>>170 ブラックボックス「革命」が便利というのはおっしゃる通りですね。
多数説たる改正限界説に立てば国体破壊はどうやっても旧法からすれば有効とはなりえないのですから、
国体を破壊するためには無法者とならざるをえないでしょう。
その無法さを打ち消して、それを正当化する根拠のひとつが自然法思想ではないかと考えます。
最終的には、この世界があなたのいう「なんでもありの世界」ということを認めざるを得ないと思います。
今の時点で現存する規範が未来永劫世界を拘束しつづけるなんて妄想に過ぎませんし、
また未来永劫有効な規範なんて見出しようがないからです。
ただ、無法を合法とするための唯一の原理は戦力あるいは実力であると考えます。
たとえば、私が「今日から日本全国は俺様の国家、みんな俺様基本法に従え」と言ったところで、
それは革命としてはまったく意味がないでしょう。
それが正当なもの、有効なものとなるには、戦力・実力が伴い、権力を掌握しなければならない。
あなたの「帝国憲法も革命によって有効なのです」という言説が通用するためには、
その言説の支持者に戦力・実力が伴っていることが必要でしょうね。
もし仮にあなたが主張するように、国会の議決によって日本国憲法の無効が確認されて、
そのまま日本国憲法擁護者によるあらゆる暴動が鎮圧され、完全に国体が回復されたというような事態になれば、
日本国憲法を有効としていた立場からでも、「日本国憲法は復古革命によって終焉した」として、
帝国憲法が復活したものを説明できることになるでしょう。
私はそれを否定するつもりはありません。
ですから、ぜひがんばって、国会の議決から国家を掌握してください。
そうすれば、あなたの理論も「革命だから問題ない」ことになるでしょう。
さらに言えば、少なくともこのように戦力ないし実力によって権力が掌握されるまでは、
旧無効論だろうと新無効論だろうと、革命政府たる日本国憲法下の政府には意味を持たないわけです。
そうだとすれば、意味を持つ段階に至ったのならば、旧無効論で十分ではないか、というのが私の考えです。
「旧無効論に比べて」、明らかに新無効論は非立憲的であると考えます。
外交大権を定める13条のうち文理上例示列挙に過ぎない講和大権をことさら特別視し、
そこに非常大権としての性質を読み込ませて通常の憲法秩序の長期間の停止を許容させるなどというのは、
解釈が文理的に無理がありすぎる上に、あまりに立憲主義思想に反します。
素直に「無効」としてその後に追認しても何も問題が発生しないにもかかわらず、
わざわざこんな無茶な解釈をする意味がよくわかりません。
まあ、確かに有効論と新無効論のみを比較するのならば、
非立憲的法律構成だからと非難する資格はないという批判は正当なものでしょうね。