【南京】東中野裁判10【新路口事件】

このエントリーをはてなブックマークに追加
625名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 12:32:02.58 ID:6H5Owp9UO
>>621
捕虜は捕虜ですがなw
【フ虜】ではありませんがなw
626名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 12:41:43.63 ID:xA3qw5MT0
やはりここは本スレからはかなり話が遅れているようですね。

862 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 10:36:37.31 ID:EjyvoSUP [1/2]
【捕虜】と【俘虜】って同じかと思っていたが 同じじゃ なかったんだな
北博昭の日中開戦にかいてあるわ

863 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 10:49:02.55 ID:f0BO/jYj [2/8]
>>862
大東亜戦争の時代は俘虜という言葉を使ってた
だけの話とは違うってコこと?

864 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2012/03/02(金) 11:17:59.23 ID:33U4i9ow
まーこれもかなり既出ネタだよねw
当時の使われ方は

【俘虜】は公式文書、学説等にも載っている国際法的保護の権利を受けられる正式な名称
【捕虜】は便衣兵、戦争犯罪者、正規兵であっても俘虜として認定されるまでただ単に捕捉された者の意味で使われている
627名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 12:48:52.03 ID:6H5Owp9UO
>>626
それは超貴重なソースですねw
ありがとうございますw
628名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 12:55:19.58 ID:82sXC/Xd0
>>612
少将だろうが大将だろうが間違っているものは間違っていますよ。
それとも大将が書いたものなら事実ではあり得ない事が書いてあっても正しいとでも。
なんて権威主義でしょうね。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 12:58:45.81 ID:6H5Owp9UO
>>612
それでは「学会」やらに提出された国際法学者論文において、「支那兵捕虜処断は違法である」としたものを提示してくださいなw
630名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:02:02.13 ID:STH8vVi30
>623
>しかし、捕虜と記しているので、正式に収容したものと考えざるを得ない。」
>12/14に南京に正式な俘虜収容所があったのかww

収容所があろうと無かろうと、部隊が正式に収容したのですから捕虜ですよw

日本側の組織や制度が未整備であることを理由に捕虜殺害が正当化されはしませんw
631名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:02:12.61 ID:STH8vVi30
>626
>まーこれもかなり既出ネタだよねw
>当時の使われ方は
>【俘虜】は公式文書、学説等にも載っている国際法的保護の権利を受けられる正式な名称
>【捕虜】は便衣兵、戦争犯罪者、正規兵であっても俘虜として認定されるまでただ単に捕捉された者の意味で使われている

だから、日本側の用語の使い方の話であって、他者から見たら同じ事だよw

「北支事変「第二次上海事変」「支那事変」と日本側はそれぞれ位置付けをして用語を変えているけど、
中国側からしたら全部一括して「日本軍の軍事侵攻」で要約可能。

同様に「俘虜」「捕虜」を日本軍がどう位置付けをしようと、中国がわからしたら同じ事。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:02:20.81 ID:STH8vVi30
>627
>それは超貴重なソースですねw

ただのシロウトの書き込みを「ソース」扱いですかw
否定派の「ソース」というのは融通無碍で良いですな〜
633名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:06:19.90 ID:STH8vVi30
>629
>それでは「学会」やらに提出された国際法学者論文において、「支那兵捕虜処断は違法である」としたものを提示してくださいなw

違法であることは常識みたいなものなので、わざわざ論文に仕立てようなどというモノ好きはいませんよw

宅間守の犯した行為を「殺人である」と主張する刑法学者の論文が無くったって何の不思議もないように、
南京事件における「捕虜処断」が違法であると主張する国際法学者がいなくても何の不思議もありませんw
634名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:27:15.58 ID:82sXC/Xd0
>>632
戦前の公式文書は全て「俘虜」と書かれていますよ。
「捕虜」と書かれた戦前の公式文書を出してみてください。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:38:30.69 ID:tKB4pjKH0
捕虜と俘虜は違うって最初に持ち出してきたのは肯定派だぞwww
その後それを<氏がぶんどっただけwww
『ただのシロウトの書き込み』と断言するとは,さすがブーメランwww
636名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 13:56:59.49 ID:tKB4pjKH0
405 : 日出づる処の名無し : 2010/08/29(日) 10:47:56 ID:IbnUGCe/ [1/5回発言]
>>401
僅か5スレ前の108次まで捕虜と俘虜は同じと思っていて肯定派に違いを教えてもらった馬鹿がよく言うわw
まるで昔から知っていたかの様に書き込んだりして恥ずかしくないのかよwww

顔文字
 108次60 名前:<[sage] 投稿日:2010/04/14(水) 23:40:58 ID:F/LR9NTB [5/6]
 >>59
 
 【質問】「Yes」or「No」で答えてくれ♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

  【 捕虜 】 ≠ 【 俘虜 】 なのですか?♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

                   ↓
肯定派
 88 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/04/15(木) 23:41:56 ID:I9u/eXAg
 >>60
 >  【 捕虜 】 ≠ 【 俘虜 】 なのですか?♪ニヤニヤ・・・(・∀・)

 否定派ってのは無知ばっかだな。

 『奇跡の村の奇跡の響き』秋月達郎 PHP研究所
  戦地において虜となるのは捕虜といい、相手国において拘束されるものを俘虜という。

 他に、公式に扱う場合は俘虜とする見解もある。

 つまり、戦前においては【 捕虜 】 ≧ 【 俘虜 】

 肯定派が教えてやらないと何も知らないのかよ否定派は。何がニヤニヤだ馬鹿w

410 : < : 2010/08/29(日) 20:21:19 ID:HbsOYBSL [1/2回発言]
>>405
>>406
そりゃ、オマエら肯定派にも言える事じゃねーかwwwwwww
以前は "捕虜" と "俘虜" の違いを述べてたのに、今は "捕虜=俘虜" になったワケか?wwwwwwww
自分が書いてるレスの意味が理解できないとは哀れすぐるぜwwwwwwww
ァハハハハハハ( ゚∀゚)八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \〜♪

そしてまた余計な資料を出して、自分の首を絞めてらwwwwww
それが判ってねーから "池沼" 呼ばわりされるんだよwwwwww

 『奇跡の村の奇跡の響き』秋月達郎(小説家) PHP研究所
 戦地において虜となるのは捕虜といい、相手国において拘束されるものを俘虜という。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:00:42.93 ID:STH8vVi30
>634
>戦前の公式文書は全て「俘虜」と書かれていますよ。
>「捕虜」と書かれた戦前の公式文書を出してみてください。

その場合、戦前の公式文書を引用した書き込みを行ってはじめて「ソース」と呼びうるのですよ。

文書の引用もしていない「>626」の書き込みを>627は「貴重なソース」と呼んでいるのですれどもw

その伝で言えば、「捕虜の殺害を証言した兵士の日記が存在している」という書き込みを以て
「ソース」と呼ぶような物です。

普通ならばその兵士の日記を何処の本に収録されている何という兵士の日記なのかを
含めて引用してはじめて「ソース」と呼ばれうる物なのだと思いますがねw
638名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:08:06.77 ID:82sXC/Xd0
>>612
佐々木少将はこういう人ですよw
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Law_02.html
 佐々木私記にはこの様に書かれていますが、「俘虜」は投降しません。
敵兵が投降し、収容されて「俘虜」になるのであって、「俘虜続々投降し来り」というのは明らかに「俘虜」の用法を間違っています。
正しくは「敵兵続々投降し来り」「敗残兵続々投降し来り」です。
 旅団長からして間違えているくらいですから、公文書とはいえ戦地で作成する速報に過ぎない戦闘詳報が「俘虜」という用語を正しく厳密に使用しているとは思えません。
現に、同じ第33聯隊戦闘詳報には、中国軍が防衛陣地を「占領」していた、という表現が用いられています。
「占領」は攻撃側の行為であって、守備側の行為を「占領」と表現するのが間違いであることは言うまでもありません。
戦闘詳報は国際法上の用語を厳密に使用して綴られた物ではないのです。
(佐々木少将は機関銃を撃ちまくりながら突撃してくる敵兵から「鉄砲を取り上げろ」と命令してしまうような、現場の実情に疎い面がありました。)
639名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:08:09.18 ID:STH8vVi30
>636
匿名掲示板でのやりとりの中で、相手を同一人と仮定して論難することほど
アホな行いも滅多にあるものではないなw

何処の板の書き込みだか知らんが、こちらがまったく関知していない発言を
引っ張ってきてドヤ顔してる自分の間抜けさ加減を鏡で見てみたらどうだい?
640名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:22:54.48 ID:82sXC/Xd0
>>637
>普通ならばその兵士の日記を何処の本に収録されている何という兵士の日記なのかを
>含めて引用してはじめて「ソース」と呼ばれうる物なのだと思いますがねw
>626の書き込みはソースの確認は簡単にできます。
公式文書における「俘虜」は戦前のハーグ条約からも確認できます。
肯定派の「ソース」は空想小説からの引用ですので問題外です。



641名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:23:30.34 ID:STH8vVi30
>638
>佐々木少将はこういう人ですよw

で、それが彼の「陸軍少将」という経歴が持つ重みを減殺するのかい?

当時の日本陸軍の幹部は正確な用語法で日記を書いてはいなかったという傍証にはなるけれども、
日本軍の蛮行を擁護するものではないのですけれども?

第16師団長として彼の上司であった中島今朝吾の日記の以下の記述と併せて読めば、
どうひいき目に見ても日本軍の行動の残虐性は明らかですが。


「一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば
   之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの
   之が一旦騒擾せば始末に困るので部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ

   十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず
   斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
 一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、
   太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇
   其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
 一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては
   百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり」
642名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:30:27.70 ID:6H5Owp9UO
>>632
「ライタイハン(ベトナム戦争に参加した韓国人兵士がベトナム女性を多数レイプした際に生まれた推定3万人以上と言われる混血児の通称)」を
【合法的ロマンスだった】と述べたトンデモ南京大虐殺肯定派【ゆう氏】に誑かされた糞哀れ朝鮮メンタル老人肯定派「瀬戸山」おぇ〜wwwwwww
643名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:32:05.38 ID:6H5Owp9UO
>>631
感想文はいりませんがなw

「ライタイハン(ベトナム戦争に参加した韓国人兵士がベトナム女性を多数レイプした際に生まれた推定3万人以上と言われる混血児の通称)」を
【合法的ロマンスだった】と述べたトンデモ南京大虐殺肯定派【ゆう氏】に誑かされた糞哀れ朝鮮メンタル老人肯定派「瀬戸山」おぇ〜wwwwwww
644名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:34:39.41 ID:STH8vVi30
>640
>>626の書き込みはソースの確認は簡単にできます。

だから、「簡単に確認できるかどうか」を問題になどしていないんだよw

「ソース」というのは実際に戦前の公文書なり条約文なりを引用して提示して
はじめて「ソース」と呼びうる物であって、その肝心の「引用」をしていない時点で
「ソース」と呼びうる物ではないと言うこと。

あなたも言うように「>626の書き込みのソース」は簡単に確認できるが、
「>626自体」は「ソース」ではないだろ。

「>627」は、その引用文もない「>626」の書き込みを指して「超貴重なソース」と
言っているんだから救いようがないってことw

また別の言い方をしてみようか。
「中島今朝吾日記には捕虜を殺害しようという意図を持っていたらしいことが書いてあるぞ」
という文章は、ソースでも何でもないだろってこと。
「>641」で引用したものは「ソース」と呼びうるがな。

「>641」のような原文の引用もない「〜という意図を持っていたらしいぞ」という発言を
「長貴重なソース」とか言って喜んでいるヤツが居たらそいつはタダのバカだという理屈と同じ事だ。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:36:06.05 ID:6H5Owp9UO
>>644
「捕虜」=「フ虜」とした文献を提示してくださいなw

「ライタイハン(ベトナム戦争に参加した韓国人兵士がベトナム女性を多数レイプした際に生まれた推定3万人以上と言われる混血児の通称)」を
【合法的ロマンスだった】と述べたトンデモ南京大虐殺肯定派【ゆう氏】に誑かされた糞哀れ朝鮮メンタル老人肯定派「瀬戸山」おぇ〜wwwwwww
646名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:37:48.35 ID:82sXC/Xd0
>>641
あなたは南京事件について初心者のようですね。
過去スレに目を通してから書き込みなさい。
自分がどれだけ何も知らずに書き込んだのか理解できますよ。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:39:02.15 ID:STH8vVi30
>642 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/19(月) 14:30:27.70 ID:6H5Owp9UO
>643 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/19(月) 14:32:05.38 ID:6H5Owp9UO
>>631
感想文はいりませんがなw

どんどん主張できる内容が少なくなってきたのか、他者を罵倒する「コピペ文」以外の文章が
「感想文はいりませんがなw 」という愚にもつかないものだけになってきたw

文章を書く能力も知恵を巡らせる能力も持っていないんだったら学問板に書き込むなよなw
648名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:41:46.25 ID:STH8vVi30
>646
>あなたは南京事件について初心者のようですね。

何をもって「初心者」と定義するのか、その理由と根拠を明示しろよw

おまえさんが「非初心者」なんだったらそれくらい出来るだろw
649名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:46:05.35 ID:tKB4pjKH0
>>612>>638>>641
話題そらしにもほどがあるw

>当時の日本陸軍の幹部は正確な用語法で日記を書いてはいなかったという傍証にはなるけれども、・・・@
>日本軍の蛮行を擁護するものではないのですけれども?・・・A

否定派の主張は最初から@だw
Aなんて誰も主張していないww
幻覚でも見えるのかww
650名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:57:54.11 ID:82sXC/Xd0
>>648
あなたが松井司令官の日記を出してきたからですよ。
仙鶴門の捕虜は南京に送られています。
性懲りもなく過去スレでとっくに何度も論破済みです。
651名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 14:59:50.45 ID:STH8vVi30
>650

おや、こりゃ失礼。
私は中島師団長の日記と佐々木旅団長の日記は出した覚えがありますが、
松井司令官の日記を出していましたか。

試しに松井司令官の日記のどの部分に「仙鶴門」の捕虜を南京に送ったという
記述があるのかご呈示願えますかね。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 15:06:21.88 ID:STH8vVi30
>649 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/19(月) 14:46:05.35 ID:tKB4pjKH0
>>612>>638>>641
>話題そらしにもほどがあるw

レスツリーを読んでいない文盲ぶりにも程があるw

>575→>579→>580>→583→>585→612→>638→>641

もともとの出発点は「捕虜殺害という日本軍の蛮行があったかどうか」だw
653名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 15:31:13.60 ID:6H5Owp9UO
>>647
あなたのそのレスも罵倒でしかありませんがなw

「ライタイハン(ベトナム戦争に参加した韓国人兵士がベトナム女性を多数レイプした際に生まれた推定3万人以上と言われる混血児の通称)」を
【合法的ロマンスだった】と述べたトンデモ南京大虐殺肯定派【ゆう氏】に誑かされた糞哀れ朝鮮メンタル老人肯定派「瀬戸山」おぇ〜wwwwwww
654名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 15:33:29.66 ID:6H5Owp9UO
>>652
「蛮行」?w 違法性の証明すらできないくせに感想文は止めてくださいなw

「ライタイハン(ベトナム戦争に参加した韓国人兵士がベトナム女性を多数レイプした際に生まれた推定3万人以上と言われる混血児の通称)」を
【合法的ロマンスだった】と述べたトンデモ南京大虐殺肯定派【ゆう氏】に誑かされた糞哀れ朝鮮メンタル老人肯定派「瀬戸山」おぇ〜wwwwwww
655名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:07:04.98 ID:STH8vVi30
>653 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/19(月) 15:31:13.60 ID:6H5Owp9UO
>654 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/03/19(月) 15:33:29.66 ID:6H5Owp9UO

あいかわらず文字数の割に内容の空疎な薄っぺらな書き込みですなw

>「蛮行」?w 違法性の証明すらできないくせに

違法であるかどうかと蛮行かどうかには直接の関係はございませんよw

戦前においては合法だった特高による小林多喜二の殺害などもその一つですね。


別の板に書かれていた文章を引用してみましょうかね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
26歳の彼はオホーツク海で家畜の様にこき使われる労働者の実態を告発した『蟹工船』を発表する。
蟹工船は過酷な労働環境に憤ってストライキを決行した人々が、虐げられた自分たちを解放しに来てくれたと思った帝国海軍により逆に連行されるという筋で、
この作品で彼は大財閥と帝国軍隊の癒着を強烈に告発した。
登場人物に名前がなく、群集そのものを主人公にした抵抗の物語は、ひろく一般の文壇からも認められ、
読売の紙上では“1929年度上半期の最大傑作”として多くの文芸家から推された。

しかし天皇を頂点とする帝国軍隊を批判したことが不敬罪に問われ、『蟹工船』は『3月15日』と共に発禁処分を受けてしまった。
また、銀行からは解雇通知を受け取ることになる。
多喜二は腹をくくった。
ペンで徹底抗戦するために名前を変え、身分を隠して各地を“転戦”する人生を選択した。

そして運命の1933年2月20日。
非合法組織の同志と会うために都内の路上にいた所を、スパイの通報によって逮捕される。
この時、逃げようと走り出した多喜二に向かって、特高は「泥棒!」と叫び、周囲の人間が正義感から彼を取り押さえたという。
同日夕方、転向(思想を変えること)をあくまでも拒否した彼は、特高警察の拷問によって虐殺された。
…まだ29歳の若さだった。

彼の亡骸を見た者が克明に記録を残している。
「ものすごいほどに青ざめた顔は激しい苦痛の跡を印し、知っている小林の表情ではない。
左のコメカミには打撲傷を中心に5、6ヶ所も傷痕があり、首には一まき、ぐるりと細引の痕がある。
余程の力で絞められたらしく、くっきり深い溝になっている。
だが、こんなものは、体の他の部分に較べると大したことではなかった。
下腹部から左右のヒザへかけて、前も後ろも何処もかしこも、何ともいえないほどの陰惨な色で一面に覆われている。
余程多量な内出血があると見えて、股の皮膚がばっちり割れそうにふくらみ上がっている。
赤黒く膨れ上がった股の上には左右とも、釘を打ち込んだらしい穴の跡が15、6もあって、そこだけは皮膚が破れて、
下から肉がじかに顔を出している。
歯もぐらぐらになって僅かについていた。体を俯向けにすると、背中も全面的な皮下出血だ。
殴る蹴るの傷の跡と皮下出血とで眼もあてられない。
しかし…最も陰惨な感じで私の眼をしめつけたのは、右の人さし指の骨折だった。
人さし指を反対の方向へ曲げると、らくに手の甲の上へつくのであった。
作家の彼が、指が逆になるまで折られたのだ!この拷問が、いかに残虐の限りをつくしたものであるかが想像された。
『ここまでやられては、むろん、腸も破れているでしょうし、腹の中は出血でいっぱいでしょう』と医者がいった。」

特高の多喜二への憎しみは凄まじく、彼の葬式に参列した者を式場で逮捕する徹底ぶりだった。
彼の死に対して文壇では志賀直哉だけが
“自分は一度小林に会って好印象を持っていた、暗澹(たん)たる気持なり”
と書き記した。
この国の文学界は沈黙を守ったのだ。どの作家も、自分に火の粉が降りかかることを恐れたためだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

時の政府の決めた政令では合法であっても、「蛮行」と称されるに足る行為は幾らでもあります。
ナチスドイツが自国内でユダヤ人を殺害し続けた行為も同様にね。

「蛮行」というのは概念によって規定されるものであって、「合法/不法」という線引きで
捉えるべきものではないということぐらいは理解しておくべきですな。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:17:07.87 ID:6H5Owp9UO
>>655
では、支那兵捕虜処断につきまして、「違法性はなかった」に同意頂けますね?w
657名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:24:56.80 ID:x8ewbwA+0
>>651
松井司令官ではなく中島師団長の日記だな。
どちらにせよID:STH8vVi30が南京スレに書き込むのが初めての初心者同然か、過去スレを見たこともないような馬鹿なのか、過去スレに書かれていることが理解出来ないほど日本語が不自由なのか、どれかであることは間違いないw
658名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:25:47.31 ID:STH8vVi30
>656
>支那兵捕虜処断につきまして、「違法性はなかった」に同意頂けますね?w

いいえ?

あなたは日本語が読めないのですか?

わたしは「合法でも不法でも蛮行と呼ばれうる行為を行うことは可能」と言っているだけであって、
「捕虜処断が違法ではない」などとは一言もいってはおりませんよw
659名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:29:23.08 ID:x8ewbwA+0
>>652
では改めて答えてもらおうかw
つ>581
>579
>当然『捕虜の殺害が山のようにある』と断言している以上、殺害されたのが単なる「敵の手中に陥った者」ではなく、
>「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)だという証明もお願いしますw
660名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:50:43.21 ID:STH8vVi30
>657
>過去スレを見たこともないような馬鹿なのか

ふつうこういうドヤ顔は該当する過去スレから該当する書き込みをレス番付きで
引用してから出来るものなのですがねw

ありもしない「過去レス」を元に「南京事件など無かった」とか言い出すキチガイが
いないとも限らないのですから。
きちんとした過去の書き込みの引用もなく「過去スレで解決済み」とか言われても、
「ソースを出せ」としか言えませんなw
661名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 16:51:40.80 ID:STH8vVi30
>659
>「敵の権力内に陥った者」(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)だという証明もお願いしますw

再掲。
>>583
>>「歩三三戦闘詳報にある「14日、捕虜三〇九六の処断」。
>>これは記述のとおり、平井氏、堤氏は強く否定された。
>>しかし、捕虜と記しているので、正式に収容したものと考えざるを得ない。」
>>(「偕行」1985年5月号 P8)
662名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 17:21:17.38 ID:x8ewbwA+0
>>661
第33連隊が収容した収容所は?
日本軍では正規の収容所に収容されなければハーグ条約の対象にはならないがw
663名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 17:29:43.21 ID:6H5Owp9UO
>>661
【二回目】支那兵捕虜処断につきましては「違法性はなかった」に同意頂けますね?w
664名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 17:34:24.93 ID:xA3qw5MT0
>>614
>収容所があろうと無かろうと、部隊が正式に収容したのですから捕虜ですよw
あなたのシロウト考えなど必要有りませんよw
こちらは学説に従って正式の俘虜を論じているのですがwww
処断も同様、公文書に従って論じてるんですがww

本当にレベルが低いというか、過去ログくらいちゃんと嫁ww
他の人からも散々指摘されているが、勉強不足過ぎww


恵泉女学園大学教授 内海愛子著

日本軍に於いては収容所に収容されて初めて「捕虜」になる。
ttp://ajrp.awm.gov.au/ajrp/ajrp2.nsf/Japanese/A69527B1B521DB71CA256BC00020145C
>4. POWの管理の二元性
>POWの解釈の違いにも注目しておきたい。 日本軍では、捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の
>俘虜収容所に収容されて、はじめて「俘虜取扱細則」による「正式な俘虜」になり、捕虜の待遇
>を定めた条約の「準用」の対象となる。

『立川 京一:日本の捕虜取扱いの背景と方針 P83』
先に述べたように、陸軍中央は太平洋戦争開戦当初、国際条約に則して捕虜を取扱おうとしていた。
捕虜の取扱いに関する一連の国内法令を見ても、例外的に、捕虜の逃亡に対しては日本陸軍の伝統に従って、
国際法を逸脱する厳しい対応を求めているものの、1942 年までの法令の内容は基本的に国際条約に則している。

陸軍刑法
ttp://www.geocities.jp/nakanolib/hou/hm41-46.htm
第二十五条 党ヲ結ヒ兵器ヲ執リ反乱ヲ為シタル者ハ左ノ区別ニ従テ【処断ス】
一 首魁ハ死刑ニ処ス
二 謀議ニ参与シ又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、無期若ハ五年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処シ其ノ他諸般ノ職務ニ従事シタル者ハ三年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
三 附和随行シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

【死刑】
【無期若ハ五年以上ノ懲役】
【又ハ禁錮】
【三年以上ノ有期ノ懲役】
【五年以下ノ懲役】
665名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 17:43:51.46 ID:xA3qw5MT0
>>661
アホww退役軍人の言葉がなんで学者や研究者や公文書より上位なんだよww
666名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 17:59:13.18 ID:Oz/BdXTe0
で、「捕虜三〇九六の処断」が南京大虐殺とやらの正体か?
667名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 18:18:15.49 ID:i1aXNARW0
>>664
> >>614
> >収容所があろうと無かろうと、部隊が正式に収容したのですから捕虜ですよw
> あなたのシロウト考えなど必要有りませんよw
> こちらは学説に従って正式の俘虜を論じているのですがwww
> 処断も同様、公文書に従って論じてるんですがww
>
 陸軍がそのように暑かったのだとしたらそのこと自体が陸戦法規違反ですね。それだけのことです。
権力日に入った辞典で捕虜として扱えと言うのが陸戦法規の要求です。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 18:20:41.09 ID:xA3qw5MT0
>>667 
>陸軍がそのように暑かったのだとしたらそのこと自体が陸戦法規違反ですね。それだけのことです。
>権力日に入った辞典で捕虜として扱えと言うのが陸戦法規の要求です。
あなたのシロウト考えなど必要有りませんよw

『立川 京一:日本の捕虜取扱いの背景と方針 P83』
先に述べたように、陸軍中央は太平洋戦争開戦当初、国際条約に則して捕虜を取扱おうとしていた。
捕虜の取扱いに関する一連の国内法令を見ても、例外的に、捕虜の逃亡に対しては日本陸軍の伝統に従って、
国際法を逸脱する厳しい対応を求めているものの、1942 年までの法令の内容は基本的に国際条約に則している。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 18:29:16.33 ID:xA3qw5MT0
>>667
>権力日に入った辞典で捕虜として扱えと言うのが陸戦法規の要求です。
あなたのシロウト考えなど必要有りませんよw
『1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員をいつから捕虜とするかは捕獲国軍隊
 指揮官の自由裁量とされていたが、』 (足立純夫『現代戦争法規論』)
670名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 18:42:09.74 ID:x8ewbwA+0
>>667
日本語が乱れてきたなw
そろそろ自称日本人の化けの皮が剥がれてきたかw
671名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 18:45:20.34 ID:6H5Owp9UO
>>667
なぜID変えたんですか?w
【三回目】支那兵捕虜処断につきましては「違法性はなかった」に同意頂けますね?w
672名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 20:39:31.91 ID:x18kzQ6E0
>>660
>ふつうこういうドヤ顔は該当する過去スレから該当する書き込みをレス番付きで
>引用してから出来るものなのですがねw
>
>ありもしない「過去レス」を元に「南京事件など無かった」とか言い出すキチガイが
>いないとも限らないのですから。

肯定派と違って否定派はソースを基にして書き込んでいるんだがw
過去スレぐらいちょっと調べればすぐわかるのに、否定派がそれぐらい確認しないとでも思っているのかw
自殺願望者の肯定派のお手伝いw

嘘で固めた南京大虐殺 (2)
ttp://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1298550500/l50
肯定派の主張w

560 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/14(月) 15:18:59.50 ID:oQ1YGATz0
中島日記から「捕虜はせぬ方針」の関連部分を引用する。
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたれ共、千、五千、一万の群集となれば之が武装を解除することすら出来ず、
唯彼等が全く戦意を失ひぞろぞろついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので、部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ、
十三日夕はトラックの大活動を要したり。乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず。
斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり。
一、後に到りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊が処理せしもの約一三〇〇、
其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。
一、此七、八千人之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず、一案としては百、二百に分割したる後、適当のカ処に誘きて処理する予定なり。

これを読んで「捕虜はせぬ方針」が釈放の方針だと見なすことは不可能だろう。
捕虜は片端から殺害するつもりだったが、あまりに数が多すぎて現場での処刑が難しい。
なので(いったん収容した後)手はずを整えて小分けにして殺害しよう。そのような意味だと受け取るのが自然である。
「此七、八千人之を片付くる」のに「相当大なる壕」がいるというのは、死体を処理するためか、あるいは壕に捕虜を入れて周囲から銃撃するためだと思われる。
釈放するのであれば「大なる壕」など必要ない。

583 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/15(火) 12:02:40.76 ID:Ifc+GCgR0
>577
>自分で「投降しない」という判断を行ったのだから死ぬのは当たり前だなw

>560-561をよく読め。
「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/19(月) 20:41:22.68 ID:x18kzQ6E0
>>672
続きw

否定派の主張w
585 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/15(火) 12:27:08.87 ID:CLDUKqu00
>>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。

お前が南京事件について何の知識も無いバカだという事がよくわかったw
仙鶴門約七、八千人の捕虜は全て殺害されずに南京城内の収容所に収容されているんだがw
ゆっくりそれを証明してやろうw

586 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/15(火) 12:48:47.83 ID:CLDUKqu00
>>583
『南京戦史資料集』P594
 第16師団
 歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
 備考
 1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが 14日午前8時30分
   頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。

 『南京戦史』P324
 これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容した
 ことはあきらかである。

中島日記には仙鶴門鎮の捕虜を実際に殺害したという記述はない。
また当時の日本軍の記録をみると、 この7000〜8000人の捕虜は結局殺害されず、捕虜収容所に送られたことがわかるw
674名無しさん@お腹いっぱい。
>>673
続きw
589 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/15(火) 14:04:02.16 ID:CLDUKqu00
>>588
十五日、歩二〇の第三中隊と第六中隊は七千二百名の捕虜監視を命ぜられ下麒麟門付近の仮収容所に護送収容しています。
(歩二〇の『林正明日記』、池田早苗(歩二〇第六中隊長)、森英生(歩二〇第三中隊長)、犬飼総一郎(歩一九旅団通信班長)、
冨田竜太郎(歩二〇所属)諸氏の証言)
さらに歩三八戦闘詳報、歩三八行動概見表、小戦例集、『飯沼守日記』、『佐々木元勝日記』によると、
『堯化門付近守備の任務をもつ歩三八第十中隊(中隊長・土居初太郎大尉)は、十二月十四日午後、同地付近において白旗を掲げた
七千二百人の投降集団を武装解除後捕虜として収容、一旦下麒麟門付近に移送して待機の後、南京城内の収容場所が決まってから、
十七、八日ごろ南京(注・第一監獄所)へ護送した』とあります。
 第五章第十節にある『小戦例集』(教育総監部編)には、敵の投降経緯やその状況が述べられているが、歩三八戦闘詳報十二号附表には、
「十四日、堯化門付近守備の第十中隊が七千二百名の捕虜を収容し武装解除後南京へ護送した」と記述せられている。
また歩三八行動概見表には「十五日捕虜を収容」とあり、「十八日、第十中隊は、捕虜を南京へ護送」と記されている。
 第五章第二節に掲載した佐々木元勝氏(野戦郵便長)の日記の一説のなかに「十二月十六、十七日に麒麟門付記と中山門東側で、
武装解除された支那兵の大群を目撃した」という記述があるが、榊原主計氏(上海派遣軍参謀)が「十二月十六、十七日頃、捕虜を南京の
刑務所に収容した」と述べていることから、佐々木日記のこの記事は、堯化門捕虜の護送途中の光景を目撃したものと思われる。
 榊原参謀は、捕虜を南京城内に収容した経緯について次のように話している。
「捕虜は相当あるのではないかと思いましたが、支給する食糧や収容場所が決定しなかったので、“取り敢えず各隊で持っておれ、移管の
時機は速やかに示す”こととしました。
ところが、無錫の倉庫で米約六千袋を押収したとの報告を受け、また刑務所や監獄が使用できるようになったので、入城式の前後に
移管をうけた記憶があります。中央刑務所(注・第一監獄所)に収容された捕虜は四、五千であったと思います。」
 これらを総合考察すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜七千二百名を中央刑務所(第一監獄所)に護送・収容したことは明らかである。』
(偕行社『南京戦史』)

で?お前の主張である
>583
>「其仙鶴門附近に集結したるもの約七、八千人あり。尚続々投降し来る。」
>これを全て殺害している点に問題があるんだよ。
これはどの資料によって確認できるのかな?