1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
♪上野発の夜行列車ry
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 13:24:14 ID:8CRuiUUc
八甲田丸
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 17:26:12 ID:a/cLqI9i
摩周丸
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 17:27:29 ID:T0tAtvZX
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 23:31:54 ID:OZXWkpig
青函連絡船はトータル205回乗船しました。
学生時代から社会人になっても続いた北海道への足。
最終日の航海はさすがに感無量でしたね。
その後、半年間青函博のために臨時運航されましたが、
それも最後の日、朝、青森桟橋で船内仮眠サービスを終えて、
いよいよお別れの時、案内所で1人詰めていた客室係の方に書いていただいた短歌。
今でも記念の品です。
一番多く乗ったのは大雪丸。次いで摩周丸、松前丸、八甲田丸、津軽丸、羊蹄丸、十和田丸、石狩丸、檜山丸。
あの雄姿をいまでも見ることができる場所があるときいたが、知っている方
8 :
海峡ラーメン:2008/09/05(金) 18:55:48 ID:mnb82NMH
連絡船内で切符を買うと(グリーン船室とか)
発行駅のところが船名になっていて感動したよ
船名集めるためにいつもグリーン利用していた
摩周丸については
>>7 だが
八甲田丸が青森港に、羊蹄丸が東京の台場に保存されている。
大雪丸は長崎にあったが、この5月に中国に売られたそうだ。
青函連絡船が運航しなくなっていつの間にやら20年。
東日本フェリーも高速船などの健闘むなしく
11月に津軽海峡から撤退らしい。
10 :
5:2008/09/05(金) 22:48:15 ID:nokup9pT
青函連絡船に乗船した時のだいたいの私の行動(若い時の)。
まずとりあえず席を確保。その後、デッキに出て出航風景を眺める。この時間がまず1つの“勝負”!
なぜかって? 出航の時間は多くの旅人がその風景を見ようとデッキや甲板に出てくる。
そこでまずは“め・ぼ・し・い・女・の・子”を物色するのだよ。
特に夏の北海道は今と違って北海道は若い旅人で溢れていたのだ。
キャアキャア言いながらグループで出てくるのが1つの狙いめだったかな。彼女等は何はさておき、
「記念写真」を撮るからな。そこで「写真撮りましょうか?」と、さりげなく声を掛けるのだよ。
ベタなパターンだけれど、一番それが自然な声掛けだった。
あとは1人でボーっと眺めている女性ね。出航後、「螢の光」のメロディが消えて船内設備の案内放送が始まる頃になると、
デッキや甲板にいた人の多くは自分の席に戻って行ってしまう。
そんな時間でもたいがい1人や2人はジーっと海を眺めている女の子がいたもんだ。
好みのタイプだと“勇気を出して”声を掛けるのだ。その時の帰ってきた答え方のニュアンスでだいたいの雰囲気が分かる。
うまく話せそうならしめたもの! ダメならそれは仕方ない。深追いはしないで次を当る!
で、話が弾んできたところで、食事の時間で食堂が開いていればそちらへ、それ以外の時間だったら「サロン海峡」へ。
こんな時なら函館までの時間はあっという間だった。
でも、そういう相手に恵まれなかった時は、することもないから自分の席に戻って寝るしかなかったな。
別にイケメンでもない私だったけど、船旅というものは、なぜか自然にそんな雰囲気にさせるものがあったんだよ。
↑ 俺みたいなことやってるなw
>>9 内部はともかく肝心な外観は羊蹄丸がいちばん現役時に近いね
このスレ、微妙に板違いのような気がするのだが…
いいじゃないの。
鉄道好きなら必ず乗るルートだったんだし。
宇高共々、海上のレールですよ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 23:49:27 ID:dvD2QO+K
15 :
坂井輝久:2008/09/06(土) 02:49:56 ID:Rsr8zudC
洞爺丸台風
工房の頃、東京から北海道ワイド持って733M長岡夜行で出発し
1日かけて深夜の青森へ、行きが摩周丸で帰りが大雪丸
両方とも深夜便で疲れが限界にきて乗った早々
カーペット席で超爆睡したのでほとんど乗った記憶がない
唯一、船で押したスタンプだけが記念品だ。
17 :
5:2008/09/06(土) 12:15:52 ID:8NPcpgOT
深夜の連絡船。
照明が減らされ、しばしの休眠タイムに船内は異様な程の静寂。潮で汚れて白く濁る窓の外には何も見えない暗闇。
その静寂が到着30分前に終わる。
はじめ目一杯抑えたヴォリュームで、やがて次第にそれは大きくなって船内に響くようになる鳥のさえずり。
そして流れ始める「カッコウワルツ」。
それを機に、照明も点灯して明るくなった船内は俄にざわつき始める。洗面所へ行く人、眠たそうな眼をこすりながら
下船の準備を始める人、それでもまだ居眠りしている人…。
デッキに出れば、遠く函館の街の灯りが暗闇の中に瞬いて見えてきた。東の空はうっすら白み始めた明け方4時前。
夏でもひんやりした空気と心地よい風がこれから訪れる北海道への期待をかき立てる。
船内に戻れば既に下船口は長蛇の列。お尻は客室にまで延々と続いている。
函館に着くと同時に一斉にスタートする席取り競争。そこには年齢、性別のハンディキャップは全くなし。
老いも若きもなりふり構わず桟橋を猛ダッシュ!
しかし、目的地は意外な程遠かった。受ける特急「おおぞら1号」「北海」の自由席は札幌寄りという過酷な条件。
列車が見えてもその列車の編成の先頭まで行かなくてはならない。
先頭を切って逃げ切ろうとした兄ちゃん、大きな荷物で途中で息が上がって次々と後続に追い越されていく。
完全にペース配分の失敗…。傍らでは小さな子供が泣こうが喚こうが、母ちゃん必死の形相で全力疾走だ!
そんな壮絶なバトルが演じられていたなど意にも介さず悠然と降りてくる指定券確保組。
当時ワイド周遊券では特急にも乗れなかったが、折角高い追加料金を払って自由席に立ち通しは嫌だったから、
何はさておき、この函館からの接続特急の指定券を確保するのが一番重要だった。
>>12 鉄道連絡船と鉄道は密接なつながりがあるし
懐かしいというのはぴったりじゃん
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/06(土) 12:45:31 ID:EqgEn+BR
「俺が乗る時はいっつも○○丸なんだよね」ってジンクス、結構ありましたよね。
>>19 それ俺だ。
87年夏に1往復だけ乗ったんだけど、どっちも摩周丸。
行きが25便、帰りは3日後の6便。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 00:13:57 ID:fwVqIscE
一度も乗船したことがないのですが、末期は乗船代はいくらだったのですか?
>>19 俺の場合、なぜか津軽丸に乗ることが多かった。
津軽丸引退後は特定の船に偏ることはあまりなかったな。
あと、
>>17は深夜便で唯一賑わっていた食堂の描写がないのが残念なところ。
メニューは海峡ラーメン(塩・味噌)だけだったが、乗るたびに食べていたな。
もっとも、俺自身は深夜便に乗ることはあまりなく、大抵はおおとり〜ゆうづる・はくつる
の乗継だったから、下りは朝もやの中の出港、上りは夕陽を見ながらの航行と言うのが
印象としては強かった。
>>21 函館〜青森の片道運賃は2000円。
但し当然ながら、青函連絡船を含む区間の運賃は通算計算されていた
(例:東京都区内〜札幌市内の片道運賃12800円)から、大多数の人た
ちにとって、青函区間の運賃は意識されるものではなかった。
>>23 まったくそのとおりだね
純粋に青森〜函館だとフェリーも運航されているから地元の人には
料金は切実かもしれないけど
遠方から北海道を目指す人にとって、その区間だけの料金は意味をなさないものね
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 01:36:08 ID:5p8x99m6
上野からの急行が青森に近づくと乗船名簿みたいな紙が配られたしかグリーン用と普通席用の二種類。それを列車内で書き込んでいるとなんか特別な所に行くみたいで。今だと海外に行った時の入国カードってとこかな
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 01:37:38 ID:l8/VZ0Mp
水冷機の横にぶらぶら下がってた記憶が…
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 01:52:36 ID:s5mMd98m
当時、他社フェリーの運賃は1400円だったけどね。
ただ、今の青函フェリーに毛の生えた程度の船だったし、
場所も不便だから、車以外で乗るものではなかった。
俺の乗った頃(1984年〜)には、すでに深夜便の食堂営業はなくなってた。
それ以降何度も乗ったけど、その深夜便だけが混雑して、
他の便はたいていがら空きだった印象で、
深夜便に乗るよりは、待合室で寝て朝の便、みたいな事もやったなあ…。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 02:00:45 ID:Jp6Jx9cr
>>26 もともとは配ってた。
乗船人数の把握と言う目的もあったからでは?
最後は合理化でぶら下げになった。
連絡線が満席にならなくなったからかもしれないが。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 02:07:39 ID:Jp6Jx9cr
>>27 長距離移動だと本州内夜行か青函夜行が一般的だったからね。
本州内夜行は時間が分散したけど、青函夜行は上下とも0時頃発→4時頃着
に集中するから混むんだろうね。最盛期は続行してたし。
その便にあわせて青森に、はつかり、みちのく、白鳥、しらゆき等がやってきた。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 06:53:15 ID:Znsp+IKz
青函連絡船の最終日と青函トンネルの開業日が重なったので、その日1日だけ両方を経由する切符が存在したよな。
最長トンネルなんて話題になったけど、入っちゃえばずっと壁しか見えないし、
時間はかかっても船旅の方が風情があるよな。
S50年代前半くらいまでは、連絡船も暫くは残しておくという意見もあった様な。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 07:26:23 ID:w/seW1pc
マリンガールと記念撮影しました
34 :
5:2008/09/07(日) 12:23:59 ID:GtfvFlQx
青函連絡船は基本的に毎日同じ便には同じ連絡船が就航していた。
だから、毎回同じ時間帯で(例えば深夜便)乗船すると、いつも同じ連絡船ばかりに当って、
十和田丸などはなかなか乗る機会に恵まれなかった。
ところで、いつだか定員1,286名(寝台20、グリーン指定96、グリーン自由200、普通席970)の連絡船に、
乗客たった15人!という便に乗ったことがある。
その日は大雨でダイヤが乱れていて、青森には特急が軒並み1時間前後遅れて到着していた。
接続の深夜便との連絡が微妙な時間になったため、国鉄では急遽、遅れた時の救済として続行便の営業を決めた。
というのも、「みちのく」「白鳥」から20分で接続する11便にはどちらも間に合いそうもなく、
その後の「はつかり」はそれ程の遅れはなく青森に向かっているとのことなので、
3本全ての乗客が1便に集中することが予想された。そこで、万一の積み残しを危惧して続行便の手配をした訳だ。
当時の連絡船ダイヤは意外にタイトで、列車が遅れて接続を取るには限度があったのだ。
11便は結局ガラガラで定時出航。暫くして「みちのく」「白鳥」そして「はつかり」が相次いで到着した。
「はつかり」が到着した頃には既に出航時間を過ぎていたが、さすがに“1系統”を無視することはできなかったのか、
結局30分程遅れて出航した。
しかし、旅行シーズンではなかった秋のことだったので、3本の特急を接続しても定員にはまだ余裕があった。
そのため、先を急ぐ人が多い“1系統”だから、「後続便も御利用ください」というアナウンスも空しく、
ほとんどの人が1便の客となり、続行便に変えた人は桟橋待合室に20人も残らなかった。
その「続行便」は、実はふだんでも「貨物便」として運航している深夜2時半に出航する151便だった。
お盆や年末年始などの多客期には時刻表にも登場して客扱いするが、ふだんは貨物航送専用の便だった。
結局、深夜のその便に乗船したのは桟橋待合室にいた15人程。思い思いに広い桟敷席を占有し、
寝て行けたのは言うまでもない。驚いたことに僅かの客のためでも、売店は少しの間だけだったが開けてくれていたし、
弁当さえ積み込んでいた。
広い船内に人の気配がしない船旅というのが、意外に無気味なもんだと感じた時間でもあった。
こんなケースのように、深夜便の救済として、この貨物便が急遽営業運航されることは、
そう珍しいことではなかったようだ。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 13:24:46 ID:zpp7/XHu
昭和53年8月1日の記録
上野発19時発583系ゆうづる1号(1号車クハネ583−14)
翌朝5:10?着
3便 十和田丸
函館9:15着
>>34 なるほど
急遽船を用意するのは当然のごとく難しいが
通常貨客船を貨物船として運用している便を使うのなら
少しの要員を増やすだけで対処できるというわけか
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 20:39:55 ID:F1iM5hUQ
どこで貰ったかわからないが、連絡船のイラスト入りのステッカーがある。
38 :
ほわいと青函3:2008/09/07(日) 20:45:40 ID:Mgm57KCU
寝台室・グリーン室の女子便で売り子(KIOSK ?)の姉ちゃんとセクスした思い出。
>>36 とは言うものの、10人以上の客室乗務員を急遽集めるのは当時でも大変だよ。
まあ、集まる見込みができたから、臨時便運航を決めたのだろうが。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 21:10:35 ID:RYWlhTwx
一番驚いたのは、昭和62年4月1日をまたいで2週間ほど道内回っての帰り
短期間で煙突のJNRマークがJRマークに取り替えられていたこと
41 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/09/07(日) 22:08:27 ID:8BaeH0EN
S48.3だったが「みちのく」から11便に乗り継ぐ予定だったが時化のため青森で足止め。
しかし11便,1便そのものは貨物便として出港して行った。
結局、乗船出来たのは青森5:00(33便),5:25(3便)で先発には「白鳥」他、後発には
「みちのく」「はつかり」の乗客が案内された。33便は運行予定はなかったがよく乗り組み員
や食堂関係者が集められたと思う。
(3便には「ゆうづる1,2号」が所定だが遅れていたので当日は接続しなかった。)
あと、S49.4に6D「おおぞら2号」が1時間30分以上遅れたので6便には接続せず、21:45頃出る
貨物便(152便?)に乗客がそっくり案内された。青森では「八甲田」は行っちまったが「はく
つる」は待っていてくれた。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 22:58:42 ID:GpZWLU5L
>>40 同じ時期、俺も北海道まわってた。31日から1日のあの日は、大雪に乗っていたよ。
で、日付が変わるとき、車掌がJRのワッペンを 照れくさそうにつけていた。
31日は、利尻、大雪は絵馬を配ってたんだけど、青函連絡船も何かだした?
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 23:11:35 ID:rJiMHv7/
>>40 技術的に時間があれば変更可能だろ、強制されれば職員だって一瞬で変更する手段を考えるだろ
たとえばJNRマークの下にJRマークを隠すとかさ
コンテナには、Nだけを塗りつぶした急ごしらえのJRマークがあったな。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 23:33:03 ID:O0oR23dk
先月、函館行ってきたんだけど函館駅の改札の上(2F)で
青函連絡船の写真展やってたな。
BGMにみちのく号の上野到着間際の車内放送が流れてた。
連絡線がなくなる数年前、青森まで連絡船を見に行ったことが
あるが、新幹線+583はつかり乗車が主目的で北海道に渡るには
予算オーバーで乗れず、そのままとうとう一度も乗る機会がなく
廃止になってしまった。
あの時無理してでも乗っておくべきだったと今になって思うよ。
だいたい渡道や内地に戻る時は
夜行便が多かったけど
明るい時間に乗りたい時は桟橋待合室で寝てから乗る時もあった
レストラン海峡も良かったが
喫茶でけだるい海見ながら食べる
トーストセットも良かった
船内でラーメンとか食べて、船酔いとかしないもんなの?
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 07:42:46 ID:RWblk17J
こればかりは人それぞれですからね。
連絡船自体はそこそこ大きな船だから、ふだんならそんなに気になりませんが、
さすがに時化ている時はユラリユラリ、時にはつかまらないと立って歩けないことはありました。
まあ、そんな時には食堂や喫茶は安全のため臨時休業になりました。甲板への立入も制限がかかってね。
ただ、連絡船は余程風が強く波が高い場合でなければ、少々の時化くらいでは欠航にはならなかったですよ。
函館を出て津軽海峡で大いに揺さぶられても、ある時からそれがふと和らぐんですね。
そうすると下北半島の内側、陸奥湾に入ってきているんですよ。
初めて青函連絡船に乗って海峡ラーメンを食べてからシャワー室へ。急に気分悪くなり、シャワー室の中でリバースした。
50 :
・:2008/09/08(月) 19:07:41 ID:aIsaJVCv
先代の大雪丸、羊蹄丸、摩周丸には何度も乗船したのに、
洞爺丸はたったの1度きり、台風15号で転覆沈没してしまった。
その当時は青函連絡船は、123各等があったと思うが、
3等は車両甲板の下で怖かったから異級乗車券で2等に乗船したと、
両親は語っていた。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/08(月) 19:20:25 ID:Ju21hrEI
連絡船内に確か投函ポストがあって自分宛にはがきを出したら
消印が青森函館間になっていたよ
>>48 俺はその逆で、青森を出てさすが大型船は揺れないや、と喜んでいた。
陸地が見えたので、あれが初めて見る北海道かと思っていたら
それは後ろに遠ざかり、そして船は大きく揺れはじめたw
>>50 異級乗車券には赤い「異」の影文字がしるされていたとか。
乗車券図鑑のようなものでしか見たことはないけど。
54 :
5:2008/09/09(火) 01:18:49 ID:IBGOe5t7
青函連絡船の航路は概ね決まっているのだが、天候状況や観光シーズンの時は青森行きの便で、
下北半島の仏ケ浦沖に近付いて航行することもあった。
晩年は夏場の旅行シーズンを中心に、陸地にかなり近付いて航海し、船上から仏ケ浦の奇岩を眺めることができた。
特に夕方の便では、夕陽が岩肌をオレンジ色に染めて、何とも美しい風景を見せてくれたのが印象に残る。
津軽海峡といえば何となく荒々しい海をイメージするけれど、時化ている日はそれ程多くはなく、
自分が乗船した時は、凪いで汐風が心地よい航海の方がはるかに多かった。
陸奥湾を航行中は穏やかな海原に、時にはイルカが一緒に横を泳いでいたり、
海鳥がいつまでも連絡船の後を追ってくるというような、長閑な風景を見ることができていた。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 01:28:58 ID:C7PZdWxg
自動車航送船もあったなあ。
それに乗ると何だか違和感があった。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 12:07:55 ID:+SVlfGn/
ご存知の方がいらっしゃいましたらレスをおねがいしたいのですが、
洞爺丸の船内はどんな感じだったのでしょうか?
なにかで1等船室ロビーの照明がとても素晴らしいものだったと書いてあったのを見たもので…
あと、汚い話で恐縮ですが、昔の青函連絡船の便所はボットン便所だったのでしょうか?
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 13:41:28 ID:o2P8P2w4
>>55 デッキに数台の乗用車がw
陸奥湾周遊の貸切航行も乗った記憶が
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 18:36:50 ID:jVYE/Z9i
おはようございます!皆様長らくのご旅行お疲れ様でございます。
まもなく終点の青森でございます。
青函連絡船で函館にお渡りの方はこの旅客名簿にご記入をお願い致します。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 18:40:09 ID:E1DqbSMl
【鉄道総合板 運転見合わせ】
2ちゃんねる鉄道総合板はサーバーの移転作業のため18:00分頃から運転を見合わせています。
なお、運転再開には時間を要する見込みです。
【鉄道路線・車両板 運転見合わせ】
2ちゃんねる鉄道路線・車両板はサーバーの移転作業のため18:00分頃から運転を見合わせています。
なお、運転再開には時間を要する見込みです。
【鉄道総合板 運転見合わせ】
18:10分頃一部のスレでは運転を再開しましたが18:30分頃から再び運転を見合わせております。
なお、運転再開には時間を要する見込みです。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 18:52:29 ID:E1DqbSMl
【鉄道総合板 運転再開】
2ちゃんねる鉄道総合板はサーバーの移転作業のため18:30分頃から運転を見合わせておりますが
18:47分頃に運転を再開し遅れが出ています。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 19:31:35 ID:Ko0AUlKD
この間NHKで摩周丸の前で石川さゆりが冬景色を歌っていたなあ
歴代の船長さん達も揃ってた。
最終日に摩周丸でもらった船長さんのサイン入り証明書の
船長さんも居てちょっと感激
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 21:27:36 ID:dl/EC/wf
昭和52年8月号 交通公社の時刻表
5M 特 はくつる 上野22:20→ 7:10青森 (東北本線経由)
15M 特 ゆうづる3号 上野21:40→ 7:05青森 (常磐線経由)
5便 青函連絡 青森 7:30→11:20函館
5D 特 おおぞら3号 函館11:40→21:42釧路(室蘭・千歳線経由)
15D 特 おおとり 函館11:45→21:49網走(室蘭・千歳線経由)
305D 急 宗谷 函館11:50→22:45稚内(函館本線経由)
なつかしいなー
ゆうづる〜おおとり 利用したな。
函館駅での3本の優等列車並んでるシーン忘れられません。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 21:32:39 ID:awaC/ZC/
ワイド周遊券握りしめて
上野駅2118発103レ急行八甲田に、何度も乗った。
青森に翌9時頃到着し、25便にも何度も乗ったなぁ。
いつも気の毒なぐらいガラガラだったが
渡道するふいんきを盛り上げる至福のひとときだった
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 23:16:44 ID:jVYE/Z9i
上野発6番線19時15分発急行十和田号青森行が懐かしく思ふ…
浅虫温泉辺りで車掌が一両つづ挨拶をし手を挙げた奴に旅客名簿を渡す…
65 :
50:2008/09/10(水) 00:14:40 ID:teOFG/7P
>>56 (年齢が分かってしまうが)
1度きりの洞爺丸乗船は昭和29年3月、
丁度小学校に上がる直前で残念ながら余り覚えていない。
父の転勤で家族で、何故か1等船室だった事は確か(母が良く話していた)。
ボーイさんが荷物を赤帽さんから受け継いで、
うやうやしく案内された記憶はある。
後は応接セットみたいなフカフカの椅子が。
(料金が3等の7倍だったから、寝台もあったかも)
後に氷川丸に行ってみたら、雰囲気は結構似ていたそうだ。
もうちょっと後で乗船していたら、覚えていたのにと残念に思う。
他の船の2等船室はしっかり覚えているのだから。
その朝、上野発の夜行急行「北斗」(のちの)C寝台で青森に着いて乗船。
函館からは根室行き急行「まりも」の特別2等車(指定席)。
札幌から増結された寝台車には乗っていない。
青森や函館で、ホームを乗客が走る意味をこの時は知らなかった。
この時は、勿論異級乗車券で(上級の1等の薄緑色)
1等の乗車券は生涯でこの1回きり、残っていたらプラチナ価値だな。
ちなみに連絡船のトイレは、塩水を使った水洗トイレだった。
(その頃の船舶は皆そうだった筈)
当時は汚物貯留槽は無かったと思う、それはポットンだった列車トイレと
同じ臭いが船の周りにあったから。港を出てから、薄めて粉砕して洋上投棄
していたと思う。30年位前は、都市からのトイレの汲み取りも
海岸線から遠くで洋上投棄していた位だから。
(薄めずに濃いままで=黄色の帯が漂ったそうだ)
7倍って、そんなに高いんか。
随分と金持ちやね
67 :
56:2008/09/10(水) 09:13:48 ID:GtR493Tp
>>65 レスありがとうございます。
このスレに実際に洞爺丸に乗船された方がいらっしゃったとは!!
しかも1等ですか。すごいですね!!
昭和天皇のお召し船に抜擢されたくらいですから、
洞爺丸の1等船室なんて庶民には雲の上のような存在だったんでしょうね。
ちなみにトイレは海水を使った垂れ流し式だったんですか。
鉄道ジャーナルの竹島氏の記事の中に関釜連絡線のことが書かれていて
なんでも敗戦時の引き上げ船では「トイレはあふれ、飲む水も切れてしまった」
と書かれてたので、昔の船のトイレはボットン式だったのかな?と思ってました。
あと、洋上投棄船なんてのもありましたよね。
実際にそのようなことを先進国の日本がしていたかと思うと…
まあこれも下水道の普及とともに姿を消しましたが。
68 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 21:04:02 ID:mDd13eZR
オイラもワイド周遊券握りしめてよく乗ったなぁ。
上野から八甲田とか津軽で行くときもあったけど、みちのくとかはつかりで行き、便名は忘れたけど19時50分発?で函館へ。
で、43レ?で札幌のパターンが多かった。
新幹線開業後も。
>>17 今も青函トンネルがなければ「函館ダッシュ」のAAが作られていたのだろうか…
70 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/10(水) 21:26:17 ID:zfB534A2
本当の最終運航日、貨車甲板を見学させてもらった時、
貨車搬入扉?を開けてもらって海が目の前に広がった時感動した。
東京で青函連絡船がいつでも見れるようになってよかった
71 :
5:2008/09/10(水) 23:26:43 ID:NtqOpwOk
3時間50分の長旅を終えて到着する直前、青森でも函館でも連絡船は急旋回し、反転する形で港に接岸する。
下船口で待つ乗継客を後目に、この様子を見るために甲板に出るのが連絡船に乗った“最後の楽しみ”でもあった。
港内に入って航行速度を落とし、右前方に桟橋が見えてくる頃、
連絡船はいきなり大きく右旋回(いわゆる“酉舵一杯”!)を始める。
しかし、図体のでかい連絡船であるから、狭い港の中で自力で急旋回をするのは難しい。
そこでどうするか。
すると、どこからともなくスルスルスルと小さな緑色の船が連絡船に近付いてくる。
「プ〜ッ!」というどことなくユーモラスな汽笛を鳴らして合図すれば、連絡船もそれに応えて汽笛を鳴らす。
そして、船体の周囲一杯に古タイヤを装備したその船が、連絡船の右後方にほぼ直角になるように
ピタリと舳先をくっつけて汽笛を鳴らせば、次の瞬間、小さな船は黒い煙を吐き出しながら、
エンジン全開で猛然と連絡船のお尻を押し始めるのだ。小さな船の後ろが激しく渦を巻いているのは
力一杯押している証だ。
おかげで連絡船は次第に大きく頭を右に振り、あっという間に頭は港外に向いて接岸できるようになった。
小さな船はこれでお役御免。再び、「ポ〜ッ」と短笛鳴らして所定の場所へと戻って行くのだった。
青函連絡船はこれら青森、函館各1隻の「タグボート」の手助けがなければ桟橋に接岸するのは難しい。
まさに青函連絡船の“縁の下の力持ち”だったのがこの2隻のタグボートだった。
青森港では「ふくうら丸」、函館港には「ひうら丸」が担当していた。
連絡船が着く度に出動して、ただひたすら“押していた”。
ところで、その後、「ふくうら丸」は苫小牧港でもタグボートとして活躍し、韓国に売却されたそうだが、
どうやら近々廃船になるようだ。一方の「ひうら丸」は、現在も石狩新港で現役活躍中らしい。
72 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 02:31:33 ID:greLJkp4
今でこそ、オリジナルの色に復元されているけど、
一時的に羊蹄丸の船体の赤い部分が青く塗装されていた頃が有ったな。
赤よりも青に塗り替えれば展示物として見栄えがするとでも思っていたのだろうか
73 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 04:21:41 ID:ozs0nfW4
束は交通博物館の0系新幹線を緑色に塗ったぐらいだからね。
>>73 えっそんなのあったの?青梅鉄道公園の「緑の0系」なら覚えているが。
75 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 19:10:21 ID:ozs0nfW4
>>74 教えてくれてありがとう。
そうか、記憶違いだったか。
でもたとえ交博が青梅になっても
>>72に通じるひどさだよねw
>>70 どちらのフネにお乗りでしたか?
当時青森在住だったので18、19日の動きは逐一見届けてました。
9/18臨4便十和田丸は着岸時に船尾扉が半開だったので、『夕暮れの海をみんなで眺めたんだろうなー』と思ってます。
青函連絡船の自動車航送は車両甲板の一部が路面電車の
軌道のようになっていて自動車も車両甲板に積んでいると勘違いしていた。
実際に乗船したら高いところに露天で積んであったのを見て驚いた。
78 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 19:59:40 ID:XhyrJZ36
「かげに人がいる」っていう札知ってる?
79 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 20:05:21 ID:NJtvw6LC
民間フェリーと違い野ざらしでの航送なので洗車券付きだったとか
81 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/11(木) 21:47:31 ID:NJtvw6LC
檜山丸は船楼内駐車だったので洗車券はくれなかったな。
どのみち潮風に晒されるわけだから、
すぐに洗車した方が無難な気がする
84 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 18:18:01 ID:6hS94spn
>>76 何便だったかは思い出せないので、
当時の写真をひっぱりだしてみます。
下りはいつも7:30出港の23便で、
はくつるや八甲田の車内で「本日の23便は○○丸です。」という放送を聞くのが楽しみだった。
ちなみに船はいつも違っていた。
ディーゼルの津軽丸型で乗ったことがあるのは、松前、八甲田、羊蹄、十和田、大雪。
津軽と摩周には乗れなかった。
86 :
78:2008/09/12(金) 19:41:19 ID:dtLm46tt
そうか、みんな気がつかなかったのかな。
トイレのところにある扉に書いてあるんだけどな。
私が北海道を初めて感じるのは、青函連絡船ホールにあるよつば3.4牛乳テトラパックの自動販売機でした。
88年夏の復活運航で最初で最後の乗船だったが多いかも?
88 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/09/12(金) 23:33:47 ID:2KRKbUlU
>>85 青函連絡の船名を聞くといかにも遠くへ行くなって感じがしたね。
上りは北海道ともうお別れで現実生活が待っているなんて思ったものだが。
俺も全便制覇したくて、「宗谷」〜「はくつる」の乗り継ぎで16便か6便かを船名によって選択
出来る予定を組んでいた。
でも運用がわかった時は青森でその日の配船をメモっておいて帰りの船名を割り出して、時化等
で狂わない限り、それも結構当たったものだった。
89 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/12(金) 23:58:50 ID:y0Klq/Os
津軽丸型と洞爺丸型って入り乱れて運航されてた時代ってあったっけ?
>>89 津軽丸型の就航は
津軽丸 1964.5.10
八甲田丸 1964.8.12
松前丸 1964.12.1
大雪丸 1965.5.16
摩周丸 1965.6.30
羊蹄丸 1965.8.5
十和田丸 1966.11.1
洞爺丸型と十和田丸(I)の終航は
洞爺丸 1954.9.26
羊蹄丸 1965.6.20
摩周丸 1964.10.26
大雪丸 1964.8.31
十和田丸 1966.10.1
ざっと2年かけて入れ替えた感じですね。
貨車渡船も1965年でタービン船は全廃されてます。
船が違うと、客室の造りとかも違うの?
92 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 07:45:47 ID:g4FtY1IK
青函連絡船 正しい乗り方過ごし方(下り便の場合) 個人差もありますが・・・。
昭和50年(1975)まで 蒸気機関車撮影旅行が目的のため、連絡船は極力休息の時間だった。
旅や鉄道連絡船を楽しむといった心の余裕は(金銭的にも)なかった。
急行で着きすぐ座席(桟敷が多かった)を確保、その後スタンプをおして販売が始まった駅弁(船内)弁当で
安い「新巻弁当」を買う。さらに自動販売機で「3.4牛乳」を買い安価ではあるが「北海道の味」を早速味わう。
売店では当時ここでまず買えた(実際は東京でも可能だったが)弘済出版の「道内時刻表」を購入しあとは
今後の撮影計画の確認をしてひたすら函館到着まで休息する。したがって船内施設の利用とかお金のかかることは極力せず、また蒸機を撮るための貴重なフィルムゆえ連絡船での記録はほとんどしなかった。
昭和51年(1976)以降
「汽車旅」を楽しむことをあらためて思い直し、船内各施設も積極的に利用したり記録したり
旅の足跡をつけたりするようになる。
乗船→席確保(寝台やグリーン席も利用)→ロビー(スタンプ・牛乳・時刻表・弁当など)→出航をデッキで
→船内散策→シャワー→食堂(海峡ラーメンや定食)→後部デッキ(または上部甲板まで)→サロン海峡
→席に戻って旅の計画再チェック→ロビーにて指定券などの状況調べや船内からの記念?電話、売店ひやかし
→少し寝る→早めに支度をしてロビーへ出て下船準備→下船
93 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 07:47:20 ID:g4FtY1IK
昭和54年(1979)以降(この年、初代「ウォークマン」TPS-L2登場)
小型ステレオカセットプレーヤーの登場により、航行中に聞く音楽の楽しみが増える。
さらにその数年後にはステレオ録音機能も付いたので、それまでの大掛かりな「音の記録」も
手軽にできるようになった。
昭和55(1980)年頃以降
さらに「ビデオ」という記録手段が加わる。
「上り便」の場合、ほぼ同じだが、荷物の整理・旅の記録のまとめ・買い忘れたお土産を売店で購入などが入る。
シャワー室で旅の疲れをいやし、サロンで珈琲を片手に津軽海峡の風景を眺めながら旅の終わりをかみしめ、
適度な切り替え時間をもってまた帰京の途につくことができた。
なお以上の事は正常運行が基本で、異常な混雑時や荒天航行の場合はその限りでありません。
>>90 解りやすい解説サンクス
ファンネルも"工"と"JNR"が混在してたんだ
95 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 10:00:35 ID:aFWffq4L
>>90 貨車渡船の蒸気タービン船では、十勝丸と日高丸が昭和45年頃まで残ってますよ。
>>94 考えると職員のヘルメットの工はJRになるときまで存在したのはすごいな
97 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 11:04:40 ID:GevVxbw4
>>92 ややスレチ気味だけど、
道内時刻表が廃刊になったという風のウワサを耳にした。
元々2種類あって片方だけ消えた?それとも全滅?
98 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 12:16:46 ID:WIeojGip
そう言えば
こないだ久々に書泉グランデに行った時
道内時刻表は無かったような
JR版は廃刊したと聞いた事ある
青函航路は勿論宿代わりに何回も使ってが
桟橋待合室で寝た回数ももっと多いかも
今、(中央快速233車内)ふと見上げると
壁面広告に何故か二股らじうむ温泉と広告が…?
無くなったんじゃなかったかと(・_・?
それともココ十年くらい北海道行ってないから行けと神の(ry
>>98 二股らじうむ温泉はサラ金業者の経営で続いている
102 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 18:06:22 ID:4MPj7L6P
>>100 三和ファイナンスに破産申立した奴が居る
103 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/13(土) 20:43:36 ID:+vv3HH+K
今日、青函連絡船以来、初めて青函を船で超えた。
「ナッチャンWorld」で・・・
この船も来月で廃止と思うと感傷深い・・・・
ナッチャンRera ってのもあるけど、連絡船のレラが由来かなあ?
アイヌ語で風。
千歳のアウトレットモールも同じ。
>>105 サンクスです。
教えて君ですみませんでした。
107 :
名無しさん@名無し変更議論中:2008/09/14(日) 08:32:54 ID:6wkL4B4o
>>92 おぉ 新巻弁当懐かしいw
あと青函レ−スを尻目に青森駅のホ−ムで立ち食いのホタテの天婦羅蕎麦
を食った事もある。
>>90 タービンじゃなくてモーターシップで、船齢も10年ばかりの初代十和田丸が排除されたのは、
やはり急造で津軽丸型に比べると乗り心地が悪かったから、だっけ?
比羅夫丸以来青函で伝統だったタービンを止めて、最初にディーゼル化された船で、振動が不評を買ったときくが。
110 :
回想774列車:2008/09/16(火) 17:15:54 ID:nhOprtFg
>>76 3便だった。
操舵室からの写真や指定券も出てきた。
>>110 レスありがとうです。
臨3便羊蹄丸は3月に続き青森発の最終便にもなったわけで、写真や切符はさぞ思い出深いでしょう。
出航時自分は船首近くの岸壁で、左舷に鈴なりの皆さんを見ていましたヨ。
凾館走りしない時は必ず指定グリーンに乗っていた
指定と自由では同じグリーンでも相当の差があった。
>>71 タグボートは船尾を押すだけでしたよね?
船首には横向きスクリュー?が付いていましたよね?
それから詳しい人に聞きたいんだけど、十和田丸に横揺れ防止のスタビライザーが装備されていたと思うんですが私の記憶違いじゃないですよね?
台風で欠航寸前の便に乗船したら、船長が船内放送で「この船は最新の横揺れ防止装置がついているから揺れません」って言ってたんですよね。
そのときの船が十和田丸だったんです。
114 :
・:2008/09/18(木) 03:28:51 ID:hfCVtLf1
>>113 洞爺丸海難以前の青函連絡船は、
フィンースタビライザーなんて付いてなくて、
湾内から海峡に出ると横風が強い時は、
どっちかに傾いたまま航行していた。
子供ではまっすぐ歩けない位だった。慣れない大人もよろよろ。
沢山の諸君が車両甲板の扉の思い出を書いているけど、
当時は扉はなくて吹きさらしだったから、
吹雪や海のしぶきが飛び込むので、
厳冬期は凍結した線路の除氷が大変だった。
車両甲板には線路が3本?あったけど、線上には分岐器はなくて、
線路がぎりぎり接近していて、一見踏み切りのように板が敷き詰めてあった。
桟橋と甲板を結ぶ可動橋は、重い入れ替え機関車が乗れないので、
控車(ヒ)を数両連結して搭載した車両を出し入れした。
ヒは軽いので、氷片がレールに挟まっていると簡単に脱線する。
定時連絡のたった20分の接続時間は戦場のような雰囲気だった。
「北斗」「まりも」で荷物車・郵便車も直接接続していたかは定かでないが、
寝台車航送の時代は接続ダイヤも決まっていたしね。
宇高連絡船でも、紫雲丸以前は大阪から松山・高知への
同様の直通客車航送があったね。
>>113 > タグボートは船尾を押すだけでしたよね?
> 船首には横向きスクリュー?が付いていましたよね?
・船首の横向きスクリュー…バウスラスターです。
・タグは船尾押しだけでなく、函館では風向きによって離岸引き出しもしたようです。
ほかに右アンカーを落とした冬場の停泊写真もありますね。
・スタビは客貨船では十和田丸(2代)だけです。
さて20年前の今日は、羊蹄丸・十和田丸によるアンコール運航最終日です。
津軽丸形と貨物船(後の改造船含む)とは汽笛の音が微妙に違っていたのを思い出した。津軽丸形は低いボォーっていう音で、貨物船はブゥーっていう軽い音。
改造船には食堂も喫茶もなく、くつろげる場所がなくて眺めも悪く当たると嫌だった記憶。バイクや車を持ち込むときは屋根があるから逆によかったかな。
117 :
回想774列車:2008/09/18(木) 13:06:27 ID:xBXbudwe
>>115 そうかあ、旅客船としての最後の航海の日だね。
20年も経つのか。
1988.9.18-17時半過ぎ。夕暮れの青森港。
『ドッドッドッドッ…』
ふくうら丸が最後の尻押しをすべくスタンバイを始め、大勢の人々が見守っていた。
1745過ぎ。防波堤の向こうに最後の客を乗せた十和田丸がゆっくりと近づいてくる。
『ボゥー、ボゥーー』入港の汽笛に呼ばれたように、ふくうら丸はエンジンを轟かせながら港内を進んでいった。
やがて港口を交した十和田丸は2岸へ頭を向け、船首左舷が泡立ち始める。
119 :
118:2008/09/18(木) 19:24:54 ID:zhMEMu6P
『ボゥーー(トモ押せ)』、『プゥーー!』
応答の汽笛が甲高く鳴ると、十和田丸が全長132mの向きをみるみる変えてくる。
『ふくうら丸お疲れさまでーす』
グリーンデッキと船尾は、最後の光景を目に焼き付けようと乗客が身を乗り出し、ふくうら丸にストロボが焚かれ盛んに手が振られた。
夕凪を眺めたであろう、半開の船尾扉からは空の貨車甲板が覗いていた。
やがて船体が岸壁に並行する。
『ふくうら丸お世話様でしたーッ』
『プゥーーーーッ!』
長い汽笛が響きふくうら丸は後進した。
120 :
118:2008/09/18(木) 20:30:04 ID:zhMEMu6P
『サンジュウメーター』
ふくうら丸が見守る中後進が始まり、距離がカウントダウンされていく。
放たれたモヤイが巻かれピンと張られること暫し、
『ボゥーーーーッ!』
長声が響き、異状無く定刻1805に着岸は完了した。
ふくうら丸はそれを見届けるとゆっくり旋回し、舟溜りに戻ってきた。
繋留を終えた3人のクルーが迎えた人々と和んでいると、青函博閉幕の花火が鳴り響いた。
それは同時に青函航路最後の長い夏を、終末を告げた合図だった…。
18日の光景は写真も無く、記憶だけを頼りに書きました。
長文&連投ですみません。
121 :
回想774列車:2008/09/19(金) 07:16:08 ID:+hcTyrGG
>>98 亀レススマソ
@道内時刻表(弘済出版社→交通新聞社)今でもあります
A北海道時刻表(交通公社[JTB]出版) 廃刊
BJR北海道ダイヤ(JR北海道) 廃刊
20年前の今日、青森港はきれいな秋の空が広がっていた。
青函博覧会が前日で終了し、祭りの後の淋しさと静けさが
安方の船だまりにも漂っていた
記憶では朝、8時半過ぎに補助汽船ふくうら丸が函館へ帰港する旅路に就いた
出航前、岸壁には乗組員の友人、知人、そして青函くつろぎカードで十和田丸船内に
宿泊していた全国各地から集まった連絡船ファン、地元ファンも集まっていた
ふくうら丸はプゥ〜という可愛い汽笛を鳴らし、岸壁の見送りの人たちと乗組員の方が
手にした色とりどりの紙テープがシュルシュルと伸びてゆく
やがて紙テープが切れ、岸壁の人たちが名残惜しそうに去りゆくふくうら丸の後ろ姿を
見つめていた
しばらくして、ふくうら丸は右に回頭を始め、何度も別れの汽笛を鳴らしながら旋回を始めた
すると…十和田丸がまるで貴船の安航を祈ると言わんばかりに汽笛を鳴らした
爽やかな秋の青空の下、朝の青森の街に十和田丸とふくうら丸の汽笛が鳴り響き、
岸壁で見送る人たちの多くが目頭を熱くしながら、防波堤をかわして陸奥湾に船出する
ふくうら丸の姿を見送り続けていた情景を思い出します
臨時運航中、ほぼ毎日、夕方になるとふくうら丸に遊びに来ていた小学生の男の子がおり
この男の子の親戚が漁師をやっていることから、この男の子とご家族はふくうら丸出航を
見届けてから、親戚の漁船に乗ってふくうら丸を追いかけ、平舘海峡近くまでふくうら丸と
併走し、別れを惜しんだという話しがあります。
ふくうら丸の乗組員の方から、この男の子は船乗りを志し、商船学校に入学し、今は船乗りとして
活躍していると聞いています。
>>122 ふくうら丸出航は1040ですね。
前日に聞いた11時より早めに行ったら船尾が離れつつあり、慌ててラジカセのスイッチを入れましたw
124 :
113:2008/09/19(金) 14:34:02 ID:4wZlA+7n
>>115 そうでしたか。スタビライザー装備は十和田丸だけでしたか。
とすると、あの乗り心地を体験出来たのはラッキーだったんですねぇ。
横に振られそうになるとグググって言うか、ゴゴゴって感じで揺れを強引に押さえ込んでる乗り心地でしたね。
おかげで船酔いもせず青森に到着できました。
125 :
118:2008/09/19(金) 22:10:12 ID:y4aDrhLP
1988.9.19月曜日。
青森最後の一夜を明かした十和田丸は、いつもと同じように陽光を受けていた。
九時半頃に入場券を買って桟橋へ。
今度こそ人が通わなくなる通路を抜けると、待合室ではベンチなど備品を船内へ積む作業中。
空き家となっていく待合室片隅に使い残した乗船名簿があり、お礼を述べて数枚ずつ戴いた。
もう今朝は乗客がいないのに、案内幕にはきちんと十和田丸と表示されている。
そして岸壁ではホースが繋がれ、最後の給油(給水?)が行なわれていた。
鉛色だった3月の終航式を想い巡らせているともうすぐ10時半。
ふくうら丸を見送るべく桟橋を後にした。
駅を出て1岸わきを通り抜けると、『プゥーーーッ』と紙テープに彩られ、拍手に包まれながら離岸しつつあった。
>>116 それは、近鉄電車が上下の方向別に和音の高さを変えてるみたいな感じで、
同じ音色だけど高さが違うって事ですか?
それとも音色自体が違う感じですか?
私は、末期3年ほどしか知らないので、はっきりとは語れませんが
(その代わり当時の全船の汽笛は聞いたと思う)
汽笛の音色の違いには気が付かなかったもんで…
127 :
118:2008/09/19(金) 22:56:45 ID:y4aDrhLP
あわててラジカセの録音を入れながら駆け寄り、>122さんと同じく見送ることができた。
そこから駅西口に回り、岸壁を辿ると港内が一望できる。
使われなくなった3岸、アスパムと閉幕した青函博のテント群。
展示船の八甲田丸船橋上には、見送る人々が連なっていた。
十和田丸に近づくと待合室でセレモニーが行なわれているのだろう。
スピーカーから最後の回航であることと、謝意を述べる声が聞こえてくる。
1155『五分まえードライブぅプロペラー、五分まえードライブぅプロペラー』
バウスラスターがクイィーと動作を始め、同時に“蛍の光”が流れてくる。
その頃には大勢の青森駅員や、郵便職員が続々と集まっていた。
そして1157。最後のタラップが収納された。
128 :
118:2008/09/20(土) 00:01:04 ID:7HoQcYnq
船首では一等航海士以下が配置につき、その時を待っていた。
『○○○ー○!(※)』、『ピリリリリーッ!』
笛が響くと4人がかりでビットからモヤイが外され、『ヨッコイセーのセィー!』と力強く放り込まれた。
『オモテクリアー』
『ボゥーーーッ!』長声一発、臨回5011便が動き始めた。
船首が離れ前進しだすと、陸とフネの間で声が飛びかう。
『ボゥーーーーーーー‥』
『さよならーーお世話になりましたーー(涙声)』
「お疲れさまでしたー、お気をつけてー」
船橋の柴田船長以下、左舷デッキの人々全てが大きく手を振り合う。
青森駅員氏がハンドマイクで「せいかんれんらくせんばんざーい!」と叫ぶ。
十和田丸は『ボゥォーーーー…』長い長い20秒もの最後の声を響かせた。
八甲田丸も『ブォーーーッ!』と少し枯らした声を鳴らしていた。
やがて左転した十和田丸は防波堤を交わし陸奥湾へ進んでいった。
出航からわずか5分間の出来事である。
(※)…テープからは号令の言葉がわかりません。
「レッコーショアライン」とは違うようです。
129 :
回想774列車:2008/09/20(土) 00:46:32 ID:AJVNb5Lg
感動的な話だな。
回航便に乗せてもらった連絡船ファンが三串に最後の航海を回顧した日記をあげてるね。
ふくうら丸出航の写真も出ていて目から汗が出たよ。
131 :
118:2008/09/20(土) 10:02:30 ID:7HoQcYnq
二日にわたる長い書き込み失礼しました。
翌9/20の地元紙には【何度も別れの長笛を響かせ、白波を残して去る十和田丸】と添え書きされた写真記事が掲載。
書籍や年譜では殆ど触れられないアンコール運航ですが、最後まで普段通りの手順で5011便十和田丸は青森第2岸壁から出航していきました。
きっと最後の函館着岸も普段通りに行なわれたでしょう。
132 :
回想774列車:2008/09/20(土) 23:59:15 ID:yppFlo3T
大雪丸が好きだった
133 :
回想774列車:2008/09/21(日) 09:27:21 ID:3d9aeVoM
知ってる人間はは少ないと思うが
八戸駅には就航船の一覧表が掲示されていた。
102便 0:10 石狩丸
2便 0:30 大雪丸
みたいな感じでその日の就航船の一覧表を掲示したボードがホームにあった。
車掌の案内用だったらしいけど
あれを見ると青森まであと少しだという実感がわいたものだった。
134 :
回想774列車:2008/09/21(日) 11:03:55 ID:Qj+Sa4WD
135 :
回想774列車:2008/09/21(日) 11:41:05 ID:3d9aeVoM
>>134 記憶が曖昧なんだけど
たぶんそのあたりにあったと思う。
136 :
回想774列車:2008/09/21(日) 21:08:31 ID:w8O2Ju/E
青森向きに階段降りてすぐの左にあった覚えが
137 :
回想774列車:2008/09/21(日) 23:47:54 ID:sAO3DCCS
海峡ラーメンってよく出てくるけど、どんなラーメンだったんですか?
他にメニューとかあったのですか?
>>137 普通の(札幌風)ラーメン。
塩味と味噌味があった。(醤油味もあったっけ?)
深夜便のメニューはこれだけだったが、昼間の便は普通のメニューもあった。
140 :
回想774列車:2008/09/22(月) 00:31:31 ID:jV6quuHc
グリーン席が懐かしい。
141 :
回想774列車:2008/09/22(月) 00:55:00 ID:iWXAfhmy
142 :
○:2008/09/22(月) 01:08:46 ID:CqeLonbA
最晩年、JR函館駅で券売機にオレカを投じて「函館→青森」(2000円)を買いました。
自分が買ったときは2枚挿入が出来ず、残りは現金を投入したものです。
それでもオレカの効率良い消化法だな〜なんて当時思ったりしたものです。
>>139 函さん、青さん、有さんって何か人みたいと一瞬思ったが
桟橋なのね
函館にあった貨物専門の有川桟橋だな
五稜郭貨物駅に隣接してあったとのこと
>>144 S59.2の荷貨物大整理で扱いは無くなったけど、係留場所には使われていた。
大雪とか、最後はずーっとあそこにいたよね。
148 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2008/09/22(月) 17:59:33 ID:Cg7SQi0N
初めての青函連絡船はこんな感じ
<津軽海峡夏景色>
秋田発の普通列車降りたときから、青森駅は雨の中
北へ向かう人の群れはみんな騒いで、海鳴りなんか聞こえない
我らは5人連絡船に乗り、うだるようなあひる見つめ笑っていました
あぁ、津軽海峡夏景色
ごらんあれが函館山あと少しだと、知ってるヤツが指をさす
息で曇る窓のガラス拭いてみたけど、暗くて何も見えません
船酔いに耐えた私は持ち越した、吐きそうな胸をなでおろしてホッとしました
あぁ、津軽海峡夏景色
一年半が過ぎ、十和田丸がジャバニーズドリームになってから横浜に会いに行った。
クリスマスクルーズで日暮れの晴海埠頭にも足を運んだ(乗ってないがww)。
まだ虹橋が繋がる前。
身成りは変わったけど、ハーモニックホーンはやっぱり「青函連絡船」の声だったな。
>>148 つーか、あの歌の根本的な疑問点なんだけど、
客室の窓が曇ってる事ってあったかなあ?
一部気密の悪くなったところは曇ってた気もするが。
>>150 冷房で曇るんだったら、外側のはずだな。
「息で曇った」と勘違いしたバカがいくら拭いてもとれるわけがない。
>>151 「青森駅は雪の中」の時期に冷房は入ってないと思う。
いや、元歌の話でしょw
乗客が混んでりゃ、復層ガラスでも曇ったって不思議はないと思うがなぁ。
乗船簿の英語併記がやたら目立っていた希ガス
158 :
回想774列車:2008/09/25(木) 01:49:17 ID:i7AqQKiu
連絡船て車両を出し入れするときに反対側のタンクに海水を急速に出し入れしてバランスとってんのな
何でひっくり返んないのか不思議だったが判明して納得したスゴス
159 :
回想774列車:2008/09/25(木) 04:54:36 ID:1AfDpJMs
青森や函館で停泊中に船体の横からジャバジャバと水が出ていたのはそれだったのか!
俺はてっきり食堂やトイレから出た汚水だとばっかり思っていた。
記憶違いだったら申し訳ないが、たしか、ビルジ(汚水)の排水は、
海峡中央部でまとめてやることにしてたような話があったと思う。
とすると、港内停泊中の排水はトリミングポンプから出たものだったのかも。
161 :
回想774列車:2008/09/25(木) 16:28:34 ID:i7AqQKiu
一度に何十トンて貨車が出入りするワケだから、横からジャバジャバぐらいの排水では追い付かないと思われ(゚Д゚)
>>161 貨車のやつはヒーリングポンプで左右の部屋から直接移動させるから違うでしょ
明日は追悼の日です。
164 :
回想774列車:2008/09/26(金) 01:16:23 ID:bdEK4fcC
>>158 旧帝国海軍の連合艦隊などに採用されてた技術を応用したシステム
余談だかこのシステムのおかげで戦艦武蔵は魚雷31発を喰らうまで耐えた
戦艦大和は米軍が武蔵の経験から片側のみに魚雷を集中させたためわずか6発前後の魚雷で沈没
慰霊碑が改修されたみたい
120万で出来る改修だから最小限度だとは思うけど
あとは60年まで耐えられるように定期メンテでしのぐんだろうな
うちの地方は今日、前線が通過して、
朝方は激しい雨だったのに、いまは薄日が差して晴れ間も覗きそうな勢い。
ここに台風が絡んだら、どんな複雑な状況になるのだろう、などと、
あの日の「気象のいたずら」を想う9月26日。
167 :
回想774列車:2008/09/26(金) 14:49:40 ID:DySkTx1A
洞爺丸に乗船していた航海士で救助された方がのちに船長になり、その乗船している便に乗り合わせたことがあった。
出航してまもなくの船内アナウンスで「本日乗船している船長は○○○です・・・。」の名を聞いた時、「あああの方なのか?」と思った。しして事務室前に掲げられていた船長名の札を見て確信した。
…運転士で船長になられた人、っていうと、当時二運の山田友二さんの事かな?
あなたも知ってるわけだから、特に名前を伏せる事はないと思うけど。
169 :
回想774列車:2008/09/26(金) 17:06:03 ID:6HC0/kN0
>>168 当時三等航海士だった小石川忠男さんですね。
あ、なるほど、○がみっつ ですかw
これはやられました。
171 :
回想774列車:2008/09/26(金) 23:31:34 ID:d783c4iS
当時のこの時間、大勢の乗客乗員が真っ暗な波浪に漂い、また海水に浸かった船内に閉じ込められたまま息を…。
苦しかったろうな…。想像しただけで涙が止まらない。
転覆の事実が把握されるまでに、まだ小一時間はかかったんですね。
この日起きた岩内大火を知ったのはだいぶアトになってからだったな…。
>転覆の事実が把握されるまでに、まだ小一時間はかかったんですね。
坂本さんの本が描くあの前後の経過は、劇的だね。
現場にいた人しか語れない緊迫感に、読むたび押されっぱなしだ。
船舶板スレの交信記録と合わせみると、本当に「戦い」であったことが解りますね…。
176 :
回想774列車:2008/09/27(土) 19:01:12 ID:/+pYDqhr
その事件をきっかけに修学旅行を無くした学校も
地元で散見されたようなことを何かで読んだ。
177 :
回想774列車:2008/09/27(土) 19:24:17 ID:1rTrCjD0
ナッチャンみたいな双胴船だと洞爺丸クラスの波浪に耐えられるのかな
波浪に強いのが双胴船のメリットだとは聞いたけど
>>177 青函連絡船が現在も健在なら新造船はそういう選択肢もあるだろうなあ
ここ最近急激に双胴船は技術革新が進んで従来の弱点も克服されていて
フェリーなどにも進出してきているようだし
初代ジャンボフェリーは双胴船じゃないの?
180 :
回想774列車:2008/09/28(日) 00:03:54 ID:AT+uHnFv
181 :
回想774列車:2008/09/28(日) 00:04:29 ID:WOh3jz0x
182 :
回想774列車:2008/09/28(日) 21:52:42 ID:keqg1vgH
ナッチャンは波浪の前に船主のだらしなさに…
よっちゃんは大好物です
船内で買った硬券の寝台券には枠つきの「○便」のハンコが…
185 :
回想774列車:2008/09/30(火) 18:17:01 ID:3aVwsp6H
戦後の青函連絡船を読んだが、進駐軍函館停車場司令部(RTO)は酷いね。
言い訳無用で津軽海峡が大時化で危険な時でも出航命令出して何とか乗り切り無事到着させて、
乗っていた進駐軍兵士が感謝してるのに時間が遅れたなどイチャモン付けて船員達を
容赦無く殴り付ける所など白人の植民地支配と変らない。
判らない相手には身体で判らせてやれ!
こんな奴等が占領していた。
186 :
回想774列車:2008/09/30(火) 19:07:07 ID:GvQRkayI
>>115 その日、最終便の羊蹄丸のグリーン船室に乗ってました。
また、青函トンネル開通日、つまり連絡船営業最終便の羊蹄丸にも乗船してたなぁ。
その船の中で、振る舞いの樽酒をかっくらい、泥酔状態でクダをまき、周りに迷惑をかけていた種村を見て、軽蔑の眼差しで見ていた事も思い出した。
187 :
回想774列車:2008/09/30(火) 20:03:01 ID:MlMw2OMH
その時代にはまだ、種村さんがそんな人だなんて思っていなかったな。
188 :
回想774列車:2008/09/30(火) 21:57:40 ID:teJkdokD
乗船名簿は白いのと緑色のがあって、グリーン船室、接続の指定券を持ってるやつ、寝台やグリーンで青森や函館に来る奴はグリーンの用紙がもらえ必ず乗れたが、白い用紙は混雑時は後回しで1便2便後になることもあった
夏はいつも家族で小樽へ帰っていたが、寝台なのでグリーンの用紙だったが、座敷のいい場所を取るために、親に引きずられるように桟橋をあるかされた
船に乗ると寝てしまうのであまり船内を覚えていない
189 :
回想774列車:2008/09/30(火) 22:37:49 ID:U1PZCN5v
性感連絡腺age
190 :
回想774列車:2008/09/30(火) 22:54:26 ID:pd7TrjKK
>>186 >70さんとは別の方かな?
青森出航時は西日が強かったですね。
よろしければ臨4便との行き会いなど、最後の航海を書いてくださいな。
種村さんねぇ。
RJ誌の「今朝はもう青森の街に…」の結びは好きなんですが…w
192 :
・:2008/10/01(水) 03:49:41 ID:HK6L+lMA
>>188 123等や12等の時代で、接続列車に乗っていて、
乗船名簿の車内配布で後回しにあった経験はないが、
逆に函館や青森から連絡船区間だけを乗船するための
乗船名簿の用紙の配布を受けるのが大変だった。
接続列車優先で配布数が制限されたから。
函館湯の川温泉の番頭手元の大切な仕事が、
本州に帰る泊り客にその乗船名簿(便名入り)を入手する事だった。
配布時間が決まっているので、乗車券を買ってそれから〜
とかの手順が大変だったとか、聞いた。
193 :
回想774列車:2008/10/02(木) 00:50:30 ID:QW+loVbW
>>187 種村氏の大酒飲みは確かだが、それはガセ。
だよな。れっきとした取材だろ?
乗り合わせた取り巻き君達とたまたまジャレてたんじゃね?
昭和56年の8月に乗ったときの時化は今でも痛烈に覚えてる
トイレの便器まで間に合わなかったのが床のあちこちに・・・
マジ洞爺丸と同じ運命かと思ったよ
時化の時には、桟敷に寝そべるか、椅子に張り付くかして、
なるべく仰向けで寝そべるようにして体を船の動きに委ねる様にすれば酔いにくかった。
・・・様な気がして時化のときはそうしてやり過ごしたもんだが、案外プラシボ効果だったかもなw
貨物船(客扱いをしない客載渡船ではない)に何かの理由で乗った人
または働いていた人の話し聞きたいな
馬の世話で便乗してた人とかか?
199 :
回想774列車:2008/10/03(金) 17:52:38 ID:Lq0Gj6s6
>>197 津軽丸以降の新型貨物船にも船員のほかに少しの客席?があったとか船員用の食堂があったらしいので、そんな設備も
見たかったですね。シャワーとか寝室とかもあったのかも。
200 :
回想774列車:2008/10/04(土) 01:14:59 ID:0SVEc8qg
>>198 馬、牛の場合は貨車1両に1人付添い人がいた。
牛の場合は搾乳しなければならないので船員に搾りたての牛乳が配られたとか。
見返りに船員風呂に入れてもらったようだ。何日も貨車の中に缶詰状態なのだから
ありがたかったと思うね。
しかし貨物船の甲板は家畜の糞尿で独特の臭いがしみこんでいたとの事。
参考:坂本幸四郎著「青函連絡船」
あと、交通博物館でS30年代製作の「ごちそう列車」という映画で釧路から東京
までの鮮魚を活きたまま輸送されるシーンがあった。水槽のある貨車に付添い人
が乗っていたのだが青函連絡船で輸送されるシーンは当然だが、旧狩勝越えや
青森操車場、奥中山越えのシーンまで映写されていた。
俺からすれば貨車の添乗は関心はあるが当時にしてみれば風呂にも入れず、大変
な労働だったのかななんて思う。でも青函連絡船では船員風呂に入れてもらって
いたかも知れないね。いずれにせよ青函連絡船は旅客にせよ貨車添乗にせよ、長
旅の息抜きだった事には変わりないと思う。
201 :
・:2008/10/04(土) 03:58:02 ID:ImlnN1MD
>>200 同じ時代の、長崎港(水産埠頭)発〜東京汐留(魚市場)行きの
特急貨物「とびうお」は走りっぱなしできつかっただろうね。
「ごちそう列車」。今、鉄道博物館で上映してますね。
渡島丸型の車両渡船には、機関のとは違う細長い煙突が船員区画近くにあって、
煙だか湯気だかがそこから立ち上っているのを見たことがある。
あれは炊事から出てきているものだったんだろうか。
渡島丸形は船客スペースを気にする必要がないので、
船員区画も広く余裕を持って取られていたんじゃないのかな。
204 :
回想774列車:2008/10/04(土) 19:36:00 ID:ymqhlyYJ
松前丸
>>193-194 取り巻きは必死だね
樽のすぐ横を陣取って、いつまでもそこをどかない事が取材かよ。
種村は困った奴だってのは事実らしいけどね
ああー。昭和63年頃のRJにそこらの噂はガセネタですってな、
公告みたいなのが何度か出ていたような気がするな。
タネムラクダ巻きとか、JR旅立ち列車内での編集部員のハレンチ騒動とか・・・
車船内で種村氏だと顔がすぐわかるヤツもたいしたもんだな。
ま、いい加減終息してくれや。
209 :
回想774列車:2008/10/05(日) 21:47:26 ID:qVR9NfXU
210 :
回想774列車:2008/10/06(月) 06:41:13 ID:zc4eLH7o
いい加減にもそもその話題は他所でやってくれ。
はっきり言って詰まらん。
つーかここ、「懐かしの種村現役時代」スレとかじゃないわけだしw
連絡船での話はともかく、種村ネタ単独暴走は明らかにスレチ。
213 :
回想774列車:2008/10/06(月) 19:15:57 ID:ujq8qnIj
真冬の夜行便にて、凍り付いたデッキの手すりを叩き割りたくなる雰囲気だな
記念メダルに刻印して…
記念メダルかぁ〜
観光地にもあったね
俺2箇所くらいで作った記憶があるけど
紛失してる・・・
何度やっても、刻印のセンター出しに失敗するw
メダルの隣がスタンプの定位置だったね。いつもひどい状態だったけど。
台がインクでべたべた、スタンプインクはぼろぼろ・・・。
乗組員の帽章は、国鉄ならではの動輪マークが組み込まれていましたよね。
JR化後もそのままだったかな。
「桐と動輪」ね。
あ、すまん、連絡船スレだったかw
222 :
回想774列車:2008/10/10(金) 00:17:09 ID:t0/asSoQ
>>218 JRの社員の服装は、昭和63年までの1年間は国鉄のものをそのまま使用してましたので、多分そのままなのでは?
桟橋で貨車を積む時,入換機の機関士に告げる構内放送も忘れられない。
「10メーター,7メーター,5メーター,3メーター,2,1」
っていう感じだったっけ。
正確には憶えてないんだけど、控え車って7、8両だったかな?
構内外れの古川踏切は、積み降ろし時間にあたると、【はつかり】の発着も合わさりガチャガチャと賑やかでしたね。
かなり待たされたけど…ww
>>219 桐がホワイトカラーで動輪がブルーカラーかな?
桐と動輪は普通の制帽。
どこの船員(民間も海保・海自も)も錨は付いてるが、錨+動輪の帽章は鉄道連絡船特有だよ。
あれは桐だったのか。ただのスポーク動輪かと思ってた。
>>227 葉っぱは桐だけど、動輪に見えるのはホントに動輪ですがな。
>>227 普通、動輪と桐くらい見分けがつくだろうに
230 :
回想774列車:2008/10/17(金) 23:44:19 ID:SNLUq2Bo
長崎のシップホテルから引退した大雪丸は解体されたの?
今はいずこ?
232 :
回想774列車:2008/10/18(土) 01:13:37 ID:9s64GSBK
洞爺丸の沈没はさすがに悲惨すぎる
233 :
回想774列車:2008/10/18(土) 01:16:26 ID:9s64GSBK
www.tokyo-kurenaidan.com/mizukami-kiga2.htm
↑・・・洞爺丸事件について
船内の座席にジッと座っているのが一番酔いやすかった。
やはりオモテのデッキに出て風に当たるが一番ダス。風景も楽しみやすいしな。
親の漁師の遺伝子?のお陰か、厨房修学旅行の帰り揺れた船内でも、それ程酔わなかった。
でも、船員さん達の昔語りによると、船乗りでも酔う時は酔う、って
言われてるけどね。洞爺丸台風後のディーゼル船は復元力を上げたために
揺れが激しくなり、みんなへろへろになっていた、なんて話もある。
某船長が「この船はシケられても持つが、私の体が持たない。テケミ」と
運休を決めた(実は船員が疲労しているのを見ての決定)とかいう話も
伝わってる(by坂本幸四郎氏の本)
236 :
回想774列車:2008/10/19(日) 00:00:07 ID:VHU2rumN
後の方の座席に座ったら、後から乗ってきた男数人にドケと言われた事がある。
何で?と思ったけど、学生の一人旅なので素直に従った。
後でよく見ると、そのうちひとりにはワッパが掛かってた。
昔は連絡線での護送が普通だったんだろうね。
さうさう
普通券で酔ったときグリーンのベンチでよく寝てたなあ
238 :
回想774列車:2008/10/19(日) 00:02:18 ID:5bHw4iua
疲労で酔うのはあるね
行きは酔わないが帰りは酔う(毎回)
239 :
230:2008/10/19(日) 01:31:26 ID:UpB58uBa
>>236 最後列は公共交通での押送のお約束(乗り物を問わず)
航空機での話になるが搭乗前日に足を怪我して曲げているのがつらい状態になった
あいにくスーパーシートは満席でカウンターに事情を話してみた
すると「水平飛行になるまでは指定のお席でご辛抱いただきますが乗務員に申し送っておきます」と。
何らかの形でどうにかしてくれるらしいと安心していた
やがて離陸が終了しスッチャデスのおねーさんがあらわれ「どうぞこちらへ」と
ズイズイと後方へ進み後ろから二番目中央の席(乗客無し)に案内され「空席ですからどうぞお楽に」と
足が楽になるのはいいのだがなにやら最後列に着席する面々に異様な雰囲気
警察官ではなく刑務官同伴での押送だった(拘置所から刑務所への移送)
羽田であれば交番前に停車する怪しげなマイクロバス(赤灯のみ、車体に文字無し)に彼らは乗せられてくる
ちなみに千歳便だったので札幌刑務所向けの押送と思われる
数ヶ月前に札幌でひき逃げ事故を起こして逃亡先の八戸で逮捕された事件があった
なぜか花巻からの飛行機で札幌に移送されたと報道されていた
三沢便が満席だったとか
244 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2008/10/19(日) 02:26:05 ID:Ihf7MKmM
列車での護送だとスキを見て逃亡の可能性があるよね
逆に飛行機だと密室みたいな感じだから逃亡を図るとすると
自動的にハイジャック犯にもなるしかない
245 :
回想774列車:2008/10/19(日) 02:34:21 ID:Qfo39mbh
飢餓海峡
>>240-244 克○茂はコンサートツアー中に旭川でパクられて札幌までは485-1500
札幌→東京は飛行機だった
>>242 ひき逃げ事故じゃなくて、強盗犯が跳ねとばしたんじゃなかったか?
いずれにせよ最近の話ですよ、最近。
249 :
回想774列車:2008/10/19(日) 12:46:30 ID:VHU2rumN
>>240 >最後列は公共交通での押送のお約束(乗り物を問わず)
それは知ってたんだけど、自分がバッティングするとは思ってなかったので驚いた。
自分が未だ若かったってのもあるし。
>最後列に着席する面々に異様な雰囲気
いや、ホントに異様だよね。
一番は視線のせいなのかな?何かを警戒してるような。
四本煙突のタービン船時代に青函連絡船に乗っているが、義妹が女子大生
の時北海道旅行に行ったら「デイゼル船に変わった初日」で一日違いで
駄目だったと悔しがっていた。
四本煙突時代は静かで旅情があったが。
>>最後列は公共交通での押送のお約束(乗り物を問わず)
長距離便の飛行機で座席指定していてこれを食らうと怒るだろうなぁ
連絡船最後の冬に乗った時のグリーン指定券が出てきた。
あの座席はくたびれていたけどかなりよかったなぁ(遠い目)
疲れていたからほとんど船室の記憶がないorz
最後列はリクライニングしないので通常は売らないと思われ…
253 :
回想774列車:2008/10/22(水) 08:30:18 ID:FCFUq9z8
>>252 リクライニング可の機材もある。
事前座席指定の画面だと普通に出てくる便のほうが多いと思う。
そうなのか
喫煙厨なので航空機は極力避けているので不勉強であったorz
255 :
回想774列車:2008/10/25(土) 21:22:58 ID:Zh8d9sMC
11月28日、JTBパブリッシングより「鉄道連絡船細見(著者:古川達郎氏)」が発売されます。A5版 ¥ 2,520 (税込)
256 :
回想774列車:2008/10/25(土) 21:39:21 ID:e9Seq8VO
工マークの船からナッチャンまでを見続けた摩周丸って海峡の生き証人だよなとつくづく思う
桟橋の建物にあった△や○とかの赤いネオン。
何の標識だったかご存じの方いますか?
江差線久根別付近にあった鉄塔上にも連絡船関係のものとおもわれる
赤いネオン(たしか四角)があったが、それも同様のものなのかな
260 :
回想774列車:2008/10/27(月) 00:01:43 ID:ppu89X8o
「日本の航路標識」(1986年10月社団法人燈光会発行、海上保安庁灯台部監修)では、分類上「導灯」と呼ばれ、
「通航困難な水道、狭い湾口等の航路を示すために航路の延長線上の陸地に設置した高低差のある2個以上の構造物
で灯光を発するものを導灯といいます(船舶はこの光灯を一線に見ることによって航路に導かれます。)。」と記さ
れている。
国鉄の航路でも「導灯」と呼んでおり、青函航路では△や◯や□、宇高航路では+の形もある。
「導灯」は「見透し灯」とも称され、左右の偏位、転舵位置、岸壁との距離や速力の過不足を知る目安になるものと、
船尾の限界を示すために設けられていた。
単独で桟橋等に立っている◯形のものは「位置表示灯」で、着岸時の船橋の位置を示すものと岸壁の先端及び可動橋
位置を示すものとがあった。船橋位置を示すものは「津軽丸形」用と「渡島丸型」用の2種設置してある岸壁もあっ
た。
灯色は「導灯」が赤で、「位置表示灯」は赤または緑。
それぞれに「函館第三岸壁中央見透し灯三角ネオン前灯」というような名称がある。現在函館に残っているのが函館第一第二岸壁用の浅瀬警告導灯と第四岸壁導灯(操舵目標)の後灯の二つ。
ちなみに、江差線久根別付近にあった鉄塔上の四角ネオン灯は 、函館第三第四岸壁まで500mの見透し後灯。
>>260 うわ〜〜〜! 詳しいですね〜!
本職さんとかですか?
263 :
259:2008/10/27(月) 12:26:16 ID:aeatmgRG
>>260 長年の疑問が解けました サンクス
夕方の汽車に乗ると赤いネオンがキレイで印象的だった
>>260 夜の桟橋写真を見てふと疑問が甦っちゃいました。
ありがとうございます。
>>259-260 お互い謎が解けてよかったですな。
リンクの標識、まだ函館側には名残があるんだねえ…。
265 :
回想774列車:2008/11/01(土) 10:05:56 ID:PJdExr+Y
多少スレチかも知れないが、昨日限りで東日本フェリーが青函航路から撤退した。
鳴り物入りで1年2ヶ月前に就航したばかりの高速船「ナッチャンRera、World」も運航休止になった。
2隻目の「ナッチャンWorld」は僅か半年の活躍に終わった。
今後は売却の方針で、それまで函館、青森に係留されるというが、
燃料費の異常な高騰の中で、あのような大型高速フェリーが就航する航路を国内で探すのは絶望的だろうね。
素人考えだけれど、いっそのこと貨物船に改造して東京−北海道・沖縄などの遠距離貨物便に就航させたらどうなんだろう。
266 :
回想774列車:2008/11/01(土) 11:27:36 ID:oINQLB3k
アレを買う気があったら、とっくに二代目ゆにこんを買ってたろうな。
268 :
265:2008/11/01(土) 16:55:01 ID:PJdExr+Y
正確には昨日限りで運航を休止したのは高速艇のみだな。
一般のフェリーは今月末までの運航で撤退のようだ。12月からは道南自動車フェリーに移管されるようだが、
青森−室蘭は休止、大間−函館は来年から道南自動車フェリーで、来年1月から1年間は
地元自治体の援助を受けて当面1年間の暫定運航だそうだ。
大間なんて青森県にありながら経済圏は函館にあり、食料品や日用品などの多くは函館から運ばれてくるようだから、
このフェリーが廃止になるのは死活問題になるかもしれない。
結局、青函圏の輸送なんて人的な輸送は鉄道だけでも開業当初から比べれば大幅にダウンしている状況だし、
昨今の燃料代高騰の中では淘汰されるのもやむを得ないのかも知れない。
それにしても、新造されたばかりの高速艇はもったいないな…。
「ビートル」はあくまで高速の旅客船だから代替えにはならない。
今の国内に1航海800名近い旅客を必要とする航路なんて他にないから、海外売却しかないんだろうな。
佐渡や伊豆諸島、瀬戸内海、奄美諸島、沖縄など使えそうな航路はジェットフォイルや航空路線が就航済みだったりで、
大型フェリーなど必要ないしね。
>>268 まあ、国内で一番有望なのは小笠原航路だろうね。
(というか、ここくらいしか使えそうな航路はない)
>>269 燃費悪いから、公的補助が無いと運賃の大幅アップは避けられないと思われ。
Rera、Worldとも小笠原投入なら、劇的に改善されるからなぁ。
ピーク時の輸送力不足、ドック入り問題も解消されるし。後は共勝丸との調整は必要か。
アトは都知事だな、空港建設にどこまでこだわるか、税金投入(補助)できるか。
新銀行東京でイランことして、あれだけ税金ドブに捨てたのに、離島救済は放置なら
・・・
271 :
回想774列車:2008/11/01(土) 23:30:08 ID:oINQLB3k
272 :
回想774列車:2008/11/02(日) 00:14:10 ID:92hpNwD+
小笠原はないでしょう。定員約800名弱、積載自動車数トラック56台、乗用車172台という大型フェリーで
小笠原航路は明らかに過剰輸送でしょう。
フィリピンとかインドネシアとか東南アジアとか、海上輸送が活発な地域でないと活路は見出せないのでは?
国内だったら所要時間と運賃のバランス的に見て、仙台(または八戸)−苫小牧辺りが妥当なのかな。
どうしてもフェリーを使わないと渡れない道内航路で短縮効果が出そうなのは、この辺りだけだろうね。
うまくダイヤを組めば、鉄道輸送と時間的には十分対抗できるだろうし。
八戸便の運賃をこれ以上ageないで…
それに寝不足がorz
>>272 総トン数では、6000トン級のおが丸と10000トンオーバーなナッチャンでは・・・
単純定員ではおが丸の方が上。一応1000人オーバーできるから。
おが丸満員の時はもう悲惨な状況。あれは乗りたくない。
ナッチャンは全席座席シートで寝台設備がないから遠距離航路ではかなりの改造が必要。
ナッチャンの問題は青函連絡船と同じで「軽油」使用なんだよな。
価格の安い重油でないと後進国では使用不可能。
とはいえ小笠原は別の高速船(TSL)導入予定だったけが断念してるからな
距離が距離だけに使用する燃料の量は半端じゃないし
津軽丸型でも、宮島航路の船みたいに「ドドドド・・・」という
エンジン音は聞こえてくるのかな?
277 :
回想774列車:2008/11/03(月) 16:37:44 ID:V7LCiznO
>>276 津軽丸形は船室にいても、低いディーゼル音が常に響いていたよ。
それは大型フェリーもだいたいみんないっしょじゃん。
加藤汽船の安普請船みたいに、ビリビリガタガタ振動がきついの以外は、
大型ディーゼル船のエンジン音の感じなんて、それほど大差はない。
279 :
回想774列車:2008/11/03(月) 20:50:29 ID:vMbL5yI0
小笠原は名前からして金の亡者のイメージがついてしまったからもうダメだろう。
かつてはスーパースターだったが。
>>274 おがさわら丸は繁忙期ホテル代わりになるから
その設備がないとね
てか太平洋のど真ん中ナッチャンは大波に対しては平気なの?
>>280 津軽海峡を横断する船だから、へたれ構造だと「テケミ」の連発。
過去の失敗を反省して、新造したのが「ナッチャン」
ゆにこんの様にあれだけ欠航出したら信用力0になるわな。
テケミ=天候警戒運航見合わせ
レッコーショアライン=もやい綱を放せ!
懐かしい用語ですな。
283 :
回想774列車:2008/11/05(水) 10:20:22 ID:kVn0oK3H
『本日の津軽海峡は風速20メートル、○○の風が強く吹いています・・・』
ここで(((;゚Д゚)))ガクガクブルブル ・・・。 だが
『・・・が航海の安全に支障はありません。』
が必ず続く言葉だったね。
だって20メートルなんて「ちょっと風吹いてます」ぐらいの感覚だったじゃんw
自分が乗船した時は
「本日の津軽海峡の波の高さは○mでございます。波が高くなっておりますが船の安全に支障はありません」
しっかり船酔いはしたけどw
286 :
回想774列車:2008/11/05(水) 22:56:24 ID:CTb1AA3B
潜函連絡船
287 :
回想774列車:2008/11/05(水) 23:38:38 ID:X0XNn/x8
>>284 洞爺丸事後以降・・・・絶対安全設計。下手な軍艦より頑丈に出来ている。
津軽丸IIタイプは、造船所の威信を賭けた最高傑作。
他社船が欠航でも青函連絡船は列車接続の関係で限界ギリギリまで運行した、
スタビライザーの取り付けが後つけになった関係で・・・
函館生まれ函館育ちなんで青函連絡船にはいろいろとお世話になりましたよ。
青森発の最終便の八甲田丸にも乗りましたし、連絡船廃止の1年前の夏には
その八甲田丸の食堂でバイトもしましたし。
でも当時、青森に行くのに使ったのは東日本フェリーの方が多かったなぁ、
運賃が安かったからね。
291 :
ある一生:2008/11/06(木) 12:48:21 ID:N5KcIGNy
函館生まれの函館育ち、初めて乗った洞爺丸
可動橋で連絡船の積み下ろしに使うヒ600は通常何両連結して使っていたの?
6両くらい?
>285
わはは冬の青函は結構豪快に揺れましたねぇ
ガラガラの桟敷席で寝てたら
目が覚めるたびに居場所が違う(笑)
>>290 各フェリーターミナルが街外れなだけでほぼ同じ。
運航時刻が近ければ雁行状態になったり。
函館から乗ると回頭する面白味があります。
久々に船舶板スレを除いたら、フィリピンドリームは解体されてたんですね。
自分が十和田丸の回航風景を書き込んだ9月頃らしくて、なんか同窓生の訃報を聞いた気分‥。
航路が殆ど一緒で、東日本フェリーの方が安くても、
やっぱり利便性という意味では青函連絡船の方が人気があったのかな。
>>295 フェリーはあくまで車で来る人の便を考えて発着場を作るから、
徒歩客にとって必ずしも交通の便が良い場所にあるわけではない。
まあ、大阪南港や松山観光港のように徒歩客にも便の良いところも
ないわけではないけど、どちらかというと少数派。
青函連絡船が現役のころの東日本フェリーターミナルは連絡バス
もなく、徒歩客はタクシーを使うか便数の少ない路線バスの最寄り
の停留所からてくてく歩くしかなかった。(函館・青森とも)
298 :
回想774列車:2008/11/07(金) 00:04:28 ID:n4abHWI4
羊蹄丸が好きだった。廃止されるときも何回か乗った。大湊の護衛艦が伴走して自衛隊員が甲板に並んで敬礼してくれたのには感動した。
車乗せないでフェリーで青森に行くっていったら、変わり者扱いでしたよ。
当時の東日本フェリーの船は大きさも1200t〜1500tクラスの小型船
で設備も連絡船に比べたらだいぶ劣っていましたしね。
タイタニック号を走らせるシミュレーションソフトにて、
洞爺丸をプログラミングして、洞爺丸で大西洋を航海させてみた。
301 :
回想774列車:2008/11/07(金) 11:50:37 ID:0BHKGrnA
洞爺丸って台風で沈んだので欠陥船みたいなイメージを皆、持っているみたいだが、
船自体は欠陥船では無いからね。
後甲板に扉を付けなかったのが唯一の失敗であっただけで当時、
扉を付けなくて問題無かった=それで沈んだ前例も無かった。
洞爺丸型大雪丸は引退後に海外に売られ使用された。
1991年アドリア海で攻撃されて撃沈された。
しかし、後部に扉が無けりゃ、当然の様に浸水するんじゃないの?
なんて素人の俺は考えてしまう/(^o^)\
>>302 船は基本的に、後ろから波を受ける状況ってないんだよ。
荒天の時も、風上に向けて船首を立てるのが常識で。
304 :
回想774列車:2008/11/07(金) 20:08:51 ID:DuhpOpLW
のちの調査によって、台風で発生した波の波長(9秒)と波高(6m)が、丁度水を車両甲板に滞留しやすい数値で、もしその値より
少しでも上下していれば、車両甲板に浸入する水の量は大きく減少し、結果として浸水も殆ど発生しなかった筈との結果が出た
そうです。
座礁後に、波によって海岸に寄せられていた砂にキールが引っかかって転覆した事など、不運な事が重なってしまったという
事ではないかと思います。
貨車渡船の場合は、貨車を載せていた分だけ、重心が高い位置にあった事も影響しているのかも知れません。
ついでに補足。
坂本幸四郎さんの本だったと思うが、
「誰しも、初めて扉のない船尾の車輌甲板に立つと、波浪の厳しい津軽海峡では
ここから浸水があるのではないかと疑問に思うものなのだが、実際には、
船尾方向から風のある日でも、追いかけてくる波より船足の方がはるかに速く、
慣れると『ここから浸水する事はあり得ない』という感覚になるものだった」
みたいな内容の事を書いていたと思う。
あと、洞爺丸台風当日は、
>>304が言っていた要素のほか、各船とも
双アンカーで船首を押さえられた形になっていた事も、船尾からの浸水という意味では
悪い方へ作用したと言われている。
当夜難を逃れた船長の1人は、双アンカーで錨泊するより、
「踟ちゅう」(ネット環境だと字が出ないw)の方が安全だったのでは、
と回顧している。まあ、結果論だから真実はわからんけどね。
結局機関室浸水で風上に向けて船を固定できなくて横から波を受けて
積載貨車が横転して重心が片側に寄った船がことごとく転覆したようだね
>>307 強烈な波浪で船体が破断・轟沈してしまった十一青函と、
「ちちゅう」でいったん危機を脱しながら、傾斜を復元するために
ポンプを稼働させたのが転覆の原因と見られる北見丸を除く、だね。
309 :
回想774列車:2008/11/08(土) 12:37:13 ID:mMURJoGR
マリーが特別過ぎてそれまでの常識が通用しなかっただけだろ
欠陥じゃない。
「ちちゅう」とは船首を風に向けるheave to??の事ですか?
貨車ばかりではなく進駐軍用特殊急行列車のロネも沈没した
のでは無かったのか?
アノ時代「宗谷丸」(稚伯連絡の生き残り)も閑な便に使って
居たらしいが、「宗谷丸」は貨客船だったから無事だったのかな。
それとももう廃船だったか?事故後に下関から「徳寿丸」(元関釜、
博釜)を回航して使用したな。
蜘蹶(ちちゅう)
舵効を失わない程度に減速して、風浪を船首斜め前から
受けて、船舶を風に立たせる荒天航法のこと。
>「ちちゅう」とは船首を風に向けるheave to??の事ですか?
英語でなんつーのかは知りませんが、錨泊せず、エンジンをかけたまま、
風上に船首を立てて、場合によってはアンカーを流して漂う、
みたいな事だと認識してますが。
字が出ないんで、不便ですなw
「踟 足厨」と書く筈なんだけど。
あと、宗谷丸は、洞爺丸台風当時は広島局所属の石炭輸送船ですね。
wikiによると、27年9月に広島局へ転属、
台風後の10月から2か月ほど応援に来たようです。
わ、リロードしないで書き込んだら、
>>311さんが正しい字を… orz
なんて馬鹿なんだおれ。海峡中央で舷側から飛b(ry
315 :
回想774列車:2008/11/08(土) 21:43:43 ID:RGx+UOhD
ストップザエンジン!
316 :
回想774列車:2008/11/08(土) 21:46:19 ID:RGx+UOhD
何となく思い出したが、大昔に高橋英樹主演でサスペンスドラマがあったよな。
摩周丸は覚えてるんだが、高橋英樹が乗ってた方は十和田丸だったか?
317 :
回想774列車:2008/11/08(土) 21:49:10 ID:f83jRinC
連絡船のてっぺんのデッキと言えば
修学旅行の甘酸っぱい思い出だな
>>315 落ちた本人が言うのも何だが、
出来たらウイリアムスンターンかけてくれるとこが見たいw
「ちちゅう」の漢字表記はどうやら「踟躊」が正しいらしい。
少なくとも
>>311のような虫偏の字であるはずはない。
320 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2008/11/09(日) 02:04:46 ID:kb+OVKpm
>>316 土曜ワイド劇場だね
連絡船廃止後も別の船会社に再就職したという設定でやってたね
321 :
回想774列車:2008/11/09(日) 09:18:18 ID:gBDvSuju
学生時代、青森に居たんで、いつも連絡船の汽笛を聞いていたよ。
一度だけ寝台に乗ったこともあったが、睡眠時間が4時間弱しか許されないというのも面白かった。
寝台は3回程使ったけど、何か船内の喧噪から一切隔離された別天地のようだった。
でも、僅かの時間しか使えないのが、反って起こされた時の辛さが増して余り使わず、
もっぱらゆったりしたグリーン指定席だったね。
ところで、一度だけ昼間の便で使った事がある。1人で貸切だったこともあり、
特に寝込んだ訳じゃないが、ベッドの上でゴロゴロしていただけでも気が楽だったね。
ただ、寝台といっても思った程広い空間ではなく、列車のB寝台よりはマシだけれど、
A寝台に比べると若干狭かったな…という感じだった。583系の下段寝台という感じかな…。
>>292 ヒ600:控え車だね。昭和27年7月に函館から「摩周丸」で帰るときに29638
が押し込んでいるのを艫から撮影して居るが、5両写っているけれど,カメラ
が「パール2型」75mmだったから、もう1両船内にあったかも;で5-6両かな?
>>313他
蜘蹶(ちちゅう)ご教示有難う。
>>323 いや、その虫偏の漢字表記は正しくないです。
踟躊が正解ですか‐有難う。
>>298 伴走して敬礼までしてくれたんだ?
なんか感慨深いね。
同じ船乗りとしての見送りだったんだろうね。
327 :
回想774列車:2008/11/11(火) 11:22:55 ID:CBTp0PzG
>各船員当事者、遺族、関係者証言を纏めた青函連絡船研究より。
って書いてあるけど、青函局の「台風との斗い」からの引用かな。
原典読んだことないので、確実には言えないけど。
330 :
回想774列車:2008/11/11(火) 15:22:11 ID:CBTp0PzG
たしかにズレはあるね。
どっちにしろ未曾有の災害であり当時、稀に見る勢力の台風であったってこと。
経験したこと無い台風だから被害を未然に防ぐ手立てが遅れたのもうなづける。
331 :
回想774列車:2008/11/11(火) 22:43:05 ID:gT91q1Ab
質問です。末期の連絡船は、車や、トラックは積めましたか?又、フェリーに改造は構造的に無理?
332 :
回想774列車:2008/11/11(火) 22:54:34 ID:MGeaunBB
333 :
回想774列車:2008/11/11(火) 23:01:45 ID:gT91q1Ab
332 ありがとう
>>331 ギリシャに転売された石狩丸は、カーフェリーに改造された。
他にもあったような気がするが、カーフェリーに化けたのは
檜山丸型ばっかりだったような。
335 :
回想774列車:2008/11/12(水) 01:58:15 ID:FIXvHTlD
そういえば、
洞爺丸台風の翌年だったか、旧型大雪丸も沈没寸前の難航に
遭ったんだったな。確か出航後24時間近くもちちゅう航法で
津軽海峡をあっちへウロウロこっちをウロウロしたはず。
最後は錨も切り落としたんだっけ。
誰か詳しい事知ってる人いる?
5年後(34年)の摩周丸難航なら有名だけど、大雪もやってんのか?
それは知らんかった。
ちなみに摩周丸難航の方は、18時間だったかな。
ひょっとしたらこっちの事かも、と思うので、記憶してる範囲で書いてみる。
(坂本幸四郎氏の「青函連絡船」を読んだ記憶だけで書くので、細かいとこは自信ない)
洞爺丸台風と同じような進路で台風が接近して来てしまい、日本海に
観測点がないために不意打ちを食らったのが、運休の時期を逃した原因。
摩周丸はたしか、先行便が函館山にかかっているのが見えるような距離まで
函館湾に近付いていながら、あまりの強風に東への転舵が出来なくなって、
木古内湾方向への「ちちゅう」が始まったんだったと思った。
(風がきついために、舵効よりも船体が受ける風圧の方が大きくなり、
風上の方へ勝手に船が切り上がってしまう現象が起きたとか何とか)
日のあるうちはちちゅう、それが危険になる日没以後は木古内湾で投錨し、
夜中に抜錨して函館に着いたんだったような。
印象的だった記述は、機関長が普段は作業中に着ない金筋4本入った制服を着てきて、
「死ぬ覚悟して仕事しよう」と言うくだり。制服を着てきたのは、
「死んだ時に誰だかすぐわかるようにしとかないと」という理由だった。
「ヒゲ剃ってくるから」と部屋を出て行った機関長を見送って、坂本氏は
胃が痛くなるような緊張を感じたとか書いてたような気がする。
(それ以後、無線室に胃薬を常備するようになった、とか)
あと、昼間の難航事件だったために、ラジオで全国にリアルタイム報道され、
全国から摩周丸宛てに「貴船の健闘を祈る」みたいな電報が続々と飛び込んできた、
という話もあったかな。
洞爺丸の生き残りのかつぎ屋さんたちが、勝手に救命胴衣を引っ張り出して装着し、
そのかっこで船室を歩き回るので、乗客が動揺、ボーイがえらく難渋した、
とかも書かれてたっけ。
長文スマソ。
ところで津軽丸形の航続距離ってどのくらいだったんだろ。
3000海里くらい?
3000海里も走らせてどこへ行くのかとw
三陸沖のフェリーが難航して無線の到達範囲から逸れて
すわソーナンか?と騒がれたことがあったような。
平成に入ってからだけど。
sage
その津軽丸は北朝鮮に直行したわけだし、18ノットで2000海里はいけたんじゃないか?
もちろん燃料をフル搭載したら、だけど。
大分後になって、イスラム巡礼船になっていたくらいだから、
満載で3000海里は行けたんかなあ。
十和田丸も北海道一周とか晴海埠頭遠征をしていたことだし。
341 :
回想774列車:2008/11/15(土) 22:04:51 ID:PnB8JUQb
>>340 十和田丸は横浜ー神戸間に就航していたし
342 :
回想774列車:2008/11/16(日) 07:27:31 ID:Sysg5mxy
>>341 それはせいぜい300海里だろう。
フル搭載って言えば車両甲板いっぱいにタキを積み込めば太平洋横断だって出来ないか?
>>342 重心が低くなりすぎて、太平洋の荒波で
車両甲板に海水が入ってきてしまいますよ。
※翔鳳丸型、洞爺丸型、紫雲丸型の場合。
東京港出入りのコンテナ船は、みんな舷側も高いもんね。
そばの羊蹄丸がコンパクトに見える。
>>343 紫雲丸はそもそも平水ww
洞爺丸事故以降の洞爺丸形は船尾に扉を設置したので、
ある程度は行けるのでは?
旧大雪丸は地中海やアドリア海で活躍していたけど、
船尾はどうなっていたんだろ。
>>344 そうなんだよねぇ。
この間、20年ぶりに羊蹄丸と再開したら、
「あれっ?こんなに小さかったっけ?」
って思ったよ。
青森駅のホームから見たときは巨体に見えたのに。
346 :
回想774列車:2008/11/17(月) 09:21:51 ID:Hl+pGmF5
>>345 >旧大雪丸は地中海やアドリア海で活躍していたけど、
船尾はどうなっていたんだろ。
アドリア海に行った洞爺丸型大雪丸は大規模改修されました。
元洞爺丸型と判らない位に改修されました。
主機変装、車輌甲板から上は全て作り直しです。
線路撤去されカーフェリーに改造された。
もちろん、船尾も扉付。
347 :
回想774列車:2008/11/17(月) 14:51:39 ID:Vem8G5s+
「翔鳳丸」時代に客載貨車渡船の味を覚えて、戦後「洞爺丸」型を造った
のが大惨事になった-----と故野村董氏がよく言っていたが:---
「客貨分離」で「田村丸」、「比羅夫丸」の拡大高速型を造ったら転覆沈没
は無かったと---いずれにせよ「耐浪浪扉」は必要だったが、津軽海峡は「沿海」、
「近海2級」等の船級が必要な海域?船舶に詳しい方ご教示よろ。
348 :
回想774列車:2008/11/17(月) 15:01:35 ID:Vem8G5s+
349 :
回想774列車:2008/11/17(月) 15:02:17 ID:cVfB1LMm
>>346 そこまでやって中古買う意味あるんだろうか?
350 :
回想774列車:2008/11/17(月) 18:22:08 ID:Hl+pGmF5
351 :
回想774列車:2008/11/17(月) 20:20:07 ID:EYDtvsok
>>350 ありゃりゃ。
ブリッジに痕跡があるかと思いきや、両舷に張り出した部分が露天化されているな。
鉄道連絡船の名残はまったくと言っていいほど無かったのか。
しかし1991年ったら、津軽丸形が軒並み保存船になっていたのに、
それよりも古い船がまだまだ現役で頑張っていたってのは凄いね。
352 :
回想774列車:2008/11/17(月) 21:19:24 ID:ABROfdO4
ブリッジ下の、昔は寝台室のあったところや、遊歩甲板の下の、2個で一組となっている丸窓が整然と並ぶ姿は、
大雪丸の面影を残してますね。
丁度、青函連絡船が廃止される頃に、地中海を航行する船がテロにあったと言う記事が日本の新聞に出ました。
その記事を読んでいると、船名が「ソル・フライニー」(だったかな)と書かれていて、被害にあった船尾部分の写真
も掲載されていましたが、大雪丸が「ソル・フリン」と言う船名となっているのを知ってましたので、まさか連絡船が
廃止になろうとしている頃に、遠く離れた場所からその健在ぶりを示す記事が出るとはと、何とも不思議な気がした
のを思い出します。
そう言えば、数年前に、旧十和田丸がバングラデシュに回航されたそうです。
数年前ではなく、数ヶ月前では?
2005年の石狩丸に続き、十和田丸までもが・・・。
嗚呼!
鹿島鉄道のキハ10系の方がもっとも車齢が長いが・・・。
?
356 :
回想774列車:2008/11/18(火) 10:43:55 ID:RPNmv0z6
「艦船模型」って雑誌に青函連絡船の特集が載ってたよ
>>356 天賞堂の模型の発売が近いからじゃないか?
昭和9年 神戸市内の病院 実家は東舞子 誕生日が過ぎた頃に歌敷山
昭和20年 舞子国民学校 四年生3学期まで歌敷山
四年生修了で加古郡 九ケ月 戦後2年弱京都
22年秋から阪急神戸線沿線
関学「交通論」専攻
上司の紹介で見合い結婚したが大失敗でノイローゼ寸前
入院してから「禁酒」1週間に2度は「コロッケ」
膀胱に砂状の石がぷかぷか浮いている
359 :
回想774列車:2008/11/18(火) 21:37:19 ID:HMZvNCcQ
>>353 2008年夏との事。また一隻、連絡船が姿を消してゆきます・・・
360 :
回想774列車:2008/11/18(火) 21:40:08 ID:j5x2q8xF
>>358 何時もの粘着スレチガイのコピペ狂だ放置放置
361 :
回想774列車:2008/11/18(火) 23:55:33 ID:EdP2JjLJ
>>357 スケールは何分の一ですか?旧交博のフネの模型は縮尺がまちまちだった…
22年前の夏休みに青森から乗って夜中なのにしゃべってって怒られた。
すぐにデッキへ行ったけど。
363 :
回想774列車:2008/11/19(水) 13:13:12 ID:tCHqN+st
>>357 本当だ。1/500で来春発売
遅きに失した感はあるが、待ってたよ模型化。
364 :
回想774列車:2008/11/22(土) 20:10:27 ID:fI8Qp9g5
>>351 テロがなければ軽く2000年代まで活躍してただろうな
365 :
回想774列車:2008/11/22(土) 20:43:48 ID:g8TBVJvz
湯の川の近くに住んでいたけど
家からでも連絡船の汽笛がよく聞こえた。
音の周波数とかの詳しいメカニズムはよく知らないけど
あの重低音ってやっぱり遠くまで届きやすかったのかな。
じゃなきゃ汽笛の意味がないw
関係ないけど、道東(霧多布)の灯台に行ったら、
霧笛は音が大きいので、耳に注意するように、との看板があった。
368 :
回想774列車:2008/11/23(日) 22:35:01 ID:EMZVL22x
哀愁感(-_-)なんとも…
369 :
回想774列車:2008/11/24(月) 00:44:11 ID:PwycCzy5
連絡船の汽笛って、「重低音」と言うほど低かったかなあ…?
それとも、日常使う和音笛以外に、低音の汽笛もあったの?
船によっては振動板がイカレてんのか、やたらと重低音を響かせるのもあったな。
石狩丸と十和田丸は最後まで良い音色だったね。
羊蹄と摩周がちょっと調子悪かったような。
ふくうら丸が青森から回航されるときです。
タグが港口を交わす際に、見送る十和田丸が、
『ヒュゥオーーーー』
というサイレンみたいな音を一度だけ鳴らしました。
初めて聞いたけど、通常とは別の霧笛だったのかなぁ。
吸い込むような高めの音でしたが‥。
>>372 タグボートや漁船などは、汽笛の口径が小さいため、
「ピィーッ!」という甲高い音となります。
タイタニック号の汽笛は「ポォーッ!」という
甲高い汽笛であったという証言があるとのこと。
※映画のタイタニックの汽笛はどこかの客船から
流用した汽笛の音だと思われるため、実際の汽笛の
音とは相当に異なる。
青函関連の番組でも、後付けで全然違う重々しい汽笛を付けられてる例って多かったよな。
とくに、歌番組の背景みたいな映像だと。
軽やかな和音のホーンじゃ似合わないと思われるのか。
375 :
回想774列車:2008/11/26(水) 21:15:12 ID:2ZG5fhwZ
NHKが昭和30年代前半に撮影した短編映画に「青函連絡船」というのがあるのですが、その中でもやい綱を
小型の船が取りに行くときに、連絡船と汽笛のやりとりをする場面があり、小型船の甲高い"ポー"という音に
対して、連絡船の重々しい"ボォー"という音が鳴っているのが収録されていました。
この短編映画は、当時の連絡船の船内や、担ぎ屋さんを始めとする旅客、函館港と函館市内が収録されて
いて、中々興味深い映像なので、どこかで放送されればなぁと思ってます。
376 :
回想774列車:2008/11/26(水) 22:23:52 ID:wBlWdPoy
>>375 12/1から始まるアーカイブスオンデマンドにありそうだな
>>375 つまり、洞爺丸型などの時代は、津軽丸U型とは違う重々しい音、って事ですか?
378 :
回想774列車:2008/11/27(木) 07:16:13 ID:MMNPRlnV
>>377 やはり蒸気と圧縮空気の違いだろうね。
しかし最近は出航の汽笛自体、鳴らさないトコが多くてつまらん。
東京辺りだとオーシャンフェリーくらいか。
それも津軽丸型がホルンだとすると、サックスを吹いたような「ボェーー」という音色。
379 :
回想774列車:2008/11/27(木) 07:36:17 ID:50aiKnlJ
補助汽船といえば「かつとし丸」その船名となった「葛登支」には灯台があって「青函連絡船」の位置確認ポイントでした。洞爺丸遭難の時の書物にも登場するので印象に残っています。
380 :
回想774列車:2008/11/27(木) 13:14:51 ID:SJTlHUik
>>338 商船三井系の「しれとこ丸」じゃ?
一時行方不明と大騒ぎになった
>>379 タグボートの名前は岬名でしたね。
アカブネはえさん丸・しらかみ丸・かつとし丸・たつぴ丸
アオブネはふくうら丸・ひうら丸
だったっけ?
382 :
375:2008/11/27(木) 21:40:52 ID:XPJCjVeA
>>377>>378 その通りで、腹の底に響く様な低音の汽笛です。蒸気で鳴らしたからこその音でしょうね。
>>376 このNHK短編映画は、16年ほど前にBSで再放送された事がありますが、「東京駅」や「さいはて列車」
(釧網本線の客車列車)など、興味深い作品も放送されましたが、アーカイブスの航海ライブラリーでも
未公開なので、アーカイブスオンデマンドのラインナップに入るのも当面望み薄かと。
いよいよ12月だけど、保存の各船も新年の汽笛を鳴らすのかな。
羊蹄丸の声を聴きたくなってきた。
小林旭の「渡り鳥北へ帰る」という映画は昭和36年当時の函館駅頭
や飛行場、元町末広町あたり等がカラーででてくるので興味深いです。
連絡船は冒頭に4本煙突の空撮とラストで小林旭が初代十和田丸
で東京に戻るシーンくらいですが、DVD化もされているようなので
一見の価値はあると思います。
385 :
回想774列車:2008/11/29(土) 15:10:19 ID:c/emMgGn
チョウセーイ イッパーツ 鷲のマ(ry
386 :
回想774列車:2008/11/29(土) 19:25:50 ID:L8JKzLvf
JTBパブリッシングから、"鉄道連絡船細見"という本が発売されました。あまり発表された事のない写真が、比較的多い様に
思います。内容的には、船よりも、航路や造船所に関する話が多く取り上げられていました。
387 :
384:2008/11/29(土) 23:31:05 ID:Z7M3n+4C
388 :
回想774列車:2008/11/30(日) 16:03:42 ID:M3OUJpZW
>>223 亀レスだけど、
おいらの録音したときは、「ふためーたー、ひとめーたー」って言ってるキガス。
>>388 オレが廃止直前に函館で聞いたときは「ふためーたー、いちめーたー」だったな。
時代により微妙に変化があるのかな。
旧十和田丸なら船体下部が黄緑だし、煙突も太いのが一本。
映画に出てきているのは船体下部が黒色で、煙突も4本。
従ってこれは洞爺丸形。
旧摩周丸か旧大雪丸?
洞爺丸型も最晩年は船体色が緑に、車両甲板開口部には扉が付いたと
記憶しているが、この映画の時点ではまだみたいだね。
側面の丸窓化はしてるけど。
YOTEIって文字が書いてあるみたいだから羊蹄丸なんじゃないの?
前に乗ったときはまだ俺はDOTEIだったな
未だにHOKEIなんだろ?
397 :
回想774列車:2008/12/04(木) 18:00:26 ID:qNp+4X9b
現状の(しかも酉の)話題は若干板違いでもあるけど、
寂しいのは寂しいよね。
数年前の総会で、外国人投資家の工作員っぽい株主が、
「赤字の宮島航路は廃止すべき」と発言していた事もあったが、
ついにそれが通っちゃったのかねぇ。
>>400 どうせ九州まで足を伸ばすことばかり考えて乗らないくせにw
ちょっと板違いかもしれないが、呉線へC59,C62を見に行った時、川尻の沖あいに
洞爺丸型の青函連絡船が係留されているを見た。あれは大雪丸だったろうか。
403 :
回想774列車:2008/12/05(金) 20:19:22 ID:ewj+SJ1B
大雪丸はそのあとイスラム巡礼船になった
その後、爆弾テロにもあったような
でよかったっけ
405 :
回想774列車:2008/12/10(水) 02:08:57 ID:3T5mkkHU
天賞堂製1/500青函連絡船、昨日から銀座本店の2階で
羊蹄丸のサンプルが展示されているみたいだね。
406 :
回想774列車:2008/12/11(木) 21:19:30 ID:q0k4Xiq/
羊蹄丸は昇降口周りとかを復元してくれるといいんだがな。
ハク製なのはどうしようもないけど。
407 :
回想774列車:2008/12/11(木) 21:22:18 ID:Sf7Mh8Fv
408 :
406:2008/12/12(金) 11:28:13 ID:w0Msi0Xz
>>407 あ〜ごめんなさひ。
自分のレスはフナ館にいる本物のことでした。
しかしいい模型だなー。
>>399 分社して残すのは、まあ落としどころだろうな。
外資のイヌは、むしろ、三江線をはじめとした中国山地の過疎路線が無理矢理維持されているのを突っ込め。
紫雲丸の航海士が股尾 前科であったら・・・。
処女航海で、ATSで推進停止。
「あ、もしもし、ATSの誤動作で停船したみたいです。
運航を再開しますので、出発合図をください。
前方よし!長声一発!!」
そして、運航再開。
「あっ!?船舶防護無線だ!何かおかしいぞ!」
航海士が機関を全速後進に入れようとしたその瞬間・・・。
同時に近接する鷲羽丸が・・・。
「ああーっ!?ほかの連絡船にぶつかる!!」
ドガシャーン!!!!
411 :
回想774列車:2008/12/17(水) 23:11:08 ID:Nv6ioXb/
不謹慎な…
青函トンネル開通数ヶ月前に、同僚とはくつるで北に向かった。
列車は雪を衝いて順調に進んでいたが「浅虫温泉の沿線で火事」のため
青森に延着する見込みのため、
連絡船に間に合わせられないという放送が流れた。
そこで「連絡船は連絡せん」とブラックな駄洒落をとばしたら
受験生や出張族らしい人達から射るような視線が…
あわてて「連絡船はいまはJR北海道だから、待たないのかも」
と付け加えたw。昔は何分遅れなら接続をとったのだろう。
前に何処かでそういうことが書いてあったと思ったが、基本的に本州対北海道の連絡が強い便は、
ギリギリまで待って接続したね。もちろん、連絡船が遅れた場合は接続の列車も遅れることになる。
ただ、それでも連絡船の運用は案外タイトだったので、30分程度の待機が限度だったようだ。
それ以上遅れる時は場合によっては後続の便に誘導した。深夜に運航してる貨物便を急遽客扱いすることもあった。
更に道内ではそういう乗客のために臨時列車を運転したこともある。
特に速達性の強い1・2便系統は遅れが許されず、ダイヤが乱れた時でも遅れを回復するために、
最優先で走らせて連絡船に引き継いでいた。
でも、北海道側は少々遅れても待機していたり、臨時列車を突発させたりして柔軟に対応していたようだが、
本州側は新幹線と接続するようになってからは余り待たないで先発してしまうようになった。
>>413 どうもです。
トンネルができた今は、列車の本数も増えているので
無理に接続をとる必要も減ったのでしょうね。
415 :
回想774列車:2008/12/26(金) 19:30:01 ID:6YFpKzz2
昨日、船の科学館に行って羊蹄丸を見学してきた。
他に客はおらず、まったりと見学。
シアターでは戦災や洞爺丸事故のことが詳しく放映され
洞爺丸の船内の各等級室の写真や、沈没直前の緊迫した船室の写真などが出てきて食い入るように見た。
他にも津軽丸型船内の船員室や船員専用の食堂、風呂の映像なんかも出てきて
なかなか見られない映像満載で、2時間の放映時間はあっという間に過ぎ
最期の連絡船引退の場面では涙が出てきた。
余談ながら、タグボートにまで船室に食堂や風呂まで付いていたのは驚きだったが。
416 :
回想774列車:2008/12/26(金) 19:48:42 ID:3QK35Q1p
>>415 今年の3月に20年ぶりに羊蹄と再会したときに見たけど、
あれは良かったねぇ。
製作年月が随分古いのかな。昭和20年の空襲の際の効果音とかが、
ファミコンゲームみたいだったけど。
最終便出港の際に、夕日を受けた船首の部分で、
ヘルメットを被った船員さんたちが、手を振っていたシーンが印象深い。
それにしても船内は原型を留めてないね!
非公開の船員区画とかはどうなっているんだろ。
>>412-414 坂本幸四郎氏の「わが青春の〜」の方だったと思うけど、指令員の苦労話が載ってた筈。
それによると、本州側には「対北海道重要連絡列車は、どうせ青函局が
待ってくれるに違いない」という甘えがあり、どうしても上りを優先して
下りが叩かれ倒し、青森に大延着する結果になりやすかったそうだ。
その傾向があまりに酷くて、主要駅ごとにどんどん遅れが積み増されていき、
接続を取るべき遅れなのかどうかすらさっぱりつかめなくなる事もしばしばだったらしい。
いくら何でもこれは酷い、と北海道側の要請で本州側関係各局と合同会議を持って、
それぞれ、その先の連絡の状況なども考慮して、「○便に対して×Mは何分まで待つ」
「▲列車に対して■便は何分まで待つ」みたいなガイドラインを決めたという話。
原典が手元にないので、細かいところ間違ってたらすみません。
>>417 「わが青春の〜」で間違いないですね。
明記は避けてるけど、局(盛や秋?)の専横に悩まされたようで。
同じく状況把握ができない「幽霊列車」とは、白鳥や日本海のことでしょう。
最近は少雪とはいえ、転覆事故以来強風にもシビアになった。
接続可否で現場が悩むのは、これからも変わらないでしょうなぁ。
今は強風以外にも大雪や大雨など荒天が“予想”される時には早々と夜行列車などは運休させてしまう。
まるで早くから知らせておいたのだから責任はない…と言わんばかりに。
接続列車も必要以上には待たない。後続の列車に案内するのが基本的なルールになっているかのようだ。
それで乗客の予定が狂ってしまおうが、「安全のため…」と言われればどうしようもない。
せいぜい帰る人には無賃て代金はお返しします、払い戻しいたします…という程度。
ドライになったもんだ。
>>419 今すぐ、路車板のトワイライト・日本海スレを見に行くことをおすすめする。
421 :
青森人:2009/01/03(土) 11:05:00 ID:Dt9ib0VQ
ぶった切りスマン、青森の八甲田丸で1/10〜1/12にファン感謝デーのイベントあり。といっても子供向けのイベントですが。
422 :
回想774列車:2009/01/06(火) 08:38:27 ID:v2H3X7sr
そういや船板てないよね?
航空と同居だな。
425 :
sage:2009/01/17(土) 14:05:22 ID:kRTKrtGW
レッコー ショウー ア ライン
おもて、レッコーサー
フルアスタン!
>>425 > ショウー ア ライン
↑
ショア=岸です。
429 :
回想774列車:2009/01/19(月) 22:48:43 ID:Zy3MoHBJ
ショー マスト ゴーオン
430 :
回想774列車:2009/01/20(火) 10:35:52 ID:Is9W26mA
乗船名簿 急行からは二本特急からは三本の赤い線が印刷されていた。
>>427 後ろ付けの青函が、レッコしていきなりフルアスタンかよw
可動橋破壊すんぞw
フルアスタン危険だww
慌てるな!船舶は急には止まれない。
434 :
sage:2009/02/02(月) 15:01:44 ID:ing/eZmo
テケミ
435 :
回想774列車:2009/02/02(月) 21:03:16 ID:+DqE+1Yu
函館の
ラーメンの店「海峡」が閉店
またひとつ青函連絡船の面影が消えた(TT)
ええ〜〜〜っ?
あわててググった。
去年に閉店になってたんだな…
438 :
回想774列車:2009/02/07(土) 17:43:05 ID:8935rdYH
青函に乗っていつも思ったこと
同じ国鉄とは思えないくらいにみんな愛想がいい。
439 :
回想774列車:2009/02/08(日) 03:58:11 ID:MSL4O6Kn
海の男は苦労してるからな
440 :
回想774列車:2009/02/08(日) 11:36:43 ID:CSrl7xuX
ヨコハマ模型フェスタで展示される天賞堂の
見た方いますか。
>>438-439 廃止直前だったか、青函博復活運行の時だったか、船舶職員さんから直接、
「JRになって愛想がよくなったと言われるのが一番悔しい。
そういう人は、それまで乗った事がなくて、廃止駆け込みで来た人だと思う。
地上の各職場を見て、民営化であの国鉄職員の態度がこれほどよくなるのか、と
思った人が、民営化後に連絡船に初めて乗ったら、ああ連絡船のこの愛想のよさも、
きっと民営化で変わったもんなんだな、と思い込むんだろう。
けど、おれたちは、国鉄時代もずーっとこんな調子だった。何も変わってない。
それなのに、まるで民営化のおかげみたいに言われるなんて…」
みたいな話を聞いた事がある。
なんか、泣けてきたよ。
坂本幸四郎氏の本を見ても、フネの世界はマル生の嵐もどこ吹く風で、
笑いが溢れていた、とあるけど、確かに独特の空気があった。
船舶独特の職務体系が、陰湿な労務管理の入り込む隙間を少なくしていて、
その結果、管理職もそうでない者も、一体感を削がれなかった、というような
分析をしてたと思う。
そういう空気が、お客さんに対する時にも現れてたんだろうかね。
船乗りは、板ん子一枚下は地獄という意識を共有していたんじゃないかな。だから人間関係も鉄道とは違っていたのだろう。
模型、見ました。第一印象は「小さい」ってことかな。五百分の一だから当たり前だけど。
443 :
回想774列車:2009/02/08(日) 18:55:13 ID:CSrl7xuX
1/500だと全長25、6cm位かな?
愛想よく接するのは当たり前!
だって、お客様商売だもん!
そうやって、国鉄じゃの、なんじゃのっていう職員って、日頃からの感謝の気持ちが足りない証拠だよ!
まぁこれは、仕事だけじゃないけど。
>>444 その割には、おまいさんはこのスレに書き込みさせてもらってるという
感謝の気持ちが足りてると言えるのかね?
それが当たり前だという気持ちが傲慢の始まりだよ。
rニ二二ゝ―‐、
/""""""ミヽ ヽハ
. / ミ| | |
〈ー‐、 r―- ミ| ,ハ )
赱>//ィ赱ア | ハ (
. l // ,リ ノ) )
. |(___つ (0) ( (
∧ヾニニア ノ) ) )
>>445 ( ヽ ノ ( ( ( ( あなたは何もわかっていないようだね。
))))>― ´ /― 、) ) ) 給料っていうのはね、自分はこれだけ働いたからって
(/|\ // \(( はいっ、ご褒美よ!じゃなく、我慢料のことをいうのだよ!
だってそうでしょ、お客様からお金をいただく訳だから、
愛想良くするのはあたりまえでしょ!!
愛想いいのは裏に何かあるんじゃないかと
かんぐられるようなご時世だけどな。
>>441 船の中は既に船長が一番偉いと決まってるからね。
坂本さんもそれ書いてたな。
船は永久職の世界で、機関部はどんなに出世しても機関長、
通信部は通信長止まりで、決して船長にはなれない。
だから、地上から来た事務長だけが出世を気にして点数を稼ごうとし、
ほかはあまり当局の意向を気にしなかった、みたいな話。
個々の船に決まったメンバーで乗り組んでいたから、
まとまりも良かったでしょうね。
設備の良い船の乗組員って誇りも高かったのでしょう。
想像ばかりですまんけど。
でも仕事への誇りって、特に接客業には大切と思う。
>>450 他の船や反対番との競争意識もあったろうね
452 :
回想774列車:2009/02/19(木) 20:41:27 ID:jJh26pYH
長声一発〜〜〜〜〜
∧_∧
( *´∀`) <長声いっぱーつ
(⌒⌒ヽ / 、つ
( プーーーーゥ!ゝ(_(__ ⌒)
丶〜 '´ ∪ (ノ
454 :
回想774列車:2009/02/20(金) 00:31:55 ID:GK3z46Ox
そういや
前後の鉄道がストで止まっても
青函だけが動いていたなんていう話あったな。
新聞に重油代ン十万乗客ひとり・・・なんてあった。
455 :
回想774列車:2009/02/20(金) 09:07:35 ID:i4cIrxBE
そんな報道の仕方が問題だと思う。叩くために細かいことに目をつけるっていうか・・・。
すべての路線でいつも黒字なんて、公共的事業の意味無いじゃん。
鉄道や航路は、その路線開通に賭けた先人の努力とか、地域の犠牲や期待とか、
まったく考えずに廃止しちゃった。(まぁコレは単なるノスタルジー)
でも、効率ばかり追い求めたら、弱者は生きていけなくなっちゃうよね。
「田舎の郵便局は潰して『週に1回だけ来るマイクロバス』で開局」
「人の乗らないバス路線は廃止すっから、ジジ・ババは歩いて病院へ行ってネ」
「儲からない過疎地の病院、特に産婦人科なんか、どんどん無くす」
い ま に そうなる。長スマソ
457 :
回想774列車:2009/02/20(金) 19:54:52 ID:VB22Gvza
、-〜ーーー〜、
ノ 二、_、_ゝ,/,ヘ
) 彳 __ __| |
ノ .イ6| 一 〈 ‐|,ゝ ←こいつがすべて悪い
ゝ、 ,ゝ ゝl
ヒ.i,| \ 「 ‐一|
, -/\ \___|
\ \ |\
いや、それほど単純な問題でもないだろ。
まずは中曽根がサッチャリズムに尻尾振ったとこからだから。
その御本家大勲位は、最近宗旨変えして、小泉君はいかん、とか
言ってるそうだけど、ちゃんちゃらおかしくて聞いてられん。
…って、ここ、分割民営化は失敗だったスレじゃなくて、
連絡船スレじゃないかw
ちょっと航路を逸脱し過ぎてるかw
でも中曽根行革は中途半端に終わったというのが現在の評価。
それよりも国鉄の分割民営化は結局、国労つぶし=社会党つぶし
だったというのが真相だろう。
460 :
回想774列車:2009/02/21(土) 11:21:17 ID:C0o66awn
とりあえず小泉はこの世から消えて欲しいだけです。
各船の乗組員は淡々と指令通り任務をこなしていただけですな。
今日、井脇ノブ子の財団・学校が不正経理とかいうニュースで、突然
「青函連絡船を買い取った際に」というフレーズが飛び込んできてビツクリ。
それにしても、本人が「教育の事ばかりやってきて、ああいう事は明るくなかった。
大失敗だったな、と」みたいな会見をやっていたのは、どうなんだか。
それじゃ買われた檜山もかわいそうだぞ、と思ってしまったよ。
465 :
回想774列車:2009/02/23(月) 16:54:23 ID:OVDFnVaZ
あのおばちゃんw
あの女みたいな名前の人か!
チラッと画面で見たけどやはり青函連絡船だったんだね
467 :
回想774列車:2009/02/24(火) 23:19:42 ID:3Xun/RbD
今やおくりびとで話題の納棺師だが青函連絡船の事故がきっかけだったとか
現役の納棺師の方が話ていた
>>468 洞爺丸や伊勢湾台風で納棺師が増えたんだね。
そう言えば、洞爺丸台風後、函館では棺桶が足りなくなって、
五稜郭工場とかも早朝から深夜まで、本業の車両検修そっちのけで、
必死になって棺桶を製作した、って言うよね。
いずれにしても、大変な事故だったんだな、と実感する。
日航機墜落事故の乗客・乗員名簿でも凄い数だと思ったもんなぁ、
新聞を3ページくらい使ってた様な印象があるぞ。
それの倍以上と考えると戦慄を覚えるな・・・
472 :
名無し募集中。。。:2009/02/27(金) 23:54:31 ID:/v2vlCK3
>>471 JL123のときは顔写真とか搭乗目的なんかも載せたから分量が多くなった
洞爺丸の時代は名前と居住地くらいだろ
阪神淡路の時はNHKが夜通し延々読み上げてたな。
全部聞かなきゃ判らんだろが・・・
474 :
回想774列車:2009/02/27(金) 23:58:28 ID:2d/V3OB/
その情報見て、インチキ遺族が押し寄せたんだよね。
475 :
回想774列車:2009/02/28(土) 12:48:55 ID:IBjfdFNL
福知山線の脱線事故の時も長かったなぁ
何かしなくちゃいかんというのは解るが、意味無いことやってもただのアリバイ作りでさ・・・
デンマークなど欧州諸国みたいに客車航送を常時実施しなかったのは、
やっぱリスクに対する民族性の違いかね?
478 :
回想774列車:2009/02/28(土) 15:08:30 ID:Lhnyh9Jl
「問題があると、その要因をやめてしまう」
日本のお役所的体質かと。
「問題があると、問題が解決するよう手段を考える」のは日本でも民間では普通のこと。
イタリアで車両航送を経験したけど、やっぱり便利だよね。夜行でもたたき起こされないし。
話し変わって、昨日、青森に逝って八甲田丸をみたんだけど、なんか昔乗ったときのことを思い出したよ。
これで座席なんかもそのままだとよかったのになぁ。
おれが乗ったのは昭和55年の夏。往復してそれが最後になった。もうその頃は夏休みでもがらがらで青森駅で走るなんてことはなかったなぁ。
479 :
回想774列車:2009/02/28(土) 20:42:29 ID:cxTYqsZB
乗船名簿って、名前を2カ所書くでしょう。
それを出港地と船内で保管する。
役に立っては欲しくないものだよね。
最近の話だけど、瀬戸内海なんかの航路で、
(続)下船時にも乗船券集めるところがあるけど、
あれってカウントしてるんだね。
社会勉強のため子供に一人で乗船券を買わせて乗せたが
降りる時は親のクルマに乗せて降りてしまったために
小学生が行方不明になったと騒ぎになった。
懐かし話でなくてゴメン…
>>481 アレ、南海フェリーだから厳密に言うなら内海じゃないぞ。揺れるときは偉い揺れるしな…
個人的には、あの航路が乗船名簿取らない方に違和感があるぐらいなんだが…
似たような航路とってた徳島フェリーは実際乗船名簿取ってたし。
>>469-470 その現役の方によれば北海道が1番多く
納棺師協会の本部も北海道にあるそうだ
救命ボートのつり下げ式(重力式)のボートダビットはビルディングの
窓ふき清掃などに使うゴンドラの動作原理に似ている。
津軽海峡フェリー
486 :
回想774列車:2009/03/13(金) 21:33:27 ID:pID3AShB
このスレでは初めての3/13なのに過疎ですねえ。
21年前の今ごろ。
定期最終便の両船から下りた人々は、さぞかし立ち去りがたい思いでいたでしょうな。
一日もった天気も、夜半から吹雪いた(@青森)のを思い出します。
今頃おれは、最終便と、それに続く回送便を待ち受けるべく、
函館中央埠頭にいたよw
488 :
回想774列車:2009/03/13(金) 23:22:50 ID:1Mc/TieE
朝は函館駅で津軽海峡線の開業式典と「はつかり」の一番列車を撮り、
「海峡」で青森へ、そして連絡船で函館へ戻ってきました。
最終便は臨時運行の時に乗船しようと思っていたので、
13日はやめました
昨日の今頃は路車板の富士ぶさスレにいました・・・
490 :
回想774列車:2009/03/15(日) 17:36:03 ID:HjdylK7M
海峡丼、まずいのにいつも食べてました
自分はイカづくし定食ばかり食べてたな。
492 :
回想774列車:2009/03/16(月) 03:36:34 ID:3knr41yp
海峡ラーメンっておいしかったの?
493 :
回想774列車:2009/03/16(月) 08:09:33 ID:QT2ChALh
青函連絡船の最終便に乗船するため、函館駅に数日前から列ができていたな。
駅前の時ならぬ“段ボール小屋”の出現もニュースになった。友人も2晩そこで寝泊まりしていた。
さすがに春近いとはいえ、寒さ厳しい北海道の地でそこまでする根性のない自分は、
前夜の夜行便で函館に入り、最終便の1便前の檜山丸の列に加わり、時間までの間、
「海峡」で青函トンネル 往復し、檜山丸に乗船、青森の桟橋待合室で最終便の到着を見届けた。
もうあれから21年か…。今でもついこの間のことのような感じなんだが…。
でも、東京駅からブルトレが消え、「昭和」の名残は確実に記憶の中に埋もれていく…。
その新聞に掲載されたヒトですが......首都圏で高校の卒業式だけ出席してすぐにトンボ帰りしたのもいい思い出です。函館駅前軒下のダンボール小屋で1週間近く過ごしましたが凍えた思い出はなし。あの頃は若かったんだなぁ。
私は前日夕方から青森駅で徹夜の列に加わってました。
指定席や寝台は完売。自由席も団体枠でほぼ埋められており、整理券はわずか200枚しか出ないとのことでした。
あの日、青森市は断続的に雪が降っており、駅舎内とはいえ寝っころがるために敷いた新聞紙越しに床の冷たさが体に沁みたもんです。
>>492 取り立てて旨い訳ではなかったけど、さりとて不味くもなかった。
まあ、函館で食べる普通のラーメン屋とさほど変わりはなかった。
497 :
回想774列車:2009/03/17(火) 06:19:55 ID:V4nKCiAj
青函連絡船で食べるから旨いんだよな。
498 :
回想774列車:2009/03/17(火) 08:36:38 ID:cS06WKF3
>>494 貴方は偉いよ。
世間がバブルで浮かれている頃に一週間もそういう生活をされたなんて。
499 :
回想774列車:2009/03/18(水) 20:28:30 ID:+rzcJ2M8
>>494 俺もあの列にいました 忘れもしない38番目(工藤静香の会員ナンバー)です
俺も高校の卒業式の翌日に18切符で埼玉から北上
段ボールに着替えとかを入れて放置一週間位連絡船をひたすら往復してましたよ
最終22便の折り返し回航便の出航を青森の桟橋待合室から
乗ってきた人たちと手を振って見送りました
こうやって書き込んでるとあの日のことが次から次へと思い浮かんで来た
長文スンマソ
500get!
レス番を見て思い出したのですが、
「498」という数字をみると、
青函連絡船の最高記録…498万人…昭和48年…を思い起こさせますね。
これをピークに減少が始まってしまった…。
翌49年にJALがB-747-SRを、ANAがトライスターをそれぞれ導入し、
航空の輸送力が大幅にうpしたこともあって、
航空へのシフトが一段と進みました。
横レススマソ
本当にオッサンばかりのスレだな
俺もだが
>499さん
自分もその列にいました。大学の後期試験が遅くて函館入りしたらすでに長蛇の列。
何とか2泊並んで乗船名簿手に入れて22便に乗りました。
折り返しの回航便は桟橋待合室の窓から見送りましたから、おそらくすぐそばにいたんじゃないかと。
岸壁でマリンガールのおねーさんが一列に並んで手を振ってましたね。
>494さん
一週間近くって.....もしかして先頭に並んでいた方ですか?
504 :
回想774列車:2009/04/01(水) 11:12:08 ID:9Q0OhNEG
>>499 いい時代だったな。
治安の悪化した今だったら着替え一式放置なんて怖くて出来ないだろう。
505 :
回想774列車:2009/04/01(水) 11:24:28 ID:POgYC7Hb
506 :
とらのすけ:2009/04/08(水) 18:41:43 ID:W+j9Z9q7
長声〜いっぱ〜つ〜〜〜〜〜〜
タウリン1000mg配合
つまんね
509 :
回想774列車:2009/04/10(金) 06:35:18 ID:/Pe3cd+j
夜行便で到着30分前位に、目覚ましに小鳥の声が流され、その合間にかかる曲、曲名がわからない。
たらたらたらたらたったっ、たらたったっ。たらたった−。
510 :
回想774列車:2009/04/10(金) 07:42:33 ID:7x+mbGB2
「カッコウワルツ」じゃなかったか?
小学校の音楽でやったと思うけど。
511 :
回想774列車:2009/04/10(金) 11:29:38 ID:9+wRlncQ
>>509 リヒャルト・アイレンベルク作曲の「森の水車/ "Die M?hle im Schwarzwald"(原題は「黒い森の水車」)」
の途中から使用。
513 :
回想774列車:2009/04/10(金) 21:43:49 ID:vsBoLtOO
夜行便てば
夜中にトイレに行くと、誰もいない広々としたトイレに光々と灯りがついてて、航行音と揺れが相まって一種独特な雰囲気だったな。冬は暖房は効き過ぎぐらいだったし。何もかもが懐かしい。。。
夜行便の目覚まし音楽、と言えば、それじゃなくて
すごく爽やかな曲(ピアノがメロを弾いてるイージーリスニング風の曲)を
一度だけ聞いた事がある。
あれを聞いたのはあの一度きりで、あれこそ曲名がわからない…
十和田だったかな、檜山だったかな、どっちかのはずなんだけど。
↑これ書いてからいろいろ思い出していたら、
「大脱走マーチ」も聞いた記憶があるような気がしてきた。
宮島航路の船は航行時には特有のエンジン音が聞こえる。
518 :
回想774列車:2009/04/15(水) 06:48:29 ID:dgz+r7ak
519 :
回想774列車:2009/04/15(水) 12:22:04 ID:jR6Pi1U0
函館第2桟橋の下船口から、4番線停車中の北斗の1号車自由席禁煙の乗車口迄は何メートルあったのでしょうか?
当時小学生であったから、長く感じたが・・・・
520 :
499:2009/04/15(水) 23:04:31 ID:hfioh3UY
>>504 「着替えを放置」の中身は使用済みの下着とかの
掻っ払われてもいいようなヤツね
こないだ実家帰って「旅の記録」ノート見てたら12日の晩は
函館桟橋でマルヨとなっていた
そういえば桟橋の一角に8畳位の畳敷きのとこあったよね
そこで寝たのを思い出した
521 :
回想774列車:2009/04/17(金) 00:36:05 ID:lokrOD7C
>>519さん
乗船タラップから階段の傾斜も含めて、だいたい350〜360mくらいでしょうか。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>516 大型船の低速ディーゼルと違い、小型船は中速ディーゼルか高速ディーゼルになるので
音質が違ってくるのも当然でしょうな。
でも、宮島、桜島クラスの短距離往復便と、豊予海峡渡って2、3時間はかかるそれなりの航路の船とでは、
船形もエンジン音もずいぶん違う。
宿毛フェリーと桜島フェリーに同じ公称999トン船があって両方に乗ったが、
ローカルルートとはいえある程度距離のある前者と、道路の延長みたいなもので乗ったらすぐ降りる作りの後者とでは、
全然味わいが違う。
524 :
回想774列車:2009/04/21(火) 22:37:25 ID:25Bghdgo
乗船名簿を書いた覚えがある。
海峡ラーメンが有ったな。
青森で初めて乗ったとき、どっちからくるのかわからず
反対の方を見てて、ふと後ろを向いたらすぐそこまで来てた!
大きい船って静かなもんだな
526 :
回想774列車:2009/04/27(月) 22:52:31 ID:78I15gJA
貧乏学生鉄にとって足を伸ばして休め、暖かい飯を食堂で食べ、そしてシャワー設備まで
ある連絡船はまさにオアシスだった、、、200円7分なりだったか?のシャワーを
浴びて、さてさっぱりして良し明日も撮ったるってテンションあげたのも
懐かしいな^^
527 :
回想774列車:2009/04/28(火) 01:45:06 ID:g4J9ZSyG
それが今やパサパサになった半額パンを食べ、腐りかけのやはり半額の惣菜弁当食べて
風呂にも入らず異臭を放ちながら寝不足で血ばしった目をしながらず〜っと乗り詰めしてるオッサンたちの若い頃かw
>>527 出張でスーツに身を包み、慌ただしく渡道する飛行機の機内より、
津軽海峡を見下ろしながら、しみじみしているおっさんの若い頃だよw
>>528 飛行機は津軽海峡を見下ろすルートを通らないのだが。
(函館便にしても着陸前で高度を落としているから、「見下ろす」
とまではいかないし)
千歳行きが吹雪で着陸できず、
津軽海峡上空でグルグル旋回ってのは経験あるな
>>529 お前、地図だけ見て言ってないか?
羽田−千歳の便は三沢から高度を落とし始め、下北半島上空を通る
左の窓側に乗ってれば、天気が良ければ恐山とか函館山とかよく見える
当然、津軽海峡もね
>>530 オレの経験では、ぐるぐる回るのは苫小牧沖のことが多いな
羽田から千歳まで3時間かかって、降りたら自衛隊の滑走路、スポットが開かず
1時間も待って合計4時間、ってこともあった
532 :
回想774列車:2009/04/29(水) 17:06:04 ID:FI1zQs62
羽田−千歳の飛行ルートは、通常前に書いてあるように、三沢辺りから降下を始めて、下北半島の東側上空を飛行する。
だから津軽海峡も望めるが、青函航路があった付近とはだいぶ離れているから、上空から青函航路を偲ぶのは難しいね。
また、千歳には通常南側から着陸することが多いが、植苗付近の室蘭本線と千歳線が分岐する辺りの上空で交差するので、
うまくいけば、下を走る列車を“空撮”気分で眺められるね。編成の長い「北斗星」だと、
周りの風景がちょっとした“大陸横断列車”を彷彿させるようだ。
一方、北側から着陸する時は、大きなバンクを取って南千歳駅上空を急旋回するように着陸するのもダイナミックだ。
また、ホールドがかかった時は、苫小牧沖を旋回して待機することが多いようだが、
稀に千歳空港と追分の辺りを円にして旋回することもあった。
あ、調子こいてスレチだったな。すまん。
私の初めての北海道は、行き飛行機、帰り連絡船でした。
宮脇俊三翁には怒られそうだな。
前の千歳空港の時、北側から着陸したのだけれど、千歳線を走るDD51牽引貨物が見下ろせて、着陸した後走り去ってゆく姿が見えた。
あれが初めて見る北海道の鉄道だった。
新千歳は線路から離れたからねぇ。
あっ、連絡船は桧山丸でした。
おれが最初に乗ったのは大雪丸
1年前、中国に叩き売られてしまった orz
>>532 別に航路を見下ろして偲ぶとかじゃなくって、ただ単に、80年代、
最速、はつかり5号(1M)−青函夜行(1便or11便)−おおぞら1号(1D)でも十数時間、
もちろんそんなの乗ったことなくて、ワイド周遊券で急行オンリーだと丸1日かかった
道のりを1時間15分程度で飛んでしまう、その事実にしみじみしているだけだよ。
青函連絡船に乗るのは儀式みたいなものだったよな
宮脇さんも言ってたよね「前戯なくいきなりナニするのは…(ry」
で、おっさんになった現在は…
>>533 行きに楽だけど帰りは辛く成らなかった?
歴戦の強者である皆さんには遠く及びませんが…
私もかろうじて最期の最期、
青函博で半年だっけ? 運行された時に、
八甲田からの乗り継ぎで乗船しました。
高校一年の頃だったと記憶。。。
帰りはトンネルで青森戻ってきて、
泊まりは、青森側でシップホテルとなっていた連絡船で一晩。
客が少なくて、あちこちじっくり見て回れました。
シャワー室?もあったと記憶。
読書灯もびっくりしましたっけ。。
グリーン船室も、抜群の座り心地。
枡席で寝たわけですが、いまとなってはいい思い出、経験できて良かったです。
>>537 おお一緒一緒!学年から連絡船体験から!
急行八甲田で青森に向かった点まで一緒でやんのwww
現役運行時はギリギリ間に合わなかったんよねー!
函館の羊蹄丸に泊まったけど、確かに夜は船内各所を見て廻ったよ。
グリーン指定席の座り心地の良さにはビックリしたもんだ。
便所にあった「青函連絡船廃止反対!」という落書きが懐かしい・・・
晩飯は食堂で食い、朝食はサロン海峡でトーストを食ったっけな。
くつろぎカードで泊まった時には、JNRマークの入った毛布が使われていたけど、
あの毛布は捨てちゃったんだろうね。
払い下げに出してくれれば買ったのに。
行きも帰りも十和田丸で、帰りに船が青森に着く直前に、
たまたま同じ桟敷席で一緒になった同い年の少年と、
寝台室の偵察に行ったのも懐かしいっす。
彼は名古屋から来ていたと言っていたけど、あれからどうしているやら。
「長声一発!」
「レッコ、ショアライン」
今日の海峡は穏やかだろうか…
540 :
537:2009/05/02(土) 20:59:05 ID:evTCgY3y
>>538 うわぁ〜、、そうなんですかぁ。
私は下り八甲田は、MOTOトレインの寝台車に近い指定席で行きましたよ。
そうでした、乗船したのは十和田丸。
泊まったのも十和田丸だったのかな??
グリーン座席はホントにびびりましたね。
かろうじて銅鑼の音を聞いたり、
乗船名簿を書いたり出来ました。
備え付けの乗船名簿、黄色だったと記憶してますが、何枚かもらえましたっけ。。
青森駅前のリンゴ販売所で、呼び込みするから、おまけして!って具合で、
2時間ばかりバイトしちゃったり…
今の青森はどうなってるのかな〜
541 :
537:2009/05/02(土) 22:28:26 ID:evTCgY3y
連投すいません。。
間違った事書いてしまいました。
行きの八甲田は自由席で、帰りが指定席でした。
思い出しついでに、
確か船内食堂ではラーメンとかイカソーメンが売ってたような?
あと椅子に付いてた読書灯、2種類あったように思います。
542 :
538:2009/05/05(火) 12:37:51 ID:8264eEwm
>>540 私も行きの八甲田では、モトトレイン用寝台車の隣の自由席に乗ってました。
前の席に座っていた中年のおじさんが検札の際に車掌さんに
「寝台に移りたいのですが」と言って、
「あれはバイク用の特別車でお乗せ出来ないんですよ」と断られていたのも思い出しました。
バッタンコシートには少々閉口しましたが、2人分席を確保出来たので、
なんとか熟睡できましたっけ。
乗船名簿は整理券との引き替えでもらったので、記念用のは手元に残せなかったです。
くつろぎカードでの宿泊は青森でしたか?
でしたらお泊まりは十和田丸だったのでしょう。
グリーン指定席の読書灯。肩の辺りにあったのしか覚えてないなあ。
ちなみに私が乗ったのはお盆過ぎだったような。
正確な日付は忘却の彼方でございます。
帰りはあけぼの4号のB寝台でした。
「来夏もまた臨時運航するんじゃないか?」なんていう、
無責任な噂が飛び交ってましたが、結局あれでおしまいでしたねぇ。
543 :
537:2009/05/10(日) 18:24:17 ID:nlL2EaJR
>>542 私も寝台に乗車したことがなかったんで、
盛岡を過ぎた辺りで、寝台の車輌に移って、
通路の座席に座って、寝台車を味わってましたね。。
時期は夏休み、お盆前か後だったと思うんですが。。
上野駅13番線ホームで自由席待ちで14時から待ってましたっけ。
簡易リクライニングは、ホント閉口しました(w
行きは仙台過ぎるまで寝られないし、
盛岡到着前には目が覚めるし、ほとんど寝られなかったですね。
盛岡には、ゆうづるかはくつる、583系が止まってたと記憶。
来年も運航するって話は私も聞きました。
来年は函館に泊まろうなんて話してましたっけ。
544 :
538:2009/05/10(日) 22:16:15 ID:Vk2Hek7V
>>543 14時から並びましたか!
私は19時くらいからだったかなあ。
モトトレインを扱うので、通常時よりも1時間近く早めに入線したので、
ホーム上で待ったのは数10分で済みましたけども。
あの頃のあの時間帯の上野駅は、夜行ラッシュで賑やかでしたっけ!
隣のホームにはあけぼの1号、その隣には能登・・・
黒磯での機関車交換を見届けたあとに就寝して、ふと目が覚めると白石。
隣の線路をはくつるが疾走していくのが見えました。
しかし冷房が効きすぎて寒かったなあ。
旅慣れたおばちゃんグループなんか、毛布を持参していましたもんねえ。
格の違いを見せつけられた気分でした。
翌朝は盛岡着時に目が覚め、そこからは特急のない時間帯の昼行急行に変身してました。
537さんが盛岡で見られた583系は、はつかりではないですかね?
青森に着くとホームの洗面所で洗面と歯磨き。
そして待望の青函連絡船・・・・・。
537さんも「来年も運航」の噂をお聞きになっていましたか。
あんな噂を信じたせいで、永久の別れになろうとは・・・
でも「残す会」のひとたちは、一縷の望みを繋いでいたみたいですね。
翌年の夏に函館を訪れたとき、摩周丸が終航時のままで岸壁に繋留されているのを見たときは、
まだまだその噂に信憑性がありましたねぇ。
遊歩甲板に掲げられていたの「80年の感謝を込めて」なんていう横断幕もそのままでしたし。
545 :
538:2009/05/10(日) 22:32:52 ID:Vk2Hek7V
そういえば、88年の青函博覧会の函館会場で、摩周丸が展示されていましたが、
ブリッジの見学に行くと、「まだ生きている機械もありますので触らないでください」
なんて貼り紙がありました。
なので、尚更「まだ使うつもりなのかな」と思ったもんです。
レーダーも回っていたような・・・。
船員さんがブリッジの端の方に座っていて、いろいろ説明してくれましたっけ。
有川に見える2隻の船が「あれはシヤマで、あれが空知」と言っていたのが印象深いです。
函館の辺りの言葉は、江戸っ子みたいにヒとシの区別が付かないんですかね?
546 :
回想774列車:2009/05/11(月) 06:56:36 ID:FYqKBLOT
全盛期の古い話題が多いのかと思ったら、終幕のあたりの意外と新しい話題ばかりなんですね
まあ、私も全盛期の連絡船は知りませんけど
昭和50年代前半くらいの夏休みに函館発昼の12時10分頃の便乗ったときは、ガラガラでしたね
特急から乗り継ぐ人も少なかったように記憶してます
昭和50年代半ばに深夜便0時40分頃の函館発は逆に特急からの客ばかり
当たり前か
当時「昔は急行や鈍行から連絡船へ走ったんだよ」という話を聞かされましたが
実感が湧かなかったですね
最後の年は流石に混んでいましたね
マークがJRに変わってしまったのが残念でした。
昭和57年7月。一旦は恐山の大祭に寄り道をして、
野辺地を18時36分に発車する仙台始発の41レに乗車して、
19時36分に青森に到着。
青森19時50分出帆の27便青函連絡船で23時40分に函館到着の「摩周丸」に乗船したのが最初だった。
函館からは旧型客車快速41レで札幌には6時51分に到着。
いやー。
チョコレート色の客車列車が実に懐かしいね。
で、仙台から青森までで、実に10時間もかかってたんだね?
ちなみに、帰りの青函連絡船は「松前丸」に乗船したものだった。
北海道ワイド周遊券、しっかりと元が取れた旅行だったので大満足!
548 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2009/05/11(月) 14:12:39 ID:Gp7tRhR+
津軽海峡・冬景色の作曲家である三木たかしさん亡くなったそうです
阿久悠さんに続いて関係者が鬼籍に入られましたか・・・
550 :
回想774列車:2009/05/13(水) 19:51:20 ID:ZITXVFB6
最晩年の昭和63年2月の土曜日、いなほ1号を降りて、17:05発の7便に乗り換えたのですが、混んでいると思って身構えていると、
がらがらで、拍子抜けだったのを思い出します。
函館駅の待合室で時間を潰して、急行すずらんで札幌に向かったのですが、もう21年前の思い出になりました・・・・
やっぱ混雑していたのは、朝から午前中にかけての便だったんかね?
開通直後の海峡は、どの列車も増結しまくって車内は満員大入り。
でもトンネルブームは数年でしぼみ、平成7年頃にはガラガラの空気輸送。
ひどいのだと3両編成で自由席が1両だけなんてのも。
やっぱ連絡船の方が景色が楽しめて良かったなぁ〜、と思ったものでした。
552 :
回想774列車:2009/05/14(木) 12:34:25 ID:5mvamsfp
>>551 自由席1両、指定席1両、海底駅専用車1両・・・・あれはひどかった。
553 :
回想774列車:2009/05/14(木) 21:52:59 ID:T6/O2QIs
>>547 14分で乗り継ぎですか。
成功して良かったですね。
554 :
妄想です。:2009/05/15(金) 20:57:36 ID:VzOKXXmX
青函連絡船、宇高連絡船をカーフェリーに改造後(新造)営業してたらどうなってただろうな。少なくとも、青函航路は、他社より、立地は有利だな。実際に末期は、トラックは積んだか判らないが、乗用車は積んでたと思うのだが。
青函連絡船では乗用車航送時にはどこに置かれていたのでしょう。
制度としてはあったのは知ってても
何回か乗ったが見たことありませんでした…
>>554 まず前提に、フェリーはトラックやシャーシを搭載できないとコスト的にペイできない。
(常連客となり得るトラックやシャーシを無視してフェリー運航は成り立たない)
で、青函・宇高連絡船の場合、車両甲板が鉄道車両輸送に最適化されているため、
トラック・シャーシ輸送には中途半端な大きさとなっており、そのままでは効率的な
積み込み・積み下ろしができない。
(車両タラップが後方にしかなく、船内では車両をUターンするスペースもないため、
積み込みか積み下ろしの時にバック運転する必要がある)
効率的に積み込み・積み下ろしをするとなると船首部に車両タラップをつける改造が
必要となるが、そうなるとどちらかの港で着岸方法を変更することとなり、既存の設備
が使えなくなってしまう。
結局、港も含めて改造に膨大な経費がかかることとなり、採算に合うかどうかは激しく
疑問となる。
ちなみに、現役時代の青函連絡船では乗用車及びオートバイ(檜山丸型のみ)の航走を
行っていた。
>>555 津軽丸型の場合は乗客甲板の後方の吹きっ晒しのスペースに乗用車搭載スペースがあった。
なお、航行中に波飛沫を受けるため、到着後に洗車サービスがあった。
檜山丸型の場合は車両甲板の一部を乗用車・バイクの搭載スペースに充てていた。
ちなみに昼間の便は貨物便として航行するため、航走客以外の乗客はなく、
船室も普通船室の一部だけが解放され、売店や食堂も当然ながら開いていない状況だった。
(使えたのは飲み物の自販機のみ)
車両甲板を乗用車スペースにあててるとなると、
デンマークなんかの鉄道兼用フェリーみたいに
併用軌道のようになっていたのだろうか。
自動車の航送は後部のデッキで行っていましたね。
遊歩甲板の一部を仕切って、自動車を搭載していたため、
航送便に当たると、一般旅客の入れる区画が狭められるので、
なんか損した気分でした。
560 :
555:2009/05/15(金) 23:04:54 ID:Sp7eub96
乗用車の置き場についてご教示ありがとうございました >all
どうりで…貨物便は見たことなかったので…
>>556 フェリーから下船時のトレーラーのバック運転に「漢」を
見ました。苫小牧〜八戸航路でした。今もそうなのかは知りませぬ…
561 :
回想774列車:2009/05/16(土) 07:54:34 ID:C2MM12Rs
>>554 あんな街中だと逆に立地条件は不利だけど?
562 :
回想774列車:2009/05/16(土) 11:52:16 ID:GzFixsXv
>>560 実現はしてないけど
渡島丸とかの貨物船の広大なデッキスペースは
当初乗用車の航送も考慮して設計されていたとか聞いた事があるなあ
563 :
回想774列車:2009/05/16(土) 12:40:30 ID:9FIO72Oa
自動車航送だっけ?
コンテナ船みたいにコンテナ積む構想じゃなかったっけ?
>>556 あと、津軽丸型などの青函用ディーゼル連絡船は、車両甲板高さを考慮して
エンジンルームの高さを抑えるため、通常のフェリーなどに比べて若干高速型で背の低いエンジンを多く搭載してたろ。
普通は低速型エンジンを4基のところ、高速型8基を2基ずつカップリング搭載。
これ経済性の面では、鉄道車両搭載を考慮しない場合、あまり有利とは言えない気がする。
>>564 ドック入り運休が他の航路と比較して調整しにくいから。
本日2便はドック入り休航なんてありえん。運行中に一部のエンジン止めて循環保守。
ああ、そういえば8基中6基が動けば定時運行できる性能なんだっけ。
ナロー時代の同和小坂の峠越え電化区間で使われてた日立製凸型電機思い出した。
機関車2両は毎日フル稼働、モーター付き台車だけ3両分あって、
毎日夜に入庫するとジャッキアップして1両の台車を交換して予備台車のメンテやってたって。
どう考えても車両3両揃えるコストより、電化から改軌まで35年間毎日ジャッキアップを繰り返していた無駄がでかかったように思えるw
洞爺丸型で、1つのスクリューを4基の艦本式タービンで回すのはどうかな?
スクリューは、当然可変ピッチ式にする。これで後進時の推進力を犠牲にしないで済む。
また、タービンが3つほど止まったとしても、航海性能が大幅に落ちるものの、
5ノットで走ることくらいは可能な性能を確保している。
問題は蒸気釜だ。蒸気釜とはボイラーのこと。タービンは外燃機関であり、蒸気を発生させるための
釜がいる。今の技術の蒸気釜は省エネルギーに準拠し、昔の設計のものと比較して重油消費量が
少ない電子制御の蒸気釜を用いる。
568 :
回想774列車:2009/05/17(日) 14:17:38 ID:ewXdL+WB
>>557 津軽丸型もバイク輸送は行っていたはず。ラッシング用のリングがデッキ面にあった。
航走は乗用車と同様、函館はエレベーターのあった第2桟橋、青森側はスロープのあった第1桟橋に離着岸する便のみであった。
569 :
回想774列車:2009/05/17(日) 14:19:49 ID:ewXdL+WB
>>561 確かに車を待機させる駐車場のスペースが必要。
旧有川桟橋なら好立地であると思いますが。
570 :
回想774列車:2009/05/17(日) 19:22:00 ID:ymL4xfxx
>>569 トラックや乗用車は渋滞が嫌いという意味だが?
571 :
回想774列車:2009/05/17(日) 20:31:02 ID:S7TFofBq
船舶関係雑誌で読んだだけだが
青函トンネル開通後の青函フェリー(東日本フェリー?)のレポートで
長距離トラックの運転手にとって休息時間にもなっていると書かれてた
572 :
回想774列車:2009/05/18(月) 21:48:56 ID:4JWAvbCs
青函連絡船の厨房は、材料から料理作ってましたか?それとも、列車の食堂車のように、半調理品を詰み込みしたり、缶ずめのカレーやレトルトを使ってましたか?詳しいかた教えてください。
573 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2009/05/19(火) 02:31:30 ID:GgR7ru1R
海峡ラーメンはどうだったのかな?
>>572 >列車の食堂車のように、半調理品を詰み込みしたり、缶ずめのカレーやレトルトを使ってましたか?
一般的な食堂でも冷凍食品や缶詰、レトルトは使ってると思うんだけど・・・・
575 :
回想774列車:2009/05/19(火) 09:33:44 ID:Ht731w14
>>565 連絡船と言えども年に1回はドック入りして、法定検査は受けなくてはならず、必ずどれか1隻は函館ドックに入渠していた船があった。
ただ、乗客に影響が出ないよう、津軽丸型は閑散期に入渠し、多客期は渡島丸型が入渠していた。
576 :
回想774列車:2009/05/19(火) 18:02:11 ID:wfy+1Sgg
>>567 幾ら技術が進歩したってボイラー焚くのに長時間かかる。
ヤカンで湯を沸かすのとは違うぞ。
蒸気はボイラーに火を焚いて、ハイGO!ではないんだから。
船舶用のボイラって機関車のとは構造違うんですよね?
板違いにつきsage
>>577 うん。
船舶用のボイラーの場合、ボイラーで沸かした水蒸気でもう一度(別の)水を
沸かしてその水蒸気をタービンに吹き付けるという多少面倒な工程になっている。
ちなみに、ボイラーの燃料はウラニウムとかプルトニウムとか使っており、一度
火を入れれば(能力上は)30年以上稼働し続けられる。
と言うか、いまどき外燃機関を使っている船なんぞ、遊覧船の類を除けば原子力船
以外にはない。
>>578 LNGタンカーには、まだ残ってるでしょ。
580 :
名無し募集中。。。:2009/05/20(水) 00:20:44 ID:4rZsRbzo
青森、といえば「むつ」つながり…?
原子力鉄道連絡船というのは世界中どこにもなかったですね…では〜ノシ
鉄道連絡船はあくまで鉄道と鉄道を結ぶためで、
基本的に短距離航路だからだろうね。
原子力船ほどの長大な航続力は必要なかったと。
原子力青函連絡船なんて、なんとなく愛着湧かないなぁ(´・ω・`)
>>576 もちろん、それは十分に知っている。
蒸気船や蒸気機関車の蒸気釜は火を付けてから
蒸気が沸くまでかなりの時間がかかる。
速く蒸気を起こそうと、400度まで熱した液体を釜に流し込んだら、
それこそ水蒸気爆発を起こす。この点を考慮しないといけないわけだ。
青函航路ならほとんど火を落とすことは無かろうから、
水を沸かしなおすことも少なかろうて。、
(船はどんどん走っても、人間のほうがもたないから、
A組、B組の他に、C組って交代専用の組も居たんだよね、たしか)
でも「粉炭燃料は、ちょい浸水しただけで身動き取れなくなる」
「重油炊きでも、数少ないボイラじゃ不安が残る
(タービンふやしてもボイラが少なきゃ何かのときに・・・)」
で、ムダは承知で8基ものディーゼル積んで、
安全重視の超多重系統にしたんじゃなかったけ?
>>584 この前からずっとそうだが、
あんたのレスは何が言いたいんだかさっぱり分からんw
ここは船舶妄想板じゃなくて、
鉄道懐かし板だという事も忘れんようにな。
587 :
回想774列車:2009/05/20(水) 11:31:43 ID:YjhfJisL
>>585 洞爺丸台風の時、洞爺丸と同じく北見丸、十勝丸も入って来た海水によって、
粉状の石炭と海水が混じって石炭庫から流れ出して、燃料供給が不可となり、
ボイラーの火が落ちて蒸気圧減少、運転ができなくなった。
日高丸も他船と同じく海水で石炭が濡れ、蒸気圧減少したが他船よりはマシだった。
水を吸った石炭をボイラーに投げ入れると水をかけたときと同じ「ジュー」っという音を出し、
ボイラーの火種を潰してしまう。
火夫の世界では
「バンカーが流れたらフネは終わり」みたいなのが
共通認識だったみたいだな。
589 :
回想774列車:2009/05/20(水) 11:54:54 ID:YjhfJisL
洞爺丸を始め他連絡船も石炭流れ出しで燃料供給不可が直接の原因で沈没した訳では無いが、
海水が入り、燃料を駄目にして推進出来なくなって流されて沈没の一因となったことは事実。
火夫は、船の運命を決める場所に居るから操舵室より先に船の運命を垣間見る。
どの連絡船も車両甲板に開いた後部の大きな車両積み込み口から、巨大な波が浸入して車両甲板に入った。
これだけなら問題はないが、当日の函館湾でのうねりの波長と高さが重要な問題になる。
なお当日の波の高さは6メートル、波長は9秒で波の長さは120メートルであり、
波の高さは連絡船の喫水線の長さよりほんの少しだけ長く、車両甲板の中程までの高さの波である。
この波に合わせて船が上下運動したときまず船首が波に突っ込み船首が上がる、
すると船尾のすぐ後に前の波の山があって、この時に海水が車両甲板に打ち上げる、船首が波を乗り越して徐々に下がり、
打ち上げた海水が車両甲板の最前部を目指して一気に流れる。
その波が船首の近くまで進み、船尾の持ち上がりがピークに達した少し後に車両甲板最前部の壁に当たり跳ね返る。
次に船首に次の波が近づいて少しずつ持ち上がるのに少し遅れて海水も船尾へと移動する。
そして船首が次の波に突っ込んで持ち上がりが最大になる船尾から海水が入るが前の波で入った水は、
まだ船尾に達しておらず、次に船首が下がり始めたときに船尾付近で次の波によって入ってきた海水とぶつかり、
しかも船尾が上がるのだから前の水はここで船尾へ向かう力を失い、次の波の水と一緒にまた船首へ、
向かうという現象を繰り返した。次第に車両甲板に溜まる水は増えていった。
この現象は喫水線の長さより数メートルほど波長が長い波の場合にだけ発生し、
以外の波ではどんなに大きい波でも起こらない現象であることが水槽実験で実証された。
590 :
回想774列車:2009/05/20(水) 12:00:18 ID:YjhfJisL
このような波長の悪戯によって車両甲板には大量の海水が滞留し、
車両甲板と機関室、ボイラー室、石炭庫を結ぶ扉の隙間から大量の水が機関室やボイラー室に流れた。
この扉は海水が滞留するのが前提でなく水密はされていなかった。
そのために船底に近い機関室やボイラー室は水没して機関が故障、
同時に石炭庫に流れた水は石炭と混じって泥水となってボイラー室を水没させ、
機関の運転を不能にした。湾内は長大なうねりが殺到しており機関運転停止によって、
連絡船は船位の維持が困難になり船を風に立たせることが出来なくなって、
次第に横波を受けるようになり、車両甲板の大量の海水が船の重心を上げ、
傾斜時の復元性が著しく低下すると傾斜したことにより車両甲板に積載されている、
貨車が横転して片方に重心が寄り最終的には沈没した。
このスレに来てる奴なら、
その辺はだいたい知ってるんじゃね?
坂本さんの本とか某有名サイトぐらいは
定本としてみんな見てるだろうし。
少なくとも、おれにとって新しい知識は
この長文の中にひとつもなかった。
592 :
回想774列車:2009/05/20(水) 19:14:37 ID:oSGECVkv
大昔、八甲田丸の食堂でアルバイトしてたことありましたが、大体のものは船内で作ってましたよ。ただカレーは地上の調理場で作ったものを使ってました。
593 :
回想774列車:2009/05/20(水) 19:56:38 ID:2L8gNHHV
>>592 船員さんの食事も客用の食堂で作っていたんですか?
594 :
回想774列車:2009/05/20(水) 23:35:40 ID:tqLqOFFn
金丸大作氏の連絡船の写真集を見ると、石炭庫とボイラー焚口の関係が良く分かります。大変な職場ですね。
船員さんの食事も同じところで作ってました。
596 :
回想774列車:2009/05/21(木) 23:30:15 ID:zLK/ebn2
征韓連絡船
597 :
回想774列車:2009/05/22(金) 03:02:59 ID:L2XGyNNi
三等船室の丸窓を覗くと海面だった。十円か二十円でボーイにお茶を頼めた。四本煙突の連絡船時代。
洞爺丸の汽笛はかなり太い低音域なのかな?
YouTubeで洞爺丸型の船舶が汽笛を鳴らすのを見たとき、
煙突から白い水蒸気が勢いよく噴出していたような・・・。
※モノクロ映像です。
599 :
回想774列車:2009/05/22(金) 12:58:32 ID:lUdtXaV0
>>598 蒸気船の汽笛は、そのもの蒸気を使うから高い音域のはず。
煙突の脇から白い蒸気がドバーと噴出す。
最近の港で聞く汽笛(ディーゼル船)などとは音域が全然違う。
蒸気船以外はコンプレッサー(エアー)で鳴らしたり、電気で鳴らす。
>>599 タイタニックも、地元の人の証言によると、「ポォーッ!!!!」といった感じの音であった。
まあ、蒸気船でも、汽笛の作りを変えれば、蒸気機関車のような「ボォオーッ!!!!」という
低い音域の汽笛だって作れる。
603 :
回想774列車:2009/05/23(土) 00:28:18 ID:qyAORe61
>>600 マ○クトウェイン号?
なわけないですね板チすまそ
蒸気機関車牽引の客レと、ディーゼルカーの違いみたいなふいんきだな。
静かだが条件が整わないとスピードを出せない(欧米のようにコストや軌道レベルで大盤振る舞いできれば別だが)蒸気と、
騒々しいがコストが安くつく気動車と。
舶用ディーゼルの経済性は圧倒的だし、ガスタービンは特殊船でないとコストで引き合わないし、
大型蒸気タービン船の居住性を楽しめる所なんてもうなくなったんだろうなあ。
三段膨張機関は回転数が非常に低すぎるため、
高回転型のプロペラでは、増速歯車が必要となる。
※増速歯車って、回転数が上がるのに対し、トルクの方は落ちていくよね?
※蒸気タービンは大型の発動機の割には、回転数が4400rpmとかなり高い。
ガソリン機関あるいは、鉄道車両用高回転型ディーゼル機関並みの回転数である。
この高い回転数でプロペラを回すと、まずキャビテーションが発生して上手く推進できない。
そこで、減速歯車を使って回転数を落とし、トルクを大きくするようにしているわけだ。
>>605 アメリカ海軍に入って原子力空母に乗り組むんだ。
>>593 厨房は船員用のもお客さん用のも一緒の所でしたよ。船員食堂は車両甲板
の下の方にあったので、リフトで下ろしていたようです。
船食担当のコックさんが1名いてその方が専門に作っていました。
>>601 「海峡」は喫茶室の方の名前でなかったかな?食堂の方は名前ありましたっけ
もう20年以上前のことだから記憶が定かでなくてすいません。
食堂:グリル○○
喫茶:サロン海峡
(○○部分は船名)
当時の船内写真見たいのですがググっても出てきません
何回も乗ってるのに、フィルム節約と称して、船内の写真まったく
撮っていなかった…ホントはフネがよくわからんからなんだけど…
614 :
回想774列車:2009/05/25(月) 03:48:28 ID:pn2wE+16
昔はフイルム節約とかでヘッドマーク付きDL牽引の列車が目の前を通ってもシャッター押さなかったもんな
ビデオテープ節約で貴重な映像消しまくってたNHKみたいな話ですな
616 :
回想774列車:2009/05/25(月) 15:38:03 ID:ZoaycB+2
4400で高回転…
貧乏臭い劣等自動車じゃ最低ラインの回転だがw
617 :
回想774列車:2009/05/25(月) 15:39:36 ID:OaRv4Z9g
>>606 レシプロ機関の3クランク3段膨張機関形式は、
蒸気タービンに対して大出力化、負荷変動への適応性の高さ、保守の容易さの反面、
重量増加、施設構造が巨大化するなどタービン船と総合的比べ効率が悪いと言う欠点を持っている。
大出力になればなるほど、機関が巨大化して船体も巨大化する悪循環。
蒸気タービンが船の動力として使われ始めた20世紀初めにはタービンの回転数を減速させる装置が無く、
タービンとスクリューは直接つないで使われました。「直結タービン」
直結タービン機関「タービン」は、その性質上から高速回転しているときに効率が良くなり、
普通は毎分数千回転という回転数で運転されるが、逆にスクリューは低速回転のほうが良く、
毎分数十回転 〜 百数十回転で運転された方が効率が良い。
つまりタービンの最適回転数とスクリューの最適回転数には,100倍近い開きがあるわけで、
当時は減速させる機関が無いのでタービンとスクリューは直接つないで使われていたので、
タービンの回転数とスクリューの回転数は同じになります。
そこで両方の中間を採って、スクリューにとっては高速気味の毎分200回転あたりで運転されたが、
タービンにとっては低速過ぎ、一方スクリューにとっては高速過ぎて、どちらも効率が悪かった。
そこで1910年代にタービンの回転数を落とすための歯車装置が開発された。
これを備えたタービンを「ギヤード・タービン」と言います。
ギヤード・タービンが開発実用化されて初めて、タービンもスクリューも最適回転数で、
効率良く運転できるようになりました。
618 :
回想774列車:2009/05/25(月) 15:49:06 ID:OaRv4Z9g
ギヤード・タービン機関が開発されてから、
出力・効率の点でもレシプロ蒸気機関より優れたエンジンとなりました。
タービン機関の最大欠点は構造上、
逆回転が出来ない。変動負荷、部分負荷運転に適していない。構造が複雑。
それでもタービンが主流になったのは各効率がレシプロ機関と比べ高かったから。
タービンを逆回転させるには、逆に向けたタービンを備える必要が唯一、
そのまま逆回転出来るレシプロ機関に負けるところ。
>>616 同じレシプロでも小さいエンジンなら高回転させやすいのは当たり前のことだ
巨大な舶用ディーゼルと、自動車用エンジンのサイズの違いを考慮しろ
ピストンスピードだけは互角だぞ
見上げるほど巨大なエンジンのピストンが、それほどの速度で往復しているだけでも大変なことだ
機関妄想ヲタ、正直そろそろウザい
話題的に懐かしい話にすらなってないし、場違いすぐる
タービン厨w
青函連絡船のエンジンって4サイクルだったのでしょうか。
フネだと大型なやつは2サイクルが多いように聞きましたが。
交通の図鑑の、柳原良平氏の連絡船の断面イラストが懐かしい。
>>619 自動車用のエンジンは、猛禽類の心臓、
船舶用低回転エンジンは、象やマンモスの心臓に例えられる。
大きな動物ほど心拍数が遅くなる。これと同じ。
ただし、蒸気タービンやガスタービンなどは例外。
大きなエンジンの割には回転数が高いからな。
※蒸気タービンでも、50ccの排気量のタービンなら、毎分1万2000回転以上も回るがな。
624 :
回想774列車:2009/05/26(火) 21:01:53 ID:b4yG6HMP
ところで船の科学館に繋留されている羊蹄丸の船員室ってどうなってんのかな。
未公開の部分って機関室とか総括制御室とか他にもいろいろあるけど、
基本的には手つかずなんだろうか。
625 :
回想774列車:2009/05/29(金) 14:48:41 ID:Degk2JMt
>>624 職員の部屋?それとも車両甲板下にある部員の部屋?
626 :
回想774列車:2009/05/30(土) 21:27:07 ID:k8I9yFQe
グリル○○の鮭三平定食(三平汁の定食)はうまかった。当時の列車食堂は衰退期でまずくて高かったけど連絡船はうまかった記憶がある。
箸袋には「パスイ(アイヌ語で箸のこと)」っ書いてあって、アイヌ語がいくつか解説してあった。
乗船時には新巻弁当を積み上げて売ってたなぁ。結構売れててすぐに買わないと売り切れてた。メインのおかずは新巻鮭の焼いたやつで結構食べ応えあった。あれ、もう絶滅したんだろうか・・・
俺の箸袋は 船内グリル って書いてあって
単純な連絡船の絵も書いてある
勿論オレの宝物の一つだ
629 :
回想774列車:2009/06/03(水) 12:11:08 ID:gqlX/QdC
連絡船の食堂メニューに「イカ刺し定食」っていうのがあって名物になっていたけど、
その前は「刺身定食」だったんだよな(なんか特別な名前があったような気がするが)。
これが結構好きでいつもこればっかだったんだけど、
何時の頃からか「イカ刺し定食」にグレードが落ちてからはあまり食べなくなった。
「サロン海峡」は出航時にナンパした女の子を誘ってよく行ったよね。
630 :
回想774列車:2009/06/05(金) 03:16:08 ID:zcCGJy/B
函館マラソン
まあ確かに連絡船廃止後残ってるフェリー(青函フェリーと東日本フェリーだったっけ?)はターミナルとキロ単位で離れてるからちょっとしたマラソンになるよな
漁船の博物館?のYS11をみながら走るのもまた乙なものだ
632 :
回想774列車:2009/06/08(月) 21:44:16 ID:IDPGAt1n
「サロン海峡」はその時代の街中のスナックそのものの内装でしたよね。
えんじ色でチェック柄のソファとかあったような気がする。
カウンター席の感じとか、確かに喫茶というよりもスナックっぽかったな。
634 :
回想774列車:2009/06/10(水) 02:58:01 ID:roPDI2uv
>>631 函館マラソンってのは、
函館港に着くしばらく前から降り口に人が集まってきて(まるでマラソンのスタート地点)、
折り口が開いたら、接続している函館始発の特急列車の自由席めがけ一斉に駆け出し、
連絡通路〜駅ホームを駆ける様子がまるでマラソンのようだから、そう呼ばれた。
「白鳥」が青森駅近くなると、列車の前の方にぞろぞろと一斉に移動し始める、なんてのもあった。
これは連絡船への通路が駅の先端側にあったから、少しでも早く船に乗るため。
どっちも知らないと席を取り損ねる(シーズン中の話)。
>>634 なるほど〜
凍えそうなカモメ見つめて泣いてたりなんかしたら、無口で力を蓄えて呼吸を整えている北へ帰る人の群れとの競争に負けちゃいますねw
>>635 いくら何でも竜飛崎が見える辺りからスタンバっている必要はないでしょう。
>634
連絡船から函館本線山回りの鈍行夜行41レへの接続もマラソン状態だったような記憶。あの列車、長いけどほとんどが荷物車で3両くらいしか座席車がなかったんだよなぁ。
638 :
回想774列車:2009/06/10(水) 12:16:05 ID:EHOcjLNb
最末期の頃、「お祭り連絡船」ってイベントがあったけど乗った事ある奴いる?
639 :
回想774列車:2009/06/10(水) 13:32:57 ID:YON7PEk0
>>634 一番長い距離は、函館第2桟橋に着岸した船から、4番線の特急1号車禁煙席の乗車口だろう
「青函連絡船乗船名簿」だったかな?
上野駅で、青森行きの特急列車を見学したとき、座席のポケットに、乗船名簿の記入用紙がありましたね。
補足に‘乳幼児も記入が必要です’って書かれていたような?
その特急列車は、寝台車なんだけど、いわゆる‘ブルートレイン’ではなく、
l特急の形で、通路の両側に3段ベッドの車両で、名前は何だったか?
642 :
回想774列車:2009/06/10(水) 15:26:23 ID:ppHgOHQQ
青函連絡船の青森桟橋待合室はよかったな。ここには長椅子もあって、“駅ネ”もゆっくり楽に眠れた。
駅は閉まっても、この桟橋待合室は終夜開放されていたんだよね。
しかも、時折警備員が巡回して来るので、安心して寝ることが出来た。
ただ、1便系統が出航して朝まで便がなくなると、決まって「きっぷを拝見」ってやってきた。
そして目的地を聞かれたものだ。もちろん、東北ワイドなんかでも特におとがめはなかったけどね。
この桟橋待合室の売店には「北海道新聞」や「道内時刻表」、そして「よつば牛乳」なんかも置いてあって、
北海道に渡る時などはいち早く北海道の“匂い”を感じて、より期待感を盛り上げてくれた。
>>640の人気に嫉妬
特急だと乗船名簿に特って書いてあって優先的にのれたよな
赤い線が3本並んでいる(急行だと2本?)というのもあったようだ
厳密には青函連絡船旅客名簿だったとおもう
で、「この名簿は、6歳未満の幼児・乳児の方もいります。」
とかいてあった。
644 :
回想774列車:2009/06/10(水) 18:17:21 ID:twex9VXH
7籍のうち松前丸だけは乗れなかったな。(津軽丸型)
将軍様の国へ逝ったらしいけど。
645 :
回想774列車:2009/06/10(水) 23:27:50 ID:dfKWH43s
凍えそうなカモメ煮詰め焼いてみました
>>646 うーんとね。
ちょっと淡白な味で硬い。煮詰めたのに硬い。
で、何よりも臭い。獣肉臭いというのか独特の臭みがあって骨も多くて食べるとこがあまりなくて。
羽毛むしって焼いたら本体なんて見た目よりちっちゃくて貧相だし。
あんまりおいしくなかったよ。
648 :
640:2009/06/11(木) 12:44:55 ID:WS2z84rd
皆さん、Resありがとうございます。
思い出しました、昔見た寝台特急はそうでした、583系ですね。あと、連絡船乗船名簿の件も、Resありがとうございます。
昨日、上野駅の、スレタイの♪上野発の夜行列車♪
が発着していたホームを少し見学してきました、実に22年ぶりに(w
現在、北斗星が発着する13番線は、当時の面影が残ってましたよ。
面影があるのは、13番線そのものよりも13番線と14番線の間にある
元業務用らしきホームの埃っぽいところだな。
昔、ドリフのコントでも寝台ネタがよく出てきて、プルマン式なんてどこに走ってるんだろうと
長らく思ってた(当方北海道育ち)のだが、583を模したセットだったんだよね
651 :
回想774列車:2009/06/11(木) 20:56:03 ID:LAq7d+Ry
652 :
回想774列車:2009/06/12(金) 10:44:00 ID:RsFwMR8t
>>649 あれは知っている人も多いでしょうが、新聞や郵袋の積み込みホームでした。
台車に満載した荷物をモーターカー(何て言うんだっけ?)で牽引してきてこのホームで積み込んでいました。
当時の新聞輸送列車だった「鳥海」「能登」などの発車間際は、乗客を蹴散らす勢いで走り回っていましたね。
MOTOトレインの積み込みにも利用されていましたよね。
>>650 北海道でもすずらん、大雪、利尻、狩勝の各夜行急行列車には
かつては付いていたのだが。>プルマン
ちなみに、「プルマン」は開放A寝台の代名詞でもあった。
(581/583系電車寝台の方がむしろ例外的扱い)
654 :
名無し募集中。。。:2009/06/12(金) 15:29:30 ID:gUS6qEVd
>>652 >モーターカー(何て言うんだっけ?)で牽引してきて
ターレット
東京駅でも、ターレットは使ってなかったけど、
九州各方面の寝台特急の出発時間帯には、列車に新聞の束を積み込む作業を見たことありますよ。
‘てかぎ’っていう、アイスピックの先端を曲げた形の道具で、束の紐を引っ掛けて、台車からカニ24のドアにヒョイとね。
>>655 あぁ、段ボール箱によく「手鉤禁止」って書いてあるのそれですね…
>>642 津軽線接続待ちとかでも、連絡船待合室を案内していた。
JR移行後の普通列車で ・・・線は「明朝」xx:xx x番線からの連絡です・・・・
この手の案内を行っていたのは東北地区だけだと思う。
660 :
回想774列車:2009/06/22(月) 11:37:17 ID:y19d3l/z
>>659 あのクレーン横を通過したら、あと15分で着岸だったなあ。
661 :
回想774列車:2009/06/22(月) 12:16:51 ID:4ObPll5X
ジャパニーズドリーム
662 :
回想774列車:2009/06/22(月) 18:27:35 ID:xknMdYna
あーあー。
函館のシンボル的存在であったのに・・・。
でも以外と新しかったのね。
663 :
回想774列車:2009/06/22(月) 18:56:38 ID:WBS/uvZq
>函館どつくのクレーン
函館山からのお天気カメラでも摩周丸とともに、いいアクセントになっ
てましたね。
|二森屋も無くなるみたいだし、函館のシンボルが無くなっていくのは
寂しいですね。
664 :
回想774列車:2009/06/23(火) 13:46:28 ID:aAXdzLco
>>663 「良い品を真心込めて・・・・」無くなるんだ?
665 :
回想774列車:2009/06/23(火) 19:14:40 ID:Wzz39hJK
事実なら函館駅前終わったな。
666 :
回想774列車:2009/06/24(水) 11:40:29 ID:iYPg8wvt
「さ○かデパート」も10年前に無くなっているから、これで函館駅前からデパートが無くなる。
667 :
回想774列車:2009/06/24(水) 21:03:12 ID:t0swcAsi
668 :
回想774列車:2009/06/25(木) 07:27:11 ID:tWPcDNZW
今更だけど大雪丸が長崎でホテルになる前に客室を解体して新たに取り付けていたんだね
669 :
回想774列車:2009/06/25(木) 08:56:03 ID:ewrp/Jht
>>667 以前は十字街にあって、郊外に住宅地が出来たから現在の場所に移転した。それでもピンチかあ・・・
五稜郭近辺なら、ガス会社方面にあった○武デパートも無くなっているなあ。
670 :
回想774列車:2009/06/27(土) 18:31:51 ID:6JU1OAwS
だいたい人口20万人に一軒、というのがデパートの相場だから、もともと函館は過剰だった。
いまはこの相場も崩れているから、函館からデパートがなくなるというのは大いにあり得る。
672 :
回想774列車:2009/06/27(土) 23:45:35 ID:8veJT/sB
でも、函館の場合は他に流れるお店もないんだよな。
こう言うスレもあるんですね。
羊蹄丸の通信士でした。
最近何気なくウィキを眺めたら、連絡船の記述がずいぶん増えましたね。
十和田丸(2代)のページには、自分が>118〜でレスした回航についても最後の便を強調してありました。
地味だけど、細部の歴史にこだわってくれる執筆者がいたんですね。
改めて青森2岸跡へ行きたくなりました。
675 :
回想774列車:2009/06/28(日) 23:17:58 ID:b8EeHuhL
676 :
回想774列車:2009/06/29(月) 01:29:05 ID:G05LSnR/
>>629 烏賊づくし定食じゃない?大雪丸で食ったよ。
>>640 車掌が配ることもあり、洗面台のところに紐通しした状態でぶら下げてあった。
列車のA寝台、グリーン車、連絡線の寝台、グリーン車に乗るときは緑色の上に記入するんだよね。
>>673 組合活動が盛んな船だったようですが、そういった方面で苦労したことなんかを、
宜しければお聞かせ願えませぬか?
いろいろ暴露しても、もう時効でしょうww
こくろうラーメン
天賞堂の青函連絡船は、いつ発売されるんだろう。
製品版で改良されるような話もあったけど、続報がまったくないし。
八甲田丸船内から記念かきこ
摩周丸放火事件。
士官フロアから石油缶が発見されているから、失火ではなく放火なのは明らか。
過激派と関わりのある組合員の仕業だと警察は決めてかかっていたみたいだけど、
結局組合関係から犯人に繋がる手がかりは出てこず事件は迷宮入り・・・。
アノラックの職員風の男が一千万円?もちさるという事件もありましたな。
686 :
回想774列車:2009/07/18(土) 22:57:28 ID:FhfkHy1j
昔乗船した船名を調べたいんですけど、当時の日本交通公社の鉄道時刻表に
配船名とか載ってますか?
7月を調べるには7月号でいいのでしょうか?
>>686 色を憶えてれば、このスレの人なら多分一発で出てくるよ。
688 :
回想774列車:2009/07/18(土) 23:23:25 ID:FhfkHy1j
昔の写真調べたのですが、船内で撮った写真しかありませんでした・・・
>>686 自分の記憶では、交通公社の時刻表に船名は載って無かったと思うな。
小学校の修学旅行で、青森→函館の連絡船乗ったんだけど、駅に着いて初めて船名が判った記憶があるよ。
親が国鉄職員だった事もあって、家に毎月の時刻表が有ったから、もし載っていたなら級友に自慢げに
「今度修学旅行で乗る連絡船は○○丸だ」と話していたはず。
690 :
回想774列車:2009/07/18(土) 23:40:46 ID:FhfkHy1j
>>689 ありがとうございます。
残念です・・・
691 :
回想774列車:2009/07/19(日) 00:16:40 ID:MhAXWxgj
今から当時の船名を調べるのは難しいかもしれないけど、
青函連絡船は、大きな検査の時以外は2日で元に戻る固定運用をしていたと思う。
つまり、ある日の1便が十和田丸なら2日後の1便も十和田丸というように。
だから、近い当時の記録が何かあれば、そういう運用から推察できることもあるかもしれません。
船内写真でわかったりしてw
マニアならまずスタンプを押すんだが
694 :
686:2009/07/19(日) 08:09:18 ID:9FO+TUxr
86年に修学旅行で乗りました。
スタンプとかは押してませんでした。
当時の学校のしおりがあるので、調べたら乗船日・時間はわかりました。
往復で乗ったのですが、帰りはたまたま船名の写真が写っていましたが、
行きは写ってませんでした。
695 :
回想774列車:2009/07/19(日) 11:37:44 ID:MhAXWxgj
差し支えなかったら、乗車日と便名載せてみたら?
…と、青函連絡船通算189回乗船の自分が言ってみる!
その当時なら年に10〜20回程乗っていたから、調べれば何らかの手がかりはあるかもね。
一応乗船記録は全て残してあるから。
696 :
回想774列車:2009/07/19(日) 12:30:30 ID:b0+uDyyD
一番確実なのは、ある船の航海日誌を見ること。その船が該当便でなければ、
記事欄のMeeting shipの欄を見たら一発で分かるが、摩周丸まで行かないと無理かな?
697 :
686:2009/07/19(日) 13:08:41 ID:9FO+TUxr
みなさん色々ありがとうございます。
乗ったのは、
函館→青森行き
1986年(S61)6月3日(火)15:00の便(18:55到着)です。
何便かは記載されてませんでした。
帰りは5日青森14:25発(155便)の石狩丸でした。
国鉄最後の頃の十和田丸の通信簿持ってるブログ主がいたから、聞いてみれば、もしかしたら何か手がかりがあるかも。
今、出先の携帯だからアドレスわからないので誰か貼ってください。
いま、このスレの住人のヌクモリティと、底力にものすごく感動している俺ガイル。
判明するといいな。
700 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2009/07/19(日) 17:25:05 ID:wYECzuyZ
水曜日のあらびき団で尾崎豊の「卒業」のメロディに乗せ「津軽海峡・冬景色」を歌ってた
ああ〜が長杉
>697さん
>698さん
いつもはROMのみですが、呼ばれたようなので多少でもお役に立てば。
当該ブログ主です。十和田丸通信長引継簿は2冊持っています。
1冊目が昭和61年12月27日〜昭和62年10月28日
2冊目が昭和62年10月29日〜終航
となっていますので、6月3日については手がかりになりません。
引継簿と一緒にもらった、61年5月22日付十和田船第33号 行事並びに指導訓練月間計画表(6月)によると、
6月3日は乙系統で2〜21〜6〜5〜24便ですから、函館15時発20便は十和田丸ではないことだけは分かります。
ペアの同日の乙系統の1〜160〜25〜20〜9便に入っているもう一船が分かりません。
配船表は残念ながら持っていませんので資料から確実に分かるのはここまでです。
以下推測ですが、石狩・桧山の両船は原則として甲系統に配船のはずなので、
年末年始輸送を終えた後から夏の繁忙期までの間にドック入りする船があること(この年は摩周丸だったか?)と、
4月の乙系統に大雪丸(旅の記録)、10月の乙系統に羊蹄丸(70万航海達成)、10月丙系統に八甲田丸・摩周丸(旅の記録)、
8月に十和田丸が北方領土の旅で9月に丙系統、4月丙、5月丙〜乙船替わり(訓練予定表4〜9月)で、
基本的に津軽丸型は各船乙〜丙で回っていましたので、逆順で考えると6月の乙系統は羊蹄丸ではないかと推測できます。
乗船記録によると
1986/08/01 1便 大雪丸
1986/08/09 8便 八甲田丸
消去法のお役に立てますかどうか。
なんかスゴイぞ
705 :
686:2009/07/20(月) 07:50:18 ID:yblwAgnD
皆様わざわざお調べしてくれまして色々とありがとうございます。
すごい感謝しています。
707 :
回想774列車:2009/07/21(火) 00:56:16 ID:IO98d0ih
いい時代だな。20年以上前の情報がゲットできるなんて…
708 :
回想774列車:2009/07/21(火) 22:00:37 ID:Yx5vsDrp
686です。
デッキにある有料の双眼鏡の色(赤)とか柵についてる番号の看板の色(黄)とかは
各船によって違ったりするでしょうか?
709 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2009/07/22(水) 01:14:54 ID:FjSCAfZc
>>701 >>706 確かにあ〜♪のところは強引だったげど意外とちゃんとなってたw
カラオケありの宴会ネタには使えそう
昔の設計のディーゼルエンジンの船舶のエンジン音を録音し、その録音したものの再生速度を
速くすると、高回転で回る部分はなんと、DMH17Cのアイドリング音のような音になる。
これもディーゼルならではの音だ。
711 :
回想774列車:2009/07/22(水) 18:35:22 ID:80Xfqx6C
カップに入った小川原湖産シジミの味噌汁に塩辛いシャケの切身入り弁当、透明なパックに入ったお茶と冷凍ミカンが連絡船での定番だった、50回位乗船したが食堂に入ったことないよ。
713 :
回想774列車:2009/07/23(木) 23:35:59 ID:reMXlc5g
あの時代のシャケはどこで食べても塩辛くて固まったものが出てきましたよね。
714 :
回想774列車:2009/07/24(金) 04:00:41 ID:sOI+tdnn
ジャパニーズドリーム…。
715 :
回想774列車:2009/07/24(金) 08:34:51 ID:fHmWwjRe
田村正和
>>686 少し遅くなりましたが、JTBなど時刻表には船名と総トン数、定員などはありま
したが、配船表は見たことがありません。
船の名前は東北線の下りだと尻内(現在の八戸)に掲示板がありました。上りは長万
部でしることができたと思います。
それから、急行などでは、函館や青森に近くなると車内のアナウンスがあったもの
です。
718 :
回想774列車:2009/07/31(金) 04:49:05 ID:JPJbbBGv
お聞きしたいのですが
連絡船が2隻接岸している時
続行便は乗船口は閉じていたのですか?
719 :
回想774列車:2009/07/31(金) 09:24:36 ID:QCZw8885
船内作業があるから、乗船口のタラップは船に掛かっていました。
しかし、旅客の乗船改札は出港の20分前からでした。
720 :
回想774列車:2009/07/31(金) 09:57:35 ID:zujeccE8
渡島丸って減便のあおりで実働期間が短く、長期の放置プレイの後に函館どつくで解体されたという話を聞いたが本当?
Wikiでは摩周丸火災の際の検証にも使用されたという記述も。
函館どつくで製造され、函館どつくで解体かぁ。
一番悲運な船だったんじゃないか?渡島丸は。
721 :
回想774列車:2009/07/31(金) 12:17:15 ID:226Pk/6V
例えば1便と続行の11便の2隻が接岸していても、
1便がタラップを上げるまでは11便の客扱いはやりませんでした。
誤乗防止、混乱防止の意味もあるのでしょう。
桟橋待合室でも、便別に並ぶ列が分けられていて、
後に出航する便の乗船口は先の便が出航するまで鎖で閉め切られていました。
722 :
回想774列車:2009/07/31(金) 23:55:26 ID:jBZVuQxj
>>730 昭和44年に就航も、昭和53年10月改正での貨物専用便削減の影響を受けて係船。そのまま昭和59年に廃船となって解体
となってます。
昭和54年に係船された日高丸は、石狩丸・檜山丸の改装に伴い、一旦現役に復帰したのですが、貨車渡船では最も古い
渡島丸には、復帰のチャンスは訪れず、売却の為入札を行うも、船として売りたい国鉄と、解体を前提に入札する業者との
間で希望が折り合わず、最終的に国鉄では船としての売却をあきらめたと聞きます。
723 :
回想774列車:2009/08/01(土) 21:03:22 ID:oKdQ7qqb
686です。
702さんの言うとおり羊蹄丸ということが判明致しました。
皆様、色々と調べていただき有難うございました。
本当に感謝しております。
725 :
回想774列車:2009/08/04(火) 08:30:59 ID:BHk2d52J
上り北斗星で長万部過ぎて
筆記用具探してしまった。
もうあれから20年経つのか。
条件反射ですねw
727 :
回想774列車:2009/08/08(土) 08:16:22 ID:2olKCYQO
学生時代、今の時期の北海道は、「カニ族」と呼ばれた若者たちで賑わっていた。
そのほとんどが「北海道均一(ワイド)周遊券」を利用して、関東地区からは「八甲田」「十和田」で、
関西地区からは「きたぐに」で青森までやってきて青函連絡船に乗り継いで道内に入ったものだ。
東京から約12〜13時間、関西からは約20時間かけて到着し、青函連絡船でさらに約4時間弱。
歌の文句じゃないけど、♪「は〜るばる来たぜ函館〜」というのは、本当に“実感”だった。
でも、当時はみなそれが当たり前だった。長い列車の旅から解放された青函連絡船の時間は、
長旅を癒やすにはちょうど良く、更には遠く遥かな北海道に入るんだという気持ちの高揚には、
この上ない演出に思えた。
そしてまた、船旅という解放された場所は、“出逢い”の場でもあった。
青函連絡船で知り合った女の子で住所を交換した時に書いてもらったメモ帳が今でも旅記録と共にいくつも残っている。
函館から先、札幌には更に急行で5時間余り。本当に北海道は“遠かった”。
今でも北海道には年に何回も行く。でも、何処行くにも飛行機で90分前後。
仕事を終えて夕飯食べてからでも、薄野や三六でそこの仲間と酒を呑むことができる。
さんざん利用した「北斗星」ですら、今では使うのは稀だ。ましてや新幹線などで昼間に移動することは皆無だ。
あれだけ遠く感じた北海道がこの四半世紀の間に、“隣街”のような身近な場所になっている。
世の中便利になって、その分人の時間や心にゆとりが出来たかというと、そうでもないんですよね。
ですね。
乗船まで待ったり、船を下りて一息つく場所じゃなくなったものね。
便利で快適にはなったけどね。
長音一発!!
長声一発!
号鐘乱打!!
銅鑼乱打!
急速潜行!
(ゴボゴボ)。°浮上!
ブロ−出来ません!
後部車両甲板より海水流入甚だし!
738 :
回想774列車:2009/08/09(日) 06:44:57 ID:aHF5P8G8
救援信号と乗客に救命胴衣を着用させてください
救命艇の準備もしてください。
総員、最上甲板!
740 :
回想774列車:2009/08/09(日) 07:10:01 ID:aHF5P8G8
・・・・・・・−
水漬く屍〜
742 :
回想774列車:2009/08/09(日) 08:43:42 ID:WUdThK4l
なんか妄想シミュレーションが流行っているみたいだけど、青函連絡船は時化にも強くて、滅多に欠航はしなかった。
もちろん、洞爺丸事故という忌まわしい出来事はあったけれど、運航可能であれば、
本州と北海道の生命線という使命を断つことは、よほどの悪天候でない限りはなかった。
海上では甲板へのドアが開かないくらい、もちろん立って歩くのが困難なくらいの強風でも運航していた。
船内はゆったりとした大きな揺れに気分を悪くする人が続出しても、平然と運航していた。
こんな時は甲板に出ることは禁止になり、食堂も営業中止、売店も揺れが収まるまで休業という状態だった。
乗客はただ自席でじっと到着を待つしかなかったので、不気味なほど船内が静かだったのを覚えている。
何回もそんな時化た津軽海峡を渡ったけど、一度も緊迫したことはなく、
そして荒天のために遅れたことすらほとんどなかったのは、今思えばすごい使命感を感じるものだ。
もし、今の時代だったら、あんな荒天の時の大半は欠航になっていたに違いない。
743 :
回想774列車:2009/08/09(日) 12:18:41 ID:AbsuvqY+
>>742 運航管理規定に運行の可否の項目があるはずだがね。
でも相手が国鉄なら、役所も黙認するしかなかった。
>>730-741 てめーらのうちの誰かだろ、この前、出航直後にフルアスタンの号令かけて
本船を危機に陥れかけた奴はwww
ったく、ちょっとヒマになったら、すぐチンごっこなんだなw
長声一発まではまだいいだろ。号鐘乱打はたしか非常事態発令だよな。
747 :
回想774列車:2009/08/11(火) 21:37:19 ID:pdDYhikI
748 :
回想774列車:2009/08/12(水) 01:21:56 ID:2D5CVb+B
>>742 時化のひどい時は旅客は乗せないで貨物だけ積んで時間通り動かしていた事もあった。
俺が初めての乗船は73,3/25,青森0:10の11便予定だったが時化のため5:00出港の便(羊蹄丸)
まで桟橋で待たされた事ある。その間だが定刻通りに連絡船は発着していた。
乗れずに指をくわえて見ていただけだがそれだけに頼もしく思ったものだった。
749 :
回想774列車:2009/08/12(水) 10:49:21 ID:nJfrcXw0
>>748 それは貨物便ではないですか?
荒天時は、逆に貨車を積載せずに旅客だけを扱った話は聞いたことがありますが。
750 :
名無し募集中。。。:2009/08/12(水) 11:43:28 ID:gsPqlkMj
>>743 そもそも国鉄は国の機関だから規制をするほうであって
国鉄の規定=規制になるはず
>>749 貨車が転倒すると一気に沈むから、貨物を搭載しないという話はきいたことありますね・・・。
753 :
748:2009/08/12(水) 23:56:01 ID:2D5CVb+B
>>749 0:35の1便が第二桟橋から客を乗せずほぼ定刻に出港していた。
構内の案内放送で1時の気象情報で出港見合わせ、3時の気象情報で5:00、5:25
に出港する(実質は客を乗せる事と思うが)放送があった。1時の気象情報で
出港(客を乗せられる)出来るのなら2:30の151便に乗せたものと思う。
754 :
回想774列車:2009/08/13(木) 08:41:49 ID:v/3pj56T
旅客便が欠航する状況で貨物便のみ運航する事は無かった筈なので、貨車を積まずに函館に回航したのでは
ないでしょうか?
あ〜、回航しとかないと、折り返し便の手配がつかないから?
欠航するような結構危険な状況で回航した船員さんには頭がさがります。
756 :
回想774列車:2009/08/14(金) 00:03:38 ID:7VO+fTu1
>>755 >>754 753です。定刻通り動いていても貨車の積み込みは見ては確認していないので
おっしゃるとおりかも知れません。一見回航だけでも経費もかかるので無駄に
も見えるかも知れないが折り返し便でも貨物航送あれば必要ですね。
嵐で波が高かったのなら、桟橋と船体の損傷を避けるために、離岸して
沖合滞泊にしただけだと思いますよ〜
758 :
回想774列車:2009/08/14(金) 09:37:04 ID:9xsM+e6D
>>757 文章を見ると、青森であるから沖合錨泊はないでしょう。陸奥湾ですから。
759 :
回想774列車:2009/09/13(日) 14:41:13 ID:tL+7oaaZ
今年もお別れの二日間が来ましたな…。
761 :
回想774列車:2009/09/21(月) 21:56:28 ID:GHf53D+6
ドック入り
762 :
回想774列車:2009/09/21(月) 22:29:32 ID:9FUmyuKK
TBSでおくりびと
先日八甲田丸の見学に行ってきたが、船内の状況がやばかった。
切符などの展示品の日焼けはひどいし、模型も壊れているのが多く、車両甲板の車両も埃をかぶっていた。
摩周丸は結構小奇麗だったのだが・・・。
764 :
回想774列車:2009/09/22(火) 10:50:04 ID:z/echeor
>>763 摩周丸はスタッフがOBだから、定期的に甲板上は手入れされている様である。
旧普通船室には大工道具が揃っている。
>>763 船内どころか船外もヤバイぞ。
部品が落ちたりしてるし、外板に穴開いてるし。
喫水線の下は大丈夫なのか?と不安になった。
最悪アリゾナ記念館方式で
最悪なケースは三笠方式じゃないか?
ありゃ動物保護条約みたいな名前の条約に抵触しないように、
周りを埋めちまったわけだけど。
771 :
回想774列車:2009/09/25(金) 19:21:57 ID:DRHCNWUv
>>765 俺も以前に青森行ったとき見たんだが、
錆が浮いたり塗装が剥げ落ちた
箇所が目立ってかなり状態悪くなってるよな。
そろそろ錆の補修をして塗装をやり直さないと
ただでさえ動かないまま潮風に当たり続けているっていう
傷みやすい環境に置かれてるんだから
放置しておけばそのうち朽ち果ててしまいかねないぞ。
772 :
回想774列車:2009/09/26(土) 12:39:50 ID:Eb67nk9L
1954年9月26日
連絡船が好きだった人間にとっては、非常に感覚的な言い方ですが、
今日は「亡き祖父・祖母の命日」のような感じのする日ですよね。
(連絡船全体の命日とは違うけど)
55年前の今ごろ、函館湾ではさまざまな闘いが繰り広げられていたのですね…
当夜最初の沈没船となる十一青函の沈没推定時刻まで、あと30分。
洞爺丸事故を主題にした映画って、どんなものがありましたっけ
776 :
回想774列車:2009/09/26(土) 20:38:51 ID:auO+4j3J
飢餓海峡?
777 :
回想774列車:2009/09/26(土) 21:45:51 ID:IqqaPiU4
>>775-776 他には、松竹か新東宝の「ああ洞爺丸」という映画が
あったように記憶しています。
全ての殉難者と遭難船舶(連絡船も含め)に対し黙祷!
ありがとうございます。大きめなビデオレンタル店にありそうですね。
779 :
回想774列車:2009/09/26(土) 23:56:33 ID:91nIlN7J
洞爺丸が沈むわけないだろう
>>777 「ああ洞爺丸」はビデオ・DVD化されてない?
「飢餓海峡」NHK衛星やCSで時々放送なので簡単に観られる。
六真盛からのSOSに石狩丸が応えて、現場の状況が伝えられ始めたのは、
今ごろの時間だろうか?
坂本さんは「零時を過ぎた頃我慢が出来なくなって」と書いてたかな。
>>779 そうだな、あんな大きな船が。しかも板子一枚下は地獄の木造船ならともかく鋼鉄船が沈むわけないだろう。
783 :
回想774列車:2009/09/27(日) 09:13:12 ID:oXJscB4H
>>779 洞爺丸はこの間、天皇陛下がお乗りになったばかりだろう。
冗談も大概にしなさい
784 :
回想774列車:2009/09/27(日) 09:17:50 ID:svCml6yV
まぁ沈没とは言うものの、砂洲に座礁→横波・転覆ってことで・・・マジレスすまぬ
786 :
回想774列車:2009/09/27(日) 09:42:27 ID:r2MNHkh9
泥酔
何年か前に、この事故に感心を持ち、本を2冊ほど入手して読みました。
・洞爺丸はなぜ沈んだか
・洞爺丸転覆の謎
僚船含め、壮絶な最期だった事がすごく伝わってきます。
789 :
回想774列車:2009/09/27(日) 11:20:23 ID:9NtIFto9
>>780 「NHK特集」で26年前の今頃に洞爺丸特集放送していたんだがな・・。
790 :
回想774列車:2009/09/27(日) 11:21:53 ID:9NtIFto9
>>781 昔「船の科学館」にご本人が講演に来たときにそんなこといっていました。
会場にはその後の青森発の大雪丸?に乗っていた人もいて、講演終了後お互いにあの当時の
ことを思い出して語り合っていました。
791 :
回想774列車:2009/09/27(日) 12:44:25 ID:piJB805F
>>781,790
我慢が出来なくなって、どうなさったんですか?
我慢が出来なくなって、第六真盛丸からのSOSに応答した、という事です。
国鉄の石狩丸は、当時双錨泊の状態で、SOSに応答したとしても
救助には行けない状態にありました。
SOSを聞いたら即座に応答、が原則ではありますが、自船が危急の状態にあるとか
救助に行ける状態にないとかいう事であれば、もちろんこれは適用されません。
石狩丸の通信士だった坂本幸四郎氏も、自船の状態から応答しても救助は無理、と
理解していたので、応答せずにいました。
しかし、あまりに執拗なSOSに対し、これは何かあるんじゃないか、と気になっていて、
やがて(通信士の職業根性なんでしょうか?)我慢が出来なくなって応答した、
そしたら、第六真盛丸は、自分の船の事でSOSを出していたのではなくて、
「洞爺丸転覆、付近漂流者多数」を伝えたくて必死に打電していた…と
いう事だったわけです。
>>790 そんな講演会があったのですねー。
793 :
回想774列車:2009/09/27(日) 13:13:25 ID:uBckPMyU
>>788 「洞爺丸はなぜ沈んだか」は以前、NHKラジオでドラマ放送された。
794 :
回想774列車:2009/09/27(日) 13:17:39 ID:uBckPMyU
>>790 羊蹄丸ではないでしょうか?
大雪丸は当日貨車不積載であったので、函館湾で沈没はしませんでしたが、
浸水による機関故障は生じており、直後にドック入りをしている。
これは読んでおけ、という関連書籍はありますか? 創作を加えた小説仕立てよりは
検証系や記録集の様な本が読みたいです。
797 :
回想774列車:2009/09/27(日) 21:18:24 ID:kqdZEi7M
>>794 講演会場の船が、台風通過後の復活第一便というのもなんという奇縁。
ご教示ありがとうございます。
798 :
回想774列車:2009/09/27(日) 21:41:42 ID:oXJscB4H
あ・・・あれは氷山にぶつかったから・・・。
津軽海峡なら氷山はこない・・といいな。
機雷きたけどね
機雷はもう嫌い!
803 :
回想774列車:2009/09/28(月) 14:41:41 ID:8lefnAGr
>>803 おお。ありがとうございます。これから拝読いたします。
806 :
回想774列車:2009/09/28(月) 20:31:02 ID:RMpDosFu
NHKの「NHK特集」で、昭和56年の秋ごろに、洞爺丸沈没当日の出来事を、当時の関係者の証言を中心
にまとめたドキュメンタリーを放送されました。
洞爺丸の船員や、桟橋の職員、気象台の職員などのインタビューがあったと思いますが、本放送以来、
再放送を見た記憶がありません。いずれ、アーカイブスで見れるのではないかと期待しています。
>>805 ありがとう。ポチりました。安くて助かります。
808 :
回想774列車:2009/09/29(火) 11:32:22 ID:NQQ4fv/Y
仕事上、当日函館湾で救助に当たっていた保安部の巡視艇「りしり」の元乗組員
から話を聞くことができた。
809 :
回想774列車:2009/10/01(木) 10:23:28 ID:USIoXlsc
>>796 図書関係であれば既出しているものだが、実際に函館へ行く機会があれば七重浜の遭難者慰霊碑と、
市内谷地頭にある乗組員殉職碑に行くのを勧める。七重浜は整備されて現在砂浜ではないが、
各船の沈没船位置方向がプレートで示されている。また、乗組員殉職碑の「洞爺丸」の文字は船体の
船首船名板から切断して碑にはめ込んだものであり(裏は第11青函丸)、遺品の一つである。
810 :
回想774列車:2009/10/01(木) 21:25:46 ID:RMZ1oco2
>>809 洞爺丸と第十一青函丸の船名部分と北見丸の船底の鉄がはめ込んである碑は「殉難船碑」という名前ですね。
「青函連絡船海難者殉難碑」とは別のものですが、同じ敷地にありますね。
海難者殉難碑は最近綺麗にしたようで、積もり積もっていた汚れがすっきりしていましたよ。
あとは、市内のとあるお寺に洞爺丸の機関室の号鐘とまんねん室や時計と言った遺品が残されていたりしますね。
どうやら、サルベージの際に見つかったものの持ち主が特定できなかったものらしい・・・。
811 :
807:2009/10/02(金) 15:28:14 ID:Y/NyVx9j
今日、本が届きました。これから没頭します。
どこかに、現役時の航行中船内の動画はないかな。
>>812 「長声一発」なんか、割と手に入れやすいと思うよ。
816 :
回想774列車:2009/10/07(水) 01:22:43 ID:7dc0kZqX
>>788 俺も「洞爺丸はなぜ沈んだか(上前淳一郎著)」と「青函連絡船(坂本幸四郎著)」
「津軽海峡(上田広著)」は読んだ。いずれも臨場感は伝わって来るな。
洞爺丸に対して青森をほぼ同じ時刻に出る羊蹄丸の船長も客が不平不満を言っている
にかかわらず疑わしくは出港しなかったのは今からすれば神みたいなもの。
でも大事故があれば一方では好判断で事故を回避した例はこの羊蹄丸もだが尼崎事故
でも対向の特急「北近畿」の運転士も異常に気づいて現場ギリギリでなく、かなり前
の場所に停止したとtvで聞いた。
現代では危険の可能性がある時は最善策を採るのが常識だもんね。
昔は大雪や台風でも運休にしないで、何時間も遅れて
目的地に到着する列車も多かった気がする。
サンパチで5日遅れとかね。
あ、こりゃ「動かない」ではなく、「動けなかった」例か スマソ w
819 :
回想774列車:2009/10/08(木) 00:55:20 ID:JgiItLbt
>>817 青函連絡船の定時運航率は98%と旅と鉄道誌で読んだ記憶ある。
ある意味自然を相手にしてこれだけの定時運航率は凄いと思うね。
かつてストライキの時は鉄道は止まっても青函連絡船は数名の客だけでも正常
通り動いているのをニュースで見た。もし現在も運航していたとすればそこま
では行かないだろう。
連絡船続きの話となるが戦前の稚泊連絡船は流氷、桁外れの時化、濃霧など
青函以上に厳しい自然相手だったな。稚内港内が流氷がびっちり押し寄せた時
などは港外に停泊し、乗客は流氷の上を船まで歩いていったとの事だ。
DC時代の「はつかり」は、花輪線経由とか五能線経由にしてまで運転し続けたんだよなぁ。
こういうケースでは特急料金をどうしていたのか気になるところ……
昨今は船舶も線路も、どっちも、決して無理をしないようになってるやね。
無論、いいことだと思うよ。
いまは昔と違って代替交通機関があるんだし、昔みたいな無理をする必要もない。
民営化すりゃ尚更
稚泊連絡船(稚内〜現・コルサコフ)の宗谷丸は、三段膨張機関を採用していたのは、
レシプロ式蒸気機関なら、素早く前進→後進への切り替えが出来、トルクも犠牲にしなかったため。
仮に、南極観測船ふじにて、蒸気タービン船としたら、後進用タービンを設けることになり、
後進用タービンは小型のタービンを使わざるを得なくなり、どうしてもトルクが犠牲となる。
逆転機の搭載も検討したが、船舶用減速機は膨大なサイズで、膨大な慣性モーメントが
作用するため、クラッチを切ってから回転数が落ちるまで時間がかかる問題は避けられない。
やはり砕氷船はディーゼル(あるいはタービン)電気推進船が採用されたのだ。
砕氷船のプロペラは流氷などにぶつかってもそう簡単に壊れないように頑丈に作られており、
どうしても固定ピッチ型プロペラに限定されるわけだ。
>>820 > こういうケースでは特急料金をどうしていたのか気になるところ……
そんな天災や工事迂回の場合は、運賃とも余計に取らない。
近年までの例では寝台特急出雲。
餘部橋の風規制があると、岡山経由への措置がとられてた。
もちろん経路外だから「途中下車」はダメよ。
スレチだが先日、レイルウェイストーリーを見ていたら、
イタリアだったかスペインだったか忘れちまったけど、
定時より20分遅れたら全額払い戻しなんだそうだ。
(「特急料金と乗車運賃の両方」という意味に聞こえた気がする)
>>820 20年くらい前、東北本線の土砂崩壊で「北斗星」が奥羽本線に迂回したとき、
運賃も料金も東北本線経由だったって話を聞いたことがある。
>>825 イタリアなんて商売が成立しないんじゃまいか?
>>825 それに引き換え、日本では2時間遅れても特急料金が戻ってくるだけだからのう。
全額払い戻しでただ乗りを狙った爆弾予告が多発しそうで嫌だな
>>825
831 :
回想774列車:2009/11/07(土) 16:40:14 ID:V1hxxV/N
保守
あぼーん
そういえば「第六青函丸」、グラマン機による空襲により、野内沖で座礁してしまった後には
一体どうなっちゃったの? (検索して調べても、今一つ顛末が掴めない)
点と線に摩周丸が出てきてたね
836 :
回想774列車:2009/11/27(金) 22:33:04 ID:VGEeIfqA
津軽海峡を北上する連絡船の船上から都内(23区内)宛てに電報を頼んだら、幾ら位かかるものなんでしょうか。
電文はもちろん「ゴランアレガ タツピミサキ キタノハズレ」(空白除いて18文字)で。
>>837 船舶電報の取り扱い残っているか? > 津軽海峡フェリー
仮に自分の携帯から直接申し込みなら504円 (クレジットカード精算)
839 :
837:2009/11/28(土) 22:38:00 ID:Zyk05UQd
いや、国鉄時代の青函連絡船なら船舶電報の扱いもあるかな〜って思って。
ググってみたらなんと南氷洋から弘前市へ船舶無線電報を打った体験談が
出てきて(銚子無線局経由)、その場合だと一通当たり基本料金は\600-也
(1996年当時)だったそうで。 …高いような安いような。
840 :
回想774列車:2009/11/28(土) 23:42:05 ID:ihG8UEgs
青函トンネルが開通したときは絶対に通るもんかって思ってたもんだけど、今年に入ってからもう両手で数えられないくらい通ってるなぁ。新幹線通ってほしくないなぁ。
841 :
回想774列車:2009/11/29(日) 07:55:02 ID:CL8woKWF
新幹線が嫌いなの?
>>841 新幹線は鉄道扱いではなく、飛行機などに近いジャンルの乗り物、
と思われた時代もあったでしょ。
843 :
回想774列車:2009/11/29(日) 16:36:04 ID:VrKozAOe
触ったらいけない人みたい
それって「翼を持たない航空機」?
>>837 今の換算表はないが、10年まえで1250円
>>844 YS-11を船舶にしたようなターボプロップの高速船とかは。
847 :
回想774列車:2009/12/07(月) 23:41:22 ID:961xs9Ot
野辺地から鉄道貨車を積み込んでいた時代もあったとか?????
それは小湊なw
養老渓谷じゃないぞ。
851 :
回想774列車:2009/12/26(土) 17:26:57 ID:o7hDrszI
>>850 その最終日のを見たが、当時を思い出して涙が止まらなかったよ、、、;;
ああ青函連絡船、、
今青森で保存されてる控車は改めて持ち込まれたものなんだろうか・・・?
853 :
回想774列車:2009/12/31(木) 23:16:02 ID:aKTegLER
紅白歌合戦見て思ったけどさ、現在最も精力的に「青函連絡船」を語り継いで
いるのは石川さゆりのような気がしてきた。
数年に一度は必ず「津軽海峡冬景色」で出てくるからね、今年は一昨年から1年
置いただけで歌ってくれたよ。
八甲田丸の横へ行くと・・・
855 :
回想774列車:2010/01/02(土) 11:37:57 ID:kNEruauB
廃止間際に乗船。3月下旬。
十和田丸だった。
湾内を航行中は快適だった。あ〜こんなもんか。
だがしか〜し、湾から出てまもなく津軽海峡に入ると一変。
巡回に来た乗船員も今日は揺れるなあとボソッ。
サブちゃんの唄のとおり、結構荒いんだね。
最初の放送の「本日の津軽海峡は、・・・」のところで、
「・・・海上では多少の動揺がありますが、航海にはご心配ありません・・・」
というフレーズが出た日は、たいてい恐怖だった。w
857 :
回想774列車:2010/01/10(日) 10:42:50 ID:DiGRBRlw
揺れる時は、船内にいるといてもたってもいられなくなる
そゆときはデッキに出て、最後部で船が揺れるのを眺めてるとかえって落ち着いた
>>857 使っている当時はそう思わなかったけどな。
深夜便は深夜・早朝の乗り換えで睡眠不足気味だったし、青森からの
はつかりはボックスシートでリクライニングもしなかったから寝にくかったし。
(まあ、深夜便に乗ったのは数えるほとで大抵は午後札幌発のはくつる
・ゆうづる乗り換えを使っていたが)
その後東京出張は飛行機がメインになって鉄道利用は激減したが、
トンネル開通後初めて北斗星に乗った時は乗り換えなしで東京まで行ける
ことに感激したものだ。もっとも、値段が高すぎてそれっきり使ってはいないけどね。
860 :
回想774列車:2010/01/10(日) 21:00:40 ID:iMzlMxOZ
青函連絡船の客席のシートは、キハ80系のシートと同型だったけど、
連絡船のものはシートに取っ手がついてなかったかな
862 :
回想774列車:2010/01/11(月) 10:08:30 ID:oFzGZAMF
寝台特急「あけぼの」は、青函連絡船との接続はあまり考慮されていなかったようだ
>>862 そりゃそうだ。
元々の役割が秋田・弘前方面と東京を結ぶ列車だからな。
青森連絡はほとんどおまけレベル。
青函航路連絡は常磐線、東北本線がメインという印象があるけど、
山形辺りに住んでる人にはまるで考慮されていなかったのかな。
>>864 山形市(内陸部)だと元々北海道と人や物資の交流は多くはなかったからな。
同じ山形県でも酒田は北前船以来の交流はあったし、日本海縦貫線は
東北本線筋よりは数的には少ないが昔から北海道連絡に努めていたよ。
866 :
回想774列車:2010/01/17(日) 14:16:46 ID:LHznYqgA
>>862-863 急行「しらゆき」もかな。
夏の混雑期、青森駅で乗船の列に並んでいたら、その脇を「はつかり」や「白鳥」、「みちのく」の客が
先にぞろぞろ乗船、こちらは乗れるかどうかひやひやもんだった。
ニセコに乗り継いで札幌までたどり着かなきゃならんかっただけに・・・
列車による乗船の優先順位ってのは、どうやって区別されていたの?
つまり、はつかり、白鳥、みちのく、ゆうづる等の列車では、
先行販売をしていたけど、しらゆきやあけぼのの車内では販売していなかったということ?
>>868 乗船名簿の用紙が違う。
優等列車では○特と印刷された物が配られた。
救命ボートに乗る順番も違う
そして全員分のボートは無い
871 :
回想774列車:2010/01/18(月) 00:28:17 ID:d6MPsziz
本日の津軽海峡のお天気は雪、波の高さは3?4Mでございます
本日は波が若干高くなっておりますが船の安全運行には支障はありません
それでは3時間50分の船旅をゆっくりとお過ごしください
872 :
回想774列車:2010/01/19(火) 19:43:27 ID:pGwGW05l
特急「いしかり」に使用された485系1500番台は、北海道に送り込まれる時も、
本州に戻る時も、当然青函連絡船で航そうされたんだろうね。
全部苗穂で作った
874 :
回想774列車:2010/01/19(火) 21:40:56 ID:pGwGW05l
青函連絡船って、広い食堂や喫茶兼バーはあったけど、大浴場あったかな?
シャワーしか覚えて無いな。
うまくすると前の人の残りでタダで賄えたw
876 :
867:2010/01/20(水) 00:09:22 ID:W6qZX5gY
>>868 何せ青函連絡船、この往復含め2回しか乗ったことがないのでよくわかりませんが、
しらゆきの車内では乗船名簿は配られませんでした。
青森のホームに降りた途端、皆が我先に駅の係員に駆け寄るので、やっと事の次第がわかりました。
結局、普通席には座れず、グリーン席に。
帰路の「おおとり」では車内で乗船名簿の配布がありました。
877 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2010/01/20(水) 00:54:29 ID:qwHzzD3a
乗船名簿は昭和末期にの晩年では特急でも配布はせずにデッキ付近にぶら下げてあった
事実上「ご自由にお取りください」みたいな感じだった
普通船室用とグリーン船室用は分けてあったが
878 :
回想774列車:2010/01/20(水) 06:44:14 ID:RN07urf0
>>874 廃止前年の夏に乗船したけど「大浴場」入った記憶が(往復路ともに)有るよ?
>>878 青函連絡船には、そのような設備はありません・・・
たしか洞爺丸型には浴室あったんだよね?
ただ、津軽丸型にも、檜山石狩にも、そんなもんはありませんよねえ。
本当にあったら、当時絶対お世話になりたかったよ。
>>878は何を勘違いしたんだか。…おおかた東日本フェリーかなw
ナン20の悪影響なのか、明らかな嘘つきレス(
>>873とかw)や、
そこまで行かなくてもいい加減な記憶による無責任なレスが
この板のあちこちで多発してるみたいで、憂慮すべき事態ですね。
ナンの立てた糞スレを除けば、せっかくのいい板なのに。
あぼーん
あぼーん
883 :
回想774列車:2010/01/20(水) 19:43:50 ID:MWbhlawv
>>880 NHKが昭和32年に制作した短編映画「青函連絡船」の映像を見ると、洞爺丸型の浴室にあった浴槽は、タイル張りで、
家庭用の風呂より少し大きめで、大人2人が入れる程度のサイズです。
当時の利用料金は、1回120円との事。ちなみに、「2等浴室」という表示がありました。
>>883 昭和32年当時で120円とは結構な値段だね(今なら多分1000〜1500円程度)
船旅は非日常感があっていいですよね。ちょっと贅沢もしたくなります。
東日本フェリーの青函航路には、ちゃんと浴室があるんだね
でも、「大」浴場と言うほど、広くはないはずだけどw
888 :
回想774列車:2010/01/24(日) 14:10:47 ID:McCganwm
旅館によくある家族風呂みたいな感じ?
889 :
回想774列車:2010/01/24(日) 18:08:21 ID:DyE1qy27
廃止の1年前に初めて寝台に乗った。
列車寝台より広かった記憶だが、4時間弱ではほとんど熟睡できなかった。
桟敷でねるのとあまり変わりがなかった。
あの桟敷で横になるってのに、何だか憧れたんだよなぁ。
いかにも船旅らしくて。
青函には乗ったことないけどさ・・・
>>883 懐かしいなあ4本煙突石炭タービン連絡船
昭和27年に親父と渡道したとき、「羊蹄丸」の1等の風呂代@¥100-
確か洋式バスタブだったかと?? 記憶曖昧だけれど
帰途の「摩周丸」の食堂ではマトモな洋食が食えた
892 :
回想774列車:2010/01/26(火) 16:42:46 ID:JnXrUDnb
今月号の鉄ピクに摩周丸の大規模清掃が行われたとあったが、
八甲田丸も大掛かりなメンテナンスして欲しいな・・・。
カーフェリーに改造できないの?
改造すれば、フィリピンやインドネシアに売れるんじゃ?
でも、いまさらって感じがしなくもなく
耐用年数は…途上国だと気にしないか
船尾から波が打ちこまないか心配
897 :
回想774列車:2010/01/28(木) 22:16:52 ID:iECA6cb2
エンジンの内部にはコンクリートが流されたらしいです。
>>894 軽油使用のエンジンが・・・・・
価格の安い重油が使用できないと、結構キツイものがある。
ナッチャンReraも軽油使用で燃料費問題が・・・・あれだけドカ食いすれば燃料代だけで持たない。
転売先の東南アジアでも廃船が進んでもう残ってないんだよな。
津軽丸型/渡島丸型の世代で残ってるのは
ギリシャ船籍の元空知丸だけだよね。
>元空知丸だけ
さみしい
檜山が燃えちゃったのが惜しいよな…
末期に乗船経験あるが、グリーン船室や寝台は未知の領域だった。
いまだに不思議なのが自由席グリーン(並ロ)の存在。
設備が別格の指定席グリーン(特ロ)があるのに、あえて好んで乗った人っているんだろうか?
確か升席もあったと記憶しているけど、
普通船室との違いは蛍光灯のカバーの有無だけ?
>>902 船舶の場合、鉄道と異なり船室(客室)の「位置」でも差別化される場合がある。
客室として、一番有利(便利、安定している)な場所から優等席を割当てする(いわゆる特等、1等・・・)
たとえ設備が豪華でもエンジン音が聞こえる場所に最優等を設置するなんてありえない。
904 :
回想774列車:2010/01/31(日) 12:01:16 ID:2A1QmSqh
「サロン海峡」などが改装でできる前、グリーン席へあがった階段の向いにあるテレビのある休憩スペースの
ところにも売店があったんだよね。考えてみればグリーン客専用の売店ともいえるし豪華?だったわけだ。
グリーン(一等)客と一般(二等)客の差別化がある程度残っていた名残りですかね。
905 :
回想774列車:2010/01/31(日) 12:16:56 ID:aIsGVMBU
それはあるかもわからんね。
906 :
回想774列車:2010/01/31(日) 14:50:12 ID:/GkV6dX+
>>905 初めて乗った時は「ああこの上はいっちゃいけないんだ」と恐れ多くてグリーンの方へあがっていくことが出来なかった。
907 :
Takechang ◆OERN6KX2L. :2010/01/31(日) 16:59:16 ID:4+PNeOrg
>>902 個人的感覚だけど升席(座敷)の絨毯が柔らかい感じはした
908 :
回想774列車:2010/01/31(日) 19:40:01 ID:3+dMbT+P
>>902 自由グリーン椅子は、結構柔らかく、眺めも悪くなく「がら空き」で「オッサンの酒盛り」もないので好きでした
>>902 グリーン船室の升席は一人あたりのスペースに違いがあった。
それでなくても繁忙期には普通船室の升席は一人分のスペース確保に
四苦八苦した(基本的に升席>>椅子席の人気)けど、グリーン船室は
ほとんどの場合ゆったりと乗ることができた。
特に睡眠確保が必須な深夜便の場合この傾向が顕著で、連絡船だけ
グリーンと言う人も少なからずいた。
G枡席は絨毯の毛足が長いって聞いた。
どこかで、箱枕が山積みになっている写真見たけど、
これは普通席にもあったっけ?
あと、どなたか石狩丸の船内の画像が出ているサイト知っている
人いませんか?
普通椅子席もリクライニングシートだったという話なのですが。
913 :
回想774列車:2010/03/06(土) 10:15:14 ID:HMBc1pnU
>>892 手前に移っているホース付の水中ポンプが気になるなあ。
浸水でもしているのか?船体検査を受けているからそれは無いと思うが・・・
914 :
回想774列車:2010/03/06(土) 21:52:10 ID:AvCxQWB9
915 :
回想774列車:2010/03/07(日) 10:31:28 ID:z+diYVzE
>>912 船の中にあの座席が並んでいる姿も微妙だなw
916 :
回想774列車:2010/03/07(日) 11:26:36 ID:/m1e9YSS
青函連絡船といえば、修学旅行で2回乗ったことしかありません若造ですが
急行すずらん52号(高校のときは82号)の集約臨から乗り継ぎで、他校と混合で約1000人
ほどで12時15分発の便に乗りこみましたが、一般客は15人wで、全員グリーン指定席に
乗せられていました
学生はグリーン指定席まで使用し、わが校はグリーン指定席、椅子席、升席グループで
旅行会社グッジョブっ!でしたね
海峡の真ん中で販売されるソフトクリームがうまかったです
もうすぐ定期終航の廿三回忌ですな。
今回のダイヤ改正が奇しくも3月13日ということで思い出されます。
八甲田丸工藤船長は「年が明けてからは毎日が過ぎるのがとても速く…」と終航式で仰ってました。
自分が今同じ年齢になり、日々の流れをしみじみ実感しております。
918 :
911:2010/03/07(日) 16:22:19 ID:PpKbBep2
)912
)914
ありがとうございます!
確かに183DCや781系と同じような座席ですね・・・。
リクライニング角度はやはり少なめだったのですかね。
既存船では80DCのような座席でしたが、船の広さを生かして
中肘掛があったような記憶があります。
こんなところがあったとは…
懐かしいな〜。
青函連絡船…
青森に22時過ぎ着(だったはず)の白鳥から0時0分発(だったはず)の連絡船に乗り、函館4時13分着。ダッシュで「北海」の自由席乗って長万部に行ったっけな〜。
寒かったな〜函館。
1度切りなもんで、記憶が不鮮明…。
ゴメンしてけれ。
>>919 青函連絡船の深夜便は0:10の11便(後に101便)と0:30の1便ね。
現在もそうだが、指定券が発行される列車・船舶では日付を間違える危険性を
避けるため、0:00丁度の発車はあえて設定されていない。(23:59か0:01にする)
上り八甲田が青森発0:02だったな
922 :
回想774列車:2010/03/13(土) 07:24:53 ID:YnjMsMck
保守
923 :
回想774列車:2010/03/14(日) 06:17:59 ID:D+3Ais3l
性感連絡船
>>853 ようつべで津軽海峡冬景色のはしごをしてしまった
925 :
回想774列車:2010/03/17(水) 19:43:12 ID:FYlZOLjj
保守
926 :
回想774列車:2010/03/18(木) 19:33:59 ID:kvjVf2xW
3/18
927 :
回想774列車:2010/03/19(金) 18:38:35 ID:SAHxL0b7
3/19
928 :
回想774列車:2010/03/22(月) 22:21:07 ID:F+6m9TqP
西ナントカ・西クズ・西カス・タブーチ・西葛軌道=田淵洋治(@明電舎)の特徴より抜粋
・自身のサイトへのリンクや、見苦しいAA、汚いAAや改変コピペを自己陶酔か馬鹿の一つ覚えのように張る癖がある。
・特に自分のサイトのリンクはとても重要。アフィリエイトの小銭稼ぎとGoogleのPageRank維持が人生の慰め。
・極度の自己顕示欲のためNゲージ3大メーカースレなど、自分が目立たないところにはあらわれない。
・露骨な誘導と肥大した自尊心でWikipediaからは「異形の精神の持ち主」として追放、復讐を宣言するも不発に終わる。
・2chでも同じことをやって何度もアク禁を食らう。しかし規制の後プロバイダを替えた模様。
・鉄道模型や鉄道懐かし板に出没し、気に入らないことがあるとコピペや連投を始め、複数IDで自作自演しスレッドを荒らす。
・自身が提唱した「妄想模型鉄道規格」が無視されたことが根底にあるのか?
・老舗鉄道模型系出版社やモデルワーゲン他特定鉄道模型メーカーなどに恨みがあるらしい 。
・挑発されるとノコノコ出てきて、他人を装い意味不明な言動を撒き散らすが自己顕示欲の誘惑に負け正体を晒す
・平日の早朝深夜と土日祝日に集中して荒らすことで実社会のストレスを発散している。
・学歴を誇示する割には頭が悪いので、他人の張ったAAやテンプレをすぐパクリ、特定個人名に改変して貼るのが精一杯。
・GoogleのPageRankや、過去のTMS・海外雑誌掲載歴などを針小棒大誇示するも、実態を知られて衆人からは黙殺される。
・経歴や権威付けにやたらこだわるが、自身の知識や歳相応の人格が欠如しているので実像はただの頑固で偏屈なオッサン。
・私生活や所属企業での自分への評価に不満があるのか、鉄道模型業界で名を成そうと画策するも、結果は実社会と同じ。
・ポータルサイトと嘯くサイトを作るも、自身の不徳からWikipediaスパムサイト認定を受ける。
・当然鉄道模型業界にも人車軌道研究者にも全く相手にされず、自作自演でGoogleのPageRankを上げるオナニーの日々。
・職場で窓際に居るので火病の発作が抑えきれなくても好きな時にスレ荒らし。
そして以上の内容を指摘したり晒し上げるとすぐ逆ギレを起こし、
火病の見本のごとく吠えたり連投自演でスレを壊すことで暴れるのが
自己顕示欲の発露でしか自分を誇示できないキチガイ西ナントカのお約束
>>920 キップの使用開始日が0:01だと得した気分になり23:59だと損した気分になる
930 :
回想774列車:2010/03/24(水) 21:19:10 ID:+UWRYLS1
>>902 だから、末期に企画された企画切符ではグリーン自由に乗れるものが多かったみたいですね。
どうせガラガラだし、グリーンという言葉には多少なりとも集客力があるし。
932 :
回想774列車:2010/03/28(日) 09:27:18 ID:CnwWIiUR
ほんと泣けるな。
933 :
回想774列車:2010/04/07(水) 05:29:09 ID:La9FEY7F
保守
934 :
回想774列車:2010/04/08(木) 17:02:03 ID:esxAkkPv
着払乙
935 :
回想774列車:2010/04/10(土) 07:36:33 ID:qSMqzZgE
保守
936 :
回想774列車:2010/04/10(土) 19:21:53 ID:qSMqzZgE
西クズ晒しage
犯罪者が沸いたのでこのスレも終了です
なんか今TVに洞爺丸が
939 :
回想774列車:2010/04/14(水) 14:14:11 ID:Cm/RCqvx
↑ 柴崎コウの「我が家の歴史」でしょ?
940 :
回想774列車:2010/04/15(木) 05:44:56 ID:gI/aZaBB
青函トンネル
941 :
回想774列車:2010/04/17(土) 06:31:06 ID:pUI62nRU
ぬるぽ
,. -.、
,凵@ ヾ 、
/ / _ ', \
. く _,.f‐'´ ``‐i..,_ > ガッでゲソ!!
ハハX_,∨,_メハハ
┌‐| io⌒ ""⌒o! |ー┐
,.^ニニノノ\(⌒⌒)/ゝ、ニニ^ 、
く く. //| | o、 ̄/ | | | | 〉〉
. く 〉| | | | `´ .| | | | く 〉
 ̄ ̄ ` く X二) ̄ ̄ ̄(二X > ̄'´ ̄
彡,ハ} {ヘ ミ´
) (
⌒γ⌒V⌒ヽf⌒
943 :
回想774列車:2010/04/17(土) 11:59:05 ID:O85b5a0N
このスレも着岸態勢に入ったようで…
944 :
回想774列車:2010/04/17(土) 12:15:39 ID:gckgdXu4
>>943 うまいたとえだねw
函館マラソンに備えて、乗船口に人が並びはじめましたよ
945 :
回想774列車:2010/04/17(土) 17:45:00 ID:1piDkYTP
周遊券で旅行した帰り、シャワールームに入り、何日も溜まってていきり勃ったイチモツを・・・
何にせよ、青春ってヤツですなw
947 :
回想774列車:2010/04/17(土) 21:43:13 ID:XDmwiPt6
>>945 まじめな話で、当時の20日有効時代の周遊券旅行の最中のそのへんの事情は気になるんだよな。
おれは、札幌滞在の日に琴似の古本屋街とかでネタを現地調達して、
無人駅泊の夜にひっそりと…ですたw
なので、
>>945みたいに、帰りの連絡船でムラムラ来た記憶はあんましない。
けど、夜行連泊連泊連泊…の奴だと、たしかに現実問題だよねえ。
949 :
回想774列車:2010/04/17(土) 23:22:47 ID:1piDkYTP
今はなき帯広の駅ビルとか、キハ22の便所の中でもヌイたことがある。
いちばんよくやったのは夜行急行の便所かな。みんなもやってたと思う。10分以上出て来ないやつとか。
俺ゃ全くこの世代の人間ではないですが、
一ヶ月くらいはドピュしなくても大丈夫だけどなぁ。
彼女と別れた後に3ヶ月抜かなかったのは、
流石に最後の方はヤバかったw
ニコ動に上がっている「さらば海峡の友よ」って、市販されているビデオ?
それとも昔TVか何かで放送したやつ?
ビデオだよ。俺も持ってる。
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青姦連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
青函連絡船
埋め荒らしは氏ね
青森
函館
津軽海峡
津軽海峡
津軽海峡
津軽海峡
津軽海峡
津軽海峡
津軽海峡
津軽海峡
999 :
回想774列車:2010/05/03(月) 19:04:29 ID:bzMuWgBP
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( ⌒ ヽ・ ノ ノ ’ 津軽海峡雪景色
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1000 :
回想774列車:2010/05/03(月) 19:04:30 ID:/urnDIGT
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( ⌒ ヽ・ ノ ノ ’ 津軽海峡雪景色
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