれませんねじゃあ、単純に逆を言ってるだけじゃん。
悟ってる人は自ら「わしは悟っておる」などとは言わないからね。
逆に、「わしは悟っておる」などと言わずに謙虚にこつこつ努力している人は、
悟っている可能性がある。
> 釈尊も自分は悟ってるっていってたんだから、いんちき、でたらめでない可能性は
> まったくないとはいえないわけでしょ。
釈尊は一般大衆に対して「わしは悟っておる」などと自慢したりしてませんよ。
まして、「まして 悟った事に根拠があるとすればおぬし自身が自ら悟りを得て、確かめるしかないのじゃ。」
などと無責任極まりない妄言を吐いたりはしません。
釈尊は、ちゃんと理解できる人に対して根拠とともに論理的に説明しているだけです。ちゃんと相手が納得できる形で。
>経典で「誰にでもわかりやすく論理的に説明」
> されてるからいんちきじゃないっていうなら、経典と同じように暗記して説明できれば
> 釈尊と区別がつかないことになる。
経典と同じように暗記して説明でき、それを完璧に実践しているなら、それは
悟っているということですよ。
> 世の中には悟ってると自称するいんちきなひとはたくさんいるけど、それを見分ける
> 方法はないよ。
いえ、見分けられます。見分け方は何度もレスに書いていますけど。
725 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:36:32.27 ID:mMpSoceE
>>715 そうじゃ、慈悲があるからじゃ。
全ての衆生が本来わしと1つである故に、人が手を痛めれば手を庇うように、人の苦をも滅するのじゃ。
大抵の目覚めた者は教えを説くが、中には悟った直後のお釈迦様のように、他人にはわからんじゃろうと諦めてしまう者も居るのじゃ。
727 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 20:45:22.08 ID:mMpSoceE
>>726 >全ての衆生が本来わしと1つである故に
この人が言ってることは完全にバラモン教だなあ。
アートマンにこだわっていたようだが、やはり梵我一如の思想のようだ。
この人の言動は仏教とは何の関係もないので、気をつけるように。
バラモン教を学びたいって人なら参考になるかもしれないが。バラモンでもないのに
そんなもの学んでどうするのかは知らんが。
>悟ってる人は自ら「わしは悟っておる」などとは言わないからね。 釈尊は自分は悟ってるっていってるだろ。弟子たちも自分は悟ったっていってる。 わたしは悟りましたという弟子の告白だけ集めた経典まである。 だれにでもわかる論理で悟れるなら、どうしてあなたは悟れないの。それとも、悟って るけど、悟ってないっていってるだけなの? 経典暗記して実践すれば悟りだなんて、どの経典に書いてあるのか教えて下さい。 >見分け方は何度もレスに書いていますけど 誰にでもわかりやすく論理的におしえてください。
729 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:08:36.50 ID:eaSRfSE/
>>726 ありがとうございます。
そこでもう一つ重ねて質問します。
教えるのは難しいと諦める覚者と、困難だと分かってても教えを広めようとする
覚者の違いはなんなのでしょうか?
それはその人の境遇に由来するからでしょうか?
730 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:08:43.80 ID:dOLlCAMA
>>728 悟ってる人を見分けるとき、悟っている人は自分の言葉で話せますよ。
感覚的には勉強するというより朝起きたら書物の内容が頭にドンっていきなり知識が入ってくる感じなんです。
そんな自分に驚き、そういった歴史書物を見たときに自分と同じ気持ちを言っているので
悟ったんだと実感します。
だから人からなんと言われようが紛れもない事実が自分にあるのですよ
731 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:20:10.05 ID:mMpSoceE
>>728 > 釈尊は自分は悟ってるっていってるだろ。弟子たちも自分は悟ったっていってる。
> わたしは悟りましたという弟子の告白だけ集めた経典まである。
だからそれは修行者の間だけでの話だよ。お互いに理解してるから。
実証できない凡夫に言いふらして自慢したりはしない。
> だれにでもわかる論理で悟れるなら、どうしてあなたは悟れないの。それとも、悟って
> るけど、悟ってないっていってるだけなの?
私は「悟ってない」などと言ったことは一度もないが?
もちろん「わしは悟ったのじゃ」などとも言わないがね。
つづく。
>>730 >だから人からなんと言われようが紛れもない事実が自分にあるのですよ
あなたは、自分自身の妄想と事実をどう区別していますか?
悟ってないのに悟ったふりをする。悟ったのに悟ってないふりをする。 どっちもウソついてるだけじゃん。なにかっこつけてんだか。
734 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:32:16.55 ID:mMpSoceE
>>728 > 経典暗記して実践すれば悟りだなんて、どの経典に書いてあるのか教えて下さい。
それは私が言っているのです。経典の中には悟りの内容や、悟るための方法論について詳しく説いてあるのですから。
しかしどんな場合も経典と戒律を参照して判断しなさいということは、大パリニッバーナ経に
はっきり説かれています。
「修行僧たちよ。ここで一人の修行僧が次のように語ったとしよう、───〈友よ。わたし
はこのことを尊師からまのあたりに直接に聞いた。まのあたりうけたまわった。───
これが理法である。これが戒律である。これが師の教えである〉と。修行僧らよ。
その修行僧の語ったことは、喜んで受け取らるべきではないし、また排斥さるべきでもない。
喜んで受け取ることもなく、また排斥することもなく、それらの文句を正しく良く理解して、
(ひとつずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味すべきである。それらの文句を、(ひとつ
ずつ)経典にひき合せ、戒律に参照吟味してみて、経典(の文句)にも合致せず、戒律
(の文句)にも一致しないときには、この結論に到達すべきである、───〈確かに、これ
はかの尊師の説かれたことばではなくて、この修行僧の誤解したことである〉と。修行僧
らよ。それ故に、お前たちはこれを放棄すべきである。しかし、もしもその文句を、(ひと
つずつ)経典にひき合わせ、戒律に参照吟味してみて、経典(の文句)に合致し、戒律
(の文句)に一致するならば、結論としてこのように決定すべきである、───〈確かに、
これはかの尊師の説かれたことばであり、この修行僧が正しく理解したことである〉と。
修行僧らよ。これが、第一の〈典拠への参照〉であるとうけたまわりなさい。」
これでもまだ四分の一です。全部は引用しませんが、誰かが「尊師からまのあたりに直接に聞いた」と言う場合に限らず、
色々な場合について、「経典にひき合わせ、戒律に参照吟味し」なさいと繰り返し説かれているのです。
735 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:35:13.30 ID:mMpSoceE
>>728 > 誰にでもわかりやすく論理的におしえてください。
どのような人が聖者とは言えないか、スッタニパータにこうまとめられています。
91 「われらは、<破滅する人>のことをゴータマ(ブッダ)におたずねします。破滅への門は何ですか? 師にそれを聞こうとしてわれわれはここに来たのですが、──。」
92 (師は答えた)、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」
93 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第一の破滅です。先生! 第二のものを説いてください。破滅への門はなんですか?」
94 「悪い人々を愛し、善き人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破壊への門である。」
95 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第二の破滅です。先生! 第三のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」
96 睡眠の癖あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたる人がいる、──これは破滅への門である。」
97 「よく分かりました。おっしゃるとおりです。これが第三の破滅です。先生! 第四のものを説いてください。破滅への門は何ですか?」
98 「みずからは豊かで楽に暮らしているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、──これは破滅への門である。」
99 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第四の破滅です。先生! 第五のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」
100 「バラモンまたは<道の人>または他の<もの乞う人>を、嘘をついてだますならば、これは破滅の門である。」
736 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:37:38.64 ID:mMpSoceE
101 「よくわかりました。おっしゃるとうりです。これが第五の破滅です。先生! 第六のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいみのを食べるならば、これは破滅への門である。」 103 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第六の破滅です。先生! 第七のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 104 「血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも已が親戚を軽蔑する人がいる、──これは破滅への門である。」 105 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第七の破滅です。先生! 第八のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 106 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって得たものをその度ごとに失う人がいる、──これは破滅への門である。」 107 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第八の破滅です。先生! 第九のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 108 「おのが妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、──これは破滅への門である。」 109 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第九の破滅です。先生! 第十のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 110 「青春を過ぎた男が、ティンバル果のように盛り上がった乳房のある若い女を誘き入れて、かの女について嫉妬から夜も眠れない、──これは破滅への門である。」 111 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十の破滅です。先生! 第十一のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 112 「酒肉に荒み、財を浪費する女、またはこのような男に、実権を託すならば、これは破滅への門である。」 113 「よくわかりました。おっしゃるとおりです。これが第十一の破滅です。先生! 第十二のものを説いてください。破滅の門は何ですか?」 114 「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少いのに欲望が大きくて、この世で王位を獲ようと欲するならば、 これは破滅への門である。 115 世の中にはこのような破滅のあることを考察して賢者・すぐれた人は真理を見て、幸せな世界を体験する。」 クシャトリヤなど現代日本には関係ないことも含まれていますが、大体これらに引っかかる人は悟りから遠い人間だと見なしていいでしょう。
そんなたくさん暗記できないよ。チューラパンタカが「ちりを除く。よごれを除く」とだけ 唱えて悟りを開いたんだから、それだけでいいんじゃないの。仏教ってかんたんだね。
738 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 21:44:24.15 ID:mMpSoceE
>>737 それは人によるのです。チューラパンタカのような純粋で素直な人は極めて稀です。
対機説法をしてくれる釈尊が身近にいればよいのですが、残念ながらいませんので、
たくさんの経典を読み、そこから自分の性質に合った教えを見つけ出さないといけない
のです。釈尊は色々な人に向けて千差万別に説かれた教えをたくさん残してくれましたから、
その中のどこかに、自分向けのものが必ずあるのです。人間の性質や性格にはある程度
パターンがありますから、無限ではありません。それでも多くのパターンがありますから、
経典も膨大になってしまうのです。
なるほどね。じゃあ俺はいちばんかんたんそうな数息観にするよ。
740 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 22:03:41.06 ID:mMpSoceE
やるのは自由だが、呼吸の回数なんぞ延々と数えても何の意味もないぞw
ちりを除く。よごれを除くになんの意味があるのさw これで悟れるなら全国の主婦と清掃業者が全員悟ってるよ
経典をよく読み、釈尊を敬うのは正しいことなのだが。 蛇の譬えと云われる経がある。
743 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 22:28:59.53 ID:mMpSoceE
チューラパンタカのは、心のちりやよごれを除くってことです。 主婦や清掃業者は部屋のちりやよごれを除くだけで、心は汚れたままだから 悟れないのです。
意味がありそうなありがたい経典をいくら読んでも悟れないひとは大勢いるしね
745 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 22:51:21.69 ID:hLgBpBBl
>>721 喩えが的を射てないだろ?
料理レシピを教えられても作る気なんてないよ?
俺は食べることしかそもそも興味無いわけだから
料理人に料理を作ってもらい腕前が確かなことを確認したいだけ
客観的にそうやって確認出来ないのか?って聞いたはずだぞ?
理解力無いのか?
こういうのがオウムとかにだまされるんだろうな シャクティーパット1回10万円まいどー
レシピがあっても作る奴がいなきゃ食べられない。 料理と違うのは作った本人にしか食えないところかもしれんね。
748 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 23:05:01.57 ID:mMpSoceE
>>721 > 観察する事によって苦が滅する事を、おぬしも味わう事で目覚めた者の法が実際に働く事を知るじゃろう。
これが既に間違っている。
「観察する事によって苦が滅する」などということはない。苦の原因を滅しないことには、
苦を滅することはできない。苦の原因を滅すれば、苦は滅する。それが縁起。
苦の原因を突き止めるためには観察が必要だが、それだけでは苦の原因も苦も滅しない。
749 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 23:09:28.54 ID:Owp793w6
>>705 >そのような人物がカルト宗教の教祖などにいるでしょうか?皆真逆でしょう。
さあ? 全ての宗教の教祖を調べたわけではないから分からないね。
>そういう観点で人を見ず、超能力のようなことをやってみせるとか、カリスマを感じるとか、
>さも悟り切った風な調子で偉そうに語るとか、そういうところで信じるから騙されるのです。
それはそうだが、定型の「戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、
心が清らかな者」に当てはめているだけでは何れあなたを騙せるぐらい演じられる者が現れた
時に騙されるだけだと思うがなあ。
>違法行為を始める前は? また、目立った違法行為はしていないカルトはたくさんありますよ。
違法でないなら怪しい所は監視しとけばいいのでは? ていうか、公安とかは実際にそうしてるんじゃないの?
750 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 23:09:53.75 ID:Owp793w6
>>705 >勝手に思い込むのと、惑わすのとは違いますよ。
後で「そうは言ってない。勝手に思い込んだお前が悪い」と言い訳出来るから?w
>自分が参考にしようとしていた修行者が「わしは悟ったのじゃ」などと言い出した場合、
>本当か嘘か深刻な問題になるからです。本物でない限り嘘であり大罪なので、そんな
>嘘つきから学ぶわけにはいかないからです。騙されますから。
言うか言わないかだけで判断するからそうなるのでは?
ていうか、今の日本で「悟った」と言ったところで深刻に受け止める人なんかほとんど居ないでしょう。
このスレの状態からしてそうだもの。だいたいの人は質問にどう答えるかだけを見ているし、これといって
崇めてもいない。
>抑圧して我慢してるだけなのか、煩悩を捨てた生活を心から楽しんでいるのかは、顔を見れば分かりますよ。
ほう。顔を見れば? 演技のうまい人はいると思うけどねえ。
>そもそもそれ以前に、偽物はそんなコントロールをしようともしませんしちょっとした抑圧にも耐えられないのですぐにボロがでます。
すぐボロが出るならいいけどね。
751 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 23:11:02.52 ID:Owp793w6
>>707 >釈迦や比丘が蓄財して贅沢をしたり女を侍らせて遊んだり長時間寝て怠けたり暴飲暴食したりすれば、人々は誰も尊敬しないし何も学ばないでしょう。
>何の足しにもなりません。
まあ、普通に考えたらそうだな。とりあえず反面教師とするなら意味があるかな。
賢者は愚者からも学ぶってね。
>生前から作られたのもありますし、死後に作られたものもあります。
>(編集したのは死後の仏典結集の時ですが)。
あー。そうだったのか。
>生前の釈迦を知っている人、直弟子などが伝えたものは、信用してよいでしょうし、実際のどの経典の
>どの部分がいつの時代の成立かは、文献学的研究によってある程度分かってきています。
ある程度ね。
>それに論理的にも当たり前なことです。釈尊の思想を知るには、経典を学ぶ以外に
>方法がないでしょう。ただ瞑想しているだけで分かると思い込むことがおかしいのです。
思想を知るにはね。しかし思想を知るだけでは同じように実感をもって知ることは出来ないね。
752 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 23:11:31.65 ID:Owp793w6
>>707 >釈迦は自分自身でメカニズムと理論を考えて理解しましたから。
>アインシュタインが相対性理論を考えたのと同じです。
それはちょっと違うと思うな。釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的にはね。
(と、書いてもあなたには通じないかな・・・)。
>瞑想だけしてればいいと思ってる人は、瞑想してるだけで相対性理論が分かると思い込んでる
>ようなものです。ナンセンスです。
極端だな。瞑想だけだと悟ってもそれを説明する方法が思いつかないと思うよ。
少なくとも仏教的な表現での説明が出来ない。すると仏教的表現での説法も出来ない。
何か変わりの表現方法を持っているならそれで出来るかも知れないけどね。
>>708 >この「真理に関する思索」を正しく自分で考えられる天才は、釈迦のように独りで悟れるでしょうが、凡夫には普通は
>そこまでの才能はないので、経典で学んで「真理に関する思索」を正しいプロセスで追わない限り、理解するのは
>無理です。だから、瞑想しているだけで悟れるなどということは、到底望めません。
経典だけ読んでてもまともな思索が出来ないと思うが?
というより読もうにも内容が中々分からないと思うけどな。表面的な言葉は分かるだろうが。
753 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 23:19:14.79 ID:mMpSoceE
>>749 > それはそうだが、定型の「戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、
> 心が清らかな者」に当てはめているだけでは何れあなたを騙せるぐらい演じられる者が現れた
> 時に騙されるだけだと思うがなあ。
そういう人がどういう風に騙すのか想像がつかないが、そういう人になら騙されたと
しても害はないでしょう。戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、心が清らかな」
な生き方を参考にし模範にすれば、確実に自分も正しく成長するのだから。
で、騙されるというのはどういう状況?ある日突然豹変するということか?その時はそいつを見捨てて師を変えればよいでしょう。
まあ現実的にはあり得ないな。反論のために無理やり非現実的な状況を妄想してるだけ。
完璧な人格を24時間何日にもわたって一辺のボロも出さず演じ通すなど、優秀な劇団員でも
無理だ。試しにあなたやってみなさい。
> 違法でないなら怪しい所は監視しとけばいいのでは? ていうか、公安とかは実際にそうしてるんじゃないの?
あなたの話はそれと違うでしょ。怪しくないように完璧に演じ切れるカルトが可能と言ってるんでしょ?
754 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 23:23:02.34 ID:Owp793w6
>>742 そしてそれに続けて筏の喩えで比丘もびっくりしたと。
755 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/26(月) 23:29:43.91 ID:Owp793w6
>>753 >
>>749 >> それはそうだが、定型の「戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、
>> 心が清らかな者」に当てはめているだけでは何れあなたを騙せるぐらい演じられる者が現れた
>> 時に騙されるだけだと思うがなあ。
>
>そういう人がどういう風に騙すのか想像がつかないが、そういう人になら騙されたと
>しても害はないでしょう。戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、心が清らかな」
>な生き方を参考にし模範にすれば、確実に自分も正しく成長するのだから。
正しく成長? うーん。正しくねえ・・・。表面だけはそう見えるようになるかも知れないが。
>で、騙されるというのはどういう状況?ある日突然豹変するということか?その時はそいつを見捨てて師を変えればよいでしょう。
騙されていると気付ければ良いけどね。
>まあ現実的にはあり得ないな。反論のために無理やり非現実的な状況を妄想してるだけ。
>完璧な人格を24時間何日にもわたって一辺のボロも出さず演じ通すなど、優秀な劇団員でも
>無理だ。試しにあなたやってみなさい。
24時間する必要はないよ。あなたが見ている時だけすれば良い。
>> 違法でないなら怪しい所は監視しとけばいいのでは? ていうか、公安とかは実際にそうしてるんじゃないの?
>
>あなたの話はそれと違うでしょ。怪しくないように完璧に演じ切れるカルトが可能と言ってるんでしょ?
いや、カルトというほどのものじゃなくて、一見正しそうに見えて正しくないものかな。
ずっとやってればカルト化するかも知れないけどね。
756 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 23:31:10.84 ID:MtC64Dvx
>>708 「祖父も―― 」
という話をして頂いても、それが事実であるかどうか、きわめて曖昧なので、正直、基準には出来ないと思います。
「自分の生命力を自分である程度コントロール出来る―― 」
と言うか、お歳を召された方は「あと三日で自分は亡くなる」とかが、衰えに敏感になるため、確かに判ったりはしますよね。
・・ただ、それと「いついつに自分は毒キノコを食卓に出され亡くなる」という、モロに「予言」とでは、話がまるで違うのですが。
「勝手に超能力と決めつけている―― 」
のは、貴方ですよ。
「毒力を見誤って死ぬ = ただのバカ」と仰りましたよね。
あたりまえのように毒力を見誤らないであれると思い込む、すなわち人に(釈迦に)そのような(とんでもない)超能力があると考えている。
そうではなく、私は「バカでも何でもなく、賢い人でも普通に見誤ったりしますよ・・?」と、(釈迦を崇拝する事なく)申し上げているわけです。
>>754 比丘だけに・・・
山田くん偽和尚さんの座布全部持ってって的な・・・
758 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 23:38:51.54 ID:MtC64Dvx
>>709 「インドへ行くと、今でも苦行をしている人はたくさんい―― 」
たから、どうしたんですか?
「命を投げ出す事など―― 」
別に何かに較べ価値がある事ではないでしょう。
「釈迦には仏教を起こす使命があり―― 」
そして誰にでも一人一人の使命があるんですよ。
釈迦は死なないでいいが他は特に価値のある使命も無いんだから死んでもいいだろ、と貴方は言っているわけですが、
個人崇拝の過ぎた、とんでもない暴論だと思います。
人が許せないんです。特にドキュンと言われてるような人。 職場はサービス業で、自分は接客や営業ではないのですが、 顧客と接する場面もたまにあり、こんな時代のせいなのか、とにかくわがままで クレーマー的な客が多く、そういう人を許せません。 職場の同僚でも、ルールを守れない、社会的常識がない、そういう人間を いくら長所があるにしても許せないんです。目に余る場合は、意見をして 対立してしまったりやり込めたりしてしまいます。 他の職場の人間は、私が間違った事は一切言っていないということは 認めてくれるのですが、いつの間にかか「怖い人」という位置づけをされて 結果的に敬遠されてしまいます。私は何かの神経症なのでしょうか。 人を批判したりしてしまうため、自分の仕事や言動行動は 誰にも文句をつけられないように、隙なくこなしています。 でももしかして私がおかしいのかと思ってしまうこともあります。 みんなは、そんないい加減な人間達とうまくやっているように見えます。 でも私は間違った事は一切言っていない。私が間違っているのでしょうか。 もう心療内科に通おうかと思ってるくらい悩んでします。 ご助言お願いします。
760 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/26(月) 23:57:35.16 ID:mMpSoceE
>>752 > それはちょっと違うと思うな。釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的にはね。
言え、意識的に論理的に考えていますよ。そのプロセスも内容も詳しく経典にあります。
日本人は経典を読まないから知らないだけで。
悟りというのは真理に関する思索に基づいて起きるのです。
「平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
あなたが「釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的には」と思った根拠は何ですか?
> 経典だけ読んでてもまともな思索が出来ないと思うが?
なぜそう思う?
> というより読もうにも内容が中々分からないと思うけどな。表面的な言葉は分かるだろうが。
なぜそう思う?
あなたが許さないとしてもそういう奴がいなくなるわけでもないだろうな。 そういう意味ではあきらめが悪いんだろうな。 諦めが悪いのは理解がたりないんだろうな。
>>759 他人を自分の命令に従わせつつ、仲良くなりたいというのは矛盾してると思う。
妥協してどっちかにするかを選ぶのがひとつ。
これは命令ではなく、そうすることがあなたにとってもわたしにとってもその他のひとに
とってもよいことなのだと気持よく納得できるよう説明する努力をするのがもうひとつ。
763 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 00:08:12.39 ID:N/Ao9UUH
>>755 > 正しく成長? うーん。正しくねえ・・・。表面だけはそう見えるようになるかも知れないが。
それでも何も成長しないよりはずっとマシ。
表面だけでも「戒律を厳格に守り、贅沢をせず、身口意を守り、人格が素晴らしく、
心が清らかな者」 というような生き方ができれば、それは聖者の生き方です。
そもそも、表面とか奥とかありません。どう生きるかが全てです。
> 騙されていると気付ければ良いけどね。
むしろ、騙されていると気づかなければ騙されたことにはなりませんよ。
清く正しく生きられるのなら、それで十分なのです。それが目的です。
悟りにそれ以上のことは何もありません。
> 24時間する必要はないよ。あなたが見ている時だけすれば良い。
もちろん短い時間だけ取り繕うことならできないことはないかもしれません。
相手の目が節穴なら騙しやすいでしょう。だからそんな短い時間や軽い付き合いで聖者か
どうか判断してはいけません。よく観察するのです。
764 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 00:11:18.73 ID:N/Ao9UUH
>>756 > という話をして頂いても、それが事実であるかどうか、きわめて曖昧なので、正直、基準には出来ないと思います。
「基準」の話などしていないのだが。信じるかどうかはあなたの勝手。
私が言ってるのは、「基準」ではなく、「超能力を持ちださなければ説明できないようなことではない」という「論理」。
> ・・ただ、それと「いついつに自分は毒キノコを食卓に出され亡くなる」という、モロに「予言」とでは、話がまるで違うのですが。
釈尊はそんな予言はしてませんが?死期を予言しただけで、 「いついつに自分は毒キノコを食卓に出され亡くなる」という死に方
まで言ってませんよ。
> 「毒力を見誤って死ぬ = ただのバカ」と仰りましたよね。
それは、毒キノコと分かっていながら「食べても大丈夫」と思って食べたらただのバカだ、
という意味で言ったのです。
釈尊は「食べても大丈夫」と思って食べたわけではありません。食べたら死ぬと分かって
いながらあえて食べたのです。
765 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 00:13:57.47 ID:N/Ao9UUH
>>758 >
>>709 > たから、どうしたんですか?
> 「命を投げ出す事など―― 」
> 別に何かに較べ価値がある事ではないでしょう。
だから、命を投げ出すことなど悟るまでもない、ということです。
> そして誰にでも一人一人の使命があるんですよ。
本当にそうですか?
> 釈迦は死なないでいいが他は特に価値のある使命も無いんだから死んでもいいだろ、と貴方は言っているわけですが、
そんなこと言っていませんが?
766 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 00:24:43.74 ID:N/Ao9UUH
>>759 あなたは社会常識に至上価値を置いているのです。
だから社会常識に従わない人が許せないのです。
> でも私は間違った事は一切言っていない。私が間違っているのでしょうか。
社会常識を最善、最も正しい、とする立場からは、あなたが正しいということになります。
間違った事は一切言っていません。
しかしそれはあなたの価値観であって、他人はまた別の価値観を持っているのです。
「ルールを守れない、社会的常識がない」ために他人に迷惑をかけることはよくありませんが、
そういう連中が存在することも仕方がないのです。実害が最小限になるように自己を守らな
ければなりませんが、精神的に許せない、ということで悩んでいるのなら、ただの動物的行動と
見なし、気にしないことです。
767 :
泥団 :2012/03/27(火) 03:57:27.32 ID:m2lENZb5
>>690 背骨曲げちゃダメなんですね。丸めてたわ、ありがとう。
そうそう、二の腕から先を垂直に立てて体の真ん中で合わせて内側にねじって
回すとそのあたりの背筋がよく伸びる感覚がありますよね。
>>759 ご自分の正しさに誇りを持つ一方で、適当にうまくやってるように見える
他の人のことも、実は気になってらっしゃるみたいですね。
もしかしたら本当は「正しくあらねばならない」ことに最近疲れてきてるのかも?
少し時間をとって心の本音を聞いてみてあげたら、意外なことを発見する
かもしれませんね。
768 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/27(火) 09:25:07.15 ID:sxcDyXkH
>>759 >人を批判したりしてしまうため、自分の仕事や言動行動は
>誰にも文句をつけられないように、隙なくこなしています。
これでストレスが溜まってしまい、そのはけ口として人を責めることに繋がっているのかも知れない。
まずは自分の方を少しづつ緩めて行くのが良いと思う。おそらく色々なことに対するこだわりも
強いだろうから、それを弱めて行くとかね。自分のことに関して「必ずこうでなければいけない」から
「必ずしもこうでなくて良い」という感じで少し許すことが出来ればその分余裕が出来て、人に対しても
自然にそのようになって行くと思う。
769 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/27(火) 09:25:52.30 ID:sxcDyXkH
770 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/27(火) 09:40:12.16 ID:sxcDyXkH
>>760 >
>>752 >> それはちょっと違うと思うな。釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的にはね。
>
>言え、意識的に論理的に考えていますよ。そのプロセスも内容も詳しく経典にあります。
>日本人は経典を読まないから知らないだけで。
>悟りというのは真理に関する思索に基づいて起きるのです。
まあ、言葉に変える時は論理的になるようにしてるだろうね。じゃないと周りに頭のいいやつばかり
いたから納得させられない。
>「平静な心がまえと念いの清らかさ、──それは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、──これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。」
>
>あなたが「釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的には」と思った根拠は何ですか?
知恵は沸くものだ。
>> 経典だけ読んでてもまともな思索が出来ないと思うが?
>
>なぜそう思う?
>
>> というより読もうにも内容が中々分からないと思うけどな。表面的な言葉は分かるだろうが。
>
>なぜそう思う?
これは簡単に言うと煩悩の塊を持ったまま読んでしまうと無意識に自分に都合よく捻じ曲げてしまったり、
あるいはそのまま記憶したとしても無意識に自分に都合よく運用してしまったりするということ。
悟らないと釈迦が何を言わんとしていたのかは完全には分からないと思うが、普通はすぐに
悟れないので煩悩を落とし続けることもやった方が良い。
>>759 です。
みなさんありがとうございます。
やはり、自分が自分と折り合いをつけるのが一番いいのだと思います。
まだ、そこまで悟ることができません。
もっと人間的に成長できたらと思います。
難しいです。
772 :
312 :2012/03/27(火) 14:37:19.83 ID:lFTY3wi+
僕の今は存在していない世界であり、そこからシャンバラである内なる意識 である存在の世界に目覚めたくて禅定をはじたのですが、理性というもので自分を作ろうと するのですがなかなか上手いこと作らせてもらえない。次に感覚を頼りに やってみたのですがこちらは像を作ることはできなくて感覚だけでした。 しかし感覚で動いていることを知覚はできるのです。禅定で新たな世界は 開けるのでしょうか?。鬼和尚様よろしくご教示のことお願いします。
773 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 15:22:52.13 ID:IUksALfM
以前、万寿と名乗る女性からやたらと勧誘されました。 私はキリストやブッダと同じような事をしている…あなたを救いたい。 こちらが体調悪くて早く寝たいのに、2時間以上延々と悟りの話をされた。 悟りを開いているなら、この状況汲み取ってよ。ってイライラした。
774 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 17:46:24.67 ID:NCn5jUbs
>>764 「基準の話―― 」
ですよ。
予言をまともなファクターとして扱っていいかを、見定める(証言としての)基準。
「釈尊はそんな予言―― 」
を、した事になりますよ。
自身で生命力をコントロールして、言い換えれば体力の落ちが敏感に解かっての死期の見定めと、
何が出来事があっての死を事前に捉えるのとでは、その出来事が予見出来なければならないのですから、
全然違います。
775 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 17:57:33.70 ID:NCn5jUbs
>>764 「毒キノコと分かっていながら「食べても大丈夫」と思って食べたらただのバカだ―― 」
と考えるのは、(最初から申し上げている通り)超能力志向に他なりません。
現実は、「食べても大丈夫と精確に判断するのは非常に難しい」です。
「食べたら死ぬと分かっていながらあえて食べた―― 」
としても、基本的には、人への迷惑度は変わらないと思います。
最初にアッサリ言葉で伝えてしまえば、特に波風も立たないと思うのです。
毒キノコのエピソードは、スジャータの持ってきた牛乳(確か何千頭だかの牛の中で、最も尊い牛から搾られた云々)同様、
神格化の入ったものであると考えるべきで、自殺でも何でもなく、普通に寿命か、あたって亡くなられたんだと思いますよ。
776 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 18:02:12.16 ID:NCn5jUbs
>>765 「命を投げ出すことなど悟るまでもない―― 」
と考えるのではなく、覚りとは関係ない、と考えるべきでは・・?
「本当にそう―― 」
です。
「そんなこと言って―― 」
います。
断片を見ている時、全体は無論の事、他の(過去の)断片を見失うものですが、
心あるなら見失わないように気をつけて、会話は速やかに紡ぎましょう。
777 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 18:11:12.35 ID:N/Ao9UUH
>>770 > まあ、言葉に変える時は論理的になるようにしてるだろうね。じゃないと周りに頭のいいやつばかり
> いたから納得させられない。
論理で納得して理解し、習得できりように説かれたのだから、素直にそれを学べばいいのです。
> 知恵は沸くものだ。
勝手には湧きません。一生懸命考え抜いて修練した結果、知恵が身につくのです。
> これは簡単に言うと煩悩の塊を持ったまま読んでしまうと無意識に自分に都合よく捻じ曲げてしまったり、
自分に都合よく捻じ曲げないで下さい。
> あるいはそのまま記憶したとしても無意識に自分に都合よく運用してしまったりするということ。
自分に都合よく自己正当化の材料に使わないように、自分でよく注意するのです。意識して努力するのです。
そしたら自分に都合よく捻じ曲げることもなくなります。
>普通はすぐに悟れないので煩悩を落とし続けることもやった方が良い。
そのやり方が経典に書いてあるのです。読まなければ分かりませんし、自己流で
瞑想してるだけでは、一生涯座っても何も得られません。瞑想してる人のHPなど
見ても、失敗例だらけではありませんか。
778 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 18:23:55.61 ID:N/Ao9UUH
>>774 > 「基準の話―― 」
> ですよ。
> 予言をまともなファクターとして扱っていいかを、見定める(証言としての)基準。
それはあなたの勝手な評価であって、私は「基準」の話などしたつもりはありません。
どうしてもそう思いたいならご自由に。
>>775 > 「食べたら死ぬと分かっていながらあえて食べた―― 」
>
> としても、基本的には、人への迷惑度は変わらないと思います。
「人への迷惑度」ってなんですか?遺体の後始末とか?
それは寿命で死んでも全く同じですよ。寿命で死のうと自殺や安楽死や延命処置の拒否で死のうと、迷惑度は
何も変わりません。
> 最初にアッサリ言葉で伝えてしまえば、特に波風も立たないと思うのです。
言葉で伝えたら、みんな慌てて釈迦から毒キノコを奪い取って捨てるでしょう。
> 毒キノコのエピソードは、スジャータの持ってきた牛乳(確か何千頭だかの牛の中で、最も尊い牛から搾られた云々)同様、
> 神格化の入ったものであると考えるべきで、自殺でも何でもなく、普通に寿命か、あたって亡くなられたんだと思いますよ。
もちろんそう解釈するのは自由です。しかし後世に神格化されて創作されたエピソードにしては、別々の
ルートで伝わった古い経典に(セリフまで)ほとんど食い違いなく収録されていますから、現実にあったやり取りの可能性が高いと思いますけどね。まあ信じたくなければ信じなければいいのでは?どっちでもいいことです。
また、スジャータの話も古い経典にたくさんありますから、史実だと思いますが、
「何千頭だかの牛の中で、最も尊い牛から搾られた」という話は記憶にありません。
どの経典にあるのですか?そちらはおそらく神格化されて付け加えられたのでしょう。
スジャータは何千頭もの牛を所有するほどの富豪ではないし、常識的に考えても、
行き倒れてる人を助けるのにそんな悠長なことするわけはありません。
779 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 18:30:28.07 ID:N/Ao9UUH
>>776 > と考えるのではなく、覚りとは関係ない、と考えるべきでは・・?
関係ないことはないでしょう。悟りによって、命への執着も滅するのですから。
> 断片を見ている時、全体は無論の事、他の(過去の)断片を見失うものですが、
> 心あるなら見失わないように気をつけて、会話は速やかに紡ぎましょう。
大事な点なので答えて下さい。本当に「誰にでも一人一人の使命がある」のですか?
>います。
私は「釈迦は死なないでいいが他は特に価値のある使命も無いんだから死んでもいいだろ」などと
言ったことは一言もありませんが、言ったことのないことを言ったと断言されると、面食らいます。
あなたは根本的な勘違いをされているのだと思いますが、私は「生命への執着があって生きている
のに、執着がないなどと嘘つきながら生き続けている人」を批判しているだけで、「死んでもいいだろ」
などと言っているのではないのです。生きることに執着していることを素直に認めて、生き続ければいいのです。
780 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/27(火) 18:43:04.42 ID:N/Ao9UUH
>>775 人への迷惑度で言えば、準備万端整えて計画的にポックリ死ぬ方が
周囲への迷惑は最小限なんじゃないかな。
あと、
> 「釈尊はそんな予言―― 」
>
> を、した事になりますよ。
> 自身で生命力をコントロールして、言い換えれば体力の落ちが敏感に解かっての死期の見定めと、
> 何が出来事があっての死を事前に捉えるのとでは、その出来事が予見出来なければならないのですから、
> 全然違います。
これも何か無理やりこじつけてますが、「体力の落ちが敏感に解かっての死期の見定め」た
時期に、たまたま毒キノコ事件が起きただけで、毒キノコ事件を予言したわけではないのですが。
781 :
312 :2012/03/27(火) 19:03:20.40 ID:lFTY3wi+
鬼和尚は意識からできている身体を持つようになったのですか?
>>729 そうじゃのう。確かに悟りを得る以前の境遇による違いはあるようじゃ。
お釈迦様は王子として常に民衆のためを考えておったから、他人にも説く事を選んだのかもしれん。
大乗仏教では修行に入る時に、悟りを得たら人々を導くと言う誓いをするのじゃ。
それも衆生のために意義のある事と言えよう。
>>745 おぬしは理解したいとか書いておったが、やらなければ理解は出来ないのじゃ。
おぬしが実践して理解すればそれが客観的な確認と言うものじゃ。
本当に理解したいならば素早く実践じゃ。
>>772 何やら迷っているようじゃのう。
そのような時は修行などは止めて外に出るのじゃ。
公園とかに行って自然に触れるのじゃ。
歩いたり走ったりして今を感じるのじゃ。
回り道もまたおぬしの道なのじゃ。
>>773 キリストと同じ事をしてるなら体調が悪いのを直して貰えばよかったのう。
死人も生き返らせたそうであるからのう。
今度来たら言ってやるといいのじゃ。
>>781 全ては意識から出来ているのじゃ。
それが本質なのじゃ。
表面の区別は相を取る事で成り立っているのじゃ。
相による分別が無ければ全ては平等無為なのじゃ。
784 :
泥団 :2012/03/27(火) 20:52:02.53 ID:m2lENZb5
あれ、
>>759 さんがお礼にいらしたから鬼和尚さんのレスがなかったのかしら。。。
一行あけさん、
あなたが経典にお詳しいのはもうみんな十分わかったようですし、
できればもうちょっと相談に来てる方たちのレスがわかりやすいように、
簡潔に書いていただけないかしら?
スレの半分くらいあなたのレスで埋まってるんじゃない?
社会の不正行為などに関して、匿名で役所に報告したり、通報したりすることは 良いことだと思いますか?卑怯なことだと思いますか? 「匿名で」という部分が肝だと思います。
786 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/27(火) 22:26:51.65 ID:sxcDyXkH
>>777 >> まあ、言葉に変える時は論理的になるようにしてるだろうね。じゃないと周りに頭のいいやつばかり
>> いたから納得させられない。
>
>論理で納得して理解し、習得できりように説かれたのだから、素直にそれを学べばいいのです。
ああ。そうだな。
>> 知恵は沸くものだ。
>
>勝手には湧きません。一生懸命考え抜いて修練した結果、知恵が身につくのです。
いや、湧くよ。
787 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/27(火) 22:27:30.22 ID:sxcDyXkH
>>777 >> これは簡単に言うと煩悩の塊を持ったまま読んでしまうと無意識に自分に都合よく捻じ曲げてしまったり、
>
>自分に都合よく捻じ曲げないで下さい。
俺は何も捻じ曲げてないが?
>> あるいはそのまま記憶したとしても無意識に自分に都合よく運用してしまったりするということ。
>
>自分に都合よく自己正当化の材料に使わないように、自分でよく注意するのです。意識して努力するのです。
>そしたら自分に都合よく捻じ曲げることもなくなります。
あなたがそうなって欲しいんだがなあ。
>>普通はすぐに悟れないので煩悩を落とし続けることもやった方が良い。
>
>そのやり方が経典に書いてあるのです。読まなければ分かりませんし、自己流で
>瞑想してるだけでは、一生涯座っても何も得られません。瞑想してる人のHPなど
>見ても、失敗例だらけではありませんか。
さあ? 自己流で瞑想している人のHP見て回ったことないから分からないな。というか、あなたも
その通りにやれば良いじゃないか。そうすれば貪瞋癡も少しは減って書き込み数も減るんじゃ
ないかな。少なくとも論争を延々と続かせることはなくなるだろう。やるだけ無駄だからな。w
偽和尚様。 知恵が湧くという話ですが、それは内知と同じなのでしょうか。 またそこでいう知恵とは、慈悲の心もひとつと見て良いのでしょうか。 なお外知とは、客観的な知識(科学全般)という意味です。
789 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/27(火) 22:38:44.77 ID:sxcDyXkH
>>788 内知じゃないかな。但し人の質問に答えたりする時は話を作らないと通じないので、
そこで普通の知識を使う必要が出てくる。
790 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 00:20:27.77 ID:EHHJzjc4
知恵に内知とか外知とかの区別はありません。
>>786 >いや、湧くよ。
湧きませんw
知恵が勝手に湧くなら、誰も苦労はしません。釈尊も教えを説く必要はなかったでしょう。
791 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 00:24:13.61 ID:SUUau2kS
>偽和尚 どんな知恵が湧いたの?いくつか湧いたやつ教えてたもれ
792 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 00:40:13.88 ID:Qu1DdGqg
>>790 釈迦は悟ってクリアになったから知恵が湧いて教えを解くことも出来る状態になったんだよ。
目の前に最初からあったものに気付いて活用出来るようになったとも言えるかな。
>>791 それは情況に合わせて色々。何もなければ何もなし。
793 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 00:42:04.81 ID:SUUau2kS
>偽和尚 あなたは知恵と妄想はどこでわける?
794 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 00:47:59.52 ID:Qu1DdGqg
>>793 それは真実と感じられるかどうかだけだな。100%主観ではあるが。
だからもちろん全体が妄想である可能性もあるよ。あるんだけどねえ、
それでうまく行っちゃうからねえ。w
>>785 「良い」の反対は「悪い」。
「悪い」の語源は「割る」から来てるって説がある。
匿名だろうがなんだろうが報告したり、通報したりすると、
不正行為をしている人の生活や人生を「割る」ことになる。
だから悪いこと。 不正行為ももちろん悪いこと。
生きるってことは他の生き物の命を割ってるから生きてられるの。
だから生きることは悪いこと。
死ぬってのは命が割れるってこと。自殺は自分の命を割るってこと。
生きるのも死ぬのもどっちも悪。
>>656 さまへ。
わたしかかってるお医者さま、乳歯生えて物たべなくなった。お水も飲まない。(治療の
ときだけ飲む) 肌ぴっかぴか☆ あかちゃんよりキレイだよ... しゃべんない。おこん
ない。わらわない。お金もとらない... しずかで静かで、シズカな人です... かんじょう
あれだけない人、みたときない... 80年代、タイの病院、招待された。めんえきだめん
なる、おそろしい伝染病、みるため... そのころ 「治らない」 てゆわれた、病気らしい
です... でも先生、患者7人、みんな陰性に変えちゃった... 泣いて感謝されたらしい
です... そのあとタイいちばんのお寺に寄った。(こっから単に観光です) タイいちの
お坊さんいて、先生をみただけで、手ぇあわせて拝んできた... 病院のお話、知らない
はずです... 先生、断食だめなんだって。まっとうなしゃかい生活、おくりなさい、って...
797 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 00:55:09.45 ID:EHHJzjc4
>>792 > 釈迦は悟ってクリアになったから知恵が湧いて教えを解くことも出来る状態になったんだよ。
> 目の前に最初からあったものに気付いて活用出来るようになったとも言えるかな。
全然違う。あなたは知恵とは何かも分かっていない。知恵とは法(縁起、苦集滅道)を理解し認めることであり、それは学びと思考によって
もたらされるのだ。そして知恵が身についた状態を悟りと呼ぶのだ。
大有明経から引用しよう。
「長老よ、智慧が無い人と、言われますが、
一体、智慧の無い人とは、如何なる者ですか。」
「尊者よ、智慧が無いとは、認めない者である。」
「では、長老よ、何を見とめないのですか。」
「尊者よ、四つの諦を、見とめないのである。
愚者は、苦諦、集諦、滅諦、道諦を見とめない。」
「長老よ、正しい見は、何から生じるのか。」
「尊い者よ、第一に、正しく教えられること。
第二には、正しく考えること、この二つである。」
「長老よ、心慧の解脱に、何が必要ですか。」
「尊い者よ、解脱のために、五つの支がいる。
それでは、この五つの支とは、如何なるものか。
第一の支は、持戒によって、支えることである。
第二の支は、多聞によって、支えることである。
第三の支は、討論によって、支えることである。
第四の支は、寂止によって、支えることである。
第五の支は、正観によって、支えることである。」
ただ座って瞑想しているだけで、勝手に自然に知恵が湧いてくるようなことはありません。
798 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 00:59:59.91 ID:EHHJzjc4
>>796 その先生は悟った方かもしれませんね。
>まっとうなしゃかい生活、おくりなさい、って...
その通りです。
799 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 01:03:37.11 ID:Qu1DdGqg
>>785 それはしょうがないことなんじゃないの? 名前を出して告発したら危険な目に遭うかも知れないしね。
でも、告発して是正されることが、必ずしも良い結果になるとは限らないから、何でもかんでも違反
してたら告発するってのもどうかと思う。というのは、ずっと日本に住んでいて日本の状態にあまり
違和感がないからほとんど感じないかも知れないが、例えば北朝鮮とかは政治的な発言をした
だけで「違法」になることがあるわけだよね。そういうのも一応法律があってそれに違反しているんだよね。
そういうのを告発するってのは、どう思う? 一応あの国の中ではそれは「正義」ということになるんだけどね。
なんか違和感あるだろう? 同様に、他の国の人が日本のことを見たら何か変だなと感じることもあると
思うんだよね。まあ、法律は人間が作っているからしょうがないんだけどね。でも、出来れば法律を
離れて中立的に見ることも出来た方がいいだろうね。本当にこのルールでいいのかってね。
他のルールとの絡みで構造的におかしくなっていることがあるかも知れないしね。
800 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 01:09:29.29 ID:SUUau2kS
>>794 偽和尚
>それは真実と感じられるかどうかだけだな。100%主観ではあるが。
「それは情況に合わせて色々。」ということは、自分や他者に対してのアドバイスで知恵が出る、ということだよね?
んで、偽和尚の主観では真実であり、うまくいくと、、、
ま、自分に対しては自分でうまくいった、と判断できるから、あなたがそういうのなら、真実、知恵になりうるだろう。
では、他者に対してのアドバイスは、その受け手の判断になってくるよね?どうかな?
801 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 01:15:28.89 ID:Qu1DdGqg
>>797 >>797 >
>>792 >> 釈迦は悟ってクリアになったから知恵が湧いて教えを解くことも出来る状態になったんだよ。
>> 目の前に最初からあったものに気付いて活用出来るようになったとも言えるかな。
>
>全然違う。あなたは知恵とは何かも分かっていない。知恵とは法(縁起、苦集滅道)を理解し認めることであり、それは学びと思考によって
>もたらされるのだ。そして知恵が身についた状態を悟りと呼ぶのだ。
しかしあなたは学ぼうとする姿勢もなく思考することもない。
> ただ座って瞑想しているだけで、勝手に自然に知恵が湧いてくるようなことはありません。
もちろん座って瞑想「している」のならいつまで経っても変わらないかもな。
しかし俺は「ただ座って瞑想しているだけで、勝手に自然に知恵が湧いてくる」なんて言った覚えはないのだがなあ。
802 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 01:17:50.98 ID:Qu1DdGqg
>>800 ああ。他者に対しては大きく外す可能性もあるので、俺の言うことは真に受けないように。w
あくまでも自分で本当だなと感じたことだけ受け取るようにした方が良い。
803 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 01:23:26.08 ID:SUUau2kS
了解です。どうもありがと。
804 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 01:32:31.12 ID:EHHJzjc4
>>801 > しかしあなたは学ぼうとする姿勢もなく思考することもない。
何を根拠にそんなことを言う?
> しかし俺は「ただ座って瞑想しているだけで、勝手に自然に知恵が湧いてくる」なんて言った覚えはないのだがなあ。
「釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的にはね」などと言ってるし、鬼和尚の
信者のようなので、そういう思想の持ち主かと思ったが。
>>794 で「100%主観」などと言ってるしね。
ではどうすれば知恵が身につくとあなたは思っているのだ?
「100%主観」なら反証可能性もないし、正しいかどうかも判別できない。そんなもの何の意味もない。
釈尊が、役に立たないから捨てなさいと言った誤った見解そのものだよ。
805 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 02:00:03.61 ID:Qu1DdGqg
>>804 >> しかしあなたは学ぼうとする姿勢もなく思考することもない。
>
>何を根拠にそんなことを言う?
あなたはここで教えようとするばかりだ。
>> しかし俺は「ただ座って瞑想しているだけで、勝手に自然に知恵が湧いてくる」なんて言った覚えはないのだがなあ。
>
>「釈迦は何も考えていない筈だ。少なくとも意識的にはね」などと言ってるし、鬼和尚の
>信者のようなので、そういう思想の持ち主かと思ったが。
>>794 で「100%主観」などと言ってるしね。
>ではどうすれば知恵が身につくとあなたは思っているのだ?
俺は誰の信者でもない。
知恵は煩悩が落ちれば出てくる。これが仮に中途半端だったとしても少しは出てくる。
但し、残っている煩悩でねじ曲がる可能性がある。w
>「100%主観」なら反証可能性もないし、正しいかどうかも判別できない。そんなもの何の意味もない。
>釈尊が、役に立たないから捨てなさいと言った誤った見解そのものだよ。
反証可能性はあるかもよ。
まあ別にあなたが全部捨てようがどうしようが勝手だが。
806 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 02:12:54.37 ID:EHHJzjc4
>>805 > あなたはここで教えようとするばかりだ。
私は学ぶべき時に学び、教えるべき時に教えている。
> 知恵は煩悩が落ちれば出てくる。
逆だ。知恵によって煩悩を滅するのだ。
知恵は煩悩が消えた結果として自然に湧いて出てくるものではない。
学習と思考によって知恵を身につけた結果として、煩悩が減退したり滅したりするのだ。
あなたの仏教理解はあべこべなのだ。
> 反証可能性はあるかもよ。
「100%主観」と言ってるものに、なぜ反証可能性があるのかね?
鬼和尚さんは寝る前に5分程の数息観し、 24時間ずっと観察を続けてるのですか?
>>694 あなたには経典を疑う、という発想は無いのですかね?
経典に書いてあるから正しい、OKだと。それこそが疑わしいんですよ。
あなたが読んだ経典が嘘っぱちな可能性だって充分にあるでしょう?なぜ信じてる?
なぜそれが本物で真実で真理だと言えるのかがわからんのです。
自分なりに勉強して「私はこう思ってるだけ」と一言いうならこんな疑問はわかないけど。
あなたが自分で読んで学んだ経典を妙に絶対視しているから、単純に疑問が出てくるだけです。
「じゃあなぜその経典が正しいと言えるの?」と。
悟りって絶対的な状態じゃなく相対的なものなのか? 要は観測する側も悟りに近くなきゃいけない見れないってことだろ? 俺は単純に絶対的なメーターでその状態を示して欲しいって言ってるわけ だが、仮にそれがホントに理屈として厳しいならば、そんな純粋な素朴な 希望を拒否された形になってることに対してはどう感じてんだ? 要は、悟りを勧めるならその状態が簡単に示せるならそれに越したことは無いだろ? 共感的な意味できっかけを作れるわけだから なんかおかしなこと言ってるか?俺
810 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 14:49:17.25 ID:rGr/i1OK
>>806 > 私は学ぶべき時に学び、教えるべき時に教えている。
しかしあなたはいくら経典を読んでも全く体現出来ておらず煩悩の塊だ。
人を非難するために知識を使っているだけで自分で実践していない。
釈迦は経典の内容と違うことを言う者を「経典と違う」と言って責めろと言っていたのかね?
自分のやっていることをもっとよく見てみた方が良い。丁度ダンマパダ50にも書いてあることだしな。
> 逆だ。知恵によって煩悩を滅するのだ。
> 知恵は煩悩が消えた結果として自然に湧いて出てくるものではない。
> 学習と思考によって知恵を身につけた結果として、煩悩が減退したり滅したりするのだ。
> あなたの仏教理解はあべこべなのだ。
これは仏教を理解した結果分かったことではない。もちろん煩悩によって塞がれていても
少しは知恵が出てくるから、それによって滅する所まで行くのかも知れないがな。
土砂で塞き止められた川でも水が少しづつ流れるならやがて広がって元に戻るようにな。
> 「100%主観」と言ってるものに、なぜ反証可能性があるのかね?
とりあえず自分で真実だと感じるから100%主観だ。しかし大半が自分のことであり
他人のことではないから確認することがほとんどないし、その必要がない。
釈迦みたいに人から質問されまくることはないしね。
811 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 14:54:47.57 ID:rGr/i1OK
>>808 そう言えばこんな感じの盲信はカルト信者的な感じがするな。
812 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 15:04:39.54 ID:mM7zOJXT
鬼和尚もそう変わらんようにこっちからは見えるけどね お釈迦さまがこう言われておる・・・ この教典にはこう書かれておる・・・ 結局、みな自分の内にあるものと合致するものを選んでいるだろうけど。なんかひっかかる 内にないものは外に投影されないから、まあ、いいかな
鬼和尚さん 衣食住もままならず、健康も害して寝たきりになり、頼る人がいなかったら、その人は死ぬしかないのでしょうか 頑張って社会に貢献してきた人も、老後にひとりぼっちになってそうなる可能性はありますよね? 僕は死ぬのはあまり怖くないけど、そんな気持ちで死ぬと思うといたたまれません。生きるって‥
814 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 16:46:44.47 ID:rGr/i1OK
>>812 まあ、日本人の場合は一応大半が仏教徒ということにはなっているが、詳しく
知っている人や信仰している人は稀なので仏教的に話されてもしっくり来ないのは
しょうがないかもね。
あと掲示板だと文字だけになって相手を直接見られないから情報不足で適切な
答えが返せない場合もあると思う。悟っている人なら先入観なくただ見ることも
出来るだろうが、届いてない情報までは見えないからどうにもならないだろうな。
妄想がない分だけ普通の人よりはましかも知れないが。
>>813 健康な、今後も数十年生きる人にしてみれば、その状況って不幸に見えますけど、
身内も縁者もすでに見送るばかりになっていて、人生に立ててきた目的を
とうに消化済の老いた人間にとって、果たしてその光景は「寂しい」のでしょうか。
孤舟が、この世という岸壁から命という綱を解いて、あっちの世に行くときに
華々しい門出見送られを望む人だったら(臨終の枕元に親戚縁者大集合に大号泣)、
さぞかし寂しいでしょうけれど、知らずにふと河に流れ出ていた、という旅立ちこそ
自分に好ましいと思う人であれば、望みどおりの死に際です。人それぞれ。
>>815 ハッとしました、ありがとうございます
でも僕はまだまだ人生でやり残したことがある‥あなたみたいな境地に行くには程遠い
>>794 見落としたのじゃ。解決したようであるから良かったのう。
>>785 苦しむ者を助けるためにするならば良い事じゃろう。
匿名でも有名でも良いのじゃ。
人を助けるのが善事というものじゃ。
>>807 五分の時もあれば長くなる時もあるのう。
そんなには観察をしていないのじゃ。
あまりやるともう返って来れなくなるからのう。
たまにやる程度じゃ。
>>809 おぬしが行って理解する事だけが絶対的な指標であろう。
おぬしが四万十川を見たいならば四国に行くしかないように、ちょっとやってみればよいのじゃ。。
なぜ理解したいと言いながら行う事を拒むのかわからんのう。
行えば理解に達し、苦しみも減るのでラッキーじゃろう。
例えばおぬしが他人に理解されず、何をしても虚しいと感じるならば、その原因を追求するのじゃ。
>>813 民生委員とかに話せば病院に入れてくれたりするじゃろう。
そのように死ぬ時の事を考えるのはいい事じゃ。
社会に対する貢献とか、社会の役に立つと言うような事は実は虚しい事と判るものじゃ。
なぜならそれは死に対しては無力であるからのう。
死にも流されない島を作れとお釈迦様は言ったのじゃ。
それは自らの心の内にあるのじゃ。
瞑想によって自らの心の内に平安を見つければ、それは死によっても流される事はないのじゃ。
それこそが死によっても流されない島なのじゃ。
死について考え続ければそのように何が無意味であり、何が有意義な生き方であるかわかるじゃろう。
819 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 21:41:36.06 ID:EHHJzjc4
>>808 > あなたには経典を疑う、という発想は無いのですかね?
> 経典に書いてあるから正しい、OKだと。それこそが疑わしいんですよ。
経典を批判研究することは重要なことですよ。
私もこれまでの欧米や日本における研究成果、論文などを参考にしています。
しかしそれが可能なのも、あくまで経典をしっかり勉強してからです。
経典を読みもせずに批判研究することはできないし、釈尊の教えを知ることも
もちろんできない。手がかりは経典しかないのですから。
> 自分なりに勉強して「私はこう思ってるだけ」と一言いうならこんな疑問はわかないけど。
「私はこう思ってるだけ」というような主観的なだけの話には何の意味も価値もないんですよ。
言いたい放題になるだけですから。まず自分自身の主観を疑うべきですし、それが仏教の基本姿勢
でもあります。証拠のない話をいくらしても無駄です。
>>810 > しかしあなたはいくら経典を読んでも全く体現出来ておらず煩悩の塊だ。 人を非難するために知識を使っているだけで自分で実践していない。
一体何を根拠にそんな誹謗をするのか?
そもそも、「非難」は「悟ってもいないのに悟ったなどと大きな嘘をつく」ことに対してのみで、それ以外は非難などしていませんよ。間違った内容について、それは間違いです、と言ってるだけです。
> 釈迦は経典の内容と違うことを言う者を「経典と違う」と言って責めろと言っていたのかね?
責めろなどとは言っていませんが、間違いを正すことを奨励しています。
> とりあえず自分で真実だと感じるから100%主観だ。しかし大半が自分のことであり 他人のことではないから確認することがほとんどないし、その必要がない。
人間は錯覚や勘違いばかりする存在です。あなたが「真実だと感じ」ただけのものが一体
何の当てになるのですか。「真実だと感じ」るだけで、証拠もなく証明もされないものは、一般に真実などではありません。ただの妄想です。
>「悟ってもいないのに悟ったなどと大きな嘘をつく」 もしかしたら悟ってるかもしれないよ。どうやって区別するの。耳が長いとか足の裏に模様があるとか?
821 :
809 :2012/03/28(水) 22:12:02.29 ID:sbSIzdFa
>>817 分かったよ
何にもわかんないんだが何からやればいいんだ?
とにかく何にも知らないからいきなり難しい話はやめてくれ
よろしく
822 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 22:18:11.34 ID:Qu1DdGqg
>
>>810 >> しかしあなたはいくら経典を読んでも全く体現出来ておらず煩悩の塊だ。 人を非難するために知識を使っているだけで自分で実践していない。
>
>一体何を根拠にそんな誹謗をするのか?
>そもそも、「非難」は「悟ってもいないのに悟ったなどと大きな嘘をつく」ことに対してのみで、それ以外は非難などしていませんよ。間違った内容について、それは間違いです、と言ってるだけです。
しかし「経典と比較して違っている」ということと「間違っている」ことが同じかどうか、
あなたはどうやって確認したのかね?
>> 釈迦は経典の内容と違うことを言う者を「経典と違う」と言って責めろと言っていたのかね?
>
>責めろなどとは言っていませんが、間違いを正すことを奨励しています。
これも上と同じこと。
>> とりあえず自分で真実だと感じるから100%主観だ。しかし大半が自分のことであり 他人のことではないから確認することがほとんどないし、その必要がない。
>
>人間は錯覚や勘違いばかりする存在です。あなたが「真実だと感じ」ただけのものが一体
>何の当てになるのですか。「真実だと感じ」るだけで、証拠もなく証明もされないものは、一般に真実などではありません。ただの妄想です。
証拠や証明は自分で身をもってやっているよ。大半が自分のことだから問題はない。
自分の責任で自分で確認するだけのことだ。
悟るには必ず決められた道筋があるんじゃなくて、複数ルートがあるんじゃないの。 欲や我(ワガママ)を力任せに、かつ自分の限界以上に振るってもなお、 「満足」の到達まで一向に辿りつかず、さらにその無茶のしわ寄せで転落して 地獄の環境に一旦落ちていく道。「我」がポロリ落ちて、光が訪れた人。 ブログ開設してる人って、このパターンが多い気がするなんとなく。 哲学や信仰を目指す道で、無限の疑いに苦しんで、そこで突き抜けた人。 この世の仕組み、苦が無限に生じる感情システムを知って、その知識を 足がかりにして内省に入っていく道。おだやかな展開。 恐れのシステムを理解しているので、動揺や激昂に駆られる穴を事前に避けられ、 釈迦に近い境涯を目指すルートから外れにくいのが長所。ドラマチックじゃないのが欠点w
825 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 23:05:17.60 ID:EHHJzjc4
>>820 > もしかしたら悟ってるかもしれないよ。どうやって区別するの。
そんなこと言い出せばキリがない。あなたも、誰もかれも悟っているかもしれない。
そんな仮定は無意味です。言動で形式的に判断すればいいだけ。
>>822 > しかし「経典と比較して違っている」ということと「間違っている」ことが同じかどうか、
> あなたはどうやって確認したのかね?
「正しい」とか「間違い」は全て単独で存在するのではなく、何かに対しての評価です。
私は最初から「典拠への参照」によって「間違っている」と言っているのみであり、
それ自身経典の参照によるものです。つ
>>734 > 証拠や証明は自分で身をもってやっているよ。
それは錯覚や勘違い、妄想などでない証拠や証明には全くならないでしょう。
自分自身の主観で評価している間は永遠に。
>大半が自分のことだから問題はない。
> 自分の責任で自分で確認するだけのことだ。
そんなものはあなたの妄想に過ぎないのだから、他人に語ったり勧めるべきではない。
いくらあなたが「自分の実感で真実と感じた」ところで、他人には何の関係もないのだから。
そんな主観に過ぎないなことで、なぜ私に反論しようとするのか理解できないな。全く意味がない。
言動で形式的に。どう言動すれば悟ったことになるんだろうな。実に興味深い。
827 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 23:11:39.81 ID:EHHJzjc4
>>818 > 社会に対する貢献とか、社会の役に立つと言うような事は実は虚しい事と判るものじゃ。
そんな危険なカルト思想を垂れ流さないように。
社会に対する貢献をすること、社会の役に立つことは素晴らしい行為ですし、徳のあること
です。虚しいことではありません。仏教は社会貢献を推奨しています。
たとえば、経典には釈尊がどんな社会貢献をしたと書かれてますか。
829 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/28(水) 23:20:09.25 ID:Qu1DdGqg
>
>>822 >「正しい」とか「間違い」は全て単独で存在するのではなく、何かに対しての評価です。
>私は最初から「典拠への参照」によって「間違っている」と言っているのみであり、
>それ自身経典の参照によるものです。つ
>>734 では毎回経典のこの部分と違っていると書くべきだな。
>> 証拠や証明は自分で身をもってやっているよ。
>
>それは錯覚や勘違い、妄想などでない証拠や証明には全くならないでしょう。
>自分自身の主観で評価している間は永遠に。
とりあえず自分のことだからそれでいいんだよ。役には立っているしね。
>>大半が自分のことだから問題はない。
>> 自分の責任で自分で確認するだけのことだ。
>
>そんなものはあなたの妄想に過ぎないのだから、他人に語ったり勧めるべきではない。
他人に語ったりすすめたりしていないが?
830 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 23:30:48.60 ID:EHHJzjc4
>>829 > では毎回経典のこの部分と違っていると書くべきだな。
経典は膨大にあり、様々な部分に該当しますからね。全部をその都度チェックすることも
できないし相当手間がかかる。聞かれたらできるだけ答えてますが。
> とりあえず自分のことだからそれでいいんだよ。役には立っているしね。
それをここに書く必要はないでしょう。胸にしまっておけばいいことです。
また、何が「役には立っている」のか分からないが、明日には180度変わってるかもしれないよ。
それだけ人間の主観は当てにならないものです。
> 他人に語ったりすすめたりしていないが?
ならなぜ私に言う?私に何を言いたいのだ?
831 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/28(水) 23:45:32.31 ID:EHHJzjc4
>>828 > たとえば、経典には釈尊がどんな社会貢献をしたと書かれてますか。
とても大きな社会貢献をたくさんしていますが、
一番大きな貢献は、仏教を世に説き広めたことでしょう。
悟りを自分一人だけの秘密にせず、多くの人に教えてくれました。
またもう一つは、たくさんの弟子を指導し、世に送り出し、在家の人々も導いた
ことです。一人だけで在家を導くには限界がありますが、大きな教団を作り、
何百にも阿羅漢を育て、一人では到底面倒を見られない膨大な数の在家
を導いたのです。また、勉強したり修行したり説法を聞く余裕のない人でも、
托鉢や布施によって善行を積むことができました。これも、釈尊が教団を
作ったおかげです。さらに、王様にも法を説いたので、間接的に国全体の
幸福にも貢献していますね。時代は下りますが、アショーカ大王は仏教の
庇護者の名君として有名で、インドで一番尊敬されている王様です。
このように修行僧や比丘は修行をしたり法を説くことで世に貢献しますが、
在家は、貧しい人に布施をしたりすることで社会貢献することが推奨されています。
また、実は公共事業(インフラ作り)などの直接的な社会貢献も推奨されているのです。
「 園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、
かれらの功徳は、昼夜に常に増大する。」(サンユッタ・ニカーヤ)
832 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 00:00:18.49 ID:Qu1DdGqg
>>830 >> では毎回経典のこの部分と違っていると書くべきだな。
>
>経典は膨大にあり、様々な部分に該当しますからね。全部をその都度チェックすることも
>できないし相当手間がかかる。聞かれたらできるだけ答えてますが。
まあ詳細は後でも良いが、「経典と違っている」と書いた方が良い。それならあなたの意見ではなくなる。
もう少し長く書くと「経典そのものが正しいか間違っているかは今の自分にはよく分からないが、とにかく
書かれていることとは違う」という言い方だ。こうすれば無用な「私」が出てくることがなく、その後の誤解も
争いも防止できる。
>> とりあえず自分のことだからそれでいいんだよ。役には立っているしね。
>
>それをここに書く必要はないでしょう。胸にしまっておけばいいことです。
>また、何が「役には立っている」のか分からないが、明日には180度変わってるかもしれないよ。
>それだけ人間の主観は当てにならないものです。
ああ。あなたの主観もな。
>> 他人に語ったりすすめたりしていないが?
>
>ならなぜ私に言う?私に何を言いたいのだ?
明らかに間違っているように見えたからだ。経典の言葉とは合っているのかも知れないがな。
釈尊はあくまで個人を助けようとしたのであって、社会を変えようとはしてないでしょ。 学校や病院を立てて政治に参加し自ら国を治めたなんて経典には書かれてないはずです。 社会貢献が仏教の目的なら、どうしてそうしなかったんですか。
834 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 00:19:56.62 ID:pPFfJAvR
>>832 そんなこといちいち断らなくても明らかだろう。無駄に冗長になるだけだ。
>明らかに間違っているように見えたからだ。経典の言葉とは合っているのかも知れないがな
あなたの主観で間違っているように見えたからといって、私に何の関わりがあろう。どうでもよいことだ。
客観的な根拠を示して、ここがこういう理由で間違っている、と言うなら聞きもするが。
835 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 00:23:53.38 ID:A/J8DQDz
>>834 > そんなこといちいち断らなくても明らかだろう。無駄に冗長になるだけだ。
省くことにより無駄な議論が続くことになる。
> あなたの主観で間違っているように見えたからといって、私に何の関わりがあろう。どうでもよいことだ。
> 客観的な根拠を示して、ここがこういう理由で間違っている、と言うなら聞きもするが。
外に出して示せるようなものではないからなあ。自分で体験して確認してくれとしか言えない。
しかしその調子では長い道のりになるだろうなあ。
836 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 00:25:00.17 ID:pPFfJAvR
>>833 > 釈尊はあくまで個人を助けようとしたのであって、社会を変えようとはしてないでしょ。
個人を救うことの延長上に、社会変革もあるのです。
善人が増えれば、当然社会全体がよくなります。
また、国家や政治の在り方(どういう国、どういう政治が繁栄するか)も具体的に
説いていたりします。
> 学校や病院を立てて政治に参加し自ら国を治めたなんて経典には書かれてないはずです。
> 社会貢献が仏教の目的なら、どうしてそうしなかったんですか。
そのアドバイスはしていますよ。ただ実行するのは在家の役割であって、比丘は専門が
違うのです。逆に、比丘が労働に専念してしまっては、修行に専念する人がいなくなって
しまいますから、労働や医術は戒律で禁止されています。修行と労働を両立させたい人は、
在家の身分でなら可能です。
> 何百にも阿羅漢を育て その阿羅漢がさらに倍の倍で増えていけば、良い結果になったろうにね。 どっから教団に綻びが出てきちゃったんでしょう?年功序列意識が 出てきちゃったり、後発の弟子がなぜ自分を差し置いて阿羅漢の師に 熱心に構われるとは!という男の嫉妬が原因なのでしょうかね。
838 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 00:30:01.93 ID:pPFfJAvR
>>835 > 省くことにより無駄な議論が続くことになる。
あなたが拘っているだけだ。私が応じなければ終わる話だ。
もう説明し尽くしたと思うので、これでこの話題は終わりにするよ。
> 外に出して示せるようなものではないからなあ。
なら外に言っても意味ないので、胸に閉まっておけばよい。
本当はそんなものは捨て去った方がよいのだが。それを抱えている間はそれ以上成長しない。
>自分で体験して確認してくれとしか言えない。
体験は確認ではないのですよ。個人的体験はあくまで個人の想念(妄想)に過ぎないのだから。
他者に客観的に論理的に示せてはじめて「確認」が取れるのです。
あなたがいくら「幽霊をこの目で見た!」「確かに自分の目で体験した!」と言い張っても、
そんなものに価値はないのです。
839 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 00:44:04.04 ID:pPFfJAvR
>>837 それは面白いテーマです。
「その阿羅漢がさらに倍の倍で増えていけば」理想だったでしょうが、どうもそうならない
ことは釈尊自身薄々分かっていたらしい。
色々理由は考えられますが、一つは指導能力の問題でしょう。阿羅漢になること自体簡単なことではありませんが、
阿羅漢のうち「教え上手」の者はさらに少ない。ある比丘が、非常に頭がよくて徳も高く、釈尊の教えを聞いてあっという
間に悟ったが、その人の説法ときたら聞いてる人は皆チンプンカンプンで意味不明だった、という話まで経典にあります。
そして、弟子の指導で苦労してる阿羅漢の話は結構多いので、指導がうまい人は少なかったのかもしれません。
そうすると、最初阿羅漢がたくさんいても、世代を追うごとに減っていってしまうでしょう。
1世代を30年くらいとすると、数世代、100年か200年くらいで、阿羅漢はほとんどいなくなってしまったかもしれません。
あと、釈尊の教団は釈尊の死後極めて早い時期に分裂してしまいますが(根本分裂)、
理由は戒律に関する見解の違いが大きいようです。釈尊は、細かい戒律は状況に応じて変えていいよ、と言って亡くなったのですが、
「一字一句変えることはまかりならん」という人が出てきて、現実的要請との間で対立し(たとえば戒律では比丘がお金を受け取ることを禁止していますが、
貨幣経済が発達すれば、それを徹底するのは困難になります。在家も、現金で布施できる方が便利です)、仏教教団は
独裁的にまとめあげることはしませんから、考え方の違う人はどんどん出て行ってしまい、無数に分裂してしまうのです。
840 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 00:44:54.62 ID:A/J8DQDz
>>838 >
>>835 >> 省くことにより無駄な議論が続くことになる。
>
>あなたが拘っているだけだ。私が応じなければ終わる話だ。
>もう説明し尽くしたと思うので、これでこの話題は終わりにするよ。
そのままでも俺は別に構わないがあなたが変わらないならずっと同じことが繰り返されるだけになると思うよ。
>> 外に出して示せるようなものではないからなあ。
>
>なら外に言っても意味ないので、胸に閉まっておけばよい。
>本当はそんなものは捨て去った方がよいのだが。それを抱えている間はそれ以上成長しない。
抱えている? 抱えられるようなものではないのだが。
>>自分で体験して確認してくれとしか言えない。
>
>体験は確認ではないのですよ。個人的体験はあくまで個人の想念(妄想)に過ぎないのだから。
>他者に客観的に論理的に示せてはじめて「確認」が取れるのです。
内面の問題を客観的に出せるわけがないと思うが? 主観で感じ取るしか方法ないだろう。
山の頂上からの景色が見たいなら山の頂上まで自分が行くしかない。
答えになってないです。社会貢献が仏教の目的であれば、なぜ自ら行わず在家にさせるのか。 なぜ戒律で労働や医術を禁止するのか。そもそも妻帯の禁止からして、全国民が出家したら 成立しないシステムです。仏教を広めたいのか、広めたくないのか。正直意味不明です。
842 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 00:58:30.30 ID:pPFfJAvR
>>840 > 内面の問題を客観的に出せるわけがないと思うが? 主観で感じ取るしか方法ないだろう。
> 山の頂上からの景色が見たいなら山の頂上まで自分が行くしかない。
行為(業)が大事なのです。それが全てと言っても過言ではない。
もちろん常に善い行為を行うためには心を清くしないといけませんし、そのために修行をするのです。
悟りとは、「山の頂上からの景色を見る」というような、何か高みから見下ろすようなことでも、何か神秘的な
知覚経験などではないのです。そんなものは何もないのです。期待しても無駄です。
行為や言動が問題なのであり(八正道で言うところの正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定)、
それが実証なのです。
843 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 01:15:44.02 ID:pPFfJAvR
>>841 > 答えになってないです。社会貢献が仏教の目的であれば、なぜ自ら行わず在家にさせるのか。
「なぜ自ら行わず在家にさせるのか」という問は、なぜ「研究医は臨床をせず、臨床医に臨床を任せるのか、人助けが医者の目的なら、臨床を
すべきだろう」と言っているのと同じです。役割が違うだけです。
直接的には在家に社会貢献を推奨しているのです。在家が積める徳であり、在家の役割だからです(托鉢僧に食事を与えたり寺や土地を寄進して教団を維持運営するのも
在家の役割)。一方比丘には、直接的な社会貢献よりも修行に専念することを推奨しています。それが比丘の役割だからです。
> なぜ戒律で労働や医術を禁止するのか。そもそも妻帯の禁止からして、全国民が出家したら
> 成立しないシステムです。
もちろん、全国民が出家しないことを見越した上でのシステムです。誰でも彼でも出家することを
推奨しているわけでもありません。むしろ、出家を断る例も多い。出家を認めるかどうかは相手の状況にもよるのです。
たとえば、年老いた両親を介護しなければならないのに、見捨てて出家するなどということは許されません。
>仏教を広めたいのか、広めたくないのか。正直意味不明です。
無理やり押し付けようとしてもどうせ無駄だということを、釈尊は分かっていたのです。
「わたしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩を渡るであろう。」
いくら釈尊と言えども、力技で無理やり他人を解脱させることはできません。
出家にしても同じことです。全国民が出家する心配などもともとないのです。
在家として修行する方が相応しい人もたくさんいますし、出家の身でも悟った人はたくさんいるのです。
844 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 01:20:01.19 ID:pPFfJAvR
>>843 > 出家の身でも悟った人はたくさんいるのです。
書き間違いです。「在家の身でも」です。
> 「一字一句変えることはまかりならん」という人 悟っていたら、↑なこと強弁しなかったろうにな。 さらに、その強弁がまかり通ってしまったということは(事実分裂しちゃったし) 教団の中でわりに高位だった人なんだろうか。 釈迦の教団は、悟りの深度と階梯の高さを比例させてなかったのかな? 弁舌が巧みな人と皆が感じ、認めた人を民主的に推薦する感じだったりかな。
846 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 01:49:25.40 ID:A/J8DQDz
>>842 >行為(業)が大事なのです。それが全てと言っても過言ではない。
>もちろん常に善い行為を行うためには心を清くしないといけませんし、そのために修行をするのです。
ああ。是非してくれ。
>悟りとは、「山の頂上からの景色を見る」というような、何か高みから見下ろすようなことでも、何か神秘的な
>知覚経験などではないのです。そんなものは何もないのです。期待しても無駄です。
山の頂上ってのは喩えで出しただけだよ。別に谷底でも同じだよ。見たいならそこに行くしかないってこと。
それと期待なんかしてないが? ていうかむしろ期待したら遠ざかると思うなあ。
神秘体験をしちゃうような人ってのは直前まで自我が肥大してて苦が限界に達しちゃった人なんじゃないかな。
限界まで行って思考が停止してサマーディになるってことね。直前の状態とのギャップが大きいので神秘体験
のように感じてしまうと。しかし実際には認識が一時的に正常化しているだけ。
>行為や言動が問題なのであり(八正道で言うところの正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定)、
>それが実証なのです。
それは結果だね。
修行が進んで「私がある」という妄想が消えて行かないとうまく行かない。
847 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 02:06:06.05 ID:pPFfJAvR
>>845 > 「一字一句変えることはまかりならん」という人
>
> 悟っていたら、↑なこと強弁しなかったろうにな。
そうとも限らないでしょう。教団の安定維持にはそれが絶対必要と考えたのかもしれない。
悟ったと言っても、別に超能力者じゃないですからね。
それが裏目に出たか、あるいはどちらにしろ分裂したのでしょう。「戒律を都合により変えていい」
とすれば、だんだん堕落して、最終的に収集つかなくなるでしょうからね。
もしかしたら、「一字一句変えることはまかりならん」とする方が比較的安定して持続し、
それを受け継いだ人たちが今日までパーリ経典を伝えてきてくれたから、それはそれで
よかったのかもしれない。
阿羅漢だけならどちらでも問題なかったでしょうし、しかし現実は教団はほとんど修行半ば
の者だらけですから、どちらでも遅かれ早かれバラバラになったのだろうと思います。
まあ釈尊の本意としては、「律」というのは上から下へ押し付けるものではなく、
教団維持のために皆で決めて皆で守る決め事です。
> 釈迦の教団は、悟りの深度と階梯の高さを比例させてなかったのかな?
> 弁舌が巧みな人と皆が感じ、認めた人を民主的に推薦する感じだったりかな。
教団運営と、修行の練度や悟りは関係無かったようです。完全な合議制で、最終的に投票に
より多数決(多語毘尼という)で秘密投票によりものごとを決定しました。
現代の直接民主制とほぼ同じです。
848 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 02:14:37.58 ID:pPFfJAvR
>>846 > 期待なんかしてないが? ていうかむしろ期待したら遠ざかると思うなあ。
屁理屈ばかりだなあ。まあ大乗信者は大抵、屁理屈を一生こねくり回してるだけで終わる。
期待したら遠ざかるなら、あなたは一体何がしたいのか?あなたに悟りなど不要でしょう。
そもそも、期待して得ようとして得られないなら、原理的に悟りは不可能だということになります。
期待して努力することでしか、人間は何かを達成することはできません。
> それは結果だね。
違いますよ。八正道は「道」ですから修行法そのものです。結果は苦の滅(解脱)です。
>>819 まずあなたは経典の真偽を確かめるために研究論文などを読んで勉強していると。
で、そのためには経典をしっかり理解して学ばければならないと。
それはわかるんだけど、そのオリジナル(?)とされる経典の信憑性の事を聞いてるのです。
経典しか手がかりが無いから、その経典を信じるしかないと?
だからそこでなぜ「疑う」という発想があなたに無いのかが理解できないと言ってるのです。それ盲信じゃないですか。
重要なのは「批判」じゃなくて「真偽を確かめる」事だと私は思う。
繰り返しますが、あなたはよく研究して勉強してらっしゃるかもしれない。
ただ、あなたの展開する経典中心の話から他人を納得させるほどの証拠・証明がまるで出てきてません。
あなたは自分自身の主観を疑った上で、証拠のある話をしているのですか?もっと具体的に願います。
850 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 02:47:37.86 ID:pPFfJAvR
>>849 > それはわかるんだけど、そのオリジナル(?)とされる経典の信憑性の事を聞いてるのです。
あなたの言う、経典の真偽とか信憑性というのはどういう意味なのでしょうか?
捏造された経典か否か、という意味ではないの?他にどんな真偽や信憑性があるのか?
> 経典しか手がかりが無いから、その経典を信じるしかないと?
釈尊の教えを知るには、それ以外にないでしょう。大乗の坊さんなんぞに聞いても、
いい加減な思いつきしか言わないんだから。他の方法を知りませんね。
> だからそこでなぜ「疑う」という発想があなたに無いのかが理解できないと言ってるのです。それ盲信じゃないですか。
> 重要なのは「批判」じゃなくて「真偽を確かめる」事だと私は思う。
だから疑って批判研究を参照し真偽を確かめていますが? たとえば、経典の新層には
地獄の描写や神々との会話など、迷信がたくさん紛れ込んでいますが、古層には少ないですし、
最古層にはほぼ見られません。つまり、もともと釈尊の教えには迷信はなく(むしろ、迷信や信仰を捨てよ、という教えが多い)
後世に付け加えられたりアレンジされたものだと分かるのです。
> ただ、あなたの展開する経典中心の話から他人を納得させるほどの証拠・証明がまるで出てきてません。
だから、疑うならご自分で読めばいいのです。
私は何度もそう言っているのに、誰も自分で読もうとしない。読みもせずに納得させるほどの証拠・証明がまるで出てこない
などと言われても、私には為す術がありません。「実際そう書いてあるから、嘘だと思うならご自分で読んで下さい」としか言えません。
> あなたは自分自身の主観を疑った上で、証拠のある話をしているのですか?もっと具体的に願います。
私は自分の主観を何一つ認めません。客観的証拠(目に見えるもの)(たとえば経典や考古学的遺物など)でなければ意味はありません。
客観的証拠なら、吟味や比較検討の材料になり得るからです。
「お金持ちになりたい」という願望は、信仰の場では否定的に「そのような欲は良くない」と 諭されてしまう印象があります。(世俗でそう公言することは別段恥ずかしい事ではありませんね 釈迦の教団では、在家信者の種々の「俗っぽすぎる」欲望について、どう応対していたのでしょう? 清貧の境地を目指すようにと、欲を斬り、信者に欲を捨てさせ、帰らせていたのですか。 欲は斬らないが、金持ちになれと奨励もせず、世俗の欲望には我関せずだったのでしょうか。 このどちらでも無く、俗の欲を純な欲にランクアップさせる妙手でも使っていたのでしょうか。
仏教が、経典を読まねば救われないというものであれば 現在のような、ある意味親しまれ頼られる形態では存在しなかっただろう。 経典と共に導いてくれる僧の人間性も大きく影響してきたはずだ。 また、そのような感性をも仏典は擁しているのではないか。
853 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 14:05:10.17 ID:azC8+HFu
>>796 > 80年代、タイの病院、招待された。
> めんえきだめんなる、おそろしい伝染病
> そのころ 「治らない」 てゆわれた、病気
> 先生、患者7人、みんな陰性に変えちゃった
HIV感染症の事かな?
君の言う事を疑うわけじゃないけどそれって加持祈祷の類でだよね。
仏教はそういうの禁止されてたんじゃなかったか?
ちょっと仏教の悟りとは違うような気がするんだが…
854 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 15:17:08.76 ID:pPFfJAvR
>>851 > 「お金持ちになりたい」という願望は、信仰の場では否定的に「そのような欲は良くない」と
> 諭されてしまう印象があります。
そんなことはありません。釈尊の在家信者には、お金持ちがたくさんいました。
王侯貴族もたくだんいました。富を独り占めする欲は良くないと諭されますが、
貧しい人に施しをしたり、インフラ整備に出資するなど、社会貢献で社会に
還元するなら、金儲けするのは善いことです。(悪どい商売やったり他人を騙して
金儲けしてはいけませんが)
そればかりか、蓄財をするこを薦めています。収入を四等分し、四分の一を自分で享受し、
四分の二(半分)を業務の履行に当て、四分の一を貯蓄し、将来の備えにしなさい、と
教えています(ディーガ・ニカーヤ)。
また、布施は善いこととされていますが、家族の生活に差し障るほどの過剰の
布施は戒められています。(巷のカルトと大きく違う点です)
> 釈迦の教団では、在家信者の種々の「俗っぽすぎる」欲望について、どう応対していたのでしょう?
> 清貧の境地を目指すようにと、欲を斬り、信者に欲を捨てさせ、帰らせていたのですか。
清貧は美徳ですが、困窮せよという教えではありません。商才がある人は金儲けをして、
その分たくさん人を幸せにすればよいのです。被雇用者も喜びますし、まっとうな商売で成功するということ自体、
顧客を喜ばせた結果です。
現代でも同じです。商売が成功してたくさん儲ければ、顧客に支持された結果ですし、税金をたくさん国に納めるので、
自動的に社会貢献になります。また、経営者だけが富を独り占めするのではなく、今は就職難ですからたくさん人を雇い、従業員にも
還元すれば、皆がハッピーになります。逆に、役員以上だけがボロ儲けして、被雇用者は皆最低賃金でこき使われる、なんてのはいけません。
株式会社ってシステムは、どんな手を使ってでも株主を満足させることが至上命題で、それができるかどうかという観点だけで
社長に高い報酬を払うので、被雇用者の幸福や企業倫理は無視されがちですから、システムにも構造的問題があるかもしれません。
また、まっとうな商売での成功が善いのであって、独占企業が立場を悪用して儲けることが認められるわけではありません。
855 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 15:20:06.41 ID:pPFfJAvR
>>852 > 仏教が、経典を読まねば救われないというものであれば
経典を読まねば救われないということではなく、そもそも釈尊の教えを正しく知るには、
経典を読む以外にないのが現状だということです。日本のお坊さんもほとんど内容を
知らないのだから、他人にも教えられません。
856 :
312 :2012/03/29(木) 19:38:24.88 ID:5Hn32fKL
鬼和尚は仏なのですか?
>>821 先ずは数息観などをやってみるがよかろう。
わしのブログなどを参考にするのじゃ。
それによって心が静まり、心を観る集中力が身につくのじゃ。
>>823 どういたしまして、またおいでなさい。
>>851 このように言っておる。
聡明な人は三つの宝を求めるならば戒めを守れ、その三つとは世の人々の賞賛、名誉と、財の獲得と、死後に天上に楽しむ事である。
十善戒とかを守らせるのに欲も利用していると言えよう。
>>856 わしは目覚めた者でるから仏陀と言えるじゃろう。
死んではいないのじゃ。
死んだら仏と言うのは迷信なのじゃ。
859 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 20:21:37.47 ID:pPFfJAvR
>わしは目覚めた者でるから仏陀と言えるじゃろう。 よく言うよw
860 :
312 :2012/03/29(木) 20:30:58.73 ID:5Hn32fKL
861 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 23:04:18.57 ID:A/J8DQDz
>>848 >> 期待なんかしてないが? ていうかむしろ期待したら遠ざかると思うなあ。
>
>屁理屈ばかりだなあ。まあ大乗信者は大抵、屁理屈を一生こねくり回してるだけで終わる。
主観的評価だね。w
>期待したら遠ざかるなら、あなたは一体何がしたいのか?あなたに悟りなど不要でしょう。
>そもそも、期待して得ようとして得られないなら、原理的に悟りは不可能だということになります。
>期待して努力することでしか、人間は何かを達成することはできません。
期待すればするほど遠ざかってしまうことが分からないのかな?
>> それは結果だね。
>
>違いますよ。八正道は「道」ですから修行法そのものです。結果は苦の滅(解脱)です。
苦が滅して行かないとうまく出来ないことばかりだよ。実際あなたは全然出来ていないように見えるしなあ。
残念なことだ。
862 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 23:16:19.21 ID:A/J8DQDz
>>850 >
>>849 >> それはわかるんだけど、そのオリジナル(?)とされる経典の信憑性の事を聞いてるのです。
>
>あなたの言う、経典の真偽とか信憑性というのはどういう意味なのでしょうか?
>捏造された経典か否か、という意味ではないの?他にどんな真偽や信憑性があるのか?
多分その人の言いたいことは、経典の内容をあなたが実践して実際にあなたが苦を滅したのなら
経典の内容をあなたが信じるというのは分かるということなんじゃないのかな。実践しもしないで、
あるいは実践してもうまく行っていないのに書いてある内容を信じるというのはただの妄信だからね。
それじゃただのカルトだ。
863 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 23:20:36.48 ID:pPFfJAvR
>>861 > 期待すればするほど遠ざかってしまうことが分からないのかな?
あなたは悟りや解脱というものを全く理解していないね。
期待し努力に努力を重ねて、学習と思索と修行の結果達する境地だ。 期待すればするほど遠ざかってしまうものならば永遠に得られない。
そもそもあなたは一体なぜ「期待すればするほど遠ざかってしまう」と思ったの?
それもあなたの主観?w
一番期待のない人は、正しく生きることについて何も知らず興味もない人だが、即ち一般大衆のほとんどがそうだが、そういう人が
自然に悟るとでも思っているのか?それならば仏教なんて必要ないね。みんな何もしなくていいね。
実にくだらない話だ。
> 実際あなたは全然出来ていないように見えるしなあ。
そりゃあなたの妄想する悟りモドキは、私にはないだろう。私の目指してるものはそんなものではないからね。
864 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 23:30:40.42 ID:pPFfJAvR
>>862 理論が論理的に正しいかどうかと、実践するかどうかは全然別の話だ。
ただ、実践について聞いているなら、私ももちろん実践して苦を滅する経験は何度もしていますよ。
そんなことはちょっと真面目にやれば誰でもすぐに経験できる。。
865 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 23:37:25.64 ID:A/J8DQDz
>>863 >
>>861 >> 期待すればするほど遠ざかってしまうことが分からないのかな?
>
>あなたは悟りや解脱というものを全く理解していないね。
>期待し努力に努力を重ねて、学習と思索と修行の結果達する境地だ。 期待すればするほど遠ざかってしまうものならば永遠に得られない。
>
>そもそもあなたは一体なぜ「期待すればするほど遠ざかってしまう」と思ったの?
>それもあなたの主観?w
煩悩に動かされて頑張っても煩悩が膨らむだけだよ。実際あなたの煩悩は膨らみまくってるじゃない。
見事に結果が出てるよね。w
>一番期待のない人は、正しく生きることについて何も知らず興味もない人だが、即ち一般大衆のほとんどがそうだが、そういう人が
>自然に悟るとでも思っているのか?それならば仏教なんて必要ないね。みんな何もしなくていいね。
>実にくだらない話だ。
その一般大衆の方が今のあなたよりはましだろうな。
>> 実際あなたは全然出来ていないように見えるしなあ。
>
>そりゃあなたの妄想する悟りモドキは、私にはないだろう。私の目指してるものはそんなものではないからね。
まあやり方はどうでも良いからあなたはとにかく少しでも苦を滅した方がいい。
866 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 23:38:08.35 ID:A/J8DQDz
867 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 23:44:46.27 ID:pPFfJAvR
>>865 > 煩悩に動かされて頑張っても煩悩が膨らむだけだよ。実際あなたの煩悩は膨らみまくってるじゃない。
> 見事に結果が出てるよね。w
> その一般大衆の方が今のあなたよりはましだろうな。
だから何を根拠にそんなことを言っているんだ?
> まあやり方はどうでも良いからあなたはとにかく少しでも苦を滅した方がいい。
あなたは自分の心配をしなさいよw
私には苦は生じない。
868 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/29(木) 23:49:35.89 ID:A/J8DQDz
>>867 >>867 >
>>865 >> 煩悩に動かされて頑張っても煩悩が膨らむだけだよ。実際あなたの煩悩は膨らみまくってるじゃない。
>> 見事に結果が出てるよね。w
>
>> その一般大衆の方が今のあなたよりはましだろうな。
>
>だから何を根拠にそんなことを言っているんだ?
見ることも触ることも測ることも出来ない所を見て言っている。
> > まあやり方はどうでも良いからあなたはとにかく少しでも苦を滅した方がいい。
>
>あなたは自分の心配をしなさいよw
>私には苦は生じない。
なるほど。まだ認めない者のままか。
869 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/29(木) 23:56:15.86 ID:pPFfJAvR
>>868 > 見ることも触ることも測ることも出来ない所を見て言っている。
> なるほど。まだ認めない者のままか。
こんなくだらない御託にこれ以上付き合う気はないよ。
870 :
偽和尚 ◆qH7QdQmFhM :2012/03/30(金) 00:00:19.47 ID:A/J8DQDz
そんなにも書き争うんだったら、変容の過程をそれぞれ書いてみたらいいのに。 「永遠に突入した時」から「その終わり」まで。 自然現象で言うなら、虹が地に足を下ろした時から、虹が消えるまでの光景を 自分はどのように目撃したかの観察報告をする、そういう感じで。
872 :
おさかなくわえた名無しさん :2012/03/30(金) 09:30:28.68 ID:WiUMzMWP
つまらん書き込みが多くなったな。 長い文章でも中身が乏しい。ケッ!
鬼和尚さん もし時期が相応しいなら、この日本の不安定な状況における心がけをお聞きしたいです。
874 :
312 :2012/03/30(金) 18:52:46.65 ID:cf/VAEoC
仏教にあこがれなくなることは悪いことですか?率直な質問です。
>>860 そうじゃ、抜けたのじゃ。すまんのう。
>>873 時期に関係なく常に己を磨く事を忘れん事じゃ。
時が来てもっと真面目にやればよかったと後悔しないようにのう。
他の全ては修行によって解決するものであるからのう。
精進じゃ。
>>874 いい事じゃ。
仏教とは彼岸に渡れば捨て去られる筏という道具に過ぎないものじゃ。
スパナやペンチにあこがれるものがおらんように、そのような余計な思いはいらんのじゃ。
余計なものがなくなれば本当に使えるじゃろう。