嘘で固めた南京大虐殺 (2)

このエントリーをはてなブックマークに追加
793名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 19:35:27.92 ID:EI6cyMoJ0
>>792
お前が証言が嘘でない裏付け持ってきてから話を始めようか
最初から最後まで嘘の可能性は否定出来ていないぞw
794名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:31:09.12 ID:EI6cyMoJ0
>>792
お前が言いがかりを続ける限り、こっちは証言の信頼性100%を要求するだけだ
いい加減「可能性は否定出来ない」から卒業しようぜ、少なくとも「○○は有力」程度の話をしようぜ
795名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:43:11.45 ID:M2VpcT3o0
>793
>お前が証言が嘘でない裏付け持ってきてから話を始めようか
>最初から最後まで嘘の可能性は否定出来ていないぞw

従軍していた兵士が自分の目で見たことを書いた証言を否定するのかw
すげーなw

それはもはや学問板で話をする姿勢じゃねーよw
自分の都合の良いように資料をつなぎ合わせて、都合の悪い資料は無視するって態度を取れるんだったら、
歴史を学問として取り扱う資格を自分で捨ててるようなもんだぜ。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 20:50:32.73 ID:EI6cyMoJ0
>>795
だって「可能性」の話だろ。人間は嘘をつくことだって有るんだから、
誰が証言したとしても裏付けがなければ100%の信頼性はないw

お前の言いがかりがその程度の物だと何故理解出来ないのかな?
お前の「可能性」って科学じゃなくてオカルトだぜ
797名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:10:02.07 ID:rSSrf8ay0
>>795
>従軍していた兵士が自分の目で見たことを書いた証言を否定するのかw
すげーなw
がんばって>212を証明してみてくれw
798名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:15:30.06 ID:rSSrf8ay0
>>795
>それはもはや学問板で話をする姿勢じゃねーよw
自分の都合の良いように資料をつなぎ合わせて、都合の悪い資料は無視するって態度を取れるんだったら、
歴史を学問として取り扱う資格を自分で捨ててるようなもんだぜ。
つ 鏡w
学問板の他の住人もこいつにだけは言われたくないだろうなあw
799名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:27:16.88 ID:xoAVwNRs0

民間人30万人大虐殺説は完全に吹っ飛んだ。やはり嘘は嘘でしかない。

800名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 22:02:00.52 ID:upYUaX+L0
>>792
肯定派の主張する「南京大虐殺」とは、「戦場で」「20人の兵隊が」殺された事なのかw
戦場で兵隊(しかも便衣w)が死ぬのがそんなに不思議かw
801名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 00:53:13.11 ID:6Nwo5Bm70

肯 定 派 は ま た 論 破 さ れ た
802<:2011/03/25(金) 01:54:26.73 ID:RrR/aX1n0

すっかり足腰が弱ってしまった肯定派・・・(´・ω・`)
803名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 05:26:04.38 ID:Nvi2F++G0
>800
>肯定派の主張する「南京大虐殺」とは、「戦場で」「20人の兵隊が」殺された事なのかw

お前さんホントに日本語が読めないね。

>213
>荒海清衛 日記 歩兵第65連隊第1大隊本部・上等兵
>◇十二月十六日
> 今日南京城に物資徴発に行く。捕虜の廠舎失火す、二千五百名殺す。

>221
>大寺隆(歩兵第65連隊第7中隊・上等兵)陣中日記
>12月18日
>昨夜までに殺した捕リョは約二万、揚子江岸に二ヶ所に山の様に重なつて居るそうだ、七時だが未だ片付け隊は帰へつて来ない。
>12月19日
> 午後七時半整列にて清掃作業に行く、揚子江岸の現場に行き、折重なる幾百の死骸に驚く、石油をかけて焼いた為悪臭はなはだし、
>今日の使役兵は師団全部、午後二時までかかり作業を終る

これらの数千〜万人単位の証言をどう説明するのかって聞いてんだよw


防衛庁の防衛研究所戦史部で南京戦関係の資料収集に当たっていた人のこういう証言もあるんだが。

原 剛「私と軍事関係史料」(2005年12月16日) http://kins.jp/pdf/hara%20takeshi.pdf

(4) その他の史料収集

(略)
そういう中で、失敗した例が歩兵第65 聯隊の「戦闘詳報」です。
これは南京事件で、幕府山という一番たくさん殺したのではないかと言われている聯隊の 「戦闘詳報」 なんです。
この65聯隊の「戦闘詳報」は、私どもの史料庫にあるものをずっと見ていたら、ちょうど昭和12年12月の戦闘詳報が一冊だけ欠けているんです。
それで、これはおかしいということで、寄贈した聯隊副官だった人が小金井かどこかにおられるというので、それを探して、行ったんです。
そうしたら、時すでに遅しで、亡くなったあとでした。
そしてその息子さんに聞いたら、「おやじが亡くなるときに、小さい箱に大事な史料だといって置いてあるものがあった。
これは俺が亡くなったら絶対に焼け、と厳命されていた。そういうことがあったので、焼きました」というんです。
おそらく、その中に当時の「戦闘詳報」が入っていたんですね。
いま幕府山の事件というのは非常に曖昧なところがあるんですが、その「戦闘詳報」がもし焼けずに残っていたら、
多少なりとも明らかになったのではないかと思うんですね。


65連隊の戦闘詳報は、ちょうどこの時期のこの一冊だけが欠けていて、それを持っていたと推測される人が、
「俺が亡くなったら絶対に焼け」と言い残していた「大事な資料」があったんだとさ。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 06:16:55.61 ID:GBJGbnHl0
>>803
荒海日記と大寺日記の2つだけで、既に殺害場所すた矛盾しているだろ。荒海は山で大寺は河
こんな嘘つきの記録が一体何の証拠になる事やらw
805名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 10:19:08.19 ID:SiaRQM3r0
>>803
その防衛庁防衛研究所戦史部の「戦史草書」では「警戒兵を襲ってきたため射撃を加えた」とされていますがこれを認めるのですねw
806名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 11:48:34.33 ID:Ly2DCZF00
そりゃー移送中の両手縛られた最弱の捕虜支那兵に反乱くらって
最強の帝国陸軍が損害を出した戦闘詳報なら
恥ずかしくて燃やしたくもなるわなw
807名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 11:51:45.72 ID:iIcX6/0C0
>>803
>これらの数千〜万人単位の証言をどう説明するのかって聞いてんだよw
どちらも幕府山のことですなw
つ>805
『戦史叢書』の公式見解
第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約 8千余を収容した。
ところが、その夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、十七日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。
これにより捕虜約1,000名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。・・・・
(戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』)

808名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 17:44:30.75 ID:iQOrenZC0
>>661
そんなモノ無かったという証言もあるが。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 17:48:42.48 ID:mjzpr/fv0
幕府山事件っていまだにぐちゃぐちゃしているよなぁ。
司令部にどうしようって問い合わせたら殺せといわれた、だがそんなことはできないと逃がそうとしたら火事とか起こって暴徒化したんで仕方なく撃ちまくった、というストーリーが通説だったけど。
生き残りの証言集めたら最初から捕虜殺害やる気だったんだ、解放するのに夜中こっそりとかありえねぇ、というのがぞろぞろ出たり。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 19:02:27.75 ID:iIcX6/0C0
>>809
でもどこから命令が出てるのかは確認できなかったんだよねw
しかも匿名の証言ばっかりで命令書なんかも無かったしw
811名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 19:21:06.52 ID:GBJGbnHl0
>>810
しかも単なる記憶違いとは思えないほど証言通しで矛盾抱えてるんだよね
肯定派の連中でさえ、人によって主張がバラバラだったりするw
812名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:02:11.89 ID:0pxPQlJl0
そりゃ虐殺した張本人が「実は俺が上層部から出た捕虜虐殺命令に反してでも捕虜を助けようとしたんだ」と寝ぼけた回想しているからなw
わかっているのは、日本軍が殺す意思を持っていたこと、結果として本当にそうなったこと。
命令は出ていたのも確かだし(ただし秦郁彦氏のように、中佐クラスの独断虐殺命令を疑っている人もいる。日本軍の軍人が独断で違法虐殺命令出した例はシンガポール等で多発した)
813名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:11:30.42 ID:iZf2xkmX0
独断での捕虜・民間人殺害命令出した軍人を日本軍は処罰もせず、それを追認したからな。
傍からみりゃ日本軍の虐殺。
この手の身内不始末の追認は大は満州事変の自演侵攻追認から勃発しまくり。
南京虐殺が世界の大勢として肯定されるのは当然。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:30:50.96 ID:HOOhInVY0
>>812
>命令は出ていたのも確かだし

命令はどこから出ていたんだw
上海派遣軍?師団?旅団?連隊?
ちなみに『俘虜を殺すな』という命令なら出ているがw

上海派遣軍第十三師団司令部通達 昭和十二年十月九日
11、俘虜ノ取扱二就テ
多数ノ俘虜アリタルトキハ、之ラ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、一地ニ集結監視シ、師団司令部二報告スルラ要ス。
                ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
又、俘虜中、将校ハ、之ヲ射殺スルコトナク、武装解除ノ上、師団司令部二護送スルヲ要ス。
             ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝二利用スルモノニ付、此ノ点、部下各隊ニ、徹底セシムルヲ要ス。
但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:48:45.05 ID:HOOhInVY0
そして上海派遣軍の方針は16師団へ接収。

「山田支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ 尚増加ノ見込ト、依テ取リ敢 ヘス16Dニ接収セシム。」
[飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)南京戦史資料集1P158]

少なくとも上海派遣軍からは俘虜を殺害する命令は出されていないw
816名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 21:52:57.15 ID:GBJGbnHl0
>>813
おやおやこっそり「捕虜・民間人殺害命令」と民間人を追加するんですかw
で、南京では民間人虐殺命令は何時誰が出したんでしょうかね?
817名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 03:24:35.12 ID:iTtVEQ180
>814-815

>此等ハ軍ニ於テ情報収集ノミナラズ宣伝二利用スルモノニ付、此ノ点、部下各隊ニ、徹底セシムルヲ要ス。
>但シ、少数人員ノ俘虜ハ、所要ノ尋問ヲ為シタル上、適宜処置スルモノトス。
>「山田支隊ノ俘虜東部上元門附近ニ一万五、六千アリ 尚増加ノ見込ト、依テ取リ敢 ヘス16Dニ接収セシム。」
>[飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)南京戦史資料集1P158]


山田栴二日記 歩兵第103旅団長(山田支隊長)

12月12日
 総出にて物資徴発なり、然るに午後一・〇〇頃突然歩兵第65連隊と山砲兵第三大隊、騎兵第17大隊を連れて
南京攻撃に参加せよとの命令、誠に有難きことながら突然にして行李は鎮江に派遣しあり、人は徴発に出であり、態勢甚だ面白からず

12月13日
例に依り到る所に陣地ある地帯を過ぎ、晴暘鎮を経て前進、霞棲街に泊する心算なりし所焼かれて適当の家なく更に若干前進中、
先遣せし田山大隊午後一時烏竜山砲台を(騎兵第17大隊は午後三・〇〇)占領せり、南京は各師団掃蕩中との報あり、直に距離を伸して邵家塘に泊す

12月14日
他師団に砲台をとらるるを恐れ午前四時半出発、幕府山砲台に向ふ、明けて砲台の附近に到れば投降兵莫大にして仕末に困る
幕府山は先遣隊に依り午前八時占領するを得たり、近郊の文化住宅、村落等皆敵の為に焼かれたり
捕虜の仕末に困り、恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所、一四、七七七名を得たり、斯く多くては殺すも生かすも困つたものなり、
上元門外の三軒屋に泊す

12月15日
捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡す
皆殺せとのことなり
各隊食糧なく困却す

12月16日
相田中佐を軍に派遣し、捕虜の仕末其他にて打合はせをなさしむ、捕虜の監視、誠に田山大隊大役なり、
砲台の兵器は別 とし小銃五千重機軽機其他多数を得たり

南京戦史資料集2


飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)

12月21日
荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処何日かに相当多数を同時に同一場所に連行せる為彼等に騒かれ
遂に機関銃の射撃を為し我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。
上海に送りて労役に就かしむる為榊原参謀連絡に行きしも(昨日)遂に要領を得すして帰りしは此不始末の為なるへし。

南京戦史資料集1


これを読む限り、16師団への接収が行われたようには思われないけど。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 03:26:17.12 ID:iTtVEQ180
なにしろその16師団からしてこういう命令を出してたようだから。

児玉義雄氏証言 証言による南京戦史(5)
第16師団 歩兵第30旅団 歩兵第38連隊 副官

 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として
「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。
私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。


佐々木到一少将私記 歩兵第30旅団長(佐々木支隊隊長)

12月13日
その後捕虜続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を肯かばこそ片はしより殺戮する。
多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧みれば兵ならずとも「皆やつてしまへ」と云ひ度くなる。
白米は最早一粒もなし、城内には有るだらうが、俘虜に食はせるものの持合せなんか我軍には無い筈だった。


中島今朝吾日記 第16師団長

一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず
  唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ
  十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず  
  斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇
  其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり
819名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:15:15.57 ID:t7heZoFD0
>>817
>我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。
自衛発砲説の裏付け証言ですね
820名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:30:25.27 ID:epnFs5ct0
捕虜モドキ

呼び方がないから捕虜と呼ぶ。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 11:09:04.20 ID:JKTBroOj0
>>818
第16師団は第13師団の山田支隊に対して命令する権限は無いんだけど?
第16師団が何をしようと何を言おうと山田支隊には関係ない。
それとも第16師団には上海派遣軍の指示を無視して、他の師団に所属する部隊に命令する権限があったとでも?
822名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 13:16:11.63 ID:ubhEQ8Pt0
>>820
そうだよな。
とくに中島今朝吾の前職は憲兵司令官だったので
俘虜と捕虜の使い分けを知らないなんてことはありえないし。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 13:32:38.20 ID:3H5cJZF70
基礎知識として当時は俘虜が法的に正式な名称で
捕虜は一般人を含む拘束された者と言う広い意味で使われてるよ

だから俘虜と捕虜を一緒にしないようにw
824名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 15:57:46.03 ID:iTtVEQ180
>821
>それとも第16師団には上海派遣軍の指示を無視して、他の師団に所属する部隊に命令する権限があったとでも?

他の部隊に指示命令する権限は無いだろうけど、上海派遣軍の指示を無視する命令は出されていたようだけど?

そして、16師団が山田支隊に命令を下す権限がない以上は>817「皆殺せとのことなり」というのは
命令ではなく、16師団側の意向と考えるのが無難でしょう。

16師団に引き渡せって上部組織から命じられた山田支隊が16師団に問い合わせたら
「受け入れない、殺しちまえばいい」という返事を得た、という流れ。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 17:53:04.97 ID:vMG+34Kg0
>>824
第16師団の意向になんで第13師団が従わなければならないのかと。
上海派遣軍の指示に第16師団が従わないなら解決策として解放を選択したと考えた方が自然。
最初から殺害するつもりだったならなんで味方に戦死者が出るのかと。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 18:45:38.46 ID:ubhEQ8Pt0
>>824
その時の第16師団は17日に予定した入場式を20日以降に
遅らせてくれと掛け合いながら、その準備に追われていたから
まともに取り合ってないと考えた方が自然じゃね?
827名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 19:29:55.36 ID:3ggWWK/a0
>>818
結局、16師団が捕まえた仙鶴門の捕虜も南京に護送されているし、13師団の幕府山の捕虜も反乱を起こして射殺されただけだし、いったい何が問題なんだ?
828名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 21:02:37.54 ID:vMG+34Kg0
>>817
>幕府山は先遣隊に依り午前八時占領するを得たり、近郊の文化住宅、村落等皆【敵の為に焼かれたり】
www
829名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 22:51:08.45 ID:JTZJYJDr0
東日本大震災の義援金を受け付けています。

日本赤十字社
http://www.jrc.or.jp/

皆様の善意が頼りです。
よろしく。



830おまんさんの大冒険 ◆K5bU9JdcFh3b :2011/03/26(土) 22:58:34.91 ID:8saZB4yZO
私肯定派ですがもう参りました降参です。
南京大虐殺があったなんて嘘ついてごめんなさい!
捏造してすいません!!!
831名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 05:36:44.90 ID:8LFimbPb0
>826
>その時の第16師団は17日に予定した入場式を20日以降に
>遅らせてくれと掛け合いながら、その準備に追われていたから
>まともに取り合ってないと考えた方が自然じゃね?

いずれにせよ、その返事を聞いた山田支隊の側が「しょうがない、殺すか」という
判断を下してそういう行動に出たらしいというのは蓋然性が高い。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 05:43:50.33 ID:8LFimbPb0
>827
>結局、16師団が捕まえた仙鶴門の捕虜も南京に護送されているし、

護送された後にどうなったかは定かではないけどね。

>13師団の幕府山の捕虜も反乱を起こして射殺されただけだし、いったい何が問題なんだ?

捕虜が反乱を起こしたというよりも、日本軍の殺る気満々の態度から自分たちの運命を察して
騒ぎ出したというのが近いんじゃないか。

>飯沼守日記(上海派遣軍参謀長)
>12月21日
>荻洲部隊山田支隊の捕虜一万数千は逐次銃剣を以て処分しありし処何日かに相当多数を同時に同一場所に連行せる為彼等に騒かれ
>遂に機関銃の射撃を為し我将校以下若干も共に射殺し且つ相当数に逃けられたりとの噂あり。

これで見ると、逃げられた「相当数」ってのがどれくらいなのかは分からないけど、
全部殺そうという意図の元に行動していたことはよく解る。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 08:40:03.57 ID:WywEyPGd0
>>831
だから最初から殺すつもりだったならなんで日本軍に戦死者が出るんだ?

>>832
南京に護送されている以上、第16師団の方針が捕虜を殺す事だったという事はありえない。
日本軍の態度がどうであれ、現実に反乱を起こしたなら殺されて当然。
834名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 08:43:25.34 ID:h2qR7Vrn0
>>832
お前が持ってきた3証言だけでも、全てが他と矛盾する現実見ろよ
つまり最低でも3人の内2人は嘘をついてい
それと「自衛発砲説」に繋がる証言まで曲解する根性の腐り方半端無いなw
835名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 08:47:21.66 ID:WywEyPGd0
>>832
>捕虜が反乱を起こしたというよりも、日本軍の殺る気満々の態度から自分たちの運命を察して
>騒ぎ出したというのが近いんじゃないか。

つーか、お前の主張だと「相手が自分達を殺すつもりであれば反乱を起こしてもかまわない」という事になるんだが?
ハーグ条約って知ってるか?
836名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 13:29:38.07 ID:bijuu1Ps0
>>832
>護送された後にどうなったかは定かではないけどね。
つまり収容所に入れられてから「捕虜」になるということかw
ただ捕らえられただけでは「捕虜」ではないとw
837名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 15:22:22.82 ID:+836OFvB0
>>822
とっ捕まった便衣兵=捕虜モドキ

捕虜資格がない連中
838名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 16:39:45.75 ID:8LFimbPb0
>833
>だから最初から殺すつもりだったならなんで日本軍に戦死者が出るんだ?

間抜けなヤツが、殺すはずの中国兵の中に紛れ込んじゃって一緒くたに殺されたんじゃねえの。

>南京に護送されている以上、第16師団の方針が捕虜を殺す事だったという事はありえない。

なぜあり得ないのかを説明しろよ。

>中島今朝吾日記 第16師団長
>一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず
>一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり

上記の日記の記述とも合致するだろう?

>日本軍の態度がどうであれ、現実に反乱を起こしたなら殺されて当然。

んじゃ、彼らが反乱を起こしたという証拠をもってこいよw
839名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 16:41:44.79 ID:8LFimbPb0
>834
>お前が持ってきた3証言だけでも、全てが他と矛盾する現実見ろよ

どう矛盾するのか説明してくれよ。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 16:43:01.22 ID:8LFimbPb0
>835
>つーか、お前の主張だと「相手が自分達を殺すつもりであれば反乱を起こしてもかまわない」という事になるんだが?
>ハーグ条約って知ってるか?

ハーグ条約は、基本的に武器を捨てて投降してきた兵士を武装解除して捕虜にした場合には、
その命を奪ってはならず、「人道を持って取り扱うべし」というのが基本的な趣旨だが?
841名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/27(日) 18:27:40.42 ID:bgfEcZpm0
>>840
ハーグ条約には「反乱を起こした捕虜を殺してはならない」なんて書かれていないがw
実際に反抗したかどうかに関係なく日本軍の判断で、相手が武装解除していようが、無抵抗だろうが、攻撃可能だがw
842名無しさん@お腹いっぱい。
>841
>日本軍の判断で、相手が武装解除していようが、無抵抗だろうが、攻撃可能だがw

その判断の下に行った行動で非難を浴びているんだが。