武市半平太&土佐勤皇党について

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1名無しさん@お腹いっぱい。
再び大いに語りあおうぜよ!!!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 23:50:55 ID:oWYOJF9iO
容堂「腹切らせい!」
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/16(木) 00:53:35 ID:HFjgH6vl0
中浜万次郎の子孫の本読んでたら
浅草のうなぎ屋に万次郎の子孫が行ったところ、
年取ったお婆さんが家人に支えられながら出てきて
「御先代のには大変お世話になりました。勝様、たけち様にもお世話になりました」
と挨拶に来た話があるんだけど、
この話が仮に事実とすればいつ頃の時期だろうな

勝と武市に交流があったとは考えにくいが
龍馬と協力関係だったことを考えるとありえない話ではない…のか?
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/16(木) 01:48:09 ID:QwoOb7K40
岡田以蔵が一時期、勝の護衛をしていたのが
武市の了解を得た上での事だったとすれば、
あり得ない話では無いかもしれん。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/16(木) 02:40:53 ID:mb4r0CzpO
何ちゃあ分かっとらんがじゃ!!
6名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/17(金) 02:36:10 ID:TAXw8qtIO
た〜け〜ち〜、おんしは何も分かっとらんがぜよ。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/18(土) 22:11:26 ID:lRivfLsIO
容堂といえば勤王家のバイブル「日本外史」の作者頼山陽の大ファンだったんだってな
といっても頼山陽の漢詩の方だが
一橋慶喜擁立で大獄の時蟄居食らってるし
その辺で交渉の余地アリと勘違いしちゃったのかね武市は
8名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/19(日) 19:43:03 ID:R4bC9xgj0
前スレで話題になってた以蔵の毒殺の件だけど
横田氏の『武市半平太と土佐勤王党』に詳しく出てたよ
『郷土文化 第十一号』に発表した
以蔵は毒を呑まなかった!〜人斬り以蔵毒殺計画〜
が収録されてる

諸説あるのは単に史料にあたって真面目に調べた人がいないだけで
毒殺はされてないねこれ

あと有名な辞世の句だけど
以蔵の自白で道連れになった岡本次郎って人のやつが
君が為め つくすまことはひとつしも とふらてきゆる身こそ悲しき
なんで
君が為 尽くす心は 水の泡 消えにし後ぞ 澄み渡るべき
も普通に勤王的な意味なんじゃないの?
9こけし:2010/09/23(木) 01:01:04 ID:ySNc7Tl+0
そもそも山内容堂の親友の吉田東洋を殺して平気でいられると思ったのかww
低能すぎるだろこいつwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
自分が親友殺されたら絶対復讐して橋で絞殺するくせにwwwwwwwwwwwwww
10名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/23(木) 23:28:32 ID:bGmT9GYiO
東洋暗殺は山内容堂&吉田東洋改革派と山内家藩主一門&保守派の代理戦争やったんやな
あくまで妾腹で次の正統派藩主までのピンチヒッターを期待されてた容堂が
藩の権力者であり続ける為には舐められたらイカンかったのやな
そこんとこ分かってなかったんが悲劇やな
11名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/28(火) 19:36:22 ID:K4YkHYe1O
結局この人何がしたかったん?
12名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 11:44:23 ID:NTLIuyEn0
武市半平太は土佐勤王党を立ち上げ、自らが先頭に立って行動した事により
土佐の志士達を政治的に目覚めさせ、明治維新の大きな原動力となるきっかけを作った。
武市は長州の吉田松陰みたいなもので、武市の存在が無ければ
坂本龍馬や中岡慎太郎らの活躍も無かっただろうね。
また、龍馬や中岡らが薩長同盟に動くに際して長州から信頼されたのは
文久年間に武市が勤王党を率いて長州と気脈を通じあいながら活動し、
長州にコネを作っていた事も大きかったんだろうと思う。

どうもこれらの点が過小評価されてるような。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/02(土) 06:48:34 ID:0SMMVYhC0
武市先生は神だからな〜
松陰は思想家で終わって久坂や高杉が政治を進めたが、武市は両役こなした
14名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/03(日) 00:25:51 ID:v+A2jpz1O
>>13
身分を考えれば政治活動での活躍は大したもんだが
思想的なもんは国学者の伯父と長州の受け売り
オリジナルの思想家ではないな
15名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/03(日) 05:42:34 ID:XmBYm6wf0
藤田東湖がすごいとおもう
16名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/03(日) 18:50:21 ID:kEy081Ok0
>>11
武市が中川宮に提出した三箇条の改革の建白書には、
一、畿内を朝廷の直轄領とし、親兵を置く
一、参勤交代制の廃止
一、王政復古
とある。
この建白書によると徳川は一諸侯の地位に転落
天皇を中心とする新たな中央集権国家体制の強い国作りを目指した…って感じ?
17名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/03(日) 19:49:33 ID:V1ghYhKV0
あれっいつの間に復活してたんだ
土佐の日記念パピコ
18名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/05(火) 09:31:13 ID:V/DXYneKO
つまり有事に役立たずな幕府からの政権交代がしたかったってことかね?
公家に政権担当能力があるとも思えんのだが
19名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 00:23:56 ID:ZYdNAp7/0
朝廷工作で幕府の地位をやや引きずり下ろしたところが
武市の維新における一番の功績かな
あと人脈作り
20名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/06(水) 07:29:40 ID:iMagu+N10
武市の功績

・土佐勤王派を纏め土佐での勤皇の基盤を作った
・3藩の提携の基盤を作った
・朝廷主導の基盤を作った

首領タイプだね
21名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/07(木) 19:12:23 ID:Pst3Y7PH0
パイオニアタイプだね

土佐勤王党は
吉田寅次郎の草莽崛起論を実践した人々だと思うよ
22名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/08(金) 13:53:09 ID:jCyyD8gT0
ドゥーン!!  -=・=-  -=・=-

ようこそ、呪いのスレへ。
実は今君に呪いをかけたんだ。
このレスをみてしまうと君はもう一生、異性を拝めなくなる。そんな呪いだ。
もちろん童貞なら一生童貞のまま人生を終える。処女もしかり。
災難だと思って諦めてくれたまえ。
仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。
だけど一つだけ呪いを解く方法があるんだ、それは・・・

「 男湯に女性を入れてる浴場名を報告スレ 」
でgoogle検索してこのスレに行って

「 >>1はくそすれたてんなチンカス 」
ってコピペでいいから書き込むんだ。

では、健闘を祈るよ
23名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/08(金) 14:26:41 ID:Pfh/F0BiO
龍馬が後年の功績と自由民権運動に利用された時に捏造したイメージから
対照的に瑞山が尊王攘夷と自藩に拘った器の小さい奴扱いされるのが納得いかねえ

強硬派の瑞山と反りが合わず脱藩と定説のように言われてるが
その後も龍馬は勤王党員と接触してるし
そもそも瑞山と久坂のメッセンジャーを果たした直後に脱藩してるから
何らかの役割分担があったと思うのが自然だと思うが
24名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 00:07:05 ID:x0/WL9YfO
一藩勤王!
25名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/11(月) 19:44:30 ID:d2OsfS/j0
地味に謎なのが天誅おっぱじめた切欠
武市は梅屋敷事件や岩倉具視の暗殺は止めているし
東洋暗殺もギリギリまで党員を抑えていた

しかし武市の在京日記には天誅打ち合わせの記録が残っている
どんな心境の変化があったものか
26名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 02:34:07 ID:2VdjVf7D0
真面目人間が暴走すると怖いって感じ
27名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 23:43:22 ID:zNL0vEuI0
というか武市は武士で剣客だし
武や強硬手段を否定しておらんだろう最後も切腹だし
一方で武市も正義があったから不必要な暗殺はやらないだけじゃないんかの
京では勤王派の連中との付き合いの側面もあるしの
そこまで暗殺手段はどうとか湿った側面は当時の連中に無かろうて
28名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 02:12:48 ID:I7GYV4FQO
>>27
普通に犯罪だぜ
攘夷派が幅効かせてるうちは手を出せなかったが
土佐で捕まった際は尋問で追求されてるぜ
あの規律を重んじる武市がどうしてこうなったのやら
29名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 03:20:57 ID:wjF9f+/x0
違法だが武士の倫理や規律とは違うだろう
討ち入りした赤穂浪士も武士の鏡の時代
あれも法では違法だが一方じゃ忠義と喝采されてる
武士の倫理は武と潔さだからな、何やってもいいが潔くなければならない
明治維新の奴らも失敗してたら犯罪者だし
事を起こし上手く行かなかった場合、責任とって逃げずに腹切るのが武士
綺麗な革命ごっこやってるんじゃないし
元から命がけやってるんだから
30名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/17(日) 12:45:09 ID:lz+ttp4T0
>>29
その武士道は明治時代に作られた「帝国陸軍兵士用武士道(潔く国の為に死ぬ)」です。
本来の武士道は「いつ敵に襲われて死んでも良いように覚悟をしておく道」です。
失敗したら死ねば良いというのは、本来の江戸時代の武士道ではないです。
死ぬ覚悟で、事に臨み成功させる。これが本来の武士道ですから。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 13:26:31 ID:AIUlakEUO
天誅実行犯は土佐勤王党員が中心になっている
例外は薩摩の田中新兵衛や長州の久坂玄瑞など
吉田東洋暗殺後は土佐藩からの追っ手を殺害していたが
その後天誅で積極的に襲撃をかけるようになる
安政の大獄関係者を殺害した理由は大獄で一橋慶喜擁立に働いた
山内豊信が蟄居生活を強いられたことが考えられる
勤王党血盟書の結成理由の中に容堂の汚名を晴らすことも含まれているからだ
殺しの性格が変わったきっかけが気になるところではある
32名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 14:46:31 ID:6tvnixh2O
以蔵が吐かなければ重くても永牢処分とかで
獄中の皆明治まで生きていられたろうかのう
33名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 20:14:00 ID:+E/PCEN/O
容堂が何が何でも武市を葬り去りたかったんだから、
以蔵が自白しようがしまいが、武市は生き残れまい。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 02:05:43 ID:W3EoNxmw0
尋問が厳しくなってからの獄中書簡で
大殿様は我らをお憎みの様子
とここにきてやっと容堂の本心に気付いた感がつらい

そもそも容堂が将軍継嗣問題に絡んで内大臣三条実万に
「一朝国家に事あるにおよび錦旗翻る時に当らは、
 列藩親藩を論ぜず其不臣の徒はこれを討ち、
 国力尽る迄王事に尽さん、土佐守の赤心此くの如し、
 万々御疑念これ無き様御安心これ有り度、〜〜」(皆山集)
とか紛らわしい意見を奏上して井伊から謹慎処分喰らうもんだから
攘夷派藩士が勘違いするー

35名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 04:23:29 ID:O6FOo8TzO
>>34
それに気づかないって頭悪いのでは
36名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 07:15:49 ID:Ide/kdgW0
正しいと思う道を進むのはいいんだけど
それが正しいか正しくないかの基準も自分っていうのはさ
結局新興宗教の教祖にはなれても政治家にはなれない人だったんじゃないかな
37名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 18:30:15 ID:2DXxWxkpO
>>35
バカだよね
長州の周布からも「お前らのとこの容堂アレはダメだろw」と言われて
キレて切りかかる土佐藩士を高杉・久坂が宥める一幕があったけど
容堂も謹慎の前までは攘夷派だったらしいから
自分達に理解を示してくれる筈だと信じてたんだなあ…
38名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 01:03:24 ID:ejwBggccO
牢獄では武市に心酔し過ぎて信者と化す牢番もいたらしいからな
ただ当時の土佐藩では農民・庄屋層にいたるまで謹王思想は浸透しており
政治犯の武市達にはもともと同情的だったそうだ
武市が仲間を尊皇攘夷に洗脳したとかそういう事はない

王政復古に働き将軍と謁見するまでの影響力を持った武市と
公武合体に働き根っから佐幕派の容堂は相容れない存在だった
39名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 16:15:37 ID:r90e66Vp0
容堂といい以蔵といい
武市は人を見る目は無かった

だが以蔵が拷問で吐いて同志から毒殺を望む声が上がった時も
家族の同意なしに毒殺を強行することはせず義を通した
拷問に耐えかねた自分の弟には自害用の毒を送りどれだけ辛かっただろう
生を捨て義に生きた人生だったよ
40名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 16:34:44 ID:2jLOvJLZO
中岡慎太郎が、自らの剣術の師であり土佐勤王党領袖であった武市半平太を
心から尊敬していた事は、中岡の人物評や行動で解るが、
逆に武市が弟子・中岡をどのように評価していたのかが気になる。
武市の人物評って、あんまり残ってないんだよなぁ…
41名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 19:13:42 ID:SSLQWoi00
まあ、武ちゃんのころの土佐は凄い人材の宝庫だったのは確かだ。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 01:00:03 ID:7JjZyPYD0
>>41
雄藩の薩摩と反幕の長州はまだわかるけど
なんで土佐から人材がでたんだろうねえ…
先駆けて行動し薩長の志士からの尊敬と信頼を集めた武市はやはり偉大だと思う

あと意外と龍馬なんかも勤王思想は強かったんだよ
あんだけ手紙でも朝廷に重きをおいてるのに創作では総スルーされるけどな!
43名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 12:01:25 ID:DIAoXjp1O
武市は西郷に似た雰囲気のカリスマ性があったとよく言われてるけど
どんな感じの人だったんだろう
土佐弁で喋るカリスマというのが想像しにくいw
44名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 22:41:54 ID:qpg11dYdO
そういえば田中光顕の作った記念館・青山文庫には
光顕の肉声データが残ってるそうだ
昭和まで生き延びると色々残るもんだな
45名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 09:51:20 ID:uBuWDvQ70
>>33
長州藩が没落しなければ生きてたよ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 10:11:18 ID:f7D55G+bO
>>39
辛かっただろうね…
拷問される党員も勿論辛いけど
医者にかかれる状態であそこまで衰弱するのは心労もあったと思う
ていうか独断で暗殺やらかした上に散々足引っ張って武市先生を苦しめた以蔵が
武市先生を慕う仲間達の代表格みたいな扱いなのが嫌だ
47名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 13:48:22 ID:RrIxdL5s0
以蔵が武市に唆された事のほうが多いんだろ?
48名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 01:06:00 ID:2O/9DJI30
>>47
だよな。
武市信者はそういうと子は口をぬぐって知らんぷりだ。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 02:33:25 ID:CYaCzhomO
武市「先生」とか言ってるのは思考停止な人たちだから
50名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 03:04:46 ID:TVQOhlVFO
>>47
まず唆すとかいう表現が出るあたり時代背景の知識が無いな
東洋暗殺も血気に逸る党員をギリギリまで制止しとったわい
天誅は他藩の者と相談の上で行ったし三条に言われてじきに止めとる
武市は大の男を洗脳出来る特殊能力でも持っとるのかと
まさか実在の以蔵が冷たい師匠に尽くすマゾだとか気色悪い話を信じてる訳じゃないだろうな
51名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 03:25:00 ID:f0z3yFlY0
>>50
>武市は大の男を洗脳出来る特殊能力でも持っとるのかと

お前が洗脳されとる
52名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 17:13:04 ID:i8DKKqeI0
>>8
司馬遼太郎を史実と信じる頭の弱い奴は置いといて
調べたらこれ発表されたのは昭和50年かよ
大河の影響か最近俗説が否定されるようになってきて良かった

あとは松岡司あたりが書簡集でも出してくれると言うことないんだが
武市は隙が無さ過ぎて人間味が無いと思われてるのがどうもな
53名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 00:20:46 ID:AatM3U6r0
>>45
まあ、そりゃあそうかもしれんが、
>>32は、長州が中央政界から追い落とされ、
尊王攘夷運動が下火になった状況を前提としたレスでしょ。

以蔵ら4人ほどの自白はあったものの、
武市を始めとした他の逮捕者が結束して口を割らなかったために
決定的な証拠を掴めない藩庁は通常の公平な裁きでは獄を処理できずにいたわけだが、
結局「お前は何事も知らぬと言うが、老公(容堂)が数々の無礼な言動があったと言われておる。」などと言って、
容堂の命のもと『主君に対する不敬』なんてコジツケで切腹を命じたんだから
容堂は何が何でも武市を殺したかったんだし、そのための理由なんかどうでも良かったんだろう。
以蔵の自白云々は、結果的には武市個人に対する判決には影響は無かった。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 12:51:21 ID:iRXrz0loO
>>52
大河の武市がしばしば人間的すぎるのは、掘っても隙がなさすぎるゆえ
なんだろうなと思ったりする。
てか、これはいじり回したくなるだろ。
本当にそうだったのか、少し後の時代に整えられたものなのかはわかりようがないし。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 22:49:55 ID:gwBIqzlg0
というか、東洋他の暗殺を命じているらしいということがまず隙にされる。
あとは、長州が外国艦に大砲をぶっ放しているような時期に失脚したので
原理主義的な攘夷思想を訂正する機会に恵まれず、かたくなで狭量な感じがする。
それらを足がかりに、気楽な龍馬と対比させるには好都合すぎる人。
毒饅頭の俗説とかピエロにするネタも尽きないのでいじられてしまうんだろうな。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 07:55:56 ID:qh23zSvfO
文武両道の達人、忠誠心が強烈で義に厚く貞節固く孝行者と
伝わってる武市像は武士の美徳を実践した完璧超人だからな
だから反感買って土佐謹王党始末(だっけ?)とかわざわざ本出版してまで
アンチする奴も出るんだろう

妻の富からは欠点も見えてたらしいが軽格の者はそりゃ心酔してただろうな
57名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 15:20:22 ID:apmdLVBrO
人間なんて白黒混ざってグレーであってくれるのが一番安心できるけど、
それはたぶん現代人の感覚なんだろうな。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 18:43:56 ID:GXwY8eNlO
『土佐勤王党始末』の著者・嶋岡は
「武市半平太のような美化の眼差しを浴び続けた男は
一度殊更『悪意』の目線で容赦なく丸裸にし、
卑俗とも言える次元に引きずりおろす必要があった」
みたいな思い上がった事を本のあとがきで述べていたが、
本の中身はほぼ全体に渡って著者の根拠の無い
読んでて不快感しか覚えない妄想のオンパレードだったような。
『武市瑞山獄中書簡』の編註者の横田達雄氏が嶋岡にマジギレして、
自身の著書で嶋岡及び『土佐勤王党始末』をメッタクソに批判していたが、
自分が言いたい事を全て代弁してくれていて、溜飲が下がった思い出がある。
大体「美化の眼差しを浴び続けた人間」云々とか言うなら
武市だけで無く、他に標的にすべき対象は幾らでもいそうなものだが。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 02:43:35 ID:g5G87hP90
>殊更『悪意』の目線
>卑俗とも言える次元に引きずりおろす

低次元悪意全開表明乙ってとこだなw
そこまで自覚してりゃ世話はない
60名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 17:58:46 ID:KFYNwHIMO
武市半平太、獄中の手紙で酒好き容堂を皮肉る
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101103-OYT1T00676.htm

獄中書簡発見か
関連本には収録されてないやつかな?
いやー150年過ぎても新史料が出てくるもんだ

開運!なんでも鑑定団でも武市の絵が発掘されてたし
持ち主は実は凄い人の物なんだと聞かされていたらしいが
これも大河効果だったな
武市の絵は巧拙の差があるがこれは清らかと評される見事な紅白の牡丹だった
61名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 23:47:54 ID:vr/T2udDO
>>59
そこから再スタートってのもあって良かったと思うけどねぇ
62名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 14:21:53 ID:yu5s43EPO
>>58
前スレでその本のまとめが貼られていたけど
下衆の勘繰り乙としか言いようのないこじつけ振りだった
ついでに以蔵もその本でボロクソ言われてたような
他に勤王党員いくらでもいたのに、よりによって以蔵とニコイチで扱うのも
もうやめてほしいな
歴史的意義のある仲間は他にもっといるでしょうよ
63名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 06:57:47 ID:ZM00LLkhO
こじつけであるという根拠は?
反論があるなら感情的にならず淡々と反証を示せばいいだけでは。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 10:07:28 ID:yyWagJSR0
>>62
歴史的意義のある仲間って例えば誰?
65名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 15:57:15 ID:s2Ora5y0O
>>63
「土佐勤王党始末」のまとめが前スレのログにあるから気になるなら見てくればいい
あれは嶋岡の妄想が根拠の単なる放言であり何の裏付けもない
66名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 12:32:33 ID:ofH/vMkFO
なぜそんなものが書かれたか、については結構興味深いものがあるな。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 14:04:38 ID:0Z6rqiQ0O
>>58
嶋岡とやらの性根が腐ってるから他人もそうだと思わずにはいられんのだろう
あとがきの言い訳がましさでまた自らの底の浅さを露呈している


活躍した勤王党員というと
武市と共に朝廷工作に働いた平井収二郎
武市の路線を継いで他藩との同盟作りに奔走した坂本龍馬、中岡慎太郎
東洋の弟子で龍馬にも協力した勤王党江戸支部の間崎哲馬
維新後出世頭の田中光顕
あたりがパッと思い浮かぶな
あとは天誅組・海軍繰練所・招賢閣メンバーに分散か
島村家と佐川出身者が史料に頻出するが
歴史は史料から再現されるのだから
史料がほとんど無い以蔵などは確かに歴史的意義が薄いと言える
天誅で政局が動いたケースはむしろ田中新兵衛によるとされる姉小路卿暗殺だろう
68名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 15:12:10 ID:ubwMwksrO
勤王党で武市に次いで活躍した人物なら平井や間崎だろう
参謀格の島村寿之助もか
信頼度なら以蔵より島村衛吉が上だろうし、獄中で以蔵を毒殺計画で悪く言われてるようだが
弟の田内衛吉はスルーされがち
今では武市といったらすぐ以蔵が〜と言われるけど。

昔の勤王党の史料見ると平井間崎の出番は多いが以蔵はあまり見ないな
裏切り者扱いでわざと顕彰されてないときもあるね
69名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 23:49:05 ID:UQ9aKgkQ0
以蔵は本人の書いた書類が現存しないだけで他の奴の記録には残ってる
勅使の護衛にも参加してるし

ところで武市=天誅の人
って思われてる節があるけど
天誅って特に意味無いよな
ようは志士に恨まれてる安政の大獄関係者にお礼参りしてるだけだろ?
70名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 02:51:58 ID:dWvRlrTX0
>>68
言っちゃなんだが以蔵オタなんて漫画脳のやつか腐女子が多いから
史実に即した話をしても都合の悪い部分は聞く耳もたない傾向があるね
獄中闘争で当時の書簡が大量に残ってるから
以蔵毒殺なんて調べたら謎でも何でもなかった

可哀そうがりたいんだろうが興味があるならまともな関連書籍でも読めと言いたい
トンデモ本ばかり出してる菊池明あたりのとかではなく
71名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 13:00:07 ID:34keTFx0O
司馬遼太郎「人斬り以蔵」は作り話としては面白いけど、
実際の土佐勤王党員の最期を考えるとずいぶんと失礼な話だよね。

拷問でみっともなく泣き叫んで顰蹙を買った上に

自白で仲間を次々牢屋送りにした以蔵が、

拷問に耐えてたのに哀れにも毒を盛られ裏切られた怒りで自白って事にされてて、

拷問に耐えきれなくなって仲間を守るために服毒自殺した武市さんの弟や
黙って気絶したり死ぬまで耐えた人達の方が
以蔵を使い捨てようとしたみたいな書かれ方してる。
仲間を裏切る事がこの時代どれだけ罪深かったか…。

その後も以蔵が反省してますよとか
以蔵から先生によろしく頼むって内容の手紙が続いてるし
司馬遼がどこまで調べて書いたのかは知らないけど。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 00:53:07 ID:sWV4sJ910
>毒を盛られ裏切られた怒りで自白

大河系ブログ読んでたら、それが定番だよねみたいなのがあってゾッとした
まあ、司馬じゃなくて小説真に受ける人たちがいけないと思うけどね
73名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 10:48:05 ID:gCVSd4CzO
司馬が参考にしたのが
竜馬がゆくのタネ本と言われる坂崎紫欄「汗血千里駒」
田中光顕「維新風雲回顧録」等で
以蔵の毒殺話については「維新土佐勤王史」の坂崎の推測による話を参考にしてると思われる
たしか前スレに該当部分が張ってあったな
74名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 04:29:06 ID:2RQ/zB89O
>>70
そんなふうに見下してみせて楽しいのか?

武市と以蔵は両極端な存在として対比させたくなるな、とは思うよ。
極論するが、詳細なことは想像で補う点では史実と言われてるものも
創作物もそう変わらないよ。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 17:15:11 ID:+hMhyAcQ0
>>73 これ?

589:名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 19:24:24 ID:e3jL246U0
>>586のことか?
「維新土佐勤王史」の該当部分は
「況や岡田以蔵をや、即ち其の口を緘ぜんとて、『或いは』差し入れの食物に丸薬を混入し、
 本人に知らせず之を食せしめたるも、以蔵は平然として更に其の毒に感ぜざりしと『云ふ』」
と坂崎が憶測の意見を述べてるに過ぎない。

ちなみに書簡での毒殺計画の話題に関しては
以蔵の父親を説得云々以降音沙汰がない。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 17:24:58 ID:+hMhyAcQ0
>>73
勤王史に毒が利かなかったらしいという坂崎の又聞きか憶測は書かれてるようだけど
それで岡田が恨んだというのは、「人斬り以蔵」の創作だろうな。

「竜馬がゆく」のほうは以蔵が恨んだことにはなっていない。
「汗血千里駒」は事実関係が不正確すぎるので、平尾道雄の「海援隊始末記」あたりを
底本に、勤王史ほかの文献を参考にしたと思われる。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 21:10:47 ID:MXbM4cp00
>>76
その後横田達雄が平尾道雄に>>8の記事を送ったところ、
正論である、大いに宣伝すべし
との返事をもらったそうだ

>>74
史料が残っている部分の考察をしているのだが?
創作物の話がしたいのなら文学板にでも行けばいい
主張がしたけりゃ想像以外の根拠を持ってくればいい
78名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 00:06:15 ID:+SxR5l2cO
>>77
史料自体に何らかの思惑が込められてる可能性は 常に頭の隅に置いておくべきだ
という話をしている。
史料を読んでいると、しばしば自分で組み立てた物語に乗せてしまいそうになるから。
百八十度違うことが書いてある史料があるなら、たぶんどちらも正しいのだ。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 01:19:21 ID:p7VsavyU0
>>78
で、書簡類読んだことはないんだな
80名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:40:35 ID:RFYHHb2n0
具体的な書籍名を挙げない所を見るとそのようだなw
>>78
百八十度違うことが書いてある史料だと?
何を指して言ってるんだ?
まさか司馬遼太郎が史料になるとでも思ってるんじゃないだろうなw
脳内で勝手に物語を組み立ててるのはお前だw
事実関係であるかないかの話をしてるのにどちらも正しいってのは何なんだよ
まあ創作物と学芸員に一級史料お墨付きのもはや獄中日記ともいうべき往復書簡
及び土佐藩庁側の審問記録との区別がつかないんだから
何言っても仕方がない
81名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:52:26 ID:xB8AdNQwO
何と戦ってんの?
82名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 04:11:48 ID:7EIKTX9tO
お涙頂戴の以蔵話は私もどうかと思うから気持ちは分かるけどね
だいたい人斬り以蔵とかあんなベッタベタな話を史実と思えるのが信じらんない
江戸時代でもあんなファンタジーな師弟関係ありえないって
常識的に考えたら分かりそうなもんでしょ〜

以蔵が捕まってからの実際の牢屋内でのやり取りは
以蔵が拷問→速攻で自白→これがきっかけで他の勤王党員が次々に入牢・拷問→毒殺話が浮上
って順番になってる

結束を破ったり風紀を乱しても切腹させられてた時代だから
以蔵は毒殺されてても文句言えないと思う

横田さん著書で親密さ故に武市は強引な毒殺を拒んだのではないかと言ってたけど
以蔵の親の許可に拘ったのはそういう心情的な理由ではないと思うな
私はもっと信義上の理由からだと思う
83名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 14:07:39 ID:X6z3PhshO
>>67
アンチの観察眼ってのは結構侮れないものがあると思うけどな
84名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 14:38:34 ID:UBuy0IKAO
叩きの根拠が読んでもいない詩人の本1冊とはむなしいのうw

来年は土佐勤王党結党百五十周年記念で何かやるらしい
85名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 22:35:59 ID:18KH5KQm0
>>81
小説を鵜呑みにする無知と

>>83
『土佐勤王党始末―武市半平太と山内容堂』 (1978年) 嶋岡 晨
「妻に会った途端、取り乱し、世間が評価する武市半平太でなくなるのを恐れたのではないか。
現に囚われの身になっている事こそ恥の最たる物なのに、その矛盾には目を瞑り、この期に及んで未だに見栄ばかり気にしている。
観客のいないガランとした舞台で、役者が大見得を切っているようなものだ。
久しく抱いていない妻の裸体を思い浮かべる夜もあったろうに……。」
武市の妻が牢番の勧めで役人が休みの日に男装して夫に会いに来ないかと誘われ、
逡巡の末断ったことに対し、武市がよくぞ思い切ったと誉めた事に対する感想がコレだ
ゲスな人間には武市の高潔さがどうもカンに触るらしい
ちなみに妻お富はこの時の武市の毅然とした態度が生涯でもっとも嬉しかったと述べている
三流週刊誌みたいな記述が延々続く本だがお前なら読めば楽しめるかもなw
86名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 00:10:36 ID:quQZwiFDO
一番のガンは、こういう嫌味な武市ヲタ
って感じだな
87名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 01:24:20 ID:34z/VQss0
>>85
うーわーこれはひどい
思い込みでここまで書いて恥ずかしくないのかな作者は

まあ武市さんは人柄に関しては素晴らしいお人でしたよ
奥さんのことといい、
本分を全うする人間って美しいよね
88名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 01:34:18 ID:gGTce6rSO
あえて作者を擁護すると、この人の中岡小説はいいぞ
何回も読み返してる。未読だが谷干城の本もいいらしい
ただ中岡小説なのに武市はすっげー冷徹で扱い悪いんだよw
この人武市が嫌いで妙なフィルターかかりまくってるんだろうなと思った
89名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 08:19:31 ID:Qya09JQCO
獄中で武市らを診察していた医者に対して、同志間に
「武市らを死刑にするための確証を得られない目付方が
何の確証も無く武市らを死刑にしては世間的にマズいから、
医者を使って武市らを毒殺しようと謀っている可能性がある
その医者から処方される薬は飲まない方が良いかも」
と言った疑惑が持ち上がり、武市もそういった意見を容れて
問題の医者から処方された薬を厠に捨てたりしてたようだが
その事を差して、嶋岡曰わく
『天祥玉(武市らが「拷問に耐えきれなくなったら、
仲間を売る前に自ら命を絶とう」と、自決用に常備していた毒薬)
で自ら命を絶つのは良いが、毒殺されるのは嫌とな?
どっちも死ぬ事は同じなのに、矛盾している!所詮死ぬのが怖いだけだろ(キリッ』
とか
神道を信じる武市が自らの葬儀を仏式で無く神式にするよう頼んだのも、
嶋岡曰わく『死後は神になるという願望にすがりつき、
死の恐怖をねじ伏せたかったのだ(キリッ』とか。
全体に渡ってこんな調子の気持ち悪い妄想全開だったな。
嫌いな芸能人・スポーツ選手を貶めたいあまり
その対象の何から何まで全否定したがる、2ちゃんねるの極端なアンチレス
に通じる痛さがある。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 09:35:31 ID:r/VGrOSq0
>>85 >>89
妄想凄まじいね。この妄想具合は痛さを通り越して怖さを感じるレベルw
この人武市に何か個人的な恨みでもあるのか?
91名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 12:41:06 ID:BuJX0u8OO
>>86
建設的な話はせず
論破されるとグチる事しか出来ないだけの奴の方が邪魔
92名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 21:44:58 ID:SqCMwJLq0
アンチが生まれる原因って、本人が嫌いというのよりも
取り巻きたちの過剰な反応に反発することのほうが
多いんじゃないかな。
勤皇党の武市さんへの崇拝ぶりは半端じゃないから
そこらへんの行き違いで反発買っちゃったのかもね。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 22:06:14 ID:Qya09JQCO
>>88
中岡慎太郎の武市に対する傾倒ぶりが
相当な物だったと言うのは、
記録に残っている中岡の人物評や行動から伺い知れるが、
そんな中岡が主役の小説で、どうやって武市を卑小な人物に描けたのか
逆に怖いもの見たさで興味がある(笑)
中岡が武市を崇拝していた事実は
アンチ武市の嶋岡にしてみれば都合が悪い事実だから、
その小説内では完全スルーされてたりするの?
94名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 11:23:13 ID:HTdziu4RO
武市先生これといって欠点らしい欠点の無いハイスペック超人なのに
全くどの辺が不満だというのかね
まあ逆に言うと長所が欠点になる人ではあるけど
(頭が固いとか真面目すぎて窮屈だとか)

たぶん幕末の知識が無いと朝廷工作における役割とか
政治的な部分が理解できないのかな?
んで東洋暗殺と天誅が混同されて部下を操って政敵を次々に暗殺
みたいなおかしな認識になってる人がいるようだ
別にわざわざ天誅しに京都まで行った訳じゃないんだけどね
95名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 15:41:55 ID:1rqClHIOO
武市に不満があるわけではなく>>94みたいなのにカチンと来るんだろう
96名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 20:53:24 ID:HTdziu4RO
>>95
何で?


しかし嶋岡ってのはひどいな
確か武市瑞山獄中書簡だったか、妻宛ての手紙を読んで
従来の人物像からは意外なイメージだったからこの本を書いたとか言ってなかったっけ
獄中書簡を整理した横田氏もそんな事に使われる為に私家本出した訳じゃないだろうに
そりゃ自著でカンカンに怒るよ
あれ凄くいい本なのに
97名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 22:18:01 ID:1MJa8gjJO
「武市瑞山獄中書簡(妻&姉宛て)」の内容は、
確かに武市の一般的なイメージとは違う面も色々あるが、
自分は獄中書簡を読んで、むしろ武市に対する好感度が上がったもんだから
嶋岡氏の解釈(妄想)の数々は理解不能…。
と言うか、「自ら毒薬を用いて自害するのは良いが、
目付の陰謀によって獄医に毒殺されるのは嫌だ」とか
「俺は神道を信じているから、葬儀も神式な!」とか
何の矛盾点も感じないし、個人的には容易に理解できる心情なんだけどな…
嶋岡氏は、揚げ足取りに躍起になるあまり、
そんな斜め上な解釈しか出来なかったんじゃないか?
と思ってしまう。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 01:13:26 ID:4tZCGJQLO
書簡集は注釈量といい見直しの丁寧さといい実に良い本だった
手書きで修正してある研究者魂に感動したよ
読むと武市瑞山もやはり情熱的な勤王の志士だったのだと認識できた
研究者は妻に対する愛情の細やかさがともすれば軟弱なイメージに繋がると
考える様だがそうは感じなかった
私家版で入手困難なのが惜しまれる
展示会で実物も見てきたが細くて几帳面そうで品のある筆跡だったよ
以蔵と関わりのある手紙もよく取り上げられていたがやはり昔は親密だったらしい

生前の横田氏は青山文庫に勤務されてたそうだが、お話など伺ってみたかったな…
99名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:09:25 ID:jwSY+8YJO
>>36
>新興宗教の教祖
幕末の勤王思想がカルト扱いとは嘆かわしい事だ…
尊皇の心は将軍から大名まで皆持ってたし
王政復古論も大政委任の理論上おかしな言い分ではない(あくまで理屈の上でだが)

土佐が神道国学の気風が強い土地だとか
武市の伯父・鹿持雅澄が高名な国学者で龍馬の父も鹿持の門下生だったとか
そういう中世の思想的背景を抜かして語るから
実像からかけ離れたイメージが蔓延っているんだろうな
100名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 07:20:06 ID:Q94MrWZoO
まあその通りだけど、ここ読んでると崇拝ぶりがカルトくさいのだろうと思う。
カルトに思想の中身は関係ないからね。信じるものがそこにあればいいだけだ。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 19:11:09 ID:xtA4uyk/O
どちらかというと先入観ありきで見てるのは>>100なんじゃないか?
このスレ読んでもそんなに武市を崇拝って感じはしないが。
名の残ってる維新志士なんて何かしら傑出した部分があるんだから
それについて言及してるのを崇拝というのは発想が飛躍してると思う。

あと話題になってる武市瑞山獄中書簡だが私家版なので
再販を希望するなら横田達雄の本を扱ってる土佐史談会に問い合わせるのがいいと思う。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 13:32:49 ID:7UVCCjCuO
ハイスペックの超人、あたりかね
103名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 14:51:27 ID:Yey4y6vWO
スレに貼りついてボソッと1行レスだけしていく頭悪そうなのがいるな

素直に武市がちやほやされてるのが気に食いませんので
無知な私めに何卒叩くネタを御教授くださいませんでしょうか
とお願いすればいいのに
学術板なんだから根拠のある主張なり質問なり何か有意義な事書いていけよ
104名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 00:42:11 ID:ra9ROzQWO
学術板wの人はおっかないなw
105名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 02:15:00 ID:19rnbcRdO
大河ドラマ板で煽るのと同じノリで
ここでも煽っているんだろうな。
そんなノリはこういう板では全く通用しないし、
バカにされるだけなんだがな。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 03:26:21 ID:pvk5sMdJO
>>99
調べたら鹿持雅澄って人結構すごい国学者なんだ
あの吉村東洋や吉村虎太郎、龍馬のお父さんの先生してたなんて
そりゃ武市さんは東洋暗殺渋るわ

あと『土佐史談会』のブログは勤王党関連もそれ以外も面白い事が色々書いてあった
以蔵の弟は勤王仲間と維新後も交流あったのね
107名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 22:46:46 ID:kTRun7Z70
>>105は大河板で煽りまくりなんだろうな。
余計な敵を作るのは勘弁してほしいものだ。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 09:42:26 ID:UdUIa4L3O
>>103
ちやほやする訳じゃないが
武市の言動には武士の五徳(親子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信)
をひたすら遵守しようという傾向が見てとれると思う

両親や祖母が寝込んだ時は寝食を忘れて看病し、医者に感動されたり
女は妻だけを愛し命より忠義を選ぶ潔癖さが示すのは
要するに教えられた美徳を生真面目に全力で実践しようとする性格だったということだ
王政復古もそれこそが正しい国の在り方だと信じてたんだろう

そういう所が好きだね
またそれが周囲からの人望に繋がったんだろうな
109名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/25(木) 03:02:46 ID:VzaYTh54O
>>88
中岡といえば今年小説が出てたな

東洋暗殺した安岡嘉助の子孫が書いた流離譚も再販されないかな
110名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/30(火) 07:16:17 ID:fmTtQjzVO
>>108
凄いストイックだよな。
幕末でも既にやや古風なタイプの人間だったと思う。
言っちゃなんだがDQN気質の土州人にスゲーと思われてたのは
この辺の要素も大きかったんじゃないか。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/01(水) 14:37:00 ID:P43c+cZi0
それもあるだろうが、やはり能力面も大きいだろ。
能力が無く、ただ古風だったり風変わりなだけだと、
ハブられはしても尊敬を集める事は無い。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/05(日) 07:36:02 ID:BCyCvH+mO
時流に乗った面もあるかも
113名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/11(土) 17:44:40 ID:zQlttYFbO
時流に乗ったというより時流を作った人間の一人だった
114名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/13(月) 20:34:02 ID:SkIgMlT+O
武市が手紙で会津は朝敵って敵視してるけど
在京時代の会津藩(京都守護職)は一体どんな工作してたんだ?
115名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/14(火) 13:55:18 ID:rp5LoE/HO
>>113
攘夷の時流に関しては、乗ってた流れが思った以上に太かったんじゃないか
で行き止まりは滝
116名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/18(土) 05:20:40 ID:wHYANz+MO
>>115
武市はそのジェットコースターっぷりが面白いw

あと前に出てた菊地明の大河便乗以蔵本読んだよ。(「史伝岡田以蔵」)
多分これ出典に挙げてる本全部は読んでないな。
あとどうも個人ブログの調査結果をだいぶ参考にしてる気がする…
以蔵の史料は分散してるから勤王党員関係資料を相当熱心に読み込まないと見つからないが
この著者がそこまで努力した様には見えない。
最後の方は同士間書簡を読み込むのがしんどかったものかgdgdになり
斜め上の結論に…
全体的に頭悪い臭いがする。

よくいる以蔵をカワイソーカワイソー言いたいだけの思考停止層にも
消化不良の出来映えなのではないかね。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 00:02:14 ID:GIgXXlIpO
>>115
京都で絽の肩衣を着て公家に面会するようになった時には、妻に手紙で
「これは奢ってるわけじゃないから誤解しないでね。
 こんな事になって、なんだかお芝居の中にいるみたいです」
と書き送ってたからなあ。

あー書簡集が欲しい。
横田氏の本扱ってる土佐史談会が再販してくれないかな…。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/25(土) 10:49:27 ID:5+EAdk5WO
>>93
自分はあの中岡小説微妙だったわ。肝心の中岡がなんか小物でw
武市は無機質で冷たい男に書かれてるいつものパターンだが
実際いくら優秀でもそんな性格の悪い男があれほどの人望を得る訳もないのにな。

勤王党始末への横田達雄のキレっぷりには嶋岡もビビッてたらしいw
119名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 12:11:51 ID:4WGn4G3XO
>>118
帯屋町に首枷付けて晒し首にすっぞゴルァ!(意訳)
みたいなこと著書に書いてたねw
120名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 15:13:18 ID:0cDkWTEAO
>>118
人望があっても性格が悪いというのは実際いたりするから何とも言えん
人たらしぶりも計算してる人とそうでない人がいるからな
121名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 16:23:03 ID:8+bEABnvO
>人望があっても性格が悪いというの
そういう奴は表面上は人が周りにいても、裏では嫌われてるだろう。
武市の場合は田中光顕曰わく、「陰で噂をする時ですら『アゴ先生』と呼んだ」くらいで
どんな時でも皆が一段上に武市を置いたらしいからな。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/26(日) 16:35:32 ID:8+bEABnvO
まぁ嶋岡に言わせれば
武市が土佐勤王党領袖に担がれたのは、
単に他の同志より身分が高かったかららしいし
(人格や能力を評価されての事では無いと言いたいのだろうか?)
武市が牢番にあれほど便宜をはかってもらえたのは「牢番の判官贔屓」らしいので、
そもそも嶋岡は武市に人望があったなどとは全く思ってなさそうなんだけどな。
連投スマソ。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/27(月) 08:23:57 ID:JWc8xMecO
>>121
裏で嫌われてたか好かれてたかなんて、現代のあんたにはわかりようがない。
スタンスが偏ってるのは勝手だが、それを事実のように語るのはやめれ
124名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/27(月) 19:02:25 ID:sRYDPLv8O
武市先生の人望が半端なかったのはマジだって。
明らかに獄中書簡での牢番のノリが違うっていうか何かもうメロメロだったもの。
あと同室になった囚人は武市先生に心酔っていうかセクハラ臭いほどベタベタしてたから
別にとっつきにくいタイプって訳でもなかったみたい。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/27(月) 19:31:10 ID:lkjKvBtT0
>>123
そんなにマジギレするようなレスか?
126名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/28(火) 02:17:01 ID:eI1C16Vj0
>>123は大河ドラマ板の武市スレにも出張してた奴じゃないか?
勤王党関係の史料読んだこともないどころか
史料の定義がわかってるかも怪しい癖に言いがかりだけは付けたい人でしょ。

>>121の話も田中光顕の人物評で主観じゃないだろうにw
こと人望・人格面が優れていた事について武市瑞山の評価は一貫してるよ。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 13:59:38 ID:3IYMnajmO
ドラマの話と歴史の話は全く別でしょうに。
俺の意見と違う奴は俺の行くところに必ず出没するストーカーだ
みたいな考えは病気だからネットからは離れたほうがいい。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 14:22:32 ID:D9wC9p4DO
まあ出典も示せない知ったかのアホは放置で。

大河ドラマといえばスタッフが特番で
武市半平太といえば「竜馬がゆく」の前は龍馬より有名なヒーローで〜〜
と言われてて驚いた。
月形半平太の事だと思うが政治的な活動がメインだし死ぬ時期が早いから
もっとマイナーな人物かと思ってたよw
129名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/30(木) 16:07:25 ID:3IYMnajmO
>>128
なんの出典?
130名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/01(土) 13:21:58 ID:wjGRel+bO
武田信玄が近畿近くで生まれていたら、玉を手中にできたと思うように、

武市氏も江戸で黒船を見ていたら違う人生になってただろうなあ。

歴史にタラレバは禁句だけど
131名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/02(日) 10:43:24 ID:FJ+X77V9O
土佐含め全国の勤王党の浮沈は長州頼りだったから
武市らが開明的であろうがなかろうが、情勢が不利になった時に国元に留まるのを選んだ時点で
死ぬ覚悟は出来てただろう。

その後生き延びた土佐勤王党員は板垣に率いられて戊辰戦争に行ったり
奇兵隊の残党を匿ったりしていたそうだ。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 18:54:24 ID:PVtvzPsu0
>>130
歴史にタラレバといえば
武市さんが生き延びて攘夷思想の限界に突き当たった時どういう対応を考えたのか
気にならないでもないがそれは言っても仕方ないよね。

イデオロギーだけで国は救えない、かといって龍馬みたいに脱藩したところで
草莽の志士に出来る事なんてのも限りがある訳で、
結局社中の仕事が無くなり食い詰めたあと土佐藩の後藤に接近してるし
その点では武市さんの一藩勤王活動はまあ理に適っていたと思う。
ただ藩への忠義を捨てて逃げるって選択肢がなかっただけでさ…。

>>131
余談だけど
吉田東洋暗殺三人組の安岡嘉助の弟と東洋の息子正春は
後に同じ新聞社の部署で自由民権運動してたそうな。
遺恨水に流しすぎではw
133名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 19:04:43 ID:PVtvzPsu0
書き忘れた
>>131
>その後生き延びた土佐勤王党員は
自由民権運動に参加した者もいたんだけど

土佐勤王党員は維新後も繋がりがあったみたいね。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/03(月) 19:38:04 ID:UYLZLq1E0
結局土佐脱藩浪人はだいたい野垂れ死にしてるし、龍馬も中岡も藩上層部と手を結ぶわけで

>>132
流離譚にあったな。吉田正春と安岡道太郎が土陽新聞で机並べて働いてる話。
面白いし深いんで土佐に興味持った人にはおすすめ。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 23:51:19 ID:tXP2HCN50
流離譚いいよね
ついでに武市瑞山関連書籍のタイトルでも貼っておこうか
ホイつ
『武市瑞山関係文書』日本史籍協会叢書
『武市半平太小楯勤王事歴』寺石正路
『武市瑞山先生』重松実男
『勤王烈士武市半平太』松沢卓郎
『土佐勤王党』間々田隆
『武市半平太』田中貢太郎
『武市瑞山と土佐勤王党』平尾道雄
『武市半平太―ある草莽の実像』入交好脩
『武市半平太伝 月と影と』松岡司 ★入手しやすく割と読みやすい
『「武市半平太―ある草莽の実像」批判―併せて我が国史壇批判』横田達雄 ★横田氏の本は資料性が高い、
『武市半平太と土佐勤王党』横田達雄 ★以蔵毒殺計画が実行されないまま終わった件はこの本で説明されてる
『武市瑞山獄中書簡 妻及び姉・妹あて』横田達雄・編 ★オススメ

『維新土佐勤王史』瑞山会・編は
坂崎紫欄の脚色による出典不明の記述も多く、最近の研究者は危なくてあんまり参考にしてないらしい
あと土佐勤王党関連で何かあるかな
136名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/09(日) 22:12:39 ID:PZL1oUM70
志士の遺産 土佐勤王党結成150年
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1293801306268_02/index.htm

今年も史料の展示会が沢山あるといいな。
特に武市獄中書簡展はあればまた行きたい。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 11:49:10 ID:8ruaxsGe0
武市半平太の養子、半太の子どもたちを教えてください。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 17:58:14 ID:niVGXi6V0
>>137
武市家は東京に移ったんじゃなかったか?

土佐勤王党の子孫ももう先祖の歴史に関心が無い人の方が多いんだろうな。
安岡家も多くの史料が焚き付けにされたり破棄されたと言っていたし。
勤王党じゃないが、松岡司が船中八策の原文は
佐々木高行の子孫の家にあるかもしれない言っていたが、
縁の方々も暇な時に家探ししてくれれば面白いんだけどな。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/20(木) 12:41:06 ID:f3ddLSPK0
>130
黒船を観ないまでも、西国を回った際に、せめて長崎まで来ていたらなぁと。
大村藩までいらしてたんですから、もうあと一歩、峠一つなのに…。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/21(金) 23:30:46 ID:4OaqoHQD0
土佐勤皇党と鉄血勤皇隊について。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 16:37:12 ID:TSgG+Grt0
>>116
読んだがなかなか笑える出来だったよ。
特に酷いのは瑞山関係文書のみを参考して書いたであろう獄中闘争の調査。

マジなのかネタなのか以蔵オタに媚びて故意に読み飛ばしているのかは知らんが、
以蔵にとって天誅は正義でありそれを偽ることができなかったから自白しただの、
拷問受けた形跡は見つからなかっただの、
その後以蔵の家族も、きっと村八分にされながらも、家族愛故に毒殺を拒んだのだろう、
それにくらべて土佐勤王党の狭量さは云々…

まあ概ねこんな内容だった。
横田達雄が目を通していれば例の如く滅多切りだったろうw
142名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/22(土) 18:28:35 ID:oyMGpi9A0
松山のシニアカーメーカーにスペアキーを注文したら担当者が武市氏だった。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/23(日) 19:58:10 ID:X15ZrAkX0
菊池明は新撰組界隈でエセ研究者なのが日野市あたりにバレて
趣向変えたんか?
たしかに以蔵好きな奴は新撰組(笑)も好きそうだな
144名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/24(月) 17:07:49 ID:8xKRcScz0
毒殺されかけた怒りで自白した説が下火になってきたから
新しいパターンの以蔵age・武市sageか?
145名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/25(火) 00:49:52 ID:o6+AoReJ0
amazon見たら突っ込まれてるなw
同じ範囲を調べた事のある奴がいないとでも思ってるのかねえ。

菊地明(尼だと菊池だが菊地の筈)の本の中身は
以蔵の鏡新明智流中伝の出典は創作の多い本と言われているが
偉い先生も引用してるので信用できるだろう
みたいな論調で突っ込み所だらけだわ。
以蔵一人持ち上げるために、なに勤王党ごとdisってるんだと問い詰めたい。
小一時間問い詰めたい。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/26(水) 22:15:46 ID:3cPfEC2v0
>>130
黒船見たただけで開明的になるわけでもないと思う。
そもそも外国船自体は頻繁に来てて黒船来航で幕府がパニックになったのは政治的な理由かららしい。
もののふたるもの死を恐れるべからずとか突っ込んでいきそう。
長州だって外国船とガチンコ戦闘して実力差を体で学ぶまでは単純攘夷だったし。

>>141
そんな信念的な物が以蔵にあったら自白してないし、身を持ち崩して浮浪者にもなってないよね。
勝手に落ちぶれた挙句、仲間の信義を裏切って何人もの犠牲者を出した以蔵のために
拷問や尋問に耐えてた人が悪く言われるのって我慢ならない。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/27(木) 12:01:21 ID:Pptdu4Kh0
昭和30年代には月形半平太の幕末時代映画がよくあったな。

 当時はまだ明治維新後100年たっていなかったから、江戸時代生まれの老人も生存していた。

148名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/28(金) 20:39:48 ID:OmYxcNI20
基本的に土佐勤王党は
武市の門弟や親戚を中心として、その他家族や師弟関係で結ばれた者も多数加盟しており
地域の仲間で構成された結束が強い集団なんだけどな。
なんか袂を分かった事にされてるけど
そーゆー地縁血縁の繋がりが先にあるから、吉村虎太郎や坂本龍馬らとは脱藩後も交流あったし。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 00:06:50 ID:8b3oIq+SO
テスト
150名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/29(土) 23:17:26 ID:Y+FfkWkFO
>>148
記録を見てると
岡田以蔵も武市先生とかなり親しい人達のグループに入ってたみたいだね。
にも関わらず着牢した段階でえらく手紙内で罵倒されてるのは
在京時に以蔵が何かやらかしたせいだと思うんだけど一体何やったんだろう?
151名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 01:31:36 ID:Y9yg5fmr0
勝が止めても以蔵は結局殺しをやめられなかった
と何かで言ってた気がするんだがコレ出典なんだっけ?
氷川清話?

ダメって言ってるのに勝手に人殺しをしてきて困る、という内容の武市の手紙もあるみたいだし
実際は割としょーもない奴だったみたいだなイゾウ。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 08:52:28 ID:rYr+VlDHO
富子>お龍
153名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/03(木) 00:30:20 ID:on+hSOarO
>>141
正義を偽れなかったから自白とは…それは無理がある。

この時期志士やその関係者が捕まったら知らぬ存ぜぬでシラを切り通し
黙秘を貫くのが生き残る唯一の可能性のある道だし、
瑞山獄中書簡の、女が耐えていた拷問に以蔵が泣き喚いていた話や
同士間書簡の岡本・以蔵が同志への不義を血を出して後悔していた事、その後証言を改めた記述も無視かい?
地元の研究者は怒っていいレベルだ。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 22:08:40 ID:DJ3pvjrqO
>>126
田中光顕といえば
数少ない脱藩浪人の生き残りなのに正確な年譜がよく分からないんだけど記録は残ってないのかな?
晩年土佐の人間が光顕にインタビューに行って幕末の志士の思い出話を聞いたところ、しばし黙った後
「いや〜懐かしい懐かしい。政治家や軍人が大勢訪ねてくるが、誰もそんな話は聞いてくれなかった」
と答えたそうだが、
意外と生きてる人間は過去の事に興味がないもんなんだね。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 23:43:16 ID:8ohpgjBr0
>>136
【企画展 勤王党志士たちの遺墨・遺品展】
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~rekimin/pdf/kinnoutou.pdf
来月から六月までだとさ。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 01:48:29 ID:u3ejmDXQ0
>>153
この本獄中の経過について
以蔵のマイナスイメージになる話が省かれてるなあ・・・
たぶんワザとだわ
横田達雄の「再遊筆記 千屋菊次郎孝健日記」に出てくる
高杉の所の勤王党員が脱藩後の以蔵の借金を返済した話はちゃっかり採用してる品
これ最初に指摘したの横田氏の本だろ
157名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 02:17:27.94 ID:sIyX1/OkO
ひとえに勤王思想といっても
武市瑞山達下士郷士層と
天保庄屋同盟の流れを汲む庄屋層では
ノリの違いがあったりしなかったのかな?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 12:25:21.18 ID:eo7rkH7w0
武市と久坂は過激派すぎて維新に存命中でも、邪魔じゃね?
159名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 22:17:47.19 ID:1yHZGI0/O
過激派?武市は穏健派な方じゃね?
むしろ長州や、他の勤王党員、志士達の過激な行動を止めて回る立場だったような…。
東洋の暗殺だってギリギリまで待ってたし…
なのに何故か、世間様では冷酷非道なテロリストの帝王扱いされてるんだよな〜
160名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 23:13:47.32 ID:0jwe0XJm0
>>158
高杉晋作の外国人襲撃計画は
久坂→武市経由で止めるよう長州に連絡行ってたし、
岩倉具視暗殺を公家から依頼されても断ってたし、
そもそも吉田東洋暗殺も最初は反対派だったしなあ。
イメージほど過激派ではないよ。

久坂も仲間に押し切られたとはいえ、禁門の変での暴発行為は反対してた。
そんな久坂が天誅に参加したのは安政の大獄関係者を恨んでいたからだろう。
師匠で義兄の吉田松陰が処刑されてたからさ。
家族が死んで、久坂は身寄りがいなかったから、仇を討ちたかったんだろうな。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 22:07:38.82 ID:Yd98nzAL0
武市・中岡が龍馬人気の陰に霞んでるように
久坂も高杉人気に押されてマイナーな人物になってるよな
まあ土佐藩は龍馬以外全員引き立て役みたいなノリだけどw
162名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/28(月) 22:55:53.38 ID:fzXUGXpq0
司馬が主役にしたか否か
この辺が人気の分かれ道だな
163名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 00:44:46.22 ID:/jT3jz6d0
真面目ッ子は主役にしにくい
164名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 09:49:00.77 ID:Hft2M1xyO
武市の場合、龍馬の引き立て役だけじゃなく、以蔵を美化するために酷く書かれる傾向も有って、イメージ最悪なのも難だよな…
武市以上に嫌われてる幕末の志士なんているの?
165名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 12:30:09.34 ID:B1jy44Bx0
武市ファンが気にしてるほどイメージ酷くもないと思うけどね
司馬も「竜馬がゆく」では、暗殺の指示はよくないとしながらも、
基調としては武市を不幸な秀でた人物として描き、以蔵はsageている。

去年の大河ではヒドイ扱いだったけど、あの脚本じゃ
たぶんライト層が見てもわけわからないだろう。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 16:45:13.88 ID:g+LaQ5plO
>>164
維新後汚職で晩節を汚した志士はいっぱいおるだろう、山県有朋とか。
自分は武市瑞山かなり好きだけどなー。
松岡司氏が「後藤象二郎も暗殺されてれば龍馬みたいに英雄になれたかもしれませんね」
とか言ってて笑ったw
167名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 19:00:32.77 ID:M2bMgwFPO
>>164はアンチの煽り
168名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 23:03:41.47 ID:Hft2M1xyO
別にアンチじゃないし武市の事好きだけど、イメージが悪くて嫌われてるのは確かじゃないか
武市の事を嫌いって人はよく見るけど、好きだって人はあまり見かけないし
169名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 23:46:35.08 ID:M2bMgwFPO
俺は18まで高知にいたが、
武市半平太に関しては、地元では銅像も建てられ、
坂本龍馬や中岡慎太郎と並んで尊敬されてるけどな。
地元で人気が無いと感じたのは、後藤象二郎や吉田東洋あたり。
山内容堂もあんまり人気無かったかな。
高知を離れても武市の人格面での高潔さや
能力の高さを賞賛する声は普通に聞くがな。
嫌ってるのは、以蔵ヲタの中でも
漫画や小説の世界に浸かりきって、史実ネタには耳を塞ぐような連中以外では
そんなに見た事無い。
そういや勤王党大獄において、
以蔵が武市の毒殺計画に怒り、全てを暴露したという俗説のもとは
司馬遼太郎じゃなかったか?
170名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 00:33:21.80 ID:fNDW5ajp0
> 以蔵が武市の毒殺計画に怒り、全てを暴露

それはたぶん「人斬り以蔵」という短編小説かな。
「竜馬がゆく」ではそういう感じは全くないので
人斬り〜の方はまた別ワールドということなのだろう。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 12:51:17.20 ID:vfCz4TvY0
>>169
吉田東洋はもっと評価されてもいいキガス。

…って、このスレで言う事じゃないなw
172名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:34:47.26 ID:DyPbRbo10
>>170
司馬遼太郎が参考にした平尾道雄の本のこの話の出典の「維新土佐勤王史」の
「岡田以蔵をや即ちその口を緘せんとて、或いは差し入れの食物に天祥丸を混入し、本
人に知らせず、之を食せしたるも、以蔵は平然として更にその毒に感ぜざりしと云う」
という坂崎紫欄の推測に基づく一文が元ネタ。

後に横田達雄が獄中書簡記録を全部洗い直して、
森田金三郎宛・島村寿之助書翰で以蔵の親の許可を取り付けるべく説得
→この後自白者の以蔵及び岡本太郎も反省してるとのこと
という内容の手紙に続くので毒殺決行はなかったらしいという結論になった。
平尾氏も自論の過誤を認め、「正論である、大いに吹聴すべし」と太鼓判をもらったそうだ。
どのみち毒殺計画が出たのは以蔵が自白で仲間を売った後だしな。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1242529937
しかしこの手合いの奴はなぜ史料に基づく話を聞こうとしないのか…
そんなに以蔵に悲劇的な人物でいて欲しいのかね?
173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 23:53:26.54 ID:Uhu/h7LUO
以蔵厨うぜーな。
「立派な人間といわれていても武市なんてこの程度の人間だったんですね(キリッ」
みたいな知ったかの以蔵オタ見てると腹立つわ。

仲間のフォローにも関わらず身を持ち崩した挙げ句
結局恩を仇で返して仲間の信義を裏切った只のクズじゃんよコイツ。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 00:01:06.42 ID:j8XOsrhl0
>>172
「竜馬がゆく」では以蔵は毒寿司を食べてケロッとしていたことになってるだけ
なんだけど、明らかに平尾経由の維新土佐勤王史が元ネタだろうね

その知恵袋の質問者はもっと無邪気さを装えばいいのに
罵倒目的が丸出しだからむしろアホの思い込みとわかりやすくていいかもw
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 00:14:23.21 ID:xIQcY2xH0
アメリカ人マリアス・B. ジャンセンの書いた「坂本龍馬と明治維新」という本では
龍馬の事蹟が比較的美化を省いて中立的に描かれているが、
この本では龍馬もかつては武市瑞山の礼讃者だったと述べられている。

武市が久坂宛のメッセンジャーに虎太郎や龍馬という後のリーダー格クラスを使っていたのは
コネ作り&見聞を広げさせようとする意図もあったのかな。
土佐にいた頃の龍馬は武市の代理で藩境で水戸からの使者に面会したりもしているし、
武市の部下のような行動をしている。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 00:19:51.19 ID:pGLNU/WVO
坂崎紫瀾が「維新土佐勤王史」に考証せず載せる
→平尾道雄が「武市瑞山と土佐勤王党」に同じ旨を書く
→司馬遼太郎や海音寺潮五郎といった権威が小説のネタにする
→史実として広まる

確かこうだったはず
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 00:20:12.33 ID:066ooU2LO
毒殺云々の話以外にも一時期
「武市がさっさと自白して全責任をかぶってれば
みんな拷問を受けずに済んだし、犠牲者も出なかった」
なんて意見をちょくちょく見かけて、心底呆れた。
そんなんで事が全て丸く収まると本気で思ってるのかね?
178横田達雄「文化評論」より:2011/03/03(木) 00:41:16.18 ID:xIQcY2xH0
原典を虚心に精読するを怠り、又、原本に還りて臨場思考を繞らすを疎かにし、
甚だしきに至りては、孫引きを以て足れりとし、
又、己が好悪、先入観を証するに足るをのみ抄引して論をなし、文を章するは、
我が国、史家・学者・評論家・ジャーナリスト、否、殆ど我が国人総てを通じての弊と謂うに幾し。
吾人の右の“以蔵毒殺”に寄せる推理は、形、些事を論ずるに似て、
その実、根幹と倣すべき右の通弊への痛烈なる批判の一にして、
素より吾人の称する“文化”への“評論”に値するは言を俟たざる処。

うむ!堂々たる正論だ。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 02:32:01.72 ID:pGLNU/WVO
>>157
関ヶ原以来の郷士と上士の対立による勤王思想はくどい程みるが天保庄屋同盟はマイナーだな
勤王党内でも庄屋出身層は多いのに
郷士といっても坂本家のように郷士株を買って得た人も多いわけだし山内VS長宗我部で十把一からげにされるのもなあ
吉村虎太郎はまさに天保庄屋同盟の体現者といえるだろう
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 03:12:18.48 ID:4m0mOCU9O
>>178
>己の好悪、先入観を証するに足るをのみ抄引
あー以蔵ファンの駄目な部分がまさにコレ。
あと菊地明「史伝岡田以蔵」も同じパターンにハマってるね。
横田氏もよくわかってたんだろうな。
松岡司氏も館長時代に以蔵ファンからの質問色々受けてたみたいだけど
著書を読むと以蔵人気はあんまり快く思ってないみたい。

個人的には武市先生に岡田が最後言伝しようとしてるのもなー…
身内を死地に追いやった相手に今更そんな事言われても、
武市先生の気持ちを考えたらどれだけ不愉快だったか。
岡田なんかに目を掛けたこと、後悔してたんじゃないかな。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 11:21:57.80 ID:VDOSHS2qO
自分は史実の以蔵の人間らしく駄目な所が結構好きなんだが
歴史本などでやたらと美化されて、武市が酷い人に書かれる傾向にあるのは凄く納得いかない
それを信じて武市を嫌ってるライト層も多いだろうし
以蔵が投獄される前に、武市が以蔵と新兵衛に罪を被せてたから、以蔵が投獄された時に武市が焦ったって話は本当なの?
それが本当なら武市にも否はあると思うけど
武市に志なんてなくて、自分の身分を上げることばかりしてて、偉くなることしか考えてなかったってのも本当なら
そんなそんなのに利用されたのか…って、以蔵ヲタが嫌っても仕方ないのかも
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 15:20:52.70 ID:Nr+P8KBa0
>>181
容堂に血盟書提出の際、天誅組や東洋暗殺組など揉め事を起こした者に加え岡田の名前も削られている。
田中新兵衛と共に岡田も天誅で名を馳せ、目を付けられていたのだろう。
そのため岡田が京で捕縛された際、土佐藩の役人が身柄を確保しに来ていた。
勤王党激派の行動が藩上層部の悩みの種であった事は当時の上士の記録にある。

捕縛を警戒してか、岡田は武市在京中に脱藩し一度京から逃亡している。
脱藩後、岡田が江戸の長州藩邸の保護下に入っていることが千屋家の者の記録から
判明しているがこれは瑞山の手引きなんだろう。

公家から苦情があって武市は天誅をやめるよう通達を出しているが、
岡田が特に過激な人物だったこと、通達に背いて勝手に天誅を行っていた事は
当時の武市の手紙や党員の証言から確認できる。

獄中で吐くだけ吐いた後は監視が緩んだのか、他の党員と連絡が付くようになり、
仲間の信義を裏切ったことを岡田が反省している様子が伝えられた。

岡田を殊更庇い立てしようとするファンは
他の党員が自決、拷問死(武市の実弟田内衛吉、島村衛吉)、
もしくは毒の差し入れは不用と拷問に気丈に耐え戊辰戦争で討ち死に(安岡覚之助)、
武市も拷問に備え自決用の毒を所望したが耐えるよう身内に説得されたこと、
このあたりについてはどう考えているのかな。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 16:39:22.27 ID:gas+10/D0
181は、4行目以降のみ書きたい煽りじゃないかな…
まともに議論すると勝ち目がないので、中立っぽいことを書きながらも
住人が嫌がりそうな今さらなデマや悪口に触れて、本当かなあ?とうそぶく
どこのスレにもこういうの湧くね
184名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 18:20:02.60 ID:4m0mOCU9O
>>181
岡田以蔵に関する質問でよく見かけるけど
そもそも何で岡田が武市さんに利用されてたって思うのかな?
岡田だけが天誅に関与してた訳じゃないんだけど。

煽りじゃないならそう思う根拠を教えてほしい。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 18:35:55.40 ID:4m0mOCU9O
あと>>182の疑問にもあるけど
拷問死してる人間が他にいるのに、岡田に対する拷問が一際きつかったと
思い込もうとする人がいるよね。

ひどいのになると冷酷な武市さんを一心に慕って尽くした以蔵かわいそう!
みたいなノリになってるけど
武市さん達の足を引っ張って苦しめこそすれ、岡田が何か仲間の役に立った事ってあったのかな。
会津藩に出入りしてスパイ容疑で殺された本間精一郎暗殺の時は
刀(武市さんから借りた物といわれる)折ってただけだし。
何で武市さんが皆から深く慕われていたのか、そういう背景も考えないんだよね。やれやれ…。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 20:05:04.10 ID:VDOSHS2qO
>>183
デマなの?
女向けの歴史本にそう書いてあったんだけど
以蔵についてもそんなに美化されてない本だったんだけどな…
武市はただひたすらに偉くなりたかっただけって言ってる人(以蔵ファン以外でも)結構見かけるけど、そういう人はただ知識に乏しいだけなのかな
武市がそんな素晴らしい人なら、何故悪いイメージがそんなに広がってるの?
残忍で腹黒いとか
187名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 20:11:44.42 ID:VDOSHS2qO
>>184
田中新兵衛とも義兄弟だったし、以蔵を含めて二人も人斬りを手元に置いてたんだから
この二人を使って天誅に利用してたって思うのが自然でしょ
188名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 20:25:30.55 ID:066ooU2LO
だんだん煽り目的の本性が出てきたなw
189名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 21:04:14.21 ID:a/44jIYk0
最初から丸出しだよ
190名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 22:21:26.39 ID:ks/n+Lyn0
>>165
幕末ライト層で武市さん知らなかったけど、これは嘘
この肩書きの人がこんなキャラなわけない
絶対こんな人ではなかったろうな、と思ったよ
人物設定とは別に武市さんはまちがっちゅう連呼にも違和感

変すぎたので調べたら、立派な人じゃないか
先日、大河の影響で出たと思われる幕末偉人についての司馬エッセイ集?を
読んだら、武市らの天誅を水戸藩士による井伊殺しの薄汚い模倣でしかない、とか
書いていた。なんというか悪の幹部じみた印象を受けた
短い文章だけど、松岡らの語る武市像と司馬の語る武市はどうも重ならない
191名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 22:36:04.79 ID:VDOSHS2qO
世間で広まりまくっている天誅大好きな残忍で腹黒い武市と、ここの人らが言う高潔で立派な武市
どっちが正しいの?
192名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 22:50:46.10 ID:066ooU2LO
その司馬も武市の人物自体は高く評価してるんだけどな。
「人望は西郷、謀略の上手さは大久保と肩を並べ、
その人間的感化力は吉田松陰に及ばすとも似ている」と。
幕末に多くの志士を輩出し、明治維新に大きく貢献した土佐に、維新の種を蒔く役割は
圧倒的な人望・人間的感化力を兼ね備えた武市だからこそ果たせた事だな。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:43:29.50 ID:ks/n+Lyn0
そうなのか
龍馬や幕末関連の小説は読んだことないので、
てっきり武市イメージは、これら創作物で刷り込まれたものだと思った
ところで、人望は西郷、と言ったのは薩摩の田中じゃなかったっけ
194名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 01:22:48.04 ID:/oi3Up810
>>187
高杉の友人で松陰の妹婿だった長州のリーダー・久坂玄瑞も天誅に参加してるんだが
武市は久坂まで利用してたというのか?w

田中新兵衛と義兄弟の件は本間暗殺を素早く確実に行う必要を感じていたためと思われる。
スパイや土佐からの追手は放っておくと勤王党が危なくなるし、
天誅は暴れたい奴が暴れてるだけだ。
安政の大獄で志士や公家の弾圧に関与した者を殺したところで、
いまさら武市に何の得があるっていうんだね?
既に攘夷派公家が権力を握ってるんだから、天誅に復讐・嫌がらせ以上の深い意味はないよ。

◆武市半平太の人物評
「よく西郷吉之助に似たり。真に君子なり」薩摩・樺山三円

「我藩この如き人物なし。ただ共に比すべきものは大島の流人、西郷隆盛のみ」薩摩・田中新兵衛

「当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり」
「その熱誠、西郷の上にあり」長州・久坂玄瑞

「あれは正論家である。正々堂々として乗り出すことには賛成するが、
 権道(ようするにテロ)によって事を成すということは何時も嫌っている」長州・高杉晋作
高杉にまで武市は暗殺・焼き討ち的なことが嫌いだと明言されているのに、
そんなに岡田以蔵の非を認めたくないのかね。

岡田が悲惨な最期になったのは徹底徹尾自業自得だ。
仲間に迷惑かける前に野垂れ死んでおくべきだったな。

『暗殺に利用して捨てた』という誤ったイメージが事実と誤認されてるのは
たんにその方がわかりやすくてウケが良かったから。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 11:45:59.51 ID:w8yxQV2/O
>>181もおかしな言い方するね。
武市さんが酷い書かれ方するのに納得いかない割には
岡田が「利用されてる」って思うんだ?

私もそんな冷たくて利己的なだけのリーダーになぜ尽くそうとしたのか
その辺も疑問に思わない以蔵オタの思考回路が不思議だわ。
196名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 11:52:35.48 ID:xBBZfAkJO
>>194
そんな間違ったイメージが広まりまくってる理由が、ただ単に受けが良くてわかりやすかったからとは…武市さんが不憫だね
武市さん程間違ったイメージで嫌われてしまってる不憫な志士もなかなか居ないんじゃないの?
その一方で、裏切り者の岡田以蔵は美化されまくって大人気だっていうのがさらに不憫さに拍車をかけているような
197名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 12:22:43.56 ID:+z1RgdwO0
>>195
>なぜ尽くそうとしたのか

それは簡単。「純粋な以蔵は武市に言葉巧みに騙されたんだ」
大河でも恥ずかしいセリフでコロっと暗殺者におちるという描写されてたな
真意はともかく、以蔵オタやライト層がみれば、武市ひでー、以蔵かわいそうという感想もったろう
198名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 12:50:09.72 ID:LWc4uMs30
騙される人って自分が騙されたいから騙されるんだって
脳の中で勝手に都合のいい方向に自分から持っていき他の情報は無視するんだって
199名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 13:09:52.48 ID:xBBZfAkJO
武市の事を、以蔵を含む純粋な若者達を洗脳したカルト教団の教祖だって思っている人も居るからね…orz
武市なんて麻原と同じだとか…
いくらなんでも麻原と武市さんを同列に並べるのは酷すぎると思うので、真実をはっきりさせて欲しいと思うよ
間違ったイメージでそこまで言われる武市さんが可哀想過ぎるわ
200名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 13:23:24.70 ID:+z1RgdwO0
世間イメージを払拭する一番の手立ては、史実本10冊より一個の上手な創作
大河はまたとないチャンスだったんだが…
201名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 13:52:29.77 ID:xBBZfAkJO
龍馬伝は、時代考証担当の人が新撰組ヲタかつ以蔵ヲタで、自分の出した歴史本で、武市の事を以蔵を利用して捨てたとか、残忍とか書いてしまうような人だったから…
202名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 15:36:07.80 ID:490lmVcA0
>>201
その前に龍馬伝は、武田鉄矢原作のマンガ「お〜い!竜馬」の強い影響下にあり
設定やシーン、セリフその他、アイデア借用がかなり露骨に感じられる部分もあった。
(武田も映画雑誌インタビューで借用を許可したことを認めている)

マンガは司馬作以上に竜馬ageが激しく、武市が憎めない奴だが天然で竜馬の引き立て役、
二面性キャラで後藤などにボコられダークサイドに堕ちる、といったドラマの展開もコレがネタ元。
しかし広い心で友情を保った竜馬が、新政府の人事案に「武市さんの名を書きたかった」
と言うドラマのセリフもそのまんまマンガにある。
以蔵が二人の幼なじみで、子供のときから育んだ友情があるというのもマンガに重なる。
(ただしマンガの方が少年期の描写が細やかで説得力がある)

しかし以蔵が最後まで拷問耐え、武市が容堂に自白するというトンデモ展開は
ドラマならではのもので、アイドル俳優である以蔵の中の人に配慮したものかもしれない。
要するに武市描写にはいろいろ不利な状況が重なってしまった。
そんな中、武市役の人は松岡氏の本を読んだようで、切腹前にセリフを引用するなど
精一杯がんばってくれたようではあるが…。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 15:49:59.61 ID:jsW8LgR80
つまり
創作準拠●貧乏で学はないけど優しくて純粋な心の持ち主(笑)だったイゾウ君は
先生をとっても慕っていたので、先生が喜ぶならとイヤな汚れ仕事の人斬りをやらされていましたが、
哀れにも毒を盛られ裏切られた怒りで自白し、イゾウを利用した悪い先生も因果応報で死んだのでした。
 と
史料準拠●岡田以蔵は武市半平太率いる土佐勤王党の一員として京師で他藩の志士と共に尊王攘夷側の政治工作に加担、
時勢を傘に着ての暴力行為に溺れ、調子コキ過ぎて京にいられなくなり逃亡、
武市が逃がしたり仲間が借金立て替えたりしていたにも関わらず、酒と女に溺れ刀まで売って無宿者となり捕縛、
女も耐えてる拷問で泣き喚きながら自白して仲間を売り、毒を盛られかけましたが
仲間が裏切り者のイゾウ君のために信義を通すべく家族を説得しているうちに結局毒殺も中止、
イゾウも血を吐くばかりに仲間への不義を後悔していましたがもう手遅れで仲間が犠牲になり、
なおも未練がましく武市に伝言を頼もうとしていましたが当然武市は怒り、
自業自得とはいえ武士として最も不名誉な晒し首の刑に処され、
なんとも惨めな最後になってしまいましたとさ…
という話とどっちが好き?っていう話なんだよ。

前者に「え〜ありえないだろ〜」と疑問を持つか、
「武市酷い奴!イゾウかわいそう!」と思いたがるかで認識が変わってくるんだろう。

ファンは情報を知りたがる割に岡田が反省していたという部分でさえ
脳内イメージに合致しないのかスルーしたいようだ。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 16:27:08.68 ID:+z1RgdwO0
貧しかったり弱かったりするのをかわいそうと哀れむ
日本人好みの話は断然、前者だな

以蔵の配役については、勝新イメージをもってた監督が最後まで食い下がったらしいがね
主役のバーターだからどうしようもない
不利な要因がいくつも重なった不幸な事故か
それほどでもなかった一般イメージが大河で一般受け悪くなった感じだ
205名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 17:23:51.82 ID:Jd6zzGnd0
>>201
かりにも「歴史本」出すのが、新撰組だの以蔵だののオタか
女子供御用達だろう
日本落ちたな
206名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 18:08:36.46 ID:xBBZfAkJO
今では高知県民にも卑怯者扱いで嫌われてるらしいしね…
武市さんはもう駄目かもわからんね…。下手したら銅像も撤去されるかも。見に来る人居ないらしいし
207名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 18:23:55.40 ID:xBBZfAkJO
ここまできたら武市の代わりに以蔵の銅像でも新しく建てた方が高知の利益になるかもね
嘆かわしい事だが
208名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 18:48:41.99 ID:7cnv1bnjO
なんで武市先生は写真を撮らなかったんだろ
209名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 18:52:53.22 ID:KI5gbj5aO
異常に被害妄想が激しい人はなんなんだ?
武市より嫌われてる人物なんていないとか幕末知らなすぎるじゃないかな
以蔵ファンでも史実調べた上で好きという人も見るよ。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 19:01:13.10 ID:JRx78lX8O
最近は武市の生家・お墓近くに駐車場も設けられたみたいだし、
大河ドラマで武市が切腹した後は、
お墓参りに来る人達が急増(1ヶ月あたりの訪問者が切腹前に比べて3〜4倍くらいは増えたとか)し、
メッセージノート(瑞山神社の記念館内にあるのだろうか?)の書き込みもかなり増えた…
とか言う話をネットの記事で見た。
多分、大河ドラマでの夫婦愛の描写に感動した人が多かったからかもね(大河には不満もあったが)。
生家と言えば、切腹した武市の亡骸が生家のある吹井村に帰って来た時
武市が政治犯として藩から弾圧されていたにも関わらず村人が長蛇の列を作って一斉に出迎えたというエピソードをつい最近知って
感動すると同時に「武市に人望があったのは知ってたが、まさかここまでとは」と、驚いたな。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 19:08:37.97 ID:JRx78lX8O
>>209
そいつは武市ファンじゃなくて、
ネチョッとしたレスを投下して住人を不快な気分にさせたい荒らし。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 19:26:12.26 ID:w8yxQV2/O
>>211
>>206-207は大河ドラマ中から粘着してた
「武市の墓にゴミでも捨てられてんじゃないのwww」
みたいな日本人にあるまじき事言ってた心根の卑しいクソ虫でしょう。


実際は以蔵の方が「土佐の恥」って言われていたらしいじゃん?当たり前だよね。ただの裏切り者だもの。
もう以蔵が武市さんの為に尽くしてました〜みたいな路線は
本当に尽くしてた人たちに失礼だから金輪際やめるべき。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 19:38:34.77 ID:xBBZfAkJO
>>212
や、Twitterでそういう書き込み(高知県民が武市さんは卑怯者扱いされてるから、好かれるような人ではないと言っていた)が有ったのを見たから書いただけなんだが何あらぶってんの?
世間で以蔵が人気あって武市が嫌われ気味なのは事実なんだから仕方ないだろ
以蔵を美化するのは金輪際やめて欲しいっていうのには同意する
214名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/04(金) 19:45:18.94 ID:JRx78lX8O
壊れたレコードのように似たようなレスを繰り返し、
会話する気も納得する気も全くゼロの荒らしに関しては、
スルーもしくはNG推奨。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 00:16:18.66 ID:MyUw4PnnO
>>213
高知県は現在進行系で武市さんと中岡も売り込もうとアピールしたいみたいだけどねw
地元有志の顕彰活動が広がってた事もニュースになってたけど。

高知県人のネット上の意見というなら
もちろん以蔵毒殺話が創作である事、
武市さんの功績や人柄の素晴らしさを評価しているブログもあったけど?
アンチしたいなら堂々と自分はどこがどう嫌いかを言えばいいのに
そんなに論破されるのが嫌なわけ?

あとドラマ効果か横田氏の「武市半平太と土佐勤王党」を読んだって人を見掛けるようになった。
部数が少なくて結構難解な文体の研究書なのに調べる人いたんだなあ。
そのせいかドラマ便乗以蔵本も毒殺悲劇話はもう使えなくて
「以蔵は自分の正義を信じていたから自白」みたいなムチャなこじつけで美化しようとしてたよw
216名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 00:35:48.48 ID:dJZ+84N+O
そいつ信者のフリして煽るより真性っぽいから余計にたち悪い

桂浜の阿呆企画、まだ吉村虎太郎も加えてたら見直してやったのになw
217名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 00:40:06.09 ID:AG41YNcZO
高知県が武市中岡を売ろうとした
龍馬の銅像の横に武市中岡のレプリカ企画は、龍馬ファンからの反対が凄いらしいよね
龍馬に失礼だとかなんとか
218名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 00:43:58.32 ID:4nOsCFAt0
武市中岡には失礼じゃないのか
正直、龍馬は好きじゃない。オタが痛すぎてね。
去年の龍馬伝といい、今度の件のリアクションといい、ますます…
219名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:12:20.64 ID:EhBZJpJEO
桂浜でのレプリカ企画に対する「安っぽい」という批判には同意だったが
「桂浜は龍馬の聖地だ」なんて意見もあったんだっけ?
別に桂浜は龍馬だけの物じゃないだろ。
武市も中岡も、桂浜に来て色々物思いに耽った事はあったんじゃないの?
220名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 01:52:42.44 ID:TX20hT/20
安っぽいレプリカを龍馬に添えられる武市と中岡がかわいそうなので
自分も桂浜の企画はよくないと思う。
しかし高知の人は(観光目的であれ)武市と中岡をもっとメジャーにしたいという
気持ちがあるんだなというのは確認できてよかった。

以蔵の銅像が建たなかったのもなによりw
221名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 08:22:23.74 ID:b6dFTTiR0
高知県民は土佐藩を脱藩した竜馬を誇るけど
高知見棄てただけだよね?竜馬空港。桂浜。おかしいだろ?
この手のひら返し。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 08:49:48.94 ID:AG41YNcZO
しかし、武市中岡のレプリカが意外と高くて驚いたwww
高知県民は龍馬を神聖視して他の人見下し過ぎ
武市と中岡みたいな馬鹿を龍馬と一緒にするなとかいう意見には怒りがわいた
武市なんて建てるんなら、以蔵の銅像建てろとか言ってる人もいて呆れた
以蔵と龍馬はあまり好きになれないな
ヲタが痛すぎて
223名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 11:30:26.59 ID:RylA466J0
ID:AG41YNcZO
こいつ本当わかりやすいな。

>>221
龍馬も脱藩したものの仕事がなくなった後は
亀山社中の連中が強盗にでもなりそうになるほど食い詰めて頭を痛めていたところを
後藤象二郎に拾ってもらったんだけどな。
中岡慎太郎たちも野根山23士の決起で身内が殺されていたが
遺恨を忘れて協調路線に入ったし結局は土佐藩に回帰している。
明治維新に土佐藩が貢献できたのは
容堂、象二郎、退助ら藩上層部と
瑞山が育てた勤王党員の龍馬、慎太郎、その他の志士たち双方の働きに拠るものだ。

草莽の志士なんて所詮どこかの藩の後ろ盾を失くせば出来る事なんてほとんどないのさ。
その点で自藩に留まりあくまで藩論を動かそうとする武市の一藩勤王は正攻法だったよ。
ただ形勢が不利になった時も忠義や正攻法に拘ってたらそりゃ死ぬわ。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 11:37:55.32 ID:j9jRvdWBO
自分達に不利な書き込みは全てアンチの自演と決め付けるのもどうかと・・・
225名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 17:20:42.06 ID:c9Arzb8H0
龍馬は結局後藤と協力関係になったのはたしかだが
土佐藩邸に泊まれなくて暗殺の憂き目にあったようだから
むしろ最終的に土佐に捨てられたようなもんかも
一度自藩を出るとその後は心細いものだ
それを思うと武市の一藩勤王計画も一理あるが、どのみち
ちょっと判断間違えば命はなかった時代ってことだな
226名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/05(土) 19:06:59.22 ID:MyUw4PnnO
武市さんは王政復古運動ド真ん中なのがまた人物像の把握を難しくしてる。
中世思想史の知識が必要になるからこの辺の行動原理が伝記読んだだけじゃ分かりにくくてね。
龍馬と尊皇思想に距離を置きたがる小説のイメージとも合わないんで敬遠されがちなんだよね。

実際は龍馬もちゃんと尊皇の志士の一員で、当初はそういう評価のされ方をしていたし
部下の親を朝廷の尊さ・国事に奔走する事の大義を持ち出して説き伏せている。
よって時々言われてる「龍馬ってただの商人でしょ?」という印象も間違い。
土佐の志士に封建社会に対抗しえる理論武装の下地を与えた武市さんの実績が
吉田松陰並みの感化力と評される所以なのかな。

あと薩摩の人に西郷と並び評されるのって最大級のほめ言葉だよね。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 17:52:43.09 ID:iiyDTkOHO
岡田以蔵のイメージならドラマ・司馬遼太郎から入って
本当はどうだったんだろう…?(調べる)⇒まるで逆だコレー!?
と印象が反転した自分もいるよw

はじめは以蔵について落ちぶれたくて落ちぶれる人もいないしな…とやや同情的に思ってたけど
最近はオタが痛すぎて本人まで嫌いになってきたw

松岡司先生に以蔵の話いっぱい聞いちゃった!みたいな事
ブログに書いてる人がいたけど
松岡先生内心ウンザリだっただろうな〜…。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:45:53.84 ID:5vKnCSm90
>>221
高知出身者だが
単に需要があるから龍馬を売り込んでるだけであって、
龍馬に心酔している高知県民なんてほとんどいないだろう。
高知龍馬空港への名称変更の時は、主催者側が自宅に抗議の電話と手紙が
殺到したにも関わらず押し通したと何かの記事で見た。

地元には龍馬、後藤、中岡、吉村や
それこそ天保庄屋同盟の細木庵常にも研究者はいたが、
中でも武市瑞山には一種特別な思い入れを持つ人が多いように感じる。

瑞山に関しては観光利用とか生臭いことはあまり考えず、今まで通り手堅く顕彰されていてほしい。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 22:59:46.57 ID:PDExVUpU0
>>228
幕末全然知らなくて、今回の武市さんにありえないだろ、と思って調べていて
興味深かったのが庄屋同盟
「風林火山」のスタンスなら、この庄屋同盟も描いてくれたかも

>>226
なるほど、>封建社会に対抗しうる理論
としての尊王思想か。これが近代国家の形成に繋がっていく
歴史は点でとらえるものじゃないものな
230名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 00:36:17.85 ID:iILUasHI0
>>190
司馬遼はイデオロギー嫌いなんだ、
まあ単に戦後小説の主人公に勤王勤王言わせにくいのもあったんだろうが。
「汗血千里駒」と「竜馬がゆく」を比較すると
年代によって求められる主人公像とタブーがわかっておもしろい。
武市さんからイデオロギー、つまり国学と尊王思想取ったら
そりゃ天誅くらいしか印象に残らんだろうよ。

>>175のマリアス・B. ジャンセン「坂本龍馬と明治維新」では
ナショナリズムの高まりが明治維新の原動力になった事を忌避せずまっとうに評価してるから
武市さんと、その叔父で土佐藩に尊王攘夷思想を広めたと言われる国学者・鹿持雅澄についても言及されてる。
その辺の事情を踏まえて武市さんについても説明してあるので
ちゃんと偉大なカリスマ的指導者として評価されているのが逆に読んでて新鮮だったな。
武市の主張自体は穏健かつ正論だったが、
その背後にいる者たちは、身分制への不満を抱えた過激な者たちであったとされている。
231名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 01:10:57.39 ID:K57xCVktO
>>201
山村竜也のことか。
ググッたら菊地明と組んでやたら高価な龍馬本出してるなw
坂本龍馬と新撰組の本ばかり書いてる歴史業界の典型的な三流売文家。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 08:56:17.01 ID:UdgJbFmLO
山村みたいなのが一丁前に歴史研究家気取って、大河や歴史系漫画に協力しまくってんだから、日本マジで終わってるな
こういう奴が居るからにわかが誤解するし、武市や以蔵の間違ったイメージが広まってしまったんだろうな
ホントたち悪い…
233名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 19:24:02.83 ID:iILUasHI0
>>208
武市さんそういうのに興味なさそうだしね…。
平井収二郎の写真は子孫が保管していたが空襲で燃えてしまったそうだ…残念。

ところで土佐勤王党員の日記類ってどんだけ出版されてるんだろ?
武市さん以外で知ってる限りだと
史籍雑纂5に収録されてる平井収二郎の隈山春秋と帰南日記
横田達雄氏の再遊筆記・千屋菊次郎孝健日記・樋口眞吉日記「遣倦録 愚菴筆記」・那須信吾書簡
くらいなんだけど。
あと中岡慎太郎は日記、海西雑記・行行筆記が中岡慎太郎全集に収録されてるんだっけ?
234名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 20:53:03.09 ID:UBTmaGeQO
適当に調べた
上岡胆治 憤余管見録
土方久元 回天実記
島村衛吉 道中記
大石弥太郎 獄中記 戊辰戦争従軍日記
坂本龍馬手帳摘要
田中顕助 丁卯日記
南部興夫 七生日録
伊藤甲之助 時々日記
海援隊の手記は面白かった
以蔵にも道中記があったはず
どの本に収録されてるかは巻末の参考文献見て調べると楽かと。
上士の方が日記は多いな
235名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 22:24:04.48 ID:UdgJbFmLO
武市さんはもちろんだけど、大石、平井、間崎辺りの勤王党幹部はもう少し評価されても良いと思うんだ
武市さんといえば、以蔵とセット扱いされがちだけど、ここらの幹部と武市さんとの関係をもう少し掘り下げた歴史小説とかも有って良いと思う
236名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 23:21:17.62 ID:AOGcF1jB0
先日から南国市の歴史民俗資料館で土佐勤王党の遺墨遺品展始まったそうだな
237名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 02:28:03.50 ID:eitrDnMsO
こいつ本当に史家なのか?このデタラメっぷりで良く金取って講演できるもんだwww
全体的に知識浅すぎで詐欺レベル
武市と以蔵の所酷すぎ
武市の書簡もまともに読んで事無いのバレバレだし恥ずかしい奴www
ttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/mytop?bid=ooideshin&ySiD=cg11TXdegwN6R.8UckK8&guid=ON
238名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 10:48:39.62 ID:Z8A6K8+F0
http://www.ryoma-furusato.jp/calendar/data/evcategories/hero

今年のイベントカレンダー
こうしてみるといろいろやるんだね
239名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 17:04:39.65 ID:kmbC/HmtO
>>237
トップに飛ばされて読めないが?
240名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 18:34:39.18 ID:eitrDnMsO
>>239
間違えたスマン
こっちね武市で記事検索でよろしく
ttp://blogs.yahoo.co.jp/ooideshin/MYBLOG/yblog.html
酷すぎて泣いたよねこれで史家って名乗れるもんなんだね
241名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 18:53:03.15 ID:GZbZOMv10
>>235
それいいねー
龍馬伝で、間崎の間の字もないのは、結局、これという歴史小説がないことに尽きるよな
とはいえ漫画をパクって、大河でござい、はない
負の連鎖が続くな
242名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:13:54.33 ID:kmbC/HmtO
>>240
なんだ、ただ司馬遼太郎とネットで調べた話を鵜呑みにしてるだけじゃないか。

悪質なのは文献に当たって調べた上でなお、
史伝といいながら恣意的な引用をし、イメージにそぐわない部分はわざと省いて
無理やり捏造したストーリーを押し付けようとする菊地明みたいな奴だ。
こんな奴に自分の出版した資料を引用されては横田氏もたまったもんじゃないだろう。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:22:40.06 ID:eitrDnMsO
>>242
でも、史家名乗れるレベルじゃないのは確かだろ?
恥ずかしくないのかね
金取って講演出来るようなレベルでは決してない
収二郎についての記事よめばわかるけど500円(笑)
244名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:40:27.85 ID:kveLiHqm0
これは本当にその山村何某氏のブログなのか
ちょっと信じがたい記述があるんだが
レキジョとかその類ではないのか

>>242
同意。もっとも悪質なのは、史料を踏まえながら虚構を史伝とあらわすことだ
これは罪が深い
245名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:46:28.84 ID:eitrDnMsO
>>244
山村では無いと思うが歴女でも無いかと
京都の歴史研究家かな?(研究家なんてレベルに達してないから自称?)
しかしこれで金取るとかなんという詐欺…
246名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 20:49:31.06 ID:bGS1rv7Z0
>>178
>原典を虚心に精読するを怠り、又、原本に還りて臨場思考を繞らすを疎かにし、
>甚だしきに至りては、孫引きを以て足れりとし、
>又、己が好悪、先入観を証するに足るをのみ抄引して論をなし、文を章するは、
>我が国、史家・学者・評論家・ジャーナリスト、否、殆ど我が国人総てを通じての弊と謂うに幾し。
>吾人の右の“以蔵毒殺”に寄せる推理は、形、些事を論ずるに似て、
>その実、根幹と倣すべき右の通弊への痛烈なる批判の一にして、
>素より吾人の称する“文化”への“評論”に値するは言を俟たざる処。

いいこと言うねー。歴史研究に携わる者が当然持つべき心構えだと思う。
横田氏が自著に、瑞山に美化なんて必要ない、美化せずとも傑出した素晴らしい人間だったのだから
みたいなことを書いてたけど、去年遺品・手紙展に行って生史料に触れて
やはり人の上に立つ器の人だったんだなーと実感させられたよ。
今年もまた行きたい。
というか去年の〜拝啓お富どの〜と同じ構成でまたやってくれないかな…。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/08(火) 21:37:07.56 ID:NgpvZ5Vo0
>>243
史家でブログやって講座案内してるのは何人か知ってるけど
皆プロフィール(著作・筆名・出身大学等)をきちんと公開してる
それをしていないようなのはドコ馬のホネ
(公開してる立派なセンセイでもガッカリなのいるけどね)
この人の書き方じゃ講師が誰なのかすらわからないし
どうせろくなのじゃないから気にする必要もなかろう
248名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 04:02:05.39 ID:rcFdAolb0
この人は結局何をしたのかよく分からない
竜馬の友達ってくらい
249名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 11:20:10.17 ID:MNOb3nFEO
水木しげるのアシスタントが武市の子孫の協力で書いたらしい劇画武市半平太伝って良いのかな
ゲゲゲの女房と龍馬伝に便乗して出しましたって感じがプンプンするんだけど
250名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 12:28:40.29 ID:pZWtgItrO
>>235
勤王家を主人公にした歴史小説っていうと
「夜明け前」くらいしか思い浮かばないな。
平井収二郎は紫欄の他の小説で主人公になっていた気がする。

武市先生が愛妻家だとか毒を盛ったの盛らないのの話なんて実の所どうでもいい些末な話なんだよ。
(勿論妻とのエピソードは微笑ましいが)

明治維新における「文明開花」と「王政復古」という正反対の要素を踏まえて
あの時代にどういう働きをした人間なのかを語られるようになってほしい。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 13:02:52.45 ID:JJK92Ih5O
劇画・武市半平太伝なる本の存在は何ヶ月か前に知って
読んでみたくなったので、近くの大型書店にも問い合わせてみたが
入荷記録すらなかった。高知限定発売とかか?
その本の事は完璧に忘れていたが、上のレスで思いだしたので、
取りあえず、近いうちに国会図書館にでも行ってみよう。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 15:18:24.93 ID:MNOb3nFEO
紫欄の出した本を元ネタに使った司馬は、龍馬を主人公にした話は書いたのに、何故収二郎を主人公にした話は書かなかったんだろう
そうすれば収二郎が英雄になっていた可能性も有ったというのに…
>>251
TSUTAYAで通販できるみたいだから、限定発売では無いと思う
253名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 15:19:29.97 ID:3b7rJfc70
便乗なら、横田先生の本重版してほしいよ
254名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 17:10:18.94 ID:uo4yK6ij0
◆桂浜での誘客イベント「土佐勤王党再結成」についてのご意見募集!
http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/020101/tosakinnoutou.html
高知県観光課必死過ぎワロスwww
>7 関連企画
 >時代を超えて再会を果たした3人がこんなことを話すのではないか、こんなことを話して欲しいと言う内容を
 >全国から募集し、発表する企画を予定しています。
だってさ。
関連書籍の再版希望者はダメもとでメールでもしてみれば?

しかしこの三人が集まって何話すのかねえ〜
255名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 21:35:16.46 ID:sgTOI71I0
必死で笑えないよ
この経済状況下、地方自治体はどこもあっぷあっぷなんだから

武市先生が今生きてたら…やっぱり高知の活性化について話すのかな
昨日、ラジオで高知の現在の人口知った。最も田舎だと思ってたうちの約半分。
幕末に、これだけの人材が出てきたのは何故だろうね
256名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 21:45:09.24 ID:MNOb3nFEO
勤王党再結成以前に、何故高知県観光課は吉村を抜かすのだろうか?
どうせなら、四天王揃えた方が良いのに
257名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 22:30:20.18 ID:uo4yK6ij0
>>255
なんか当時の統計をみると
薩長土肥とも人口が特に増えてるんだってさ。
んであぶれた下級武士の次男坊三男坊とかが
田舎で腐って終わるより国事に情熱を燃やして死にたい、みたいな
リスクのある生き方を選んだ背景があるとかないとか。その割には大黒柱の参加が多いけど…

土佐藩は封建社会の息苦しさ+山内家がきてからこっち歌舞伎場や遊郭も禁止されてるような
禁欲的な土地柄に嫌気がさした若者が多かったんじゃないかな?
なんか勤王党員の言動録見てるとそういう傾向を感じないでもない。
起爆剤になったのは黒船来航&安政の大獄での容堂公処分だと思うけどね。

あと横田達雄「『武市半平太』批判〜ある草莽の実像〜」だけは土佐史談会から通販できたと思う。
横田氏の本は基本私家版で重版とかできないはずだけど、なんとかならないのかね。
私も『武市半平太と土佐勤王党』『武市瑞山獄中書簡 妻及び姉・妹あて』が欲しいよ。
特に『武市半平太と土佐勤王党』の在京日記研究は神。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:04:35.64 ID:aDvpg0dn0
横田氏の「『武市半平太』批判〜」はamazonで買えるはず
吉村虎太郎は他3人に比べても知名度落ちるからなあ。
せっかく桂浜で吉村虎太郎展やってるのに。土佐四天王という言葉が
どれだけ浸透してるかも怪しいものだ。
龍馬中岡武市板垣だと思っていたという人も見たことある
259名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/09(水) 23:58:07.75 ID:MNOb3nFEO
板垣は確かにわりと武市寄りの考え方だったけど。吉村…orz
せめて龍馬伝に出とけば扱いも違ったのかもしれない
260名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 08:47:41.01 ID:58qAiDQHO
中岡や武市な何だかんだでそれなりの知名度がありそうだが、
吉村にはなかなかスポットライトが当たらないな。
大河でもあれだけスルーされるとは思わなかった。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 09:43:25.44 ID:iferSjJw0
>>259-260
第13話「さらば土佐よ」で名前だけは出てたけどな。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 15:56:04.08 ID:qyC+2PII0
朝食のよもやま話でね

でも完全スルーか出番少な!の方が幸せなのが大河
武市さんはなまじディレクターの気に入り役者だったために、あんなことに…
263名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 20:55:38.25 ID:wKQltaIl0
>>254
再版に限らず、観光アピールとして出版事業に力を入れるのはいいかもしれない。
思想的な指導者だった武市と理論家として優秀だった中岡、
龍馬ほどわかりやすいアピールポイントには欠けるんだが、
二人の良さがもっと理解されるようになるといいんだけどね。

でも>>251の本のレビューを見たが、新撰組とバトルする武市先生とか
そういうのが見たい訳じゃないんだ…
なぜ武市先生があれほど慕われたのか、
身分の低い勤王党員たちが勤王思想に託したものは何だったのか、
その辺を掘り下げて欲しいなあ。
264名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 21:34:45.89 ID:Zrk3Tst9O
劇画武市半平太伝のレビューそんな事書いてあるのwww
新撰組とバトルするのは以蔵とかでいいだろ…や、気にならないといえば嘘になるが何故武市さんwww
武市さんの思想面をもっと書い欲しいな
265名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 22:01:26.62 ID:/ZxapyEdO
>>256
結局吉村虎太郎の伝記は平尾道雄氏の一冊だけなんだろうか。
高知人(経歴見ると地元の名士的な一般人らしいが)の出した
「獄窓の武市瑞山」って本を以前読んだんだが、
当初武市&吉村の切腹討死にコンビで一冊書く予定だったのが
横田達雄の獄中書簡集に思いの外興味を惹かれてテーマを書簡集解説に変更したという記述があった。
その後この人が吉村の伝記を書いた形跡は無し……。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/10(木) 22:24:25.39 ID:+z9sHmGo0
>>265
天誅組に関する本なら検索するだけで読み切れない程あるのに
虎太郎の伝記は平尾氏と故郷の東津野村が出してる本くらいか?
平尾道雄の天誅組烈士吉村虎太郎1冊でも詳細でかなり勉強になった
虎太郎自体、死後は英雄扱いでかなりの人気を誇っていたようだが今はry
267名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 08:19:20.39 ID:1DYrPN8C0
>>262
>朝食のよもやま話でね

あと沢村惣之丞との会話の中で出てきてたよ。
268名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 12:09:01.58 ID:VhRTn+k7O
武市さんって本当にイケメンだったの?アギアギ言われてるから本当は不細工だったんだよね?
269名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 13:35:06.05 ID:h4/IXX1C0
>>268
“すらりとした長身。顔は青白いといっていいほど白く、鼻が高く、顎の張った骨っぽい表情。その表情は、滅多なことでは動かず、目に尋常ならぬ鋭い輝きがある。
ひとたび口を開けば、音吐高朗、人の肺腑に徹する。人格、また高潔、一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった。”
“小楯、深沈寡黙、頗る風采に富み挙止、人を服せしむるに足る”
と言われているので男前だったんじゃないか。
まあ役者風の優男ではなかったと思う。

雰囲気が似てる似てるといわれる西郷隆盛も
実際は男ぶりのよさで褒められていたらしい。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 13:56:10.11 ID:VhRTn+k7O
なるほど、顎がはってて、骨っぽいからアギだったのか
男前だったのは確かみたいだね
俳優で例えるなら北村一樹みたいな感じだったんかな
271名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 14:40:51.65 ID:3JE66Nor0
武市さんは加藤剛みたいな感じだったのでは、と思っている
272名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 16:38:47.79 ID:mkQ/ZWi5O
瑞山神社の記念館(?)に肖像画が二枚飾られているが、
一方は一番有名&書籍・ネットでもよく使われている肖像画で、
もう一方は背景が黒く、前者に比べて顎が長く面長な感じの肖像画。
俺は後者の肖像画の方が似てそうな気がするが、
この肖像画は書籍でもネットでも殆ど見ない。
武市ファンの中でも、この肖像画は見たことない人が多いかも。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 18:08:09.99 ID:VhRTn+k7O
ネットで武市の肖像画を写真だと思ってる人がいておいおいって思った。
あと、マジで以蔵ヲタって、司馬とそれに影響を受けた創作のせいで歪んだ史実(笑)を本当の史実だと思い込んで武市叩いてる連中ばっかりなんだなうんざり
274名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 22:27:50.18 ID:gHsnV7Au0
別に以蔵オタなんてどうでもいいさ。
自称研究者がブログに司馬遼ソースの話を書いてるのも、
気になるなら直接コメント欄で指摘してくればいいだけの話だろう。

でも菊地明の史伝岡田以蔵はダメ。あれはやってはいけない書き方をわざとやっている。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 11:09:18.25 ID:eMM+3J+o0
武市が生き残って明治政府の高官になっていたら、
幕末の暗殺歴がかなり問題にされていたのでは。
(特に遺族から)
276名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 15:06:11.52 ID:b3xrHEr4O
他の政府高官の暗殺歴も調べてから出直してきなさいwww
277名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 15:14:08.09 ID:Cqj9oZrnO
>>275
伊藤博文や他の奴らだって暗殺に手を染めた事あるってのに、何を言っているんだねww
278名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 19:51:01.89 ID:ncnBd3eM0
だから武市も伊藤も哀れな最期だったんだなぁ
279名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 21:28:38.94 ID:up3FMwbR0
>>275
別に武市が暗殺した訳じゃなし
吉田東洋暗殺は身内同士が和解済みだしな
そもそも維新志士で楽な死に方できた人間はあまりいない
あと敵討ちを始めると双方キリがないので維新後禁止されてたんじゃなかったか
280名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 19:04:33.63 ID:qJcfKNC1O
>>228
細木庵常と鹿持雅澄は親しい友人同士だったそうだ。
鹿持の方が11歳ほど年下になる筈だがやはり影響があったのかな。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/14(月) 23:12:38.24 ID:1AoqzENI0
天誅組とはなんだったのか
282名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 10:23:20.24 ID:kcb6OsBv0
こんなのあったよー。

志士の遺産 土佐勤王党結成150年
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1293801306268_02/index.htm
283名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/15(火) 22:42:31.63 ID:g7mX05njO
>>273
あの写実的な方の肖像画、割と似てるらしいんだが
誰が似てるといったのか気になる。

ところで月形半平太はお富さんには評判悪かったらしい。
「うちの人はこんなんじゃない!」みたいな感じでw
確かにあんな遊び人風伊達男じゃないわな、
京で絽の肩衣着ただけで照れてるような質実剛健な人だったもの。
284名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 03:07:33.68 ID:2eDAcrnyO
写実的な肖像画は2〜3枚あった気がするが、
「そっくり」と言われたのは、その内のどの肖像画なん?
285名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 21:27:44.53 ID:L1kGgneg0
>>282
>>136にも貼られてる。
勤王党員他にもいっぱいいるけど、これもう更新無いのかな。

庄屋と郷士って最初は不仲だったんだな。
何時頃どういうきっかけで和解したんだろうね。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 22:02:07.27 ID:8AV3lenzO
勤王党関連の本を色々調べてたら
昔の本では龍馬と慎太郎がよくセットで扱われてるのな。
今ではすっかり龍馬のオマケ扱いが板について…
287名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 09:10:57.77 ID:P8ZYSiCI0
288名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 10:28:31.31 ID:RUpfxBctO
龍馬伝は酷かったけど、瑞山記念館が改修されたり、良い効果も有ったようで喜ばしい限り
この調子で今まで付いてた悪いイメージも吹き飛ばないかなぁ…
横田先生の本も手に入らなくて悲しいからこの機会になんとかしてくれれば良いのに…
289名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 11:50:54.73 ID:C4+xzBKB0
>>287
すごい綺麗になってるwwwww
前は納屋みたいにボロかったよね。
高知はやる気なんだな…桂浜三位一体像設置とかちょっと迷走してるけどw
出版事業にも力を入れてくれるようお願いしたい。
書簡集欲しい〜〜

amazonで数日前まで書簡集が18000円で売られてたけどもうない…買った人いたのか?
瑞山関係文書は高いけど買うの自体は難しくない。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 21:05:48.26 ID:3ms+6ukIO
桂浜のレプリカ騒動だが…
中岡&武市像のレプリカを後方にズラす事でひとまず決着したと聞いたけど
なぜ後方にズラす事=解決となるんだ?
291名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 21:59:11.66 ID:AXWqngdEO
>>287
初公開の絵か。前にお宝鑑定団で見つかったヤツは個人所蔵のままなのかな。
良い絵だったからゆくゆくは博物館でも見られるようになって欲しいな。
ところで幕末土佐藩の絵師・金蔵(絵金)は武市先生に絵を教えていたことがあるらしい。

>>290
東北地震に配慮して無期延期だとさ。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 16:02:50.46 ID:k3KZ5PD+0
今日の毎日新聞でもニュースになってる。

瑞山記念館:リニューアル 「国への熱き思い感じて」−−高知 /高知
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20110317ddlk39040481000c.html
>土佐勤王党の盟主、武市瑞山(1829〜65)の業積を紹介する瑞山記念館(高知市仁井田)の改築工事が完了し、
>16日、関係者らに公開された。一般公開は17日。
>同館は昨年の大河ドラマの影響で、例年より10倍近い観光客が訪れた。建物の老朽化が進んでいるため、
>昨年10月から地元の有志らでリニューアル実行委員会を立ち上げて寄付を募り、
>1月から改修工事を行ってきた。総費用は900万円で、県と高知市が725万円を負担した。
>瑞山が20歳ごろに描いたとされる美人画の複製や瑞山の家系図など28点のパネルなどが新たに展示された。
>同実行委員会の大野加恵さんは「瑞山だけでなく、土佐勤王党の人たちの国に対する、熱く切ない思いを感じることができる。
>ぜひ訪れてほしい」と話している。

旧記念館の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Y4khhsH4pa4


293名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 20:04:44.06 ID:R2ck6u0TO
例年の10倍って、大河の影響で、瑞山記念館にも人がそんなに来てたのか…
散々な扱いだったのに凄いな
294名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 13:42:15.94 ID:tOzrD+MR0
「半平太まつり」とかもやってるのか・・・
そういえば吉田松陰もしょういん君とかいう着ぐるみになってたっけな

だが以蔵までPRキャラクターに加えるのはやめて欲しい
こいつを美化するのは真剣に生きた他の志士達への冒涜だ
295名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 14:41:04.04 ID:wfYHDVWfO
以蔵の美化については、ドラマや小説などで美化された以蔵を史実だと思ってるようなヲタがわんさか居るため、高知的にももう引っ込みつかなくなってんじゃねーの?
墓に来る人が絶えないような人気もあるから、下手な扱いも出来ないんだよきっと
296名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 16:08:25.48 ID:IDrtBsnSO
>>295
せいぜい勘違いしたアホなオタが以蔵の墓に酒掛けて変色させていく程度で
岡田が人気だから配慮してどうこうってわけでも無いと思うがどうなんだろう。
これまで子孫が名乗るのを憚るくらいマイナスイメージも強かったわけだし。
その子孫も人斬りに対してのマイナスイメージだと思っていた様だが
実際は人斬りは英雄視される行為で、ドロップアウト+自白という裏切り行為のため
仲間から良い評価をされなかったというだけの話だ。

単に一次史料にあたって徹底的に調べた文献が横田達雄の難解かつ入手困難な私家版本しか無いから
詳しい話は地元の人間も殆ど知らないだけじゃないのかね。
>>8の話も大河中から見掛けるようになったがもっと広まるといいんだけどな。
297名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 17:16:05.79 ID:MlrIIEfOO
以蔵が美化したい奴らが、
武市や懸命に拷問に耐えた勤王党員を
躍起になって貶めようとするのは我慢ならないが
以蔵に関する悪い噂が広まり過ぎて、
以蔵の子孫の方々が再び肩身の狭い思いをするのも、
何か気の毒ではある。
298名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 18:35:33.02 ID:IDrtBsnSO
事実と真逆の話がまかり通ってる方が問題だ。

ただの先祖の話なんだから別に知った所で気に病むような話でもあるまい。
岡田が裏切り者の堕落漢だと事実その通りに認識されたからといって
その子孫がどうこうなんて歴オタも言わんだろ。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 20:18:51.72 ID:wfYHDVWfO
むしろ真実が真実だと認識されずに、武市の子孫の方々が肩身狭い思いすることの方が問題な気がする
名字が武市と同じってだけでも、武市って名字だけあって性格悪いwwとか言って叩くような奴が居るくらいだ
子孫となればどんな嫌がらせされる事やら…
300名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 01:04:24.67 ID:2rg6/O3W0
>>299
いねーよそんな奴w考え過ぎ。
しかし人の家の墓に酒かけるなっつーの。岡田がDQNならファンもDQNだな。
ま、ここでゴチャゴチャ話されても子孫にとっては余計なお世話だろうが。

ところで瑞山は天誅反対派だと高杉が言った話は何が出典だったかな。
外国人襲撃計画の時に久坂とのやり取りの中で出た話なので
武市関連の記録の方には収録されてないと思うが。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 13:25:25.28 ID:7JqiHsITO
>>296
横田氏の本凄いよね。
獄中書簡集作成のために真跡から調べなおしたんじゃなかったっけ。

岡田の毒殺がどうとかは歴史的には躍起になって否定するような問題でもない些細な話なんだけど
菊地明の本に代表されるアホな以蔵オタの物言いがやっぱ腹立つんで
何とかわかりやすくアピールしといて欲しかったな。

松岡司氏の講演に行った事があるけどドライな人だったよ。
「その話はね、出典がないんですよ〜」と地元のお爺さんの夢をちょっぴり壊してたっけw
その松岡氏が自著で
以蔵なんて龍馬にも見捨てられたんでしょーよ(まあ時系列的には多分そうなんだけど)
とか言っちゃう位だから色々腹に据えかねてたんだろうなぁ…。

ところで勤王党展に木村幸比古が講演に来るんだね。行ってみたいなぁ。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 20:14:19.59 ID:CuigBdZtO
木村幸比古って大丈夫なの?
新撰組と龍馬の本ばっか出してるみたいだけど
この人も、以蔵age武市sageするんじゃないの
勤皇党展で流石にそれはないか
303名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 08:07:30.20 ID:PJs8kZblO
>>302
さあね。
霊山歴史館の学芸員主任とかじゃなかったか。
あそこは幕末ファンのメッカだから龍馬と新撰組絡みが多いのは仕方ないさ。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 16:43:11.54 ID:pnKv7MAp0
龍馬?新撰組?、そりゃ幕末ファンではなくて
司馬遼ファンだろ、とツッコミたくなるのは自分だけか
305名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 21:10:41.04 ID:hzwgIxQq0
司馬遼準拠にすると客を呼びやすい。
実は新撰組って白色テロだろ、は言わない。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 21:35:32.27 ID:EfuFKV4xO
龍馬、新撰組、以蔵のヲタで武市アンチって奴は間違いなく司馬ヲタだろうな
307名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 22:15:48.06 ID:L6AHYgI40
>>302
>木村幸比古
>京都市出身。幕末維新ミュージアム霊山歴史館学芸課長、岩倉具視対岳文庫長。
>平成17年7月から高知県観光特使に任命されている。

>>306
もう司馬小説なんて読んでない世代も多いんじゃないか。
最近のゆとりはネットで調べた話を鵜呑みにしてるだけだろ。
その辺抜きにしても勤王思想そのものが忌避されてる以上、武市先生の評価が難しい事には変わりないよ。
しかし当初は新撰組は創作物で悪役だったのにすっかり逆転したもんだw
308名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/21(月) 22:43:09.37 ID:OFg3Txs0O
龍馬博か何かのイメキャラに、武市・乙女さん・以蔵が加えられてたな。
拷問に屈して自白した以蔵を、その一点をもって非難する気にはならないが
(自分が以蔵の立場なら耐えきれる自信は無いからな。むしろ厳しい拷問に耐えきった勤王党員が凄い)
実像とは真逆なイメージが流布され、以蔵人気が高まった現状にはやはり違和感があるわ。
テレビドラマで以蔵を演じる俳優は
反町隆史だの長瀬智也だの佐藤健だのと
若いイケメン率が高いのも、以蔵人気の一因か?
309名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 01:19:12.91 ID:aXPpZLS40
>>308
司馬以蔵のルサンチマン的なテーマ設定が上手くハマったのが大きいだろう。
龍馬も思想から切り離されたイメージを作ることで再び人気を得た。
あまり以蔵の愚痴が続いているのも不毛だと思うのだが
以蔵は自白以外にそもそも身を持ち崩してホームレス化した挙句に最悪のタイミングで捕まった事が不味いし
武市が天誅禁止令出した後も人殺しとる様子なのがまた良くない。
完璧にただの犯罪者だ。

木村幸比古の公演なら京都に関連して
在京時の公家との折衝と天誅の解説みたいな内容になるのかな
どんな内容か聞いてみたい気もする
310名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 13:39:53.72 ID:xMCJTZM8O
天誅禁止令出された所でもう止められない程天誅に依存してたんかな以蔵は
人斬り自慢してたらしいから、天誅で名を売り英雄視される快楽に酔ってしまってたって事かね
以蔵に政治的な能力があったらまた違ったのかな
311名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:09:15.17 ID:xMCJTZM8O
ところで、瑞山記念館の入り口のガラス割れてたんだけど、間違いなく以蔵ヲタの仕業な件
これだから以蔵ヲタは大嫌いだ
312名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 00:57:06.66 ID:YJReohEv0
>>311
ちょw関係ないだろw
行ってきたのか、どうだった?
313名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 04:44:48.22 ID:WMWtDlG4O
何を根拠に以蔵オタって勝手に決めつけて一人で怒ってるんだお前はwww怖いな
そう以蔵を目の敵にして逆に武市オタうぜーって思われるぞ。わざとか?
314名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 12:42:23.05 ID:Vffx9/y+O
>>313
そいつは以前からこのスレに粘着して、
ネチョッとしたレスをたびたびしていた例の奴だろ。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 16:20:34.48 ID:MDiXlg/80
さっそく行ってきたんならレポートの一つでも書けばいいのに
非生産的な
316名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 22:25:43.47 ID:GJKfmcB0O
お龍の妹も勤王党員と結婚してたんだな。
こっちは土佐に骨を埋めたのだろうか。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 13:33:08.57 ID:VZDpTyq30
>>316
千屋寅之助か?
米国留学後福島に入植したそうだ。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 21:57:36.99 ID:OOJk95clO
>>317
福島か…
流離譚によると安岡家の本家も向こうに移住したらしいが、
子孫の方も無事だといいな。

戊辰戦争〜新政府入植〜自由民権運動と土佐⇔福島は以外と接点が多い。
龍馬と慎太郎暗殺命令を出したのも結局会津藩主だったらしい。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 14:18:01.81 ID:UyLwUZJM0
坂本家子孫で龍馬研究家の土居晴夫氏によると
お龍は竜馬の正式な妻ではなく妾みたいなモンらしい。
どゆこと?
320名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 20:06:14.75 ID:F06k/5P6O
武市の三文字切腹って史実なの?平井の十文字は龍馬が手紙に書いてたらしいから史実みたいだけど…。
武市に関しては衰弱し過ぎて手が動かないで、何度やっても駄目で、最終的には腹を裂いて欲しいって頼んだんだって言ってる人も居たんだけどどっちが正しいのかな
321名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/25(金) 22:29:01.19 ID:l4sJSd0k0
>>320
牢番&介錯を担当した島村寿太郎の話が残ってたな。
立ち会った上士の誰かも
役人の袴にまで血飛沫が飛び散るほどの凄まじい切腹振りを誉めていた気がする。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 00:03:09.05 ID:TSlelXgk0
日本の少なくとも江戸期は戦もなく平穏に過ごしてきている
平和ボケでもおかしくないのに、武市先生はじめ志士の切迫感、胆力は
どっからきたんだろうね
11日からこっちの日本人みても似た感想を抱かざるをえない
323名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:20:53.26 ID:3P4ybXNxO
>>320
じゃあ史実なのか…凄いな先生…
つか、そんな話が残ってるのに、弱ってて切腹出来なかったって説は一体何処から出てきたのかな。
武市さんの事を冷酷とか残忍とか言ってsageてるような歴史家ですら三文字切腹だけは外してないのに、そんな説が出てくるのがわけわからん
324名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:24:42.05 ID:3P4ybXNxO
>>321だった
レス番間違えた…orz
325名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 10:57:30.19 ID:MGIE7hSpO
>>228
細木庵常関係文書ってのまであるのか、記録がまとまって残ってる人なんだね。
土佐藩の勤王思想って庄屋さんから武士まで深く広く浸透してたみたいだけど
幕末においては武市さんがその代表的な存在…というか精神的な指導者だったのかな。
勤王党員の間では武市さんの感化が大きかったって言われてるみたいだし。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 11:06:59.93 ID:3P4ybXNxO
板垣や谷辺りの上士も武市の思想には共感してたらしいね
小南は武市と一緒に政治活動してたし
民部は獄中の武市さんに歌まで送ってるし、
下士だけではなく、幅広い層から慕われていたのは間違いなさそう
327名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 21:52:14.63 ID:3P4ybXNxO
平井は優秀だったけど、井上佐一郎の暗殺の首謀者だったり、長州の家茂襲撃計画に加担して党員送り込んだりする過激な所があったから、生き延びても結局池田屋事件あたりで死んでたような気がする
328名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 09:03:21.51 ID:28uU4Is70
瑞山記念館に行って来たんで軽くレポ。
・入り口向かって右側のガラス戸は修理されておりました。
・土足禁止。スリッパ履いてね。
・公設ではないようなので協力金100円入れましょう。
・とにかく綺麗になったなぁという第一印象。
・展示物等は写真に撮っちゃ駄目。
・記念館前の桜の蕾が大きくなっていたので今週末くらいが見頃ではないかと。


ついでと言ってはなんですが、樋口真吉の本が発売されたようです。
内容を未だ読んでいないので何とも言えないのですが報告まで…。
http://shinkichi-ikou.net/
329名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 17:21:23.35 ID:n//4niwRO
>>328
レポ乙
他の勤王党員も地道に研究が進んでるみたいで何より。

ところで「中岡慎太郎公式HP」ってのがあるんだね。
北川村が中岡をアピールしたい気持ちがヒシヒシと伝わってくるw
330名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/29(火) 11:56:09.49 ID:ekl0Uqn90
県の重要文化財に指定されてる安岡家住宅
http://www.geocities.jp/tel6988/yasuoka_ke_zyuutaku.htm

資料が大量に残ってると調べるのも大変だな
331名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/29(火) 13:18:18.79 ID:gZnYEvMu0
>>330
国指定重要文化財だろ、と一応突っ込んでおくw

「流離譚」を読んで訪れると感動もひとしお。
中を見たい方は一般公開日に合わせて行くと吉。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 10:34:22.24 ID:NZuD9Zi4O
>>331
間違えたスマンw

公開日は1、3、5、9、11月の第四日曜日のみ
公開時間は10時〜14時までだそうな(駐車場有)
333名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 21:40:30.33 ID:wVMyk97v0
>>328
情報サンクス
>「龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝」
>◎置いてる呑み屋/ザ・サンセット・ライブラリー
呑み屋!?

吉田元吉(東洋)没 149周年祭
日時/平成23年4月8日(金) 19:00?
場所/ザ・サンセット・ライブラリー 2F「樋口真吉の間」
   高知市帯屋町1-15-6 822-0785 元吉マスター
講演/南寿吉 「吉田元吉暗殺と大石団蔵等のその後」

というのもあるらしい。
「樋口真吉の間」とか土佐はどこへ行こうとしているんだ…。
でも大石団蔵は気になるな。
幹部メンバーの大石弥太郎の親戚だったよね確か。
334名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/30(水) 23:49:32.80 ID:NZuD9Zi4O
>>333
高知らしいw

団蔵は薩摩の子になって留学して教師になった吉田東洋暗殺犯唯一の生き残りだったよね。
この人もたいがい波瀾万丈の人生だな。
維新後気まずくて土佐には帰れなかったそうな。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 10:37:07.93 ID:C18z73zs0
>>333
リンクから飛んで地図を眺めつつ・・・
http://maps.google.co.jp/maps/ms?ie=UTF8&hl=ja&msa=0&ll=33.560887,133.538609&spn=0.002544,0.004587&z=19&brcurrent=3,0x354e1937bed812db:0x9cdf38d606ffb1d3,1&msid=202257896975067668968.00049f58526af6f5166c5

その呑み屋の場所って吉田東洋邸のあったところの近辺じゃね?
と「改訂版 高知城下町読本」を本棚から引っ張り出すw
336名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 15:26:04.49 ID:8UPERFiN0
>>328
>ついでと言ってはなんですが、樋口真吉の本が発売されたようです。
>内容を未だ読んでいないので何とも言えないのですが報告まで…。
>http://shinkichi-ikou.net/

文久二年閏八月十九日夜の京都木屋町丹虎に於ける土佐勤王党の秘密会議に「樋口眞吉」は参加しているのだが、
その南先生は、そういった事実を御存知ないままに本(樋口眞吉伝)をお書きになられているのではないのか・・・。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 17:13:46.90 ID:L7ndSkpa0
配下の者が吉田東洋を暗殺した身なのだから、
土佐藩の中心に自ら立とうとせずに、
誰か他の上士を祭り上げておけば、
死なずに済んだし、もっと仕事できていただろうな。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 20:06:34.34 ID:OuG8e2ymO
>>337
たとえば誰?思想が近い板垣辺り?
339名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 20:20:58.99 ID:Y31E/bCEO
退助や小笠原も勤王派だけど武市のグループとは相当仲悪くね?
五十人組時代の中岡は臨時組の乾の命狙ってたようだし
退助は「俺らの仲間が危害加えられたら真っ先に武市を殺そうぜ」と言って武市にドン引きされてる
勤王党弾圧には嫌気がさしてさっさと江戸で兵学勉強してるけど
340名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 23:52:09.78 ID:OuG8e2ymO
>>339
その後和解したんじゃなかったっけ?
結局武市が死んだあと、中岡は板垣と組んでるしな
341名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 10:34:54.62 ID:dFN9B17E0
>>337
平井善之丞、小南五郎右衛門とか。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 12:45:30.51 ID:rA9qLaMSO
>>341
でも、その二人はリーダーって感じじゃなくね?
343名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 12:47:31.39 ID:lJAbZ9Ut0
谷オ太郎恒誠 土佐勤王党血盟同志 (血盟三七番 馬廻末子)
宮川助五朗長春 土佐勤王党血盟同志 ( 血盟八四番 馬廻)
一瀬源兵衛正藩 土佐勤王党血盟同同志(血盟一八六番 留守居組 妻は武市半平太夫人富の妹)

渡辺弥久馬(御近習目付-土佐藩家老) 小南、平井(善)同様、土佐勤王党の活動を裏から支えた影の功労者
344名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 12:51:48.65 ID:lJAbZ9Ut0
訂正
>>343
一瀬源兵衛正藩 ×血盟同同志 → ○血盟同志
345名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/02(土) 10:40:30.12 ID:RajV7Y7Q0
346名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/02(土) 13:01:05.05 ID:lhuOGn/k0
>>345
これは初出じゃないかな。二十三士は大河でもスルーされちゃったね。
純粋に鬱イベント以外の何物でもないから仕方ないけどさ。
副首領の清岡治之助も猿の文吉殺害で阿部多司馬・岡田以蔵と一緒に天誅してた人だったよね。
それがあんなことになってしまって…。
以外にも清岡道之助の方ははインテリタイプだったらしい。
347名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 08:45:30.58 ID:xcS1R7nHO
別にインテリでも過激な人は居るだろう
平井収二郎とかその典型
348名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 12:32:05.14 ID:fLHhpOC+0
>>336
>文久二年閏八月十九日夜の京都木屋町丹虎に於ける土佐勤王党の秘密会議に「樋口眞吉」は参加しているのだが、
>その南先生は、そういった事実を御存知ないままに本(樋口眞吉伝)をお書きになられているのではないのか・・・。
ん?どういう事?
HPの年譜にその事が書かれていないって意味?
349名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 19:58:23.16 ID:4eoRwE350
西部幡多郡の勤王党の親分は、なんや玉置浩二といかりや長介を足して2で割ったような顔しとんね。
よう見かける戊辰戦争凱旋時に撮られた記念写真、不敵な面構えが凄く魅力的。肩の錦布も光っちゅう。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 20:58:50.43 ID:+wl2xsrsO
三年くらい前だったか、
ある政治家がインタビューで、今後の政界再編の可能性に関する質問を受けた際
「もしそういう事態が起こっても、自分は土佐勤王党の武市半平太にはならない。
もしやるんだったら、坂本龍馬の薩長連合だ。政界の主流となる大勢力を作りたい。」
みたいな事言ってたけど、この人は武市半平太をいささか誤解してないか?
351名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 21:46:39.97 ID:xcS1R7nHO
武市を誤解してる連中なんて山ほどいるから今さら別に…
暗殺大好きな権力主義者の身分差別野郎だと思ってる連中も沢山だしな
武市は長曽我部側の子孫だから土佐では立場弱いし、身分差別なんてしたくても出来ないんだが…
352名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 23:04:14.25 ID:fLHhpOC+0
武市さんが引き立て役なのは昔からの定番だからな…。
龍馬脱藩の際に詠んだとされる
「肝胆元より雄大にして、奇機自ら湧出す、飛潜誰か織る有らん、偏に龍名に恥じず」
の漢詩も後世の偽作だし。
坂崎紫瀾の創作では民権運動仲間の後藤がまだ生きてたから扱いが小さかったし…。
あと具体的に何してたかがわかりにくいし、
尊皇思想がNGわーおになった今となっては人柄ぐらいしかPRポイントがない。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 23:22:04.49 ID:+wl2xsrsO
自己レスだけど、その政治家の「土佐勤王党の武市半平太にはならない」という発言は
武市の一藩勤王思想を、土佐一国レベルのスケールの小さい発想だと誤解してる事から出た発言なのかな?
と俺は解釈した。
実際の一藩勤王論は「土佐一藩勤王→薩長土の勤王三藩の連携で幕府に対する…」
と言うスケールの大きい発想だったと思うのだけど。
354名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 00:51:54.84 ID:6lfd6pDV0
>>352
>坂崎紫瀾の創作では民権運動仲間の後藤がまだ生きてたから扱いが小さかったし…。

明治のはじめに、久万村郷士の入交と郷士仲間数人が興した新聞社を、民権派・立志社の上士共に乗っ取られた事が全ての原因。
その新聞社に立志社社長の片岡健吉が本腰を入れて乗り込んで来てからは、完全に自由民権派の機関紙に成り下がってしまった。

土佐勤王党の流れを汲む片岡直温(入交の義弟)がもう少し早く出世していれば、その後の高知の歴史は大きく変わっていただろう。
少なくとも、現在の某史談会のように、無節操な八方美人や、民権派上士の亡霊に取り憑かれてるような連中が幅を利かせる事はない。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 00:59:53.02 ID:wAYqJgx5O
もし、武市が明治まで生きてれば自由民権運動自体が起こらなかったんだろうか…
田中光顕が頑張って監修して武市伝出してくれたけどね…
356名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 01:14:07.64 ID:9q/Cmj9p0
「龍馬が剣術試合で桂小五郎達と立ち会って、龍馬は連戦連勝だったよ。
もし龍馬が負けたら俺の番だから、天下に恥を晒さなくて済んだよ、いや〜良かった良かった」
みたいな内容の武市半平太から小南五郎右衛門宛とされる偽作の手紙もあったな。
藩の剣術指南役で鏡心明智流免許皆伝・桃井道場塾頭を舐めるなと言いたい。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 01:33:46.63 ID:wAYqJgx5O
>>356
これは酷いwww
勤王党のブレーン大石弥太郎が政治組織作って、自由民権運動に対抗したらしいけど、こりゃ仕方ないわ
馬鹿にしてる
358名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 02:30:03.93 ID:yvj5Cmcb0
>>354
なんかよく分からんけど、むずかしく複雑な事情があるようだね…
359名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 09:03:56.30 ID:x7roQruzO
同時代を生きた各藩の人々による人物評や伝えられる逸話から
武市の人柄の良さ、カリスマ性は十分に伝わってくる。
逆に、武市本人に他人を見る目があった かどうかとなると、少し疑問を感じる。
龍馬の人物を評価していた所だけを見ると、人を見る目もあったように見える。
だが、剣客時代〜京都時代にかけて岡田以蔵にあれほど目をかけて側に置いていたのに
その以蔵がただの犯罪者に落ちぶれ、挙げ句の果てに勤王党大獄で自白しまくり、
まだ捕縛されていなかった同志まで大獄に巻き込んでしまった…
この事実だけを見ると「武市って、人を見る目はあんまり無かったんかな?」とも思える。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 09:33:18.76 ID:wAYqJgx5O
>>359
以蔵のみならず容堂に対してもそうだしな…
人の能力、才能を見る目はあっても、人間性と本質を見る目が無かったのはガチだと思う
片腕として活躍した平井も、朝廷工作や策士としては優秀だったが、後先考えない過激な奴で、東洋暗殺犯の追手を以蔵とかに指示して暗殺させてるしな…
中岡はやっかいな事になりかねないと、脅しくらいにしておこうと思ってたというのに…
361名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 09:39:12.37 ID:4/N6PdMI0
>>354
「流離譚」と併せて読むべき「鏡川」の世界ですな。
362名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 12:12:07.28 ID:S7xOL68JO
>>360
だが形勢が不利になった時に逃げてしまうと
容堂への忠義のため勤王党を結成したという血盟文の趣旨が嘘になってしまう。
脱藩しなかった者は自分たちの発言に責任を持ったとも言えるかもしれない。
だが容堂が本心を読ませない振る舞いをした事に関しては
西郷から「武市がかわいそうだ」と責められたらしいな。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 12:21:48.29 ID:D5MzLgiZ0
>>355
「瑞山 武市半平太先生伝」の内容がおかしくなった最大の要因は、
執筆・編述を民権派の古沢迂郎(佐川閥)と坂崎紫瀾が担当したから。
編纂には、初めから新・旧勤王党重鎮の大石弥太郎を加えるべきだった。

田中光顕は民権派ではないが古沢と同じ佐川閥。それで校閲があまくなった。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 14:53:28.38 ID:wAYqJgx5O
帰南日記に載ってる平井の歌が、維新土佐勤王史で、下士なのに切腹で嬉しいみたいな解釈にされちゃったのも坂崎のせいかね…
日記で実物見たけど、普通に恨みまくってる歌にしか思えなかったがww
365名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 21:56:51.85 ID:9q/Cmj9p0
>>361
「鏡川」って面白い?
366名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 22:43:34.08 ID:wAYqJgx5O
>>362
武市は容堂の事を逆さ瓢箪公呼ばわりして馬鹿にしていたんだから、脱藩しても別に良かったと思うんだが
そんなにメンツが大切だったのかな
死んだら終わりだと思うんだけど
367名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 23:04:56.71 ID:vluC9kiX0
ちょっと原理主義的で融通効かないなところがあるのが、
いいところでもあり悪いところでもあるんじゃないだろうか。
暗殺、天誅についてはやはり容認的だったと思う。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 23:25:23.39 ID:wAYqJgx5O
でも、やっぱり武市が暗殺の黒幕呼ばわりされてるのには違和感を感じるわ
実際には他藩や平井と相談した上で天誅してるからな
京で起こった天誅全部が武市の命令なら話は別だけど、武市が居ない時に起こった天誅も数多く有って、それには武市関与してないし
369名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 23:32:30.60 ID:wAYqJgx5O
あと、武市のどこら辺が策謀大久保なんだろうか。人望が西郷なのは他の志士からよく言われてるから納得だが
370名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 00:17:06.93 ID:wesvRX7o0
というか
桃井道場の風紀取り締まりの時といい天誅禁止の指示といい脱藩者のことといい
武市さん慕われてはいるけどあんまり言う事は聞いてもらえない人だよねw
しかも親しい人物から率先してトラブルを起こすという…
優等生で正論しか言わない性格ゆえの限界なのか。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 00:20:09.76 ID:wesvRX7o0
あ、野根山二十三士の決起もだった。
あれも武市先生や大石弥太郎などは止めようとしてたよね。
武市先生が獄中でどんどん衰弱していくから、毒でも盛られてるんじゃないかって話も仲間内であったみたいだし、
焦っちゃったのかなあ……
372名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 01:05:26.74 ID:Jauzwa5qO
計算、腹芸のできない人って感じなんだよな
この人がフィクサーだの、大久保、はないない
373名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 03:02:57.79 ID:NWUEploEO
身分を考えれば、東洋暗殺〜京都江戸への進出・活躍までの流れは見事な物だとは思うが、
やはり血盟の精神と藩への忠誠心が、危機に際して行動を縛ってしまったのかな?
大久保とは置かれていた環境や事情が違い過ぎてて
単純な比較はできんと思う。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 03:19:21.43 ID:XJ/pf5Nk0
藩への忠誠たって、東洋暗殺関係者だし…
375名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 03:26:30.48 ID:Jauzwa5qO
君側の奸を取り除く
って言葉知らない人もいるんだろうな
376名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 09:10:21.06 ID:dTSyJaBa0
そうは言っても、吉田東洋の蒔いた種がなかったとしたら
後の土佐の立場は全然違うものだったろうなと…。

間崎哲馬は東洋暗殺をどう思っていたんだろうか。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 09:11:32.84 ID:e4b92D7uO
>>374
その東洋は藩でめちゃくちゃ嫌われていた訳だが。
優秀だったけど、色々と難ありで、敵が多かったのさ…
死んでも悲しむひともほとんど居なかったんだぜ
378名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 09:18:37.85 ID:e4b92D7uO
>>376
そもそも間崎って東洋門下では有るけど東洋が嫌いだから、自分で塾作った上、勤王党に入ったん人じゃなかったっけ?
東洋政権に不満抱えてたのは間崎も同じだったんじゃないかな
まぁ、なんとも思わなかった訳は無いと思うけど
379名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 11:04:37.64 ID:w+mkyZq/0
>>377
東洋の嫌われた原因の一つが門閥打破だぜ。
その他の有益な改革も含めて急進派と見做された。
少なくとも上士の間では、家格にとらわれることなく、
優秀な人材を育てようとした。
土佐勤王党との大きな違いは開国か攘夷かってところ。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 11:31:51.03 ID:e4b92D7uO
東洋の学識と武市の人望が合わされば最強だったと思うんだけど
そう上手くは行かなかったんだよね
381名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 11:57:34.00 ID:dIkYAohJ0
結局、東洋門下の人は坂本竜馬と連携することになったよね。
後藤象二郎、福岡孝悌、岩崎弥太郎と。
東洋暗殺、武市切腹だから。
結果的にはうまく行くんだけど、最後は殿が泥酔だし…

坂本竜馬の「船中八策」とかは、
東洋が藩改革でやろうとしたことの全国版。
東洋は郷士や庄屋から優秀な人間を引き上げて、
官僚にするつもりだった。

東洋と武市がうまくいかなかった理由は謎。
開国/攘夷くらいしか違いがない。
東洋は公武合体を目指したこともあるけど、佐幕派とは言えないし。
まあそれがあの時代の攘夷熱だということなんだろうけども。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 12:07:27.61 ID:e4b92D7uO
単純に武市が長曽我部の部下の末裔だったからじゃないの?
郷士でも山内家ルーツの人は居ただろうし
武市は血筋的に無理だった。
戦に負けた側の子孫だからね
武市が党員からナメられたのもそのせいだろ
383名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 12:44:40.82 ID:w+mkyZq/0
東洋は郷士ですらない地下浪人の岩崎弥太郎に
入塾を許可し、その後、藩吏として雇ってる。
門閥も上士/郷士の身分もなくそうとした人だから、
血筋のいい藩内の山内派には憎まれていた。
土佐勤王党が東洋暗殺の後に主流にのし上がったのは、
山内派の引き上げがあってのこと。
武市はこの山内家の婚縁を使って、朝廷工作をした。
だから土佐勤王党は藩改革は棚上げで、
尊皇攘夷が活動の中心になっている。
(まあもともとの結党趣旨がそうなんだけど。)
だから山内派と共闘することが出来た。
山内容堂の謹慎が解かれるまでは。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 12:47:29.99 ID:dTSyJaBa0
>>382
それを言うなら吉田東洋は長宗我部家臣の末裔な訳で。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 13:20:00.37 ID:P23JTEu10
容堂の妻が三条家の出身だったかな?

>>382
土佐藩は上士が山内の家臣、下士が長宗我部の家臣の一領具足達の子孫だ。
京に上った時は勤王党員が長宗我部の墓参りにいっている。
この辺の理由で徳川や山内家への帰属意識が低かったのだろう。
おそらく武市は身内に甘かったのではないかな。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 13:31:09.66 ID:e4b92D7uO
郷士って金で買えるんじゃないの?
387名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 15:46:46.49 ID:e4b92D7uO
平井の切腹って、実は強引に藩政改革しようとしたのが原因じゃなくて、長州と結託して家茂暗殺企んだせいなんじゃね?他藩接待役外されたのもそのせい
容堂から、反幕の危険性ありだと思われたんだと思う
実際に長州と仲が良かったのは武市じゃなくて平井の方だし(武市はむしろ薩摩側)
久坂ら過激攘夷派と気があったのも平井だからな
平井は武市とは考えも行動パターンも実は全然合わなかった。
武市が居ない間、勝手に天誅しまくりだったし、心の底では武市見下していただろうに…
なんでこいつ脱藩しなかったんだろ?
脱藩した方がかえって好きにやれただろう
388名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 16:19:05.04 ID:e4b92D7uO
世間での以蔵と平井の美化は酷いよな。
実際の以蔵はDQNで、平井は腹黒なんだが
389名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 17:33:49.08 ID:ioTggNxv0
>>381
>東洋は公武合体を目指したこともあるけど、佐幕派とは言えないし。


山内民部近習 生原重周 覚書

文久二年ノ頃 予ガ山内民部公子ノ近習ヲ勤メシ頃 執政吉田元吉大イニ改革ヲ行ヒ

国政ヲ左右スルコト意ノ如ク 権威一人ニ帰シ 衆皆 畏懼セザルハナシ

此時ニ当ツテ武市先生 京師ヨリ帰リ 始メテ尊攘ノ説ヲ唱ヘ 慷慨悲憤 同志ヲ募リ

吾藩ノ薩長ノ義挙ニ後レンコトヲ憂ヒ 屡々政府ニ説クモ容レラレズ

執政吉田元吉 佐幕論ヲ唱ヘ 君側ニ在ルヲ以テ如何トモ為スアタハズ

千辛万苦 止ムヲ得ズ斬奸ヲ行ヒ 国是ヲ一定シテ 他日大イニ義兵ヲ挙ゲンコトヲ窃カニ正義ノ士ニ謀ル

ココニ山内兵之助 同民部 両公子ハ正義ニシテ 殊ニ民部公子ハ頗ル英遇ノ聞エアリ

当時ノ権臣ヲ厭フト 岩崎馬之助公子ニ説ク 同公子ヨリ之ヲ民部公子ニ告グ

公子 大イニ武市先生ノ意ヲ賛シ 共ニ奸臣ヲ攘ハンコトヲ勉ム

一日 武市先生 予ガ家ニ来リテ曰ク 時 大イニ迫ル 薩長 夙ニ勤王ヲ唱ヘ 遂ニ討幕ノ論 既ニ決ス

吾藩 時機失スベカラズ 然リト雖モ 奸物 君側ヲ擁シ 吾言 固ヨリ容レラレズ

却ツテ禍害ノ吾党ニ及バンコト必セリ 故ニ止ムコトヲ得ズ事ハ斬奸ニ決ス

君 今民部公子ノ許ニ勤ム 宜シク努力スベシト

予 コレヲ諾シ 感慨 死ヲ以テ誓フ 翌日 東邸ニ赴キ 窃カニ公子ニ説ク
390名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 17:39:36.06 ID:PKtV4NitO
令旨事件で死んだのは軽格風情が公家に近付いて藩政改革を自分無視してやろうとしたことが、
容堂にとって我慢ならなかったからだろう
その上動かそうとした相手が容堂と犬猿の仲の豊資なのがまずかった。容堂が激怒するのも無理ない
391名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 17:49:15.45 ID:e4b92D7uO
平井は令旨以外にも問題ありまくりだったと言っている
長州と家茂襲撃企んでたのもバレたんじゃね?
幕府を攻撃するのを嫌がる容堂が平井のこの行動を知ったらどう思うかな?
392名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 17:57:37.29 ID:0yncwBaWO
>>386
既に山内家に召し抱えられた侍である上士がなんで格下の郷士にならなきゃいけないわけ?

あと平井が腹黒いっていうけどどの辺が?
政治工作っていうのはそうしたもんでしょう。
志士皆が松陰先生や武市先生みたいな、高潔だけど直球勝負しか出来ないタイプだと活動にも限界があるよ。

武市先生も、幅広い層から信頼は置かれるし弁は立つし筋は通すし独断専行しないしで
常識的な範囲内なら充分優秀なんだけどね。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:26:25.76 ID:dIkYAohJ0
>>389
山内民部は守旧派のボスなんで武市を煽ってる。
「東洋暗殺したらもうこっちのもの」って言って武市を翻心させた。
それで武市はついついGOサイン出してしまった。

実際の東洋は佐幕じゃなくて、後の公議政体派に近い考え方。
文武世襲制廃止論者で、もちろん老中制にも反対。
天皇に対しては現行憲法に近い考え方をしている。

ただ公選議会主義じゃなくて、官僚主義的改革を目指してた。
これは幕末の中国官吏論が基礎になっている。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:27:41.24 ID:e4b92D7uO
平井と以蔵大嫌い…
395名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:30:59.67 ID:e4b92D7uO
勝手に暗殺しまくっといて、武市に全部罪きせた平井大嫌い…
396名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:38:45.80 ID:e4b92D7uO
平井はさっさと武市裏切って長州にでもなんにでも逃げれば良かったのに、優秀なんだからその方が良かっただろうにwww
どうせ武市なんてゴミカスとしか思ってなかったんだろうし
397名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 18:45:07.26 ID:e4b92D7uO
本当は平井が腹黒いのに、世間では武市が腹黒扱いだからなwwww
武市とか高潔?どこが?って扱いされてるだろ
冷徹策士が世間の武市イメージ
398名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:04:57.70 ID:e4b92D7uO
>>392
じゃあなんで勤王党に入ったの?
武市の意思を無視して好き勝手やりたいなら、早い段階で長州にでも行けば良かったじゃないか
吉村も龍馬もそうしてる
自分勝手な党員なんて、いくら優秀でも迷惑なだけ
399名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:15:59.30 ID:e4b92D7uO
平井なんざどうせ脳内で武市の事鼻で笑ってたんだろうな…
400名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:19:54.29 ID:Jauzwa5qO
その平井が死んだとき、武市は歎き悲しんでるんだよ

以蔵などとは比ぶべきもないメンバーだろ
401名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:43:00.20 ID:e4b92D7uO
武市が嘆き悲しんだのは平井だけじゃないだろ、間崎とかだって同じ
別に平井だけが特別ではない
平井が自分勝手に行動してたのを武市が知らなかっただけなのかもしれないだろ
家茂暗殺計画は武市が知らされてなかった可能性の方が高いしな
402名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:59:12.81 ID:JmtnRnpG0
武市さんが大好きなのは分かったよ
去年、大河板で沸騰していた人も凄い熱だった
武市オタはなんか、武市さんの親か保護者みたいなのが特徴なのか

>>393
武市は優秀なんだが、どうも甘い所があった感じだね
403名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:05:54.80 ID:e4b92D7uO
家茂暗殺計画が決行されてたらどうなってたと思う?
それ考えたら平井を潰しといた容堂は賢いよ
こんなん生かしておいても容堂にとっては害にしかならん
立場弱くなるだけだ
404名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:41:24.54 ID:PKtV4NitO
ときたま気持ち悪い奴が湧くが以蔵の次は平井アンチかよwww
意味不明すぎワロタ
16回も書き込んで…半年ROMって土佐勤王党の勉強するのをおすすめする
405名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:50:12.75 ID:e4b92D7uO
武市に知らせず長州と組んで家茂暗殺に加担しようとしてたのが平井なら
武市が居ない間に、長州と組んで安政の大獄の関係者を次々と粛清してたのも平井だろ?
随分と好き勝手にやってますよね
よく過激攘夷嫌いの武市に血判状から抹殺されずに済んだと思うわ
406名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 22:32:21.32 ID:sU4zbCJU0
>>393
>実際の東洋は佐幕じゃなくて
後学のため、根拠となるソースを示していただければ幸いです。 ⇒ <東洋は佐幕じゃない>
407名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 22:32:51.30 ID:wesvRX7o0
思い込みの強い人連投好きの人はメンタルヘルス板に行くのをお勧めするぞ。

横田達雄の本では青蓮院宮令旨事件は
尊攘派の形勢が悪くなったことを察知した青蓮院宮によって、
平井達が切り捨てられたのではないかという推察を書いていたような。
真相はよく分からない事件だな。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 23:47:52.37 ID:wesvRX7o0
>『竜馬がゆく』を読みますと、坂本龍馬は尊皇も攘夷も関係がなかったような錯覚に陥ります。
>龍馬は開明的で、なにか今日流の民主主義者、平和主義者のように描かれており、攘夷派とは反対の立場にいたような印象を受けてしまいます。
>それはとんでもない間違いです。龍馬は尊皇攘夷の精神をしっかりと持ち続けていました。
>こんにち攘夷といえば未開野蛮、頑迷固陋の排外的行為というふうに思っている人が多いのですが、しかしこれもとんでもない勘違いです。
>攘夷とは、日本を侵略、支配せんとする欧米に対する民族の自立、独立の精神です。民族の健全な防衛本能です。
>日本はこの攘夷の精神を持ち、敢然と実行した。だから、非西洋中唯一、欧米列強の植民地にならずに済んだのです。

『維新の先駆者』という本にこういう記述があるが、
当時のナショナリズムの盛り上がりと坂本龍馬を切り離して語る事は歴史小説としては大正解だったが、
誤った歴史認識を広めた弊害も大きかったわな
と、武市などの扱いを見てると思うわけさ。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 00:24:58.42 ID:ryvquhzrO
つか、平井は日記で普通に暗殺匂わせてんだがww
少なくとも多田帯刀は、桂と組んで武市が居ない間に殺してるだろ
武市のせいにされてる場合が多いがなww
平井は以蔵、新兵衛はもちろん、河上彦斉とも面識あるしな
こんなに人斬りと面識が有るなんて殺りまくってるとしか思えんよ
410名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 00:52:15.30 ID:s72cbKjI0
ID:e4b92D7uO
なんか変な人が一日ずっとファビョってたのね。
ニートかw
411名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 10:33:52.06 ID:ryvquhzrO
>>400
それは武市が、平井にお得意の策略と弁舌でたぶらかされてたんだろ…
武市は騙されやすい性格してるからなww
馬鹿で騙されやすい武市は狡猾な平井にとって傀儡として都合良かったんだろうな可哀想に…
412名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 11:20:33.99 ID:ryvquhzrO
党員達に持ち上げられて利用されて最後には捨てられた哀れな武市
413名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 19:51:49.07 ID:TqVfEgllO
歴史上の人物に変なキャラ設定をしないと気が済まない人は血盟文読み返してきなよ。
土佐勤王党がどういうコンセプトの集団か書いてあるから。

新撰組なんかと違って勤王党の同志は「兄弟」という扱いで序列のない血盟集団なの。
皆それぞれ自分の意志があってバラバラに行動してても
尊皇攘夷の大目的が一致してればお互いサポートしあう関係なの。
武市先生も確かに自分がリーダーだけど別に皆を支配している訳では無いって明言してるの。

天誅に邁進した人達も女官を強姦した目明かし文吉やスパイ兼井伊の元妾の息子には
ムカついてたまらなかったんだろう。
この中で岡田は結局具体的に何が武市先生の不興を買ったのかハッキリとは分からないね。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 20:10:23.90 ID:ryvquhzrO
岡田は天誅禁止令出した後も勝手に天誅してたせいで見放されたんじゃねーの?
衛吉は天誅していいですか?って聞いてくるけど、岡田は聞かずに殺してるって、武市さん答えてたような…
415名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 20:17:33.22 ID:ryvquhzrO
ま、武市は正論家の無能だからさっさと死んで正解ってこったな。
令旨事件の三人は惜しかったけど
416名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 01:01:44.45 ID:nnDIKtr40
>>415
確かに武市は正論好きだが、何でそれがイコール無能に結びつくんだよこのアンチはw
情報探索に出かけ長州藩との信頼関係を構築し、土佐藩上層部との折衝をこなし、
勤王党の活動方針を決定していたのも武市だ。
牢の上番ですら説得出来るほど完璧に理論武装し、武市自身は然るべき筋を通し極力隙を作らなかった。
だからこそ尋問役も対応に苦慮していたし最終的に「不敬罪」で無理やりの切腹になったんだ。

天誅に関してなら武市はやりたくないからやらん、他の者はやりたいからやる、
それだけの話だろうが。党員は武市の手下でも家来でもない。
結果として武市が自分の手を汚していないように見えるのが「手下を操って暗殺」という誤ったイメージに結びつくんだろうな。
まあ武市も朝廷の敵は憎んでいただろうからある程度は容認してたんだろう。

土佐藩で佐幕派容堂の方針と正反対だったのがどうしようもなかったな。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 01:21:38.91 ID:Xs61kQJN0
>>416
>>415がアンチにみえるのか?多分に感情的なオタにみえるね

幕末のあの集団とかこの集団とか、事あれば腹きり強要する集団
勤王党にはそういう側面がなくて、いいんだが
リーダーはあくまでリーダー
失脚した上は、結社を糾弾し、責任の所在を追求するとなれば、
領袖である武市にほかならないでのは?
ゆるやかな血盟グループでした、リーダー?関係ありません、で済むのか。
平井がどうこうとか、この頑張ってる人は、そういうことを言ってるのじゃないのかな
418名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 01:56:18.12 ID:nnDIKtr40
>>417
いや勤王党の血盟文に約束破ったらみんなで腹切ーらす♪と書かれてるけど。
そもそも土佐藩上層部との関係を追及されるとお家騒動に発展するから
これに関することは絶対漏らさないようにと獄に繋がれる前に同志間で口裏合わせがしてあった。
下士が参政暗殺しただけで何かできる訳もなし、公然の秘密だったと思うがな。

正論=無能とは意味がわからんな。
正当性のある主張だから正論なんだが。
粛々と正論を訴えて地道に行動するより独断専行で奇策に走る方が優れているとでもいうのかね?
おおむね前者の方が重宝される場面は多いだろう。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 08:32:19.47 ID:SJ9hGhlhO
長州は無駄に奇策に走る連中が多いから、池田屋なんかで大量に人が死んだんじゃねーんかと
武市は奇策が使えないんじゃなくて、正論で通せる所は最低限正論で通そうとしているだけじゃないのか
外人斬ってまわったり、家茂暗殺したり焼き討ちしても無駄に煽って騒ぎにになるだけだと思っただけじゃね?

>>417
そうそう平井や党員共が好き勝手やったツケは全部武市に帰ってくる
だから好き勝手やりたいなら武市と縁を切れば良かったと言っている
平井が井上暗殺した件も、投獄後に全員が自白して武市が責任追及されとるしな
しかもヤツは長州と一緒に家茂暗殺に荷担しようとしてた疑惑もあるからどうしようもない
容堂にそれがバレてたとしたらどうなる?
家茂暗殺なんて、武市の意思とは全然違うだろうからな
420名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 09:01:06.29 ID:SJ9hGhlhO
平井とかたとえ令旨事件を生きのびても、後先考えない行動で絶対にどっかで死んでただろwww
間崎なんざ令旨事件の前にも一回切腹沙汰になって武市に助けられてるしなww
421名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 12:21:15.82 ID:4aGtLehV0
>>419
>平井が井上暗殺した件も、投獄後に全員が自白して武市が責任追及されとるしな

元治元年八月十日、取調べで以蔵が拷問に負け自白。共犯者の有無まで吐いた。  
以蔵の自白で、同年八月十三日に同事件連累者の土佐勤王党員四人が投獄された。
四人は激しい拷問と詭計糾問を受け、四人中三人が自白したが、一人は志節を通し続け
拷問に耐え切り、慶応三年九月六日に出獄。その者は、戊辰役で迅衝隊小軍監として活躍した。

自白した党員は、大坂において藩捕吏殺害に関与した事のみ供述。それが武市に累を及ぼした事実は無い。
この藩捕吏殺害事件には、これ以外にも、土佐藩の監察吏(下横目)であった土佐勤王党員二名も参加している。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 14:39:23.13 ID:SJ9hGhlhO
>>421
いやいやいや、武市の弟も吐いたでしょww
そのあと毒のんで死んでるけど
423名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 14:54:36.43 ID:pvFiJ8XN0
>>422
四人中三人の自白者がそれなんだろう。
残りの一人は戊辰役というと安岡覚之助かな。

土佐勤王党血盟文

堂々たる神州、戎狄の辱しめを受け、古より伝はれる大和魂も今は既に絶えなんと、帝は深く歎き玉ふ。
しかれども久しく治まれる御代の因循委惰といふ俗に習ひて、独りもこの心を振ひ挙げて皇国の禍を攘ふひとなし。
かしこくもわが老公つとに此事を憂ひ玉ひて、有司の人々に言ひ争ひ玉へども、かえってその為めに罪を得玉ひぬ。
かくありがたき御心におはしますを、などこの罪には落入り玉ひぬる。君辱めを受くる時は臣死すと。
いわんや皇国の今にも衽を左にせんとするを他にや見るべき。彼の大和魂を奮ひ起し、異姓兄弟の結びをなし、一点の私意を挟まず、相謀りて国家興復の萬一に裨補せんとす。
錦旗若し一たび揚らば、団結して水火をも踏むと、爰に神明に誓ひ、上は帝の大御心をやすめ奉り、我が老公の御志を継ぎ、下は萬民の患をも払はんとす。
されば此中に私もて何にかくに争ふものあらば、神の怒り罪玉ふをも待たで、人々寄つどひて腹かき切らせんと、おのれおのれが名を書き記し、おさめ置きぬ。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 15:24:33.14 ID:SJ9hGhlhO
以蔵含む自白組全員が井上の暗殺と平井の指示だという事を自白したんじゃないの?それ+武市の弟
何か別の暗殺混じってない?
425名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 15:27:06.92 ID:SJ9hGhlhO
あ、斬首になった連中ね
426名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 17:53:20.08 ID:ATO3WamC0
>>422
田内衛吉は別件で自首して類族預けになり、自宅謹慎中しているところを
他の同志二名と共に揚り屋入りに処された。これは文久三年十一月十二日。

岡田以蔵が投獄されたのは、その更に後の数ヶ月後の元治元年六月十四日。
以蔵の自白で、また別の勤王党同志四名が投獄されたのは元治元年八月十三日。

>いやいやいや、武市の弟も吐いたでしょww
>そのあと毒のんで死んでるけど
武市の実弟の田内衛吉が拷問された理由は、以蔵が自白した井上の件とは別のもの。
田内衛吉は自白後に自決をしたと云われているが、武市に累が及んだと云う形跡はない。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 18:05:13.38 ID:ATO3WamC0
>>426 訂正
(×)自宅謹慎中しているところを
(○)自宅謹慎中に捕まって
428名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 18:19:17.59 ID:/lAF2sSqO
>>399>>415>>420
あちこちを妄想で叩いて忙しい奴だな。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 18:25:42.67 ID:RgHN5E7y0
天誅組は、土佐勤皇党が京で行った天誅と直接関係ないぞ。
奈良で起きた騒乱の首謀者たち。土佐勤皇党の者も加わっていた。
430名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 18:32:58.04 ID:ATO3WamC0
>>382
>郷士でも山内家ルーツの人は居ただろうし
武市半平太の従兄弟にあたる島村衛吉の嫁の実家は久万村郷士だったが、
この家は元々、山内氏の土佐入封に従って移住して来た元遠州掛川の武家。
それが、藩政期にいつのまにか郷士になり、その類の姓を名乗ってたりする。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 18:36:36.40 ID:ATO3WamC0
>>385
>容堂の妻が三条家の出身だったかな?
容堂公の妻は三条実万の養女だったと思う。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 19:32:55.72 ID:PArj9psX0
>>389
土佐藩士の森四郎正名が、武市半平太が常々唱えていた一藩勤王論の事を相談する為に、土佐藩家老山内下總の元を訪ね面会した際、
山内下總は、「吉田が不承知だろう。何事も吉田がゐてはむずかしい。半平太がそれほど思ひこんでゐるならば、いつそ吉田をやる
がよい」と暗殺を示唆した。森四郎は大いに驚きその場を辭去し、直様、蟄居謹慎中の平井善之丞に報告した。この話は時をおかずに、
藩内勤王派上士筋の者から土佐勤王党員へと伝達された。

同時期、武市は勤王党主要幹部らと相談して、土佐藩をして勤王・正義の藩名を世に高からしめようと、先般、長州藩士久坂玄瑞、薩摩
藩士樺山三円らと約束した、翌春の勤王各藩主参勤上府の途、幕府の禁制を犯して勤王諸藩同時入京を果たし、朝廷に接近して勅旨を
得て幕府に対抗するという壮大な計画を実行すべく、学問指南役として容堂公の実弟の元に通っていた土佐勤王党血盟同志の岩崎馬之助
に頼み、藩主一門に一藩勤王の必要性・重要性を説いてまわらせた。岩崎馬之助は仲間の同志と約束した通り、忠実に任務を果たした。

武市半平太はこの後、家老山内下總から直接、東洋暗殺を諷せられるもそれを真に受ける事はなく、同志達に向けて「東洋を殺すには
及ばない。目的は土佐藩の内部において東洋の発言を封じれば足りるのだから、程々に怪我を負わせるだけでよい」と言い渡していた。
だが、筑前藩士平野国臣や薩摩藩精忠組激派らが画策した伏見の義挙計画に参加すべく、手槍などの武器類の他、用意周到に鎧櫃まで
も準備していた三人の勤王党の同志が、武市から受けた指示を守ることができずに、血気の勇に逸って必要以上の事をやらかして脱藩
して行った。三人の脱藩を手助けする為に観音堂で待機していた他の仲間の同志たちは、引きあげてきた三人からいきなり東洋の首を
渡されて周章狼狽したが、三人が去った後、こうなった以上は仕方なしと、急遽その首に罰文をつけて雁切に曝した。東洋を襲撃して
脱藩した三人は、武市が前もって長州藩の久坂玄瑞と前原一誠に身柄の保全を依頼していたので、無事に京都の長州藩邸に匿われた。 

細部に誤りがあるかもしれませんが、土佐藩参政「吉田東洋」暗殺事件の顛末、大筋の流れは以上のようなものであったと思います。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 20:01:50.41 ID:SJ9hGhlhO
>>432
ちょっと待て…じゃあ武市さん東洋様暗殺指令出してないんかいww
これが本当なら武市さんは一体なんだったの…
434名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 22:30:25.83 ID:SJ9hGhlhO
河野敏鎌はなんで江藤新平を問答無用で死刑にしたん?恩人だったんだろ?江藤が後藤と仲が良かったから?
435名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 22:42:17.40 ID:8RX0MDUWO
江藤が除族の上梟首の厳刑になったのは大久保の意向だろ
後藤と仲いいからwなんて理由があるか
436名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 22:48:36.44 ID:SJ9hGhlhO
>>435
大久保のせいなのはわかってんだよ
なんで河野は満足に反論もさせずに死刑にしたんだって話
しかも失礼な態度取って江藤に一喝されてるし
恩人なんだから話くらい聞いてやってもよくね?
437名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/07(木) 23:08:10.91 ID:ATF60dFu0
>>423
それ貼るか
かりにもここにくる人で、血盟文に目を通したことがない者がいると思ってるのかな
みな、それを読んだ上で発言してると解しているが
438名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 04:14:43.42 ID:YXr55zojO
>>437
何故そう他人も○○に違いないと決めつけるのかな?
現に「基本的な」知識のない人がチラホラいるように見受けられるが。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 11:19:02.86 ID:ncdNe3joO
>>432
これって本当なの?
本当なら武市さんが不憫すぎ…
武市が民部にそそのかされたってのは嘘だったのか?
440名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 12:07:15.37 ID:eAV0JAOL0
何故そんな出典も明記されてない
武市に都合が良すぎる話を信じる?
441名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 12:21:57.34 ID:1F/ij21+0
>>439
>武市が民部にそそのかされたってのは嘘だったのか?
恐らく、勤王史の編纂に携わった関係者の記憶違いによる誤謬。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 13:47:55.71 ID:ncdNe3joO
>>440
信じ込んでいる訳じゃないからこそ、本当なの?と聞いている訳だが
本当ならソース示してほしいって事
443名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 13:55:53.40 ID:5K8i8gZH0
>>393
>>406
<実際の東洋は佐幕じゃなくて>のソースは?
444名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 14:09:23.84 ID:ncdNe3joO
>>393
民部は別に保守派のリーダーって訳でもないと思うんだが…
尊皇思想が強く、土佐を尊皇藩にしたいと思っていたから、一藩勤王を目指す武市と目的が一致していたってだけじゃねーの?
だから当然、その障害になる東洋が勤王党や保守派同様に邪魔だったわけで
そこら辺が保守派のリーダーに見えてしまう原因なのかな
445名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 06:30:31.04 ID:cSS55WObO
>>432
・武市が吉田東洋暗殺に反対していた
・暗殺に及ぶ際も「殺さず再起不能にするだけでもいい」
といった話は田中光顕の証言によるものだな
ただ東洋相手に手加減は難しかったし、那須達は最初から殺す気で
首を包むための古びたふんどしを持参して行った。
わざわざ下帯なんかを使うあたり東洋がよっぽど嫌いだったのだろう。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 14:12:05.33 ID:C3iyrHgT0
殺さないが再起不能にするってどういう事だ?
安藤信正が失脚した時みたいな感じにするって事か?
447名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 14:43:22.63 ID:kePHkIEeO
東洋相手にして余程の剣豪でもない限り、程々に怪我を負わせるだけにとどめるとか無理だろ…
448名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 15:54:15.41 ID:O59kivoC0
みんな桜田門外の変に影響されてたんだよ。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 21:06:29.20 ID:INqw4+OI0
急進的尊皇攘夷主義者の武市が
東洋を武で抑えこむことを躊躇するはずがない。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 21:37:02.05 ID:kePHkIEeO
>>449
武市は長州のテロ阻止しまくって高杉に文句言われてるような奴なんだがwww
そのせいで高杉久坂と疎遠になったんだぞ?
武市は長州のような激しい攘夷論者ではないよ
むしろ長州式の激しい攘夷論者に近いのは平井とか吉村の方だろ
武市は平井みたいに家茂暗殺に荷担したり、吉村みたいに反乱起こしたりはしなかったよ?
451名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 22:47:55.99 ID:2hGNVc0xO
高杉は兎も角
久坂はそれ以後も武市の身を案じて
長州に逃げてくるように説得したりして無かったかっけ?
452名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 23:17:13.57 ID:cSS55WObO
上士の佐々木高行なんかも
「東洋暗殺の件も武市はマアマアと言って血気に逸る勤王党員達を押し止めていた」
とか言っていたね。

武市先生は別に佐幕開明派アレルギーってわけじゃない。
東洋先生と険悪な仲だったわけでもないし
武市先生に桂・久坂を紹介し勤王党立ち上げを促した大石弥太郎は
その前から勝海舟の門人だった。

>>450
何を根拠に高杉・久坂と疎遠になったと言ってるんだ?
別に皆テロしに京都来てるわけじゃないんですけど。
要所要所で相談し合ってるし武市先生は獄中でも長州贔屓なんだが。
あと龍馬に高杉紹介したのも武市先生じゃなかったっけ?
土佐と長州との信頼関係を作ったのは武市先生。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 23:45:19.23 ID:kePHkIEeO
>>452
そもそも、長州の横浜異人館襲撃を止めたのは武市と薩摩の高崎だろ?
そのせいで高杉は謹慎食らっとるし、武市もそれ以来、高杉久坂の過激派とは距離を置いとる
その恨みのせいで、のちの村井政礼泥酔の件で武市が苦労する事になってるしな
454名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 01:15:03.09 ID:W4U+b2+7O
>>453
そのあと岩倉具視暗殺計画を持ちかけられ困った久坂達に相談された武市が
事を丸く収めただろうが。
薩長土の連携体制維持に苦心してたのが武市。
本当お前中途半端に読み飛ばすのが好きだな。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 06:29:03.65 ID:a6adGlTY0
大物は逡巡し、小物は天誅GO出してる感じかな。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 09:15:43.50 ID:xJjAo+9zO
>>454
確かに久坂は武市の出した策に同意したけど、武市に直接相談してきたのは久坂じゃなくて他藩の奴だろ
相談された武市が、こりゃ放っておけないって、自ら久坂の所に出向いて行った。
久坂はできるなら武市に相談したくなかったんだろう
それに比べて、平井の所にはちょくちょく顔だしてるから、過激攘夷推奨の平井の方が気が許せたんだろうな
457名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 23:54:59.84 ID:wxYJLsMZ0
>>456
いや高杉が外国人襲撃計画を武市に話すのは止そうと言ったところを
わざわざ武市に持ちかけたのも久坂なら、
岩倉具視暗殺計画を中山忠光に持ちかけられたのを、まず武市に相談しようと提案したのも久坂達なんだが。
村井泥酔の一件と武市に長州で面倒をみると勧めた辺りを見るに仲たがいしてるようには見えないけどな。

平井が大好きみたいだが何がしたいんだコイツ?
458名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 03:13:08.36 ID:qPZ+GIgEO
ヒライガーヒライガーの人はもう放っておきなよ。

ところで武市さんが高杉に世話を頼んだ党員て誰と誰だっけ?
岡田の前に何人かいたような。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 09:14:42.43 ID:mH91x2qvO
武市が高杉に世話を頼んだ党員…千屋菊次郎もじゃない?菊次郎の日記に以蔵の借金のこと書いてあったんだろ?
460名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 13:04:51.91 ID:HbdXiFRC0
東洋を殺した三人のうち那須信吾は長州藩に保護されてるよ。
後の二人は久坂玄瑞→薩摩藩。
暗殺後に武市が高杉に那須信吾の世話を頼んだかどうかは不明だが、
礼の一つも言ってないってことはないわな。
ちなみに甥の田中光顕が後に高杉晋作の弟子になってる。

461名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 14:48:41.52 ID:mH91x2qvO
田中光顕は、平井が長州の家茂暗殺計画に光顕達を参加させるため久坂に紹介して(暗殺計画事態は結局未遂)
その後勤王党弾圧が始まったからそのまま脱藩したんじゃなかったっけ?
那須は東洋暗殺したことと、薩摩にいることがバレたんで、薩摩から長州に引き取られたんじゃなかったっけ?
462名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 15:40:30.42 ID:HbdXiFRC0
那須は最初が長州藩邸。薩摩藩邸後。
逃亡中の下関白石家で高杉との関係が出来た可能性が高い。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 19:47:48.82 ID:qPZ+GIgEO
党員が散らばって行動してるからわかりにくいね。
海援隊に行ったり陸援隊に行ったり。
それだけ層が厚いって事でもあるんだけど。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 20:09:19.69 ID:fJHFrg2nO
【武市の功績】
*土佐に勤王の嵐を巻き起こし、後に明治維新に貢献する多くの土佐系志士が
政治運動に身を投じて行くきっかけを作った。
*土佐勤王派と長州の間の信頼関係を構築した。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 21:11:47.00 ID:lRaNG89z0
一番は、京都警護の内勅じゃないの?
それともありゃ容堂を説得した小南五郎右衛門の手柄かね。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 21:11:49.82 ID:scCd7XGp0
>>460
東洋を斬った三人の郷士は、文久二年四月九日に仁淀川を遡って脱藩。十一日、松山着。
四月十五日に三田尻着。下関の豪商白石正一郎宅で伏見義挙に関する情報を仕入れ、
四月十九日に大坂行きの船に乗り、二十四日に讃州多度津湊に上陸し、琴平で宿泊。
二十五日早朝、金毘羅宮に参詣後、多度津湊を出帆。二十七日早朝に兵庫湊に到着。
湊川の楠正成公の墓参りをして武運長久を祈願し、その日の夕刻に大坂に到着。

四月二十八日夜、三人は密かに土佐藩大坂御陣家を訪れ、牆越しに同志と密談。
翌暁、同地の旅舎に宿泊していたところへ、大坂御陣家在営の同志達が危急を告げに
駆け込んで来て、小監察福富健次に属せる藩監察吏が、既に三人の所在を探知していて、
間もなく足軽を引き連れて此処へ追捕に来るから、脱出するように三人を促がし立ち去らしめた。

四月二十九日、三人は大坂で町人姿に変装し、大坂から夜行便の舟に乗って上京。
上京後、事前に武市半平太から依頼を受けていた長州藩士久坂玄瑞の止宿先に潜伏した。

三人の動向を探知した藩捕吏は長州藩邸に三人の引渡しを要求し、足軽五、六十人が旅宿を包囲。
しかし、またもや此の追捕の情報は前々日に、住吉陣屋の勤王党の同志が密かに三人に知らせていた。
これと同時期、勤王党員は長州藩同志にも連絡。此れを受けた久坂は薩摩藩士海江田武次と吉井忠助に謀り、
三人の身柄は無事、両名の止宿先に移動した。土佐藩の捕吏と足軽が久坂の旅宿に踏み込んだ時は、既に蛻の殻。

三人は、文久二年五月二十三日、勅使大原重徳東下の際、島津久光公の同意を得て正式に薩摩藩邸に保護された。
この内、二人の郷士は天誅組挙兵に参加する文久三年八月十四日まで薩摩藩邸に滞在。一人は同藩士奈良原の養子になった。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 21:15:11.95 ID:lRaNG89z0
>>466
> 下関の豪商白石正一郎宅で伏見義挙に関する情報を仕入れ、

これが奇兵隊の本営だった所だよね。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 22:08:37.95 ID:fJHFrg2nO
>>465
武市が果たした歴史的役割の中で明治維新に結びついた物をあげるとすれば
まずは上記の二点かなぁ…?と。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 22:46:46.08 ID:lRaNG89z0
内勅以降は「新オコゼ組」と坂本龍馬の方が貢献が大きいんじゃないの?
内勅は幕府側になるか、朝廷側になるかの分岐点だったけども。
470名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 22:55:18.96 ID:mH91x2qvO
つまり武市は、結局大したことをしない前にお亡くなりになったと…
だから世間一般では天誅ヒャハーwwwな黒い人みたいなイメージしか無いんだな
471名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 23:13:47.78 ID:fJHFrg2nO
>>470
幕末土佐で導火線としての役割を果たした事が大した事じゃないと思うのかね?
藩内で一番最初に行動を起こし、有志を結集して本格的に政治に目を開かせた武市の存在が無ければ、
後の坂本龍馬や中岡慎太郎を始めとした多くの土佐出身の志士達の活躍も無かっただろうし、
土佐が薩長土肥の一角に名を連ねる事も無かったと思うのだが。
強烈なカリスマ性と人望の持ち主だった武市半平太だからこそ果たせた役割だと思うけど、
どうもこの辺が過小評価されてる気がする。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 23:14:31.30 ID:qPZ+GIgEO
いや投獄後尋問中も板垣に
「全国に広く知られた貴方の事を泥棒でも問い詰めるみたいにあれこれ言うつもりはありません」
とその影響力を認められてるんだが。

維新に貢献というなら
攘夷を促す勅使の江戸行きに尽力し、幕府sage朝廷ageの流れを作った人間の一人であった事が一番大きくないかい?
武市さん本人が将軍に目通りまでしちゃったしね。

容堂公の方針と正反対なのに武市さんは大殿様大好きだったのが悲劇の元。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/11(月) 23:30:56.51 ID:fJHFrg2nO
そうか。
武市らの京都での朝廷工作が功を奏し、これが幕府の権威を低下させた事も
後の維新に繋がる功績か。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 00:07:28.76 ID:itR4tVTmO
別に武市は容堂大好きではないだろう
武市は、「逆瓢箪公と我々は考えが違う」とか言って、容堂の事を逆瓢箪呼ばわりして絵まで描いて皮肉ったり批判したりしてんだし…しかも後藤と同じ扱いでな
武市にとって、一番好きなのは天皇で、容堂はあくまでも天皇に忠義を尽くすための通過点でしか無かった
だから自分等と考えが違うとわかった途端掌を返して、若い藩主をageて罵りはじめたって訳だ
475名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 00:22:21.75 ID:wiUbNjS20
>>471
> 藩内で一番最初に行動を起こし、有志を結集して本格的に政治に目を開かせた武市の存在が無ければ、

「政治」→「尊皇攘夷」じゃないかと。
土佐藩は「海南政典」ってのもあるくらいで政治にはなかなかのもの。
476名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 09:53:54.81 ID:wsp6Rmdv0
>>475
>「海南政典」

吉田東洋のお仕事ですな。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 19:48:14.92 ID:YbnAsgNy0
考えが違うことに気づくのが遅すぎたな
478名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 21:10:09.08 ID:Lz8Lu4eb0
獄中でやっと容堂との方針の決定的な違いに気付いたみたいだね。
在京時代に面会を重ねてニコニコ話聞いてもらってるうちに信頼関係が築けていると信じてたんだろう。
仲間の悲鳴を聞かされ続けた事もあって容堂への評価に恨み節が加わっていったという感じ?
去年見つかった書簡はだいぶ最後の方のやつだよね。

武市さんが皆からリーダーに選ばれた要素って何だったのかな…。
カリスマ性って一言でくくるのは簡単だけど、詳しく考えると
人徳+尊皇理論?当時の武士としてほぼパーフェクトなところ?
大石弥太郎に人一倍慷慨家と言われる、世の中を良くしようとする意志の強さ?
479名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 21:36:25.03 ID:wiUbNjS20
容堂とそんなに違うか?
武市も生きていれば、小攘夷じゃなくて、大攘夷に変わってるだろうし、
容堂だって大政奉還を建白している。

東洋の暗殺が二人を決定的に遠ざけたし、
容堂は武市等が脅迫的に尊皇攘夷に方針変換させようとしてことに怒ったわけだし。
容堂はもちろん徳川寄りだけど、決定的な違いというほど頑迷な人間でもない。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 22:53:17.94 ID:itR4tVTmO
そもそも、武市が小攘夷に拘る開明派大攘夷アレルギーだって思い込んでる連中多すぎww
性格的なもんとそれとは別問題だと思うんだがな…
まぁ、創作の影響なんだろうがwww
大石や間崎が勤王党に居る時点で、武市にもある程度大攘夷に対する理解は有っただろうと思うのが普通では?
481名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 23:19:15.46 ID:itR4tVTmO
>>477
なんつーか、武市は容堂の嘘や演技に上手く騙されてしまったって感じがするんだよな…
まぁ、それだけ信用してたんだろうけどさ…
>>479
容堂は、東洋暗殺以降でも武市達に協力的な所では協力的でしたがなにか?
普通に時勢が変わって邪魔になったから使い捨てにしただけだろう
その後勤王に時勢が傾いた時には、佐幕派の野中太内も切り捨ててるし
482名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 23:23:04.05 ID:itR4tVTmO
武市はお飾りの党首だから、あれくらい無能の方が
実質上のリーダー平井にとっては好き勝手やれて都合良いからいいのかww
483名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/12(火) 23:38:05.71 ID:Y2b1mBLb0
>>481
容堂は利口なんだろうが、トップの器とは思えない
武市は気の毒だ
484名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 00:08:05.48 ID:VDhiw53x0
具体的に武市のどこがお飾りなのやら。
あと武市の存命時に大攘夷って考え方あったか?

>>479
容堂公だって
一橋慶喜擁立失敗で井伊直弼に安政の大獄に連坐させられてるし
政局に関与→弾圧って点では武市と同じなのさ。
容堂はギリギリまで徳川を庇おうとしており、
武市の方は朝廷こそ正統な君主だと考え王政復古を目指していた。
この二人の対立は佐幕vs尊皇という幕末の縮図だと言えるだろう。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 00:19:35.37 ID:SUKXkEIf0
武市を切腹させたのは誰でもない、容堂だよな。

山内家の子孫を某番組でみた
家から服から、たいへんご立派なものだったな
486名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 01:47:12.59 ID:tAU+hholO
>>482
武市さんと比べて平井収二郎が実質的なリーダーっていうのは何を指して言ってるの?
収二郎って主に何してた人なん?令旨事件以外で。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 10:45:38.95 ID:fc+vfeRAO
>>486
京都方面のリーダーで、策士として名高く、朝廷工作、他藩接待役としての他藩志士(主に長州)との交流、密議。
安政の大獄に関わった連中の粛清と、被害者遺族の救済(これで名を売る)と、策略策謀を主に担当。
主に京都在住の勤王党員を動かして天誅していたのも、武市ではなく平井だと思われる
488名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 10:50:15.81 ID:fc+vfeRAO
実際は武市ではなく、平井が勤王党員使って色々やらせてたんだよな〜
家茂暗殺んときも、田中光顕に渡した久坂宛の手紙に「こいつら家茂暗殺に参加させるからよろしくね☆」みたいな事書いてあったらしいしwww
489名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 11:32:00.01 ID:YA1Fpf67O
コイツ、最初は平井嫌いを装ってレスしていたが
だんだん正体と思惑が見えてきてるなw
490名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 14:50:03.95 ID:fc+vfeRAO
そもそも武市は三文字切腹も大嘘だから、とことんダメダメだよなww
本当は切腹してないだろコイツwww
本当に三文字切腹していたならば、野中太内の切腹で刀使い回しなんて出来る訳がないからなww
それに比べて十文字切腹で死んだ平井の立派な事といったら無いよね
そりゃ党員も、こんなダメダメな武市よりも立派な平井の命令きくわなwww
491名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 16:20:59.16 ID:TAflvUmfO
マジレスすると平井収二郎は十文字切腹じゃないよね
武市は三文字やってるけど
492名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 19:40:21.70 ID:VDhiw53x0
>>490
いい加減ボロが出てるぞ
突っ込むのが面倒くさいから武市アンチしたいなら調べてから書けw
天誅の中心がどうとかいうが、だいたい天誅なんてのは志士間の人気取り位のもんで然程意味無いだろうアレ。
尊攘派がノリにノってる今なら逮捕されないからって、
単細胞共が我も我もと名乗りをあげてるようなケースが多かったんじゃないか。
まあ勤王党が天誅しかしていないような歴史認識の奴に何言ってもムダだろうが。

平井収二郎が土佐藩全域の志士を感化し人望を集め、山内家一門の勤王派からも信頼を置かれるような立場になれたかというと
それはもちろん無理だろう、平井にはそんなスペックは無い。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 20:30:30.27 ID:fc+vfeRAO
>>491
平井は十文字切腹だよ。
目撃者も居るし、龍馬の手紙にも、じゅうもんじなどと書いてあったらしいじゃないのww
あんたこそちゃんと調べたら?
武市はなぜ三文字だって言い切れる訳?
そもそも武市が三文字切腹だったら、その時点で錆びてしまって太内腹切れないだろうがwww
野中太内は、武市が切腹した(らしい)短刀使い回して切腹したんだからな
494名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 21:09:31.69 ID:YA1Fpf67O
武市の三文字割腹を証言したのは介錯人の談話だったな。
中岡も武市の死に様を聞いて
「瑞山先生、死に臨みて従容の事実を聞き、覚えず感動」
と言ってるくらいだから堂々とした立派な最期だったんだろう。
しかし、さっきから暴れてる基地外は最初から正体がバレバレだったな。
「京の天誅は平井が勝手にやった事なのにぃっ!
平井もみんなも武市の言う事を聞かなかった!
責任を追及された武市かわいそう!」とか何とか言ってた時から
「あぁ、コイツは武市の功績とされる事を全て否定して
『全て平井の働き=武市はただの無能の傀儡』『みんなに無視された武市に人望なんて無かった!』
と言う方向に持って行きたいんだろうな」と思っていたが、
その予感は正しかったみたいだな。
あんまり無闇にアンチ認定するのは失礼だと思ったから、今まで黙ってたが。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 21:43:59.49 ID:fhrw3/7xO
容堂「武市、お前はワシの家臣じゃ」
496名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 21:48:50.30 ID:uHR9YOCy0
てか、このキチガイは本当に平井の事好きなの?
武市のことが大嫌いなのはだいぶ前から伝わってきてたが、
平井のことが好きなようにも見えんな。
どっちかと言うと、武市アンチするために平井をダシにしてる感じに見える。
公平を装いながら以蔵ネタでアンチ活動して暴れてたアホと同じ臭いがする。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 21:51:31.56 ID:VDhiw53x0
>>493
その目撃者は山田町獄の近所に住んでた中江篤介だが、三人の切腹を目撃して
平井は腹を横に切った後喉を突いて死んだ、見たままを記した
と書き残している。

切腹用の短刀なら藩庁が管理して手入れもされてるだろう常識的に考えて。
いちいち使い捨てかw
武市の切腹に関しては牢番をしていた者も後年の取材で三文字切腹について証言してたぞ。
昼間から妄想で駄レス連投してんなよ。無職か?

で仮にお前の言うテロと策謀大好きな平井が武市のポジションに着いた場合、
何が出来て誰にどんな影響力が持てたって?
498名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 21:57:01.51 ID:XztsxHX90
>>493
お前こそ又聞きで知ったにすぎない坂本龍馬が「十文字カ」と小さく書いてる書簡を信用するのか?
維新土佐勤王史系や戦前の本の平井切腹は腹を切った瞬間に介錯人が首を刺したが死ねず
「まだまだ」と言い二刀目で絶命したことになっている。
平尾道雄も他の土佐勤王党関係本も大抵この説をとっているよ。
中江兆民が回顧して書いた「平井収二郎君切腹の現状」では平井自ら短刀を首に刺して
死んだことになっているんだが。
短刀使い回したから武市が三文字したはずないっていうのはどういうことだ?
恥ずかしながら野中が武市の短刀使いまわしたというのは初めて知ったのでソースも出してほしい。
大体田中光顕も「土佐勤王党は武市先生の下は皆平等だった」と語ってるわけで
当然武市が盟主として最も重んじられていたのは疑うべくもない。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 21:59:47.32 ID:fc+vfeRAO
平井が違うなら、じゃあ十文字切腹誰だよww弘瀬か?
じゃあ自分が見た平井の十文字切腹ってまさか坂崎お得意の創作?
500名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 22:04:46.93 ID:uHR9YOCy0
三人の中で最も豪胆な切腹を行ったのは弘瀬らしいな。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 22:19:04.47 ID:XztsxHX90
だから、十文字は6月下旬の龍馬の手紙からだって。
平井調べるなら維新土佐勤王史くらい見ろよ。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 22:54:24.98 ID:tAU+hholO
>>499
武市さんと野中が切腹で同じ刀を使った話のソースまだー
この連投好きな人関連他スレにも熱心に貼り付いてるよ。
以蔵が擁護できる余地のないほどガチでカスだったからネタ変えたのかも。

収二郎に土佐勤王党員約200名のトップは務まらないでしょ。
収二郎にどんなリーダーシップ妄想してるのか気になるけど。

西郷並みと言われたカリスマ性でもって一党意識が強く協調性のない土佐っぽを感化・指揮できたのは
有り得ないくらい純粋で高潔で武士として完璧人間だった武市さんだからこそ。
元々の身分を考えると凄い成り上がりなのにその辺に関して悪口らしい悪口も言われなかったみたいだし
特に人柄への評価と異常なまでの慕われぶりに関しては武市さん傑出してるよ。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 23:11:51.67 ID:ET2f5xde0
身分と人格才能の不釣合い
それが悲劇のはじまりだったんだろうと思ったけど
>成り上がり
バリバリ封建社会で、その手の謗りを受けなかったというのは、
文句なしの品位を備えた人だったんだと推察するよ

正統な評価をした物語が一個くらいあってもいいのにな
504名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 00:12:08.69 ID:ERI8x1AzO
作家連中は龍馬や以蔵が好きで武市嫌いな人が多いから、扱い酷くても仕方ないね
創作だとまともな扱いされてるのほとんど無いよね武市って(笑)
それに比べて平井は坂崎の小説で主人公にもなってたからこれだけで、創作で糞扱いしかされない武市とは違うよねww
以蔵ヲタには嫌われて、龍馬ヲタや平井ヲタには馬鹿にされるそんな糞志士が武市のポジションwww
505名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 00:18:34.39 ID:FPO1lLVG0
やっぱ、以蔵ネタで暴れてた奴と同一人物っぽいなw
506名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 00:49:04.01 ID:JAix4vQj0
>>504
いるか…?お前以外の平井ヲタ
煽るどころかフルボッコにされて残念だったなw
要約すると「武市瑞山がチヤホヤされてるのが気に食いません」て事なんだろう
何か妙に瑞山の人物評を述べると美化するな!とか噛みついてくる奴がいたしな
美化じゃなく事実なのに

アンチはアンチらしく嶋岡の武市本でも読んで溜飲下げてろよ
武市瑞山愛に溢れた研究者の伝記が多い中で異色の作品だから
507名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 00:57:55.20 ID:ibp48acpO
この人が平井の人物像にどんな妄想押し付けてるのか知らんが武市にとっても
平井にとっても迷惑千万だろう。平井の京都での他藩応接役時代の奔走は実際に功績があるわけで、
それをそのまま評価してやればいいのに。
つーかこのスレ意外と人いたんだなw
508名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 01:16:34.81 ID:ERI8x1AzO
>>507
べつに平井にカリスマ性なんて求めてないし
ただ政治的能力や駆け引きは武市よりずっと上だと言っている
カリスマ性と人望だけじゃ政治は出来ないよ?
平井は武市と違って策謀にもたけているしね
つか、武市のどこが策謀大久保なのか全然わからない
509名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 01:22:16.92 ID:B6Z1IokjO
平井を武市叩きのダシに使っただけでしょ。

最初はアンチ平井のふりをしていたくせに(バレバレだったが)
住人が思うようには釣られなかった事に痺れを切らしたか、
ここ2・3日で見事な変わりっぷりを見せたな。
正体をあらわすのが意外に早かったなw
510名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 09:16:12.72 ID:g3rjNu+4O
>>508
言っちゃなんだが平井収二郎は武市先生より幾分行動が軽薄だな。
武市先生は「自分は功名を貪るような行動はしたくない」と言ってたけど
収二郎の行動ってまさにそれ。
本来政治に口出しする権利のない人達なのに、
そんなギラギラした人がリーダーじゃ早晩睨まれて行き詰まる。

久光に取り入った大久保みたいにきちんと根回ししておくのを策謀に含めるなら別にいいんでない。

武市先生自分の行動に関しては極力逸脱せず、隙を作らないようにしてる。
収二郎が駆け引きで結果出した事って何?
お付き合い天誅で騒ぎ回るのがそんなに偉いか?
511名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 10:22:10.64 ID:ERI8x1AzO
まぁ、確かに井上佐一郎を暗殺したのは軽率だったかもしれないけどさ…
つか、収二郎ってそんなに功名貪ってたかね?むしろ結果的に功名貪ったのは武市の方じゃないか
世間でも武市は身分をあげるような事ばかりしてる権力大好き人間って言われてるし、功名貪ってたのは武市の方だろww
偉くなりたい!ってギラギラしてたのは武市だろwww

512名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 10:24:30.72 ID:ERI8x1AzO
武市なんざ善人面した極悪人じゃんか
513名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 12:27:48.30 ID:LRJfMTdB0
>>481
容堂は土佐勤王党を排除する機会を待っていたと思う。
謹慎中であることと、山内一族内の駆け引きもあるから、
簡単ではなかっただけで。
514名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 12:42:52.82 ID:mwR5+FWY0
>>472
二回目の攘夷勅使東下を実現させ、朝廷を見縊る徳川将軍家に対して自ら厳しく儀礼上の非礼を指摘し、臣下の礼を取らしめ、
土佐藩は勤王正義の藩であると、日本全国に其の名声を高からしめたのは、明らかに土佐勤王党盟主武市半平太の功績だろう。
尤も、これらは、大目付小南五郎右衛門、土佐勤王党員、諸藩勤王志士達と緊密な連携と助力があったからこそ実現したものだが。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 14:43:01.71 ID:ERI8x1AzO
>>510
そもそも収二郎が居なかったら、武市さんは活躍できなかったよ
江戸にも行けなかったと思う
みんな武市の功績みたいに言うのはやめろ
武市など、一人では何もできないのだから
516名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 18:52:15.84 ID:JAix4vQj0
>>511
論理が破綻してるぞwとうとう創作話しか叩けるソースが無くなったかw
平井が策謀家だとか勤王党員を天誅にけしかけた中心だとかお前が言ったんだろうがw
天誅は功名心の強い者がやるものだろう
一貫して正論しか言わない・やりたがらない性格の瑞山がいつ功名を貪る様な真似をしたって?
反目する上士達からも「あなたらしくもない」「あなたをあれこれ詮議するつもりはない」と
高潔な人柄に関しては一目置かれているというのに

瑞山の信念は「一藩勤王」
一人ひとりが大義もなくバラバラに騒ぎ回った所で何も成し遂げられはしない
という考え方だった。
一人では大したことはできない、志士と各藩が連携する事、
藩の後ろ盾が絶対に必要な事は一番認識していたのが武市

剣術の出張指導で顔が効き、深く慕われる生来のカリスマ性を持ち、国学の教養でほぼ完璧に理論武装できる武市だからこそ
土佐藩全域のやる気のある奴らを志士に感化し束ねる事ができたって訳。
この辺は平井含め他の者にはムリだった。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 20:39:58.63 ID:g3rjNu+4O
アンチは日がな一日武市先生についてああでもないこうでもないと考えてるみたいだな。キモッ

武市さんは
「脱藩する人は色々様々の考えがあるのでしょう。
天子様の御為をせねばと出て行く人もいる、こんな国イヤだと思って出て行く人もいる。
その様な人の心の内は誠にかわいらしく候えども、序列を守り、道を守らなければ何の意味もない」
という考え方の人だった。(獄中書簡・妻宛て)
決して皆の気持ちがわからなかった訳ではない。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 21:44:16.52 ID:B6Z1IokjO
最初はアンチじゃない風に装っていたが、何企んでたんだか。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 10:22:07.90 ID:+JAp+Zyv0
「霊の真柱」って読んどいた方がいい?
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/4/3304620.html
520名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 11:26:31.70 ID:aWLZ9ioK0
>>517
武市先生にとって、脱藩して国事に奔走すゆ!
というのは可愛らしい頑張りだねーみたいな行為だったのか…

>>519
どうなんだろうね。
先に尊王思想と明治維新の関係を説明した本を読んでからの方がいい気がするけど。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 20:57:28.14 ID:JbHH6AmJO
>>517
武市先生も龍馬も当時の武士には珍しく
自分の気持ちを率直に身内の女性に語るよねぇ。
収二郎も加尾と手紙や和歌のやり取りがあってかなりの仲良し兄妹だったし。

加尾もしっかりした人だったみたいで在京時党員を良くサポートしてたっけ。
実際はスパイはやってないんだよね?
522名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 10:08:01.61 ID:q9MST+at0
吉村虎太郎の資料館開館へ
http://203.139.202.230/?&nwSrl=273391&nwIW=1&nwVt=knd

5月末までの期間限定だそうです。

岡田以蔵:墓参拝、1000人突破へ 17日に記念式 /高知
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20110415ddlk39040494000c.html

田内衛吉の墓にも寄ってやってね。
あの横倒しにしてある墓を見る度に切なくなる。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 11:58:11.49 ID:z86GfmqhO
>>522
吉村虎太郎はともかく岡田以蔵はなぁ…。
実際は瑞山に尽くした訳でもないしロクな事してないんだが。
ドラマ効果は凄いねえ。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 12:00:55.53 ID:J2wsE1b+O
ろくなことしてない、どころかろくでなしだ
525名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 12:32:24.32 ID:QQhsnugB0
>>522
天誅組の歴史的意義がよくわからん。
奈良の吉野とか向こうの人には思い入れのある事件だったらしいが。

>東日本大震災後、参拝者が半減してはいるものの、同会議の西森一郎代表(80)は「こんなに多くの人が訪れてくれるなんて想像もしなかった。訪れた人には人斬り以蔵として、舞台裏で武市半平太らを必死に支えた彼の信念を感じてもらいたい」と話した。

本当に必死に支えていてくれたら同志にとってどんなに良かったか。
以蔵が身を持ち崩してホイホイ捕まり拷問で自白したせいで土佐勤王党の獄は地獄絵図になってしもうたんだがの。
岡田のごとき堕落漢が盛られてもいない毒殺話のせいで偶像化され
拷問や尋問に必死に耐えた側の人間が無視、もしくは不当に貶められている。
誠に失礼な話と言えよう。
526名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 14:42:21.91 ID:XqmxLqRdO
>>525
以蔵の健気ちゃん扱いと、武市のゴミクズ扱いはもうどうにも出来ないから諦めろ
もう、武市はアピールキャラから外した方がいいね
こんな一般イメージがゴミクズに落ちた奴なんぞ存在価値ないからな
527名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 15:11:23.83 ID:XqmxLqRdO
>>523
ドラマやる前から以蔵は普通に人気あったし
墓に訪れる観光客も沢山だった
創作での美化の影響だと思われる
逆に幕末1の大悪人のイメージうえつけられた武市の墓には閑散として誰も来なかったらしいなwww
528名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 15:18:39.07 ID:nf5QILgdO
武市の墓参拝者すげーぞ 何言ってんだ?
529名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 16:37:28.46 ID:b5FwNmVs0
>>525
不発だっただけで、東洋暗殺や豊範上洛工作と大して代わりはないでしょ。

530名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 18:44:10.38 ID:QQhsnugB0
【土佐】「人斬り以蔵」でおなじみ岡田以蔵の墓参拝、1000人突破へ・・・17日に記念式
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1302933364/

以蔵フルボッコやのー。
何故>>526のような痛い腐女子の人気をいちいち気にしなければならんのかと。
瑞山記念館も大河をきっかけにリニューアルされとるぞ。
531名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 19:55:08.11 ID:GUkD8qMaO
>>526
お前まだいたの?
532名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 23:23:52.69 ID:XqmxLqRdO
>>530
そうか?
武市はやっぱり一般的にはゴミクズ認識なんだなと思ったけど
533名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 23:34:33.24 ID:XqmxLqRdO
>>528
それは龍馬伝以降の話だろ?
龍馬伝以前の話してんの。
龍馬伝以前は最悪なイメージしななかったから嫌われてて、墓も閑散としてた
龍馬伝やってから客増えたみたいだけど
534名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 23:38:52.57 ID:XqmxLqRdO
己の保身のために、尋問で嘘ついて、田中光顕や平井収二郎や以蔵や新兵衛に濡れ衣着せる武市って最低だよなww
535名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 23:43:32.75 ID:wGi9I3/10
>>533
「龍馬伝」で、親が唯一反応したのが武市さん
こどもの頃、祖父に立派な人だと教えられたんだと
そのせいか、大河はとっとと脱落してたけどね
536名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 00:16:40.27 ID:ODgwUGhk0
>>532
パッと見、>>530での以蔵のイメージは「ただの人殺し」「裏切り者」という評価が目についたがね
正当な評価だろう、実在の岡田以蔵は師匠の為に何かしたわけではない、
己の欲望のままに行動して身を持ち崩したクズ、土佐勤王党の面汚しだ

そうそう
>>155の企画展行ってきたんだが、なかなか良かった
これだけ個性の異なる二百人近くの人間にリーダーとして認められたのだから瑞山先生は大したもんだ
ただ勤王党自体がまだ研究途中の集団だから、調査がもっと捗るといいんだが高知の研究者には在野の人が多い気がする
それともどこもこんなもんなのかな

ちなみに岡田以蔵関連の展示はゼロだったよ
やはり真っ当な志士としては認められていないのかな
537名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 00:49:03.60 ID:86riBYE3O
何か基地外が一匹延々と貼り付いてるみたいだね。
武市の事が嫌いなら、どんな所が嫌いなのか正面堂々と言えば良いのに
以蔵美化に疑問を持つ中立派を装った煽りとか、アンチ平井のふりをした煽りとか、
やる事が妙に回りくどいなw
いずれのパターンの煽りも、悉くフルボッコにされてるのが笑えるんだが。
538名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 00:55:15.43 ID:QwW8G1zo0
史実知ってて、武市さんが嫌いな人っているのか
539名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 01:22:18.32 ID:86riBYE3O
例えば創作物を通して以蔵ファンになり「武市最低!」とアンチ武市化した連中が
以蔵にとって都合が悪い史実話や武市の優れた面を伝える史実話に対して拒絶反応を示し、
夢を壊されたくなくて、何とかそれらを否定したがるパターンはあるかも。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 11:16:44.79 ID:hW7tqFwLO
>>536
武市に毒殺されかけて自白っていう創作を本気にしてる連中も相当多かったじゃん
武市の嫌われっぷりはガチだから諦めろ
真実ではない捏造された歴史でアンチ増やされた武市ヲタざまぁwwww
捏造美化で人気ものになった以蔵ヲタは勝ち組
541名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 16:39:26.65 ID:myF+AiMx0
以蔵が人気あるのは大したヤツじゃないのも理由の一つでしょ。
調子に乗って人切りまくったけど、志士として認められるわけじゃなし。
ちょっと可哀想な気分になるのでしょう。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 18:00:51.88 ID:CwQb/vI+O
>>540
「以蔵が毒殺で怒って自白」は創作だってほぼ突っ込まれてるじゃん。あと武市さんに尽くしたってのも。
リンク先の以蔵評は概ね
「腐女子は実在の以蔵も佐藤健みたいな人だと勘違いしてるんだろうねw」
「拷問に耐えかねて仲間売るのは駄目だろ」
「ただのテロリストだろ?」
みたいな感じじゃない。
それとも見てるスレが違うのかな?w

武市さん達を死に追いやった奴を顕彰する地元民の気が知れないって意見には特に同意。

以蔵みたいなゴミクズのファンは本人に似て>>540みたいなのばっかりって良くわかったよ。
捏造が心の拠り所、史実の以蔵はいいとこ無しで残念だったねw
543名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 19:52:29.98 ID:hW7tqFwLO
史実がどうであれ、歴史上の人物なんて美化されたもん勝ちだからね
武市と以蔵に関しては捏造が真実なのでしょう
大勢が美しいといえは、美しい事になっちゃうんだよ
だから武市が糞で以蔵が純真だと大勢が言えばそれが真実なんだよ
だから武市は史実がどうであれ糞でFA
544名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 20:52:28.64 ID:CwQb/vI+O
>>543
さんざん収二郎を叩いたり岡田を叩いてみせたり、
結局武市さんを叩きたいだけの以蔵ヲタなのを何とか誤魔化そうとしてたみたいだけど、
そんな日がな一日スレに張り付く位、以蔵が叩かれて武市さんが誉められてるのが嫌?

上のスレ見てたら分かると思うけど一般的に「人斬り」以蔵にもともとそんな良いイメージないよ。
ようは異常者だもん。
美化してるのは岡田以蔵=佐藤健か美形のイメージ持ってるちょっとアレな女性ファンが主でしょ。

当時の価値観で以蔵は「女性も耐えた拷問にすぐ泣き喚いて仲間を売ったクズ」以外の何者でもないの。
ある程度知識があれば血盟で異姓兄弟を誓った同志を売るのがどんなに罪深いか理解できるし、
そんな以蔵に対して武市さん達は闇雲に毒を盛ったりはせず、以蔵が捨ててしまった仲間の信義を捨てはしなかった。

武市さんを叩いても、そんなゴミクズの以蔵を庇い立てする事にはならないよ。
545名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:29:38.85 ID:hW7tqFwLO
>>544
ここ以外では武市なんて嫌われてるけど?
一般に人気あるのは以蔵だし?
一般は歴史なんてたいして調べないからイメージがそのまま史実になっちゃうんだよ
だから一般には武市は冷徹なテロリストとしか思われてないわけ
以蔵の人気に嫉妬?みっともなwww
546名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:34:14.10 ID:hW7tqFwLO
>>542
武市が死んだのも勤王党が死んだのも自業自得でしょ?以蔵はこいつらに見下されて冷たくされてたんだからむしろ被害者でしょ
あんなに頑張って勤王党のために人斬ってたのに以蔵が可哀想じゃないか
547名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/17(日) 23:56:39.29 ID:86riBYE3O
まぁいずれにせよ上のスレを覗いてみて思ったが、
「以蔵が武市らの毒殺計画に怒り、自白」
なんて俗説が下火になってきて
「拷問であっけなく以蔵自白→獄外同志が次々に逮捕される→毒殺計画浮上(実行はされず)」
と言う正しい認識が思いのほか広まってきているのは喜ばしい。
小説やドラマを鵜呑みにしたまま思考停止に陥っている層は
いずれ他所で論破されて発狂するのがオチ。
普通に議論すると勝つ自信が無いもんだから
以蔵・平井アンチのふりをしながら武市を叩こうとしたが逆にボコボコに論破され、
悔しさのあまり未練がましくキーキー騒いでる誰かさんみたいにな。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:02:50.72 ID:vgUUJGVv0
>>546
ようはお前以蔵が可哀相〜って言いたいだけだろw

〜勘違いしてる腐女子向け〜史実の岡田以蔵テンプレ

●人斬りやらされて可哀相?暗殺で利用された?
利用されてない、どころか武市先生は天誅禁止の支持を出していた。
天誅は一対一の果たし合いじゃない、多人数で少人数をリンチするだけ。
一緒に天誅に参加した他藩の志士まで利用されてたってか?
天誅は汚れ仕事でなくむしろ英雄視される行為。 以蔵が着牢時、牢番に自慢話しているのを聞かれていることから功名心が強い人間性が窺われる。

●あんなに武市先生に尽くしたのに!
以蔵が武市先生を慕ったとか尽くしたとか書かれた史料はこの世に存在しない。
これは「武市先生が非常に慕われる人柄だった」という所から派生した創作。
武市先生を慕ったというなら、以蔵と共に天誅に参加し、
武市らの釈放を求めて決起し死んだ野根山決起メンバーの名でも挙げるべきだね。
本当に以蔵が武市大好きなら拷問にも耐えられたんじゃないか?w

●仲間に見捨てられた?
調子こいて殺人を重ねお縄になりそうになったので以蔵は江戸の長州藩邸に逃がされた。
これは武市先生の紹介状がないと無理だろうな。
同時期に高杉晋作への借金を千屋菊次郎が立て替えてあげた記録が千屋菊次郎の日記に。
その後勝海舟の所に行くも酒色に溺れ以蔵は身を持ち崩しホームレス化。

●毒殺を恨んで自白?
司馬遼太郎の創作。
書簡の記録から実際は以蔵が拷問ですぐ自白→仲間の投獄続出→毒殺計画浮上が正解。
その後、同志間書簡で「以蔵も不義を後悔してる」という記述が。
勤王党員だった以蔵の弟に以蔵に毒盛るか自害させるか考え中なんで親を説得してきて
みたいな話し合いがあったが、結局以蔵に毒を送る必要がなくなった。
既に仲間に実害を出している平時なら切腹モンの裏切り者に対して、武市先生達は強引な処分は行わなかった。

あーあと岡田は貧民でも無学でもないんで「純粋で判断力が無かったから騙されてたの!」みたいな責任逃れも通用しない。

◎結論
岡田以蔵のみを特別視せず共に行動した人間と比較してみると、以蔵は単なるクズ。
惨めな最期になるべくしてなった完全に自業自得の人間。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:43:52.66 ID:c4S6v260O
>>522
田内衛吉の墓は今月新調されてピカピカになっとった。
花と看板もあった。微妙に説明間違えてる気がするが…

>>545
一般的に「あたしは人斬りが好きでーす」なんてのは痛い奴だよw
550名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:45:15.11 ID:gAYtmZ5+O
龍馬伝から墓に訪れる人が増えたつっても、所詮は嫁のオマケでしかないからな武市はww
嫁が目的で墓に訪れる人が増えただけなのに、武市ヲタは誤解してて笑えるwww
武市の人気じゃねーのになw
あくまで嫁の人気
551名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:49:22.08 ID:gAYtmZ5+O
富>>>>>>>>>>>>>>>>武市って感じ
訪問者は富関連が目的なだけ、武市はただのオマケ
552名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:54:08.45 ID:c4S6v260O
>>550
即レスかよ気持ち悪いなw
また1日中スレに貼りついてたのか?
なんかますます主張にムリがあるぞ。
妄想の世界が心の拠り所みたいだが>>548みたいな事蹟の人物のどの辺にかわいそうな要素があるって?
現実見ような。
553名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 22:30:13.25 ID:6dRDmeKiO
>>549
田内衛吉の墓新しくなったのか?墓石ごと?
あれは見る度気の毒だったからな…
554名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 03:35:06.53 ID:1+6rzv+eO
武市さん昔(戦前?)は周辺の学校単位で瑞山神社にお参りされる程尊敬されてたんだって。
だから今でも地元の人からは大事にされてるらしい。
武市さんがいなきゃ龍馬達も志士として羽ばたけなかったしね。

ところで土佐勤王党って各郡部に首領格がいるけど、樋口真吉と清岡道之助以外では誰が該当するんだろう?
555名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 09:51:26.29 ID:5o57e3650
>>543
お前捏造まみれの会津も好きだろww
556名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 10:50:00.61 ID:0+gdOcEp0
>>539
アーアー聞こえないの以蔵オタ、確かにみかけるね
フィクションがすべて!史実一切興味ないっての

しかし以蔵を顕彰ねえ
武市中岡のレプリカ像より、こっちを反対する声が上がらなかったのか不思議
地域活性、商売結構だが、大事なものを失ってしまうよ
557名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 11:10:59.62 ID:Hts8I8010
>>554
大石弥太郎とかじゃね。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 12:19:40.39 ID:uJ1CvrQa0
龍馬に付いて一つ気になるのは、
勝に会って話聞いただけで宗旨替えしたこと。
これは龍馬は勝に会うまでいわゆる大攘夷論を
まともに聞いたことがなかったということを意味する。
土佐勤皇党の性格がよく分かる話。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 12:34:09.85 ID:vFUWi/0tO
>>556
地元民も以蔵の真実を知らないんだろう
司馬のような、武市に尽くしたのに裏切られた可哀想な以蔵だと思ってるんだろうよ
>>558
武市が西洋砲術くらいしか習ってなかったような奴だからしかたないなww
まぁそれでも、外国の技術が必要だってことは皆わかってたろうよ
560名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 12:54:01.57 ID:Hts8I8010
>>558
時々でいいので、佐久間象山と河田小龍あたりも思い出してやって下さい。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 13:24:37.84 ID:0+gdOcEp0
>>559
げに、司馬とその系譜のフィクションの力の恐ろしさよ
司馬作品の前と後で、巷間の評価は決定的に変わったということか
地元ですらそうだとしたら、あとは何をかいわんや
562名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 13:39:42.26 ID:vFUWi/0tO
原因は司馬とその影響を受けた小説だけじゃないだろうけどな
菊地明や山村竜也みたいな捏造上等な糞歴史家連中がのさばっているせいでもあるんだろう
こいつらがやってる事は、ぶっちゃけマスゴミとたいして変わらないよ
563名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 15:25:38.22 ID:DRC/7QNR0
>>558
容堂の御側小姓してた上士は、慶応4年2月の時点でもまだ、古臭い小攘夷思想のまま思考停止してたよね。
容堂の教えのままに攘夷を決行して腥風血雨の惨劇を展開し、最期、都合が悪くなると捨てられた哀れな家臣。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 00:39:26.61 ID:jn7f8KMPO
島村衛吉関係資料集が南国市役所から出てる。
衛吉の石碑にはちゃんと死ぬまで拷問に耐えた事が刻まれてるのに以蔵ときたら
死んだ後まで足を引っ張りおって…本人もヲタもウザいやっちゃ。
565名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 15:15:29.23 ID:qgBJgjwgO
>>548
別に武市の紹介状無くても、平井や間崎辺りの紹介状が有ればOKだろ
武市が紹介状書いたってソースは有るわけ?
他の党員のかもしれないじゃん
566名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 21:25:39.92 ID:2yv8IFoh0
しかし武市は仲間に人斬りさせて自分の手を汚さずうまく立ち回ったな。
戊辰戦争まで生きられず、最後は切腹だけど。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 21:40:28.14 ID:qgBJgjwgO
別に武市的には上手く立ち回ったつもりはなく、ただたんに、希望者が多かったから、結果的にボスの武市まで出番が回らなかっただけなんじゃね?
くじ引きで刺客決めてるようなレベルだったって話だし
つか、手を汚すとかいうけど、別に天誅って汚れ仕事じゃなくて、むしろ英雄史される行為だったって話だし、皆功名を貪るために刺客やってた部分も有ったんじゃね?
568名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 07:21:32.26 ID:MMjZ/ELcO
晩年の容堂が病床で「半平太ゆるせ、ゆるせ」とうわごとを言っていたのは
「武市を殺していなければ、明治政府で土佐派がもっと力を持てた」
と言う後悔からだとよく言われるけど、
それだけじゃないと思う。
「ゆるせ」と言う言葉からは良心の呵責を感じる。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 09:38:06.13 ID:rL9U8ul2O
>>568
まぁ、そうだろうね。
結構卑怯な手段で排斥したからね

しかし創作の武市さんって、扱いがどれも糞だね。
史実の武市さんが好きだと苦痛だよ
武市さんがまともな扱いされてる創作ってあるの?
以蔵はどれもやたらキレイキレイな扱いされてるけど
570名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 09:54:49.53 ID:AdSkFzXQO
普通にあるし
最近は昔より扱いよくなってると感じるけど
571名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 11:35:14.93 ID:rL9U8ul2O
>>570
一応まともな扱いされてるのも有るのかww
勤王党が主役の創作ならそりゃあ多少はマシな扱いだろうけどね
572名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 17:07:39.04 ID:e1RgA+Pw0
谷干城の本が先月出てた
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121021037/bakumaturyoma-22?creative=1615&camp=243&link_code=as1
一応関係者ということで…
上士の働きももっと注目されるといいな
573名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 21:45:47.58 ID:beemNa8N0
土佐っぽ関連書籍出版ブームか何かなのか。
なら瑞山書簡集出して欲しいぞ。どこに要望出せばいいんだアレは。土佐史談会?
谷も武市さんの感化で尊王攘夷運動に傾倒したんだったか。
同じく協力的な上士の佐々木高行の方は
麻田勘七道場&鹿持雅澄門下生で
勤王思想うんぬん抜きにしても武市さんとは結構縁が深かったのかな?
574名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 21:56:49.36 ID:A6n/LaYF0
>>568
> 「武市を殺していなければ、明治政府で土佐派がもっと力を持てた」

頑固な武市先生が岩倉具視と仲直りしていた可能性あるかね?
575名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 22:28:47.72 ID:U3MOOSnAO
>>574
普通に手を組んでたんじゃない。
公武合体運動で志士の反感を買いはしたけど
岩倉具視だって要は朝廷の復権のために働いてたんだし。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 22:58:06.18 ID:beemNa8N0
中岡慎太郎館で岩倉具視が
孝明天皇暗殺犯という説もある、という風に説明されてて(当時の状況考えれば不可能犯罪なんだが)どこも割といい加減だなあ…と。

いい加減な話といえば熊本の美術館に貸し出して変色させられた絵金の絵はどうなってるんだろう。
絵金こと幕末土佐の絵師・弘瀬金蔵も土佐勤王党と関わりがあり、武市瑞山の絵の師匠をしていた事もあったそうだ。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 23:08:36.89 ID:rL9U8ul2O
その絵金じゃなかったっけ?武市さんに西洋砲術教えたの
武市さんだけじゃなく、龍馬や以蔵にも西洋砲術教えてたような?
578名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 01:03:38.31 ID:1E5wUUCQ0
>>577
それは徳弘孝蔵。
ちなみに絵金の墓の近くに岡田以蔵の墓もあるが、
顕彰について不満があるならそこの来訪者ノートに意見書くなり投書するなりしてくれば良い。
山の東側の入り口から登ればすぐそこだから。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 10:14:06.41 ID:PJeTzbMF0
>>573
>なら瑞山書簡集出して欲しいぞ。どこに要望出せばいいんだアレは。土佐史談会?

ご存知かもしれませんが、復刊ドットコムに投票という手も。
http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=49816

>>578
以蔵の墓のすぐ近くには、岡本寧浦の墓があったりね。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 11:15:17.21 ID:0eiHqb7mO
高知の人が武市は容堂の家来だったから、高知では評価低いって言ってた…。
武市って、脱藩しなかったせいで、高知では佐幕だと思われてて、天皇に尽くしたイメージ無いとかなのか?
だとしたら悲しすぎる…orz
581名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 18:58:39.31 ID:c37r7OmI0
そんな訳無いだろw

>>575
岩倉の方は自分を失脚させた三条実美とも協力してるね。
その仲立ちが中岡慎太郎だったわけだけど、武市はそれに関与しているのかどうか。
少し前に執拗な岩倉追放要請を行っていたが、
その時館に投げ込まれた岩倉への天誅予告文に武市は関与していたかどうか。

この辺よく分からない。

それから、武市が長生きしていたら、尊王の方はいいとして、
小攘夷は捨てないといけなかった。これが武市さんに出来たかどうか。
これは小攘夷を嘲笑していた岩倉との関係上も重要。容堂にしても同じ。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 20:52:39.58 ID:0eiHqb7mO
武市さんは、世の中のためには、あそこで切腹しといて正解だと思うよ。
ぶっちゃけ、武市さんよりも、平井、間崎、弘瀬を生かしておく方が、日本のためになったのは間違いないと思う
というか、武市さんの存在意義がわからん
やってる事とか色々、オウムの麻原レベルでしか無いのに
583名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 20:59:09.92 ID:0eiHqb7mO
武市さんが死んでも富さん以外誰も困らなかったもんな
死んでも問題ない人物だったのは間違いないね
584名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 23:20:01.30 ID:c37r7OmI0
山内豊範入京が武市さんの功績であることは間違いない。
これは土佐藩にとって非常に大きな分岐点になった。
薩摩、長州に並ぶ立場になったし、それが維新を進めた。

ただ武市さんは正論家(by高杉)なので、
小攘夷をあっさり捨てるのは難しかったと思われる。
具体名は避けるが、小攘夷は幕府批判の方便でしかないような人が多い中、
武市さんと水戸っぽたちはちょっと違うというか、原理主義的な所がある。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 23:40:39.03 ID:0eiHqb7mO
やっぱ死んどいて正解だったんじゃんw
武市なんて生かしておいても、小攘夷捨てられずに邪魔になって、河上みたいに処刑されるのがオチwww
容堂は正しい。武市は時代に必要ないゴミクズだからあそこで死んだだけ
586名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 00:08:05.96 ID:a5lWoVZO0
>>584
幕末はあまり知らなかったんだが、武市さんを調べていて、謙信を連想したよ
つまり原理主義
別の言い方すれば、純粋
587名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 01:28:22.72 ID:oa3aymEP0
野根山二十三士の記念碑の傍らには、彼らが命懸けで助けようとした武市半平太の小さな銅像がある。
死ぬまで拷問に耐えた島村 衛吉、
二十三士副首領の清岡 治之助、
酒色に溺れ身を持ち崩したあげく捕縛され拷問ですぐ仲間を売った岡田 以蔵…
京での天誅に参加した者たちだが以蔵のゴミクズっぷりは他の党員と見比べると一目瞭然だな。
盛られてもいない毒殺話で以蔵を美化するのは彼らへの冒涜と言えるだろう。
瑞山の処分後、藩庁への反発は凄まじく、その後の人事に影響を及ぼしていたようだ。
588名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 01:49:33.23 ID:MUgE8b0ZO
武市の影響力が凄いのは認めるけど、小攘夷から足を洗えないとなれば、弾圧で葬り去られなくても、どのみち処刑される運命だったと思う
武市よりも東洋や、令旨事件の三人の方が死んで惜しい人材だったのは間違いない
589名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 02:02:03.14 ID:oa3aymEP0
あんだけ攘夷攘夷いってた武市の大好きな長州も方針転換したんだし
生き残りの勤王党員とそう変わらない人生を送ったと思われる。
荒らしはどれだけ平井に重きを置いてんだよw
留守番任されてた頃の収二郎が京都で独断場の活躍うんぬんという
維新土佐勤王史の記述を真に受けているのか?
590名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 02:45:02.22 ID:a5lWoVZO0
荒らしか
印象逆だな。この人えらい武市オタにみえるよ
591名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 06:48:38.10 ID:IVyelso4O
鈍い奴だな。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 08:19:32.98 ID:MUgE8b0ZO
>>589
違うの?令旨事件の三人が死んでから、武市なんて使えないゴミに成り下がったじゃない
あの三人がいなきゃ武市なんて何の役にもたたない無能w
勤王党での実質上のリーダーは平井だし
この平井ら三人も、結局は馬鹿で盲目な屑武市が殺したようなもんだしなwww
武市よりもこの三人の方が優秀なのに、何の役にもたたないゴミクズ武市の方が評価されてるのが信じられん
593名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 08:24:55.40 ID:MUgE8b0ZO
武市なんて誰が見ても、無能で役たたずな屑でしかないのに、武市ヲタは美化しすぎでワロスwww
こいつが何をした?
こいつはひたすらに自分の身分を上げるのに必死だっただけじゃないかw
こんなゴミクズを評価するより、平井や間崎をもう少し評価するべき
武市なんか身分が他より上ってだけで盟主になったお飾りのくせに
594名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 08:26:08.48 ID:MUgE8b0ZO
こんな無能ゴミの魅力がわからん
どこが良いの?
595名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 11:07:19.86 ID:IR+SESaf0
>>563
その山内容堂の腹心の吉田東洋も実は小攘夷主義者。
吉田東洋が開国派だったなんて後世の附会的妄説だよ。
596名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 12:43:58.13 ID:msInudE30
東洋は小攘夷じゃないよ。
武市とは有名な論争があって、
東洋は富国強兵論者、武市さんはとにかく上洛論者。
東洋の長期的な土佐藩雄藩政策に、(藩士教育、米備蓄、海運政策など)
そんな金があったら、上洛しろと武市は論難している。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 12:55:34.54 ID:FLSPVhWjO
>>590
な?ただの荒らしだろ?
脳内高知人ソースで叩いてみるやら平井オタのフリをしてみるやら
お前の好きなゴミクズヘタレの以蔵が何したってんだよw言ってみろホレ。
武市の役割が出来た勤王党員は他にいないっつの。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 13:44:11.65 ID:IVyelso4O
自分は武市好きだけど」とか言いながら
「武市って〇〇って言われてるけど本当なのかなぁ?(主に以蔵絡み)」
と、今更なネガキャンネタを持ち出したり、
平井を叩いているように見せながら
結果的に平井age武市sageに持って行こうとしたり、
やる事がいちいち回りくどいんだよなw
平井ネタで暴れていた初期も、コイツが何者なのかは大体察しがついてた。
どうせ最終的にはただの武市アンチの正体を晒すくらいなら
最初からいちいち手の混んだ事をしないで、武市のどこが嫌いか正面から指摘すれば良いのに、
何でそれをしようとしなかったのやらw
599名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 14:01:17.13 ID:xD+Sr3Xd0
>>595
吉田東洋は開国派を装った潜在的小攘夷主義者ともいえるね。
どのみち東洋はその圭角多き性格故、四周敵ばかりで味方が皆無。
勤皇党が出なくとも、遅かれ早かれ始末される運命にあっただろう。
600名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 14:43:48.70 ID:MUgE8b0ZO
容堂とか後藤とか岩崎弥太郎とかは東洋の味方だったんじゃねーの?
東洋が人望無くて、武市が有ったってのも作り話の可能性あんだろうがww
武市って、実は党員達に陰口叩かれてたんだろ?
内心ウザがられてたんじゃねーの?
601名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 15:15:45.92 ID:msInudE30
>>599
いや、登用されるきっかけの幕府への建白書案が条約未締結、議論継続だから、
装ったも何も最初っから開国慎重論者。武力、国力のあまりの違いに、
小攘夷なんて到底不可能、土佐藩の軍事力を上げるには、
藩政をどう改革すればいいか、そればっかりやっていた。
だから守旧派と小攘夷派にはすごく評判が悪かった。
土佐藩は、この改革開始が遅かったことに加えて東洋暗殺で、
薩摩藩に藩政においてずいぶん遅れを取った。
武市も立場は相当違うが、東洋を人物としては認めていた。
東洋が内政、武市が尊王を中心とした外政と分担できれば、
土佐藩は薩長を凌ぐ実力の可能性があった。
ところが二人とも死んでしまった。
東洋暗殺(武市は反対)の負の連鎖としか言いようがない。

602名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 15:51:40.55 ID:JvnIccDZ0
>>596
>>601
それは、急場を凌ぐために書いただけで、なんら効力も持たない虚勢で取り繕った戯文。
吉田東洋を重用した容堂公は、東洋没後すぐに御側小姓に命じて攘夷論書かせてるよね。
で、周りの意見を封殺し、無理を通して建てた住吉陣屋は勤王党の秘密基地になる始末。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 17:16:17.59 ID:JYJ3ggb90
>>597
いや、これは一周まわった武市オタだよ
604名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 18:12:02.76 ID:IVyelso4O
>>603
なぜそう思うん?
痛いアンチのふりをしたヲタだとでも言うのか?
605名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 20:57:44.44 ID:MUgE8b0ZO
武市の嫌いなところ?差別主義者で権力大好きな所が嫌い
偉くなりたいなりたいって鼻息荒くしてるところが嫌い
そのためには殺人も平気でする、仲間も裏切る残忍なところが嫌い
606名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 20:58:26.82 ID:msInudE30
>>602
> それは、急場を凌ぐために書いただけで、なんら効力も持たない虚勢で取り繕った戯文。

いや小攘夷よりはずっと時局を見据えた意味のある意見書だった。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 00:03:59.30 ID:iA2siGiy0
不思議なのは、吉田東洋死後、故人の死を悼む声が士分からも民衆からもまったくなかったこと。
重役として藩のために尽くしたっていうんなら、相応の追悼、賛辞が残ってる筈だが、見事にない。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 00:09:23.37 ID:GmepjtTx0
アンチ武市は痛い以蔵ヲタ、みんな知ってるね。
以蔵みたいなクズを正当化しようとするから1日中キチガイじみた連投する羽目になるw
岡田のアホを正当化できる余地なんてどこにもないのにね。

>>603
オタレベルの粘着アンチね。
しかもちょくちょく間違えてアホぶり晒してるな。いちいち突っ込まないけど。

>>605
それなら実際の武市さんの行動と逆じゃん。具体的にどのエピソードを指して言ってる?
差別主義者で権力大好きな所が嫌い
→党員は皆、武市先生のもと平等だった。
 党員の扱いは「異姓兄弟」、土佐勤王党は下級武士中心だが農民〜上士までの身分混合集団。
 白札の武市さんが一番身分が高いわけじゃない。
偉くなりたいなりたいって鼻息荒くしてるところが嫌い
→そんな人物評聞いた事ないなw実直な武市の私心の無さは周囲が認めるところだよ。
そのためには殺人も平気でする、仲間も裏切る残忍なところが嫌い
→吉田東洋暗殺は最終的に許可をだしたとはいえ反対してたんだが?
天誅も党員がやりたがるのを容認はしてただろうけどやがて禁止の指示を出した。
天誅で武市さんにどんな利益があったって?上士にニラまれるわ公家に苦情言われるわイイとこ無しじゃない。
そして既に仲間を売った裏切り者のクズ野郎以蔵に対しても毒殺をむやみに決行したりしなかった武市先生がいつ仲間を裏切ったって?
いいから以蔵と他の党員の行動を見比べてみなさいよ。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 00:24:54.27 ID:5cH/SyLk0
>>606
>いや小攘夷よりはずっと時局を見据えた意味のある意見書だった。

小攘夷主義者で偽開国論者が書いた中身空っぽの意見書など何ら価値なし
610名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 03:23:36.80 ID:Md5KCG/C0
>>587
東ノそふどふも、数々御人数参り候よし、いかなる事ぞ。
誠に誠にけしからぬ事。あのよふなくたらん事をする人があると、
御上ミからは千羽一トくくりに見て、今、やかましく言ものハみなみな
あのよふなものとおもひ、正義の人のめいわく二相成候と存申候。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 06:54:31.22 ID:pubi8Xeo0
東洋?佐幕派で小攘夷の雑魚だろ
大体武市先生は討幕派であの当時に合うはず無いわな
生きてれば時勢の変転で酔う堂の様に身を翻したかも知れんけど

東洋は長州の長井の航海遠略策と同じようなもんで佐幕開国派
航海遠略策は武市の同志である長州の秀才理論家である久坂に粉々に論破されてるし
それで長州の藩論も航海遠略策を捨て尊王攘夷に変更し長井は自決に追い込まれてる

東洋や長井は残念ながら小才はあったが大略はなかったわけだ
612名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 07:10:32.74 ID:spnXk/sPO
>>611
武市は尊皇攘夷だが、まだ倒幕までは考えが至って無かったよ
というか、まだあの辺だと、長州ですらまだ倒幕まで考えが至ってないんだから、武市がそこまで考えが至っている訳がない
でも、あのまま生きてれば長州との付き合い的にも、勤王党も間違いなく倒幕に転じていただろうから
倒幕を恐れた容堂は、武市が自分に忠実な事を良い事に、まだそこまで考えが至らぬ内に武市を抹殺したんだろう
613名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 07:26:11.00 ID:pubi8Xeo0
当時先鋭の志士の間で既に討幕論は出てるし
王政復古派も内に既に討幕も含めてる
公的藩論として出て無かっただけ

吉村や勤王党で脱藩した連中は薩摩の挙兵に加わろうとして脱藩してる
武市も山内民部に対し薩長が勤王を唱へ討幕の論を既に決したから時期を失わず遅れるなと言っている

容堂が武市を処分したのは尊攘派が不利になり長州が没落した政治的理由が主にすぎない
容堂は時勢が変転した王政復古後は今度は佐幕派を武市と同じように処分してる
614名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 13:27:47.45 ID:sBBtSzOk0
挙兵は攘夷が目的。
尊王攘夷派が一番盛り上がった八月十八日の政変直前でさえ、
ほとんどが攘夷の話ばかり。(倒幕を視野に入れていた人もいたとしても)
そもそもまだ幕府と一緒に攘夷するつもりだった。
政変以降急速に尊王攘夷運動が衰退していったのは、
いざ「即今攘夷」を行おうとすると、挙国一致しても無理なのが、
現実に近づけば分かってきたから。政変が起きたのもそのため。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 19:56:24.29 ID:KUoaZE9d0
尊王攘夷自体は幕末通して天下の公論みたいなもんで別に対立軸ではないし
幕府側も攘夷で新撰組も攘夷だし

吉村寅太郎や龍馬が武市の一般勤王路線をあきらめ脱藩したのは、討幕攘夷に立つ薩摩藩に参加しようとした平野国臣らの浪士蜂起計画に参加する為
平野国臣は当時既に討幕論者で、薩摩に行って大久保利通に公武合体は駄目として薩摩藩が動けと討幕論を唱えてる

吉田松陰なんかも初期こそ幕府を中心に攘夷しようと考えてたが、安政の時点で幕府に失望し賊扱いして討幕論を唱えてる
最終的に在野が起つしかないと草莽崛起論になる
だから久坂らも薩摩の挙兵に加わる準備してる

結局は薩摩藩実権者だった島津久光は討幕の挙兵なんてする気なく容堂と同じ公武合体派
討幕攘夷の薩摩人挙兵派に驚いた久光が止めるよう命じたから
薩摩人同士で同士討ちした寺田屋事件が起きた

久光自体は明治語もちょん髷和服で西洋医学を嫌い
寺田屋事件の後に生麦事件で無礼だった英国人を斬り薩英戦争まで起こしてるから生半可な攘夷論者より筋金入りの超攘夷派
ただ討幕・倒幕論者でなかったから明治後も部下だった西郷と大久保を憎んでる

武市が山内民部に対し薩長が勤王を唱へ討幕の論を既に決したから遅れるなとあせって東洋暗殺を実行したのもこういう情勢の為
616名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 20:08:42.26 ID:spnXk/sPO
>>615
でも、武市は最初東洋暗殺には反対だったんだろ?
617名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 20:13:15.05 ID:KUoaZE9d0
八月十八日の政変も当時朝廷を独占し長州政府と言える主導権握ってた長州と長州型の尊攘派に対し
佐幕派の会津と長州に遅れをとって専横を憎んでた薩摩が同盟を結び、朝廷から長州と長州型尊攘派を一掃した政変

これで朝廷の政論も尊攘から幕府との融和である公武合体になり
土佐藩でも尊攘派の武市は失脚して牢に入れられる

その上長州は朝敵になり朝廷と幕府による長州征伐が始まるから武市を切腹させた
618名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 20:47:06.29 ID:spnXk/sPO
>>610
自分を助けるために命までかけた連中に対して冷たいな
619名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 21:17:37.74 ID:qQdMXmbP0
>>611
長井雅楽の航海遠略策に反対するような奴は朝敵だよ。
当時の朝廷で煙たがられていたのは久坂玄瑞と武市瑞山の方。
天誅がなければ相手にされたかどうかも疑わしい。
当時の朝廷はどうやって尊攘派の怒りを買わずに済むか右往左往している。

長州藩で長井が失脚したのは久坂に論破されたからではなく、
長州に無断で行った久光の上洛で薩摩藩に遅れを取ることを恐れたことと、
坂下門外の変直後の親征勅語を見たため。
ちなみに周布政之助がこの藩論変更に大きな役割を担っており、
(古い親征勅語を見て、天皇の真意を勘違いしてしまった)
後にこの大失敗の責任をとって切腹している。

620名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 21:25:14.84 ID:qQdMXmbP0
>>615
久光は開国派だよ。
蘭学好きの先代と違って国学者だったけど。
もともと徳川を含めた公武合体派だったのに、
限定攘夷論の慶喜と衝突して参預会議が解体した。

無礼を許さないことは開国派であることに矛盾しない。
外国に媚びへつらうのが開国派じゃないからね。
井伊みたいなのはなんだかよく分からないけれど。
621名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 22:39:53.42 ID:KUoaZE9d0
残念ながら長井雅楽は目先の事態収拾しか考えず、危険な欠陥策である航海遠略策を出した
西郷隆盛でさえ長井を奸物としてる

一方の英才・久坂玄瑞はペリー来航以来の幕府の対応力の無さをよく把握して、幕府では列強の侵略を防ぐのは不可能と見通し、攘夷こそ日本統一・国民国家を作り上げるに必要不可欠なナショナリズムである事を知っていた

さらに久坂は世界情勢も見通し、列強が日本を思うが儘に侵略できないのは清での太平天国の乱が原因であると良く知り藩論を尊皇攘夷へと導いた
対日政策を立案してたオールコットも亜細亜での民族抵抗を見て、日本にもナショナリズム運動されたら大変だと恐れてる
622名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 22:44:20.39 ID:spnXk/sPO
天誅に、藩同士のお付き合いと、安政の大獄の報復以外の意味なんてあるのかよ
623名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 22:52:55.22 ID:KUoaZE9d0
攘夷派と開国論も別に矛盾しない
久坂自体も航海遠略策を切り捨てながら開国論に触れてる
土佐の勤王運動の先駆者で盟約文を書いた大石や龍馬自体も勝海舟の弟子で開国論者だ
龍馬は尊攘派と違う路線と考えの様に描かれるが実際は一貫して尊攘派である
624名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 22:56:11.77 ID:spnXk/sPO
じゃあ何故、武市が盟主になったんだろう
大石が盟主やれば良かったのに
625名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 22:58:59.74 ID:spnXk/sPO
結局焦って東洋殺した武市はアホだったって事になるんだよな?
武市が盟主じゃなければ悲劇防げたんじゃね?
626名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:03:04.94 ID:KUoaZE9d0
そりゃ武市ほど人を動かす力
物事を纏め上げる統率力や指揮する指導力
政治力や人望が及ばないからだろ

武市は自藩の連中にも他藩の連中にも慕われてる
長州の若手リーダー格の久坂や薩摩の田中新兵衛なんかも心酔してる
東洋でさえ武市先生と呼んでたほどだ
627名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:07:51.71 ID:KUoaZE9d0
佐幕派の東洋が暗殺されなきゃそもそも土佐藩は京へも上洛できてない
功績も薩長との連携も無い
せいぜい維新後に薩長についた位だろう
628名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:08:37.71 ID:qQdMXmbP0
>>621
孝明天皇が航海遠略策を内々に認めていたんですよ。
久坂玄瑞は残念ながら朝敵なんです。

当時、尊攘派をいかにおとなしくさせるかが大きな課題で、
薩摩や長州は尊攘派を罰することを朝廷に求められていた。
それをどんどん天誅で押し切って行った。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:10:18.08 ID:qQdMXmbP0
>>626
まじめで正義感のある人ってのは過激派系理論家の特徴だからね。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:10:57.92 ID:KUoaZE9d0
残念ながら朝敵なんですも何も
長州藩自体が一度朝敵になってますが?
その後覆すけど
631名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:21:43.05 ID:spnXk/sPO
>>629
武市は比較的温厚な方だと思うんだが
最初は東洋暗殺だって反対してたし、高杉にもテロ嫌いって言われる程だし
公家に苦言言われて天誅禁止令も出してるし
高杉スレに現れた変なのと同一人物かな?
632名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:22:58.09 ID:9Om+tCMGO
過激派公家の三条や姉小路たちが力を持ってたからな。
またこの公家達が考明天皇の発言を抑えてたし。
天誅は大獄関係者への嫌がらせが主目的だろう。
大獄で活躍した公家の九条が夜は鉄の箱に入って震えてるってよザマァwとか言われてたしな。
633名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:29:58.43 ID:KUoaZE9d0
考明天皇も対外的に極度の攘夷主義であるのは変わらない
孝明天皇、幕府、長井、東洋、容堂らが共通するのは対内的に幕藩体制の肯定派もしくは改革派
武市、龍馬、久坂、西郷らは対内的に幕藩体制の否定派
ここが大きな対立軸で対外論の攘夷自体は実際は大きな対立軸ではない
634名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:35:26.27 ID:9Om+tCMGO
朝廷を蔑ろにすんなワレェと幕府を蔑ろにすんなやワレェ
の対立なわけ
635名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 00:57:20.20 ID:I/MTLhtv0
>>632
岩倉や中山を脅迫してるんだから、攘夷を推し進めるためだよ。

前関白の九条も天誅を恐れていたが、逆に現関白の近衛も恐れていた。
どちら側も暗殺されるのではないかと戦々恐々で、
これが当時朝廷が右往左往した原因の一つ。

>>633
> 考明天皇も対外的に極度の攘夷主義であるのは変わらない

それは結構古い知識に基づいている。
幕末の朝廷内の動きが詳しく研究されたのは80年代になってから。
それまでは考明天皇は基本的には急進的攘夷派と思われていた。
(今もそう書いている書籍は全く信用がならない)
現在はごく初期に攘夷を諦めはじめていることが分かってる。

> 孝明天皇、幕府、長井、東洋、容堂らが共通するのは対内的に幕藩体制の肯定派もしくは改革派

ここも今は少し違って、長井の周旋が幕府の権威を落とし、
朝廷の地位を上げたことが明らかになりつつある。
この後の勅使東下も長い間、孝明天皇による強い攘夷要請と思われていたが、
今では公儀によって攘夷を諦める方向を目指したことがはっきりしている。

> 武市、龍馬、久坂、西郷らは対内的に幕藩体制の否定派

西郷さんは公武合体幕府改革派ですよ。斉彬萌えなんだから。
西郷さんは久光と同じで守旧的な性格というか精神の強い方ですよ。
開国のように理屈で終わる話は理解できる人たちだけど。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 01:14:11.41 ID:AW5DpcTHO
むしろ武市や久坂は、忠光に天誅頼まれて困惑してた方だろうよ
武市がなんのために断ストして来いって久坂に言ったと思ってんだ
637名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 15:37:10.16 ID:4ILLUi590
そういえば樋口眞吉の伝記は
横田達雄氏も出してたんだね
誰か今月出たのと読み比べてくれないかな
638名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 18:10:58.91 ID:jk8uUx2NO
「天誅」も一件一件、背後の事情がちょっとずつ違うから一くくりに考えない方がいいべ。
天誅=佐幕派を斬りまくったってイメージ持ってる人がいるが
土佐勤王党は天皇トークで皆が泣き出すくらい朝廷を神聖視してるから朝廷関係を汚す奴らが許せないのであって
佐幕開国派を敵視してるかっていうと必ずしもそうではないような。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 19:00:54.39 ID:iPvov31J0
まあ当時天誅できない腰抜けでは無理だろ?
手を汚してないヒーローかの様な虚像作られてる龍馬も暗殺してるしな
バリバリの勤王派だし
640名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 20:23:38.63 ID:r3bECFJbO
龍馬暗殺じゃねーだろ
寺田屋での正当防衛で2名銃殺
関義臣か誰かが水夫を斬ったとも言ってたけど暗殺ではないし
641名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 20:37:48.22 ID:zyoqKZ5mO
岡田星之助(?)暗殺に
龍馬が関与していたとか言う話を
何かの本で見た事があったような気がするが
記憶違いか?
642名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 20:41:42.65 ID:jk8uUx2NO
勝海舟の日記に龍馬が近藤(長次郎?)や岡田(以蔵?)達と一緒に人斬りに行ったってのがなかったっけ。
643名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 00:03:28.12 ID:T/BKUZ9b0
>>640
指名手配中みたいなもんだったから「正当防衛」は難しいかと。
もちろん「暗」殺ではないが。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 00:05:52.83 ID:T/BKUZ9b0
>>638
本間精一郎に対する天誅はいろいろ理由が言われてるけど、
納得できるようなものはないなあ。何だったんだろう。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 00:21:20.06 ID:Ws5nXe9oO
本間はスパイだと疑われてたんじゃなかったっけ?
しかも、那須の日記や清河八郎にも酷い言われようで、あまり志士としての評判も良くなかったみたいだし
646名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 00:36:24.54 ID:NdvXmYiY0
>>644
本間の伝記編集の際、東久世伯が答えた話によると、
本間は会津藩に出入りしており、この為にスパイ容疑を掛けられたのではないかとの事。
田中新兵衛達の行った島田左近暗殺を自分の手柄だと吹聴して回り、
田中の世話をしている薩摩藩士の所でもこれをやって摘まみ出されてたな。
そういえば足利将軍木像梟首事件の時も会津のスパイに密告されたんだっけ。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 00:44:02.22 ID:NdvXmYiY0
>>642
 龍馬、近藤、新宮、岡田、黒木等御船に来る。云、岡田星之助悪意有之間、撃つへき之義決せり、若御船出帆之機に遅れなば、陸行すべしと云。
 『海舟日記』
んで岡田星之助は土佐藩士に刺殺されたとなってるな。


648名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 00:54:26.25 ID:T/BKUZ9b0
岡田星之助も殺された理由がよくわからんのだよな。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 01:01:23.32 ID:0BJBpCfe0
うむ
650名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 01:22:52.06 ID:T/BKUZ9b0
乗船送らせてもやらないといけないような暗殺だから、
スパイの可能性が高いのかなとは思うけれども。
651名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 01:58:20.42 ID:lKRCMg+K0
龍馬もしっかり暗殺してるよなー
さも現代風な自由主義や民主主義の思想を持ち、
武市らと違い暗殺などしない穏やかなるヒーローみたいに扱われてるが
脱藩理由も武市の一般勤王よりさらに過激な倒幕挙兵への参加
脱藩後も勤王党と普通に連携してるし、神戸海軍でも勤王党に協力要請して助けてもらってる
八月の政変にも怒りまくって売国奴共を全員ぶち殺したいと手紙で書いてるし
小説やドラマなんかでは龍馬の勤王攘夷面はほぼカットされてる
652名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 02:29:44.01 ID:u6FVy5k+O
広井磐之助の仇討ちは龍馬や勝門下の協力があったわけだが大体スルーされる
仇討ちとはいえ人殺しに協力してるのは龍馬のイメージに合わないからなあ
戦前だと美談扱いだけど、現代との価値観の違いか
653名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 11:37:08.72 ID:0LFCfRzC0
しかも仇討ち期限を勝に頼んで延ばしてるでしょ。
当時としても本来やっちゃいけない仇討ち。

まあ坂本はこの前後ドラスティックに
考え方変わっていくのは事実だが。
藩を捨てたから出来たことと思う。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 13:31:45.39 ID:JkqjepCW0
ま、結局は龍馬も土佐藩との協力体制に回帰していくんですけどね
655名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:42:58.24 ID:4ytes2rsO
他のメンツを見てると脱藩をあんまり美化するのもなあ。まあ龍馬は要領良かったね。
龍馬も大石弥太郎から勝海舟に関する情報を仕入れたんだっけ?

ところで時期的に見ると本間殺しに絡んで武市さんが田中新兵衛と義兄弟になってるみたいだけど
これは何でなんだろう。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 23:49:46.20 ID:NdvXmYiY0
>>655
何種類か推測は可能だろうけど
実の所何故なのか、これはよくわからない。
安政の大獄関係者の被害が目立つ中で本間は少し浮いてる。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 00:23:51.68 ID:fawvHU41O
本間は春に津藩士と偽って那須と面会してるし、薩摩の倒幕挙兵計画にも絡み、勤王党をかく乱して武市を苦しめたりもしてる
その上、佐幕派の会津藩にも出入りしてたんだろ?スパイ容疑での天誅でFAじゃねーの?
新兵衛と義兄弟になったのも、本間の天誅をスムーズに行うためとかかもしれん
そういや、収二郎の日記に会津藩士がちょくちょく出てきたなw
こいつもスパイだったりしてww
658名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 01:07:10.71 ID:7k3kOtDG0
本間は四奸二嬪排斥運動の先鞭をつけた人で、
本来同じ尊攘派の中山忠能からも名指しでテロを計画していると
天皇に上申書を出されているくらいだから、
姉小路公知のように勝に篭絡されて、
大攘夷に転じたってことも考えられない。
対抗勢力のスパイにしては活発に運動しすぎてる。
この人はやはり内輪揉めで殺されたんじゃないか。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 01:17:36.09 ID:fawvHU41O
姉小路は新兵衛が暗殺したらしいが、
武市が新兵衛に命じて殺させたとは思えないんだよな…
姉小路のおかげで政治に口出しできてたようなもんなのに、殺したりするもんかね
660名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 03:35:39.43 ID:MA//37IWO
龍馬が勝海舟の門下に入った後も、
そんな龍馬と土佐勤王党が連携していたと言うのは
武市は勝の事は敵視してなかったと言う事か?
661名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 10:24:09.19 ID:fawvHU41O
>>660
そもそも、武市と一緒に勤王党を立ち上げた大石が勝の門下生だったんだけども
龍馬伝を真に受けてんの?
武市は勝と会ったことも、敵視していたという事実もないよ
武市が会ったことがある幕府関係者は、松平春嶽と徳川家茂で、勝は含まれてない
662名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 11:40:12.37 ID:WisEUZtE0
>>660
勝の門下入ってからは連携してないでしょ。
坂本は即今攘夷派じゃなくなってるんだしね。
姉小路公知が幕府に篭絡されたと武市と轟は激怒してるけど、
その姉小路が殺される一ヶ月前に、
坂本は勝と姉小路の摂海視察に付いて入ってる。
この時に篭絡されたってことになってるんだから、
勝はもとより、坂本に対しても(随伴を知っていたら)怒りはあったはず。

ただ、武市は土佐に戻って、坂本の脱藩を許し、
土佐藩士が勝の門下になることを認めた容堂と、
いろいろなことを折衝中だから、怒りは抑えていたはず。

上に書かれてる勝門下生組が岡田を殺したのも
この摂海視察の三月足らず前だよね。
だから政治がらみで殺したとしたら、どっちの立場かサッパリわからんよね。
まあ内輪揉めみたいなもんだと思うが。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 12:43:14.21 ID:fawvHU41O
姉小路はやっぱ武市が新兵衛に殺させたんかな。
だとしたら高潔でもなんでもないじゃん美化し過ぎwww
664名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 13:28:25.54 ID:YxXz7via0
>>662
支援者を失って事態を深刻に受け止めてはいたようだけど姉小路公知の変節を激怒とかかいてあったっけ?

あと龍馬は加尾が国許に帰るときの宴会に党員に混じって参加してたような。
高杉を龍馬に紹介したのも瑞山だよね?
665名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 13:38:42.35 ID:fawvHU41O
>>664
今ちょっと調べたけど、どうやら幕府側(勝サイド)から出た話みたい
666名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 19:09:45.88 ID:MA//37IWO
>>661
武市と勝が会見した事があるとか一言も言ってないんだが…
何でいきなり龍馬伝?
667名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 20:10:42.50 ID:QPGfSmPt0
土佐勤王党と、共につるんでる過激な尊攘派志士達を十把一絡げにみると
佐幕派を見境なく襲ってるとか、
清川八郎にいわれてた様な
天誅のことは土佐人をはじめ薩人これに和し候。
彼らは三公卿(千種、岩倉、富小路三卿)五武士(長野主膳、島田左近、宇郷玄蕃、加納繁三郎、三浦七兵衛)を斬らざれば刀は鞘に収めずと申居候云々
みたいな印象になるが、武市に関しては
とりあえず血祭りじゃオラー!みたいな連中よりは、もうちょっと落ち着いていたと思う。

吉田東洋暗殺くらい明確に
関係者がこれこれこういう事情でしたと書き遺してくれない限り
暗殺の詳細なんてそうそう伝わる訳がない。
それでも天誅はいくつか回顧録があるけどな。目明し文吉とか賄賂取ってる商人をボコボコにした話とか。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 20:45:53.41 ID:7k3kOtDG0
>>664
加尾の送別も、高杉に会うのも、勝に出会う前。

>>660
武市が江戸、京を発って土佐に変えるのと、
坂本が勝の門下になるのは微妙にすれ違ってる。

武市が江戸を立つ直前に土佐勤王党の会合、
これには坂本も出ている。その後武市が江戸を立つ。
その後、坂本が勝を訪れて、その後門下生に。
坂本はその後に京に戻り、京の状況を兵庫の勝に知らせている。
この京に戻った時に、お龍が話している武市に対する
土佐に戻らないようにとの説得があったのだと思う。

勝のことを話したかどうかは不明。その後二人は会ってないし、
坂本は土佐勤王党も即今攘夷も忘れたかのごとく、
勝と神戸海軍繰練所に傾倒していく。
ただ坂本は即今攘夷に強い避難の気持ちがあったかと言うと違う。
下関戦争では長州に同情的。

武市と坂本は考え方は離れてきたが、同士としての友情を優先していたと思う。
ただ全く相容れない立場だから、武市が生きていたら衝突しただろう。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 21:26:44.10 ID:l1vzPeFQO
>>668
武市さんと龍馬って相容れない関係かね?
龍馬から過激なイメージを省きたい創作では袂を分ったとかよくいわれてるけど。
長州と足並みを揃えようとしてた武市さんだけど龍馬が長州人に睨まれた話なんて聞いた事ないし。
それどころか勤王党→海軍操練所組が池田屋事件で一緒に死んでるし似たようなもんだったと思うけどなあ。

ところで
>>651
神戸海軍操練所が土佐勤王党に協力要請って何の話?
670名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 21:42:51.25 ID:fawvHU41O
>>668
収二郎の隈山春秋に海軍組のことが書いてあったから、龍馬のことも当然知ってたんじゃないの?
そもそも龍馬は間崎のおかげで勝の門下生になれたんだから、武市が知らないはずないと思うんだが
671名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 21:52:46.94 ID:4x2iMcxb0
>>669
龍馬が江戸で勤王党の間崎哲馬に海軍振興の考えを話し、間崎が藩重役の小南五郎右衛門に伝えた。
そこから千屋、高松、望月といった操練所のメンバーが送り出されることになった
だったはず
672名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:51:30.36 ID:QPGfSmPt0
小南は勤王党をよく助けた数少ない上士だったな。

大まかに言うと
龍馬は攘夷というか夷敵に立ち向かうには海軍の力が必要(河田小龍の話から興味を持った様だ)、
瑞山は攘夷には王政復古が必要、そのためには挙藩一致して事に当たらなければならないという考え方で
日本を守る事、天皇を敬う点で一致してれば敵対するような間柄ではなかったと思われる。
瑞山と龍馬をはじめ、党員内でこの辺の見解の相違が口論の元になったという記録も特にないし、
脱藩に関してはなるべく差し止めたいが、行動は各自の自主性に任せる方針だったのだろう。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 23:25:15.80 ID:7LV0JVx+0
>>672
大河で、はじめて龍馬ものをみ、武市さんの名前を知ったものだが
つまり、攘夷の手段を龍馬、体制を武市さん、なのか
674名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 23:59:35.09 ID:fawvHU41O
でも武市さんは、姉小路が幕府にって激怒してたんでしょ?
武市さんは大攘夷嫌いだったんじゃ…?
675名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 00:13:37.10 ID:44/25wos0
龍馬は手紙で
攘夷戦で長州藩を攻撃した列強側の軍艦を幕府役人が江戸で修復し、再び長州藩と戦ったことに怒り、
列強と内通する売国行為であると非難してる
さらに朝廷と神州に大本をたて、同志、大名らと心を合せ、姦吏どもを打殺して日本をせんたくしたいと述べてる
武市と龍馬は基本的に大本の方針は変わらない
武市は最初から一貫して体制転覆の政治志向と政治活動だったのに対し龍馬は海軍という技術分野に関心行っただけで特に敵対する理由が無い
676名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 01:11:22.60 ID:qdUwhtMf0
二人で高杉たちの焼き討ちを辞めるよう説得してるのが、
龍馬が勝に弟子入りしてからなんだよな。
ただ、勝以後の龍馬は公武合体派でしょう。
武市さんが切腹する頃までは普通に。その後どんどん倒幕に転じるけど。

一方、武市さんは、東洋の雄藩計画を激しく罵倒している。
今は上洛と即今攘夷だ、長期策に金使ってる場合かと。

この辺、武市さんはどう折り合いを付けていたのか。

677名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 08:04:02.82 ID:QAU27vFNO
そもそも龍馬は薩摩の倒幕挙兵に参加するために脱藩したんだから、公武合体派だなんて有り得ないんじゃ…
龍馬は一貫して尊皇攘夷派でしょう
ただ、攘夷の考え方が、武市とは違っていただけで。(武市は王政復興ありきで龍馬は海軍ありき)それに、龍馬が公武合体でも、それが対立理由にはならない
武市は薩摩の公武合体派とも普通に付き合えていた
龍馬は別に勝門下生だからって佐幕開国になったわけでもないし
678名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 09:40:25.28 ID:xElKinWX0
幕末の日記読み解く
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=273903&nwIW=1&nwVt=knd

ちょっと欲しいかも…。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 10:31:53.38 ID:k++pEQSQ0
龍馬も尊皇攘夷派=王政復古派は変わらないでしょ
よほど海軍に魅力覚えただけで
皆が必死に王政復古運動してる中、独特の行動パターン取ったから後世から面白がられてるんで

龍馬が脱藩した一つに、長州へ使者で行った時に久坂に感化された面もある様
久坂は手紙で「諸侯も公卿も頼りになら無い尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡しても大義の為なら苦しからず」と書いてる
自藩が滅亡しても良いなんて当時の幕藩体制の思想からしたら飛びぬけてる

勝自体も幕臣の癖に公武合体路線気味だった西郷を倒幕派にした位だから
国家の為なら幕府が終わっても仕方ないって考えだったんでしょ
680名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 10:55:55.32 ID:HeBN5mbx0
>>677
龍馬が公武合体派じゃないとは驚いた。
大政奉還は、倒幕の名目を失わせる公武合体派の逆転打というのは、
常識の部類だと思うが。公議政体論者の中でも、徳川が諸侯会議に
加わるのは問題ないという立場。どうせ予算は新政府が握るのだから、
どうにでもなると後藤象二郎に話してる。
現実には無血革命ではなく、馬上天下の方向に向かったわけだが。
681名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 12:05:54.47 ID:el5DFwcwO
龍馬が公武合体派なんて話の方がビックリだよ。
龍馬は最終的に倒幕派、戦争の準備をしながらも避けられればいいだろうとは考えていたけど。
龍馬の中でも序列は明確に朝廷>幕府。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 12:09:45.05 ID:el5DFwcwO
あと龍馬と海舟の関係を特別視する人がいるけど
意外とこの2人ってイメージほど結びつきが強くないような。
操練所閉鎖のドサクサに紛れて龍馬が横領しながらトンズラこいた後は勝と接点ないし。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 13:46:17.41 ID:xf19z6C10
公武合体はあくまで幕藩体制の維持再生強化であって
大政奉還なんてんは幕府が朝廷に権力返して幕府でなくなるからそれこそ倒幕行為そのものw
684名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 14:02:20.93 ID:QAU27vFNO
だよな〜
大政奉還は平和的倒幕であって、公武合体とは違う
むしろ武力倒幕より、正論家で温厚な武市の考えに近いんじゃない?
685名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 16:16:39.17 ID:oaU7Uta7O
「武市の正系を継ぐのが中岡で、奇系を継ぐのが龍馬」
みたいな言葉を聞いた事があるけど、これはどういう意味なんだ?
686名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 20:52:20.09 ID:qdUwhtMf0
>>669
北添佶摩は、神戸海軍操練所にいて、後に池田屋事件で死亡したけど、坂本龍
馬に、過激な尊皇攘夷派とは交流を絶つように言われてるよ。けどそれが出来
なくて、池田屋で死亡。

池内蔵太は、神戸海軍操練所には所属せずに、長州に下り、下関戦争(対米)、
天誅組挙兵、禁門の変に参加してるけど、後に坂本龍馬と下関で会って、つま
らない戦はしない、つまらない死に方はしないって約束してる。そして亀山社中へ。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 21:11:04.36 ID:qdUwhtMf0
>>685
中岡は第一次長州征討の落とし所、特に五卿を探る中で
三条の使者やって、薩長和解の第一歩を成功させているよね。
武市も少し前に容堂に薩長融和を説いてる。
二人ともまごうかたなき倒幕派だしね。
中岡は坂本と違って幕府の知り合い少ないし。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 21:53:25.47 ID:jsWoGJyq0
武市は在京時代から薩長土の連携を重要視していたが、獄中でも倒幕派までは行ってなかったぞ。
龍馬は国力差で単純な攘夷の無謀な事はわかっていたいただろうが
その後時勢を見て長州にも接近しだしたな。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 22:00:07.73 ID:QAU27vFNO
でも、武市だって長州との付き合い的に、あのまま投獄されなければ倒幕派になっていただろうよ
だから倒幕を恐れた容堂は、自分に従順な内に武市を消したんだろう
690名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 22:49:18.03 ID:qdUwhtMf0
当時は倒幕を考えていた人も武力倒幕じゃなくて、
攘夷で絡めて征夷大将軍の任を解くことを目的にしてるよね。
四侯会議の挫折、倒幕の密勅はかなり後のことだし。

文久二年の伝奏例下りに加えて、即今攘夷の別勅使を派遣する問題で、
姉小路は即今攘夷に幕府が応じない場合、「大処置」をどうするか議論しておくべきだと
主張している。これは征夷しない将軍の解任の事だと言われている。
中川宮が大事になるのを恐れて別勅使に反対したので、姉小路が訪問して議論、
宮は頑として首を立てに振らないので、姉小路が憤慨して帰宅。
三日後に武市が薩長士連名の別勅使派遣の意見書を持って現れ、
宮が別勅使を了承。姉小路と武市は共闘している。

ちなみに、この後の朝廷の議論で、結局、勅語は玉虫色に。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 21:02:08.76 ID:cyLIBz/Y0
「土佐おもてなし勤王党」6人決定 観光案内など担当
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20110429-OYT8T00644.htm

高知でまた恥ずかしいイベントが…!
土佐勤王党をアピールしたい気持ちだけは伝わってくるけどどんどん迷走してるよコレ。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 21:06:37.04 ID:1ZLXChqs0
各地でおもてなし○○隊つくってるから高知も便乗したんだろうが
レプリカ像の次はこれか。
そもそも岩崎弥太郎は勤皇党員じゃないだろww
693名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 22:11:14.43 ID:7fd7wvAT0
土佐勤皇党に殺されるのが怖いから、
犯人探しやめて、京から土佐に逃げ帰ったよな。> 岩崎
694名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 22:29:23.70 ID:cyLIBz/Y0
>>693
いやあれは書類不備が判明して運良く引き返してたの。
これが無ければ以蔵たちに息の根止められてただろうね。
ところで岩崎弥太郎と武市さんて偶然同じ宿になった事があったんだっけ?気まずかっただろうなあw

>>678
自費出版系の本はすぐ入手困難になるから買っといた方がいいかもね。
Amazonで千屋家文書とか凄い値段になって…。

ところで山内家宝物資料館から出てる歴代公紀・幕末維新編が半額サービスになってるね。
http://www10.ocn.ne.jp/~yamauchi/08hanbai/syoseki/syoseki.html
695名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 18:11:43.25 ID:kT2ZXXY1O
>>691
弥太郎かこれ…こんなお笑い芸人がいたっけ
武市さんは自衛隊の人ですか
アピールするにしても土佐勤王党が何してた集団かを周知してからPRするべきじゃない?
じゃないと天誅しか目に付かないし
この辺の事情ってわかりにくいよね
696名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 23:21:04.34 ID:iodc3o5C0
天誅=佐幕派の暗殺と説明されてるケースもよく見かけるが、
土佐勤王党に暗殺された佐幕派の要人ていたっけ?
安政の大獄に関与した者を佐幕派と呼ぶのは大雑把過ぎやしないか?
697名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 11:42:34.61 ID:uUPUokEt0
>>696
幕府の権威を守るため
一橋慶喜擁立派を弾圧したんだから一応佐幕派?
698名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 17:48:09.85 ID:UdVWOk7u0
>>696の言っているのは、目明し文吉の事なんじゃないのかね。
699名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 17:50:21.03 ID:V0vuic740
>>691
以蔵のマジ顕彰イベントに比べれば、遥かにいいな
しかし誰が誰やらわからない
700名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 18:30:56.10 ID:vwsvq/mm0
佐幕派って説明するのと安政の大獄関係者と言うのではまた印象が違うしな。

>>699
以蔵の慰霊祭今年もやるのかね。
数年前は役所で墓の場所を聞いたら「あんな土佐の恥に墓参りですか?」とか言われる扱いだったんだがな。
勝手に浮浪者になって捕まり拷問で即座にゲロって仲間を売っただけのクズを
創作根拠に英雄扱いする行為自体が土佐の歴史業界の恥だよ。
地元民はもっと調べて岡田以蔵は毒も盛られてなければ武市に利用されてもいないただのアホだと認識を改めるべき。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 19:57:41.71 ID:M20pf0qkO
>>700
今の高知県民は、武市=卑怯者、以蔵=英雄認識でマジで終ってるよww
こんなアホな県に産まれてしまった武市が不憫でならない
長州に産まれてれば、こんな理不尽な目に合わずに済んだのに
702名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 23:24:57.75 ID:dj6C8TErO
荒らしは武市関連のニュースは目に入らないらしい。
瑞山の墓所は相当な僻地にあるのに人が増えてるのは素直に凄いよ。
「人斬り」好きなんて痛い腐女子のファンなど不要。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 04:03:39.19 ID:Iswb0NeyO
>>700
役所の人が「あんな土佐の恥に墓参り?」って言ったってマジ?
以蔵がろくでもない男だったのは事実だとしても
墓の場所を聞かれたのなら場所だけ答えりゃ良いのに
何か一言余計な気がする…w
704名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 09:13:42.59 ID:G4cz/23Y0
>>700
そうだね、以蔵には毒は盛られてないよね。
実際は毒を盛る計画があり、その旨家族に
了承を求めたが拒否られて断念しただけだよねw
705名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 09:29:37.82 ID:VX0Bw/wpO
武市はアホだな、自白した時点でさっさと以蔵に毒盛っとけば、犠牲者も出なかっただろうに
こんな奴がトップだった事が勤王党の不幸
以蔵を責めるのは間違い、全て考えが甘かった武市が悪い
だいたい家族が拒否するのくらい常識でわかるだろうに馬鹿すぎだよ
706名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 09:33:57.09 ID:VX0Bw/wpO
以蔵を責めて武市を責めないここの連中こそクズ以外でもなんでもないと気づくべき
クズなのは以蔵ではなく武市なのだから
707名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 11:37:21.70 ID:Ye9bx5leO
別に「家族が毒殺に同意しなかった」という史料がある訳でもないんだが
まあアホに説明してやる義理もないので自分で調べてこい。
岡田以蔵の行動に正当化できる余地も同情できる余地も全くない。すべて自業自得。

身を持ち崩した堕落漢の以蔵に対しても信義を貫いた武市は真の武士であった。

龍馬記念館にもメールで以蔵の悲劇イメージの訂正を要求しとこうかなw史料添付して。
さもないと高知は創作を史実と信じる程度のレベルなんだと認識され後々良くないだろう。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 11:48:15.69 ID:VX0Bw/wpO
実際そのレベルなんだから良いじゃない
高知なんて所詮そんなもん
高知に何夢見てんの?
709名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 11:48:48.90 ID:Iswb0NeyO
まぁね。
実際とは真逆な創作物のイメージ=実像と認識する人達が増え(どれくらいいるかは知らんが)、
地元高知がそういう人達に媚びるような真似をしてると、
高知は大切な物を失ってしまう気がする。
710名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 15:06:46.34 ID:zKNCoi060
ただ、人斬りがいなければ、
尊攘派はもう少し早く尻つぼみになっていたと思われる。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 17:39:08.06 ID:VX0Bw/wpO
以蔵だけが人斬りやってた訳じゃないけどね
712名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 17:58:22.97 ID:eCdE65eu0
以蔵が暗殺をげろったのは大した問題でない。
問題は他の同志の名前を漏らした為に他の同志もつかまった。
武市が死んだのは不敬罪だから、結局以蔵が暗殺をげろっても、武市の指示や罪とは確定できなかった分けで。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 19:42:18.96 ID:ZlEQQDUT0
>>707
あれ、史料ないんだ?
それからこれをもって高知のレベル云々はないよ
観光客誘致は日本全国どこでも必死。お互い様で使えるもんは使っとけ、だ

たださ、慰霊祭はどうかと思う
やるにしても、やるべきほかの志士たちを全部慰霊して、
最後の最後に誰もいなくなって、じゃあ以蔵も、という流れが妥当だろう
史実を若干脚色ならともかく、このケースは真逆だからなあ
歴史にもしもはないが、以蔵の自白がなく、大獄にも至らなかったとするとどうなったのか、つい思いを馳せる

悲劇イメージの訂正は地元では手に余るよ。大河のような国民的ドラマでもないとね。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 19:45:53.15 ID:VX0Bw/wpO
以蔵の美化にともない、武市も鬼畜扱いされてるからね
高知でも、武市なんてただのテロリストの犯罪者としか思われてないからな
715名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 22:07:50.10 ID:HCxcK2+rO
以蔵美化の反動か何か知らんが以蔵ミーハーよりこいつみたいな
瑞山はテロリストとしか思われてないだのネガキャンする奴の方がうぜーわw
高知で尊敬されてないとでも?今まで顕彰されたことがないとでも言いたいのか
瑞山にマイナスイメージがあるのは確かだが尊敬と評価はされてます
716名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 22:13:31.39 ID:VX0Bw/wpO
別に武市なんて、今は高知で尊敬も評価もされてねえよ
されてたとしても、完全に過去の産物か仁井田でだけww
こいつに比べれば、他の勤王党員の方が評価も尊敬もされてる
こいつはあくまで殺人狂のキチガイ犯罪者でしかない
717名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 23:27:03.30 ID:f95ahMo30
>>712
当時は自白主義なんで、自白しないと白州に上げられないよ。
拷問もせずに低調に扱った上に、証拠突き付けられてるのに、
自白も切腹もしない武市さんがちょっと普通でない。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 23:33:53.70 ID:VX0Bw/wpO
武市なんて、保身しか考えてないクズだからな
719名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 23:38:54.87 ID:VX0Bw/wpO
武市はただのキチガイだからな。こんなキチガイを武士の鑑とか言ってる武市ヲタはマジで頭がおかしい
720名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 04:46:37.06 ID:z9jLx+vgO
まだID:VX0Bw/wpOにいちいち構ってる人がいるのか。
コイツがどんな内容のレスをしても
「あ、コイツは例の基地外か」ってすぐに分かるんだけど、
他の人はそうじゃないのか?
721名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 05:07:53.38 ID:z9jLx+vgO
>>717
「武市が全ての責任を一身に背負ってさっさと自白するべきだった」と言いたいのかな?
軽はずみにそんな事をしたら、まだ逮捕されていない同志への追及が防がれるどころか
その自白内容を突破口にますます逮捕者が相次いで獄が拡大する事くらい
容易に想像がつかないものかね?
以蔵ら一部の人間の自白とそれに伴う逮捕者の増加と言う苦境に立たされながらも、
武市ら他の勤王党員が一致結束して監察府の追及に耐えたから
監察府は自白しなかった他の勤王党員の罪状を立証する事が出来ず、
死刑判決は、自白者4名の斬首以外では武市の切腹だけで食い止める事が出来たのだと思うが。
連投スマソ。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 07:09:22.16 ID:MNcOCn6mO
>>717
獄中でどうやって腹切れと。
突きつけられる証拠がなかったから不敬罪で切腹を命じられたんだけど?

お家騒動に発展するから山内家連枝の保守派と結託して藩を動かしてたのは
絶対に黙秘するべしと口裏合わせがしてあった。
以蔵も後から「拷問が辛いのは皆覚悟の上で入牢している。拷問に耐え切れなければ自分の罪のみを認めて死地につけ」
と説得されて自白を改め出したし当時の価値観としては真っ当な対応なの。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 09:56:20.79 ID:nyNPuzmK0
>>713
>たださ、慰霊祭はどうかと思う
>やるにしても、やるべきほかの志士たちを全部慰霊して、
>最後の最後に誰もいなくなって、じゃあ以蔵も、という流れが妥当だろう

その流れで高知県護国神社に以蔵もまつられてますやん。
http://blogs.yahoo.co.jp/kochi_gokoku/25472090.html
724名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 11:18:53.44 ID:sERFYB1lO
以蔵が拷問に耐えきれず自白って、龍馬館でもそうなってるんだな。
瑞山記念館ではきちんと説明されてるらしいが
それでも慰霊祭しちゃうんだから、余り者だったんじゃね?
725名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 12:28:31.45 ID:Ig/USuNsO
半端に詳しい粘着武市アンチは高知県民?
以蔵みたいなクズが好きなら好きで構わんからムダな連投愚痴はチラシの裏に書いてろよ。
田内衛吉の方も顕彰されだした様だが、地元民は田内が一体誰のせいで死んだか正しく認識しておくべきだ。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 13:02:54.44 ID:xC9qw55l0
727名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 14:28:13.41 ID:Ig/USuNsO
>>726
なるほど。
とはいえ党員への尋問・拷問が激化する切欠になったのが以蔵な訳だ。
結局勤王党の獄では刑死+獄死で20人位犠牲になったんだったか?
以蔵に信義があれば、身を持ち崩さず仲間を売らず、明治まで生き残れた者も大勢いただろうな。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 16:02:49.58 ID:ATOFKvG90
拷問死や服毒死も含めると
文久3年〜慶応元年までの弾圧で死んだのは
10名くらいじゃなかったか?
729名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 20:04:44.97 ID:kIHO7Y+FO
平井、間崎、弘瀬の死に以蔵は無関係だから、こいつらは除外されるし
以蔵の自白が原因で拷問が悪化して死んだのは、自白に追い込まれた斬首三人の他には、島村と武市の弟だけじゃないか?
幸い死ななかったが、以蔵の自白で迷惑被った人間なら、そりゃ多いだろうが
明治政府の大臣クラスにも居たよな
730名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 23:52:32.14 ID:HMX6y4Av0
没年不明の党員もいて正確な人数はわからなかったような。
野根山の面々も勤王党の獄に連鎖して死んでるといえばそうだが。
最終的に獄中の同志の頑張りにより、獄外の者への処分は小南のみで食い止められた。

一番具体的な供述内容だったのが岡田以蔵……。

速攻で毒盛らず2回も毒殺計画が持ち上がるほど同志をピンチに陥れた割に実行されなかったのだから
土佐勤王党の結束は相当固かったと言える。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 14:41:32.02 ID:7lBDnCM80
>>713
父と相談しますと啓吉が返答した後、この件についての史料はないよ。
家族が反対云々は菊池明の想像。

どうもそうだろうと思ってたけどアンチは高知県人ぽいね。
イゾウ贔屓したがるのはこんなんばっかりかw
想像と史料の記録の区別が付かないなら日本近代史板にこないで文学板にでも行けば?
そこで好きなだけイゾウカワイソーカワイソーって言ってれば誰も止めないよw
732名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 17:38:00.58 ID:AJHlsjOM0
自白時期と自白内容についても、ほとんど史料はないでしょ?
田内衛吉はどっちも分かってないはず。
捕縛と服毒自殺の時期だけはっきりしていて。
この辺分からないことが多いはずだけど、創作がかなり浸透してるよね。
以蔵も自白したり、非行で洛外追放になったり、
いろいろと問題多い人だとは思うが、
完全ヘタレ人物的な想像は酷すぎるなw
733名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 18:34:25.16 ID:MoYRfkq6O
拷問にソッコーで根をあげて自白して獄外同志を道連れにした以外にも、
女も耐えていた拷問に耐えられず泣き叫んでいたとか言う話もあるな。
ヘタレなだけならまだ良いが、借りた金を返さないわ、酒に溺れるわ、
天誅禁止されても勝手に殺人行為をするわ、強盗犯にまで落ちぶれるわで
一分の救いようも無い。
734名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 21:34:02.52 ID:IfCQYPMa0
瑞山記念館のガラス割ったのもこの高知民らしきアンチじゃねーの。器物損壊は感心せんなぁ。

以蔵は高杉に大金借金して党員が立替えてた話以外にも金策絡みの話があった様だな。
脱藩した勤王党員達が保護されてる長州藩邸のリーダー格に金無心してたら居辛くもなるわ。
関係者証言を総合すると結局だらしなくて金に汚くて長州やら勝やら勤王党員が頼れるツテ全てから追い出されてたって事だろう?
以蔵みたいなクズを英雄扱いなんて高知は早く目を覚ますべきだな、実に恥ずべき事だ。

まあ横田氏が徹底的に資料を洗ってくれていて良かったよ。
その横田氏の資料を都合のよい所だけ孫引きして金儲けのタネにした菊地のアフォも許し難い。
以蔵の非になりそうな所はほぼハブきやがって何が『史伝・岡田以蔵』だ。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 22:57:28.31 ID:jnEZnhLD0
大河スレで拾った
今現在の高知では武市さんの存在はどうなってるんだ?

357 :日曜8時の名無しさん:2011/05/06(金) 18:08:24.10 ID:YtuAgrDO
NHK歴史語り「龍馬伝」http://www.nhk.or.jp/kochi/ryomatosa/rekishigatari/index.html
龍馬と土佐の幕末

坂本龍馬の様々なエピソードや、歴史研究で明らかになったことなどを専門家へのインタビューを通して紹介します。

第1回 「新資料が語る!龍馬の新婚旅行秘話」
第2回 「龍馬と勝海舟 師弟のきずな」
第3回 「龍馬暗殺未遂!?新資料から見る寺田屋事件」
第4回 「龍馬と権平兄さんのきずな」
第5回 「平井加尾」
第6回 「土佐沸騰のきっかけ 井口事件」
第7回 「岡田以蔵」
第8回 「平井収二郎」
第9回 「お龍」
第10回 「近藤長次郎」
第11回 「身分を超えた同志〜龍馬と後藤象二郎〜」
第12回 「龍馬 最後の里帰り」
736名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 23:49:26.54 ID:UYLYduhZO
>>735
大石弥太郎も中岡慎太郎もいないな…はあ
龍馬って特別な人!なイメージが壊れるせいか功績が被る人はスルーされる傾向にあるとはいえ
龍馬に勝の事を教えたのは勤王党結成前に勝の門人になってた大石経由であろう
というのは割と有名な話じゃなかったっけ?
あと坂口の創作色プンプンの井口村事件が土佐勤王党結成の起爆剤って何を根拠に言っているのかね。
737名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 23:56:59.40 ID:TOA58uWhO
やっぱり武市は高知では平井以蔵以下の存在なんじゃないかwww
どこが尊敬されてるんだ、ただのテロリストとしか思われてないからスルーされてるんじゃないのか?www
ま、ゴミクズだから仕方ないかww
738名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 00:03:44.83 ID:yMmsc8DNO
>>737
志士の遺墨展では以蔵のイの字もなかったらしいけどねw
ブーメラン乙
739名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 00:45:05.22 ID:9bxy19rAO
何か>>737は大河ドラマ板の武市スレでも暴れてるみたいだな。
740名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 00:45:27.16 ID:CS6+4OXGO
以蔵は遺墨とか残してなかったから無かっただけじゃないかな?
志士として認められてないとかではなかろう
テロリスト武市は絵だけは無駄に残してるからなwww
741名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 00:59:41.44 ID:EqLJu5ZB0
岡田以蔵なんて志士でもなんでもないからな。
志士たちの遺墨・遺品展行ってきたけど大河で注目を浴びた割には岡田についての人物解説すらなかった。
志があれば身を持ち崩し同志に金をたかって煙たがられた挙句、拷問で仲間を売って梟首、そんな末路にはなるまい。
そんな志士が他にどこにいるといる?あの山本琢磨ですら心を入れ替え更生したというのに。
他の党員は獄中で程度の差こそあれ、おおむね志士として、武士としての信義を示した。
岡田のような性根の腐ったクズに目を掛けた事が武市先生ほぼ唯一の汚点だと思う。

身分が低いから蔑まれていたわけじゃない。
最終的に岡田は人間性そのものを武市先生に軽蔑されていたんだ。
恣意的な引用をされることの多い獄中書簡だけど、親不孝者となじられもしようってもんよ。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 01:06:49.39 ID:9bxy19rAO
幕末本は結構読んできたけど、
以蔵って大概は「志士」とは言われずに
「剣士」と紹介されている事が多い気がする。
743名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 01:15:47.42 ID:xbMuXAC10
この人、どんだけ武市さん好きなんだ…恐れ入る
744名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 01:50:31.35 ID:CS6+4OXGO
武市は勤王党盟主の器でもなければ、土佐四天王に入る価値も神社に奉られる価値もないからwww
武市のかわりに、平井でも四天王に混ぜて奉っておけば良かったんじゃね?
その方が龍馬との関わりもあるし、武市みたいなテロリストよりもよっぽどイメージが良かったろうに
そもそも、勤王党の真のトップは平井なんだしな!
745名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 01:56:41.10 ID:CS6+4OXGO
高知県民はみんな武市よりも平井の方が立派だと思ってるよ
まぁ、コンプレックスの塊で権力の鬼である武市とは器が違うのよ
平井は純粋に攘夷のため頑張ってたからな
746名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 01:59:13.04 ID:CS6+4OXGO
勤王党一の小物だからな武市はwww
747名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 08:11:53.15 ID:yMmsc8DNO
>>739
あちこち張り付いて似たような事書いてるよ
武市さんの話がしたくてたまらないらしいw
キモいなー
748名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 10:45:30.34 ID:xhqFmw1h0
>>734
『真説岡田以蔵』だろって、そろそろ突っ込んでもいいですか?
749名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 15:40:22.11 ID:yMmsc8DNO
>>748
ググッたらなんか二種類タイトルがあるみたい。変なの。

>>745
平井収二郎って伝記もないけど具体的に誰にどういう影響があってどんな功績があった人なの?
教えて詳しい人。
できれば脳内以外のソースも添えて欲しいなw
750名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 16:32:34.14 ID:NERl2zCy0
つーかなぜにそこまで平井に…ww
「平井収二郎君切腹の現状」にも目を通してない時点でにわか乙だけど
平井に固執してるわりには同じ勤王党の中枢人物や大監察の小南五郎右衛門、
平井善之丞、それから姉小路三条や村井修理、青蓮院宮に興味なさそうだね。

もしかして大河ドラマで出てたのが勤王党が瑞山と以蔵と平井だけだったからそこしか
知らねーんじゃねーの?
どういうわけか下っ端でしかない岡田以蔵にはこだわってるようだしww
751名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 17:04:40.26 ID:2tY4iK+u0
武市の人生で唯一の偉業と思えるもの・・・

島田左近への天誅は、容認できるテロだと思う。
こいつの人生、どう見てもゴミでしょ。
権勢をほしいままにし、賄賂と好色にまみれ「今太閤」とまで言われた。


文久から元治にかけて、京洛を牛耳ってた影の実力者の変遷
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

島左(佐幕) → 武市瑞山(勤王) → (???) → 近藤勇(佐幕)

武市と近藤の間がわかりません。
てか、近藤がそこまで力あったのか微妙。。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 17:28:06.61 ID:/p3ggBju0
>>747
大河から入った熱狂武市ファンだよ
どうみても
753名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 18:09:49.47 ID:9bxy19rAO
>>752
何度もそういう事を言ってる割には
どうしてそう思うかは一言も言わないのな。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 18:26:47.82 ID:/p3ggBju0
>>753
熱いファンらしい彼or彼女の邪魔はしたくない
755名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 19:59:04.54 ID:CS6+4OXGO
>>751
愛妻家も嘘だったのか?しょーもねーゴミクズだな武市はwww
やっぱり武市よりも平井を祭るべき
756名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 20:40:22.82 ID:CS6+4OXGO
>>751
あ、島左近の事かw
武市の次の権力者?久坂か西郷じゃねーの?
757名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 20:49:11.40 ID:2tY4iK+u0
>>755
わかりづらかったかな? 文章をよく読んでほしい。
こいつゴミでしょ?と言っているのは、土佐勤王党に暗殺された島田某のことです。
(下手人は土佐人でなく、薩人の田中新兵衛らしいけど・・・)

武市本人についてはファンでもアンチでもないっす。
ましてや平井なんて眼中ないっす。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 20:55:08.47 ID:CS6+4OXGO
そもそも島田左近って勤王党の指示で殺されたのか?
島田って、新兵衛と勤王党が出会う前に殺されたんじゃなかったっけ?
メンバーに勤王党メンバーは居たのか?
薩摩藩士だけで殺したなら、普通に薩摩藩の指示だったんじゃね?
759名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 20:55:38.82 ID:2tY4iK+u0
>>756
入れ違いだったのね。。まぁ、よくあることです。

といっても、久坂の実態はほとんど知らないわ。。
とりあえずサンクス。

西郷が復帰するのって、ちょいタイムラグあるんで久坂かもね。
いや?俺のにわか知識だと長州勢が8/18政変で追い落とされたのと土佐勤皇党員が弾圧され出したのって、同じタイミングだと思ったが・・・
760名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 21:00:14.74 ID:2tY4iK+u0
>>758
まじ?
新兵衛って武市に会う前に島田を殺ってたの?

井伊の暗殺といっしょで薩摩藩自体が糸を引いていたとは思わないけど、
wikiで見ると海江田なんかにくっついていたらしいから、薩摩の過激派(誠忠組?)の一部でやったのかもね。

知識不足でスマンね。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 21:48:27.49 ID:yMmsc8DNO
>>752
武市擁護レスを釣りたいのかレス乞食なのか知らないけど荒らしには違いない。
このスレのレスまんまの事をあちこちに書いてるのを見るとニワカ知識しかないんだろう。
>>749の質問の答えマダー?自分で平井プッシュしといて答えられんのかいw
762名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 22:07:37.81 ID:CS6+4OXGO
>>760
勤王党がやったという説もあるけど、島田が殺されたのが、文久2年7月の京なんだが、その頃まだ勤王党は京に着いてないんだよね(大阪で立ち往生してた)
薩摩の過激派が殺ったという説の方が有り得るかも
763名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 22:27:45.75 ID:CS6+4OXGO
>>761
勤王党きっての切れ者。権謀術数が渦巻く京で公家や他藩士の信頼を得てブイブイ言わせる。策謀にたける策士。
京では、武市と並ぶ藩の権力者。
誰も騙されないような詐欺にも簡単にひっかかりそうなおバカちゃんの武市より、はるかに優秀な人材だと思うが?
764名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 22:31:31.88 ID:ZpfA66zi0
>>751
金にまみれたって言うけど、尊攘派も大して変わらないよ。
薩摩藩も公家に金を配っていた。久光上洛の時に。
志士が家士として公家や寺社に入り込んで、
政治活動できた理由の一つがこの金。
土佐勤王党が容堂に早く上洛しろって言っていた理由の一つも、
上洛すれば、自然と公家に金を渡すことになるから。
京は江戸と違って藩屋敷が小さいから、
宿を借りることになって、この時にうまい具合に金を渡せた。
この辺りは勝者に都合の良い「歴史」になってる。
765名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 22:41:30.26 ID:yMmsc8DNO
>>763
凄い漠然としてて具体的なエピソードの裏付けがゼロだねその答え。
で何を指して平井の功績って言えるの?

武市先生というか土佐勤王党が騙されたのは容堂公くらいのもんでしょ。
容堂公への忠義を掲げて行動してた手前、信義上逃げられなかった人もいると思うけどね。
766名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 22:45:16.48 ID:ZpfA66zi0
>>762
誰がやったがはっきりしないが、
清河八郎、小河一敏、久坂玄瑞らが狙っていて、伏見で発見、
一旦姿をくらますが、最後には田中新.兵衛らに殺されたというのが定番的噂。
耳鼻がそがれ、目が刳り抜かれ、指は落とされ、舌を落とされて、
最後に首を切られたという記録もあるが、真偽は不明。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 00:20:12.73 ID:i0c8kzGY0
島田左近って朝廷や身内の幕府からも憎まれていたらしいから、
相当の専横政治家ではあったんだよな。
これほどの一世風靡した(?)重要人物であったのに、島田左近って幕末史で影が薄い。
せいぜい天誅された人くらいの印象でお気の毒w
768名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 01:05:02.40 ID:ljCHPagg0
>>767
九条家にいたんだけど、
素性の知れない人物なので、
血筋を重く見る公家さんにも人気なかったとか。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 01:29:26.09 ID:i0c8kzGY0
根が商売人なのか、金貸し業も営み、ずいぶん京で荒稼ぎをして
尊攘派の恨みを増長させることシキリだったとか。

強権、弾圧、専横政治、金貸し、荒稼ぎ

うーむ、見事な悪代官というか。。
有能かもしれないが、私利私欲の憎たらしい面しか見えてこない人物ですな。
こんな権力者は死んでおしまい!

志士A 「天誅ーーーーー!!!」
新兵衛 「チェーーストーーーーー!!!!!!」

島田左近「プギャーーーーーーーーー!!!」

ま、こんなところでしょう。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 06:14:46.98 ID:EACfFnob0
武市が容堂に騙されたとかいうのは違うだろう
君臣関係の問題で武市らが処分された後でも容堂に復讐しようなんて誰も考えてない
中岡も容堂に騙された側になるがご隠居様と藩公として敬意を捨ててない
771名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 08:34:58.93 ID:4fgTu30DO
武市が容堂を妄信してたとか完璧に騙されていたとか思ってる人達は
多分に「おーい!竜馬」(もとい武田鉄矢が武市描写の参考にした「土佐勤王党始末」)
に影響されてるのかな。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 09:42:34.32 ID:0NE2XytfO
梅屋敷事件でもめてる辺りを見ると容堂は尊攘派寄りだと党員には思われてたようだが。
攘夷派のメッカ水戸の藩主だった斉昭の息子・慶喜を擁立して安政の大獄で謹慎させられたり
頼山陽を愛好したり藤田東湖の影響で号変えたりしてたんだから
はたから見れば容堂は尊攘派の殿様にも見えてたんじゃないかね。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 10:01:28.59 ID:fjjFpwGrO
>>771
よりによって横田氏からフルボッコだったアレを参考にするとは…
でも、おーいの武市はあそこまで酷くはなかったと思う
おーいからの武市ファンも結構居るし
774名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 10:51:28.93 ID:mCdjG8pG0
容堂は実際に思想は尊攘派で感情は幕府擁護派だろ
酔えば勤皇冷めれば佐幕
その上殿様だから統制主義で家臣が勝手な行動取るのは嫌で
最終的に藩の保身が第一になる
政治的には結局八方美人路線でかなり複雑な人物
775名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 15:25:08.67 ID:BUbQ/Rmt0
>>769
公家社会はもともと賄賂天国で幕府も将軍継嗣問題に関してはずいぶん九条に山吹色のお菓子を積んだようだが、
彼ら安政の大獄関係者が何故志士にこれほど憎まれてたかと言うと、
対抗する大名・公家・志士を処分させただけでなく
彼らの神聖視する朝廷を穢した・攘夷を望む孝明天皇の意思をないがしろにした
この辺が特に逆鱗に触れたんじゃないかね。
武市瑞山と田中新兵衛が義兄弟になったのは、本間暗殺に加え
「国事について涙を流しながら語る」といわれるような二人の性格面でも一致するところがあったのだろう。

『よくもウチの殿&師匠&仲間をー!!』みたいな怨恨も濃厚にあったと思うがw
島田左近が手下に使っていた目明し文吉は間諜・収賄で儲けた金で遊郭を経営しだすような行為に加え
もともとヤクザ者な上に御所の女官を強姦した経歴があったと来たから、それはえげつない殺され方をされてしまった。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 16:49:11.05 ID:nsB6GWw30
地方公務員で、その手のホテルを経営して噂になったというのを思い出した。
遊郭経営はともかく、女官を強姦ねえ。そんな男をつかう島田の人物も推して知るべしだな
しかし、それをいったら岡田に目をかけていた武市はどうなんだと返されるだろうが
777名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 17:39:32.39 ID:i0c8kzGY0
武市が岡田を使ったのは、思うに「目には目を、毒には毒を」ですな。
暗殺対象にした目明し文吉などを見れば、岡田なんかうってつけの刺客だと思う。
まともな侍なら刀の穢れになると嫌がるだろうし。

新兵衛は岡田に比べると人物のようだが、出自が薩摩の漁師かなんかの低い身分だったので、
暗殺のような汚れ仕事も厭わずこなしていたのだろう。

天誅について思うのは、政府の要職に島田のような人物が公然とついている所が、
尊攘派が幕府を攻撃するための根拠の一つにもなっていたのだと思う。
テロリズムを容認するわけではないが、島田なんていつの時代でも反感をかうタイプだろうし、
議会も国会もない当時にあっては、「お上」の暴走を止めるにはテロしか解決策がなかったのだろう。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 20:04:24.32 ID:0NE2XytfO
だから(主観に基づいてはいるが)彼らの正義を根拠に行う天誅は
志士間では英雄視される行為で汚れ仕事じゃねーっての。
桜田門外の襲撃者達が汚れ仕事だと思ってやったと思うか?
あと瑞山が関与した天誅がいくつかあるだけで別に暗殺団のボスって訳でもない。

岡田以蔵=天誅のイメージは司馬小説の影響で、
実際は相手より多人数でリンチにしたり複数藩の志士が合同で襲撃かけたりで
天誅実行犯がさほど危険な役割というわけでもない。
石部宿事件なんて4人の役人殺すのに20人近くで襲撃してたからな。
779名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 20:17:01.43 ID:fjjFpwGrO
>>778
んだんだ。天誅には平井や弘瀬や久坂も絡んでたし、以蔵と新兵衛だけがやってたと考えるのは大間違いだ
それに、相談の上で行ってたから武市が命令して切らせていた訳でもないし
武市が江戸やら土佐やらに行ってて留守中も、京ではガンガン天誅されてて武市が居ないときの方がむしろストッパー居なくなって悪化してた程だしなww
そもそも文吉の天誅は、応募者多数でくじ引きで決めてたから、適役とか関係ないし
780名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 22:42:44.29 ID:U8TBwm/z0
>>775
> 攘夷を望む孝明天皇の意思をないがしろにした

孝明天皇が即今攘夷望んでいたのはごく初期だけ。
天誅の時代は、むしろが即今攘夷派が孝明天皇の意思をないがしろにしてた。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 01:09:13.90 ID:XXiIRuH1O
>>780
考明天皇本人の意志は攘夷派公家が抑えていたため
過激派攘夷志士は狂信的な国粋主義を掲げて行動する事ができた。
志士達は感涙に咽んでいたが、考明天皇は行幸とか別にやりたくなかったんじゃないかな。

この後神戸開港問題で考明天皇のいまさらムチャな攘夷要望で面倒くさい事になるんだが
考明天皇が何かすると大体ややこしい事になるよね。
782名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 09:49:14.56 ID:fxAk2x3I0
   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |   ( ●)(●)  <おっと、それ以上は言うなよ…
. |     (__人__)____
  |     ` ⌒/ ─' 'ー\
.  |       /( ○)  (○)\
.  ヽ     /  ⌒(n_人__)⌒ \
   ヽ   |、    (  ヨ    | かつて、横田先生が選挙nむぐっ…
   /    `ー─−  厂   /
   |   、 _   __,,/     \

http://go2senkyo.com/election/1996/99/001557/00001557_5284.html
783名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 10:54:46.90 ID:iGfCU5tlO
横田先生マジかよw
784名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 11:09:09.65 ID:RJAMQ1pZ0
>>778
常に英雄視されていたかどうかよく分からないな。
特に姉小路公知と池内大学は、転向を疑われての暗殺で、
テロリスト集団によくある粛清だよね。
一部の人間の暴走の可能性があり、
賛同できない人もいたのではないかと思う。
刀の持ち主が田中新兵衛だって証言したのは那須信吾だしね。

いろいろと陰謀論をいう人もいるが、
結構単純な仲間割れで説明できると思う。
仲間割れと言っても、土佐勤皇党はまとまって、
姉小路暗殺の下手人探しをしていた。

天誅はどれをとっても単純に割り切れるものはないと思う。
785名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 13:27:20.75 ID:9nOWy2cE0
>>783
残念ながら研究者の横田氏のほうは
数年前にお亡くなりです・・・

>>784
ただその辺は史料がほぼ無いから何を言っても推測以上にはならないよね。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 14:01:52.11 ID:AQkvLCFr0
>>785
横田氏は96年に高知一区から
無所属で無謀過ぎる衆院選出馬をした事がある。
787名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 18:12:20.63 ID:ffpQTmaw0
姉小路公知が死んで追い落とされたのは薩摩だから
長州系の陰謀とされるが
田中新兵衛自体が長州系だから単にしくじっただけじゃないか
788名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 18:15:15.38 ID:Sg6rwXku0
ミステリー仕立ての話も作れるな
789名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 18:30:06.13 ID:ffpQTmaw0
薩摩もずっと統一行動取ってたわけじゃないんだよね
田中新兵衛なんかは長州系の志士だし、桜田門外でも薩摩藩士が加わってる
大久保も精忠組同志と共に大量脱藩し井伊を斬るのに加わるはずだった
久光に気に入られた為に、大久保は藩政を動かす路線に転換してる
寺田屋事件も薩摩藩内の長州系志士と藩政派の同士討ち
後考明天皇本人は公武合体だけど、攘夷論者だよね
790名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 19:07:51.42 ID:lELtk57E0
薩摩の攘夷論者の多くは京屋敷にいた。
薩摩藩内は開明的だったので。

孝明天皇は即今攘夷は早い段階で諦めてる。
ただ過去に勅語を作ってしまった経緯があるから、
幕府に即今攘夷は不可能と言って欲しかったこと、
朝廷内有力者で合議して決めて欲しかったこと、
斉彬が死んで以降の薩摩藩の意向を測りかねていた事。
こう言った理由からはっきりと前言翻す前に死んでしまった。
最後の方は京の治安のため尊攘派の捕縛を薩摩藩に打診しようとしていた。
神戸港の件も神戸は近すぎるから遠くにして欲しかった。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 19:23:56.24 ID:XXiIRuH1O
>>786
マジでかw
国政に物申したい事でもあったのかw
ちなみにいつ頃亡くなったの?

>>790
へー
考明天皇っていつ頃攘夷方針撤回したの?
戊午の密勅出して安政の大獄誘発させた頃は即刻攘夷路線だったよね。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/09(月) 23:15:17.61 ID:5CwCcnek0
>>786
なんかの本で選挙ポスターとかを見た記憶が…。
「文化評論」だっけ?
793名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 16:24:41.10 ID:7XH6raZHO
>>792
「郷土文化」だったと思う。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 16:59:01.94 ID:QP3ZIz8TO
「土佐史談」以外にも色々出てるんだね。
土佐史談会のHPはもう更新しないのだろうか…ブログもお休みしちゃったし。

ところで大石弥太郎関係文書みたいなのはないの?
795名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 20:04:51.67 ID:94RbmUGd0
>>791
2008年頃に亡くなったと2chのどこかで見た。
武市&土佐勤王党研究において横田氏が果たした役割は本当に大きい。
横田氏がいなかったら、ホント今頃どうなってたか・・特に以蔵ネタとか。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 22:24:50.61 ID:KDa6hgwQ0
>>795
横田達雄の『岡田以蔵は毒を盛られていない』という例の獄中書簡調査記録を、
以蔵の不品行に関する諸々の資料と参考文献名を添えて以蔵の墓を管理している所に送ったが、
それが今年は以蔵の慰霊祭に関する告知がない事と関係あるかどうかは知らない。
少なくとも「岡田が武市や仲間達に尽くした」なんて他の者に失礼極まりないヨタ話を説明文に掲げるのはやめて欲しいね。

しかし土佐勤王党もまだまだ研究途中だな。
200人近くの人間がめいめい自発的に行動してたんだから調べる範囲も膨大なんだろうが、
幹部メンバーでも関連書籍が出てない者も多いし。
797名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 23:41:39.10 ID:HY3Ooa2xO
幹部メンバーだと、間崎は関連書籍あるけど、平井は無いんだっけ?
弘瀬なんか資料すらほとんど無いしな
798名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/10(火) 23:44:57.99 ID:HY3Ooa2xO
>>796
是非前田の所にも、同じのを送りつけてやって欲しいww
799名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 00:01:39.85 ID:HQaOvXNKO
前田って何者?
800名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 00:46:53.38 ID:YFQYppVyP
今日 命日だって?
801名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 11:56:27.64 ID:AR1AwCoN0
>>799
キチの脳内友達じゃね?

瑞山祭行ってみたい
802名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 16:39:58.50 ID:pM4fLasR0
今日は命日だね
っても暦が違うか
803名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/11(水) 21:05:11.42 ID:bL5bmH/60
平日昼間でなければ参加したかったんだけどな。
来年も平日か…ムリだな。
去年のような告知ポスターは見かけなかったが岡田以蔵の方も慰霊祭はやったらしい。
龍馬記念館の人が講演に来ていたそうな。

ところで講演と言えば今週末は高知県立歴史民俗資料館で霊山歴史館の木村幸比古による土佐勤王党講演があるね。
京都視点の土佐勤王党ってどんなものか気になる。
事前予約がいるらしいけど誰か行ける人いたらレポしてください。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 10:42:07.07 ID:guoi9S9c0
高知新聞ウェブサイトのニュースに慰霊祭の様子がきてるね。
双方縁者の方もご出席とのこと。

しかし武市さんと岡田って同日に死亡と説明されてるけど、
厳密にはどっちかが1日違いじゃなかったっけ?
805名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 11:23:09.42 ID:QM9y8Vz80
二人の話でどっちかが一日違いってどういう事?
片方は一緒なのかよ!

ちなみに容堂の沙汰のその日に全員処刑だよ。(切腹は処刑ではないが)
806名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 21:13:12.80 ID:N0/eL6Tm0
>>804
瑞山祭の方は150人ほどが参加か。

http://www.kochinews.co.jp/ryoma/ryoma001.htm
807名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 23:20:19.22 ID:GZ9UYPsdO
150周年だけに、150人集まったとか縁起がいいではないか
808名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 02:56:22.72 ID:a8Hk83JU0
半平太慰霊祭に150人
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=274349&nwIW=1&nwVt=knd
「人斬り以蔵」しのぶ
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=274350&nwIW=1&nwVt=knd
半平太と以蔵命日 功績もっと知って
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20110511-OYT8T00981.htm
郷土の志士 忘れやーせん
http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000001105120002
結婚後も描く?武市半平太の美人画見つかる 高知で初公開
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110511/art11051120040002-n1.htm
809名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 14:05:37.09 ID:oEsk+/y3O
田内衛吉や島村衛吉の慰霊祭とかって、やってるの?
810名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 14:27:50.76 ID:XFQMv3RK0
>>804
それぞれ刑の執行が夜半と未明で厳密に言うと日付が変わっていたような気がする。

>>808
ドラマのイメージで岡田以蔵の顕彰を行う流れには違和感あるよ。
岡田の功績って何だ、他の党員を死地に追いやったことか。
久松喜代馬、村田忠三郎、岡本次郎
同日に死んだ他の者達にもスポットライトが当たってほしいね。
田内衛吉の墓が整備されたのは良かった。
811名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 18:13:33.32 ID:oEsk+/y3O
>>244
だよな。最初から最後まで同志には見えなかった。
武市らの攘夷熱に最初から一歩引いてる感じだったもの。
繰り返しになるが、
脚本は両者の対立構図をアピールする事で龍馬をageつつ
「死んでいった友の意思を受け継いで国事に奔走する龍馬」と言う設定も欲しがった。
だから、武市切腹の直前に武市の口から「後は頼んだ」と言わせるために
あんな強引なイベントを持ってきたんじゃないの…?と勘ぐってしまう。
ベタかもしれないけど、龍馬には武田海舟が言ったように、
遠くから武市の生き様を見届けてほしかった。
遠い地で龍馬が武市の賜死を知る展開であっても
「両者は方法論は違えど目的は同じ」という描写を最初から丁寧にやってれば
龍馬が「武市さんの夢を俺が引き継ぐ。」と言っても全く違和感は無かったと思うんだけど。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 18:16:58.42 ID:oEsk+/y3O
↑誤爆
813名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 19:56:54.78 ID:rRX71hiBO
以蔵の命日祭で講演した三浦って人も、どうせ毒饅頭を史実だと思ってるんだろうな
814名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 20:42:09.87 ID:/5dqOSu+O
>>813
三浦夏樹学芸員?
「人斬りのイメージが強く勤王党では損な役周りだったが、信念を貫く人物だったのではないか」
と言ってるから創作鵜呑み間違いなしでしょ。
信念貫いてたら落ちぶれないし拷問で仲間売らねーっての。
こういう以蔵の「きっと本当は心優しいんですよ」系の妄想美化はウンザリ、
人物像語りたいなら根拠出してから物言えと。
龍馬記念館のHPからメールしとこうかな。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 20:58:04.82 ID:rRX71hiBO
>>814
メールするなら、ちゃんと武市瑞山関係文書とかからの証拠も添えた方が良いよ
この手の創作を鵜呑みにする連中は、ただ文句言うだけなら、武市信者ウゼェって思うだけだからね
816名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 00:45:34.91 ID:joulEamFO
>>815
龍馬記念館なら痛いメール率が高そうだからあんまり気にしないかもw
武市&中岡レプリカ像設置の時も龍馬の聖地が汚れるからやめろ!
みたいなノリだったし。
龍馬自体は好きなんだが信者と化してる人は何なんだアレ。
フリーメーソンの陰謀説とかアホ丸出しな本を信じてる人までいるし。
しかし三人が何を話すか考えてね!企画はハードル高かったな。活動方針バラバラだもの。
817名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 19:43:33.37 ID:oG+05TfP0
>>775
こういう汚職を行う人物を集中的に狙ってたというのは
彼らがある面潔癖な武士だったから
って側面もあると思うんだよなあ…

天誅のイメージで有名な岡田以蔵は性根の据わってない単なる便乗クズだから置いとくとしてw
まあでもいろんな人がいたのかね。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 09:54:58.46 ID:5z6yva+FO
>>810
岡本次郎もなぁ
武市から以蔵よりも酷いって言われるような奴だし正直微妙…
創作のイメージで以蔵を顕彰するのはどうよ?とも思うが
武市が仲間たちを駒扱いして使い捨てたとかいう話を、本気で信じてるような連中がのさばってるようじゃ仕方ないのかなと思う
以蔵の顕彰以前に、武市の間違ったイメージが広がり、それが正しい史実のように思われてる事の方がよっぽど問題だよ
819名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 12:08:36.10 ID:yVJKtGYZO
>>816
というか龍馬と龍馬以外の土佐藩の人間て
一部の龍馬ファンには不仲だと思われているような気がする。
武市って龍馬も暗殺しようとしてたんですか?とか
中岡or後藤が龍馬を殺したんだと思います
とかいう奴をチラホラ見かける。
龍馬一人を特別な考えの人間かの様に描き過ぎた弊害かね。
820名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 15:01:43.81 ID:5z6yva+FO
松岡司が、今度は以蔵の伝記を書くらしいね。
まぁ、松岡司なら菊地明の真説岡田以蔵みたいにはならんだろうから、安心できるかな
821名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 19:03:41.72 ID:24gfJkl00
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/news/20110514-OYT8T00848.htm
「人間以蔵」掘り起こす 松岡さん 連載スタート

岡田家の子孫の方が伝記書いてると言ってたが、高齢で辛そうだったから松岡氏にバトンタッチしたのかね?
とりあえず岡田以蔵に関しては
◆天誅が瑞山に尽くすという行為にはあたらない
◆志士の本分を忘れ酒色に溺れて身を持ち崩し捕縛、拷問で自白し同志を犠牲に
◆毒殺を恨んで自白は司馬小説の創作
このあたりを明確にしてほしい。

あと暗殺・天誅が“汚れ仕事”ってのもそこまでの手段に訴えた志士にしてみれば失礼な話だよなぁ。
いまだに天誅=敵対する佐幕派の要人を暗殺といわれてるが
厳密には安政の大獄関係者に執拗な復讐を行っているという要素が強いので、
志士がこのような行動に出た思想的背景の説明も含めて解説して欲しいな。
822名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 19:17:01.00 ID:tv5saXuZ0
むしろ小物が多くて呆れられてるくらいだしね。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 20:58:09.35 ID:yVJKtGYZO
むしろ尽くす対象が武市先生になったら駄目だべ。
武市先生は好意から出た事であっても道義を失くした行動は認めないもの。
824名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 21:10:41.54 ID:m/F5poEjO
松岡さんはなぜ今になって以蔵本を?
825名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 21:54:24.54 ID:5z6yva+FO
以蔵が大河の影響で注目度が上がったから書きたくなったのかな
826名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 23:17:22.78 ID:24gfJkl00
>>777
まさに“刀の穢れになる”という理由で目明し文吉(そもそも岡っ引き・目明しはヤクザ者の仕事)殺害は絞殺という手段で行われた。

志士の憎悪が特に激しい人物で、斬りに行くと云う人が多くて仕方がない、そこでクジ引きで人選を行い、
島村衛吉があの様な犬猫同様のものを斬るのは刀の穢れであると言いだしたので、
クジから外れた者が紐を買いに行き、また絞殺方法についての談義がはじまった
という話が勤王党員・五十嵐敬之の天誅見聞談に伝わっている。

ただ深謀遠慮の末のテロというより
憎しみと時勢に任せた暴走行為のように感じるがね。
827名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/15(日) 23:31:57.95 ID:fWW5+Km+0
天誅は安政の大獄とセットで語られるべきものだろう
血を血で洗うというやつ
828名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 11:54:41.48 ID:gJaGEUfPO
武市先生の濡れ衣と天誅関連の誤解を晴らすいい機会なので松岡氏には頑張って欲しい所。
菊地明の本読んでみて欲しいな〜こんなフザケた伝記も出てるんですよ〜ってね。
何が「以蔵は己の正義を偽れなかったから自白したのだ(キリッ」だよ。
横田氏が健在なら「菊地明に首枷付けて帯屋町に晒し者にする会」PART2が発足してる所だっただろうな。
829名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 14:47:20.20 ID:HiiJ3RpaO
大河ドラマの影響で以蔵の虚像がますます一人歩きしつつある現状に
危機感を持ったのも、松岡さんの以蔵本執筆の動機の一つかな?
830名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 15:08:04.73 ID:/H4q8MmRO
人斬り言われてるけど、実際は以蔵だけが特別な事やってた訳じゃないんだもんねw
ただ、落ちぶれたのが以蔵だけだったってだけで
松岡司の以蔵記事読んだけど、松岡司も、今広がってる以蔵のイメージは創作が植え付けたものだろうって言ってたww
831名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 18:04:47.50 ID:HiiJ3RpaO
松岡氏の過去の著書とか読んでると、以蔵にはかなり手厳しいイメージ。
氏が(有り得ないとは思うが)以蔵ファンの顔色を窺うような事でも無い限り
創作物の悲劇イメージで以蔵ファンになった人達は
氏の以蔵本に期待して目を通すと、かなりのショックを受けるんじゃないか。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 18:45:57.29 ID:87sgdj3X0
>>831
いや別に…
そりゃ夢は壊れるだろうけど
ちゃん調べたらただのDQNだったとか歴史上の人物にはよくある話だよ。

しかし武市半平太伝のラストみたいな
かつては仲良しだった二人――みたいな安いお涙頂戴はやめてほしいね。
そんな読者サービスは不要。
以蔵のせいで散々党員と武市さんが苦しめられたんだから。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 20:47:15.75 ID:/H4q8MmRO
>>832
や、あれくらいは別に良いのではないか?
かつて以蔵だって、暴走する前は武市さんから期待されてたんだし、最終的に裏切り者に落ちぶれて嫌われたとしても、それは事実でしょう
というか、かつては仲良かったアピールしとかないと、武市は身分で以蔵を見下して冷たくしてた!とかわめく以蔵ヲタが居るから入れとかないと駄目なんだよ
834名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 21:48:05.07 ID:87sgdj3X0
関係の深い門弟は他にもいるし、ごく普通の師弟&同志関係でした、
しかし以蔵のせいで同志が死に、最後は武市さんにとって以蔵は言伝も受け付けられない程嫌悪される存在でした、
で十分。
感情的にキーキーわめく以蔵オタなどは何言っても
本当は何か事情があったと思うんです!弱くても純粋でいい人なんです><とか都合よく解釈するだろうから放置しておけばよい。
835名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 00:36:13.88 ID:P6tWGCPq0
命日に名前がセットで並ぶのも穢らわしい
と武市先生なら嫌がってそうw
一部の以蔵ファンが感傷に浸って喜びそうな仲良しファンサービスは嫌だなー。
昔仲良かったから何だっていうの?先生の周囲に親密な人間は大勢いて、岡田は一部で言われるほど特別な関係じゃないと思うよ。
あくまでも門弟その1ってだけでしょ。

天誅については探せば史料も出てくる割に誤解がまかり通っているのでわかりやすい説明を松岡先生にはお願いしたい。
あと何のために京都で土佐勤王党が色々やってたのかも。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 01:36:48.53 ID:q3q/l8lrO
武市と親密な人間ってそんなに沢山居たか?
837名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 06:28:36.50 ID:GI6owG150
瑞山先生が生きてれば 薩の西郷や大久保 長の木戸 如きが酸欠なんて威張り散らせなかったのにな
配下には吉村 中岡 龍馬もいたし
後藤ははったり屋だがらともかく 板垣も軍人として相当優れてた 土佐は人材抱負だった
容堂ってほんとろくな事せんな
838名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 06:45:31.83 ID:q3q/l8lrO
>>837
お前最後の一文が言いたかっただけだろwww
武市が生きてた頃の土佐は確かに人材の宝庫だったが、西郷や大久保や木戸だって相当優秀だろうに
839名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 08:12:38.15 ID:Kn2qgS420
東洋切って、その後は負のスパイラルだわな。
長州でも藩論の行方をめぐって犠牲者は出てるけど、
論を戦わせて切腹させてるからね。
土佐は野蛮すぎる。切ればいいってもんじゃない。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 08:18:51.68 ID:jKcDWpPrO
>>836
武市さんとダントツで親密だった弟子は島村衛吉。
拷問で衛吉が死んだ時の武市さんの嘆きようといったらなかった。

鹿持門下生や島村家と武市さんの関係を知らない人は
平井と岡田で勤王党が完結しとるんだろう。
やり取りした書簡の一通も残ってない岡田と武市さんが親密とする根拠って修行のみだろ?
しかしそれも岡田に限った話じゃない。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 09:23:03.05 ID:q3q/l8lrO
島村家と武市さんのつながりは流石に皆知ってるだろ。富さんの一族なんだから…
842名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 12:32:57.19 ID:jKcDWpPrO
>>839
土佐も政治的な駆け引きで失脚か切腹に追い込めれば後々禍根を残さなかったんだろうがそれは無理だった。
武市さんも最初のうちは吉田東洋を血祭りにあげろと逸る党員達を諫め、
東洋と対立する藩上層保守派からの圧力で何とかしようと努めていた。
東洋先生優秀だったのに暗殺しちゃったせいで土佐藩は技術面で立ち遅れてしまった。
しかしあの時点で東洋先生を排除しておかないと藩主を上京させられず時勢に乗り遅れた訳で
土佐藩が藩内の綱引きにかまけて薩長に遅れを取るのは藩の性質上仕方なかったのかもね。

>>841
自分で言ったんだろーが。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 13:13:01.78 ID:q3q/l8lrO
>>842
島村家は富さんの親族だから外してただけなんだがな
武市には両親がいないし、弟は養子に出てる。他は姉と妹の女連中しかいないし
そんな武市が、富さんの親族である島村家の人らを信頼するのは当然だもの
844名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 09:10:23.94 ID:fckpJGtZ0
ネットでも見られるな。

以蔵 新伝 企画・連載 高知 地域 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1305383549017_02/index.htm

<1>実像を求めて 以蔵 新伝 企画・連載 高知 地域 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kochi/feature/kochi1305383549017_02/news/20110514-OYT8T01007.htm
845名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 11:36:49.36 ID:1hx3Dng6O
これをテコ入れに誤解が訂正されて欲しいが、岡田以蔵自体は別にどうでもいい人間なんだよなあ。
史料はなし、土佐勤王党に貢献した訳でなし、さほど歴史的意義のある者でなし。
何ぞ荒らされてたが歴史難民板の岡田以蔵スレの方でやってあげたらいいのでないかい。
846名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 17:32:57.61 ID:MqFt1Rqo0
先週木村幸比古の勤王党講演に行ってきた。
やはり天誅=佐幕派の暗殺という説明だった。
割とどこかで聞いたような解説ばかりだったな。
木村先生の瑞山のイメージは
「土佐勤王党員は体育会系の人が多いですが、武市さんは何でもできる人」という様な感じらしい。
実は意外とそうでもないと思うが…
まあ政治力のある思想家かつ他藩の大名の相手も務めるほどの剣客でと、得意分野が複数あり
独特のカリスマ性があるときたら、完璧超人というイメージになるのかね。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 18:51:55.01 ID:R+A5WkKR0
>>844
このスレの一部の人の思惑とは随分違うものになりそうですね。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 20:03:39.72 ID:UyiIU8ZMO
松岡司の以蔵連載、以蔵に好意的な内容になりそうだね。
849名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 20:11:08.53 ID:UyiIU8ZMO
>>846
武市さんは政治力はあるんだけど、正々堂々なタイプで策謀には不向きだから
大久保や桂や平井のような策士には絶対になれないだろうし、別に完璧な人って訳でもないよね
世間では策士のイメージも強いみたいだけどww
850名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 20:49:04.26 ID:MqFt1Rqo0
>>847
岡田以蔵についてある程度調べた事のある人間なら知ってる内容だよ。
落ちぶれ拷問で仲間を売った以外にそう特殊な要素がある人間でもないんだ。
まさか新聞連載で岡田を堕落漢だの腰抜けだの叩くみたいな真似するわけないだろう、岡田家子孫も読んでるだろうし。

>>848-849
ところでお前レスする内容をまとめて、いったん落ち着いて考えてから書き込まないか?
なんでいつも連投するんだ?スレの無駄なんだが。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 22:41:52.74 ID:XlJ+1XBi0
武市は1流の策士だと思うけどな
目先の為に権謀術数で相手を騙くらかし信を失ってくのは2流の策士だし
852名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 22:56:01.67 ID:UyiIU8ZMO
>>851
大久保や桂や平井が信を失っていく二流策士だと言いたいのか?それは無い
853名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 23:06:16.57 ID:qAlPRih+0
大久保は信を失ったから暗殺された
桂は別に優れた策士じゃない
平井は才めぐらせ独走したから死んだ
武市は政策家じゃなくどう見ても意見をまとめ政策を実行実現に持ってく政治家=策士
武市がやったのは政策実現に向けて藩政奪取や非合法な朝廷政権樹立
朝廷工作じゃ尊攘勢力が独走し、薩摩は御所の護衛も外され追い落とされてた
それを覆す為に薩会同盟で8月の政変が起きたんだし
854名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 23:56:44.90 ID:NMqn5ck0O
ヲタナリか?
855名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 00:32:32.14 ID:TVjBHGoL0
>>852
青蓮院宮令旨事件は?
平井収二郎を大久保や桂と並び賞しているのはこの世でお前だけだよw
「人望は西郷、政治は大久保、木戸に匹敵する人材」の人物評の武市を平井にすり替えたいんだろうが
平井に詳しいわけでもない、平井の策が功を奏した具体例も出せない癖に
ムリのあるオタナリはいい加減にすれば?
こっちで論破された話を大河ドラマ板に貼ったり相変わらずネチネチ粘着してるねー。
これだから以蔵オタは事実を歪曲するクズ揃いで嫌いなんだよなー菊地みたいなメンタリティのさw

というわけでこのデモデモダッテチャンに絡んであげたり以蔵の話題提供してあげたりはあんまりしない方向で良いと思います。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 08:15:29.87 ID:vMJbV6WhO
>>855
その人物評だって司馬が言ってただけじゃない
857名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 21:08:04.32 ID:MAs38m0rO
身分を考えれば、東洋暗殺〜京都全盛期までの活躍は大した物。
攘夷督促の勅使に従って江戸に東下していた時も
勅使を受けた幕府の返書の表現を「朝廷>幕府」な内容に
改めさせるのにも成功するなど
政治力もかなりのレベル。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 23:43:11.62 ID:vMJbV6WhO
>>857
それだって、武市だけの力じゃないですよねww
859名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 23:56:50.71 ID:3GBVZURaO
>>846
>得意分野が複数
どの分野が欠けても武市さんの役割はできなかったんだよねぇ…。
ただ国学とか剣術とかのスキルが高くても
一番凄かったのがやっぱ人徳だと思う。
投獄中は藩主も容堂に釈放を嘆願してくれてたしね、容堂に泣かされて帰ったけどもw
860名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 00:37:55.65 ID:pLKvz7980
水戸藩士・酒泉彦太郎も
「小楯、幼より武芸を好み江戸に遊び、剣客千葉周作の門に入り其の技大いに進む。
かつ四方の士に交わるをもって広く時世の事に通じ、頻りに心を勤王に傾けたり。
当時、高知藩に勤王の議を唱うるもの少なかりしが小楯の帰りしより後、進んで子弟、
靡然として響きの如くに応じ、また同時に坂本龍馬ありて出たり。
これ故に同藩、士気ますます振作せり。小楯、深沈寡黙、頗る風采に富み挙止、人を服せしむるに足る」
と武市さんを評してるけど、
どうも割と初期から武市さんは有名だったらしい。

あと武市さんの剣術修行の旅の時の対戦相手の記録が長州人ばかり。
土佐勤王党は全体的に長州と縁が深いよね。
「流離譚」の長州版みたいな、あの頃の長州藩全体の動きがある程度わかる本ってないのかな。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 11:44:32.91 ID:m78zW6+P0
>>860
木戸孝允の生涯を描いた「醒めた炎」がそんな感じ。
流離譚と同じく内容を鵜呑みにはできないがよく調べてるよ。
862名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 12:30:15.80 ID:13J+StRm0
「わかりたい」なら「小説」なんか読むべきじゃない。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 13:33:40.11 ID:m78zW6+P0
>>862
厳密に言うとどちらも小説ではない。
いわば関連資料の寄せ集めで筆者の創作要素はないかな。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 14:15:51.45 ID:WIFo13R1O
>>855
別に武市の人物評を全て平井にすり替えたい訳じゃないけど
人望西郷、政治木戸はともかく、武市が大久保に匹敵するような策謀家じゃないのは確かだろう
平井や大久保がやってたような権謀術数に対する駆け引きや策謀、腹芸は無理
あんたが言ってる人物評だって司馬の主観じゃんかよ
とにかく桂や西郷に匹敵云々はあり得ても、策謀大久保だけは絶対に無いよ
865名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 14:16:01.61 ID:0YashVGA0
半平太さんは以蔵にひどいことしたよね(´Д`)
866名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 15:47:10.84 ID:m78zW6+P0
>>865
ひどい事って具体的に?

以下〜勘違いしてる腐女子向け〜史実の岡田以蔵テンプレ〜

●人斬りやらされて可哀相?暗殺で利用された?
利用されてない、どころか武市先生は天誅禁止の支持を出していた。
天誅は一対一の果たし合いじゃない、多人数で少人数をリンチするだけ。
一緒に天誅に参加した他藩の志士まで利用されてたってか?
天誅は汚れ仕事でなくむしろ英雄視される行為。 以蔵が着牢時、牢番に自慢話しているのを聞かれていることから功名心が強い人間性が窺われる。

●あんなに武市先生に尽くしたのに!
以蔵が武市先生を慕ったとか尽くしたとか書かれた史料はこの世に存在しない。
これは「武市先生が非常に慕われる人柄だった」という所から派生した創作。
武市先生を慕ったというなら、以蔵と共に天誅に参加し、
武市らの釈放を求めて決起し死んだ野根山23士メンバーの名でも挙げるべき。
本当に以蔵が武市大好きなら拷問にも耐えられたんじゃないか?w

●仲間に見捨てられた?
調子こいて殺人を重ねお縄になりそうになったので以蔵は江戸の長州藩邸に逃がされた。
これは武市先生の紹介状がないと無理だろうな。
同時期に高杉晋作への借金を千屋菊次郎が立て替えてあげた記録が千屋菊次郎の日記に。
その後勝海舟の所に行くも酒色に溺れ以蔵は身を持ち崩しホームレス化。

●毒殺を恨んで自白?
司馬遼太郎の創作。
書簡の記録から実際は以蔵が拷問ですぐ自白→仲間の投獄続出→毒殺計画浮上が正解。
その後、同志間書簡で「以蔵も不義を後悔してる」という記述が。
勤王党員だった以蔵の弟に以蔵に毒盛るか自害させるか考え中なんで親を説得してきて
みたいな話し合いがあったが、結局以蔵に毒を送る必要がなくなった。
既に仲間に実害を出している平時なら切腹モンの裏切り者に対して、武市先生達は強引な処分は行わなかった。

あーあと岡田は貧民でも無学でもないんで「純粋で判断力が無かったから騙されてたの!」みたいな責任逃れも通用しない。

◎結論
岡田以蔵のみを特別視せず共に行動した人間と比較してみると、以蔵は単なるクズ。
惨めな最期になるべくしてなった完全に自業自得の人間。

創作ネタで武市先生叩いてる人こそひどいよね(´・ω・`)
ごめんなさいしないといけないよね (´・ω・`)
867名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 21:18:42.02 ID:j95GUCwxO
粘着以蔵オタの自演だろw
「新伝以蔵」も毎週いちいち貼ってやらんでもいいだろう。
どうでもいいわ以蔵みたいな仲間売ったゴミクズの話なんざ。
>>866のテンプレで十分。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 21:40:48.77 ID:O0WLSyLd0
大久保ってそんな策謀優れてたっけ?
武市の人物評も別に司馬の主観じゃないしね
司馬の評価なら人望は西郷、謀略の上手さは大久保と肩を並べ、教養は両者より上で感化力は吉田松陰に及ばずながら似てる
とべらぼうに高い評価してるし
869名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 22:33:56.10 ID:pLKvz7980
>>861
ありがとう。「醒めた炎」は木戸さんのスレで評判良いね。
長州は一応「防長回天史」が定番って感じになるのかな?
中岡慎太郎達はどれくらい出てくるのかな。
「流離譚」も、安岡家に伝わる話なんかはこれでしか読めなかったりするし、
ただ「鏡川」の方では島村衛吉と田内衛吉を混同してたりして、やっぱり鵜呑みは禁物だね。
島村衛吉って奥さんいたんだっけ?
870名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 20:54:31.81 ID:GBt8bfFg0
>>859
人徳で牢番達まで協力者に引き入れたのは普通に凄い
瑞山のカリスマ性が覗えるな
871名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 21:31:34.53 ID:UE5gc/nGO
>>370
牢番を協力者に引き入れたのは、瑞山の人徳じゃなくて、誠実さだと思うけどね
872名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 03:37:45.65 ID:nmiWOgf70
以蔵は半平太さんにひどいことしたよね(´Д`)
873名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/22(日) 23:35:11.90 ID:62a5UV6n0
>>863
セリフはほとんどが創作だろw
874名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 15:22:38.61 ID:1ISA0L1TO
>>873
どちらも台詞なんて無い本なんだけどな。
読んでもいない本にコメントすんなよw

誰か土佐勤王党全体を研究した本を出してくれないかな。
こいつらバラバラに行動してるから分かりにくいんだよ。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 18:39:16.09 ID:CZWtn7Fc0
容堂は半平兵太にひどいことしたよね(´・ω・`)
876名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 18:47:30.59 ID:KzzBlwY20
半平太は以蔵にひどいことしたよね。
877名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 21:38:34.07 ID:SdVmevMGO
>>876
>>866を百万回読んでこい史実の以蔵に可哀想な要素なんてない
どっちかといえば、可哀想なのは武市さんと巻き添え食らった党員達だ
878名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 21:47:55.19 ID:SdVmevMGO
>>874
維新土佐勤王史が有るじゃない
だいたいこれが元ネタでしょ?流離譚もこれが大元になってる
というか流離譚を小説じゃなくて史料だと思ってる人が多いことに驚いた
龍馬がゆくを史実だと思い込んでる奴と同レベルのアホさらしてる事がわからないのかな?www
あれは小説の分類だよ
879名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 21:50:33.09 ID:SdVmevMGO
流離譚に台詞がないとか、一体どの史料と勘違いなさっているのやら…
880名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 23:14:26.07 ID:1ISA0L1TO
>>878
誰も流離譚が資料集になるなんて言ってないだろうw
ただ幕末維新期の土佐藩の動きを知るのに手頃な本だというだけの話。
流離譚の台詞って何を指して言ってるんだ?
“覚之助の手紙は「只、肴のないニハ大ごまり也」としか述べていないが”
のような○○は○○と述べたという引用は見られるが、
筆者の考えた「台詞」というのは無い。
881名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 00:41:03.04 ID:tyHe0+fw0
歴史小説の分類だけど、読み応え抜群で読み終えたときの感動はひとしおだった
勤王党と戊辰の安岡覚之助、天誅組の嘉助、民権の道太郎の三兄弟を中心に据えて
あまりスポットを当てられないところにも 踏み込んでいたな
他にもああいう感じの小説があったら読みたい
882名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 05:23:57.55 ID:6crXy5qd0
いやがる以蔵にさんざん人斬りをやらせておいて、
捕まると口封じに毒殺。これがひどくないか。
883名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 05:46:01.97 ID:sO4K/4gX0
>>866 自体が捜索小説だよね。名無しの2ちゃんねらは以蔵さんに酷いこと言うよね(´・ω・`)
884名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 09:22:44.08 ID:CqFmHWnFO
>>882
別に嫌がる以蔵に無理やり人斬りもやらせてないし、毒殺もしてないけど…
人斬りはくじ引きとかで当たった奴がやってたりしたし、平井とか久坂もやってたし、武市や平井や他党員日記や、獄中間書簡などを見れば一発でわかるけど、何創作を真に受けてるのかな?
むしろ武市は、近衛に文句言われて天誅禁止令まで出してたんだが?
それを無視して好き勝手暴れてたのは以蔵の方だし
こういう創作を真に受ける奴が多いから、以蔵ヲタがここで嫌われてるっていい加減に気づけ
885名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 09:29:01.52 ID:CqFmHWnFO
以蔵ヲタほんとウゼェ…マジで死んで欲しい
以蔵ヲタは史実を創作扱いして、小説を史実だと思い込む…こういう奴ばっかりかww
こんな連中が溢れてるようでは、小説が本当になり、史実の方が嘘になってしまうよ…歴史創作って怖いな
886名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 09:40:05.18 ID:CqFmHWnFO
そもそも武市が以蔵を人斬りに仕立てあげたってなんなんだよ。
まだ武市ならば、平井から人斬りに仕立てあげられたって言った方が近いんじゃないのか?
実際に以蔵の人斬りデビュー(井上暗殺)を指揮してたのは平井なんだからなwww
887名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 10:19:04.29 ID:CqFmHWnFO
組織って、No.2がアレなことやらかすと、そいつは何も言われないのに、トップの方が酷く言われて不憫ね
新撰組も錦の方が酷かったのに、鴨の方が酷く言われてるもんな
武市も芹沢も人を見る目がなかったね
収二郎や錦のような馬鹿を側に置いた事がのちの評価に傷を付けたよね
888名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 11:01:57.43 ID:xcqHSHW40
しかし武市は天誅していた土佐グループのトップだったわけなので、
朝廷に咎められる前まで天誅を率いていたのは間違いない。
全てに関与していたというわけじゃないだけで。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 12:24:03.09 ID:CqFmHWnFO
>>888
咎められたのは文吉殺しの後だけどねww
それに武市は京にずっととどまっていたわけではなく、江戸に行ったり、土佐に戻ったりしてる
京にずっといたのは平井で、武市が京に居ない頃の天誅はあきらかにこいつが指揮してた。(多田帯刀暗殺とかこいつの指揮)
その頃の天誅は武市にアリバイがあるんだよ
その天誅まで武市が率いたと言いたいのかお前はww
それに武市はテロ嫌いって高杉にまで言われてる正論家なんだが?
一方の平井は将軍襲撃まで企んでた過激派なんだけど、それはスルーなのかね?
龍馬記念館の三浦氏も天誅を指揮したのは武市ではなくて平井だったと言ってるんだからそうなんだろう
平井のやらかしたことを全部武市に押し付けんじゃねぇよゴミ
平井ヲタも以蔵ヲタ同様にゴミクズばかりだな
890名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 12:31:56.42 ID:kSlsWwLx0
上洛した初期は武市も天誅を容認していたし、以蔵を刺客に用いた。
だが、朝廷の意を受けた武市が党内で天誅禁止を指示しても
以蔵が全く言う事聞かずに勝手に人斬りしまくってたところを見ると、
以蔵は武市に無理矢理天誅をやらされていたどころか
ノリノリで人斬りを繰り返してたと言う事。
891名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 12:33:05.93 ID:CqFmHWnFO
武市はトップだったけど、党員達は無視して好き勝手やってた
実際の武市は党員達にナメられてたのかもね
裏ではアギ先生とか言われて馬鹿にされてたようだし
党員達にとってのリーダーは平井だったのでしょう
892名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 12:48:59.91 ID:CqFmHWnFO
天誅禁止令も、平井が出したなら党員達も言うことを聞いたのかもね
武市が出したから党員も言うことを聞かなかったのでしょう
まぁ、裏で馬鹿にしてたお飾りリーダーの言うことなんて、党員達は聞きたくもなかったのでしょうが
以蔵も同様に影では武市を馬鹿にしていたに違いないですね
だから命令を聞かずに暴走したのでしょう
893名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:11:02.11 ID:vQp/Y3NeO
平井と同じようなポジションだったら間崎もいるだろ
あくまで盟主武市のもとの土佐勤王党の領袖のひとりにすぎないじゃん
参謀格だった島村寿之助の存在は無視か?
陰口にも先生つけられるってことは武市が尊敬されてたことの証でもあるはず
知識がない上偏ってるから同じことばっかり言うんだね
しかも連投してまで
894名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:44:28.78 ID:CqFmHWnFO
>>893
島村は土佐から出てませんし、間崎は龍馬サイドの江戸リーダーで開明派だから関係ありません
天誅が行われたのは京都ですから、天誅の執行において、京リーダーの平井の存在が重要なのです
彼らが武市の命令には従わないのに、平井の命令には大人しくしたがっていた理由は?
それは彼らが武市よりも平井をリーダーだと思っていたからに他なりません
武市は正論主義を馬鹿にされて、影で党員達の笑い者でしたから、当然彼らはそんな武市の命令なんか無視したわけです

895名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:55:18.91 ID:CqFmHWnFO
岡田以蔵も同じです。彼にとってもリーダーは平井でした。
だから当然のように武市の意思など無視したわけです
そういう事ですので、高杉の所に以蔵を逃がしたのは平井でしょう
もしかしたら、以蔵を人斬りに仕立てあげてしまったことで、以蔵が暗殺に依存する原因を作った責任を感じていたのかもしれません
千屋菊次郎は平井と同居している仲でしたから、彼も平井に命じられて色々と以蔵の面倒を見ていたのでしょう
896名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:33:11.91 ID:kSlsWwLx0
連投してる基地外と>>882
同一人物の匂いがする
897名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 17:39:18.01 ID:CqFmHWnFO
平井が死んでから勤王党が崩壊したのは、お飾りのリーダーである武市なんかには、誰もついていきたくないと考えたからではないでしょうか?
武市の人徳の無さに加えて、平井はあまりにも優秀すぎた
平井が盟主だったなら、勤王党の悲劇は無かったかもしれません
898名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 20:34:17.69 ID:ZBjcMeZvO
平井ガーの人はまた昼間から発作起こしてたのかw
途中で口調を変えてもIDは変わらないから自演にはならないんだよ?

>>897
天誅で安政の大獄関係者を叩いて回った事以外の
平井収二郎の具体的な功績を示す物は何か見つかったかい?
高知県歴史民俗資料館から収二郎関連の資料集が出てるからそれでも読んでなさい。
平井は十文字切腹〜とかどっかの孫引き鵜呑みにしてオタナリしてないで。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 22:36:01.07 ID:20waypqu0
天誅は義の面が強調されることが多いけど、
京の治安上の取締側と浪人の戦いって側面もある。
>>31の言う変化のブリッジにもなっていると思う。
武市も平井も脱藩してないので、脱藩組とは少し立場が違うと思う。

>>897
青蓮院宮令旨裏工作事件で、武市以外は政治活動を禁じられたこと、
その後も政治活動を続けて、主だったものが京にいられなくなる。
武市半平太、平井収二郎、小畑孫次郎に帰国命令、
弘瀬健太、間崎哲馬は捕縛、そして送還。
これで土佐勤皇党の命脈はほぼ立たれてるんじゃないでしょうか。
さらに天誅組の変だし。
900名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 22:48:53.68 ID:FPyyOzzC0
そもそも天誅される方が悪い
井伊直弼なんてわざわざ首取られたから倒幕になった
大獄でやったんだからやられて至極当然
901名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 23:54:27.98 ID:TwWpY8RN0
土佐勤王党も別に天誅するためにわざわざ土佐から京都まで来とるわけじゃないんだがな…
あんなに勤王勤王うるさく言ってたんだから
少しは彼らの活動背景にも目を向けて欲しいもんだ。

天誅がー武市が平井が以蔵がーしか言う事がない粘着荒らしのID:CqFmHWnFOはいい加減自分のHPにでも書いてろ。
スレの何割をお前の愚にもつかないループぼやきで消費すれば気が済むんだ?
902名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 01:50:17.39 ID:jqWwqzPV0
平井収二郎の両親の墓を丹中山に
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=274866&nwIW=1&nwVt=knd
903名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 01:53:55.76 ID:jqWwqzPV0
ついでに質問させて下さい。

直次郎(西山志澄)が明治二年に「新留守居組」になるまで、
平井家の格式は「御歩行」だったという事でよろしいのでしょうか?
904名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 06:38:28.33 ID:0CrOsyIdO
でも、武市なんてゴミじゃん
905名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 10:17:25.78 ID:0CrOsyIdO
党員を手駒としか思わず、利用するだけ利用したら捨てるとかクズでしかないじゃん武市なんて
906名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 12:35:21.14 ID:FNwRgytBO
>>905
誰も利用されてないし捨てられてもいないけど?
「武市先生の為」に那須信吾達が東洋暗殺したり党員が天誅してたとでも思ってんの?
岡田なら脱藩後も仲間にフォローされてるしね、遊郭にハマってドロップアウトしたけどw

岡田といえば池内大学を同志を売った疑惑でけしからん奴だと殺害してたが、
自分がその後本当に拷問で仲間売ってるんじゃ世話ないわなw
他人を叩く奴程自分が叩かれるのに打たれ弱いというけれど
武市先生が以蔵の人間性を心から軽蔑してた理由がよく分かる。
本当に擁護の余地が無い程以蔵の末路はクズそのものだもの。
907名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 13:30:29.92 ID:JFsl0okI0
>>902
こっちの記事だと画像付き。傾いてるなぁ。

収二郎父母の墓移設へ 高知市
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=274890&nwIW=1&nwVt=knd
908名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 13:31:56.49 ID:PyP3OPpL0
以蔵は身分が極めて低く無教育だったので知性や道徳に欠けるところがあった。
武市は以蔵のそのような性格を矯正しようとするどころか、悪用し助長して以蔵を
殺人マシーンに仕立て上げた。そして、以蔵が捕まると口封じに毒殺しようとした。
以蔵はほんとにあわれだ。
909名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 14:49:00.97 ID:0CrOsyIdO
武市死ねって思う方が正しいよね
武市みたいな救いようのない極悪人を素晴らしいとマンセーするとかこのスレ住人はほんと頭が狂ってるね
910名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 14:51:09.04 ID:0CrOsyIdO
武市ヲタは死ぬべき。あんな救いようのないクズをマンセーするとか頭狂ってるから
史跡に嫌がらせされたのも自業自得
911名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 14:52:47.56 ID:0CrOsyIdO
>>906
そんな嘘ついてまでクズの武市を庇わなくてもいいよ
いい加減武市は最低なクズだって認めろ
912名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 15:01:12.60 ID:0CrOsyIdO
というか、そもそも武市なんていう幕末の麻原をマンセーするとか、気が狂ってるとしか思えないわ
913名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 15:03:02.49 ID:0CrOsyIdO
武市なんてただの凶悪犯でしかないのにな
914名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 16:29:43.96 ID:XvdzMsFp0
りょうまあああ!鳥かご買うてくれやぃ!りょうまあああ!
915名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 16:34:53.41 ID:oaSQYMhbO
何で皆、わざわざこの連投基地外をスルーせずに相手してやってんだ?
こいつが武市アンチ(以蔵ヲタ)なのか、痛いアンチを演じて武市擁護レスを釣りたい武市ヲタかは知らんけど、
こいつはどんな立場を偽装してても、レスに独特の嫌らしさがあって、
「あ、またコイツか」ってすぐに分かるし、何かキモくて関わり合いになりたくないから、
こいつが武市を肯定する素振りを見せようが中傷しようが、
個人的にはずっとスルーしてきたんだけど。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 16:37:21.78 ID:XvdzMsFp0
上士は下士にひどいことしたよね(´・ω・`)
917名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 17:21:21.50 ID:FNwRgytBO
>>908
司馬遼太郎の小説が根拠の話がしたいなら日本近代史板に来ないように。
毒殺を恨んで自白〜は司馬の創作。

岡田は便乗して騒いでただけな根性無しのアフォだというのはその末路が証明しているが
儒学や西洋砲術の先生につき平均的な教育を受けた普通の郷士。
勤王党員は地下浪人も農民もいる身分混合集団で「異姓兄弟」の誓いを結んだ序列の無い集団なの。

以蔵のアホが可哀想だと言うなら
岡田のせいで拷問に耐え抜いて死ぬ羽目になった島村衛吉や
岡田と違って仲間に類を及ぼす位なら潔く自害を選んだ田内衛吉や
仲間の釈放を命懸けで訴えた野根山23士のがより可哀想だったって思わないのかなあ?
この人達も他の藩の志士も一緒に天誅に参加してたけどみんな殺人マシーンなんだ?

史料上の岡田に気の毒な要素なんてないよ。
可哀想がりたいなら根拠持って来い根拠。
918名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 21:59:27.06 ID:0CrOsyIdO
武市みたいな小物のクズが盟主でさえなければ、以蔵も多少はまともな死に方が出来たと思うけどな
このさい、武市じゃなければ誰でもいい、大石でも平井でも
武市みたいな無能よりはマシだったはず
919名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 00:24:22.15 ID:Y3cljrp40
収二郎は
生き残り組があんまり話題をのこしてくれてないんだよな、
面白そうな人物だけどいまいち、他藩の人との交友も
深そうに見えないし。
920名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 01:09:12.93 ID:h2pg3c9+0
他藩応接役時代は朝廷工作と他藩人との付き合いをしていたようだが、
どういう人物かと言うと判然としない印象
間崎哲馬はわりとあるようだがエピソードが少ない上生き残りが語ってくれない
(維新風雲回顧録や瑞山会系は多少参考になる)
日記見ると意外な人物が出てくるので交友は広かったのだろう
珍しく大河ドラマに出たかと思ったらこういう部分が全く紹介されてなくてがっかり
龍馬伝のがっかりはこんなもんじゃなかったが
921名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 02:16:02.34 ID:f4cmLm3JO
以蔵オタがまだスレ荒らしてんのか。悉く論破されて悪口しか言うことなくなったみたいだがw
以蔵の話題はもうテンプレで済ませた方が良さそうだなw
具体例を挙げて批判するならともかく、
武市の悪口言いたがる奴ってどうしてこう捏造上等の妄想野郎しかいないのかね。

>>916
そういう状況下で天皇担いで政治に物申すべしと土佐藩全域の野郎共を感化した武市先生はやはり偉いよ。
天皇の下の平等を説き政治的な訴えを起こす土台は以前からあったが
それを土佐藩でよりランクアップさせたのが武市先生の活動。
922名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 02:18:36.45 ID:rpeaMXRj0
武市さんならホライズンインベストメント日本法人代表に就任して腐った日本を売り叩いてたよ(´・ω・`)
923名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 02:33:00.60 ID:f4cmLm3JO
>>922
ドラマの話は板違いだ余所でやれ。
あとageんな。

>>920
収二郎の活躍した時期ってかなり短いからな、
藩主上京に際しての工作にはまだ関与していなかったようだし。
島村衛吉などはこの時期から武市の指示で根回しに動いていたらしい。
924名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 02:59:01.14 ID:rpeaMXRj0
ほんとなのに(´・ω・`)きみってひどいこというね
925名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 06:08:29.91 ID:sCgI2qTLO
>>919
個人的に他藩との交流は、武市よりも広いイメージがあるなぁ特に長州系。
例えば、松陰門下の四天王とか。
脱藩しろって言う人も多かったみたいだし、州に逃げれば、もっと活躍出来てただろうに
でも、武市に自白状書かされて土佐に送り返されちゃったんだよね
ほんとろくなことしないよな武市は
926名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 06:58:31.47 ID:ZL/OJGp4O
荒らしに構う人も荒らし。
927名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 08:29:59.26 ID:yd2dSKVp0
以蔵は仲間を売ったのではない。まだ自供していない以蔵を
"仲間を守るために"毒殺しようとしたのは、武市が以蔵を仲間と
思っていなかった証拠だ。知能が低い以蔵でも、自分が殺されか
かったら気が付くよ。身分が低く極貧で無学な以蔵は、仲間や武市
に受け入れられ同志扱いされる唯一の方法と信じて人斬りに励ん
だんだよ。自分を軽蔑しながらさんざん汚れ仕事を押し付けて最後
には口封にじ殺そうとした武市と勤王党員への復讐は以蔵生涯たっ
た一度の人間的な行為だった。
928名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 09:36:03.77 ID:5C7hczTQO
武士なら潔く自決しろ
929名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 09:40:53.01 ID:ZhH9iR3Z0
>>917
> 岡田と違って仲間に類を及ぼす位なら潔く自害を選んだ田内衛吉や

自白してるんで、ちょっとこの記述には問題があるのでは。
930名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 10:07:36.29 ID:sCgI2qTLO
武市はしょーもないクズだからどれだけ罵っても良いけど、他の勤王党員まで罵るならこのスレに何故くるんだ?
以蔵だけ可愛がってればいいじゃない
931名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 10:21:05.16 ID:ZL/OJGp4O
>>929
以蔵に比べれば全然同情の余地があるよ。
以蔵は自白以外にも色々酷すぎるからな。
932名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 10:52:41.51 ID:Fb66/wIPO
田内衛吉は拷問耐えられず自白したものの、これ以上迷惑かけるの恐れて服毒したのだから、
牢に入れられてすぐ長州がどうの吉村虎太郎がどうのペラペラしゃべって牢番にも呆れられたり
自白したせいで新たに入獄者を増やした以蔵より大分マシかと
他の牢に入れられてる同志も自白したら田内と同じことをしただろう
933名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 11:12:05.85 ID:sCgI2qTLO
以蔵は相当口が軽い奴だよな
個人的にはこんな奴を刺客として使った武市が一番馬鹿だと思うんだけど
付き合い長いくせにわかんなかったのかよって言いたくなる
文吉は籤引きで当たったから仕方ないとはいえ、他の天誅は武市が選んでたんだろうし
井上佐一郎殺しの刺客は平井が選んだ可能性も有るがw
934名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 11:18:31.09 ID:sCgI2qTLO
マシって…自白に耐えられなかった事事態は、そこまで酷くいう理由にはならないんでは?
弱い人だったんだね〜で済む話。
その前後の行動の方が問題。
935名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 11:50:52.71 ID:HDXLklEv0
>>927
>>866読め。小説を根拠に歴史上の人物を語るなアホが。
お前の価値観では桜田門外の変の水戸浪人達も汚れ仕事をやった殺人マシーンなのか?
「狂犬のような以蔵だが武市にだけは馴れ犬であった」みたいな記述を事実だと思い込んでいるんだろうなw
横田達雄著「武市半平太と土佐勤王党」の中で
天誅・獄中闘争に関する史料を引用して最も詳細な研究が行なわれてるから
土佐勤王党関連の話をしたきゃ、最低でもそれ読んでから納得のいかない点を挙げるんだな。

粘着荒らしも武市に人望がないと言ったかと思えば教祖扱いしてみたり
アンチしたいばかりに発言が統一できていないぞw
武市が尊敬を受け人望が物凄かった=盲目的に皆が言いなりになった
になるのは記録上の志士を人間じゃなく記号としてしか認識できてない証だろう。
武市・平井・岡田の三人しか話題のないニワカは大河ドラマ板に帰れよw
936名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 17:09:51.68 ID:yd2dSKVp0
人斬りがいやになった以蔵は龍馬のとりなしで勝海舟の用心棒になったのに
"武市先生のために働きたい"の一念で勝のもとを離れて捕まってしまった。
そんな以蔵を口封じに毒殺しようとした武市の人間性は以蔵以下だ。
937名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 18:18:02.18 ID:HDXLklEv0
いちおう平井収二郎が土佐勤王党弾圧の端緒を開いた形になるわけだが、
令旨事件てやっぱ容堂と青蓮院宮の罠だったのかね。
あともうすぐ次スレだが、スレタイは「土佐勤皇党」でなく「土佐勤王党」の表記に直した方がよさそうだ。

>>936
>>866を読み返した上で大河ドラマ・小説・ネットの孫引き以外の発言の根拠となる史料を示すように。
岡田だけ都合よく特別扱いせず他の勤王党員についても調べてこい。

岡田以蔵について都合の悪い史料は認めようとせず脳内ストーリーにウットリしたいだけならこのスレ来るなよ。
岡田が好きなら獄中の同志書簡記録の「以蔵が自白を反省してた、同志への不義を後悔していた」という最期も認めてやれよ。
書簡記録によると処刑前、岡田が武市によろしく頼むって牢番に伝えてたぞ、武市は同志を犠牲にしてなお自分に伝言頼める岡田の厚顔無恥さに呆れていたけどなw
これもテンプレに追加した方がいいかな。

田中光顕の話を参考にすると、岡田は勝の所に行った後酒色に溺れ、素行不良で龍馬にも疎まれ追い出されたようだ。惨めな死に様も自業自得。
晒し首になった清岡道之助・治之助らは気の毒な事であった。
基本的に同族の多い勤王党は仲間思いだと思う。
938名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 21:03:36.76 ID:sCgI2qTLO
>>935
それが小説だけじゃないんだよな
幕末がよくわかる本みたいなのにも、武市は人間のクズって書かれてるんだよねぇwww
939名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 22:26:17.12 ID:ZhH9iR3Z0
>>937
罠というか…
天誅の恐怖を背景に、公家にいろいろと無理難題言ってるから、
告げ口されても仕方ないでしょ。
尊攘急進派はやりすぎで京に居場所なくなっちゃうのよ。
940名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 23:01:17.23 ID:h2pg3c9+0
青蓮院宮のような高貴な公家を使って下士が藩政に介入したのにキレたんだろ
しかも3人は大老公で藩主の実父でもある豊資の権力で藩政改革を行おうとした
豊資は東洋暗殺の黒幕でもあり、容堂が藩主に就任した当時から容堂を公私共に厳しく監視していて、
容堂との仲は非常に険悪だった
ただでさえ軽格を目障りに思っていた容堂が、激怒して切腹を命じたのも無理はいと思われる
それと令旨事件の場合一番罪が軽いとされているのは平井だぞ
土佐勤王党の弾圧は一般的に8月18日の政変以後と言われてるが、実際文久3年2月に容堂が
江戸から入京した頃からだろう。
次スレは土佐勤「王」党がいいでしょうね
941名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 23:25:14.64 ID:sCgI2qTLO
>>940
一番罪が軽かったのは弘瀬だろ?
日記で平井にお前が一番悪い!って恨み節言われてたのは間崎だが
942名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/26(木) 23:44:00.68 ID:bRNaBsEU0
同じ人斬りでも田中新兵衛や河上彦斎は思想ある志士だったし
中村半次郎も薩摩隼人だし
以蔵はそもそも単なる剣に自身ある刺客だったのではないか
943名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 03:49:29.67 ID:qXMMk9G+0
テロの計画者とテロの実行犯はどちらが糾弾されるべき悪なの?(´・ω・`)
944名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 05:02:16.26 ID:L4w0Sq6S0
>>943
両方
945名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 05:49:00.78 ID:qXMMk9G+0
じゃあ、武市さんも以蔵も結局ひどいことしたってことだよね(´・ω・`)
946名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 11:59:16.34 ID:DYcijmpPO
>>941
平井が他の2人に比べ大幅に投獄時期が遅れているのは比較的罪状が軽いからと明記してあるの見たことない?

君随分平井を推したいみたいだけどそれなら殉難録稿、維新土佐勤王史、「武市半平太と土佐勤王党」
歴史民俗資料館から出てる資料、あと連名の自首状くらい読んだら?

毎回以蔵武市ディスりしかしてないけど、大河から来たにわかなら大河板に帰ってくれ
947名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 12:16:00.87 ID:XMV5ytWdO
>>946
平井ヲタ乙ww
平井はあくまで、間崎弘瀬の巻き沿えくっただけで何も悪くないと主張したいんだろうけど、
令旨事件で一番罪が軽かろうが、その後も調子に乗って容堂無視して越権行為かましまくったあげく
長州と組んで、家茂襲撃まで企んだら、そりゃ佐幕派の容堂に危険視されて当然だろう
平井が死んだあとも、家族監視されてたみたいだし、余程危険人物だと思われてたんだろうな
948名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 12:36:07.28 ID:XMV5ytWdO
そもそも、維新土佐勤王史なんつー坂崎の創作だらけのほとんど小説と変わらないもの読む気にもならないね
そんなの読むくらいなら、横田達雄の維新土佐勤王史のウソ&マコトでも読んだ方がずっといいわ
資料館から出た資料と連盟の自白状は読んでみてもいいかもね
949名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 12:51:02.04 ID:TTnmBpP+O
>>943
安政の大獄を大義無き政治テロと評する研究者もいるけどな。
旧体制が問題対処能力を失い崩壊してる最中に、体制派と反体制派の
どちらが正しいだの間違ってるだの簡単に判断出来ると思わない事だな。
あと顔文字うぜーんだよ空気読め
天誅天誅ってバカの一つ覚えみたいに、そこしか目に入らないんだろうが
せめて土佐勤王党がどういう集団で何のために活動していたのか調べてから質問しろ。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 13:35:03.95 ID:DYcijmpPO
>>947
えーと、いつもの連投平井オタが罪が軽いのは弘瀬と間違ったことを言ったから糾したまでで、
令旨問題で平井が何も悪くないと言った覚えはないよ。

実際計画したのは間崎と平井が中心だったんだろうが、
青蓮宮が令旨を発給したのは間崎と弘瀬に対してであり、帰国した上豊資に令旨を提出し藩制改革を迫ったのも
この2人。
だから藩庁は平井が間崎弘瀬に比べれば罪状軽しと判断したのでしょう。
そのため間崎は送還と同時に投獄されたが、平井は暫く自宅謹慎だった。

それと平井が長州に田中顕助らを紹介し将軍暗殺計画を謀ったことは容堂が知ってるはずもないだろ。

横田氏の維新土佐勤王史のウソマコトも維新土佐〜の間違いを訂正する意図から出されたのだから、
まず維新土佐〜に目を通さないと話にならないんじゃないか。
951名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 14:06:44.23 ID:XMV5ytWdO
>>950
そうか、それはすまなかった。
確かに、維新土佐勤王史に目を通してから、横田氏の方を読んだ方がよくわかるだろうね
でも、平井の将軍暗殺計画は結局決行されなかった(高杉が考え直した?)みたいだけど、容堂は本当に知らなかったのかな
平井は田中らを長州に紹介してるから、家茂暗殺を計画したのは長州(高杉?)なんだろうし、なんとなく察してはいたんじゃないの?
952名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 15:51:31.11 ID:qXMMk9G+0
けっきょくクジラを追ってペリーが日本まで来たのがわるいんだから、クジラは日本人に酷いことしたよね(´・ω・`)
953名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 20:43:17.84 ID:G5Lyrg0f0
>>938
その理屈でいくと
「よく西郷吉之助に似たり。真に君子なり。其の書の清高、其の人の如し」by樺山三円とか
「当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり。その熱誠、西郷の上にあり」by久坂玄瑞とか
「我藩この如き人物なし。ただ共に比すべきものは大島の流人、西郷隆盛のみ」by田中新兵衛
とかの人物評が残ってる武市さんは素晴らしい人格と人徳を兼ね備えたお人だったという事になるよね。
平井収二郎も朝廷がやっと攘夷の詔を下した件について、薩長土三藩が周旋する中で「瑞山尤も力あり」って武市さんの功績を讃えてるけどね。
ムック本に書いてあったりネットに書いてあった事を鵜呑みにするから
収二郎は見事な十文字切腹だったwとかヲタナリ丸出しの間違いするんだってのw
無理やり引き合いに出される収二郎もいい迷惑だろうよ。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 21:35:03.17 ID:Vh+oARCaO
中岡慎太郎は、逆に西郷を評する際に武市を引き合いに出したりと、
西郷と武市は同時代の人達によく比較されてるな。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 04:04:51.02 ID:DyQ9u3CMO
>>954
どちらも誠実で男振りの良いカリスマって所が共通点なのかな。
各藩の志士の指導者が上級武士から出てる中、瑞山が特殊なのは下級武士出身という事。
志一つでよくあれだけ土佐藩を動かせたよ。
薩長より影響力の弱い土佐とはいえ、他藩の志士が複数で分担した役割をこなしていたような気がする。
956名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 08:35:45.98 ID:L3BPSomx0
瑞山は西郷のカリスマ的な人格的統御力に加え
江戸の三大道場の桃井道場で塾頭を勤め、乱れてた風儀を正し気風を粛然とした政治手腕もある
他藩士との人脈も広い
単に剣の腕だけじゃ塾頭になれないだろう
その上和漢の学問教養もあった超人であったのだった
957名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 10:11:10.69 ID:nIjCCAhT0
一本気な若き慶喜、鮮明に 将軍就任前、土佐藩士記す
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011052801000075.html

>土佐藩士樋口真吉の雑記の中の一節で、樋口が親交のあった
>志士中岡慎太郎の書状から写したとみられる。

との事。
958名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 14:46:47.05 ID:DyQ9u3CMO
中岡といえば筑前勤王党と土佐勤王党員はいつ頃どの辺で接触したんだろう?
959名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 20:16:40.02 ID:DJ9I8bumO
そういや、平井の日記にも、河上が結構出てきたな
何気に平井が、半次郎以外の幕末人斬り3人と交流がある事を日記で知った。
新兵衛とも結構親しくしてたみたいだし
以蔵はいわずもがなだし。だからと言ってどうということも無いのだが、少し気になった
960名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 21:10:45.40 ID:a1vF+IJX0
幕末3大人斬りといっても
河上彦斎が殺害したとハッキリわかってるのは佐久間象山だけ。
普通に志士として交流があったと考えるのが妥当ではないか?
961名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 21:25:57.99 ID:DJ9I8bumO
>>960
まぁ、普通にそうなんだろうが、田中はともかく、河上は武市とはあまり交流無かったっぽいから気になっただけだ
それとも知らないだけで武市とも交流有ったのかな
962名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 21:41:33.32 ID:a1vF+IJX0
>>957
 >1864年に京都で、朝廷や幕府などが出席した会談の様子などを記述。
 >同じ内容の記録は他にもあるが、史料を調査した青山文庫(同県佐川町)の松岡司名誉館長は「幕末維新史の一場面が劇画のように記され面白い。
 >理想肌で一本気な政治家、慶喜の姿が垣間見える」と評価している。

 >攘夷論をめぐり、天皇側近の朝彦親王が前日の会談での発言を撤回していることを知った26歳の慶喜が「茶椀ニテ五杯ホド引カケ直ニ早馬ニテ」親王邸に刀を持って乗り込んだと記述。
 >あいさつ抜きで「御一命ヲ頂戴仕私モ身ノ覚悟」と脅しながら、あやふやな政治姿勢を追及する様子が記されている。
 >将軍の補佐役だった慶喜は当時、幕府の立て直しのため、外交や国の在り方をめぐり朝廷や有力諸藩などとの折衝に奔走していた。
 >茶を出させようとした親王を「今日ハ茶ヲ呑ニハ参ラズ」とはねつけ、「私ハ十万石頂戴仕テ居マスカラ茶ハドウカコウカ買テ呑候」と一喝したとの一文もある。

面白いね。しかし新聞に出てくるの松岡先生出ばっかりやなw
963名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 12:26:03.75 ID:hjP82D8j0
今日は茶など飲みに来たのではない!俺は10万石を頂戴しているのだから茶はどこかで買って飲まぁ!
ワロタw血気盛んすぎんだろw
964名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 16:52:01.96 ID:l4D39M9v0
>>962
松岡先生といえば、以蔵新伝の続きうpマダー!?
965名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 17:38:12.05 ID:/HNhQUKuO
岡田とかどうでもいいし。歴史的にも人物的にも。

松岡先生年何回か講演してるけど、講演情報とかわかんないのかな。
去年の「龍馬であい博」の時は歴史講演会のスケジュール表が公式HPにあったのに今年は見つからん。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 23:54:06.19 ID:t/3mXIru0
>>958
筑前勤皇党といえば月形洗蔵
月形洗蔵といえば月形半平太
くらいしか知らんなあ
なぜ行友李風は月形洗蔵と瑞山を合体させようと思ったんだろう
情勢の変化で弾圧されて死んだコンビ?
967名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 02:19:18.44 ID:kZMCRGyQ0
【就職 転職 入社 危険】
●ベ イカレ ント・コ ンサルティングは、正真正銘ブラックな
人材デリバリー会社です。新卒内定辞退強要に始まり社員密室監禁、
カメラ常時監視・退職強要・産業スパイ行為など
犯罪行為を繰り広げる非常に悪質な企業です!!!
968名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 06:37:21.69 ID:feO5JD0iO
京都の武市別宅跡地に立ってる石碑の裏には、月形半平太って書かれてるらしいねwww
月形洗蔵涙目だけど、やっぱり、武市のモデルと言うイメージの方が強いのかな
実際には桂やら本間やら、色んな志士の要素が混じってるキャラだったようだが
969名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 10:55:16.57 ID:JJ5lRGsG0
萩藩士の設定だよね。
映画の長谷川一夫版は、長州藩、尊王開国、大政奉還で、
見廻組に狙われるが、結局元同士に暗殺されて死ぬ。
在京志士なら誰でも使えるような筋立てだから。
メインは女性に仇と勘違いされることだから。

月形洗蔵もそうだけど、小藩の志士は軽く扱われがちだね。
970名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 12:13:16.64 ID:TxYFc6m2O
>>965
以蔵なんてただ落ちぶれて仲間を犠牲にしただけの人じゃないですか〜とか
以蔵より田内衛吉と島村衛吉の方が好きだ
って意見を見かけたな。
その方が正当な評価だと思うよ。

土佐史談会の今年の講演で松岡司氏は野中兼山について講演するらしい。
去年の講演調べたら龍馬伝にちなんで幕末の人物ばかり取り上げられていた。
行きたかったなー。
971名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 13:08:25.99 ID:MFnL07EC0
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内勤社員への退職強要、何も無い部屋へ監禁・ビデオカメラで盗撮
社員を囚人と同等の扱い、新卒内定者辞退強要、賠償問題発展
執行役員阿部首謀の産業スパイ事件、休職強要、太客への不正贈賄事件

★危険! 直ちに取引停止!

972名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 14:45:16.31 ID:feO5JD0iO
>>970
まぁ、確かにそうだわな。
実際の以蔵は、落ちぶれて仲間売った事以外は、他の過激派モブ党員とたいして変わらない事やってただけだしな
人斬りとしても志士としても、武市からの信頼も全ての面で島村衛吉の方が以蔵より上な訳だし
973名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 18:50:30.18 ID:YgRQiQku0
>>970
郷土史講座(土佐の偉人十講座)  
場所:高知県立文学館ホール  時間:13:30〜15:30  申込方法:ハガキ、電話、FAX
平成23年10月29日(土) 「野中兼山遺族」松岡 司
9月に中岡慎太郎の出張講座もやるらしい。

「遺族」ってことは野中太内なんかの話も出るのか?
強硬に佐幕を主張した挙句、容堂の煮え切らない態度に立腹して暴言吐いて切腹になった。
ちなみに去年の演目は武市半平太だった。
974名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:08:43.50 ID:s6YZKyWNO
宿毛に幽閉された一族とか娘で医者やってた婉の話がメインだろうな
975名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:17:58.03 ID:5kpR9bYE0
岡田は"武市先生のために働きたい"の一心で勝のもとを離れて
捕まってしまった。その以蔵を毒殺しようとした武市は鬼畜。
以蔵は何も悪くない。土佐勤王党壊滅は以蔵毒殺を図った武市が
招いたこと。
976名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 21:24:24.71 ID:feO5JD0iO
>>975
以蔵ヲタはこんなのしか居ないのかね…
うんざりだぜ
実際の武市は以蔵に毒なんぞ盛ってないんだがな
そんなに司馬の創作を史実だと思いたいのかね
977名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 21:41:46.03 ID:YgRQiQku0
別に携帯とPCで自演しなくてもいいんだぞ。
お前も飽きないね。
978名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 21:51:05.40 ID:feO5JD0iO
>>977
決めつけるのはやめてもらえないかな?
979名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 10:03:36.14 ID:d8E0NWLl0
>>973
>「遺族」ってことは野中太内なんかの話も出るのか?

野中太内って支流の出でしょ。

兼山の血統は失脚後の幽閉とかで途絶えていますし、
普通に考えると、婉とかの事ではないですかねぇ。
980名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 13:26:57.16 ID:/wPJU+RDO
平井ネタが論破されてニワカヲタナリが露見したら次は自演かよw
龍馬伝関連スレに平井ガー個人サイトの評判ガーと粘着してた以蔵ヲタなのは知ってるから
岡田以蔵スレに引きこもって出てくんなよ。
別に以蔵について新たに議論するネタなんて今更ないし、あってもわざわざ書かないから。

ところで次スレって2番目?3番目?
一応3スレ目になるのかね。
981名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 13:55:43.93 ID:Y1qvQzSaO
次スレは3。
あと、「土佐勤皇党」よりも「土佐勤王党」の方が良い気がする。
982名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 14:09:26.76 ID:vwyHn10iO
>>975みたいな盲目以蔵ヲタもウザイが>>980みたいな以蔵ヲタは全て例の粘着だと決めつける断定厨の以蔵ヲタアンチも相当ウザイ
むしろ975=980なんじゃないかと疑いたくなったわ
983名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 15:04:16.92 ID:Y1qvQzSaO
粘着荒らしが疑われるのは仕方ないな…今までの行動が行動だからな。
狼少年みたいなものだよw
てか、必死になって例の粘着荒らしを庇う>>982
例の粘着荒らしの自己擁護くさいなw
984名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 15:51:33.71 ID:1DP0+VKA0
>>962
面白い!

父から、慶喜はすごい趣味人とだけきいてたんだけど
若いっていいな
985名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 16:06:53.18 ID:vwyHn10iO
>>983
別に粘着を擁護してる訳じゃなく、粘着じゃないのに例の粘着自演認定されたから腹立ててるだけですが何か?
お前ら全員ウザイよマジで死んでこい
986名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 16:15:17.82 ID:vwyHn10iO
以蔵ヲタも以蔵ヲタだが武市や勤王党のヲタも相当ウザイな
自分等の都合の悪い書き込みはなんでもかんでも自演扱いかwww
もうこんなスレ二度とこねぇよ気分悪い
987名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 16:16:28.22 ID:1DP0+VKA0
武市スレって前からこう?
大河のスレもヘンなのが粘着してるんだが
ヘンなのに好かれやすいのか
988名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 16:23:46.08 ID:Y1qvQzSaO
>>985-986の連投が例の粘着を彷彿とさせるなw
文章から漂ってくる雰囲気も似通ってるし(笑)
989名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 16:34:01.07 ID:DB888rSRO
まあ過疎ってはないようだから誰か次スレ頼む
中岡は筑前勤王党リーダーの月形とは議論が合わなかったので、自分とばかり仲が良かったと早川勇が証言しているな
個人的な付き合いとしては、中岡は龍馬より早川の方が親しかったような気がする
990名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 17:18:27.77 ID:6FYUIoG+0
>>989
一応、今から次スレ立てに行ってくる。
無理だったら後で報告する。
991名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 17:41:23.96 ID:6FYUIoG+0
「武市半平太&土佐勤王党について3」
のタイトルで立てようとしたが
やはりレベルが足りなくて無理でした。
992名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 19:44:02.80 ID:eUor6Vhp0
993名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 21:29:16.39 ID:eUor6Vhp0
そういえば清岡道之助が河田小龍に頼んで
ナポレオンの絵を描いてもらった物が残っているそうな。
勤王党員への海外の興味がどの程度だったのか気になる話ではある。
道之助の弟の清岡公張(半四朗)が小龍のパトロンだったが
龍馬以外の党員もやっぱり小龍と交流あったんだな。
994名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 23:42:47.69 ID:/wPJU+RDO
乙!

>>984
志士や公家達も議論が紛糾して徹夜になる事があったらしいけど
皆が口角泡を飛ばして議論している所を想像すると面白いよねぇ。
しかし幕末に有名になった人は大なり小なり皆血の気が多い。

粘着アンチはあっさり馬脚を表したなwお前邪魔だから次スレも来ないでねー
995名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 18:00:40.42 ID:pnFVNTlzO
>>987
大河ドラマ板の大森武市スレとこっちを同じ内容で粘着荒らししてたのは佐藤以蔵萌え〜の腐女子。
801板の内容が気に喰わないとかでわざわざケチ付けに来てた。知るかそんな話。
頭悪いねw
996名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 18:11:39.58 ID:pnFVNTlzO
うめ

平井収二郎の切腹も諸説あるんだよね。
平井オタナリしてた粘着アンチの奴、隈山春秋と帰南日記を本当に読んでたのかも怪しいもんだわ。
997名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 18:21:55.45 ID:C4VkrrPk0
>>995
なんだそれw
江戸の仇を長崎でか?意味分からん
998名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 18:32:18.71 ID:VK+vVacIO
次スレ
武市瑞山&土佐勤王党について3
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1306838574/
999名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 22:46:19.51 ID:02nbSV0NO
1000名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 22:46:38.99 ID:02nbSV0NO
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