>>274 当時は上智は絶好調だったから。オレの親父の世代に言わせると上智は日東駒専程度のイメージで
余程キリスト教に感化されていないと誰も行きたがらなかった大学らしい、それが当時就職指導に定評があって
少人数教育と高就職率を背景に人気が早慶並にまで、一部の学部はそれ以上に難化した。外国語学部の英語とか
法の国際関係など私学のトップであった瞬間がある、経済はどちらかと言うと地味で東大の金融論の教授が定年後に
天下ったが、やはり上智の主流は外国語だったと思う。
立教は分からない、横浜国大はまず地元横浜の高校生に不人気で、学生の大半は地方からの下宿組、学部は工と教育は
それなりの評価であるが経済は○軽食が強すぎて敬遠されていた。U期校当時は東大・一橋の滑り止めで早稲田と似た立場であったが
U期校を外れてから志願者自体激減ではないか?
東大紛争で東大入試が中止された時期に一時期ブームがあったが、瞬間的なものだと思う。
私も横浜出身(高校は都内の国立)だが、滑り止めで早稲田を受けて東大を第一志望にするか、一橋の専願が社会科学系では一般的な受け方で
横国は教師が、慶応経済第一希望の生徒に、「行かなくてもいいから」受けて合格だけしてくれと言われていた。
自分は「ご縁」あって早稲田へ進んだが希望していたわけでもなく、自分の子供に行かせたい大学ではない。何しろ学生多すぎで、教育そのものに
不熱心だった。あと、当時から合格者は定員の3倍ぐらい居て、ゼミに入れる学生も半数ぐらいであった。
経済学部なら、東大・一橋・慶応・神戸・大阪で、マスコミに就職する気がないなら早稲田の政経は勧めない。