1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2012/09/20(木) 09:34:11.36 ID:Yd9rBNeq0
誰か得した奴いるのか? もしいないなら怨恨か?
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/22(土) 07:42:51.48 ID:1i4V8ae8O
薩摩が裏にいただろう。坂本の平和路線は伝えられている以上に顕著なものだったのかも。 暗殺以外ありえないくらい邪魔になった坂本の動きとかね。 武力倒幕が不可能になるくらい、坂本が手を回していた、とかだったり。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/24(月) 03:57:51.23 ID:F/a6NlBvO
赤い薩摩と緑の長州!!
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/25(火) 09:03:08.68 ID:BknfEvNvO
土佐ってのはないと思う。長州は……あるかな? やっぱり会津が普通?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/25(火) 12:31:24.60 ID:7bN2xbC/0
今井の取調べ調書は偽造だという説がある。 手代木の遺言だって真実かどうかは分らない。 手代木の伝記を誰が書いてどこから出版したか、 そういうことを調べてみる必要がある。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/25(火) 17:38:02.54 ID:xH/TLNGC0
会津を擁護しようとすると、会津藩公図役(上級外交官、のち家老)の手代木直衛門の ・暗殺は私の実弟の見廻組組頭、佐々木只三郎ら見廻組隊士が実行した。命令者は上司の殿だが誰かは言えない (当時見廻組の実際上の上司であったのは京都守護職にして会津藩主の松平容保。彼を命令者とする容疑が極めて濃厚) とか 見廻組隊士・今井の ・佐々木に連れられて暗殺に参加した、命令は上層部から来ていたものなので、おそらく松平容保 とか、 新撰組隊士の ・近藤勇が佐々木に暗殺の首尾御見事でしたと言っているのを聞いた とか そういうのを無視しないとならなくなる。坂本龍馬暗殺事件の指揮命令は、 松平容保―手代木直衛門―佐々木只三郎―今井ら見廻組隊士 が不動に思える。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/25(火) 18:08:55.92 ID:vIniS3uBO
糸冬
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/25(火) 23:06:44.96 ID:XXOl8I/q0
ところがどっこい、永井−佐々木−今井ら、なのだな、これが。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/25(火) 23:08:10.43 ID:XXOl8I/q0
で、大逆転が土佐藩説。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/26(水) 00:30:42.09 ID:4mxLplDL0
>>7 寺田屋幕吏射殺時にでた竜馬捕殺令を見回組全権佐々木が
執行したまでぜよ。容保が見回組新鮮組に一々指図すると思えんがじゃ。
新撰組による業務も全て容保が指図とおまんは言うがかい?
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/26(水) 00:38:31.61 ID:4mxLplDL0
>>10 土佐勤皇党弾圧を見れば土佐藩説もあるぜよ。竜馬慎太郎は勤皇党と縁が
濃厚じゃきに。
なんか会津の人には無理がある
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/26(水) 07:37:56.82 ID:dTtZGJgUO
普通の強盗殺人ですよ
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/26(水) 18:29:24.69 ID:YGrCj58xO
糸冬
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 14:33:02.36 ID:r4mnWg0c0
ホントに薩摩が関与していたら 中村半次郎が嬉しそうに日記に書き残して糸冬
実行犯は見廻組 伝達者は手代木直衛門 命令者は松平容保 ここまではほぼ特定されている。 なのでこれに別の要素を加えるために、 半藤一利「竜馬は隠密行動なのだから薩摩から居所を聞き出したに違いない」(坂本龍馬は派手な人間で居所はバレバレでした) 中島痴呆「土佐上層部がきっと良い顔をしてなかったと推理する」(他藩にもありそうな話を殊更に土佐土佐と並べる意図が汚い) 容保恩顧「永井だ永井だ他の人間への容疑は耳をふさいで聞かないし認めない」(論理不明) このようなことを並べ、必死に松平容保への容疑を逸らそうとする状況。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 17:29:04.45 ID:fzfWyJ3W0
容保説 教科書通りの ことを云ひ
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 17:33:02.87 ID:fzfWyJ3W0
黒幕とは 俺のことかと 容保云ひ
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 18:16:54.45 ID:2oX/0asiO
なんで永井なの??
手代木直衛門も今井信郎も、暗殺は上層部からの命令だったというのですが、 当時の京都における旧幕府上層部は ・徳川慶喜 ・板倉勝静 ・永井尚志 ・松平容保 ・松平定敬 といった面々で、本来見廻組の上司のはずだった見廻役の小笠原は名前だけで、 組頭の佐々木が松平容保ら別の上司から命令を受けている状況だったからです。この五人くらいしか見当たらないんですよ。 このうち、大政奉還で一会桑体制から西南諸侯との協調へ乗り換えようとしていた徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志あたりは違うかな、と。 すると新体制からはじかれる松平容保・松平定敬に容疑は絞られてくるわけ。 逆に松平容保恩顧の人は、この五人の中でなんとしてでも容保犯人というのを定着させたくないから、永井永井永井と唱えるわけです。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 19:20:14.67 ID:fzfWyJ3W0
昨日も 龍馬と会ったと 永井云ひ
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 19:35:48.98 ID:fzfWyJ3W0
龍馬の論 時期尚早と 永井云ひ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 19:39:56.17 ID:fzfWyJ3W0
寺田屋の 龍馬を殺せと 永井云ひ
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/27(木) 21:09:15.30 ID:YRYLObNT0
容保が見回組新鮮組に一々指図すると思えんがじゃ。 新撰組による業務も全て容保が指図とおまんは言うがかい?
例えば佐々木が独断で、という可能性もある。 でも組織図を辿れば容保ということになる。 常識的に推論すれば容保ということになるんだから、 しょうがないじゃないか。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/28(金) 08:58:51.18 ID:w5uj5HHi0
道挟み 永井の向かいに 佐々木の寺
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/28(金) 09:09:36.61 ID:w5uj5HHi0
道挟み 佐々木の向かいに 永井の宿
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/28(金) 09:11:33.69 ID:w5uj5HHi0
永井の宿 見廻組の すぐ隣り
手代木が上層部の命令で暗殺したと言っているのだから、 上に挙げてある五人の中でしょう。独断ということはありえない。 そして近藤勇が暗殺犯は見廻組だと承知していた点、 見廻組と新撰組に命令を下すような人物となると、やはり松平容保ということになるような。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/28(金) 18:23:48.03 ID:TuD729+D0
近藤勇 いつも永井と 一緒なり 新選組 その頃幕臣 永井の配下
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/28(金) 21:28:15.32 ID:xj4yjy/m0
根拠に乏しい。 昭和初期の読み物を正等視するには、あまりに著者が小さい。 また、最初の徳川慶喜による諸藩への大政奉還意見聴取時に、 坂本龍馬が部屋にいて目立った意見を言ったというのは、当時の彼の地位を重く書きすぎている。 草莽の浪士では知られた人間で土佐藩では重要人物に数えられていたが、身分は土佐郷士を出ていないのだから。 幕藩体制を解体しない限り正式の場に出られる人間ではない。 土佐藩への大政奉還建白すら、後藤象二郎が山内容堂に進言し、 土佐藩主名義で後藤ら3人の上士が徳川慶喜の代理、板倉勝静へ提出した。山内容堂は明治になっても坂本龍馬の名を知らなかったほどだ。 それと、勝海舟が第一次長州征伐もしないうちから西郷隆盛を訪問しに奄美に渡ったというのは、荒唐無稽な話。 現に西郷隆盛と勝海舟との最初の面会は第一次長州征伐の幕僚としてであったとされ、初の面会の強烈な印象を西郷は大久保に書面で報告している。 当時の西郷隆盛の名声は、薩摩武士を心酔させ薩摩藩を実際に動かしているという圧力から発したもので、 一回目の奄美流刑から解放され、京都赴任中に薩摩藩の政策を実行してから全国で西郷の名声は高まっていった。 一回目の流刑時には西郷は、全国ではまだ安政の大獄関係者や志士連中、京都の政界関係者にしか名の知られない、限定された有名人だったということになる。 そして第二回の流刑時には場所は沖永良部島、牢屋から外に出ることは許されず最初は半死半生、すぐ部下の町役人が座敷牢に移したが 今度はご馳走攻めで牢からは出られず極度に肥満化、迎えに西郷従道が来た時には歩くことも出来なかったとされる。 これで面会は無理なんだよ。司馬遼太郎は悪資料を信じてしまったものだね。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 08:50:37.47 ID:AARS2zat0
二条城に龍馬が出席していたというのは眉唾ものだが、 (下)の話はどうなんだろう。まあ龍馬の年表を調べれば、 嘘か本当かは分かるのだが。 もしこれが本当なら、龍馬平和論者説は真っ赤な嘘で、 龍馬こそ討幕の張本人で、そのために幕府首脳部が暗殺した、ということになるのだが。 そうなると首謀者は板倉、永井などの幕閣で、 永井、容保などはただの命令伝達者にすぎない、ということになる。 どうもこれが真相に近いのではないか。
妄想を飛躍させる理由はないし、君の文章の後半は小説上からも一切根拠の出ない妄想の上の妄想でしかない。
西郷が勝海舟と会合したのは第一次長州征伐時が最初であったと手紙に書かれているし、 これを否定する根拠がない。 司馬遼太郎が史実は嘘だ、ボクのが真実だと叫ぶのは彼の悪い癖で、 その手の妄想で、まともな資料を捨てたり妄想を突っ込んだりするため、彼の小説は歴史から見ると信用できない部分が多い。
もともと坂本龍馬は平和主義者などではない。 ・たとえ小御所に迎えようが、造幣所を我々の管理に移してしまえば徳川慶喜など無力 ・もし大政奉還を徳川慶喜が受け入れないのなら、殺して決着をつけてやる ・土佐藩は尊王攘夷の先頭を走る武力となるべき(と言って1000挺の銃を供与) 幕藩体制の破壊が坂本龍馬の目標であり、武力行使を否定していない。 出所も知れない昭和初期の小説などから題材を引く必要はない。だから司馬遼太郎は信用できないのだ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 12:52:23.40 ID:NeAP5LmF0
それなら尚更、首謀者は板倉、永井などの幕閣と容保で、 容保一人に嫌疑をかける必要はあるまい。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 13:18:34.72 ID:fiduWHU60
それは正しくない。 何故なら当時、京都の旧幕府では大政奉還を利用する意見が多数で、 これに逆らっていたのが松平容保らであったのだから。 容保(だけではなく定敬もだが)一人に嫌疑が集中するのが当然なんだよ。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 13:21:41.00 ID:5KoFsDb5O
昼間から連投してるアホがいるなw
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 13:44:15.59 ID:fiduWHU60
当時の徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志らは、 土佐藩・安芸藩の大政奉還提案を受け入れることで西南雄藩を味方にし、 その上で実質的な権力を保ち、新政権に横滑りすることを狙っていた。 一方薩摩は、大政奉還によって幕府の名分を消滅させ徳川慶喜を将軍から引き摺り下ろし、 幕府及び慶喜を自らと同じ位置まで下げることをもくろんでいた。 対等となった後で朝廷を自らの管制下に置けば、史実のように旧幕府を逆賊として討伐できることになる。 酷い同床異夢ではあったが、大政奉還を実行するという点では両者は一致していた。 両者にとって大政奉還は崩せない枠組みだった。坂本を殺す意味がないんだよ。 この時期坂本龍馬を付け狙っていたのは、旧幕府のうち大政奉還に反対する人々。 大政再委任と呼ばれるが、松平容保や江戸の幕閣は幕府が消滅し西南雄藩が権威を得ることを了承せず、 執拗に大政奉還自体の撤回を求めている。 松平容保が坂本龍馬を暗殺した犯人とされるのには、このような理由があるんだよ。
>>40 松平容保を擁護したいのなら、中島や星のような中傷はおやめなさい。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 16:32:03.92 ID:6K2wplOY0
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 19:48:46.94 ID:3+BE+/nu0
>>41 >対等となった後で朝廷を自らの管制下に置けば、史実のように旧幕府を逆賊として討伐できることになる。
対等にならなくても逆賊として討伐できるぜよ
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 19:54:47.47 ID:3+BE+/nu0
>>30 >手代木が上層部の命令で暗殺したと言っているのだから、
上層部の命令が発令された時期は何時ぜよ。寺田屋事件時に発令されたかもしれんぜよ。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/29(土) 20:05:49.18 ID:3+BE+/nu0
見廻組と新撰組は容保の令で公務を遂行しているが、個々の案件に関しては 全権佐々木の裁量じゃないがかい? 容保の令ー不逞浪士の捕殺 佐々木の裁量ー竜馬の捕殺
>>43 根拠のない小説を盾に使っても、小説家に聞けとしかいえないわけ。
手代木の独断は有り得る。 某諸侯や幕閣の命令なら、息があるか確認もせず「もうよい、もうよい」 などと言ってサッサと帰るなんてオカシイだろ。 手代木が独断で佐々木にもちかけたとすれば、現場で佐々木が 「もうよい、もうよい」などと言って大雑把に振舞ったとしてもおかしくはない。
当時の松平容保が独断で龍馬謀殺を執行できたのか?これはちょっと疑問。
>>48 の手代木独断は否定できないが、佐々木自身の暴走もありえない話ではない。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 02:19:41.95 ID:GRRalD510
手代木は会津藩の官僚、佐々木も元会津藩で見廻組与頭。
松平容保は当時、他の京都の幕閣と対立しており独断はありえるのだが、
手代木の独断はありえない。なぜなら事件後も松平容保は手代木を重用し、会津の開城までに手代木は老中並にまで地位が上昇している。
佐々木の意見は残らなかったが、手代木が上層部の命令と明言している以上、佐々木の独断もない。
>>48 ,49は筋が通らない。
坂本龍馬は脚色多すぎて、平和主義、先見の明、商人、志士の中で一人だけ凄かった感が一人歩きし、だから特別凄すぎてやられたみたいなのが出る。 坂本は当時勤皇派とそんなに変わらないし、土佐の中でも急進派だったから脱藩は早かったけど表舞台の活躍は遅い。 土佐派は龍馬より凄い武市半平太と云うのが居て、龍馬は武市が死ぬまで表舞台に出る幕なかった。 で、一緒に殺された中岡も過小評価しすぎで。 長州派リーダーだった久坂と旅をし心服思想影響受け、高杉とも親しかったのは中岡。 薩長同盟も中岡が西郷と会い坂本を引き入れ、朝廷工作の公卿・岩倉と三条結びつけたのも中岡。 板垣を倒幕派に引き込み西郷や武市亡き後の土佐勤王党と結び、土佐を最終的に薩長に次ぐ功績に導いたのも中岡の功が大きい。 土佐派のリーダ的存在になった板垣が「中岡は西郷、木戸と肩ならべ参議になる人格をそなえてた。 西郷と約した時、中岡が人質になろうと約束した、中岡は人傑」とべた褒めしてるのもその辺にある。 どっちが上とも言えないから共に正四位貰ってる。 武力倒幕派は幕府の政権を倒すには武力が必要と云う考えで、武力でもって幕府を滅ぼすべきという考えではない。
「明言」は言い過ぎでは? あれだって家伝でしょ?仄聞であるかのような記述だと思うけど。 あれが「明言」なら、正に黒幕も実弟侯だと「明言」されていますよ。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 09:26:05.41 ID:9sIIz0vh0
>>51 土佐藩は危急存亡の竜馬を藩邸に匿わず遺体も引き取らなかったぜよ。土佐藩が目障りな
郷士共を幕府と謀り粛清したのではなかろうか?
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 09:46:35.95 ID:8jrvg7gX0
大体、容保が大政奉還に反対していたというのは俗説で、根拠はない。 手代木は反対していた。板倉や永井もずっと後まで不満を持っていた。 容保説の人は通説の上に論を組み立てているだけで、深みも無ければ面白味もない。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 10:47:36.55 ID:M5c8076+O
>>54 通説・俗説だと定説を非難しても、あなたの主張する松平容保いい人説は根拠に乏しい。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 12:57:53.59 ID:UqhmYoKn0
無理やりに 悪い人にする 容保説
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 16:28:45.00 ID:M5c8076+O
大政奉還に松平容保が強硬に反対していたのは多くの史料があるが、賛成したというのは会津に同情的な小説だけだから。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 17:05:31.24 ID:dGRGW8aU0
出せといへど 史料出さない 容保説
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 17:21:48.33 ID:M5c8076+O
手代木などは、松平春嶽らが大政奉還推進を説得すると、容保候が拒否してますと言い返していたし、記録もあるわけで 松平容保が大政奉還に賛成していたという説は、小説家の妄想でしかない。 近藤勇らは、徳川慶勝や松平春嶽の大政奉還を阻止しようと、会合に出て来るなと脅迫したり、会津を中心に大政奉還撤回論が渦巻いていた。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 18:40:17.81 ID:sI2gRT6g0
原文を ごまかして読む 容保説 原文を 都合よく読む 容保説
解釈を曲げるしか容保を守る言が出せないわけで、松平容保が暗殺命令者ということはもはや覆し難い。 問題は松平容保への同調者がどれくらいいて、誰が暗殺計画を知っていたかということなのだろう。 松平定敬も容疑者としてよく挙げられるが、彼を首謀者とするには手代木が暗殺証言をしているということが障害になる。 松平容保・松平定敬の両人とも暗殺の首謀者なのか、あるいは容保一人が命令者なのか、どちらかということなのだろう。 他に暗殺の内幕を知っていた人間として近藤勇の名が挙げられる。 近藤勇は、暗殺直後に新撰組隊士の前で佐々木に暗殺の首尾感服しましたと煽てており、近藤が暗殺を承知していたことは間違いない。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 21:37:58.45 ID:s3SAjKkD0
容保説 もう決まってゐると 無茶を言ひ 近藤と 永井は大の 仲良しで
>近藤勇は、暗殺直後に新撰組隊士の前で佐々木に暗殺の首尾感服しましたと煽てており、近藤が暗殺を承知していたことは間違いない。 月並みな表現であるが、ソースは?
>>34 龍馬が平和論者なのは小説の中だけじゃないか?
普通に本人の手紙にも「ブチ殺す♪」みたいな一文あるしw
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 01:35:14.18 ID:dbS5nBCJ0
>>63 且つ同年十月比、土州坂本龍馬、石川清之助両人を暗殺之儀、
私共の所業には無之、是は見廻り組海野某、高橋某、今井信郎他壱人にて暗殺致候由、勇より慥に承知仕候。
先達薩藩加納伊豆太郎に被召捕候節、私共暗殺に及び候段申立候得共、是は全く彼の薩の拷問を逃れ候為にて、実は前に申上候通に御座候。
(大石鍬次郎証言)
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 10:10:54.79 ID:rgKrp62r0
>>65 それは
>>63 への答えとしては間違い。
>>63 への答えとしては渡辺篤の覚書を上げるべきだが、
>>61 の人が「新撰組隊士の前で」と書いているのは間違いで、
「見廻組隊士の前で」とでもすべきだろう。
このように容保説の人は細かな点で間違いを犯しているのである。
彼らには資料を精確に読み解く力がない。
容保が大政奉還に反対していた証拠など、実は一つもない。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 14:33:57.95 ID:dbS5nBCJ0
>>66 君は嘘を強弁で押し切ろうとするけど、君の意見に論理とソースがないことの方が不合理だよ。
松平容保をかばいたい意思だけは分かるが、話の内容が嘘ばかりでは、こちらが困る。
>このように容保説の人は細かな点で間違いを犯しているのである。
>彼らには資料を精確に読み解く力がない。
>容保が大政奉還に反対していた証拠など、実は一つもない。
これは容保擁護の人の欠陥であり、あなたが反省すべき点である。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 14:37:13.93 ID:dbS5nBCJ0
それで、近藤勇が事前に松平容保による坂本龍馬暗殺命令を承知していたことが判明した上で、 容保擁護の人は、どう彼を弁護するのかな? 松平容保しか犯人はいないんだよ、残りの可能性は、彼の周囲に共同主犯か共謀者かがいる可能性があるということだけ。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 16:59:48.00 ID:hOZJf6eR0
>>67-68 以前にも同じことを論じたことがある。
手代木の文書に、容保も反対している、みたいなことが書かれてはいるが、
それは手代木が書いたものだから、必ずしも信用できないのである。
その文書から読み取れるのは、手代木は大反対だったことだけである。
で、それ以外に、容保が大政奉還に強硬に反対していたというような史料はないのである。
いや、あるかもしれないが、あるならそれを出してもらいたい。
原文を出してもらえれば、それをここの参加者全員で検討できる。
まず原資料を提出してもらいたい。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 17:05:24.83 ID:hOZJf6eR0
>近藤勇が事前に松平容保による坂本龍馬暗殺命令を承知していたことが判明した上で こんな嘘を平気で書くのが容保説者である。 渡辺篤の覚書で、近藤が事前に承知していたことは窺えるが、 それが容保による暗殺命令だとはどこにも書かれていない。 それなのに容保説の人はこのような嘘を平気で書くのである。
71 :
諸橋 嘉久 :2012/10/01(月) 17:20:53.05 ID:vnYu5xvl0
>坂本殺害の恩賞として15人扶持を賜った 恩賞としてはショボ過ぎます。 渡辺篤の嘘ですね。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 22:29:43.73 ID:dbS5nBCJ0
>>69 ,70
松平容保から犯人であるという事実を消そうと、片言千語に噛み付いてはみるが、
ますますみっともない。
近藤勇は暗殺を承知していた。手代木直衛門は暗殺は弟の犯行で、命令者は上級の諸侯であったと言う。
松平容保しかいないんだよ。松平容保に、足すとしたら共同正犯か共謀者がいたということになる。
そして恩賞は通常任務なのに出ると考えるほうが不思議。
浅間山荘を包囲した警察隊は家でも買ってもらったか? 危険手当以上のものが出るわけがない。
出るとしたら、命令者に後ろ暗い権謀に基く思惑があったということになるが、それでは既に公儀ではなく私兵だ。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 22:32:42.55 ID:dbS5nBCJ0
>>69 岩倉具視が書いてますけど。容保は激怒して土佐・安芸・薩摩などを殺すと息巻いているってね。
あなたの書くことは事実を含まない。
>>70 も含めて嘘だらけですよ。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 22:38:44.25 ID:26ffL9Ny0
やったとしたら大政奉還自体を認めない佐幕派 大政奉還の必要性は薩長はもとより公武合体・徳川よりだった土州の山内容堂も認めてる
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 22:52:40.89 ID:GShR8uBq0
>>72-73 72に関しては、あなたは何の根拠も上げていない。
73に関しては、だからその原文を上げてごらんと言っているんだよ。
たしか以前にも誰かが上げていたが、それは会津が激怒しているという文だけで、
容保が激怒しているとはどこにも書かれていなかったはずだ。
尤も、私の記憶も曖昧だから、とにかく原文を上げて論じてもらいたい。
会津=容保ではないのだ。コ川慶喜公の伝記でも、会津藩等の一部は激怒したが、
容保などは理解していたと書かれているのだ。
とにかく容保説の信者というのは文章をまともに理解できない人が多い。
今井の調書でも、幕閣か容保なのか、私は知らない、と今井は述べているのに、
容保説の人は、文章のニュアンスというものが理解できないのか、
指令者は容保だと今井が述べている、などと頓珍漢なことを書いているのである。
以て容保説を唱えている人間の頭の程度が知れようというものだ。
どうでもいいが、容保擁護説、容保黒幕説、双方に言いたいので有るが 手代木直右衛門傳なり手記なりを確認した上で述べているのか? 尤も、ネタで議論しているのであればそれ以上は言わないけどね。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 23:16:00.12 ID:dbS5nBCJ0
松平容保は犯人ではないという主張に、あの時は秘書がやりました、秘書は何人でもいるんですという風の ごまかしが横行していることを私は馬鹿馬鹿しく思う。 坂本龍馬暗殺事件は、松平容保を犯人とするより説明のしようがない。 他の幕閣だろ、とか秘書がやりました式のごまかしは不要。
78 :
諸橋 嘉久 :2012/10/02(火) 01:06:34.80 ID:pqrthza80
72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/01(月) 22:29:43.73 ID:dbS5nBCJ0
>>69 ,70
松平容保から犯人であるという事実を消そうと、片言千語に噛み付いてはみるが、
ますますみっともない。
近藤勇は暗殺を承知していた。手代木直衛門は暗殺は弟の犯行で、命令者は上級の諸侯であったと言う。
松平容保しかいないんだよ。松平容保に、足すとしたら共同正犯か共謀者がいたということになる。
そして恩賞は通常任務なのに出ると考えるほうが不思議。
浅間山荘を包囲した警察隊は家でも買ってもらったか? 危険手当以上のものが出るわけがない。
出るとしたら、命令者に後ろ暗い権謀に基く思惑があったということになるが、それでは既に公儀ではなく私兵だ。
浅間山荘を包囲した警察隊は暗殺など断じて行なって居ません。
警察官と警察官の遺族が名誉毀損で貴方を訴訟すれば、
貴方の有罪が確定します。
公儀も何も、政治と官に表と裏が有る事くらいは、小学生でも知って居ます。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 08:54:12.14 ID:b1fUrSm90
>>77-78 とにかく君は何の根拠も無く述べているからダメなのだよ。
ちゃんと原資料を提示して、それを正しく読み解いてから物を言わないと。
岩倉具視の書簡を上げろと要求していのに上げない。
なぜかといえば、そこには容保が激怒しているなどとは書かれていないからだ。
要するに容保説の人は単なる思い込みで書いているだけなのである。
容保が黒幕であるなどという決定的証拠はないから議論が続いているのである。
これまでさんざん議論してきたのに、過去スレも読んでいないのか。
80 :
諸橋 嘉久 :2012/10/02(火) 11:17:12.31 ID:pqrthza80
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 11:34:02.01 ID:iWgHFV360
史料を上げず 電波を上げる 電波哉
82 :
諸橋 嘉久 :2012/10/02(火) 11:48:00.99 ID:pqrthza80
81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/02(火) 11:34:02.01 ID:iWgHFV360 史料を上げず 電波を上げる 電波哉 史料とやらの画像すら上げられない能無しが、 我に反論できずに「電波」で誤魔化す能無し在日
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 12:11:31.77 ID:3Bu1hCzSO
>>79 この人は史料を挙げずに松平容保が犯人ではないと主張するのだが、根拠がない。
せめて犯人説の人のように根拠を出すべきだよ。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 12:30:22.87 ID:iWgHFV360
能無しとは 俺のことだと 諸橋言ひ
在日とは 俺のことだと 諸橋言ひ
>>83 過去スレを 読めば分かると 永井言ひ
85 :
諸橋 嘉久 :2012/10/02(火) 13:05:11.78 ID:pqrthza80
俺「長岡藩が農民に畳を背負わせ、西軍と銃撃戦をしたと言いますが、ミニュエー銃とスナイドル銃は、
射程距離が違うので畳を貫通しますよ。」
稲川さん「西軍もミニュエー銃ですよ。」
俺「【奇兵隊の伏せ撃ち】と言う事は、スナイドル銃です。西南戦争で薩摩軍は戊辰戦争の廃銃である、
先込めの銃を使いました。」
俺「大黒新田の戦闘でしたか?隊長が嫌がるのを河井 継之助が「米沢藩の申し出を断るわけにいかな
い。総督の俺が頼んでいるのだ。やってくれ。」敵塁を攻撃した長岡藩の半小隊は隊長を除き、敵に背
を向けず銃を持ったまま全滅しました。それなら、畳を背負った農民も死ぬ筈です。記録に残る筈です。
分捕り品として、畳が記録されている筈です。」
俺「今町の河井 継之助の戦法。敵塁に向かって走り、敵が発砲したら伏せ、止んだら走る。畳を農民
に背負わせて居ません。」
稲川さん「どうも、三条方面の戦いとごちゃ混ぜにしているようですね。」
俺「長岡軍が農民に畳を背負わせ、弾除けにした記録は有るのですか?」
稲川さん「石井 孝が本で三条方面の戦いの史料に出て居ると書いていました。」
俺「【河井 継之助、長岡軍が農民に残虐行為をしている。】と思わせるプロパガンダでしょうか?」
稲川さん「さぁ?分かりません。」
99 :日本@名無史さん:02/05/27 23:03
因みにこれが研究成果と議論と某管理人は書かれている。
http://mimizun.com/log/2ch/history/1021646166/ http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/13794847.html http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/6618/honmon/45.html >田中土佐は兵を指揮し、近所の藩士宅から畳を運ばせてこれを門前に積み胸壁に
しようとしたが、僅か数畳を横に並べたところへ早くも敵弾が飛来してこれを貫き
防禦の役にはたたなかった。
新品の畳の可能性は殆ど無いですね。
施条銃(ライフル銃)のエンフィールド銃やスナイドル銃から発射された弾丸は、畳を貫通します。
我に論破された2ちゃんねらーの白痴ども
「農民に弾丸避けに畳を背負わせた」だとよ(大和田爆笑)
86 :
諸橋 嘉久 :2012/10/02(火) 13:16:25.82 ID:pqrthza80
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 15:53:38.22 ID:+bI5EQflO
犯人はわしじゃき
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 21:10:56.86 ID:w5dkuQPaO
榎本対馬が普通に逮捕礼状出した。寺田屋捕方殺害の件で。見廻り組を使ってね。 容保はあの時期それどころじゃない。 そんなに暇じゃなかったし、土佐の浪人ひとり直々に対応してられないよ。 当時の会津、そして守護職の動きを見れば判るでしょう? だいたい龍馬が大人物に扱われたのは暗殺のずっと後。守護職のトップがいちいち相手なんかしないよ。 ……ってか、相手すると思ってんの?
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/02(火) 23:16:29.48 ID:kd+zrQO30
まあ、会津藩公用局が龍馬に対してどれだけ注目していたのかが気になるが 実際は佐々木只三郎の暴走なだけのようにも見えるけど。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/03(水) 10:53:38.79 ID:oLC6iBwyO
浪人だろうが何だろうが、自分が管轄してる京で猛烈に反幕府活動 (と見たであろう)してる奴いたら気になるどころじゃないだろ。
会津単独の注目度は不明だが、坂本龍馬自体は相当有名だったと思われ。 というか龍馬はおろか陸奥陽之助でさえ相当知名度高かったらしい。 井上聞多とかも維新に携わる人の間では相当有名人だったそうだ。
つまり松平容保の暗殺目標になりやすい人間であった
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/03(水) 20:55:09.46 ID:vEu3O3/G0
◎ 幕閣 ○ 容保 ▲ 土佐藩
>>93 というより
◎ 佐々木暴走
○ 容保&幕府閣僚右派
妄 土佐藩
糞 諸恥
蛆 中島痴呆
でおけー?
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/03(水) 23:28:13.53 ID:cvByhnLR0
手代木が上司の命令だったと言っているのだから、佐々木単独の可能性はない。
手代木は龍馬暗殺に関して自身が関係しているとは言ってないよね。 坂本は幕府の嫌忌を買っていた為、某諸侯の命を受けて弟が殺害したと 言っている。自身が関係してるとは言っていない。 これは暗に某諸侯は会津侯ではないと言っているように感じるね。 で「某諸侯とは桑名侯だ」と言うのは誰の意見なのかがよく分からないん だけど、「手代木直右衛門伝」を読んだ人いたら解説を希望します。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/03(水) 23:41:54.77 ID:cvByhnLR0
むしろ、犯人が上司である松平容保だから、犯人を名指しできずに諸侯と言葉を濁したと見るが。
>>93 >>94 佐々木暴走は一番可能性は低く無いか?
見廻組周辺の証言が全部「黒幕が居る」で統一されてるのに。
言葉を濁すくらいなら告白しないと思うんだけど・・単に俺の主観だけど。 あと、佐々木は今井たち部下には、ある程度仕事の内容を説明した はずでしょ。独断だと仮定した場合、「俺の独断だ」と言わないでしょw 当然、御指図だっけ?まあ「上からの命令だ」って言うんじゃないかな、普通は。 それと「手代木直右衛門伝」が信頼できる資料なら、命令者は桑名侯だと いうことになるんだけど。なぜならそう書いてあるから。
>>99 独断の件については逆。むしろ独断の時は独断だと言い張る。
逆に独断じゃない時でも独断だと言い張る人が多い。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/04(木) 00:40:09.92 ID:l7umDt+w0
>>99 桑名候という部分は筆者(記者)の類推として表現されている。
手代木の証言では、某諸侯の御指図によって暗殺が行われたことになっており、松平容保と断定するしかない。
なるほど。筆者(記者)の類推としての表現なのか。いずれにしても 容保侯に累が及ぶから言葉を濁したって言うのは筋が通ってるね。 例の話題の本の説は「手代木直右衛門伝」の内容を完全に否定する事に なるのかな?容保説が一番可能性が高いのはわかるんだけど、 佐々木の独断も俺としては捨てきれないな。多少は可能性があると 言わせて頂きたいですね。
独断説は本当に可能性はかなり薄いと思うよ。当時の時代背景考えると。 関係ない人を巻きこむ様な発言すると本当に一族が差別され続ける様な時代だから。 岡田以蔵とかその典型だよ。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/04(木) 09:18:12.80 ID:PhC+Bddn0
霊界からの報告 某諸侯トハ永井ナリ
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/04(木) 11:40:14.58 ID:NqGTKW0dO
幕臣の事を諸侯って言わねえだろ
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/04(木) 12:26:16.02 ID:m6b1JRQ/0
霊界からの質問 デハ何ト謂フノデアルカ
107 :
永田 :2012/10/04(木) 13:08:09.02 ID:AKYPLgPJ0
「手代木直右衛門伝」は記者が書いたとあるが、その人物は?
幕閣ではないのか? それと手代木直右衛門伝は、大泉荘客という仙台出身の人が手代木家の依頼に基き資料などから編纂して明治40年に書いたものとされており、 手代木家がこれを自費出版の形で配布所持し、大正12年版が国会図書館に収蔵されている。3冊現存しているとされるが後はどこにあるのかしらない。 明治36〜37年に手代木直衛門は死んでいるので、それから数年経過した証言のまとめとなる。
>>108 国会図書館で検索してみた。
質問
会津藩公用人で初代岡山区長などを務め、
日本原開拓に貢献した手代木直右衛門勝任
(てしろぎ すぐえもん かつとう)につい
て調べている。貴館の資料で手代木勝任に
関するものがありましたら、紹介してほしい。
回答等
タイトル
会津藩公用人で初代岡山区長などを務め、
日本原開拓に貢献した手代木直右衛門勝任
(てしろぎ すぐえもん かつとう)につい
て調べている。貴館の資料で手代木勝任に
関するものがありましたら、紹介してほしい。
回答
当館所蔵の手代木直右衛門勝任に関する資料は以下のとおり。
『岡山市史 人物編』232p,星亮一著『会津維新銘々伝』96~101p,
『幕末・会津藩士銘々伝 上』249~259p
(「手代木直右衛問 京都守護職時代の会津藩公用人」菅敬浩著),
『金城学院大学論集 人文科学編 第6巻第2号』214~227p(「手代
木勝任について 戊辰戦争後の幽囚時代を中心に」中西達治著)。
『手代木直右衛門伝』は当館に所蔵がないが、NACSIS Webcatでは
いくつかの大学に所蔵がある。
独断説がだめなら進言説はどうだ。 命令者が容保だとしても、龍馬襲撃を進言した人物がいるはず。 それが佐々木だとすれば、例の「もうよい、もうよい」もある程度納得が いくんだよ。 「もうよい、もうよい」と言うのはどう考えても単に命令を受けた者の セリフではない。単に命令されてきただけの人物なら、 「仕留めたか?大丈夫か?間違いなく死んだか?もう一度確かめろ。」 くらいの事は言うだろう。 「もうよい、もうよい」と言うのは、どう考えても全てを仕切っている人物 のセリフだ。 まあ、俺の想像ではこんな感じだ。 佐々木 「坂本は許せません。命は取らないまでも、幕府を愚弄した報いは 受けるべきです。」 容保侯 「うむ・・其の方に任せる。励め。」
>>110 普通に考えて「もうよい」は「もういいから、早く引きあげるぞ」だろ
幕末の暗殺は時間との戦いだ。とにかく早く仕留めて早く帰らなければ
仲間が騒ぎ聞いて駆けつけてくるからね。
「間違いなく死んだか?もう一度確かめろ」なんてしてる時間を
惜しむのは天満屋見ても解るはず。
しかも龍馬は初の一撃で脳みそ出てるから確かめる必要も無いし。
「もういいから、早く引きあげるぞ」と解釈する人もいるでしょう。 「そんなに刺さなくてもよい。もうこれで十分懲らしめた。」と解釈する人も いる。 とにかく俺は、この事件は「暗殺」ではなく「懲らしめる為の襲撃」事件だと 推定しているんだよ。 それに、万一大勢の土佐藩士と斬り合いになった時の事を考えて、周辺に 手勢が張り込んでいたかもしれないでしょ?可能性はゼロではない。 佐々木達はそれが出来る立場だと思うけど。どう?
>>112 全体的に無理がある。
仮に周囲に手勢が張り込んでても、幕府の許しの無い斬りこみという
時点で、見つからない様に全員逃げる必要があるし
そもそも無関係の人間を含め3人も殺してるのに「懲らしめる為」なんて
現代でも通用しないよそんな言い訳。
仮に現代に、三人惨殺した殺人犯が「殺すつもりはなく、懲らしめるため
襲いました。計60回は刺しましたが殺す意図は断じてないです。警察と
殺し合いになる事を想定し、万が一のため大勢連れて襲いに行きました。」
とか証言したら信じるか?
普通の人は信じないと思う。仮にこんな証言信じる人は裁判員に選ばれない。
ちょっとまってよ。幕府の許しの無い斬りこみ? 見つからない様に全員逃げる必要がある? なにを根拠に断言するの? それに天満屋をみろっていうけど、大義は見廻り組や新選組のほうにある。 見廻り組や新選組は本来コソコソしなければいけない立場ではないよ。 あなたの言う「警察」だよ。
>>114 龍馬の殺害は既に時勢が変化した後の出来事。
土佐が慶喜の生き残りを左右する時期に差し掛かり中だから
龍馬や中岡に危害を加えろという命令が下りない時期。
>>114 が言うのはもう少し前の話。寺田屋の時などは時勢が
>>114 の言うとおり
命令が下りない時期だという確固たるソースはないでしょ? 勝が「暗殺」という言葉を使っているっていうのは聞いたことがあるけど。 今井氏は明治も後半だというのに、職務だった旨、堂々と主張してるよ。
ごめん。明日やろう。もう明日だけど。寝ないとまずいんで。
>>116 永井が幕府の命で龍馬捕殺禁止の通達を出してたと伝わっているよ。
むしろそれが自然。事実龍馬中岡の死で慶喜は損したし。
自分も寝る
119 :
諸橋 嘉久 :2012/10/05(金) 07:09:03.67 ID:wjDQ2O9J0
谷干城が中岡慎太郎から聞き取ったとされる、 刺客「もういい、もういい」 我自身に尋ねたところ、 坂本龍馬と中岡慎太郎を殺害した実行犯を、 プロフェッショナルの殺し屋だと思わせない為に、 谷干城が嘘を吐いたそうです。 プロフェッショナルの殺し屋は証拠を残さず、声を発さないそうです。
>>118 それって龍馬が容保と会って、「心配することは何もない」とか何とか
言われたって話ですか?
だったらそれはなんと言うかC級の史料だと聞いてるけど。
今井家に伝わる西郷さんとのエピソードとドッコイドッコイのレベルらしいよ。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/05(金) 22:49:11.62 ID:rskuGprmO
今井は職を辞して家族を捨ててまで、西南戦争に参戦した。 そこまでして人生捨てて死にに逝く奴はいない。全ては西郷の恩に報いるため。だから家族すら捨てた。 C級? 従軍時の写真までキッチリ残っているのに? 今井家伝は偽りだと? じゃあ今井が全てを捨てて、わざわざ西南戦争に参戦した理由を説明して欲しいな。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/05(金) 23:04:56.32 ID:A7rer4m60
榎本武揚も恩があるといっていたし、大鳥圭介もしかり。
山県有朋すら大恩の人といっていた。
西郷隆盛や薩摩の連中は、助命することは大好きなんだよ。
逆に今井だけが恩を受けたと言い張る
>>121 が異常に思えて仕方がない。
>>120 坂本龍馬が襲われた場所である近江屋の娘の証言の中に、坂本龍馬が余りに無防備に出歩くので心配したら龍馬から、
私は永井尚志や松平容保と面会し安全を保障されている。だから無防備でも全く問題ないと返答があった、というものがある。
このうち永井との面会は越前藩の記録などで確かめることが出来る。
そして松平容保との面会もあったと一つの証言の中の事物であるため推定できる。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 00:43:32.52 ID:/jqBB5lyO
油断したな〜
>>123 それってたぶん寺田屋の女将の述懐として、女将の息子が何十年も
経ってから言い出した話が元ネタなんだろうと思いますよ。
はっきり言って
まともな論者で容保との面会とか捕縛の禁止令とか言ってる人
いませんよ。
ネットサーフィンってもう死語ですが、今一度色んなサイトを
ネットサーフィンしてみる事をおすすめします。
俺も所謂ニワカなのであまり正確ではないけど、捕縛の禁止令が本当なら、 今井の証言を裏付けるため官軍側から質問された元京都見廻役の小笠原弥八郎の証言や、 勝の日記(松平勘太郎との会話)なんかに禁止令の事が出てきているはずだと思うよ。 あと寺田屋の女将の話だけど、たぶん「伏見寺田屋の覚書」っていうやつだと思う。 これは俺の個人的な唯の感想だけど、こんな史料信じてる歴史学者はいないと思うよ。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 04:22:14.19 ID:DcOAaaRi0
>>126 それはどうだか。
少なくとも永井尚志との面会は史実として確認できるのに、
同じように語られている松平容保との会見を、なかったことには出来ないと思われる。
史料の扱いとしては、事実が確認できるもの一部だけ、証明もないが違う、と斬って捨てるのは論外だろう。
どちらにせよ云十回刺されて脳味噌出てる死体に懲らしめるつもり説は有り得ないかと。
>>110 >>112 滅多刺しの容疑者は殺害するつもりはなかった。上司に言われ懲らしめるつもりだったと供述しており…
とアナウンサーが報道したら実況で300レスぐらいツッコみ続くわ
ただ過剰に刺傷が有るのは素人的だよね。新撰組の剣豪とか一撃で殺すし。
いや、俺の「懲らしめ説」はいくらコケにして頂いても、失笑して 頂いても結構ですよ。もうそんなのどうでもいいです。 なんなら謝罪した上で撤回してもいいです。 「容保との会見」と「捕縛禁止令」、この2つのソースはどちらも 「伏見寺田屋の覚書」だと思いますよ。この点はいかがですか?
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 09:26:01.79 ID:J+sePhqo0
容保説の人間は資料を精確に読んでいない奴が多いな。
>>123 などが典型的にそう。
>>125 の言っていることが正しい。
要するに容保説を唱えているのは初心者と単細胞だろう。
>>127 探してみました。たぶんこれです。龍馬は言葉で伝えたようですから
手紙などはないみたいです。ちょっと問題のある史料かと・・
容保は新選組の大ボスですよ。学者の間で「龍馬との面会」が
事実と認定されていたら教科書の載ってもおかしくないレベルの出来事ですよ。
「慶応三年十一月十五日、阪本殿・中岡殿、京都河原町醤油屋の二階にて遭難の前日、
亡母、密かに聞き込み候ことこれあり、手代寅吉と申す者に手紙を持たせ、
京都河原町の寓居に遣わし、下宿におられ候ことははなはだ危険につき、
速やかに邸内に移られしかるべくと勧め候ところ、阪本殿はその使いに返事され申さるる様は、
過日、永井玄蕃頭・会津肥後守等に面会し、今は何も憂うることなし、安心せよとのことにて候。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 17:43:51.57 ID:/jqBB5lyO
確かに暗殺時までの無警戒ぶりと辻褄があうな―
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 19:59:45.81 ID:DcOAaaRi0
坂本龍馬も土佐藩も、大政奉還から近江屋事件が起こるまでは安心しきっていて、
幕府から暗殺部隊を送られることを全く警戒していなかった。
それは、永井尚志や松平容保などが身の安全を保障していたから。
逆に薩摩は岩倉具視からの、会津の激怒と任侠沙汰に訴えようとする姿を伝える書状を見て、
即座に西郷・大久保らは京都を退去し、土佐藩、特に坂本龍馬には直接身の安全に警告を発している。
史料の扱いから言うと、むしろこれらの事実を含むものを信用できないと主張するほうが不合理だろう。
特に
>>130 など、相手への中傷だけで根拠も言わないのだから。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 20:18:46.70 ID:bTMYu4n+0
>薩摩は岩倉具視からの、会津の激怒と任侠沙汰に訴えようとする姿を伝える書状を見て、 即座に西郷・大久保らは京都を退去し これは、間違いでしょう。17日に京を出たのは、西郷らは密勅書を持って本国で動くためだ。 これで、坂本がやられたというのは調べて無いのだ。 君等は、くだらない小説の類だけをを読んでるからでしょう。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 23:15:55.43 ID:DcOAaaRi0
松平容保が犯人ではないと主張する人は、このように史料を見ずに勝手に主張している人なので、
あまり信じるべきではないでしょう。
慶応3年10月16日付 岩倉具視から大久保利通への書簡(意訳)
一関東歩兵も近々上京を始め、幕府はしきりに兵を募っているようである。
一会津、桑名の国元の兵を残らず招くという。
一会津は狂気のごとく憤然とし、薩摩藩邸を討つなどといっている。すべて西郷・小松・大久保の三人が元凶である。
土佐藩、芸州藩も同様である。これらを斃すべきであるという議論があるらしい。
私(岩倉具視)はそれらのことを案じているので、あなた方は明日すぐに帰国されるべきであると思います。これらの話は
中山忠能・正親町三条実愛らから聞いた内輪の話しです。
これを受けて、吉井が坂本龍馬を訪ね避難を呼びかけた記録まで残っている。
>>130 とか
>>134 は小説の中で勝手に想像している人の言。
薩摩はこのようにさっさと避難を行ったのだが、逆に土佐藩も坂本龍馬もこの時点では自らの身を安心しており、 土佐藩は近江屋事件まで身の安全へは無頓着だった。 これが簡単に坂本龍馬が暗殺されてしまった理由なのだが、何故土佐藩が安心していたかというと、 やはり、永井尚志や松平容保から身の安全について保障を得ていたと考えることになる。 一方でこの時期の海援隊隊士の書状からは、土佐藩邸及び陸援隊頓所を監視する新撰組について激しい警戒が見て取れる。 坂本龍馬の周辺は、新撰組を中心とする幕府尖兵の敵意と、一方で永井尚志や松平容保からの身の安全の保障との間で 分かりにくい状況となっていた。 そして松平容保は実際は大政奉還すら大反対であった。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 23:32:26.57 ID:bTMYu4n+0
>135の解釈は、岩倉の手紙の内容が読めていない馬鹿です。 この手紙は、西郷らに密勅書を持って早く国に戻り兵を京に連れて来い という内容で、あぶなく危険だから京を逃げろと言ったのでは無いよ。 岩倉の文章を理解できないお前らには無理だよ。黒幕を論じるのは。 岩倉が密勅書を持たせたのを、お前ら理解していないアホの論理。 岩倉は、強い長州と薩摩の兵を期待した手紙だよ。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 23:38:41.37 ID:DcOAaaRi0
>>137 君の勝手な解釈はいいから、一般的な説に従うべきでしょう。
松平容保は犯人ではないと言っている人は、この様に書簡の解釈も出来ない人です。
気をつけましょう。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 23:42:42.24 ID:DcOAaaRi0
そしてこの書簡の翌日、吉井が坂本を訪ね、避難を呼びかけた点について、 記録も残っているのにこの人は全く言及しない。 松平容保が犯人ではないと主張する人は、このように都合の良い歪曲しかしない。 歴史の敵、我田引水の人ということです。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/06(土) 23:51:06.21 ID:DcOAaaRi0
松平容保は、土佐藩及び坂本龍馬に身の安全を保障していながら、 一方では新撰組などを動かし、土佐藩や坂本の身辺調査を実行していた。 もちろん坂本龍馬の居住所も調べたのだろう。 そして坂本龍馬は自らの身の安全に全く無頓着であった。 永井尚志や松平容保から直接安全保障を受けていたから。 だが岩倉具視の書簡にあるように、松平容保ら会津は大政奉還に反逆すべく、 大政奉還を勧めた薩摩・土佐・安芸らの藩士を標的に行動を開始していた。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 00:02:05.88 ID:QvkdJu4y0
都合の悪いのは消すののだな
元新撰組の伊東甲子太郎も龍馬中岡に狙われてる危ないと忠告してる。 龍馬は散々尊攘派を斬りまくりった伊藤に良い感情抱いてなく応答無愛想だったらしい。 伊藤はあれほど忠告したのにと愚痴ってたらしいが、伊藤の方も新撰組にやられちゃった。 当時岩倉の手紙にあるよう、一食触発だっただろう。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 10:09:05.21 ID:qJ3fU1EX0
会津は狂気のごとく憤然とし と書いてはあるが、それは会津藩の一部の藩士の話。 一部の藩士は憤激しているが、容保候は大政奉還の意義を理解している、 と慶喜公伝にちゃんと書かれている。 土佐の後藤から大政奉還の話を聞いた時にも、会津藩は理解を示している。 また龍馬と容保が会ったという話には疑問符が付いている。 すべてこれまで何回もここで論じられてきたことだ。 ところが容保説の連中というのは、同じことを百回言っても、理解しようとしないのだ。 あいかわらず手代木の遺言と、容保大政奉還反対説だけを根拠に、容保説を唱えているのである。 今井の弟が、永井から依頼されたと書いているのに、それは完全無視しているのである。
144 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 10:12:24.20 ID:DBbJ0QGi0
145 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 10:15:24.89 ID:DBbJ0QGi0
×血染めの掛け軸とやらは、捏造された者です。 ○血染めの掛け軸とやらは、捏造された物です。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 10:15:52.18 ID:GiRcO8KVO
額じゃなくて眉間だよ、諸星
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 10:35:52.29 ID:P5WKWYxh0
谷は上士だから海援隊はいるはずない 倒幕の為の藩の軍制改革の方をやってる 谷は中岡の証言から新撰組の仕業と思い込み、証言と違う今井を売名とみなしただけ
148 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 10:38:40.49 ID:DBbJ0QGi0
坂本龍馬は1000挺を超えるスペンサー騎兵銃を土佐藩に買い与え、 徳川慶喜が大政奉還を行わない場合は、土佐藩兵が討つと言う事で、 後藤象二郎と合意して、土佐の藩論と成った。 徳川慶喜は大政奉還を行った。 其れでも、京の土佐藩邸や京の薩摩藩邸に坂本龍馬は泊まらなかった。 近江屋の方が安全だと思ったからだろう。 大政奉還で日本の大規模な内乱は起きなくなったので、 武器商人のグラバーや薩摩の討幕派は、坂本龍馬を目の敵だと思っただろう。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 10:42:08.38 ID:m7FP7EoD0
>>143 には疑問が多々ある。はっきり言って史実を誤認させようという意図で書かれた文章だ。
第一に、史実と確かめられている永井尚志と坂本龍馬との面会記録を、
史実と一切符合しない今井の弟の話と並べ、
あたかも、松平容保と坂本竜馬の面会がなかったかのように偽装している。
そして慶喜公伝は明治の後年の作であり、
徳川慶喜及び松平容保が自らの行動を弁護するためにいくつか明らかに史実を曲げている文献であることに、意図的に言及を避けている。
徳川慶喜は慶喜公伝で、最初から朝廷に全ての権限を譲るつもりだったと主張しているが、
史実では国家の長としての実権の維持に懸命だった姿が言動から浮かんでくる。
松平容保があたかも、大政奉還に賛成だったかのような記述を意図的に作っているのも然り。
越前藩などの記録では、松平容保は大政奉還に大反対であった。
150 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 10:42:34.50 ID:DBbJ0QGi0
眉間ならば、高確率で眼を斬られて失明しただろう。
龍馬の捕縛禁止の話と龍馬と容保が面会した話だけど 検索した範囲では、そのソースらしきものは伏見寺田屋の覚書以外には でてこない。 伏見寺田屋の覚書は昭和17年に雑誌に載ったものらしい。 真珠湾攻撃が16年ですよ。w この事に触れた容保側の史料や龍馬自身の手紙などが新発見されない 限り、信憑性に関してはちょっと低い。 ソースになる文献や手紙をきちんと掲載してるブログなどで、伏見寺田屋の覚書を 重要視してるところはないみたいだが。
152 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 10:48:20.75 ID:DBbJ0QGi0
147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 10:35:52.29 ID:P5WKWYxh0 谷は上士だから海援隊はいるはずない 貴公の其の理屈から言うと、平井収二郎は上士だから土佐勤王党に入る筈が無い。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 10:52:40.44 ID:m7FP7EoD0
結局松平容保を庇いたいあまりに、 会津藩が坂本龍馬を付け狙った点に関しては誰か部下だろう、と言いぬけて、 一方で松平容保が大政奉還に反対していた点については、史料としては問題がある文章を持ち出して賛成でしたよと言いぬける。 それでは会津藩が付け狙っていたのは何故なのか、容保を弁護している人は話す内容に矛盾があるんだよ。
>>149 松平容保と坂本竜馬の面会が事実だったと考えるのでしたら
その根拠をお聞かせください。
当方、容保侯に限らず特定の人物や諸藩に対して一切偏見等ございません。
真面目な質問です。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 11:01:54.95 ID:P5WKWYxh0
板垣らも土佐勤王党はいってないだろ 薩土密約に沿り谷は板垣ら上士藩官僚の立場を使い動いている 海援隊陸援隊はほとんど脱藩浪士や下級藩士主体だし
156 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 11:50:07.67 ID:DBbJ0QGi0
土佐藩は元々尊皇攘夷だよ 朝廷の意向を聞き幕府を改革するという公武合体 当時はそれでも過激で、山内容堂は安政の大獄で藩主から降りる その後進んで幕府はいらないと倒幕まで行くから両者に良い様にの容堂が困るわけで 薩土密約は慶応3年に結ばれた武力倒幕の為の密約 中岡慎太郎の仲介で土佐の板垣、谷らと薩摩側の西郷、小松の合意 板垣は藩論に関わらず、必ず土佐兵を率い薩摩に合流すると結んだ これで土佐藩は挙兵の為の軍制改革し、鳥羽伏見の戦いが勃発すると薩長側に参戦し、戊辰戦争で板垣が戦功上げ新政府の参議になる
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 13:05:47.29 ID:IkGt1aok0
>>149 の男はまったく馬鹿だな。容保説者にはこの手の馬鹿が多い。
>史実と一切符合しない今井の弟の話
だからそれが「史実と一切符合しない」証拠がどこにあるんだ?
おまけにそのことと容保と龍馬の面会云々の話はまったく関係がない。
更に、慶喜公伝の内容が史実と異なるなどとどうして断言できるのだ。
>越前藩などの記録では、松平容保は大政奉還に大反対であった。
ではその原文をここに上げてもらいたい。
私は読んだことはないが、おそらく会津は大反対だと書かれているのだろう。
それを容保説者は、容保は大反対だ、と恣意的に読んでいるのだと思われる。
とにかく原文を上げよ。議論はそれからだ。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 14:55:29.68 ID:m7FP7EoD0
>>158 ほら、このように松平容保を庇いたいあまりに嘘を重ね、問題を逸らそうとする。
今井の弟の証言は事実との一致点がまるでなく、兄の業績を誇るための法螺話の一種として扱われています。
それと事実と一致している永井・容保と坂本龍馬との会見を絡めて、あたかも松平容保は会見していないかのように装う。
しかもその時に史実と全く違う部分のある慶喜公伝を使おうとする。
嘘を重ねるとこのような人間になるということだ。
松平容保ら会津藩が坂本龍馬を付け狙い、一方で容保は身の安全を龍馬へ保障し油断を誘い、居所も探索していた。
松平容保の行動は卑怯としか表現のしようがない。それを公務と言いぬけて、明治に至れば全てを誤魔化して私も勤皇だったと言い出す。
松平容保とその支持者の行動は救いようがない。
160 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 15:06:04.35 ID:DBbJ0QGi0
157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 12:20:15.37 ID:P5WKWYxh0
土佐藩は元々尊皇攘夷だよ
156 :諸橋 嘉久:2012/10/07(日) 11:50:07.67 ID:DBbJ0QGi0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E5%9E%A3%E9%80%80%E5%8A%A9 薩土密約前後 [編集]
1861年(文久元年)10月25日、江戸留守居役、兼 軍備御用を仰付けられ、同11月21日高知を出て江戸へ向かう。
1862年(文久2年)6月、小笠原唯八とともに、佐々木高行に会い勤皇に盡忠することを誓う。
同年10月17日、山内容堂の御前において、寺村左膳と時勢について対論に及び、尊皇攘夷論を唱う。
土佐藩の武士は嘘吐き揃いだ。
勤皇に盡忠することを誓った後に、
所謂『勤王』よりも格や価値が落ちる『尊王攘夷』論を唱えたのか?
其れはダブルスタンダードのペテン師の板垣退助だな。
板垣退助は甲府を鎮撫するのに古の名門の板垣氏の子孫だと嘘を吐いた。
土佐藩は口先だけの攘夷派だった。
161 :
諸橋 嘉久 :2012/10/07(日) 15:24:47.69 ID:DBbJ0QGi0
松平容保は坂本龍馬を護る目的で監視役を付けて居た。 陸援隊士たちの中に見知らぬ男(岩村精一郎)が混じって居たので、 監視役は少し気に成ったが、結局は上司に報告しなかった。 坂本龍馬は暗殺されてしまった。 死人に口無し。 明治時代に嘘の証言をする者が、複数現れた。 松平容保は沈黙を貫いた。 という上記の推察も出来る訳で。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 18:49:14.78 ID:lNvn8QTp0
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 18:53:08.54 ID:lNvn8QTp0
出せと言へど 原文出さない 容保説
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 20:40:05.60 ID:m7FP7EoD0
根拠のない容保擁護論はもうたくさんなのですが。
それと、松平容保を擁護する人が
>>158 のような明らかな嘘をつくたびに、
やはりまともな説を代わりに出さざるを得なくなるわけで、
もう少ししっかりしてくださいと言いたいですね。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/07(日) 21:03:07.78 ID:QvkdJu4y0
幕末、何処の藩でも内部対立で内部の武士などや藩主に暗殺されたのだ。 特に、土佐藩が何人の郷士などを内部争いで暗殺したかしれない。 土佐藩の多くは倒幕派はおらず、郷士の中岡慎太郎と坂本龍馬を騙して暗殺した。 薩摩と長州に繋がる郷士の二人は大政奉還後は邪魔だった。 見廻り組だけで、二人を簡単には殺せない。土佐藩邸の近くに土佐藩がだまして呼び寄せたのだ。 土佐関係の人間は、今までずっと土佐藩が倒幕派でなかったことを 明治後から隠したいのだよ。 容保説を唱える奴等は土佐の暗部をひた隠しにしてる。 中岡と龍馬が殺された日は、佐幕派の三十人組が決起してる。本国で。 土佐とか高知の人間は、自分らの郷土を守りたいという観光の手先。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 09:01:32.26 ID:TxMz0QmF0
大体がだな、大政奉還は既に成されているのに、 大政奉還が憎いからと龍馬を殺すというのは、おかしいのである。 龍馬を殺したからといって、大勢に変わりは無く、 大政奉還が覆るという見込みはないのである。 コ川家も大政奉還に望みをかけていたわけで、龍馬を殺さねばならぬ理由はない。 むしろ、大政奉還は見せかけで、薩長土などが武力でコ川家を滅ぼそうとしていることが分かったからこそ、 その運動の首謀者の一人である龍馬を殺そうとした、というなら話は分かるのである。 しかし果たして龍馬がそのような考えだったかどうかは議論の余地があり、 また幕府側も武力討幕の情報を掴んでいたかどうかは議論の余地がある。 そこで、むしろ土佐藩の内部対立が暗殺の真相ではないか、という憶測も生まれるのである。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 10:28:18.26 ID:S1LC32+A0
会津藩らの大政再委任運動の存在まで否定する人は、歴史を知らないわけです。
>>166 とすると手代木の家伝との関係は?信憑性低いとして無視?
あるいは某諸侯は容堂公では、ということ?
それとも「某諸侯」を「某諸侯関係」などと拡大して解釈する?
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 10:57:03.98 ID:TsNtKKVG0
ここで容保説を何度も繰り返しているのは、高知などの人間が多い。 幕府側の佐々木が犯人として会津藩が永井がという単純な論で、土佐藩が関与 していたことを今まで、ひた隠しの動きで土佐藩の礼賛だけ。 今回、史実として明治維新時の土佐藩をまともに論じたのが出たけど、潰したいのは はみえみえ。高知の歴史家、宮地や平尾などは土佐藩礼賛で、明治維新時の の土佐藩が中岡慎太郎と龍馬を排除しようとしたことはまともに論じてもいない。 いままで、誰も土佐藩の醜い、悲しい幕末の歴史は指摘できなかった。 土佐に関係した学者も小説家も、土佐の英雄にした龍馬を土佐藩が関与して暗殺 したとは書く筈がない。嘘の歴史がつくられていたのを、ここの容保説などを述べるものは は、歴史改ざんの片棒を担いでる。哀れな奴らだ。こいつらは、単にパラノイア。 だいたい、おかしいのは、龍馬に関する資料は、ほとんど土佐藩関係だけ。 そして、これらは語る。土佐出身は皆で土佐藩が身分の低い中岡慎太郎と龍馬暗殺をしたのを隠していたのを。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 11:08:20.59 ID:S1LC32+A0
松平容保―手代木直衛門―佐々木只三郎―見廻組 という暗殺命令実行ラインを何とか否定したいので とりあえず全方向で否定してみただけでしょう。 しかしその否定は、あちらを立てればこちらが立たない。 ・「松平容保様は大政奉還に賛成だったんです」説 vs「会津藩が坂本を狙っていたのは事実だけどそれは手代木たちだけで少数なんです」説 ちなみに強硬主戦派だった手代木は松平容保のお気に入りで、追放された西郷・薩摩に逃げた山本・切腹させられた神保などとは異なり このあと終戦までに若年寄(家老並み)まで出世している。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 11:29:22.76 ID:TsNtKKVG0
>170 また、ごまかしの事を述べてる。西郷、山本、神保などは鳥羽伏見の戦いで敗れて、 以後の事だ。龍馬が暗殺された頃の11月は京都会津藩の上層部は割れていたという ことだよ。土佐藩と同じだよ。割れて揉めていた。手代木は佐幕派。 手代木だって後年、容保の大政奉還方針に逆らって佐幕派的行動をしたものがいたと 述べた。これを嘘という奴らもいるが、それなら、手代木の話は、全て嘘として、 手代木伝なども論じるな。 都合の良いものだけ手代木を使い述べるな。ましてや、手代木伝は資料的価値はB級資料。本人の書いたものでもなく、 記者の話だ。大正のだ。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 11:32:00.90 ID:S1LC32+A0
>>171 都合が悪い事実を否定したいあなたの意思は分かりますが、
内容に史実との相違点が多々ある慶喜公伝などを、他を押しのけて採用する人などが史料を語ること自体お笑いです。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 11:50:52.46 ID:S1LC32+A0
それと手代木直衛門は、幕末の時点で越前藩の代表に、 「容保候が大政奉還に絶対反対だから大政奉還に賛成などしない」と言明しているので、 それと後年の「容保候は賛成だったのに云々」は、当人の弁舌なのに正反対の供述なんだよ。 当然どちらかが嘘ということになり、後年の「松平容保様は大政奉還に賛成だった」説の方が口裏あわせ、 当時取り入ろうとしていた明治天皇への媚が見えるわけなのだよ。 慶喜公伝の「慶喜公は最初から権力を全て天皇に渡すつもり云々」説と同じ臭さが見える。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 11:52:57.49 ID:TsNtKKVG0
>172 まったく、語るに落ちるで、 西郷、山本、神保などが、会津藩で鳥羽伏見の戦いで敗れて 処分されたのは会津藩に手代木などに対する反対派がいたことを証明している事実 なのだよ。 こんな事が分らぬ君に史料も歴史も語る資格がないということだ。 君は自分で手代木に反対していた勢力が会津にいたと語っている。 それに、慶喜公伝を使うともいっていない。手代木伝がB級資料といってる。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 12:40:13.58 ID:NwcStFXi0
大体、龍馬を殺せば大政奉還が覆る、というわけではなかろう。 いくら何でも、龍馬がそこまで大物視されていたわけではあるまい。 とすれば、容保が龍馬を殺さねばならない理由は無くなるのである。 それなのに、容保説の信者は、大政奉還が憎くて龍馬を殺したと言い続けているのである。 手代木伝でも、大政奉還のことは触れられていない。 土佐の反論を覆し、倒幕に一致せしめたゆえ、と書かれているのである。 仮に暗殺指令を出したのが容保であったとしても、 暗殺理由は、大政奉還ではない、のである。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 13:07:29.53 ID:S1LC32+A0
嘘をつけば史料が覆るというあなたの主張こそおかしい。 そして松平容保の命令に反して止戦を志した多くの家臣が、追放・逃亡・切腹に追いやられた史実を考慮しないまま 松平容保大政奉還賛成論を未だに掲げておきながら、これは慶喜公伝ではないと嘘を重ねる。 >こんな事が分らぬ君に史料も歴史も語る資格がないということだ。 これはあなたをよく表している文です。あなたは信用できない文章を掲げ史料を否定しようと躍起だ。 坂本龍馬は永井尚志及び松平容保と面会し、身の安全について保証を得ていた。 一方土佐藩周囲には尾行・監視のため新選組などが張り付き、緊張の度合いを高めていた。 岩倉具視からは、松平容保ら会津藩が大政奉還の諸士を斬ると息巻く様子が薩摩に伝えられ、 薩摩主要人物は早々に京都を離れてしまう。坂本龍馬にも会津藩の様子は伝えられたが坂本龍馬は意に介さなかった。 それは松平容保らから身の安全の保証を得ていたから。しかし実際は松平容保は大政奉還に大反対だった。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 13:32:52.31 ID:S1LC32+A0
後世の史料になればなるほど、事件の起きた当時ではなく記述された当時の証言者・著者の立場を反映する。 例えば慶喜公伝。この中では、天皇に全ての実権を譲渡するつもりで大政奉還を実行したと主張がなされているが、 実際のところは徳川慶喜は政権維持に並々ならぬ意欲を持っていた。 これは、明治以降の天皇制の中で、自らを勤皇の使徒に見せようとする為の改変であり、 慶喜公伝中の、松平容保が大政奉還に賛成していたとの説も、同じく天皇制への媚とされる。 手代木すら例外ではない。幕末には越前藩代表に、松平容保候が絶対反対だから大政奉還には絶対反対だと言明しているのに 明治になれば、容保公は大政奉還に賛成で、と言い換える。明治に編まれた手代木直衛門伝も、大政奉還に反対してという理由は挙げない。
>>176 容保は龍馬に面会し、
「安全は保証する」と言うウソを付いて
龍馬を安心させ、油断した龍馬を暗殺した、って事?
というより土佐藩自体が、「慶喜公の方針である大政奉還を推進する我々が幕府に狙われるわけがない」という満足感で 弛緩しきっていた。 岩倉具視が、「会津が大政奉還を覆そうと薩摩・土佐・安芸の各藩士を斬ろうと狙ってます」と警告しているのに ろくな対策をとらなかった。 海援隊隊士が、「土佐藩は新撰組に執拗に監視されています」と記しておきながら、実際の対策がなされなかった。 おかげで近江屋事件後、西郷隆盛は後藤象二郎と会見し、君がろくな対策をしなかったせいで坂本や中岡が死んだと小言を言っている。 この際後藤は返す言葉もなかった。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 16:24:35.08 ID:TsNtKKVG0
後藤象二郎をはじめ、土佐藩の上層部は大政奉還を進めているということで、 長州などの倒幕の動きには距離も置いていた。 そして、薩長に通じる中岡慎太郎と龍馬は、ある面では邪魔でもあった。これは史実である。 大政奉還後は、土佐藩の上層部は過激な郷士の中岡慎太郎と龍馬を排除しようと佐幕派的な上層部も動いていた。 一部は会津藩とも何度もあって話し合いも持っている。 当時、中岡と龍馬を暗殺したかったのは土佐藩の上層部の一部だ。 少しは、Nの本でも読んで、当時の動きを勉強してから述べなさい。 土佐や高知の見びいきの輩は、みさる、きかざる、はなさざる。 そして、まともな資料も出さず、佐々木の上司は容保だと言って、 容保説のような話は聞きあきた。馬鹿の一つ覚えの話はやめてくれ。 土佐観光の手先は消えてくれ。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 17:38:35.09 ID:dFpasRIl0
>>180 パチパチ。拍手。まったくだ。
>坂本龍馬は永井尚志及び松平容保と面会し、身の安全について保証を得ていた。
容保説者というのはこんなことを平気で書いている。
容保説者でも、まともな人は、こんなことは書かない。
容保説者にもピンからキリまであるだろうが、見解は共通している。曰く−
「大政奉還が憎くて龍馬を殺した」。これだ。
ところが容保が大政奉還に賛成だったか反対だったかは議論の余地があるから、
未だに諸説紛々としているのである。
薩摩説などは論外だとは思うが、幕閣説や土佐藩説は一考に値するのである。
会津暗殺犯説ほどではないが、土佐説も可能性的に ゼロではないよね。 土佐上士説が否定される理由は「龍馬と中岡両方殺せば土佐に佐は損しかしないのにそんなバカなことしない」という点だが 失礼な言い方すると、土佐上士は先見の明の無さ尋常じゃないwから自爆してる可能性は十分ある。 事実、土佐上士は明治時代でも幾度となく自爆してるし。 土佐上士はボンボンが多いから考えが甘い人多いんだよな。 下士の方が龍馬や中岡みたいに実務向きが多い。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 18:21:04.18 ID:dFpasRIl0
大体、今井信郎の調書そのものが創作である可能性がある。 原本が出てこないというのがおかしい。 渡辺篤の覚書や手代木の証言だとて、誰かに依頼されて書いたものかもしれない。 今井の談話が出たのは明治33年だ。手代木の死は明治37年。 つまり龍馬を暗殺したのは佐々木只三郎率いる見廻組だということは、 すでに世間に認知されていたのである。わざわざ遺言として語ることではない。 その辺に不審な点がある。手代木が高知県の副知事を務めていることも考慮する必要がある。 渡辺篤についても、背後で誰かが動いている可能性がある。 一言でいえば、土佐藩による大掛かりな捏造である可能性があるのである。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 18:26:08.45 ID:dFpasRIl0
おかしなことは他にもある。 龍馬は寺田屋事件のピストル射殺犯として指名手配犯とされていたはずなのに、 そして龍馬の手紙によれば、龍馬を殺せと命じたのは大目付で、 当時の大目付は永井だったのに、 その永井と龍馬が頻繁に会談していることである。 こういうことをもっとよく考えてみる必要がある。 龍馬暗殺事件というのは、容保説者が考えているほど単純ではないのである。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 19:44:57.37 ID:du7ap7dV0
土佐藩が倒幕でないとか誤りすぎ、大政奉還は土佐藩主動の倒幕。 方式として徳川が自主的に政権返上するというだけ。 容堂も認め後藤が推し進め薩摩も同意。 薩摩と違うのは薩摩は大政奉還と武力倒幕、政戦両面必要と進めてたのに対し、土佐藩は容堂が武力面を反対した為一度薩摩と盟約が壊れた。 薩摩の方も国の反対事情で出兵できないため、再び土佐藩の大政奉還に同意した。 しかも大政奉還したといっても、あくまで大政奉還したのは形式に過ぎない。 実際徳川は日本最大の領地と軍事力を持ち圧力をかけ復権運動して、朝廷もやっぱり政権を徳川に返そうかとなる。 龍馬らが暗殺されたのはこのあたり。 大政奉還を確かなものにする為、王政復古の大号令が行われ徳川の処分が話し合われる。 そこで鳥羽・伏見の戦いが起きるわけで。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 20:21:13.76 ID:du7ap7dV0
>>160 尊王と勤王はそんな明確な区別ないだろ。より急進的を表現するのに勤王としてるだけ。
板垣に会い信用して和解し、協力誓ったのはたのは中岡の方。
しかも勤王派が不利な八月十八日の政変後で、中岡が粛清避ける為脱藩する直前。
特別定見思想がなさそうな後藤を信用したのも龍馬。
板垣や谷に至っては直情派で明治見ても十分信用できるしね。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 21:35:56.77 ID:m4Ri8n7BO
当たり前の事わざわざ書くなよ
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 22:23:31.75 ID:nqgvYFLa0
龍馬を殺せば大政奉還が覆るなら、殺すことに意味がある。 しかし殺しても大勢は変わらないなら、殺しても意味がないのである。 で、容保説者に訊きたいのだが、容保は、 龍馬を殺せば大政奉還が覆ると思って龍馬を殺したのだろうか? 歴史が語っているのは、龍馬暗殺後も、幕府も、土佐藩も、 大政奉還を取り消そうという動きはまったく無かったという事実である。
189 :
諸橋 嘉久 :2012/10/08(月) 22:56:34.04 ID:uD/4hxRn0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B2%A1%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E 文久3年(1863年)、京都での八月十八日の政変後に土佐藩内でも尊王攘夷活動に対する大弾圧が始まると、速やかに藩を脱藩し、同年9月、周防国三田尻(現防府市)に亡命する。
中岡慎太郎は尊王攘夷派だった動かぬ証拠です。
中岡慎太郎が所謂『勤王』ならば、脱藩する筈が無い。
蛤御門の変に武市半平太は参戦していない。
攘夷も決行していない。
武市半平太は口先だけの塵に過ぎない。
武市半平太の何処が、より急進的なのだ?
本間精一郎に学識と弁舌では足元にも及ばない武市半平太は、
本間精一郎を手下どもに暗殺させた。
薩長に美味しい所を取られたので、板垣退助は自由民権運動家に鞍替えした変節漢でペテン師に過ぎない。
>土佐藩上士の谷干城は、同じ藩の郷士と呼ばれる下士出身者である坂本龍馬を厚く尊敬したとされる。
其れが本当ならば、海援隊に谷干城は入隊して居る筈です。
谷干城は嘘吐きだと証明されました。
会津桑名藩は大政再委任運動を起こしてる。 今井の証言から見ても 「坂本なんと云ふ奴は幕府のためもならねば、朝廷の御ためにもなるものではない、只事を好んで京都を騒がせる悪漢故、是非斬つて仕舞はねばならぬ、とは思ひました。」 清川のように策謀弄し幕府にとって不利益なると理由で斬ったんでわ?
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 23:05:55.62 ID:Z91XHY+u0
うーん、容保が主犯云々は漏れもそうではないと思う。 この時期の容保がはたして自分の判断で龍馬謀殺の指示が出せたかどうかという 所だけ。 容保の意思というより、公用方の合議ではないのかな? もしくは、寺田屋で捕縛しそこねた佐々木只三郎の独断による龍馬暗殺 じゃないかね?
一番有り得ないのは中岡愼太郎説(物語の中の話だから) 二番目に有り得ないのは陸奥宗光説(陸奥と仲が悪いお龍の証言だから) 三番目に有り得ないのは長州(長州は良い意味でも悪い意味でも感傷的だから) 可能性高い話だと揉めるので、可能性低い説について考えてみたw
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 23:36:48.28 ID:Z91XHY+u0
>>192 物凄く分りやすいです。
本当は四番目に有り得ないのは薩摩(そもそも倒幕は坂本も唱えていたから)
多いのが龍馬ファンに媚びたい作家達の妄想陰謀説って所かw
容保と会津が始め大政奉還に賛同したか反対したか分からないが。 朝廷に再び徳川に大政奉還しろと再委任運動してる。 大政奉還に元から反対だったのか、賛同したが儀礼的なものと捉えてたか。 どちらにせよ無防備な坂本に憎しみの矛が向かったのかもしれない。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/08(月) 23:50:17.75 ID:TsNtKKVG0
明治二年当時、中岡と龍馬の暗殺問題で、土佐藩は関与を知られるのを恐れたが、 近藤勇も犯行を否定し処刑されており新撰組の犯行ということにも証拠がなく出来ず、 すでに鳥羽伏見で死んでいた佐々木只三郎の犯行だけにしたのだ。 今井信郎は江戸から京都に来たばかりで中岡と龍馬の暗殺を佐々木だけの犯行にしておくことで罪を軽くし、 土佐藩の上層部は事件を早く収めたかった。そして、明治三年に、事件を終結させた。 明治の土佐藩は皆、上士が明治政府に入った。郷士はほとんどいない。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 09:44:24.11 ID:UDBKfT7/0
大体、大政奉還が憎いから、坂本が憎いから、暗殺した、などというのはありえないのである。 京都守護職−現代で言えば警察庁長官あるいはもっと上の人物が、民間人を、 「あいつが憎いから殺せ」などという指令を発するはずがない。 まして坂本を殺したところでどうなるというものではなく、 慶喜も永井も大政奉還に望みを託していた、と容保説者自身が明言しているのである。 とにかく常識的に考えて、容保が、大政奉還が憎くて、暗殺させた、というのはありえない。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 09:52:46.51 ID:sv93VsjgO
現代と江戸時代を同列に考えている時点がアホかと
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 09:53:35.38 ID:UDBKfT7/0
>>190 清川の場合は、どうしても暗殺しなければならない緊急事態だったのである。
坂本の場合はそういう切羽詰まった理由は何もない。
>>191 寺田屋事件のとき、佐々木只三郎が現場にいたという史料は無いし、
この事件は見廻組とは何の関係もない。
また龍馬は永井としばしば会っているから、
捕縛しようと思えば簡単にできたのである。暗殺する必要はない。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 10:03:53.71 ID:90ZzBb09O
>>198 暗殺はおろか、捕縛でも土佐藩との関係が悪化するのですが。だから慶喜や永井はやらない。
つまり犯人は大政奉還を憎む松平容保。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 10:07:11.41 ID:UDBKfT7/0
現代と江戸時代は違うと思っている阿呆がいるな。 江戸時代も法治社会である。幕府が民間人を暗殺したりはしない。 清川も幕府に雇われていた人間であって、幕府側の人間である。 幕府が諸藩の藩士を暗殺したなどという例はないのだ。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 10:20:20.87 ID:UDBKfT7/0
>>199 この単純さが容保説者の特徴である。
まったく中学生並みの単純さである。
容保説者というのはこれ以外のことを想像できないのである。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 10:36:40.82 ID:sv93VsjgO
京都守護職―現代で言えば警察庁長官 キリ! 永井が坂本補殺の命令を出した史実も知らんアホww 「補殺」って漢字分かるかな?ww
小笠原弥八郎や松平勘太郎の言を見るかぎりでは 佐々木への命令権は幕府側が持っているようだが。 なぜ誰もこの事にふれないんだ?
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 12:35:05.43 ID:PU85NuqI0
補殺とは野球用語である。
>>202 は捕殺と間違えているのだろう。
永井が、寺田屋事件以外で、龍馬捕殺の指令を出したことはない。
>>202 はどうせ例の新選組説の阿呆だから、相手にする必要はない。
>>203 は良いところを突いている。
過去にそのことは何度も話題になったが、
容保説者はどうしてもそのことを認めようとしないのである。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 14:01:40.85 ID:QERQS0Ap0
それは見廻組が京都守護職支配になっていたことを絶対に話さない松平容保愛護の人の弱点
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 17:25:05.18 ID:WvO/Hevu0
見廻組が様々な人の命令の下に動いていたことは過去スレに載せている。 京都守護職配下というのは形式上のこと。 幕府筋の命令で動いていたことも多々ある。 容保説の人はそれを認めようとしない。 あくまでも、教科書的に、「見廻組は京都守護職支配」の一点張りである。 容保説者というのはなぜこれほど精神が硬直しているのか。 なぜもっと柔軟な思考ができないのか。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 18:29:27.72 ID:cnoJ08410
菊地明「京都見廻組史録」という本がある。 これを読めば、見廻組が目付、大目付、若年寄、老中などの命令で動いていた例が載っている。 見廻組の人事も幕府が行っていたようである。 もともと見廻組は幕府が設けたもので、京都守護職が設けたものではない。 勝海舟の日記などを見ても、目付の榎本対馬や大目付の松平勘太郎が上司だったことが分かる。 勝や松平は幕府の人間であり、幕府の人間が見廻組の支配系統を間違えるはずはないのである。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 18:47:07.64 ID:cnoJ08410
大政奉還が憎いから龍馬を殺した、というのは、 腹いせで龍馬を殺した、のと同じことである。 そんなことで果たして暗殺をするだろうか。 京都守護職という、老中、若年寄に匹敵する重職の人物が。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/09(火) 21:53:35.08 ID:2u9quTJD0
なんだかどさくさに紛れてN島が書き込んでいるようだけど、2ちゃんに書き込む暇 があるなら今の仕事を干すぞ! もう少し執筆者としての自覚を持て! 板汚しスンマソでした。
勝は日記に松平勘太郎との会話を記したあと龍馬暗殺には触れていない らしいが、いろいろ見聞きした結果、幕府筋の命令だと解ったから ダンマリを決め込んだのではないのかな。 やはり永井あたりはかなり怪しい。 例の「ひた同心」と思わせるなど、捕り方殺傷犯に対し調子が良すぎる。 人の良い龍馬はマンマと騙されたんじゃないのか・・・
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 02:38:27.35 ID:Z1vmW+xb0
法令上、坂本龍馬暗殺時には見廻組は京都守護職支配なんですけど。 N島君は断言する割にはリサーチが弱い。
>>210 大政奉還に頑強に反対して会津藩士を徘徊させていた松平容保とは違って、
板倉や永井は、慶喜とともに幕府亡き後の新政権に入閣を望んでいましたので、大政奉還には反対しないと思います。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 09:08:58.77 ID:s0Sj9SeA0
腹いせで 龍馬を殺す 容保かな
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 09:09:46.20 ID:s0Sj9SeA0
腹いせで 龍馬を殺す 容保説
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 12:01:07.54 ID:NAWJglk0O
大政奉還という餌で諸候を味方にしようとした、慶喜・板倉・永井、 大政奉還という毒饅頭を慶喜に食わせることで、幕府と将軍の権威を消滅させようと狙った、薩摩・尊皇攘夷派、 どちらにも色目を使った、土佐・安芸・越前・尾張、 諸候に嫌われて帰国謹慎を求められていた、会津・桑名、 やはり、会津の松平容保しか犯人は浮かんでこない。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 12:31:22.19 ID:1DHKF21T0
無駄なのに 龍馬を殺す 容保説
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 17:28:33.77 ID:jsiMBGKA0
いつまでも 聞き分けのない 容保説
あれだけ何度も暗殺犯の名を匂わせてたお龍の回顧録を参考にしている人が 誰も居ない事に泣ける
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 19:56:25.24 ID:b6goI2pW0
お龍はたしか土佐藩説だったな。 実際、怪しいのは土佐藩と永井くらいなものだ。 容保説は的を外れている。
>>219 違うよ
新撰組殺害説。しかも黒幕が陸奥宗光。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 20:07:10.94 ID:b6goI2pW0
お龍は「飼い犬に手を噛まれた」と言っているだけで、 海援隊の犯行を匂わせていただけだと思うが。 お龍が陸奥を嫌いだった、というだけの話ではないのか。 いや、忘れたから何とも言えんが。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 20:16:57.04 ID:Z1vmW+xb0
飼い犬ね。坂本が大政奉還で手玉に取ったつもりだった旧幕府内からやられたってとこかな。 つまり、幕府内で大政奉還を憎悪していた、松平容保からやられた、ということだね。
>>221 お龍は新撰組殺害陸奥宗光黒幕説を至る所で話してるからどれの記事かは
忘れたが、確か陸奥のアニキと龍馬はんが一人の女に惚れて
その恨みでどうたらこうたら。
ちなみに龍馬が死んだあと陸奥は新撰組と宴会開いたそうだよw
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/10(水) 21:06:20.92 ID:nZ0kru250
確かに陸奥には怪しいところがあって、私も一時疑ったことがある。 暗殺当夜、陸奥は駆け付けたのだろうか。 陸奥も遅れてやって来たとか、陸奥は何かの用で来られなかったとか、 どうもはっきりしない。確実な証拠文献というものを見た覚えがない。
いろいろと名前が挙がった人物は多いが、 一番怪しいのは永井玄蕃だよ。 奉行職の経験者が、捕り方をピストールで殺傷した男を許すはずはない。 この一言に尽きる。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 04:29:09.48 ID:4b7dIjesO
陸奥説はお龍の個人的恨みだろw あと、前から永井、永井って言ってる奴がいるが動機を書いてくれ。
ちゃんと書いたつもりだが・・・ この一言に尽きる、と言ってるじゃないか。 それに所謂永井説ならググればいくらでも出てくるでしょ。 組織人としてのたて前なら、黒幕候補者は皆それなりに掲げている。 でも心の中は複雑で覗けない。 個人的恨みなんて一番多い動機じゃないか。お龍の説も馬鹿には出来ない。 激動期なんだから対外的なスタンスなんて刻々と変化する。 今更正確には判らんよ。 時間的、距離的にも永井は非常に「近い」。命令系統も問題ない。 ところで貴殿の説は?是非拝聴したい。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 08:54:58.35 ID:zbNkqGYiO
榎本対馬、見廻組。それ以外ない。薩摩の酢屋リーク。
>>228 組織図を辿ればそうなるよね。確率は非常に高い。
>>227 動機を重視すると誰になるの?
ごめん。自分に聞いたしまった。
>>226 動機を重視すると誰になるの?
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 09:50:10.22 ID:Y5SYn4+V0
榎本対馬はない。龍馬は永井と何回も会っているのだから、 捕縛しようと思えばいつでもできる。 暗殺しなければならない理由がない。 犯人が現場から立ち去っているということは暗殺である。 目付が公務で暗殺をやらせなければならない理由がない。 捕縛して、裁判にかけて、死刑にすればよいだけの話である。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 12:43:05.37 ID:nvq0zeQ70
永井の動機か。 龍馬と話しているうちに、こいつが大政奉還提言の張本人だと分かって、腹が立ったのではあるまいか。 司馬も書いているが、永井、佐々木、近藤、渋沢など、自分の代で幕臣に取り立てられた者ほど、 幕府への愛着が強く、大政奉還には反感を抱いていたようである。 そりゃそうだ。晴れて国家公務員あるいは超一流企業に就職したと思ったら、 国家そのもの、あるいは会社が倒産しようとしているのだから。 もう一つは永井の個人的資質、人間性である。この男は非常識な男なのだ。 すでに死罪免除と決まっている毛利父子の首を打てと言ったり、 新選組を身分を偽らせて長州に送り込もうとしたり。 この男なら、見廻組を使って龍馬暗殺をやらせる可能性があるのだ。 容保はそんなことはしない。 幕府の一組織を使って諸藩の藩士を暗殺させるというような非常識なことはしない。
松平容保は、神保を切腹に追い込んだり、西郷を追放して西郷の妻子を城外に置いて城下に火を放ったり、 非常識な行動は多いのだが。
大政奉還を徳川慶喜が宣言した以上、 徳川慶喜と板倉勝静・永井尚志は、大政奉還とその後の公儀政権樹立によって政権内に留まる道を確保してゆくしかない。 一方、土佐藩・安芸藩・越前藩・尾張藩などの中間派だけでなく、薩摩及び尊王攘夷派ですら大政奉還には異議はない。 これらの人々、藩に坂本らを暗殺する動機が見当たらない。 ただ、後の政権から会津藩・桑名藩だけは排除することはこれらの藩で合意が作られていた。 一会桑の独走を雄藩は苦々しく思い、新政権設立にあたって会桑の二藩は帰国謹慎することが決定されていた。 すると、会桑の二藩、その中でも手代木が暗殺について証言している会津藩、つまり松平容保に濃厚な嫌疑をかけざるを得ない。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 18:36:16.53 ID:3tgif0YK0
つまり腹いせ、憂さ晴らしで龍馬を殺したというわけだな。 容保説は、結局、これなのである。 龍馬を殺したところで、大政奉還が覆る可能性は無かったのである。 だから、腹いせによる暗殺だというわけだ。 以前私が容保先生と名付けた男などは、容保は、 慶喜を困らせてやろうと思って龍馬を暗殺した、などと唱えていた。 つまり容保先生も、結局は、腹いせによる暗殺説なのである。 大政奉還を覆させるために暗殺した、などとは主張していなかったのである。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 19:39:53.24 ID:62/RI7kQ0
容保以外も幕府内もほとんど反対多かったから 最終的にほとんど慶喜の独断みたいなものだろう 鳥羽伏見の時も上様を刺してでも戦ういうてますと板倉言ってるくらいだからね
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 22:25:27.90 ID:JLK2H+zs0
慶喜公伝を見ても、板倉や永井は大政奉還決定後も不満を持っていた。 それは以前に何回も上げたことがある。 ところが容保にはそのような記事は無い。 これに関しても容保説者はだんまりを決め込んでいる。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/11(木) 22:44:14.51 ID:JLK2H+zs0
もともと会津はいやいやながら京都守護職を引き受けたのである。 容保も死ぬまで孝明天皇から贈られたものを肌身離さず持っていたというから、 幕府よりもむしろ朝廷に親しみを持っていたかもしれない。 大政奉還後に会津が新政府から締め出されることが分かっていたからと言って、 そんなことに執着を持っていたかどうかは疑問である。 会津藩が消えてなくなるわけではなし、会津に帰れば何とかなるのである。 こういうことも、容保説者は考えてみようとしない。
日本映画専門チャンネル ?@nihoneiga
【特報】12月の【日本映画100年の100選】TV初放送・五社英雄監督「人斬り」を始め、
同じく五社監督「御用金」、勅使河原宏監督「砂の女」、森田芳光監督「の・ようなもの」
ご期待下さい。
https://twitter.com/nihoneiga/status/255998081512898562 人斬り<国内未DVD化>
製作年:1969年
監督:五社英雄
製作:村上七郎/法亢堯次
脚本:橋本忍
撮影:森田富士郎
美術:西岡善信
編集:菅沼完二
音楽:佐藤勝
助監督:土井茂
出演:勝新太郎 仲代達矢 石原裕次郎 三島由紀夫 倍賞美津子 他
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 09:36:24.26 ID:DiTB+5wu0
容保説 声がちひさく なりにけり
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 12:55:00.16 ID:GoLNJxon0
むしろ容保サマ馬鹿が他の人間を追放してしまった。 根拠のない崇拝は反吐が出る。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 17:26:01.02 ID:ioFJ6FMV0
容保説 憎しみだけで 論を張り 恐ろしいほど 容保を憎む 容保説
慶喜公伝には 大政奉還後も中央政局に執着し弟に諌められる容保について言及されとったなw
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 21:06:23.26 ID:TcjyvlK90
Wikiより。神保修理。諱は長輝。悲運の最期 総大将が前代未聞の戦線離脱をした要因は、 長輝が将軍に恭順を進言したことにはじまると会津藩内で一方的に意見が上がり、 ついには全藩からも鳥羽・伏見の敗戦を招いた張本人としての烙印までも押されてしまった長輝は和田倉上屋敷に幽閉される。 会津内部では、長輝の処罰を容保に迫る動きが加速する。 長輝の窮地を救おうと親交のあった幕臣の勝海舟は、身柄を幕府に引き渡すよう慶喜を通じて画策したが、 これが裏目に出て抗戦派の怒りを買った。 長輝を処断すべしと動いた有志らの陰謀により三田下屋敷に移送された長輝は容保との謁見も許されず、 弁明の機会も与えられぬまま切腹を命じられた。 君命と偽った命であると知りながらも、是に従うのが臣である、と潔く自刃する。 これをしも 容保のせいにする 容保説
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 21:19:08.46 ID:TcjyvlK90
実際、容保説者はなんでこんなに容保を嫌っているのか、 私のような、何のイデオロギーも持っていない人間には、 不思議でしようがないのだ。 私が永井説を唱えているのは、別に容保が好きだからでもないし、 永井が嫌いだからでもない。 様々な資料を検討してみて、永井が最も怪しいと思っただけなのである。 中島の土佐藩説が出てからは、これが最も有力説ではないかと思うようになった。 要するに私などは単なる謎解きとして龍馬暗殺事件を推理しているのだが、 どうも容保説者はそうではないらしい。 彼らは何か思想を持っているのだと思われる。 それは私のような、土佐の人間でも会津の人間でもない者には理解しがたいものである。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 23:02:40.33 ID:9tQR4LkR0
当時状況として岩倉具視から大久保利通に書簡で 「会狂気の如く憤然、是非薩邸を討つなど段々申し候由、万事畢竟は西、小、大の三人これあるゆえ也、土には云云、芸云云、 これらを斃すべしと種々議論ある由」とある。 見廻組が手を下してるし、旧幕府側の佐幕派の誰かになる。 公武合体や土佐藩はあまりないだろう。大政奉還に賛同してるわけだ。 土佐藩は王政復古後の政体で薩摩と連携を必要とし、薩摩の方も同じ。 長州は朝敵で京に上れないため、討幕の密勅を下して上洛させている。 鳥羽伏見の戦いも、軍事的に勝てると京に攻めあがったのは旧幕府側。 兵力も薩長土は3千から5千程度、幕府は1万から1万5千で洋式装備も海軍力も幕府が上回ってた。 よく言われる薩長陰謀も無理がある。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 23:13:24.31 ID:252SCL8E0
戦争になっても勝てると幕府は思っていた、という説か。 それなら尚更龍馬を殺す必要はない。 しかし永井と龍馬が会談したとき、龍馬が、 幕府が勝てると思うか、と問うたとき、永井は、勝てない、と答えた、 というような話がどこかにあったはずだが。 実際第二次長州征伐で幕府はこてんぱんにやられているわけだし。 尤もそのことと龍馬暗殺がどう繋がるのかはまだ考えたことはないが。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 23:26:53.78 ID:9tQR4LkR0
少なくとも鳥羽伏見は旧幕府が圧倒的に有利。 京は侵攻ルートが複数存在し、守備側はその全てに兵力を手当てしなくてはいけない。 一ヶ所の防御力が低下する。兵備火力も旧幕府が数段上。 薩長すら勝てると思ってたか、薩長の兵で全滅しても足止めしその間天皇かついで逃げるくらい。 必ず打ち破るとはったりかませたのは西郷くらい。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/12(金) 23:45:55.13 ID:GoLNJxon0
結局、松平容保を弁護する人は
>>244 ,245のように勝手に相手を誹謗するだけで、
自説は感情をまくし立てるだけなんだよ。
有害。
薩摩はともかく、長州は無いだろうな。
長州は
>>192 の通り、本当に悪い意味でも良い意味でも感傷的
滅亡寸前の所を味方してくれた龍馬中岡を強かに裏切れる様な長州だとしたら
もう少し上手く立ち回れてる
ただ薩摩は考えてきちんと動く方だから可能性は前否定できない。
でも中立的な立場(佐幕派も討幕派も両方好き)から見て可能性高そうなのは
会津≧土佐上士=幕府≧薩摩>>>>>>>長州>>>>紀州だと思う。
個人的にだけどね。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 09:19:44.30 ID:Gm3rEtXQ0
>>249 そっくりそのままお返しする。
容保説以外一切認めようとしない容保説者ほど有害なものはない。
動機という点で最も可能性が高いのは土佐藩だろう。
郷士の身分の者が永井と会談するなど、大出世を遂げようとしている。
上士としては我慢ならないだろう。
他藩の記録を見ても、龍馬とその敵対派が一触即発の危機にあったことを伝えている。
土佐藩説は最有力説だ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 09:25:12.60 ID:Gm3rEtXQ0
大体、有力な諸説が出ても、それを真っ先に叩き潰そうとするのは容保説者である。 中島説が出たときも、容保説者がそれに噛みついた。 なぜ彼らはこれほど執拗なのか、普通人には理解できない。 なぜそこまで容保説を強硬に主張しようとするのだろうか。 背景に何かイデオロギーがあるとしか思えないのである。
253 :
諸橋 嘉久 :2012/10/13(土) 10:04:44.25 ID:7M8MsODp0
http://blogs.yahoo.co.jp/quasar2012q/13844270.html 722 :諸橋 嘉久:2012/06/18(月) 17:16:49.48 ID:J1cXA9IA0
>私はしばしば負傷した捕虜がまったく見当たらないことに重大な意味を感ずることがあったので、機会があるたびに、
理由もなく人命を犠牲にすることの非人道性を指摘し、この戦闘で日本政府が敵の捕虜にたいする憐憫の情が
あることを立証しえない失望感を表明してきた。それにたいする弁明として、会津兵の捕虜は天皇の威光をきわめて
悪しざまに侮辱するので、負傷者といえどもその生命を許しておくわけにはいかない、といわれるのだ。
会津兵の捕虜は明治天皇が孝明天皇の息子ではない真っ赤な嘘で固めた偽天皇だと見破っていたのです。
其の主張を引っ込めない会津兵を日本政府は斬首したのです。
松平容保を貶める者は、在日特権を維持する為に掲示板で工作活動を行えば、
明治政府を肯定する日本政府の覚えも目出度いのだ。
飯盛山で白虎隊の土産物で稼いでいる連中も在日だろう。
長州人は朝鮮人の血が濃い。
254 :
諸橋 嘉久 :2012/10/13(土) 10:10:52.57 ID:7M8MsODp0
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 17:55:37.58 ID:PYnt7K5R0
>>251 ,252
論理のない主張は不要。
他藩の記録を見ても、そのようなものは見当たらず
代わりに会津藩の策謀が書かれている。
会津藩、松平容保が犯人であり、あなたの説は犯人を隠匿隠蔽しようというものでしかない。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 18:20:45.43 ID:kTUsV6Fl0
>>255 君は新参者なのか?
どこかの藩の記録にそういう記録があるだろう?
過去スレを見ればどこかに載っているはずだ。
というより、誰でも知っている有名な記録だ。
検索すれば出てくるはずだ。
私はもう一年近く龍馬暗殺研究から遠ざかっているので、
どのサイトにあったかも忘れてしまった。
いろんな資料が載っている便利なサイトがあったのだが。
ついでにいうと諸藩の記録の中で、
会津の仕業だろうと書かれたものは無かったと思うが。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 18:30:50.21 ID:PYnt7K5R0
>>256 嘘を撒き他人を叩こうといつも身構え、中身といえば誹謗中傷。
そのような人の行動は私は一番嫌いです。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 18:59:11.48 ID:kTUsV6Fl0
>>257 君はどうやら基本的な資料も知らないようだから、上げておこう。
他にもっと完全な原文が載っていたような気もするが、とりあえずこれを上げておく。
鳥取藩慶応丁卯雑記資料
「元来、土藩ノ内探索候処、藩士相分レ一途ハ白川組諸浪士相集リ頻リニ暴論の徒ノミ建論増長ニテ、
今一途ハ後藤象次郎同意周旋ノ徒ハ、右暴論ノ徒ヲ取鎮メ居候由……
梅太郎先月上旬頃、土州ヘ帰入致居候処、北国筋へ罷越、何カ周旋ヲ遂ゲ帰亰仕候跡へ今一手ノ土藩士ノ徒、同様北国へ罷越……
右梅太郎ノ跡へ廻リ候亊ニ付、未ダ不発(セ)事件(ヲ)候得共、隔論相成候様子ニテ、梅太郎ト尚又今一手トハ忽チ不和ヲ生ジ、
殆ド殺伐ノ次第ニ及バントスルノ事件ニ基キ候由………。」
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 20:40:12.92 ID:es0QnOs1O
そうか、陸援隊が関与しているのか
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 21:06:52.04 ID:4LEWAgZH0
だとしたら中岡犯人説もあながちトンデモとは言えなくなってきたぞ。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 21:34:19.12 ID:gzQXG7PV0
まず実行犯は見廻組が定説なってるのに、これ動かせる上層部に決まってるしょ 肥後や鳥取藩雑記じゃ誇張や噂話類でしかないしね
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 21:38:03.84 ID:PYnt7K5R0
>>258 全く参考にならない。殺すような対立など書かれていない。
どうも基礎的なことすらあなたは嘘をつく。これで殺し合いをしていたなら幕府内は誰も生き残れない。
あなたの松平容保礼賛も根拠がないし、この資料を掲げてあなたは何が言いたいのやら。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 21:43:34.63 ID:PYnt7K5R0
陸援隊が陸援隊局長の中岡慎太郎を襲ってどうする、内部対立もないのに。 犯人である松平容保から話を逸らそうとすると、このように話が滅茶苦茶になる。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/13(土) 22:47:21.18 ID:VwlmNZ1R0
土佐説は上士下士の対立を無駄に誇張しすぎ。 土佐勤が弾圧されたのは、尊皇攘夷本山の長州藩が朝廷主導から没落した八月十八日の政変が原因。 他藩も本山長州藩でも全国尊王攘夷派が同じ状態に陥っている。 高杉が挙兵して情勢を正反対にひっくり返しただけで、土佐だけでなく高杉以外全国予想外だった。
>>264 んなこたない。
土佐と薩長が全く違うのは、土佐上士はペリーが来る前から佐幕派、
反対に土佐下士はペリーが来る前から反幕寄りな所。
元々上士と下士は違う国の人だから完全に政治意見が分かれてるんだよ。
松平容保が関与していないのは、会津藩が福井藩の春嶽に御機嫌伺いを
している。それだけ会津が坂本謀殺に衝撃を受けている証拠。
見廻組は「ワイルド7」の飛葉大陸よろしく坂本を寺田屋殺人犯として
「殺人犯を処刑」してしまった。
これにびっくりしたのが会津藩公用局の面々。坂本と繋がりのある福井藩
と土佐藩と敵対的決裂を避ける為に福井の松平春嶽に御機嫌を取るため
「プレゼント攻勢」を行う。土佐藩は坂本は才谷梅太郎として正規の藩士
である為、坂本を殺せば全面対決は必死となる。
が、この一件については陸援隊残党や谷干城らの戊辰戦争での会津藩兵の捕虜虐待に
繋がる。
>>264 の述べるように土佐藩は身分によるコンプレックスだけではなく
派閥抗争が苛烈であった事を見落としている。
妄想っぽいなあ 会津側で証拠を隠滅したつもりが、高台寺党の証言のせいで見廻組ではなくて新撰組が犯人と判断され、 やっぱり新撰組支配の会津の犯行だ、と土佐藩首脳が断定したので、慌ててとりなそうとしたのであろう。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 09:27:11.96 ID:hyyc5eNj0
資料すら まともに読めぬ 容保説 諸藩の記録 会津の犯行 一つも無し
>>264 戦国時代に徳川が天下採る時、徳川が旧西軍から採り上げた土佐を山之内一豊に贈る
→土佐を占領した山之内の部下(徳川の仲間)が上士
→旧西軍・現地民(徳川から侵略を受けた側)が下士
土佐はこの制度を何と幕末まで保ち続けたせいで、政変前から土佐下士は反徳川だし、上士は親徳川なんだよ
長州の場合は全員が旧西軍(徳川から侵略を受けた側)だから、政治を取り仕切る上層の中にも反徳川が大勢居る。
高杉の行動はそれを考慮に入れて一発逆転の賭けに出た訳だから、土佐で同じ事するのは不可能。
ただしドラマで描かれてるような、土佐上士が全員嫌な奴で解りやすく顔踏んだりしてるのは誇張だけどw
すまん変換ミスいくつかあるけどスルーしといて>山内一豊とか他
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 14:55:52.43 ID:ET6RFV9u0
>>268 このような嘘を書くから相手にされないのですよ
272 :
諸橋 嘉久 :2012/10/14(日) 15:11:50.13 ID:d7iiyuga0
263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/13(土) 21:43:34.63 ID:PYnt7K5R0 陸援隊が陸援隊局長の中岡慎太郎を襲ってどうする、内部対立もないのに。 犯人である松平容保から話を逸らそうとすると、このように話が滅茶苦茶になる。 陸援隊の其後を指導した谷干城と田中光顕を疑うのも有りでしょう。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 16:22:56.45 ID:vylax5Eq0
当時上士に親徳川多いのどこも同じ。 長州にしても松陰時代は、反政府を相手にしたのが誤りっていうくらい。 山内も勤王思想の持ち主の新徳川で、完全な佐幕でないんだよね。 幕政に口出ししたと、安政の大獄で公式藩主から隠居。 薩摩藩にしても藩主父久光は倒幕は西郷大久保が勝手にやったと、廃藩置県にも大反対してる。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 17:34:23.48 ID:/+5sOEBq0
諸藩の記録に、会津犯行説を書いたのはあるかな? 無いような気がするがね。 あったら出してくれ。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 18:10:40.25 ID:ET6RFV9u0
手代木自身が不審な行動をしているのだが。 ・霜月十六日 会津藩手代木直右衛門より彦根藩石黒伝右衛門あての書状 拝呈仕り候 時下寒威弥増し候処弥御清穆渉られ賀し奉り候 御上京後も心外御無音仕り敬謝奉り候 然らば差し向き極内密に伺い奉り度事件これあり 御旅籠迄御尋ね申し上げ候処 御出仕中の趣御家臣より承知 程なく後退出ニも成らせられるべき迄に付 何共ご苦労を懸け奉り恐縮ニ御座候共 万亭ニて待ち奉り候間 何卒御来臨成しくださる様 伏して願い奉り候 万端其時ニ草々申し上げ残し候 頓首 石黒伝右衛門様 手代木直右衛門 差し向キ御内用御直披
>>273 どこも同じと考えるには無理がないか?
そもそも佐幕の人は殆どが勤王。というか勤王じゃない人は当時殆どいない。
問題は徳川批判派が、佐幕派を押しのけ主権を握れるほど人数が居るかという話。
相手の意見を押さえつける人数と武力が賛成派に回らないと倒幕になんて動かない。
事実ガチ佐幕藩なんか、倒幕志士数名しか出てない所あるからね。
「倒幕志士と佐幕がわずか1人でも居るのは、どこでも同じ」という意味で
話しているとしたら同意だが。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 19:10:08.29 ID:/+5sOEBq0
手代木の書状が慶応三年のものだという証拠は?
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 19:55:51.17 ID:ET6RFV9u0
>>277 この翌年までには差出人及び受取人の両名ともに改名している。
手代木が京都で活動を始めてからこの日に関する記述を検索する限り、
会津藩の記録では坂本暗殺翌日であることしか出てこない。
つまり手代木は坂本龍馬暗殺事件に関し、翌日には彦根藩と急いで摺り合わせ、口裏合わせを行おうとしている。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 21:18:56.40 ID:q8XncpIZ0
>手代木が京都で活動を始めてからこの日に関する記述を検索する限り、 >会津藩の記録では坂本暗殺翌日であることしか出てこない。 これの詳しい説明がない。 またなんで彦根藩などが出てくるのか。 「曽祖父は福岡孝弟と申しまして、 (龍馬の)死の真相を、ある筋から知っていたんだそうですが、 誰が聞いても、いや、あれは言っちゃいかん事になっとるんだ、と言いました。 佐々木只三郎・・・・・・そうじゃないんだ、と」
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 21:26:39.82 ID:ET6RFV9u0
会津藩・桑名藩などと並び彦根藩は大政奉還に強く反対したことで知られています(大政再委任論)。 要するにこの手紙は、 坂本暗殺が、大政奉還を撤回させ江戸幕府の権威を回復させようと計画して行った行動である事を示唆する内容です。 手代木は暗殺に際し彼等、大政再委任論の人々と再協議を行っているわけです。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 21:27:48.10 ID:ET6RFV9u0
それと、関係ない雑文を混入させて土佐説を掲げないように。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 21:39:16.28 ID:ET6RFV9u0
この時期の彦根藩の大政奉還嫌悪は、井伊直弼の藩として 一橋派復権以降冷や飯喰らいだったという境遇からくる、徳川慶喜嫌悪であり、 大政奉還について徳川慶喜らと対立していた大政再委任派の松平容保としては、この時期彦根藩は得難い支援者だったわけです。 この後、大政奉還が確かなものとなると、彦根藩は今度は旧幕府を見限る形で、天皇の家臣であることを求めるようになります。 佐幕派から一気に反慶喜としての勤皇主義に転じるわけです。 この時期の会津と彦根との蜜月は、彦根が旧幕府抜きの勤皇主義に転じることで終わりを告げます。 (大阪城にはこの後も彦根藩佐幕派が残りますが、情勢に影響を与えることはありませんでした。)
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 21:42:23.45 ID:q8XncpIZ0
>手代木が京都で活動を始めてからこの日に関する記述を検索する限り、 >会津藩の記録では坂本暗殺翌日であることしか出てこない。 これの詳しい説明がない。 それに龍馬を暗殺したところで大政奉還が覆ることはないことくらい、 容保だって分かっていたはずだが。 手代木だってそれくらいは解っていたはずだ。 容保も手代木も、君らが考えているほど阿呆ではないぞ。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/14(日) 22:18:37.45 ID:q8XncpIZ0
手代木の書状くらい、ここの参加者は誰でも知っているはずだ。 これを会津説の有力な根拠としているのは会津説者くらいなもので、 他説者は重要視していない。 詳しい反論をどこかで読んだ記憶がある。 その印象では、これは龍馬暗殺とは何の関係もない。 これを龍馬暗殺と関連付けるのは、妄想に過ぎない。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 01:09:01.30 ID:liAdSncL0
反論できないから罵倒、そのようなあなたの姿勢が嫌われる原因なのです。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 08:49:49.48 ID:EPeDbd790
終ひには 個人攻撃に走る 容保説
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 09:07:32.04 ID:EPeDbd790
大体、私はいつも比較的冷静な投稿をしている。
2chには汚い言葉が溢れているが、私はそのような言葉を使ったことはない。
ただ川柳でちょっと容保説をからかっているだけである。
ところが
>>285 の男などはひどく私を嫌っているようである。
容保説に反対する者は、この男にとっては非国民のように見えるようである。
もはや一種のファシズム、狂気としか言いようがない。
文章を見ると、ですます体で折り目正しい文章を書いているのだが、
そのような男がなぜこれほど強硬に容保説を主張しようとするのかが解せないのである。
薩長土肥の出身者なので会津が嫌い、という単純な理由なら話は分かるのだが。
それとも小さい頃から会津を憎めと教育されてきたのだろうか。
とにかく不可解である。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 13:59:45.04 ID:liAdSncL0
嘘をついては人を貶め、松平容保への不当な弁護を続けていますが、 あなたは人を貶めることでしか松平容保が救われないと思っているらしい。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 14:11:17.32 ID:liAdSncL0
手代木がまた余計な証言を、と容保熱愛の人は思っているのでしょうが、 これを覆す論理もなく、あなたは単に罵倒で誤魔化すだけ。 松平容保が坂本龍馬暗殺の犯人であるということは、もはや覆せないと思います。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 17:15:55.19 ID:eWBXRfzW0
永井ガーと容保ガーは同属嫌悪ぜよ。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 18:27:42.87 ID:gI4yckZB0
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 18:35:03.66 ID:o36oBf240
私は別に永井説には拘っていない。土佐藩説も十分あり得ると思っている。
中島の本が出て、これはかなり有力説だと思ったし、
永井についても大概のことは調べたから、龍馬暗殺については研究を止めたのだ。
ところが容保説者はそうではないようだ。容保説から他説に変更した男はいるのか?
どうもいないような気がするのだ。その辺が容保説者の異常なところだ。
>>288-289 もあいかわらず私への個人攻撃に走っている。
ですます体だから、真面目な男だと思うのだが、容保説を認めない者は許せないようだ。
一種の狂気である。秋葉原で連続殺人を犯した例の真面目な青年を連想させるのだ。
こういう、真面目で一途に思い込む男がアブナイのである。
容保が黒幕だと確定しているわけではないのに、この男は絶対確実だと思い込んでいる。
それで私が嘘をついているなどと誹謗するのである。
この男にとっては容保説以外は全部嘘なのである。
そんなことでは容保説以外は書き込んではいけないことになる。
これが狂気、ファシズムでなくて何であろうか。
参考資料を尋ねたあちこちのブログで怒られたり突っ込まれ放題だった中島がなんだって?
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 18:59:06.24 ID:o36oBf240
>>288-289 の男は、以前私が容保先生と名付けた男とは別人だと思うが、
容保先生とよく似たタイプである。
ただ容保先生はこれほどしつこく私への人格攻撃はしなかった。
常に持論を長々と述べて反論してきて、私は正直のところ容保先生と話すのが好きだったのだ。
ところが上の男は一方的に私の人格攻撃に走るだけである。
ですます体だから、それほど反感を抱いているわけではないが、
人格攻撃だけを書き込むのは、いいかげん止めてもらいたい。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 20:27:19.59 ID:JpwfH3qGO
人格攻撃をやったら仕返しされても文句は言えない。 松平容保を愛しているのは勝手だが君の行動は悪事が過ぎる。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 21:00:53.92 ID:byQ+xAZf0
坂本はバリバリ勤王思想 実行犯は見廻組 坂本は寺田屋で幕府役人射殺経験あり 標的は坂本で中岡は巻き添え 中岡は息があり知らない奴にやられたと証言。 岩倉の手紙から当時勤王派と佐幕派の状況は一食触発に近い これから見たらどう見ても旧幕府側佐幕派の可能性が高い
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 21:12:17.14 ID:At0mnAMB0
>坂本はバリバリ勤王思想 >実行犯は見廻組 どちらにも種々の異論がある。 坂本は倒幕思想という説もあるし、 実行犯は土佐藩説、新選組説もある。 おまけに坂本を殺しても何にもならないのである。 実際、坂本暗殺後も、土佐藩の姿勢も幕府の姿勢も全然変化はない。 動機という観点から見れば、土佐藩説が最も有力である。 谷があれほど今井を否定したのは、おそらく、谷は土佐藩の犯行であることを知っていたからである。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 21:23:54.40 ID:At0mnAMB0
そもそも暗殺などというものは下級の藩士同士が行うもので、 藩主が命じたりするものではない。 藩主は切腹を命じる権力があるのだから、暗殺を命じる必要はないのである。 まして他藩の藩士の暗殺を藩主が命じるなどということはありえない。 幕府が諸藩の藩士の暗殺を命じるということもありえない。 そんなことをしたら法治国家が崩れる。 処罰したい人間がいたら、捕縛して処刑すればよいのである。 以上の理由から、容保説も見廻組犯行説も否定されるのである、常識的には。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 21:37:23.02 ID:8zBHBgEZO
↑生粋の馬鹿
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 21:38:55.88 ID:byQ+xAZf0
坂本の勤王思想は明白だろ 土佐勤王党に国許で一番に入り、長州の久坂に会い一藩勤王が上手く行かないと伏見義挙に加わる為脱藩 一藩勤王を成し遂げた勤王党と、別行動取りながら協力しあっている 手紙でも朝廷は父母より大事、長州攘夷実行を擁護周旋し、幕府の役人売国奴を打ち殺し日本を洗濯すると書いてる 薩長同盟に関わり勤王派長州に武器を売り、寝返った土佐藩を勤王側に引き入れ武器を売り、薩長土の武力で大政奉還を迫らせた 幕府が大政奉還しないなら、耶蘇教を先導しても倒す言うテル
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 21:47:01.44 ID:At0mnAMB0
>>299 おい、お前、どこが馬鹿なのか書いてみろ。
それとも長文は書けないのか。
お前のような奴を2chのクズというのだ。
容保先生だって、
>>295 の男だって、お前のようなレスは書かない。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:01:06.43 ID:At0mnAMB0
そもそも勤王思想という言葉がいけない。 物事の本質を分らなくさせる。 討幕か、佐幕か、問題はそこだ。 坂本は通説では平和主義で、徳川家の温存も考えていたとされる。 その一方で、実際は徳川家を武力で倒そうと考えていたという説もある。 どちらを採用するかで、推理も異なってくる。 前者なら、坂本を殺す必要はないのである。 ところが容保説者は、徳川家が温存されても会津は締め出されるから暗殺したのだという。 しかし暗殺したところで会津は除外されるのである。 だから暗殺しても無意味である。 では暗殺すれば大政奉還が覆ると思って暗殺したのだろうか。 どうも当時の情勢や龍馬の身分を考えると、そんなことはありそうもないのである。 ゆえに容保説は弱いのである。容保説者が考えているほど絶対ではないのである。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:14:20.85 ID:8zBHBgEZO
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:18:53.64 ID:At0mnAMB0
仮に、坂本が武力で討幕を計画していることが分かったから、 あるいは、とにかく薩長の間を周旋しているけしからん奴だから、 という理由で暗殺したのだとしよう。 しかしその場合も、暗殺する必要はないのである。 捕まえて牢屋にぶち込んでおけば済むことである。 だから暗殺の動機としては弱いのである。 むしろ土佐藩の内部対立説の方が理がある。 あるいは嘗て龍馬を殺せと命じた事実がある永井がやらせた、かである。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:22:20.02 ID:At0mnAMB0
>>303 何も書けないド低能チンピラは出て来なくてよろしい。
中学生は早く寝なさい。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:25:10.07 ID:byQ+xAZf0
坂本が平和主義者なんてないし、徳川家も温存され容保さえ助かってる 武力倒幕が出てきたのは、四侯会議の失敗があるからだ 結局幕府は議論では言う事聞かないと武力の必要性が認識された 坂本にしても大政奉還には武力が必要で、否定の場合は武力倒幕を可としてる 武力倒幕派にしても大政奉還を可として否定してるわけでない 武力倒幕派の中岡にしても早く大政奉還の必要性を説き、できないと見ると武力決起の必要性を説き、 しかし大義公論ありと大政奉還建白運動は認めている 薩摩にしても大政奉還に関わったのは小松であり、討幕の密勅に関わったのは小松である
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:30:47.17 ID:liAdSncL0
容保厨は、論理で追い詰められると「容保サマは高潔なのである、これを信じない人間はいないのである。」 だからねえ。容保サマは犯人じゃないという意見も全て感情論だし。 容保サマ愛護のこの人とは議論が成立しません。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:33:30.06 ID:liAdSncL0
会津藩の外交長官だった手代木が、暗殺は見廻組の佐々木と書き残し、 命令は某諸侯と書いているのだから、松平容保が犯人という事実から逃げようとしても、もう手遅れということ。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:36:38.24 ID:liAdSncL0
>>304 大政奉還を進めていた坂本龍馬を殺害することは、
同じく大政奉還を進めていた徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志への反逆です。
この時期大政奉還に反対していたといえば、松平容保を筆頭とする会津藩などです。
会津藩の松平容保が犯行の命令を下したことは、もう覆せないんですよ。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 22:42:26.44 ID:At0mnAMB0
四侯会議が失敗したから大政奉還案と武力討幕案が出てきたという説か? で、大政奉還でコ川家が温存されても良いと、雄藩や龍馬が考えていたかどうか、だ。 それは見せかけで、あくまで徳川家は除外するつもりだったかどうか、だ。 仮にそうだとして、それを会津が見破っていたとしても、龍馬を殺す必要はないのである。 捕まえて牢屋にぶち込んでおけばよい。それに、龍馬を殺したところでどうにもならないのである。 龍馬を殺したところで、薩長の討幕の方針が変化するはずはないのである。
谷が土佐藩の犯行であることを知っていたと仮定すると、以下のことは 少々筋が通らない。 ◎なぜ「コナクソ」の話をしたのか?原田左之助のせいにする為の方便だと しても、同時に土佐の内ゲバを連想させるではないか。 谷だけが「コナクソ」の話していると言われている。 ◎今井が真相を知っている可能性もある。あのように講演で今井を刺激したら 「実は土佐藩が絡んでいたのです。」と暴露するかもしれないではないか。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 23:00:30.13 ID:At0mnAMB0
>>307-309 君らの単純さには呆れる。理論の深化というものがまったくない。
君らには何を話しても無駄たということが嫌というほど分った。
龍馬を殺しても何にもならないのである。
大政奉還が覆る見込みはないのである。
龍馬を殺せば大政奉還が覆るというほど龍馬は政局を左右できる大人物ではないのである。
結局君らは容保は龍馬が憎くて、腹いせで暗殺したと言っているに等しいのである。
おまけに今井弟の手紙も完全無視しているし、
土佐藩説の有力な証拠もいろいろあるのに、それらをまったく無視しているのである。
私は何も容保様を愛護しているのではないのである。
なぜ君らはそんなに感情的になっているのか。
またなぜそこまで容保説に拘泥するのか。
なぜそんなに会津が嫌いなのか。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 23:08:46.74 ID:At0mnAMB0
>>311 谷は土佐藩の犯行であることを匂わせている。
谷の講演を最初から読めば分かる。
詳しいことは鏡川伊一郎のブログに書いてある。
今井は土佐藩に命を助けてもらったのだから、死んでも言えない。
今井は、見廻組がやったことにして、処刑を逃れたのかもしれないのである。
板垣?か誰かが内ゲバでやられそうになった云々のことか?・・・ つまり「コナクソ」は事実だというわけだね。 例の福岡孝悌の「言ったらイカンことになっている。」も事実なのか? あの話は子孫の動物学者?がTVで言ったらしいけど、あまり有名では ないね。親戚から怒られて、その後は言わなくなったのだろうか・・
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/15(月) 23:54:34.50 ID:jWFBDc4j0
ここの何人かは、土佐観光の者。 土佐藩の礼賛が目的、郷土の英雄を語るためのスレ。 土佐の宣伝のスレなのだ。龍馬の宣伝のスレ。 土佐藩説以外で、スレを盛り上げれば良い奴らだ。 土佐観光は土佐藩の上部が郷士の中岡や龍馬を除いたことを 何としても表面にだしたくなくて潰したい。 これだけは執拗に個人攻撃してるのはそのため。 容保説で話題を提供し、土佐藩説以外の永井説などは適当に あしらってスレを盛り上げ、土佐観光の宣伝にしているのだよ。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 00:24:23.97 ID:Ep3W9Y050
ははは 松平容保周辺の関係者が、犯人である事をごまかしたいだけだよ。 だから誰彼構わず指名しては、別の人間が犯人だとでっち上げようとする。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 12:33:20.36 ID:5/fVDyJB0
泣く子と容保説には勝てぬ
318 :
諸橋 嘉久 :2012/10/16(火) 13:20:18.82 ID:C+dB/Ab40
>龍馬を殺しても何にもならないのである。 >大政奉還が覆る見込みはないのである。 我自身に尋ねたところ、 トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)は日本の長期間に渡る大規模の内乱に乗じて、 アームストロング砲とスナイドル銃を薩長を中核とする西南諸藩に売り、 薩長を中核とする西南諸藩が徳川幕府に負けない程度に、 徳川幕府にもアームストロング砲とスナイドル銃を売る予定だった。 湿度の高い日本では、フランスのシャスポー銃は殆ど役に立たないからだ。 トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)のメッセンジャーボーイだった坂本龍馬が徳川慶喜に大政奉還させたので、 日本の長期間に渡る大規模の内乱は起きなくなり、 トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)はアームストロング砲とスナイドル銃で儲け損なった。 メッセンジャーボーイだった坂本龍馬に裏切られたトーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)は、 イギリス系フリーメーソンの手先の小松帯刀に坂本龍馬の暗殺を命令した。 小松帯刀は配下のプロフェッショナルの暗殺者の岩村精一郎に坂本龍馬の暗殺を命令した。 小松帯刀が土佐藩上層部にトーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)の意向を伝え、 岩村精一郎に5名の陸援隊士を与えた。 坂本龍馬に討幕を説得しに行った中岡慎太郎は、坂本龍馬に懐柔されてしまった。 岩村精一郎に率いられた陸援隊士たちは、坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺した。
川柳にすれば誹謗もよし、などという思考に正気かと思う。
>岩村精一郎に率いられた陸援隊士たちは、坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺した。 中岡は知らない奴にやられたと言ってるらしいが、 中岡に顔を知られていない隊士なんているの?
321 :
諸橋 嘉久 :2012/10/16(火) 14:04:28.61 ID:C+dB/Ab40
中岡が事件後かつぎ込まれたのは薩摩藩邸。 そこで2日間生き、周囲の壮士達に「新撰組にやられた、仇をとれ」と言い残して死んだ。 新撰組なのかは知ったことじゃないが、暗殺者が顔見知りではないことは確かなのさ。 面会者が谷一人だと思い込む辺りがご都合主義者だね。
323 :
諸橋 嘉久 :2012/10/16(火) 16:30:51.42 ID:C+dB/Ab40
谷干城よりも出世していない者は、 谷干城に口止めされる。 口外したら、一族郎党まで殺されるか、 失脚させられて、身売りか乞食に成るのが落ちだ。 谷干城よりも出世していた、明治時代に谷干城よりも出世した者でも、 フリーメーソンの報復の恐ろしさは、知っている筈だ。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 16:51:45.18 ID:Ep3W9Y050
ちなみに、この際面会した壮士の中には、 後の明治新政府とそりが合わず一生在野だった人々もいます。 中岡慎太郎は、顔を知らない人間に殺されたわけです。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 17:31:49.30 ID:7KWIkb050
>中岡が事件後かつぎ込まれたのは薩摩藩邸。 >そこで2日間生き、周囲の壮士達に「新撰組にやられた、仇をとれ」と言い残して死んだ。 こんな話は聞いたことがない。どこにこんな資料があるのか。 事件の翌朝に近江屋を訪ねた某(名前忘れた)の記録によれば、 龍馬も中岡もほったらかしにされていた。 谷の講演の話とは随分様子が違うのである。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 18:33:38.75 ID:Ep3W9Y050
川柳馬鹿は基礎資料も集めず、会津に都合の良い小説ばかりを集めているから馬鹿にされるのです。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 18:41:36.13 ID:Ep3W9Y050
谷は想像があったにせよ、中岡が暗殺実行者に一切顔見知りを見ていない点を
>>325 は誤魔化している。不正行為も甚だしい。
土佐藩士が襲った? 馬鹿なことを語るより前に己が臍を噛んで死ぬべきであろう。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 18:49:53.54 ID:Ep3W9Y050
>>325 上の川柳馬鹿同様の狂人が、中岡が自分の部下に殺されたのだと主張している点についてはどう思いますか。
中岡が事件後も証言を残しているのに。
土佐藩にいらぬ嫌疑をかけようと、あなたは再三にわたって根拠の無い噂話を貼っていますが、
それとこの人間の所業は全く同列に思います。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:02:39.22 ID:7KWIkb050
雀の子 そこのけそこのけ 容保説が通る
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:04:50.35 ID:Ep3W9Y050
坂本龍馬暗殺事件に関し、松平容保に対しては濃厚な状況証拠が存在するが、 それについては感情論で「そんな人じゃないのである。」と言い捨てる。しかも証拠はなくますます怪しい。 その上に他の嫌疑に関しては、根拠の無い噂話をこれでもかと持ち出し、 「松平容保様じゃないのである。」と主張する。これにも根拠がない。 川柳馬鹿の発言は、読むだけ損の誘導発言だけじゃないか。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:09:03.06 ID:PU9PRpUXO
以下、無限ル―プ
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:10:31.93 ID:Ep3W9Y050
谷干城の明治39年講演現代訳 石川の判断では、『これはどうも人をさんざん斬っておる新選組の者だろう』(中略) まず新選組と鑑定をつけたものでありますから、 この方の手がかりを探さなければならないというもので(中略) 甲子太郎が18日夜殺された。 そこで彼の斬り残されの者らは、もともと新選組に入っておったものであるからして刀に見覚えがあろうというので、 わたしと毛利と、それから彼の薩摩の中村半次郎と三人で伏見の薩摩屋敷へ行って、彼の甲子太郎の一類の者に会うて、その刀を見せたところが、 この二、三人が評議してみて、これは原田左之助の刀と思うと(中略) 言い出した
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:18:12.15 ID:Ep3W9Y050
石川=中岡慎太郎が新撰組の犯行と言った、と史料(谷干城の明治39年講演)にありますね。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:24:13.32 ID:t3KqExAj0
容保説を唱える人、何をそんなにビビって懸命に土佐藩説を否定するの。 おかしいよ。見え見えの誰かの手先。 容保説の根拠は手代木直衛門の資料価値も怪しい伝記だろ。 それも記者が「某諸侯」と聞いたというだけの根拠。 後は、幕府側の佐々木が実行犯だからだけで一点バリ。 まともに資料も読んでないくせに、高知の宣伝マン。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:25:48.54 ID:Ep3W9Y050
嘘がばれると誹謗中傷と個人攻撃。しかもまた根拠なし。 松平容保を愛する人の行動はこればかり。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:42:40.71 ID:Ep3W9Y050
中岡慎太郎の証言は、類推の結果暗殺犯を新撰組と判断したものであり、 彼の死の間際のこの判断が正しかったかはともあれ、顔見知りを暗殺実行犯の中に見なかったことを意味する。 実行犯に土佐だか薩摩だか長州だか知り合いの関係者を当てはめる事は不可能なんだよ。 だから卑怯の代名詞ともいえる半藤一利すら、もしかしたら黒幕に討幕派がいたかも、と煽ることしか出来なかった。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 19:47:43.28 ID:7KWIkb050
容保説 問答無用 斬捨て御免
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 20:09:01.68 ID:Ep3W9Y050
反論できずに中傷を行う川柳馬鹿は、もはや自らが何を主張しているかも忘れてしまったらしい。 土佐説ならどんなに矛盾があっても持上げようとするあなたの姿勢は、卑怯そのものですよ。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 21:17:08.62 ID:5ZG1ngXx0
私は土佐説ではないぞ。私は永井説だ。 永井も某諸侯だぞ。土佐藩重役の日記に永井候と書かれている。 永井は近藤とも親近だった。 原市之進が暗殺された後、次の目付に近藤の名が上がった。 公家の某(名前忘れた。有名な公家。)が、 永井に頼めばうまくやってくれるだろうとアドバイスしている。 後藤が永井に大政奉還について説明したときも近藤が傍らにいた。 永井の屋敷は見廻り組屋敷の隣で、向いは佐々木の下宿だった。 龍馬暗殺についても永井が疑われた。 油小路事件の後も永井が黒幕だという噂が立った。 伊藤が、永井が黒幕であることを知っていたとしたら、 そのために伊藤が殺された可能性がある。 中根雪江が永井と話していたとき、徳川家領地返還の話が出ると、 突然永井が怒り出した。領地返還となると幕臣は路頭に迷うのである。 容保などはその心配はまったくないのである。 寺田屋事件のとき、某大目付が、坂本は悪い奴ではないが殺せと命じたと龍馬の手紙にある。 当時の大目付は永井である。 他にもいろいろと永井が怪しい点を私は過去に挙げてきた。 ノートもメモも取っていないので、私の説は過去スレを見てもらうしかない。 で、私がこれほど熱心に真面目に書いてきても、容保説者からは一蹴されるのである。 だから私もあほらしくなって、川柳で容保説者を揶揄しているのである。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 21:30:41.82 ID:Apaljk0c0
谷は当時土佐は一致で事に当たろうとしてて、龍馬中岡を殺そうとするの居ない言うてるね。 天下の為にも土佐の為にもせめて鳥羽伏見までは片方でも生きてればと惜しんでるくらいだ。 見廻組がやってるのに何で土佐だの他藩にそんな指揮権があるのか。 大体谷なんて会津の山川仕官させたり西南戦争で熊本守りきったり、不平等条約で政府叩いたり民権叩いたり。 一人一党自認した典型的硬骨漢だろ。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 21:51:18.02 ID:t3KqExAj0
>谷は当時土佐は一致で事に当たろうとしてて、龍馬中岡を殺そうとするの居ない言うてるne. これは逆だろう。谷は土佐には中岡が殺された時期、土佐は佐幕派など三派に分かれて、 板垣退助も暗殺されようとしたと語ってる。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 21:56:59.17 ID:Ep3W9Y050
>>339 はいはい、
>>243 を復唱しましょうね。
あなたは松平容保の不利な点を完全にスルーする。
松平容保は大政奉還に強硬に反対し、大政奉還を進めようとする徳川慶喜らにも反抗していたが、
自らの中央政界における地位には激しく執着していた。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 22:08:14.59 ID:Ep3W9Y050
>>341 実行犯であることがほぼ間違いないとされる見廻組と、土佐藩や討幕派が繋がらないんですよ。
この瞬間だけ同盟だったのである、とか言う人もいますが、
それでは、暗殺事件以前及びその後で、両者の関係が完全に敵対していることと矛盾します。
今井など、暗殺事件の時点では平隊員だったのが戊辰戦争で死線を潜り抜け、箱館では諸隊副隊長です。
昔の弱みがあったのだから西郷が助命に便宜を図ったのである、とか言う人がいますがナンセンス。
弱みを持つ人間が手中にいるなら、それこそ処刑したほうが良い。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 22:15:35.23 ID:Apaljk0c0
上士下士の間を調和し挙国一致でなければならぬ考から、非常な尽力をし遂に成就し守旧派の一種を除く外は上士下士打混じて国に尽すと纒つた。 坂本、中岡両人の力である。 両人が一時に殺害に遭ったのは天下の為に不幸でありますが、最も土佐の為には非常な不幸。 せめて伏見の戦時分迄生きて呉れると土佐に於ては尤好都合であつたが、半途に斃れたハ、誠に遺憾至極。 二派が手を結んだが特別思想のない守旧派だけ反発し、 京でもなにやら姦を働くかもしれんから気をつけろってだけだろ。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 22:20:58.24 ID:t3KqExAj0
>343 良く資料を読みなさいよ。薩摩だって佐幕派がいて西郷や大久保を殺そうとしたという資料がある。 土佐藩の佐幕派が、過激な中岡を暗殺したのだということを言ってる。 鳥羽伏見の後は、土佐の佐幕派も寝返ったのだよ倒幕派に。 もっと、発言前に、良く調べな。谷の言ったことも間違うようでは、 話は出来ぬよ。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 22:44:19.91 ID:Ep3W9Y050
>>345 それが成立しないのは
>>343 で説明されています。
一旦同盟を結んだなら結んだ双方に負い目が生じるのですよ。その時だけとはいきません。
あなたは資料を読んでいないし解釈も間違っている。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 22:58:14.61 ID:Ks4wS4/N0
【6:42】【ネット】「2ちゃんまとめで、韓国中国の酷い真実知った」 スイーツ女子が右傾化…「ネトウヨじゃない。日本人として当然の行動」★3
beチェック
1 名前:ベガスρ ★ 2012/10/16(火) 22:46:10.53 ID:???0
”流行やブランドを好む“スイーツ系女子”右傾化の何故?”
“右翼”といえば黒塗りの街宣車に日の丸を掲げた男性というイメージがあるが、
最近、若い女性の間でも右寄りの思想に傾倒する女子が急増している。
「K-POPや韓流ドラマは絶対視ない!」、
「韓国は国ぐるみで間違った歴史を教えて、日本を悪者に仕立てている。許せない!」、
「尖閣諸島や竹島は絶対に日本のもの!」、「中韓とは断固国交断絶!」
「広告代理店やマスコミが朝鮮人と結託して、日本人に親日的な感情を植え付けようとしてる!」
……などと語気が荒く語る女性が少なからず存在するのだ。
しかも、彼女たちはいわゆる”普通の女子”。流行やブランド品を好む、
“スイーツ系女子”の相田多喜子さん(仮名・33歳・会社員)はこう話す。
「韓国製のコスメや食品はもちろん、韓国と業務提携、協賛している日本企業の製品も
購入しないようになった」
日刊SPA 2012.10.16
http://nikkan-spa.jp/312054 画像
ある日の街宣活動中の保守系女性団体。見た目も
特に思想ゴリゴリといった感じではなく、ごく普通の女性が多い
http://nikkan-spa.jp/wp-content/uploads/2012/10/sayokujoshi121016.jpg ★1 2012/10/16(火) 16:58:26.47
前スレ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1350374306/ 続きます…
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:15:59.11 ID:Ep3W9Y050
ああ、抗弁が続かなくなって逃げたか
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:21:25.99 ID:5ZG1ngXx0
>二派が手を結んだが特別思想のない守旧派だけ反発し、 >京でもなにやら姦を働くかもしれんから気をつけろってだけだろ。 だからその守旧派の仕業だと中島は言っているわけで、 ちゃんと筋が通っているではないか。
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:31:43.34 ID:5ZG1ngXx0
永井にも、暗殺したい理由はちゃんとあるのである。 コ川家の領地返還は幕臣にとっては死活問題なのである。 容保などは会津に帰ればちゃんと食っていけるのだ。 今井がやったという話を聞いたとき、 松平勘太郎は私の処には報告が上がっていないと不審がったし、 勝は榎本対馬が命令したのかと疑った。 見廻り組の犯行と聞いても容保のことは全然念頭に浮かばなかったのである。 それは見廻り組は容保の配下というのは形式だけ名目だけだったことを示している。 とにかく容保説者はこれらのことを完全無視しようとするのである。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:34:05.33 ID:Ep3W9Y050
あいにく、京都の土佐藩邸は、 山内容堂・後藤象二郎ら公武合体派と、下級武士ら尊王攘夷派で占められておりまして、 あなたの探す佐幕派は、土佐藩内に留め置かれたままなんです。 土佐藩に帰郷した時に襲われたのならともかく、京都で土佐藩内佐幕派に遭う可能性はない。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:35:58.36 ID:Ep3W9Y050
>>350 はいはい、もう一度
>>243 を復唱しましょうね。
松平容保に動機が無いなんて冗談は、繰り返さば繰り返すほど恥を晒します。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:53:42.10 ID:5ZG1ngXx0
>松平容保に動機が無い こんなことは私は何処にも書いていないのだが、 容保説者というのはわざとこういうことを書くのである。 そして誰が何を書いても、こうして一言の下に冷笑するのである。 永井、佐々木、近藤、これらは自分の代で幕臣に取り立てられた連中である。 彼らは利害関係で完全に一致しているのである。 容保が大政奉還に大反対だったという史料も、容保説者が説くほど多くは無い。 それどころか藩論は一致していないのである。 後藤が会津に大政奉還の説明を行ったときも、会津は藩会議を開いているが、 結論は出なかったのである。 容保説者はこういうことも完全無視している。 とにかく何から何まで完全無視しようとするのである。 こちらが真面目に書けば書くほど冷笑されるのだから、 終いには何も書けなくなってしまう。 まあ彼らはそれを狙っているのだろうが。 要するに何かの目的があってここに常駐しているのだとしか思えない。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/16(火) 23:59:52.62 ID:5ZG1ngXx0
>>348 >>352 容保先生はこんな書き込みはしなかったなあ。
彼はいつも真面目に反論してきた。
上の連中は2chによくいるようなチンピラではないかもしれないが、
誠実さがない。人を舐めたような文を書いている。
他人を冷笑するのが得意な人間である。
諸橋某などにはもっと人間的な暖かみを感じるのだ。
容保説者にはそういう感じがない。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 00:04:07.74 ID:jvOeR96T0
感情で松平容保様はやってないと主張しても、笑われるだけですよ。
官軍も今井の取り調べに際し元京都見廻役の小笠原弥八郎に質問してるし、 勝や松平勘太郎も佐々木に命令した人物がいるとすれば幕閣の者と考えている。 命令系列の第一候補は会津侯ではない。これはニワカ歴史マニアが見ても 明らかだ。
個人的には会津好きとそうじゃない人の罵り合うのが一番切なく感じる 自分の好きな藩を、龍馬と言う人気者の殺害者と認めたく無くて そこまで争うのもどうかと思うし、逆にその藩を追い詰めるのもどうかと思う 事実最早誰が殺したが不明な訳だから。 強いて言うならば、これほど「お、おれが好きな藩は殺してないよ!」と 押し付け合うほど人気ある龍馬が凄いとしか言いようがない。 武市半平太を殺したのは容堂だ!とか責める人も少ないし いや違う!と言い訳する人も少ない事が切ない。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 08:56:32.33 ID:zbeNTtiwO
会津小説家が嘘っぱちで弁護するからね。 証拠を集める限りでは、松平容保を主犯と考えるより仕方がない。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 09:36:27.62 ID:ji1RS47v0
容保説者の嘘 実行犯は見廻り組 ←100%確実ではない。 見廻組は容保の配下 ←そうではない実例多々あり。 幕閣などからの命令は御指図と称していたと今井自ら語っている。 つまりそれまでにも幕閣などの命令で動いたことがあったということである。 容保は大政奉還を憎んでいた。←これにも様々な異論が提出されている。 容保は中央政界に執着していた。←同上。 また仮に容保が大政奉還を憎み、中央政界に執着していたとしても、 龍馬を殺しても何にもならないのである。 龍馬を殺せば大政奉還が覆るのか? 龍馬を殺せば会津は中央政界に生き残れるのか? そういう理屈が通らないから、容保先生などは、容保は、 慶喜を困らせてやろうと思って土佐藩士を暗殺したなどと珍説を語っていた。 つまり強硬な容保説者の容保先生でさえ、結局、 龍馬暗殺は腹いせ、嫌がらせでやった、という結論にしか至らなかったのである。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 09:41:38.29 ID:jvOeR96T0
>>359 信じたくないことへは「100パーセントじゃない!」←限りなく確実な事物
主張したいことへは「もしかしたら、こういうことも考えられはしないか」←妄想
その上嘘まで唱える。
腹癒せ説は ID:ji1RS47v0が盛んに唱えていること。他人に罪を被せてはいけない。
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 09:48:26.61 ID:ji1RS47v0
容保説者がいつも判で押したように同じことを言うから、 私も同じことを言うことにしたのである。 龍馬を殺しても大政奉還は覆らない。 龍馬を殺しても会津は中央政界に生き残れない。 ゆえに容保には龍馬を殺す理由がないのである。 今後容保説者が何を書いてきても、私はこのことをしつこく書いてやろうと思っている。
362 :
諸橋 嘉久 :2012/10/17(水) 09:58:57.47 ID:OL4eURe50
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 12:51:58.33 ID:O07iZVHk0
↑ そうだそうだ、パチパチ(拍手)
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 17:36:58.35 ID:zbeNTtiwO
>>361 つまり今後も嘘だけをかく、とあなたは宣言しました。
歴史への冒涜ですね。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 19:01:56.52 ID:jvOeR96T0
大体、その「容保様には殺す利益がありませーん」話は、 歴史的に既に定説となっている会津・桑名・彦根・紀伊・江戸幕臣らによる大政再委任論を 無視しているだけだから、歴史を語る上では異端も甚だしい。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 19:04:50.62 ID:Ih/3mqkm0
龍馬を殺しても大政奉還は覆らない。 龍馬を殺しても会津は中央政界に生き残れない。 ゆえに容保には龍馬を殺す理由はない。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 19:18:10.84 ID:jvOeR96T0
そういってまた根拠の無い説を喋る。 松平容保を擁護したいのなら、もっと根拠のある話をしなさい。 川柳で嘘をつき、またここで嘘をつく。 松平容保を支えると言うことは嘘まみれになるということなのか。 思えば手代木直右衛門も、自分の弟が坂本龍馬を殺したと証言しておきながら、 その命令者が上層部の某諸侯とまでは言ったが、松平容保と名指しは出来なかった。 嘘つきを上司に抱えるとは、悲惨の一語に尽きる。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 19:22:51.29 ID:Ih/3mqkm0
容保説 他説はみんな 嘘つきだ
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 20:45:58.67 ID:By3lPl6v0
今井がわざわざ晩年懺悔したいと 命令を出した上司や同志は伏せ、幕府の為にやった言ってるのに
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 20:52:12.34 ID:wSxVfYvY0
容保説 上司とは容保だ 絶対だ
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/17(水) 21:23:20.90 ID:HWr+HJbYO
オバサンの口喧嘩かよw
既に多くの史料から明らかな、旧幕府側の大政奉還撤回論、大政再委任論をスルーしないと、 「容保サマには暗殺する理由も利益もなーい」話が出来ないんだよね。 史実否定から始まるのだから、川柳馬鹿は可哀相だと思う。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 17:29:02.51 ID:iKf6MBl/0
龍馬を殺しても大政奉還は覆らない。 龍馬を殺しても会津は中央政界に生き残れない。 ゆえに容保には龍馬を殺す理由はない。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:03:00.22 ID:8n5XvTa60
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:12:57.32 ID:8n5XvTa60
史実否定しかしない容保サマーはほっといて、
>>275 の手代木書簡に話を戻しましょうか。
松平容保による坂本龍馬暗殺事件の翌日、手代木直右衛門は彦根藩といち早く接触し、
坂本龍馬暗殺事件に関し、何らかの口裏あわせを行おうとしている。
この時期は、中岡慎太郎らが死の淵で暗殺は新撰組の犯行と推定し、維新続行と報復を求めていた頃であり、
薩摩らが更に高台寺党などの証言からまとめ、土佐藩も採用した新撰組犯行説より前の行動となる。
松平容保は、当時同じく大政奉還撤回を要求していた彦根藩と協議し、坂本龍馬暗殺について何らかの合意を得ようとしていた。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:20:39.66 ID:iKf6MBl/0
都合の良い 妄想を書く 容保説
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:24:06.17 ID:8n5XvTa60
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:26:52.99 ID:BEI5BEgrO
ジジイの口喧嘩
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:31:12.08 ID:iKf6MBl/0
では旧幕府側の大政奉還撤回論、大政再委任論の全資料を上げて御覧。 君らが主張しているほど多くは無いから。 全部が無理なら、会津藩の史料だけでいいよ。 おそらく出てくるのは手代木の訴えくらいなものだろう。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:58:18.29 ID:8n5XvTa60
>>380 全、と主張している点であなたの論は不正なのですよ。
幾つも挙げると連投規制に引っかかり、更に足りずに「全じゃないだろ」と卑怯な罵倒を浴びせる。
あなたの論は、他人のまともな説を言わせないようにするだけで、その節がまともである点は意図的に隠蔽しようと試みる。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 18:59:59.65 ID:8n5XvTa60
>>380 あなたはまともな説を嫌悪する。
だから別の説を出せと言う。
とんでもない。あなたが偏食なのは、あなたの考えることが史実に反しているからです。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 19:48:44.37 ID:8n5XvTa60
他人の出した史料は気に入らず、もっと別のを出せ、容保サマを擁護できるものを出せと言い放つ。 そんな人はソースにしたがる徳川慶喜公伝で、 松平容保が自らの中央政界における権力維持にこだわり、松平定敬に苦言を評される場面でも読んでいれば良い。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 19:56:36.30 ID:iKf6MBl/0
>松平定敬に苦言を評される場面
ではそこの原文を上げてもらいたい。
ところで
>>380 への回答が無いのだがw
結局手代木の文書しかないのだろ? 違うか?
君らは幕府が第二次長州征伐でコテンパンにやられた事実を忘れている。
放っておけば幕府は武力で滅ぼされるところだったのだ。
大政奉還とは幕府にとって救いの手、渡りに船の申し出だったのだ。
慶喜がこれを断るはずがないのである。容保もそれを理解していたのである。
容保が強硬に反対したという史料は無い。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 20:44:06.69 ID:8n5XvTa60
そう言って手代木書簡への論評は頑なに拒むのだから、 この容保サマーは見えるものも見ないし、聞こえるものも聞こうとしない。 卑怯の塊よ、お前の拝む松平容保とやらの行動の見苦しさは笑ったほうが早い。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 21:13:16.25 ID:vncUBCsw0
その慶喜公伝に下級藩士は憤激したが、 容保や定敬は大政奉還の意義を理解していた、と書かれているはずだが、 そこは読まないのかw 龍馬を殺せば会津は生き残れるのか? 大政奉還後、会津は帰藩することになっていたが、 新体制ができるまで京の治安が不安だからという理由で、 朝命により京に留まっていただけだ。 龍馬を殺しても何にもならんぞw 分かっているのかw
>>384 永井の暗殺令の全資料を上げて御覧。おそらく出てくるのは今井弟手簡くらいなものだろう。
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 21:16:20.84 ID:vncUBCsw0
>>387 今井弟の手紙があるではないか。
手代木の遺言と違って、ちゃんと永井の命によりと書いてあるぞw
永井ガーは他人の出した史料は気に入らず、もっと別のを出せと言い放つ。
>>390 あいにく私は今井弟の手紙を認めていないんでね
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 21:30:51.52 ID:vncUBCsw0
それなら私だって同じだ。 手代木の文書にある、容保も大政奉還に大反対だ、 という文言は全面的には信用できない。 大体、大政奉還前に会津藩は後藤から説明を受けているのだが、 藩論はまとまらなかったのである。結局、強硬に反対する藩は無かったから、 慶喜は大政奉還を受諾したのである。 その後に、手代木の文書以外に、容保が大政奉還に強く反対したというような史料は、 一切無いのである。
今井弟の手紙があるではないか。ーー永井説 手代木の文書があるではないか。ーー容保説 おまんらは同属嫌悪じゃのう
>>394 今井弟手簡以外に、永井が命令したというような史料は、
一切無いのである。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 21:36:49.67 ID:vncUBCsw0
私は永井説を説いているが、土佐藩説もありうると思っている。 ところが容保説者はそうではない。容保説しか認めない。 そこが容保説者の異常なところだ。 この連中は一種の狂信者である。でなければ、 背後で誰かから金でも貰って書き込んでいるのかもしれない。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 22:21:56.43 ID:ayUWYtuB0
ここは土佐の高知の宣伝スレ。 容保説などは根拠はないが、これを述べて 盛り上げて龍馬の宣伝をしてる。 容保説が出て、スレに書いたら思うつぼ 容保説が出たら、答えないこと。 ここのスレは終わってる
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/18(木) 22:35:26.78 ID:LpaZwufA0
龍馬暗殺 既に定説 陰謀なにもない アルネ
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 02:10:58.27 ID:VPIj6Ucl0
>>389 今井弟の書簡は他の史料と整合性が無いので、偉大な兄を誇るホラ話の一種。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 05:23:46.66 ID:YT0p7zN70
手代木の文書は全面的には信用できない。今井弟手簡は全面的に信用できる。 今井弟手簡しか認めない。 そこが永井ガーの異常なところだ。 永井ガーは一種の狂信者である。でなければ、 背後で誰かから金でも貰って書き込んでいるのかもしれない。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 05:29:20.01 ID:YT0p7zN70
今井弟手簡しか認めない。 ーー永井ガー 手代木の文書しか認めない。 ーー容保ガー おまんらは同属嫌悪じゃのう
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 09:09:18.81 ID:IkMvPmOW0
容保説 その正体は 土佐市役所観光課
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 11:22:29.59 ID:ZY42eMpHO
だいたい、大政奉還反対を唱えた松平容保を犯人にしなくて、誰が犯人なものか。
405 :
諸橋 嘉久 :2012/10/19(金) 11:33:55.84 ID:ni0LBN0S0
手代木勝任の弟は明治政府から大金を渡され、松平容保と松平定敬を坂本龍馬の暗殺の黒幕だと匂わす嘘を書かせたのだ。
406 :
諸橋 嘉久 :2012/10/19(金) 11:41:54.19 ID:ni0LBN0S0
404 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/19(金) 11:22:29.59 ID:ZY42eMpHO だいたい、大政奉還反対を唱えた松平容保を犯人にしなくて、誰が犯人なものか。 貴公の其の理屈から言うと、大政奉還されると最も困る薩摩の討幕派が犯人という事に成る。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 11:50:52.08 ID:DfdzowE50
398など 土佐藩上層部の事を書くと、誰かが消すのだよ。 土佐藩の関連を書いたら、もう、土佐藩説は揺るがないのだが、 管理者になって、必死に妨害、潰しにかかる。 土佐の関係者、お前ら、消えな。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 11:56:10.12 ID:ZY42eMpHO
松平容保防衛? 君に脅迫しか手段がないのなら、なおさら犯人は松平容保と呼ぶしかない。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 12:32:06.79 ID:ajVKv7ap0
吾輩は容保説である。勝ち目はもう無い。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 12:32:30.64 ID:VPIj6Ucl0
論理や史料で松平容保が犯人だと決定的になってきているから、
松平容保の関係者がもみ消しに必死になっている。
>>275 への論評だけはしたくないらしい。
会津藩外交トップの手代木直右衛門は坂本龍馬暗殺事件の翌日、
同じく大政再委任論を掲げていた彦根藩に緊急協議を申し込んでいる。
この時点では中岡慎太郎がまだ生存しており、尊王攘夷派による坂本・中岡暗殺犯探しも緒に付いたばかりの頃だ。
手代木直右衛門は松平容保の命令した坂本暗殺事件について、犯人追求に先んじて何らかの口裏あわせを行う必要があった。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 12:41:07.77 ID:ajVKv7ap0
その書状 慶応三年の 証拠なし 容保説 証拠を出した 例なし
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 12:46:07.99 ID:ajVKv7ap0
容保説 手代木だけが 頼りなり
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 12:51:32.51 ID:VPIj6Ucl0
論評は松平容保支持者には出来ない、ということ。 致命的だからね。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 12:57:37.44 ID:ajVKv7ap0
容保説 証拠も出さずに 妄想書き
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 13:47:55.43 ID:VPIj6Ucl0
見えるものを見ず、聞こえるものも聞かないことでしか松平容保が無罪という強弁は続けられないわけで、 松平容保を犯人とする以外、この事件に関する結論は出ないと思うのだよ。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 17:20:06.11 ID:OQRsaeF00
見えるものを見ず 聞こえるものも聞かない 容保説
前スレなんか十一ヶ月かかってようやく消化したのに今スレは一ヶ月で400越えか。 でも内容は相変わらずの水掛け論だねw 嘘でもいいから胸がときめくような新説はないかねぇ。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 18:26:21.92 ID:YT0p7zN70
才谷をころすっちゅーがはわかるが石川や藤吉まで殺るっちゅーがは 大公儀にしては乱暴すぎるぜよ。佐々木が清川を殺ったように才谷だけを 殺れんかったもんかのう?
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 18:30:26.22 ID:OQRsaeF00
だから、実行犯は土佐藩と考えた方が理に適ってるな。 幕府側が黒幕なら、永井だな。 この男なら、邪魔な奴は全部斬っても構わん、と言いそうな気がする。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 19:29:40.96 ID:DfdzowE50
中岡慎太郎が、簡単に殺されていることが鍵なのだ。 次の日まで彼は生きていたというが、田中や谷は相当、遅れてきて 話を聞いたなどは嘘の可能性が高い。陸援隊を維新後に宣伝するために。 土佐藩邸に運ばれたも史実なし。放置されていたとはあるが。 土佐の郷士の代表の二人があっさり殺されている。おかしいだろう。 土佐藩上層部の佐幕派の仕業である。 田中は郷士、谷は下士。谷や田中に京都土佐藩邸など握れない。 土佐藩邸の寺村や福岡に二人は騙されたのだ。 土佐藩により仕組まれたもの。中島の本を良く読んでみなさい。
けし粒んごたる存在たい。 デモクラチンて知っとるとか?
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 19:42:37.36 ID:OQRsaeF00
確かに私も中島を読んだときは、これは有力な説だと思った。 永井については大体調べたし、中島のも読んで、もう調べることはないと思い、 研究を打ち切ったのだ。 しかし中島の説にも弱点はある。 永井を完全無視していることと、実行犯を見廻組にしていることだ。 とくに後者と土佐藩との結びつきを証明するのは、かなり難しい。 しかし永井説ならすんなりと理解できるのである。 というわけで、私は、黒幕は永井か土佐藩かのどちらかだろうと思っているのだ。 それ以外の説は、弱い。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 19:42:44.63 ID:VslAm0Fb0
石川はその日たまたま才谷の所に立ち寄っただけよ 見廻組の今井と渡辺と二人証言しちょる 清川をしとめた佐々木は直接手を下さず、石川にとどめを刺してない事から 才谷を狙った佐幕派の怒りによる犯行と見える
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 19:57:48.66 ID:OQRsaeF00
>石川はその日たまたま才谷の所に立ち寄っただけよ >見廻組の今井と渡辺と二人証言しちょる そんなことはどこにも証言しちょらんぜよ
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 20:57:21.02 ID:DfdzowE50
>423 永井も複雑な男で、わずかには残されている。 弱点は、永井は佐々木只三郎との兄である手代木とは大政奉還で 揉めていた。当時。 それに、永井は大政奉還推進で、見廻組の一部の佐幕派過激派に も狙われていた。幕府にも内部抗争があった。 当時の暗殺は、多くは内部というのは本にも述べられてるが、 今の殺人事件だって、ほとんどが身内の犯行だ。 しかし、尼崎の連続殺人事件は酷いな。 子供も加わって親や兄弟を密かに殺してる。 土佐藩の身内もきれい事を述べられるようなものでないのでは。 鳥羽伏見の戦いでは、上層部は、多くは反対だった。 初戦で幕府が負けており、一部の藩士が薩長に後から加わった。 土佐藩の勤王などの歴史は嘘が多い。これは隠したいのだね。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:04:29.43 ID:cDs4MVyF0
あ、いや、今井と渡辺と手代木も、狙ったのは龍馬だと書いているから、 その意味では、中岡はたまたまそこにいただけということになるな。 その意味では佐幕派の犯行かもしれない。 とすれば永井説が最も有力だな。 永井と佐々木と近藤は自分の代で幕臣に取り立てられたという点で利害が一致している。 おまけに永井には過去に様々な怪しいエピソード、非常識人間のエピソードがある。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:07:34.44 ID:VPIj6Ucl0
>>426 松平容保の非常識人間ぶり、禁治産者振りと比べれば何のことはありませんが。
松平容保dから話を逸らそうと必死なだけで、あなたは話に嘘が多い。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:10:37.67 ID:VPIj6Ucl0
あと、中岡慎太郎の当日の行動は研究されていて、 福岡の住居を訪問して不在であったため坂本龍馬のところに寄ったことになっている。 つまり中岡が当時居合わせたのは全くの偶然ということになる。 中岡主目標説は成立する余地がない。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:15:16.00 ID:VPIj6Ucl0
当時の状況から見廻組が実行犯というのはもう動かすことは出来ず、
そして暗殺命令者が松平容保ということも決定的だ。
必死に罵倒をするだけで、手代木書簡(
>>275 )へは「ないない聞いたことない見たくないである。」の繰り返しなのだから。
容保愛玩者は、人参が食べられない駄々っ子みたいな人だ。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:25:23.67 ID:VPIj6Ucl0
大体、暗殺事件から数日生きていた中岡が新撰組にやられたと言っているのに、 どうして実行犯が土佐藩士になるものか。少なくとも顔見知りではない。 土佐藩が面会記録を隠蔽したって? 中岡が担ぎこまれたのは薩摩藩邸だ。土佐藩邸ではない。 谷証言は全て嘘だって? そんなの嘘だというなら、その後の藩閥に反発して一生政府と対立した志士も 死を前にした中岡への面会者の中にはいたことについて知っておくべきだろう。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:51:29.14 ID:k2MSZ3gb0
内部なら中岡が顔知っているし、相手も中岡を知っている
余計な証言されないよう確実にとどめさしてるだろう
相手は中岡を認識してなかったし、龍馬に対しても何やら薩土の間を飛び回り幕府も手玉に取る策士みたいな認識
>>425 鳥羽伏見に反対したのは容堂
土佐兵は加わってならんとした
乾から薩長に付けと言い含められた、山地らが負けたら容堂に詫び腹切ろうと勝手に参戦
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 21:58:16.45 ID:DfdzowE50
>今井と渡辺と手代木も、狙ったのは龍馬だと書いているから、 之は嘘。 竜馬だけが騒がれた明治終わりのもので、それに「龍馬だけを狙った とは書いてない」。龍馬を殺したのはと書いてあるだけ。 (中岡はこの時期、知られていなかった。) このような改竄で、中岡が当時居合わせたのは全くの偶然ということ になるなどは、嘘と同じ。 >中岡慎太郎の当日の行動は研究されていて、 福岡の住居を訪問して不在であったため坂本龍馬のところに 寄ったことになっている。 これも間違いで、坂本が福岡の所にいったのだ。嘘と同じ。 それから、中岡の行動が研究されていては嘘。されていない。 良く調べてから、述べよ。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 22:02:46.25 ID:DfdzowE50
暗>事件から数日生きていた中岡が新撰組にやられたと言っているのに、 どうして実行犯が土佐藩士になるものか。少なくとも顔見知りではない。 これも嘘。 中岡は言っていない。谷が後年、新撰組らしいと述べただけ。 みな、ろくなことしか言わず、思い込みだけ。よくしらべていえよ。 反論の時には。ウソツキと同じだ。ウソツキだよ。
谷干城による講演筆記録 より。 「石川の判断では之はどうしても人を散々斬つて居る新選組の者だらう。」
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 22:28:17.55 ID:k2MSZ3gb0
龍馬は一度寺田屋で襲われ、その時もやられかけてる さらに射殺までした やられた時は大政奉還で旧幕府勢力が薩土の陰謀と激昂している上、 寺田屋で一度小ばかにされ射殺と加わってる 元その道のプロ・伊東甲子太郎も狙われていると忠告に来てるんだから
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 22:57:21.54 ID:icxNkMKX0
>>432 あまり細かいクレームを付けるつもりはないが、私は、
「龍馬だけを狙った 」とは書いていない。
厳密に言えば渡辺は坂本と中岡を狙ったという意味のことを書いている。
今井と手代木は坂本のことしか書いていない。
その他の容保説者諸君へ
君らの資料の読み方は実に杜撰だ。
>>432-433 の男が指摘している通りだ。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 23:07:25.33 ID:DfdzowE50
語るに落ちるとは、つぎの 「石川の判断では之はどうしても人を散々斬つて居る新選組の者だらう。」 は、中岡も「分からないが新撰組かな」と言ったというようなものだ。 日本語も分からずに。かわいそうだ。 これで、「中岡が新撰組と言った」なんて解釈するのは君くらいだよ。 日本語の勉強をすべきです。 それから、>元その道のプロ・伊東甲子太郎も狙われていると忠告に来てるんだから ???なんのその道のプロなのか??? くだらないことを。 それに、伊東甲子太郎が龍馬に忠告したという史実はない。 明治の新撰組を扱った小説の話である。 くだらない自説のための、調べないでの、小説の類のただの思いこみが多すぎる。 縁台将棋でもやっていた方がよいのではないか。 遊びなら、謙虚に述べた方が良い。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 23:08:44.01 ID:icxNkMKX0
会津が龍馬を殺しても何にもならないのである。 大政奉還が覆る可能性などはないのだ。 だから結局は龍馬が憎くて殺した、という怨恨説、報復説に帰着するのである。 そのような犯行を企てるのは下級藩士である。 少なくとも会津藩のトップ、京都守護職が企てるような犯行ではない。 佐々木、近藤、渋沢らが企てたのだ。 この連中と利害が一致している永井がそれを許可したということだろう。 警察庁長官が、あの民間人が憎たらしいから殺せ、などと指令を出すはずがないのだ。 君らももっと常識的に考えたまえ。 江戸時代と現代は違うというが、同じだ。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 23:12:08.77 ID:VPIj6Ucl0
>>436 ,437
あなたが間違い。
中岡の証言では、顔見知りは暗殺者の側にはいなかった。
そして中岡が坂本宅にいたのは偶然。
解釈を誤らなければ土佐藩を実行者に繰り入れることが出来ないとはいえ、
あなたは解釈まで捏造するようになったのかと笑ってしまう。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 23:14:49.44 ID:VPIj6Ucl0
>>438 自分に言い聞かせるように話しているが、それはあなた自身も自説を信じていないということ。
大政再委任論は、幕末の会津藩を特徴付けるものとして歴史家の常識となっているが、
これを無視することからあなたの話は始まっている。あなたは最初から地面のないところに座ろうとしている。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 23:18:05.34 ID:VPIj6Ucl0
>>433 大嘘つきとはあなたのような人のことを指す。
顔見知りならそういえば済む。顔に心当たりがないから動機から察して新撰組だろうとなったのだ。
思いつきで土佐藩実行犯説を出しても無駄ということなんだよ。
君のような嘘つきが懸命に話したところで、事実が変えられるわけではない。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/19(金) 23:32:24.12 ID:DfdzowE50
>438 中岡慎太郎は首を切られていたという史実がある。 中岡は話が出来たかはわからないのだ。田中と谷の後年の話は ホラの可能性がある。 それと、君は詭弁を弄している。 中岡の顔見知りでない土佐藩士など、当時、ゴロゴロいた。 そんなことは、だれでもわかることで、龍馬の暗殺の黒幕 を話してるときに述べる方がどうかしている。 中岡が偶然に坂本のところにいたという証拠は、どこにもない。 土佐藩士が実行者のことなどではないだろう。黒幕の話だよ。 土佐の関係者なら、もっとまともな話をして反論すべき。 土佐藩の郷士で倒幕の大物が土佐藩邸近くで同時に二人も殺され これで、中岡の居たのが偶然などという。
>鳥羽伏見に反対したのは容堂 >土佐兵は加わってならんとした >乾から薩長に付けと言い含められた、山地らが負けたら容堂に詫び腹切ろうと勝手に参戦 土佐屋敷は過激分子が勝手に暴発するがを恐れて才谷石川両君を粛清したっちゅう線もあるがかい?
>>438 近江屋事件後、永井公は新選賊の近藤に諮問してるぜよ。公は知らなかった
証左ではないがか?
才谷が公を訪問の折、才谷の命を奪わんとする者の存在を伝え白昼に来訪すなと
言ったちゅうがは公は係わりがなかった証左ではないがか?
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 04:30:48.85 ID:szckW+qK0
>>442 妄想を高らかに唱えられても、笑うことしか出来ません。
土佐藩関係者は実行犯に加わる余地などないのですから。
それと中岡慎太郎が坂本の居住地にいたのは全くの偶然。
あなたの言う必然はあなたの妄想の中にしかない。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 04:35:31.23 ID:szckW+qK0
大体、
>>442 は陸援隊隊士が襲ったと勝手に断定していた変態さんじゃないのかい?
実際は中岡は事件後数日生存し、新撰組にやられたと言って死んだ。
しかもこの人間の妄想とは違い、草莽の志士とされる薩摩でも土佐でもない浪士とも面会している。
土佐を犯人に仕立てる君の工作は潰えたということだ。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 09:15:32.86 ID:F3WI4fjo0
>>444 それは土佐藩が新選組の仕業だろうと抗議したから諮問しただけのことで、
永井が自主的に行ったことではない。
で、この諮問の結果もどうもはっきりせず、
幕府はその抗議を認めたようだ、と書いている史料もあり、
近藤は関与を否定した、と書いている史料もあるようだ。
危険だから白昼には尋ねて来るな、と言った、というのは、
事件の翌日永井が中根に語ったことであって、それが真実かどうかは分らない。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 09:18:02.64 ID:F3WI4fjo0
もうすでに 破綻してゐるなり 容保説
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 09:32:04.83 ID:F3WI4fjo0
容保説者はほんとに頭が悪いな。 仮に容保が大政奉還に反対なら、直接慶喜に談判すればいいのだ。 あるいは有力諸侯と協議すればよい。 ところがそういう事実は一切ないのだ。 龍馬を殺したところで大政奉還の形勢とは何の関係もないのだ。 むしろそんなことをしたら反幕府意識が高まって、 一気に武力討幕へと到りかねないのだ。 だから容保がそんなことをするはずがないのである。 あの暗殺は佐々木、近藤、渋沢らの、あるいは土佐藩守旧派の、 不満の暴発である。それしか考えられない。 まあ私が何を書いても君らがそれを否定することは分かっているがねw とにかく容保説者というのは単細胞の集まりだから。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 11:18:36.75 ID:KjNK7XO60
>>450 渋沢成一郎。渋沢栄一の従兄。
農民出身だが慶喜に仕え、幕臣に取り立てられた。
永井、佐々木、近藤と同じく、自分の代で幕臣になった人物である。
大政奉還に激しく反対した人物の一人として、慶喜公伝に名が上がっている。
永井発言は全面的には信用できない。今井弟手簡は全面的に信用できる。 今井弟手簡しか認めない。 そこが永井ガーの異常なところだ。 永井ガーは一種の狂信者である。
手代木の文書は全面的には信用できない。今井弟手簡は全面的に信用できる。 今井弟手簡しか認めない。 そこが永井ガーの異常なところだ。 永井ガーは一種の狂信者である。
永井発言は真実かどうかは分らない。今井弟手簡は真実である。 今井弟手簡しか認めない。そこが永井ガーの異常なところだ。 永井ガーは一種の狂信者である。
>>447 公は土佐の臣下にあらず。 土佐藩よりの新選組の仕業だろうとの抗議をうけて永井公が自主的に諮問を行ったがじゃ。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 17:19:19.83 ID:aXmg+++A0
>>455 だから私はそういう意味で書いているのだよ。
土佐藩が抗議したから諮問したのであって、
土佐藩の抗議が無ければ諮問などしていない、ということだ。
>>456 >土佐藩が抗議したから諮問したのであって、
>土佐藩の抗議が無ければ諮問などしていない、
これでは永井公は土佐の傀儡ではないか。無礼千万。永井公は自主的に諮問を行ったがじゃ。
永井が自主的に行ったことではない、との発言を取り消されよ。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 17:36:31.51 ID:gSuRhjYjO
土佐藩て抗議したのか―、なんか意外
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 17:38:44.73 ID:aXmg+++A0
一体、当時の警察機構はどうなっていたのか、 この事件について奉行所が捜査に乗り出したというような形跡もないのだ。 事件後に奉行所や目付が現場に駆け付けたというような史料も無い。 土佐藩だけで後始末をしたような感じなのだ。 その辺が、土佐藩の犯行であることを匂わせる。 誰かが、薩摩藩に運ばれたと書いているが、そんな史料はあるか? 翌朝までほったらかしにされていたという史料はあるが。 とにかく谷の講演の様子とは違うのであって、谷が嘘をついている可能性があるのだ。
土佐屋敷は脱藩罪にて才谷に屋敷立入を禁じ、事後遺体も引取らなかったがに 抗議はするというがは、まっこと意外じゃ。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 17:47:21.21 ID:aXmg+++A0
>>457 君は何か勘違いしていないか。
土佐藩から抗議があったから諮問した、なぜそれが土佐藩の傀儡なのだ?
土佐藩重役の日記にはっきり書かれているが、永井も疑われていたのだ。
永井は自分の疑いを晴らすためにも諮問する必要があったのである。
永井が諮問したのは土佐藩からの抗議を受けた後だったと思う。
土佐藩から抗議が来る前に諮問したのではない。
>>461 土佐よりの抗議の有無が永井公の行いを定むるとの発言は公を傀儡と認めての
ものじゃ。
>永井が諮問したのは土佐藩からの抗議を受けた後だったと思う。
前後不確かなるに土佐藩から抗議が来る前に諮問したのではない、などと
断言なさるな
>>461 事件の翌日永井公が中根に語ったことであって、それが真実かどうかは分らない、との御立場なら
土佐藩重役の日記にはっきり書かれているが、それが真実かどうかは分らない、と帰結為されるべき。
永井ガーは二律背反で不審でござる。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 18:27:39.87 ID:aXmg+++A0
>>462 何を怒っているのかは、知らないが、
抗議されたから調べた、なぜそれが傀儡なのだ?
大体おぬしは何説なのだ?
なぜそんなに永井の肩を持とうとするのだ?
前後関係に疑問があるなら、おぬしが自分で調べればよい。
私の記憶では、抗議された後なのだ。
抗議される前に回答していたのなら、土佐藩が抗議するはずがないではないか。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 18:38:50.92 ID:aXmg+++A0
>>463 ははあ、おぬしも容保説でござるな。
だから必死に永井説を否定しようとするのだな。
土佐弁で書いているから、明らかに土佐人だな。
つまり容保説を唱えているのは土佐人だな。
土佐藩重役がなぜ日記に嘘を書く必要があるのだ?
もちろん土佐藩が黒幕なら書く必要はあるが、
別に永井を黒幕に仕立てる必要はない。他の誰でも良いのである。
ところが日記に書かれているのは永井の名なのだ。
永井は、もし永井が黒幕だったとしたら、嘘を言う必要があるのである。
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 19:27:52.48 ID:VL/nslT/0
そもそも才谷やって意味無いなら、鳥羽伏見移行も最後まで抗戦する必要も無い。 大政奉還にしろ武力倒幕にしろ、目的は王政復古。 雄藩は大政奉還と王政復古に賛成の立場で、王政復古反対は佐幕派。 大政再委任を求めている。 朝廷や岩倉も王政復古が重要で、慶喜が軽装で上洛し恭順するなら参与まで考えていた。 鳥羽伏見も王政復古を認めず、さらに京の政情も知らず起きた。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 19:58:47.10 ID:KIPfFMnj0
しかし、中島の功績はおおきいな。 これだけ、土佐藩説を潰すために容保説を馬鹿のように 唱える奴が、ここまでスレッドを伸ばした。 もう、まったく薩摩藩説なんか出ず、いかに土佐藩説が 筋がとおっているか。 土佐観光、土佐郷土史家は必死に土佐藩説をつぶそうと哀れ。 中岡と龍馬は土佐藩に潰された。そして、上士の 一部が甘い汁をすったのは明治が証明。 容堂なんか東京に広大な土地を買い、女を囲って 死んだ。
薩摩藩説の土佐藩説も土佐観光も妄想w。 当時政治情勢や今井、渡辺など証言、旧幕府側など見れば、それ以外の可能性低すぎる。 容堂や越前の立場は倒幕王政復古に賛成で、徳川は救助という立場。 岩倉も必ずしも薩長の立場に立ってたわけでない。 王政復古は。八策の一番に来る天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事。の基本。 これに反対だから王政復古取り消し大政再委任を求め、討薩として鳥羽伏見が起きた。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 21:03:17.29 ID:KIPfFMnj0
容堂と春獄は同じに王政復古で、倒幕ではないだろう。 なんで史実を変えるか。容堂を擁護してるが藩組織を維持したい守旧派と同じ。 そうやって、山内家を中岡と龍馬の暗殺の埒外に置く。 当時の容堂は郷士の中岡などの人材を何人、殺した。 中岡と龍馬の暗殺の日まで、勤王党を弾圧してただろう。 土佐観光と言ったが、山内家の保護と弁解がみえみえ。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 21:07:19.45 ID:VDHrCYxk0
王政復古? そんなのは言葉の問題だ。 コ川家を潰すか、温存するか、それだけが問題だったのだ。 大政奉還は徳川家を温存させると言っているのだから、 容保が反対すべき理由は無いのである。 龍馬暗殺と鳥羽伏見を同列に論じている奴がいるが、 そんなのは何の関係もない。 コ川家が完全に除外されたから鳥羽伏見が起きたのだ。 上手に 問題をすり替える 容保説
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 22:56:50.72 ID:IEdI8Wvi0
王政復古は倒幕だ。大政奉還は朝廷に政権を返上する。 今後朝廷が直接政治を行うという宣言だ。 朝廷の代理政権であった幕府は当然廃絶になる。 政権は失っても徳川家はある。 徳川処分を討議してる際、王政復古取り消しと討薩を要求する為、主戦派徳川会津が上洛し鳥羽伏見の戦いが起きた。 そして鳥羽伏見後、慶喜は抗戦派小栗を処分し、勝を起用恭順してる。 会津は最後まで抗戦し、しかも容保も華族になってる。 徳川は静岡に領地を与えられ残っている。五稜郭まで戦った榎本さえ救助され新政府に仕えている。 龍馬が暗殺されたのは大政奉還から王政復古の間で、この間武力倒幕派にしろ公武合体派にしろ王政復古そのもに反対でなければ暗殺理由はない。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 23:13:50.27 ID:VDHrCYxk0
大政奉還も王政復古も同じである。 問題は徳川家を温存させるか除外するかだけである。 龍馬が暗殺された時点では徳川家除外は決まっていなかったのである。 だから容保が龍馬を殺さねばならない理由は無いのだ。 板倉も永井もその時点でもまだ大政奉還に反対だったと慶喜公伝にある。 しかし容保や定敬が反対していたとは書かれていない。 それに何回も言うが、龍馬を殺して何になるのだ? 龍馬を殺せば大政奉還が覆るのか? 馬鹿も休み休み言え。 もうそんな状況ではなかったのだ。 だから暗殺理由としては恨み、報復以外にないのだ。 容保が大政奉還への恨みから龍馬を殺したというのか? 馬鹿じゃないのか。土佐藩の下級藩士を殺して何になるのだ。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 23:25:48.69 ID:szckW+qK0
何だか容保サマーが筋の通らないことを喋っているが、 ここ数年間を無駄にしたね、と哀れみをかけるしかない。 大政奉還に反対し撤回を求めていた松平容保で犯人は既に決定的で、 容保サマーは、これに文句を付ける材料がないので、 別の理由らしき腐ったものをつまみ食いしては、食中毒を起こしているだけのこと。 まず、実行犯は見廻組と考えるしかない。 中岡慎太郎は事件後数日間生存し、犯人の顔に心当たりがないとし新撰組犯行説を伝えて死んだ。 土佐藩ら中岡の身内を犯人に充てることは不可能。 そして犯行は手代木直右衛門によって、次の日には会津藩から大政再委任派の一つだった彦根藩へ伝えられている。 会津藩の行動を考える限り、ここでも証拠隠滅が行われたとみる。 見廻組の犯行も隠蔽し、知らぬ振りをつき通せると松平容保らが思っている頃、事件は近藤勇らの伊東甲子太郎暗殺から 残党の高台寺一党による新撰組への告発に展開し、会津藩は真犯人は隠蔽したのに別系列から犯人扱いされることとなった。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 23:28:21.58 ID:IEdI8Wvi0
大政奉還から王政復古と、大政奉還から大政再委任は全然違う。 王政復古は朝廷が政治を行う(薩長土や芸州越前もここわ一致)、大政再委任は再び政権を徳川に与え幕府をやり直す事だ。 そして龍馬の立場は王政復古。 龍馬を殺せば大政奉還が覆るかというけど、じゃあ抗戦派はなぜ勝ち目がなくなっても恭順しなかったのかね? そもそも龍馬はなんで寺田屋で既に殺されかけたのかね?
>>465 >土佐藩重役がなぜ日記に嘘を書く必要があるのだ?
>もちろん土佐藩が黒幕なら書く必要はあるが、
>別に永井を黒幕に仕立てる必要はない。他の誰でも良いのである。
>ところが日記に書かれているのは永井の名なのだ。
土佐藩が黒幕なら書く必要はあると己で認めておるがじゃ 。
誰を黒幕に仕立てても良いのであるならば永井公でも良いではないかい。
>永井は、もし永井が黒幕だったとしたら、嘘を言う必要があるのである。
土佐は、もし土佐が黒幕だったとしたら、嘘を言う必要があるのである。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/20(土) 23:58:07.03 ID:KIPfFMnj0
>473、474 適当に書くなよ。手代木の手紙だって何年のか分からず、日つけは中岡ら暗殺後で 龍馬らの話というのはお前くらいの解釈だ。 寺田屋事件は殺されかけたではなく捕縛されそうになっただろう。 龍馬らが抵抗したからだ。幕府が殺すつもりだったかなど分からないのだ。
>>464 >抗議されたから調べた、なぜそれが傀儡なのだ?
おまんは永井公は土佐藩が抗議したから諮問したのであって、
土佐藩の抗議が無ければ諮問などしていないと発言したじゃないがか?。
土佐よりの抗議の有無が永井公の行いを定むるとの発言は公を傀儡と認めての
ものじゃ。失礼千万。
公が新選賊近藤に諮問したは公が真に暗殺犯を認知せず才谷暗殺を調査するためじゃないがか。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 09:55:06.01 ID:VgNZj8O+0
だから龍馬を殺して何になるんだ?
大政奉還が覆るのか?
土佐の一浪士を殺したら政局の流れが変わるのか?
冗談もほどほどにしろ。
あいかわらず龍馬暗殺と鳥羽伏見を同列に論じている馬鹿がいる。
容保説者というのはどうしてこれほど馬鹿なんだ。
>>477 おぬしもどうしようもない阿呆だな。
殺人事件があって、住民が、怪しい男がいるから調べて下さい、と言ったので、
警察が調べた。その警察は住民の傀儡なのか? 馬鹿か、お前は。
ここで文句を言う前に自分で調べてみろ。
土佐藩から抗議があったので永井が近藤を取り調べたのだ。
永井が取り調べた。ここも重要なポイントだ。容保が取り調べたのではない。
新選組はそのとき幕臣に昇進していたので永井が取り調べたのだろう。
新選組さえすでに実質上容保の配下ではなくなっていたのかもしれない。
見廻組は尚更だ。見廻組は幕臣で結成されているのだからな。
つまり見廻組は容保配下だから黒幕は容保、という単純な図式は通用しないのだ。
分かっているのか、容保説の単細胞ども!
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 10:08:30.33 ID:VgNZj8O+0
>>475 もうひとつ言い忘れた。
土佐藩重役の日記で、その重役が勝手に永井の名を上げているのではない。
永井自信が、「わしも疑われているので…」云々と書かれているのだ。
日記の内容は忘れたが、永井から会談の要請があったので誰かが出かけた、
というような内容だったと思う(記憶は曖昧だが)。
菊地明の「京都見廻組史録)に載っていたと思う。
この本は当時の資料がいろいろ載っているから、目を通しておいた方がいいぞ。
過去スレに私がどこかに原文を上げているはずだ。
暇があるなら過去スレを調べてみればよい。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 10:08:32.00 ID:ML5aeEgaO
こういう事か? つまり最初は永井は「ひた同心」と言わせる位に 坂本と同じ路線のつもりだったが、そのうち解釈の違いが 明らかになり、幕府内の風当たりも強くなったので「昼間に来るな」 となり、最終的には暗殺に至ったということか? 昼間より夜間の方が当然危険な訳だから、「昼間来るな」は俺の立場が悪くなるから、ていうこと?
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 10:13:10.27 ID:ML5aeEgaO
要はみまわり組への指揮系統だろ? 容保なのか永井なのかはっきりしてくれよ、詳しい人達。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 10:28:21.97 ID:VgNZj8O+0
>>481 「昼間来るな」は、昼間来ると危険だから、という意味だよ。
たぶん永井、佐々木、近藤、渋沢といった一代出世組が黒幕だよ。
黒幕の一人に原市之進の名も挙がっている。これも一代出世組だ。
原は目付だったが、その上司は若年寄格の永井だった。
ここもたいていの人は見落としている。
春嶽が原の名を上げたことは二つのことを意味している。
1 龍馬暗殺は原生存中から計画されていたこと。
2 原の背後に永井がいること。
春嶽が、既に故人となっている原の名を上げたのは、
原の背後の永井が黒幕だぞと示唆しているのかもしれない。
>>482 官軍は今井の自供の真偽を確認するため元京都見廻役の小笠原弥八郎に質問してるし、
勝の日記から、幕閣の榎本対馬や松平勘太郎が見廻組の最終的な上司だったことが分かる。
勝や松平勘太郎が幕府の指揮系統を間違えるはずはない。
485 :
にわか :2012/10/21(日) 11:04:15.48 ID:ML5aeEgaO
と言う事は容保は命令できないという事?
>>485 そのあたりの事はハッキリとは断言できないようだ。
でも見廻組が幕府の組織だったことは間違いない。
「勝 日記 榎本対馬 松平勘太郎 龍馬 暗殺」等で検索すれば出てくる。
>>207 や
>>480 の人が京都見廻組史録と言う本を紹介している。
俺はまだは読んでない。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 14:27:20.66 ID:2/6+ivkG0
ところが命令一元化ということで、見廻組は京都守護職配下になっていた。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 14:41:56.34 ID:2/6+ivkG0
ここで見廻組の今井信郎証言が引用される。 「御指図(上部命令)によって殺害した。命令者は京都における幕閣上位者か、 あるいは当時見廻組は京都守護職の配下に置かれていたので松平肥後守(松平容保)からだろうか」
もちろん容保侯も命令可能だったと推測できる。 でも「あるいは」だよね。まずは幕閣。容保侯は2番目だ。 俺がネットで見たものには、「または」と書いてある。 かつ旧幕にては閣老等住職の命令を御差図とあい唱え候に付き、その辺りよりの差図か、または見廻組は京都守護職附属に付き、松平肥後よりの差図にやこれまた承知仕らず、
>>479 馬鹿はおまんじゃ。警察は殺人事件があれば住民抗議がなくても怪しい男がいれば調べるぜよ。
土佐抗議がなかりせば永井公は調べぬと申す者がいたので失礼千万と申したまで。
おまんは公を警察扱いしちょるが失礼千万。公は土佐の下横目ではない。
公を下横目扱いするゆえに傀儡じゃと申したまで。
>>483 永井公は才谷を高大説面白しと評しぬ。公ではないのではないか。
>>483 近藤は大石鍬証言より見回組を賛していたから違うろう。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 19:27:32.37 ID:C7nh2Axz0
>>490 土佐藩から、新選組の仕業ではないのか、と抗議があったので、永井が近藤を諮問した。
それでなぜ永井が傀儡なのだ?
事件があり、住民から、政府に、怪しい男がいるから調べてくれ、と要請があったので、
政府の法務大臣が、警察に調査するよう命じた。
この場合、法務大臣は傀儡なのか?
おぬしの言は明らかにおかしい。
もしかして永井の一族の子孫なのか?
>>472 >容保が大政奉還への恨みから龍馬を殺したというのか?
>馬鹿じゃないのか。土佐藩の下級藩士を殺して何になるのだ。
恨みが晴れるろう。才谷は土佐一大傑物ぜよ。手代木も才谷は深く幕府の恨みを
買うたといったがじゃ。
>>493 抗議なかりせば公は諮問しないというがは失礼千万と申したまで。
>>493 民主政体にては住民が主で公僕は臣なり。おまんらあは土佐を主、永井公を
臣と任じてるゆえ無礼千万なり。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 19:42:35.28 ID:C7nh2Axz0
私は一応永井説だが、土佐説もありうると思っている。 中島説とは違って、土佐藩武力討幕派の犯行かもしれない。 谷さえ怪しいと思っている。谷自身が犯行に加わっている可能性がある。 それから薩摩説も捨ててはいけない。なぜなら、 薩摩の犯行を匂わせる幾つかの資料が存在しているのは事実だからだ。 武力討幕派が暗殺の黒幕だということは十分考えられるのである。 見廻組犯行説は大掛かりな捏造である可能性があるのである。
やはり会津藩じゃないか? 鳥羽伏見後、慶喜の様に恭順できたが玉砕。 北海道質に入れプロセインから協力得ようとしたり、国家観なかった。 攘夷の孝明天皇に背くし、攘夷派があれだけ騒いだ理由も良く分かってなかった。 板垣も会津は天下の雄藩だ、上下が力の限り尽くせば、五千に満たない官軍が簡単に降伏させることができようと、会津藩の統治を批判してる。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 19:50:57.61 ID:C7nh2Axz0
>>494 だから結局は容保説は恨みを晴らすための暗殺だという結論に帰着するのである。
で、はたして天下の公人である京都守護職がそんな恨みつらみのために、
暗殺しても何の益にもならぬ男を暗殺させるだろうか、ということなのである。
その点は永井説も同じで、暗殺の動機としては、弱いと言えば弱い。
むしろ動機として最も有力なのは、穏健派の龍馬を殺す必要があったというもので、
武力討幕派が最も怪しいのである。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 19:58:58.03 ID:2/6+ivkG0
>>499 坂本龍馬は武力討幕派です。
そして中岡慎太郎も武力討幕派です。
あなたの妄想は、松平容保様じゃないという思念から発し、
史実の何もかもを曲げて、何か別のものへ犯人を押し付けたいという欲望だけで全く論理がない。
>>497 今井弟手簡は捏造である可能性はないがかい?。
あの今井弟書簡は他史料との整合性がない。 兄を讃えたい人間が頭を絞って書いた文章というほかない。使えない。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 20:07:30.78 ID:C7nh2Axz0
>>495-496 とにかくおぬしは頭がおかしい。
ではたとえば、藩内で事件があり、或る藩士が、あの男が怪しいから調べて下さいと、
藩の重役に訴えたとする。それで重役が調査に乗り出す。
この場合、重役は傀儡なのか。
他人から訴えられて調査に乗り出す人間はみんな傀儡なのか。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 20:10:03.34 ID:2/6+ivkG0
整合性といえば、近江屋の娘による暗殺前日の坂本龍馬証言があるね。 「私は永井尚志にも松平容保にも面会し身の安全を保障してもらっている。だから命を狙われるようなことはない。」 これについては福井藩の記録などで永井尚志との面会は確認できる。 そのため松平容保との面会もあったと思われるのだが、松平容保は頑なに否定している。 松平容保には、坂本龍馬と会ったら困る、会ったという事実が確認されると困る、何らかの事情があったということになる。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 20:12:36.86 ID:C7nh2Axz0
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 20:23:58.45 ID:C7nh2Axz0
>>504 よくもそんなデタラメが平気で書けるなぁw
それは寺田屋の女将の子孫?の文書だろうが。
だから容保説者は資料もまともに読めないと言われるのだよ。
>松平容保は頑なに否定している。
そんな史料はあるか? いや、べつにあっても構わないのだが。
ついでだからその資料を上げてくれ。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 20:29:29.29 ID:2/6+ivkG0
>>505 まず、坂本龍馬は倒幕に武力を否定していない。武器を尊王攘夷派に販売し
彼らに武力を付けさせることを海援隊の使命としていた。
手代木書簡は極めてまっとうなものです。
あなたが難をつけようとしても、坂本龍馬暗殺事件の翌日以外、この日に重要な行動を起こす理由が見当たりません。
今井弟の手紙に関しては坂本龍馬暗殺代が50両? 殺し屋じゃあるまいし公務ですよ。
この手紙が正しいなら現在の機動隊は大金持ちです。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 20:33:48.45 ID:2/6+ivkG0
永井説は松平容保を擁護したいあまりに君が飛びついただけで、論理としては成立していないんだよ。 だいたい、徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志は大政奉還を推進し、 大政奉還後の公儀政権で自らの権力を温存しようとしていた。 これからはじかれるのは松平容保や松平定敬らであって、上記の三人ではないんだよ。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 21:35:37.95 ID:uBnwKdiR0
>>507 新政府綱領八策に「○○○自ら盟主と為り」と書かれているのを知らないのか?
これが龍馬が平和論者だったという根拠になっているのは常識だ。
50両の話は今井弟の手紙に書かれているのではない。それは今井家の言い伝えだ。
>>508 だから大政奉還後も板倉、永井は不満を持っていたと慶喜公伝に書かれているだろうが。
何度言ったら分かるんだ。いつもいつも○○の一つ覚えのようなことは書くんじゃない。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 21:48:42.32 ID:PZ1CWKkZ0
史実のはっきりしない、小説の中の話のようなものを出して、容保だ永井だ。 聞きあきた。 中島の「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」を少しは良く読め。 お前らの話は、本のなかでほとんどすべて答えてる。 君らが使ってる話は、多くは岩崎鏡川の集めた龍馬関係の資料だが、 菊屋峰吉などの資料は、疑わしい明治43年から大正初めのものだ。 岩崎は土佐藩士の功績を示すために書いたもの。 資料的には問題だらけ。これを証明したのが中島だ。 土佐藩の上層部の一部は確実に中岡と龍馬の暗殺に動いた。 ようするに、君らのは井戸端会議の叔母さんたちの話だ。 容保説など史料もなにもない。手代木の某諸侯の記者の話でなど笑い者。 歴史を語っているのではない。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 21:54:57.88 ID:2/6+ivkG0
>>509 ,510
根拠なし。
「○○○自ら盟主と為り」が何だって?
君の話に関係なし。
そして中島のゴミは論拠なし。ここの議論未満の焚き付けでしかない。
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 21:56:39.04 ID:uBnwKdiR0
>土佐藩の上層部の一部は確実に中岡と龍馬の暗殺に動いた。 証拠がない。むしろ土佐藩討幕派の方が怪しい。 第一、土佐藩上層部と手代木が接触したという証拠が一つもない。 見廻組実行犯説も疑問の余地がある。 手代木は高知県副知事で土佐に恩があった。 渡辺も薩摩の某(名前忘れた)に世話になっている。 土佐と薩摩が黒幕なら資料を捏造できる。 中島説は君が思っているほど完全なものではない。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 22:00:10.65 ID:0TH1SpVu0
元々坂元龍馬の大政奉還案は土佐藩の武力を必要としてるし、薩土盟約もそういう約束で結ばれた。 大政奉還を拒否した場合、武力倒幕に移行する2段式案だったわけで。 しかも○○○自ら盟主と為り 強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス 權門貴族モ貸借スルナシ 言ってるがぜよ。 強抗非礼公議ニ違フ 旧幕府勢力が断然と征討されたわけで。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 22:16:29.71 ID:uBnwKdiR0
>>513 では○○○の中には誰が入るのかな?
仮に龍馬が武力討幕派だったとしても、
だったら暗殺理由は龍馬が武力討幕派だと分ったから暗殺したと見るのが正当で、
大政奉還が憎くて暗殺したのではないのである。
さらに龍馬が武力討幕派であることを見抜いたのは龍馬と会談した永井かもしれず、
永井にも暗殺理由はあるのである。
容保にも暗殺理由はあるが永井にもあるのだ。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 22:19:41.29 ID:PZ1CWKkZ0
>512 貴方は多少はまともですね。 中嶋説は完全では無いということは、かなりの真実が本に述べられている ことを、あなたは認めてる。他の本でまともな説があるか? 永井説を思う思うで述べても、駄目だと分かっているのに、遊んでる のだろうね。永井が黒幕である可能性もゼロではないよ。 だけどね。土佐藩の幕末の姿を論じたのは、彼の本が初めて。 磯田道史などは学者といってるが、手代木直衛門伝の資料信憑性も吟味せず、 資料が記者が言ったなんてものを使っているのが現状だ。 手代木の某諸侯談など、C級資料を使うのが今の学者のレベルだ。 ここに、本当は日本の歴史学の情けなさがあり、批判すべき。 この程度だから、ここのレベルは低いのは分かるよ。
見廻組実行犯説も疑問の余地があるのなら、今井の自供は一体なんなんだ? 大石鍬次郎の証言は一体何なんだ?全部捏造?
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 22:44:25.85 ID:uBnwKdiR0
>>516 取り調べたのが、たしか土佐と薩摩なのだから、捏造しようと思えばできる。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 22:48:15.34 ID:0TH1SpVu0
○○○決める前に強抗非礼に旧幕府軍が、たかが2,3千の薩長など一撃だと、朝廷に攻め上がり鳥羽伏見が起きたんで。
大石は死人に口無しだからいいけど、今井はどうなんだ? なぜ捏造に協力したんだ? なぜ明治も半ばを過ぎてるのに記者のインタビューに応じたんだ? おまけに谷がウソを言ってるとすると、もう無茶苦茶じゃないか。 推理も妄想もヤリ放題。こんな所で口角泡を飛ばしても何の意味も ないじゃないかw
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 23:07:54.27 ID:2/6+ivkG0
松平容保に都合の悪い部分は全て捏造なんだそうだ。 新政府は薩長だけではありません。その点についても理解が足りない。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/21(日) 23:10:01.95 ID:2/6+ivkG0
>>514 全く意味がない。
大政奉還に邁進していた徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志と、
これを破壊しようと策謀を繰り返していた松平容保を同列とするのは、松平容保へ贔屓目が過ぎるということでしょう。
>>503 抗議なかりせば永井公は諮問しないというがは失礼千万と申したまで。
抗議なかりせば公は諮問しないというおぬしの発言を取り消されよ。
>ではたとえば、藩内で事件があり、或る藩士が、あの男が怪しいから調べて下さいと、
>藩の重役に訴えたとする。それで重役が調査に乗り出す。
>この場合、重役は傀儡なのか。
訴えがなければ怪しい男を調査しないならば御重役は阿呆でござろう
永井公が新選賊近藤に諮問したは公が真に暗殺犯を認知せず才谷暗殺を調査するためじゃないがか。 それを土佐の抗議のため黒幕である公が惚けたパフォーマンスをなしたとは妄想甚だしい。 永井公の近藤諮問は公の御潔白の証左である。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 09:23:44.10 ID:CVvWsP4Q0
容保説の単細胞に何を言っても無駄だから放っておこう。
>>522-523 この男にだけ言っておこう。
龍馬の事件に対して幕府(奉行所、目付等の警察機構)が調査したという形跡など、全く無いのである。
永井が近藤を尋問したのも土佐から抗議が来た後のことだ。
また私は永井が惚けたとも書いていない。
土佐藩から抗議が来た後に近藤を尋問しているという史実だけを書いているのだ。
とにかくおぬしは頭がおかしい。
訴えられたから調査した、なんでそれが傀儡なのだ。
また事件を調べるのは奉行所や目付だろう。
永井がいちいち指示しなくても調べるのが奉行所や目付の仕事である。
谷が怪しい点については晩にでも書く。
とにかく見廻組実行犯説は100%正しいわけではない。
その証拠に新選組説を唱えている奴もいるし、岩村説も出てきた。
史料としても土佐説もあり薩摩説もあるのだ。
それから暗殺時刻についても疑いはある。
未明とされている資料があるのだ。翌朝に近江屋を訪れた某の記録などを見ると、
むしろ未明が真実かもしれない。
とにかくこの事件は単細胞の君らが思っているほど単純な事件ではないのだぞ。
525 :
単細胞 :2012/10/22(月) 09:40:54.92 ID:CluaxvM8O
実行犯て暗闇で坂本に抜き打ちくらわせてるほど暗殺に慣れてる奴だよね。 見廻り組にそんな奴いたの? 教えてエロい人。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 12:56:56.08 ID:093obQau0
>暗闇で坂本に抜き打ちくらわせてる だからこれが何の証拠もないのだ。 今井や渡辺や谷の証言でそうなっているというだけの話。 未明に襲われたかもしれないのだ。 ついでにいうと見廻組に暗殺に慣れている奴などいない。 見廻組は幕臣だぞ。おまけに幕府の組織だぞ。 幕府の組織が普段から暗殺などしていると思っているのか。 剣の達人はいる。君も少しは本を読んでここに参加しているのだろ? それくらいは常識ではないか。
527 :
単細胞 :2012/10/22(月) 13:30:20.24 ID:CluaxvM8O
>>526 暗殺慣れした奴だという事は俺でも分かるぞw
という事は見廻り組ではないという事でつか?先生w
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 13:39:48.28 ID:DgJFhFZ2O
>>524 議論で敗北したら無視とは、松平容保支持者の一般的な態度ですなあ
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 14:40:41.11 ID:sV7tc32c0
佐々木只三郎は清河を暗殺したことなどありません、ですか 松平容保厨房はうそばっかり
530 :
単細胞 :2012/10/22(月) 14:46:24.28 ID:CluaxvM8O
>>526 先生は常識、常識とおっしゃいますが、先生のように既存の
資料を片っ端から「疑わしいw」と言っていたら何も話になりませんよw
あと、他の人も書いてますが、白河を暗殺した佐々木は
見廻り組じゃないんですか?w
お得意の「資料が怪しい」は無しですよw
531 :
諸橋 嘉久 :2012/10/22(月) 15:35:44.30 ID:EorYrr3a0
清河八郎は一之橋で佐々木只三郎に挨拶されたので、 清河八郎も佐々木只三郎に倣い、笠の顎紐を解いて笠を取ってから挨拶を返そうとした所を、 佐々木只三郎に斬られた。 我自身に尋ねたところ、 道場の剣術の腕前と胆力は、 清河八郎と佐々木只三郎は互角だったそうです。 清河八郎を佐々木只三郎が暗殺するには、 白昼の騙し討ちしか無かったそうです。 佐々木只三郎は小太刀の達人だったそうです。 佐々木只三郎は剣術の才能が溢れる旗本の次男坊や三男坊から抜擢された京都見廻組に小太刀の技術を伝授して、 京都見廻組は小太刀の達人揃いの集団に成ったそうです。 小太刀の達人と言えども、暗殺のプロフェッショナルでは無いのです。 近江屋の二階の部屋で坂本龍馬と中岡慎太郎は暗殺されましたが、 近江屋に屋根裏部屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されたというのは嘘で、 天井の低い部屋でも戦闘可能な小太刀術 小太刀の達人集団の京都見廻組が坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺したと思わせる嘘を流したそうです。
532 :
諸橋 嘉久 :2012/10/22(月) 15:43:29.66 ID:EorYrr3a0
533 :
単細胞 :2012/10/22(月) 16:01:50.63 ID:CluaxvM8O
>>532 斧説のお前には聞いてないからw
お前は独りで斧、斧言ってろよw
幕末に斧で暗殺する侍ww
534 :
諸橋 嘉久 :2012/10/22(月) 16:11:05.87 ID:EorYrr3a0
533 :単細胞:2012/10/22(月) 16:01:50.63 ID:CluaxvM8O
>>532 斧説のお前には聞いてないからw
お前は独りで斧、斧言ってろよw
幕末に斧で暗殺する侍ww
坂本龍馬の死体を検視した検視官など存在して居ませんでした。
坂本龍馬の死体を第三者の検視官に検死させた記録は存在しません。
坂本龍馬の死体の損傷具合は土佐藩上層部に拠る捏造です。
分かりましたか?
単細胞の斧ちん(大和田爆笑)
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 17:37:06.56 ID:JWqsJ6TP0
>>525 近江屋事件については殺人に全く慣れてない人
もしくはズブの素人のフリをしてる人の犯行かと思われ
幕末〜大正の記録では、滅多刺しにされてる人程、犯人は素人、かつ被害者の生存率も高い傾向ある。
逆に腕利きの人は1〜4太刀くらいで、急所狙い息の根止める人が多い。
井上聞多も素人暗殺で数十回斬られて「もうよい!ズラカるぞ!」→聞多は50年生きましたコース
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 17:45:47.80 ID:JWqsJ6TP0
538 :
諸橋 嘉久 :2012/10/22(月) 18:57:33.78 ID:EorYrr3a0
535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/22(月) 17:37:06.56 ID:JWqsJ6TP0
諸橋君の書いていることは正確ではない。
清河八郎は背後から殺られたようだ。
http://blog.goo.ne.jp/kagamigawa/e/30cf8932147d2268f03d8fbdfd980c02 それと坂本と中岡の遺体は医者が検視しているはずだが、それも嘘なのか?
背後から斬りつけたら、浅野内匠頭レベルの白痴で狂人です。
背後から殺る場合は、腎臓を狙って脇差で突くのがベストでしょう。
二人で同時に斬りかかったら、同士討ちの危険が大きいです。
この掲示板に書き込んで居られる賢そうな方は、土佐藩の記録(史料)に嘘が多いと分かって居られます。
土佐藩上層部なら、捏造し放題です。
勤王の歴史は嘘っぱちです。
尊王攘夷は用語と成って現在にも生き残って居ますが、
勤王攘夷なる用語は残っていませんし、作られても居ません。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 19:57:24.90 ID:pVzP0qU/0
谷の講演にはいろいろ怪しい点があるのだが、その最も怪しい点を挙げると− それから龍馬に話に来た書生は、遺憾ぢやと云ふので三浦の所へ斬りに行つたが、 構へて居つて散々失敗を取つた。 この龍馬に話に来た書生というのは誰なのか。 なぜ谷は書生が龍馬に話に来たことを知っているのか。 中岡の話にもそんな書生のことは出てこないのだが。
近江屋の主人曰く、店の見習いが四人居たそうですので、 それが人によって書生になったり丁稚になったり表現が分かれるのでしょう。 ちなみにすぐ逃げ出してしまったらしく、その後の証言もありません。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 20:18:04.37 ID:jF3kehbJ0
土佐藩で事件後を証言しているとされる勤王派といわれる谷と田中だが、 ふたりは京都藩邸では下っ端で何もできなかった。 藩邸は最高幹部の寺村ら守旧派だけだったのだから、谷らより現場に いたのも同然で、谷らはうそついていたのだろうことは分かる。 近江屋新助は、土佐藩の御用商人。 当時は土佐藩邸の守旧派と近江屋でいくらでも細工が できた。中岡と龍馬暗殺は。見廻り組も引き込んで。 なにせ、谷と田中は事件後、相当、遅れてきており中岡の 話も勤王党を過大に述べるための宣伝のようだ。
ちなみに暗殺事件の一報が入ったのは見廻組退出後、近江屋主人・新介が土佐藩邸に駆け込んだ時とされています。 土佐藩足軽の島田庄作が同行し、新介は近江屋に戻ります。 近江屋の小間使い・峰吉が、見張りだった相撲取りの藤吉が虫の息なのを発見、 二階へ上がり既に死んでいる龍馬を発見、また屋根にいた中岡が生きているのを発見し部屋に戻します。 医者と土佐藩士・谷干城・曽和慎九郎・毛利恭介ら、薩摩藩士・吉井幸輔が駆けつけてきます。 藤吉は証言を残さないまま翌日死亡、 中岡は薩摩藩邸に運ばれ、駆けつけてきた志士と面会し証言を残しますが、事件の二日後に死亡しました。 中岡は新撰組の犯行と類推し、維新の更なる推進を望みました。 岩倉具視へ言葉を残しています。「岩倉卿に告げよ。維新回転の実行は、一に卿のお力によると」
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:05:07.77 ID:sV7tc32c0
気に入らない、きっと捏造だと四方八方に当り散らすだけで 松平容保を無罪にできると考えているのでしたら、それは大きな誤りです。 まず、証言等で実行犯が見廻組であることはもはや動かし難くなっています。 そして手代木証言、同じく手代木書簡、会津藩の外交を担っていた手代木の証言を判断する限り、 命令者は松平容保というほかありません。 他に犯人を求める説は、かもしれない、そうかも、私はそうは思わない、といった妄想の産物ですよ。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:06:47.37 ID:IwV2ZAYq0
>>540 龍馬に話に来た書生だから、店の見習いではない。
谷は坂本と中岡の他には下僕がいただけだと証言しているのである。
にもかかわらず、いきなり龍馬に話に来た書生の話が出てくるのである。
ということは当日龍馬に話に来た書生がいたのである。
昼間来たのか、現場にいたのかは知らないが、
とにかく龍馬に話に来た書生がいたのである。
>>542 >中岡は薩摩藩邸に運ばれ
そんな史料はあるか?
谷も中岡を薩摩藩邸に運んだとは語っていない。
また谷の話によれば中岡は十六日の午後二時ごろに死んだのである。
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:16:07.03 ID:IwV2ZAYq0
その他の怪しい点− 其の近江屋なる者は小僧一人居りましたとか何とか言ひましたけれども、決して家には居らざつたに相違ない。 所が、其処に居つだ者は、坂本龍馬の僕が一人である。 成る程京都では能く机を置て話をし飯を食ふことをやつて居るが、そんなものはなかつた。 行燈を前に置いて、そして二人が話し居つた。 所が能く御考になつたらば分るが、人を斬りに行くにさう云う間鈍いことで人が斬れるものでない。 実は今夜ハお前の方へ行つたが、お前が留守であつたから、 けれども是も想像が出来る。自分は刀を確に取つたに相違ない、 刀を取つたがもう抜く間もないから、鞘越しで受けた。 それで後ろから袈裟にやられて、又重ねて斬つて来たから、 太刀折の所が六寸程鞘越しに切られて居る。 身は三寸程刃が削れて鉛を切つた様に削れて居る。 それは受けたが受流した様な理窟になつて、 そして其時横になぐられたのが額の傷であらうかと想像される。 それから又疑ふべきことは、お前ハ松代の人であるかとか、何とか云ふことは、 そんなことを応接するどころの騒ぎでない。 僕の後に附いて来て矢庭にコナクソと云ふてやつた。実に速にやつた。 所が此先生は書生が三人居つたが二人は逃げて一人は斬止めた、斯うある。どうも途方もない間違つて居る。 何処が怪しいかというと、まるで現場に自分がいたようによく知っているのである。
>>539 現代人から見ると不思議に思うかも知れないが、書生がやたら出入りするのは当時普通
人により、『俺書生とり過ぎて何人居るかわかんねえ』みたいな人も居るよ
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:21:36.39 ID:jF3kehbJ0
>542 だれかの小説などがごちゃまぜ。話にならんです。 谷などが何時、近江屋に来たか、峯吉の話なども信憑性なし。 だれが、知らせたのだ、谷らに。 >543 このパラノイアの投稿は、無視。土佐観光のまわしものと同じ。 土佐藩という言葉は絶対に使わないで、容保、容保。 土佐藩は、中岡と龍馬の暗殺に関与しているのだよ。 おかしいだろう、事件は語られてるのは土佐藩関係の仲間内だけ。 後は、死んだ佐々木を犯人にした今井と渡辺の証言らしきものだけ。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:23:11.57 ID:h1Y5RDTq0
谷の証言で嘘云々言ってたらw 斬られた中岡は新撰組ではないかと思い、斬った見廻り組さえ細かい記憶違いある。 三浦の所へ斬りに行つた書生って陸奥とかその辺だろ。 海援隊陸援隊は陸奥が中心になり天満屋事件で三浦や新撰組を襲っている。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:26:21.16 ID:sV7tc32c0
>>544 「此の両者ともこの頃の時勢に付き、寛大の意を得、黙許すれども
元御国元脱走者の事故、未だ御国の命令をもって
両人とも復籍の事にも相成らず其の儘に致し有し故、表向き不関係の事」(土佐藩重役の日記)
坂本龍馬及び中岡慎太郎の身柄は、事件後も土佐藩は引き取らなかった。
そのため重症の中岡が担ぎこまれたのは薩摩藩邸であり、葬儀すら近江屋が代金を支払った。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:35:38.70 ID:IwV2ZAYq0
陸奥のことは書生とは謂わない。 また龍馬に話に来た書生が陸奥ほどの大物なら、 陸奥が話に来た、と書く。
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:37:09.86 ID:sV7tc32c0
特に中岡の死は岩倉具視を激怒させ、必ず復讐するという誓いを岩倉は残している。 有為の者を死なせてしまった原因は土佐藩の警護不足にあると 西郷隆盛は後藤象二郎を詰問し、後藤は返す言葉がなかった。 これが当時一般に信じられた新撰組犯行説とも重なり、大政奉還を進めていた坂本・中岡らが 旧幕府によって殺されたことから、土佐藩の公武合体派は行動を旧幕府から否定されたとして言を失った。 それまで公武合体と討幕とに揺れていた京都における土佐藩は、討幕への結束が図られることとなった。 山内容堂一人を置き去りに土佐藩は討幕路線へ進む。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:38:43.30 ID:IwV2ZAYq0
また危険だから近江屋に潜んでいるのに、 書生がやたら出入りするはずもない。 なんでここの連中はこうもレベルが低いのか。
>>548 陸奥は書生じゃないよw
書生というのは自力で生活出来ない子供や作家を裕福な大人が面倒見てた昔の文化。
ケチな人は金持ちでも書生とらないし、気前よい人は数えられないぐらい書生いる
人より給料良い奴に書生がいるのは幕末〜大正まではごく普通のことで
時期により増減もするし、いちいち周りは数えてない。
陸奥も気前良い方だから周りが書生だらけ
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:41:35.87 ID:eUmK+b9PO
>>552 そもそも危険だどうだ気にする奴は書生にならない
当時は誰の書生にもならずホームレスや野垂れ死にする人もいるんだから
時代の差
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:41:46.57 ID:sV7tc32c0
>>547 証言と小説の区別も付かないID:jF3kehbJ0は存在自体が不要ですね。
そして都合の悪い資料は全て、疑いがあるのだで否定しようとする。
あなたの存在が嘘だらけですよ。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:44:18.76 ID:sV7tc32c0
>>552 都合が悪い証言はレベルが低い?あなたの頭を疑います。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 21:57:16.88 ID:IwV2ZAYq0
>>551 坂本・中岡の暗殺によって土佐藩が討幕に固まった、などという史実は無い。
小御所会議のその日まで、後藤を含めて、土佐藩は徳川家温存だった。
容保が憎いからといって、好い加減なことを書くんじゃない。
容保ガーはいつもこういう出鱈目を平気で書く。
>>556 君は何を言っているのだ。
書生とは陸奥のことだろう、とか、
書生はやたら出入りしていたものですよ、
とか書いている奴がいるから、それが非であることくらい、
常識で分かるだろう、と書いたのだ。
あいかわらず容保ガーは頭が悪いな。
人のレスの意味も読み取れないのか。
岩倉の危険であるという手紙、吉井も忠告し才谷も危険を知っていた。 そして見廻組に才谷石川がやられた3日後、 同じ勤王浪士・御陵衛士の伊東が新撰組に殺されている。 やはり再委任求めていた幕府側の指図。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:08:06.61 ID:sV7tc32c0
>>557 坂本龍馬・石川誠之助の両人暗殺に遭い、土邸大いに憤激いたし
廿七日の御発船は今一つ運漕御人数御繰り出し相成り候て、早早御迎えに乗り戻り候時機に御座候
後藤にも俗論よりは怨みを受け既に危うき場にも陥り候次第にて、
迚も此の上は正義の党と結合申さず候はでは致し方なき次第にて、
乾・小笠原の徒と相結び有志中とも一体の場合に立ち至り、土州に取りては不幸中の大幸と相成り、天下の大慶に御座候
(西郷隆盛 蓑田伝兵衛あて書簡 慶応3年(1867年)12月5日付)
史料も読まずに史料を否定するからあなたは笑われるのです。
あなたは酷いうそつきだし、これからも嘘しか書く気がないのでしょう。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:13:08.67 ID:IwV2ZAYq0
坂本や中岡や新選組の伊東を殺したくらいで、 政局の流れが変わるとでも思っているのか。 馬鹿じゃないのか。 それから伊東暗殺の黒幕として永井の名が上がった、 という史実を知っているのか? 三条実愛の日記にちゃんと書かれているのだぞ。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:21:33.60 ID:sV7tc32c0
>>560 思い込みや風説を記しただけでその記述が正しいと思い込むのは、あなたがうそつきであるというしるしです。
>>557 であなたは嘘をついた。そして嘘を重ねようとしている。嘘の塊があなたです。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:23:37.21 ID:IwV2ZAYq0
>>559 土佐藩は鳥羽伏見のその日まで揺れていたのだ。
小御所会議でも休憩前まで後藤は容堂の味方だったのだ。
西郷のその手紙は、これで後藤も討幕派にならざるを得ないだろうと、
述べたもので、後藤が討幕派になったと述べたものではない。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:26:26.35 ID:sV7tc32c0
>>560 伊東暗殺の犯人として土佐藩を近藤勇が挙げて、
真っ赤な嘘、新撰組が犯人だ、高台寺党を薩摩が保護して証言を得た、と嵯峨実愛が論破した場面はよく知られていますね。
あなたの主張はその程度の嘘の塊です。
嘘を重ねるなら、あなたの存在もまた無意味ということでしょう。
書生てのは、本来は勉学の道には生きれない程貧困なのに 生死の境をさ迷う覚悟で夢をおいかけてる人々 だからこそ金持ちが、高い志を持つ若者に感心して支援してくれる ちなみに陸奥も若い頃は書生にしてくれる主人が途切れた時、飲まず食わずで倒れて死ぬ寸前の所を新しい主人に拾われてる。 金持ちな龍馬や容保には無縁の生活だろうけど。
政局の流れは結果論に過ぎない。 それほど情勢把握していたら、石川が武力討幕派の戦略を練り動かしていた事を知ってたはず。 しかし狙ったのは大政奉還を遊説していた才谷の方。 小御所会議も春嶽や容堂の頑張りで、慶喜に同情派が優勢だったが、政局を把握せず攻め3倍の軍を持ちながら敗北している。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:27:38.22 ID:sV7tc32c0
>>562 あなたが希望を表明するのは勝手ですが、それは史料を欠いています。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:36:02.09 ID:IwV2ZAYq0
>>563 君は本当に頭が悪いな。
犯人が新選組ではない、などとは私は何処にも書いてないぞ。
黒幕が永井だという噂がある、と、
三条実愛の日記に書かれている、と言っているのだ。
誰かが書いていたが、君は本当にパラノイアに近い。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:36:15.12 ID:eUmK+b9PO
>>557 命狙われてる奴にまでやたら客人来るのは本当に当時は普通の事だよw
現代人と昔の人では危険と言う概念が違う
つか明治頃までは命狙われてる政治家の泊まり先住所を新聞で公開するようなキチぶりだから日本w
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:36:55.47 ID:jF3kehbJ0
>559 墓穴をほるようなことをのべている。 その手紙は「後藤が土佐藩の守旧派に暗殺されるやも知れず、 土佐藩には中岡や龍馬を暗殺しようとした保守派が多くいたことを」を 述べた西郷のものだ。 当時は、後藤でも容堂の意をくみ、倒幕は反対で動き、中岡や龍馬には 手を焼いていたということを西郷がのべたのだ。 それくらい、当時の土佐藩の上層部は倒幕派は少なかったのだ。 郷士の棟梁で倒幕派の中岡と龍馬は何としても、土佐藩上層部の 多くは無きものにしたかったことを物語る一級資料なのだ。 良く、資料の中身を背景など調べて吟味しなさい。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:46:34.95 ID:sV7tc32c0
>>569 全くナンセンス。そして君は解釈を誤っている。
当時の土佐藩、特に京都における土佐藩が討幕路線と公武合体路線に揺れていたところに、
公武合体=大政奉還を進めていた坂本・中岡が旧幕府の手によって殺害された(当時土佐藩は新撰組殺害説を信じた)ため、
土佐藩内の公武合体派が方針を失い、討幕派に擦り寄ったという意味なんだよ。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:48:22.18 ID:sV7tc32c0
>>567 嘘をついたらごめんなさい。その程度のことすらあなたは出来ない。
あなたの文章は幼稚園未満だよ。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 22:55:51.03 ID:IwV2ZAYq0
嘘をついたらごめんなさい。その程度のことすら容保ガーは出来ない。 容保ガーの文章は幼稚園未満だよ。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 23:02:33.83 ID:IwV2ZAYq0
容保説 唱えているのは 単細胞 容保説 唱えているのは パラノイア 容保説 嘘と妄想で できてゐる
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 23:04:14.51 ID:jF3kehbJ0
>570 また、うそをつく。中岡と竜馬が公武合体を進めていたなどと。 土佐藩上層部は中岡らが暗殺された後も幕府を温存しようと 公武合体をあくまでも藩論として進めたのだ。 君の頭は、どこかが狂ってる。 それに、述べれば述べるほど、墓穴を掘る。 君の述べてる「中岡らが暗殺された後に倒幕派にすり寄った」という発言は、 「土佐藩には中岡らが暗殺された当時、ほとんどと倒幕派はいなかった」と 言ってることなんだぞ。良く考えろ。 君は中岡と龍馬を殺したい奴が土佐藩には仰山居たと述べている。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 23:06:22.20 ID:sV7tc32c0
追い詰められたら鸚鵡返しか。 だから松平容保支援者は嘘つきとして嫌われることになる。 暗殺事件当時、近江屋主人・新介によると近江屋には見習いが4人いた。 これが書生とやらの正体とみえる。
>>574 アンカー小文字にしないとリンクされませんよ
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 23:12:34.50 ID:sV7tc32c0
>>574 君の解釈は論理無視も甚だしい。
大政奉還は、公武合体派から見れば間違いなく公武合体に不可欠な進路そのものだ。
坂本と中岡が内心どんなことを考えていたかは別だが、大政奉還は公武合体派にとって全然悪くない。
現に徳川慶喜が自ら推進し、板倉や永井も推進していた。
この状況があったから、薩摩から「岩倉具視の手紙で、会津藩らが薩土安要人を狙っていると通知された」と警告しても、
土佐藩は誰からも狙われる心配は無いと高を括っていた。
しかし大政奉還を転覆させようと松平容保らは狙っていた。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 23:17:20.83 ID:jF3kehbJ0
576の指示により再掲。
>>570 また、うそをつく。中岡と竜馬が公武合体を進めていたなどと。
土佐藩上層部は中岡らが暗殺された後も幕府を温存しようと
公武合体をあくまでも藩論として進めたのだ。
君の頭は、どこかが狂ってる。
それに、述べれば述べるほど、墓穴を掘る。
君の述べてる「中岡らが暗殺された後に倒幕派にすり寄った」という発言は、
「土佐藩には中岡らが暗殺された当時、ほとんどと倒幕派はいなかった」と
言ってることなんだぞ。良く考えろ。
君は中岡と龍馬を殺したい奴が土佐藩には仰山居たと述べている。
容堂の立場は、徳川処分に寛大だが幕府廃止に賛成。 大政奉還に賛同し後藤に運動させたが、一方で出兵には反対した。 平和主義といえば才谷でなく、むしろ容堂。 出兵条件に大政奉還に賛同した薩摩は、合意内容と違うとして薩土同盟が一度崩れた。 で後藤は功利主義だからとにかく勝つ方につきたい、しかし容堂の方針には逆らえないという立場。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/22(月) 23:48:51.72 ID:sV7tc32c0
いくつか詰めるべき部分はあるが、実行犯は見廻組で決定するしかない。 命令者については、手代木直右衛門証言や今井信郎証言から京都の幕府上層部と考えるしかなく、 これを補強する形で、手代木が彦根藩に送った暗殺事件についての摺り合わせ協議書簡を考慮すると、 やはり松平容保が命令者と断定することになる。
元々第二次長州征伐の失敗で幕府は実質終わった。 その後の四候会議で長州問題、兵庫開港問題を取り決めようとした。 西郷は徳川もいずれは一諸侯に戻り、諸藩と共に朝廷を補佐し政治を行うべきと建白。 しかし慶喜の頑張りで四候会議が失敗し、武力倒幕論がでてくる。 しかしもう一つまったと土佐の大政奉還論が出てくる。 そして大政奉還と武力倒幕同時平行して進む。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 09:46:51.12 ID:Gk9HYOFq0
>>575 この男はほんとに○○だな。
その書生が天満屋への討ち入りに参加して負傷したと谷は述べているのだぞ。
近江屋の店員が討ち入りに参加したのか?
馬鹿じゃなかろかw
>>581 この男も○○の一つ覚えの阿呆だな。
土佐藩の浪士を一人や二人殺したくらいで政局の流れが変わるとでも思っているのか。
政局というのは藩主か将軍クラスを殺さないと変わらないぞ。
馬鹿も休み休み言え。
要するに容保ガーというのはこの程度の単細胞ド阿呆なのである。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 10:50:18.11 ID:hMpdTanCO
ちっとも進歩しねえな、ここ。これだけル―プしてるスレも珍しい。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 12:02:46.66 ID:V2CtCiutO
>>583 お前は松平容保が犯人であることを認めたくないだけで逃げている。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 12:37:44.67 ID:MgcXMsl50
憎いから殺す、のと、邪魔だから殺す、のでは、後者の方が動機が強い。 大政奉還が憎いから殺す、のと、龍馬が邪魔だから殺す、のでは後者の方が動機が強いのである。 ゆえに幕府側が黒幕なら、大政奉還が憎くて殺した、のではなく、 龍馬という人物が危険人物だから殺した、と解釈した方が正しい。 しかし幕府にとって土佐藩の一浪士の言動など取るに足らぬことである。 これに反し、土佐藩にとっては龍馬の言動は等閑視できないのである。 ちょうど学校内のイジメ問題はその学校にとっては重大問題だが、 政府にとってはそんなものは何ら重要事ではないのと同じことである。 こういうことを考えると、龍馬暗殺は、幕府より、 土佐の仕業と見なす方が理に適っているのである。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 12:50:41.03 ID:MgcXMsl50
但し龍馬が薩長の間を周旋している人物であることは早くから知られていたのであり、 大政奉還も龍馬の案であるということが分かれば、幕府側が、 龍馬を始末しようと考えることはあり得ることである。 しかしその場合でさえ、あいつは危険人物だから殺せ、 などということを幕府が命じるはずはない。 そんなことをしていたら法治国家の崩壊である。 ゆえにそういう場合は普通はその人物を捕獲して、その後で処分を決定するのである。 ところが幕府側に一人だけ、こういう常識を知らない男がいた。 それが永井である。永井は、寺田屋事件のとき、龍馬を殺せと指図しているのである。 松平勘太郎が、某大目付が龍馬を殺せと言った、と龍馬は手紙に書いているが、 当時の大目付は永井なのである。
思念だけで論理を含まない松平容保擁護は、終わりにしたほうが良いと思うのだ。
589 :
諸橋 嘉久 :2012/10/23(火) 14:51:25.82 ID:oxXoLMYt0
坂本龍馬を暗殺した黒幕が松平容保と松平定敬ならば、 大坂城を抜け出した徳川慶喜を松平容保と松平定敬が刀で殺す筈です。
590 :
お得♪ :2012/10/23(火) 16:24:41.21 ID:pgRhNsAnO
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 18:38:57.95 ID:0ckxGKzm0
>>587 >松平勘太郎が、某大目付が龍馬を殺せと言った、と龍馬は手紙に書いているが、
当時の大目付は永井なのである。 <
こんな話は????
それに、一年半前の寺田屋事件での永井の動きなど想像だし、
ましてや、「永井が殺せ」と言ったなどと発展させるのは
、全て想像と述べているのと同じ。
○○の一つ覚えの容保説よりましだが。
お前も川柳偏見と変わらぬ。 容保以外の説を言いたいのなら、それなりの根拠を出せば良いのに いつも、かもしれない、定説は捏造、史料は捏造、私の心が正しい、なのだから。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 19:09:34.00 ID:0ckxGKzm0
容保説で、まともな資料と論理で述べたものがあるか。 手代木直衛門伝くらいだが、まともな資料とは言えぬ。大正の記者 の作品だ。 それに、少しは認めても、それだって某諸侯だ。 当時では、手代木なら自分の上司の容保を某諸侯などというものか。 この某諸侯を容保を庇って言わなかったというが、庇うなら「命令者は知らない」 くらいで「某諸侯」などというものか。 手代木伝のようなものだけでガタガタというな。 そうゆうのをパラノイアというのだ。 それとも土佐の回し者だ。土佐藩が龍馬を暗殺したのでは 笑いものだからな。
永井尚志が坂本龍馬の命を狙っていたとかいう話は寺田屋の時期で、しかも伝聞。 大政奉還の時期になってくると、永井から土佐藩へ、何故大政奉還の動きが始まらないのだと催促が出たりしており この時点で大政奉還の具体策を永井尚志と話したのが坂本龍馬なのだから。 (当時土佐藩は、安芸藩を巻き込み早期の武装討幕準備をしていた薩摩藩に、結束が乱れるとして大政奉還の推進に難色を示されていた。 薩摩が一転賛成に転じるのは、早期の武装蜂起がバレバレになり修正が必要になっていたこと、大政奉還が成功すれば幕府と将軍位消滅、 大政奉還が失敗しても武装蜂起に土佐藩参加、と利点が多いと判断したため。) そのため坂本は永井と数回面談を行っており、 この時の永井の坂本への印象は、なかなか面白いといったものであった。坂本は永井のことを、ぴったり意見が合ったと書いており、 両方の相手への印象が悪いとは、これを読む限り当てはまらない。 「(坂本は、)(後藤)象二郎とはまた一層高大にて、説も面白くこれあり」(菊地明 「坂本龍馬」)
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 19:20:54.94 ID:tMNDK7iu0
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 19:56:25.15 ID:aiei58NU0
>>591 お前は龍馬の手紙を読んだことはないのか。
龍馬の手紙にちゃんと書いてある。
>>594 そのあとを読んでみろ。龍馬の案はまだ時期尚早だ、というようなことが書いてあるだろ。
それにその永井の話は、たしか暗殺の翌日に中根に語った話だ。
つまり信用できないということ。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 20:51:09.07 ID:tMNDK7iu0
>>596 時期尚早を信用できないと解釈する精神の方が信用できないのですが。
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 21:01:05.83 ID:d7wqd6nc0
>>597 馬鹿な奴だな。永井が龍馬の案を時期尚早だと言ったということは、
永井と龍馬の間で意見の齟齬があったということだ。
信用できないというのは時期尚早云々の話ではない。
事件の翌日に永井が語ったことであるから、
永井の龍馬評は信用できないということだ。
死んだ人間のことを悪く言う奴はいない。
しかし龍馬の案は時期尚早だと言っており、
龍馬と自分は考えが違っていたということを匂わせているのだ。
>>583 その人ではないけど、討ち入りに物凄く殆ど関係ない人が参加するのはよく有る事だよ
天満屋で書生が討ち入りに参加したかは別として
殺された人の友達の友達とか殺された人の友達の知り合いの後輩とか
かなり縁薄い人もよく参加してる
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 21:11:56.23 ID:tMNDK7iu0
>>598 それは信用できないという意見にはならないと思います。
あなたは永井をとにかく悪意で書こうとしますが、その文章には悪意は見えない。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 21:45:34.35 ID:d7wqd6nc0
まあ、有力なのは次の四つくらいだろう。 幕府説 1 永井説 2 容保説 土佐説 3 守旧派説 4 討幕派説(これには薩摩参加説も含む)
容保―見廻組 以外は塵のような可能性ですけど。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 23:05:02.61 ID:mNcsLCfe0
容保―見廻組 は塵のような可能性ですけど。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 23:35:59.06 ID:0ckxGKzm0
まー、中岡と龍馬の暗殺が土佐藩に取って重要だった ならば、今井信朗が見張り役でしたと言って簡単に許されるわけがない。 見廻り組の佐々木が絡んでいたとしても、死んでいる 佐々木を犯人として、取り調べの土佐藩は収めたかったのだ。 土佐藩が見廻り組などに過激な郷士で倒幕派の排除を頼み 動いたのだ。 当時は、容堂は過激な倒幕派を排除して徳川の温存を藩論として動いた。 土佐藩の上層部が二人を暗殺したら、土佐藩の郷士は反乱もありえたので、 それで、幕府の見廻り組を土佐藩上層部は利用した。 そして、維新後、土佐藩の容堂にまで中岡と龍馬暗殺の容疑が、 かかるのを土佐藩は恐れたのだ。 薩長に知られたら大問題だ。それを土佐藩上層部は隠したのだ。 これらは、中島の本が詳細に論じている。土佐藩の暗部を始めて 本があばいた。画期的だ。
阿呆か 一度同盟を結んだなら、その事実が両者にとって暴露材料になる。 見廻組と尊王攘夷派には接点は作れないのさ。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 23:50:14.90 ID:0ckxGKzm0
>>605 まったく、君は○○だな。土佐藩には守旧派が寺村や寺田のように
京都藩邸には多く居たのだ。
土佐藩が尊王攘夷派などとアホなことばかり思っているから
言っているから、相手にされないのだ。
レベルの低いことで述べるな。
もっと、ましなことを述べること。
>>606 理由にならないことを喋っても困ります。
土佐藩は見廻組に情報は提供できません。理由は
>>605 です。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/23(火) 23:57:45.80 ID:0ckxGKzm0
本当に○○だな。 605の内容は、墓穴を掘ったのと同じ内容だ。 土佐藩上層部は尊王攘夷などではない。開国派だ。 少しは勉強しろ。くだらない妄想をいうのでなく。
黒幕を討幕派かその周辺にすると、見廻組が実行犯の場合、 その後、戊辰戦争を通じて完全に敵対しているのに、なぜ暴露が出ないのかという単純な矛盾に行き着く。 黒幕をなんとしてでも討幕派にしたいという作家は、実行犯も無理を承知で討幕派にするしかない。 だがそれは、中岡が事件後数日生きていた時点で無理なんだよ。 つまり、佐幕派(松平容保)―見廻組 が不動のものとなる。
>>608 レス無い様だが、とりあえず、仇討ちには全然関係ない商人や、殆ど面識ない奴まで参加する事は
よくあるという件については納得して貰えたのかな?
龍馬については色々調べてるの感心だが、もう少し龍馬以外の周りにも興味移して欲しいかも。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 09:17:04.15 ID:9NZR5DzR0
>中岡が事件後数日生きていた
よくまあ、こんな嘘を平気で書けるものだ。
谷も中岡は16日の午後2時頃死亡したと言ってるだろうが。
>>610 >>608 は私(永井説)ではないから、間違えないように。
討ち入りの件はどうでもいい。問題は、
当日(かどうかは断言できないが)書生が龍馬に話に来た、
ということを谷が知っていたという点だ。
谷がその日龍馬を訪れて会談したというような史料は無いのだ。
ところが谷は龍馬に話に来た書生のことをポロリと喋っているのだ。
つまりここで谷のアリバイが崩れる。
谷は、当日、事件前に龍馬を訪れていた、あるいは、
暗殺時刻に現場にいた(!)可能性があるのだ。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 09:24:49.37 ID:9NZR5DzR0
ちなみに私はそれほどよく調べているわけではない。 もともと幕末史などには何の関心も無いのだ。 私が調べたのは基本的なことだけである。 ところが世間には基本的なことも調べていない奴が多い。 たとえば龍馬の手紙に某大目付が云々とあるから、 この大目付とは誰だろうかと調べたら永井だったのだ。 国史大辞典の大目付の項で調べたから間違いない。 それから永井が永井候と書かれていることも、 菊地明の「京都見廻組史録」で知った。 ところが龍馬暗殺を論じている物書きでさえ、 こういう基本的なことも調べていないのだ。 ただもう呆れるばかりである。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 09:36:45.05 ID:9NZR5DzR0
要するに、これまで誰も永井には注目して来なかったので、誰も調べなかったのだろう。 しかし私は永井が怪しいと思ったので、永井について基本的なことを調べたのだ。 すると龍馬暗殺後に永井が疑われていることが分かったし、 伊東暗殺で永井が黒幕だという噂があったという驚くべき事実まで出てきたのだ。 私が、容保を庇いたいために、信じてもいない永井説を唱えているのだろうと 思っている人もいるようだが、そうではない。私は真面目に永井説を唱えているのだ。 ただし土佐藩討幕派説もありうると思っている。 守旧派がやったのなら、維新後に、あれは守旧派がやったのだと言えばいい。 ところが討幕派がやったのなら、明治の高官である彼らは、口が裂けても言えないのである。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 10:21:01.65 ID:bH5IM8NN0
>>612 、613
大目付の定員は五名。
そして、兼帯といって道中奉行・宗門改役・鉄砲改役など5つの役を兼任した。
寺田屋事件の時期は、京都、大阪には、三人が大目付としていた。
1.川勝 広運(かわかつ ひろかず)が1855年11月より大目付となり
京都詰を勤めた。滝川具挙と共に長州征討の参謀役を担当した。
2.滝川具挙は1861年上洛しその後京都町奉行に転出し、
元治元年(1864年)大目付に就任し、天狗党の乱の時には
天狗党に対して厳しい対処をする。
その後は川勝広運と共に長州征討の参謀役を担当した。
3、永井尚志
1862年(文久2年)
7月5日、軍艦操練所御用となる。(1861年(文久元年)9月4日より田沼玄蕃頭意尊が若年寄となっており、旗本管轄の若年寄の官職名と同一であることから内規に倣い、主水正に遷任。実父・乗尹が藩主時代に任官していた主水正と同じ。)
5月7日、京都東町奉行に異動。
1864年(元治元年)
2月9日、大目付に異動。
6月23日、宗門改を兼帯。
1865年(元治2年)1月11日、大目付を免じ、寄合となる。
1865年(慶応元年)10月4日、再び大目付となる。
10月27日、外国奉行と長州御用掛を兼帯。
○、龍馬の手紙の、某大目付は、永井尚志とは決まっていない。
永井とするには、決め手はない。僅かにあるが。
>>611 谷は真相を知っていたという事ですか?
明治の高官である彼ら」って谷や田中の事ですよね?
谷が土佐が関与していた事を隠したいのなら、
なぜ今井の記事に噛み付いたの?今井は幕閣か容保からの指示だろう
って言ってるのに。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 12:26:14.06 ID:0xl5wtY50
伊予松山藩なら全てのつじつまが合う。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 12:41:22.09 ID:tYxpNVLV0
見廻組が実行犯だったとしても、谷にとっては別に不都合ではないのだが、 なぜか谷は今井の話を否定した。 真相を知っていたから、今井の話が嘘であることを知っていたためか、 それとも他の理由からか…。 そのあたりは各自で推理してみればよい。 とにかく谷は何かを知っていて、それを隠しているような感じがするのである。 守旧派の犯行であることを匂わせているが、 それも自分たちでやったことを欺くために話しているのかもしれない。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 12:51:41.56 ID:tYxpNVLV0
今井も渡辺も机があったと書いているが、 谷は机など無かったと話している。 ここも重要なポイントだ。 机は無かったのなら、今井と渡辺が嘘をついていることになる。 谷は近江屋のことを「あくら屋」と話しているが、 この「あくら屋」というのが何の店なのか、よく分らないのである。 もしかして胡坐鍋の料理が商売の店なのだろうか。 それなら机はあるはずなのだが。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 13:04:43.44 ID:XXaknz+AO
>>611 基本的事実をこの人は間違っている。
だから実行犯に陸援隊とかを主張するのだろう。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 13:08:11.45 ID:tYxpNVLV0
あくら屋とは、どうも、油屋の間違いのようだな。
で、油屋とは醤油屋のことなのか?
>>619 間違っているなら、どこが間違いなのかを指摘しないと。
ただ間違っていると誹謗するだけではダメだよ。
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 13:38:54.08 ID:Dy3r7l3e0
>>620 中岡慎太郎が即死したと君は言うが、
それでは数日間看病しその間に遺言とやらを聞いている事実と符合しないんだよ。
君は基本的な事実を無視している。
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 13:51:53.87 ID:Dy3r7l3e0
まず、暗殺事件は15日夜、 そして中岡が死んだのは17日、 死ぬまでの間に志士の訪問を受け、いくつかの言葉を残しており遺言となった。 代表例としては、水戸脱藩藩士で陸援隊の香川敬三が聞いたものを紹介しようか。 「我が為に岩倉卿に告げて欲しい。王政復古のこと、一にかかって卿の御力に依るのみである」 これに対し岩倉具視は号泣したと伝えられている。 「この恨み必ず報ぜざるべからず」(19日付 岩倉具視から大久保利通宛書簡)
まあ、いきなり斬り付けられる距離まで来ているのに、2人が刺客に 気づかないと言うのは変だ。 この方法だと少しでも物音をたてれば、龍馬はピストルを出し、中岡は 抜刀していたかもしれない。佐々木達は返り討ちになった可能性がある。 いかにも無謀でいい加減な作戦だ。でも実際はこんなものかもしれないが。 谷と今井の話は大筋において似てるし・・・謎だらけだな。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 14:07:40.77 ID:Dy3r7l3e0
谷干城は、事件直後から一般に信じられた新撰組犯行説に従い、 新撰組隊士を追いかけ、近藤勇には切腹も許さず斬首処刑している。 谷が明治以降に新撰組以外が真犯人だったと言われても、受け入れることは考えられない。 状況と証言を考える限り、実行犯は見廻組であったということになる。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 18:47:29.23 ID:3EwnC+Hx0
>>621 おぬしも好い加減な男だな。一体どこを読んでるんだ?
中岡が即死したなどとどこに私が書いている?
中岡は16日の午後2時頃死亡したと谷は話している、と、
>>611 に書いているだろうが。
なんで容保ガーというのはこれほど馬鹿なんだ。
人のレスもろくに読めないのか。
まあ、そんなことだからろくな推理もできないのだろうが。
とにかくこの連中は資料もまともに読めないのである。
この連中を相手にしても無駄である。
期待できそうなのは容保説以外の人だけである。
626 :
諸橋 嘉久 :2012/10/24(水) 18:57:10.04 ID:kmrS9rgX0
622 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/24(水) 13:51:53.87 ID:Dy3r7l3e0 まず、暗殺事件は15日夜、 そして中岡が死んだのは17日、 死ぬまでの間に志士の訪問を受け、いくつかの言葉を残しており遺言となった。 代表例としては、水戸脱藩藩士で陸援隊の香川敬三が聞いたものを紹介しようか。 「我が為に岩倉卿に告げて欲しい。王政復古のこと、一にかかって卿の御力に依るのみである」 これに対し岩倉具視は号泣したと伝えられている。 「この恨み必ず報ぜざるべからず」(19日付 岩倉具視から大久保利通宛書簡) 二日後に中岡慎太郎が本当に亡くなったのなら、 岩倉具視は中岡慎太郎の見舞いに一度くらいは来れる距離と移動時間ですね。 真相は中岡慎太郎は即死だったのです。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 19:06:02.91 ID:3EwnC+Hx0
たしかに実際は即死だったのかもしれないが、 谷の講演ではこうなっている。 そこで石川は今申す通り十六日の午後一時か二時頃、 昔で云ふと八ツ時と云ふくらゐに、とう/\死んだが ちゃんと十六日の午後一時か二時頃と書いてあるのに、 容保ガーはこんな文章も読めないのか(憫笑)
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 19:10:36.08 ID:3EwnC+Hx0
机に関しては、谷は矛盾したことも述べている。 其処ハ低い敷居があつて其下に坂本が机を置いて書見して居る。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 19:25:44.92 ID:Dy3r7l3e0
>>625 史実否定しか松平容保擁護の手段がないわけか。
君の言葉は何の意味もないということを自白してしまった。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 19:51:24.79 ID:g7gvB2HK0
>>624 谷が殺したのは俗説
実際は徳川の要望で処刑
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 20:33:46.19 ID:Dy3r7l3e0
>>630 それはどうだか。
谷干城だけではない、近藤を捕らえたのは香川敬三の一隊であった。
そして近藤勇へ武士として扱うよう唱えていた黒田清隆や有馬藤太が職務上席を外すと、
速やかに刑は挙行された。後から尋問しようとしても後の祭りであった。
谷干城は坂本、中岡暗殺犯としての新撰組を仇敵とし、生涯、新撰組以外の犯人を認めなかった。
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 20:39:03.11 ID:Dy3r7l3e0
それと、谷の演説は口が滑るところがあって、全てを付き合わせると色々各々違い、史実と異なる点もある。
谷の中岡証言は、大筋でこう言ったと判断することになる。
>>627 はカス書き込みということだ。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 20:59:23.92 ID:tw0txGn+0
近藤は官軍に手向かい、徳川の内命を受けなどと偽り唱え、朝敵と徳川の名を偽りと死刑された 谷が殺したってはは誤り 三浦にそそのかされた新撰組でないかと思っていると講演で言ってるだけ それ以外を認めていないなんてないのは分かる
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 21:21:48.90 ID:0tekdn200
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 21:26:32.56 ID:0tekdn200
君らは近藤処刑の経緯に関する原資料を読んだことはあるのか? 物書きの想像ではない原資料を。 そんなものがあるのかどうかは知らないが、 作家が想像推理して書いたものを読んで議論しても仕方がない。
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 21:28:03.98 ID:tw0txGn+0
まず近藤は京都護送方針となっていた 出陣は大久保一翁の命であると言ったので徳川目付にたずねたところ、 大久保なる人は徳川家に存在せず、近藤も脱走し徳川家となんら関係ない 戦闘は慶喜の恭順に反しており、朝廷の為にも諸藩のためにもと近藤に厳罰を求め処刑に傾いた さらに谷の講演は今井の証言は、自分が検分したのと違うと言う事で当時の状況を語った普通の内容でしかない 見廻組を支配下に置き手代木証言がある容保か、龍馬と多く接触していた永井が怪しい
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 21:31:46.27 ID:0tekdn200
容保ガー 容保説以外は みんなカス カス。こういう汚い、いかにも2ch的な言葉で他説を一刀両断の下に否定する。 これも一部の容保ガーの特徴だ。
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 21:53:08.50 ID:tw0txGn+0
「手代木翁死に先たつこと数日、坂本殺したるは弟只三郎なり、坂本は薩長連合を謀り、土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたる、 深く幕府の嫌忌を買ひたり、此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率い、蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したりと。」 この証言がほんと臭いのは、龍馬だけを狙っている所 中岡の名が出てくるのは、一緒にやられたのは同じ浪士巨魁中岡だったと知れてから 実は中岡も狙って仕留めた的、名誉欲もない 佐々木と見廻組が実行で、幕府側某諸侯の命と普通
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 23:17:30.94 ID:0tekdn200
だから、結局、今井弟の手紙と手代木の遺言の両方を満足させる人物が、 一人だけ存在するのである。それは永井である。 なぜなら永井も某諸侯に該当するのだから。 以上、終り。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 23:28:51.47 ID:Dy3r7l3e0
松平容保擁護は妄想しか書けなくなっているのか。 中島とやらの土佐藩への冤罪に酔ったか。 それとも、松平容保を真犯人とする説を信じたくないばかりに 今井弟なんて他史料との整合性のない手紙を持ち出すのか、いずれにせよ根拠がない。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/24(水) 23:32:39.82 ID:Dy3r7l3e0
それと中岡は、当日福岡藤次のところに行って、 不在だったから坂本宅へ寄って懇談となったのであって、中岡がこの部屋にいたのは単なる偶然なんだよ。 それを必然と考えるから話がおかしくなる。加害者とされる見廻組の証言から中岡が抜けるのは当然ということになる。
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 08:49:26.30 ID:yklDsfK50
黒幕って会津藩の家老だよね?テレビで日記みたいの子孫が公開してたじゃん 要らんことばかりする会津
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 09:02:03.59 ID:kzTWZ6hq0
>それと中岡は、当日福岡藤次のところに行って こんな資料があるか? また例によって容保ガーのデタラメか?
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 09:07:10.68 ID:kzTWZ6hq0
石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に容保ガーの アホは尽きまじ
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 10:51:39.64 ID:6YwqDFnmO
つまらなえ川柳書いてんじゃねえよ、アホ
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 12:27:59.42 ID:e/xWh6Vg0
容保ガー アホと言はれて アホと言ひ
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 12:43:16.01 ID:e/xWh6Vg0
瀬をはやみ 岩にせかるる 容保説の 割れてもうすでに アカンとぞ思ふ
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 13:16:53.05 ID:R/p5ORchO
もう松平容保支持者は妄想のみか
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 13:20:02.09 ID:R/p5ORchO
まともな史料を否定して、土佐藩叩きの妄想披露では、 いくら松平容保を犯人ではないと主張しても無駄でしょう。
なんだか、松平容保―手代木直右衛門―佐々木只三郎―見廻組 という線が種々の証拠で固まったので、、 必死に下らぬ文章を貼っては覆い隠そうとしているようだ。 中岡慎太郎証言:暗殺者に顔見知りはいない、新撰組の犯行だろう 新撰組隊士証言:犯行は見廻組与頭・佐々木只三郎と近藤勇が言っていました 今井証言:犯行は上司の見廻組与頭・佐々木只三郎が見廻組隊士を率いて行った。命令者は御指図(上層部命令)で、幕閣か松平容保か 手代木証言:犯行は実弟の見廻組与頭・佐々木只三郎が見廻組隊士を率いて行った。命令者は某諸侯(松平容保?) 手代木書簡(暗殺事件翌日):「彦根藩代表に早く会ってこちらの事件の口裏あわせがしたい。」 ここまで揃っていて何を誤魔化すのやら。
651 :
諸橋 嘉久 :2012/10/25(木) 16:17:51.26 ID:59DQEcRc0
>「手代木翁死に先たつこと数日、坂本殺したるは弟只三郎なり、坂本は薩長連合を謀り、土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたる、 深く幕府の嫌忌を買ひたり、此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率い、蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したりと。」 < 上記には致命的な嘘が書いて有りますね。 後藤象二郎と組んだ坂本龍馬は、1000挺を超えるスペンサー騎兵銃を土佐藩兵に与え、 徳川慶喜が大政奉還しない場合は、土佐藩兵が討つ 坂本龍馬は大政奉還した徳川慶喜を有力大名による、議会の議員としてなら、 受け入れるつもりだった。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 18:34:59.90 ID:C5yoPEAF0
容保ガーの相手をしても無駄。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 19:34:11.69 ID:C5yoPEAF0
たしか福岡の談に、中岡は頑固な討幕論だったが、 この頃漸く理解してくれたようだと龍馬が語っていた、という話がある。 中岡が龍馬に説得されて平和論に傾いていたという談である。 それが不満な討幕派が二人を抹殺した、という可能性もある。 中岡や龍馬よりも身分の高い上士が、陸援隊と海援隊の支配権を握ろうとした、 という可能性もある。
妄想は不要なのですが。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 19:49:25.77 ID:C5yoPEAF0
容保ガーは不要なのですが。
鸚鵡返ししかしない妄想厨房しか、会津を支えるものがいない不憫さよ
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 20:55:19.19 ID:2ndfmssC0
○○の一つ覚えの妄想厨房しか、会津説を支えるものがいない不憫さよ
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 21:19:23.69 ID:IE3AXVZi0
佐幕派から見たら、討幕も倒幕も幕府廃止で同じだから。 坂本の細かい所まで知らないし、中岡も知らずにやった。 坂本の方が幕府側に有名だっただけで。 坂本中岡共に薩長土の間を周旋していたのは同じだが、坂本は勝の弟子で大久保一翁とも親しい。 幕府役人を射殺したり、永井に大政奉還を周旋している。 中岡は公家の三条や岩倉の間を周旋し幕府と接触薄い。 討幕自体は王政復古の大号令でもう終わってる。 大名になった徳川処分は小御所会議での話。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 22:14:17.78 ID:9zuCze9D0
慶喜が、徳川家除外の方針を知ったのは王政復古の3日前だとWikiに書いてある。 ということは11月15日の時点で幕府はそんなことは知らなかったのだし、 薩長の討幕の動きも知らなかったと思われる。 ということは11月15日の時点では大政奉還が問題だったのだと思われる。 であるなら、龍馬ごときを殺したところで政局の流れが変わるわけはないのだから、 大政奉還が憎くて殺したのか、それとも、 とにかく薩長の間を周旋しているけしからん奴だから殺してしまおう、 ということになったのだろう。 問題はその指令を誰が出したかだが、それは各自で推理すればよい。 但し上の考察は一般的な考察であって、 もしかしたら全然別の暗殺理由があったのかもしれぬ。 また、黒幕が土佐とか薩摩なら、話はまた全然違ってくる。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/25(木) 22:30:53.50 ID:9zuCze9D0
土佐藩の歴史に詳しい人に訊きたいのだが、 土佐藩の守旧派が討幕派を暗殺した、というような例はあるのだろうか。 藩主に内緒で暗殺したというような例が。 もし無いなら、中島説は疑わしくなる。 土佐説者はその辺りをもっとよく調べた方がいい。 むしろ討幕派が平和論の坂本を暗殺したと見た方が良いのでは? 鳥取藩の記録にもそのようなニュアンスで書かれているのだから。
「コナクソ」は事実なのか? 谷は講演に熱が入り、ついポロっと言ってしまったのか。 言ったあとで「四国の言葉だが、この時期土佐は団結していた」ようなことを言っている。 なにか慌ててフォローしたようにも見えるが・・気のせいかな。 谷は何か隠していたのだろうか・・
坂本は特別平和論ではない。 討幕派と大政奉還派の対立みたいなのは誇張や作話。 討幕と大政奉還は両輪で、薩摩小松は大政奉還と討幕の密勅に関わっている。 坂本を失い大政奉還尽力した小松が病になり、一番パニクくったのは後藤。 小御所会議も岩倉は徳川処分に割りと中立。 薩摩も土佐越前より徳川処分に厳しいだけで、最終的に慶喜を入れる件は妥協して寄ってる。 戦争なったのは徳川が京に攻め上ったから。 春嶽は越前兵を幕府と薩長の間に布陣させ、垣根として止めようとしたし、容堂は土佐兵は加わるなとした。 あっさり勝っちゃったからあれだけど、軍事力は徳川が上だったから。 自信満々だったのは徳川で、慶喜が大政奉還したのも薩摩を討たないのも納得してなかった。
663 :
諸橋 嘉久 :2012/10/26(金) 07:50:20.88 ID:qbSsyHL70
所謂『王政復古の大号令』は岩倉具視が明治時代に御用学者に捏造させたものだろう。 征夷大将軍が大政を朝廷に奉還すれば、其の時点で王政復古するのは馬鹿でも分かる。 所謂『王政復古の大号令』を発する必要性は全く無い。 所謂『王政復古の大号令』は『年貢半減令』に近いペテンだろう。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 09:29:53.25 ID:lKQEIagG0
>小御所会議も岩倉は徳川処分に割りと中立。 これは違うのではないか。 岩倉がいなければ明治維新は成立しなかった。 コ川家潰しに最も強硬だったのは岩倉ではないのか。 戦争になったのは薩摩の陰謀に幕府の過激派が乗ったからで、 巷間言われているように幕府側が積極的に仕掛けたのではないだろう。 こういう細かな点を誤ると容保ガーの言いなりになってしまうのである。
松平容保を庇い、犯人ではないと嘘を唱えていると辻褄が合わなくなり、遂には史実を否定し妄想に陥る。哀れなことだ。 それと、徳川慶喜の大阪への退去から鳥羽・伏見の戦いまでの間は各者共に思惑が入り乱れ、 意図しない出来事も起こっている。 ・江戸騒乱を西郷隆盛は直ちに沈静化せよと伝えている 江戸を中心とする関東騒乱は薩摩の犯行として知られるが主体は関東草莽志士であり、軍としての統制を西郷は望んでいた。 強盗団としての徘徊は意味がないと西郷は判断していた。 大阪の旧幕府軍が進軍したので結果的に好機となったのではあるが。 ・旧幕府軍で開戦を望んだのは松平容保・松平定敬に、瀧川や竹中など在江戸の幕閣及び旗本らであった 江戸からの開戦要求に松平容保・松平定敬が乗っかり、板倉や永井の制止を聞かない情況にあった。小栗らが江戸から開戦を煽ったという幕府内の記述もある。 ・徳川慶喜は開戦を望んだのか望まないのかはっきりしない ・岩倉具視は避戦と開戦との間で迷っていた 岩倉具視は徳川慶喜の政権入りを認め、入京にも応じる姿勢を見せていた。これに大久保利通が叱咤する書簡が見える。 結果として、薩摩は尊王攘夷派公家・小御所諸侯と、「慶喜には少人数の随行者しか認めない」「会津・桑名の入京は認めない」という合意は 取り付け、これが勅令として鳥羽・伏見の戦いの開戦口実となる。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 18:19:12.80 ID:exhUVDmP0
>江戸からの開戦要求に松平容保・松平定敬が乗っかり、板倉や永井の制止を聞かない情況にあった。 たとえばこういう記述の原資料はどこにあるのか。 何という文書なのか。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 19:02:44.59 ID:/X2GE/etO
お前がいつも掲げる、徳川慶喜公記でも朗読してれば? ああ、お前は松平容保が悪事を働く部分は、全て読み飛ばす悪癖が有ったな。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 19:32:52.18 ID:exhUVDmP0
ああ、お前は松平容保が悪事を働かない部分は、全て読み飛ばす悪癖が有ったな。
永井ガーは松平容保が悪事を働く部分は、全て読み飛ばす悪癖が有ったな。 容保ガーは松平容保が悪事を働かない部分は、全て読み飛ばす悪癖が有ったな。 永井ガー、容保ガーは自説に反する史料は全て読み飛ばすがじゃ。 そいで相互嫌悪しちゅう。
この松平容保愛護馬鹿と一緒にされては困る。 大体、怪しい怪しい怪しいと連呼するだけで、まず挙げられる松平容保への嫌疑は尽くスルーする馬鹿なのだから。
>>670 寺田屋事件始末で容保公が才谷暗殺の命を下したのではないかい?
>>670 土佐屋敷は脱藩の咎で才谷を出入禁止にし遺骸も引取拒否であるがに
なぜ永井公に暗殺抗議はしたんじゃろうか?
>>670 実行犯は桂早之助か今井かどちらかいのう?
>>670 手代木はなぜ重恩ある藩主の密命を容保公に疑念が生ずる形で
自伝に残したのかのう?
>>670 容保公は大政奉還抗議を土佐山内公になされたがか?
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 20:49:34.09 ID:mYlremO10
寺田屋事件の時点では、幕府側なら誰が坂本龍馬を狙っていたとしても不思議はない。 当時の幕府側の見解を、坂本は面白おかしく手紙にしている。 この大坂より申し来たりしは、幕府大目付某が伏見奉行へ申し来たるには、 坂本龍馬なるものは、けっして盗みかたりは致さぬ者なれども、 この者がありては徳川家の御為にならぬと申して、ぜひ殺す様との事のよし。 この故は幕府の敵たる長州薩州の間に往来して居るとの事なり。 其事を聞多(ききた)る薩州屋敷の小松帯刀、西郷吉之助なども皆、大笑にてかへりて 私が幕府のあわて者に出逢てはからぬ幸と申あひ候。 とんだ薩長同盟の大立者扱いされたね、薩摩の雇い人として働いただけなのに、と一同大笑いしている。 当時の大目付というと永井尚志、川勝広運、滝川具挙、戸川安愛といるが、永井でも別におかしくはない。 ただ、大政奉還の時点では様相が変わる。 大政奉還に徳川慶喜が賛同し、板倉勝静や永井尚志が推進することとなった以上、 土佐藩内で大政奉還を推進していた坂本龍馬は、彼らにとって重要人物の一人と化していた。 この時期に、永井が怪しいのである。という意見は見当外れもはなはだしい。
>>672 暗殺事件自体が不測の事態であった上に、
土佐藩内の公武合体派が、当の旧幕府側から暗殺という形で大政奉還を否定されてしまい
(新撰組犯行説が最も確かであると土佐藩は考えていた)公武合体派の政策展開が不能に陥り、
土佐藩内討幕派=薩摩派に擦り寄る形で、坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺犯であるとされた新撰組=旧幕府糾弾に至ったとされています。
>>673 今井の最初の証言では自分は見張りということでした。その後明治も長く過ぎると自分が斬ったと言いはじめます。
これを、最初は処刑が怖いから隠したのだ、とする意見と、後の方で誇大自己顕示欲が出たのだ、とする説があります。
証言は前の方が明確なので、私は最初の証言の方が正しいと解釈します。
>>674 手代木証言は、岡山の新聞社などに手代木が書いた記事などを
手代木の死に際して子供が集め、仙台の作家に依頼して纏めたとされています。
証言動機は、弟の顕彰と、自らが明治維新で果たした役割の大きさを誇る部分にあったと思われます。
明治以降は県の課長クラスがせいぜいだった手代木の、表に誇れる晴れ舞台だったのでしょう。
手代木のそれからは、坂本龍馬暗殺後、鳥羽・伏見の戦いでは好戦主義、神保切腹時はおそらく切腹を迫る側、
江戸に帰れば、在江戸会津重役が避戦主義なのに激怒、会津に至り徹底抗戦を主張、奥羽越列藩同盟へは自らが会津代表として入ってきます。
そして会津若松開城時は責任者、どれも松平容保の種々の陰謀、好戦性、住民犠牲を厭わない行動、玉砕強要などを書かないわけにはいきません。
あれでも、松平容保候への配慮が詰まった記述だったのだと思います。
>>675 土佐藩代表が会津藩に大政奉還運動をすると報告した翌日から、新撰組の土佐藩邸・陸援隊屯所への監視が強化されています。
岩倉具視書簡からは会津の激怒ぶりが伝わってきますが、徳川慶喜が推進する以上幕府内ならともかく幕府外へ表立っては会津は文句は言えません。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 21:17:51.14 ID:Umzfiv+d0
>>676 容保ガーなのかどうかは知らないが、だから君らは単細胞なのだ。
大政奉還後も板倉や永井や手代木は不満を持っていて、
中根などが説得に当たっている。
慶喜公伝にちゃんと書いてあるのだが、君らは一向に聞こうとしない。
また永井の人間性や様々な黒い噂も上げたが、
これも容保ガーは聞こうとしない。
他にも永井には怪しい点が多々あるのだが、
これも容保ガーは完全無視である。
タチが悪い。本当に黒幕を突き止めようとする真剣な気持ちはあるのか。
単に土佐の人間なら、土佐藩説以外なら誰でも良いと思うのだが、
どうも容保ガーは容保でなければ気が済まないようだ。
土佐の人間ではなく、何か別の思想的背景を持っている連中かもしれぬ。
とにかく殆んど偏執狂の域に達している。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 22:37:25.22 ID:cYHn3eQl0
福岡「言ってはいけない事になっている」って某諸侯だったからじゃね? 殿様が指揮してたらそれは言えんわね
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/26(金) 23:06:03.80 ID:mYlremO10
それは少数意見です。 福岡藤次の経歴を考えてみましょう。 福岡藤次は大政奉還を推進、坂本と永井尚志を面会させ、その後の坂本と永井との数回の面会のきっかけを作っています。 また大政奉還提案の幕府への提出者の一人となり、大政奉還を通じ坂本と福岡は非常に近い関係にありました。 また、坂本龍馬のいた近江屋近くに部屋を借りて住んでおり、通常なら暗殺事件発生後真っ先に駆けつけるべき人間です。 しかし福岡は暗殺事件現場にも、その後の坂本・中岡の葬儀にも姿は現しませんでした。 これを谷干城は激しく糾弾しました。なぜ福岡は駆けつけないのだ、と。 福岡は答えました。暗殺時には酒屋で泥酔していて全く知らなかったのだ、葬儀時には所用があったのだ、と。 谷は許しませんでした。そして明治を通じ高知県では政府内は谷や佐々木、反政府は後藤や板垣が占め、 高知県での福岡の立場は、坂本龍馬を助けなかった卑怯者とされることとなりました。 つまり福岡は、あの日は酒を飲んでいたから知らなかったとか、安全を考えて龍馬や中岡の葬儀には出席できなかったとか、 そういうことは「言ってはいけない事になっている」、黙らされたことというわけです。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 08:58:05.46 ID:4tuE4T9f0
「言ってはいけない事になっている」というのはつまり土佐藩がやったということである。 しかし山内容堂ではない。殿様が自藩の藩士の暗殺を命じるなどということはありえない。 捕縛して打首なり何なりして処刑すればよいからである。 同様の意味で幕府が諸藩の藩士の暗殺を命じるなどということはありえない。 捕縛して処刑するものである。 為政者が暗殺など指令していたら法秩序崩壊である。 公儀がそんなことをするはずはないし、してはいけない。 しかしこれは一般論であって、中には例外もある。 寺田屋事件で某大目付が坂本を殺せと言ったのである。 そういう非常識な人間が、一代幕臣組、一代成り上がりの人間の中にいたのである。 それが永井である。
682 :
諸橋 嘉久 :2012/10/27(土) 14:41:07.91 ID:JlO/GV8R0
幕末の京で金払いが良かったのは長州 幕末の京で金払いが悪かったのが會津 これは明治政府の長州系が流したプロパガンダであろう。 真実は真逆で、幕末の京で金払いが良かったのは會津 京都守護職賄領五萬石・幕府領預地が在っても、會津松平家の台所は火の車だった。 ヤーヤー一揆が起きた。 長州ではヤーヤー一揆に匹敵する一揆は起きなかった。 下関の商人・白石正一郎はフリーメーソンの手先に過ぎない。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 14:44:01.82 ID:LVwUQK6/O
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 15:00:36.91 ID:r1ArHAka0
土佐か会津、幕閣諸侯の何某が黒幕。
見廻組が幕府以外の力で動くと考えるほうがおかしい。 松平容保を犯人である事実から隠すために、幕府の機構すら歪めて解釈してしまうとは。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 17:12:07.91 ID:5LbdcR4M0
手代木が石黒伝右衛門に宛てた書状も金の工面だろう。 石黒は彦根藩金奉行だから。 金奉行というのは経理担当。 龍馬暗殺に関して何で金奉行と相談しなければいけないのかねw あの書状が龍馬暗殺と関係ある、などというのは、 すべてこれ容保ガーの妄想。 第一その書状が慶応三年の物だとさえ証明されていない。 あゝ容保ガーの見苦しきことよw
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 19:44:21.96 ID:9FFaXjv80
手代木翁の死の直前の証言が信憑性がある。 著者が某諸侯とは容保候でなく弟と弁護してる辺り。
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 20:18:11.88 ID:0hZJsU8g0
>>686 この石黒、元内目付にして彦根藩の横浜,堺,伏見における警備担当者だった人なのですが。
つまり手代木の元同僚ですね。
手代木直右衛門は、松平容保が坂本・中岡を暗殺した翌日に、
昔のツテを使ってでも緊急に彦根藩の責任のある人間に会いたかったんですよ。
事件隠蔽目的の口裏あわせですね。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 20:39:16.40 ID:9FFaXjv80
指示 某諸侯 実行犯 見廻組 不人情 土佐藩邸 おりょうの証言だがw 「龍馬、中岡が殺されたと聞き、西郷は怒髪天を衝くの形相凄まじく、後藤を捕らえて、貴様が苦情を云はずに土佐屋敷へ入れて置いたなら、 こむな事にはならないのだ、全躰土佐の奴等は薄情でいかんと、怒鳴りつけかれて後藤は苦い顔をし、イヤ苦情を云った訳ではない、 実はそこにその色々。何が色々だ、面白くも無い、如何だ貴様も片腕を無くして落胆したらう、土佐薩摩を尋ねても外にあの位の人物は無いわ、 ええ惜しいことをした、とさすがの西郷も口惜泣きに泣いたさうです。」
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:09:07.80 ID:yU+03Lr80
>>688 なんで彦根藩の人間と口裏合わせをする必要があるのかな?
そもそもあの事件の後に会津に嫌疑がかかったというような史料はあるか?
いや会津でなくてもいい。幕府がどこかの藩を疑って調査したというような史料はあるか?
それに何回も書くが、あの書状が慶応三年の物だという証拠はあるのか?
何回訊いても君らは一向にその証拠を出さないのだがw
あの書状について真剣に研究したことはあるのか?
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:21:04.68 ID:yU+03Lr80
それに藩の重役というものは他藩の様々な重役と付き合いがあるのが普通だ。 手代木の、彦根藩内に於ける知り合いが石黒だけ、というようなことは考えられない。 だから、よりによって金奉行の石黒宛てに出したということは金の工面と見るのが常識だ。 そうは思わないか、容保ガー君w
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:24:50.91 ID:0hZJsU8g0
>>690 ,691
根拠なし。
それとあの手紙は慶応3年しかありえない。
手代木が京都に赴任してから慶応3年まで、この日に該当する事件といえば、
松平容保が命令した坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺翌日であることしかないんだよ。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:32:45.75 ID:0hZJsU8g0
幕府内では、永井尚志が会津藩配下の新撰組局長近藤勇に犯行を行っていないか糾していますね。回答はNOですが。 そして板倉勝静が、新撰組の犯行と思われると土佐藩に回答しています。 つまり、この両名共に、暗殺は会津藩の犯行と見ていたということになります。
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:42:37.99 ID:yU+03Lr80
然らば差し向き極内密に伺い奉り度事件これあり この事件というのは現代語の事件という意味ではないぞ。 単に、用事、用件の意味だ。分かっているかw >そして板倉勝静が、新撰組の犯行と思われると土佐藩に回答しています。 そんな史料は無い。どこかの誰かの文書に、そのように返答したようだ、 と書かれているだけだ。史料というのは正確に読まなければいかんぞ。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:44:19.37 ID:0hZJsU8g0
更に、この頃の彦根藩について情報を一つ。 彦根藩は大政奉還の動きに激烈に反対し、会津藩と共に大政奉還撤回運動を進めていたのではあるが、 この頃から風向きがおかしくなる。 彦根藩は大政奉還が成立し動かし難いと分かると、井伊直憲直々に宣言を行い、徳川家抜きの勤皇主義に転換してしまう。 つまり手代木直右衛門は、この時期に彦根藩首脳に会いに行っても、会ってくれるかどうかわからない。 昔のツテで金奉行に手紙を書いて是非会いたいといっても、本当に会って貰えたのか私にはわからない。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 21:48:31.38 ID:0hZJsU8g0
>>694 会津藩の外務大臣こと手代木が、彦根藩へ早急に緊急に会いたいのです、用件があるのです、で、事件でないと主張するのは滑稽。
そして彦根藩は上記の状況。
手代木は誰か彦根藩の責任者に会いたくて焦ったんだろうね。
でも会ってもらえない。時代は徳川を離れつつあった。
ちなみに石黒はこの後、官軍の彦根軍隊長として各地を転戦します。 会津攻めを行った彦根軍も彼が隊長でした。 明治には顕職を歴任、福井県令などを務めて死にます。 対する手代木、会津の外相として列藩同盟の本拠白石で会津代表を務め、会津降伏時には責任者でした。 その後牢屋暮らしがあって、岡山県の課長で一生を終えました。 ある時期は彦根藩の警備隊長と会津藩の外務の長 それが結末では県令様と課長さんだったわけです。手代木の後半生は鬱屈したものであったと思われます。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:05:35.51 ID:yU+03Lr80
然らば差し向き極内密に伺い奉り度事件これあり 御旅籠迄御尋ね申し上げ候処 御出仕中の趣御家臣より承知 程なく後退出ニも成らせられるべき迄に付 何共ご苦労を懸け奉り恐縮ニ御座候共 万亭ニて待ち奉り候間 何卒御来臨成しくださる様 伏して願い奉り候 万端其時ニ草々申し上げ残し候 どこにも、早急に緊急に会いたい、とは書かれていない。 旅籠に尋ねたが出仕中で不在で、ほどなく退出するという話だから、 万亭で待っています、という内容である。 資料は正確に読まんといかんぞw 何回も言うが事件とは、用事、用件という意味だぞw
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:19:52.47 ID:0hZJsU8g0
ほら、彦根藩代表に緊急に会いたいんじゃないか。 君は嘘を書いてはいけないよ。 それと彦根藩のこの頃の勤皇への行動転換は、討幕側でも信じ難いものであった。 「たとえ偽りでも望外の嬉しい出来事」と書簡に残っているし、 逆に旧幕府側では、伏見御香院の高台に彦根藩が詰めて防備を行うはずが、薩摩の砲台陣地に変わってしまった。 鳥羽伏見の戦いでは、この陣地が伏見奉行所を焼き払い、旧幕府軍敗北の印象を京都に伝えることとなる。 これ、いくら彦根藩要職者に手紙を書いても会ってもらえない、手代木の焦りが文面に現れているとは思いませんか。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:33:33.47 ID:0hZJsU8g0
彦根藩の当時の状況を考えると、手代木が伏してお願いしても、彦根藩代表には会って貰えたか不明なわけで、 他にも正規の外交担当者への手紙もあったのかもしれないが、そのようなものは機密書類だ。 石黒は手代木の元の同僚であるが、現外交担当者ではなく、 このような人間へも面会を求めて手紙を書かざるを得なかった手代木の苦しみを思うと、外交孤立とはどういうことかと実感する。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:35:41.75 ID:yU+03Lr80
だからどこにも、早急に緊急に会いたい、とは書かれていないではないか。 嘘を言ってはいかんよ。 訪ねて行ったら不在だったので万亭で待っています、というだけの内容だ。 君らが史料をいかに恣意的に読んでいるかがよく分る。 初めから黒幕を容保だと思っているのでそう読んでしまうのだ。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:47:34.33 ID:0hZJsU8g0
>>701 あなたは文章を読もうとしない。緊急に会いたい是非会いたいどうか会いたいと文面には見えるが
君は「緊急という単語がない」と主張する。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:55:14.07 ID:yU+03Lr80
>緊急に会いたい是非会いたいどうか会いたいと文面には見えるが どこにそんな文面がある? あるなら出してもらおう。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 22:59:49.08 ID:LVwUQK6/O
君の書いた文面だな。 読まずに貼ったのなら、書いた人に謝罪しなさい。
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 23:13:41.99 ID:yU+03Lr80
>>704 の男は誰だ?
>>702 とは別人のようだが。
書いていることも意味不明だ。一体何が言いたいのやら。
君ら容保ガーは基本的な文章読解力もないからダメなんだよ。
大体木村幸比古という男は君らと同じ単細胞で、
この男が容保説だから、この男の本を読んだ君らも容保説に染まってしまっただけなのである。
小松格とか鏡川伊一郎などのブログを読んでみればいいのだ。
木村などとは人間のレベルが違う。教養と理解力のレベルが違うのだよ。
容保ガーと話していると中高生と話しているような気分になるのだ。
一人前の、まともな紳士はいないのか。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/27(土) 23:29:35.63 ID:LVwUQK6/O
暗殺翌日、会津藩公用人(外務大臣)の手代木は 緊急に彦根藩の有職者(金奉行、石黒伝右衞門)に面会を申し込んでいる。 会ってもらえたかは分からない。何故なら当時の彦根藩は、佐幕から徳川抜きの勤皇へ急転回していたから。 手代木は坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺について、彦根藩代表と口裏合わせがしたかった。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/28(日) 09:25:27.39 ID:FdEf3Axn0
だからそれは単なる想像だよ。 あの書状が慶応三年の物だという証拠を示さないとダメだよ。 事件というのは用事、用件という意味だから、 龍馬暗殺事件などとは何の関係もないのだよ。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/28(日) 13:10:10.07 ID:eKVhI7HVO
>>707 示していると思われるが。
他に該当年がない。
松平容保擁護が史料を否定しながら妄想を吐こうとする様に、 見苦しさを感じる。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/28(日) 19:03:23.00 ID:LBxS22mU0
結局示せないのだな。 それではダメだよ。 それでは何を言っても何の説得力も無いよ。 本気で容保説を説くつもりなら、本気で調べないと。 まあどうせ素人だから、そこまでやる気はないのだろうが。 結局君らは容保だ!容保だ!と叫んでいるだけなのだよ。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/28(日) 22:11:51.46 ID:I/NhbkRuO
↑と、プロ(ww)のオッサンが2ちゃんねるで喚いておりますw
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/28(日) 22:43:34.78 ID:bLAsyjAr0
↑と、アホ(ww)の坊やが2ちゃんねるで喚いておりますw
慶応三年の手代木書簡について、結局松平容保擁護は有効な反論なし
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/29(月) 17:08:50.20 ID:BPLTLKpr0
慶応三年の手代木書簡について、結局松平容保ガーは有効な証拠なし
結局、頭でっかちのバカばっかりという事でよろしいですね?
いいえ。単に松平容保擁護が反論できずに鸚鵡返しを続けているだけ。 坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺事件は現時点で、松平容保―手代木直右衛門―佐々木只三郎―見廻組隊士 という指揮命令であったことが動かない状況。
松平容保を擁護するためとはいえ、ここまで筋の通らない罵倒や嘘、噂の連呼だけで 話題をはぐらかそうとするのだから、全くここの松平容保厨房は救い難い。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/29(月) 19:20:12.02 ID:BPLTLKpr0
と容保ガーが空しい投稿を続けておりますwww 容保ガー 他説はみんな 根拠なし
佐々木只三郎と近藤勇と土方歳三と大石鍬次郎だろ、真犯人は。 指令を出したのは松平容保。それを伝達して人集めしたのが手代木直右衛門。 会津は刀職人まで使って隠蔽工作しまくってるからな
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/29(月) 22:07:44.00 ID:rK5hxcm40
>会津は刀職人まで使って隠蔽工作しまくってるからな 資料を上げてみよ。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/30(火) 09:44:03.53 ID:cQY4qO9T0
幕府にメリットなし。 西南雄藩にメリットあり。 証拠がないのなら、誰が得したかで考えるべきだ。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/30(火) 17:16:48.44 ID:dnes33Nz0
それもそうだが、メリット、デメリットだけで考えるのもどうかな。 人間の情念というものも計算に入れないといけない。 それと、暗殺というものは、普通、下位者が上位者に対して行うものだ。 被抑圧者が抑圧者に対して行うもの。 たとえば幕府の大老を諸藩の藩士が暗殺する。 土佐藩の下士が上士を暗殺する。 その逆はあまり無い。 こういうことも計算に入れて推理する必要がある。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/30(火) 20:45:36.70 ID:AhGCPW+/0
メリットあったのは、戦いに持ち込みたかった旧幕府主戦派。 戦いに持ち込むまでは思惑通りだが、戦いになったらボコボコにされたのは計算外。 慶喜は恭順し新政府に入る道もあったが、戦意に押され戦ったら圧倒的優位の戦い負けた上、朝敵にまでなった。 坂本中岡を暗殺した事で、土佐を鳥羽伏見で薩長につかせるのを遅らせた効果はあった。 中岡に至っては既に容堂を無視して土佐官僚を勝手に動かし、武力討幕構想作っていた。 幕府と戦っても一貫して勝てると見方をしてた中岡を殺したおかげで、土佐を薩長に遅らせる効果はあった。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/30(火) 22:37:56.54 ID:xuYMJz1w0
まるで歴史の流れが最初から分かっていたような論だなw 会津に予知能力者がいたのかwww
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/30(火) 23:30:45.87 ID:KqfnS+nM0
幕府は既に寺田屋で龍馬を危険な奴とみなし襲っている。 龍馬は見廻組が仕留めた清川などと交流あり、脱藩浪士として早くからそこそこ名があった。 特に龍馬が所属していた土佐勤王党は1年程だが、藩政を動かし国政まで動かした党だ。 薩長同盟に貢献できたのもこの辺大きいだろう。 その後も龍馬が薩長土の間を何やら動いていたのは知っていた。 土佐藩が急に薩摩に近づき、形がどうであれ大政奉還という倒幕を出し、龍馬も堂々と永井に会ってる。 幕府派からしたら中身を詳しくわからなくても、龍馬の動きが土佐藩を倒幕の方向に変えた様感じてもおかしくない。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/30(火) 23:32:44.38 ID:TmpwVDk20
会津は先が見えていなかったことは分かる。 大政奉還には絶対反対 その後も徳川慶喜と対立しながら京都に居座る 西南諸侯が王政復古を起こすと、徳川慶喜の説得で大阪へ 大阪でも徳川慶喜の説得を聞き入れず、朝廷と西南諸侯が立ち入りを禁止した京都へ進軍 勝てると考えていたら連戦連敗、朝敵の汚名まで被せられて徳川慶喜へ泣きつく 自らも朝敵にされてしまった徳川慶喜、松平容保の失態に激怒、戦いが続けられないと判断して江戸へ 江戸幕府終了 松平容保が一人で幕府を終わらせてしまった。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/31(水) 09:09:00.43 ID:NE42/6iv0
だからそれは容保ガーの勝手な歴史解釈だよ。 それを教科書通りの解釈と言うのだ。 それと反対のことを述べている論者が一杯いるではないか。 会津が京都に留まったのは朝廷からそのような要請があったからだし、 板倉などもそれを要請したからだ。 鳥羽伏見の経緯は調べたことはないから詳しくは知らないが。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/02(金) 09:57:41.32 ID:/t/wWXw90
原敬を暗殺したの黒幕も容保と聞きました。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/02(金) 12:28:51.41 ID:xwOVzIQp0
容保の死去は明治26年、原敬の暗殺は大正10年。 何の関係もないと思うが。
松平容保の場合、坂本龍馬や中岡新太郎を暗殺した人間として確定してしまったから、 支援者はもう、根拠のない噂を付け加えて貶めるしかないんだよ。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/03(土) 01:25:00.91 ID:me/JVYC70
>>35 >史実は嘘だ、ボクのが真実だと叫ぶのは彼の悪い癖で
司馬はそんなこと叫んだことありません
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/03(土) 01:27:18.57 ID:me/JVYC70
>>51 板垣は明治になっても龍馬を尊敬してる発言をしてる
松平容保は周囲が守護職なんて何それ?新機関?辞退しよー の進言を無視した阿呆。家訓に殉じた被害者?ではないな 会津の前に金沢や仙台にも打診あったが良識で辞退してる。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/03(土) 10:17:39.02 ID:p0KQfKyw0
容保を阿呆呼ばわりして何がそんなに楽しいんだ? 大体、何でそんなに容保を嫌っているんだ? どうしてそこまで史実を曲げようとするのか。 一種の偏執狂だな、容保ガーは。
松平容保が犯人であることをそんなにして隠すから、歴史を曲げる嘘つき扱いされる。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/03(土) 13:03:21.12 ID:oSSxB2CC0
容保ガー けふも何やら 書いてをり
歴史上はもはや松平容保を犯人とするしかないわけで そこを曲げようとすると、ごまかしや嘘の羅列になってしまう
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/03(土) 18:25:24.59 ID:58fpmOUC0
容保ガー 必死に何やら 書いてをり
>>738 思考停止かい?
もうこうなっちゃうと敗けを宣言してるに等しいよ。みっともない。
このスレの松平容保ファンのこれまでの行動 「実行犯は土佐藩関係者である」 →中岡が暗殺事件後も二日生存し証言を残している事実を指摘され頓挫 今井信郎(元見廻組隊士)証言に、見廻組与頭 佐々木只三郎の命令で斬ったと明記してある 命令者は幕府上層部または松平容保と書いてある →知らん振り、黙秘 手代木直右衛門(会津藩外交トップ)証言に、実弟である見廻組与頭 佐々木只三郎が斬ったと明記してある 命令者は某諸侯(松平容保か?)と書いてある →知らん振り、黙秘 暗殺決行翌日、手代木直右衛門は彦根藩重役(金奉行) 石黒伝右衛門に、緊急に重要な用件で面会を申し込んでいる 暗殺に関する事後報告、隠蔽工作か? →知らん振り、黙秘 松平容保ファンは逃げているだけだから、嘘を隠しているだけだから、その都度浴びせてくる罵倒も泣き声にしか聞こえない。
自分たちが暗殺した、弟が斬ったなどの証言や記録がありながら、 なぜ長い間、新選組や薩摩が暗殺犯だと信じられてきたの?
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/03(土) 20:58:59.24 ID:Tx5LviEt0
もう誰も 相手にしない 容保説
薩摩、後の新政府としては新撰組犯行説で新撰組を追い回し、近藤勇を斬首しているので 今更見廻組が真犯人と判明しても、改めて広報する必要を感じなかったということでしょう。 どちらにせよ、松平容保が坂本龍馬を暗殺するよう命令したことには変わりがないわけだし。 薩摩説は、小説家の妄想贔屓が作り上げた虚像。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/04(日) 19:44:00.77 ID:Fr/XLSM80
と容保ガーが無意味な投稿を続けております。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/04(日) 20:29:59.20 ID:ajpJbBR80
本能寺の変には 藤本・鈴木の『信長は謀略で殺されたのか?』という 謀略説のダメなところを集めて それだけで一冊作ってしまった名著があるけれど 近江屋事件で同じことやってくれないかな、どこか・・・
すると、 「坂本を害し候も薩人なるべく候事。」(肥後藩国事史料) 翻訳「坂本龍馬を殺したのも薩摩に違いない、俺感覚で。」 (ちなみにこの史料は別の部分に薩摩への中傷があちこちに見られる。ちなみに幕末肥後藩は九州きっての佐幕派だった) あたりから、 近年の「利益を得たものが絶対に犯人なんだよ、Q.E.D. 証明終了。」まで拾い集めるわけで、たいした労作になるでしょう。
あと、坂本龍馬は平和派で薩長は戦争派だったという説も根拠がないので、そちらも訂正すべきだろう。 坂本も中岡も幕藩体制を倒すことが目標であり、そのための武力は排除しなかった。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/08(木) 08:31:28.94 ID:njDx6ykV0
ところが福岡の談に、 中岡も最近は理解してくれるようになった、 と龍馬が語っていた矢先だった、云々という史料があるはずだがね。 容保ガー君、勝手に決めてはいかんぜよ。
龍馬は基本、 情勢がどこへ転んでも対処できるように備えておく 二段構え・三段構えでしょ。 戦争派でも平和派でもないし、逆にどちらともいえる。 薩摩藩もその点は同じなんだが。
ところが、
>>750 のように決め付ける人間が出る。嘆かわしいことだ。
薩摩ですら、鳥羽伏見の戦いになるまで徳川慶喜は交渉の余地があると思っていたのに。
どこまでが本当に和平を望んでいたのか、どこからが戦争準備のための擬態だったのか、それすら明確ではない。
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/09(金) 01:44:09.18 ID:K9HmoAsm0
逆上して先に手を出したのは徳川勢だったろ。 クーデター起こした時点で戦争はある程度覚悟していたとは思うが。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/10(土) 08:04:13.40 ID:WnpRq/O7O
江戸で騒ぎ起こして挑発したのは薩摩だけどな
>>754 でも薩摩人が挑発的な行動取るの、倒幕派になる前からだし
倒幕後の新政府でも他藩に対する態度問題起きてるし
倒幕に関係なく単に挑発する人が一部居る藩というだけかと思うw
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/11(日) 08:12:54.81 ID:AVt+ZJTWO
>>755 状況の違いも分からない馬鹿は書き込むなよ
>>756 てか、全然状況が変わんないんだよ
とくに明治時代は、戊辰戦争後も薩摩人の横暴が延々数十年続いて問題視されて各地で揉めてるしw
ただそういう人一部なんだけどね。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/11(日) 16:38:13.61 ID:XOdeSFxf0
通せ通さないやってるうち戦争なった 大政奉還に尽力した宰相小松は鳥羽伏見勝利喜んでる 大政奉還評価した名将の伊地知が十字砲火で幕軍破ってる
日露戦争の伊地知の親戚?
駄目な断定が多いからね 松平容保が命令者ということで限りなく決定的な状況なのに、 他の人間を何とかして犯人に仕立てたいから他人の醜聞をひたすら貼ってゆく。 会津の人にこんな人はよくいるけど、今度の穂とは僧じゃないことを願いたい
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/12(月) 18:39:29.00 ID:SbiuwQbd0
またまた容保ガーが何やら書いておりますw
反論すら出来ない松平容保支持者は笑い飛ばすとして、もう結論は出たと見るしかないのかね。 松平容保が主犯、手代木直右衛門が伝達者で、実行犯は佐々木只三郎ら見廻組隊士ということ。 詳しい点についてはまだ詰めるべきだが、数々の証拠から以上のことについてはもはや間違いない。 問題は協力者の存在であり、たとえば近藤勇は事前に計画を知っていたと思われる。 また、松平定敬などは十分ありうる。他には中川宮などがありうる。
>>762 才谷を殺ったがは桂早之助と今井信郎のどっちぜよ?
容保公が命ー不逞浪士捕殺。 個々の事案は見回組全権佐々木只三郎の裁量。 才谷を殺るっちゅう判断は佐々木じゃろう。
勝男のタタキぜよ…。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/13(火) 09:16:26.46 ID:rEQWZ+qF0
例によって容保ガーが妄想に妄想を重ねておりますw
容保厨房もう抗弁できねーのな
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/13(火) 19:31:58.72 ID:Vi1GRJs80
嘘に対していちいち反論するのはめんどくさいではないか。 容保ガーは聞く耳を持っていないのだし。 それに何一つ新しい材料も出てこないし、新解釈も出てこないのだから、 何を書いても無駄だろう。
反論不能ということか
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/13(火) 21:15:02.75 ID:07QGloXl0
容保説で遊べや能の無い名無し
>>770 一度しかマジレスしないが、それやめた方が良いよ
容保犯人説で無い者から見てもイメージ悪い
マトモに議論せずゴマカすしかないのかな?というイメージ
もしそのつもりが無いなら止めた方が無難。
容保犯人説を応援したいなら続ければ良いと思うが。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/13(火) 22:25:18.62 ID:07QGloXl0
一度しかマジレスしないということは普段は冗談で書いているのか? 容保説者はいつも同じことしか言わないから何を書いても無駄なのだよ。 もうこちらも特に言いたいことはないしね。 こちらは言いたいことはすべて言った。 君ら容保説者はそれに対していつも同じ内容の反論しかしてこない。 だから議論はもう意味がないのだ。不毛だ。 こちらが何を書いても、君らがどのように反論してくるかは既に分かっているのだ。 だから新しい議論材料が出るか、新しい解釈が出るまでは沈黙していようと思っているのだ。 ところが君はしつこくこちらを挑発してくる。 そこで、あほらしいから川柳でやり返してやろうと思ったまでである。 君も、挑発するだけの投稿なら、止めたほうがいい。
こうなるともう屁理屈の世界だな。 そんな風にしか返せないなら来なきゃいいのに。 そんなに殿様が大事かい? アンタみたいなのが粘れば粘る程、容保が失笑の対象になる事も理解できないのか?
>>772 何か誤解が有るようだが自分はガチで容保犯人説ではないので「君ら容保説者」とか言われても「何勘違いしてるのこの人?」状態。
反論と言われても、自分は容保犯人説を君に説いてる者ではないので。
容保犯人説でも容保非犯人説者でも無い自分から見て、あなたの書き込みが嵐みたいでとてもイメージ悪いという事を書いただけ。
別に容保非犯人説者のイメージを悪くする事が目的だとしたら続ければいい。
あと八つ当たりはやめれ。自分は本当に君が普段口論してる容保説とやらとは違うから。
第三者目線から見て君之方がイメージ悪いだけ。
言いたいことはそれだけ。今回一度しか言わないつもり。これで自覚出来ないなら諦める。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/14(水) 05:25:42.86 ID:lgvMDyBgO
この人は本当に反論できないんだよ、無理を言わないほうが良い。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/14(水) 09:01:33.01 ID:t5Suu0Op0
馬鹿な奴らだな、言おうと思えば何でも言える。
>>774 の男に対してだけは誤解していたことを謝っておこう。
私も最近漸く分かってきた。ここで容保説を説いているのは薩長土肥出身者だということが。
明治以降の勝ち組なので、会津を逆賊扱いしているのである。
俺たちに楯突いた会津だけは許せない、とでも思っているのだろう。
たまたま勝ったから威張っているものの、負けていたら今頃は薩長が逆賊扱いなのである。
とにかくそういうイデオロギーで会津を叩いているのである。
土佐観光などとは関係ないだろう。
私は薩長土肥とも会津とも関係ない人間だが、
会津を叩いている人間の独断と偏見には反感を抱いているので、
これからも容保説には反論し続けるつもりである。
ときには川柳という形で反論することもあるのでそのつもりでいたまえ。
嫌われようとかまわない。容保説は徹底的に叩く。
>>774 の男は良識ある穏健な男だが、ここの容保ガーはそういう連中ではないのである。
大人しくしていたらやられる。容保ガーは叩く必要がある。
叩かないと容保ガーの独壇場、会津叩きのスレと化してしまうのである。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/14(水) 09:58:31.39 ID:Q9NCAMBD0
>>776 > 私も最近漸く分かってきた。ここで容保説を説いているのは薩長土肥出身者だということが。
> 明治以降の勝ち組なので、会津を逆賊扱いしているのである。
> 俺たちに楯突いた会津だけは許せない、とでも思っているのだろう。
己の憶測で穿ち過ぎ。
容保関係者さんは論理で反論できないことを公言できず、意固地になってます
>>776 >会津を叩いている人間の独断と偏見には反感を抱いているので
これどっちもどっちじゃね?
寧ろ会津に人達が凄く根に持って
いろいろ荒してる印象すら受ける・・・
いろんなスレ等のあくまでもパッと見の印象なので
ラウドマイノリティーのせいだとは思うけど
だね会津の人たちは根にもって薩長叩きをいろんなスレで見かける しかもあまり根拠のないことをふりかざして 山口鹿児島の人たちが相手せざる得なくなってるように見える
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/17(土) 00:29:27.65 ID:Z29q7bo70
薩長だ幕府だとか小さなことだ 幕府が滅びて一族根絶やしになったわけでもなし、薩長土の領地が 増えたわけでもない 全部なくなった、幕藩体制がなくなった、それだけのことだろ 豊臣なんか文句言いたくても言えやしない
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/17(土) 10:01:07.86 ID:9tQ+NUblO
↑病院から書き込んでるらしい
783 :
諸橋 嘉久 :2012/11/17(土) 11:10:43.08 ID:G80lJ2J00
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 07:27:55.29 ID:7iPosco30
俺、思うんだけど、見回り組の中堅が暴走して、 単なる恨みだけで 龍馬を殺したのが、一番しっくりくると思うんだけど 龍馬自体、キャスティングボードを握っているぐらいの 大物じゃないし あと、見回り組の中堅が勝手に殺したもんだから 幕府側にも黙りしてたのもしっくりくる
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 09:03:49.53 ID:U6AFf+RX0
見廻組が、龍馬に一体何の恨みがあるのだ? 寺田屋事件は見廻組とは何の関係も無いぞ。 そもそも管轄が違う。 あと政治的な問題は見廻組とは何の関係も無いし。 見廻組というのは単なる取締り警察部隊であって、 思想集団ではないからな。
恨みも関係も薄い人がやったら 迷宮入りするのもわかる っていう見方もできる
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 12:19:35.18 ID:c/4UflTK0
↑ だから、実行者は見廻組だとしても、恨みからやったのではないのだよ。 誰かに指令されて、別に恨みも何もないが、 幕府にとって危険な人物だと言われたから殺った、ということだろう。
実行犯が見廻組なのは動かせないし 命令者がいると仮定しても それは佐幕方面でしょう。 薩摩、土佐、長州、フリーメーソンはお呼びでない。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 18:14:37.94 ID:pt6ZuP+S0
>>785 現代みたいな分業や組織論的な感覚をその時代は
もってないと思うよ。
管轄が違っても、やはり幕府側だし
会津藩系なら、なおさら幕府に泥ぬった感じだしね
たぶん、見回り組は義憤にかられて
やっちゃったんだろうね
あとは幕府を思うばかり、あせりもあったんだろう
龍馬の暗殺の黒幕説というのは
たぶんヒーローが、馬鹿な理由で死んだら面白くないという
心理が働いて、大物の黒幕がいるんじゃないかと思っているだけだと
思うよ
会津を想えば、容保公の関与を明らかにしたくない 手代木直右衛門の証言すら無視してでも、会津藩の関与だけは隠したい
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 18:48:58.80 ID:pt6ZuP+S0
>>790 手代木直右衛門の手記のソースお願いします。
話は変わるけど、龍馬の動きを見ていると
薩摩の幹部は
大政奉還へ動いていたんじゃないの
そのあとの王政復古の大号令の伏線として
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 18:56:13.64 ID:pt6ZuP+S0
>>790 内容がわかり、訳があるのをお願いします。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 19:28:31.87 ID:QpMuFHcE0
>>789 それはつまり佐々木独断説だな。
それならそれでもいい。
しかし手代木の遺言や今井弟書簡をどう考えるか、という問題が残っている。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/30(金) 21:03:16.93 ID:cdQIZKofO
>>791 大政奉還によって幕府に対するフランスの信頼は失墜し、
借款計画は白紙になったからね。
薩摩はイギリスからの入れ知恵で、パリ万博に出展して
幕府の信頼を落とそうとしてる位だしね。
大政奉還は薩摩にとっても大いにメリットがある。
>>791 「坂本龍馬が慶応三年十一月十五日に、京都河原町蛸薬師の醤油屋方に於て幕府の壮士の刺殺されたることは史乗に詳なる所なるも、
其の下手人の何者たるは今に及ぶまで明かならず。
手代木翁死に先たつこと数日、人に語りて曰く『坂本を殺したるは実弟只三郎なり、
当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり、
此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率ゐ、蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したり』と。
蓋し某諸侯とは所司代桑名候を指したるなり。
桑名候は会津候の実弟なりしを以て、手代木氏は之が累を及ぼすを憚り、終生此事を口にせざりしならん。
前年静岡県の今井信郎なる人坂本を殺したるは自分なりとて、
史談会に於て其の顛を叙し、彼は佐々木只三郎に坂本殺害の相談を受け、同人及び渡辺吉太郎なる人と同行したりといへり。
是れ正に手代木翁の言に符号せり。余輩は手代木翁の人格を信じて、其の事の真実なるを疑はず。」
(「手代木直右衛門伝」より抜粋)
他の誰でもなく、会津藩の外交トップだった手代木直右衛門が証言しているんですよ。
796 :
諸橋 嘉久 :2012/12/01(土) 09:28:08.83 ID:IKM5P7N20
>余輩は手代木翁の人格を信じて、其の事の真実なるを疑はず。 「宗教を信じる」と同じです。 『手代木直右衛門伝』など歴史書では無い。
797 :
諸橋 嘉久 :2012/12/01(土) 09:34:45.26 ID:IKM5P7N20
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/01(土) 10:37:46.86 ID:a71Cwr3A0
中岡が死んだのは16日の午後二時頃だよ。谷の講演では。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/01(土) 11:22:26.77 ID:64Iv0C0E0
>>795 レスありがとうございます。読ませていただきました。
要するに龍馬暗殺は桑名公の松平定敬の暴走ってことかな
と思います。
松平定敬は20歳で、まだ正義感があふれるころ
たぶん、焦燥と正義感を感じて、龍馬暗殺を命じたのかなと
思い直しました。
誰に命令? 会津藩士の手代木に命令? 筋が通らないんですよ。 手代木は会津藩主松平容保の意向に従わなければなりません。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/02(日) 09:20:06.02 ID:RcmJOZIE0
>>800 だから
>>799 の男は手代木に命令したとは書いてないじゃないか。
松平定敬が佐々木に命令したのだよ。
なぜ何でもかんでも容保と結び付けようとするのだ。
バカじゃないのか、お前は。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/02(日) 16:48:20.10 ID:JQcuNdQSO
この暗殺命令での松平容保の関与は濃厚。 大政奉還問題において土佐藩要人と化していた坂本龍馬への暗殺を、 手代木が松平容保の許可を得ずに実行するなど、藩の立場上有り得ない。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/02(日) 17:15:02.00 ID:ZbH3tMIm0
だから手代木が誰かに命令されたという証拠がどこにあるのかな? あいかわらず容保ガーは進歩がないね。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/02(日) 19:15:21.79 ID:kaLw2yEJ0
進歩が無いのは、何が出てきても容保様は犯人じゃないと言い張る粘着犯の方かと思われます。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/04(火) 12:51:24.52 ID:5mD0Bw6yO
一介の素浪人を殺すのに殿様の許可は要りません。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/04(火) 13:52:02.81 ID:/ogebcOE0
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/04(火) 14:16:07.83 ID:BE3wgo5NO
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/05(水) 13:06:13.04 ID:KYXmHwuE0
藩邸で超冷遇される要人w
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/09(日) 22:15:32.66 ID:RoTDh4hs0
藩邸で冷遇されたのは何度も脱藩してたから 暗殺前は朝廷雄藩幕府要人と会えるくらいだった
仮に主君の命とはいえ言わば今際の際にて告白なんざ武士の風上にも置けないなとwww え?「某」とお茶を濁しましたよ?? だったら墓まで持っていけよとwww
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/16(日) 21:55:57.79 ID:gkG5gi8E0
幕府=自民党 薩長=民主党 土佐=維新 肥前=みんな
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/19(水) 22:26:37.10 ID:TeuZQ10J0
会津=×日本愛酢党○超汚染労働党
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/20(木) 08:05:59.58 ID:HsudOjvJ0
日本とお酢をこよなく愛す、本当にあった政党だったらしいぜw そんで国民の健康を願って、お酢を飲まない人間を痛烈に罵倒する本まで出版する親切さ 動画にあがっている政権公約は、決して酢手間ではございません(多分)
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/25(火) 11:00:09.71 ID:BNvqnPA90
来年の大河で、容保が暗殺を指示する場面が出るといいなw
大河ドラマに客観性を求めるのは間違いです。 事実、史実に少し接近したとされる平清盛は全く振るいませんでした。 ですから今度の八重の桜は、女太閤記・篤姫などの女権反戦スイーツ大河、 忠臣蔵などに代表される、会津武士道正義論満載の他者差別大河となる可能性が高いでしょう。 もちろん史実は無視です。 現に制作責任者は、「福島に人がやってくるようなドラマにしたい」と語っています。
816 :
卑弥呼は満州にいた :2012/12/25(火) 22:23:32.48 ID:RPhfgqLX0
大河ドラマなんて見たことがない。 よくあんな退屈なものが見れるな。 歴史秘話ヒストリアも面白くないな。 一般大衆向けに作られていて、インテリ向きではない。 司馬遼太郎や松本清張が生きていた頃は、 そういう作家や学者が出てきて知的な対談が楽しめたものだが。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/25(火) 22:47:36.69 ID:XSZ2m5gk0
井沢元彦は龍馬暗殺黒幕なんと言ってるの? 井沢元彦が歴史番組作るべき。
818 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/26(水) 09:26:18.58 ID:mIykgQv+0
よく考えれば、今の日本、学識ある歴史小説家は一人もいないな。 井沢元彦なんて一流知識人だとは思われていないのであって、 あんなのが歴史番組作ってもダメだよ。 素人が作るより少しはマシだろうが。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/26(水) 09:57:40.62 ID:H0RDZGPs0
さかのぼり日本史があるだろうが!
820 :
諸橋 嘉久 :2012/12/26(水) 10:55:57.06 ID:LBeEhHNY0
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/26(水) 19:28:58.56 ID:D7/9QElP0
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/26(水) 20:44:33.46 ID:IFYEYJ4f0
ぶっちゃけ、土佐上層部と、手代木は五分五分という…w
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/27(木) 10:31:07.49 ID:GJDBiTmY0
会津「藩」黒幕はないよ。四に反するもん。 什の掟 一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ 二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ 三、虚言をいふ事はなりませぬ 四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ 六、戸外で物を食べてはなりませぬ 七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
826 :
諸橋 嘉久 :2012/12/27(木) 13:06:05.72 ID:dtFQhkwL0
薩摩の高崎左太郎に唆された秋月悌次郎は、宮中クーデターである八月十八日の政変では藩兵を率い、 成功させた。 宮中クーデターなど、近世の教養の有る武士のする事ではない。 什の掟―じゅうのおきて(ならぬことはならぬものです).
827 :
諸橋 嘉久 :2012/12/27(木) 13:23:35.91 ID:dtFQhkwL0
>>825 会津とかどうでもいいが長州は弱者じゃないぞ!
龍馬も弱者じゃないぞ!
>>828 1に背いて徳川慶喜の終戦命令に従わなかったよね。
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/28(金) 10:32:05.78 ID:UxAIYUJd0
大政奉還されたからじゃね?
その長州も散々パラ利用した奇兵隊を最後には「お邪魔虫」扱いwww 解るな? 所詮「そんなもの」
三、虚言を言ふ事はなりませぬ つまりこのスレには会津の人はいないって事なんだな ( ^ω^ )
第二次長州征伐で幕軍に勝ち目はあったろう 軍事力は海軍陸軍とも上 石州は前近代装備の為大村に近代兵器の有利性徹底使われ負けた 芸州は近代兵器持つ紀州出てきてから引き分け 大島馬関は圧倒的優位なはずの海軍も高杉に3度奇襲食らって完全戦意喪失 それでも熊本軍の守り硬くて落とせず高杉が心理戦で追い払ったくらいだろう
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/01(火) 19:20:08.42 ID:yPfpap/T0
まぁ麻呂は詐欺師どすゆう正直な詐欺師はおらへんからのお つまり会津モン●〜がおらんとは限らんわけや
幕末
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/03(木) 08:24:26.69 ID:xLjqsYDw0
まるで小学生にフルボッコにされてフルチン状態にされた中学生やな 肝っ玉もキン〜●〜●も小まいんがばれて悔ちぃ〜のおおおお
龍馬が暗殺されても大勢に影響なし
龍馬が長命したら、平和通商国家だった。
坂本は薩長に次ぐ土佐の脱藩勤王組有力人物くらい凄い ドラマで変な人扱いされてたが 武市半平太のが凄いがかな600人近い勢力持ってた首領だしな
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/06(日) 18:17:14.41 ID:D2Cpq8TAO
日本語で頼む
大河を観たが容保が指令を出すとは思えない。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/07(月) 11:56:55.91 ID:Rn2zXmWMO
tansaibou
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/08(火) 20:08:10.20 ID:INn6mgqA0
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/08(火) 21:00:24.35 ID:TmsKXoL90
巣 手間 乙
会津のみなさん、慶喜が甲斐性なしでごめんなさい。
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/09(水) 07:38:22.51 ID:v84ySeQl0
天皇大好き将軍慶喜様の足を最後まで引っ張ってごめんなさいだろアホw 尊王攘夷運動を弾圧した井伊直弼の寵愛を受け、その遺志を受け継ぎ反対勢力を粛清。 反体制勢力に担ぎ出されぬよう孝明天皇をたぶらかしながら監視。 ならぬことはならぬに反して慶喜の大政奉還に異議を唱え勘違い暴走。←本領発揮 鳥羽伏見の戦いに破れた甲斐性なしが辿り着いた答えは、保身のために 東武天皇(勝手に担ぐ)とプロイセン(実際は鴨葱)を利用する事だった。 これは慶喜にとって(あっては)ならぬことはならぬだったのDEATH
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/09(水) 09:08:21.37 ID:3v2ENZI60
↑ よくそんな妄想が書けるね。
井伊直弼に好かれた時点で死亡フラグ
849 :
諸橋 嘉久 :2013/01/09(水) 15:56:40.87 ID:oksvhyvD0
(1)[日本史の本当の姿を求めて(上) | 2007年04月09日]
>安政の大獄は、(省略) 八切止夫の『野史辞典』(日本シェル出版 昭和55年)をひもといてみると、「征夷の勅命さえ賜れば、征夷大将軍になれるものと考え、
水戸斉昭が京屋敷の鵜飼幸吉に献銀させ入手した密勅事件。つまり次々と各大名が公家に出入りの商人に銀を贈って、勅を賜っているのに驚き、
井伊大老が贈路側と贈賄した双方を捕え、ついでに過激派の者も一緒に治安維持のためにと逮捕した疑獄事件。(省略)
安政の大獄は、水戸藩らの卑しい疑獄事件だったものを、明治政府が自分たち「新時代を創ろうとした」勢力を弾圧した事件にすり替えたのだ。
http://kokoroniseiun.seesaa.net/article/230009533.html
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/09(水) 18:28:27.36 ID:v84ySeQl0
>>847 オマエは単なる会津マンセーの狂人w
独裁者による卑しい弾圧事件を美化するなっつーの
朝廷内の尊王派や政敵である一橋派を弾圧して骨抜きにするのが目的だろ
それに当時、諸藩の志士のみならず、庶民レベルでも幕府の施政に対する不満がくすぶっていた
なに全国レベルの問題を(朝廷が頼った)水戸藩限定の問題にすり替えてんの、アンタ
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/09(水) 18:29:55.00 ID:v84ySeQl0
>>847 オマエは単なる会津マンセーの狂人w
独裁者による卑しい弾圧事件を美化するなっつーの
朝廷内の尊王派や政敵である一橋派を弾圧して骨抜きにするのが目的だろ
それに当時、諸藩の志士のみならず、庶民レベルでも幕府の施政に対する不満がくすぶっていた
なに全国レベルの問題を(朝廷が頼った)水戸藩限定の問題にすり替えてんの、アンタ
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/09(水) 21:08:30.27 ID:cGt/gmFz0
↑ よくそんな妄想が書けるね(笑)
>>851 完全にヒールだなw
先祖が泣くぞ。半島の。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/10(木) 20:56:36.29 ID:7ye6QDth0
>>854 あんたは読んでもいないな。他人のブログ読んだだけ。嘘つきね。^0^
女史の言ってる平尾道雄の「海援隊始末記」の白川邸浪士の件は、九月の寺村の日記だけ
だろう。中島は10月5日の日記を解き明かしてるのをしらないしな。
女史は土佐の田中 光顕が悪く書かれている本は否定するのだよ。
本では田中 光顕は事件後には嘘をついて土佐藩を維新後に弁護したとしてる。
それより、他の黒幕本で中島以外の本で推奨するのはあるか。
比較して読んでるのだろう。言ってみなよ。誰の本?。
中古で買えるだろうから読むよ。磯田道史のは読んで適当で呆れたから、
これ省いてな。
昔テレ東でやってた歴史ミステリーのシリーズ つべにいろいろうpされてるけど、あのトンデモ感が面白いなw 明智光秀の子孫である龍馬を討ったのは 織田信長の子孫だったっていうの 物語としては面白い
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/11(金) 23:24:23.87 ID:nfb6YmMIO
トンデモと言うよりキ○ガイだろ
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/12(土) 23:20:01.80 ID:ZTaVC+wX0
>>852 >>853 おお半島人が涙目で反応しとるのうw
きっめー妄想でしか自らを正当化出来ないところが会津マンセーと同じだな(笑)
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/13(日) 02:05:18.52 ID:ienvYM3k0
歴史を都合よく捻じ曲げる手法がまるで某国のそれみたい 第三者を装って推してたけど、証拠物と呼ぶには客観性が乏しいというか
執着の理由が知りたい。 1.会津の女にふられた 2.会津の男に女をとられた 3.先祖が会津関係者にころされた 4.故郷を捨てた会津人 5.ニートで欲求不満
ツマンネ
もう何度も言われてるかも知れんが、見廻組とか手代木じゃ「白幕」で このスレは「黒幕」を妄想するところだろ? 暇なんだろうが、不快ならくんなとw
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/16(水) 12:05:44.52 ID:NEKfXcVr0
キメェなオマエ wwwwwww
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/16(水) 13:07:54.66 ID:Ka+HWhnZ0
unkokusai
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/16(水) 17:34:21.49 ID:NEKfXcVr0
トンスルで酔っ払ってんのちゃうかオマエw
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/21(月) 21:52:56.62 ID:DYNdKGmm0
伊藤と桂が犯人、後土佐の田中、秘密をばらすと脅されたからね
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/22(火) 17:07:34.58 ID:l7A7qX/F0
キムチのよい宣伝になったなwwwwwwww
869 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 17:42:00.31 ID:rjO04nwm0
この時代になっても闇の中ってことは、 強烈な大物が小物を使ったのかな。。 とにかく真相が知りたい。 いろんな意見は聞いたけど、 間違ってるのは今の感覚で考えちゃう事。 電話はもちろん飛行機も電車もテレビも無い時代、 字も書けない人が多い時代の事件だもん。 真相が判ってる事件も嘘かもしれない時代。 個人的には、 大物で長生きした人が怪しいと思うけど、 おそらく色んな人から恨まれてただろうから、 永遠に闇の中なのかな・・。 誰か答えを教えてくんなまし。
870 :
諸橋 嘉久 :2013/01/23(水) 18:12:04.58 ID:WR2wXdL90
Thomas Blake Glover⇒小松帯刀⇒岩村精一郎 黒幕がThomas Blake Glover 実行部隊のボスが岩村精一郎
871 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 18:48:10.61 ID:rjO04nwm0
としたら何故Gloverは、 龍馬を殺す必要があったのですか?
872 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 19:06:26.17 ID:rjO04nwm0
もし彼が首謀者ならば極悪人ですね。 私の感想では、 彼は単に商売人で同じ匂いの龍馬と馬があったんだと思います。 その後も日本に身を捧げた事を考えると、 龍馬だけでなく日本人が好きだったのかもしれません。 戦争や暗殺の仕掛け人かもしれませんが、 近代日本を早めた一人と思うのは間違ってますかね?^^
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/23(水) 19:24:28.11 ID:w7nfEieYO
>>872 その前に、お前のコテが間違ってると思うよ。
お前、頭悪過ぎ。
874 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 19:35:42.36 ID:rjO04nwm0
875 :
諸橋 嘉久 :2013/01/23(水) 19:49:47.57 ID:WR2wXdL90
http://plaza.rakuten.co.jp/jigen2012/diary/201212200003/ 我自身に尋ねたところ、
トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)は日本の長期間に渡る大規模の内乱に乗じて、
アームストロング砲とスナイドル銃を薩長を中核とする西南諸藩に売り、
薩長を中核とする西南諸藩が徳川幕府に負けない程度に、
徳川幕府にもアームストロング砲とスナイドル銃を売る予定だった。
湿度の高い日本では、フランスのシャスポー銃は殆ど役に立たないからだ。
トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)のメッセンジャーボーイだった坂本龍馬が徳川慶喜に大政奉還させたので、
日本の長期間に渡る大規模の内乱は起きなくなり、
トーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)はアームストロング砲とスナイドル銃で儲け損なった。
メッセンジャーボーイだった坂本龍馬に裏切られたトーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)は、
イギリス系フリーメーソンの手先の小松帯刀に坂本龍馬の暗殺を命令した。
小松帯刀は配下のプロフェッショナルの暗殺者の岩村精一郎に坂本龍馬の暗殺を命令した。
小松帯刀が土佐藩上層部にトーマス・ブレーク・グラバー( Thomas Blake Glover)の意向を伝え、
岩村精一郎に5名の陸援隊士を与えた。
坂本龍馬に討幕を説得しに行った中岡慎太郎は、坂本龍馬に懐柔されてしまった。
岩村精一郎に率いられた陸援隊士たちは、坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺した。
876 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 20:06:56.95 ID:rjO04nwm0
>>873 ごめんなさい。
諸橋 嘉久 様の意見があまりにも揺ぎ無いので、
ROMでは済みませんでした。
諸橋 嘉久 様
グラバーの思惑はそうだったとしても、
なら個人で出来ることではないですよね。
私の考えは、
国レベルでグラバーが派遣されたのでは?
と考えています。
877 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 20:29:21.34 ID:rjO04nwm0
龍馬は好きなんですが、 あまり2ちゃんねるは見ない私が意見してしまって ごめんなさい。 自分の意見を言わないのが、 なにより卑怯だと思うので。。 大久保、勝。 このどちらかと思ってます。 あそこで殺されなくとも、 いずれ誰かに殺される運命であったとも思います。 もし勝さんだったなら、 苦しかったでしょうね。。 伊藤なら平気でやれそうですが。
伊藤はそういうタイプじゃなくね?
879 :
坂本龍馬 :2013/01/23(水) 21:47:57.53 ID:rjO04nwm0
伊藤は平気で人を切ったと思います。 個人的意見です。 だからこそ大物になれたと思います・・。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/23(水) 22:00:15.60 ID:xy4TpUbg0
>岩村精一郎に5名の陸援隊士を与えた。 その5名の陸援隊士とは?
剣術できない伊藤だと逆に坂本に斬られるw 伊藤は松陰の弟子で大物でないが早い時期から志士 高杉のクーデターにも加わってるし修羅場くぐってるよ
882 :
坂本龍馬 :2013/01/24(木) 00:11:04.34 ID:QAElBXJu0
松蔭は早くから伊藤の才能を見ていたはず。 良い意味でも悪い意味でも政治家として。 ただ幕末の混沌とした時代、 岩崎もそうだったように、 とにかく生き残るためにがむしゃらだったでしょう。 常に刀を抜いて歩いていたという伝説は信じがたいけど、 あの人は龍馬と同じくらいに 存在感あると思います。
>>879 いや、そういう意味じゃなくて伊藤は結構才能オタクだから
自己の損得勘定では動かないよ
龍馬亡き後陸奥の面倒ずっと見続けてたのも伊藤だし
陸奥が伊藤殺そうとしたのにそれでも「おっけー☆陸奥おっけーゆるしちゃーう☆」ぐらいのノリだし
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/24(木) 21:11:48.19 ID:V4NiVuze0
伊藤は晩年松陰に含んでたようだ 華も学も才もないがと書かれた手紙を見たんだろうな
龍馬さんを殺したのは馬鹿で卑怯な会津武士の佐々木唯三郎一派 近江屋の人たちも皆殺し 会津は最低最悪 滅んでとうぜん
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/26(土) 12:15:53.25 ID:0z/sugy90
と薩長土肥大好き人間が根拠も無いことを呟いております。
>>886 根拠がないのはあなたです。
会津関係者は根拠のないことを話すのが好きですが、あなたの性格は人間未満
考えてみれば・・・・だ 所謂「西郷どん」の肖像画を”まんま”近代にまで伝えているって事だけでも 事実はともかくイメージ先行致し方ないな風潮は当時からあったと 龍馬その他な維新獅子な人たちも多分にこの例外には漏れないであろうて
890 :
坂本龍馬 :2013/01/28(月) 19:25:06.34 ID:Q20BA+Q30
>>889 同意です。
過程はともかく、
最後に偉い人が偉いんです・・よね。
千円札になった伊藤も、
その他もそう。
見えない歴史が多いですよね。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/28(月) 22:47:37.66 ID:HnesjZP00
マジレスするとフリーメイソンの陰謀な 友愛されたんだよ、友愛!
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/28(月) 23:23:24.69 ID:YpBGRqtR0
伊藤暗殺も謎だが、龍馬ほど話題にならない。 暗殺当時の伊藤の方が大物だが。 朝鮮人が勘違いし暗殺は定説だが、他の狙撃犯いた説あるから黒幕は・・・ ロシアが融和派の伊藤が日英同盟組んで騙したと勘違いしたためやられた。 朝鮮併合に反対だから併合派にやられた。 戦後ロシアと関係改善しようとした他勢力にやられた。
893 :
坂本龍馬 :2013/01/29(火) 08:27:09.90 ID:sNco0Q260
勘違い暗殺や天誅はたくさんあったと思う。 時代は変わっているのに、 情報が行き届かない場所では、 俺はあいつを殺してから死ぬ! みたいな人はたくさんいた気がします。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/29(火) 19:15:36.68 ID:L24G3ansO
なんか
>>839 は創作作品読みすぎかと思う
大久保と伊藤ってそこまで悪玉キャラじゃないぞ
創作では悪どく書かれるが
大久保伊藤と比べたら龍馬陸奥のほうが相当腹黒いと思う
897 :
坂本龍馬 :2013/02/01(金) 00:03:45.84 ID:YqUZoz4E0
創作品読みすぎなんじゃなくて、 妄想が過ぎるんですよ。 だって永遠に真相はわからないんだもん。 ただわかってほしいのは、 私も龍馬自体を美化はしていないという事です。 純粋に真犯人を知りたいけれど、 無理なんでしょうね・・。 うざい存在になりつつあるので、 このへんで去りますが、 斬新な意見を期待して、 ROMは続けます。 反応してくれた方々、 ありがとうございました。
大久保、岩倉あたりが腹黒くなかったら腹黒い人間なんて歴史にいない
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/02/03(日) 09:48:46.04 ID:xXA1palx0
裏切りや嘘など卑劣な手段を好むのは江戸幕府を開いた徳川家康だったような・・・ 卑怯なことはしてはなりませぬw
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/02/24(日) 12:23:09.57 ID:R7Nz4INL0
家康は基本的に裏切ったり卑劣な手段しないけどな 豊臣からの天下取りの時だけは凄まじい工作やったが 豊臣も織田から天下取る時やったからね
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/03/05(火) 02:35:30.87 ID:pPD1ZMP70
基本的に保身のために功績のあった者でさえ難癖をつけて排除したけどなw 猜疑心の塊だったんだろう
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/03/14(木) 17:59:21.54 ID:gb7C45/10
土佐藩上層部か松平容保 このあたりが黒幕の有力候補か
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!! おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。 薬味はネギと紅ショウガね。 マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね! ああ〜また食いたくなってきた〜。 明日も食うけん!! もうこれでラストやっけんなww 寂しくなるなww じゃあな!! またなwwwwwwwwwwwwwww
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/03/16(土) 07:22:29.64 ID:h81+zWEc0
結論 坂本竜馬殺害は会津藩の手柄
あれ?八重さんに龍馬でるんだっけか? 修理が要るってことはどうなんだろ んでも話しの内容的には容保が命令した流れってのもなくはない状況だし 逆に池田屋の件よろしく また「〜」の勇み足かぁ〜 みたいなのになるのか
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/03/17(日) 17:26:05.61 ID:wKZWio2B0
八重の桜で池田屋事件では、山本覚馬だけでてて、手代木がでてこない。 覚馬は準主人公ですから、やむをえないからでしょうが残念。
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/03/18(月) 06:51:05.74 ID:tRwhSlhz0
原作読んでいないから判らないが、話のネタとして龍馬が襲われた際の八重兄の話は 出てきそうものだわな〜どうだろ!? まーそこまでやると、では見廻組の連中はどこ?なわけだが(笑う)
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/03/24(日) 00:02:02.40 ID:j0U6ImVj0
西郷さんは黒幕じゃないよ 大久保をかばっただけ
>>908 前田:藩内は佐幕派優位で、戊辰戦争に介入しようと思ったらあっさり徳川慶喜が逃亡したので意欲霧消。
新政府の兵站+輸送担当。意欲0で佐幕派からも勤皇派からも笑われた。
南部:いつまで経っても藩内の勤皇佐幕が論争を続けてどちらにも参戦せず。
ところが京都から家老が帰ってきて俄かに佐幕参戦へ。理由は「薩摩は武士の上下関係を家中で守っていない。武士は身分が全てだ」
奥羽列藩同盟敗北と共に敗北、決断の不明は責任者の斬首と減封。
細川:佐幕派優位だったが、京都駐在の責任者の見解は「鳥羽・伏見の戦いには参戦せず」。新政府軍勝利となり以後は新政府軍として参戦。
黒田:薩摩の家系が養子となっており勤皇が優位だったが、鳥羽・伏見の戦い直前に勤皇派を粛清。
しかし結果は新政府軍勝利だったので以後は新政府軍側で参戦。
浅野:大政奉還までは薩摩と並んで武力討幕派だったのに、以後は大政奉還及び軍事抜きの姿勢に転じる。
鳥羽伏見の戦いで初日は非参戦。二日目に詔勅と同時に新政府軍に参加するも、もう薩長には信用してもらえず薩長土肥の枠から外れた。
池田:徳川慶喜の親戚だったが、同時に勤皇でも知られており、鳥羽伏見の戦い後は新政府側で参戦。
911 :
908 :2013/03/30(土) 12:49:39.37 ID:knGdFEfLP
>>910 ありがとうございます。
どっちつかずで最後に美味しいとこもってこうとする藩が多かったのね。
阿波徳島が抜けているじゃんw 筆頭家老稲田家家臣団の功績を横取り 新政府後、殿様「藩主」格を願うも却下。家臣らも士族には編入されず その後の話は吉永某主演「北の零年」にて
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/01(月) 22:22:37.87 ID:rpiNsX580
加賀、陸奥、肥後、筑前、安芸、備前なども、日よっていたが、 本当は、龍馬の土佐藩だったのだよなー。明治維新直前まで 土佐藩の上層部は佐幕派だったけど、転んだ。 郷土史家なんかが土佐藩の勤王党ばかり取り上げて、さも、新政府側のような ことを書いているけど、嘘で、上層部は佐幕派だったのだねー。 だから、龍馬と中岡だって土佐藩の上層部に暗殺された可能性大。 八重の桜を見ていると、最近、読んだ「龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた」 が述べてる維新前の土佐藩と会津藩が「会土盟約」を密かに結んでいた可能性が あるというのもあり得たかもな。なかなかの本だよ。思った以上に史実的。
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/04(木) 20:37:17.66 ID:c8BOFfdU0
土佐藩が佐幕派というのは間違い公武合体だよ 佐幕派は幕権絶対派の事で 勤王派を過激とした容堂すら安政で隠居したり大政奉還には賛同してるんで 公武合体派は最終的に倒幕に賛成したわけで あくまで大政奉還は認めないけしからんとしたのが佐幕
手代木の遺言書で証拠も出てきたし もはやここも用済みかな
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/17(水) 01:14:15.64 ID:iyrlkUgt0
なんか、龍馬は二人いて、 東の龍馬は近藤長次郎で、 西の龍馬は薩摩の誰かとかw
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/17(水) 01:16:00.67 ID:iyrlkUgt0
>>915 まあ直接の教唆犯だろうね。
誰かがちくったのか、自分で居場所を探りだしたのかは知りたいところ。
長次郎切腹?も裏がありそだよなw 一応龍馬は京に居たってことでなんだけれど組織内での「何か」があったやもしれんと 単純に長次郎に対する「やっかみ」とかね
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/24(水) 18:59:54.98 ID:fchJwdsm0
中岡がよく高知に戻って、上士と面談を重ねてる。 坂本は後藤と組んでる。海援隊は土佐商会の外郭団体だ。 ドラマでは敵対してたけど倒幕のため組んだって美談になってるが、 中岡と坂本は最初から後藤の手下だったんじゃ、加持将一が 「操られた竜馬」で書いた「坂本は土佐藩のエージェント」 という説明でオレは了解したんだ。武市は騙されてきた。 坂本と中岡は陸援隊の土佐郷士に暗殺された、後藤も黙認した。 でないと、恨みが後藤にも向かう。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/24(水) 19:16:31.76 ID:V0DQ10/30
今日、NHKの歴史番組で新選組の斎藤一をやるようだ。 興味ある人はどうぞ。
本当に仇をって感じなら陸海・隊士の連中はそれこそ血眼ではなかったのか?? 未来wの都知事・三浦某を仇と襲った件もなんだか体のいい「ガス抜き」ともとれるよなと 仇なんて・・・と周りを「説き伏せた」連中は必ず居たよなと
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/24(水) 22:44:17.13 ID:QSKd1/Ok0
来週は龍馬暗殺をやるらしいぞ。
ドンパチのための運び屋やな! やったれや!!
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/07(火) 23:03:34.40 ID:Ftfr3M/g0
黒幕は岩倉と大久保 実行犯は( )
古畑さん
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/08(水) 23:26:36.65 ID:SXT+NN3D0
実行犯は京都見廻組・佐々木 只三郎 黒幕は幕府内の高官もしくは松平容保(見廻組は容保の配下)
桂早之助 これでFA?
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/09(木) 20:18:06.93 ID:JjTAselp0
佐々木只三郎の兄・手代木直右衛門の死を前にした言葉 「坂本龍馬を暗殺したのは、わが弟であり、それはある方の命によるものです。名前は・・・言えません。」 (当時、手代木は会津藩・若年寄で、藩主・松平容保の右腕であった)
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/09(木) 22:40:52.44 ID:CliBV2Xt0
それしか想像できないのか、お前らは。単細胞。
暗殺した輩は在日かユダヤだ。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/10(金) 15:00:26.92 ID:m9J88GrN0
TVでどこぞの若い教授?がいっていたが(名は忘れたw) 手代木のその証言は客観的証拠に乏しく、寧ろ後年にってところがネックで 要は「家族の手前でええカッコしw」をしたってところが本当のところというお話し
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/11(土) 06:41:36.73 ID:oZ3SJscp0
龍馬暗殺でワーワー言っている奴って 肥大化した龍馬像に踊らされているだけだろ 実際は、そこまで大したことなかったから 警戒した松平容保が命令した見回り組に 殺されただけだろ
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/11(土) 21:50:05.38 ID:1uyQuzZG0
・龍馬は小者 ・容保が龍馬暗殺命令 矛盾するから、どっちかにしてくれ。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/12(日) 19:45:30.69 ID:GT/MsIE60
つまりは 龍馬を言わば「一刀両断」した腕をもちながも 一方で中岡といえば身体全体をほぼ「ナマス斬り」状態にしながらも何故か「止めをさせなかった」 この差はいったい何?
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/13(月) 07:57:52.65 ID:ucDH71cc0
>>934 「ライバルたちの光芒」という番組で、中岡が龍馬を切りかかって龍馬が銃で応戦みたいな珍説を話してたけど、ちゃんと聞いとけば良かった
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/14(火) 09:35:11.76 ID:D0w6ZSgS0
捕縛の機会はいくらでもあっても高度な政治判断で手が出せんかったんだぜよ だが、真夜中に偽名で面会を申し込んで来たんだぜよ 江戸時代は法の不備で弁護士はおらんかったぜよ 不意打ちを喰らってぶった斬られたぜよ 土佐藩邸前だから急いで逃げたぜよ 物騒な時代だったぜよw
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/14(火) 11:50:45.57 ID:XKLePc1L0
黒幕、実行犯ともに見廻組、ということで現状ではファイナルアンサーだろ。 首謀者は佐々木只三郎(会津出身)、龍馬に致命傷を与えたのは桂早之助。
つまり、松平容保の犯行。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/15(水) 17:28:30.27 ID:yBkVA1230
近江屋を指示した人物も 生前直前まであっていた人物も 事後近江屋に駆けつけた人物も 「すべて」土佐藩横目付www
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/15(水) 20:12:22.92 ID:06MPezxM0
龍馬曰く 通説で おK 後は ゴミ
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/15(水) 23:58:58.13 ID:/60mrAD70
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/16(木) 04:54:27.64 ID:C+SPmynzO
暴力団に狙われた龍馬?
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/16(木) 12:06:55.04 ID:uzx1c7q70
元祖ミーミー詐欺に引っかかったんだぜよ 犯人はマミー助けて詐欺犯だったんぜよ 賞金首ゲットで直ぐ逃げたんだぜよw ドラマじゃバックショットぜよ 飽きたからバイバイぜよ
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/21(火) 02:01:51.92 ID:eY/r0L1D0
龍馬のことを何〜んも知性も情報もない阿呆があやめたということで いいでない?
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/21(火) 02:18:59.39 ID:tLyqTWlK0
奴が無能なのは間違いない 無駄に年喰ってるだけあるわww
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/21(火) 09:03:13.72 ID:krX+9c8t0
お前らが無能なのは間違いない
毎日嫌がらせをされています。 ジョン・トッド 国際金融資本 コリンズ家 フリーマン家 軍産複合体 CIA ロックフェラー帝国の陰謀-見えざる世界政府(原著1976年) で検索。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/12(水) 21:58:36.72 ID:bDvy/c/50
un
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/15(土) 12:50:50.48 ID:sfTmGsUhO
co
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/17(月) 23:42:42.19 ID:IUJhhJL+0
chin chin
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/22(土) 01:15:11.37 ID:wk1s8v6O0
次スレ必要か と
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/22(土) 08:57:25.74 ID:uIS29cBf0
もう要らないよ。ろくな論者がいない。 新しい発見もない。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/23(日) 15:41:15.05 ID:gRS6ou280
まーんでも仮に真に暗殺で黒幕がいて、それが「現代」にまで影響を与えるって事になるとなんだろうな?とは思う それは現代の政治にまで影響を及ぼす可能性があるからなのか 単にネット(2ch)よろしくw「暗殺犯の子孫wwwwww」と蔑む・ネタにされるってところなのか?ってところだな つまり何がいいたいのか 福岡の子孫さん本書いてくださいよ〜w門外漢な分野でしょうけどwwな話
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/23(日) 22:25:58.96 ID:gM4Etdfm0
福岡藤次の子孫は、書けないだろうけど、 福岡の晩年の言葉は土佐藩の仲間、佐幕派の上層部が黒幕と 言ってるようなものでしょう。
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/24(月) 08:15:53.79 ID:5fRQP5db0
つまりすべては明治になってから旧土佐藩士が大々的にでっち上げたことなのに、 それを知らずにここの単細胞どもが容保ガー、容保ガーと騒いでいるわけだ。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/24(月) 08:41:30.00 ID:ExqkwgFVO
へ―
松平容保と会津藩士しか証拠のある容疑者はいないのに、 どうにかして別の人間に犯人を押し付けたいとする人間がいる。 酷い嘘つきだと思うよ。特に容疑もない土佐藩のせいにする輩は。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/25(火) 18:29:36.71 ID:GNDW12JM0
定期的に バカ が釣られる〜〜〜
普通に後藤や佐佐木が黒幕だろうね
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/07/22(月) 17:35:20.24 ID:tpCZBMFy0
さあ、それはどうかな。 普通に考えれば土佐藩保守派だろう。
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/02(金) 08:41:27.08 ID:sxVq2ZZR0
陸援隊と谷千城も怪しいぞえ。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/10(土) 06:48:34.65 ID:NzBcUzUG0
黒幕は岩倉・大久保(西郷)、つなぎは岩村三兄弟
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/15(木) 11:38:22.87 ID:nAIAmSopO
赤松小三郎と同じパターンだろ
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/15(木) 14:24:53.26 ID:OM8WUt+g0
今話題?wなサザンの桑田さんのZ?な件 これも真贋如何によっては過去の発言・作品等「あ〜そうなのか」的な印象も受けかねない状況 龍馬も世間一般に流布されている印象の真贋「如何」でどう転ぶか
どっちかというと 赤松小三郎暗殺事件の方が怪しいところが多いよーな
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/23(金) 06:03:26.04 ID:qcJm5ea+0
理由わからんw根拠もない 実行犯の一人は「中岡」。自らor龍馬の気をそらす係 事後他の実行連中に「消されかかる」 止めを刺さなかった理由は「生きていても真実は語れないだろw」と その後背景の知らぬ谷らが駆けつけ中岡の延命をはかるも「真実」を知り激怒 治療拒否で中岡死亡 (この辺は普通に怪我でアボンでも) その後の龍馬↑ってのはその背景に同情した谷・田中らの策謀 逆に中岡を歴史から「消す・目立たなくする」のも同時進行
黒幕は松平容保 実行犯は京都見廻組 これ公式
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/23(金) 08:27:32.67 ID:IyJArXBL0
それはアホにとっての公式
いやいや、実行犯はほぼ確定でしょ そしてそれの雇い主は容保 よって、一番現実的な見解 龍馬暗殺をエンタメとして楽しむ層は それをどうやって覆し、他の犯人と結びつけるかって部分じゃね
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/24(土) 08:33:07.74 ID:f1VSxWId0
だからお前みたいなのを容保ガーというんだよ。 別名単細胞。
>>970 家来の手代木直右衛門が自白しているのだぞ。
ガーじゃなくてw 状況証拠と物証や証言をまとめての 星の優先順位を言ってるだけ それがまず見廻組とその雇い主になるのが普通じゃないか それを違う角度で違う犯人を推測し あーだこーだ言い合って楽しむのが 龍馬暗殺のひとつの見方であり楽しみ方でしょ
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/24(土) 16:33:12.17 ID:Sf754wSn0
黒幕は松平容保 ←確証なし 実行犯は京都見廻組 ←確証なし こんな凡説より、消えたと思っていた薩摩説の方が面白い。
会津の松平容保が黒幕だよ。証拠見つかってニュースになってるし。 手代木ナントカって人の遺言書に坂本殺したの私たちですごめんなさいって書いてあったらしい。 あと容保から許可おりて命令通り佐々木たちにやらせましたとも書いてあったらしい。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/25(日) 08:40:30.88 ID:mrvXJXxr0
↑初心者。 一年ほど勉強してからおいで。
会津が主導したかどうかは謎だが 実行犯が見廻組であることは99%間違いないって NHKの番組でもやってたな
>>971 手代木は、京都所守護職・松平容保、
またはその弟、京都所司代・松平定敬
が命令者だとしている。
松平容保は、坂本龍馬と面談の上、その安全を保障した。
と、龍馬が語っている。
容保は、殿様育ちのボンボンであれば、
自らが安全を保障した龍馬の暗殺を指令することには、
心理的な抵抗があるのではないか。
松平定敬も、京都所司代であり、
見廻り組に暗殺指令を出しうる立場である。
978 :
二酸化炭素満州 :2013/08/25(日) 16:35:49.92 ID:j1DtH4hc0
>手代木は…が命令者だとしている。 そんなことはどこにも書いてない。 >松平容保は…龍馬が語っている。 その文書は偽物。 >松平定敬も…立場である。 松平定敬は若すぎる。松平定敬は大政奉還を朝廷に言上した人物である。 龍馬を殺さなければならない理由はない。
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/25(日) 17:48:50.37 ID:0wCbgPu80
すべてに於いて命令者がいたかどうかってのは断定は出来ないよね 事後処理的な感じで実行者のいわば「勇み足」的な部分も鑑みなければとは思う 龍馬は寺田屋の一件にて当然捕縛されるべきな人物なのに 奉行所等現場は二の足を踏んでいた その後再度現れては「堂々」と幕府重役連中との会合したりね そこにだ、佐々木等見廻組の連中は目をつけたのかもしれん 彼らはは京にきて「これ」といった成果は無し しかも同幕府別働隊とイザコザを起こして「負ける」という不名誉なことも起こした もうこうなれば何か「結果」をだすしか方法はない・・・ それが龍馬暗殺 結果事は成した場合でも佐々木の兄貴を通じて話しを通せばよいと
>>979 こないだNHKでやってた番組の落としどころは
そういう感じだったな
会津藩主の松平容保は過去に寺田屋事件でも龍馬を捕縛・殺害するために120人以上の役人で深夜の寺田屋に襲撃をかけている 龍馬の素性も調べない傲慢かつ残虐無比な権力者は松平容保しかいない
>>978 此時只三郎見廻組頭として在京せしが、某諸侯の命を受け、壮士二人を率ゐ、
蛸薬師なる坂本の隠家を襲ひ之を斬殺したりと。
(直右衛門の遺言) (『手代木直右衛門伝』)
見廻り組に命令をすることができる「某諸侯」としては、
京都守護職・松平容保
京都所司代・松平定敬
以外にはありえない。
龍馬は、松平容保が安全を保障したとお龍に語り、
お龍は、明治以後にそれを証言した。
実際に龍馬は、見廻り組のアジトに近い永井尚志の下に堂々と通い、
安全な土佐藩邸に入ることなく活動を続けていた。
>松平定敬は大政奉還を朝廷に言上した人物である。
これは初耳だ。ソースプリーズ
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/25(日) 23:16:26.86 ID:oIQoDLlE0
寺田屋事件は松平容保とは何の関係も無い。あれは見廻組や新選組の管轄外。 命令したのは永井である。龍馬の手紙にちゃんと書いてある。 見廻組はいろんな上司の命令で動いている。 見廻組を動かせたのは松平容保だけではないのである。 君らは無知すぎる。某諸侯に該当する人物はいくらでもいる。 松平定敬は大政奉還を朝廷に言上した人物。 こんなのは徳川慶喜公伝に書いてある。 とにかく過去スレを全部読んでから書き込め。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/25(日) 23:20:04.34 ID:oIQoDLlE0
徳川慶喜公伝 京都見廻組史録 せめてこれくらいは読んでおいてほしい。 これさえ読んでいない奴が多すぎる。
黒幕は松平容保で決まり 寺田屋で逃げられて守護職のプライド丸潰れだったから恨んでたんだね 徳川を救った英雄を早まって暗殺 あとからそれがわかって恥ずかしくて隠れてた だから名乗り出なかった
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/26(月) 07:49:14.78 ID:JgaTQBNMO
よし、もう一回俺が現場検証してくる!
987 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/26(月) 08:32:26.97 ID:s2vH9yUk0
だから寺田屋事件と松平容保は何の関係も無いと言ってるだろが。 龍馬の手紙に某大目付が命じたと書いてあるだろが。 当時の大目付は永井なんだよ。 少しは資料を読んでから書き込め。 低能は出て来るな。迷惑だ。
>>983 >君らは無知すぎる。某諸侯に該当する人物はいくらでもいる。
日本における諸侯
日本では、江戸時代に将軍によって与えられた所領を支配した大名を、
講学上、古代中国になぞらえて諸侯(大名諸侯)と呼び、その所領を藩と呼んだ
(wiki)
永井尚志は旗本であり、大目付であっても「某諸侯」に該当しない。
見廻り組に命令できる某諸侯としては、容保と定敬しかありえない。
>龍馬の手紙に某大目付が命じたと書いてあるだろが。
へーえ。暗殺された龍馬が、それを命じたのは大目付だと書いてるんですかね。
是非とも、その珍しい手紙を読んでみたい。
何年何月何日の誰宛の手紙か教えていただきたい。
>徳川慶喜公伝
>京都見廻組史録
ほんとにそんなことを書いてるのか、確かめたいが、入手できる環境でもなく、
読んでる暇もない。
ネットで検索して見つけられるソースを示していただきたい。
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/26(月) 12:32:50.02 ID:AoYFWttT0
お前は初心者すぎる。過去スレを全部読め。 永井のことが土佐藩重臣の日記では永井候と書かれているのだ。 永井は諸侯扱いだ。 お前はほんとに馬鹿だな。寺田屋事件の命令者だと言ってるだろが。 人のレスはきちんと読め。龍馬の手紙くらい全部読め。文庫で出ているだろ。 図書館で借りて来い。 なければ他市や他府県の図書館から取り寄せてくれるぞ。
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/26(月) 13:38:01.96 ID:yoF5bY8M0
基本諸侯ってのは「万石以上」が原則なはず 故に永井は旗本なので該当「しない」と たぶん永井の出自が「大名の血筋」が故のへりくだり的な意味があったかもしれん
手代木が命令を伝えたのなら、その上司は松平容保だよね。
やはり容保か
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/27(火) 09:14:03.52 ID:dX0GQsuC0
だから見廻組はいろんな上司の命令で動いているんだってば。 京都見廻組史録を読めば分かるよ。 ったく容保ガーというのはアホばかりだな(泣)
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/27(火) 12:58:11.70 ID:f5pcPmsv0
>>993 だって神保修理に切腹命じたのも
容保
っていう人たちですから(笑)
多分戸南あたりに置いてけぼりされた旧会津の子孫じゃないの?みたいなwww
壬生の浪士たちを金で雇い新撰組として堂々と人斬りさせまくる これを発案したのも松平容保だったんだよな 会津をヨイショするはずの八重の桜でさえそう解説してたし んで勝麟太郎が「おいら、こういうやり方は好きじゃねえな」って覚馬に苦言を挺してた けど、会津藩士の山本覚馬は殿様には逆らえませんよで纏めた
共通点を照合すると大体見えてくる ・幕府方で奉行よりも権力を持つ=譜代 ・深夜に押し入って襲撃 ・自分たちの手は汚さず第三者に依頼
結局こういうやりとり見て解る事は「龍馬人気あるんだなー」って事だけだわ 何百何千とある未解決事件の中で龍馬殺人事件だけこんなモメるんだから まだ土方撃ったのは誰?とか話し合うほうが調べれば真実見えるかもしれないのに
998 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/08/27(火) 21:37:34.47 ID:5CkD+oSh0
このスレを見ていて感じることは、容保ガーは容保を不当に悪人視していることである。 写真を見ても分かるが、青白きインテリという感じで、 どう見ても龍馬暗殺を命じるような人物とは思えないのである。 容保を黒幕だと叫んでいる連中は、おそらく薩長土肥の人間なのだろう。 そうとしか思えないほど容保ガーの容保憎しは異常である。
写真見たけど容保は精神病患者みたいな顔してるぞ つうか戦に負けて降伏して相手側に「ほれ、容保オメーここに座れ賊軍大将の写真とってやっから世間の人がわかるようにな」ってかなり情けない 卑怯な容保「我こそは真の徳川将軍なり」とか思ってそう ただのバカだけどね
結局犯人は薩摩か・・・
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