一人ぼっちの在宅労働者

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77マジレスさん:01/11/22 02:28 ID:z6xpvEmF
なんていうか
依存されるのってかなり重荷だと思う
78その日暮らし:01/11/22 02:31 ID:EvFzKTrm
一人で生きていくのは・・辛い!
だから・・いやでも・・人間関係を持ちたくなりますよ・・

私も33で家を出て一人で暮らしてみようと思っています・・

むしろ・・家族と暮らすより、孤独の中でも成長する事が多いからね

一人で独身である事がすべて悪くしているわけじゃないしね・・

自分で決めた事なら・・頑張れると思いますよ〜

お互い頑張りましょうね〜
79マジレスさん:01/11/22 02:31 ID:fHHY4k5r
ただでさえ人間関係が苦手なのに、今から新しい関係を築くのは大変だと思う。
親や兄弟との仲は悪いのかな?
80マジレスさん:01/11/22 02:36 ID:a7E78c3w
私も現在32で、もうすぐ33…。
いままでいいことなどひとつも無かったし
これからも無いでしょう。
一人でいると、将来のことが不安でいてもたってもいられなくなるよ。
私みたいな人は、なるべくなら一人にならないほうがいいと思う。
81マジレスさん:01/11/22 02:37 ID:a7E78c3w
74と76は言い過ぎました。
ごめんなさい。
82マジレスさん:01/11/22 02:39 ID:fHHY4k5r
ペットを飼ってみるのはどうだろう?
とにかく、愛情を分散させることが必要だね。
83マジレスさん:01/11/22 02:40 ID:z6xpvEmF
なんか暗いね
多分顔にも不幸が出てるんだろうね
貴方達がまずすべきことは、生活の中でプラスを頭で感じることだな
これなら、一人でもできる
84マジレスさん:01/11/22 02:41 ID:z6xpvEmF
催眠術ってのもある
85独働女:01/11/22 02:43 ID:GyNFs707
>79
父親とだけは仲良くありませんが、母親・兄弟とは
いたって仲良しです。兄弟はもう離れていますが。

たぶん、知り合いを作ったりはできると思います。
外国で一人っきりか始めることなども平気なので。
ただ、自分の中で、内と外を完全に分けたりしてしまうので
表の顔でしか接することが出来ないで、疲れてしまったりは
あるかも…
自分をちゃんと肯定できるようにしたいです。
86マジレスさん:01/11/22 02:43 ID:a7E78c3w
まじで辛いです。
死ぬ勇気もないヘタレだし・・・。
どうすればいい?
87独働女:01/11/22 02:46 ID:GyNFs707
○一人っきりか「ら」

動物はいます。

>多分顔にも不幸が出てるんだろうね
引っ込み思案などとは言われますね。

>a7E78c3wさん
このスレお使いになるならどうぞ。
なんだか・・・大丈夫ですか?
88マジレスさん:01/11/22 02:51 ID:fHHY4k5r
>>85
ご家族との仲も良く、動物もいるということですが、どちらとも
内の顔で接することができるのでしょう?
そこでリラックス出来ていないんですか?
89マジレスさん:01/11/22 02:53 ID:z6xpvEmF
脅迫観念だな
90その日暮らし:01/11/22 02:54 ID:EvFzKTrm
<68
死ぬ勇気がないなら・・生きましょう・・とりあえず・・

あの時・・勇気がなくてよかった・・って思えるかもよ〜

生きているだけだって・・頑張ってるんだから〜
91マジレスさん:01/11/22 03:09 ID:a7E78c3w
せめて仕事見つけなきゃ・・・。
なんでもいいから、目標がほしいです。
でも、なーんにも取り柄ないし・・。
92マジレスさん:01/11/22 03:24 ID:fHHY4k5r
>>91
このスレ↓のひでさんに相談してみてはどうでしょう?
http://piza2.2ch.net/test/read.cgi/jinsei/1005844229/l50
9353:01/11/22 13:09 ID:BMUWrLOl
「孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
 しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである」
by バルザック(1842-1855)

・・・という言葉を見つけ、1さんの事を思い出したので書きに来ました。

一人の時間というのはすごく大切です。
自分を見つめ直したり、磨いたり、将来の事を考えたり。
でも、そうやって作られた自分自身を誰かに確認してもらわないと、
生きているという感覚を得られません。
そしてその他人は、多ければ多いほど良いのです。

なぜなら、1さんが既に気づいているように、
人はその全てを一箇所にさらけ出すことが出来ないからです。
ある人に対しては自分のある一面を、また別の人に対しては別の一面を。
そうやって、たくさんの人にいくつもの顔を見せることで、
自分を分散させて少しずつ表に出していくのです。
喩えどんなに希薄な人間関係でも、
積もり積もれば本当の自分に逢わせてくれるんですよ。

ね、あなたには彼一人じゃ足らないでしょ。
94独働女:01/11/23 02:36 ID:nutSgjhB
>53
>・・・という言葉を見つけ、1さんの事を思い出したので書きに来ました。

どうもありがとう。
的を射たレス感謝します。

確かに、人と関わりたいという渇望はありました。
自分に対する自信のなさがそれを拒否していたのと、
あとは、彼に全て預けて楽したかったのか。
(人と関わる=苦痛、私なんかどうせ、という思い込みがあるので)

>誰かに確認してもらわないと、生きているという感覚を得られません。
>そしてその他人は、多ければ多いほど良いのです。

これは私にはとても新鮮な考えです。
「知ってもらいたい」というのは甘えだと思っていました。
それから、彼以外の人との交流に対して、どこか「本当の私」ではない
自分が、ある役割を演じているような居心地の悪さをいつも感じていました。


相変わらず彼からの連絡はありませんが、それはそれとして、
私自身で人と関わる生活を作っていこうと思えるようになりました。
95lSjpVROi :01/11/23 03:07 ID:xSchk1VG
こんばんわ
あなたが立てたスレッドのおかげで>>53さんの良い話が読めました。
ありがとう。
9653:01/11/23 03:17 ID:gngmXx/e
こんばんは。タイミングが合いましたね。

>それから、彼以外の人との交流に対して、どこか「本当の私」ではない
>自分が、ある役割を演じているような居心地の悪さをいつも感じていました。

それも、間違いなくあなた自身です。
「本当の自分ではない自分」なんて存在しませんから。
人は、いくつもの自分を持っているのが普通です。
だからその数だけ、人との交流が必要なんです。

とことで、1さんは在宅で仕事をされているそうですが、
どのような事をやっているんですか?
僕の勘が、ある種の作家さんに特有の心理を、
1さんの中から発見して来たのですが。
9753:01/11/23 03:21 ID:gngmXx/e
・・・と思ったら1時間近くも前か。
また明日覗きに来ることにします。
98ちゃむ:01/11/23 03:24 ID:wEbIGpNB
寂しさを克服するのに一番いいことは
町にいって酔っぱらう事よ。
アル程度の容姿があればねー
暖めてくれるひとがみつかる
おほほほっほいひひほいひおひおひひおいえhふぃおあへいおfはうぃおえhがえ
99独働女:01/11/23 07:21 ID:HImQsrz6
>lSjpVROiさん おはようございます

>53さん
>「本当の自分ではない自分」なんて存在しませんから。
>人は、いくつもの自分を持っているのが普通です。
>だからその数だけ、人との交流が必要なんです。

これは、また、私、今「コペルニクス的転回」的な気分を味わっています…
いくつもの自分が、すべて本当の自分・・・?
では、なぜ私は居心地の悪さ(虚無感のような)を感じるのだろうと考えていました。
「ここにいてよいのだろうか」と思うのがしんどくて、大集団に埋もれるか、
そうでなければ一人でいることをいつも選んでいました。
(「一人でも楽しむことが出来る」の「一人」と,この場合の「一人」はちょっと違います)
全員の顔が適度に見えるような場は避けていました。
なぜならば、そういう場だと「私」として存在しなければならないから。
「私は」で人と関わらなければならないから。
そして、その時の「私」は、その場その場に適応させた(「適応した」ではない)
言ってみれば「´」(ダッシュ)付きの私で、「本当の私」ではないから。

そういえば、わたしはある外国語(20代になってから習得した)も使いますが、
その言葉での関わりは、逆に日本語でのそれよりも気が楽です。
「私は」と「日本語(母国語)じゃない言葉で話す私」は、「本当の私」では
ないけれど、その言葉で話しているときだけしか存在し得ないし、
その言葉を使わないと成立し得ない「私」なので、「本当の私」に
許されてる。飛び地のようなものかも。
「私´」と「日本語以外の私」の違い、今、書きながら初めて気づきました。

>ある種の作家さんに特有の心理を
それはとても興味があります。どんなことでしょう。
私の仕事は、ある産業分野の外国語を日本語にすること。
どちらかというと機械的な作業で、文芸ものなどのように
いわゆる個性は出し得ないものです。
100マジレスさん:01/11/23 18:42 ID:fd02IpjY
「私´」で、人とつき合うのも大事だと私は思いますけど?
だって、相手に配慮して自分を調節して
周りとつき合ってる・・事でしょう?

”自我全開”で来る人って萎えません?

”こんな私、私じゃない・・”てネガティブに考えるか、
”相手に合わせて調節してる・・”てポジティブに考えるか、
表か裏か・・てだけの問題のような気もしますけど。

子供じゃないんだから、「本当の私」全開で
周りの人間とはつきあえないでしょう。
DQNでなければ!
10153:01/11/24 03:19 ID:ew2C2ozg
長くなるので2回に分けます。

>そういえば、わたしはある外国語(20代になってから習得した)も使いますが、
>その言葉での関わりは、逆に日本語でのそれよりも気が楽です。
>「私は」と「日本語(母国語)じゃない言葉で話す私」は、「本当の私」では
>ないけれど、その言葉で話しているときだけしか存在し得ないし、
>その言葉を使わないと成立し得ない「私」なので、「本当の私」に
>許されてる。飛び地のようなものかも。
>「私´」と「日本語以外の私」の違い、今、書きながら初めて気づきました。

僕はこの気持ちが痛いほど良く解ります。
前回のレスであなたの中にある種の作家さんに特有の心理を発見したと言いましたが、
こういうケースもあるということを初めて知りました。

僕の知っている作家さんで才能のある方はすべて孤独に苛まれています。
(「作家さん」は広義に捉えてください。作詞家、脚本家、音楽家、画家等も含みます)
もちろん人間嫌いな方ばかりではなく、社交性に満ちたタイプも大勢いますが、
それでも実は内面に言いようのない程深い孤独を抱え込んでいるのです。
あるいは、ぬぐい去ることのできない強固なコンプレックスを。
そしてそれこそが、作品を生み続ける原動力となっています。

つまり、彼らも根底では「他人に受け入れられたい」という思いを持ちつつ、
どうしてもそれができない種類の人間なんですね。
そして自分の書いた作品を通し、他人と交わろうとするのです。
形だけの付き合いではなく、本当の意味での他者との交わりです。
作品が認められること=自分が認められること。
作品が愛されること=自分が愛されること。
彼らの多くは、そう感じています。
自覚している方もいますし、無自覚な方もいます。

(続く)
10253:01/11/24 03:19 ID:ew2C2ozg
(続き)

なぜ彼らにはそういう遠回りな過程が必要なのか?
それは直接他人と深く交わることが怖いからです。
だから、間に作品というワンクッションを置く必要がある。
あなたの表現でいう「飛び地」ですね(この言葉を目にしたときに僕は驚きました)。
この飛び地の便利な所は、作品が受け入れられたときには
自分が受け入れられたと感じることができる上、
受け入れられなかった際には「自分ではなく作品が受け入れられなかっただけなんだ」と、
都合良く解釈することができる点です。
つまり、受け入れられた際にのみ「作品=自分」とし、
受け入れられなかった際には「作品≠自分」とすることが可能なのです。

例えばあなたが外国語で誰かと会話をした際、
相手があなたの話を受け入れてくれれば、
あなたは、相手があなた自身を受け入れてくれたと感じることでしょう。
しかし、あなたの話が受け入れられなかった時はどうですか?
「自分の外国語がまだまだ未熟なんだ」と、
言葉のせいにしてしまった経験はありませんか?
「もっと上手に話せていればきっと理解されたはず」と、
話そのものではなく表現方法に悔しい思いをしたことはありませんか?

さて。もしもあなたにとっての外国語が、
上記で例にあげた作家さんにとっての作品と同等の役割と価値を持つならば、
せっかくコペルニクスに至ったあなたに今度は天動説を説き、
来た道を逆戻りさせなくてはならないかもしれません。
10353:01/11/24 03:24 ID:ew2C2ozg
蛇足ですが。

僕の書いた
>もちろん人間嫌いな方ばかりではなく、社交性に満ちたタイプも大勢いますが、
>それでも実は内面に言いようのない程深い孤独を抱え込んでいるのです。
これと、

あなたの書いた
>(「一人でも楽しむことが出来る」の「一人」と,この場合の「一人」はちょっと違います)
これは、

たぶん、同じ事を表していると思います。
僕は通常、前者を「一人」、後者を「独り」と書き分けています。
1041:01/11/24 03:32 ID:Ac89KNVF
こんばんは>53さん
今晩はタイミングが合いそうです。
今、読んでいるところです。少し考えてレスします。
1051:01/11/24 04:07 ID:Ac89KNVF
 私が感じている居心地の悪さは、おそらく
>言いようのない程深い孤独を
>ぬぐい去ることのできない強固なコンプレックス
これにあたります。どこにいけばどうすれば安心できるのか、それが知りたくて
しょうがない時期がありました。今は、知ることをあきらめています。
投げやりというのではなく、いわゆる「諦観」がその安心なのかなとか、
(私はキリスト教信者ではありませんが)原罪のようなもので、
死ぬまで不安でありつづけるのが「私」の「私」たる所以なのかなとか、
そう思っています。

それから、私は、53さんのおっしゃる「作家」のように、何かを創作することにたいしては
自分に絶望しています。なぜならば、作る力がないと思っているから。
かといって、既にある作品を堪能すること「だけ」に無上の喜びを感じながら
日々の生活(人とのかかわりに喜びを感じたりすること)に十分な満足感を味わい、
明日を楽しみにしたりすることも、器用に出来ないから。

 私が、生活の中で「私´」をうまくコントロールしてやっていくことに辛さを感じるのは、
どこにいても孤独感をヒリヒリ感じているからで、もっともそれを感じないのが、
彼に受け入れられていると実感しているときなのです。
劣等感が強いせいか、いったん受け入れたもの(この場合は彼)には振り回される。
「私´」のときは人を切り捨てても自分を守るくせに、相手が「いったん受け入れたもの」
なら自分を捨ててしまう。内心、それを受け入れることが「私」らしくないとわかっていることでも。
そして、彼に拒絶されると、ものすごい虚脱感を感じます。ベッドから出て歩くのも億劫です。
 他の関わった男性や仕事上の失敗などで、こういう感覚を感じたことはありません。

いったん「書き込み」します。
1061:01/11/24 04:21 ID:Ac89KNVF
>何かを創作することにたいしては
と書きましたが、具体的に表現者(作家)を目指したり、目指していた経験があるということでは
ありません。自分に対して常に、達成できない不満足感があるのです。

それから、彼との関係は、勿論、人として、男性としての彼に魅力を感じているから
こそ「受け入れられたい」と思っていたわけですが、同時に、「受け入れてもらった」という
こちらの気持で、彼をコントロールしようとしている部分も無きにしも非ずだと思っています。
そういう意味では、彼に申し訳なく、消えたくなったりもします。
「私のようなものと関わってしまって、ごめんね」ということですから、
これも自信の無さ(劣等感)でしょうか。
107八頭 ◆tbTTLMJM :01/11/24 05:06 ID:2r5nUjTU
ざっとスレを読んだけど、1が彼に負荷をかけ過ぎるのが問題じゃないのか?
ま、一人でどーのこーのするより、当人同士でちゃんと話し合うべきと思うがね。

>100
激同
1081:01/11/24 06:18 ID:yh79ZFfd
>それは直接他人と深く交わることが怖いからです。
>だから、間に作品というワンクッションを置く必要がある。
>「作品=自分」と「作品≠自分」

実感として、非常によくわかります。
「作品≠自分」の場合の「都合の良い解釈」もとてもよくわかります。
ただ、私が都合よく解釈するのは「外国語でうまく伝えられなかったとき」よりも
「私´」として振舞って上手くいかなかったときのほうだと思いました。
あるいは、後者のほうがダメージが大きいので、都合よく解釈して気持に折り合いを
つけなければやっていけない。これは「私´」であって「私」じゃないから、と懸命に
言い聞かせます。そして、受け入れられなかった「私´」(つまり、失敗作)を出した
「私」はますます不安に、孤独になります。

飛び地にいる私(外国語を話す私)は、居心地の悪さを感じずにいられます。
直接他人と深く交わることの恐怖は、あまり(というか、ほとんど!)感じません。
普段は怖いのに。

「飛び地にいる私」は少なくとも「私´」ではなく、「私」です。
ただし、「飛び地」なので、「私」との間に若干の空間はあります。
日本語→外国語への変換作業がこの空間かも。
53さんのおっしゃる『受け入れられなくても「作品≠作家」だからと
都合よく解釈する』とは、少し違うような気がします。
流暢に話せないこと自体には悔しさを感じますが、
これは単に自分の語学力に対する悔しさであって、
自分のことをわかってもらえなかったことの理由付けにすることは
(振り返ってみて)なさそうです。

>99に書いた
>「私は」で人と関わらなければならないから。
>そして、その時の「私」は、その場その場に適応させた(「適応した」ではない)>言ってみれば「´」(ダッシュ)付きの私で、「本当の私」ではないから。
飛び地ではこれを感じないようです。
自分が飛び地にいて、そこでは外国語でしか意思疎通が出来ず、そうしないと
「私」は存在し得ないという必然性を「私」が認めているからです。
必然性を感じることは、私にとって重要です。

かなり極端なたとえですが、私は普段洋服を着ているけれど、たまには和服も着る。
そのとき、お正月でもお茶会でもおよばれ(これらは私にとって着物を着る「必然性」が
あることになっています)でもないのに着物を着るのは、「ただ着物が着たいから」
と理由付けが必要になるのです。そして、「ただ、着たい」といった欲のようなものを
必然とすることには、ちょっとした罪悪感を感じます。
(かなり大げさな例え話です)


>もしもあなたにとっての外国語が、
>上記で例にあげた作家さんにとっての作品と同等の役割と価値を持つならば、
>せっかくコペルニクスに至ったあなたに今度は天動説を説き、
>来た道を逆戻りさせなくてはならないかもしれません。

上に書いたことが、この部分の答えになっているでしょうか。
書きながら私は、いろいろなことを再確認しています。
1091:01/11/24 06:19 ID:yh79ZFfd
ちょっと長文過ぎました。
上手くまとまりません・・・。
110マジレスさん:01/11/24 08:49 ID:vyB4cpkY
ug アソビ ヲ シマショウ
ソウ シマショウ

http://vug.ff.vu/
111マジレスさん:01/11/24 09:07 ID:vyB4cpkY
1と53はイイ勝負をしてるかモナー。
永遠と言葉遊びをループさせているかモネー。
112マジレスさん:01/11/24 09:12 ID:vyB4cpkY
102>作品と作家個人の主観はほとんど関係ないよ。
作家にとって主張やテーマなんて、寿司のネタと同じだって。
ハイ、とろ!
次、ウニ!
人格や性格、主張したいものが、あるかないか、ではなくて、
何処にターゲットを絞って、そのターゲットをカンドーさせるような
文章を書くことが、デキればいいの。
113マジレスさん:01/11/24 09:17 ID:vyB4cpkY
53サンの言う事はよく分かりますよ。
やはり作家の作品というのは本人が何を描きたいのか、
それが読者にどう伝わるのか?そうした葛藤のドラマや、
生む苦しみを永遠と繰り返しながら、
古今東西、名作が生まれてきたんでしょうね。
またそうすることでしか自分という存在を他者に伝えることが
できないという、もどかしさ...。
そう思うと、時々、胸が熱くなったり、その作品の息吹を
感じて切なくなったりもしますね。
114マジレスさん:01/11/24 09:21 ID:vyB4cpkY
53は作家という隠れ蓑から、自分の主観を言っているカモねー。
作者の思考を普遍化させることなんてできないカモねー。
115マジレスさん:01/11/24 09:25 ID:vyB4cpkY
53は無理やり、問題を解決してようと、してるぞ!
でも論点がボケてるぞ。ぷぷ。
いいぞ!これからの2人を見ていよう。
116マジレスさん:01/11/24 09:34 ID:vyB4cpkY
1は何が言いたいかを、簡潔な文章で、いいたまへ!
117マジレスさん:01/11/24 10:17 ID:+YVE12tB
1さんの言う事はよく分かりますよ。
1彼は自己中心的に1さんを振り回しています。
本来「制裁」という言葉は、少なくとも対等な関係からは生まれてこないはずです。
人を裁くことは誰にもできません。

そして1さんは1彼に精神依存しています。
おそらく、1彼は依存の対象でしかなく、それが他のものに、すりかえられても、
結局のところ同じことの繰り返しです。
それは多分、1さんは「自己という存在」が、
何なのかを感じることが少ないのでは、ないでしょうか。
そして日々の中で、充足感や満たされている幸福感を感じずらいのは、
思考や論理の渦に巻き込まれているからです。
そもそも、愛情や充足感、幸福感、陶酔感といったものは、理解するものではなく、
心の底から湧き出るように、グラスに注いだ水が溢れて、こぼれ落ちるように満たされるものです。
そうした幸福感は思考するものではなく、体感するものです。
極めて純度の高い芸術も底から満ち溢れたような純度を保っています。

いくら頭で考えても無理ですよ。
思考では、
からだじゅうを包みこむような自分の体温のあたたかさに感動すること。
生きているということそのものに深い感動を覚えること。
他者という「存在そのもの」を受け入れること。
自然への慈愛を感じることなんて、できません。

心の病気です。
118マジレスさん:01/11/24 10:17 ID:+YVE12tB
117はマリファナを吸っておかしくなっている模様です。
119マジレスさん:01/11/24 16:19 ID:6J5/mQRP
≫117
マリファナは吸い過ぎると毒ですよ。

≫1
普段走っている5倍ぐらいの距離をジョギングしましょう。
(できれば、その後プールで10km泳いで、自転車に乗って15キロぐらい走ればもっと良いです。
おすすめの理由は走り終ったらきっとわかります。
120マジレスさん:01/11/24 17:25 ID:+YVE12tB
上げ
121マジレスさん:01/11/24 23:40 ID:q7hLvrpi
abo-n
122マジレスさん:01/11/25 01:41 ID:u08w6Z9z
凄い
123マジレスさん:01/11/25 02:00 ID:aJDUiT2p
ほんとに相手のことを思っているのなら「制裁」なんて言葉でねーよ普通。
別れたほうがいいに一票。
ケコーンしたらDVが待ってるに違いない。
12453:01/11/27 20:56 ID:fc5D6LHn
ちょっと仕事が忙しくてなかなか書き込みが出来ずにいるのですが、
1さんはまだ見ていらっしゃいます?
1251:01/11/28 02:44 ID:/usvFLsb
淡々と生きてオリマス
>53さん
気になさらないで
12653
横道にそれましたが、作家の話をしたのは、
1さんがそれに当てはまるなら>>53とは逆のアドバイスするつもりだからです。
僕も含め、知る限りではこの手の職に就いている人は、
みんなコンプレックスなり深い孤独なりを持っていて、
一見人づきあいが上手そうに見えても、
実は表面上だけという場合がほとんどなのです。
そういう仕事をしたいという相談もよく受けるのですが、
その際に僕が相手に聞くことはまさにこの問題だったりします。
そして、もっと悩め、もっと苦しめとアドバイスします。
通常なら>>53のような事を言うべきなのですが、
この場合に限り、まったく反対の事を言うわけです。
それが表現し続けるエネルギーを産む原動力だから。
もちろん、そんな物がなくても優秀な方はいるのでしょうが、
一過性のものと持続性のものは違います。
長い間割に合わない仕事(と敢えて言います)を続けられるからには、
やっぱりそれなりの理由があるんです。

というわけで、1さんにはどちらの方向で話をするべきか、
僕自身もちょっと考えている最中です。
1さん自身はどう思いますか?
1さんの仕事や外国語を扱うこと、そして生き方そのものに、
他人に心を開けないという問題はプラスに働いていますか?