仏性は誰にでもあると
気づけば悟りなのじゃ。
902 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/20(月) 03:33:58.27 ID:b5r5Mh4G
>>893 覚る(運命にある)人って、どうも体が丈夫なようですね・・
>>895 お返事、有難う御座います。
903 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/20(月) 03:45:31.16 ID:b5r5Mh4G
>>900 仏典だったか(もしかして漫画だったかも!)に、
井戸へ向かい何も知らず這っていく赤子を見たら、たとえ悪人でも(それを)とめるであろう、
というお話がありました。
それが人の本性だ、と
なぜ人助けをするのか。
この難問は、たった一言で解き明かせるのかも知れません。
「それが人の本性だから」
人の本性は「善」である。
この事実に触れるのは、自分であれ他人であれ、何かの悪には成らないのではないでしょうか・・
・・以上、及ばずながらコメントを試みました。
それを見てるのも赤子だったら助けないよね。
なら落ちたら痛いとか死ぬとか学習した結果なんじゃ無いの?
覚醒者に「真我」なる表現がよく出てきますが、
無常・無我を説く仏教としては相容れないものがあると思いますが、
彼らはどういう状態にいるのでしょうか?
ただ心の余裕を感じているだけなのでしょうか?
906 :
健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2012/02/20(月) 17:10:39.13 ID:+kGQXzal
>>901 「気づく」が問題なんだな。
単に頭で気づくのではなく、実感というか体験というか、身をもってわかること。
その辺りの表現が難しい。
907 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/20(月) 18:20:47.68 ID:v1Y/OzrZ
鬼和尚様
私は、仏教徒です。単なる名も無い一檀家にすぎませんが、仏教に興味を持ち、毎日のお勤めはしています。
さて、仏教のお坊さんには、死刑制度に対して慎重な態度または明確に反対しておられる人が多いと聞きます。
それは、仏教の「殺生を禁ずる」という戒律からくるものだろうと理解できます。鬼和尚様は、死刑制度について
どうお考えですか?
私は、死刑はあったほうが良いと思っています。今日、13年前の、光市母子殺害事件の加害者である大月孝行
(旧姓:福田孝行)に死刑判決が確定しました。私は、当然だと思っています。何なら、テレビの全国生中継で公
開処刑してもいいぐらいだと思っています。こんな私は、仏教徒としては、失格なのでしょうか?
以前、就職に関する相談をした者ですが、なんとか内定を頂きました。
お返事を下さった和尚や他のみなさま、ありがとうございました。
みなさんのアドバイスが見事に役に立った結果です。感謝致します。
909 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/20(月) 19:04:03.04 ID:BT6LXOGD
>>908 参考までに、何がどう役に立ったのか教えて下さい。
他の人の参考にもなるでしょうから。
>>896 いい事じゃ。実践する者だけが進んで行くのじゃ。
またおいでなさい。
>>897 それは自我とは己を守るものという幻想を抱く者の恐れが表れたものじゃのう。
実際には自我は恐れを生じ、苦を起こし、智恵を歪めるものであるがのう。
幻想をみていてはいかんのう。
>>899 わしの書いた事をちゃんと読むのじゃ。
@ 悟りという意味でも文意は同じ。
A 悟りを知らぬ者には、他人が悟りを得た者であるか知られない。
わしはおぬしを説得はしないのじゃ。
おぬしもわしを説得は出来ないのじゃ。
わしは孔子が悟りを知らず、得る事も無かったと知っておる。
それはおぬしが何を書いても変わらないのじゃ。
そしておぬしが孔子は悟って居たと思いたいならば思っていて良いのじゃ。
それが自由なのじゃ。
コミュニケーション不全という絶望
>>900 それが慈悲と言うものじゃ。
自ら起こるものであり、考えて行うものではないのじゃ。
苦を滅する道を知らない者に、教えるのも修行と言えるじゃろう。
自分が確かに知っていなければ他人には教えられないからのう。
>>905 真我というものも実は悟りを得るための修行法なのじゃ。
全てが真我であると見做し、その真我は無によってのみ表されると言う、空の法と同じ様式なのじゃ。
それを修めたならば一切が無であると感じるじゃろう。
>>907 昔、アングリマーラという者がおったのじゃ。
99人殺して100人目にお釈迦様に会って帰依したのじゃ。
修行して悟りを得たが、托鉢に出ると石を投げられたり、殴られたりしたのじゃ。
それを見たお釈迦様はただ「耐えるのじゃ」と言ったのじゃ。
お釈迦様は王様の軍隊がきた時には渡さなかったが、人々が痛めつけるのを見てもただ「耐えるのじゃ」と言ったのじゃ。
もしかしたら人々は怒りまくってアングリマーラを殺したりしたかも知れん。
しかし、お釈迦様はただ「耐えるのじゃ」と言ったのじゃ。
99人殺した者でも自ら死刑にしようとはしないが、自らの行いが報いる事は止めようとしなかったのじゃ。
>>908 良かったのう。
またおいでなさい。
914 :
907:2012/02/20(月) 22:07:55.76 ID:v1Y/OzrZ
鬼和尚さま
ありがとうございます。
アングリマーラの話、はじめて聞きました。
なるほど、己の悪行の報いは己が受けていかなければならない、ということですね。
自業自得ということでしょうか。
目から鱗が落ちました。
ご回答に心から感謝いたします。
仏教徒でアングリマーラの話を知らないとか。
死刑も報いだろ?
眼から鱗の意味が分からないよ。
アングリマーラって実在の人物、?
ちょうど100人目がお釈迦様って話ができすぎのような・・・
500人子供を産んだ鬼子母神の話とかあるけどお伽話だよね?
917 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/20(月) 23:17:35.28 ID:BT6LXOGD
>>915 > 死刑も報いだろ?
しかし死刑になるはずのアングリマーラを引き取って、死刑回避したのは釈尊ですよ。
パセーナディ王がアングリマーラを捕らえに来た時、釈尊が阻止したのですから。
すでに改心したものを力づくで取り押さえる必要はなかったんだよ
919 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/21(火) 12:16:12.51 ID:/D4sF06N
日本の死刑制度は、いくら改心しても死刑になるね
920 :
泥団:2012/02/21(火) 13:02:30.17 ID:qTU0G0Ld
伝統宗教の経典って本当に古すぎて、どこまでがあるがままの事実なんだか
判断付けかねるってところは、たしかにありますね。
古事記なんて勝てば官軍じゃないけど、大和政権に都合よく書きかえられちゃってるし、
特に神話系はメタファーだらけでわけがわからない。
聖書もすごい奇跡の数々の連続だけど、実際どうだったのか今は検証しようが
ない。欧米じゃ延々と論争してるけど。
だけど、ほんの100年前の坂本龍馬の素行でさえ、まだはっきりと確定
できてないことも実際は多いと聞いたわ。
1000年以上となると、事実無根じゃなくても多少の誇張や改変は
時代の変化でありえると思う。
まあ、そういいつつ私は奇跡は信じるタイプだけど。w
921 :
泥団:2012/02/21(火) 13:08:27.98 ID:qTU0G0Ld
100年前って夏目漱石くらいか。
龍馬はもう少し古かったわ。突っ込まれる前に訂正。
922 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/21(火) 19:36:55.31 ID:dYGfvhCt
>>910 「書いた事をちゃんと読―― 」
みましょう、鬼和尚さん。
(道を)得るのを「学ぶ」と同じにしていらっしゃった(そう読解されていた)ので、それは違いますよと、説明させて頂いた次第です。
「文意は同じ―― 」
じゃないですよ。
「道を得る」と「知識を入れる」とでは、(孔子の件の言葉の)全体の意味が、まるで違ってきちゃいますからね。
「死すのも可なり」、じゃあ人は通常、なぜ死すのが「不可なり」なのかを、考えてみて下さい。
それを遣り残した事、心残りがあるからです。
痛いから、(生体反応として)苦しいから、ではありません。
ちなみになぜ苦行が間違っているのかを説きますと、苦行でこれら痛覚的生体反応を取り去る事は、出来ないからです。
無論、他のどんな方法でも。
取り去れないものを取り去ろうとしても意味が無い事に、釈迦は気が付いたんじゃないでしょうか。
923 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/21(火) 19:44:50.26 ID:dYGfvhCt
また人は決定的に、他人が死すのも「不可なり」です。
これは体の苦痛が理由じゃないのの、証左になります。
人は心残りがあるから「死すのは不可なり」、つまり死を怖れるのです。
孔子の言葉は、覚りの本質、すなわち「覚れば心残りが消える」のを、見事に明文化しているのです。
924 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/21(火) 19:46:00.94 ID:dYGfvhCt
>>922 × それを遣り残した事、心残りがあるからです
○ それは遣り残した事、心残りがあるからです
失礼致しました
925 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/21(火) 19:53:24.81 ID:dYGfvhCt
なおムルティ氏は、(検索したところによれば)「私は何も信じない」という言葉を残されています。
同時に、「ありのままを見つめなさい」とも。
信じないという事は、ありのままが見られない事になり、言葉に矛盾、つまり迷いが生じています。
よって覚られていないと、解かるわけです。
「ムルティ氏は覚っている。
覚れば判る」
これじゃ↑説明になっていませんし、真「理」という言葉もあるくらいなので、
こうだからこう、という、「理」的な物の見方をされたほうが、宜しいんじゃないでしょうか
ありのままに見ることと信じないことには矛盾は無いよ。
そこは悟って無くてもわかるところ。
>>914 どういたしまして、またおいでなさい。
>>916 ちょっと作っているかもしれんのじゃ。
元になった話はあったのじゃろう。
>>922>>923 孔子の言う道とは悟りでない事は論語をちゃんと読めば判るはずであるがのう。。
孔子は明らかに悟りというものを知らず、得ても居なかった。
しかし、おぬしがそのように思い、書く事は自由なのじゃ。
それが言論の自由と言うものじゃ。
和尚さんたちは今回の光市母子殺人事件の死刑判決について
どのような所感をお持ちでしょうか?
ご意見をお聞かせください
929 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 00:21:32.26 ID:kUWOxN+Z
>>926 「何も」信じないという事は、ありのままを見るべき対象も信じない、つまり「これはありのままじゃないハズだ」と見ている事になり、
ありのままが見られない、となるわけです。
>>927 「ちゃんと読めば判る」
これじゃ↑、説明になってないと思います。
930 :
封禪:2012/02/22(水) 01:23:59.33 ID:AJndHIvX
それもまたありのまま
>>929 正誤の判断を挟むから、信じる信じないの問題が生じるんだろ
それこそ、ありのまま見てないって事だと思うよ。
善悪と言ってもいいか。
>>929 それは「これはありのままじゃないハズだ」という信念。
君は言葉に言葉以上の意味を与えている。
935 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 15:05:47.37 ID:uBJXeSlH
ありのままってなんですか?
ありのままなんてあるんですか?
蟻のママなら・・・
937 :
Maria:2012/02/22(水) 17:10:23.22 ID:nBo6pYk7
真理の尼なら
938 :
不二家ミルキー:2012/02/22(水) 17:14:59.77 ID:nBo6pYk7
ままのありなら
どうしたらいいかわからないときもありのまま?
>>928 被害者も加害者も哀れなものと感じるのじゃ。
何も判らぬまま生きて死んで行く人の世の儚さを感じるのう。
>>929 今このスレでおぬし自身が証明しておるように、悟った者の言葉も直ぐに矛盾が無いとわかる者が居れば、それが矛盾していると思い、それが理だと思う者も居る。
文字が読む者によって変わるわけではない。
ちゃんと読んで正しく考えるかどうかの違いなのじゃ。
論語も本当にその意味が知りたいならば、ちゃんと研究している者にでもついて学ぶが良かろう。
そうすれば真の意味を知り、かつて自分が奇説を述べていた事が恥ずかしくなるじゃろう。
その時、本当に論語を知ったことになるのじゃ。
>>935 全てが本来ありのままじゃ。
それ以外にありようはないのじゃ。
人が余計な思考や記憶によって分別しなければそれは見ることができるのじゃ。
941 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 20:37:47.83 ID:uBJXeSlH
>>940 >
>>935 全てが本来ありのままじゃ。
> それ以外にありようはないのじゃ。
> 人が余計な思考や記憶によって分別しなければそれは見ることができるのじゃ。
ただの言葉遊びですね。
ありのままなどというものはない。
人は自分のバイアスを通してしかものを見られない。
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、 心によってつくり出される」のです。
「人が余計な思考や記憶によって分別しなければそれは見ることができるのじゃ。」ではなく、
「思考や記憶によって分別」しなければ、何も見えなくなってしまうのです。
心の働きを止めれば、心によってつくり出されたものも消えるのです。
あなたはまだまだ修行が足りない。偉そうに人に説教垂れる前に、もっと自分の修行に専念しなさい。
せめて自分が預流果に達してから他人にアドバイスなさい。
942 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 20:39:05.14 ID:uBJXeSlH
そもそも、「分別するな」は仏教ではない。間違った理解が日本では広まっている。
「正しく分別しなさい」が本来の仏教です。
ならこれは何だよw
>「何も」信じないという事は、ありのままを見るべき対象も信じない、
>つまり「これはありのままじゃないハズだ」と見ている事になり、
>ありのままが見られない、となるわけです。
そう言えば、ああ言えば上祐って奴居たなw
>>941 修行が足りない、などと言えるのはきちんと修行を実践している者だけです。
あなたはどうか?と問われて、自信を持って嘘偽りなく返答ができますか?
あなたの意見にも一理あるかもしれないが、自説を滔々と述べるならもっと自分の修行に専念して頂きたい。
人の役に立つ・人を救える言葉を語れるような境地を目指すべきでは?
自称悟った人に対して懐疑的なのは別に良いと思いますが、私はあなたにも大変懐疑的です。
やっぱそいつの書き込みって釣りだよね
947 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 22:16:42.44 ID:uBJXeSlH
>>945 > あなたはどうか?と問われて、自信を持って嘘偽りなく返答ができますか?
当然です。
>もっと自分の修行に専念して頂きたい。
これ以上やることないですね。
> 人の役に立つ・人を救える言葉を語れるような境地を目指すべきでは?
ですからここへ来ているのです。
948 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 22:55:50.08 ID:De93YdNv
>>932 なるほど、そういう説明も出来ますね。
ムルティ氏は正誤の判断を挟んでいるから、ありのままを見ていない、と
>>934 うーん、ちょっと説明が解かりにくい・・
「信念」とか、どんどん新しい用語を出しちゃわずに、話してみては。
>>940 「矛盾が無い―― 」
事は、今のところ説明が成されていないようです。
「奇説―― 」
である「理」が、今のところ(この場合、鬼和尚さんが)説明出来ていませんよね。
繰り返しますが、「覚れば判る」じゃ、説明になっていません。
別に装う必要はありませんので、人を見ずテーマ自体をご覧になって、楽しく「理」を語ってみてはいかがでしょう。
949 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 23:23:24.79 ID:De93YdNv
>>945 話されている事とは違いますが、
個人的には人が「覚っている」「覚っていない」には、興味が薄いです。(※無いとは言いません)
だから極端にそれに拘るのは、どうかなー、と思う立場です・・
議論をしているとヒートしてきて、「自分は覚っている!」「オマエは覚っていない!」と言い出してしまう。
これ↑は、その人が覚っている、覚っていないは別にして、あまり良い姿には思えません。
個人的には、のんびりと、「そういうのはいいから、議論自体を見ようよ」と
950 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 23:38:41.44 ID:De93YdNv
>>942 「正しく分別」
これ↑、シンプルで解かりやすい表現ですね。
個人的には、この在り方に賛成かな
ムルティ氏の「何も信じない」は、ちょっと極端に思えます。
サンジャヤと同じ事を言っている(「ありのままを見つめる」も同じ)
「何も信じないとは正しく分別する事を言い表したのだ」と(あえて)解釈も出来ますが、
そもそも言葉による表現も、
的確でバランスの良いものにしないと、
何も語っていないのと同じ(あるいは近いもの)になっちゃうからね
釈迦は流石に的確ですね
951 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/22(水) 23:46:57.52 ID:uBJXeSlH
最近聖書を教養のため読み始めたので質問させてください。
エサウのふりをしたヤコブに全ての祝福を与えてしまう話や、自分の妻を妹と言う話など、
理不尽だなと感じてなんだかスッキリしません。
聖書全体に言えるのですが、これは道徳教育なんでしょうか?それとも何なんでしょうか?
お釈迦様の言葉は好きなのですが、対して聖書は…
キリスト教徒にとって聖書とは何のためにあるのですか?
この理不尽と感じる物語をどう解釈していけばよいのでしょうか…?
953 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 00:59:02.30 ID:5nW50hPS
お察しください。
954 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 01:06:42.96 ID:WtlKwht7
仏教は全てを受け入れよ、
キリスト教は苦難を克服し、たくさんの人を愛せよ
でしたっけ?
兄夫婦の奥さんと息子さんがほぼ同時期に腺癌と白血病にかかり
現在治療中です。医療費などもとても高額で土地・建物を売却し賃貸くらしで細々ひとり暮らしています。
これらの不幸相談も兼ね、そこで昨年5月に九州の某住職、テレビでは霊能者として大々的に出演している有名な女性に相談をしたいとお願いに行ったそうです。
当然のことながら予約制で今年1月20日にようやく面会できたそうです。しかし、私は疑問があります。
前金のお布施80万を収め、更に面談後にカウンセリング料金110万、計190万もの大金で悩みを聞くという凡人には到底頼れない高額料金です。
後2回通うそうですが、そのたびに50万を支払うそうです。初日のお払いが利いたようで兄自身は体の変化を実感したそうです。
なぜここまで高額請求するのでしょうか?
>>949 議論自体が無意味なんだよね。
宗教的に言えば、師に付いたならその師のいう事を全面的に信じて従うしか無いし
師が見つからないなら、聖者の書物等から自分で見つけるしか無い。
君と鬼のやり取りも結局、自分が正しいという立場を譲らない水掛け論でしかない。
お互い自分を絶対視してるんだから、議論するだけ無駄だよ。
>>956 × 師が見つからないなら、聖者の書物等から自分で見つけるしか無い。
○ 師が見つからないなら、聖者の書物等を参考にしながら自分で実践して体験するしかない。
言葉遊び
旧約聖書はユダヤ民族の歴史書と聞きました。
理不尽な話のこともあると感じるのですが、ある意味信用できるのは、
そのような不具合や倫理的に ?的なことも隠さずに述べているところ。
人間が生きていく上で向き合わざるを得ない出来ごとの例として見ることができると思います。
究極は「許しと愛」というメッセージを教えていると思いますが。
960 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 10:25:03.04 ID:edhYwsaJ
博愛主義の思想なのに戦争や殺し合いが多すぎるキリスト狂。
なんで和尚様は論語知ってるのん?
仏教、イスラム教などユダヤ教に端を発する宗教は往々に排他的。
異教の神を悪魔にまで貶め徹底排除する。
963 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 12:10:11.77 ID:gwoMKunr
怒りや他人を見下すのは悪いこと、これは
間違いないと思うので、極力そうしないように生きています。
しかし、私のような人間は愚鈍な人間と思われ、
なめられやすいので、常に周囲の人間の嘲笑の対象になります。
こういう不条理にはどう対処すればいいですか。
実害が及ぶようなら、怒ったフリをするのもひとつの方法
965 :
泥団:2012/02/23(木) 12:57:27.90 ID:q38xEIkx
キリスト以前の旧約の時代は、神を信じない者への断罪は罰はとても厳しい。
他教の信者なんて老若男女問わず全員速攻で殺されたり災害にあって当然、みたいな扱い。
記録的な箇所の他は困難や試練に打ち勝って神への信仰を貫いたスーパースター
の物語が満載で、あとは神への賛美の詩が延々とか。
献身的なユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては血沸き肉躍るストーリー
だけど、それ以外の人にはあまり道徳的な参考にはならないかも。
そういう目的で読むなら新約の方がまだソフトですよ。
あと、カトリックがやるかどうかは知らないけどプロテスタント系の人たちは
毎日新旧のどちらかを読むから、その時祈っていることに対する神からの
返答を文中から得たりしています。
そういう、なんだかシンクロを利用した辻占的な使い方もするようです。
966 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 12:57:30.10 ID:EHksdS8P
>>956 「議論自体が無意味―― 」
なのは、どうしてですか?
今のところ(と言ってもまだ
>>956だけですが)、その「理」が説明されていませんよね。
「自分が正しい―― 」
と書いた箇所は、ないと思います。
「こうだからこう」という、「理」を書かせて頂いている次第です。
・・・・(理の)説明をしないで「とにかく正しいんだ」という態度は、良くないでしょうね。
「説明」という表現を繰り返し使わせて頂いているように、理の解読の交換をこそ、楽しまれれば良いと思いますよ
>>966 君は孔子が悟ってると思ってる、鬼は悟ってないと思ってる。
君は自分が正しいと思ってるから、鬼の考えを認めないんだろ。
ジャッジも居ないのに、ただ単に孔子は悟ってるかどうかのディベートがしたいだけじゃん。
だから無駄だって言ってるの。
またこういう事を書くと君は反論してくるんだろうけど、私は無駄な時間は使いたくないので、
また君からレスポンスがあっても、もう返しません。
968 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 13:37:09.05 ID:EHksdS8P
>>967 「考え―― 」
になってるかどうか。
を伺っている、というのが、現状かと
「考え」と「とにかくそうなの!」とでは、違いますからね・・
考え ≠ とにかくそうなの(説明なき主張)
「孔子が覚ってるかどうか―― 」
に殊更拘っているのは、鬼和尚さんだけだと思います。
どちらかと言うと、「いい言葉ですね」という楽しみ方を(古人に関しては)したいのですが、
言葉ではなく(古人に関して)覚っているかを鬼和尚さんが拘られているようなので、
「ほう、それはなぜですか」と、それならそれで解読を楽しんでいる次第です。
969 :
健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2012/02/23(木) 13:45:19.26 ID:KC6zyASb
>>966 孔子のことを以前から書いているのは、あなたですか?
論語は仁・忠・礼など社会秩序について書いてある。
生死を対象にはしていない。
鬼和尚さんが言っているように孔子は悟っていない。また、宗教人でもない。
こんな逸話が残っている。
ある時、孔子が自分の考えの正否を老子に尋ねたところ、老子は笑って何も答えなかった
そうだ。老子は悟っていたから、社会なんてちっぽけな物を対象にしていなかったわけだ。
970 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 13:45:38.53 ID:EHksdS8P
>>963 厳しい態度をとればいいと思います。
「怒り」と「厳しい態度」とでは、全然違いますからね・・
怒り ≠ 厳しい態度
文章がキレイですし(つまり頭の回転がいい)、
>>963さんはそんなに愚鈍な人間じゃないのでは・・?
971 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 13:51:10.78 ID:EHksdS8P
>>969 「孔子の事を以前から書いているのは―― 」
鬼和尚さんだと思います。
「生死を対象に―― 」
しているかいないかについては、
>>835からをご参考にして下さい。
972 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 13:55:27.47 ID:EHksdS8P
>>969 参考までに、
道徳経で死に触れられているのは一箇所、論語が死に触れているのは、二箇所です。
973 :
健真&話にならん ◆RWP3eacAMA :2012/02/23(木) 14:04:27.41 ID:KC6zyASb
>>972 オショーの本を読んでみな。
ブッダやクリシュナや老子については引用しているが、孔子については全く触れていない。
だから、論語は社会規範について書いたものであって、宗教ではないんだ。
同じ土俵に並べないでくれ。
もう、この議論は終わりにする。
ここは相談のスレだから、自分の体験を書いてくれ。
言葉遊びしてるオナニー君かえってくんねーかな
975 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 14:08:44.59 ID:EHksdS8P
>>973 「宗教ではないんだ―― 」
って・・
まァいいや
ジャイン氏については存じませんでしたが、ムルティ氏同様、ここで出た人物なので、調べてみます。
>>971 意外と暇だったので吐いた唾飲みます。
>>790の >自分は「孔子」という人が、覚っていたんじゃないかと思います。
これ君じゃ無いの?
これに対し鬼が孔子は悟っては居ないが〜と言った事から
君が鬼にしつこく粘着していったという印象だけどね。
古人の言葉を楽しみたいだけなら、君の
>>790の書き込み自体が余計だったんじゃ無いのかな。
あと「(考え)―― 」で始まる一連の流れ(()の中の言葉はその都度変わる)なんだけど
君のレスを眺めてると、大きな流れは無視して、相手の言葉尻を捕まえて
自分有利に話を進めて行こうとする揚げ足取りの傾向がかなり強いよね。
仮にこれが議論だとした場合「考え」というのは「感じ方」と書いても別に私は構わなかったわけで、
ようは結論が出ない事に何日も費やすのは無駄だという事に君が納得出来るかどうかでしょう。
結局君のやってる事は、お互いが納得出来る結論が得たいという議論じゃ無くて
勝ち負けを争うディベートなんだよ。
977 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 14:25:44.78 ID:KC6zyASb
>>947 自分がどのような勉強をし、どのような修行をしたのかを語らずに
「当然」だとか「やることない」と頭ごなしに言われても首をかしげざるをえません。
聞いてる人間が、どうやってあなたを信用しろと言うのですか?
それに人の役に立つために来てるわりに誰の相談にもアドバイスしてないのでは?
あなたは自説を述べるだけで、自分の知識や経験を人のために生かそうとしてませんよね?
一体誰があなたの言葉に耳を傾けますか?
自説の内容については一つの意見として尊重はしたい。
ただ、すでに何人か書かれてますが無意味なディベートと言う意見に私も賛成です。
979 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 19:15:18.11 ID:jVWUthvT
>>978 > 首をかしげざるをえません。
ではずっと首をかしげていなさい。
> 聞いてる人間が、どうやってあなたを信用しろと言うのですか?
信用する必要などな。
どうせ悟ったの悟ってないの言っても、ネットでは何の証明もできないのだ。
>それに人の役に立つために来てるわりに誰の相談にもアドバイスしてないのでは?
これまでに何度もアドバイスしてますよ。
> ただ、すでに何人か書かれてますが無意味なディベートと言う意見に私も賛成です。
ディベートなどする気はない。論争は堅く戒められている。
ただし間違いがあれば、正すだけです。間違いを鵜呑みにして不幸になる人もいますし、
間違いを放置しておくわけにはいかない。
>>941 おやおやおかしな事を書くのう。
ありのままが無いと言う事と、人が見る物全てが自分のバイアスを通してしかものを見られないと言う事とがおぬしの頭の中では結びついておるのじゃな。
関連妄想の類じゃのう。
人がどのように物事を見ようが、ありのままの物事は在るじゃろう。
人の見るものがバイアスを通しているから、この世にありのままのものがなくなったりする訳ではないのじゃ。
先ずおぬしが自らの妄想に気づき、そこから離れるが良い。
>>948 理とは例えば相談のスレには相談事を書き込むとか言う事じゃのう。
それが正しい理というものじゃ。
おぬしはそれを理解し、実践できるかのう。
>>952 わしは聖書は所々読んだだけじゃが、昔の神の信仰が書かれて居るから現代にはおかしくみえるようじゃのう。
神は貢物をごまかした位で信者を殺してしまうとか、もの凄く怖いもののイメージで書かれておるのう。
これも昔の人が考えた自然のイメージを投射しておるようじゃ。
恐ろしい災厄から逃れるために、さらに恐ろしいものに頼る荒神のような感じじゃのう。
>>954 知らんのじゃ。
>>955 それは金儲けのためにやっているニセモノだからじゃ。
できる限り金を搾り取ろうとするから高いのじゃ。
>>961 読んでみたのじゃ。
孔子もなかなか良い者じゃ。
悟っては居ないが真摯に学び、謙虚なのじゃ。
>>963 立派な事じゃ。
おぬしのような者こそ真のお釈迦様の教えを実践していると言えよう。
嘲笑するような者は普段は相手にしなくて良いのじゃ。
しかし、相手が困っていたら助けてやるのじゃ。
そうすれば嘲笑は尊敬に変わるじゃろう。
>>977 ご苦労さんじゃ。
自分から説教したいっていうのはどういう心なんだろう
慢ってヨルカになっても消えないんだっけ
983 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 20:33:41.12 ID:jVWUthvT
>>980 >関連妄想の類じゃのう。
「ありのまま」などということが妄想。
> 人がどのように物事を見ようが、ありのままの物事は在るじゃろう。
「ありのままの物事は在る」と思い込むのが妄想である。
あなたは見たのか? まあ見たと言うのだろうな。
しかし、それは単に貴方が「ありのままに我は見た」という見解をもって妄想しているに過ぎない。
先ず貴方が自らの妄想に気づき、そこから離れるが良い。
つまんねえ言葉のアヤで揚げ足取ってんじゃねえよ
985 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 20:43:27.05 ID:jVWUthvT
つまらない言葉のアヤどころか、
悟りの本質に関わることである。
『ありのままの物事は「在る」』と主張する偽聖者の妄言と、
それは偏見に過ぎない、「ありのまま」などというのは、勝手にそう見なしているにすぎない、
という真実とでは、まるで正反対だ。
本物の正覚者の登場かw
またいかがわしいのが出てきたなw
987 :
泥団:2012/02/23(木) 20:50:08.96 ID:q38xEIkx
>>983 なにをそんなに躍起になっているんだ?
ありのままっていうのは客観的事実のことだよ。
たとえば、「飛ぶ」という行為も、ありのままに見ていけば、
「肉と骨のある70kgの物体が2秒間20cm浮いた」
という物理現象にすぎないわけだ。
で、逆に「肉と骨のある70kgの物体が2秒間20cm浮いた」という現象の解釈は人によって違う。
「飛んでいる」と解釈するかもしれないし、「飛ばされた」と解釈もできる。
そういった解釈をできるだけ取り除いた客観的事実がありのままの姿で、それを認識することが、
「ありのままを見る」ということなわけ。
論点はそこじゃ無くて、その取り除いた客観的事実というのを、
果たして認識する事が可能なのかって事でしょ。
全てを取り除けるなら、もう認識すら出来ないと正覚者は言ってるんだから。
それが真実なんです(キリッ
990 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 21:21:38.35 ID:FKmhjyqy
>>976 「飲―― 」
まないでいいように、最初から実践不能な、存在しない理想を口にしないほうがいいのでは・・?
正定(正しい集中力)だと思います
「しつこく―― 」
というのは、それが達成されていてなお、というのを言うかなと思います。
達成、つまり説明が、返ってこなかったので、自動的に質問が重なる次第です。
「感じ方と書いても別に私は構わなかった」
鬼和尚さんが「そう感じるから」と書いていればその通りですが、こうだからこう、という説明を(当初)試みたので、
「意見」「考え」に分類されると言えるでしょう。
「結論が出ない―― 」
という事は、ないと思います。
きちんと逐語的に返答すれば、結論は容易に出るかと
991 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 21:26:54.61 ID:FKmhjyqy
>>980 「理とは―― 」
自身の為した事、たとえば発言などを、説明出来る事だと思います。
「相談のスレには相談事を―― 」
書くようにし、説明出来ない発言は、しないとかが大事じゃない?
992 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 21:30:00.06 ID:jVWUthvT
>>988 > なにをそんなに躍起になっているんだ?
「躍起になっている」というのは貴方の想念である。
> たとえば、「飛ぶ」という行為も、ありのままに見ていけば、
> 「肉と骨のある70kgの物体が2秒間20cm浮いた」
> という物理現象にすぎないわけだ。
その程度の意味であれば、精神病患者でもなければ、全ての人はものごとをありの
ままに見ている。
わざわざ「ありのままに見よ」などともったいぶったことを言う必要はない。
> 「飛んでいる」と解釈するかもしれないし、「飛ばされた」と解釈もできる。
> そういった解釈をできるだけ取り除いた客観的事実がありのままの姿で、それを認識することが、
> 「ありのままを見る」ということなわけ。
「飛んでいる」も「飛ばされた」もどちらも客観的事実の表現としておかしくない。
前者は能動的、後者は受動的、というだけの違いだ。
そもそもそういう次元の話ではなかろう。
>>989 そういうことだ。
>>985 『ありのままの物事は「在る」』と誰が主張してたのかいな
994 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 21:35:39.84 ID:FKmhjyqy
>>981 「悟っては居ない」
こういう↑、一言多いところが、説明を求められるんだと思いますよ。
正語は多分、一言多いのも良くないとしているんじゃないかと
ジャイン氏を少しウェブで検索しましたが、人物評を多くする方だったようですね。
鬼和尚さんが言葉(=教え)よりも人物評(覚っているか覚っていないか)を好まれるのは、ジャイン氏の影響かも知れないですね。
人物評が必ずしも悪いとは思いませんけれど。
人物評も、理を以って突き詰めれば、学ぶところが大きいかも知れません。
そのへんは個人の嗜好を尊重する立場です。
995 :
おさかなくわえた名無しさん:2012/02/23(木) 21:36:44.52 ID:jVWUthvT
>>993 レスを辿るくらいしなさい。
>>980「人がどのように物事を見ようが、ありのままの物事は在る」
>>990 予定が変更に成ったもんでね。
しつこく云々ていうのは、君が鬼の方が孔子とか悟りとかに拘ってるって言うからだろ。
拘ってなければ達成する必要もなければ、重ねて質問する必要も無い。
感じ方とか考えとかは、私にとっては元々どうでも良い事。
結論が出ないと言うのは、君達が今までしてた水掛け論の事であって
お互いの結論は、君は孔子は悟ってる。鬼は悟ってない。
と既に出てるよ。
>>979 では失礼ですが、あなたの意見は信用しないことにします。
首をかしげていろ、などと上から目線で偉そうな事を言う人を信用致しません。
アドバイスしていたのなら失礼。今後もきちんと人の役に立って頂きたいものですが。
何がどう間違っているのか、なんの根拠にもとづいておっしゃられてるのか良くわかりませんがね。
邪見を語る者の言葉を鵜呑みにして不幸になる人もいますし、疑わしき者を信用しない。私としてもそれだけです。
>>995 ああ、いってたねw
でも 人の見るものがバイアスを通しているから、この世にありのままのものがなくなったりする訳ではないのじゃ。って言ってるじゃない。
確かにそうだよ。
取捨選択やね。
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