1 :
法の下の名無し:
僕は法とは社会秩序として"個人保護"のためにあると考える。
なぜなら社会の最小単位が個人であるからだ。
故に法は個人の観点を重視すべきであり、殊に殺人に関して言えば、
被害者、加害者、遺族の三者の権利を平等に保障し調整することが必要だと考える。
犯罪抑止力、刑務所の財政問題といった社会的意義や、
生存権、残虐な刑罰の禁止といった法的意見を除き、
被害者、加害者、遺族の"個人の感情、未来"から死刑の是非を問いたい
つまり、
被害者は加害者を死刑にすることを望むのか?
また遺族に敵を討つことをを願うのか
加害者の権利の保護とは単に生かすことでなく更正させることではないのか?
また更正が不可能と判断できるのか?
遺族は加害者を死刑にすることで本当に救われるのか?
といったことを問いたい。
死刑になる状況は様々であるが、
ここでは、強盗目的で侵入し、母と子を殺害、反省の色がない犯人。
ごく普通の父・母・子の三人家族であり、殺された母と子。
愛する家族を無慈悲に奪われ、遺された父。
の四人を対象とする。
法を学ぶ者は、法や社会を抜きにしたとき、死刑をどう考えるのか?
その場の感情で考えるのでなく、十年後二十年後の三者の未来を含めて考えてもらいたい
2 :
法の下の名無し:2006/06/22(木) 18:46:30 ID:sWaQWoD9
法学関係ねーじゃん
3 :
法の下の名無し:2006/06/22(木) 18:51:16 ID:qlIWqw9O
政治系のネタなんでないのかな、これ
4 :
法の下の名無し:2006/06/22(木) 19:01:40 ID:cfpIvPLX
言われるとは思っていたけど、他の板で聞くのも何か違う気がしてここに立てました。
そもそも法律は社会での出来事に対応して作られるものであるが、
今の死刑は事件より、社会性を重視しすぎている気がしたんです。
こういう観点から改めて考え直したらどうかなと思ったんですが、移動したほういいですかね?
5 :
法の下の名無し:2006/06/22(木) 21:27:32 ID:I6YaCrHB
6 :
1:
ありがとうございます。削除依頼だしときます。