405 :
金龍:
>>403 まぁ、そもそもその「規則を設定する」ってこと自体に無理があるってことだ。
人間だって自分が従ってる規則を明示できないんだから、
それを機械にインプットできるはずがない。
そういう算数的な規則ならほぼ問題が起こらない程度に近似はできるが、
それでもクリプキのクワス算の事例は、そうした純論理的な規則すら
完全に意識化・明示化・プログラム化されてるわけじゃないってことを言ってる。
これが価値的・美的なものとなると、目に見える形で規則を設定することの不可能性が出てくる。
過去に行われた全ての判断を説明する規則が発見できたとしても、
次の一つの判断にまでそれが適用できるかは分からない。
お笑いなんか見てても分かるだろ?
いままで絶対ウケたネタが次の一回も必ずウケる保証はないってこと。
未来は不定ってことだな。確率的な意味でなく、もっと本質的な不定性ってことだ。
406 :
金龍:02/12/01 22:28 ID:D+7+vypr
ここから優秀さや美の「評価の基準」の問題につながって、
主観的価値と呼ばれるものの序列付けについて説明できることになるんだが、
それは魔王スレにでもまとめてするかな。
今日はもうダルいからまた今度にでも。
>「科学の限界と数学の限界」
そうじゃなくて科学や数学の論理がその中に内在する
真理の一面を写す写像的論理である事を指しているんだけどね。
哲学的アプローチとの価値差違はあまり無いと思う。
数学や科学に問題が有る訳で無く限界を超えて
その方向から探究する為の「不完全性」なんです。
不確定などは歴史的にみて不完全性の副産物だと思う。
論理学自体がもともと不完全性を含むものであり
数学や自然科学がその写像である限り不完全性を意識して
前提や状況にも懐疑を加えなければ無意味に終わる。
それは形而上学レベルとて同じ。
極論すれば本質を削り出す為の方向性の違い。
408 :
金龍:02/12/02 18:49 ID:RovgOwPz
>>407 何が問題かっつーとだ、
要するに、まずおまえの文章が異様に読みにくいってことと、
あと用語の使い方が不用意すぎるってことだな。
だから言葉遊びになってるつったんだ。
>論理学自体がもともと不完全性を含むものであり
これだけ読んでも普通だったらすかさず一階術語論理の「完全性」は
ゲーデルの完全性定理で証明されてるってつっこみが入る。
おまけに、完全性定理が証明した完全性と不完全性定理が否定した完全性は
単に対象とする公理系が違うというだけでなく意味的にも違うものだ。
まあ、自然科学・数学・論理学をはじめ、およそ全ての意味的営みは未完結だってのは確かだな。
足し算にはクワス算の事例、論理学の推論規則にはルイス・キャロルのパラドックスがある。
不完全性定理はその未完結性を自己表現するだけの表現力を
算術を含む程度に複雑な公理系が持ってるってことを示しただけだ。
不確定性原理が物理学の体系におけるその種の自己表現と言えるかは微妙だが、
まあ充分抽象的に考えればそう言っても悪くはないだろう。
ともかく、そういう抽象的な意味での未完結性を語るのにわざわざ不完全性定理を引っ張り出してきて
さもその不完全性が全ての根元だみたいな言い方をするから不用意なんだ。
不完全性定理の不完全性はあくまで普遍的な意味的営みに付き物の未完結性を表す一例ってこと。
論理学という厳密で最も根本的なレベルでの未完結性を示すことでその不可避性を強調したいなら、
不完全性定理を例に出すよりはルイス・キャロルのパラドックスの方が適切だ。
なんたって、完全性も無矛盾性も決定可能性も証明されてる命題論理のレベルで、
しかもその中で最も根本的な推論規則にそうした未完結性があるってことを示してるんだから。