2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/21(木) 10:49:31.42 ID:bMuo/HrmO
松平容保
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/21(木) 12:55:14.60 ID:pnup/lTU0
>>1甲
スレが立ったので、また書かせてもらいます。竜馬本の一冊も読まないで発言するのもなんだと思い、とりあえず「龍馬を斬った男」というのを書店で注文してきた。
まだ届いていないので、仕方なくネットで情報を収集しているが、どうみても土佐が怪しい。土佐を疑わないような奴は頭がどうかしていると思う。
私の今の考えでは、幕府と土佐の共同謀議である。幕府側では、容保より永井が怪しい。土佐では藩の重役など。
それから、こんな説を出した人がいるかどうかは知らないが、鳥取藩が絡んでいる可能性はないだろうか。
というわけで、これまでは薩摩土佐岩倉説で論じてきたが、これからは土佐説で論じていきたい。薩長岩倉説は、弱い。
維新の立役者坂本龍馬を暗殺した黒幕は、やはり薩長ではないかと思う。
薩長は幕末最強の悪役だ
薩長は正義役だろ
佐幕派の容保の命に決まってるやん
薩摩と土佐にとって中岡と坂本は利用価値ありまくり
嘘や!
薩長は戦争に反対する坂本龍馬が不要になって暗殺させたんだろ
黒幕は薩長だ
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 12:35:19.30 ID:nSOmb8Tu0
あいかわらず会津と薩長土肥の罵り合いか。ある意味では羨ましいな。
私のように会津とも薩長土肥とも何の関係もない県で育った人間には、そういう情熱がない。
龍馬などにもいまいち関心が持てないのである。竜馬暗殺の研究をしているような人も、たぶん
土佐の人間とか、そういう人が多いような気がする。身近なことだから関心を抱くのだろう。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 12:40:09.01 ID:nSOmb8Tu0
とはいえ、私が調べた限りでは、会津も薩長も関与は薄い。
怪しいのは幕府と土佐である。いま整理中なので、そのうちぼつぼつ意見を発表する。
>>7 言っとくが俺も会津や薩長土肥と全く関係ないところにいる。
薩長土肥は日本全国から憎まれる要素があることを理解してほしい。
>>9 アンチ会津さん、本当にいい加減にしなさいよ。
日本史板であなたの手口はみんな知っているんだから。
平和な空間の人達が憎しみ合うように仕向ける事があなたの娯楽なの?楽しいの?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 18:28:41.21 ID:pLYkJCDq0
素朴な疑問。
龍馬や中岡が薩長同盟を仲介したことを幕府が知ったのは何時ごろか。また、
土佐藩の重役あるいは山内容堂がそれを知ったのは何時ごろか。あるいは山内容堂はそれを知っていたか。
誰か知っている人がいたら教えていただきたい。これは竜馬暗殺を推理する鍵だと私は思っているのである。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 18:58:39.05 ID:snD3S8Wz0
京都の幕府当局者は、少なくとも龍馬の寺田屋捕縛未遂事件の際に龍馬の所持していた書簡類を押収しており、
これで坂本龍馬が幕府を転覆する意思があることは掴んでいたと思われる。
土佐に関しては、第二次長州征伐の幕府軍敗北の瞬間から、藩内尊王攘夷派の復権と薩長への接近が始まった。
この過程で、坂本と中岡の薩長同盟仲介を土佐藩の功績とするために、彼ら元土佐勤王党の取り込みが発生した。
坂本と中岡を最初にとりもうとしたのではなく、薩長同盟締結者が土佐だと聞いて関係を強化しだら、この両名だったわけ。
あと、薩長より
>>10の人のほうが日本史板で評判が悪い。ここでは嘘をつかず、他人を貶めないようにお願いする。
>>10 いや俺昨日久しぶりに日本近代史板と日本史板に来たんだが
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 21:29:54.15 ID:rsxx/8JG0
私がなぜ11の質問を出したかを書いておく。
幕府側から見ると、竜馬には少なくとも2つの法律違反がある。
1 薩摩名義で購入した武器を長州に提供したこと。ただし幕府がそのことを知っていたかどうかは不明である。
2 寺田屋事件でピストルで二名を殺傷したこと。
これらの容疑で幕府は竜馬を捕縛できる権利がある。ただし殺害できる権利はない。
土佐(容堂)側からすれば、あの時期、倒幕の意思はないことを幕府に示しておく必要がある。しかし
海援隊、陸援隊という組織があり、しかもそれらの隊長が薩長同盟の仲介者であるとなれば、倒幕の意思あり、と疑われる。
したがって幕府への恭順の意思を示すために、容堂が二人の殺害を指示するということはありえる。とくに、
容堂が、それまで二人が仲介者であることを知らず、その頃初めて知ったとすれば、激怒しただろう。(と推理する。)
倒幕派が坂本龍馬を狙ったなんて話は龍馬の過大評価によるものだ。
土佐藩の仕業と言いたい奴は根拠となる史料を挙げろ。
暗殺実行犯は京都見廻組以外史料らしい史料がない。
佐幕派の中で見廻組と深いコネを持つのは会津桑名、
大政奉還後の会津藩の激怒ぶりは知れ渡っていたぞ。
坂本は倒幕派だってのに何の為に狙うのやら
薩摩も大政奉還に同意してんのに
強行に反対してたのは会津だけwww
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 22:42:48.38 ID:3V0tEFRSO
また立てたのか
既に松平容保ということで結論出たじゃん
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 22:43:01.46 ID:mlrw4a8Q0
15
文章をよく読んでください。倒幕派が竜馬を狙ったなんてどこにも書いていません。
その反対のことを書いているのです。
16
藩士は反対していたが、容保は大政奉還の大義を了解していた、と「徳川慶喜公伝4」のp98に書いてありますよ。
大政奉還の大義を了解していた容保が暗殺指令を出すでしょうか。
今井の龍馬暗殺話は信じるくせに、
西郷に命を助けられた話は信じない怪
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/22(金) 22:51:34.43 ID:mlrw4a8Q0
>>17 今井省三が大正10年頃、真下菊五郎という人に宛てた書簡
「或日、永井玄蕃ヨリ密会ヲ求メラレ土佐浪人阪本龍馬ヲ討取ルベキ内命ヲ拝セリ…」
今井は永井より命令を受けた、と書いていますよ。君たちはなぜこの重要な資料を無視するのですか。
西郷が命助けたなんて大勢いすぎてw
庄内藩も西郷に助けられ西郷を尊敬しまくってたし
五稜郭まで戦った連中も西郷に許され明治政府に仕えてる
慶喜も容保結局西郷らに許されれるしな
>>20 一方で谷は今井を「否定」してんだぜ?
よく「身内」にゃ真実を語るだろ?て話があるけれども
寧ろ、身内にゃ背伸びした態度をとる場合「だって」あるってことなんだと
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 06:11:00.95 ID:KktfU1sE0
>>22 では君は谷を信用してるんですか。その根拠は何でしょうか。
当時は老中も大目付も京都に常駐していました。見廻り組は形式上は京都守護職の配下にありましたが、
当時は実際は大目付の配下にあったようです(ネットで得た情報による)。それに永井の屋敷は見廻り組の隣にあったようです。
とすれば、永井から直接見廻り組に指示が出たことは十分考えられます。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 06:28:18.24 ID:KktfU1sE0
容保説の信者の盲点は、当時は見廻り組は実際は大目付の配下にあったということを知っていないことです。
竜馬暗殺の後、土佐藩は新選組の仕業ではないかと幕府に抗議していますが、そのとき近藤勇を尋問したのは永井です。
新選組も形式上は京都守護職の配下なのですが、当時は幕府が京都にあったようなものなので、
大目付の永井が近藤を尋問しているのでしょう。
ただし、新選組は京都守護職、見廻り組は大目付の配下だったようだと、あるブログの著者は述べていますが。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 06:35:36.08 ID:KktfU1sE0
暗殺の実行者が、弟に、永井玄蕃の命だったと話しているのです。これほど重い証言はないでしょう。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 06:43:32.04 ID:KktfU1sE0
したがって想定されるのはこうです。
(老中板倉)→大目付永井→(守護職容保)→(手代木)→佐々木→今井など→実行
( )内はあくまで想定にすぎません。
>>24自身の盲点があまりにも凄いなw
龍馬暗殺を近藤勇に命じた可能性が最も高い京都守護職松平容保自身が、あるいはその配下の者たちが、
近藤勇を尋問する、
とか、
その白々しい猿芝居を大目付が黙認する、
とか、
既にガタガタになっていた幕府であっても、さすがにそこまでの無能ぶりはあり得んだろw
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 07:19:12.83 ID:KktfU1sE0
>>27 言っていることの意味が分からない。大目付の方が守護職より上じやないのか。
>>28 だから書いてるじゃないか。今井の弟が真下菊五郎という人に宛てた書簡がソースだ。
永井玄蕃の目的? それを考えるのが史家やわれわれの仕事だ。今のところは分らない。
龍馬を暗殺した実行犯の命を救うのは尋常じゃない。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 12:38:23.48 ID:APRgHoQU0
函館・五稜郭で降伏した今井信郎は東京に護送され、同じく降伏した永井尚志、榎本武揚、大鳥圭介などと同じ牢に入った。
尋問された今井は、まさか同じ牢に入っている永井から指示されたとは言えない。それで、幕閣か京都守護職の指示ではあるまいか、と答えるしかなかった。
と、私は推測する。
中岡説ってどういう根拠で出てきたの?
いっしょに斬られた奴が実は犯人とか推理小説の読みすぎとしか思えんのだが…
>>23 >では君は谷を信用してるんですか。その根拠は何でしょうか
谷が「現場」に駆けつけて、少なくとも「状況」は把握していたであろうことにより
無論、中岡から経緯を聞いたって事もね
飽くまでも「本人談」なわけだから「そこ」をつっこまれてもなんだがw
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 14:21:53.40 ID:Z407Fhql0
今井弟証言には根拠が感じられない。
この説に基づくと、大目付が直接、最近見廻組に入隊したばかりの新米に坂本龍馬暗殺を依頼することになる。
しかも依頼を受けた今井は、本人の証言では佐々木の指示で動いただけで、行動の自由などない。
その上、今井本人の証言では、佐々木から御指図(在京都旧幕府中枢からの指示)があったとし、
今井本人は松平容保候の指示だろうと推定している。
今井の妻に至っては、松平容保候の名の入った褒美の書状を受け取っていたとまで証言している。
現在、松平容保が坂本龍馬暗殺を命令していた、とする説が圧倒的に支持されているのだが、
この説を頭から否定する根拠として、「藩主と上級外交官(家老並み)の手代木は身分差があるので、話などできるわけがない」
とする人がいる。それ自体意味不明なのだが、今井弟によると大目付と新米平隊士が対談なのだ。
今井はこの後函館まで転戦し、旧幕府陸軍の副隊長まで昇進して敗戦を迎える。
刑務所から出所後は、静岡の一種の名士として入植民の生活向上と茶栽培指導にあたった。
この姿を見ていた弟にとっては、今井は当時から大目付とも直接話のできる名士だったのだろう。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 15:15:15.64 ID:Z407Fhql0
おっと、今井曰く「御指図(在京都幕府中枢の命令)があったから坂本龍馬暗殺を行う、と佐々木は言った」の誤りです。
今井弟の文は、明治以降の静岡の名士としての今井の姿は示しているものの、
坂本龍馬暗殺事件当時の、新米隊士としての今井には合致しない。
茶店で尊大に茶を所望した旗本が、茶店のおばさんの「お梅漬さまを持ってまいりました」に
ひっくり返って走って逃げ去ってしまった、という当時の逸話を考えれば、今井弟の文は無理筋。
>>32 「元来、土佐ノ内聞探索候処、藩士ニ気ニ相分レ...梅太郎ト尚又一手トハ不和ヲ生ジ殆ド殺伐ノ次第ニ及バントスルノ事情」
「鳥取潘慶応丁卵筆記」
鳥取の日記は肥後家老日記と信憑性が変わらない。
当時筆者は国許にいて、勝手に想像した部分が多い。
第一、加治の小説もそうだが、
護衛の力士が一階で斬られている説明がつかない。
>>36 まさかこの程度の被害者の身の上話で容疑者扱いされてるなんて事はないよな?
さもこれが真実のようにこの説支持してる奴見かけるのに
今井説に根拠がないというが他の説は根拠が無いとかいうレベルにすら達してなくてなぁ
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 16:43:21.25 ID:jlt2+zkj0
どうもこのスレには史料の解釈さえまともにできない奴が多いな。
>>34 今井は別に永井と直接対談して命を受けたと言っているわけではない。佐々木から指示を受けて、それが永井からの命だと分かったので、
永井さまからの命で、と言ったのかもしれないではないか。
>>36 この史料からどうして中岡説などが出てくるのだ。そんな解釈をしている学者は一人もいないぞ。
これは単に土佐藩内部で対立不和があった、と言っているだけの史料である。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 16:54:00.60 ID:jlt2+zkj0
>今井の妻に至っては、松平容保候の名の入った褒美の書状を受け取っていたとまで証言している
そういう話がどこに載っているのかは知らないが、たとえ事実であったとしても、指示を出したのが容保とはかぎらない。
なぜなら、とにかく配下の者が手柄を上げたのだから、自分が指図したのではなくても、立場上、賞状を授ける必要があるだろうからである。
>現在、松平容保が坂本龍馬暗殺を命令していた、とする説が圧倒的に支持されているのだが
支持しているのはこのスレの一部のアンチ会津の人間だけで、学界で支持されているわけではない。
むしろ容保説は少数派だろう。
すまんすまん飛躍しすぎたw
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 17:38:08.17 ID:jlt2+zkj0
>>37 わたしはむしろ尾張藩とか鳥取藩の記録の方が信用できると思っている。
谷とか井口屋の証言の方が信用できない。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 17:45:37.35 ID:Z407Fhql0
>>39 あなたの意見は仮定だけが多くて、今井本人の、
「佐々木の言う御指図(京都幕府首脳の指示)に従って暗殺に参加した、おそらく松平容保候のものであろう」、という
証言とは対立する弟の証言を、本人より優先して取り上げている点が不合理。
第一、容保は犯人ではないとする際の論証より、大目付さまが新入り隊士と会談を行い、
しかもその隊士は下っ端で佐々木に命令を受けるだけ、という状況とが合致しない。
その記述は、明治以降静岡の名士となった今井への、弟の憧憬でしかないのだろう。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 17:55:46.13 ID:Z407Fhql0
明治の釈放以降静岡へ渡った今井は、歴戦の勇者として地域の旧幕臣を指導する立場となった。
今井の弟の手紙では、今井が大目付の永井と対談を行い暗殺命令を受けた事になっている。
しかし坂本龍馬暗殺時は今井は新入り隊士でしかなく、命令を出す立場でもない。
今井本人の証言とも合致しない。その手紙は矛盾が多い。
>>39は史料の解釈を誤っている。
で、史料の解釈の仕方を知っているjlt2+zkj0は何説を信じてるの?
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 18:26:50.05 ID:9lenVz1x0
暗殺は誰の仕業ぁ〜→自供してる見回り組だろw
黒幕は倒幕側ーだぁ→どっちにしろ幕府会津側の指示w
谷が新撰組だとぉー→中岡のコナクソと斬りかかって来た証言と、元新撰組伊東の原田の鞘という証言で勘違いw今井の供述にあやふや面があった為に売名と見なした。
龍馬は薩摩と対立してー→してない。薩摩は大政奉還に賛同し、一方で武力倒幕も準備。坂本案は武力で突きつけ、聞かなきゃ討幕で薩摩と同じ。後藤が兵を連れて来れず坂本案破っただけw
今井は西郷に助けられたー→旧幕の生き残りがほとんど助けられてる。
今井の供述がーあやふや→仲間をかばってぼかしたか、単なる記憶違い。
完
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 18:55:13.21 ID:+ZDeHEBF0
>>43>>44 君は史料の読み方が細かな点でまちがっている。
1 今井は、おそらく松平容保候のものであろう、などとは言っていない。幕閣か、あるいは容保かも、と言っているだけである。
2 今井の弟は、今井が、永井と対談して、などとは書いていない。もう一度
>>39の
>>34を読んでください。
>>45 わたしは幕府と土佐の共同謀殺説の立場で検証していこうと思っている。しかし信じているわけではないのである。
とりあえずその仮説で検証してみて、矛盾が出てきたら、また別の説を考えようと思っている。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 19:08:38.38 ID:+ZDeHEBF0
43と44の人へ
今井のどの時期の証言がより信用できるかと言えば、後期のものほど信用できるとわたしは考えている。
なぜなら明治3年の口述は、下手をすると死刑になるかもしれない状況での証言だし、取調官との裏取引もあったかもしれないからである。
それに対し、後期の証言は死刑になる恐れはない時期のものである。それに今井は明治15年にキリスト教の洗礼を受けている。
嘘をつくというのはキリスト教の戒律に反することだから、嘘はついていないのではないか、と。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 19:13:27.30 ID:+ZDeHEBF0
>>46 >黒幕は倒幕側ーだぁ→どっちにしろ幕府会津側の指示w
ここだけがまちがっている。というか、断言できない。竜馬暗殺はそう単純な事件ではない。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 19:36:06.23 ID:+ZDeHEBF0
幕府土佐説その1
まず、土佐が怪しいと思われる点を並べていこう。たくさんあるので、何回かに分けて書く。
1 土佐藩邸の目の前で起きた。
2 島田庄作の挙動が不審。たった一人で駆けつけていることがそもそも変だし、下目付のくせに二階に上がろうともせず突っ立っていた。
3 谷は河原町三条上ルの大森というところから駆け付けたのに、そのときですら他の土佐藩士が到着していた気配がない。島田庄作はどこへ行ったのか。
4 近江屋の隣に福岡の下宿があった。
5 福岡はその日ずっと留守だった。おかよは竜馬に遊びに来ないかと誘われたが、福岡の家人にひきとめられて行かなかった。おかげで難に遭わなかった。
家人は竜馬が暗殺されることを知っていたのではないか。
6 福岡だけでなく、藩の重役のほとんどが芝居見物や料亭に行っていて留守だった。しかも
その日は宮川が引き渡されるという重要な日だったのに。
(続く)
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 19:47:50.46 ID:Z407Fhql0
>>47 >2 今井の弟は、今井が、永井と対談して、などとは書いていない。もう一度
>>39の
>>34を読んでください。
それは解釈が誤っている。
今井の暗殺に関する経緯説明としての手紙で、これは今井が大目付と面会したと弟が主張している文面だ。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 19:50:01.41 ID:9lenVz1x0
龍馬暗殺は単純だな。
大政奉還を最も嫌ったのは、長州、土州といった反幕府勢力を斬りまり憎まれてた幕府会津勢力。
薩摩の西郷、大久保、小松を元凶と標的にしたが3人は挙兵準備の国許帰国でかわされ。
怒りの矛先を土州や芸州に切り替えた。
特に坂本龍馬は寺田屋で幕吏二名を殺傷した前科指名手配で土佐藩の人間なのか微妙な位置の浪人。
暗殺には格好の標的。
友人の吉井幸輔が薩摩藩邸に匿うと言ったのも断り、伊東甲士太郎が狙われてると忠告したのも無視、中岡が藩邸に入るかと言ったのも無視。
そりゃ死ぬだろw
中岡はとんだとばっちりw
明治19年の近畿評論に載った今井のインタビューとやらは
記者の創作が酷くて今井側から抗議があったがな。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 20:01:18.77 ID:Z407Fhql0
それと福岡に限らず、龍馬及び中岡の暗殺時に何故周囲の関係者は駆けつけなかったのか、という非難は
葬儀の時点から後世にかけて何度も提起され、おかげで隣の家にいたはずの福岡は終生日陰暮らしとなった。
福岡は一晩中酒屋で酒を飲んでいたので知らなかったと言った。しかし葬儀にも出なかった。
後藤象二郎は身の危険を感じて長崎に奔った。当時の土佐藩の狼狽振りを伝える逸話ではある。
しかし、意図していたのなら本人達だけは対策をしただろうに。
土佐藩は、幕府、特に徳川慶喜に恩義を売り、徳川慶喜はぜひ土佐を必要としているのだ、と思っていたので、
彼らから刺客を差し向けられるとは思っていなかった。
>>52 その龍馬の自信は一体どこから来てるんだろうか?と考えると、
幕府方から一杯食わされていたんだろうな
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 21:45:38.59 ID:iTw4ur4K0
>>51 なるほど、そう読めるな。わたしがまちがっていた。謝る。
かといって、永井に指示されたというのが虚構であるとは言えない。永井は佐々木に指示したのだろう。
それを今井の弟は、兄に指示されたと自慢したかったのだろう。それだけだ。
永井が指示したという本質はまちがってないと思う。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 21:46:04.35 ID:vCHPm9QO0
>>46 >龍馬は薩摩と対立してー→してない。
西郷は土佐から大政奉還に尽力するよう要請されたが拒否しているじゃん
大政奉還後後藤が薩摩藩邸に訪問した折中村半次郎が斬殺を目論んだじゃん
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 21:54:14.99 ID:vCHPm9QO0
徳川排除を目論む薩摩と徳川温存を目論む土佐の
対立は推察できるじゃん
小御所会議で藩主容堂殺害を辞さない薩摩は徳川処置に関しては
自案と相違した見解を保持したる者には
断固とした処置をとる覚悟があったと推察されるじゃん
ところで薩摩はどうして徳川家排除にこだわったのか
やはり関ヶ原の時の恨みが強い?
まさか薩摩に限ってそんな陰険なことはないと思うが…。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 22:09:07.62 ID:iTw4ur4K0
幕府土佐説その2
>>50からの続き
7 谷が到着した後、ぽつぽつと藩士が集まってくる。しかしほんの数人だ。おかしい。
8 尾張藩と鳥取藩の記録がほぼ完全に一致している。
a 遺留品の下駄が中村屋とカイカイ堂のものであること。これらは土佐藩士行きつけの料亭であった。
b 尾張藩の記録では永楽屋(なぜここで永楽屋が出てくるのかよく分からないが)に行ったのは
土佐藩士1名、佐土原藩士2名で、すべて白川屋敷にいる竜馬の徒党の者である、とあり、
鳥取藩の記録では犯人は宮川の徒党の者ではあるまいか、とある。
いずれにしても犯人は土佐藩士ではないかと憶測しているのである。
9 ところが谷は下駄のことはまったく語っていないのである。
注意:わたしは菊屋峯吉はある程度信用できると思う。少年だからである。
しかし谷や井口はあまり信用できない。大人だから。だから下駄に瓢の印があったという井口の息子の証言もあまり信用できない。
むしろ尾張藩や鳥取藩の記録の方が信用できる。
(続く)
>>40 霊山歴史館学芸員の木村幸比古や
高知県で龍馬書簡の鑑定などを担当している青山文庫名誉館長・松岡司は
松平容保が龍馬暗殺指令者であろうと言っているのだが。
霊山歴史館2007年秋の特別展「龍馬と西郷」
http://www.ryozen-museum.or.jp/TEN-07aki-ryomaandsaigo.html >見廻組与頭・佐々木只三郎(龍馬暗殺の指揮者)の実兄で会津藩士の手代木直右衛門は明治33年の臨終に際し、「実は龍馬を斬ったのは実弟の只三郎である。あれは暗殺ではなく公務だった。
>上様からの命令である。今まで公言しなかったのは上様に累が及ぶからだ」と語った。上様とは、松平容保のことである。
大政奉還後の慶応3年10月16日、岩倉具視の大久保利通宛書簡「大久保利通関係文書一」
「会(会津)狂気の如く憤然、是非薩邸を討つなど段々申し候由、万事畢竟は西、小、大の三人これあるゆえ也、土には云云、芸云云、これらを斃すべしと種々議論ある由」
政権争いに敗れた会津は大政奉還推進勢力の薩摩・土佐・芸州に恨みを抱いていた。
薩摩の者達は警告を受けすぐさま避難したが、残った龍馬達は犠牲になったという事だ。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 22:54:56.76 ID:iTw4ur4K0
幕府土佐説その3
>>60の続き
10 福岡の行動の奇妙さ。
福岡について、田中はかくも語り残していました。
「…福岡などは頻りに吾々に接近して来たもので、東山の会々樓と云ふのがあって時々吾々を呼んで酒を飲ませて、例のおかよ夫人――其の時分の山猫(芸者)などが杯盤の間を周旋して居ったものである。
それがおかしい事には、坂本が殺された時に直ぐ隣が福岡が下宿して居たのであるが、一寸も見舞ひもしなければ会葬もしない。おかよ夫人が怪しんで何故見舞にでも行かないかと聞くと、貴様などの知ったことでないと一喝したそふだが、どふも福岡の気が知れない…」
11 当日近江屋を訪れた、あるいは通りかかったものが3人いる。そのうち岡本が怪しい。なぜなら他の二人は、
日記や伝記によってそのことが知れている。もし自分が犯行に関与していたなら、自分とって不利となるそのような記録を残すはずがない。
これに対し、岡本が訪れたことは峯吉の証言による(かどうかは実は未確認だが)。本人の記録ではない。ゆえに岡本を疑うことはできる。
12 岩崎弥太郎日記は竜馬暗殺の時期の部分だけが完全非公開だそうである。ますます怪しいではないか。
(続く、かどうか分らないが)
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 22:59:02.56 ID:iTw4ur4K0
>今井は西郷に助けられたー→旧幕の生き残りがほとんど助けられてる。
龍馬殺しを自供して命が救われたやつはいない。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 23:09:02.08 ID:iTw4ur4K0
>>64 龍馬殺しを自供したのは今井だけだと思うが。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 23:15:01.85 ID:vCHPm9QO0
天満屋事件の折紀州藩が会津藩に藩士三浦の警護を要請し
新撰組が任に就いたじゃん
新撰組斉藤一が十津川郷士中井を斬殺したじゃん
斉藤に容保名義で褒美の書状が下賜されたと推察できるけど
新撰組の黒幕は紀州じゃん
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/23(土) 23:29:08.98 ID:vCHPm9QO0
天満屋事件で海援隊陸奥は紀州藩公用人三浦を暗殺の黒幕と
断定したじゃん
紀州候の指図がなくとも公用人が裁量で暗殺を執行できると
陸奥が分別したわけでしょ
江戸末期における藩主と公用人の間柄を彷彿とさせるじゃん
今井は自分は見張り役だと言った。
実際に龍馬を切ったのは桂隼之介だろう。
>>63 佐々木只三郎の兄の手代木直右衛門が、松平春嶽の側近中根雪江の所に
「容保も私も大政奉還に反対である」と苦情を言いに来たと中根の日記「丁卯日記」に記されてる。
手代木は会津藩公用人で藩主の意を汲んで動く藩の外交役。
慶喜公伝はアレ各藩の資料の寄せ集めじゃなかったか?
あ、そうそう「武士の家計簿」の磯田道史も暗殺指示=松平容保派だったな。
>>69 んでもこの前のNHKでは
その当時の藩の決定は「重臣ら」の裁量で、殿様(容保)はそれに「OK」を出すだけの存在だったと
磯田氏「当人」が言ってたぜ
手代木は「御指図」があったと言い残していたようだが。
しかし大名が暗殺計画をシコシコ練るわけもないので
細かい調整は手代木達、現場の判断は佐々木任せだろう。
ちなみに磯田は薩摩藩黒幕説は佐幕派贔屓の人間がよく主張するとも言っていた。
見廻組が実行犯なのはもう動かない。
あとは関与が一番濃厚なのは会津藩じゃないのかねという話になる。
>>71 > 見廻組が実行犯なのはもう動かない。
動くよ。
油小路事件で新選組の評判は最悪になったから、
新選組の生みの親とも言うべき会津藩は自分たちに累が及ぶことを恐れて、
新選組がやったことを寺田屋事件の件を利用して見廻組がやったことにして被害を最小限にしようとし、
そのため、いろいろ工作した、そのため、元見廻組隊士の話が本当に実行犯ならあり得ないほど矛盾してしまっている
ということになってしまったと十分考えられる。
今井信郎は、自分が龍馬を切ったと思い込みたかった精神障害者で簡単に片付くし。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 02:07:35.04 ID:DW6nNySw0
つまり、見廻組が実行犯ということは、妄想を縦横に使わないと疑問の余地すら出ない。
>>73 今井信郎や佐々木只三郎は、自分が龍馬を切ったと思い込みたかった精神障害者で簡単に片付く。ホント。
これは妄想でも何でもない。
中岡証言からは、逆に論理的に、実行犯は見廻組ではあり得ない。
同僚で所謂団塊の世代でリストラされて中途入社な人がいるんだが
よく「昔の」思い出を語るわ語る、つまりは自分が「活躍した」時期の話をね
実際この不況下、底辺な会社での仕事はそうとうストレスが溜まっているとでもいうか
心のどこぞで「プライド」が許さないみたいな感じ
鳥羽伏見後、各地を転々とし最後は北の地ですか
その間に「自分語り」な人物がいたと想像したところで不思議はないっしょ?
「お前どういう武勇伝がある?」「俺はどこぞの某を・・・・」「それなら俺は・・・・・」とかねw
精神障害者で片がつくってすげー暴論だな
>>76 会社倒産しても、精神障害になる人は誰もいないと?
260年盤石だったはずの幕府が倒れれば、
自分こそ(薩長同盟と大政奉還の立役者の)(幕府側の視点からは仇の)龍馬を切った武士の中の武士である!
と思い込みたくなる人たちが何人か出てくるのは当たり前。妄想患者が出てくるのは当たり前。
でなければかえって不自然。
>>76 極論かもしれんが「暴論」ではないぜ?w
仮にここ(2ch)が無くなればどう思う?って話。ネット「そのもの」もそうだ
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 10:02:50.92 ID:tDDO21mz0
>>66>>67 わたしは君に注目している。君はいつもあらゆる可能性について検討しようという姿勢が感じられるからだ。
ところで66と67で君が言いたいことは、要するに見廻り組の背後に土佐藩がいる、ということもありうるし、
土佐藩の重役だけの意向で見廻り組に竜馬暗殺を依頼することもできる、という考え方だね。
>>68 1 見張り役だと証言したのは明治3年の証言だから信用できない。後年の証言は信用できる。
2 たしかに容保は反対だったかもしれないが、諦めていたフシもある。ただしまだ一応、容保も黒幕の一人に想定しておく必要があるとは思っている。
>>74 >中岡証言からは、逆に論理的に、実行犯は見廻組ではあり得ない
どういう論理でそう言えるのかが分からない。もしよければ説明してほしい。
幕府 龍馬が死んで損
会津 龍馬が死んで損
土佐 龍馬が死んで損
長州 龍馬が死んで損
薩摩 龍馬が死んで得
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 10:55:52.08 ID:tDDO21mz0
尾張藩の記録に永楽屋と出てくるのが気になっていたのだが、とあるブログで次の記述を見つけた。
「吉井幸輔」
事件当夜、京都薩邸にいた吉井は田中顕助の急報により、彼と共に近江屋に駆けつけ、重傷の中岡を励ましたことになっている。
だが、先に書いたように西尾氏は百万遍の知恩寺墓地にて住職から当夜、吉井は薩邸におらず、祇園町の茶屋「永楽屋」から近江屋へ駆けつけたという話を聞きつけた。
しかも吉井は田中にこのことは絶対口外しないでくれ、と口止めしていたらしい。祇園の茶屋で遊興していたと知られたくないから、というのだが…
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 11:11:27.89 ID:tDDO21mz0
『尾張藩雑記 慶応三年ノ四』
近江屋新助方ニ止宿土藩浪士頭齋谷梅太郎右方エ九人斗帯刀人這入リ梅太郎切害ニ及ビ其節残居候品、
刀身壱本ト下駄弐足、右下駄焼印有之、一足ハ二軒茶屋中村屋印、一足ハ下河原......堂印有之段々承様候処、
祇園町永楽屋へ遊興ニ罷越候者三人ノ内、一人ハ土佐藩、二人は佐土原藩ノ良申立居候へ共、全ハ当時白川ニ旅宿罷在候坂本龍馬ノ徒党ノ者ノ良相聞候へ共、
聢ト佐様ハ未相分、猶探索ノ上巨細申上ベク候。以上。十一月廿日。
なぜここに永楽屋のことが出てくるのか、分かる人はいませんか? 知っていたら教えてください。
こういう細かなことを詮索することで、事件の真相にたどり着けることもあるのですから。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 11:25:57.53 ID:tDDO21mz0
通説では事件の報を近江屋から受けた京都土佐藩邸(近江屋の目と鼻の先)から、谷干城らがおっとり刀で駆け付けたことになっているが、
実際は、谷はすぐに救援に向かわず、当時、京都藩邸の責任者であった福岡孝悌(そのとき祇園の茶屋にいた、後藤象二郎は土佐に帰っていて不在であった)に連絡し、
福岡が藩邸に戻った後、その指示でおもむろに近江屋に出向いている
上は、あるブログから拾ってきた記事であるが、谷の講演録では谷は河原町三条上ルの大森から駆け付けたと言っている。
上のような記録がどこかにあるのだろうか。知っていたら教えてください。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 11:32:22.23 ID:tDDO21mz0
上の記事では
福岡孝悌(そのとき祇園の茶屋にいた、
となっているが、祇園の何という名の茶屋にいたのだろうか。知っている人は教えてください。
もし永楽屋にいたのなら、陰謀の匂いがプンプンするのだが。
尾張藩の記録に永楽屋とでてくることとも関係しているかもと思われるのだが。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 12:25:49.25 ID:tDDO21mz0
福岡が祇園の茶屋にいた、というのは「福岡回想談」というのに書かれているらしい。
誰か読んだ人はいませんか?
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 12:38:13.71 ID:tDDO21mz0
「神山左多衛雑記」『坂本龍馬全集』
同年十一月十五日
永楽屋に留連して朝五時半頃、富田、田中、藤次、自分四人中村屋へ転席飯酒を呼、妓も来る(中略)黄昏、尾鶴へ転席、熊沢氏の巣窟也。此時藤次、熊沢、宇和林に今一人并下村省助、田中幸助と自分七人也。
町奉行より今日宮川祐五郎を受取、河原町御邸牢家へ入れ候事、今夜五過比尾鶴より藤次、幸助自分一時に帰る。自分一人松力へ行、三人共籠也。松力へ行否、我宿より家来申来には、才谷楳太郎等切害せられ候よし、
仍而直に藤次下宿へ行、諸事手賦等取扱致候事。但楳太郎即死。石川精之助数ヶ所疵受、楳太郎家来深手也。
自分で別の史料を見つけてきた。これによると福岡藤次は朝五時半頃、永楽屋から中村屋に移り、黄昏、尾鶴という料亭?に移り、五時過ぎ頃、尾鶴を出たことが分かる。
ところでここに出てくる熊沢氏というのは誰だろう。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 12:49:47.68 ID:tDDO21mz0
上の史料を見ても宮川を藩邸の牢屋に入れた日なのに、藩の重役が揃いも揃って、
芝居見物や料亭で遊興しているのはなぜだろう。おかしい。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 13:07:36.76 ID:glf244fH0
暗殺は誰の仕業ぁ〜→自供してる見回り組だろw
黒幕は倒幕側ーだぁ→どっちにしろ幕府会津側の指示w
谷が新撰組だとぉー→中岡のコナクソと斬りかかって来た証言と、元新撰組伊東の原田の鞘という証言で勘違いw今井の供述にあやふや面があった為に売名と見なした。
龍馬は薩摩と対立してー→してない。薩摩は大政奉還に賛同し、一方で武力倒幕も準備。坂本案は武力で突きつけ、聞かなきゃ討幕で薩摩と同じ。後藤が兵を連れて来れず坂本案破っただけw
今井は西郷に助けられたー→旧幕の生き残りがほとんど助けられてる。
今井の供述がーあやふや→仲間をかばってぼかしたか、単なる記憶違い。
これでもう決着ついてるってのwww
完
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 13:13:28.43 ID:glf244fH0
今井は坂本なんて、ただ好んで世の中を騒がす悪徳漢程度しか思ってないからw
薩長同盟なんぞも知らない
坂本龍馬は寺田屋で幕吏2名をピストルで殺した危険なテロリストの一人と見て暗殺した
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 14:12:09.86 ID:bFso4ZzU0
>>89 それはまったく正しい。そのとおり。で問題はその今井の背後にだれがいるか、ということで、それを議論する場である、ここは。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 14:23:54.17 ID:bFso4ZzU0
幕府土佐説その4
>>62の続き
13 福岡孝弟(藤次)の子孫が、TV番組にて龍馬暗殺を語ったという内容。
「・・・・・曽祖父は福岡孝弟と申しまして、死の真相を、ある筋から知っていたんだそうですが、誰が聞いても、いや、あれは言っちゃいかん事になっとるんだ、と言いました。
佐々木只三郎・・・・・・そうじゃないんだ、と・・・・・」
14 手代木、維新後に土佐県権参事に任官。
土佐が不審と思われる点は、いまのところこれくらいしか思い浮かばない。
次回からは、土佐が坂本と中岡を狙った理由、動機について考察してみたい。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 16:14:04.58 ID:bFso4ZzU0
幕府土佐説その5
>>91からの続き
土佐が坂本と中岡を狙った理由、動機について考察する。
1 もともと土佐は上士と下士の身分対立がある。さらに吉田東洋派と武市半平太派の対立があり、
後藤は吉田の甥、竜馬は武市の親戚である。藩内に対立不和があった具体的な証拠として次の史料がある。
鳥取藩慶応丁卯雑記資料(慶応3年11月23日挙記)
「元来、土藩ノ内探索候処、藩士相分レ一途ハ白川組諸浪士相集リ頻リニ暴論の徒ノミ建論増長ニテ、今一途ハ後藤象次郎同意周旋ノ徒ハ、右暴論ノ徒ヲ取鎮メ居候由……
梅太郎先月上旬頃、土州ヘ帰入致居候処、北国筋へ罷越、何カ周旋ヲ遂ゲ帰亰仕候跡へ今一手ノ土藩士ノ徒、同様北国へ罷越……
右梅太郎ノ跡へ廻リ候亊ニ付、未ダ不発(セ)事件(ヲ)候得共、隔論相成候様子ニテ、梅太郎ト尚又今一手トハ忽チ不和ヲ生ジ、殆ド殺伐ノ次第ニ及バントスルノ事件ニ基キ候由………。」
白川組諸浪士とは陸援隊のことだろう。陸援隊と後藤派が対立していたとある。さらに先月上旬、竜馬は土佐に帰っていたが、北国に赴き、何やら周旋工作の実をあげて帰京したが、そのあと竜馬と対立するグループが
北国に赴いたが、竜馬に遅れを取ったので(?)、まだ事件は起こらなかったものの、意見の対立が生じたようで、龍馬と反竜馬のグループは不和になり、ほとんど殺し合いになるような事件があり、
それが基で今回の暗殺事件が起きたそうな…
という意味だろう。ただし竜馬の年表で調べたが、竜馬は先月上旬には土佐に帰っていないし、北国に赴いてもいない。
そういう点で事実とはやや異なる面もあるが、竜馬と竜馬に反感を持つグループが一触即発の危機にあったことを示唆している。
土佐藩士が竜馬暗殺に関与していてもおかしくはないのである。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 16:35:06.75 ID:bFso4ZzU0
鳥取藩の記録はどうも正確なように思えるのである。土佐藩の内情をよく探索しているように思える。
なぜだろうと思い、ネットで調べてみると、岡田星之助という鳥取藩士が暗殺されていて、どうやら
龍馬や土佐藩士がそれに関与していたようなのである。
さらに鳥取藩の藩主は徳川慶喜の実兄だったのである。そういうところから、鳥取藩は土佐藩に関心を持っていたのかもしれない。
TV番組ソースにしていいなら
手代木の子孫も松平容保〜手代木〜佐々木の命令系統に納得してるようだが
それはええのんかい?
TVがわざわざ取材にやってきて
「嗚呼、ご先祖様だけど眉唾ものですよwアハハ」
なんて云える訳がないww
>>79 出した名札も、名乗った出身も、龍馬・中岡が斬られた順番・状況も食い違っていて、三重に論外!!!!!だろ
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 21:12:09.98 ID:hUod28LL0
>>96 そんな違いは些細なことである。そんな細部が違っているからといって見廻り組の仕業ではないなどという論理がどこから出てくるのか。
もともと新選組の仕業だというのは谷の推理である。推理に過ぎない。しかもその推理は今井と渡辺と手代木の証言によって完全に覆されているのだ。
お前は新選組の仕業だと本気で信じているのか。いまどきそんな奴はほとんどいないぞ。新選組の仕業だというのならその証拠を出してみろ。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 21:16:07.40 ID:hUod28LL0
>>94 子孫が自分で証言するのと、子孫がNHKの解説推理に納得するのとでは全然違う。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 21:26:11.04 ID:hUod28LL0
>>69 磯田道史という学者も、その根拠は、見廻り組が京都守護職の配下だから、という、
このスレの容保説信者とまったく同じ、ごく単純な理由からだったと思う。あの学者も、
見廻り組は実際は大目付の配下だったということを知らないのだと思う。
今ではかなり苦しい説だと思われている黒幕=薩摩と伊藤甲子太郎説を出したのも学者だ。
学者にもトンデモ学者というのがいるのだ。学者は信用できるなどと思わないほうがいい。
>>97 実行犯に関しては、
>>96から、消去法で手慣れた暗殺部隊は他に新選組しかいない!ということで証明終了。
首謀者に関しては、会津藩説・土佐藩説、今のところ、甲乙付けがたいのうw たぶん、土佐だと思う。
理由は、会津藩の隠蔽工作が余りにも下手だから。
へー、で土佐の誰がどのような動機と命令系統で?w
BS歴史館も手代木家の子孫が容保〜手代木で指令があったって証言したんだろ。
>>101 土佐の誰かが新選組屯所に龍馬の居場所を投げ文すればいいだけ。
これがあったかどうかが不明だろ。
あとは会津藩の支持あるいは黙認で、新選組が秘かに龍馬暗殺決行!
ところが新撰組は油小路事件まで引き起こして悪評が沸き起こっていたので、
寺田屋事件のことを思い出して、龍馬暗殺は新撰組ではなく見廻組がやったことにしようと秘かに内部で工作。
見廻組に偽龍馬・偽中岡を斬らせるといったことすら実際にやらせたのだろう。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 22:24:01.31 ID:hUod28LL0
>>102 その説はどこかで読んだ気がする。まあ、絶対にありえない、という話でもないが。
ところでもっと珍説奇説と思われる説がある。岡田以蔵が犯ったという説だ。ところが
これはまったくありえない話でもないのだ。というのは処刑されたのは替え玉で、
以蔵は明治3年の時点でもまだ生きていた証拠があるのだ。
ところで佐々木只三郎は生きていたという話があるそうだが、それはどこに載っているのか、
知っていたら教えていただきたい。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 22:34:49.37 ID:hUod28LL0
>>102 べつに新選組説を信じているわけではなくて、ヒマだからからかってやろうと思って質問するのだが、
近藤が佐々木に「昨日はお手柄で…」とかなんとか言ったというあの話はどう説明するのか。
新選組がやったのならそんなことは言わないだろ?
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 22:42:22.35 ID:hUod28LL0
よく知らないが、そもそも新選組というのは制服があったんじゃないのか。
制服を見たらすぐ新選組と分かるだろ?
犯行は夜に行われたと思っている奴が多いだろうが、犯行は夕暮れ時に行われた
という説があるのだ。黄昏時なら、新選組の制服だとすぐ認識できる。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 22:43:24.43 ID:cINuJWS90
つか幕会以外に坂本殺す理由ないだろ
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 23:03:38.76 ID:DW6nNySw0
いや、新撰組の制服はあまりに馬鹿らしいコスプレじみた酷いものだったので、隊士は誰も着なかった。
ゆえに紺の浪士スタイル、ただし剣は尊攘刀ではなくもっと小ぶりのものと考えて良い。
岡田以蔵が生きていたというのは小説では聞いた事があるが、根拠はまったくなかった。
正史通りに嘲られて死んだとするのが正解。
>>79,80及び
>>89は論外。
暗殺当時の坂本龍馬は、薩長同盟の仲介者として薩摩・長州と土佐藩を並ぶ評価に押し上げる土佐藩の重要人物であり、
また大政奉還の立役者として京都の幕府中枢にも知己を持つ佐幕派の覚え目出度き存在、ということになっていた。
実際は大政奉還に怨恨を持つ人間が、京都の幕府中枢に数多くいたのだけどね。
>1 見張り役だと証言したのは明治3年の証言だから信用できない。後年の証言は信用できる。
この偏見は救いようがない。今井の証言は二転三転しているが、どちらが正しいのかはそのつど考える必要がある。
>>105 残念でした。
新選組が制服着てたのは8月18日の政変の頃まで。
薄手ですぐ擦り切れるので、すぐに誰も着なくなったとのこと。
大体、制服なんて着てたら、情報が得られんだろ。張り込めんだろ。
安直な時代劇やマンがに騙されててはいかんなw
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 00:18:17.06 ID:iTv4JGUH0
今井「私も坂本なんと云ふ奴は幕府のためもならねば、朝廷の御ためにもなるものではない、只事を好んで京都を騒がせる悪漢故、是非斬つて仕舞はねばならぬ、とは思ひました。」
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 03:17:18.03 ID:fNM8w1/I0
決定権もなく命令を聞くだけの人間の動機を書かれても仕方がないのですけど。
その点で>>109は駄目カキコ
ほらほら、三条の件で新選組に「迷惑」をかけたわけだぁ土佐藩は
確か、重臣らが「彼ら」を祇園かなんかに招いで慰安したとかしないとか!?
その際に「話」があっても不思議ではあるまい?
近藤捕縛・斬首時の谷「ら」の行動は、近藤「完全否定」を無視しての行動だったわけだが
寧ろ「一部否定」つまりは新選組は感知していないが・・・実は!!
・・・という部分を黙殺せねばならぬ為の近藤斬首だったとも思えるw
他「薩長」にまさか「土佐」が絡んでいたと知られるのを防ぐためにね
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 08:43:25.22 ID:OAPQ+i8A0
決定的な証拠がないかぎり、幕府側の一部の人間による暴走という可能性も捨てきれないと思うが。
土佐藩主は、大政奉還に賛同していたし、藩内には多くの勤皇の志士がいて、
さらに板垣退助のような武力討幕の機運が高まる中で、龍馬殺害を命じる又は加担することは無用な混乱を招くし得策ではない。
実際、龍馬が殺害された後、土佐藩邸内は、激怒している。
幕末は幕府の内部でも権力闘争が繰り広げられていたし、最後まで慶喜の恭順に従はなかった会津藩が絡んでいるのは間違いないと思う。
八月十八日の政変や戊辰戦争時、輪王寺宮を立ててまで戦闘を続行したし、なによりも土佐の勤皇の志士達を弾圧してきた経緯がある。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 09:40:17.43 ID:IfMgBbTf0
龍馬暗殺の後、いろは丸事件の賠償金7万2千両を受けとった弥太郎はその金を後藤象二郎へ引き渡す。
その見返りに大坂の土佐藩邸を譲り受ける。
二冊あった弥太郎の日記。この両方とも龍馬暗殺の日を含んだ数日間が無くなっている。
その後の記述にも、なぜか暗殺について何も書かれていない(後藤も暗殺について発言していない)
空白の弥太郎の日記・・・何が書かれていたんでしょうか? 興味ありますね。岩崎家も三菱もその公開を拒否し続けているそうです。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 09:46:10.62 ID:IfMgBbTf0
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 09:48:30.16 ID:IfMgBbTf0
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 09:53:22.60 ID:IfMgBbTf0
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 09:59:11.88 ID:IfMgBbTf0
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 10:21:56.09 ID:IfMgBbTf0
わたしの現在の推理を書いておくと、幕府側としては竜馬には
1 長州に武器を提供した
2 ピストルで人を殺傷した
という明確な法律違反がある。薩長同盟の仲介などは政治犯とはいえないから捕縛できないが
1と2の件で捕縛できる権利がある。
一方、土佐藩内部には坂本・中岡に反感を持つグループがあったと考えられる。そこで推理。
土佐藩の重役(とくに後藤、福岡など)が大目付の永井に暗殺を依頼した。
しかし幕府としては暗殺などの手段をとることはご法度。そこで土佐の重役は
永井に賄賂を渡した。賄賂。人にものを依頼するときの最も古典的な手段。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 10:28:41.99 ID:IfMgBbTf0
ついでにいえば、今井の弟は手紙の中で、今井は永井からの命を受けたことと、
褒美として50両いただいた、と書いている。
永井からは50両。容保からはただの賞状。どちらが指図したかは分りますね。
黒幕は薩摩です。大義のためなので、別に責めるつもりはない。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 13:30:52.92 ID:OAPQ+i8A0
因果関係とそれを裏付ける直接的な証拠がない限り勝手な妄想だろ。
冤罪の温床だなここは。
ほぼ確定しているのは、実行犯が京都見廻組であること。
そのはねっ返りの中に会津藩主の意のままに動く問題のある人物がいなかったのか?
黒幕は、会津である可能性は排除できない。
推論の域を出ていないのだから断言するには至らないんじゃないか。
>因果関係とそれを裏付ける直接的な証拠がない限り勝手な妄想だろ
す・べ・て
状況証拠「のみ」ですwww
す・べ・て
みきき証言ですゥ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 17:19:58.21 ID:fNM8w1/I0
松平容保ファンの人ご推薦のブログを読んだが、根拠のある点が皆無だった。
意味不明の断言と、まともな検証を状況証拠「のみ」ですwwwとまとめてゴミ箱へ送り込み、その後は妄想をくねらせるだけ。
暗殺で50両ももらったなら、生活はさぞかし豊かになったと思われるが、今井のその後の人生にそのような形跡はどこにもない。
公務と言いながら50両の秘密資金が出てくる奇怪な手紙。
しかも直前に入隊した平隊士に大目付様がお宅訪問してトップ対談とやらを行う不思議さ。
「ボクのお兄ちゃんは偉いんだぞ」、を越える意味があるとは思わないが。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 17:40:22.02 ID:fNM8w1/I0
今井弟の手紙はゴミと断定せざるを得ない理由の一つが、
入隊したばかりの命令を受けるだけの平隊士(筆者の兄)と大目付が、トップ対談を行い暗殺依頼が行われる上、
支度金として大枚まで賜ったと主張している事なのだよ。
一方では公務として坂本龍馬暗殺犯行を定義するのに、
その舌の根も乾かないうちに、使途不明金50両を賜ったと出てくる。
しかも直接大目付様が平隊士に懇願する、なんという今井は今殿様状態。
弟の兄信仰はすさまじい。
本人だってこんな事は言ってはいない。
暗殺当時は新米で佐々木から命令を受けるだけだったということ、
命令は御指図(在京都幕府首脳命令)と聞いた、おそらく松平容保候の命令だということ。
暗殺事件後、松平容保候の署名付きの褒状をもらっていた、という妻の証言もある。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 18:36:38.18 ID:FFutECNY0
>>124 お前も物分りがわるいな。
>>56 >>119 を読めよ。それと支度金として50両を貰ったのではない。慰労金として貰ったと書いてあるじゃないか。
史料はもっと注意深く正確に読めよ。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 18:43:18.76 ID:FFutECNY0
今井の手紙がゴミだと言ってるやつは、手代木の遺言と佐々木只三郎伝はゴミじゃないというのか。
いったい前者と後者のどこが違うのか。前者がゴミなら後者もゴミだろ。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 18:47:24.96 ID:FFutECNY0
>>122 お前もバカだな。直接的な証拠がないのだから、あとはわれわれが推理し想像するしかないではないか。
その推理が合理的であればそれでよいのだよ。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 18:54:14.14 ID:FFutECNY0
直接的な証拠が出てくる可能性があるのは岩崎弥太郎日記だけだ。
これが公開されれば真相が分かるだろう。これを公開しないのは、
岩崎弥太郎と土佐藩が竜馬暗殺に関与しているからだ。
と考えるのがフツーだ。容保説を信じているバカどもよ、いつかその日が来るぜ。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 21:18:23.07 ID:kBsRc7J90
手代木の遺言は私家本『手代木直右衛門伝』に収録されているようですが、
『佐々木只三郎伝』にはどんなことが書かれているのでしょうか。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 21:20:31.95 ID:fNM8w1/I0
>>125 結局ID:FFutECNY0は、矛盾ばかりが存在する今井弟の書簡に飛びつくしか手がないわけ。
史料をないがしろにして、相手が間違っていると主張する不思議精神よ。
各種証拠から、現在のところ、松平容保を最有力容疑者と認定するしかないわけなのだが。
>>128 私は、会津松平の末裔が直接的な証拠を持っているのではないかと思っています。
あそこは、無い無いと言っていながら自分達に有利な証拠は必ず出してきた家です。
非公開文献を持っているのです。
つまり、徳川家茂の死の前後、孝明天皇の死の前後、坂本龍馬の死の前後などで
世間に出せないもの、松平容保に不利な記録を持っているのではないかと予想されます。
ちなみに、岩崎弥太郎日記が開示されないのは、無心強要が目立った坂本龍馬、商売上の仇であった渋沢栄一らへの
罵倒が目立つからと思います。彼は聖人ではありません。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 21:40:45.27 ID:kBsRc7J90
>>131 では言わせてもらうが、君ら容保説信者も手代木の遺言だけが頼りだろ。
五十歩百歩だ。いや、今井弟の書簡では永井玄蕃という名前がずばり出ているのに、
手代木の遺言は某諸侯となっているだけだ。
しかも君らは見廻り組は京都守護職の配下だったと教科書的なことを言っているが、
>>116で紹介したブログでは実際は大目付の配下だったと論証しているのだ。もしそれが正しければ、
君らの主張はがらがらと崩れてしまうのだがね。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 21:48:34.34 ID:kBsRc7J90
>>132 わたしとは見解が異なるが、君はまともだ。書きぶりから聡明さが感じられる。
他のやつらのレベルは話にならない。もちろん、まともなやつは他にもいるが。
容保説の信者というのは、わたしには、イデオロギーを持って論じているとしか思えない。
何が何でも容保を犯人に仕立て上げなければ気が済まない感じだ。
>>132 土佐藩説を打ち消すためだけでも岩崎弥太郎日記は公開されるべきだな。
武市半平太に代わって同じ土佐勤王党の龍馬・中岡(しかも下士・郷士)に土佐藩が引っ張られまくってるんだから、
それを内心快く思ってなかったのは乾退助以外の土佐藩上士全員じゃないのか。
>>121 それこそ妄想オンリーw
ほぼ確定しているのは、実行犯が京都見廻組ではあり得ないこと。京都見廻組が実行犯であるかのように偽装工作されたということ。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:03:34.16 ID:kBsRc7J90
たとえば京都町奉行というのは、江戸幕府職制表というのを見ると、老中の支配下になっている。
ところがWiki(Wikiで申し訳ないが)を見ると、実際は京都所司代の配下に置かれた、と書いてある。
見廻り組もそうだ。歴史辞典などでは京都守護職の配下に置かれたように書かれている。
が、116で紹介したブログの人は、実際は大目付の配下だったと言っている。この人は良く調べているし知識もある。
その推理力、想像力、とてもわれわれの比ではない。
要するに容保説の信者よ、もつとたくさんの根拠を出してくれ。君らの言ってることはいつも同じだ。
>>133 話をややこしくするな
征夷大将軍
V
老中・大目付など幕閣・将軍後見職・政事総裁職
V
京都守護職
V
京都所司代
V
見廻組
新撰組
大目付などが関与できたとしても、
見廻組も新撰組も、京都守護職配下ではなかったということはあり得ない。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:18:08.82 ID:kBsRc7J90
>ほぼ確定しているのは、実行犯が京都見廻組ではあり得ないこと。京都見廻組が実行犯であるかのように偽装工作されたということ
きわめて少数派に属する意見だが、貴重な意見として尊重しよう。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:22:21.00 ID:4kHGqD5Y0
動機見ても幕府側しかないわ。
薩摩→なし
龍馬中岡は、薩長提携の仲介者癒着者。
まして中岡は倒幕派の調停工作の為岩倉を見い出し、長州に落ちた三条と薩摩の西郷大久保を結び付けた。
三条や長州武闘派から信頼厚く、自身も挙兵参戦するつもり。
薩摩からしても、薩長軋轢の周旋として使える。
さらに土佐武力倒幕派の板垣と西郷を引き合わせ密約結ばせた立役者。
薩摩は兵力上の理由で大政奉還案に同意し、他藩の兵力もギリギリまであてにしてた。
土佐→なし
後藤派、板垣派共に理由なし。
龍馬は後藤の片腕、板垣らは中岡と密約結んでる。
まして両者死後に、薩長との連携が絶たれ土佐は孤立。
薩摩主導による王政復古になる。
結局土佐は遅れながら薩長側として参戦。
幕会→あり
積極的に大政奉還を賛同したのは慶喜だけ。
幕臣や容保は表面は慶喜の説得で賛同したが内心は不利になると皆反対。
まして家臣はまったく納得してなかった。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:23:13.93 ID:kBsRc7J90
>>137 それは全然まちがっている。正しくはこうだ。
将軍−老中−大目付
将軍−京都守護職−京都所司代
−見廻り組
−新選組
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:30:40.59 ID:kBsRc7J90
>>139 よく勉強してると思うけど、もう一歩前に踏み込んでみよう。
そうしたら別のことが見えてくるかもしれない。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:32:53.85 ID:fNM8w1/I0
>>133 本来は、大目付から見廻役を経由して見廻隊は行動するのです。
しかし坂本龍馬暗殺以前に京都の幕府の体制が変わり、治安は京都守護職松平容保に一元化されています。
つまり、そのブログはその程度の事も知らない、素人考えで組み立てられているのです。
どこにあなたが他説を五十歩百歩などと言う根拠があるのでしょうか。
他人の説を貶める割には、あなたの説には一つも根拠がない。
>>140 なんなの、その苦し紛れの並列関係は?w
上下関係を考えずに作った組織であっても上下関係ができる。
ましてや幕府組織は封建社会の最たるもの。
旗本・御家人に限らず、当時は誰もが
>>137のようなヒエラルキーを暗黙の了解のうちに認識していたはず。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:41:24.39 ID:fNM8w1/I0
>>134 むしろ、あなたの話には根拠が無い上に、遮二無二松平容保を、
犯罪者としては認めない方向へ無理な誘導を図っているように見えます。
その根拠とやらが、松平容保候は殿様なのだから矜持があるのだ、
という非常に根拠が薄い信念なのですから、あきれ返ってしまいます。
殿様という点では永井尚志も小給松平の唯一の直系実子なのですよ。
しかも明治以降の振る舞いに関しては、松平容保は誉めるべき部分が全く見当たりません。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:48:36.16 ID:kBsRc7J90
>>142 君とはあまり争いたくないが、とにかく一度116で挙げたブログを見てください。
それと根拠は挙げました。今井弟の手紙です。君らが手代木の遺言を挙げるから、
わたしは永井も怪しいよ、という意味で今井弟の手紙を挙げたのです。
君らがなぜ容保、容保と言って、永井も検討してみようという気にならないのかが不思議なのです。
>>142 あんたの説も他人からすれば「五十歩百歩」ww
日本史板からあいも変わらずしつこいね〜
一元化「された」事と、イコール全てを把握していることとは「違う」と思うが?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:51:59.94 ID:kBsRc7J90
>>144 >その根拠とやらが、松平容保候は殿様なのだから矜持があるのだ
わたしは一度もそのようなことを書いたことはありません。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:55:32.05 ID:kBsRc7J90
>>144 それとわたしは別に容保のファンでもなんでもありません。
わたしは会津とも薩長土肥とも何の関係もない県で育った人間なので、
何のイデオロギーもありません。たた単なる謎解きとして竜馬暗殺を推理しているだけです。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 22:59:17.44 ID:kBsRc7J90
>>143 歴史辞典の江戸幕府職制表というのを見てください。そう書いてありますよ。
どうして見廻組がやったかのように偽装工作まで行われていたか?
を考えれば、京都守護職容保もその側用人・手代木直右衛門も大目付永井玄蕃も関わっていたから。
ということでいいじゃないか。
土佐藩(佐々木高行・谷干城など)がなぜ新撰組の近藤勇を勇み足で処刑してしまい、見廻組放置だったか?
は、土佐藩だけは、龍馬・新太郎暗殺の実行犯が見廻組ではあり得ず新撰組であることを知っていたから。
ということでいいじゃないか。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 23:15:32.26 ID:fNM8w1/I0
>>145 怪しいというわりには、その手紙に根拠が見えない。
その上、あなたが挙げたブログには根拠がない。はっきりいえば今井弟の手紙同様の代物です。
騙されている。その上他説を根拠もなく頭から否定している。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 23:15:57.74 ID:4kHGqD5Y0
そもそも偽装工作などされてないだろう。
新撰組の近藤勇を処刑してしまい、見廻組放置だったか?って、当初から新撰組の仕業と思われてたからだし。
まして京で新撰組に斬られたのは土州人が多い。
近藤が偽名使って降伏したのを見抜き、仇をとろうとしたのは元陸援隊の香川と岩村。
>>152 名札や出身を、どちらも可能だったので大和十津川と信濃松代のどっちで行こうかと迷った末、
本物の実行犯は大和十津川で実行していたのに、
見廻組は信濃松代で実行したなんて抜かしてんだから、
おれだけでも、即、100%、偽装工作確定。
証明終了。
>>153の訂正
× おれだけでも、即、100%、偽装工作確定。
○ これだけでも、即、100%、偽装工作確定。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 23:49:48.55 ID:OAPQ+i8A0
>>150 まるで見てきたかのように言っているが、結局なんの根拠もない与太話だろう?w
‘ということでいいじゃないか’を裏付ける物的証拠は?
あんたは、ただ単に会津の犯行であつてほしくないだけだな
土佐藩では、多くの勤皇の志士が新撰組に殺害されてから勘違いで新撰組の犯行を疑っただけの可能性もあるだろう
それが、実行犯が見廻組ではない補強証拠になると思ってんの?
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 23:58:59.04 ID:OAPQ+i8A0
偽名から偽装工作とは、とんだ論理の飛躍だな
>>155 オレのスレをどう読んだら、そういうレスになるんだ?
・会津藩が関わっていることは明らか。
・新選組が下手人であることは明らか。
・見廻組がその隠蔽工作・偽装工作に使われたことも明らか。
・龍馬・慎太郎暗殺時から戊辰戦争までの土佐藩の動向がまるで龍馬・慎太郎暗殺の首謀者のように怪しいことも明らか。
>土佐藩では、多くの勤皇の志士が新撰組に殺害されてから勘違いで新撰組の犯行を疑っただけの可能性もあるだろう
あんたこそ 人に与太話だろ?と言っておきながらも
個人的希望的観測述べてるんじゃしゃないwww
売国組織犬hkを解約する方法
http://www.youtube.com/watch?v=DPS2LFunUz8&feature=related ただし一般郵便だと無視される可能性があります。
とぼけられないように一般書留+配達証明=770円で郵送したほうが確実です。。
これをすると、犬hkから電話がかかってきます。
丸め込まれないためにも、理論武装、犬hkの不祥事事件の知識が必要となります。
十分に準備を整えてから実行しましょう。
私の実際の経験では、1時間ほどの電話×2日ほど掛かりました。
あまり好きな手段ではないのですが、担当者の胃に穴を開けるつもりでクレーマーに徹しました。
デジタル移行の今がチャンスです。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 07:53:01.12 ID:I1ceP+pk0
>>153 それがどうした?見廻組に責任をなすりつけるには具体性に欠けるつーか根拠が乏しいだろう
お前の100%意味不明で支離滅裂な新撰組説が確定したんだよw
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 11:16:50.51 ID:ZYRdRo2G0
>>142 >しかし坂本龍馬暗殺以前に京都の幕府の体制が変わり、治安は京都守護職松平容保に一元化されています
これが最重要ポイントだと思うから、これについて論議しよう。
もともと京都守護職が設置された時から京都の治安は京都守護職に一元化されたのではないのか。
幕府の職制表を見ても
将軍−老中−大目付
将軍−京都守護職−京都所司代
となっていて、見廻り役も新選組も最初から守護職の配下だ。つまり君の言う、
>本来は、大目付から見廻役を経由して見廻隊は行動するのです
というのはそもそも間違っているのである。最初から、本来、見廻り役は守護職の配下なのである。
ところが当時は老中も大目付も京都に出張し常住していたので、実際は大目付の配下で動いていた、
と小松格氏は言っているわけである。その証拠に、竜馬暗殺に関して新選組を取り調べてくれるようにと
土佐藩は永井に依頼していて、永井が近藤を取り調べているのである。君の主張が正しいなら、京都守護職が
取り調べるべきであろう。つまり君の教科書的な知識と、実際の現実は、異なっているのである。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 11:27:51.28 ID:ZYRdRo2G0
小松氏の主張のもう一つの重要根拠は、見廻り組は幕臣の子弟で構成されたという点である。
構成員が幕臣だから、大目付の配下で動いたという観点である。
それに対し京都守護職は会津藩士で構成されており、会津藩が幕臣を指図するというのは不合理だ、という観点である。
新選組は幕臣ではない浪士や農民で構成されていたから、会津藩お預かりとなったのである。
君はこのことを見落としている。見廻り組が大目付の指図で動いたか、それとも京都守護職の指図で動いたか、
これが議論の最重要ポイントである。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 11:34:16.90 ID:ZYRdRo2G0
今井の明治3年の供述も、指図は、幕閣か、それとも当時は見廻り組は(形式上)京都守護職配下だったから、
そこから出たのかもしれない(が私はよく知らない)というニュアンスで語られているのである。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 11:42:22.64 ID:ZYRdRo2G0
見廻組は鳥羽・伏見の戦いでは、大坂城に集結していた幕臣の遊撃隊に加わり、最後まで幕臣としてその使命をまっとうした。
一方、新選組は伏見の奉行所を本陣としていた会津藩と行動を共にしている。このことからも、京都見廻組が会津藩の支配下にはなかったことを証明している
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 12:21:27.55 ID:zFslmmLJO
大目付から京都所司代を経由し町奉行らというのが本来。
そこに京都守護職と見廻組、新選組が加わる。
新選組は京都守護職配下で、見廻組は京都所司代配下だ。
これは見廻組が旗本だから藩の下に置けないための処置だ。
しかし弊害があったため全てを京都守護職の指示に従うように通達が出た。
そのために、暗殺当時は松平容保が統括していた。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 12:31:18.50 ID:ZYRdRo2G0
しかし海舟の日記の松平勘太郎の発言を見ても、
松平勘太郎(大目付)−榎本対馬(目付)−見廻り組
というラインが想定されての発言であって、京都守護職など全然想定されていないのである。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 12:35:41.73 ID:zFslmmLJO
だいたい京都守護職は幕府の役職とは断定し辛い。
当時の一橋慶喜、松平春嶽などの立ち位置と同じで、
孝明天皇、岩倉具視、島津久光らが京都に自分勝手に軍や警察を置くために作った役職だ。
だから新選組は最初は浪士隊だった。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 12:38:15.51 ID:ZYRdRo2G0
>大目付から京都所司代を経由し町奉行らというのが本来。
しかし幕府職制表を見ると、京都守護職設置以前はこうなっている。
将軍−老中−大目付
京都町奉行
将軍−京都所司代
君は大目付−京都所司代と言っているが、それは間違いなのでは?
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 12:44:12.36 ID:zFslmmLJO
一会桑が徳川家茂の死後、本来の幕府を乗っ取る形で命令の一元化が行われた。
松平容保の権威はこの頃が頂点だった。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 12:58:05.38 ID:zFslmmLJO
>>168 初期と幕末を除き、徳川将軍は何も決断する必要はない機構になっている。
京都町奉行が大目付の傘下なら、京都所司代も将軍直轄は有り得ない。
少なくも「役」が知らぬ存ぜぬと云っている?以上は「命令系統」云々て議論は?だと思うが〜
家茂の死後は一会桑による幕府機構の乗っ取りが発生したので、
幕府の統治機構を語っても、一会桑が口出しできなかったとするのは誤りなわけで。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 14:15:55.28 ID:YmlyK8pn0
>>161-164は誤認が多く、論じるに値しない。
当時、幕府の統治機構には、一会桑による指揮命令の簒奪が発生しており、
本来は口出しする立場ではないから松平容保様は無実である、という主張は成立しない。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 16:42:16.33 ID:NDiHrznE0
>>170 京都町奉行は大目付の傘下ではなく老中の傘下です。ただし実際は京都所司代の傘下にあったらしい。
>>173 しかし実際は大目付の配下のようだったという例を161〜164で挙げたわけです。
誤認だというなら、松平容保が見廻り組に指示を出していたという例を挙げてください。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 16:52:04.00 ID:NDiHrznE0
松平容保が黒幕だという説は、見廻り組は京都守護職の配下だから、
という論理の上に成り立っているのです。
ところが実際は大目付の指図で動いていたということになれば、
松平容保説は大きく揺らぐことになるのです。ですから、論じるに値しない問題ではありません。
むしろ決定的に重要な問題です。
売国組織、犬hkを解約する方法
http://www.youtube.com/watch?v=DPS2LFunUz8&feature=related ただし一般郵便だと無視される可能性があります。
とぼけられないように一般書留+配達証明=770円で郵送したほうが確実です。。
これをすると、犬hkから電話がかかってきます。
丸め込まれないためにも、理論武装、犬hkの不祥事事件の知識が必要となります。
十分に準備を整えてから実行しましょう。
私の実際の経験では、1時間ほどの電話×2日ほど掛かりました。
あまり好きな手段ではないのですが、担当者の胃に穴を開けるつもりでクレーマーに徹しました。
デジタル移行の今がチャンスです。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 18:41:34.77 ID:YmlyK8pn0
>>174 現に幕府側の命令書に、京都守護職の統括を記す命令書があるのだが。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 18:45:46.16 ID:YmlyK8pn0
どうも根拠のないブログを金科玉条のように掲げ、
まともな意見は全て取るに足らないものと断定してかかる。
その上結論はいつも、「松平容保様は殿様だから悪い事しない」の一点張り。
何が多面的な事件の全体像を掴む、なのか。
単に松平容保の罪を糊塗したいだけのように見えてならない。
>>178 つ〜か、「あんた」も日本史板からしつこいのなんのってw
あんたのような歴史上な人物への「私念」てそうとうなもんだよwww
もしかして、いまさら「斗南の恨みを」〜とかなのかなぁ?(笑)
ホント来なけりゃいいのにぇ〜
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 21:24:30.25 ID:YmlyK8pn0
しつこいと罵るだけで、中身については根拠が示されることもなく、松平容保の罪を隠せと叫ぶのみとは。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 22:56:36.14 ID:Lh4BYK0I0
まあ、どうせ容保説派はろくな反論はできないのだから、これくらいにしといてやろう。
しかし、なんでそんなに松平容保(会津)を憎んでいるのだろうね。
会津の人間が薩長土肥を憎むのはわかるが、日本で、会津を憎んでいる人間なんているのかね。
曽祖父が会津の武士に殺されたとか、そういう恨みでもあるのかね。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 23:08:10.73 ID:Lh4BYK0I0
わたしは完全中立の人間なのだが、Wikiで松平容保の写真を見ても、
どうみても悪い人間には思えないのである。細面の貴公子、繊細な文学青年という印象だ。
こういう人間が暗殺を命ずるとは思えないのである。それで、容保は犯人ではないと見て、
ほかの説を考案しているのである。部下に切腹を命じたという話だが、
それはそれで諸般の事情があったのじゃないのか。ま、よく知らないのだが。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/26(火) 23:18:24.72 ID:Lh4BYK0I0
それと、今井が永井と面談できるはずがない、と言ってる人がいるが、それだって分らないよ。
なにしろ、見廻り組の隣に永井の屋敷があったそうだし。それと、どこかで読んだが、
京都守護職の松平容保も、いろんな藩の浪士を集めていろんなことを聞いていたそうだ。
われわれが思っているより、あの時代はもっとざっくばらんな時代だったのかもしれないよ。
最近暴れてる一匹の基地外会津アンチの反動で今度は会津説否定派が必死すぎる
龍馬は大政奉還でもう政治的な役目終わってる
残念なのは中岡を巻き込んだ方が損失だ
>>182 松平容保?
攘夷を巡って将軍徳川家VS一会桑の権力バトル→孝明天皇の忠臣だから私は江戸幕府に逆らってもいいんです
・江戸幕府の将軍を慶喜公が手に入れました→将軍のために孝明天皇の攘夷方針は捨てて明治天皇を掲げます
・明治天皇が会津を排除した王政復古を起こしました→徳川慶喜の名で軍を明治天皇へ向けます
・敗北して徳川慶喜は恭順することにしました→恭順なんて徳川の天下に逆らう行為だから慶喜の意見なんて捨てて抵抗します
・関東は鎮圧され恭順となりました→徳川は頼りないので仙台藩を盟主と仰ぎます
・仙台藩が降伏しました→そんなの関係ねぇ!!
という蝙蝠みたいに忠義の対象を変えるバカ殿だよ。
勝海舟もコイツラの忠義は口先だけだと看破されてる。
最近は薩長に頭下げるのが嫌なばかりに
幕府から警備任されてた土地をプロイセンに売ってでも支援者に引き込もうとしていたリアル売国奴ぶりを証明する史料が発掘されたw
“大政奉還後”に慶喜に面従腹背で龍馬達を狙う、大いにありうる権力亡者の小者だとおもうがね。
>>186 そんな逸話も近代だからこそ残り得た情報であって
殿様という立場からすれば中身は江戸初期・中期の大名連中と「五十歩百歩」だとww
英邁だ〜名君だぁ〜と漏れ伝わっているが「実は・・・」ってやつさ
「勝った」はいいが、もし仮に「負けて」いれば
長州の「そうせい候」も薩摩の「国父」様もどう思われたことかwww
>>160 大石鍬次郎が刑部省口書でも、
近藤勇以下、新選組自身が、
見廻組が下手人だと知っていた、だから下手人は新選組ではなく見廻組なのだ、
などと執拗に偽装工作してるんだな。
もしこれが偽装工作でなく真実であったならば、
新選組が見廻組による竜馬暗殺を隠蔽する必要性なんて全くないんだから、
むしろ嫌疑を晴らすためには見廻組の犯行だと聞いていると当初から正直に流布させるしかないわけだから、
明らかに新鮮組が真の下手人であるが故に偽装工作に失敗しちゃってるんだな。
勿論、偽装工作のために竜馬暗殺の大手柄を与えてもらった見廻組も
真の下手人だったらあり得ない矛盾を犯しながら内心大威張りでw偽装工作に失敗し続けてるわけだ。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 06:20:09.20 ID:KFvFekbn0
会津藩主の写真の顔を見て性善説をとるとか?例えば詐欺師がいかにも悪人顔をしていたら引っ掛かる人は減るんじゃねw
会津は、自藩内で領民に対して過酷な圧政を敷いて、会津戦争降伏後にヤーヤー一揆が起こってんだろう?
多くの領民にとっては、残虐な専制君主であり、そういう一面も持っていたんだよな。
幕末でなくても政治には陰謀や駆け引き等の権力争いが付き物だし、本気で黒幕が誰だか検討しているなら写真だけで判断して容疑者の一人として外さないだろ。
幕府の首脳陣に反対するグループが暴走して、正規の指揮命令系統から外れた暗殺部隊を組織していた可能性だってあるんじゃね。
必死なのは会津を守ろうと歴史とは関係のない誹謗中傷を繰り返す人間のほうだろ。
どうでもいいけどなんかバレてまずいことでもあんのかな。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 09:42:13.67 ID:rjLGGTeE0
見廻り組というのは旗本のボンボンで構成されていたらしいから、龍馬を暗殺したあの一隊は、
竜馬暗殺のために組まれた特別チームだろう。いわばチーム・ドラゴン。おそらく
何か月も前から訓練、計画されていたのではないか。今井もそのために江戸から特別召集されたのでは?
>>185 そんなことないだろ。
征韓論争とか西南戦争とか明治14年とか
龍馬がいたら歴史かわっていたのでは。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 12:22:45.70 ID:h8BQLPt00
>現に幕府側の命令書に、京都守護職の統括を記す命令書があるのだが
その命令書の出された年月日を教えてください。
>>191 変わらねーよw
龍馬じゃ大久保ら相手に政治闘争の場をひっくり返せねーだろ
まぁ梅毒で早死にだろうけが
>>190 なぁ〜殺害「場所」すら特定しないでどう訓練するの?て話
命令系統な話で進めるならば、カギはやっぱ「清河暗殺」じゃないのか?
これの有無によっては、佐々木→兄貴or「他」若しくは兄貴→藩主or「他」の例が出来ると
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 16:11:37.48 ID:9XT6nagR0
清川暗殺時は、彦根の井伊との関係が指摘されているが、
芹沢暗殺時は、松平容保の意向が前面に出てくる。
坂本龍馬暗殺時は、手代木が会津を代表して彦根に緊急協議を申し込んでいる。
要するに、大政奉還反対の急先鋒だった松平容保は、事件を直後から知っていたということだよね。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 16:15:36.98 ID:9XT6nagR0
>>183 それにしては、松平容保が暗殺犯でない証拠として、
藩主は手代木と意見交換など出来ないと激しく主張していましたが?
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 16:34:43.37 ID:9XT6nagR0
>>181 松平容保以外の犯人を求めているあなたの話に、未だかつてまともな部分はありませんでしたが?
どれもこれも過去に否定されている腐った検証と、藩主は清廉潔白という筋も考えない唐突な思い込みのみ。
反論がないどころか、あなたは論すら出していません。
明治の松平容保を知らないのでしょうか?
人を罵り危害を声高に嘯き、それでいて正義正義と周囲から囃し立てられて生きたあの醜悪な存在を。
>>197 >明治の松平容保を知らないのでしょうか?
具体的に資料を
あいもかわらず「あんた」は「藩主は清廉潔白という筋も考えない唐突な思い込みのみ」と書いておきながら
なんら具体的な資料を提示せず「〜あの醜悪な存在を。」と書きつらねる始末
仮に資料が存在しても、それが龍馬暗殺に「何故」つながるのか??
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 18:13:57.77 ID:9XT6nagR0
松平容保は清廉潔白に見えるから坂本龍馬暗殺なんてしない、という思い込みを訂正することもしないで、
他人には中傷を連ね、それでいて抗弁は禁じようとする。
あなたの心根が伺える文面、ありがとう。
そんなに松平容保の画像が清廉潔白さを証明するのなら、松平定敬の写真は病魔に冒された救いようもない
人格まで破壊された人間の像なのでしょう。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 18:27:29.08 ID:9XT6nagR0
好悪を謳うなら、松平容保の行動を記述する必要があるのです。
まず
>>186で列挙されていることは言うに及ばず、
西郷頼母の撤兵帰国懇願への再三の拒否
神保切腹の際の責任転嫁
天皇への恭順を宣言しつつ関東へ出兵し戦闘を続ける背信
藩内停戦派への追放処分
領内農民への徴発行為と一揆頻発への処刑行為
越後での会津藩の残虐行為
そして明治以降斗南藩への支援すら記録がないこと
東照宮での職務放棄と東京での贅沢生活
明治政府を呪う現行の数々と、それでいて華族としての体面の維持にかける執念
東北の鉄道や農地整備殖産工業事業には当時の薩長華族の名と共に松平定敬の名すらあるのに、松平容保の名はない不思議
松平容保はその行動によって明治を通じて鼻つまみ者でしたよ。
写真の容保、特に善人には見えんし
維新後の容保の写真とかいじけた目つきの爺さんにしか見えないんだがw
見廻組の生き残りは皆龍馬暗殺への関与を認めている。
実行犯は見廻組で問題なし。
容保がそこに関与した可能性はある程度考えられるが乏しい根拠で黒幕に断定しようとは思わないよ。
もちろん更に乏しい根拠である諸藩の様々な風説を根拠にしようなどとは尚更思わん。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 18:36:43.39 ID:yW215wee0
>>195 >坂本龍馬暗殺時は、手代木が会津を代表して彦根に緊急協議を申し込んでいる
過去レスにあの書簡は年度の記載がないから、何年の書簡だか不明、という指摘があったように思うが。
それに龍馬暗殺の件かどうかも分からないし。
とにかくID:9XT6nagR0が非常に激しく容保を憎んでいるということだけはよーく分かった。
195から199までほとんど全部君の書き込みだからね。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 18:40:40.95 ID:yW215wee0
>>194 訓練と書いたのは言葉の綾だよ。ようするに早くから準備、計画されていたのでは、
と言いたかっただけさ。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 18:59:17.91 ID:yW215wee0
さて、やっと「坂本竜馬を斬った男」が届いたので読んでいたら、アッと思った箇所があった。
今井の弟が真下菊五郎に宛てた書簡だが、ネットには載っていなかったことが書かれている。龍馬暗殺の理由である。
原因ハ若シ慶喜公ガ政権返上ノ建白書ヲ御採用ナキ時ハ、阪本ハ同志ヲ集メ隙ヲ見テ不用意ニ乗ジ討奉ルベキ決議ヲナセシトノコトアリ
これは竜馬が後藤象二郎に宛てた手紙の内容である。それを知っているのは後藤しかいない。
あるいは後藤が他人にも話したかもしれないが、後藤が暗殺に絡んでいるのはまちがいない。
日本史板の時から容保容保容保・・・
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 19:04:27.21 ID:yW215wee0
ついでにいうと「坂本竜馬を斬った男」の著者も容保はシロと見ている。
その理由は小松格氏と同じで、見廻り組は実際には京都守護職の配下ではなかっただろう、というものだ。
容保説の信者もこの本くらいは読んでいるはずなのに、なぜ容保黒幕説にこだわるのか。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 19:15:30.45 ID:yW215wee0
手代木の遺言にもこうある。
当時坂本は薩長の連合を謀り、又土佐の藩論を覆して討幕に一致せしめたるを以て、深く幕府の嫌忌を買ひたり
ここに「土佐の藩論を覆して」とあるが、土佐の反論を竜馬が覆したなどということを、土佐以外の誰が知っていたのか。
土佐が暗殺に絡んでいることはこれを見ても濃厚である。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 19:23:55.12 ID:9XT6nagR0
又根拠もなく戯言を連ね、他人を誹謗するか。
>その理由は小松格氏と同じで、見廻り組は実際には京都守護職の配下ではなかっただろう、というものだ。
これは再三史料で否定されているのに、又持ち出す文章には不正しか感じませんが。
土佐藩の藩論は第二次長州征伐後一変する。これの犯人探しを一会桑は行っただろうし、
寺田屋における坂本龍馬への捕縛失敗とその後の遺留品調査が、
土佐藩内の過激派としての坂本龍馬の存在を注目させたのは間違いない。
それを
>土佐が暗殺に絡んでいることはこれを見ても濃厚である。
と勝手に断定する根拠が見当たらないが、これも彼の思い込みの一つに過ぎない。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 19:37:57.23 ID:9XT6nagR0
>>204 この内容は維新土佐勤王史(大正12年)内にあると思うのですが?
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 19:56:18.58 ID:9XT6nagR0
今井弟の手紙は、はっきり言って
新米平隊士の今井と大目付が次代の政局へ対談したり、
公務なのに50両も使途不明金が今井に転がり込んだり、
大目付が平隊士に懇願して暗殺を依頼したりする、「僕のお兄ちゃんは偉い」以上に考えても仕方がない手紙なのですが、
今井本人の証言の、当時は新米平隊士だったので佐々木の指示を受けるだけだったという
記述の方が遥かに信用できるものとして認められているのが現状です。
下っ端では行動の自由がないので、上司の佐々木の意向が全てで、依頼を受けても達成できないのですよ。
今井弟の手紙は、兄の今井を大きく偉大に見せるための手法がきわめて稚拙です。
しかし彼にとってはこれが目的だったので、稚拙な尊大さを外せなかったのでしょう。
永井は変な所で出汁に使われたということになります。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 19:59:44.28 ID:9XT6nagR0
おっと、維新土佐勤王史の初版は大正元年でした。謹んで訂正いたします。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 20:07:56.62 ID:yW215wee0
>>208 >これは再三史料で否定されているのに
どんな史料があるんですか。小松氏も今井氏も、史料を検討したうえで、見廻り組は実際は守護職の配下ではなかっただろうと推測しているのです。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 20:12:42.59 ID:yW215wee0
>>209 残念でしたね。決定的に君に不利な証拠ですね、それは。
というのは今井弟のこの手紙は大正10年頃に書かれているのです。
大正11年に今井弟は死んでいるのです。死んでいる人間がどうして
大正12年に刊行された本を見れるのですか?
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 20:14:50.35 ID:yW215wee0
>>211 なるほど了解。ではわたしも213の意見を引っ込めます。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 21:33:06.03 ID:9XT6nagR0
暗殺当時の見廻役、小笠原弥八郎の証言では、坂本龍馬召捕方ノ儀ニ限ラズ、京都見廻組勤向ノ儀ハ佐々木只三郎全権ニテ、と
名義上の上司であったにもかかわらず、暗殺自体を知らなかった旨の答弁をしていますね。
そして松平容保から見廻組への依頼は、手代木直右衛門を経由する形で見廻組が有馬範顕を護衛したりと、これも前例があります。
大目付の松平勘太郎と永井尚志の両名は龍馬と親交があり、勝海舟の日記でも松平勘太郎に暗殺など知らないと回答を得た上で
目付の榎本に疑惑を向けています。彼ら大目付は命令者とは考えられていません。
すると、手代木直右衛門から佐々木只三郎へ坂本龍馬暗殺命令が伝えられたという考えが、一番もっともらしいとなるわけです。
第一、寺田屋遭難事件時の捕縛命令書は、京都守護職松平容保署名のものが発見されています。
あの捕縛は伏見奉行所に会津桑名藩兵が協力する形で行われましたが、これも命令の出所は松平容保です。
京都守護職が命令する立場にないという憶測は、成立する余地がないと思われます。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 21:34:03.47 ID:6+fQ0WJn0
「坂本竜馬を斬った男」の著者は目付の榎本対馬が命令者だとにらんでいる。
その理由の一つが、大目付は基本的に諸大名の、目付は旗本・御家人の監督に当たる役目だから、というもの。
これはなかなか論理的で納得できる。見廻り組は旗本が中心だったから、目付の配下で動いていた可能性がある。
で、その目付だが、榎本対馬のほかにもっと怪しい人物がいる。それは誰か。
昨日、ネットで見つけたばかりなので、また後で書く。ひょっとしたらその人物が真の黒幕かもしれない。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 21:44:39.45 ID:fbUciGKx0
>>215 >第一、寺田屋遭難事件時の捕縛命令書は、京都守護職松平容保署名のものが発見されています。
ソースは?
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 21:51:47.80 ID:6+fQ0WJn0
>>215 なるほど。君の意見で初めて非常に論理的で納得のいく議論を見た。
ただしわたしは有馬範顕の件と寺田屋遭難事件時の件は知らないから何とも言えない。
もし君の言う通りだとしたら、なるほどたしかに容保が命令した可能性はある。
ただしわたしは敢えて別の線も探ってみようと思っている。君の意見では永井は竜馬と親交があったと言っているが、
(今井氏もそう思っており、永井説は否定しているが)小松氏は永井を疑っているからね。
>>193 うん、黒幕の大久保さんにはかなわないわなw
古くから一番の同志親友である西郷さんと大久保さーの対立結果が政変と西南戦争。
西郷さんは下野する時、板垣や江藤と手を結ぶのを断ってる。
龍馬が生きてて出しゃばった所で何がどうなるわけでもないだろう。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 08:25:42.10 ID:2Sl1KknO0
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 12:45:43.20 ID:VAJSfWAa0
「坂本竜馬を斬った男」を読了。巻末に近江幸雄という人の今井信郎伝があって、その中で大坪草二郎という人の「国士列伝」が引用されている。
どこまでが引用だかよくわからないのだが、そこに、信郎の発する掛け声は「こりゃくそ」が癖であった、とある。
「こなくそ」とほぼ符合するから、斬ったのはやはり今井だろう。
さらに、京都守護職から賞状大刀を授かったこと、この事件に関わる幕府の関係者は永井尚志、榎本対馬である、と書かれている。
なんとなくあっけない結論である。実行犯は見廻り組、指示は大目付と目付、形式上は京都守護職配下なのでそこから賞状大刀が授けられた、ということか。
ともかく表面的にはほぼこのようなものだっただろう。
坂本龍馬は明らかに反体制の犯罪者。
殺人や外国資本の為強請集り。
(公務執行中の役人を殺傷、いろは丸は海事法無視で接触、まるで海上保安庁の巡視船に体当たりの漁船のよう。
アジア侵略で悪名高きマセソン商会が亀山社中の株主、越前や薩摩だけが株主ではない。)
貨幣偽造(対外的に金・銀の現物を格安のレートで流通させてしまう、欧米の植民地政策の一環。)
これはテロリストどころか売国行為。
当時坂本龍馬の行動を知っていた人で正義感と行動力を持っていれば暗殺しただろう。
現代人が坂本龍馬を英雄視するのは司馬遼太郎の小説、「龍馬が行く」の影響。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 14:26:28.64 ID:0ieUP+L+0
「寺田屋の件」にて、会津候が捕縛の承認をした以上は龍馬が捕まるまでは「有効」なはず
無論、その中には捕縛時に殺害もやむなし・・・くらいは入っていいとは思うし
新撰組・見廻共に配下なわけだから周知もしていたと
・・・んでも大概な暗殺理由はしごく「政治的」なんだわなぁコレ
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 17:12:29.97 ID:G3h7+1nJ0
しかし寺田屋(捕縛未遂)と近江屋(暗殺)の間には、大政奉還で永井と容保の屋敷を訪問したりしているんだよ。
これについては別の旧幕臣の日記などで永井との会見は確認できる。
捕縛命令が続いていたのなら、なぜ訪問したとき捕らえないのだ。
大政奉還の時点では捕縛命令は撤回されていたと考えるしかない。
しかし見廻組は襲った。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 19:58:17.85 ID:0ieUP+L+0
龍馬が容保と会ったという証拠はあるんですか。小松格氏はあんなのは偽文書だと言ってますが。
(あんなのとは寺田屋お登勢の文書です)
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 20:39:39.21 ID:G3h7+1nJ0
永井への面会が別の史料で確かめられる以上、並んで書かれている松平容保への面会も
ある程度以上は事実と考えるほうが良いと思われる。
小松の推察に根拠を感じない点の一つが、同じ文章の中の複数の事物について、
一方は確固たる事実と声高に叫び、もう一方は根拠のない偽物と叫んで止まない部分だ。
それと、永井に面会したのは事実なのだから、
寺田屋の時点の捕縛命令が生きていたのなら、この時点で永井は捕縛しないとならないのだよ。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 21:15:26.29 ID:jjRNG8sH0
捕縛しようと思えばできたのだが、土佐藩との謀議で、中岡もいるときに同時に殺してしまおう、と
計画していたので、そのときは捕縛しなかった、というのが小松氏の推理です。
想像を逞しくすれば、そのときに、ひそかに佐々木や今井らを物陰に潜ませておいて、龍馬の顔を覚えさせておいた、
とも考えられます。今井は最初の口述では、龍馬の顔も知らなかったと言っていますが、今井弟の書簡では
龍馬と対座してしばらく話しているようなので、実は竜馬を知っていた可能性があります。
>龍馬と対座してしばらく話しているようなので、実は竜馬を知っていた可能性があります
そこで一つ「疑問」なんだわな
今井?は果たして対座時に「二本指」を置いていたのか?てこと
ある程度の警戒心はあったはずであろう龍馬側が
刀を「そばに」置いて話をするのだろうか?てこと
少なくとも今井?とは初面識なハズだしね
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 21:58:39.68 ID:G3h7+1nJ0
推察がてんでお話にならないというか、
幕府内の徳川慶喜や板倉勝静・永井尚志が、幕府内の松平容保らの反対を押し切って大政奉還を行った理由は、
土佐藩に媚を売って、来るべき公儀政権における多数派工作をすることだ。
その大政奉還を実行しておいて、もう一方で坂本・中岡暗殺によって土佐藩に危害を与え、
土佐藩を薩長討幕派に接近させるのでは割に合わない。
現に坂本中岡暗殺後の土佐藩内では、後藤象二郎らが、暗殺阻止が出来なかった責任を問われて
薩長討幕派へ接近せざるを得なくなっている。山内容堂は徳川慶喜を支持したが、逆に言えば彼一人しか残らなかった。
坂本・中岡暗殺は大政奉還の意図を挫く効果しか生まなかった。
>>228 寺田屋七代目伊助(お登勢の長男)による「伏見寺田屋の覚書」
これによると、
「遭難の前日、亡母、密かに聞き込み候ことこれあり、手代寅吉と申す者に手紙を持たせ、
京都河原町の寓居に遣わし、下宿におられ候ことははなはだ危険につき、
速やかに邸内/土佐藩邸に移られしかるべくと勧め候ところ、阪本殿はその使いに返事され申さるる様は
『過日、永井玄蕃頭・会津肥後守等に面会し、今は何も憂うることなし、安心せよ』
とのことにて候。しかるに、あにはからんやこれぞ果敢なき最後の名残とあいなり、
亡母は千秋の遺憾とは実にこのことなりと、始終嘆いたし候」
と、書かれている。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 23:03:02.64 ID:jjRNG8sH0
>>231 その点に関しては
>>116で紹介した小松氏のブログを見てください。
小松氏は、永井玄蕃さまの使いで参りました、と言って龍馬らを油断させたのだろうと推理してます。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 23:12:45.66 ID:jjRNG8sH0
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 23:27:42.55 ID:G3h7+1nJ0
>>235 それは、後藤ら藩内公武合体派が、坂本龍馬暗殺後、薩長討幕派に迎合するようになる理由の説明としては無意味だ。
坂本龍馬暗殺は、土佐藩の後藤らを薩長討幕派に追い立てる結果となった。
この事実を考えず、大政奉還を進めた幕府内の人間が同時に坂本龍馬に命を奪ったとする意見は、理由説明になってない。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/28(木) 23:49:39.93 ID:G3h7+1nJ0
大政奉還の徳川慶喜から見た意味は、
幕府から、全国諸侯の構成する会議へ政権を移すことを確約し、
全国諸侯の支持を得ようとする行為ということになる。
全国諸侯の支持を得て、晴れて徳川慶喜は新政府首班となる、はずだった。
もちろん大政奉還の薩摩から見た意味は、
幕府から政権を奪い、旧幕府を自らと同じ位置まで引き摺り下ろす部分にある。
あとは朝廷を管制下に置けば、自らに政権が転がり込む。
歴史は、後者が実現したと伝えている。
全国諸侯の招集は、徳川慶喜がいくら宣言しても乱世への関与を恐れた諸藩が代表を送らず、全く実現しなかった。
大政奉還によって徳川慶喜が同盟者として得たはずの土佐藩では、
坂本・中岡暗殺と、大政奉還に反対の立場の旧幕府旗本らの敵対行為で震え上がり、
一方では藩内で暗殺を防げなかった無能さを糾弾され、後藤や福岡らは山内容堂一人を置き去りにして薩長討幕派へ急接近するに至る。
大政奉還は、諸藩代表の召集に失敗し、土佐藩を薩長に接近させてしまったので、
薩摩の意図する、幕府が政府の資格を喪失し、朝廷に名義上の政府が移るという結果だけを残した。
旧幕府内の大政奉還反対派が、大政奉還で徳川慶喜が得るはずの土佐藩との協力関係を踏み潰してしまった。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 00:50:28.85 ID:98dPbXsd0
>>236 君は何か勘違いをしている。235で紹介した鏡川伊一郎が示唆していることは、
龍馬の暗殺には土佐藩が関与しているだろうということだけであって、
幕府内のどの勢力が加担したかということは言及していない。
>大政奉還を進めた幕府内の人間が同時に坂本龍馬に命を奪ったとする意見
わたしはそんなことは一言も主張していない。どこをどう読めばそんな解釈になるのか分らない。
とにかくわたしには、君が何を言おうとしているのかがよく分からない。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 01:01:35.42 ID:LXnD8Q9+0
ほう、
>>230と
>>235は別人が書いたという主張を始めましたか。
>>230で声高に主張した永井犯人説は一転放棄、というわけですね。
旧幕府内でも、大政奉還に賛成だった人に坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけるのは、無理ですよ。
放棄したいのならその旨、引っ込めます、という弁明が必要です。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 01:14:52.33 ID:LXnD8Q9+0
私は
>>232で、君の
>>230における永井犯人説はありえないといっている。
それに対して君が
>>235で、土佐藩だろ、だろ、賛成しろよ、と回答したのなら、
君の
>>235は論点すり替えのはぐらかしでしかない。
永井が犯行を命令する可能性があるとする傍証を君は示せない。
逆に、大政奉還推進と坂本龍馬暗殺は幕府内では互いに敵対する事象だと私は言った。
要するに君の永井犯人説は、現時点では放棄ですな。
藩内では龍馬襲撃の責を問われた後藤ら・・・・という「一方」で
襲撃直後は「冷淡」だった藩邸の対応
ふ〜〜む?
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 02:56:30.41 ID:LXnD8Q9+0
何をもって冷淡と批評しているのかわからない。
・土佐藩邸に坂本竜馬は隠れなかった
=大政奉還が徳川慶喜の政策となり、坂本は身の安全を確信していた
+土佐藩邸に入れば未だ下級郷士であり、山内容堂に面会を許され、後藤象二郎と政局を語るなど藩邸内では困難
・事件後の救助と捜査は薩摩藩中心で、次いで海援隊、土佐藩からは谷干城あたりの参加、福岡は逃げた
=寺田屋のときからそうだった。ちなみに寺田屋事件は長幕戦争の後で、坂本龍馬はこの時点既に海援隊設立で土佐藩を頼っていた
・葬儀に現れない人間が多かった
=暗殺の恐怖による逃亡(後々福岡のように人生をゆがめた例あり)
永井が暗殺命令?
「もう僕とこ遊びに来るな、立場がやばくなるだろ」って哀願が聞き入れられずぶち切れた?
危険思想がやばいと思った?
ありえないな。
>>233 > 『過日、永井玄蕃頭・会津肥後守等に面会し、今は何も憂うることなし、安心せよ』
龍馬は、会津が、薩長は勿論、越前や土佐と比べても、どのくらい遅れている謀略好きな藩か、
失念していたんだろうね
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 10:12:51.77 ID:7iaHyN7j0
239、240へ
君はどうしてそんなに理解力がないのか。わたしは別に永井説を放棄したわけではない。
小松氏も鏡川氏も暗殺には土佐が関与しているだろうと考えているのだ。で、
小松氏は幕府側としては永井が関与していると考えているのだ。そして永井は表面的には開明派だと
思われているが、実際はそうではなかっただろうと推理しているのだ。
244
の人もそうだが、君らは永井は開明派だったという、そのへんの学者の本に書かれていることを鵜呑みにしているだけである。
永井は実際はどういう人間だったかなんて誰にも分らないではないか。
西郷だって情け深い人だったという人もいれば、陰謀家だったという人もいる。
先入観、思い込み、常識、というものを捨ててかからないと真相は見えてこない。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 10:21:21.12 ID:7iaHyN7j0
とにかく政治状況の分析ばかりしていても真相には辿り着けない。
コロンボや古畑のように細かいことからこつこつと調べていかなくては一歩も前へ進めない。
今井が松代藩と言ったのはなぜか。そういうことをひとつひとつ調べていかなければならない。
もっとも、われわれは素人だからそんなことをやる暇も金もないのが実情だが。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 12:43:49.69 ID:nvmAn7aM0
さてわたしは竜馬が殺される理由を考えてみた。
幕府 政治的理由+犯罪者処罰
会桑 政治的理由
薩長 政治的理由
紀州 いろは丸事件の報復
土佐 政治的理由+いろは丸賠償金横取り+感情的理由(同じ藩であるがゆえの嫉妬、憎悪、怨恨…)
ざっとこういうところか。政治的理由と感情的理由は同じじゃないか、という批判もあるだろうが、
同じ藩であるゆえ、政治的信条は同じでも裏切るということがあるから、敢えて別とした。
これで見ると最も多くの動機を持っているのは土佐と幕府である。
ゆえにわたしは両者の共同謀議であると推理する。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 16:50:42.83 ID:YKvZi8+m0
とはいえ紀州説も一理あるんだな、これが。
というのは「こなくそ」というのは伊予方言だとされているが、伊予の西条藩は
紀州藩の支藩なのである。だから西条藩の藩士が関与していた可能性もある。
それに、今井の判決は当初「私に龍馬等を殺害せし」となっていたのを児島維謙の
再度の取り調べにより公務執行に変更になったのだという。つまり暗殺から公務執行に変わったのだが、
児島惟謙というのが愛媛県の宇和島藩の出身なのだ。何か関係がありそうな気が…
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 17:24:43.77 ID:YKvZi8+m0
ところで鏡川氏のブログを見れば、佐々木多聞の密書はやはり密書であって、
佐々木はスパイだったと考えるのが妥当だ。そこで例の
殺害人の姓名まで相分り、これにつき薩藩の所置等、種々愉快の義これ有り
という文だが、鏡川氏はこれは三浦休太郎のことだろうと推理しているが、わたしには疑問である。
誰のことかはわからないが、この文は、
それについて薩摩の処置はいろいろトンチンカンなところがあって愉快だ
という意味ではあるまいか。つまり薩摩は犯人も知らずトンチンカンなことをやっている、
と嘲笑しているのではあるまいか。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 17:29:11.07 ID:YKvZi8+m0
あるいは、姓名が分かったので、薩摩が慌てふためいているのが愉快だ、という意味かもしれない。
とすればやはり薩摩藩士も関与していたということになるのだが…。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 17:34:09.09 ID:LXnD8Q9+0
板倉勝静・小笠原長行・永井尚志の三名は、江戸表や会桑などによる体制再委任運動の際、
政局主導権をとるための必要な処置なのだ、として大政奉還に肯定的な意見を述べた数少ない人間です。
逆に言えば、旧幕府首脳部内で大政奉還に賛成したのは、徳川慶喜を除くとこの三名くらいしか見当たらなかった。
この頃、旧幕府が京都の政局で主導権をとるには諸藩、その中でもまずは土佐藩を味方にするのが目先の目標となるわけで、大政奉還はそのための餌でした。
大政奉還に積極的な人間が土佐藩を襲い、坂本や中岡らを暗殺し、後藤や福岡らを暗殺目的で付け回すとは考えにくいのですよ。
暗殺の動機ならこの三人や松平勘太郎など以外の旧幕府内の全てに、暗殺の手段なら当時京都の治安を統括していた松平容保などに有り余るほどあるのに、
わざわざ当時大政奉還をやろうとした人を犯人に仕立てようとするのには、無理があります。
中村彰彦の小説では、史料上薩長に同情的な発言があった人を、別の件で証拠もなく犯罪の真犯人とする記述が目立ちますが、
小松の憶測も似た心理状態に囚われた結果なのではないか、と他人事ながらペンを歪めた罪を指摘せざるを得ないのです。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 20:52:21.86 ID:OJ9aWmHFO
>>249 なら尚更今井に罪をなすり付ければ良いよね。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 21:29:07.61 ID:E2z6qF1r0
>>252 なるほど、まったく尤もな説だと思う。しかしやはり教科書的な、図式的な見方だとも思うのである。
君の論理はこうだ。永井=ハト派、龍馬=ハト派、ゆえにハト派がハト派を殺すはずがない、と。
しかしハト派にも程度があるのだ。永井らは、まさか新政府から徳川家が除外されるなど夢にも思ってないから、
いやいや、しぶしぶ、仕方なく、賛成しただけである。
龍馬もそうだ。一応ハト派だが、戦争に備えて土佐藩に武器を入れているし、中岡の陸援隊も戦闘訓練をしている。
だから、永井からしてみれば(こやつ、口ではどんな理想論を唱えておっても、最後は幕府を倒すつもりじゃろう)
と思いながら聞いていただけかもしれない。小松氏も永井は頑健な幕権論者だったと推測している。
つまり人物像を見誤れば、それだけで真相を見誤ることになる。だから、とにかく一応、すべての人物を疑ってみる必要がある。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 21:59:22.63 ID:XkycNgAV0
そもそも龍馬の大政奉還案は土佐藩案とも違うし
龍馬は大政奉還建白で兵を上洛させて、幕府が聞かなかった場合
建白兵に討幕を勅下させ討幕軍に切り替える2段式倒幕だったし
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 00:04:53.74 ID:XeaeU3jo0
>>254 >君の論理はこうだ。永井=ハト派、龍馬=ハト派、ゆえにハト派がハト派を殺すはずがない、と。
嘘を書いては困ります。板倉も永井も函館まで転戦した主戦派です。
あなたはそこも考えずに、「坂本龍馬を一時的にも支持した人は全てハト派だから気に入らない」、
と勝手に主張しているだけでしょう。
単に、私が挙げた人間はこの時点で大政奉還を支持し、土佐藩を自陣営に取り込もうと狙っているだけのことです。
この状況で、土佐藩に危害を与えて薩長の側に追いやる暗殺や暗殺未遂が坂本・中岡・後藤・福岡らに襲い掛かったのですから、
これらの犯行は彼らの当時の考えとは相容れず、松平容保ら大政再委任を進めた側だっただろうということです。
相手の意見を完全に捻じ曲げて、嘘を他人の意見として紹介して叩くとは、あなたの精神を推し量られるというものです。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 00:20:56.85 ID:XeaeU3jo0
小松の意見が正しくないと思われる理由のもう一つは、
永井は頑健な幕権論者だったから坂本龍馬を殺したはずだ、と主張している部分です。
しかも、永井を単純な幕権論者と呼ぶことにも違和感を感じます。
彼は大政奉還によって、徳川慶喜を首班とした公儀政権が成立することを期待していました。
彼は徳川慶喜を中心とする人々による権力の維持は狙ってはいましたが、
幕府という統治形式やしきたりにこだわっていたわけではありません。
元将軍・徳川慶喜ら旧幕府勢力の権力を維持しようとすることと、坂本龍馬の命を狙うことは一致しません。
現に徳川慶喜も、大政奉還によって諸侯の政治参加を認め、彼らの支持を得る形での政権の維持を狙っていたわけですから。
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◎未払い分があると契約解除できないと言ってくるが、未払いと契約解除は全く別問題。未払い分は後から払うで問題無し。
◎とにかく強気で対応する。
今までに確実にわかったこと。
見廻組説をいまだに完全否定できていないような低能丸出しの曲学阿世の輩どもが何を言っても有害無益の徒労、ということ。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
○○○
慶喜が仕切ることを認めた龍馬・容堂。認めなかった薩摩・岩倉。
わがままは、龍馬の罪。それを許さないのは薩摩の罪♪
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 09:26:44.08 ID:slncYwXd0
256、257のひとへ。
>あなたはそこも考えずに、「坂本龍馬を一時的にも支持した人は全てハト派だから気に入らない」、
と勝手に主張しているだけでしょう
これが何を言おうとしているのか、わたしにはさっぱり理解できない。わたしはそんなことを言った覚えはないのだが。
しかし、まあいい。それ以下の文章は理解できるから。
たしかに君の言うとおりだ。しかしそれなら、犯人候補はほかにもある。薩長もそうだ。
それに、坂本と中岡の暗殺だけに限っていえば、土佐も怪しい。だから、君の主張しているような、
幕府側の大政奉還反対勢力だけが怪しいわけじゃない。だからこそ、薩摩説なども出てくるわけだ。
それにわたしはべつに永井説にこだわっているわけでもない。君のように、何が何でも容保を犯人に
仕立て上げようと思っているわけではないのだ。それだけは言っておく。
坂本龍馬の考えは「新政府綱領八策」に書かれてる。
強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス。権門貴族モ貸借スルコトナシ
新政権に反対する者は徳川とて討伐するという意味。
容堂の賛同を得て後藤が幕府に提出した大政奉還建白書には、薩土盟約で合意した将軍職廃絶及び将軍辞職の条項が無いばかりか、船中八策の「有名無実ノ官ヲ除クベキ事」の条項さえ無いのである。
しかも後藤の話の節々には、容堂の考えとして、諸侯会議の議長に慶喜を据えるという策さえ読み取れるのである。
龍馬の真意を後藤は全く理解していない。
否、表面的に理解していたとしても、慶喜に将軍辞職を逼ることが最大の目的である船中八策を自分の都合の良い様に曲解し、その後藤が容堂に説いたのだから、
基本的なところで龍馬の方策と食い違うことは当然であった。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 09:30:24.09 ID:slncYwXd0
>>259 面白い説だと思って興味を持っている。
で、見廻り組の犯行ではないという根拠は何かを示してほしい。
冗談ではなく、本気で訊いているのだ。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 09:37:42.66 ID:slncYwXd0
小林久三が「竜馬暗殺−調査報告書」というのを書いているが、彼はどういう説なのだろう。
知っている人は教えてください。わたしはまだ読んだことがないので。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 09:41:02.96 ID:slncYwXd0
それと近藤勇が逮捕されて尋問されたが自白しなかったという話はどこに載っているのですか。その史料は?
近藤は、じつは自供したが、土佐と薩摩がそれを揉み消したということは考えられないか。
大政奉還建白合意の「薩土盟約」で、
「一. 将軍職ヲ以テ天下ノ万機ヲ掌握スルノ理ナシ。自今宜ク其職ヲ辞シテ諸侯ノ列ニ帰順シ、政権ヲ朝廷ニ帰ス可キハ勿論ナリ。」とされてる。
後藤の船中八策は龍馬の案から毒見を抜き、徳川に都合よく不利を切り捨てた案である。
後藤は兵の上洛合意すら破った。薩摩が後藤に怒るのも無理はない。
強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス。は当然王政復古に反対する徳川勢力をみなしてる。
○○○は慶喜ではなく、容堂などを盟主から避ける文に過ぎない。
新政府綱領八策は船中八策大政奉還後に作られている。
大政奉還で達成出来た部分は削除され、
強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス。権門貴族モ貸借スルコトナシ
有名無実ノ官ヲ除クベキ事
と肝心な部分が強く強調されているのはその為である。
>>263 既に説明されてるんだがなぁ
真犯人の下手人は大和十津川の郷士を名乗った。それを意味する「名札」を見せて。←中岡慎太郎証言
見廻組は信濃松代藩の者(武士)と名乗ったと主張。「松代藩と書いた手札」を見せて。←今井信郎の近畿評論等
これで見廻組説はあり得ず、見廻組に責任転嫁するための偽装工作が指令されていたことが自動的にわかる。
ただし、手柄を横取りされた格好の新撰組からは偽情報が見廻組に流された。
勿論、この偽装工作を指令したのは会津藩!となる。ならざるを得ない。手代木直右衛門の証言(偽証)。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 12:30:08.93 ID:Frl+OTlo0
>>268 よくわからない説明だ。見廻り組の仕業に見せかけるためになぜ松代藩などの偽情報を流さなければならないのか。
十津川郷士のままでもなんら不都合ではない。
要するに君の意見は、会津藩が、容保に無断で、新選組に指示したという説か。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 12:32:17.96 ID:Frl+OTlo0
で、266、267さんは結局どういう説を支持しているのですか。
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 12:44:39.48 ID:Frl+OTlo0
268さんへもうひとこと。
十津川郷士ということと新選組とは何の関係もない。
谷らが犯行は新選組と考えたのは残された鞘と「こなくそ」の発言からだ。
下駄のことは谷は何も述べていない。下駄から新選組の犯行と想定したわけではない。
いずれにせよ、十津川郷士という情報は新選組とは何の関係もない。
ゆえに君の論理はまったく的外れ。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 12:48:55.22 ID:Frl+OTlo0
268さんへもうひとこと。
君は中岡の証言を正しいと信用しているみたいだが、
中岡の証言は谷が語ったことであって、正しいとはかぎらない。
あくまでも谷が講演で語ったことなのである。もしかしたら松代藩のほうが正しいのかもしれないし、
鳥取藩の記録にある木村様というのが正しいのかもしれない。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 12:51:56.36 ID:Frl+OTlo0
ついでにいうと、木村様というのは木村芥舟のことだろうとわたしは推測している。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 13:04:21.39 ID:Frl+OTlo0
ついでにいうと、松代藩というのは佐久間象山のいた藩であって、竜馬も中岡も象山と会っているから、
べつにいいかげんな思いつきで言った藩名でもないと思える。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 15:22:00.44 ID:IRtL1T/NO
菅直人の辞任のように、
嘘を並べて松平容保が犯人ということへの言及を避ける姿勢
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 15:32:56.24 ID:IRtL1T/NO
>>261 松平容保への嫌疑を避けるために他人に罪をかぶせようとしても、
他人へのぬれぎぬは、容保の人格を傷付けるだけですよ。
特に旧幕府大政奉還派や土佐藩への嫌疑は根拠に乏しく、
被害者を加害者に仕立てないと嫌疑が晴れない重罪人を思わせます。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 18:43:07.20 ID:W2J7NwWV0
275、276
読んで思わず笑ってしまったよ。どうしてそんなに容保にこだわるんだろうねぇwww
では、まあ容保だということにしておこう。はい、黒幕は容保です、容保にまちがいありません、容保は悪い奴です。
これでいいかしら?
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 18:44:56.85 ID:W2J7NwWV0
最近は君と僕ばかりで、他の奴が参加しないから面白くないな…。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 18:47:32.31 ID:IRtL1T/NO
根拠のない嫌疑をそこら中に撒いて、
松平容保サマだけを守ろうとする姿勢は卑怯の極みだ。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 18:57:18.82 ID:W2J7NwWV0
松平容保様は絶対に黒幕ではない。これは僕の一種の勘だ。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:04:03.59 ID:W2J7NwWV0
議論に刺激を与えるために、わたしは新説を提示する。といっても君らはとっくに知っている説だと思うが、まじめに検討している人は少ないだろう。
まず史料を上げておく。もちろん君らにとっては既知だろうが。
坂本龍馬は、土州藩なり。すこぶる勤皇家にして国の為に尽力せし人なり。
この人は暗殺せられたり、誰からという事分からず。
さりながら風聞によれば、一橋中納言(慶喜)の用人に原市之進という者あり。
すこぶる寵を得て周旋家たり。親王、関白へも毎々出入りをなし、賄賂などを
用いるもっとも策士なり。
この人、密かに誰かに命じて龍馬を暗殺せしと言う。真偽は保証しがたい
わたしはこの原市之進という人物が怪しいと思う、幕府側の黒幕として。理由はまた後で書く。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:04:46.34 ID:IRtL1T/NO
新説を気取っているのに、中身は既にゴミ箱行きの過去の俗説ばかりだから、
会津好きの人間も見放したのだろう。
少しは研究成果を検索してみると良い。
小林辺りの推論がどう断罪されているか、どこに欠陥があると指摘されているか調べると良い。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:09:10.62 ID:IRtL1T/NO
原の死亡日時と坂本暗殺日時を比較してみよ。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:14:27.12 ID:W2J7NwWV0
君らとちがって僕は基礎史料を読んだ上で発言しているわけじゃないのだ。
勉強しながら、同時進行で書き込んでいる。その点は大目に見てもらいたい。
それと過去に既に否定されているからといって、まちがっているとはかぎらない。
否定した方がまちがっているかもしれないからね。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:19:24.08 ID:W2J7NwWV0
原が三か月前に死んでいることは春嶽だって知っている。知っている上でそう書いているのだ。
生存中に「龍馬を見つけ次第暗殺せよ」と命じていたことは十分考えられるじゃないか。
後任の榎本がその遺志を継いで、永井と共に実行したのかもしれない。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:30:53.60 ID:W2J7NwWV0
では原市之進が怪しいと思われる理由を書いておこう。
1 いくつかの暗殺事件の黒幕と目されている人物であること。
2 目付だった。そして見廻り組は実際は目付の指示で動いていた可能性があること。
3 友人には佐々木只三郎が居り、彼を通じて見廻組に倒幕派の暗殺等を依頼していたと云われていること。
この3の理由がとくに重要だ。これは手代木の証言とリンクしている。佐々木に指示したのは原だったかもしれないからだ。
原の生存中に佐々木は原から竜馬を討つように命じられていた可能性があるのだ。
どうだ、すばらしい新説だろう!
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 19:55:17.60 ID:XeaeU3jo0
ああ、あっさり指摘されて強弁へ退避。
原市之進の死は大政奉還の直前で、松平容保が大政奉還の前日まで大政奉還を知らず、
仰天激怒天を突く勢いだったことを考慮すれば、
原暗殺の時点で幕府内に大政奉還を推進する空気は乏しかったと思われます。
大政奉還は、政権に参加させろと薩摩や有力諸侯が要求しているだけで、
当時幕府内には推進する気配がなかったわけです。
大政奉還を、土佐藩や他の全国の諸侯を徳川慶喜の味方に取り込むための道具
として使おうと考えたのは、もしかしたら原市之進だったのかもしれません。
しかし原が将来に何を構想していたとしても、暗殺によって原の計画は消滅しました。
原を暗殺したのは同じく旗本の二名だったことが判明しています。
徳川慶喜に悪しき謀略を吹き込むから殺したのだそうです。
それと、板倉や小笠原、永井が坂本を暗殺した可能性は他の旧幕臣よりもかなり低いですよ。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 20:12:12.55 ID:XeaeU3jo0
どうにかして松平容保以外の人間にどうしても暗殺命令を出させようと足掻く姿勢が滑稽。
原が旗本に暗殺されたのは大政奉還より前なので、大政奉還を理由にした後藤や福岡への脅迫と
関連付けることは出来ません。
しかも、大政奉還で旧幕府にとって土佐藩との関係強化が切望されているときに、土佐藩要人を狙うとは。
大政奉還を原が推進したのなら、原にとっても坂本は生かすべき人間でしょう。
大政奉還を原が拒否したのなら、大政奉還の邪魔になる計画は徳川慶喜や永井らは放棄するでしょう。
つまり、大政奉還に反対する人、例えば松平容保とかが原の暗殺遺言?とやらを得ていた場合のみ、その計画は遂行されるのですが、
でもそれって大政奉還に反対していた人、例えば松平容保本人の意思と何が異なるのでしょう?
遺言の存在とやらを仮定しても、松平容保自身の強い暗殺意思だということを隠す詭弁以上のものではないですよね。
だが、この問答も昔あったような気がする。
過去の事例を踏まえず新説と謳っては過去の放棄された説を拾ってくるから、
問答も過去に類例があるものになってしまう。
いい加減、過去の説について、どう否定されたかも含め、検索してみてくれないだろうか。
会津大好きの荒らしとやらも、君にはきっとあきれているよ。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 21:37:54.25 ID:yePD2Wif0
287〜289
君は竜馬が暗殺されたのは竜馬が大政奉還を進めたからだと信じているからそんな議論をするのである。
龍馬の暗殺と大政奉還とは何の関係もないことかもしれないではないか。
今井が見廻組に召集されたのは5月。その頃から竜馬暗殺メンバーを選出していたと仮定すると、
その頃の目付は原だ。だから原は、大政奉還などとはまったく無関係に、早くから竜馬暗殺を考えていたかもしれない。
ついでにいうと、大政奉還を延期させたのは、原が慶喜に、いま大政奉還するのは得策ではない、
とかなんとか進言したとかいう話を読んだ気がする。記憶があいまいで申し訳ないが。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 21:45:52.66 ID:yePD2Wif0
ついでに書くけど、どんな説だって完全には否定されていない。
君は否定されていないのは容保説だけだとでも言うのか。
薩摩説、紀州説、土佐説…。どんな説もまだ完全に否定されているわけではない。
実行犯だって見廻り組説が定説だが、それだって100%正しいとは限らない。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 21:49:58.24 ID:XeaeU3jo0
「昔の人はこういいました、だからそのようにしましょう」という表現は、
今、そのことを唱えている人がそうしたいと思っている、という意思表現に他ならないです。
今そんなことをしたくないのなら、先人のそれに類する言行なんて無視して絶対語りませんから。
ですから遺言説は、遺言を掲げる人の意思だという事実を表面上隠蔽するための詭弁話法以上のものにはならないわけです。
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 22:12:41.81 ID:XeaeU3jo0
本来は大政奉還は、幕府勢力及び幕府を乗っ取った一会桑にとって全く利益がないものです。
一方的に政権の根拠を奪われ、朝廷が絶対上位者だと認めることになる内容ですから。
しかし徳川慶喜は、土佐藩の斡旋を受け大政奉還に踏み切りました。
大政奉還を実行した理由は、政権参加権を餌に、諸侯を徳川慶喜の支持層に変えようという狙いでした。
つまり、大政奉還を実行したなら、徳川慶喜はこれを道具に土佐藩を始めとする諸侯を味方に取り込まないと
すっかり当て外れ、とんだ一方的な譲歩になってしまうわけです。
坂本と中岡の暗殺、そして後藤や福岡などへの暗殺を意図したとされる脅迫や旧幕府関係者の不穏な徘徊が
土佐藩を薩長討幕派へ接近させる結果となり、また全国の諸侯が動乱への関与を嫌い代表を送らなかった時点で、
大政奉還は徳川慶喜にとっては大失敗になりました。
つまり、大政奉還を実行する意思があるなら、坂本や中岡を暗殺なんてしないんですよ。
大政奉還は徳川慶喜にとって、土佐藩を味方にする道具なんですから。
大政奉還に反対の立場からしか、坂本や中岡の暗殺なんてやらかさないわけです。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 22:41:09.52 ID:yePD2Wif0
292、293
だから、何回も言うが、土佐藩は一枚岩となっていたわけではない。ゆえに、
土佐藩が暗殺を行っても不思議ではない。それと、
何回も言うが、大政奉還が理由で龍馬が暗殺されたとはかぎらない。それと、
何回も言うが、永井が勝や大久保一翁のような開明派だったかどうかは疑問。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 22:52:46.09 ID:yePD2Wif0
龍馬と中岡が殺されたのは、大政奉還とは無関係に、とにかく
幕府にとって二人は討幕派と映ったからだろう。
今井の証言でも手代木の遺言でも大政奉還のことなどは触れられていない。
手代木の遺言では「土佐の反論を覆し、倒幕に一致せしめたるにより」となっていて、
事実とはまったく逆の認識が語られている。竜馬は大政奉還論者だから殺されたのではなく、
倒幕論者だから殺されたと手代木は語っているのだ。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 22:53:22.27 ID:XeaeU3jo0
旧説を出してくるときは、旧説が何故退けられたかを踏まえ、
排斥された理由を上回る根拠を示すことが必要です。
それ無しに「私が思いついた新説」として提示されても、過去と同じように排されるだけです。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 23:03:02.19 ID:yePD2Wif0
原市之進説を誰が唱え、どんな理由によって否定されたかは知らない。しかし、
現在わたしが提示している理由が否定されるいわれはない。
その証拠に、君もまだわたしの説の反駁に成功していないではないか。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 23:08:01.45 ID:yePD2Wif0
原説の根拠
1 いくつかの暗殺事件の黒幕と目されている人物であること。
2 目付だった。そして見廻り組は実際は目付の指示で動いていた可能性があること。
3 友人には佐々木只三郎が居り、彼を通じて見廻組に倒幕派の暗殺等を依頼していたと云われていること
4 今井が見廻組に召集されたのは5月。その頃から竜馬暗殺メンバーを選出していたと仮定すると、
その頃の目付は原だ。だから原は、大政奉還などとはまったく無関係に、早くから竜馬暗殺を考えていたかもしれない
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 23:11:52.56 ID:XeaeU3jo0
時期が問題なのです。
史実では、坂本・中岡の暗殺と後藤・福岡への旧幕府恩顧の刺客の徘徊によって
旧幕府は土佐藩を味方に取り込むことに失敗してしまいます。
徳川慶喜ら旧幕府内で大政奉還を支持した人にとって、
大政奉還は、土佐藩を始めとする諸侯を自陣営に取り込むための、「政権参加権」という餌でした。
(政治参加権なんて餌に跳び付く政治好きは、徳川慶喜や島津久光、松平容保や京都に集まった少数の諸侯とかの特殊な人達だけで、
大抵の諸侯は動乱に身を投じる危険を考え、権限のある代表や軍勢なんて京都に送らなかったんですけどね。
これは徳川慶喜自身が政治好きだったので、諸侯の意思を誤認したのでしょう。
上手の手から水が漏れる、相手も自分と似た心や将来構想を持っているという誤解ですね。)
大政奉還に賛成なら、旧幕府にとっては土佐藩を是非味方に取り込みたい局面なんですよ。
ですから大政奉還を推進しているなら坂本や中岡の暗殺なんてしないわけです。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/30(土) 23:18:34.74 ID:XeaeU3jo0
>>297 >>292参照。
強制力のない遺言は、実行したいと思う人がいないと成就しませんし、
それは、実行したいと思う人の意志と何ら変りません。
つまり、
永井尚志あたりが暗殺命令を遺言として聞いていても、大政奉還の邪魔になることを実行なんてしないし、
松平容保あたりが暗殺命令を遺言で聞いて実行しても、それは大政奉還に反対の立場だった松平容保の意思でしかないわけ。
坂本龍馬って前にも一回殺されかけてるじゃん
日本史に疎いからよく知らんけど
案外同じ連中かもよ、案外
永井は後藤の話を聞き龍馬の話も聞いてる
後藤の話(慶喜が新政府の中核)に期待し、徳川を害する龍馬は過激で邪魔と見た可能性もある
容保に至ってはさらに反対だったからなあ
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 00:09:47.90 ID:59kXRqGM0
旧幕府が坂本・中岡ら土佐藩重要人物を暗殺してしまえば、旧幕府は土佐藩と同盟が出来ない。
つまり当時、大政奉還を餌にした土佐藩との提携締結に期待していた徳川慶喜・板倉勝静・小笠原長行・永井尚志あたりは
暗殺命令者からは外したほうが良いだろう。動機があったとすれば、松平容保ら大政奉還に反対の立場の人々ということだ。
尤も、徳川慶喜や板倉勝静あたりは病的な門閥主義者だったから郷士出身の坂本など消したかった、とか書かれると、
そうかいそうかいと言うしかないが、この場合は門閥主義で当時必須の土佐藩との提携を逃した大馬鹿者ということになる。
大政奉還は、京都にやってきていた一部の諸侯、尾張や越前、土佐や安芸を、徳川慶喜が味方に引き入れる餌にはなったはずだった。
現に安芸は大政奉還発表後、薩摩と提携した武力討幕には急に消極的になってしまった。
しかし彼らは、全国の諸侯による会議の一人という位置では満足しなかった。
その結果が王政復古だった。これら一部有力諸侯の要求は、当時権力の中枢にいた会津桑名の排除だった。
この両藩を外し徳川慶喜の地位を弱めた後なら、公儀政権を自らの発言の場として使えるという判断があった。
薩摩はこれら諸侯を反会桑の立場から焚き付ける一方で、
更に、徳川慶喜も含めた一会桑全ての全面排除を目指し、長州を自軍の一部として京都に引き入れた。
ここに鳥羽・伏見の戦いが発生する状況が生まれた。
徳川勢力の排除は龍馬も薩摩もまったく同じである
大政奉還を文久でいち早く唱えた幕臣大久保一翁も徳川家を駿河・遠江・三河の一諸侯に降ろし
政治参加から離脱すべしとする大政奉還論だから
龍馬の政治路線は勝よりも西郷と大久保一翁の影響が強い
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 01:35:02.66 ID:59kXRqGM0
坂本自身の政論は、幕府勢力への武力討伐にあったと思われる。
ゆえに次政権構想で徳川慶喜が首班になるだなんて、一語も書面に記していない。
大政奉還による公儀政権成立の構想は、徳川慶喜や山内容堂、板倉勝静や永井尚志が勝手に見た夢だ。
大政奉還のもう一つの側面は、薩摩が希求したもの、幕府を政権の座から引き摺り下ろすことにあった。
坂本らは実はこちらを意図していたと私は思っている。
坂本や中岡らは大政奉還と同時期に、薩土盟約締結と土佐への武器供給、乾(板垣)退助ら尊王攘夷派への討幕思想の教化にあたっており、
土佐藩を更に討幕色に染めていった。
しかし、既に坂本も中岡も土佐藩中枢にいた。彼らを旧幕府が殺してしまえば、旧幕府と土佐藩との提携など無理だ。
しかも、坂本・中岡の暗殺と相前後して、旧幕府関係者が後藤や福岡ら土佐藩要人を付け回し暗殺の機会をうかがっていたのだから、
土佐藩が旧幕府の味方になどなれるわけがない。現に坂本・中岡暗殺後、後藤ら土佐藩公武合体派は容堂を除き薩長討幕派に急接近してしまう。
>>269 アフォだね
見廻組が自分たちの手柄であるかのようにどんなに威張ったところで、
竜馬暗殺が新選組の手柄であることがわかる人にはわかるように仕組んだんだよ、新選組は。
新選組は会津藩よりも遙かに悪賢いってことだね。
>>291 見廻組説だけは既に完全否定されてるんだよ
>>307 お前の脳内妄想では完全に否定された事になってるんだなw
>>272 > 君は中岡の証言を正しいと信用しているみたいだが、
> 中岡の証言は谷が語ったことであって、正しいとはかぎらない。
何故?
1.大和十津川と信濃松代藩を一体どうやったら取り間違えられる?
そんなことを言い始めたら、全ての歴史資料の信用性が全くのゼロになってしまう。会津人(幕府方)独特の異常な卑劣さ!というしかない。
2.そもそも土佐藩が龍馬・慎太郎暗殺の首謀者でない限り、谷が偽証する必要性は全くないが、
土佐藩の積極的関与の証明が現段階でも全く不可能。(しかも、状況証拠的には大いに考えられるのに、というおまけ付き)
会津藩が龍馬・慎太郎暗殺に積極的に関与していたことが100%確実なのに比べると、否、比べなくても、土佐藩に対する悪質な冤罪ということにならざるを得ない。
従って、現段階で中岡証言(谷証言)を疑うこと自体が二重にキチガイ沙汰。
つまり、中岡証言(谷証言)が間違っている可能性は 二 重 に あり得ない。
3.その上で、仮に土佐藩が龍馬・慎太郎暗殺の首謀者であった場合でさえ、
土佐藩が新撰組に暗殺させたという場合は、中岡証言は『土佐藩が新撰組に暗殺させた』ということをそのまま意味するので、偽証はあり得ない。
土佐藩が見廻組に暗殺させたという場合は、土佐藩がその見廻組を抹殺することに全く不熱心だったという大矛盾が残り、これもあり得ない。
よって、中岡証言(谷証言)が間違っている可能性は 三 重 に あり得ない。
>>306の訂正
自己レスだが、
> 新選組は会津藩よりも遙かに悪賢いってことだね。
この件に関しては、龍馬暗殺の手柄を不当に新撰組から奪おうとした会津藩がそもそも悪いな。
新撰組としては、ちゃんと調べれば見廻組の手柄ではあり得ないことがわかるように仕組んだだけ、だからな。
横暴な会津藩に一矢を報いただけの、一種のイタズラみたいなもんだからなw
谷の講演での中岡の変名・・・・・・「石川」
樋口真吉日記・・・・・・「横山兄如何」
さてさて?
やったの見回組だろう。
新撰組自体、見回組が坂本をやったのを褒めてる。
あれは見回組の仕事と証言してる。
見回組自体はやったのは俺と自白してる。
中岡は襲われた立場でとっさの事、谷証言に間違いある可能性もある。
大和十津川と信濃松代藩も生き残った側でなく死んだ他が人間が名乗ったかも知れない。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 09:43:43.69 ID:jUj6NuXy0
>>309 君の論理は最初から狂っている。特に1。谷が語ったことと、今井が語ったことが異なっている。さてどちらが正しいでしょうか。
どちらが正しいとも言えるはずがない。おまけに鳥取藩の記録では木村様となっているのだ。
どれが正しいかなんて分かるはずがないじゃないか。
2と3もそうだ。土佐藩が関与していたとしても谷はそれを知らなかったのかもしれないではないか。
それに谷の講演には別の意図があったのかもしれない。「竜馬を斬った男」の著者によればそれは
一種の土佐キャンペーンとして行われたと推測されている。さらに鏡川氏は谷はほんとうは土佐(?)が
関与していることを知っていて、その真相を見抜いてほしいと聴衆に示唆しているのだ、と推理している。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 09:50:45.63 ID:jUj6NuXy0
>>309 >会津藩が龍馬・慎太郎暗殺に積極的に関与していたことが100%確実なのに比べると
そんなのは確実でも何でもない。
>土佐藩がその見廻組を抹殺することに全く不熱心だった
具体的にどのようなことを指しているのかさっぱり分らない。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 17:28:59.50 ID:opT/Hdc60
さて「龍馬を殺したのは誰か」という本を読んだ。初めて見る史料もあって参考になったが、
黒幕永井説を裏付ける有力な情報を得た。竜馬の書簡の中に、寺田屋で竜馬が襲われた理由を
松平勘太郎が述べている箇所がある。それによると大目付の某が、竜馬は徳川家の為にならぬから
殺すように指示したのだという。で、当時の大目付を調べたら永井尚志なのである。
尤も、永井の他に三人いるが、やはり怪しいのは永井だろう。これで永井黒幕説がますます強くなった。
ちなみに著者の相川氏は松平定敬説である。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 17:37:28.85 ID:59kXRqGM0
坂本龍馬の寺田屋遭難事件は、土佐藩による京都幕府当局への大政奉還提案の前なのだが。
時間軸を適当に捻じ曲げて、自説が正しいと言ってみても、つじつまは合わない。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 17:53:48.90 ID:59kXRqGM0
寺田屋における幕吏による捕縛未遂、幕吏射殺と自身の重症逃亡、薩摩による保護移送の後、
坂本龍馬は大政奉還の実務提案者として、土佐藩代表の形で在京都幕府首脳部と折衝を重ねることになります。
その幕府側代表者の中には永井や松平容保の姿がありました。
この時点で、坂本龍馬の政治的な立場は表面上一変しているわけです。
徳川慶喜らが大政奉還に積極的になった理由は、諸侯を味方にする道具として
大政奉還のもたらす諸侯の国政参加を利用できるという読みがあったからでした。
旧幕府にとって、大政奉還を実効あるものにするためには、土佐藩を敵にするのは良くありませんね。
永井は大政奉還に乗り出した関係上、他の旧幕府要人よりは坂本龍馬暗殺には手を出しにくい状況なのですよ。
そんな人より、大政奉還に全面反対し撤回を運動した松平容保の方が、よっぽど暗殺命令者たる要件を備えているのですけどね。
>>313 キミ、いくら何でも、オレの論理よりは具体的な根拠ある論理で説明してよ。
鳥取藩の木村様 がいい加減で信用不可な情報らしいということしかわからない。
そもそも鳥取藩のような、勤王の志士たちから相手にされなくなった日和見藩では、正確な情報を入手することは不可能だろう。
> 土佐藩が関与していたとしても谷はそれを知らなかったのかもしれないではないか。
> 鏡川氏は谷はほんとうは土佐(?)が関与していることを知っていて、その真相を見抜いてほしいと聴衆に示唆しているのだ、と推理している。
どっちなんだ? オレの推理の遙か手前で自分の低能ぶりをサラしているだけでは話にならんがな・・・・・
> >会津藩が龍馬・慎太郎暗殺に積極的に関与していたことが100%確実なのに比べると
> そんなのは確実でも何でもない。
( ゚Д゚)ハァ?
新選組・見廻組どちらでも会津藩が龍馬・慎太郎暗殺に積極的に関与していたことが100%確実。
(会津藩が関与していなかったのなら、新選組・見廻組どちらでもさっさと処罰していたはず。)
その上、手代木直右衛門の証言(偽証)からも会津藩が龍馬・慎太郎暗殺に積極的に関与していたことが100%確実。
> >土佐藩がその見廻組を抹殺することに全く不熱心だった
>具体的にどのようなことを指しているのかさっぱり分らない。
門外漢の妄想狂はいい加減、ひっこんでてくれよ。みっともない。
土佐藩は鳥羽伏見の戦いすら闘おうとしてなかったし、
戊申戦争後もつかまえた新撰組隊士は処刑しても、捕まえた見廻組は今井信郎でも放免。基本知識だがな。
龍馬慎太郎暗殺に土佐藩が関わっていたとすると、
土佐藩に放置された見廻組が下手人などという可能性は更に絶対にあり得ない、ということにならざるを得ない。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 18:56:43.87 ID:83pyoLFo0
>>318 1 鳥取藩の情報が不正確だという証拠はどこにもない。
2 谷のことはパス。
3 実行隊の構成は江戸からの参入者とか地元京都所司代からの参加者ばかりで会津藩とは無関係。
>(会津藩が関与していなかったのなら、新選組・見廻組どちらでもさっさと処罰していたはず。)
これが何を言おうとしているのかさっぱり分らない。
4 新選組隊士は幕臣ではなく、見廻り組は幕臣。ゆえに前者は処刑され後者は処刑されなかったというのが小松氏の説。
この説に文句があるなら小松氏に言ってください。わたしは小松氏の説に賛成。
日和見だから正確な情報が得られないって・・・・・・・??
の根拠てなに?www
あと、会津は確かに積極的であった事は認めるが
「暗殺」に積極的だったという根拠は?
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 19:07:59.61 ID:83pyoLFo0
>>318 書き忘れた。手代木の証言は某諸侯といっているだけであって、会津藩などとはひとことも言っていない。
その遺言の記録者も桑名候だろうと言っているのであって会津候などとは言っていない。
どうしてそう先入観ばかりで物を考えるのだろうね。それでは探偵になれないよ。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 19:15:41.01 ID:83pyoLFo0
316、317
君はあいかわらず大政奉還ばかりで竜馬暗殺を考察している。
315でわたしが指摘したのは既に寺田屋事件のときから竜馬を殺せという
指示が大目付から出ているということだ。つまり竜馬は大政奉還などとは無関係に、
幕府にとって好ましからぬ人物として狙われていたということだ。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 19:26:02.27 ID:83pyoLFo0
要するに暗殺の黒幕は、幕府側としては
1 永井玄蕃
2 松平容保あるいは松平定敬
だろう。これに土佐とか薩摩がからんでいるかどうか、それが問題。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 19:31:17.65 ID:83pyoLFo0
幕府側の単独犯行とすれば公務執行だが、土佐とか薩摩、紀州がからんでいると暗殺である。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 20:32:23.09 ID:XOmUtUC10
龍馬が永井と面談した折「屋敷の周囲に君の命を狙いし者が
多勢存在するので警戒するように」と永井より忠告されているじゃん
幕府上層部は龍馬を利用した方が徳川の御為になるとし
現場は捕縛、殺害を志したんじゃね?
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 20:41:55.75 ID:XOmUtUC10
寺田屋事件当時の龍馬は徳川にとり謀反人じゃん
けど大政奉還時は徳川にとって利用価値が発生したんじゃね?
徳川が薩長に対抗する上で龍馬は使える奴なんじゃね?
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 20:53:38.03 ID:1LyeDSyC0
>>325 実行隊が暴走したという説か。しかし公務執行なら暴走して殺してしまってもその場からは逃走しないのではないか。
>>326 それが正しければ幕府以外の藩が黒幕ということになる。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 20:59:40.09 ID:1LyeDSyC0
318にもうひとこと。
明治2年に、旧幕府時代の殺傷罪について、それが私闘による場合は罰するが、
公務執行によるものなら罰しないという法律ができた。
新選組の場合は私闘とみなされたので処刑され、今井は公務執行とみなされたので処刑されなかった。
相川氏の意見である。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 20:59:58.68 ID:XOmUtUC10
幕吏2名を殺害した竜馬を
土佐藩がお咎めなしつーのもおかしくね?
普通幕府から土佐藩へ捕縛要請があるよね?
容堂は佐幕だから龍馬を許すってなくね?
幕府ー土佐藩ー土佐横目付ー暗殺で通常じゃね?
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:05:51.07 ID:59kXRqGM0
>>322 ますます論理外れもいいところだ。
君の見解では捜査対象となった人間が警察署に出向いても、誰も捕まえないのに
後で自宅を襲うことになる。
大政奉還時に永井や松平容保と坂本龍馬が会見したことが、君の意見では省略されてしまっている。
都合の良いときだけ引用し、別の場面では正反対のことを語りこの時は引用を避ける。
小林の意見があてにならない理由も、このご都合主義にある。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:15:34.60 ID:59kXRqGM0
>>322 君自身に対しては、すっかり君の意見が錯誤である事を指摘されていながら、これは無視し、
他人に対しては、意見は正しいとしながら論理も出さず不十分だと主張するとは。
君の意見でまともなものは、このスレが立ってから一度も書かれたことがないのを不憫に思う。
異説を出したいのなら、何故その異説が否定されたのかの論理も踏まえて、新たに納得させる考察を組む必要がある。
君の意見には、一度もそのようなものがない。
松平容保の犯行以外の既存説を話しては、袋叩きにあって他人へ不平を言い立てるのみなのか。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:20:03.41 ID:1LyeDSyC0
>>329 >容堂は佐幕だから龍馬を許すってなくね?
この意味がいまいちよく分からないのだが。
容堂は佐幕だから竜馬を許さない、という意味なら分かるのだが。
あの時期、容堂としては佐幕の姿勢を示しておく必要があった。しかし、竜馬はあいかわらず
幕府に疑われかねないような行動をしているし、中岡も陸援隊を率いている。おまけに
幕府からは竜馬の捕縛要請がある(?)。そこで容堂としてはこの二人を処分して、
幕府に恭順の意を示しておく必要があった、と考えることもできる。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:22:43.60 ID:XOmUtUC10
松平容保と坂本龍馬が会見したて資料に見当たらないよね。
寺田屋覚書だけじゃん
永井と会見は資料に示されてるよね
序列として後藤と容保の会見が存在すべきじゃん
後藤が容保と会見してたら龍馬との会見も信憑性があるじゃん
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:25:17.78 ID:1LyeDSyC0
>>330 わたしは必ずしも幕府単独犯行説に立っていないのである。土佐との共謀だと考えている。
だから、永井や容保との会談のときに捕縛しなかったのは、中岡もいるときに一緒に
殺害してしまおうという計画だったと推理しているのである。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:26:13.31 ID:XOmUtUC10
>>332 容堂は佐幕だから竜馬を許さない、という意味です
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:27:05.64 ID:1LyeDSyC0
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:32:46.07 ID:1LyeDSyC0
ついでにいうと、手代木の某諸侯だが、手代木がどうしても口にできない諸侯がもうひとりいる。
土佐藩主だ。なぜなら維新後、土佐県権参事としておまんまを食わせてもらっている。
その恩があるからどうしても言えない。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:52:55.32 ID:1LyeDSyC0
ところでわたしはいま加治将一の「龍馬の黒幕」という本を読んでいる。
トンデモ本だと思っていたが、いやー面白い。とくに竜馬は藩公認の情報収集人だった、
という視点は目からウロコが落ちる思いがした。全部読んだらまた感想を書こう。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:57:02.25 ID:59kXRqGM0
>>334 ますます論理が外れている。
旧幕府と土佐藩が共同で坂本竜馬を殺した場合、旧幕府は実行犯になることが出来ない。
史実では、坂本・中岡の暗殺後、土佐藩内から両名の暗殺を防げなかった京都の藩邸(後藤・福岡ら)への糾弾が相次ぎ、
その上、旧幕府関係者の刺客による脅迫や周辺徘徊が相次ぎ、京都の土佐藩邸からは要人が逃亡、
あげくの果てに公武合体という政治指針を失って、薩長討幕派の意見を土佐藩がコピーするまでに右往左往することとなった。
旧幕府と土佐藩公武合体派が提携するために坂本・中岡を殺したのなら、
土佐藩内で始末しないと、両者の関係が破綻してしまうし、史実でもそうなった。
事実上、山内容堂の上意による粛清しか、こちらの方向での手段がない。
そして、旧幕府内の反大政奉還勢力の跋扈と、大政奉還を進めて人間への脅迫という、当時大きく記載されている事象を
殊更に無視する行動でもある。中村彰彦あたりは大政再委任運動自体を無視するが、これは歴史を直視できない故なのだろう。
坂本と中岡の暗殺時までは、後藤や福岡ら土佐藩内公武合体派は我が世の春を楽しんでいた。
薩摩では既に、旧幕府内の大政奉還に反発する不穏な空気を察知し、要人の京都退去が始まっていたのに。
土佐藩公武合体派は、大政奉還によって公儀政権の先鞭となり、
徳川慶喜ら旧幕府首脳との良好な関係を維持できると見込んでいた。
坂本と中岡は公武合体派に大政奉還提案を行い、この功績で土佐藩の最重要人物の一人に変貌していた。
一方、討幕主義が土佐藩の下級兵士を中心に浸透し、その頂点には土佐藩兵を統括していた乾退助がいた。
そして、旧幕府勢力内の誰かが、彼ら土佐藩の全てを襲った。
公武合体、つまり大政奉還を推進した人々の犯行の可能性は薄い。何故なら彼らは土佐藩との提携を求めていたのだから。
すると容疑者として残るのは、大政奉還に反対した松平容保らになる。
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:59:45.40 ID:1LyeDSyC0
ところで松平容保の関与をほのめかす史料は二三あるが、会津藩士の関与を示す史料はないのでは?
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 22:12:17.44 ID:1LyeDSyC0
>>339 しかし容保は大政奉還の大義を理解していたと慶喜公伝にある。藩士は反対だったが。
それに慶喜は大政奉還に賛成しているのに、大政奉還を推進した竜馬を殺すことは、容保にしても、
慶喜公の意に反することであるからできないだろうし、慶喜公に対して礼を失することである。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 22:41:04.44 ID:59kXRqGM0
>>341 「慶喜公伝」の会津藩の話は、会津藩関係者(山川?)からの聞き取りです。
「京都守護職始末記」の中の、松平容保が大政奉還に賛同した、という記述もありますが、
これも著者は山川で、しかもこれらは同時代の複数の史料と正反対の記述です。
「丁卯日記」(松平春嶽側近)
手代木の話として、手代木も藩主松平容保と同じく大政奉還に絶対反対するとの記述
「魚水実録」(板倉勝静側近)、川路聖謨書簡にも、京都からの便りとして松平容保が大政奉還を聞いて怒り狂った旨の記述があります。
復古記や岩倉具視の書簡はご存知でしょうね。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 22:50:47.17 ID:1LyeDSyC0
>>339 土佐藩の大政奉還の建白を慶喜公は受諾したのだから、あの時期、土佐の藩士を殺害するのは
慶喜公への反逆である。ゆえに容保がそんなことをするはずがない。それは永井にしても同じである。
ゆえに黒幕は幕府以外である。論理的にはこうなる。土佐にとっても不利である。ゆえに土佐ではない。
すると薩摩か紀州である。しかし薩摩にしても有利だという人もいれば不利だという人もいる。
では紀州か…。要するに政治的な損得ばかりを考察しても分らないのである。考えようによってどんな説明でもつくのである。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 22:56:49.00 ID:1LyeDSyC0
>>342 慶喜公伝は史料が明記されているが、今日図書館に返却してしまったので確かめようがない。
また明日にでも確かめてこよう。ついでにいうと岩倉の書簡は信用できないらしい。あの人は
言質を取られないよう、日記にも嘘を書く人だったらしい。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 22:58:36.69 ID:59kXRqGM0
>>343 しかし、大政再委任運動は、坂本龍馬が暗殺された時点における旧幕府の主流なんですよ。
徳川慶喜と、大政奉還に賛同意見を出した数人の旧幕臣を除き、旧幕府は大政奉還を拒否していた。
その、大政奉還に反対した旧幕臣の代表格が、松平容保です。
松平容保以外に坂本龍馬暗殺命令者を探しても、いくら考えても袋小路なんですよ。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 23:00:45.43 ID:59kXRqGM0
>>344 >岩倉の書簡は信用できないらしい
根拠不明。岩倉が怪しいなら、虚言と文中の明白な虚飾嘘が判明している勝海舟の日記など、何も引用できません。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 23:17:37.94 ID:59kXRqGM0
>>343 坂本・中岡暗殺実行犯が見廻組隊士であることは、
現在では各種史料及び当事者らの証言によって、ほぼ間違いないとされています。
見廻組を事実上指導していた組頭の佐々木が行った暗殺事件ですので、
旧幕府内以外に暗殺命令者が見当たりません。
先に述べたように、大政奉還は徳川慶喜の実行したことであり、板倉や永井は大政奉還を支持していました。
坂本・中岡の暗殺及び、その前後の旧幕府内の反大政奉還勢力による、土佐藩への脅迫・暗殺をほのめかす徘徊によって、
徳川慶喜らが狙っていた土佐藩取り込みは、無残な失敗に終わります。
つまり、坂本・中岡暗殺犯は、旧幕府勢力内で、徳川慶喜ではない、板倉でもない、小笠原でもないし、永井でもない。
すると大政奉還に強硬に反対していた、松平容保らに絞られてきます。
>>338 龍馬のフリーメイソン本で有名なアホ作者かw
トンデモ本に手を出す前に幕末通史の本でも読んだら?
特に慶応3年の政局を俯瞰的かつフェアに捉えたやつ。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 00:15:35.05 ID:cOW/a0hY0
土佐藩への配慮から暗殺したんだろ
公務なら堂々とやって名乗ってるだろう
後藤はともかく龍馬は邪魔と見た
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 08:37:29.13 ID:c4WoDV+B0
>旧幕府関係者の刺客による脅迫や周辺徘徊が相次ぎ、京都の土佐藩邸からは要人が逃亡、
>坂本・中岡の暗殺と相前後して、旧幕府関係者が後藤や福岡ら土佐藩要人を付け回し暗殺の機会をうかがっていた
無知をさらけだすようで申し訳ないが、これはほんとなんですか?
1 後藤や福岡も命を狙われていた。
2 京都の土佐藩邸からは要人が逃亡。
3 それは幕府側からの脅迫や暗殺を恐れてのことだった。
とくに3が重要。その証拠はありますか。内部(土佐藩)からの脅迫や暗殺を恐れたのではないですか?
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 08:43:05.92 ID:bBNzDi9WO
ほんとに無知
後藤や福岡自信の証言あり
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:02:01.17 ID:c4WoDV+B0
351
だから無知を恥じたうえで訊いているのですよ。ところで
その史料は何ですか。自分で調べてみようと思うので、もしよければ教えてください。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:05:43.05 ID:c4WoDV+B0
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:12:46.00 ID:bBNzDi9WO
>>353 鏡川をソースにした時点で、幕府へ本心を語らないと書簡で示しているから書簡もウソという奇怪な見解披露になっている。
ソースが腐っている。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:25:03.83 ID:c4WoDV+B0
354
なぜ奇怪なのかちっとも分らない。なぜそんなことまで性急に否定しようとするのか分らない。
ソースは中山忠能宛て書簡である。鏡川氏のブログはその書簡を見た鏡川氏の判断である。
その判断がまちがっている、と言うのなら分かるが、ソースが腐っていると言うのはおかしい。
このソースを歴史学者が引用したなら君だって信じるのだろう。要するに君の発言は
小説家に対する差別発言である。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:28:48.85 ID:bBNzDi9WO
双方の自伝
他に復古記や同時代の日記あたりをみるべきでしょうね。
薩摩陰謀説を主張する人々が掲げた、西郷隆盛は坂本暗殺を喜んだ説書簡(改変による捏造が判明)も、
その禁治産者の意図的な省略を外すと、坂本暗殺事件後に後藤らが独自行動を止めて薩摩に従うようになったのは不幸中の幸い、という意味の書簡ですし。
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:38:30.71 ID:bBNzDi9WO
>>355 鏡川は坂本暗殺事件では捏造じみた否定された意見しかしていません。
あれの意見はほぼ間違いと私は判断しています。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 09:48:46.94 ID:bBNzDi9WO
>>355 この場合のソースとは、あなたに妄想を吹き込む鏡川と小林などのことです。
両名の過去を考えると、恣意的な拾い読みや一つの推論中の同じ史料の同じ事象への否定と肯定、文章上の不正が山のように出てきます。
信用できない人です。
>>348 龍馬が日本進出を狙うイギリス資本の手先になっていた可能性は十分にある
事実、アメリカ南北戦争の早期終結で余剰した武器弾薬は
龍馬の介在によって日本に売却され、日本の内戦で消費された
これは俯瞰的かつフェアな客観的史実だ
龍馬と外国資本との関連性を指摘すると、誰もかれもフリーメーソン説と
つなげてトンでもと一笑に付すが、フリーメーソンかどうかなんてことは
そもそもこの話の本旨ではない
アヘン戦争を起こしたジャーディン・マセソン商会と坂本龍馬がJM商会
長崎代理店長のトーマスグラバー(JM商会社員)を介してつながっていたという
俯瞰的かつフェアな客観的史実を問題にしている
龍馬暗殺の黒幕は、西郷隆盛じゃないの(´・ω・`)?
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 12:40:19.14 ID:U1hG0pxD0
加治将一「龍馬の黒幕」を半分ほど読んだ。いまのところトンデモ本という感じはしない。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 12:44:01.45 ID:U1hG0pxD0
ところで351さん、史料を教えてくださいよ。自分で読んで納得すれば、
君の説に賛同するのに吝かではないつもりだ。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 12:56:51.17 ID:U1hG0pxD0
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 14:01:29.66 ID:7TU/7hvu0
>>319 > 鳥取藩の木村様
って 正 確 に は 誰のこと?
>>321 バカ杉
手代木直右衛門自身が会津藩側用人
>>325>>326 禿同
新選組にしても見廻組にしても幕藩体制終わったらお役ご免で死活問題だからな
>>347 > 坂本・中岡暗殺実行犯が見廻組隊士であることは、
> 現在では各種史料及び当事者らの証言によって、ほぼ間違いないとされています。
> 見廻組を事実上指導していた組頭の佐々木が行った暗殺事件ですので、
> 旧幕府内以外に暗殺命令者が見当たりません。
>>347は、この4行以外は同意できる。上記4行はケネディ暗殺犯からオズワルド説を排除できない低脳どもと同程度。
黒幕とは云わない・・・・がしかし、後藤・福岡・佐々木等の土佐藩重臣ら
それ以外の土佐関係者が「何も」手記を残していない?てのが不思議
当時の藩の方針と私的な日記等の記述には何ら影響はなかったに思うのだが
どうなんだろ?
追記
すまん土佐藩関係者は何人かは残していたね、それ以外な親しいものたちだ
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 15:14:22.27 ID:bBNzDi9WO
>>362 >>536は目に入らない不思議な目
土佐藩関係者は土方も谷も板垣もその他の大勢も坂本に関しては回想や手記は残したが、無いという主張が始まるか。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 15:19:59.91 ID:bBNzDi9WO
>>356の誤りだな。
それにしてもまともな史料探しもせず、小説の一節を西郷隆盛の自白と書くとは。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 16:50:14.29 ID:/SVghBIn0
>>365 木村芥舟のことだと思うが、不明。
>>366 そんなことくらい誰でも分かる。手代木は会津藩士だが実行隊には会津藩士はいない。
佐々木も元会津藩士だが、そのときは幕臣。
>>337も参考にせよ。短絡的に物を考えるな。そういう人間を単細胞というのだよ。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 16:59:27.22 ID:/SVghBIn0
さて、永井玄蕃が大政奉還に乗り気ではなかった史料を見つけてきた。
「徳川慶喜公伝 4」のp101に、
老中板垣と会津藩手代木に松平春嶽が説得し、永井玄蕃と渋沢成一郎らは中根雪江が説得した、
と書かれている。つまり永井は大政奉還に反対だったわけだ。
だから永井が暗殺指令を出したことは十分ありえる。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 17:08:00.51 ID:/SVghBIn0
加治将一「龍馬の黒幕」を4分の3ほど読んだ。依然としてトンデモ本だという感じはしない。
>>371 嗚呼、書き方悪かったな〜
余りにも近親だったやつらが「淡泊」すぎる感想だなってことだわ〜
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 17:56:59.74 ID:bBNzDi9WO
>>374 それはまた日付がおかしい。
板倉と永井は慶喜の大政奉還表明の意思を前日に聞かされて、
撤回も含めた対応を協議したものの、中根らの説明に合意し賛同に転じている。
中根は次いで会津の小野らにも説明したが、会津の大政奉還撤回という藩論が堅く不調に終わっている。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 18:13:37.35 ID:bBNzDi9WO
>>373 >>337は全く参考になりません。
京都で会津を代表して外交文書を書き、列藩同盟では同盟本部の白石詰会津代表、鶴ヶ城開城時は会津側代表者が、
明治後は牢屋暮らしの末に県の課長ですよ。もし松平容保の意思に反した裏切りをやったのなら、報酬としては割に合わない。
つまり手代木は松平容保に忠実だったわけです。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 19:21:03.93 ID:aUUXJF8O0
>>377 たしか大政奉還後の記事だったように思うが、また図書館で確認しておく。
いずれにしろ、いやいやながら賛成したのだろう。
>>378 >もし松平容保の意思に反した裏切りをやったのなら
この意味が分からない。それに新政府に最後まで反抗した人間が
新政府の職に就けたのだから、それだけでも感謝する必要がある。
割に合わないというのはあくまでも君の判断にすぎない。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 19:30:32.28 ID:aUUXJF8O0
>もし松平容保の意思に反した裏切りをやったのなら
なぜこれの意味が分からないかというと、土佐藩に依頼されて竜馬を殺すことは、
べつに容保を裏切ることでも何でもないからだ。なぜなら君らは容保が
龍馬を殺したがっていたと主張しているのだから。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 19:36:32.30 ID:aUUXJF8O0
新政府は旧幕府の罪人を、一に慶喜、二に容保、三に定敬とした。
手代木はその容保に仕えた男。本来なら新政府には任官できないような人間。
その手代木が土佐県の課長としておまんまを食わせてもらえた。
十分感謝しなければいけない。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 20:06:41.08 ID:iF9AZ9f/0
>>379,380
それ自体、仮定が成立しない。
坂本と中岡がこの時期に殺された場合、土佐藩は旧幕府との提携は不可能になるし、事実そうなった。
大政奉還後、旧幕府側の大政奉還を撤回させようとする人々が土佐藩らを暗殺や脅迫の標的に選んだ結果、
旧幕府側はこれらの諸侯を味方に取り込む多数派工作に大失敗をすることになる。
このすぐ後、暗殺に怯えた土佐や安芸だけでなく、尾張や越前まで
王政復古の形で会桑の排除に乗り出したのは、
大政奉還後の旧幕府、それも会桑を中心とした大政奉還を嫌悪する集団の、
脅迫や徘徊が凄まじかったというのも理由にある。
尾張や越前らの諸侯は、大政奉還で権力を得ようともくろんでいた。
会桑らの進める大政再委任が行われては、せっかくの政権参加の芽が消えてしまう。
会津の大政再委任運動が、土佐藩の薩長への擦り寄りだけでなく尾張・越前まで王政復古に踏み切る要因となったことについて
会津側の反省の弁は、未だに聞こえてこない。
大政奉還の方向性のままなら、これらの藩への徳川慶喜の多数派工作も
効果を挙げたのではないかとも思うのだが、ものの見えていない部下が足を引っ張った例だろう。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 20:23:07.25 ID:iF9AZ9f/0
>>380 君は愚にも付かない山川浩の明治以降唱えた説で、容保サマは大政奉還に賛成でした、と主張し、
数々のその他の事件当時の記録で正反対だったことを指摘されると、口を濁して話題を変えてしまっている。
つまり君のこの文は、君が話せる抗弁としての用件を満たさない。
そして、もし君が、手代木の命令は松平容保の命令だ、というのなら、
それだけで、暗殺命令者が松平容保だと認めたも同然になってしまうのだが。
何しろ、暗殺実行犯が見廻組で、本来の上司の見廻役らは犯行を知らないと言い、
見廻組の実行犯である佐々木の実の兄、会津藩公用方の手代木が犯行の顛末を知っているのだから。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 20:35:30.12 ID:iF9AZ9f/0
松平容保が大政奉還に激烈に反対した、という学会の通説に、
君も同意するというのなら、抗弁足りうるのだけどね。君はそれを認めずに逃げた。
だから私は、手代木と松平容保との間に意思齟齬があったのかを君に問うためにこう書いた。
そして君の回答の
>>380は、過去の君の言動と正反対だ。
君の説に合わせて設問を設定したのに、君は
>>380で学会通説に従った回答をしたね。
では君は、どちらが正しいと思う?大政奉還に松平容保は賛成だったのか反対だったのか、どちらと思う?
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 21:14:25.08 ID:iF9AZ9f/0
手代木直衛門は松平容保に忠実だった。
この命題を認めると、見廻組の佐々木らが龍馬暗殺を実行したことを手代木が明確に知っていたところから、
松平容保も龍馬暗殺が見廻組の犯行だと明確に知っていた、と考えるしかなくなる。
何しろ、坂本と中岡の暗殺は、その後の旧幕府勢力による大政再委任目的の種々の不穏行動と併せ、
大政奉還で徳川慶喜が土佐藩ら諸侯から得ようとしていた支持を、吹き飛ばしてしまったのだから。
大政奉還を用い、諸侯の支持を確保することは、当時の旧幕府の最重要課題だ。
これを木っ端微塵に引き裂いた坂本暗殺が、最重要事件でないわけがない。
手代木はこの話題について松平容保へ報告する義務がある。
そして松平容保は見廻組を動かす上位者だった。
暗殺事件について知っていて、実行の可否について命令を出せる上位者なのだ。
事前に知っていて命令を出せる当事者、ほら、この場合松平容保は限りなく犯人に近い存在、もう犯人そのものだ。
そのため、松平容保を暗殺命令者にしたくない人間は決まって、容保と直衛門の間は意思疎通はないし、
あったとしても反逆したに違いない、と言い習わしてきた。
両者の関係は、会津好きの人々が一番触れたくない話題の一つとなってきた。
手代木の意思は松平容保の意思にかなうものだった。
このことを認めただけで暗殺命令者が松平容保になることを、君は知るべきだ。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 21:45:05.72 ID:h7HM089Q0
手代木が暗殺の内情を認識してたから命令の伝達者だつーのが
意味が分からない
手代木は佐々木から聞いただけかもしれないじゃん
新撰組近藤も内実を認識してたから
佐々木から聞いたんじゃね?
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 22:03:13.66 ID:iF9AZ9f/0
事後では監督義務違反なのさ。
坂本が暗殺されれば、土佐藩は旧幕府を支持することなんて、もう出来ないのだから。
ゆえに容保が、徳川慶喜の意図していた、大政奉還を餌にした、旧幕府への諸侯の支持の確保に賛同しているなら、
佐々木が坂本龍馬を暗殺しようと試みている時点で、手代木から容保への照会し、容保の判断で必ず制止しなければならない。
それをやっていないのだ。
つまり、手代木が松平容保に反逆していないのなら、
松平容保自身が大政奉還など認めず、諸侯の政治参加も認めなかったことになる。
これは復古記や岩倉具視の記述、松平容保は大政奉還に激怒し撤回を要求した、に合致する。
でも、それは松平容保大好きっ子さんは認めないのだろう?
ならば、手代木が松平容保に反逆し事実を伝えなかったのか?
それすらも今否定した。
「松平容保が大政奉還に敵意を持って坂本龍馬暗殺命令を出しました」
今日の会話で、松平容保大好きっ子さんはこのレールに乗っかってしまったんだよ。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 22:42:01.55 ID:h7HM089Q0
京都見廻役小笠原も事後に認識しているじゃん
会津藩手代木が事後に認識したと考慮できるじゃん
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 22:57:36.04 ID:h7HM089Q0
京都見廻役小笠原によると見廻組の全権は佐々木が保持していたじゃん
会津藩は業務を現場に丸投げしていたと推察できるじゃん
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 23:16:17.77 ID:is0Dh09O0
慶喜公は大義名分を知る。
だから賊名を受けても徹底恭順した。
維新功臣10傑に入るわ。
容保は反薩長精神だけで尊王攘夷精神もなく、北海道売り渡そうとした売国だから龍馬殺ってもなんらおかしくない。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 23:45:37.24 ID:W50o9qVp0
ID:iF9AZ9f/0君へ
君の書き込みの八、九割は理解できるが、どうもよく理解できない部分が一、二割あるのだ。
今日はめんどくさいから書かないが、君の書き込みの意味を理解するのに骨が折れるんだよ。たとえば
>そのため、松平容保を暗殺命令者にしたくない人間は決まって、容保と直衛門の間は意思疎通はないし、
あったとしても反逆したに違いない、と言い習わしてきた。
少なくとも僕はこんなことは一度も言ったことはない。過去に別の人が言ったのかは知らないが。それに
>あったとしても反逆したに違いない
これが何を言っているのかさっぱり分らないんだよ。君の書き込みにはこういう、
何を言っているのかさっぱり分らない書き込みがあるのだ。理解できないから反論のしようがない。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/01(月) 23:51:47.37 ID:W50o9qVp0
つまりだ、あったとしても反逆したに違いない、とは誰が誰に対して反逆するということなのか、
それすら分らない。つまり君が前提として考えていることが分からないので、読むほうも分らないのだ。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 00:22:31.35 ID:f5ysaPTj0
反論不能宣言、完全敗北ですな
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 00:44:21.83 ID:f5ysaPTj0
>>392 手代木が坂本龍馬暗殺計画を知った上で、松平容保には伝えなかった、という意味ですよ。
この場合は間違いなく、手代木の松平容保への反逆ですが、
こうしないと、松平容保を愛する人は、松平容保の純心無垢な完全無謬性とやらを守れない。
手代木が坂本龍馬暗殺事件を犯人まで熟知し、手代木が松平容保に忠実だったことを堅持すると、
松平容保自身も、坂本龍馬暗殺事件を犯人まで熟知していないと済まないわけです。
なぜなら坂本は、当時徳川慶喜が抱き込みに懸命になっていた土佐藩の最重要人物の一人であり、
坂本暗殺事件によって、徳川慶喜は土佐藩を味方に出来なくなってしまったのですから。
そして、松平容保は見廻組に命令を出す上司です。
松平容保がが事前に暗殺計画を知っていて阻止しない、これでは松平容保による暗殺承認です。
しかも更に松平容保の上司、徳川慶喜の土佐藩抱きこみ計画に致命傷を与える計画なのですから、とんだ慶喜への背信です。
見廻組が坂本暗殺を実行した時点で、坂本暗殺は土佐藩との提携を模索していた徳川慶喜を完全に否定する行為です。
どこで背信が起こったのか、
復古記や岩倉具視書簡は、松平容保が大政奉還に反抗したと伝えています。
松平容保を擁護する人は、手代木が松平容保の大政奉還の意思を捻じ曲げたのだと主張します。
佐々木が馬鹿だから独断でやった、は有り得ません。手代木が事前承知しなければ組織内の統治放棄です。
あなたは、手代木は松平容保に忠実だと言いました。
それは復古記と同じ、松平容保の背信を意味する発言でしかありません。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 08:48:41.99 ID:hzRDps+10
>>394 君の言うことが、やっと、ほぼ分かった。ただし、君の主張には一点誤りがある。
>手代木が事前承知しなければ組織内の統治放棄です。
手代木は見廻り組とは何の関係もないのだから、こんな論は成り立たない。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:02:20.73 ID:hzRDps+10
角川「日本史辞典」の江戸幕府職制表によれば
将軍−老中−大目付、京都町奉行
将軍−若年寄−目付
将軍−京都所司代
となっている。ただし幕末には
将軍−京都守護職−京都所司代
となっていた。そして京都町奉行は幕末以前から実際には京都所司代の配下だったようなので、幕末には
将軍−京都守護職−京都所司代−京都町奉行
となっていたように思われる。そして幕末には老中や大目付なども京都に出張常住していた。
で、問題は見廻り組が、形式上および実際上においてどの配下にあったかということである。(以下続く)
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:10:03.76 ID:hzRDps+10
まず形式上は
将軍−京都守護職−京都所司代−京都見廻り役−京都見廻り組
あるいは
将軍−京都守護職−京都見廻り役−京都見廻り組
だろう。しかし実際は見廻り組は旗本で構成されており、旗本の監察は目付だから
将軍−若年寄−目付−京都見廻り役−京都見廻り組
だったかもしれない。いずれにせよ手代木は見廻り組と指示系統上無関係である。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:17:02.10 ID:hzRDps+10
さらに
将軍−京都守護職−京都所司代−京都見廻り役−京都見廻り組
だったとすれば、京都見廻り役も、京都所司代も命令を出せるのであって、
京都見廻り役の某が「余は全然知らぬ」と言っているのであれば、
所司代の命令でもなく守護職の命令でもないということになる。
あとは守護職が正式の命令系統を通さず、手代木に指示し、手代木から佐々木に指示されたという考えだが、
それはあくまで君らの推測にすぎない。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:21:42.75 ID:hzRDps+10
これに対し、もし
将軍−若年寄−目付−京都見廻り役−京都見廻り組
だったとしたら、当時の若年寄は永井で、若年寄なら幕閣で、今井の語った
「幕閣かもしくは京都守護職あたりの支持だろうか」という口述と符合する。
ただしその場合、京都見廻り役の某が「余は全然知らぬ」と言っているのは不自然ということになる。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:36:26.57 ID:hzRDps+10
394
要するに君の意見は容保が、慶喜への背信だと分かっていながら、暗殺を命令したという説ですね。
しかし永井もしぶしぶながら大政奉還に賛同しただけであって、基本的には容保と同じ考えです。だから、
永井が、慶喜への背信だと分かっていながら、暗殺を命令したという説も十分成り立つのです。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:37:29.20 ID:vIfuWRrG0
将軍−辰五郎−め組−鼠星−田代
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 09:40:04.93 ID:hzRDps+10
要するに
今井弟の書簡を信ずれば永井玄蕃
手代木の遺言を信ずれば松平容保(か松平定敬)
です。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 12:33:41.49 ID:LK83CXES0
加治将一「龍馬の黒幕」読了。
竜馬暗殺の部分だけは奇想天外な珍説で首肯しかねるが、それ以外は至極まとも。
決してトンデモ本ではない。教えられるところが多々あった。
龍馬をはじめ当時活躍した志士を諜報部員としてとらえる視点は斬新。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 12:36:44.10 ID:LK83CXES0
しかし加治将一は見廻り組の史料をまったく使用していない。そういう史料の存在を知らなかったのか。
相川司も今井弟の書簡を使用していない。存在を知らなかったのか。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 12:51:58.14 ID:LK83CXES0
ところで講談社学術文庫「龍馬の手紙」p241の末行
…大笑にてかへりて私が幕府のあわて者に出逢てはからぬ幸と申あひ候。
この、はからぬ幸、はどう訳せばよいのだろうか。予期せぬ幸せ、と訳すのか。
これは竜馬が寺田屋で襲われた理由を松平勘太郎から聞いて、それを聞いた小松、西郷らが、
大笑いで…と続く文章である。なぜ西郷らが笑って、予期せぬ幸いなどというのか、意味が通じないのだが。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 12:53:19.34 ID:LK83CXES0
龍馬の手紙の現代語訳を持っている人がいたら上の質問に答えてください。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 12:59:10.25 ID:LK83CXES0
これは、竜馬が襲われた理由は、薩長の仲介をしているからだ、と聞いた小松や西郷が
大笑いで…という文なので、意味が通じないのである。薩長の仲介をしたのは龍馬以外の人間なのか。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 13:07:42.00 ID:LK83CXES0
加治将一の説を信ずれば、薩長を仲介したのはほんとはグラバーなのに、
幕府のあわて者がそれを知らずに龍馬を襲ったので大笑いした、という意味か。
これ土佐の身内に充てた手紙で近況を書いたやつの一部分だと
ようはこんなことがあったぜよwてやつか
俺が薩長の仲介者だってさw西郷どんも小松さ〜も大笑いww
ほんと相手がお銚子モンで助かったようなもんだ(笑)
じゃないの?
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 16:54:06.51 ID:/UMUT9X80
409
たしかに文意はそうだと思うのだが、それだと史実に合わないので変なのである。
それとも自分が仲介したことをカムフラージュするために書いているのか。
それにしても龍馬が襲われたのに、大笑いして、予期せぬ幸い、などと言うのも変なのである。
どうもこの文章は文意が通じない。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 17:00:50.13 ID:/UMUT9X80
さて図書館で「徳川慶喜公伝 4」のp101を確認してきた。
明らかにこれは大政奉還以後の事である。つまり、やはり、永井玄蕃は大政奉還に反対だったわけだ。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 17:10:12.51 ID:/UMUT9X80
409
>ほんと相手がお銚子モンで助かったようなもんだ(笑)
これは合っているかもしれないな。しかし、
>俺が薩長の仲介者だってさw西郷どんも小松さ〜も大笑いww
これも訳としては合っているが、史実としては合っていないんだよな。
だからなぜ小松や西郷が大笑いするのかが分からないんだよな。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 17:14:37.45 ID:/UMUT9X80
つまりこの文章に竜馬暗殺の深い真相が隠されているような気がしないでもない。
小松や西郷がなぜ大笑いしたのか…。疑問だ。
龍馬は政治的なもので暗殺されたのではなく
個人的恨みから暗殺されたと考えれば、すべてがしっくりくる
受験に失敗して親に報告する時にさぁ
本当は落ちて辛い状況なんだけれども、とりあえず心配はさせまいと
「あはは、落ちたwごめん、でもこっちの伯父さんも伯母さんも笑ってたw」
「未だオメェ一浪だあろ?俺なんて(伯父)三浪だったしwwwwwあははは・・・・」
とかじゃ?
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 17:38:32.97 ID:/UMUT9X80
やはりこの文はカムフラージュかな。自分が薩長を仲介したことが土佐藩の
公武合体派にばれると命を狙われるので、わざとカムフラージュしたということか。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 17:40:42.91 ID:/UMUT9X80
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 17:45:33.84 ID:f5ysaPTj0
>>402 誤魔化しもいいところだ。
見廻役の手に見廻組を掌握する実権はなく、
もっぱら佐々木は松平容保ら一会桑の命令を受けて治安を維持していた。
君は、松平容保の罪を隠蔽するために、他人に罪をなすりつけようと必死だが、
君の文章にはどこにも論理がない。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 18:22:25.36 ID:f5ysaPTj0
坂本龍馬を薩長同盟の対等な比肩すべき仲介者とするのは後世の評価であり、
史料を追えば、中岡らや周辺草莽による事前の薩長間の仲介という動きがあり、
そこに、徳川慶喜との関係悪化に伴い、長州に一方的に従軍義務を課し、
討幕の手駒として用いようとした薩摩の姿があった。
薩摩は土方や坂本を長州に派遣し、軍務義務と引き換えにした武器販売と朝廷工作請負という援助協定を結ぶ。
これが後に薩長同盟と呼ばれるものだ。
当時の状況で薩摩と長州は対等ではなかったし、
まして坂本は薩摩から派遣されただけで、土佐を代表して薩長と対等の立場で仲介したわけではない。
この時点で坂本を土佐の代表とするのは、明治以降に斜陽となった土佐藩閥が作った神話に属する。
ゆえにこの場合の解釈は「君はとんだ大物と思われたものだ、まあそれだけのことはやったわけだ、大功績者だよ」
と小松や西郷が励ましたという意味になる。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 19:01:32.87 ID:f5ysaPTj0
この手紙を書いている時点で、坂本龍馬の立場は大きく変化している。
薩長同盟に奔走した時期の、薩摩の雇い人の一人という立場から、
薩長同盟が討幕運動の軸となり、その仲介者として知られるようになってからの坂本と中岡は、
元は尊王攘夷派を粛清し追放した土佐藩上層部から、薩長と対等となる土佐藩の人材として
関係修復と提携強化、土佐藩の尊王攘夷運動の象徴としての働きを求められるようになる。
土佐藩に影響を持つに至った坂本と中岡の次の手は、
薩摩が自分達では無理だとして放棄していた大政奉還提案を、改めて土佐藩の提案として徳川慶喜に実行させることだった。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:02:40.81 ID:4zjIXzPU0
>>418 402で僕はこう書いた。
>手代木の遺言を信ずれば松平容保(か松平定敬)
これのどこがごまかしなんだろう。君の主張していることと同じじゃないか。
君はときどきこういうまったく意味不明なレスをするから困るんだよ。手代木を信ずるなら
黒幕は松平容保だと僕は認めているんだよ。それとも(か松平定敬)と書いたのが気に入らないのか?
君が気に入らなくても手代木の遺言からは松平定敬の線もあるんだよ。それから、
>もっぱら佐々木は松平容保ら一会桑の命令を受けて治安を維持していた
こんな証拠がどこにあるんだ? あるならそれを出してくれ。見廻り役の小笠原?が
証言しているのは、見廻り組は佐々木の全権で動いていたということだけであって、
松平容保ら一会桑の命令で動いていたなんてひとことも言ってないはずだ。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:08:33.12 ID:SYh6/AmN0
寺田屋騒動の事後伏見奉行所は京都所司代に2通の
報告書を提出しているじゃん
捕縛殺害の御指図が京都所司代より伏見奉行所へ
降下したと推測できるじゃん
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:09:47.05 ID:4zjIXzPU0
374で僕が
「徳川慶喜公伝 4」のp101に、
老中板垣と会津藩手代木に松平春嶽が説得し、永井玄蕃と渋沢成一郎らは中根雪江が説得した、
と書いたら君は
それはまた日付がおかしい
と書いた。ところが今日僕が調べてきたら、やはり大政奉還以後のことだった。
君の書き込みは無茶苦茶だ。史料をねじまげた嘘ばかり書いている。そこまでして
容保を犯人にしたいのはなぜなんだ。僕だけでなくみんな呆れているよ。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:19:28.01 ID:f5ysaPTj0
>>421 なら
>>395の君の錯誤発言は訂正するのかい?
君は松平容保がよっぽど可愛いのか、坂本龍馬暗殺前後の松平容保の不穏な行動を意図的に隠蔽しようと策した。
その上、松平容保らがこの時期旧幕府内で、徳川慶喜の意思に逆らう形で実行した大政再委任運動へは
まるでそんなことが無かったかのように主張する。
大政奉還時に坂本龍馬は永井ら京都の幕府首脳と面会を重ねている。
そして大政奉還は徳川慶喜にとって、幕府を犠牲にして諸侯を自らの陣営に取り込む餌だった。
すでに土佐藩の実力者になっていた坂本龍馬を殺せば、土佐藩はもはや旧幕府の味方にはならない。
坂本暗殺事件は、徳川慶喜や大政奉還に賛同した人間への明らかな敵対、背信行為に他ならない。
松平容保の無謬性とやらの主張に欠陥があることは、
手代木か松平容保かが徳川慶喜を裏切らない限り、坂本暗殺は起こり得ないことが示している。
それだけのことが明らかになっているのに、名目上の指揮権ではないから松平容保は無謬と主張をする。
これは不正行為以外の何物でもあるまい。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:22:29.86 ID:4zjIXzPU0
ID:f5ysaPTj0君よ、422さんの言うことが正しければ
もっぱら佐々木は松平容保ら一会桑の命令を受けて治安を維持していた
なんて言えないはずなんだよ。 というのは伏見奉行所は老中配下であって
京都守護職配下ではないから。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:28:56.24 ID:4zjIXzPU0
>>424 だから何回も言ってるだろ、手代木を信ずるなら黒幕は容保だろう、と。
しかし永井の可能性もあると僕は言っているのだ。なぜ永井の可能性を検証しようとしないのだ君は。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:43:57.37 ID:f5ysaPTj0
>>423 日付は前後しているようですね。しかし君の見解は大間違い。
中根の記した公式記録「丁卯日記に」よれば、
大政奉還の当日10月14日、中根と永井が会見し、そのときに中根が会津の様子を尋ねると
是も当時の様子は承知いたさず候えども、その砌は、何分正大公明の御処置候へは、此上申上方もこれなきとの藩議
と永井が会津の様子について語り、更に中根が
御三家親藩力を戮せ、今一度政権復古と申す目論見もこれあり様にも風説これあり候は如何
と会津が大政奉還を覆そうとしているのではないかと疑念を表明すると、永井は
左様の義有りかは存じず候えども、今更左様の事と相成候ては、是迄の御処置、惟(ただ)御術計に落ち、決して相済み申さず
と回答しています。会津の暴走を憂慮する永井の見解が伺える文となっています。
板倉と中根の会見及び大政奉還の説得は11月10日で、大政奉還撤回の道を探る板倉に、中根が仕方がないと説得する文面になっています。
どこに、この2人が大政奉還を受け入れないと書いてあるのでしょうか。
永井が暗殺を命令した? 会津の暴発を憂慮しているではありませんか。
それを、永井に暗殺命令の可能性があることは間違いない、と話す時点で、あなたの説の方に人々はあきれていますよ。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:49:15.77 ID:f5ysaPTj0
>>425 いいえ、見廻組は京都守護職の依頼を受ける範疇にありました。
現に別藩士の警護依頼を手代木から佐々木が請け、実行しているではありませんか。
正規の命令系統でないから関係ない?
その見解の方が間違いで見廻組は手代木を通じて京都守護職の命令を受けていたわけです。
関係が無いから松平容保が無謬? それは嘘というものです。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:54:57.19 ID:f5ysaPTj0
>>423 あなたの見解は、あなたの文を利用するなら、「無茶苦茶」です。
人を誹謗するなら、もう少しこの事件の経過について史料を集めるべきです。
そうしないと、「僕だけでなくみんな呆れているよ」ということになります。
恥を知りなさい。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:57:33.64 ID:4zjIXzPU0
>>427 慶喜公伝では大政奉還後に、春嶽が板倉と手代木に、
中根が永井と渋沢に説得した、と書いてあるのです。
ということは永井は本心では反対だったということです。
容保も永井も本心では反対だったのです。勝や一翁とはちがうのです。
そんなことより、大政奉還と竜馬暗殺を切り離して考えてこともしてみたまえ。
竜馬暗殺の理由、動機、原因さえまだ分かっていないのだから。君は龍馬暗殺の原因は
大政奉還だと思い込みすぎている。ごく単純に、いろは丸の報復で紀州がやったのかもしれないのだ。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 21:58:47.53 ID:SYh6/AmN0
>>428 >現に別藩士の警護依頼を手代木から佐々木が請け、実行しているではありませんか。
ソースは?
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:03:02.57 ID:4zjIXzPU0
>見廻組は手代木を通じて京都守護職の命令を受けていたわけです
だからその証拠がどこにあるんだよ。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:16:37.72 ID:SYh6/AmN0
>>394 >組織内の統治放棄です
現場の裁量が認可されてたか
会津藩が業務を見廻組に丸投げしてたかもしれないじゃん
組織の内部統治を主張するなら
京都守護職は将軍の事前承認が不存在なら
暗殺を執行できないじゃん
容保の背信が存在したなら幕府は組織内の統治放棄をしたことになり
見廻組の独断も蓋然性があるじゃん
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:26:03.03 ID:4zjIXzPU0
単純に、紀州が黒幕ではないかと思えてきた。
三浦→容保に依頼→(手代木)→佐々木→実行
三浦と容保は親しかったと相川氏は書いている。
天満屋事件のとき、新選組は容保の命令で駆けつけた、と言っている。
では三浦襲撃を容保に伝えたのは誰か。
紀州のスパイであった陸奥陽之助、という説。これはどうだろう。無理か。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:31:09.76 ID:4zjIXzPU0
三浦と佐々木の接点はないか。佐々木の妻は紀州藩士の娘だそうだが、
三浦と血縁関係はないのか。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:33:02.88 ID:f5ysaPTj0
>>430 有馬範顕の護衛の一件も知らないとは。
朝廷からの依頼に松平容保が感激しまくって、
手代木を通じて、幕府要人警護(桜田門外対策)が本来の役目である見廻組に依頼した一件なのですが。
>そんなことより、大政奉還と竜馬暗殺を切り離して考えてこともしてみたまえ。
>竜馬暗殺の理由、動機、原因さえまだ分かっていないのだから。君は龍馬暗殺の原因は
>大政奉還だと思い込みすぎている。ごく単純に、いろは丸の報復で紀州がやったのかもしれないのだ。
ほら、大政奉還を挙げると松平容保が真犯人として浮かんでしまう。
目の前にある松平容保への濃厚な容疑から逃げるため、別の犯人を捜す。
しかしそれは動機も証拠もどれも陳腐なものでしかない。
>>433 自分が裏切っていたことがばれた場合、他人も裏切っていたから無実と抗弁する人がいる場合は、大抵その一人だけが裏切り者ですよ。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:39:12.34 ID:f5ysaPTj0
おっと、前は
>>431,432への回答でしたか。
それにしても、永井も会津の暴発の可能性を心配し、板倉も右往左往した上で説得された大政奉還について、
この両名が反対の立場だったという主張は成立しません。
少なくとも、大政奉還で徳川慶喜が求めていた土佐藩との提携を吹き飛ばしてしまう坂本中岡暗殺は、
この両名には実行する余地はないでしょう。
なのに松平容保可愛さにこの両名を犯人に含めようとしても、無理というものです。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:51:16.58 ID:SYh6/AmN0
>>437 >大政奉還で徳川慶喜が求めていた土佐藩との提携を吹き飛ばしてしまう坂本中岡暗殺は、
暗殺後における小御所会議で土佐は徳川を擁護してるじゃん
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 22:51:40.21 ID:4zjIXzPU0
>少なくとも、大政奉還で徳川慶喜が求めていた土佐藩との提携を吹き飛ばしてしまう坂本中岡暗殺
坂本・中岡の暗殺が幕府と土佐藩との関係をそれほど悪くしたという史実はどこにある?
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/02(火) 23:12:40.17 ID:SYh6/AmN0
>>436 >朝廷からの依頼に松平容保が感激しまくって、
手代木を通じて、幕府要人警護(桜田門外対策)が本来の役目である見廻組に依頼した一件なのですが。
手代木が龍馬暗殺の御指図を伝達したと言う証言は不存在だが
仮に手代木が伝達しても黒幕は松平容保といえないわけじゃん
有馬範顕の護衛の一件で黒幕は朝廷、有馬範顕、有馬家家臣じゃん
手代木が伝達したので組織の内部統御より黒幕は松平容保と言う論理は
崩壊したじゃん
近藤さんの墓の戒名は容保候が送った(とされる?)んだよなぁ〜
土方が依頼?ともされているらしいが
「想う」ところがなければそのような事はなさらないかと
もし仮に容保候の「私心」であるならば、誰よりも近藤さんに話していたと思うけどねぇ〜
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:48:31.81 ID:GiWPKweA0
>>438,439
坂本及び中岡は翌朝通報を受けた薩摩藩邸に運ばれ、坂本は即死でしたが中岡は治療の甲斐もなく二日後に死亡、
この時点までに谷干城らに当時の状況と新撰組犯行説を告げて中岡は死んでいます。
谷及び佐佐木らは京都へ帰還した後藤象二郎らに詰め寄り、坂本と中岡を事前に保護していなかった非を詰ります。
その後の西郷隆盛の書簡
坂本龍馬・石川誠之助の両人暗殺に遭い、土邸大いに憤激いたし、
廿七日の御発船は今一つ運漕御人数御繰り出し相成り候て、早早御迎えに乗り戻り候時機に御座候
後藤にも俗論よりは怨みを受け既に危うき場にも陥り候次第にて、
迚も此の上は正義の党と結合申さず候はでは致し方なき次第にて、
乾・小笠原の徒と相結び有志中とも一体の場合に立ち至り、土州に取りては不幸中の大幸と相成り、天下の大慶に御座候
坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺事件で土佐藩邸が憤激している。
後藤も恨みを受け、危ない目にあった後では、乾退助ら尊王攘夷派に接近するしかなくなったようで、
それは不幸中の幸いというものなのだろう。
後藤象二郎が危険を感じて、尊王攘夷派に擦り寄ってきてますよ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:50:23.67 ID:GiWPKweA0
>>440 意味不明。これは松平容保の意思で佐々木只三郎が動く例ですよ。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 01:55:11.81 ID:GiWPKweA0
>>441 ですが、近藤勇は明治新政府軍の捕縛後の尋問で自身が犯行を否定しており、
しかも神山群廉日記では、永井尚志が近藤勇に坂本中岡暗殺事件への関与を糾し、
近藤はやっていないと返答しています。
近藤勇は犯行には無関係、永井も無関係とする根拠の一つが、この神山群廉日記です。
武田鉄也が裏で糸をひいていた事が最近の本人の行動で見えてきたな。
動機は妬み。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 09:16:34.61 ID:drR7HzBS0
>>442 それは後藤が藩内の討幕派に接近してきた、という情報であって、
土佐藩と幕府との関係が悪化したという情報ではない。
後藤や福岡は幕府側から狙われたかもしれないが、土佐藩の陸援隊からも狙われていたのである。
ソースは知らないが相川司「龍馬を殺したのは誰か」p97〜p98に書いてある。
福岡の談として、中岡に刺されそうになったことがある、と語っている。「温知会速記録」
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 09:28:56.58 ID:drR7HzBS0
要するに
1 坂本・中岡の暗殺によって幕府と土佐の関係が悪化したという史実はない。
2 後藤や福岡は陸援隊からも狙われていた。
つまり後藤や福岡は幕府の過激派だけを恐れていたのではなく、身内も恐れていたということ。
それを認識しておかないと推理を誤る。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 09:38:56.93 ID:drR7HzBS0
永井が怪しいもう一つの理由。
慶喜が、永井に、龍馬は捕縛するな、と伝えていたという話がある。この話の真偽はさておき、
このことは龍馬暗殺指令の権限は永井にあったことを示唆している。
もし暗殺や捕縛の権限が京都守護職にあるのなら、慶喜は容保に伝えたはずである。
慶喜は永井に伝えた。若年寄の永井がその権限をもっていたことになる。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 09:42:18.73 ID:drR7HzBS0
>>444 小松氏はその尋問は形式だけの出来レースだと言っているのですよ。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 09:49:25.49 ID:drR7HzBS0
伏見奉行は老中配下だと書いたが、どうやら幕末期には
京都町奉行と統合されて京都所司代配下になっていた可能性がある。
未確認だが、一応訂正しておく。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 12:55:45.25 ID:tWYw1RJLO
>>446 その断定は解釈に誤りがある。
後世の後藤回想に大政奉還反対派を避けて逃げ回った趣旨の話がある。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 13:03:39.69 ID:tWYw1RJLO
>>450 それより、京都守護職へ捜査一元化になっているのは無視ですか?
それにしても、また小林の「史料は無視せよ」を利用ですか。
>>445 >武田鉄也が裏で糸をひいていた事が最近の本人の行動で見えてきたな。
ウン、松平勘太郎には、「俺は愛弟子を失って悲しい。多少の横領など何とも
思ってないのだから顔を出して欲しかった」と言っていたようだけど。
でも、やっぱり福山は許せないと思う理由はあるわけで、
>動機は妬み。
武田はポルノ女優の高倉美貴を『幕末青春グラフィティ』」に起用してやったのに、
あっさり原田伸郎に乗り換えられてる。及川奈央と相思相愛の福山とは雲泥の差。
やはり弟子に対する師匠の嫉妬ってえのは怖いよな。
『氷川清話』に、今井信郎の名が突然出てくるのに、「あれ?」と思う人は昔から
いたようだが…
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/03(水) 13:18:44.29 ID:GiWPKweA0
>>446,447
それは解釈に誤認がある。
後藤象二郎の明治以降の公演では、旧幕府内反大政奉還派の刺客に狙われたという主張をしている。
旧幕府内の大政奉還反対への言及が史料に多いことと併せ、
後藤や福岡らが彼らに狙われていなかったという主張の方には無理がある。
>>448 小説以外そのようなものは知らない。
>>449 小林の文に論理を感じないのがその断定箇所だ。
何故なら小林自身が近藤が無罪であるのは自明だとし、神山群廉日記を無条件に事実として扱っているからだ。
一つの文を近藤無罪説には全面的に採用し、もう一つの永井無罪説には出来レースだと主張しては話にならない。
小林のこの主張は、他人宅のベランダで捕まった下着泥棒が、自宅の大量の異性の下着を発見されて自分で買ったと言い張るようなものだ。
>>454 小林格は、下着ドロ発覚後、自分で買ったと言い張るゲスだ! という説に激しく同意。
>>454 小末格は、下着ドロ発覚後、自分で買ったと言い張るゲスだ! という説に激しく同意。
>>454 小松とおるは、下着ドロ発覚後、自分で買ったと言い張るゲスだ! という説に激しく同意。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/04(木) 16:40:45.06 ID:Ft7qOgUw0
451 454
文章をよく読んでください。
幕府側から狙われていなかった、とは書いていません。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/04(木) 20:17:58.30 ID:RFQAlUYc0
>>458 >>447 >要するに
>
>1 坂本・中岡の暗殺によって幕府と土佐の関係が悪化したという史実はない。
自分で書いた文の間違いも訂正しないとは、あなたは大嘘つきですね
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/04(木) 20:32:03.71 ID:RFQAlUYc0
>>458 ここでまた
>>442を読んでみましょう。
あなたの仮定する、旧幕府と土佐藩との繋がりとやらが、
暗殺と、その後の大政再委任目的の脅迫徘徊によって揺らぐ様を。
これを読んで、
>>447のような感想を出す神経を疑います。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/04(木) 22:54:53.14 ID:9kX87Wb/0
酢屋から近江屋に転居させたのは暗殺をやりやすくするためだったと考えると、
近江屋への転居をすすめた人物が怪しい。それは土佐藩の堀内慶助。
ゆえにやはり土佐藩が怪しい。
今井が、辰ノ口の糾問所から、龍馬暗殺容疑で伝馬町の牢に移されたとき、
一番熱心に助命運動に乗り出したのは、それまで今井と一面識もないはずの
西郷隆盛であった。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/05(金) 12:40:47.66 ID:0Hh66kGr0
菊池明「龍馬暗殺 最後の謎」読了。
相川司も菊池明もちょくちょく史料の読み違え、独断的解釈をしているな。
相川は鳥取藩の記録の竜馬と対立する派を陸援隊と解釈しているし、
菊池は今井弟の書簡の龍馬暗殺理由の記述についてとんちんかんな解釈をしている。
ほかにも疑問点はあるが今は述べない。
二人とも峯吉の証言は信用できないとし、暗殺は幕府ルートからの指示と考えているようだ。
薩長や土佐の関与には否定的なようで、その点、物足りない。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/05(金) 18:51:43.14 ID:BNTs0fos0
龍馬暗殺事件は11月15日、その4日前から2人の謎の客人が龍馬のそばに居たという記録がある。
あるブログで見つけた記事だが、この2人の謎の客人というのは誰ですか。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/05(金) 22:17:33.98 ID:9SDzcZTf0
龍馬暗殺事件がなぜこんなに難しいかというと、幕府系の組織が暗殺を行ったという点にある。
あの新選組でさえ、非幕府の人間の暗殺を行ったことはない。
この事件を理解するには、暗殺者は幕府の人間ではないと考えることであるが、
いまのところそれはどうも無理がある。
とにかくこの事件は非常に特殊な事件である。
徳川慶喜の大政奉還に反対していた松平容保
徳川慶喜の公儀政権成立の夢を砕くように、幕府内から刺客が放たれた
マジで?
おいは西郷が暗殺したて思うとった。
違うと?
>>461 長岡が推したって話もあるけどねw堀内も「目付」だってか?下?横?
事件の前後には何故か「目付」連中が関わっているよね
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 09:31:32.30 ID:7Fwyfl9/0
結論。黒幕はやはり永井玄蕃と決定しました。その理由−
幕府の一組織を使って暗殺を決行させるというような非常識なことができるのは永井しかいない。
永井の人間性については小松氏が指摘しているとおり、第一次長州征伐で藩主父子の首を刎ねて
晒しものにしてしまえと主張したことに顕れている。おまけに当時の永井は若年寄で、
そういう非常識な命令も出せるポストにある。ゆえに黒幕は永井。
永井から京都守護職を通じて指令を出させた。容保は断れなかった。
そう考えるとすべてうまく説明がつく。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 12:27:13.13 ID:3kUG9Dje0
ただし永井の一存とはかぎらない。紀州からの依頼もあったかもしれない。
もちろんいろは丸事件の報復である。さらに土佐の後藤や福岡も絡んでいるかもしれない。
この二人は中岡から狙われていたから、中岡を抹殺したい動機がある。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 12:55:58.22 ID:IXCAcbw9O
容保だけで動機から命令まで出せるのですが。
無理に他人を巻き込む容保厨に疑問
佐々木がいち組織のTOPとして「先」に動いていてもおかしくはないだろう?
政治的理由はともかく、寺田屋の嫌疑にて「充分」成立する動機である
んでもって兄貴に「事後報告」
兄貴は慌てて某藩の重臣に相談するwww
兄貴仕方なくor素直に報告・容保「了承」
>>469 要約すると、
「松平容保1号と2号がいて
正義の聖人1号がよい人間で、2号が絶対の悪
悪いことをしたのは全部2号
だから松平容保1号はいい人」
という結論になってしまうのだが
松平容保の周辺は、徳川家茂、孝明天皇、そして坂本龍馬と不審死が多い。
会津若松マニアは薩長だと主張するが、どの場合も周辺に存在し、動機があったのは松平容保だった。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 18:34:47.71 ID:UApfcNj00
>>472 もちろん見廻り組です。斬ったのは誰かは別にして、
とにかく見廻り組の犯行だろう、と。
>>475 家茂はいざ知らず、孝明天皇を暗殺したのは岩倉でしょう。
鏡川伊一郎 小説の孵化場 「孝明天皇その死の謎」参照
暗殺という特殊な任務なんだから、
指示系統が常時と違うって事はあり得るよね。
>>476 > もちろん見廻り組です。
┐(´д`)┌
永井尚志の立場では、龍馬・慎太郎を暗殺なんてする必要ないだろ。
下手人を偽装工作したということは、首謀者を偽装工作したということだから、
永井尚志ー見廻組は、それこそ、どちらも冤罪被害者。
(まぁ見廻組は新撰組の手柄を横取りしたようなもんだが)
真犯人グループは、消去法で、
松平容保−手代木直右衛門−新撰組
証明終了。いい加減気付よ。気付いた上でやってるんだろうが
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 19:58:37.07 ID:Cg3YCE5G0
龍馬が永井と面談した折「屋敷の周囲に君の命を狙いし者が
多勢存在するので警戒するように」と永井より忠告されているじゃん
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 20:15:06.29 ID:Cg3YCE5G0
見廻組は佐々木只三郎の独断もしくは
朝廷、有馬範顕、有馬家家臣、公家、公家家臣
紀州藩、佐幕諸侯、目付榎本対馬、目付レベル幕臣の
要請で発動するじゃん
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 20:31:46.68 ID:NPsOwYnd0
>>476 兵庫開港問題における一会桑の坂区から開国への方針転換と、
孝明天皇の死が同時に発生したことを考えると、犯人はほぼ間違いなく一会桑、
その中でも、徳川家茂の死にも立ち会っている松平容保の可能性が大。
>>479 小説内の台詞を挙げても無駄
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 20:35:51.76 ID:NPsOwYnd0
暗殺命令は手代木から佐々木に伝わり、
(本来の上司である見廻役は形骸化し、京都の治安は京都守護職が一括管理していた)
手代木が会津藩士だということを考えると、命令者は松平容保ということになる。
日本史恒例
カタモリガーーwwww
てかさ、手代木兄貴の記事書いた人間て「当然」今井の件は知っていたはず
誘導尋問的記事の可能性も否定出来ないよなぁ
>>480 安政の大獄以降、幕府側は暗殺する必要性がない。
それこそ権力の濫用で、いくらでも捕縛して,いくらでも拷問できて、いくらでも刑死させることが出来る。
それが江戸幕府の作り上げた封建社会。
だいたい見廻組に暗殺依頼するって、今でいえば、警察に暗殺依頼するようなあり得ない話p
壬生浪とケダモノ扱いされていた新選組への暗殺依頼なら十分あり得るが
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 21:36:42.80 ID:Cg3YCE5G0
>>485 捕縛依頼? あり得ない。
公務だったら偽の名刺なんか渡すかよ。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 21:47:30.63 ID:NPsOwYnd0
徳川家茂の際は、名目上の上位者は孝明天皇と徳川家茂。
しかし徳川慶喜ら一会桑は攘夷実行問題などで激しく家茂と敵対していた。
→徳川家茂の死で、服喪名目で一会桑は長州との戦争を一方的に停戦させ、
合わせて幕府乗っ取りに着手
孝明天皇の際は、名目上の上位者は孝明天皇。
しかし徳川慶喜は幕府を引き継ぐ際、家茂の残した開国政策を引き継ぐことになり、
それまでの、鎖国攘夷政策との齟齬が発生していた。
→孝明天皇の死で、一会桑は幕府の開国政策へ転換完了。
孝明天皇の遺志を掲げる摂政や諸侯を圧し政策承認を獲得
坂本龍馬の際は、名目上の上位者は明治天皇(摂政の輔弼)と徳川慶喜。
しかし徳川慶喜の大政奉還政策に反抗し、松平容保は幕府再興と大政再委任を主張
→坂本龍馬の死で、徳川慶喜の掲げた大政奉還による公儀政権構想は諸侯からは会桑の存在下では無価値と判断される。
公儀政権構想は諸侯の賛同が集まらず雲散霧消
どれも、得をしたのは松平容保
しかもこの暗殺が事実なら、どれも名目上の上位者に逆らう形での実行となる
疑惑の中心は、いつも松平容保だった
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 21:56:21.68 ID:Cg3YCE5G0
>>481 >小説内の台詞を挙げても無駄
小説じゃないじゃん
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:12:56.35 ID:NPsOwYnd0
>>488 挙げてごらん。正規の記録では徳川慶喜は、坂本龍馬の名を知らなかったことになっているけど。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:17:54.08 ID:Cg3YCE5G0
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:18:03.04 ID:NPsOwYnd0
あ、徳川慶喜が「坂本竜馬の身を守れ」、と永井に命令を飛ばしたという
>>448の小説混同説を、
ID:UApfcNj00がこりもせずに、論証も無く、口にしているのかと思った。
何しろ全て論証で否定されているのに、なんとなく嫌いだから永井、と言って聞かない人間がいるものだから。
ID:Cg3YCE5G0さんにはお詫び訂正します。
永井と坂本との会見は事実です。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:30:17.59 ID:Cg3YCE5G0
>>486 龍馬は寺田屋でピストルで手向かいしたじゃん
かねて取り逃がした者は斬殺するも逃亡を許すなとの御指図が存在した故
見廻組の裁量で捕縛を断念し斬殺したんじゃね?
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:36:21.81 ID:NPsOwYnd0
公務にしては、正規の捕り方を使った捕縛ではない。
今井らの証言を総合的に判断すると、見廻組佐々木らの行動は最初から暗殺を意図した襲撃だった。
正規の公務から外れた暗殺を意図し、本来幕府内の役職のはずの見廻組が実行した。
これは徳川慶喜ら、大政奉還を実行しようと意図していた人々の目を盗んで、
幕府内の別の意図(大政再委任)を持つ人間が命令を下した結果、と考えるのが順当と思うのだが。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:40:18.05 ID:LQDmhWnz0
>>479 味方と思わせておいて裏切る。よくある話です。
>>480 紀州藩だけの依頼で発動しますか? もしそういう例があるなら黒幕は紀州でしょう。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:49:22.17 ID:Cg3YCE5G0
>>493 今井は捕縛を意図し手に余ったので斬殺したと
証言してるじゃん
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:54:59.46 ID:LQDmhWnz0
487さんに訊こう。
では君は松平容保が徳川家茂を暗殺し、孝明天皇も暗殺し、徳川慶喜にも反逆したというのか。
では松平容保はいったい誰を尊崇し誰に忠誠を誓っているのか。
Wikiにこうある。
容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったのだが、
彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 22:57:27.94 ID:NPsOwYnd0
>>495 だが、寺田屋捕縛失敗の時は、伏見奉行所京都所司代会津桑名藩兵も含めて100名以上で取り囲み捜索をした。
なのに近江屋の際は、在宅を尋ねて一階階段口で門番の力士を殺害、
そのままそ知らぬ顔で二階へ上がって、どちらが才谷(坂本)か尋ねていきなり斬った。
近江屋では捕縛ではない。最初から暗殺しか狙っていない。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:09:05.63 ID:Cg3YCE5G0
>>497 捕縛を狙ったが竜馬は短筒を保持してるじゃん
故に現場の裁量で斬殺したんじゃね?
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:09:46.12 ID:NPsOwYnd0
>>496 松平容保は、仕える人間を短い時間に入れ替え、元の上司には手ひどい扱いを行った人間です。
徳川家茂の開国政策に反逆したのが始まりで、これが原因の一つとして心労を重ねた家茂は衰弱し、病床で死にました。
次は孝明天皇の鎖国政策を、死の直後には開国に変え、
次には徳川慶喜の意図にも従わず鳥羽・伏見の開戦、
江戸に帰っては、徳川慶喜の謹慎の意図に反し、旧幕府歩兵と共に会津軍が関東各地を転戦
さらに奥羽列藩同盟に賛助する過程で徳川慶喜らを見放し、仙台伊達を上位者とする始末
歴史を見る限り、松平容保は裏切りの塊のような人生です。
松平容保は本人のことしか考えていない人間だった、と歴史上の事実は語っています。
>Wikiにこうある。
>容保は禁門の変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったのだが、
>彼はそれらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという。
回答はこれですね(
>>494)
>味方と思わせておいて裏切る。よくある話です。
ご自分で書いている。一人の人間に根拠もなくこのような見解を持ち、
一方、容疑のある容保は例外と主張する。あなたの神経は異常です。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:13:34.49 ID:Cg3YCE5G0
今井の証言を鑑みると
捕縛、斬殺の分別は見廻組が下したんじゃね?
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:14:13.40 ID:NPsOwYnd0
>>498 見廻組は捕縛を狙うなら、坂本を生かすために捕り方の増員などが必要となる。
近江屋の一件は、暗殺しか意図していない。
第一、一階で門番をまず殺している。
皆殺しを意図していなかったのなら、この人間も生かすだろう。
咄嗟の判断ではなく、見廻組は訪問時に既に皆殺しを意図していた。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:22:12.99 ID:LQDmhWnz0
>>478 君の説だと実行者は新撰組か。
では今井も渡辺も手代木もみんな嘘をついているということか。
それでもいいが、ではその証拠は?
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:22:33.72 ID:NPsOwYnd0
>>500 捕り方が動かなければ、当然奉行所や会津桑名藩兵も動かない。
これらに動いた形跡が無いのに、その後旧幕府内で問題が表面化しなかった。
この状況で、「上位者は捕縛を依頼したけど見廻組が意を曲げた」と主張するのはおかしい。
少なくとも、「これらの応援を要しない」=「最初から暗殺だけを意図した襲撃」と判断は付く。
意を曲げたのなら佐々木や実行者は問題視されるはずだが、今井の妻は松平容保の褒状まで貰ったと言っている。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:26:28.08 ID:Cg3YCE5G0
>>501 見廻組屯所にて捕縛、斬殺の分別を見廻組が下し
斬殺の手はずを整えて後に近江屋に訪問したんじゃね?
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:33:39.38 ID:LQDmhWnz0
>>499 君はバカか。
>回答はこれですね(
>>494)
>味方と思わせておいて裏切る。よくある話です。
孝明天皇は既に死んでいるのに、なぜ一生孝明天皇を慕っている振りをしなければいけないのだ。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:34:31.60 ID:NPsOwYnd0
>>504 >>503参照
少なくとも、坂本龍馬暗殺事件は見廻組だけでなく、その上位者(おそらく手代木、そしてその上司の松平容保)の
要求に基づいたものだったと私は考えています。
そうしないと、公務における捕縛が私刑じみた暗殺に切り替わり、見廻組への処分が行われないとは思えないからです。
上位者の意思だったから、捕縛を暗殺にすりかえる行為が処分対象にならなかったのだと思います。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:36:14.59 ID:Cg3YCE5G0
>>503 上位者は捕縛、手に余れば斬殺を依頼し
見廻組が斬殺と裁定したんじゃね?
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:37:55.56 ID:NPsOwYnd0
>>505 世間へのポーズですよ。
誰にも見せなかったという割りに、噂は広まり新聞ではこれ見よがしに宣伝材料に使い、
長州人まで買取にきた、とまた宣伝に使う。
松平容保の自己顕示欲と粘着性を示すものでしょう。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:41:22.23 ID:NPsOwYnd0
>>507 それなら、上位者が見廻組へ、坂本龍馬の暗殺を最初から是認していたということです。
暗殺依頼と他なりません。
ここの一部の人は、幕府は暗殺なんてしないと言う。
しかし見廻組の行動は承認され、幕府内で坂本龍馬への暗殺は実行されている。
>>506 そんなに人が関与していたら暗殺なんてあり得んだろ。
誰か一人ゲロったらおしまいだからな
そもそも公務任されてるんだから、
近江屋周辺は見廻組の管轄なんだから、
近江屋をぐるりと取り巻いて捕縛すればよいだけ。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:49:22.67 ID:Cg3YCE5G0
>>509 上位者は最初から暗殺だけを意図して見廻組に要請してないじゃん
暗殺依頼と他なるじゃん
>>509 > 見廻組の行動は承認され、幕府内で坂本龍馬への暗殺は実行されている。
妄想にも程がある。
幕府の誰と誰と誰が承認したというのか? その証拠は?
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:52:34.04 ID:LQDmhWnz0
>>509 だからわたしは言っているのです。幕府の組織を使って暗殺するという、そんな、
前代未聞の、異常な指令が出せるのは、人間性と地位と権限を考えると、永井玄蕃だろう、と。
わたしには松平容保がそんな指令を出せる人間とは思えない。だから永井だと主張しているのです。
これはあなたとわたしの、人間を見る目のちがいです。それだけ。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 23:56:22.88 ID:NPsOwYnd0
>>510 だが、見廻組は近江屋事件(坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺事件)に関して、
伏見奉行所にも会津桑名藩邸へも応援要請をした形跡がありません。
今井の供述でも、もう一人の供述でも、捕り方は存在せず実行者は佐々木を始めとする七人程度、
しかも家に入るなり一階で門番を斬殺です。暗殺を始めから意図した行動です。
>>511 暗殺となる場合を是認し、捕縛時に捕り方が応援しなくても良しとしたのなら、暗殺依頼と同じことです。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 00:00:29.50 ID:NPsOwYnd0
>>512 仮定への返答にソースを求められても困ります。
>>513 >わたしには松平容保がそんな指令を出せる人間とは思えない。
いいえ、歴史上の事実を考える限り、松平容保こそ暗殺に一番近い人間のように思えます。
考えて御覧なさい。松平容保は何人仕える人間を買え、元の上司の行動を踏みにじってきたことか。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 00:03:53.42 ID:zkfIPix/0
暗殺か暗殺ではないかといえば、どうみてもあれは暗殺であって、
わたしはID:NPsOwYnd0さんの意見に賛成である。
ただわたしは指令者は永井と考え、ID:NPsOwYnd0さんは容保と考えている。
その違いは彼とわたしの、人間を見る目のちがい。それだけ。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 00:11:52.67 ID:iz2H1qeR0
藤堂高虎のように、元の主人へ義務は果たしたとか、前
の主人に仕えていたときに職務上知りえた秘密を、
新しい主人のために、元の主人を破滅させるよう流用したりはしなかったとか、
そういった最低限の倫理を守っているならまだしも、
松平容保の場合は、元の主人へ砂をかける行為が多すぎます。
大体、孝明天皇の宸翰と御製を持っていたと胸を張るのに、
孝明天皇の生涯の目標だった攘夷を死の直後には捨ててしまっています。
私だったら、その宸翰と御製を返せと言いたい。
宣伝材料に使わず持っているだけなら分かるのですが、
松平容保は恭順主張の時も、この宸翰と御製の話を持ち出している。卑怯です。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 00:13:38.15 ID:w2p4izSJ0
>>514 斬殺の裁定を下したのが上位者ならば暗殺依頼であるが
今井の証言を鑑みると斬殺と裁断したは見廻組じゃん
故に暗殺依頼ではないじゃん
>>502 見廻組説の矛盾1
見廻組なら、暗殺なんて全くする必要がない。
自分の管轄地域で発見した怪しい人間あるいは寺田屋事件容疑者として龍馬を捕縛すればよいだけ。
見廻組説の矛盾2
大和十津川村と信濃松代藩を間違えるなどということは本当の実行犯ならあり得ない。
本当の実行犯(新選組)から手柄を横取りされないようにウソの情報が見廻組に流されたとということでしか説明が付かない。
見廻組説の矛盾3
見廻組は「才谷先生」と呼びかけて龍馬を確認し、龍馬を先に斬ったとしているが、
中岡証言によれば先に斬られたのは応対に出て名札を見せられていた石川誠之助。
これも、本当の実行犯(新選組)から手柄を横取りされないようにウソの情報が見廻組に流されたとということでしか説明が付かない。
見廻組説の矛盾4
見廻組は元力士の書生を龍馬・慎太郎のあとに斬ったとしているが、
中岡証言によれば龍馬が「ほたえな」といったときには既に斬られていた。つまり一番最初に斬られていた。
これも、本当の実行犯(新選組)から手柄を横取りされないようにウソの情報が見廻組に流されたとということでしか説明が付かない。
見廻組説の矛盾5
見廻組は2階に龍馬・慎太郎の他に書生が3人いたが斬らなかったとしてるが、
もし書生が他に3名もいたのであれば、その者たちがすぐさま土佐藩邸や薩摩藩邸等に連絡に走ったはずであるのにそのような者は全くいないし、
中岡証言でもそのような者は全くいない。
これも、本当の実行犯(新選組)から手柄を横取りされないようにウソの情報が見廻組に流されたとということでしか説明が付かない。
>>515 > 仮定への返答にソースを求められても困ります。
┐(´д`)┌ ウンザリ
息を吐くようにウソを吐く、それが見廻組説を主張する人の特徴。
>>509の
> ここの一部の人は、幕府は暗殺なんてしないと言う。
> しかし見廻組の行動は承認され、幕府内で坂本龍馬への暗殺は実行されている。
は、明らかに仮定ではなく断定で、しかも全く根拠なく書かれている。
手代木の私本にてご子孫な方々等々会津〜見廻の仕業と観る一方
土佐藩重臣のご子孫な方は家伝により「佐々木・・・そうじゃないんだと」な反応
つまりは「スンナリ」な話では無いってことだわなw
池田屋事件を新撰組による暗殺だなんて言わんわな。
犯罪取締りが任務だからな。
幕府なら武市だろうが吉田松陰だろうが捕縛して死罪でオッケイ。
坂本龍馬も犯罪者の側に居たんだから。
清河とか芹沢のように自分達の側に居た人物なら幕府が暗殺となるって意味だからね。
感情的になってる現場の担当者達(もしくは近しい上司を含む)が、
大局抜きで独断でやっちまった可能性もあるんじゃないな?
だからこそ当時は口外出来なかったとか。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 18:30:14.02 ID:KIFV97500
>>519 1 それは新選組でも同じ。殺さず、捕縛するだけでよい。
2 十津川、松代、木村様…どれが真実か不明。
3 どちらを先に斬ったかは不明。
4 今井は藤吉を先に斬ったと証言している。
5 近江屋新助は二階に小僧三人と藤吉がいたと証言している。
「…二階ノ小座敷ニ当家ノ小僮三人ト雑誌シアル僕ノ藤吉…」
谷の証言と見廻り組の証言が異なっているというだけでは新選組の犯行だとは言えない。
谷は鞘と「こなくそ」の言葉から原田の仕業だろうと推測しただけ。新選組の犯行だと言うからには、
まず鞘が原田のものだと証明しなければいけないが、それを証明した人はまだいない。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 22:37:29.17 ID:l3F7csHK0
ところで見廻り組に海野という隊士はいたのか?
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 22:39:01.52 ID:l3F7csHK0
土佐藩邸の正門は東西南北どちらを向いていたのか。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 22:45:01.74 ID:l3F7csHK0
8/24−中川宮、小野と紀藩三浦休太郎に対し、浪士を使った薩藩の陰謀を伝える。(『朝』)
こういうのを見つけたがこれは関係ないか。慶応3年の記事。小野は会津藩公用人小野権之丞。
不思議だよなぁ〜
過去の暗殺系みているとカタモリガーて殆どいなかったような
その代わりに中川宮ガーが多かったww
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 05:52:36.52 ID:zcQ36FN/O
史料が出ると、必然的に松平容保が怪しいということになる。
手代木は、自分が容保の命令を弟の佐々木に伝えたと白状したのかい?
してないだろ?
なら、容保が直接佐々木に命令したわけ?
ありえねええ。
容保と佐々木の間に間に入って伝令したやつっているの?
誰もいねえ。伝聞もねええ。史料なんてもちろんねええ。
>>529 龍馬や中岡、武市の伝記書いてる松岡司が容保説唱えてたからじゃね?
中川宮って土佐的には、令旨事件で平井、間崎、広瀬らを死に追いやった人という印象しか無いんでない?
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 09:20:47.05 ID:oDZsPfmr0
>>531 当時の見廻り役小笠原弥八郎は関与を否定しているが、肯定していたとする文書もある。
明治32年10月、「同方会報告」所載、大鳥圭介の「獄中日記」の丸毛利恒による補注。
菊池明「竜馬暗殺 最後の謎」p245〜p246
「…当時の見廻組頭小笠原岩見守現存せるをもって、これを同人に質し、まったくその私殺にあらざりしこと判明するに至れり。」
菊地明は自分の解釈に都合の良い部分だけ載せて、都合の悪い部分は全力でスルーした上で妄想ストーリー押し付けてくる外道だから、こいつを鵜呑みにするのは危険だと思う
こいつが出した以蔵の伝記は不愉快になった。
>>529 当然、中川宮朝彦親王は、ずーっと松平容保よりも遙かにヾ(¬_¬〃)ノあやしい
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 16:17:05.38 ID:cewqAWBG0
>>535 会津の空しい抵抗ですね。
松平容保が暗殺命令者最有力なのは動かないのに。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 16:31:42.78 ID:528VoVYx0
>>519 3 「近畿評論」をよく読むと、今井が斬ったのは明らかに中岡である。
だから、まず中岡から斬ったという谷の証言と一致している。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 16:37:10.63 ID:528VoVYx0
竜馬本を3冊読んだ。
小林久三「龍馬暗殺」 アウトラインだけで、細部の論証がない。
加野厚志「真説 龍馬暗殺」 よくもまあこんないいかげんな論が本になったものだと呆れる。
三好徹「誰が竜馬を殺したか」 後藤象二郎説。たぶんこれが最も真相に近いと思う。
>>536 いやいや。
現在のところ歴史資料的な証拠に乏しいってだけで、
中川宮の怪しさはダントツで随一。
・大和行幸を潰す。
・8.18クーデターを薩摩・会津に起こさせる。
・京都守護職を会津から長州に変更することを拒み続け、禁門の変を起こさせる。
・長幕戦争に勅許を与えさせ、孝明天皇・孝明朝廷を面目丸潰れにさせる。
・将軍家茂変死。
・神戸開港に勅許を与えさせ、孝明天皇・孝明朝廷を面目丸潰れにさせる。
・孝明天皇変死。
これらを容易に仕組むことが出来たのは中川宮朝彦親王だけ。
孝明朝廷の井伊直弼が中川宮朝彦親王。
>>537 低脳妄想患者乙
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 17:21:32.03 ID:528VoVYx0
>>539 もう一度「近畿評論」をよく読め。史料もまともに読めないようでは話にならない。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 18:01:18.27 ID:cewqAWBG0
>>539 それで実行部隊は誰? と尋ねると、いつも松平容保経由になってしまう。
中川宮説は、松平容保の変形に過ぎないんだよ。
>>537 >>525からして歴史的資料をまるで読めてないのはそちら。
近江屋新助の子供「小僮」と坂本先生の大人の「書生」を同一視するようなアフォには何を言っても無駄だろうがw
中岡慎太郎、岡本健三郎、菊屋峰吉、藤吉と書生らしき者、3,4名が常時龍馬の宿に出入りしていたのは事実であるが、
暗殺当時に龍馬のいた部屋の隣の部屋にいた書生らしき者は藤吉しかいなかった。
見廻組説で「書生」の数が完全に間違っているということも、見廻組が本当の下手人だったらあり得ない虚言を行っていることを証明している。
屋根伝いに逃げたのは中岡なのに、見廻組説では屋根伝いに逃げた者を中岡ではなく隣の部屋にいた3,4名の書生としているということも
見廻組が偽証を行っている証拠。
今井信郎の『近畿評論』でも渡辺篤の『渡辺家由緒歴代系図履暦書』でも
最初に斬られたのは坂本で、斬られ方からしても坂本。
おまけに、坂本や中岡を斬った回数がどちらも少な過ぎ。
どちらも見廻組が本当の下手人だったらあり得ない虚言を吐いているに過ぎないことは明らか。
僕藤吉が斬られたのも、
今井信郎の『近畿評論』では坂本とほぼ同時、渡辺篤の『渡辺家由緒歴代系図履暦書』では坂本よりもあと。
これも見廻組が本当の下手人だったらあり得ない虚言であることは明らか。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 19:50:51.11 ID:mJs2kLka0
>>542 分らん奴だな。では説明してやるよ。
1 小僮も書生も似たようなもんだろが。若いもんが3人いたということだよ。
2 それは峯吉の証言だよ。谷の証言じゃないんだよ。
3 これも峯吉の証言だよ。谷の証言じゃないんだよ。
4 よく読めよ。明日の朝まで生きていたのは中岡なんだよ。今井は竜馬と中岡を混同しているんだよ。
>おまけに、坂本や中岡を斬った回数がどちらも少な過ぎ
あほらしくて話にならん。斬った回数についていちいち全部話さなければならんのか!
5 渡辺篤も、左右にいた両名も同時に討ち果たし、と言ってるだろが。その一人が藤吉なんだよ。
>>543 基本的知識が出鱈目すぎるんだよ、君はw
まず、宿の主人の子供「小僮」(町人の子供)と、二十歳を超えてる「書生」(武士、あるいは武士風情)とを無理やり混同させるなよw
それから、坂本が絶命したのは翌16日な。これはいろんな証拠から明らか。
近江屋主人に医師を呼ばせたり一言二言話したりしてたそうだ。
容保説が最有力であるのなら
あんたの中では「終わった」議論なんでしょ?
ここに来る必要はないよなww
さよなら〜〜〜〜〜
>>544 だから16日に死んだってのが、龍馬ではなく中岡なんだろ?
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 21:14:10.37 ID:cewqAWBG0
>>545 このように言って、松平容保以外の説に論理のないことを誤魔化そうとする。
松平容保を愛するのは勝手だが、嘘をついて誤魔化すのはよくない。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 21:20:24.01 ID:bxJ+D4uW0
>>544 お前なあ、そんなに細かく言葉にこだわっても仕方がないんだよ。
峯吉は当時17歳だったんだよ。それでも「小僧」なんだよ。
17歳でも「小僮」なんだよ。書生てのは学生なんだよ。未成年ってことなんだよ。
だから小僮も書生も似たようなものなんだよ。
>坂本が絶命したのは翌16日な。これはいろんな証拠から明らか
そんな証拠があったら見せてくれ。ほぼ即死というのが定説だ。
>>546>>548 坂本龍馬が確かに絶命したのは16日未明。
その証拠:
墓碑、井口新之助(近江屋主人新助の息子)による弁駁文、『霊山招魂社并墳墓明細帳』、『宮地彦三郎真雄略伝』
中岡慎太郎が絶命したのは17日の午後3時頃あるいは夕方。
その証拠:
墓碑、井口新之助(近江屋主人新助の息子)による弁駁文、『霊山招魂社并墳墓明細帳』、『宮地彦三郎真雄略伝』、『男爵安保清兼自叙伝』
君の死亡日に関する主張には、何の証拠もない。証拠があるというのなら、何故自分で呈示していないのかw
証拠があるというのなら呈示して見せよ。
そして、その証拠が、上記証拠よりも信憑性が高いという証拠(上記証拠が間違っているという証拠)であることを論理的に説明せよ。
私が見る限り、他の歴史的資料の、実質即死という意味での「即死」あるいは大ざっぱな意味での「即死」を、バカ者ども死亡日と勘違いしているだけ。
「小僮(ちいさいわらべ)」はどう考えても15才未満な。元服年齢未満な。
しかも近江屋主人が近江屋主人自身の子供のことをそう表現しているだけな。
見廻組の話が矛盾だらけであり、見廻組が本当の下手人ではあり得ないことは、よほどの低脳国賊でない限り、極めて明白。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/08(月) 23:14:53.05 ID:xH3JAz0R0
>>549 龍馬や中岡の死亡時刻に関しては以下参照すべし。
1 鏡川伊一郎 小説の孵化場 「中岡慎太郎を考える」
2 菊池明「龍馬暗殺 最後の謎」p254以下。
>しかも近江屋主人が近江屋主人自身の子供のことをそう表現しているだけな
完全なまちがい。当時新助には4歳の新之助と乳飲み子の女の子がいただけ(だったと思う)。
しかも階下にいた。
僮には奴隷という意味がある。僮僕とは召使い、使用人のこと。小僮とはゆえに小僧の意味だろう。
17歳の峯吉でも小僧なのだ。峯吉くらいの年齢の使用人がいたということだ。
>>550 だ〜か〜ら、見廻組説を主張したがっている曲学阿世の輩どもは、息を吐くようにウソを吐く、
少なくとも(新選組を真の下手人としてみとめさせたくないという馬鹿の一念で)妄想を吐くだけだから、意味ないの。
鏡川伊一郎や菊池明が否定したがっている歴史資料的証拠のみが今なお有効。
鏡川伊一郎や菊池明の妄想は無意味。勿論、歴史資料的証拠でも何でもない。推論としてさえキチガイ沙汰かつ低脳丸出し。
で、キミ自身の考えの歴史資料的証拠は一体どこ?
実行犯は見回り組だと思うが、菊地明は大嘘つきの三流売文家だからこんな奴の本をソースにされても信用できる訳がない
もっとまともな本をソースにするべき
俺は丼を枕にして寝る男だぜ・・・・・?
酢屋から近江屋の間、「藩邸へ」と来るように言った際の言葉とか??
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 08:31:50.37 ID:sa4nFjkR0
>>551>>552 お前らが鏡川や菊池より上だというのなら本を書いてみろよ。
ブログでもいい。ブログで自説を発表してみろよ。
竜馬本で食っていけるような知識と理解力と想像力がお前らにあるのか。
お前らができることはここで他人を罵り嘲笑することだけだろが。
>>554 妄想患者のお相手をするのは精神科医じゃなかったっけ
>>554 菊地のような妄想患者を崇めてる時点で終わってる
あいつの斜め上な結論にはいつも失笑しかおきんわ
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 21:54:50.11 ID:w4LM/9WJ0
ところで近江屋の階段、二階の廊下、どの部屋から廊下に出られるか、など、
近江屋の間取り、見取り図で最も正確なのはどの本に載っているのだろうか。
西六畳の部屋から廊下には出られなかったのか。谷の講演録を読んでも、どうもよく分からない。
谷の講演録だと、藤吉は二階の廊下の東の突き当り、中岡はその右の部屋つまり
いちばん東の部屋に倒れていたということになるのだが。
ひょっとして坂本と中岡はいちばん東の部屋にいたんじゃないのか。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/09(火) 22:59:04.82 ID:w4LM/9WJ0
当日、宮地が通りかかって二人と話をしたらしいが、宮地が河原町通りを歩いていたのなら、
坂本と中岡はやはりいちばん東の部屋にいたんじゃないのか。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 09:45:42.73 ID:e1Y+O3Gk0
田中と吉井、このコンビが怪しいな。田中は薩摩藩邸に寄って吉井を誘って、と言っているが、
実際は吉井は祇園にいたわけで、祇園で遊んでいたことがばれるとまずいから口外しないでくれ、と言っていたそうだ。
とすると田中は吉井が祇園にいたことをなぜ知っていたのか。
田中が白川の陸援隊から駆け付けたというのは嘘で、おそらく田中も吉井と一緒に祇園にいたのだ。
でないと、陸援隊から田中だけが駆け付けたというのも変だから。
田中と吉井は竜馬が暗殺されることを知っていた。二人は祇園で、その「吉報」を今や遅しと待ち構えていた…。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 10:10:03.12 ID:e1Y+O3Gk0
お龍さんも、竜馬は飼い犬に噛まれた、と内部犯行を示唆しているから、
海援隊などが関与している可能性は大。
>>560 お龍は陸奥に敵意抱いてたから、陸奥の犯行だと決めつけていただけで、それはただの私怨による発言
陸援隊屯所から「直」に近江屋現場のが「近い」よねぇ〜?な話
それを「わざわざ」伏見の薩摩藩邸へだっけ?
大分南下するぜ?しかも途中には祇園
他の人間を介して吉井を呼びにいった?
・・・いや「何故」吉井がその場に必要だったん??
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 17:03:58.28 ID:PVpptGv80
561
陸奥は紀州のスパイだったという可能性はないか。
562
二本松の薩摩藩邸では?
563
いまどき新選組説を信じているのは、このスレでもお前くらいなものだろう。
>>564 だった>二本松
>>563 妄想も何も今となっては「真実」なんぞ判るまいに?
それに2chは低能は出入り禁止だったけ?
>>565 > それに2chは低能は出入り禁止だったけ?
じゃ、出入りするなよ。見廻組妄想に浸っているヤシどもはみんな超ウルトラ低脳なんだからさw
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 19:09:12.03 ID:CaErkDJq0
図書館に「昔夢会筆記」があったので、京都守護職の権限というところを読んでみた。それによると最初は単に所司代だけでは兵力不足なので、
その応援という形だったらしい。しかし所司代は、老中の指示は受けるが守護職の指示は受けない、と拒否して、独立で行動していたらしい。
この文からするとどうやらそれまでは所司代は老中配下だったようで、角川歴史辞典の記述とは異なっている。それはさておき結局どうなったかというと、
実に文意がつかみがたいのである。守護職の全権下に入ったとも読めるし、守護職の一存次第ということになったが、従来通り普段は所司代は所司代で動いた、というふうにも読めるのである。
学者も結局はこういう史料から判断しているのであって、文意を読み誤ると、解釈がまちがってくるのである。
カタモリガーよか超超ウルトラ低能じゃないから
居座ろ〜〜〜ww
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 19:25:59.34 ID:CaErkDJq0
566
いまでは新選組説というのは却って斬新な説なのだが、お前は有力な根拠もなく、
単に、見廻り組の証言が谷の証言と食い違っているから、といってるだけだからなさけない。
もっとまともな根拠を挙げてくれるなら信じてやってもいいんだよ。
言っとくが、見廻り組の証言がみんな嘘だったとしても、だからといって新選組の犯行だとは言えないのだよ。
お前、そのこと、分かってるか?
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 19:35:22.11 ID:CaErkDJq0
土佐が犯行に関与しているかもしれないから、基本的には、
谷の証言も近江屋新助の証言も峯吉の証言も信じてはいけないんだよ。
松平容保でよいと思うのだが
他の説は根拠の乏しい中傷でしかないし
無理に他の説を探すから、信じる者が消えた新撰組説を持ち出す馬鹿が現れる。
土佐藩の犯行を見つけたい人間がいるようだが、
坂本龍馬の死に冷淡だったのは、土佐藩の京都藩邸関係者ではなく、
土佐藩の国許に籠もって徳川恩顧を守ってきた連中なので、
彼らと京都等の中央政界を結ぶものがない。無理筋だよ。
>>569>>519の補足、
>>525 【京都巡回地域割当地図(慶応2年以降)】(『京都時代Map』より)
―蛸薬師通.―十―――蛸薬師通――― 十
| 近江屋. |
見廻組. | 見廻組. |
| |
――四条通―十――――四条通 ――― 十――四条通――
| |
堀 寺
見廻組. 川 見廻組. 町 新選組
通 通
| |
――五条通.―十―十――五条通 ―――十五条通―
| | |
西 |鴨|
洞 | |
新選組. 院 所司代組 | | 新選組
通 |川|
| | |
見廻組説の矛盾1
近江屋あたりは見廻組の管轄(蛸薬師通以南かつ五条通以北)であり、
新選組の管轄(四条通以南かつ木屋町通以東、五条通以南かつ西洞院通以西)ではない。
よって、暗殺を行う必要性のあったのは新選組だけ。
見廻組説の矛盾2
佐久間象山はとっくに斬奸されているので信濃松代藩の「手札」を出しただけでは龍馬を信用・油断させるのには全く無意味。
中岡証言どおり、下手人から大和十津川郷士を名乗られその名札を見せられたために油断させられた
ということで初めて暗殺のための騙し方として筋が通る。
中岡証言どおり、近江屋を訪れた下手人が大和十津川郷士とだけ名乗りその名札だけを見せ、
かつ、それ以外の地名が全く出なかったということは、
慶応四年一月二三日付けの高松太郎の手紙や近江屋新助の今井信郎に対する弁駁書でも確認され、100%確実。
よって、本当の実行犯(新選組)が手柄(名誉)を横取りされないようにウソの情報を見廻組に流したとということでしか説明が付かない。
そもそも暗殺されたことが100%明らかな被害者の中岡慎太郎自身による証言と、
その中岡証言とやたら食い違う、真の下手人かどうかも甚だ怪しい見廻組たちの相互に食い違う話とを
同列同格に扱おうとする時点で暗殺犯が誰かを主張してよい資格など全くない。
被害者証言言は、その場にいた客観的な第三者の証言が他にない限り、そのまま有効な証言であり、
露骨に中岡証言と異なり、相互にも異なる見廻組たちの自慢話あるいは偽装工作かもしれない話など
即座に却下せざるを得ない。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 22:07:11.01 ID:fd/xZFVY0
>>573 思わず笑ってしまうwww お前はまったく変な奴だな。見廻り組の担当地区だから見廻り組がやったと考えるのが普通なんだよ。
>>574 象山がすでに死んでいるからといって松代藩との関係がなくなっているとは限らないじゃないか。
それに松代藩と名乗ったのが嘘だったとしても、だからといって新選組の犯行だとは言えないんだよ。
>よって、本当の実行犯(新選組)が手柄(名誉)を横取りされないようにウソの情報を見廻組に流したとということでしか説明が付かない
これの意味がさっぱり分からないよ。なぜ嘘の情報を見廻り組に流すことが新選組の手柄を立証することになるんだよ。
お前の思考回路は狂っているとしか言いようがないよ。
>>519の補足
見廻組説の矛盾3
龍馬が掛け軸のある奥の方にいて、慎太郎が出入り口に近いほうにいたために、
取り次ぎに出た中岡のほうが先にいきなり斬られた、という中岡証言には何の問題もない。
しかし、信用されるはずもない信濃松代藩を名乗ったり、
その「手札」を見せたと言ったり、
取り次ぎ役が代わりに返事をするかもしれないのに「坂本さん」と呼びかけて龍馬を確認したと言ったり、
そもそも面識のない者が夜分押しかけて、
隠している本名「坂本さん」や変名「才谷先生」どちらで呼びかけても
逆に相手を警戒させるだけであるのに、そんなことはまるで考えていなかったり、というように、
取って付けたような、手際の悪いどころではなくもはや自爆的でしかないなやり口では、
実際に龍馬暗殺を計画し実行した下手人の一味とは到底考えられない。
実際、下手人は龍馬のほうだけをことさら狙って即死させ、
慎太郎のほうは「もうよい」でさっさと引き上げていることから、
本当の下手人3人は3人とも龍馬の顔を事前にしっかり知っていたと考えざるを得ない。
よって、呼びかけた確認したなどという見廻組の話は、明らかに虚言であり、あり得ない。
これも、本当の実行犯(新選組)が手柄(名誉)を横取りされないように
ウソの情報を見廻組に流したということでしか説明が付かない。
>>519の補足、
>>573>>574>>575の続き
見廻組説の矛盾4
見廻組は元力士の書生を龍馬・慎太郎とほぼ同時あるいはあとに斬ったとしているが、
中岡証言によれば龍馬が「ほたえな」といったときには既に斬られていた。
つまり1階に降りて下手人たちと既に遭遇していた藤吉は、そのために、単独で、一番最初に斬られていた。
また、隣の井筒屋の屋根にまで避難し得たのは中岡だけであるにもかかわらず、
見廻組は、屋根伝いに逃げた者を坂本と同室にいた中岡ではなく、隣室にいた書生三、四名の一人などと言っている。
これらも、本当の実行犯(新選組)が手柄(名誉)を横取りされないように
ウソのいい加減な情報を見廻組に流したということでしか到底説明が付かない。
>>519の補足、
>>573>>574>>575>>577の続き
見廻組説の矛盾5
見廻組は2階に龍馬・慎太郎の他に書生が三、四名いたとしているが、
もし書生が他に三、四名もいたのであれば、
その者たちが応戦することも可能であったろうし、
すぐさま土佐藩邸や薩摩藩邸等に連絡に走ったはずであるのに、
そのような者は全くいないし、中岡証言でもそのような者は全くいない。
(勿論、町人の近江屋家人たちは除く。)
これは、龍馬の下宿に頻繁に出入りしていた者たち、つまり、
海援隊士・土佐藩士や中岡慎太郎、岡本健三郎、菊屋峰吉のいずれかが
間諜(新選組監察方?)に「書生」と勘違いされて(新選組⇒)見廻組に伝達され、
しかも本当の下手人ではなかったために、
「書生」ではあり得ない近江屋の子供たちと僕の山田藤吉を
そのまま「書生」と二重に勘違いしていることを証明している。
そもそも坂本龍馬には、その当時、子分は一杯いても、同宿の「書生」などいない。
また、本当の下手人たちは、わざわざ「書生」たち二人がいなくなった間隙を突いて急襲している。
だから、本当の下手人たちは、町人姿のガキンチョたちを斬るべき「書生」などと勘違いしていない。
1階まで取り次ぎに出た藤吉、たまたま同室にいた中岡、ターゲットの坂本を除き、
誰も斬らないで済む瞬間にわざわざ突撃している。
にもかかわらず、見廻組は急襲時、書生が三、四名いたなどとしている。
近江屋に龍馬の書生として三、四名が下宿しており、しかも、龍馬暗殺時、現場の隣室にいた
などという意味の記録は皆無である。
これらも、本当の実行犯(新選組)が手柄(名誉)を横取りされないように、
いい加減なウソの情報を見廻組に流したということでしか説明が付かない。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 23:15:02.87 ID:EXmRQjVb0
>>576 だから言ったじゃないか。今井が坂本だと思った方が中岡だったんだよ。
>>577 「ほたえな」は谷の証言じゃないよ。隣の屋根まで中岡が逃げたというのも谷の証言じゃないよ。
>>578 だから言ってるじゃないか。近江屋新助が、3人の小僮がいたと証言してる、と。
それより
本当の実行犯(新選組)が手柄(名誉)を横取りされないようにウソの情報を見廻組に流したとということでしか説明が付かない
これの意味を説明しろよ。このスレの住人は誰もこの意味が理解できないんだよ。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 23:20:55.32 ID:EXmRQjVb0
576〜578
俺は心が優しいからお前の相手をしてやっているんだよ。
ほかの奴らはもうお前に呆れているから誰も相手にしないんだよ。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/10(水) 23:42:42.08 ID:EXmRQjVb0
俺は心が寛容だから、べつに新選組説も否定しないんだよ。しかし
仮に新選組だとしても、幕府の一組織がやったことに変わりはないんだよ。そして、
幕府側の指令でやったとしたら、それは異常なことなんだよ。今でいえば、警察の特殊部隊が民間人の暗殺をやったということだから。
そして非幕府側の依頼でやったとしても、異常なことなんだよ。警察が、民間人の依頼で、暗殺をやったということだから。
あの事件は実に異常な事件なんだよ。ただし新選組や見廻り組がやったのではないなら、べつに珍しくない普通の暗殺事件となるんだよ。
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 01:39:03.77 ID:Ezy5Jt780
近江屋の階段は南北方向についていたのではあるまいか。なぜなら谷の証言によると、
「ちょうど階段を上り付けたところに、坂本が斬倒されていた。そして、この階段を右に行ったところが、すなわち京都の方角に窓があった。
その下には、龍馬の従僕(藤吉)が斬倒されていた。そして、右手の方の座敷に中岡が斬られていた。」となっているが、
階段が東西方向についていて、しかも北の壁沿いについていたとすれば、階段の右は壁であり、京都の方角の窓は後方である。それからまた、
「ただ2階へ上がる行き詰まりのところに明かり窓があるが、それは高くて」とあり、階段が東西方向についていたなら、
2階へ上がる行き詰まりのところというのはないわけで、スミさんの証言でも階段に続いて長い廊下が奥まで続いていたわけである。
しかし階段が南北方向についていたなら、階段を上がったところは壁で、その壁の上の方に明かり窓があったわけで、理屈に合うのである。
京都の方角の窓というのは河原町通りに面した窓で、その下に藤吉が倒れているのが見通せたということは、
そこまでずっと廊下が続いていたということで、要するに二階の廊下は東から西までずっと続いていたということである。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 01:49:01.05 ID:Ezy5Jt780
上の記述から、中岡が倒れていたのは東八畳の間だということが分り、暗殺は東八畳の間で行われた可能性があるのである。
そうすると峯吉も今井も嘘を言っているということになり、真犯人は別にいるということになるのである。
ああ、ここに書くのが勿体ないくらいのすばらしい新説だ!
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 09:11:55.42 ID:W/lkQTfl0
たぶんこういうことだな。
後藤と福岡が永井、近藤と会談したときに、大政奉還の建策者は竜馬だと後藤が話した。
永井は坂本という男が薩長を仲介したことを知っていたし、幕吏を射殺したことも知っていた。
しかも大政奉還の進言者であることも知って驚き、憎しみが芽生えた。
で、近藤と二人で密議して、龍馬を葬ってしまおうと考えた。佐々木には近藤から伝えさせた…。
渡辺篤の文書には最後にいやに多く近藤勇のことが書かれているだろ。
渡辺は近藤が関与していることを示唆しているんだよ。
近藤が捕縛された時、知らないと言い張った(のかどうかは知らないが)のは、
自分が佐々木に指示を伝えたのがばれるから、言えなかったんだよ。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 09:18:27.89 ID:W/lkQTfl0
翌日に近藤が佐々木に、「や、昨晩はお手柄であった」とかなんとか言ったというのは、
近藤が佐々木に指令を伝えていたのだから、当然の事なんだよ。
永井が近藤を尋問して、近藤が知らないと言ったのも、二人で仕組んだことだから当たり前なんだよ。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 17:40:02.24 ID:MJXY+r2c0
>>586 階段が東西方向についていたとしても、谷の証言とほぼ合致する場合が一つだけある。それは、
階段が北側の壁に沿ってついているのではなく、ちょうど二階の廊下の幅だけ壁から離れてついている場合である。
その場合、階段を上がったところに一畳分ほどの踊り場というか板間があったと思われる。
いずれにせよ、二階の廊下はおそらく東から西までずっと続いていたと思われるし、
中岡が東八畳の間に倒れていたことはまちがいない。
(図示の仕方が分からないので文章で書いた。あしからずご了承あれ)
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 18:31:41.38 ID:4QtVkwk90
要するに菊池明「龍馬暗殺 最後の謎」p21に間取り図が載っているが、この図には書かれてないが、
この図の四つの部屋の北側に廊下が東から西までズドーンと続いていたということである。
そういや近江屋て
残せなかったの?
残さなかったの?
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/11(木) 19:10:30.22 ID:4QtVkwk90
「もし逃げ出るならば、石川、坂本の斬られているところへ行かなければならない。そこには低い敷居があり、その下で坂本が机を置いて読書していた。
その場所からは出られるが、そこでは石川、坂本の両人がドサバサドサバサやっているので、逃げようとしても逃げることはできないのである」
谷の講演の一部だが、この部分もどうもよく分からないのである。
「そこには低い敷居があり、その下で坂本が机を置いて読書していた。その場所からは出られるが、」
何のことかさっぱり分らない。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 09:27:04.75 ID:EBAwrE+Q0
ところで「ほたえな!」のソースは誰かな?
峯吉か? 峯吉だとしたら峯吉はその場にいたことになるな。
新助だとしたら、新助は階下でその声を聞いたのか?
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 10:17:25.39 ID:7M7NWfj4O
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 11:03:39.86 ID:oL4hkjrsO
だから中岡狙いだったんだよ。
竜馬なんて雑魚は当時誰も知らないって。
中岡を狙っていて、竜馬は巻き込まれただけ。
竜馬も中岡を偽名で読んだりして、中岡庇っていただろ。
そういう事。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 17:19:55.26 ID:hTT8a/8E0
594
いや、龍馬はわれわれが思っている以上の大物だった可能性がある。なにしろ
新官制議定書に参議として竜馬の名前が入っているくらいだから。
われわれの感覚からすると、維新の立役者は下級武士、極端に言えば今のフリーターのようなものだが、
それが維新後は大臣になっているということは、もしかしたら藩内で最優秀の者が情報部員として選ばれていたのかもしれない。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 17:33:08.48 ID:hTT8a/8E0
永井と近藤勇の共謀説の参考になる史料を見つけた。「昔夢会筆記」p104〜p105に面白い記述がある。
永井が、近藤ら四人の新選組隊士を連れて長州に行って、偽の役職名を名乗らせて、
調停役として長州に送り込もうとしたが、長州側から拒絶されたということがあったが、
永井の目的は、機を見て高杉晋作らをやってしまおうと考えていたのではないか、と江間というひとが慶喜に質問している。
こういう記述も永井の人間性を考える上で重要である。
つまり永井という男はそういう無茶なことを考えそうな男かもしれないということである。
>>595 それ制作したの竜馬じゃなかったっけ?
つかそれただの建白書みたいなもんだ。
何か書くのも自由。
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 18:32:40.84 ID:kZoOTnA10
597
いや尾崎三良(戸田雅楽)が作ったのでは?
龍馬がその案を見てひどく喜んだ、というような記事が「慶喜公伝」にあったように思う。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 18:46:41.59 ID:kZoOTnA10
「竜馬暗殺のなぞを解く」を読んでいるが、岩崎鏡川は明治31年刊の「後藤象二郎」では、
刺客が名乗ったのは松代藩だと書いているらしい。ということは谷の講演までは十津川の情報を知らなかったということか。
政治的理由は別段要らないと思うがねぇ〜「既に」寺田屋の件にて龍馬はある意味「大物」だったと
逃げ込んだとされる薩摩藩邸側からは知らぬ存ぜぬと
しかも京を離れたと思ったらいつのまにやら舞い戻っている始末
そしてこいつは何食わぬ顔で正々堂々?と幕府高官と会合しているワケだw
まーこれは飽くまで佐幕側犯行説な場合だけれども
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 21:36:47.54 ID:iDory32J0
>>596 >永井の目的は、機を見て高杉晋作らをやってしまおうと考えていたのではないか、と江間というひとが慶喜に質問している
その江間という人物は桑名藩士で歴史研究家でもあった人だが、幕臣の永井とは縁もゆかりも無い。
だから江間の完全無欠の妄想であって、その妄想に付き合えば史実とは無縁のIF論になるぞ。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 21:46:06.19 ID:NKJZr3DY0
>>601 しかし新選組の四人を偽の役職名で長州に送り込もうと企てたということは、江間のように想像しても別に不自然ではあるまい。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 22:18:30.31 ID:/4Z8CvUN0
使者が相手に襲い掛かった時点で、もう停戦どころか終戦の糸口すらない。
幕府側の全権を任されていた徳川慶喜の体面も深く傷つける行為で、現実に実行したとしたら糾弾は免れない。
ましてこの時期は、徳川慶喜にとっては大阪城の徳川家茂の健康状態の方が気がかりな状況であり、
松平容保を大阪城に置いてから、程なく徳川家茂は死亡し、この瞬間から徳川慶喜は京都で次政権作りを始める。
徳川家茂の後任を考え、家茂の死を念頭に入れていた慶喜が、長州との戦いを長期化させる試みに手を出すだろうか。
永井の提案として考えるにしても、実現性が小さい。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 23:04:20.05 ID:J6+kEWMu0
しかし新選組の四人を周旋方として長州に派遣しようとするというのはどう考えても不自然だろう。
しかも名前や役職名まで偽って。とにかく永井がそう申し込んで謝絶されたというのは事実なのである。
君がそんなアホなことをするはずがないと言ったところで、事実なのである。
坂本と中岡が暗殺されたのも事実なのである。黒幕が幕府だと言うと、いろいろな理由を挙げて、幕府がそんなことをするはずがない、と言い、
薩摩だと言うと、いろいろな理由を挙げて薩摩がそんなことをするはずがないと言い、土佐だと言っても、
紀州だと言っても、その他Aだと言ってもBだと言っても、いろいろな理由を挙げて、
Aがそんなことをするはずがない、Bがそんなことをするはずがない、と言う…。
しかし暗殺されたのは事実なのである。永井がそういう申し込みをしたのも事実なのである。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 23:11:32.50 ID:/4Z8CvUN0
永井の提案とやらは実現せず、これをもって永井は卑劣だと断定するのには無理がある。
まして証拠は松平容保の周囲にのみ集中している。事実を無視し、容保サマは犯人じゃないと主張したところで、
事実は変えられない。
永井への偏見は止めたほうがよいだろう。松平容保の周辺に犯行に関する証言が集中しているのだから。
事実なのである。を使う君は事実を見ようとしない。
証拠って何ですかあ?
刑部省口書ですかあ?
勝とか谷とか福岡の言説は無視ですかあ?
見廻組の下っ端さんたちの「遺言」でも容保なんか出てこないんですけどお?
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 23:37:44.61 ID:J6+kEWMu0
永井は卑劣だと断定しているわけではない。永井というのはそういう非常識なことをする男だったのではないかと想像しているだけだ。
>まして証拠は松平容保の周囲にのみ集中している
ちっとも集中していない。容保が怪しいという史料は手代木の遺言だけ。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 00:03:33.88 ID:+K+vIh/k0
それと比較しても、君が執拗に求める永井説とやらは、
他人が中傷していたというものばかりで、論証に値しないのだが。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 00:07:29.57 ID:+K+vIh/k0
>>607 永井への妄想よりも、実際に卑劣なことばかりを重ねている松平容保の人生について、君は考えてみたほうがよい。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 00:23:43.87 ID:lmt9702N0
>>609 ぼくは一つの案として永井説を考えているだけ。
君は明らかに容保に対して偏見を持っている(ようにぼくには思える)。
ぼくは一種の勘で容保ではないと思っているのである。ある本に容保は禁門の変のころまでは元気だったが、
それ以後は病弱で、藩論は公用人が決していた、みたいなことが書かれていた。
手代木が史料によく登場するのは、そういう理由もあるのだろう。
なにはともあれ、君は容保の人物像を見誤っている(と、ぼくは思う)。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 00:31:01.74 ID:lmt9702N0
容保説の根拠は二つしかない。
1 手代木の遺言→しかし某諸侯といっただけで松平容保といったわけではない。
2 見廻り組は守護職の配下→しかし実際にどの配下で動いていたかは曖昧。
ゆえに君が思っているほど確実な根拠はない。大政奉還についても大義を理解していたという史料もあるのだし。
それに坂本とか中岡という人物を知っていたかどうかさえ不明。これに反し、永井は確実に知っていた。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 00:57:26.60 ID:k17XXIJv0
>>610 永井は屋敷の周囲に刺客が存在する故警戒するよう忠告してるじゃん
白昼に来訪するは危険故夜間にするよう要請もしてるじゃん
永井は龍馬の説は高大だと評価してるじゃん
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 01:10:27.44 ID:k17XXIJv0
>>610 手代木が某諸侯と証言してるじゃん
永井は旗本で諸侯ではないじゃん
あれは手代木翁の「手記」ではなく「聞き書き」なワケでw
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 02:40:21.82 ID:+K+vIh/k0
>>611 そして永井説の根拠はない。0対2ですよ。
そして、松平容保の人格に対しては、見誤っていると言うわりには、
彼の高貴な部分が小説上の創作しか見当たらない。
小説家の描く人物像から果てしなく遠い人物、それが松平容保なのだと思われます。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 09:04:54.51 ID:+dAt6QUi0
>>612>>613 いかにもその通り。それでみんな永井を疑わない。今井の子孫の幸彦ですら、今井弟の手紙に永井とあるのを何かの勘違いだろうと考えており、
相川司に至っては推理の史料に今井弟の手紙は省略している。そこが盲点。
永井→容保→佐々木だったとしたら、今井弟の手紙も手代木の遺言も辻褄が合う。
>>615 今井弟の手紙があるじゃないか。他にも永井が怪しいと思う理由は以前に挙げたので略す。
暗殺後、土佐が老中に訴え、永井が近藤を尋問した。新選組は守護職配下のはずなのに大目付の永井が訊問した。さらに
勝の日記でも大目付、目付の命令系統が想定されており、所司代や守護職は想定されていない。
これらのことから、見廻り組が守護職や所司代の配下だったことには疑問の余地がある。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 09:23:21.24 ID:+dAt6QUi0
「昔夢会筆記」の京都守護職の権限の部分を読み返してみた。何度読んでも文意がつかみがたいが、
有事の際は(有事の際というのはかなり大きな動乱の際)守護職の全権下に入るが、平時は、
所司代は所司代で独立的に動く、と読めるように思う。
つまり仮に見廻り組が所司代配下だったとしても、竜馬暗殺ぐらいの件は所司代だけの指示で動いたとも考えられるのである。
相川氏は見廻り組は所司代配下だから、黒幕は定敬だとごく単純に推理し、暗殺ではなく公務執行だと結論付けたのである。
相川氏に欠けているのは、命令系統の吟味と、指令を出した人物の人間性についての考察である。
氏はまったく機械的に、論理的に、定敬の命令だと考えたのである。定敬が当時まだ十九歳だったということすら考慮されていない。
19歳だろうが、某諸侯は桑名侯であると名指しされたのは、
定敬だけ。
19歳、当時なら十分大人だよね。
判断が未熟だとしても、未熟だからこその命令とも考えられる。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 11:25:24.15 ID:zK08HZSM0
そもそも、松平容保と松平定敬は兄弟でツーカーの仲でしょ。
藩士達の交流も互いに京都警備でかなり親密。
手代木の史料がある以上、会津藩がまったく無関知とは言い難いよ。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 13:30:11.65 ID:A1BBH9TNO
見廻組ハ、京都守護職附属ニ付、松平肥後ヨリ之、差図ニ哉
手代木は会津重臣の一人で克つ実行犯と目される佐々木の兄貴でもある・・・・・
という「前提」を踏まえて考えるからこんがらがる?
要は京の幕府側(会津)の重臣の一人として「知っていた」てだけの話
しかも実行したのが弟だったて「だけ」
そして弟はどうやら桑名候の命で動いたようだと
で、当然桑名候は我が主君の「実弟」でもあるわけだから・・・もにょもにょ
龍馬を殺したのは実弟であると書いてあって「俺が命令した」とは云っていない(書いていない)ところ
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 14:02:22.73 ID:zK08HZSM0
そりゃそうだ。会津藩が勝手に桑名藩配下の組織使ったら問題だもん。
”公式上”そう書かれてあるのは当然だよね。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 17:45:51.74 ID:YPjWq5ax0
>>620 差図ニ哉
この「哉」という言い回し、ニュアンスが重要。「…だろうか」
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 18:23:31.69 ID:lVfCNZNh0
蓋然性があろうとなかろうと、容保命令の記録・証言・証拠・史料、
とにかく一切無しなことだけは確か。
>>622 おいおい、火付盗賊改方長谷川平蔵を例えて
「長谷川家」の組織とは云わんだろ?ww
「持ち出し」はあっただろうが
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 21:44:08.24 ID:gj4PavCG0
やはり近藤勇が関与しているな。竜馬への嫉妬だな。
「新選組局長の近藤勇がお龍に懸想して、櫛や簪を買って来たりしたという話も伝わる。」
Wikiより。出典は 坂本優二『龍馬を愛した女たち』p188
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/13(土) 23:19:20.01 ID:gj4PavCG0
衝撃の新説
お龍さんはスパイだった!
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 08:33:47.70 ID:1TfDB4Pu0
「土佐藩の坂本龍馬、中岡慎太郎というものが、密かに徳川将軍を覆そうと謀り、その陰謀を四方にめぐらせていたので…」
渡辺篤の文書だが、これをみると中岡は巻き添えではなく、最初から暗殺目標になっているな。
ただし後年渡辺が、同時に死んだのが中岡だと知って、こういう文を書いたのかもしれないが。
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 08:42:27.41 ID:1TfDB4Pu0
意外な盲点を発見した。今井が襲撃理由として寺田屋騒動を挙げているのだから、
暗殺指令を出した人物は、寺田屋で捕吏を射殺したのが竜馬であることを知っている人物である。
そういう騒動があったことを知っているだけではだめで、射殺犯が竜馬であることを知っている人物だ。
薩摩の小松、西郷、吉井らは知っていただろうが、土佐ではたして何人が知っていたか。また、
幕府側で誰が知っていたか。永井や容保は知っていたか。
寺田屋遭難で坂本は書状などの荷物を伏見奉行所に押さえられているから、
旧幕府の連中は、寺田屋にいたのが坂本であり討幕を考えていたことは、大政奉還の時期には周知していただろう。
>>629 何が盲点だ?w
二重に逆だろ!
寺田屋事件では龍馬を捕まえにいってその幕吏が射殺されているんだから、
幕府側が龍馬に長州人の同行が一人いると知っていても、
龍馬は幕吏射殺犯あるいはその責任者であることは幕府側には自明。
幕府側の人間で龍馬が幕吏射殺犯あるいはその責任者と知っており、かつ、捕縛権限のある人物は、
龍馬暗殺の必要性一切なし。
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 14:08:10.01 ID:IdQUCgyW0
>幕府側の人間で龍馬が幕吏射殺犯あるいはその責任者と知っており、かつ、捕縛権限のある人物は、
>龍馬暗殺の必要性一切なし。
これは間違い。坂本龍馬暗殺時に京都の旧幕府の中では、土佐藩の味方への取り込みが盛んに議論されていた。
その時に既に土佐藩の重要人物となっていた坂本・中岡を正規に捕縛してしまえば、旧幕府と土佐藩との関係は悪化する。
ゆえに、この時点で旧幕府側は正規に捕縛を行うことが出来なかった。
>>932 幕府側は、暗殺はできるが、捕縛はできなかった、と?
もはや付ける薬なし
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 15:11:35.97 ID:IdQUCgyW0
>>633 暗殺後、旧幕府は坂本・中岡殺戮について犯行声明は行っていない。
事件を無視し対外的には居直った。そのために戊辰戦争から明治以降にかけて犯人探しが行われたのだ。
旧幕府は犯人だと名乗り出なかった。君は経緯を無視している。
>>634 土佐藩は、坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺犯を新選組と証拠付けて、新選組の廃止を幕府に求めている。
そして、幕府はそれを認めて新選組を廃止している。
これは鳥羽伏見の戦いの前のこと。
キミは、多くの見廻組説妄想患者同様、史実を無視している。
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 16:42:41.62 ID:IdQUCgyW0
>>635 >そして、幕府はそれを認めて新選組を廃止している。
旧幕府は反抗を認めていません。新撰組廃止?全然してないじゃありませんか。
だから戊辰戦争以降、新政府は犯人探しを行いことになったわけです。
「キミは、史実を無視している。 」の一番似合う妄想患者が、あなたです。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 16:46:51.63 ID:IdQUCgyW0
反抗ではなく犯行ですね。
それにしても、鳥羽伏見の戦いで部隊参戦した新撰組を、鳥羽伏見の戦いの前に廃止した?
字面だけを追って、旧幕府が坂本中岡殺害の犯行を否認隠蔽したことを隠そうとする。
君の行動は卑劣より先に、奇想天外すぎてあきれてしまう。
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 16:54:10.12 ID:IdQUCgyW0
更に、呼称上組織を廃止したことが何故罪を認めたことになるのだ?
近藤勇は大久保隼人と改名したが、これは幕府が罪を認めたからなのか?
そういうものではない。存在を隠蔽しようとしただけのこと。
坂本龍馬殺害に対し、戊辰戦争以前から旧幕府が殺害の罪を認めていたとする君の見解は、
どこにも根拠がない。
旧幕府は坂本中岡殺害の犯行を否認した。そのため犯人探しが戊辰戦争以降継続された。
>>636 さっさと氏ねば?
新選組は幕府から新選組廃止を命令され、
近藤勇はじめ新選組の連中は、
新選組と名乗りたかったけれど、新遊撃隊とか甲陽鎮撫隊とか名乗らざる得なくなったんだよ。
だけど、新選組と名乗りたいアフォどもが沢山いたので、慶喜蟄居後は、
そのアフォどもが幕府とは関係なく新選組と勝手に名乗り始めただけ。
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 16:58:34.62 ID:IdQUCgyW0
>>639 あなたはスレの更新も知らない。
そして、既に否定されたことを改めて書いて得意顔。
ID:+goS7qd40は幕府が戊辰戦争以前から殺害を認めていたと嘘を吐き、他人を罵倒して生きている。
>>638 大石鍬次郎の刑部省口書を読む限り、近藤勇は、
坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺を自白している。
かつ、
龍馬・晋太郎暗殺当時、見廻組による暗殺であるかのように偽装工作している。
>>640 > スレの更新
って何?
> 既に否定されたことを改めて書いて得意顔。
どこで、どう?w
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 17:04:51.64 ID:IdQUCgyW0
>>641 >大石鍬次郎の刑部省口書を読む限り、近藤勇は、
>坂本龍馬・中岡慎太郎の暗殺を自白している。
新政府による拷問の結果で本意ではなかった、と常日頃語られる近藤勇の刑死前後の状況については無言ですか。
旧幕府は自身が坂本・中岡殺害の犯人である事を認めなかった。これはそれを示す証拠の一つですね。
あなたは自らの説を証拠を出して否定しました。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 17:09:16.64 ID:IdQUCgyW0
>>642 反論が出来なくなり罵倒へ。
これは会津教徒がよく使う手段です。
それにしても、なぜあなたは、「戊辰戦争前から旧幕府は坂本・中岡殺害を自らの犯行と認めていた」と主張したのでしょう。
旧幕府が自らの犯行を肯定したのなら、土佐藩は旧幕府の味方にはならないでしょうに。
>>643>>644 > 新政府による拷問の結果で本意ではなかった、と常日頃語られる近藤勇の刑死前後の状況については無言ですか。
手代木にしっかり言い含められていたんだろ、
『新選組がやった龍馬・慎太郎暗殺は見廻組による暗殺としっかり偽装工作しておいたから、
隊内でも自慢話になんかせずに、見廻組の犯行だと偽装工作を貫けよ』と。
だけど、近藤勇は、ある意味、正直者だったから、見廻組の犯行だと明治政府には偽装工作しなかったんだな。
その心意気を汲んでやれよ。
旧幕府は新選組が坂本・中岡殺害の犯人である事を認めた。
旧幕府が土佐藩の求めに応じて新選組を廃止したことは、それを明確に示す証拠の一つ。
旧幕府としては、土佐藩を味方に付けるため、坂本・中岡殺害の犯人である新撰組を廃止することなど、何でもない話。
元々旗本・御家人からは嫌われていた存在なんだし。
状況証拠と動機と「もっとも得をしたやつ」論だけでいいなら、
岩倉大久保が密告し、斎藤一が実行したというのが
もっともビューティフルだお。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 17:41:26.51 ID:IdQUCgyW0
ID:+goS7qd40は反論が出来ず妄想小説披露ですか。大いに笑ってあげますよ。
名前を削っただけで誰一人処分もせず、廃止したと宣言だなんて偽証もいいところですし、幕府は暗殺への介在を否認しています。
大政奉還後、鳥羽伏見の戦いまでの旧幕府にとって、土佐藩は味方に取り込むべき存在でした。
だから当時、土佐藩の有力者と化していた坂本龍馬・中岡慎太郎の両名を
旧幕府は捕縛できないし、まして暗殺などありえないはずでした。
現に四条辻高札事件などの例もあります。
(高札侮辱の罪で捕らえていた浪人が、自白の結果土佐藩士と判明し、途端に無罪釈放の上で旧幕府側が処分謝罪に追い込まれた事件)
坂本龍馬を始め、暗殺事件までの土佐藩関係者が身辺の安全にまるで気を使わなかった理由は、そこにあります。
しかし坂本・中岡の暗殺は起こった。
坂本・中岡暗殺事件は、その直後の新撰組による伊東甲子太郎暗殺事件と関連付けられ、
伊東配下の数人が伊東暗殺後薩摩藩邸へ逃げ込み、彼らの証言で坂本暗殺も新撰組犯行とされます。
しかし旧幕府は犯行を否認した。土佐藩と協力関係を作りたかった旧幕府は、坂本・中岡殺害を自らの犯行と認めることが出来なかった。
ここから犯人追求が始まるわけです。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 17:45:50.77 ID:IdQUCgyW0
>>646 それらの人には状況証拠と動機がありません。
まして、「最終利益を得た人」を犯人とするのは、その後の二転三転する流動的な展開を知らない人でしょう。
>>647 > 幕府は暗殺への介在を否認しています。
ソースは?w
幕府が胸を張って否認できるのならば、幕府は新撰組廃止→新遊撃隊とはしなかったはずだよなぁ
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 17:55:43.10 ID:IdQUCgyW0
>>649 >幕府が胸を張って否認できるのならば、幕府は新撰組廃止→新遊撃隊とはしなかったはずだよなぁ
仮定が間違っています。改名は旧幕府が犯行を肯定した証拠ではありません。
むしろ、ID:+goS7qd40は、旧幕府が犯行を肯定した証拠を見せてください。無い物は見せられませんので。
>>650 ホント、低脳だな
新撰組が龍馬・慎太郎の暗殺犯だという土佐藩の直訴を幕府が認めて新撰組廃止→新遊撃隊としたことが
龍馬・慎太郎暗殺犯が見廻組ではなく新撰組であることを幕府が認めた証拠。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:25:39.84 ID:IdQUCgyW0
>>651 嘘をついてはいけません、それは証拠ではありませんよ。
あなたは証拠も無いのに、旧幕府が坂本龍馬暗殺事件について犯行を認めたと主張しました。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:40:26.03 ID:+lbNQMyd0
629の投稿者である。私の投稿がきっかけでバトルが繰り広げられているようだが本題に戻ると、
寺田屋騒動は薩長を仲介した龍馬が狙われたと思われているようだが、そんな政治犯では逮捕は出来ない。ゆえに、
狙われたのは当時入京禁止だった長州藩士三吉だろうという説がある。
いずれにせよ、捕吏の射殺犯が龍馬だということをどれくらいの人間が知っていたかは考察の余地がある。
事件後、土佐藩に連絡が入った様子もないし、永井も平気で会談してるし、意外と知られていなかったのではないか…。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:50:10.45 ID:+lbNQMyd0
「竜馬暗殺のなぞを解く」を読んだ。三浦宛ての近藤勇の書簡と、釣洋一の、狙われたのは中岡だという論が面白かった。
いずれにせよ、近藤勇が関与している疑いがますます強くなった。
いろは丸の件で三浦が依頼し、討幕派の中岡を京都守護職が、ピストル射殺の件で永井が、暗殺命令を出したのではあるまいか。
三者を仲介し情報提供をしたのが近藤勇。これで決まり。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:50:43.09 ID:IdQUCgyW0
>>653 私の回答は
>>630です。
大政奉還のために坂本が永井・容保らの居宅を訪問する時点では、
寺田屋で発砲したのが坂本龍馬である事をこれらの幕吏は知っていた、と私は考えています。
何故なら伏見奉行所・京都所司代が、寺田屋遭難時に放置した坂本の所持していた書類を押収しているのですから。
>>652 息を吐くようにウソを吐き続けてるのはそちら。
旧幕府が新撰組による坂本中岡暗殺を認めたからこそ、
旧幕府は新撰組廃止を決定し新撰組が消えて新遊撃隊ができたという史実ぐらいは
いくら見廻組説を主張する者全員が低脳の虚言癖の妄想患者であっても認めろよ。
しかも土佐藩が旧幕府に坂本中岡の暗殺犯の新撰組を廃止しろと直訴した上でそうなってるんだからな。
明らかに完璧な証拠じゃないか、旧幕府が新撰組による坂本中岡暗殺を認めたということの。
で、
>>647 > 幕府は暗殺への介在を否認しています。
のソースは?w
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:54:50.38 ID:IdQUCgyW0
>>654 >いろは丸の件で三浦が依頼し、討幕派の中岡を京都守護職が、ピストル射殺の件で永井が、暗殺命令を出したのではあるまいか。
ばらばら過ぎます。
そして中岡の坂本の住居への訪問は、途中で変更される可能性も高い偶発的なものでした。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:58:47.08 ID:+lbNQMyd0
>>655 それならなぜ土佐藩に龍馬の身柄を差し出すように要求しなかったのでしょうか。
それになぜ永井や容保は龍馬を逮捕しようともせず会談に応じたのでしょうか。
「土佐藩との関係を考慮して」などという説明は通りません。なぜなら
龍馬がどんな大物であろうと、刑事犯は逮捕すべきなのが当局というものですから。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 18:58:56.54 ID:IdQUCgyW0
>>656 あなたは
>>650へループを狙うのですか。
あなたの話には一つもまともな部分がない上に、嘘を重ねて平然としている。
証拠がなのがそんなに苦しいですか。あなたが嘘をついたせいですけどね。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 19:05:33.85 ID:+lbNQMyd0
>>657 ばらばらでもいいじゃないか。
三浦の依頼もあり、容保は容保で、永井は永井で、坂本と中岡を消したい理由があったので、
近藤勇をまじえて四者協議で決定した。それでなんの不都合な点もない。
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 19:08:03.02 ID:IdQUCgyW0
証拠がないのがそんなに苦しいのですか、ですね。
新撰組説は過去に試みられたが、今となっては廃棄せざるを得ない根拠の乏しい説です。
>>658 >龍馬がどんな大物であろうと、刑事犯は逮捕すべきなのが当局というものですから。
ところがそうでもありません。
>>647で四条高札事件を取り上げていますが、
この事件に関しては、高札を引き抜いて捨てた行動には当事者も異論がなく、
王政復古前の時点では明らかな犯罪行為です。
しかし土佐藩の体面が優先され、捕らえた新撰組に処分が下った。
当時の旧幕府側が土佐藩の歓心を買おうとしていたという姿勢が伺える事件です。
坂本龍馬も京都の幕府首脳と面会し、何も捕まることもなく会談が成立している。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 19:09:06.62 ID:+lbNQMyd0
わたしは勉強不足だが、
竜馬暗殺の件で土佐藩が抗議したので新選組が廃止された、
というような話は聞いたことがないぞwww
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 19:18:26.38 ID:+lbNQMyd0
その四条高札事件とやらがどんな事件が知らないのだが、
高札を引き抜くのと射殺とではおのずから事件の重大性が異なるわけで、
いくらなんでも射殺犯を、政局を考慮して、黙認するというのはおかしい。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 19:31:15.41 ID:IdQUCgyW0
新撰組は大阪移転後に名前は変えているのですが、処分者も誰もいない上に、その後もこの集団は一体として活動しているので、
鳥羽伏見の戦い及びその後の戊辰戦争における、旧幕府側の新撰組隠し工作とされているものです。
これが何で幕府が犯行を認めた根拠になるのか、全く不明です。
坂本龍馬は、大政奉還における京都の幕府首脳との会談で、全く捕らえられる事はありませんでしたし、
中岡慎太郎は、四条高札事件の土佐藩側全権として新撰組と交渉しましたが、新撰組は謝るばかりでした。
どこかの本で聞きかじったばらばらの動機で、複数の対象への加害者が集まり、
ばらばらの行動パターンの2人が、たまたま同席したところで加害者が集合し犯行が行われる。
この仮定は無理が多すぎます。
>>659 証拠らしきものすら無しに息を吐くようにウソをはき続けているのは明らかにそちら。
>>647 > 幕府は暗殺への介在を否認しています。
のソースは?w いつ答えられるの?w
>>662 > 竜馬暗殺の件で土佐藩が抗議したので新選組が廃止された
この史実は、新選組説を否定し見廻組説という妄想を流布させたい者どもにとっては致命傷なんだろうw
ID:IdQUCgyW0 の発狂ぶり・妄想患者ぶり・虚言癖ぶりが哀れですらある。
>>664 > 新撰組は大阪移転後に名前は変えているのですが
新選組廃止は単なる改名ではない。幹部連中からして近藤勇とは別行動を開始している。
新選組としては禄をもらえたが、新選組廃止以降は新遊撃隊を名乗ったところで禄をもらえないのだから、当たり前と言えば当たり前。
> 坂本龍馬は、大政奉還における京都の幕府首脳との会談で、全く捕らえられる事はありませんでした
そりゃ、会津藩や新選組のような大政奉還反対派からすれば、欲求不満が募りに募ったことだろう。→会津藩・新選組による龍馬暗殺
> 中岡慎太郎は、四条高札事件の土佐藩側全権として新撰組と交渉しましたが、新撰組は謝るばかりでした。
これも、新選組のような御用テロ実行部隊からすれば、欲求不満が募りに募ったことだろう。→新選組による慎太郎暗殺
新選組説の状況証拠の提供ありがとうwwwww
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 20:29:13.13 ID:IdQUCgyW0
なんだか、妄想であきれさせようとしているらしい。
君の話にまともな部分はまるでないので、そのつもりで。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 20:48:40.48 ID:VWmRxQb80
>>616 >永井→容保→佐々木だったとしたら、今井弟の手紙も手代木の遺言も辻褄が合う。
永井が捕縛要請したなら
永井ー若年寄付幕臣→手代木→容保ー見廻役ー佐々木じゃん
手代木は会津藩の外交を取り扱ってたじゃん
手代木が某諸侯の命と証言したら
容保はないでしょ
>>668 三条高札事件を
> 四条高札事件
と妄想し、
>>647>>661>>664と繰り返しているID:IdQUCgyW0自身が妄想であきれさせようとしているらしい。
君の話にまともな部分はまるでないので、そのつもりで。
>>647 > 幕府は暗殺への介在を否認しています。
のソースは?w いつ答えられるの?w これもやっぱり妄想だった?w
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 21:02:24.01 ID:VWmRxQb80
>>653 >いずれにせよ、捕吏の射殺犯が龍馬だということをどれくらいの人間が知っていたかは考察の余地がある。
寺田屋事件後に伏見奉行所より京都所司代へ報告書が届けられたが
龍馬と認識しているじゃん
一般的に捕縛する折犯人を認識してないわけないよね
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 21:13:33.17 ID:VWmRxQb80
アイヅガ〜アイヅガ〜松平容保黒幕説が
新撰組黒幕説に宗旨替えしたのかよw
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 21:22:01.31 ID:VWmRxQb80
>>658 龍馬は寺田屋遭難で幕吏二名を射殺し逃亡したじゃん
それで幕府側は激怒して、更なる龍馬の捕縛、殺害の命令を
伏見奉行所、京都町奉行所、京都所司代、京都守護職、見廻組、新撰組の
捕吏に対して下したんじゃね?
各組織が龍馬暗殺に二年近く暗躍して仕留めたのは
偶然的に見廻組だったんじゃね
幕臣永井尚志は龍馬が来訪した折に
屋敷の周囲に君の命を狙っている者が大勢いるので警戒するように
と忠告してるじゃん。そして白昼に来訪しないようにと要請してるじゃん。
幕府首脳にとって龍馬との面談は公にできない種類のものだと推察できるじゃん
非公開の理由として伏見奉行所、京都町奉行所、京都所司代、京都守護職、見廻組、新撰組の
捕吏が龍馬を捕縛、殺害しようとして躍起になって捜査していたことが挙げられるじゃん
緊迫した時勢から幕府首脳は土佐藩の使者である殺人犯龍馬を捕縛するより
利用した方が徳川家の利益に寄与すると判断したんじゃね?
しかし殺人犯を許すなどということは公にするには差し障りがあるじゃん
故に幕府首脳は龍馬と面談はするけど各組織が龍馬を捕縛、殺害することは
止めなかったんじゃね
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 21:33:09.50 ID:iDY2L7yY0
>>669 江戸幕府職制表によれば
将軍−老中−大目付
将軍−京都守護職
だから、永井→容保は不可能。それを承知でわざと書いたのだが、君の命令系統ラインはまったく意味不明。
で、わたしは意見を変える。→永井、容保、三浦、近藤が協議して暗殺を決めた。
>>671 >寺田屋事件後に伏見奉行所より京都所司代へ報告書が届けられた
勉強不足で、どんな報告書が届けられたのか知らないので、今は答えられない。
ほんとうに龍馬と認識しているのか。それならなぜ土佐藩に身柄の引き渡しを要求しなかったのか。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 21:44:49.51 ID:iDY2L7yY0
>>673 なんとなく分かる気もするが、
利用できる間は「今は手を出すな」と伝えるだろうし、
もう利用する価値はないとなれば「よし、もういいから殺れ」と伝えるのではないだろうか。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 21:45:00.26 ID:IdQUCgyW0
むしろ、容保ファンが見廻組犯行説を混ぜ返そうとしているように思えるが。
>>669 >永井が捕縛要請したなら
>永井ー若年寄付幕臣→手代木→容保ー見廻役ー佐々木じゃん
この系列にはならない。
・徳川慶喜(征夷大将軍)
・板倉勝静(老中)・永井尚志(若年寄待遇)
・小笠原弥八郎(見廻役)・松平容保(京都守護職)・松平定敬(京都所司代)
・佐々木只三郎(見廻組組長)
の大きく言って四階層がある。会津藩公用方(上級外交官・家老並)手代木直衛門なんて、旧幕府の機構の中にはない。
このうち見廻役の小笠原は全く知らないといっている。
板倉と永井は不承不承でも大政奉還を成功させようとしており、土佐藩との関係悪化を招く暗殺の動機は乏しい。
すると、手代木直衛門が事情を知っていたことを考えると、松平容保が犯行にかかわったということになる。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 22:08:01.95 ID:iDY2L7yY0
>>676 君も認識が無茶苦茶。京都守護職は将軍直属だぞ。
歴史辞典でもそうなってるし、「昔夢会筆記」でも慶喜が明言してるぞ。
それと小笠原が認めている記録もあるぞ。
>>533参照
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 22:11:02.73 ID:VWmRxQb80
>>674 永井は若年寄格じゃん
手代木は会津藩の外交を取り扱ってるじゃん
江戸幕府職制では
将軍−京都守護職ー見廻役ー見廻組じゃん
ところが見廻組は佐々木只三郎の独断もしくは
朝廷、有馬範顕、有馬家家臣、公家、公家家臣
紀州藩、佐幕諸藩、目付榎本対馬、目付レベル幕臣の
要請で発動するじゃん
つーことは永井→容保は不可能ではなく職制命令系統ライン外の要請でも
見廻組が発動すると推察できるじゃん
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 22:23:19.95 ID:iDY2L7yY0
>>678 ごめん、まちがえた。永井は若年寄だったな。
将軍−若年寄
将軍−京都守護職
だから、わざわざ永井→容保と命令を伝える必要はないわけだ。それを知っててわざと書いたのである。
しかし、目付、所司代レベルで動くことはあっても、それ以下のレベルで動くことはないと思う。
ただし暗殺となると、永井や近藤が直接佐々木に伝えた可能性はある。
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 22:47:24.37 ID:IdQUCgyW0
>>677 この時期の旧幕府の機構で直参云々を語るのは間違っている。
何故なら、京都の治安は京都守護職に一任されていたのだから。
丸毛利恒による補注は明治以降の注釈と思われるが。
後年なら静岡藩などでの審理を把握した上の言動なのかもしれない。
そして明治以降、勝海舟が問質してみた際の話を勝海舟は記している。
全くあずかり知らないことという返事で、では榎本かと類推して日記の記事は終了している。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 22:48:51.97 ID:VWmRxQb80
>>675 >利用できる間は「今は手を出すな」と伝えるだろうし、
もう利用する価値はないとなれば「よし、もういいから殺れ」と伝えるのではないだろうか。
あるよね。
土佐藩もだよね。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 22:56:42.73 ID:VWmRxQb80
>>679 >だから、わざわざ永井→容保と命令を伝える必要はないわけだ。
永井が龍馬を捕縛するなら手代木を交渉窓口として
命令を伝える必要はあるじゃん
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:00:15.57 ID:iDY2L7yY0
>>680 1 だから京都守護職がそれほどの大権を有しているのに、君が第三ランクに落としているから変だと指摘したんだよ。
2 小笠原はさておき、勝は榎本かと推理していて、所司代も守護職もまったく念頭にないようである。
ということはつまり見廻り組が実際には所司代や守護職配下で動いていなかったことを類推させるのである。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:04:22.28 ID:VWmRxQb80
>>674 >勉強不足で、どんな報告書が届けられたのか知らないので、今は答えられない。
寺田屋事件 報告書でググれ
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:06:30.54 ID:iDY2L7yY0
>>682 君の意見も見廻り組は京都守護職配下(形式上も実際上も)だという前提の上に成り立っている。
若年寄−目付−見廻り組というラインだったとしたら、容保や手代木を通す必要はない。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:18:00.74 ID:iDY2L7yY0
>>684 なるほど。たしかに龍馬だと認識しているな。
ではなぜ土佐藩に身柄の引き渡しを要求しなかったのか…。
しかしそもそもなぜ龍馬は捕縛されそうになったのか…。
さらに龍馬の捕縛理由を聞いた小松や西郷がなぜ大笑いしたのか…。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/14(日) 23:26:41.69 ID:VWmRxQb80
>>685 紀州藩が会津藩に要請し京都守護職配下新撰組が発動した
事例が存在するじゃん
故に永井ー会津藩ー見廻組というラインを推察したんじゃん
>若年寄−目付−見廻り組というラインだったとしたら、容保や手代木を通す必要はない。
若年寄−目付−見廻り組というラインの事例が存在してくれねーと
蓋然性がないじゃん
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 09:07:28.13 ID:qw6uhGB90
>>687 整理して考えよう。
1 見廻り組は守護職配下である。
2 守護職→見廻り組である。(見廻り役は省略)
3 守護職→所司代→見廻り組である。(見廻り役は省略)
4 見廻り組は実際上は守護職配下ではなかった。
2の場合はどこからの依頼であっても容保の承認が必要であると思われる。永井からの要請であろうと紀州からの依頼であろうと。
3の場合は必ずしも容保の承認は必要でなく、定敬の承認さえあればよいかもしれない。
さて4の事例を挙げよと君は言うが、いまのところわたしは知らない。知っていたらとっくに挙げている。知らないからこそあれこれ推測しているのである。
で、4だったかもしれない史料として次の2つを挙げる。
1 勝の日記など。そこでは松平勘太郎も勝も指令系統として目付を想定しており、所司代も守護職も想定していない。
2 「京都守護職始末」に見廻り組の記事がほとんどまったくない。新選組の記事は細かくあるのに。
以前にも挙げたが小松格「龍馬暗殺に残された謎・最終章その1」参照。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 09:26:25.91 ID:qw6uhGB90
「京都守護職始末」に、蛤御門の変に際して、各藩配置部署に「伏見長州屋敷に蒔田相模守(見廻組の差配役)が入る」とある、これだけである。
「昔夢会筆記」でも、大名を指図しなければならないような有事の際は守護職の全権だが、
平時は所司代は所司代で独立的に動く、と読める。蛤御門の変はそのような有事だから守護職の指揮下で動いたのかもしれない。
平時は所司代もしくは目付あるいは大目付の指図で動いていたかもしれない。
ちなみにわれわれは大目付−目付というラインを想定しがちだが、職制表によると
老中−大目付
若年寄−目付
となっている。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 17:55:59.55 ID:NjBZduc90
暗殺の実行が幕府側によることは明らかと思う。
実行命令があったのか、誰かが唆したのが、実行者の独断なのかは
確かな証拠が出てくるまで不明なんだから、自由に議論したらよか。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 18:12:38.71 ID:s9zE+d440
田中光顕はぜんざい屋事件を起こしているな。大阪市中に火を放ち大阪城を乗っ取る計画だったとか。
無茶なことを考える男だな。十津川に逃げているし。皇后の枕元に龍馬が立ったという話も、
田中光顕らによる土佐キャンペーンだったという説もある。なかなかの策士である。
こういう男なら暗殺を計画してもおかしくはない。中岡が死ねば自分が隊長になれるし。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 18:23:56.79 ID:s9zE+d440
退屈なので、たいして興味もないが新選組の本を読んでいる。
新選組の内輪もめを容保はしばしば適切な対応で処理しているではないか。
きわめてまともな人間だ。どうみても容保ガーが非難しているような人間ではない。
それはさておき、斎藤一が脱走したとき三浦久太郎が匿っている。
三浦は近藤とも親しかったらしいし、やはり怪しいな。
三浦が近藤に依頼して、佐々木に指示した、ということではないか。
新選組は顔が知られているし、見廻り組の担当地区でもあるので、見廻り組がやることになったのだろう。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 18:38:28.67 ID:LdtWvIHv0
指示出したのは小笠原でろ?
実行犯は今井ら見回組。
新撰組が顔が知られている・・・・のであれば
担当地区な見廻の連中は「もっと」知られていたのではあるまいか??
え?それは別働隊?
であれば新撰組も「そうすれば」よかっただけ
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 20:19:41.39 ID:oxFDZHE+0
>>688 推測するなら蓋然性を考慮してくれよ
>1 勝の日記など。そこでは松平勘太郎も勝も指令系統として目付を想定しており、所司代も守護職も想定していない。
黒幕として目付を想定してるじゃん
いまのところ見廻組が発動する折会津藩を経る事例が存在するので
会津藩を経る指令系統は蓋然性があるじゃん
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 20:28:56.82 ID:oxFDZHE+0
>>686 >ではなぜ土佐藩に身柄の引き渡しを要求しなかったのか…。
身柄の引き渡しを要求したと考察すべきだよね
一般的には伏見奉行所、京都所司代、京都守護職から
土佐藩横目付へ要求したんじゃね
それ故命の危機にあった龍馬を藩邸に隠匿しなかったんじゃね
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 20:39:59.45 ID:oxFDZHE+0
>>675 >利用できる間は「今は手を出すな」と伝えるだろうし、
>もう利用する価値はないとなれば「よし、もういいから殺れ」と伝えるのではないだろうか
近江屋事件の4日前に永井邸にて白昼に来訪しないように忠告されてる
ことより鑑みるに永井は依然として竜馬に利用価値を見出していたと推察できるじゃん
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 21:07:02.27 ID:6xyhMVjI0
>>695 君の書き込みの意味が不明。目付が想定されているから所司代や守護職は実際の差配役ではなかった可能性がある、とわたしは言っているのである。
蓋然性も可能性も同じこと。勝の日記や「守護職始末」の記事から、見廻り役が守護職配下ではなかった可能性がある、と言っているのである。
>>696 要求があったのなら引き渡すだろう。
>>697 まだ利用価値があると思っていたなら「今はまだ手を出すな」と伝えておくだろう。
仮に永井が黒幕だったとしたら、その四日前の会談のときに(もうこいつの用は済んだ)と考えたか、あるいは、
龍馬をすっかり安心させて油断させるために手の込んだ芝居をしたかのどちらかだろう。
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 22:03:14.92 ID:C3C2jg4K0
>>692 >きわめてまともな人間だ。どうみても容保ガーが非難しているような人間ではない。
「どうみても」は、根拠のない文の前につける言葉です。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 22:10:36.19 ID:C3C2jg4K0
>>698 坂本龍馬は、永井及び松平容保に面会したので身の安全は保証済みと言っている。
松平容保が後年、坂本龍馬との面会がなかったと証言したのは、
この際の松平容保の行動が、
>(もうこいつの用は済んだ)と考えたか、あるいは、
>龍馬をすっかり安心させて油断させるために手の込んだ芝居をしたかのどちらかだろう
にあたる可能性があるのではないか。
君の松平容保に対する思い入れは、不当な弁護と呼ぶのも恥ずかしい代物だよ。
新選組・見廻組が新選組・見廻組として動いたときは、全部、京都守護職会津藩の差配で動いたに決まっとるだろ。
で、
>>533によれば私殺ではあり得ないというわけだから、
龍馬・慎太郎暗殺の首謀者のうち松平容保・手代木直右衛門は確定。
見廻組に手柄を横取りさせる偽装工作としか考えられない幕府側のスルーぶり、
見廻組廃止ではなく新選組廃止で臭いものに蓋をしようとしたということから、真の下手人は新選組。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 00:50:33.51 ID:f+ohgrPV0
699 700
容保は君の思ってるような人間じゃないよ、たぶん。
君のような目で容保を見ているのは、たぶん、君だけだよ。
701
新選組が犯人だと思っているのは、たぶん、君だけだよwww
>>702 将来は、キミみたいなのが永久に完全淘汰されるから全く無問題w
久しぶりに来ましたが紀州藩だか大久保の書簡が見つかって以来
新事実は見つかったのでしょうか?
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 09:17:01.52 ID:prkGrWN+0
このスレは新事実の宝庫です。
てか、当時京には「二人」の肥後守がいた・・・・て話は有名じゃん
松平容保と林忠交(伏見奉行)
どっち?な話
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 17:18:46.61 ID:2pnwUYvZ0
図書館で「京都守護職始末」をぱらぱらと見てきた。
たしかに見廻り組の記事は一行もないようだった。
伏見長州屋敷に蒔田相模守を入れたのも守衛総督慶喜であって容保ではない。
こう見てくると見廻り組は京都所司代の配下か目付の配下だったと思われる。そして
有事の際以外は所司代は所司代で独立的に活動していたらしいので、龍馬の暗殺くらいは定敬の一存で決めることができただろう。さらに、
目付の配下だったとすれば、永井→目付→見廻り組だったであろうし、目付の独断だったかもしれない。
暗殺なんて、その程度のレベルの判断で行えたのではないか。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 17:33:37.51 ID:EC6OyxzM0
全く同じ時期に、新撰組が高札で恐れおののいて土佐藩士を無罪放免にしているのに、
土佐藩重臣への暗殺なんて目付レベルの判断で行えたのではないか、はありえない。
やったとすれば、上位者の明確な意思が必要だろう。
>>706 林忠交、慶応3年6月24日(1867年7月25日)に死んじゃってる。
家督を継いだ林忠崇(定敬より一歳下)はガッツがありそうだが。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 18:14:30.19 ID:1MXasoYO0
708
坂本や中岡は土佐藩重臣ではないと思うが。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 18:19:09.90 ID:1MXasoYO0
ついでに司馬遼太郎の「見廻組のこと」を読んだが、
渡辺一郎は京都で剣道場を営んでいたときに竜馬暗殺の為に特別召集された、
みたいなことが書かれているが、これは本当なのか。
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 18:20:52.44 ID:EC6OyxzM0
>>710 その認識が大間違い。
大政奉還の時点で坂本は山内容堂のお目通りまで家内、土佐藩に改めて迎えられた重要人物と化していた。
陸援隊を率いた中岡も同様。戊辰戦争では陸援隊は土佐藩主力精鋭部隊であった。
でも中岡が隊長の軍隊って弱そう
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 18:53:28.98 ID:1MXasoYO0
712
重要人物ではあっても重臣ではない。
重臣は後藤、福岡、寺村、神山、佐々木…あたりか。乾も重臣クラスではないだろう。(?)
>>709 ああ〜そこまで知らなかったなぁ
まぁ次代は「昭和」まで生きていた方でしたからw
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 19:13:30.42 ID:EC6OyxzM0
>>714 家系と身分という定義はこの場合あたらないと思われるが。
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 20:06:55.56 ID:AC6f2pA70
>>712 >大政奉還の時点で坂本は山内容堂のお目通りまで家内
お目通りしてないじゃん
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 20:18:44.55 ID:AC6f2pA70
>>707 >永井→目付→見廻り組だったであろうし
目付→見廻り組の事例が存在してくれねーと蓋然性が乏しいじゃん
紀州藩ー会津藩ー京都守護職配下新撰組
朝廷、公家、ー会津藩ー京都守護職配下見廻組は事例が存在するじゃん
故に目付ー会津藩ー見廻組は信憑性があるじゃん
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 20:23:51.91 ID:AC6f2pA70
>>707 紀州藩ー京都守護職配下新撰組
朝廷、公家、ー京都守護職配下見廻組ではないじゃん
故に目付→見廻り組は蓋然性が乏しいじゃん
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 20:31:41.43 ID:9MEkh7E50
今井は小笠原弥三郎の命令と供述してるようだが。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 21:57:40.85 ID:+VYR+vdZ0
>>718 >朝廷、公家、ー会津藩ー京都守護職配下見廻組は事例が存在するじゃん
これはたしか君が容保ガーにソースは?と質問して、容保ガーが有馬某が…と答えていた例だと思う。
たとえ一例でもそういう例があるなら検討すべきなので、君ではなく、容保ガーに質問したい。
容保ガーさん、その史料は何ですか。教えてください。わたしが自分で資料を見て検討しようと思うので。
というのも容保ガーさんが史料を読み違えている可能性もあるので。
それと718さんに言いたいが、そりゃ見廻り組が守護職配下だとしたら目付→守護職(あるいは会津藩)と依頼する必要があるだろう。
しかし見廻り組が目付配下ならそんな必要はないわけで、職制表から判断して若年寄永井→目付榎本→見廻り組でよいのである。
事例については、前にも書いたが、わたしは知らない。知らないので、勝の日記と「守護職始末」を反証の史料として挙げたのである。
ただしそれらも推測として提案したのであって、絶対に守護職配下ではなかった、などと主張しているのではない。
君に言っておくが、永井説を取るなら手代木の遺言は無視せざるを得ず、容保説を取るなら今井弟書簡は無視せざるを得ないのである。
すべての証言や史料を完璧に満たす説はない。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:05:58.20 ID:+VYR+vdZ0
ところで司馬が書いているように、渡辺が剣道場主のときに、龍馬暗殺の為にスカウトされたのだとしたら、
渡辺が見廻り組に採用されたのは二月である。そのときの目付は原市之進。
つまりそのころから暗殺計画が練られていたのだとしたら、やはり原市之進が関与している可能性がある。
原の後任に近藤勇が推薦されたが、近藤もその頃から竜馬暗殺計画を知っていた可能性がある。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:15:24.38 ID:EC6OyxzM0
そのように人を誹謗する人には教えても仕方がないと思いますけどね、松平容保大好きの変態さん。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:16:01.35 ID:+VYR+vdZ0
龍馬の書簡に、寺田屋で襲われた理由は某大目付が龍馬を殺せと命じたという、
松平勘太郎の話があり、当時の大目付の一人に永井がいたということは前に書いた。
とすれば永井もその頃から竜馬暗殺を企てていたのかもしれない。
永井や原といった大目付や目付が竜馬暗殺を考えていた。原は死んだが、後任の
榎本もその遺志を継いでいた。で、永井や榎本、それに三浦や近藤も加わって暗殺を謀議した…。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:21:12.45 ID:EC6OyxzM0
>>721 有馬の一件は調べればわかること。他人を中傷しては自己正当化を図る変態悪鬼などが質問しても、それは無駄というもの。
>職制表から判断して若年寄永井→目付榎本→見廻り組でよいのである。
これで説明できない(手代木が詳細を証言している)から、この職制表に疑念が表されているというだけの話。
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:23:37.97 ID:+VYR+vdZ0
723
僕は君をそれほど嫌いじゃないんだよ。文章から判断して、かなりまじめなひとだと思えるから。
ですます体だし、ほかの連中のように侮蔑的な言葉を使わないからね。
まあいいよ。で、その有馬某の例しかないのかね?
ほかの例もあれば挙げていただきたい。べつにソースは示さなくていいから。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:30:05.68 ID:EC6OyxzM0
>>724 君の説では、大政奉還によって板倉や永井が目指した、土佐藩の取り込みが不可能になる。
大政奉還は旧幕府にとって本来利点は全くない。これを徳川慶喜が採用した理由はただ一つ、
大政奉還によって全国諸侯の政治参加権を認め、これにより全国諸侯の支持を徳川慶喜が得ることにあった。
なのに旧幕府側が諸侯の藩士を暗殺して回っては、徳川慶喜に近づく者がなくなってしまう。
現に王政復古では尾張や越前、土佐まで参加して、会津桑名の京都政界からの排除を決議されてしまった。
大政奉還に反対だった人々となると、松平容保を筆頭に挙げることになる。
松平容保隠しは筋が通らないのだよ。
だから「政治的理由」に無理くりもっていく必要は無いとw
寺田屋の嫌疑で充分じゃんか
只、動いたのが佐々木らであって
仮に捕縛命令が生きていたとしても、清河を殺ったことがある佐々木が
捕縛で再度「逃げられる」よりも殺したほうがと判断したってのも充分考えられると
大政奉還云々、土佐の意見を陽動した等々・・・
「聞こえ」はいいが全くもってその通りなんだよ
手代木にしても渡辺にしても
「そのような人物」を殺ったと後世に残るワケだし
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 22:52:13.08 ID:+VYR+vdZ0
727
1 大政奉還が暗殺の理由とはかぎらない。狙われたのが龍馬だとはかぎらない。
2 容保が大政奉還に反対だったとはかぎらない。「守護職始末」にも「慶喜公伝」にも大義を理解したと書いてある。
そんなのは嘘だというのは君の見解にすぎない。
3 政治の分析ばかりしていると分らなくなる。政治的理由なんてどうとでも説明がつく。
政治的に考えて薩長が犯人であるわけがないという人もいれば、政治的に考えて薩長が犯人にちがいないという人もいる。
じゃん、じゃんと鬱陶しいですね
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 23:40:04.95 ID:EC6OyxzM0
さて、尊王攘夷派も数知れずやってますが、今回の話題は佐幕派による暗殺。
清川八郎(浪士組、後の壬生浪士組、更に後の新撰組)暗殺はおそらく、
板倉勝静(老中)の指令に基づき、佐々木只三郎(見廻組)及び窪田鎮章(神奈川奉行所)ら6人が斬ったといわれています。
殿内義雄(浪士組、後の壬生浪士組、更に後の新撰組)暗殺は、
近藤勇(新撰組)沖田総司ら浪士組近藤派が斬ったとされています。原因は諸説(殿内が悪人だった説、近藤の野心説、芹沢の命令説)
芹沢鴨(壬生浪士組、後の新撰組)暗殺は、
朝廷の逮捕令の下、松平容保(京都守護職)の指令に基づき近藤勇(新撰組)ら新撰組隊士が斬ったとされています。
松林廉之助(大村藩士、昌平黌元助教)暗殺は、
京都所司代の監視下で、大村藩佐幕派が行ったとされています。
原市之進(水戸藩、徳川慶喜側近)暗殺は、
幕府旗本の鈴木豊次郎、依田雄太郎による犯行とされています。
伊東甲子太郎(新撰組のち御陵衛士)暗殺は、
近藤勇、土方歳三らの協同謀議の末に新撰組隊士が斬ったとされています。
世良修蔵(新政府奥羽征討総督府下参謀)暗殺は、
但木土佐(仙台藩家老)の捕縛命令の下、姉歯武之進(仙台藩士)及び福島藩士らによって殺害が行われました。
広沢真臣(長州藩)暗殺の犯人及び動機は今に至るまで全く解っていません。
横井小楠
森有礼
大村益次郎と、あとは国粋過激派の単独犯行といわれるものが増えてきます。
この中で注目すべきは、朝廷は逮捕令なのに現場は暗殺になった芹沢鴨の例でしょうか。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 02:11:29.85 ID:++iQfdvd0
>>721 >しかし見廻り組が目付配下ならそんな必要はないわけで、職制表から判断して若年寄永井→目付榎本→見廻り組でよいのである。
職制表から判断すると京都守護職ー見廻役ー見廻組じゃん
> 容保説を取るなら今井弟書簡は無視せざるを得ないのである。
今井当人が黒幕を承知してないのに今井弟が認知してるて
弟書簡は信憑性が乏しすぎるでしょ
手代木の話も「どうだか」w
普通に読めば手代木は「知っていた」てだけだし
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 06:11:56.91 ID:+6lCl87w0
史料を否定するなら、否定する為の史料が必要ですが?
妄想で史料を否定できるなら、日本史など存在しない事にできるからw。
日本の言っている事はすべて嘘。
かつて尖閣諸島・朝鮮半島・竹島・沖縄も含め日本も中国に貢ぎ物を送っていた史料が中国にある。
つまり、これらの地域は中国の属国であり中国の領土です。
by.中郷
とか言えちゃうでしょw
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 09:19:01.76 ID:8d5pBbvH0
731
注目すべきは、それらの中に、幕府の組織が非幕府側の人間を暗殺した例が一つもないことである。
つまり龍馬暗殺が見廻り組の犯行だとすると、幕府というものは本来暗殺などは行うものではなく、
まず捕縛し尋問するものだという常識を知らない人間が命令したか、もしくは、
そういう常識を知ったうえで敢えて暗殺を指示したかのどちらかである。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 09:30:59.55 ID:8d5pBbvH0
永井と佐々木。この二人の共通点は旗本に養子に入って幕臣になったという点である。
原と近藤。この二人の共通点は功績によって途中から幕臣に取り立てられたということである。
要するにこの四人はもともとの幕臣ではない。新参者である。それゆえ、
幕府のしきたり、常識というものに疎かったと思われる。それで、見廻り組という幕府の一組織を使って
暗殺を行うなどという非常識なことを考えたのだと思う。
(というのがわたしの説である。これは司馬の「見廻組のこと」を読んで類推した。
司馬は彼らは自分の代で幕臣に取り立てられた感激があるので、その分、反幕的な人間には
強い憎悪を抱いただろうと推測している。)
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 09:40:14.48 ID:8d5pBbvH0
>>732 1 見廻り役は書くのがめんどくさいから省略しただけ。
2 今井当人が黒幕を承知してないのに? 何を言ってるのだ君は。
今井弟は今井が語ったことを書いているのだ。今井は新聞記者などには黒幕を語らなかったが、
弟には永井玄蕃だと語っていたということだ。
永井玄蕃が黒幕だとしたら、とんでもねえジジイだ。
永井くんだりで福岡家の言い伝えが「云ってはならぬ事」になるとは思えないとw
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 16:41:10.35 ID:IoiBkPRR0
>>735 >注目すべきは、それらの中に、幕府の組織が非幕府側の人間を暗殺した例が一つもないことである。
ちなみに、新撰組による尊王攘夷派(浪人、諸藩藩士、この中には肥後藩なども含む)暗殺は多すぎるので記していません。
あなたは新撰組の諸藩藩士暗殺例を無視しています。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 16:53:13.05 ID:IoiBkPRR0
>>737 >今井弟は今井が語ったことを書いているのだ。今井は新聞記者などには黒幕を語らなかったが、
> 弟には永井玄蕃だと語っていたということだ。
その手紙は妄想記述と断定せざるを得ません。
何故、入隊したばかりの下っ端見廻隊隊士が、若年寄だか大目付だかに直接懇願を受け50両も受け取るのでしょう。
その手紙は、明治以降の今井信郎、つまり戊辰を転戦し函館まで籠城した勇者、
元旗本たちの上に立ち開墾指導を行った指導者たる尊敬すべき兄、とやらを持上げる意味以上のものではないと思われます。
現に今井自身の証言では、犯行時は見張りのみ、命令を佐々木から受けるだけで、永井の懇願を受ける意味がありません。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 17:36:36.33 ID:I3vWRibd0
740
それは暗殺ではなくて公務執行ではないのか。犯行声明もなく現場から逃走したのなら暗殺だが、
そうでないなら暗殺ではない。新選組がやったと分かっているなら暗殺ではないだろう。
741
それは君の見解に過ぎない。それに、見張り役だったと証言したのは最初だけ。後では自分が斬ったと証言している。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 17:41:59.13 ID:I3vWRibd0
739
福岡家の言い伝えを信用するなら、後藤と福岡が永井と近藤に依頼したのだろう。
指示したのは永井だが、土佐側から頼んだことなので「云ってはならぬ事」なのだと考えれば辻褄が合う。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 17:57:59.57 ID:IoiBkPRR0
>>742 >それは暗殺ではなくて公務執行ではないのか。
証拠のない逮捕監禁処刑をやっている自体、既に公務を逸脱しているわけです。
>それは君の見解に過ぎない
そう主張するなら、あなたの見解も無効ですね。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 18:00:52.45 ID:IoiBkPRR0
>>743 >福岡家の言い伝えを信用するなら、後藤と福岡が永井と近藤に依頼したのだろう。
ほら、ここで一般的でないあなたの見解を述べている。あなたの意見を採用するなら、これも無視すべきですね。
一般的には、福岡の「云ってはならぬ事」「そうじゃない」は、私は坂本と中岡を見捨てて逃げてわけじゃないという弁明とされています。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 18:33:12.82 ID:uYvYueCX0
745
そんな一般的見解は初めて聞いたよww
福岡の子孫の発言から考えられることは
1 実行者は見廻り組ではなく土佐藩士である。すなわち内部犯行である。内ゲバである。
2 実行者は見廻り組だが、依頼したのは容堂、後藤、福岡…である。
こう考えるのがフツーである。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 18:50:22.23 ID:uYvYueCX0
さて、公家の依頼で守護職配下の見廻り組が有馬某を護衛した云々の件であるが、
その事例だけで直ちに見廻り組がいつも守護職配下だったとは断言できない傍証を見つけてきた。
「昔夢会筆記」p179にこういう記述がある。
「…所司代がすべきことを守護職がしたということも実はある。その間の区別が後には少し混じたが…」
つまり所司代がすべきことを守護職がしたことも、またその逆のこともあったようである。
つまり有馬某の件は特殊例だったかもしれないのであり、見廻り組は平時は所司代配下だったかもしれないのである。
>>745 ちゃうやろ?
佐々木が実行犯とされる映像が流れて
「佐々木・・・」
「そうじゃない」
だろ?
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 19:42:53.25 ID:IoiBkPRR0
>>746 そちらの説の方が、いわゆる陰謀論の人にしか広まっていないものですよ。
あなたの常識は松平容保に関して、常人とは正反対だ。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 19:47:11.30 ID:IoiBkPRR0
>>747 >「…所司代がすべきことを守護職がしたということも実はある。その間の区別が後には少し混じたが…」
>
>つまり所司代がすべきことを守護職がしたことも、またその逆のこともあったようである。
>つまり有馬某の件は特殊例だったかもしれないのであり、見廻り組は平時は所司代配下だったかもしれないのである。
年々渾然としていった、と書いてあるように見えますが?
つまり本来の系列から上司は誰、と謳うことは年を追うごとに難しくなっていったことになります。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 19:58:46.61 ID:IoiBkPRR0
>>748 そう断定するのは難しいのですよ。
福岡の後半生は、谷干城などから
・隣の家にいたのに助けにも来なかった
・翌日の薩摩藩の救助収容時も、中岡の看病にも、両名の葬儀にも来なかった
となじられ、まともな顕職に就くこともない犯罪者扱いのものでした。
だから、私は犯罪者じゃないという弁明だけが、彼の後半生だったと言ってよい。
彼自身は当日は居酒屋で酒びたりで、暗殺など知らなかったと主張している。
しかし、両名が収容された薩摩藩邸や葬儀には行かなかったことについては、そうじゃないんだと言うばかり。
言えない秘密があったのだ、という家伝は、彼の反論できないことへの弁明を超えるものではないでしょう。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 21:22:12.28 ID:tnwbE8VC0
750
「京都守護職の権限の事」の部分を最後まで読むと、年々渾然としていった、とは書いていないことが分かるはず。
751
わたしはその番組を見なかったから分らないが、普通の人は746の意味に解していると思う。
もし君の言う意味だとしたら、あの発言は全く無視していいことになるから、黒幕探しにとっては面倒な問題が一つ減ったことになる。
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 21:51:32.05 ID:IoiBkPRR0
分かるはず、と唱えるわりには、何度尋ねても容保サマは関わってないと信念を表明されるだけなので、あきれます。
それと、福岡は顕職には一応就いているんですが、後半生は谷や土方、特に谷に攻撃されっぱなしで
土佐藩閥でありながら土佐藩閥を敵に回したような部分があります。
ざっと読んで
・福岡家の言い伝え
・今井弟の書簡
・永井黒幕説
は初めて耳にしました。
ですが状況証拠以外はかなりみなさんの作文も含まれてますね。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 22:54:29.11 ID:tnwbE8VC0
京都見廻組の命令系統は所司代ではなく幕府の直系です。
見廻組は御目見得以下の直参(御家人)で構成されており、
組織のトップである二人の見廻役には譜代の藩主を置いてますので、
他藩の支配を受ける事になるとおかしな話になってしまいます。
武家辞典でも守護職、所司代、見廻組は並列に記されていて、
支配欄はすべて空白ですので所司代の配下では無い事が解ります。
あるブログから拾ってきた(一部略)
これが正解なら容保説は完全に崩れるよ。
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/17(水) 23:13:36.13 ID:tnwbE8VC0
◎永井黒幕説
△容保黒幕説
×新選組実行説
ログをずっと追ってきたが、ブログなんぞをソースにしてる時点で
唾棄すべき妄想に過ぎない。自分の日記帳にでも書いとけよって話だわ。
何期待してんだか(笑)
2chで学術的・歴史的発見でも望んでいるのか?
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:04:47.44 ID:MmXKdSzl0
>>737 >今井は新聞記者などには黒幕を語らなかったが、
弟には永井玄蕃だと語っていたということだ。
今井の供述、新聞記事が事実で
弟所管は弟の思い違いかもしれないじゃん
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:08:11.97 ID:MmXKdSzl0
手代木は某諸侯と証言しているじゃん
永井は幕臣だから永井黒幕説は蓋然性が乏しいじゃん
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:13:33.34 ID:MmXKdSzl0
>>735 >注目すべきは、それらの中に、幕府の組織が非幕府側の人間を暗殺した例が一つもないことである。
清川八郎、伊東甲子太郎は非幕府側へ移行した故に暗殺されたじゃん
清川、伊東は非幕府側じゃん
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:24:08.08 ID:KHOwNNDB0
>>755,756
>>742で出した後、根拠がないとなった説が、また提示されて勝手に事実認定までされている不思議よ。
>>744に回答できない人間が永井説を出しても、本人の愛する松平容保根の嫌疑が深まるだけでしょう。
大体、京都守護職は途中から京都の治安を一手に任されていると言うのに、
松平容保だけは関係ないと主張する根拠がつかめません。
大政奉還によって諸侯、特に土佐藩への妥協と取り込みに走っていた旧幕府首脳たちとは裏腹に、
大政奉還に強硬に反対した松平容保一派を容疑者の筆頭に挙げねば、坂本龍馬暗殺事件は語れませんよ。
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:29:46.62 ID:MmXKdSzl0
>>721 >しかし見廻り組が目付配下ならそんな必要はないわけで、職制表から判断し折て若年寄永井→目付榎本→見廻り組でよいのである。
松平勘太郎は黒幕として目付に疑念を抱き
若年寄が念頭にないじゃん
故に目付は実際には若年寄配下で動いていなかったことを類推させるのであるので
若年寄永井→目付榎本→見廻り組でよくないじゃん
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:39:07.68 ID:MmXKdSzl0
>>735 今井の供述調書における佐々木、今井の証言によると
黒幕より捕縛目的で手に余れば斬殺せよとの御指図が存在したじゃん
手に余るので斬殺と裁断したは見回組じゃん
黒幕は暗殺指令を降下してないじゃん
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:53:52.34 ID:KHOwNNDB0
彼によると、
>>742にあるように、
>740
>それは暗殺ではなくて公務執行ではないのか。犯行声明もなく現場から逃走したのなら暗殺だが、
>そうでないなら暗殺ではない。新選組がやったと分かっているなら暗殺ではないだろう。
尊王攘夷派を殺したときは全て公務なので暗殺ではない。誰がやったのか隠蔽しようが全て公務だ、だそうです。
実際は新撰組は犯行の隠蔽も偽証も何度となくやらかしている。筋の通らないことこの上ない。
暗殺というのなら、内山彦次郎(大阪西町奉行所)暗殺事件
犯人は沖田総司・永倉新八・原田左之助・井上源三郎、近藤勇や土方歳三も参加という説あり、
事件後新撰組は犯行を否認するも、永倉新八(新撰組)「新選組顛末記」や西村兼文(西本願寺)「新撰組始末記」などに犯人と記載、
なんて例もありますよ。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 02:55:27.81 ID:MmXKdSzl0
亀レスだが
>>698 >要求があったのなら引き渡すだろう。
土佐藩内で龍馬を引き渡すより利用した方が土佐の利益に
寄与すると認識した上士が存在したと推察できるじゃん
>まだ利用価値があると思っていたなら「今はまだ手を出すな」と伝えておくだろう。
殺人犯を許すなどということは公にするには差し障りがあるじゃん
故に幕府首脳は龍馬と面談はするけど各組織が龍馬を捕縛、殺害することは
止めなかったんじゃね
龍馬の捕縛の容疑はなんですか?
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 08:45:25.14 ID:H/piIm+Q0
>尊王攘夷派を殺したときは全て公務なので暗殺ではない。誰がやったのか隠蔽しようが全て公務だ
んな事は無い。暗殺は「密かに殺す事」で、公務は公務。
龍馬を殺したので褒美をくださいと高言できないから暗殺なのさ。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 09:06:23.80 ID:xrlhBmq20
あいかわらずうるさい奴らが多いな。永井説がそんなに気に入らないのか。
757
じゃお前は学者の書いた本を読んでろよ。こんなとこには来るなよ。
759
そういうことも言えるよ。問題は君のいうところの「蓋然性」がどちらがより高いかだよ。
760
手代木と今井弟、どちらが正しいかは決められないよ。
永井が容保に依頼したとしたら、どちらも正しいことになるよ。
761
それは屁理屈だよ。あれは粛清だよ。
762
あいかわらず大政奉還、大政奉還…。たまには違う視点で物を見てくださいよ。
763
問題は目付の一存だけで指令できるか、だよ。もちろんできてもよい。その場合は黒幕は榎本であって容保ではない。
764
もちろん今井の最初の口述をそのまま信ずるならその通りだよ。わたしは信じてないんだよ。
765
内山は幕府の役人だよ。だからわたしの言っている「非幕府の人間の暗殺」には該当しない。
766
最後の二行が首肯しがたい。禁止なら禁止、許可なら許可とはっきり伝えておくだろうと思うが。
767
寺田屋の件? それとも近江屋の件?
近江屋の件は大政奉還だと容保ガーは主張しております。
もうぶっちゃけ現場レベルで
佐々木「もうやっちゃおうぜwあいつのせいで俺ら喰いっぱくれになっちまうよ」
今井以下その他「そうっすねwwwやっちまいますかちょーむかつきますもんね」
「ひさびさにきれたっすwww」
みたいにヒャッハーしただけじゃね?
永井も松平も土佐も決定的な証拠ないでしょ?
もうこれでいいじゃん
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:01:48.14 ID:XCNQOIS40
さて、またまた永井が怪しいという史料を見つけてきた。尤も君らは博学だからとっくに知っていることかもしれないが。
嵯峨実愛の日記だそうである。慶応3年。ブログからそのまま引用する。
慶應三年十一月二十日に
一土人衛士を切候は、永玄下知之風聞これ有、永玄困のこと、一同上卅人計所爲のこと
とあり、土人衛士とひとまとめになっているのですが、龍馬、高台寺党の二つの暗殺事件直後ということで、おそらく土人は龍馬と中岡慎太郎のことで衛士は高台寺党を示すと思います。
また、卅人とは、「さつじん」と読め、おそらく薩摩を指すと思われます。ということでそういった噂をたてたのは薩摩の陰謀だったといっているようです。
永玄とは永井玄蕃のこと。永井が命令したという噂が立っている、という文章である。
ただし卅人とは普通30人の意味だから、このブログの著者のような解釈が正しいかどうかは疑問の余地があるが。
いずれにせよ永井とはそういう噂を立てられるような人物だったということである。
さあ、これでいよいよ永井黒幕説が信憑性を帯びてきたぞ。容保ガーの感想やいかに。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:09:39.82 ID:XCNQOIS40
この日記には他にもいろいろと面白い記事がある。たとえば
「坂横斬のこと」
「十一十五夜、坂横辺取巻のこと」
坂は坂本、横は中岡のこと。もちろん坂本中岡暗殺のことである。
坂横辺取巻のこと、とは坂本や中岡の取り巻き連中(陸援隊、海援隊、土佐藩士…)に殺られたということか…。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:19:48.19 ID:XCNQOIS40
さらにブログから引用すると
28日、近藤が永井から坂本・中岡から取り調べを受けたことを記して「新撰廃のこと」と書いたあと、「一佐々木のこと」と書いてあったり
これをみると近藤が永井から尋問を受けた後、新選組廃止案が出たような感じで、
このスレの新選組ガーの言ってることがあながちまちがいでもないような気がしてきたぞ…。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:24:27.78 ID:XCNQOIS40
こういうのも引用しておく。
油小路事件(11月18-19日)の翌日、11月20日のところで、「一戸談(戸田大和守=山陵奉行?)、一土人衛士を切候は、永玄下知之風聞有之、永玄困のこと、一同上三十人計所為のこと」とあります。
近藤が土佐人が衛士を殺害したと言ったというのは、西村兼文が記していますが、この時点で、新選組の嘘が実愛にも伝わっていたようです。そして、それを下知したのが永井尚志だという噂にはびっくり。
どういうところから永井がつながってきたんでしょうか。
せめてブログのアドレスぐらい貼ろうか?
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:31:12.05 ID:XCNQOIS40
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:32:27.66 ID:XCNQOIS40
まだいるのかじゃんじゃん
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 22:06:31.40 ID:QwmjiVKD0
一土人衛士を切候は、これは
1 土人が衛士を切ったのは
2 土人と衛士を切ったのは
と読める。
一同上卅人計所爲 、これは
上と同じく三十人ばかり(ぐらい)でやった
と読めると思う。
一は箇条書きの一、何々、一、何々…ということだろう、原文全体を見てないから何とも言えないが。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 22:10:59.50 ID:KHOwNNDB0
結局論理無し、松平容保から永井に批判の矛先を変えたいだけ。
大体、他人に中傷を投げるだけで、他人の疑問に全く答えず永井永井と叫んでいる。
それでまともな説を唱えていると考えているとしたら、中村彰彦や星亮一と全く異ならない。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 22:13:28.79 ID:QwmjiVKD0
油小路の変あるいは坂本中岡暗殺と油小路の変は永井の命令だ、
油小路の変は三十人ぐらいでやったことだ 、あるいは、
坂本中岡暗殺と同じく三十人ぐらいでやったことだ、
という意味か。
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 22:47:43.99 ID:KHOwNNDB0
>>771 これについては、ブログの人がひが読みをしている。
文章の解釈だが、そのブログの人は普通の読みをしていない。
>土人衛士とひとまとめになっているのですが、龍馬、高台寺党の二つの暗殺事件直後ということで、
>おそらく土人は龍馬と中岡慎太郎のことで衛士は高台寺党を示すと思います。
普通に読めば、「土佐人が御陵衛士を殺した事件で、」と訳される。
これについては、伊東甲子太郎暗殺事件において、犯人の近藤勇が土佐藩の犯行だと嘘をついたという話が、西村兼文の記した別の史料にある。
要するに、正親町三条がこの近藤勇による偽証証言を知っていたことになる。
>また、卅人とは、「さつじん」と読め、おそらく薩摩を指すと思われます。ということでそういった噂をたてたのは薩摩の陰謀だったといっているようです。
こういう読みはない。30という意味しかない。
また、「坂横斬のこと」「十一十五夜、坂横辺取巻のこと」については、中川宮とそのことについて話したというだけで、中身については一言も記していない。
君の
>>772におけるひが読みと妄想は、どこを探しても史料からは出てこない。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 23:04:38.09 ID:KHOwNNDB0
噂については、悪い感情を抱く人間がいようが仕方がない。
問題は行動で量るしかなく、
その点では、大政奉還を進めることで土佐藩との提携を模索していた板倉・永井の坂本暗殺容疑は薄く、
逆に大政奉還に反対し、旧幕府への大政再委任を声高に主張していた松平容保らに坂本暗殺の疑いが濃い。
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 23:06:40.34 ID:QwmjiVKD0
はい、わかりますた。
では、坂横辺取巻、とはどう解釈すればよいのでせうか。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 23:11:27.61 ID:QwmjiVKD0
そんなに必死にならなくても、まだ永井と決まったわけじゃありませんよ(^o^)
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 23:28:55.68 ID:KHOwNNDB0
>>784 どうしようもない。それだけしか書いていない。
正親町三条の記憶に中身は書いてあったのだろうし、外からは解釈をする材料がない。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 23:30:46.29 ID:KHOwNNDB0
>>785 暗殺犯が松平容保に決定していることは、あなたにとってそんなに辛いことですか?
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 23:50:35.96 ID:84TFKyQH0
>一土人衛士を切候は、永玄下知之風聞有之、永玄困のこと
永井が下知したと噂を立てられ、永井が困っている。という日記でしょ。
噂じゃんw。噂を立てられるような人であって、暗殺を指示したとはならんぞw。
噂が立ったぐらいで、その噂を真実そうなんだなどと言う論理は、龍馬はフリーメーソンだと疑う事ができれば、
龍馬はフリーメソンであると断定しちゃう暴論(もしくは捏造)と変わらんw。
>>782 たぶんそれが正解ですね
しかも別枠にてちゃんと「坂横」と記しているワケですから
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 02:23:37.01 ID:tJOrEhEI0
だいたい、その正親町三条の日記の記事は、日付と衛士という語から考えて、
伊東甲子太郎暗殺事件と、これに関する近藤勇の虚偽「あれは土佐藩がやった」に関するやり取りということになっているのだが。
伊東甲子太郎暗殺に関する近藤の嘘は、
それまでの敵だった薩摩藩邸に駆け込み助命を求めた伊東の部下(高台寺党)によって露見し、
併せて彼らの証言によって、坂本・中岡暗殺犯も新撰組のせいに違いないとして当時の追及は進んだ。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 08:52:11.92 ID:VUU/5pzL0
1 油小路の変の命令者として永井の名が出たということ。
2 坂本中岡暗殺事件で永井が近藤を尋問したということ。
3 新選組が6月に幕臣に取り立てられたということ。
これらを考え合わせると、6月以降は新選組は永井(あるいは目付)の配下になっていたと考えられないか。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 09:05:19.89 ID:VUU/5pzL0
所司代・諸藩を守護職の下に置く沙汰書
文久3年7月21日
<老中から所司代稲葉正邦への命令書2通>
京都御警衛については、時宜により、守護職の指図を得て相勤めるよう将軍が仰せ出されたので、其の通りにするように。以上。
非常のときなので、京都の守護については、松平肥後守の指図を得て相勤めるよう、大阪城代ならびにその役人、
そのほか、京都の近隣諸大名、及び伏見・奈良奉行始め、その他の地役人へ達しを行うこと。
これをみても見廻り組のことはひとことも記載されていない。
見廻り組の実際の差配役はどこかは依然として不透明。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 09:14:03.43 ID:VUU/5pzL0
仮に見廻り組が所司代(守護職)配下だったとしても、
永井から命令が出されれば定敬(容保)は断れない。なぜなら、
所詮、所司代や守護職は地方官であり、若年寄の永井の方が上だから。
ゆえに永井の命令により定敬(容保)が指示を出したとすれば、
今井弟書簡も手代木遺言も正しいということになる。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 09:19:35.79 ID:VUU/5pzL0
容保ガーは暗殺理由は大政奉還だと言うが、今井も渡辺も手代木も、
大政奉還が襲撃理由だとは述べていない。むしろ手代木は
「藩論を覆して倒幕に一致せしめるにより」と、まったく逆の理由を述べているのである。
土佐が公武合体で一致しようとしているのに、坂本と中岡が陰で倒幕的活動を行っている、
それゆえ暗殺したのだ、と考えるほうが理に適っている。
>>794 それこそ見廻組説が偽装工作の証拠。
土佐の藩論が倒幕になったのは鳥羽伏見の戦い後。
>>792 見廻組の今井信郎自身が守護職配下見廻組だと述べているのにしつこ過ぎる馬鹿だな。
>>790 > 伊東甲子太郎暗殺事件と、これに関する近藤勇の虚偽「あれは土佐藩がやった」
同様に、坂本中岡暗殺事件と、これに関する手代木・近藤勇・大石鍬次郎・今井信郎・渡辺篤の虚偽「あれは見廻組がやった」
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 16:56:16.61 ID:tJOrEhEI0
>>794 >むしろ手代木は
>「藩論を覆して倒幕に一致せしめるにより」と、まったく逆の理由を述べているのである。
松平容保は大政奉還に全面的に反対していた、と会津藩の関係者以外は当時の記録で皆伝えているが、
松平容保及び会津藩関係者は、会津藩は大政奉還に賛成していたと後年口裏を合わせた。
しかし、当時は会津藩の小野及び手代木らが、藩を挙げて大政奉還に反対し、
松平容保も同じく大政奉還に強硬に反対していたとされることは、越前藩の当時の記録などに詳しい。
つまり、松平容保ら会津藩関係者は、自分達が大政奉還に反対していたことを後年隠蔽する必要があった。
大政奉還は徳川慶喜の政策だった。
これに反対の立場を表明し、大政奉還の立役者となった土佐藩首脳に刃を向けた会津藩は、
この時点で徳川慶喜への明確な反逆者となっていた。
たとえ暗殺自体は認めても、徳川慶喜への反逆行為としての大政奉還に対する反感表明は、
暗殺の理由に挙げることが出来なかったのだろう。
大政奉還に対する反対態度の隠蔽と、
坂本暗殺理由からの大政奉還に対する言及の削除は、表裏一体の代物ということになる。
松平容保は、大政奉還反対の立場で暗殺行為を行うことで、徳川慶喜を裏切っていた。
しかし自分が裏切ったことを後年隠し続けた。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 17:36:36.34 ID:lvV4MJ0F0
795
>見廻組の今井信郎自身が守護職配下見廻組だと述べているのにしつこ過ぎる馬鹿だな。
お前こそ単純すぎる馬鹿だな。守護職付属というのは形式上のことだというニュアンスを読み取れよ。
796
それは深読みというものですよ。そこまでして大政奉還に反対していたことを隠す理由がどこにあるの?
べつに恥ずかしいことでも何でもないんだし。官軍に抗して最後まで戦ったことを誇りに思っているくらいなんだから、
むしろ大政奉還に反対だったことを自慢してもいいでしょ?
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 18:15:51.81 ID:tJOrEhEI0
君は歴史経緯を知らないね。
大政奉還は、徳川慶喜の勤皇精神の顕れとして、明治以降の旧幕府勢力復権の材料に使われた。
このため、大政奉還に積極的に従った徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志だけでなく、
大政奉還に大反対し再委任を求めた松平容保なども、明治以降は実は大政奉還に賛成していたと盛んに嘘を主張した。
この後年の隠蔽により、大政奉還から鳥羽伏見の戦いに至る旧幕府側の動向が分かりにくくなっている。
手代木が、坂本龍馬暗殺の動機に大政奉還への敵意を挙げられないのも、会津は勤皇だったという主張に邪魔だからというわけ。
はいw最近なりを潜めたカタモリガーの個人的歴史的経緯だそうです(笑)
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 18:48:56.14 ID:jD7Sc1xG0
君が何を書こうが、それは深読みだと思うよ。そんなふうに考えるのは百人に一人だよ。
以前わたしが容保は孝明天皇からいただいた宸翰と御製を死ぬまで放さなかったと書いたら、
君は、世間へのポーズですよ、と答えた。そんなふうに考えるのは千人に一人もいないよ。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 18:56:57.00 ID:tJOrEhEI0
反論できないから、世に広く語られている論を、百人に一人、千人に一人しか信じないと主張する。
それは数々の傍証があっても、松平容保が犯人だと信じることの出来ない、君の意地のようなものなのだろう。
だが、君は反論をせず代わりに他人を中傷した。その行為が松平容保ファンの典型とするなら、君も彼らも等しく哀れな存在だ。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 19:06:28.37 ID:jD7Sc1xG0
君が798で書いた上五行は認めてやってもいいよ。しかし最後の一行は深読みだよ。
なんで手代木が遺言でそこまで嘘をつかなくちゃならないんだよ。容保ももう亡くなってるし、
会津藩だってもうそんなに賊扱いされる時代ではなくなっているだろうに。
まーこいつは日本史板から根拠となる資料を「一切」提示していないやつだからね(笑)
ホントに「飽きもせず」ようやるわwww
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 19:09:32.69 ID:tJOrEhEI0
論で反対の立場を示せず、相手の人格を傷つけようと試みることで議論に勝とうとする君の様は、
あつかましく、破廉恥で、私というよりはあなたの人格の方を深く傷つけることになった。
私はあなたを哀れに思う。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 19:26:18.81 ID:tJOrEhEI0
>>802 松平容保と明治以降の会津藩の関係者の立場は、私は実は勤皇であったというものでした。
史実における、明治天皇の王政復古を否定し、江戸開城以降も関東でも東北でも戦闘を重ね、
恭順した徳川慶喜らの迷惑も考えない所業があったことについては、全て隠蔽し、
または、薩長に攻められたから応戦しただけと嘘を吐きました。
会津藩は大政奉還に実は賛成していた、という説も、明治以降の会津関係者によって熱心に唱えられますが、
当時の越前藩の記録などからは、実際は大政奉還に反対し大政の再委任を主張した姿が浮かび上がってきます。
会津藩が勤皇であったと主張するには、「徳川慶喜の赤心による大政奉還説」とやらに便乗することが必要でした。
このため隠蔽が行われたわけです。
手代木も、大政奉還に松平容保や会津藩が絶対反対していたとは書けない。
坂本龍馬を暗殺する理由についても、これは一貫されたわけです。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 19:53:09.88 ID:jD7Sc1xG0
805
上の8行は認めてやってもいいが、最後の2行が深読みだと思うのである。
よく考えてごらんよ。手代木は手記を残したわけじゃないんだよ。手記として残すなら、
嘘を書く必要もあるだろう。しかし手代木は自分の娘(だったかな)に話しただけなんだよ。
その話を伝記作者が娘から聞いて、伝記の中に書いただけなんだよ。
マスコミに発表したわけじゃないんだよ。娘に語っただけなんだよ。しかも伝記作者がそんなことを書くと予想していたわけでもないだろう。
なぜ娘にまで用意周到に嘘を話す必要があるんだよ。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 19:57:38.21 ID:jD7Sc1xG0
「某諸侯」だって、手代木は本当に某諸侯が誰だか知らなかったのかもしれないよ。
知っていたら、娘にまで隠す必要はないだろう。
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 20:18:56.12 ID:tJOrEhEI0
当時の越前藩の記録では、手代木は大政奉還に反対し、松平容保も大政奉還に反対だと主張しているのですが、
明治以降になると、大政奉還に賛成していたのだ、と発言内容を正反対に変えています。
手代木は、実際の行動とは正反対のことをしたと後代に主張しなければならなかった。
それは娘に対するものであっても同じでしょう。
明治以降の、会津は賊軍ではないという主張のために、
宇都宮城の戦いに参加した会津軍が語られないのと同じく、事実が歪んだ。
大政奉還とは、当時の徳川慶喜の政策であったというだけでなく、
明治以降の、旧幕府が勤皇の意思を持っていたという証拠として使われた。
このため、旧幕府内での大政奉還反対は多かったとどの史書も伝えているのに、
明治以降の個々の発言を拾うと、旧幕府内の誰もが賛成していることになっている。
反対者として取り上げられるのは、死んでしまった小栗上野介などばかり。
手代木が明治以降の告白で、坂本龍馬暗殺理由として大政奉還への反感を挙げられないのは、こういうことになる。
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 20:55:55.96 ID:PEuA+qNp0
娘さんにとっては親が(会津が)大政奉還に賛成だったとか反対だったとか、
そんなことはどうでもいいし、興味もなかったはず。娘にまでそんな政治上の理由を隠したりする必要はない。
それに手代木が隠すのは認めるにしても、今井や渡辺までが隠す理由は何もない。
ゆえに大政奉還が暗殺理由だというのは君の思い込みにすぎない。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 21:31:32.00 ID:tJOrEhEI0
そう考える人間は、明治以降の会津関係者における記憶の修正、伝承の改竄から目を背ける。
例えば、町を焼いたのは記録では佐川官兵衛や撤退時の会津藩士であるのに、
村祭りでは「薩長が焼いた」と語られることの多い地域なのだから。
>それに手代木が隠すのは認めるにしても、今井や渡辺までが隠す理由は何もない。
今井や渡辺は実行犯ではあるが、見廻組隊士にとって、上司から命令を受けて暗殺を実行した以外、動機があったというのかね。
彼らの発言内容では、上司からの命令、命令は在京旧幕府諸侯からのもの、
見廻組は京都守護職配下だから命令者はおそらく松平容保候、理由は旧幕府に仇なす奴だから、というものだ。
最後の理由については、見廻組隊士が暗殺を行うなら必ず付けなければならない。
旧幕府に仇なさない奴と佐々木が主張するなら、佐々木は部下に坂本暗殺を命令することが出来ない。
つまり、たとえ大嘘だろうが暗殺対象は全て敵と教えられるものだ。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 21:34:20.38 ID:PEuA+qNp0
さて以前わたしは今井弟書簡に龍馬暗殺の理由として龍馬が後藤に出した手紙の内容が書かれているので、やはり後藤が怪しい、と書いた。
するとすかさず、その手紙は大正元年刊行の「維新土佐勤王史」に出ているという指摘があった。で、そのときは反論せずそのままにしておいたのだが、
よく考えると、今井あるいは今井弟が「維新土佐勤王史」を読んでいた、という証拠はない。
今井家の所蔵本に「維新土佐勤王史」はあるのか。それにそもそもこの本は、一般の書店に並んでいるような本だったのか。
もし今井家の所蔵本に「維新土佐勤王史」がなければ、黒幕はまちがいなく後藤である。
>>204参照。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 21:43:53.56 ID:PEuA+qNp0
810
そんなに込み入った考え方をしないでも
「龍馬という男は大政奉還を進言した男だ。この大政奉還というのは幕府にとって都合の悪いものなのだ。だから竜馬を殺せ」
と命令すればいいだけの話ではないか。どうしてそんなやたら込み入った考え方をするのかね。
君の考え方は、いわゆる「嘘の上塗り」というやつに似ている。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 21:55:57.01 ID:tJOrEhEI0
話をそらしたいと?
つまり、あなたの永井尚志犯人説や、大政奉還会津藩迎合説は大嘘だったと認めるわけですね。
それならそれでもよい。今後そのような世迷言を唱えるならば、あなたは大嘘つきとなるわけです。
幕府側の捕縛殺害は全て公務として公明正大に発表された、というあなたの説も嘘だった。
伊東甲子太郎暗殺すら、近藤勇は罪を土佐藩になすりつけようとしたのですから。
さて、今井弟の手紙に関して、彼が土佐藩の史料の写しを所持していたかは不明です。
しかし後藤は、いわゆる征韓論政変で下野して以降、政治講演を重ねており、
後藤の民権及び新政府攻撃演説は、新政府に批判的な当時の新聞を飾り続けた。
そして明治から大正の静岡県は、新政府に批判的な旧幕臣の巣窟でした。
今井弟の手紙も、そのような地域で名士として生きる今井の立場を反映したものです。
あなたは手紙が書かれた当時の状況への理解がない。
旧幕府関係者が、下野した西郷隆盛一党及び土佐藩民権派と提携し復権を策していた時代なのですよ。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 22:01:44.23 ID:tJOrEhEI0
>>812 込み入っているのはあなたの頭だろう。
見廻組隊士は暗殺の理由としては、
・幕府に仇なす者
これしか理由に挙げていないのだから。命令がないと動かないのは当然。
>君の考え方は、いわゆる「嘘の上塗り」というやつに似ている。
この言葉は百回あなたに返しましょう。あなたの方が込み入っている上に分かりにくいのだから。
百回唱えて嘘をついたことへ恥なさい。
どう論おうが
容保が「命令した」
という
証拠は
ないですよね(笑)
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 22:07:53.87 ID:tJOrEhEI0
他説は、より根拠の乏しい噂話程度の中傷だということにも触れましょうね。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/19(金) 23:06:13.90 ID:p9I2o4yP0
君がどんなに政治や時代状況の説明をしようが、今井も渡辺も手代木も龍馬暗殺の理由を大政奉還だとは述べていないことは確かである。
それに、今井家の所蔵本に「維新土佐勤王史」がなければ、黒幕が後藤であることはほぼ確実である。ゆえに、
こんなところで議論するより、今井家の所蔵本に「維新土佐勤王史」があったかなかったかを調べることが大事である。
尤も明治期に後藤が講演や新聞であの手紙のことを話したり書いたりしていて、今井、今井弟がそれを聞いたり読んだりしていたというなら話は別だが、
それならそれで、たしかに聞いたり読んだりしていたことを証明しなければならない。しかもいろんな話の中から、なぜあの手紙の内容を
暗殺理由としたかを証明しなければならない。
tJOrEhEI0の話も旧会津藩の子孫な方にとっては
中傷
ですよね(笑)
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 01:28:00.63 ID:QFdIe8A60
>>817 強弁ですね。
見廻組の平隊士が、命令実行理由に「命令を受けたから」「旧幕府に不利益な人間」以外のことを
求めたのなら、それこそ自衛隊の政治発言と同じです。
残りの発言は、あなたのごまかしも良いところで、当時の反新政府主義としての自由民権運動と、
旧幕臣の移住地であった静岡という地域性を考慮していない。
あなたは以前、西郷隆盛が今井と特殊な関係だったと主張したが、
それすら西郷や後藤らの下野と旧幕府関係者に広がる反新政府感情という観点を欠いていた。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 01:33:32.12 ID:QFdIe8A60
>>818 会津藩の幕末史に関しては、
史実上明らかな嘘が、会津藩を愛護する人々によって事あるごとに語られているのが現状です。
それを指摘することは、中傷とは思わない。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 02:10:26.42 ID:QFdIe8A60
この今井弟の手紙は、内容の信憑性には乏しいと一般的に言われています。
なぜかと言うと、今井自身の証言で、坂本暗殺時には見張り程度の役しかしなかったというものがあり、
当時平隊士として実績もなく、着任したばかりという状況から、彼の役割は見張りとする説が研究者では順当とされているわけです。
また、今井弟の手紙には幾つも不審な点があるということが挙げられます。
永井尚志が今井の住居に訪問してきて坂本暗殺を懇願し、金50両を渡したという話の筋を研究者は疑問視します。
まず、永井は当時旧幕府高官(若年寄格)で、平隊士が自分の家に迎えるような事は考えにくいのです。
大名藩主が素浪人の長屋を訪ねるような状況を想像してもらえばよいでしょう。
また、命令の範囲内の公務なのに成功報酬が50両です。
公務執行にそんなにいちいちボーナスを与えていては、新撰組は隊士まで巨万の富を蓄えていないとおかしい。
しかも、佐々木から命令を受けるしかない今井への懇願です。
これを事実とするなら、佐々木と永井の命令が相反し、今井が永井の意思を通した場合は佐々木の面目がありません。
坂本暗殺は実行部隊の長、つまり佐々木への一任しかありえない事案なのですよ。
以上のことを鑑み、一般的な研究者は今井弟の手紙を、
明治以降の今井、函館まで転戦し副隊長まで勤めた英雄、元大身旗本らをも束ねて地域の入植者の長として開墾作業を行った尊敬すべき兄、
への過剰な、いささか今井を偉大に書き過ぎた記述と捉えています。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 02:32:16.78 ID:838fXYgZ0
>>806 >しかし手代木は自分の娘(だったかな)に話しただけなんだよ。
娘じゃなく知人じゃね?
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 02:35:33.51 ID:838fXYgZ0
>>769 >永井説がそんなに気に入らないのか。
永井説は蓋然性が乏しいゆえに批判されてるわけじゃん
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 02:51:27.98 ID:838fXYgZ0
>>769 >永井が容保に依頼したとしたら、どちらも正しいことになるよ。
手代木は会津藩の外交を取り扱ってた故に
永井ー手代木ー容保となり
手代木は龍馬捕縛の黒幕を承知し得るじゃん
故に手代木が某諸侯と証言しているので
永井説は蓋然性が乏しいじゃん
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 02:53:49.31 ID:838fXYgZ0
>>769 >それは屁理屈だよ。あれは粛清だよ。
屁理屈じゃねーよ。清川八郎、伊東甲子太郎は非幕府側へ移行した故に暗殺されたじゃん
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 02:56:33.61 ID:838fXYgZ0
>>769 >問題は目付の一存だけで指令できるか、だよ。
目付の一存だけで指令できるから、松平勘太郎が
目付榎本対馬を黒幕と推察したんじゃん
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 03:01:23.05 ID:838fXYgZ0
>>769 >禁止なら禁止、許可なら許可とはっきり伝えておくだろうと思うが。
永井は屋敷の周囲に刺客が存在する故警戒するよう忠告してるし
白昼に来訪するは危険故夜間にするよう要請もしてるじゃん
永井の発言より禁止なら禁止、許可なら許可とはっきり伝えて
いないと推察できるじゃん。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 03:06:37.74 ID:838fXYgZ0
>>793 >ゆえに永井の命令により定敬(容保)が指示を出したとすれば、
今井弟書簡も手代木遺言も正しいということになる。
それは屁理屈だよ。
永井が指示を出したならば永井ー会津藩ー見廻組で捕縛が執行できるじゃん
定敬を経る蓋然性が乏しいじゃん
以上の議論により、永井玄蕃は、坂本中岡暗殺事件では取り調べでしか関与していない、ということが明らかになりました。
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 08:36:22.61 ID:EpiFpK9w0
>>821 >永井尚志が今井の住居に訪問してきて坂本暗殺を懇願し
そんなことがどこに書いてある? 普通に読めば今井(今井だけとはかぎらないよ)が永井に呼ばれて、という文意だろう。
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 09:03:02.02 ID:EpiFpK9w0
>>823 今井の口述にこうある。
「旧幕府では、閣老などの重職者からの命令を御差図と呼んでいたが」
京都守護職松平容保は今でいえば近畿地方の検察庁長官、警察庁長官みたいなもので幕閣とは言えないだろう。
しかし永井は若年寄で明らかに幕閣と言えるだろう。ゆえに今井の発言を信ずるかぎり、
命令者としては容保より永井のほうが蓋然性が高いのである。
824
知る立場にあるが、容保が「あれは永井様からの命令で」と話さなかったら、手代木は容保の命令だったと思ってしまう。
これは永井が手代木を通さず直接容保に命令したと仮定しての話だが。
825
あれは内ゲバである。
826
それならそれでもいいよ。黒幕榎本節、大いに結構。
827
それは永井の言動を信用した場合の話だ。手の込んだ芝居だと解釈してもいいわけだ。
828
なぜいちいち会津藩を通す必要があるのか。見廻り組が所司代配下だったとしたら定敬を通す必要があるだろが。
君は前例、事例から考えて会津藩を通すことばかり想定しているが、見廻り組が守護職配下なら守護職を通せばいいのだし、
所司代配下なら所司代を通せばいいのである。いちいち会津藩とか手代木を通す必要はない。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 09:18:52.09 ID:EpiFpK9w0
829
ケチをつけたくなるほどの書き込みでもないが、少々カチンときたので書かせてもらう。
あまり断定的なことは書かないでください。議論が発展しなくなるので。
たとえばわたしは新選組実行犯説には否定的だが、絶対にありえないとも思っていない。
どんな意見でも一応は聞いてみる寛容さがないと、書きたいことも書けなくなってしまう。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 11:32:53.82 ID:jv/GO0/7O
結論
不明
以上
議論の余地は無し
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 13:34:24.55 ID:YJcah7ffO
どうも、松平容保を犯人にしたくない説の人の説明が、苦しい。
今井弟の手紙の信用度が低過ぎる。
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 13:44:51.56 ID:YJcah7ffO
>>831 今井の証言に、御指図は旧幕府首脳の命令を意味し、見廻組は京都守護職配下だから会津藩主松平容保の命令だろうというのがある。
今井は御指図を出す人間として松平容保を念頭に入れている。君の意見はおかしい。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 14:40:17.00 ID:QFdIe8A60
>>831 >824
>知る立場にあるが、容保が「あれは永井様からの命令で」と話さなかったら、手代木は容保の命令だったと思ってしまう。
>これは永井が手代木を通さず直接容保に命令したと仮定しての話だが。
陰謀論・密約説を濫用するのは議論を陳腐化させる。
君は以前、「原市之進による遺言指令説」を出したが、それと同じ事。
死んだ人の裏付けのない遺言を実行するかしないかは、生きている人の判断に任される。
たとえ暗殺命令の遺言があったとしても、暗殺実行命令者、この場合は松平容保の罪が減じるわけではない。
密約についても似たようなことが言える。
本来上司の承認を経なければならない案件で承認が得られない場合、上司に内緒で実行してしまうとしたなら、
命令を出した人間だけでなく、中間伝達者や実行指揮者程度まで共犯性を持つことになる。
なぜなら、部下が上層部に連絡し、命令を出した人間の服務義務違反を通知すればよいのだから。
坂本中岡暗殺事件の場合、松平容保や手代木直衛門・佐々木只三郎は罰則対象から逃れられない。
永井に罪を着せようとしても、もはや松平容保の罪は覆らない。
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 17:21:04.50 ID:r777GhGw0
>>835 今井はまず「御指図があり」、「旧幕府では、閣老などの重職者からの命令を御差図と呼んでいたが、その辺からの指示であったのか、
または見廻組は京都守護職に属していたので、松平肥後守からの指示であったのかはわからない」
と供述しているのである。で、永井は若年寄だから「閣老などの重職者」に該当するが、
松平肥後守は地方長官だから「閣老などの重職者」には該当しない。ゆえに御指図を出したのは
容保より永井のほうが蓋然性が高い、とわたしは言っているのですよ。
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 17:28:11.40 ID:r777GhGw0
>>836 たとえば容保が紀州の三浦から龍馬暗殺を依頼されたとします。その場合、
容保は断ることもできます。なぜなら容保のほうが地位と権力が上だから。
しかし永井から命令されれば断ることはできません。なぜなら永井のほうが地位と権力が上だから。
したがって永井の命令によって容保が指示を出したからといって容保を責めるのは酷というものです。
あなたが部長だったとして、社長の命令に逆らえますか?
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 17:40:28.36 ID:r777GhGw0
どういうわけか、たいていの論者が永井説を最初から無視している。
龍馬と永井は親しい間柄だったというのがその理由のようだ。
しかし龍馬と永井なんて、暗殺の二三か月(?)前にほんの数回(?)会っているだけじゃないか。
しかも親しい間柄だと言っているのは龍馬のほうだけじゃないか(?)
どうして二人が親しかったなんて断言できるのですか。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 17:57:49.32 ID:QFdIe8A60
>>837 あなたは、今井の発言のうち、
最初は文の後半を略して、今井の連想する命令者には松平容保は含まないと主張し、
今度は後半部の訳に「・・・・・・はわからない」、と意味不明のあなたの妄想を付加させて、
文章の中で、今井の考える暗殺命令者として松平容保が入っていた事を隠蔽しようとする。
これではあなたは捏造者ですね。
>>838 社長は永井ではありませんよ。徳川慶喜か、尊王攘夷の立場から言えば明治天皇かもしれない。
あなたの発言はここでも誤魔化しです。
もし、松平容保が坂本・中岡暗殺に反対意見を持っていたのなら、
松平容保は徳川慶喜か板倉勝静に相談すればよいのです。
土佐藩との関係悪化が必至の土佐藩重臣への暗殺行為は、政局を揺るがす大事ですから。
なのに暗殺は実行され、徳川慶喜や板倉勝静・永井尚志の目指した、大政奉還を用いた旧幕府と諸侯との提携は遠ざかった。
坂本暗殺に松平容保が参加していたのなら、松平容保には徳川慶喜への叛意があったということになります。
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 18:22:08.14 ID:QFdIe8A60
>>839 親しい云々よりも、大政奉還とは、徳川慶喜が出した
諸侯とりわけ土佐藩への抱き込みの道具であった、という認識があなたには欠けているのでしょう。
大政奉還を推進することで、徳川慶喜は全国から召集された諸藩代表とで構成する会議で主導権を得ることを夢見、
その中でも、有力諸侯であった土佐藩の支持が得られると期待していた。
だが、坂本と中岡への暗殺で土佐藩の態度は一変し、諸侯の態度も変化した。
諸侯は徳川の下には集まらず、逆に薩摩に扇動されて御所を占領し、会津桑名の排除と徳川慶喜の領地の朝廷への譲渡を主張した。
大政奉還という徳川慶喜による幕府の諸権利譲渡は、徳川慶喜への支持向上ではなく、徳川慶喜から残りの全てを奪う方向に政治を動かした。
坂本・中岡暗殺は旧幕府側から考えれば、大政奉還というプレゼントを贈って意中の相手の歓心を買おうとしたのに、
その相手の関係者を惨殺してしまい、以後は意中の相手が寄り付かなくなったという、痛恨の出来事でした。
犯人は大政奉還の推進者とは考えにくい。すると徳川慶喜や板倉勝静・永井尚志らは暗殺命令者としては可能性が低いとなるわけです。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 18:36:46.06 ID:r777GhGw0
840
837へのレスについては無視します。君は文章の読解力がない人だから。
838へのレスについて。
ただの例え話として書いただけですよw べつに会社でいえば永井が社長に相当するなどという意味で書いたんじゃありませんよw
>坂本暗殺に松平容保が参加していたのなら、松平容保には徳川慶喜への叛意があったということになります。
その通りです。だから容保は犯人ではないのですよ。普通の人ならそう考えるのです。
あなただけが「松平容保には徳川慶喜への叛意があった」という特殊な考え方をしているのです。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 18:47:57.85 ID:r777GhGw0
841
1 坂本と中岡の暗殺が諸藩にそれほど大きな影響を与えたのでしょうか。
2 前にも書きましたが、大政奉還後も板倉勝静を春嶽が説得し、永井尚志を中根が説得しているのです。
それに君は越前藩?とかの史料を挙げて容保は大政奉還に反対だったといっているけど、
慶喜公伝や守護職始末では大義を理解していたと書かれているのですよ。
そりゃ藩士は反対だったかもしれない。しかし天皇崇拝家の容保がそれほど反対だったとも思えないわけで。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 19:02:39.56 ID:QFdIe8A60
あなたは論理では完敗し、真理だか普通だか持ち出してきましたか。
しかし、あなたの話す「普通」は、常人の話す普通とは懸け離れているようだ。
オウム麻原の話す「真理」、どこかのスピリチュアルな人々の話す「普遍」「定理」「法則」「宇宙」「終末論」にも似た響きを感じる。
論理で負けたのなら、そう言いなさい。宗教に逃げるのはお勧めできません。
上司の意思に反する事を実行する場合、命令者だけでなく実行責任者まで共犯者となるのは仕方のないことです。
実行する前に、より上位の者に照会すれば、罪に問われるのは命令者なのですから。
大政奉還が徳川慶喜の意思であった以上、土佐藩や諸藩を徳川慶喜から遠ざけた坂本・中岡暗殺事件は
徳川慶喜への叛意があったと言わざるを得ない犯行です。
いくら、永井に言われたかもしれないじゃないか、とか想像を逞しくしても、既に松平容保の罪は動かないわけです。
て事は京の治安を会津に任せた将軍・幕閣も
罪
ですよねwww
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 19:15:08.11 ID:QFdIe8A60
>>843 明治以降の旧幕府諸氏によって作られた、「大政奉還は徳川慶喜の勤皇思想、天皇陛下への赤心の証なり」神話と、
これに乗っかって、幕末当時は大政奉還に反対していたことを、明治以降は隠蔽してしまった佐幕派の人々についての話を再掲しますか?
「会津藩大政奉還大賛成」説は、明治以降の天皇主権国家形成に迎合し、その中で自らを主張した会津の立場を象徴する説で、
実際の幕末当時の彼らの立場は正反対、旧幕府に大政(政権)を即刻返還せよというものでした。
当時の岩倉具視の手紙だけでなく、越前藩の記録にも確かに記載があります。
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 21:35:57.69 ID:EIVmX7Yg0
君との議論は平行線をたどるだけだから何回書いても仕方ないが、容保はそんなに大政奉還を憎んでいたのだろうか。
容保は孝明天皇に深く信頼された。人間は誰でも自分を信頼してくれた人のことを忘れないものである。
だから容保は天皇からいただいた物を一生身に付けて放さなかった。そんな容保が大政奉還をそれほど憎んだのだろうか、
龍馬を殺したいと思うほどに、暗殺が幕府と慶喜にとって不利と分かっていても尚且つ殺したいと思うほどに。
容保はもともと病弱で守護職就任には反対だったのである。春嶽が保科の藩訓を持ち出して説得したので家臣も仕方なく受諾したのである。
容保は天皇家を愛していた。しかし将軍に忠誠であれという藩訓もある。容保は悩んだにちがいない。
決して、大政奉還を進めた人間を殺したいと思うほど憎んでいたとは思えない。まして暗殺が慶喜にとって不利と分かっていながら、
それでも尚且つ龍馬を殺したいと思うほど激しく龍馬を憎んでいたとはとても思えないのである。
まして容保が龍馬を知っていたかどうかさえ不明なのである。龍馬が大政奉還を進めた人間であると知っていたかどうかさえ不明なのである。
>>831 > 「旧幕府では、閣老 な ど の 重 職 者 からの命令を御差図と呼んでいたが」
よく嫁。顔を洗って出直して来い!
>>832 見廻組説の矛盾1〜5(
>>573>>574>>576>>577>>578)に
せいぜい屁理屈でしか対応できないドアフォが一体何抜かしてる?w
見廻組説は会津藩・新選組の偽装工作に騙されている(騙されたがっている)妄想。
今も昔も大して事情は変わらん。
「事情」とは、会津藩・新選組を相対的に美化・正当化したい事情な。
永井尚志が暗殺指令に関わっていたのなら、実行犯の新選組(見廻組説なら見廻組)に死罪を申し付け、解散消滅させて終わり。
永井尚志は暗殺指令にはそもそも関わっていないので、そういうことを簡単にやれる立場にいたにもかかわらず、
そういうことは一切やっていない。
だから、永井尚志の暗殺指令への関与はあり得ない。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 22:15:19.83 ID:EIVmX7Yg0
848
原文を確認したが文意に大差はないぞ。
なんだそのえらそうな口のきき方は。
じゃどう訳すんだよ。
訳してここに上げろよ。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 22:22:15.91 ID:EIVmX7Yg0
849
>永井尚志が暗殺指令に関わっていたのなら、実行犯の新選組(見廻組説なら見廻組)に死罪を申し付け、解散消滅させて終わり
なんで自分が命令した実行部隊がそれを実行したからといって、その実行部隊に死罪を申し付けなきゃならないんだよ。
言ってることが無茶苦茶だよ。
>>851 「死人に口なし」も知らんユトリかw (´・ω・)カワイソス
永井尚志は坂本中岡の暗殺指令を出すような邪悪な人間だという前提なんだろ、そっちは。
坂本中岡の暗殺指令を出すような邪悪な人間の場合は、当然、偽装工作や隠蔽工作をするんだよ!
矛盾甚だしいことを平気で言うなよp
>>850 >>848が言っている日本語の意味も分からんユトリが一体何を言っているんだ?
お前だけが知っているらしきその原文とやらを先ず呈示してみろ。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 23:43:38.68 ID:C67PqAZ40
848を読んだときは思わずカッとなって850を書いたが、
お前が新選組ガーだと分かってあほらしくなって笑ってしまったよ。
お前はあいかわらずアホだな。それでよく生きてるなwww
お前が訳文をここに上げてみろよ。みんなで笑ってやるよ。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 00:16:42.36 ID:EMeyINNL0
さて黒鉄ヒロシの「京都見廻組」を読んだ。マンガだが二三教えられるところもあった。その一つは、
佐々木らが清河を暗殺する前に、全員役職を解かれていることである。
幕府の役人が暗殺をするのはまずいので、一旦浪人の身分にして、浪人同士の私闘という形にしたのである。
で、清河暗殺後にまた幕府の役人に復職している。
つまり江戸時代とはいえど法治国家だったのであり、幕府が民間人を暗殺するなどというのは御法度に触れる行為なのである。
警察が市民を暗殺する、そんなことが許されるはずがないではないか。
新選組が、内ゲバでもなく、粛清でもなく、公務執行による殺害でもない、
純然たる暗殺を行った例があるなら示していただきたい。
そういや望月宛に出てくる「松山」て伊予?備中?
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:13:37.43 ID:fPm2Z1av0
>>831 >今井の口述にこうある。
君は今井の供述を信じていないと発言してるのに
自説の根拠に今井の供述を活用するは自己矛盾してるじゃん
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:22:03.06 ID:fPm2Z1av0
>>831 >京都守護職松平容保は今でいえば近畿地方の検察庁長官、警察庁長官みたいなもので幕閣とは言えないだろう。
何を言ってるのだ君は。
当時の京は天皇、朝廷が存在する都であり
今でいう地方じゃないじゃん
ちなみに近畿地方の検察庁長官、警察庁長官は明らかに重職者
じゃん
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:33:56.62 ID:fPm2Z1av0
>>831 >今井の口述にこうある。
「旧幕府では、閣老などの重職者からの命令を御差図と呼んでいたが」
京都守護職松平容保は今でいえば近畿地方の検察庁長官、警察庁長官みたいなもので幕閣とは言えないだろう。
何を言ってるのだ君は。
今井が御指図は松平容保の命令かもしれないと推察してるじゃん
故に京都守護職は重職者だと今井が認識していたと裁断できるじゃん
それゆえ命令者として容保は蓋然性が高いのである。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:39:29.41 ID:fPm2Z1av0
>>831 >知る立場にあるが、容保が「あれは永井様からの命令で」と話さなかったら、手代木は容保の命令だったと思ってしまう。
これは永井が手代木を通さず直接容保に命令したと仮定しての話だが。
手代木は会津藩の外交を取り扱ってた故
永井が手代木を通さず直接容保に命令したとの仮定は
蓋然性が乏しいじゃん
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:45:04.22 ID:fPm2Z1av0
>>859 >あれは内ゲバである。
違うね。清川八郎、伊東甲子太郎は非幕府側へ移行した故に暗殺されたじゃん
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:50:52.03 ID:S0cFmlif0
>>847 松平容保は、そのような孝明天皇の意思である鎖国攘夷を、天皇の死の直後には捨てました。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 04:55:15.50 ID:fPm2Z1av0
>>859 >手の込んだ芝居だと解釈してもいいわけだ
推察するなら蓋然性を考慮すべきじゃん
永井が手の込んだ芝居をした蓋然性が乏しいじゃん
屋敷の周囲に君の命を狙う者が大勢存在するという
忠告は龍馬が警戒するだけじゃん
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 05:09:55.02 ID:fPm2Z1av0
>>831 >会津藩を通すことばかり想定しているが、見廻り組が守護職配下なら守護職を通せばいいのだし、
何を言ってるのだ君は。
会津藩主が京都守護職に就任したなら
京の治安維持を会津藩が執行することになるじやん
故に会津藩兵千人が京に常駐したし捕縛要請は会津藩を通すんじゃん
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 05:17:48.40 ID:fPm2Z1av0
>>831 >君は前例、事例から考えて会津藩を通すことばかり想定しているが
何を言ってるのだ君は。
事例が存在するつーことは会津藩を通すことに蓋然性が
あるつーことじゃん
所司代、若年寄配下という君の推測は
蓋然性が乏しいじゃん
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 05:21:59.69 ID:fPm2Z1av0
>>831 >所司代配下なら所司代を通せばいいのである。
何を言ってるのだ君は。
今井が見回組は京都守護職配下と証言しているじゃん
資料でも将軍ー京都守護職ー見廻役ー見廻組じゃん
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 05:23:10.36 ID:S0cFmlif0
>>847 史料を読む限り、松平容保は大政奉還を心の底から憎み、
大政を旧幕府の元に取り返すためなら、主君である徳川慶喜の命さえ違えることも厭いませんでした。
これすら、会桑の場合、他の関係者達にあった幕府再興の意思というよりは、
会桑から全国諸侯へ権力が移動することを憎んだだけと私は読んでいます。
松平容保は孝明天皇に信頼された? しかし死の直後には孝明天皇の宿願であった鎖国攘夷を放棄し、
幕府の従来からの主張で、孝明天皇及び一会桑が阻んでいた兵庫開港へ踏み出してしまいます。
そして東北戦争でも、薩摩さえ持っている感謝状を盾に、会津は天皇の恩人なのだから我々を攻めるな、と主張しました。
既に明治天皇に代は移っているのに、会津は明治天皇に戦いを挑み朝敵と宣告された事実があるのに、
掲げた手紙の主である孝明天皇の目指した鎖国攘夷を捨てたのは、他ならぬ松平容保当人なのに。
容保は国許の苦境と重税を省みることもなく、国家老の西郷頼母の帰還要請を全て跳ね除けて京都へ留まりました。
孝明天皇が崩御した後、兄の尾張徳川慶勝が帰還引退勧告を行った時も居残って京都へ留まりました。
諸侯の怒りが会津及び桑名へと収斂されている状況下で、もはや孝明天皇自身も居らぬのに孝明天皇の攘夷すら捨てて会津は居残りました。
この時点で、松平容保は酷い権力欲に蝕まれていたと考えるしかありません。
松平容保は天皇の遺志を踏みにじった。その上大政奉還では徳川慶喜の意思に猛然と逆らい、大政を徳川に返せと言い放ちました。
松平容保は天皇も将軍も尊重しなかった。容保は諸侯の怨嗟を浴びながら京都での権力へしがみつきました。
あなたの小説から拾ったような偏見偏愛とは裏腹に、史料上の松平容保は天皇へも将軍へも唾を吐いた人間です。
その一例が、徳川慶喜の公儀政権樹立への夢を砕いた諸侯と会桑との対立先鋭化であり、坂本龍馬の暗殺事件もその一つなのでしょう。
この世で、松平容保ほど卑劣な人間を私は歴史上知りません。どのような卑劣な虐殺者も権力者も、松平容保ほどは卑劣ではない。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 05:28:57.96 ID:fPm2Z1av0
>>769 >手代木と今井弟、どちらが正しいかは決められないよ。
永井が容保に依頼したとしたら、どちらも正しいことになるよ。
何を言ってるのだ君は。
永井が容保に依頼したとしたら今井弟書簡は永井ー今井ゆえに
今井弟が誤りになるじゃん
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 05:45:16.71 ID:S0cFmlif0
>>854 伊東甲子太郎は既に近藤勇らの合意の元に新撰組を離脱し、天皇配下の御陵衛士になっていました。
あなたの定義は酷く可変でご都合主義ですが、伊東暗殺は、内ゲバでもなく、粛清でもなく、公務執行による殺害でもないのです。
これを内部粛清と捉えるのなら誰も退職など出来ませんし、あなたのこの書き込み文章の前段と真っ向から対立している。
伊東甲子太郎も近藤勇も現職だったのですから。
>>854 新選組が西郷隆盛の暗殺を狙って、その付き人を間違えて暗殺してしまった事件とか、あるけどね。
ていうか、そもそも新選組は、通りがかりの人間を遊び半分で人を殺してるから。
>>854 どういうオツムしてるのか知らないが、
見廻組が、内ゲバでもなく、粛清でもなく、公務執行による殺害でもない、
純然たる暗殺を行った例があるなら示していただきたい。
と聞くべきところだろ、その話。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 10:04:30.88 ID:2WHw+gQn0
予想通り一斉にワッと叩かれたな。永井説を唱えるとどうしてこうも叩かれるのかねww
君らの単純さには呆れるしかないね。
〜じゃん君はあらゆる可能性を考えようという姿勢の人だと思っていたが、君でさえ永井説はスルーしようとしているのには失望したね。
君はどんな史料にも合致する説を探しているのじゃないのか? そのために人の書き込みに矛盾点があれば指摘しているのだろ?
だったら永井説を無視する前に、今井弟と手代木史料のどちらも満たすにはどういう状況を想定すればよいか、ということを考えるべきなのである。
たとえばわたしならこう想像する。
永井が自分の屋敷か見廻り組の屋敷に佐々木と今井ら全員を招集して、
「龍馬とはこれこれこういう男だから幕府にとってはけしからん奴だ。したがって暗殺せよ。暗殺してもかまわん。
後で京都守護職に手続して正式な命令として伝えさせる。わしの命令ではなく京都守護職の命令として伝えさせる。よいか、決して抜かるな。」
そして京都守護職に命令する。永井は格上だからいちいち手代木を通す必要はない。容保に直接伝える。容保は見廻り組に伝える。そして実行される。
もし永井が、容保や佐々木に、「わしの命令であることは口外してはならぬ」と命令しておけば、手代木は容保の指示だと思ってしまう…。
もちろんすべて想像であり、君らならそれは妄想だと嘲笑するだろう。しかしこう考えれば今井弟と手代木史料のどちらにも合致するのである。
想像を楽しむのは自由だ。史料がないなら想像するしかない。
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 10:28:46.67 ID:2WHw+gQn0
856
今井の口述の全てを信用していないわけではない。
857
幕閣(閣老)というのは今でいえば政府首脳。容保は検察庁・警察庁長官。
858
今井は京都守護職は重職(閣老)とは認識していない。そういう文意である。
859
永井は容保より上。上の者が下の者に命令するのに、なぜさらにその下の手代木を通さなければならないのか。
860
どちら側へ寝返ろうと、寝返った奴を処刑する、それを内ゲバとも言い粛清とも言うのである。
861〜864は859をもって答えとする。
865
>資料でも将軍ー京都守護職ー見廻役ー見廻組じゃん
そんな史料があるなら挙げてほしい。
867
意味が分からない。871参照すべし。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 10:31:54.16 ID:2WHw+gQn0
870
以前容保ガーが新選組のそんな例は無数にあると書いていたので聞いたのである。
新選組の例がないなら見廻り組だってないだろうという意を含ませて書いたのである。
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 11:00:15.59 ID:2WHw+gQn0
859
君の論理の誤りに気が付いた。
>手代木は会津藩の外交を取り扱ってた故
そう、外交係だからこそ、諸藩、朝廷…から依頼する場合は手代木を通したのである。
しかし永井は幕府の人間である。幕府の人間が幕府の組織の者に命令するのに外交係を通す必要はない。
永井が部長、容保が課長、手代木が課長代理としよう。
部長が課長に命令するのにいちいち課長代理を通す必要はない。
外部の会社の人間(諸藩、朝廷…)が課長に依頼するときには課長代理を通す必要があるかもしれないが。
ID:2WHw+gQn0、ちゃんとアンカーぐらい付けろ、ボケェ、クズ、キ●ガイ!
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 11:59:24.58 ID:z1ZuR1UX0
875
あまりにも沢山の反論があるのでいちいち付けるのがめんどくさいのであるよ。
ま、それほどいうなら今度から付けることにするが、直近のものには付けない。
ID:z1ZuR1UX0、ちゃんとアンカーぐらい付けろ、ボケェ、クズ、キ●ガイ!
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:35:38.82 ID:z1ZuR1UX0
>>866 政治的にふらふらしていた、優柔不断だったということと、卑劣な人間だったということは別だと思いますよ。
慶喜もふらふらしていたし、敵前逃亡までした。だからといって慶喜を悪人だと考える人はいないでしょう。
非力な人間だったということです、容保も慶喜も。
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:40:51.33 ID:z1ZuR1UX0
877
直近のものはすぐ上にあるから見えるだろ?
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 14:32:49.95 ID:fPm2Z1av0
>>878 政治的にふらふらしていた、優柔不断だったということで、
卑劣な人間だったと推察してもいいじゃん
想像を楽しむのは自由だ。
慶喜がふらふらしていたし、敵前逃亡までしたゆえに
慶喜を悪人だと推察してもいいじゃん。
想像を楽しむのは自由だ
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 14:35:23.51 ID:fPm2Z1av0
>>874 >しかし永井は幕府の人間である。幕府の人間が幕府の組織の者に命令するのに外交係を通す必要はない。
幕府の人間が幕府の組織の者に命令するのに外交係を通してもいいじゃん。
想像を楽しむのは自由だ
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 14:56:07.47 ID:fPm2Z1av0
>>874 >幕府の人間が幕府の組織の者に命令するのに外交係を通す必要はない。
永井が部長、容保が課長、手代木が課長代理としよう。
部長が課長に命令するのにいちいち課長代理を通す必要はない。
何を言ってるのだ君は。
>江戸幕府職制表によれば
>将軍−若年寄
>将軍−京都守護職
>だから、永井→容保は不可能。それを承知でわざと書いたのだ
と君はレスをしてるじゃん
君は論理が破綻してるじゃん
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 15:01:36.68 ID:S0cFmlif0
>>878 松平容保の、前の上司を裏切り、部下時代に知り得た情報で前の上司を否定する手法は、
卑劣としか言いようがありません。
会津関係者が事あるごとに攻撃する徳川慶喜や淀・津藩すら、そのようなことは決してしませんでした。
>>871,872
根拠がありません。あなたは悪徳の塊松平容保を擁護するためには妄想しか書けないようですね。
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 16:01:19.99 ID:E1RQSxsX0
>>882 では仮に永井も容保も同格だとしよう。永井も容保も部長だとしよう。
部長が部長に物を頼むのになぜ部長代理を通す必要があるのか。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 16:11:03.90 ID:E1RQSxsX0
あらかじめ書いておくと、わたしは永井と容保は同格だとは思っていないのである。
永井は政府首脳でおまけに幕臣。容保は検察警察庁長官でしかも幕臣ではないから。
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 16:37:21.69 ID:E1RQSxsX0
>>883 わたしがこのスレに来たときはまったく白紙の状態だった。龍馬に関する本も一冊も読んでいなかった。
で、このスレを読むと黒幕が容保みたいなことが盛んに書かれていた。で容保とはどのような人だろうと
Wikiで調べてみたが、どうもイメージが違う。で、この人はシロだろうと漠然と思ったのである。
そのうち今井弟書簡に永井の名が出ていることを知り、松井格氏のブログも見て、永井のほうが怪しいと思った。
ところが永井説を取る人がほとんどいないことにも気づいた。なぜだろうと考えたが、要するに君らは知識がありすぎたのである。
わたしのように白紙ではなく、知識があり、永井と龍馬は親しいという先入観があった。その先入観が目を曇らせているのである。
わたしは未だに容保がどういう人であったか、その事績を知らない。だからもしかしたら
君の言うような人であったかもしれないが、イメージとして卑劣とか悪徳の塊という人物とは思えないのである。
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 16:45:09.27 ID:S0cFmlif0
>>886 読んだソースが悪かった。
Wikipediaは特定の政治思想に侵された人間の偏見が強く反映される場合があり、事実判定には不向きです。
>永井と龍馬は親しいという先入観があった
私が永井と坂本が親しいと主張している文章がどこにありますか?
あなたが、「永井と龍馬が親しいと他人は先入観を持っている」という先入観を抱いているだけのことです。
松平容保の言行と行動を考えると、容保に関しては、欲望で権力にしがみ付いているのに正義と自称し相手を悪と呼ぶ、
卑怯すら通り越した人間未満の精神という感想しか得られないのが実情です。
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 16:58:33.96 ID:E1RQSxsX0
>>887 人物像をどう捉えるかは重要な問題だと思う。容保はさておき、
黒鉄ヒロシの「京都見廻組」では佐々木只三郎を、剣の達人でもあり教養もあるスマートなイケメンとして描いてある。
ところが嵯峨実愛の日記に
「一佐々木只三郎悪者のこと」
とあり、こういうのを見ると佐々木只三郎というのはやはり悪人だったのではないかと思えるのである。
以上君への反論ではなく、ただの感想として書きました。ところで容保はある会津藩士に切腹を命じたということですが(?)、
それは誰ですか。ネットで調べてみようと思うので、よければ教えてください。
会津藩家老・神保修理
彼は鳥羽伏見の戦い直前、会津藩家老として和平論を唱え、京都の小御所勢力との妥協を主張した。
しかしこれは松平容保の容れるところにならず、会津軍は旧幕府軍の主力として京都へ進軍した。
その結果が鳥羽伏見の敗戦となり、神保は更に大阪への撤退停戦と天皇との和解、朝敵宣告取り消し嘆願を主張した。
すると、徳川慶喜は即座に江戸に帰ってしまった。
会津藩士は自らの敗北を棚に上げ、神保が撤退を主張したから徳川慶喜が逃亡したのだとして神保を詰った。
神保は藩主の命令で投獄され、藩主の命令によって切腹した。
これを松平容保擁護の人間は、容保の周辺が勝手に容保の命令を偽造したに違いないので容保は無実、と主張する。
しかし鳥羽伏見への進軍を主張したのは神保ではなく容保自身であり、敗北責任を問われていたのも容保自身であった。
神保切腹は、松平容保による敗戦責任押し付けに他ならない。
ちなみにこれについても、Wikipediaでは根拠のない小説準拠の容保擁護記述に溢れている。
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 18:21:04.49 ID:E1RQSxsX0
Wikiで神保修理を読んだ。なるほどなかなか立派な人物だったようだ。しかし
君命と偽った命であると知りながらも、是に従うのが臣である、と潔く自刃する。
とある。これが真実なら容保は切腹を命じていないことになる。もちろん君は、
そんなのは根拠のない小説準拠の記述だというかもしれないが、専門の学者、研究者の意見はどうなのだろう。
もし会津でこれが真実とされているなら、君の容保像がまちがっていることになるが。
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 18:35:25.39 ID:E1RQSxsX0
こういうのもあった。
容保は、修理が会津に帰れば殺気だった者たちのために危害を加えられるであろ う事を憂い、
和田倉の上屋敷に幽閉した。(中略)修理は主君に面接することを乞うたが、
有士らはこれを拒みかえって主命と偽って彼に切腹を命じた。
容保は修理が殺害されないように気を配っている。そして切腹命令は偽りの命だったと書いてある。
どうみても容保に罪はない。温情ある人である。
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 18:41:57.56 ID:S0cFmlif0
またソースや根拠のないWikipediaで判断しようとする。
君の悪癖は救いがたい。その記述は小説からの引用だと断ったはずだが。
調べもしないで他人を疑い、悪徳の塊でしかない松平容保を庇う。
ちなみに会津では史料は重視されない。史料を読むと会津側によい部分がないので、
地元では全てが小説と自己弁護、他者への侮蔑で埋め尽くされている。
これを人呼んで会津観光史学と呼ぶ。
つまり君の評価は自ら嘘に嵌るようなものだ。
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 18:51:11.02 ID:S0cFmlif0
>>891 主観記述を外してみよう。
容保は、修理を和田倉の上屋敷に幽閉した。
修理は主君に面接することを乞うたが、有士らはこれを拒み彼に切腹を命じた。
敗戦責任は神保にはない。神保が止めるのも聞かずに京都へ向かい、負けて帰ってきた松平容保が敗戦責任者だ。
なのに容保は神保の罪を問い、幽閉した。この時点で容保は自らの敗戦責任を回避し、神保に押し付けている。
そして藩主に会うこともなく切腹を強要された。これも松平容保の責任回避以外の何ものでもない。
小説上の高貴な風を装った記述にもかかわらず、松平容保の行動はどこまでも汚い。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 20:02:01.94 ID:Lu30cbYb0
>>892>>893 こうなれば専門家の意見を聞くしかない。学者が君と同じような容保観を持っているかどうかだ。
で、学者の見解は別にして、松平容保関係の本をAmazonで探してみると
「松平容保は朝敵にあらず」
「松平容保−武士の義に生きた幕末の名君」
「松平容保−悲劇の会津藩主」
「至誠の人 松平容保」
とイメージの良いタイトルの本ばかりだ。これをみても大半の人と君の容保観が正反対であることが分かる。
君の容保観はまったく特殊だということだ。
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 21:17:00.27 ID:S0cFmlif0
>>894 一般の人のその本に対する感想は、悪魔を誉める書にも似たものでしたよ。
読んで史料と比較してみるのも良いかもしれません。あなたはその本に毒されて、史料も信じなくなるかもしれませんけどね。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 21:33:52.94 ID:NdJ/7vqf0
895
なにはともあれ君の容保観が一般のそれと真逆なものであることだけは分った。
会津人も一般日本人も君の容保観とは真逆のイメージを抱いているということが分かった。
君の容保観がきわめて少数派の、特殊なものであることが分かった。
もちろん少数派がまちがっているとはかぎらないが。
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 21:42:27.87 ID:S0cFmlif0
>>896 一般的でないのはあなたの感想でしょう。
ぜひそれらの本と史料を比較してみてください、会津に対する怒りしか残らないでしょうから。
キミたち、無知だね。悪魔は松平容保みたいな顔をしてるんだよ。
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 22:19:32.66 ID:NdJ/7vqf0
十人のうち七八人が手代木の遺言を信じて容保説を採り、
残りの真に聡明な二三人が今井の口述と今井弟書簡を信じて永井説を採る。
人間を見る目のない者は容保説を採り、
人間を見る目のある者は永井説を採る。
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 23:53:48.60 ID:S0cFmlif0
多数派と誇ってみたり、少数の精鋭と自称したり、忙しい人だ。
そんな自称より史料を検討しなさい。
今井の証言は、初期は暗殺時の見張りとしての倹しいものだったのに、
年を追うごとに自分が討ち入ったとかだんだん誇大なものと化しましたし、
今井弟の手紙は、そのものが誇大妄想系だということは、以前もお話したでしょうに。
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 03:50:26.14 ID:bKYxAmzk0
これまで聞いた話しを総合しての俺の推測
黒幕 松平容保
指示 手代木勝任
実行犯 見廻組(桂隼之助)
手引き 近江屋新助
これまで聞いた話を総合しての俺の結論
主犯 松平容保・松平定敬
偽装工作責任者 手代木直右衛門勝任
実行犯 新選組(近藤勇・原田左之助・斉藤一)
証人 中岡慎太郎・近江屋新助・高松太郎・谷干城
敵性証人 大石鍬次郎
だから、手代木=会津公用人
を「切り離せ」ってw
あの私本での兄貴は
龍馬を殺った弟の「兄貴」ってだけの話
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 09:14:09.76 ID:XtvN+S1B0
会津藩の過激派が、主君の命と偽って神保修理を切腹に追い込んだということから考えれば、
会津藩の過激派が、容保の命と偽って佐々木に龍馬暗殺を依頼したとも考えられなくはない。
佐々木は、それが偽りの命だと知りながらも、手代木には
「ああ、兄者、あれは容保様からの命令だったんだよ」と答えたのかもしれない。
905 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 09:38:38.18 ID:9g+pXn830
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 11:18:42.29 ID:iapbHc4U0
905
甲○丙
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 11:29:23.51 ID:iapbHc4U0
寺田屋騒動後の龍馬書簡→某大目付が
春嶽の手記→(目付だった)原市之進が
今井弟書簡→(目付の上司の)永井玄蕃が
勝の日記→(目付の)榎本対馬か
いずれも目付、大目付のラインが龍馬を狙っていたのであって、
所司代、守護職のラインが狙っていたという史料はない。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 11:44:53.56 ID:iapbHc4U0
しかも
某大目付→永井がその一人
目付原市之進→上司は若年寄の永井
今井弟書簡→そのままズバリ永井
目付榎本対馬→上司は若年寄の永井
四つの史料にすべて永井がからんでいる。
ゆえに容保説より永井説のほうがはるかに蓋然性が高い。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 12:25:33.61 ID:iapbHc4U0
これに加えて、永井の屋敷は見廻り組屋敷の隣にあり、
道をはさんだ向かい側に佐々木の屋敷があったという。つまり
永井が佐々木に内密に指示できる環境にあったのである。
これだけの傍証がありながら永井を疑わないというのは、よっぽど頭がどうかしているのである。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 12:36:32.96 ID:iapbHc4U0
龍馬は、陸奥や姉の乙女に、「あんな奴とはつきあうな」と言われながらも、
後藤と接触し、「後藤は大人物だ」などという評価をしている男である。
記録によれば、龍馬は永井と三回しか会っていないらしい。たった三回会っただけで、
永井は自分と同じ考えの持ち主などと評価している。
龍馬は度量が大きいというか清濁併せ呑むようなところがあるので、
龍馬の人物評をそのまま信用してはいけないのである。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 12:47:40.45 ID:vqPVbA8m0
清濁併せ呑むか 龍馬を語る上でしっくりくる言葉だな
今井信郎、渡辺篤、この二人の証言はどっちが本物だ?
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 13:06:11.71 ID:iapbHc4U0
どちらも本物だと思うよ。
今井は少しずつ変化しているとはいえ、全部デタラメを語っているわけではないだろう。
渡辺の証言は細部にリアリティがある。
ただし新選組ガーが想像しているように、新選組がやったのだが、
見廻り組勤務時代に新選組からいろいろ話を聞いていて、
それを見廻り組のやったこととして喋っているだけかもしれないが。
>>905 おつ〜
渡辺の場合は明治13年に書いたとされる覚書の「真贋」だよな〜な話
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 13:46:27.42 ID:vqPVbA8m0
ほんとに新選組って絡んでんのかな
近藤勇の性格だったら名乗んじゃない?
手口も新選組にしては凝ってるし
これだけは濡れ衣っぽいけどな
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 17:29:49.83 ID:x7RSpFgB0
実行隊としては絡んでいないと思うが、近藤勇は暗殺計画には参加していると思う。
わたしの想像では、永井、近藤、佐々木、三浦の共同謀議だと思う。
暗殺なので、所司代とか守護職などの正規ルートは通していないと思う。
互いに口外しないという約束ができていたと思う。
では手代木の「某諸侯」はどう解すべきか。
佐々木は兄に「あれは紀州からの依頼で」と適当なことを語った。それを手代木は
紀州藩主からの依頼だと解釈してしまった…。
某諸侯を容保や定敬と考えなければならない必然性はないわけで、
たとえ他藩の藩主といえど、手代木としては藩主の名を挙げることはできなかっただろう。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 17:42:17.24 ID:x7RSpFgB0
>>912はわたしが書いたのだが、後半の想像が成り立つためには、
新選組と見廻組の隊士に普段から交流があったと考えなければならないが、
佐々木と新選組の幹部は交流があったようだが、
平隊士どうしに交流があったという史料は今のところないようなので(?)、
説としては少し苦しいかと。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 18:25:50.70 ID:x7RSpFgB0
なぜ三浦も参加していたと考えるかというと、
近藤から三浦に宛てた書簡があるからである。
あれはやはり龍馬暗殺に関連した手紙だろう、と。
それに三浦が疑わしいというだけなら襲ったりはしない。
犯人は三浦だという情報にかなりの確実性があったから天満屋を襲ったのだろう、と。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 18:29:15.36 ID:x7RSpFgB0
>>915でなぜ紀州藩主の名を口にできないかというと、
藩主という高い地位の人物である上に、
コ川御三家の一人だからである。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 19:04:15.12 ID:alHQem0r0
>>915 手代木(会津藩公用役)が知っていることを、会津藩主の松平容保が知らないという発想が不思議
しかも、知っていても止めないけど関わりはないという主張も不思議
しかも京都守護職は京都の治安を一手に預かる職、つまり責任者なのに知っていても何らの対策もしない、でも無実と主張する不思議
あなたの論を適用するなら、暗殺命令は松平容保が中心だったと考えるべきですけどね。
>>919 あんたの発想のが不思議w
後藤の知っていることを全て容堂が知っていたのか?
西郷、大久保の知っていることを久光が知っていたのか??
永井の知っていることを慶喜は知っていたのか???
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 20:21:03.35 ID:alHQem0r0
>>920 坂本暗殺は、土佐藩の大政奉還を通じた徳川慶喜との提携を水泡に帰しせしめた点で、
当時の京都の政治状況を一変させる大事となりました。
京都における旧幕府有力者で京都の治安を預かる会津藩主松平容保が、部下が知っていたこの大事を知らないなら
禁治産者未満の痴呆患者ということになります。
また、手代木が松平容保に報告していなかったのなら、許されざる不忠背信となります。
松平容保が知らなかったのなら、手代木直衛門は神保修理などより先に切腹間違いなしの所業なのですよ。
要するに、手代木が知っていたのなら松平容保は先刻承知、
その上、容保の責任者という立場からいえば、松平容保は実行命令者と何ら変らないわけです。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 20:42:40.42 ID:alHQem0r0
>>907-910 解釈を間違っている。
1.寺田屋騒動後の龍馬書簡における、坂本を狙った人間についての推察
これは土佐藩による大政奉還の前の出来事であり、この時点で土佐藩を敵視し命を狙っていた人間がいたとしても、
大政奉還で土佐藩を味方に出来る見込みがあるなら、対応は別になるだろう。
2.春嶽の手記における、坂本を殺した人間についての推察
これは推定する犯人が原市之進であり、暗殺事件の前に本人が暗殺されていることを考えれば、参考にならない。
3.今井弟書簡における、今井に直接坂本の暗殺を懇願したとする記述
これはかなり誇大妄想的な手紙であることは前にも言及されている。
手紙に書かれた他の事物に関しても、当時の今井の立場とは懸け離れており、手紙自体の信憑性が低い。
4.勝の日記
榎本かという感想だけ。永井が関係したという記述はどこにもない。
どこにも、
今井自身の命令者は松平容保候か、という推察、
手代木が事件の詳細を知っていたということ、
当時の松平容保らの大政奉還に対する敵対姿勢と大政再委任要請、
手代木と佐々木との個人的な関係などと比べれば、あまりに拙い、言いがかりに近いものということになる。
松平容保が無実といい、他人に罪を着せれば着せるほど、その暗殺事件の中心には松平容保がいたことが浮かび上がってくるばかり。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 21:52:08.95 ID:hqI4V9a90
>>919、921、922
君が何を言っているのか、さっぱり分らない。わたしの文章からなぜそんな解釈ができるのか分らない。
わたしは、龍馬暗殺の後に、佐々木が兄の手代木に「「あれは紀州からの依頼で俺たちがやったんだ」と答えた、と想像しているだけである。
暗殺の前に手代木や容保が知っていた、などとはどこにも書いていない。
さらに、佐々木が兄に真相を語ったのがいつの時点か分らないのである。
というのは佐々木はずっと生きていたという説があるからだ。明治維新以後に語ったのかもしれないのである。
それに弟がやったことで、しかも暗殺であるから、容保に弟がやったとは報告できなかったのかもしれない。
922についてはいちいち反論しようという気にすらならない。
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 22:08:54.05 ID:hqI4V9a90
異論もあるだろうが、基本的には幕府は暗殺というものをしないものだろう。
捕縛→尋問→投獄、処刑、切腹。これが基本だろう。
それは藩主でも同じだろう。基本的に藩主が他藩の藩士の暗殺を命ずるということはないだろうし、
自藩の藩士を処分するときも、捕縛→尋問→投獄、処刑、切腹、が基本だろう。
そうすると「某諸侯の命により」という手代木証言は甚だ疑問なのである。
諸侯、藩主が暗殺を命ずるなどということがあるのだろうか。
某諸侯というのは伝記作者の聞き間違い、勝手な想像…ではないのか。
ま、こんなことを書けばドッと反論が来ることは分かっているが。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 22:18:47.09 ID:hqI4V9a90
今井弟書簡は信用できないという人は、
ではなぜ永井玄蕃という名前が出されたのか、について説明しなければならない。
今井が語ったなら、なぜ今井は永井玄蕃と語ったのか。
今井弟が自分の考えで書いたのなら、なぜ永井玄蕃と考えたのか。
見廻役、目付、大目付、所司代、守護職、若年寄、老中…。候補はいくらでもあるのに
なぜよりによって永井玄蕃の名を挙げたのか。
それを君らは説明しなければならない。
それができないなら、永井弟書簡は信用できないなどとは言えない。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 22:57:44.44 ID:alHQem0r0
何一つ、論理が書かれていない文章をまた見てしまった。
>>923 反論が出来ないのなら、その旨明示すべきでしょう。
反論が出来ない部分を全て理解できないと言いかえ、目を背け耳を塞いできたのが、今までの松平容保を愛する人々の行動でした。
>>924 例外はどの場合もあります。そして松平容保は、後年の徳川宗家を裏切る形での恭順拒否や戦線拡大など、
約束を破ることの多かった人間でした。
>聞き間違い、勝手な想像…ではないのか。
むしろ松平容保の言動を考える限り、松平容保を信じる精神は愚かでしょう。
>>925 >説明しなければならない。
そんな論理はありません。嘘をついた人間の心理をそれぞれ類推するにしても、
犯人である松平容保を放置して、まったく別の他人を執拗に追いかけるべきではないでしょう。
今井弟は所詮、支持を得るためには兄を尊大に表現するしかなかった小者です。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 00:12:33.16 ID:HINx0fyq0
容保ガー君、君を相手にするのはあほらしいからもうやめるよw
君の論は二つの前提の上に成り立っている。
1 容保は卑劣な悪人である。→しかし一般のイメージはそれと正反対。
2 龍馬暗殺の理由は大政奉還である。→それはどうか分らない。
特に1の大前提が誤っているから、君の推理は狂っているのである。
君だけじゃない。容保説の支持者は容保の人間像を見誤っているか、もしくは考慮に入れていない。
ついでにいうと司馬遼太郎は、容保がそんな実務に関与するはずはないから、
会津藩の重臣が相談して決めたのだろう、などと書いている。
わたしは司馬の説にも賛同できないが、容保がいちいち龍馬の暗殺などに関心を持っていたとは思えない、
という点では司馬の意見に賛成である。政治の大局を考えていなければならない容保が、
いちいち土佐の浪人の暗殺などに構っている暇はない。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 01:10:59.49 ID:j3KExwV60
>>927 誤っているのはあなたの論理です。
史料を読む限り歴史上の松平容保は、数多くの場面で嘘を吐き、人を陥れ、それで正義と自称した許しがたい人間です。
この事実に対しあなたは、小説は美しいとしか語らない。それは欺瞞であり、虚偽です。
>容保がいちいち龍馬の暗殺などに関心を持っていたとは思えない
その割には、あなたは容保より上位者である永井へ罪を擦り付けようと必死です。
松平容保がそのように超然としていた記録などないし、動機は有り余るほど存在するのに、あなたは加害者を擁護する。
会津小説に狂ってしまったのなら、史料との相違点を探して御覧なさい。
小説家が会津の悲劇として泣き場を作ったところに、松平容保や会津藩士の嘘と傲慢さが隠されている事に気がつくでしょう。
小説をそのまま歴史として信じてはいけないのは、実にこの点です。
「樅の木は残った」は逆転小説であり、会津に関連した一連の小説も然り。
小説より史料を御覧なさい。会津は嘘つきです。
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 01:58:36.86 ID:j3KExwV60
あなたの歴史に対する態度は、白波五人男を見て犯罪に憧れたり、
忠臣蔵を見て吉良の首を踏みつけようと思うことと全く異なりません。
歴史上、松平容保の行動は年を追うごとに弁護の余地がなくなってゆきます。
なにしろ、最後は藩と藩士・領民を道連れに、天皇も徳川も敵に回して全面戦争なんですから。
もはや勤皇でもなければ佐幕ですらない。松平容保の最初掲げていたことは、後年自己保身のために彼自身が踏みにじってしまった。
坂本龍馬暗殺に関しては、現在となっては、京都見廻組の佐々木只三郎ら見廻組隊士を実行犯とすることで意見が一致しつつあります。
今井信郎及び渡辺篤などを考慮するかぎり、これはもはや動かしがたいでしょう。
暗殺を命令した人としては、どこかの小説耽溺さんは、松平容保は美男子だから除外せよといいますが、
会津藩士手代木直衛門が証言を残していることを考慮すれば、松平容保の関与は動かしがたいことになります。
つまり、松平容保から手代木直衛門、そして佐々木只三郎へ暗殺命令は下されたと解釈するのが順当ということです。
他の人の関与として、どこかの小説耽溺さんは執拗に別の人間に罪をかぶせようとしますが、当時の政治状況を考える限り、
土佐藩を含む諸侯との提携を考えていた徳川慶喜・板倉勝静・永井尚志あたりよりは、
諸侯と敵対し自らの権力を守ろうとした、松平容保・松平定敬らの方が犯人とするのが順当となります。
要するに、松平容保は少なくとも暗殺計画の中心、他の人間が関与する場合も松平容保は犯人の座を降りることはないわけです。
ちなみに、他の説は根拠があまりに乏しい。中傷目的の風説の域を出ない。
ガーがハエもしくは蚊の如くウザイw
春嶽の件は、例えて言うなら「そいや、今の総理大臣て麻生だっけ?」みたいなもんかもよw
重要なのは原「自信」ではなく、当時彼が何の「役職」だったてことなんだと
多少、その「個人」の資質とう踏まえて・・・もやぶさかではないかもだがネ
今井弟の件はガーの意見に近い・・・・のが「悲しい」
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 08:11:42.74 ID:RMSE1FV40
沖田以上に大石鍬次郎の写真が見たかった
ほんと無いのかよ 案外家宝って隠してんじゃない?
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 09:42:43.95 ID:PMOoXmXY0
もう容保ガー君を相手にしようという気はないのだが、ヒマだから書こう。
まずわたしは会津小説も容保小説も読んだことはない。会津に関する歴史資料も読んだことはない。
しかし歴史史料を読んでも、たぶん、君とは逆の容保像を抱くだろうと思う。
君のような容保像を抱いている人は、たぶん、百人に一人くらいだろう。
それから、君は容保が自分の一存で暗殺指令を出したかのような意見を書いてるが、
政局を左右するかもしれないような(と君は考えている。わたしはそうは思っていないが。)
龍馬暗殺を容保の独断だけで決められるだろうか。会津藩家老などの重臣会議が必要ではなかろうか。
容保と手代木だけで決めたのか。バレたら慶喜から叱責されるかもしれないようなことを、
容保と手代木だけで決めたのか。そういうことを君は考える必要があるよ。
いや、君だけじゃない。容保説を採る人はすべてそういうことを考えてみる必要があるね。
永井ならやるよ。なにしろ長州藩主父子の首を刎ねてしまえ、と言ったり、
人斬り屋の新選組を長州に送り込もうとして、江間という人から、その神経を疑われているような人物だから。
慶喜に叱責されるようなことでも平気でやれる人物だと思われるからね。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 09:52:34.23 ID:PMOoXmXY0
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 10:25:19.81 ID:C/CDtJP0O
あのね
100%黒幕とされる人物は皆無なのよ
その上で見廻り組黒幕説が有力なの
わかる?
つまりどの説にも矛盾などでがあり否定し合う事自体が無意味なのよ
だって正解なんか無いんだから
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 11:48:05.43 ID:Wic4UKbQO
>>932 意味のない話相手への中傷を連ねても、
あなたの愛する松平容保への嫌疑が深まるだけですよ。
原は暗殺事件の前に自身が暗殺されています。
何を考えていたのかは不明ですが、暗殺命令は原からは出せません。
死者の命令なら続行させた人間の方が犯人です。
あなたは坂本暗殺は松平容保が関わるような重要性がないと叫んだり、
永井や原が関わる国事案件だと叫んだり、同じ文章の中で矛盾しています。
ちなみに松平容保の最たる残虐行為といえば、
城下に敵が入って来た時に城門を閉め、人々が残っていた城下町を焼き払ったことでしょうか。
永井の行為をなじっても、それより酷い例を持つ人間を放置はできません。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 12:11:57.12 ID:Wic4UKbQO
>>932 松平容保は重臣を尊重しませんでした。
具体的には西郷頼母の帰還要請は邦元の総意でしたが、容保は従いませんでした。
神保の止めるのも聞かずに京都へ進軍し、敗北した上に朝敵認定まで受けたことは、すぐ上にあります。
あなたの言い訳は場当たりで、続く永井への中傷すら霞んで見えます。
>城下に敵が入って来た時に城門を閉め、人々が残っていた城下町を焼き払ったことでしょうか
犠牲になった庶民な子孫には申し訳ないが「致し方」ない話だわな〜
それこそ近代史として様々な資料は残っているが故の話だろうが
例えるなら真田ような武将が特殊なだけであって
他の武将・殿様も「同じ事はしない」保証はどこにもないって話だよ〜
>具体的には西郷頼母の帰還要請は邦元の総意でしたが、容保は従いませんでした
徳川第一な家系の当主ですからねぇ〜しかも若かったw
「何も」しなかった諸侯よか自主性があっていいじゃない〜
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 16:26:10.30 ID:5r8XYl4a0
>>935 >>907>>908を見てもらえれば分かるように
目付、大目付、永井がずーっと龍馬を狙っていた形跡がありますよ。
それに対し、所司代や守護職が狙っていた形跡はありませんよ。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 17:00:25.28 ID:j3KExwV60
>>938 この返答は
>>922ですね。
あなたは
>>923で回答を避ける代わりに中傷で誤魔化した。そしてまた根拠もなくこの話題を持ち出した。
あなたは、回答できないときは相手を罵倒し、その後でまた同じ事を話題にしようとする。
これは不正行為ですよ。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 17:20:32.05 ID:j3KExwV60
疑問点を説明できず罵倒で誤魔化すような説の、どこに信憑性があるのでしょうか。
あなたは松平容保を愛するあまり、他人に罪を擦り付けて済ませようとする。
しかし、あなたの主張する内容は、核心的な部分で根拠が薄い。
松平容保を犯人にしたくないから永井、松平容保を犯人にしたくないから紀伊。
どの主張も、他人の説で松平容保が占めている犯人の位置に、不完全な代替品を代わりに置いているだけのことです。
彼らが取って代わる理由が乏しい。
永井を代わりに置けば、土佐藩やその他諸侯と徳川慶喜との提携を葬った、旧幕府内の大政再委任運動という視点が消え、
紀伊を代わりに置けば、動機が尊王攘夷過激派であった坂本への敵意や大政奉還反対と、いろは丸とで分裂する。
あなたの説では、松平容保擁護のあまり、なぜ坂本龍馬が狙われ殺されたのかという論理が消えてしまう。
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 18:25:37.70 ID:KpkgIOUh0
疑問を二つ。
1 守護職の命令でやったのなら、「守護職の命により」とか「幕命により」と言えばいいわけだ。
幕命なのだから、隠す必要もないし、恥じることもない。それを敢えて「某諸侯の命により」
と言ったということは、幕府以外の諸藩の大名を指しているのではないのか。
2 「…守護職からの褒状もここにある。」という、今井の妻いわの口伝だが、江戸時代、
賞状を授けるというような習慣があったのだろうか。そんな習慣は明治以後のことではないのか。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 18:32:15.51 ID:KpkgIOUh0
>>934 正解はもう出ていますよ。なにしろ殺った本人が語っているのだからまちがいないw
君らが信じてないだけで。あるいは「そんな説は信じたくない!」と言ってるだけで。
Nagai Genbaですよ。
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 20:40:56.16 ID:j3KExwV60
>>941 >守護職の命令でやったのなら、「守護職の命により」とか「幕命により」と言えばいいわけだ。
この場合は言えません。事件当時徳川慶喜及び板倉勝静・永井尚志には、土佐藩を味方にするという大きな命題がありました。
その土佐藩の重要人物を旧幕府が殺したと自白することは、土佐藩との提携の可能性を放棄することです。
そのため、当時旧幕府は犯行を公にすることはなく、その後も公式に犯行を認めることはありませんでした。
幕命という言葉は使えなかったわけです。
もっとも土佐藩は当時、薩摩からの情報によって坂本中岡暗殺については新撰組犯行説に傾いており、
旧幕府が犯行を否定したところで、土佐藩と旧幕府の関係冷却化は避けられませんでした。
坂本中岡暗殺事件は、旧幕府にとって犯行自体が浅はかで、愚かな自滅行為であったということになります。
またこの暗殺が、幕府の基本的な立場と相反する犯行であったことから、当時の慶喜らによる大政奉還を餌に用いた諸侯取り込み策に
反対する立場の人間の犯行とする説が浮かんできます。すると大政奉還に反対した松平容保らが犯人として極めて疑わしいことになります。
この場合も、本来の幕府の命令に反逆して、途中の松平容保が全く逆の命令を出していることになりますので、幕命とは言えない訳です。
「守護職の命令で」、では松平容保とまる分かりになってしまいます。「某」で言葉を濁す理由がありません。なにしろ山城国守護はいないのですから。
>賞状を授けるというような習慣があったのだろうか。そんな習慣は明治以後のことではないのか。
褒状についてはいろいろな例がありますよ。
例えば天一坊事件の場合は通報者(町人)に褒状及び銀五枚の褒美が出ました。他の事件も然り。
検索すると、一揆内応者に褒美を与えたという記述もあったりして、多少嫌な感じもします。
幕府に限らず藩でも表彰を行う場合は、褒状と何がしかの現金が常だったようです。
学校での成績優秀者表彰を挙げてみます。(1856年褒状 長崎市立博物館聖堂文庫蔵)
銀三枚 書物改
向井外記
今般聖堂において門弟共学問吟味申し付け候処、何れも出精致し、右は平日教諭方行き届
き候儀と相聞こえ一段之事に付、此節限褒美遣之候
右之通り 申し渡さるべく候
右之通り 仰せ渡たされ候間、申し渡し候
辰五月
>>942 嘘つきは松平容保の始まりですよ。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 21:47:35.84 ID:m5oUmpJ50
わはは、容保ガー君、手代木の死んだのは明治37年ですよ。
もう幕末も終わり明治維新も終わっているのですよ。
それなのになぜ土佐藩との関係を考慮する必要があるのですか?
もう過去の話だから「あれは幕命だった」と言えばいいのですよ。
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 21:53:15.52 ID:j3KExwV60
京都守護職という位については、本来の江戸幕府が備えるべき役職(京都所司代)とは毛並みが違う、
孝明天皇・岩倉具視・島津久光らが天皇の権威を示し、自らの軍事力を置きたいという欲求で作ったようなところがあります。
一橋慶喜の将軍後見職とか松平春嶽の政事総裁職にも、井伊直弼が実質のない役職としては事前に作っていたなどの経緯はあるのですが、
一様に幕府への干渉や朝廷による任命権奪還の意思が漂う命名なんです。
その後一橋慶喜は更に禁裏御守衛総督に転じ、
岩倉具視や島津久光などとは敵対した形で、幕府よりも朝廷内に基盤を置いた政治活動を進めるわけです。一会桑政権の始まりですね。
それは置いておいて、歴史上は、天皇及び朝廷の任命する役職としての国司が、地域の有力者を国守護人として認定し朝廷が任命し、
これが鎌倉幕府の成立に伴い惣追捕使・国地頭へと任命され、鎌倉室町幕府の地域代表者としての守護になってゆくわけです。
そのため上野介とか因幡守とか、○○守という名乗りには論理上は朝廷の認定が必要で、勝手に名乗るのは本来僭称だったわけです。
この朝廷の権利は後に剥奪され、江戸幕府は勝手にこの名乗りを与えることが可能でしたけど。
そんなこんなで江戸幕府は室町までとは異なり、守護は実質的な役職としては本来設置しませんでした。○○守を個人の名乗りに使っただけです。
代わりに朝廷とは関係のない役職を考え、設置していたわけです。
京都守護職の場合、これを上記の人々が、朝廷に任命権のある位として復興させようと狙った命名という面がありまして、幕府が認めた役職としては特殊です。
なので、守護職だけで京都守護職になってしまうんですよ。○○守ならまだぼかした表現になる。松平容保は肥後守です。
>>944 一度関係がないと宣言したことを、世が変わったけれど人は生きている状態で、変える事は出来ますか?
関係者がいるんです。前言を翻すには相当の覚悟が必要です。だから坂本暗殺事件は証言者が少ない。
手代木の場合は、実弟の最期の華々しい成果としての言及でしょうね。その場合も真犯人である主君については口を濁した。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 22:02:23.60 ID:j3KExwV60
>>944 返事は上に書いたとして、
ところで、
>>941,942の不明、そしてあなた自身のこれまでの果てしない不明について、あなたはどう思いますか?
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 23:06:48.80 ID:6tP7T1Ud0
容保先生、京都守護職設置には君が想像しているような意図はありませんよ。
「昔夢会筆記」の「京都守護職の権限の事」を読んでごらん。
ただ単に所司代だけでは兵力が足らないから、応援のために設置しただけですよ。
941は単に疑問として書いただけですよ。
942も自信がありますよ。不明なのは君ですよ。
このスレの常連は七名くらいしかいない。
永井説のわたし、容保説の君、新選組ガー、〜じゃんの男、その他三名ほど。
その三名のうちの一人はわたしと同じく手代木史料はあまり重視していない。
仮にこのスレの読者が百人になったとしよう。そうすると、ここまで読んで来れば、
わたしの説に賛同する人がかなりの数に上るはずである。
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 23:53:54.57 ID:j3KExwV60
>>947 先生なんて信じてもいないお世辞など馬鹿馬鹿しい。
そして、
>「昔夢会筆記」の「京都守護職の権限の事」を読んでごらん。
は根拠としてはあまりに弱い。現に江戸幕府の任命する実質のある守護などあれ以外にない。
江戸幕府は守護を避けて別の役職を作った。
>941は単に疑問として書いただけですよ。
>942も自信がありますよ。不明なのは君ですよ。
根拠のない自信を人は傲慢といいます。そしてあなたは中傷は多いが、今に至っても根拠を示せない。
主張に論理のない感情論をどれだけ高く掲げても、腐り果てて落ちてくるだけでしょうね。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 09:19:12.72 ID:t2WqvP1J0
では話題を変えて、天満屋事件と油小路の変の謎について考えてみよう。
1 陸奥はなぜ加納宗七の情報を信じたのか。またこの事件は新選組の他に
西条藩士三名が加わっていた。西条藩士なら「こなくそ」と言うだろう。
2 伊藤が近藤を暗殺して新選組乗っ取りを企んでいたというが、数において
圧倒的少数派の御陵衛士がそんなことを企むとは思えない。油小路の変は何かの陰謀である。
そしてその陰謀の首謀者として永井玄蕃の噂が立っていた…。これは何を意味するのか…。
専門家には専門家の、「素人」には素人なりの見方があると
そう肩肘張らずにさぁ〜wここは学会の「掃きだめ」なのか?な話
>>949 2 圧倒的少数派だが「衛士」なんですよwな話
ある意味清河と同じで「バックは天子様ですよw」と
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 13:36:05.63 ID:HYDI7D5aO
>>942 自白だけで犯人決められたら苦労しないよ
何れにしろ誰が黒幕か?は水掛け論
>>951 ・・・と思うなら「来なけりゃ」いいだけだよ?
最近よく聞くじゃん「TVは観なけりゃいい」てやつ
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 17:17:02.14 ID:0cDCHJl/0
油小路の変について
近藤勇暗殺…なんてのは嘘で、伊藤は口封じのために殺されたのである。
何の口封じか。伊藤は龍馬暗殺の黒幕を知っていた。だから殺されたのである。
黒幕はもちろん永井。ゆえに永井が命令したという噂が立ったのである。
伊藤は口外しないという約束をしていたのだが、御陵衛士の仲間にも漏らしていたかもしれないと永井や近藤は考えて、
衛士全員を殺そうと謀ったのである。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 17:21:14.65 ID:0cDCHJl/0
とにかく近藤は永井の腹心の部下みたいになっている形跡がある。
後藤と福岡が永井と会談したときも近藤がいたし。
だから龍馬暗殺の黒幕が永井だとしたら、近藤も必ず共謀しているだろう。
なんだか、「松平容保」を入れるべきところに機械的に永井をはめこんでいるだけで面白みがない
そのうち京都守護職も会津藩主も永井なのである。と言い出すだろう
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 20:00:58.27 ID:rvd1CNm+0
955
油小路の変の命令者に容保の噂は立っていないぜぞ。それに
近藤が容保の腹心の部下になっているような形跡もないぜよ。
論拠が 噂 ではねぇ
会津藩預新選組なんですけど
永井を悪役にしようと悪戦苦闘し、無さそうな罪状まででっち上げてみていますが、
松平容保の方が当てはまるじゃないですか
永井を貶めているようで、松平容保を貶めている
しかし、伊東暗殺に近藤勇より上層部の行動を想像するのは邪推
脱退した人をいつもの新選組内部粛清のつもりで殺し、犯行がばれたというだけ
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 21:06:26.40 ID:cSU8HrOJ0
957,958
>論拠が 噂 ではねぇ
噂が立った、ということが重要なんだよ。
噂が立った、ということが「いつもの新選組内部粛清」ではないことを暗示しているんだよ。
>松平容保を貶めている
? そんなつもりはないけどね。わたしは容保と定敬は潔白だと信じているから
永井説を唱えているのであって、容保を貶めたつもりはない。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 21:40:51.46 ID:cSU8HrOJ0
ところで田中光顕は峯吉から知らせを受けて駆け付けたと自分で言っているのだが、
峯吉は「大橋慎蔵さんをはじめ、志士の面々が…」と言っていて、田中の名は挙げていないのだが…。
もちろんその「志士の面々」の中に田中がいたと思えばよいだけの話だが。
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 23:57:01.69 ID:7ufui6Za0
前にも書いたが、容保説の根拠は次の二つである。
1 手代木の「某諸侯」発言。
2 見廻り組は京都守護職配下だと思われること。
1についてはさておき、2については不明だとわたしは主張してきたのだが、
よく考えると、限定しなくてもよいのではないか。なぜなら、
新選組も見廻り組ももともと京の治安維持のために幕府が設けた組織なのだから、
使おうと思えば誰が使ってもよいはずである。その証拠と言ってはなんだが、
永井が新選組の連中を連れて広島に行っているではないか。
見廻り組が京都守護職配下だとしても、永井が使おうと思えば使えたのではあるまいか、
いちいち京都守護職の承認など受けなくても。
目的も告げずに「ちょっと借りるよ」で済んだのではあるまいか。いや、
そんな申し込みさえ必要なかったかもしれない。
(わはは。容保説のみなさん、どっと反論してかまいませんよ。)
>>958 それまで御陵衛士たちを全く暗殺しようとしていなかったのに、
坂本中岡暗殺事件で新選組の仕業だろうと思われているまさにその時に何故やったのか?
という考察がゼロっていうのは余りにも不自然!
少なくとも伊東甲子太郎が坂本中岡暗殺が新選組の仕業だと知っていたからこそ、
斉藤一からの通報で新選組は大急ぎで伊東甲子太郎ほか御陵衛士たちを皆殺ししようとせざるを得なかった、と推測せざるを得ない。
この動機・状況証拠が崩せない限り、新選組犯行説はびくとも揺るがない。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 01:31:24.71 ID:ixmqzSKM0
さて今、気が付いたのだが、見廻り組が守護職の配下であろうとそんなことはどうでもいいのだ。
なぜなら、公務執行の場合は、そりゃ「ちょっと借りますよ」と容保に断りを入れる必要があるかもしれないが、
暗殺をやるのだ。暗殺をやるのだから、容保に無断で、永井と佐々木(と近藤と三浦)が内密にやればいいのだ。
ああ、なぜこんな簡単なことに気付かなかったのだろう。
暗殺だから、永井と佐々木(と近藤と三浦)が、容保に無断でやったのだ。
見廻り組がどこの配下か、などはどうでもいいことなのだ。
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 01:38:03.99 ID:ixmqzSKM0
>>962 新選組ガーさん、龍馬暗殺の夜、すでに新選組が伊藤暗殺の相談を練っていたという史料がありますよ。
尤もその史料は信用できないという説もありますが。
(たしか結城無二三の証言だが、結城無二三はその頃は新選組には入っていなかったらしい。)
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 01:51:38.94 ID:ixmqzSKM0
あとは手代木の「某諸侯」発言と、今井の妻の「守護職からの褒状」の口伝だけだ。
これらが虚言、聞き違い、勝手な想像、思い込み、でっち上げ…であることが証明できれば
容保説は完全に崩れるぞ!
>>964 何のアリバイにもなっていない。
相談と言っても、
『坂本龍馬のような剛の者でも不意を突けば簡単に暗殺できるなぁ。ワッハッハッハッハ
伊東甲子太郎でも簡単に暗殺できるゼ。
伊東甲子太郎は新選組が暗殺したっていうことを知っているから急いで暗殺しなきゃな。
御陵衛士の他の連中も口封じしとかなきゃあな。
軍資金を渡すという理由で伊東甲子太郎を先ず呼び出し、念のため、たっぷり酔わせとけばいい。
御陵衛士の他の連中は、伊東甲子太郎の死体を取りに来させたところを襲えばいい。』
これだけだろ。1時間もかからん。坂本中岡暗殺は大目に見てもわずか10分だし。
実行犯の家族構成がどうなのかは解らないが
今井の家で「そう」なのだから、他の家にてその「守護職からの褒状」てのがどうなったのか?な話
実行犯は全て帰還なわけだから、今井「だけ」貰ってその他は・・・・な事はないかと
しかも当時見廻連中は京に家族を連れてきていたワケですし
他からその話が出てこないってのも?かと
それともその他は「独り者」だった?
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:23:34.67 ID:4bKSTnUh0
たしかに、渡辺は「守護職からの褒状」をもらったなんて書いてないな。
もらってるなら参加者全員がもらってるはずだが、維新後に
「わたしの家にはそのときもらった褒状があります」と公表した人もいないようだし。
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:28:12.21 ID:4bKSTnUh0
それはそうと、言葉の意味を厳密に考えれば、諸侯というのは複数形だろう。
単数なら某候と言うのではあるまいか。
とすると某諸侯というのは、たとえば紀州と大垣とか。
「慶喜公伝」にも紀州や大垣藩が大政奉還を憎んでいた、とある。
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 09:33:19.69 ID:4bKSTnUh0
永井は藩主ではないが、藩主の子である。いわば藩主筋の人である。
そこで手代木が「某藩主筋の命により」と言ったのを、
伝記作者が「某諸侯の命により」と解釈してしまった、とか…。
>>969 職制名・・・・でじゅうぶんかと思いますがねw
仮に個人名が×だったって話があったにせよ某諸侯とはまこと「都合がよい」単語ですわなww
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 15:11:38.17 ID:6u7gnwTq0
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 15:15:29.54 ID:6u7gnwTq0
某=なにがし、名前の代わりに記す匿名用の記述
つまり、特定の名前を挙げられるわけで、某とは単数になる。
もっとも、言及したかった人間とは別に協力者がいた可能性は否定はしない。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 15:35:18.17 ID:6u7gnwTq0
>>970 言い方に無理がある。
永井は旗本としては異例の若年寄格に就任していたので、
同僚は老中や若年寄や見廻役、京都守護職に京都所司代等も含めてみんな藩主=諸侯たちだ。
旗本では大目付が上限とされ、後は目付と奉行あたりが旗本の最高位ということになる。
諸侯と断ったのは、、若年寄以上の役職に就く幕府上層部の誰かという意味と解釈する。
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 16:52:07.44 ID:PgtrBW3j0
>>974 ということは永井は某諸侯に該当するのか、しないのか。
該当するならわたしの説にとっては都合が良いのだが。
ところで信太歌之助(龍馬や今井の柔術の教師)が明治41年の「報知新聞」に発表した談話?によると
今井は老中の命で坂本を殺った、とか。(「坂本龍馬101の謎」)
だんだん法螺が大きくなっているような気もするがw、取りようによっては、
閣老クラスからの指示であることを示唆したかったのだろうか。
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 17:41:39.17 ID:PgtrBW3j0
永井 明治24年 没
容保 明治26年 没
手代木 明治37年 没
定敬 明治41年 没
手代木の死のとき、永井はすでに死んでいるから、永井の名を出そうと思えば出せるな。
しかし、容保はすでに死んでいるが、定敬がまだ生きてるから、容保の名も定敬の名も出せないな。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/25(木) 23:35:09.64 ID:aP4Nq16O0
「某諸侯」などと言ってしまえば、すぐ容保のことだと分かってしまうのに、なぜ某諸侯などと言ったのだろう。
容保とは別の諸侯なのか。しかし別の諸侯であっても、藩主が暗殺を命ずるなんてことはありえないと思うのだが。
容保は暗殺ではなく捕縛を命じただけだと考えることもできるが、それなら別に隠す必要はないのである。
手代木が某諸侯の名を隠したということは、あれは暗殺だったということである。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 17:22:36.96 ID:cp5MycZK0
中岡が屋根まで逃げた、というのも嘘っぽい話である。賊はすでに去っているのだから、そんなとこまで逃げる必要はない。
それに谷の講演を信ずれば中岡は東八畳の間で倒れていたのであって、すると、峯吉と島田がわざわざ屋根から降ろして東八畳の間まで運んだか、
あるいは、中岡は東八畳の間まで逃げてそこからさらに屋根に逃げたことになるが、どちらにしてもきわめて不自然である。
ゆえにこの話は嘘っぽいが、ある事態を想定すると、真実味を帯びてくるのである。それは、実行隊にたとえば土佐藩士が参加していた、という想定である。
(つづく)
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 17:41:53.32 ID:cp5MycZK0
978のつづき
以前わたしは小僮と書生は同じだと書いたが、訂正したい。あれは近江屋新助の証言が正しいと思ったのでそう書いたのだが、
よく考えると近江屋新助や峯吉は信用できず、却って今井や渡辺のほうが信用できるのではないかと思ったのである。
さて今井は書生が三人いたといい、渡辺は「慷慨ノ士」が五六名居合わせたと書いているが、
これら数名の武士らしき者どもが、たとえば暗殺に参加していた土佐藩士だとしたらどうであろうか。
中岡は賊は去ったと思っていたのに、自藩の藩士が去らずにその場にいることを知ったら、恐怖のあまり屋根まで逃げるだろう。
つまり暗殺に土佐藩が関与していたのであり、新助も峯吉も谷も、適当に嘘を混ぜて話しているのである。
ただし谷の証言が真実だとすれば、今井と渡辺か嘘を語っているのであり、暗殺したのは見廻り組ではことになるのである。
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 17:44:52.94 ID:cp5MycZK0
979最後の行
見廻り組ではことになるのである→見廻り組ではないことになるのである
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 19:36:41.47 ID:F/nfErt/0
土佐藩が仮にいたとすれば→いたのである。 と数行後には断定してしまう妄想
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 19:39:12.82 ID:F/nfErt/0
いたと仮定すればいたことにはなる。
しかしそれは妄想の範囲。
仮定をいつの間にか真実として語るのは、あなたの悪い癖
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 19:51:57.20 ID:F/nfErt/0
これを泥棒猫の論理と言った人がいる。
具体的には、昼のメロドラマのように、婦人がある妄想をする。
夫に女性の部下がいると夫は浮気をするに違いない、いや現に行っている、主人に女性の部下がいるのが証拠だ、この泥棒猫、と。
文章を読む限り論理はない。しかし本人がそう断定したいと思っているのだから、手の付けようがない。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 19:55:59.66 ID:I7d2cbuh0
また容保先生ですかwww 先生、わたしは仮説を書いてるだけですよww
それはそうと過去スレからこんなのを拾ってきましたよ。
手代木は松平容保を庇ったのではないか。
某諸侯の命令で佐々木に実行させたと証言しながら、容保候ではないと言い直すし。
容保候ではないと言い直した史料があるんですかね。
そういう史料があるなら、容保ではないことになりますよw
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 20:14:55.15 ID:F/nfErt/0
>>984 あなたは馬鹿ですね。
それは手代木証言最後の部分、「しかしこの某諸侯とは松平定敬を指し、松平容保候ではない」のことでしょう。
でたらめを並べ、指摘を受けると話を逸らすために関係のないことを言う、これが松平容保ファンの典型的な所業です。
あなたの仮定とやらは、「もし土佐藩士がいたなら土佐藩がいたに違いない。」しか話の内容が存在しない。
印象操作でしかない。
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 20:27:58.39 ID:F/nfErt/0
手代木証言は彼の最期の証言となったものではあるが、いくつかの点で疑問がある。
会津藩家老並みの職を得ていた元会津藩士が、会津藩に不利な情報を残すのかという点、
坂本龍馬暗殺の動機として、坂本の反旧幕府行動を挙げてはいるが、大政奉還については触れていない点、
命令を出した主犯として、某諸侯とまで挙げておきながら、その後でこれは桑名藩主松平定敬の事を指し会津藩主松平容保のことではない、と結んでいる点、
最初については、亡弟佐々木只三郎の偉業とやらを語る上で坂本龍馬暗殺を外せなかったこと、
次については、暗殺理由として大政奉還を挙げると、当時から松平容保らが徳川慶喜へ叛意があったことになるということ、
最後については、主君が犯人であることはやはり言えなかったということ、が挙げられている。
それはそうと、君が書き散らしていた
「もし土佐藩士が犯行にいたと仮定すると土佐藩士がいたことになる。これは大事件だ、やっぱり土佐藩士が犯人だ」
という一連の書き込みについて、何か申し開きはありますか?
あなたは信用できない卑劣漢ですね。
987 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 21:35:56.22 ID:yo1gwrHn0
あはは。容保先生はあいかわらず史料の読みが雑ですね。
>「しかしこの某諸侯とは松平定敬を指し、松平容保候ではない」
「手代木直右衛門伝」にそんな部分がありますか?
尤もわたしは「手代木直右衛門伝」も「佐々木只三郎伝」も読んだことはないから、
どこかにそういう記述があるのかもしれないが。
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:05:43.96 ID:F/nfErt/0
それは別の人間の添え書きであり、本人の弁ではないという指摘であろう。
別に趣旨とは関係ない。
もう一度書こう。君は根拠のないことを書き連ね、人を貶めることこそが松平容保を顕彰することと信じているようだが、
それは多くの松平容保を愛する人間と同じく、人の道に外れた行為だろう。
それはそうと、君が書き散らしていた
「もし土佐藩士が犯行にいたと仮定すると土佐藩士がいたことになる。これは大事件だ、やっぱり土佐藩士が犯人だ」
という一連の書き込みについて、何か申し開きはありますか?
あなたは信用できない卑劣漢ですね。
人に語りて「曰く」・・・・だよ?
あとガーに「なにを言っても無駄」
こいつは既に「答え」が決まっているから、それらに繋がるものをその答えに「無理くり」当てはめているだけ(笑)
朝鮮人を「諭す」くらい
無駄な
作業ねww
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:26:17.88 ID:F/nfErt/0
もう一度。
君は根拠のない印象操作で、「もし土佐藩士が犯行にいたと仮定すると土佐藩士がいたことになる。これは大事件だ、やっぱり土佐藩士が犯人だ」
と主張し、その根拠を問われて中傷に走った。これは不正行為としか言いようがない。
根拠も言えない事を並べ、返答も出来ずに相手の中傷に走るとは何事だ。
だから松平容保愛護の連中は嘘つきと言われるのだ。
今回の松平容保ファンの行動は言語道断、殺人暴行犯にも人格的に劣る所業としか表現しようがない。
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:28:20.77 ID:F/nfErt/0
>>989 >あとガーに「なにを言っても無駄」
>こいつは既に「答え」が決まっているから、それらに繋がるものをその答えに「無理くり」当てはめているだけ(笑)
「永井ガー」ですね。それなら筋は通ります。
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:36:52.21 ID:yo1gwrHn0
容保先生、ぼくは見廻り組の他に土佐藩士も数人参加していたのではないか、と推理しているだけであって、
参加していたとしても、別に容保説にとって不利ではないでしょう?
君は「見廻り組+土佐藩士」の暗殺団の命令者が容保であると見なせば良いだけのことであって、
ぼくはその暗殺団の命令者が永井であると見なす、それだけの違いですよ。
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:44:17.68 ID:F/nfErt/0
根拠のない言いがかりを混ぜてもらうのは迷惑至極。
第一、いくら読んでも
「もし土佐藩士が犯行にいたと仮定すると土佐藩士がいたことになる。これは大事件だ、やっぱり土佐藩士が犯人だ」
しか中身のない文章で、どうやって人を断罪するというのか。
言いがかりを広めれば世論を味方にすることが可能で、嘘で世の中を動かせばよい、という話はやめにしてもらいたい。
それでは巷の会津武士道と何ら変わらない。
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 22:53:45.40 ID:yo1gwrHn0
容保先生の感情的で無意味な反論は無視することにして、改めて「手代木直右衛門伝」を読み返すと
「壮士二人を率い」
とあるから、二階に踏み込んで坂本と中岡を斬ったのは、たぶん二人だな。
「もうよい、もうよい」と言ったのが佐々木。
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 23:07:41.72 ID:F/nfErt/0
永井ガー君の論理のない土佐藩随行説は、論証も一切ないまま彼自身が放棄した、ということでよいのかな。
それにしても迷惑な妄想を出したものだ。松平容保が犯人ということがそんなに嫌いなのだろうか。
おまけに、一切論証もせず中傷を返すのみなのだから、松平容保を愛する人の心根が知れようというものだ。
別に実行犯が見廻組佐々木配下の数人ということには異存はない。
ただ、永井ガーの不正を誤魔化す姿勢は醜い。
F/nfErt/0に何言っても「ムダ」と悟ったからさ〜〜
何度いっても容保が直接な関わりを持ったと「記されている」資料を
出しもせず
延々と個人的私念をこんな「場末の掲示板」にて
さも勝ち誇ったようにしているところにww
嫌いだ?
愛だ?
私念はblogでも立ち上げて書きなさいな(笑)
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/26(金) 23:26:12.12 ID:F/nfErt/0
ほう、論拠もつけずに延々と話を連ね、反論も出来ずに相手への中傷を付ければ済むと考えているとしたら、
松平容保ファンは人格的におかしい。それでは会津武士道だ。
松平 容保 の姓名判断
松平 容保
●○ ●○
8 5 10 9
総運32○ 周囲の助力と、好機をつかむ運があり、成功を収める。結婚運○。
人運15◎ 早くから社会で成功。華やかで魅力的。抜群の活動力を持つ
外運17○ 活動力に溢れ、華やかで活気ある環境が○。事故注意。
伏運34× 悪い運数です。
地運19△ 天才肌、挫折、障害、浮沈運。
天運13○ 頭脳に恵まれる。家族を大事にする家柄。
陰陽 ◎ 理想的な配列です。
永井 尚志 の姓名判断
永井 尚志
○● ●○
5 4 8 7
総運24◎ 幸運、金運に恵まれ結婚家庭運◎。強すぎる自我はトラブルの元、注意。
人運12△ 感性鋭く学芸才能に恵まれる。犯罪災難傾向あり。地道に努力すること。
外運12△ 実力を蓄えやがて開花するが、常に負の影響にさらされるため晩年注意。
伏運27× 幼児期は無事でも将来不安。
地運15◎ 上昇、調和、幸福運。
天運 9△ 孤独で寂しい家柄。
陰陽 □ 悪くはない配列です。
手代木 直右衛門 の姓名判断
手代木 直右衛門
●○● ●○●●
4 5 4 8 516 8
総運50× 始良ければ晩年悪し、始悪ければ晩年良し。犯罪傾向。晩婚傾向。
人運12△ 感性鋭く学芸才能に恵まれる。犯罪災難傾向あり。地道に努力すること。
外運38○ コツコツ努力できる環境が○。身分をわきまえて、よい人生が送れます。
伏運49◎ それほど悪くはない運数です。
地運37○ 才知、独立、誠実運。
天運13○ 頭脳に恵まれる。家族を大事にする家柄。
陰陽
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