マジで泣ける話ありませんか? コピペですみませんが、以下のような話です。 ガイシュツOKです。 537 名前: にゃん 投稿日: 2000/05/08(月) 21:52 おととしの、秋の話しです。 私が小学校5年の時に家をでて、居場所のわからなかった母に、 祖母の葬式の時、23年振りで、顔をあわせました。 その時、母の家に遊びに行く約束をしました。 その日は、私が料理を作りました。 ハンバーグと肉じゃがと、簡単なサラダです。 2人で食事をして、お酒を飲んで、 はじめはあたりさわりのない話しをしてましたが、 だんだん、「何故いなくなったのか?」という話しになりました。 母はたんたんと話します。 私も、母がつらくならないように、途中、冗談を入れながら、 聞きました。 帰る時、「今日はおかあちゃん、なんもできひんかってごめんな。」と、 言ったので、私は「ほな、残ったごはんで、おにぎり作って」と言いました。 母は、「そんなんで、ええんか」と笑いながら作ってくれました。 帰り、駅からタクシーに乗りました。 今日のことを思い出しているうちに、不覚にも涙がててきました。 運転手さんがびっくりして、「気分悪いんか?」と 聞かはりました。私は、 「いえ、なんか、嬉しくって、泣けてきちゃったんです」と、 泣き笑いしながら、運転手さんに、今日の事を短く話しました。 すると、運転手さんも一緒に泣き出してしまいました。 「よかったな、よかったな」と鼻水まですすってました。 家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、 元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。
例2 17 名前: 恋愛とは関係ないんですが・・・ 投稿日: 2000/03/06(月) 16:09 祖母がボケ始めた頃、海外在住だった私は一時帰国して、和歌山まで 遊びに行きました。二年程会っていなかったのですが、以前はしゃきっと していて厳しかった祖母が、仏さんみたいな顔で笑いかけてくれて、電子 ジャーに残っていたご飯でおにぎりをつくってくれました。「食え、食え」 と言って。 祖母と同居していて、一緒にいた従弟が「おばあちゃん、そのご飯、もう 古いんちゃうかー」と明るく言って、私の方をちら、と見て「食わんでええ」 と小声で言いました。でも私はどうしても食べたかった。だから、海苔も 塩味も何もついていない、ご飯を丸めただけのおにぎりを、口にほおばり ました。電子ジャーの中に何日残っていたのか知りませんが、ご飯はぽろ ぽろで変色しており、確かにおいしくなかったんですが・・・。 でも祖母が嬉しそうに私のことを見ていてくれたので、こぼさないように 頑張って噛みました。 それが祖母とのこの世での別れになりました。だから今でも、電子ジャーに 残ってしまって、ちょっと古くなったご飯を見るたびに涙がでそうに なります。ぽろぽろのご飯の舌触りも、絶対に忘れないと思います。
例3 95 名前:大人の名無しさん 投稿日:2001/01/07(日) 17:08 事情があって生活保護を受けている母子家庭の知人の子供が 夏休みに法事で東京へ来た。 「おじさんがディズニーランドへ連れてってあげるよ」と言うと 頑なに固辞するので、子供のくせに遠慮するなあと思って理由を訊いたら 「だって高いから」とだけ言うと、その子は下を向いてしまった。 「じゃあおじさんと、明日どこかドライブへ行こう」と次の早朝連れ出した。 首都高から湾岸線、浦安で降りるとTDLの看板があり、その子は まだきょとんとしていたが、駐車場へ入るあの角を曲がったときの その子の驚きと感動の歓声が忘れられない 持ちきれないくらいのおみやげを買ってやり、 5万くらい使ったが、馬にぶち込むよりはいい使い方だと思った。
5 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:05
6 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:16
うぅぅぅ。。。。私も泣いてしまった(T_T)
7 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:20
私の友人も母子家庭です。 事情があって郷里に帰ってしまいました。 なんどか一緒に出かけたけど、音信不通でもう会えない。 彼女、元気でやっているかなぁ。 息子さんも健やかに育ってくれるといいなぁ。
8 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:23
ジェリーが大人になった頃トムはもうこの世にいませんでした. トムは自分の命の終わりがすぐ傍まで来ているのを知ったとき, こっそりジェリーの前から姿を消しました. ジェリーの前で弱って涙もろくなった自分を見せたくなかったのです. トムはジェリーの心の中ではずっと喧嘩相手として生きつづけたかったのです. トムがいなくなったのに気づいたときジェリーは悲しみはしませんでしたが, 退屈になるなと思いました. トムとの喧嘩は最高にスリルのあるゲームでしたから. 胸の奥が不思議にチクチクはするのですが,それが何なのか, ジェリーにはよくはわかりませんでした. トムの願い通り,ジェリーの心の中でトムはいつまでも仲の悪い喧嘩相手でした. そんなある日ジェリーの前に一匹の猫が現れました. トムよりのろまで体も小さい猫です. 喧嘩相手のトムがいなくなって寂しかったジェリーは,今度はこの猫を 喧嘩相手にしようと考えました. そこでジェリーは,穴のあいた三角チーズが仕掛けられたねずみ取りを 利用して,その猫に罠をかけることにしました. いつもトムにしていたように. ジェリーは物陰に隠れて,ねずみを求めて猫がねずみ取りの近くに来るのを待っていました. そして思惑通り猫が罠に向かって近づいてきます. ジェリーはしめしめと思いました. いつものように,自分がねずみ取りにひっかかるふりをして,逆に猫をねずみ取りにかけてやるんだ.うふふ. 手か尻尾を挟んだ猫の飛び上がる姿が頭に浮かび愉快です. でも,その猫はトムではありません. 猫はチーズの近くまで来たとき,ジェリーが出てくるより早く美味しそうなねずみの匂いに気づき, 目にもとまらぬ速さで隠れていたジェリーに襲いかかってきました. ジェリーはいつもトムから逃げていたように逃げましたが, トムよりのろまなはずの猫にすぐに追いつかれてしまい,体をガブリと噛まれました. ジェリーも噛みつき返しましたが,トムより体が小さいはずの猫は平気です. 血まみれのジェリーは薄れ行く意識の中で,本当は鼠が猫と喧嘩して勝てるわけがないことと, いつもトムはジェリーに「してやられた」ふりをして, わざとジェリーを捕まえないでいたことを,そのとき始めて知ったのです. トムの大きな優しさと友情に気づいたのです. そしてトムがいなくなった時の胸の奥のチクチクの正体にも気づきました. かけがえのない友を無くした悲しみでした. ジェリーの魂が体を抜けた時,空の上には優しく微笑みジェリーを待っているトムがいました. 「また喧嘩ができるね」 「のぞむところさ,今度こそは捕まえてやるぞ」
それから、4年前に亡くなったおばあちゃんのことも 思い出しました。 私が病院に駆けつけたときにはもう、意識がなかった。 もっともっとおばあちゃんと接したかったですね。 自分の子供には、そういう思いをさせずに、たくさん 母、義母と会わせてあげようと思います。 このスレ、時々見に来ます。
10 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:25
>>8 なんか・・・悲しいよ。でもアニメのあげ足とりな気も。
11 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:28
12 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:29
今年ママにクルーザー買ってもらっちゃった!!3億円もするクルーザーなんだけど、 ママ大坂根性で粘って2億3千万程ににしてもらったんだって!!(驚 さすがママ!! どうして、こんなにBIGなプレゼント買ってもらったかと言うとぉ… あのね、 僕さァ、小さい頃からずっと秘密基地が欲しかったんだよね… でもさぁ、でもね? お金持ちの家の子はそんな野蛮な事、なかなか自分の思った様に出来ないんだよね(怒 貧乏な家の子は羨ましいよ、何でも自分の好きに出来ちゃってさァ…、えへへ、話がずれちゃったね。 でさぁ、ある日ママが「恋人はいるの?」って聞いてきたからチャンスだ!っておもってさ、 「僕はママが世界一大好きだから恋人なんていらないよ」って言ったんだ!! それで、1週間くらい間を置いてお誕生日のプレゼント「船が欲しいなァ…」ってねだってみたの… そんなこんなで、クルーザー買ってもらっちゃった!!(喜 今はまだ免許が無いから使用人さんに全部任せちゃってるけど、いつか自分で運転したいなァ…
13 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:30
>>11 ヒッキーのクリスマス、何度見ても泣けるよ。
色々考えさせられる・・・。
14 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:38
>>11 はじめてみたよー
最初はギャグかと思ったけど泣ける
15 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:40
16 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:51
>>11 私も初めてみた時はギャグかと思ったけど、見てるうちに…。
ほんと、何度見ても泣けるよ。。
こんな深いflashってほかにない気がする。
17 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:51
19 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 00:57
ギコとしーの2匹って好き
20 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 01:07
21 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 01:11
手術する前の日まで、いろんな街を彷徨った。 生まれてこられない子に綺麗な景色や音や匂いを私を通じて経験させるんだと馬鹿みたいに信じて。 バイキングにいって、普段食べないものも全種類食べてみた。 「これがハンバーグだよ、美味しい?りんごのパイはちょっとすっぱいかなぁ・・」 と心の中で話し掛けながら。胸が苦しくなるまで、食べつづけた。 その日。全ては眠っている間に終わってしまった。 まるでウソみたいにあっけない。 ホンの3ケ月、一緒に居てくれてありがとう。 そして、ごめんね。 あるスレでの中絶経験者のはなし。 この書き込みについては賛否(?)両論だったけど、 私的にはこの人の心情と赤ちゃんのことを考えると涙が止まらなかった。
22 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 01:18
21、泣けます・・ 子供に罪はないのにね。
23 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 01:36
21の続きです。これを読むとよけいにこの人の苦しみが伝わってくるようで…。 人殺しです。自分が死んだほうが良かったんだろうか。 一回は結婚しようって言って喜んでくれた恋人が急に心変わりをして 「おろしてくれ」と。 私が死んだら、両親が悲しむ。無理を押して押しかけ結婚しても、結婚が破綻して生まれた子が苦しむ。 だったら私1人が苦しんで、お腹の子に一生詫びながら生きていこうと思った。 でも、間違いだったのかな。
24 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 01:49
それ知ってる
25 :
ほんわか名無しさん :01/11/12 18:52
age
26 :
ほんわか名無しさん :01/11/17 00:55
もっとほすい
(iДi)ウェーン。マジデナケチャウヨー。
ほんにほんに。涙と鼻水とまらない。 (T≠s)
29 :
ほんわか名無しさん :01/11/17 12:55
>>21 単なる自己満足じゃん。
シラけたなー。コレは。
30 :
ほんわか名無しさん :01/11/17 14:42
>>29 たしかに自己満足かもしれないけどこの人はいっぱい苦しんだんだから…。事情があったんだし。
男の人には分からないんじゃないのかなぁ、こういう苦しみって。
それにほの板なんだしマターリいこうよ。。
31 :
ほんわか名無しさん :01/11/17 14:45
>>30 ウチの母ちゃんは女手一つで
オレら子供2人も育ててくれたからねえ。
まあ、たいしたイイ大人にはならんかったけど。
この女性もちゃんと子供産んで育てて立派に育てて
『おろしてくれ』って言った男を見返してほしかったね。
オレがこの人なら意地でもそうするなァと思って。
>>30 男だけど、かみさんが2回流産したのでわかる。
それでも女性ほど強くはわからないのかもしれないけど。
35 :
ほんわか名無しさん :01/11/20 00:33
当時、仕事を辞めたばかりで一人でフラフラしてた頃。 両親が遊びに来て、色々買ってくれた上に 家で作ってきた高野豆腐を、冷蔵庫に置いて行ってくれた。 その次の日、母は入院。 あっという間に亡くなった。 葬儀を終え自宅に戻ると、冷蔵庫にはまだ 母が作った高野豆腐があった。 大泣きしながら食った。 あれ以来、高野豆腐は食べられない。
36 :
ほんわか名無しさん :01/11/20 00:47
>>35 読んでて切ない… 親の突然の死ほど堪えるものはないね…
37 :
ほんわか名無しさん :01/11/20 01:04
>>35 他人だけど、面識ないけど、泣いちゃった。
38 :
ほんわか名無しさん :01/11/20 12:01
高野豆腐ってところが物凄いリアル
39 :
コピペでごめん :01/11/21 00:01
>>1 と同じスレにあったやつ。
1のものほどストレートじゃないが、そのさりげなさが泣けた。
237 名前: ビール 投稿日: 2000/03/24(金) 17:30
ビールは横に冷やすとうまい、と父は言っていた。
そんなわけはないと、と言っても聞かず、冷蔵庫に決まってビールを横にして冷やしていた。
酒以外煙草もギャンブルやらない親父にとって、ビールに関してだけこだわりを
持っていたのかもしれない。酒が飲めなかった俺は、一緒に飲むこともなかった。
親父が死んだ時、なぜかそんなに悲しくなかった。あっけないな、とは思ったが、
何か時間が寸断されるような感覚はなかった。親戚が自宅にきて、これからのことを
話し合っているときに、ふと何か酒が飲みたくなり、冷蔵庫を開けた。
横になったビールがあった。時間がぎゅっと凝縮されて、思い出すべきことが多すぎて、泣いた。
うお〜!涙でかすんで読めない〜 うっうっ・・・あ、あかんてぇ・・・なんでやねぇん・・・ 切なすぎるやろぉ〜うう〜
41 :
ほんわか名無しさん :01/11/21 22:00
誰か「いつでも会える」AA作って! ハンカチ用意して待ってるから〜
42 :
ほんわか名無しさん :01/11/21 23:55
もっとー、もっと泣かせてくれー
43 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 00:03
稼げ稼げヨッコラショ
45 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 00:52
このスレ読んでたらマジ号泣してきたよ・・・ お気に入りに入れさせてもらいました。
46 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 01:40
誰かもっと号泣を
なんか頭痛い なんなんやろ
48 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 02:00
号泣です。
49 :
◆j0OybbmU :01/11/22 12:12
オレは、じいさんと仲が悪かった。 だから、ガンで入院した時も見舞いに行こうなんて これっぽっちも思わなかった。 たまたま、友人がじいさんと同じ病院に入院した。 オレは、友人の見舞いに行くついでに じいさんの顔ぐらい見ておこうと思った。 これが最後になるだろうから、見納めにと。 病室、カーテンで仕切られた向こう側 ベットで寝てるじいさんがいた。 ガリガリだった。 あちこちチューブに繋がれてて、肌が黄色くて、髪が無くて ときどき苦しそうに咳き込むじいさん。 弱弱しく息をするじいさんを見て オレは体中が熱くなり強張った。 立ってるだけで精一杯だった。 声を掛ける事も出来なかった。 少しでも気を抜くと、オレは絶対に泣いてしまうと思ったから。 その後、友人の病室に続く渡り廊下で泣いた。 あんなに嫌いだったのに。 何故か、涙が止まらなかった。 未だに、自分が泣いた理由が分からない。 でも、少なくとも、あの瞬間だけは オレは、じいさんと一緒に生きたいと心から思った。
50 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 12:30
氏ね
52 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 15:32
泣けるよぅ。。。。 ヤバイです。涙が止まりません。
53 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 16:19
高野豆腐の話はきたなあ…
54 :
ほんわか名無しさん :01/11/22 16:26
>>54 は痛すぎるな。それも凄まじく・・・・泣けるぅぅぅ
age
61 :
ちょこちっぷ☆ ◆bo4pcvHY :01/11/23 16:54
高野豆腐の話はもう・・・切なくて・・・
62 :
ほんわか名無しさん :01/11/23 16:57
63 :
ちょこちっぷ☆ ◆bo4pcvHY :01/11/23 17:01
レスの35見て〜!
64 :
ほんわか名無しさん :01/11/23 17:11
65 :
ちょこちっぷ☆ ◆bo4pcvHY :01/11/23 17:17
>>64 でしょう?他も泣けたけど、
高野豆腐は特にきた・・・!!!
嬉しいやら、なぜか申し訳ないやら…実話ですけど。 レスしてくれた方、ありがとうございます。
67 :
ほんわか名無しさん :01/11/24 10:51
泣
久々に2chで泣いたよ・・・親類ネタマンセー
69 :
ほんわか名無しさん :01/11/24 14:54
age
70 :
ペットの話します。一回100円だよ〜 :01/11/25 05:27
昔カップルが同棲してました 太った猫と一緒に でも男が乗った飛行機が事故りました そして猫もいなくなりました 女はとてつもなく悲しみました でも男は無事でした 3ヵ月後男の母がやってきました 遺品をやろうと思って 女は「え?」って思いました 死んでないのに 女は感動しました そうなんだね、お前がかわりにいてくれたんだね
71 :
ほんわか名無しさん :01/11/25 05:56
49さん 叔父が亡くなる2週間前に見舞ったとき、そんな感じでした。 なぜもっと早くに見舞ってあげなかったんだろうって思いました。
>>70 最初読んだときはどういうことなのか分からなかったけど
>お前がかわりにいてくれたんだね
→お前がかわりに逝ってくれたんだね
と解釈すればいいのかな??
>>72 昔、聞いた都市伝説系と同じ話なんなら、
猫が男の人の姿をして(化けて)
女の人が悲しまないように側に居た話だったと思うよ。
74 :
ほんわか名無しさん :01/11/29 06:39
良スレあげ
75 :
ほんわか名無しさん :01/11/29 10:09
>>70 その話さー。。
多田かおるの「ピンクの雪が降ったら・・・」とまったく一緒なんだけど。
76 :
ほんわか名無しさん :01/12/01 14:02
保存・活性化きぼんage
77 :
ほんわか名無しさん :01/12/01 14:13
百万回逝ったギコマンセー なかなかの名作
78 :
ほんわか名無しさん :01/12/01 14:16
>>77 うーん。でも漏れは原作のほうが好きだ。
原作の絵本ははっきりいって泣いた。
79 :
◆tabirasQ :01/12/01 15:00
80 :
◆tabirasQ :01/12/01 15:01
81 :
◆tabirasQ :01/12/01 15:05
82 :
ほんわか名無しさん :01/12/01 15:26
今だったら本当、捕まってるぐらいの暴力親父。 テレビの世界にだってこんなヤツいないよってぐらいにうっとうしい親父だった。 母は耐え切れずに俺と兄貴を置いていったらしく、物心ついたときにはいなかった。 くる日もくる日も殴るける。灰皿を投げつけられて病院行った事もあった。 中学何年生かは忘れたけど、大喧嘩して家を出てったの。女つれこんでるのは 知ってた事だったから親父は俺を探そうとしないだろうから嬉しいのか悲しいのか 複雑な思いでふらついてて結局友達の家に一日だけ泊まって帰るという約束で 入れてもらったんよ。でも、その夜、親父が知るはずもない俺の友達の家にとびこんできて 何もいわずに俺を引っ張ってつれて帰ったの。 そのときはやっぱ「またブン殴られるのかな」「また病院逝きかな」「今日で俺死ぬのかな」 とか思ってた。 ところが家に帰っても何も言わずにずっと黙ったままで。 んで気まずくて息もできないくらいで早く時間過ぎろって思ってて。 そしたらいきなり「俺が死んだら泣いてくれるか」なんて言ってて「はぁ?」 って風にしどろもどろしてたの。んで淡々と今までの事とか親父の子供のころとか 喋って、最後に「今までごめんよ」って言って。その間俺身動き一つできなかった。 何をいきなりこんな事言ってるんだって。親父が憎いとかそんなこと思う余裕なくて 考えてたの。もちろん兄貴も話を聞いてたらしくて後から話し合ったけど、結局わからなくて。 その三日後に親父が死んじゃったの。ほんとにコロっと。病院の先生からよれよれの 手紙を手渡されてね。兄貴と二人でよんだ。ひたすらに謝ってる手紙。 アルコール中毒で手も思うように動かせない汚い字で。 その手紙の最後に「玄関の梁の下に酒がある。あと十年後、おまえ達が大人になったら 俺の仏壇の前で飲んでくれ。」って書いてあった。 その時なぜか涙が出て、恨みこそすれあんなに殺したがっていた親父が 死んじまったって。 明日、ちょうど約束の十年目。兄貴は俺が十八のときに肺炎で死んだ。 一人身の俺は明日、三人で酒を酌み交わす。
83 :
ほんわか名無しさん :01/12/01 23:10
暫く前にこのスレ一気読みしてボロ泣きした。
今日
>>80 の推挙のとこ逝ってティシュ1箱空けた。゜(T^T)゜。
横浜からフリーエージェント(FA)宣言した 小宮山悟投手(36)が米大リーグの ニューヨーク・メッツに入団することが1日、決まった。 メッツが同日、都内のホテルで発表した。 小宮山投手は来季、新庄剛志外野手と 同一チームでプレーすることになる。 ↓ It was decided on the 1st that pitcher Satoru Komiyama (36) who made a free agent (FA) declaration from Yokohama will accede to the New York Mets of Major League Baseball. The Mets announced in the hotel in the city of Tokyo on the same day. Pitcher Komiyama will play in the same team as 来季 and outfielder Tsuyoshi Shinjo. ↓ 大リーグ野球のニューヨーク・メッツに 横浜でフリー・エージェント(FA)宣言を作った ピッチャーSatoru Komiyama(36)が同意するだろうことは 1番目の上で決定されました。 メッツは同じ日に、東京の都市のホテルで発表しました。 ピッチャーKomiyamaは、来季および 外野手新庄剛志と同じチームでプレーするでしょう。 普通じゃん。すげえじゃん。
泣かせて..
86 :
ほんわか名無しさん :01/12/05 23:01
保守 誰か泣かせるの一発お願い
どっかのスレでも書いたんだけど、今日の所さんの番組のやつ泣けたよ。 ラーメン作ってせいで途中からしか見れなかったんだけど。 学校みたいな施設(多分親がいないとかそういう理由のある子供が通う学校) に、恩師の頼みで勤務する事になった男性の話。 一度、夜中に突然電話が鳴った。 慌てて飛び起き出てみると、相手は自分の教え子。 何かと聞いてみると、 「俺、今から切り込みに行かなきゃなんないんだけど、『死ぬ』って 覚悟したら急に先生の声聞きたくなって・・・」という教え子の言葉。 先生は何も出来ず、ただ一言「死ぬな」と言う事しか出来なかったと。 親の無い生徒達にとってその先生は親同然で、先生にとっても生徒達は 実の子供同然なんだろうということで涙ちょちょぎれつつラーメン食ってた。 やっぱ文章に起こすと駄目だ。ごめんよ。 これだけじゃないんだけど後は泣いてて覚えてないわ。
88 :
ほんわか名無しさん :01/12/05 23:17
地味にいい話だ。。。じーん 死ぬ覚悟って、相当辛かったろうねえ…
号泣あげ
90 :
ほんわか名無しさん :01/12/06 14:38
居眠りしてたら上司に毛抜きで思いっきり鼻毛を抜かれました。
92 :
ほんわか名無しさん :01/12/06 15:41
>>11 ヒッキーのクリスマス・・・泣いちゃった、今・・・。
実は私春に同じ事してしまって、でも生きてて、なんにもしてなくて
ものすごく泣いてしまった。
>>92 生きていてくれてうれしい
何もしなくたっていい。生きていてくれるだけで、
それだけで励みになる。ありがとう。
94 :
ほんわか名無しさん :01/12/06 15:57
>>43 すまん・・・
おそらく板違いだが、激しくワロタ。
1の心情を思うと、せつなさでいっぱいになる(w
ここでじぃんとしたあとに、そこ見て笑って、すっきりするのが正しい用法だと思われ。
あるスレがテンパッてきたので次スレたてて
「じゃ、過去ログは
>>2 に!」・・・と>2用にレスつけてる隙に
2ゲトされた1さんがいる
ちょっと泣けた・・・
だめだ・・・ それを1さん、まだ気づいてない・・・ ウルウル
>95 見てきたけど、ほんと号泣もんだね(藁 1よ、ほの板にくればいいのに
>96 (| |) (さるげなく使ってあげたりする)
違った。(l l)だった。
しまった。 100。
>91 「涙って悲しくなくても流れるものなんだね」 そんなセリフがいつも浮かんできます
もう何年も前にさかのぼる あの恋は一生忘れられないと思います。 彼と出会ったのは何年か前の2月の終わりだったと想う。 初めて逢ったときは全然興味なんて持たなかった。 でもいつしか男と意識していた。 それに気付いたのは出会って一ヶ月ほどした時だった 何人かと混ざってカラオケに行った帰り 彼に私は送ってもらった。 その車でずっと二人の時間があった。そのとき私は 彼のことを好きなのだと確信した。 それから一ヶ月ほどたちまた彼と遊ぶ機会が出来た。 そのとき私の独身の友達が彼を好きなことに気付いてしまった。 当時には私ももう結婚しており、彼に想いを打ち明けるなんて とんでもないと想っていた 私はその友達に「応援するからね」と言った。 そのときは本当にそう想えた。友達の気持ちを知り 彼を好きという気持ちが泡のように消えていた。そう思っていた。 それから一ヶ月ほどして彼女は彼のことをもう好きじゃないと 言った。他に好きな人が出来たと。。 そのときに私は消えたはずの恋心は実は無意識に心の奥底に しまいこんだことに気付いた。 でも私はずっと言えなかった。
6月頃だっただろうか。私は自分の気持ちが膨れ上がり 溢れんばかりの想いをどう解消していいのかわからず 彼にこんな手紙を書いてみた。 「私好きな人が出来たみたい。でも結婚してるから こんなこと許されないよね。友達でいいから傍にいたいの。 あなたは男としてこういうのはどう想う?」 彼はこう返事をしてくれた 「俺の考えでは相手が人妻でも関係ないって想う。」 私はそれから時々彼に手紙を書いた。 ちょっとだけ知って欲しい心とそれでも知られたくない心を その手紙に託していた。 あるきっかけで8月の始めに彼と二人になるチャンスが出来た。 そのとき彼が聞いてきた。 「好きな人っておれの知ってる人?」 私がうなづくと彼は共通の知り合いの名前をずらずら 並べていった 肝心な彼の名前がない。どこまで鈍感なのだこの男は。 と心で微笑みつつも私は彼の口から出てくる名前一個一個を 否定した。 彼は最後の最後まで自分の名前を出さなかった 想わず私はこうもらした。 「あなたです」 彼は驚いた顔をした。まさか自分だと想わなかったと言った でも嬉しいよって言ってくれた。 私は結婚しているから、付き合うとかは出来ないとも言った。 Hもしない関係でいよう。とも言った。 でも時々二人で逢ったりしようって言ってくれた。 そしてその日私は初めて彼と唇を重ねた。
彼と二人で会う日は夜に限られた。 当たり前だよね。不倫なのだもの。 昼間に堂々と歩くことはできない。 それでも幸せだった、彼と過ごす時間の中で 私は彼への想いがどんどん大きくなることを感じた 彼がなぜ会ってくれるのか。とかなぜ私と遊んでくれるのかとか そんなこと悩むまでもないほど好きだった。 ただ彼との時間が それだけで幸せだった、 そして私たちは結局結ばれてしまった 彼はそのときもう逢うのはやめようと言った Hを一回してしまえばこれから逢うときにきっと求めてしまう 歯止めが利かなくなると・・・ 私はそれだけは出来なかった、彼の前で泣いてしまった。 そして私たちはそれからも幾度か逢っていた それから何日かして二人でお酒を飲んでいるとき 私は想わずこうもらした 「なぜ あなたは私と逢ってくれるのかな」 彼は「なぜだと想う?」と返してきた。私は彼の気持ちが見えなくて不安で 彼の気持ちは聞こうとしてこなかったことに気付いた。 そしてこう言った「暇だからだよね だから遊んでくれるんだ」 彼は「そう思ってるのか 本当に」と言ってきた。私はうなづいた。本当はもっと違うのって 本当は好きだって言って欲しい、好きだから逢ってるって そういって欲しいって願っていた。でも彼はこう言った 「あなたがそう想っているなら それでいい」私は意味もなく頷いた そんな彼がそれから一週間後に急に車の中でこう言い出した 「俺 あなたが好きみたい。いや。好きだ」 私はこの何ヶ月かの片想いの終わりに喜びと戸惑いを隠せなかった 私は結婚してる この事実に何度そむきたかったことか。でも出来るはずもなかったのだ 私は人妻なのだ。それでも・・・彼さえいればそれだけで いいと想えるほど・・・彼が好きだった 彼はその日いつもと違う雰囲気で私の肩を抱いた 私を見つめる瞳には彼の想いが写っていた 幸せだった。彼とずっと居たい。彼だけのものになりたい。 何度想っただろう。その愛しい顔に何度キスをしただろう。 それでも幸せは続かなかった。 色々な事情からどうしても別れなくてはいけなくなった 私は身が引き裂かれる別れを初めて経験した。 そして彼も。。。泣いていた。 さようなら もう二度と逢うことはないでしょう この言葉を互いに言う時私も彼も涙でぐちゃぐちゃになっていた。 もう二度と出来ない恋。この人生できっと一番夢中になった恋。そして私が主婦から女になった恋だった。 不倫だったからあんなに燃えたのかもしれない。 結ばれないとわかっていたからあんなに好きになれたのかもしれない。 それでも彼は私にとって生涯忘れることの出来ない男 今でも思い出すと淡い想いと小さな痛みを伴う素敵な恋だった。
長くてスミマセン 既婚の友達の話です。 不倫なので、感動より反感をかうかな。。(アセ
>>107 感動した。確かに不倫はよくないけど、それでも人を好きになってしまう
気持ちのは止められなくって、自分の力ではどうしようもなくって、ただずるずると
流れにまかされてしまう。私はそんな人間らしい弱さをみると、
いけないこととはわかっているんだけど、ついつい共感してしまいます。
>>98 呼んでこいよ(w
そしてこの板であの顔文字使ってやろう。
癒してやろう、彼を(w
話違いなのでsage
110 :
ほんわか名無しさん :01/12/06 22:41
そろそろお婆ちゃんが他界しそうです。 年内中だそうです。この前お見舞いに行きました。 イマイチ、実感が沸かなかった。 もうすぐお別れなんて考えられなかった。 弱々しく、病院のベッドで寝ているおばあちゃん 私の目の前に、今いるのに、もうすぐお別れなんて分からなかった。 喋るのも辛そうなおばあちゃんは、小さな目で私をじっと見ていた 心無しか目が潤んでるように見えた。 手を握ってみた。もの凄くガリガリでしわしわ。握っても、握り返すことは出来ないらしい。 でも妙に暖かかった。お婆ちゃんの体温を感じて私も目が潤んだ。 その時、初めて実感できた。 この暖かい手に触れる事が出来なくなる悲しみ。もう笑顔も見られない。 死なないで欲しい。ずっと生きててほしい。 帰ろうとすると、入れ歯がない口でゆっくりと「いやだ」と言っていた 「これが最後になるかもしれないのに」とも。 おばあちゃんは手を離さないようにしていた。でも弱々しすぎてすぐに振りほどける。 出来ることなら、ずっと握っててあげたかった。 夜中、病院で1人死を待つおばあちゃんの傍にいてあげたかった。 涙をこらえて、「またね」と言った。 今回が多分、私にとって初めて人の死を悲しむ瞬間になるだろう。 夜の電話には怯え続けてる。ずっと一緒に居て欲しかった。 せめて、ずっとお婆ちゃんの手を握っていたい。そう思う。
111 :
ほんわか名無しさん :01/12/06 23:09
>>35 >>110 感動で生まれて初めて
泣きそうになった!(T▽T)
でも泣かなかったけど。もっと聞かせて!
112 :
ほんわか名無しさん :01/12/06 23:25
>>110 その気持ち、すごくわかるかも知れない…
俺、今年の4月に爺ちゃんを肺ガンで亡くしたんだけど…
爺ちゃんがガンだってわかって入院する前、
ケンカしてたんだよね…俺と爺ちゃん。
調子が悪いってのは知ってたが、家族が色々世話してくれたもの、
例えばご飯とか…そういうの全部拒否。
「食欲無い、食べたくない」って。
俺ちょっとだけ、頭にきちゃってな…爺ちゃんの辛さも知らずに。
そして口論になって…
間もなく爺ちゃんが入院して、見舞いに行った時…正直気まずくて。
だけど俺の顔見たとき、ベッドでぐたー…て横になってる爺ちゃんが
笑ってくれたんだよな…
寂しいんだよな、やっぱり…
家族とか、親戚とか来ると、ホッとするんだろうな…
手握ったら、すげぇ嬉しそうな顔してさ…
俺はバカだったんだよなぁ。人の気持ちも何も考えないで…
「また来るからな」って言葉が俺との最後の会話だった…
死に目にも会えなかった。俺は最低の孫だと思う…
できることなら、会って一言謝りたい…
絶対に、後悔するような生き方するなよ…
いや、余計なおせっかいか。
不快に思ったら忘れてください。勝手ですみません。
113 :
ほんわか名無しさん :01/12/07 19:03
>>112 >俺はバカだったんだよなぁ。人の気持ちも何も考えないで…
じいちゃんの素敵な置き土産…(感涙)
115 :
ほんわか名無しさん :01/12/07 23:58
1993年 8月13日 その日はいつも以上に晴れていて、油ゼミがうるさい年でもあった。 僕は彼女であるユウとツーリングへ行く約束をしていた。 出会ってまだ2週間の僕たちにとって、初めてのデートでもあった。 コースは箱根。山道を軽快に飛ばしていく。 彼女はしっかりと僕の腰にしがみついていた。 心地よかった・・・自分が彼女を守ってる。いや、彼女が僕を頼って いてくれていると感じられる瞬間だった。 突然!キキーーーーッ!!!!・・・・・物凄い轟音とともに僕は意識を失った・・・。 ・・・ここはどこだろう・・・目が覚めると知らない天井がまっていた。 消毒くさい・・・病院?そうだ!病院のにおいだ。でも、いったいなぜ・・・? 意識がはっきりしない中、しばらく天井をみていると僕の視界に看護婦が入ってきた。 あら、目が覚めたのね。どう?体の調子は。 ・・・僕がここにいるわけを看護婦に聴いてみた・・・ どうやら僕は、カーブを曲がり損ねた乗用車と正面衝突したらしい。 車は大破。僕の乗っていたバイクも大破したということだ・・・ そうだ!!突然の僕の大きな声に看護婦はビックリした。 か、彼女は!?ユウはどうなったのですか!!? ・・・看護婦の小さな沈黙の後、口を小さく開いた。 彼女・・・ユウさんは・・・とても危険な状態です。 僕は愕然とした。・・・守ってやれなかった・・・大切な大切な彼女を・・・。 僕の怪我はたいしたことなかったようで、3日もしたのち院内を動き回れるようになった。 僕はすぐさまユウの病室へ急いだ。ICU・・・一般の人の立ち入りを禁じます との張り紙が・・・僕はドアごしに泣き崩れていた。 必死に必死に!・・・祈り続けた・・・ ふと、われに返ると病室にいた。薄暗い病室の中だ・・・ 目の前のベットには・・・ユウが!ユウが寝ている。 いろんな点滴管や測定機器に体を蝕まれ、人工呼吸器をつけられている。 僕はひざまずき、彼女の手をにぎった・・・あたたかい。そしてやわらかい・・・ 生きている!そんな気がしてとても嬉しく涙がこぼれた。 彼女の手のひらを僕のほほに当て、そのままベットへもたれかかり、眠りについた・・・ ・・・気が付くと自分の体が冷たく、とてもとても重い・・・ 感覚はまったくなく、動かせない・・・目も開かず、耳もよく聞こえない・・・ しかし、必死に誰かが僕の名前を叫んでいる気がする・・・ 僕の左手にやわらかくそして暖かいものを感じた。 誰かが僕の手をにぎっている・・・なんとか薄目が開けたので左側を見る・・・。 ユウだ!ユウが僕の手をにぎって必死に僕の名前を呼んでいる・・・ ・・・そうか・・・・危篤状態だったのは僕自身だったのか・・・・ 必死に僕の名前を呼ぶユウの目から大粒の涙がこぼれ、僕のほほに落ちてゆく・・・ ・・・あったかい・・・なんてあったかいんだ・・・彼女は無事だったんだ・・・そうか・・・よかったぁ。 そう思うと僕は永遠の眠りについた・・・そう、永遠に・・・ 1993年 8月13日とても暑い夏のできごとだった・・・ 【完】
テレ東「ナミダメ」に出演しろヤ!
117 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 06:20
age
118 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 07:53
yoi age
119 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 08:33
120 :
長文スマソ :01/12/08 10:08
自分が高1の時に祖父が他界した。 その5ヶ月くらい前に、家族に祖父と祖母も一緒に旅行に行こうって 言われたんだけど、そのときの自分はただ面倒だと言う理由で行かなかった。 それからしばらくして、祖父が入院したのだが、 それ以前にも入退院を繰り返していたから、 今回もまた退院するだろう、と思っていた。 旅行はそのときに行けばいい。 でも祖父は退院できなかった。 最期を看取ったのは、家族では自分と祖母だけだった。 そのときに病院へ行ったのも、ただ、その日の朝に 母にたまには見舞いに行け、と言われたからだった。 だから、いつもみたいに見舞いをしてジュースでも買ってもらって帰るつもりだった。 病室に入ったときには、すでに最期が間近だったように思う。 その時は、正直泣けなかった。 何が起こったのかよく分からなかったし、あの祖父が死ぬわけないって思っていたから。 火葬して、お骨を拾ってやっと祖父の死を実感したように思う。 その後家に帰って、祖父が死んでから初めて泣いた。 最期をちゃんと看取れなかったこと、 あの時祖父と旅行に行かなかったことを、今でも死ぬほど後悔している。
121 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 13:18
さよなら、青い鳥。
1 名前: 失業者 投稿日: 1999/12/06(月) 22:13
小さい頃は近所の駄目人間おじさんをバカにしてたっけ・・・。
よれよれの紺のビニールジャンパー、べた付いてそのままよりも少なく
見える髪の毛。猫背。生気のない瞳。ただその存在そのものを見下して
たね。将来自分は絶対に出世するんだって何の根拠もなく思ってたね。
小さい頃からの日々の積み重ねが大人になるまで続いてくなんて夢に
も思わなかったよ。中学生の頃通っていた塾の先生が言ってたな。
「俺はあんまり頭良くないから法政にしか行けなかったんだ、ははは。」
クラスのみんなで大笑いしてたっけ。あの内何人が法政以上の大学に
行けたというのだろうね。毎日会社に通って夜遅くまで働いてるお父
さんがいかに大変で偉大かって、やっと分かりました。
転職を繰り返して人に馬鹿にされて初めて分かりました。生きるって
本当に大変。何をやっても後悔が待ってるもんね。特別じゃない。
自分は特別な人間でも何でもないんだって、20代後半になってやっと
分かりました。あの頃、白い眼で見てしまったおじさん、ごめんね。
あなたのぶんまで生きようと思います。
でも、時間が必要だったことだけは分かって欲しいんだ、おじさん。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/2264/sayonaraaoitori.html
122 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 13:50
そんな事より
>>1 よ、ちょいと聞いておくれ、スレ違いだが。
友人の鈴木と飲みに行った日の話。
この日も俺は鈴木相手にゴルフの話を延々としていた。
ゴルフってのはパー4が多い。パー4ってのは4打で入れろって事だ。
4打だ。何故4打か解かるか。これは言うなれば起承転結を意味してるんだ。
起で起こし、承で受け、転で転じ、結でまとめる。
そしてこの起承転結で1番重要とされているのは、承の部分だって事はあまり知られていない。
そう、つまり大事なのはいつだって第2打目なんだ。
1打目ぽしゃっても、2打目でやり直しがきくんだ。人生だってこれと同じだ。
例えるなら、1打目は10代から20代前半にかけての学生時代。
2打目はそっから30代あたりまでの社会人としての始まり。
3打目は脂の乗りきる40代、50代、そして4打目、人生の集大成の60代以降。
俺はな、1打目しくじった。他の奴らより少し出遅れた。
でもな、やり直しはいくらでもきく。俺にはまだあと3打あるんだ。まだ終わっちゃいねー。
こっからだ。こっから挽回してきっちり4打目でカップにボールを入れてやる。
お前見てろよ、馬鹿野郎。
そんな俺の熱弁を尻目に鈴木は退屈そうに新しく買った携帯電話をいじっている。
人生とはゴルフだ、俺はもう一度自分に確かめるように言った。
鈴木はちらっと俺の方を見てその後、邪魔くさそうにこう言った。
「あのさ、その話3回ぐらい聞いてんだけどいつも思うんやけどあんた、
1打目OBだから、またボール最初っからちゃうん。挽回無理やろ。」
俺は少し腹が立った。しかしいつもの鈴木ならここで話が終わるはずがこの日は違った。
「でも、無理に4打で入れようとせんでもいいんちゃうん。
5打かかっても6打かかってもいいやん。あんたはあんたやん。」
それを聞いた瞬間、身体中に稲妻が走った。
俺にはない発想。逆の発想。何故だか急に身体が軽くなるのを感じた。
俺は初めて鈴木がいとおしく思えた。
「俺の人生のキャディーさんになってくれ。」自分でも驚くほど素直になれた。
鈴木は間を入れず「やだ。」と答えた。
ガイシュツOKということで・・・ 643 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/17(火) 03:39 家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒、泣き叫ぶ 妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。 厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。小坊だった俺 はその場では文句も言えず、後で母親に「ずるい…」とか拗ねてみせた覚えがあ る。 それから十余年、俺が一九の時に親父が胃ガンになった。告知はしていなかっ たが親父は自分の病状に気づいている様子。見舞いに行ったある日、親父は俺に こう言った。 「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」 「うん」 「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな」 「今更何だよ」 「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しいから 放っておいたんだよ」 「・・・・」 泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。
125 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 16:59
126 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 17:14
127 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 19:45
>>119 この話全然知らなかった…
久しぶりに感動して泣いた!!特に1!
128 :
ほんわか名無しさん :01/12/08 22:09
このスレのおかげで長い間いがみ合ってた親父と 腹割って話し合うことができたよ ほんとにありがとう
スマン、誰か神戸の地震の夜の話のコピペか アドレス教えてくれないか?
130 :
ほんわか名無しさん :01/12/09 00:32
>119 BGMがまたなんとも・・・・ ヽ(`Д´)ノ ウワァァン
131 :
ほんわか名無しさん :01/12/09 00:50
>>129 俺神戸人だけど・・
いいはなしあっても文才がない・・
神戸在住ってマンガがお勧めなのだが・・・
男:よう坊主、ここかけてもええか? 子:かまへんっ。 男:朝の6時台の電車てこんなすいてるもんか。 子:……。 男:坊主名前なんてゆうねん。 子:ゆわへんっ。 男:カウンターパンチやな。おっちゃんアイタタタや。おっちゃんの名前はな、名無しの権兵衛や。前の名前は捨てた……。 子:……。 男:坊主、なぞなぞや。日本で一番大きくて立派な山はなーんだ。 子:知らへんっ。 男:お・と・う・山ー。 子:……。 男:日本で一番ふくよかで優しい山はなーんだ。 子:おかあ山。 男:ひっかかりよったー。答えはな、まだ思案中じゃ。おっちゃん今朝出所してん。出所て食べたことあるか? 子:あらへんっ。 男:そや、食べるもんちゃうんやな。刑務所から出てきてん。刑務所て飲んだこと 子:飲まへんっ。 男:そりゃそうや、あんなん飲んだらビチビチなってまうな。おっちゃん悪い人に見えるか、坊主? 子:見えへんっ。 男:おっ嬉しいことゆうてくれるやないか、このジュースやるわ。 子:いらへんっ。 男:知らん人に物もろたらアカンゆわれてんのか、おたくのご両親のしつけはよろしいなー、それにしても見てみ、 坊主、ジュースゆうても、これしる粉やて。これなーんやろ?これなーんやろ?もち入りて、 この飲み口からどないしてもち食うんや、坊主。 子:……。 男:どんなもち入ってんねやろ? 子:小さい。 男:何、聞こえへんっ。 子:もち小さい。
男:お前の声のほうが小さいわい、なーんも悪いことしてへん人間やったら腹の底から声出したらんかい。 ムショ帰りのワシでボリューム7ぐらいやど。よっしゃボリュームついでや、おっちゃんのヒザの上乗るか、坊主。 子:乗らへんっ。 男:まだまだ、信用してもらおうなんて、ワシもまだまだ、まだまだ甘いな。こんな早い時間に、坊主よ、 一体どこに行くっていうんだい? 子:……。 男:ゆえっ! 子・男:ゆわへんっ! 男:アハハハハ、当たった、当たった。こんな同時にいうの何やゆうたな、何か魚の名前のような。 子:ハモった。 男:ビッタシカンカーン!これ今でもやってる?あれ見てる時に警察が土足で入って来よってん。今でも腹立つー。 お縄の瞬間。でもおじさんいい人になったからもう腹立たないよ、坊主。ケンカは強いか? 子:泣けへんっ。 男:泣けへんて負けとるやないか、やられたらやり返せよ、殺さん程度に。 子:……。 男:おっちゃんはな、今からまず墓参りに行くんや。一緒に行くか? 子:行かへんっ。 男:来たらご先祖さんびっくりするやろなー、15年刑務所おって7・8歳の息子連れてきたら、いつどこでやってんてなあ。 子:……。 男:だって計算合わんやろ、面会でも無理やし、坊主、女、知って 子:知らへんっ! 男:女とやっ 子:やらへんっ! 男:おお、坊主、男らしくなってきたなあ。しかし「やらへん」てそんな電車ん中でゆう言葉ちゃうで、 おっちゃんよーゆうとかなアカンな。時と場所を考えな、な、ちょっとおもろかったけどな、 そんなんおとうちゃん教えてくれへなんだか? 子:おらへんっ。 男:なぬ!?学校で習たか知らんけどお母さんだけでは君は生まれないんだよ、坊主、なんや、おっちゃんと坊主の人生、 天秤にかけたら涙の量は同じか?「神様こんな平等ならいらないぜ」今のおっちゃんかっこいい? 子:……。
男:坊主、おっちゃんいいことしかゆわへんからよー聞いとけよ、人生悪いことばっかりやないで。 子:負けへんっ! 男:おお坊主、泣かせるで、しる粉、全部やるわ。小さいもちもよーかんで食べや。負けへんっ!か。 人と勝負してもアカンで。自分に勝てよ坊主。自分に負けへんっ!や。あーエエ事いいすぎておっちゃん背中かゆなったわ。 これ変なクセでな。そんなクセない? 子:あれへんっ。 男:あれよ!ピーナツ食べたら耳かゆいとかないか?まあ、ちょっとかいて、ちょうど竜の右目んとこあたり。 子:……? 男:おっちゃんの背中、竜の絵かいてあんねん。見るか? 子:見ーへんっ。 男:右目んとこかゆいんやけどなあ、あっそこそこありがとう。お礼におっちゃんけんすい見したるわ。けんすいて知ってる? 子:知らへんっ。 男:見とけよ、この吊り輪でな、ほっ、いーち、にーい、さーん、おっちゃん100回できんねんで、 ほんまは10回やけど。あっしもた、おっちゃん今、保護観察ゆうてイラん事したらアカン時やねん。 こんなおっちゃんと喋ってて退屈か? 子:飽きへんっ。 男:おっちゃんも坊主とおって飽きへんっ! 子:(はにかむ) 男:ほなな、おっちゃん何でムショ入ったかいう夢の物語したるわ。お前、相手役やれな。始まり始まりー。 ちょっと暑苦しいから窓開けてとおっちゃん言いました。はいここで坊主。 子:開けへんっ。 男:開けへんかったら割ってでも開けんねんとおっちゃんは窓を撃ち抜きました。 子:……。 男:お金を貸してくれとおっちゃん言いました。はいっ坊主。 子:貸せへんっ。 男:貸せへんゆわれたら貸してくれるまで殴りました。 子:……。 男:やり直そう言いました。ちょっとこれ大人の話やけど、女にな、やり直そう言いました。 子:直せへんっ。 男:やり直さすまでおっちゃんはできる限りの努力をしました。でも努力の仕方が間違ってて女は鼻血を出して倒れました。 終わり。どやアホな男やろ。そこに愛はあるのに、やで。 子:あれへんっ。 男:アイタタタ。あれへんわなー。あったら15年も入らんわなー。するどい、坊主、お前は将来でっかなる! おっちゃん保証したる。でもなー愛してたんやで。あれ愛ゆわへんかったら何を愛とゆうのだろうか……。 あー背中かゆい、右目んとこ右目んとこ、あーありがとう。
135 :
出所の朝part4 :01/12/09 01:12
酔払い:こらクソガキ横つめてんかい。 子:……。 酔払い:ハアー臭いか。おっちゃんの息、臭いか。 男:やめたらんかい、嫌がっとるやないか。 酔払い:お前このガキの何じゃい。 男:心の友や。 酔払い:笑わしよんのー。なめとったら血みるど。 子:見ーへんっ。 酔払い:待たんかいコラァ。 子:待たへんっ! 酔払い:やったろかコラァ。 子:やらへんっ! 酔払い:このクソガキー。 男:クソはお前じゃ酔払い、早よ水のんで寝ェ! 酔払い:おお心の友、ワシの心の友にもなってくれよ、こんなチンチンに毛はえてへん坊主の連れなんかなる前に。 男:子供にだけはからむな。 酔払い:エラそうに人殺したことあるような顔して。 男:……。 酔払い:クソガキ、これ吸うてみ、タバコ知ってるやろ。 子:吸えへんっ。 酔払い:さっきからアホみたいな答え方しやがって、ほんまのアホやったらタバコよりこっちの葉っぱ吸うた方がエエんやで。 子:吸えへん、吸えへんっ! 酔払い:ちょっとだけや、ちょっとだけゆうとるやろ、クソガキ、ホラ。 男:子供が嫌がって泣いとるやないか。 酔払い:しる粉買うような男が何ほざいとんねん、ガキがしる粉喜ぶかっちゅうねん。なっクソガキ、 こんな冷めたしる粉ほかせほかせ。 男:ワンカップよりはましや。 子:ほかせへんっ。 酔払い:かせ、ワシが飲んで吐いたるわ。 子:かせへんっ。 酔払い:かせてコラァ、かせ!ゴクゴク、おっおっおえー(吐く。子の服よごれる) 男:(プツン)(酔払いの頭を窓にガンガンガンガン) ・・・・・・・・・・。 子:……。 男:坊主すまんのお。おっちゃん振り出しや。 子:(泣きながら)振り出さへんっ。 男:そんな言葉はないねん。おっちゃん振り出しやけどいつの日か、またこの電車乗る日くると思うわ。 坊主にまた会うたらおもろいな。その頃はもう女を「知らへん」とはゆわさんぞ。アハハハハ。おっちゃん、下りるわ。 坊主、ありがとう。酔払いは性質(タチ)悪いからな。大人になるまでは気ィつけーよ、坊主。 子供は傷つきやすいもんや。坊主、元気でな。
136 :
ほんわか名無しさん :01/12/09 01:44
↑あう〜〜〜、じーんとなけた。 関西弁苦手なんだけど、こうやってみるといいねえ。
548 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/12(金) 09:20 昨日の朝、女房と喧嘩した。というかひどいことをした。 原因は、夜更かしして寝不足だった俺の寝起き悪さのせいだった。 「仕事行くの嫌だよな」とか呟く俺。そこで女房が何を言っても 俺は切れただろう。前例もあったし。あいつもそれを良く知ってる から何も言わなかった。それも分かってたけど、なんだか馬鹿に されてるような気もして、八つ当たりしてしまった。 すごく美味そうだったのに、せっかくあいつが作ってくれた味噌汁 もおかずも全部ぶちまけて暴言を吐いてしまった。 あいつは泣きながら残りの味噌汁の鍋を流しに捨ててた。ものすごく 後悔したけど、用意してあった弁当も持たず、虚勢をはったまま 謝りもしないで俺はそのまま会社に出掛けてしまった。 夜になって、気まずい思いを抱きながら帰宅した。もしかしたら 女房は実家に帰ってるかもしれないと内心不安だった。が、部屋の 灯りはともっている。しかもなにやらいい匂いもする。 思い切ってドアを開けると、女房は俺の好物のビーフシチューの 鍋を抱えて出迎えてくれた。「これで仲直りしよう」と笑顔で。 俺の方こそ、朝のお詫びに気の利いた土産の一つや二つ買って来る べきだったのに。 もう、自分の勝手で女房に八つ当たりをしないようにしようと 心に誓った。 本当はあの味噌汁食いたかったんだ。俺は。
138 :
ほんわか名無しさん :01/12/09 02:14
わかってるんならさっさと実行しやがれ
139 :
ほんわか名無しさん :01/12/09 02:30
私の両親は共働きだから、家事は全部祖母がやってくれてました。 私はそれが当たり前だと思ってました。 両親よりも祖母に怒られる事の方が多くて正直 うっとうしいなぁって思ってました。 祖母は80歳なのに、元気で、風邪をひいても寝込んだりしませんでした。 自分は年寄りだから、一度寝込んでしまったら風邪が治った時に 足が動かなかったりして、自由に歩けなくなるのが怖かったらしいです。 私が友達の家に泊まりに行った時に祖母が交通事故に遭ってしまい 両足骨折で入院してしまいました。 それが私と妹には信じられなくて病院に行ってもふざけて ばかりでした。祖母は入院中にどんどんぼけていってしまい、 私の名前も分からなくなってしまいました。 次にお見舞いに行った時祖母は「死にたくない」って ずっと言ってました。私は足を骨折しただけじゃ死なないって思ってました。 祖母は入院して1ヶ月たたないうちに肺炎になって死んでしまいました。 ずっと元気な姿を見てたから信じられませんでした。
1〜139まで全部読んだ。 箱ティッシュが半分減る程泣いた。
141 :
bE-Ac ◆T/Yzyeno :01/12/09 04:48
ああ。泣けるかどうかわかんないけど。 とりあえず異常に長くなるんでヒクかもしんないけど書いとくよ。 いつだったか、オレの祖父が入院する前に夢を見たんだよ。それでオレ朝目が覚めてお袋に聞いたんだ。 「爺ちゃん大丈夫だよな?何も病気とか無いよな?」 心配だったからね。その時は全然大丈夫だと思ってた。 実際元気な爺ちゃんでよく家に棚とか据え付けてくれたり、 頼んでも無いのに何かと色々世話をしてくれたり。 いい祖父だったよ。 それから1週間ぐらいかな。 突然お袋に爺ちゃんが入院したって聞かされたのは。 肺炎をこじらせただけだって、その時は聞かされて、しばらくすればすぐにでも退院できるって聞かされた。 入院した時はまさかとは思ったけど、安堵したよ。そして1ヶ月ぐらい時が過ぎて祖父の病名が発覚してさ、 末期の肺ガンだった。 早急に市内のヤブ医者経営の個人病院から国際病院に移ったんだ。 御袋から聞かされて、その時は何にも感じなかったんだよね。 そうか。もう直ぐかって。 けど、実際は半年ぐらいの余命だって言われてさ。 なんて言うか、この時はその言葉を信じない方がよかったんだと思う。 その時聞かされた”半年”って余命で爺ちゃんに何をしてやろうか、とか色々考えたけど、 オレはなんて言うか、そう言う爺ちゃんの喜ぶ事、考えれなかったんだよね。 んで、ずるずる暫く爺ちゃんと顔合わせれなかったんだよ、 都合があって。言い訳なんだよな。都合なんかそんなモンいらないハズなのに。 4回。病院に入院している爺ちゃんと会った。 最悪だった。後悔してるよ。 たったそんな回数しか会ってやる事ができなかったんだ。 そうそう、オレには弟がいて、かなり年が離れてるんだよ。 今は5歳ぐらいでさ。それでオレが”下らない用事”とやらに呆けてる時、 その弟と姉と御袋で爺ちゃんに会いに言ったんだ。 爺ちゃんの姿を見た事態も把握してない筈の弟は、爺ちゃんの弱々しい姿を見て泣き出したらしいんだよ。 それで、その話を聞いた時オレはやっとその時早く会わないと、って思い始めたんだ。 大勢が居るの共同の病室に一度いった後、病状悪化の為、 個室に移った後もう一度病院に足を運んだよ。 行ったよ。 会ったよ。 泣いたよ。 表面上じゃ泣けなかったな。 泣きゃよかったんだよ。けど爺ちゃんが心配するとヤだからな。 クダラネェ。泣きゃよかったんだけどさ。泣かなかったよ。 必死こいてヘラヘラして爺ちゃん少しでも笑わせようとした。 目頭が何度も熱くなりそうになるのをこらえ、爺ちゃんは起きれもしないくせに、 起き上がろうとしてオレに食べ物なんか食べろって、ろれつもろくに回らない癖に。周りに心配すんだよ。 それで満足するならって思って喰いたいとも思わないけど。 オレ、必死で喰うんだよ。 もう、そんな歳でもない筈なのに小遣いやるとか言われたり、 いつもは貰わなかったよ。オレ、笑って貰ったんだよ。 それで、もう無理なの解ってるのにオレ言うんだよ 「お爺ちゃん。元気んなったら、また釣りにいこう!。」 自分でそんな言葉いっておきながら危なく泣きそうになった。 それから本当に直ぐだったよ。次の朝に突然電話が掛かってきて。 「危ない」って。 /
142 :
bE-Ac ◆T/Yzyeno :01/12/09 04:59
/ 従姉妹の姉ちゃんの車に乗せられて病院に向かったんだよ。 意識が無かったよ。昨日は多少喋れた筈だったのにさ。 容態は著しく不安定で。 もう、いつ死んでもおかしくない状態でさ。 抗がん剤を投与して一時安定してるだけでさ、 苦しんでるのが顔から嫌な位伝わってきた。 オレ、その時、声かけてやれなかった。 声が出ないんだよ。 それで直ぐ席から立ち上がって 窓の外眺めてた。 意味もないのに。 これからいままで優しくしてくれた祖父の事、 ずーっと、考えてた、 色々でてきた、釣りの日の事、 爺ちゃんの家泊まりに行って、布団隣に引いて寝た事。 窓の方、向きながら、泣いてた。 なんとか涙拭いてさ、振り返るんだよ。 喋ると、泣いてたせいで鼻つまってるのばれるからさ、 なるべく喋んないように。 それで姉とか弟に適当に冷静ぶって何か言ったんだよ。 「泣くな」とかって、そうすると オレの顔見た姉は何も言わないでまだ泣いてたんだけど 「アンタも泣いてたんじゃないの」とか言われたね。 暫くしたらもう病状は急変したよ。 突然苦しみだして息も絶え、絶え。 鼻に管刺さってるんだよ。 何でか解んないけど管がささってたんだ。 爺ちゃんが苦しむと同時にそこから何かどす黒い液体が流れ出てきて、 ベッドの下にぶら下がってる袋に溜まってくんだ。 また泣きそうになった。 必死に押しつぶしてきた感情が溢れだしそうになったよ。 「あ……ああ…!!」 「爺ちゃん!!」 やっと声がでた。 喋れた。 もっと、何か言わなくちゃ。何か言わなくちゃ。 そう思った。 /
/ それからずっと爺ちゃんに声をかけてた。 意識が無いから聞こえないと解っていても 声をかけつづけたよ。 暫くしたら、叔母が駆け込んできたんだ。 爺ちゃんの息子。いわゆる叔父と結婚した叔母なんで、 なんつーか、仲が結構悪かった筈なんだよ。 色々、叔父が家庭的な問題抱えてたせいもあって、 だから、てっきり何か変な事でも言うのかと思った。 「ごめん!!お爺ちゃん!!遅くなっちゃった!!」 泣いてたんだよ。 泣きまくりだったね。 鼻詰まって顔赤くしてあんま言葉になってないやんとか思ったよ。 それからずっと励ましまくったよ。 聞こえていようが聞こえていなかろうが、 最終的には祖母、従姉妹2人(本当は3人いるんだが仕事でいなかった) 従姉妹の叔母、母方の叔母、母、オレ姉、弟、オレが病室に集まった。 そのうち弟もガキで状況解らない筈なのに泣き出して 一緒なって何度も何度も爺ちゃんって呼んだんだよ、 やっと何度でも言える様になった。 「爺ちゃん!!。爺ちゃん!!。」 やっと泣ける様になった。 もう我慢なんかできる状態じゃなかった。 泣き出したオレの顔を見て婆ちゃんは握っていた爺ちゃんの左手を オレに握らせてくれた。 ただ、ただ、泣きながら、何も反応してくれない 爺ちゃんの手を握りながら、何度も何度も爺ちゃんの手を握った。 30分ぐらいそうしてた。 そして、もう息をする回数が少なくなってきていた。 息の仕方も喉に”たん”がつまってる感じで 息を吸うときにガラガラと音がした。 本当に生きて欲しかった。ただ生きて欲しかった。 息をしてないと思ったら何度も何度も爺ちゃんの手を握った。 …突然止まった オレは涙ボロボロ流しながらすぐさま叫んだよ 「爺ちゃん!!」 「何やってんだよ!!」 出せる限りの大きな声で、叫んだんだ。 「はーい!…」 ボソボソっとした声だったけど確かにそう叫んだんだ。 解るわけねぇのに、意識、無い筈なのに。 息もろくにできねぇのに。 もう髭が生えて痩せこけた爺ちゃんに頬擦りしたよ、 最後だったから。もう、爺ちゃんの暖かさ、感じる事できないから。 最後だから。 /
そして祖母が泣きながらこう言ったんだ、 「お爺ちゃん、もう頑張ったから。 お兄ちゃん(叔父)これなかったのしょうがないから。 休んでいいよ。もう頑張ったから。」 けど、オレはそう祖母がいってもやっぱり我慢できなかった、 ひでぇヤツだよ。オレは。 苦しんでる爺ちゃんに何度も何度も叫んでさ。 そして、直ぐだった。 医者と看護婦が2人部屋にはいってきて、 ヘンな機械見て。 すぐその後、自分の腕時計みて。 ああ、そうか。って。 余談だけど、 その後、直ぐその医者の携帯が軽快な着メロを爆音で垂れ流しだしたんだよね。 その時は本気でその医者ぶち殺そうかと思ったよ。 病院だろココとか思った。 って言うか辛気臭くなっちまった。すまん。 しかも、やけに長くなったんで。 半荒らしかな?…。(´д`;)
145 :
ほんわか名無しさん :01/12/09 05:08
146 :
.ほんわか名無しさん :01/12/09 08:29
野球板からのコピペ。
ちょっと(・∀・)イイ!話 @野球板
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/base/1006817849/ 星野監督が辞任のインタビューで一番つらかったこととして、奥さんが亡くなった日が名古屋ドーム開きの日だったので、無理に明るく振る舞わなければならなかったことをあげてました。
この話は、中日ドラゴンズの佐藤社長がたまたま東京新聞の幹部社員研修会でKさんという方が話された内容に感動して、中日ドラゴンズの公式サイトの連載シリ−ズ「キャッチボール」の第33回に掲載されたもので、原文のまま以下再掲させて頂きます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『お客さん、もしお耳障りでなかったら、聞いていただけませんか。』運転手はこう言って、話し出した。
◆(以下はタクシーの運転手さんの話である)
私は生まれた時からジャイアンツの洗礼を受けて育った者です。両親も弟も親戚もみんな、野球はジャイアンツでした。
私の弟は名古屋で葬儀社の運転手をしておりまして、偶然星野監督の奥さんの葬儀の霊柩車の運転をさせて頂きました。
出棺の際、監督は大勢の弔問客に涙をこらえながら『妻はナゴヤドームでお父さんの胴上げを見たいね。それまで生きていたい、と言い続けていました』と挨拶しました。
いよいよ火葬場へ出発の段になって、星野さんは後続の運転手に何事か話し、霊柩車には自分一人にしてくれと言って、出発しました。星野さんは弟に『運転手さん、ナゴヤドームヘ行って下さい』。
前例のないことに、弟は『ナゴヤドームですか?』と驚いて聞き返した。霊柩車はそぼ降る小雨の中、ドームを一周し、雨よけのひさしのある所に止めた。
147 :
.ほんわか名無しさん :01/12/09 08:30
監督は『運転手さん、家内の棺を出したいので、手伝って下さい。全部下ろさなくてもいいですから、下ろせる所まで下ろしたいのです』。弟は何事が起きるかと恐れながらも、それに従った。 棺は頭の方を車にかけ、斜めに下ろされた。 すると監督は『運転手さん、5分間だけ泣かせて下さい』と言って、棺にすがりついて号泣した。 『なぜ死んだんだ。ドームでパパの胴上げを見たいね、それまで頑張ると約束したではないか。かあさん、なぜ死んだんだ!』 弟は感動に打ち震えながら、監督に負けないくらい泣いたとのことである。 監督は『必ず優勝して見せる。かあさん、見守っててくれ』と言って、火葬場へ向かった。 弟はその年の暮れ、正月前に休暇で帰った際、親戚が集まった席でこの出来事を涙ながらに語った。弟はこの日のことは一生忘れないと言ったが、私たちだって星野ドラゴンズを決して忘れない』 ◆この話を聞いたKさんも、それを話す運転手さんも泣いた。 『お客さん、この話は初めて人に話すことなんです。誰かに伝えたいと、いつも思っていました。今日、やっと弟の感動をお客さんに話すことが出来ました…』 Kさんはタクシーの運転手の話を通して『男・星野』を熱く語った。会合の出席者は涙にうるんだ瞳に、星野監督のドームでの情景を思い描き、改めて優勝を誓った闘将星野と、それを実現させた選手諸君の執念に感激を覚えた。
149 :
軍事板よりコピペ :01/12/09 13:52
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美命 二十六歳 マリアナ島にて戦死 季代子 かう呼びかけるのも最後になりました。 短かつたけど優しい妻でした。 有り難く御礼申し上げます。まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。 折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。 短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。 若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。 私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。 さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。至らない身、お詫びを致します。 何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。 どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。さやうなら。 昭和十九年五月三日 伊藤 甲子美 季代子様
150 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 00:14
>141-144 泣いた・・・辛かったよねえ・・・ 夢を見たって事は、おじいちゃんのメッセージだったのかもね・・・
151 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 02:55
生活全般板、世の中まだまだ捨てたものではないと思ったことスレからのコピぺ。 テロはいかんよ(泣 164 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:01/10/24 01:52 ID:nrGdxgIi 162さんのお話を読んで、私も、書きます。 昨年ニューヨークへ行きました。とあるビルのお手洗いで、きれいな白人の お姉さんに声をかけられました。どうやら、ガイドブックに目を止め、観光客が なにか困ってるのではと思ったみたいです。実際、郵便局を探してたので、聞いたら、 別棟だということ。でも、ちょっとわかりにくいので、地図を書いてあげる、と と、メモを取りだし、あ、と思いついたように、切手が必要なら、デスクにストック あるから、あげてもいいよ?とまで言ってくれました。でも、ちょっと重い手紙だったので、 親切を感謝して、お別れしました。 目がさめるような金髪の、美しい、優しい人でした。一番の思いでです。 そのビルは、テロによって倒壊しました。無事を確認するすべはありませんが、 あんなに美しくて優しい人が、死んだはずはない、今も回りの人を助けてるはず、と 信じてます。祈ってます。長文ごめんなさい。
152 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 03:32
号泣
せつない。。オラの人生。。
154 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 03:35
どちたんや? うふふふふふふふ。
。。。。。なんで、でてくるん。
156 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 03:37
ごめんちょ! 失礼。
おらは、今日泣く。。あのコのために。。ぐしゅん。。。
セブ島から特攻出撃した大和隊隊員植村少尉が幼いわが子に あてた遺書。 素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りも したし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって 私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のこと をよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残して あります。 素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやり の深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。 私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったの を見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまって も、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい ときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の お顔がお前の心の中に浮かびますよ。 父はお前が幸福者と思います。 生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると 真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。 またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって 下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福を のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても 親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って おります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。 お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで 貰いなさい。 昭和十九年○月某日 父 植村素子へ 追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて 自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒に いたわけです。 素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。
159 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 13:48
1年ほど前、両親が死んだ 東京に出てきて数年、正月ぐらいしか帰ることの無かった俺は仕事を放り出して慌てて帰郷した。 家に帰ると半狂乱で妹が抱きついてきた 事故で即死だったのが唯一の救いだったかもしれない その後、警察に行って事故車両を見せてもらった時、一緒に渡された物があった 燃えて炭化してしまったに近い状態の財布と靴 女物の靴は大柄な母にしてはサイズが小さく少し不思議に思っていた でも、財布を空けて気がついた。事故当日の日付の入った靴屋のレシート 間違いない、妹の誕生日プレゼントだったんだと 事故の日から2日後が妹の18回目の誕生日だった あれから1年、東京に来て最初はほとんど口を聞かなかった妹もなんとか立ち直ったような気がする だけど、実家においてきたあの靴、あれをいつあいつに伝えるべきか、未だに迷っている
age
一気に全部読んだが159で号泣
162 :
ほんわか名無しさん :01/12/10 20:19
泣けるなあ・・・ >159 いつかは真実を言わなきゃね・・・まだ10代じゃ、それを受けとめるのは 難しいからもっと大きくなってからでいいと思う。 誕生日前が両親の命日か・・・辛いね・・・
出張で金沢に逝った事があったんだ。 夏休み最後の週末で、特急列車のホームは見送り客でイパーイだった そしたらリュックサックをしょった小さな男の子と女の子が 勢いよく特急に乗り込んでいったんですよ。 その後ろから「ほら、爺やにバイバイしなさい」とたしなめる母親。 男の子と女の子はきびすを返して手を振る。 その先にはゾウリを履いた痩せ型の爺ちゃんがただ一人ホームに残されていた。 「それじゃ向こうに着いたら連絡しますんで」と母親。 爺ちゃんは「うん。また爺の所に遊びに来るんだぞ」答えた後 突然ポケットからハンケチを取り出し、 「ではマサコさん、孫を・・・孫をよろしくたのみます」とむせび泣きはじめるんだよ。 でも小さな女の子にはその心情が理解できないんだ。 「ねえ、ママ?爺やが泣いてるよ? 爺やはどうして泣いてるの?」とカン高い声で不思議がってるんだよ。 思わず、ただ立ちすくんで何も答えられなくなる母親。 一瞬時間が止まったかのように静かだった。 そして「プルルルルルルルル」と発車の合図。ドアが閉まり、発進してからも 爺ちゃんはいつまでもいつまでも孫の乗った列車に向かって手を振っていた。 なんか駅での別れって絵になる。 俺も思わず目頭が熱くなった。
164 :
ほんわか名無しさん :01/12/11 03:12
号泣あげ
165 :
ほんわか名無しさん :01/12/11 12:30
泣きそうなので帰ってゆっくり見る。 目に付くようにage
166 :
ほんわか名無しさん :01/12/11 13:08
泣いた!
167 :
◆hW0nJ.FE :01/12/11 21:05
ahaha
168 :
ほんわか名無しさん :01/12/11 21:17
――― 某スレよりコピペ ――― 「煙草を吸うのは周りの人を殺しているのと同じだ」 ・・・最初は、名言ではなく餓鬼の戯言と、藁ていたけど 妻や子が、漏れより先に肺癌で死んだ時、その言葉の意味がわかた・・・ ・・・そして漏れは煙草を止めた・・・今更だがな
169 :
ほんわか名無しさん :01/12/11 22:15
ずっと学校をサボってた。 3週間目にしてやっと友達が連絡よこしてきた。
170 :
ほんわか名無しさん :01/12/11 22:38
号泣age みんなもっと書いてください。 私には、今までそんなに感動したこともないのです。
少し長編になるかもしれませんが 最近気持ちの整理もできたので書いてみます。 今から6年前の話です。 僕がまだ10代で、あまり携帯電話は普及してなくて ポケベル全盛期の時代のことです。 僕はその頃高校を出て働いていたんですけど 2つ年上の女性と付き合っていました。 お互いの親にも会ったりして 僕は結婚する事を信じて疑いませんでした。 毎朝ポケベルに「オハヨウ」とか 「ガンバッテネ」みたいなメッセージのやりとりをしていたのですが、 ある日僕がメッセージを送るのがめんどくさくて送らない日があって、 彼女からもメッセージは送られてきませんでした。 ちょうどその日は給料日で 僕は今日は彼女にメシでもおごろうと どこに行こうか考えていました。 仕事が1段落つき、昼休みに入り 食事に行こうとした時に僕宛の電話がなりました。 その電話は彼女の交通事故を告げる電話でした。
172 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:12
僕はその電話を置いた後、 しばらく何のことかわからなかったんですが、 「今意識不明だ」という言葉に体中汗ばんだのを覚えています。 すぐに無理やり会社を早退し 彼女が運ばれた病院へ向かいました。 電車の中で「実はたいした事ないんちゃうかな?」 とか自分に都合のいい方にしか考えたくなかったんですが、 「もしかしたら・・」って考えると周りに人がいるのに ボロボロと涙が出てきて、すごくさみしい気持ちが溢れてきました。 僕が病院に着く頃には、意識が戻っている事を祈りながら 病院まで走っていきました。 彼女の家族に出会い、容態を聞いてみると 彼女は集中治療室に入っている、という事を聞いて 事態の深刻さを悟りました。 外傷はほとんどなく、脳にショックを受けたらしく まだ意識は戻っていませんでした。 僕はとりあえず会社に彼女の意識が戻るまで休む事を 電話で伝えて病室の前で、意識が戻るのを待つ事にしました。 その日は病院のソファーで、ほとんど眠れずに夜を明かしました。 目の前のストーブで背中は寒かったのに 顔だけがすごく火照っていました。
173 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:12
結局その日は意識が戻る事なく 次の日の朝1番で着替えなどを家にとりに帰りました。 病院に帰ってみると明日手術ができるかどうかが わかるだろうという、医者からの話があったそうです。 そして5分だけ面会時間がもらえるとの事で、 僕は会いたいような会いたくないような、 複雑な気持ちでしたが、給食当番の時の様な服を着て 彼女に会いに部屋にはいりました。 部屋の中は訳のわからない機械がいっぱいで その中のベッドの一つに彼女が寝ていました。 まるで眠っているだけの様な顔で 名前を呼べば今すぐにでも起き上がってきそうでした。 手を握ると腕のあたりに、点滴などの管が何本も刺されていて 容態の悪さを物語っているようでした。 それと唇が妙にカラカラになっているのが気になりました。 5分間をいうのは短いもので、 何か話しかけようとしたのですが、 なんとなく周りの目が恥ずかしくて 言葉らしい言葉をかけれませんでした。
174 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:13
顔を見ると眠っているだけに見えるので、 その日は少し気分も落ち着いて なぜか「絶対大丈夫!」という根拠のない自信でいっぱいでした。 それからは彼女の意識が戻ってからの事ばかり 考えるようになり、頭の手術するんやったら 髪の毛剃らなあかんから、帽子がいるし買いに行こう! と看病の事を考えて買い物に行く事にしました。 この時僕は目を覚ました彼女を喜ばせる事だけを考えていました。 さっそく帽子を探しに行き、 キャップは似合わんし、ニット帽だとチクチクするから という事で、綿で出来た帽子を探して買いました。 買い物が済んで、帰ろうとした時に 街中を歩く女の子を見てると、 なんか自分が現実から少しズレた場所にいるような気がして 妙な不安を感じました。 その不安からか、彼女の意識が戻ったら正式にプロポーズしようと 安物ですが指輪まで買って帰りました。 その日も結局容態に変化はなく過ぎていきました。
175 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:13
次の日のお昼前、彼女の父親だけが医者に呼ばれて 病状の説明を受けるとの事だったのですが、 無理を言って僕も同席させてもらいました。 どうしても自分の耳で医者から聞きたかったんです。 多分あれほど緊張した事は今までになかったと思います。 医者の部屋に入って、医者の顔色を見てみると どっちともとれない無表情な顔をしていました。 医者が口を開いて、簡単な挨拶が終った後喋り出したのですが、 病状はよくなるどころか病院に運ばれた時点で すでに手遅れでした。 僕はこれを聞いて頭がグラグラして 椅子から落ちないようにする事しか考えれませんでした。 どうやら今治療をしている様に見えるのは、 家族に心の準備をさせる為に 無理やり心臓を動かして、体だけ生かして少しずつ 悪い方向へ持っていくというものでした。 僕は部屋を出て彼女の父親に、家族にはまだ言わないで欲しいと言われ 泣き出しそうなのをこらえて、母親に話かけられても 「用事が出来た」とだけ言い残して、誰もいない場所まで走りました。 街中であれだけ涙を流して大声で泣いたのは初めてでした。
176 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:13
それからちょうど涙が枯れた頃、病院へ戻りできるだけ普通に振舞いました。 その夜、彼女の父親と銭湯へ出かけました。 二人ともほとんど無言で風呂に入り、 話す事といっても関係ないどうしようもない会話ばかりでした。 僕は彼女の父親にはどうしても聞いておきたい事がありました。 僕が彼女と結婚するって言ったら許してくれるかどうかでした。 今考えると絶対に聞くべきではない時に聞いたような気がします。 病院に戻る前に父親を呼び止めて ストレートには聞けなかったのですが、 買ってきた指輪を彼女の指につけてもいいか?と聞きました。 彼は黙ってうなずくだけでした。 その夜は眠る事ができなくて、家族と顔をあわせると泣いてしまいそうで 外で一人で過ごしました。 次の日また5分だけ面会できるということだったので、 もう1度彼女の顔を見に行きました。 彼女の顔は相変わらず眠っているようで もう目を覚まさない事がウソのようでした。 僕は彼女の左手にこっそりと指輪とつけました。 もう何の意味もないのはわかっていましたが、 少しでも彼女に近づきたいという気持ちでいっぱいでした。 みんなが部屋を出た後僕は忘れ物をしたそぶりをして ベッドの側に戻り、彼女のカラカラの唇にキスをしました。
177 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:13
それからしばらく経ち、彼女は一般病棟の個室に移ることになりました。 医者が言うにはもう長くないので 少しでも家族が長く一緒に入れるようにとの配慮だそうです。 僕は1日のほとんどをその部屋ですごすようになりました。 何もする事もなかったのですが、 話かけると声が届いてるような気がして 耳元で歌を歌ったり、話し掛けたりしていました。 そして夜が明けて昼すぎになると、医者と看護婦が入ってきて みんなを呼んでくださいみたいになって、 みんなが見守る中、心拍数を表示しているピッピッってなる 機械に異変が見られるようになりました。 最後まで僕に片方の手を握らせてくれた 彼女の家族に感謝しています。 それから1時間ほど経った後、 そのまま静かに心臓が停止しました。 僕も含め部屋にいる人みんなの泣き声だけが聞こえてきて、 覚悟はしていたものの、本当にこうなった事が信じられなかったのですが、 医者の何時何分とかっていう声に現実に引き戻されました。 そして部屋にいる全員が驚く事が起こりました。 僕が握っていた彼女の手がものすごい力で 僕の手を握り返してきたのです。 僕は本当に驚いて多分変な声を出していたと思います。 しばらくして彼女の手からスーっと力が抜けていきました。 僕は涙はふっとんで、全員にその事を伝えました。 すると彼女の母親が 「きっと一生懸命看病してくれたからありがとうって言ってるんやで」 って言ってくれました。 冷静に考えると死後硬直だったのでしょうけども、 その彼女の母親の一言で僕は今まで道を間違わずにこれたと思います。 年上だった彼女は今では僕の方が年上です。
179 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 00:56
180 :
22歳OL :01/12/12 01:14
>>171 。泣けた。
このスレをお気に入りに追加するっきゃない
181 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 01:24
>>178 禿同
嘘だと思わねば煙草がすえやしないYO
183 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 15:02
なあんかなぁ・・やっぱ他人の恋愛バナじゃあ泣けねぇなぁ・・ あれは女の世界だな
184 :
ほんわか名無しさん :01/12/12 19:34
age
見つけやすいようにage
186 :
ほんわか名無しさん :01/12/13 09:40
人間じゃないけど、動物のお話でもいいですか? 私は毎朝、会社まで車で通勤しているのですが、 ある日の朝、交通量の多い道のド真ん中に何か 動物がいるのを見付けました。速度を落とし よく見てみると、2匹の子猫でした。しかし、 1匹は横たわったまま動きません。どうやら 道を横断しようとして、1匹だけ車にひかれて しまったようです。もう死んでいるのでしょう。 それをわかってか知らずか、残った1匹はもう 1匹の側に寄り添って、そこから動こうとしま せんでした。横をすごい速度で車が通り抜けて いくのに、ピッタリと寄り添って、頑なに動こう としないのです。この2匹は兄弟だったのでしょうか。 生まれてから、ずっと2匹で行動を共にしていた のかもしれません。連れ合いを亡くしたもう一匹 の子猫が、じっと死んだ連れ合いを見つめていた のが印象的でした。 朝から涙が止まらない1日でした。
もっと泣かせて・・・
今更ながら
>>1 に言いたいんだが
>家に持って帰ってきたおにぎりは、冷凍庫にいれて、
>元気のない日に、1コづつ、大事に大事に、食べました。
おにぎり腐るだろ
元気の無い日にもっと元気なくなるって
>>188 「冷凍庫に入れて、元気のない日に1コづつ解凍して」食べたんだろ?
190 :
ほんわか名無しさん :01/12/13 16:01
>>188 だから、冷凍してんじゃん、冷凍。
よく読め。
別に泣ける話では無いかも知れないっす。スマソ。 僕の友人(同級生)は一年位前に交通事故で意識不明、次の日に亡くなりました。 事故の時、僕と自転車で学校に行く途中でした。 いきなり酷い金属音が鳴り、後ろを見ると、、、血の付いた自転車がボロボロになって落ちてました。 あっけに取られた瞬間、上から友達が落ちて来ました。多分、轢かれて上に飛び上がったようで。 アスファルトに当った時、肉と肉が腫れ上がるような音がして、怖くて目の前が青く染まりました。 僕が目がさめた時には、もう死んでいました。 遺体はぐったりとした感じでした。
193 :
ほんわか名無しさん :01/12/13 17:06
>>192 泣けるっちゅうか、スプラッタ。
怖いぞ、それは・・・。
ガキの頃の友人なんだけど、同じクラスに動物好きの女の子がいて、友人はそいつが好きだった。
だけど、奴ぁ動物が苦手だった。
で、ある日の下校中、偶然橋の下で見つけた子猫がいてさ。
俺はもともと猫が好きだったからすぐ抱き上げたりしたけど、そいつには全然無理で逃げ腰だった。
「雨の日にこうやって捨て猫に餌を与えてる姿を見ると○○好きになってくれるぞ〜(笑」
ガキながらませたことを言って無理やりそいつに給食の残りのパンを猫に与えさせた。
逃げ腰だった奴も次第になれ、1週間もしないうちに猫の魅力に取りつかれていた。
んで、お約束だけどしばらくして猫が轢かれて死んで・・・。
涙もろい俺は泣きだしてしまったが、そいつは滝のように涙を流して悲しんでいた。
で、そんな姿を目撃した○○が我ら泣きまくる男二名を見てどう思ったかは秘密だ。
爺さんは昔そば屋をやっていたんだけど、今はお弟子さんに譲って悠々自適な生活をして いた。それでも、お弟子さんが可愛いのか気になるのか、たまに店に顔を出してはお弟子 さんの手伝いをしていた。 その日もお弟子さんの店に顔を出して、店の手伝いをしていたら出前の注文が入り、爺さ んが代わりに行ってくると申し出たそうだ。 主人たるもの店にいられる時はいるべきで、出前なんかは引退したジジイに任せておけと 言いそのまま出前に出ていった。 出前先はお得意さんの警察で、行き慣れたところなので往復十分もあれば帰ってこられる ところなのに、三十分たっても爺さんは帰ってこないので、おかしいと思い始めた頃、出 前先の警察署から電話がかかってきた。 爺さんのバイクが、右折しようとしたトラックに後ろから追突され、意識不明の状態で病 院に搬送されたとの連絡だった。 結局爺さんは三日間ほど意識不明のままでそのまま逝ってしまった。 その時、お弟子さんが俺たち身内にいきなり土下座をして、『俺がオヤジさんに配達を頼 んだせいです。すみませんでした』と泣きながら繰り返していた。 当然、お弟子さんに責任があるなんて思っていなかった俺たち親族は、そんなお弟子さん を慌てて引き留めたが、それでもお弟子さんは床に額をすりつけたままで顔を上げようと もしなかった。 そして、その姿を見た時にこれまで堪えていた涙が一気に溢れてきたのが不思議でしょう がなかった。 後日通夜の時に、病院で一緒に爺さんを看取ってくれた警察の人がやってきて、『自分た ちが出前を頼んだせいで……』と頭を下げた。 その時に叔父が『オヤジの味をそこまで気に入ってもらってオヤジも本望だったと思いま す。オヤジの味はこの○○君(お弟子さんの名前)がしっかり受け継いでいます、これから もひいきにしてやってください』と言ったのが今も心に残っている。 あれから十年以上経っているけど警察の人はずっとお弟子さんの店のお得意さんのままだ。 長文&とりとめのない話でスマソ。
196 :
ほんわか名無しさん :01/12/13 23:15
初めての新規スレ作成してレスが「激しくガイシュツ!!」→「今だ!2番ゲットォォォォ!!」→「遅かった...鬱だし脳」で終わり、そのまま倉庫行きになったこと。
去年、母が癌で亡くなった。 3ヶ月間母がすごしていた病室を片付けていると、引き出しから封筒が見つかった 封筒には一言「お母さんへ」と書かれていた。 思い出した。漏れがリア厨の時、林間学校で強制的に書かされたものだった。 漏れの母校では、林間学校に行く前に学校側が生徒の家族に 生徒に手紙を書いて欲しいと秘密裏に依頼して その手紙を故郷を離れた時に突然生徒に渡すというドッキリ企画が代々あったらしい。 で、実際担任から生徒に手紙が渡されると、大半の生徒は 「なんだよこれ?バカじゃねえの?ギャハハ。」 って感じのリアクション。 しかしクラスで一番派手な女(後にヤリマンとなるとなる)が泣いているのを見た担任は俺たちを叱った。 しぶしぶ返事を書く生徒たち。もちろん心はこもっていない。 担任の教師が「何か記念になるものを入れておくといい。」っていったから 漏れは紅葉をいれておいた・・・。 母の病室で見つけた封筒の中には、汚く、短く、おざなりな文章の書かれた手紙と ぼろぼろになった紅葉の破片。 こんなものを長年とっておくほど、漏れは母に言葉をかけられず 思い出を作ってあげられなかったことを思って 母がかわいそうで、とにかく泣きじゃくった 長文&駄文ゴメソ みんなは親を大事にしてね
>>195 お爺さんの最期 痛みや苦しみが少なかったらいいな・・・涙
>>197 >漏れの母校では、林間学校に行く前に学校側が生徒の家族に
>生徒に手紙を書いて欲しいと秘密裏に依頼して
>その手紙を故郷を離れた時に突然生徒に渡すというドッキリ企画が代々あったらしい。
ここの意味がよくわかりません
201 :
ほんわか名無しさん :01/12/15 01:35
うう・・・・ 爺さんと手紙の話、両方きた・・
202 :
名無しさん :01/12/16 17:33
age
203 :
ほんわか名無しさん :01/12/17 01:43
ウワアアアアアアン
205 :
ほんわか名無しさん :01/12/17 10:46
「静山社」(東京都新宿区)。現在、社員は3人だが、「ハリー」を出版する前はシリーズの翻訳者でもある松岡佑子社長(58)がひとりでやっていた。 加えて、難病患者の手記など地味な書籍を扱い、文芸書は未体験という同社がなぜ、世界的ベストセラー(約1億1千万部)を出版できたのか。そのいきさつ自体が、いささか“ファンタジー”めいている。 4年前のクリスマス。夫の幸雄さんが肺がんで急逝した。残されたのは、夫ひとりでやっていた赤字経営の出版社。同時通訳者として活躍する妻に、夫は「自由に生きろ」と言ってくれた。だが、松岡さんは「静山社はつぶさない」と宣言したという。 そんなある日、ロンドン在住の英国人の友人から、「出版するならこれは?」と渡されたのが、現地では既にベストセラーとなっていた『ハリー・ポッターと賢者の石』。 一晩で一気に読み、「魔法にかかった」(文芸春秋昨年11月号の手記)松岡さんは、出版元に即座に連絡。交渉を開始する。 ハリーが英国で生まれた翌年、98年10月のこと。日本からはすでに、大手出版社3社が手を挙げていた。だが、松岡さんは熱心にコンタクトを続け、2カ月後、「ユウコがいちばん情熱的」との原作者の言葉とともに版権を獲得。 松岡さんは「夫の遺影を前に、ひとりシャンパンを抜いた」
このスレ見ない方がよかった。。
命のメッセージ この話の主人公、たかし君(9歳)は、折り紙の好きな 明るい少年である。 彼は5歳の時、重度の心臓病、心筋症であると診断される。 完全に治すためには移植するしか方法はなかった。 貴嗣君が2年生だった6月の朝、母親の節子さんは貴嗣君の 様子がおかしいことに気付く。呼びかけにも応えず、右足が 硬直しているようだった。 急いで病院に運ばれた貴嗣君は、脳梗塞の疑いがあると言われる。 子供が脳梗塞になることは非常に稀なことであるが、心筋症で あった貴嗣君の脳の血管がつまってしまったのだ。彼は 右半身が麻痺してしまい、その上、声が出せない、つまり失語症 になってしまったのである。 節子さんは、紙に平仮名を書き、貴嗣君に指してもらって意志を 確かめようとしたのだが、平仮名を読むことも困難らしく、 できなかった。せめて声だけでも出せるようになってほしい、 と両親は願っていた。 そんな貴嗣君を病から救ったのが、クラスメイトのみんなだった。 病気で入院している貴嗣君のために千羽鶴を折っていたみんなは、 お見舞いに行きたいと担任のT谷先生に言う。 しかし、病状の悪化していた貴嗣君は面会謝絶の状態が続いていた。 そこで土谷先生は、クラスメイト全員の声のメッセージを テープにとり、千羽鶴と一緒に貴嗣君のもとへ届けたのである。 節子さんはそのテープを、何日も貴嗣君に聞かせた。 そして、奇跡は起こったのである。 節子さんが貴嗣君にジュースをひとくち飲ませ、クラスメイトの テープを流していた時だった。 「もっとのみたい」。 貴嗣君がしゃべった。節子さんは信じられず、 「もう一度言ってごらん」と言うと、たどたどしいながらも、 「もっとのみたい」と言ったのだ。 貴嗣君に、声が戻ったのだ。 医師や看護婦も、信じられないような奇跡に、喜んだ。 この春、4年生になった貴嗣君は、右半身に少し麻痺が残るものの、 暖かい同級生たちに囲まれて、楽しい学校生活を送っている。
December 23rd サンタクロースはいる!?スペシャル 命のメッセージ 再び 1999年冬、碧南市立新川小学校、5年1組。以前放送された たかし君は、脳硬塞に倒れながらもクラスメートたちの励ましの メッセージに立ち上がった男の子だ。彼も今は5年生、 右手右足に不自由な所は残っているものの、多くのクラスメートに 支えられ、楽しい学校生活を送っている。 担任のK原先生は、「彼は友達と遊んだり、勉強したり、 自分が何かに参加していると感じられる時に一番いい顔をしていますね。」 と言う。 しかし、貴嗣君には悩みがあった。自分は何かをしてもらう ばかりで、何の役にもたっていない・・・。 貴嗣君の悩みは大きくなり、先生にも相談した。そこで、 普段は図書委員が中心になって行われる人形劇を、 貴嗣君が進めるのはどうだろうか。 そしてみんなに手伝ってくれないか、と先生はクラスのみんなに話した。 全員が手をあげ、協力してくれることになった。 本番は4日後、碧南市心身障害者センターで行われることになった。 普段からこのセンターと交流のある貴嗣君は自然と力が入る。 人形劇の練習に加えて、道具や舞台も用意しなくてはならない。 人手不足と聞きつけて、元2年1組の貴嗣君のクラスメートが 手伝いにきてくれた。 4日間、貴嗣君は夜遅くまで台詞と人形の練習をした。 そのみんなの努力が実り、本番当日の劇は大成功。 楽しい時間をセンターの人々に贈ることができた。友達の大切さ、 人になにかしてあげたいという気持ちの大切さを再び貴嗣君に 感じたのであった。
June 15th 感動のアンビリバボー たかし君の夢〜手紙から始まる奇跡〜 4年前に心臓が萎縮する心筋症が悪化、脳梗塞になった岡田貴嗣君。 たかし君は、右半身麻痺と、言葉がでなくなるという症状から、 友達の助けと励ましから立ち直った。そんなことから、 いつも前向きに明るく頑張ってきたたかし君だったが、 彼のお母さんから番組宛に手紙が届いた。 たかし君の体調が最近思わしくなく、自分は大人になれない、と、 希望を失ってしまっているのだという。 一体たかし君に何が起こったのだろうか? たかし君は、いつも友達の助けを借りながら学校生活を送ってきた。 自分は何かをしてもらうだけで、何もしてあげられない。 それが、たかし君が元気をなくしている理由のようだった。 6年生になったたかし君は、学校生活最後の楽しみである 修学旅行に、友達の協力を得て行けることになった。 しかし、そこでも車椅子や友達や先生の力を借りるばかりで、 友達の大切な時間が自分のせいで犠牲になっているのではないか、 と元気を取り戻すことはできなかった。 ところが、先日のアンビリバボーの放送でダウン症という重い病を 抱えながらも頑張る岩元綾さんの姿を見て、 たかし君は彼女に会ってみたいと思ったようなのだ。 彼女の、病気に負けずにかけがえのない人生を精一杯生きる姿に 感動したのだ。 しかし、この二人が会うには大きな問題があった。 たかし君は最近心臓の調子が思わしくなく、飛行機や長距離の移動は 無理のようだった。 また、綾さんも心臓に負担のかかる長距離の移動は無理と思われた。 そこで、番組スタッフは綾さんにたかし君のビデオレターを 送ったのだ。綾さんはそこに、懸命に生きるたかし君の姿に感動し、 彼女もたかし君に会いたいと、長旅を快諾してくれたのだ。 ついに、綾さんとたかし君の出会いの場が設けられた。 たかし君の最近の不安を知った綾さんは、自分が今までどのように夢を 諦めずに追ってきたかを話し、たかし君の夢の話も聞いた。 たかし君は、綾さんとの出会いでようやく元気を取り戻したようだった。 実は、たかし君は金沢市の小学校に小さな奇跡を起こしていた。 たかし君の母親の知人が勤めるこの学校には25羽のうさぎがいるのだが、 冬になると野菜が不足して困っているという話を聞いたたかし君が、 自分のおこづかいでにんじんを数回に渡り送っていたのだ。 その行為は人々の心を揺り動かし、今年はPTAの会議で うさぎの飼育費が出ることになったというのだ。 たかし君は言う。 「人のために何かをしてあげようと思うんじゃなくって、 生きていること自体がみんなの励ましになっていると気づいた。 これからも生き続けていきたい」。 命の大切さを知っているたかし君だからこそ、 6年生にしてこんな言葉が出るのだ。
January 18th 追悼特別企画 たかしくん、奇跡をありがとう アンビリバボーと難病の少年の2年9ヶ月 これまで、当番組に3回に渡って登場し、難病と闘いながらも 懸命に生きる姿で感動を巻き起こしてきた岡田貴嗣君が、 残念ながら昨年11月にこの世を去った。 わずか12年の短い命だったが、彼は数々の奇跡を起こしてきた。 ・1998年4月25日放送 命のメッセージ ・1999年12月23日放送 命のメッセージ 再び ・2000年6月15日放送 たかし君の夢〜手紙から始まる奇跡〜 彼は取材のたびに、前向きに生きる姿を私達に見せてくれた。 そして、彼も番組を通しての数々の出会いを生きる励みにしてくれた。 彼は亡くなる前の日も元気に学校に行っていた。 体調が優れなくても、友達とのふれ合いを何よりも大切にしていた貴嗣くん。 「友だちっていいよ。ぼくも友だちにやさしくしたい。 そして友だちを大切にしたい」 という彼の言葉は、とても印象に強い。 貴嗣くんは体調を崩し始めた頃、うつ状態になってしまっていた。 内疾患の場合、周囲からは彼の体が命にも関わるほどの病を抱えていても 見た目にはわからない。そのため、母親に背負われている時に 知らない人から「あらあら、こんなに大きいのにおんぶしてもらって、 甘えん坊さんね」などと声をかけられることがあった。 貴嗣くんはそんな時、 「お母さん、大きい子がおんぶされてるのは、どこか怪我をしているとか、 必ず理由があるはずだよ。 それなのに、何も知らないで大人があんなことを簡単に言うのはおかしい」と 怒っていたという。母親が何も説明せずにその場を離れると、 貴嗣くんは母親の肩をぎゅっと掴んだという。 彼にとっての小さな抗議だったのだ。 その後、町中でも車椅子に乗らなくてはならない程体調を崩しても、 彼は学校に行って友だちに会うことをとても楽しみにしていた。 学校に行けば、全て解ってくれる友だちがたくさんいたからだ。 その後、友だちや番組を通しての新しい多くの出会いの中で、 生き続けたいという希望を持ってくれた貴嗣くんに安心し、 取材スタッフは小学校を卒業し、中学に入ったころの彼を取材できることを とても楽しみにしていた。 ところがそれは夢となってしまう。
2000年11月24日、体調の良かった貴嗣くんはビデオにとっておいた 見たい番組を、夜遅くまで母親と一緒に見ていた。 いつもと何も変わるところはなかったという。 お腹が空いたという貴嗣くんに、母親は焼そばを作ってあげることにした。 母親が台所に立っていると、 突然貴嗣くんは「あれ、おかしい、体が動かない」と言った。 その時は、台所で火を使っていたこともあって それほど気にも止めていなかったのだが、しばらくしてトイレに行った時、 貴嗣くんは「あっ」と胸をおさえてその場にうずくまってしまった。 「お母さん、先生に電話して」という貴嗣くんの声に、 母親は心配になってすぐに救急車に電話をした。 母親は貴嗣くんを抱えて外で救急車が来るのを待った。 病院で貴嗣くんは、人工呼吸と先生の心臓マッサージを受けながら、 最後まで生きようと頑張っていた。 母親も、懸命に頑張った貴嗣くんをほめてあげたいと語っている。 2000年11月25日早朝、岡田貴嗣くんは12才の短い命を閉じた。 学校と友だちが何よりも好きだった貴嗣くん。 彼の死を痛む声は大きかった。 「もう一度帰って来てほしい」 「貴嗣くんは人の役にたちたいといつも考えていて、とてもえらかった」 「貴嗣くんは物じゃなくて、たくさんのものを私達にくれたので、 ありがとうと言いたい」と友だちは口々に言っている。 貴嗣くんのいた6年1組の教室には、今も彼の机が残っている。 彼が務めていた委員会もそのままだ。 貴嗣くんは今も友だちの心に生きている。 3月には、みんなと一緒に小学校を卒業する。 貴嗣くんは本当に多くの人に感動を与えた。 そして、彼はいつまでもみんなの心の中に生き続けている。 貴嗣くん、奇跡をありがとう。
May 3rd 特別企画 たかし君の卒業 未来に広がる命のメッセージ 3年半に渡る取材を通して、友達の大切さ、 生きていることの素晴らしさや大きな希望を与えてくれた岡田貴嗣君。 残念ながら彼は、2000年11月25日に12歳という若さでこの世を去った。 今年1月に番組で貴嗣君の追悼特別番組を放送したところ、 300通を超えるメールやお手紙が届いた。 彼の人生は短かかったが、本当に多くの人々の心を打つものだった。 自分が生き続けることが、人の役に立っていると気付いた貴嗣君。 今回は、彼の亡き後も続く奇跡のエピソードをお送りする。 世田谷区に住むOさん(28歳)は、3年前に子宮ガンを宣告され、 ライフワークだった美術デザインの仕事も断念せざるをえなくなり、 さらに待ち望んでいた第2子も流産し、不安の中で子育てをしていた。 しかし、貴嗣君の懸命に生きる姿を見て、 「こんなに小さい子が頑張っているのに、めそめそしていられない」 と勇気づけられたという。 現在3歳になる自分の子供にも、人の役に立ちたいという気持ちを 持ってもらいたい、命の大切さを伝えたい、というのが彼女の願いだ。 また、兵庫県姫路市に住むMさん(29歳)も 貴嗣君に勇気をもらったと話す。生まれてきた息子、T君に障害があり 、手術をしなければ短くて2・3日、長くて1ヶ月の命と宣告された。 始めは何も考えられなかった美也子さんだったが、 T君の生きられる限りの生命力にかけようと、 手術をしないことに決めた。 その後、T君は4ヶ月後には目も見えるようになり、 手足も元気に動かすようになってきたのだ。 丁度その頃、彼女はテレビで貴嗣君の姿を見た。 そして、T君には生きていてくれるだけでいい、 そして自分達の子供に生まれてよかった、と思って欲しいと考えた。 彼女は今、T君と外に出たいと、夏用の帽子を編んでいる。 兵庫県伊丹市に住むKさん(22歳)は、 貴嗣君の姿を見て自分と重ね合わせずにはいられなかった。 Kさん自身も重度の心臓疾患を患って生まれたからだ。 20歳になったら寝たきりになり、突然死になってもおかしくはない、 と言われていた彼女は、今年無事22歳を迎えた。 日常生活では人知れず多くの悩みを抱えていた彼女だが、 貴嗣君の「生きているだけでいいんだ」という言葉に、 自分も生きているだけでもいいのかな、 と肩の荷が下りたような気がすると語った。 貴嗣君は、Kさんを安心させてあげていたのだ。
さらに、貴嗣君に勇気をもらったのは、 病に苦しむ人達だけではなかった。 今年の1月、愛知県の碧南駅に二人の女子高生が降りた。 岐阜から来たという彼女たちは短いスカートをはいて化粧をし、 今時の女の子といった風貌だった。 駅の地図をずっと眺めていた彼女達に駅員が声をかけ話を聞いてみると、 彼女達はアンビリバボーを見て 貴嗣君の学校に行こうとしていることがわかった。 駅から連絡を受けた学校は、貴嗣君のお母さんに電話をして 学校に来てもらった。16歳のTさんとAさんは、 番組を見てすぐに「貴嗣君のお母さんに会いたい」と思い、 誘い合って会いに来たのだという。 一見、活発そうで何の悩みもなさそうに見える二人だったが、 Tさんは一つ上の兄と10歳年下の妹の間で家族内での悩みを抱えていた。 二人は、重い病気と闘いながら生きる貴嗣君を尊敬できると感じた。 そして、彼を見てやさしい気持ちが持てるようになり、 また余裕がでてきたと話す。 貴嗣君がたくさんのことを気付かせてくれたと二人は話す。 そのお母さんに会えた日のこと、そしてやさしい気持ちが持てたことを 二人はいつまでもわすれないであろう。
2001年3月19日、新川小学校では卒業式が行われた。
残念ながら、貴嗣君に卒業証書を渡したいという校長以下教員達と
卒業生達の願いは叶わなかったが、
彼の遺影は一番の親友というクラスメイトの片山健吾君に
支えられて卒業式に参加することができた。
式の中、貴嗣君の在籍した6年1組の別れの言葉には、
「友達って、いいよ。僕も友達に優しくしたい。
そして、友達を大切にしたい。」という貴嗣君の言葉が盛り込まれた。
式の後、教室では貴嗣君のお母さんにクラスメイトから
感謝状と花束が贈られた。
お母さんは、こんな形で貴嗣君が一緒に卒業させてもらえるとは
思ってもいなかったようで、涙が止まらなかった。
6年1組全員の心の中に今も貴嗣君は生き続けている。
2年間担任の先生だったK原先生にも、
生徒たちから思いがけないプレゼントが最後にあった。
生徒達全員が次々と自分の名前を告げると、こう言った。
「先生に大切なことを学び、心から感謝しています。
ありがとうございました」。
卒業式で泣いたのは初めてだと、K原先生は話した。
教え子を亡くすというつらい出来事。
クラスは貴嗣君から本当に多くのことを学び、
涙を乗り越えて一緒に成長してきた。
貴嗣君は本当にたくさんの人々に勇気と生きる希望を与えてくれた。
貴嗣君、卒業おめでとう。
>>207-213 奇跡体験!アンビリーバボーより
215 :
ほんわか名無しさん :01/12/17 16:45
あげ
貴嗣君・・・ありがとう・・・(号泣)
219 :
ほんわか名無しさん :01/12/18 16:51
age
私が小4のとき、4年4組だったのですが、 川本君という子が、3年生の中間頃、病気で、そのときから入院生活が始まりました。 川本君も4年4組の予定なので、クラスの皆で 「待っていようね。」と約束しました。 そして川本君が回復に近づいていて、戻ってこれるかもしれないという知らせがはいって、 皆で喜んで、 「もう少しだ!」と皆で思って、川本君のために千羽鶴を折ることにしました。 担任の先生が出張で自習だったとき、千羽鶴を折り始めました。 皆すごいスピードで、雑ながらも、目標は明日までにと決めていました。 1〜5時間使ってまでも。 あと15羽、あと14羽、、、と4年生の慣れない手つきで頑張っていました。 5時間目のチャイムがなったころには、後11羽たりませんでした。 「11羽くらいなら、明日先生が来る前におれるよね!」と 家に帰っていきました。
そして次の日。 「できたーーー!!!」と教室中に声があがりました。 担任の先生が教室にはいってきたら皆で、 「あっ、先生!千羽鶴をね、川本君に折ったんだよ!」 「そう!昨日の自習の時に、頑張って1000個折ったんだよ!」 「これで川本君、一緒に勉強したり遊んだりできるかなぁ?」 「ねぇねぇ、先生。いつくらいにここに戻ってこれるんですかぁ?」 と口々に言っていました。 先生は沈黙。 「・・・先生?」 「どうしたの?川本君は?」 先生は静かに口を開いて 「・・・川本くんは・・・・・・昨日の夜・・亡くなりました・・・」 と先生が涙を流しながら皆に告げたのです。 賑やかだった教室が、一瞬にして静まり返ったのです。 「・・先生、嘘でしょ?」 「だって、もう少しで帰ってこれるって先生言ったよ。。」 「先生のうそつき・・・」 「川本君は死んでないよねぇ?亡くなったって、死んだって意味じゃないよねぇ・・?先生?」 そして皆が涙目になった頃、先生はその場に泣き崩れてしまい、 生徒も泣くしかなくなってしまい、その日の4年4組は、 一番元気なクラスのはずが、一番静かで寂しいクラスとなったのです。 そして千羽鶴は川に流しました。 皆で「川本君へ届きますように・・」と願ったのです。 あんまり泣けないかもね。ゴメンネ・・
>220-221 ?ごめん、よくわかんないや。 >207-214に対応した話なの?
↑ごめん、>207-214に対応してるとかは自分の勘違いデシタ。首つってきます。
224 :
ほんわか名無しさん :01/12/19 02:05
マジ泣きage
225 :
ほんわか名無しさん :01/12/20 03:40
月面で死亡した宇宙飛行士からの最後の言葉 「ま白き星より青き星の冒険者に我が思いを託す。いずれ赤き星も越え思いは果てなく」 火星へのミッション成功を祈って……。
226 :
ほんわか名無しさん :01/12/20 03:43
セブ島から特攻出撃した大和隊隊員植村少尉が幼いわが子に あてた遺書。 素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りも したし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって 私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のこと をよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残して あります。 素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやり の深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。 私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったの を見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまって も、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい ときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の お顔がお前の心の中に浮かびますよ。 父はお前が幸福者と思います。 生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると 真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。 またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって 下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福を のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても 親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って おります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。 お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで 貰いなさい。 昭和十九年○月某日 父 植村素子へ 追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて 自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒に いたわけです。 素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。 その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。 少女「あんたら地元の人間か?」 団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」 少女「で、何しにきたんや?」 団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」 少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」 団体「・・・・?」 少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。 寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて 夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。 私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。 あんたらにわかるか? 消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。 でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」 最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。 あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。 団体は撤退。 彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
228 :
ほんわか名無しさん :01/12/20 05:42
まじ泣いた・・・。 うち母子家庭なんですけど母が亡くなったらって考えて本当に苦しくなった。 今からまた受験勉強がんばってきます。 今からでも母を喜ばせていこうと思った。 本当にいいスレありがとう。
229 :
ほんわか名無しさん :01/12/20 06:13
遅レスごめん <141〜144 ボロボロ泣いちゃったよ。私(31)のおじいちゃんとおばあちゃん、 90近くて一応まだ元気なんだけど、今のうちにいっぱい手握ったり、大好きだってこと 伝えておこうと思ったよ。亡くなってからじゃ、もう出来ないんだもんね・・・。 それにしても、医者無神経過ぎ! あとのレスこれから読みます!
230 :
ほんわか名無しさん :01/12/20 06:36
↑31っていうのはレス番ではなくて、年齢です。念の為・・・
(TT)うああ・・・・・なんて心に響くスレなんだ・・・・・・
232 :
ほんわか名無しさん :01/12/20 06:51
早朝にこのスレはつらい… 喉の奥が熱い……
233 :
ほんわか名無しさん :
01/12/20 14:28 自分は右でも左でも無いけど・・・
>>226 >>227 阪神大震災の時は 本当に自衛隊の皆さんにもよくしていただいた。
(各都道府県の警察・消防・ガス水道電気電話関係の方々にも同様にお世話になった)
今思い出しても涙がこみ上げてくる。
それだけに
自衛隊の人を戦地の真っ直中に送って
>>226 のような思いをして欲しくないな。
どの国の人にも辛い・怖い思いをして死んで欲しくない・・・。