1 :
おさかなくわえた名無しさん:
小学生の時、父親と共同作業で木の椅子を作るという行事があった。
俺の父はトラック運転手で普段家で会うことが少なかったけど、
その日は一緒に参加してくれたんだ。
もともと手先が器用な親父は明らかに他の人よりもうまく椅子を作り
上げていった。もちろんそれは担任の目にも止まって、最後に皆で
集まった時に俺は「素晴らしいのが出来たけど感想は?」って聞かれたんだ。
俺は親父が誇らしくって、すごく嬉しかったのに、ついウケを狙って
「ほとんど何もさせてもらえませんでした〜w」みたいな事を
言ってしまった。会場はドッと笑い声が起きたけど、ふと親父を見ると
すごく寂しそうな顔してた…。
あの時の事思い出すとなんか胸が苦しくなる。
忍!
3 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/19(木) 21:13:02 ID:ez9bhcY+
旦那の浮気に出くわした時。
4 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/19(木) 21:14:16 ID:ez9bhcY+
しかもどうあがいても言い訳無用の状況なのに、必死で言い訳してる
旦那がいた時。
切ないっつ〜より情けないだね。
高校の頃、親と喧嘩しプチ家出。一晩中フラフラして海で朝を迎えた時。
煙草吸いながら、一人で日の出を見てたら泣けてきた。
親の事は決して嫌いじゃなかったけど、反抗期ってやつだったんだよなぁ。
>1
チョト切ない・・・
真夜中のセルフフェラ
8 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/20(金) 21:18:59 ID:i+X3uWrF
>7
チョト切ない・・・
9 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/20(金) 22:26:28 ID:SaO1tj6/
転校したての学校で遠足があり、
友達が誰もいないままだった自分はたった一人でお弁当を食べた。
「一緒に食べるみんなと分け合ったりしたら?」と母が言って
多めに入れてくれたイチゴを全部自分で食べた。
食べ終わった後、それに気が付いた先生が
「ごめんね、気が付かなくてごめんね」と言って泣きべそをかいた。
こっちの方が泣きたいよ!と思った。
家に帰ったら母親が「みんなと仲良くお弁当食べられた?」と聞いてきたので
「うん」とウソをついた。
それなのに、後日、家庭訪問に来た担任が
「遠足の時、私が至らないばかりに、一人でお弁当を食べさせてしまった」
と謝るつもりで暴露した。
そしたら母親が泣いた。それを見て自分も泣いた。担任も泣き出した。
10 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/20(金) 22:31:12 ID:ZAaJJkqY
泣ける・・
胸が苦しくなってしまった
まだまだ子供で親を独り占めしたかった頃、
母とお風呂に入る時に姉に「○○ちゃん、来ちゃだめ」と言ってしまった。
わがままな子供でごめんなさい。
>>9 泣ける。自分も一つ。
高校3年の時、母親が入院してしばらく父親の2人きりの生活となった。
亭主関白な父だが、母がいないとほんと何も出来なくて家の中は荒れ放題だった。
もちろん食事も外食か買ってきた惣菜ばかり。ふと、「早く母さんの手料理が食べたい」
と独り言のつもりで言ったのだが、それを気にしたのか次の日は父がカレーを作っていた。
ルーが完全に溶けておらず、固まりも入っていたが、すごく美味しかった。
美味しそうに食べる姿を見ながら、「母さん早く帰ってくるといいな」と普段は
絶対言わないような事を話した父の顔が忘れられない。
あの時の事は何故か鮮明に覚えてて、悲しい出来事じゃないけど切なくなる。
なんて切ないスレなんだ・・・。
高校卒業して仲の良かった皆がバラバラに、それぞれの道を進む時。
3月の終わり、次は皆で集まるのもだいぶ先だからと海でキャンプした。
まだまだ寒かったけど、誰一人眠ろうとせず、昔の事、恋の話、将来、色んな事話し合った。
「親友」って言葉を恥ずかしげもなく言えたあの頃。
名スレに育つことを期待age
そういえば、今「あいくるしい」ってドラマしてるよね?
いや、別にドラマがどうこうって話じゃないんだけど、
「あいくるしい」って言葉の響きが何となく切ない…。
高校生の時、小さい頃は日曜になると朝食用のパンを家族で買いに行ってた記憶があったので
その事を母と話していたら「あのときお父さんはいなかったよ。」って言われた
数少ない思い出の1つだったのに間違って記憶していたらしい
そのときの事を思い出すと切なくなります
林間学校の1週間ハバにされた。
色々な事をされ奴らに屈するのも悔しかったので表向きは平気な顔をしてたが
正直つらかった。早く家に帰りたくてしょうがなかった。
帰宅のときに親が迎えにきた。「楽しかった?」と聞かれ「うん」と答えた。
車の外の風景を見るふりして悔しさと家に帰れる安堵感でひっそりと泣いた。
18 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 01:16:09 ID:oPyJ6IyM
昔、結婚式の日取りまで決まったフィアンセの母親に、
「ホントは財産目当てなんじゃないの」的内容の中傷をされ、
母親に滅法弱かったそのフィアンセが結婚を迷い始め、
結納直前に破談になった。
その数年後、私は他の相手と付き合い…結婚、
今はその人と家族とともに穏やかで楽しい毎日を過ごしているが、
その別れた男は、気が狂ったようになり、母親に暴力を振るったり、
引きこもり続けたりして今にいたるそうだ・・・・・
別れた当時は殺してやりたいくらい恨んだ彼の母親だが、
自分の引き裂いた結婚のために息子から散々な仕打ちをされ、
結局このまま彼は一生結婚もできないだろうし、病院にいくのも時間の問題のようだし、
・・・・・・そう思うと、ある意味気の毒だし、
その基地外の要素のあった男と結婚しないで済んだのは、彼女のおかげなので、
感謝したいくらいだという今日この頃、
・・・・・遠く離れた東京から、彼ら一家を一生見守っていきたいと思う。
小学校のクラブ活動の思い出。
人数の関係で友達たちと別のクラブになってしまった(私だけ手芸クラブ)
手芸クラブは約10人、私以外は別の学年の子2人と
同学年のいつも誰かをいじめてる性格きつい子とその友達。
案の定ハブられたけど手芸が大好きだったからくっつけられた机の末席で1人マイペースにやっていた。
ある日、係りの仕事で少し遅くクラブ活動に出た。
いつも○ちゃんが座る席が席が1つ空いていた。
「○ちゃんも遅れてるのかな?」って思いながら席をチラっと見たら
性格きつい子が机をどんと叩いてきつい口調で
「言っとくけど。ここ、あんたのための席じゃないから!」
「勘違いしないでよ!」
なんであの日に限って言ったのかな…
そんなのわかてるよ…私いつも末席いたのに…
隅っこで歯を食いしばったけど涙が止まらなかった。
20 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 01:39:11 ID:rGV4JGVQ
高校のときはみんなどこか距離があるような感じで、表向きは友達のグループだったけど
裏ではどう思ってるのかわからないそんな感じだった。
そんな高校生活が終わる3月。みんなではじめてそろって遊びにいったり酒を飲んだりした。
みんなすげーいいやつだったよ。いままでなんとなく3年間いたけど、いまごろ気づいた自分が
寂しかった。
一人で弁当といえば。
小学5年生の運動会、あれは生憎の曇り空でしたが中止には至りませんでした。
しかしながら私の親は完全に中止になったと思い込み、当然の如く運動会には
来ませんでした。
競技の最中、親はどこにいるのだろうと探すもののどこにもいません。
昼食時間が近づくにつれて焦りが大きくなる私…。
とうとう昼食時間になり、どうしようもなくなった私は誰にも見つからないように
教室に戻り、空腹に耐えながら昼食時間が終わるのをじっと待っていました。
友達にはまさか親が来ていないなんてバレたくなかったから。
そして無事に運動会も終わり、帰宅した私に親が言った言葉…
「だったら家に帰ってくれば良かったのに」
例えようもないやるせなさと親に対する絶望感に打ちひしがれました。
カキコしたはいいけど胸の中があの時の気持ちでいっぱいだ。
眠れない…
23 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 01:57:47 ID:CtSMpT5Q BE:255325695-
ちびまるこちゃんの、学校で海に行った話思い出した。
すげー切なさが表現できてた
>>23 >>9を読んで、私もちびまるこちゃんのそのエピソードを思い出しました。
七夕の笹飾りに「おねえちゃんにあいたい」って書いたあの日。
その数日後に会えたのは嬉しかった。神様が本当にいるって思ってた。
でも、それきり会ってない。
離婚により離れ離れになった姉弟を不憫に思いなんとか都合つけて会わせてくれたんだよな、父親は。
母親は再婚しちゃった。
見たことの無い妹もいるそうな。
姉さんだけは元気でやっていてくれたら、嬉しいけどな。
もう、あんなに純粋な頃には戻れないんだな、哀しいね。
小五の時
母の昔の日記を見つけてしまい興味半分で読んだ。
ちょうどその頃は離婚するかしないかの時で、母もギリギリだったのだろうが、
「今日(私の名前)をあげるって(父の名前)に言った」
みたいな事が書いてあって凄くショックを受けた。
これを思い出すと今でもあの時の気持ちがそのまま蘇ってくる。
現在15歳。4月から高校にも進学させてもらえた。
お母さんありがとう。
小五の時
母の昔の日記を見つけてしまい興味半分で読んだ。
ちょうどその頃は離婚するかしないかの時で、母もギリギリだったのだろうが、
「今日(私の名前)をあげるって(父の名前)に言った」
みたいな事が書いてあって凄くショックを受けた。
これを思い出すと今でもあの時の気持ちがそのまま蘇ってくる。
現在15歳。4月から高校にも進学させてもらえた。
お母さんありがとう。
うわー二重になってる…スミマセン…
一人暮らしを始めて初めて風邪を引いた時、
仕事を早退させてもらって帰ってずっと寝ていた。そんな時携帯に母親からの着信が…。
話をするのもしんどかったので、そのまま放っていたら数十分後、インターフォンが鳴り
出るとそこには息を切らせた母親が立っていた。
ここ数日ずっと調子が悪く携帯に出ていなかったのだが、心配になって来たのだと話す母に
自立するつもりで一人暮らしを始めたのに全然自立出来ていないような気持ちになってしまい、
「人が体調悪くて寝てるんだから、いちいち起こすな!」と怒鳴り追い帰してしまった。
その後、無性に自分が情けなくって、許せなくって、一人で泣いた。
母さん、あの時ごめん。
31 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 13:26:12 ID:5n5qWgi+
>>18なんか あんた最低キモイからもう二度とくるなよ
32 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/21(土) 13:34:26 ID:isBcuSF+
三年前
あるサークルで二人の女の子(AとB、とする)を好きになり、何を考えたかオレは
Bに「Aの事が好きなんだけど」と相談。
真剣に相談に乗ってくれるBをどんどん意識しながら、Aに告白。みごと玉砕。今さらBに
「ずっと好きだった」とも言えず、三年。
今では三人とも恋人がいるが、もう少し考えて正直に行動すればよかったと思う。
すごく好きだった彼女に振られて、しばらく経ったある日…
デパートでエレベータを空けた瞬間に彼女が目の前にいた。向こうは携帯をいじってて
こっちには気づかなかったけど、一瞬時が止まったよ。その直後ドア閉めるボタン連打して
結局向こうは気づかずじまいだったけど。当時まだ未練たらたらだったんだよな。
何かドラマみたいなことってほんとにあるんだなぁ〜なんて思いながら、あの時の事を
思い出すと切ない。
彼女の方が四枚ぐらい上だね。
絶対気づいてたって!
(女性なら、密室に入ってくる異性をチラリとでもみないはずがない)
頑張れ、
>>33よ!
>>34 彼の方がエレベーター内にいて
彼女はエレベーターを待っていたんじゃないの?
だって閉じるボタンはエレベーター内にしかついてないし。
36 :
33:2005/05/22(日) 00:17:07 ID:jMx3hkDB
>>35氏の言うとおりです。
自分がエレベータの中にいて、開けた途端って感じです…。
分かりにくい文章でスマソ。
だったらなおさら気づいてるんじゃない?
自分は、乗るときに、(例えば)キモイ奴がひとりだけ先に乗ってたりしたら、
なにげないふりをして見送ることもあるよ。
ちなみに、デパートだし大型エレベーターだったんだろうね、
彼女は自分の行く階のボタンは反対側についてたプレートか車椅子の人用で押したのかな?
まさか
>>33さんに、「5階お願いします」とか言わないだろうからね。
すんません、ズレズレですね。
おっと、もしかしたら、彼女乗らなかったの?
ってか、閉めるボタン連打って、
目の前で待ってる人がいるのに、扉閉じちゃったの?
それだったらば、すごい・・・・
39 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/23(月) 00:44:26 ID:Dkt4rXX5
切ないage
高1の時、学年で1・2ってぐらい可愛い子と同じクラスになった。
勿論、遠くから眺めているだけ。
そして2年になり離れた、廊下で擦れ違ったり文化祭で模擬店してる彼女を
遠くから見つめるだけ。
彼女は高嶺の花、学年中の男子はそう思っていた。
3年になり、後は卒業するだけって時にたまたま駅で彼女を見かけた。
制服とは違う彼女は楽しそうだった、彼女の後ろには彼氏がいた。
同じ学年のスポーツマン。まぁ、お似合いの2人だった。
そして卒業、みんな離れ離れになった。
俺は専門学校へ行き、彼女は何処へ行ったのやら、進路は判らず終い。
けれど、偶然とは恐ろしいものでとある繁華街を歩いていると彼女が前から
歩いて来た。向こうはおそらくこっちの事なんて忘れているだろう、と思った。
だけど、こっちを見た瞬間、彼女の顔が強張った。
「あれ?」と思い彼女の行く先を見つめていると小走りであるお店に入って行った。
トップレスヘルス、に。
なんだか、がっくりきちゃった。モデルでも通用しそうな顔だったんだけどなぁ、お金かやっぱり。
41 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/23(月) 01:37:04 ID:6yFj8Ic7
今日従兄弟のお葬式だった。
2週間前にある空港でトランスファーした時、偶然彼もその空港にいて私がそこの空港にいる事を知ってて携帯に電話をくれていた。
でも私は電源切りっぱなしにしていた為に後になって留守電で彼の声を聞いた。
「ちょっとだけでも会えるかなと思って」
あの時会っていたかったなー。
なんで電源入れておかなかったんだろう。
もう2度と会えなかったのに。
42 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/23(月) 01:51:50 ID:UHqTMDNZ
>>31 >>18のどこが気に障るかわからん。
元カレざまあみろって感じだけど。
DVの気がある人間なんだから狂うおうが狂うまいが結婚してても必ず暴力振るわれてるよ。
所詮自分勝手なんだから。別れてホント良かったと思うぞ。
>>42 > ・・・・・遠く離れた東京から、彼ら一家を一生見守っていきたいと思う。
って、お前もう関係ないじゃん。
同情してるように書いてるけど、自分の別れさせた息子の女がじとーっと動向を見守ってるんだぞ。(しかも一生宣言)
気持ち悪い、粘着っぽくて怖い。
本当は同情なんかしてないんじゃねーの?
って事だろうと思う。
>>43 ちょっと考えすぎなんじゃないかな。落ち着いて。
遠く離れた〜云々って、
>>18はココに書いただけでスッキリしたんじゃないかな。
元彼とはいえ、結婚する予定だったのに彼の母親の推測でパーになったんだよ。
>>18は今幸せなんだろうけど、忘れられない経験だったんだろうね。
本当のところは
>>18にしかわからないから、私も推測でしかないけど、
悪い方へ悪い方へって考えすぎなくてもいいと思う。
>>44 いや、私は
>>31じゃないですよ。
ただ、私もちょっと
>>42に対して「怖いなこの人」と思ったので、
なぜそう思ったんだろう?って事を考えて、更に
>>31の書き方にならって「こうなんじゃないか?」
って事を
>>31風に書いたんです。
>>42の真意も
>>31の真意も分からないで書いた、ただの推測です。
47 :
30:2005/05/23(月) 17:51:47 ID:3CJqdPWm
俺も
>>18のレスは気分悪かった。
だからそっとしといて欲しい。
↓切ない思い出ドゾー
昔、よくある田舎のイベントみたいなので、もちつきをしてていた。
そこに両親と行って、もちをくれるというので私だけ並んだ。両親は近くにいた。
ひとつもらって(一口くらいの大きさ)、母の分も貰おうとした。
するともちをついてたおじいさんが、ものすごくでかい声で
「もう一個もらっとるじゃろうがぁぁぁぁ!!だめじゃだめじゃぁ」
と言った。今になってみればそれは当たり前の事で、
私が母の分を貰おうとした事なんかわかりっこないわけだし、
でも母と一緒に食べたかったので、悲しかった。
両親の所に行って、もう一つ貰おうと思ったけど駄目だった、と言って親指の先くらいのもちを母と分けた。
今思い出しても涙が出そうなのに、何故かその時泣けなかった。かわいくない子供だ。
お父さんの分のもちはどうしたのかとかは聞かない方向でひとつ。
親指の先くらいって非常識なまでに小さくないか?
>>18です。
>あんた最低キモイからもう二度とくるなよ
と書かれ、非常にびっくりしましたが、なるほど、端から見るとそうなんだなって思ってました。
あと、自分の文章が粘着とみられたんだなとも思い、複雑な気分でした。
後出しってわけじゃありませんが(結果そうなるけど)
彼とは大学の同級生でその四年間、卒業後の4年間、結果8年付き合いました。
共通の友人も多く、今でも付き合いのあるメンバーも結構いて、
電話やメールのやりとり、直接集まる機会もかなりあるのですね。
そういうところで、聞こえてくる、元彼の話は、とても切なくつらいものがあります。
そして、そのおかしくなった彼も、年に一度、年賀状だけは送ってくるのですよ・・・・
というわけで、フィアンセとしては「もう関係ないじゃん」なのでしょうが、
気持ちの上では(友としてが強いかな)全く無関係じゃないって意味で、
見守って行きたいと書きました。
不愉快な気分にさせた方、お詫びいたします。
そして、気持ちをくんでくださった方には、感謝いたしております。
長くなってすみませんでした。
52 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/26(木) 02:13:47 ID:uicbcwWg
マターリ行きましょう!age
>>51 再登場しても燃料にしかならないからすっこんでろ。
しかも主婦およびキモ女の人に再登場の傾向が強い。
今後気をつけるように。
元彼がカレーを作ってくれたんですが、うっかり
食べるの忘れてました。しばらくぶりに鍋の蓋を開けると、
ルーに戻っていました。
あぁ元カレー 切ない。。
55 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/26(木) 06:09:17 ID:McWjNUb9
57 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 00:23:57 ID:XlYMoq7c
小学生の頃、母親の妹がうちに遊びに来ていて、3人で近所のスーパーに
買い物に行った。そこでお菓子コーナーを見ていると2人とはぐれてしまったのだが
どこを探しても母親たちの姿は見えない。別に一人で家に帰れない訳じゃなかったが、
幼心に勝手に一人で帰って心配させてはいけないと店員を呼んで迷子の放送をして
もらった。しかしいくら待てども迎えは来ず。
仕方ないから家に帰ったら母親の姿が。「何で勝手に帰ったの?」と聞くと、
「あ〜(妹との)話に夢中で一緒に行ってたの忘れてたわ」
ママン…。
58 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 00:29:40 ID:n/W0GcS9
59 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 00:51:05 ID:BmwAbwC8
58おばさんダー
60 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 01:32:14 ID:N1lD+QjQ
初孫だった私を、母方の祖父はものすごく可愛がってくれていたそうだ。
だが、遠くに住み、年に1度会うか会わないかだったので、私にとっては、
おじいちゃんとは分かりながらも、人見知りしてしまう存在だった。
祖父は私に会いたさに、時々こっちに遊びに来たが、私はたまにしか
会わない馴染みの薄い(と思っていた)祖父の愛情が理解できず、
なんとなく重荷に思えてしまい(おじいちゃんごめん)、甘えたりも
しなかった。
成長するにしたがい、私もそれなりに祖父に甘えたりするようになったけど、
祖父を好きというよりも、母や祖母へのポーズでもあり、
そうしなくては悪いような気がしていたから。
私が19の時に祖父が亡くなった後、遺品を整理していたら、私の写真がゴロゴロ出てきて
(母が送っていたらしい)すべての写真の裏に私に宛てたメッセージがあった。
私はなんてひどい孫だったんだろう。涙が止まらなかった。
「
61 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/05/29(日) 01:32:55 ID:N1lD+QjQ
「
消し忘れた。
小学生の頃、体育の時間にドッチボールをやった。
ひとりの女の子が体調がよくないのでその子は狙わないように、
と先生から注意があった。
オレは「試合に出るんだから参加しないと。
何よりボールに触らずにコートにいることに何の意味があろうか」
とオレにボールが回った際に、その子めがけて、さもオモイッキりぽく
ゆるゆるで投げ、その子はあっさりと受け取った。
次の瞬間、オレ許すまじと男子女子から集中砲を火浴び、
試合後、先生からも「あれはちょっとどうかと思うわ」と非難された。
まあ、当然といえば当然かも知れんが、
ずっと胸に閉まっていた思い出を書いてみた。
自分は子供の頃いじめられていた。
辛かったのはいじめられていた事よりもそれに対する両親の冷たい反応。
泣いて帰ってくる度に「お前が悪いんだろ?」
と、せせら笑うような奴等だった。
担任の先生や近所のオバサンが心配して
「お宅の○○ちゃん苦しそうだったのよ。」
と、電話してくれても面倒臭そうに相槌打ってたし。
小学校低学年なのに
「こんな奴等金だけ残してさっさと死ねばいいんだ。」
などと思ってたな。
もう8年位前に家族はバラバラになり、自分一人で暮らすようになってから随分経つ。
家庭の忌まわしい記憶も薄れ、普通の社会人として過ごしていた。
なのに昨晩子供の頃の夢なんか見たので急に嫌な思い出が蘇った。
27歳にもなって一日中涙が止まらなくなった。
土曜日が休みで本当に良かったよ。
こんな恥ずかしくて情けない話、誰にも話せないのでここに書いてしまった。
お目汚しでゴメン。
>>63 子どもの頃は一番辛い時に一番頼りになるのは、ならなきゃならないのが親なんだよね。
自分が親になった時、そうありたいと願う今日この頃…
父親が入院した時のこと。
病気自体は「死ぬ病気じゃない」って言われてたが、入退院を繰り返してた。
当時は社会人1年生で覚えることも多い上に仕事が忙しく、土日にも仕事をしてるのが普通。
母親からも「お見舞いに行きなさい」と言われても「忙しいからいやだ」とか抜かして泣かれる始末。
いいじゃん、死ぬわけでもなし……と思いながら
しぶしぶ兄貴夫婦につき合って見舞いに行ったんだけど、
頭の中は「早く帰って仕事の続きしなきゃ」ということばかり。
帰り際に親父が少し寂しそうに「また来てくれよな」と言った。
頭の中では「忙しいんだからそんなこれねえよ」と思いながら振り向きもせずに「ああ、うん」と適当な返事。
でもその後で容態が急変して親父は意識がなくなり、そのまま帰らぬ人となってしまった。
後で聞いたら院内感染してしまい、それが致命的になってしまったらしい。
最後の会話があんなに素っ気ないものになるなんて。
いまでも後悔してる。もっとちゃんと話していればよかった。
気持ちわかるよ
うちのおじいちゃんもすぐ帰ってくるつもりの入院で、慣れないベッドから落ちて死んじゃったよ…
とんだクソスレだな。
小5のとき、幼馴染の男の子が
外の掃除中みんなの前で「ぼく○ちゃん(私)好きだよ」
と言ってくれたのに
私は他の子の手前恥ずかしくて
「何言ってんだよう!!」と叫びながら
持ってた竹箒振り回して暴れてしまった。
ごめんね、私も大好きだったのに。
その後私が転校し、再開したのは21歳の時だった。
いやな思い出なんて何もなかったかのように
笑顔で接してくれて嬉しかった。
72 :
70:2005/06/01(水) 22:26:15 ID:PPGTLbKg
>>71 ×再開
○再会でしたね、スマソ
私と彼は父親同士が同僚で、同じ町の社宅に住んでいたのです。
だから、彼は自分のお父さんの会社の住所録で
私の実家の電話番号を調べ、父と話をして
私が東京で一人暮らし(短大出てOL)をしているのを知り、
「自分も東京の大学生なんだよ」と電話をくれたんです。
待ち合わせして新宿で会ったんだけど、本当に10年ぶりくらいでも
お互いすぐわかりました。
私も彼も、親が転勤族のため、何度も転校しているので
「幼馴染」というのは多分お互いしかいないんです。転校生って、辛いんです。
懐かしい話を色々しましたが、私のヒドイお転婆ぶりを
茶化さないでくれるし、変わらずちゃん付けで呼んでくれるし
嬉しいな、幼馴染っていいなーと、涙が出てしまって。
でも、彼にも私にも付き合っている人がそれぞれいたので
初恋はお互い成就しませんでした。
それ以来会っていません。…なんか夢だったのかも、と思えるほどです。
74 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/02(木) 23:50:14 ID:GKSPVomg
切なくなったところでage
>>72 小説みたいだな・・・甘酸っぱい思い出というか。
ええなあ
76 :
たけしの挑戦状:2005/06/05(日) 00:33:15 ID:mzzsAPsf
>>72 「何言ってんだよう!」
↑ここか゛かわいいっ!!
77 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/06(月) 00:20:48 ID:qd450DMA
昨日高校生の頃の夢を見た。2年に進級する際のクラス替え、皆が何かそわそわしてた。
俺ももちろん例外なく。実際のあの頃はサボってばっか、停学にもなったし、留年もしそうに
なった。毎日くだらないと思ってた。けど、夢の中の俺はすごく楽しそうだった。
起きた時に何故か涙が出ていた。
…どうしてあの時もっと色んな事に挑戦しなかったんだ。どうしてもっと一生懸命になれなかったんだ。
こんな事今更考えてもどうしようもないのに・・・
78 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/06(月) 00:52:21 ID:+e6KEcCq
付き合ってた彼氏とマンネリ状態の時に出会った人。
付き合おうと言ってくれたのに、なかなか決心が付かないまま…
やっとその時の彼氏に別れを告げる決心をしたその日に、選んだ人に振られました…。
その時、自分の気持ちを言わないまま彼を責めてしまいました。
責めないで、最後に自分の気持ちを伝えれば良かったです。
今、その人は別の女性と結婚しました。
もう会えないですが、末永くお幸せに…
遅レスで申し訳ないが、
>>19の翻訳お願いします。どうしても気になる。
80 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/06(月) 08:12:49 ID:gY3rJKsc
切ない話希望
2年前、食品売場に勤めてた頃
2日間だけアルバイトで来てた一つ年上の大学生と知り合った
その時俺の番号を教え、飲みに誘った。
飲みのあとも頻繁にメールや電話をするようになり
俺は徐々に惹かれていった
知り合ってから一ヵ月後
俺は我慢できず告白するために彼女を電話で呼び出す
俺「今日は呼び出してゴメン」
彼女「・・・話しって何?」
俺「○○のこと好きなんだけど、付き合ってくれないか?」
彼女「・・・」
しばらく沈黙が続いた
突然彼女が涙を流し、俺に向かって言った
彼女「ゴメン・・・××とは友達感覚だったし、今恋愛より
友達と遊んでるほうがいいから・・・」
俺「そっか・・・」
俺も泣きたかった
ふられた後も連絡を少しだけ取った
すると彼女は卒業できるかどうか微妙らしい
忙しい時期に告白してしまったことをちょっとだけ後悔
3月に卒業できたよとのメールがきた
俺はおめでとうとメールをやる
それから返事もない。
ふ〜ん
(・∀・)
84 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/13(月) 00:32:18 ID:/3wlP8tg
(・д・)
85 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/13(月) 00:41:28 ID:r1Y+5guP
>>78 途中まで読んでて、俺の今カノかとオモタ〜
>>81にとってはここ一週間ほどのこのスレの流れが切ないだろうな
88 :
たけしの挑戦状:2005/06/15(水) 19:32:03 ID:fNlStQoy
89 :
うんこ2005:2005/06/16(木) 19:21:12 ID:DlEEC54L
メロンパンって絶対詐欺だよな?
あとたい焼きもたぬきうどんも。
90 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/16(木) 19:52:38 ID:BO6u6l5b
人生で一番最初に付き合った人の事を思い出すと、
今でも切なくなる。
一番いい恋してたなぁ・と
保育園の年長の頃、教育実習生で私の組にきた男の人(以下A先生)を好きになった。
引っ込み思案で、組の中でもあまり目立たなかった私はA先生を遊びに誘う勇気がなくて、
わざとA先生の目の前で鉄棒から落ちてみたり、先生の足元にボールを転がしたりと姑息な手段ばかり使って
自分の方へと気を引いていた。
でもある日先生の方から私をサッカーに誘ってくれた。
すごく嬉しくて、いつもの自分ではありえない位のハイテンションで楽しんだ。
でもその日の帰りのホームルームの時間、女の先生がみんなの前にA先生を連れてきて、
「A先生は今日でみんなとお別れです」なんて事を言った。実習期間が今日で終了したらしい。
ショックで涙が出てきたけど、人前で泣く事に抵抗があった私は、人に気づかれないよう後ろの方で静かに泣いていた。
だけどお調子者の男子のSが、私が泣いているのを目敏く見つけ「○○(私)が泣いてる!」と大騒ぎ。
途端にみんながざわざわし始めて、先生は私の腕をつかみみんなの前に強制連行した。
「○○ちゃんは絵が上手だし心が優しいものね。A先生とのお別れは寂しいわよね」
先生は訳のわからない慰め方で強引に私を説得しようとした。
まるで私のA先生に対する感情を「一緒に過ごす内に情が移ったんだろう」程度にしか
考えていない話し振りに、悔しさで頭の後ろが熱くビリビリしてきたその時、
ぽんと肩に大きな手を置かれてはっとした。顔は見えなかったけど、A先生の手だとすぐわかった。
それで何かが吹っ切れたのか、みんなの前で声を出してワンワン泣いた。
結局A先生が部屋の隅っこで私が落ち着くまでだっこしてくれて、みんな私の事は放置でホームルーム続行。
先生にだっこされながら、何度も好きだと伝えようとしたけど涙で何も言えずじまい。先生とはその日以来一度も会う事はありませんでした。
もう10年以上前の話だけど、今でもこの時のことを思い出すと切なくなる。
毎年恒例の親戚のいる北陸地方への遠出にて
中三になった私は遊びにも行かず親戚の家で勉強していた
親戚の家には離れがあって、そこで勉強していたのだが、
ある夜そのはなれに行こうとすると、物音がして振り返ってみると
風呂場の窓が開けっ放しで、従兄弟の裸が飛び込んできた
小さい頃とは違い大人になった従兄弟の裸を見てしまって動揺してしまい、
謝ることもできず私は逃走
次の日の朝のあの気まずい空間を思い出すと切なくなる
93 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/22(水) 19:19:36 ID:Z/0858dc
好きな人が振り向いてくれない…
切ない。
友達と好きな人が被ってしまい、結局友情を選んだ。
卒業式の日、ボタンを貰いに行きたいから付いてきてと言われた。
雨で私が支えた傘の下でボタンが渡されてた。
悔しくて切ねぇーっ
>>94 よしよし ( ´・ω・)ノ(゚´Д`゚)゚。
96 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 00:52:28 ID:Omoxv8o1
生まれて初めて告白し、振られた時の事を思い出すと切なくなる。
直接告白する勇気もなくて、電話することにしたんだけど、それでも出来ないもんだから
友達2人に横にいてもらって・・・
後日手紙が来て、そこで振られたけど、何か切なさと初めて告ったっていう充実感があって
自分で変な感じだった。
今から考えると、あの頃が一番純粋だったなぁ…。何もなかったけど、何よりも変えがたい
思い出ばかりだよ。
97 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 01:02:24 ID:s7HCvluL
>>53 こういうこと書く人も「切ない」とかいう感覚を求めたりするのか? 信じられん。
まあ、
>>18の元彼みたいな人が身近にいるのでなんとなく状況は分かる。
若いときに親や親戚によって阻まれた結婚は後々すごく尾を引くらしい。
いい年していまだに独身、金が中途半端にあるのが災いしてキャバ嬢に貢ぎまくってる人を
見てると切なくなってくる。
99 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 01:11:02 ID:3SOJzCd+
何年か前にテレビでやってた犯罪密着24時みたいなやつで、
スーパーの万引き保安員(店でてから捕まえて事務所で取り調べみたいなやつ。
ちなみに主婦のがおもしろいと思う。)のときに、新人の保安員を密着してた。
ぽや〜っとしたおじいさんがいて、新人の保安員は「あの老人は怪しい」って言って
お店でてから捕まえたけど、持ってた巾着にはなんにも入ってなくて、
手厚く開放(?)したんだけど、おじいさんが「…わしは…疑われたんかのう…?」
ってほんとよくわかってないまま、捕まって取り調べられて開放された感じでなんか切なかった。
荒れる元だから1ヶ月も前の書き込みにレスすんな
101 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 01:19:02 ID:L2iWklEt
不倫相手のことを思い出すと切なくなる。
別れて今日で三ヶ月。
俺の元を去って、歳の近い独身の彼氏と幸せに過ごしてるんだろうな。
俺のこと慕ってくれたのに、心の狭い人間でごめんよ。
けどこんな冴えないオッサンにのめりこんでほしくなかったんだ。
どうぞ幸せに!
103 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 01:38:46 ID:L2iWklEt
君に会えて本当に良かったよ
>>103に会えてよかったよwwwwwwwwwww
>>103 自分に泥酔だな。
二日酔いに注意しろよ。
106 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 01:46:19 ID:L2iWklEt
なんでニヤニヤされなきゃいかんの
>>106 /|
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く( {三●;=} ヽ_, :::|
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く( {三●;=} ヽ_, :::|
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ヽ  ̄ ― _ ノ .:::/
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...:::::::/
109 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/27(月) 03:00:00 ID:dr7WrVeV
このクソスレぶりが切ない
110 :
優しい名無しさん:2005/06/27(月) 04:11:05 ID:qYx6uz1A
>>63 お目汚しなんかじゃない。偉いよ。
私も似た境遇だった、がんばろう。
111 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/06/30(木) 20:11:52 ID:6yAIY3SW
高校のとき、好きな子がいたんだ
なんかきっかけがあって、仲良くなってさ
共通の友達4人くらいでカラオケいったりしたな
だんだん惹かれていって、それからこまめに用事作ってメールしたりした
学校でも、クラスが違ったのに、その子のクラスにいって毎日話してた
内気な子で人見知りするけど、慣れると話しやすくてやさしくて良い子だったな
そうやって、アプローチしてるうちになんか無効も俺に興味もってくれてさ
お互い意識してるのを感じ初めて、本当にいい感じで楽しかった・・
それから、次第に向こうも積極的になってくれてメールしてくれたり
学校でも、積極的になってくれた
でも恥ずかしさとか、周りからの冷やかしとか、そういうのでなんとなくシカトしちゃったんだ、興味無いフリしてさ
無効からの好意を無視してさ、1ヶ月以上コンタクトとってなかったかな・・なんとなくギクシャクしちゃってね
半年たって、ようやくぎくしゃくしたのがなくなって、普通に仲直りしたけど
明らかに異性としての好意はなくなってるのはわかった、雰囲気でね
卒業と同時に告白したけどやっぱり振られちゃった
卒業してから4ヶ月くらい立つけど、未だに好きなんだよな・・・
いまではたまにメールとかで連絡する程度の仲で、まだ好きなんだよなー
この前用事があって電話したときは、うれしかった
向こうも久しぶりだってよろこんでくれてて、声きいただけで、いろいろ思い出して切なくなったよ
>111
まだいたのか、いつもの人。
正直、恋愛関係の話はよっぽどのことじゃないと切なくない。
寒くなる、痒くなる事が多い。
114 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/03(日) 01:16:03 ID:NIbUBEeD
切ない話期待age
115 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/03(日) 05:03:31 ID:D1Vs62D0
家族と上手く行ってなかった私は家族とは付き合いをせずヒッソリと結婚→出産。私をホトンド育ててくれたお婆ちゃんにさえ会わせなかった…子供が産まれて1年経ったある日、旦那が急に[子供をお婆ちゃんに会わせに行こう]と言い出した。
でもお婆ちゃんに何回電話しても出なかった。ほとんど家に居る人なのに…そしたら丁度私が電話したちょっと前にお婆ちゃんは倒れていた。
大家さんが発見してくれ救急車で運ばれそのまま亡くなってしまった…何故もっと早く会わせてあげようと思えなかったのかと今でも後悔して切なくなります。
娘は可愛くいい子に育って居るよ…
116 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/03(日) 05:44:28 ID:PkT2mHQ6
中学の時におやじが脳卒中で亡くなった。
亡くなった日はおやじの故郷、北海道への修学旅行から帰ってきた次の日だった。
『今日は疲れているだろうから明日いろいろ聞かせてくれ』
これがおやじの最後の言葉だった。
次の日、朝5時ごろおかんに起こされ、何でこんなに早いんだ?と思ったら
『お父さんが息してない』とおかんが言った。
おやじはふとんの中で冷たくなっていた。
家族が動揺するなか、『とにかく人工呼吸と心臓マッサージだ』と思い実行した。
保健の授業で実習はやったがうまくできるはずもない。
救急車が来て、隊員に『お願いします、お願いします。』とおかんは叫んでいた。
結局おやじは亡くなってしまった。
まさか自分の親がこんなに早く死ぬなんて思ってなかったし、
葬儀で魂が抜けてしまったようなおかん、わが子に先立たれてしまった
おばあちゃんが泣いているのを見るのも辛かった。
でも葬儀は庭におさまりきらないくらい大勢の人が来てくれておやじは幸せだったのかなと思う。
俺は今、おやじと同じ教師を目指して勉強中です。
長々スマソ
117 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/03(日) 07:45:35 ID:S+/84LrW
>>116 私も先日全く同じ感じで母を亡くし、他人事とは思えなくてレスしました。
がんばって良い教師になってください。
陰ながらですが応援してます。
118 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/03(日) 13:42:26 ID:yTffzxgh
小学3〜4年生くらいの時だったと思うけど、夏休みにおじいちゃんの家に泊まりに行ってた。
おじいちゃんの家の近所の家にも、私と同じ位の歳の男の子が泊まりにきていた。
夜おじいちゃんに「今夜花火するからあの男の子も連れてきなさい」といわれた。
私はなんか嬉しくなって、その子の家(が滞在してる家)に走って呼びに行った。
そしたらその家のおばあちゃんが、私が遊びに来たと思ったらしく、上がって行きなさいと部屋に通された。
部屋にはその男の子も居たんだけど、当時引っ込み事案な私はなぜか
「一緒に花火しよう」が言えず、周りの大人達の雰囲気に圧倒されて泣いてしまった。
その場にいた大人も、その男の子も驚いてた。結局花火のことは言えず帰った。
後日、その子がすれ違いざまに「あの日、おまえがなんで泣いたかわかった。花火に誘いに来てくれたんだな」
といわれた。当時の同じクラスの男子共ならきっとからかったり、馬鹿にしたと思うんだけど、
その男の子は違ってた。今、あの出来事とあの男の子を思い出すとなんか切ない。あと、ちょっと萌え〜w
119 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/03(日) 14:38:15 ID:fC7SdW43
親父が無職で私たち姉弟にロクにメシ食わせられなかった時代を思い出すと切ない。
(母親とはずっと前に離婚)
夜メシはほか弁がデフォ、酷い時にはチーズバーガーとハンバーガー(当時半額だったから)。
それから私も弟も家出同然であの家を出て、祖母の家で暮らすようになった。
ある日、親父が頼んでもないのに着替えを持ってきた。
帰って来いとも言わなかったし理由も聞かなかった。
元気にしてるか?とだけ聞いて帰って行った。あの力の抜けた笑顔が忘れられない。
親父、自分じゃ養えないってこと分かってたんだろうな。
私たちがどれだけ惨めな思いをしていたかも知っていたのだろう。
もう会う機会は無いだろうけど、結婚式には呼んでやりたい。それまで死ぬなよ、お父さん。
ほか弁だって、チーズバーガーだって全然いいじゃん。
悲劇のヒロインにでもなったつもりなのかな。
なぜだか腹が立つ。
内臓ボロボロになるよ
120は心が荒んでる?
自分は切ない話に思えたんだけどな。
124 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/10(日) 00:48:46 ID:k1L04Sk4
ここ見てるとやっぱ切ないときって家族の話が多いな。
自分も親元離れて一人暮らしだけど、実家に帰るとすごく嬉しそうに
豪勢な夕食が出る。帰るときは母親がいっつも家の外まで見送りに来てさ…。
何か頑張んなきゃって思う。
スレ違いスマソ。
学生時代、私はクラスのメンバーほぼ全員と仲良くしていた。
いくつかグループがあったけど、全てのグループの子と等しく付き合っていた。
卒業直後、「○ちゃん達とイタリアに行ったんだー!」とか
「△ちゃん達とバリに行ったんだー!」という、
楽しげな卒業旅行の報告をみんなから聞いた。
「で、アンタは誰とどこに行ったの?」と聞かれるんだけど
私、どこにも行ってないの。
誰にも誘われなかったの。
みんなが卒業旅行に行くってこと自体、全然知らなかったの。
試験の準備でみんな忙しくしてるからそんなこと考える余裕ないんだなって思ってたの。
でもそんなこと言えないから、
「もー試験で手いっぱいで、どこも行けなかったよー!」って言ってた。
未だにその時の友達みんなと仲良くしてるんだけど、
・・・ヤパーリ行きたかったな、卒業旅行。
>>125 日和見イクナイ
八方美人は結局誰にも大事にされないよー。
結局あなたに親友はいなかったってことでしょ?
>>126 当時は親友と呼べる子はいなかったけど
あれから10年以上経っても相変わらずみんなと仲良くしてるから
これで良かったとも思ってる。
遊ぶ時も何かと声をかけてくれたり、遠方から会いに来てくれたり
もちろん私からも声かけるし会いにに行くし。
入院した時はみんなお見舞いに来てくれたりね。
大事にされてないってことは全くないよ。
まあ卒業旅行は心残りなんだけどさっ。
>>125 まあ、学生時代の卒業旅行は出来なかったけど、独身最後の卒業旅行ってのもあるからガンガレよ。
129 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/11(月) 01:13:42 ID:hITh35KF
昨日、夢を見た。
モトカノさんとデートした夢。
大学1回生の時に出会って、3年間片思いし、
思い切って告白したものの、たった1週間で振られてしまった初恋の相手。
あれからもう5年が経つのに、夢に出てきたモトカノさんは昔のままで、
手を握ってくれたその感触は、5年前のあの頃と同じぐらい、あまりにリアルだった。
頭の中に電気が走って、どきどきして、滅茶苦茶幸せな気分になって、気付いたら朝だった。
でも、手に残った感触は紛れもないモトカノさんのものだったと思う。
なんだかとってもむなしくて切なかった。
それだけ。
思い出というには最近の出来事だが。
彼の家は今両親が別居中。
幼い頃も母親はご飯を作らなかったみたいで手料理を食べたことがあんまりないらしい。
うちは家庭不和ではないものの、母親が料理が壊滅的に下手くそで
父が文句を言って以来滅多に作らなくなった。
ある日彼の家で一緒に私の作ったご飯を食べてたら彼が急に泣き出した。
「こんなおいしいご飯初めて食べた」と。
私は、ご飯はいつも一人で食べてたので食卓を囲うのに感動。
二人でわんわん泣きながらたべましたとさ。
別にフツーの料理だったんだがな。
保守
133 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/20(水) 00:42:58 ID:0vbGeRqS
勝手に留学を決めて家を出た。
大学は無料の国だし、寮には激安なのでバイトで貯めた貯金と
むこうでまたバイトすればなんとかなるさ、と思った。
うちは母子家庭だったので、私が地元の大学を出たら地元で就職して
実家に残ってくれると母は思っていたのだろう。
もう大喧嘩もいいところで、勝手に決めた留学を公表した時から一言も口きかなかった。
出発当日の早朝、荷物持ちの弟と駅までの川沿いの道を行く途中、
ずうっと背後にある自宅を見納めのつもりで振り向いたら、
これまたずうっと遠くに母親が犬をつれて立っているのが見えた。
そんな早朝に犬の散歩なんてしないので、母は私を見送っていたのだと思う。
で、そのまんま2年もうちに連絡しませんでした。
大学には入ったものの、バイトと学業の比率が逆さになってしまい
2年後には現地の日本企業に就職しました。
初めて母を現地に呼んだのですが、それまで外国はおろか飛行機にも乗ったことが
なかった母はすっかり海外旅行に目覚めてしまい、今じゃ私よりもいろんな国に行ってます。。
134 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/20(水) 00:44:45 ID:vXieehbL
>>120 同意。一番みじめだったのはそういう物しか食べさせてあげられなかった父じゃないか?と思う。
もう会う事ないってなんだよって感じ。結婚式なんて言ってないで会ってあげなよ。
チーズバーガーだっていいよね。
自分は極貧時代に卵の入ってないホットケーキ作ってもらったよ。正直、美味しい訳ないんだけど、「おいしいよ!」って精一杯の笑顔で言ったのに、母は「ごめんね。」って泣いてしまった。
今思うと子供ながらに気を使ったのが母に伝わってしまったんでしょう。
135 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/20(水) 00:54:03 ID:fRFnf9Zp
高校1年の頃 昼食時間になるといつも一人ですぐ教室を出ていくやつがいたから
友人三人であとをついていった
そいつは体育館近くの水飲み場で隠れながら水をずっと飲んでいた
俺は迂闊にも何してるの?て聞いてしまった
笑いながらダイエットだよと答えた
ガリガリのくせに何がダイエットだ 笑わせんなよと言って
俺はトイレに走って 涙がとまらなくなって声をだして泣いた
夏休みがあけたらもう転校していた
オレはなんてデリカシーのない人間なんだ
ごめんよ ごめんよ
136 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/20(水) 01:27:32 ID:p8MQOqdV
>>99 かなり亀レスだけど自分もそれ見てかなり切なくなった
あのじいちゃんの話方のトーンが未だに忘れられない…
私が7才の時に5才離れた姉が病死した。
姉は難病の一つと言われる病気だった。
小さい時の私は、姉ととても仲が悪く、喧嘩してもいつも私が怒られていた。
物心ついた時からずっと入院しており、一緒に遊んだ事は皆無だった。
そのせいか、共通の思い出はただ一つ、
両親が子供の目もはばからず夫婦喧嘩をしている時、
部屋の入り口から喧嘩の様子を二人で眺めていた。
まだ小さかった私は両親が喧嘩をしているのは、とても恐かったのを覚えている。
そして、姉が握りしめてくれてた私の左手。
見上げた姉は何も言わず両親を見つめていた。
私が見上げていた事がわかっていたかのように、ギュッと握り返してくれた手の温もりが忘れられない。
お姉ちゃん、あの時は守ってくれてありがとう。
>>119です。まさかレスもらえるとは思わなかったです。
>>120>>134 一番みじめだったのは父親だって分かってます。
というか、それが分かっているから”切ない思い出”なんですけども…。
父親は徐々に家に帰ってくることが少なくなり(帰ってきても本当に眠るだけ)、
私たち姉弟は本当に食べられなくなったので家出同然で祖母の家に転がり込んだんです。
会うことは無いだろうと言うのは、行方が分からないからです。現在捜索中です。
>>134です。
>>138 そうなんだ。。無神経でした。
ごめんなさい。
自分たちがどれだけみじめだったか…みたいな事が書かれていたので、そういう自分たちの事を切ないって言ってるのかな? って感じてしまったんです。
捜索中ですか。
見つかるといいですね!!
陰ながら応援してます!
140 :
138:2005/07/21(木) 02:30:11 ID:5/eDptVk
>>139 いえいえ、こちらの書き方が悪かったので。誤解させてしまってすいませんでした。
おうえんありがとうございます。
父親が自分の意思でフェードアウトしたので、捜索にあまり積極的になれない自分がいますけども。むずかしいところです。
見つからなくてもいいから、どこかで新しい、健康で楽しい人生を送ってくれてるといいなと思います。
切ない
切ないとは、寂しさや悲しみなどで胸がしめつけられるさま。つらくやるせない気持ち。
切ないの語源・由来
切ないの「切」は、心が切れるほどの思いを意味し、「切なる思い」や「切に願う」など、
「親身なさま」を表す言葉としても用いられる。「切ない(せつなし)」は、元々「大切に思う」
といったポジティブな意味も表し、広い意味で「切実な気持ち」をさす言葉として使われていたが、
時代とともにネガティブな意味のみで使われるようになった。
らしいです…。
142 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 01:37:30 ID:ko0calT1
小学校のころ幼馴染が、いじめとまではいかないが仲間はずれにされていた。
おれは別のクラスだったのだが、ある昼休み、いつもはクラスのヤツとプロレスをやってたのだが、
そいつがひとりで走り幅跳びをしていたので、おれも一緒にやって遊んだ。
そしたら、その日の放課後にみんなに「裏切り者」と呼ばれ、「リンチ」というイベントが開催された。
俺もできる限りの抵抗はしたが、ボコボコにやられた。
家に帰り、傷だらけの俺を見た親がわけを尋ねた。俺は「クラスのヤツにリンチされた」といった。
だが親は、俺がいつも級友と仲良しなのを知ってたから、おおかたプロレスごっこの延
長だろうと大げさに考えなかったようだ。
俺は、なぜ「けんかした」と言えなかったのか悔やんだ。
なぜ親に助けを求めるようなことを言ったのか・・・
いろんなことが切なかったな。
あまり同意を得られない話かも。でも今でも思い出すとムカムカ・モヤモヤ・・・
143 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 01:48:05 ID:OkVIEVw+
ノラ猫が玄関先に現れ物欲しそうにするので、バイト帰りに猫缶を買った。 帰宅したら「あの猫、車にはねられたわよ」・・猫缶だけが残った・・。
144 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 01:52:30 ID:Xm1qf9FY
>>99
それ俺も見た。切なかった
145 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 06:04:26 ID:w7jDdrQH
生涯最高の恋をした。
「いつもあなたを想っています。あなたを想わない日はありません」とメールした。
なのに相手を思い出さない日が来てしまった。
自分自身を裏切ってしまったような気がしてせつない。
146 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 06:47:13 ID:yH0DdUHI
隣の家に同じ歳の女の子が住んでたんだけど
幼稚園の年長のときに亡くなった(死因はよくわからない。
なんとなく聞けなかった)
そんなに仲良く遊んだりとかしたことなかったし死がどういうことかも
わかってなかったから悲しくもなかった
いま自分が親になって子供を育てていてふと気づいた
隣のおばちゃんはその子と同じ歳で同じ女の子である私の成長を
どういう気持ちで見ていたのかなあと・・・
そのことに気づいてからは顔あわせるのがちょっと辛くなった
147 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/07/23(土) 07:47:30 ID:nqCk6H8H
>>134 ゚・。・ノД`)゚。・゚
子供って無神経なようでいて そういう部分はすごく敏感だよね
お母さんを悲しませまいとする健気な姿が切ない…
うちも極貧だった頃 母親を喜ばせようと思って
一回だけ給食のパンを残して持って帰ってあげた事があったんだ
見せた途端「ごめんね ありがとう ごめんね」って
初めて母の泣いてる姿を見て 子供ながらに胸が痛んだの思い出したよ
嘘みたいな話だけどその後結構な額の宝くじが当たり
極貧からは抜け出しましたw
>141
うちの母が「せつない」と言う場合、
たいていは洋服がキツい時です(方言?)。
「せつない」をそういう意味で使う人を他に知らないので、
すごくイライラする。
>148
昔は入ったのに今では…
という意味だと思うが
そう思うと他人事とは思えず切ない(⊃д`)
>>145 同じ立場にある人間として気持ちはよくわかりますが、
そういう日があるということはわからない。
まだわからない、のかもしれない。しかしそうはなりたくない。
朝から晩まで彼女のことで頭がいっぱいだ。
貧乏人うぜぇな
>149
いや、マジで「服がキツい」=「せつない」なんです。
それ以外の意味で「せつない」を使うことはない。
九州の北のはずれの方の離島の出身なんですが、
ほかにそこらへんの出身の人がいないので方言かどうか確かめようもないし。
153 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/02(火) 23:00:43 ID:01S4eeKA
age
154 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/03(水) 20:45:49 ID:7gHMmjSK
昔の彼女と別れる一週間前。
いつものように土曜の夜お泊りして、日曜は1日中2人で海見ながらぼ〜っとしてた。
別にお互い何も喋らなくてもよくって、彼女に膝枕されながら「幸せだなぁ〜」って
思ってた。その時は彼女も同じような事考えてるんだと思ってたけど、
あとから考えるとその時はもう既に別れる事考えてたんだろうな…と。
最近3年ぶりくらいにその当時の夢を見てしまい、起きた時無性に切なくなった。
趣味を通じで知り合った3歳上の文通相手のお姉さん。
17〜22まで、どっちとも心の支えになっていたが漏れが就職して忙しくなっていくにしたがって、
自然消滅。顔すら知らないまま。
いまどき中学生もしないプラトニックな恋愛のような感じだったなぁ。今考えてみればもう少し漏れにやる気があれば、
恋人とかそれ以上とかの関係になっていたかもしれないと思うと未だに後悔する。
漏れの心のどこかに常に恋愛感情を抱いてはいけないという強すぎる自制心ゆえそのような状況になった。
もし、相手が未だに漏れの事を好感を持っていていたならやりなおしたいが、それは常識的に考えて無理だろう。
北海道のK市のI崎A子さん元気かなぁ。
すごく仲の良かった幼馴染のA子ちゃんが、小学2年生の時に、関西に引越す事になりました。
僕は別れるのがイヤで、引越しの前日は泣きっ放しだったそうです。(自分は覚えてないが、両親の証言より)
引越し以降の僕の落胆ぶりに心配した両親が、A子ちゃんとの文通を薦めてくれました。
その後、二十歳になるまで彼女との文通は続きました。
僕が成人式を終えて帰宅すると、居間に両親と女性が一人、真剣な面持ちで座っていました。
最近でこそ写真交換をしていませんが、間違いなくA子ちゃんではないですか!
あまりの嬉しさにその場の空気も忘れてはしゃいでいると、父が悲しい目をして、おちついて聞くようにと僕を嗜めたのです。
それはとても信じられない話でした。
あのA子ちゃんは、引越して間もなく事故で亡くなっていたのです。
今、目の前にいる女性はA子ちゃんの2つ上のお姉さんでした。
当時両親は、文通を始めて元気を取り戻しつつある僕にこの悲報は残酷だと気遣い、いつきり出そうかと悩んでいたそうです。
しかし、亡くなったはずのA子ちゃんから文通の返信があり、その相手がお姉さんだと知って、その好意に甘えてしまったとの事でした。
その頃のお姉さんも妹の死を受け入れ難く、僕への手紙を妹に成り代わって書くことで気を紛らわせていたのだと、泣きながら謝っておられました。
今の僕には充分理解できる事で、両親やお姉さんを責める事は出来ませんでした。
奇しくも翌日がA子ちゃんの命日だという事で、慌てて彼女の実家を訪れたのを覚えています。
今から10年前の出来事です。 長文駄文お許しください。
そして現在、A子ちゃんのお姉さんは私の妻となりました。
というオチを少し期待した。
>>158 ノシ
ちょっと自分の俗物さが嫌になった
160 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/10(水) 22:35:17 ID:zNBgDcrp
あげあげ〜♪
161 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/10(水) 22:52:41 ID:cVNLhZsk
>>129 その夢のような一週間が129にとってどれほど大切な思い出なのかは痛いほどわかる。
しかし一週間付き合っただけでモトカノ、モトカノと連呼してると女の方からイヤがられるぞ。
162 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/11(木) 20:37:10 ID:vA2mlS2E
>>129 3年も!!あなたはすごい。
そのように一人の女性を真面目に愛し続けることができているなら、
あなたもいつかそのように想われる日が来るでしょう。心から敬意を表します。
しかし、そんな夢を見ていては泣きたくなりますでしょう。早く忘れることです。
死体に鞭打つようだが、
一週間付き合っただけでモトカノ、モトカノと連呼してると女の方からイヤがられるぞ。
高二の時好きだった人に買ったジッポ(名前入り)結局渡せずに私が今も持ってる。
彼とは住んでる県が違ったので滅多に逢えなかった(´・ω・)片思いで終わったけど渡せなかったジッポを見るたびに胸が痛くなる
166 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/11(木) 23:17:17 ID:Hj5vggKL
高1の時初めて出来た彼女の誕生日に、指輪をプレゼントしようとしたが渡す前に別れてしまった。
指輪は渡せなくなってしまったので友達に「妹にやれよ」って渡したら、そいつがはめたまま
取れなくなった。無理をすればするほど指が青紫に変わっていって、しまいにはニッパーで切ろうと
したらものすごく泣きそうな顔になってた。あの時の顔は切なかった。。。
γ γ
∧__∧ γ
(:::::::::::::: ) 好きな子にピアス渡せなかったな・・・
(○:::::::: ) .::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:......
~"''"""゛"゛""''・、 ...:::::;;;'' ';;;:::::.......
"”゛""''""“”゛゛""''' "j' ...::::;;;'' '';;;::::::.........
:::::ヘ :::::....ヽ :::;;;ノ ::( ....::::::;; '';;;::::::::::.......
:: ゝ :::::......ノ:;;../ ~~^^ ~~~~~^^^~ ~~^^ ~~^^ ~~~~~^^^~ ~~^^~~~^
高校生の時私はダイエットをしていてげっそりしていた。
ある日母親はテレビで見ておいしそうだったからと長い時間をかけて凝った料理を作ってくれた。
しかし揚げ物だったため私と来たら「何でダイエット中にこんな料理作るの?」
って怒ってしまった。あのときの母親の寂しそうな顔と来たら・・
うちの爺ちゃんは80歳直前まで現役バリバリの大工。
愛想の良い方ではなく、いつも気難しい顔をしていた。
笑った顔を見た記憶も殆どない。
うちの妹はなぜかそんな爺ちゃんに懐いていてよく旅行に一緒に行ったりしていたが
私はそんなに仲良くしていたわけではなく、爺ちゃんも私に対しては厳しかった。
姉弟で爺ちゃんに殴られたことがあるのは私だけだ。
夏休みで実家に帰った。
もうだいぶ体の自由が効かなくなって、寝たきりまでもうちょっとっていう爺ちゃん。
私の顔を見て凄く嬉しそうに笑った。
爺ちゃんのこんな顔を見るのは初めてだ。
「いつもムーっとしとるのに珍しくこんなに笑っとるわい。よっぽど嬉しいんやな」
と婆ちゃんが言った。
幼い頃、私に厳しく当たったのも愛情だったんだと痛感した。
爺ちゃんのあの笑顔はもう絶対忘れられない。
爺ちゃんも婆ちゃんも、正月に帰るまで元気でいてね。
結構前なんだけどニュースで小学生の姉弟(だったと思う。兄弟か兄弟か)が
公園で寝泊りしていて保護されたというニュースをみた。
母親は離婚して出て行き、食事は近くにすむ祖父母の家でとっていたが
家に帰ったら父親に暴力をふるわれるので公園の植え込みにブルーシートを
かけて睡眠をとり、公園の水道で顔洗ったりしてたらしい。
近所の人がおかしいとおもって通報して保護されたんだったと思う。
夏休みの時期だったんだけどそのニュースみて泣いた。
172 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/17(水) 14:33:39 ID:vydns2d1
親がサラ金で逃げて、残されたきょうだいが金魚食べてたコピペを思い出した
>>170 ロングウェイホームっていう映画を思い出して泣けてきた・・・
175 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/21(日) 18:57:03 ID:LWVjcDot
まだ数年前の話だけど、中学3年の時の話。
球技大会でバレーボールをする事になった。しかし、ウチのクラスは女子は強いけど男子が弱かった。
担任がバレー部顧問ということもあり、張り切ってはいるんだけど実力が無い。体育大会は優勝した
クラスだけど、単に陸上部の奴が多かっただけ。そんな状態で、チームを公式に決めないといけない
時期になった。そこで、男子が導き出した答えは「出来る奴を集めて、出来ない奴を集める」
運動の出来ない俺は当然のように後者へ。類は友を呼ぶと言うか、クラスに居た友人二人は見事
同じチーム。残る3人は、運動能力底辺組み……流石の俺でも運動では普通に勝てる奴等だ。というか、
学年男子でワースト5入りを果たしそうな奴等がよくクラスに三人も集まったものだ。
時はあっという間に流れ、球技大会当日。正直コートにすら立ちたくなかった。しかし試合は始まる。
コートに立つと「何でお前らがチームなんだよ」と全クラスからもの凄い痛い視線。対戦チームも(゚д゚)ハァ?
って顔をしている。同じクラスの女子の応援がイタイ。友人ら二人と「俺らだけでも頑張ろう…」と
誓ったのにも拘らず一人がほとんど動かない。結果、俺ともう一人がコートの中を縦横無尽に走り回る。
バレーなのに。各々の守備範囲なんてあったもんじゃない。当然大敗。点引継ぎ、1チーム10分ずつ3試合
だったのだが、結局一回戦負け。っつーか、こういう場合は戦力を分散した方が良いに決まってるのに……。
後日談。
クラスの女子と他クラスの友人達からは、溢れんばかりの同情を貰えていたそうな。
同情をくれた人たちは、大体クチをそろえてこう言った。
「いくらなんでもあれは無いだろう」
>>176 スマソ、「思い出」で検索かけたからそっちに気付かなかった(´・ω・`)
切符なくして倍の料金払ってしまった…
セツネェ('A`)
なんだか
>>176のスレは煽りが多くて雰囲気よくないな。
こっちの方が淡々としていて好きだ。
180 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/23(火) 23:41:57 ID:5MPOfbXE
ここ見て切ない思い出ってのは恋人よりも家族の方が多いんだなと思った。
そりゃそうでしょう
家族は死ぬまで家族だもん
私も家族のことを書きます。
小学生の時のクリスマスの日、家族パーティーに母はケーキやごちそうを
用意してくれた。私や妹はうれしくてはしゃいでた。
ごちそうの中に、パイナップルやいちごのフルーツ盛り合わせがあって、
ケーキやお菓子を食べた舌にはそれがすっぱくて、「これすっぱいから
あげるよ〜」と妹と父と、はしゃいでお互いの皿にフォークで入れたり
入れられたりした。うかれ気分でキャッキャやってたんだけど、はっと
気づくと、皿にフルーツを投げ入れ合う家族を悲しそうに、でも笑顔で
黙って見ていた母‥。家族のために4皿分、一生懸命手間かかるフルーツ
切ったり盛りつけたりしてくれたのに、それをふざけてぐちゃぐちゃに
してしまった‥このことと、母の寂しそうな笑顔をを思い出すたびお母さん
ごめんよおおおお!!と申し訳ない気持ちになる。
(幼心にも申し訳ない気持ちになり、その後フルーツは頑張って食べられ
るだけ食べた。)
>>182 それ絶対悲しい思いなんかしてないよ、お母さん。
そりゃ「やれやれ」って苦笑い的な感じはあるかも知んないけど。
むしろ子供の成長とか、自分の用意したもので子供たちが喜んでくれた
ってことのほうが嬉しくてたまらないと思うよ。
そんな何気ないひとコマって最高の思い出になってると思うけどなぁ
184 :
182:2005/08/24(水) 18:12:36 ID:lsMv41OU
>>183 そう言ってもらってちょっとほっとするよ。
未だに年に一回位思い出して「お母さんごめんねぇぇ‥」と一人悶えて
しまってたからさ。
185 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/30(火) 23:08:56 ID:q0n5cPlc
hosyu
186 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/08/30(火) 23:45:15 ID:YaDG/PL7
私の部屋(生まれる前は応接室だった)にずっと母の本棚がある。
母が集めている推理小説とか過去にもらった本とかがたくさん入ってて、
私は特に本棚の中を開けてみたり触ったりもしなかった。
数年前、ちょっと捜し物をしていて母の本棚を探っていたら
「○○小学校」と書かれた母の母校の小学校の古い文集があるのが目に止まった。
好奇心だけで「どんなくだらないこと書いてたのかな〜♪」って読んでみたら
他の子(母の同級生)は家族で旅行をして楽しかったとか、遠足で
みんなで遊んだ思い出とかを書いているのに対して母の作文だけタイトルが「おとうさんの入院」だった。
読むのをためらうタイトルだったけど読んでみると「私のお父さんが入院しました」
から始まって小学生の子供が書いたとは思えないほどの深刻な内容がそこに・・・
読み終わる頃には涙が止まりませんでした。
おじいちゃん(母の父)は病気で母が高校生の時に亡くなったんだけど、とても苦労したんだなぁと思った。
私は父と仲が悪くケンカばかりしてて母が「お父さんになんてこと言うの!お父さんを大切にしなさい」
と言うことの意味がその時やっとわかりました。
気づくのが遅かったかもしれないけど、これからも両親を大切にしていきたいと思う。
父親をを立てることのできる母親って素敵ですね。
娘と一緒に父親を馬鹿にする母親がいたりしますがとてもいやな風潮だと思います。
189 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 02:46:22 ID:56wuotZY
このスレ泣ける・・・
190 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 03:54:50 ID:woDXpy+d
男です。
地元の田舎で中学、高校とイジメられ、フラれキモがられ散々だった。
都会の専門行くのをきっかけに絶対負けたくない、変わりたいと思い、二重の埋没法をした。
そこから急激にモテモテになって、生きてて良かったと思った。
191 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 04:01:13 ID:woDXpy+d
すいません。微妙にスレ違いでしたね。
本当に当時はつらかったけど、今となってはちっぽけな事です。
192 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 04:44:04 ID:Y2NUbbzo
幼少時代の話をします。
高級菓子カステラは憧れでした。
しかし、貧乏だったウチに
そんなものを買うお金はありません。
でも、あるボクの誕生日
母がパンの耳を・・・
霧吹きでしめらせて砂糖をかけて作ってくれたのです。
母「ごめんね、こんなカステラしか・・・」
しかし、
こともあろーにボクは
ボク「こんなの、カステラじゃねーや!」
なぜこんなことをしてしまったのか、わかりません・・・
ただ、うなだれてそれを拾う
母の後姿だけが印象的でした・・・
今では三食カステラを食べられるようになったものの
あの時のパンの味・・・
まずかったこと、まずかったこと・・・
せめて一口だけでも
母にカステラを食べさせてあげたかった・・・
193 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 05:46:58 ID:WT3mOZub
このスレ泣ける。やっぱ親は大事にしないとね
194 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 05:53:25 ID:JxqqVOrT
やべぇ4時半頃から
>>1から全部一気に読んじった!
というか吸い込まれた。
このスレ最高。
最近疲れてるから涙流すとスッキリする。
もっともっと切ない話提供してくれい。
195 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 06:19:42 ID:bFXb4hEJ
結婚したばかりの頃、女房が鳥のレバーが広告の品だから安かったからと
言って買ってきた。その時点でいやな予感がしてたんですが、茹でてる時
泡が出るんでおかしくないと言ったら、賞味期限がまだあるから大丈夫
と言うし、結婚したばかりだし、それ以上言えず食べた。
それから、一晩中二人とも上から下から、便所にこもりっぱなし・・・・
胸が切なくなった思い出です。
重複のスレでもっと書いてくれはないだろ。
197 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 07:12:59 ID:bFLAXdab
子供のころ、母親がタンスにしまっていた日記を
たまたま見てしまった。
すると
「今は辛いけど、きっとあの時のバチが当たったのだ。
頑張ろう」みたいなことが書いてあり、
よく分かんなかったが切なくなった。
198 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/01(木) 09:14:49 ID:eoUPWM1C
>>192 母「たけしへ。かすてらつくっておきました。」
たけし「うるせー(ry」
il|i|li _| ̄|○ il|i|li
小学校の時、誕生日プレゼントに母親からミッキーのオルゴールをもらった
俺はガンダムのプラモの方が良かったんだが、
何となく嬉しくて、それを持って遊びに行った
そして、その日のうちに落として壊してしまった
俺はアロンアルファを持ち出して一生懸命直そうとしたが直らなかった
母がどんな思いでオルゴールを買ってきたんだろうということを考えると
とても切なくなって捨てられない。
30になった今でも机の奥に眠っているオルゴール
面と向かって言うのは照れ臭いからここで言わせてくれ
母さん、ごめん。
200 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/02(金) 00:05:30 ID:UnsURPnq
中学生だった夏休み、近所の公園で行われた夏祭りに出かけ、
そこで浴衣姿のクラスの女子に出会った。
髪をアップにし、普段見慣れた制服姿とは違う格好にドキッとした。
だけど俺は照れ臭さを紛らすため、吐き捨てるように言い放った。
「ブスが何着たって似合わねぇよ!」
あれから20数年が経ち、夏が来て街角で浴衣姿の子たちを見るたび、
あの時の彼女たちの悲しげな顔が想い浮かび、切なくなる。
今だったらちゃんと言えるのに...
「かわいいね。似合っているよ。」
201 :
200:2005/09/02(金) 00:06:31 ID:UnsURPnq
あと、200ゲットを言い忘れたとき。
>>199 あるよねそういうこと…。
嬉しくって嬉しくって、でもそういうときに限って
すぐに壊れたり無くしたりしちゃうんだよね。
小6のときの話
ちょうど反抗期を迎えていた俺は、母に対していつもババァなどと言っていた。
だけど母はいつも優しくて、俺をいつも心配してくれていた。
いつもの様に学校に行くとき、家の外から窓をみると、母が「いってらっしゃい!」と
笑顔で手を振っていた。どうしようもないガキだった俺は、うるさいと母を睨んだ。
そして学校から帰り、家の前で「今日は悪いことをしたな」と思い
いつもは無言で家に入るのに、その時は「ただいま!」と元気よくドアを開けた。
家に母はいなかった。ずっと待っても帰ってこない。
夜になって父が帰ってきた。俺が「お母さんは?」と聞いたら「交通事故で……死んじゃった」と一言。
もの凄く後悔した。
謝ることもできなかった。最後の会話、というかやりとりがあんな形になってしまって、本当に悲しかった。
文才なくてスマン
自分は母親が早くに亡くなったので、仕事が忙しい父では自分たちを育てきれず
親戚の叔母の家に預けられていました。
あくる年に、その伯母の旦那さんの実家に従兄弟達と一緒にいった。
従兄弟とは違い、やはり自分は他人なので素直にじーさんの家に入れず
もじもじとしていた。そうしたらじーさんが
「お前はここの子か?」
「ううん、違うよ」
「よそのうちの子は勝手に入るんじゃないよ。かえれかえれ〜」
「・・・・」
自分ひとり家に入れず、外でぽつーんとしていた。
10年後にその話を叔母にしたら、どうやら冗談だったらしい。
「あのおじーさんは時々そういう冗談を言うのよ〜プゲラ。」と。
栃木くんだりまで、全くしらない他人の家に連れて行かれて
母親が死んで(´・ω・`)としていたところに、あのじーさんの台詞は効いた。
8歳の自分には効いた。泣きそうだったけど、頑張って泣かなかった。
泣いたら父さんに迷惑がかかるとおもった、そんな打算的な子供だった。
しかも、ぽつーんとそとでしょんぼりしていたら、帰りの車に
置いていかれて、さらに(´・ω・`)
母親亡くしたばかりの子供に言う台詞じゃないな。冗談でも言っていいことと悪いことがある。
8才の子供に通じる冗談とは思えん。
おまいは悪くない、元気だせよ
>>204
切ないどころか、俺は鬱になったよ
>>203 切なすぎる・・・後悔はきっと母親に届いてると思う
>>204 じーさんヒド過ぎる・・・本当に冗談じゃ済ませられんよ
204マジ元気出せ
208 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/02(金) 21:59:22 ID:bLerkHGe
人それぞれが切ない、辛い過去を抱えている。
それでも、みんな生きているんだ。
友達なんだ〜♪
はい!次の人どうぞっ!!
歌うたえ♪歌うたえ♪歌えバンバンバンバンバーン♪
次の人どうぞっ!!
>>204 俺も似たような子供だったから
その時のおまえの心情を想像したら泣けてきた。
小学校の音楽の時間の席割りは音楽が優秀な人を推薦し、その推薦された人が
男女交互に選んでいくというものだった。
音痴だった0君をかわいそうに思った、H君は0君を推薦。
すると音楽狂死の宇野が「0君が歌上手いと思ってるの!?ふざけないで!」
と激怒。
俺はソレを見て切なく感じまくりました。
図書館で借りたウォーリーの本。
全部のページ丸で囲まれてた。
家の母は出来の良い妹だけが家の子だ!
と昔から言っていた。
そんな中、家庭は最悪で、私は高校卒業後に親に話さず県外に就職先を決めでていった
まぁ昔から「上の子は駄目ね〜」と言われて居たが、見切りを付けることで平気になった
県外に出てから半年ぐらいたった日に、今まで連絡もしなかった母から電話があって
妹が死んだと聞かされた。
悲しかったし意味が分からなかったが、とりあえず急いで帰った
死亡診断書?を見た時に、一日以上も発見されなかった事をしり怒りしなかった
「お前が悪いんだろ」と怒鳴って母をせめる父と泣き崩れる母が忘れられない。
普段口数が少なく人一倍優しいくて、自分の感情を出さない弟の顔を見るのが辛かった
その後母はカウンセリングに通い
急死とあまりに若すぎた為、小さな町では根も葉もない噂が流れ、外を歩けなくなった
私もしっかりしなくてはと思い家族と向き合って話した
現在、やはり妹の事は忘れないけど
家族共々分かり合えるようになった。
週末は家族で出かけたり、父が怒鳴った時には思いきり怒ってみたり
小さい頃から「妹がいれば私は十分」と言われた辛さは
居なくなってから、私が頼られるようになって
216 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/05(月) 22:11:13 ID:oA0C1/Ne
何ヵ月か前に地元の中学校近くを通ったのだが合唱コンクール
が近いらしく練習してる声が聞こえてきた
その時聞こえてきた曲が昔俺のクラスが金賞とった曲だった。
その頃みんなで頑張って練習してたのを思い出し急に懐かしくて切なくて泣いた
文字大杉た
頼られるようになって余計辛かった
でも今となっては、妹が居なくなって姉を頼るのは悪い事ではないし、私も誰に当たればいいのかかわらないし辛いはみんな一緒だから意地をはるのは止めた
なんかドラマの「ふたり」を実体験してる感じだが…
微妙にスレ違いだけど
誰にも言えない話かけて、すこし楽になりしました
これが私の切ない話
切ないな・・・・なんと言っていいかわからない
小さい頃読んだ「にげだしたパンケーキ」という絵本。
焼き上がった可愛いパンケーキが、食われるのが嫌で逃げ出すんだけど
結局捕まってパックリ食われてしまう話。
読んだ時、妙に悲しくてパンケーキが可哀相で泣いた。
実はいい年こいた今も、可愛い形の食べ物やこの手の話は苦手。
「ホットケーキくらいアンタだって食べるでしょ?」
「何泣いてんの?変な子」なんて親たちに笑われた小さい頃。
話の悲しさに加えて「私変な子じゃない。どうして誰も分からないの?」と
うまく表現出来ない切なさにまた泣けてきたのを覚えている。
220 :
しめじアクトレス:2005/09/05(月) 22:47:53 ID:kE8wT+0f
携帯で2ちゃんすると画面下部に「男と女の合体番組」というリンクがある。
切ない。
>>219 わかるよ。おまいは変な子じゃなかったよ。
>>213 切ないというかムカツク。
今思い返すと、音楽教師はろくなのがいなかった。
>>214 ワロタ
223 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/05(月) 23:24:35 ID:sOZWlpBl
>>222 音楽教師は、じゃなくて、全ての教師は、な。
>>223 そんなことないよ。いい先生もいる。
それで思い出した。
おれの通ってた高校の化学の教師が少し変ってた、風貌とか喋り方がキモイってだけだったんだけど。
で、当たり前のように、おれらはその先生を馬鹿にしてた。
ある日化学の授業で実験をする事になってた。
実験に先立って、細かい注意事項をその先生がしていたんだけど、馬鹿にしてたおれは勝手に機材とかをいじってた。
そしたら、突然ボンって器材の一つが割れた。おれは焦った。「やべっ怒られる」って思った。
だけどその先生は、「大丈夫か」っておれを心配してくれた。で、何も怒らなかった。
その時初めていい先生だと思った。
そして、見た目や喋り方だけで馬鹿にしてた自分が恥ずかしくなった。
生徒が怪我したら先生の責任になるからだとか思うかもしれないけど、
本気で心配してくれた。それは直感でわかったよ。
俺の場合
小4の時クラスの連中がふざけて「あいつにしちゃえ」みたいな感じで
多数決で俺が学級委員に決まった。
それを観ていた担任は「もっと真面目にやりなさい」「ちゃんと選ばなければ駄目じゃないか」
と、やり直しになり他の奴がなった。
まぁ、確かに馬鹿で、落ち着きがない子供だったけどさ
227 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/06(火) 22:38:56 ID:nlyJfkWl
>>225 先生かっこいい〜〜〜!!!!!!!!!!!!
俺も誰かを指導する立場になることがあったら見習おう
消防の頃、俺達の遊び場は近所の公園だった。
そこに結構な頻度で「おじさん」がいて、ベンチに座ってこっちを眺めてたんだ。
何がきっかけかは覚えてないが、「おじさん」と仲良くなった俺達は時々「おじさん」と遊んだ。
でも「おじさん」はすぐ疲れちゃって、サッカーもすぐぬけるし逆上がりもできなかった。
「年だからなあ」と笑いながらベンチに戻っていく後ろ姿は、本当にただのおっさんだった。
ある日リフティングをしていたら、珍しく「おじさん」が熱中した。日が暮れるまで一緒にいた。
始めはボールを落としまくっていて、「おいおいしっかりしろよ」といぶかしんでいた俺達も、
汗まみれになりながら22回までできるようになった「おじさん」をすごいと思うようになっていた。
ただのおっさんがガキに混じって真剣にリフティングしてるなんて、周りからしたら滑稽な光景だろう。
でも、「おじさん」は真剣だった。そのことが俺達を感動させたんだと思う。
23回目でボールを落とした「おじさん」に駆け寄って「おじさんすげーよ!」とみんなで言った。
「おじさん」は「そうか、すごいか」といつもより嬉しそうに笑った。俺達は「おじさん」に敢闘賞として
当時流行っていたドラクエのバトル鉛筆をあげると「ありがとな」と言って「おじさん」は帰っていった。
次の日から「おじさん」は公園に来なくなった。
「おじさん」はヤクザで、あの翌日に抗争相手の組の事務所に拳銃持って乗り込んで刑務所送りになった、
ということはしばらく後に知った。新聞にも載ったらしいが、文字ばかりだったことしか覚えていない。
「おじさん」は公園で遊ぶ俺達を眺めて何を思ったのだろうか。
あんなに一生懸命リフティングをしながら何を考えていたのか。
22という数字は俺にとってお守りみたいなものだ。
人間交差点?
いや、実話だ。
人間交差点は暗い&重い話ばかりで欝になる。
231 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/07(水) 22:46:49 ID:StxfbZ5M
232 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/08(木) 00:12:31 ID:csbyZLvb
>>219 もれももれも。
お菓子とか甘い物は好きなんだけど、
はとサブレとか、ひよことか、たいやきなんかも頭からは食えない。
奴らの目が俺を見てる気がするんですよ。
これはお菓子だ、生きてない。と言い聞かせながらケツから食ってます。
ケツから喰うと
「イタイ! イタイ!」って言うのでイヤ
頭からイッキにいけば、痛みも一瞬で済むよ
>>235 やめてやれよ。
デリケートな人はマジで食べれなくなっちゃうから。
ひよこは頭からむいて食うのが好きだな
脳みそでるぜ
タイだかベトナムだかで、茹で卵というか、茹でヒヨコを喰って寝込んだ覚えがある。
クチバシを囓った後のグロ感は一生忘れん。
やめてくれ。
食われる話もアレだけど、オイラが昔読んだ絵本(タイトル失念)もキツかった。
やはり食われるのが嫌で逃げ出したパンの人形が、
逃げ切ったものの固くなって最後にはカビちゃう話。
童話作家の皆さん、食べ物を擬人化するのはやめてくれ。
食う時に切なくなって仕方ねえ。
今では面影も無いが
俺も幼稚園のころひな祭りに母親が作った
お内裏とお雛様の形した弁当がかわいそうで食えなかったもんさ。
みんなひ弱だな
小学生の頃、いつもはインドアな父が遊びに連れてってくれるというのですごく嬉しくて喜んだ。
花祭りか何かの催しの広告を見たらしい。
車で会場の入り口近くまで着いたけど、渋滞していてなかなか前に進めなかった。
それで父がイライラし始めて、ついに「帰る!」って家までUターン。
あの時一緒に車の隣に座ってた兄の気持ちを思うと余計にせつない。
小学生の頃の親父の給料日、母親と市内に買い物に出る約束してて
学校終わってから速攻家に帰ったんだけど、親父の給料があまりにも少なくて
今月どうやって生活しようと考えていたみたい。そんな事情は全然知らない俺は
「約束破んな!」などと次々に罵声を浴びせた・・・
そしたら普段は絶対人前では泣かない母親が泣いてしまって・・・
「ごめんね」と繰り返しながらふだんよりも高いおやつを出してずっと謝ってた。
子供心ながらに言わない方がよかったと思った、しばらくはそのお菓子食べられなかった。。。
何故かこの時の光景は忘れようにも忘れられない・・母さん、あの時はごめん。
>>243 カワイソス。
外出で喜んでる兄弟を目の前にしてそれはないだろう。
お父さんのバカー!!
良スレあげ
247 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/15(木) 03:11:46 ID:XVbQvolN
みすった、あげ
248 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/15(木) 03:18:33 ID:qcX7j+B/
今。メールをしていた友達と交信が途絶えた
切なすぎる
同級生から同窓会の話を聞かされた。
小か中学校どっちかの話だけど、学校でバースディブックのような占い本をみんなで囲んで読んでいました。
各ページに、同じ日が誕生日の芸能人が書いてあったのですが、他の子はアイドルとか女優さんとかが書いてあるのに、
私と同じ誕生日なのは「筑紫哲也」だった。友達に気まずそうにフォローされたが、ショックでした。というよりがっかり・・
だから今でも筑紫嫌い。
元気出せよ筑紫!
>>250 6月23日生まれなのね。元気だせよぅ。筑紫に罪はねえよぅ。
私なんて「大森うたえもん」「美川憲一」「三輪明宏」だよ。
三輪さんは好きだからいいけど・・・・
253 :
250:2005/09/15(木) 23:34:31 ID:TE3xJRbU
>>251-252 ありがとございます。筑紫見るたびにすっぱい気持ちに・・スマソ筑紫・・
でもその後しばらく「筑紫」って呼ばれたの思いだしたお(´Д⊂ヽ
・・三輪さんと美川が同じ誕生日って事にビクーリしました・・・
ジャガー横田と同じ誕生日の俺は一週間くらいあだ名が「ジャガーさん」だったぞ。
田中真紀子と柴田理恵な私はどうすれば……。
ちなみに上原多香子も同じだが。
美輪って三輪だったんだ
257 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/17(土) 00:08:42 ID:VfEfnNaD
2人姉妹の姉の私は長女だからと子供の頃から父に特に厳しくしつけられていた。
だからずーっと父が嫌いで、大人になった今では
そんなでもないけど、それでも父は苦手な存在だった。
でも、この前ストレスから食事が摂れなくなりついに家の洗面所で意識失って倒れた。
平日だったけど丁度休みだった父が倒れた私を見つけて
「おいっ、○子!しっかりしろ!○子!」
と私を呼んだ所で意識が戻った。
父は心配そうに私を抱き上げて部屋まで運んでくれた。
父の胸は温かかった。
それから救急病院へ。
その時の父の温かさは忘れられない。
友達と一緒に遠出して遊びに行ったとき、サイフを落とした。
2万くらい入ってたかな? しかも行きに落とした。
その日に使った費用は全部友達が立て替えてくれた。
100%本気で楽しめなかった。喉乾いてもジュースすら買えねぇんだもん。
帰ってきてから、立て替えてもらった分を返してさ。
2万はまるまる大損。プラス1万5千円くらいを返して。
なんか、3万ちょいも払って残ったのは切ない気持ちだけ。
バイトするようになって、2万円という価値を体感して、思い出してまた切なくなった。
ああ、親が働いて稼いだ金を一瞬で落としちゃったんだなぁって。
それ以来、サイフは必ずチェーンで腹にくくりつけたり、小分けに持ったりしている。
今でもサイフを落としたことに気づいたあの瞬間を夢に見る。
たぶん、一生引きずるだろうなーって切ない思い出だ。
なんか
>>259が小さく見えるのはオレだけかな
オレが小学生の頃、財布を拾った事があったんだ
10万以上入ってた
当然、交番に持って行ったら
ちょうど落とし主がいて、すんごい喜ばれたのよ
「ワシはこの財布さえ戻ってくればよかったんじゃ!」
ってポンッと10万をオレにくれたのよ
お巡りさんも驚いてた
それで嬉々と帰って母親に報告
「よかったね、本当に欲しい物ができきるまで、貯金しとこうね。」
って母親にすすめられるまま貯金
なぁオカン、そろそろ車を買い換えたいんだが
あ の 10 万 は ど ー な っ た ?
>>260 漏れなんざ250マソ(推定)入り財布を拾って届けたが
「ありがとう。助かったよ」の電話だけ。
別にお礼が欲しい訳じゃないが、お礼の言葉が棒読みだったのがなー…
>>260 金銭に大きい小さいを決めることこそ小さいと思うけど。
お金はお金だし、財布を落とすって当人にとってはかなり衝撃だよ。
>>259の
>バイトするようになって、2万円という価値を体感して、思い出してまた切なくなった。
>ああ、親が働いて稼いだ金を一瞬で落としちゃったんだなぁって。
ってのは生きていく上で気付かなければいけないとても大事なことだしね。
>>261 おまいはえらいよ。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。
>261
あれー?
謝礼一割って決まってなかったっけ?
前に旅先で鞄拾って、中も見ずに交番持ってって、
住所と名前書いて帰って来たら、
後で一万円ちょっとのお礼が現金書留で来たよ
>>264 謝礼を放棄しますか?という項目が届け出の書類にあったような希ガス
最近この項目出来たのかもね?
自分と友達が去年かおととし吉祥寺でお財布拾って届けたら、連絡先にした
友達の所に丁寧なお礼の手紙が届いたのを見せてもらっときは嬉しかったな。
孫の大事な写真が入っていたので云々、貴女様の優しさに感謝しておりますとか
250万ってすごいな。
どうやったら落とすんだ。
>>266 保険のおばちゃんの現金回収のあとの袋とか。
妹が500万近くは行ってた袋を駅で発見した。お礼は菓子だった。
翌日何も知らずに全部食ってから気付いた。すまん。妹。
>>266 父親が、仕事で使う金をセカンドバッグに入れて
電話ボックスの上に放置した事がある、等の置き忘れもあるのでは
ちなみにほかいどーの三つアミ女子高生が見つけて届けてくれますた
中学とき卒業式が終わって皆で教室に入ったのさ
それでバスケ好きな担任に皆のお金で買ったバスケのボールを、代表として俺と一人の女子とで渡そうとしたら、クラスの不良が俺の手から勝手にボールとってあっさり渡してさ
渡すときの言葉も考えてた女子はコイツの行動に怒りと悲しみでわんわん泣いちゃって
俺は「なにすんだよ!」って涙声で上手く発音できなかったけどソイツに怒ったらその不良、窓から脱走しちゃって(教室は一階)しょうがないから俺とさっきの女子とで外出てソイツの家とか色々な所に探しに行った
で、見つけられなかったから教室に戻ったらクラスの皆に混じってソイツいるし
ボールのことなんて忘れて「バカヤロウ心配したんだぞ、これは皆の卒業式なんだから!」って怒鳴っちゃったら「お前らがボール渡すところ見ると俺まで泣くだろ!」って返された
あの時はそんなことでって思ったけど今思えばアイツなりの照れ隠しなのかなぁって思う
その気持ちに気付かなくて切ないと申し訳ないが込み上げる
270 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/19(月) 23:08:38 ID:NS6li1QM
すげぇDQNだな 最低 殺してくる
271 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/19(月) 23:10:09 ID:eNvHY0B3
741 名前:わんにゃん@名無しさん 投稿日:2005/09/17(土) 12:42:55 ID:DIW0vTGu
自宅でビジネスメールを書かなきゃいけないことを思い出した。
せっせと書いたあと、送信ボタン押す寸前に猫さまがキーボードに乗った。
○○会社 ○○課 自分の名前wwwwwwwwww
取引先からの返信に後ろに「vipperですか?」と小さく書かれていた…。
もう死にたい…。
>>271 いやいや・
ちょっと微笑ましい(´∀`)σ)゚▽゚)
判ってくれてる人でよかったではないか>取引先の人
少し前、勤めていた工場が閉鎖になった。
狭くてボロイ町工場で、給料はとても安かったけど、楽しいところだった。
最近、新しい勤め先を見学に行った。
以前とはなにもかも違う、きちんと整備されたビルの工場だった。給料も待遇も前より良い。
でも、ふと以前の工場の様子を思い出した。
天上の隙間から見えた青空、社長の急かす声、おばちゃんの笑い声、汚い喫煙室で毎日おしゃべりしたこと、残業して必死で製品をつくったこと……
全てが懐かしくて泣きそうになった。
277 :
276:2005/09/23(金) 04:20:08 ID:TRJ4tzRj
しかし、その後、以前の工場は閉鎖したのではなく、移転してたことが判明した。
「全員解雇」といいながら、実際は一部解雇だった。
すげー切なかった。
>>277 社長も断腸の思いだったに違いない。たぶん。
>276
いい会社にいたんだね裏山
おまいが嫌われていた訳じゃなくて
新しい会社でやっていける若い人は
そっちで頑張ってもらいたいと思ったんだよ
ちなみに同じようなトコにいたことあるが、
地獄のような所だったよ。もう逃げ出したけどさ
280 :
276:2005/09/23(金) 23:36:35 ID:TRJ4tzRj
>>278 >>279 ありがとう、そうかも知れないですね。
これからは、新しいところで頑張ります。
281 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/09/30(金) 00:04:11 ID:y4VMs2z5
あげ
小学生くらいから母と兄から暴力をふるわれていた。父親は別居。かばう人はいない。
体が痛いのは我慢出来るし声を出して泣かなくなった、うるさいともっと殴られるので。
兄からは唾を吐きかけられたり、味噌汁、お茶を入れ物ごと投げつけられたり。けどこれも慣れた。
何よりも辛かったのはわたしを産んだ母から
「お前は兄弟のなかで一番の失敗作」「産まなければ良かった」
「しね」「お前は父親の嫌なところばっかり受け継いでる嫌な子だ」
「可愛げのないお前は誰からも愛されないし友達も出来ないだろう」「はやくしね」
と殴られたり踏みつけられながら言われたことだった。
なにが切ないって、好きな人(母親)から全否定されたことだと思う。
20歳過ぎたけど誰のことも好きになれない。
友達、仲いいヒトが出来てもあの頃言われたことが
呪いみたいに残ってて、たまに夢に出てくる。しぬしかないのかなって最近思う。
死ぬとかそういうことはあんまり言わないほうがいいぞw
>>282 生きてても辛いだけなら死ねばいいと思う。
>>252は5/15生まれ?私は黒柳徹子と同じだよ…。
誕生日は必ず黙祷だしね。切ない気持ち。
俺の誕生日5/16日は麻原が逮捕された日
イイ日じゃないか!
オレはダウンタウン浜ちゃん、キッチュと同じ
彼らの行動に理由なんてない。
だから、忘れてもいい。
あなたが悪いわけじゃない。
お母さんはお父さんに裏切られたと思って、
怒りをぶつける対象が欲しかったんだと思う。
あなたはか弱い子供だった。だから目をつけられた。
彼らに愛されるには時間がかかると思う。
彼らより強く優しくなるしかないと思う。
汚い心のはけ口を他人に求めるしかない人。
そんな人はどこにでもいる。私だって。
でも、そんな人々にいちいち絶望するより、
今優しく愛情を傾けてくれる人々を大切にして、
自分を肯定してゆければそれでよいのだと思う。
少しずつ。
人が嫌になれば逃げたっていい。
でも、自分も好きで相手にも好かれているのなら、
そして信じられると思ったら、
素直に自分の気持ちを悩みを語ってみてもいいんじゃないかと思う。
生きていて欲しい。
自分は、あのキムジョンイルと同じ誕生日だよorz
将軍様!
ああ、「いっき」な。
当時厨房だった俺は、ゲームセンターでやりまくってたよ。
ファミコンで出ると聞いて、そりゃあ喜んだもんだ。
何ヶ月も小遣いをため、やっとの事で近所のおもちゃやで買ったさ。
ゲームセンターそのままの物が家で出来るなんて本当に夢のようだ。
カセットを差込み、わくわくしながら電源ON!至福の時間だ。
あれ?忍者の動きが変だ。ていうか違う。根本的に何かが違う。
俺がやっていた「いっき」はこんなんじゃねえ。
しかも4面目まで行くと、また1面まで戻りやがる・・・
40分ほどプレイしたが、それがこのソフトの全てだった。
まだゲームの途中だったが、高速で電源ON/OFF繰り返し、
最後に力の限りを込めてイジェクトレバーに掌底を食らわした。
20センチほど飛び上がるカセットを見て俺は泣いた
*10月は都市緑化月間です*
〜都市に緑と公園を〜
都市における潤いのある緑豊かな生活環境を確保し、
豊かさとゆとりを実感できる国民生活を実現するためには、
都市公園等の整備を積極的に進めるとともに、地域住民や関係諸団体の
積極的な参加と協力による緑地の保全及び緑化の推進など、
総合的な都市緑化施策を展開することが必要です。
また、京都議定書目標達成計画において、温室効果ガス吸収源対策、
国民に最も身近な地球温暖化対策としての普及啓発、ヒートアイランド対策を通じた
都市の省CO2化としての都市緑化等の推進の必要性が位置づけられています。
このため国及び地方公共団体は、広く国民の皆様のご理解とご協力を得て、
都市における緑の保全・創出や、都市公園、街路樹の整備等を推進し、
住民参加による緑豊かな美しいまちづくりを展開するため、
「都市緑化月間」を実施します。
これに関し、国土交通省では全国の国営公園で無料開放及び各種催事を行います。
秋空の下、ご家族やご友人とご一緒にみどりを満喫してはいかがでしょうか\(^0^)/
☆詳しくはこちらをご覧ください☆
国土交通省ホームページ
http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha05/04/040915_.html
294 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/02(日) 23:21:16 ID:6XkKB/88
わりと最近のことですが
2年前の今ごろ、おじいちゃんが亡くなりました
おじいちゃんは、オートバイも自転車も車も運転できて、病気もなく元気で
保険証なんかも全部管理して私の家の庭も手入れまでしていました
近くに住んでいたのでしょっちゅう会っていました
大好きな自慢のおじいちゃんでした
おばあちゃんと、おじいちゃんの妹を旅行に連れて行って
その先の温泉で脳の血管がきれて…それが元で亡くなりました
夜中に電話がかかってきて「おじいちゃんが亡くなった」ときいたときは
お父さんが酷い冗談を言っているのだと思いました
布団に飛び込んで泣きました
旅行に行く2日前、一人家で遊んでいるときおじいちゃんが来ました
お母さんへの伝言と私の好物(野菜)を持って来たらしかったのですが
私は遊んでいるときに邪魔されるのが嫌で、「早く帰ってくれないかなあ」なんて思いながら
てきとうに会話をしていました。
おじいちゃんはオートバイに乗って、すぐに帰っていきました。
それが最期でした
いつも可愛がってくれたのにごめんねおじいちゃん
私は葬式のときに居眠りしていたし、
今でもお仏壇の桃を食べたりする酷い孫だけど
やっぱりあの日を思い出すと涙が出てくる
死ぬまでおじいちゃんのこと好きだよ
こんなの人に伝えられないから、このスレをはけ口にしちゃいます
長文&sage忘れすいません、やっぱ駄目だorz
奇形児を見たことはありますか? これは北海道の網走市であった話です。
古塚美枝さん(当時23) は、いわゆる売春婦でしたが夫がいました。
しかしその夫は働こうとせず、酒に溺れる毎日、そして酔うと必ず美枝さんに
暴力を振るいました。83年の夏、美枝さんは体調を崩し病院へ行きました。
原因は妊娠によるつわりなどでした。売春婦であった美枝さんは、
まず誰の子なのか考えましたが夫の子である事を確信し、
早く報告しようと急いで帰りました。しかし夫は自分の子とは信じず、
中絶を命じました。 それから5ケ月。結局美枝さんは中絶を拒み、
生むことを決意しましたが、夫は従わなかった事を不満に思い、
さらに暴力を振っていました。 そしてその日夫は美枝さんの腹部に
膝蹴りをしました。する と、美枝さんの股間からは溢れる様に血が流れてきました。
そして美枝さんは崩れ落ち、声にもならない 様なうめき声で唸りながら
........流産でした。夫は慌てて家を飛び出して行きました。何故?
それは生まれてきた子供が余りにも醜かったからです。目はあべこべに付き、
片方の目は眉毛の上に付いていました。鼻はだらしなく直角に曲がり、
口なんぞは縦向きに、しかも耳のつけねから裂け目の 様に付いていました。
動きもせず、ただこちらを眺めていました。 それからどうなったかは分かりません。
ただ、この話を聞いた人は最低3日間気を付けてください。
うしろで何か気を感じても振り向いて いけません。
それはあの子があなたを眺めているから。 10分以内にこれを
掲示板の5箇所に貼らなければそのままあの子は離れて行きません。
お気を付けて。
>>294 言い忘れというか、
「温泉」というのは露天風呂に入っているときに倒れ、
なかなかあがってこないので心配した祖母が探してもらうと
一旦体が沈み、そして浮き上がったとのことでした
「いわくつき」の…ってテレビとかでよくありますけど
自分の祖父がそうなるとは思わなかったなぁ
どんな噂がたってても自分は胸をはって湯船につかれるという自信はあるけど
男湯じゃなければなぁ
299 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/02(日) 23:32:13 ID:YBygPon3
大学に入って一人暮らしをするため、荷物を車に詰めて
親と一緒にアパートへ運んだ。
部屋に荷物を入れ、親は電車で帰ることにした。
俺は一人でアパートの窓から親の立ち去る後ろ姿を見送り
一人ぼっちになった気がして、少し胸が苦しくなった。
そして大学を卒業した後、実家でニートをして今に至る。
300 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/03(月) 00:09:37 ID:YCTU4cm3
小学校の時、一年から六年生まで
生徒全員で同じ場所に遠足に行った。
お昼になってみんな仲良しグループでお弁当を食べていたんだけど
三歳上の兄が一人でお弁当食べているのを見つけた時は
なんとも言えない気持ちになった。
>>300みたいな状況を作ってしまう担任教師には死んでほしい
よく体育で「2人組みになって〜」って言うけど
俺だけ毎回一人なんだから空気読めよ筋肉バカがと何度思ったことか。
自分は一人暮らししてる。あるとき母親がこっちに用事があるってんで家に来た。
重いし、こっちでも買える日用品や食べ物を差し入れだって
汗だくになりながら手荷物で持ってきたんで
バカだなぁとか言いつつ、母親なりの愛情を感じた。
それなのにくだらんことで大喧嘩して、
着いて30分もしないうちに母親が「もうええわ!」って帰ってしまった。
窓から下を見ると遠ざかっていく母の後姿が見えたから大声で「ごめん」って叫ぼうとしたけどできず、
かーちゃんごめんよーと小声で言いつつ見送ったのを思い出すとせつない。
305 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/03(月) 01:11:24 ID:ifrkJOyF
一から読んだけど切なくなって泣いちゃったよ。
ちなみに私は金日成と同じ誕生日だよ
296は83年の夏と書いてあるけれど、その当時から
いんたねーっとが普及する事を見越して、さらに2chが出来る事を予測して
5つのスレに貼らなきゃいけないという念をこめたと思うと切ない。
307 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/04(火) 23:55:50 ID:cwJAVoIm
小学生の時、3人グループで仲良くしていた。
ある日、課外授業の時に
二人が私よりも少し離れた場所で
「ねぇ、○○ちゃんの事(私の事)好き?」
「ううん。好きじゃない。」って会話を聞いてしまった。
心臓がぎゅーって苦しくなった。
次に二人が慌てたような声で
「ねえ、今の聞こえた?」って大きな声で聞かれた。
「ううん。聞こえないよ。」って咄嗟に答えていた。
聞こえてたよ。ほんとはね。
中学に入った頃、母親に「体育祭、お父さんと行くからね。」といわれ、
中学の体育祭に親が来るなんておかしい、きっと笑われる。と思った私は、
「いい!絶対こないで!きたら怒るからね!」と母にきつく言った。
学校についてみると、見学に来ている保護者が沢山いた。
親たちとわきあいあいとしている皆を見て、母親にいて欲しかったなあ、
応援してほしかったなぁ、ととても寂しくなった。
自分のときとは逆だね。
親が楽しみにしていたのに、風邪ひいてダウン。
学校へ行く直前にフラフラと倒れ込んでしまった。
母ちゃんも父ちゃんも仕事休んでくれて、めちゃくちゃ気合いの入った弁当作ってくれたのに。
>>301 そういう状況をつくらせまいと気を使われるのもまた切ない思い出になるんだよな…
弁当を一人で食べたいという変わった子供も居るのであまり気にするな。
ちょい前に単車を買ったので子供の頃よく家族で出かけていた公園に行ってみたんです
中学生ぐらいに引越してから行く事も行く機会もなかったので
ちょうど良いやとぶらりとツーリング気分で行ってみたんです
何時の間にか公園も整備されてたけど雰囲気はほとんど変わらず
家族で花見に来た事や、仲の良かった友達とかとこっそり遊びに来た時のこと
色々思い出して泣きそうになってました
気がつけばタバコ吸ってて、あぁもう戻れないんだなと思うと堪えきれなくなった
長文、乱文ですみません
このスレ(・∀・)イイ!!
>>312 「この道、こんなに狭かったっけ?」とか、「あ、ここにあった駄菓子屋が民家になってる。。」とか、ね。
通ってた小学校のグランドを眺めたり・・そんな時、意味もなく切なくなるよね。
5年くらい付き合ってた彼氏がいて
よくうちの実家に来てた。うちには猫が二匹いて
猫なのに犬みたいな性格で、彼氏によく懐いてたんだ。
で、婚約してたんだけど結局、破談になった。
理由は向こうに好きな人ができたから。。
当たり前だけど彼氏はうちに来なくなり
最後にうちの親に謝罪?に来た。
そしたらうちの猫が久しぶりに彼氏を見て大喜びで
彼氏の膝にのったり
頭を擦りつけてた。
もう二度と会えないのも知らないでゴロゴロ甘えて...。
あれから数年。今、私も傷が癒えて彼氏が出来たけど
ちょうど今ぐらいになると思い出す。
長文スマソ。
切ないな
317 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/14(金) 22:27:07 ID:M/rZg+GI
あげ
318 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 02:39:32 ID:3HEDSJNW
会社の後輩のUが3月末で退社した。
Uはかわいくて性格も良く、仕事もできたので、誰からも好かれていた。
4月に入っての最初の週末、俺と俺のカミさん、先輩と先輩の奥さんとUの5人で
この先輩の家で食事会をすることになった。
その時、俺のカミさんは妊娠3ヶ月、先輩の奥さんは妊娠5ヶ月で、
それを知ったUは笑顔で「おめでとうございます。」と言ってくれた。
8月に入り先輩の奥さんが無事出産、先日うちのも無事出産した。
そして驚いたことに、うちよりも一週間早く、
Uも未婚のまま出産していたことを聞かされた。
不倫相手の子である。
相手は会社の一コ上の先輩。
あの食事会の時はすでに妊娠3ヶ月だったのに、
嬉しそうに話す嫁たちの懐妊話を、Uはどんな思いで聞いていたのだろう。
表立って言えず、誰にも祝福されないUを思うと切なくなる。
今、不倫相手の先輩は離婚し、Uと暮らし始めている。
望まれずに生まれてくる子はいないと信じたい。
UとUの子が幸せになれることを祈るばかりである。
319 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 02:47:26 ID:IT+pYU1G
ある朝の事、私はいつものように会社へと足を運んでいました
いつものように・・・ 横断歩道まできて赤信号で立ち止まっていると
、なにやら足元から目線を感じるのです!私はおそるおそる
320 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 02:49:04 ID:EOocDchR
その先輩の子供だとしたら・・・
ウンコ投げたくなった
>>318 とことん内輪目線の同情話だなオイ。
不倫相手の先輩の奥さんが一番せつないだろが。あほくせ
323 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 03:03:30 ID:aXlCbgU3
>Uはかわいくて性格も良く、仕事もできたので、誰からも好かれていた。
誰からも好かれてた・・・か。
どうだか。
あなたもUもその先輩もまともじゃないよ。
明日こそちょびリッチのアレが当たりますよ〜に!
キャリーオーバーでもう14万円も溜まってるんだよね。ぐひひ
326 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 03:21:08 ID:FTwI79ak
>>322 >内輪目線の同情話
同意。
すごく幼稚な仲間達。
切なくもなんともないよね。
これが実は不倫相手から認知してもらえずシングルマザー…なら切なくなるかもだけど、
不倫相手は結局妻と離婚してくれたんだから、Uさん最低女じゃんw
幼稚園のとき、合唱会?をやった。俺はシンバル。
友達もシンバルで二人シンバルだった。
当日、本番中にどのタイミングで鳴らすか微妙にわかってても迷わない?
んで隣の友達のをみながら合わせた
ってシンバルから汁がでてるよ!!
えっ?なんだ、おい、こりゃあなんだ?
すごい焦った俺はみた瞬間シンバルをならしてしまった・・ってのはどうでもよかったが
その汁の正体がおしっこだったのね。
泣きながらシンバルを鳴らしてたからびっくりした。
でもなんでシンバルにおしっこついたんだろ?
隠そうとしたのかな?その後、中断したけど
329 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 06:07:12 ID:2nRRVlP0
幼稚園か小1の時、父や祖父母と喧嘩して母親が家を出た。一時的な家出のつもりだったらしいが、子供にそんな状況が解るはずもなく、母親っ子だった私は悲しくて会いたくて毎日泣いてた。
330 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 06:08:52 ID:2nRRVlP0
それを知った3つ年上の幼馴染みの男の子が、母ちゃんに会わせてやると言って私を連れて家を出た。きっと母はジィちゃん家(母の実家)にいると思って2人でひたすら歩き続けた。しかし途中道に迷う。
331 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 06:09:45 ID:2nRRVlP0
不安で堪らなくなり泣いて幼馴染みを困らせた。そんな私を幼馴染みはダッコしてくれたり、私が疲れたと言えばおんぶしてくれた。
332 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 06:11:43 ID:2nRRVlP0
夕方になり、腹が減ったとグズった私に「食糧だ!食え、だから泣くなよ。母ちゃんに会うまで俺がなんとかしてやるから」と言って1コしかないパンを私にくれた。年上と言っても彼は小2か小3くらい。彼だって疲れや不安で堪らなかったと思う。
333 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 06:12:34 ID:2nRRVlP0
途中、私の父親が捜しに来て捕まってしまったけど最後まで「俺は年上だ、男だ」と言って守り抜いてくれた。彼がとても格好良かった。あの日我が儘ばっかり言ってごめんなさい。
今でも彼が好きだけど、彼には奥さんも子供もいる。切ない…。どうかいっぱい幸せになってください、そしてありがとう。
長文スマソ…逝ってくる
不健康だ
335 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 07:36:05 ID:+W4zwvhF
>>318 性格いいのか?
不倫で中田氏しまくってたんだろ?
337 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 10:02:47 ID:fFekU3WV
不倫をしている人って他人の不倫にも寛容で
お互いを庇いあうんだよね。
でも社会人としてちゃんとした扱いを受けないから
だんだん居心地のいい不倫仲間でかたまって
世間から感覚がどんどんかけ離れていくんだよね。
陰で周りから嘲笑されてても
本人達はそれに気づかないんだよ。
ここに書き込んで叩かれて驚いて
「あぁ世間のヤツらは何もわかってない!!」ってふてくされているんじゃないの?
そういう人は現実逃避が得意だから。
>>318
だからさ、この書き込みは「Uちゃん」とやら本人の書き込みって訳よ
若しくは手を出した先輩ね
それだと納得いくべさ
339 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/15(土) 12:13:17 ID:KzDCMfda
>あの食事会の時はすでに妊娠3ヶ月だったのに、
>嬉しそうに話す嫁たちの懐妊話を、Uはどんな思いで聞いていたのだろう。
こういうのを「自業自得」または「身から出たさび」と
日本では言います。
>>338 まぁ確かに普通の人だった切なくならずに「引く」よね。
318読んで、ドン引きした。
誰にも祝福されないUとか言ってるけど、そんなん不倫したんだから
当然じゃん。
しかも結果的には、余所の旦那と暮らし始めてるんだし
万々歳じゃん。
他人様の夫を寝取って、孕んで、出産するなんて凄い根性だと思うよ。
(誉め言葉ではない)
今ちょっと思い出した
あれは私が小2で兄が小4くらいの時だったかな
私と兄は仲悪くて、いつもケンカばかりしてたんだよね
そんな兄が「おい、00君(従兄弟)ちに行くぞ」って言って2人で出かけた。
00君は前近くに住んでて、私達兄妹ともなかよしだったんだけど急に引越しちゃって。
今思っても、低学年の私らがよく行けたもんだっていうほど住んでる所は遠かった。
だから遊べてもすぐ帰らなきゃいけなくて。
暗くなる前に戻ってこれたんだけど、なぜか兄が「ここから入るぞ」って
隣の家のフェンスをつたって、うちの家の窓から入って帰宅。
“なんでこんな事すんの?”て思ってた私に兄は
「おかあさんに聞かれたら、裏の〜くんと遊んでたって言うんだぞ」って言った。
後から解ったんだけど
当時、従兄弟の母親とうちの両親がお金絡みで揉めて、絶縁状態になったらしく
兄も00君の事を口にすると親からこっぴどく怒られてたらしい
そんな事情を私は知らずに、急に会えなくなった00君と「遊びたいー」と駄々をこねてた。
それをみた兄が親に内緒で連れてってくれたんだよね。
大人になった今では、兄も私もそれなりに仲良くなってるし
私も嫁いで家を出たけど、00君もごくごくたまに母親と一緒に
家に顔を出すみたい。嫁さんもらって家を継いだ兄が言ってた。
兄もあの時の事は覚えてるかも知れないけど
なんか聞けないんだよね、あの時の兄の気持ちを思うとさ。
妹想いの兄ちゃんだな
343 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/16(日) 06:28:38 ID:wUq+Ayq4
>>318 そのUって女、女性としていや人間として最低。
不倫のくせに避妊しないで妊娠するヤシの神経疑うし、妊娠させて産ませた既婚男も妾に出来ない甲斐性梨が!と思う。
その先輩だって、最初の奥さんと乳飲み子を捨てたわけでしょう。
責任感の欠けらもない父親不適合者。
おおかた
>>318はU本人か先輩なんじゃね?
非人てこういう輩の事を言うんだな。
344 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/16(日) 10:38:38 ID:2De2A0RS
>>343 少し混同してるような。
俺は穴兄弟だと思ってたが。
すごくすごく大好きだった彼女がいた。
彼女は少しメンヘル気味で自分がそれを受け止め切れなくて
結局別れてしまった。嫌いで別れた訳じゃないので想いは
引きずったままだった。
忘れようと努力してたそんなある日、電車を待っていると
彼女じゃないんだけど同じ香水の女性が自分の前を通り過ぎた。
なんかその香りで別れた彼女を思い出して切なくなった。
347 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/18(火) 23:24:10 ID:B1sVpVJV
うちは4人兄弟なのですが自分3番目で
母親によく「子供育てるんもう飽きたわ」と言われてた。
友達の親と喋るとき「子供は2人までですね」と言ってるのも覚えてるし
「父親に似てほんま憎たらしい」「ほんま失敗したわー」と言われたのも覚えてる。
ちなみに父親とは離婚したので、家に居づらかった。
4人目(妹)は病弱だったので飽きなかったんだろうなって思うと切ない。
実際、今も仲良いみたいだし。そして嫉妬で私に懐いてた妹を
「ついてこんといて!」とつっぱねってた自分。ごめん妹。
ほんとは小さくて美人で自慢の妹なんだけど、あの頃は余裕が無かった。
切ないな。
>>346 メンヘルの女性を好きになる気持ちってどんな気持ち?
そういうところも含めて好きなの?
348 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/18(火) 23:52:51 ID:07pT8gIh
母校の中学が校舎移転で取り壊しが決定したのは知ってたんだけど
それがいつのまにか行われてたこと。
高台にある学校だったから取り壊されてたの気づかなかった。
すごく思い出のある校舎だったから友達と
「取り壊しの時みんなで立ち会いたいね、校舎の壁の破片でもいいから記念に欲しいね」
なんて言ってたのに・・・
クラスメイトの男子が「○○に告白したいから手伝ってくれない?」って言われて
みんなで放課後の美術室を舞台にセッティングしてこっちまでドキドキしたこと、
好きだった先輩を追いかけた渡り廊下。
放課後になると下手だけどブラスバンド部の練習音が聴こえてきた音楽室。
「○○先輩と両思いになれますように」ってコッソリ落書きした体育館。
学校のシンボル的存在だった大きな桜の木。
この前行ってみたら桜の木は次の建物(市の福祉施設)が建つのに邪魔だから伐り倒され、
もうすでに新しい建物の鉄骨が立っていて校舎の影は跡形もなく無くなっていた。
当時聴いていた曲とか合唱で歌った歌とか思い出したら涙が止まらなくなった。
タイムマシンで戻れるとしたら中学に戻りたい、ボロかったけどそれくらい大好きな学校だった。
349 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/18(火) 23:55:19 ID:H07hY24F
にちゃんねらは不倫大嫌い
350 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/19(水) 00:04:34 ID:+z4Z0h+4
大好きだった彼氏に振られたこと。6年たった今でも、かなり切ないな。
元気にしてるんだろうか、彼女と幸せなんだろうか、といろいろ思う。
もう、彼以上の人とは出逢えない気がする。
351 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/19(水) 00:33:31 ID:NOpXtTB/
小学3年生くらいのとき兄弟げんかをしてオヤジに根性焼きされた
されたときおもっきり抵抗したんだけど大人の力にはやっぱ勝てなくて
そのままジューとやられてしまった。
いまでも手の甲にやけどのあとがうっすら残ってる
今は俺は東京に暮らしてる
おやじはよくさみしいのか携帯に元気でやってるかー?
とか電話してくるし実家に帰ればいっしょに酒飲んだりする。
おれはもう忘れたフリしてるけどいまでもあの時俺を無理やりおさえつけ、
泣いて許してって叫ぶおれに鬼の形相でタバコを押し付ける光景が消えない
子供のころ俺のほうが力が強くなったらぜったい仕返ししてやるとかおもってたけど
すっかり丸くなったおやじをみるともうできない。
オヤジはあのこと覚えてないのかな?
いっしょに酒のんでニコニコしてる顔見るとまだ許せていない自分がダメなきがしてやるせない。
就職して東京に住み始めた頃、会社の帰りに
都内に一人で住んでいるお婆ちゃんの家に寄ることになった。
親に「たまにはお婆さんちに遊びに行ってあげなさい」と言われてたからで
半分は楽しみ、あと半分は「面倒くせーなー」という気持ちだった。
「今夜行くからねー」と電話して、それから買い物や軽くハンバーガーなんか
食べて電話のあと2時間ぐらいしてからお婆ちゃんの家に着いた。
お婆ちゃんはおれの電話をすぐ近くの駅からだと
勘違いしたようだった。
電話のあと大急ぎで、おれが子供の頃大好きだったという
カタヤキソバを出前で注文してくれて、一人でずっと待ってた。
おれが着いたときはすっかり冷めてしまい、
お婆ちゃんはコタツでポツンと座って待ってた。
それから5年後にお婆ちゃんは病気で亡くなったが
結局その後は2回ぐらいしか行かなかっただろうか・・・
とても都会的な冗談好きなお婆ちゃんだったが
今思うと何度も遊びに行けば良かったと後悔してる。涙出てきた。
>351
>オヤジはあのこと覚えてないのかな?
>いっしょに酒のんでニコニコしてる顔見るとまだ許せていない自分がダメなきがしてやるせない。
ああ、わかる。おれもそんなところだ。
根性焼きしたことを親父さんは、多かれ少なかれ後悔はしていると思うよ。
だめな父親だと少しは感じてるじゃねーかな。
おれはそう思えたので、過去のことについて触れようと思わなくなったけどね。
それでも、思い出して腹が立つのはいまでもおれもあるので、
自分だめだなーと責めすぎるのはよくないよ。
高校3年の時数学の授業は隣のクラスと合同だった。
2年生の時同じクラスだったけど3年になってクラスが違ってしまい
あまり話さなくなってしまったけどちょっと好きだった男の子がいて、
席がその授業の時となりの席になった。
毎回毎回数学の授業の前の時間は、次の授業の時に
何を話そうかとか、彼の好きだった音楽を聴いて詳しくなって
話を盛り上がるようにしようとか、授業の予習しっかりやって
彼に教えよう!!とかすごい毎日が楽しくて幸せだった。
授業中に彼が居眠りして、ずっと彼の肘があたってドキドキしたりとか、
彼が顔を近づけて話しかけてきたりすると男の子と付き合ったこと
もなかったので本当心臓がドキドキしてたまらなかった。
卒業後は彼は東京の大学にいったらしいということしか知らなくて、
ヘタレな私は仲良かったにもかかわらず
携帯番号もきけなかったので連絡を取ることもなかった。
最近彼が結婚したと人づてに聞いて、
ふいに当時のことを思い出してなんだかとっても切なくなった。
恋の話を聞いてもあまり切なくならない自分は
もう枯れているのだろうか・・・・
私が小学校低学年の頃の話。
離婚して疎遠になってた父と会うことになった。
父に会うのはすごく久しぶりだったのでとても楽しみにしてた私と妹。
アイスを食べたり公園で遊んだりした後、父の新しい家へ。
新しい家には当然のように女が居た。
その女は真っ昼間にもかかわらずだらしなく寝そべってテレビを見て、うっとうしそうに私達を見てた。
帰ったあと、お母さんに「お父さんの家に誰か居た?」と聞かれ、子供ながらに女が居たと言ってはいけないような気がして「ううん、パパ一人だったよ」と言った。
それを聞いたお母さんが小さい声で「じゃあ家に帰ってくればいいのに…」と呟いてた。
何年も前の話だけどいまだにちょっと寂しそうなお母さんの顔を鮮明に思い出す。
お母さん嘘ついてごめんね。
>>356 あなたは何も悪くないよ。
自分も一つ。高校の頃親父が勤めていた会社を辞めて、持っていた資格で
自営を始めたが、当初はなかなかうまくいかずいつもイライラしていた。
家族に当たる事も多かったが、当時反抗期の俺はそんな親父に真っ向から
ぶつかってた。で、その日は特に虫の居所が悪かったらしく、下らない事で
殴り合いの喧嘩になった。小さい頃はすごく大きくて強さの象徴だったような
親父が自分の力でも抑えられるくらいになってて、目を見るとあの強かった目が
すごく頼りないような目で、ひどく悲しくなって結局自分の手では殴れなかった。
(まぁ俺はボコボコに殴られたけどw)
その後家出ってほどのもんでもないけど一晩中外で吸った事もないのに
煙草吸ったりしながら過ごした。情けない気持ちと、親父の目を思い出すと
切なくなって、煙草はむせるわ、殴られて切れた口に染みるわ・・・
ぼろぼろ泣いてしまった。
>>318 聞きたいこてがある。
一緒に食事をした先輩と、Uの不倫相手の先輩は同一人物?
× 聞きたいこて
○ 聞きたいこと
小手
361 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/20(木) 22:31:51 ID:h7LKpXsf
>>358 残念。もう>318はぶったたかれた後なので
出てこないと思われ・・・。
>>355 また新たな恋が出来るだろうからあんまりシンミリしないんだろう。
ペットの話もそうだ、新しい犬や猫を飼うと悲しみが薄れる。
しかし親兄弟は違うからな。特に親なんか死んじゃったら
自分に悔いが残るだけだ。
>>318はU自身だと思う。
不倫相手の先輩の奥が妊娠。
私も妊娠すれば略奪出来ると思い実行。
先輩は一向に離婚しようとしない。
未婚のままシュサーン
先輩は段々と自分から離れていく。
先輩は奥を選ぶ。Uは完全に捨てられた。
という流れジャマイカ?
3ヶ月の時に先輩奥に会わせられた可哀想なアテクシに酔っているだけだ。
不倫相手の先輩とその会食した先輩が同一人物かわかんねーし
U捨てられてねーし
お前の読解力と想像力と終わった話盛り返し力は完全に主婦だな
>318のことは忘れろ。俺はそうした。
366 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/22(土) 01:04:36 ID:whG0PqZl
>>365 なるほどその手があったか!!
つ〜ことでage
つきの切ない話どうじょ
ばあちゃんが死ぬ間際の事。
ばあちゃんは以前胃の病気をして、胃の3/4を切除して食べ物をほんのちょっとしか
食べられなくなったらしい。
背も小さく、痩せてるばあちゃんは幼い頃から知ってた姿だったから何も思わなかったけど
昔の写真とか見ると肉付きのいいおばさんって感じでびっくりしたのを覚えてる。
子宮癌だと言われて入院したばあちゃん。
お見舞いに行ったときに、介助車(? 寄りかかって歩ける奴)でトイレに行くついでに院内をちょっと散歩する事になった。
足下もおぼつかなくて、さらにやせ細って小さくなったばあちゃんの後ろ姿を見て辛かった。
ふと診療室の前を通った時に、喉もかすれちゃってよく聞き取れない声でばあちゃんが何度も言うのね。
「せんせーにきぃーて」ってさ。一緒に居た母が「何を?」って訪ねたら「いのちぃーあとどれくらい」って。
もうばあちゃんの前なのに私号泣。病室に戻ってベットの脇に座りながら下向いて必死に声殺して泣いたよ。
368 :
続き:2005/10/23(日) 15:47:38 ID:Oy7HsHng
それで個室に移されていよいよいつ死んでも・・・って時。
もうベットから起きられなくて、点滴ずっと受けてて、お見舞いに行くたびに
ガリガリで骨と皮だけだった手足が、片足、次はもう片足次は片腕って具合に一本一本浮腫んでいくのが
はっきりわかるのよ。もう皮も伸びきってつるつるするくらいに膨らんでて、皮膚から水とか出てるの。
本当に居たたまれなかった。
面会は面会終了一時間前くらいにいつも親戚家族でお見舞いに行ってた。
当時私は中三で受験生だったから、塾に通っていてお見舞いの時間と被って行けない事もあった。
もちろんばあちゃんの事も心配だけど、毎月塾の月謝が出せるかどうかギリギリって状況で親に塾行かせて
もらってたのも知ってたから休むのにも抵抗があった。
だけどどうしてもその日は塾が面倒になり、お見舞いに行きたいから休ませてと半分嘘の言い訳でお見舞いに行った。
明日は絶対塾に行きなさいよ、って言われて。
その翌日、塾行った日の夜中にばあちゃん死んじゃった。最後のお見舞いに運悪く行けなくて悔しかったし悲しかったし。
でも親に当たっても仕方ないし、かなり切なかった。
死んじゃったらやっぱりばあちゃんとの思い出が当然のように溢れてくるわけだけど、
まず一番最初に思い出したのは罪悪感だった。
家にあるとそれしかしなくなるから、という理由で家の近いばあちゃんちにスーファミが置かれた。
毎日ばあちゃんち通ってスーファミで遊んで、ばあちゃんが好きな相撲も見せずにずっとやっていた。
ある日やっぱり家にスーファミを置こうという事になってから、ぱったりとばあちゃんちに行かなくなっちゃったんだよな。
ゲーム目的でばあちゃんちに行ってたから、もう用が無くなったって表現は少し冷たすぎる気がするけど、まぁ事実はそうなわけで。
孫が毎日来て、ゲームばかりしててもそれなりに嬉しかったのかもな。
それなのにいきなり来なくなって酷い事したなって事ばかり頭に思い浮かんだ。
ばあちゃんはいつもご飯と小麦粉でお焼きを作ってくれた。
だからFF5の古代図書館の音楽を聴くと、自然とそこのダンジョンでずっと迷ってた時にばあちゃんが
お焼き持ってきてくれた事を思い出す。
ばあちゃんごめん。
369 :
続き:2005/10/23(日) 15:59:03 ID:Oy7HsHng
ちなみにそのお焼き、小さいときにばあちゃんと一緒に
ひとりでできるもん見て、私が食べたいって言って作ってくれたんだよな・・・。
それからずっとばあちゃんの定番料理になって、何かと作ってくれたんだった・・・。
うわああそれなのに10月14日のばあちゃんの命日今日になって思い出した
もうホントばあちゃんごめんなさい。゜゜(´□`。)°゜。
うわああああ今確認したら命日18日だったあああ
命日まで間違う駄目孫でごめんなさいごめんなさい。゜゜(´□`。)°゜。
371 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/10/23(日) 18:54:00 ID:/VRV/Jvv
長い。
長すぎて疲れて切ない
厨房の頃、母親と喧嘩して「誰が生んでくれって言った!」と怒鳴ってしまった。
しゅんとなる母親。
しばらく沈黙が続き、言い負かしたと勝ち誇る俺に、母親の口から衝撃の事実が告白された。
俺は養子だったwww
>>318別にお前がU子をいい子だと思っても良いと思うよ
これから皆が幸せになれば良いと思う。
離婚は不幸の始まりじゃないと思うから、先輩の奥さんにとっても。
蒸し返すな
人の生死が関わる話とか恋愛の話は切ないとはちょっとちがう気がするな
>>1の話みたいな、人の行為をムゲにしてしまって後悔するような話が好きだ
親父が事故で突然死んだ日
遠方から親父の前妻とその子供が家にやってきた。
母親と俺たち兄弟&前妻とその姉妹&祖母で泣いて笑った。
家に泊まって一緒に飯を食った。
こんな家族の形もあるんだと思った、切ない思い出。
幼稚園からずっと好きだった女の子がいて小5の時に初めて隣の席になれた。もう天にも昇るような気持ちで学校が楽しくてしかたなかった。
しかし、席替えから2週間後くらいに目が悪い彼女は
先生に頼んで前の席に移動することに・・・。
授業中に「あの字なんて書いてあるの?」って聞かれるがすごく好きだったのに。
「俺のこと好きだったら席動くはずないよな・・・」って、その時はもう死にたくなるくらい落ち込んだ。
それから1年過ぎ、6年生も終わりに近づいたとき、(その子とは住む地域から別の中学に行くことは前からわかっていた)
家庭科の授業で「出来上がった作品を異性のクラスメイトに
評価してもらいなさい」
と先生がクラスのみんなに言った。
クラス中が微妙な空気になった。
事実上の告白大会みたいな雰囲気となって、内心みんな騒然としていたに違いない。
そして俺に「ねぇ○○、私のお願い!」と言ってきたのは紛れもない、その彼女だった。
「!!???」内心びびりまくって、手もガタガタ震えるのとは裏腹に、「あ〜『よくできました。』っと」
と非常に舐めた態度で適当な評価を用紙になぐり書きしてしまった。
それを見た彼女は「もういいよ!○○には頼まないよ!」と
涙目で走っていってしまった。
クラスでは「誰々が何ちゃんに書いてもらってた!」という感じに
幼いながらも恋愛ムードに染まっていたが、俺はそんな流れに全く乗ることもなく
隣の席のイジメられていた女の子に声を掛けて、すごく丁寧に作品を評価してあげたのを憶えている。(敢えて「あげた」と書く)
別に今では、そんなに間違ったことしてないとは思うけど、その時は
「なんでこんな偽善ぶったことは堂々とできるのに、本気で好きな子には親切にしてあげられなかったんだろう・・・」
ってすごく嫌な気持ちになっていたのを憶えている。
まあ、ガキのときはそんなにうまく立ち回ることはできんよ
俺もなぁ…orz
>>379 いいねぇ。切ないね。
なんで女の子は席移動したのかな?
好きじゃなかったのかな。
>381
おまwwwちゃんと読んでのか?
384 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/01(火) 22:13:08 ID:WmJ+bIrJ
385 :
@:2005/11/01(火) 23:02:42 ID:gTm7abYv
小3の夏。
その日は雨だった。
学校から帰宅すると、妹が捨て犬がいたと騒いでいる。
5分後には、案内役の妹を先頭に、傘を片手にチャリを漕ぐ自分がいた。
生まれたばかりらしい犬は、みかん箱の半分ほどの大きさのダンボールの中で合唱をしていた。
5匹のそれぞれの鳴き方は違えど、誰が聞いても悲鳴にしか聞こえない。
噂を聞きつけたのか、数人の子供が概に犬の元へ集まっていた。
一様に何をしたらよいのか分からない風な表情で5匹の犬を見つめていた。
丸囲み文字使うな
文字化けする
387 :
2:2005/11/01(火) 23:23:16 ID:gTm7abYv
柏の森に隣接する広さが取り柄だけの公園。
その公園の外れの街路樹の下に佇む数人の子供と犬5匹。
雨は激しさを増し、その場に居続ける事は子供でも得策ではないと容易にわかった。
俺は5匹の中から無造作に2匹を掴みだし、俺、妹それぞれのチャリのカゴヘ入れた。
我に帰ったように他の子供も犬を掴みだした。
それを後目に二人は家路についた。
で?
389 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/02(水) 05:35:33 ID:EwxOg3Rc
友人の顔の少し目立つ所にシミ「アザ」みたいなのがある、冗談で誰かが何か付いてるよ」と言ったら」「お父さんがタバコ吸ってて顔に当たったの」皆シーンとなった、それを忘れて又聞いてしまった
>何か付いてるよ」と言ったら」
新しい日本語
メモ帳にまとめてから投下しろよ。
2ちゃんに長文連投するときの基本だろ。
小5の時。父親は私が起きる前に家を出て、寝た後帰って来てたから平日は滅多に会えなかった。貧しかったけど休日は銭湯に連れて行ってくれたりすごく楽しかった。
父の日が近くて、父親の枕がボロボロだったから貯めてたお小遣いで新しいのを買ってあげたけど何日か後に私の林間学校が始まり結局会えずじまいだった。
林間学校の間に両親が離婚した。
きっと喜んでくれたろうに、「ありがとう」を聞ける所か一目会ってさよならする事すら出来なかった。
10年経ったけど、まだ思い出しては涙する。娘ながら、母親とはこの話はタブーかと思い、正直まだ理解できないでいます。
お父さん、今何しとんの?元気にしとん?
はい!
ハゲ店長してます
394 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/02(水) 19:24:09 ID:JmXK0QiI
母が 胆石の疑いで入院した。
石がレントゲンで発見されず、検査が続き、
みるみる病人らしく?なっていってしまった。
ケッコウおしゃれな方だったが
手の爪が伸び放題で汚くなっていたので
爪切りを持っていって 切ってやったら
ありがとう、ありがとうと何度も言ってボロボロ涙を流した。
俺もつられて涙が出そうになってしまった。
母親の爪を切ってやったことは 後にも先にもあの一回きり、
何年か先に 母が死ぬようなことになったら、
絶対に思い出すだろう、と思っている。
395 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/02(水) 19:41:59 ID:lu/WonNu
スルーできないほどヤバイレスを見た悪寒
幼少の頃、両親が離婚した。私は妹と共に母へついて行った。
最初に暮らした住まいには風呂がなく、銭湯へ通っていた。
夏休みの事、親戚の家へお泊まりに行き、風呂上がりの事
叔母に「お風呂のフタ閉めた?」と訊かれた私は
「?閉めてない」と答えた。そしたら叔父にダメじゃないか!と怒られた。
びびって、シューンとした私に叔母といとこ2人が
「○○ちゃんの家にはお風呂ないから閉めるってわからなかったんだもんね」と
フォローを入れてくれた。…が微妙なフォローに幼少ながら悲しくなった。
最低 その親戚人間のクズだな 殺したい
399 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/03(木) 20:54:16 ID:2tVNAXx+
小学6年の11月頃、女子の間でサイン帳がはやり始めた。
男子達から嫌がらせやばい菌扱いされていた私も、友達とサイン帳の交換
ぐらいはしたかったので、文房具屋で買って学校に持っていった。
緑色が基調となった葉っぱかなんかのデザインで結構気に入って買ったもの
だった。
でも、そのサイン帳は担任に見つかり没収されてしまった。他の子が
持ってきていてもお咎め無しだったのに、地味で暗かった(しかもデブで
天パだった)私のだけが没収されたのは今考えても不思議だ。
その後、6年生の担任の中で会議が開かれ3月までサイン帳を持ってくるのは
禁止ということになった。私のサイン帳は返却されたが、もう使う気には
ならず(禁止になったのは私のせいだし)中古屋に売った。
他にも小学校時代には嫌な教員に会ったので、絶対教員にはならないと
思って生活していたが、高校1年の時の担任に「そういう教員を反面教師
にして教員になってみないか?」と言われたのがきっかけで教員を目指す
ようになった。
長文スマソ
しかもあげてしまいました。ごめんなさい。
サイン帳て何ですか?
似顔絵の欄があったり好きな食べ物とか書くやつじゃない?
>>402 あれはプロフィール帳といってたんだけどそれのことなのかな?
405 :
399:2005/11/03(木) 23:10:04 ID:2tVNAXx+
サイン帳については
>>402さんの通りです。私の小学校では呼び名が
「サイン帳」でした。
>>404さんありがとうございます!
その担任は普段結構生徒に暴力振るっていて、男子の中には運動会の
組体操失敗しただけで飛び蹴りされた人もいました。私も体育の授業中
「よそ見した」とバスケットボールをぶつけられたことも。掃除中に
脛蹴られたこともあった。
でも、女子の一部には暴力は絶対振るっていなかった。理由は省略
今はとある学校で講師をしているのだが、最低な教員はかなりいる。
これだから2ちゃんねる等での教師批判スレは絶対無くならないだろうと
思う。
>>399 こういう人こそいい先生になれるんだと思う。
ほんとに頑張ってほしいな。
誰でも許せない先生って一人や二人いるよね。
うーん、暑苦しい先生になりそうで自分は苦手かもしれん
上手く先生に好かれたりと、かなり世渡り上手なタイプだから
かもしれないけどね
この手のタイプ(自分)は放置した方が良いかと
親身になっても、上辺でしか生きられないタイプだから
409 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/03(木) 23:50:39 ID:mYsYLBCt
今思い出してもよくあんな事できたな〜と思う。
22歳の私は彼が里に帰ることになって、別れるのが嫌で悲しくて
梅田のJRの駅のホームで彼に抱きついてワンワン泣いて、発車のベルが鳴っても
離れなかった、、、周りには沢山人がいたのに、、、恥かしい。。。
>>410 死ねと言う奴が死ねwぷげら〜
弱虫いじめられっこは死んでよい
世の中弱肉強食ですよ・・・
必 死 だ な w
いじめられっこを叩くわけじゃないけど…。
過去にいじめられっこだったと思われる先生ってたまにいるよね。
過去の経験を活かして(反面教師にして)教職に就くのはよいことだと思う。
けどそれ故に、ごくたまにいじめっ子タイプを目の敵にする先生がいるんだよね。
それこそ見た目だけで判断しちゃったり、ちょっと横着な事しただけで
その生徒にだけ厳しくあたったり…。
>>399はそんな先生になってほしくない。
>>413 死ねってマジで。
生きてる価値無いから。
414はなんでそんなに必死なのさ
そんな自分は408
417 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/06(日) 22:49:25 ID:AFTBBn0M
小学生の頃、良く友達と遊んだ原っぱがあった。
太陽が傾くにつれて、原っぱの草が黄金色に光っていた。
綺麗だった。友達と其処で走ったり笑ったりして、本当に楽しかった。
でも、中学に入って成長して、そんな風に走って遊ぶ事も無くなって。
先日その原っぱがあったところを偶然通りかかったんだけど。
原っぱは跡形も無かった。
変わりに家が建っていた。
あの日見た景色は、もう思い出の中だけなんだな…。
418 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/06(日) 23:05:10 ID:ZGhsA4Ym
おれ阪神フアンなんだけどこの前の日シリーズを思いだすと
切なくなる・・・
>418
うん。
でも、ダイエーファンの方がもっと切ないとオモタ
>>419 ソフトバンク関係者が切なくなるレスだな
貧乏一家のくせに勉強できたから、公立県内トップの高校に通った俺。
友達の家に誘われて泊まりに行く機会が結構あったんだけど、当然そういう学校だったから金持ちの子が多く、
遊びに行く家も、我が家なんかとは比べ物にならないほど立派な家ばかりだった。
で、友達の家から帰ってきた後に、父と母に「○○君のところはどうだった?楽しかった?」と聞かれた時に、つい何も考えずに
「○○の家のリビング、高さも広さもうちの2倍以上だったよーw」「部屋の数がハンパなかった」と
延々友達の家と自分の家を比べるようなことばかり言ってしまった。
一瞬淋しそうな顔をした後に、「へぇ、よかったね!いい友達できたんでしょー」と無理に明るく言ってくれた親の顔が今も忘れられない。
友達の家を誉めるだけならまだしも、自分の家を貶めるようなことを言ってしまったんだろう
× 友達の家を誉めるだけならまだしも、自分の家を貶めるようなことを言ってしまったんだろう
↓
○ 友達の家を誉めるだけならまだしも、どうして自分の家を貶めるようなことを言ってしまったんだろう
423 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/08(火) 00:10:12 ID:fJO5yiJ7
>>421 まぁ・・なんだ。
親孝行しろ。
これからだ。
せつなくなるにはまだ早いだろう。
せつなくなるなるのは取り返しがつかなくなってからでも充分間に合うよ。
贔屓にしてた電器屋さんが店をたたんだ。
気の良いおじさんが経営してる小さい店舗なんだが、ある日、覗いてみたら、何とも悲惨な状況になっていた。
窓ガラスが割られ、商品棚からはあらゆる電化製品が消え去っていた。
おじさんは何とも言えない悲しげな表情で、いつも通り「いらっしゃい」と言ってくれた。
即座に俺は何があったのか尋ねたが、おじさんは力ない笑みを浮かべるだけで答えてはくれなかった。
泥棒でも入ったのだろうかと想像したが、俺も細かくは聞かなかった。
おじさんは、独り言の様に、店を続けて行く気力がないとだけ呟き、事実、翌週には貸店舗になっていた。
後から聞いた話だと、質の悪い高校生達が集団窃盗をしたらしい。
しかも、彼らはおじさんを慕って、普段出入りしてたと。
まぁ、下調べでもしてたんだろうけどな。
そういう場合、店舗自体のなんちゃら保険でまかなえるのかな?
精神的に店を畳んだろうけど、ふと疑問に思った。
犯人わかってるようだから取れるかはわからんが
民事で親に損害賠償請求できるだろう
まあだからってまた電気屋やる気にはなんねーだろうけどなあ
死んだ母が入院する前、私がおろおろと何が食べたいか尋ねたら果物とこたえたので、早朝に近くのコンビニへ。果物詰め合わせパックを買おうとしたら店員のおじさんが「それは熟れすぎたやつだからやめたほうがいいよ」
と言って他の物(最初のより高価)と交換、かなりおまけしてくれた。嬉しくて家へと急いだなぁ。母に話したらすごく嬉しそうに食べてくれたけど、結局吐き戻してしまい涙目で「ごめんね、ごめんね」って謝られた。母が食べた最後の物だった。
中学時代のある日の放課後、帰ろうと自転車置き場に行くと
同じクラスの可愛い女の子が、チェーンを外してしまったらしくて困っていたんです
私は見て見ぬふりしてそのまま帰ろうとしたんですが
ちょうど彼女と顔が合ってしまって
何だか直してあげなきゃいけないような雰囲気になり
結局、私はチェーンを直してあげるも手は油で汚れてしまいました・・・
それでも、彼女は嬉しそうに「ありがとう!」と言ってくれたので
まんざらでもない気分になりつつも、私の足元にあった
カゴから降ろしたままのバッグに気付き
自転車を漕ぎ始めた彼女を急いで呼び止めてあげたんですが
うっかり汚い手のままバッグを掴んでしまったんですよね(;´日`)
するとこちらを振り返った彼女は、その汚れを見ると
「やだ!なにこれ汚い!さいってー!」と吐き捨てるように叫び
プンスカと帰っていきました・・・
その後、一人残された私は水飲み場で
自分の手の汚れを洗い流そうとしたんですけど
これがまたなかなか落ちなくて
彼女のバッグの汚れも容易には落ちないだろうなあと思って
ひどく申し訳ない気分になったことを思い出しました・・・
>>429 せ、せつね〜
同級生はまだしも、直して貰った自転車はお前さんのことを感謝してるよ きっと
気の利かない429は後日バックを汚した
謝罪と賠償を請求されたわけだな
中1のとき、自分は3人グループだったんだけど・・・
3人で部活に行こうとしたら他の二人が廊下にカバン置いて「○○探してくるね」と言ってどっか行ってしまった。
部室も開いてないししょうがないからその場で本読んで待ってたら、二人が一時間後に帰ってきた。
そしたら真顔で
「え?なんでずっと待ってるの・・・?キモイ」
って言われた。
なんかショックだったから泣きながら一人で帰ったよ。
元々キモかったんじゃ無いのか
それは433を捲くつもりだったんじゃないか
んで、さすがにもういないよねーって戻ってきたらまだいたんで、
ついぽろっと。。。なんて妄想解説されても余計切ないよね、すまん
「3人グループ」だと思っていたのは433タンだけだったんじゃない?
どんな事情があるにしろ、
そんな風に人を傷つけるような言葉を言える人と一緒にいたくないな。私は。
人は傷ついた分だけ、人に優しくできるようになる。
どっかの歌詞に似てるけど、ほんと、そう思う。
もう、過ぎたことで、乗り越えた経験なんだろうけど、これからも負けないで生きて欲しい。
中二病
フィリピーナと2ヶ月間同棲した。
言葉もろくに通じないのに、俺もあの頃は若かった。
はっきり言って体目的だった事もあり、毎日ヤリまくった。
彼女は、行為中なぜか声を押し殺してあえぎ声をださないのだが、
イク時だけ、突然大声で叫ぶので、ワラタ。
頼んでもいないのに彼女は毎日食事を作ってくれた。
正直全然口にあわなかったのだが、毎日全部食べた。
ある日、彼女が 自分の国に帰る、というので、
飛行機のチケットを手配してあげ、
なけなしの貯金2万5000円を 親孝行に使ってくれ、
と言って渡したら、彼女は泣いて喜び、
必ずお礼をするから たくさん連絡するから、
と言って帰っていった。
あれから7年もたつけど、
彼女からは お礼どころか、手紙も電話も、一切ない。
彼女、今頃 どこでなにしてるのかなあ・・・
コンドノ ニホンジンワ ケチダタネー
ツギワ シャッチョサンヲ ミツケテ
パパサンニ ナテモラウネ
441 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/10(木) 22:46:40 ID:2x/Dhcc5
>>439なんでフィリピンの子ってさ
日本語上手なんかな?
生活のため?
そこら辺の女の子より聞き取りやすかったような
>>439 二ヶ月やりまくった料金が飛行機代+25000円ぽっちなら
安い買物じゃないの?
中学の卒業式の日。
好きだった男の子は、高専への進学が決まっていて、寮に入るとのこと。
あぁ〜もう会えなくなるのかな・・と思い、最後にどうしても一言話をしておきたかった。
でも結局、彼を見つけることは出来なかった。
15年以上前の話。
小学校の時卒業式の練習をしていたら、隣にいた子が腹痛で苦しみ始めた。
うちの小学校は結構な歴史があるらしく、
行事という行事はキッチリ指導された。
特に卒業式ともあればかなり厳しい練習の繰り返しで
数時間誰の無駄話も聞こえない状態が当たり前だった。
その子はお腹をおさえて、見る見る青ざめてく。
「大丈夫?」とこっそり聞いた自分の声が、
体育系の先生に聞こえたらしく近付いてきた。
「先生が来てくれた。
これで安心、この子も保健室にも連れてってくれるだろう・・・」
と思っていたら「オマエラ!!!なにくっちゃべってんだ!!」
と理由を説明するヒマもなく、みんなの前で散々罵倒された。
一通り怒りおわった後、何で喋っていたのかと理由を聞かれ
「○○さんが腹痛だそうです・・・大丈夫かと聞きました・・・」
これでうちらの汚名は晴れる!と思ったのに
「馬鹿ヤロー!!!そんなんで喋るな!!腹が痛いなら○○は自分で
言いに来い!!お前(自分)はイチイチ反応するな!!
お前らのせいで折角の練習が台無しなんだよ!!」と更に。
なんで・・・ととても切なかった。
○○さんが「私のせいでごめんね」と後で謝ってきた。
もっと切なかった。
やだね〜 日教組は
小学校のとき、仲のよい男の子がいた。
私はいわゆる肥満児で、でもその子はなんか私をほっとけなかったらしくて、
恋愛とかいうんじゃなかったけど、仲はよかった。
中学に入って同じクラスになったのだけど、
中学では他の小学校から来た子の手前、
私みたいなデブと仲がよいと思われるのが嫌だったのか、冷たくされた。
その子の誕生日が5月5日。4月のおわりごろ、机の中に、メモがあった。
その子の誕生日パーティーがあるから、5月5日の○時に校門の前に集合、とあった。
クラスメイトの手前冷たくしてたけど、やっぱり友達なんだと思って喜んだ。
当日。プレゼントを用意して学校へ向かうと、同じ小学校出身の別の男の子と会った。
その子も誕生会へ行くというので、一緒に学校まで歩いた。
校門についた途端、大きな声で、
「なんだよ。俺、こんなデブ呼んで無いぞ。誰が呼んだんだよ、こんなの、
帰れよデブ、邪魔なんだよ。ほらとっとと帰れよ。
なんだよ、せっかく誕生日なのに気分悪い」
と言われた。
家まで泣いて帰りました。走って。
続き
GW明けに学校へ行くのがものすごく気が重かった。
実際には誰もその話題には触れなかったので、なんてことはなかったのだが。
(どうやら、途中で会って一緒に歩いた男の子が、
「あれはひどいんじゃないか」と言ってくれたらしい)
そもそも誕生会に私も呼ばれた(と思ってた)ことは
結構クラスでも話題になってたので、
当の本人もそれを知らなかったはずはないのだが、
今考えても腑に落ちないし、一体だれが私の机にメモを入れたのか、
なんでそんなことをしたのかもわからない。
(メモの字は本人のものだった)
>446-447
辛い体験だったね。
その男の子、本当は来てほしくてメモ入れたけど、
みんなの手前、わざと冷たくしたくなったんじゃないかな。
わしも、小学校の頃、好きな女の子にわざと、
みんなの手前で冷たくしたことがあります。
あれは本当に申し訳なかった・・・
読んで思い出しました。
その男の子の代わりに、そしてわし自身の懺悔を含めて、謝ります。
本当に ごめんなさい!!
>>448 おれも。
好きだった子には、周りにそれを悟られるのが恥ずかしくて、わざと冷たくしたりからかったりしたな。
度が過ぎて泣かしちゃった事も・・・
今考えると馬鹿みたいだけど、女の子が好きってだけで恥ずかしくてどうしようもなかったんだ。
450 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/13(日) 02:20:18 ID:qa/MjA43
切ないとは違うかもしれないけど…。
子供のときの私の性格はあんまり覚えていない。
ある日、母から、同級生のAちゃんのことを話してきた。
「Aちゃんのようにもっと元気に、Aちゃんのようにもっと・・〜」
と言われた。私は比べられた気がしてとても悲しかった。
あぁ、うまく文章にできないや〜orz
じゃあ書くなよ…
最後の一行で、ちゃんとまとまっている事に気付け。
出直してきますノシ
454 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/14(月) 23:48:32 ID:T5lxJbta
>>450 わかるぞ。
充分、せつないぞ。
もう少し大きくなれば反抗も出来るんだけどね。
子供の頃は親が言う事はすべて正しいと思い込んでるから
余計に悲しいんだよね。
258 番組の途中ですが名無しですsage 2005/11/11(金) 14:48:37 O3slw2YA0
数日前の事なんだけど、パチンコの帰りに人気の少ない裏通りをチャリでのほほぉ〜んと帰ってたら、おばあちゃんがかすれた声を精一杯振り絞りばがら「泥棒〜…!」と叫びながらヨタヨタと犯人を追いかけてた。
人の良い俺はとっさに「おばあちゃん、どうしたの?」と尋ねた。
すると興奮した顔のおばあちゃんは「ひったくり…」と答えた。
俺は犯人の逃げた方角を聞いて、ちゃりで追いかけた。でももうヤツはいなかった。
現場に戻ってきたら、近所の主婦や警察官が集まってた。
戻ってきた俺はおばあちゃんに「追いかけたけど見付からなかったよ。。。」と言った。
警察官が「犯人はどんな人でしたか?」とおばあちゃんに聞いた。
するとおばあちゃんはおもむろに俺の顔を指差し、
「こんな人やった」
( ゚д゚ )
ノヽノ |
< <
( ゚д゚ )
ノヽノ |
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グラグラゲーム
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461 :
458:2005/11/16(水) 16:29:59 ID:MCUOzWNj
おまえら!馬鹿!ヽ(`Д´)ノウワァァァン
>>461 しかたねーな、もう一匹買ってやるよ。今度はなくすなよ
( ゚д゚ )
ノヽノ |
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463 :
458:2005/11/16(水) 18:51:15 ID:MCUOzWNj
( ゚д゚ )
ノヽノ |
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グラグラゲーム act2
( ゚д゚ )
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( ゚д゚ )
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469 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/19(土) 17:04:27 ID:W5xnulnn
名前:
E-mail:
内容:
高校の頃、好きな娘と目が合うたびに極上のスマイルを送っていた。
そんなある日、その娘に放課後呼び出され、期待して行ったところ、
「何でいつも私の顔見て笑うの?」って真剣に問い詰められた。好きだからとも言えず黙っていたら、
「もういい!でもこれからは止めてよね。気分悪いから」と怒って帰ってしまった。
凹んで家に帰り、鏡の前でいつもあの娘に送ってた笑顔を作ってみる。
…はは、確かにいつもこの笑顔向けられちゃ気持ち悪りぃよな。
あれは正直セツナカッタorz
後のヨン様である
471 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/24(木) 00:41:04 ID:1Y40e/Sy
かーちゃんの顔を触ると冷たくて、力が全く入ってなかった日
当時6歳
>>417見て思い出した。
家から少し離れた場所に小さな森があって、小さい頃、友達と
ピクニックしたり家族や犬と散歩したりしょっちゅう足を運んでた。
大きくなるにつれ行くことが少なくなってたんだけど、
高校生になって、ふと「あの森どうなってるんだろう」と思い
行ってみたら‥まさに木と言う木が切り倒された直後だった。
太い切り株からはこんこんと水が湧き出していた。昔からの
馴染みの木々の無残な姿を目の前にして、私はその場で人目も
はばからず大泣きしてしまった。切り株をなでながら「ごめんね。
今までありがとう」と日が暮れるまでやってた。
今は森の面影は何一つ残っていない。立派なマンションが建ってる。
474 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/11/24(木) 01:41:21 ID:qkKZy8UE
思い出と言うにはまだ早いけど。
バイト先の社員さんの移動が決まった。(県内だけど端と端)
その社員さんは私が入った頃からかわいがってくれて、結構気に入られていたと思う。
ほんとは嬉しかったのに恥ずかしくて、嫌がっていた私。好きだったのに。
多分明日か明後日には引っ越しのはず。
昨日帰りに手振ってくれた事が最後の思い出。
小学校1年か2年の頃、クラスでクリスマス会を開くことになった。
手書きのクリスマスカードを書いて交換しようという企画が上がり、
5色くらい用意された色画用紙のうち、私は紫の画用紙を配られた。
私はクーピーでツリーを描いただけだった。丁寧でもなんでもなかったし、
そう意識して描こうとも思わなかった。雑に描いたつもりはないんだけど。
ただ翌日のクリスマス会での交換が楽しみなだけだった
それで当日、みんなで円になって音楽にあわせながらカードを
回して音楽が止まった時に手元にあるのが自分のカードっていう交換の仕方。
みんなが持ってたカードの色とかで誰が誰のを持ってるっていうのはなんとなく分かった。
音楽が止まり、友達が描いたカードが私に、私のカードがその友達に渡ったらしい。
友達のはかわいらしいピンク色の用紙に丁寧なツリー。嬉しい。
友達が私の描いた紫色のカードを見ている。ドキドキ・・・
みんなにカードが渡った事を確認して先生が一言
「自分のカード(廻ってきたやつ)が嫌な人〜」
手を上げるその友達。悲しかったなぁ
その後の事ははあんまり覚えてないや。でも最近ふと思い出して切なくなった
つかなんで先生そんな事言うんだ・・・嫌だと言われた子の身にもなってくれよ・・・orz
>>475 ひどいね…
傷付く子がいるとは思えないのかね。
どう考えてもその先生の意図がまったく読めない・・・
好意的な解釈の仕様がない=有罪
小学4年の時、同じクラスの奴と喧嘩になった。向こうから仕掛けてきたのが原因なのだが、
そいつは担任のお気に入り。俺はと言うと、嫌われてた。結局俺だけ給食時間中ずっと廊下に
立たされたままだった。ま、喧嘩両成敗って言うから自分も悪いんだろうけど、あれは納得
いかなかったなぁ…。俺も担任の事あんまり好きじゃなかったけど、なんて言うか
童心ながらに「ああ、俺って嫌われてるんだなぁ」って感じて、チョト切なかった。
479 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/12/01(木) 21:45:51 ID:zsVR/09g
このスレちょっと前に泣ける2ちゃんねるで紹介されてた
4〜5人の友達と遊んでて途中みんなでアイスとか食ってんの待ってて
食い終わってまた遊びが再開なんてのは子供の時はよくあった
俺も友達も「俺んち」貧乏なの知ってたからしょうがないけど
今思えばだいぶ可哀想だったな俺、たかだ50円くらいで・・・
そんなの全然かわいそうじゃないと思うけど。
充分かわいそうだろ
だって、子供なんか初日に小遣い使い切っちゃうタイプもいるし
そういう子供は、例え貧乏じゃなくてもみんなが食ってるの見て
待ってるだろうし、やっぱり可哀相じゃない
ベタかもしらんけど思い出したので。
小学校のときいじめられてました。
男の子と女の子の主力グループに無視され続けて、
別に暴力とかはなかったけどそれでも親にばれないようにしたり
とかで精神的にまいったりしてました。
ある日、いじめっ子の主犯格の男の子が珍しく喋ってくれて、
最初はしどろもどろだったけど話を続けるにつれて嬉しくて、
色んなことを喋って、「よかった。嫌われてないかも」とか、
そんなことを思いながらその日1日上機嫌で、久しぶりによく
寝れました(当時はすごく寝つきが悪かったんです)。
ですが次の日、話をしてくれた男の子のトコロへ駆け寄ったら
「昨日仲良くしてやったんだからその分金ではらってくれよ」
と、いつもの冷たい調子で言われて。
ちょっと優しくされて嬉しく思ってしまった自分のバカさ加減が
ホントに憎くて、切なかったです。
長文ごめんなさい。
>>484 忘れることはできなくても
思い出さないようにすることはできる
記憶の底に押しこんで二度と思い出すな
>>484 次の日、その男の子は仲間と一緒だったとか、仲間が見てたんじゃね?
男の子は他の男の子がいるとわざと冷たくしたりしちゃうんだ。
ゲーセンでトイレに行きたくなったので
店のトイレに入りました。
手前の個室はふさがっていたので、その隣に入りました。
便器に腰を下ろそうとしたその時、隣から
「やあ、元気?」
と声がしたのです。
男は皆そうですが、トイレで見知らぬ人と話をすることはありません。
どうしていいかわからなかったので、ためらいがちに
「まあまあだよ」
と答えました。
すると隣人は
「そうか……それで、今何してるの?」
と言うのです。
妙だなと思いましたが、私はバカみたいにこう答えました。
「君と同じだよ。ウンコしようとしてるんだ!」
やがて隣の男は、声をひそめてこう言ったのです。
「おい、あとでかけ直すよ。隣の個室に、俺の話にいちいち答えるアホがいるんだ!」
つまんねーピポペはんな
つまるピポペキボン
490 :
1/2:2005/12/07(水) 22:26:22 ID:3s0kg3wy
あれは俺が小学校6年生のときだった。
当時住んでた家と父方の実家が近くだったので、
時々週末に家族揃って晩ご飯を食べに実家へ行ってた。
じいちゃんとばあちゃんと、オヤジ、お袋、姉貴、俺。
6人でワイワイ食事しながら団欒し、9時になったら帰る。
そんな週末がよく続いていた。
ある日、話の流れで俺とばあちゃんが腕相撲することになった。
俺は右利きだったが、わざと左で勝負した。
当時、ばあちゃんは何故か知らないが元気がなくなっているようだったので
俺はわざとばあちゃんに腕相撲で負けてあげようと思った。
俺に勝ったらばあちゃんも元気になるかなという浅はかな考えだった。
けっこう迫真の演技でギリギリの勝負を演じつつ最後は根性負けを装った。
「いや〜、ターチャン(ばあちゃんの愛称)強いやん。
俺クラスでも強い方ばい!?」
と俺はばあちゃんを褒め称えた。
皆喜んでいた。
『うしし、皆だまされとる。おれってやさしー!演技派ー!
これでターチャンもあと30年は生きるやろ」なんてほくそえんでいた。
その1週間後にターチャンは亡くなった。
491 :
2/2:2005/12/07(水) 22:27:08 ID:3s0kg3wy
風呂で眠って溺れたらしい。
俺は自分が嘘をついた罰でターチャンが死んだと思い込み、
怖くて両親には黙ったままだった。
申し訳なくて通夜では人生初の徹夜でターチャンを見送った。
一晩で何回謝っただろう?
もうじき30を迎える今でも心のどこかでは自分のせいかもと思っている。
そしておそらくはあの時のターチャンの笑顔(おそらく俺の八百長に気付いていた笑顔)
を思い出すと切なくなる。
あ、今思い出した!
確か俺の修学旅行のお土産を持って行ったときの話しだ!
そうそう、俺のターチャンへの愛情が全て裏目に出たような感じで当時はキツかったなあ・・・。
ばぁちゃんはあんたの優しさに触れ
安心して亡くなったんだよ
493 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/12/08(木) 18:17:23 ID:PbB/IN7n
>>491 あなたが優しい子に育ってくれたから安心したんだよ、きっと。
私が12歳のときに両親が別居(父が家を出て、私は母と生活)。
1年くらいしてまた同居するようになったけど、私はすっかり父と
話せなくなっていた。
毎日、父が帰ってきたらすぐ自分の部屋にこもって、完全に避けて
た。
それから10年以上経って、両親が離婚。
父は家を出るときに契約したばかりの携帯の番号を教えてくれたけ
ど、私からかけることはなかった。それどころか私は、一人暮らし
をしていた自分の住所も電話番号も教えていなかった。
さらに数年後、去年の今ごろ。
私が結婚することになり、久しぶりに電話してみようか、でもこん
な時だけ電話するなんてお祝い目当てみたいだし、父も再婚してる
から今の奥さんに悪いかな…と迷っていたとき、2か月前に父が死
んでいたと知った。連絡をくれたのは父の友人だった。
(父の同僚の娘が私と同級生だったのでそのルートで。でも同級生
とはそんなに親しくなかったので間にさらに別の友人が入って、
連絡がくるのにかなり時間がかかった)
子供の頃から両親の仲が悪いのは父のせいだと決めつけていたけ
ど、最近になってやっと、そうでもないとわかってきた。
同居再開後、父は私とうち解けようとしていたのに、自分がとってき
た態度を考えると本当に申し訳なく思う。
>>494 その年代にならないとわからないことってあるからね。きっとあなたも
お父さんの事情がわかる年代になったんだね。お父さんが亡くなった
のは残念だけど、きっとお父さんもわかってくれてると思うよ。
あなたが結婚生活を幸せに送ることが、お父さんの幸せにも通じるん
じゃないかな?
496 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/12/15(木) 12:01:26 ID:k67ignLI
みんなの記事を読んでて、思い出した。
もう10年ぐらい前だけど、漏れは20歳。
オバーチャン子だった。
当時末期の肝臓ガン&全身転移のバーチャンと、
お盆1週間前に病院のヘヤで二人っきりで話をした。
本人はガンで有る事はしらない。
その会話の中にバーチャンが「お盆はアレをしなきゃいけないし、
これもしなきゃいけない・・・。」
「でも、もう準備ができないねぇ〜」とポツリとつぶやいた。
それから4〜5日後。
お盆目前でバーチャンは亡くなった。
後からみんなとの会話で「あの人は最後までガンバッタ」ような事を言ってたので、
497 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/12/15(木) 12:06:56 ID:k67ignLI
漏れは、「バーチャン 意識がハッキシしてた頃、
漏れに上記のような事を言ったよ」とみんなに言った。
誰も信じてなかったけど、漏れにはバーチャンが自分がガンで有る事が分かってて、
直るわけが無いというのを気づいてたように思えた。
みんなの前では気丈にふりまわってただけなんじゃないかと・・・。
なぜ、孫の漏れにだけその話をしたのかは今でも謎です。
生まれてから中学生ぐらいまで、大半をバーチャンの家で過ごした。
今でもバーチャンの声や姿が目に浮かびます。
いい人だったなぁ〜
バーチャン漏れちゃんと社会人になってちゃんと生活してるよ。
ありがとう。
>>497 きっとバーチャンも天国で喜んでるよ
オレは28歳でワケあってまだ大学生だ。
母方のバーチャンが一人だけ存命中だけど
もしオレが社会人になる前にバーチャンが天に召されたら
オレは自分のこれまでの人生を悔やんでも悔やみきれないと思う。
499 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/12/17(土) 22:09:39 ID:PkEg2n9a
>>498 俺は赤ん坊の頃によく面倒見てくれてたばあちゃんは記憶がないまま亡くなった。
じいちゃんも生まれる前には亡くなってたから写真でしか顔知らない。
もう一人のじいさんばあさん(婿養子である父の実家)は今も生きてるけど全く関わりが無いし、
むしろあそこの家とはこれからも関わりたくない。
昔そこの家に行くたびに母親がいじめられてるの見てきたからかな…。
色々あって、そこの家というか父親の兄弟関係の親戚とは全く付き合いがなくって
むしろこれから一生関わり合いになりたくないって思ってるほどだけど、
父がこれを聞いたらやっぱり悲しいのかな・・・。
私の母は父と結婚するときに祖母から反対され、
駆け落ちのようにして一緒になった。
長子の私が生まれても、勘当状態だったために祖母は私を孫とは認めず、
大分経ってから父の親族が田舎から来たときに始めて親戚同士で顔見世をして、
やっと孫だと認めてもらうことができた。
そんな経緯があったのだが、父があまりにも家族を省みず、暴力を振るうようになって両親は離婚。
離婚するまでの間、よく母には「お前がいなければこの人(父)と別れられるのに」
と言われ、父には「俺の子かわかったもんじゃない」とまで言われ、私は本当に両親にとって不要な、
必要でない人間だとおもって三十年生きてきた。
大学を途中でやめて、ずっとフリーターをしていて、
そんななかでも祖母の母、曾祖母だけはずっと心配をしてくれていて、
ようやく今年の頭に正社員として就職ができたが、
其の曾祖母は去年の今頃、お昼を食べた後で昼寝をするように亡くなっていた。
今にしておもえば、高卒でなんの資格もない私が就職できたのは曾祖母の導きのような気がする。
とはいえもう何もしてあげることのできない私としては、会社でもらった自分の名刺を仏壇に上げることしかできないが。
なんか高卒をバカにしてる感じで嫌。
そうか?
503 :
500:2005/12/18(日) 15:47:01 ID:IN+1SrDW
>501
高卒を莫迦にしているのではなくて、大学中退でなんの資格もない自分が
奇跡的にかなり条件のいい職場には入れたのが奇跡的だとおもってるだけ。
高卒でも直ぐに働き始めた人はやっぱり同じ年齢でもう持ち家持ってたり、
凄いがんばったんだなぁ〜っておもうし。
大卒だから、高卒だからという差別をするつもりはない。
孝行したいときに親はなし、とはいうけれど、
一番孝行したい曾祖母がもういないんだなぁと思うと切ないなぁっていうお話でした。
バカにしているって言うか、なんか貧しい心の人の
勘違いって感じ。
そうか?
まあ、気にするな。
邪推しすぎだろ
なんか卑屈な感じしないか?
>>500 泣けた。
いつか自分だけの素晴らしい家族が持てる日がきっと来るよ。
これからの
>>500に、良い出会いがあるよう、祈っているよ。
510 :
おさかなくわえた名無しさん:2005/12/23(金) 00:33:00 ID:QLaM8IEa
幼稚園とか子供の頃、言葉がうまくしゃべれない自閉症の友達がいっぱいいた。
会話が成り立たなくて、私が一方的に喋ってるだけなんだけど、相手の言うことはわかってたんだなあ。あれってやっぱりKIMOCHIなのかな…
わっごめん!スレ違いな上にあげてしまいますた。
スレ違いだけど、それは子供特有の勝手な脳内変換では
尊敬してた人にアリガトウって言えなかった
もう会えないと思うとツライ
姪っ子にプレゼントとか言ってた人は
いいクリスマスを過ごせたのかなーっと!
あげ
強がりだった元妻の涙。
俺が事故で死にかけた時と
別れを告げた時。
もう何年も経ったのに思い出した瞬間泣けてしまう…
↑今でも好きとか?
519 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/03(火) 20:47:25 ID:uCFgfNPe
.,.
` age
中学生の頃に弟が入院して、両親は頻繁に弟の所に行っていた。
遠い病院だったから、朝早く出ても帰るのは夜遅くだった。
病院行く日はいつも、朝起きると既に親がいないから寂しかったなぁ。
帰ってくるまで、ずっと家でひとりでいた。
その頃は学校生活にあんまりなじめなくて、精神的にキツイ状態でもあった。
でも、母親が忙しい中作ってくれる弁当を持って、なんとか学校に行ってた。
それがある日、もうどうしても学校に行きたくないって思って、一度だけ学校を休んだ。
自分が起きたら両親はいないから、学校にも連絡しないでずっと家にひきこもってた。
昼に何も食べなかったから、母が作ってくれた弁当は夜に食べたんだけど
その時に、ひとりきりの家で寂しく弁当つついてる自分がいるのをひしひしと感じて、
一番辛いのは弟なのに、それを支える両親は本当に大変なのにと分かっていながら、
自分を哀れがって弟を良く思わないでいる自分が憎らしくて涙が止まらなかった。
長文&ケータイからで読みにくくてスマソ
小学校中学年の頃(10歳くらい)、国語の授業中に横の席の友達が
「どうしよ… 消しゴム忘れちゃった」と相談してきたので、要る時にいちいち声かけてくる
よりは最初から半分あげたらいいかなと思って、新品のを「ちょっと待ってね!」と
下敷きで半分にギコギコ切断し始めた。
教科書を朗読する先生が私の横を通る際に大きなゲンコツが飛んできた。
きょとんとしてると、「もったいない事して!」と真剣に怒ってる様子。
訳が分からず相談してきた友達の方を向くと、うつむいて目を合わせてくれませんでした。
授業放棄して消しゴム切って遊んでると思われたんだろなー
>>520 何となく気持ち分かる気がする。
自分は状況は違うけど、同じように高校入学した時なかなかなじめなくて
朝家出た後学校行きたくなくってサボって家に帰ってた。中学の時は皆勤賞だった
こともあって、最初はサボってる自分に自己嫌悪してたけど、サボり癖がついたら
そんな事も気にしなくなって…もちろん親はそんな事も知らず仕事に行ってた
でもある日、いつものようにサボって家に帰ってくだらないワイドショー見ながら
母親の作ってくれた弁当を食べようとしたら、その日の弁当は俺の好きな物ばっか
入ってた。。。
その時朝早起きして俺の弁当作って、一生懸命働いてる母親の姿が浮かんできて
大好物ばかりの弁当だけど、食べるのがすごく苦しくって、自分が情けなくって
涙が止まらなかった。
>>522 レスありがd
普段は対したありがたみも無く、当然のように弁当食ってるけど
寂しい時とか後ろめたいことがある時の弁当って、親の気持ちが強く伝わってくる気がする
あの時は本当に情けなくて涙が止まらなかった
>>522も同じような気持ちを抱いたんだと思うと嬉しい
うちの母は酒が入るとよく抱きついてきたりキスしてきたりするんだが、ある日、いきなり抱きついたまま泣きだして
「ごめんね、あんたがこんな風になったのはママが悪いんだよね」
「○○(自分)ばっかりこんな風に病気になって可哀想」
と繰り返した。
私は昔から肌の色素が抜けてしまう病気にかかっていて(右足しか抜けてないけど)、最近は虫刺されから始まるアレルギーで腕に痕がいくつも残ったりしていた。
どちらもたしかに見た目は気持ち悪いものかもしれないが、人に移る病気ではないし自分自身自分を可哀想だと思ったことなどなかった。まわりの友人も病気のことは理解したうえで普通に接してくれている。
何より普段不必要な程明るくて、
「ったくあんたがこんないくつも病気になる所為で金かかるわー」
などと笑い話にするような母が、内心そんな風に思っていたのかと思うと情けないやら腹立たしいやらで涙がでた。
今でも思い出すと切なくなる。スレチだったらすまない。
>>524 あー気持ちわかるよ。
私アトピーだったんだけど、中学生だかの頃に「カップラーメン等の添加物や化学調味料はアトピーの原因になる」みたいなこと家庭科の授業で教わって、
母親が妊娠中、つわりの間はカップラーメンしか食べれなかったという話を聞いていた私は得意げに「私のアトピーはお母さんがカップラーメン食べたせいだ」と言ってしまった
自分としては責めるというより得たばかりの知識を披露したいってのが大きかったんだと思う
でもそれ以来母は自分のアトピーの話になる度「お母さんがそんな風に産んでしまったから…」と自分を責めるようになってしまった。
526 :
525:2006/01/05(木) 06:04:52 ID:CFt3jZ0S
自分の子供にそう責められたと感じたであろう母親のその時の気持ちを思うと、申し訳なさにせつなくなくなる。
527 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/06(金) 22:24:02 ID:c41YV+RH
小学生の遠足で、
家に水筒が一つしかなくて、それを弟に持っていかせ、自分はケッチャップのビンにお茶を入れて持っていった。
でも、みんなの前で飲むのが恥ずかしくて、弁当を包んであった新聞紙に包んで、そっと飲んだ。
切ない... 親は食べさせるだけで、精一杯だったんだろうか?
529 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/06(金) 22:52:55 ID:Uz6G5+sd
>527
ごめん、、、切ないけど、笑いが止まらない…。
切なくてかっこよくて微妙に可笑しいな。
どこらへんがかっこいいんだらう…
ケチャップをケッチャップと呼ぶあたりが
マーヨネーズ
ソイーソス
ソスー
小学校低学年くらいのころ、ブラックジャックの「弁があった!」と言う話に出てくる症状が恐ろしくて、
何日もずっと「もし、お父さんがそんな病気になってしまったらどうしよう」と悩んでいた。
ブラックジャック自身はその症状を解決するんだけど、「現実にブラックジャックはいないから、
きっとお父さんがそうなったら死んでしまうんだろうな…」とも考えて、不安な日々を過ごしていた。
今から思うとバカみたいだけど、そのときは本当に怖くて仕方なかった。
休日に家族で出かけたときも、ずっとそのことばかり考えていて、具合悪いの?と心配されるほどだった。
すっかり私が体調を崩していると思い込んだ父が、レストランで私を膝枕してくれたとき、
ひっそりと泣きながら「お父さんがずっと元気でいられますように」と、心の中でお祈りした。
そのときの父の膝の暖かさとか、ジーンズに涙が滲んで染みて行く感触とかを思い出す度、
当時の胸を締めつけられるような不安感が蘇ってきて、何だかとても切なくなってしまう。
>527
弁当を新聞紙で包んでたってのも切ない。けど可笑しいのは何故?
それはケチャップだから
ケッチャッ( ´,_ゝ`)プッ
ケッチャップってビンに入ってるものもあるんだ
知らんかった
>>542 ( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
545 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/11(水) 23:43:14 ID:rbRxqjbk
ケッチャップage
546 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/13(金) 21:02:17 ID:BJKJEw7n
小学生時代の担任、当時はすごく怖い先生ってイメージがあったんだけど、
自分が市役所に就職して教育委員会に配属になった時、県庁の教育委員会に
その先生も異動してきていた。会議などで会う機会があって久しぶりに話を
したら、すごく疲れてる様子で仕事の愚痴、泣き言を言われた。
少し切なかった。
修学旅行で海外に行く時パスポ-ト忘れた
仕方ないから置いてかれる事になったので実費で帰宅
自分の持ち物に対する注意力の無さに正直泣いた
>>547 私が一番よく見る悪夢だ>パスポート忘れ。
現実になるとホントにつらそう。
549 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/16(月) 19:00:51 ID:cROuETu2
忘れ物が多かったK君、小学校の時のプールの授業で最初から水泳パンツ穿いて
きたはいいけど、着替えのパンツ忘れて泣いてた。何となくその姿が切なかった。
550 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/16(月) 19:05:59 ID:WKO4QIEp
>>547 空港から家まで遠かったの?
一旦帰宅してパスポート拾ってから後の便で追いつく事はできなかったの?
せつない。。
>>547 結構なんだかんだ言って、次の日の便でも乗せてくれるみたいだよ。
自分の友人はそうしてた。周りの友人にはどやされ、説教されてたけど。
小学校の頃のバレンタインの話。
クラスで男子は仲のいい子同士でつるんでいたんだけど
その中で地味で暗い集まりがあった(喪男予備軍みたいな)
特に本命のいなかった自分はそのグループ以外の
男子全員にチョコレートを渡した。
渡さなかった男子達がその事実を知ってるかどうか解らないけど
全員に渡すべきだったと10年経った今でも後悔している。
>>552 その予備軍も今では立派な正規軍として喪やvipで活躍している事だろう (`・ω・´)ゞ
(´;ω;`) 涙で明日が見えない
明日は明日の今日が来る
2年前、高校の卒業式の二日後に親父が死んだ。
癌だった。
元々仕事人間で、甘いものが好きで、いくら禁煙しろと言ってもトイレで隠れて吸う様な煙草好き。(弟が便所に「禁煙」と紙を貼っていたが)
そんな親父が入院をして、煙草も吸わなくなって仕事もままならなくなって・・・ついに寝たきりになった。
母に介護されてるのを見るのが切なかったけど、寝たきりのベッドの隣で食べるご飯は親父が元気なころと同じ味で皆笑っている食卓だった。
ある日親父が寝ている部屋に行くと、母が笑いながら私に目配せをした。
入るのをためらっていると親父が母を口説いているところだった。
言うだけ言って寝た親父の顔を見ながら、母が泣きながら「何か思い出してるんだよねぇ」と言っていた。
私の卒業式には出れたけど、弟の卒業式には出られなかったうちの親父。
今も実家に帰省するときは好物のシュークリームとセブンスターをお土産にしている。
>>556 スマン、
シュークリームにタバコ挿し込んで
煙が立ってる場面を想像した
558 :
556:2006/01/17(火) 12:07:04 ID:1XXtxs85
>>557 似たようなことしてたことはあります。
クリスマスケーキに線香立てて仏壇に供えた阿呆はうちの弟くらいだと思いますた
559 :
557:2006/01/17(火) 13:21:39 ID:A90UjL95
ウチの兄貴も7年前に癌で他界したんだ。
結構なヘビースモーカーだった(多分これが原因)。
で、一回忌にタバコを供えようとしたんだが、なかなか火を付かない。
あれって吸いながら火を付けるんだよね、
兄貴以外タバコ吸うものがいなかったから、家族皆で悪戦苦闘w
なんとか点火して線香の代わりにタバコを立てて
皆で泣きながら笑ってたな
最近はね、健康のためと言ってオヤジが「ニコレット」供えてるんだよ
きっと怒ってるだろーな兄貴
560 :
557:2006/01/17(火) 13:23:13 ID:A90UjL95
×なかなか火を付かない
↓
○なかなか火が付かない
>557
健康のためってところが泣かせるね。
私の父親の墓参りに息子達を連れて行くと、帰るときに墓石に向かって
「じーちゃん、また来るね。元気でね。」って言うんだ。
毎回笑っちゃうけど、ちょっと切ない。
高校1年の夏
日曜の夜に別の高校にいった厨房時代の友達からTELがあって友達Aが亡くなったとのこと
Aとはさほど仲良くなかったがつい半年前までは同じ学校の友達が、しかも友達が死んだのは自分の人生で
初めてのことだったのでその日の夜はかなり切なかった
それで月曜の朝に高校で同じ中学のときの友達にAのことを話すと「知ってる。葬式にもいってきた」とのこと
エ?
同じ高校なのになんで漏れにも一声かけて葬式のことを教えてくれなかったのか
ダブルで切なかった
小学校の時、月曜に登校したら、
何故かクラスの半分くらいのヤツが担任の家に遊びに行っていた
行ったヤツらに、いつそんなことになったのかと聞いても、
知らなかったの?的な答えだった
担任の家は自分達の住む地域とは少し離れていて、
子供だけで「来ちゃった」はとてもできない距離
明らかに事前に連絡しての事だった
担任は「先生の家はなー」と黒板に書いて説明しだした
行ったヤツらは知ってる知ってるー!!と盛り上がり、
行かなかった俺らはフーン…それで?
しかも行ったヤツらの中には、俺とは仲が良いと思ってたやつもいた
もうこいつら(担任含)とは終わった、と子供心にも思った
>>562 葬式がいつあるか教えるってことは、都合が付くなら参加してくれって言うのと同じだから、
当人同士が仲の良くない場合は教えるのはちょっと気が引けたりする。
Aとそんなに仲良くなかったなら、たぶん気をつかわれたんだよ。
>>564 ハゲド
葬式情報は聞くだけで半強制的なところがあるから、第三者に伝えるのは
ちょっととまどうね。
566 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/22(日) 09:35:27 ID:uXqSw+el
幼い頃の何気ない一言なんかが後で切ない思い出になったりするんだろうなぁ。
>>566 罪悪感とか喪失感とか、幼いながらも強烈な感情で焼きついてるんだろうね。
私は3歳のころにおばあちゃんに「おばあちゃん臭い」って言ってしまい、そのときの
おばあちゃんの泣き笑いのような表情を30年経った今でも忘れられない。
私の小3の時の誕生会。
親が沢山のご馳走を用意してくれていたのに
友達が一人しか来なかった。
うわ、それは惨めで切ないな
570 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/01/22(日) 15:18:37 ID:ZkMBr84p
誰も来なかった、ってコピペのほうが切ない
誰も来ないより一人だけのほうが切ないな。
来てくれた人に申し訳ないって言うか・・・
あまりにも不幸な偶然だな…
575 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/01(水) 22:52:21 ID:vPP7PUrB
ほすage
痴漢にあって、すごく怖かったけど、心配かけたくなかったし、
痴漢に負けたくなかったから笑い話にしてた。
ある日、母に痴漢にあったの喜んでてみっともない、と言われた。
悲しすぎて、泣けた。私、間違ってたのかなぁ。
途中なのに送っちゃったorz
確かに、母と同じように思う人もいるかもしれない
でも、痴漢にあったの親にしか言ってないし、私は痴漢にあって喜ぶ人間なんかじゃない
親を悲しませたくなくて、明るく振る舞ってたのに、我慢してたのに
なんかうまく言えないけど色んな思いでぐちゃぐちゃになって泣いていたら
今まで黙ってテレビみていたお父さんが、突然お母さんの頬を叩いた
お父さん泣いていた
お母さんは、訳が分からず、叩いたお父さんを非難してたけど、お父さんはその後もずっと黙ってた
この時、私のことわかってくれるのお父さんだけだ、って思った
今でも、せつないって気持ちでいっぱいになる思い出
そりゃねーぜママン…('A`)
ああ、毒になる母かも。
うちの母は私がチカンにあったとかいう話をすると、
「アンタは昔から色気づいてたから」とかいう。
陰唇にホクロがあるのだが、母いわく
「お前はインランボクロがあるから」だと。
そんな母には、あんたが信頼していた昔の住み込み従業員は
幼稚園〜中学生の私に寝ているあいだにおそいかかること十数回、
挿入こそされなかったもののさんざんオモチャにされてきたんだってこと、
死んでもいえない。
言ったところで「どうせあんたが誘ったんでしょ」とか言われて
余計に自分が傷付くのが目に見えているから。
思い切り推測で言ってみる
オカンはその従業員に密かに気があったか、応じる気はなくとも
思いを寄せられて「悪い気はしないわね」くらいは妄想したかったのだろう
でもそんなそぶりさえ見せられなかったか、はっきり拒否されたかしたあげく
あろうことか年端もいかない娘に手を出す奴だった
そこでオカンは「自分に魅力がないんじゃない、あの子が悪いんだ!」と
思い込むことで、自分を慰めた
妻のそんなところを疎んじる夫との関係も、上手くいってなかったのかも
でもなんで、いつも被害者が割を食うかねえ。
581 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/02(木) 09:16:13 ID:rVxxJqIq
>>579 びっくりですね。他人事に思えません。私も同じ目にあいました。
私の場合母親に言って案の定、余計傷つきました。
何回もあって、怖くて恥ずかしくて、でも勇気をだして言ったら、
あんたがこたつで寝てるからいけないって言われました。
2chみてて、妹に萌えてる人いっぱい見ましたが、ほんとに妹に手を出す兄が、怒られないなんて、
しかも、このこと姉に言っちゃうし
私って何なんですかね。
そんな母はある分野の偉い人で、人望が熱くて、周りにいい母親って思われてるんです。
私からみたら神さまです。だから見捨てられたら恐ろしくて、嫌いになれないんですよ。
仲良し家族装って、いつも笑ってる自分が、一番せつないですねp(^^)q
あぁ〜sage忘れた…orz
すみません。本当にすみません。
基地外母おおすぎ
あ〜うちも母親がキチガイだ。
私が小さい頃から、母が機嫌悪いときは「話し掛けないで」「視界に入らないで」
(余計苛々するから)と言われてた。
地味に傷つく。
585 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/02(木) 14:07:17 ID:yQ2/xJaP
中学三年の中学校生活最後の運動会のクラス対抗リレーの時、俺はバトンを落としてしまった。
予行練習の時とかもうちのクラスは1位だった。でも俺がバトンを落としたせいでビリになった。
生まれてから今まで本番はおろか、練習の時ですらバトンを落としたことはなかった。
自分のチームがビリだって決まった瞬間思いっきり声上げて泣いた。中学に入って初めて泣いた。
泣いてる俺を見てみんな俺の周りに寄ってきて「○○足めっちゃ早かったじゃん!大活躍だぞ!バトン落としたことなんて気にするなよ!」って言ってくれた。
嬉しくてさらに泣いた。泣きすぎて目が腫れた。
運動会の次の日は休日だった。明日からみんな俺のことなんて相手にしてくれないんじゃないかって不安が何度も頭を駆け巡った。
でもいざ学校に行ってみるとみんないつも通り普通に接してくれた。
バトン落としたこと謝ったら「うち等も○○(俺)が泣いてるの見て悲しくなっちゃったよ。だから他の競技でがんばってリレーの分挽回しようって思ったんだ」って言ってくれた。
もう嬉しくて嬉しくて亜w背drftgyふいjこlp;「’だった。
3才ぐらいの時、初めて会う親族のおばあちゃんに向かって
「宇宙人!!」って言った事がある。
びっくりするくらい皺だらけだったんだ。
今思えば失礼&可哀想な事言ったよね・・・
ごめんね、おばあちゃん(´・ω・`)
え、だって一度指摘されないと絶対繰り返すよこういう人は。
別にageても誰も困んねーっての。「sage忘れスマソ」で1レス余計に費やす方がよっぽど迷惑だっつの。
>>589 こういう会話で4レス消費しているのは無駄じゃないのかね
ごめんなさい私が余計なことしてしまいました。
私は
>>579さんに悪いことしたかもしれないと思ったんです。
デリケートな話なのにageてしまい嫌な思いしたら申し訳なくて
本当に自分勝手な想像ですが、
>>579さんにしてみればいい迷惑かもしれませんが、
別に私じゃなくても他の人があげるかもしれませんが、謝りたかったんです
不愉快にさせてしまい本当にすみません。失礼します
自ら2ちゃんに書き込んどいてageられたくないとか、そんなアホな奴いねーだろw
>>591 ageでもsageでもいいから、いちいちそんなペコペコしなさんな。
板が板だけにアレなのかもしれないが…
そして後にこれが切ない思い出となるのです。
メンヘル板の毒親スレに迷い込んだかと思った・・・
幼稚園頃、担任の先生が大好きで大切にしていた小さなシールをいくつか手紙と一緒に渡した。
休み時間のたびに先生にまとわりついていた自分。
ある日「これ捨ててきてくれる?」といわれ大好きな先生の言う事だからと
ルンルンでゴミを受け取った。
そこにいくつかの紙にまぎれ自分があげたシールがあったのを発見。
30年たった今でもこの事を忘れられないってことは無意識のうちに相当な傷になってるのかな・・・
ひ、ひっでェェェッェ────!!!
599 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/04(土) 23:28:35 ID:hEWvv0Ga
単にウザがられてたか、その先生は実のとこガキ嫌いで
機会があれば、幼い子供にトラウマを植え付けるのを趣味にしていたとか?
だとしたら成功してるね
600 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/04(土) 23:52:10 ID:q5y/ej8g
中学の時3年間美術部だった。
本当は漫画やイラストを描くのが好きだったんだけど
イラスト部みたいのがなかったから友達と美術部へ。
でも2年生になる時にイラスト部ができて数人がそっちに入った。
そしたら美術部員に亀裂が生まれ
「アンタはイラスト行かないよね?」とすごまれて美術部に残ることに。
当然イラスト部ができてからは美術部では美術系の作品だけ
やろうってことで有名絵画の模写とか風景画とかやらされたんだけど、
そっち系は苦手だったからどんどんみんなに追い越されて
美術部員で私の絵の下手さが格段に目立ってしまって、
部活も部員の険悪な雰囲気が嫌でいつしか幽霊部員になってしまった。
それでも親が見に来る文化祭があるので、文化祭の準備や
作品作りには参加して部員全員の絵が展示されることになってたけど
3年生の文化祭前日、なぜか部長でもないリーダー格の子達に
「○○さ〜ん、あとは私たちでやるから帰っていいよ〜?」
「そうそう大変だから○○さんはいいよぉ〜やっとくから」
と言われて「えっ、でも飾り付けとか・・・」と言うと
「いいっていいって、私たちでやっておくからさぁ」としつこいので
「じゃあ、帰るね・・・」と帰ったら次の日私の作品だけ
どこにも展示されてなかった。
美術室に入ると周りで私を見てクスクス笑う声が。
そしたらリーダー格の子がわざとらしく
「あ、気づいたぁ?○○さんの絵貼るスペースなかったのと、
正直○○さんの絵ってド下手じゃん?私たちの絵の品位まで
下がっちゃうんだよね〜準備室に置いてあるから捨てるなり
家で飾るなり好きなようにして?魔よけになるかもよ(笑)」
と言ってきてそれをきっかけに下級生までが大爆笑。
準備室でずっと泣いていた・・・
601 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 00:08:08 ID:41frcAm1
ひでーーーな。
じゃ、これは?
小学6年生の図工の時間、アイディアが浮かんだ人は
並んで先生に報告しなさい、と言われ
友達が浮かぶのを待って一緒に並んだ。
たまたま自分が後に並んだのだが、
その先生に「おまえは、@@のまねしたな!」と
叱られた。
602 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 00:10:33 ID:41frcAm1
続き。
その先生は給食当番の列を作って待っている時
じゃれついて来た友達が悪いのに
「ふざけるな!」と一方だけを怒鳴り付けた。
その後、給食をみんなが食べる間、ずっと立たされた。
許せない教師。
603 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 00:11:33 ID:4UwrLG7Z
爆笑したら屁がでた。
604 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 00:12:25 ID:41frcAm1
続き。
学級会の時間、いつも誰も意見が出なくてシーンとすると
決まって自分を指名し、意見がありませんと答えると
「じゃ、ずっと立ってろ!」と怒鳴った。
お気に入りの女の子だと座って良かったのに。
ちなみにブスではありません。が、とにかく嫌われていた。
高校を卒業して、地元から遠く離れた専門学校へ行くことになった。
(貧乏だったから働きながら学校行くしかなくて、結果遠い場所に)
見送りの時、母は頑張っておいでね!って言って笑ってた。
だけど後から母が見送りの少し前にトイレに隠れて泣いてたって話を聞いて切なくなった。
前に冠婚葬祭にも書いた気がするんだけど。
15年前、母親の大の親友が40代の若さで亡くなった。白血病だった。
一周忌をその人の家でやったとき、場を仕切っていた母はずっと楽しそうにしていた。
周りの人とおしゃべりをして、よく通る大声で笑ったりもしていた。
まだ小さかった私はバカで、それを見て
「どうして笑ってるの!ひどい!」
と怒ってしまった。母親はそれでも
「あはは〜、そうだよね、ごめんねw」
と笑っていて、私はそれをまた不愉快に思った。
後に、母親がどんな気持ちでそう振る舞っていたか気づいたとき、
「何てことを言ってしまったんだ、ひどいのは自分だったんだ」
と凄く泣けてきた。
だいぶ経ってから母親に謝ったんだけど、これ書いてる今も思い出すと涙が滲む。
607 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 00:39:16 ID:lHarbd/Z
球技大会の次の日の朝、クラスのほとんどみんなが打ち上げの話をしていたこと。
俺は呼ばれなかったどころか打ち上げの存在すら知らなかった。
確かにハミってたけどさ…友達少なかったけどさ…リーダー格の奴に目付けられて疎まれてたけどさ…
一応得点の半分くらいは俺のアタックで決まったんだよ…?
とは流石に言えなかった。リーダーにまた聞こえよがしに何言われるか分からなかったから
私が中学二年になりたての頃。
学校から帰ると、普段は放任主義の母親が、私の部屋の掃除をしていた。
勝手に部屋に入られた恥ずかしさも手伝って、散々母を罵倒して部屋から追い出した。
母は済まなそうにして、小さくなっていた。
その母が2か月後に胃癌で入院し、そのまま年を越せずに亡くなった。
もしかしたら、自分が死ぬ事を母は知っていて、最後の意味を込めて、掃除してくれていたのかなあと思うと、切なくなる。
今でも母のごめんねって言った時の寂しい顔が忘れられない。
609 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 17:24:48 ID:mo41+SIm
>>606 小さかったあんたが半分正しいような気もするけど。いくら大親友でも
<一周忌によく通る大声で笑ったりもしていた>というのは、逆の意味で
わかるような気もするけど、死んだ人の親とか身内からすれば完全な他人
だしね。何?こいつって思った身内もいるとは思う。
何が言いいたいかっていうとあんたが感傷的過ぎで、そう思い込んだだけ。
仮にあんたがその大好きな母を亡くして、一周忌によく通る大声で笑ったり
する?
610 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/05(日) 20:18:16 ID:al0H+GWe
元日に血液の病気で亡くなった友人から
年賀状が届いた。
あけましておめでとう。
今年は一緒に母校の桜を見に行こうね。
教室で
陽だまりの校庭で
夕暮れの帰り道で
一緒に将来の夢を語り合ったあの頃を思い出した。
↑ポエマー発見!
中2か中3のとき、うちの婆ちゃんはだいぶ体が弱くなってきていて
いろいろ手伝いとかしてた。ある日婆ちゃんがいつもありがとうと
いって5000円くれたんだ。でもなぜかそれが嫌でそれ以来冷たくあたって
しまうようになった。今はそのころより体が弱くなって入院している。
なんで冷たくしてしまったんだろう。今からでもなにかしてあげたいけど
どうすればいいかわからない・・・もう俺のこともはっきりと分からない
用になってると思う。
ここ見て今も泣いてる。
金が欲しくてやったんじゃないやい!的な。
>>609 できんかもしれないが、するだろうな、多分。
その場にいた人は、みんな彼女と母が大親友だって知ってた。
旦那さんもお子さんも、ご両親はちょっと記憶にないけど、友人も。
私含め家族ぐるみの付き合いだったし。
だから、私以外の人はみんな、何で母がそんな風に振る舞ったかわかってたと思う。
まあ、そこ以外の場面はだいぶ記憶が薄れているので確信はないけど。
615 :
1/2:2006/02/05(日) 23:33:33 ID:/wAcZMak
私は二人姉妹なんだけど、父方の祖父は姉が初孫っていうのもありすごい可愛がってたらしい。
子供の頃のビデオとかあるんだけど祖父は姉を抱っこしてて、私も〜って手を延ばしても「祖母さんに抱っこしてもらえ」、
とか、私がじいちゃん、じいちゃん言ってても姉ばかり構ってるのがはっきり分かるビデオだった。
そのビデオは皆で見てる時に母が「あまり映りが良くないから」って捨てた。
616 :
2/2:2006/02/05(日) 23:38:56 ID:/wAcZMak
今年の私の成人式に着物姿を見せに行くって言ったけど、用事があるとかで断られた。
姉の時は祖父の家でパーティーしたのに。
あと、お祝いを送ってきてくれたんだけど姉の10分の1だった。
沢山欲しい訳じゃないけど、現金書留が送ってきて開けてみた後の母の顔がなんか切なかった。
後で、両親が同じ金額になるようにお金をくれたけどそれも両親に気を使わせてるようで嫌だった。
>618
ありがとうございます。そう言って貰うとすごいうれしいです。
>>614 多分年をとると、609も母親の気持ちがもっと分かるだろうね。
子供のうちは分からないと思う
うちもジジイが次女の私に冷たかった。
幼心に「ジジイ氏ね」と思わせた奴の仕打ちは、
せんべい食べてて、幼児だしうまく食べられず床に落としてしまったカケラを
ひとつひとつ拾って食べさせられたこと。
カスつっても粉みたいなもんだから落ちてるホコリみたいなゴミも次々口に入れさせられた。
当然、姉はお咎めなし。
引っ込み思案でまったく懐かない嫌な子供だったが「そりゃないだろう」とせつなくなった。
というより腹が立った。
622 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/07(火) 21:51:20 ID:Oj48R7eX
やばい、ここ読んでたら泣けてくる・・・。
623 :
かなしい:2006/02/07(火) 21:59:26 ID:y8BPaNSn
ちょっと俺の話聞いて・・・
624 :
かなしい:2006/02/07(火) 22:00:54 ID:y8BPaNSn
俺ねたまに、死んだおばあちゃんの夢みるの・・
それで?
626 :
かなしい:2006/02/07(火) 22:02:07 ID:y8BPaNSn
まあいいや、今度話す。。
627 :
かなしい:2006/02/07(火) 22:03:35 ID:y8BPaNSn
やっぱ今話すよ
どうでもいいですよ
話してみなさい
630 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/07(火) 22:39:13 ID:R/2/DCVj
クラスのリダー的な子が、クラスの女子だけのHPを作ることになったらしくて、「HPに参加する?」ってだけ言われたんだけど、私はHPをまめに見るかどうかの事を聞いてきたのかと思って、その時はパケホじゃなかったから断った。
631 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/07(火) 22:43:28 ID:R/2/DCVj
続き
そして後々、友達の携帯からそのHPを見てみると、参加するとは女子のプロフを載せる事だったらしく、私以外の女子プロフは載っていた…。現在その学校には行ってません…。
オーガスってアニメ覚えてる奴いるか?
タイトルうろ覚えだが、とにかく、その主役ロボのプラモを父親に買って貰ったんだ。
母は厳しかったんだが、父親はパチンコで勝つと、こっそり好きなものを買ってくれてた。
ただ、小学生には作るの難しすぎて、せっかく買って貰ったのに父親に逆ギレしたんだ。
親父も「そんなん文句言うなら捨てる!」と箱ごとゴミ箱いき。
で、俺は泣きつかれてフテ寝。
あくる朝、机の上に完成品が、、、
父親がこっそり作ってくれたんだ。
ただ、、、
脚が前後逆だったんだ。
>>630 何かよくわからんけど、ハブられたみたいな気がして落ち込んでるの?
だとしたら、ちゃんと声かけてくれてるんだし落ち込む事はないと思うんだが。
自分の勘違いでHPに参加できなかった事が悲しかったのなら、改めて自分も
参加したい事を伝えればよかったんじゃない?
「やだー私何か「参加する」の意味を勘違いしてたよ〜。私も参加させて
もらってもいい?」みたいな軽い感じでさ。
正直どこが切なくなる思い出なのかよくわからん。
でもHPは結果的に参加しない方がよかったんじゃない?
プロフィールってどの程度の事まで載せるのかわからないけど
不特定多数の人が見るHPで自分の情報が流されるなんてゾッとするよ。
小中学生のBBSみたいに、学校名やクラス、席番なんかまで書かれてたり
したら最悪だ。
>>630 よく解らない。声すら掛けられなかったなら解るけど。
636 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/14(火) 20:29:35 ID:66520EBw
ホス上げ
2年前の話。
しばらく音沙汰なかった彼女から会えないかとメールがあって、2人でカラオケに行った。
行く途中、こっちから話題を振っても彼女は上の空といった感じで、あぁこれは振られるなと直感した。
案の定ボックスの中で「これで最後ね」と言われた。好きな人が出来たらしい。
「でも○○の事が嫌いになったわけじゃないから。」といって、フェラしてくれた。
俺が教えたよりずっとずっと上手くなってた。
高校卒業時のアルバム。
高三の時、行く大学も決まっていたある日、父親が吐血した。
そのまま入院。静脈瘤破裂だった。
入院費で一気に借金地獄に。
大学進学を諦めて就職。
幸い卒業前に内定もらった。
アルバムにはみんなからの寄せ書き。
「諦めるな、夢は絶対かなうから」
受験ではライバルだったけど、みんな私の行く末(?)を心配してくれていた。
けどうつ病で三年間入院生活。
そのせいで貯金もない。
けど夢を諦めきれなくて今も追い続けている。
みんなが書いてくれた寄せ書きをたまに見ると切なくなる。
>>630 単なるうまく意思疎通できなかっただけの話の気がする。
かわいそうな自分の視点からでなくて、もっと公平な視点で考え直してみなよ。
読んだ限りだと、あなたにとっての「今思い出しても切なくなる思い出」というよりも、
そのリーダーの子のほうにとっての「今思い出しても切なくなる思い出」になってる気がするよ。
>>637 ちょっと待て!カラオケボックスでフェラしたのか?元彼女。
>>640 普通だよ
満喫とかも穴場だし
俺なんか社宅の駐輪場で生でやったりしてたよ
何でわざわざそんなところで…
外でやって通報されたら
公然わいせつ罪。
644 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/16(木) 15:59:43 ID:gUfPgY8C
社宅の駐輪場…まああまり自分のものさしだけで他を計らん方が
いいと思うが。
とりあえずカラオケボックスだと、監視カメラに撮られて
店員の笑い者になってるのは100%間違いないな。
だがそれがいい。
っていうか知っててやってんだこっちは。
いくつかのカラオケでバイトしたけど、カラオケボックスでカメラ付いてる所なんかほとんど無いよ。
場末の歌広とかカラ館なんかだともう100%付いてない。
コスト嵩むし、付けてもいい事ないからね。
新宿の大き目のところだとほとんどついてないか?
監視カメラ。何にもしてないのに、店員に疑われて
のぞかれたw
>>638 普段健康なもんであまり考えた事無かったんですが、高額医療費の払い戻し制度利用と生命保険加入してても
一気に借金地獄になるくらいの状況になるんですかね
あまりよくわかってないもんですみません
>649
スレ違いだけど。
最近やたら多い入院保険のテレビCMで「1日1万円」とか言ってるけど、
あれでいう「平均いくらくらい必要だったか」は、
高額医療費返還制度などを一切使用しなかった場合の話、だそうだ。
高い差額ベッドの部屋を希望するとかでない限り、医療保険なんて必要ない、
という主張をしている人もいる。
>649
>>638じゃないけど、昔の話。
自分が7歳、妹3歳の時、父が脳卒中になって入院した。
入院費や治療費が払えなくて、母は偽装離婚した。
離婚して身寄りがなくなれば、入院費や治療費は福祉で面倒見てもらえるから。
急な入院だと、差額ベッドしか空いていない事もあるし、
難しい症状だと、保険適用外治療になる事もある。
しかも、入院が長引けば、いくら高額医療費返還制度があっても
自転車操業みたいになる事がある。
当時の事は、どこを切っても切ないと言うか苦しい思い出しかない。
小学校6年生の時、電車を2つ乗り継いだ先の大きな競技場で、
地域の小学校の体育大会が行われる事になり、6年生全員で組体操をやることになった。
クラスで一番背が小さかった私のポジションは、列の一番後ろだった。
6年生全員で大きな集団になってみたところ、
○○○○○○
○○○○○○
○○○○○○
○○○○○○
○ ←こんな感じで私ひとりがはみ出していた。
1クラス50人くらいで6クラス、約300人の集団から私ひとりだけがはみだしていた。
切なかったけど奥歯を食いしばってひとりで頑張っていたのに、
見ていた先生に笑われた。泣きたかった。いっそ私だけ休めと言われた方が良かった。
悲しすぎたのか、体育大会当日の記憶がまるでない。記憶から抹消されたらしい。
最悪だな、その先生の名前、晒せ!
>>651 う〜ん、なんとも言えないが
無駄に税金使われるより・・・と思えてしまうのだが
これが世間の意見なら、私はうれしい
655 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/21(火) 16:49:08 ID:Yy9xXJcO
>>652を読んで思い出した。小学校の運動会で背の高い方から4列になって
行進するのが652さんのように最後ひとりはみ出すことになった。
当然一番背が低い子がそこにくるはずでもめる必要はないのになぜか
一番低い子以外の数人が自分がなりたくないために誰かに押し付けようと
ごちゃごちゃ言い始めて3番目くらいに低い私にがなぜか一番うしろ。
「ちがうんじゃない?」と反論したが数人に言い切られてしまった。
そして私の前を私より小さい子が歩いたがこれがまた遅れて歩くので
私はリズムどころかその子の足を踏まないようにするのがせいいっぱいで
みっともない行進になった。
担任は気が付いてたと思うが何もしてくれなかった。
ちゃんと主張できなかった自分にもいまだに腹が立つし辛くなる。
>>650 俺が入院したら(二ヶ月ぐらい)親は無茶苦茶儲かったらしい。
アルミホイール買ったり家族(漏れ除く)で寿司屋に行ったりして豪遊してたそうだ。
658 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/21(火) 17:10:32 ID:aajWoyQS
>>630 友達から携帯借りたって事は別にハブされた訳じゃないんでしょ?
659 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/22(水) 00:51:36 ID:8yXAC7rg
私が5歳、弟が2歳の時、母は目の前から
いなくなりました。浮気相手と逃げた。
いつもの様に、散歩に出た先でお菓子の詰め合わせを
買ってもらい(たすきがけバックになってるやつ)
家に入る前に、母は祖父母に私達を任せたきり
いなくなってしまいました。
幸い、今は父と弟と暮らす事が出来ていますが
たまに似ている情景に遭遇すると、切なくなります。
そういう時は素直に涙を流し、心の澱を流してしまうがいいさ。
>>659 お菓子の詰め合わせ、か・・・切ないな・・・
オレの幼馴染もそんなかんじ
彼女は小学生の頃、母親が蒸発した
前の晩の夕飯が彼女の大好きなハンバーグだった
普段はない食後のデザートまで出た
それ以来彼女は、ハンバーグとプリンが嫌いなったと言ってた
小学校の給食ってハンバーグやプリンがよく出たので
彼女が泣きながら食べているのを見ると、
事情を知ってるオレはたまらなかったな
「そして幼馴染の彼女は今、ぼくの隣で笑っている。絶対幸せにするつもりだ」
ってオチを期待した。
「そして今では彼女も僕も、そして僕らの子供たちも、ハンバーグとプリンが大好きだ」
というオチも期待した。
667 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/23(木) 13:09:03 ID:ZuPssQwt
漏れが15の時の初Hの相手との事です(今29歳ネ)
お互い初めて。
どういう約束をしたのかは忘れたが、
ホテルで初マムコHをする約束をした。
そして真昼間からホテルに入ってバラバラにシャワーを浴びる事に。
漏れはH本とかマンガとかで、
「早打ガンマンは嫌われる」と言う認識を持っていたので、
ホテルで流れてるビデオと彼女のパンツと靴下匂いながらシコシコしますたw
そしてイヨイヨの時に事件が!?
立ちませ〜〜〜〜ん(⊃д⊂)エーン
それから数日後別れました。。。
切なくネ?
668 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/23(木) 13:51:31 ID:irs1NluH
っつか面白くネ
>667のカキコが>668に一蹴されてる様を見て、なんか切なくなった。
(…>668の言う通りなのだが)
小学生の頃中のよかった友達二人が喧嘩していた。
殴り合いにまでなりそうだったから
『殴り合いなんてしたら俺のお袋さんが腫れちゃうぞ☆』って言うよく分からないギャグをいった。
俺が殴られた。
だろうね
自分は父親には別の奥さんがいて
いわゆる不倫関係の間に出来た子供なんだけど
自分が幼稚園児ぐらいだったかな。
母親と二人で暮らしてて
母親は生活のために水商売やっててさ
夕飯とかも用意されてあるものを
一人で食べて寝るときも怖い、寂しいから電気つけて
寝るんだけど、シーンとした中で
時計の秒針の音がカチカチやけに大きな音で聞こえてさ
25になったいまでも寝るとき時計の秒針の音聞くと
すごい切なくなる
673 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/24(金) 17:59:33 ID:hT4UWEm4
つまんないつっこみが増えたことが
切ないっちゃ切ないかな、最近。
切ないエロゲだな
昔は生活のためには水商売しか本当に生活の手立てが
なかったのかな、といつもこの手の話しを聞いて思う。
体が弱いとか色々あるのかもしれないけど
自分の周りの片親(死別/離別)は、普通に働いてた気がする
でも親にエンジョと貸してもらってるから出来るのかな
17歳♂。
陸上部の大会前の夜に、ホテルで男女を問わずに一部屋に集まってテレビを見ていたこと。
みんなテレビに釘付けになってて、俺も布団の上に手を突いてテレビを見てた。
ちょうど喉が乾いたんで、テレビを見ながら手探りで持ってきたスポーツドリンクを探してたら、
ちょうど片思いだった女の子の手の上に自分の手を置いてしまった。
しかも、なぜかその子の手は掌が上になっていて、ちょうど手をつなぐ形になった。
ちなみに、俺たちが部屋の端のほうにいたせいか、その子以外はこのことに誰も気づかなかった。
このとっさの出来事に、俺は顔から火が出る思いで「(ゴメン!)」と小声で言った
そしたら、その子も頬を赤らめ、微笑みながら俺の手をギュッと握り返してくれた。
目が覚めて夢だと気づき、俺は切なくて泣いた。
679 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/25(土) 20:42:55 ID:8Pew7l2t
あげ
681 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/26(日) 00:05:44 ID:nl0CpMSW
幼稚園〜中学までずっと仲良しだった子と高校が分かれて以来
当時は気軽に連絡できる携帯やメールもなく、
私が学校が遠かったせいでだんだんと疎遠になってしまった。
高校で友達がある程度できたけど、私だけ遠くからの通学だったため
卒業後同じく友達と疎遠になってしまった。
高校卒業後、専門学校に入ったけど人付き合いがうまくないから、
少ししか友達ができなかった上にその中の1人の子とケンカ別れ。
卒業後、結局友達はたった1人に。
その子も卒業と同時に結婚&出産してしまいまた疎遠になって
友達がいなくなっちゃうのかなぁと思っていたけど
育児なんかで忙しいのに電話くれたり、手紙を頻繁に送ってくれたり
子供が2才になってようやくあまり手がかからなくなった時
「遊ぼう!」と言ってそれからまた子供を交えて交流が始まりました。
これだけでもすごく嬉しかったのに、去年の私の誕生日に
5才になった友達の子供から「○○ちゃんおめでとう!」って
プレゼント(これは友達が買ったもの)と1枚の絵をもらいました。
絵は子供が描いたらしく、黒髪で髪を2つに結んだ女の子(たぶん私)と
茶髪を1つに結んだ女の子(友達)と小さい女の子(自分?)が描いてあって
「○○ちゃんまたあそんでね」って覚えたてのひらがなで書いてありました。
友達が「うちの子がどうしても渡したいからってコッソリ描いてたんだよ、
なんか子供が描いたものなんかでごめんね、これからもずっと友達でいてね」
って言われて嬉しくて涙が止まらなかった。
その子とは今でも親友、明日も一緒に遊びに行きます。
こんな私と友達でいてくれてありがとう。
>>681 スレ違い
ここは 切 な く な る思い出を語るところ
683 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/26(日) 00:54:38 ID:NQThrMbZ
684 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/26(日) 01:23:31 ID:0VrKPpIK
女子高時代の話。当時、好きな先生がいた。
最後の期末テストの時に、先生が
「授業で、印象に残った事など何でも良いです。
用紙の裏に書いてもらえたら嬉しいです。」
と言った。新米の先生らしいなぁと思った。
いろいろ考えたけど、ありきたりな事しか書けなかった。
数年後、同級生から、先生が元教え子と結婚した事を
聞かされた。
あの用紙に想いをぶつけなかった事を、ちょっと後悔
した。
685 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/26(日) 02:02:08 ID:ScQbdGo1
自分が小4か小5の時に母さんが腎臓の病気で手術することになりました
最初、入院したとこでは手術出来なくて大きな病院に移ることになりました
そのせいか母は自分が死ぬと思い、手術の前の日に本の後ろに父と自分と姉と弟一人ずつに遺書を書いてました
そして母は肝臓の手術に成功しました
その遺書を見ていちも泣いてしまいます
母親の病気が変わったのが切ないな…
687 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/26(日) 02:06:40 ID:JruiC20b
18歳から12年間付き合って、結局別れてしまった元彼がいるのだけれど、別れて13年になるのに、月イチのペースで夢に出て来ます。
楽しい想いでの夢なんかではなく、
彼と彼の同居女性の部屋を荒らしたりする夢です。
目が覚めると、ちょっと切ないです。
4年前に亡くなった高校時代の恩師が忘れられない。
無理目な大学を受けることを母は渋っていたが、先生は「お母さん、やらせてあげましょうよ!」と
力強く言ってくれた。母親も、あの一言を今も覚えていると言ってた。(結果は合格)
先生の影響もあり教師を目指すようになって、採用試験に落ち続け企業に勤務して数年目に、
地元に残っている友達が「先生がもう長い間入院している」と電話をくれて、
それじゃあ次に帰省する時には一緒にお見舞いに行こうと話した数日後、先生は亡くなった。
癌だった。
高校生の私と、教育実習生の両方の私を知る先生はもう誰も居ないんだと思ったら
大声をあげて泣いてた。高校生の私を誰かに覚えてて欲しかったのかもしれない。
あんなにすばらしい人が何故こんなに早く逝くんだろう、不公平だ、とか色々なことが
頭をめぐったのを覚えてる。
今ようやく、教師として3回目の春を迎えようとしているけれど、採用されたことを
一番に報告したかった人はもう居ない。
もっと頑張って、もうすこし早く試験に受かって報告したかった。
先生の好きな言葉は「一期一会」、ちゃんと覚えてるよ。
それから、先生、私、教師になったよ…。
689 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/26(日) 02:21:23 ID:NQThrMbZ
>>685 その、<いち>というのはお手伝いのいちさんの事だよね
>>684 学校の先生の話で自分も思い出した
厨房ん時物凄く好きだった担任の先生に
気に入ってもらおうとあれこれ手伝いしてて
周りにもバレバレで先生にもお気に入りだなんて言われて
一人で舞い上がってた
卒業したら告白しようとか本気で考えてたら
卒業直前に非常勤の先生と婚約してそのお祝いパーティを自分が企画するハメに…
家帰ってから松田聖子のプライベートスクールを聞きながら号泣した
今思えば厨房相手に大の大人が本気になるわけないのに
あの頃のはしゃぎっぷり+落ち込み具合を思い出すと切なくなる
誤配、遅配、欠配。おまけに大量の破損郵便物。さらにDM汚職だの、
果ては選挙違反によって組織のトップまで逮捕されるに至る。
ここ、郵便局はその官僚の事業の私物化による腐敗と荒廃が頂点に達しようと
している。官僚支配に異議を唱えて果敢に闘った伝統的な労働組合は、今は
労使協調という路線の下、官僚支配のおこぼれの何割かを占めることで
ようやくその命脈を保つに過ぎない。
日々、配達先で、勧誘先で、相談先で、毎日のように叱責されるのは現場
に働く私たちである。しかも、官僚による失策は現場労働者のリストラと
いう形で責任を取らされるのである。 現場には、決定権の一握りほども与えられて
はいない。全ての決定権は 官僚が握っているにもかかわらず、その決定の責任は全て現場が負わなければ
ならないのだ。 それでも“凍えるような吹雪の中も、焼け付くような真夏の
炎天下でも、郵便局員は毎日 もくもくと走り続ける。 人里離れた山奥から、渡し船で行く島々、
高層のビル街まで、一年三六五日、朝から晩まで郵便局員の姿を見かけることが
できる。 街の喧噪や寂寞、四季の移ろいをその身に包んで、郵便局員は毎日仕事を
している。 人々の喜怒哀楽、そして季節さえも運び、届ける。つらい時も、
「郵便屋さん、ごくろうさま」という温かい声にほっとしながら、
待つ人のいる家々に向かう。 こんな仕事に誇りを持ち、郵便局員は今日も、
風を切って走り続けている。 だが今、「郵便屋さんが泣いている」。”
(『郵便屋さんが泣いている』“はしがき”から)
このスレを読んでいると無性に泣けてくる。
3年前、肝臓を患っていた父に移植の話がでた。
詳しいことは分からなかったが私はそれで治るんだと思っていた。
しかしある日医者に移植は無理だと告げられた。
父はその次の日に昏睡状態に陥り、次の日に亡くなった。
お通夜の時に父の日記に移植が出来ると聞きうれしい、
というような事が書かれているのを読んだ。
なんとも言えない気持ちになり、今でも思い出したら泣いてしまう。
>>687 そんなに長く想ってもらえる彼はいい女を逃がしましたね。
すぐにってのは無理かもしれないけどなんとか忘れてあなたも幸せになってくださいな。
逆に怖くないか?
18で付き合いだして12年後に別れてから
更に13年経ってるってことは、687はもう43歳だ。
もう結婚して子供も居る可能性大だ。
学校の帰り道、友人が家で飼っている犬の話になった時、
「あれ、○○の家ってマンションでしょ?ペット飼っていいの?」
と、何気なく聞くと、友人は
「うちのお父さんとお母さん、別居してて、お父さんの家で飼ってるから…」
何も言えなかった○| ̄|_
去年二度目の引越しで今の家に越して来たばかりのころ、家族で近くの小さな焼肉屋に行った。
店に入って席に案内されるとすぐ隣りは、以前(小学校卒業するまで)住んで居た家の隣りの幼馴染みの家のおばさんだった。しかし一緒にいた男性は私の知っているおじさんではなかった。
引っ越してからしばらく疎遠になっていたが、母親同士軽い世間話をしてうちの新しい連絡先を教えてその日は終わった。
保育園前から小学校卒業にかけて 一人っ子の私はいつも隣りのAちゃん家に遊びに行って居た。
Aちゃんは二つ上の兄Jくんと一つ下の弟Sくんの三人兄弟だった。 私とAちゃん、JくんSくんは秘密基地を作ったりいたずらしたり、いつでも四人一緒に遊んでいた。
特にJくんは本当の兄のように優しく接してくれた。
焼肉屋でおばさんと会って以来、一緒に居た見知らぬ男性に、家庭の複雑な事情を気に掛けつつ、幼馴染みの三人のことを思い出しては懐かしさに浸る日々が続いた。
それからしばらく経ったある日、事実を知らせたのは部活の打ち上げの最中にかかってきた母からの電話だった。
「…Jくん、二年前に自殺してたんだって」
放心した。 あの優しかったJくんがもういない…? 二年前から既に居なかった?
話に寄ると 元々真面目でナイーブな性格だった彼の受験におけるストレスは相当なものだったようで一番鬱が激しかった時期の、厳しい父親からの些細な一言がきっかけだったそうだ。
余談になるが それからAちゃんは学校を
辞め、いたずら好きで活発だった弟は引きこもるようになり、父親が作った借金で新築の家をわずか3年で手放し、離婚の後おばさんは残った借金の返済のため働きに出ながら子供たちとマンション住まいをしているという。
裕福ではないがある程度満たされた生活をしている私にとっては、こんな大きな問題はテレビの中だけのようなどこか他人の話のように感じてしまうが現実に身近に起きているなんて未だにうまく理解出来ない。
ふとJくんを思い出しては もうこの世界にいないことに気付き、はっとして切なく苦しくなる。
長文&駄文スマソ
700 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/02/28(火) 13:10:11 ID:1QwRVs08
ほんと駄文
>>699 せめて、マンション住まいのとこをアパート住まいにしとけ
函館に観光で行ったとき、歩いていると後ろで犬のほえる声がした
見ると、大きな犬と小さな犬が争っている
そのまま歩いていたら、小さな犬が追い抜きざまに俺の顔を
見上げて何かを訴えるような目をしながら一緒に歩く
動物の気持ちがあれほどはっきりと伝わってきたのは後にも先にもない
しかし、ついてこられたら困るという思いだけが先行して
そのまましらんぷりを決め込んでしまった
思い出すたびに切ない
>>702 チビ犬はオマイに何を訴えてたんだよ。
ベースアップ
笑ってしまった自分がくやしい
犬で思い出したけど
中学生の頃、大型犬(ブレンダ)を飼ってた。
ブレンダはその頃、調子が悪くて夜になると玄関に入れてた。
私はちょうど、高校受験の時期でその夜も遅くまで勉強していて
玄関の前を通ったらブレンダが「クゥ〜ンクゥ〜ン」と寂しそうに
鳴いていてちょっと相手をしてあげた。でもちょっとだけで
眠たかったのでとっとと寝てしまった。
翌日ブレンダは死んでいた。
もっとナデナデしてあげればよかった。ごめんね。
ブレンダって犬種があるの?
709 :
707:2006/03/03(金) 12:25:21 ID:kX+wSuI5
>708
あ、すみません。ブレンダという名前でした。
犬種はドーベルマンです。でも気の弱いかわいい犬でした。
10歳の頃だったか、ヒヨコを買ってきた。
ガキの残酷さで、一生懸命走りよってくるのを撥ねのけるように
足で蹴飛ばしてたんだけど、何度やってもめげずに走ってくるのに
たまらなくなって、両手で抱いてほお擦りしてやったのさ。
そして、発泡スチロールの箱に入れて一晩たった朝、
目を閉じて冷たくなっていた。
スチロールをつついて食べて、のどにつまらせてしまったらしい。
‥‥泣いたよ。
>>710 ああわかる。とてもわかる。
ひよこって、こっちがいくら邪険にしても一生懸命ついてくるんだよな。
そのけなげさがむかつく、でも愛しい。
結局は愛しさが勝つから死んだとき泣けるんだけどな。
ひよこじゃなくても、鳥は飼い主のことが大好きだからついてくるよ。
飼い主が大好きで独占欲が強いから、やきもち焼くしね
中1の時知り合った友達との思い出。
たまたま席が隣になって、色々話した。
それから、色んな所に二人で遊びに行った。
高校が離れても、学校帰りに公園で話したなぁ…自転車で遠出したり。
でもその友達…病気になってしまった。
今二十歳だが、以前の様に遊びに行けなくなった。
三月のこの時期になると弁当作って花見に行ったもんだ…悲しい
714 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/05(日) 02:32:53 ID:C0t85qhn
>>712 よくわからんが
・゚・(ノД`)・゚・。
先日、修学旅行から帰ってきた日。
駅から家までの車内で、迎えにきた母と口論になった。
原因は帰ってきたときまで全く連絡しなかった自分なのだが、
元から自分の中に旅行先に着いたら連絡するという考えがなかったので
そう言っても全く取り合ってくれない。
その前の修学旅行が、クラス全員から省かれた最低の旅行で
今回は楽しく行けて楽しい土産話もいっぱいできたなと
わくわくしながら帰ってきたのでショックだった。
さっきからそのことを思い出して寝れずにいる。
きっと母の中では解決したことになっているのだろうが
私は今でも忘れられない。
本当は今でも辛いって母に言いたいのに言えない。
>>715 これは簡単に切なくなくせる。
今すぐ、カーチャンにゴメンネって言え!
>>715 楽しかった気分をカーチャンとも分け合いたかったのに台無しになったのは
かなり寂しかったな。
カーチャンが悪いわけじゃないと分かっちゃいるが、自分の辛さを察して欲しい
ところだな
どんな口論だったか分からんが、さっさと「ごめん」て言って
「でもさ、今回の旅行すっごく楽しくて・・」と続けちゃえば良かったんだろうが
まぁタイミングも悪かったんだろうな。
落ち着いたら、旅行の土産話でもして、どうしても自分の中に蟠りが残るようなら
最後にぽそりと「辛かった」とこぼせばいいよ
すっきりするよ
>>715 このレスをそのまま母に見せたらいいと思う。
719 :
715:2006/03/09(木) 21:26:02 ID:CqfhE6U2
レスありがとう。
一応、その日中にお互いが悪かったということで決着はついてる。
その後数日鬱になったりしたけど今は大丈夫。
ただ、ある時に急に思い出して切なくなるんだ。
4日間連絡がなくてはらはらしていたらしい父にも、
帰宅する日の夕飯に私の好物ばかりを作ってくれた母にも
申し訳がなくて悲しくなる。
私は高校受験合格発表の時に結果を見ても連絡せず、
家に帰ったあとしこたま怒られたことがある。
自己採点で受かってたから親もわかってるだろうと思ったし、
すぐ帰るから連絡もいらないだろうと思ったんだ。
全部自分が悪いから仕方ないんだけどね。
修学旅行くらいでハラハラしたりするのかぁ?
いい親だね。大事にしろよ
>>715>>719 ええーっ、修学旅行先からわざわざ連絡なんてあまりしないよなあ。
行き先はわかってるんだし。
合格発表だって別に家に帰ってから結果を聞けばいい事なのに。
早く知りたいという気持ちはわかるけど、しこたま怒るような事じゃない。
あなたは何も悪くないよ。正直母親の怒りポイントの方がわからん。
>>721 おまいも、親になればわかるよ。まともな親ならいっつも子供のことが気になる。
なんて偉そうな事言ったけど、おれも子供いるわけじゃないんだけどな。
それ以前の手順が(ry
親だけど、何かあれば連絡がくるし
むしろ来た方が怖い気もする。
事前に「電話する」との言葉があれば別だけど
親なんて勝手なもんで、連絡がないのは無事だってこと。
連絡する暇も、それを思いつくこともないぐらい楽しんでいるんだってわかってるのよ。
それでも、声が聞きたいんだよね。
子供にとって学校行事のひとつ。つまり日常だけど、親にとって子供が家にいないというのは非日常だから。
結局甘えて欲しいだけ。ちょっと子離れできてないのかも。
>>722 うちは
>>723さんと同意見。連絡なんかあると「何かあったのか!?」と
かえってびっくりする。でも子供を気にしてないわけじゃない。
だからこそ
>>715>>719の内容は、口論になるまで怒ったりしこたま怒ったり
するほどの事か?って思った。
世間的には子供思いのいい親なんだろうけど、つらい思い出になっちゃって
715さんが気の毒だ。
中学生の時、いつも一緒に教室移動していた友達が突然他の女の子と一緒に
音楽室に行ってしまった。
中学生の時って、一人行動がとても不安で惨めになるものだったんだよね。
これからどうしたらいいのかわからなくなってトイレで泣いていたら
同じクラスの女の子がなぜか現れて「一緒に音楽室行こう」と言ってくれた。
その女の子はクラスでハブられた女の子を自分のグループにいつも入れてあげてた。
今だったら一人でもぜんぜん平気だと思えるけど、あの時は本当に神様みたいに思えた。
切ない話とはちょっと違うかもしれないけど、私の心に残っている出来事です。
確かに中学の時とかは1人行動って物凄く淋しいよね。
俺はハブられてたからしんどかった。
今となっては1人の方が楽だと思う。でも楽しい友達は欲しいと思うけどね。
>>725 715のお母さんは前回の修学旅行が楽しくなかったって知ってたから
過剰に心配してたんじゃないかなぁ。
今回はどうなんだろうって、きっと心配してたんだよ。
小学3、4年頃の夏、旅行に行く前に
祖母がお小遣いをくれた。
旅先の土産売り場で祖母への土産を買った。
可愛い絵のついているライターにした。
祖母は愛煙家なので、喜んでくれるかな、と
帰りの車の中、ずっとワクワクしていた。
袋を開けてライターを見た祖母は、「三千円あげたのに。これ百円くらいだろう?」と。
ありがとうの一言もなく、「残りは自分の小遣いになるもんなぁ」
と言われ、土産の値段で祖母への気持ちをはかられていたと気付いたことと、
祖母のことを考えながら土産を選んでいた自分を思い出して、泣いた。
730 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/14(火) 03:54:33 ID:dV1Ej2Xa
>>729それはひどいババァだな
! i |
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lニニニニコ .i |
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|_|i
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| | ! i `..`‐-、._ \
| | i . ∧∧ ../ ..`‐-、\
| | i. | (*´・ω・) / ∧∧ | |
_| |_ / o〆 (・ω・ )
|___| しー-J uu_)〜
>>729
731 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/14(火) 04:50:38 ID:zA7vhS5P
いつのことだか おもいだしてごらん
あんなこと こんなこと
あったでしょう
うれしかったこと おもしろかったこと
いつになっても わすれない
春のことです おもいだしてごらん
あんなこと こんなこと
あったでしょう
ポカポカお庭で なかよくあそんだ
きれいな花も さいていた
一年中を おもいだしてごらん
あんなこと こんなこと
あったでしょう
桃のお花も きれいに咲いて
もうすぐみんなは 一年生
732 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/14(火) 05:28:16 ID:Y6s3CA5J
(ノД`)
>>729 一見、酷いバーチャンに思えるかもしれない。
だが、考えてみろ。本当に酷いバーチャンならそもそもお小遣いをくれるだろうか?
多分、
>>729のバーチャンは感謝の気持ちを表わすのが恥ずかしかったんだよ。
ビートタケシとかも言いそうじゃね?
バーチャンはツンデレなんだよ。
>>731 駄目だ。これは駄目だ。
お母ちゃんごめん
735 :
(1/2):2006/03/14(火) 16:22:03 ID:OZ998oZA
802 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/03/10(金) 17:32:24 ID:s2RHsW2o
上にコレクションについての話がありましたけど
私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした
鉄道模型でしたけど
かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました
帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです
でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって
あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい
かえって私が苦しくなってしまいました
これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう
736 :
(2/2):2006/03/14(火) 16:23:20 ID:OZ998oZA
828 名前:802 投稿日:2006/03/11(土) 12:21:02 ID:ImOgEUVz
皆さんありがとうございます
今朝出勤前の夫と話をしました
謝ろうとしたのですが
「君の気持ちに気づけなかった僕が悪いんだから」
という答えしか返ってこなく謝らせてもらえませんでした
取り戻すか新しいのを買おうとも言ったのですが
「もういいんだ」を繰り返すばかり
考えてみれば夫のコレクションは結婚以来ほとんど増えてません
昔からのものばかりだったのでしょう
夫の部屋の中だけでしたし掃除もしていました
(共働きのため家の掃除は殆ど夫がしています)
ただ新婚の家に既に夫のコレクションが沢山あったので
私は結構苛ついていたんだと思います
別に部屋に籠っているというわけでもなく
二人で映画を見たりご飯を作ったりしている時間の方が遥かに長かったのに
なぜか私は苛ついていました
本も読まなくなってしまいました
私が見ているテレビを後ろからボーと見ているだけ
謝らせてもくれないぐらい傷つけてしまったんだと思います
男の立場で見てしまうから切ない気持ちよりも胸糞悪い
胸糞だね。
男女問わず、人の物を勝手に処分するやつの気持ちがわからん。
このケースは損害賠償を起こされても文句言えない。
人が無数に行き交う大阪駅で、捨て猫の鳴き声がひたすら続いていた。
子供の頃のことなんだけど、たまに思い出して哀しくなる。
>>736 その旦那の症状、典型的な鬱病なんだが。
>>740のスレ見ても、そのことに言及している人がほとんど
いないのは何故なんだ。
幼稚園の時からのダチのかあちゃんが死んだ時かな、お風呂で沈んでたんだって
そんとき俺有給1週間とって遊びに行ってたんだ。亡くなってから5日目に知った。
ガキの頃、すごくよくしてくれたのに スゲーつらかった(´・ω・`)
>>743 当たり前すぎるくらいの、当然の前提だからじゃないかな。
長文すみません
大学入試の時、私は地元の大学に行きたかったんだけど母と父が県外に行けと言って止まなかった
理由はいろんな人に出会えることと一人暮らしで良い経験が出来るから。らしい
当時の私は彼氏や友達と離れるのがすごく嫌で県外に「行かされる」という感覚だった。
県外の大学生活も終わりに近づいてそろそろ就職内定が当たり前の時期になっても内定が出ず、このまま就活を延長することになった
卒業式の日、母がわざわざ実家から出てきてくれた。
卒業式が終わって母を駅まで送りに行く途中の車の中で
「地元で就活しないの?一人暮らしはお金がかかるし真面目に就活できないよ?実家に帰らない?」
と言われた。私は内定が出ない苛々で
「本当は最初から県外の大学なんて行きたくなかった!地元に行かせたのはあんたらじゃん!」
と言ってしまった。
母は少し静になって
「…でも、楽しいこともあったでしょ?」
と言った。その時の母の顔が忘れられなかった。
本当は楽しい事いっぱいあったし自分らの生活苦しくしてまで仕送りしてくれてた事、感謝していたのに。
駅でお母さんを見送った後一人になった家で号泣した
変なの
748 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/17(金) 19:07:21 ID:wtxVR+Nn
749 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/17(金) 19:25:15 ID:iykbDGrR
死ぬな
750 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/17(金) 21:02:48 ID:l3ON7mGu
1 ありがとう・さようなら ともだち
ひとつずつの笑顔 はずむ声
夏の日ざしにも 冬の空の下でも
みんなまぶしく 輝いていた
ありがとう・さようなら ともだち
2 ありがとう・さようなら 教室
走るように過ぎた 楽しい日
思い出の傷が 残るあの机に
だれが今度は すわるんだろう
ありがとう・さようなら 教室
3 ありがとう・さようなら 先生
しかられたことさえ あたたかい
新しい風に 夢の翼ひろげて
ひとりひとりが 飛びたつ時
ありがとう・さようなら 先生
ありがとう・さようなら みんな みんな
ありがとう・さようなら
>>746 うちと逆だなw
私は県外に出させてもらえなかった。
753 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 00:11:58 ID:TM861ARN
関西に住んでいるが下宿をして東大に通っていたんだが、やりたい商売を見付けて、友人達にお金を借りまくった後に中退した。
打ち明けた時、とても頑固で普段は感情を表に出さない親父(こちらは東大「卒」)が声を上げて泣いた。
「せっかく東大に入ったのに借金まみれになって中退するなんて、将来の見込み0じゃないか」と…。
この涙を見て絶対に成功してやると決心した。
754 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 00:15:42 ID:m3t+YlUB
>>753 ガンガレ。
今はただの親不孝かもしれないが君の将来はまだ始まったばかりだ。
これからたくさん親孝行してやりなさい。
755 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 00:17:03 ID:rYvGtBBj
>>753 やりたい事が見つかったというのは素晴らしい事。お父さんの涙を
無駄にしないように頑張れ。
756 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 00:26:31 ID:TM861ARN
おかげで今はその時の店を含め三つの会社の経営者で、23歳にして月給は3百万ほどにまでなりました。
親父には中退するまでの学費を返しました。
757 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 00:31:56 ID:rYvGtBBj
>>756 おお〜!!私より2歳も若いのにスゴイ。親孝行できてよかったね。
お父さんもこんな孝行息子を持つ事ができて、さぞ誇らしいと思うよ。
色々大変な事もあるだろうけど、これからも頑張って大成して下さい。
2年前のバレンタインにクラスの中でもかなり可愛い女の子からチョコを貰ったんだけど
その時は彼女とか興味無かったんで断ったんだよ、
後日その子の友達のグループに呼ばれて行ったらアホ女共は俺の事悪者扱いしやがって
しまいには有ること無いことクラス中に言いふらされてから2年間不登校になり今日、家の中で卒業式をむかえました
(゚(д)゚)
ホワイトデーに仕返ししたか?
760 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 09:08:37 ID:wIeRTTvX
留学中、好きなひとが何度も私に電話を掛け続けてた。そして私も待ち続けていた。なのに、寮の係りの人が私のフルネームを知らない彼をつなげてくれなかった。
761 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 09:16:31 ID:qgnbryJt
なんで携帯に電話しないの????
762 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/18(土) 09:18:53 ID:qgnbryJt
ごめん昔の話だね
頑張っても報われない
764 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/21(火) 01:40:47 ID:NyIoWACY
妻が大事にしていた鉄道模型を
仕事に行っている間に捨てた。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はいはいわろすわろす
`ヽ_っ⌒/⌒c
妻が俺を捨てた。
ツレと5人で箱根峠にツーリングに行っていたときのこと。
どこかの道の駅で休憩している折、1台のキャバリエが駐車場に入ってきた
かと思うと男女2人組が降りてきて、一見してオタっぽい男性がボンネットを
開けてオタオタしはじめました。
どうやらエンジントラブルのようだったのですが、一向に直るような様子もなく、
女性は完全に呆れている風だったので助けてあげることにしました。
結果的に整備士のツレがサクっと直したのですが、メガネの奥でひたすら
冷や汗をかいて一言も喋らない男性に対して、明らかな尊敬の眼差しでツレ
と歓談する女性…。
きっと初デートだったろうに、その男性の気持ちを思うと他人事ながら切なく
なりました。
可哀想だな。
まあ心配しなくても、そのキャバリエ彼女は
整備士と結婚はせんだろう。オタ男は振られるかも試練が
770 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/23(木) 08:35:50 ID:36ZKSZM8
中学時代の学校祭。
夜にフォークダンスがあって、ちょっと気になってた子と
踊れるかなぁと楽しみにしてたんだけれど。
男女の人数差を埋めるために、俺は女子の列に入れられた。
当然その子と踊れるわけもなく、始めから終りまで踊る相手は
ずーっと男男男…。
次から次へと俺の前に現れては踊り去って行く男ども。
大量の男達と手を繋ぎオクラホマミクサーを踊り狂った
あの時間は長く感じたよ…。
BGMが終って「あーやっと終りか」と思ったのも束の間、
教師「よーし、もう一回サービスで音掛けちゃうぞー。踊れー」
ちょ…おま…
好きな子と踊れないわ、男だらけの無限ループだわで、
切なかったっちゅうか何ちゅうか。
>>770 あの人数あわせはなんとかならんのかね。
背の小さい子にだって好きな子の一人もあるだろうに。
先生が人数あわせで入ればいいのに。
特別仲がいい友達いなかったから
2人組みになれって言われたら毎回俺1人だったな・・・。
女子は手なんか繋いでくれなかったなぁ・・・。
手、振り払われたなぁ・・・
病気で入院してて鬱にまでなってしまい、主治医に安楽死させて欲しいと
何度も言おうと思ったのを思い出しました。
誰も見舞いにこないし、同じ部屋は意地悪なばあさんばかりだし…。
病気のため職歴もほとんどなく死にたかった。
>>776 ∧∧∩
( ゜∀゜ )/
ハ_ハ ⊂ ノ ハ_ハ
('(゜∀゜ ∩ (つ ノ ∩ ゜∀゜)')
ハ_ハ ヽ 〈 (ノ 〉 / ハ_ハ
('(゜∀゜∩ ヽヽ_) (_ノ ノ .∩ ゜∀゜)')
O,_ 〈 〉 ,_O
`ヽ_) (_/ ´
ハ_ハ な お る よ ! ハ_ハ
⊂(゜∀゜⊂⌒`⊃ ⊂´⌒⊃゜∀゜)⊃
あー・・・思い出しちゃった。
22歳の頃、難病って診断されて入院したんだけど、母親に
周りに知られたくないって言われて友達にも、親戚(仲が良い
おばあちゃんにさえも)入院したってこと言うの禁じられて
何週間か入院した・・・。
あの恨みは忘れられない。
去年また病気が悪くなって一ヶ月ちょっと入院したんだけど
毎回必ず花を買って見舞いに来てくれる夫、休みのたびに話しに
来てくれる友達にどんだけ感謝したか。
なので
>>776にはがんばって欲しい。
職歴がないのはなんとかなるよ。私は派遣社員から正社員になったよ。
779 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/29(水) 00:07:13 ID:S88QMf+g
去年の夏、うちの母が勤めているスーパーの露店で
ディ○ニーのバッタもんみたいなTシャツを色違いで3枚買ってきた。
そして、たまたま親戚の叔母に焼肉に行こうと誘われていて
行くことになっていたんだけど、母が
「みんな(母・私・妹)でおそろいで着ていこう!」と言い出した。
妹は賛成して喜んで着てたけど私はデザインもダサいし、
地元の焼肉屋だから知り合いに会うかもしれないからと思って
ダサい格好で行きたくないために別の洋服を着ていった。
すると出かける間際に母はすごく寂しそうな顔で
「○○ちゃんは着てくれなかったんだ・・・やっぱりお母さんが買ってきた
Tシャツなんてダサいから着たくないよねぇ(笑)」と言った。
この時「しまったーーー!」と思ったけどもう待ち合わせの時間。
着替える時間もなくそのままの格好で・・・
後日そのTシャツを着て出かけようと、着ていたら母は
「わぁ!○○がディ○ニーのTシャツ着てくれた〜嬉しい〜」
と子供のようにはしゃいでいた。
ディ○ニーのじゃないんだけどね・・・w
今でも大切に着ています。
ああー!ダメ!
そういうの切なくなる。
気持ちは嬉しいけどダサいからちょっと嫌だなーと思ってるけど言えなかったり、
口が滑って言ってしまった時の悲しそうなさみしそうな顔を見ると胸が裂けそう。
俺のばぁちゃんは毎年冬になるとマフラー編んで贈ってくれてた。
俺はマフラー巻くのってあんまり好きじゃないし、ちょっと恥ずかしいのもあって
巻くことはなかった。でも毎年新しいのが届くのな。
一人暮らし始めて何年も経つと結構な本数になっちゃったんだけど、相変わらず
タンスの肥やしにしてた。
で、去年の冬、ばぁちゃんが死んじゃった。
知らせを受けて、実家へ向かおうとアパートを出た時、マフラーのことを思い出した。
あぁ俺結局一度もばぁちゃんのマフラー巻かなかったんだ…って。
一度でもいいから巻いて実家へ帰って「ありがとう」って言っておけば良かった…って。
慌ててアパートに戻ってばぁちゃんのマフラーを巻いて、実家へ向かった。
北海道の真冬なので凄く寒かったんだけど、ばぁちゃんのマフラーは暖かかった。
やっとありがたみがわかったのに、もう見せる相手がいなくなっちゃった、って思ったら
涙が止まらなくなった。
783 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/29(水) 05:03:42 ID:eBOeNCv8
泣いた・・・
>>782 切ない
私も来年の冬はばあちゃんが縫ってくれた半纏着る
785 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/31(金) 00:19:40 ID:OsdaZ7eR
私の両親の実家が同じ市内にあったため、田舎がない。
父の実家なんて徒歩20分と近い場所になる。
小・中学生の頃、夏休みになると友達は地方の田舎に行ったりするのに
うちは田舎ないから地方に出かけたりもしたことないし、
親戚同士家が近いから何かっていうとみんなで集まるのが嫌だった。
大人が集まると大抵私の噂話になるし、両方のおじいちゃんが
私が生まれる前に亡くなってたのもあって、その分おばあちゃんが
ことあるごとに洋服買ってくれたり、いろんなもの買ってくれたり
正直そういうのさえウザかった時期があった。
周りから「大きくなったのにまだおばあちゃんっ子?」と思われたくなかった。
高校受験で推薦で受けた高校に受かって親戚一同喜んでくれたけど
メッチャ遠いし行きたい高校じゃなかったから、お祝いの電話がきても
「あ〜はいはい、ありがとうございます」って感じだった。
高校の入学式の日、口から心臓が飛び出そうなほど緊張して眠れなかった。
なのに早朝5時に父方のおばあちゃんが
「○○ちゃんに渡したいものがあるから今すぐ取りに来て」
と叔父さんを通じて電話がかかってきた。
その日の私は緊張でピリピリしていて、なんでこんな早朝に?
そんなの入学式終わってからだっていいじゃん?と怒った。
母が「おばあちゃんが言うんだから」って車で速攻
取りに行ったのも、こんな時に!と思って腹立たしかった。
でも、母がおばあちゃんちから持ち帰ってきたものは、
昭和っぽい古いデザインの小さ目の重箱に入った、
おばあちゃん手作りのお赤飯だった。
おばあちゃん、入学式だと知って夜中に餅米やら小豆を準備し
わざわざ朝早くから時間かけてセイロで蒸してくれたらしい。
(炊飯器の使い方わからないから)
もうそのお赤飯見た瞬間大泣きして涙が止まらなかった。
おばあちゃんウザイなんて思ってごめんなさい。
それ以来、お赤飯見るたびに思い出す。
家族でおじいちゃんの家に行った。
おじいちゃんの家は汚いし、私はいつも嫌ってた。
その日も無理矢理連れていかれた感じで、私は露骨に嫌な顔をし、終始機嫌の悪さを隠そうとしなかった。
体の向きもおじいちゃんの反対に向けて。
で、そろそろ帰ろうということになって私はすぐさま玄関に向かった。
そのときおじいちゃんによびとめられた。
「何だよ…」と思っていると…
「少ないけど、合格祝い」
お金をくれた。
私は当時高校受験を終え、合格内定を貰った頃だった。
なんだか泣きそうになった。
おじいちゃんは今、おばあちゃんが亡くなって一人ぼっち。
親戚も寄り付かない。そのうえ孫の私まで冷たくしてしまって…
意味わかんない文章になったけど、今思い出しても自己嫌悪…
カワイソス
>>785。・゚(ノД`)゚・。
ついでに・・・亀レスだが、
>>770のような立場になったとき、
俺は無理矢理先生を連れてきて不足分を埋めた。
オニャノコの汗(;´Д`)
790 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/03/31(金) 22:26:54 ID:abXUXt6p
感動age。∴(ノД`)∴。
フォークダンスしたことないや
運動会とかでやるの?
私は文化祭でやったよ。
女子校だから、おんなばっかり1000人以上で
ファイヤーストーム囲んでフォークダンス…
先生達は年寄りなんで参加しない。
切ないだろうが。
>>792 やった・・・やったよ・・・。。・゚・(ノД`)・゚・。
794 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/02(日) 01:39:30 ID:+pzkEs0X
日付けおかしいね。
795 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/02(日) 02:22:48 ID:6jPrQ3JD
↑あんたの日だからね
私が確か小5のときに母と妹の3人でお祭りに行った。
そこで風船を売っていて妹が欲しいと言った。それがまたバカ高い。あんまり豊かではないうちでは少し厳しい値段。でも結局妹はだだをこねて一番高い凝った風船を買ってもらった。
しかししばらく歩き回っているうちに風船が妹の手を離れ空へと飛んで行った。
その瞬間、自分も風船が欲しかったのに値段が高くて言えなかったことや、妹は買ってもらえて自分は買ってもらえなかったという寂しい思いとあまりにもあっけなく飛んでいき、どんどん小さくなっていく風船を見ていると切なくなった。
意味不明ですみませんでした。
。 ∧_∧。゚
゚ (゚ ´Д`゚ )っ゚
(つ /
| (⌒)
し⌒
...ウワァァァァン
数年前100円ショップでアルバイトをしていた。
2〜3年勤めたので、常連さんとはけっこう仲が良かった。
その常連さんの中に、あるおばあちゃんがいた。
白髪で小っちゃくて腰が曲がっていて、カート?を押しながらゆっくり歩いてくる。そしてお気に入りの黒飴を2〜3袋買って行く。
少し耳は遠いけど、いつもにこにこして可愛らしくて、来店頂く度に私もやたら買い物のお手伝いをしてしまったりしてたw
しばらく楽しく働いてたんだけど、私は就職が決まってバイトを辞めることになった。
すみません続きます
799 :
798:2006/04/02(日) 04:50:32 ID:ow6hnnF4
出勤日数も残り少なくなった頃におばあちゃんが来店されたので、少しの会話の後に辞める事を伝え、お礼を言い挨拶をした。
おばあちゃんは「おめでとうね、頑張ってね」ってしわしわの手で私の手を握ってくれた。
レジでお気に入りの黒飴を精算し、いつものように財布やらが入ってる小さいリュックを背負うお手伝いをした後のこと。
ごめんねぇ、と言いながらおばあちゃんが泣き出した。
昔、娘さんとお孫さんを同時に亡くして私にお孫さんの面影を重ねていたこと、
私との他愛ない会話が嬉しいといつもおじいちゃん(旦那様)に話していた、と言って涙をぽろぽろ流していた。
丸めたくしゃくしゃのティッシュで目頭を押さえているおばあちゃんを見て、私も店内に関わらずで泣いてしまった。
新しい職場で働き出して随分仕事にも慣れたけど、ふとした時におばあちゃんを思い出す。
元気で毎日おじいちゃんと穏やかに過ごしてるといいなと思う。
長文な上、携帯からなので読みにくくてスマソ。
800 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/02(日) 05:04:19 ID:ZR3hHnxg
800
801 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/02(日) 05:19:55 ID:Emo4sZBi
>>799 ええ話や 。・゚・(ノ∀`)・゚・。
いい店員さんだったんだな。
>>798-799 泣けてしもた・・・(つД`)・゚・
おばあちゃん、ずっとお元気だと良いね。
>>796 わかる、わかるよ。その切なさ。
>>798-799 おまいも、おばあちゃんもいい人たちだな。 (つД`)
今の日本も捨てたもんじゃないな。
日曜の朝から泣かせてくれるぜ。
ふと思い立って10年前まで住んでいた団地に行ってみた。
タイムマシンであの頃に戻ったように妻や子供たちと過ごした
ささやかだけど平和で幸せな日々が蘇ってきた。
今は離婚して一人暮らしの身だけどな。
どこかに出かける途中らしい車の中、私は助手席に母に
抱かれて座っていたが、頭の上で両親が激しく口論していた
何を言っているのか判らなかったけど、まるで機関銃の
打ち合いのように罵り合っていたのけは覚えてる。
車が停車すると、母は私を運転席の父の膝の上に放り投げ
ると「そんなに欲しけりゃあげるわよ!こんな子!」と言って
ドアを閉めるとどんどん去っていった。
訳が判らないままに、とても悲しく恐ろしくて大声で泣いて
母を追って自動車から出ようとしたけど、ドアが開かない
まま父が車を発車した。
産みの母とはそれが最後の別れだったよ。
後から母には借金癖があり、離婚でもめていた時に最終的に
私を父が引き取る事で借金を全て父が肩代わりする、と話し
合ったのに最後まで渡す渡さないで、もめたらしくその時の
記憶だと思う。
別にその後の私の人生が不幸だった訳でなく、父や親族は
優しかったし、金銭的にも苦労無く大人になって結婚もしたよ
でも、私の母の記憶はあの罵り合っている声だけ、顔も殆ど
覚えていない、写真の母はゲバくていやだ
きっと優しい顔や声で接してくれた事もあっただろうに、何で
最後にあんな記憶を残していったのか?今は行方すら判らない
母の記憶は父に放り投げた、あの時の母の姿だけです。
あの時私は2歳でした。
。∴(ノД`)∴
808 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/02(日) 22:08:03 ID:q8brAHA/
>806
そういう記憶しかないって事は2年間ずっとそういう人だったんだよ。
・・・・と思っておいた方がいいかもしれない。
2歳時の記憶なんて残ってるかフツー?
>>808 そりゃ悲しすぎるだろ。
父親に引き渡すことで揉めてたってことは自分の手元に起きたいって気持ちもあったわけだし。
きっと、生まれたときは喜んでくれたと思うよ。
>>809 1歳以前の記憶を持ってる人もいるよ。
強烈な出来事だから覚えているんだと思う。
おれなんか、10歳以前のことなんかほとんど覚えてないけどな ('∀`) '`,、'`,、
親と早く分かれると(親の離婚死別など)その後に蓄積される記憶がない分
覚えているモンだよ。うちも早くに亡くなったので結構覚えてるよ。
813 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/03(月) 01:56:11 ID:5h2p9J51
>>813 アホはホッとするな
と読んでほっこりした自分バカバカ
ちなみに自分も2歳のときの記憶有り
自分以外の家族が車で出掛けてしまい、自分ひとり取り残される
真相は、どうしても出掛けなきゃならない日なのに、自分がはしかになっちゃって
祖父母が看病に呼ばれて居残り、だったんだけど、置いてかれる恐怖は強烈だった。
私は姉と2人姉妹。姉とは2歳しか変わらないのに、かなりしっかりした子だったんだと思う。
親もそう信じ込んでいて、たかが小1・2程の姉に全てを任せていた(後年母は
小さい子供に任せっぱなしだったことを反省してる)。
両親は共働きで、私の幼稚園の迎えは姉だった。親が来ないことを知っている保母は
とことん私をいじめた。それに気付いていたであろう姉は、できるだけ学校から早く帰って
私を迎えにきてくれた。ぬいぐるみを持って来てくれたし、みかん水も買ってくれた。
姉の友達と遊ぶときも、輪に入れてくれた。母親の職場を訪れる時もバス・電車を乗り継いで
1時間半もかけて手を繋いで連れて行ってくれた。食器洗いもお米とぎも全部姉だった。
私は姉について行けば安心だった。姉がいれば完全無欠だった。姉だけを頼って、いつでも
姉の手を握っていた。
そんな姉に私も母親も甘えきっていた。しかも、甘えてることに気付かないんだ。
姉は夜尿症が治らなかった。友達の物やお店の物を盗むようになった。私は小さかったが
姉が知られてはいけないことをしていることはわかっていた。盗んだ物は机の引き出しや
タンスの中に隠していた。親を責めたくはないけど、もっと子供に注意してやってもいいだろう。
親は気付かなかった。結局は姉の友達の親が先に気付いて、私たちの親へ連絡してきた。
その説教場面は25年程前のこと。だけどしっかり覚えてる。母は「信じていたのに、何でこんなこと
したんだ。これからはしないでくれ」というような事を泣きながら話していた。言いたいことは
わかるけど、今考えると抜けてるんだよね。姉は自分にかかる重圧に耐えられなくなっていて、
そんなことしたんだ。たかが小1・2だよ。そんな子供に耐えられないほどの重圧をかけていたのは
私たちだった。
時間が経てば経つほど、はっきりと姉の苦しみが理解できるようになった。姉は自分自身でも
自分にストレスが溜まってることに気付いていなかったんだと思う。それ程幼かった姉。
幼かった姉のことを思い出すと、切なくてなみだがでる。
>>813 記憶力がわるいだけでアホ呼ばわりすな ヽ(`Д´)ノウワァァン
でも、日本は記憶力がいいと試験でいい成績取れるんだよな (´・ω・`)
Kの和史、光子、あくどく稼いで贅沢三昧
面倒はすべて人に押し付け
財産だけはしっかり貰う、
お前の親が死ぬまでさんざん世話になった人に
感謝の言葉を言った?
感謝されこそすれ、金を勝手に使い込むんじゃないかと失礼な発言される覚えは無い
ただのひとつも手助けしようとしなかった
K野和史、幸子お前ら
みんな見てるんだよ。
爺さん入院中、まったく見舞いにもこず
死んでからいそいそ財産のことで話し合いにはくるわ
お前ら、マジで醜い
818 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/03(月) 17:24:38 ID:x2fvICaM
819 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/03(月) 17:48:48 ID:5h2p9J51
>>818-819 姉ちゃんは今幸せそうだよ。ありがとう。今年の頭に子供が生まれたんだ。
自分の甥になるんだけど、私が遠方に住んでるからまだ会ってないんだよね。
って言うか、会いたくない。姉の愛情を甥に取られる気がして、好きになれないんだ。
この調子だから姉のダンナも全然好きになれない。この年で情けないよね。
>>820 お姉さん、幸せで良かったね。
肉親への愛情と、ご主人やお子さんへの愛情は
全く質が違うから心配しなくていいよ
どっちかに比重がかかってどっちかが軽くなる・・
ということは無いからね
ただ、お姉さんにとって、身体も精神的にも今が一番
大変な時なので、いつまでも年下の構ってチャンやって
たら駄目だよ
今こそ、あなたがお姉さんの手助けをしてあげて
「この妹が居てくれて本当に良かった!」と思わせるべし!
>>820 全然わかってないじゃん。
結局、いい大人になってもまだお姉ちゃんの重荷になってんじゃないの?
お義兄さんと甥っ子と仲良くしてやんなよ。
大切なお姉ちゃんの大切な人たちなんだからさ、820さんも大切にしたらいいよ。
>>822 はげどー
全然わかってなくてこっちがむかつく。
ちゃんと大人なんだからさ。
つうか姉ちゃんはそんな妹はじめ、実家族のことが分かってるんジャマイカ。
できればそっとしといてもらいたいのかも。
本当に姉ちゃんに悪いと思ってるなら、両親のことは妹の貴女が引き受けなよ。
まあまあ 年月もたってるし姉さん自身には実は
それほどトラウマになっていないのでは
それより、その時の姉の痛みを理解している>815は
姉ちゃん思いの妹じゃないのかな
将来的に自分の状況・意識だってまた変わってくる 今、無理に大人になる必要もないよ
>>821-823 姉の愛するものも愛してこそ、本当に姉を思うことだって言うのは正しいと思う。
正しいと思うから、義兄や甥が好きになれないなんて誰にも言わない。ババアになったから
演技もできるよ。しかし頭ではわかっていても、心までは変われないんだよね。
姉が自分のことを妹で良かったと思ってるかどうか、わからんね。思ってくれてると良いな。
>>824 親と同居が鬱陶しいこと前提で話してるのかな。うちはどっちかと言うと姉妹共に
親と一緒に住みたいと主張してる。しかし、親が元気過ぎてまだ両親2人で住んでるよ。
>>825 >それほどトラウマになっていないのでは
ほんとにそう願うよ。あの頃どれほど苦しんでたのか、想像しかできんから辛いよ。
案ずるより産むがやすしかもしれんよ。
夜尿症や万引きをしてしまうほど、追い詰められたお姉さんを思うと、涙が出たよ。
でも小1、2の子が食器洗いと米とぎとお迎えをするのが、そんなにストレスになるかな?と思った。
私も小学校の頃から食器洗いや自分の食事、掃除機とかは自分でやってたけど、
(母親は専業主婦だったんだけどな)そんなにヤバイ状態にならなかった。
多分家事そのものが、じゃなくて、子供心に妹や親を気遣う優しさがストレスになったんだろうね。
ただ電車やバスを乗り継いで、1時間もかかる職場に小1と幼稚園児が行くのは、
親がおかしいと思う。子供にそんな遠出をさせるもんじゃないよ。危ないだろ。
子供の頃に学校でひどい目にあって、不登校になった。
もちろん遊ぶ友達も居なくなった。ひどい目にあって、精神的に追い詰められた私に、
母は学校に行けないことだけを責めて「一緒に死のうか?」と怒鳴りつけた。
私は黙って聞いているだけだった。
辛くて、とても寂しくて、親のそばに行くのだが、母親はこちらを見てくれない。
母は、5つ年下の弟とは、中学に入ってからも一緒に寝てたのだが、
私とは絶対駄目だった、普段部屋に入っただけでも追い出そうとした。
思い返せば、幼稚園の頃にも私は母のそばで寝た覚えが無い。
7歳の時にインフルエンザになったけど、私は一人で寝てた。
親の部屋とは離れた奥の部屋で。
「ダニがダニが」って言って、私がそばに近づくのも嫌がった。
弟が母のそばに行くと、笑顔で弟を見る。
私には笑顔なんか見せてくれない。
とてもとても寂しくて、一人でいるのがイヤで、外に出かけた。
でも私と遊んでくれる人は居ない。
本屋で変質者にあった。
怖くて、一人で買えるのが怖くて、店員さんにも「親を呼んで一緒に帰ったほうがいい」と、
電話を貸してもらい自宅にかけると、母が「一人で帰ってきなさいよ、めんどくさい」といった。
大丈夫?の言葉はなく、心配するそぶりはなかった。
夕方頃だったけど、結構暗くなっていて、さっきの変質者が出てきたらどうしようとか、
思っていると、親が迎えに来てくれた。
本当は心配してくれたんだ!とお礼を言おうとすると、
「見れて嬉しかったんでしょ?見たかったんでしょ!」と言い放たれた。
特にそんな話題は出てなかったのだが、弟がいる前でいきなり
「あんたに老後の面倒は看てもらいたくない、姉と弟になら看てもらいたけど、アンタはイヤ」
と笑顔でいわれた。
そんなに嫌われるようなことをしてたのかな。
それがとても寂しいよ、ママ。
>>827 >多分家事そのものが、じゃなくて
全く。自分がしっかりしなくては、自分で何とかしなければ、という重圧があったんだと思う。
姉妹2人とも親には甘えづらい気持ちだったと思う(はっきりとした理由はないはずなのに)。
私には姉がいたが、姉には誰もいなかった。
>子供にそんな遠出をさせるもんじゃないよ
ほんとにもっとも。その頃親は麻痺していたんだと思う。親は今になって反省している。
>>831 うん。
でも親も貴方も悪気がなく、お姉さんを信頼してのこと。
誰も居なかったわけでは無いと思うよ。
その頃の年では受け止められない重圧でも、頼られていたという事実は嬉しいんじゃないかな。
少なくとも、妹の貴方は、今も昔もこんなにもお姉さんの事が大好きでこんなに思ってくれている。
何十年も前の昔のことを反省して、後悔してとっても悔やんでいる。
それだけで充分じゃないかな。
私は貴方も、貴方のお姉さんもとても羨ましい。
愛のある姉妹なんだね。
>>831 機会があれば、お姉さんにそのことを伝えてみたら?
お姉さんが逆に責任感じちゃわないように、慎重に言葉を選んで。
お姉さんが大好きだって、今度は私を頼ってくれって、言ってみるとかどうでしょう。
>>832-833 ありがとう。あなたの言葉で、鼻と涙が止まらないよ。
>機会があれば、お姉さんにそのことを伝えてみたら?
>今度は私を頼ってくれって、言ってみるとかどうでしょう
結婚が決まったとき、結婚式の前後なんかに、伝えたい伝えたいと思ってたことなんだ。
でも、言えないんだよね。照れちゃってね。照れる以上に号泣しちゃいそうだしね。
今度言ってみようか。また流れたら、ごめんね。
>>829-830 大人は子供が思うほど大人じゃないんだよね。そんな大人代表で誤りたい。
思うことが上手く言えないんだ。でも、大人はどんどん鈍感になって子供を傷つけてることに
気付かないんだ。後になって少し反省しても、謝る素直さも失くしつつある大人は
「見れて嬉しかったんでしょ?見たかったんでしょ!」なんて馬鹿なこと言っちゃうんだ。
悪意がないから、よけい始末が悪いけどね。子供を寂しがらせる親なんて最低だと思うけど
上手くできない親もいるんだろう。自分が人の親になったら上手くできるか不安だよ。
馬鹿で不器用な親を見捨てないであげて。
とここまで書いて気付いたけど、832-833と829-830は同じ人なんだね。つらい思いしたんだな。
でもあなたの文を読むと、あなたの親が間違った育て方をしているようには思えないよ。
良い親の子が良い子だなんて、勝手な大人の思い込みかな。
>>834 おーレスがついてる。ありがとうございます。
そこまで思われていて、お姉さん幸せだねぇ。いいなぁ私も愛されてみたいなぁ。
号泣されながら愛語られるって、どんだけ幸せな状況なのか想像もつかないなぁ。
きっとお姉さんも泣いて喜ぶと思うよ。
私は21歳でもう大人の部類に入っちゃってます。
悪意の無い一言なら良かったんだ。そっちならまだ良かった。
でも母は、私が傷つく様を見て、笑うんだ。
多分私は嫌われているんだと思う。
きっと母から見て他の兄弟と違って私は可愛くないんだよ。
私のお母さんはね、頭のいい人なんだ。
何を聞いても知ってるし、頭の回転の速い人なんだ。
手先もとても器用でね、お店で売ってるようなセーターを編めちゃうし、
料理もとても上手で、そこら辺の店なんてまずくて食べれないぐらいなんだ。
見捨てられてるのは私の方なんだよ。
良い子って言ってくれてありがとう。
誰かに言ってほしかった言葉だったよ。
>>835 >母は、私が傷つく様を見て、笑うんだ
この母親の態度は理解し難いね。親子に限らず、人との係わりでそういう事ができるものかな。
子を傷つけて素直に謝れない親のごまかしにも感じる。もしくは自分の冗談で子供が傷ついてることに
気付かない鈍感親じゃないかな。
>私のお母さんはね、頭のいい人なんだ。
>何を聞いても知ってるし、頭の回転の速い人なんだ。
>手先もとても器用でね、お店で売ってるようなセーターを編めちゃうし、
>料理もとても上手で、そこら辺の店なんてまずくて食べれないぐらいなんだ。
立派なお母さんだね。世間に立派だと思われてる大人や、立派だと思われたくてがんばってる大人ほど
馬鹿で鈍感なものだよ。子供にこれだけ寂しい思いをさせていることが証明しているだろ。
人間との係わり方を知らないんだ。それを埋めようと他の事で必死になって、本末転倒してる。
お母さんはあなたが思うほど立派じゃないよ。とても不器用なんだ。
>見捨てられてるのは私の方なんだよ
お母さんはきっとあなたのことは見捨てないだろう。たとえ見捨てられてもあなたは生きていける。
その事はお母さんが一番理解していると思う。お母さんは見捨てられないよう、あなたより
優勢になりたいんじゃないかな。
ところで
>号泣されながら愛語られる
ってめちゃくちゃ迷惑なジャイアンだね。笑っちゃったよ。
>>828 >でも小1、2の子が食器洗いと米とぎとお迎えをするのが、そんなにストレスになるかな?と思った。
なると思う。私も子供の頃、妹の保育園のお迎えとお米とぎとお風呂掃除とかしてた。
これは単体では子供できる簡単な作業だけど、それがセットで「お留守番」とくっつくとキツイ。
親が家にいて「妹を迎えに行って来て」って言うんなら全然ストレスじゃない。
でも、「毎日毎日、友達と遊んでても学校のスポーツで遅くなってても、
腕時計なんてしてない事の多いくらいの子供が、
きっちり何時から何時までの間に時間を察知して迎えに行かないと、
他人(保育士さん)に迷惑がかかる。」ってのがキツイ。
雨の日や風の日は自分1人が歩くだけでも大変だったりする歳で、
不意な行動を取る小さい子を安全に連れ帰るだけで一苦労な日もある。
お迎えの後は、妹に危険がないように、泣かせないように愚図らせないように、
常に気を配りつつ、お米とぎやお風呂掃除もこなす。
妹が泣いたり機嫌を損ねたり怪我なんかしてしまったら、
私の中では「私が泣かせた怒らせた怪我をさせた!」と同様になる。
実際には、私の親は私にいつもよくやってくれてるって言ってて、
私を責めた事なんか一度もなかったんだけどね。
でも正直、自分で今思い出しても「あの頃は大変だったな〜」とは思うけど、
妹や親をそれで恨んだり憎いと思う気持ちはないなあ。
親も妹も私と同じくあの頃は大変だったろうと思ってる。
てか、
>>815を読んで、ずっと、私よりも小さかった妹はもっと心細かったろうと思ってたのに、
妹ってそんなに姉を信頼して安心してたりするんだねえ。と思ってびっくりしたw
知り合いの、3人兄弟の一番上の子が
親が共働きなので下の子の面倒を見てたけど
小学生なのに帯状疱疹が出来ちゃったって…。
親になると「子供は結構強いもんよ」なんて言っちゃうけど
やっぱり寂しいしつらいんだよね。
>835
が早く母親の呪縛から解き放たれますように…
>>835 悲しみも憎しみも全て母親にぶちまけてしまえばいいと思うよ。
きっと母親は言わなきゃ一生気づかないような気がする。
私もぶちまけた事で少しずつ和解できたから。
憎しみをぶつけた後は少し罪悪感があったけど、でもモヤモヤを
全て吐き出せてすっきりした事の方が大きかったな。
>>836 冗談で言ってるというよりも、楽しんで悪口を言ってるかんじ。
私と他の兄弟の扱いの差を見てたら、不器用とかというよりも器用なんだと思う。
態度が180度違うからなぁ・・・。
確かにジャイアン。歌も歌ってみるんだ
>>834 >>837 そうかぁ。そんなに負担なんだね。お疲れ様です。
私は「自分のことを自分でする」ってのがほとんどだったから、
家事自体はそんなに苦にはならなかった。
冷たくされたり無視されたり、暴力とかよりはずっと楽だったし。
>>839 ありがとうございます。多分、母が亡くなっても涙一つ流さないとは思う。
ただ愛されたいんだよね。私のわがままかな。
>>840 何度か言ってみたことがある。弟と態度違いすぎって。
でも私は同じ態度とってるって言い張る。
過去のことを話して、納得させようとしたら「それは違うでしょ」とか
言い訳するか「そうじゃないわよ」ってなかったことにされるかどっちかだった。
和解するのは一生無いと思う。
人に謝ることも、自分の失敗を認めることもできない、プライドの高い人だから。
ブロッコリーを生煮えしたことさえ、認めようとしないんだよね('A`)
842 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/06(木) 12:39:47 ID:uRAMp1i9
age!
体調を崩し、長期入院していた祖母が認知症になってしまった。
認知症になると本当に何も分からなくなってしまうらしく、お見舞いに行った実の娘(私の母)に
「どなたですか?」と声をかけていた。
それを聞いた母は目に涙をいっぱい溜めて
「ヘルパーの○○です。宜しくお願いしますね。」
と笑顔で答えていた。
母は毎日祖母の看病のために病院へ通っていた。
それから1年。祖母が亡くなった。
なくなる直前、祖母は母に「○○(母の名前)、ありがとう。」と言った。
最期に一瞬でも記憶が戻ってくれて本当に良かった。
小学校の頃、母の誕生日にプレゼントを何にしようと色々考えた。その頃のお小遣いは月々
500円で、そのお小遣い分を含め、貯金箱の中のお金を合わせても1000円くらいにしか
ならなかった。そのお金を持って、雑貨屋に行き、1000円で買える物で母が喜んで
くれそうなものを必死で探した。ふと、ある物に目が止まった。
キラキラと輝く指輪だった。もちろん偽物。でも、小学生だった私には、偽物本物なんて
分からないし、ダイヤの価値も全く知らなかった。値段が900円で、ちょっと躊躇したが
母の指に同じようにキラキラ輝く指輪を毎日はめていたので、これにしたらきっと喜ぶと思い
プレゼントしようと決めた。母はこのプレゼントを見てどんなに喜ぶだろう、ありがとうって
言ってくれるだろうと母の喜ぶ顔を想像しながら、急いで家路についた。
「おかあさん、これ!!」とプレゼントを渡し、早く開けてみて!と言って、母が開けると
「何これ!?」と・・。私が、「おかあさん、指輪好きだし、これはめて会社に行ってね」
と言うと、「これ偽物じゃないの!こんなん恥ずかしくてしていけないわ!」
と言われて、テレビの上の戸棚にポイと置いて、夕飯の支度をしに台所へ行ってしまった。
私の想像していた母の態度とは予想もつかなかった展開と、そんな言葉を投げつけられて
傷ついて、部屋の隅でひっそりと泣いた・・。
昨日、会社の先輩がへんな指輪をはめてきてた。それ、どうしたの?って聞くと
子供が子ども会の遠足でお母さんにってお土産で買ってきてくれたものなの。
玩具の指輪で恥ずかしいけど、すごく嬉しくてって笑顔で言ってて切なくなった。
母のあるべき姿ってこうなんじゃないかなぁ・・と。
明日は母の58歳の誕生日。もう、あの頃から何十年と経つけど、未だに母の
誕生日の近くになると、この記憶が蘇ってきて切なくなる。
>>844 悪気はなかったのかもしれないが、デリカシーが無いな。
>>844は自分の子供は悲しませないようにすればいいよ。
>>843 >一瞬でも記憶が戻ってくれて本当に良かった。
本当にそれは良かったね。・゚・(ノД`)・゚・。
私の祖母も認知症で、遊びに行った時に「どちら様でしたっけ?」
と聞かれた時は号泣。
若い頃に迷惑かけた事をちゃんと謝ってなかったのに・・・。
「おばあちゃん、ごめんねごめんね」と謝ったら、
「うううん、そんなのいいっちゃ〜」とニコニコしてたけど、
きっと分かってない・・・。
>841
早めに呪縛からのがれられるといいね。
タイミングを失ってしまった私は、
痴呆がはじまってしまった母の面倒をみている。
母の介護が終るころには、おそらく私自身がもう先が長くないだろうと思う。
母はよく私の些細なミスを責めて
848 :
847:2006/04/06(木) 20:36:01 ID:ywYM7ehw
途中で送信しちゃった。
(些細なミスというのは、テレビのリモコンの置き場所が違うとかそういうの。
しかもそれは実は私のミスじゃなくて母が自分で置き忘れただけなんだが)
「何も面白くない人生だった。早く死ねばよかった」と言う。
弟を甘やかすだけ甘やかして、しかも私に対しても弟を甘やかすことを強要して、
それを私が拒否すると「なんてことを言うのお前は」と私を責める。
(救いがあるのは、弟は母のそういう甘やかしをものすごく嫌ってることだ。
でも拒否されても母は甘やかすことをやめない。
もう痴呆だから、拒否されたとかそういう自分に都合の悪い記憶は残らない)
ホント、私みたいにはならないでね。
>>845さん、ありがとう。そうですね、自分に子供が出来たら、こんな思いはさせないよう
愛情ある態度でこたえてあげようと思います。
うちの父親は再婚(母死別)なんだけど、父親がボケて
芯だ母親の名前を読んだりしたら大変なんだろうなとちと思った
私も、一緒に暮らしてた祖父が入院したときに
お見舞いに行っても、覚えていてもらえなかった。
一緒に行った小学生の従兄弟のことは覚えていたのに・・・
まわりにいた叔母たちが
「おじいちゃんは男の子が好きだったからね〜」とか
「一緒に住んでる子より外孫の方が印象に残るのよ」とか
フォローしてくれたけど、おじいちゃん大好きだったから余計に悲しかった。
園児の時、たまに親父が買ってくる吉牛が、物凄く美味しくて高価に感じてた。
ある時また買ってきて、喜んで食べてると母親が食べてない。(親父はもう仕事で居ない)
何でだろうと思ってたら、後で同じアパートに住むおじさんに食べさせてた。
次の日幼稚園の帰り、親父と車で帰る時私は
「ママ昨日の牛丼おじちゃんにあげてた」と言った。
あんなに美味しいのに食べないで勿体ないね。と言いたかったのだ。
次の記憶は、目の周りが赤い殴られた痕がある母親が私に
「お父さんに余計な事言わないでね」
瞬間私は、両親(母親)とそのおじさんが変な関係なのだと感じ取った。
ただ美味しい、好きな物を、好きな母親にも食べて欲しかっただけなのに
私はいけない事を言ってしまったのだ。
と落ち込んだが何も言えなかった。
今でも吉牛は食べたくなるけど、たまに思い出して切なくなる。
切なくなってる暇があったら父親を殴りに行け
>854
浮気してた母親の非はどうなるんだ?
しかも、事情を知らない幼い>852が善意で言ったことなのに
自分の非を>852のせいにしたような母親だぞ。
>>850 うちの祖父はやっぱちょっとボケちゃってたんだけど、
5回も結婚してたから混乱具合もすごかった。
私の事も覚えてなかったんで「孫の○○だよ」って言ったら、
「そうか、孫か。俺のどの嫁さんの孫か?」
「○子お婆ちゃんの孫だよ。」
「○子の孫か。あれはいい女だった。三味線が上手くてな。」
「それはXさんだよ。○子お婆ちゃんじゃないよ。」
「・・・そうか。じゃあ、どこそこに住んでた女か。」
「それは△さんだよ。○子お婆ちゃんはお爺ちゃんの最初のお嫁さんだよ。」
「そうか。あれはいい女だった。淑やかで大人しくて。」
それもきっと違う・・・と思ったけどそういう事にしておいた。
でも、孫の私の事も自分のお嫁さんの事もはっきり覚えてないのに、
阪神大震災の時、私と一緒に駆けつけた私の旦那はなぜか覚えてて、
「震災の時に来た○君の嫁だよ」と言うと一発でわかってた。
過去のご乱行でこんなアイタタな事になってるのに、
現行嫁をやってる奥さんが「やっとわかってくれた。よかったよかった。」って
涙ぐんで喜んでるのは、有り難いような申し訳ないような、
もう最期って証拠のようなで切なかった。
>>855 ありがとう
こんな環境と性格だから、切ない話はいっぱいあるけど
重過ぎて親しい人にも言えないから此処に書かせて貰った。
でもすっきりしないね。
>>854 とっくに逝っちまった親父を殴りには、まだ行きたくないね
859 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/08(土) 02:21:29 ID:3ejrKw6C
なんにせよ親の足を引っ張る子供は最悪だな
子供には、与えられるより奪われていくもののほうが遙かに多いってのがよく分かるよ
↑こんな馬鹿久しぶりに見た
私の父、自分じゃ言わなかったけど
祖母が長男である自分より次男である叔父の方を
可愛がっていたのがずっと悲しかったみたい。
同居して祖父母の世話をしたのは
長男夫婦である私の父と母なんだけど
叔父は(悪気はないんだけど)「よっ!ばあちゃん!」と言って
勝手に台所に入っていって、母の作ってる最中のおかずとかお味噌汁を
食べちゃうんだよね。
叔父にとっても実家だから気楽にしてくれてもいいんだけどさ。
やっぱり叔父も『自分が母=私の祖母に一番可愛がられている』ことを
十分自覚しての行動だと思う。
父も叔父も癌で60歳前に亡くなって、祖母の方が長生き(98歳!)したんだけど
最期の1年くらいは呆けてて私の弟のことを「K、K」って叔父の名前で呼んでた。
嫁である母や孫にも優しい祖母で、まったく不満はないんだけど
ああ、最期まで祖母は父より叔父の方が可愛かったのか…って
母と2人で父のために泣いたよ。
862 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/10(月) 00:16:49 ID:rEaza3Ar
うち最初に飼った犬が死んだ時。
ペット霊園の火葬場で火葬してもらって、隣の控え室で待ってたら
火葬場の人が「いま火を入れました」って言いに来て間もなく
窓から見える煙突から、大きな煙がモクモクモクと空に昇っていって
うちの母がポツリと
「あぁ・・・○○(犬の名前)天国に昇って行ったねぇ・・・」
と言ったら今まで泣いたこともない父までが泣き出して、
それ見てみんなで泣いたこと。
863 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/10(月) 02:00:39 ID:AfvI+yw8
ここに堂々と書くなよな
それなりのスレあるだろペット板に
このキモ一家
864 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/10(月) 04:57:03 ID:0ZiAhb7A
>>863 春休みはまだ終わらないのか?
ゴキはとっとと巣に帰れ。
>863のこれから3年間が前倒しで切ないな。
>861
切ない話だな
自分の子供の片方だけを可愛がるって
どーしても理解できないよ
そのばあさんの代の嫁姑問題とかあったのかもね
にしても片方だけを可愛がっていいことにはならないけど
ちなみにウチのバーサンも未だにやってます
なんだかね、もう早く真で欲しいとも思わなくなったよ
愛情の反対は無関心だなとつくづく思う今日この頃…
厨一の時、仲の良い子が出来たんだよね
厨二まで他の皆とも一緒に遊んだりサボったり…でもある日パッタリ学校に来なくなった
私は登校拒否でもしてんのかな?と思っていた
それから月日が経ち、卒業式間近…放課後副担任の先生が来て、皆の前で
『知ってる人も居ると思うけど、○組の○○さん(その子)が…亡くなりました』と、泣きながら言いました
勿論そんな事信じられず、は?という感じで、話が終わった後大急ぎでその子のクラスへ…
そのクラスはシンとしていて、当時一番仲の良かった子が涙を溢れさせていました…
私は全く信じられませんでしたが何だか急に力が抜けて、急いで家に帰り、ソファに倒れて大泣きしました
そしてその子の葬式
その子のクラスは全員参加
残りのクラスの子は自由という事で、私は友達と向かいました
向かう車の中では後部座席に座った友達から啜り泣く声が…私は絶対嘘だ!生きてるよ!と考えていました
そして葬儀の場…その子が遺影の中で笑って居ました
私はブワッと涙が溢れました…
その子の親の挨拶…その子は卒業間近なのに学校へ行けず、父親に言ったそうです
『卒業式に出れるかな?』と
涙ながらに話す両親を前に、静まり返った式場で、私は大声を出して泣いてしまいました
それにつられて一緒に来た友達も…
棺桶の中には真っ白な友人…その傍らにはその子の祖母がすがりついて泣いていました
そして全員で見送り、皆それぞれ家路に着きました
その間、私は車内で泣きっ放しでした
そして一人の友人がずっと私を慰めていてくれました
卒業式、その子の場所には遺影が置いてありました
ちゃんと来てたんですよね…形はどうであれ、ちゃんと卒業式出れてたんですよね…
今思うと、登校拒否じゃなく、入院していたんですね
知ってたらお見舞い行ったのに…
何も解ってあげられなくてごめんね…
大好きだよ!M.I!!!!
携帯で長文申し訳無かったorz
リアお断り
873 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/11(火) 14:50:12 ID:PCq/EPko
アナールセク○ばっかりしてたら、
チン○ンが痛くなった・・・
彼女に何処からビョウキをもらってきたのか問い詰められても答えられなかった。
874 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/11(火) 15:19:47 ID:wLim5hKs
仕事の都合で嫁と1年間別居してて、久々に我が家に帰った日の夜、セックスした。
なんか反応の仕方が変わってた。フェラのやり方も変わってた。
誰だ、少し童顔だけど可愛くてGカップの巨乳のウチの嫁にフェラ教えたのは。
確かに気持ち良かったけど、なんか切なかった。
萌えたんだけどな。
>>872 うん…解ってくれて、まりがd
その子の死因は聞いて無いんだけど…きっと白血病だったと思う
そしてまだ有った
また同じ厨学で、同級生の男子が白血病で死んじゃった
同じ母校で同じ年齢の人が二人も…そいつも白血病だった
元々ふっくらした顔だったけど、気付くと顔がパンパンに腫れて真っ赤になってた
そいつとは消防の頃結構遊んでて仲が良かった
もう友達が死んじゃうのは嫌だ
親にもペットにも祖父母にも、ねらーにも死んで欲しくない…ずっと生きて笑っていて欲しい
もう一度会いたいよ…
次生まれ変わったら、また沢山喋ったり歌ったり笑い合ったりしようねw
しつこい投稿スマソorz
このスレやべぇwwwwwwwwwww
涙でキーボードがぶっ壊れたwwwwwwwww
878 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/12(水) 16:17:14 ID:TjzL1E41
>>875 どんなに若くても幼くても良い人間でも必ず死ぬということはわかるよね?
憐憫の情に酔うのもけっこうだけど
あなただって今日明日かもしれない
だいたいの死は不条理なものだって理解できる大人に早くなれればいいね
>>878 理解する事と悲しくなくなることは別物だって気づくといいね。
それとも、人の感情が理解できない情緒欠落症の方でつか?
880 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/12(水) 17:57:38 ID:hzIJ2cJj
まだ19年しか生きてないけど切ないことばかりですからぁ^^
正直言って自分の周りにいたらうっとーしーわ
>>875
そういうことをいちいち言葉にせずにはいられない
>>881がうっとーしーわ
いちいち突っかかるおまえもうっとーしいわ
#以下無限ループ
885 :
868:2006/04/12(水) 21:49:53 ID:YWphcq6i
切なくなる思い出スレだから切ない思い出を書いただけなのに叩かれるとは
んだんだ。
私は地方在住ですが、母は癌を患っていたので
東京の有名な先生が居る病院に入院してました。
母の病室は個室だったので小2の夏休みは41日間、全て病院で寝泊まりしていました。
8月31日に、2学期が始まるので帰りました。
すると9月2日の昼頃、容態が悪化し、飛行機で急いで駆け付けたのですが死んでしまいました。
私が自宅に帰った夜にはもう体調が思わしくなかったそうです。
あの時、帰らなければよかった。
もっと母と話しをしておけばよかった。
しょうがなかったと言えばそうかもしれませんが今でも私にとってはセツナイ思い出です。
>888
母上の寿命をお前さんが41日延ばしたと思え
890 :
888:2006/04/13(木) 20:03:47 ID:aZ4+AiYS
>>889 そう考えたらいいのかな。
ありがとう。
891 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/15(土) 20:12:48 ID:qTaiJNgg
age
2年程前、旅行に行った時に一人で旅行に行ったおばあちゃんにお土産を買っていかなかった。
(家族みんなで、という形でいいと思ってしまった。)
でも私から自分にお土産が無かったおばあちゃんは本当に悲しそうな顔して、
お土産を買っていかなかったことをすごく後悔した。
そのとき「次旅行に行ったときはおばあちゃんが一緒に居てもお土産を買おう!」と決めたのだが、
おばあちゃんは去年認知症になってしまった。
会いに行くと姉だと思われて、私だよ、と説明しないと私だとわからない。
もうお土産を買ってきても何の事かよくわからないだろうし
私があげても姉からだと思ってしまうだろうし、
本当にあのときお土産を買っていけばよかった。
もう取り返しのつかないこと。
おばあちゃん、ごめんね。本当にごめんね。
次行ったとき、絶対絶対おばあちゃんが喜ぶお土産買ってくるよ。
何の事かわからなくても、私だってわからなくても買ってくるよ。
おばあちゃん、あのときは悲しい思いさせてごめんね。
894 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/16(日) 01:35:31 ID:1IvyNRj6
>>892最初の方をわかりやすくもう一度お願いします
最初の部分は、お土産を家族分まとめて買ったってことでしょう
※たとえば、個々に目の光るガイコツキーホルダー・東京タワーの
置物などを買わず、菓子折りなどを買ったと言う感じ
次の部分は、おばあが家族分まとめて買って来た物なのに
おばあ宛にはない物と思い、がっかりぽん
最後は、おばあと一緒に旅行に行ったとしても、
おばあ個人に土産を買ってこよう、
ということだとおもうがわからない方がどうかとおもうぞw
>>旅行に行った時に一人で旅行に行ったおばあちゃんにお土産を買っていかなかった。
ここがわからんのだと思う。
自分もわからんかったが結果的にわかったからいい。
次旅行に行ったときはおばあちゃんが一緒に居てもお土産を買おう
↑
ここと対になってるんじゃないかな。
不明気味な一行目
以前書いたことあるけど。
友達にスキーに誘われたけど、実家が自営業で、
そもそもレジャーなどというものには一切縁のなかった私は
道具もウェアもなく、置いてけぼり。
レンタル?金もなかったです。
まあ、いつものことだなあと思っていたら
母が突然、オープンしたばかりの、ちょっとこじゃれたパン屋に行こうと言い出した。
どうやらスキーの代わりらしい。
スキーの代わりがパン屋てw
あの時の母の、取り繕うようなぎこちない笑顔が忘れられない。
ああ、何だか良い思い出みたいですね。
あなたのお母さんの笑顔が見えるようです。
>>892です。
すみません。
>>1人で旅行に行ったおばあちゃんに
ではなく、
>>1人で留守番をしていたおばあちゃんに
でした。
家族で旅行に行ったのですがおばあちゃんは都合が悪く行けなかったんです。
混乱させてしまって申し訳ありません。
901 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/16(日) 13:57:06 ID:1IvyNRj6
ほら みんな間違ってたじゃん
>900
キモの部分は判ったから別に謝るこたないよ。
本人が間違っていたものを当てるのは難しいと思うんだが・・・
小学生の頃、母親が入院していた時期があった。
それが俺の遠足の時期のちょうど重なってしまい、
俺は一人ではおやつも買いに行けず、
戸棚にしまってあった食べかけのお茶菓子とかをリュックに詰め込んだ。
そして、夜遅くオヤジが帰宅。
「あれ・・・明日遠足なのか」と呟き、リュックの中を覗き、しばし無言。
もう遅かったので、俺はそのまま寝てしまった。
次日、リュックを開けて驚いた。
昨日詰めたおやつのラインナップがガラリと変わっている。
オマケのついたお菓子とか、小さなチョコレートとか・・・
オヤジ、俺が寝てからコンビニ行ったんだな。
俺、食べかけの茶菓子でも全然気にしてなかったんだけどさ。
あの時、オヤジがどんな気持ちでコンビニへ行ったかと思うと、
少し切なくなる。
>>905 2ちゃんではカーチャン程は省みられないが、トーチャンGJ!!
遠足話に便乗。
小一の頃、家に帰ったらかーちゃんがいない。
親父がDQNのアル中で、かーちゃんが水商売で家計を支えていたため、
昼間はいつも家にいるのが当たり前だったから、無人の家が不安でたまらなかった。
恐る恐る家に入ると、テーブルの上に書置きが。
「おばさんのいえにいってきます。えんそくのおかねかりてくるから、しんぱいしないでね」
子供心にも貧乏が辛くて泣いてたら、昼間っから酔っ払った親父が帰ってきた。
また仕事サボって呑んでたんだろうな。
泣いてる俺が鬱陶しいと蹴り飛ばされて、その弾みで腕を骨折。
勿論、遠足にはいけなかった。
せっかくの借金は、全部治療費に。
かーちゃんに悪くてな。
遠足のたびにそれ思い出して、心から楽しめたことがない。
ひさびさに言葉がみつからん・・・・
親父はともかく、かーちゃん大事にしてやってくれ。
言われるまでも無くそうしてるだろうが。
流れが切れるかも知れんが俺も一つ
当時、本気で結婚を考えた彼女が居た
双方の両親にも挨拶を済ませ、婚約や日取りをどうしようか?
といった話まで進んでいたんだが、突然彼女の方から
「結婚は待って欲しい」、と告げられた
いくら理由を聞いても今ひとつハッキリしない態度にイライラした俺は、
「結婚する気があるのか、それともなくなったのかハッキリしてくれ!」
と詰め寄った(ここに至るまで3ヶ月ほど時間があった)
彼女の返事は、
「あなたのことは好きだけど、今は結婚は考えられない・・・」、だった
そして、俺たちは別れた
決してお互いに嫌いになった訳ではないので
当時何故その選択を受け入れたのか、今でも自分で不思議だと思う
それからしばらく後、彼女からメールが届いた
「元気ですか?」
くらいの短いメールだったと思う
それを切っ掛けにまた以前のようにメールをやり取りする日々が続いたある日、
俺は彼女に切り出した
「もう一度、逢ってやり直せないかな?」
すぐに返事は来なかった・・・
数日置いて、彼女からの返事が届いた。
「正直逢いたいとは思う。でもまだ自分の中で迷いがある」、と。
そして続けて、
「もし運命というものが有るのなら、それを確かめて見たい」
続けて来たメールにはそう記してあった。彼女の提案はこうだった。
○月×日△△市へ出かけるから、もしそこで出会えたのなら運命を信じてみたいと。
△△市は俺の家から3時間弱はかかる場所だ。
日付は伝えられたものの、時間も待ち合わせ場所も決めてない。
多くの人間がいる一つの都市の中で、たった一人彼女を探さなければならない。
だが俺はその日、迷わず△△市へと向かった。
自分の気持ちに決着をつけるため、運命の行く末を知るために。
どれほどの時間その街を彷徨ったか今では覚えていない。
クタクタになって休もうかな?と思ったその刹那
橋の向こう側から歩いてくる彼女を見つけた。
お互いちょっとぎこちない挨拶をした後、茶店でしばし話しこんだ。
時間が昔に戻ったような・・・今までのブランクはまるでなかったような・・・
そんな錯覚すら感じた。
が、そう感じたのは俺だけだったのかも知れない。
詳しい経緯は省略するが、結果として彼女とやり直す機会は得られなかった。
随分月日は流れたが、あの日のことを思い出す時は、
胸の奥のほうが締め付けるられるような・・・そんな感覚を覚える思い出です。
長文になって申し訳なし。
>>909 ごめん、その彼女の身勝手さとおまいの未練がましさにチョイイラした
実は
>>909の彼女は不治の病にかかっていて
>>909の負担にならないように身を引いた
とか泣ける話かと思ったら、ただ単に振られただけじゃねーか
保育園の頃、帰りの迎えには母が迎えに来てくれてたが
仕事の都合で水曜日だけ親父が帰りの迎えに来てくれて、水曜だけ晩御飯も親父が作ってくれてた
と言っても、残念ながら料理の出来ない親父殿
基本的に晩御飯はコンビニかスーパーで買ってきたカップラーメンとソーセージ炒めたモンだの唐揚げだの
毎度「すまんな」と言いながら同じような料理を出していた
しかしそんなのは些細なことで、俺も姉と妹も不満などまるで無くおいしく頂いておりました
ある時、父が料理(お湯を沸かしながらソーセージを炒める)している最中、
姉が俺を手招きして、「お父さんの料理って手抜き料理って言うんだよ」と告げてきた
悪意は無かったのであろう言い方に、俺は手抜き料理なるものが褒め言葉なのだと思い
父に向かって「お父さんの手抜き料理っておいしいね!」「手抜き料理好きだよ!」と連呼していた
あの時の悄然とした父の顔は未だに覚えている
その後姉に殴られたことが理不尽だと思った
914 :
910:2006/04/17(月) 21:53:04 ID:9Tl2laoc
省略したのになんで・・・
>912ほぼ正解
人の想像力って凄いな
敬服
>>914 ちょ、、まじで?
気がつかなくてすまん・・・
>>914 なんで振られたのか分からなくてモヤモヤする。
>「正直逢いたいとは思う。でもまだ自分の中で迷いがある」、と。
こういうこと言ってるし…
917 :
910:2006/04/17(月) 22:40:06 ID:9Tl2laoc
いや、謝られてもこっちも困ってしまう
決して不知の病ではなかったんだけど、病魔に勝てなかったということ
皆のカキコ見てるうちに俺もこみ上げてくるものがあって
一気に書いてしまったんだが、長いんで最後省略しちまった
>912に核心突かれなきゃレスもしなかったと思うが
逆に胸の内を全部曝け出せたということを
誰かに言いたくても話せなかったもどかしさがとれたことを
>912に感謝したい
ありがとう
そして、今更だけど彼女にも伝えたい
ありがとう、と
>910
可哀想だとは思うけど、
思わせぶりが過ぎると聞いてる人はいらいらするんだよ、とも思う。
むしろ何も書かない方が俺みたいのになんか言われなくて良いんじゃなかろか。
920 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/18(火) 04:56:59 ID:22MAp2FP
「もし運命というものが有るのなら、それを確かめて見たい」
続けて来たメールにはそう記してあった。彼女の提案はこうだった。
○月×日△△市へ出かけるから、もしそこで出会えたのなら運命を信じてみたいと。
結局嘘かよっ
私が幼稚園ぐらいの時の話。
それまで仕事以外の事でパソコンを使わなかった母が、
ぬりえみたいなものを印刷して私と姉にプレゼントしてくれた。
姉と私のは柄が違っていて、姉は花束、私はパンダ。
花束のほうがよかった私は、「こんなのやだ!」と泣いた。
とりあえず白&黒で塗ってみたけど、全然楽しくなかった。パンダだし。
腹が立った私は、母が風呂に入っている時、風呂の戸の下のほうにある
換気用の隙間からパンダの紙を中に投げ入れた。
風呂から出てきた母は悲しそうに「ごめんね。」と言った。
水浸しになっているパンダをどんな気持ちで拾ったのかを考えると、
今すぐごめんね、って言いに行きたくなる。白&黒じゃなくても、
他にもっと塗り方があったのに。
小学生の時。母と父が離婚するかしないかで、家の中は大変だった。
私が学校から帰ると、トラック運転手の父が珍しく帰っていた。
机にうつぶせになっていて、ビールの入ったコップが倒れていた。
ビールのしみ込んだランチョウマットを引っ張ると私にきずき、
「ん、おお、お帰り」と言ってくれた。いつもの顔で。
流れ豚切り&長文ごめん。思い出して切なくなった。
恋愛ウットリ手記って、このスレで読むと何か違和感がある。
本人は切ないんだろうけど・・・モニョるわー・・・
>>921 ゴメ・・・リロってなかったから、変なカキコしちゃった・・・orz
お母さんに、笑い話みたいに「あの時のパンダの塗り絵が〜」
って話して謝ってみては?
きっとお母さんは笑うと思うけど、胸のつかえが取れるかも。
924 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/18(火) 08:03:38 ID:n5E8s3oc
>>922 相手を傷つけてしまって、その相手の気持ちを思って切なくなる思い出と、
恋愛で自分自身が切なくなる思い出(自己陶酔)との違いだろーか?
恋愛に関しては、大抵の人がせつない思い出を持ってるだろうし…
ダメポ…モニョル原因をうまく言い表せない…orz
925 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/18(火) 08:17:01 ID:4U/SZvNl
ようは恋愛の場合少なからず酔いが入ってるから、読んでて少々キモさが出るんじゃないの
>>909-910がモニョる要因↓
_、_
( ,_ノ` )y━・~~~ < 運命の行く末…その街を彷徨った…その刹那…随分月日は流れたが…
要約:俺カワイソスでウットリンコ
927 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/18(火) 08:36:45 ID:0l1MSyyX
>921バーロー、少し涙ぐんだじゃねぇかっっ
モニョるって何?
他板用語を当然のように使う腐女子逝ってよし
930 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/18(火) 15:45:45 ID:twyoNv0S
モニョるなんてどこででも見るけど。
ランチョウマットを引いてからビール飲むなんて躾のいいお父さんだね
ランチョウマットわろすw
932 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/18(火) 16:47:43 ID:0l1MSyyX
乱丁マットwww
>>921のオヤジさんはこのマットでビールを・・・セツナス
なにこのアメリカーナ。
俺が小学五年生の事なんだが、親父に癌が発見されたのだが、
早期発見だったから、一発の手術で治ると言われてた。
そして一ヵ月後、手術が行われたのだが、
当初は肺癌だと言われていたのに、肺ではなく胸膜に癌ができてたと言うのだ。(転移ではない)
胸膜の癌をとるのは不可能と言われてて、もう時間の問題だと言われた。
余命は半年。癌発見から一月も経ってなかった。
当時親父は日本各地を出張して家を空ける上に外面は良くて、家族には冷たかった。
そんなもんだから俺は親父が死ぬと分かっても、その時は全く悲しくなかった。
親父が入院して少しして、母も病院で寝泊りすることになった。
親父が錯乱して、病院側から妻を呼んでくださいと言われたらしい。
俺は叔母の家から小学校に通学してた。
予定の半年になって、本当に親父がヤバくなってきた。
だからという訳ではないが、俺も病院に寝泊りすることになった。
そんでもうそろそろ修了式だから家に帰ろうと、親父の病室で準備していた時親父が死んだ。
だから俺、よく親戚から「親の死に目を見れて良かったね」とか言われたんだが、
実は俺病院に泊まったのは、「病院に寝泊りすることで学校休めるかも」という考えを持ってしまっていたからなんだ。
こんな理由だから今でも少し後ろめたく思ってしまう、俺にとっての一番の切ない思い出。
>>938 子供の頃なんてそんなもんだよ。
死に目にあえて良かったと思うよ。
自分は病院から帰った後に父親が亡くなった。
やっぱり最期は見届けたかったよ。
うちの親も入院してそのまま亡くなってしまったから、やっぱり死に目にあえて
良かったんじゃないかと思うよ。
>>938 会えなかったら会えなかったで、ずっと考えてしまいそうだし。
939の言うとおり子供なんてそんなもんだ。
幼稚園の時すごく仲良かったダチが引っ越しちゃったんだ
ちらしをはさみで切って裏に「また遊ぼうね」とか書いてポストに入れた
もち切手なんて知らないからそのまま('A`)
↑
ヴァカ?
※ここは自分の知能の低さを自慢するスレではありません。
二度とこないように 941
↑
ヴァカ?
※ここは自分の人間性の低さを自慢するスレではありません。
二度とこないように 942
944 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/28(金) 15:03:44 ID:brbftUIF
↑ヴァカ連はネットするな
945 :
遺伝子組み換えおばさん:2006/04/28(金) 16:47:50 ID:h/9xF197
昔と言っても俺が22才位から7年位付き合ってた彼女の話。
ベタ過ぎるくらいツマラン理由で喧嘩してバイナラしました。
(長すぎる春って言うヤツです)
その後、俺は職場の同僚と普通に職場結婚し、子宝にも恵まれ
一家4人で普通のしあわせを味わっとるオッサン44才。
一年程前に何気に昔の彼女の名前をググったら、メールマガジンと
メーカーの懸賞当選ページにその彼女の名前が複数ヒットしました。
出身の市町村名と名前だけしか出てないので、
本当に私の知ってる”当人”なのかは判りませんけど
多分私の知ってる当人の様な気がします。
「まだ、独身なのかなー?」、「バツイチ??」
今では彼女も40才。
どこかで、元気に幸せに暮らしていて欲しいと想ってます。
当時のことを思い出して少し切ないです。
以上
バイナラ...('A`)
ナライバ...('A`)
948 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/28(金) 21:15:05 ID:cvV+b8oL
幼稚園時代、車から地元の赤十字病院がある通りを見ていた。
当時の自分にはそれが高層ビルの立ち並ぶ大都会に感じた。
1年くらい後何らかの疾患でその病院へいき、診察を受けている間
窓から外をみた。雨が降りながら霞む街並みは小さいながらも
感動した。そして小学校の頃、老朽化の為取り壊されてしまった。
今でもあの赤十字マークを見ると悲しい気持ちになってしまう。
生まれてすぐ両親が離婚して、父に引き取られたんだけど父は船に乗ってて半年や1年は普通に帰って
来なかったので、ずっと祖父母に育てられた。
祖父母はミカン農家やってたので、7歳で父親が再婚して引っ越すまでその家で育った。
田舎独特の薄暗い家の中を良く思い出す。学校から帰ってきても当然誰もいない(畑に行っている)ので
帰ったら一人でヤクルト飲んで、おひつに残った冷たいご飯食べてから畑に遊びに行ってた。
不思議なものでかなり小さかったと思うんだけど、学校にあがる以前まだずっと小さかった頃に
家に私を一人では置いていけないから、おばあちゃんが、採ったミカンを入れる木箱に私を入れて、背中にしょって、
歌を歌いながらゆっくりと畑に登って行ったこととか、畑について、その木箱に入ったままてんとう虫や蝶、
まるむしや色んな草で遊んだこと、その時の太陽の暖かさや風の音、はっきり覚えてる。
続き。
ある日いつものようにおばあちゃんと手をつないで坂道を家に向かって歩いてる時、
おばあちゃんがぽつんと、「OOはもういなくなるんじゃのぉ・・さみしいのぉ・・」と言った。
再婚や引越しっていうのが良くまだ理解できていなかった私にはどうしておばあちゃんと離れなければいけないのか
わからなくて、本当にびっくりした。おばあちゃんと離れるのも悲しかったから、多分「どうして
そんなこと言うのか。私はどこにも行かないよ。」というようなこと言ったと思う。
その後色々頑張って説明してくれながら、おばあちゃんが涙を流した。
その頃はまだその涙の意味がぼんやりとしかわからなかったけれど・・
大好きだったおばあちゃん。「人に好かれる子になれよ」っていつも頭をなでて育ててくれた。
田舎で、12人も子供産んで、貧乏な中ミカン畑で働いて一生を過ごしたおばあちゃん。
おばあちゃん、私のお母さんは今でもおばあちゃんだけです。
連投ごめ。
951 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/28(金) 23:26:18 ID:GPtCRa0P
いいばあちゃんやな泣けてきたぜ
>>950 おばあさんとはその後一度も会えなかったの・・・?
>>949のミカン畑の情景が美しいから、余計せつない。
小学生の時………受験勉強だらけで友達もいなく、遊んだ記憶もほとんど無い。
中・高校生の時… 中高一貫の進学男子校に入学した為か、小学校の有人は全然いない上に、
周りも皆「勉強、勉強」で、話した記憶はあるが遊んだ記憶は無い。
現在(大学生)……何とか旧帝国大学に入ることは成功したが、高校時代の友人がほとんどいないから
大学でもほとんど一人で過ごして、毎日ネットで遊んでる。
別に勉強が悪いとか言わないし、ただ単に俺の社交性が無いだけかもしれないのだが、
今になって「子供のときは遊ぶことが仕事だ」の真意が見えたような気がする。
955 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/29(土) 21:05:42 ID:SdrSb0Tz
>>954 今からでも友達作るのは遅くない。
待ってても友達は作れないから、自分から声かければ?
とマジレスしていいのやら。。。。
声の掛け方を知らない人に、「声を掛ければ?」はアドバイスになってない。
957 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/30(日) 22:40:04 ID:Vz/W1h+l
友達は、待っていても作れない、これ現実。
954は別にアドバイスを求めていないので、その程度でいいでしょう。
958 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/04/30(日) 23:14:13 ID:HQfqvxmQ
>>958みたいに、「同意」とだけ書いて終わる人がよくいるけど、何?
多数決取ってるわけじゃないんだから、異なる見解を持ってないなら
書き込むなよ、と思う。
>>959 書くも書かぬも自由ではないか?
そう堅苦しく考えるなよ。
ここは2ちゃんじゃないか。
>964
禿同
966 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/05/02(火) 14:42:26 ID:E7n+IcH0
いろんな人がいるってことで、ちょっと切ないかな?
967 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/05/02(火) 15:03:22 ID:Vbzjsbeq
あれは、三才くらいだった。
母親を泣きながら追い掛けた記憶。
商店街で追い付いて、泣いてすがった。
ずっと夢だと思っていたのに…
母「あぁ、あんたを捨てて離婚したかったけど、うるさいから取り止めた日ね〜。二回目の方」
二回目って…
それをきいてから、よけい切ない記憶に。
969 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/05/02(火) 19:57:57 ID:GnQ/5P83
年子の兄が幼稚園のころ4ヶ月ほど入院していた。
退院した後も走っちゃだめとかいろいろな制約のつく生活で
通院も必要だった。
その為、生活は常に兄を中心に回っていた。
それでも私は兄のことも好きだったし、病気でしんどいんだからと思っていて、
いつも自分が後回しにされることを嫌だと思ったこともなかった。
小学校に上がり、2年生のとき、担任の先生に宿題を出された。
内容は
「お父さんお母さんに今までで一番うれしかったことは何か聞いてきなさい。
きっと『あなたが生まれたとき。』と答えてくれますから。」
というものだった。
先生の言うことを信じて、無邪気に両親に聞いたら
「んー、お兄ちゃんが退院したときかな。」と答えられた。
さすがにへこんだが、「兄が一番」という生活に慣れきっていて
「なんで、私が生まれたときじゃないの?先生がそういったのに!」と
親に言うことができなかった。
ずっと忘れていたがある時ふとしたはずみに思い出して、切なかった。
>969
おそらく>969の意図するところとは違うんだろうが、
そんな宿題を出した教師に対して結構ムッとするものを感じる。
>>954 遅レスだが。
みんなのレスの気持ちもわかるんだけど、結局言いたいことはそうして
大事な時期を過ごしちゃったから、今でも友人の作り方もわからないってことじゃないかな。
ただそのせいだけにするのは間違ってると思うし、今からでも遅くはないと思うよ。
自分で今の生活に疑問ないならいいけどそうじゃないなら、今からでもがんばってみたらどうかな?
最初はしんどいと思うけど、友人は一生の宝物だよ。今からだって遅くはないよ。
>>970 自分もだ
その教師、なんか変な新聞読んでそうだな
>971
無理に作った友達は、絶対に、宝物にはならない。
975 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/05/03(水) 23:09:55 ID:8HFdW/MP
>>971 954は困ってないんだから、放置していいでしょう。
976 :
954:2006/05/03(水) 23:51:49 ID:Y2il1lDb
何か大量にレスがついてかなり驚いてます;
レスを読んでて思ったのですが、別に全く知り合いがいないわけではなく、
ただ適当に会釈したり会話したり、深い仲にはならない……という感じで毎日を送って…。
無理に友達を作ろうとしたりしない上に、係わり合いを持ったりしない、
言うなれば一匹狼気取りで過ごしてるわけで。
だから自分は「子供のときは遊ぶことが仕事だ」の真意は
「子供のときに遊んでおかないと、積極性の無い大人になってしまう」という風に感じただけなんだ。
…でもやはり、子供のときは友達を作っておくべきだと思う。
周りの人が小さい頃の思い出話をしているのを聞くと、どうも目から汗が出てしまう。
なんか954の生き方がマジで切ないんだが。
>>976 ご両親とは仲良くないの?心許せる人が身近にできるといいね。
…小学校2年の頃、町内のお宅に不幸があり(田舎の習慣で)
母親が夕飯の支度をしてから、手伝いに行った。
父は夜勤で居ない日で、兄と私だけで留守番していたが
待てど暮らせど母は帰って来ず、10時近くになったので
さすがに心配になって、様子を見に行こうと兄を誘ったけど
「TV見たいから俺は待ってる」と断られてしまった。
雨がしとしと降ってて、霧が出た夜だった。
しかたなく一人雨ガッパで身支度をして、母の分の傘を持って
すこし離れた、そこのお宅まで急いだ。
道は真っ暗で、怖くてすごく心臓がドキドキしてた。
「野犬が出たらどうしよう」
「おかあさんは帰りみちで悪いひとにさらわされたのかも」
「悪いやつが出たらげきたいしてやる」とか、傘を振り回して
自分を励ましながら走って行って、物陰からそっと家を覗くと…
通夜の訪問客が途切れた客間で、近所の主婦や親族が雑談していて
その中に母も居たのでほっとしたのもつかの間、黄色いカッパ姿の私は
あまりにも目立つ為、すぐにおばちゃん達に見つかってしまった。
「あら、お迎えに来たの?えらいわねぇ」などと言われながら
お供えのお菓子を山ほど貰い、「ちちちがいますぅそんなつもりじゃ」と
返そうとするも、近所中のジジババ皆に「持って帰んなさい!」と
半ば強制的にお土産を持たされた私を見て、苦々しい表情の母と
一緒に家へ帰ったのだけど、帰る道中では「モノ欲しそうに!」と
こっぴどく叱られ続け、その元凶のお菓子は食べ辛くなり
家に帰れば帰ったで、兄に「だから待ってろって言ったのにバカだな」と
お菓子を全部取られてしまって、散々だった。
母も、仕事帰りに家事を済ませて夜遅くまで近所の手伝いだなんて
状況で余裕が無くて、自分の子供にしか当りどころが無かったんだな、と
今の私なら分かる。誰が悪い訳でもない不可抗力の出来事だった。
でも当時は子供だったから、物事の因果関係が分からなくて
「子供のくせに、呼ばれもしない大人の集まりに勝手に出掛けて行って
でしゃばったから怒られた」
「お供えのお菓子を貰いに、モノ欲しそうに訪ねて行ったりして
乞食みたいにずうずうしい自分が恥ずかしい」と本気で思っていた。
…あぁ無知って斯くも切ない。
余談だけど、アフリカとかイラクとか飢饉や内戦のある地に住んでる子供たちも
「こんな悪い事がおきるのは自分がイイ子じゃなかったせいだ」と
思っているらしい。 声を大にして言いたい『 違 う よ 』と。
長くてゴメン
どうでもいいが、お前の母親をぶん殴りたい
>>981 お母様を悪く言いたくは無いけど、夜道を子供が迎えに来て
「モノ欲しそうに!」はないだろ・・・。酷いよ。
>乞食みたいにずうずうしい自分が恥ずかしい」と本気で思っていた。
タイムマシンであなたの子供時代に会いに行って、
あなたに言いたい。『 違 う よ 』と。
流れは変わったけど、なんとなく一人でいた子供というか繋がりで。
俺は子供の頃から一人で平気というか、学年単位でも浮いてるけど
野郎どもには距離を置かれつつ、困ったときだけ声をかけられるような存在だった。
親が厳しかったんで、悪口は言わない、喧嘩もしない。だが、率直にものを言うので
周囲ともあまり合わない、というちょっと駄目な奴。顔も細工なしで不良っぽかった。
中学の時、転校生が来た。なんか真面目そうでひょろい奴だった。
一か月ほどして、そいつが孤立している事に気付いた。
休み時間に本読んでたりするんで、図書クラブの連中にでも声かけりゃいいのにと
思うが、それも出来なかったようだ。
まあ、いつもなら気付いても別に放っておくだけなんだけど、この時は担任が
若い女の先生で、彼女に俺が呼び出されてしまった。
担任曰く、自分は女だから、転校生にあまり構うと、彼が男の子たちの輪に入れない
かも知れない。でも、このままだと可哀想だから、何とかしてやってくれないか、と。
そんでまあ、昼休みに転校生をひっ捕まえて、一方的に色々聞き出したりして
話をするようになった。奴は、何を答えても「ふーん、そうか」の反応しかしない俺に
逆に興味をもったらしく、最初はビビってたけど次第に懐いてきたっぽかった。
ただ、俺は担任からの任務で動いていたので、しばらくして隣のクラスの漫画博士に
「こいつもバリ伝好きらしいぞ」とか言って紹介した。
漫画博士はオタの元締だったから、それからすぐに、転校生は目出度くオタ仲間と
楽しくやるようになって、俺からは離れて行った。
不思議なことに、それが少し悔しかったような気がする。
大学で初めてツレと呼べる相手に出会うまで、短い間でも、毎日会話をしていたなんて
この転校生だけだったから。なんだろうな、やっぱり自分で平気だと思ってただけで
あの頃の俺も少し寂しかったのかな。
>>981 母親のことを想っていい子だなぁ
それよりTV見てただけでお菓子全部取った兄ちゃんヒドスw
>>984 あると邪魔、でもないとちと寂しい程度だと思うよ。
私も割りと一人が好きで、どこのグループにも入っても平気だけど
特別親密になるのは面倒と言うタイプだったから。
結局大人になっても仲の良い友達は、学校が一度も同じにならなかった
友達だけかも。
次スレ希望
988 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/05/05(金) 00:19:28 ID:mTbzEEop
この時期になると必ず思い出すことがある。
私が幼稚園生くらいの時に、おばあちゃんに
「こいのぼりの歌うたおう!」と言ったことがあって一緒に歌おうとしたら
わたし「♪やねよ〜り〜た〜か〜い〜」
おばあちゃん「♪い〜ら〜か〜のな〜み〜と〜」
わたし「・・・・・。」
おばあちゃんの知っているこいのぼりの歌と違うと思った私は
「おばあちゃん!その歌違うよ!!!こうのぼりの歌じゃないよ!!!」
と強くケンカ腰で言ってしまった。
困った顔のおばあちゃんは「これがおばあちゃんが知ってる
こいのぼりの歌なんだけどねぇ・・・○○ちゃんのと違うねぇ」
と言った、それを見てさらに私は
「違うよ!♪やねよ〜り〜た〜か〜い だよっ!おばあちゃんの歌、変なの〜!」
おばあちゃんは「ごめんねぇ、おばあちゃんこいのぼりの歌、
これしか知らないから○○ちゃん教えて?」と言ったけど
「もうおばあちゃんとは歌わないもんっ!」と部屋を出て行こうとした時の
おばあちゃんの悲しそうな表情が忘れられない・・・
それから10年くらい経って、サザエさんを見ていた時に
波平さんがおばあちゃんが歌ってるのと同じ歌を歌ってて、
カツオやワカメに「お父さん歌詞が違うよ」と言われて
「お前たちが歌ってるのは新しいほうだ、我々が子供のころは
こっちの歌だったんだよ?どっちも同じこいのぼりの歌だ、
いらかの波って言うのは屋根瓦のことで・・・」
と言っているのを見て、学校の図書室の音楽の本で調べたら
こいのぼりの歌は新旧2種類あることが判明。
おばあちゃんのは間違いじゃなかったのに、私あんなに怒って・・・
おばあちゃんごめんなさい・・・
タイムマシンがあったら行って自分をひっぱたきたい気分だ・・・
俺は子供とドラえもんの歌を一緒に歌おう、ということになって
「♪僕のドラえもんが街を歩けば・・、ハアドラドラ♪」
って歌ったら子供に違う、と言われた。
990 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/05/06(土) 05:35:02 ID:h9v6/1N8
ドラえもんの歌なのに「扁平足」って歌詞が出てくるんだよw 最高
>989
相方に変なアヒルロボットが出て来るバージョンだ
良スレ保守
小学生のころ休日家族とでかけ、帰りに夕食を食べて帰ることになった。
が、車の中でお腹が痛くなってきた。最初は気にならなったが
どんどんひどくなる。下痢とかではなくお腹が張るかんじなんだが
それをうまく親に説明できない。
店について腹痛を訴えると「トイレにいきなさい」で放置。
両親と兄がメニューをみて何を食べるかで盛り上がる中
私はトイレを何度も往復。
トイレに行っても何もでるはずもなく、そして治ることもなく私は
亀のように丸まってお店の座敷でうずくまっていた。
とにかく早く帰りたくて仕方がなかった。
家族の食事も終わりほっとしてお店を出て車に向かうなか、母親に
「どうしてせっかくみんなで食事をしているのにもっと楽しそうに
できないの」といわれた。
母親にお腹が痛いことも伝えたし、トイレと席を何往復もしていたのは
母親もわかっているはず。
お腹が痛かったのだと訴えると少しくらい我慢しなさいと言われた。
こんなに小さい出来事なのにいまだにこの出来事を忘れられない。
ちなみにこのとき兄が注文した『天婦羅アイス』というものがどういうもの
なのか痛みに耐えながらアイスって揚げたら溶けちゃうよなぁ・・・と
激しく気になっていたので多少の余裕はあったのかもしれない(笑)