917 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 12:44:31 ID:LFYLOW+t
>>913 兄貴も、「専制国家先生」に今現在ボコボコにされながら、よくもまあ
ハッタリばかり書けるなあw
以前も、地勢学先生やマクロ経済学先生にボコられてたし、
理系は最初の基礎方程式の理解からして無茶苦茶だから
話にならなかったしw
「これは定説だ」「○○を万能視」などと、断定口調で言えば
周囲のお姉ちゃんたちは大人しく退くだろうが、研究者相手に
それは無理だよ。ハッタリのかたまり、それが政経OB。
918 :
つい横レス:2006/08/29(火) 13:06:08 ID:r4PRW5s3
>>916 レスありがとうございます。3世紀だとしたら魏志倭人伝から推測
される連合国家があるんじゃないか。結構鏡も共通して出てるし。
ということが論拠になるのでしょうか。5世紀だとしたら雄略紀の
記述と埼玉の古墳から出てきた象嵌が論拠となるのか。7世紀だと
したら律令体制の成立が論拠となるのでしょうが。たしかに固い所
では7世紀なのでしょうね。中国風の役人役職が固まるのを国家成立
の要としたら7世紀だろうけど。あれほどの古墳が(当時最大の公共
事業)が全国一律にあるところをみると3世紀という推測は有力
すぎる。官公庁は文書仕事と割り切ったら7世紀といえるだろうけれど
公共事業ことお役所仕事と考えたら3世紀などと思ったりします。
駄レスすいません。
919 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/29(火) 13:56:44 ID:+RQIvuXk
早稲田政経政治OB さん
貴方は卑怯だ。私は
>>837で日本列島における古代国家の成立は、早くとも天武
朝を待たねばならない、と述べた。対して貴方は
>>838で「聖徳太子はすでに隋
と対等外交をしようという意欲があったのだから、国家としては成立していた」
と述べたのが貴方との議論の発端だった。ところが916では「成立の助走が、聖
徳太子の時代から舒明朝にかけて始まり、大化の改新を経て、天武朝下で一応の
確立を見たという風に線的に捉える方がいい」ですって!?
成立のはずだった事柄がいつの間にかメルクマール(指標)に置き換わっている
じゃないですか。これでは議論にならない。目立たないように、巧みに修正を試
みているとしか言いようがない。
920 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/29(火) 13:59:33 ID:+RQIvuXk
そして、貴方はここにきてようやく「天武朝下で一応の確立を見た」と
述べる。私はメルクマールの一つとして既に成文法を挙げている。
天武朝を日本列島における国家の成立と見る考え方は早くからあったけれ
ど、現在、それが一つの見方として重きをなしているのは
>>905-906で述
べたような首長制の提唱から現在に至る理念型の後付があったからこそ。
決して日本列島内の個別の事情の検討のみで「天武朝」と見る考え方が
(一定程度)支持されているのではない。
なお、905では『起源』しか挙げていないが、塩沢君夫によるマルクスの
『諸形態』に基づく展開も重要。貴方は「だいたい今どきエンゲルスの著
作なんか持出す人間自体まれだ。」と言うが、この時期(1950年代位まで)
はマルエン中心に議論されてきたのは紛れもない事実。私は学史として
その事実を述べたに過ぎない。貴方も『起源』について「戦後史学において、
唯物史観が絶対視され、その影響からに持ち上げられた」と認めている。
921 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 14:02:35 ID:LFYLOW+t
>早稲田政経政治OBさん
> 貴方は卑怯だ。
激しく同意!w
政経OBのついた明白な嘘w
こいつは朝鮮人だから息を吐くように嘘をつく。
130:08/04(木) 09:11 JGIXjQaL
「 いやしくも第一流と称せられる大会社大銀行の
重役連は大抵慶応と赤門出を以って占めて居る
今日処御気の毒なのは早稲田や明治の消化出身者ないしは、
神戸長崎山口辺りの高商連でマー平社員と云う処に働いて居る。」
━━━━━━━━━━━━━━━━━
131:早稲田政経政治OB◆XsPab3UToI 08/04(木) 09:23 /aTMCILK
>130
これを書いたのは明治政経の出身者だ。
どうして早稲田と明治の商科とを同列に並べているのか
それで説明がつくねw
922 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/29(火) 14:03:20 ID:+RQIvuXk
それから
>>912の下段「
>>850がはったりだというのなら(以下略)」に
ついては貴方は誤解しているとしか言いようがない。
「現在では、そういうやり方の方が正しいというのが大勢を占めつつある。」
のではなく、ある時点を国家成立期とした場合、そこに至る過程を追求する
研究は今も盛んに行われており、常に再検討がなされているということ。
この点では1950年代までの遺産も有効に活用されている場合もあるから、
905での「この時の遺産に過ぎません。」に限っては言い過ぎだったことは認める。
これから発掘調査に戻るからしばらくレスできない。
152:08/05(金) 03:50 T3A0HobK
>131
>これを書いたのは明治政経の出身者だ。
>どうして早稲田と明治の商科とを同列に並べているのか
>それで説明がつくねw
この部分は大正3年に出版された『大学と人物 各大学卒業生月旦』に
書かれていたものを引用したものであって明治政経出身者が書いたものではない。
つまり大正時代においては客観的にみて東大、慶應>早明だったということ。
お前が散々言ってた「昔からずっと早稲田>慶應」ってのは大嘘なんだよw
924 :
早稲田政経政治OB ◆XsPab3UToI :2006/08/29(火) 14:47:42 ID:+E4KOCNS
>>919-920 お前は、いつもそうだが、自分自身のレスの中で
矛盾をきたしているんだよ。俺が「卑怯」だなどという
言い草は許しがたいが、それ以前にまず明白な誤りを指摘する。
>そして、貴方はここにきてようやく「天武朝下で一応の確立を見た」と
述べる。私はメルクマールの一つとして既に成文法を挙げている。
↑ということは、お前は国家の定義を「成文法の存在」に大きな
重点を置いてみているわけだな。ここまではいいな。そして日本における
「成文法」と言えばお前も前に上げているように「大宝律令」(701)
だ。つまりお前はこの前後で「国家の成立」を見ていると。ここまでもいいな。
ところが問題は、この「大宝律令」の制定はお前の主張する「天武朝」ではなく、
二代下った「文武朝」であり、しかも成立年代を見てみろ。すでに八世紀に
食い込んでいるじゃないか。つまり「七世紀後半、とくに天武朝下で
国家の成立を見た」というお前の前提と、「成文法の存在」に重点を置くお前の
国家の定義とは矛盾するんだ。どうしてそのくらいのことが分からないんだよw
だから俺は言ったろ。「国家の成立」の第一のメルクマールは「対外的な主権の主張」
にある。つまり一定の領域、共同体内の権力独占の事実を対外的な権力に向って主張したときを
持って「国家の成立」とすべきということ。日本をそれに当てはめるなら、聖徳太子から、舒明朝に
かけて始まり、大化の改新を経て、天武朝下で一応の確立を見たという風に線的に捉える方がいい」
もちろん天武朝でやり残された問題が、後の持統朝で処理されるから、七世紀末まで結局はかかることになる。
だから結局線的に捉えるしかない。ほぼ七世紀一杯かかったとするのが正確だ。八世紀初頭の「大宝律令」
は国家の成立というより、律令国家完成の記念碑と見るべきなんだよ。
三世紀や五世紀を「国家の成立」とまで見なせないのは、天皇家の内的な権力の独占がまだ十分ではないと
考えられるから。現に「六世紀の危機」と呼ばれる天皇家廃絶の危機と朝鮮経営の破綻を乗り越えてこそ、
初めて天皇家の絶対権力は確立したと考えられるからね。
>>924 専門家相手に必死になってオナニーしているんだねw
三十路ニートの自称ジャーナリスト低学歴おじさん、乙www
926 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 15:22:55 ID:wNCF5N0P
>>922 おいこら待て!発掘調査と偽って逃げるな!その前に“つい横レス”氏の
>>918『中国風の役人役職が固まるのを国家成立
の要としたら7世紀だろうけど。あれほどの古墳が(当時最大の公共
事業)が全国一律にあるところをみると3世紀という推測は有力
すぎる。』に答えて逝け!
ここで逃げたら、おまいは政治OBにボコボコにされて遁走した形になる。
927 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 15:26:23 ID:wNCF5N0P
『早稲田は美しすぎる。』
928 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 15:26:49 ID:LFYLOW+t
>>926 はぁ?w
いつも逃げ回っているのは政経OBじゃんw
929 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 15:30:22 ID:LFYLOW+t
>>927 コバンザメ乙w
早稲田は
「馬鹿」⇒「コバンザメ1号」⇒「コバンザメ2号」...
の負の連鎖で「早稲田5万人」が成立しているw
930 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 15:51:18 ID:gIF8rvcK
昔から早稲田>慶應だよ。
私大バブル期までは早稲田受かれば慶應は蹴るのが当たり前だったからな。
ただ、政経受かっても銀行員の親のすすめで慶應経済に進学する人は俺の周り
にもいないわけではなかったので、慶應の経済は当時から早稲田より上とか下とかいう比較で語られる事は無かった。
全体で見ると医を除くとして、リーマンを排出してきた経済のみがまともだね。
あとは法だの藤原だの出自が怪しい学部をみれば一目瞭然。
で、時の政府にコバンザメのようにくっついていただけ。
塾長小泉信三などは内閣顧問として当時戦争を煽っていたのは有名。
戦後責任を取らず反共などと嘯いて皇室に取り入った。一部の良心的な文士、ジャーナリスト
らは「こういう人間こそ売国奴」と口をきわめて批判していた。
931 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 15:53:45 ID:VkBz8vCq
文学部スレのヤツって長文多くウザイ
>>884 >どうも2ちゃんって、高校生レベルが作っているようだな。
おー!はじめて、政経OBが2chにやってきて以来はじめて、
こいつと意見があったwwwww
理系一般(←自然科学や工学じゃなくて「理系」ですかw)
機械・工学(←おいおい、機械工学=工学かよw
>>930 >>921に反応したのだとしたら、文脈を読めていないよ。
ここのポイントは慶應と早稲田の上下関係ではなくて、
政経OB君が「平気で嘘を書く」ことの実例を捉えた点に
あるんだよ。
> これを書いたのは明治政経の出身者だ。
これが、それ。こいつが嘘を書くときは、文章が短く、断定口調だ。
注意してこいつのレスを見ていたら、いつ嘘を書いたか読み取れるものだよ。
934 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 16:53:44 ID:LFYLOW+t
>>904 >国家の定義なんて人それぞれだろうよ。
こういう議論の避け方は2chで良くみるが、学問に少しでも関心を持つなら、
良くない態度だよ。「人それぞれ」なのはデフォルトの状態で、そこから
共通の理解を認めて逝く作業が学術というものだ。
それはともかく、
>>811-812あたりの「複線的」とも関係し、
また政経OBの間抜けな妄言
>>698 >さらに「中国」というのを閉じたシステムではなく国際的な視野で捉えることも、
>じつは最近注目されていることだ。お前の大好きな京都学派には
>この視点が欠如していた。
を真逆から否定する例になるんだけど、京大の杉山正明さんについては
専制国家◆QUq1mHKIKE氏はどう考えているの?
ユーラシア大陸に興った元は世界帝国の規範として、チムール、ムガール、
ロシア、清朝の手本となり、はじめて「世界史」という概念をもたらした、
という説だったと思うのですが。これこそ、まさに国際的な視野だと思うが。
935 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 17:43:34 ID:Li//h4XX
>>934 なら、おまいが自ら国家の定義を示してからあれこれもの言うべきだろ?
ここでの論点は、まさにそこだ。話そらすなよ。
936 :
つい横レス:2006/08/29(火) 17:48:36 ID:r4PRW5s3
私もそう思う
937 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 18:00:54 ID:LFYLOW+t
>>925-926 俺は「専制国家」氏に同意だ。自分よりも適切な主張があれば、
それに反対する必要はない。
なんというか、そういう浪費をするのが大好きなのが
「早稲田....」系のコテハンだよね。
議論の効率化について大学で学ばなかったのかw
938 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/29(火) 18:53:06 ID:+RQIvuXk
今日はたまたま、昼間と今、わずかながら時間が空いた。この次と明日以降の
レスはいつもの通り0時頃になる。
早稲田政経政治OB 氏へ
成文法は数ある指標のうちの一つを構成する主要な要素、というのが正しいがまあいい。
天武朝には飛鳥浄御原令が成立しているが律はなく唐律を准用したと推定されている。
そして、続日本紀の大宝元年(701)元日の記事「文物の儀ここに備われり」のほか、
威奈大村墓誌に「大宝元年を以て律令はじめて定まる」とあるのは、当時の人々が
大宝律令をもって本格的な律令法典の出現と意識していたことを示している。
>>865で「天武朝はあくまでも国家黎明期で、国家の要件をほぼ整えるのは法政史上
ではAD701年を待たねばならない。」と記したゆえんだ。
つい横レス 氏へ
国家の指標が出そろうのを待って国家とする、というのが欧米を含めての基本なので、
そのままでは古墳時代を国家とみなすことはできません。これに対して都出比呂志は
欧米の動向をにらみつつ、初期国家という概念を新たに設け、古墳時代を初期国家段
階と位置づけ、前方後円墳体制を提唱しています。
また、国家の定義ということであれば「一定の境界線で区切られた地縁社会に成立す
る政治組織で,そこに居住する人々に対して排他的な統制を及ぼす統治機構を備える
もの」というのが最大公約数的な見方でしょうが、国家の指標については現在論争中
で、かつ早稲田政経政治OB氏への宿題としても出されていたようなので、今すぐ
ここにさらすことはできません。
939 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 18:54:08 ID:eWdHdmFV
【SS】:慶應義塾≧早稲田
―――――――――――――――――――――――――――
【A1】:上智≧ICU>立教=同志社>立命館>中央>学習院>明治
【A2】:法政≧青学≧関西学院>関西>南山>成蹊
【A3】:日本女子≧芝浦工≧明治学院=西南学院≧成城=東京女子
―――――――――――――――――――――――――――
【B1】:獨協≧聖心>武蔵工≧学習院女子=京都女子>國學院>甲南≧同女
【B2】:日大>東邦>愛知淑徳≧龍谷≧武蔵≧白百合女子>清泉女子≧神戸女学院
【B3】:京都外語≧立命館アジア≧東洋英和>フェリス女学院≧関西外語
―――――――――――――――――――――――――――
【C1】:愛知=駒沢≧福岡≧近畿≧東洋=創価=金城学院≧専修
【C2】:東京農業>東海>中部>昭和女子>佛教>東京工科>京産
【C3】:女子栄養>神奈川>東京家政>中京>金沢工業>北海学園>文教>摂南
―――――――――――――――――――――――――――
【D1】:崇城>亜細亜>徳島文理>東北学院>桃山学院>名城>東京経済
【D2】:愛知学院>桜美林>大阪経済>愛知学院>関東学院
【D3】:大東文化>国士舘>明星>拓殖>城西
940 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 19:11:53 ID:IEc+WD8r
>>937 それなら、おまいは
>>918氏の記載した論拠に反論すべきだろ?ただ、他人の尻馬に乗ってるのは
“フリーライダー問題”として経済学でも扱われているがw
941 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 19:14:49 ID:IEc+WD8r
>>937 国家の指標については現在論争中 (
>>938は趣旨変更しているぞ。いや正直でいいや。おまいも尻馬に乗るのか?)
942 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 19:16:35 ID:IEc+WD8r
>>937 論争中てことは、「ひとそれぞれ」でいんじゃねーか?
943 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 19:20:16 ID:RUlGvlQM
>>934 専制国家君です。
トリップ変えました。
さて、杉山さんですが元代が専門ですね。
ところで、元という時代は専制国家の再形成時代と言われております。
それは、BC770年の周の首都移動から始まる戦国時代をへて、秦漢帝国ができあがります。
はじめは司馬遷によると万の国があったのが、戦乱で戦国の七雄とよばれる有力国家が出来、
最終的には秦に統一されるわけです。
何が言いたかったかと言えば長年耐えざる戦乱で上からの行政編成が行われ
やっとこさ、専制国家が出来たんです。
それを草原のモンゴルは国号を元とし、あっという間に従来通りの中国専制国家を作り上げました。
この元という時代が重要な時代だと言うことはいうまでもありません。
>ユーラシア大陸に興った元は世界帝国の規範として、チムール、ムガール、
>ロシア、清朝の手本となり、はじめて「世界史」という概念をもたらした、
>という説だったと思うのですが。
あんだけの領土をとるとヨーロッパとも接触がいくし中国とも接触がいくしまさに、中国に限らない世界史ですな。
しかしながら、元は中国での国家形態であり、初期他の4ハン国とは社会が違っていたのではないでしょうか?
何度もひつこいくらいにいいますが、チムールの地域とタタールのくびきのと言われたキプチャクハン国あたりは
明らかに封建社会なのです。中国は専制国家です。君主が好き放題するという意味での専制とは区別して
中国型専制国家という言葉を使ってますが。
メルクマールとして、以下のようになると考えてます。
封建社会=自律的な中間団体のある社会
中国専制国家=自律的な中間団体のない社会
944 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 19:21:41 ID:RUlGvlQM
早稲田政経OBへ
考古学君の言うように明らかに論理のすり替えが見られます。
だから、俺が後出しじゃんけんっていったろ、お前の言い方は。
ここら辺が政経の限界と見た。
津田左右吉に触発されて古代史を勉強していたんだろう。
それが見え見えで、他の時代には全く強くない。
しかも自分から
「俺にかなう者はいない」「大学教授並み」「俺のすごさ」とバカ丸出しの言動を繰り返しながら
俺の明清期の議論には全く批判もない。承認したと見ていいんだな。
じゃ、魏・呉・蜀がお前のいう「国家」であったかどうかいってみろ。
逃げるなよ。逃げてばっかりじゃん。
自分の得意な分野で書き込みが多くなるがそれは学説士的整理でしかも古代。
それ以外の時代については、全くスルー。
中間団体・共同体といった飛びつきそうな語句書いてやってるのにスルー。
無知が知れるというものだ。
945 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 19:44:37 ID:RUlGvlQM
このスレってパート2つくるの?
946 :
早稲田政経政治OB ◆XsPab3UToI :2006/08/29(火) 19:57:22 ID:8OIlWiSA
>>938 自分の誤りをずばりと指摘されたからと
いって居直るのはいいかげんにしてもらいたい。
自分の無知と俺の凄さを今度こそ認めることを
期待していたのだが、呆れたね。まだ俺に楯突いて
恥をかきたいかな?
>「天武朝はあくまでも国家黎明期で、国家の要件をほぼ整えるのは法政史上
ではAD701年を待たねばならない。」と記したゆえんだ。
↑これ以上のごまかしはない。つまりお前は「国家の成立」を八世紀とする
ということなんだぞ。これだけでも定説の七世紀に反旗を翻していることになる。
しかもそれに対応する準備がお前にはまったくない。そもそも大宝律令の制定を
重視するんであれば、天武朝を特別視する必要はない。令自体の制定なら、すでに
天智朝でも進められていた(近江令)という記録だけは残っているし、大化の改新で
唐風の政治体制が目指された以上、そのときから律令の制定も視野にあったと見るべきだから、
お前の言うような恣意的な「黎明期」を設けるなら、大化の改新から遡っても少しも
おかしくはない。お前のこのぶれがどこから来ているかというと「成文法」なんてものを
国家成立のメルクマールにしてしまっているからだよ。この要件はまったく必要ないと俺は断言する。
947 :
早稲田政経政治OB ◆XsPab3UToI :2006/08/29(火) 20:04:21 ID:8OIlWiSA
>>938 >国家の指標については現在論争中
で、かつ早稲田政経政治OB氏への宿題としても出されていたようなので、今すぐ
ここにさらすことはできません。
↑ハアア??????????? 俺はもう随分昔から、自説の国家成立を指標をきちんと
さらしてきた。ところがお前と「専制国家」は自分の説をまったく示していない。ごましま
食っているのはお前の方。
俺のレスの
>>924で、
>「国家の成立」の第一のメルクマールは「対外的な主権の主張」
にある。つまり一定の領域、共同体内の権力独占の事実を対外的な権力に向って主張したときを
持って「国家の成立」とすべきということ。
↑これ以上はっきりした指標があるか。しかもこれは俺の説というだけではなく、
現在の政治学と史学の定説だよ。内的な権力独占とそれを対外的な権力に向って
主張するという努力を行う組織こそが国家の実体だ。お前のいうような「成文法」とか
エンゲルス流の「階級分化と闘争」なんてのは国家の成立自体には無関係で、それに伴う
付随的な現象に過ぎないんだよ。
948 :
早稲田政経政治OB ◆XsPab3UToI :2006/08/29(火) 20:11:14 ID:8OIlWiSA
考古学氏にも専制国家氏にも警告しておきたいのだが、
俺との「論争」に勝とうなどという無謀な企ては止めた方がいい。
逆に俺に負けたとしても少しも恥ずかしくはない。俺に勝てる
人間は少なくとも2ちゃんにはいないw
何度も言うが、俺は別格的存在であり、俺の正体を知ったら、
皆が驚愕せざるを得ない存在なのだ。事実お前らの前にも
数多い有名無名の者たちが俺に挑戦してきたが、一人たりとも
俺の足元にすら迫ったやつはいない。自分がボロボロになる前に、
俺に降伏して、教えを請うた方が利口だと思う。
949 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 20:15:38 ID:RUlGvlQM
>>947 また、政経が逃げたか。
俺の中国専制国家議論での明清期についてはお前は俺と同意見と認めたんだな。
逃げるなよ。
全く、俺には触れもしない。
恥ずかしい奴だ。
自分の得意分野でしか勝負しない奴だな。
「大学教授並み」なら俺の意見に批判しろと何度もいっている。
一文君は個人非難はやめろと言うがここまで傲慢な態度で
しったか、はったりを続けていると、個人非難は致し方ない。
明清期について俺の考えに同調するんだな?
「お前の考えってなんだ?」なんて意って逃げるのはなしだ。
ここまで読んでいれば明らかなことだからな。
ほんとに恥ずかしい奴だ。
950 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 20:18:48 ID:cCPUxUrC
こいつほんといかれてる
神だと言いかねないな
951 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 20:19:59 ID:cCPUxUrC
950は948へね
952 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 20:21:17 ID:RUlGvlQM
>>948 お前の正体が誰かなんてどうでもいい。
お前は卑怯には専制国家議論から逃げている。
俺の明清期の意見に同調するか、一文君のように宗族という考えを以て反論するか、
どちらかにしろ。
何度も俺の意見を批判しろといっている。
それが出来ない。
じゃ、降伏して教えを請おうか。
>>714で問題提起していたAとBについて教えて下さい。逃げるなよ。
A明の魚鱗図冊と、賦役黄冊は一見国家が人民から租税を収奪する上で役に立って専制国家
としての力は拡張しているように思われるが、なぜに共同業務は放棄され、清にいたり、人頭税の放棄に至ったか?
B宋代以後、宗族の拡張についてのべよ。
953 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 20:30:33 ID:RUlGvlQM
早稲田政経OB様
これも教えて下さい。
これはあなたが書いたものです。
一体どういう意味なのか、高尚すぎて分かりませんな。
↓
中国皇帝と朝貢貿易でない正規の貿易ってなんですか?
正規の外交関係ってなんですか?
954 :
早稲田政経政治OB ◆XsPab3UToI :2006/08/29(火) 20:50:44 ID:B59//bow
>>953 お前に関しては、もう相手にしないといったはず。
というのはお前はすでに俺にボコられて、恥をかいた
コテの末期的な症例を示しているからねw
キラーというやつがいて、お前と同じように
俺に散々ボコられ、恥をかかされた。すると
あいつは勝手な「議論」や「質問」をふっかけ、
「すぐこれに答えろ。でないとお前の負け」と
ほざくようになった。なんとか俺に負けてさらした
汚名を挽回しようという焦りだったんだが、たとえば
「お前は在日だ。もし告白しなければ認めたものとみなす」
とかなんとか脅迫めいたことを言ってきたw
どうだ? 今のお前とそっくりだろw もうお前は俺に
とっくに負けている。考古学氏はまだ議論の体裁だけは
保っているが、あまり負けが込むとじきにお前のように
発狂するんじゃないかと少し心配だ。
955 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 20:53:10 ID:cCPUxUrC
omei babnnkai?
no!
omei hennjyou
956 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 21:04:08 ID:RUlGvlQM
>>954 全く逃げてばっかりですな。
>自分がボロボロになる前に、
>俺に降伏して、教えを請うた方が利口だと思う。
自分でそう言ったんだから答える義務はあるだろう。
自分では気がつかないかも知れないが客観的に見て明清期
専制国家議論の体裁をなしていないのはお前の方だ。
お前は全く議論をしてないんだからな。
それで、俺がぼろぼろになっただって?
おまえは勝てそうな相手だと相手するが、俺みたいに負けそうな自分の知識を越えた相手が来ると
勝手に「相手にしない」って逃げをうつだけじゃないか。
>キラーというやつがいて
そんなやつはしらんし、興味もない。
要はお前は自尊心だけが極度に肥大した誇大妄想狂だと言うことだ。
俺以外のみんなも聞きたがっていると思うぞ。
それに、
↓
中国皇帝と朝貢貿易でない正規の貿易ってなんですか?
正規の外交関係ってなんですか?
これはお前が正規の貿易・外交なんて書いて、ぼろを出したんだよ。
じゃ、AとBの質問はお前はかわらないから、俺の勝ちということだ。
おまえ、これだけ、俺にぼこぼこにされてよくそんなこと書けるな。
キャラを演じているか、本物のキチガイかのどっちかだな。
とりあえずは、中国との正規の貿易・外交の中身をいえ。
自分で書いてるんだから、性質が違うぞ。
失言でぼろが出たっていうまでみんな、聞きたがってるぞ。
957 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 21:23:39 ID:RUlGvlQM
ここまでの議論の論点
@中国専制国家と封建社会における自律的な中間団体
A中国明清期における専制国家議論
B初期日本「国家」議論
宿題
早稲田政経政治OB ◆XsPab3UToI は自分でいった以下の意味を明確にすること
>そもそも宋と言う国は鎖国が国策で、どこの国とも自発的には
>正規の貿易・外交関係は結ばなかった
正規の貿易・外交関係とは何か?
門外漢の議論は大歓迎!
アカデミックな議論をしよう。
958 :
専制国家 ◆FD5RNi7FUE :2006/08/29(火) 21:39:10 ID:RUlGvlQM
959 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 22:20:23 ID:Htr5NtCw
もういいんじゃねーのか?結論も出たようだし。
おまいらには政治OBに適わない。
960 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 23:35:14 ID:LFYLOW+t
>>959 コバンザメ、相変わらずの頓珍漢レス乙w
>>948 >自分がボロボロになる前に、
>俺に降伏して、教えを請うた方が利口だと思
う。
おいおいwwwwww
お前が私塾出身の癖に一高ネタに絡んできて、理系ネタや経済ネタなどで
ボコボコになった挙句、朝鮮ネタで追い詰められて
>>812の如く
「降参宣言」を出して、尻尾を巻いて2chから逃げていったのを
もう忘れたのか?www
しかも、これ何?科学の半分をなしている自然科学については
最初から降参ってこと?何回やりなおしてやってもいいけどw
>理系の細かい専門分野についてはともかく、それ以外のあらゆる学問ジャンルについて
>も情報についても俺に勝てるやつはいない。
はっきり言って、政経OB兄貴はいつも負けてばっかりの負け犬人生w
こいつに論理で負ける可能性はゼロだから、せいぜいイジめてやるしかない。
で、脳内警察はどうなった?wwwww
961 :
エリート街道さん:2006/08/29(火) 23:41:11 ID:LFYLOW+t
>>943 >チムールの地域とタタールのくびきのと言われたキプチャクハン国あたりは
>明らかに封建社会なのです。中国は専制国家です。
なるほど。単純に専制国家たる元の方式が西方の世界に伝播していったわけではなく、
途中では封建制に形を変えたりもした、ということでしょうか。
一筋縄ではないのですね。面白い。
962 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/30(水) 00:29:06 ID:M7aRWKEf
>>941-942 私が「論争中」と書いたのはあくまでもこのスレの中だけの話です。国家の指標
なんて歴史学を学ぶものからすれば常識。だが早稲田政経政治OB氏は明らかに
我々が求めようとしている答えを知らない。
私が度々述べた首長制についても一切コメントがない。彼が知らないだけなのです。
963 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/30(水) 00:35:41 ID:M7aRWKEf
早稲田政経政治OB 氏へ
>>946 私は一切誤魔化してはしていない。貴方は日本国家の成立時期について
天武朝が定説だと言うが、律令国家の確立する8世紀というのがむしろ
定説。この点については早稲田一文氏も短くだが触れていた。
私の感覚では日本列島における国家の成立期を研究者に問うたとき、
天武朝説2,奈良時代説7,平安時代説1くらいの割合だ。どちらが定説
かの議論は不毛に陥りやすいが、本はどんな人でも出せるから概説書で
比べれば概ね公平だろう。首長制が日本の研究者にほぼ受け入れられ、
我々が言う国家の指標がほぼ定まった1980年代以降に出版された概説書
で天武朝と述べた人に誰がいる?概説書はその性格上逐一チェックして
いるわけではないが、私が知る限りにおいてはいない。それから近江令
については存在しなかったとする学説が有力だ。
何度も書いているように、我々の指標は一つではなく、全体の複合で国家
を規定しようというもの。指標の全てが出揃った段階からを国家とするの
が基本、と記したはずだ。
964 :
考古学 ◆bb6OCCHf8E :2006/08/30(水) 00:42:18 ID:M7aRWKEf
>>947>
現在の政治学と史学の定説だよ。は、以前にも記したようにはったりに過ぎない。
私は敢えて倭王武の上表文について貴方に聞いた。倭王武は倭国内を平定し、百済
をはじめとする七国の安東大将軍号を求めた。貴方の言う「一定の領域、共同体内
の権力独占の事実を対外的な権力に向って主張したとき」に完全に合致する。
にもかかわらず つい横レス 氏へのレスで五世紀は国家ではないという理由は何なのだ?
明らかに矛盾しているではないか。ほかの要素で説明しなければならない条件付きのもの
なんて、国家の指標とは言えない。
ちなみに武の上表文で求めた地域のうち、百済のみ安東大将軍に冠することを許されなかった。
で、我々の共通の指標からすれば百済・新羅は国家で倭は国家ではない。
貴方の指標では?そしてその理由を教えて欲しい。
教えを乞えと言って、質問に答えない政経OBって一体?
966 :
専制国家 ◆QUq1mHKIKE :
>>961 モンゴル自体は専制国家でも封建社会でもありません。
首長制と言ったところでしょうか。
それが文明のある地域に触れて中国では中国専制国家へ、
ヨーロッパでは封建社会での領主になったと思われます。
>元の方式が西方の世界に伝播していったわけではなく、
>途中では封建制に形を変えたりもした、ということでしょうか
まさにその通りで、地域ごとによって国家形態は違っていたのです。
ちなみに、中国の元という国は後代の清朝とは違って科挙の取りやめなど、
伝統中国に反する政策を採ってはいましたが。