1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
以下、テンプレ
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 10:59:02.59 ID:QOrm6KBy0
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 11:05:29.81 ID:QOrm6KBy0
Q : 大河ドラマなどで描かれる西郷隆盛は虚像なの?
A :
虚像ってことはありませんが、
大河で西郷が好意的に描かれている
(逆に言えばネガティブな史実や描写がごっそり抜けている)
のは右翼団体や鹿児島人やが抗議してくるからだそうです。
どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
西郷ネタ、薩摩ネタに対する右翼団体と鹿児島人の抗議が一番多いらしい。
史実と違う、という抗議ならよいのですが、
史実通り薩奸的な場面を入れると、「一方的で偏向的で悪意を感じる」という抗議が
執拗にくるらしいです。
反対に幕府方からの抗議はあまり無いらしい。
徳川子孫の方が「我らに後ろめたきことなど何も無し、抗議すること自体がナンセンス」
と語ったとか。
かの司馬遼太郎も抗議を憂慮して、
「跳ぶが如く」ではあえて筆を鈍らした、という話しを読んだことがあります。
「跳ぶが如く」の歯切れの悪い、奥歯にものがはさまったような書き方は
そんなところに理由があるのかもしれませんね。
司馬の「翔ぶが如く」では大隈が西郷に批判的な人物の例として
あげられてるね。 西郷は大隈が嫌いだったそうだが、大隈のほうも
西郷はひとを見る目がない、猟官狙いの口舌の徒をほいほい
信用してしまう暗愚な面があったという風に西郷を描写してたね。
司馬は「翔ぶが如く」では「肚乃西郷」にかかれた西郷の最後が
どのくらい信憑性あるかについても考察してるね。結論は
「奇説」であり、信憑性が薄いとして退けられてたね。
関羽はただの武将なのに人気絶大って、話が前スレであったが
関羽は当代きって武勇の持ち主で、ただの平凡な武将じゃないよねw
関羽も最後は敵につかまり処刑されるという悲劇的な最後をとげるが
西郷の場合は反乱をおこして最後は敗死したんだから、三国志で
似たようなのをあげるなら、魏延かねw しかし魏延は三国志じゃ
完全な悪役で、人気ぜんぜんないね。中国史だと岳飛あたりが
西郷に近いのかな。味方のはずの政府に裏切り者として殺されて
しまうあたりが。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 19:14:36.58 ID:OPxDQb8T0
来年の大河、島津義弘の予定だったのが日韓問題で急遽変更になった
朝鮮出兵で活躍した武将を描くのは韓国を刺激するのが理由とか
つまらんこと気にして、NHKはアホかいな
「日本人はみんな西郷さんが好きなんです!(マジキチスマイル)」
テンプレが既にアレな件についてw
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 20:57:32.93 ID:7MhEgHsc0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 20:58:28.28 ID:7MhEgHsc0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に射殺されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっているが、
その西郷の足を撃ったのは実は桐野利秋であったという説をご存知ですか?
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、投降派の将兵を連れ山を降りようとした
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃で処刑したというのが真相のようだ
目撃者の証言もある
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 20:59:45.33 ID:7MhEgHsc0
西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に正座し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、ここの信者は出典知ってる?
どうせ知らないだろう
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本
編纂者と出版元はわけのわからない右翼団体w
まるで見てきたように書いているが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無しw
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんだよ。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が「正座」できるわけありません。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 21:00:47.79 ID:7MhEgHsc0
西郷さんの最期
エピソード4 ≪目撃者≫
桐野による西郷射殺を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二
城川の証言によると、西郷がどんどん城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものだ(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があるんだな
しかし「跳ぶが如く」(昭和47〜51年連載)の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(自称西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野射殺説はいったん否定された
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 21:01:42.53 ID:7MhEgHsc0
西郷さんの最期
エピソード5 ≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのだ
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐している
司馬が「肚之西郷」を奇説として退けたのは、単に城川の実在性が
証明されてないって理由だけでなく、もっと他の理由も挙げてたはずだなぁw
該当部分を立ち読みしただけから、詳しい理由はいま詳らかには
しないが。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/13(火) 22:15:30.78 ID:7MhEgHsc0
司馬は昭和52年の対談でこう語っている。
「城山の最期の日に桐野利秋が西郷を殺したという説がある。
この根拠はあいまいで資料も無い(中略)
むろん私は奇説を信じない立場だからこの説を信じないが、状況としてはありえる」
司馬はこの説については勉強不足であったと思われるので、司馬の見解には価値は無いと思うが、
司馬の話題が出たのでいちおう。
司馬は昭和52年の時点で、「翔ぶが如く」を書き上げてるので
「肚之西郷」についても検討をくわえたあとの話だな。
世人は司馬の評価にくみして、「肚之西郷」は奇説扱い
価値なしといまだに判断してるね。 衆寡敵せずだw
黒龍会の「西南紀伝」は西郷没後10年にしてでたというが
「肚之西郷」は1942年にでたので、西郷没後実に60年以上
たってから、世にでたわけだ。 死後十年以上たって出版
された伝記が信用できないということなら、六十年以上
たってから世にでた話はもっと信用できないとなるが
世の道理というものだなw
西南戦争の最後は桐野が実質的に指揮をとってたというのも
西郷の部下が官軍の下へ助命嘆願にいったのも事実で
そこから司馬は、戦争の終局では、桐野と西郷のあいだに
意思疎通がもはやなかった可能性について検討してたね確か。
まあ官軍のほうは西郷を助命するつもりはもともとなかったので
助命嘆願の使者がもちかえったのは、西郷に自裁をすすめる
山県の手紙だったという。西郷も部下が西郷の助命を願った
ところで官軍がそれをいれる可能性は全然ないということは
山県の手紙を読んだ時点でわかっていたろう。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 01:42:12.80 ID:yDHYed/D0
以下、テンプレ
Q :西南戦争は西郷さんと鹿児島士族にとって、
行き場所を失った士族たちとともに、日本のため自ら滅ぶつもりの戦いだったんですよね?
A :
西郷はかねて回りの者に、
「熊本城に着けば、熊本鎮台は城門を開いて降るだろう。
そうなれば、熊本を拠点に九州を従え、広島(鎮台)を攻め、
大阪(鎮台)を破って海陸路で東上し、一戦も交えず入京でき、
東京で花見ができるだろう」(東京日日新聞)
と気持ち良さそうに語っていた。
またこうも語った。「自分は陸軍大将である。たとえ全国の兵を率いても
陛下の許されるところであり心配無用 」(「新編西南戦史」)
桐野利秋は六尺ばかりの青竹を携え、
「徴兵(鎮台軍)を挫くにはこの竹にて事足れり、この竹のまだ折れざるうちに東京に達すべし! 」
(「鹿児島討征録」)
結果はみなさんご存知の通り、熊本城政府軍の徹底抗戦に遭った西郷軍は
緒戦から消耗し、戦わずして東上するつもりでいた西郷軍の敗色はこの時点で決定的になった。
↓つづく
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 01:43:04.12 ID:yDHYed/D0
西郷軍はその後も「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、離脱した者たちは身の危険を感じ、
山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
↓つづく
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 01:43:34.15 ID:yDHYed/D0
8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 08:00:05.90 ID:yDHYed/D0
Q : 西郷さんは神のように庶民から慕われていたんですよね?
A :
西郷が右翼団体により神格化されていったのは西南戦争で死んだ後のことで、
生前は薩摩士族だけの名士であり、世間一般の庶民はせいぜい陸軍大将として知るだけであった。
薩摩ですら百姓層は西郷を尊崇する気持ちなど無く、城山陥落の日も
吉野実方(桐野利秋の出身地)辺りの百姓たちは木の上から見物しており、
戦いが終わると、しかばねとなった薩摩将兵から身ぐるみを剥いだ。
それゆえ薩摩将兵の遺体はみな裸であったという。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 15:06:45.71 ID:X8eLfves0
西南戦争末期、西郷星とか江戸の庶民の間でも流行していたというから、
すでに生前から世間一般の庶民の間で人気があったよ
アンチお疲れ
そうそう、生存説やロシアにいるとか、最初からレジェンドだったのは疑い様の無い事実。どうもアンチ西郷の奇説、珍説には無理が多すぎる。
生存説を言うとアンチ扱いになるのか。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 18:49:16.72 ID:t1/Qf0tK0
錦絵だっけか?幕末から明治にかけての活躍等を絵にしてってやつ
あれの影響も大きかったような?
まー昔っから「そういうものw」に乗せられるという民族性ってのかなw
>>023 生存説やロシア説を例にだしたのは、それだけ人気があったって言うことを呈示しただけのこと。
高杉晋作が死んだとき、その死を惜しみ3千人もの百姓町人たちが田舎の村の葬式に参列した。
これこそレジェンドだろう。人気というのはこういうことを言うんだよ。
西郷さんはどうですか?
死んだあと、身に付けていた軍服や貴重品ぜんぶ百姓に持っていかれ、巨大金玉でようやく本人確認取れたんだってね。
搾取されていた百姓はもちろん、城下士から見下されていた郷士たちも西郷の死に対し冷ややかだったとか。
マジレスするが、西郷さんの本人確認が遅れたのは隠された首がすぐに見つからなかったから。
西郷さんの死亡にたいして冷ややかだったのは、ほんの一部。
当時の新聞にしろ世論にしろ、ましてや明治天皇など大きなショックを受けた記録は膨大にある。
城山陥落の日に木の上から百姓が見物していたという、取るに足らないーしかも真偽のほどもあやしいー微々たる根拠をもとに、世論が冷ややかだったというには、いささか飛躍しすぎでは無いですか?
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 22:09:22.49 ID:yDHYed/D0
Q:西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?
A:
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 22:10:02.73 ID:yDHYed/D0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/14(水) 22:26:43.82 ID:yDHYed/D0
Q : 西郷さんが征韓論というのは間違いで、ほんとうは遣韓論なんですよね?
A :
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。
西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
この西郷コピペつまらん。
西郷はつまらん。
ここのコピペ、うそくさ。
西郷隆盛が近代化を推し進めたとか、西南戦争は武士階層を日本から消滅させるための
最初から負けるための戦だったとか、なぜこのような幻想が広く語られるのか?
まあ、それで得する集団や精神の均衡を保てる人間がいるからなのだろう。
西南では前途有為の人材を多数戦死させ、九州中で町を焼き払い、財産を奪い、
西郷札とかいうニセ札で九州経済を滅茶苦茶にしたあげく、
西郷などは歩きもせず駕籠に乗って鹿児島に帰り助命嘆願とは「敬天愛人」が聞いてあきれる。
殿様でもなんでもないはずの西郷を鹿児島に返すためにどれだけの兵士・民間人が犠牲になったか。
西郷がほんとうに徳のある高潔な人なら、田原坂で敗れたとき熊本城の前で自刃し、この戦いを終わらすべきだった。
>>34 >西郷隆盛が近代化を推し進めたとか、西南戦争は武士階層を日本から消滅させるための 最初から負けるための戦だったとか、なぜこのような幻想が広く語られるのか?
廃藩置県をはじめとする、種々の革命的改革は西郷なしでは到底不可能であり、近代化、民主化を成し遂げた第一人者であることは明白な事実。
「西南戦争は武士階級をを消滅させるための最初から負けるための戦い」というのは非常に無理がある考え方で、あなたがおっしゃる様に広く語られておりません。もう少し勉学に勤しまれてください。
>西郷がほんとうに徳のある高潔な人なら、田原坂で敗れたとき熊本城の前で自刃し、この戦いを終わらすべきだった。
結果論ありきの論説ですね。130年経っての後出しじゃんけんに勝って、偉人を酷評して何が嬉しいのですか?
>>35 廃藩置県は西郷が深く関わったほとんど唯一の近代化項目だったと思いますが、
その廃藩置県にしても西郷の役割は、非近代的な体制に固執する薩摩軍を率い上京し、全国の武士団に睨みを効かす
というなんだか滑稽な役回りでしたね。
また、後の西郷下野後の鹿児島の非近代ぶりを考えると、西郷がほんとうに近代を正しく理解していたか甚だ怪しい。
山縣有朋におだてられ乗せられただけなんじゃないですか?
まあ、倒幕の時に西郷大久保に乗せられ薩摩軍を供出した島津久光程度には近代化に貢献したと言えるでしょうから
そこは認めていきたいと思います。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/16(金) 02:05:17.94 ID:gk9Z6ZYu0
>>35 それと
「西南戦争は武士階級をを消滅させるための最初から負けるための戦い」という幻想
が広く語られていないとのことですが、
西郷軍の強制徴兵(従わない者は処刑)、民間からの強奪、西郷助命嘆願などのネガティブ史実などよりも、
よほど語る人が多いと思いますよ。西郷が出てくる歴史ドラマでもそういう描写ありますよね。
「おいどんたちで古か世を終りにしもんそ」などと西郷が言う。
(今年の大河はどんな演出なのか楽しみですが)
まあ、鹿児島県の敬天愛人会とかそう人たちの、それこそ西郷礼賛ありきの幻想と
それを真に受けた人たちが語っているだけで、学術的には誰にも相手にされていない幻想ですが。
あなたの主張も「偉人」を酷評するななどと理不尽かつ盲目的な西郷擁護ありきの幻想ではないですか?
現実をしっかり見ましょうよ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/16(金) 15:34:23.25 ID:21fAyhK60
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の二》
大島商社を廃止して砂糖の「自由販売制」にして貰うように県庁に
嘆願しに来た大島の人々を、西南戦争に強制的に従軍させ、6人を戦死させた。
その嘆願団の中には、西郷の奄美妻アイカナの実家の龍家の末弟や甥、西郷の釣り仲間や
相撲相手もおり、「西郷さんに取り成してもらおう」という西郷びいき
ばかりだった。
「従軍中は大島人として差別され、無念の歯がみをした」と西郷に絶望したという。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/16(金) 15:36:04.53 ID:21fAyhK60
当時は島の女を本土に連れて行くことは許されていなかったか。
それを許すと、人身売買で島の女が島外に売り飛ばされて行くからだ。
>>1 重野はどうやって女を本土に持ち帰ろうとしたのか?
上に書いてる様に禁止されていたはずだが、
あやしい逸話だな。
西郷を疎む久光の御用達歴史学者、公金横領の罪で島流しの重野
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 18:25:59.11 ID:spKQd+aA0
>>41 「〜はず」とか「あやしい」とか頼りねえな。
島の女を連れ出してはならないという藩法はあってもおかしくないが、
藩庁に許可をとればおかまいなしということもありそうだが、ダメなのか?
調べて教えてくれ。「〜はず」とかじゃなくてソース付きで。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 18:29:16.61 ID:00i/Dvir0
>>40 その理由、あなたの創作じゃねえのか?
なぜなら西郷がアイカナを奄美に置き捨てにした理由は史料からは判然としないからだ。
分かっているのは、西郷は三冊の本になるほど大量の手紙を残しているが、アイカナ宛のものは一通も無いということ。
文字は読めずとも、アイカナの家は奄美では上層の家。誰かが読んでくれたろうに。
西郷家が引きとった二人の子供もアイカナの墓参りに行った形跡はない。
二人の子供と引き離されたアイカナは寂しい一人暮らしだった。
農作業中に畑で倒れ、明治35年に66歳で死亡。みじめな死に際だったという。(「愛加那記」)
西郷の「敬天愛人」精神とやらは奄美には適用されなかったようだな。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 18:31:58.59 ID:spKQd+aA0
なぜかIDが変わっているが、上二つのレスは同じ人間です。
>>1 重野安繹って、楠木正成も否定するなど、
元祖左翼自虐歴史家。
しかし、別れた女に金持って行くなどチョット、ピュア過ぎてキモくないか。
島流しになるまで、童貞だった可能性大。
新しい男が出来ていた島の女はチョー迷惑だったろうな。
大体都合が悪くなると、個人批判に走るからねぇ
歴史に残る大業を残したのは変わらないよ
そりゃ現代だったらその辺も気を使わないとならないだろうけど
>>42 そんなにヒステリーをおこすなよ。
島の外に女を連れて行くのは厳しく禁じられていたのは有名な史実だぜ。そんなことも知らねーのか。
西郷はヒステリー男
西郷を批判して悦にいる、現代のしょぼヒステリー男って感じかw
そんな暇あったら日本を何とかしてくれよw
明治のしょぼヒステリー男、西郷。
しょぼいコメント男、西郷。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 21:14:06.91 ID:r6MTCGh80
故三宅壮一氏が、昭和30年に来鹿したときの話しがある。
市内の知名士の家には、どこにいっても敬天愛人の額か、西郷の肖像画を飾られていた。
某青年団長に、郷土の尊敬する人物の名を問えば、「西郷、大山、東郷」との
答えが返ってくる。「ほかにはないのか」と聞くと、「あとは知らん」という。
これに驚き、鹿児島の人は郷土の素晴らしい政治、文化、経済に活躍した人々をなぜあげないのか、
と余りのお粗末さに慨嘆したという。
これ、まさにこのスレの信者のことだな。
重野安繹という日本の歴史学の祖といってもいい同郷人を貶めてまで、
西郷の小さなめんつにこだわる田舎者根性。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 21:15:26.63 ID:r6MTCGh80
×三宅壮一氏
○大宅壮一氏
>>54 そうじゃないだろう、
重野に関しては同郷人であるというだけで、えこひいきせずしっかりと人物評価をするということだ。田舎根性とは正反対の姿勢だ。
>>54 大業は語らず個人攻撃は納得いかんなと言ったら
鹿児島人判定かよw残念でした関東ですぅ
小さなめんつ言う割りにはそっちの方が小さいんじゃね
西郷のファンなんて全国にいるだろうにwあふぉかw
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 22:19:14.84 ID:r6MTCGh80
城山の洞くつで、ある日西郷は「開戦以来何人が死んだのか」と独り言のように云い、
もうよい、と云うように首を振ったという。
西郷の「もうよい」という一言が、熊本や人吉あるいは宮崎で出されていたらどうであったろうか。
おそらく西南戦争は、もっと違った展開をみていたであろう。
西郷が最前線に出て行って戦場を自分で見たらどうであっただろうか。
累々たる死体、骨がくだけ肉が飛び散った死体の山。西郷が一度として見たことのない、近代
戦争の惨劇がそこにあったはずである。「もうよい」という西郷の声が聞えて来そうである。
過剰な護衛に守られ、もっぱら後方の寺院に潜在していただけの元”陸軍大将”西郷隆盛は死の間際何を思ったか・・
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/17(土) 23:18:41.90 ID:r6MTCGh80
故鹿大名誉教授原口虎雄氏は西南戦争での西郷軍を評し、
「独善的傲慢さにはあきれて物が言えない。
これは『西郷一個人の価値が日本国家より重い』という価値観である」と厳しい。
熊本城下の七割を戦災で焼いた。さらに人吉では、哀れ700年来の古都全部を焼亡した。
また都城近くの飯野などの戦災もひどかった。
九州焦土戦の無残さには、西郷美談の「江戸無血開城」なんぞは小学生でも疑問を持つであろう。
熊本の田原坂で勝敗は決したのに、その後長い無益な流血の抵抗をした。
その間西郷は陣中で愛犬と遊猟に興じ、「三月ごろには大阪に達しているでしょう」などとノンキな手紙を出している。
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷隆盛は大隈重信に「西郷くん」と呼ばれていた。
大隈は西郷より10歳年下である。
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷が鹿児島で外出する時は、「地上での土下座では恐れ多い」と百姓たちを道のわき溝の中に飛びこませ、
水から首だけ出して西郷一行を出迎えさせていた。
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷リスペクトを広言している最近の政財界人
小沢一郎 (民主党 → 国民の生活が第一 → 日本未来の党 → 生活の党 参院選当選ゼロ)
鳩山邦夫 (ルーピーの弟 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー)
渡辺美樹 (ワタミ社長 「365日24時間、死ぬまで働け。」)
>>60 それがどうした。
どちらかというと、大隈の問題だろ。w
>>59 熊本城下は官軍、谷干城が薩摩軍が到達する前に火をつけたのもしらないのか、w
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 17:40:07.46 ID:GZk/iJOk0
征韓論はただの武器ブローカーの役割
のだったとは
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 17:49:13.75 ID:GZk/iJOk0
ただのおだてて言う事聞くみこしですた
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 17:54:04.43 ID:GZk/iJOk0
>
>>61 > これもよくある作り話。
>>64 「昔はお殿様のお通りの際は、わき溝にかがんで迎えたものですが、
加治木では西郷さんが通る時も同じようでした。」
(西郷夫人イトの実家の嫁の証言 昭和27年6月録音)
<西郷どんのちょっといい話し>
西南戦争”熊本攻城戦”で苦戦していた西郷隆盛の戦局分析は
「敵の大将は土佐の谷干城だが、参謀の樺山資紀が薩摩出だから、城は容易に落ちないのだ」
「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」というものでした・・・
数で圧倒していた西郷軍でしたが、3日間の激戦の末、一兵も城内に入ることができませんでした。
これにより「西郷軍弱し」の風評が全国の士族団に伝わり、西郷軍の孤立化はますます深まったといいます。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 22:36:11.13 ID:+MTgzx8L0
どこがちょっといい話なのか説明してくれ
嵐だからほっとけ
せごどん
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/19(月) 18:40:54.89 ID:LUtGxrXa0
>>8 助命嘆願て、徳川慶喜や松平容保みたいな貴人なら分かるが、
西郷さん助命てなんか違うわな
西郷さんが自分と桐乃が腹切るから、周りの若いもんは死罪免じてくれ、ぐらい言えなかったか
>>75 もともとそれが西郷という人物の実像じゃないの?
実弟の従道は西南戦争が勃発すると妻の清子に、
「私学校の奴らが、戦いをはじめたよ」と他人ごとのように言ったそうだ。
一緒に育った従道には西郷という”人物”が分かっていたのだろう。
>>75 西郷は助命嘆願などしてい無い。ネットでしか情報を得ないやつは、このスレに散らかされている珍説の吹き溜まりが、どれほど普遍性から乖離した情報かということも考えずに信じるからな。
釣り糸で可杉。
藤林丈司
>>76 従道は最初西郷さんについていこうとしたんだけど、お前は残れといわれて
残ったんだよ。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/20(火) 21:51:33.96 ID:Um4xZ2Bg0
東郷平八郎も「もし私が日本に残っていたら西郷さんの下に馳せ参じていただろう」と言ってたな
兄貴は西郷軍にいて城山で戦死してるし
ほかにも兄弟・親子で敵味方に別れて戦った例は多いんだろな
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/20(火) 22:13:13.73 ID:/8NOki4w0
それらは典型的な捏造美談ですよ
>>82 何言ってんだ。
しっかりした記録が残っている。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/20(火) 23:21:09.04 ID:nxd/lEBs0
「もし〜たら〜だろう」の話しでしっかりした記録もなにもないだろうw
それに、大河ドラマや海音寺潮五郎のマンセー小説は「記録」とは言わないからなw
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/20(火) 23:39:00.04 ID:Um4xZ2Bg0
アンチは東郷の兄が城山で死んだことも捏造だと言ってるの?
美談でも何でもなく事実だと思うが、否定したい理由がわからん
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/20(火) 23:46:26.58 ID:nxd/lEBs0
幼稚な話題すり替えだなw
で、平八郎発言のたしかな記録は?
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/21(水) 06:41:09.66 ID:wuailLM/O
お好み焼き屋で山芋短冊とか納豆ばっかり頼んでたら通扱いされた。
ただ腹にたまらないもの食べてただけなのに…。
兄が西郷軍に身を投じたのなら、弟の平八郎も可能なら西郷軍に
参加したろうというのは、常識的な思考力があればおもいつく話だよね。
山県が西郷あての手紙でいってるとうり、肉親も敵味方にわかれて
戦った例がおおかったわけだな。「骨肉相殺し、朋友相食む」だ。
いやはやこれはもはや宗教だな
西郷原理教
西郷を褒めるレスがあると宗教かぃ。
だったら明治天皇も西郷教ですなぁ。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/21(水) 21:32:00.59 ID:Id1aNuPR0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の六》
西郷は、坂本龍馬を鹿児島の自宅に招いたことがある。
当時の西郷家は非常に粗末なつくりであったため、雨洩りがしていた。
耐えかねた夫人の糸子が「お客様が来られると面目が立ちません。
雨漏りしないように屋根を修理してほしい」と西郷にお願いをしたところ、
西郷は「今は日本中の家が雨漏りしている。我が家だけではない」と叱った。
この話を隣室で聞いていた坂本龍馬は感心したと伝えられている。
いい話しですね。出典不明(笑)ですが。
西郷家(維新後)の詳細が分かりましたのでさらに解説します。
鹿児島の自宅は千百坪の超大邸宅で20人以上の使用人がおり、
犬も20匹も飼っていたそうです。
西郷さんのモットーは
「ケチと呼ばれては世上の聞こえも悪いから、毎月少なくとも百円(現在の130万円)は使え」でした。
(出典:西郷従道夫人清子談話)
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/21(水) 21:33:21.08 ID:Id1aNuPR0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/21(水) 21:36:27.87 ID:Id1aNuPR0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんなお金の遣り繰りをしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給金ですが、
月給千五百円、現在価値で2千万円。年俸2億4千万です。
政府と喧嘩して鹿児島に帰り実質無職になったあとも、どんな特権か知りませんが
給金はしっかり鹿児島に送られていたそうです。
同じコピペをマルチポストで何百かいも、、年中無休。
自己嫌悪に陥らないのか?
効いてる効いてるw
西郷さんが嫌いで嫌いで仕方が無いんでしょう。
>>93 無職ではない。
西郷隆盛の申し出で、参議辞職は受理されたが、陸軍元帥の辞職は受理されていない。
マジレスするのも馬鹿らしいが、こんな調子でアンチによるコピペは嘘に塗り固められている。
元帥、参議であり、維新での命を張った功績など考慮すると年収2億なんて安すぎ。
効いてる効いてるw
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/21(水) 23:59:08.59 ID:Id1aNuPR0
※西郷さんのために一言弁護する。
鹿児島市街の中心から2キロも離れた「西郷屋敷」が百年たって、
美田に代わる高級住宅地になろうとは西郷さんも予見できなかったのは
無理からぬこと。しかし、美田のおかげで、孫の元法務大臣西郷吉之助氏は
手形乱発からの当時数億円の債権者へのしりぬぐいに役立った。
西郷はまじきち
取り巻きもまじきち
信者もまじきち
西郷像が後世の伝説に過ぎないなら
氷川清話も内村鑑三の述べてることも
信憑性が無い、ということなんですね?
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/22(木) 03:10:58.46 ID:mVs8IX/m0
西郷のルーツは熊本
先祖が熊本から鹿児島にやってきて、子孫の隆盛が熊本の街を焼き払った
そのせいか熊本には西郷嫌いが多い
薩摩軍が到達する前に熊本城天守閣と、城下を焼き払う作戦をとったのは官軍の谷干城というのは常識。
ちなみに熊本からの西郷軍への賛同者は他県より群を抜いて最多。
西郷のルーツは熊本菊池市。 大島では自ら菊池源吾を名乗ったり、アイカナとの長男には菊次郎と名付けるなど菊池一族の子孫であることを誇りにしていた。
熊本で西郷を嫌うのは、その様な事実を知らない人たち。
西郷さんメンタル弱すぎw
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/22(木) 23:04:26.98 ID:kDLfCxId0
>>104 政府軍が熊本城下を焼き払ったのは、西郷軍の攻囲に備えるためのやむをえない処置
であり、その責は西郷軍にあるのに、なんで政府軍の責任になるんですかね?
ちなみに政府軍は焼いた民家に金銭補償してますよ
あたりまえですが
いっぽう薩摩軍は弾薬の不足とともに士気が甚だしく衰え、
戦術はもっぱら、民家に火を放って逃走する放火作戦を常套とするようになった
佐土原、高鍋、真幸谷などを焼き払い、
真幸谷では一ヶ月間炊き出しで世話になった吉田宗吉宅をも火を放って逃げ去っている
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/23(金) 13:42:35.61 ID:ZpitLpyZ0
いくら後で金払おうが市街地を焼き払うって非道だな
後で弁償すりゃ何とでもなるだろって考えで、元の町や家は戻りませんから
戦争中、市民はどこで暮らしてたんだ?家がなければ難民化するか乞食だよな
政府軍も薩摩軍も庶民など土人くらいにしか考えてなかったんだろうなぁ
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/23(金) 17:35:57.41 ID:DgyXRWCq0
ついこないだまでは士農工商ガチな文化だったんだぜ?と
いきなり文明化したところで早々意識は変わらないって話しなんだろうと
>>106 実際、城、城下町に火を放たれたことで、熊本の民衆は生活に困難を極め、手段を選ばず、熊本を軽んずる政府軍のやり方に激しい反発を持っていた。時の熊本鎮台司令長官は土佐出身。
熊本藩士であれば城や城下町に火を付けるなど考えられなかったろう。
>>106 >政府軍が熊本城下を焼き払ったのは、西郷軍の攻囲に備えるためのやむをえない処置 であり、その責は西郷軍にあるのに、なんで政府軍の責任になるんですかね?
何もかも人のせいにする思考パターンの様だな。
そこまで言うんだったら、夜陰に紛れて弾薬をこっそり薩摩から持ち出したり、西郷に刺客を送り薩摩を挑発、蜂起せざるを得ない状況を作った政府軍に責任有りだろ。w
熊本藩士 中津大四郎は城や町を焼き払った政府軍のやり方に強い反発を示し、西郷軍に賛同、竜口隊を結成し勇敢に戦い、最後は長井村で自刃した。
以下のような手記、和歌を残している。
「濫に放火いたして、人民を妨害し候に付、官賊を討ち、主上奉守護直存念」
「諸人のなけきの聲をきき兼ねて 今うち出つるもののふの道」
熊本の民衆のことなど微塵も考えていない政府軍への強い反発が伝わってくる。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/23(金) 20:52:23.50 ID:wYeT46200
>>111 その美談エピソードと歌、出典は「西南記傳」じゃねえかw
西郷切腹を捏造したインチキ本w
政府軍を悪者に仕立て、西郷軍の愚行を正当化するためのプロパガンダじゃん
その歌も捏造じゃねえのか
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/23(金) 20:54:52.69 ID:wYeT46200
それにおまえ嘘ついてるな
中津大四郎の手記など無い
嘘ついてまで西郷まんせーて憐れだなおまえ
>>112 >>113 美談とかどうかの問題では無く、めちゃくちゃな政府軍のやり方に不満を持った中津大四郎を紹介してあるだけじゃ無いのか?
ガセなら内村鑑三があれほど評価しないっしょ
答えは同時代人のあいだで出てるんだって
内村が評価したのは「敬天愛人」の思想だよね。
庄内藩士が書いた「敬天愛人」思想。
西郷の実像じゃないよ。
現実の西郷は九州中で放火、強奪、理不尽な処刑を繰り返したあげく
敵に命乞いして、桐野に屠られた。
それは言いすぎだろうという言う向きもあると思うが、
現実としてそうだったわけだから。
「敬天愛人」思想が良いものだから西郷隆盛も良いのだ、と言うのは、
創価学会の教義が良いものだから池田大作も良いのだと言うのと同じで。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/24(土) 02:30:16.09 ID:uzyYYJoi0
西郷の実像は誰も断定できないが、結果的に矛盾が多い人だよな
創価学会ごときと比べるのは西郷に対して失礼ではあるがw
全て大久保利通が悪い。
小沢と菅の争いみたいなもんだったのかなー
>>116 >西郷の実像じゃないよ。
>現実の西郷は九州中で放火、強奪、理不尽な処刑を繰り返したあげく
>敵に命乞いして、桐野に屠られた。
>
>それは言いすぎだろうという言う向きもあると思うが、
>現実としてそうだったわけだから。
何が現実としてそうなんだよ。w
とんでもないマイナーな普遍性に欠ける珍説、奇説だろ。お前のバイブルの胆乃西郷という怪しげな本(識者の間では問題外の書物とされている)だけが頼みの綱だからな。w
西郷ちんちん之助
>>113 お前、中津大四郎の研究家か?w
お前がインターネットで見つけられないからと言って、何断定してんだよ、w
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/25(日) 01:45:53.77 ID:mGXJvcBg0
>>120 「胆乃西郷」のことを何も知らないで珍説だのバイブルだの
言っているようなので、簡単にだが私が解説してあげるよ。
本書の中で、桐野の西郷射殺が城川市二氏により証言されているんだが、
本書の著者は竹崎武秦、号は桜岳、昭和16年発行。序文には、
著者の父竹崎一二(当年81歳)が私学校の残党を集めて作られたる三州社の社長たりし際、
研究せし西郷先生の逸話を主材として収録せるものなり、とある。
つまりこの本は西郷さんや薩摩士族の側に立った、一種の郷土愛本なのだよ。
西郷の城山下山→桐野による射殺 についても、
西郷が政府軍の山縣参謀に面会し、戦の発端が私学校生徒らの純心な心情から発したものという点を
力説したいと思いつめての下山であった、という趣旨だ。
そのような想いをもつ人たちの手になる本書で、桐野による西郷射殺が事実確認されていたというわけだ。
>>116 それこそが西郷でしょ?
じゃなきゃ、江藤淳が『南洲残影』を書かない罠
「胆乃西郷」は西南戦争後何十年もあとにでた本で、他に裏付けになる
有力な証拠があるわけでもなし、通説より説得力あるかというと、全然
ないよねw それが事実だという証拠はやはりないわけで。
ところで内村鑑三の西郷伝には、西郷こそ明治維新に唯一不可欠の人物で
あるって主張がでてくるが、この主張を最初にやったのは内村ではないだろうか。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/25(日) 13:26:08.59 ID:mGXJvcBg0
しかしなぜ信者さんは上の人のように闇雲に西郷射殺説を否定するのか。
この説が西郷や薩摩人にとってなにか不都合でもあるのか。
べつに不名誉なことではあるまい。
西郷は、生き延び挙兵の正義を法廷で訴えようとした。桐野は玉砕こそ正義の証であると考えた。
西郷や桐野の戦争責任はともかく、身の処し方としてはどちらもありであろう。
皇居の方角に拝礼し、切腹などという虚説は、言い換えれば天皇のために挙兵したとの責任逃れであり、
むしろ見苦しいストーリーである。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/25(日) 21:22:42.62 ID:bnb5R6PU0
むしろアンチの執拗さにみんな引いてると思うぜw
西郷ひき之助
西郷が桐野に射殺されたって話が本当なら、西南戦争の直後に
報道されてるんじゃないかとおもうがね〜
西南戦争直後の新聞雑誌は、ほとんどみんな多大な犠牲者がでた
反乱の首謀者である西郷を非難してたんで、桐野が西郷射殺した
なんて噂があれば、すぐに報道していたろうよ。
福沢が丁丑公論で書いたように
>西郷桐野等の官位を剥脱したる其日より之を罵詈讒謗して
>至らざる所なし其有樣は恰も官許を得て人を讒謗する者の如し
という状態であったので、西郷と桐野が仲間割れして、桐野が西郷を
射殺したって噂があったのなら、格好のスキャンダルであって、当時の
新聞雑誌が見逃すはずがないね。つまりまあ、西南戦争直後には
桐野が西郷を射殺したなんて噂はなかったと考えておくのが無難だろう。
火の無いところに煙はたたずというが、逆にいえば煙が
なかったのなら、火も無いってことだな。
>>130 そりゃお前ごときでも、このスレで火をつけてみせることはできる罠ww
現代以上に、事情通の情報は拡散されやすい時代、
ほぼ同時代に流れた噂や伝聞情報をいくら集めても
西郷が桐野に射殺などという話は無い。
彼らのドグマとして、あり得ないし、明治期の西郷評にも全く見当たらない。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/26(月) 07:50:11.27 ID:uVGwSgHG0
>>129 >>131 へえ、ずいぶん詳しいんだな。噂レベルまで集めたんだ。
では西南戦争直後、西郷の最後がどのように報道されていたのかも当然知っているんだろうから、
教えてくれないか?
>>133 きみのこと公開処刑してくれるんじゃないの?w
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/26(月) 16:59:05.17 ID:WOAkSy1+0
>>126 十分不名誉でしょ
すでに助命も出頭も政府軍から拒否されて、
薩軍の軍議も玉砕で決まっていたんでしょ
人は死に直面するとその人の素が出ると言うね
だから、助命嘆願は西郷の望みでは無く、西郷の部下が独自の判断でやった事とうのが史実。
山野田と、河野が西郷だけは助命して欲しいと下山した。河野は拿捕され、山野田は返された。
>>132 朝野新聞や東京曙新聞が、西郷の検視をした川村純義の
「賊魁西郷隆盛首級見当たらず、ただいま探索中」という打電を
報道してるね。
西郷の検視報告書は、「西郷隆盛 衣服 浅黄縞単衣 紺脚絆 創所
頭体離断 右太腿より座骨部貫通銃創 右尺骨部旧刀創 陰嚢水腫」
となっているので、西郷が死んだのはやはり首を切られたからだろう。
西郷が射殺されたのなら、そのあと首斬ったりするかという疑問が
まずあるな。死因が射殺なら、検視報告書にそれ書くんじゃないの。
右太腿に貫通銃創というのが、死の原因になったとは考えにくいし。
西郷が桐野に射殺されて死んだのが事実として、西郷軍も官軍も
一致協力して、首を斬られて死んだという話にしたというのは
やはり考えにくいな。
まあ、西郷は首斬られて死んだという話は、当時の証言が
だいたい一致してるんだね。 しかし検死報告が出た後も
西郷は実は生きてるって話が新聞に載ったりするんで
当時の新聞が如何にいい加減かという例になるんだろう
こういう話は。
西郷生存伝説を題材にした芥川の「西郷隆盛」という小説では
「市来四郎日記」や「加治木常樹城山籠城調査筆記」が
西郷が城山で死んだことを証す資料として提示されてるね。
これらの資料は西南紀伝にも収められているだろうが、西南紀伝が
勝手につくった資料ではなくて、独立した資料であるから
西郷の死に方について批判するなら、西南紀伝だけでなく
これらの原資料を批判しなくてはならないね。 芥川も又
原資料を提示して議論してるわけだよ。
西郷生存説ってのは、民衆の願望にもとづいた説であろうが
肚之西郷の西郷射殺説ってのも、やはり願望にもとづいた
説のようにおもえる。 生存説とは逆ベクトルの願望であるが。
「肚之西郷」がでた当時、西郷崇拝、西郷の神秘化があまりに
激しかったので、西郷像を脱神秘化したい、というそういう動機
で書かれたのではないか。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 04:42:55.22 ID:ZuA2UM3c0
桐野射殺説なんてそもそも無理がある
西郷と桐野が降伏か否かで仲違いした結果に、西郷が桐野に射殺されたとしたら
桐野もそのままじゃ済まないはずだろ?どう説明すんねん
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 16:17:54.75 ID:hrtAlwSQ0
西郷隆盛の嫁が上野の銅像は別人と言ったのは
別人格で生き残ったからか
九州の反政府勢力壊滅させる政府の方針に従った西郷
西郷従道と大山巌出世できたわけ
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 16:21:08.18 ID:hrtAlwSQ0
長州は今でも政商
うん、かっこいいな
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 23:51:52.24 ID:hNM3Ffo60
>>138 まず「西郷射殺」というのは、直接の死因や遺体状態の話しではなく、首を切断される前に何があったのか?という話しである
ということぐらい分かってくれていると思ったが・・
城山で西郷の遺体が首が無い状態で発見されたのは誰でも知ってるし、その死体検案書も有名だ。
当然それを踏まえたうえで「西郷射殺」説は出てきているんだがな。
ようするに桐野が西郷を銃撃(太腿の銃創)し、その後にとどめを刺すためか、
首を隠すためか頭体離断されたということ。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 23:52:44.40 ID:hNM3Ffo60
>>139 ちなみに西郷が首を切られた場面を目撃したとする史料は2つしか存在しない。
まず「西南記傳」。一般に通説になっている切腹後に別府が切ったという話し。
しかしこれは目撃者が誰なのかまったく示されていないし、
死体検案書には切腹傷は無いことから、創作と分かる。
だいたい戦場の銃声と怒号が響く中、西郷が虫の息で発したことになる「晋どん、もうここらでよか」
などの言葉が第三者に聞こえていること自体おかしい。
もう一つの目撃資料は「征西従軍日誌」。捕虜となったいた政府軍兵士の目撃証言である。
これによると、城山で走っていた西郷がうずくまり、
すぐに桐野も走って来て、その場にいた人々は桐野が政府軍に突撃するのかと思ったら、
なんと西郷の首を刎ねたので、みな驚愕混乱し洞窟に逃げ帰ったという証言。
この証言では桐野が銃撃したなどの話しはないし、西郷がなぜうずくまったのかもよく分からない。
しかし桐野が、逃げる西郷を銃撃した後、追い付き西郷の首を刎ねた、
とすれば、「肚乃西郷」の西郷射殺目撃談と符号する点が多い。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 23:53:32.91 ID:hNM3Ffo60
上の史料以外では、明治10年10月3日付の東京日日新聞が、
「西郷の首級は別府、之を刎ねて地中に埋蔵せし・・・」と伝えているが、
あるいはこの記事が「西南記傳」の元ネタになったのかもしれない。
ただこの記事では詳細がどうだったのか書かれていない。たったこれだけである。
首を切られる前に何があったかなども書かれていないので、西郷射殺を否定するものでもない。
ちなみに別府は城山では重症で歩くこともできない状態であり、
そのような者が首を刎ねることができるのか、疑問である。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/27(火) 23:55:16.57 ID:hNM3Ffo60
真相は西郷射殺である、と断定はしないが、かつて射殺説が否定されていたのは、
目撃者の城川市二という人物が「肚乃西郷」以外の史料には確認できないので、
奇説などとされていた。
だが現在では
>>12のとおり城川氏は実在の人物であることが確定しており、
俗説の切腹説などよりはるかに信憑性が高いと言える。
まあ、目撃者が嘘を付いているかもしれないからそんな説は信じない、というような宗教的なレベルの話しなら
反論のしようがないんで他所でやってください。
>>146 >>147 >>148 >>149 だから、お前の話の進め方は
>>12とか、信憑性のあやしい話しを、お前だけで事実確定した、誤った前提の上に立っているからそもそも話になら無い。
それに、戦争直後は生存者、目撃者は結構多くいて通説はあたりまえのこととして、何の疑問も無く当初問題にもされることもなかった。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 01:48:50.71 ID:41ZehdSP0
>>150 「戦争直後は生存者、目撃者は結構多くいて通説はあたりまえのこととして、何の疑問も無く当初問題にもされることもなかった。」
↑お言葉ですが、こういう話しこそ信憑性が怪しいというんじゃないのか?
どんな史料や記録にもどづいて言ってるのか。
だいたい切腹説という通説が出てきたのは、戦争直後ではなく何十年も後の「西南記傳」が出版されてからですよ。
もう願望で適当に言ってるだけなのがバレバレです。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 02:47:29.52 ID:4pfwkrWB0
西郷隆盛を逆賊でありながら偉人に仕立てる必要あった
のは
隆盛薩摩閥の願い
長州に利用されたアホウの自覚は無いかもしれん
麻生もあほう
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 03:11:18.88 ID:kArClFZ20
長州が薩摩を利用したなんて新説だな
長州にそんな力ねーよ
>>142 西郷が桐野を射殺したとして、そのあとすぐに、桐野以下官軍に攻撃されて
全滅するんで、桐野はいずれにしろただじゃすまなかった。
>>146 桐野が西郷の太ももを討って、動けなくしてから首刎ねたっての?
まあ、そういう可能性もあるだろうが、官軍の総攻撃は既にはじまって
いたのだから、西郷の太ももの銃創は官軍の攻撃によるものと
考えても、全然不自然じゃないな。
>>147 西郷が「晋どん、もうここにてよかろう」といって、東方を拝してから
介錯されたという話は、加治木常樹城山籠城調査筆記にもとづく
話であるね。この話でも、誰が撃ったにせよ太ももに銃弾があたって
動けなくなってから介錯されたということには違いないな。
西南紀伝は加治木常樹の説だけでなく、他の説も引用してるんで、西郷の
最後について七説あげてるね。別府が介錯したという説が一般的だが
西南紀伝に引用された「城山悲風余響」では、桐野が介錯したという
ことになってる。
西郷がどこで介錯されたかという説もまちまちであって、それは岩崎の鮫島邸
だった、島津要氏の宅前だった、いや島津応吉の前だったと諸説あるな。
政府軍側の捕虜による目撃証言があったといっても、その目撃された
場所がどこだったのか、他の説をしりぞけるほどの確実性がその証言に
あるかというと、それほどの確実性はあるようにはみえないね。
戦場で西郷の最後の言葉が他人に聞こえたはずがないって、そんなの
わからないよねw 西郷は西南戦争における最重要人物であるから
その言動は折に触れ記憶されてるわけでね。
西郷の最後の言葉は「晋どん もうこの辺でよか」というのが、もっとも
有名だが、「大野義行実話」によれば、「兼ての約束通り頼む」といった
という説もあるので、まあいろんな説があったということだよ。
西郷の最後の言葉として、「晋どん〜」が一番よく知られるようになったのは
それが西郷という人物に一般大衆がもつイメージとして一番ぴったりしてた
からだろうな。
諸説のうち何が事実かは、はっきりいってわからないのなら、一番
崇高な印象の説が世に流布するのは、けだし当然といえようw
別府は足を撃たれて歩けなかったという説もあるが、西郷を介錯したあと
敵陣めがけて突進して撃たれたという説もあるので、本当はどうだったのか
これもわからないよねw 突進したということは、つまり歩けた、それどころか
走ることができたということだからね。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 09:54:02.39 ID:GHt7qu2Y0
>>154-157 あなたの話しは全部、目撃者不明の噂レベルの話しか、あるいはあなたの願望レベル、可能性レベルの話しだな。
そんな根拠でいいなら、城川氏という特定された目撃者が存在する射殺説は、断トツで信頼に値するよw
私はべつに他の説は否定しないけどね。通説の切腹説に関しては完全否定だけど。
根拠は先に挙げた通りだ。
射殺説のあげ足をとりたいのがあなたの真意なら、それを崩す証拠を示すとかしてください。
射殺説より根拠の薄弱な話しを示されても・・・
>>158 別府が介錯したのがありえないってのが、資料を完全に無視した妄論に
すぎんだろうw そっちのいう根拠も不完全な話ばっかりだしね。
加治木常樹城山籠城調査筆でも、西郷の首を斬ったという話はあるが
西郷が腹を切ったという話はないんでね。 西郷が腹切ったって話は
後からつけくわえられた話だろうね。腹きらなきゃ切腹じゃないって
じゃあ、西郷は最後に斬首されたっていう話なら納得するんか。
西郷が介錯されたっていいかたは、西郷が切腹してないなら
おかしいかいな。別にそれほどおかしな言い方とはおもわんが。
西郷は城山を枕に討ち死にするって檄をだしてるし、もうその時点で
助命されるつもりはなかったと考えるのが妥当だろうw
「加治木常樹城山籠城調査筆記」を引用すると
「銃丸翁の腰部と太股に当り、翁別府を顧みて「晋どん、晋どん、もうここにてよかろう」と、
徐に跪坐し、遙に東方を拝す。此時別府負傷中なるを以て従卒小杉恒右衛門、豊富金右衛門を
して山輿を舁がしめ翁に従う。別府之を聞き、直ちに輿を下り、曰く「そうでごあんそかい。御免なんし」と
云って翁の首を斬る。翁の従僕吉左衛門、首を抱えて某の門前なる石橋の下に隠す」
このとおり、首を斬ったとは書いてあるが、腹を斬ったとは書いてないね。
西郷が腹切ったというのが通説というのは、何かの誤解であるねw
まあ、資料から確実にいえそうなのは
「西郷の太股に銃弾があたった。」
「西郷は首を斬られるときにうずくまっていた」
「西郷の首はそのあと、誰かによって隠された」
このへんだね。
ちょっとネットを調べてたら、明治十年九月二十八日の熊本新聞の記事に
こんな記事があるという話をみつけた。
「西郷は城山の洞窟から出て岩崎谷に下る途中、股の付け根を
打ち抜かれ重傷を負った。同行した邊見十郎太が自ら刀を抜いて
西郷の首をはねた」という記事ね。
これを書いた松田記者は西郷の最後を見届けたっていうんだが
本当だろうかね。 まあしかしこの記事でも腰部、太股を銃弾で
撃たれた。西郷は最後に斬首されたという点は一致してるね。
誰が首をはねたのか、銃弾は誰が撃ったのか、そこについては
異説があるにしてもね。この記事においては、西郷の首をはねた
のは、別府でも桐野でもなく、邊見であるということになってるね。
>>158 目撃者がいるったって、その目撃者が見間違いしてないという
証拠はないだろうw
桐野が西郷が降伏するつもりではないかと考えて西郷を
撃ったというんだが、桐野がそんなこと考えてたなんて、どうして
城川がわかるんだ?桐野から直接その話し聞いたのか?
桐野はそのあとすぐに死んでしまうんだから、話を聞くひま
なんかないはずだろうw ってことは桐野の考えというのも
城川の想像にすぎないよね。
城川は西郷軍の捕虜だっていうんだが、西郷のそばで
最後をみたというならともかく、遠くからなら誤認をする
可能性もあるよね。 桐野は最後の戦いでは銃を撃ち
まくってたというから、桐野が銃をうった瞬間に、西郷が
うずくまる様子がみえたので、西郷は桐野に撃たれたと
誤認したって、そういう可能性もあるわなw
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 15:13:57.77 ID:p0SbP0lY0
>>158 目撃者がいるったって、その目撃者が見間違いしてないという
証拠はないだろうw
↑こんなこと言い出したら全ての記録、史料は信用できんことになるわな。
このレスはあなたにそのままお返しするよ。
いろいろ史料をあげてくれたけど、結局射殺説をくずせないから、
目撃者の見間違いだろうって、あきれてものも言えんわ。
そういう魔女裁判は他所でやってくれ。
卑怯もの。
>>164 射殺説は唯一確実な説だというのは、おまえの信仰にすぎず
まったく俺の説に反論できないことが明らかになったねw
悔し紛れの捨て台詞が「卑怯者」かw まったく卑怯者らしい
捨て台詞であることよw
明治十年征討軍団記事にも、重傷の賊軍から聞き取った話として
別府が西郷の首をはねたという説を伝えてるね。
これは一応公式の記録だから、別府が西郷を斬首したという説は
公的な裏付けがあるぶん、信憑性が高くなってるわけだねw
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) 16:04:33.54 ID:SsE85ydx0
なんで別府介錯説にこだわるのか知らんが、
射殺説の目撃談には、誰が首を刎ねたのかの話しは含まれてないんだわ。
知らんで必死に別府にこだわってのか?
それから城川は捕虜ではない。
ぜんぜんダメだよおまえ。
>>168 桐野が首をはねたってのは、
>>147の征西従軍日誌の証言か。城川と
ゴッチャになったな。
まあしかし、例の「晋どん」という証言を書いた加治木常樹も、西南戦争で
西郷に従っていたというから、西郷の最後を間近にみていた可能性は
強いよねw 城川と同じく薩摩の人間であって、薩摩の人間が西郷に
悪意をもって証言するわけがない以上、加治木の証言も城川の
証言と同程度の信憑性はあると考えるべきだねw
当時CSIでも居れば明らかになるんだろうけどな
城川、城川いってるけど、そいつの話しは50年以上経ってからの話だろ。信用性が非常に乏しい。奇説扱いされるのは当然じゃないか。通説は直後からの多数目撃者談がある。めんどくせーから名前は出さないが。
>>165 全くそのおりだ。
あなたの理路整然とした話に対して、射殺説君の独りよがりの文章は説得力皆無。
翔ぶが如くを読み返しているが、あなた達は歴史研究家なのですか?
ごく一般人として思うのは西南戦争直後なら桐野が射殺したなら、責任論からして
直ぐに公表されたと、一、歴史好きモノとしては思いますね。
学者さんの見解ってどうなってるの?
実は開戦時にはもう死んでいた。
また何処かの爺ちゃんの知り合いのそのまた爺ちゃんの友達の爺ちゃんか何かの証言かでてきたのか?!w
城川とやらみたいなw
学者間で強く支持されているから、通説。どの時代も、きをてらった説をぶちまけ、名前を売ろうとしたりする奴がいる。
まあ、ネットでは自虐史を広げることで国力を低下させようとさせようとする狙いも匂うが。
>>172 俺も実はそんなに西郷について詳しいわけじゃないんだよね〜
城川証言では西郷は敵方に降伏するつもりで山をくだったというんだが
降伏するつもりなら、まず白旗あげるだろうね。西郷の助命嘆願の
使者は白旗あげてたというし、西郷も万国公法は知ってたんで
白旗の意味も当然しっていたろう。降伏するために敵陣に
近づいたって、官軍は総攻撃かけてるんだから、そんなところに
白旗もあげずに、こちらから近づいていくのは、降伏のためというより
討ち死するためとしかおもえない。
城川の孫嫁が、城川氏と東大の先生が朝から夜まで話していたという
逸話は
>>12で紹介されてるが、その東大の先生の名前もわからないし
その先生が城川氏の話をもとに、維新史を書き換える論文を書いて
学術界に一石を投じたという話も聞いたことがない。 せめてその
先生の名前がわかれば、その話も学術的な信憑性が増すんだけどねえ。
ミジメだな西郷さん
命乞いのあげく、戦線逃亡かよ
西郷が最後に逃げたというなら、どっちの方向に逃げたのか
それが重要だな。なんせ通説では官軍は城山を十重二十重に
取り巻き水も漏らさぬ包囲網を敷いていたので、逃げる方向
なんざあるはずがないんだが、その通説に異義を唱えてる
わけだからねえ。
確実な証拠もなく、桐野射殺などが事実であったら、政府は鬼の首を取ったように
世間に公表するだろう。
隠す理由もないはずだ。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 01:35:50.64 ID:iMW8iSB+0
結局射殺説はくずせず終わりかw
だいたい、射殺説は、切腹説を除き、ほかの説ともさして矛盾してないぞ。
別府介錯説が真実なら、西郷が桐野に銃撃されたあと別府が介錯したという整合も成り立つ。
まあ、城川市二という姓名はもちろん氏素性まで完全に裏付けがとれた目撃者がいるのは、この説だけ。
ほかの目撃談も否定はしないが、信憑性では城川情報が最右翼と言えるだろうな。
そもそもなんでその説を公表するまで50年以上かかったのか、そこを
合理的に説明できない限り、城川説が世人に信用されることは永遠に
ないだろうw
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 02:11:59.21 ID:iMW8iSB+0
50年後に公表て何のことだ? 肚乃西郷が刊行されたのが50年以上あとってことだぞ。
まあ、それ以前に城川が鹿児島で村八分になっていただろうことは想像できるが。
このスレのおまえらと同じで、証言に矛盾があるから信じない、ではなく、
西郷に不名誉な話しだから信じない、だったろうな。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 02:15:19.52 ID:BZzyczfm0
城川とやらの存在が確認されただけで最も信憑性が高いと言い張るのは、単に願望にすぎないかと
裏情報をまことしやかに信じるオカルト信者みたいだな
通説を否定できないで何を勝ち誇ってんねん
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 02:24:13.98 ID:iMW8iSB+0
通説の切腹説はとっくに退けられてるよ。スレ読め。
「加治木常樹城山籠城調査筆記」を書いて西郷の最後について
証言した加治木常樹にしても氏名氏素性ははっきりしてるから
城川説かあるいはそれ以上に信用あるねw
>>2であげられている市来四郎は、薩軍に弟を殺されているそうで
薩軍への恨みはかなり強かったろうが、加治木と同じく、別府斬首説を
とっているね。立場の違う人間が同一の内容を記録しているという
ことで信憑性が増すわけだよw
市来四郎も加治木常樹も人名辞典に生年経歴が載っているが
城川市二でググっても、射殺命の書き込みしかひっかからないんで
城川説が非常にマイナーな説というのは、ネットでもすぐにわかるねw
非常にマイナーな人物の証言でも、他に同一証言をした人間が
いれば信憑性が増すが、そうでなければあまり関心はもたれないね。
西郷の最後を目撃した人間は大勢いたようだから、ひとりの証言
だけで、西郷の死の全貌を明らかになったと説得的に語るのは
無理だろうねw
薩摩の敗戦後、薩摩軍の生き残り藩士は官軍による裁判で裁かれ、牢屋にいれられた。
プロパガンダも政府が握り、戦争後数十年は西南戦争についての記録は政府軍の立場で書かれたものばかりであるにも関わらず。
その記録にさえアンチ西郷が説いているような不名誉な射殺説が出ていないのはなぜなんだ?
アンチ西郷の話は矛盾だらけなんだよ。無理が有りすぎるんだよ。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 07:43:11.10 ID:iMW8iSB+0
>>187 加治木や市来は本の作者で、目撃者ではないだろう。
目撃者は誰だか分からないんじゃないの?
城川が人命辞典に載ってないマイナーな人物だから、その証言は信用できないなら、
目撃者がよく分からない加治木説や市来説はまるで信用に値しないことになるな。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 07:44:44.60 ID:iMW8iSB+0
>>188 西郷の目撃者が大勢生き残っていたなんてことはありえないよ。
ほぼ全滅して、氏素性の分かる目撃者は城川だけなんじゃない?
あと、政府軍の兵士で捕虜になっていた人。「征西従軍日誌」に出てくる広島出身の人。
この人は桐野が首を刎ねたと証言しているが。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 07:49:44.78 ID:iMW8iSB+0
>>189 城川説はぜんぜん矛盾しないと思うがな。
たとえば政府の記録って何がある?
アンチやプロパガンダという色の付いてない政府の記録って言えば、死体案件書だろうな。
城川説とぜんぜん矛盾しないよ。
加治木説や市来説とも整合する部分もあるんじゃないの?
城川は、誰が首を刎ねたかは見ていないから。
このスレの人は、西郷に不名誉だと思う一心に、頭から射殺説を否定しているようにしか見えんな。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 09:15:08.35 ID:dcScOvsW0
「射殺」という言葉が西郷ファンや鹿児島県人には受け入れがたいのか?
桐野どんも西郷どんを思っての銃撃だろうし、
銃撃自体が一種の介錯だと思えばいいんじゃないか?
玉砕とはそんなものだろうよ。
取り乱す奴だっている。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 09:35:47.04 ID:k3C5MRy+0
城山で玉砕
でいいよ
>>190 加治木の場合は、西南戦争に従軍してるんで単なる記録者ではなく、当事者でもあるね。
城山の戦いには参加していなかったようだが。
>>191 城山の戦いの目撃者で生き残ったのが城川とあと一人しかいないというのは
ほかの資料に照らし合わせてあり得ないとおもわれるね。
もっとも有名なのは、西郷の従者で刎ねられたあとの西郷の首を隠したという
吉左衛門であるね。吉左衛門から聞かれた実話というのは、いくつか
伝えられてるね。「大野義行実話」、椎原国雄が吉左衛門から聞いた話などだね。
西郷の首をかかえて逃げた西郷の従者の話なんだから、信憑性はかなり
あるとみられるね。別府の従者は城川だけではないので、別府の籠をかついだ
小杉右衛門と豊富金右衛門という従者も城山の戦いのあと、いきのびたと
いわれてるね。将兵はほぼ全滅したが、将兵の従者は生き延びたのも
いたわけだ。官軍の記録には瀕死の重傷を負った将兵から、西郷の最後を
聞き出したという話もあるね。そのような記録を総合すると、西郷の最後を
目撃して生き延びたのが、城川とあと一名くらいしかいないという話は
首肯することができないね。
>>192 まあ、俺の言った事に対する答えは全く示されていないが、しょうがないか。じゃ、次に、官軍からのシャワーのように弾丸が飛んでくる中なぜ桐野が西郷に銃を向ける必要があったのか。さらに首を切るなど不自然すぎるだろ。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 13:36:43.69 ID:ZeTbkMpC0
>>195 膨大にいる兵士や従者の生き残りと、現場にいた「目撃者」の生き残りを一緒にするのがおかしいのは小学生でも分かるわな。
氏素性の判明している目撃者は城川とあと1人ぐらいなのは事実。
ほかの目撃談もべつに否定しないが、実在が確認しようがない目撃者の話しは良くて、
城川がダミな理由はまったくないだろう?
西郷の憐れな死に様を認めたくないのは分かるが、
べつに射殺説のみ絶対正しいと主張しているわけではない。
西郷の最後を考えるに、「流れ弾説」は外せないだろう?
同様に、厳然たる目撃者が存在する「桐野による射殺説」「桐野によるぶった斬り説」を外すなど論理的に考えられないことだ。
理解できる?
>>195 そうなんだよ、ここでは生存者はほとんどいなかったと、
変な事言う奴がいるが、なんでそう言う事を言うのかわから無い。
かなりの生存者がいるのは公式な記録にも残っている。
そして、彼らの通説を支持する証言は戦争直後に得られている。
それに比べたら何十年もあとの城川とやらの証言の信憑性なんて屁みたいなもんだろ。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 13:52:27.94 ID:YS6nse/80
>>196 いちおうマジレスするが、
その時シャワーのように弾丸が飛んでいたなんて分からないじゃん。
仮に飛んでいても桐野が撃つのは自由だし、桐野が西郷をぶった斬るのも自由だ。
介錯したとか、首を隠さねばということなら不自然どころか自然な行動だよ。
>>199 シャワーか、雨あられの如くかどうでもいいが、
だから、なぜ桐野が撃つ必要があるのかって事だよ。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 20:01:41.61 ID:BZzyczfm0
身辺の世話をした従者の証言なんて目撃者として一番信憑性があるのに、
それを城川とやらの下に置くところからして、ここのアンチたちはもうアレかと
城川の発言が従者の証言より信憑性が高いことなんて証明できるのかよw
小学生でも従者の証言のほうが確かだと思うだろう
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 20:05:40.65 ID:iMW8iSB+0
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 20:13:27.04 ID:iMW8iSB+0
>>201 従者って西郷の従者の人?
その人は西郷が首を斬られる前に何が起きたのか目撃してないだろう。
目撃して証言してれば信憑性は高いだろうが。
城川は実際に目撃してるんだよ。
目撃してない人より目撃した人の話しを優先して検討するのはあたりまえだろう。
>>197 吉左衛門は西郷の最後を目撃して、その様子を人に語ってるので
吉左衛門も立派な目撃者だなw その目撃によれば西郷は弾丸に
あたったあと、跪坐した処を別府が之を介錯したというね。
別府の輿をかついでいた下僕の大内山平畩の目撃証言によれば
>西郷さんは島津応吉邸前で2発の銃弾に打ち抜かれ、脚を少し上げて
>立止まっていた。別府が先を行く桐野らに「先生が弾丸に中って
>居らるるが、いけんすっか」と声をかけたが、西郷は「もう、歩かれぬから
>首を斬って呉れ」と頼んだという。
これも目撃証言であるね。
それらの証言にくらべて城川の証言は不審な点がいくつかあるね。
他の証言はすべて西郷が弾にあたったことを認めているが、誰の弾に
あたったかは認めてない。それにくらべて、城川の証言は西郷を
射撃したのが桐野だと断言してるところで、これは他の証言と
おおいに食い違うところだね。 城山の戦いでも流れ弾にあたって
戦死した将兵は数多く、桐野も最後は眉間を弾で撃ち抜かれて死んでるね。
しかしまあ、乱戦の最中に誰が撃った弾で誰が死んだといちいち
確認できるはずもないので、城川の証言の状況というのは、他と
比較すれば例外的であり特異であるといえよう。
桐野は西郷が敵へ降伏するのではないかと考えて、西郷を撃った
っていうんだが、他の証言では城山から下るときに西郷の左右にいたのは
別府と辺見ということになってるので、西郷が降伏しようとしてたのなら
まず気づくのは別府と辺見だろうし、桐野だけがどうして西郷が逃げようと
してると感づいたのか、それがわからないよね。桐野が西郷撃ったのなら
なんで西郷を撃ったんだって、他の将兵が桐野を問い詰めるだろうし
そうしたら、城山の最後の戦いについてのすべての証言は全然かわって
たんじゃないか。そういう形跡は現前の証言について見当たらないね。
まあ確かに薩軍陣内で降伏の議があったとき、絶対反対を貫いたのは桐野で
あるけど。城山の洞窟から残った薩軍がでるときは、隊列をくんでいたそうで
西郷が最後に逃げ出したってのは、隊列から離れてひとりであさっての方向へ
ダッシュしていったということだろうか。 その光景を想像するとちょっと
ふきだしてしまうあたりがユーモアの人、西郷の西郷たるゆえんか。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 23:19:19.47 ID:iMW8iSB+0
>>204 このページで拾った情報かw
http://yubarimelon.blog.so-net.ne.jp/2012-07-28 このページにはこうもあるぞ
「末弟小兵衛(高瀬にて戦死)の妻まつが、吉左衛門は
西郷さんの最後を見届けていなかったのでその模様を話すことが出来なかったとしています」
おまえは、こういう情報はダンマリなんだなw
吉左衛門は首を受け取ってすらいなかったともされているぞw
吉左衛門説はこれで崩れました。
それと大内山平畩ですか?
その証言からすると、この人も西郷が誰にどのような状況で脚を打ち抜かれたかは見てないわな。
証言としてはまったく否定しないし、城川説ともべつに矛盾しないんじゃないか?
城川説は不審だと言うが、それはあなたの目標が城川説を葬ることだから、、
そういう主観が入って、不審に見える部分が多いんじゃないですか?
少なくとも吉左衛門説wの不審さに比べれば、城川説にはなんの矛盾も無い。
お前ほど主観と、バイアスのかかった奴はここには他にいないぞw
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/29(木) 23:35:23.14 ID:iMW8iSB+0
>>208 そんなことはないだろうw
城川説を推していることは否定しないが、その他の説を主観で否定などしていない。
ちゃんと史料示して、矛盾点を指摘したうえで、ここは客観的に言っておかしいと言ってるだけで。
誰かさんのように主観の入った想像を並べたてこれは不審だ、などとは言ってないぞ。
例えば大内山平畩説は銃弾2発食らったとのことだが、現実の死体検案書は1発でしょ?
2発の銃創があったら絶対2発と書くはずだ。
この点で客観的に大内山平畩説がおかしいということが分かる。
>>209 お前の根拠と言うのは全部どこの誰かわから無い奴のブログとかその辺の
ものじゃねーかw
アンチ西郷によると桐野が西郷が逃げようとしているのを感じて、射殺したと言ってるが。状況から見て逃げ切れると誰が考えるんだ?
野村忍介は、前日に白旗を掲げて下山、降参して生き延びている。
西郷も降参の意思があれば、同じようにしたろ。
切腹するのは、自分に非を認めた事になる。進めば進むほど弾雨は厳しさをます前線に向かって行ったのは当然玉砕目的だからだ。
前線にたどり着いたら、ハイ、ゴール!となって助けてもらえるって誰が考えるんだ?
それから城川がいつのまにか実在人物って前提にここではなっちゃってるが、
それすら、非常に怪しいんだぜ。
アンチは簡単に証明されちゃったて行ってるが、それを言ってるのは一部の人で、反論が山のようにあるんだぜ。
存在も不確かな城川に 「説」とかつけてんなよ。ずうずうしいぞ。
>>207 >吉左衛門説はこれで崩れました。
いや崩れちゃいないだろうw そのページには大半の学術書において
吉左衛門説をとっているとも書いてあるんで、大半の学術書の説を
崩すためには、ここでの議論より、もっと綿密で学術的な議論が
必要になるだろう。証言ってのは、もともと食い違う部分が多いので
同一の点、食い違う点、双方を把握しつつ、多くの資料を狩猟する
ことが必要なので、そんな性急に結論をだす必要が無いね。
>その証言からすると、この人も西郷が誰にどのような状況で脚を
>打ち抜かれたかは見てないわな。
誰に打ち抜かれたなんて、わからないほうが普通なの。城川証言
以外のすべての証言、それらの証言には互いに矛盾した部分が
ある証言も多数あるが、すべて西郷が撃たれた、とだけ書いて
誰に撃たれたかは書いてないからね。 まあ、常識的に考えて
官軍が撃ったんだろうとおもうわけだな。
そもそも城川って城山で何やってたの? 他の従者は篭を
かついでいたりしたようだが。他の生き残った従者は、いつ頃
薩軍から離れて、どういう風に落ち延びたか語ってるが、城川に
ついてはそういう話を聞いたことがない。 そういう話がないと
城川が本当に城山の戦いにいたのか、リアリティが感じられないw
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 00:21:30.16 ID:7BgJmRx30
>>210 ふざけんなよw 204の奴に言え。おまえの自演かもしれんが。
肚之西郷って本も良くわかんない本だね。 てっきり西郷を脱神秘化する
内容の本だろうとばかりおもってたが、副題は「東亜経綸之大先覚者」って
なってて、副題からすると1942年の時局に便乗した本としかおもえない。
ところで蘇峰の近世日本国民史を読んでたら、「城山悲風余響」で桐野が
西郷の首をはねたって記述を(別府の間違い)とやってるが、原資料でも
そうなってるのか。(別府の間違い)って勝手に付け足しのなら、ちょっと
やりすぎって気がしたねえ。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 00:27:21.66 ID:7BgJmRx30
>>211 >>212 そんなのたんなるおまえの主観だろ。西郷の心底など誰にも分からん。
あるいは西郷は特攻するつもりで政府軍のほうに向かっていたのかも知れないとは考えられる。
桐野はそれを投降するともりと勘違したのかもしれない。
それはそれでありうるが、それは桐野に文句を言えよ。
目撃してしまった城川に文句言っても意味ないだろう。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 00:29:54.83 ID:7BgJmRx30
>>213 >>214 昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(自称西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野射殺説はいったん否定された
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのだ
それだろ、
で、結局いくら探してもそんなのはやっぱり無かったってことなんだよ。
城川って人の説は怪しいな!
客観的に調べても、桐野が射殺したとの
話であったら政府が賊軍、仲間割れとの
情報を流すだろうな・・
>>222 まさに、そうなんです。
薩摩の敗戦後、薩摩軍の生き残り藩士は官軍による裁判で裁かれ、
牢屋にいれられた。プロパガンダも政府が握り、戦争後数十年は
西南戦争についての記録は政府軍の立場で書かれたものばかりであるにも
関わらず、その記録にさえアンチ西郷が説いているような不名誉な
射殺説が出ていないのはなぜなんだ?
城川の証言とやらの肚乃西郷って1941年出版、西南戦争から
なんと64年経っての話ってわけだ。64年経ってそんな突拍子な説を
出されて誰が信じる?
著者らの売名と言われてもおかしくない。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 01:51:08.25 ID:7BgJmRx30
>>223 あほか。証言のほとんどは政府とは関係無い薩摩人による記録だ。
もっとも有名な西南記傳は薩摩人ではないが、完全に反政府の立場で書かれた逆プロパガンダだ。
肚乃西郷は昭和に入ってから刊行されたが、
著者の父竹崎一二(当年81歳)が私学校の残党を集めて作られたる三州社の社長たりし際、
研究せし西郷先生の逸話を主材として収録せるものなり、という内容だ。
政府の公式見解などは聞いたことが無い。
西郷以下私学校幹部ら、城山で玉砕せり、とかそんなもんだろ。
完全に客観的な史料と言えば西郷の死体検案書がそうで、これは城川説ともまったく矛盾しない。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 01:54:51.53 ID:7BgJmRx30
政府軍の立場で書かれた記録としては「征西従軍日誌」がある。
捕虜となっていた政府軍兵士の目撃証言である。
これによると、城山で走っていた西郷がうずくまり、
すぐに桐野も走って来て、その場にいた人々は桐野が政府軍に突撃するのかと思ったら、
なんと西郷の首を刎ねたので、みな驚愕混乱し洞窟に逃げ帰ったという証言。
64年も経って、矛盾があるとか無いとか
とんでもない後出しじゃんけんだろ。
>>225 当然負傷し死にかけた兵士を介錯してあげるのは、兵士同志の了解のもとだ。
ありがたい事だ。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 08:49:59.64 ID:7BgJmRx30
結局、アンチ城川の論拠って、
西郷さんみたいな人格者(と言われている)が命乞いするわけない、とか
部下の桐野がボスの西郷を撃つわけない、とかそんな先入観、願望でしかないわな。
城川説なんて認めたら西郷の神格化がゆらぐ、
鹿児島県人としてどうにも不愉快、
そんな料簡のせまい人が必死にネットで、自分の願望に沿う怪情報を拾ってコピペしてるだけ。
別に西郷さんを神格化などしていない!
でも、桐野が射殺説は朝鮮の起源説のようで胡散臭いw
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 09:55:19.09 ID:2gbbSTKD0
アンチへ贈る言葉はこれにつきる
↓
126 名無しさん@お腹いっぱい。 Mail: 2013/08/25(日) 13:26:08.59
ID:mGXJvcBg0
しかしなぜ信者さんは上の人のように闇雲に西郷射殺説を否定するのか。
この説が西郷や薩摩人にとってなにか不都合でもあるのか。
べつに不名誉なことではあるまい。
西郷は、生き延び挙兵の正義を法廷で訴えようとした。桐野は玉砕こそ正義の証であると考えた。
西郷や桐野の戦争責任はともかく、身の処し方としてはどちらもありであろう。
皇居の方角に拝礼し、切腹などという虚説は、言い換えれば天皇のために挙兵したとの責任逃れであり、
むしろ見苦しいストーリーである。
ここでのアンチって言ったら普通アンチ西郷の事だろ。
わけわかんねーな。w
相当頭が混乱してるな。w
アンチ西郷、64年も立ってから新説をぶちまけるなど、胡散臭さの極み。
>今般、河野主一郎、山野田一輔の両士を敵陣に遣はし候儀、全く味方の
>決死を知らしめ、且つ義挙の趣意を以て、大義名分を貫徹し、法庭に於て
>斃れ候賦(つもり)に候間、一統安堵致し、此城を枕にして決戦可致候に付、
>今一層奮発し、後世に恥辱を残さざる様、覚悟肝要に可有之候也。
この檄で「法庭に於て斃れ候賦」なのが西郷だっての? やはりまあ「法庭に於て
斃れ」るのは、この文において河野と山野田をさすと解釈するのが普通だわな。
実際には降伏の使節であったわけだが、この檄では降伏の使節なんか送って
ないような話になってるね。桐野は使節を送ることに反対してたが、河野が
使節の名分は義挙の趣旨を敵陣に伝えることあると西郷に説明し、西郷が
了解したので、結局使節を送ることに同意したわけだな。 しかしまあ、名分と
違って、両名の使節は実は降伏と西郷の助命に赴くつもりではないかと
疑って、こういう檄をとばしたわけだ。この檄は桐野の配慮でだされたという
話があるね。こういう檄をとばす必要があったのは、両名の使節が実は降伏の
使節であるという疑いが濃かったからこそだな。法庭で斃れるのは両名の
使節だけで、残りはみんな城を枕に決戦する、西郷もその中に含まれると
そういうことだ。 この文をよんで、西郷本人が法廷で正義を訴えようとした
などと読むのは、まったく文意を曲解しているとしかいいようがないw
肚乃西郷って薄っぺらい本で、詳細な検証など程遠い文庫本レベルだろ。
歴史的価値はほとんどない。
だが、アンチ西郷君にとってはバイブル。w
西郷が最後に東方を奉拝したという話は、加治木常樹城山籠城調査筆記が
伝えてるだけだが、そういう話もあっても不思議じゃないな。西郷は勤王の
志が篤かったというのは、王政復古を成し遂げてからこっち、当時の衆人の
誰もが認めた話であって、だからこそ東方に奉拝したという話が、世上に
もっとも流布するようになったんだねw
西南の役が勃発したあとに西郷が書いた有栖川宮あての手紙でも
「恐れながら天子征討を私するものに陥り、千載の遺憾この事と存じ奉り候」
と書いてるので、「天子征討を私する」政府は「天地の罪人」であると述べてるが
天子そのひとが罪人とは述べていないね。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 16:45:17.34 ID:yPrNOZVv0
またまた願望、主観、怪情報のオンパレードだな城川アンチは。
城川氏が城山で、西郷が桐野に撃たれる姿を目撃したのは、
一片の予断も含まない、動かしがたい事実。
見たままの、何も足さない、何も引かないって奴だな。
城川アンチは、拾った情報にさらに足しまくり引きまくりで、情報としての価値ゼロ。
>>237 お前の文章は意味のある内容は一つも無いな。w
恥ずかしく無いのか?
>>236様とかは正然と客観的事実を提示して考察を交えており納得するが、お前の幼稚な文章には価値はゼロだ。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 17:48:08.77 ID:yPrNOZVv0
そうかあ?
>>234なんて、何も足さず何も引かずに言えば、
「西郷は命乞いしていたが、桐野はあくまで玉砕を主張した」
という動かしようのない史実で済む話しじゃんかw
長文かませば誤魔化せると思っているのかな。
プラスにでも、マイナスにでも、虚像が先行するのが西郷さん。
等身大の西郷さんを普通に語れる日は果たしてくるのだろうか。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 18:44:17.80 ID:YUwBXA3D0
>>219 考えようによっちゃ〜
自軍の将の「首」を持っていかれるってのは一番の「恥」に違いないだろうから
前に進もうとした西郷が「やはり」敵の?銃弾等を浴びて
「ここまで」と思い桐野ザクッと後ろからともとれなくもないかと
敵に獲られるのであれば・・・な
首を「隠す」とはそういうことなんだと・・・ともとれると
嗚呼w「逃げて」な場合でも基本同じかなww
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 18:52:43.67 ID:Wa5fDMax0
当然、首を敵にとられるということは恥であるし、隠したのは当然であろう。
本能寺の変で信長が首を取られないように城を焼き払い、首をとられないようにしたことは
意味のあること。
昔は相手が死んだことを証明するのは、ビデオなんかもないし、
首を直接もって行くしかなかった訳だからな。
いろんな説があるが、すべての説に共通しているのは、西郷のおよそ武士らしくない死に様ですよね。
部下に撃たれたとか、たたっ斬られたとか、
島津邸の前で倒れていて涙目で「もういかん」とか。
流れ弾に当たった説を真とすれば、この人突撃してないってことでしょ。
潔く死ぬ、という武士らしい覇気がまるで感じられない死に様ばかりだ。
実際最後の西郷の精神状態は、
桐野が勝てると言うから体あずけたのに、なんだこのザマは、と鬱状態になっていたのでしょう。
司馬遼太郎も書いていましたがね。
入水自殺されて生き残った時に、生きるべき所まで生きようと思われたらしいし
武士らしく死ななくても良いのではないですか?
いろんな説があると同時に否定的であれ肯定的であれ様々な考えがあるのも当然だし
それを信者、アンチなどといって貶める方もおかしいと思うけどな。まあモロ悪意が見える
方もいますけど
分ったのは西郷どんは平成になっても大人気だな、色んな意味で
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/30(金) 23:46:38.40 ID:7BgJmRx30
アンチみたいに人のあげあしはとりたくないけど、
アンチが大好きな加治木常樹の書いた「西南血涙史」では、
「流弾が西郷の肩より股を貫く」と書いてあるな。
死体検案書と思いっきり矛盾してる。でたらめだよこの作者。
>>243 なんで、流れ弾なんだよ。
西郷と周囲にいた桐野利秋と辺見十郎太を狙ったのはあきらかだろ。
西郷から田舎の無名侍から引き上げてもらった恩を桐野は忘れる事は一時も無かった。
生粋の侍の桐野が義に背いてその恩を仇で返すような事はあり得ない.
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 00:33:52.87 ID:MHgu8CQo0
桐野は恩を忘れなかったからこそ、西郷を撃ったのかも知れないじゃないか?
心神喪失状態の西郷が政府軍に投降し生き恥晒すぐらいなら、この手で屠って先生の名誉を守る
これこそ義ではないかな。
これを不名誉と考えるあなたはなにか思い違いをしているよ。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 01:20:27.26 ID:MHgu8CQo0
西郷の性分として、極度のストレスがかかると物事を投げちゃう癖があったらしいから。
例えば、京都で斉彬の訃報を聞き殉死しようとしたり、
月照との入水、明治6年の政変での下野などなど
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 01:21:54.18 ID:MHgu8CQo0
月照との件などは、通説としてはお互いに前途を悲観しての合意の心中とされているが、
実際は、心神喪失状態に陥った西郷が独断で無理矢理月照を巻き込み入水していた可能性が高いのだ。
これは昭和12年鹿児島県教育会発行の「南洲翁逸話」の冒頭に、
伊集院の郷士本田元右衛門と西郷の対話として、
「自分が最も遺憾に思うのは、僧月照の身の上だ。
月照が船のトモに出て小便をしている所を後ろから抱きこんで飛び込んだら、
月照のみは死し、自分が生き残ったのは至極遺憾なわけである」との記述がある。
戦前の日置郡伊集院小学校の調査報告による、とあるから信頼性は高い。
ようするにぜんぜん死ぬ気の無い月照が小便しているところを
心神喪失状態の西郷が後ろからタックルして海に突き落としたというわけだw
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 01:26:41.38 ID:MHgu8CQo0
かように心神喪失癖のある西郷であるから、
城山で進退極まり発作的に投降しようとしたことも十分考えられる。
アンチは屁理屈、こじつけ、話の飛躍は得意だな。あと、捏造。
西郷の存在は捏造、実在しない。
>>249 投げ出すとかじゃなくて、常に死の覚悟を持って、権力、私欲にしがみつこうとしなかった姿勢が現れている例だろう。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 09:21:17.73 ID:MHgu8CQo0
>>254 どのように解釈するかは自由だが、
プッツン状態になっても結局死んでないのが西郷どんならではだな。
斉彬に殉死→さんざん騒いで結局切腹しない
月照を巻き込み飛び込む→自分だけ助かる 懺悔の切腹などは無し
征韓論で負ける→猛然と職を辞すが、抗議の切腹などは無し
西南戦争で追い詰められる→突然投降 切腹無し
>>255 西郷は陸軍元帥、参議まで上り詰めたわけだが、その座にすがろうともせず、あっさり辞めちゃうところは超大物。ひたすら功利主義の超凡人のアンチ西郷には理解不能。
>>255 何回死んでもおかしくない状況、修羅場を乗り越えているだろう。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 14:05:18.27 ID:MHgu8CQo0
>>256 そこまで神格化するほど高潔な人物なのかなあ?
西南では解任された陸軍大将の軍服を未練がましく持っていて、
ときどき着てたらしいじゃないか
西郷、参議辞任しても陸軍大将の役は
そのままであったのだから、不思議ではない。士族代表が軍であって大村思想の
徴兵軍などは軍とは認めていないのが薩摩士族!
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 15:01:52.73 ID:MHgu8CQo0
>>259 挙兵したら速攻で解任されただろ。ウソつき。
>>239 文章は短く書けるなら短く書いたほうがいいが、短く書いたって
内容が不正確なら、短く書いた意味がないねw
「西郷が命乞いした」ってのは正確とはいえないね。薩軍陣内で降伏の
議論がおこしたのは、西郷以外の将兵で、西郷本人はひとことも降伏して
助命してもらおうとはいってないんだな。自分たちの首をさしだして
西郷だけは助けてもらおうというそういう話で、西郷が部下たちに
とって、いかに人望があったか、これをみてもわかるねw
官軍に降伏の使者を送るっていう話じゃ、桐野が絶対許さないから
戦の大義名分を官軍に伝えるという名目で桐野を説得したんだな。
しかし使者の目的が降伏であるにせよ、大義名分を闡明することに
あるにせよ、西郷本人がでむくか、せめて西郷からの書簡、親書が
なければ話にならないだろうw 使者の意図が降伏であったにせよ
名分の宣明であったにせよ、使者として中途半端であるねw
西郷の意図を忖度するに、部下が西郷の助命嘆願をしたいというなら
試してみてるのはいいだろう(たぶん無駄だろうが)というところか。
西郷は壮士輩にかつがれたんじゃないかって山県も書簡で述べているが
このころになると西郷はほとんど指揮らしい指揮をとってないね。
ほとんど部下が流れをつくって、西郷はそれにのっかてるだけで
これを悪く言えばただ流れに流されてるだけとw
西郷が桐野に撃たれたって証言があるが、桐野が撃ったのは
西郷との事前の打ち合わせがあったというより、突発的偶発的な
出来事だよね。
加治木常樹によれば西郷の最後の言葉は「晋どん、もうここにて
よかろう」で、大野義行実話では「兼ての約束通り頼む」となっているね。
これらの言葉では、あらかじめの打ち合わせがあったと想定されて
わけだ。事前に最後に西郷をどうするかについて打ち合わせが
あったかなかったかというと、打ち合わせがあったと考えるほうが
妥当ではないか。官軍が総攻撃にはいる前日に、薩軍は宴を
ひらいたというから、打ち合わせの時間は十分あったろうね。
西郷が弾にあたったあと、すぐに西郷は斬首されたので、非常に
手際がいいねこのあたり。事前に打ち合わせがないと、これだけ
スムースに事を運べないだろう。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 15:34:06.54 ID:MHgu8CQo0
>>261>>262 だからそれを長文にする必要があるのかって話し。
事実は、西郷軍は政府軍に使者を遣わし、西郷隆盛の助命嘆願をした。
それだけ。降伏論は薩軍内の議論では挙がったようだが、政府軍への申し出は降伏ではなく、
西郷隆盛の助命嘆願である。
それ以外のことは結局分からない。部下が首を差し出し西郷を救うとか、推論ですらないおまえの願望。
助命嘆願のことを西郷が知っていたかなども推論の域を出ない話し。
薩軍内の議論で西郷本人も交え西郷助命嘆願論も当然出たろうが、それとて推論。
いろいろ書かれた史料はあるが、その史料がほんとうに矛盾なく信頼できるものなのか、
そこから始める必要のあるようなものばかりだ。
>>264 西郷の使者が西郷からの書簡をもっていなかったのは事実だし
西郷にいいたいことがあるなら、23日5時までに官軍の陣に
来いと川村参軍がのべて、結局西郷が官軍の陣にいかなかった
というのも事実だし、降伏の軍議で誰が降伏の意見を述べたか
というのも資料があるわけで、じゃあ降伏の軍議で西郷が
降伏したいと述べたという資料を出せよw そうでなけりゃ
西郷が降伏を望んだという資料に、そっちは反証できないという
そういうことだw
最後の二行がおかしいから訂正する。
西郷本人が降伏について口にしていないという話に
反証ができないと、そういうことだな。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 15:49:40.51 ID:MHgu8CQo0
>>265 西郷が降伏を望んだなんておれは書いてないぞ。
助命嘆願を望んだとも書いてないし。
むしろそのへん全部推論でしかないと言ってるだけなんだが。
肚之西郷だけを基準にして、それと矛盾する資料はすべて資料価値なし
とやるのは、いかにも乱暴だよね〜w 他の莫大な資料とくらべて
肚之西郷だけが唯一絶対の真実であるって、それは説得力が
やはり低いといわざるえないw
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 16:02:31.27 ID:MHgu8CQo0
>>268 話しにならないよおまえ。
人の書き込みをよく読まず、憎悪だけで先走り、人を罵倒。
悪意のかたまりだよおまえ。
>>267 >>239で「西郷は命乞いしていたが、桐野はあくまで玉砕を主張した」
って書いてるだろうが。
命乞いというのは、つまり助命嘆願のことだよw 西郷が助命嘆願した
と書いてるわけだよおまえはw 自分で書いたことくらい覚えてろよな。
>>269 俺はごく常識的な指摘をしただけで、それを悪意と憎悪と罵倒に
でしかないとするおまえの見方が悪意と憎悪でねじ曲がってると
いわざるえないねw
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 17:04:16.90 ID:MHgu8CQo0
>>270 西郷”の”命乞い、と書けばよかったのか?
しかし、おまえが先走ったのはその書き込みについてではないのに
よくそんな幼稚な言い逃れができるな。
あきれてものが言えないよ。
西郷さんもおまえみたいなきもちわるい援軍しかいなくて可哀想なもんだな。
悪意と憎悪でねじ曲がってるヒトばかりが集まる西郷周辺
>>271 「西郷の命乞い」というと、誰が命乞いしたのか主語がわからない
じゃないかw いくら短く書いたほうがいいといっても、主語を
省いたら何のことやらわからないだろう。 日本語の書き方を
もっと勉強する必要があるな。
>>271 西郷の自身が助命嘆願したようなmislead はやめろ。意図的にしていることはお見通しだ。
西郷は命乞い&桐野怒りの発砲、でいいんじゃね
西郷軍の最高責任者は西郷隆盛
西郷軍から出た命乞いはすなわち西郷隆盛が命乞いしたも同然
これは屁理屈だが責任論で言えばそういうことだね
論破できる奴いる?
おまえは既に論破されているw おまえ以外には明白なことだw
>>275 おまえ、うけるよw
これまでの、議論が無駄だったなw
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 19:46:08.02 ID:MHgu8CQo0
>>275 正論ですねwww
屁理屈と言うが、276や277のアンチ正論派の人も屁理屈ですが、
屁理屈を突き詰めれば責任論、水掛け論になる。
だいたい、部下がやったことだとか、トカゲの尻尾切りみたいな言い訳って
命乞いより恥ずかしくないか?
いったいどこが高潔な人格者なんだと言いたいわ。
ほとんど、漫才だなw
西郷がいつ部下のせいにしたか?
その逆だから尊敬されているんだ。
下品なレトリック使って煙に巻こうとしてんなよ。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 20:10:14.87 ID:MHgu8CQo0
>>279 はあ? おまえだよ。
おまえが部下のせいにしてんだろ。
>>280 もうちょっと冷静になれば?火病起こしてるみたいですよ
>>278 面白い事いうな。wアンチ正論派の正論ってどっちを言ってんのか。
読者を混乱させるなよ。
正論派は西郷派なんだよ。おまえらは異端派、ヒールなんだよ。空気読めよ。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 20:15:55.88 ID:MHgu8CQo0
すいません。自分の書き方が足りませんでした。
西郷は命乞いなどしてない、それは部下のやったこと。
西郷の名誉は部下の犠牲によって守られる。
それは命乞いより恥ずかしいよねって話し。
それをドヤ顔で主張するおまえらって、ほとんど西郷逆神格化になってるよ。
軍議で、降伏して西郷の命を救おうと提案したのは、讃良清蔵だった
というね。で、諸将もこの提案に賛成して、西郷にはかったところ
「開戦以来、幾人の犠牲者がでたか、その人数を知りたい」と
いわれたので、みんな黙ってしまったとか。
降伏と助命の提案でなんでそんな話がでるかというと、その
莫大な犠牲者に対する責任は西郷にあるということを
問わずがたりに語ってるわけだね。つまり西郷は自分の責任の
重大さを自覚していたというわけで、世人に高潔な人格者だなあと
尊敬されるわけだよw
桐野に射殺されたというのが本当なら、もっとも親しい部下に見放されて
殺されたということになるわけで、世人はそういうのを見て、高潔な
人格者だなあと普通は賛美はしないが、桐野が西郷を射殺したのが
高潔な行いという理屈が通じるなら、西郷が助命嘆願したというのも
高潔な行いであるという理屈は述べられそうだなw
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 21:13:52.34 ID:MHgu8CQo0
>>284 それソースは? 西南記傳とかの捏造美談じゃないの?
そんな美談を仰々しく披露しないことには西郷の名誉は保てないのか?
人格者ぶってるだけの人物だからそんな実態があるかどうかも分からん美談が必要なんじゃないのか?
西郷が真の人格者なら、把握できないほどの死人が出て、軍略的にも逆転不可に
なった田原坂の時点で、切腹せずとも、戦争終了を命令したはずだ。
結局この人責任とることなく死んでるね。
美談を排して、事実関係だけ並べれば、たんなる無能、無責任、責任転換、ええかっこしで人望買い
そんな人物像しか描けないぞ。
>>285 >>58にも同じ話ような話が既にあるね。西南紀伝にのってるか
どうかはしらんが、西郷関係の本にはよく載ってる、とても有名な
話であるね。司馬の「飛ぶが如く」にもこの話載ってるんじゃないの。
「肚之西郷」に載ってる話と比較にならないくらい有名な逸話だね。
田原坂の時点で戦争終了できたはずだって、そりゃ戦争終結は
戦争開始以降、理論上どの時点でもできたはずだが、やはりまあ
当事者でないと理解できない流れってのがあるんじゃないの。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 21:30:49.42 ID:MHgu8CQo0
>>286 苦しい言い訳だなおい。ソースも知らずか。
おまえの主張って事実を明らかにするためにあるのではなく、
ぜんぶ、西郷神格化を壊さないための言い訳だわな。
理論上とかw
>>287 徳富蘇峰の「近世日本国民史」あたりにも載ってる有名な話だね。
この間読んだ江藤淳の「南洲残影」にも載ってるねw 他にも
調べれば沢山でてきそうだねw
286と287は良識ある大人と、ちょっと足りない子供との会話のようだな。
どっちが、どっちとか言うまでも無いよな。w
>>285 相変わらず、同じ反論だな。アドリブのできない中学生ギタリストみたいだな。
アンチ西郷タジタジだなw
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 21:46:01.59 ID:MHgu8CQo0
>>288 原典調べろよw
そして話に矛盾が無いかちゃんと調べてくれw
おれの予想では、原典は西南記傳。
その場にいたメンバーはみんな戦死してるのに、なぜか話しを一語一句覚えてる生き残りが出現したんじゃないのかw
>>292 おめえのソースはいくら調べても肚之西郷だけだし、原典を漁る
甲斐もないな。その場にいた全員が後に全滅したわけじゃないんで
反論はこれで十分だねw
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 22:05:27.94 ID:MHgu8CQo0
>>293 ほう、よくぞ言ったもんだ。
では、その場のメンバーと生き残りを全員おしえてくれ。嘘つきさん。
>>294 西郷の従者の吉左衛門は生き残ってるね。別府晋介の従僕の
小杉恒右衛門、豊富金右衛門は西郷の死後に別府から暇を
だされて、結局生き延びたというね。おまえが城川の実在の
根拠としてる
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、同小杉恒右衛門
にも、別府の従者小杉恒右衛門の名前はでてるね。城川だけ
生き残って、小杉は生き残らなかったって、そんな確証は
ないだろうw
桐野利秋も最後の決戦の前に、ついてこようとする自分の
従僕をおっぱらったって逸話が残ってるね。 はい軍議を
目撃した人間が誰一人生き残らなかったというのは嘘だね
嘘つきさんw
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 22:26:27.22 ID:MHgu8CQo0
>>295 その従僕さんたちが軍議を見ていた話しはどこから来てるの?w
まさか理論上の話じゃないだろうなw
ということで従僕ソースと、軍議に参加していたメンバーのリスト頼みます。
>>296 西南紀伝もってるなら、自分で調べりゃいいだろw おめ〜に
そんな手間かけてまで教える義務はないw
城山に籠もっていた薩軍総数は、軍夫従卒あわせて三百七十二名
だったそうな。従卒は年若いのが多くて、そういうのは命を惜しんで
先に返したというね。そういう記憶力のいい若いのが、城山のことを
よく覚えてるわけだねw
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 22:39:28.68 ID:MHgu8CQo0
>>297 そんな気持ち悪いゴマカシ、言い訳はいいから、はやくソースと、メンバーのリストお願いします。
>>298 まず全滅したのは嘘だったとおめ〜が認めるのが先だな。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 22:42:01.82 ID:MHgu8CQo0
全滅なんて言ってませんよ。
全滅しなかったということを証明するには、生き残りがいたということを
例証すればいいので、全員の姓名を列挙する必要ないねw
日航機の墜落事故で生き残りがいたということを証明するのに
乗客全員の名簿を提示する必要がないのと同じだね。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 22:45:14.11 ID:MHgu8CQo0
理論上の話しはいいんで、ソースとメンバーのリストお願いします。
>>300 >その場にいたメンバーはみんな戦死してる
つまり全滅ということではないか。西郷軍は全滅しなかったとすれば
軍議の目撃者が生き延びたわけだね。 城川は別府の従者であり
ながら、どうやって生き延びたんだ? 城川が城山の戦いに参加
していたのなら、それをまず明らかにするべきだろう
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 22:52:31.83 ID:MHgu8CQo0
>>303 すいません。誤読を誘うような書き方でした。
「その場にいたメンバーはみんな戦死してる」というのは、
どうせそんなオチになるんじゃないの?という文脈です。
正確なところはお前が知ってるんだろ?
いいかげんソースとメンバー出してください。
>>304 ってか、城川の目撃証言にしても従僕ソースなわけだから、従僕ソースの
信用性を否定するなら、おめーは自分で自分のソースの信憑性を
否定してることに他ならないわけだなw 生き延びた従僕が何人か
いたというのは示したよ。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 23:00:52.00 ID:MHgu8CQo0
城川が見たのは西郷の最期であって、軍議じゃないw
つまらん言い逃れはおまえがミジメになるだけだぞ。
軍議会おこわれたのは洞窟のなかで、三百人ちょいしかいなかった
というのだから、従僕は誰も軍議を聞いていなかったと想像する
ほうが不自然だろうw 従僕が軍議で発言することはなかったろうが
話は聞けたのでね。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 23:09:15.94 ID:MHgu8CQo0
まず軍議を300人全員でやったって話しはどこから来てんだよ?w
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 23:15:37.99 ID:MHgu8CQo0
>>307 ていうかそこまで言い切るって、おまえは少なくともソース知ってるってことだよなw
進退極まってる上のバカのかわりに教えてやってください。
>>308 ってか、おめーの発言からすると、従僕が軍議を聞いていたというのは
ありえないというのが前提になってるようだが。それを証明してみろw
>>309 ID:BKGgrWQgP= ID:/Mi7PL6p0 だよ。
別に自演というわけではない、書き込み規制が激しいから
p2にちょっと切り替えてみただけだ。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 23:26:46.41 ID:MHgu8CQo0
>>310 また、言い逃れか。
従僕軍議がありえないなんて言ってないよ。
あるならおまえがさっさとソース出せば済む話しだろw
ソースの無い理論上の話しというわけではないんだろ?
メンバーリストも頼むぞ。
>>311 じゃあ、従僕が軍議聞いてたのはありうるわけだな?
それならその軍議聞いてた従僕が生き残って、軍議の
様子を証言したというのもありうるわけだw
じゃあ、話はこれで終わりだなw おめーが従僕が軍議を
聞いてたことはありえないと証明しない限り罠。
諸将の従僕というのは、将兵の身の回りに控えてるわけでね。
諸将の発言というのを、覚えてるわけだよ。そういう従僕の
記憶から、現地の様子を再現しようと試みるわけで
おめーの城川証言もその一例にすぎないわけだよw
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/31(土) 23:40:43.68 ID:MHgu8CQo0
>>312 今度は、言った言わないの話しですか?
じゃあ何も言いません。
何も言いませんので、おまえは自力でソースとリスト出してくださいw
>>313 軍議を聞いていたのが、生き残った可能性は示されたので
あとはまあ、好きにしてくれw
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 00:57:59.92 ID:dSYmg0920
おいおい、半日ぶりに見てみたらえらい炎上してるじゃないかw
それにしても>283の苦し紛れの言い訳は見苦しいな…
ここ数日間のやり取りは何だったんだ?って話だぞ
俺が記憶してる限りだと、こいつのいい分は
西郷は降伏を主張、桐野は徹底抗戦を主張してて、
土壇場でも西郷が投降しそうだから桐野が後ろから射殺しただろ?
それを、どう書き間違えたら西郷は命乞いしてないって事になるんだが…
どう読み返しても本人が命乞いしたような語り口だろうが
あっさり撤回するところが卑怯というか男らしくないというか
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 01:07:21.87 ID:q0J9xg/h0
>>315 まだ言ってるの?おれの書き方が悪いのか、おまえが悪意で曲解してるのか知らんが、
「西郷は命乞いなどしてない、それは部下のやったこと。
西郷の名誉は部下の犠牲によって守られる。」
↑こういう話しは命乞いより恥ずかしいよねって話し。
それをドヤ顔で主張するおまえらって、ほとんど西郷逆神格化になってるよ。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 01:12:16.48 ID:dSYmg0920
いやいや、悪意をもって西郷の命乞いを罵倒し続けたのはオマエだろw
何を話すり替えてんねん
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 01:29:24.93 ID:q0J9xg/h0
悪意ってw 西郷の命乞いは事実だし、おれがその主張を撤回するわけないだろw
まあ、おれの書き方が悪かったと思う。
>>316の「」内の文章はおまえのような信者のことだ。
現実として西郷助命嘆願がなされているにかかわらず、
おまえのような信者は、それは部下のやったことだからなどと言い訳し、
さらにそのような部下がいる西郷はさすが人格者である、と言いたいわけだろ?
べつにいいけど、おれから見れば自分で責任をとらず部下に守られてる西郷ってカッコ悪いねって話しなんだが。
命乞い以下じゃん。天皇気取りかよって話し。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 01:33:19.14 ID:q0J9xg/h0
現実として西郷助命嘆願がなされているにかかわらず、
↓
現実として西郷助命嘆願がなされているにもかかわらず、
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 02:17:36.34 ID:q0J9xg/h0
まあ、つまらんあげあしの取り合いはこのくらいにしたいがどうか?
たまには信者さん寄りの情報も提供しよう。
西南戦争のおり、宮崎では西郷と西郷軍に期待する人たちも少なからずいた。
現に宮崎ではこんな歌が作られ流行った。
「可愛いい西郷さんにあげたいものは、金のなる木と玉ぐすり」
「薩摩西郷さんは仏か神か、姿見せずに戦する」
嫌味なのではないかという説もあるが、そんなことはないと思う。
しかし、西郷軍が「西郷札」を宮崎の人たちにつかませるだけつかませて逃走すると、
宮崎地方の人々は、一変して、
「肥後狸、薩摩狐に騙されて、西郷屁(最後ッペ)かいた、面のにくさよ」
と西郷と西郷軍を憎むようになったそうだ。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 13:42:30.85 ID:q0J9xg/h0
西南戦争ネタばかりでもうしわけないが、もう一つ、
西郷さんの「人格者ごっこ」が、いかに空虚なものであったか物語る史実を紹介しよう。
西郷軍が敗走していく過程で負傷兵はどうなったのか気になりませんか?
西郷の長男菊次郎も足を負傷し、俵野の病院で臥せていて連れていくことができない。
西郷は、病院を管理させていた中山盛高に
「万国公法というものがある。この公法に従って、政府軍が負傷者に残酷な扱いをせぬよう」監視を
要請し、桐野の提案で家々の軒に「病院」と書いた白旗を立てさせたうえで、その地を離れた。
このエピソードは西郷がいかに人格者か、万国公法にも精通するいかに有能な指揮官かを物語る美談として、
よく紹介されています。
しかし、この半年間の西郷軍の行状(万国公法を無視した処刑、放火、掠奪などなど)を鑑みると、
自分が困ったときのみ万国公法を持ちだす身勝手さには空ぞらしさしか覚えません。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 13:48:44.71 ID:q0J9xg/h0
とはいえ長男菊次郎やこの時の負傷兵は西郷さんの「人格者ごっこ」の
おかげで命を救われた人も多かったことでしょう。
長男菊次郎などは父西郷の特別なはからいで従僕を付けてもらい、
その従僕が菊次郎を背負い脱出、政府軍の西郷従道のところに行き保護してもらえました。
悲惨なのは誰からも放置された負傷兵や別働隊の将兵たちです。
西郷が駕籠に乗って可愛岳突破を決めたとき、付いて来れない負傷兵や遅れた別働隊の中から多くの自決者が出ています。
政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
「19日明け方、斥候を出して西郷軍の様子を探らせたところ、可愛岳および八水山のいたるとこで
屍体が散乱し、服装が綺麗な者(将校か?)は首が無かった。
あるいは薪を積んで屍体が燃やされていたり、あるいは土中に埋まっていたり、
あるいは刃を口に飲み込んで死んでいたり、あるいは馬の屍体を枕に死んでいたり、
あるいは谷に身を投げて死んでいたり、その数はおよそ250・・・」
【官軍による病院患者の惨殺】
「鹿児島 永田病院には重い創患者17名を収容し、
陥落前夜より病院の白旗を建てたりしも24日朝
新撰旅団の兵突入しことごとくこれを殺せり。
看護婦大いに驚き、如何にせば善からんと言ひつつ泣き出したるに、、、、」
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 14:59:21.23 ID:q0J9xg/h0
>>323 それはひどい話しだな。なにかで読んだ気もするが、
原典な何?いちおう。 捏造が多いんで。
↑薩南血涙史より
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 15:21:51.10 ID:q0J9xg/h0
「薩南血涙史」は西郷の最期でも「流弾が西郷の肩より股を貫く」とデタラメ書いてる、
信憑性が怪しい本だよ。政府軍を貶め、西郷軍の名誉回復をねらったプロパガンダ本です。
仮に、病院虐殺が史実でもそれは政府軍の問題で、
おれの問題じゃないし、ましてや西郷軍の凶状が薄まるもんでもないんでな。
プロパガンダな話しを書き込むなら、もうちょっと信憑性が出る形で書いたほうがいいんじゃないか?
新撰旅団の動機とか分からないの?
薩南血涙史は客観的なデータ、数字など詳細に示す記載が多く、
学者間でも信頼性の高い歴史書である。
肚乃西郷wの1万倍くらい信憑性が高い。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 15:39:18.88 ID:q0J9xg/h0
なんだいつものバカかw まじめに相手して損した。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/01(日) 23:55:24.45 ID:q0J9xg/h0
iPhoneかw
>>322 >政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
それはひどいですね。
その本「西南戦記」って本、誰が何年に出版されたのか教えてください。一応、たまに捏造、でっちあげがあるんで。w
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/02(月) 14:56:48.86 ID:MZ94Cm530
征西戦記稿じゃないん?
学研で発売されていた「西南戦争」との本を読み返しているが、桐野が西郷を射殺したとの説、話にならないほどに一蹴されて
いたぞ!
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/02(月) 18:08:01.53 ID:FuC/xHF/0
明治政府の連中の西郷評ってのが腑に落ちないってのは判るきがするが
ではその城川某の証言を信じる・・・という確証が乏しいのも事実かと
反薩摩ではない・実在する「だけ」では難しいと
書かれた本の内容が詳細であるとしても
ではそれを客観的に証明するものが他にあるの?等などね
龍馬暗殺・黒幕の有無ではないが状況証拠だけでは語られないと
>>333 ほんとうに一蹴できるならその内容書けば
このスレでも一蹴できるだろうに、だが絶対にこういうとき書かないんだよなあ、信者って。
内容書かずに、誰が否定してるからとか、学者の間ではとか、そんな低脳レスばっかり。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/02(月) 20:52:06.27 ID:usr9NsPr0
>>331 すまん、すでに誰かフォローしてくれているが「征西戦記稿」だ。
明治20年、参謀本部陸軍部編纂課編。
原文は以下のとおり
十九日払暁、斥候を派して賊の虚実を探ぐらしむるに、可愛岳及び八水山の諸所、
賊屍狼藉、服装稍美なる者、皆首級なし。
或は薪を積みて之を焚くあり、或は地に埋むるあり、
或は刃を轡み死するあり、或は馬屍に枕して斃れたるあり、
或は絶谷に投じて死するあり、其の数を慨するに、凡そ二百五十・・・
勇敢に闘い、散って行った薩摩兵士様、安らかに、
いっぽう西郷ジュニアは京都市長に栄達
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/03(火) 14:48:51.04 ID:+GiKK+Vv0
その後子孫は
殿様の血族に合流
だっけ??
西郷さんの孫は朝鮮人と組んで手形詐欺やらかして逮捕されました・・・
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/03(火) 23:35:25.13 ID:E9h/L3Wc0
マジだったw
んま〜西郷の孫ってだけで、ニュースにならないものがなっちゃうんだからね。
偉人の子孫たる、また禍いたるかなだ。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/04(水) 23:32:15.35 ID:6wCpvgnJ0
実体の無い大物称号三傑
キングカズ
大西郷
ドン小西
肚乃西郷って、言ってみれば西郷隆盛美談集だぜ
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/06(金) 00:28:13.34 ID:m+GMtrLI0
そうですよ。
このスレの信者はアンチ西郷のバイブルとか言ってるが、ぜんぜん違う。
むしろ信者本。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/06(金) 13:51:25.19 ID:qF5kYxy+0
そういや「お隣」な国の日本の初代首相を殺った英雄も
実は明治帝「信者」だった
みたいなもんか?
へ〜なんか珍しい他の本に載ってない美談でも載ってるの?
そういうのがあるんなら、ひとつふたつ示してほしいものだわ。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/06(金) 20:16:12.15 ID:m+GMtrLI0
収録されてるほとんどの美談が西南記傳や薩南血涙史、
あるいは南洲翁遺訓の焼き直しみたいな話しだったり、
そのものだったり。
桐野による西郷銃撃の話し以外はべつだん見る価値無しだな。
筆者は、銃撃は事実であると断言しているが、これをどう美談にするか苦心しながら書いてる印象だ。
>>349 つまりアンチ西郷は「肚の西郷」の都合のいいところだけ紹介してるってわけ。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/06(金) 23:36:29.39 ID:m+GMtrLI0
>>350 べつにアンチ西郷じゃないけどwアンチ信者ではあるな。
信者の人が求めるような美談は自分でその手の本買って読めば?
美談と事実は違うんで。
西郷に無名芋侍から、名士に引き上げてもらった桐野利秋。
親同然或いはそれ以上の存在だった。
仮に、晩年は西郷隆盛と若干意見が合わなかったことがあったとしても、
背後から西郷を撃ち抜き、さらに首を切りおとすなんてことは有り得無い。
>>351 アンチ信者が求めるような本って、探すのが大変だよな。
そこで、マイナー救世主、肚の西郷かw
持ってるがボロくさい本だぜ。
>>349 それほどまでに、矛盾した一貫性の無い適当な本を
アンチ信者は何故、盲信的に信じるのでしょう?
アンチ信者は自分の中の矛盾に気づいて欲しいです。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 00:02:36.73 ID:39GVBMUE0
>>352 肚乃西郷の作者もそんな感じだよ。そんな感じの信者まる出し、情感まる出しの願望表現がやたらと多いw
この作者は、西南記傳の西郷のカッコいい死に方も完全には否定できないようで、
桐野に撃たれた西郷が「どつかと大地に巨体を落し、両手を地につき遥かに皇城を拝し、
首を垂れて西郷の深き罪を謝するのであった」などと無理矢理フォローいれてるんだよねw
>>353 >>354 ただおまえと違うのは、この作者は城川の目撃情報を冷静に事実と認めていること。
れっきとして目撃者がいるし、
作者が言うに、自決なら洞窟のなかでやればいいわけで、わざわざ敵陣近くまで出ていくのは必要がないと。
たしかに、通説では敵陣に突撃したことになっている西郷だが、
外人の医者からこのままじゃ死ぬと宣告されるほど肥満していて、
股間にバレーボール大の睾丸ぶらさげた初老のオヤジがヨタヨタ突撃する図は本人も嫌だろうし、
まわりもやらせないだろうw
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 00:08:00.99 ID:39GVBMUE0
それとこれは私見だが、西郷は死んだあと首を隠された。
武将の作法ということもあろうが、
佐賀の乱でまさかの江藤首晒しがあったので、それを心配してのことでもあったろう。
首を隠すぐらいだから、敵近くで討ち死にして首が回収できない可能性がある突撃はしないだろうと思う。
>>355 肚の西郷では西郷が足速に投降しようとした様に書いてなかったか?
肥満で無理じゃ無いのか?
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 00:12:39.72 ID:39GVBMUE0
>>355 いくら肥満ていっても、最大時でも120kg、身長は180cm程度。
突撃は全然可能。
マークハントみたいな感じかな。
>>355 通説でも「れっきとした目撃者」談は多数存在いたします。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 00:41:51.02 ID:39GVBMUE0
>>361 その話しはすでに決着済み。
西郷の側近くに仕えているような重要人物で、
かつ、西郷はじめすべての登場人物や軍議の会話を一字一句まで覚えているような頭脳の持ち主で、
かつ、ほかの人はほとんど全滅してるのにその者だけ生還するという生命力の持ち主で、
かつ、西郷や幹部のまるで芝居のような偉大な死に様を後世に伝えた一種の英雄なのに、
誰もその英雄の名前も知らない。顔も知らない。その後、その英雄がどうなったのかも分からない、
それはそれは凄い「れっきとした目撃者」ですよねw
>>362 何度も申し上げますが、生き残りは相当数おり、各々の通説の目撃者の
話は小さな違いはあるが、おおかた一致しています。
だから、通説には説得力があるのです。
薩摩兵士はほとんど全滅しかけており、しかも弾雨の中で冷静に状況把握など
不可能と言うのはアンチ西郷の常套句。だけど城川だけは何故か特別だったらしく、桐野利秋が西郷を後ろから射撃し、さらに首を切り落とすところを
目撃しており、その又聞きをw別の人が西南戦争から64年経った昭和16年に
初めて紹介。w
降伏の軍議については降伏した使者のひとりが生き残ってるわけで
そいつに話を聞くのが一番であるな。山野田と河野のふたりが官軍に
おもむき、河野だけとらえられて尋問されたわけだ。
洞窟からでてきた西ク軍が「走っていた」という証言は、城川の他にも
あるね。「跳ぶが如く」にも載ってる。 西ク軍が全員城からでて
走っていたなら、西クが走ってるのは逃げるためと、桐野が誤解
するわけがないな。 だって他の連中も皆走ってるわけだからねw
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 01:41:46.89 ID:iYMHFERw0
つーか、ここのアンチって実社会にいたら単なる嫌な奴だよな
アンチ信者と自ら暴露してしまっているし
ほっときゃいいのに信者に粘着するのが趣味って、人間的に根暗すぎだろw
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 07:46:34.40 ID:39GVBMUE0
>>362 まったく適当すぎて話しにならないですね。
相当数って何人? そのうち目撃者って何人?
なんで名前も顔も分からないの?
一致って誰と誰の話しが一致してるの?
全部教えてください。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 07:47:14.39 ID:39GVBMUE0
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 07:53:15.64 ID:39GVBMUE0
>>364 城川は、西郷軍が全員走っていた、なんて証言してないよ?
だいたい読んだことあるの?
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 08:09:52.15 ID:39GVBMUE0
>>365 粘着してるのは信者のほうだろうな。
こっちはたんに、あまり知られていない西郷の最期の有力証言を紹介してるだけなのに、
頭ごなしにアンチ西郷あつかいで毎日粘着されて嫌がらせを受けてるわけだ。
信者にとって桐野射殺が不愉快なのは分からなくもないけど、
上のような願望論や感情論ばかりでまともな論理的な反論が一つも無い低脳レスばっかしだし。
いい加減アンチ信者にもなるわ。
>>368 もちろん城川以外の証言さ。 官軍の第四旅団浅田信興による証言では
西ク一行が抜刀して坂を駆け下りていたとなってるね。
だからね、城山から走って駆け下りていたのは西クだけでないと
そういう話さw 西クは城山の洞窟からひとりでくだってったのか?
城川証言ではどうなってるんだよ?w
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 12:52:55.35 ID:39GVBMUE0
>>370 おまえ、どう読んでも城川がそう証言していたように書いてるだろ。
クズ信者はこれだから。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 12:57:25.24 ID:39GVBMUE0
>>370 浅田信興の証言など聞いたことがないわ。
おまえのような女の腐ったような言い訳ショボ男が言うことだからな。
>>371 西郷が駆け降りてたという話はどっちも
共通してるからねえ。で、西郷以外の将兵は
なにしてたの?他の証言では、みな洞窟からでて
坂から駆け降りてたとなってるから
城川証言でも当然そうなんだろ?w
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:03:47.50 ID:39GVBMUE0
>>373 読んでないのになんで共通してると分かるんだ?
うその上塗りは見苦しいぞ。やっせんぼ。
>>375 なに寝言いってんだ? 自分でさんざんこのスレに
城川証言引用してるやんかw
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:06:01.98 ID:39GVBMUE0
>>374 やっぱりうそだったかw おなごんくっされw
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:08:36.86 ID:d8ex3Z110
「女の腐ったような」って鹿児島特有のいいまわし?
>>377 無知に凝り固まったやつには、もう手のつけようがないねw
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:22:21.84 ID:d8ex3Z110
ここにいたり、良識のある通説論者達が、重い腰をあげアンチ西郷に
反論を始めているが、やはりアンチ西郷の矛盾が至る所に露呈されている。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:23:45.26 ID:39GVBMUE0
>>379 城川証言も読んだことがないのに、さも読んだことがあるようにうそを付き、
浅田とかいう人物の証言で、西郷一行が抜刀して駆け下りてきたなどとさらにうそを付く。
うそがばれると、城川証言がそう引用されていたとうその上塗り。
いずれも1秒でうそと見抜かれるショボうそをわざわざ連発。
ぐらしかな〜、おまえw.
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:31:53.91 ID:d8ex3Z110
何なら肚の西郷の原文を紹介してみようか?
アンチ信者みたいにひまじゃねーから、今はしないがな。
適当、不明確で、不明瞭な状況描写、根拠なしの筆者によるつじつまあわせの桐野の感情描写、
など大量に矛盾点を見つけられるぜ。
アンチ信者もそれをわかっているからあえて示さないんだろ?
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:40:09.05 ID:39GVBMUE0
>>382 なにを今さら。
肚乃西郷の筆者は典型的な西郷信者で、
城川の証言を美談化するのに苦心やフォローのあとが見られるのはすでに述べた。
肚乃西郷で重要なのは、城川という人物が、桐野が西郷を銃撃したのを目撃したという事実であり、
それ以外のことには価値が無いともすでに述べた。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 13:58:16.88 ID:d8ex3Z110
>> 383
お前は城川の目撃というところだけ、事実という訳だが、根拠は何なんだよ。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 14:24:30.56 ID:39GVBMUE0
城川が目撃したと証言したのは事実であろう。
城川が証言した細かい状況は、肚乃西郷の話とは違っていた可能性は多分にあるが、
銃撃したことには変わりないはずだ。
城川がキチガイの可能性もあるが、玉砕と考えれば、銃撃はべつだん不自然な話しでも無いし
(信者にとっては不都合なのかな?)、
城川が嘘を付いていなければ、銃撃は事実だろう。
キチガイの可能性があるかぎり、断言はしないが、
しかし別の、捕虜の証言(西郷が倒れて、その後桐野が来て首を刎ねたうんぬん)とも符合する部分があるし、
少なくとも最有力説とするのは当然かと思うが。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 17:59:20.76 ID:d8ex3Z110
>>385 >しかし別の、捕虜の証言(西郷が倒れて、その後桐野が来て首を刎ねたうんぬん)とも符合する部分があるし、
少なくとも最有力説とするのは当然かと思うが。
お前墓穴を掘ってるよ。 お前の重大な、反論不可能な嘘と矛盾、捏造を指摘してあげるよ。
肚乃西郷には桐野が首を刎ねたとは書いてないんだよ。
『桐野は興奮した聲で、「晋どん、吉つあんが苦しんでおらるるから、早く首を斬つてあげよ」
と叫び、、、、』 p113 肚乃西郷 より
となっているんだよ。
お前の言っている捕虜の証言と矛盾するんだよ。
アンチ信者よ、残念でしたね。 しょうもない言い訳は無しでお願いいたします。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 20:41:39.23 ID:39GVBMUE0
>>386 なんかおまえへんな興奮してるな。
気に食わない奴を論破し溜飲を下げたい一心で、人の書き込みをよく読まず、
過去レスも読まず、鬼の首とったつもりでドヤ顔か。
いちおうマジレスすれば、符合する「部分」があると書いただけだが?
西郷がうずくまったという捕虜の証言と、
西郷が撃たれて地に両手を付いたという肚乃西郷の記述(この部分がほんとかどうか知らんが)
は、いちおう符合しているとは言えるだろ?
以前に信者で、肚乃西郷で桐野が西郷の首を刎ねていると勘違いしてる奴がいて、
おれはそんなことは書かれていないと指摘してるぐらいなのに・・・
過去レス読んで確認してくれ。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 20:46:05.09 ID:39GVBMUE0
それとな、おまえはじめ粘着信者は一体何がしたいんだ?
城川説を否定したいなら、否定を実証する材料出せばいいだけなのに、
なんでおれごときの書き込みの揚げ足をとるようなことばかりするのか。
まあ、結局のところ論理的に城川説が否定できないので、
紹介者のおれに不満の矛先が向いているのだろうが、
俺は城川じゃないし、胎乃西郷の作者でも無いんでな。
いいかげん幼稚な嫌がらせは勘弁してくれよ。
だいたい、肚乃西郷読んでて、桐野が西郷の首を刎ねたとか誤読するバカがいるわけ無いことぐらいバカでも分かりそうなものなのに。
よっぽど無能だなお前。
>>388 俺はしょーもない言い訳をするなと言ったろう。
おまえは
>>385で桐野が斬首したといってるじゃねーか。
言って無いつもりってか?
>>385 推論ばかりなのに、城川説を強力に事実認定。
恥ずかしくないのか?w
激しく非論理的だそ、w
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 22:41:05.05 ID:39GVBMUE0
>>389 つもりもなにも現に言ってないが?
おまえ日本語に不自由な人?
敬天愛人大好きな職業右翼のほとんどは実は在日だというけどそういうことなのか?
あほらし。
肚乃西郷をわざわざ入手してるあたり一瞬まともな話しができる人かと思ったが・・・
>>387 その程度で符合するとか言ったら、通説と
もきれいに符合するじゃねーか、w
部分的に符合するとか、なんとか、下手なレトリックは辞めろよ。
そんな屁理屈いったら、通説と反対説の
議論にすらならない。
ま〜論理的にありえるかありえないかって話と、可能性が高いか
低いかって話は別だからね〜
司馬は城川説が成り立ちにくい根拠を三点あげていて
1.西クが逃げようとしても、薩軍が自軍を閉ざした岩崎口の大矢来に
はばまれて、政府軍側にいけるものではない。
2.西クが別府にかねてから介錯の意思を伝えているなら
桐野とは親友以上の仲であった別府から、その旨聞かされて
いないはずがない。
3.城川という姓は薩摩には皆無、別府の従僕にもいなかった。
まあ、3.が崩れたとして、1.2.については反駁されてないわけ
だから、桐野が西クを撃ったという可能性はやっぱり低いとみなすのが
妥当だよねw
しかし肚之西クにあるという桐野のこの台詞
「晋どん、吉つあんが苦しんでおらるるから、早く首を斬つてあげよ」
この台詞は確かに桐野がいいそうな気もするw 自分で西クを
撃っておいて、こんな台詞いうというのは、なにかわけが
わからないというか。 まあ、特に桐野が撃ったという説を
とらねばならない論理的必然性が感じられないねw
桐野がこの時点で発狂したってことなら、辻褄はあいそうだが
それはもう説明の放棄でしかないので、「このへんでよか」の
ほうがずっと辻褄あってるなw
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 23:26:44.57 ID:39GVBMUE0
>>394 1.心神喪失状態で発作的に投降しようとした人間なら、
そこまで考えて行動しないだろう。
物理的に政府軍側にたどりつけないのと、投降しようと試みることには関係無いんで。
2.ちょっと意味が伝わってこないのだが・・・
3.城川は実在する
ていうか、おまえが言ってる浅田なんとかの証言(全員抜刀して走ってきたw)が実証できれば城川説も崩れるが、
なんでダンマリなんだよw
あれはやはり嘘か?
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 23:34:37.58 ID:39GVBMUE0
>>395 発狂したというなら、桐乃から見れば発狂したのは西郷のほうで、
桐野は西郷を楽にさせてやるために泣く泣く撃ったと考えるのが普通だろ。
なんで桐野が発狂するんだよw
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 23:38:43.33 ID:39GVBMUE0
>>398 ていうか、おまえが言ってる浅田なんとかの証言(全員抜刀して走ってきたw)が実証できれば城川説も崩れるが、
なんでダンマリなんだよw
あれはやはり嘘か?
>>397 伝えられる桐野の最後の奮戦ぶりというのは、実際かなり
キチガイじみてるからねw
>>399 実在した人物がそう証言してるという資料があるんだから
それで十分だろうw じゃあ、城川説が嘘じゃないって証明
してみろよw
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 23:41:01.86 ID:39GVBMUE0
>>400 ていうか、おまえが言ってる浅田なんとかの証言(全員抜刀して走ってきたw)が実証できれば城川説も崩れるが、
なんでダンマリなんだよw
あれはやはり嘘か?
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 23:42:40.87 ID:39GVBMUE0
>>401 だったらその資料と該当箇所引用しろよ。無能くん。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/07(土) 23:48:07.70 ID:+islSo8u0
長きに渡り人間としても上司としても尊敬していた人物を・・・といいますか
つまりは桐野が「勝手に」作り上げた西郷という人物のイメージ(妄想)が
戦争の極限状態になってはじけ飛んだ
あまりにもかけ離れた(イメージに)行動についにブチ切れて西郷を銃殺
そしてそのイメージ西郷wを継ぐ決意をし最後の戦いに挑んだ・・・・
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 00:04:22.61 ID:39GVBMUE0
なんで信者ってこんなバカしかいないの?
はーい、ぶつぶついってないで、上記の資料に反駁して
西郷一行は駆けていなかったという資料を提示してくださーいw
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 00:12:42.50 ID:qtc4CX1F0
>>407 それは資料じゃないな、小説です。フィクションw
信者のソースはフィクションですかw
>>408 肚之西郷にも、フィクションと事実がいりまじってるわけでねw
これは「翔ぶが如く」も同じw フィクションが混じっていると
いうことで、資料価値を否定するなら、肚之西郷の資料価値も
否定せんといかんなw
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 00:20:57.43 ID:qtc4CX1F0
信者のソースはフィクションw
>>408 で、福岡県八女市のHPの記事については、まったく反駁できないの?w
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 00:30:23.46 ID:qtc4CX1F0
>>411 反論する価値すら無いページだろw 浅田のことなんて書かれてないし、
薩南血涙史が元ネタのゴミ情報じゃんw
信者のソースはゴミページw
>>412 ゴミページだってw 一応市役所の公式ホームページだぜ。
おまえのゴミカキコよか、よっぽど公信力があるなw
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 00:35:42.22 ID:qtc4CX1F0
市役所w 公式ホームページw 公信力w
信者のソースはゴミページwww
ID:qtc4CX1F0のカキコがゴミカキコということが明らかになってしまったw
我ながら全く情け容赦がない。 じゃあ、今日はこのあたりで。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 00:55:41.03 ID:aU788SxD0
うわ〜、なんかアンチ君がここに至り驚愕のことを言い出したね
えっ?桐野が西郷の首を切ったってずっと言ってたよねコイツ?
俺はそんな事を言った覚えはないって、じゃあオマエは何を言いたかったんだーーー!!!
>>385 >>387 この二つの記事は同じアンチ西郷が書いたものであるが、
これを屁理屈として言わず、なんと言えましょう。w
こいつが人を無能呼ばわりしているのは悲壮感しか伝わらない。w
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 01:20:54.66 ID:qtc4CX1F0
ふ〜ん。理屈で負けて無能呼ばわりされたのがそんな悔しかったんか。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 01:24:11.33 ID:aU788SxD0
>>418 つーか、オマエそもそもムチャクチャじゃんw
人に対して理屈うんぬん言えねーだろ、カス
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 01:31:41.88 ID:qtc4CX1F0
感情論ってw 無能くんにはそれが感情論に見えるのか?
なんか申し訳ないな。おまえにふさわしいゴミレスなのにw
>>421 お前、もうとっくに終わってるよ。
恥じらいのある日本人なら潔く認めなさい。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/08(日) 01:53:09.02 ID:qtc4CX1F0
>>422 おまえのそのカキコが感情論そのものだなw
おまえ、自分が論破したと思ったらとんだ見当違いで、
逆に赤っ恥掻かされて、それを気にしてるんだろうが、
べつにおれはおまえをなんとも思ってないから気に病むな。
>>421 アンチ西郷が自分で、自分自身のレスがゴミレスと認めた瞬間。www
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 00:22:21.44 ID:+k79cMGh0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島県城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を断られ、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 00:23:04.62 ID:+k79cMGh0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に銃撃されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっていますが、
その西郷の足を撃ったのは、西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃撃したというのが真相のようなのです。
目撃者の証言もあります。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 00:23:49.49 ID:+k79cMGh0
西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に”正座”し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無し。
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんです。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が”正座”できるわけがありません。
東大図書館に保存されている西郷遺体の検死報告書を見ても腹部に刀創はありませんでした。
切腹はしていないのです。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
つまり太腿を銃で撃たれたあと、首を切断されたということです。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 07:54:42.27 ID:+k79cMGh0
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 07:55:38.96 ID:+k79cMGh0
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 13:17:49.06 ID:0bPEiBeq0
こういう話は信用されて
UFOに拉致された;;なんて話しはオカねたになってしまう不思議;;
西郷も政府軍の百姓兵に撃たれるよりも、愛弟子の桐野の手であの世に送ってもらったほうが本望だったんじゃないか?
しばらく前のレスで、アンチ西郷のその珍説の怪しさを、痛烈に指摘されたはずなのですが、またですか?
たしか、西郷信者の反論ソースが小説だったことがバレて、
信者が逃亡して終わったはず
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/09(月) 23:08:38.01 ID:eHZTyqfh0
アンチのワンパターンぶり、粘着ぶりが滑稽だな
単にネガキャンしたいだけじゃん
とりあえず西南戦争の基礎資料といわれる西南紀伝について
歴史学者の評価をあげておくな。
歴史書と「歴史」の成立
『西南紀伝』の再検討 大谷正
http://www.senshu-u.ac.jp/School/horitu/publication/hogakuronshu/100/otani.pdf >この書物は戦前期に刊行された最も大部かつ代表的な西南戦争の研究書であり,
>戦後もこれを超えるものはないし,そもそも本格的に西南戦争を総合的に研究した
>書物は出版されていないと思われる。
>右翼結社が,日韓併合の時期,自分たちの主張の正当性を世に問うため
>に出版した本書は,戦後は批判的に評価されることが多かった。しかし,
>史料の蒐集に力を入れ,史料の選択も優れていたために,現在でも西南戦
>争について言及する際に使用されつづけ,結果的に歴史家の西南戦争叙述
>の枠組みを縛りつづけているのである
大谷正ってひとは、専修大学の歴史学の教授だそうで、つまり
歴史学者だよね。
引用文中、「右翼結社」とあるのは、いうまでもなく黒龍会のことであり
その頭目の内田良平は大アジア主義者、大陸右翼として有名だね。
だから、右翼結社が出版したということで、西南紀伝は戦後批判的に
評価されることが多かったが、史料の収集、選択において、これを
上回る西南戦争の史伝は結局ないってことだなw 右翼が編纂した
歴史書だから、見るのも嫌だって感情的に拒絶しても、結局これ
以外の総合的な西南戦史はないので、「肚之西ク」をさして
「戦前期に刊行された最も大部かつ代表的な西南戦争の研究書」と
評価するのは、ハナから不可能だろうw つまり西南紀伝と肚之西クじゃ
史料としての価値ははなから勝負にならんということだw
大矢教授も西南紀伝による西南戦争叙述の枠組みの
縛りをゆるめるべく、論文中において、西南紀伝成立
以前の新聞報道や、官軍側の史料を分析しているね。
しかしまあ、西南紀伝による叙述の枠組みを壊せているかと
いうと、それはさすがにないという感想だね。まして
肚之西クのコピペで壊せるなどと考えるのは、単なる
妄想といわざるえまいw
おつぎは薩南血涙史についてね。
この「海鳴記」というブログの筆者は薩南血涙史には批判的なひとだね。
鹿児島に在住らしく、鹿児島の地元の史料を非常に広く読んでいるね。
西南戦争史料・拾遺(49)
http://blog.goo.ne.jp/boat-swain/e/41414057e7bf1d8cd41279bd658367ab >私の『薩南血涙史』に対する抜き難い偏見がここまで強かったのかと改めて驚いている。
>この私の偏見というものをもっと具体的にいえば、出水事件や大河平事件ばかりでなく、
>数々の斬殺・処刑をまるでなかったかのように記述した、この厚冊の本を許せなかったと
>いうことなのである。薩軍側の最初の鎮魂の書であり、その子孫たちのバイブルとなっただけに。
薩南血涙史が薩軍による残虐行為について全然ふれてない!って
筆者は怒ってるわけだね。
しかしながら、そういう風に「血涙史」には批判的なひとでも
西南戦争史料・拾遺(63)
http://blog.goo.ne.jp/boat-swain/e/49eeede701a8c50a46a74b322c38ad31 >この「論文」の著者は、全体を通して、全く『血涙史』については触れていない。鹿児島の郷土史家で
>この本を読んでいないということはありえないし、本来なら、『血涙史』ではこう言っているが、地元の
>記録ではこうだ、こう語り伝えられているとか、言っていいはずなのに、ここでもそういう記述はない。
>まるでそういう本が存在していないかのように。
以上のように、「薩南血涙史」は鹿児島の郷土史家にとって必須史料と
みなされているわけだな。批判すべき点はあるにせよ、史料としての価値は
必須史料というべきものと評価されてるわけだ。 「肚之西ク」が西南戦争を
叙述するための必須史料として、歴史学者、郷土史家に認められる日は
果たして来るのだろうか?
西南戦争について包括的、総合的、客観的史実を網羅した
歴史書は西南記伝をおいて他に、後にも、先にも存在しない。
当然これからも、この事実は変わらない。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 00:34:03.22 ID:jUdW/pWL0
>>435-440 またあれか。おまえが自分で検証したわけでもないのに、評価してる人がいるからこれは評価できる理論ですかw
むしろ「西南記傳」や「薩南血涙史」に懐疑的な評価のほうがよほど多いだろうに。
自分で検証し、自分の言葉で主張する、ということができないか?
ネットで拾ったどこぞのブログがこう言ってるからとかw
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 00:35:19.43 ID:jUdW/pWL0
手短に言う。
既出だが、西郷の死体検案書によると腹部に傷は無い。
いっぽう「西南記傳」では西郷が切腹して果てたとことになっている。
この一点だけとっても、いかにデタラメな資料か分かろうというもの。
これのどこが客観的史実なんですかw
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 00:37:13.52 ID:jUdW/pWL0
「肚之西ク」もあきらかに「西南記傳」の影響下にある信者本、アジア主義本で、
「西南記傳」同様信憑性に欠ける記述が多いのだが、
桐野による西郷処刑の目撃談は”ソースが明確”であり、「肚之西ク」本文と切り離して、真説の有力候補として扱って
かまわないと考える。
その点、「西南記傳」での西郷の最期は目撃者の身元など”ソースが不明”で、
かつ前述したとおり、切腹などとデタラメを書いており、これは歴史学的にはまったく信憑性が無い。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 01:12:21.14 ID:re1B7I7T0
387を見ると、コイツがいかに一貫性のない屁理屈を言っているかわかるな
それと
>>417もアンチ西郷君の正体をよく表している。
>>441 懐疑的な評価が多いっていうなら、そのソースをあげろw
歴史学者で懐疑的な評価をしてる例も、あるならあげてみな。
自分で検証しって、おまえはただ肚之西クという一冊の本を
盲信してるだけじゃないかw
>>442 ほほ〜おめーさん、西南紀伝を読んだことがあるのか?
じゃあ、西クが切腹して果てたという記述が西南紀伝に
あることを確認してるんだな。それならその該当箇所を
引用してみな。
引用できなきゃおまえは嘘つき決定なw
>>443 西南紀伝は、歴史学的にまったく信憑性がないと評価している
歴史学者をあげてくれw
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 01:41:27.01 ID:jUdW/pWL0
>>446 おまえがそう思うなら全部自分で証明してみろw
それができなきゃ、おまえは人をウソ付き呼ばわりしかできないハッタリ野郎だなw
肚乃西郷って本、歴史書と程遠い、薄っぺらい陳腐な小説だぜ。
司馬遼太郎よりも客観的な史実の記載ははるかに乏しい。
肚乃西郷の99%は他の歴史書の孫引きと南州翁遺訓の写しで占められているテキトーな本だよ。
著者の血と汗など微塵も感じられない俗な本です。
甚大な人数によって、魂を込めて編纂された西南記伝と並べると象と蟻みたいな感じ。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 01:56:49.48 ID:jUdW/pWL0
ふ〜ん。おまえの印象がそうならべつに否定はしないよ。
それで城川説がゆらぐものでもないんで。
>>447 ハハハ、何ひとつ質問に答えられないようだねえw
西南紀伝を読んだことあるの?ないの?
西クが腹切りしたって西南紀伝に書いてあるなら
引用してみなよ〜
できなきゃおまえは嘘つき決定♪ 二回目ね。
にしても書き込み規制がうっとうしいなあ…
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 02:15:27.19 ID:jUdW/pWL0
西南記傳についてはこれで十分でしょ。
西郷の死体検案書によると、”腹部”に傷は無い。
いっぽう「西南記傳」では西郷が”切腹”して果てたとことになっている。
この一点だけとっても、いかにデタラメな資料か分かろうというもの。
これのどこが客観的史実なんですかw
ていうかこのインチキ本の作者は死体検案書の存在知らなかったのか?
知らなかったから、創作してもバレないと思ったんだろうが・・・
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 02:55:17.94 ID:jUdW/pWL0
べつの資料によると、西郷は亡くなる数日前から心神喪失状態だった可能性すらあるんだよね。
助命嘆願の前日、洞窟で桐野が「もはや再興の機を失った」と嘆き、(玉砕するか降伏するか)将校みな激しく議論する。
西郷は席に肘でもたれたまま何も言わず、時に大笑いし、天井を見上げるのみ。
辺見十郎太は、そのようなあり様の西郷を不満顔で睨んでいた。
信者さんにソースは分かるかな?w
>>452 結局、ID:jUdW/pWL0は、一行たりとも西南紀伝から該当箇所を引用
できないことだけが明らかになったね。
というわけで、ID:jUdW/pWL0は嘘つき決定ですw おめでとう♪
嘘つきの舌には、その言葉を誰にも信じてもらえないという
呪いがかかっている。 その呪いを解くには、嘘をついたことを
認め、泣いて懺悔する以外にないw しかしそんなことは
嘘つきのプライドが許さない。 だから嘘つきは呪われたまま
彷徨い続けるのがさだめw
キモっ
子孫は西郷のネームバリューを駆使した版権ビジネスでどれぐらい稼いだんだろう?
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 14:12:18.14 ID:ewd6/M2c0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷隆盛は大隈重信に「西郷くん」と呼ばれていた。
大隈は西郷より10歳年下である。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 14:12:54.87 ID:ewd6/M2c0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷が鹿児島で外出する時は、「地上での土下座では恐れ多い」と百姓たちを道のわき溝の中に飛びこませ、
水から首だけ出して西郷一行を出迎えさせていました。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 14:13:39.25 ID:ewd6/M2c0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷リスペクトを広言している政財界人
小沢一郎 (民主党 → 国民の生活が第一 → 日本未来の党 → 生活の党 →参院選当選ゼロ)
鳩山邦夫 (ルーピーの弟 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー)
渡辺美樹 (ワタミ社長 「365日24時間、死ぬまで働け。」)
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 14:14:21.20 ID:ewd6/M2c0
<西郷どんのちょっといい話し>
西南戦争”熊本攻城戦”で苦戦していた西郷さんが戦局を分析した。
「敵の大将は土佐の谷干城だが、参謀の樺山資紀が薩摩出だから、城は容易に落ちないのだ」
「わしは官軍に負けたのではない清正公に負けたのだ」
・・・
数で圧倒していた西郷軍でしたが、3日間の激戦の末、一兵も城内に入ることができませんでした。
これにより「西郷軍弱し」の風評が全国の士族団に伝わり、西郷軍の孤立化はますます深まったといいます。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 14:15:40.44 ID:ewd6/M2c0
<西郷どんのちょっといい話し>
助命嘆願の前日、城山の洞窟で桐野利秋が「もはや再興の機を失った」と嘆き、(玉砕するか降伏するかで)将校みな激しく議論した。
しかし西郷さんは席に肘でもたれたまま何も言わず、時に大笑いし、天井を見上げるのみだったそうです。
この時点で西郷さんは西郷さんでなくなっていたのかもしれませんね。
西郷さんは大きい男だな
としか思えないのですがw
桐野
「もう終わりニダ」
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/10(火) 23:46:38.13 ID:re1B7I7T0
狼少年は逃げ去ったようですな
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 01:09:06.97 ID:3Oc8HSja0
西郷さんの「人格者ごっこ」が、いかに空虚なものであったか物語る史実を紹介しよう。
西郷軍が敗走していく過程で負傷兵はどうなったのか気になりませんか?
西郷の長男菊次郎も足を負傷し、俵野の病院で臥せていて連れていくことができない。
西郷は、病院を管理させていた中山盛高に
「万国公法というものがある。この公法に従って、政府軍が負傷者に残酷な扱いをせぬよう」監視を
要請し、桐野の提案で家々の軒に「病院」と書いた白旗を立てさせたうえで、その地を離れた。
このエピソードは西郷がいかに人格者か、万国公法にも精通するいかに有能な指揮官かを物語る美談として、
よく紹介されています。
しかし、この半年間の西郷軍の行状(万国公法を無視した処刑、放火、掠奪などなど)を鑑みると、
自分が困ったときのみ万国公法を持ちだす身勝手さには空ぞらしさしか覚えません。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 01:10:10.77 ID:3Oc8HSja0
とはいえ長男菊次郎やこの時の負傷兵は西郷さんの「人格者ごっこ」の
おかげで命を救われた人も多かったことでしょう。
長男菊次郎などは父西郷の特別なはからいで従僕を付けてもらい、
その従僕が菊次郎を背負い脱出、政府軍の西郷従道のところに行き保護してもらえました。
悲惨なのは誰からも放置された負傷兵や別働隊の将兵たちです。
西郷が駕籠に乗って可愛岳突破を決めたとき、付いて来れない負傷兵や遅れた別働隊の中から多くの自決者が出ています。
政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
「19日明け方、斥候を出して西郷軍の様子を探らせたところ、可愛岳および八水山のいたるとこで
屍体が散乱し、服装が綺麗な者(将校か?)は首が無かった。
あるいは薪を積んで屍体が燃やされていたり、あるいは土中に埋まっていたり、
あるいは刃を口に飲み込んで死んでいたり、あるいは馬の屍体を枕に死んでいたり、
あるいは谷に身を投げて死んでいたり、その数はおよそ250・・・」
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 10:19:25.99 ID:6Rj6y95r0
>>462 そこはニュアンスを正確に言えばこんな感じですね。
<西郷どんのちょっといい話し>
助命嘆願の前日、城山の洞窟で桐野利秋が「もはや再興の機を失った」と嘆き、(玉砕するか降伏するかで)将校みな激しく議論した。
しかし西郷さんは席に肘でもたれたまま何も言わず、突然大笑いしたかと思えば、うつろに天井を見上げていたそうです。
この時点で西郷さんは西郷さんでなくなっていたのかもしれませんね。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/11(水) 14:45:05.20 ID:hNP/wS6T0
西郷軍の戦がかなり悲惨であったというのであれば
同時期で悲惨「ではない」戦と比べるのが普通だよなーw あるん??ww
終戦間際の極度な緊張感の中の「観察」とは如何に?
他人が動揺していると感じることは「自らの」精神状態と果たして無関係であるのか?
助命嘆願についても、相手の川村が「頭一人でこい」と云った以上
一人で下野もなくもなし。
さてその心境は?といわれれば、これは微妙だとは思う
当然、自分のことはともかく「他の連中だけは」と思っていたかもしれんし
その逆も然りwwだと
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/12(木) 01:23:10.46 ID:V41ScPuD0
西南の役がデタラメで悲惨なのは、従軍などしたくなかった郷士(自活してる百姓兵)や外城士を強制的に従軍させ大勢死なせてることだよな。
戦いの後半では人夫の百姓までも兵士に仕立て死なせていた。
ほかの不平士族の反乱で、強制従軍があった話しなど聞いたことが無いぞ。
<西クどんのちょっといい話>
ソース元がほとんど書いてないね。唯一明記してあるのは西南戦記?
ひとに五月蠅くソースを要求するわりには、自分はぜんぶ風説なみの
語り方してるんだからねえw
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/12(木) 08:47:05.66 ID:AsQHrQaU0
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/12(木) 12:07:57.24 ID:6O2HfMXh0
西郷軍に逆らうとこうなるぞと、村々で従軍命令に従わない郷士を斬り殺して見せしめにしていたらしいな。
そうやって立場の弱い郷士を前線に送り込んだが、
政府軍の猛攻に踏みとどまれず下がってくる者も多かった。
それを後ろにいる辺見十郎太が斬り殺し、押し戻すという新撰組ばりの恐怖支配を用いて、
はるか後方の人格者西郷隆盛の安全は確保されていた。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/12(木) 12:28:01.21 ID:bIv9KbB10
>新撰組ばりの恐怖支配
ん?自爆かw?
だよなぁ〜西郷軍「だけ」ではないってことですよねwww
「だけ」ではないからOK!という思考パターンは理解に苦しむなあ
西郷さんの敬天愛人思想ってのもそんな感じなの?
ずいぶん軽い思想なんだな。
477 :
忍法帖【Lv=8,xxxP】(1+0:8) :2013/09/12(木) 19:27:50.72 ID:NNppftI+0
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 15:40:07.37 ID:gmLIcCMG0
西南戦争て、薩摩の無能なオヤジたちがへんなプライドにこだわって火病起こしたアホな戦でしょう
たまたま薩軍の隊長だったとかそんだけの理由でいきなり将官に昇って
、
自分たちはそこらのオヤジとは違うと幻想持っちゃったのかな
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/13(金) 18:46:19.23 ID:dD4FNFOU0
でも正直
ではその偶像が見破られたとしても「で何??」な感じ
長州人に使われて、捨てられたオッサン、それが西郷隆盛。
無知なやつは幸せ
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 00:52:52.41 ID:kRcCMBcr0
たしかに使われてはじめて真価を発揮するのが西郷さんだったな
斉彬に使われ、大久保に使われ、大村益次郎に使われ、山県有朋に使われ、それなりに頑張った。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/14(土) 04:59:47.48 ID:o3587XXD0
西郷さんを過小評価してる奴って、典型的な中二病だよな
西郷どんがビビりとか英雄とかの論議より
この人が辞職した理由の国民皆徴兵論議
現代では職業軍人でしか戦えないとの
論調で士族でしか国土は守れないとの意識朝鮮問題、外国からの侵略など今でも、この方の広い見識には改めて感心する。
>>482 本当にフトコロの広い人だ。
彼らに利用され裏切られても、私欲、私心を捨てその身を国のため捧げた。
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 11:49:20.93 ID:IrNirQEb0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の二》
大島商社を廃止して砂糖の「自由販売制」にして貰うように県庁に
嘆願しに来た大島の人々を、西南戦争に強制的に従軍させ、6人を戦死させた。
その嘆願団の中には、西郷の奄美妻アイカナの実家の龍家の末弟や甥、西郷の釣り仲間や
相撲相手もおり、「西郷さんに取り成してもらおう」という西郷びいき
ばかりだった。
「従軍中は大島人として差別され、無念の歯がみをした」と西郷に絶望したという。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 11:50:33.03 ID:IrNirQEb0
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 11:51:51.56 ID:IrNirQEb0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の六》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
西郷家(維新後)の詳細が分かりましたのでさらに解説します。
鹿児島の自宅は千百坪の超大邸宅で20人以上の使用人がおり、
犬も20匹も飼っていたそうです。
西郷さんのモットーは
「ケチと呼ばれては世上の聞こえも悪いから、毎月少なくとも百円(現在の130万円)は使え」でした。
(出典:西郷従道夫人清子談話)
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 11:52:46.74 ID:IrNirQEb0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 11:53:39.92 ID:IrNirQEb0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんなお金の遣り繰りをしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給金ですが、
月給千五百円、現在価値で2千万円。年俸2億4千万です。
政府と喧嘩して鹿児島に帰り実質無職になったあとも、どんな特権か知りませんが
給金はしっかり鹿児島に送られていたそうです。
なんか西郷どんを嫌いな連中は特亜の輩みたいか、プロ市民のようだw
まぁ〜トンスル呑んで落ち着けやえ
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/15(日) 12:56:24.32 ID:O2lduX5I0
龍馬だっけか?の西郷評「大きく叩けば〜」な話
有能なんだろうが、こちら側の持ち上げ度数wの有無で結果がかわる・・・・なんて人物は
結構好き嫌いが激しいのでは??
>>492 そういう意味でしょうか?
大きい鐘と同じ様に、大胆な面も持っているが、繊細なところも兼ね備えているということではないでしょうか。
>>491 プロ市民のいつものコピペは、過去レスで何度も全て論破されているから、読み飛ばしましょう。
時間の無駄です。w
西郷どんは欠点もあるかもしれないけど、会ったらきっと好きになるだろうな
というイメージだ。
でもそれが政治家や軍人の長として相応しいかどうかというのは別問題だとは思うけど。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 00:32:20.06 ID:iLezxI400
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 00:34:31.97 ID:iLezxI400
*重野安繹が語った西郷の性格*
西郷が明治維新において、彼ほど存在価値が際立っていた者はいないのではなかろうか。
みんなに期待され、いつもその中心に存在していた。
だが彼はこれらの大事件の渦中にあって、どのような方針に基づき考え、
将来いかなる見通しを持っているのか理解するのは無理である。
なぜなら、彼はいつも中心に存在していたが、
みんな回りの期待はその場、その時により違った。
いずれもその期待に答えてくれるような西郷であったが、それはすばらしい人間性なるゆえでもない。
「すばらしい人間性なるゆえでもない」とは、
じつは「(西郷は、)世の中小人などをば、自分の度量内に入れてやる事は乏しく、敵を作って激しく憎む風があり、
参議連中が姑息じゃとか、富貴を貪って居るとかいって政府の人をば憎む。
政府の人を憎むところから、征韓論が起って・・・・大臣をはじめ皆富貴に慣れて、
御一新後僅かばかりの間に我儘をするということが腹に在って、遂に西南の乱となった。
どうも西郷は一生世の中に敵を持つ性質で、敵が居らぬとさびしいくてたまらいようであった」
と、彼の性格と新政府を主導する人々の態度への不満を西南戦争の原因だと、
同郷で同じ年の西郷をよく知る重野安繹のことばがある。
重野と西郷はペリーが来たころにともに江戸藩邸にあった。
重野が仔細なことから奄美大島にながされていたところへ、西郷が流された仲である。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 00:35:26.66 ID:iLezxI400
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 00:59:46.32 ID:iLezxI400
【西郷どんの人望好き、西郷どんの人望買い】
いとこの大山巌が西郷さんを評して言った言葉。
西郷さんは人の好意や信望を集めることに異常に執着し、
しばしば金銭をばら撒く、相手を先生などと呼び持ち上げる、出世の後押しをする、
などの必死な姿が目撃されていた。
上のプロ市民或いは工作員による西郷どんの描写は事実を大きく捻じ曲げている。
西郷どんは、その様なジャイアンの如き人間像とはかけ離れた人物。
その様な粗暴な人間であったら、これほどまで尊敬を集められるはずも無く伝説もたり得なかった事は明らか。
身分の低いものにも分け隔て無く、同じ目線で接していた。
なにか、ここまで史実を捻じ曲げての
西郷どん叩きは、征韓論での朝鮮併合を
受けての特亜などのバッシングだな?
西郷どんを神話の如く崇拝はしないが
このバッシングは偏執的だ。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 11:08:23.08 ID:iLezxI400
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷が鹿児島で外出する時は、「地上での土下座では恐れ多い」と百姓たちを道のわき溝の中に飛びこませ、
水から首だけ出して西郷一行を出迎えさせていました。
(西郷夫人イトの実家の嫁の証言 昭和27年6月録音)
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 11:38:58.41 ID:iLezxI400
<西郷どんのちょっといい話し>
美談では、西郷さんの家ではいつも私学校の若者たちが訪ねて来て
西郷さんから敬天愛人についての薫陶を受けていたと伝えられています。
が、実際はちょっと違っていたようで、西郷夫人の実家の嫁の証言では、
「加治木あたりの若者たちが話しを聞きに来られましたが、
西郷さんはいつも『留守だといえ』といいつけ、隠れておられました。
それで若者たちは会えずに帰ることが多いでした・・・」
(故勝目清鹿児島市長と西郷の義理妹との対談から)
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 12:43:09.06 ID:iAOECjLL0
>>502 いくらなんでもわき溝の中に飛び込ませるなんてありえねーだろw
水から首だけ出させる意味がわからんし。
土下座って見上げちゃいけないんだよ。これじゃ溺死するわwww
>>503 >実際はちょっと違っていたようで、西郷夫人の実家の嫁の証言では....
西郷夫人の実家の嫁て誰の嫁?
>(故勝目清鹿児島市長と西郷の義理妹との対談から)
西郷の義理妹って、上の「西郷夫人の実家の嫁」とはまた違うよな。
わけわかんねーな。
矛盾だらけだな、相変わらずアンチ西郷は、w
詳しく検証すればボロだらけ。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/16(月) 23:51:46.12 ID:iLezxI400
>>505 同じ人物ですよ。岩山トクさん。
西郷夫人イトさんの弟の妻ですね。
↓あなたの他スレでの書き込みですw
333 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/09/16(月) 22:19:20.23 ID:n9LjvxB40
城川の話しは識者の間ではほとんど信用に値しない、珍説として扱われている。
他のスレでもちょっと話題になったが、客観的に論破されている。
上読むとあなたは何かの識者の方なんですかね?
西郷の義妹、岩山トクさんは、西郷関連の識者なら誰でも知ってますよw
紹介したエピソードもよく知られた話しですし。
回想本も出てますし、録音された肉声がテレビで紹介されたことも何度もあります。
知らなかったんですか?w
>>506 岩山トクさんなら何故そう書かないんだ。
岩山さんはお前が書いてる様な否定的な回想はしていない。
西郷さんは非常に優しい人であったと言っており、大変好感をもった発言をしている。
証言者、及び証言内容を曖昧にして、事実を捻じ曲げようとするな。
居留守をつかったことは、トクさんは否定的なニュアンスで語ってなどいない。
ていうか、別に居留守が西郷さんの評価を落とすなど、ほとんどの人は思わないだろ。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 01:14:01.78 ID:byyDmAHJ0
>>507>>508 今、必死にネットで調べたんですか?w
トクさんの証言をそのまま紹介しただけですよ。
それ以上でもなければそれ以下でもない。
実際の西郷の生活や行動が垣間見える貴重な証言です。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 11:50:40.79 ID:TTYdXjef0
信者の狼狽ぶりが痛々しいな
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/17(火) 17:19:42.12 ID:LlKqkC3U0
結局まともな反論ができず、見苦しい屁理屈、言い訳しか出来ないアンチ西郷、あわれ、
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/18(水) 22:02:43.88 ID:+/huXotO0
西郷軍はその後も「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、離脱した者たちは身の危険を感じ、
山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
↓つづく
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/18(水) 22:04:01.14 ID:+/huXotO0
8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/18(水) 22:29:49.50 ID:fRPSJGr20
チェスト!
戦争で反逆者は重罪、常識。
これは法的な根拠の無い、虐殺ですね
少年に処刑させたり、まるで中共の文革
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/19(木) 09:58:28.38 ID:mrpQ3vIm0
郷中の日常です。
大久保の江藤新平処刑よりはマシだな、
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/20(金) 08:21:19.40 ID:5/73/Xh50
〜よりマシとか、〜臭いとか、
頭の悪い人の、典型的な願望表現だなあwww
鹿児島県人は、靖国神社大好きな人がとても多いけど、
その靖国に西郷隆盛は祀られてないんだな
このへんが鹿児島県人の滑稽なところというか、
歴史認識の無知なところですよね
>>521 第二次世界大戦でなくなった鹿児島県人も多いわけだから
靖国に対しては愛国心や祀られている方々への敬意
> このへんが鹿児島県人の滑稽なところというか、
> 歴史認識の無知なところですよね
悪意がこもり品性を欠いてらっしゃる
>>522 >第二次世界大戦でなくなった鹿児島県人も多いわけだから
>靖国に対しては愛国心や祀られている方々への敬意
それだけの? ほとんどの鹿児島県人は、西郷が靖国から排除されてる事実を、知らない、知らされてない
と思うぞ
というか、きみ反応早すぎw
一日中2chに張り付いてる異常者に、品性だの言われたくないわw
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 19:18:20.79 ID:cRKorCwL0
>>521 別に西郷どんが靖国でまつられていないの知っているが、だから何?
西郷さんをいれてくれない靖国を嫌いになってほしいってか?
靖国は歴史的に長州、大村益次郎派で、また形式上は西郷どんは賊軍扱いになっていたからしょうがないだろ。
だが、西郷どんは当時誰にも負けない愛国者だったことは否定の使用のない事実であり、
靖国神社に祀られていないからと言って、何も悔しがることはない。
西郷さんも好きだし、西郷さんをいれてくれない靖国も別に否定しないし、むしろ好きだ。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 19:23:41.89 ID:cRKorCwL0
西郷さんは生死をともにした薩摩兵士と一緒に南州神社に祀られていることで、
十分に幸せで、満足なんだよ。そんな人なんだよ。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 20:04:38.20 ID:d2lsVo+u0
というか、靖国に祀るとなっても鹿児島が西郷を放さないだろう
そういう存在
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/21(土) 21:13:58.52 ID:cRKorCwL0
靖国は国民皆徴兵の新国家事業の代表の
神社である。
だから、大村益次郎の銅像が建立され
西郷さんと対峙しているんだ。
そもそも、西南戦争とはこの理念同士の
争いである。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 07:13:59.54 ID:E+2SPp470
さすがに能なしに「菊」の紋章の許可は出ないと思うなwww
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 18:20:02.09 ID:3YE5T/Qp0
いらないんだよ、そんなもん
つまらない釣りはやめろや、くらだらない
バーカ、西郷ドンには明治天皇陛下から
菊の紋に周りにモチーフされた家紋を
授けられたんだぞ!
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 19:02:46.55 ID:3YE5T/Qp0
西郷ドンには丸に十の字のほうが似合うがな
西郷さんが祀られてないのは、賊軍だったんだから仕方ないじゃない。
だからつって靖国神社を嫌いにならんといかんのか?
それ以降の、お国のために死んだ人が多く祀られているのに?
なんでもかんでも、自分が尊敬する人が靖国に祀られて無いといかんってか?
賊軍って言われたくない人なのかな?
自分の先祖も西郷さんと一緒に亡くなったが、(父方も母方も)
歴史の一コマだと思ってるし、不満にも思ってはいないよ。
明治の大恩赦で許されただけ、ありがたいと思っているよ。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 23:16:16.86 ID:uy450kp40
信者のあわてふためき方を見ると、さては西郷が靖国に祀られてないことを知らなかった、
もしくはそのようなこと考えたこともなかった、どうせそんなところだろうw
西郷という人物を考察するうえで
>>529の視点は重要で、
賊だから祀られないとか、恩赦とか、どうでもいいんだよ。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/22(日) 23:28:00.25 ID:d+CV/Gdn0
>>535 ばかじゃねー?
西郷が靖国に祀られてないなんて常識だよ
靖国は幕末からの皇軍の兵士が祀られてる。
だから蛤御門の会津兵士は祀られているが、その時の長州の兵士は祀られてない。
逆に官軍になった後の長州兵士&薩摩兵士などは祀られているが
賊軍になった会津兵士は祀られてない。
西郷さんも同じ法則で、賊軍だから祀られてないだけだよ。
会津の人に、靖国は会津が祀られてないから嫌いだと言われた時に
自分の先祖も西郷さんも祀られておらんよと言ったら
知らんかったみたいで、絶句してた。
まぁ一応靖国には西郷さんをはじめ、世界中で戦争で死んだ人を祀る社は
別に存在するんで、(昭和40年に靖国神社境内に建立された「鎮霊社」)
これ位でいいんじゃね?
個人的には自分も西郷さんは靖国に祀られたいとか、思ってないと思うわ。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/23(月) 10:38:17.12 ID:R3vKP64+0
西郷隆盛とは何だったのか。
愛国者と言われているこの人物が靖国に祀られておらず、
その靖国には大村益次郎(一般に愛国者のイメージは無い)の銅像が鎮座し、上野の西郷像の方角を睨み据えている。
これはただの偶然や運命のなせるわざではなく、
この対峙こそが”維新”なのであり、
この対峙は現代にいたるまでずっと続いているのだよ。
士族を守るがための西郷軍と帝国列強の
波にのまれないために、国民皆徴兵政策の
大村・・・
どちらの思想も現代までの国軍を語るに
ついて、否めない。
今日9月24日は特別な日。
八重の桜で、西南戦争を放送していたが
警視庁抜刀隊の戦死者は靖国には弔われていない。理由は軍人ではないからである。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/25(水) 01:26:28.30 ID:0KlX9MuI0
従軍した警察官も祀られてますよ
佐川官兵衛も合祀されています
弥生慰霊堂にてっきり祀られていると思っていたが、抜刀隊だけは靖国に祀られているとは知らんかったわ
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 01:04:18.39 ID:I+RNpdFb0
抜刀隊の出身を見ると、大半は鹿児島なんだろ?
会津藩士が有名だ
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 01:16:00.53 ID:I+RNpdFb0
それは意図的に印象付けしたもんだろ?
薩摩に対する安っぽい復讐劇みたいな。百倍返しってか?w
実態は薩摩士族が抜刀隊の主力であった、これが動かしようのない史実だ
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 08:10:36.68 ID:rHVqOobo0
抜刀隊の主力が旧賊軍士族だったのか薩摩士族だったのかははっきりとした資料が無いそうだ。
ただはっきりしてるのは、抜刀隊の薩摩士族というのは西郷らの城下士層ではなく、
西郷らにイジめられ、反目していた郷士層であった。
西南では薩摩士族が親兄弟に引き裂かれ殺し合ったみたいに言われるが、
実際前線で戦ったのは、犬猿の仲同士であった、これが動かしようのない史実だ。
鹿児島県人的には、百姓や会津人に討たれたなどとは認めたくないのだろう
>>548 先祖が西南戦争で死んでる者だが、もうそれは歴史の一幕に
鹿児島ではなっているよ。
西郷さんが、百姓であれ、会津であれ、誰に討たれたかなんて気にしとらんよ。
ついでに、政府側にも親戚はいて、その人は西南戦争には関わらなかったが
出世して、今では官僚一族になっている。
こんな感じで、残った側、東京に行った側で明暗分かれてる
ってのは、鹿児島には多いかもしれないけどね。
今ではそちらさんとはいい付き合いさせてもらってるよw
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/26(木) 22:54:17.69 ID:I+RNpdFb0
樹立から十年程度の政府で、敵対した勢力が主力になるのは不自然というか、ありえない話
同郷の場合は政府側で活躍したとしても、戦功を誇る気持ちは自粛していただろうことは容易に想像できる
これが旧賊による活躍が際立って、まるで敵討ちのような極端なイメージを植えつけていると思われ
べつに旧賊が活躍してもいいだろうw
おまえの自尊心を満足させるために隊の編成考えてるわけじゃないんだからさw
だいたい抜刀隊はたかだか100人ぐらいにすぎないとも言われている部隊で、
主力はあくまで百姓軍なんだから
田原坂で抜刀隊が投入されて形勢が政府軍に一気に動いたなどの話し自体が、本当にそうなのか
はなはだ怪しげだし
抜刀隊を投入した時期と雨季の雨が政府軍に有利に働いた。
鎮台兵もそれまでは士族の切り込みには
逃げの一手だったが警視庁抜刀隊などの
投入で士気も上がり反転攻勢となった。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/27(金) 23:46:42.31 ID:lX/NPQj50
田原坂に防衛線を築いた西郷軍の戦術眼は評価できる
西郷軍というが実際は桐野の指揮のもと
奮戦した。 敗走した時の戦いは難しいと
言われる中、城山まで帰還したのはある意味、優秀な指揮官である。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 00:59:57.32 ID:JOlOqu6J0
西南での薩軍の作戦は無準備と行き当たりバッタリで、兵站補給の重要さを全然考慮しない全行動、
しかもその編成は1個小隊約200名、10個小隊で1大隊編成の約2000名足らず。
六、七大隊は人員少なく、約1500名程度で総計約13000名といわれるが、
この外に援軍の熊本協同隊2500名の外、高鍋、延岡、佐土原、中津などの諸隊や、
戦争中強制的に徴募した約1万人をいれると延べ3万名にもなる。
3万名といえば太平洋戦争下の戦時編成1個師団にも相当するのに、
司令部は置かず参謀部はなく、当然作戦参謀、情報参謀、兵站参謀を専任とすべきで、
さらに小隊長から大隊長はとも角、その上を統括する連隊長、旅団長などの責任を負う軍団長は置かれず、
ただ大隊長数名の統率では作戦の統一指揮命令の系統すらてんでバラバラになるはずで、
正に負けるべくして負けただけのこと。
城山に辿り着いた薩軍は350人。
それまでに6800人の戦死者、1万人の戦傷者、1万2000人の離脱者を出している。
これは”指揮”と言えるのか?
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 01:06:44.76 ID:sE9+F5nl0
政府軍は圧倒的な物量、人海戦術にも関わらず同数程度の戦死者をだしていることもお忘れなく
決して高くはない低い丘陵地帯だが、複雑に地形が入り組み海まで達している
田原坂に布陣した西郷軍の地形眼・戦術眼は見事というほかない
武器、弾薬、ましてや兵站を置かないで
戦った薩軍は無謀で精神主義の塊の軍団だ。まるで大東亜戦争の旧軍である。
しかし、精神主義とは、計り知れない力が作用するようで、粗末な武器で政府軍と
天下分け目の決戦を田原坂で長く続けたのは日本史上、一番の戦いであったと記録されている。
その時の政府軍の将校に児玉源太郎、乃木希典はあそこまでの死闘はかつてなかったと供述していたとか?
まぁ、薩軍は勇猛なのは確実だ。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 01:37:56.88 ID:JOlOqu6J0
>>556 田原坂ってもともとそういう防衛目的で加藤清正がクネクネに造った道なんだがw
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 01:50:17.12 ID:sE9+F5nl0
まさか清正も薩軍に利用されるとは思ってもみなかったであろう
違うだろ、田原坂は薩軍にとってみれば
越すに越せない田原坂と唱っているんだから熊本城を落とせず、清正公に負けたと
恨んでいたほどだぞ。
ようは熊本城鎮台兵など目もくれず、
一気に東京に進軍していけばよかったはず?
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 13:51:30.69 ID:krnKSbP00
八重の桜の西南戦争描写は、なかなか突っ込み所満載だった。
・佐川官兵衛、槍を持って田原坂に参上。
・3月20日に陥落した田原坂に、髭ぼーぼーの西郷さん登場。
・城山陥落の際、しっかりとした足取りの別府晋介。
佐川は田原坂より前に戦死しているはず。
晋どんも元気だしなw
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 14:25:40.28 ID:krnKSbP00
抜刀隊の田原坂投入:3月14日
佐川官兵衛、阿蘇黒川口にて鎌田雄一郎小隊と戦い戦死:3月18日
です。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 17:09:30.57 ID:sE9+F5nl0
>>560 熊本城を落とせず清正公に負けたと言われているのは確かだが、
越すに越されぬ田原坂って、薩軍の守備網をなかなか抜けない政府軍のことをさしているんだよw
田原坂が人工の要害なことも知らない奴がなに偉そうなこと言ってんだかw
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 19:08:24.97 ID:PS4vfZm80
捨て台詞が痛々しいなw
西南戦争から数百年前に薩摩からの
攻撃を予測し、成功に導いた加藤清正は
すごい。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 00:12:02.65 ID:HTGVkzan0
島津おさえのために秀吉から派遣されてきたからな
569 :
諸橋 嘉久:2013/09/29(日) 09:49:56.01 ID:3gulikHg0
570 :
諸橋 嘉久:2013/09/29(日) 09:58:36.87 ID:3gulikHg0
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 14:05:11.84 ID:R6B9pTtl0
無国籍フルベッキにたぶらかされて、バラから洗礼を受けクリスチャンとなりましたとさ。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/29(日) 16:17:16.10 ID:AU/6pBfRi
ありがとう!
トンスル
神風連の乱、西南戦争といい、政府軍にとってみれば対露戦の良いアップになったな。熊本鎮台の将校に後の名将がたくさん
いて勉強になったんだろうな
それにしても西南は政府軍側の戦死者数(6千人オーバー)が多すぎないか?
薩軍の斬り込み作戦でそんな大量に殺せるとは思えんし。
最終日の城山攻撃でも政府軍側は40人ぐらい死んでるんだよな。
抵抗力ゼロに近い薩軍相手に。
なんか、日露の乃木みたいに意味の無い突撃を強制させて武勇を上げようする士官が
けっこういたんじゃないかと思う。
乃木は西南戦争では、薩軍の前では敗走をしいられたり、大砲を取られたりしたからな。いい勉強になったんだろうな。
桐野は死に間際に瀕死の状態で無防備に仁王立ちして、短銃で官軍を射撃している。
撃たれた奴は、悔しかったろうな。
それと、児玉大将ね!
児玉さんは神風連まで孤軍奮闘で乱を沈めたり、死線の修羅場をこの時代に体験した経験は後に国家を救う事になった。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/30(月) 23:51:11.07 ID:4SqbJJ+n0
そして太平洋戦争で全て失う
まるでコントをやってるみたいだなw
でも仮に薩軍が勝ち、太政官政府を倒閣したら、どうなっていたんだ?
士族の近衛軍、そこまでは読めるが?
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/01(火) 01:16:59.40 ID:LXpylr9e0
むしろ、それしか読めないのかよw
ってか先が読めれば人生苦労なんてないわな
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/01(火) 08:40:13.06 ID:A9iNlHIr0
それこそ、もっと精神主義が横行する時代になっていただろうか?
士族が生き残り軍の中心となり、軍国主義になっていただろうなw
たった10年の鎮台軍が、数百年の分厚い歴史のある武士軍を殲滅したわけだから、
やはり大村益次郎はすごいよ
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/01(火) 21:37:30.58 ID:GvkKS5Ku0
結局、西郷さんて何がやりたかったんだ?
士族を道連れにして死んでいった。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 01:31:06.22 ID:ct+0TiE90
しかし日本人はどこまで行っても海外の猿まね民族だよな
スティーブ・ジョブスのように己の感性で世界を変えてしまうようなカリスマ的な天才はあらわれんのか…
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 10:31:25.00 ID:Rnupi6Bv0
>>585 その日本の猿真似をしている朝鮮・シナという民族が近隣でうろついているな。
近代用語のすべてを日本語から借用しているという。
仮に西郷どんが朝鮮を併合していたら
清が滅ぶの早かったかね?
死に際はどんな解釈でもいいと思うんですが、西郷が人格者でないとか有能でないというのは本当なんですか?
私は有能な人であると思います。
人間パーフェクトな人などいません。
江戸城無血開城までの功績、十分だと感じますがね。
>>588 親族の従道や大山巌程度には能力あったんじゃないですか?
能力というか、この一族の場合は人心掌握能力というべきですかね。
人格的には従道や大山のほうがおのれの分をわきまえている分、じつは隆盛より人間的に大きかったのではないかと思ってますが。
ふつうに考えて、真の人格者なら「西郷どんの人望買い」などと見透かされるような行動はしないと思われます。
見透かされる様な行動であれば、誰もついてきません。
人の為にと思って行う行為も、人によっては人望買いとして
捉える。 嫉妬は見苦しい。
どんなにいい事をしても人望買いと言われれば全ての行為は
無駄になる。 ではどの様な事をすれば人望買いと言われないのか。
>>588です
私は翔ぶが如く位しか読んだ事ないですし、小説読む限り西郷さんより桐野に好感を覚えました
個人的には、大久保の方が西郷さんより好きなのですが、西郷さんをやたらと貶すのはあまり共感できません
やはり、三傑と言われる位ですし、大人物だったと信じたいです
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 22:15:34.61 ID:+L819qCQ0
>>586 朝鮮・シナを見下して悦に入っているようじゃお里がしれるぜ?w
APPLEには勝てないにしても、最近じゃサムスンにも頭が上がらないしな
パナソニックもSONYもSHARPもだめ、島国の狭い価値観でしか動けない国民性の限界?
>>591 じっさい従道や大山はついていってないですよね。
少なくとも彼らは見透かしていたんですよ。
西郷さんの人望買いを。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 22:41:09.78 ID:SpRgpUNU0
似てもいない銅像を立てられた、惨めな男西郷
>>595 大山や従道に命をあずけていいという奴はいただろうか?
否。
西郷は人望買いといわれようが、少なくとも数百人は
命をあずけた有志がいた。
>>597 人望買いされた薩摩の後輩という時点でそれは有志じゃないじゃんw
>>598 どうも日本語が通じない様だな。何人だ?
膨大な人数の有志たちは人望買いと判断していなかったから命をあずけた。
じゃあ西郷がそいつら(多く見積もっても薩摩人が数十人だろうw)の先輩ではなく薩摩人でもなかったら、
そいつらは西郷についていったのか?w
おまえの言ってる人望は、西郷軍団の中でしか通じない親分子分の杯みたいなもんだろう。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 00:23:26.34 ID:L9vmc5wl0
なーんかレベルの低い争いしてるなw
薩摩兵士たちの関係は思われているほど、年齢など上下関係はない。
かなり若い藩士が大隊長になっていたり、位が上の人にもフランクに意見したりしている記録は多数ある。
その様な土壌が薩摩を強くしていた。
西郷隆盛を侮蔑するのは征韓論を言い出したのを根に持つ、三国人だなw
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 17:13:01.09 ID:BuWfQmFZ0
>>602 薩摩がそんな風通しのいい藩風だなんて話し、聞いたことないぞ
年若でも身分が高ければ上に立つのが武士の世界だが?
>>604 実際のところ、幕末の薩摩の場合は精忠組(西郷党)が城下士を押さえており、
身分を超越した上位者として西郷隆盛が君臨していた。
これは二才などと呼ばれる若年者を集団教育する制度、郷中にあり、
この中で西郷隆盛が驚異的なカリスマとして君臨したゆえに、
城下士は西郷党の手にあり、西郷党は身分ではなく西郷の周辺にいたか否かが優先していた。
だから鹿児島の明治要人誕生地地図を見ると、見事に鹿児島市加治屋町の
現在の県立鹿児島中央高校の周囲にのみ集中している。
ここにだけ人がいたわけではない。単に西郷党の中核は加治屋町の青年団だったのだ。
彼らが身分なんて鼻で笑う程の実権を手にしたのは、西郷隆盛のカリスマの恩恵があったから。
幕末の薩摩それも城下士にとって、西郷隆盛は神にも近い絶対者であった。
島津久光すら二度排除しようと試み、どちらも失敗し「領内に安禄山が居る」と嘆いた。
郷中(ごしゅう)がここまで権威を持つことは西郷隆盛の前にはなかったし、
西郷隆盛の西南戦争とともに鹿児島の城下士は潰えるから、西郷の後の人間もいなかった。
江戸時代中期の藩の記録に、「郷中がだらけておる、指導者が必要だ」というものがある。
要するに薩摩の武士教育の中で郷中は青年教育のやり方として維持されてきたが、
これを利用して藩を占領するような事態が起こるとは、誰も予想はしていなかった。
西郷隆盛は薩摩を代表すると言いながら、極めて特異的な唯一無二の存在であった。
なぜ郷中が強制力のある存在たり得たのかについては、
軍隊教練を行う準軍事団体であったから、と言うしかない。
薩摩藩は武士教育として実戦を重視し、個々の武道修練ではなく郷中での集団訓練を必須とし、
市内の徒歩行軍なども年中実施していた。
軍隊教練では上位者は絶対である。
就寝時ですら「枕を急に取り払い頭を打って殺す技術がある」と囁かれるほどで、
その場の構成員を押さえた指導者には誰も太刀打ち出来無かった。
本来身分によって上位と下位が定まるはずが、西郷隆盛だけは身分を越えて上位者と崇められた。
最初は「背が高い」「後ろで大人物然としている」から始まった重要人物扱いが、
西郷自身の命懸けの行動によって、本当の大人物視されるよう、更に不世出の英雄と崇められるよう、
虚像が果てしなく拡大していった。西郷はその虚像に更にはまり込み、そのものと化していった。
西郷の青年期を代表する出来事としては、
・左腕負傷による武道指南への道の断念 (この時、大人物らしく生きることで身を立てようと決意したとされている)
・赤山靭負血染めの衣を見、反お由良及び未だ見ぬ主君斉彬公への傾倒を表明
・近思録共同学習サークルとして自らの派閥「精忠組」の設立
などが挙げられる。
島津斉興と島津斉彬の継投争いは、どこからともなく斉彬の手に渡った薩摩藩密輸の証拠を、
島津斉興の進める薩摩藩の財政改革の主要人物だった調所広郷が一手に責任を負い自殺することで決着した。
当時既に城下士に配下を抱えていた西郷隆盛がどんな役割を果たしたかはわからない。
だが島津斉彬によって西郷は御庭方役として登用され、この江戸勤務から西郷の天下国家への関わりが始まる。
>>609 >大人物らしく生きることで身を立てようと決意したとされる
どんな決意だよw
ソースは?
>>608 いくら図体がデカくても、後ろで偉そうにしていたら
だれも評価しないだろ。
西郷はそんな表面的な男じゃ無いんだよ。
Real Dealだったから評価されたんだよ。
虚像とか適当なこと言ってんなよ。
>>610 西郷従道自身が、兄は大人物足らんとしたと評している。
怪我以前は武芸で身を立てることを希望していたとされているので、転機は怪我ということ。
>>611 貧相にしていても他人は軽視する。
最初は偉そうにすることから始めたとされる。
赤山靭負刑死時のお由良への怨嗟表明も、精忠組の設立も、周囲に西郷をリーダーとして認識させることへ繋がった。
幕末も押し迫り家老職を射止めた頃には、逆に一般武士とともに食べ悩みを聞くなどの行動が見られる。
西郷隆盛は、大人物と評されることになら命懸けで取り組んだし、
この行動を見て周囲は本当の大人物と西郷を見るようになった。
しかし西郷従道らにとっては、昇進等で兄からの恩恵を得つつも、兄のこの行動に痛々しさや無理も見ていた。
誠忠組が設立されて暫く経つと、城下の別グループ、桐野利秋と他数名が目に付いてきた。
西郷はこの人々も仲間に取り込む。桐野は食うや食わずの剣豪及び儒学書読みとして城下でも知られていた。
また、城下と境を接した郷士からも西郷への入門者が現れた。川路利良が代表的人物だろう。
西郷隆盛の精忠組は、藩内の特に城下士で圧倒的な勢力を示すようになってくる。
西郷は実際、自己顕示欲は強くなかった。。
数々の偉業が西郷を伝説にした。というのが正しいだろう。
たしかに西郷は自分からおれがおれがと言うタイプではないな。
自分の周りを自分の信奉者で固め、周りの者に言わす、というタイプだな。
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 00:31:59.84 ID:6nkW57MA0
桐野が剣豪って作り話を信じてる奴がいたんだな
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 07:16:12.17 ID:QKXAqTl/O
>>615 「桐野が剣豪ではない」説は、儒書も読んだという事実だけを抜き取った嘘です。
現存する資料では、服はボロボロで裸同然、何を食べているかも分らず、それで剣の練習は薩摩人から見ても猛烈で、誰も挑む気になれなかったとなっております。
京都で斬ったというと、町人の娘に嫌がらせをしたごろつきを一人一刀両断にした話しかありませんが。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 07:25:45.09 ID:QKXAqTl/O
>>615 上記の通り、「桐野が斬って回った」は活劇小説家のデマですが、「桐野は剣豪ではない」も悪質なデマと言えます。
ちなみに、西郷隆盛昇進と共に桐野利秋の生活は変化し、着衣に異様に気を配る洒落者として知られるようになります。
西南戦争時も、着衣は新品揃いで香水を欠かさなかった。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 08:37:24.12 ID:/02hF1ke0
さて、西郷隆盛が一方的に崇拝した未だ見ぬ君主こと島津斉彬公であるが、
彼は江戸文化人として、薩摩の気風を好ましいとは全く思っていなかった。
彼自身の発言として、「薩摩の現地の者と話してみたがどれも無知蒙昧、唯一島津久光のみに才気を感じた」
というものが残っている。
そのため江戸勤務を命じられた西郷隆盛にも、まずは学習が必要として水戸藩藤田東湖訪問などに
重点が置かれることとなった。
この時期初めて西郷は天下国家を憂う事を知ったとされる。
それまではせいぜい藩内の権力争いだけだったので、日本の国体思想と尊皇攘夷思想に触れ、西郷は変化を遂げた。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 09:05:40.77 ID:6nkW57MA0
>>615,616
現存する資料はなんだい?
明らかに池波正太郎の小説の内容に酷似しているが
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 11:45:39.35 ID:/02hF1ke0
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 11:48:11.80 ID:/02hF1ke0
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 11:55:13.25 ID:/02hF1ke0
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 12:01:12.02 ID:/02hF1ke0
>>619 要するに、現存してある資料も調べずに、「小説家に似ているからお前は嘘だ」とあなたは言う。
実際は、普通は小説家といえども資料を揃え、ある程度はそれに近づけたりしながら間を埋める。
妄想で怨嗟を並べる馬鹿もいますが、あれは批判の的にすべきでしょう。
桐野利秋は西郷隆盛の傘下に入るまで非常に貧しく、それでいて剣豪として知られ儒書も読んでいた。
鹿児島城下では結構インテリだったわけです。
もちろん島津斉彬の考える「無知蒙昧たる武辺の者」の範疇を抜けるものではなかったけれど。
あなたの主張は間違いしかないというわけです。
「剣豪」という表現にはおれも違和感あるがな。
新撰組レベルでさえ「剣豪」なんて言わないし。
それと桐野が京都で斬ったのは、ごろつきではなく、薩摩藩邸に出入りしていた学者ではなかったか?
スパイの嫌疑がかけられてた学者。
虚像西郷は、じつは西郷自身が自ら確信犯的に造り上げた、というあなたの話しは面白いんだけど、
精忠組が西郷の私党のごとくなっていたり、事実関係や時系列がけっこう適当かなと思う。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 13:11:54.08 ID:/02hF1ke0
>>624 >それと桐野が京都で斬ったのは、ごろつきではなく、薩摩藩邸に出入りしていた学者ではなかったか?
>スパイの嫌疑がかけられてた学者。
宇宙堂以外にもう一人、評伝に京都でごろつきを殺したという記述があるんですよ。
桐野利秋日記が公表されるまでは、この記述しか人を斬ったものがなかったわけ。
それと、精忠組は年を追うごとに西郷隆盛の私党としての側面が強くなってきます。
これは西郷の名声の高まりと呼応しており、間違いとはいえません。
西郷の江戸生活は、もちろん彼の知見を高めるというのが目的ではなく、
篤姫(天璋院)の幕府への輿入れの折衝係として西郷隆盛が抜擢されたということでした。
篤姫は島津宗家の分家である今和泉家の娘。これを島津斉彬が養子とし、さらに近衛家が養子に迎えて
近衛家から徳川幕府正妻として婚姻するという手順を踏む事になっており、
西郷は江戸と京都を往復して知己を得てゆきます。
そして島津斉彬は篤姫輿入れにもうひとつの狙い、将軍継嗣問題における水戸の一橋慶喜を
次期将軍に推すという命題も有りました。
この水戸尊皇攘夷説と京都、徳川慶喜との関係という形で、西郷は幕末史に深くめり込んでくることになります。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 14:06:43.36 ID:/02hF1ke0
将軍継嗣問題は、大老井伊直弼の就任で急転直下に紀伊の徳川慶福、
後の徳川家茂の将軍就任として決着します。
これに反対した水戸徳川斉昭などが無断登城として罪を問われ隠居を強制されると、
島津斉彬は領内で新式歩兵軍の閲兵を行い、直後に急死します。
この間西郷は、朝廷に一橋慶喜の将軍位就任命令を勅令として出させようと試み、
全く相手にもされずに身の危険が迫り、一方では島津斉彬急死を聞きお由良などを暗殺犯と確信、
前途を悲観し自殺しようかと持ちかけ、京都での仲間である月照らに自殺は止められ薩摩に逃げ帰ることになります。
しかし薩摩での西郷への処置は、
「東目(薩摩藩の今の宮崎県地域)送り」=「東部国境からの追放」=道中での処刑 命令でした。
処刑間違いなしという状況での西郷の行動は、城下を自らの生死の話題で満たすという自殺未遂でした。
ここで、江戸期薩摩藩で有力だった心丘公信仰について触れる必要があるでしょう。
戦国時代に島津四兄弟として知られた一人島津歳久は、豊臣秀吉の九州平定後も不服従を示し、
豊臣によって死を強制されます。
そのため死後菩提寺として立てられた心岳寺は、反中央思想と敵愾心を藩士に教える場として
江戸期を通じ薩摩藩内で熱心な信仰を集めます。西郷隆盛の郷中教育の場でもありました。
西郷は月照とともに、島津歳久の悲劇をなぞらえるように、心岳寺を望む海上で入水自殺を試みました。
救難活動は城下で話題をさらい、秘密裏に処刑するという藩の狙いは潰え、遠島と処分は改められました。
(月照はお話では抱き合って発見されたとなっているのですが、当時の手紙では月照が発見された記述はありません)
西郷は奄美徳之島で再起の機会を伺うこととなります。
ところで、すごい知識で、みなさん驚くばかりですが、どこでそんな詳しい資料で
それも言い切ってしまうのか?
凄いですねぇ〜
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/05(土) 19:16:56.39 ID:QKXAqTl/O
何処が悪いかも明言できなくなったか。
まあこの部分は定説準拠だからね。
ほんと、西郷は何回殺されてもおかしくない状況だったよな。
西郷よりも更にラディカルだつたのは有馬新七。生き延びていればどうなっていただろうな。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/06(日) 11:02:05.12 ID:LdBrUpAj0
>>606 >だから鹿児島の明治要人誕生地地図を見ると、見事に鹿児島市加治屋町の
>現在の県立鹿児島中央高校の周囲にのみ集中している。
黒田清隆はちがくね?
>>630 黒田清隆の場合は、薩英戦争後に大山巌と江戸の砲術塾である江川塾に留学したことが大きかったようです。
以後は砲兵隊長だけでなく西郷の部下として各地で姿を見かけることになります。
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/08(火) 08:26:19.31 ID:QHITl5nF0
【命を惜しまなかった西郷さん 一覧】
1回目 主君斉彬が急死。自分も殉死させてくれと大騒ぎ
→いつのまにか無かったことに
2回目 僧月照を船から突き落とし、自分も飛び降りたらしい
→自分だけ助かる。というか死ぬ気があったか怪しい
3回目 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
→勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
4回目 「おいの体をあげもそ」「おいが皆、抱いてゆく・・」と西南戦争を決起
→玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 →断られる
5回目 城山で玉砕と決定「投降したい者は遠慮せずそうせい」
→土壇場でなんと自分が洞窟から逃走 桐野利秋に見つかり射殺
木戸孝允でなくとも「たいがいにせい」と言いたくなるなwwww
>>632 どの段階でも、もしかして死ぬ可能性があることは念頭に入れての行動。
これを本当にやらかしたから大人物と仰がれた。
でも、本当は死にたくなかったんだろうね、演技として命をかけていたのさ、
と
>>605以下の人は主張している。
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/09(水) 08:26:24.76 ID:hhoE6U7vO
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/09(水) 08:29:26.77 ID:hhoE6U7vO
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 22:07:46.43 ID:brbduMfR0
西郷が明治6年の政変で鹿児島に戻って来たとき、
島津久光としてはめっちゃ迷惑だったろうな
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 22:21:13.60 ID:ZnmItwAx0
フルベッキ写真に写っている西郷が真実。偽であるとは猿同然。
あの写真ほど、胡散臭いものほどない!
だいたい、勝海舟や、岩倉具視、薩長の面々や坂本龍馬、オールスターが長崎に
集まって写真撮影できる訳ないだろうw
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/13(日) 01:33:29.49 ID:GUxdjuBt0
西郷かどうかは判らない
が
後にとある地方で発見された維新の獅子の写真(プロマイド的なもの)の中に
その西郷らしき男に似ているのが一枚あったんだと
ただしその中身は「老齢?」に近い様子だったので果たして??な感じ
しかもその他写真にはご丁寧に各裏面に人物の名が記載されていたのだが
その人物の「だけ」記載されいなかったというお話
こうしてみると
江戸無血開城のとき勝海舟が西郷隆盛と気が通じたみたいに
言い残しているが
幕府方で人物像が大きく美化されている性格の悪い
勝海舟と実は似たもの同士だったのかもと思ってしまった
西郷って見方かえるとあんまり男らしくないね
江戸総攻撃ってようはチキンゲームだよ
でも、江戸が戦場になったら皇居も無くなっていただろうね。
勝海舟と西郷の会談で無血開城になり
近代東京の礎になったのは紛れもない事実!
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/19(土) 14:32:09.66 ID:aY9tyAo20
西郷と勝のおかげで無血開城なったなんて信じてる奴がまだいるんだな。
じゃぁ、だれの功績なんだよ?
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 17:35:28.79 ID:RnKFjzes0
功績を論じる事自体がおかしい。
江戸総攻撃なんて、のちの征韓論と同じで、
現実味の薄い主戦論を西郷が強硬に主張していただけだしな。
大声で強硬論を主張して主導権を握る。
反対者には腰抜けのレッテルを貼り追い落とす。
それが薩摩藩流の権力掌握術なのだろう。
それがいつのまにか、西郷が全人格をかけて江戸総攻撃を中止に導いた、
みたいな話しにすり替えられた。
そんなのは、知っているw
政治はようは結果だ。
よって多くの江戸の財産や人々が救われたのは結果として偉大ということさ
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/20(日) 19:18:48.58 ID:h1oQSV8A0
それでも上野あたりで小競り合いもあったわけだし
あそこで奮戦した旗本・御家人な連中は真な徳川の臣だと思う
後に徳川宗家を中心に旧旗本子孫な連中が会を作ったみたいだけれど
ああいうの観ていると
なんだかなー
とは思う
まぁ、西郷どんは愚鈍でもないし、だからと言っても高貴でもない。
薩摩では英雄かもしれないが、日本史全体でいえば大久保利通は偉大だと感じる。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 02:32:34.64 ID:g41ejada0
まあ、どう控えめにみても愚鈍だったら西郷は維新三傑にはなってないだろうな
外貌は愚鈍に見えて、全体を把握しつつ格下の小賢しい連中を適当に持ち上げて利用するのに長けていたタイプだろうと想像する
外貌が愚鈍だと親近感をもたれるし、こういう人は下から人気がある上に器量もそれなりにある
両方とも英雄には違いないが、大久保は西郷ほど面倒見はよくないだろうが、さらに頭が切れただろうな
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 19:48:35.41 ID:wvW8Wxt/0
勝てば官軍で勝ったのの棟梁にして貰ったのは
愚鈍だから
郷里の武士皆殺しに加担する兵器産業のカモで
マペット安倍チョンや 小泉も人気者売国奴の系統
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 19:54:17.92 ID:wvW8Wxt/0
欧米植民地主義の時代 独立反欧米主義だったら武器売らない
金でイギリス系商人に国売る覚悟認めてもらって
出世したのが実際
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 20:03:33.48 ID:wvW8Wxt/0
貧困下級武士に下剋上の魔力が現実だっただけで
西郷に付いて成功したのは
神様に感じるアホも多かっただけ
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/23(水) 20:19:03.72 ID:WAhJPo4b0
大久保は冷血漢、権力亡者。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 04:58:09.41 ID:fdhQNRf20
>>あそこで奮戦した旗本・御家人な連中は真な徳川の臣だと思う
・・・そりゃ徳川本社が潰れたらメシの食い上げだから必死だっただろう。
最初の不平士族の反乱と言える。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 05:17:38.78 ID:fdhQNRf20
>>647 各地で不平士族の反乱があったが、それらが真の藩士だったのか。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/24(木) 19:24:57.11 ID:zrj0dg9/0
>>655 んじゃなくて現代でのお話
徳川宗家を囲む旧旗本の子孫な会とかあって
勿論静岡まで付いていた幕臣の〜も居るのだけれど単に「名門」てだけの連中も居るんだぞと
幕末騒乱時に幕臣としての責務を果たさず
平和な現代になって子孫連中らが「幕臣です!!」と
スレちなんで以上
西郷の外見を愚鈍とか言ってるやつ居るけど、どう考えても逆だろw
外見のオーラで人を圧倒して、集団のなかでポジションを上げていったタイプだろうが。
愚鈍なのは銅像の話しw
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 00:56:43.81 ID:Ng5+bVEj0
外見も大事
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/25(金) 08:14:55.03 ID:Y0sAcA6R0
>>657 >>外見のオーラで人を圧倒
・・・その典型はペリーが何気なく自然に挨拶したという佐久間象山だな。
>>647 ないないw
彰義隊なんて時流に乗り切れずただ呆然として何をすればいいのかわからなくなった連中が
煽動家に煽られてどうという目的もなく何となく集まって乱暴狼藉してた連中だよ
よくよく、文献など読見返すと、西郷ぢんが優秀であったのは大久保とコンビを組んで維新を起こした時期で鹿児島に隠遁生活してからは、若い者も抑えられず破滅していった。
桐野、篠原などを抑えられなかったもんかなぁ?
西郷さんは欲が無かったと言われるが
本当であったのだろうかな?
後、なんで写真が一枚もないのか?
つまりミステリアスなイメージを巨大化させているのであろうな。
【進研模試】歴代内閣総理大臣ランキング
【S1】伊藤博文
【S2】桂太郎、原敬、吉田茂、池田勇人
【S3】山県有朋、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、小渕恵三
【A1】加藤友三郎、加藤高明、東久邇宮稔彦王、岸信介、福田赳夫
【A2】西園寺公望、山本権兵衛、鳩山一郎、佐藤栄作、大平正芳
【A3】黒田清隆、松方正義、高橋是清、犬養毅、竹下登
【B1】田中義一、石橋湛山、田中角栄、三木武夫、橋本龍太郎
【B2】若槻礼次郎、浜口雄幸、斎藤実、岡田啓介、細川護熙
【B3】寺内正毅、米内光政、片山哲、芦田均、鈴木善幸、中曽根康弘、安倍晋三、麻生太郎
【C1】清浦奎吾、東条英機、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、羽田孜、福田康夫、野田佳彦
【C2】広田弘毅、林銑十郎、平沼騏一郎、阿部信行、小磯国昭、森喜朗、小泉純一郎
【C3】村山富市、鳩山由紀夫、菅直人
【D1】大隈重信、近衛文麿
>>637 陰謀論者は面白いな。
フルベッキ写真ってのはもともと、
島田隆資が雑誌太陽の第一巻第七号に掲載された写真の人物が、
キヨソネが西郷従道や大山巌などの顔を元に想像で書いた西郷隆盛の肖像画に似ていると思う。
島田隆資はまずキヨソネの描いた西郷隆盛の肖像画を裏焼きで複写し、顔の縦横の中心線と輪郭の線とを引き、
そのせんに基づいて升目に割って比較するとその各部部の比率がほぼ一致することを確かめた。
次に二つの写真を投影機にかけてより精緻に作業を進めたが、両者の一致が動かなかったために、
写真の人物が西郷隆盛だと証明されたとした。
その後、島田は写真の人物の18人を断定人物として。
陸奥宗光や坂本竜馬など6人を推定人物とした。
何の根拠もない写真なんだよ。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 00:34:10.44 ID:7ZsfRUCI0
■ 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 00:35:56.03 ID:7ZsfRUCI0
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟の創作
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに中止するよう恫喝されて断念
伝説 : 敬天愛人思想で道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の妻を捨てる
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓に慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る
>>666 征韓論で朝鮮へ「勝手に行けばいい」は「史実」でも何でもない
666の単なる中二病発言。
あの時点、あの明治政府情勢で勝手に行ったら
アントニオ猪木の1000倍問題行動になり
即西南戦争レベルの内紛に。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 07:16:09.12 ID:FYvgiWX+O
まぁ西郷が様々な美談でヨイショされてるほど大人物でなかったのは確かだろうね。
ただ突破力はあったし時代の中で活躍する策士的側面に自らの伝説を作り出す才も潜んでいたわけだな。
安藤先生や原口先生が斉彬や西郷が実際以上に過大評価されてることは仰ってたね。
意外なことに調所を評価してたね。奄美は怒るだろうが。
しかし奄美も調所時代より斉彬、さらに西郷の大島商社時代の方が搾取がひどい(税率や適用地域の拡大)事実が示され驚いた。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 07:26:25.41 ID:FYvgiWX+O
追記。これは鹿大の記要とか、それに絡む小さな学術的勉強会での発表・議論の話だから一般の人は知らない。
南日とかに出したら美談を信じこんでる県民に総スカンで職を失うかもね。
韓国ソウル大学で何とかという先生が慰安婦は売春婦、日韓併合は韓国の近代化に寄与した。
と、事実を述べたら吊し上げくらって確か職を失ってたよ。こんな感じだろ鹿児島も。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 07:49:58.75 ID:FYvgiWX+O
と、言ったものの奄美側から見れば調所が憎いだろうな。
三島方(さんとうほう・奄美大島、徳之島、喜界島の搾取システム)を作り上げたのが調所だからだ。
斉彬や西郷は、これを踏襲し適用税率を上げ、適用地域を広げるだけ(沖永良部島)で良かったから。
現代の消費税システムと同じで竹下が消費税法案をすったもんだの末、やっと作り上げた。後の人は税率上げるだけ、みたいな。
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/05(木) 08:05:58.23 ID:Wc4eAYQK0
助命嘆願の件もなかったことになってるのが鹿児島での語り伝え。
これだけ言えるのは維新を成功させたまでは偉業だが、明治新政府では正直、パッとしないのは確実。
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 01:33:13.76 ID:MEMu+iOP0
何のヨイショでもないのだが、西郷は日本人としては珍しい天才タイプかもな
常人とは明らかに違う行動原理によって動いている印象をうける
どう見てもただの官僚タイプではないし、西郷の人格を成立させたバックグラウンドがわかれば、
幕末の世相や謎めいた薩摩藩について紐解く鍵になるのかもしれない
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 07:11:38.68 ID:20FyK9CA0
西郷さんは偉大な人格者、清廉高潔無私至誠の人。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/06(金) 07:27:32.15 ID:20eBDMy2O
と、捏造美談を元にヨイショする情弱が多いね。
西郷ヨイショ本は歴史学者によるものがないのが納得できる。
西郷が天才? ないない。
官僚タイプではないから常人とは違う何かを「持っていた」はずだ、とか
これも美談の一種。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 08:28:20.40 ID:nNSIAjHqO
このスレのテーマに結論だせば
西郷は日本の歴史に於ける巨像だが
その巨像は多分に虚像だということ
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/07(土) 09:16:10.40 ID:9Coy420X0
まあ、西南戦争が比較的短期間で終わったからね。
各地に飛び火して全日本が長期の内戦状態になってたら亡国もありえたカモ。
西郷の虚像でワリ食って過小評価されたのが久光や大久保?
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/08(日) 11:31:29.45 ID:Fno1im+s0
過小評価というか、大山巌あたりも西郷の親戚だったせいでたいぶ実像とは違うイメージが定着していたね。
「うどさあ」と言うの?ミニ西郷みたいなイメージ。
小説で司馬遼太郎がそのように描いたせいもあるけど。
鹿児島県人も大山巌は薩摩隼人の典型みたいに思ってるが、
実像ぜんぜん違うよね。
日露戦役時の各軍司令官や参謀たちのメンツを見てると
彼らを統制するにはミニ西郷を表面上は演じつつ、手綱は確実に把握しとく手法しかなかったてことじゃね。
日露戦争はいい意味で西南戦争が準備運動になった。
参謀皆が、西南戦争の修羅場をくぐり抜けて来たのが大きい。
まぁ、近代日本を創るのに西郷さんは
士族を滅ぼし、農民兵を鍛えたのは事実だな。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/12(木) 23:11:40.71 ID:s1637kjIO
いや、西郷は最後まで士族にこだわった。
西南戦争は仕方なく担がれたわけで、桐野が主導権握ってる雰囲気だったとの訪問屋敷での証言もある。
西郷としてはガス抜きで西南戦争をそこそこやって投降するつもりだったのに見抜かれた桐野に射殺されたんだよ。
ま、信じたくないだろうがな。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/13(金) 01:27:29.00 ID:oc01SZc10
西郷さんは前線で戦った経験ゼロだろ
北朝鮮の刈上げデブとかと同じ種類のエア将軍
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/13(金) 05:28:02.38 ID:aWZ3a77J0
西郷さんの最大の武器はその人徳だよな。
とにかく凄い人物だ。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/13(金) 07:19:55.67 ID:N4xCxj8iO
東大の史学科を作ったと言っても過言では無く、しかも西郷をよく知ってる重野安繹、
現代の薩摩の歴史研究者の原口泉、安藤保両先生、学芸員らは全く評価してない。
大仁田厚やアントニオ猪木をトップ当選させたレベルの一般大衆が今も昔も大勢を占めていたのだろう。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/13(金) 08:09:08.48 ID:aWZ3a77J0
西郷さんの偉業はその高潔清廉無私至誠の人格が成さしめたもの。
木戸も大久保も坂本も足元にも及ばん。
そのような高潔無私の人格者が、なぜ
あんな悲惨な反乱をおこしたか。
西郷の最大の謎であるな。
西南戦争は半次郎のゆっさ だ。
担がれてエア神輿なんだよ
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/13(金) 16:59:53.84 ID:aWZ3a77J0
>>688 西郷暗殺計画に激高した私学校生徒が暴発しちゃったんだよ。
西郷さんは自分を慕うあまりに暴発した若者を政府に引き渡して
自分だけ助かろうなどと思う人じゃなかった。一度は朝鮮で死ぬ覚悟を
決めた西郷さんだ。泰然としてとして己の命をくれてやったんだ。
リッパじゃないか。大久保や木戸にはこんなリッパな進退はできない。
大西郷と呼ばれる所以だ。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/13(金) 18:02:47.88 ID:Ah1qsDILO
昔は西郷さん立派だと思い込んでていたけど
特定のグループにだけいい顔して安易にマンセーされるより
まだ不安定な政府で国のために苦労していた人の方が偉かった
と感じるようになりました
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 08:15:54.32 ID:c01AqQwMO
そうですね。
まず明治になって困窮していた士族階級を救うために藩政時代より厳しい黒糖搾取をした大島商社を作ったこと。
さすがに耐えかねて自由化を求めて陳情に来た55人を牢に入れて西南戦争に従軍する条件を飲むまで牢から出さなかった。
私学校に入らない者をスパイと決めつけ本人らばかりか、その老母まで斬殺した(大口事件・西郷の命令ではない
と西郷を擁護する向きもあるが部下達がそーした事件をいくつも起こしており、そーした雰囲気を私学校に蔓延させた指導責任がある)。
他にも奄美の人達をボロクソに蔑視した手紙も残っている。
西郷信者に、この件、どう考えてるのか尋ねたい。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 09:08:08.86 ID:zMX9ZDhx0
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 10:56:55.88 ID:c01AqQwMO
鹿児島中央駅でなく鹿児島駅でいいの?ほとんど誰もいませんが(千鳥が数羽くらいか)。
まぁ西郷が凄い人物だったとは思いますよ。
ただマイナス面も冷静に理解してこそプラス面が光るわけでね。
西郷信者によくある、実は西郷のこと肖像画と敬天愛人しか知らなくてって言うバカが西郷の価値下げてるね。
>>690 西郷が手塩にかけた私学校の生徒たちが、西郷のためなら
命はいらないって、ばたばた死んでいくので、後世からみるなら
悲惨としかみえない。これはいったい何なんだって畏怖の目で
見られるのも理由のあることだね。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 13:32:09.90 ID:c01AqQwMO
そーゆー連中って西郷より年下で無知な下級武士の若者ばっかだよね。
辺見なんて私学校に誘って断った武士達をスパイ容疑かけるわけでもなく単に断ったというだけで殺してるよ。
市来四郎や重野安繹の言うように西郷の子分は判断力の乏しい熱いだけの連中が多かったのだろう。
アホな新興宗教に多いパターンだな。
あんな不合理でむちゃくちゃなことやるのは、頭の悪い脳筋ばっかり
なんだろうって思いたくなるが、西郷のもとには欧米に留学した頭の
いいインテリ、エリートもいたというから、必ずしもイメージどうりとは
限らないんだね。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/14(土) 15:34:17.71 ID:zMX9ZDhx0
西郷さんは誰からも慕われた人格者だったが、小才が効く俗物は
西郷さんを煙たがった。自分の卑小さが炙りだされるからね。
>>694 >マイナス面も冷静に理解してこそプラス面が光る
確かにそうだね
西郷さんとは
盲信者が神輿担いでいるのはよくわかりますた
今でもそうでしょ 尊敬する人物として西郷隆盛の名をあげる人って、どことなく痛い人が多い
能力無さそうなのに自己顕示欲はすごい人・・・
世の為に何事か成さん、と夢想する自分にうっとりしてるだけの人・・・
などなど
やはり宗教なんだろうな
石原慎太郎は西郷より大久保を評価してるんだよね。
政治家として成功した人間は、たぶん大久保のほうを
評価する人間がおおそうだな。
報われない生活を送っている一般大衆は西郷を
信奉するひとのほうが多そうだ。松本清張の父親って
貧しい一般庶民だったが、西郷の歌をよく清張に
聞かせていたというね。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 10:21:03.10 ID:ijqCDPkjO
仕事柄、色々とコーディネートしてるが政治家に限らず実業家や学者も玄人は西郷より大久保。
ただし公には西郷さん偉い!とかばかり言ってる。
控室に戻ったり内輪の会食とかで「本音は大久保とか調所とか偉いと思うけど鹿児島じゃ言えないよねぇ(笑)」
という場面によく出くわす。
バカの一つ覚え「命もいらぬカネもいらぬ、官位もいらぬ西郷さん…」と言ってて本人のやってることは正反対。
小沢一郎なんか露骨だったなぁ。自分は西郷とおなじで命も金もいらない
政治家なんだ!みたいな見えきったりしたが、ほんとはお金大好きというw
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 11:29:42.19 ID:evcnreGc0
小沢ってそう? この人は本気で西郷を崇拝してると思うが。
言ってることとやってることが違ってるあたりも、西郷そっくりだ。
小沢は西郷にあやかろうとしたけど、西郷ほどの人気はえられなかったねw
西郷は幾多の伝説をうんだが、西郷にあやかりたいだけの俗物は
伝説にはなれないというわけだw
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 11:59:17.83 ID:evcnreGc0
↑なんだ、西郷信者かw
西郷は死んでから星になったといわれたり、歌舞伎など演劇や芝居の
題材になったり、小説や漫画の題材にもなってるね。
西郷伝説の発生には、そういう大衆文化における西郷の人気が
あずかるところ大であるね。
国民から好かれたんだろうね、実像は置いといてだよ。
気は優しくて力持ちとか、日本男児はこうあるべきみたいなのがあったんじゃないかな。
あと死んじゃったのも大きいと思う。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 20:34:44.21 ID:xDbhlX6j0
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/15(日) 20:40:14.60 ID:Rf7kKp/n0
>>702 大久保の末路を見ていたら、代議士が地方エゴの政策しか言わないし
取らないのもむべなるかな。
>>710 西南雲晴東風 (読めるかな?)
>>711 まあ、子孫といえど、大久保の偉大さをそう簡単に
超えられるはずがないね。
713 :
名無しさん@お腹いっぱい:2013/12/15(日) 23:54:58.12 ID:p8XQ9JbN0
>>711 そうだね
小市民のエゴ、自分だけ報われたい的な願望を繁栄しやすいのが西郷なんだろうな
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/16(月) 09:37:37.63 ID:078TVL0zO
西郷信者って西郷のマイナス面を具体的に資料で示されても
西郷さんは人格者!西郷ドンは偉い!
とか観念論、イメージで反論(議論上では反論になってないが)してくるだけなんだよなぁ。
小沢って、小松帯刀が尊敬する人って
何かで見たぞ・・
それと、大久保も尊敬していたかな?
まぁ〜あんなのの好きな偉人とかどうでもいいがw
どう考えても偉人は一蔵どん だろ?
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/16(月) 17:17:50.27 ID:/kaUKoZ70
西郷さんは誰からも慕われた人格者だったが、小才が効く俗物には
煙たがられた。
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/16(月) 18:11:49.06 ID:078TVL0zO
↑いつもこんなでバカ丸出し。だいたい市来四郎や重野安繹が俗物とは思えない。
また現代でも歴史研究で素人の西郷信者より玄人の学者や学芸員の方が正しいと思う。
>>716 だいたい西郷を慕ってたのは薩摩の藩士のそのまた一部の勢力にすぎんw
しかも、就職斡旋で貸しをつくって得た人望だしw
>>713 大久保をもちあげれば、それはすなわち西郷を貶めることというのは
あまりに短絡的だなぁ。 そりゃ〜最後は互いに殺しあったが、ふたりは
それまでは親友でもあったわけでね。
現に大久保は重野に「自分くらい西郷をしるものはいない」と語った
そうであるしね。
大久保も傑物であり、傑物は傑物をしるということだw
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 02:47:11.54 ID:4Q/5rPQW0
なるほど
ケツがケツを知ると
そういう関係か
木戸も加わって三角関係に
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 05:29:34.90 ID:plV3hEDy0
郷里に平然と兵を向けて親族や幼なじみを討伐した大久保は人情を
欠いた権力の鬼、サイコパス。
>>720 あんまり面白くない。所詮これが傑物ならざる凡庸の限界かw…
>>721 大久保は最初西郷が反乱にくわわるとは思ってなかったようだね。
西郷が無名の師に加担するはずないだろうって。
大久保と西郷が親友だったとか、大久保は西郷が反乱に加わると見ていなかったとか、
大久保が西郷の手紙をいつも懐中に持っていたとか、
それらは信者の語り伝えみたいなもので、小説やドラマのなかでも反復されることで既成事実化してるが、
実はソースは非常にあやふや、もしくは実体のまったく無い話しで、
西郷エピソードってそんなのばっかりだよ
724 :
名無しさん@お腹いっぱい:2013/12/17(火) 07:41:28.96 ID:4Q/5rPQW0
>>721 それを言うなら、西郷はやっとできたばかりの日本に牙をむき
自分に都合のいい集団のために政権かっさらおうと
仲間やそれ以外の日本人を殺した、ただのDQNですがな
『重野博士史学論文集』下巻収録の「西郷南洲逸話」より
「是は人の知らぬことで、自分が西郷の伝を書かうと思ふが、自分は文筆がないから、
お前が西郷の伝を書いて呉れ。其時は今話したことを書き入れて呉れと言はれた。
即ち大久保の直話である。然るに大久保は其翌年凶徒の為めに殺害され、西郷と
一年違ひで死んだのは、恰も前に両人刺し違へて死なんとしたことを実行したる如くにて、
偶然であらうが、不思議に思はれる。」(八七頁)
重野は明治における実証史学のはしりで、その重野が大久保からの直話として
書いてるんだからねえ。 西郷と大久保の友情逸話には、実証主義的根拠も
あるということだなw
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 09:34:20.82 ID:FmktNOzrO
重野は両刃の剣
西郷と大久保に友情があったことと同時に
西郷が大したこと無い ことの証にもなってしまう
西郷の人物評というのは、それこそ無数にあるわけで、重野の意見だけが
絶対などとは到底いえないw まあ、重野と大久保、どっちが西郷のことを
よく知っていたかといえば、大久保のほうだろう。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 09:52:32.68 ID:plV3hEDy0
大久保の父親が流刑されて大久保家が困窮した時期に若い大久保は
貧しい西郷の家でタダ飯を食ってた。大久保の父の赦免は西郷が
斉彬に直訴して実現したもの。西郷の赦免は大久保が久光に懇請して
実現した。西郷の二度目の流刑前に大久保は西郷に一緒に死のうと言ったが、
西郷は拒否してひとり流刑に甘んじた。西郷と大久保の関係はこのように
実の兄弟よりも深く親密なのだ。その刎頚の友を弊履のように投げ捨て平然と
討伐の兵を送る大久保は権力の魔力に取り憑かれて人間性を失ったとしか
思えない。最期まで情愛深かった西郷さんとは大違い。人間の器が違ってた。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 10:05:47.31 ID:FmktNOzrO
大久保の言に西郷が昔からの親友だとか維新に功績があったことは述べられてるけど
友情面でなく功績面では後世の美談とはかけ離れてて幼馴染みの同志を普通に誉めてる程度
この程度を大久保による西郷の偉大さの証とするのかね
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 11:21:49.47 ID:nXKsL/i+O
>>729は大久保にどうしてほしかったんだ?あくまで西郷だけを愛してほしかったのか?
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 13:09:28.23 ID:plV3hEDy0
>>731 西郷を朝鮮に派遣してたら西南戦争はなかった。西郷に手柄を
立てさせたくなかった大久保と木戸が野合して西郷派遣を潰した。
西郷を城山でむだ死にさせたのは大久保と木戸だ。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 13:50:39.17 ID:nXKsL/i+O
>>732 西郷の言いなりになれということか?
それは一方的過ぎるだろ
友人や恋人だって一方的じゃだめなのに
まして政治家どうし
正しいかわからないことに簡単に賛同できないだろ
そして自滅するような道を選んだのは西郷自身だ
そこを他人のせいにするのは無理がある
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 15:00:54.88 ID:plV3hEDy0
西南戦争が起きたときに勅命で西郷一人を召したら西郷は単身で
上京しただろう。謀反人のレッテルを貼って戦死か刑死しかない
状況に西郷を追いやった大久保は非情すぎる。西郷軍に自分の
親族や幼なじみが大量に参加していることを知りながら平然と
軍を向け郷里を戦乱で荒廃させて顧みなかった大久保は稀代の
冷酷漢。西郷軍は熊本城攻略戦までは戦争らしい戦争はしていない。
谷干城が西郷軍を通過させてたら西郷はほとんで無血で本州に
渡ったんだよ。いたずらに地を流させたのは政府軍。
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 15:28:34.09 ID:nXKsL/i+O
西郷が荒らすきっかけを作ったんだが
それまでの巨大な体制が崩れて
今ここで結束して国を強化しないと
という時に反乱など起こされたら致命的
起こす側は相応の覚悟と責任を持つべき
仮に西郷が勝っていたら政府側が大量に殺され、内乱も日本中に広がった危険がある
>>734 >西南戦争が起きたときに勅命で西郷一人を召したら西郷は単身で上京しただろう。
(ヾノ・∀・`)ナイナイ
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 19:12:40.90 ID:plV3hEDy0
>>736 西郷さんは忠君愛国の士。勅命に逆らうはずがない。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 19:16:03.99 ID:plV3hEDy0
大久保の冷徹非情は怖ろしい。
最後まで情誼に厚かった西郷さんんが慕われるのが当然。
頼朝が義経を追討したのは、天下万民のために当然であると
家康がいったという話があるな。
為政者にはそういう非情さがときに必要とされるということだな。
西郷オタの思い込みはすごいな
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 23:11:33.98 ID:FmktNOzrO
西郷と大久保は気脈を通じてて西郷は私学校生徒らのガス抜きして生き延びるつもりだった説あるが…。
投降しようとして桐野に射たれ斬首されたのが事実のようだし。
まあ、西南の役で一人だけ助命嘆願していた事実がすべてでしょ
助命嘆願してこいとは言わないが、助命嘆願するなとも言わないあたりにナマの西郷の姿が垣間見えるわな
昭和天皇ですら、マッカーサーに面会した際、自分はどのような処罰をうけてもかまわないから、
国民にはどうか寛容に頼みます、と申し出てるのに
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 09:41:52.02 ID:uqV74ACB0
西郷さんが会津戦争に出て行ってたら戦争の終結は変わってただろうね。
慈悲深くて謙虚な西郷さんは会津藩士の恨みを買うような過酷な処置は
しなかっただろうね。元会津藩士が西郷討伐に志願することなど
なかっただろう。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 11:24:07.44 ID:hoQbhWAKO
私学校に入らないヤツら斬殺したり大島商社で不満の直訴に来たヤツら牢屋に入れて西南戦争に従軍させたり。
また愛加奈を内地に来させなかったり菊次郎の母が奄美人であること隠したり…。
慈悲深いとは思えんがな。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 11:35:17.97 ID:uqV74ACB0
>>744 惨殺やら大島商社やらは西郷さんが命じたんじゃない。
愛加奈の件は鹿児島で差別を受けさせるのは忍びないという
西郷さんの思いやり。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 12:03:08.07 ID:hoQbhWAKO
組織のトップ、設立者が部下のやったこと知らん!で通用するのか?大島商社の搾取率も西郷が知らんのか?
愛加那が終生西郷を嫌っていたことは龍郷の龍家子孫や役人から直に聞いた。
また奄美の女性を垢が厚くたまって云々とか多毛だとかボロクソ書いてる手紙も残ってる。
西郷も決して完璧な人間ではなく、いろいろ欠点もあったということだよw
あまりに完璧すぎると人間的な親しみが欠けるからねw 人間的な弱点が
あるというところもまた、大衆に親しみを感じさせる重要な要素だね。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 15:30:35.19 ID:uqV74ACB0
小人には西郷さんの大きさが見えないということだな。大久保や
木戸はその功績に応じた評価しか受けないが、西郷さんは
功績も彼らの数倍大きい上に功績よりもその人格の偉大さで
尊敬を受け続けてる。こんな歴史上の人物は他にはいない。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 22:50:01.27 ID:qtEJhY3BO
北チョンの将軍さまのようだな
>>746 奄美の話しはもういいよw
近代日本建国は薩長だからよ東シナ海の危険度も時代的にこれから深まる対中対応作の時代だ。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 23:57:02.25 ID:H3Di/zDnO
その近代日本建国の原動力になった薩摩の維新回天資金の多くは奄美の黒糖搾取からなった。
奄美を無視することは出来ないよ、君。
ここにも西郷信者の非論理的妄想に基づく西郷マンセー姿勢が現れてる。
>>751 解ってて言ってるんですよ。中国がパンドラの箱開けると手遅れだ先ず中国牽制が先
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 05:46:01.80 ID:6Qfzhelz0
西郷さんは細かいことに拘泥する人じゃないから黒糖の実務は
担当者に任せてたんだよ。江戸市民を戦火から救った西郷さんだ。
奄美島民を苦しめる政策を積極的に命じるはずがない。部下を信じ、
任せて思う存分腕を振るわせ、責任は自分が引き受ける、
理想的な上司じゃないか。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 07:22:15.66 ID:e7wTWTtZO
↑かなり無知
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 08:23:50.00 ID:fpFvkIjO0
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 09:16:36.06 ID:6Qfzhelz0
西郷さんは大島商社の経営のような細事に口を突っ込むような
小人ではない。国家百年の大計しか胸中になかった。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 09:56:10.77 ID:e7wTWTtZO
はいはい(笑)。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 10:31:04.37 ID:6Qfzhelz0
西郷さんを貶めれば貶めるほど貶める者の卑小さが
浮き彫りになってくる。人間の度量を小才でしか測
れない俗物には所詮、西郷さんの偉大さは理解でき
ない。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 10:37:27.93 ID:e7wTWTtZO
はいはい(笑)
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 20:04:27.19 ID:6Qfzhelz0
西郷さんが生きてたら西郷さんを誹謗するやつらは
西郷さんを慕う若い衆にぶった切られてるだろうね。
そこまで慕われた西郷さん。りっぱじゃないか。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/19(木) 23:07:15.96 ID:e7wTWTtZO
そー言えば、オウムの麻原を慕う若い衆が麻原の抵抗勢力やタブーを知る者らをぶっ殺してたね。
りっぱなのかな…。
大久保サン、日本のためにカルト集団を討伐してくれて本当にアリガトウ。
司馬遼太郎が言うには倒幕までの薩摩藩士時代の西郷は、外交や決断力で冴えまくっていたが、
維新がなってからの西郷は別人のように迷走しだした、と。
ほんとうだろうか?
薩摩藩時代の西郷は、ようするに大久保や小松らにかつがれていただけで、
外から見れば西郷が采配していたように見えただけではないのか?
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 00:13:13.58 ID:RJX3JjeCO
戊辰戦争の時の作戦立案は一応西郷を全面に出してるものの大久保が参謀だった
西南戦争は、これまた西郷が率いたことになってるが識者は皆さん実質桐野の戦争だったと言ってる
ま、西郷は偶像としての存在がメインだろう
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 00:27:33.48 ID:RJX3JjeCO
戊辰戦争と西南戦争の戦いぶりがあまりに違うのは大久保と桐野の違いと見れば合点がいく
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 01:31:31.02 ID:f0WeIna50
西郷が担がれていただけの人物というのは、この人を矮小化しすぎている気がするが
対人交渉力とか抜群だろ、この人
それって単に有能なだけの頭でっかちには真似のできないことだと思うが
この時代の人間にとって、一種のカリスマであることには間違いない
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 07:38:53.74 ID:RJX3JjeCO
確かにカリスマ的要素は多分にあったと思う。
まぁ小沢一郎程度のカリスマだったかもしれんが。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 07:53:57.00 ID:Mp6dWfFq0
禁門の変では西郷の決断が戦局を決定した。
第一次長州征伐の収拾、薩長同盟、
戊辰戦争挑発、江戸開城等々西郷個人の役割は
大きい。担がれていただけではない。
西郷は敵がいなければ能力を発揮できないタイプではないかな。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 08:04:36.31 ID:RJX3JjeCO
あ、それ重野安繹が書いてる。
敵を作って敵を憎み憎ませ仲間を作っていくみたいなこと書いてる。
小沢や橋下タイプだね。担いで利用しようとする賢いヤツと洗脳されて惚れ込むヤツが出てくるとこも似てる。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 08:05:59.23 ID:aGgdG/Yo0
>>768 それってぜんぶ便乗してただけじゃんw
西郷のカリスマ性って、矮小な人間やDQNにしか通用しない、ようはハッタリみたいなもんじゃないの?
大村益次郎、大隈重信、重野安繹、個人として突き抜けていたタイプの人間にはまったく相手にされなかったのが西郷さんだな
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 08:12:13.56 ID:RJX3JjeCO
それも重野が書いてる。
ついていくのは年下のあまり教養が無い、今風に言うと脳ミソ筋肉のヤツばっかと。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 10:11:42.78 ID:Mp6dWfFq0
重野は西郷さんの徳望を妬んで悪口を書きまくった小人だ。
学者として功績はあっても人間の度量が西郷さんと
差がありすぎる。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/20(金) 14:13:59.95 ID:0hpj71xV0
西郷さんは、確かに政治力や能力などは
優秀な人間から見れば、大したものでは
ない。でも、あそこまで人が付いてくる器量、度量などは、日本史を紐解いても
いないだろう。
要は英雄なんだよ。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 00:30:41.61 ID:EPhr2herO
なんかまぁ西郷信者が麻原信者とあんまし変わんないっ
つうことが大変よく分かるスレでつね…。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 11:13:29.13 ID:7ny0DK830
重野は久米邦武事件で連座して辞職したような不忠者だ。
西郷さんの忠君愛国の大精神を理解し得る人物ではなかった。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 11:37:16.44 ID:EPhr2herO
やっぱり麻原信者レベルでつね。
久米は神道は元々(古来)豊作を天に祈る習俗で、政治の世界であまりに神聖視するのは如何なものか。
という意見を重野が編集委員の一人に名を連ねる雑誌に様々な意見・学説の1つとして載ったに過ぎない。
西郷が本当に大きな器だったら、そんな程度に目くじら立てなかっただろーねぇ、西郷信者さーん(笑)。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 11:39:51.57 ID:EPhr2herO
意見を→意見が に訂正ね。
>>773 確かに、殉じた人も大勢いるしね、それは事実だ。
理屈じゃない部分があったのかもね。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 15:28:51.80 ID:EPhr2herO
逆!分かってないでつね。
西郷がハネカエリ分子に殉じてしまつたのだよ。
まあ、その当時に、全国の武士から人望があって多方面同時蜂起があったら明治新政府もヤバかったんだろうけどね。
結果は規模こそでかいが単なる一地方の反乱で終了しちまったしね。
鹿児島県人の西郷信仰は、安重根を英雄視する朝鮮人と本質同じ
なにかと言うと銅像建てて、自分たちが信じたいファンタジーを既成事実化していく手法も朝鮮人と同じ
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 19:00:02.38 ID:EPhr2herO
そーでつか?
北チョンはショーグン様が偉いなんて思てないかと。強制されてるだけ。
偶像崇拝は確かに北チョンもだけど、ヤパリ、オウム麻原のケースかと。マジで心酔してるバカ多いでつ。
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/21(土) 22:32:24.09 ID:HZBz2GGU0
Apple信者はどうなんだ?
俺、Mac大好きっ子なんだけど、今のところ期待を裏切られてないんだが
Windowsを使ってる奴が鈍臭く見えてしかたねぇ
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/22(日) 23:31:55.22 ID:jxiHz+Kr0
好きな言葉が「敬天愛人」とかほざいてるおっさんってことごとく無能だよな。
無能ゆえ、精神論みたいな方向に逃げてる奴。
それかブラック企業の経営者。稲森和夫や渡辺美樹タイプ。
会社のために犠牲になることこそ人として正しいと洗脳していく。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 08:42:19.48 ID:z3ooEduz0
敬天愛人。児孫のために美田を買わず。
大逆事件で有名な幸徳秋水も西郷を尊敬してたって話があるな。
最後に体制にたいして大反乱をおこしたから、反体制的な人士にも
人気があるんだね西郷は。
少なくとも西郷は体制的な考え方しかしてないよ
西郷が民のために戦ったことなど生涯で一度も無い
子飼いの薩摩士族や、薩摩士族の兵力を利用したい勢力に担がれていただけ
薩摩士族は完全に体制側の発想だし
逆に西郷を追い出した明治政府のほうがよっぽど反体制
反体制の仕上げに旧来の体制を体現する西郷と薩摩士族を潰したとも言える
幸徳秋水が西郷を尊敬していたという話しが本当なら滑稽な話しだな
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 13:35:47.09 ID:z3ooEduz0
西郷さんの徳望と胆力がなければ維新は成らなかった。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 13:36:27.69 ID:c5oNclbVO
幸徳秋水が西郷を尊敬してたなんて西郷信者のよくある拡大解釈。
秋水は同郷の中江兆民の弟子だが兆民が勝と西郷を誉めてることに対して
勝のことは如何なものか?西郷のことは西南戦争で逆賊になったことに自身との共通項を見出だしシンパシーを吐露しただけ。
まぁ山本太郎が田中正造にシンパシー感じたのに近い。いづれにしろ大した話じゃないね。
不敬事件をおこした内村鑑三も西郷のことを評価して、「代表的日本人」という
著作で西郷のことをとりあげてたね。 ケネディ大統領はその本をよんで
代表的な日本人を知ったというね。 つまりケネディ大統領にも西郷は
しられていたわけだよw
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 13:43:54.08 ID:c5oNclbVO
それのどこがニュースですか?
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 13:56:18.21 ID:c5oNclbVO
つくづく小沢一郎と西郷は似てると思う。
小沢も現代みたいにマスコミ、情報装置が発達してなければ偶像が定着してただろう。
右からも左からも心酔する人間が現れて心中も辞さないくらいの子分がいてそっくりだ。
西郷は体制側の人間としてすら大いに疑問の出る人物だよ
一部でラストサムライなどと言われているが、じつは武士らしいこと一個もしてない
武士らしからぬ心中や陰謀、そして助命嘆願、そんなのばかり
内村鑑三も西郷の実像をどれだけ知っていたか・・・
つつましく愚直な東北武士が著した「西郷遺訓」を通しての西郷偶像を代表的日本人としたのだろう
一万円札の福沢諭吉も西郷は天下の人物であると
述べてるね。重野も実証主義史学のはしりだ
そうだが、一万円札のひとと比べると
どうみても分が悪いねw
一万円札のひとは日本人で知らないひとの
ほうが少ないが、重野とかこの板の住人ですら
どのくらい知っているかあやしいw
福沢なんて西郷の実像をどれだけ知っていたのかな
奄美の弾圧搾取、鹿児島の全体主義的統制、福沢がもっとも忌み嫌うたぐいのものではないのか
福沢に比べれば重野は西郷のかつての同僚で、島で素の西郷も知っている
どちらの西郷評が現実のものか考えるまでもない
福沢は気位が高く、能力で自分より劣るインテリ型の人間が政府で大きな顔をしているのが許せなかったが、
自分とはキャラがかぶらない西郷が政府に反乱したことには痛快に感じていたんだろう
慶応はみのもんた次男がいたし、清原の息子も入れた
そういう伝統があるんじゃない
不満分子に大人気な西郷さん。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 18:39:06.34 ID:c5oNclbVO
西郷をよく知る大久保がやはり西郷を知る重野に西郷のことを書くよう話したが、大久保はすぐにこの世を去った。
大久保の言わば遺言を受けて西郷を記したのが重野であり、また維新、明治と西郷を見てきた市来四郎、
この2名が西郷に批判的だからといってそれが全てではないが、福沢や内村よりはあてになる評価だろう。
一見、大人物でオーラあるけど、よく知るとガッカリみたいなことはよくある。
大久保が西郷の人物を否定的に評価していたとは、具体的には
どの発言のことをさしているのだろうか?
世間一般の善男善女は、重野ひとりの意見より、当時の社会に多大な
影響をあたえた福澤や内村や幸徳の評価を重視するんでね。これは
どうしょうもないねw
重野ひとりの評価で西郷の人物を定めようというのは、人口に膾炙した
「葦の髄から天上のぞく」という諺がぴったりあてはまるわけであるねw
重野は西郷と一緒に島流しにされたというね。 西郷は遠島先で役人と
談判して、島民の待遇を改善しなけりゃ藩に報告すると役人をどやし
つけたってエピソードが有名だな。
重野は遠島先でもなんの逸話も残ってないので、西郷は人気取りだって
嫌味のひとつもいいたくなったりするかもね。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 20:51:31.33 ID:c5oNclbVO
そのエピソードの真偽は不明だが事実だとしよう。
その後、西郷が藩で力を持った後、既に斉彬が奄美に対する黒糖搾取を調所時代より厳しくしてたのを改めたか?
久光が改めなかったのは当たり前だが明治になって西郷の大島商社は更に搾取の度合いを高めたんだよ。
やりもしない綺麗事を口にするだけなら民主党と同じだろ。
西郷のような世に大人物とされている人間の場合、長所を示す
エピソードは繰り返し語られるが、短所や欠点を示す逸話は
だいたいが沈黙のうちに無視されるということだなw
だからまあ、役人をどやしたってエピソードのほうは語られて
西郷が権力を握ったあと、奄美大島の島民の待遇はそれほど
改善しなかったということは、ほとんど語られないわけだな。
西郷が奄美で藩の役人と戦ったというエピソード自体が限りなく捏造くさい
西郷の名誉回復したいならソースどんどん出せば済む話しなのに
なんでしないんだ?
捏造だといいたいなら、捏造と証明すればすむことで、それが
証明されないから、西郷が島の役人どやしつけたという逸話は
いつまでも語られるわけだねw
役人をどやしたという逸話が事実でないなら、重野あたりが
あの話は事実ではないと、書き留めているのではないかな?
一緒に島流しされた重野も否定してないなら、その逸話が
事実である可能性は否定できないだろうw
ソース無しか・・・
だいたいそのエピソード自体、奄美で威張りくさっていた鹿児島の役人に腹を立てた西郷が
鹿児島に報告してやるって脅かした、という話しだろ
それで奄美の惨状が少しでも改善されたという確かな記録があるならともかく
たんなる自己満足エピソードだな
しかもそんなしょぼい話しをわざわざ捏造したとしたら、西郷ってどんだけお寒い人物だったんだ
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 22:23:07.40 ID:c5oNclbVO
西郷というより西郷信者の捏造だろうけど。
重ねて言うけど真実だとしても、その後の行動見ると言うだけ番長の民主党前原みたいじゃないか。
実際天保期より適用範囲(三島から四島)も税率も上がったままなんだから。
>>808 べつにいいけど西郷信者ってそれでうれしいのか?
>>809 困るのはそっちのほうで、こっちは全然困らないがw
その話はデマ、捏造だっていうなら、デマが世にひろまったら
困るだろうw
俺は必ずしもデマ、捏造であることが確実とはおもってないから
別にその話が世に広まっても困らないわけさw
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 22:40:56.20 ID:c5oNclbVO
だからさぁ。
事実だとしても、実際に行動に移してなければ意味ない!と言ってるわけでして。
斉彬、久光、大島商社の搾取の方が酷かったことは「鹿児島県史」 鹿児島県、松下志朗「近世奄美の支配と社会」、樋口弘「日本糖業史」、や鹿大の紀要(芳則正によるものが主)にたくさん出てます。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 22:42:55.35 ID:c5oNclbVO
追記
の方が ってのは、調所広郷の天保改革期より ってこと。
で、それらの書物において、西郷が役人をどやしつけたって話は
デマ、捏造と証明されてるの? 証明されてなきゃ、西郷の逸話は
ずっと語り続けられて、西郷を脱神話化はすすまないだろうねえw
そうかなあ
そんな校長先生の捏造ブログより、このスレのほうがはるかに伝達力あると思うが
しかも現役信者が西郷信者のキモさを身をもって晒してくれてるんだから
このスレのほうが伝達力ある? うぬぼれすぎw
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 22:54:46.09 ID:c5oNclbVO
>>813 あなた読解力無いですね。
私は、百歩譲ってそのエピソードが真実だとしても、言ってることとやってることが違うのはどうなの?
と聞いてるわけで。斉彬や西郷みたいに綺麗事言ってて実際の搾取は調所以上ってことがおかしいよ!
って言ってるのですよ。
>>816 >>802じゃ不満か?
じゃまあ、こんな分析してるひともいるから参考までに。
http://www.mskj.or.jp/getsurei/yasuda0606.html 奄美での西郷評価
>そして、反西郷派が反西郷を唱える直接的な所以となったのが、明治4・5年に
>発生した、いわゆる「大島商社問題」である。
>ここで反西郷派が論拠にしている書簡が、明治4(1871)年12月11日、鹿児島県の
>高官桂久武による大島商社設立の提案に同意した返書である。この書簡を読むと、
>たしかに西郷は、奄美の黒糖によって窮士救済をすることに同意している。しかしながら、
>よく読んでみると、西郷は大島商社の詳細については知らされず、まさか旧藩時代と
>同じようなやり方で島人を搾取するとは全く思いもしなかったのではないか、と考えられる。
>明治4年といえば、廃藩置県の大改革を行い、西郷にとって多忙を極めた年である。
>そのような中で、大島商社計画の実態を知る由もなかったのではないか。いずれにせよ、
>西郷に過失があるとはいえ、島人たちを裏切ったとまではいえないのではないか、という
>印象を私は持っている。むしろ、返書からは、「そんなことは意図していなかった」という
>嘆きのような西郷の呟きが聞こえてくるように感じるのだ。
>反西郷派の論拠は、ここまでである。悔しいことに、その前後の書簡をほとんど無視している。
>土持の話を聞いて、西郷は自らの落ち度に気付いたのだろう。そして、過酷な収奪に苦しむ
>島人を救おうと、すぐに松方にお願いしたのだが、これこそがまさしく、西郷の本心だと思う。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 23:14:43.43 ID:c5oNclbVO
〜と感じる。とか、〜と考えられる。
ばかりですね(笑)。
いつものパターンで西郷にとって都合の悪いことは、全て西郷は知らなかった。だもんねぇ。
良いことは小さな末端まで西郷の目が行き届いていて、悪いことは(私学校生徒による数々の虐殺事件)全て知らなかった、
おかしいと思わない所が信者たる所以だな。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/23(月) 23:26:38.03 ID:c5oNclbVO
仮に私学校生徒の狼藉や大島商社の搾取を全く知らない予想外のことと(有り得ないが)一応仮定する。
封建制度下では藩主は知らなかった、とトボケテ家老が責任とって腹切った。
封建制度を否定し破壊した西郷が知らなかった予想外だったで西郷信者は良いのかね。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 00:12:01.86 ID:T5B8TvB0O
あー、安田さんだ。。
都合の悪いことは強引に、〜と思われる。とか、〜のようだ。としてる!
安田さんは市議会議員ですので、ある事情があるのです。
この資料にもありますが奄美でも知識階級が反西郷ということがポイントです。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 00:18:31.53 ID:T5B8TvB0O
つまり1%の知識階級より99%の無教養な、よく知らんが西郷偉い人でしょ派に受ける話しないと、
当選しないんですー。
>>817にある桂久武についてちょっと調べてみたが、遠島時に西郷と
しりあい、西郷からかなり信頼されてた人物であるね。
そういう信頼できる人間からの提案ならばオーケーしようってことだろうな。
西郷の人を見る目も完璧ではないので、維新以降に西郷が政府に
推挙した人物が使い込みをしたこともあったという。信用した人物が
悪いことをしたというなら、信用したほうにも責任はあるな。
しかしまあ、信用してひとを使うというのは難しいことなので、まったく
ひとを使うことに失敗しない人間は、結局ひとを使うことができないとも
いわれるねw
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 08:04:45.53 ID:T5B8TvB0O
えー!
だけど明治5年に西郷が桂久武にあてた手紙が残ってて県の資料にも活字化されてて有名だけど
大蔵省(大蔵省は自由売買の通達を出したが大島商社は無視)にバレないよう「ヨクヨク注意シテ〜」商売しろ、
利益を独占しろ、って内容なんだけど…。
西郷信者が言うようにお人好しの西郷ドンが桂に騙された、桂を見る目がなかった、と思う人いないよ普通は。
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 08:48:49.65 ID:T5B8TvB0O
んでもって、耐えきれず陳情に来た連中を捕らえて牢にぶちこんで西南戦争に従軍させるまで出さなかったり
何度も出てる話だけど誘っても私学校に入らなかったやつぶっ殺したり
そーゆー連中は城山で最期まで西郷と一緒にいた側近らなんだけど、みーんな西郷は本質見抜けないで側近にしてたとゆーわけ?
つまり西郷は黒糖の自由化に賛成していなかったと。
黒糖栽培というのは奴隷的搾取だと今日では非難されるが
薩摩藩にとって重要な収入源であったことにはかわらないし
あまりに急激な変化を西郷はのぞまなかったということ
だろうな。
薩摩はもともと中央からの指示をうけずに勝手にやる
半独立国の気風が強かったし、西郷もそういう薩摩の
気風になじんでたということか。明治維新の指導者のなかでは
もっとも保守的であったしね。明治維新後の政府の腐敗を
みて、徳川幕府にもうしわけないといったりね。
↑
いつもいつも内容の無い玉虫色の弁解を女の腐ったようにうだうだ書き連ねるのはいい加減にしろよ信者さん
↑
まったく無内容な中傷しかできない無能乙w
まあ、離島と砂糖と搾取といえば、カリブ海の黒人奴隷プランテーションを
どうしたって連想するな。 カリブ海諸島のサトウキビプランテーションに
おける黒人奴隷の取り扱いはきわめて過酷だったというね。
サトウキビプランテーションでの奴隷労働によってヨーロッパが
資本蓄積をなし、それが産業革命の原資になったという説も
あるくらいでね。 全世界をかえた偉大な産業革命と悲惨な
奴隷プランテーションというのは、あまりにかけ離れて簡単には
結びつかないね。
薩摩の黒砂糖プランテーションも、薩摩の資本蓄積に資して
明治維新を成立させたといえるのだろうか〜?
奴隷貿易が産業革命を成立させたように、黒砂糖プランテーションが
明治維新を成立させたといえるなら、黒砂糖プランテーションも
歴史的な評価はなされるべきであろうよw
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 15:47:48.11 ID:117NTWrP0
市場取引に慣れない島民が大阪や東京の商人の食い物になるのを
防ぐために設立したのが大島商社。西郷さんの敬天愛人の
実践。
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 16:26:14.26 ID:T5B8TvB0O
↑こーゆーのマジなアホ西郷信者なのか、反西郷の逆張りホメ殺しなのか判断難しいなぁ。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/24(火) 17:40:30.39 ID:tB5kZURS0
>>829 これぞまさに女の腐った言い訳だなw
そんな奴隷労働に頼らずとも軍制改革、武装の近代化を達成した長州という例を知らないほどバカなのか?
薩摩の非道きわまりない黒糖地獄は、歴史をどう曲解しても正当化できるものではないよ。
>>832 長州単独で近代化できたってことなら、薩長同盟なんか結ばず、長州だけで
維新やればよかったw 罪にまみれた薩摩と同盟をくんだ時点で、もはや
長州も同罪だなw
同罪というかたちで、信者が西郷の罪を認めたな・・・
>>832 非道極まりないなら、アメも英も仏も一緒だな
罪にまみれたなんて小せぇ事言ってるからダメなんだよ、被害者炸裂朝鮮人かお前は
罪まみれなんて、アメも英も仏も全世界一緒なんだよ、弱いモノが喰われるんだよ
歴史板にいるのにアホか、ちなみに国民一番殺したのは中国な。
西郷が1872(明治5)年の「大島商社」設立の際に、桂久武にあてた手紙は以下のようなものなのだが、
そのままではかなり分かりにくいので現代語で注釈込みで意訳しました。
商社ガ砂糖ヲ全国ニ売リヒロメテハ、必ズ大蔵省カラ利益ヲ占メラレルデアロウカラ、
ヨクヨク注意シテ、官ノ専売トミナサレナイヨウニシナケレバイケナイ。
(大島商社が砂糖を派手に全国に売りさばくと、必ず大蔵省にバレて、われらの利権を取り上げるでしょうから、
よくよく注意して、われらが大島商社を隠れ蓑に奄美の砂糖を独占して儲けていることがバレないようにしなければなりません)
ようするにこのような意味なのです。
大島商社は奄美の砂糖を独占はもちろん、買取価格(法外な安値)も商社側が決めていました。
これによって旧藩体制そのままに奄美で地獄の搾取を続けていたのです。
西郷は誰よりも奄美の悲惨な生活を見聞し、砂糖の自由販売こそ奄美の解放策と
分かっていたはずです。しかも、明治政府の要職にある身分であった西郷が
「大蔵省にバレれないようにやれ」とは何たる卑劣さでしょうか。
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 06:37:40.49 ID:9F0DvVch0
島民をいきなり市場経済に巻き込んだら必ず不幸になる。商社が
間に入って島民を保護しながら商売のやり方を教えていくのがベスト。
途上国に市場経済を押し付けて貧富の拡大、共同体や伝統文化の破壊を
招いているアメリカのやりかたは民衆思いの西郷さんの断固退けるところ。
もっとも、西郷さんの真意をねじまげて私欲を肥やす部下はいたかもしれ
ない。しかし、それはどの集団にもあること。当時の大久保政権に官吏の不正が
なかったとでも言うのか。
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 07:36:43.35 ID:9F0DvVch0
当時は地租改正反対一揆、徴兵制反対一揆などが各地で起きてたのに
奄美を含む鹿児島県下では一揆が一件も起きてない。反西郷派が言う
過酷な搾取がデマである証拠だね。
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 07:52:53.83 ID:rJpCP+mTO
一揆はあったのに、また西郷信者の捏造か。
まず久光時代に犬田布村一揆、大島商社時代に勝手世(カッテユ)騒動が起きてる。
だいたい天保期の調所時代より搾取が厳しくなってるのにトボケタこと言うなよ。
だから学者・研究者には西郷信者は相手にされないんだよ。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 08:21:53.01 ID:rJpCP+mTO
坂本龍馬信者も同じ。
船中八策が後世の捏造と判明してるのに、また薩長同盟も坂本がやったわけではないのに・つまり
その前年に島津家と毛利家の間で同盟・盟約に同意してる手紙がそれぞれの博物館に残ってるし
だいたい封建時代下で脱藩浪人が島津家と毛利家くっつけさせるなんて捏造に決まってるのにな。
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 08:30:24.31 ID:rJpCP+mTO
まぁ龍馬が使い走りにしては器用で有能であるのは確かで、西郷が、そうした使い走りを采配する、
つまり龍馬以上の人物・維新の立役者・維新三傑の一人だったことは確かだ。
木戸より西郷が上なのも確かだけど大久保の方が上だよ。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 10:08:35.32 ID:9F0DvVch0
>>839 調所は私腹を肥やしたが西郷さんは一銭も私しなかった。
比べるのがおかしい。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 10:43:05.30 ID:rJpCP+mTO
はぁ?
あの改革で蓄えた資金がなければ維新なんかできなかったのにな(笑)。
芳則正、原口虎雄、原口泉の論文・著作、資料に調所が私腹を肥やした話は出てなく、
むしろお由良騒動に絡む精忠組の捏造話・誤解としているがな。ま、しかし改革成功に併せて石高が上がってるからひがまれただろう。
芳先生の資料では、自害する直前で確か4千石近かったし。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 11:02:29.63 ID:rJpCP+mTO
それから西郷も維新の功績に併せて現在の価値で億単位の給料もらってるし日本橋近くに2千6百坪の屋敷構えたが、
拝領したもんは私腹肥やしたとは言わないだろう。
子孫は爵位もらってるし福沢諭吉みたいに爵位断ってないし。
西郷は東京では日本橋にある大きな屋敷にすんでいたというね。
それで自分ではその屋敷の片隅にある足軽長屋しか使ってなかったという。
で、とても地味ななりをしていたともいわれる。
そういうところから、西郷伝説がまたもうまれるわけだな。
東京ずまいのときは、家賃がやすい粗末な家にすんでいたとか。
で、もらった給料は、頼まれたらいろんなひとにあげていたという話もあるな。
給料をあるとき何ヶ月もとりにこなかったので、役人が西郷に注意したら
前回の残りがあるからそれ以上いらないって答えた、という話もある。
これも西郷伝説の一部であるね。
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 11:50:28.28 ID:rJpCP+mTO
まぁ美談伝説は大抵ウソだけどな。
チョン慰安婦の悪宣伝もウソだけど。
証拠もなしに莫大な伝説否定したところが、西郷の人格の大きさにくらべて
そいつの人格の矮小さをあらわにするだけで終わってしまうんだねw
しょせん、伝説にはなれない器は、伝説には敵し得ないということなんだねw
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 12:12:00.45 ID:rJpCP+mTO
なんだ、いつものアホ信者か(笑)。
しかしまあ、信者のひとりもつくれないような人望のなさじゃ
西郷伝説を覆そうなどと夢のまた夢だねw
地に落ちた西郷伝説
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 14:20:23.22 ID:9F0DvVch0
調所は稀代の奸臣。直木三十五の「南国太平記」を読んで勉強しろ。
調所の奸計を打ち破る斉彬派の正義の藩士の苦闘がよく描かれてる。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 14:59:22.29 ID:rJpCP+mTO
なんだ小説がソースか(笑)。
西郷従道の奥様・清子の手記で西郷隆盛の豪邸で20人ばかりの使用人がいてもてなされた話とか伝説を否定する事実はあるけどな。
まあ、弟の従道は明治政府で出世して、大豪邸にすんでたというから
兄弟でも西郷とは生き方が違うね。
ある西郷伝説によれば、西郷が給料袋を棚のうえに置きっぱなしに
しておいたら、従道が勝手にその袋もってって、遊興につかって
しまったという。従道は遊び好きで派手だから、奥方もそういう
性格だったんではないか。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 19:24:22.95 ID:9F0DvVch0
調所は嫡子斉彬の襲封を妨害し、大久保の父親ら正義の士を
処罰した奸物。再評価などあり得ない。
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/25(水) 21:19:11.68 ID:rJpCP+mTO
あのぉ小説をソースにするの止めませんかぁ…。
斉彬を遠ざけたのは父・斉興で久光を養子先の重富島津家から戻して後、家老座に列して(1847年)斉彬を焦らせたのも斉興。
焦った斉彬が幕府に密貿易ちくって調所を自殺に追い込んだのが1848年。
で、お由良騒動が起きたのが翌1849年で、激怒した斉興により、その年の秋に大久保利世(利通の父)らが遠島処分になった。
その年の春の段階で死罪もたくさんいたが、全て斉興によるもの。既に死んでる調所がどうやればできるのかな(笑)。
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の二》
大島商社を廃止して砂糖の「自由販売制」にして貰うように県庁に
嘆願しに来た大島の人々を、西南戦争に強制的に従軍させ、6人を戦死させた。
その嘆願団の中には、西郷の奄美妻アイカナの実家の龍家の末弟や甥、西郷の釣り仲間や
相撲相手もおり、「西郷さんに取り成してもらおう」という西郷びいき
ばかりだった。
「従軍中は大島人として差別され、無念の歯がみをした」と西郷に絶望したという。
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の六》
西郷家の詳細が分かりましたのでさらに解説します。
鹿児島の自宅は千百坪の超大邸宅で20人以上の使用人がおり、
犬も20匹も飼っていたそうです。
西郷さんのモットーは
「ケチと呼ばれては世上の聞こえも悪いから、毎月少なくとも百円(現在の130万円)は使え」でした。
(出典:西郷従道夫人清子談話)
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんなお金の遣り繰りをしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給金ですが、
月給千五百円、現在価値で2千万円。年俸2億4千万です。
政府と喧嘩して鹿児島に帰り実質無職になったあとも、どんな特権か知りませんが
給金はしっかり鹿児島に送られていたそうです。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 07:25:51.67 ID:mT4TGmetO
西郷が維新に功績を残した人物の一人であることは間違いない。
だが人間には色々な側面があり西郷信者が言うような人物像では逆にウソ臭く低レベルな人達にしか受けない。
西郷のイトコである大山巌が西郷の人望好き人望買いを証言してるほどで重野安繹・市来四郎の西郷評に合致する。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 07:35:01.51 ID:Y/Z237Zc0
>>39 どこにそんな史実があるんだよ
嘘ばっかコピペしてんなクズ
お前は奄美人でもないくせに偉そうに述べてるが、今でも奄美で人気だぞ西郷
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 07:42:17.42 ID:mT4TGmetO
↑私は39ではないが龍郷の龍家、田畑家(愛加那の家の子孫一族)及び、そこの歴史解説員に話を伺って確認した。
そもそも西郷が奄美の女性を蔑視した手紙さえ資料として残っている。
確認したなんて、そんな証拠ないし
864が嘘ついてるんだろうw
奄美人の悪口いった手紙の存在を
ほとんどの奄美人はしらんだろうし
知っても西郷人気に決定的な傷つける
ほどの話ではないしw
大久保サン、日本の将来のためにカルト集団を駆除してくれて本当にアリガトウ。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 15:01:16.45 ID:NvbanYkS0
西郷はトロツキーだな。敗れた毛沢東とも言える。
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 21:35:00.75 ID:wPzNK8Kd0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷隆盛は大隈重信に「西郷くん」と呼ばれていた。
大隈は西郷より10歳年下である。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 21:35:57.45 ID:wPzNK8Kd0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷が鹿児島で外出する時は、「地上での土下座では恐れ多い」と百姓たちを道のわき溝の中に飛びこませ、
水から首だけ出して西郷一行を出迎えさせていた。
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 21:37:38.43 ID:wPzNK8Kd0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷リスペクトを広言している政財界人
小沢一郎 (民主党 → 国民の生活が第一 → 日本未来の党 → 生活の党 →参院選当選ゼロ)
鳩山邦夫 (ルーピーの弟 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー)
渡辺美樹 (ワタミ社長 「365日24時間、死ぬまで働け。」)
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 21:45:40.68 ID:wPzNK8Kd0
<西郷どんのちょっといい話し>
放火大好き西郷さん
幕末、幕府を挑発するために西郷さんが手の者に江戸市中で放火、レイプ、強盗をやらせた話しは有名ですね
そして西南戦争でも西郷さんの放火戦術はいかんなく発揮されました
田原坂で敗れた西郷軍の士気は衰え、戦術はもっぱら、
民家に火を放って逃走する放火作戦が常套手段になりました
佐土原、高鍋、真幸谷などを焼き払い、
真幸谷では一ヶ月間炊き出しで世話になった吉田宗吉宅をも火を放って逃げ去ったそうです
田原坂は今でも出るらしいね
昼間半日かけて散策したけど夜は絶対に歩けないだろうな
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 07:11:52.12 ID:9aS/ztLCO
結局、西郷って大山巌の「人望好きの人望買い」という言葉に集約されるんじゃないかね。
で、西郷信者というのは、西郷による自らが人望のマトになる策に引っ掛かった人達、及び、そうした人達の
美辞麗句を信じるウブな人達で、重野安繹ら鋭い観察眼・洞察力を持った人達は騙されなかった。と。
そういう策士だからこそ維新で活躍できたとも言えるね。
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 07:53:44.48 ID:9aS/ztLCO
あと東大に資料として残る西郷の検死データだが、はっきり通説の
「晋どん、もうここらでよか」と言って(天皇のおはす)東を向き切腹、介錯された。
は否定されるね。
腹は無傷だし右太腿の骨を銃弾が左へ貫通してる。当時の銃では至近距離でないと骨は貫通しないそうだ。
首は切断されてるから城川の目撃談・投降するかに見えた西郷を桐野が射ち首をハネタ!が、どう考えても真実だな。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 08:23:12.25 ID:WxMmyGnd0
重野は久米邦武事件で連座して辞職したような不忠者。
西郷さんを評するには不適格。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 08:27:42.63 ID:0VCC5Tpe0
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 14:47:45.52 ID:WxMmyGnd0
西郷さんを悪く言うヤツは自分をどれほどの大人物だと思ってるんだろう。
滑稽だね。
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 17:15:56.72 ID:9aS/ztLCO
事実はどうだったのか。美談は捏造ではないか。
を検証することを悪口ととらえるのは滑稽だね。
諸悪の根源西郷隆盛。
>>868 マジレスだが、目上の人を「○○くん」呼ばわりするのは当時だとごく普通の事だよ。
当時の「○○くん」は、今で言うと「○○さん」に近いニュアンスよ。
明治時代の頃は新聞でも書籍でも何でも「今日○○くんが…」呼ばわりだ。
男爵や伯爵は○○男、○○伯と呼ばれてるが。
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/27(金) 23:43:44.17 ID:WxMmyGnd0
西郷さんは無欲恬淡、名利に無関心で、寛仁大度、謙虚で誠実で公平無私の人だった。
【西郷どんの人望好き、西郷どんの人望買い】
いとこの大山巌が西郷さんを評して言った言葉。
西郷さんは人の好意や信望を集めることに異常に執着し、
しばしば金銭をばら撒く、出世の後押しをする、相手を先生などと呼び持ち上げる、
などの必死な姿が目撃されていた。
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 02:18:45.77 ID:aSno3QHO0
西郷は戦争の天才と言われていたらしいが、本当か?
軍事的才能でいったら、大村益次郎や山縣有朋のほうがあったろうな。
西南戦争における最大の失敗は熊本城攻略をめざしたことで
あったといわれるが、あれは神風連の乱が熊本城を襲ったことの
影響が大なんじゃあるまいか〜 などと今おもいついた。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 08:05:11.95 ID:uPN6g44k0
<西郷どんのちょっといい話し>
西南戦争”熊本攻城戦”で苦戦する西郷軍。
数で圧倒していた西郷軍でしたが、3日間の激戦の末、一兵も城内に入ることができませんでした。
西郷さんが原因を分析したそうです。
西郷「敵の大将は土佐の谷干城だが、参謀の樺山資紀が薩摩出だから、城は容易に落ちないのだ」
若い衆「・・・・」
熊本城を陥とせなかったことにより「西郷軍弱し」の風評が全国の士族団に伝わり、
西郷軍の孤立化はますます深まったといいます。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 09:46:32.47 ID:vizpjzi10
偉人を貶して自分を大きく見せようとするのは俗物の証拠w
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 10:15:18.61 ID:SCeIJ0+yO
なんか、むしろ口先だけで色々と西郷のウソ臭い美談話して自分のアピールしてる議員や経済人多くてさ。
こいつらの方が俗物だと感じるなぁ。
>>885 大村はともかく山縣は軍人として有能というより、軍閥を率いる人として有能だっただけだと思うが。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/28(土) 23:34:43.18 ID:bKqcyOPJ0
この戦争を経験した大山、児玉両人が
立てた日露戦の奉天開戦が軍事の天才的だろ?
>>890 山縣は、西南戦争では軍人として指揮をとり、乱を鎮圧したわけで
軍人として有能だった証拠だなこれは。
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 04:22:38.25 ID:vAinfWue0
鳥羽伏見で指揮をとり勝利に導いた西郷
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 09:42:53.40 ID:xbc9U3p1O
西郷・大久保と親密な付き合いがあり二人で家に泊まりにも来てた長岡監物(本姓米田)の息子・米田虎雄氏
の証言では帷幕(いばく・いわゆる参謀)の人が大久保で兵を出すのが西郷だったと証言している。
今年の鹿児島県立歴史資料センター・黎明館の島津重豪展では最新資料で天保改革の蓄財資金が200万両
であったと公にしている。大山巌の息子・柏が戊辰戦役史という論文で西郷が京都や大阪の藩邸からそうした資金を持ち出したり
軍艦の頭金に砂糖で稼いだカネで払え!と命じたりしてる資料も残ってる。つまり大久保がいなくてカネがない
西南戦争は初めから負けと決まってたと言えるかもしれない。
> 兵を出すのが西郷だった
かつぐほうからすれば便利な存在だったのか何なのか。
西郷一人を説得できれば、西郷が人望買いした数百の薩摩将兵が付いてきて、
それに釣られて数千の兵が動く、みたいな感じか。
しかし西郷という派閥屋がいなければ、もっと楽に事務的に兵を編成できたかもしれない。
島津斉彬が西郷を使いだし箔を与えたことで、西郷が妙な軍権を持ってしまい、モンスター化させてしまったと思う。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/29(日) 21:22:05.15 ID:vAinfWue0
まあ、そんなこと言ったら、大久保にしろ薩長の実力者はだいたいがそんな経緯で成り上がったのだと思うが
軍権を個人的に掌握して成りあがった奴なんて西郷だけだろ。
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 00:09:30.56 ID:pUr/O+QC0
軍権の掌握というより、薩摩藩の軍司令官の地位を与えられた訳で
しかもそれは斉彬によってではなく、二度目の島流しからの帰還後の話だし
西郷はもっと以前から頭角を表していただろ
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 09:02:40.72 ID:s12DAa8M0
西郷は慶喜擁立工作で頭角を現した。
その時代はただの使いっぱしだろう
西郷は篤姫の嫁入り準備なども担当したと言われているが、
田舎出身の西郷に公家と将軍家の婚礼の準備など絶対できるわけがないw
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 22:47:31.35 ID:pUr/O+QC0
絶対できるわけがないと思われることを、やってのけてきたのが西郷さんだろ
その辺の田舎侍とはスペックが違います
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 23:13:39.66 ID:dwTk9vdsO
それほどでもないと思うよ。
そこそこ凄いとは思うけど。
大久保の方が上だよ。実績を事実でキチンと検証すれば分かるさ。
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 23:21:05.87 ID:pUr/O+QC0
西郷と大久保と比べてどこが凄いとか議論することに意味があるのか?w
どちらも凄いでいいじゃないか
たとえば韓国と日本とどちらも凄いで済むか?
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/30(月) 23:52:03.24 ID:dwTk9vdsO
大久保の凄さは徳川家康的凄さ。新しい秩序国家体系の構築という凄さ。
西郷の凄さは小沢一郎的凄さ。敵を作ってぶっ壊す。子分も作って伝説作る凄さ。
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 01:15:36.75 ID:VbD8KVjc0
汚沢信者がいるわw
除鮮 だな
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 07:28:06.33 ID:BobKSQVmO
いや、むしろ小沢一郎程度、という皮肉
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 07:54:18.81 ID:iA07/J6L0
小沢一郎には功績がない。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 08:19:35.52 ID:BobKSQVmO
いや、一歩間違えると鳩山や菅みたいなんが総理になれちゃって中韓がスキを狙ってズにのるヤバーイ環境!
っていう日本の脆弱性を明らかにした功績がある。
小沢一郎には政権交代をやったって業績があるな。 明治維新とは政権交代であるか
といえば、これには異論続出だろうが。
比較対象人物を持ってくるなら山縣が相応じゃね。
山縣とか井上とかは、どっちかといえば弟の従道と比較するのが適正だな。
草莽の士から立身出世して贅沢三昧って、明治の元勲においては標準的な
パターンだろう。 さすがに大久保は謹厳で権力でもって蓄財したという
イメージとは無縁だが。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 18:40:46.88 ID:ZO7dHdRj0
信者が言う、西郷が無私無欲だったなんて、どこからどのように見ればそのように見えるのかね?
莫大な給料貰ったうえに、ほんとなら体育教員とかそんなレベルの桐野ら子分たちを将官にまで栄達させるという
政府人事の私物化はちょっとほかに無いだろう。
私腹を肥やしたわけではない、という信者の考え方は怖いね。
太平洋戦争の暴走軍人も私腹を肥やしたわけでは無かった。
莫大なもらった給料はひとにあげてたって話があるね。
莫大な給料で西クが贅沢三昧やったって逸話はほとんどないからね。
逆のエピソードのほうがおおい。
維新からしばらくたって、西クが郷里に莫大な土地を買ったという噂が
もちあがった。それを聞いたひとが、「そろそろ西クも贅沢したくなったか」と
噂しあったそうな。だが、それは実は私学校設立のためであったとか。
明治の元勲のあいだで畜妾がはやっていたとき、西クが「わしも女を
かこうことにした」と、あるひとにいったという。その妾というのは実は
犬の雌だったとか。
こういう逸話を聞いて、ひとは西クは無欲のひとだなぁとおもうわけだねw
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 19:15:06.99 ID:iA07/J6L0
西郷が私費を投じて作った私学校は鹿児島県士族しか入れなかったからなあ。
出身地も身分も関係なしに入れる学校を作ってたら西郷の功績になったのにね。
やはり西郷は了見が狭い人だった。
西クの了見が狭いかどうかはともかく、郷里の若者のために学校たてるってのは
個人的な贅沢が目的とはいえないね。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 19:49:21.45 ID:BobKSQVmO
しかし、その私学校生徒達のやったことは鹿児島・日本のためになったのか私は大変疑問だ。
既出だが西郷の私学校生徒達で特に最後まで西郷の側近であった幹部達の行状だ。
大口で虐殺事件起こしたり大島商社での奄美からの直訴民を投獄して西南戦争に従軍させたり。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 19:53:12.30 ID:ZO7dHdRj0
>>916 きみの気持ち悪さはまさにこれだね。
>私腹を肥やしたわけではない、という信者の考え方は怖いね。
>太平洋戦争の暴走軍人も私腹を肥やしたわけでは無かった。
学校やらも私費でやってるならともかく、県の財政を西郷グループが私物化して
そこから捻出してるわけだからな。
しかもそういう県予算は当然奄美の収奪に依存している。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 19:56:03.00 ID:ZO7dHdRj0
公を私物化するのは、個人の贅沢よりはるかに卑劣なこと。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:00:09.86 ID:ZO7dHdRj0
太平洋戦争の勘違い暴走軍人たちは少なくとも、日本のためによかれという動機であったと思うが、
西郷はどうだろう?
薩摩士族のためによかれという動機でしかなかったのではないかな?
私学校のもとでは西クが明治政府からうけた賞典録であるから、別に鹿児島県の
税金がでてるわけじゃない。 西クが鹿児島の財政を私物化していたなら、別に
自分が受けた禄から自腹きって金だす必要はないよねw
昭和の軍人と西ク軍って似てるところは多いだろうね。 山本七平も西南戦争と
太平洋戦争はまるっきり同じといってたね。 西南戦争のときの西ク軍が
太平洋戦争の日本軍で、西南戦争の政府軍は太平洋戦争の米軍に相当する
わけだね。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:16:27.25 ID:ZO7dHdRj0
>>921 私学校の元手は一部西郷や大久保が出資しているが、足りない分は県費があてられ、
その後の運営も、私学校とは名ばかりで県費によっていた。
西郷は今で言えば大口寄付者の一人にすぎない。
実態は、大久保まで金出していた公の学校を西郷グループが私物化していたにすぎない。
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:25:06.76 ID:iA07/J6L0
私学校の生徒も幹部も県庁職員も鹿児島県士族で固めていた。
やはり異常だな。ただの地方軍閥に過ぎない。
>>923 大久保も出資してるってことは、大久保も学校たてるのは良いことだと
当初考えていたわけだな。
明治六年の政変で西クらが辞職して帰郷すると、鹿児島県令は
私学校党をたすけ、政府に税金をおさめなくなったそうで、政府側
からみれば、政府にたてつき県政を私物化してるとみられても
仕方ないかもね。あくまで政府側からの視点だがね、これはw
それで政府が鹿児島の内情をしりたくて、密偵をはなち、これが
西南戦争の起爆剤になるわけだね。
それはともかく私立の学校なら、設立者の方針にしたがって生徒を教育
するわけで、それを私物化というか?
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:41:14.50 ID:BobKSQVmO
で、私学校の連中のやったことって良かったと考えてるのかな?
具体的にどこが良かったのか。
また虐殺事件や奄美直訴民投獄の件はどう考えるのか。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:41:16.52 ID:ZO7dHdRj0
>>925 設立者の方針ってなに?
西郷グループが牛耳ることも設立者の方針なの?
だいたい私立の学校だったの?
名前が「私学校」だから私立と言いたいわけではないよねまさかw
>>926 私学校も暴発しなけりゃ有為の人材を多数世におくりさせた
かもしれないねえ。学校の役目というのはそういうものだからね。
これはレバタラの意見になるがね。
戦争となればいろいろ残虐な事件がおきるのは避けられないので
西南戦争でも残酷だなあとは思うね。西南戦争であまり語られない大口の
事件や奄美島人の挿話を語るというのは、語りのバランスをとるうえで
必要なことかもしらんが、それが西南戦争で語るべきすべてのこととは
到底いえんだろうねw
>>927 いわゆる私学校は西クが設立したんだから、設立者の方針とは
西クの方針にきまってるではないかw 私学校は誰が設立を
決めたと思ってるんだそっちは?
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:56:10.05 ID:ZO7dHdRj0
>>928 で、設立者の方針の中身は?
西郷グループが私学校を牛耳っていたのも方針なのかい?
私立かどうかは?
みっともないごまかしは恥の上塗りするだけだよ低能信者さん
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 20:57:11.67 ID:BobKSQVmO
西南戦争はバランスがどうのという前にマイナスしかないと思うよ。
どの点を評価してるのかな?
西郷の最後だって東大に残る検死データからは例の「晋さんもうよか切腹」美談はウソだし。
熊本や鹿児島の城下も西南戦争がなければ金沢までとはいかなくても古き町並み残ってたかもね。
私学校の設立自体、不平士族の暴発を防ぐのが目的だったという
説もあるね。 まあ、実際、明治六年の政変以来、九州では不平
士族の暴発があいつぐので、西クも対策の必要性は痛感してた
だろうね。
>>929 方針の中身? 西クの教育方針なら、西ク全集みればわかるだろう。
私学校の授業内容をみてもいいね。軍事教練と漢文の素読が中心だった
というね。西ク自身、漢詩を非常に多く書いてるので、漢文を重要視してた
わけだね。
まあ、先進的な知識を拒否していたかというと、必ずしもそうではなくて
私学校からヨーロッパに留学した生徒も数多かったというね。
かの東郷平八郎も西クに留学を斡旋してもらったそうな。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 21:17:11.55 ID:BobKSQVmO
西郷が本当に人格者で大人物だったのなら不平士族たる若い教え子達の暴発を抑えることができたはず。
いや、抑えることが西郷の役割だろう。それが出来なかったゆえに西郷美談伝説は多くが捏造だと感じてる。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 21:17:52.77 ID:ZO7dHdRj0
>>931 >>932 それって名目だろ?
銃隊学校と砲隊学校からなってるのに、暴発防ぐってw
ようは私学校では低能信者さんが書いてるような聞こえの良い建前・名目をかがけて、「公」を西郷グループが私物化してたわけだな。
西郷さんというのは、出どころの怪しい美談を排して、史実のみをつなげていくと、
自らの面子と薩摩士族の権益のためだけに「公」を「私」にすりかえ、「私」を「公」に押し付ける卑劣な姿しか浮かんでこないんだが。
>>934 血気盛んな連中は、軍事教練でもやらせておかないと、血気の
もって行き場がなくて暴発するという考え方だろう。
別におかしな考えには見えない。まあ結局暴発するんだけど
私学校は。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 21:30:12.67 ID:BobKSQVmO
>>934 後半は同意。
私も以前は西郷さん偉い!凄い!と何の疑問もなく信じてた。
でも調べれば調べるほど違う姿が浮かび出てきて悩んだよ。
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 21:41:43.59 ID:ZO7dHdRj0
西南戦争も西郷グループの「私」の暴走だったのに、
信者さんによると、なにやら西郷が士族と一緒に滅びるための自己犠牲の物語であったかのようなすりかえは本当に卑劣だと思いますね。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 21:43:26.55 ID:ZO7dHdRj0
西郷個人が卑劣というより、西郷教みたいなものが卑劣ということですが。
実際、西南戦争で一連の士族反乱は打ち止めになったからねえ。
日本は次のステージへと進んでいったわけだね。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 22:03:26.03 ID:ZO7dHdRj0
>>939 それこそ結果論なのに、西郷を持ち上げるための卑劣なすりかえだな。
だいたい、西南戦争の本質は士族反乱であったかどうか。
>>836を見れば分かるが、西郷は脱法鹿児島士族を「官」と呼んでいる。
また、西南の時も、自分は陸軍大将であるから自分たちが正当な「官」軍であるようなことを言っている。
むろんすりかえである。ここでも「私」が「公」であるかのようなすりかえを西郷は平然とやっているのである。
>>940 勝てば官軍ってやつだな。福沢のいうとおり、西クは生涯に二度政府の
転覆をくわだてたるものなり、というわけだ。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 22:14:34.58 ID:ZO7dHdRj0
西南戦争の本質は士族反乱ではなく、大久保に恨みを持つ西郷グループの「私」的反乱だろう。
それをなにやら「公」に捧げるための反乱のようにすりかえたんだよ西郷さんは。
佐賀の乱や神風連の乱や萩の乱や秋月の乱は、公的な反乱で(公的な反乱というのも
形容矛盾であるが)、西クの西南戦争だけ私的な反乱だっての?
不思議な考え方だなw 西南戦争とそれ以外の士族反乱と何が違うのか
ちょっと説明してもらわないと理解できないね。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 23:02:18.62 ID:ZO7dHdRj0
その他の反乱は自分たちが官軍であるかのような厚顔無恥なことは言って無い。
そのぐらいバカでも分かるだろ?
完全に野党の反乱。政府のありかたに異を唱えるという大義はある。
西南戦争は大久保に恨みを持つ西郷グループの私的反乱。大義があるとは思えない。
奄美の収奪をやめてない時点で、政府のありかたに異を唱える資格などなし。
であるにもかかわらず、自分たちが「公」の立場で戦うかのようにすりかえ、
いやがる郷士や支藩の士族、奄美人までをも強制動員、1万人以上を死なせた卑劣な暴挙。
これが捏造美談抜きの、西南戦争の本当の姿。
西クは西南戦争勃発のときも陸軍大将の官職もってたんだから
官軍を自称したところで、不遜とまではいえんだろうw
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 23:18:16.19 ID:ZO7dHdRj0
暴発防止のために陸軍大将のままにしておいたことぐらい西郷も分かっていたはずなのに、
それを名乗るのは、すりかえとか不遜以前に人として恥ずかしいよな。
しかも即日解除されてるから、西郷がドヤ顔で陸軍大将を自称したときはすでに軍人ですらなかったはずだ。
まあ確かに他の士族反乱にくらべると、西南戦争は首謀者が陸軍大将の
官職もってたんだから、官軍と自称してもおかしなことはないなw
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 00:46:10.32 ID:VcxA+Zo2O
そもそも西南戦争は西郷というより桐野主導だった感もある。
これはまだ実証レベルではないけど傍証はあるんだよねぇ。
西郷に嫌われたばかりに世に出れなかった薩摩藩士もけっこういたんだろうなあ・・・
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 16:30:15.17 ID:syH0RRZy0
西郷は何を目指してたんだろう。これが西郷評の最大の謎
何も目指してないでしょ
西南戦争だって何かを目指して決起したわけではなく、
西郷暗殺嫌疑を大久保に質す、みたいな理由だし
維新の主役級登場人物だから、当然何かを目指していたんだろう、
と後世のわれわれは勝手に思うから謎が生まれる。
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 18:25:43.51 ID:syH0RRZy0
西郷の政治目的、理念は「薩摩の覇権」とか「士族独裁国家」とか、
いろいろと言われてるけど
維新三傑、西郷、大久保、木戸
倒幕三傑、西郷、高杉、坂本
明治三傑、西郷、大久保、伊藤
西郷最強じゃん。
「三傑」などと吹かしてる時点で美談の一種にすぎないのでは?
西郷信者の特徴は、西郷さんは人からこんなに評価されてるから偉いんだと言うばかりで、
その中身を見ればすべて捏造美談や「西郷遺訓集」にもとづく曲解された西郷像でしかない。
世の西郷信者が、史実を根拠に、西郷の功績を人の言葉に頼らず自らの言葉で示したことは皆無である。
なぜなら史実を見れば、西郷は革命や功績どころか、じつは懐柔された抵抗勢力でしかなかったことは明らかだからだ。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 12:45:57.36 ID:M+EsWcCRO
だけど青少年の育成・道徳教育には、その捏造美談伝説は活用できるよね。
大人になって大山巌の人望好き・人望買い証言や東大の検死資料見たりして「まぁこんなもんだよな」って解れば良いこと。
ただ大人になっても伝説信じてる人は逆にかわいい善人だよね。
ただのバカだ
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 14:37:53.68 ID:diXdSOVp0
東大の検死資料は捏造
西郷さんは都市伝説、歴史上そんな人物は実在しない。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 19:12:33.16 ID:diXdSOVp0
血気に逸る下っ端の者が勝手にやったことまでを西郷さんの
せいにするのはおかしい。西郷さんはむやみに反対者を殺したり
民衆を搾取したりする人じゃない。度量が大きくて公平で
弱者に優しい人だよ。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 19:23:54.73 ID:M+EsWcCRO
↑と、まぁこんな感じで大人になっても情弱で捏造美談伝説信じる人が逆に西郷の評価を下げてる気がする。
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 19:36:40.52 ID:kwuHt4+S0
>>960 そいつは信じるどころか、このスレで敬天愛人シリーズを貼って西郷を馬鹿にしてる輩だろw
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 19:55:35.86 ID:nOIovAjr0
鹿児島県人はいいかげん西郷教の呪縛を捨てたほうがいいのでは?
西郷教は上に従順な羊のような人間をつくるにはいいかもしれないが、
かつての薩摩藩士たちのようなよくも悪くもダイナミックな人間は西郷教からは絶対生まれないと思います
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 23:09:45.25 ID:3mvVbrDy0
宗教とは民族の血肉となり思考の一部となるものだから、それは無理だろう
薩摩人は日本人にしては珍しくカルト性が強いというだけの話
個人的には重野の西郷評は何かスゴい納得してるわ。
自分の取り巻き達からカルト系宗教の教祖並にマンセーされてる人って
大概が「心が狭くて、精神的に安定してない」ってタイプじゃね?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 00:36:53.85 ID:pfJoPwyWO
ウチ代々薩摩人なんで親戚とか多いし東京の鹿児島出身者の各種団体や地元鹿児島の団体にも関わってて感じることがある。
いわゆるブランド大学とか出て、鹿児島を離れて生活してる人達は、西郷を冷めた目で見てるか、政治経済界で生き残る
ためうわべだけ西郷信者のフリしてるかのどちらかが多い。
高卒とか、せいぜい地元の国公立大学程度出の地元企業社員やら公務員クラスは世間知らずなんで美談がオカシイ
と気付いてない。または、それをよりどころにすることがブランド大学や中央に対するコンプレックスの隠れ蓑になっている。
1985年あたりだったが南日本新聞で西郷・私学校のマイナス面・タブーを連載したことがあったが、あまりにも
西郷信者の抗議が大きく、単行本化できなかったのはもちろん、以後、西郷のタブーは書くな!と後輩記者は
言われるようになってしまった。
重野は公費使い込みで島流し。
島を出た後は久光御用達のお抱え歴史学者。
>>965が書いてるように、コンプレックスの隠れ蓑になっている、
というのが核心なんだろうな。
桐野や辺見十郎太みたいな人もコンプレックスの人なのではないかな。
鹿児島では一目置かれる元気者だが、中央や大久保にはまったく相手にされない。
しかし西郷の取り巻きでいれば、むしろ中央に迎合しない気骨者と、自らをこじつけることができる。
>>965自体がコンプレックス丸出しですがな。
人は自分のことはなかなか分からない。
>>967 青白い顔したガリ勉の策略家よりも、素朴に忠義に生きた無骨者を好むのは
鹿児島気質。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 08:24:43.10 ID:pfJoPwyWO
大久保の方が忠義に生きたのが分かってない所が西郷信者が愚かと言われる所以。
欧米列強がまだまだ帝国主義全開の中、近代国家の内務、財政(のち反西郷派の松方が担当)など固めることこそ忠義。
天皇に忠義を尽くし近代日本国建設に貢献・忠義を尽くした大久保らこそ忠義の人。
西郷は久光にも天皇にも忠義を尽くしてない。単にワガママな不平士族らを抑えられずに自爆したのだな。
>>970 非常にユニークな考え方だな。
とても万人には受け入れられ無いだろうが。
大久保は忠義とは真逆の人物であることは誰もが知っている。
大久保サン、日本に巣食う蛆虫どもを駆除してくれて本当にアリガトウ。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 15:29:46.30 ID:jqu7h4U70
大久保が引責辞任して西郷に政権を委ねたら戦乱は収束したんじゃないかな。
西南戦争を大きくした責任は大久保にもある。
大久保も西郷も好きなので止めて欲しいな
なんで大久保のせいになるのか意味不明w
忠義なんて対象や定義次第でいくらでも意味が変わるからナンセンスだね
当時の2人の立場からあえて考えるなら忠義の対象はもはや個人ではなく国家の将来に対して、だろうね
その意味じゃ西郷は大久保の足元にも及ばない
版籍奉還・廃藩置県して旧勢力を一掃し富国強兵を実現、というとんでもない無理ゲーに挑んでる状況で
旧体制とか個人への忠義なんてマイナス要素でしかないよw
あと西郷の中にあるのは最初から最後まで薩摩藩士族のことだけ
だから西郷がダメってことではない
大久保が士族対策として島津・毛利を政府職につけようとして拒絶され、薩長土の政府軍作った時
都督についた山県では収まらないと判断し西郷に交代した
西郷じゃなきゃ全国士族への抑えが効かないっていう圧力は大久保には無いからね
>>976 廃藩置県を初めとする超革命的な改革のほとんどは西郷無しでは
到底なし得なかったことは知ってる?
西郷しか不平志士族を抑えられる人物はいなかったのだから。
大久保の存在はそれらの改革に何ら必須なものではない。
日本の黎明期に廃藩置県後の内乱を恐れ、海外脱出して間抜けな外遊を1年半以上
もしていた大久保に国や国民への忠義があるのか?
皆の反対を押し切って外遊組みに強行に参加したんだよな。
>>978 西郷自身とその軍団が潜在的に日本最大の不平士族集団であったことは知ってる?
西郷は不平士族を抑えていたのではなく、ようは自分も自分のとりまきも不平士族であり、
官職で懐柔されていたにすぎないのだ。
全国の不平士族だって官職与えて高給保証すればおとなしくなったはずさ。
西郷は自分たちだけ官職ゲットして、鹿児島以外の不平士族を見捨てたかっこうだな。
これが新政府での西郷の真の立ち位置だよ。
明治6年の政変で敗れ、政府に居られなくなったとたん、西郷軍団は不平全開で鹿児島を私物化。
それを西郷が抑えて止めさせたなんて話しは聞いたことが無いが?
わかりやすすぎるよ。
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 05:13:33.20 ID:H2G+9j1l0
まあ、大久保だって薩摩士族なのだけれどな。
もともと不平不満の吹きだまりである薩摩士族を駆り立てて倒幕の原動力としたわけだし。
つまり維新で成り上がった明治政府の官僚だって、もとはそんな連中と同じ穴のムジナであるわけだよ、本質的にな。
革命が成った途端に士族が邪魔者となってきて渋々切り捨てようとするか、同郷の義理人情にとらわれて共に滅びるかの違いさ。
はじめは大久保も薩摩士族をかなり擁護しようとする行動が随所に見られるしな。
>>981 なぜ義理人情みたいな話しにすりかえようとするのか?
このスレは薩摩出身者の面子を立てるためのスレではないぞ。
大久保や木戸の構想が、民百姓も全部ふくんだ「国家」であったのにたいして、
西郷には構想はおろか、本当の意味で不平を持っていたかも怪しいんだが。
西郷の人物像を一言であらわすと「かまってちゃん」という言葉しか思いつかない。
参考までに重野安繹が記した西郷の性格を紹介しよう。
*重野安繹が語った西郷の性格*
西郷が明治維新において、彼ほど存在価値が際立っていた者はいないのではなかろうか。
みんなに期待され、いつもその中心に存在していた。
だが彼はこれらの大事件の渦中にあって、どのような方針に基づき考え、
将来いかなる見通しを持っているのか理解するのは無理である。
なぜなら、彼はいつも中心に存在していたが、
みんな回りの期待はその場、その時により違った。
いずれもその期待に答えてくれるような西郷であったが、それはすばらしい人間性なるゆえでもない。
「すばらしい人間性なるゆえでもない」とは、
じつは「(西郷は、)世の中小人などをば、自分の度量内に入れてやる事は乏しく、敵を作って激しく憎む風があり、
参議連中が姑息じゃとか、富貴を貪って居るとかいって政府の人をば憎む。
政府の人を憎むところから、征韓論が起って・・・・大臣をはじめ皆富貴に慣れて、
御一新後僅かばかりの間に我儘をするということが腹に在って、遂に西南の乱となった。
どうも西郷は一生世の中に敵を持つ性質で、敵が居らぬとさびしいくてたまらいようであった」
と、彼の性格と新政府を主導する人々の態度への不満を西南戦争の原因だと、
同郷で同じ年の西郷をよく知る重野安繹のことばがある。
重野と西郷はペリーが来たころにともに江戸藩邸にあった。
重野が仔細なことから奄美大島にながされていたところへ、西郷が流された仲である。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 12:42:13.01 ID:VHDVzCkr0
薩摩士族だけで軍隊を作り、日本国を守りたいとの成り上がった思想だろ?
>>983 重野の記述はバイアスに満ちており全て鵜呑みには出来ないが、
仮に重野のいうような気質であったとしても、そのような気質は理想主義、
完璧主義の性格の現れの一端。
革命家にとって必要な資質だろう。
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 14:21:43.86 ID:1He/HYIcO
よく西郷や大久保は士族の反乱を抑え廃藩置県を成し遂げたからとマンセーされがちだが
ぶっちゃけ廃藩置県で揉めたのって戊辰戦争起こしたせいじゃね?
戊辰戦争に積極的じゃなかった藩の大半は廃藩置県で殆ど揉めてないし。
中には政府より先に士分特権廃止し平民を政治や軍事に参加させたので
廃藩置県に対し「え?今更?遅っ」って反応だった藩もあるし。
重野はチョーセンジン
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/04(土) 17:52:26.27 ID:CiTBrF7TO
西郷信者って在特会みたいだね
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。: