1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2010/10/15(金) 01:55:20 ID:Mk2yvczb0 お?
しなかったんではなく、やれなかった。天皇は独裁者ではなかったので、民意が戦争に傾いていれば、しかたない。 臣民が戦争を欲し、為政者が戦争を回避したかったのが日本。 国民は大戦不介入を望み、指導者が参戦を模索したのがアメリカ。 アメリカ人のえらいのは、戦争反対でも戦った者には敬意を表すこと。 日本人には、望んだ戦争も負けた途端為政者だけの所為にする矮小さがある。 今年のサッカーワールドカップ前後の代表に対する姿勢をみれば象徴的だ。
阻止してたら226事件以上の反乱が起こってただろうね。 んで、昭和天皇は精神病院にぶち込まれるか、首切られるかして 代わりに他の好戦的皇族が天皇なり摂政なりなんなりに。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/15(金) 04:29:35 ID:OVcFpwGg0
昭和天皇はいくじなしで無責任なダメな大人の典型だったからです みなさんもダメな大人にならないようにしっかりと歴史を学びましょう
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/15(金) 12:19:56 ID:DK20yQJr0
『責任は朕にあり。いかようのしょぶんでも』 「バスに乗り遅れる」という国民の暴走の責任をとると、マッカーサー将軍に先帝は言われたそうだ。 独裁者でもないのに。 戦後日本の失敗は、 「国民いは一切の戦争責任はない。道徳的にも」 とできなかったことだな。 まこと、厚顔無恥で野蛮な生き物だよ。日本人とは。
戦争するしか選択肢がないだろ 選ぶ余地があるとしたら、北進か南進かの選択だよ
徳富蘇峰みたいな右翼活動家を信じた国民の罪は?
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/16(土) 12:45:07 ID:Fd+kECSI0
蘇峰は俺大嫌い。 戦時中は陛下への絶対随順を国民に説きまくり 敗戦になると自決もせずに日記でぐちぐちと陛下への恨み言を書き綴っている。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/16(土) 12:51:09 ID:P3H7Yode0
裕仁はチビで猫背だよね
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/17(日) 17:15:54 ID:lX4rFKwr0
裕仁のようなアホに何ができる? 世襲っつう愚かな政治体制の終焉だな。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/17(日) 17:35:45 ID:Dq6FHJAU0
アメリカのやってることはすべて正しい
国民が戦争を望んでたっていうのは嘘よ、嘘! 昭和15年12月に文芸春秋の世論調査で6割以上の国民が、対米戦を回避出来るって答えたのは一体どう説明するつもなのよ!?
詳しく!!
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/19(火) 04:02:44 ID:U+b2XEPr0
天皇陛下は、立憲君主だからな。 つまり、名目上の君主という訳だ。 為政者の決定した事項に対して判子を押すのが陛下の仕事らしいんだよな。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/19(火) 05:23:30 ID:LYMCSsvb0
>>14 >為政者の決定した事項に対して判子を押すのが陛下の仕事らしい
大元帥としての立場では結構ノリノリせ戦争指導してたことは明らかにされてるけどな
各省や軍官僚の人事にも相当口を出して、その通りに実行させてたことも明らかにされてるし
まあ、
いやしくも日本人たるもの、一人といえども陛下のご意思に反して行動するがごとき、不忠の臣はおりません。
いわんや文官においてをや
てことさね
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/10/20(水) 18:19:30 ID:c2mFQY0HO
>>15 ヒロヒトは結構口を出してたね。東条なんか戦局について1日何回もヒロヒトの指示を仰いでた。が、敗戦するや否やヒロヒトは知らんぷりして東条以下に責任を押し付けてマッカーサーに取り入り自分だけはのうのうと生き延びた。地獄に落ちるはずだわさ!
むしろ積極的に戦争を推進してたからでしょ?
>>13 文芸春秋が昭和16年1月号で読者に対して行った世論調査で、
日米戦は避けられるかという質問に対して
避けられる 412
避けられぬ 262
不明 11
という結果が出てるのよ。
少なくとも開戦1年前の時点では、国民の多くが対米戦を望んでいなかった事は明らかね。
文芸春秋の読者というと、当時のインテリ層って感じ?
>>18 その『文芸何某』の読者が全日本人の何割なんだか?
まして、
「回避が可能か否か?」という問いは、やりたいかやりたくないか、というのとは別次元だろう。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/01(月) 09:44:48 ID:ZIwJbSIY0
張鼓峰事件の時の天皇 陸軍大臣からは、陛下の思っておいでになった通り、武力行使の問題を奏上して御許しを 願ったので、陛下から「関係大臣との連絡はどうか」御下問になったところ、陸軍大臣は、 「外務大臣も海軍大臣も賛成致しました」と奉答した。陛下の方でも、外務大臣も海軍大 臣も・・・武力行使には絶対反対だということを既に御承知であったところへもってきて、 陸軍大臣が「両大臣とも賛成でございます」と申し上げたので、陛下は、これはまた自分 を騙すのかと思し召されたらしく、多少御興奮の面持ちで、「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条湖の場合といい、今回の事件の最初の盧溝橋のやり方といい、中央 の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてはあるまじき卑劣な方法 を用いるような事もしばしばある。まことにけしからん話である。このたびそのようなこ とがあってはならんが」ということえおたしなめられた。 そうして陸軍大臣に向かって「今後、朕の命令なくしては一兵だも動かすことはならん」 と非常に語気強く仰せられたので、陸軍大臣は恐懼惜く所も知らず退出した。 陸軍大臣は帰って来て、「自分はとても再び陛下のお顔を見上げることはできない。ぜひ 辞めたい」というようなことを言っていた。参謀総長宮も「陸軍の長老としてこれでは陛 下に対して輔弼の責を任じえない。ぜひ辞めたい」ということをお申出になった。 『西園寺公と政局』7巻50〜52頁
そういうときもあれば、対米戦裁可もあり?
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/03(水) 06:14:45 ID:4jsW7eyc0
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/03(水) 11:49:35 ID:5hxpbCEkO
昭和天皇 ドレイパーでぐぐってみ。
>>20 開戦回避は可能=戦争にならないと思う=戦争やりたくない、だろ
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/06(土) 06:08:26 ID:63knCQNI0
宮内庁が編さん作業を進めている昭和天皇の行動記録「昭和天皇実録」の完成が、
予定より3年遅れて平成26年になる見通しとなりました。
「実録」は、歴代の天皇の活動を後世に伝えるため宮内庁が編さんし保管している行動記録で、
これまでに大正天皇までが完成し、一部を除いて公開されています。宮内庁では平成2年から
「昭和天皇実録」の編さん作業に取りかかり、来年3月の完成を目指して15人から20人の体制で
作業を進めてきました。実録は、昭和天皇の誕生から崩御までを日誌のような形で記述し、
あわせて400巻近くになる見通しですが、宮内庁によりますと、事実関係の確認作業や
表現のしかたの検討などに時間がかかっているため、完成は、予定していた来年3月より
3年遅れて平成26年になる見通しだということです。宮内庁は、当初平成18年だった
完成予定を5年延長して平成23年とした経緯があり、編さん作業の大幅な遅れについて
「予定の時期に間に合わずたいへん心苦しく申し訳なく思っています。今後しっかりと
作業に取り組んでいきたい」と話しています。
*+*+ NHKニュース 2010/11/06[06:03:25] +*+*
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101106/k10015068701000.html
色々難しいんだろうな、つじつまあわせがw
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/06(土) 20:15:28 ID:FiZ9rSPjO
>>26 マッカーサー会見時「私さえ助けていただければ沖縄は25年でも50年でもいやそれ以上でもどうぞお好きにお使いください〜!」っていったのとかその他のヒロヒト売国発言も捏造せずに載るのか?載る訳ないよなww
昭和天皇は絶対君主でも結構イイ線いけたと思う
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/07(日) 17:31:14 ID:XpArgkL20
チビは君主として不適格 あのマヌケ面なら最低190cmはないと威厳が保てない。 やはり外交では容姿は重要だ。 まあチビでもプーチンみたいにKGB仕立ての殺気でも出せればいいんだが 天皇はしょせんチビ猫背肩幅狭い虚弱体質の遺伝子だからいくら鍛えても無理。
>>29 天皇陛下、だろうが。
日本人はそんな所で今上天皇なんて使わねえぞ。
ひどいのになると今上、なんて略しやがる。
朝鮮帰って勉強し直して来い。
ちょっと待て 今上だけでも尊語、今上陛下はむしろ好意的な呼び方でしょ ハッ、もしや釣られた!??
>>31 > 天皇陛下、だろうが。
ちがう、ちがう。くそ天皇だろうが!
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/13(土) 17:04:28 ID:wYsMLKPd0
ちゃんと闕字しるや
陛下、落ち着いてください。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/21(日) 00:00:31 ID:lEflrV7HO
兵器が日本軍に高く売れて儲かったからだよ。昭和天皇は武器のブローカーでもあったからねぇ。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/21(日) 13:45:51 ID:iQWRAtg80
>>12 >>18 16年7月に在米資産の凍結、8月には石油の輸出が禁止されたので、国民も「戦争は
避けられない」と認識したのでは?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/21(日) 15:47:10 ID:nwqeF9wp0
>>37 まあその前に独ソ戦(1941年6月)が始まって、その尻馬に乗って南部仏印進駐(1941年7月)したという情勢変化があったわな
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/21(日) 16:10:37 ID:zw8MBhXt0
天皇屁以下
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/21(日) 21:20:27 ID:hD35JlMAO
東條は天皇陛下を「お上」や「君」と呼んでいたし 幕末までは「帝」だけだったからな。 まぁ〜今は「天皇」「天皇陛下」「陛下」が一般的で 「今上天皇」「今上陛下」の呼び名を知らない人も多い。
>>40 「聖上」とか「上御一人」だろw
で、闕字を忘れるなw
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/11/22(月) 16:21:23 ID:PEwJVFVN0
>>40 天皇号というのは本来は戒名みたいな送り名だったんじゃないか?
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/13(月) 23:03:38 ID:YJ99FGov0
軍人達の言う通りにしないと自分も犬養達みたいに殺される。 昭和天皇もそんな恐怖心を抱いていたんじゃないの? あの怖い顔をした東條がドスの利いた声で「お上!ご決断を!」 とか叫んだら絶対権力者のはずの天皇だって怯えるに決まってる。
内政統治で限界がくれば外交に打って出て保身を図る。 典型的な事例だろ。 天皇家のお家の事情だよww
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/13(月) 23:14:49 ID:ti2uw+Hc0
東條は主観的にも客観的にも昭和天皇の忠臣だよ。 そうでなければ「白紙還元の御錠」なんか鼻で笑い飛ばして誤魔化していただろう。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/14(火) 03:36:42 ID:PlZgPqqX0
>>43 >あの怖い顔をした東條がドスの利いた声で「お上!ご決断を!」とか叫んだら
東條の東京裁判証言
いやしくも日本人たるもの、一人といえども陛下のご意思に反して行動するがごとき、不忠の臣はおりません。
いわんや文官においてをや
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/19(日) 03:54:15 ID:PwbxPTWrO
偉大なる昭和に栄光あれ! 昭和が終わってからの日本は情けない。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 07:08:45 ID:LxBZMGt+0
天皇っていうか巨大資本とそれに関わっている人間の欲望や傲慢が 社会の矛盾を作り上げて、それが議会制政治で解消できなくなって それを解決するために 政治家や軍人と結びついてファシズムや戦争が起こる
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 10:13:51 ID:0NtbsOdM0
「天皇に直訴申し上げます」都内に突如、街宣を始めた大型トレーラーの正体とは?
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101216-00000301-playboyz-soci http://amd.c.yimg.jp/amd/20101216-00000301-playboyz-000-0-view.jpg 今月に入り、都内の皇居および銀座、霞が関周辺で目を疑うような光景が繰り広げられて
いる。ボディに“強烈すぎる”メッセージをペイントした真っ白な超大型トレーラー10台が車列を
組み、走り回っているのだ。
「身を捨てて天皇に直訴申し上げます 今日の余りにもひどい世の中の乱れは、全て天皇の
不徳の所産です」とある(左の写真)。明らかに天皇批判である。ほかにも、「国民を代表して
皇太子に直言します 宝の持ち腐れです。その至尊の立場は、貴方の私物ではありません」
など、10台がそれぞれ違うメッセージを掲げながら皇居の真ん前で街宣している。
一般常識的には“暴挙”ともいえる活動だが、これを行なっているのは右翼でも左翼でも宗
教団体でもなかった。調べてみると、「播磨屋本店」という、兵庫県に本社を構える、菓子を
製造販売する会社だったのだ。さっそく播磨屋本店を直撃してみると、担当責任者が答えてくれた。
「活動の本意は、社長の著書『真実』やわが社のホームページをご覧ください。私たち社員は、
あくまでお菓子屋ですので、基本は本業に力を注いでおります。ただ、社長に対しましては社
員一同、感謝していますし、応援もしております」
この社長とは、「五代目播磨屋助次郎」と名乗る、本名・阿野拓夫という人物。彼の持論
を要約するとこうだ。
「環境問題に象徴される現在の世界的な危機状況を救うのは126代天皇、つまり現皇太子
である。救世主となるためには“人としての天皇”ではなく、“神としての天皇”に覚醒していただく必要がある」
現天皇に対し「不徳の所産である」という批判を皇居の前で行なうのは、世が世なら「不敬
罪」で即刻処罰される行為であろう。そのあたりを弁護士に聞いてみた。
「天皇家や右翼にかかわるデリケートな問題なので、匿名でコメントさせてください。天皇批判
を街頭で宣伝する行為は、言論の自由がありますから警察は都道府県で定められた『騒音
規制条例』に違反した場合に取り締まることしかできません。ただ、天皇本人にも人権があり
ます。総理大臣が代理で親告する形で『名誉棄損』で訴えることはできます」
天皇を信奉する右翼団体はどう考えているのだろう?
「われわれも問題視しているよ。組織としての意思決定が未定なのでいまは名前を伏せてく
れ。著書やホームページ上で批判する範囲ならば静観できる。けど、皇居の前で直接陛下の
お耳に届く形式での活動は絶対に許されない。近々阻止するための行動に出たいと思っているよ」
弁護士や右翼団体までもが匿名を条件にコメントする、非常にデリケートな問題であること
がうかがえる。播磨屋助次郎氏はホームページ上でこう宣言している。
「各メッセージ内容は、当面この『勧告レベル』で様子を見ますが、天皇も皇太子も国民も全
く目覚めないようなら、誠に不本意ながら、より激烈な『警告レベル』へ引き上げます」
これは目が離せない厄介な事態になりそうだ。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 21:28:34 ID:End8jZ9aO
地上の星か!!
今日はA級戦犯処刑記念日
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/24(金) 18:03:18 ID:6LB+IG5Z0
「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむ」 答え;お調子者だったから
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/12(水) 22:57:11 ID:24ZJDC3Q0
>>1 sensoo wo sosi sinakatta no, dewa naku ,naze sensoo sekinin wo toranakatta noka ga monodai da ze.
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/13(木) 10:14:23 ID:mCp/IroQ0
昭和天皇でも世論に迎合していたんだよ 今の首相でも消費税上げるのか上げないのか迷走しているだろう
>>55 >昭和天皇でも世論に迎合していたんだよ
天皇自身は国民が馬鹿で低脳だったから戦争が起きたって言ってるんだが
聖談拝聴録原稿(木下のメモ)B「結論」
以上緒論及び本文に於て戦争の原因とその防止の不可能なりし所以を縷々述べて来た
が、結論として概括的に私の感想を話そう。
先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要
があると考える。近頃のストライキの話を聞いてもそうであるが、共産党の者が、その反対者を
目して反動主義者とか非民主主義者とか叫ぶと、すぐこれに付和雷同する。戦前及び戦時
中のことを回顧して見ても、今の首相の吉田などのように自分の主張を固守した人もいるが、
多くは平和論及至親英米論を肝に持っておっても、これを口にすると軍部から不忠呼ばわりさ
れたり非愛国者の扱いをされるものだから、沈黙を守るか又は自分の主義を捨てて軍部の主
戦論に付和雷同して戦争論をふり廻す。
かように国民性に落ち着きのないことが、戦争防止の困難であった一つの原因であった。将
来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信
念を養う必要があると思う。又このことが日本民族の向上ともなり、世界に向かって人種平等
を要求する大きな力ともなることと思う。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/13(木) 13:58:32 ID:bg4jjCJq0
>>56 そういう社会的風潮になるような公然・非公然の言論統制の進行を
放置したのは他の誰でもない、昭和天皇にも責任があるよね。
本当に何様なんだろうなこいつは。責任転嫁が天皇家のデフォルト動作と
言っても、こいつのは酷すぎるわ。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/13(木) 14:44:34 ID:FLOHtuks0
>>55 Donna yoron datta no, mosi yokatta ra, kaite yo
Europe no kuniguni dewa 17% no syoosi-zei dato sa.
Sassato ageru koto, tyuutyo sezu ni.
知らないの? 天皇家って保身の天才だから長く家が続いているんだよ。 正論いってたらとっくの昔のつぶれているだろ。
いやでも溥儀よりは見苦しくないだろw 昭和天皇は最初から最後まで他人事って態度だぜ。 自分の職責の及ぶ範囲は職責を果たすけど、職務以上に行動しようとはしてない。 しかし職務の範囲内で避戦の努力をしたのは認めるべき。
>>61 内乱やクーデターなどで退位させられるのが怖いから仕方なかったって言い訳して。
実はかなり軍の作戦に口出ししているわけだが。
開戦時のタイ侵攻計画だって裁可拒否盾に変更させたり。
十分見苦しいよ。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。: :2011/01/13(木) 19:01:51 ID:5mBVozb30
【台湾】馬英九総統「日本には謝罪責任がある」…従軍慰安婦問題で日本は自国の「恥部」を隠すべきではない [12/27]
台湾の馬英九総統は26日、台北市文化局や台湾婦女救援基金会が主催した、台湾の
元従軍慰安婦らの対日訴訟に関する特別展に出席し、「日本政府は歴史の過ちに対して
謝罪する責任を持つ」と発言。注目を集めている。環球網が台湾の報道を受けて伝えた。
主催者となる台湾の元従軍慰安婦らが対日訴訟を求めた2000年から、同基金会の活動
は今年で10周年を迎える。展示会では、元従軍慰安婦らによる日本への賠償要求や、
従軍慰安婦問題の教科書記載などを求める運動などが紹介された。
馬総統はこれまでも元慰安婦の名誉回復活動に積極的に参与しており、同基金会が制作
した台湾人元慰安婦に関する記録映画の撮影や、元慰安婦への補償活動などに関わった。
また、2008年には、元従軍慰安婦8人と会談し、同問題への関心の高さを示している。
馬総統は、特別展開会のあいさつで「日本は歴史で犯した過ちと向き合うべき」と述べ、
日本は自国の「恥部」を隠すべきでなく、また、謝罪責任を逃れるべきではないとの見解を
示した。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1293436105/
>>62 別に天皇を擁護するつもりはないけど、誰にでも分かる明確な問題点があれば拒否しやすい。
連絡会議の決定があって、なおかつ法も犯してない決定については拒否しにくい。
まあこれも東條に大命降下するときに一度御前会議の決定を覆す大技使ってるけどw
軍の作戦に容喙したケースはいくらでもあるだろ。
特に沖縄戦については菊水作戦と第三十二軍の総攻撃については天皇の要求だな。
それは天皇の職務の範囲内ってことだろう。
天皇の個人的意思って明治天皇に並ぶ大帝になりたいってことと、戦争末期の国体の護持くらい。
国体の護持には三種の神器の護持も含まれるw
>>64 まぁ拒否しても軍が勝手にやらかして、天皇は追認するしかなくなる落ちばかりだったのは確かだがね。
張鼓峰事件で、もう勝手に一兵も動かすなこれが最後だぞと釘刺しても軍の暴発は収まらなかったし。
>容喙
これって完全に個人意思じゃないか。
天皇の自己弁護と矛盾するし。
>>65 全体の空気の中で強く反発されそうな部分は避けて発言してたと思う。
沖縄戦については戦闘の推移が完全に天皇の思惑から外れてたし、軍部も方向性失ってたからね。
個人的意思って表現は分かりにくかった。
私的な意思というほうが伝わりやすいな。
ぶっちゃけてしまうと、前半は領土拡張による天皇個人の功績と、軍事的破綻による失墜の間で
右往左往してたイメージ。
後半は天皇家を天皇家のまま後代に伝えることが至上命題。
その姿勢から天皇が政治軍事に容喙するとなると、まあこれも個人的意思なんだろうけど。
そう考えるとわけ分からなくなってきたw
天皇がたまにとんでもない妄言を出すんだけど、本土決戦における三種の神器の護持とかね。
そういう部分を見ると、かなり日本の置かれた状況とかけ離れた方向に遊離してると感じた。
まあ天皇が受けた教育の問題もあるんだろうけど、少なくとも国民の犠牲やらをあまり顧慮しない姿勢って
戦前戦後首尾一貫してるし、そもそもそういう人間なりに筋は通っていたのかもしれんなと感じる。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/14(金) 08:58:54 ID:H2KgrC2I0
裕仁はチビの猫背のちょび髭親父
国民どうこう言ってたようだが、自分も怖い軍部を前にして方針転換しちゃったんだってね ったく・・・
昭和天皇ほどの人望を持つ人物は日本に今後1000年は出てこないだろうなぁ 広島行幸の動画みたが、ありゃありえんわ凄すぎ
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/14(金) 21:37:15 ID:rr0ZLrpd0
>>69 >先ず我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、これは大いに改善の要
があると考える。
天皇マンセーしてる広島市民について、ヒロヒトはこいつら付和雷同しておるわい、と思ってただろうな
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/14(金) 22:48:35 ID:iGPwMEId0
質問なんだけど天皇は 米内のように独伊との同盟反対はできなかったの? また石原莞爾のように長城以南進出反対政策はとれなかったの? さらに北樺太のオハ油田の採掘権を売ってまで 日ソ平和条約し騙されたの? 将来見る目のナイひとだねぇ。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/16(日) 01:06:19 ID:77pblGTe0
同盟には反対だったよ。 近衛には最後かなり悲痛な言葉を述べて 本当に同盟結んで大丈夫かと念を押しているし。 石原には元々不信があった。 実際石原は過大評価されすぎ。 俺は石原は誇大妄想狂で「彼がずっと陸軍主流だったら日本は・・・」なんて 全く意味のないことだと思ってる。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/16(日) 01:17:49 ID:77pblGTe0
>>とんでもない妄言 三種の神器をあくまで守るってこと自体は別におかしくはないだろう。 吉田裕がビックス『昭和天皇』の後書きで国際比較が今後の課題だと述べていたけど 自分に言わせれば英国国王が「国教会の首長を辞めよ。信仰も棄てよ」と迫られるようなものでは? 問題は 朝香宮「国体が護持できなければ戦争を継続するのか」 昭和天皇「勿論だ」 って姿勢だろうな。原爆を何発も投下されるかもしれない、 本土決戦でより甚大な死者が出るだろう、 それでも戦争を続けるのだという思考。 でも8月14日の御前会議での発言では考えを変換して 「私自身はいかになろうとも万民の生命を助けたい」と言っているのだから その辺りの心理の変遷を解くのがこれからの課題では?
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/16(日) 01:21:01 ID:77pblGTe0
第一次大戦のヴィルヘルム2世やニコライ2世、 ジョージ5世、フランツ・ヨーゼフ1世らが 戦争とそれに伴う国民の犠牲をどう考えたか、 って研究を深めて欲しいんだよな。 昭和天皇はこの時期の君主達とそう大差ないと思ってる。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/16(日) 01:30:34 ID:77pblGTe0
ニコライ2世は 祖国の栄光・連合国との信義>国民の犠牲 って思考。退位の時にも 「臨時政府の下であくまで戦争を続行して勝利を得るように」との詔書を出している。 幽閉中にはブレスト・リトフスク条約に 嘗ての君主として強制的に署名させられるのではないかと ひどく苦悩していたらしい。実際にはそんなことはなかったが。
>8月14日の御前会議での発言では考えを変換して >「私自身はいかになろうとも万民の生命を助けたい」と言っている これの出典はなに?
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/16(日) 14:19:14 ID:7Cyx+4kV0
8月14日御前会議での昭和天皇の発言 「国体ニ就テハ敵モ認メテ居ルト思フ毛頭不安ナシ(略)戦争ヲ継続スレバ国体モ国家ノ将来モナクナル即チモトモ子モナクナル」(参謀本部編『敗戦の記録』)
>>59 何がどう酷いの?
酷いのは、天皇の名前をダシにしてウサ晴らしの外人殺しを展開しまくって
天皇に迷惑をかけた大正デモクラシー以降の愚衆のほうだろ?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/16(日) 16:59:26 ID:77pblGTe0
>>76 国務大臣として御前会議に出席していた下村海南の『終戦秘史』に載っている。
下村が自分や迫水久常らのメモを照らし合わせてまとめあげたもので
下村本人は正確だと自負している。
阻止しようとしたら退位させられて秩父宮あたりが天皇になってる
それが何か不都合でも?
>酷いのは、天皇の名前をダシにしてウサ晴らしの外人殺しを展開しまくって >天皇に迷惑をかけた大正デモクラシー以降の愚衆のほうだろ? ひでぇ釣り
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/20(木) 01:50:22 ID:FaGbemnP0
お前ら、まず吉村昭の『蚤と爆弾』に対して反論してみろ
宣伝 乙
もう一つだけ小生の直感的持論を書かせていただく。 「信無き国家・民族、果ては人類に繁栄は訪れない」 あなた達が力の拠り所としている通貨 、結局、 「信頼の紙切れ」 だということをお忘れなく。 そう、全ては寿司にあるのです。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/31(月) 21:43:44 ID:vsoLPNlq0
昭和19年10月、初めての神風特別攻撃隊の知らせに接して そこまでせねばならないもか。しかし、よくやった。 と言っって喜んだ昭和天皇。 米軍の沖縄攻撃に接して 海軍にはもう船がないのか と言って、海軍首脳をおののかせ、大和沖縄特攻を決意させた 昭和天皇。 おのれの軽率な発言で、多くの国民に死を強いた暗愚な 君主を、昭和大帝と敬う連中がいまだにいるのが不思議だ。
>>71 wiki白川義則の項見てみな。上海事変後の不拡大方針をちゃんと言い含めてる。
この人が死ななかったらもうちょっと陸軍も抑えがきいてたかもね。
>>87 艦がないならないって言えばいいじゃん。
米内や井上成美なら言ってたろうよ。山本五十六は判らんけど。
天皇の台詞は沖縄を守りたいという意志からの発言だろ。大元帥として当然じゃん。
それを部下から不可能ですと言われたのにも係わらず、天皇の意志で強行したのなら、天皇のせいだけどな。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 04:16:32 ID:74ckoms50
>>89 国体護持(自己保身)用に米側に出血を強いる時間稼ぎの為だろ。
沖縄を守りたいという意思からなんて失笑ものw
米軍基地にして末永く自由に使ってくださいとか伝達して供物にしたくせに。
日本本土から沖縄への米軍基地移転にも何も言わなかったよな。
戦後もしきりに内奏を促して政治に口出ししてたくせに。
1975年もアメリカには行ったくせに、沖縄には皇太子と皇太子妃を出した。
その前の海洋博でも。息子とその嫁を盾にしておいて、もうだめかとか
作り話か白々しい虚言のどっちかでしかないわ。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 05:55:37 ID:B65Xct9h0
>>89 >天皇の台詞は沖縄を守りたいという意志からの発言だろ。
降伏する前には、せめて連合軍に一撃与えてからってのが天皇の方針で、
そのために和平交渉はずるずると延ばされてったんだが
で、最後は米軍が上陸したら三種の神器をとられるから、これはもうあかんって
ことでやっと白旗あげると
国家神道というカルトの教祖が最高権力者っていう日本帝国の最悪な面が出てるよな
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 06:48:20 ID:B65Xct9h0
>>71 >さらに北樺太のオハ油田の採掘権を売ってまで 日ソ平和条約し騙されたの?
これも不正確だよな
日ソ中立条約締結交渉(1941年)で、ソ連側から北樺太石油利権の返還を締結条件にされながら、
そのうち返しますという外相メモの提出で許してもらい、日独ともに戦況が悪化した1944年になって、
やっと日ソ中立条約は何とぞ継続してくださいとの懇願含みで渋々返還したものなのにな
創業240年、現当主が11代目の企業に出向させられた事があるが 普通の企業とは全く違うので驚くぞ。 普通の企業なら常に改革・革新しないと生き残れない事は誰でも判っているが そういう伝統企業だと「変えない事」「継続する事」が全てに優先する。 当主だけじゃなく、幹部社員も皆がそう思い込んでいるのだから愕然とする。 保守的なんてもんじゃない、文化財みたいなものさ。 結果として、会社や当主に忠節を誓う幹部社員が、会社の足を引っ張って 会社を左前にしてしまう。当主も忠節を誓う古参の幹部社員を切れる訳もない。 その間に会社はどんどん危機状態になる。 責任を当主に押し付けるのは簡単だが、難しい所だ。 当主はクビを切られなかったよ。そういう会社にとって当主はシンボルであり、 対外的な信用でもあるから、現実問題として当主のクビは切れない。 その代わりに役員は1名を除いて銀行に全員クビを切られた。 不条理に見えるかもしれないが、そういうものだ。 普通の企業なら左前になれば、オーナー社長がまず銀行にクビ切られるのが 当たり前だが、余りに伝統のある企業だと逆になる事があるので、俺も驚いた。
>>93 面白い。
まあ考えてみりゃ当たり前の話だな。
当主の名前もブランド構成要素だから当主をクビにすると企業価値がなくなるんだろ。
銀行が入ったってことは当主はお飾りになっただろうけど。
古い和菓子屋とか呉服屋とかだろうな。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 21:39:41 ID:B65Xct9h0
>>93 マックスヴェーバーはそういうのを「伝統合理性」って言ってるけどな
>>87 何度でも言ってやろうか。
昭和天皇は歴代で明治天皇を超えて最も偉大な天皇。
確かに軍を掣肘できずに重要な判断から目をそむけ、結果立憲君主という立場に逃げたが、
人望とカリスマ、2・26や終戦詔勅など土壇場での判断力は日本史でも屈指。
あの乱世にあのような賢帝を戴いたこと自体が日本の奇跡。
これが後醍醐天皇や大正天皇であったなら、恐らく日本は消えてただろうなぁ
>>96 >軍を掣肘できずに
初期には言うべきことを言ってたけど、田中義一が死んだり白川大将が死んだり
で粛軍が不徹底なままうやむやにされたのが痛い。
おまけに忠臣気取りで自分の権威を借りて勝手なこと言ったりやったりする
奴(統帥権干犯問題とか、帝銀事件の平沼とか、天皇機関説排撃派とか、軍人)
ばかりだし、本当に信用してた鈴木ら穏健派は二・二六で殺されそうになるし、
そりゃやってられんって気分にもなるわな
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/01(火) 23:50:38 ID:Qs8XvoiS0
99 :
(´ー`)y─┛~~ ◆YK/jqQHtcg :2011/02/03(木) 12:18:16 ID:5+9ApSu40
ユダヤ人とその結社フリーメイソンリーによる経済支配に風穴を開け、
現在の様に複数の人種が経済競争できるまでに「欧州を正常化」させることに成功した。
その点において全ての泥を被る覚悟を持って遣り遂げたのであり、ヒトラー本人ゎ現在の扱ぃにも納得付くであろぅ。
第2次世界大戦以前のユダヤ人による悪行および、今も暗躍しているフリーメイソンリー(エシュロン含む)につぃて、
アメリカ建国の父の9割が、天皇が服従した占領軍司令官マッカーサーが、
フリーメイソンリー構成員であると言ぅ「事実」を日本義務教育で扱わず、
すなわち「隠蔽し続けている状況」でゎ、国家と民族と言ぅ定義を正常に判断できる成人ゎ育まれなぃ。
戦時の自国領に、特定民族の「秘密結社すなわち敵国に本拠を置ぃて居る情報網」が蔓延っておれば、
適切なる対処をするのゎ指導者として当然のことであり、それを国民が望んだからこそ
ヒトラーゎ民主政治の選挙によって正当な指導者に成れたのであり、看板に偽りなし。
目標の大半ゎ成し遂げたと言っても過言でゎなぃ。 見事であったと言ってやるべきだ。
根本的なシステムに欠陥の有る、「共産主義」などに身を売ったスターリンが生き延びたのこそ残念。
俺がヒトラーの立場なら、イギリスを占領するまでゎソ連と開戦ゎしなぃ。 その辺、なぜそうしたのか疑問に思ぅ。
「天皇狩り」提唱者ゎ、2017年までに衆議院選挙で出馬するんで宜しくw(クス
現天皇に敗戦責任を取らせ、大統領制/州制/核武装に移行し、帰化しなぃ在日朝鮮人ゎ「奴隷」にする。
下記スレで試行錯誤して行くことにするwww(うはっ
昭和天皇に戦争責任はあったよな!Part25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1291436509/311n- 天皇とA級戦犯と軍人と戦争責任
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/war/1221971356/471n-
100 :
(´ー`)y─┛~~ ◆YK/jqQHtcg :2011/02/03(木) 14:33:06 ID:5+9ApSu40
朝鮮朝鮮うるせえよwww 好きなんだろwwwwwwww
102 :
(´ー`)y─┛~~ ◆YK/jqQHtcg :2011/02/04(金) 14:17:08 ID:GInqhSyc0
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/06(日) 00:01:32 ID:JgEgYUZW0
当時、昭和天皇が軍をなぜ止められないのかと聞くのなら、 同じように、平成天皇がなぜ日本の破綻を止められなかったのか聞いて見るといい。 すぐに答えはでるはず。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/06(日) 06:40:00 ID:CRCo8Luz0
国民をマインドコントロールするための 張りぼて 神とし、「天皇陛下バンザーイ!」と自殺させられた
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 13:14:50 ID:fi13jTan0
>>91 大日本帝国憲法における天皇の神格化は徳川幕府復活をおそれていたからだといわれるが、
そのおそれがなくなった大正時代に憲法改正がされるべきだった。
>>107 大正時代は難しいなあ・・・
欽定憲法なんで、天皇か天皇に代わりうる権威しか憲法改正できないんだよね。
少なくとも首相程度では全く無理で、元勲でも最高ランクの全員合意がないと改正できんだろ。
伊藤が死んでなければ伊藤、山縣の合意ができれば改正しうるだろうけど
そもそも大正時代には弊害が出てないんだよね。
弊害が出た頃には昭和天皇以外憲法改正の発議ができない状況。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/08(火) 18:59:47 ID:Qtx+hkUm0
シビリアンコントロールを行うための方便として統帥権の独立があったんだが 昭和に独り歩きしてしまった。
帝国憲法も議会の三分の二の賛成がないと改正出来ません 普通選挙が実施された後も改憲の動きがなかったところを見ると 結局は政治家とそれを選んだ国民が悪いのでは?
・ 意思と反したかもしれませんが、とにかく、私の進言や 統帥部その他の責任者の進言によって、しぶしぶ御同意になったのが事実です。 ・臣下たる我々は大東亜戦争に勝てるかどうかということのみを考えたのであるが、 御上はそれとは較べものにならぬ御責任のもとで御決断になったものと思う。 ・自分の出来得る限り、重要な問題はその研究の途中において奏上することを心掛けている。 それ故、御上は経過を充分ご承知であるから、決定案を奏上する時には時間を要せずお許しになる。 中間報告を申し上げておることによって本当の御親政が行われる。 ・日本国の臣民が陛下のご意思に反して、彼是するという事は有り得ぬ事であります。 いわんや日本の高官においてをや。
>御上はそれとは較べものにならぬ御責任のもとで御決断になったものと思う。 その御決断が御間違いに御なってるからみんな御文句言ってるわけで
明治憲法下の勅ってどうやって出すの? どの程度天皇の意思が尊重されるの? 全部大臣とかが書いてるの?
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/11(金) 22:12:10 ID:Ze8yTRoT0
>113 勅にもいろんな種類があって、 「勅令」「奉勅」「詔勅」「詔書」「勅書」「勅語」「勅語書」「勅裁」 それぞれに使う場面、その意味合いや重みが違う。 どこがどう違うのかも含めてかなりややこしいし、 その時々の政治状況によっても解釈や運用のされ方が 変わっているので、全てを正確に理解するには 大学院レベルでの勉強が必要になると思うよ。 まぁ、大ざっぱな理解としては明治天皇も含めて、 自分の意志の通りに勅(天皇の意志)を出せた場合は ほとんど無くて、国務大臣なり担当官庁の実務者の 意志を無視して出された勅というのはまず無かったと 考えて良いと思う。
結局は政治家とそれを選んだ国民が悪いのでは?
>結局は政治家とそれを選んだ国民が悪いのでは? これを言ってしまうと、すべて政治家と国民が原因になってしまうんでは?
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/13(日) 18:37:29 ID:CmpZgkah0
>>115 >自分の意志の通りに勅(天皇の意志)を出せた場合は
>ほとんど無くて、
昭和も初期のころは、天皇が政治に対して積極的に注文をだしていたらしいけど、軍部の声が大きくなるにつれ
(天皇の)周りから、どっちつかずの姿勢にしておくようと忠言されて、その通りにしたとか。
かと思うと、大和を特攻させたのは天皇の意思と聞いたが。一貫性のなさ?と「勅」とやらの間には
関係があるのか?
大和特攻させたり第三十二軍に総攻撃させたのは天皇が本土決戦やる気なかったから。 勝っても負けても沖縄までだから全部の札を賭けた。
>119 有名な張作霖爆殺事件の時に、時の首相(陸軍出身)の田中義一が 「日本の軍人の仕業のようです、犯人を見つけ出して厳重に処罰します」と 天皇に奏上したのに、その後犯人(河本大作大佐)をかばう陸軍中堅将校の 猛反発にあって、「やっぱり処罰すると大事になるので、内々に済ませます」と いって天皇の激怒をかって「前に言ったことと言ってることが違う!それで総理 大臣が務まるのか 辞めてしまえ」と言ったそうです。 その後、天皇の相談役だった西園寺公爵に「それ以上突っ張ると陸軍の軍人が 叛旗を翻すかもしれないから、そういうはっきりした意思表示はしない方が良い」 と諭された結果、その後は自分の意志を主張して政策を変えさせたりすることは なくなりました。
>>121 >その後は自分の意志を主張して政策を変えさせたりすることはなくなりました。
白紙還元の御諚
>122 ああ、確かにこの件がありましたね。 これはかなり危ない橋でした。 実際、この後改めてハル・ノートを突きつけられた 東條が閣僚全員一致で開戦決意を奏上したときには さすがに認めてますからね。 「もう一回よく考えてみてくれ」というのが精一杯だったんでしょう。
曩ニ満洲ニ於テ事変ノ勃発スルヤ自衛ノ必要上関東軍ノ将兵ハ果断神速寡克ク衆ヲ制シ速ニ之ヲ芟討セリ 爾来艱苦ヲ凌キ祁寒ニ堪ヘ各地ニ蜂起セル匪賊ヲ掃蕩シ克ク警備ノ任ヲ完ウシ或ハ嫩江斉々哈爾地方ニ或ハ遼西錦州地方ニ氷雪ヲ衝キ勇戦力闘以テ其禍根ヲ抜キテ 《皇軍》 ノ威武ヲ中外ニ宣揚セリ 朕深ク其忠烈ヲ嘉ス汝将兵益々堅忍自重以テ東洋平和ノ基礎ヲ確立シ朕ガ信倚ニ対ヘンコトヲ期セヨ
誰か 翻訳してくれ
意訳 痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!!
満州で変事が起こったら関東軍の将兵は自衛のために少数で多数を素早くやっつけた。 それ以来、苦しさにと寒さに堪え各地で暴れる反乱分子を掃討して警備の任務をまっとうし、 他にも北朝鮮のさらに北で雪と氷をものともせず戦って禍根を断ち日本軍の強さを中国外国に宣伝した。 私はその忠誠心を褒める。 君ら将兵たちは益々堅忍自重して東洋の平和の基礎を作り、我が信頼にこたえることを期待する。
満州は田舎であるから事件が起こっても大したことはない
陸軍におもねった天皇自身じゃないの? 文面はともかく文脈は、
>>121 が正しいとすると、後の515事件発生の素地にもなりえたのか?
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/19(土) 21:33:25.54 ID:ThGBMD/O0
東京裁判にもかけられなかったがやはり重代な責任があったのか。
天皇は何を言おうと何をしでかそうと政治責任はない。 憲法にそう書いてある。 そうやって甘やかしてきた集大成ががあの皇太子。 神様は見てらっしゃる。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/20(日) 19:59:13.57 ID:F7oDbJbX0
せんべい屋の斥候丙
饅頭屋の社長万歳!
「皇軍」が口癖の荒木 当時の陸軍大臣は荒木 閑院宮担いだのも荒木?
>天皇は何を言おうと何をしでかそうと政治責任はない。 >憲法にそう書いてある。 具体的には?
大日本帝国憲法
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
日本国憲法
第3条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
例えば
>>121 田中義一に怒って「辞めてしまえ!」と怒鳴りつけても天皇に総理を辞めさせる権利は無いので、
本当に辞めたとしてもそれは総理の自由意志なので天皇に責任は発生しません。
因果関係を証明出来ない。
田中義一が天皇に怒鳴り散らされて辞職、って今では常識だけど、 それが、まことしやかに語られる噂ではなく事実と確定したのっていつから?
>と怒鳴りつけても天皇に総理を辞めさせる権利は無いので、 天皇には任命する権利もないのか? >大日本帝国憲法 >第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス それと、陸海軍の統帥に関しては天皇直轄になっていたようだけど、誰が責任者?
せんべい屋の従業員は災難だな。 馬鹿げた宣伝に駆り出される以外は待遇はいいらしいが。 「天皇陛下、なんというザマです」と呪詛した現代の磯部みたいなもんか。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/25(金) 13:04:13.31 ID:K5LROFu/0
145 :
(´ー`)y─┛~~ :2011/02/25(金) 13:29:56.45 ID:p/BNyDJV0
>>140 待て待て。「助言と承認」と「輔弼」は違うでしょ
だから戦後に草案の時に揉めたんだから
そもそも旧憲法55条では「各大臣」、現憲法7条は「内閣」が主体でしょ
内閣総理大臣は同輩中の首席に過ぎず、各大臣への強い統制権がなかった
これが明治憲法の特徴だと教科書に書かれてるでしょ?
それと
>>142 にの言う通り、統帥権に関しては輔弼とは別建て
憲法上も何の規定もない
おかき屋、せんべい屋、って創価学会の隠喩じゃなくて本当に煎餅屋なのかよw
>>146 天皇に責任がないことを示す憲法上の根拠を挙げてるだけだから別に
>>140 はおかしくないんじゃ?
はっきり大臣が責任を負う規定になってる以上、帝国憲法下で天皇には責任が無い。
それと統帥については憲法上は責任を負う人がいない。
天皇不可侵である以上、そもそも責任は問えないから。
ただまあ実際の運用については両総長が輔翼するんで両総長がそれぞれ責任を負う。
戦前の日本は憲法上の定めによらない規定が政治中枢にあるから憲法読んだだけでは実態は分からんけどね。
例えば戦後も吉田茂は改憲の必要を感じてなかった。
憲法を変えなくても運用で民主化は可能という主張だったな。
>と怒鳴りつけても天皇に総理を辞めさせる権利は無いので、 天皇には任命する権利もないのか? 誰か教えろ さもないと荒らすぞ
>天皇には任命する権利もないのか? 有るか無いかなら有る。 でも田中義一は天皇に解任されたわけではなく自分で辞任したから天皇の責任ではない。 と言うことになっている。
79 ナルナちゃん(関東) [sage] 2011/02/26(土) 14:17:09.68 ID:30GRgfw9O Be: 天皇が2人いれば「朕が2人でちんちーん!朕が2人でちんちーん!」っていうギャグができるのに
極論すると天皇はバカでも勤まると・・・? 不可侵=責任無し」はどこで定義されている?
>>148 @君主無答責は対外的にはこの時代もう通用しない。
A各大臣の輔弼を現憲法の助言・承認とは同視できない。
B統帥に関しては旧憲法上も輔弼のような権限規定がない。
C吉田茂や美濃部達吉が考えていた憲法改正不要論は現憲法のような運用を全く想定していない
あくまで君主主権の制限の下で運用面で民主主義的要素を加味しようとするもの
その証拠に、戦時中出征した世代が学究や政務を担うようになると、憲法解釈は一変した
お前のは東京裁判で弁護人や重臣が存在すると強弁した、絵にかいたような象徴天皇制。
そんなものが戦前存在しなかったのは周知の事実。
内奏ひとつとっても天皇に権限がなかったなんて言えない。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/26(土) 19:06:52.09 ID:8nFMAuaU0
東條の東京裁判証言 いやしくも日本人たるもの、一人といえども陛下のご意思に反して行動するがごとき、不忠の臣はおりません。 いわんや文官においてをや
>>153 お前は頭悪いなw
君主無答責は対外的にはこの時代もう通用しない?
そんなもんは当たり前だろうがw
憲法上とか憲法下でとか何度も書いてるのが読めないの?
統帥に関しては実際の運用ではって書いてるのが読めないの?
最後の三行は何を意味してるのか分からんな。
俺がいつ象徴天皇制だと主張した?
俺が書いたのは戦前の天皇には権限があるが、憲法上責任は問われない立場だったってことだろ。
憲法上も統帥に関しては、統治の「輔弼」に相当する規定がない。 実態の運用としても昭和天皇は形式的な地位ではない。 独白録を読んでも、昭和天皇が直接、石原に督促を行ったり、不拡大を命じたりしている。
こっちもお前が何を言いたいのか分からない。
>>140 に関して言えば、まず「各大臣の輔弼」と「内閣の助言と承認」を併記する意味が分からない。
両者はまったく違う。
内閣総理大臣はあくまで「各大臣」の同輩中の首席であり、任免権を持ってない。
田中義一の場合は辞職だが、天皇には任官大権(旧10条)がある。
>>140 は単なる
>>139 への回答だろ?
俺が書いたわけじゃないから真意は知らん。
>>139 が振った流れなんだから、憲法上やら法律上から天皇が責任を負うかを書いてただけ。
お前が過剰反応して天皇の戦争責任やらに勝手に脱線してるだけ。
統帥に関しては少なくとも55条じゃ説明できないでしょ。 無答責を言うなら3条の神聖不可侵だろう。 ただし、これはあくまで国内法での民事刑事その他の法的責任に限られる。 対外的責任、戦争を阻止し得なかった政治的責任、道義的責任についてはまた別論だな。
戦は国の大事なり それで下手打っても国民が全力で庇ってくれるわけだし、 そりゃ今上や皇太子が国民を屁とも思わんはずだ。
まあ事実上、阻止できなかったというのはあるかも知れないが、 刑事責任では「仲間に逆らえませんでした」じゃ通用しないからね とくに天皇は統帥大権を持ってるわけだし それと、昭和天皇も開戦前には「開戦やむなし」に傾いていったのは事実
>天皇不可侵である以上、そもそも責任は問えないから。 天皇不可侵=責任が問えない」とする根拠(”不可侵”なる語が”責任を問えない”と 定義した書類、即ち文献、ソース)を示せ。おまえら。.教えないと荒らすぞ。
誰か
>>162 の質問に答えろ
>天皇不可侵である以上、そもそも責任は問えないから。
これは
>>148 が書いたんだろ?
根拠を示せ 示さないとマジで荒すぞ
>>162 横からすまんが。
現在では、資料を出すのは、ちょっと難しいんじゃないかな。
これは要するに、法解釈の問題になる。
つまり、明治憲法の第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を、
どのように解釈するか?という問題に。
そして、そもそも法というものは、法律の条文だけからなるのではない。
<条文+法解釈>から、なる。
そして法解釈の方は、厳密に定義されたりはしないんだな。
このあたりは、歴史ではなく、法学の問題になるんだけど。
だがまあとにかく、その「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」が、
政治的無責任の規定であると、解釈されるわけ。
>>164 の続き。
ちなみに、その「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」なんだが、
ちょっと興味深い解釈が、当時はなされていた。
つまり、権力を直接振るうと、そこには責任が生じてしまうわけでしょ。
しかるに天皇は、政治的無責任。
したがって天皇は、直接にはそうしてはならないという解釈。
だから昭和天皇は、政治にしろ軍事にしろ、直接にああしろこうしろと
命令を下したことは無い。
昭和天皇は、あくまで意見や感想を述べるのみにとどまっていた。
権力があるにもかかわらず、それを振るうことが出来ないという、
奇妙といえば奇妙な存在だったわけ。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/28(月) 22:04:26.08 ID:VD1H+GxI0
>>165 >だから昭和天皇は、政治にしろ軍事にしろ、直接にああしろこうしろと命令を下したことは無い。
手元にある「昭和天皇独白録」をパラパラめくっただけでも、↓に色々な命令をしてるんだが
基本史料も読まないで電波妄想絶賛開陳とはナベショーの真似かね?
・第一次上海事変「私が白川に事件の不拡大を命じて置いた」
・第二次上海事変「私は盛に兵力の増加を督促した」
・阿部内閣組閣「私は梅津又は侍従武官の畑を陸軍に据ゑる事を阿部に命じた」
「私は日独同盟の反対者を武官長に任じようと思つてゐた……反対と云ふ事が確かめられたので、之を任命した」
・米内内閣組閣「米内はむしろ私の方から推薦した……日独同盟論を抑へる意味で米内を総理大臣に任命した」
・南仏印進駐「こんな大臣は困るから私は近衛に松岡を罷める様に云つた」
・東条内閣組閣「若し皇族総理の際、万一戦争が起ると皇族が開戦の責任を採る事となるので良くないと思つた……陸軍の要求は之を退けて東条に組閣をさせた次第である」
・ローマ法皇庁使節派遣「開戦后法皇庁に初めて使節を派遣した、之は私の発意である」
・東条内閣の外交「最后にソビエト軍が兪ゝ独乙領に侵入した時、思切つて独ソの和睦を申入こませた」
・東条と云ふ人物「私はとう/\東条に内閣を生かす為には嶋田の海相を罷めさす可きだと話したので、東条も遂に彼を止めさせる事にした」
・小磯内閣組閣「小磯は……末次を軍令部長にすると云つてゐたが、私は末次の総長に反対した」
・沖縄決戦「沖縄で敗れた後は……「ビルマ」作戦と呼応して、雲南を叩けば、英米に対して、相当打撃を与へ得るのではないかと思つて、梅津に話した」
>>166 予想通りの返信。
その辺は、<命令>にはあたらないと解釈しているってこと。
ちょっと説明しにくいが、単なる希望にあたるもの、
もしくは単なる裁可にあたるってこと。
>>166 ってほとんど命令ばっかじゃね?
苦しい解釈だな。
>>168 だから、希望・意見を述べることは、
<政治的無責任>である昭和天皇にも、できるわけ。
そして、実態はそうであるにもかかわらず、
その事を指して「命じた」と記述されることも多かったわけ。
つまり、「命じた」と記述されてはいても、
本当に命令にあたるものではなかったってこと。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/28(月) 22:26:47.92 ID:VD1H+GxI0
>>167 「独白録」でも、天皇が希望したことや裁可したことは、ちゃんとそのように記述してるよ
>>166 は天皇自身が「命じた」「発意」「〜させた」ってとこだけピックアップしたんだけどな
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/02/28(月) 22:29:45.91 ID:VD1H+GxI0
>>169 >つまり、「命じた」と記述されてはいても、
>本当に命令にあたるものではなかったってこと。
あはは、奉勅命令じゃないと命令じゃないってかw
・ノモンハン事件「当時関東軍司令官山田乙三には満洲国境を厳守せよとの大命が下してあつた」
ともあるな
皇室の歴史を鑑みれば、日本における皇室の存在は明確なわけで。 源平時代に、皇室に対する成文法が有ったのか? 成文法が全てと言い出す輩は、日本史の本質を知らなさ過ぎる。 私のいっている事に間違いがあれば、ご指摘ください。
>>170 >>171 この辺の説明は面倒なんだな。
簡単に言うと、昭和天皇は、臣下からの上奏を裁可することしかしないってこと。
そして、それなしに自らが決定を下すことは、絶対に無かったってこと。
で、昭和天皇が何らかの意思を持っていた場合にはさ。
それを臣下に伝えた後、臣下がそれを検討し、改めて昭和天皇に上奏し、
昭和天皇はそれを裁可する、という手続きになる。
これが常に行われていたことであり、だから昭和天皇が直接に命令を下したことは無い
ってことになるわけ。
政治的無責任の存在としては、そういう手順を踏む必要があったということ。
と、そういうことが言いたかったわけ。
言い方が悪かったかな?
>>172 何が言いたいのか良く分からないけど、
明治以降とそれ以前は、違うでしょう。
諮問→検討→上奏→裁可 と言う手続を踏むのなら、結局発案権と最終決定権は天皇に留保されていたことになる。 上奏が容れられなかった例も当然あるし、 そもそも裁可の前のプロセス(内奏、下問等)により天皇の意思は充分に反映されていた 実態を「希望・意見の陳述に留まる」とは到底言い難い。 木戸幸一も「内閣の上奏事項に対し意見を異にされることは当然あり得る」 「時々は強い意見を述べられる」「(天皇のご意見で)考え直すこともある」と認めている 戦前とくに昭和天皇の場合、「君臨すれども統治せず」タイプの君主無答責ではなく、 神権主義的天皇観の要素も強い君主無答責だからね
要は、 「天皇には責任が無い」って結論が先にあって、 それに合うように解釈して行くんだよ。 それでも無理が出る所は主張する奴を殺して行く。
>>177 なるほど。納得。実態はそういう感じだね。
ドイツでは、名前忘れたけど君臨すれど統治せず」に字義とおり従って
一切口出ししなかった、ある意味非常に有能な人もいたらしいけど。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/01(火) 19:44:16.94 ID:UI4NNLYiO
東條達は天皇のご意向通りに遂行したのに、可哀相だね。
昭和天皇に全く責任がないわけはない。 お飾りとは言え当時の中枢に鎮座し、閣僚の声を直に聞ける立場にあった。 昭和天皇だけではなく、軍部、国民全員に責任がある。 しかし昭和天皇でなければ日本は最後の最後で救われなかった。 昭和天皇が土壇場で止めなければ、行くところまで行って後は落ちるだけ。 結果的に領土は失ったので、後世に「失地帝」と言われる可能性はあるが、 一方で近代皇室の礎を築き、全国行幸やGHQや重臣と協議し世界第二位の経済大国を実現。 功罪半ばの英雄だわな
181 :
173 :2011/03/01(火) 22:38:55.64 ID:tzFvaLsY0
>>176 >諮問→検討→上奏→裁可
>と言う手続を踏むのなら、結局発案権と最終決定権は天皇に留保されていたことになる。
ではない。
説明の都合上、貴方の言葉を借りて述べるけど、
発案が行われるのは、すべて内閣および軍部の方からだったわけ。
いうなれば、ね。
ただし昭和天皇の方から、発案以前の、ただし時にそれに近似した、
意見・希望・感想を述べることまでは、行っていたってこと。
そして、内閣および軍部が、昭和天皇のそのような意見を取り入れるかは、
こういう言い方は語弊があるけど、事実上、内閣および軍部の勝手だった。
もちろん昭和天皇の前では、かしこまってその意見を聞いてはいるけどね。
とにかく昭和天皇に、それを強制させることは、出来なかった。
あるいは、少なくとも、しなかった。
182 :
173 :2011/03/01(火) 22:41:03.07 ID:tzFvaLsY0
>>176 さらに続き。
次、「最終決定権」の方。
こちらも同じく言葉を借りて言うならばね。
先述のように天皇は政治的無責任なので、その解釈上、
最終決定権を振るうことも出来ない。
だから、このあたりも面倒な話になるんだが、
昭和天皇は、上奏はすべて裁可していた。
たとえそれが、自らの意思に反する場合でもね。
ただし、昭和天皇が裁可を拒むことも可能ではあった。
が、それは、そこに何らかの瑕疵がある場合に限られる。
そうでない場合に、昭和天皇がそうすることは、無かった。
だから事実上、内閣または軍部の決定が、すなわち最終決定となってしまうわけ。
昭和天皇は、それをそのまま通すんだからさ。
そしてそれは、明治憲法の解釈および運用から、そうなってしまうってこと。
183 :
173 :2011/03/01(火) 22:43:21.29 ID:tzFvaLsY0
>>176 またまた続き。
>そもそも裁可の前のプロセス(内奏、下問等)により天皇の意思は充分に反映されていた
>実態を「希望・意見の陳述に留まる」とは到底言い難い。
ここは事実誤認だと思うな。
学者の中にも、そういう説を唱える人がいるようだけど。
当時、特に軍部はしばしば、昭和天皇の意志を十分に承知していながら、それを無視した。
そして昭和天皇も、それを容認し続けた。
ただし常にではないけどね。両方の考えが一致することもあるわけだから。
>木戸幸一も「内閣の上奏事項に対し意見を異にされることは当然あり得る」
>「時々は強い意見を述べられる」「(天皇のご意見で)考え直すこともある」と認めている
それは、昭和天皇が<意見だけ>を述べていたってことでしょ。
つまりは、直接命令を下していたわけじゃないという、証拠だね。
>戦前とくに昭和天皇の場合、「君臨すれども統治せず」タイプの君主無答責ではなく、
>神権主義的天皇観の要素も強い君主無答責だからね
何が言いたいのか良く分からんけど、当時の日本も文明国であり、法治国家だった。
神権政治なんかじゃ、なかったんだよ。
故に、天皇といえども、法の規定には従わなければならない。
今回の話では、だから
>>165 のようなことになるわけ。
>>177 >>178 色々議論もあるでしょうが、法学の話として、明治憲法に天皇の政治的無責任の規定はある。
それが事実である以上、事実は事実として認めないわけにはいかないでしょう。
>>180 この問題って天皇に責任はないのかというと「ない」とは断言できず
天皇に責任はあるのかというと「ある」とは断言できないってことだ
>>181-184 ID:tzFvaLsY0 は色んな議論をごっちゃにしてるんだよな…
いちいち指摘するのも頭痛くなるけど、まず
>>166 見れ。独白録の引用
言っておくが独白録は秦が指摘する通り東京裁判対策で、
天皇は政治的無権能を作為的に強調してるけど、
そこに挙がってる例を見たら一通り習った奴はぴんと来るはず
3月3日に停戦したが、あれは奉勅命令によったのではなく、
あれは私が特に白川に事件の不拡大を命じておいたのである…
これを「希望の表明」と解釈するほうがどうかしてるわ
天皇は裁可を経てではなく、軍司令官たる白川に直接命令してるんだぜ?
天皇が親補の際に白川に「連盟総会までに停戦しろ」と命じ、白川はそれを実行している
もちろん総長の頭越し、参謀本部からの指示も白川は無視してる
まずこれから弁解してみ
>戦前とくに昭和天皇の場合、「君臨すれども統治せず」タイプの君主無答責ではなく、 >神権主義的天皇観の要素も強い君主無答責だからね 何が言いたいのか分からないか? 君主が政治的に無権能であれば、そのバーターとして君主は責任を負わないという類のものではないんだよ。 告文の中の皇祖皇宗による連続性の強調、第1条の「万世一系」、神権主義的要素は枚挙にいとまがない つまり天皇の「神聖不可侵」は立憲君主〜国民との関係に基づくものではなく、 国民と関わりなく、神話的連続性によって正当性が存在すると言う建前上認められるものだったんだよ。
>法学の話として、明治憲法に天皇の政治的無責任の規定はある。 これが「天皇不可侵であること」を指すなら、「法解釈の問題になる」ってこと? で、法解釈上、無問題とするなら、その妥当性はどうやって(誰が)検討、決定するの?
>>186 いや、貴方の解釈のほうが、間違っているんですわ。
根本的には、法解釈の問題で。
つまり、当時、明治憲法はどのように解釈され、運用されていたか?ってこと。
私は法学の方面の問題を、指摘しようとしているわけで。
で、結局は、前に述べたとおり。
昭和天皇が、自ら決断を下すことは、当時の憲法解釈および運用上、
ありえないってこと。
>あれは私が特に白川に事件の不拡大を命じておいたのである…
こちらは<命令>と取るほうが、誤りでしょうね。
実質的には<希望>と取るべきでしょう。
>>187 それで結局、当時の日本は、法治国家ではなかったとでも、
おっしゃりたいの?
>>188 これは法学の話に行き着いちゃうんですわ。
だから、まずそっちを学んでもらいたいんだけど。
今後の人生にも役立つことだし。
>>186 ついでだけど、独白録ってのは、非常に簡素な記述になってるでしょ。
そんなもの読んでたって、歴史の真実には迫れませんてば。
それではせいぜい、渡部昇一レベルまでしかいけませんよ。
むちゃくちゃだ。昭和天皇自身が「特に命じておいたのである」と言ってるのに
>>192 お前がワタショーだろw
独白録は確かにほかの史料でもウラが取れるし、裁判対策上作成されたと言う要素に注意する必要があるが、
昭和天皇の比較的正直な感想が聞けたりする史料 満州は田舎とか宇垣批判とかね
行き着いちゃうんですわじゃなくて、自分で説明してみれ。法学部ならできるはず。
昭和天皇「特に命じておいた(キリッ」 大臣「我々はお前の命令系統に居ないからプギャー」 って事にしたんだよ。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/03(木) 03:38:22.98 ID:WdX13Pw80
>>192 >それではせいぜい、渡部昇一レベルまでしかいけませんよ。
甘い、実に甘い
ナベショーを舐めるんじゃないよw
「検証・昭和天皇独白録」より
粟屋 これはバカな例ですけど、『週刊文春』に渡部昇一が、天皇が南京事件について触れていないから南京事件はなかったんだと、かなり知能水準を疑われることを言っているのには驚きましたね。
jBS/vUPX0 は、「遊び」にきたみたいだね。
遊んでいきなよ。 ゆっくりしていってよ。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/04(金) 22:09:20.26 ID:M9Zy9/Wc0
口頭で「命じる」ぐらい、今の天皇でもやってるだろ?
インテグラ!
>>195 白川への命令は統帥事項に関する命令だから大臣じゃないけどね。
>>199 戦後、岸内閣の頃までは「内奏」の際に天皇が意思表示する慣行があったようだが、
それでも「新憲法になったのだから主上は国事行為に専念されるように」とたしなめられた
池田以降は政治的決定を内々に報告するということもなくなり、
1回それがばれて大騒ぎになってからは天皇は完全に諦めた
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/06(日) 07:46:31.45 ID:77ZgY7mT0
で、天皇君は「希望表明だけ」厨君は死んだの?
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/06(日) 09:03:30.06 ID:Yb7FBXMF0
>>186 の「命令」こそ「立ち話」レベルなんじゃねーの?
菅の嫁「あれは私が夫に命じておいたのである」みたいなもんでさ。
>>186 改めて書いておくけど、それって正規に出されたものではないから、
命令としての効力はない。
またそれ以前に、それは、軍に対する命令ではありえない。
実行しろといわれて出来る種類のものではないこと、
指揮系統を飛び越えていること、からしてね。
なのでそれは、命令ではなく、命令口調で述べた希望ととるのが、
当然だろう。
>>193 ちなみに、戦後に象徴天皇になってからも、
昭和天皇は、ああしろこうしろと命令は出している。
しかしこれも命令としての効力は無く、
したがって命令口調の意見と取るのが妥当でしょうね。
>>194 もっと落ち着きましょうね。
説明しろって、何を?
>>196 それは知らなかった。(か、忘れていた)。
びっくり。
>そういう解釈でOKだと思う。 そういう解釈でおkとする根拠は、どういう資料に基づくの? それと、その解釈の妥当性を決定するのは、何?
というか軍隊なんだから、大元帥の命令だったら命令書を起草するんじゃない? 二・二六のときなんかも「さっさと掃討しろ」って何度も本庄繁に言ってるけど、 これって命令じゃないよね。実際本庄はその通り動いてないし。 それと同じことでは。
つまり、言いたい放題というわけですね。
本庄繁侍従武官長は決起した将校の精神だけでも何とか認めてもらいたいと天皇に奏上したが、 これに対して天皇は『朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ』と一蹴した。 奉勅命令は翌朝5時に下達されることになっていたが、天皇はこの後何度も鎮定の動きを本庄侍従武官長に問いただし、 本庄はこの日だけで13回も拝謁することになった。 午後0時45分に拝謁に訪れた川島陸相に対して天皇は、 『朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ』 『朕自ラ近衛師団ヲ率ヰテ、此レガ鎮定ニ当タラン』と強い意志を表明し、暴徒鎮圧の指示を繰り返した。 天皇ご自身が近衛師団を率いて鎮圧にあたると言うほどの強い意向があったからこそ、 事態が早期収拾に動いたんだぜ。本庄関連で言えば、決起の趣旨すら天皇は認めてない。 それどころか日に13回も本庄を呼びつけて早く鎮圧しろ早く鎮圧しろと命じてる? 分かるか?1時間に1回呼び出されてるペースだ。 まさに行動する大元帥だよ。これほどはっきりした「命令」はないだろ
>>205 とんでもない詭弁だな。天皇は陸海軍の統帥権者だぜ?慣例上も決して統帥に容喙しないなんて慣習は出来てない
陸海軍の統帥権者が軍司令官に「命令」してるのに、
指揮系統をすっ飛ばしてるから「命令」ではないだと?こんな詭弁が成り立つなら、
社長が係長にじかに命令しても、指揮系統をすっ飛ばしてるから社長の責任を問えないことになるな。
>>191 ところで「法学的」な説明はまだか?天皇希望厨よ。
>>203 天皇がわざわざ「不拡大は俺が命じたため」と記述している。
しかも統帥事項に容喙しているような記述は好ましくなかった独白録で。
菅の嫁は何の公職にもついていないが、天皇は白川の親任権者だからね。
白川は後日何の責めも負ってない。因果関係を否定するほうが難しい。
>>211 そういうこと。
軍隊は非常に官僚的な組織だから、命令書はきちんと作る。
最前線なら別だけど。
>>212 「言いたい放題」というよりは、「聞き流し放題」と言うべきじゃないかな?
事実上、昭和天皇が何を言っても、臣下はそれに背く事が出来るんだから。
そして、それが結局、国としての決定になるんだから。
そりゃもちろん、常にそうだったわけじゃないけど。
>>213 常識が無いなあ。
命令は、出された以上は、実行されなきゃならないの。
達成できずに失敗する場合もあるとしてもね。
軍隊ってのは、そういうものなの。
そこからしても、昭和天皇の発言は、命令に当たるものではなかった。
軍隊では、実行されない命令なんてのは、ありえないの。
>>214 常識が無いなあ。
もし、<上官>と<上官の上官>が食い違った命令を出したりしたら、
部下は、どっちの命令を実行していいか、分からなくなるでしょ?
だから軍隊では、上官は、すぐ下の部下に対してしか、命令は出さない。
逆に部下も、すぐ上の上官の命令しか、受け付けない。
それが、軍隊の大原則なの。
そして軍隊は、会社とは違うの。
したがって、昭和天皇が命令を出すとしたら、
それは参謀総長か軍令部総長に対してだけなの。
それ以外は、ありえないの。
>>215 常識が無いなあ。
エスパーしろとでも言うわけ?
どのみち君の無知は、救いようが無いけどね。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/07(月) 02:10:33.12 ID:bC3V3ubC0
>>216 因果関係は当然あるわな
天皇の「立ち話」なんだから影響力は相当強いだろ。
しかし非公式なルートで、いかに強い命令口調で発言しても、それは「希望」にあたるもの。
大御心に沿うも沿わないも臣下次第。
君主として公式な行為は凡て文書で行うものであり、それには副署が必要。
だから
>>191 は法学の話に行く付くと言ってるんじゃないかい?
>>217 根拠を示せなくて、見当違いな人格攻撃に走る君は、みかけは大人なんだろうが、頭は幼稚園児以下じゃないの?
あるいは人間性に大きな問題があるんでは?
9vj3QrnG0 は常識がないなあ?
2ちゃんねるでは根拠、ソースを示さないで意見なりを言ったところで、それだけでは
ただの妄言と変わらないんだよ?w
常識が無いと断定する前に、自分が書いたことが正しいと裏付ける根拠を示さないと
無意味。 わかったかな? 理解できたら、ちゃんと根拠を示そうね。
恥ずかしい書きこみ例
↓
>どのみち君の無知は、救いようが無いけどね。
きちんと回答できないとなると、人格攻撃に走る悪いクセw
220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:32:04.40 ID:9vj3QrnG0
>>213 常識が無いなあ。
221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:33:24.06 ID:9vj3QrnG0
>>214 常識が無いなあ。
222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:34:25.12 ID:9vj3QrnG0
>>215 常識が無いなあ。
エスパーしろとでも言うわけ?
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/07(月) 19:46:04.94 ID:WHUhtBtl0
イギリスとかの国王と統帥部の関わりはどうなってるんだろ。 ジョージ5世が陸海軍に色々「命じる」ことはあるんだろうか?
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/07(月) 20:52:32.74 ID:H8z4labi0
>>213 侍従武官長(スタッフ)の本庄に「鎮圧しろ」と言ったところで、それこそ「立ち話」でしょうに。
ラインは、総長がサインした文書(奉勅命令)で動き始めるもの。
ま、実際、天皇の「立ち話」が事件を収束の方向へ向かわせたのだろうけど
そもそもが法秩序を無視したクーデーターであり、
首脳部までがこれに同調する動きを見せる非常時だからねぇ。
例としてはいささか・・・
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/07(月) 21:17:24.67 ID:fE3StEEp0
とすrと、法学君は戦前の首相推薦に際して元老の力は何も及ばなかった認定するんだよな? その理屈じゃ
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/07(月) 21:51:58.98 ID:H8z4labi0
>>224 的外れなレスだったら、申し訳なかった。
>>226 君は、文章を、最初の一行しか読まないのかね?
命令否定論者は、組織内部の通常の命令系統ではそうなっていないから希望に過ぎない と言う本末転倒の仮定を引いた上で、「よって責任はない」と強弁してるんだよ。 直属の上司とその上司の命令が食い違うことは行政や一般企業にだってある。 軍隊も行政も、指揮命令系統を持つ組織と言う点では同じ。 まったく外部に通用しない論理であることは疑いを容れない。 昭和天皇は226と上海事変の時に、まさに帝国憲法上規定された大元帥としての権限を行使してる。 「それはわが社の日常的な指揮命令系統から外れてますから命令ではありません」と言うのは、 そのような指揮命令系統の存在を知らない組織の外部には全く通用しない理屈。 そもそも本庄は侍従武官長であり鎮圧の権限を有していたわけでも何でもない だから「本庄が聞き捨てた」と言う理解じたい不適切。 本庄を13回にわたって呼び出し、強く鎮圧を促していること自体、 226の鎮圧は昭和天皇の強い意思を容易に看取できる 自ら近衛師団を率いて陣頭に立つと言われて、誰か軍が天皇の意向を無視したか? 天皇の強い意思で226は早期収拾に向かった。これを「命令」と呼ばずして何と呼ぶんだよ 社長が「あの社員はわが社の役に立たないと思うよ」「ぐずぐずしてるなら私が直に解雇を通知しようか」 と秘書室長を通して何度も取締役会に意思表示したらそれはもはや「希望の表明」「立ち話」ではない。 命令だ。
>>228 では白川の例を食らえよ。
しかも「首脳部まで同調の動き」を見せているなら、立憲君主である天皇は、
首脳部の助言に従うのが正しいあり方だろう?少なくとも口出しちゃいかんわな。
たとえ鎮圧は慎重にしようという結論であっても。
まさに非常時には天皇が直接、表に出て大権を行使し、同調する首脳部を一喝できる権限があるじゃん
だいいちID:9vj3QrnG0は「法学上の説明」をしてないじゃないか。早くしてみせろよ
>>224 まさか天皇の任免大権を忘れてるわけじゃないよね?
帝国憲法上、天皇はいつでも副署を拒んだ大臣の首を斬れる。
それ以前に、統治と統帥の区別が分かってないのが多いなあ 55条の規定の主体は「各大臣」。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/08(火) 03:34:40.19 ID:p+jyIGwt0
>>235 >上海事変の時に、まさに帝国憲法上規定された大元帥としての権限を行使してる。
独白録に「あれは奉勅命令によったものではなく」と書いてあるんだろ?
なら「憲法上規定された大元帥としての権限を行使し」たものではないじゃないか。
中世の王様じゃないんだから。
「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」っては「思いつきで好き勝手に統帥できる」という意味ではない。
もちろん天皇には意志があり「発言」もする。
その「発言」が大きな影響を与えることは間違いない。
そこは否定してない。
しかし、それを「ほーら命令だ」とやるのは間違い。
近代国家とはそのように設計されているものではない。
>>236 このレスはちょっと滅茶苦茶じゃない?
どこがどう滅茶苦茶なのかも説明せずにこういう言い方をするのは好まないのだが・・・
それから俺は9vj3QrnG0ではないが「法学上の説明をしろ」って
一体、何の説明を求めているわけ?
>>237 むしろ、そちらこそ証言の解釈ばかりで法的な統治機構が無視しすぎな気がする。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/08(火) 03:50:20.90 ID:p+jyIGwt0
最終行を1ヶ所タイプミスしたので突っ込まれる前に訂正しておく
統治機構が→統治機構を
ついでに
>>237 は
>>224 を意識したレスだと思うけど、
>>224 はそもそも憲法55条を意識したものではない。
11条とか大陸命を意識して書いてある。
>>232 再度、示そう。そのレスはオレのじゃないって逃げるのかな?w
>そういう解釈でOKだと思う。
そういう解釈でおkとする根拠は、どういう資料に基づくの?
それと、その解釈の妥当性を決定するのは、何?
>>233 > 君は、文章を、最初の一行しか読まないのかね?
根拠を示せなくてトボけたつもりかな? それとも逃げたのかな?w
>>219 ,220,221は根拠が示されていないので、妄想で確定。
tj4QmNpx0は、どうせ暇を持て余した爺だろ?
生産性の欠如した爺は、社会にとってはただのゴミ以下、迷惑なだけの存在。
死ぬことが無能爺にも可能な唯一の社会貢献。
>>240 >>241 君らが法学厨と呼んでる人の側で4、5日前から俺が出入りしてますよ
ageてたのが俺、今回からsageる
>>240 一体、何の根拠を示せと言ってるのか、傍から見ていてサッパリわからん。
「根拠は全ての法令」と言えば納得ですか?
>>241 >>219 >>220 >>221 なんて常識の部類だろうに。
「赤信号を渡ってはいけない」
「根拠を示せ、示せないなら妄想だ」と言ってるに等しいと思うんだが・・・
これも「根拠は全ての法令」だわ。
とりあえず作戦要務令でも見たら?
まぁ、
>>221 の最後は俺も違うと思いますがね。
形式として天皇が作戦命令を下すのは直属の司令官。
その命令にサインして責任を負うのが総長。
>>235 まあとにかく。
昭和天皇は、正規の命令は出していない。
昭和天皇が行ったのは、意志の表明だけである。
というところまでは、
>>235 も同意してくれたわけだ。
ところがその後に
>>235 は、
「<意思の表明>イコール<命令>」
と言い張っている。
一般に、そういう解釈は出来ないにもかかわらず。
>>243 の続き。
結局、
>>235 は、命令という言葉の意味を誤解しているんだな。
軍隊の命令ってのは、
<できたら〜〜をして欲しいな>なんて軽いものじゃなく、
<必ず〜〜を実行せよ。行わなかったら死刑に処す>
くらいの強い強制力を持つものなの。極端に言えばさ。
軍隊ってのは、それくらい恐ろしいところであり、
一般の会社とは、まったく違うところなの。
それほどの重いものだから、必ず正規の手続きで出されなきゃならないの。
それが最前線の下っ端なら話は別だが、
天皇陛下ともあれば、そうならないことはありえない。
>>236 >首脳部の助言に従うのが正しいあり方だろう?少なくとも口出しちゃいかんわな。
結局、君は何も分かっちゃいないね。
昭和天皇が、意見を言うことまでは、構わない。
出来ないのは、それを強制すること。
それで、君はいったい、何について、「法学上の説明」を求めているのか?
繰り返し尋ねているのに、それを答えないのは、何故か?
また、君が質問しようとしているのは、本当に法学の問題なのか?
それは、本当は常識の問題ではないのか?
>>240 >>241 そういう言い草は、ちょっと幼児的過ぎるよ。
わざわざ好き好んで、自分の低レベル振りをさらけ出すことも無いでしょうに。
>>240 とはいえ、いまさらだが、まさか
>>210 は、本気で質問していたのかい?
てっきり悪ふざけだと思ったんだが、
もし真面目だったんなら、勘違いして申し訳なかった。
なんだけどね。
>>210 は、真面目な質問とは、思えなかったんだよね。
つまり、そこまでのやりとりを見ていれば、
「それは正規の命令ではない。ならば世間話と同じだろう」って話であること、
明らかでしょ?
そして、正規の命令でないことに疑問の余地は無く、
だから、それについて、資料だの解釈だの言い出すのはおかしい。
そしてそれは、それまでのやり取りから分かるはず。
にもかからわず、
>>210 のような書き込みとは、ふざけているよ。
>>241 こちらも一応答えておくよ。
>>219 の実例は色々あるが、例えば二二六事件だね。
その時、昭和天皇は、「武力による即時鎮圧」を主張し続けた。
しかし陸軍は、それに答えようとはしなかった。
天皇の発言は、見事に聞き流されたんだな。
(念のためだが、
>>235 は事実を誤認している)。
また、二二六事件の後、昭和天皇は、粛軍を求め続ける。
しかしこれも実行はされなかったこと、事実が示すとおり。
アメリカとの戦争を決定する際もそう。
第三次近衛内閣の時点で、昭和天皇は、平和への意思を示していた。
しかし陸軍は、それを承知していたにもかかわらず、
アメリカとの戦争をいち早く決意し、そちらに国を引きずろうとした。
ここでも昭和天皇の意思は、少なくとも陸軍には、無視された。
(東条内閣が成立した後のことは、ここでは省略ね)
とりあえず、こんなもんで良いかな?
>>248 の続き。
>>241 さらに一応、お答え。
>>220 と
>>221 は、軍事的な一般常識について述べたもの。
これについては、例えば山本七平の著作に分かりやすく記されているので、
それをじっくり読んでほしい。
「天皇陛下の命令より、直属の上官の命令が優先」ってことが、分かるはずだ。
「命令に背いた者は死刑!」なんてこともね。
もちろん、軍事関連のほかの本でも良いけどね。
例えば光人社NF文庫に、先の大戦の手記が色々あるので、
そこからお好きなものを読んでくれ。
軍隊が、いかに恐ろしいところか、分かるよ。
山本七平もこちらも文庫なので、入手は容易でしょ。
もっと手っ取り早くは、自衛隊に入隊してくれ。
そうすりゃ、身をもって分かると思うよ。
もっとも、先の大戦と同じ体験をするのは、無理だけど。
>>242 >形式として天皇が作戦命令を下すのは直属の司令官。
>その命令にサインして責任を負うのが総長。
ありゃ、そうでした?
面目ないな。あれこれ偉そうなことを書いておきながら……
とにかく、ご指摘には、感謝です。
>>238 「奉勅命令以外は命令ではない」という論理は組織内部の論理であって、
外部には通用しない。一言で却下だよ。
なぜ天皇が「あれは奉勅命令によったのではなく、私が特に」とわざわざ記したんだと思う?
もちろん東京裁判を意識しているからさ。つまり両総長の輔翼が原則であることを強調したいんだが、
しかし同時に停戦拡大を命じたという自分の対中戦争阻止に関する貢献は記録したい。
天皇もこれが「軍司令官に向けて出された命令」であることは前提としているから、
この断り書きがついてるんだよ。
>>244 指揮命令系統が上意下達のピラミッドシステムと言う意味では、
べつに行政や企業など組織全般と何ら変わらない。単にその拘束力が強いだけだ。
むしろ有事においては命令の実行を根拠に基づかず簡易な手続で済ませてよいこともある
>>243 同意してないに決まってるだろ?
表書きを贈与契約にしていても実質、売買と認定される場合はいくらでもある。
統帥大権を有する者の強い意思表示は、刑事裁判においては首謀者の命令と見なされるわ。
>>248 嘘も休み休み言えよ。
天皇があれほど強固に討伐の意思表示をしなかったら、早期鎮圧で方針は固まらなかった。
天皇の一存ではどうにもならんはずの組織が、見事に天皇の一存で動いてるじゃないか。
>>248 天皇は「しょせん一戦避けがたし」と戦争遂行を容認する発言をしているし、
11月の御前会議の頃には決意を固められたのかご機嫌麗しかった。
対米戦に懸念は示していたが、決して226の時のような指導力を見せて時局収拾にあたろうとしなかった。
近衛文麿がとうてい見込みなしとして迷っていたのとは大変な対照だよ
天皇が一貫して対米戦回避を切望していたというのはまったくの間違い。
天皇も対米交渉が行き詰まるに従い、対米戦やむなしの方向で意思を固めていった。
天皇に限らず陸海軍首脳の大半は対米戦回避を切望していたさ。
しかし天皇のは、まず何を措いても対米戦回避が優先と言うものでもなかったんだな。
ハタから見りゃ、常識的には、戦前の天皇ほどの立場の人が 強くモノ言ったら、それは事実上の「命令」になるんじゃないの?と思うのダガ。
>第三次近衛内閣の時点で、昭和天皇は、平和への意思を示していた。 >しかし陸軍は、それを承知していたにもかかわらず、 >アメリカとの戦争をいち早く決意し、そちらに国を引きずろうとした。 そんな単純なものじゃないことは、日本政治外交史でも履修していれば明らかだろう。 いまだに陸軍悪玉論で行くのかよ…
そうですよ。 憲政の常道が崩れた後、しかも首相が安否不明と言う大混乱状態で 大元帥さまが「早く鎮圧せよ!!!」と拝謁する人間に怒鳴り散らしていたら、 それは立派な命令 226は天皇1人の意思で反乱軍として扱い鎮圧に向かったと言っても過言ではない
>>251 >>252 >>253 >「奉勅命令以外は命令ではない」という論理は組織内部の論理であって、
いや、組織内部の論理ではない。
それが近代国家の法秩序。
なぜ、分からん?
中世の王様じゃないんだから。
天皇から司令官への「命令」といえば総長がサインした奉勅命令。
もちろん、これとは別に天皇にも意思があり「発言」もする。
ただし、それを「ほーら命令だ」とやるのは曲解が過ぎる。
白川には上から下までいろんなヤツがいろんなことを吹き込んでいるだろう。
天皇もその一人に過ぎんと考えてみてはどうか?
独白録は、さも平和に貢献したかのようにアピールしているだけ。
だいたいイギリス国王なんぞ、今でもいろいろ「発言」しているとメージャーが言ってたじゃないか。
あなたは、それも「ほーら命令だ」とやるか?
やるんだったらそれはそれで筋が通っている。
>>255 もな。
>>253 >>257 もちろん天皇は鎮圧の意向さ。
そして、そもそも鎮圧されるべきものだろう。
関係各機関が最初から粛々と動けば、天皇が動く必要など一切、無い。
ところが一部首脳がクーデターに同調するという滅茶苦茶な流れがあったからこそ
天皇が当たり前のことをいちいち催促しまくる羽目になったんだろ。
それを持ち出して「ほーら天皇の一存で動いたじゃないか」なんてのはとんでもない話だ。
煽るつもりはなにいがガキのやることだ。
だいたい二二六は法秩序がぶっ壊れようという非常時だから例としてよくない。
それから
俺は首脳部とは荒木とか真崎を意識して言ってるんだが、あんたは(
>>236 )はどうなのよ?
荒木・真崎の思惑に従うのが正しい立憲君主と言いたいわけ?
それと
>>236 で疑惑が生じたんだが、天皇大権=天皇が好き勝手できる思ってません?
天皇大権とは関係各機関の輔弼によって行われるものだぞ。
まさかとは思うけど憲法第一章の天皇はアレをする、コレをするというのを読んで、
思いつきで好き勝手できると思ってません?
>>236 の「非常時には天皇が直接、表に出て大権を行使し」とか「大臣の首を切れる」というのを見て強い疑惑が生じたんだが・・・
悪い
>>258 はメージャーではなくサッチャー
「この拝謁が単なる形式的なものだとか、社交上の儀礼に限られていると想像する者がいたら完全に間違いである」だとよ。
イギリス国王には「警告する権利」があるからな。
ただし、誰もそれを「命令だ」とは言わないだろ。
どうも日本人は「イギリスは君臨すれでも統治せずだから・・・」と『勘違い』しているフシがある。
>>255 事実上の命令だとしても法制上の命令では無い、
天皇の発言と政治家や官僚や軍隊の実働には何の因果関係も証明出来ない、
だから責任は無い。
>>260 それは、現実世界では通用しない論理だと思うのダガ。
通用したんだからしょうがない、 むしろそれを通用させることが日本人の倫理観だったくらいだ。 それから外れ天皇の責任を問うような事を言うとガチで殺される。
>>261 「君主無問責」の話をしているのだから
「常識的には・・・」とか「現実世界では・・・」という切り込み方は違うんですよ。
悪いけど・・・
また間違えたわ 君主無答責
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 04:24:44.98 ID:TbqxEY6e0
>>260 >天皇の発言と政治家や官僚や軍隊の実働には何の因果関係も証明出来ない、
これは証明できるだろ、阿保か
そもそもこいつ本当に法学学んだのかね?
実際の政治過程では、今だって非公式局面で重要な意志決定が行われ、それに基づいて政治運営されてるだろうが
こういう、「本音と建前を見分けられない厨」が跋扈しているのは、意図的なんだろうかね?
天皇にも意思があり「発言」はする。
それによって現実政治が動くこともある。
>>224 に「因果関係はある」「影響力は相当強い」と書いた。
ただしそれを「ほーら命令だ」とやるのは曲解だと言っている。
立憲君主=一切、口出ししない君主と思っているならそれが間違い。
むしろ口出しこそ最後に残された権限といってもいいぐらいだ。
もうこの議論は100年かかっても結論出そうにない
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/09(水) 15:18:00.33 ID:TbqxEY6e0
開戦の詔勅はまごうことなき昭和天皇の命令だってことで結論が出たな
>一体、何の根拠を示せと言ってるのか、傍から見ていてサッパリわからん。
>「根拠は全ての法令」と言えば納得ですか?
いつまでトボケてんだよ ボケ爺w
>そういう解釈でOKだと思う。
そういう解釈が正しい?とする、その根拠となる資料を具体的に示せって
言ってんだよ。 オマエがどう考えるのか、解釈するのかどうか、なんてどうでもいいんだよボケ爺w
>
>>219 >>220 >>221 なんて常識の部類だろうに。
>「赤信号を渡ってはいけない」
詭弁晒すな。バーカw 今は信号の話してるんじゃねーし。
常識なんて個人によって異なることがあるのは、当たり前だろ?
そんなこともわからないバカなのか? オマエはw
>そういう言い草は、ちょっと幼児的過ぎるよ。
>わざわざ好き好んで、自分の低レベル振りをさらけ出すことも無いでしょうに。
オマエのようなカス爺wには、こんなんで十分。カスにはカスで対応、これがおれのやり方。
>これについては、例えば山本七平の著作に分かりやすく記されているので
山本七平じゃしようがないだろw だからオマエはカス爺wなんだよ。それとな、手記の類
なんて、この場合、根拠とはならない。公式文書を資料として示せ、と。わかったか? カス爺w
大事なことだから、もう一度書くぞ。
生産性の欠如した爺は、社会にとってはただのゴミ以下、迷惑なだけの存在。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
死ぬことが無能爺にも可能な唯一の社会貢献。さっさと死ねよ。市ねじゃなく「死ね」な。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>これも「根拠は全ての法令」だわ。 オマエのような、暇 持て余しゴミ以下爺(社会的には完全に不要品。生きてるだけで皆に迷惑かけてる爺) の相手してやってんだから、「何々という文書の**ページから引用」 そういう形で示せ、これは指示だ。分かったか? カス爺 示せないのなら 引っ込んでろ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それは命令ですかw
>>262 通用しねえよ。
例えば企業犯罪について稟議書作成が通例であるのに、社長が直接担当者に違法行為を命令したのは
「希望」であるから社長には民事刑事上の責任がないとか強弁するのと同様の詭弁。
>>267 結論はとっくに出てる。史料も山ほどある。
その史料を曲解し何とかして天皇は政治的無能力者であったように強弁しようとしてるのが1人いるだけ。
天皇は自分の気に食わない内奏がなされると、同意を与えず、書類を留め置くことがあった(岡田啓介回顧録ほか)
この場合、天皇の意向を反映させるように再検討が行われる(山澄貞次郎)
企画院総裁の鈴木貞一も「戦争を止め得たのは天皇だけ」と断言してるし、
近衛も「お前の思うほど心配することはない」と言って日ごとに開戦論に傾いていくと嘆いている(富田健治)
「天皇の側近には内大臣はおらず、侍従長はおらず、真に陛下お一人の裁断によって全て事が運ぶ」
(木戸幸一、226事件後に語る)
そして226事件以降は天皇の権限の飛躍的強化に関連して、内大臣の政治的比重が増大する
ほかにも史料はまだまだあるから投下してやろうか?嘘つきさんよ
>>258 おいおい、立憲君主制を徹底させるなら
(まあ帝国憲法下では天皇の補佐にあたる人間相互の上下関係が明確じゃないけど)
お前の理屈だと天皇は輔弼担当者の意思に拘束されるはずだぜ?
実際は輔弼に拘束力があるかどうかも明確じゃなかった
お前こそ「輔弼」の主体を「国務各大臣」じゃなく「関係各機関」なんて不正確なこと書いてるけど、
大権事項でも統帥権については憲法上、輔弼の規定がないことを知ってるのかよ?
ちなみになぜ「内閣」の輔弼でなく「国務各大臣」の輔弼になってるのかは分かるよな?
>>273 国務は各大臣、統帥は両総長、宮務は宮内大臣と内大臣
だから関係各機関
文句あっか?
憲法だけ見ても仕方ないぞ
憲法を細くする各種法令も併せてな。
補足な
>>274 憲法以外の実態まで見たら、統帥事項について天皇の容喙が非常に多く、
とうてい立憲君主制と同視出来ないことは知ってるよな?
ちなみに、なぜ主体が「内閣」でなく「各大臣」になっている?
お前が任官大権をやけに気にしてるからついでに聞いておこうか
「建前として天皇は国務大臣の輔弼によって国政をなさるのではあるが、 時には強い強いご意見を述べられることもある」 「天皇がご納得されない場合は、概ねの場合問題はそのままサスペンドされて、 決定が延ばされるか、内閣のほうが考え直すのを常とした」 (木戸幸一) これが「輔弼」にあたった内大臣の証言する偽らざる憲法運用の実態だよ ここでは「輔弼を受ける」ほうが「建前」とされているのに要注意。 天皇は226以降、内閣総理大臣はこの中から選べ、こいつはダメと指示するまでになってる 人事権と言う意味でも天皇は非常に深く関与していた
>>277 だから、さんざん言ってるじゃないか
もう1回、書こうか?
天皇にも意思があり「発言」はする。
それによって現実政治が動くこともある。
「因果関係はある」と書いたし「影響力は相当強い」とも書いた。
最初に法学厨と呼ばれていた人と入れ替わっちまったな ところでBeEXxLvt0は、もちろんD2jVMILR0とは別人だよな? 両者ともこっが1人に見えているらしいがw
>>272 >通用しねえよ。
する/しないかの段階はもう通り過ぎている。
その強弁詭弁が通用“している”のが戦後70年の現実。
昨日のBeEXxLvt0はまだ? 単独輔弼がどうしたというのか、話を進めてくれよ。 待ってるんだけど・・・
昭和天皇は開戦に反対だったけど、立憲君主制だから開戦を拒否する事ができなかったの? ではどうして近衛上奏文は拒否できたの?そして拒否した理由とは? Wikipediaの「昭和天皇の戦争責任論」の「戦争責任を肯定する立場の主張」を読んで気になったんだけどよくわからない 誰か教えて
>>283 近衛は単なる重臣で上奏文には何の拘束力も決定性もない。
無視した理由は大きく二つだと推測。
一つは戦局の帰趨に期待していたこと。
沖縄戦敗北まで天皇は米軍に大打撃を与える可能性があると考えていた。
もう一つは陸海軍の統制問題。
あの時点では陸海軍は首脳も含めて降伏を受け入れる可能性は低かった。
それを強引に終戦に持っていく自信がなかった。
>>278 何だまだいたのか。じゃあ話を進めてやる。
もっとも意味が分かってないようだからヒントをやるよ
単独輔弼の意味するところは?その効力は?日本国憲法との最大の違いは?
>>279 いいや答えていない。木戸内大臣の証言にどう反駁する?
天皇の不同意にあっては裁可の手続もままならず、
結果、内閣のほうが考え直すのを常とするほどの強い因果関係、それを命令と言うんだ。
>>283 昭和天皇は開戦に「反対」ではないよ。
立憲君主制だから開戦を拒否できなかったわけでもない。
相次ぐテロや内乱で、当時の日本はすでに立憲君主制の運用とは程遠い事態だった
鈴木貞一は天皇だけが開戦を止め得たと考えていたし、
実際に鈴木の所に避戦派から、内奏により天皇から「聖断」を下す形で日米開戦を避止する密案が来ている
だから天皇が主張する「開戦時に聖断は無理だった」と言うのは相当破綻している。
近衛上奏に対する態度は、戦局の帰趨に天皇が未練を捨てきれなったからだが、
陸海軍や重臣が降伏を受け入れる可能性が低かったとは、必ずしも言えない
なぜなら近衛グループは和平派を結集したかなり強力なグループだったから。
ちなみに降伏の決断の遅れには天皇の迷いが確実に反映されている。
>>281 昭和天皇崩御直後(1989年2月)の時事通信の世論調査
昭和天皇に戦争責任は
・全面的にある 7.5
・幾分ある 44.9
・ない 28.9
・わからない 14.0
史料の公開や研究が今ほど進んでおらず、崩御直後と言うタイミングだった当時でも
天皇の戦争責任を多少なりとも肯定する人間が過半数に達している。
戦後45年の現実はこうだ。崩御直後から天皇に関する批判的研究がなされるようになったから、
今ではもっとタブーは薄れているだろう
かなり有名なデータだと思うが、知らないのか?
>>285 だから話を進めろってw
お前のクイズに付きあわせるなよ、恥ずかしい
>>285 念のために言っておくが、もう、そのクイズ形式はやめろよ。
言いたいことがあるなら書け。
こっちは
>>258 をかなりスルーされて待ってるんだからさ。
>>285 >木戸内大臣の証言にどう反駁する
これにも答えろってか?
考え直すなら、それは輔弼する側の責任。
「同意なんか得られずとも裁可してしまえば良い。天皇に裁可させない権限なんか無い、だから責任も無い」 それで済むんだから楽な商売だよね。 完全にヤクザの理論。
>>290 重大な勘違いをしてないか?
(天皇の)同意なんか得られずとも(臣下が)裁可してしまえば良い
と言ってるんだろ?
>>288 どこでスルーしてる?
奉勅命令だけが命令だと言う組織法に見られる詭弁にはすでに反論済みだが。
何より本人である昭和天皇が「とくに命じたのである」と自分の功績を強調しているし、
白川は大本営からの指示を無視しても事後、冷遇された形跡はない。
天皇は明らかに規定外のルートで「命令」を出す権限を持ってたんだよ。
石原に直接、兵力の派遣を督促したり、軍の細かい人事にも容喙してるのは独白録を読めば自明だよな。
それと大臣単独輔弼には天皇大権への拘束力が認められず、
さらに総理大臣は同輩中の首席に過ぎず任免権が憲法上規定されていない
だから陸海軍大臣や松岡問題でいちいち内閣が総辞職しなければならなかったわけだ
これ1つ取っても現代我々が想像するような立憲君主制なんて言えないんだよ。実態は。
お前、それも分からないのかよ。帝国憲法の特徴の1つとして公務員の問題にも出てくるし、
そこらの憲法の教科書にも書いてあるわな。一体どこの学部を出たんだよ?
法学部じゃないのは確実だわな。
>>289 反論の意味が不明。
時事の調査も知らないような無知だから期待はしないが、
まともな弁解を考えてみろ。
ちなみに近衛上奏は前述のように近衛の単独判断ではなく、 吉田・殖田ら外務人脈、さらに岡田・米内と言う海軍重臣が加わっている。 上奏者7重臣(岡田を含む)の中で最も有力な提案だったのは間違いない。 昭和天皇はそれを拒否してるんだわ。しかも当時、近衛が政治的失脚者などではなかったのは、 東条内閣崩壊工作の時のフィクサーぶりで分かる。
どんなに天皇が駄々こねても天皇には拒否する法的権限は無いから、 「ハイハイ、ワロスワロス」で無視して決めちゃえばよかった。 そうしなかった政治家が悪い、天皇悪くない。 そう言ってるんだよ。
>>292 >大臣単独輔弼には天皇大権への拘束力が認められず
は?
天皇の国務に関する行為は最終的に文書で行われる。
大臣の副署が必要。
それが輔弼じゃないか。
「天皇が口で何を言っても近代国家は動かんぞ」ということを言ってきたんだが・・・
>単独輔弼、同輩中の首席、軍部大臣現役武官制
これらは、そういう仕様なんだよ。
いろいろ議論はあると思うが「だから立憲君主制ではない」ってどういう結論付けよ?
逆に言うと、連帯責任で、首相に任免権があり、軍部大臣が文官なら立憲君主制だと言うわけ?
つか公式令って知ってる?
スルーされたのは以下の点
荒木・真崎の思惑に従うのが正しい立憲君主と言いたいわけ?
「非常時には天皇が直接、表に出て大権を行使し、同調する首脳部を一喝できる権限」って?
「天皇はいつでも副署を拒んだ大臣の首を斬れる」とは?
これらは唐突なクイズを出しているのではなく、君が
>>236 に書いたことだからな。
それと
>>257 の「怒鳴り散らしていたら、それは立派な命令」って、まさか話し方を問題にしているのか?
俺は「侍従武官長がどういうポストか」ってことを言ってるんだが。
さらに付け加えると
イギリス国王が発言したらも「ほーら命令だ」とやる?
>>293 ずっと同じことを言ってきたが・・・
天皇にも意思があり「発言」はする。
それによって現実政治が動くこともある。
>>224 には「因果関係はある」と書いたし「影響力は相当強い」とも書いた。
ただし「大御心に沿うも沿わないも臣下次第」 (同じく
>>224 )
つまり「考え直すなら、それは輔弼する側の責任」(
>>289 )
「君主として公式な行為は凡て文書で行うものであり、それには副署が必要」(
>>224 )
最終的には輔弼担当者がサインして責任を負う。
ループしないように付け加えておくが 国務なら各大臣、統帥は両総長、宮務は宮内大臣と内大臣>輔弼
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 04:11:43.13 ID:RJ/55rKg0
戦争をやめるには、ヤマト世界政府を作り上げようとする強硬派を粛清し 絶対君主制にすること でもそれは無理 なぜならはじめからお飾りだから
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 05:35:24.39 ID:nUaUlxWC0
>>297 は誰もが知ってる形式論しか話ができないわけだな、結局
社会を知らないヒキなんだろうな
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/16(水) 15:38:11.16 ID:WItqXE3f0
天皇は神主なんだから関係ない
>>297 つまりは法的に責任が問われないシステムになってるってことか?
そう、皇室皇族は何をやってもやらなくても責任が発生しないシステム。 皇太子一家が公務をしなくても祭祀をしなくても静養疲れで静養しても、 法的には何の問題もないと責任を取られられ無いのもその延長線上にある。
ID変えて絶賛自演中?
「天皇無問責」は、 天皇は国政にかかわるあらゆる権利、それこそ私的な意見を述べる権利、すら無い上で、 責任が発生しないのかと思ってたが、 言いたいことを言い、やりたい事をやり、影響力をフルに使っても「影響される政治家や官僚の責任」 と言うことなんだな。 法的責任所か道義的責任すら発生しない。 なんと言う特権。
>>305 とんだ勘違いをしてたんでつね
私的な意見を述べる権利は当然ある
権利に対しては責任が発生するわな、 公人の発言には責任が発生する、例え命令系統上に無くてもだ。
私的な意見を述べられるが責任は無い。 責任が無いから私的な意見を述べられる。 プロ市民とあんまり変わらんな。
でもプロ市民が勝手なこと言ってても基地外がなんか騒いでるわで皆スルーできるけど、天皇はそうはならないっしょ。
でもスルー出来ないのはスルー出来なかった政府や役人の責任。 とほっかむりしてシレッとしてられるわけですよ。 プロ市民より性質悪いね。
自分の立場をわきまえず、責任が無いのを良い事に私的に意見を述べる権利を自制せず存分に使うとか、有害通り越して邪悪の域だな。
いやいや今空襲に向かったが…
>>296 降伏の「ご聖断」は文書化された形で示されたの? それともご意見、ご感想の類だったの?
>「天皇無問責」は、 >言いたいことを言い、やりたい事をやり、影響力をフルに使っても「影響される政治家や官僚の責任」 >と言うことなんだな。 >法的責任所か道義的責任すら発生しない。 >なんと言う特権。 この中で、法的責任すら発生しないというが、それは解釈の問題にしかすぎないって前のほうに 書いてあった。つまりは明確な規定がないから解釈の問題になるってことだな? であれば、 その解釈が妥当かどうかはどのような形で保証されるのか? 教えて エロい人
法的責任は発生しないよ。その為の補弼だから。 道義的責任は別。
輔弼の内容を定義した、当時の資料を見たい。どこで読める?
訂正 美濃部達吉「憲法講話」
>> ID:56yQMR3J0 サンクス
つまり何をくっちゃべろうと自由。 法的責任は最初から発生しないし国民は洗脳済みだから道義的責任も取らされない。 恐ろしい話です。
昭和天皇に責任があるとか初めて聞いたな 単なる飾りでしょ当時も今もさ
>>322 明治憲法下の天皇と現行憲法下の天皇を同列にするなんて、アンタのおつむの程度が知れます。
「昭和天皇に責任がある」と言うと長崎市長みたいに殺されるからな、 そりゃあんまり聞かなくてもしょうがない。
もう一度書くぞ 答えヨロ
↓
>>296 降伏の「ご聖断」は文書化された形で示されたの? それともご意見、ご感想の類だったの?
>>325 「ご聖断」は発言だから意見の類。
降伏という国家の行為は文書。
内閣が詔書を作成。
天皇が署名・捺印。
全閣僚が副署。
公布。
相手がある話なので連合国にも打電。
ちなみに陸相が副署を拒んだり、辞表を提出したら降伏の手続は出来ない。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/22(火) 04:38:55.86 ID:46RFwoZS0
2・26事件のチョウリャクを最後に、兄派の良子さん達が日本の権力を 握っている。 反米政権が日本の権力を握っている。 太平洋戦争は、捏造歴史にて日本への経済封鎖が原因。 太平洋戦争は、天皇家の戦争責任を問わないこと。 天皇家の命の保障と引き換えに、戦勝国の負うべき戦争犯罪を日本がかぶり。 捏造された歴史を日本が受け入れること。 くずれやすい捏造歴史を守りつづける為に、戦後日本の権力者は捏造歴史 肯定派で運営されることだよ。 昭和天皇は、嫁の良子さん達の操り人形だよ。
>>326 >「ご聖断」は発言だから意見の類。
政府の意見がまとまらず、天皇に結論を委ねたのだから「意見」というのは間違いだ。
天皇が求められ政治判断したというのが正しい。
本人の自覚は別として天皇は大権を行使して決定を下した。だから、一部でよく言われる
「憲法に定められた立憲君主の立場を超えたもの」というのは間違いで、
外形的憲法であった明治憲法の構造からすれば、天皇は立憲君主的に振る舞うことも、
また、逆に親政君主として振る舞うことも可能であった。
昭和天皇は「独白録」において君主の権限を逸脱した事例として2.26事件と聖断を挙げているが、
それは立憲君主的に振る舞おうとした彼の心情の問題であり、明治憲法自体は立憲君主制の要件を
満たしていない。仮に天皇が立憲君主制というものを正しく理解していれば、第二次上海事変の際に
派兵命令は出せなかったはずだ。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/22(火) 13:30:15.85 ID:r2cydH3R0
責任が全くないというのは本当に腹が立つ
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/22(火) 14:04:40.41 ID:AKuX93bg0
福島第1原発の事故現場で日本側に助言を与えたロシアの核物理研究施設
「クルチャトフ研究所」のアスモロフ副所長は21日付のロシア紙イズベスチヤとのインタビューで、
意思決定に時間がかかりすぎる日本型の官僚主義が事故の処理を遅らせたと指摘、日本政府の対応に苦言を呈した。
旧ソ連で1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の現場で長年事故処理に当たってきた
副所長は、福島第1原発の一部の原子炉に外部電源を回復するのに事故発生から10日近くかかったことに
「ロシア人だったら地上に電線を引いて非常用発電機を設置するだけだっただろう」と指摘。
「5分で済むような問題を、日本人は委員会をつくって延々と議論する。責任者を見つけるのは
困難で、副大臣以下と話しても意味がない」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110321/erp11032121110011-n1.htm
>仮に天皇が立憲君主制というものを正しく理解していれば この部分は、この前読んだ「歴史群像シリーズ 太平洋戦争」のなかに同様の記述があったよ。 昭和天皇でなく明治天皇の場合は、どうだったのだろうか? 正しく理解してたのかな?
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/22(火) 15:34:38.26 ID:1GjhGUoh0
太平洋戦争は、国体の護持と引き換えに戦勝国の負うべき戦争犯罪を日本が かぶり。 捏造された歴史を日本が受け入れ、極東の絶対悪になる事で終っている。 その後、戦勝国は日本軍捕虜などに強要して、捏造歴史の写真・フイルム・ 軍の行動記録・兵士の供述書などを作り。 それにて裁判、処刑。文句を言えば死人にくちなし。 クソの様な歴史資料をもとに過去を紐解いた所で、クソのような結果しか 出てこないよ。
>>328 >天皇が求められ政治判断したというのが正しい
まあ、そうかもしれんな。
ただし、天皇がいかに強い命令口調で「降伏」と発言したところで、それがそのまま国家の意思決定にならないのも事実。
「耐え難き耐え」の詔書に全閣僚が副署しなければ「ご聖断」など何の効力もない。
阿南が副署するまではヒヤヒヤもんだぜ。
だから
>天皇は大権を行使して決定を下した
というのは言いすぎで、体裁としては、あくまで大臣輔弼により大権を行使している。
>親政君主として振る舞うことも可能であった
これも言いすぎ。
御名御璽だけでは発効しないのだから。
そもそも立憲君主制には、かなり幅がある。
「ここからが立憲君主制」という明確なラインがあるわけでもない。
あまり多様すべき言葉ではないと思っている。
多様→多用
同じことばっかり言ってしつこい
まぁ、あれだな。
>>333 の内容は、そういう言い分もあるという一例なんでは?
このあたりの学術的研究を行っている研究者で、同様の考え方をしてる人は誰?
また、そういう研究業界での位置付けは?
学説ってほど大袈裟な話か?
「大権施行は詔書で」って公式令の第一条に書いてある常識レベルだと思っているが・・・
>>333 の前二段に何か間違いでもありますかね?
親政とか立憲君主制とかいうのは学術というよりもアジテーションの側面が強いと思っている。
俺は自分から「立憲君主制だ」とは書いてない。
「親政だ」という言い分に対して「それは言いすぎだ」と言ってるだけ。
>>333 >まあ、そうかもしれんな。
「そうかも」ではなく、史実として「そうだった」。天皇の判断を仰いだ結論が「聖断」だったのだから、
天皇の判断した結論が強い、弱い、命令口調、懇願口調だったかどうかという話ではない。
>それがそのまま国家の意思決定にならないのも事実。
史実としてそれが国家の最終判断とされたから「御聖断」と呼ばれている。
「ならない」という架空の出来事を言い立てても事実に変わりはない。
>阿南が副署するまではヒヤヒヤもんだぜ。
阿南は天皇の聖断で籠絡された。木戸と鈴木はぬかりなく外堀を埋めたということ。
彼らのシナリオ通りことが進んだ。
>というのは言いすぎで、体裁としては、あくまで大臣輔弼により大権を行使している。
本末転倒とはこのことだ。補弼とは天皇が大権を行使する為に「助ける助言する」という意味。
>これも言いすぎ。
現実に国体明徴宣言によって機関説が排斥され、親政こそ正しいと判断された。
>そもそも立憲君主制には、かなり幅がある。
立憲君主制とは憲法によって「王権も法に縛られる」という君主権限を法規範によって抑止する制度。
明治憲法では「天皇の支配は、憲法をはじめとする国法によって完全に規制され尽くしうるものではなかった」
「憲法をはじめとする国法によって完全に規制され尽くしうるものではなかった」(憲法学者高橋和之)とされ、
立憲君主制の要件を満たしていない。また、明治憲法では、天皇は天皇大権中心の統治体系であり、
万世一系の天皇による支配するという構造となっていた。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/23(水) 07:45:16.52 ID:xk04iSSH0
ってかあの時代に君主が神を自認してた国なんて他にないだろ 所詮は国家神道カルトの国
>>337 >学説ってほど大袈裟な話か?
学説すら示せず「大げさ」と感じる君は何を根拠に語ってる?
天皇大権とは「憲法上、統治権を総覧する地位にあり(四条)、帝国議会の協賛の下に立法を行い(五条)、
国務大臣の輔弼を受けて行政権を行使するものとされた(五五条)。司法権もまた、天皇の名において
裁判所がこれを行うものとされた(五七条)」と憲法学者の高橋和之が教科書で書いている権限のこと。
明治憲法では上述の三権の他、軍事大権や祭祀大権も有しており「広大な憲法の領域外の部分」をも有していた
(憲法学者横田耕一)。行政権は天皇の専権とされ、憲法にも規定が無く元老、内大臣・重臣会議などの
憲法外制度と慣行によって国務大臣の任免が行われていた。
>「大権施行は詔書で」って公式令の第一条に書いてある常識レベルだと思っているが・・・
天皇は意に沿わない国務大臣候補の上奏に対して、苦言や無視などの意思表示によって度々反対して候補を変える
などしている。内奏という「憲法の領域外」の制度によって事前に摺り合わせを行うため、詔勅(勅書を含む)は
形式的なものであり、国務大臣が副署に署名する段階でそれを拒否する権限は国務大臣にはなかった。
>親政とか立憲君主制とかいうのは学術というよりもアジテーションの側面が強いと思っている。
君個人の感想などどうでもいい。親政も立憲制も法学上・歴史上の学術的な研究がなされており、
保積の学説から上杉と美濃部の学術論争という時期を経た後、国体明徴宣言による揺り戻しがあったというのが、
明治憲法の史実。そうした史実は、現代なら小関素明による研究があるし、林尚之なども論文を書いている。
>>339 それを学術的呼称として「神権天皇制」という。明治憲法上の天皇は「国体や歴史的存在」を前提としており、
憲法はそれを確認的に記述された。明治憲法上、天皇は最高決定権者(主権者)の地位にあり、神勅によって
基礎付けられた天皇に対して臣民(国民)は一切の口出しができない存在。臣民(国民)の権利というのも、
天皇が恩寵として授けるという形式を採っていた。
立憲君主制の場合、王権と市民(或いは議会)との対立軸から君主を立憲制により恣意的な行政運用や立法を許さない
ということが前提となるため、明治憲法の様な憲法は外形的立憲主義憲法(憲法学者杉原泰雄「人権の歴史」)と
言われている。これを分かりやすくいうのなら、「仏作って魂入れず」とでも言うべきもので、憲法という形式には
なっているが立憲主義を前提としていなかったということ。
明治憲法は法学でよく言われる憲法の役割、「統治の制限規範性」が不徹底だったため、美濃部のような学説運用で
立憲主義を高めようとする動きが現れ、大正デモクラシーの動向と共に通説となっていく。しかし、元々の憲法が
法の支配という前提に基づいていなかったため、機関説排斥運動などで揺さぶられ、保積〜上杉らの主張していた
天皇主権説を上回る「天皇親政」とする主張が政府によって宣言される(国体明徴宣言)に至る。
お すげ いよいよ学術レベルの講和が読めるようになったか・・・ 2ちゃんで これは格段にありがたいこと。コピペして保存します。 ID:lz1hNyIi0氏に多謝。
国務大臣の補弼と副署について間違った認識があるようなので少し解説しておこう。 先にも触れたとおり「補弼」とは君主を臣下の大臣が「君主を助け助言する」ことを言う。 明治憲法の場合、天皇が主権者であり統治権を有しているが、君主無答責を前提としているため(第五十五条)、 行政行為上は天皇を助ける(輔弼する)国務大臣がその責任を負うという仕組みで成り立っていた。 当然、天皇の最終判断の責任は輔弼した国務大臣が負うこととなるため、責任の所在の明確化の必要性から 大臣の副署は不可欠だった。副署は国務大臣が行使できる権利ではなく、天皇に変わって責任を取る為の 義務であったから、現実に副署に署名しない行為というのは、責任を取ることを拒む行為と同義である。 明治憲法には国務大臣の任免権について条項はないが、これは天皇の統治大権から演繹させて、 立憲当初は元勲らの推薦によって行われやがて内大臣や重臣会議によって推薦が行われる様になった。 それは内奏を経て任命されるという慣行によって行われた。つまり、明治憲法では国務大臣は国会に対して 責任を負うのではなく、天皇に対して責任を負う存在であり、現在の議院内閣制ではなかった。 時折、補弼と副署について国務大臣の権利であるかの様な勘違いをした文書を見ることがあるが、 勘違いしてはならないのは、天皇の判断を助けるための義務であったという事実を踏まえる必要がある。
>>343 分かりやすい解説、ありがとう。質問があるのですが、回答いただければ幸いです。
>現実に副署に署名しない行為というのは、責任を取ることを拒む行為と同義である。
この、署名を拒む事態が実際に発生したことはあったのでしょうか。
>明治憲法には国務大臣の任免権について条項はない
条項自体が存在しないというのは、意外な感じなのですが、お手本とした外国の憲法にならった
結果だったのでしょうか。それとも、あえて設けなかったのか・・・
>>344 >この、署名を拒む事態が実際に発生したことはあったのでしょうか。
私の知る限りそういう事態が起きたことは無かったと思う。
>条項自体が存在しないというのは、意外な感じなのですが、お手本とした外国の憲法にならった
>結果だったのでしょうか。それとも、あえて設けなかったのか・・・
周知のように明治憲法はプロイセンの欽定憲法に範を求めたもの。
プロイセン自体が欽定憲法として立憲主義による憲法を採用しておらず、君主が授けた憲法という
外形的憲法であった。その為、国務大臣は議会に対する責任を取る英国型の議院内閣制ではなく、
君主に対して責任を取る制度を用いていた。
ID:lz1hNyIi0の話を踏まえ
>>166 を考えるに、
昭和天皇は言いたい放題好き放題勝手気ままに振舞ってその責任は家臣に丸投げしたクソ野郎、
って事で良いのだな?
>>344 失礼。
質問の意味は「国務大臣の任免権について条項」が手本としたプロイセン憲法にもあったのかどうかだね。
それに関してはプロイセン憲法第四十五条「国王は大臣を任免す」と定められていた。
明治憲法の場合は、第十条に文官・武官の任免についての条項はあるが、国務大臣について記した
第五十五条と第五十六条には天皇の任免権についての条項はない。しかし、第十条については
行政権は天皇大権の専権事項であるとして運用されていたため(憲法義解にもそう記されている)、
国務大臣も天皇大権の下にあると解されていた。
>>346 いや、そういう意味ではない。
>>328 でも述べたとおり、天皇は立憲君主的に振る舞うことも可能だったし、
事実その様に振る舞った事の方が多い。しかし、それは天皇個人の自制的行為に過ぎず、田中首相に退陣を
求めたり、直接兵の派遣を命令するなど天皇の意志によっては度々立憲君主的な振る舞いを逸脱している。
>>348 立憲君主的な振る舞いを逸脱したのは2・26と聖断だけだと自己申告してますが、
やっぱり奴は嘘吐きだったんですね。
日本政治外交史が専門の伊藤之雄京大教授が、昭和天皇に戦争責任について講演でこういうことを言っている。 「話の結論としては、昭和天皇は、後から見れば、特に明治天皇と比べると、多くのミスを犯した。 行動に流行って失敗し、威信をなくしコントロールを不能にしてきた。(中略)知的できまじめな人柄 だが、大日本帝国の、しかも昭和恐慌以降の難しい時代の君主になる資質としては十分ではなく、 いろいろなミスをした。 しかし、それが戦争責任と言えるだろうか、A級戦犯の基準でいえば、例えば広田弘毅はA級戦犯になっているから、 その基準を機械的に当てはめると昭和天皇にも戦争責任があるということになる。 しかし、戦争責任とはほんとうは何だろうか。やはり意図的に戦争に向けて引っ張っていく、あるいは、戦争責任 そのものではないが、講和時期を意図的に引き延ばし、多くの犠牲をお互いの国に与えたということだろう。 そう考えていくと、昭和天皇は、常に戦争にも、戦争の拡大にも否定的だった。君主として立派な行動をとったわけでは ないが、戦争責任があるのかないのかという意味では、ない。やむを得なかった、という結論だ。」 (「講演要旨 昭和天皇と戦争責任--明治天皇の受けた教育・リーダーシップ・資質との比較の観点から」『調研クオータリー』22号、2006年)
>>349 昭和天皇の「独白録」は近代史学者の豊下楢彦も書いているとおり、
戦中・戦前の天皇の戦争責任がなかったとする所謂自己宣伝本だから。
>>338 「かも」に過剰反応し過ぎ。
もともと
>>325 の彼が「ご聖断は文書か意見か?」と聞くから「意見」と答えたわけ。
「政治判断」だと言うなら「それでもいいよ」という意味の「そうかもしれんな」
それと俺は最初から強い、弱い、命令口調、懇願口調を問題にしてない人。
>史実としてそれが国家の最終判断とされたから「御聖断」と呼ばれている。
俺は国家として必要な「手続」を言ってるの。
阿南に辞職されたらアウトじゃん。
「証書」が仕上がらなければ「ご聖断」だけではどうにもならないのが事実だろ。
>阿南は天皇の聖断で籠絡された。
阿南の真意は謎。
ソースを重視するわりに、ここはルーズなんすね。
実際、ヒヤヒヤしない?
>本末転倒とはこのことだ。
目立つように「体裁としては」と書いたのに。
>現実に国体明徴宣言によって機関説が排斥され、親政こそ正しいと判断された
国体明徴声明を出されちゃ、もう何も言えんわw
だから俺は最初から親政とか立憲君主制とかいう話はしたくない。
実際、天皇機関説論争なんて学術じゃなくてアジテーションだと思わないか?
>>340 >学説すら示せず「大げさ」と感じる君は何を根拠に語ってる?
公式令の第一条を根拠に語っている
>>353 は途中で投稿してしまったorz
「耐え難きを耐え」の詔書の話をしているのだから
>>340 みたいに話を広げられても困る。
確かに「無視」については思うところがあるが、今は関係ない。
詔書という重要な「手続」の根拠が公式令の第一条だと言っている。
もちろん、それ以前に憲法があるが、今更、憲法はどうでもいいだろ。
それとlz1hNyIi0氏は独白録マニアの彼とは別人みたいね。 同一人物だという前提で書いてる部分があったわ。 書き直せるものなら書き直したい箇所もある。
>>350 つまり、昭和天皇個人の責任ではなく、
能力とか性格とかに一切なんの試験も篩いも無く勝手に高い地位に付く君主制そのものの問題、
ってことですね。
ID:c785dj2j0 ↑ どうでも良いチマチマした言い訳は、もういいよ。ひっこんでろ。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/25(金) 07:42:38.66 ID:FTUUHbZ+O
マスコミと国民と軍部があまりに乗り気だったからな! ( ̄∀ ̄)
まあ、昭和天皇が対米戦回避したかったのは確かだと思うよ。 だって勝てるわけないし、天皇からしたらリスクはあってもメリットがない。 昭和天皇は伝統の中で生きてたんだから、思考そのものは保守的だっただろう。 もちろん法制度的には拒否権を発動できたが、政治状況的にできなかった。 したら内乱起こってただろうし。 「非常に難しい時期だった」と言うのは天皇の本音だろう。
>>352 >「かも」に過剰反応し過ぎ。
過剰反応ではなく間違いをしてきた。史実について語るのに、個人の感想や印象に置き換えることは出来ない。
君が間違えている国務大臣による副署についての関係は
>>343 で説明しているのでそちらを読む様に。
>「政治判断」だと言うなら「それでもいいよ」という意味の「そうかもしれんな」
それでもいいのではなく事実としてそうだったのだと言っている。君の印象や感想を求めているわけではない。
>それと俺は最初から強い、弱い、命令口調、懇願口調を問題にしてない人。
君は「天皇がいかに強い命令口調で「降伏」と発言したところで、それがそのまま国家の意思決定にならない」と
言っているから、天皇の聖断という意志決定が国家の意思決定に結びつかないかの様な発言をしている。
私が問題視しているのはそのことだ。要するに君は、天皇の聖断は国家の意思決定として機能していない、或いは
機能性として非常に弱いという印象操作を行っている。それが間違いだし問題だと言っている。
>俺は国家として必要な「手続」を言ってるの。
>阿南に辞職されたらアウトじゃん。
そうならないために木戸と鈴木が聖断を仰いだということは説明した。
>「証書」が仕上がらなければ「ご聖断」だけではどうにもならないのが事実だろ。
聖断があったから阿南はポツダム宣言受諾を受け容れた。
>ソースを重視するわりに、ここはルーズなんすね。
ソースは「木戸幸一日記」。御前会議のやり取りやそこに至る経緯が記されている。
>>352 >目立つように「体裁としては」と書いたのに。
真意を伝えたければレトリックではなくロジックを組み立てるべきだったな。
君の真意が必ず相手に伝わるという保障はない。
>国体明徴声明を出されちゃ、もう何も言えんわw
ならば言わなければいい。憲法や法学の学説というのは現実に運用されてこそ意味を持つ。
学問上正しいとしても現実がそれを押しつぶす事例はこれまでの歴史上幾らでもあった。
国体明徴宣言というのはそうした実例として記憶されている。
>だから俺は最初から親政とか立憲君主制とかいう話はしたくない。
立憲君主制について誤った認識を語り出したのは君の方だよ。私はその間違いを指摘した。
明治憲法が立憲君主制の要件を満たしてない理由は既に説明した。
>>340 >>341 >実際、天皇機関説論争なんて学術じゃなくてアジテーションだと思わないか?
上述したとおり、憲法や法学の学説というのは現実に運用されてこそ意味を持つ。
機関説排斥運動を経て政府が公式に天皇の親政を表明した以上、機関説は通説の座を追われ
以降の日本は終戦まで国家のあらゆる機関で天皇の親政を基礎付ける動きを見せた。
その理論武装として当時の文部省は「皇国史観」という呼称を生み出し、「国体の本義」という
ガイドを発表して臣民(国民)に対して徹底した皇民化政策を行った。これはアジテーションではなく
国家としての政策であり意思として機能した。
>>353 >公式令の第一条を根拠に語っている
その構造は
>>343 で説明している。問題は公式令による様式ではなく天皇大権の意味と構造にある。
公式令それ自体は、天皇の行為や意志決定をどの様な様式に基づいて行うかという形式に過ぎない。
>>361 はて?天皇親政なんて政策として存在してないでしょ
してたら内閣制度がまず手をつけられなければならない。
内閣がある限り「親政」なんてあり得ないのだから。
皇国史観や国体と天皇「親政」を結びつけるのは非常に無理があるな
何より政治という物が、様々な勢力の綱引きの結果であると言うことを無視して
なにもかも天皇親政の下地だったというのは陰謀論にしか見えない。
>>350 伊藤はかなり不正確なことを言ってるな。
>昭和天皇は、常に戦争にも、戦争の拡大にも否定的だった
まずこの部分が疑義があるね
>>363 内閣制度が存在しないんだよ。帝国憲法上は。
内閣制度はあったけれども、総理大臣に任免権はなかった。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/25(金) 20:30:27.08 ID:uDnHlQK40
>>365 >第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
>2 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
これを読めば親政がありえないのが一目瞭然なわけだが
ただ、内閣総理大臣に閣僚の任免権がなく、だから国務各大臣が輔弼の主体になってるでしょ?
内閣と言う行政体が憲法上は存在せず、天皇を介してしか結びつかないシステムになっている。
輔弼と副署の意義の関係は
>>343 がほぼ正確に記述しているからそちらを見るといい。
また、輔弼の拘束力の有無についても争いがある。
親政をどう定義するかにもよるが、国体明徴声明を出してしまった以上はそういわれても仕方ないでしょ。
現実の運用では少なくとも立憲君主制ではないのは明らか。
なるほど。自分的イメーシで語ると、君主と国民、内閣、議会なんぞの関係っていうと イギリスのそれと帝国憲法時代の日本とを比較したくなり、またそういう引き合いの 出し方をみかけるけど、これは根本的に間違いって感じですね。
ここ極左多すぎだろ 昭和天皇に責任?何言ってんのお前は、昭和天皇に失礼だよ 工作活動お疲れ様だな
>>368 うん、間違ってるね。英国では議会制民主主義を採っており、内閣は国王ではなく議会に責任を負う
議院内閣制だが、明治憲法の場合は内閣が責任を負うのは天皇に対して。この違いは日本がプロイセン憲法を
下敷きにしたからに他ならない。明治憲法が制定されるまで、英国やベルギーの憲法体系を研究した結果、
君主の権限が強いプロイセン憲法を真似たというのは中学の歴史で学ぶレベルだと思うが。
>>363 既に
>>367 がフォローしてくれているので余り付け加えることもないんだが、
君はこちらのレスをきちんと読んだ上でレスを返してないのではないか?
現実に行われた「国体明徴に関する政府声明」によって、「天皇は統治権の主体」であり、
それを受けて編纂された「国体の本義」によっても天皇の親政こそ本義なのだとされた。
こうした動向は天皇の名によって行われる行為にある種のフリーハンドを与え、
軍部の行為は統帥権独立を根拠として政治統制の前提を失った。こうした結果を招いた原因として
明治憲法が立憲君主制の要件を満たしてない理由があることは既に説明した。
>>340 >>341
>>369 学問的な議論が出来ないのなら、ここは君が来るべき場所ではない。
君にお似合いの板に行ってウヨ・サヨを喚いてくればいい。
学問的?学問的とは恐れ入るな 日本にとってマイナスにしかならないことを学問的で済ませるの? ハッキリ言ってもいい。昭和天皇に対する責任論は日本にとって何の利益があるの?って話。 どんな利潤を生むの?国民国家統合の象徴を晒すことに何のプラスがあるわけ? 本当に知りたいわその辺
>>373 はいはい 釣り乙
>中学の歴史で学ぶレベルだと思うが。
ああ おれ歴史嫌いだったから
>君主の権限が強い
これは早くに、また強力に国力強化を推進するため?
>>374 >これは早くに、また強力に国力強化を推進するため?
当時の元勲らの意図としてはそういう理由だったんだろうと思う。
一度ベルギーの憲法を下敷きにした立憲君主制の草案を没にしてから
プロイセン憲法を下敷きにする草案を採用しているから。
>>371 俗説として、明治時代にシステムがうまいこと動いていた?のは、天皇を取り巻く
元勲の人たちが優秀でバランス感覚にも優れ、天皇との関係でも、しゃっちょこばった
ものではなかったから。そして、時が経ち元勲たちが引退するころになると、
周辺の人たちの資質、天皇との関係がそれ以前と変わってしまったから。という見方が
あるようですが、この点については、どのように考えていらっしゃいますか?
>>376 それは所謂「司馬史観」のこと?
申し訳ないけど私は史観というものには興味がない。確かに小説を書くためには伊藤をリベラルな人物に
描いたり、乃木をアナクロなタイプに見立てたりする方が、物語として面白いのかも知れないが、
例えば統帥権干犯問題というのは、伊藤と山縣の対立から連なる根の深い問題が昭和に入ってから
溢れ出るようにして起きたことであるし(軍人勅諭と明治憲法の関係から読み解くと面白い)、
武官と文官との根強い対立構造や陸海軍の対立構造なども明治から続いた一種の伝統とすら言える。
史観というのはそういった構造的なシステム上の問題を削ぎ落として、ある特定の方向から光を当てる
という方法論であるため、どうしても史学として必要な多角的検証をしなくなる。
より分かりやすい事例が「つくる会」あたりが推進している史観(私は自慰史観と呼んでいる)だろう。
彼らは終戦までの日本の行為を全て「正しい」という立脚点にたち、史実を都合の良い部分のみで
構成しようとする。その為には都合が悪い史実は、削ぎ落とすか特定の解釈を加えて事実とは違ったものとして
ねじ曲げる。例えば米艦隊の世界周航を「白船事件」として日本に対する示威行為としているが、
実際には米艦隊にはその様な意図はなく単なる国際的なデモンストレーションだった。
と言うようなケースなどは顕著なものと言えよう。史観はこの様に史実に特定の考えを盛り込んで、
実際に起きた事実の印象操作をする。
>>377 司馬史観というのは、名称としては聞いたことはあるけど、その内容は全く知らないので
逆に、
>>376 みたいなのが司馬史観だと教えてもらいました。ありがとう。
>>371 明治憲法上の「空白」を考える上で、元老という機構は外して考えられない。
それこそ
>>340 であなたがいってるように実質的な首相指名機関でありながら
憲法上の規定や掣肘があるわけではない。
天皇と元老どちらが実質的な統治の主体だったかといえば元老こそが主体で
あったわけで、明治憲法上の「空白」とは、国家運営に置いて法的根拠の
ない元老が天皇を通じて権力を行使するために作られたものと考えるべきなんじゃないかな?
それが大正になって元老(≒藩閥)は内閣に対する力を一部手放して政党内閣が一般的になり、
昭和になって軍に対する影響力も失った(昭和陸軍の派閥抗争は、当初打倒藩閥を旗印にしていた)
むしろ昭和の混乱は、かつて明治憲法上の「空白」を利用して政府・軍を統制していた元老・藩閥の
消滅し、「空白」の主が不在となって暴走をはじめたのが原因だろう
すげぇハイレベルのやりとり。勉強になるわ。
>>379 >元老という機構は外して考えられない。
その問題点については
>>340 で既に私が指摘している。
>行政権は天皇の専権とされ、憲法にも規定が無く元老、内大臣・重臣会議などの
>憲法外制度と慣行によって国務大臣の任免が行われていた。
元老や重臣会議は国務大臣の任免だけでなく、重要な国家方針の決定に深く関与しており、
元勲らが中心となっていた明治の時期には元老として天皇を補佐し、元老の多くが逝去した後は
西園寺ら一部の元老だけでは心許ないという理由もあり、重臣会議にシフトする様になった。
いずれの場合も憲法によって統制する立憲主義の条件は不充分であり、到底立憲君主制とは言えず、
憲法外の制度や慣行が国家統治の意志決定を行ってきたことに変わりはない。司馬史観では
君の言うように元勲らによって統制されていたという立脚点から、昭和の暴走があたかも彼らの不在によって
引き起こされていたかの様な印象を与えているが(司馬のエッセイ「この国のかたち」に詳しい)、
国体という抽象概念を最高規範として掲げ、憲法を法規範のひとつとして扱っていたことに起因する
問題として捉えた場合、既に元勲らによって恣意的に運用された経緯からして、昭和に起きた分裂は
ある意味で予定されていた破綻でもあったと言える。
>>381 むしろ西園寺自身が元老という制度を静かな死へもっていこうとしていたのだろう
西園寺は政党政治(これも憲法外の「慣行」にすぎない)によって首相指名機関
としての元老の役割を移行するのが望ましいと考えていたように見える。
ところが、昭和になって政党政治が崩壊し、再び政軍両面に影響力をもつ総理
が必要となった。だからこそ元老に代わる重臣会議が作られなければならなくなった。
不幸だったのは、かつてのような政軍両面に影響力をもつ政治家というのが、もはや
存在しなかった事。「伝統的」な軍人→政治家のルートを進んでいたのは宇垣一成
だっただろうが、陸軍中堅若手層にとっては宇垣こそが藩閥的支配の象徴であり、
彼らにしてみればこれを打倒することが、「軍の民主化」だったのだろう。
帝国憲法制定の段階では議会制自体が懐疑の対象であり、いつでも元老が
天皇をつかってオーバーライドできるようにつくっており、それは政府・軍どちらも
同様の機構となっていた。
本来であれば、それは議会制の成熟と共に改変していくべきものであったし、
実際そうなりつつあったが、藩閥が権力の源泉としてきた軍の後始末に失敗
したことがすべての崩壊に繋がった。
その意味では、大正時代の政治の民主化が早すぎであり、軍の民主化が
済んでからやるべきだったのかもしれない。
いやぁ 現実の力学は、ずいぶんと複雑だったんですね。歴史は因果の連鎖であり 特定個所だけとりあげて、あれこれ評価するのは誤りとされるようだけど。 昭和の前、大正、明治時代の勉強が先のよう。 このあたり、zBAg3dLa0さん、eKdbSQmG0さん、お薦めの図書はありますか? 学術的な態度で記述されていて、かつ、当時の首脳部にあたる人たちに光を あてた内容の一般向け解説本がいいな。そんなの、ないかな?
天皇は宇垣を露骨に嫌ってるからね… 昭和天皇は基本的に自分を飛び越えて行動する軍人が嫌いなんだよ 宇垣みたいに政治的野心を持ってると判断されてもアウト、皇道派もアウト 親独派は自らチェックし最後は総理の候補も自分で決めるようになってしまった 東条みたいに欠かさず報告に来るのがお気に入りじゃどうしようもない 政党政治の進展と前後して軍の民主化の必要性も一応指摘されるようになってはいる。 海軍よりは陸軍のほうが民主化を意識したんじゃないだろうか
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/30(水) 03:56:51.48 ID:zFIyAnLR0
>>384 結局昭和天皇って、自分が差配するから、その指示に忠実に従うイエスマン大好き神様ってことじゃん
よく、こんなのを名君とか持ち上げるよなw
いや名君でしょ。歴代天皇の中ではトップクラスじゃないか? 戦時中に後醍醐天皇や大正天皇だったら終わってたな
>>382 私は
>>381 で「元老の多くが逝去した後」と書いたとおり、西園寺は数少ない元勲の生き残りであり、
早晩元勲によって統制できる時代ではなくなってきていることを彼は知っていたということ。
彼が政党政治を推進したかった理由としては充分すぎると言える。また元勲らの減少に伴って
代替制度として昭和初期段階から重臣会議が「国務大臣の任免だけでなく、重要な国家方針の決定」した
事実も指摘した。
まあ、それはともかく私は君のレスに対して違和感を感じているのだが、それは君がこちらのレスと
ずれた反応を示しているからだ。元老と重臣会議の関係は既に私が述べているが、君はことさら元老の話題を
持ち出してくる。私のレスは明治〜昭和の制度を概観して発言しているが、君はその部分だけを取り上げて
全体像を俯瞰せず、概観しないでレスを返してくる。また、こちらはシステム論として語っているのに、
君は人為的問題にすり替えてくる。そもそもシステム構築が人為の恣意性をを抑止するのであり、
君が言うような人材に依存しなければ国家運営に支障をきたすのであれば、その根底的問題はやはり
システムに起因する問題であるということだ。私が違和感がありずれていると感じているのはその為だ。
>かつてのような政軍両面に影響力をもつ政治家
かつてもその様な政治家は存在しなかった。伊藤が文官を代表し山縣が武官を代表していたことは、
既に私の方で指摘している。君はそのことを完全にスルーしてこの様な発言をしているわけだ。
明治憲法が軍の独立性を規定したのは、こうした明治の体制に起因しいている。天皇を頂点として
政治と軍事を明瞭に分けたため、政治が軍を統制するシビリアン・コントロールが機能せず、
軍も天皇に責任を負う仕組みとなっていたから政治と対立し始めると歯止めが効かなくなってくる。
この仕組みで歯止めをする役割を果たせるのは天皇以外にない。
>>382 >帝国憲法制定の段階では議会制自体が懐疑の対象であり、いつでも元老が天皇をつかって
>オーバーライドできるようにつくっており、それは政府・軍どちらも同様の機構となっていた。
伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた。天皇があやまった決定を下さぬよう
元老の補弼は間違いの無いよう慎重を期するという意味だ。使うのは元老ではなく天皇の方。
>本来であれば、それは議会制の成熟と共に改変していくべきものであったし、
>実際そうなりつつあったが、藩閥が権力の源泉としてきた軍の後始末に失敗
>したことがすべての崩壊に繋がった。
元々、軍組織は設立当初から独立した組織として運営されていたため、天皇直属の皇軍であった。
軍の指導的立場の者が藩閥の中心として一定以上の発言権を持つ元勲であったため、山縣は天皇による
統制を考えて「軍人勅諭」を想起した。こうした経緯からいっても軍閥に手を出すのはおおよそ不可能。
>その意味では、大正時代の政治の民主化が早すぎであり、軍の民主化が
>済んでからやるべきだったのかもしれない。
大正時代に行われたのは(大正デモクラシーと呼ばれてはいるが)吉野作造がいうところの「民本主義」であり、
民主化とはいっても限界があった。また、大正期の民主化運動の隆盛は、その反面で既得権を持つ元勲や
保守傾向の強い勢力からは危険思想とみなされ、様々な駆け引きが行われていた。その理論的中心となったのが
東大の憲法学者であった上杉慎吉が主張した天皇主権説である。この主張は上杉・美濃部論争によって
学問的には葬り去られたが、民主化を敵視する勢力にとっては力強い論客となった。
また、明治憲法制定には大正デモクラシーに連なる在野の民主化運動が大きく影響しており、
民主化による人権に一定の理解を示しながら、それを天皇の恩寵であると規定することでガス抜きを図り
天皇の臣民として労働者運動や民主化運動を牽制する理由も見過ごせないことは付け加えておこう。
>>383 私はzBAg3dLa0だが、ここでの発言の裏付けとして用いている主な近代・現代史の文献は
歴史分野では
「概説日本史」吉川弘文館編
「国民の天皇−戦後日本の民主主義と天皇制」ケネス・ルオフ著
「シリーズ日本近現代史」加藤陽子・吉田裕・雨宮昭一他著
「占領秘録」住本利男著
「東京裁判」戸谷由麻著
「昭和天皇・マッカーサー会見」豊下楢彦著
「昭和史」半藤一利
「日本国憲法を生んだ密室の九日間」鈴木昭典著
「失敗の本質」戸部良一他著
政治・法学分野では
「明治国家の基本構造」大塚桂著
「憲法」芦部信喜著
「憲法概説」佐藤功
「憲法論」カール・シュミット著
「法哲学入門」長尾龍一著
「岩波講座憲法シリーズ」長谷部恭男・土井真一・井上達夫他著
この他に
「菊と刀」ルース・ベネティクト著
「天皇制の文化人類学」山口昌男著
「天皇と東大」立花隆著
他にも幾つかあるが主だった文献としてはこんなもの。
>>383 は「学術的な態度で記述されていて、かつ、当時の首脳部にあたる人たちに光をあてた内容の一般向け」を
望んでいるということだから、概観的な観点で選ぶなら「シリーズ日本近現代史」は良いかも知れない。
私はこのシリーズで、黒船来襲にまつわる通説的な概念「幕府が弱腰で対応したため、日米通商条約は不平等な
片務的な条約となった」というのは史実としては正しくなく、実は様々な駆け引きを用いて幕閣が粘り強く交渉し、
一定の合意形成までこぎ着けた事実に光を当てているし、GHQによる占領期以降戦後体制が始まったというのは
実は間違いで、岸信介らとは一線を画する官僚や議員、在野の知識人らが終戦前から戦後の日本をどうするかを考え、
具体的な方針を取りまとめたり、憲法や政治を考えていたことを教えてくれた。
>>ID:Awse90yC0さん タイトルを見ただけで背筋がピン伸びるような本達のようですが、チャレンジしてみようと思います。 ありがとう。 m(_ _)m
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/30(水) 17:23:44.75 ID:LBlYfnpM0
米国や中共軍&国民党軍&ソ連軍事顧問団のやった戦争犯罪を日本にかぶせ、 捏造された歴史にて、日本への経済封鎖をやれば。 戦争となるよ。
>>387 >こちらはシステム論として語っているのに、
>君は人為的問題にすり替えてくる。そもそもシステム構築が人為の恣意性をを抑止するのであり、
>君が言うような人材に依存しなければ国家運営に支障をきたすのであれば、その根底的問題はやはり
>システムに起因する問題であるということだ。
これは簡単な話で、システムは人為によってつくられる。あなたの言う人為の恣意性とはシステム制作者
の意図に反するが故に恣意なのだと言うこと。
そして、システムの完全性は現実の政治力学によって製作段階、そして制定後にも絶えず揺さぶられ続ける。
こうした政治力学を無視してシステム自体の完全性を論じたところで、システム上可能だったかどうかは言えても
現実に実現可能だったかどうかを判定することはできない。
昭和の例で言うなら、システム上は天皇が強力なリーダーシップを持って親政し、政軍の分裂を修復することが
可能だったとしても、現実にはその役割は首相に求められ、そして失敗し続け破局を迎えた。
>天皇を頂点として政治と軍事を明瞭に分けたため、政治が軍を統制するシビリアン・コントロールが機能せず
軍の独立性は元々民権派の議会に対して設定された面も大きい。そして「軍人勅諭」は竹橋事件の発生
によって、軍を天皇(≒国家)の軍としてきちんと定義する必要が生じたから産まれた物だ。
そして、実は元々首相は軍に関与する職権を持っている。
内閣職権6条 各省大臣ハ其主任ノ事務ニ付時?状況ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ
但事ノ軍機ニ係リ參謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ
其事件ヲ内閣總理大臣ニ報告スヘシ
軍が政治勢力化したのは大正時代に政党内閣となって、陸海軍大臣が入閣の際、
軍事力整備の交渉を、あたかも連立政権に参加するが如くやりはじめてからではないかと
個人的には思う。そしてこの問題は、八八艦隊計画・ワシントン条約・宇垣軍縮とその後
の軍の内部抗争に大きな影響を与えてる。
>>388 >伊藤がまとめた「憲法義解」では帝政上の前提は元老が天皇を使うのではなく、天皇の決定の
>重要な面を元老が「言挙げ」するという仕組みとなっていた
「憲法義解」に直接の該当箇所が見つけられなかったので、「言挙げ」という言葉がどのような
文脈で使用されたかは不明だが、「言挙げ」とは本来、言葉で表現されない神意を言葉で定義し
表現する事を言う。つまり、天皇は語らず、元老が心意を慮り代わって発言すると言うことにな
ると考えれば、これは結局の所、天皇の権威を借りて元老が権限を行使すると言っているに等しい。
藩閥が、自身の権力を憲法上で正当に定義することができず、天皇という権威に伺候するという
形でしか存続できなかった(これが憲法制定時における”政治力学”)が故に、後の民権派との
党争には軍の勢力と天皇の権威を高めるという手段でしか対抗できなくなったということ。
政治の世界においては学説の争いは自己を正当化するための道具の一つでしかない。上杉・美濃部論争
もその一つでしょ。
明治憲法の最大のセキュリティホールは天皇・軍と言うよりも元老・藩閥であったのではないかな?
>>398 >これは簡単な話で、システムは人為によってつくられる。
そういうことではなく、人為的な恣意性による運用の余地が多かったシステムであったことが問題だと言っている。
作られた制度がどう運用されるかであって、制度の策定が人為的行為であるのは当たり前のこと。
前レスで説明したとおり、明治憲法体制は行政府と軍を天皇直属の組織として規定し、立憲主義による
法の支配の外側に置いたため、君の言い方を借りるならば「政治力学」によって「揺さぶられ続け」た
脆弱なシステム設計であったということ。
>現実にはその役割は首相に求められ
当時の首相は現在の内閣のような組織ではないから、天皇の役割を首相が担うなどということは不可能。
君が言う「政治力学」によって「揺さぶられ続け」たのは、首相の権限に限界があったから。
それは取りも直さずシステム上の問題に他ならない。当時の首相は組閣するにも天皇、重臣会議、
陸海軍を説得しなければならず、リーダーシップなど持ちようがなかった。
>軍の独立性は
君は契機となった現象面にばかり囚われていて、どうしてそういった事象がトリガーとなったのかを
考えていない。また、その契機を経てどの様に用いられていたかの視点も不在となっている。
私が君に対して「歴史を概観し、俯瞰で現象を見ることが出来ない」と言っているのは、君が
狭いレンジでしか理解しようとしかしないからだ。「軍人勅諭」は軍組織の不安定な状況を打開するため
(その契機が「竹橋事件」や「四将上奏事件」など)、天皇が発する直喩という形式に仮託して
組織の安定化を図ったもの。このことによって軍は政治との関係から遮断され、後の明治憲法でも
統帥権の独立(天皇統帥大権)に大きく影響を与えた。
マハンやクラウゼヴィッツらの言説を見るまでもなく、戦争(軍事行為)は政治の延長であるから
両者の関係の遮断は決して好ましいとは言い難い。敢えてそれをしたということは、天皇を扇の要の様に考え、
天皇に一元する仕組みを想定していたからだ。当然の如く天皇にその役割が収斂される。
>>393 >軍が政治勢力化したのは
元々、明治の軍は政治の役割と同等であることを志向してたため、政治的発言力を常に有していた。
軍人勅諭と明治憲法制定以降は政治の中心となっていた文官と対抗・対立するという形で
一定の政治勢力であり続けた。だから政治の場で軍組織が不利になる様な事態になると、
退役軍人組織(例えば菊池武夫など)在野の圧力団体組織を動員して世論形成を図るなど、
政治に対して主張をし続けていたし、軍の首領として山縣が君臨し続けた。
>>394 >「憲法義解」に直接の該当箇所が見つけられなかった
私が書いたのは概念的なものだから、「憲法義解」だけから探しても見つからないよ。
それは君が言う「元老が天皇をつかって」という間違いを指摘することが目的で、
神権天皇制であった明治憲法の構造を理解していないと意味を掴むのは難しいかも知れない。
>>386 名君と言うのが、国家の利益を最大化する政治家を指すのなら、
昭和天皇はその範疇に当てはまらない。
ただし国益を犠牲にしても自己利益を最大化する政治家を指すのなら、
昭和天皇は稀有な名君と言える。保阪正康は天皇を「マキャベリスト」と呼んでいる
>>395 より硬直的なシステムならば、それに外れた運用は起きないとあなたが言うなら、一つ例を挙げてみようか?
日本国憲法は明治憲法より遙かに硬直的な憲法だ。9条を読めば明確に軍隊の保持を禁じており、
憲法は自衛権を放棄していないという法理論も、前文に「諸国民の公正と信義に信頼して、われら
の安全と生存を保持」とあるように、日本国の自衛は「諸国民の公正と信義」によって守られるのであり
9条の「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
と併せて、自己で軍事力を保持して守るとしていないのは明白だ。
しかし、現実には自衛隊という「戦力」を保持しこれを敵国の侵略という「国際紛争を解決する手段」として
いる「憲法に反する」運用を60年近く行っているわけだ。
こうした行政府・立法府の「恣意的」運用を掣肘すべき権限を、憲法により与えられた裁判所は多くの場合
憲法判断を避け、甚だしい場合は高度な政治性を有する場合は司法判断を行うべきではないという統治
行為論(当然憲法にはそんなシステムは規定されていない)によってその権限を放棄している。
つまり、裁判所自身が高度な政治判断は法システムによる判断より上位に属することがあり得るとしている
ことになる。
つまり、いかにより硬直し、堅牢なシステムを作ろうと、政治によって恣意的な運用は起こりうる。
戦前という世界を理解するのに、憲法というシステムを論議するのは方法の一つではあっても、その背後に存在
する政治という現実を常に意識していないと、頓珍漢な解釈にたどりつくことになるだろう。
>時の首相は組閣するにも天皇、重臣会議、
>陸海軍を説得しなければならず、リーダーシップなど持ちようがなかった。
当の重臣会議が、総理大臣選定に当たって「〜なら軍を押さえられる」などといった事を重要な要件にしていた
のを忘れて貰っては困る。即ち重臣会議自体が、総理大臣は軍を制御し、国家運営を行うべき存在と認識していた
事に他ならない。
>>395 >君は契機となった現象面にばかり囚われていて、どうしてそういった事象がトリガーとなったのかを
>考えていない。また、その契機を経てどの様に用いられていたかの視点も不在となっている。
こちらにしてみれば当時の事情と背景を無視して、後世起こった事象を、あたかも当初からそれが意図されて
いたとして、無理矢理陰謀論に落とし込んでいるように見える訳だが。
「軍人勅諭」が後世恣意的な活用をされたからといって、当初からそれが意図されていたとするのは戦後だいぶ
使い古された見方であるが、それを再考されるべきではないかとして出てきたのが「竹橋事件」に代表される
「軍人勅諭」成立に関する研究成果なのではないかな?
あなたの視点で欠けているのは、明治憲法が、藩閥勢力と民権派との闘争の中で産まれた物だと言うこと。
そして、憲法における天皇という存在が、実は藩閥の隠れ蓑なのだという視点に立てば、対立していたのは
武官文官なのではなく、天皇という権威に依って立つ内閣・軍と、民権という権威に依って立つ議会の対立
が想定して作られていることがわかる。
だからこそ憲法においては議会についての権限は細かく規定されており、軍と内閣についての記述はほとんど
ないのだ。
内閣については憲法に記述がないから脆弱なのだと言い、軍については憲法に記述がないからやりたい放題な
のだと言う。実はこれは全く同質の存在であり、憲法に「無い」ということは権限が無いあるいは無限にある
のどちらにもなり得る。そして、どちらになるかはその時の政治力学に依る。
私が言う元老のオーバーライド可能な構造とは、議会に対してもし必要な場合には内閣・最悪の場合は軍による
「白紙」を元老が使えることを指して言っている。
そして、議会に対してもそれに対抗する予算承認権という権力をちゃんと規定していることを付記しておく。
最後に「言挙げ」についてだが、元の言葉に対する理解が足りず、自分の思い込みで把握しようとするから
そういう頓珍漢な比喩表現に使う。神道的オカルティズムの雰囲気が欲しくて使用したのかもしれないが
是非引用元で使われた文脈を再度確認することをお奨めする。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/01(金) 08:18:35.44 ID:vGMJd6ea0
このスレ観てると、昭和は遠くになりにけりというのが痛いほど分かるなぁ
>>399 憲法成立までの明治政府の状況も考えると国内外での軍事行動に柔軟性を持たせたかったのと、政府中枢にいたのが薩長出身者でその半数近くが政治家であり軍人だったのが大きいよな。
国家の意思決定をする人々は20、30年来の同志でそこでできた強固な繋がりがなければ西南戦争までの内乱やこれから起こるだろう大国清との戦争を乗りきれない。
憲法では天皇によってこの同志達の立場を守りつつ議会との対決に対応できる何かを持たせる必要があった。
それが元老というシステムだったろうと思う。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/02(土) 19:28:34.79 ID:ijZkuXzL0
>>401 結局の所、自分たちが苦労して作り上げた維新政府が、議会政治という
まだ海の物とも山の物ともしれない物に、台無しにされるのを恐れたんじゃないかなって気がします。
苦労の末に議会政治は政党政治という形に結実したのですが、このシステムは確固たる信頼を
得られないまま簡単に崩壊してしまったのを見ると、こういう危惧は的外れでもなかったかなと。
大正の政党政治は、ある意味元老という名の保護者付きでようやく成り立っていたのではないかと
感じる次第です。
戦争したかったから、
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/14(木) 07:18:15.04 ID:jc6VDAjo0
A級戦犯=昭和天皇
>>399 軍人勅諭が発せられた直接的契機は四将軍上奏事件だったはずですが?
勿論、竹橋事件とは無関係ではありませんが。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/19(火) 19:30:55.15 ID:GEWojEc50
A級戦犯=ルーズベルト
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/22(金) 21:55:50.08 ID:8QSS2A3z0
東条英機じゃないと陸軍が押さえられないので、仕方なく首相にしたが、なし崩しに戦況は悪化していく でも、温室育ちの昭和天皇では止めることもできず、ズルズルと行っただけ。
俺達みたいに意志が弱いから始めたんだよ。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/23(土) 12:55:58.50 ID:ywERajW00
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/23(土) 23:47:23.84 ID:ly9ejiIg0
外交交渉といっても、支那からの撤兵は絶対受け入れない という前提つきだから、行き詰まるのは誰にもわかる。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/24(日) 07:37:45.16 ID:4EaZdVnQO
今から思うと、アメリカ相手に戦争するて、日本て根性あったんやな。 凄い国だったんだ!感心します。
根性で勝てるほど戦争は生易しいものじゃないよ。日本軍の兵士は数多くが餓死や風土病で死に、 飢餓から死んだ同僚の兵士の屍肉を喰らうという悲惨な状況にあった。凄い国というよりアホな国。 悲しいくらいに。
秦郁彦が言うように ハルノートの中国撤兵に満州を含むか含まないかを問い合わせてるうちに米国が対独戦突入 →禁輸を解かないと蘭領カリマンタンに侵攻するとちらつかせる これで引き延ばしてるうちにフリーハンドなんて握れたんだろうか?
>>414 無理だろうな。
ハルノートそのものが交渉のためのものじゃなかったからな。
日本にアメリカはまだ交渉するつもりがあるという体裁を示して開戦時期をアメリカに有利になるように引き延ばすためのものだから。
満州に関する交渉でアメリカと上手くやれるとするとやはりハリマン協定でアメリカ資本を受け入れてないと。
アメリカが日本との戦争を決意したのは中国市場を日本が独占しようとしたからだもの。
妄想スレになったのかw
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/25(月) 21:52:30.94 ID:jjuvDbAg0
9/11事件を起こした奴をも感心したれよ。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/25(月) 21:56:41.81 ID:jjuvDbAg0
朝鮮も満州も手出しして失敗、とんでもない出超。 台湾に集中投資すべきだった。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/25(月) 22:26:39.38 ID:nf/hXjMd0
ハルノートは交渉を引き伸ばす為のものではありません。 引き伸ばす為ならもっと譲歩を匂わす案にしていたでしょう。
満洲国なんてやらずに国民党を支援して市場開拓すればよかったのに 赤字の朝鮮も売却してさ
>>413 今でも変わらんな。
原発作業員は政府から兵糧攻めに遭っている。
カラフトとカムチャッカ取ってしまうべきだった。 朝鮮も満州もいらん。 台湾は要る。
キレまくったらどうなっただろう?
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/29(金) 08:00:02.44 ID:P+G6LUqq0
今日が祝日というのは、ドイツでいうとヒトラーの誕生日を祝日にしたようなもの
今日が祝日なのは日本が主権回復した日だからだよ。
中国で言うと毛沢東の誕生日だな
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/29(金) 13:57:01.67 ID:pCFA9tBG0
>>425 サンフランシスコ講和条約の発効は4月28日だ、この馬鹿ネトウヨ
ヒント 時差
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/29(金) 14:57:46.12 ID:pCFA9tBG0
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/09(月) 03:19:08.60 ID:mAUXcIGLO
明治の軍人は薩摩長州派閥!勤皇 昭和の軍人は東北人ばかり!東條、山本、板垣、石原みな東北人。 根っこはアンチ勤皇。 幕末で負けたから、大平洋戦争でカッコイいところをみせようとして転けた。 日本を大事にする気持ちは皆無だった。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/09(月) 04:52:37.37 ID:u7/TFl9j0
>>430 A級戦犯絞首刑の7人の出身地内訳
板垣征四郎→岩手県
木村兵太郎→東京
土肥原賢二→岡山県
東條英機→東京で出生(本籍岩手県)
武藤章→熊本県
松井石根→愛知県
広田弘毅→福岡県
石原は日中戦争不拡大派で反東条 226で殺害された重臣斎藤実は岩手県士族、天皇の信任厚い鈴木貫太郎も非薩長系 一方で決起将校の磯部浅一、文民では外相・松岡洋右、開戦時の商工相・岸信介は山口県 鈴木貞、大島、嶋田、梅津、佐藤賢、南など軍出身者のA級戦犯を見ても、 奥羽越列藩の末裔は東条・板垣(南部)、畑俊六(会津)の3人くらい ちなみに昭和天皇は畑、阿部(金沢)、東条あたりがお気に入りだったのは有名w
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/12(木) 02:01:17.00 ID:w9vKRWkl0
1941 nen 11 gt 26 nt no Hull noot no an wo nomu seizika wa ita no ka, inakatta no ka?
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/17(火) 04:38:29.15 ID:NlZKXK0o0
Tin no zaitei no daizin wa tin ga gyoosei kakubu no bun-bukan tosite ninmen site ita. Kokoni bunkan ga seizi ni irikomu konkyo ga atta wake dearu. Sosite gunkoku-syugi gunbu-dokusai he to nagarere itta. Meizi kenpoo dewa bukan ga senkyo de nasi ni daizin ni nareta noga wazawai no moto.
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/17(火) 08:47:45.50 ID:J3KEQWSK0
そういえば昔ここで威勢よかった法学君って、 >勅語とは、原則として天皇が口頭により発する公務上の意思表示であり、詔勅の一種である。 >勅語を書面に写したものを勅語書という。勅語書に天皇の親署や国務大臣の副署はない。 のこと、何で無視してたの?
威勢よかった法学君ってどのレスの人?
日暮ってどうしても事後法とか成文法とか、日本の国内法の考え方が抜けないみたいだな ぱらぱら読んだが、何となく英米法や国際法の素人っぽいが、大丈夫か? 戸田・吉田あたりは「戦争はとっくに違法化が始まってる」から論じてるんだが
日米交渉はB案で合意寸前だった。 で、ルーズベルトの中国担当補佐官ロークリン・カリーが 「やっべー、戦争回避されちまう!」と焦って、 ルーズベルトの個人顧問オーエン・ラティモアに連絡。 で、ラティモアが蒋介石をけしかけた。 蒋介石は「参戦しなかったら中国人はアメリカを許さんからな」という意味の電報を 急遽ルーズベルトに送った。わかってるだけで24、25日の2通。 カリーもラティモアもソ連シンパ。 そして11月26日、ハルノートを突きつける。 ハルノート作者のハリー・ホワイトはコテコテの共産スパイ。 両親はリトアニア系ユダヤ人。 彼はナチス打倒のため、どうしてもアメリカを参戦させたかった。 正直、日本はどうでも良かった。 日本も戦争はしたくなかった。ところが戦争回避したい近衛内閣のブレーンには ご存知、尾崎秀実なんかが居て、ずるずる戦争に巻き込んでいった。 日本vsアメリカ、日本vs中国国民党 これで1番得をするのは共産党。
・天皇は英米との戦争に猛反対していた ・日本陸軍の敵は一貫してソ連。中国との全面戦争は避けたかった ・日本海軍はアメリカと戦争しても勝てないのは百も承知 ・アメリカは国民の8割以上が戦争反対 ・大統領も戦争しない宣言 ・ドイツはアメリカの挑発に耐えて、アメリカとの戦争突入を警戒 ・蒋介石も日本との全面戦争は避けていた
・11月26日に空母機動部隊が出港、南方でも船舶の移動が確認され、米側は日本の偽装交渉を警戒していた ・ハル・ノートは交渉の上での重要性は小さい。東郷茂徳が勝手に最後通牒だと言い張ってるだけ。 ・天皇は、9月の御前会議以降、対英米戦やむなしとの決意を固め、だからこそ11月の国策決定に至った ・南進を推進した武藤章・鈴木貞一はともに陸軍だから一概には言えない ・山本五十六の発言に見られるように、海軍の対米認識も甘かった。真珠湾直後には海軍OBの重臣も浮かれている ・中国共産党黒幕論は学界では一笑に付される俗説。なぜならこの時期の共産党は微弱で陰謀を起こせる力はない ・ドイツは対ソ、対英戦争の実行中。米国は41年6月の開戦後からソ連に対独戦の援助を開始している ・40年9月、Selective Training and Service Act of 1940が成立。ルーズヴェルトは有事に備えて三選出馬決意 ・40年大統領選は対仏戦の進行で対英積極援助論を提唱して指名されたウィルキーが共和党の指名獲得
>>439 > ・天皇は英米との戦争に猛反対していた
猛反対というほど反対はしてない。ただ、昭和天皇は大局的に見て合理性を見いだせないと思っていただけ。
彼にとっては一層不利になってまで戦争をする意義を見いだせないということだ。
> ・日本陸軍の敵は一貫してソ連。中国との全面戦争は避けたかった
でも日中戦争の泥沼にはまった。中国を甘く見ていたからだ。
> ・日本海軍はアメリカと戦争しても勝てないのは百も承知
奇襲を掛けて早期講和する以外に方法がないと考えていた。
> ・アメリカは国民の8割以上が戦争反対
> ・大統領も戦争しない宣言
当時はモンロー主義が主流で孤立主義が国益と考えられていた。
> ・蒋介石も日本との全面戦争は避けていた
蒋介石は関東軍より遙かに狡猾で戦略的だった。一筋縄ではない。彼に語することが出来るほどの人物は
日本外交や軍にはいなかった。
>>437 日暮吉延は裁判に関する事象の表面しかなぞってない気がする。
だからダイジェストとしては分かるが、深く理解するのには他の本が必要かな
それと決めつけ的な記述が結構多い。「東条の反論に日本国民は喝采を送った」→ソースは?
みたいな。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/05/28(土) 18:24:36.10 ID:kKCjGsyh0
?
>>443 日本国民が喝采を送った=世論の支持があったかどうか、どうやって判断するの?
日暮は最初から東京裁判は事後法で裁判枠組じたい違法と言う前提で論じてるんだよ
しかし国際法は国際慣習と法的確信があればよいので、事後法の概念は厳密に当てはまらない
コモンローでも同じ。罪刑法定主義を形式的に当てはめたら、ユーゴ国際戦犯法廷も成立しなくなる。
ドゥーリトル裁判も軍律を事後制定してるだろ。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/03(金) 13:37:31.68 ID:ryeagOyZO
今の政権見たいなもんだったんだよ! 管内閣と鳩山・小沢陸軍の足の引っ張りあいに、野党の思惑が絡みあい、マスコミも開戦ムードを国民に流しまくる。
明治憲法には天皇の大権が規定されていた。しかしこれを行使したことはなかったし、 現実に行使しようとしても不可能だった。だいたい昭和天皇の配偶者さえ政府が 決めたもので天皇はそれをだまって受け入れるしかなかった。 天皇の大権というのは政府の権力者がその権威を借りて政策を実行するのに 都合がよかっただけ、ただし天皇のメンツを保つため本筋に関係ない部分で 天皇の意見を取り入れたことはある。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/09(木) 21:05:48.72 ID:FxtLujb50
>>446 君はまずこのスレの3月くらいの議論くらい読んでからレスしような、議論が振り出しに戻って迷惑だから
昭和天皇は20そこそこ 周りの意見次第でしょ
終戦後の日本に対してマッカーサーの演説 「国民が希望を持って努力をすれば、日本は必ず再建する」 アメリカさんいい人じゃん 自分から真珠湾に喧嘩売ってボロ負けして原爆ガー被爆国ガーって言っても何の説得力も感じなくなってきた
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/22(水) 08:52:52.78 ID:UJ1WCZb90
昭和天皇、25歳で即位だもんね。大本営には口出しできる立場 ではなかった。旧・日本軍にとっては、ただのマスコット。 しかし、講和の交渉は幾度もやってんだぞ。大本営はそれをガン 無視して、大空襲と原爆投下2度受けて戦争に負けた。それだけ。
戦争はすべて軍部が行ったこと、昭和天皇は戦争正当化のため利用された。
戦争は全て政府が決めたことでしょ? 天皇は別になにも利用されとりゃせんが
>452 軍の内部では「上官の命令は朕の命令と思え」ってさんざん言われてたし、 その軍が政府の決定に対して「陛下の意志に逆らうのか」って理屈で それに反する行為を延々とやり続けていたんだから、その理屈は通るまい。
>>453 軍隊内では命令系統を超越した命令は御法度
だから実際には、基地の門衛に、例え天皇陛下が入れろといっても、
上官の許可無がなければ通すなと教育されてた。
だいたい軍の殺し文句は「戦死した兵に申し訳が立たない」
天皇の意志を盾にとったことはない
兵の戦死は作戦立案者と部隊指揮官の無能のせいだろ。 なんだって軍の責任者が免罪されてるんだ?
兵の戦死は戦争である以上当然発生する物 軍の屁理屈としては、その犠牲をはらって何も成果がなければ、無意味な犬死になるということ 結果を見れば、それ以前とは比べものにならない犠牲を出す事になるわけだが 当時としてはそれに反論するには未来の仮定を持ち出すしかないからね 逆に犬死論が内乱に繋がるのは、日比谷焼き討ち事件という実例が日露戦争で起きたから 具体性が出てきてしまった。 当時の国民は今ほど従順じゃないからね。戦争の判断には内乱の危惧がかなり影響してるよ。 まぁ「戦争で国が滅んでも、内戦で国は滅ばない」と叫んだ御仁もいたけどね
満州事変以後の戦争はすべて軍部が天皇の意思にかかわらず行ったこと。 米英との開戦なども事前に軍部により決定され御前会議はそれを天皇の意思と するためのセレモニーだった。 終戦の決定が聖断によってなされたというのも神話、軍部の一部にあった 戦争継続派を抑えるためそういう形式をとったに過ぎない。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/27(月) 03:40:04.30 ID:bPKma1O8O
★日清日露・薩長派閥 勝つわな! ★大平洋戦争・東北人 負けるわな!
軍部=官僚組織には変わりないが、あの頃の時代背景をしっかり勉強した方がいい 陸士海兵は庶民の憧れで、庶民から非常に人気があった それに対して、旧制高校→帝国大学は金持ちが行く進路で庶民にはあまり人気がなかった 庶民は金持ちのボンボンが気に入らなかったんですよ 陸士海兵は庶民であっても学力さえあれば進学できた 陸士海兵出は帝大出に対して異常なほどの嫉妬を持っており、それが軍部の暴走に繋がったと考えられている
学校で意図的に天皇が機関に過ぎなかった点は教えないからね。 明治憲法だけ教えて、さも天皇が独裁者であるかのように含ませる。 そもそも明治政府の成り立ち見れば、誰が権力者かは一目瞭然。 天皇は数多くいる権力者の一人にすぎず、中では少数派。 戦争阻止なんかできるわけもない。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/29(水) 07:11:34.79 ID:Vonf/jd90
>>460 明治の元勲たちは天皇を「ぎょく」と呼んでたくらいだからね。
実権はなくても天皇を名前を使わないと終戦出来なかった。
>>285 遅スレすまん。
>木戸内大臣の証言
ここのところ詳しく。
ハブられるから。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/06(水) 18:07:30.30 ID:hNZJE3pGO
◇明治天皇は、何故徳川幕府を倒して、明治維新を成功させたのか!? と同じ次元の板!
>>460 >学校で意図的に天皇が機関に過ぎなかった点は教えないからね。
機関説は戦前から禁止されタブーになったし。
思想や学問の自由を阻害する戦前社会は、二度と繰り返してはならない。
>>465 タブーというか一部の連中が騒いだだけでしょ
戦後社会でも憲法問題、安全保障や核問題など、思想や学問の自由を阻害してきた連中が居るのだが
そういう意味では同次元で何も変わっていない
もうすぐ出るこの本も出たらすぐ読むべし。
昭和天皇伝 伊藤之雄著
国民と共に歩まれた昭和天皇の実像
日本の命運を一身に背負った君主は、何を決断したのか。昭和天皇の苦悩と試行錯誤、
そして円熟の日々。決定版の伝記が、ここに出現した
若き君主として、日本の運命を一身に背負い、激動、戦争、敗戦、平和、繁栄の日本を、国民とともに歩まれた昭和天皇。
戦後のあの穏やかな笑顔になるまでには、長い歴史がありました。昭和史そのものともいえる、その88年の生涯を、
公生活と私生活双方を視野に入れ、喜怒哀楽といった心のひだにまで筆を費やして描いたのが本書です。名著との評価が高い
『明治天皇紀』にも匹敵する面白さ、正確さを兼ね備えた、決定版伝記の誕生です。
ttp://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163741802
天皇が愚かなのは 統制派の社会主義者どもに工作されて 自らを本気で護ってくれる皇道派将校を抹殺してしまったことにある 海軍は陸軍への対抗意識から 「我らこそ、真の帝の親衛」と言って東京湾に展開していたんだから 天皇が皇道派決起を肯定して統制派と構えることになれば 直ちに陸軍参謀本部には長門主砲弾が撃ち込まれ陸戦隊が上陸 宮城の陛下や決起将校と合流し 統制派を制して新しい時代を築くことができたであろう つうか海軍は陸戦隊を上陸させて戒厳軍と決起軍の間に割って入り 双方に対し戦闘を辞さないというぐらいの態度をとるべきだっただろう
確かに昭和天皇が皇道派を嫌っていたのは悲劇の一因だったと思う 基本的に皇道派は中国やアメリカとの戦争にも反対だったし そして精神主義ばかりが取り沙汰されるがその実優秀な軍人がかなりいた 一部の人たちからやたらと評判の悪い真崎だが彼は対米戦には最初から反対の立場で その理由も日本の国力では補給が続かないからという至極まっとうな理由から 少なくとも東條なんかよりははるかに優秀な軍人だったと思う また荒木真崎に続く皇道派の重鎮だった小畑は米軍は通商破壊戦で日本を窮地に追いつめると予見した さらに彼は某筋から入手した大本営による船舶喪失予想量を見て認識が甘すぎると看破 しかしその意見は無視され物資はもとより多数の兵員が海の藻屑となり日本は破滅することになる
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/13(水) 10:02:27.00 ID:myGeO+FY0
>>470 昭和天皇自体が立憲君主で法治主義だから天皇御新政を迫られても
いやがると思う。いずれ戦争が避けられなかったとしたら皇道派政権下の敗戦では
当事者としてフセインみたいに死刑になっているぞ。
皇道派政権ならそもそも戦争自体起こらないでしょ あってもソ連との戦争ぐらいかな? 間違ってもアメリカ相手の無謀な戦争が起こる可能性はないと思う
皇道派政権なら、統制派による五一五事件ないし二二六事件が起きたんじゃないか?
まあ確かに永田(統制派のボス)が計画したクーデター未遂事件(三月事件)とかあったから可能性はゼロじゃないと思う 蛇足だが三月事件を潰したのがのちに皇道派の重鎮となる真崎と山岡
知らないが皇道派って語感としてはカルト集団じゃなかったのか?
何に対するカルト?少なくとも荒木や真崎はそこまで狂信的ではないのでは。
統制派も皇道派も単なる派閥の名称と考えたほうがいいと思う。 東條や武藤が軍の統制を遵守してたとは絶対言えないし。 皇道派と言われる軍人もWW2の将官クラスは単に反統制派人脈に繋がるだけだったり。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/15(金) 19:37:13.52 ID:CRds4AP20
天皇など皇室は当時、戦争やむなしだよ。 兄派の良子さんが、権力を握っていたがね。 太平洋戦争の原因は、日本軍が南京大虐殺意をやったなど、捏造歴史にて 日本への経済封鎖が原因だよ。 日本が米国のライバル、ソ連とドイツの戦争工作に反対したから、ハシゴを はずされたと言う事。 日本軍による南京大虐殺については、1994年から1996年にかけて。 ロシアが中心となって戦勝国は公式文書で、東京軍事裁判の結審結果とその 歴史史観を全面的に否定。 日本国は、塩梅悪いと言う事で外交機密文書として揉み消している。 公式文書の公開によって、捏造歴史を守ることを条件に、皇位継承権のない ことも確認されて、現在の地位についた今上天皇や常陸宮とバレるからだ。 その方々に、捏造歴史を守りつづける事を条件にコテコテの日本人にして もらい。 朝鮮系戸籍原本捏造組の国会議員やメデアで活躍している人びとバレるからだ。 その方々は、日本人づらして、皇室をないがしろにして軍部の暴走と言って いる。 現人神に逆らう軍人なんて、みたことない。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/15(金) 19:43:01.28 ID:CRds4AP20
太平洋戦争終結の条件は。 国体の護持と引き換えに、戦勝国の負うべき戦争犯罪を日本がかぶり。 捏造された歴史を日本が受け入れ、極東の絶対悪になる事。 捏造歴史を受け入れられない権力者は、死ぬか。 自白剤と電気ショックで記憶障害それに伴う能力障害に。 とにかく早く死ねと言う事。 生き残ったのは捏造歴史肯定派か。 オレみたいに、米国国家中枢ユダヤや中共などが恩を感じて、 殺すいに殺せないヤツだけだよ。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/15(金) 19:44:15.76 ID:CRds4AP20
偽皇室は、オレの事を種馬としか考えていない。 暗殺未遂の連続だったなぁ〜。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/15(金) 22:49:53.74 ID:d+Lbm7Ec0
>>479 結局 国体は改変されるのだから「国体の護持」なんて蹴飛ばせばよかった。
ドイツは国体は変わったが再軍備も早かったし教育制度とか戦前の
システムを維持できている。
>>479 敗戦直後だから上手く負けるのは仕方ない
もっともいつまでもそれに引きづられるのは単なる愚人痴人だがw
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/16(土) 08:05:20.19 ID:tauWXKed0
日本国政府や皇室はオレに対して、年率1%の利子で300兆円の負債を 負っている事を文書で認めることに。 日本に利する公式文書を公開するまで、日本に不利な為替相場を、それを担保に。 そして日本経済の崩壊へ。 結局、皇室のメンツ丸つぶれ、偽皇室は追放、幽閉されている本物皇室の カムバック。 捏造歴史肯定派の朝鮮系戸籍原本捏造組の国会議員やメデアで活躍している 人びとは、袋叩きと言う事でしょう。 やっぱりウソは滅びる。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/16(土) 20:34:31.90 ID:h4q8ZOB60
サタンの「全人類総背番号制度」 近い未来、ヨーロッパにサタン(ニセメシア)が出現する。 身長190センチ。 邪悪な黒いヒゲの男 ダブダブの白いメシアの衣装。 悪の天才。 「キリスト=みろくぼさつ(弥勒菩薩)」を名乗る。神の名をかたる。 サタンは全人類に「獣の数字」をつけて、 コンピューターを使って全人類を支配する。 「獣の数字」をつけられた人間は、すべての情報を悪魔に握られる。 「学校の成績」「収入」「病気」「読んでる本」 「メールの内容も盗みみられる」「電話も盗聴される」 「獣の数字」をつけられた人間は奴隷あつかいされる。 フリーメーソンから「家畜たち」とよばれ、売り買いされるだろう。 「獣の数字」をつけられた人間は、政府に反乱をおこすが、 フリーメーソンの軍団に虐殺される。 フリーメーソンはコンピューターを使って、 人類を支配しようとしています。 「獣の数字」をつけられないようにくれぐれも気をつけてください。 ジーンディクソン 予言書「栄光への招待」より ミカエル
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/17(日) 20:04:43.13 ID:F9xnGDOf0
昭和天王が立憲君主制なので政治のコミットしなかった、よって責任なしなんて嘘。 欧州式の立憲君主制じゃなかったし、首相も政治的なクーデターも、介入してる、戦後の沖縄を暫く米軍に占領してくれと要請してる 米国が日本人奴隷システムを構築しようと利用したのにまんまと乗った 占領が終わったときに自刃または退位して頂ければもっと違う社会になってたと思う。 その場合共産主義が台頭してたかもしれんけどw ただ、対外的にみれば、ナチスのカギ十字が未だ掲げられてるようなもの、との認識があってもおかしくない
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/17(日) 21:06:23.40 ID:3eu6epCXO
軍部が、昭和幕府だったんだよ 東北人幕府。
負けるって分かってて戦争するなんて悪以外の何者でもない 負けるって分かってて戦争するなんて売国奴じゃねえか そんなに日本を窮地に追い込みたかったのか?ああん? 無能なセコンドほどリングにタオル投げ入れるのが遅いって知ってた? あの原爆2発は絶対に落とされずに済んだ爆弾なんだよボケ!
共産主義になるよりはマシ
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/20(水) 00:55:30.08 ID:+ysDGiPD0
西村新語や田もが身など いわゆる右翼は、御用学者と折り合いがよく、 放射能はからだに良いなどという奇説を信じ、 原発はこれからも日本に必要だと主張する。 おれは最近、右翼というのは、本物も偽者も みんな朝鮮人だろうと思っている。 というのも、こいつらは、 つねに日本が滅ぶ方向へ引っ張り込もうしているからだ。 そもそも、 日本が太平洋戦争に突入したのも朝鮮人のシワザだろう。 当時アメリカ首脳部は戦争に踏み切りたかったが アメリカ国民がそれを嫌っていた。そこで、アメリカ政府は 日本の在日と連絡をとり、日本政府の中に潜んでいる在日や 在日に同情的な分子を集め、こいつらに相談をもちかけた。 日本を戦争に持ち込んでくれと。 つまり、これら日本政府や日本の軍隊にひそんでいた朝鮮人たちが もっとも過激な右翼として戦争をあおった。 きさまら戦争が怖いのかと日本の軍人を脅しつけた。 アメリカとの戦いに引っ張り込んだら 日本が敗れるのは当然である。 敗戦国となった日本では 日本人はすべての公職から追い出され、 そのあいたところに在日エリート集団が入って日本を管理すると こういう約束で、アメリカ政府は日本の在日と契約を結んだのだ。 で、敗戦後の日本はこのとおり在日の天下になっている。 もう一度言うが、 右翼は、本物も偽者もすべて朝鮮人である。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/16(火) 11:03:26.06 ID:adR4PbPT0
意味不明
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/17(水) 03:30:41.97 ID:DY2U8GJL0
たしかに朝鮮人にとっては意味不明である
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/19(金) 11:59:18.99 ID:/CvGU0q10
そもそも真の日本人ならたかが原爆2発くらいで降伏すんなっつうの。そんなんだから戦争にも 負けるんだよ。
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/19(金) 13:01:15.97 ID:qb0qlVmo0
>>488 戦争した指導者的には結果的な勝ち負けなんかどうでもいいんだよ
陸軍も海軍も勝てないなんて言ったらいらない子扱いされて予算取れないから
戦争しますとしか言えなかっただけ
当時は国家予算の七割を軍費に当てるなんてトンデモやってたんだから責任を問われる
陸軍も海軍も最大の敵は、中国でもアメリカでもソ連でもなく日本国内のライバル
今も昔も、外敵と戦うより内ゲバやるのが好きな国だからさ
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/20(土) 04:26:40.85 ID:+8W2EFEK0
>>1 はイマドキの中学生が「戦争なんてしなきゃよかったじゃん」と言っているのと同じだね
戦争して得するやつらが何重にも策を考えて戦争が起きるように仕組んでいるの
いま、公安が各政権を操って戦争起こそうとしているように
しかも最終的な目的は天皇制度を崩壊し日本国のアイデンティティをなくしたうえで戦争に持ち込もうとしているわけ
だからNHKラジオでいま天皇への反逆事件大逆事件を扱って自分たち(国賊公安)が簡単には退治されないよう駒を作り出したわけ
死刑制度と一緒でわざと冤罪をでっちあげて、「ほうら、死刑制度なんか作ったら自分が冤罪で死刑にされちゃうんだよ」と言うために
警察がわざと冤罪事件を作ってるのと一緒の構造なの
冤罪を作り出した警察や裁判官が裁かれもせず、
のうのうと年金をもらって普通より良い暮らしをしていることがすべてを証明しているわけ
110番通報をお願いします
神奈川県鎌倉市城山住宅で公安工作員が正犯人の化学テロ事件及び事件正被害者殺害を目的とした組織的活動が行われています
公安は2010年から正被害者を殺すと脅迫し活動をはじめました
公文書はなにもしていない被害者が何かしたり、何か言ったりしたことにしています
公安工作員は偽名で活動を行い、公文書は無記名で作成されています
NHKになぜ今、大逆事件を扱ったのか問い合わせてください
官僚の名前がでてくるはずです
それが311テロを起こし、日本の足を引っ張り、首都を3都市大阪京都神戸へ移転し、
愛子さま、ひさひとさまを親から引き離し、天皇制度を崩壊させ、日本を戦争に巻き込もうと画策している国賊犯人です
ネットのいたるところで工作員として書き込みを行っています
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/20(土) 04:36:10.85 ID:+8W2EFEK0
城山住宅で活動する公安工作員全員と犯人のF一家公安が活動拠点としている F一家の共犯宅全員が死刑になり被害者遺族に今後近づけないよう協力をお願いします
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/20(土) 05:53:26.48 ID:+8W2EFEK0
拡散希望
公安工作員と思われる人物のヤフー知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011800250?fr=rcmd_chie_detail 「もし、警察官になれば、冤罪を作っても罪にはなりませんか???
(富山県の冤罪事件)」
質問日時:2007/6/5 13:12:12.
解決日時:2007/6/11 22:37:08.
「愛国者による日本のミサイルが3分後に太陽に落ちてきて大爆発と知ったらあなたは何をしますかあ???」
質問日時:2009/5/8 06:41:26.
解決日時:2009/5/23 04:02:56.
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1325960153 公安工作員は2010年に告発されるまでこのような自ら犯行を暴露するような質問やブログをネットに書き込んでいます
質問の意図は犯行自慢をし快楽を得ようという愉快犯的なものばかりです
とくに2つ目の質問の太陽とは原発のことを言ってるようにしかみえません
公安は皇室警護を担当していますが311テロを起こした国賊です
東電は公安警察官僚の天下り先で311後も公安自身が人を集め身分を確認しないまま
作業を行わせたりできたのも公安の力が及ぶからです
つまり作業員の中に工作員がいたということです
この質問者もそうですが、公安は100%人間ではないばけもの悪魔(ばけもの悪魔自身が自己紹介に使用した言葉で表現)を使い
何の罪もない国民を何百人も死亡させています
中央大学刺殺事件で殺害された大学教授も公安に思想背景を探るとして捜査されていたという
新聞記事が実在します
大学教授の自宅周りには犯人の学生がかいたものではない呪いの文字が何か所も書きつけられていました
110番通報をお願いします
公安工作員は神奈川県鎌倉市城山住宅で被害者遺族を殺すと白昼から脅迫しテロ活動を犯人のF一家と行っています
管轄は神奈川県警察本部、大船警察署、玉縄交番です
「警察が起こした事件を警察に通報するのかw」と笑い2008年に犯人F一家の犯行から発覚した殺人事件を何年も隠ぺいし続けています
>>495 白村江とか黒船とかWW2とか
外圧が大変な時に限って身内同士でやらかすんだよな
天皇がフセインみたいに逃げる可能性あった?
昭和天皇は伊勢神宮にある神器の確保をひどく気にしている。 敵が東海方面に上陸してきたら、神器の確保が出来ないじゃないかと聞いている。 当時の不敬文書にも「お前がのうのうと暮らしているから伊勢神宮は丸焼けだ」と言うのがある。 宮城を捨て、伊勢神宮が敵の手に渡るようなことがあったら、 逃げても昭和天皇は権威が著しく低下したんじゃないかな。既に戦争は負けると考えていた国民が5割に上っていたんだし 客観的には逃げられただろうが、その時点でムソリーニ化するだろうね
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/25(木) 08:38:04.94 ID:9go9/z2T0
天皇家の菊の紋章はケツの穴そっくり、ケツの穴から出るのはクソ、天皇はクソしたとき自分でケツを拭いているのだろうか
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/25(木) 08:40:38.09 ID:8yjn/zaE0
天孫降臨して以来ずっと万世一系の現人神だということを絶対的に盲信させてたカルト国家だったしね
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/26(金) 15:14:56.14 ID:kjX71eA/0
戦前には天皇機関説事件というのがあり、天皇機関説を唱えた学者は不敬罪だと 言われたのに、戦後になると天皇機関説だと言い戦争責任を回避する俗説を言う やつが現れる。 機関説が正しいのなら日本で言えば、平宗盛、北条高時、豊臣秀頼すら名君だと 言わざる得ない。天皇は最高権力者であった時点でまったく戦争に関与していな いなどで済むわけがない。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/26(金) 19:59:40.73 ID:5hPK119j0
>>504 >戦前には天皇機関説事件というのがあり、天皇機関説を唱えた学者は不敬罪だと言われた
>のに、戦後になると天皇機関説だと言い戦争責任を回避する俗説を言うやつが現れる。
文意を鑑み、こう改変
↓
戦前には天皇機関説の考え自体が当時の為政者層によって問題視され、主唱者も弾圧され、
政府自らが二度も国体明徴声明(=天皇機関説ではありません宣言)を出したというのに、
戦後のネトウヨどもは、当時は天皇機関説の社会だったから天皇には責任はありません、としゃあしゃあと言ってのけてる
>>504-505 は論点がズレてる。
天皇機関説を取っていても天皇の戦争責任は免れない。
君主無答責という屁理屈を除けばだけど。
昭和天皇の行動の責任と行動しなかった責任を個別に検討していくことが必要だろう。
もちろんそれは当時天皇が置かれた状況を勘案しなくてはいけないだろう。
日本はなぜ戦争をしたのか? 弱かったから。資源が尽きそうだった。石油があるうちに仕掛けるしかなかった。 戦争中、アメリカとイギリスの首脳部はホーリー・スムート法(輸入品に超高率関税)、 オタワ会議(イギリス連邦が輸入品に高い関税をかける)が戦争の主因であると認めていた。 だから戦争中に世界銀行やGATT体制を考えていた。 日本に資源があれば戦争はしなくて済んだ。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/08/27(土) 16:33:36.99 ID:c1PKNE6E0
いやいや、まだまだだよ。
>>466 今だって靖国だとかそういうのは一部のカルト宗教系右翼が
騒いでるだけだけど、自民党などはそれに丸乗り。
日本は同調圧力の世界だから、一部声の大きいキチガイがいると
利用する連中はたくさんいて、戦前は政府がダイレクトに利用したよね。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/03(土) 15:13:05.15 ID:ppLYeb720
>>507 石油が尽きそうになった根本原因は、ブロック経済とは別の所にあるだろ
阻止したら日本国内騒乱状態だったろうな。
一億総玉砕よりはいいんじゃね?
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/10(土) 20:45:39.70 ID:IsKg7Sdb0
開戦阻止するためには少なくとも責任を認ずる輔弼者が必要だろう そうでなければ孤立無援で単なる個人的見解の表明に過ぎない 無理に通そうとするなら例の無い大権を発動して内閣解任、統帥部長解任するしかないが そんな事が出来るはずもなかろう 終戦の聖断ができたのも責任者たる総理、海軍大臣、外務大臣などの輔弼があっての事
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/10(土) 20:50:06.07 ID:AOHh1OUH0
捏造歴史にて、日本への経済封鎖をしたら。 ダレだって、ケンカをやるよ。 中共軍や国民党軍や米国ペンタゴンが負うべき戦争犯罪を、日本に押し付けて。 日本への経済封鎖を。 戦争しかないよ。
>>516 >捏造歴史にて、日本への経済封鎖
お前はアホか。アメリカの禁輸原因は
×捏造歴史 ○ナチスと組み仏印進駐
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/10(土) 21:27:24.67 ID:aixsMY1z0
1941年の1月から2月にかけての国際連盟にて。 日本軍が南京大虐殺をやったなどと捏造歴史を発表。 そして日本への経済封鎖を。 南京落城が、1937年の12月13日、そして日本軍による南京大虐殺。 1998年米国ホワイトハウスは、1937年のライフ10月号に載った 上海事変。 日本軍による上海空爆幼児丸焼けなどの写真・フイルム・証言などは、 1937年の9月18日と8月に上海現地で捏造したと発表。 捏造歴史解説本まで出ている。 このことは、南京落城が少なくても1937年の9月18日以前と言う事。 南京を落城させようとした場合、国際都市上海に敗残兵を入れて混乱を 作り出すことはできない。 南京落城には、日本軍による上海支配が絶対条件。 日本が支配しているとき、いくら米国と言えど捏造は無理。 南京が落城して、上海を支配する必要のない時、日本軍が上海から撤退した時 にできる。 12月13日南京落城は、国民党と中共軍のアリバイを確保する為に、 かえられていると言う事。 史実の南京落城は、7月末、国民党を倒して南京を支配していた中共軍を 米国ペンタゴンの救助要請を受けて日本が倒して。 日本国は、2.26事件のチョウリャクを最後に兄派良子さん達が権力を握り。 反米政権となり、ソ連とドイツの戦争工作に反対を表明。 1937年の8月だよ。 米国による経済制裁の始まりが1938年の3月から。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/11(日) 13:38:43.23 ID:QmC+r4Dt0
昭和天皇の伝記に関しては、こないだ出た伊藤之雄『昭和天皇伝』が最も信頼性が高いな。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/11(日) 23:00:33.14 ID:6D8fMeud0
右翼・左翼とも勘違いをしているようだが、 そもそも昭和天皇が臣民の行く末を真剣に考えていたと本当に思っているのか? 天皇一族のことについては真剣に考えていただろうが、 臣民のことなど、別に深く考えていなかったのだよ。
またソースない話をするニダ 天皇は戦後、自らの命を捨ててでも国民を守ろうとしたと マッカーサとかの回顧録にもあるし アッツ島で全滅した兵士に奮戦を讃えるようにできもしない電文をうたせたりした あくまで天皇機関説にこだわり、政治には口だしをひかえてた 戦後の全国への行脚や、外遊は日本復興への願いからのもの 叩かれても、日本人は天皇陛下がいたから復興できた側面も多大にあるもん
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/12(月) 03:13:52.33 ID:HHXtss5i0
このスレタイの結論としては
>>515 の考察が妥当
昭和天皇を貶める書き込みも多いが
客観的妥当だと思えるのは百歩譲ってもほとんど皆無
確かに原則として自然人としては権利は平等という理念には俺も賛同するが
利害が交錯する多数の人間で構成される現在社会に於いては一足飛びに主張するのは無理だと思う
主権国家としての日本国が存在する以上歴史的な経緯からして元首的役割を担って頂くしかないのでは?
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/12(月) 12:01:26.31 ID:nfKtwwL30
まあ、天皇に関する歴史的文献っていうのは、 天皇に不利なことは書いてないからねえw
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/12(月) 14:15:18.90 ID:7pul3ZNh0
戦後の復興はGHQの改革と援助によって行われただけであって決して 天皇全国巡幸などではない。むしろ巡幸など、時期からも東京裁判 の出廷回避・影響を示すために行われたようにしか見えない。 戦前国民を年少から教育によって、天皇と国民が主従関係にしてしまっている ことを考えても天皇に責任追及がされなかったことは不可思議だ。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/12(月) 17:03:49.51 ID:hsDuWSZs0
>>524 不可思議というか、不自然というか、不合理というか、
裕仁が、(国民ではなく)自分の一家を守るためにあれこれ考え、
また、天皇制が維持されることで利益を得る奴らも喜んで手伝った結果ということだね。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/12(月) 17:28:00.08 ID:SG/mrVMt0
そもそも一体何の責任なのかあやふやだな 特亜人は人様の歴史伝統や内政や政体に口出してはならない アメリカなどたかが1776年にできた国と、10倍以上長く存続してる日本や天皇を同列に論じるなど無知蒙昧野蛮でお笑い どっかの厨房の欲望とエゴ達成手段丸出しの平等などうんこのハエに等しい
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/12(月) 21:26:03.33 ID:onhhKCu80
貴様のごとき賤しい五月蠅が畏くも御上を論ずること自体笑止千万だがな。
>>522 >>515 はもう使い古された東京裁判の弁護の論理。
すなわち天皇は政治的に無力であったと言うもの。
現実には天皇は二二六事件のあと、飛躍的に政治的権限を拡大させている
これは木戸幸一もはっきり認めるところ
こんなとこニダニダにいっても、しゃあないが、戦後の天皇陛下の行脚には国民は、 感激し、強い決意を持った。それだけ偉大だったんだよ 日教組とかは簡単に戦争責任とか言うが、天皇陛下の戦後指示なんて証拠はゼロ まあ、社会主義革命は戦争だから、嘘をついてもいいんだけどね ちなみに言うが、東京裁判自体、世界の法に違反だから、戦争犯罪者などはいない 日本を焦土とし、多大な人命を損なった敗戦の責任者がいるだけ うちのじいちゃんはシベリアに抑留され、地獄をみた 中国では張り付けになってる人がたくさんいたが、みんな毛タクトウ軍の仕業だったと言ってたよ 日本兵は、ゲリラ戦に悩まされ、生きるのに必死で虐殺とかできるわけないといってたよ
>>529 ・神様が人に堕ちて姿を現したら国民は歓迎するのが当たり前。今まで拝めなかったんだから
逆に言えば昭和天皇は天皇制の将来に関して強い危機感を持っていたことの証左
あまりのキャンペーンぶりに苦言を呈されるほど
・日教組とかは〜というが当時、戦争責任論を引っ張った主翼は保守層。共産党なんてまだ少数政党
社会党は天皇制護持。
・天皇の戦後指示なんて証拠はゼロ…内奏が戦後も田中内閣前後まで行われていたのは確実
・東京裁判は世界の法に違反…事後法は英米法や国際法の世界では当たり前
そもそも事後法かどうかの問題は於いて
・日本を焦土とした敗戦の責任者…どう見ても統治権の総攬者
・シベリア抑留のじいちゃん…うちの曽祖父世代は「手柄話」を村で普通に自慢していたようだな。
田舎の農村では戦争責任問題が外交問題に発展する前は当たり前の光景。悪いと思ってないんだから
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/13(火) 16:04:33.77 ID:ODknOiN40
昭和天皇は 皇室がなくなっても 構わない旨の発言をしているのだが。 天皇の戦争責任については 指示云々の証明は必要ない。 なんせ、旧憲法下では 国権の最高機関だったんだから。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/13(火) 18:51:43.55 ID:GWirV7DK0
マッカーサー対談の時の天皇の発言についても全容については判らない からな。 >皇室がなくなっても 構わない旨の発言をしているのだが これは言ってない。 1945年9月27日、マッカーサーと昭和天皇は2人だけで会見した。 その会見内容は、当時も今も公式に発表されていない。マッカーサーの 回想記によれば、昭和天皇は、政治、軍事の全責任は私にあり、私自身 を連合国に委ねると申し出たと言う。 これに、マッカーサーは感激し、 日本最上の紳士と評価して、その後、一層好意ある態度を示したようだ。 昭和天皇とマッカーサーの人物像の一端を示す、意義ある話題だった。 これが、今の象徴天皇の発端となった。 一方、マッカーサーは、会見写真の新聞公開を指示し、日本国民に敗戦 を実感させる才覚も示した。 いずれにしても、終戦直後、占領軍と日本政府の間で、天皇自身の扱い とマッカーサー会見をめぐるかけひきが、真剣かつ必死の覚悟で行われて いたことは、あまり知られていないだけに、歴史的にも興味深いものがあ る。 これによると天皇は戦争責任を認めていますね。
>>532 その会見の真相は闇の中だな。
まあマッカーサーが天皇を利用したのは史実だし
当時の彼の職権からすれば全く気に入らん人間に敬意を示す必要もないから
自己弁護に終始したって話はうさんくさいけど、当時の宮中の意見から考えて
無条件に戦争責任を認めたとも思えない。
自己弁護に終始したというのは、私はやってません○○が悪いんですごめんなさいとか、 弁解することじゃないよ。分かると思うけど。責任の所在を自分以外の誰かに暗に示唆することだよ。 昭和天皇は確実にそれをやっている。戦争責任をただ認めるなどというのは政治的には全く無意味な行為で、 マッカーサーとしても聞くだけ無意味。彼が欲しいのは天皇からの示唆であり筋書きであり、協力体制の構築の確認だよ。 対談の相手が素直に自分の罪状を認めて逮捕されるような間抜けだったらしょうがないでしょ。
ちなみに共産党は東京裁判には当時否定的で、軍隊の解散に猛烈に反対した これは国家が持つ自然権である自衛権の放棄になるからで 今もこれを改めてはいないし、北方領土だけでなく、千島列島の返還も要求している ちなみに日教組は社会党な
マッカーサー回顧録は側近だったフェラーズや日本側の史料との矛盾点が多くて信頼感が低いから、 あんまり当てにはならないよねえ。会談内容は松井の文献が80年代に発見されて、 11回の階段のうち松井が通訳を担当した4回まではある程度明らかになりつつあるが、 それ以前に担当した寺崎の言動などから類推するしかない。豊下は天皇が自分の責任を表明したのではなく、 東条が開戦に踏み切ったことを侘びたという推論を立てているが、確かに木戸日記や昭和天皇が 英国王室に宛てた親書などとも符合し、可能性は高い様に思う。
東条に言及したのはまず間違いない、東条らの暴走を止めきれなかったのは私の不徳の致す所
とでも言ったんでしょうwこれ結局は責任を人になすり付けてるわけよね。
>>535 小熊を大急ぎで読んだの?共産党は実質的に主張を大きく改めてるよ
だいいち日本では非武装自衛権説が学界でも有力説だから自衛権を必ずしも否定する必要はない
旧社会党なんて南樺太全千島返還。日露戦争の戦果は承認してるんだから共産党以上の強硬派w
天皇の戦争責任論は左右とわず継受されてきた問題意識だよ、むしろ旧エリート層のほうが意識が強い
1995年までに発見されたアメリカの占領軍関連文書の中に、アチソンから国務長官に宛てた 1945年10月13日付電報があって、そこには「米側が日本の宣戦布告を受け取る前に真珠湾を 攻撃する意図はなかったが、私は東条にだまされた。しかしそのことで責任逃れはしない」と 昭和天皇が発言されたとある。先にも触れたとおり、木戸日記には天皇に責任が及ばないよう、 東条を盾にして問題を乗り切ろうとする意図がハッキリと記されていたし、英国王室宛の親書でも アチソンの電報と同様の趣旨が記されていた。 もう一つは何と言ってもNYタイムズとUPIとの昭和天皇による記者会見で「宣戦の大詔は東条のごとくに これを使用することはその意図ではなかった」と発言した文書が、宮内庁書陵部で発見され、 「天皇陛下は伝統として個人に対する非難をしないはず」という、当時の内閣情報局の見解を覆したこと。 ここまでくれば引退後に記憶を頼りに書かれたマッカーサー回顧録の信憑性を疑われても仕方がない。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/14(水) 14:59:44.06 ID:4PW2VYX10
木戸内大臣の発言(細川護貞日記) 「なるべくこのまま東条にやらせて最後の機会−−−相当の爆撃と本土上陸 を受けたるとき−−−方向を一転するの内閣を作り、東久邇宮殿下に総理に なっていただく」 近衛公爵の発言(細川護貞日記) 「せっかく東条もヒットラーと共に世界の憎まれ者に成っているのだから、 彼に全責任を負わしめる方がよいと思う。」 東久邇宮の発言(近衛文麿日記) 「自分は矢張り東条に最後まで責任を取らせるのがよいと思う。悪くなった ら皆東条が悪いのだ。すべて責任を東条にしょっかぶせるのがよいと思うの だ。内閣が終ったら責任の帰趨がぼんやりして最後には皇室に責任が来るお それがある。だから今度はあくまで東条にやらせるがよい。」 実際には東条一人の責任ではないことの明確な証明です。
東條(軍)→重臣(首相経験者)→木戸(宮中G代表)という三重の防衛線で天皇まで責任が回るのを阻止しようとした。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/14(水) 20:10:23.83 ID:OkK+dIIr0
東條御苦労!
豊下先生の記述は非常に分かりにくい。書いてることは面白いんだけどさ
>>540 昭和天皇個人→東条・嶋田→重臣→皇太子という防衛線も考えらえてたよ
過疎る板は、すぐサヨるな 天皇陛下は敗戦の責任は否定していない、だから自ら玉音放送したし、マッカーサとも交渉した。 その交渉のおかげでおまえたちは奴隷にならなかった訳だ。 あの戦争の前まではアジアは欧米の奴隷だったのは確かなんだから 戦争は美化しないが、天皇陛下に責任をおしつけるのではなく、当時のマスコミ、特に朝日新聞社の強烈な開戦アピールとか 責任は国民全てで背負うのが、日本人の精神ではないかと 尊い犠牲者達の命、兵隊、市民、敵、味方、全てを敬い、みんながそれぞれ責任 を背負う そうやって、この国は立ち直った
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/15(木) 05:25:40.54 ID:4aLFAsqc0
ちょっと亀で申し訳ないけど
>
>>522 >
>>515 はもう使い古された東京裁判の弁護の論理。
>すなわち天皇は政治的に無力であったと言うもの。
>現実には天皇は二二六事件のあと、飛躍的に政治的権限を拡大させている
>これは木戸幸一もはっきり認めるところ
結論を書くのは勝手だが
引用した書き込みの論旨を理解、反論する事なく
単なる思い込み の書き込みだな
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/15(木) 07:22:05.36 ID:zcxyJvJF0
http://nezu621.blog7.fc2.com/?mode=m&no=1215&photo=true こんな創作話載せてる人いるんですが右翼アホすな。
『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私に
あります。私の命においてすべてが行なわれました限り、日本にはただ
一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処
されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります』
『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国民が、住むに家なく、着るに衣
なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配を
賜りますように』
>>544 226事件以降、暇な役所だった内大臣府の政治的比重が著しく増しているのは常識の類なんだが。
それ以前の例を挙げてみるか?もうこのスレ的には300番くらいで1回片付いてるんだが
272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 21:51:43.88 ID:BeEXxLvt0
天皇は自分の気に食わない内奏がなされると、同意を与えず、書類を留め置くことがあった(岡田啓介回顧録ほか)
この場合、天皇の意向を反映させるように再検討が行われる(山澄貞次郎)
企画院総裁の鈴木貞一も「戦争を止め得たのは天皇だけ」と断言してるし、
近衛も「お前の思うほど心配することはない」と言って日ごとに開戦論に傾いていくと嘆いている(富田健治)
「天皇の側近には内大臣はおらず、侍従長はおらず、真に陛下お一人の裁断によって全て事が運ぶ」
(木戸幸一、226事件後に語る)
そして226事件以降は天皇の権限の飛躍的強化に関連して、内大臣の政治的比重が増大する
ほかにも史料はまだまだあるから投下してやろうか?嘘つきさんよ
>>543 メディアの責任についてはお前の言うサヨクもとっくに言及済み。
保坂正康もしきりに言及している。
天皇の玉音放送にはどこにも国民に対する戦争責任、連合国に対する開戦責任に言及する文言はない。
僅かに皇祖皇宗の神霊に対する責任を明言するが、同盟国に対しては「遺憾」、
臣民の犠牲者に対しては心痛を述べているに過ぎない
それとマックの1945年の戦後改革、民主化指令で農村部は神様仏様マック様状態になったんだよ
自作農が一気に増えたんだから。組合結成もマックの指示。どこが奴隷だよw
一方で天皇は昭和21年の段階でこうだぜ
「日本人の教養未だ低く且宗教心の足らない現在、米国に行はれる『ストライキ』を見て、それを行へば民主主義国家になれるかと思ふ様な者もすくなからず、
これに加ふるに色々な悪条件を利用して為にせんとする第三者ありとせば、国家経済再建の前途は誠に憂慮に堪へぬと申さねばなりません」
これに豊下さんは激怒しているわけだな。ほんの1年前まで限りない宗教心を持って天皇のために300万人もの犠牲者を出したのは、
一体どこの国民だと。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/15(木) 19:12:21.65 ID:7HHxeBS90
国民国家として命運をかけ、正当な戦争権を遂行しただけでそれ以上の責任も糞はない。 天皇は独裁者でもなんでもないし。 さらに当時の軍部も特殊な奴らでない。 言ってる事は負けたから、どうしてくれるんだってだけ。 天皇云々を論ずるなら、その前の士農工商制に戻せと唱えなきゃ矛盾してるしね。
2・26までは侍従長の鈴木を親代わりと言うぐらい信用して自分の代弁者としても 任せられてたけど、それが殺されかけたから軍部不信が強くなったんじゃないか
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/16(金) 01:11:18.03 ID:xyC1lwCeO
>>545 誰にそんな嘘を教えられたかしらんが、それはアメリカ合衆国の公式資料でも明らかだ。
英語が読めたら、ワシントン行ってこい。
当時、アメリカは日本を飢え死にさせ、いっそう荒廃させようとしたが、マッカーサーが、天皇陛下との会談で作戦を実行しなかった、それはアメリカでマッカーサーが、大統領になれずに糾弾される理由ともなったんだから
ソースある話をでっちあげるなよ
日教組くん
マック会談で昭和帝はそんなこと言ってないと言い出したのは宮内庁関係者だったと思うが 雅子やらをのさばらす宮内庁の魑魅魍魎たちの言うことよりもアメリカの方が信用できるわ
>>550 お前のその妄想はどこから湧いてくるんだ?アメリカの国立公文書館のどこの資料に書いてあるのか、
その公式資料を示してもらいたいね
アメリカは占領初期までは確かに日本の軍備に繋がる重工業の再建を制限したが、
冷戦の進行に伴い方針を一転させている。
マッカーサーがトルーマンの不興を買ったのは日本の占領方針とは全く関係ないことは周知
上に挙がってる研究成果は今日では反対派の研究者も言及せずには済ませられないことだが?
>>550 君の書いてることが事実なら、近代史上の大発見となると思うが、
1 アメリカが日本を飢え死にさせようとした方針の公式文書
2 マッカーサーと昭和天皇の会談は11回あるが、どの回で方針回避を決めたのか
また、マッカーサーがそう決めたとする裏付けられる史料
3 1と2によってマッカーサーの大統領選に敗れた因果関係の具体的な根拠
僕の知る限り1と2の存在は知らないし、マッカーサーの大統領選挙敗退は、
単に共和党候補選で得票数で敗れたという以外の理由があるとは思えない。
民主党のトルーマンが共和党候補の趨勢を左右できるとは、アメリカの大統領選挙の
構造から考えても不可能だと思うんだが。
マッカーサーにやらせ続けたら中国に原爆落としかねなかったんでクビにしただけ。 食糧支援については最初からやるつもり。 日本人を飢えさせて占領統治を困難にするのはマッカーサーの本意じゃない。
日教組ばっかだな ニュー速なら、あっという間に論破だな おまえら天皇陛下きらいなのに、ジョンイルはどう考えてるのか知りたい。 すれ違いとかスルーするなよ
>>556 はほんまもんの基地外らしいな
ジョンイルが好きな奴が天皇の政治関与を指摘してるとでも思ってるらしいわ
それと昭和天皇が嫌いな奴が昭和天皇の戦争責任を論じていると思ってるらしい
裁判官は被告人を、歴史学者は歴史上の人物を好き嫌いで評価するとでも思ってんのか?
>>549 鈴木襲撃が天皇を激怒させたことは確かだろうけど、それは軍部不信でも陸軍不信でもない
爾後も阿部、畑、東条あたりはオキニ。逆に宇垣嫌いを隠そうともしなかった。
天皇は自分に忠実な官僚タイプの人間は好き、政治的行動を取る人間は嫌いというだけの話
>>549 鈴木襲撃が天皇を激怒させたことは確かだろうけど、それは軍部不信でも陸軍不信でもない
爾後も阿部、畑、東条あたりはオキニ。逆に宇垣嫌いを隠そうともしなかった。
天皇は自分に忠実な官僚タイプの人間は好き、政治的行動を取る人間は嫌いというだけの話
昭和天皇は非開戦論者だったんだよな だから、開戦派だったが、陛下への忠義キチだった東條を首相にして、最後まで、軍部を押さえ 交渉による解決を図ったが、スパイで情報もれまくりでハルノートをみて、東條が諦め、開戦しかないと言って、それは国民の総意かっと言ったそうだ NHKで見たよ ちなみにルーズベルトは白人主義の人種差別者だったんだよな
ハルノートは東郷が騒いでるだけで交渉上そんなに重要な文書ではない それと昭和天皇は11月の御前会議の時点までに明らかに開戦不可避に傾いている 当時の重臣で開戦絶対不可論者だった近衛が「お前が言うほど大したことはない」 と言って日々開戦に傾いて行かれる、と嘆いてるよ
陸相時代の東条は陸軍の後押しで対米強硬論を主張して近衛の融和論と対立 ↓ 近衛の融和論は昭和天皇も支持していた ↓ 陸相の東条と外務大臣の松岡による抵抗に抗しきれず近衛が政権を投げ出す ↓ 木戸ら宮廷や重臣によって尊皇の東条なら流れが変わると期待して東条内閣を推薦 ↓ 昭和天皇も「毒をもって毒を制すだね」と賛成 ↓ 首相になってはじめて昭和天皇が開戦に反対していたことを知った東条は戦争回避を模索する ↓ 野村がハルノートを最後通牒と勝手に判断 ↓ こうした国内の趨勢から開戦回避は後戻りできない状況に
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/18(日) 09:54:40.66 ID:6UMdUsUt0
大日本帝国憲法では宣戦布告の権限は、統帥権をもつ日本軍の大元帥である昭和天皇がもっている。
長州嫌いだった東条はなんで松岡をほっといたんだろう いずれ暗殺するつもりだったのかな
>>562 その近衛さんが嘆いとるんですよ。9月から11月の御前会議の間にどんどん意見が変わっちゃったと。
実は東条が首相になって止戦工作をやっている頃、昭和天皇は「ご決意あそばされた」様子だったんだよね
結局西園寺・白川・鈴木程に安心して任せられるのがいなかった。
>>559 の阿部・畑・東條がこれらほどの信用を得ていたとは思えんね。
当時、日中戦争の拡大を防げなかったとして、内閣をやめさせてるし、海軍が熱烈に指摘したアメリカに勝ったり、長期に戦線を維持できないことはわかっただろう ハルノートは、一応は最後通牒ではなかったけど、日本が譲歩できないように作られたから、実質的には最後通牒だよ アメリカは開戦を望んでいた可能性もある だいたい、日本のギリギリの譲歩案を知ってながら、それ以上の要求をだしたんだから その上での開戦だったんだろ 山口多門とか生きてきたら、ガダルカナルに固執しなかったらとか、張さく林が爆殺されなかったら、とかいうときりがないが、早期の講和もありえたんだがな
そもそも、天皇に軍服を着せた薩長が悪い。
昭和天皇は明治天皇以来、はじめて平服(背広)を着た姿で公の場に出た人なんだよね。 大正時代に皇太子時代はそれが新鮮で若い女性の間で話題になった反面、ソフトなイメージが 大元帥として相応しくないとして軍部らからは不評だった。
>>567 すぐそうやって陰謀論に持っていく。
日本のぎりぎりの譲歩案も何も、9カ国条約を締約国が破ってどうするの?!
アメリカが満州だけはOKにしましょうなんて公然と言えるわけないじゃん
それこそアメリカにぎりぎり以上の譲歩を強いることになる
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/19(月) 14:38:41.35 ID:ywEVSLY60
「木戸幸一日記(下)」では、 11月30日、高松宮は天皇に「海軍は日米戦争を避けたがっている」事を言う。 天皇は木戸に不安感をもらす、その時の木戸の対応は。 「今度の御決断意は一度聖断被遊るれば後へは引けぬ重大なるものであります故、 少しでも御不安があれば充分念には念を入れて御納得の行く様に被遊ねばいけな いと存じます、就いては直ちに海軍大臣・軍令部総長を御召になり、海軍の直の 腹を御確かめ相成度、比の事は首相にも隔意なく御話置き願い度いと存じます」 これが開戦の聖断に至る結果ですね。
急速に国力を強大化させる日本国(黄色人種)の存在を懸念した 米国の画策によって、日本は真珠湾攻撃へと踏み切らざるを得なかった。 戦後、単一民族(日本)の優秀性を懸念した米国は、日本を混乱させるべく 政府、企業の重要ポストへ朝鮮人を組み込み、日本が混沌とするように仕組んだ。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/19(月) 21:08:11.50 ID:Q3fGDB610
現実に対米戦争に突入にしたわけでifを書いても無意味だが 試みに俺の主観を書く ・少なくてもWW2勃発時には政策変更のチャンスが有った ・維持すべき国益は満州利権 ・対中戦争は大幅な譲歩をしても(満州国消滅を含めて)解決しなければ (英米との直接対決の遠因、そもそもアメリカとの貿易なしに戦争継続は不可能に近い) ・独ソ中立条約の成立は一時的でも親独派の勢いを削いだ 書いてても空しいけれど・・・
>>573 その通りだけどそれが無理だったから戦争になってるわけで・・・
非常に残念だったのはトラウトマン工作を打ち切ったときのこと。
あの時は多田参謀次長が石原に近い人だったんで参謀本部の意見として
事変不拡大と交渉継続を要求してたんだよね。
あのまま交渉を続ければ事変不拡大を政府の統一見解として、中国派遣軍や
関東軍に厳しい措置も取れたんじゃないかな?
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/19(月) 22:00:20.84 ID:ywEVSLY60
日中戦争が始まって、三国同盟から仏領インドシナ占領してる時点 でアメリカと交渉できるわけないからな。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/19(月) 22:08:50.13 ID:HkW20lYO0
アメリカなんて紳士協定平然と破る国なのにおこがましいわね。 9カ国条約なんて日英同盟を失いアメリカに散々妥協して結んだ条約。 弱腰外交は取り返しつかない過失を生むわね。
577 :
忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2011/09/19(月) 23:05:57.66 ID:+z2muJI+0
!ninja
>>576 日独伊三国同盟が決定的に駄目なんだよ。
昭和天皇はあれが対米牽制として働くことを期待して最後は賛成に回ったが、
現実にははっきり恫喝者として日本を印象付けてしまった。
ちなみに近衛手記は、当てになはらんよ 近衛自殺後、重光葵らから、自分に都合よくこじつけていると叩かれ 昭和天皇もそういってるし そもそも近衛の案はスターリンに和平させるとか、皇道派の登用とか、沖縄を見捨てるとか、伊豆諸島を日本の信託統治にするとか、無茶苦茶だと言われてるし、 だいたい当時はあいつは馬鹿だからって言う風評だったんだろ それよりも掘参謀のフィリピン迎撃が実行されてたら、戦局は変わったかも 不毛の大地かなんかで美化されてる奴がいなければなあ
>>579 近衛手記なんてこのスレのどこにも挙がってないよ、何を勘違いしてるの?
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/20(火) 16:53:50.15 ID:jXmIREb+0
>>578 満州事変やシナ事変でアメリカから恫喝をすでにされていたわけだからね。
だからよく言われている。日米開戦がアメリカがABCD包囲網をしたから日本は仕方なく開戦した。
なんて言う理由は論点がずれてるように感じるんだよね。
もちろんアメリカが民主主義を普及するために始めた正義の戦争だとも思ってないが。
>>581 は?565は近衛自身が手記で嘆いてるわけじゃないぜ???第三者の証言だよ
複数の重臣、軍人も天皇がこの時期ご決意を固められた様子であることを明記している
昭和天皇の決断は常に裏目、裏目。松岡がよく日独提携の責任者としてやり玉に挙がるが、 天皇はあれほど松岡を嫌っていたのに日独提携じたいには最後は黙認支持の態度を取ってるんだよな
アメリカは満州事変前から恫喝してるよな。 大恐慌で米英ソがブロック経済化。 シナの門戸開放を名目にことごとく干渉してきながら、自国は門戸開放拒否。 資源がない日本が満州に目を向けるのは至極当然。 満州を独立させる為に満州事変になる。
だから満州で止まってれば日米開戦は無かっただろ。 際限なく中国戦線に深入りするから締め付けが厳しくなって 警告されてたのに南部仏印進駐するから禁輸と資産凍結食らった。 大体日本から依頼したリットン報告書を待たずに満州国承認に走ったのが致命的。 報告書の提言は日本にかなり甘い内容だったのに。
リットンなんか、始めから結果わかってただろ アメリカは中国利権が欲しかったし、植民地を維持したかったわけだよな 日露戦争でも、中国利権への介入したかったから、ロスチャイルドに金を出させたんだろ、だけど、日本が利権を独占しようとしたのが遠因にあると思う。 ABCD包囲網は不戦論の海軍を、開戦、短期決戦にかえさせているし、日本には、門閥化が進み、政治家は上手く難局をのりきれなかったんだろ 大政翼賛会だって、意図してできたわけではなく、政治家が勝手にやったわけだしな 昭和天皇はかなりの英才だったし、度胸もあったし、海外留学もしているし、むしろ、議会や内閣がなく、天皇親政なら開戦はなかったと思うわ
対中戦争の初期なら昭和天皇の感覚で何とかなっただろうが、 もう盧溝橋事件の段階になると昭和天皇にもいかんともしがたいね。 この頃から天皇が軍の人事、内閣の人事を完全に掌握するようになり、 結果少しずつ希望的観測に引きずられて裏目ったわけだから それと中国にアメリカの植民地はないよ。門戸開放を掲げたアメリカに中国側も好感を抱いている
昭和天皇の感覚で何とかなったのは2・26までだろうな。 嫌いなのはわかるが、どうしようもなくなってから東條で「毒をもって毒を制す」 なんてことになるくらいなら、軍縮の実績から宇垣内閣成立を助けてやればよかった
宇垣内閣の流産については陸軍内部の反発が強かったから、昭和天皇がどうすることも できなかった出来事だったと思うよ。実際に宇垣は天皇からの陸軍大臣推挙を宮内相の 湯浅に打診したけど、その話は昭和天皇の元に行く前に湯浅が拒否してしまった。
中国にアメリカの植民地はないけど、 日露戦争で中国進出の足がかりを 確保することを目的にしている そうでなければ、日本の見方はしねぇはずだ
逆に言うと、アメリカは日本に、開戦させない工作してたのかな
阻止したら木戸に頭叩かれたんだよ。
>>590 それは昭和天皇が推挙されれば宇垣を受け入れたような書き方だけど、
実際には昭和天皇はあのような人物にやらせてはならぬとまで言い切ってるんだから、
ほとんどナチ、ファッショと同じくらい嫌われていた。タラレバだよ
>>594 どうかな。宇垣を推挙したのは西園寺だったから、昭和天皇が拒否した(或いは否定的だった)
という方が「たられば」だよ。僕が書いた
>>590 の内容は事実しか書いてない。
昭和天皇は組閣が失敗したときに、宇垣に同情的だったとする原田日記の記述もあるからね。
しかし確かに湯浅が断ったって話になってるけど 大命降下した首相候補の要請を内大臣の一存で拒否できるもんかね?
その同情的だったという記述じたい疑わしいんだよな。 天皇本人が嫌悪感をむき出しにしているんだから
おそらく昭和天皇が宇垣を忌避している事実は陸軍に伝わってるね。 組閣前後は天皇もさすがに宇垣忌避の言動を控えたのだろうが 今でも人事で露骨に拒否はしなくても、周囲の人望を理由にご破算に持っていくパタンはある 少なくとも天皇が積極的に支持しなかったのは間違いない、それだけで致命的だよ
>>596 湯浅に限らず、当時の宮内関係者は政治の動向に天皇に累が及ばない様に
ガードする傾向が強かったんだけどね。
>>599 となると、開戦の責任は天皇にはないわな
>>601 組織犯罪(暴力団)なんかで天皇的な言動をしたらまず間違いなく共謀共同正犯
当然あります。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/23(金) 12:43:45.19 ID:XAbhjknu0
現在のように、天皇が政治に関与しないのなら責任はないけど 御前会議を開いて、その結果、天皇が開戦を決断してるわけだから責任は あるよ。
この戦争に勝ってたら、責任はないわけだから、敗戦の責任は、軍部にあるわけだから、やはりないのでは イギリスがシンガポール陥落しても、王室をせめないだろ 当時の日本よりイギリスの方が積極的だったし
大平洋戦争時の天皇と英国王室は、その役割が全く違っていたから 英国王室を例に引いて天皇の戦争責任を語ってもあまり意味はないね。 英国王室は「君臨すれど統治せず」大日本帝国天皇は「君臨し統治もする」だったから。 それに加えて、外地の植民地の動向ではなく、当時の日本は本土が陥落されている。
天皇が独裁者だったらそもそも戦争してないだろ。 天皇主権は建前だし、実際は民主主義だったから。 戦争を判断決断した大臣や軍部も国民。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 18:14:12.26 ID:73R2ds/20
>天皇が独裁者だったらそもそも戦争してないだろ 独裁者は極論。天皇を含めた首脳陣は責任はある。 >天皇主権は建前だし、実際は民主主義だったから。 独裁ではなくともすべての政治最高権限は天皇にある。憲法に定期されている。 一方国民は臣民。民主主義というなら北朝鮮も民主主義国家ですね。 >戦争を判断決断した大臣や軍部も国民。 国民は幼年から教育によって、天皇に忠誠を誓うように洗脳されている。 朝鮮学校を非難できないような内容。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 19:32:56.61 ID:u0KukLwK0
戦前の憲法も、天皇に政治決定の権限など存在しない。 天皇が勝手に政治を動かせたら、大日本帝国憲法に違反する。 天皇は憲法の規定に拘束されてるし、議会もあり政権交代もあった。 忠誠を誓うなどと、アメリカは現在でも普通に神だの忠誠だの言ってるわね。 戦前が民主主義でないというなら、イギリスもアメリカも民主主義でない。 北朝鮮はそもそも共産独裁体制でまったく違うわね。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 20:07:40.42 ID:73R2ds/20
>戦前の憲法も、天皇に政治決定の権限など存在しない。 >天皇が勝手に政治を動かせたら、大日本帝国憲法に違反する。 政治的決定は天皇がしている。憲法も違反していない。 >忠誠を誓うなどと、アメリカは現在でも普通に神だの忠誠だの言ってるわね。 >戦前が民主主義でないというなら、イギリスもアメリカも民主主義でない。 >北朝鮮はそもそも共産独裁体制でまったく違うわね。 すり替えと極論、お前の方式使えばりんごでもみかんと言える。
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 20:39:43.49 ID:sKuLxhzu0
明治憲法には、国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要スと 規定があり、輔弼する国務大臣の副署がない場合は無効とされる。 戦前から議会があり、政党があり、選挙があり、経済は資本主義で人々は自由に商売を行い、投資行為を行っていた。 さらに大東亜戦争終結まで一種の国家非常事態にあり、その状況の中で国民の権利が制限されたりしたのはある意味至極当然。 アメリカでも戦時中は日系アメリカ人が全員財産を剥奪されて強制収容所に入れられてる。 戦前と北朝鮮の独裁体制を同じにする方が愚かしいすり替えですな。
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 21:06:35.94 ID:sKuLxhzu0
>>588 アメリカは自国はブロック経済で守るが、アジアは門戸開放されてるべきと言う自己中論。
ブロック経済で成り立ち鎖国してた日本を、鯨の為に武力で脅し開国させ不平等条約を結ばせた。
以後、日本は発展に従い貿易通商が日本の生命線になった。
日露戦争でようやく不平等条約を改正して一流国の上ったら。
満州利権に嫉妬し、門戸開放を名目に干渉。
散々日本が妥協してワシントン条約が結ばれ、アメリカの言い出しで海軍の軍縮も結んだのに、日系移民を排外するわ、自国はブロック経済で日本の通商を締め出すわ、日本を自給自足のブロック経済構築、満州事変大東亜共栄圏に追い込んだ。
そのくせ自分の都合で艦隊軍縮を破り建設するわ、アジアのブロック経済を好まないとして、戦争に追い込むわで。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 21:30:24.93 ID:73R2ds/20
天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リテ之ヲ行フ と規定されており国民は臣民とされ、天皇主権が明文されてる。 規定があり、輔弼する国務大臣の副署がない場合は無効とされるつまり 天皇が署名しないと無効であり、現在のように天皇が政治に関与しないという わけでなく御前会議をして納得の上で天皇が承認している。 開戦も終戦も同様に天皇が決めている。
憲法には規定がないので、内閣の権力は弱いと思われがちだが、政策の実質的な決定権は内閣にあった 天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である その発動には、元老の賛成や内大臣の輔弼責任が伴うが、昭和天皇はそれを発動することはなかった もし拒否権が行使されたら、内閣総辞職になり、新しい内閣で政策のやり直しが行われることになる 閣議は、全会一致でなければならないが、開戦の決定の場合は、全会一致で決まったので問題なかった 終戦の場合は、陸相が反対で閣内不一致のため、そのままでは総辞職にならざるを得なかった(現行憲法のような、首相に大臣に対する罷免権がなかった) 仮に新しい内閣ができても、新しい陸相はまた反対して同じことになる あるいは、陸相は陸軍が決めるため、陸軍が推薦拒否に出て、新首相は組閣失敗で大命辞退に追い込まれてしまう そのため天皇の聖断に頼るしかなかった しかし、これは明らかに首相の輔弼責任の放棄であり、憲法違反であったので、ポツダム宣言受諾後、鈴木首相は責任を取って辞表を提出したのである ちなみに御前会議も、内閣が軍の同意を得て開催するのだが、最後の御前会議は、軍の同意を得られそうになかったので、内大臣の同意を得て特別に天皇による緊急召集という形で抜き打ちに開催された
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/24(土) 23:37:55.51 ID:73R2ds/20
「ポツダム宣言の条件中には日本天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざるこ との了解の下に日本政府は之を受諾す」 ポツダム宣言を受諾するか否かは天皇の地位だけの問題にして反対意見がでてるだけ 天皇に決めてもらうのは至極順当。
>>612 ではなぜ陸軍でもない松岡を辞めさせるために第2次近衛内閣が総辞職したんだよ
もういい加減見苦しい弁解はやめろって。
>>603 何を言ってるんだよ。英王室こそ君臨すれど統治せずの議会主権が確立してるだろ
軍の統帥事項は大元帥陛下に全ての権限が集約されて人事から作戦から容喙してる日本と
イギリスを比べてどうすんだ。
こういうアホレスが挟まると議論が全部振出しに戻るんだよな…
イギリスには憲法自体がないよwww
イギリスは憲法ないよね フォークランド戦争の時も、サッチャーは、イギリスは女王陛下の臣民はをひとりたりとも見捨てたりはしない、と開戦してるしな
>>616 何の話をしてるの。イギリスの17世紀〜18世紀の議会主権の成立を習わなかった?
不文憲法と成文憲法も習わなかった?
>>612 > 憲法には規定がないので、内閣の権力は弱いと思われがちだが
いやいや、そんな風に思ってるのは日本の憲政史を分かってない人だけだと思うよ。
大日本帝国憲法を制定するに際して、君主の権限が限定されていたベルギー憲法や
内閣が議会に責任を負う英国の議院内閣制の採用を見送り、内閣は国王に責任を負う
プロイセン型の憲法を採用したのは中学生くらいで学ぶ話。君は中学のときに歴史を
ちゃんと履修してなかったのか?
> 天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である
拒否権じゃなくて「決定権」だよ。帝国憲法を良く読んでごらん。それから、元老というのは
帝国憲法では憲法外の慣習制度で、天皇が政務をする助けをする役割を担っていたが、
元老の賛同を得られなければ天皇が君主大権を行使できなかったということにはなってなかった。
元老はあくまでもアドバイザー。だから西園寺が死去してからは元老制度は維持されなかった。
その後は宮内府を軸とした重臣会議が重要な役割を演じた。内大臣も元老ほど影響力はなかったが、
電脳をサポートする役割を担っていたために、組閣には大きな影響を与えた。
それから鈴木貫太郎が辞職したのは憲法違反だったからというより、自分の不徳を恥じたという
表向きの理由だけではなく終戦を導く仕事を終えたから。確かに慣例上、御前会議で聖断を仰ぐ
というのは異例のことだったが違憲性のある行為だったということではない。
最近のネトウヨは非国民だな。 国体明徴声明を見よ。これが戦前の政府の公式見解だ。これ以前は天皇機関説が機能して いたかもしれないが、1935年8月3日以降は天皇にも責任がある。 恭しく惟るに、我が国体は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、 万世一系の天皇国を統治し給ひ、宝祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法発布の御上諭に 国家統治の大権は朕が之を祖宗に承けて之を子孫に伝ふる所なりと宣ひ、憲法第一条には、 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治すと明示し給ふ。即ち大日本帝国統治の大権は厳として 天皇に存すること明かなり。もしそれ統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の 機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり。 近時憲法学説を繞り国体の本義に関連して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。 政府はいよいよ国体の明徴に力を効し、その精華を発揚せんことを期す。 乃千茲に意の在る所を述べて広く各方面の協力を希望す。 暴に政府は国体の本義に間し所信を披涯し以って国民の響ふ所を明にしいよいよその精華を 発揚せんことを期したり。抑々我が国体における統治権の主体が天皇にましますことは 我が国体の本義にして帝国臣民の絶対不動の信念なり。帝国憲法の上諭並条章の精神亦姦に 存するものと拝察す。しかるに漫りに外国の事例学説を援いて我が国体に擬し、 統治権の主体は天皇にましまずして国家なりとし、天皇は国家の機関なりとなすが如き 所謂天皇機関説は、神聖なる我が国体に悖り、その本義を愆るの甚しきものにして厳に之を 芟除せざるべからず。政教其他百般の事項総て万邦無比なる我が国体の本義を基とし、 その真髄を顕揚するを要す。政府は右の信念に基き姦に重ねて意あるところを間明し、 以って国体観念いよいよ明徴ならしめ、英美蹟を収むる為全幅のカを効さんことを期す。
>>614 そこに書いているように、首相には大臣に対する罷免権がないから、辞表の提出を拒む大臣を辞めさせるには総辞職しかないのは当たり前である
そうしなくても、閣内不一致で総辞職にならざるをえない
>>610 憲法を読んだだけでは、戦前の体制はわからないんだよ
内閣の力が弱いというのは、そこに書いているように天皇の権力との関係で言っている
すべての政策の決定権は内閣にあり、天皇はそれに対する承認権(YESかNOか)があるだけであるということだ(もちろん内奏段階での関与はあるが、政策を決定するのはあくまで内閣である)
すべての法令は、天皇の御名御璽のあとに、総理大臣及びその他の大臣の副署が入れられて初めて効力を持つ
The king can do no wrongというのは、君主が政治的なの間違いを犯すことができないというシステムが作られているということであり、日本の場合もそうである
それが副署システムである、副署は政策の決定者が御名御璽のあとに最後にすることでその輔弼責任を明らかにすることでもある
人事の辞令の官記の副署も同じである、それの決定に責任のある人物が副署をする
総理大臣の官記の副署は、内大臣がする(新総理の選定は、天皇による内大臣のへの諮問で始まり、元老がいるときは、内大臣と元老の話し合いで決め、元老がいなくなったときは、内大臣主催の重臣会議で決め、それを内大臣が天皇に推挙した)
推挙された人物に、組閣の大命降下がなされ、その人物は現在と同じように組閣本部を立ち上げて組閣し、組閣名簿を天皇に提出する
したがって、その他の大臣の官記の副署は、それを決定したことでその任命の輔弼責任を負う総理大臣がする
なお日本の憲法体制は、大正末期から昭和初期には、責任内閣制に近いところまで行っていた
例えば、昭和6年に、幣原首相代理が、衆議院で海軍軍縮条約について、それで国防は大丈夫かという質問に対して、「陛下が批准されているから大丈夫」と答え大問題になった
そもそも幣原は国会議員でも政党人でもなかったので、そのような人物が首相代理につくのは憲法上問題であると批判されていたところにこの事件が起こり、野党もマスコミも「責任内閣制の否定であり、超然内閣としての本性を現した」と大攻撃して、一週間審議がストップした
その後、テロや美濃部の天皇機関説問題が起こり、責任内閣制は終了したが、それは内閣と議会との関係が変わっただけで天皇と内閣の関係が変わったわけではない
開戦の責任という定義はそもそも何? オバマやブッシュやサッチャー、パンギムンにもあるのと同じものかな それなら、毛沢東やスターリンとかの方が桁ちがいに殺してるぞ そもそも開戦を回避する方法はあったのかな まずは、開戦責任を定義してくれ
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 02:49:02.16 ID:MME9lcay0
>>621 はぁ?内閣総理大臣に任免権がないと言うのは決定的だろ
首相が同輩中の首席に過ぎないと言うことは他に決定権の所在があることになる
帝国憲法と日本国憲法の最大の違いを知らずに何言ってんだよ
しかも天皇は226以降、後継首班をこの中から選べと言ってるだろ
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 02:52:19.63 ID:MME9lcay0
>>621 当たり前だよ。天皇と内閣総理大臣の関係は常に天皇の諮問を受け、内奏を怠りなく行い、
意に沿わないと決裁印を教えてもらえない関係だったと言うのはこのスレにとっくに挙がってる
なに立憲君主制が戦前も成立していたかのようにねつ造してんの?
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 02:56:22.04 ID:MME9lcay0
結局
>>621 は内奏の影響力を非常に低く見積もろうと言う点で
昭和天皇の弁解の焼き直しと大して変わらないんだよ
事実は内奏を天皇から催促されることもあり、その場で叱責を受けることもあった
戦後の日米安保条約の締結過程で豊下がとっくに天皇関与によって吉田政権の政策が曲がったと研究出してるだろ
天皇は戦後もたしなめられるまで、岸内閣までは意思表示を行ってたんだぞ
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 03:00:26.25 ID:MME9lcay0
それともう1個。天皇機関説事件の結果政府が二度にわたって出した国体明徴声明を、 なぜか責任内閣制の問題にすり替えているのが悪質すぎる 国体明徴声明は天皇が国家の機関だと言う視点そのものを排除しているのであって、 もろに天皇と国会や内閣ら国家の諸機関との関係をはっきりさせたもの
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 03:05:45.25 ID:MME9lcay0
>そうしなくても、閣内不一致で総辞職にならざるをえない 総理に任免権がなく、内閣の一体性を担保する権限が天皇に留保されてるなら、 閣内不一致で総辞職せざるを得ないと言う根拠はなに?
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 08:02:40.70 ID:0ZnADRLq0
天皇が承認とか言ってるけど内閣総理大臣は天皇の家臣に過ぎないから 天皇が嫌だと言えばなにもできない。
>>621 > 憲法を読んだだけでは、戦前の体制はわからないんだよ
その通り。憲法条文「だけ」では帝国憲法体制は理解しきれない。これは制憲史では比較憲法学分野でも
多くの学者が指摘しているところだ。問題となるのは、その運用実態であって天皇が有していた広大な
憲法外の権限を含めて(もちろん、元勲など憲法外の制度や実態も)、どう運用されたのかという、
史実から浮かび上がる実態を踏まえないと何も分からない。とはいえ、憲法条項は基礎知識として
理解できているかという前提を踏まえなければ、どの様に運用されたのかも分からないわけだよ。
> すべての政策の決定権は内閣にあり、天皇はそれに対する承認権(YESかNOか)があるだけである
上に挙げた運用実態をまったく分かってないね。天皇が有していたのは承認する権限ではなく、
統治権の総覧者としての国権の主権者としての最終決定権だ。事実、昭和天皇は不満がある内奏や
言挙げに対しては、相手に会わないことや質問を加えることで認識を相手に伝えていたし、
組閣について内大臣に意見を言って大臣の変更を指示したことも一度じゃなかった。
> 総理大臣及びその他の大臣の副署が入れられて初めて効力を持つ
本来副署というものは、天皇(君主)が責任を負わない為、責任の所在を明確にするために
担当大臣が署名するというロジックで成り立っていたもの。君主無答責が前提になっていたからね。
天皇は命令は下すが責任は負わなかったというのが帝国憲法上の天皇の立場。
> 大正末期から昭和初期には、責任内閣制に近いところまで行っていた
所詮は政党政治を推進した西園寺らによる運用で行われたことだったから、統帥権干犯問題や
機関説排斥運動によってものの見事に崩壊したね。それだけ憲法の制限規範が脆弱だったということ。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/26(月) 13:01:58.50 ID:0ZnADRLq0
ここで田中義一事件。
いろいろ書いているようだが、いちいち反論するのは面倒だから、とりあえず美濃部達吉の憲法解説書を読んでもらいたい 私が、憲法を読んだだけではわからないと言ったのは、ほかの法律もそうだが、専門家の解説書を読まないと条文を読んだだけではその法律そのものが理解できないという意味である さいわい美濃部の本は、国会図書館の近代デジタルライブラリーのサイトで読むことができる 「憲法撮要」と「憲法講話」があるが、「講話」の方は、中学教師のための講演を本にしたものだから非常に読みやすいし、発禁処分にもならなかった ここで問題になっているのは昭和天皇の時代であるから、まずは大正末期から昭和初期の政党政治の時代にどのような憲法運用がなされていたかを理解することが重要である 政党政治の時代は美濃部の憲法理論が支配的であった、美濃部の理論は、一木喜徳郎がイェリネクから取り入れた国家法人説を議会主義的に発展させたところに特徴がある まずこれを理解して、昭和10年以降、何が変わって何が変わらなかったかを理解しなければならない
>>632 その程度の前提は踏まえているので心配無用だよ。美濃部の機関説が一時期は
憲法学の通説としてそれなりの影響力があったことももちろん分かっている。
面白いのは美濃部と上杉との論争で学問的には美濃部に軍配があがった一方で、
昭和天皇が皇太子時代から法学の進講係をしていた行政法と憲法学専門の清水澄も
実務分野では大きな影響力を持っていたこと。そうした事実を君は知らないのかな?
清水は天皇主権説の穂積の弟子に当たるが、彼は国家法人説と天皇主権説を折衷させ、
行政官や宮内筋に対しては絶大な信頼感を持っていた。機関説排斥運動で美濃部が失脚してからは
日本の法学分野は清水の独壇場となったが、それは敗戦で帝国憲法が廃されるまで続いた。
日教組は、不利な質問には答えないんだね こうしたら回避できたとか、昭和天皇が、積極的開戦論でないのは明白 あの時、誰も回避はできなかった できた前提の証明が全くない
いま不利な質問に答えてないのは、
>>632 のほうだよ。
いちいち反論するのが面倒なほどの批判は1つもないよ。
反論できないんでしょ?だから戦前の憲法理論にどんどん話を逸らしていく
法学部舐めとんのか
> すべての政策の決定権は内閣にあり、天皇はそれに対する承認権(YESかNOか)があるだけである と主張してる人に聞いてるんだよ。こんな認識は1937年以降の天皇の政治的関与の形態と全く矛盾する
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/27(火) 08:39:38.01 ID:/H9sAU3/0
「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/27(火) 10:27:03.01 ID:AZjxe6pt0
>>604 >>英国王室は「君臨すれど統治せず」
その認識はもう古いよ。君塚直隆の一連の著作特に『ヴィクトリア女王』と
『ジョージ五世』を読めば、近代のイギリスの君主も政治関与していたことが分かる。
政治関与の度合が違いますな。 昭和天皇の場合、対中戦争の進行と並行して政党政治が機能しなくなっている。 天皇抜きではいかなる政治過程も成立しない。 対中戦争の後半には完全に「天皇の戦争」になっているから、 比較するならヴィルヘルム2世か、低く見てもヴィットリオ・エマヌエレ3世。
ついでに言えば、新憲法施行後に昭和天皇がおとなしくしていたような認識も 完全に古いと言うか間違いですぞ。
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/28(水) 01:26:41.01 ID:RDTl/34sO
結局、論点を変えて、日教組はこたえませんでした こちらは元法学部だ 偏差値高いよ 立命館や法政とはわけが違うよ
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/28(水) 02:13:52.13 ID:RDTl/34sO
ざいけいほうていしゅぎ 知ってたら、東京裁判すら無効 わかるよね〜
日教組がどうたらって時点で敗北宣言 読む価値ないわw
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/28(水) 08:07:36.99 ID:xc60IYEW0
罪刑法定主義を国際法の世界に持ち込んでる時点で少々… 分かってない人は国内刑法刑訴法をそのまま国際刑事裁判に持ち込むんだよね しかも日本でも旧刑法で電気窃盗事件があったわけだが
対内上の法理である罪刑法定主義を、国際軍事法廷の法理として当てはめして用いて「無効」などと 言い出す人が、本当に法学を専門に学んだのかという疑問があるね。罪刑法定主義というのは、法律を 事後的に適用して国家が個人を裁く恣意的な立法を禁止するという法理であって、国際法上の違法行為を 事前の条約(極東軍事法廷の場合はポツダム宣言及び降伏文書)によって、戦争犯罪を裁くとする条項を 日本側が受けいれているわけだから、法理上も法運用上も「無効」などという理屈は成り立たない。
日暮・牛村あたりがいまいちあやしいのはそこ。 しかも天皇の戦争責任と東京裁判の正統性の話は別物。 天皇の戦争責任を指摘すると、東京裁判がいかにアンフェアか力説して反論してくるのがいるが、 一般に言われる戦争責任は極東軍事裁判における有罪とイコールではない。もっと広い。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/28(水) 10:10:04.12 ID:xc60IYEW0
>>648 東京裁判に関してはね。ただこのスレのタイトルを良く理解すれば
罪刑法定主義などという言葉が出てくるはずがない。
それにここに書き込んでいる人はおおよそ日本人だろ。
また異論だけどもフランス革命・ムッソリーニ・チャウセスクや、
その他の王が裁かれる時に適用される法律はなかった。
まあどちらにしてもこのスレは裁判所ではなく歴史板として歴史的事実
を探求する板です。もしそのことが理解されなければこの板から黙って
出て行くべきじゃないの。
>>649 > 一般に言われる戦争責任は極東軍事裁判における有罪とイコールではない。もっと広い。
その通りだね。戦争責任という場合、法的責任だけではなく道義上の責任や国家指導者として
誤った選択や決定をした責任を問われるのは当然のこと。昭和天皇の戦後の半生が戦争責任で
彩られたのもそうした意味での責任であって、決して法的な責任だけの問題じゃない。
>>650 > 東京裁判に関してはね。ただこのスレのタイトルを良く理解すれば
> 罪刑法定主義などという言葉が出てくるはずがない。
元々スレ違いであることは理解してるよ。もちろん、東京裁判で弁護側が持ち出したのが
罪刑法定主義による弁明であったことを踏まえて、僕はそれを持ち出す法理的な齟齬を
指摘している。
> このスレは裁判所ではなく歴史板として
歴史を考えるときに、国際法を含めた法理上の問題だけを抜きにすることは出来ないでしょう。
それらを含めて当時の法運用の問題や運用者の認識なども含まれるのだと思うよ。
例えば豊下楢彦氏は天皇の責任問題を射程に、史学上の観点で昭和天皇の憲法運用の認識の問題を
取り上げていることなどがそれに当たるからね。
日教組おつ 毎日、日中に書き込みのは、おまえらかニートのネトウヨくらいだw おまえら、東京裁判が法的に有効なんて思ってんなら、頭ん中、安保で止まってんな もっといろんな学説を学んで、出直せ お前ら、まず、回避可能だった理由いえよ それがないと争点がまず、存在しない。 立場絶対原則なら、国民の行動全てに天皇は責任を持たねばならなくなり、まさに妄想 大日本帝国憲法の解釈は多々あるが、当時、独裁的権力を奮ってはいない 敗戦の責任は否定はしない、でも、開戦回避など、できるわけがない
>>652 平和に対する罪は、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判や
極東国際軍事裁判のために制定した「事後法」であるとして、
国家ではなく個人の責任を追及し処罰することは
法の不遡及原則に反していたとする
国際法学者の意見もある
共産党委員長も務めた田中清玄は、共産党組織の実態を知り、
後に、天皇制護持を強く主張するようになった。
1945年(昭和20年)12月21日、昭和天皇との直接会見時の最後に、
「他になにか申したい事があるか?」と聞かれ、
田中は「昭和16年12月8日の開戦には、
陛下は反対でいらっしゃった。
どうしてあれをお止めになれなかったのですか?」と問い質した。
それに対して昭和天皇は
「私は立憲君主であって、専制君主ではない。
臣下が決議した事を拒む事は出来ない。憲法の規定もそうだ。」
と回答している。
出展はwikiだが
第一次大戦後ヴィルヘルムの身柄引き渡しと裁判を要求した 一国である日本がそんな都合のいい寝言をほざいてもな。
サンフランシスコ講和条約において、天皇が自国の戦争に責任を負うべきものがあることを 承認するという条項は無い 「責任」と言うが、その定義が曖昧すぎる 明治憲法<大日本帝国憲法>第4条に、統治権の総覧があるが、 それは、「この憲法の条規に依って行う」とされている。 つまり、天皇でさえも、憲法に規定される存在であり、 憲法の枠の中で憲法に従って行為をされる御存在であった。 また、第55条、56条に、国務大臣が天皇を輔弼し、 枢密顧問が審議によって天皇に応える形で重要な国務を行う と記されている。 実際には、輔弼は内閣によって行われ、責任も内閣がこれを負った。 輔弼が天皇を法的に拘束するものと解すれば、 日本国憲法における、内閣の『助言と承認』とほぼ同じ意味になる
また「戦争責任」とは、どのような行為により、 誰に対しての責任であるのか、 定義を明確にして下さい。 る当時の国際法においては、 戦争とは、主権国家の権利として認められている 交戦権の行使であり、よって戦争自体に善悪はなく、 戦争責任つまり、回線の責任という言葉も存在しません。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/28(水) 20:49:26.98 ID:xc60IYEW0
>>655 wiki読んで自己解決して欲しい。
>日本国憲法における、内閣の『助言と承認』とほぼ同じ意味になる
全然違う。
明治憲法を基にして天皇が責任回避ができるのは天皇は
神聖にして不可侵と明記されているからだろうね。
>>656 交戦権の行使=戦争責任なわけがない。もしそう思っているのなら
相当レベルが低いと言わざる得ない。
このスレはその低レベルの議論しかしてないだろ 後世の歴史家を気取った奴ばっか 単なる天皇批判と反論しかない 開戦を回避できるが、しなかったのか、できなかったのかを検証するスレで天皇責任のスレではない ちなみに責任はない なぜなら、日本が受け入れたジャッジメントには含まれなかったから 法律論で話す話じゃなく、政治論から語る話だ ちなみに不文の法とか、いってるやつ、多分コモンローのこと言ってるんだろうが、コモンローは社会的に圧倒的多数により妥当とされるような当たり前の場合にしか適用されない だから、平和に対する罪は、コモンローにあたらない だから、今でも、裁判を受け入れたとか、判決を受け入れたとか、議論あるんだよ ちなみに、日中戦争はともかく難しいが、大平洋戦争なんか回避できないだろ アメリカに勝てると思った馬鹿はいないからだ
>>633 人にはそれぞれの生活があるのだよ
私は、いそがしいときは毎日2chできないし、夜は疲れて眠くてできないときもあるし、彼女が泊まりに来ているときもできない
それはさておき、君の一番の問題点は、ベルギー憲法、ドイツ憲法を経て明治憲法に取り入れられた君主無問責の基本原則である副署システムを正しく理解できていないところにある
前回は、これを詳しく説明しようと思ったけど眠かったので、これを正確に説明している美濃部の本を読んでくれと書いたのである
ちなみに美濃部の師匠の一木喜徳郎は、大正14年から昭和8年まで宮内大臣を勤めて昭和天皇の憲法観に強い影響を与えている
以下その説明に入る
ベルギー憲法(1831年)
第63条 国王の一身は、侵すことができない。国王の大臣が責任を負う。
第64条 すべて国王の行為は、大臣の副署がなければ、効力を有しない。大臣は副署行為の故にのみ、その責任を負う。
フランクフルト憲法(1849年)
第73条 皇帝の一身は不可侵である。皇帝は、自らに委ねられた権力を、自ら任命する責任大臣を通じて行使する。
第74条 皇帝のすべての統治行為は、それが有効であるためには、少なくとも帝国大臣の一人による副署を必要とし、その帝国大臣は、それによって責任を負う。
プロイセン憲法(1850年)
第43条 国王の一身は不可侵である。
第44条 国王の大臣は責任を負う。国王のすべての統治行為は、それが有効になるためには、大臣の副署を必要とし、大臣はそれによって責任を負う。
ドイツ帝国憲法(1871年)
第17条 皇帝の命令および処分は、帝国の名において発令される。それが有効であるためには、帝国宰相の副署が必要であり、帝国宰相は、これにより責任を負う。
大日本帝国憲法(1889年)
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
*伊藤博文の憲法義解 [副署] 大臣の副署は左のニ様の効果を生ず。 一に、法律勅令及其の他国事に係る詔勅は大臣の副署に依て始めて実施の力を得。大臣の副署なき者は従て詔命の効なく、外に付して宣下するも所司の官吏之を奉行することを得ざるなり。 二に、大臣の副署は大臣担当の権と責任の義を表示する者なり。蓋し国務大臣は内外を貫流する王命の溝渠たり。而して副署に依て其の義を昭明にするなり。 但し、大臣政事の責任は独り法律を以て之を論ずべからず、又道義の関る所たらざるべからず。法律の限界は大臣を待つ為の単一なる範囲とするに足らざるなり。 故に朝廷の失政は署名の大臣其の責を逃れざること固より論なきのみならず、即ち、議に預かるの大臣は署名せざるも亦其の過を負はざることを得ざるべし。 若し専ら署名の有無を以て責任の在る所を判ぜむと欲せば、形式に拘り事情に戻る者たることを免れず。 故に副署以て大臣の責任を表示すべきも副署に依て始めて責任を生ずるに非ざるなり。 [輔弼責任] 第一。大臣は其の固有職務なる輔弼の責に任ず。而して君主に代り責に任ずるに非ざるなり。 第二。大臣は君主に対し直接に責任を負ひ、又人民に対し間接に責任を負ふ者なり。 *美濃部達吉の理論は、伊藤が「人民に対し間接に責任を負ふ」といったところ、議会に対する責任まで拡大し、責任内閣制へと解釈を広げていったのが特徴である。 その他の部分は、伊藤とあまり違いはない。昭和10年以降は、責任内閣制が超然内閣に戻ったが、副署システムには変化はない。 *副署拒否はありうるか システム上ありえない。上奏は閣議決定(全会一致)されたものを文章にしておこなわれる。それを天皇が変更することはできない。天皇にできることはYESかNOかである。 NO(拒否権行使)の場合は、同一内閣か新内閣でやり直しになり、再び閣議決定を経て上奏される。したがって副署の対象になるのはあくまで閣議決定されたものであるため副署拒否など起きないのである。 私が、「政策の実質的な決定権は内閣にあった 天皇がもっていたのは、それに対する拒否権である」と言ったのは、こういう意味である。 *最後に鈴木首相の辞表を記しておく 曩ニ重任ヲ拝シ戦局危急ヲ打開センコトニ日夜汲々タリ 然ルニ臣微力ニシテ遂ニ戦争終結ノ大詔ヲ拝スルニ到ル 臣下トシテハ恐懼スル所ヲ知ラス 又閣議ヲ以テ決スルニ能ハスシテ御聖断ヲ仰キタルコト一度ナラス 恐懼何ヲカ之ニ過キン (以下略)
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/29(木) 01:39:46.15 ID:T4Ysv35N0
我が国日本を守るためにに尽きる ルーズベルト大統領包囲網による資源の枯渇 むしろアメリカから仕掛けられた大東亜戦争 そして日本を欧米植民地化にならぬよう抗おうとした 政府がなぜ侵略戦争というか そしてなぜに天皇を失うことになるであろう圧力に屈しなければならないのか 日本を守るためにの一点にしかない 天皇と日本は一体なのだよ
>>661 >我が国日本を守るためにに尽きる
自衛というなら満州に徹してろよ。
>ルーズベルト大統領包囲網による資源の枯渇
ナチスと組み、警告を無視して南下したからな。
>天皇と日本は一体なのだよ
国=権威者の考えは、民主社会で不要。覇権者の家系が御輿化しただけ。
ID:sKUgu9cV0 はまるで話が通じていない。 人が「実態」の話をしているのに、昭和10年で排除された「通説」の講釈を繰り返すことに何の意味もない 今日でも運用実態と制憲時の公定解釈もしくは旧通説を混同して論じたら詭弁と見なされるよ なぜ批判されているのか少しは理解すりゃいいのに。 ・諸外国憲法との対比については、あくまで対比としての意味しか持たない ・天皇に出来ることはYESかNOかである⇒そこまでの過程で自分の意思を反映させる実態が存在したことを 今まで散々指摘されてるでしょ?!あなたが答えるべきなのはそこだよ 自分の知る限り、憲法史でここを誤魔化す学者はそんな多くない。師匠は誰? 昭和天皇は天皇機関説を理解できていたかどうかも怪しいとは結構指摘される、例えば 「君主主權説は、自分からいへば寧ろそれよりも國家主權の方がよいと思ふが、 一體日本のやうな君國同一の國ならばどうでもよいぢやないか。 ……美濃部のことをかれこれ言ふけれども、美濃部は決して不忠なのでないと自分は思ふ」 天皇は、「君国同一」だから君主主権でも国家主権「でもよい」と言う理解なのであって、 美濃部説とは基本的なスタンスが異なると言わざるを得ない。 独白録で天皇は国家を人体、天皇を脳髄にたとえ「機関説」でなく「器官説」ならいいじゃないかと本庄に説明しているが、 脳髄は人体への命令を全て掌握する組織であるから、最高機関と言う以上の意味を持ちうる 前後の言動を見ても、天皇の中では「最高機関」が取り違えて把握されてた可能性が高い 美濃部説を理解できる素地はあっても、天皇は美濃部説を決して全面支持したとは言い難い。
それと何度も指摘するが、国体明徴声明は議会と内閣の関係についての言及ではなく、 天皇が国家の機関であると言う理解そのものへの言及なのだから 副署システムが「何ら変化がない」などと簡単に片づけるセンスも歪曲が入ってると言わざるを得ない 疑問を覚えるね。政府声明であることには間違いないんだよ それとなあ、人のレスは「面倒だから捨て置く」と言い放っておいて自分だけ長大な文章を述べるってなんだよ…
>>659 君のレスはいちいちピントはずれだねえ。
> ベルギー憲法、ドイツ憲法を経て明治憲法に取り入れられた君主無問責の基本原則である副署システム
ここからして間違えてる。帝国憲法制定までの過程で、ベルギー憲法は日本国国憲按として参考にされたが、
議会の権限が強く君主が国憲の拘束を受ける前提であったため退けられ採用されなかった。
つまり、君は帝国憲法制憲の史実を知らないのかどうか、全く正反対のことを書いてるわけだ。
それに加えて、シュタインから強い影響を受けなら彼のアドバイスに従って、伊藤らは日本独自の
憲法と国教に変わる存在としての天皇を位置づけた。これがいわゆる神権天皇制度といわれる所以である。
憲法の教科書で取り上げた「大日本帝国憲法(明治憲法)の特色」は以下の通り。
明治国家は、西欧の立憲君主国家をモデルとしながらも、西欧諸国に比して、道徳的・倫理的色彩の
濃厚な国家であったといえる。(「憲法1」第三章 国民主権と象徴天皇制 高橋和之執筆 47頁)
君は副署の存在を根拠に天皇があたかも副署に拘束されていたと言いたいのか、やけに副署の存在に
拘泥しているが、先にも説明した通り副署というのは君主無答責の原則に従い、最終的に君主が判断し
下した国家の意思としての命令の責任を国務大臣が引き受けるということだ。君主とその臣下である
国務大臣との関係はそれぞれの国によって異なっているため同列に語れない。比較憲法の観点を分かってるなら、
君のように単純に同列視はできないのだよ。
> 美濃部の本を読んでくれと書いたのである
君が紹介してくれた美濃部の「憲法講話」は既に読んでいるから、わざわざ「前提は踏まえている」って
書いたんだけど。つでに
>>634 でウェブ上のURLまで示してるでしょう(笑)
> 美濃部の師匠の一木喜徳郎は
昭和天皇の憲法観に最も強く影響を与えたのは一木ではなく、皇太子時代から憲法を進講していた清水だよ。
君は僕の発言を根拠無く無視して一木の名を出してるけど、とても恣意的な印象を受けるね。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/29(木) 08:17:40.44 ID:bRAJ3RVI0
憲法の条文持ち出してしきりに反論してるやついるけど 弁護側の有利なように都合の良い解釈をすればどうとも取れるんだよ。
>>666 それは左翼も同じだ
天皇は大平洋戦争や日中戦争の拡大には、反対だった。これは説明するまでもなく、多数の資料から明らかだ。一部左翼は、それを否定するわずかなでっちあげを信奉している
あの時代、大平洋戦争は非白人からは、熱烈に歓迎された。キング牧師やガンジーでさえ
それは自衛の戦争であり、初めて、欧米の侵略に抵抗したからだ
さらに日本は大平洋戦争開戦時は、そこまでおいつまっていたんだから、戦争回避は難しい
日本は、何度も軍縮して、かなり譲歩しているし、圧倒的に不利な中、
開戦を奏上されて、それでも、東條に、それは国民の意思かと聞いたんだから、回避はできない
はい、終了
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/29(木) 13:08:17.48 ID:bRAJ3RVI0
輔弼について盛り上がってきたのでこのへんで田中義一事件を話そうぜ。
>>667 >天皇は大平洋戦争や日中戦争の拡大には、反対だった。
しかし満州事変を容認したのは大きな失敗。条約軽視の表明に等しい。
満州事変〜介入工作が無ければ、あんな形の日中戦も無かったろうに。
>それは自衛の戦争であり
日本の言う自存自衛は、禁輸されたら資源を分捕れ、だからな。
北朝鮮への禁輸を強めたら暴発し、自存自衛と言いかねないな。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/29(木) 19:50:51.14 ID:zJMiLFqA0
マッカーサー 日本は、資源の供給を絶たれることにより、1,000万から1,200万の失業者が発生することを危惧した。 日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分がその脅威から逃れる必要に迫られてのことだった。 天皇が私心で戦争したならともかく、国益上の判断で行なわれた戦争に過ぎないわね。
ABCD包囲網の中、日本の経済破綻は明白だったし アメリカはルーズベルトの対日本強硬論(人種差別によるもの) 北朝鮮とはわけが違う。 あの戦争がなくても、日本は荒廃してたのはまちがいない。 近衛はバカだが、スイスなどの第三国を通じて 和平協定を結ぶように政治家は模索していた 当然、昭和天皇はその和平交渉に期待していた。 それに、アメリカに責任があるとhいわないが、 ないわけじゃないだろ 日本の和平案を全て蹴っているわけだから その歴史的状況を無視して 憲法論議するのはずれている 昭和天皇は、大正時代から摂政として君臨した。 それが、突然、戦争容認し、独裁的権威を振るう等 ありえないことは歴史が証明している。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/29(木) 20:27:30.05 ID:pjR4RiBC0
>>670 ヒトラー・ムッソリーニも私心じゃなかったけどな。
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/29(木) 20:38:13.44 ID:pjR4RiBC0
>それが、突然、戦争容認し、独裁的権威を振るう等 安心してください。 ここにいる人って誰一人、独裁的権力を振るっているなんて言ってる 人いないよ。過敏に反応し過ぎ。 戦争容認のことについて書き込んでいるだけだよ。
ついでにいうが、 ルーズベルトの対日本強硬論(人種差別によるもの)はガチ 黒人も差別してた フーヴァー政権なら太平洋戦争はなく、 満州国も追認されてたよ 昭和天皇は戦争を容認したのではない
おまけ・・・WIKI引用 アメリカのスティムソン陸軍長官は、真珠湾攻撃10日前の日記に、 ルーズベルト大統領との会見時の発言として 「我々にあまり危険を及ぼさずに、いかにして彼ら(=日本)を 先制攻撃する立場に操縦すべきか。」と書いている。 また、11月27日にはハルがスチムソン陸軍長官に対して 「自分は日本との暫定協定を取りやめた。 私はこのことから手を洗った。 今や問題は貴方及びノックス海軍長官 即ち陸海軍の掌中にある」 と伝えたとされる。 これらの発言から、ハル、ルーズベルトはハル・ノートを基礎にして 日本と交渉ができるとは考えていなかったのが一般的であろう。 そして彼らが日本の外交暗号解読により交渉期限が11月末までであることを知っており、 そしてアメリカ政府の全体の局面認識が 交渉決裂は戦争につながる可能性が非常に高いというもので あったことから、交渉がまとまらない場合、 12月初めには日本が交渉を打ち切って先制攻撃を開始することを 予想していたと考えるのが自然であろう。 ハルノートが日本側に提示された当日中に、 開戦に備え無制限潜水艦作戦の指令が 各地の潜水艦部隊に対して出されている。
それはそうでしょう。日本は11月5日の御前会議で開戦を12月初旬と決めてるんだから 外交交渉の期限は12月1日零時 米国にしてみたら外交交渉なんて偽装でしかない。 真珠湾攻撃の空母機動部隊が単冠湾に集結したのは11月22日、出航は26日 どう考えても日本の武力行使の発動のほうが先です本当にありがとうございました
>>677 陛下は大きな心で戦後のサヨを慈しみ「平和で民主的な日本」をつくるため
あえて自爆戦争に賛成したのだよ。
ちょっと聞くが、開戦責任なんて、裁かれた裁判ないだろ ニュルンベルクや東京裁判でも 開戦は国家が持つ自然権であり、行使そのものは違憲でも、違法ではない。 何かしら、左翼学者は天皇に責任を与えたいため、開戦責任等というが、国際法ではみとめられていない 平和に対する罪とは開戦をさすものでない 敗戦の責任なら、日本国民に対して負うものであり、外国にとやかく言われるものではない 戦後の昭和天皇はまさに国民への贖罪を行われたと思います また、アメリカはよく御前会議の決定が早いから、ハルノートとか関係ないと言うが、実際には日本はハルノート時点で和平を諦めていない。 思い切って、ハルノート受け入れたら、国民は暴動だったろうし、アメリカから追加要求でただろう 中国やソ連が必死に日米の開戦工作してるしな まあ、満州を諦めてれば、台湾、朝鮮や千島くらいは今でも日本かもわからんが、資源のない土地だと当時意味がなかったからな
阻止したら木戸が眼鏡たたき付けて興奮しだしたからあまり口を出すのはよくないと悟り、 裁可したんだよ。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/30(金) 07:54:48.52 ID:UfCzVCVU0
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/30(金) 17:46:06.94 ID:UfCzVCVU0
最近無知な右翼が色々書き込んでいるみたいだが東京裁判が事後法だとか 戦勝国の裁判だから無効だとか最初から判りきったことで、それを踏まえて 書き込んで欲しい。 自分の気持ちや感想文程度のことを逐一反論書いていくのは多大な作業が必要なので 書き込まないようにして欲しい。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/09/30(金) 18:43:23.17 ID:a3GVm6dw0
無知な右翼とかいわれますが、軍事裁判の不当性は日本以外でも盛んに議論されているし、実際に先勝国による裁判だったし、 原爆やら欧米の侵略は、裁いていないよ 日本が勝っていたら、成立しない裁判が正当だったというのは理性的な回答でなく、 結論ありきの議論を求められている気がします。 日米開戦の是非は、昭和天皇の立場に私達を置き換え、国や国民を守るために 何かをしなかった不作為があるのか 作為的な開戦工作をしたのか それが争点ではなかったのかと思います 私はもしあの時、生きていれば、戦争反対を、声高に唱える方策は思いつきません こうすれば、よかったというのが、なければ、戦争を止めることはできないと考えています 左から見るとみんな右翼に見えるかわかりませんが、誰ひとりあの悲しい戦争を肯定はしていません ただ、追いつめられた苦肉の策であり、早期講話の失敗やコミンテルンの活躍等、日本には不利な状況がおおく、 開戦しか方法がなかったと考えます また、立憲君主の地位にこだわり、内閣の上奏により国事行為を行っただけというのが、数おおくの資料から読み取れると思います
だってポツダム宣言の受諾の時点で、枢軸国は日本だけだもん 戦勝国の裁判になるのは当たり前じゃん
追い詰められたならおとなしく大陸から撤兵すればよかったじゃん。簡単なことさね 満州事変がそもそもの発端なんだから。日本は借金を返すためにさらに高利貸から借りるようなことやってるから、 最後にドボンになったんだよ。
確かに満国をみすてれば、半島や台湾など今も日本だったと思いますが、かなりの日本人が入植していて、現実的に即撤退等、無理でしょう
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/01(土) 02:52:12.79 ID:nSKlgbUk0
鹿児島の歴史は天皇一族による民族浄化
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/02/2/14B_2.html 大和朝廷の当初から、周辺民族の邪魔者を騙し打ちにかけて滅亡させることは、
正義であり、大義であった。「征夷大将軍」は、まさにその大将だ。
だが、今日の東京政府は、未だに懲りずに民族浄化を続ける。
その理由は、盤石な天皇一族の支配体制にある。
天皇一族は、「皇族」だけと思っている人も多い。
だが、天皇一族は、2600年の歴史で、
部落解放同盟、暴力団、バー・キャバレーなどの飲食店、自衛隊、
警察、特許局、医者、公務員、建設会社、消防、農協、漁協・・・・・、
楽して甘い汁を吸える場所は、全て独占している。
暴力団が飲み屋から「みかじめ料」を取っているのではない。
暴力団も飲み屋も全て天皇一族で、仲間内で、飲み屋が手数料を払っているだけのことだ。
(仮説を含む)
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/01(土) 06:00:11.50 ID:R271CAQz0
>>684 本当に無知な右翼だな。
日本はサンフランシスコ平和条約で民間人被害の戦勝国に対する賠償請求権放棄してるだろ。
しかし、アメリカからはマーシャルプランで復興資金貰ってる。
>>684 > 軍事裁判の不当性は日本以外でも盛んに議論されているし、実際に先勝国による裁判だったし、
日本が宣戦布告した戦争終結の条件(つまりポ宣言)に戦犯を裁く旨の条件が含まれており、
ポ宣言受諾と降伏文書交付によって国際軍事裁判を受けいれた。不当性の議論とは、よくある
勝者の裁き論のことだと思うが、当事者同士(当然に日本も含まれる)が交わした条約を前提にした
決定事項とその推移について、66年後の現在にどんな議論が必要だというのだろうか。
僕たちが考えられるとすれば、正当か不当かという後ろ向きの議論ではなく、当時起きた既知の事実から
何を学び取り、現在の有り様として何が有益であるかということなんだろうと思う。
何故なら歴史はひっくり返すことはできないのだから。
> 原爆やら欧米の侵略は、裁いていないよ
裁判というのは立件されなければ行われない。日本側が原爆投下の不当性や侵略行為を告発して
国際司法に訴えるといった行為を行っていない以上は司法による裁きは起きない。
> 昭和天皇の立場に私達を置き換え
少年時代から次期天皇として育てられ、当時国内の最高峰の政治学や法学、儒学などの素養を進講され
欧州留学をして英国国王から君主の心得を学んだ人物を、市井の自分らに置き換えて考えるというのは
どう考えても無理がある。広大な天皇大権を持つ人物というのは、一般人が想像を絶するくらいに
重圧も多く、取り分け不穏な時代であれば尚のことプレッシャーに負けない判断が必要となる。
そういう人物像に迫るには様々な文献(正確な史学上の史料や昭和天皇が学んだ当時の政治学、法学、
軍事学、外交政策や儒学や帝王学などについての多彩な教養)をも理解しなければならない。
君がそうした前提条件を身に付けた上で昭和天皇の立場に立って考えられるとしたら尊敬する。
普通の人には到底不可能だから。
開戦当時、昭和天皇には数多くの側近がいて情勢判断をするべく多くの情報が集められていた。
現実として彼はそれらの人と情報から判断して裁可を下したという事実がある。
今現在、根本的な不況対策を叫ぶ国民少ないでしょ。 国民が政府に期待することはわかりきってるのに。 まったく同じだよ。昭和16年でも平成23年でも。
>>687 しかし戦争に負けて孤児を置き捨てながら這う這うの体で引き上げるよりはマシなんじゃね?
と言うかリットン報告が出てるのに大陸に入り込んでいったほうが悪いんだわ
せめて満州までで止まってたら少しは違った? やっぱアメちゃんとの戦争は回避不能? 朕に教えろゴルァ!!
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/02(日) 01:35:55.72 ID:YbkoAMgqO
天皇陛下の戦争責任をいまさら、言う必要ないだろ 日本を陥れるためか? 開戦なんか避けられないよ アメリカはやりたい気持ちマンマン さらに、誰か言ってるが、ルーズベルトの日本差別はハンパないからな あれが生きてたら、日朝は、滅亡したんじゃね
従来は満州国まではOKと言う見解の人が多かったけど今はどうだろうね 英米は欧州大陸情勢のほうに圧倒的に関心があるから、 日本が盧溝橋事件で自重していれば中華民国支援に傾く必然性もなく、 戦争にはならなかった可能性は高い
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/02(日) 02:00:56.25 ID:YbkoAMgqO
ハルノートの中国に満州は含まれるかと、野村が聞いたら、答えなかったんだよね アメリカ議会で共和党に聞かれても、はっきり答えなかった 共和党から、中国が共産化したらしらんぞっていわれ、後の祭になり、朝鮮戦争へ
成る程。 やっぱ春さんに 中国からの撤退のうちの中国とは、満州を含むのかと尋ねるべきだったみたいだね。 満州からの撤退は無いとなると、国民も納得したのでは?
スレの流れをぶった切ってしまうが、
僕が
>>633 と
>>665 で例示した清水澄の学説や政治思想については、彼が昭和天皇(皇太子時代を含め)への
進講用教科書として著した「帝国憲法」から、どの様な考え方を元にしていたかが分かる。
清水は帝国憲法第一条について、天皇は「極位にあり」「億兆に君臨し」「臣民が仰瞻(仰ぎ見て尊敬すること)」
「翼賛し奉る」ことが「伝統の国体」であるとしている。この清水の特長は、伊藤博文が著した「憲法義解」にある
「君民の分義は既に馨造のときに定まる」とした、国民(臣民)の意志が介在しない国体観とは大きく異なる。
こうした違いは大正期の民権運動を経て、時代的に民意を無視できなくなった現実を踏まえたものと言われているが、
それでも尚、清水は帝国憲法第三条の解説で、天皇無答責は天皇が国家主権の根源であり、国宝を超越しているから
憲法の拘束は受けないとしている。
こうした憲法観は、当然に進講された昭和天皇の政治思想の形成に大きな影響を与えたし、何より清水の学説は
高級官僚試験や東大法学閥の多数派を形成していた一木、美濃部らの学説に対して、軍部の教育機関や政府などに
強い影響力を持っていた。機関説が通説として行き渡っていたのは極めて限定的な範囲だけだった。
軍部でも取り分け皇道派らにとっては清水の学説の方が馴染みやすく、彼らの政治思想にもマッチしていたため
機関説排斥運動を後押しした。
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/02(日) 11:20:28.93 ID:g8h3oNWl0
>>695 都合の良い事実だけ集めるとそうなるが国際連盟で満州国は認められていない。
なので満州国だけにしておけばという論理はおかしい。
またハルノートも中国から撤退と書いてあるから、国際連盟で満州国は認められ
てないので満州国からの撤退もありえる。
どちらにしてもハルノートを受けた時に、日本は中国で戦線を拡大し、仏領インドシナ
占領してるのでそこを撤退することは国益からできない。
しかしハルノートは試案であり東郷外相が最後通告と間違って日本側に受け取られたので
交渉の余地を放棄してしまったとも言える。
>>690 煽りではなく知りたいのですが、
> 原爆やら欧米の侵略は、裁いていないよ
裁判というのは立件されなければ行われない。日本側が原爆投下の不当性や侵略行為を告発して
国際司法に訴えるといった行為を行っていない以上は司法による裁きは起きない。
当時の状況で告発できたのですか?
告発できるとして、
「誰が」
「どこに」
「誰を」
告発できるのですか?
無知な私にご教授をお願いします。
>>700 > 当時の状況で告発できたのですか?
> 告発できるとして、
> 「誰が」
> 「どこに」
> 「誰を」
> 告発できるのですか?
誰が →日本政府が
どこに→国際司法裁判所に
誰を →アメリカ政府を
国際司法裁判所は1946年に設立されているから、日本が主権回復した後、
アメリカ政府を相手取って提訴することは可能だったよ。
>>701 バカか?
そんなことしたら、どんな目にあったか
わかっていってんのか
サヨは、理屈倒れの無知ばかりだな
理屈だおれw だから、ニュー速や芸スポにいけず、一日少ししか書き込みのない過疎スレにはりついてんだろ
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/03(月) 04:26:45.60 ID:odH17WbFO
日本人が決めた事だからな! 陛下は黙認した。 ( ̄∀ ̄)
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/03(月) 04:48:22.20 ID:4PQh7rW20
あれだな、旧憲法では天皇は拒否権を持ってたってことだな。
700 です。
>>701 ありがとうございます。
自分なりに調べましたが、おそらく告発はできないだろうと愚考します。
理由は竹島問題から推測しました。
日本政府は何度も国際司法裁判所(ICJ)への付託を韓国側に提案していますが、
韓国側は問題無しとして拒否し続けているからです。
ならば欧米も同じように拒否するのではないかと考えられます。
もちろん欧米が拒否するっていう根拠はありません。
しかし同意するっていう根拠もありませんね。
もし根拠がありましたら、ご教授をお願いします。
結局、提訴はできても裁くどころか、開廷することさえ出来ないっていうことでよろしいでしょうか?
告発 @隠された不正や悪事をあばいて世の中に知らせること。「内部─」
A(法)被害者その他告訴権者以外の第三者が捜査機関に対して犯罪事実を申告し、
その犯人の処罰を求めること。「─状」→告訴
付託 @たのみまかせること。依頼。
A議会などで、ある議案を本会議の議決に先だち委員会などの審査にゆだねること。
広辞苑 第五版 岩波書店 より
それより気になったのは、「提訴することは可能だった」けど「提訴しなかった」ことです。
どなたか理由をご存知でしたら、ご教授をお願いします。
それとも提訴はしたのですか?
>>706 僕が書いたのは文字通り国際司法機関があり、提訴するだけの条件があるという前提であって、
現実として日本は一度として提訴するという選択肢を表明すらしてこなかったから、
可能性として「できる」ということに留まるんだけどね。それに、君の引用した竹島問題のように
仮に提訴しても相手側が拒否する可能性もあるし。
> 「提訴することは可能だった」けど「提訴しなかった」ことです。
主権回復まではそれどころじゃなかったし、回復後は貿易や日米安保などアメリカ依存で
来てしまったから、そんな意志はなかったということだと思うよ。
原爆を言うとトルーマンは当時、7月あたりから、降伏活動に動いていた日本の動向を知りながら、アイゼンハワーやマッカーサの反対を無視して、投下を決定し、20ヶ所近い投下を決めていた。 それはソビエトへの恐怖からだったと言われている。 このことは、スターリンには教えたが、マッカーサやアイゼンハワーにはギリギリまで教えなかった。 その頃、日本はソビエトと協議したが、アメリカとの密約で8月15日までに対日戦争に参戦することになっていたので 協議は相手にされなかった 原爆の死者数を上回る非行として、でっちあげられたのが、南京事件。東京裁判においても、目撃者、被害者ゼロ あくまで伝聞と南京におけるゲリラとの戦いによるものの誇張だ きりがないが、そんな風に日本の戦闘を悪とする連合国に面と向かって抗議するなら、日本も共産化するしかなかっただろう そうなると、今頃日本はキム豚みたいな社会になったかわからんが
>>698 に関してだが、美濃部説は高等文官試験レベルの通説であって別に政府の見解でも何でもない。
あれを「戦前の通説」扱いするのは強い疑問を感じる
それに天皇は決して美濃部説の受容者と言えない所にそもそもの問題がある
原爆がなければポツダム宣言受諾を巡ってうだうだやってのは自明だからそりゃ抗議できないでしょw
それに今度は共産圏の間接侵略から天皇制を守るためにアングロサクソンのご支援を期待しないといけないわけだし
昭和天皇の脳内ではストライキも無教養で宗教心の足りない民衆の行動に見えてたようなので
>>708 早い段階で降伏すればするほど国体は護持される確率が圧倒的に高かったのに
空襲で急激にインフラが破壊された昭和20年後半まで持ち越した(天皇の一撃講和論も反映されている)のだから、
自業自得としか言えないな。自国民すら信用できない政府だったんだから
>>697 ハルに尋ねても公式回答で「満州を含まない」なんて言えないだろう。
秦郁彦は「満州については追加的に交渉と言うことで妥協可能」と言ってるけど、
日本としては言質を取れない交渉を進めるわけだから、頓挫の確率は高いでしょ。
国体を守るっていうと、やはり軍部の敗戦責任は重い 天皇制すら存在の危機 玉砕ばかりで戦略も薄くなるしな 戦犯は敗戦責任はあるだろうな だけど、開戦責任は一概にはいえんな あくまで、歴史的には
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/04(火) 08:41:40.68 ID:EaaufFtY0
>>708 陸軍が天皇制維持にため無条件降伏を反対していたので終戦が遅れました。
「ポツダム宣言の条件中には日本天皇の国法上の地位を変更する要求を包含しおらざることの了解の下に日本政府は之を受諾す」
天皇の地位は降伏条項の実施のため、その必要と認める措置を執る連合国司令官の制限の下に置かれる。最終的な日本国政府の
形態はポツダム宣言に従い、日本国民の自由に表明する意思に依り決定されるべきである。
とアメリカは回、陸軍が反対したので天皇の大権を使う聖断に至りました。
天皇制がなかったら日本が共産化したか?これは天皇制に全く関係ない。
戦後初めて行われた普通選挙でできた片山内閣は左翼内閣です。
しかし当時の吉田はGHQのパイプ役だった吉田率いる自由党が連立を
拒否したために短命内閣に終わりました。
日本が共産化しなかったのは吉田茂とマーシャルプランによるアメリカの
援助とその後の経済成長なので天皇制は微塵も関係ありません。
片山哲内閣は芦田・幣原の民主党、岡田・三木の国民協同党との連立だし、 当時は社会党自体も日本労農党や社大党系の混在だったから、 左翼内閣とは言い難いけどね。社会党で左派が躍進して左翼政党となったのは50年代じゃない?
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/04(火) 12:44:20.50 ID:EaaufFtY0
片山内閣時の社会党左派はソビエトとの関係を疑われてた。事実そのことが 自由党が与党にならなかった理由。臨時石炭鉱業管理法は炭鉱を国有化する 社会主義政策の一環です。
スレ違いになるが、質問 社会党は、中ソ紛争の中で親中路線をとり、文化大革命を礼讚したんじゃなかったっけ? 思い違いならすまん そうなると中国みたいに廃仏とかで、迷信とか言って、神社仏閣や天皇制、教会やその他宗教は全て破壊されたんじゃね それに今でも、そうすべきと主張する左翼はいるしな ちなみに朝日も褒めたたえ、不利になるとなかったことにしたけどな 朝日は戦前は右翼の急先鋒だったけど ちなみに毛沢東は、この時だけで四千万人以上殺している 周恩来の養女なんか悲惨過ぎる
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/04(火) 19:03:07.64 ID:EaaufFtY0
宗教はアヘン言われていたのは、神への信仰はどんな苦しみからも解放できる と説いたからです。この他力本願の考えは民衆を統制するために権力者にとっては 都合のよい考え方です。また当時の教会が腐敗していたというのもありました。 中国は確かに文化革命で宗教弾圧されましたが、その後宗教融和政策がとられ 宗教・寺院は存在しています。 いくら科学進歩しようと、宗教がなくなるほど合理的人間ばかりではないのです。
700,706です
>>707 ありがとうございます。
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/04(火) 22:04:10.85 ID:ZtB/Nys50
戦争するなと天皇が命令して戦争にならなかったとしても、 葉山に幽閉されて、近衛も木戸も殺されていただろうと天皇自身も言ってる。 ただ、あそこまでボロ負けする前に終戦に漕ぎ着けるべきだった。 天皇に戦争責任はあるけど、そんな事言えないので東條さんがスケープゴート になっただけ。
戦争するなといっても相手があることだから
開戦時には、基本的に圧倒的多数の支持があったわけだから、 日本にはナチスのような悪役は無理な感じ このスレ見ると、やはり自衛戦争だったと感じる 憲法なんかは、やはり曖昧で解釈により、どうとでもなる あの時、開戦しなかったら、多くの人が死ななかったのは事実だけど 戦争しなかったら、経済はボロボロで飢え死にしたり、したかもな どちらにしろ、戦前には世界と渡り合う有能な政治家がいないってことだろ 意外にヒトラーみたいなのが総理なら、日本は開戦しなかったかもな
>>718 昭和天皇は被害妄想がすごいから、それはあんまり信用してないな。
戦後のストライキを見ての感想とか、朝鮮戦争勃発で革命の恐怖に駆られて内乱条項飲むとか、
どう考えても発想が異常。50年代初頭なんて農村人口5割で、そいつらは保守系票田なんだから、
どこをどうつついても革命なんぞ起きやしない。革命どころか半分江戸時代状態なんだから
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/05(水) 11:00:52.16 ID:NmnKdYgH0
>>720 日本もナチスも他国からの圧力に対する自衛戦争なんだけど
自国民に対して極悪非道のことをしたのはソ連と中国
何いっ天皇 真珠湾攻撃はアメリカ合衆国ハワイ準州に対する日本の先制攻撃すなわち侵略だよ マレー作戦も英領マレーに対する侵略。英米の反撃は急迫不正の侵害に対する自衛権の行使 このスレ見ても自衛戦争と感じるようであれば、かなりの重症ですなw まあそういう人種は近現代史を学んでも不愉快になるだけなので…
>>699 >しかしハルノートは試案であり東郷外相が最後通告と間違って日本側に受け取られたので
>交渉の余地を放棄してしまったとも言える。
日本側の意識で言えば、日米交渉の見通しが立たないならさっさと開戦した方が有利って空気の中で甲案乙案出した後に来たのがハルノートだから
試案だろうと最後通告だろうと、日本側ですぐに納得できる返答じゃなきゃどっちみちタイムリミットってことだ。
>>723 では、マレーやハワイは欧米の侵略ではないのかね
君は結論ありきの議論しかしていない
開戦当時は、非白人から
熱烈な歓迎を受けたことを説明してみよ
それは自衛戦争だったからだ
あくまで、負けたので侵略といわれただけに過ぎない
後、100年たてば、もっと冷静な理論的判断により
自衛戦争だといわれるよ
強盗が居座っている家に誰かが侵入して来て強盗を追い出しました。 家人は喜びましたが、後から侵入して来たのも強盗でしたとさ。 メデタシメデタシ
>>725 ではアイヌモシリであった北海道は日本の領土ですかとか言うややこしい話になるぞ。
日本が北海道を実効支配するのは、早くても18世紀末からだからな。
英領マレーとそんなに歴史変わらない。沖縄に至っては19世紀の最後だから。
それと「熱狂的な歓迎」をどこで受けてるんだよ?
例えばシンガポール、フィリピンでは歓迎どころか市民は破壊と殺戮にさらされて、
おかげで戦後、フィリピンは日本追及の急先鋒になってるんだが。
タイも日本軍進駐の際にトラブルで衝突が起きてるし、ベトナム、ミャンマー、インドネシアに関しても
途中でスカルノ・ハッタ、ホーチミン、アウンサンらに見切られている
ともかく国際法上はアメリカ領ハワイ準州に対する急迫不正の侵害を行ったのは日本。 これは間違いないだろ?アメリカの対日戦争はまさに正当な自衛権の行使。 一点の疑義もない。英領マレーも右に同じ。国際法上、他国の主権の及ぶ領土なんだから勝手に侵害してよいわけがない 日本は当時の帝国領だった台湾や朝鮮半島に米軍が爆撃を行ったら当然、侵略とみなすはずだ。 それともあれは日本領ではございませんと言って済ましてるか?
なぜ左翼は植民地を正当といい、日本を侵略というのか マレー、インド、インドネシア、フィリピン、南洋諸島、アメリカの黒人、みんな当初は歓迎 日本軍と一緒にた 戦った人も多い 朝鮮人も徴用前からたくさんの志願兵がいる もちろん、その後、反感を抱いた地域もあるが、戦後当初から、日本に敵意を抱いている国は半島と 共産化後の中国くらいだ ちなみにシンガポールは、イギリスの拠点、イギリスはシンガポール陥落などありえないと考えていた だから、その後も激しい抵抗をした 山下大将が左遷されなければ、もっと戦局は違っただろう
ちなみにフィリピンは、もうアメリカみたいだからね 英語にキリスト教と小数民族の弾圧 でも、今はフィリピンは親日派 なぜかわかりますか
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/06(木) 20:04:04.10 ID:rs8y2/j8O
相手が、インディアンを虐殺しまくった鬼畜米英だから、仕方なかったんだろ!
>>729 国際法上、自衛戦争と見なされるための要件があり、
それ以外は制裁戦争を除いて侵略戦争。つまり違法。
日本の真珠湾攻撃は経過はどうあれ米領土、英領土への不法な攻撃なの。
例えばいま日本で在日や左翼数百万が北朝鮮や中国の日本侵攻に呼応したとしたら、その事実をもって
(冗談じゃなくてフランスはソ連侵攻時にどう対応するか左翼が議論してるからな)
中国なり北朝鮮なりの侵略性を否定できるか?できないに決まってるだろ
日本領への侵害である以上、不正な侵害であることには間違いない
自衛権は国際法の中でも一番分かりやすいテーマなんだから、 真珠湾やマレー攻撃が合法だとか、無茶言わんで下さいよほんとに…
真珠湾なんて、自衛戦争だろ 偏った本ばかり読むなよ
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/07(金) 12:39:08.97 ID:bglmwEkW0
>>729 戦後に植民地解放のきっかけになってくれたことを日本に感謝した
国ってどことどこよ???? 自民党の時、国会答弁で皆無ですと言っている。
それどころか賠償金を請求してきたとこばかりじゃないか? アジア諸国は
恩知らずばかりなのか? 外務省も自民党もしらない事実があるのか?
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/07(金) 13:43:47.23 ID:Btg9QTX+0
>>725 うーん君は戦前をひとくくりにして全部一緒に見ているのではないかな?
日本人にありがちな歴史館ですよ
例えば、今中国が欧米だって侵略したんだし中国も侵略していいだろって言ったらどう思う?
「大馬鹿もの、時代が違う」だろう
それと同じで、日本が侵略した時代ってのは世界の帝国主義・植民地侵略はとっくに終わった平和な時代だったの
>>729 ちょっと待って、なんで侵略者である日本を歓迎するの?解放?解放したか?戦時中に
フィリピンに関しては独立を勝ち取ってから日本が侵略してきて国が滅茶苦茶になった 解放も糞もない、日本が独立を妨害した
大体歓迎したなら現地軍と交戦してないってことでしょうが どんだけの日本兵が殺されたと?
>>736 外交時のお世辞を間に受けて大々的にいってるだけ 天皇だって原爆はしょうがないとか言ってるけど
それはポジショントークで本意じゃないでしょうと
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/07(金) 13:51:00.75 ID:Btg9QTX+0
大体、もしフィリピンやインドネシアが親日で日本軍に協力的であれば なんでアメ公に負けたんだろうか? さっさとインドシナ油田確保して、アメ公が欧州戦線でドイツに手こずってる間に 倒せたはず 実質3割程度の軍事力しか対日戦線には投入できなかったんだから フィリピンやインドネシアで、徹底した武力抗戦があったから敗北したんだよ 奴等は国際法なんか守らずゲリラで徹底して攻撃してくるからな とにかくお前のような親日で協力的だったとか言ってる奴は現地兵に殺害された英霊を侮辱してるわ 「そいつらは存在しなかった」ってしてんだから、まだ存在認めてバッシングするアホ左翼のほうがマシだわ・・・
>>729 山下は経歴的に昭和天皇に嫌われぬいているから、仕方ない。
天皇は日米開戦前から山下の栄転人事には悉く反対、拝謁もしないほどだよ
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/07(金) 20:41:40.58 ID:S/MPc3n+0
天皇が殺される覚悟で戦争に反対してたら阻止できたと思う。 軍部にいい顔したくて、責任を放棄した。 終戦時引責退位すべきだった、
ちなみにインドネシアは建国記念に日本兵とともに独立したとやる 日本兵役の人もいる インドは日本とともに戦った人とガンジーが同列に国会に飾られている ペリリュー島は日本兵に感謝し、第二言語は日本語 台湾は、リトウキみたいに大変親日 ちなみに東南アジアで戦後戻ってきた欧米列強と戦った人の中にはたくさんの日本兵がいることは歴史的事実 もっと学ぼう 俺は昔、左翼だったんが、あまりに嘘や誇張がひどいことに気付いてやめたよ 右翼学者とか馬鹿にしてる奴ほど、ちゃんと調査してるんだよね これ、マジで ちなみに今は右より 封建時代じゃないしな ちなみにマレー進駐は現地人に初期は歓迎されてるよ ただ、政権に近いグループからは嫌がられた つまり、双方の側面があるから、一概に決めるのはいかんよ 昭和天皇に開戦を回避できたかスレだが、論点ズレてるよ まずは、当時の政治的状況、国内世論、天皇の実質的権力、 アメリカの思惑、ソ連、中国の動向、日本の経済、多角的に検討しないと、こんなとこで話す話にしては、難しいと思います。
インドネシアの独立闘争参加義勇兵は、内地帰還を拒否した日本兵が「脱走」して戦ってる。 しかも日本軍としては連合国に引き継ぎをする関係上、インドネシア独立派とは敵対する立場だった 独立闘争への協力はあくまで個人判断であり、スカルノ・ハッタが日本軍に見切りを付けていたのは事実 マレー作戦で「政権に近いグループ」と言うのが良く分からんが半島進撃はフィリピンと異なり、 比較的スムーズだったからそりゃ現地民には最初は解放軍だったろうよ >右翼学者とか馬鹿にしてる奴ほど、ちゃんと調査してるんだよね 調査不足に右翼も左翼も関係ない。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/08(土) 13:23:31.53 ID:ZfyCkmnL0
インドネシア人が日本軍を歓迎したのは地元伝説と日本軍が似ていたのと 独立解放の期待からです。またオランダ領時代より、地元民に権利は与えましたが、 日本は油田の確保からインドネシアは当初独立させませんでした。 そしてスカルノは独立するために積極的に日本軍に協力したほうが良いと考えていました。 その後、独立は容認されましたがそれは戦局が悪化したためです。 確かに大東亜共栄圏を打ち出しましが、南方進出は日中戦争が原因なので 東南アジア解放は後付けのプロパガンダそれを信じきってはいけない。 日本兵がインドネシア独立に参加したのは大東亜共栄圏のプロパガンダを 信じたことと、スカルノが積極的に日本軍協力したことで共感が生まれた のでしょう。結果的に良いほうに進みました。
アメリカ………ベトナム戦争でベトナムに謝罪したことは一度もない。 イギリス……香港を植民地にしていたのに謝罪したことは一度もない。 フランス……ベトナム・アルジェリアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 オランダ……インドネシアを植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 ポルトガル……マカオを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 ドイツ………ナチの虐殺行為は認めたが、侵略を謝罪したことは一度もない。 ロシア………東欧諸国を戦後弾圧し続けてたが、民主化後謝罪したことは一度もない。 スペイン……フィリピンを何世紀にも渡り植民地にしてたが謝罪したことは一度もない。 中国………世界各地で昔も今も侵略と虐殺を続けてるが謝罪したことは一度もない。 北朝鮮………朝鮮戦争で韓国を侵略したことを謝罪したことは一度もない。 韓国…………朝鮮戦争で北朝鮮を侵略したことを謝罪したことは一度もない。 日本…………全ての戦禍国に何度も謝罪している。ついでに賠償までしている。
「天皇の話はこうだった。 『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で 行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。 あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 大きな感動が私をゆさぶった。 死をともなう責任、それも私の知る限り、 明らかに天皇に帰すべきでない責任を、 進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。 私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても 日本で最高の紳士であると思った」 (マッカーサー回顧録一九六三年) 天皇とマッカーサーの会見は、はじめ一五分の予定だった。 しかし、マッカーサーは天皇の態度に深い感銘を受け、 会見は三五分にも及んだのである。 会見がなされると、その会見の要旨は後ほど通訳の手で文書にまとめられ、 侍従長に渡される習慣になっていた。 会見の翌日、藤田侍従長は、会見における天皇の発言の要旨を 文書にまとめたものを、通訳から受け取った。 藤田氏は、いつものようにそれに目を通したうえで、 天皇のもとに提出した。 藤田氏はこのとき、メモをとらなかった。 しかし彼はのちに、その内容について二つの点を はっきり憶えていると言って、次のように著書の中に書いている。 「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、 責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、 彼らには責任がない。 私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。 この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』 一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、 この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。 『かつて、戦い破れた国の元首で、 このような言葉を述べられたことは、 世界の歴史にも前例のないことと思う。 私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、 日本軍の復員が順調に進行しているのも、 これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、 陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。 どうか、よろしくお願い致したい』」 とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和三六年)。
悪いけどそのマック手記と藤田手記はもう裏付けの点で散々批判されてるから。 まずマック手記に関しては回顧録の時点で戦後18年が経過していて美化矛盾が目立ち、 史料的にあまり良質なものとは言えないことを前提に ・1か月後、10月27日のアチソン・メモにまとめられた天皇元帥第1回会談内容は 「宣戦布告受領前に米国を攻撃する意図はなかったが東条が私を騙した」のであり、 しかし私は日本国民の行動の責任があると言う内容になっている。 この後半部分を無理に重視して「天皇が罪を背負った」と考える解釈もあるが、このメモのタイトルは 「東条が騙したと言う天皇発言」であり、東条が騙したと言う部分が主眼だったのは明らか 9月25日のクルックホーン記者との会見でも「天皇、東条に責任を転嫁する」と言う記事がNYT一面に掲載されており それが国内紙に掲載される29日段階になって内務省は掲載紙を一時差し押さえている。 ・また会見から2年以上が経過した信憑度に乏しいヴァイニング夫人日記でも、責任を負うと言う発言の直後に 天皇の自分は反戦であったと言う弁解と軍部非難が伝聞として付け加えられている。 その他の史料からも天皇は第1回会見の段階で東条以下に責任を転嫁する発言をしていると考えざるを得ない。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 03:18:24.49 ID:2xUEZvav0
>>741 そんなこといったら、韓国やアメリカでも親日派はいるから親日なのかって話になるじゃん
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 03:22:51.25 ID:2xUEZvav0
>>742 そもそもインドネシア人で独立派が少数派だったことも
見逃してはならないと思うよ
あの時点で370年間、支配されていたんですよ
日本が室町時代から支配されている、これで独立なんかしようと思いますかね?
仮に独立したい、という意志がある人でも、武力闘争して大量の犠牲者を出してまでは?って感じだったでしょう
それがインドネシア一般国民の意志ですよ
それほどインドネシア国民にとっては独立なんて夢物語で、夢物語だからどうでもいいことだった
一部の民族主義者だけが盛り上がっていた
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 03:24:58.25 ID:2xUEZvav0
>>744 謝罪ってどういう意味での謝罪?
ドイツが第一次世界大戦後何されたかしってんの?
また藤田尚徳の回想は、宮内省用箋5枚程度に会見の模様を外務省で纏め、 天覧に供したが、通常と異なり返却されなかったと言う前提で、 それに書かれてあったと称する天皇発言を紹介したもの。 ところが会見で唯一立会い、翻訳を勤めた奥村勝蔵が外務省官吏だから 奥村以外にこの種の文書を作成できる者はいない。ところが昭和50年に発掘された奥村手記では 「この戦争については自分としては極力これを避けたい考えでありましたが、 戦争となるの結果を見ましたことは自分の最も遺憾とする所であります」だけで、全責任発言など出てこない。 またマック側の回答に関しても、奥村手記と、天皇が会見後に語った趣旨(木戸幸一日記)の内容が一致しており、 ・さらに昭和21年1月に英国王に当てた天皇親書でも奥村手記とほぼ同じ弁明がなされている ・藤田回想によればマックは「陛下」ユア・マジェスティと呼んだことになっているが、 奥村は「回想十年」において第4回会見の通訳を勤めながら、マ元帥が陛下と呼んだことに対して 「第1回の時にはついぞ聞かれなかった。大変な変わり方」と感想を述べている ・また、藤田は天皇の全責任発言に対して「かつて敗戦国の元首が…前例がない」とマ元帥が絶賛した と言う趣旨のことを書いているが、これも奥村手記によれば マ元帥が「世界にいかなる元首と言えども及ばざる所」と評した対象は、 「天皇の全責任発言」ではなく「聖断一度下れば軍隊も国民もこれに従う」状況であって 御稜威のしからしむる所だねと言っているに過ぎない。 藤田回想も作為的な匂いが濃い
>>748 そうなると独立派と戦ったオランダ軍は民意の代表者と言うことになるけど?
問題の『マッカーサー回顧録』と藤田尚徳『侍従長の回想』については、ID: 2KJ207wK0が 詳しく解説しているので一部だけ補足を。まず、『マッカーサー回顧録』は療養中だったにもかかわらず 日露戦争の観戦記が記されていたり、裏付けがないまま昭和天皇が連合軍の戦犯リストに挙げられていたという 記述があるなど、歴史研究家の間では信憑性が問題視されているもの。史料批判を踏まえて用いるべきもので、 そっくりそのまま史実として信じてはいけないというのが前提。 くだんの昭和天皇・マッカーサー会談については、後に明らかになったアチソンが国務省あてに発した 極秘電報(会談の一ヶ月後にマッカーサーがアチソンに語り、それをメモした内容が元になってる)によって 語られた内容が分かった。ポイントは二つあり、「開戦通告前に真珠湾を攻撃したのは、まったく自分の意図ではなく、 東條のトリックにかけられたから」という釈明と「それがゆえに責任を回避しようとするつもりはない。 天皇は日本国民の指導者として、臣民のとったあらゆる行動に責任を持つつもりだ」という二点。 前者は東京裁判との関係や、天皇が臣下を批判することは好ましくないとして長らく伏せられていた。 それ故、後者のみが一人歩きをして尾ひれが付いて(その尾ひれはマッカーサーや藤田らが付けた)、 問題の多い前者(東条への言及)は語られることはなかった。しかし、アチソン発国務省あて極秘電報の 存在や、開戦をめぐるクルックホーン記者との会見、英国王室宛の親書、木戸幸一日記による天皇を守るために 「みな東条に押しつけて」という記述などによって、天皇と宮内側近らがどの様に考え、どんな行動を採ったのか、 その全体像が見えてくる。反東条だった東久邇宮などはあからさまに「全て東条の責任にしてしまえ」と言った。 古川隆久が著した「昭和天皇」では、宮中と軍部との対立が戦前から顕著化していた事実を豊富な史料を元に 示しているが、昭和天皇と宮内側近らが対立する中で軍部に引きずられて開戦を余儀なくされたという、 苦渋の思いを吐露したとしても不思議はなく、寧ろマッカーサー会談での東条に対する批判こそ、昭和天皇の 偽らざる思いであったと受け取った方が整合性がある。
昔から新しい実力者が上洛してきたら昨日までの忠臣を討伐せよとの勅を 出すのが天皇スタンダード。マッカーサーという東人が上洛してきたので 忠臣東条は切り捨てられたわけだ。 そうするとネトウヨが東条さんを持ち上げるのは不忠の極みということに なってしまうな。
インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙してた時、遠くから歌が聞こえてきた。 知らない言葉の歌だったが味方じゃないことは確かなので銃をそちらに向けたとき、上官に殴り飛ばされた。 何がなんだかわからなかったが不思議なことに、パキスタン側でも銃声がやんでいた。 歌声の主は数人の年寄りで、われわれに気づかないのか旗を持って一列で歩いてきていた。 われわれ側もパキスタン側もその数人のお年寄りが 通り過ぎて見えたくなるまで一発の銃弾も発射しなかった。 結局その日から2日間は戦闘は再開されなかった。 停戦命令も出ていないのにどうして戦闘がやんだのかわからずに、上官に聞きに言った。 その年寄りたちが歌っていたのは日本の軍歌で持っていた旗は日の丸だということを聞いた。 その話を聞いてその夜は泣いた。 ものすごく泣いた。 その年寄りたちは第二次世界大戦で死んだ戦友を弔いに来ていたのだと知った。 こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年もたっているのに、 戦友を弔うためにこんなところまで来てくれる人たちがいることに涙が出た。 あとから知ったが、パキスタン側もそれが日本人で かつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った人たちだと知って 敬意を表して戦闘を中断したそうだ。 この半年後、傭兵を辞めて日本に留学した。 たくさん勉強して日本語の読み書きも覚えた。 何年もたって、日本のお酒が飲めるようになって、サクラを見ながら飲んでいたとき、 サクラの花びらがコップに入った。 それを見て急に涙が出てきた。 あの年寄りたちのことを思いだした。 日本人が本当にうらやましい
悪いけどそのマック手記と藤田手記はもう裏付けの点で散々批判されてるから←証拠なし 史実として信じてはいけないというのが前提←左翼としては、そういうことにしたいだけ 昔から新しい実力者が上洛してきたら昨日までの忠臣を討伐せよとの勅を 出すのが天皇スタンダード。マッカーサーという東人が上洛してきたので 忠臣東条は切り捨てられたわけだ←そんなものはない、ていうか。朝鮮人オツ 天皇制度は日本の根幹だったから、守ろうと画策したのは当たり前 だから、回顧録等が偽だとはなたない まぁ、国民の大半は、マッカーサー回顧録を真実と思ってるだろうからいいけどね おつかれ、日教組チーム
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 19:33:11.71 ID:tYj2jqFx0
天皇が軍部に戦争やめさせてもアメリカの日本占領が早まっただけ。 何も変わらん。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 19:36:50.63 ID:63WYWt3K0
昭和天皇が平和主義者ではないし、戦争にも口出をしている。 東条が裁かれるなら昭和天皇も裁かれるのは当然ですね。 杉山メモより。 陛下 来年の春迄[ラバウルを]持つと云ふが持てるか 杉山 第1の通り回答[「御下問奉答資料」の番号と推定される] 陛下 後ろの線に退ると云ふが、後ろの線之が重点だね。 杉山 左様で御座居ます 後ろの線が重点で御座居ます 数千粁の正面の防 備 これは来春迄には概成しか出来ません。それ迄の間前方は持たな ければなりません 永野 「ラバウル」が無くなると聯合艦隊の居所は無くなり、為に有為なる戦略 態勢が崩れます。「ラバウル」には出来る丈永く居たいと存じます 陛下 それはお前の希望であろうが、あそこに兵を置いても補給は充分出来る のか それならしつかり「ラバウル」に補給できる様にせねばいけない それから其所へ敵が来たら海上で敵を叩きつけることが出来るならば良 いが、それがどうも少しも出来て居ない
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/09(日) 19:41:20.29 ID:czPV4Bt90
>>756 どう変わらんの?
シベリア抑留も北方領土も原爆も大空襲も
憲法に「天皇は陸海軍を統帥す」とある以上は 参謀総長に御下問のあることは何ら不思議ではないんだがなあ。 ヒトラーがやったみたいに 「レニングラードを完全に廃墟とせよ。敵の降伏も認めるな」と 命令したりしたなら話は別だけど。
昭和天皇を批判する人でも「戦争をしたこと自体許せない」と 「政治・軍事的指導の功罪」を指摘する人に分かれるよね。 俺は戦争が心底嫌いだけど、そのことで昭和天皇を批判しても仕方ないと思ってる。 それで昭和天皇が有罪ならジョージ6世ほか20世紀の君主、大統領、首相殆ど有罪だ。 問題は君主としての功罪だよ。 昭和天皇ひとりだけの罪責でもないだろうし。 俺が評価するのは三国同盟に終始拒否感を持っていた事と 終戦の聖断と終生公務を生真面目に務めたこと、ケ小平やアキノ大統領に謝罪したり 朝鮮への罪責感を持っていたこと等。 問題は「満洲は田舎」という甘い認識と、軍部への事後承諾、 一撃和平論に拘ってしまったこと。
一撃和平論については、無条件降伏を強要した連合国にも罪責はあると思うけどね。 イラク戦争や「対テロ」戦争でのアメリカの振る舞いを見る限り 全然アメリカは学習してない。
政治は結果が全て、と言うけど、歴史を語るときに それだけではいかんと思うんだよなあ。 「本人がどれだけ苦悩したか」ってことも 捉えてあげるべきかと。
戦争責任が公平であった歴史は今だかつてない。 日本がアメリカとの和平に消極的であったわけではない。 戦争は悲しく悲惨極まりない。それは日本人もわかっていた。 でも、開戦に到ったのは、誰も回避できなかったからだろう。 日米開戦は中国やソ連が、積極的開戦工作をし、日本に不利になるように活動していたことは、コミンテルンの記録からも明らか 東條にしても、部下はたよんなかったが、馬鹿ではないし、東京裁判においても毅然とのぞみ、もちろん死刑になることもわかっていただろう。 あの頃、欧米の侵略が落ち着いていたとか言う人がいたけど、 それは日本がアジアで台頭してきたからです。 実際に戦後、欧米は植民地の奪回以外に新たな領土の拡大を行っています。 戦争を回避するには日本は資源を失い、莫大な債務を払わねばならなくなり、遅かれ早かれ、経済は破綻し、半ば植民地となったと思います。 ちなみに日本は資源がないので、赤に染まったかもわかりません ちなみに、スターリン、毛沢東、ヒトラー、ポルポトに共通することは、みんな社会主義だということです ヒトラーも社会主義ですよ、政策もですが、一党独裁ですから ちなみにルーズベルトも社会主義的立場でしたし、部下はソ連のスパイでした 日本における大政翼讃会は、国によって組織したものではなく、今みたいに非常事態だから、党を超えて協力してほしいと言ったら みんな勝手に解党しただけで、共産党ですら自発的に同調しています
>>759 だから今日でも保守的な論者はそれがあくまで「内奏」「御下問」じゃないか
といって強引に無視する。まあ今ではそう言い張ること自体が批判されるので、触れない。
しかし実態を見ると成案が出来るまでの過程で、
天皇が反対の意思表示をしたり難色を示した場合、ほとんど内閣が再考を迫られている
ロッキード事件の田中角栄と同じで職務権限があったと言うしかない
>>755 史料を無視するなら学問板に来るな。お前みたいなのは迷惑
せめて挙げられてる部分だけでも見て論じろ。嫌なら政治思想板でいくらでもやってろ
>>761 近衛案を無視したのは天皇自身なんだから仕方ない
近衛案なんて、開戦前から、全面降伏みたいな案じゃないか 時代背景とか歴史わかって言ってるんか 近衛案ならクーデターだろ あっ、赤には都合いいのか
ちなみに杉山メモの一部を引用してるやつがいるが、ちゃんと杉山が開戦楽観論を天皇に執拗に唱えたことや、東條らの原爆で勝てるという上奏を、昭和天皇が、何をやってものではなく勝てばいいと思うのかと、激しく叱責したのも知ってるよな
ちなみに奥村メモは5枚ほどあったと言われ、外務省用メモと宮内庁用メモがある 外務省メモは昭和天皇は責任に言及していないが、メモは少なく、宮内庁メモは昭和天皇は自らの責任に言及し、マッカーサ回顧録とあまりかわらず、5枚ある また、アチソンの電文は他にもあり、自ら責任をとると言った回顧録を補完するものもある また、当時のマッカーサの副官は会見後のマッカーサが怒りをださず、疲れた様子で、天皇をキリストに例え、 天皇制の必要性を語ったと言う 奥村も二回目の交渉でマッカーサが人が変わったようにうやうやしく昭和天皇に接したと記録している
>>766 近衛上奏(天皇退位・講和案)には米内、岡田、吉田、埴田らも噛んでるよ
近衛上奏を退けて一撃講和論を選択したのは天皇自身
>>767 じゃあ杉山に絶対に勝てるかと叱責した後で、
永野修身の進言でご機嫌が直って、原案1項2項の順序入れ替えを進言したら
「原案の通りでよし」と言ったのも当然知ってるよね?
>>768 手元に返ってこないと藤田自身が言ってる宮内庁用メモと、外務省用メモのどちらが信用性が高いと思う?
後半部分についてはソースを挙げ、それがどのように天皇の全責任発言と繋がるのか説明してくれ
少なくともユアマジェスティと言う敬称は第4回の出来事だと奥村がはっきり言ってるんだが
あと古川隆久が不満なのは、最初から天皇が避戦意思を持っていたと言うストーリーに会う部分だけ 探してきてるんだよね。天皇が開戦論に近づき、第3次近衛内閣の末期に近衛が不満を漏らしてたとか 天皇の信条が変化していった部分は触れていない 開戦経緯に関しては総花的な記述だなと言う不満感は拭えない
>>760 いや、そういう風に分けるのは妥当じゃない。批判とか何とかではなく、
天皇が実際何をしたかきちんと検証する必要がある。検証をも批判と取るのは既に感情的な反応
その上で
>俺が評価するのは三国同盟に終始拒否感を持っていた事
ただ、天皇は三国同盟締結の段階では松岡外交を完全に黙認してるんだよ。
英勝利を予想して提携に懐疑的だった西園寺とずれていっている
>>770 読んでいて自分もそれは感じた。豊下説には一定の理解を示しながらも、大筋では否定的で
昭和天皇が平和主義者だったという文脈で一貫してるという印象を受けたよ。
確かに昭和天皇を軸にすると客観的な評価が保てず偏り勝ちになるからね。
僕は古川が書いた様な憲法の遵守に努め、帝国憲法に従って振る舞った君主という文脈よりは、
情勢を重んじて幾度も決断を誤ったとする豊下が示した認識の方が、昭和天皇の実像に近いと思う。
端的なのは「満州は田舎だから」として、満州事変の違法性を軽く見ていたことが挙げられよう。
憲法を重んじていたのなら、西園寺が変節しようと事変の首謀者らに対しては厳罰で臨むべきだったし、
それ以降の関東軍や軍部の暴走も抑止できたはずだ。
天皇差し戻しがあったって、 その後再奏すれば、結局は通ってたのはどうなん?
岡田、木戸の書いたものを見ても、天皇が留保を加えれば内閣のほうが再考するのが常態 天皇の明示黙示の意思表示を行ったのに、再び機械的に上奏した例なんてないでしょ。
さすがに過疎スレ 左翼馬鹿ばかりだな あの時代は欧米各国による侵略の時代 欧米に張り合い、勢力の拡大をはからなければ、日本の自立はなかった。 日本は英米からの借款等も多く、日本の軍隊が大規模に縮小すれば、円の価値はなくなり 資源を輸入するためには不平等な条約をむすばなければならなかったはず それは日本が国連にだした人種差別撤廃条約が多数の支持を得ながら 議長国アメリカの一存で否決されたことでもわかる あの時代に平和主義なんかなく、あくまで、国家国民をいかに守るか試行錯誤をしている時代 ぶれるのは当たり前だし、日清、日露後、軍閥が力をつけてきた時代背景を無視し、 昭和天皇が戦争を承認したから悪いとか、言うような話ではない また、米国が日本の先制攻撃を待っていたことは、ハルやルーズベルトの書簡からも明らかであり、 日本が責められる理由はない ただ、負けただけだ
>>775 > さすがに過疎スレ
過疎スレはその通りだと思うが、もう少し学問的に価値のあるレスをして欲しいなあ。
> あの時代は欧米各国による侵略の時代
君のいう「あの時代」とは、昭和天皇が在位した時代のことだよね?
ここは昭和天皇と戦争について語るスレだから、昭和初期からの時代が前提となるはず。
そうだとすれば、明治天皇在位の時代とは大きく国際情勢が変わっており、
欧米各国による侵略はやめて国際協調をしよう、戦争によって起きる惨禍をできるだけ無くそうとして、
不戦条約や九カ国条約が結ばれ調停機関として連盟が設立された時代だよ。それに加えて
民族自決の気運が高まりだして、植民地経営も曲がり角に来ていた。
> それは日本が国連にだした人種差別撤廃条約が多数の支持を得ながら
日本はハナから同案を通せるとは思っていなかったよ。どちらかといえば中国利権についての日本の主張を
有利に運ぶために持ち出したというのが歴史的な同案の評価。
> 昭和天皇が戦争を承認したから悪いとか、言うような話ではない
でも、昭和天皇は終戦直後から開戦責任が自分に及ばないよう幾つもの工作をしてるよ。
天皇自身は戦争責任を問われることを凄く気にしていた。
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/10(月) 21:25:21.50 ID:vkCIEYvk0
アメリカと戦争しなかった場合、満州撤退とかハルノート受諾で 恐らく原爆を遥かに超える被害が出てたな
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/11(火) 00:56:20.51 ID:7m7uFiogO
実際パール判事がどう言ってたかと言うと良く聞いて下さい。 「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊と言うものが未だに戦争において違法で あるならば、太平洋戦争においては原子爆弾の使用の決定が唯一ナチス指導者達の 指令に近似したものである。本件の被告(東条英機以下)の場合はナポレオンや ヒトラーなどのいずれの独裁者といかなる点も同一視する事は出来ない 日本の憲法は完全に機能は発揮していた」 つまりそれぞれの人達は(東条英機等)国のついたポジションに乗っ取ってその役割を 果たしただけだと。と言うのがパール判事の判決文です。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/11(火) 01:01:48.80 ID:7m7uFiogO
戦前は今の北朝鮮みたいな国だったからって言う人が居るんだけどとんでもない間違いで、 憲法は機能していたし議会は機能していたし選挙だってやってた だけど議会で言論統制の法律を作り、陸軍の大臣が総理大臣を兼務するようになり、 段々と戦争に向かって行ったけども。とんでもない誰かが出てきてとんでもない事いきなり 始めたんじゃなくて一つ一つ合法的に憲法の下で法律をクリアして戦争に至ったんだと そう言う意味ではね国会なん本来は。国会が政治家がしっかりしていればこれは最も大切 とんでもない奴が出てき来て北朝鮮みたいに独裁者がってのは根本的に違った。 東条英機にしたって戦争迄日本のトップだと思ってる人は結構多いんだけど 東条英機ってのは戦争負けて来た責任を取って終戦一年も前に総理大臣をクビになって 後二代総理大臣は次々替わってる。最後の総理大臣が終戦を決断してる。そう言う意味で言うと 今でも逆に言ったら今でも政治が危ない
>>777 あれも1回、大角を叱責して突き返してる。
ただ、あれは再考を求めると言うより、牽制が目的なのね。
また昭和8年と言う時期、総長が伏見宮(年長皇族)だったことにも注意する必要がある
天皇は比較的内部の統制が取れている海軍には甘いよ。
>>779 パル意見書は研究が進むにつれだんだんイデオロギーの化けの皮がはがれてきて、
今や東京裁判批判派でも学究が取り扱う時には無条件で支持したりしない
ハラニーリャのようにパルのその部分に反発して原爆投下を肯定した裁判官まで出ちゃってるし
>>781 いや、突き返してるのは判ってるけど、ろくに修正しないまま再奏してるからさ。
天皇が許可しなくても、下が政策を変えなければ、結局は下の通りに裁可してるんじゃないの?と思って。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/11(火) 09:15:46.31 ID:Jl2QHpuB0
>>779 確かにアメリカの中国介入は日本と同じく利権獲得
のための悪意によるもので、その後の経済封鎖は日本と開戦
に誘導するためですが、日本も張作霖爆殺事件・盧溝橋事件
は謀略を使い開戦してるわけだから、アメリカのやり方を非難
できない。
というより、九カ国条約で中国の門戸開放・機会均等・主権尊重を定めて、 日本もこの条約を締結したのだから、中国マーケットをアメリカが求めるのは 何ら問題のない行動だったし、逆にそれを武力行動で潰そうとすれば、 アメリカが怒り出すのは当然のこと。悪意以前に条約違反だったからね。
日米関係が最初に悪くなったきっかけは日本が移民を送りつづけたことによる。 ネトウヨが在日韓国人を非難するような感覚が全米で起きた。
>>782 それは断じてない。この問題では天皇は叱責に留めたんだよ。
天皇が陸軍の将校連にピリピリしたのは自分の統制下から離れていると見たからで、
海軍に関しては軍令部総長の権限の拡充は秩序の紊乱にならないと見たんだろうよ。
軍歴においては自分をはるかに上回る歴戦の伏見宮と無下に衝突するのも嫌だっただろうしね
岡田啓介が回顧録を出版したのは1950年、追起訴問題が終わったばかりの微妙な時期だったが、 それでも「天皇が黙ってる時は要は不同意、書類の留め置きははっきり不同意」だから 天皇の意思に従うのが大臣みたいなこと書いてるから、彼の内閣では実際そうだったんだろうね 山澄貞次郎が侍従武官を勤めた頃になるとはっきり「認可」権限を行使している様子が窺える 木戸の頃になるともっとはっきりした形になる。 だから昭和8年と言う時期も考える必要があるねと言ったんだよ
俺は大学で国際法を学んだが、東京裁判は裁判ではなく 政治パフォーマンスだというのが結論 まず、国際法には法の遡及の原則があり これは、現在においては絶対的法則である。 また、被告たる日本側の証拠の約9割が認められていない。 また、人道に対する罪では裁けず、平和に対する罪として 裁いているあたり、単なる植民地を失った憤慨が各国の意見に反映し、 広田や東郷といった本来、開戦に積極的でないものも死刑になっている また、戦争責任は自国民に対してのみ負うものであり、 フセインの裁判でもイラク人により裁かれており 現代の国際法観点から言えば、完全に不当である また、サンフランシスコ講和条約でジャッジメントを受け入れたが 本来、国際法では講和時点で戦犯というものはなくなる。 しかし、占領下にあった早期独立を目指したので、やむを得ず受け入れたに過ぎない ちなみに、昭和28年に日本人4000万人の意思により、 国会で戦犯者の無罪放免決議を前回一致で行っているが、 GHQの下で情報の統制管理が行われたため、知る人は少ない
間違えた、法の遡及じゃなく不遡及ね
>>776 日本人が、アメリカの歴史の中で、如何に白人が黒人を差別し、
黒人が差別撤廃のために闘って来たかを想像するのは容易な事ではない。
アメリカでは、1857年に最高裁判決で、「差別をしても憲法違反にならない」、
「黒人は市民ではなく、奴隷であり、憲法は白人のためのみにあるものであり、
黒人は、白人より劣等な人種である」とはっきりと宣言している。
その後の歴史はまさに、リンチと暴動と、暗殺の歴史である。
特に、武器が民間人にも容易に手に入るアメリカにおいては、
白人が集団で黒人をリンチし、むちで叩くとか、家を壊す、火をつける、
ひどい場合には、電柱につるして銃で蜂の巣にするような事が公然と行われた。
1908年(スプリングフィールド)の暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが、
「白人で処罰された者は、一人もいなかった」。なぜだと思われるか?
パリ講和会議が行われたのと同じ1919年には、シカゴで大規模な暴動が起きている。
原因は、ミシガン湖畔で、「白人しか遊泳が許されていない水泳場に、無断で泳いで行った黒人青年が溺死した」
事が発端であった。暴動によって街は無法地帯と化し、双方に多数の犠牲者が出た。
家を焼かれたり壊されたりした黒人の数は、1000人を超え、
同じ年に、アーカンソー、ネブラスカ、テネシー、テキサス、コロンビア特別区でも
同様の暴動が起きている。ややさかのぼるが、
1905年には、カリフォルニアで「日本人排斥運動」が起きている。
これが、日本が「人種差別撤廃」を打ち出した当時、
これを否定したアメリカ国内の偽らざる状況である。
私は当然、敗戦の責任は軍部を中心にあると思うが、開戦の責任など存在しない。
また、いまだに植民地を保持している国もある。イギリスや中国等
おまけ・・・開戦時、日本は石油の85%をアメリカから輸入している。
日本の侵略支配って言うけど、アジアで植民地支配でない国は日本とタイだけ
満州事変・支那事変は誤りはあったと思うが、国際法でそれが侵略戦争だったとまでは言えない(WW1以降の列強の勢力拡大と同じ)
>>788 事後法問題はこのスレでさんざん既出なんだが
だいたい国際法研究者なら東京裁判を政治的パフォーマンスなんて言い切る人間は
いまどき珍しいはずだがなあ
何か言ってることも支離滅裂で素人っぽいし…
単なる植民地を失った憤慨と言うけど、東京裁判の時点では独立はまだだよ?
それに少数意見判事はフランス、オランダ、豪州、フィリピン、インドで、
法廷意見をリードしたのは米、英、カナダ、ニュージーランド、ソ連、中華民国出身判事。
植民地持ってたのは米英だけ。フィリピンのハラニーリャは一番日本に厳しかったんだぞ。
東郷は死刑にはなってないし広田の死刑は弁護方針があれだけ混乱した上に、
通例の戦争犯罪、つまり南京事件を看過した重大な過失を問われてるんだよ。
>>790 ドレッドスコットケースの政治的背景をちゃんと把握してる?
第14修正はなぜ成立したのさ。
それと日系移民差別事件でセオドア・ルーズヴェルトが州権への介入だ
と非難されるほど収拾に乗り出し、東部メディアもこれを支持したのは知ってる?
そもそも日系移民だけは認めてたから排斥問題が起きたわけなんだけど。
もし天皇が憲法の制約を破って発言したり、総理の任命を拒否したりした場合、 天皇に対して何らかの罰則が与えられたりするのでしょうか?
任命大権はそもそも天皇にあるし、べつに責任内閣制ではないし、そもそも内閣と言う制度が憲法上ない。 憲法の制約を破って発言と言うのが良く分からないが、罰則なんてないよ
それと満州事変て中国の領土主権を尊重した9カ国条約違反だと何度言えば分かるかね 日本は抜けてないよ、9カ国条約は。
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/11(火) 23:47:12.24 ID:rsw9ZuO30
国際法で法の不遡及が認められるなんて、俺が学んだときはなかったが、一部学説を正当みたいに言うのはどうかと 開戦時に認められたのは民間人への虐殺は国際法違反だが、これは人道に対する罪であり、これは東京裁判において、誰も罰っせられていない また、講和条約は国際法では両国が対等であり、戦犯等存在しないのが常識 また、法の不遡及を認めたら、俺らはイスラム教国家に戦争で負けたら、みなごろしだ また、イギリス法を持ち出しているが、あれはキリスト教で裁けないものを裁くためのもので、国際法においては適用されない 一部学説をひとり歩きさせないでほしい それとも、俺が卒業(難関なとこだよ)した後、五年ほどの間で常識が変わったのか? 軍事裁判以外で法を遡及させた国際判例を教えてほしい
ついでに言うけど、東京裁判は政治的には有効だ ただし、国際判例としては不適切だということだ 敗戦の責任は否定してはいない しかし、開戦の責任等ない 九か国条約というが、ソ連は日ソ中立条約をやぶっているが、裁かれていない 裁判が公正平等を基本と考える真っ当な考えなら、東京裁判等、意味がない 裁判は不公平でいいというなら北朝鮮へ亡命してくれ
ついでだから言うが、南京事件は東京裁判では、証拠はイギリスの新聞記者の伝聞ひとりであり、 目撃者や被害者はいない(俺が映像を見落としてないかぎり) これに対する反証は証拠と認められない ちなみに戦後、フィリピンのアキノは、日本は謝るのにアメリカは謝らないと愚痴っている もうひとつ言うと、天皇責任を言う前に、南洋には石油があるとか、中国宣戦は連勝とか、嘘ばかり言った軍部が悪い インパール、ガダルカナル、アッツ、レイテ、硫黄島、敗戦の中でも勝てるとか、日本を焦土としても、戦い抜けると頑強に主張した奴らが悪い それから、植民地でいうと、マカオとかチベットやウイグル、フォークランドとか今だに植民地 なぜ左翼はチベットやウイグルの解放を叫ばないんだろ あれこそマンシュウだ 今日は暇で連投した また、来週くらいに来るわ 左翼右翼きて盛り上がるといいな 俺は憲法は単位とった程度だが、確か戦前は各大臣が個々に天皇をホヒツし、戦後は内閣が助言と承認だったような それなら、なおさら広田は無罪って締めくくる
うへあ、手の付けられないのが住みついたなあ
誰に国際法を教わったの?
あなたには興味がないが、東京裁判を講義で堂々と否定する国際法の研究者名が知りたい。
それと長文を書く前にもう少しお勉強してから来ようね。ここは主義主張板じゃないよ
>>797 一部学説どころかあなたの説が誰の説なのか不思議なんだよ。
法の不遡及は国際法においては国内刑事法におけるほど「絶対的」ではない。法源の所とかで習わなかった?
開戦時の戦争違法観はまあ例のパターンとして、コモンローへの理解が理解に苦しむ
どこでどういう授業したらコモンローをそんな風に教えるのさw
>>798 いや法的に有効なんだよ。日本は講和条約に調印したんだから
自分が署名した条約を今さら否定するなら北朝鮮亡命どころか世界中に喧嘩を売ってるレベル
>>799 いや南京事件は結局、法廷で誰も反駁できなかったわけで…
あなた本当に法学部?難関出身者にしては今までスレに登場したお客様の中で一番無茶苦茶なこと言ってんだけど
>俺は憲法は単位とった程度だが、確か戦前は各大臣が個々に天皇をホヒツし、戦後は内閣が助言と承認だったような これで難関大学、しかも国際法の玄人を自称とは実に不思議だなw 内容は、なんとなくあってるけど 憲法は単位取った程度だがって、憲法取らないで卒業できる法学部はないでしょw
>>799 盛り上がる前にこれだけお勉強してきてよ。すごく簡単な知識だから。
広田のバーディクトはどういう結果だった?
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/12(水) 09:03:19.43 ID:LcnCT65P0
>>799 南京事件は規模的にはわからないが資料が結構残っている。
南京事件に関しては中国政府も規模をでっちあげてるけど、右翼学者
もでっちあげをしている。
フィリピンに関しては決して親日ではない、占領下でフィリピン経済は混乱した
し、抗日ゲリラと戦ってる。サンフランシスコ講和条約で、賠償しないと調印しないと
通告してきた。
>>799 > ついでだから言うが、南京事件は東京裁判では、証拠はイギリスの新聞記者の伝聞ひとりであり、
> 目撃者や被害者はいない(俺が映像を見落としてないかぎり)
君は自分で認めてるとおり基本的な内容を見落としてるね。しかも本質的な内容だ。
東京裁判ではベイツ、ウィルソン、マギー、スマイスの他に許証言者ら南京市民5人の証言者がおり、
証拠物件としてダーディン、フイッチらの口述書の他に十数人に及ぶ被害者の戦線供述書が含まれていた。
他にも南京の安全区委員会が日本の官憲に提出した当時の抗議文書や卍会などの埋葬記録、
アメリカやドイツの出先機関による本国への香典などを含む公文書証書など膨大な証拠資料があり、
君が言う「証拠はイギリスの新聞記者の伝聞ひとり」などという認識は、東京裁判の南京事件事案の
実像を把握してないと受け取るしかない。
もしかして、東中野の本か何かしか読んでないの?
東京裁判における南京事件を語るなら、秦郁彦著「南京事件」や戸谷由麻「東京裁判」くらいは
把握しておくべきであろう。
どうなんだろうね おいらは、法の不遡及は国際法上の絶対原則と習ったよ また、アメリカ合衆国憲法にもあるし、イギリスにおいても基本理念だと 東京裁判が正当な裁判だと言ってる人に聞きたいけど、なんで、小数派なの
当時のノートみたけど、やはり法の不遡及は絶対原則、ただし、東京裁判時にその理念が存在したかには議論があるとなってるね ちなみに、昼休みだ!
追記すると、刑法犯罪を裁く際には特に法の不遡及は国際法では重視されており、当時もパールら国際法上の裁判官職人あった多くから、批判があり、ニュルンベルク裁判においても不当性をうったえるものも少なくない。 俺は東京裁判は政治として有効、裁判としては無効 南京事件については、もう一度調べる でも、目撃者なんかいなかったような気がします。 どのあたりで、出るのか、教えてくれたら助かる。 ただ、内容については懐疑的、ようはゲリラ戦があっただけだろ(全く民間人被害者がいないとは言わない。戦時下だから)殺戮する力事態、日本軍にはない あっ、もう時間、いつも夜遅くなるから、また見れたら見る 来週くらい休みとれたら、子供寝た後にでも見るわ できれば、判例とか国際法学者の名前とか、国際法学者って外国人多いけど、だして見て、調べるから
おっと忘れてた 国際法の法源は条約と慣習、つまり平和に対する罪にはあてはまらんよ その慣習は開戦時には存在していないし、条約で敗戦国裁判はない
>>805-806 法の不遡及は国際刑事裁判に限らず、刑事法全般に言えることで、
もちろん国際法の世界でも尊重される。ここまでが原則論ね。
ただし、多数意見は訴因に挙げられた行為は既に違法化されていたと見るんだよ。
日本も含めて不戦条約が締結されているし、ヴェルサイユ条約では戦争犯罪人として
ヴィルヘルム2世の引渡が責任条項に入っている。
それと「法の不遡及」をどう把握するかで違いが生じる。
例えば大陸法系では罪刑法定主義が厳格に貫かれるが、英米法系では必ずしもそうではない。
発見された正しい法に照らして処罰が正当化されればよい。英米法の特質は習ったでしょ?
もっと言えば大陸法系でも条文の文言の解釈と言う作業によって実質的に「事後法」と見られるような適用を行うこともある。
要するに法の不遡及と言う原則は原則として、適用場面では弾力性がある。これが最も強く出るのが国際法。
>>807 いや、調べるからじゃなくて、あなたがどこの大学の誰先生に習ったか言うほうがおそらく早い。
英米法の理解を見る限り、あなたのは相当頭が混乱してる。
ニュルンベルク裁判では事後法批判を取り上げて、一般的正義に反する事情がある場合には
事後法禁止は適用されないと論じた上で、さらに条約としても不戦条約を挙げて犯罪性を肯定するが、
そこで違法行為がイコール犯罪行為とならないのではないかと言う反論を意識して、
国際法は国内法と異なり一般原則を扱うものだという点に留意を促してるよね。
ニュルンベルク法廷は「法なくして犯罪なし」は正義に反してまで適用されないと言ってるの。
実際、国際法、ICJ規程38条では裁判基準は条約、慣習法のほかに、法の一般原則、さらに補助的に判例学説が挙げられているわけだけど、
まずは慣習法だけに絞って考えてもいい。慣習法の成立要件は?法的確信と一般慣行だけど、一般慣行については弾力的に認めるよね。
「慣行」と言っても時間的要素を言うわけではない。
「法の不遡及は国際法の絶対原則」もそうだけど、
「平和に対する罪に当てはまらない」「慣習は存在していない」
なんて軽々しく言えないはずだよ。もちろんニュルンベルク・東京裁判を例示して釘を刺す論者もおられるが、
それは「争いのある例」の例示であって「反した例」の例示ではない。
「存在していない」「条約で敗戦国裁判はない」と言うのは一体だれが教えたの?
あと、東京裁判では、平和に対する罪だけで有罪とされた被告には死刑の言渡がないとか、 ちゃんとあなたの言う反論に多数意見が配慮していることは知ってるよね。 南京事件の殺害の違法性に関しては、最近なら原剛の「いわゆる南京事件の不法殺害」が 最近、割とポピュラーに挙がるし、自分は日中戦争再考買っちゃったけどネットでも読めるでしょう。 証言の模様なら普通に南京事件か東京裁判の該当箇所で、よほど偏ってなければ載っているはず。 あなたの挙げるパルも南京事件そのものは否定できずに 「残虐行為は日本軍が占領した地域の一般民衆、はたまた戦時俘虜に対して犯したものである という証拠は圧倒的である」と述べているよね(パル判決書) 私も戦争責任関係で大沼、藤田、戸谷あたりの本やら、一般的な教科書をいま引っ繰り返してみたけどさ。
要は法の不遡及と言っても慣習刑法禁止を始め罪刑法定主義を重視する日本法のような体系、 コモンローや判例まで参照できる英米法、さらに明文の罪と刑の法定がなされていないのが通常の国際法、 それぞれの特質で発現の仕方が違うわけ。法の不遡及は「行為時に明文の禁止規定に違反したこと」とイコールではない。 これがどうも感覚的に抜けない人がいるみたいだけど、国際法で罪刑法定主義をそのまま持ち込んだら、 いくら正義に反した行為でも未来永劫、刑事裁判に付されないことになっちゃうよ。 パルは「それでも仕方ない」みたいな態度だったので、保守的な法実証主義者と言われて批判的に捉えられてる。 パルの感覚は当たり前だと思う人間が多いらしいけど、良く考えるとちっとも当たり前ではない。
少し、援軍を出してやるか
法の不遡及は大陸法、英米法どちらにおいても採用された原則であり、
フランス人権宣言第8条にその原型がある。
また、アメリカ合衆国憲法第1条第9節ならびに
ドイツ連邦共和国憲法第103条2項に規定がある。
法の不遡及原則も、国際法、国内法共通の原則であり、特に刑事法の分野で確立している
(「世界人権宣言」11条2項、市民的及び政治的権利に関する国際規約15条1項、欧州人権条約7条1項ほか)。
しかし、「国際法上の犯罪」において、第二次大戦中当時、「平和に対する罪」が
必ずしも明確に犯罪行為として定まっていなかったにもかかわらず、
「極東軍事裁判所」(極東国際軍事裁判)において、それが適用され、処罰された。
慣習国際法上の原則でふぁ、確か北海大陸棚判決のときに慣習の目安を20年くらいとしてるはず
また、慣例法については大国の意思の反映であり、小国や新興国に不利益であり
適用するべきでないといういけっもある。
>>809 誰が教えたかなんて聞くのは、フェアじゃないぞ
多分、京大だろ
調べなくても言いように歴史学者秦郁彦の説によると、 中国軍の総数を日本軍の推定数と台湾の公刊戦史から10万人とし、 日本側の戦闘記録・新聞記事などから戦死数5万3,900人、 捕らわれて殺害された者3万人、生存捕虜1万0,500人、 脱出成功者5,600人と推計する。 このうち捕らえられてから殺害された3万(各部隊の戦闘記録から算出)を虐殺数とする。 市民に対する虐殺は、スマイス調査による都市部・農村部の被害者総数に修正を加え2万3,000人とし、 不法殺害の割合は1/2〜1/3と判断し、虐殺数を8,000〜1万2,000人と推計する。 概数として市民と兵士の虐殺総数を3万8,000人〜4万2,000人と結論する。 なお、「4万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下まわるであろう」としている ちなみに国連では民間人への空襲等を判事としている。 また、ヴェルサイユ条約は、わかりやすい不平等条約であり、 それをもって、極東軍事裁判を正当とすることはできない 政治的に言うと有効と807が言うのを無視してない 日本の戦争を侵略とし、政治的な決着を目的とし、3000件もの 日本側証拠を却下した裁判を正当というのは法学論には似合うまい それは、アメリカ人の弁護士ですら発言している 東京裁判も東條らの弁護発言のとき、同時通訳をうちきったりしており 裁判の体をなしていない。 これは、今の正論なんだけどな また、極東国際軍事裁判では「平和に対する罪」で 有罪になった被告は23名、通常の戦争犯罪行為で有罪になった被告は 7名いるが人道に対する罪(C級犯罪)は訴因において 「通常の戦争犯罪および人道に対する罪」として言及されてはいたものの、 実際には「人道に対する罪」で起訴された被告はいない。 清瀬一郎や瀧川政次郎ら日本側弁護人の本もよんでほしい。
よくでる木戸日記について 極東国際軍事裁判で、昭和天皇の戦争責任などに関して、 自らの日記(『木戸日記』)などを証拠として提示した。 日本語で372枚にも及ぶ宣誓供述書で「隠すところなく、恐るるところなく」 いかに自分が軍国主義者と戦い、政治的には非力であったかを述べ、 当時の政府や軍部の内情を暴露して天皇免訴に動いた。 しかし、結果的には連合国との開戦に対して明確に反対しなかったことから、 イギリス代表検事であるアーサー・S・コミンズ・カーからは、 「“天皇の秘書”であるなら、親英米派であった天皇の意向に沿って行動するのが道徳であろう」 として、「不忠の人間」であると強く批判された。 また、『木戸日記』は軍人の被告らに対しては不利に働くことが多かったため、 武藤章や佐藤賢了は、巣鴨拘置所と法廷を往復するバスの中で、幸一のことを指差しながら 同乗の笹川良一に向かって 「笹川君!こんな嘘吐き野郎はいないよ。我々軍人が悪く言われる事は、別に腹は立たんが、 『戦時中、国民の戦意を破砕する事に努力してきました』とは、なんという事をいう奴だ。 この大馬鹿野郎が」と吐き捨て、それを聞いていた橋本欣五郎も 「本来ならこんな奴は締め上げてくれるんだが、今はそれもできんでね」と罵り、 木戸も、顔を真っ赤にして俯きながら手持ちの新聞紙で顔を覆い隠したという。 その木戸も終身禁固刑の判決を受け服役する。 なお、幸一に対する判事団のジャッジは、荒木貞夫・大島浩・嶋田繁太郎と並んで11人中5人が死刑賛成、 といったわずか1票差で死刑を免れたという結果だった。
何かwikiから色々つぎはぎ引用して下さってご苦労さま。北海大陸棚事件で「?」と思うまで気づかなかったよ ただ反論に値する部分は少ないけどね。 法の不遡及原則が刑事責任において重視されることは国内法・国際法を問わないんだよ。 よって前半の法の不遡及原則への留意はいちいち無用。その上でニュルンベルク、東京裁判の正当性を研究者が論じている その上で疑問点を挙げていくと、同じく重視と言っても英米法では罪刑法定主義が厳密に妥当しない。 ましてや国際法ではありえないわけ。もし法の不遡及をそのような意味で国際法で用いるのなら土台無茶苦茶なことになる。 また「平和に対する罪が必ずしも明確に犯罪行為として定まっていなかった」からこそ両法廷の判決はそれに触れていること、 さらに量刑においても東京裁判の場合きちんと配慮が見られること、 さらに東京裁判においてはニュルンベルクの先例を引いて従っていることに注意する必要がある。 あと北海大陸棚事件で問題になったのは大陸棚条約6条の等距離原則で、 デンマークやオランダはこれが慣習法になったと主張して西独と対立したのでしょ? 念のために判例解説本引っ繰り返したけど、この判決が大事なのは「目安20年」にあるのではなく、 「条約上の規則が慣習法になったと言うために」当該条約への広汎な諸国の参加が必要であるとし、 時間の要素に関しては短い期間しか経過していなくとも諸国の実行が広汎かつ一様であり、 さらにその実行が法的信念に裏付けられていれば慣習法化することはあり得る、 と言う判断基準を挙げたところにあるわけでしょ。 等距離方式と戦争違法化の歴史では全く性質が違うから、目安20年なんて簡単に持ってこれないよ。 もし69年のこの判決を持ってくるなら、あくまで上の判旨の基準を用いないと。
>>813 秦の著作に関しては、数の問題ではないと本人も仰っているので、基本的に異議を唱えるつもりはないが、
>なお、「4万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下まわるであろう」としている
これは彼の意見が20年前と変わったでしょ。20年前の彼の基準では4万より増えてないとおかしいはず。
おかしいと一部から言われてる部分だね。
それとヴェルサイユ条約が「分かりやすい不平等条約」と言うのが良く分からない。
確かにケインズが抗議した過酷賠償を始めドイツ側には過酷な内容になってるよ、
でもそれまでの「国際慣習」では無賠償無併合が当たり前でしたか?
何か二重基準っぽいんだよね。
戦争責任条項に関しては、既に当時から戦争違法化の思想の萌芽があったこと抜きには語れないよ。
またベルサイユ条約の戦争責任条項は東京裁判の判決文で使われた論理ではなく、
既に戦争責任追及の動きが始まっており日本側にも処罰は充分予想可能だったと言う主張の補強だよ。
それと証拠採用の問題や通訳に関しては、例えば日本のドゥーリトル裁判のほうがはるかに酷いでしょ。
批判的な研究者ですら、英米法に不慣れな日本側弁護人にとって米国人弁護人が大きな役割を果たしたこと、
さらに裁判長のウェブはよく訴訟指揮が批判されるが、休廷も含めて非常に慎重に裁判を進めており、
それゆえに2年と言う予想外の長さになり、むしろ「勝者」にとっては不利な結果になったことを指摘している
もし法廷が連合国のイヌなら、なぜマッカーサーが次第に焦り出しても公判を続けるのさ。
オウム裁判で分かったと思うけど、この種の事件では大量の証拠が申請されるから、
訴訟遅延目的と見なした場合はばんばん却下するよ。
保阪正康に至っては「日本が仮に勝利して連合国首脳を裁いたとしても、まず弁護人を付けると言う発想があったかどうか」
とはっきり言っている。
>>814 木戸日記もwikiからの引用ですか。何の意図があって引用したのか分からない…
とりあえず木戸日記に怒ってる人たちを見れば分かる通り、
これは天皇の免責には大きな役割を果たしてるんだよ。
それと何度も言うけど、なにゆえ天皇の戦争責任が東京裁判の正当性とすぐ結びつくの?
東京裁判を否定したら天皇の戦争責任は否定されるとでも思ってるのかしら。
>東京裁判も東條らの弁護発言のとき、同時通訳をうちきったりしており >裁判の体をなしていない。 >これは、今の正論なんだけどな あなたの中では正論なのかも知れないが、「裁判の体をなしていない」 なんて言い切る研究者は、批判的な研究者でも今日ちょっと聞いたことないよ。 研究者名を聞くなよ、アンフェアだとあなたは言うけど自分は正直びっくり。 東京裁判の「批判派」はいても「全否定派」が消えたのが今日の状況でしょ。 それと清瀬に関しては政治色が強すぎる。史料としてどこまで信用していいのやら 日本人弁護団の中でも清瀬は少し浮き上がった存在だよ。
>日本の戦争を侵略とし、政治的な決着を目的とし、3000件もの >日本側証拠を却下した裁判を正当というのは法学論には似合うまい >それは、アメリカ人の弁護士ですら発言している 政治的決着を目的としない国際法廷があるのかと言う問題はおいといて、 大沼保昭の戦争責任論序説の話をしなくちゃいけないですか? だからベルト・レーリンクは東京裁判の欠陥を認めつつも、法創造効果をちゃんと認めてるわけ。 これこそが今日の東京裁判に対するスタンダードな評価でしょ それと弁護人の努力には敬意を払うけど、 たとえば南京事件でブルックスが執拗にマギー証言を追及したが上手く行かず 裁判長が「それ以上続けると弁護側がかえって不利になりますよ」と注意されて 「私は証人が非常に公平な立場で証言していると思います」とうっかり言っちゃう人もいた そもそも南京事件じたいがこの法廷で初めて全貌が明らかになったのだから。 あなたはこういう問題も含めて東京裁判の意義は否定されるべきだと思う? それとwikiからの大量そっくり引用、しかも余事記載で誤魔化すのはもっと法学論に似合わないんじゃないかな。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/12(水) 18:26:23.30 ID:LcnCT65P0
アメリカの歴史には王権はなく、西洋は民主主義に先進国であった。 対し、日本は王権は残し封建制が色濃く民主主義に発展した。 東京裁判は確かに事後法で裁判と呼べるものではないかもしれない。 しかし現在の感覚では戦争指導者は裁かれるのは当然であろう。 東京裁判のおかげで戦争中、日本国民が知らされていなかった日本軍の 行動や作戦の全体図を確認することができ、戦争指導者に説明責任を負わ せることができたという側面を無視して東京裁判を否定してはいけない。 アメリカのジョージ・ケナンは、東京裁判に否定的な意見を述べているが この裁判の底に流れている正義や公平を理解する能力が、日本人にはない、 というのが、その主な理由であったまさにこの人の言う通りだと思う。
ちなみに両判決の先例としての評価は戦後、国連における法典化作業の中で確立されていく。 両裁判所の条例と判決で承認された国際法原則は国連総会で確認され(決議95T) 国際法委員会により定式化された(1950年、ニュールンベルク諸原則の定式化) こうして平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪と言う3種類の国際法上の犯罪について 個人の刑事責任を追及すべきであるとする原則は、国連の法典化作業に組み込まれていった (人類の平和と安全に対する犯罪に関する法典草案) こうした動きと並行して採択された条約としては、1948年の集団殺害(ジェノサイド)罪の防止 および処罰に関する条約や、1968年の戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用に関する条約等がある。 一方、国際刑事裁判所(ICC)設立に向けての国連の作業は、1954年以来長期にわたり中断していたが、 1990年代に至って復興し、1994年に国際法委員会でICC規程草案が採択され、 結局1998年のローマの外交会議においてICC規程が成立した。 同規程は集団殺害罪、人道に対する罪、戦争犯罪、および侵略の罪をICCの管轄権の対象として規定し、 それぞれ定義を与えている(ただし侵略の罪の定義は合意に達せず、将来の規程改正に委ねられた 京大出身の岡田泉氏がたまたま手元の資料で東京裁判・ニュルンベルク裁判の解説をやっていたので、 今日的意義の部分を引用させていただきました(判例国際法) 何か参考文献がちょっと古いんだけど、今日的意義は立派にあるようですよ。
ケナンの東京裁判否定論は、道義的観点からではなく、国際政治的な観点からのそれだよね 要するに外交に法律家的アプローチは無益、それに日本人には理解できないから逆に反米意識が発生する と言う。だから早く裁判を終わらせろと
現在の感覚では戦争指導者は裁かれるのは当然であろう 確かにそうだが、それは敗戦国のみに適用され、民間人への誤爆などは罪となっていない また、戦勝国による裁判は現代法では、認めないのが主流 ちなみに両判決の先例としての評価は戦後、国連における法典化作業の中で確立されていく。 両裁判所の条例と判決で承認された国際法原則は国連総会で確認され(決議95T) 国際法委員会により定式化された(1950年、ニュールンベルク諸原則の定式化) つまり、戦後に規定された法であることの根拠だな くりかえし言うが、政治的意味での東京裁判を否定はしていない しかし、国際法として、同種事例が再演されないために、法理論としては否定すべきだ wikiは、コピペ楽だからね また、一般の人でも確認しやすいから、わざと引用してる。 それから、知り合いの弁護士にメールしたけど、国際法上、法が遡及するなんて ありえんと断言したよ。 ただし、プロ市民は除くだそうだ
何を無茶苦茶なこと言うちょるんですか… 決議95や国際法委員会の定式化は「戦後に規定」したのではなく 両判決の「先例としての評価を確立」したと書いてあるでしょうが。 両判決が紛れもなく先例になったことの証左ですよ。 まあ法理論として否定すべきだと言うご意見はご勝手で(ここは天皇責任スレなので) その弁護士は当然マイナー科目の国際公法で試験通ったんだろうなと言う突っ込みは於いておいて、 弁護側の抗弁が「不戦条約は侵略戦争が国際法上違法でありかつ犯罪であると言う命題を 必然的に含んでいる」として斥けられたこと、学説においても罪刑法定主義の適用は 転換期における恣意的裁判の恐れの少ない国際裁判には罪刑法定主義の適用は絶対的な要請ではない とする見解もあると言う事実はいいですよね。 法の不遡及、事後法の禁止、罪刑法定主義、私もうっかり混同して使ったが、 少なくとも罪刑法定主義と言う意味での法の不遡及を国際法において貫徹すると言うのは無茶苦茶ですよ。 その弁護士は(もし存在すればですが)法の不遡及を広い意味で使ったんじゃないかな。 例えばニュルンベルクは「不戦条約加盟によって国家の政策の手段としての戦争を放棄した以上、 このような戦争が国際法上違法であり、このような戦争を計画し実行する者は犯罪を行いつつあるのだ と言う命題を必然的に含んでいる」と判示している。 つまり行為時に適法であった行為を、遡及処罰しているのではないと反論している。 その意味ではニュルンベルクも法の不遡及原則は守ってますよ。 でもあなたはニュルンベルクは事後法禁止に抵触すると言うのでしょ。 だからどういうレベルで法の不遡及原則が発現するかが問題なんだよと散々言った。 それとまともな弁護士ならプロ市民とか言わない。
>現在の感覚では戦争指導者は裁かれるのは当然であろう >確かにそうだが、それは敗戦国のみに適用され、民間人への誤爆などは罪となっていない 言ってることがいまいち分からないが、ICC規程は敗戦国にのみ適用されてもいないし、 誤爆は罪とならないなんてことも言ってないですよ。5条で管轄はジェノサイド、人道に対する罪、 戦争犯罪、侵略犯罪となっている。侵略犯罪は今は定義が纏まってないから外れるけど
あのぅ 盛り上がる中悪いですが、京大ではありません 先生の名前は許してほしい 昔、竹島の国際法的帰属について、とある関東の大学で講義した時に大変なことになったそうで、いわゆる韓国や日本にいる韓国の方や なぜか右翼からも嫌がらせを受けたので 外務省の主張と、ほぽ同じ内容だったのに しかも、東京で講義したのに、福岡とか北海道地方の消印で、剃刀いりもたくさんあったらしい だから、いらぬ迷惑をかける訳にはいかん それから、就職活動や合コンとかに力入れたから、学説とか誰か思いだせん 週末、実家にかえって本をとってくる 話はそうでないと、不利だろ ちなみに俺を殺すなよw 修士課程の連れの専門だったんだが、変死したからな
研究者の名前を教えてと言ったのは、難関大学と言われるクラスの研究者で東京裁判を堂々と否定するって、 一体誰だろうと知りたかったから。かなりの大物のはずで、しかも特定できると思ったんだよ とすると論文なり著書なり何かあるはずで、それに反論もあるはずで、それを読んだほうが批判するのが早いから でも聞いてる限りだと大したこと言ってるようでもないし、別にいいですそれは
あと、ここ一応天皇の戦争責任に関するスレで、東京裁判スレじゃないので。 もし東京裁判やりたいなら、別スレ立ててくれ。こんな調子じゃどんどん本筋から外れる 天皇の戦争責任を論ずるのに使う史料は、東京裁判の評価とはかなり違ってくるよ 今日なんか国際法の勉強会になっちゃったじゃん。天皇の戦争責任は国際法直接関係ないし
ここは、なんでもありさぁ
東京裁判を堂々と否定するって、まぁ、批判するって意味だろうけど そんなのウヨ、サヨいっぱいいるだろ
ついでに思い出話聞いてほしい。すれ違いだけど 変死した連れは、東京裁判は不当といって、破棄し、共産化し、永世中立国とし、憲法を天皇を中心に作り直すという変わった結論を持ち、 右翼左翼どちらからも、相手にされなかってさ でも、ものすごく本を読んでた しかも、英語やフランス語を原文で、日本の法学部は遊びみたいだといつも言ってた でも、男前でよくモテた ある日、俺が働いて一年くらいして、あった時、追われてるとか意味不明なこと言っててね それから真夏に山中で見つかり、精神的な病で自殺したと警察は、調べなかった でも、死因は凍死でした。警察は夏も山は寒いとか言われ 俺の意見なんか無視 歌が上手くて、下手なダジャレ言う寒い奴だった。でも、いじられるのが、好きないい奴だった ゴメンな スレ違いで なんか思い出してしまって、涙でたわ
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/13(木) 08:23:24.57 ID:Bfkp8pyX0
>>831 スレ違い。
>>829 なんでもありじゃない。東京裁判の否定はもっと前でもやってる。
東京裁判の否定が右翼の砦なんだろ。
天皇の戦争指導責任を認めない →臣下の責任にするか→YES:従来説(無難な反応) →NO:それもイヤ=開戦は正当と言うしかない →言ったらもろに右翼と見なされる →東京裁判を叩いて連合国と「過失相殺」しようとする(しかし先例としての意義には触れない) これよくあるパターンね 政治史の議論がいつの間にか堂々巡りの法律論にすり替わってる 議論を天皇からなるべく遠ざけるのが目的
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/13(木) 13:07:36.00 ID:jgfjxZh+0
A戦犯、昭和天皇さらし上げ↑
東京裁判スレは立てられないのか? まあ、法学板でも嫌がられるから史板が引き受けるべきなんだろうけど、 さすがに理解が難しいと言われる国際法の専門的知識と審理の史料が膨大に入ってくる東京裁判と、 政治史メイン、あとは明治憲法体制の理解とかの昭和天皇スレを一緒に扱ったらスレがパンクする 1回分けるほうが無難。このスレで判決の詳細な検討や各種判例まで扱えないよ…
まず、誰か、否定論、肯定論を整理できませんか? 両者の意見がバラバラだとわかりにくい 例えば、 一 憲法 二 国際法 三 開戦時の世界情勢四 日本の国内事情 五 アメリカの事情 六 中ソの動向 七 アジアの情勢 八 その他の国の情勢 後は、やはり戦勝国の意向、昭和天皇の動向か、軍部と昭和天皇の関係 確かにきりがないな ちなみに聞きたいんだけど、東京裁判の訴追リストに昭和天皇を入れたのは豪州だけで、米中ソは訴追に反対だったというのは事実ですか
一応、東京裁判についてはコピペはっとくので、 ● 豪州のウエップ裁判長 帰国後「東京裁判は誤りであった」と繰り返し表明。 ●オランダのレーリング判事 裁判終了後に「東京裁判には法的手続きの不備と南京大虐殺のような事実誤認があったが、 裁判中は箝口令がひかれていて言えなかった」と発言。 また、「私たちは国際法を擁護するために裁判をしていたはずなのに、 連合国が国際法を徹底的に踏み躙ったことを、毎日見せ付けられていたからそれは酷いものだった。 もちろん、勝者と敗者を一緒に裁くことは不可能だった。まさに復讐劇だった」と述べた。 ● フランスのベルナール判事 レーリング判事と同様な発言を裁判終了後に公にした。 ● アメリカのキーナン首席検事 日本糾弾の旗頭キーナンですら裁判が終わった後に「東京裁判は公正なものではなかった」と発言。 ●イギリスの国際法の権威ハンキー卿 『戦犯裁判の錯誤』という本の中で「日本無罪論のパール判事の主張は絶対に正しい」と明言。 ●イギリス法曹界の権威ビール氏 『野蛮への接近』という著書のなかで「東京裁判は勝者が敗者に加えた野蛮きわまりない復讐行為である」と断言。 ★ちなみに戦後のアメリカの議事録によれば、アイゼンハワー共和党政権下の副大統領だったニクソンは、占領時に憲法制定し日本に押しつけたことを 日本の国会で公式に謝罪している。
>>836-837 だから東京裁判の検証は独立したスレでじっくりやろうぜ、そんなコピペ程度じゃなくて
東京裁判は戦後政治史の一事件であって、天皇が起訴されてないから直接天皇の言動と関係ない史料が多い
議論の内容も政治史より国際法や法廷関係者の動きに圧縮されてくる
まともに反論できなくて天皇責任問題を流したい、と言うならそれで構わないけど?
>>837 そんな古いコピペ貼ってどうするの?
・ウェブが「誤りであった」と繰り返したソースが不明
・レーリンクは東京裁判の意義を回想録ではっきり肯定している
よくパルの理解者と言われるがパルの露骨な反欧米の立場に注意を促している
コピペの箇所は彼が裁判進行に不満を漏らした箇所を無茶苦茶に誇張している
・ベルナールは天皇が起訴されなかったことを不満に思っているので、
一般に言われる東京裁判否定派とは逆ベクトルからの批判
・キーナンは東条証言の変更工作などに関与した政治的な検察官
広田の量刑などで意外感を漏らしたのは事実だが、被告追及の急先鋒だった彼が裁判結果を批判する資格はない
・ハンキーはチェンバレンの対ナチス宥和政策を支持してチャーチル政権下で浮き上がっていた政治家
パル意見書の支持は彼個人の政治的なアピールで限定的な影響しか持たなかった
ちなみに「○○の権威」かどうかがそもそも不明
パルも「国際法の権威」とされてきたが権威どころか国際法と縁もゆかりもないタックスロイヤー
これは日本の東京裁判研究者も今では認めているが、マイニアも彼の経歴をちゃんと調べてない
ちなみにレーリンクレベルの人でも、専門は刑法であって国際法ではない
・ニクソンは「謝罪」などしていない
アメリカの外交政策が冷戦にシフトし対日政策が反共同盟国化に大きく変更された中で
憲法が阻害要因となっていると見て「善意の過ち」論を展開したに過ぎない
都合のいいことに憲法の制定はトルーマン政権下で行われたからね
南京で市民を虐殺した「私記南京虐殺」正続の二冊を書いた曽根一夫。 →南京戦には参加せず。 この本を秦郁彦は高く評価。
東京裁判の話はよそでやろうよ。
南京事件は別スレだろ それから秦説かが正当な論理と決定した訳ではないだろ、ただ資料を研究し、右翼左翼の中間説に信憑性が高いとしているが、数字面では確率等の推測もあり、実際はかなり少ない可能性も認めている また、東京裁判が国際法で認められないならば、国家でなく個人が戦争責任を負う理論が破綻し、天皇責任はないという話 ちなみに東京裁判を国際法学会で有効と主張してるのは日本くらいなんだよね 戦勝国側の国際法学会では、悪しき例としてるし、世界人権宣言は、ニュルンベルクや東京での裁判が大きく影響を与えている また、国際法における法の創造は被告が有利となる場合にしか認めないのが、現代では原則 超法規的になんでもあり、ではない 超法規とは、まっ、説明長いからやめとくわ 俺は右翼と違うが、ある程度バランスをとらんといかんので、反論をしとくわ
>>840 天皇の責任から話を逸らすのが目的なんだろう
ほんと別スレ立ててくれよ
>>841 いや、東京裁判はサンフランシスコ講和条約で日本が受諾しているので、
実際に有効だし先例としての意義もあるんだよ
>戦勝国側の国際法学会では、悪しき例としてるし
>また、国際法における法の創造は被告が有利となる場合にしか認めないのが、現代では原則
この辺りは怪しい。冷戦期の戦勝国側とくにアメリカでは、パル意見書に見られるように、
自衛権の発動を共産主義の浸透を防ぐためにも認めるような広い自衛権概念が有利に働いたし、
実際、広い自衛権概念が採られている。だから東京裁判にはアンビバレントな態度があることは知っている
法創造作用は被告が有利となる場合にしか認めないのが「原則」なのは刑事法一般の原則で、
法と犯罪行為の同時存在が原則だから、べつに国際法にのみ妥当するものじゃないよ。
ただそれは原則論であって、時効廃止のように刑事被告人が不利になるものも認められている。
当たり前の話で、国際法はニュルンベルクで指摘された通り、一般原則に留意を促すものだから、
かりに犯罪時に罪と刑罰が法定されていなくともこれを放置することが正義に反するとみなされる場合、
放置することは逆に不正義となる。英米法でも重大事案については発見された正しい法に従って処罰を行う場合もある
現れの点から見たら決して万古不易のものではない
>世界人権宣言は、ニュルンベルクや東京での裁判が大きく影響を与えている
これがさっぱり分からん。世界人権宣言を非難する気なのか?
それと秦説(中間説)はほぼ定説化していると思うが。
また、秦は「多い可能性」も認めているんだよ。
例えば30万人説に対して「すべてはゲスワーク。都市人口20万に対して過剰だという反論は直ちには成り立たない」
と南京事件の特質を説明するためにあえて肯定して見せたりしている。
あと秦が注意を促すのは、大量の不法殺害があったのは事実なんだから、数字の話はいい加減にしようやと言うことで、
この点、彼が批判する大虐殺派と意見は一致する。秦が折り合えないのはまぼろし派、無罪派だよ。
秦は不法殺害の人数やその範囲について大虐殺派とは意見を異にするが、
まぼろし派や無罪派とは不法殺害の有無そのもので対立するのだから
それで天皇の戦争責任についてはどう考えるのか、
話がズレる前の
>>752 あたりまで戻って史料や史実に準拠したレスを続けてしてくれ
今後、このスレで天皇の戦争責任に関係ないレスはスレ荒らしと見なすことにしよう
相手にした自分も悪かったが、ここまでしつこいとは思わなかった
これじゃほんときりがないから
ということで、 以降は昭和天皇の戦争責任や戦争で果たした役割について語りましょう。
天皇は満州事件の真相についてかなり詳しく知っていたね。 本庄繁(関東軍司令官)が軍事参議官の辞令を受けて32年9月に拝謁した際、 日本軍の一部の者の謀略との噂があるかどうかと尋ね、本条が否定したらそうかよかった、 と返答したのは有名だが、実際、本庄の返答程度で納得したと思えない 石原を嫌いぬいたり、32年8月時点で謀略との情報を掴んでいた時点で、 天皇はかなり内情を知ってると思われる
サヨは不利な分野では戦わんな 中間説は定説ではないだろ 中間説に説は多く、これが定説などないはずだが 君らが嫌いな東中野説も否定できない部分も多い また、東中野もなかったというのでなく、あったという証拠の 信憑性に疑問を呈しているにすぎない これは、南京事件の記念館等の中国側証拠の問題点を指摘しただけ。 これは、ニュー速なら、激スレになるとこだけどな ちなみに石原莞爾は、天才だろ 東條と対立し、失脚したが 彼がいれば、満州国は新たな形で戦後も戦後も存続した可能性がある 彼は、日本人の満州移民を推し進めた反面、満州人による満州支配に積極的であった。 また、憲法9条により米ソ対立を阻止できるという思想をもっていた それに、東京裁判には証人として出廷し、 満州事変は支那軍の暴挙だと主張し、関東軍よる自衛行動であり、 侵略ではないといってる。 かれは、花谷正とかとはまったく違う、ある意味偉人である
847 :
496 :2011/10/14(金) 23:15:50.60 ID:mDf0XInf0
東京裁判スレがたたないので ニューヨークタイムズは東京裁判の直後、この裁判を無効とし、全員無罪を判決したパール判事の少数意見を 一面トップで大きく取り上げこれを評価した。 ロンドンタイムズは1952年6月から7月にかけて約一ヶ月間にわたって、このニュルンベルク裁判と東京裁判の 二つの裁判に対する論争を連載した。 イギリスの国際法の権威であるハンキー卿や、米の連邦最高裁判所のW・O・ダグラス判事もパール博士を支持した。 米の国際法学者マイニア教授は「東京裁判の判決は、国際法、法手続、史実のいずれから見ても誤りであった。 結局《勝者の裁き》に過ぎない」として『勝者の裁き』という著書を世に問うた。
ちなみに秦は、人の受け売りだろう 今は南京事件については、資料の間違えを指摘されてるよ 詳しくは南京スレに
東京裁判スレが立たないからここを荒らすってか? マイニア(1971)は確かに東京裁判に否定的だが以下の点は注意ね(戸谷による) ・天皇を含む多くの戦犯容疑者が訴追を逃れたことを政治的として問題視している ・判事についての評価で「パルだけは国際法についての何らかの前歴があった」と言っているが、 そのソースがほぼ皆無。※そしてその後の研究で、パルは国際法と無縁だったことが証明されている ・共同謀議論において「日本はドイツではない」と言うが、具体的な計画があればよいのであるから、 ニュルンベルクの法理を東京に当てはめることは充分可能であったはず ・日本では既にパル判決書が政治的意図で刊行されており、目新しい点はなかった ・刊行当時成文化されていたジェノサイド条約、人道に関する罪の時効廃止条約などに触れていない ・ところがその後の研究にも関わらずマイニアはパル意見書に固執する態度を変えていない (パルの国際法取扱いの履歴に関しては既に復刻版が出版される前に明らかになっている) ・何よりマイニア自身が説明する通り、彼はこの著書の出版が日本の歴史右派に悪用されることを恐れたが アメリカの対アジア外交の失敗の先例として著したと言っている。つまりベトナム戦争。 彼の政治的立場は日本の右派とは全く相いれない。日暮もこの点は指摘している。
ハンキーは上に挙げた通り、保守党内でも対ナチ宥和派の反共色が濃く 保守党内でも孤立気味で、政治色の強い個人的声明と見られている。 パルは意見書の公表を最初から考えていて、ハーバードローレビューなど専門誌に送付している。 しかし掲載された形跡はない。 中里は「東京裁判じたい1950年頃には既に歴史になっていた。 欧米では何と言ってもニュルンベルク裁判が重要で、東京はその二番煎じに過ぎないと見られていた」 と述べている。また法的に問題点が多いことは既に研究者や法曹には周知だったので、 あえて取り上げようとする者は少なく、再び脚光を浴びるのはICC設立後に判例としてだと言っている。 つまりパル意見書は日本の右派が政治的意図で出版した日本と、パルの母国インド以外、さほど反響がなかったんだな。 そしてパル意見書は共産化の恐れを重要視し、「恐れ」と言う当事国の主観での自衛権行使を認めたため、 当然、冷戦への転換期の反共宣伝には都合がよく、例えばG2のウィロビーなどはこれを評価している。 逆に「この論理を用いればアメリカは中国、ギリシャ、トルコに介入するのが正当化される」と言う皮肉な評価もあった。 ちなみにパルの長男プロシャントが、父の意見書は日本正当化ではないと注意したのは有名だが、 女婿デビプロシャドはさらに「彼の正しさはその後の歴史(冷戦、ベトナム戦争)が証明した。 ただし1991年の国連決議=ICC問題検討再開決議までは」と付け加え、留保している。 つまりマイニアも含めてパル意見書が共感され得たのは超大国の対峙の中、 戦争犯罪人訴追が事実上不可能だった時代までと言うことだね
>>846 好き嫌いと言うより、東中野説なんて主張したら研究者生命が断たれちゃうよw
あと東京裁判はリアルタイムでは日本人も大して関心があったとは言えず、 傍聴席も、関係者以外は閑古鳥なのが常態だった。 パル意見書に関しても普通に公表され入手可能だったにも関わらず、 反響は必ずしも芳しかったとは言えない。 よってGHQが「東京裁判をもっと取り上げてくれ」とメディアに要請する有様だった。 またパル意見書に関しても、実は朝日新聞が「インド判事無罪論」と言う見出しを付けた以外、 大して目立った報道はないし(読売は少数意見判事の1人として紹介しているが) 国民がこれを歓迎した様子もない。 なぜ50年代以降にパル意見書が刊行され、一般に注目されたかについては田中正明をはじめ 日本の保守系の政界人脈が深く関わっている。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/15(土) 09:00:55.38 ID:1djQLvyl0
ハル判事がなぜ無罪主張したかというと、ハル判事はインド人で 大戦中インドで人気のあったチャンドラボーズが日本の援助で インド国民軍を結成。インパール作戦でインドに侵攻している。 日本が戦争に負けると今度はイギリスに敵対する ソ連の援助を受けて独立をしようしたが、飛行機の整備不良の事故で 死亡する。これは日本の謀略とも言われている。 ハル判事の主張の背景には日本への感謝と列強の植民地支配に反抗があり その主張のみを真に受けてはいけない。
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/15(土) 12:37:07.38 ID:zX23J1sY0
日本には妥協する余裕なんかなかったんだから仕方がないだろ
反論への反論はたくさんあるが、東中野を否定的すれば、学者生命をたたてるというのは脅迫だ ちなみに南京事件の定説ははっきりした証拠が少なく確定できないだ、ちゃんと調べてほしい また、パール判事を個人攻撃したり、思想をあげているが、全く関係ない。それは、国際法学とは無縁な評論である これは現代国際法上誤ってはいないというのが通説である これは、前にもでてたが、世界人権宣言にもうたわれている。 当然、欧米も批准している。 第一、開戦責任を定義せず、戦争そのものを批判することは政治学、法学的に正しい議論とは言えない。 また、昭和天皇が戦時に多分な情勢や情報を知っていることが、開戦責任に繋がる根拠がない。あくまで日本は議院内閣制度である きみらはまさか、天皇の世界制覇という共謀があったといういまや完全なオカルト信者ではあるまいな 敗戦責任を問うというなら、否定はしない。 しかし、開戦を国内事情だけを持って判断するのは愚である。 ちなみに俺はウヨじゃないぞ
ちなみにチャンドラボーズの飛行機事故が、日本人による説も、証拠なく陰謀論の類で真実であるごとき書き込みはやめてほしい またパールはしんでいないし、日本にもその後も来てる また、チャンドラは今でもインドの国民的英雄である
>>857 それ以前にスレ違いだからよそでやってくれ。
>>857 世界人権宣言11条2項に言う「国際法」は条約だけを指すわけじゃない
ニュルンベルク裁判は条約及び一般原則を援用してに基づいて被告人を処罰している
あんたの言ってるのはトートロジー。つまり最初から処罰根拠がないことを前提としているが、
当然ながらニュルンベルク東京の両裁判は処罰根拠に触れ、それを不戦条約に求めている
ちなみに国際人権規約B規約15条2項で「国際社会の認める法の一般原則」
による作為または不作為の処罰が認められていることをどう説明する
東京及びニュルンベルク裁判は行為と法の同時存在の原則を否定してはいない
それと「開戦責任」だけが戦争責任じゃないぞ。当然ながら戦争の謀議、遂行の全過程を対象とする
また日本が議院内閣制〜云々については散々スレで論じられ否定されている
世界制覇の共謀などと言う認定は裁判において否定されている
エアーな敵と戦ってどうする
全体的に知識不足が甚だしい。全世界の研究者はニュルンベルク及び東京の両裁判が抱える法的問題点に留意し、
その上で判決を「先例」として受容している。そうでなければICCの管轄に侵略犯罪を入れたりしない
日本人はどうも法と言うと制定法を指すと考える傾向が非常に強い しかし現実には罪刑法定主義を厳格に適用する大陸法系ですら限界事例がたくさんある ましてや罪と刑罰に関する規定を詳細に設けることが実質的に不可能な国際法においてをやだ 国内法だって英米法では慣習刑法については弾力的な運用が行われている
なんか、857を勘違いしてる奴がいるが 世界人権宣言11条2項に言う「国際法」は条約だけを指すわけじゃない そうこれは自然権だということで、人間が生まれながらにして持つ権利である つまり、いかなる犯罪者にも適用されるのである それと「開戦責任」のスレだよ 侵略か自衛かは別スレで、その他事件も別スレがある あんた、勘違いしてない? 法と言うと制定法、これは刑法においては絶対原則であり、国際法でも共通認識である。 これは国際法の基礎の基礎だぞ いいか、戦争は相手があるんだ。原因を自国の中でのみ探り、 外国の視点がまったく抜け落ちている議論をすることは誤っている。 狭い歴史観でものをみるべきではない。 国内法だって英米法では慣習刑法については弾力的な運用が行われている 慣習刑法は成文刑法と同等に扱うのは当然だが、何も否定はしていない 東京裁判時の判決は、開戦時の情勢下において慣習刑法とはいえないといってるだけだ。 本が議院内閣制〜云々については散々スレで論じられ否定とは笑止千万 スレで否定されても別スレでは否定されていないし、理屈にはなるまい 実際に天皇が積極的に戦争を推奨せよと、内閣に指示したか 真偽はともかく、東条英機が戦争を上奏した際に あまりの申し訳なさにないていたという また、インドシナへの進駐もタイ王国との同盟を無視してかたるわけにはいくまい タイは基本は枢軸国だが、欧米への協力もするという二重外交だったが
こいつキチガイだな 精神科行けよ難関大学卒
864 :
847 :2011/10/15(土) 17:40:28.37 ID:2QFas2+D0
>法と言うと制定法、これは刑法においては絶対原則であり、国際法でも共通認識である。 >これは国際法の基礎の基礎だぞ だから東京裁判、ニュルンベルク裁判では不戦条約違反を具体的な法規として挙げている。 そして国際法と国内法の違いに注意を促し、国際法は国内法と異なり一般原則を扱うものだ と言う特質を指摘して、一般的正義の原則から違法行為が犯罪行為を構成するとの論理を構築している 何が不満? 言っておくが成文法絶対主義は英米法では必ずしも貫徹されない(発見された正しい法による処罰が可能)だし、 ましてや条約の他に国際慣習法、一般原則(補充的に判例学説)まで裁判基準として認める国際法はもっと異なる ジェノサイド条約でも対象犯罪は規定されているが、刑罰は国内立法に委ねられている
日本刑法と英米法系の刑事法と国際法をごっちゃにして罪刑法定主義は大原則だとか まるで学部生の議論だな
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>>866 無知すぎる
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戦争が「侵攻戦争」であるか「自衛戦争」であるかを誰がいかなる基準に拠って判断するかであるが、 米国務長官ケロッグの言明の如く、各国家が「自己解釈権」を行使して、みずから判断するものとされた。 また、「侵攻」(英語ではグレッション・aggression その意味は、挑発されないのに行う攻撃)の 国際法的定義は第二次世界大戦の時点では未確定で、国際社会で曲がりなりにも一般的な定義(法的拘束力には欠ける)ができたのは 戦後の一九七四年十二月十四日(国連総会決議)のことであった。 こういう法的状況にもかかわらず、戦後のいわゆる東京裁判が、 不戦条約により「侵攻戦争」は犯罪(平和に対する罪)にされていると独断的に主張し、 日本の遂行した戦争が、実質的には「自衛戦争」であるにもかかわらず、 侵攻戦争(翻訳係が"侵略戦争"と悪訳した)だと強弁し、 (日本国にではなく)東條元首相以下の個人に(いわゆるA級戦犯としての) 戦争責任を追及したこと― 過去において前例なきこと ―は、 そのこと自体が悪質な国際法侵犯であった。 なお「不法行為」と「犯罪」とは法的には重要な差異のある概念である。 国際法では、犯罪とは、国際不法行為のうち特に悪質重大で、 国際社会の法益(法により守られている利益) を侵害すること甚だしいものを、あらかじめ条約ないし慣行法を通じて 「犯罪」と確定したものを指す。 これは、佐藤説ね 議論の余地はあるが、おおむね国際法的にはあっている ちなみに、国際法なら、山本、フォークとかよんでるかい それから、欧米法とか言うがハンキー卿は英国閣僚だし、 英国法の当時の最先端だよ それとも、ミルからフラー、そして現代法思想を説明しようか 眠いから、明日だけど
現代の法では、東京裁判やニュルンベルク、アイヒマン裁判は確かにできないな 国際法と国内法をわけて考えている人が多いけど、基本原則は、今は、かわらんね 日本には国際法の権威なんて人はいてないから、国際法議論は幼稚になるな 明日、本をとりにいこうと思ったが、俺の書き込みでないことで、中傷されムカついた 法学と政治学は一致する必要はないんだけどね 保守派の主張にも一理ある 桜井よし子とか、勝矢とか、宮崎とか、金ミレイとか、言ったら、右翼だ耳をふさげとか言ってないですよね 俺は学生時代、正論とか諸君とか読まされたよ 嫌々ね 図書館で ちなみに秦も新しい証拠とか、反証証拠が出たときに、ああそう、ぐらいだったから、嫌いだったけどな まあ、みんなは今も読んでるんだろうな だから、いろいろ言えるんだろ
おまけに言っとくと、不戦条約には自衛戦争は含まないんだ これは別スレでね
昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? 日本国民はなぜ戦争を阻止しなかったの? 国会議員はなぜ戦争を阻止しなかったの? 帝国陸軍はなぜ戦争を阻止しなかったの? 帝国海軍はなぜ戦争を阻止しなかったの? マスコミはなぜ戦争を阻止しなかったの?
>>869 いや、無知なのは当たり前のことを何回も飽きもせずに言ってる君のほう。
まず最初に「佐藤」と言う名前の研究者は大勢いるが、佐藤誰さんですか?
下の名前によって全く評価が変わってくるんだが
>なお「不法行為」と「犯罪」とは法的には重要な差異のある概念である。
>国際法では、犯罪とは、国際不法行為のうち特に悪質重大で、
>国際社会の法益(法により守られている利益)
>を侵害すること甚だしいものを、あらかじめ条約ないし慣行法を通じて
>「犯罪」と確定したものを指す。
それはニュルンベルク裁判の説明でとっくに指摘したよ。今ごろ何を改めて…
同時に、ニュルンベルク裁判がそこをクリアするためにどういう論理を用いたのかも説明した。
それとケロッグが米議会で自衛権の解釈は各国に留保されると言った(らしい) のは確かだが、まずケロッグの論旨が「自衛権は当事者の主観で行使してよい」と言ったわけではないことに 留意する必要がある(これは弁護人も誤って引用したが、主観での自衛権行使は自衛権の名に値しない) 付け加えるとケロッグは不戦条約の有権解釈権を持っているわけでも何でもない。 当時のagressionの概念に従っても日本側が行ったのは明らかに米英蘭中に対する侵略行為だったのは明らか 定義が纏まらないのは冷戦期には珍しいことではない(今日でも自衛権概念に幅があるため、侵略の罪の定義は纏まっていない) しかしどれだけ概念に幅があると言っても、不法を先に作出してそれを解消しない主体が 最終的に真珠湾のように敵領土への先制攻撃を行った以上、これを自衛戦争と呼ぶことは出来ない パルのように当事者の主観での広い自衛権の行使概念を認める見解に対しては 「干渉権」と変わらないではないかと言う非難がなされている。 もっともこの点は「佐藤さん」のフルネームを教えてもらわないと何とも言えないね 「実質的には自衛戦争」などと主張している論者はいまどき信じられない いまケロッグ、不戦条約、「自己解釈権」と言う聞きなれない用語で検索してみたが、 最初にヒットしたのは渡部昇一と佐藤和男の対談なんだよね。と言うことはまさか、 その「佐藤さん」とやらは… 「実質的には自衛戦争」が致命的だったですね。国際法学徒さん あなたは残念ながら国際法の講義を寝ながら聞いていたようだ。
また山本草二さんのはスタンダードな基本書だから(少し前は)1家に1冊レベルだし、 リチャード・フォークは「ベトナム戦争と国際法」を著されて 先のマイニアと同じような観点を示されている。 ただしここで注意すべきは、フォークは単に「批判」に留まっていないこと これがレーリンクとパルを分けたもっとも大きな点になる 彼の活動はたくさんあるが、 例えばニュルンベルク40周年国際会議で「ニュルンベルク原則の厳格公平な適用を目指した」 提言を発表しようとの動議を出しており、明らかに東京裁判に批判的でありながら、 これを先例としようとの意識が窺える。つまり彼は「相殺」ではなく「徹底」を選んでいる
またハンキーの経歴については散々既出。 あと英国は45年〜51年まで「労働党のアトリー内閣」で Hankeyのパル意見書への意見はこの間に出されている。 各種研究を見ても、ハンキーの肩書は「上院議員」であり、 労働党政権下でハンキーが閣僚を勤めていたとは寡聞にして知らない ハンキーの閣僚履歴は、チェンバレン内閣の特命大臣でしょ? だからナチと対決したチャーチル政権下では干されてしまったんだが
>>869 >国際法と国内法をわけて考えている人が多いけど、基本原則は、今は、かわらんね
刑事法の基本原則はもちろん変わらないが、次の2点に留意する必要がある
・国内法でも大陸法系と英米法系では遡及処罰禁止の現れが違う。例えば不文法の取扱い
さらに国際法はその特質から、国内法の罪刑法的主義をそのまま当てはめるのは困難
原則は変わらないが、具体的な場面での現れが変わると何度言わせれば気が済むのか?
・またニュルンベルク東京の両裁判では「歴史の転換期においては」ある程度の不備は容認すると言う学説はきちんと存在する。
>桜井よし子とか、勝矢とか、宮崎とか、金ミレイとか、言ったら、右翼だ耳をふさげとか言ってないですよね
>俺は学生時代、正論とか諸君とか読まされたよ
自分も在京の大学で国際法を学んだが(もっとも東京裁判について講義では取扱われなかったが)
いま挙げられた文献?を見て驚いている。全て学術的研究とは言い難いものばかりで、
これを「読め」などと学生に推薦する研究者は、まともな人なら皆無のはずだ
例えば昔、東大の某教授が「どこが間違っているか」を指摘させるために評論家の文章を出題した
と言うような例はあるが、教材としてこんなものを用いるとは到底思えない
いずれにせよ東京裁判はスレ違いなので他スレでやってくれ、
東京裁判は今日、研究者間で実証的研究が行われて次第に観念的論争が少なくなってきている
正しいか間違っていたかと言うレベルの論争は既にメジャーシーンから外れている
まあ名前は国際法学究とは言え、相当あちらに行っていらっしゃる佐藤和男さんの御見解ですか。
あと「諸君」と「正論」を食わず嫌いで読めと言うが、
文芸春秋は歴史物には強いので、立場を問わず研究者が諸君に論文を載せることは珍しくない
よって文芸春秋(月刊のほうね)、諸君は戦後政治史研究者はきちんと読んでるよ
ただ、国際法の学部生が読めと言われることはあまりない
なぜなら彼らはそれ以前に膨大な判例を理解することで手一杯だから
佐藤和男先生のお立場を知るにはこれで充分でしょう
大東亜戦争が自存自衛の戦争だったなんて言ってる時点でもはや国際法の世界ではキワモノ
ttp://www.meiseisha.com/katarogu/sekaigasabaku/tyosha.htm
さて、これだけ荒らしたのだからもういいだろう。 天皇の戦争責任の話が出来ないなら、自分で東京裁判スレ立てるか、 それも出来ないならスレからとりあえず出て行こうね。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/16(日) 13:28:24.98 ID:dh15U2KP0
東京裁判が無効とか言われても ならなぜ日本は東京裁判に反対しなかった。 サンフランシスコ平和条約になぜ調印した。 そもそもポツダム宣言受諾の時になぜ天皇制の存続のみ要求しなかった。 ポツダム宣言より 6 吾等は無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるるに至る迄は平和、 安全及び正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以って 日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる 者の権力及び勢力は永久に除去せられざるべからず。 ポツダム宣言受諾しているので東京裁判は否定できませんよね。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/16(日) 14:56:52.23 ID:mLdgzmFg0
日本にそれだけの力があるわけないじゃん だから無条件降伏を受け入れたんじゃないか
>>872 > まず最初に「佐藤」と言う名前の研究者は大勢いるが、佐藤誰さんですか?
> 下の名前によって全く評価が変わってくるんだが
書いてある内容から類推するに、佐藤和男じゃないかなあ?
この人、「サンフランシスコ講和条約における「judgment」は「裁判」ではなく「判決」と訳すのが正しい」
「日本は「判決」は認めたが「判決理由」までは認めていない」と言っている人。
その方面での、漫画家・小林よしのり氏の著作物の引用元となるようなテキストを提供している。
という人だから。
では、天皇は東京裁判で裁かれなかった。よって、責任はない。 で、スレ終了だな お疲れ様 歴史的にどうこう言うのは、われわれより、後の時代がよい だいたい、このスレは左翼と右翼しかいない。 例えば、保守リベラル派を自称する宮崎哲也は、東京裁判は政治として有効、法学として無効だから、新しい憲法をつくるべきだと主張してるし、 名前の上がった小林よしのりは保守左派を自認しながら、大東亜戦争を自衛という これは、いつまでも、謝罪だ、賠償だという中韓へのあきらめからきていると主張している人もいる 東京裁判議論がタブーかしているのは、思想的背景(広義の意味で)に左右され、つまり、結論ありきで議論されやすいから 東京裁判の証拠には、現在も肯定されているものも、否定されているものもある マッカーサーはトルーマンに裁判いらない説をとなえたと言われるからだ ちなみに別スレ立てろというより、立ててあげたら、その方が荒れないと思うし、スレも誘導できるよ 俺はしないけどね ついでに、例えば、北朝鮮が意味わからず、暴発して、日米韓軍に占領されても、戦勝国裁判なんかは今はしないだろう だから、金ファミリーは無罪かと言うと、そうではなくて、おそらく北朝鮮の現行法で統治時代の悪行を裁くだけだろう この辺り、東京裁判肯定論では、どう考えているのか知りたい。やはり戦勝国裁判すべき論か?
読み返すとイミフなとこあった、すまん マッカーサーあたりは無視してくれ ちなみにアメリカは、天皇をリストから、かなり早急に外しているが、なぜかな。 一部学説ではスターリンの思惑という説もあるよな 当時の米軍なら、武藤ら率いる中野学校部隊を中心にゲリラ戦をされても時間の問題だったのに
昭和天皇は戦争商人。 戦争を利用していかに蓄財するか、という事がすべて。 明治からの長州利権の流れは何一つ変わっておらん。
宮崎哲弥なんて情けない奴の本読んでるなよ…あれは学部レベルでも法律分かってなくて中退した口だぞ
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/17(月) 13:45:20.35 ID:/j+cUdCU0
東条の発言が問題になり米国世論が天皇の責任を追及すべきだと いう声が高まった時期があったが、東条が発言を撤回する事件 も起こっている。 東京裁判は戦争責任者を東条にすることで昭和天皇を守ったという 側面もあるからね。
アメリカのディベートの授業では その人のバックグラウンドが何かは関係なく意見を そのままで評価すべきが鉄則です。 解釈が歪むからです。 よく自分の意見の反対を代弁するディベートやらされました。 日本人が議論ベタなのは議論上の意見とその人の人格を 一体化したがる傾向があるからでだと思います。 夏野 剛 論理的に話せ
東条の「陛下のご意思に反して…考えられぬことであります」 と言う証言は47年12月31日だよね。 で、キーナン〜田中隆吉〜松平康昌〜木戸幸一と東条への働きかけが行われ 東条が証言を事実上取消したのが1月6日。
東条を戦争責任者に当てると言う作戦は既に45年9月20日過ぎまでには 天皇側である程度固まっていただろうね と言うのは、ボナ・フェラーズ(米太平洋陸軍司令官軍事秘書官)が米内に 「東条への全責任転嫁」を提案したのが開廷直前の46年3月 さらに畑俊六の米国人弁護人ラザラス海兵隊中尉も東条に天皇擁護の働きかけを行っている 一方で、天皇が東条への責任転嫁を行ったと見られる英国王への親書は46年1月。 独白録のヒアリングが46年3月〜4月にかけてで、米内への働きかけをすぐ応諾しているわけだ
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/17(月) 20:04:46.45 ID:/j+cUdCU0
さらに元満州皇帝溥儀は出廷したのに対し 昭和天皇は出廷しなかった。 いくら裁判で戦争関与疑惑が挙がって出廷せずに全国に巡幸 され大歓迎にあった。この巡幸が政治的なものではないかと 考えられる。
巡幸は明らかに政治的な意図からだろうね。昭和天皇に好意的な古川隆久ですら、 巡幸については動員をかけた事実を指摘しているから。
そりゃ大歓迎されるだろ。今に例えればもしAKBが巫女や女神として見るのも 目がつぶれるとかいう神聖な存在だったのが、突然人間宣言して握手会 開いたらおまいら大歓迎するだろ。
でも、巡幸には、暗殺の危険性もあるよ 当時、日本にもコミンテルンのスパイもいたし、武器も今より手に入れやすいし ちなみに巡幸はいつどこから始まるの? ちなみに米軍が護衛したの?
46年2月19日の神奈川県の視察からだね。 48年に1回中断したが51年秋までに北海道沖縄を除く全国を回った ただこれは巣鴨の戦犯容疑者をはじめ、日本政府も国際世論に配慮してほとんど反対だったらしい 47年には田中隆吉が芦田均(外相)に、 キーナンが「あまり目立つと自分らの苦心が無になる」と不快感を抱いている旨伝えている
当時、GHQはマスコミ管制をひいてたとは思いますが、報道はどんな論調だったんでしょうか 質問ばかりですいません
どうでもいいがコミンテルンは43年6月(追撃に転じたクルスク戦直前)に廃止。 46年2月当時、共和制を主張したのは日本共産党のみで、得票率は4%を割る程度 共産党が伸びるのは49年総選挙からで、この段階では泡沫政党 労働者は2・1ゼネスト中止までは占領軍への信頼感があった ちなみに占領軍は徹底的に刀狩を行っている
GHQは連合国世論を憚って必ずしも天皇巡幸に賛成と言うわけでもなかったんだが、 新聞には普通に天皇の写真がじゃんじゃん載ってるよ
ありがとうございます では、GHQは天皇行幸は日本の共産化阻止の目的があったので、東京裁判と無縁にした、もしくは東京裁判からの国民の関心をそらしたという側面はありますか まあ、私は行幸終了後、退位してもよかったと思いますが
>昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? ↑ こいつは戦争によって潤う吸血鬼だからです
>>902 ご本人は退位する気があったのに許されなかったんだな。
トップは責任を取らなくて良いという風潮が戦後日本社会をむしばんでいる。
天皇も退位を何度か考えてるんだが、周囲が退位工作を始めると結局退位しない
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/18(火) 23:23:37.03 ID:Zju2VqLS0
つまり、戦後すぐに退位して、今上天皇の即位だとアメリカには、不都合な出来事がある可能性があったということかな この辺りの政治的意図がよくわからないな 例えば、敗戦の責任をとり、やめますって、言えば、国民の反発も少ないだろうし、戦没者への供養に専念してもよかったのに
>>906 間違ってはいないんだけどさ。まず第1の時期について言えば、
例えば木戸は終戦時の天皇退位には反対したけど、同年12月の逮捕直前には退位を勧め、
以後も天皇に退位を勧めている。45年〜46年にかけて重臣や知識人層から退位を勧める声が相次いだ
46年2月には某弟宮も退位を要求したと見られている(まだこの枢密院本会議の議事録は公開されてないのかな)
しかし翌月(46年3月)に天皇が木下道雄侍従次長に語った内容はどう見ても退位拒否
要するに弟宮は色んな理由で摂政不適格だから自分がやるしかないと言う内容なんだけど、
高松宮は開戦論者で軍の中枢にいた、某弟宮は若くて経験に乏しいと言うのは明らかに変。
その後で巡幸が本格化しているわけでしょ。この段階から後で退位を考えたと言うのは考えられない
東京裁判の時も、判決を控えて芦田首相が送り込んだ田島道治に退位の意思なしと言明している。
マッカーサーから「要請」される前の夏頃の話。芦田は新憲法を結構意識してた人物だから、
天皇のほうが芦田→吉田になって助かったんじゃないだろうか?
3回目の講和条約の時に至っては吉田の反対云々以前に退位なんて頭になかったでしょ
あと個人的に疑問に思ったのが古川隆久の解釈(後藤、富永を引用しているが) 新憲法の際の天皇の勅語が改憲再軍備の歯止めになったと言う富永の解釈は何か根拠あるの? 1973年の増原防衛庁長官の発言、その後の入江日記の感想、25年前に、芦田に拝謁に来ないと困ると言ってる点とか、 どう考えても新憲法下の地位に満足してなかったのは明白に思えるけど。 天皇が護憲論者で、鳩山、岸が内奏を行わなかったのは改憲論者だったからだと言うけど、 共産党や間接侵略への警戒心をむき出しにしてた昭和天皇と内奏も行わないほど意見対立することなんてあるのか? 普通に憲法体制が定着した時点の佐藤栄作が例外で、鳩山以降は内奏を控えたと考えるほうがまだしも辻褄が合う どう考えても変なんだが…古川の議論も強引だし、そんな解釈を思いつく富永も変だね 伊藤之雄も古川も、天皇の評伝やる人間は天皇に愛着があり過ぎるんだな だから都合の良い解釈しかしない。
もう1つ、安保条約に関しても吉田ドクトリンを肯定した楠綾子を引いて 豊下説の吉田茂を無理やり「基地提供否定論」と位置付け、 それは違う、天皇も吉田も基地提供を肯定しているから路線は近いんだと言ってるが、 豊下は貸し借りの論理で基地問題で「バーゲニング」していたはずの吉田の変化を天皇ファクターで説明しているんでしょ 楠の大著も長ったらしいわりに、今さら否定されつつある吉田ドクトリンかよと言う感じなんだけど
天皇の進退については、木戸や吉田より、アメリカが握ってたのではないの 講和条約の締結まで、かなり時間はあったわけだから 天皇の意志とかより、アメリカとして、親米国家を作るのに最も有能だったということではないのかな
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/20(木) 07:30:51.71 ID:vJdeUAcN0
親米派=尊皇派 なわけだから活かした方がアメリカの利益になると思うのは当然だわな
戦後天皇制は外国(アメリカ)の権威によって存続を許されたわけで 倭王の時代にもどってしまった。聖徳太子の苦労も水の泡。
そんなしょうもないことはさておき、 オカルトだけど、実際は第二次対戦で大儲けしたというロスチャイルド家の仕組んだ陰謀で、 昭和天皇も世界政府の一員(いわゆるあのイルミナリティ)だったりして(笑) しかし、メモとか日記とか、回顧ばかりが多くてなかなかアメリカや、日本の思惑が見えないな 御前会議での各人の発言もはっきりしてないしな
真実なんてそんなもん 後からどう言うかだろ
昭和天皇 ↑ こやつは戦争で潤う半島系武器商人 まさに日本人の敵
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/23(日) 10:02:10.51 ID:bJs9fmY+0
天皇の進退なんてアメリカがどうこうできるはずない 戦争に勝つのと統治するのはまったく別物 イラク戦争やアフガンもそれで撤退
でも、実際はサンフランシスコ講和条約の条件として、陛下の進退があれば、日本は、受け入れたのかどうか また、日本との同盟国として、枢軸国だったタイ国王(反面、欧米協力派を黙認したので責任なし、その経緯もあり超親日)は、終戦のドサクサで暗殺されてるからね
ラーマ8世は別に戦争責任を問われて暗殺されたわけじゃない あの人は海外生まれで立憲革命で即位したまますぐ海外に戻って、 成人して帰ってきたのは戦後。裁判では殺害とされたが真相は一切不明
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/24(月) 02:10:46.39 ID:2k6zZkU3O
ラーマさんの戦争責任とは言ってないよ ただ、昭和天皇も暗殺されうる危険もあったんだろうなってだけ
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/24(月) 08:08:32.77 ID:SCscgdkq0
>>918 戦争責任をとって退位すべしということだったらありえないだろう
そんなことするぐらいなら東京裁判でA級戦犯として処刑してるはずだ
いや、あくまでも自発的な退位の推奨を米軍が行わなかった理由だ。 開戦の責任なんていうと、混乱するから、あくまで敗戦の責任を国民に対してとるようにすすめなかった理由 当時、主だったものは、逮捕、真の忠臣は自決もしくは引退、石原らは病気と 白洲二郎や吉田茂では、マッカーサーがその気なら、おしかえせんだろう まあ、その後の朝鮮戦争の経緯も含めて、やはり反共のためかな
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/25(火) 15:02:47.53 ID:q3uShJ5J0
昭和天皇は、中流家庭で育った若く健康な日本人娘を売春婦にするため合衆国に輸出しまくり あきらかに人数が多いので合衆国がビザを出さなくなり、その仕返しに本土攻撃をたくらみ 米留経験のあった山本五十六から早期解決を条件に真珠湾攻撃を行い太平洋戦争に入ったんだよ! 殿下:山本、余のまつりごとを邪魔するカウボーイを懲らしめろ 山本:殿下、早期決戦をお約束致します。 本土攻撃のための中継地として利用価値が高く 前線基地となるオアフから順に攻撃致します。 昭和天皇のDNAが入ったあのアヒル口の娘を見ると気分が悪くなるな
>>924 それ天皇の役割が全くと言ってもいいほど出てこないからこのスレ的には不満。
あと米内が終始対英米戦反対派だったような記述は不正確だよ
日ソ中立条約のくだりも何かおかしいな。それだとソ連がバルバロッサ作戦を察知した上で 独ソ戦準備を全く知らなかった日本を騙したような記述になっているが、 40年11月のヒトラー・モロトフ会談の模様は既に松岡も薄々知っていたと言わざるを得ない 締結直前に大島はドイツから直接言われてるしね。それでも松岡は中ソ提携の切断にメリットを見出した 事後にソ連大使から松岡は直接、「日独同盟と日ソ条約が抵触した時はどうする?」と問い質されている。
松岡のソ連を含めての軍事同盟なんて、 実際ありえたのか もし昭和天皇が松岡説を信じたら、何か変わっただろうか?
ちなみに関係ないけど、リンカーンやケネディのとこは面白いな
昭和天皇の政治思想から考えて、松岡の軍事同盟構想というのに同調することはなかったはずだよ。
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/26(水) 07:45:47.56 ID:R2xC84pv0
海軍が一番悪いだろ。 石油禁輸された時点で降服宣言すべき。 それで国内で袋叩きにあう勇気がなかった。
>>925 > あと米内が終始対英米戦反対派だったような記述は不正確だよ
どの辺が不正確なのかな?
別宮暖朗が主張してた、山本五十六は実は積極開戦派で、米内も押し切られてたって奴?
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/26(水) 10:46:23.55 ID:/bb8B9WY0
天皇と三菱財閥は中流家庭で育った日本人女性を「売春婦」として海外に売り飛ばした。 天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。 大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、 英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。 天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。 大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。 天皇一族の財産はこうして作られた。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/26(水) 12:39:03.39 ID:/bb8B9WY0
糞天皇家が保有していた株式は、 日本銀行、横浜正金銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、南満州鉄道、日本郵船、東京電燈、帝国ホテルなどで 天皇家は日本最大の金融王であり、地主でもあった。 江戸時代には10万石程度だった天皇家が、日本最大の資産家になれたのは明治維新以後のことである。 国から与えられる収入を株式や国債に投資することで天皇家は資産を増やしていった。 日本が強国になるのに比例して、天皇家の資産も増える仕組みである。 中華民国との戦争で日本は大陸に軍隊を送り込むが、そのとき軍事物質の調達に使用されたのが朝鮮銀行券である。 日本銀行券ではなかったことに注目。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/26(水) 12:39:24.80 ID:/bb8B9WY0
糞天皇家が保有していた株式は、 日本銀行、横浜正金銀行、朝鮮銀行、台湾銀行、南満州鉄道、日本郵船、東京電燈、帝国ホテルなどで 天皇家は日本最大の金融王であり、地主でもあった。 江戸時代には10万石程度だった天皇家が、日本最大の資産家になれたのは明治維新以後のことである。 国から与えられる収入を株式や国債に投資することで天皇家は資産を増やしていった。 日本が強国になるのに比例して、天皇家の資産も増える仕組みである。 中華民国との戦争で日本は大陸に軍隊を送り込むが、そのとき軍事物質の調達に使用されたのが朝鮮銀行券である。 日本銀行券ではなかったことに注目。
ソース:新日本出版社 山田盟子
米内はソ連に内通してたそうです。 駐在時代なハニートラップにひlっかかったそうで。 by中川八洋
軍事同盟構想に賛同したかどうかは知らないが、 天皇は最終的に、三国同盟が対米圧力になると期待したのは確かなようですな。 松岡の読み(独ソ開戦は遅れる)もそんなもんかなと思っちゃったんだろうね 独ソ戦の緒戦の敗因をスターリンの認識の甘さに求めながら、 そのスターリンが入って纏まった日ソ中立条約をソ連の独ソ戦準備への警戒に求めると言うのは ちょっとご都合主義すぎる気もする
>>931 米内は対米開戦直前〜戦況悪化まで動きが見えなくなるんだよ
しかも真珠湾攻撃の成功で浮かれて海軍の自慢話をしてたとか言う逸話だけが残ってる
親英米派が開戦容認にスタンスを移していく典型みたいな人
>>938 ほう、興味深いね。
読んでみたいけど、なんて言う本?
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/26(水) 20:32:50.26 ID:pi3pClBi0
米内は支那事変では拡大派
真珠湾攻撃成功で自慢話をしてたと書いてるのは、細川護貞だったかな?
米内は・日中戦争×、・米内内閣○、・その後○ ・開戦期??? ・東条倒閣○ ・東京裁判…協力 って感じで ×…主戦派、○…和平派、御前会議のあたりでどういうスタンスだったか分からんのよね。 ただ、山本みたいな出かけのションベンの逸話が残ってないから猛烈な反対はしなかったんだろう… 辞任した陸相の畑俊六も昭和天皇ご指名のオキニだったし、天皇のスタンスもいまいち分からん
基本的に御前会議での発言は少なく、資料も断片で、富田メモにしても、昭和天皇の発言のメモだろうけど、全てがそうかというのもはっきりしない ただ、富田メモから考察すると、三国同盟がアメリカへの牽制にならず、無駄な刺激になると考えてたんではないかと なんにせよ、ハルノートの時の判断だよな もう少し時間を持って検討することがなぜできなかったのか
>>875 >またハンキーの経歴については散々既出。
>あと英国は45年〜51年まで「労働党のアトリー内閣」で
>Hankeyのパル意見書への意見はこの間に出されている。
>各種研究を見ても、ハンキーの肩書は「上院議員」であり、
>労働党政権下でハンキーが閣僚を勤めていたとは寡聞にして知らない
>ハンキーの閣僚履歴は、チェンバレン内閣の特命大臣でしょ?
>だからナチと対決したチャーチル政権下では干されてしまったんだが
すみません。横レスの上遅レスですが。
Hankeyの各種研究と言うのは何という文献で読めるでしょうか?
英語史料なんでしょうか?
ハンキー卿については東京裁判関連本(日暮、牛村、中里他)ぐらいでしか
読んだことがないもので。
>昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? きゃつは戦争したくてしたくてたまらなかったんだよ オンドレの腐れ私財を増やすためにな
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/27(木) 09:51:20.02 ID:CONbt5fn0
>昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? 天皇が戦争は儲かると、知ったのは日清戦争であった。 この戦争で清国から奪った賠償金は 36、5250、000円(リーマンの給料が月1円以下の時代に) このうちの 2000万円 が、皇室の取り分となった。 天皇家はこの戦争で味をしめた。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/27(木) 20:14:14.27 ID:CONbt5fn0
>昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? 阻止する気など全くなかったから〜 これが答え〜 スレ立てた人へ 短期でもいいから先進国に留学して多国籍な人種と話して、もう少し「世界から見た日本」を学んだら? 人間、学びと想像力が無かったら、「フィリピン人以下の原人になっちゃうよ!」 この意味分かる?
ハルノートの段階ではもう武力行使発動の時期まで決めてしまっているから、 外交交渉の自由度が著しく低い。ほんとに当たればラッキー程度の確率じゃん 東郷がなぜハルノートを最後通牒と受け取ったかは知らないけど 原文に外務省が手を加えてる所から見てなんか作為的なものを感じるな あと三国同盟締結の段階では天皇は日和見or黙認だったと思うよ… もし懸念があるなら、松岡なり近衛なりを呼び出して詰問も出来たはずだけど、 この時期はそういう挙動もなくなって親英米派と溝が出来てる印象
>>944 ハンキーさんの言い分はたぶん英語史料だよ
佐藤和男は引用文献リスト作ってないから探すのが大変だわ
古いけど一又さんの本には書いてあると思われる
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/27(木) 20:49:04.74 ID:/i3ItwYh0
うーむ ルーズベルトが介入したいから、日本を罠にはめたという説も否定できんな ハルノートに満国は含まないとあれば、開戦してないだろう 真珠湾での艦隊の損害は大きいが直ぐに 修理完了してるしな ヨーロッパ戦線への介入のダシにされたから、暗号解読やらスパイやらで情強だった日本を情弱だった日本を操ったんじゃないの また、バルバロッサを日本が知ってた根拠が弱いね 独ソ戦があるかもくらいじゃないの
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/28(金) 01:34:25.46 ID:OLD29cXuO
ただ、当時、日本政府は無能だったということにはなるな ちなみに、個人的な天皇批判は別スレで お前、世界史板のやつだろ ちょっと、訂正 情強だったアメリカが に訂正
テンスケはウジムシ以下
真珠湾陰謀説はとっくに破綻している、スティネット本を秦郁彦が批判して終了 松岡モロトフの4月の交渉は初っ端から北樺太の権益問題で揉めて難航、 12日のスターリンとの会談で合意形式がトップダウンで決められ翌日に条約締結 この段階でユーゴ問題が起きてたから日独ソとも将来の衝突は予想していた だがスターリンや松岡の予想は独ソ衝突の時期をより遅く考えていた ドイツは日ソ中立条約が締結される3日前の10日、リッベントロップが大島に年内開戦を伝達している 大島がこれを東京に打電したのが6日後の16日で、ドイツの対ソ戦構想を伝えつつ日本の参加は不要と伝えている 6月初めにはヒトラー自ら大島に独ソ戦開戦を予告し、対ソ戦協力を要請している 大島や松岡が6月に入ってもまだ早期の独ソ開戦に半信半疑だったので、参謀本部や外務省がのんびりしてたのが原因 ドイツでも作戦を知らない人間が多かったから大島がリッベントロップの忠告を軽視したのかもしれない
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/28(金) 11:30:51.39 ID:I9nK/bw9O
>>1 答え:日本は民主主義で、天皇は独裁者ではないから。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/28(金) 11:36:28.46 ID:I9nK/bw9O
今のTPP賛成を煽るマスコミ勢力と、戦争煽った当時の新聞勢力という「民意」
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/28(金) 14:07:14.53 ID:b74uinbZ0
>昭和天皇はなぜ戦争を阻止しなかったの? 他国に侵略し和解させ賠償金を取る 侵略:陸軍の食糧の調達は天皇家が大株主だった銀行で決済させ、調達〜配送まで一手に引き受けていた 賠償金:侵略進行を許可した天皇家には脅し取った金銀財宝換算で1/5以上が入る つまり天皇は、儲かれば人身売買、薬物、戦争犯罪等々何にでも手を出していたので阻止する側にいない! 休暇取ってANAで中国で自分の目で戦争の悲惨さを見てくるがよい
150年余にわたる日本人の悲劇。 真相を後世の人達が知れば涙するだろう。同時に憤りを感じるだろうよ。 原点は勿論、武器商人天皇。日本人の尊い犠牲・・・・・・・・
週刊現代やったかな、戦中史を連載してるやつ、立ち読みやからよく覚えてないけど、ちなみによく泣く、アッツ玉砕とか 多分左の人なんだろうけど、堀なんとか言う人の連載「昭和史のもし」かな あれは、資料の不正確さを指摘されてるところもあると前おきして あれを読む限り、昭和天皇に実情を説いているものは少ない感じがするよね むしろ、昭和天皇の質問と答えが違い落胆したみたいなの 軍部が有能なら一撃講和も、実際は可能だったんではないかと、ただ、一撃とは何を指すかはわからん おれは右だけど、読みものとしては、読みごたえあるよと宣伝
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/29(土) 02:10:27.44 ID:WDAjiF3ZO
読売で連載してた日中戦争も面白いよ
学者の名前がよくでるんだが、出典の書籍を書いてくれると助かる。 基本的に妻帯者は、本を買う金ないから、立ち読みか図書館になるので
どんだけ貧乏やねんw
結婚したら、小遣い制度だからな、俺も学生時代みたいに本をかいまくる余裕はないよとフォロー でも、書籍名はわかると助かるよな 後で学説をかえてる人も多いからね ここで人気の秦教授もね
お前この間来てた東京裁判キチガイだろ キチガイに刃物は危ない。持説を補強したい程度の雑学ならネット上に転がってるよ
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/10/31(月) 19:57:12.95 ID:BPxAmdZG0
>>965 とうとう登場!
糞公務員
あまり好き勝手に書き込むとドメイン着き泊れ定食すんぞ!
彼は教えてやっても読まないだろう、天皇の政治行動に触れるような書籍は そのくせマイニアやフォークの40年くらい前の本は読んでるという奇妙な現象 普通に豊下、吉田、戸田、藤田あたりを読めば分かる 日暮は要注意なんだよなあ。彼は法的な指摘に関心ないんだよな 国際法の話になるとうるさがる。彼は練馬事件で順次共謀が認められてることも知らないで いかに共謀罪はけしからんか得々と語ってるでしょ
結局、左翼は仲間うちだけで楽しみたいのだろう だから、テレビなんかに顔を出さないし、また、西尾、桜井、宮崎、勝谷、三宅、鈴木、他の保守系の論客を論破できず、誰も読まないような本で主張するのみ 2ちゃんねるでも、人の多いニュー速とかにいけず、 過疎スレで自演するだけ バカバカしい 本をよまれるとこまるんだろ 秦元教授も、左とは言い切れないし、戦争責任は天皇より、重きは軍部においている お前は自分に都合のいいところだけ、引用してんだろ 出典を知りたがるものにファビョるな 正々堂々と議論しろ お前が日本人なら 違うかったら、無理を言って悪かった。あなたがたとは考え方がちがうんで
@ 西尾、桜井、宮崎、勝谷、三宅、鈴木 ⇒ 非学術的史料 A マイニア、フォーク ⇒スレ違い、いかにせん古い、ベトナム反戦に仮託している B 佐藤 ⇒ スレ違い、出典不明が多すぎ 残りは必然的に「左翼的」な史料にならざるを得ないがそれでも構わんかな
と言うか@の類の本こそ書籍代の無駄だからブックオフに売り払うべき ド素人が書いてんだから。こいつらに聞くよりそこらの法学部の学部生に聞くほうがマジで早い
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/01(火) 02:55:19.58 ID:rDpSgLVPO
学術的資料でないとする根拠はなんだ。 なぜ左翼学者は保守系との論争から逃げるのか 言うならば、核心的証拠ではなく、推論に基づくからだ おれは、歴史を、翻してまで、持論を展開したいとは考えていない 今は仕事も忙しく、家族もいるから、夜中しか、自分の時間がない ネットの資料は右左に偏りすぎていて、参考にしかならん そもそも、このスレは、自衛戦争か否かというスレに糾合すべきである 自衛戦争であれば、開戦に関する議論は無価値である
ちなみに言うが、東京裁判スレとは私はね関係ない ただし、法学部だ。 国際法は、科目として習った。京大で、テーマは、北方領土とかも扱った。大学は左翼ばかりではない
だから、間違っていないが? 意味不明なことを言うな 日本が侵略でないと、おまえらは困るから、必死なんだろ 小林よしのり風に、言うならば、タコツボ史観だ。 単位をとる程度しか近代史学を専攻したことはないが、趣味として本は読んでる。今はあまり読めない。 暇がないんだよ 昼休みか夜中くらいしかな。だから、学者の名前だされても、ひとりで何冊もだしてる学者の本を読むことはできん だから、出典が知りたいのだ。 それに対して、保守系は反論してるのか、それは合理的か、を知るためだ。 史学板なんだから、学説ばかりあげず、もっと考証すべきではないか 法学部では、学説を試験に書くな。それは参考だ。あくまでも自説を書けと言われたがな ちなみに専攻は、国際法でも法思想でもないがな 戦争を肯定などはしない しかし、必然だったのか、そうでなかったのか、悲惨な戦争を、多くの命が散った歴史を左右両輪が、議論しなければ、答えはでないはずだ
出典スレに何度も出てるけど?あんたが読む気ないだけじゃん つうか京大で専門書と評論本との選別能力がない興味ないと言うのも不思議だね だって豊下、吉田、戸田、藤田あたりの研究出しても頭から否定してかかるじゃん そんなに腹立つなら読まないほうが良いよと言うだけ それと法学部では「自分の頭で考えて書け」とは言われるが 規範定立とあてはめの過程がいいかげんだと容赦なく点差っ引かれますよ だから学生は無難に判例通説もしくは有力説あたりを咀嚼して書くだけじゃん 好き勝手な規範を定立しろと言ってるわけじゃないからね
それとさあ、読む時間がないなら何で読む時間がある人間のレスを否定してかかるの 勉強時間のなさを反省してまず読めば?
>日本が侵略でないと、おまえらは困るから、必死なんだろ 何で困るのさw 事実は何かに興味があるだけじゃん、で新史料新学説が粟屋以来出てきてるわけ 特に90年代以降、それに言及すると東京裁判ネタで天皇の戦争責任議論スレをぐちゃぐちゃにしてんだから まずスレ違いを反省しろよ。東京裁判ネタがやりたいならスレ立てな。相手にしてやるよ
お前は独身か? 結婚したら、時間や小遣いを作るのは、大変なんだぞ 図書館行けば、絵本タイムだ 妻は専業だが、趣味は買い物だ 俺は人の倍くらい給料あるのに、金も時間もない 勘違いしてるが、東京裁判と俺は関係ない 東京裁判をやりたいなら、お前がたてろ いいか、京大は俺の頃、学生運動もまだあった。今もあると思うが、 おれは元々アナーキストだった。しかし、法学を学び、ものの考え方を知り、 いろいろ調べてるわけだ 今は保守だが、戦後史観から、脱却すべきだと考えている、しかし、事実を捩曲げるつもりはない 日本の戦後を評価するために、戦争を考えなおしたいだけ おれは、司法試験受けず、すんなり就職したが、マスコミ関係なんだよ もともとはスポーツ関係希望だったが、いろいろ配属あって、今は社会部で戦後についてやるよう言われた 当然、対談やら、投稿をたのまなければいかん だけど、左翼系って、対談を極端に嫌う。 なぜかわからんが ちなみに、最初OKしても、相手を聞いたら、 学会忘れてたから無理だったわとか言われるケースが多いから、怪しいんだよ ちなみに東京裁判の何を争いたいの? 面白そうなら、連載するが ただ、もう2ちゃんねるもダメだね 画期的な奴がいない もうこねぇよ 喜びやがれ
オサーンかよ、道理で古いわけだ
と言うか天皇の戦争責任に関する史料は、その性格上、 同時代人が没してから証言類が出てくるし、昭和天皇没後から時間がたてばたつほど新史料が出てくる で、天皇に不利な史料は昭和天皇の在位中には出てこない 新史料を分析していけば「左翼的」な結論になっていくのが理の必然じゃん それが気に食わないならいつまでも古本抱えて新しい史料を拒絶してりゃいいんだよおっさん
昭和天皇 ↑ コヤツにとって戦争はメシの種
ほんとに京大?まあ学生運動やってたような奴はみんな基本馬鹿だけど 天皇スレでスレチの東京裁判ネタ延々と展開して相手にしてやるよと言われたらもう来ねえよとか 逃げんなよw
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/02(水) 20:41:35.29 ID:TOlIOD2p0
皆さん、本当の歴史を知りましょう 小学校 → 中学校 → 高校 の歴史の教科書に記載されている天皇関連の記載は戦争一つとっても事実に反しています 天皇が、日本の当時の中流家庭の娘をアメリカ合衆国に合法的に輸出していたのは事実です。 当時のアメリカ合衆国の幾つかの州政府があからさまな人身売買(一般人を売春婦にしていた)に対抗するために入国ビザを 停止した為、売上が無くなった裕仁天皇が、アメリカ合衆国に足しひて
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/03(木) 02:15:03.97 ID:wCHDvGXhO
お前日教組臭いな 馬鹿は相手にせん 俺は社会では成功者だしな ちなみにな、資料には右も左もないんだよ あるのは解釈なんだよ 左翼化するのが当たり前なんて、先入観だろ おれは戦争や近代史には詳しくない だから、先入観を持たない俺がいいと会社が決めたんだよ それに日本が好きだからな まあ、戦後といったって、幅あるからな 何を扱うかはまだきめてない 他にもたくさん仕事あるからな 東京裁判なんて、茶番劇だよ お前ら以外からみたらな 俺は今は部下に資料集めさせてるからな 歴史は何も語らない。語るのは人間だよ ちなみに俺は学生運動には参加したなんて、言ってないが、捏造やめてくれよな まあ、俺も四十が近い。 少し気違いじみたこと言ったが、俺は視る者が納得するように話を作り、今までにないものを作ることを求められてるんだよ 日本の戦後と発展、その切り口は戦争への反省だと思うが、 ここはもうひとついかんね。 おれは評価してる左翼も右翼もいるよ 戦後資料はあいまいなものや、南京や慰安婦といった資料が不確かな(左右とも)ものも多い だから、細かい出典が知りたいのだ 法学なら、いつどこの判例かを言うのと同じでな 俺は左翼を否定していない。豊下も何となく知ってるが、読めという本をあげれば読む。一日一冊しか読めないが 仕事はほかの方が忙しいが、資料を精査するために知りたかって、ここへきたが、議論できないので、もうこないよ 少し煽れば、人格否定ではな なんかしらんがな 東京裁判は俺の専門外だ あんまりしつこいから少しググったが、もうこのスレで結論でてるんだろ やりたいなら法学板でやれ
俺は戦争(敗戦)責任は、実質的には国民がいろんな意味で背負い、復興した。 今は、原発でもそうだが、誰かのせいにして、自分を正当化する風潮がある 原発うんぬんは例えだけど、誰かのせいにして自分は悪くない。という風潮に警鐘をならしたいわけ だから、戦後からの復興をテーマにしたい そのためには、開戦に至る経緯を知りたかっただけ 楽にしろうとすると、こうイジメがあるわけ 左翼っぽいな ただ、この業界今かわりつつあるらしい タブーに踏み込んでるメディアも多い どっちが古いかは今にわかるよ それでは、さようなら
もひとつ忘れてた 嫁は、元モデルだ まあ、チェリー頑張って
本を読んでそれを真に受けるだけなら読まない方がいい。 by孟子
988 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2011/11/03(木) 19:13:18.43 ID:blxC8YKa0