1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
雷電
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 21:05:09 ID:wSwO1qDh0
三千世界の鴉を殺しヌシと朝寝がしてみたい。
それ木戸作っていうけどね
引用の引用で突然高杉作に
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 22:12:08 ID:wSwO1qDh0
つか、桂どこにでも顔出すな。万事起源は桂小五郎の木戸孝允か。
資料のあることだから突っ込んだだけだが気に障ったのならすまなかった
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 22:20:55 ID:wSwO1qDh0
そういう気は毛頭ないが、桂は人気あるなと。写真も感じいいし逸話も爽やかで好人物そうでさ。それだけ。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/13(月) 22:25:02 ID:wSwO1qDh0
なんか反映されないからモイッかい書く。
べつに、いつものことだからいいが、桂人気あるよね。
残ってる写真も男前だし、逸話もいいのが揃ってるし。
桂の木戸もどどいつやってたのかしら?
8 :
フランス ◆Police..C6 :2010/09/14(火) 01:23:26 ID:1mAK89Rc0 BE:3351084269-PLT(21021) 株優プチ(history2)
将軍専用の橋を堂々と渡った人か
坂本と高杉
同じ頃に脱藩したのにどうして差がついた?
>三千世界の〜
小泉八雲が木戸作と紹介した後、引用の引用で高杉作になって
「添い寝」の部分も「朝寝」に変わったらしいな
木戸作と聞くと切実な感じで、高杉作と聞くと粋に感じる
>>7 知名度は木戸が上だろうが、人気は高杉の方が圧倒的に高いと思うぞ
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/14(火) 22:11:38 ID:AxmPL9j10
大分好感の持てる所謂志士ばらだ。いい加減で破天荒「いようセイイタイショウグン」って逸話もイイカンジ。
でも、「じゃけえ」だのと仁義なき戦いの菅原文太みたいな口ぶりだったかと思うと一寸幻滅。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 18:18:08 ID:oWYOJF9iO
動けば雷電の如し
発すれば風雨の如し
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 18:49:52 ID:PJ/nXGdK0
旅籠の二階に動かざること山のごとく
渡航藩非浪費すること火のごとし
弁舌大志述べること風のごとく
宿酔にて柱にもたれる様林のごとし
それ一生懸命考えたんだ
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 19:47:11 ID:PJ/nXGdK0
うn
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/15(水) 19:48:14 ID:PJ/nXGdK0
ちなみに高杉大好きでつ
せごどんは?
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/19(日) 18:36:31 ID:GznnAylTO
高杉がいなかったら彦島は日本の上海になってたかもな
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/19(日) 22:57:45 ID:DRfz9Q7Q0
日本の香港となって、100年間英国領だっただろう。
高杉の大芝居のお陰だな。
日本領よりもイギリス領だったほうが発展していたと思うよ
山口県出身の政治家は多くても地元のために利益誘導を行わないからね。
天才的な軍才
真田幸村の生れ変りかもしれない。
時空を越え、にっくき徳川への雪辱を果たしたv
22 :
長州豪学連:2010/09/22(水) 00:34:24 ID:ezGsEa9y0
伊達松陰
雷電晋作
飛燕小五郎
月光益次郎
龍馬伝39話「馬関の奇跡」
まさか下関海戦が見れるとは!
+ +
∧_∧ +
(0゚・∀・) ワクワクテカテカ
(0゚∪ ∪ +
と__)__) +
龍馬伝39話「馬関の奇跡」
まさか下関海戦が見れるとは!
+ +
∧_∧ +
(0゚・∀・) ワクワクテカテカ
(0゚∪ ∪ +
と__)__) +
>>24 北川景子のブルマがおがめるならその回は見てやろう(*´∇`*)
>>20 おっしゃるとおりです。私は下関の反対の北九州八幡の市民ですが下関にはかまぼこ工場しか
しかありません。貧乏 下関 ここが長崎の出島のように発展していればとも思います
ここがイギリス領であったら太平洋戦争は回避されたかも。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/23(木) 09:48:20 ID:8z+DhQPk0
>>26 文脈からすると、下関は彦島の誤りだよね。
領土と経済の問題は区別して考えるべきだろう。
住民の自治能力の差で、発展もすれば貧乏にもなる。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 08:50:21 ID:9BDo3GhZ0
↑
せ、戦場で三味線!?
「これより長州男児の肝っ玉をお目にかけようぞ」
維新回天烈士の英雄、それが高杉。
強大な徳川幕府を打倒、崩壊に追い込む契機を作った男。
その胆力、只者ではない。
歴史に残る英傑東行の勇姿、今晩刮目せよ!
幕府軍プギャ━━━━━━m9(^Д^)━━━━━━!!!!!!
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/26(日) 21:03:03 ID:MDDn9DwLO
今日の龍馬伝の三味線高杉かっこよかったw
幕府ヲタ涙目wwwwwwwww
母親の実家が山口県なんですが、県を代表するお土産品は今だに、[奇兵隊]の湯呑みやTシャツくらいしか無い県です。なので、長州→奇兵隊→高杉と言う事で人気は伊藤、桂に比べるまでも無く圧倒的に高杉みたいです
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>>27 今月でダイエー下関駅前店(基幹店舗)が閉鎖されました。これで中内均・創業のあの天下の
スーパーダイエーはついに山口県で全滅いたしました。北九州市も製鉄所が消え後は年金で
食い繋いでいるようなものです。この状況、晋作や松蔭公がいかに嘆かれていることか。
何のための命賭けてまでの馬関戦争か。何か、何か打開策というものはございませんか。
剣は立ったが、チャンバラ映画じゃあるまいし片手でバタバタ薙ぎ倒すとはね・・・。
三味線を背負わせればよかったのに。
舗装率だけは先行整備されたので高水準なのだが、高規格道の整備は完全に停滞している。
山陰自動車道なんか安倍と林と河村が誘致していたのに
平井前知事と高村が妨害していまだにほとんど手付かず。
これら周南地域の出身者が他地域主要部の開発を皆反対して
下関や宇部や防府の再開発事業は全部市がやる羽目になった。
二井になって少しマシになったけど。
>>27
資本の移動が発生。富、消費、近代工場、労働者が日本より中国に移動。ダイエーの全滅は店舗の老朽化と創業が早く駐車場がせまい為。
効率悪く敗北。八幡製鉄所はこの4倍の規模がないと採算がとれず最低でも大分製鉄所の規模が必要との事です。これにプラザ合意後の円高ドル安が追い討ち。
つまり効率悪く採算性がとれず敗北、特に政治が悪いわけではありません。しかも良質な部分もあります。竜馬も晋作も安心して見守っていると思います。
戦後65年間にわたり不戦しかも戦死者なし。コンパクトで精強な海軍を有する。海上自衛隊ハイテク護衛艦群。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/29(水) 21:24:41 ID:SiTmO64K0
>>36、
>>41 戦前は大陸への中継基地として栄えた歴史を持っているのに残念だね。
立地条件は良いのだから、棚ボタを期待しないで自治体が動かなきゃ。
住民が動く議員、首長を選び監視しなきゃ駄目なんで、お任せ民主主義では
発展しないと思うが。。。
>>42 御回答ありがとう御座います。私は八幡製鉄所の跡地で働く労働者です。えええーーーー
「お任せ民主主義では発展しないと思うが。。。。」
フーン、ハテナ、お任せ民主主義ナ、すいません 「お任せ民主主義」 を勉強して参りますの
3日間ほどお待ちください。猶予をください。 フーン 「お任せ民主主義」手急にいわれてもな ハテナ??
「お任せ民主主義」は理解できませんが、海軍については良く理解できているとです。
「コンパクトで精強な海軍」これこそ今後の日本の希望です。
日本は四方を海に囲まれた島国です。いわゆるランドパワーの国ではなく、東海の小島の磯のーーー
の砂浜にのシーパワーの国です。でありますから「コンパクトで精強な海軍は陸軍100個師団に相当」
このように思っております。
>>42 また私は海軍厨のほか空軍厨でありまっす。ようするに陸海空に詳しい軍事オタクであります。
自衛隊には F2練習機という名の対艦攻撃機があり、積んでいるミサイルが優秀でどこかの
マージャンと昆虫を戦わせるのが好きな、中華大帝国が空母を派遣したところ
F2練習機が4機発進して 「終了」 とききました。
>>42 アジアには昔から三大害毒というものが有り、このためアジアが欧米に遅れをとって
アジアの民衆はとたんの苦しみを味わってきた。
アジアの三大害毒
@中国人の中華思想 A朝鮮人の仲間割れ思想。光州事件の見られるチンケな隣同士の兄弟喧嘩。
A日本人の奴隷根性
どなたか判りませんが、これについてご教授いただけませんか。
>>45 光州事件の見られる(誤)→→→→光州事件に見られる(正)
これまた失礼いたしました。焼酎を4合も飲んで投稿すると間違いが多くなりますね。
>>42 歴史難民版の 何でも白馬青牛先生に聞いてみんさい に移動しました。はい。
来たれ「正義は長州にあり」の熱血長州男児、来たれいざ 歴史難民版の 「何でも白馬青牛先生に聞いてみんさい」 へ
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/03(日) 21:28:28 ID:QtZB1vLCO
世に棲む日日を大河ドラマでやって欲しい
>>49 昔やった花神、あれは世に棲むとの合作ね。
大村ひとりじゃ地味すぎるということで
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/05(火) 18:59:18 ID:g9oz5mf6O
東京から離れているのに一流大手企業が多いよ
宇部興産、ユニクロ本社、旭化成、カネボウ、林兼産業、長府製作所、
神戸製鋼、先ほど話題になったノーベル賞受賞の方が働いていた帝人、
三菱重工、三菱系グループ、日産(山口県人が創業者)、日立(日産と同じ
鮎川氏創業)、マツダ、セントラル硝子 数え切れんw
日本のお家芸の製造業ばっかだけに、日本の衰退を感じる
でも、他県に比べれば、求人も多いし(東京などの首都圏よりもよいときが
ある)所得が低くても暮らしやすいよ。
ダイエーみたいな「1円でも安く、質の良い物をお客様に売りたい」という
会社が衰退するのは悲しいね
今は、逆のパターンが多いモラルに欠けた企業が多すぎる
「百万の大軍、恐るるに足らず。
恐るるべきは我ら弱き民、一人一人の心なり」
この台詞にはジンときた。
伊勢谷晋作、最高。。
>53
高杉が自分と寄せ集めの奇兵隊をひっくるめて「我ら弱き民」というか阿呆
デタラメをデタラメと見抜く目を持て
本物はこれ
「強き百万といえどもおそれず、弱き民は一人といえどもおそれ候事、武道の本意と致し候事」
おまえのようなヤツには百年経っても意味がわかるまい
マンガのパクリでつないでる恥知らずな脚本家が奇兵隊・諸隊の論示をアレンジとか、
自分の粗脳の限界がわからないにも程があるんだよ
ドラマはドラマ。ドキュメンタリーではない。
脚色含むのが「ドラマ」。
史実厨の阿呆には百年経ってもわかるまいw
上士の指揮官が自分を弱き民と読んでいかなる脚色効果があるか?
完全なる意味不明
脚本家は論示の意味を読み間違え、無教養を晒したと思われても仕方がない
一応、解り易くしたつもりでは?
はあ?
>>54の本物の諭示は「強敵を恐れず、弱き民を重んじよ」といっている
ドラマで軍人である自分たちを「弱き民」と呼んでいるなら、正反対だし、たしかに意味不明だね
>>56 ここは日本近代史板なのでドラマ厨の方がここでは異端
>>56オマエは会津観光史学洗脳者と気が合うよ(笑)
龍馬伝の高杉、
風貌は満点だったのに、
中身が違ってて残念だった。。
それでも昨日は人気キーワード上位に高杉がいたので、
これを期に興味持ってくれたらいいと思うのであります。
一、礼讃を本とし、人心にそむかざる様肝要たるべく候。
礼讃とは、尊卑の等をみださず、其分を守り、諸事身勝手之れ無く、
真実丁寧にしていばりがましき儀之れ無き様いたし候事。
一、農事の妨げ少しもいたすまじく、みだりに農家に立ち寄るべからず。
牛馬等小道に出遭い候わば道べりによけ、速やかに通行いたさせ申す可く、
田畑たとい植え付け之れ無く候所にても踏みあらし申すまじく候。
一、山林の竹木・櫨(はぜ)・楮(こうぞ)は申すに及ばず、道べりの草木等にても
伐り取り申すまじく、人家の菓物鶏犬等を奪い候などは以(も)っての外(ほか)に候。
一、言葉等丁寧に取りあつかい、聊(いささ)かもいかつがましき儀之れ無く、
人より相したしみ候様いたすべく候。
一、衣服其外の制、素(もと)より質素肝要候。
一、郷勇隊のものはおのずから撃剣場へ罷(まか)り出(い)で、
農家の小児は学校へも参り、教を受け候様なずけ申すべく候事。
一、強き百万といえどもおそれず、弱き民は一人と雖(いえど)もおそれ候事、
武道の本意といたし候事。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/12(火) 17:50:02 ID:wb5sQz/NO
東行
西行法師に憧れてた?
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/13(水) 09:16:35 ID:aRzLj/5I0
高杉の日記6作の現代語訳版が文庫で出てんだね
昨日本屋で見かけて思わず買ってしまった
まさか文庫で出る日が来ようとは
原文付きならさらによかったが贅沢言っちゃいかんね
原文は国会図書館のデジタルアーカイブで入手できるよ
「東行先生遺文」で検索すると出てくるはず
日記以外に手紙なども収録されてたけど、
実務的なのと友達宛てみたいなのの文章の質の違いが面白かった
前者は極端にてきぱきしてるけど、後者は誤解を恐れたり気を遣ったりしてむしろくどい
多面的なところがそのまま垣間見れて興味深かったです
国会図書館か、今度現代語訳と見比べてみる
情報ありがとう
それと現代語訳版は文庫じゃなく新書だった
高杉晋作といえば三味線ですよね。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 23:19:02 ID:jmgvG1aj0
>>69 「革命日記」の事でしょうか?
作者の一坂は問題ありだが、面白そうなので読んでみようと思う。
革命日記の現代語高杉はかわいかった
一坂センセイはどのあたりが問題あるの?
>>71 『高杉晋作の「革命日記」』です
自分はまださらっと見ただけだが「僕の誕生日。心の中で少し祝う」とか
高杉のイメージちょっと変わったw
このまま龍馬みたく手紙類も文庫で出ないかな
なぜ僕という?
>>74 長州藩の方言ですね。長州藩全体じゃないけど、書生、武士、豪商、豪農、
松下村塾系の志士の間でも使われた。
だから京都では使うのを控えたというのを本で読んだことある。
「僕」は方言なのか?
俺はまた松陰の提案かと…
書き言葉の「僕(やつがれ)」を話し言葉の「僕(ぼく)」として使い始めたのが松陰で、それが長州志士の間で流行って世間に広まったと聞いたことがある
あの風貌で僕・・・
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 22:09:36 ID:VfYZBpi+O
宍戸刑馬
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 05:51:22 ID:Xor8UZcv0
>>72 一坂氏は、松浦氏に我田引水の論文だと批判されてたな。。。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 16:54:23 ID:3H/4NILsO
わしとお前は焼山葛
うらは切れても根は切れぬ
松陰以外の像がなかった萩に高杉晋作の像が建ったそうですね。
なぜ木戸ではないのでしょう?
>>84 晋作のが活躍が派手で観光客を呼べるからかな
いまの日本があるのは、高杉晋作のおかげよ。
>>87 其れは言える。俺は晋作に対して感謝心をもってるな。不思議だが。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 01:49:58 ID:o6wh62u30
高杉晋作は外国と組んで日本を破壊した売国テロリスト
今の民主党とそっくり テロリスト最低
>日本を破壊した
徳川幕府に存続してほしかったのか?
>>89 いつも不思議でしょうがないんだが、長州や高杉を悪く言う人間は、
じゃあ江戸時代のどこがいいんだか・・・。
士農工商だぞ? 今より絶対ツライぞ。
>>90 89はマルチなんで相手にしないほうがいいです。
他のスレにもコピペしているキチガイなんで
この人が藩内クーデター起こさなかったら、
その後の歴史はどうなっただろうか。
桂が極秘に舞い戻ってくるとも思えんし、
山県・伊藤が挙兵出来たとも思えない。
高杉が蜂起をしなかったなら
椋梨が政権を維持し、過激尊王攘夷派は一人、一人長州藩の内部で処刑されていったでしょう。
長州における未来の維新の元勲は全滅かもしれません。
奇兵隊も重用されず、軍事力は史実よりかなり低下します。
薩長同盟は史実よりも楽に成立したでしょう。椋梨は西郷隆盛の停戦案、長州三家老の切腹と共に権力を得たのですから。
但しこの場合は薩長同盟というよりは、長州は薩摩のロボットとして以後行動したでしょう。
要するに、蜂起がないので奇兵隊が脚光を集めず、軍事的には弱体化した状態で薩摩の下僕化ですね。
この場合長幕戦争が起こったか、と問われると薩摩次第としか返答が出来ません。
薩摩が倒幕挙兵を行ったなら、長州もその付属物として参加ですね。
となると、鳥羽・伏見の戦いで勝利できたか分からなくなります。
この戦いで主力は薩摩藩兵であり、長州は長年の京都追放のせいで限定的な兵力しか送っていません。
しかし、この戦いでの薩長軍の勝利は薄氷を踏むようなもので、たとえ小数でも史実上の兵力が欠けると勝利は疑わしくなります。
以後は薩長敗北・明治天皇九州南遷・京都では徳川慶喜の時代、なんじゃないでしょうか。
俗論派は幕府に恭順してそれで終了だろう。
わざわざ薩摩のために領外に出兵するメリットがない。
多くの藩と同じ日和見をするのが関の山
正義派と俗論派ってのが凄い名称だと思うけど
いわゆる俗論派の派閥は正義派の連中のこと何て呼んでたんだろう
ぼくも晋作蜂起がなければ薩長同盟は成らなかったと思う。
中岡も坂本も薩長を結びつけようという発想を持たなかったろうし
桂も帰藩できなかったことになりどこかで死んだはず
村田蔵六も歴史に現れない
四境戦争も無しになるので幕府が立場を悪くする機会は遠のく
長州に集っていた各藩の攘夷パワーも消滅、ぼくのご先祖も
肥後から長州に脱藩し維新後そのまま住みついた攘夷志士だったので、
自分もこの世にいないことにw
ただその後、薩摩が自力で倒幕まで持っていけたんだろうか。
これ気になる。
ただ、高杉は政治が苦手なんだよなw
その辺上手く噛みあったもんだと思う。
薩摩単独でも四侯会議とか徳川家を掣肘する動きには出ただろうが、どうかな。
鳥羽伏見次第だろう。
藩主親子を江戸に召し出しなんてことになったら幾ら俗論派でも立ち上がるかもしれんが、
余り戦力にはなりそうにないな。
椋梨藤太らの保守派も私利私欲のためではなく、あくまで藩の存続を案じた行動だからな。
権力の掌握や保身だけが目的の悪人だったら死ぬこともなかったろうね。
長井雅楽と赤根武人は気の毒だったな
実に気の毒だったな。
赤根辺りは、何もピリピリしてる時期に故郷に入って潜伏せず、
堂々と岩国藩辺りに名乗り出れば預りぐらいで済んだかもしれんのに。
幕府に捕まる→赦免→故郷に潜伏じゃ、どう考えても疑われるって。
>>84 何か勘違いしてるようだけど
萩には伊藤や山縣の像だってあるよ
>>101 萩市が作った像が松陰以外はなかったんだってね。
旧萩有料道路の道の駅萩往還の中にある銅像とかも違うのだろうか?
高杉は後世の人間から見たらムチャクチャ痛快でおもろい奴だが身近にいたらかなわんだろうな
変に長生きしていたらスケールデカイ井上馨みたいな困ったお食事券重ねたろうしあの時期に死んで良かったのだろう
萩は松陰への畏敬の念が未だに強いところだからしょうがないよ
現代の門下生達と思えばいいのさ
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/23(木) 17:46:13 ID:tZ+UeY02O
保守
>>102 銅像自体は結構色々あったからかな。
たしか木戸と伊藤と井上?だっけか?の若い頃の銅像も結構前からあった気がする。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 12:51:53 ID:2E9iy3t90
高杉が将軍家茂に、いよう征夷大将軍って言ったのは事実?
>>108 山県「高杉が何か言ってた」
田中光顕「高杉先生がイヨッ征夷大将軍!って言ってたんですよ〜格好いいでしょ^^」
光顕は良くいうと故人への顕彰精神が強い
悪くいうとややホラ吹きなところがあるので
話半分に聞いた方がいいネ
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/31(月) 16:15:55 ID:rYr+VlDHO
高杉ならやりそう
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/01(火) 11:22:27 ID:I+OweGzZ0
山田顕義の銅像もあるョ。
>>109 高杉が平服で扇子一本で軍艦に乗ったというのも
田中のホラのたぐいかな
後の世の小説家とかにはずいぶんネタを与えてくれたね
>>112 ホラとは限らないが美化補正が掛かってる可能性がある
田中は高杉の漢詩もプロに添削させた上で出版してたしな
悪気は無いんだろうけど一坂太郎がウザそうにしてた
ちなみに高杉の着流し立ち姿の写真で差してる刀は田中から分捕った逸品
一坂さんは真っ当な人ですか?
>>114 高杉に関する著作の多い山口の学芸員じゃなかった?
どういう研究姿勢の人かは知らない。
高杉の格好良いイメージは光顕に負うところも大きいんだから邪険にしなくてもねぇ。
>>115 一坂太郎についての評価はともかく。
この板このスレで一坂を知らないような素人はスっ込んでろと。
んで
>>114は、下関(東行庵)側、一坂(萩&高杉家)側の主張を均等にネットで読んで
適当に自分で判断せい
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/04(金) 11:45:21 ID:TdiEQ8R10
高杉って楠木正成を尊敬してたのかな、って思っちゃたりする
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119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 02:43:41 ID:vn2WmCw00
↑ あらら まだこんなこと
>>117 木戸は明治になってから神戸に来ると楠木正成の墓(湊川神社?)に参拝してるから
高杉も正成を尊敬していたと思われる
>>116 ググったら揉めてるね
いったい何でこんな事に…
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/09(水) 15:21:42 ID:RIQ3XD4l0
>>120 やっぱり勤皇精神持ってる人物にとってはスターなんですね。楠木は。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/10(木) 23:41:10 ID:zKnLt1lG0
>>104 井上馨と高杉晋作じゃ色々と違うから、似た様な事はしなかったんじゃないかと思うんだけどな
(流石に汚職の類を全くしなかったとは言わないけど)。
とりあえず高杉晋作だったら政商の皆さんとは一体どんな風に関わったんだろうかね?
そっち方面は余り得意じゃ無さそうなんだが。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 00:49:30 ID:plNng3L6O
御所に大砲ブッ飛ばしたチョンシュー
死んでなければ初代首相
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/19(土) 10:20:06 ID:7ylORfj/O
意外と詩人になってたかも
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/20(日) 23:40:02.87 ID:uuZKH9HP0
>>126 政治家って性質じゃないだろう、高杉はw
調整とか周旋とか面倒臭がりそう
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 07:44:48.63 ID:hy+yhtxM0
う〜ん、司馬遼太郎も高杉は政治家には向かないとか書いてたけどどうだろう
俺は政治家にも向いてると思うけどね
高杉が現代に生きてたらきっと朝青龍みたいな奴だったろうな。
破天荒で無茶苦茶やるんだけど、なぜか憎めない
個人的には、せっかくクーデター成功させたのにそれとは全く関係ないところで長府藩と攘夷派の憤激買って
刺客連に狙われた挙句藩から脱出せざるを得なくなった辺りが、政治家としての才能を測る上でかなりマイナスだと思うw
幕府の艦隊に殴りこむ辺りの格好よさとのギャップが面白いんだがw
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 09:41:24.29 ID:hy+yhtxM0
この人って真症のキチガイではないよな。どっかのスレで高杉晋作は妄想性人格障害って書いてあったけど、その可能性は高い
何から何まで計算ずくで行動してるんだよな〜
ぶちギレて飛び出して脱藩扱いになったり帰るに帰れなくなって迎えにきてもらったり
うっかり失言で奇兵隊にそっぽ向かれるのが計算ずくですか
新政府でブチ切れて奇兵隊率いて反乱起こしそう
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 21:13:07.90 ID:nwFz14CE0
高杉の逸話でさ。子供の頃にタコ上げしてたら
おっさんが来て高杉のタコをふんづけてしまい
高杉に因縁つけられたがおとなしく謝った
みたいのがあるじゃん。アレは本当なんだろうか?
あと高杉が凄い奴みたいになってるけど。ガキ相手に
土下座したおっさんの方がすごいよね。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 21:27:25.22 ID:nwFz14CE0
tes
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 00:15:37.36 ID:QECkUE9O0
高杉晋作と伊藤博文のコンビが好き
高杉が維新後も生きてたら、どこに所属するにせよ伊藤の気苦労が増えたことだけは間違いないなw
まぁ俺は、五稜郭終わったら速攻で欧米へ留学しに行きそうだと思うけど。
クーデター後に一度行こうとして断念してるし。
挙兵を扇動したのに失敗、「逃亡」と奇兵隊日記に書かれるありさま
諸隊の実権はいつしか山県に握られてしまった
まあ世間で思われているイメージに反して意外と挫折は多いかもね
それでも最終的には鮮やかすぎるくらい鮮やかに勝利するからいいんでないの?
生き残ってたら萩の乱の首謀者になってたと思う
高杉は前原ほど理想主義でも純粋でもなさそうだし、
海外逃亡試みたり伊藤井上から洋行の話を聞いてるし、急激な洋化に反対するとも思えない
明治政府の路線に反対するかなあ?
高杉は確実に洋行すると思う
帰国後は井上と楽しくなんかやると思う
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 01:19:46.20 ID:bjuhHTTz0
自分も洋行してたように思う
新政府に対して何か行動を起こしたとしても
少なくとも“周囲に担がれて”という形ではないような気がする
新政府に何かするとしたら木戸といっしょだろうし
だとしたら反乱とか武力を武力を使った形ではないだろう
もっと新しいこと考えると思うね
高杉が洋行したら木戸が残るだろうから。
そうしたら木戸が萩の乱の首謀者になるかも。
? イミフ
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 16:00:26.52 ID:bjuhHTTz0
>>145 >もっと新しいこと考えると思うね
同感
木戸と行動を共にするかどうかはわからんが
反乱といった形ではないような気がする
高杉は他の人間にはない天才的なひらめき感があるように思う
高杉が生きていたら少なくとも大村暗殺後の軍部内での長州閥の削り合いはなかったろうな
過大評価がすぎるわ…
>>147 だって岩倉使節団で高杉が行ったらバランスとって木戸は国内に残るだろ。
大久保が行って西郷が残ったように。
とすると木戸が征韓論者になってた可能性はあるし。
>>151 バランス取って木戸の代わりに残るのは廣澤だろが
ていうかあの時の木戸はなにがなんでも洋行する気だったようだが?
広沢って木戸洋行前に暗殺されてなかったっけ?
そうだっけ
それはすまんすまん
木戸は版籍奉還ごろまで征韓論を唱えてはいたが、
脱退騒動やら各種一揆やらを通じて漸進主義に戻りつつあったから、
岩倉使節に参加しなくても、参加した者の話を聞けば征韓反対に転じたと思うな。
ていうかなんで、いつの間にか高杉の洋行=岩倉使節団になってんだw
それより自分でとっとと行くだろうあいつはw
156 :
155:2011/02/26(土) 20:30:40.12 ID:nrrJdYwn0
×版籍奉還 → ○廃藩置県
スマソ
(あわてて急ぎ訂正カキコしようとしたら、初めて連投規制にひっかかったぜ)
高杉の思想がよく分からないんだよな。君主好きだったらしいから
廃藩置県とかになったら反発してたかもしれないし。そもそも
明治政府とかで仕事できるタイプじゃないだろうから。長州に引っ込むわけでしょ。
不平士族に担がれる事もありえるじゃん。しかも奇兵隊とかに。
高杉は行動が派手に見えるからいろいろいわれるが、相当論理的な思考の持ち主だろう
しかも確かに殿様大好きだが、それは木戸も同じなわけでw
毛利元徳(そうせい侯の跡継ぎな)は廃藩置県に先立って
自分から辞職願+中央集権徹底すべしの建議を出そうとし
木戸でさえ「ちょっと待ってください」といったぐらいの人物だから
高杉の廃藩置県への反発はありえない
むしろ毛利家のために事業を起こそうとネタ探しを口実に元徳つれて海外へいくかと。
なんか海外が多数派しめてるけど、明治入ってから簡単に洋行はできないだろう。
長州派閥のNO2になるわけだし。木戸が1とすれば
岩倉使節団だって多分国をあげての大事業だったわけでしょ?
金にズボラな所あるから汚職とかして西郷あたりともめたりする事もありうると思う。
山県、井上を大きくしたパターン
後、戊辰とかはどうなったんだろう?大村がいるけど高杉いたら高杉が江戸城行って
西郷と対決してたのかな?
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 00:15:19.61 ID:XP+W+mBW0
簡単に洋行できなくとも長州ナンバー2だろうと高杉だったら行っちゃいそうな気も。
使節団とは別に洋行したのも結構いるしね
軍部だけでも山田とか山縣とか
てかむしろ、第二次征長終わったとこで速攻行きそうな気がする…
元治の内乱後からずっと行く行くいってるし。
しかしそうなると、政治は木戸に広沢に井上、戦争は大村も山県も山田もいるからいいとして、
通訳兼パシリとして伊藤連れてっちゃうのが困るな。
伊藤には少なくとも明治2年に大蔵省にいてほしいんだが。
西郷にライバル心持ってたみたいだから
戊辰スルーはないんじゃね?
奇兵隊討伐の指揮執ったの木戸だっけ。
高杉も同じ立場に立っていたと思うよ。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 23:12:46.40 ID:XP+W+mBW0
>>162 じゃあ伊藤には頑張ってまたもやトンボ帰りしてもらおう。
しかし高杉が生きてたら伊藤はパシリ卒業できないってことだね(笑)。
>>163 高杉が戊辰戦争に行ってたら会津の処分はどうなってたのかなあ
さっさと降伏を認めそうな気もするけど
会津とプロイセンとのあれを知ってたら徹底的に叩き潰してた気もするし
いや、史実伊藤も、高杉&木戸のパシリから、日本政府のパシリにランクアップしただけだからw
伊藤がパシリ卒業するのは大久保の死後じゃないかな〜 きわめて有能なパシリだけど
高杉が生きていても伊藤は大久保につくだろうしな。
>>159 クーデターで俗論派一掃した後は長州の最重要人物の一人だったのに、
んなもん関係ねぇとばかりに洋行しようとした実績があるからなぁw
>>166 高杉なら明治政府側として参戦した彦根藩を後ろから攻撃しそうな気がする
他藩士と繋がりがないから明治政府で浮きそうだな。
中岡慎太郎とかがいてくれたらなんとかなりそうだけど。
明治政府に行くよりは藩政に関わると思うが。あと地場産業や貿易業の育成な。
たまに東京来て井上んちや木戸んちで三味線弾いて飲んだくれる。
>>172 その手の仕事できるのかな?特に育成なんて無理っぽいけど。
軍事にしたって奇策の人だから大村みたいに陸軍の基礎作るなんてのも
無理そうだし。体制派にいては使いどころのない人だろ、高杉って。
維新後は後藤象二郎系になってたんじゃね
でも交易とかには相当興味持ってるし、地場商人とつながりが深いからね。
アイディア出してあとはよろしく、になるにしろ、
地元のためにいろいろ考えるのはやりたいほうだと思うな。
木戸が士族授産とか長州の産業とか考えてたころに、
「輸出するなら女性好みのものがいいよ」とか書いてる書簡を見たとき、
ああ、高杉なんかこういうこと好きそうじゃね? と思ったんだよね。
地固めってよりは閃きの人だからなぁ
政府に飽きた後は井上辺りと起業して楽しんでそうな気もする
>>159 >大村がいるけど高杉いたら高杉が江戸城行って西郷と対決してたのかな?
西郷と対決するかどうかはともかく、そうすると「花神」で海江田と対立するのは高杉で
しかも海江田は士族としての身分でも高杉を叩けないというジレンマに陥るわけですね?
>>175 でも繋がりの深かった白石さんは貢ぎすぎて破産しちゃったお。
結局大村の代わりに暗殺されてそうだな。
高杉だったら不穏な空気を悟ったら護衛をつけるか逃げるかするのでは?
>>178 神代直人の気配感じた途端に逃げるに10カノッサ。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 00:12:56.26 ID:IiiqKvhl0
高杉の神代直人センサーはなかなか優れものだったのでは。
>>177 白石さんのほかに入江和作も伊藤助太夫もいたお。
おうのさんに西洋のかばん土産に買ってきたりとか、
何となく小物好きのイメージがある。
カリスマバイヤーになれるかもしれん。
ところで四境戦争ってどういう役割分担だったの?
海軍 高杉 陸軍 大村
って事?幕府側は桂が全面の指揮とってたと思ってたらしいけど
実際どんな感じだったんだろ?
大本営:山田宇右衛門(首座)、桂、廣澤
軍務掛:ますじ
高杉は海軍興隆用掛→馬関口海陸軍参謀→海軍総督
某小説ではこうなっているが、正直肩書きが何がなんだかよくわからないw
四境って言うぐらいだから4つの進路があってそこを防衛してたわけでしょ?
一つは大島でそれは大村が捨てて高杉が奇襲したってのは知ってるんだけど
残りの3つはどうなってるの?確か大村が軍を率いて戦ってたりするんだけど
それでも後二つ。高杉ももう一つぐらい戦ってたのか?あとは山県あたり?
高杉が奇襲っていっても別に独断でやったわけじゃないけどね
普通に上層部から命令されたから行って、奇襲という効果絶大な実行をした、と
>>185 自分あんまり詳しくないんだけど指揮官は
大島奇襲→高杉
石州口→ますじ
芸州口→
小倉口→高杉じゃなかった?
芸州口は聞多って話を聞いたことがあるんだけど、
ググってもはっきり分からなかったのであけときます。
石州口と芸州口と小倉口と大島口で四境ね。
それぞれ実質的な指揮官は、
石州口・大村益次郎
芸州口・井上聞多、山田顕義、河瀬安四郎、太田市之進とか
小倉口・高杉晋作
大島口・世良修蔵、泉純成、高杉晋作(海軍)
ってとこじゃないかね。
当時は軍議制だから分からん所は分からんね。
ちなみに山縣有朋は奇兵隊軍監だから小倉口。
伊藤はどこにいたの?後、乃木とか
age君はここでも質問ばかりですか
歴史通という雑誌の3月号に「高杉晋作 奇兵隊の真実」と表紙に書いてあって、
『高杉晋作 奇天烈奇兵隊/中村彰彦』という記事が載っていたので
少し読んでみたけど、只の長州への誹謗中傷記事で、酷い内容だった。
>>189 伊藤はまだパシりだったので、いろんな物を調達する役回りだったはず。
井上の方がこの時期は上だったんだな。まあ井上は上士らしいけど。
調べたら芸州口だけ引き分けだったらしいね。最新の武器使って引き分けって
ことは井上たちは本当にどうしようもなかったんだろうね。
小倉口の時はもう高杉はもう病でだめになってたらしいから山県が指揮取ってた漢字化。
調べたら前原が小倉口だったんだな。戦ベタの前原が参謀心得って大丈夫だったんかね。
>>193 どうしようもなかったとかそういうことは双方の戦力やら地形やら調べてからいえや
史料を調べる気なんてない奴に何を言っても無駄
けどさ。井上たちは地元だよ。地の利もあるのに
引き分けって。それに防戦は待ち構えてる分有利なのに・
>>196 おま……井伊・榊原が壊走した後に出てきた紀州藩兵と幕府歩兵隊は、
最新鋭装備の幕府軍主力部隊だぞ……
しかも藩主茂承が御先手総督で、紀伊新宮藩主水野忠幹が部隊を直卒して最前線に出てくるぐらい士気も高かった。
そもそも、彼我の兵力が隔絶してたことを忘れてんじゃないか?
余りにも幕府軍を馬鹿にしすぎだろ。
少数が買った例として、世界史でもまれな戦力差じゃないかってあったな
野口氏の『長州戦争』だったかな?
199 :
198:2011/03/05(土) 01:18:13.83 ID:v5JtxUdX0
×買った → ○勝った orz
第二次長州征伐で活躍した世良修蔵をお忘れではないか?
歴博の木戸家写真展に行ってきた
小さい頃の東一(梅之進)の写真が2枚あった
高杉を丸顔にしたような顔だった
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 03:32:32.20 ID:vBJ/RM7O0
東一の写真といえば
萩の高杉家に木戸夫人(幾松)と東一の2ショット写真が飾ってあって
なんかグッときた。
うん。片方はそれ。もう1枚は木戸と正二郎と東一。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 14:30:49.81 ID:vBJ/RM7O0
もう1枚はたぶん見たことないなあ。
普段はどこに収蔵されてるかわかる?
いやだから、歴博に寄贈された木戸家資料。明治四年五月、まだ木戸はちょんまげ。
椅子に座った木戸が、立ってる梅之進を両足の間に抱え寄せるようにしてるんだ。
ゴールデンウィークぐらいまで、寄贈資料中の孝允〜幸一に至る写真資料展やってる。
幕末写真はほとんどないし、高杉本人の写真もないが、近代史に興味あれば楽しめるんじゃないかと思う。
もしかしたら初公開って可能性もあるのかな
木戸が東一の写真とっといて小忠太パパにやらないわけないと思うから、
高杉家にもあったんじゃないかと思うけど
実際松子さんとの写真はあるんだしね
今回の展示とは関係ないが、寄贈資料目録を見たら、高杉の「投獄文記」があって、
この木戸家にあったのが原本に当たるらしいよ
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 16:07:47.58 ID:vBJ/RM7O0
なるへそ。
遠方なんで歴博に運ぶのは難しいかもしれんが
近くまた萩や下関に行くので複写ないか注意しとくよ。
萩の木戸さん家もかなりの写真展示あるから見落としの可能性もあるしな。
俺も歴博いってきたけどもう一枚は高杉の息子か怪しいと
思う。顔が違うんだよね。丸みがなくなってたし。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 19:28:10.54 ID:9Tvp1xOk0
てs
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 19:46:58.44 ID:vBJ/RM7O0
もう一枚の写真を見てないので何とも言えんが
なぜ萩の高杉家には木戸夫人との2ショットしか飾られてないのかとは思うね。
まあ昔の写真だし確とした証拠はないわけで、ぜったい確実に東一とはいわないが、自分は東一だと思った。
図録でよくよく見たんだけど、松子との写真と目のつり具合や、何より口のひん曲げ方が同じ。
松子との写真は一年近く前のだからね。この年頃の幼児が一年経てば顔の丸みはある程度なくなるだろう。
木戸の日記の「正二郎と梅之進つれて写真屋行った」って記述とも合うしね。
アルバム面には鉛筆で松菊公と彦太郎と書いてあるそうだが(鉛筆なので当然当時のメモではない)
年齢的にどっちの少年ともあわないし、何よりこの時期彦太郎はすでに日本に居ないからね。
木戸の子孫はその後も重要職についてるのに
高杉の子孫はどうしたの?
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 23:32:02.06 ID:vBJ/RM7O0
東一は外交官
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 10:44:28.72 ID:eMM+3J+o0
高杉が生き残っていたら、伊藤や山県のように
長期にわたって明治政府の重職にあったとは考えにくい。
旧知の五代とともに大阪で実業家になっていたのでは?
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 10:51:11.66 ID:eMM+3J+o0
久坂玄瑞や吉田稔麿が生き残っていたら、
伊藤や山県のレベルかそれ以上の主要政治家に
なっていた可能性が高い。
(野村靖は期待はずれだったが。)
久坂ってガチガチの攘夷家じゃなかったっけ?
明治政府とそりあわんだろ。前原タイプ。
久坂も孝明帝の勅許を得てないから反対派で、
和親条約破棄までは言ってなかったと思う。
>>217 けどナガイウタの暗殺を計画したりで保守派だよ。
生き残っても西郷の手先で西郷と連合して萩の乱起こして
事態を大きくしてたと思う。
幕末の活動について「保守派」とか曖昧な言い方されてもコメントのしようがない罠
保守派があいまいなのか?まあいいけど。
つまり日本文化守って外国文化が入る事を拒絶するタイプだったと思う。
久光とかと一緒。高杉みたいに柔軟性もなさそうだから
生き残っても木戸と対立するのは目に見えてる。そもそも木戸と久坂は
派閥ちがうからね。
また始まったよ派閥厨
このアホ派閥厨マジでどっか行ってくれないかな
久坂は大村の講義受けてたし、長州ファイブの留学についても肯定的。
それに久坂の兄は当時の蘭学における最高峰の適塾の塾頭だぞ。
元医者だから身分にこだわりが無いし奇兵隊の前身である光明寺党を組んだのは久坂。
明治になったら間違いなく開明派筆頭になっていただろうよ。
前原や西郷よりも江藤に近いと思う。
光明寺党は四カ国艦隊襲来のときも、最後まで崩れずに頑張ってたらしい
>>223 学問や技術は取り込むべきだけど文化を入れてはいけない
ってのが当時の知識層の攘夷派じゃねーの?
下の攘夷派は学問や技術もダメみたいなのがいたみたいだが。
学問も技術もダメって連中は考えが変化しにくいが
知識層の攘夷派の場合は諸事件や新たな知識が思想に変化をもたらしていく
このときにこうだったという話で将来を予測するのには無理があるかと
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 04:11:02.09 ID:cHCh8iRg0
伊藤や井上がイギリスに密航したとき、
久坂はすでに京で重要人物すぎた。
師の吉田松陰も米国密航を試みたし、
久坂もイギリスに行きたかったと思う。
生き残っていたら、木戸、広沢と並んで、
長州出身者の代表格となっていただろう。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 04:15:18.95 ID:cHCh8iRg0
前途有望な若者を失ったことは
日本にとって大きな損失だった。
>>227 同じ松陰の弟子の前原が乱起こしてるのだから
松陰の弟子だからという理由で立派になるとは限らない。
そもそも久坂って松陰の妹あたりと結婚してたんじゃなかったっけ?
ってことは松陰の叔父だっけ?萩の乱に加わった人。そこあたりと
組んで乱起こす可能性の方が高いだろ。
下らない妄想はご自分の日記に書いて下さい
妄想かなあ?ていうか俺は松陰自体が生き残ったら反体制側に回ると思うよ。
下らない妄想ですね
さようなら
もちろんまったくあり得ないとはいわないけれど
松陰や久坂の活動が何のためのものだったかという根本に立ち返れば
そう簡単に反乱側にまわるとはおもえないなあ
少なくとも旧体制の維持に汲々とする人間ではないことは確かだ
幕藩体制が倒れたからには、反乱以外の方法で矛盾の解消をめざすほうが実際的
久坂は自ら政界でがんがんやるだろうし
松陰はいろいろ方策考えて久坂や木戸や弟子たちを焚きつけるだろうね
>>233 政界でガンガンって。久坂とか松陰が明治政府でガンガンやってたら
明治政府滅んでたと思う。木戸のバランス感覚があったから
なんとかなった所多いのに。松陰や久坂が自己主張したら薩長で分裂してたよ。
だいたい松陰とかはキリスト教が入ってきて日本の文化が崩れるのを恐れてたのに。
キリスト教を国教にすればいいとまで言った伊藤博文あたりと
まとまるわけがない。
人間の主張は変わってくもんだよ
木戸だって、浦上四番崩れのときにはキリスト教徒にかなり過酷な裁定を下しているが
廃藩置県後の段階では、いずれキリスト教信仰を解禁すべきだが、
現段階では人々の反感が激しく難しいので時期を見てという意見に変わっている
がんがんってのは別に過激な政策を強行するって言う意味ではなく
いろいろ議論して主張を通すって意味だよ
松下村塾は本来は、学問と議論を実践に生かすって主義で、
過激だったのは時代の矛盾が激しく、松陰にとって他に手がないと思われたから
希望通り木戸が政治の中枢に座っている以上、下手に過激な行動をとる必要はないし
久坂だってそれは同様なんだよ
そもそも彼らの「攘夷」にしたって、それを時代を動かすエネルギーにしようという面が強かった
さて時代は動いた、国政に参画するチャンスが生まれた、
得意な言論を政治に生かすことが出来るようになった
……なんで反乱起こすって? 木戸と議論したり連携して動いたりすればいいだけじゃね?
攘夷は時代を動かすエネルギーだからあえてやっていた
ってのはうそ臭いと思う。司馬の創作だろ。当時の攘夷家は
本当に西洋恐れてたって。
なんでそう一色に塗りつぶそうと考えるかね
外国憎し怖しで凝り固まった攘夷家もそりゃいるよ
しかし世論を動かした志士らは、外国の脅威を理解しそれに対抗できる国づくりをめざした
長州の奉勅攘夷は、他の勤皇派を結束するためにも貫く必要があると認識された
だから一方で外国に対抗する技術を得るべく留学生を送り出したわけだ
特に久坂のような草の根活動を重視する連中には
攘夷が人民のエートスを高めるための方策としても意識されている
単に方便にすぎなかったとまでいってるわけじゃない 両義性があるってこと
このへんは当時の水戸学や国学の受容のされかたをを調べれば納得できるんじゃまいか
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 19:40:14.41 ID:ADP4yrDoO
久坂はロシアに行こうとしてたよね確か
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 08:16:31.41 ID:ag0yuMAp0
宮部鼎蔵や真木和泉が生き残っていたら、
士族反乱に参加するか、政府側についたとしても、
元田や佐々木とともに保守的な侍補になるのが、
せいぜいだっただろう。
久坂は彼らと違って柔軟性があった。禁門の変の
時も最後まで反対していたし、高杉同様、西洋の
技術を導入する必要性を強く認識していた。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/18(金) 19:05:18.50 ID:U1BZdiUF0
だから久光だって西郷だって西洋の技術に対しては
必要だと思ってたでしょ。前原だって江藤だって西洋技術は
必要だと思ってただろうし。
萩の乱のときは「木戸が毛利の手柄を自分の物としてる」みたいな事が
乱の動機なわけでしょ。一応。だから高杉だろうが久坂だろうが松陰だろうが
生き残ってりゃ乱起こす可能性あるよ。
お前はいい加減にお呼びじゃないことを認識してくれ
うーん 前原と木戸の関係と 松陰や高杉や久坂と木戸との関係をいっしょにされても困るんだが
松陰や高杉や久坂は、木戸が「殿様LOVE」な人間だってことよく知ってたろうし
何よりこの4人はお互いに議論しあうことが三度の飯より好きってぐらいの連中だからなあ
そういや、木戸関係文書の高杉書簡で前原についてふれてるやつ
解説では「高杉の前原への信頼があつい」ってな説明されているんだが
どう読んでも「高杉に先行きをものすごく心配されている前原」としか読めないんだがどうよ
前原の面倒を見てやってくださいってやつだっけ?
まあわざわざ(解説で)特筆する程信頼が厚いなら
後継者選びの時に名前を出しても良さそうだけど
それそれ 前原は諸隊に突き上げ食らって抑鬱状態だったらしいね
高杉はあれで案外折目正しい奴だから 同じ大組士で塾生の年長者の前原を尊重してたんだろうが
「来原みたいに腹切っちゃうとまずいんでしばらくこっちで面倒見ますから!」とか
「前原をよろしく面倒見てやってください!」とか
「前原萩に帰っちゃったんですか!? 何かあったんですか?」とか
あの高杉が前原の面倒を必死に見てる感じでおかしい
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 07:37:27.43 ID:HRVWUHpL0
>>243 木戸との関係がどうであろうと関係ないでしょ。
西郷と大久保の関係知ってるでしょ?
勢力でみないと。松陰も高杉も生きてたら不平士族あたりに
持ち上げられるって。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 07:51:12.29 ID:V19UNnT20
権力闘争の敗者が武力で政権割り込みを図って
士族反乱のリーダーになったんだ。誰でも政権から
弾き出されれば可能性はあった。
なんか薩摩で得た知識をそのまま長州に当てはめようとしてるみたいだなw
勢力でみないとって、その勢力の見方があんたもともとゆがんでるんだって
何度いったらわかるんだよ
・あんたが何度も持ち出す萩の乱はろくに仲間が集まらず瞬殺
・木戸と旧藩侯らの関係が良すぎるほど良くて旧士族に多少抑えがきいている
・あんたにいわせりゃ高杉閥の長州軍トップ山県は反乱起こす気配もなし
・山県に軍からはじき出された形の山田(上士出身)も当然反乱起こす気配なし
長州と薩摩じゃいろいろ条件が違いすぎるだろうが
嘘か本当かは知らんが山縣は木戸絡みで三浦を罵った前原に水をぶっかけたという話もあるね
それはともかく長州改め山口には県民用の協同会社に加えて
毛利の殿様も出資して士族用の授産局も作られている
高杉がどの勢力に組するかは予想の域を出ないが
殿様と協力関係にある勢力から弾き出されるとは思えないし
担ぎ上げられたらといっても、嫌だったらさっさと逃げると思うw
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 16:59:37.76 ID:HRVWUHpL0
>>250 萩の乱があの程度だったのは前原の器と
木戸の用心深さの結果だろう。木戸が奇兵隊倒したのも
後々の事考えてだったと思う。
それに長州は乱の最初にはあまり寄って来ないからな。
高杉のクーデターのときみたいに勢いに乗ってたら前原レベルでも
かなり厄介になってたと思う。
「奇兵隊を倒す」とかいう単純な総括がそもそもダメなんだよあんたのは
どこからも距離を置きクールで合理的で先見の明がある木戸孝允像を追求したいのは
よくわかったから高杉スレにはもうくんな
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 18:25:31.44 ID:4E9XLf4L0
それもあるんだよね。つまり木戸のバランス感覚はつるまない所にあったんだよね。
高杉 久坂 松陰あたりはすぐに群れるからあの明治時代で暴発しないわけがない。
そもそも松陰が捕まった理由の暗殺計画とか藩主拉致計画とか見ても
明治時代に暴発するだろうって思うでしょ。
暴発する理由がないだろうと言われてる訳だが
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 19:19:28.91 ID:4E9XLf4L0
>>255 不平士族 征韓論論争 西郷下野 大久保独裁 征台
暴発する理由なんて腐るほどある。
間違いなく政治の中枢で活動できる人間がそれらの理由で暴発したら単なる馬鹿だろ
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/19(土) 19:33:01.67 ID:4E9XLf4L0
だってそれらに不満があるなら木戸と一緒に調整できる立場にいけるのは間違いないだろ
それができなかったから前原はああいうことになっただけ
というか長州閥で聞く耳持たずに突っ走って自爆したのは前原くらいのものじゃ
そうだよな
長州では野村靖とか鳥尾とかも木戸の方針に反発して頭を抱えさせた連中だが
いつの間にか「廃藩置県必須!」になってるわけでw
奇兵隊を作って士族の権威を落とし、
萩に弓引いた高杉が不平士族に祭り上げられるってあるかなぁ。
こういっちゃなんだが、面倒見のいいカリスマ西郷とは藩内での立場と人気が違うのよw
藩内のが敵だらけ。
高杉の姪たちは嫁ぎ先がなかなか見つからなかったと言うし、
不平士族の間では人気は無く木戸と並んで憎悪の対象だったろうね
しかし自分はage君と同じく、松陰は何かの間違いでうまく生きのびても前原コースだったように思える
久坂は前原よりずっと器用だと思うが
松陰はまず洋行じゃね
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 12:28:28.81 ID:8xG12lbq0
洋行した組と洋行しなかった組の争いとも考えられるから。
松陰高杉久坂が生き残ったとして。洋行に出れるのは
2人だろ。松陰が行くなら木戸は残りそうだし。どっちみち争う運命にありそう。
何を理由に争うの?
松陰が士族授産局スルーで不平士族を優遇しろって言うの?
征韓論を唱えるの?廃藩置県に反対するの?
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 12:49:59.61 ID:JOkyYhRi0
征韓論は唱えるんじゃない。後、徴兵令とかでも
松陰は反対しそう。武士主義っぽいから。
戦うのは武士の仕事でいいとか思ってそうだけどなあ。
草莽崛起唱えた松陰が武士主義というのはありえん
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 13:07:09.67 ID:JOkyYhRi0
しかし。幕末好きってなんか仲良しこよしが大好きだよね。
もっとクールだったと思うけどな。
松陰と木戸なんて結構対立してるからねえ。松陰の弟子たちに松陰に
近づくなって言ったりしたんでしょ。木戸は。
高杉や久坂なんかは松陰の一番弟子なのに、このときは木戸に同調してたりするし。
そりゃ同調するでしょ
松陰を護る為だってわかってるんだから
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/20(日) 14:32:49.14 ID:JOkyYhRi0
松陰を守るためとも取れるし。松下村塾勢力の解体のためとも取れる。
ナガイウタあたりは松下村塾が力つけすぎる事を恐れてたんじゃないかな。
この人ことさらに木戸をクールだと思いたがってるからゆがむんだよね
そしてこの時点で長井雅楽が松下村塾をそんなに意識してたとは思えないが
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 00:40:28.28 ID:y9yfYf2k0
だから実際問題、松下村塾の玉木文之進が萩の乱に
加担してるんだからさ。ここを無視して「松陰はそんな事しない」
「久坂は柔軟だ」なんて言っても説得力がないよ。
じゃあ玉木文之進の主義主張とか乱に参加した理由とかを説明してみろよ
久坂や松陰とのちがいはどうよ
玉木はたしか松陰の考え方を前衛的過ぎると戒めていたと思ったが違ったかね
思い込みで説得力のない論を展開してるのは自分のほうだろ
だいたい、過激な攘夷思想ってんなら伊藤や山尾は幕末に人を暗殺してる
征韓論なら木戸だって洋行前かなり強硬に唱えている
そんなことが反乱を起こす理由になるのか?
木戸も井上も何度帰郷してもまつりあげられたりしていないが?
このageは・・ほんとに・・・ほんとにもう・・・
お前らよく真面目に付き合ってんな
議論スキーの高杉スキーだからか?w
いや、煽りじゃなくスゲーわ
このage厨さん自分が叩かれてるのは
高杉や久坂や松陰が反乱起こすだろうといってるからではなく
そう考える根拠が知識もろくにないくせに
わけわからん変なこじ付けで断定しているせいだと
わかってんのかね
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 17:48:46.70 ID:y9yfYf2k0
逆になんでそこまで反乱させたくないのかが分からない。
松陰&高杉反乱軍VS木戸鎮圧軍なんて燃える展開ジャン。
つまり自分の燃えの為に史料スルーでこの突拍子のない妄想に付き合え!と
創作系のスレでやって下さい
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:29:55.82 ID:im0M1Aie0
歴史の「もし」なんて正解ないわけだし
自分の中で妄想するのはその人の勝手だけど
高杉反乱軍とか気安く言わないで欲しい。
ゲームや同人誌じゃあるまいし、不愉快。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 20:59:38.93 ID:y9yfYf2k0
高杉クーデター軍とでも言えばいいの?
いえこのスレに来ないでくれれば良いんで
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 21:19:58.76 ID:y9yfYf2k0
まあ簡単な予想なんだよね。松陰久坂高杉が生き残ったとして。
まず高杉は中央で政治やる柄じゃない。これは禁門の変の前に
他藩とあまり交流しなかったから、納得できると思うが。
だからまあ長州に引っ込むわけでしょ。で松陰と久坂はまあ参議ぐらいにはなるよね。
木戸は他に参議になる人材がいたら引っ込む人だから。参議にはならない。
まあこの時点でバランス感覚がなくなって明治政府終わりだと思うが。仮にうまく行ったとして。
廃藩置県、を木戸が考えて松陰久坂が付いてこれるかな?
その後の征韓論。松陰と木戸どうなると思う?俺は意見違うと思う。で松陰久坂は政変で下野
萩に引っ込み。元から萩で隠遁してた高杉加えてクーデターだろう。
本当に何の史料も読んでなさそうで吹いた
なんで松陰が参議になんの。松陰は学者なんだが。
あの男は自分が政治をやる気はないよ。
意見対立したら反乱に発展するというのもワケわからん。
そんなんでいちいち反乱起きてたら明治政府は廃藩置県前に瓦解しとるわ。
あのな、高杉や久坂や松陰が反乱起こすかもね〜、
とかいうやつは、あんたのほかにもいるよ。そりゃそういう考えもあるよ。
ただ、あんたの理屈が群を抜いてトンデモでコジツケだから
みんなやんなってるんだよ。
講談社の日本の歴史でも読んで出直してくれば。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 21:55:28.95 ID:y9yfYf2k0
松陰が学者なら木戸は剣術使いになるよ。
学者が参議にならないって所も意味が分からないし。
あの時代の参議なんて力関係なんだから薩長土肥で人望あるやつが
なるもんだろ。
意見対立したら反乱に発展する
萩の乱 佐賀の乱 西南戦争
全部意見対立しての戦争でしょ?
意見が対立しても反乱なんか起こらずに済ませた割合の方が圧倒的に多いんですが
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 22:18:41.14 ID:y9yfYf2k0
松陰はそんなに冷静なやつじゃない。だから安政の大獄で
捕まったのに。
松陰と木戸がどれだけ理想を同じくしていたかも理解できてない人が
「松陰はそんな人じゃない」とはw
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/22(火) 22:37:29.20 ID:y9yfYf2k0
>>287 木戸は別に松陰の弟子ではないよ。
松陰の高杉、久坂評と木戸のを比べたら松陰と木戸の
距離なんて分かりそうなもんだけど。
そういう知ったかぶりの決めつけが阿呆だというんだ
松陰の高杉評だの木戸評だのいう前に松陰全集読破してきやがれ
それまでもうあんたに突っ込みいれるのは徒労だから止めるわ
おいしいところだけ人に結論を教えてもらいたがり
聞きかじりの知識を好き勝手につなぎ合わせた妄想を人に強要する
ちゃんと自分で史料を読んでまともに考える頭を持てない奴は
迷惑且つ不愉快だからロムってろ
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 17:52:30.88 ID:0nPYv7by0
後、この手の議論になるとさ。○○は××の弟子だから、
みたいになって師匠>弟子みたいになるけど、これ大間違いだと思うよ。
松陰は冷静に見て高杉以下の人だったと思う。
三国志とかでも孔明はすごい、孔明の後の奴らはダメだ。とか言う人
多いけど。志半ばで死んだ人を過大評価しすぎ。竜馬とかもだけど。
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/23(水) 19:24:15.97 ID:FZAxlEZf0
まあ何を基準に比較するかによって違うので
単純にどちらが上かなんて言えないし
(もちろん高杉の方が優れている部分は自分も大いにあると思う)
また高杉が松蔭を先生とし尊敬していたことは間違いないだろうが
だからといって高杉がすべてにおいて盲目に松蔭に同調し同じ行動をとるとは思えない
正直井上が立派に政治家やれてる時点で
高杉も政治できると自分は思うw
高杉と井上をセットにしといたら、政治が楽しい方向に暴走しそうだw
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 10:58:11.01 ID:FJ6gwMaI0
井上が俗論党に襲われたときに、命を落としていたら、
今頃、「井上が幕末を生き抜いていたら、初代内閣総理大臣は
間違いなく、伊藤ではなく彼であったであろう。」とかいわれていたであろう。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/24(木) 12:26:45.35 ID:FJ6gwMaI0
久坂通武総理大臣
「三人党」って当時も言われてたのかどうか知らないけど、
高杉・井上・伊藤って、なかなかいい組み合わせだったよね。
高杉は大胆な発想があり実行力もあるけれど、こまかい仕事には向かない。
井上はいざというときの処理能力とスピードが半端ないし、金策上手。
伊藤はフットワークの軽さと細かい仕事がすばやくきっちりできるとこがすごい。
政治家やるにも商売やるにもかなり応用力の高い組み合わせだと思う。
ただ、このメンバーは藩内で衝突なくうまくやるとかいう部分が弱いな。
高杉と井上はトップの受けはいいけど、合わないと嫌われるし、
伊藤は若さと身分でもうちょっと経たないと力を発揮できない。
当時そこを何とかしたのが桂だったんだろうけど。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/28(月) 20:08:04.58 ID:SaanoVYo0
伊藤の立ち居地って微妙だよね。最初は来原についてて後に桂について
高杉について、もう一回木戸について、大久保に付くという。
まあ単純に実力者についてるだけなのかもしれんが。
再来週のヒストリアで高杉やるようだ
命日が近いからかな
高杉晋作“愛され・やんちゃ”革命!〜時代を変えた男の魅力〜
つくづく景気のいい取り上げられ方する男だなw
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/29(火) 20:12:48.79 ID:+5RWpFvh0
高杉ってけど人気微妙な所だよね。幕末じゃ三位ぐらいか?
竜馬 新撰組 高杉
ぐらい?新撰組のメンバーをバラけさせるともっと落ちるけど。
高杉の人気は龍馬、新撰組、西郷、勝、松陰の次ぐらいだろう
幕末好きには人気があっても、興味無い層には知名度が低い
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 08:38:43.30 ID:eUtp7w/kO
ヒストリア楽しみだなあ
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 08:53:35.34 ID:+yomm1vN0
なんだヒストリエ昨日か。見忘れた
でどうだったの?
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 12:54:25.35 ID:eUtp7w/kO
昨日だったの?
orz
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/31(木) 15:37:49.20 ID:Ers/IEDk0
ちがった。放送日4月13日か。まだまだ先じゃん。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 13:13:19.55 ID:IimUAYmeO
安堵した
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 17:50:36.12 ID:K0b3WXKS0
けどこのスレの人らでもこういう番組楽しみにするんだね。
この手の番組って司馬にそった人物描写しかしないと思うんだが。
この手の番組で新しい発見なんてまるでないよ。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/01(金) 22:13:28.11 ID:rRYOA2Zs0
まあ期待はしとらんが取り上げられたら一応は観るけどな。
騒ぐほどの内容でないことはもちろん承知。
楽しみにしとるのはニワカか女子やろ。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 00:06:01.17 ID:jq3cIRWr0
高杉の軍事能力についてどう思われますか?
やはり三味線無双みたいなものだったんでしょうか?
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/03(日) 20:39:04.13 ID:ZdtRq7gh0
大河スレならともかくそんなアホらしい質問ここでしない方がいいよ
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 08:38:27.59 ID:Di3ZlO4K0
軍事能力っていっても高杉ってそういう勉強一切してないと思うんだが。
松下村塾いた時に松陰から多少習ってたりするのかな。
松陰のところで孫子の会読とかはやったと思うが。
だけどこのころ、外国の攻撃に備えなきゃってことで危機感持ってたのに、
まったく習ってないって決めつけることもないんじゃない?
丙辰丸乗り組みの件はそのためだし、関連して多少は海戦のこととかやったんじゃないの。
あとたしか江戸で世子小姓やってたころの日記に、
朝桂のとこ行って撃剣、午後は銃陣、ってあったから、有備館でもいろいろ学んだんでは。
このころの有備館の責任者は桂で、その前は来原だから、当然西洋銃陣とか入るよね。
練兵館に入門してたってのが本当なら、そこでも学んだ可能性は高い。
個人的にも兵法はある程度本読んだり研究していそうな気がするけど。
習ってないってのは、兵法の私塾に入ってないって意味?
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 15:53:13.31 ID:aTFMuUpz0
>>314 桂と高杉って有備館で一緒だったのか。すれ違いだった
と思ってたが。意外と一緒にやったりしてんだな。
日記くらい読めや
江戸にいる時だけでも何回桂の名前が出てくると思ってるんだ
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 22:21:27.13 ID:aTFMuUpz0
そもそも松陰の軍事能力が微妙だからなあ。
松陰門下の前原も乱起こした時すごい無様だったじゃん。
今日はいつにもまして何が言いたいのかわけわからんわ
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 00:23:21.88 ID:Tt2djG0S0
>>317 何がどう微妙なわけよ。
門下生がどうとかではなく本人のどこがどう微妙なのかちゃんと説明してみて。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 07:55:18.90 ID:kB14e8OL0
>>319 幕府の要人の暗殺計画も藩主の拉致計画も失敗で
どう考えても才能ないと思うけど。
精神論で戦争する一番酷い作戦指揮官になりそう。だから軍事方面の
才能は松陰にはないよ。
松陰の老中襲撃計画とか、実行すらしてなくね?
まぁ、実際に軍を率いた訳でもない人物の軍事能力を推測しても、妄想にしかならんのは仕方ないが。
>>317 萩の乱は最初っから政治的諜報的に敗北しとる。
ていうか村塾生の作戦能力の例えが何でよりによって前原なんだよ
高杉に後継者指名された山田がいるだろうが
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 19:45:54.28 ID:HXPpA9+g0
>>321 実行すらできない作戦立てた奴なんだよ。松陰は。
軍事面では多分底辺の方だと思うよ。松陰は。思想的には
影響与えたんだろうけど。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:07:58.12 ID:Tt2djG0S0
いや、だから松陰の軍事能力あるなしということより
317の言うように松陰の軍事能力が微妙だったらなんで門下生の軍事能力も微妙だと言いきれるのか
そこがわからんのよ
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:19:07.16 ID:HXPpA9+g0
だって前原が微妙だったじゃん。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:20:04.42 ID:Tt2djG0S0
で、高杉も微妙だと?
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:31:59.53 ID:HXPpA9+g0
高杉はどうなんだろうねえ。松陰からしか軍事的な物を受け継いでないとしたら
底辺の方になっちゃうけど。松陰以外から吸収はしてそうだなあ。
けど高杉って普通にやったら負ける人っぽいイメージあるなあ。
高杉が全部仕切って戊辰戦争とかしても勝てないような気がする。
奇襲とか特殊な状況じゃないと高杉って勝てない感じするなあ。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 20:37:10.51 ID:Tt2djG0S0
は?
ていうか軍事能力なかったら奇襲作戦もできないと思うけど?
なんで高杉の軍事能力の話で松蔭の軍事能力について語り始めるのかわからんが、
高杉の軍事的才能なら、30人で反乱起こして藩の主導権握れるレベル。
あと小倉口の戦いで長州軍1000人率いて幕府軍20000人に勝つレベル。
軍事的才能は実証するには史料が乏しすぎる。
功山寺決起は「成算のあっての挙兵と言うより、暴発の一種」と一坂太郎が評しているし、
現に諸隊は1回は高杉の提案を拒否して「逃亡」と表現されている。
小倉口に関しては幕軍内部で抗争が始まっており、その隙を衝くことは比較的容易だった。
小倉落城後にゲリラ化した藩兵の活動にかなり苦しめられている。
薩長盟約にもある通り、幕軍は進撃当初から予定になかった戦争が組み込まれたことで内紛を抱えていて、
「半年や1年で負けることはない」と言うのが共通認識だったと言ってよい。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/05(火) 22:53:57.20 ID:HXPpA9+g0
高杉は一か八かな作戦が多すぎる。ていうか作戦なんて考えてないのかも。
そりゃ桂も高杉より大村を重用するわな。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 08:05:19.69 ID:b073Dokm0
そもそも松陰も高杉もとりあえず行動してみるって感じの
奴に見えるんだよな。事前に計画ねってって事をしてなさそう。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 09:45:47.48 ID:tz6N6xbZ0
戦場で三味線弾く高杉かこいい!!
>>330 まぁ小倉口の幕軍は指揮官の無能による自壊だが、即そうなったのではない訳で。
門司辺りの戦闘は的確な指揮してると思うぞ。
小倉城自焼後は殆ど下関に居て、10月頃には完全に前原に任せてるんだなぁ。
この辺り読んでると切なくなる。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 19:11:43.24 ID:M0aYhCyZ0
日記買ってきた
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/06(水) 19:29:26.09 ID:Jwa1dPtn0
前原に任せる時点で人事の才能がない。
6月17日、7月3日、7月27日の3回にわたる攻撃で次第に幕軍の抵抗で苦戦するようになってるよ。
幕軍と言っても実際はほぼ小倉藩だけど
まず第1次襲撃は文字通りの奇襲で、幕府海軍に退路を遮断される前に撤退してるし、
第2次の大里の戦いの段階では幕軍諸藩兵の援護があまり積極的でない状態で小倉兵と戦い、
何とか勝利したものの長州も追撃する余力なく撤退。
最後の7月27日に何とか熊本藩を引っ張り出したら、赤坂口で敗れている
ただし直後に熊本藩と小笠原が衝突して引き上げになったのと、家茂逝去での小笠原上坂
(無能による自壊と言うより、鬱積していた肥後・久留米と小倉藩との激しい対立&家茂の逝去が大きい)
奇襲の間隔が間延びしているのでも分かる通り、幕軍は開戦から長州に攻め込める状態ではなかった
的確不的確と言うより高杉としては揺さぶりをかけながら幕軍の自壊を待つしかなかったし、
また戦闘意欲が辛うじてあったのは小倉だけで、熊本・久留米・柳川と内紛を起こしている状態ではそれで充分だった
と言うのが正確なところだろう
>>338 非常によく忘れられてるように感じるのだが、
長州藩の軍は芸州・小倉・石州の各戦線にたったの1000人前後しかいないんだぞw
小倉城自焼後も小倉藩兵がよく戦ったのは事実。熊本他の士気が低かったのも。
ただ、当初最前線に立たされた小倉藩からの度重なる援軍要請の無視、
長州軍を退けた赤坂口戦後の熊本藩からの援軍要請の無視と
圧倒的に劣勢な筈の長州海軍が赤坂近海まで進出してることで、戦争指導に対する不満が致命的なレベルに達してる。
特に熊本藩については、これが撤兵の直接的な原因になった。
前線への手当てを何も考えてない辺りは、明らかに司令官の無能のせいだと思うけど。
そもそも前線を小倉や熊本に丸投げして放置なのが意味不明。
少なくとも千人隊は独断で動かせるだろ。
家茂死去っつっても、司令官がしっかりしてた芸州口では、こんな無様な事態は起きてないし。
>>339 それは幕軍の戦闘意欲の低さを証拠立てるものであって、小倉口の長州軍の戦闘能力の高さを証拠立てるものにはならない
>>340 士気も兵の強さを測る上で重要な要素なんだがw
士気が低くて戦闘じゃ使えない兵でも戦場では使いようがあるし、
勝利を見せればどんな兵でも士気は上がるし勇敢になる。
長岡城攻防戦の時の山縣なんかはよく理解してたよ。
いやいや、だから…
幕軍の士気の低さを強調することは、小倉口の長州軍の戦闘能力の高さを証拠立てるものにはならない
分かる?家近良樹も「負けるべくして負けた戦争」とはっきり言い切っている。
そりゃそうだろう。もともと長州藩処分は第1次幕長戦争での3家老ほか自刃処刑で片が付いたと受け止められていた
そりゃ政略的に失敗しまくってプギャーってことでしょ。
小笠原はそれとは関係なく無能だけど。
つか、そもそも長州軍の戦闘能力云々の話だったっけ?
幕軍の失敗を強調することは、高杉の軍事的な非凡さを否定することに繋がる。
ぶっちゃけ敵が弱くて負けたと言うことなんだから。
その辺は高杉も九州諸藩の内情をよく知っていた。
小倉口もとうてい長州に攻め込める状態ではなかったのは明らか。
司令官たる小笠原の責任と言うより、対長州戦争の幕の引き所を誤った一会桑政権の戦略方針の責任だろう。
ちなみに狭い関門海峡での本格的な海戦は、幕軍の本営である大坂の台所事情に直結するため、
幕軍は本格的な海戦に踏み切れなかったと言う事情もある。
家近は征長戦の際に「戦意旺盛な会津藩兵が緒戦で投入されていたら、事態はどうなったか分からない」
と明言している。旧式装備の会津藩兵でも、戦意のいかんによって逆転される程度の差だったと言うことだよ。
ちなみに、一会桑+幕閣の中で、最も雄藩の対長州世論を的確に把握していたのは会津だった。
会津はおそらく、薩摩はもちろん芸州、肥後の非協力を見通していたと思われる。
松平容保は長州藩への寛典で事態を収拾することを必死に主張している。
この時点では長州藩の出方への見通しを誤ったのは、意外にも、最も長州にパイプを持つ一橋慶喜だったと言っていい。
ところが長州藩側の不信感の根強さは、最も柔軟だった会津藩の想像をも超えており、
幕軍は万やむを得ず進発せざるを得なくなった。ちょうどリビアの多国籍軍の空爆と同じことだよ
長州にとっては、何が目的か分からず前線に集まった戦意のない幕軍を逐次撃破していけばよかった。
しかし、小笠原の報告を受けた慶喜の判断は迅速だった。
勅命による戦闘停止と言う非常手段に出たばかりか、すぐさま薩摩藩との融和を模索した。
長州戦争の敗北は確かに幕威に多大な影響を及ぼしたが、慶喜はその損害を最小限で食い止めることに成功している。
幕長戦争は、しょせん「幕府の戦争」に過ぎなかった。だから幕府の都合で随時中断が可能だった。
長州は政治的復権には、あくまでも薩摩の力を頼らねばならなかった。
長州藩内で正義党政権が誕生しても、それは内政干渉に相当する政変に過ぎない。
薩長盟約に言う通り「緒戦での長州の敗北はない」と見切っていたからこそ、
薩摩も盟約に応じられたんだよ。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/08(金) 19:42:37.75 ID:Fm5eNjIl0
実際四境戦争って誰が一番功績あるのかな。
やっぱ大村益次郎じゃない?
功績総合して大村益次郎だろうな。
>>344 いや、そういう敵のミスという機を逃さず付け込むのも、指揮官として不可欠な素質だけど。
長州藩のミスによって優位に立った赤坂口直後も、その戦果を利用するどころか、命がけで戦った熊本藩に愛想尽かされる有様じゃん。
あと関門海峡は開戦間近になったときから通過する船舶も激減して開店休業状態だから、
今更海戦やってもどうということはない。小倉藩の軍艦はたまに乱入してたし。
彦島の砲台を警戒するのは当然だとは思うが、赤坂沖まで長州艦の進出を許したのは明らかに指揮の怠慢。
まぁ海軍の指揮まで小笠原のせいかどうかは知らんから、これについては責める積りはないがw
高杉については、大島口の奇襲が非凡だったかなと思う程度。俺はな。
陸戦についても無能ではないって程度。
「負けるべくして負けた」
とか後出しで言える後世の連中は気楽でいいよなあ。
普通の藩なら暴れん坊将軍や水戸黄門の手勢数名相手が乗り込んできて
名乗りを明かした程度でも戦わず降参したでしょうね。
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 15:16:47.03 ID:UoRhzRkW0
>>345 >長州藩内で正義党政権が誕生しても、それは内政干渉に相当する政変に過ぎない。
薩摩の力、影響力はもちろん言うまでもない事ではあるが
俗論党政権のままでは桂の帰還もどうなってたかわからんし、
薩長盟約の時期や成り行きもまた違っていた可能性も大きいので
こう言い切ってしまうのはいかがであろう。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 20:47:44.34 ID:3bVVcrjD0
大村は全ての配置決めて自分も一群を率いて進軍したわけでしょ。
高杉は文句いわなかったの?西郷みたいに軍事は大村って事で引いたのかね。
別に高杉は軍のトップを争う気なんぞなかったと思うが。
根っからの軍人じゃないし、自分の地位に拘泥するタイプじゃない。
上士で藩侯父子のお気に入りでこんな非常事態にわざわざ功を争う必然性まったくないw
ホント対立軸を設定するのが好きだねえ…
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/09(土) 23:57:06.49 ID:3bVVcrjD0
高杉についていき。出世できると思ってた人らはどうなんだろうね。
クーデターして藩を変えたのは俺達なのに、なんでなにもしてなかった
桂や大村の指図を受けなきゃならないんだ?ってなると思うんだが。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 00:19:41.24 ID:7RV23jG10
出世のために高杉について行った人って誰?
出世できると思って高杉について行って
大村や木戸に不満覚える奴らって?
資料プリーズ
>>353 勝ち目のないヤケクソ挙兵に参加した連中は
打算じゃなくて信念で行動していたから
長州が生き残れば自分の出世とか細かいことは気にしないような気がする。
>>348 そこで挙げられてる要因はぜんぶ幕軍内部の不統一。
ちょうど今のリビア空爆と似たようなもので、安保理決議だけ通ったが、
多国籍軍に全く戦意がなく、地上に降りて戦おうとする国がいない状態。
敵のミスに付け込むも何も、薩長盟約自身が第3条の明文で
「長州の短期的敗北は絶対にない」ことを前提にして締結されている。
これを「長州の劣勢」を前提として読むと、全く無意味な内容の盟約になってしまう。
>>350 藩政を掌握しているのが俗論党か正義党か、はたまた中立派かなどと詮索し始めたら、
そもそも長州戦争のゴールラインが見えなくなる。幕軍による長州全土占領しかなくなる。
それは参加諸藩の猛反対に遭う上に、幕藩体制の根幹を覆すので、とうてい不可能。
一橋も、正義党が政権を握ろうが何だろうが、長州が形だけでも恭順姿勢を示せばそれで終わるつもりだった。
完全に慶喜の戦争だわな。
熊本が撤兵した時に慶喜の脳内では負けになった
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 08:23:28.76 ID:Ofrt4EFP0
>>356 まさか。人間がそんな奴らばっかだったら苦労しないっての。
高杉は革命後苦難はともにできるがとかいって逃げたわけだし。
桂だって明治後の政府は「どうも違う」って言って逃げたがってたんでしょ。
成功したら増長するやつばっかだよ。基本は。
>>359 いつもそうだが、貴方の話はどんどん焦点がずれていってる
とにかく「長州藩内の対立」の話をしたいがために
高杉と大村というトップクラスの話をしていたはずが
対立していそうな別の対象に話をずらしていき
それすら諸隊の中の位置づけなどまったく考慮せずぼんやりした可能性を話すのみ
そりゃ大勢の人間がいたら反対者も支持者もいるに決まっている 何が知りたいのか
けっきょく、当時の長州藩実情を深く掘り下げて話す気などないのだと判断せざるを得ない
そんなことにいちいち答える意味が見出せない
それと、木戸スレではsageを覚えたのだからこっちでもsageたらどうか
四境戦争最大の功労者は、資金貯めこんだ毛利重就
>>359 >桂だって明治後の政府は「どうも違う」って言って逃げたがってたんでしょ。
それソース司馬じゃねーかw かんべんしてくれw
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/10(日) 15:50:25.50 ID:7RV23jG10
>>357 いや、幕府にとっての対長州という点では異論はないのだが
>(345)長州は政治的復権には、あくまでも薩摩の力を頼らねばならなかった。
ということを考えたときに正義党政権誕生というのは
薩長盟約の前進においても、優柔不断な周辺諸藩に及ぼす影響という点においても
過小評価すべきことではないように思う
薩長盟約と正義党政権は関係ない。
3家老処刑で第1次征長戦のカタをつけたのは俗論党政権だから
言っておくが薩摩が長州と盟約を結んだのは、思想信条の一致ではなく、
単に長州処分を牽引する一橋慶喜と、その手足である会津・桑名の政治的主導権確立を警戒したため。
正義党政権はその性格上、会薩敵視が甚だしかったから、むしろ薩摩との交渉が障害にすらなり得た。
薩摩はあくまで薩摩の政治的立場として、当事者である「長州」との盟約を担保にしたに過ぎない。
正義党政権「だから」薩摩が同盟に踏み切ったと言う種類のものではない。
イデオロギーとして薩長盟約を捉えるのは誤り。
薩摩側はそうだとしても、長州側は?
幕府とのこれ以上の軋轢を避けたい「俗論党」政権が薩摩と密約を結ぶメリットは?
俗論党がどこまで譲歩する積りだったかが問題かなぁ。
幕府強硬派の条件をそのまま呑んだかどうか。
その辺の条件を緩和する為に、薩摩に仲介を願うのは無意味ではないが……
史実の薩長密約と同じ内容にはならないだろうな。
ただこうなると、薩摩が密約結ぶ意味があるかどうかという問題も。
>>357 短期的敗北がないという目算と、劣勢か優勢かは全くの別物やがな。
軍事的に劣勢でも戦争を長期化させることはできる。
小倉藩はそれをやったし、あんたもそれは認識してるだろうに。
あと、幕府歩兵隊や芸州口の紀州藩兵は最新装備かつガチだよ。
>>366 俗論党政権はべつに長州を幕府に売るために誕生した政権ではない。
正義派政権のように対外危機を利用するような危険な手法を選ばない政権であり、
むしろ正義派政権のほうが政権のあり方としては異常と言える
薩摩=討幕派=正義党政権 と言うイデオロギーで物事を見ているから本質を見誤るんだよ。
薩摩は長州戦争以降、慶喜と関係改善を図り、空位期に幕薩関係は改善されている。
薩摩はあくまで戦争当事者である「長州藩」との間に「橋会桑」への対応について協定を結んだに過ぎない。
>>367 何を詭弁を弄しているのか。防御側が半年1年敗北しないと言うことはイコール攻撃側の敗北だよ。
幕府はそれ以前から大軍を京・大坂に滞留させている。
既にそれ以上の滞留が不可能だったから決断を迫られたわけで、その上に頻発する一揆を抑えて半年一年も戦い、
さらに長州処分決着のめどが外れたばかりか前線への転出まで迫られた諸藩を督戦することは不可能。
盟約では第2条でまず勝利のケースを想定し、第3条で「劣勢になったとしても半年や一年で壊滅することはないから」と前提を置いている。
長州の劣勢を前提としてこれを読むと、薩摩は事実上、長州を見捨てますよと言うまったく不可解な盟約になってしまう。
木戸が裏書を求める意味がなくなるし、薩摩が天皇の意思を体現する「橋会桑」との決戦と言うリスキーな言質を与えるメリットもなくなる。
薩長盟約は、明らかに幕軍の不統一を前提として組み立てられている。
装備が最新かどうかで言えば、先鋒の彦根藩の惨状もよく知っているはずだ。
都合のいい時だけ最新装備の藩を持ち出すのは、いわゆる敵を大きく見せる手法に他ならない。
>>36 市民が「下」って字を嬉しがってるようなキチガイ低脳ばっかりで、
その上、不誠実な歴史認識のドアフォばっかりなんだから、
衰退しないほうがおかしいだろ。
せっかく地名が赤間関(あかまがせき)→赤馬関(あかまがせき→あかばかん)
→馬関(馬関攘夷戦争の馬関、日清講和条約=馬関条約)
とカッコよく推移していたのに、
1889年に赤間関市と名乗り(まっ、ここまでは良かったんだが)、
1902年(単細胞丸出しで赤を嫌ったためか)下関市と名称変更してしまっるんだからな。
その上、無理やり「下関」という名前を広めようとして、あとから、
馬関攘夷戦争を下関攘夷戦争→下関戦争と歴史資料的にも虚偽な名称に変更してしまい、
日清講和条約の別称であった馬関条約を下関条約とこれまた歴史資料的には虚偽の名称に変更してしまってるんだな。
京都人は平安京を京都京と言い換えたりしないだろ?
東京人は江戸幕府を東京幕府と言い換えたりしないだろ?
「下関」市民だけ、高杉晋作はじめ奇兵隊士たちのことなんかホントは全然愛してないから、
ここまで恥ずかしい不誠実で郷土愛のない名称変更が平気で出来てしまうんだよ。
そんな、露骨に人間のクズの巣窟になってる地域など発展するわけないだろ。
ま、そのうち天罰大震災・天罰大津波で消滅するかもな
(〃^∇^)o_彡☆あははははっ
あっ・・・はい、そうですね
>>369 下関戦争って、昭和のヤクザ同士の抗争みたいなネーミングだなw
広島戦争を思い出す。
>>368 すまんよくわからん
俗論党なら薩摩への反発や憎悪を抑えて同盟を結べるのか
なぜ相手が薩摩なのか
正義党政権なら相手を薩摩にする充分な理由があったが
俗論党が失地回復のために手を結ぶなら
相手に敢えて薩摩を選ぶ必然はなかったし密約である必要性もなかったのではないか
しかもぼろぼろになって幕府に恭順する長州相手に薩摩が同盟結ぶ理由もわからん
正義党政権成立前に西郷がやろうとしたのは幕長講和の斡旋であって薩長同盟ではない
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 08:18:59.76 ID:PyJgXwq60
高杉は西郷に会う機会があったがライバル視してたため生涯会わなかった
ってのは本当なの?
幻の初代総理
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/13(水) 22:50:37.50 ID:U2YUH7TN0
長州は純粋な国粋主義者
薩摩はヤクザ
こんなイメージ
薩摩は奄美や琉球虐めて黒糖で借金返して密貿易w
>>372 いや正義派政権の指導層、支持基盤ほど薩賊会奸が染み付いてるから難しいんだが…
だいいちクーデタ政権と言う性格上、外敵の脅威を強調しなくてはならない立場にある
俗論党は「失地回復」どころか長州藩の存亡のために薩摩案を飲んでるんだよ
それと当代随一の雄藩であり、「橋会桑」の対抗勢力の筆頭である薩摩を無視してどうすんの?!
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 21:19:34.10 ID:SAr+SusC0
俗論党って立場上悪役にされちゃうよな。若い奴とかで対抗勢力なかったんだろうか
若い奴はみんな正義党なのか。松下村塾メンバーが正義党支持だったわけでしょ。
>>378 薩賊会奸ってのは、この時代、藩主父子に対する冤罪から来ているから、
封建ファシズムべったりで開明的ではない長州俗論派のほうが遙かに薩賊会奸だっただろう。
長州正義派のほうは、長州ナショナリズムと言われる高杉晋作でさえ、
攘夷運動絡みで薩摩藩士とは個人的な親交を持ってたりするし、
薩長同盟を奇兵隊はじめ諸隊がすんなり受け入れるように動いているし。
>>372 ああすまん意図がわかった。
まあ俗論党になって事実赤根や山県によって諸隊との融和がなっていたとしても、
実際薩摩と手を組むという話になったら、
木戸や高杉がいる場合に比べてコントロールが効かずもとの木阿弥になったかもしれんよ。
それはともかく、俗論党政権の場合に薩長同盟とは何ぞやってことは相当違ってくるな。
薩摩側は一会桑への牽制のため長州と手を組みたい、
長州側は第二次征長を止め且つ朝敵認定を取り消し名誉回復するため薩摩と手を組みたい、
と利害は一致しても、俗論党政権は「武備恭順」する気はないわけで、
自然軍事同盟的色彩は薄くなるか、薩摩側が一方的に「長州を守ってやる」同盟にならざるを得ない。
正義党政権の場合は、もし西郷の最初の意図どおり長州が幕府処分案を呑んで戦争にならなかったとしても、
「武備恭順」路線ゆえに軍備が一会桑への圧力になることを期待できる。
どうも、俗論党政権だと仮定した場合、同盟の薩摩へのメリットが薄い。
もしくは長州にとって非常に従属的で屈辱的な、一方的な同盟になりかねない。
そんなこんなで、成立が難しい気がするんだがね。
>>368 それでイコール敗北なら、大阪城退去後に抗戦叫んでた小栗とかは馬鹿の集まりということかw
>第3条で「劣勢になったとしても半年や一年で壊滅することはないから」
これは劣勢になっても半年や一年は持久してみせるってことだろ。
これすら出来ずに敗北した場合のことを明記しないのは当然だよ。
その場合は長州藩により過酷な処分が下るのは確実だし、中立をとった薩摩が介入出来る場でもなければ
敢えてそうする政治的なメリットもないんだから。
あと、最後の文は逆にしてお返しするよ。
薩長肥と紀州以外なら鎧袖一触で粉砕できる幕府の軍事力を、
戦闘を回避した訳でもない親藩外様の士気を理由に小さく見積もる君の論理は理解できない。
最新鋭装備の幕府歩兵隊、紀州で構成された本隊だけでも長州藩の総兵力より多い。
この本隊は小倉口の戦いには参加していないが、それを言うなら装備劣悪な彦根藩も参加していないし、
熊本藩はアームストロング砲を装備して銃隊を編成する程度には進んでいた。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 00:04:04.58 ID:Ph5gkqaY0
実際装備の差ってドレくらい出たんだろうなあ。
>>378 それこそ、京が政局になった時期に長州藩を正義派政権が牛耳っていたことの副産物。
正義派政権「だから」親薩だったわけでも何でもない。
正義派政権は禁門の変+馬関戦争と言う二正面攻撃を引き起こした当事者であり、
その政治的経緯から、会薩に限らず外敵の敵視が俗論党政権よりのさばりやすかった。
また、封建的意図を強調するなら、正義派に属する高杉自身が「毛利家恩古の臣」
としての強烈な封建意識を持っていたことにも着目すべきだし、「家の存続」を最重視するはずだから、
現実に第1次征長戦で和約をまとめた俗論党と薩摩との相性の悪さを証明することは出来ないな。
>>379 俗論党政権の場合、そもそも正義派政権と異なり、薩長盟約を結ぶ必然性そのものがない。
幕府の上洛要請とそれへの回答がもっとスムーズに行った可能性が極めて高い。
もともと長州戦争は長州藩側と幕府との意思疎通を欠いたことが原因で勃発したのだから。
>>380 何を言いたいのか分からん。
盟約第2条はまず「戦自然も我勝利」の場合を想定しており、第3条で「万一負色」の場合も「壊滅などは決してしない」
ことを想定している。このような強気の裏書を求めたのは、薩摩の援助を必要とする立場である木戸。
事前に長州が決して孤立しておらず不利ではないと言う認識で一致していたからこそ、
薩摩も「橋会桑との決戦」と言う極めて危険な言質を与えてるんだよ。
また、幕府の軍事力は鎧袖一触どころか、本格的に戦闘経験を積んだのはこの長州戦争以降。
それまでは歩兵隊は関東での天狗党の反乱などでしか出動機会がなかった。
幕府が装備で決して劣っていなかった鳥羽伏見の薩長の勝因の1つに
「現場指揮官の優劣」が挙げられているのは当然知ってるでしょ?
装備の優劣がそのまま戦力の優劣に直結するなら米軍はベトナム戦争で負けてない。
幕軍には諸藩の士気や薩摩・佐賀・宇和島と言った各方面不参加の雄藩との関係のほか、
大軍が既に京阪地方に滞留しており治安維持や兵站維持にも配慮せざるを得ない立場にあった。
だいいち、小倉口の幕軍は長州の攻撃を防ぐので精一杯、
お前さんの主張によればわずか10分の1の戦力の長州とのたった3回の戦闘で崩壊してるんだぜ?
しかも参加すらせず。肥後藩に至っては、初参加の戦闘局面では長州を押しながら翌日に解兵している。
これを1人が10人に匹敵する長州の奇跡で説明するか、
ほぼ当事者の小倉藩しか戦意がない幕軍の士気の乏しさで説明するか、どっちが合理的だと思うよ?
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 14:51:06.71 ID:cOThAell0
どっちが合理的なこととかではなく
さまざまな要素要因が絡み合っての結果でしょう
士気ということであれば
幕軍の士気の乏しさもあり
そして長州の士気の高さもあり
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/16(土) 14:54:28.78 ID:cOThAell0
あと俗論党と薩摩との相性の悪さなんて誰も言ってないのでは?
正義党政権になってからの一連の流れがあってからこその
薩長盟約であるという事実があるだけです
>>385 そうだよ。しかしウェイトとしては幕軍の士気の低さ、訓練度の低さ、
装備の不統一、兵站の不安定、治安維持の配慮などなどのほうが圧倒的に大きい。
とくに小倉口・大島口がそうであるが、どう考えてもこの局面の勝因を長州藩サイドから説明するのは無理がある。
そのほかの指摘はいずれも反対者が言い出したことだから、彼に聞いてもらいたい
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 03:44:28.91 ID:f2UGQudu0
あれ、俗論党ifを言ってたのは君じゃなかったっけ。
まあいいや。
あと幕軍の士気の低さ、訓練度の低さ、 装備の不統一・・・云々については
その逆が長州に当てはまるよね。
ウェイトが幕軍の方が圧倒的に大きいと何を根拠に言いきれるのか自分には理解できんが
まあそれもいいや。
お後、持論は
“なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2”スレでやってくれ。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 17:27:01.52 ID:A58gDBQCO
>>369 うるせえよクソゴミ
お前は自分の歴史を見直せ
>>389 だから見直してるだろ、ボケェ!
ボクは不誠実な「下関」市民、俗論派の第二の拠点「下関」が好きにはなれない、誠実な山口県民。
高杉晋作や伊藤博文を殺害しようとしてたのは、今の下関市民の先祖たちだからな。
こいつら、国賊だから。
下関市民はそういう黒歴史を背負ってるんだよ。
文句があるんだったら、恥ずかしい市名「下関市」を「馬関市」とかのカッコイイ市名に改称してからにせぇ、ボケェ!
>>389 日本で唯一、積極果敢に攘夷決行し、攘夷戦を闘った地はどこでしょうか?→「馬関」
ウンコとおしっこをせき止めてます!という意味の日本で最も不潔で恥ずかしい名前の市はどこでしょうか?→「下関」
長州俗論派の末裔どもがその信じ難いバカさ加減を天下に晒し続けて既に1世紀。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
長州正義派の志士たちや坂本龍馬・中岡慎太郎たちは当然として白石正一郎もさぞかし草葉の陰で泣いておられることだろう。
中関と上関に対する下関じゃないのか?
上関も、原発でダークイメージだし、
脱原発に成功したら、「上」なんておこがましい名前からも脱却したほうがいいだろう。
地名に上中下って感覚がまず呪われてるんだよ。少なくとも無粋。
しかも長州の瀬戸内海沿岸だけの話だし。
防長三関には、ちゃんと固有の名前が昔からある。それを尊重しないほうが、よっぽどどうかしている。
・赤間関・赤馬関あるいは馬関(あかまがせき、あかばかん、ばかん)
・中之関あるいは中関(なかのせき)
・竈戸関あるいは竈関(かまどがせき)
ただし、中関は、実質、三田尻港みたいな感じ。
原発に突撃する奇兵隊
上総下総上野下野とかおこがましいんだw
「上州」はとんでもなくおこがましいな、確かに。
>>388 いや何を言ってるのかさっぱりわからないわけだが…
「俗論党と薩摩では交渉が難しい」と言う主張は
>>350をはじめとして
>>366、
>>372、
>>378のほうが先に出してきている。
それに対して「正義派だろうが俗論党だろうが難易度は大して変わらない」
と反論しているだけなので。
ウェイトは幕軍のほうが圧倒的に大きいとして、幕軍の要因により多く着目するのは、近時の維新史の有力説。
なぜなら長州諸隊がどれほど士気が高く装備に優れ勇敢であっても、
兵数で10倍を誇る相手と、士気がほぼ同等の状態でどう純軍事的に勝利を収められるのさ。
現実は熊本藩や紀州藩、歩兵隊など多少戦意のある組織と抗戦すると、打ち破るだけの実力すらないでしょ。
ゲリラ化した小倉藩兵にも手を焼いている。
長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 07:40:56.87 ID:6r2UzjCHO
もうスレチって言われてるのがわからないの?
>>397 もうとっくにスレチって言われてんだから、自重して移動しろよ
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 12:32:07.38 ID:MRTXEZa0O
400
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 23:15:52.98 ID:nohvehyM0
>>397 今ここの空気すら読めてない人間が、説得力なし。
持論を誇りたいなら該当スレへ。
あまりに執拗なのは見苦しいだけだよ。
封建主義の俗論党と薩摩とじゃ上手くいかない→高杉も強烈な封建意識を持っていたから関係ない
紀州藩と歩兵隊は装備が優秀だから強かった→歩兵隊は長州戦争が本格投入(それ以前は天狗党程度)、彦根藩を無視している
とか、とんでもない誤解を訂正してるだけじゃん
そりゃ高杉は神様じゃないと言われて悔しいのは分かるけど、
大久保、木戸とか他の維新関係者スレではもっと冷静だわな。
>>401 あと「持論」じゃなくて青山、家近、高橋あたりは認めてることだわな。
研究者じゃないが野口も幕軍サイドから幕長戦争の動因を幕府側から考察している
長州藩サイドに出来ることには限界があって、幕府、雄藩、橋会桑、朝廷、世論の動向を分析したほうが
幕長戦争の分析にとってはよほど有意義なんだわな。
誘導に応じず居座って言い返さないと気が済まない
冷静じゃないのはあなたの方
>>403 青山忠正 佛教大学歴史学部教授
家近良樹 大阪経済大学教授
どちらも反長州史観・反木戸史観の、とんでもない曲学阿世の徒かつ国賊。話にならんね。
で、高橋ってのは誰? 高橋姓って多いんだから、下の名前ぐらいちゃんと付けろよ。
>>402 高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。
>>397 > ゲリラ化した小倉藩兵にも手を焼いている。
?
ベトコンやアルカイダなど、ゲリラ相手では、世界最強の米軍でさえ、どんなに兵員と最新兵器と金と時間を費やしても,いまだに勝てないでいるがな。
世界の常識。
ゲリラ化した小倉藩兵を降伏させた長州軍がいかに圧倒的に強く巧みだったかという証拠を素直に認めるべきだろう。
> 長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
(´・ω・)カワイソス
長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ、
幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 23:17:42.13 ID:X0Ox9T4P0
>>397 > 長州藩の勝利は、あくまでも幕軍側の要因から説明したほうがはるかに早い。
幕軍側の要因は単にいくつかある要因のうちのひとつに過ぎない。
歴史の事象の説明を早いか有意義かだけで判断してはならないと思うが。
>「正義派だろうが俗論党だろうが難易度は大して変わらない」
雑過ぎる。
>>403 てか、自分の論ではなく単なる受け売りだったのか。
>>402 ここは高杉を盲目に神と思っている人もおるかもしれんが、
彼の欠点をわかっている人も多いよ。
ただ説得力のないことを延々と続けられて皆ヘキヘキしてるわけで。
他スレは他スレ、そちらががよいならさっさとここを去ればよいではないか。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 23:28:42.31 ID:X0Ox9T4P0
↑
誤 ヘキヘキ
正 ヘキエキ
「赤祢は周防の百姓だ。おれは毛利家譜代の臣だ。どっちが藩に忠義か
明らかではないか」とアジって赤祢を退けた封建意識と身分差別意識の
権化が高杉。改革派でもないし反逆者でも何でもない。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 09:28:55.57 ID:utqW2V8P0
>>405 高橋秀直 京都大学文学部教授 2006年死去
スレチ続けてすまんが
貴方の挙げた学者の方々は確かに幕長戦争の幕府側の敗因について検証しておられるが、
それは既存の研究が長州側に偏っていたため幕府側を検証するべきということで、
「幕府側に敗因があるのであり、長州側に勝因があるのではない」
などという論を張っている方は、その中には居られないと思うが。
高橋秀直氏には、慶応年間の「木戸政権」について、対幕戦に向けて
挙国一致の体制固めや他藩への根回しについて分析する論文もあったと思う。
…って話は今後別スレでやりましょってことで。
>>408 単なる身分制度の権化なら、撰鋒隊の存在意義を危くする様な部隊なんぞ設立せんがなw
>>405 >高杉晋作は、自分の出自を強調することで、封建意識のみのバカ俗論派をも従わせていただけ。
>そんな簡単なこと、よく勘違いできるな。
いや、高杉は「毛利家恩古の臣」と言う藩主に対する強烈な忠誠心を持ち、
たとえば奇兵隊の決起を促した時に赤根を「一土民」呼ばわりすると言う危険な行為を行っている
(もちろん奇兵隊は呼応せず、高杉は「脱走」扱いにされている)
さらに大田の戦闘後、世子毛利定広を担ごうとした藩政府に対して、
上士出身者が弱気になったのに対し、山県ら軽輩出身者は断固決戦を主張したのはよく知られている
高杉の封建意識を示すこの事例は遠山茂樹以来、一坂の世代に至るまで重視して指摘され続けてきた事実
>>411 崩壊しかけた幕藩体制の中で、体制を固守しつつ衆庶の参加により藩を再興させる。
古川薫は対外戦争は民衆動員のために利用されたと考えている。
奇兵隊はあくまで正兵を補う存在であり、内部に厳然たる身分差別があったのは周知の通り
高杉ら長州藩指導者は衆庶が藩家秩序を乱すような行動を許さなかった。
ここに山県や赤根ら、諸隊実務者との対立が兆す原因がある。
>>410 たとえば家近は幕長戦争の帰趨を決めた原因として
幕府・雄藩・京阪地域の要因を主因として挙げ、長州のそれについては取り上げていない。
それどころか、会津藩兵の投入が実現していたら「歴史は今日我々が見ているのと同じ道をたどった保証はない」
とも言っている。
「確かに幕長戦争における長州藩の役割は大きい。だが、あくまで倒幕の根幹をなしたのは公論の力」
と主張し、西南雄藩中心史観をはっきり否定している。
勉強不足だね。なお、高橋秀直は長州戦争に関して家近・青山とはやや立場を異にしているが、
それでも従来の長州藩を過大評価する立場とは一線を画していることには注意されたい。
>>406 雑すぎるならもとに戻ろう。
第1次征長戦の和議を取りまとめたのは西郷吉之助の助言に従った慶勝総督と俗論党政権。
なぜ俗論党政権が正義派政権より対薩関係を取り纏められなかったとするのは、
この一事を持っても否定される。そもそも俗論党政権の場合、
幕府との意思疎通がよりスムーズに行っていた可能性が高い。
それと一言。
人には罵倒を浴びせ、スレから出ていけと言いながら、なぜいちいち反論するのか。
要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。
>長州藩は、10倍以上の兵員数とフランス仕込みで近代化された兵器・歩兵隊の幕府軍に
>少なくとも三方から挟み撃ちされてるわけだからねぇ
非常に雑な説明と言わざるを得ない。本来予定されていた攻め口のうち、
海路の萩口が潰れたのは薩摩藩の不参加。小倉口、石州口は幕軍はまったく攻勢に出ていない
大島口は宇和島藩が参加しておらず、佐賀藩も、さらに頼みの熊本藩まで戦闘に参加しない状態で、
芸州口以外ではほとんど攻勢らしき攻勢がかけられていない。
芸州口でも、幕府歩兵隊は出動経験が少なく、しかも出動してからほどなく休戦状態に入ってしまった。
また、この翌年慶応3年、フランス公使ロッシュは幕軍の訓練度が進まないことに苛立ち、
「慶喜の江戸帰還が何より重要」と具申している。慶喜による幕軍の全隊銃卒化が始まるのはこの戦後。
>幕府側にどんなに大義名分がなくても、幕府上層部がどんなにバカでも、その当時の長州藩以外の藩なら、軽く、藩全域を武力制圧されてるでしょ。
>よって、その当時の長州藩側の特殊要因の説明なしでは何にも説明したことにはならないよ。
そう、当時長州藩は凄まじい粛清によって正義派与党以外の人士、民衆、反乱が徹底して弾圧される臨戦状態にあり、
このような態勢は日本でもさほど多くはなかっただろう
(長州藩内部の弾圧については井上勝生や一坂、また大粛清による証言や史料散逸を指摘するのは家近である)
だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
しょせんその程度。たとえば薩摩藩、装備では佐賀藩などと比べたらだいぶ遜色がある。
それでも桂が強気の見通しを持つことが可能だったのは、参加予定の九州諸藩、西国諸藩の世論を熟知していたため。
青山や家近を「反長州」などと言っているおバカには分からないかも知れないが…
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 15:36:55.36 ID:je4eIR4Z0
>>413 さすがに該当スレに去ったのかと思っていたのだが・・美しくないね。
しつこく反論を続けてるのは確実に君だろう。
現にまた空気も読まずこれだけ捲し立てて。
そんな人間に「反論を続けているのか」と言われる筋合いなし。
皆スレチだよと言ってるだけだしね。
それに対していつまでもいつまでも執拗だからね。
>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。
あのね。
空気を読まない君に不愉快さを感じてるだけだよ。
それだけ。
そろそろスルー対象にしてもいいんだがな。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 15:45:42.90 ID:je4eIR4Z0
ていうか、
>・・・可能性が高い。
と見解を断定できないにも関わらず
>要は事実を指摘されるのが不愉快だからだろう。
自分の意見を事実と確定しているこの矛盾さ。厚かましさ。
まあ学者の論文を手がかりに自論を展開するのはいいんだが
自論を行き過ぎなくらい補強するのってちょっと恥ずかしいよね
だれも高杉が封建的価値観の持ち主ではないとは言っておらんのだがなあ
高杉も井上も桂も毛利家への忠誠心はすごくて、
なのにやったことがアレだから面白いんだがね
ここまでくると立派な荒らし。
真実を告げるが故に糾弾される自分に酔うのは
中学二年生で卒業しておきなさい。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 21:42:55.02 ID:hYJkO8DY0
高杉の身分意識はかなりあっただろう。
その点でも桂とは相性悪い気がするんだよなあ。
高杉は封建的な意識が高いのは確かだけど
四民平等が時世の流れで藩や国の力になるなら目を瞑って受け入れるんじゃね
桂と結託してたますじのことを後継者指名したくらいだし
高杉はそりゃ自分が毛利家家臣であることに強い誇りと自負を持っていたけれど、
当時のあの身分の武士としちゃ十二分に柔軟。
例のお小姓日記に、明倫館に入学資格のない、足軽陪臣から町民農民まで入れる学校を作って
土屋矢之助とかを教授にすればいい、なんてアイディアを書きとめたりしている。
まあ松陰の影響が多分にあるんだろうけど。
別の日の日記には、藩政府人事案を自分なりに作ってみて、
行政府のトップの参政は周布、地政府の参政は桂、とか書いてるあたり微笑ましいw
このころ桂はまだ有備館舎長なんだけどな
高杉の封建意識は藩に対するものばかりではない。
家に対しても強い封建的倫理観を持っていたことは明らか。
衆庶の藩政参加は19世紀末〜の藩政改革の時点から始まっていたから高杉独自の発想ではない
ただし高杉は、民衆の要求が長州藩や藩秩序を揺るがすことは絶対に認めなかった
それは自ら発起した奇兵隊も同じ。諸隊はあくまで藩家を守るためのもので自律性を認めない
よく文民統制とか勘違いされるが、実際は藩指導者が諸隊の自立を恐れたために他ならない
>>416 では、はっきり言い直そう。
ぶっちゃけ俗論党政権なら幕長戦争なんて起きてなかった。
一橋慶喜は積極的だったが、その手足となる会津藩が必ずしも前向きではなく、
戦争勃発に至る過程ではかなり錯綜したものがあった。
正義派政権は不信感から徹底して幕長間の意思疎通を阻害した。結果が長州戦争だよ。
高杉もよく情勢分析せずに開戦不可避を言上している。明らかに幕府にとっては想定外の戦争だ。
長州戦であえて主役を挙げるなら桂だよ。
空気を読めとは、一緒に高杉をマンセーしろと言うことかな?
幕末系を語りたいなら
高杉スレ西郷スレは不適切
無学な狂信者の隔離だから
高杉派閥とか遣韓論とかw
木戸、大久保、幕軍、慶喜スレが適当
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 06:42:53.62 ID:ltjx+VLS0
伊藤「高杉は参謀としてはなかなかなものじゃったよ。」
自分大好きな風見鶏は黙ってろw
>>424 高杉派閥とかいってる人は高杉厨じゃなくて、木戸スレでも暴れてる派閥厨なんでw
>>423 研究史的に長州側が過大評価されてきたのは事実だし、
それを是正しようと先にあげられた研究者が幕府側の研究を進めてきたのは偉大な功績だ。
しかし、貴方の論はそれを長州側の過小評価にまで持ってきてしまっているようにしか思えない。
ぶっちゃけていえば幕長戦が起きたのには、幕府側にも長州側にも原因があるし、
それに外国やら他藩やらの動きも当然影響している。そんなの当然じゃん。
何でそんなに一生懸命長州正義派だけを叩いているわけ? そんなに一方的なマンセーしてる奴いる?
長州側少人数でこんなにがんばってすごいじゃんって話してただけじゃ?
それだけが勝因であると言い張るのはヘンだがそんなことだれもしてないっしょ?
ていうかさ、ここは高杉スレなんだから、幕長戦の主役が桂だったとしても
それは置いといて、あるいはそれは当然として、いずれにせよ高杉と幕長戦について語るのは当然なのに
なんでそういう、現在だれも持ち出してない「高杉が主役!論」はまちがっとるみたいな話を
わざわざ展開して勝ち誇るのか意味がわからん。
だからスレチっていわれてるんだけど。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 09:52:23.82 ID:DsVeXCPZ0
高杉の封建思想って今後どうする気だったんだろうね。
幕府倒して毛利幕府はないとしても、大名の合議制みたいなのを
目指してたのかな。そうするとやっぱ廃藩置県した連中からは一歩劣ってるかな。
>>427 高杉と言う人は、どうも評価を取り違えられている
小倉口での高杉の功績は、山県たちをうまく統率し、
適度に攻撃を仕掛けて幕軍に心理的打撃を与えたと言うことに尽きるのであって、
三味線を弾きながら戦場に乗り込んで幕軍をバッタバッタと切り倒したことにあるわけじゃないよw
自分が逆に不思議なのは、長州戦争の因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単だよと言う主張が、
なぜ高杉を貶めると受け止められるのかと言う、そこなんだな。
たとえば青山家近は、幕長戦争の帰趨を決めた桂の薩長盟約に対してすら過大な評価は与えていないし、
山県とともに元治内戦の火付け役を演じただけで十分な評価だろう
基本的に高杉って好きな人は好きと言うくらいの評価で、歴史上そこまで大きい存在じゃないから
まあ木戸スレとここと見たら、確かに大久保スレと西郷スレくらいレベル違うけど・・・
>>429 ああわかった。貴方の主張の仕方が一生懸命すぎて、このスレのノリからみると
あたかも「幕府からの敗因をみることにしか価値はない」的に受け取れてしまうので
延々と話がすれ違うんだよ。
まあこの件一生懸命論じるのは、どっちにしろこのスレじゃないよ。
この辺にしとこうぜ。
いや、このスレだろ?小倉口に関しては。
何をこの辺にしておくのかさっぱりわからんけどな
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 16:22:39.52 ID:8ADe4wa40
高杉って幕府から長州の悪は桂と高杉であり処刑しろって
言われてたわけだよね。桂や久坂と違ってそれほど目立った行動してないと思うんだけど。
なんで目をつけられてたの?
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 16:45:13.04 ID:MsmfLzX90
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 16:54:46.97 ID:MsmfLzX90
つーか誰も高杉が三味線でバッサバッサなんて思っとらんし言っとらんやろ
あんたアホか?
すでに前に誰か言っとったけど
“戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について”
こっちのスレできばれや
木戸スレが好きやったらそっち行ったらええやん、
わからんと思うとこにおる必要ないで
それだけのことやろ
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 17:10:48.28 ID:MsmfLzX90
あんたはな
自分の説得力のない意見を一方的にしつこくしつこく押し付けてくるから
嫌われとるねん
それをいい加減悟れや
高杉マンセー言う前に自分マンセーになっとる自分に気付けや
それを空気読むっていうんや
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 17:32:45.66 ID:MsmfLzX90
>>429 >自分が逆に不思議なのは、長州戦争の因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単だよと言う主張が、
なぜ高杉を貶めると受け止められるのかと言う、そこなんだな。
高杉を貶めるなんて誰も言うとらんやろ
自分の意見を主張することしか考えとらんからそうなるわけや
因果経路を幕軍側から説明するほうが簡単やなんて乱暴やろ
それを皆言うとるだけのことやろーが
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 21:57:30.48 ID:MsmfLzX90
そやそや
“なぜ第2次長州征伐で幕府軍は勝てなかったのか2”やな
434の自分の挙げたスレ名は間違っとるわ すまんかったのう
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 22:10:08.31 ID:MsmfLzX90
ID:S6eVg3pW0 もうそっちでカキコしとるやんw
おきばりやす〜
俗論党の藩庁に高杉が反乱を起こしたから明治維新があったんじゃないか。
高杉の功績は偉大だよ。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/24(日) 23:16:07.86 ID:MsmfLzX90
ID:S6eVg3pW0はさ、高杉のこと
>歴史上そこまで大きい存在じゃないから
と言いつつ高杉スレに必死でカキコしとるんやから
そんなんもうほっとこほっとこ
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 07:56:04.43 ID:HZTIZ9g10
けど高杉の役割ってクーデターの時だけだよね。あそこに存在してたのが全てで。
あそこに高杉いなかったらどうなってたのか。
伊藤と井上あたりが頑張ってたんだろうかねえ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 12:29:37.19 ID:Y/07VZ0w0
高杉がいたから維新が成った。それがすべて。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 17:50:34.89 ID:E11mEyraO
高杉がいたから彦島は日本の香港にならずに済んだ
ラーメン食うっちゃあ〜。
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 21:50:56.87 ID:pZemQO5m0
坂本竜馬は司馬の影響でやたら美化されてるけど
高杉もそういうのなのかね?
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:36:01.66 ID:/Xs3yEvo0
まあ小説はもちろん、ドラマや最近ではアニメなどのおかげで
妙に美化されてる歴史上の人物なんて挙げたらキリがないでしょう。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 23:43:57.02 ID:/Xs3yEvo0
ああ、446は木戸スレで有名なageさんか。
高杉は龍馬ほど美化されてない。というより
全く過小評価だ。明治まで生きたら薩における
西郷と大久保のように木戸と高杉が長州閥の
両巨頭になったことは間違いない。
いや、高杉生きてても普通に木戸広沢が両巨頭だろ
その下に大村高杉前原
前原混ぜたら混乱するだけでは
高杉が上手く抑えるかもしれんが
前原ってそんなに重要だったっけ?
大久保の画策で唐突に副島・前原体制になりかけたときも引き篭もってたようなw
まぁ真面目な人だったんだろうなと思う。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 18:39:44.19 ID:XEajp96G0
「生き残ってたら」で長州代表になってたのは周布だろう。
高杉とか久坂ってのはどうも政治家っぽくない。
久坂って一時期名声がすごいあったらしいが、どういう事だったんだろうなあ。
「生きてたら」で言えば松陰がトップじゃないの?
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 20:12:27.64 ID:XEajp96G0
松陰も生き残ったら政治家になるだろうけど
周布とかには太刀打ちできないでしょ。
松陰は政治家にはならん気がするなー。口は出すだろうけど。
学問してるときがいちばん幸せそうで、だれも邪魔できません、って感じじゃん。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 23:08:52.80 ID:XEajp96G0
>>456 松陰はすぐに行動にうつすタイプだからそれはないと思う。
学問覚えても行動しなきゃ意味がないって思想だったはず。陽明学だっけ?
いやそれと自分が政治家やるのはイコールじゃないから。
松陰としたら実践は周布や桂や弟子の高杉とかがやってくれればいいんであって
自分は有効な策を具体的に建策したり添削したりする役。
有効かどうか調べるための実験的な実践は当然やるだろうけどな。
薩摩での小松の位置だな周布は
高杉のやった事は西郷や大久保でも到底真似できない位だけど
天才過ぎて平時の政治家向きではないだろう
むしろ久坂が惜しかった
久坂は死ぬまで長州の若手リーダ格だったし
京都政界切り回し他藩士との外交仕切ったのも名声高かったのも久坂
高杉は逆にそういう面ではかなり影薄い
むしろ緊急時になればなるほど力発揮した
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 07:42:02.68 ID:Ey8mARys0
>>458 松陰の策っての実現不可のばっかりだし。周布桂級の政治家がまともに取り上げるわけないから。
やっぱ松陰は独自に動くと思うよ。
松陰なら明治政府に反乱を起こすんじゃないの?
高杉もやりかねん。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 08:44:13.27 ID:tCeXe+4z0
>>460 日和見公家にあの期に及んですがり付こうとするのは
桂小五郎や大久保一蔵なら絶対にやらなかっただろう。
甘すぎるとしか言いようがない。
ただ、久坂のあの当時の年齢を考えれば、生き残れば、
経験を積んで、明治政府のリーダーになっていた可能性は
十分ありえる。
久坂と高杉の差は、久坂には誰も附いて行きたいが、高杉には「どうもならぬ」と皆いふ程で、高杉の乱暴になり易いのには人望が少く、久坂の方は人望が多かった。
高杉には久坂みたいな政治資質はなかったかもしれないけど
大勝負で勝ちを引き寄せる運は持っていた
適材適所で能力を発揮できればそれでいいと思うけど
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 19:24:18.20 ID:Ey8mARys0
久坂は実際どんなもんだったか分からないんだよね。
思想自体は松陰程度の幼稚な感じするけど。そういう人間が
人望あって勢力作るともうマイナスでしかないと思う。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:17:04.99 ID:e74ZPiPq0
松蔭は思想性は高いよw
思想性は高いが政治力は無いから失敗しまくりだけどwww
松蔭の久坂評
「久坂は防長に於ける年少第一流の人物で、無論また天下の英才だ。
久坂の才は縦横無礙なり。
高杉の識を以って、久坂の才を行う。気は皆その素より有するところ、何をか為して成らざらん。
高杉よ高杉、天下固より才多し、然れども唯一の久坂を失うべからず…。」
中岡慎太郎の久坂評
「第一、その卓識なる者を久坂玄瑞と云う。
この人吉田松陰の門弟にして英学も少々仕り、夷情も大に知れり。この人常に論じて曰く
「西洋諸国といえども、魯王のペートル、米利堅のワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非とも百戦中より英傑起り、議論に定まりたる者に非らざれば、役に立たざるものなり。
これ非共早く一旦戦争を始めざれば、議論ばかりになりて事業は何時までも運び申さず」と云う。実に名論と相考え申し候。」
木戸孝允の久坂評
「久坂は、幼少より学を好み、剛毅卓立、如何なる場合も俗見に随わず、慨然と天下の務に志を有していた。
長州藩で夙に気節を尚んだのは吉田松陰を第一とするが、実際運動に身を挺せること久坂の如く者は一人もいない。
世に文筆学問の徒は少なしとしない。
けれども概念のセンサクに没頭して世務の何ものなるかを知らなかったり、声利に汲々として図書の間に老ふる者ばかり多い。
義勇の士もまた決して少なしとしないが、或る者は暴虎馮河して快とし、或る者は血気にはやって敢えて危険を冒す。
久坂の如きはこれ等と相去ること大いに遠かった。
これを俊傑といい剛者と称するに間違いはなかろう。
久坂は死んだ時二十五歳であった。惜しいかな、彼をなお世に在らしめ、益々その志すところを尽さしめ得たら、成就するところ現在の如きに止まらなかったであろうが…。」
佐久間象山の久坂評
「土州と長州から使者が来た。土州の使者(中岡慎太郎)はすこぶる頑固な人で、これを辞したらほとんど刺違えぬばかりに激論した。
長州から来た使者、その中の一人(久坂)は殊に明敏な者だ。」
西郷隆盛の久坂評
「久坂先生が今頃存生ならば、御互(木戸と西郷)に参議などと云って威張ては居られませぬがなー。」
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:24:48.88 ID:4mc2urIC0
桂や大久保だって文久〜元治のいわゆる志士と言われる頃と明治政府のリーダーになってからでは
立ち位置や状況、経験の積み重ねによって当然変化してる部分もあるのだから
久坂とてそのまま生き残っていればその後どうなっていたか、
新政府にとってプラスに作用したかマイナスに作用したかは断定はできないね。
死んだ当時の印象だけで決めつけてしまうのはちょっと気の毒かな。
ただ自分も松陰は政治家ではないと思う。高杉も。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:27:58.48 ID:4mc2urIC0
>>467 ご苦労様。
ここの人は大抵知ってる内容だと思うけど。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:36:24.24 ID:e74ZPiPq0
木戸はうん子漏らしたり明治語は欝の木戸として何もやらなかったからな
大久保なんかも一時絶望して西郷と刺し違えようとしたらしいから
松蔭門下ではやはり久坂が一番惜しかった
高杉は明治後居ても政府でやること無い
行政長の卿や派閥をまとめて国政全般を議論する参議なんて柄でもない
かといって軍事行政家でもない
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:39:09.34 ID:e74ZPiPq0
松蔭は思想家教育者だろう
西郷なんかも思想家だけど実践者の政治家としての力量もあった
久坂も同じだな
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/27(水) 20:53:31.84 ID:e74ZPiPq0
奇兵隊士
「高杉は直情径行、自我強く、部下の意見などは更に顧みず、無頓着無関心に只勇往邁進的であったに反し、
久坂は深思遠謀よく部下の意見を容れ、衆智を集めて敢決断行の人であって、部下を愛する情至って深く、何れも心服して居た。
高杉には部下が引きずられがちであったが、久坂には心から感服随進したものである。」
雲濱梅田翁
「久坂玄瑞は政治家にして廟堂に立つ者なり。高杉晋作は軍人にして将帥の器あり。大楽源太郎は学者にして教育家たり。
換言すれば久坂は将帥たるを望む可からず。
高杉は政治の事を思う可からず。
大楽は教育を業とすべしと。依て三士に各一文を與へりと。」
うん久坂スレを盛り上げてやれ
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/28(木) 22:13:22.72 ID:FYq4akxy0
大楽源太郎って高杉久坂と同列なのか?暗殺者のイメージしかないわ。
山県有朋の前で吉田稔麿が絵を描いて見せた時。一番初めに鼻輪を通さぬ離れ牛をかき、
其次に坊主頭で裃を着ている人がある。其次には木剣があり、又其次には棒がある、それ
で山県が此絵はどういう意味かと尋ねると稔麿の答に、此離れ牛は高杉晋作である。これ
は中々駕馭できない人である。坊主頭で裃を着て座っている人は久坂玄瑞だ。これは廟堂に
座らせておくと堂々たる政治家である。其次の木剣は入江九一である。入江は偉いが、まだ
本当の刀ではない、木剣位である。それから其次の棒は誰かと聞くと、此棒は山県であると
答えた。という話も有ったな。
高杉〜♪高杉〜♪
高杉いいいい♪
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 14:24:13.86 ID:XCzpRufE0
おうのって下関出身なの?
ああいう芸者ってどこの人でも京言葉を操るもんなの?
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 16:02:19.03 ID:HZqjIcT80
おうのの出自は不明。
京言葉って。それを言うなら祇園ことばじゃないのか。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/29(金) 23:54:39.50 ID:joqFwWwTi
晋作日記だとわりかし読書家で驚いたな
>>479 何を今更…松陰にむちゃくちゃ期待されるぐらい学問してるんですが?
高杉は天才だから感性だけで生きたって先入観はあるな確かに
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 03:52:44.00 ID:bk99EZsX0
これも何を今更。
高杉が松陰に何て言われたか知らないのか?
>>414 > だがその長州藩にしても、ろくに経験のない歩兵隊と苦戦し、熊本藩には敗色濃厚であった。
> しょせんその程度。
二重に間違い。
哀れなほどの反長州史観(^Д^)9mプギャー
・禁門の変で京に藩主父子の雪冤のために出ていた先遣隊(本隊の世子軍が約2000名なので実際は300名ぐらい。多くても500名ぐらい)以外は、
長州藩側にも戦闘経験がないが、その先遣隊メンバーからしては既にほぼ壊滅しているので、長州側も戦闘未経験。。
・援護していた小倉藩が長州軍に壊滅させられ長州軍から敵前逃亡した熊本藩に対して一体誰がどう「敗色濃厚」になり得るの?
>>470 別に久坂が凄くないというわけでは全然ないが、
文久3年に始まる馬関攘夷戦争までの段階で、明らかに、
木戸孝允・高杉晋作>>久坂義助
だがな。
「馬関攘夷戦争は、朝命・幕命に従ってやむなくやりました」
って形を終始取った木戸・高杉のほうが遥かに物事が見えていることは確か。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 06:19:45.98 ID:AzdZ8pOK0
>>475 松下村塾の中で第五位だった。つまりは生存者の中では
もっとも出来がよかったと吹聴するための山県の作り話
の可能性が高い。おそらくライバル視していた伊藤への
当て付けだろう。
品川が「稔麿が生きていれば据え置きの総理大臣だった
だろう。」と語ったのも、伊藤に対する当て付けだろう。
(品川は内相のときに、伊藤に選挙干渉を痛烈に非難
されていた。)
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 11:30:31.58 ID:/BS/ni8L0
>>484 馬関攘夷戦争は、朝命・幕命に従ってやむなくやりましたんじゃなく
取り付けてやったんだが?
木戸孝允・高杉晋作>>久坂義助になる理由が意味不明すぎるw
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/30(土) 20:10:00.12 ID:kBAOw35B0
西郷が久坂が生きてたらっていうのも木戸に対しての皮肉だろうしなあ。
長井の件で久坂を煽ったり、禁門では西郷が久坂を殺したようなもんなのにな。
木戸からしたらどの口が言うか、と臓煮え繰り返る気持ちだったんじゃないだろうか。
そのあたりは薩長同盟時に責めまくって水に流したかもしれんが。
大西郷はそんな器量の狭い漢ではなかだろうw
長州と対立したのも私怨あったわけでなく薩摩の藩益上対立しただけ
むしろ久坂の様なのを木戸より西郷は尊敬する
久坂や西郷は政治屋でなくまさに政治家なのは身を捨てれる点
木戸が政治家として維新後いまいちパッとしなかったのもそういう面が大久保に比べると弱かったからだろう
維新後政治家として更にパッとしなかった西郷に言われても
むしろ明治維新で革新的な改革やったのはむしろ西郷首班の留守政府の方だぞ?
ずるい大久保ら外遊派は権力闘争で引き継いで強化しただけで
留守政府の改革で外遊組がいなくなった後に発案された政策なんかあったか?
遣韓以外
高杉スレで留守政府とかスレチにも程があるだろ
久坂を西郷アゲに利用してんじゃねぇよ
身を捨てられりゃ偉いのかよ周囲巻き込んで自滅するのが偉いかよ
西郷スレで勝手に陶酔してろ
府県の統廃合(3府72県)
陸軍省・海軍省の設置
学制の制定
国立銀行条例公布
徴兵令の布告
地租改正条例の布告
ほぼ留守政府がやってる
西郷だから実行できたものばかり
外遊組は国内騒乱になる元は全部西郷さんに押し付け海外逃げ回ってる
最後の仕事と張り切った遺韓大使まで外遊組の権力奪還闘争で潰されるんだから
そりゃ西郷どんも薩摩に引きこもらざる得ないわ
>>484 えーっ!?久坂は結果的に京都で爆死しただけで、
政略の才能では明らかに高杉と比較にならないでしょ
禁門の変だって幕府や一橋や長州シンパと、会津は狙い通り分断されてたわけだし
加徳丸事件と言うピンチをあんな強引な手段でチャンスに変えたのはまさに剛腕
木戸にしても高杉よりははるかに政治的指導力がある、久坂とタイプは違うけど
高杉は忠義な官僚と言うタイプの人間
>>494 それ、外遊組がいるころから進めてたものばっかじゃん
しかも西郷がそうせい侯状態で大隈らに投げっぱなしで急速に進めちゃったもんだから、
各地の不平士族を宥めるために遣韓(元々は征台)に繋がる訳で。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 08:47:32.62 ID:PbC26NIm0
久坂は若い奴の人気はありそうだけどそれだけの奴っぽいんだよな。
2chのフォーマットで意見のやり取りすると疲れるな。
基本相手をやり込めてやろう、みたいな鼻息荒い人ばかりだね。
>>497 久坂は若いやつとかそういう問題ではなく、ピンチをチャンスに変えるパワーがすごい。
高杉は奇兵隊に真っ直ぐねじ込んで、挙兵断られると自分で文字通り義挙しちゃうタイプだけど、
久坂は最善が駄目なら次善、次善が駄目なら…と、あらゆる手を使って目的を達成しようとする。
禁門の変の時がそうだよ。高杉は思い通りにならないとあきらめ、久坂は次善の策を考えた
まあ、結果的に次善の策が天皇の命と連合艦隊報復で、土壇場で引っ繰り返って、
えーっと言う感じであぼん。あきらめた高杉のほうは助かると言う皮肉な結果に…
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 16:55:54.18 ID:GvFm8aUV0
>>498 同感。
様々な意見が交わされるのは面白いけど
自分の意見が絶対意見みたいに思ってる人多いよな。
歴史なんてひとつの事象でも見方によって解釈変わってくる場合もあるのにな。
あと西郷のことは西郷スレで。
久坂はスレないのか、誰かスレ作ってあげれば。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 19:30:56.92 ID:PbC26NIm0
>>499 それは久坂の方が普通って事だと思うよ。しかもその結果禁門の変で命を落としたわけだから
やっぱ高杉に比べて大した事なかったって事だよ。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/01(日) 20:11:53.61 ID:GvFm8aUV0
いやだから。
高杉と久坂は明らかにタイプが違うから。
自分は高杉贔屓だが、高杉の方が優れている部分もあり、当然久坂が優れている部分もあると思うよ。
どちらが偉いとか決めないと気が済まないのかねえ。
高杉はピンチをチャンスに変えれるけど久坂の様な物事を進める指導力は無い
木戸が久坂より優れてたのは
うん子もらし乞食になり逃げ回ったところだろう
久坂には到底できない行為
>>496 廃藩置県やる為に薩摩にこもってた西郷を政府の大久保と木戸が呼び出してるんだが?
徴兵制も山縣が西郷の承諾得たからできた
ひょっとしてこれが脱糞君と呼ばれている嵐か
高杉日記を読んでるが人見知りといいつつ色々な名前が出てくるなあ
しかし修行の旅の日記はどこで誰に会ったとかちょっと分かりにくいね
>>504 高杉の功山寺決起は「義挙」の一種。成算ある決起ではない。
ピンチをチャンスに変えたと言うより、ピンチだから単身決起したら、
いつの間にか奇兵隊の事情が変わってついてきたと言う感じだな。
久坂と高杉では、高杉のほうが単線的な行動を取り、ダメだとあきらめるか自爆する
久坂は戦略を立て、最善、次善、三善と言うように最後までベターを模索するタイプ
それと久坂は反対論に固執しないし、時には強引に局面を変える手も打つ
禁門の政変では途中で次々に事情が変化したのに、最後まで望みを捨てずに収拾に当たったから、
木戸と同じような行動が取れなかったと言う事情もあろうな
禁門の政変の長州軍進発は、結果的に敗れたから「暴挙」になったけど、
少なくとも長州が大兵をもって京を包囲し、朝議でも一橋慶喜以下、
多くの藩が日和見を決め込むか長州に同情的で、充分に効果を発揮していたからな。
ところが孝明天皇が会津を頑強に擁護したことと、何より連合艦隊の報復攻撃情報が想定外になった
>>508 それはない。
当時の朝廷関係者の日記等の分析で、
既に尊攘派の切り捨てが始まってたことがはっきりしている。
天皇その他が、志士の天誅にうんざりしていて、
薩摩藩上層部にあいつら捕縛してくれないかって相談する直前だった。
むしろ久坂は圧倒的逆風の中、藩論を尊攘に持っていったことが凄い。
当時即今攘夷は完全なる時代錯誤だった。
孝明天皇は三条実愛が建白書として提出した
長井雅楽の航海遠略策を内諾していた。
謗詞一件で朝廷が支持を覆したと、
長州藩が読んだのは完全な読み間違い。
藩論を即今攘夷に変更した時に参考にした勅語も古い物。
長州と薩摩は攘夷戦をやり、それで他日外国の侮りを防ぐのは薩長であると中岡は攘夷戦を評価してる。
長井が航海遠略策で公武合体を先決として、幕府が調印を了した通商条約を認め、挙国一致のカをもって外交問題に対処すべしとしたのに対し、
久坂は解腕痴言で幕府の専断を許さず、通商条約はこれを破棄し、安政元年の和親条約の線に引き戻すべしと主張し藩論を尊攘にした。
「英仏の力をほしいままにして皇国(日本)に向かい、干戈(武力)を用いざるは、清国の長髪賊の勢威はなはださかん(太平天国の乱)なるゆえなるべし。
万に一も長髪賊、英仏に屈せば英仏の我(日本)に寇すること必然ならむ。
幕吏(幕府の役人)の穢(きたな)き心もちたる奴らは戦いをおそれ和を唱えて、まず武備を整えてのち攘(はら)えしと・・・・
されど、癸丑(きちゅう=1853年)の頃よりすでに十年の久しきを経ぬるに、器械何ほど(どれほど)整いたるか。士気何ほど奮いたるか。」
(イギリス・フランスが日本に攻めてこないのは、いま、中国で「太平天国の乱」がおきているからだ。これがおさまれば、必ず彼らは日本に攻めてくる。
なのに幕府は、戦争をおそれて、ペリーが来てから10年がたとうとしているのに、いまだ十分な軍事力を整えていない。これでは士気が奮い立たないではないか。)
その談判に成功し、わが国威が立った暁においては、「朝鮮・満州・広東・呂宋・爪哇・印度より初め、亜米利加・欧羅巴迄も自由に往来し、処々に館第を建て、将士を置き、
宇内の形勢を脾睨し、万国の情態を洞観して我が海軍を練し、我が士気を張り候えば、皇威恢復何の難きかあらむ。
然りと雖も金川(神奈川)調印を破棄し、三港に引戻し候こと夷人万々承引仕るまじきに付き、撻伐膺懲の勇決猛断ならでは迚も相叶はず候」
久坂の所論も結局は航海遠略を目指したのであるが、そこに至る過程において長井の政治家的便宜主義を排し、純粋にわが国体を踏まえての行動に終始したのである。
久坂は幕府が独断で結んだ条約は認められない、攘夷で日本国の人心と国威を立て、天皇中心の国体を立て、開国するという戦略である。
久坂は禁門の変で死ぬが、久坂の論通りに時勢は展開するのである。
何かの小説の引用?
攘夷親征なんて何も実現してませんぜ?
実現したのは英国公使館焼き討ちくらい?
久坂にほぼ近い考えと思われる中岡慎太郎は、
『夫れ、攘夷というは皇国(日本)の至言 にあらず。そのやむを得ざるに至っては、宇内(世界)各国、みなこれを行うもの也』と、
攘夷は万国共通に行われる物で、日本だけの特殊な理論ではないと述べています。
そして薩長は、攘夷戦によって民族の独立を意識したを高く評価してます。
攘夷戦によって薩摩は士気一致、俗論漸く俎し、因循固陋の弊大いに破れ、いわゆる攘夷家なる者を先頭として航海練兵等の実用を主張することになり、一藩の国是が定まった。
長州にては、しばしば外国船を暴撃し、敗軍し、続いて馬関の大敗がある。又追討の兵を四境に受ける。この時人皆思ったのが長州万々支えることは出来ないと。
あにはからんや、長州は一国の政事を改革し、兵制を一新し、士気大に奮う。
攘夷戦によって、国難に際しては、階級に関係なく、民衆が一体となることで藩論が一変したことを説きました。
そして
「自今以後、天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、吾思ふに、天下近日の内に二藩の令に従ふこと鏡にかけて見るが如し、他日本体を立て外夷の軽侮を絶つも、亦此の二藩に基づくなる可し。」
と、以後天下を興すのは薩長であり、又外敵の侵略を防ぐのも薩長に決まったとしてます。
「富国強兵と云ふものは、戦の一字にあり。」と書いています。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 01:00:54.97 ID:W3f/tkyx0
誰か〜、早く久坂スレ立ち上げてやってくれ〜。
即今攘夷とか言って下関戦争でコテンパンにやられてんのw
結局薩摩と土佐に助けてもらったのに。
まあコテンパンと言っても死傷者は実は連合艦隊側のが多い。
講和も幕府が長州征伐を決め、挟み撃ちになるから幕府側に力注ごうとして決めらたんで。
晋作日記って面白い?
>>514 久坂高杉大楽といううってつけなスレがあるのにな
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 15:57:17.40 ID:fMqtNiwH0
高杉は上手い事外国との戦も禁門の変もスルーしてるんだよな。
禁門の変の後からクーデターまでなにしてたんだろな。
脱藩→帰郷&投獄→出所&謹慎→(謹慎中に禁門の変と下関戦争 スルー!)
下関戦争講和参加→正義党が野党の間に第一次長州征伐(スルー!)→
長州藩内乱勝利→下関開港推進→狙われる→身を隠す(藩論ゴタゴタスルー!)→
薩長密約→第二次長州征伐海軍総督→勝利→
肺結核→死亡 (攘夷破棄の変節スルー!)
運がいい。死なない巡り合わせw
焼き討ちとかしとるけど、意外とバランス感覚もいい。
後は口舌の徒ではなく、奇兵隊という藩も無視できない基盤があった。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/03(火) 17:01:50.85 ID:fMqtNiwH0
あれ?下関戦争の講和ってなんで高杉なの?その時は禁門の変後で
正義党は権力なくて俗論党の時代じゃないの?
俗論党が政権取ったのは、幕府が迫ってきて威力外交した時。
長州藩の士農工商身分制が内実打ち崩されたのも、下関戦争によって奇兵隊が誕生した時ですな。
>>509 それはない。
破約攘夷(即今攘夷)を条件に和宮を降稼させた事情を全く知らないような「朝廷関係者」など笑止千万もいいところ。
「当時の朝廷関係者の日記等」って具体的に何と何よ?
>>520 「攘夷破棄の変節」は、余りにも歴史改竄がひど過ぎる反薩長史観あるいは反長州史観の証拠なんだが。
安政の不平等条約が明治政府によって日清戦争・日露戦争の攘夷戦争により1911年までにちゃんと「破約攘夷」が達成されているのを無視する超ウルトラ低脳キ●ガイ国賊が多くて、ホント困る。
>>524の改訂版
>>520 「攘夷破棄の変節」は、余りにも歴史改竄がひど過ぎる反薩長史観あるいは反長州史観の証拠なんだが。
安政の不平等条約が明治政府によって日清戦争・日露戦争の攘夷戦争により1911年までにちゃんと「破約攘夷」されているのを無視する超ウルトラ低脳キ●ガイ国賊が多くて、ホント困る。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 22:04:49.19 ID:aJ6OX6OL0
勝海舟が講和に来たときはもう俗論党か。
高杉対勝の会談とかあったら面白そうだったのに。
>>526 なんで広沢と井上が俗論党なんだよwww
せめて年表レベルの超基礎情報くらいは把握しとけよ
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 17:33:56.10 ID:AE0cUHT10
あれ?そうだっけか。ってことは俗論党もすごい短い間しかいなかったんだな。
>>509 それはあるよ。当時、上京した長州藩が主敵にした会津は孤立状態だし、
久坂の朝廷諸藩と会津との分断策はちゃんと効果を発揮している。
幕府や一橋慶喜でさえ、会津藩に対して積極的な擁護に動かなかった。
事態を一変させたのは連合艦隊報復来襲の報で、包囲して圧力をかける戦略の根底が崩れたこと、
加えて孝明天皇が断固として会津藩擁護の姿勢を変えず、慶喜に重ねて長州藩撃退を命じたこと。
禁門の政変の長州藩とそれ以前の尊攘激派を取り違えてどうすんの。
>>516 コテンパンだよ。講和条件は長州の全面降伏。薩英戦争でも英軍に死傷者を多数出したが、
あんな屈辱的講和条件は飲まされていない。
それと高杉が奇兵隊が基盤て、冗談?内戦当初、奇兵隊に決起を説いたのに応じなかったでしょ
高杉は諸隊への影響力を持っていなかったから山県と妥協せざるを得なかったのであって
奇兵隊って不思議だよね
高杉に反発して追い出すまでやったのに最終的には高杉の墓の側に墓を作りたがったり
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/05(木) 20:06:11.68 ID:jDW0WaXO0
高杉が奇兵隊に決起を説いたのに応じなかったのはそうだが
その後、山県ら奇兵隊・諸隊も高杉の動きや状況を見て腰を上げ出した訳で
まるで高杉が一方的に妥協したという表現はこの場合ふさわしくないと思うが。
>>528 勘違いしてないか?
>>522がいってるのは第一次のときの話。
たしか最初に恭順の姿勢示したのは俗論党政権じゃなかったがな。途中で俗論党政権に。
勝が講和に送り出されるのは第二次のとき。当然長州は木戸政権下。
この第二次の講和の際に出てったのが広沢と井上な。高杉はすでにかなり具合悪いんじゃね?
どっちにしろゲームじゃあるまいし、面白い対戦組むように話さんでほしいわ。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/06(金) 17:38:08.91 ID:/wfgFEPQ0
そうか。第二次の時も講和してるんだな。第二次から直接鳥羽伏見あたりに
なだれ込んだイメージだったから。
第一次のときに講和に参加したのは俗論党の有力者なわけでしょ。
正義党が天下取ったから俗論党は悪玉にされてるけど
このときの俗論党もなかなかのもんだったんだんろうね。
>>530 あの辺りの百家争鳴、状況を読んで模索する所が長州藩の良い部分だと思う。
>>533 俗論党と正義党は、それほどはっきりと二分されていたわけじゃないよ。
特に長州征伐の講和みたいな事態に対しては、結構協力してる。
(日本人の感覚としては)当たり前だけど。
国(藩)を売るような人間は相手にされない。
>>529 薩英戦争と違い、幕府の長州征伐があるから譲歩しただけでしょ。
外国艦隊と戦いながら幕府と戦えないから講和したいのは当たり前。
領土割譲は高杉が拒否してる。
高杉は攘夷戦で初めて身分制を公的に破る奇兵隊作ったけど、それを基盤に政治力揮えるタイプじゃないから基盤にはしてないが?
山縣も奇兵隊も権威ある藩政府に逆らうのも追い詰められながらもできなかった。
決起しても到底上手くいかないと思ってた。
ところが高杉は少数の決死隊で三田尻軍艦3隻分捕りに成功し、戦略的に決起すれば上手く行くよとどんどん見せ付けたから決起した。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/07(土) 18:48:16.34 ID:XeVhaGMZ0
>>535 けど高杉クーデター後に俗論党の人らは切腹させられたんじゃなかったっけ?
>>538 535じゃないが、切腹は高杉クーデター後ではなく木戸政権下だったかと。
高杉クーデター後の政権は藩内調停に動いた鎮静会中心だし。
いわゆる正義派幹部はほぼクーデター前に処刑されてていないし。
いろいろ抵抗があって改革案が通らなくて木戸が辞表出して、みんな泡食って俗論党処置した。
でも死んだのはそれほど多くなかったはずだよ。トップだけ。
基本は余計な動きができないよう俗論党をばらして、あちこちで蟄居って感じだ。
高杉クーデター後は更に正義派の人が切腹させられた
桂帰国後に藩政がうまくいかないから辞めると桂がゴネて俗論派の椋梨が切腹→とりあえず内部抗争終結
じゃなかった?
あ、ごめんリロードしてなくて
>>539確認してなかった
うん、それそれ。高杉がクーデター起こした直後に、正義派大量処刑が起きたんだよな。
油に火を注いだっていうか、あれで鎮静会が立ち上がったみたいなもんだ。
そんなこんなで木戸は、俗論党に断固とした処置をとらねば示しがつかないし諸隊も納得しないし改革も進まないが、
過酷な弾圧すると恨みの連鎖が起きて藩内の団結にひびが入るのも心配なんで、
この辺に落としどころをもってきたのだと思われる。
そもそも両党に根本的な違いはなくなってきてるわけだから。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/08(日) 19:32:46.76 ID:wazv64V60
けど後に俗論党から明治政府に加わった奴はいないんでしょ?
「明治政府に加わった」って表現が曖昧すぎる。
とはいえ自分も、俗論党ってのがどの範囲を指すのかよくわかってないな。
児玉愛二郎って俗論党に数えていいんだよな?
奴は井上の引き立てで宮内省の官僚になってるわけだが。
基本的にこの時代ってトップが処分されればそれで終わりにして後には引かない印象だ
負けた側は多少は引き摺ってるみたいだが
>>536 彦島割譲要求についてはそれを裏付ける史料が皆無。
サトウ日記でも長州の正使はすべての問題につき何の異議もなく受け入れたとあり、
伊藤の貢献を評価しているので、彦島租借要求は出なかったか、連合国が要求しなかった
と考えるほかない。
また諸隊の17日の伊佐進駐の段階ではまだ藩政府との交渉は切れていない
よって諸隊も決起後すぐ呼応の態度を示したのではない
(白石正一郎や赤根武人は「暴挙」とはっきり非難している)
功山寺決起じたい、赤根・時山の交渉中に行われたのだからそれも当然
×彦島租借要求は出なかったか、連合国が要求しなかった
○彦島租借要求は話題に出なかったか、そもそも連合国が要求しなかった
どっから来たんだろうなその話
古事記でかわしたとか、伊藤も狼狽えたとか逸話にしては色々付加が付いてるしw
伊藤が創作したのかと思ってた
高杉が出てない事前の予備交渉で彦島租借の話が出た可能性。
伊藤は藩主敬親から「租借もやむなし」と伝えられていた。
本交渉の記録にはない。(イギリスの議事録による)
ことから、事前の藩内関係者の討議で、高杉が強行に反対した様子を、
伊藤が交渉の最中のことと勘違いしたのでは?
全くの作り話でもないだろうし。
そして四カ国連合も予備交渉の間に取り下げたのでは。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 21:13:18.19 ID:eeDweTBn0
なんだよ、古事記で相手を煙に巻いたってのは嘘だったのかよw
司馬遼太郎は偉大だな
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 22:44:38.99 ID:ZJt/NbGv0
伊藤が供述したのはずっと後年だし嘘つく理由も無い
彦島租借要求はイギリスの単独提案だからイギリスは恥ずかしくて載せなかっただけだろうな
>>552 4カ国艦隊が彦島の租借を要求したと言う証拠そのものがない。
予備交渉の段階で話題に上ったとしても、講和の中心論点でなかったのは明白
なぜなら他の講和条件で連合国の目的は達せられるし、彦島の租借は海峡の安全通航担保のためだから
サトウ日記でも彦島の租借についてはまったく触れられていない
(イギリスは海峡の航行の安全と、下関での補給さえ確保できればそれで目的は達せられる)
おそらく長州藩内の話題に留まった可能性が高く、承知していたとしても伊藤だけ
古事記うんぬんは日本の歴史を強調するための後年の創作だろう
>>554 そうなるとアーネスト・サトウの日記と整合性が取れなくなるんだが。
サトウにも嘘をつく理由はない。ほかにも連合国の記録には彦島を重視していたと言う証拠は皆無
彦島租借がイギリスの単独要求だから恥ずかしくて載せなかった?と言う理屈が分からない
イギリスの単独要求と言うのは何がソース?
まあ
>>552は推測(と言うか妄想)の域を出ないとしか言いようがないな
講和条件では下関の事実上の自由港化、賠償金支払、砲台撤去などが掲げられているし、
これが実現すれば、あえて彦島の租借を要求する根拠がない
どっちみち幕府が認めなければ、兵庫開港その他の懸案がとん挫するわけだし
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 08:10:48.78 ID:ASke/apq0
サトウはイギリス政府の人物だからなイギリスに不利な事は書かないでしょ
伊藤伝では
明治42年12月6日
「高杉と吾輩がクーパー司令と談判中、先方より彦島の租借を提議されたが、今から思うと危なかった。
もしあの時先方があくまでこれを要求したのなら、強弱勝敗の形勢上、われらはいかんともする事はできなかった。
この島は今の香港の対岸、九龍島と同じ運命に陥っていたかも知れない。
ここに至って想うと実に慄然の感がある。
当時何故先方はその要求を強要しなかったのだろう。
その分けは今を以てしても諒解できないが、察するところ先方も連合軍のこととて、たとえ彦島を租借し得たとしても、
どの一国にしても専有し難く、却って種々の紛糾を生じるのを恐れたためじゃないだろか」
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 08:18:20.09 ID:ASke/apq0
アーネスト・サトウはあくまでイギリス政府の人間だし
自国の勝手な恥を乗せるはず無いね
伊藤は明治42だから死の近く
既に何度も首相をやり2度の大戦も体験して堂々たる大政治家だったからわざわざそんな嘘つく必要がないしね
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 08:26:22.31 ID:B3RR/+1C0
政治家だから嘘つくんだろう。
長州の功績を作って自分の人気を上げようとしたんじゃね。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 09:09:43.20 ID:fZbH98MG0
伊藤の様に数々場数踏んできた一流の政治家が
何十年も後の回想録で既に大政治家であり死の近くで人気上げる為に変な捏造や嘘をつくと思えない
嘘つくのは基本2流の政治家だし
サトウはイギリスの外交官で、しかもイギリス側は連合軍に相談無く公的に出したわけじゃないから
載せなかった可能性の方が強いな
伊藤は高杉の古事記の逸話は言ってないの
伊藤の昔話は割と言うことコロコロ変わるし…
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 10:32:17.20 ID:AiHDJ3+M0
【5月21日】全国一斉デモ パチンコ産業の即時廃止を求める国民大行進! ※最新情報は在特会HPにて
莫大な電力を浪費する違法賭博パチンコ産業を日本からたたき出せ!
(埼玉、青森でも開催決定!)
▼ 札幌会場 ▼
【時間】13:00集合 14:00出発 【場所】札幌市中央区大通公園西6丁目
▼ 仙台会場 ▼ 〜宮城支部再始動!〜
【時間】10:30集合 11:00開始 【場所】一番町平和ビル(旧佐々重)前集合 仙台フォーラス前にて街宣
▼ 東京会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】新宿 柏木公園 (東京都新宿区西新宿7−14)
▼ 名古屋会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】名古屋・栄・市バスターミナル北 地下鉄14番出口
▼ 大阪会場 ▼
【時間】13:00集合 14:00出発 【場所】新町北公園 (大阪市西区新町北公園1−14−15)
▼ 広島会場 ▼
【時間】10:30集合 11:00街宣開始 【場所】広島市中区胡町6−26 福屋八丁堀本店横
▼ 福岡会場 ▼
【時間】13:00集合 13:30出発 【場所】警固公園 (福岡市中央区天神2丁目 ソラリア南88
「攘夷は命令されただけだから、金欲しければ命令したやつに言えよ!」
は、日記に書いてるのに、
「天皇から預かってるだけだから、勝手に租借するわけには行かないだろ!」
は、都合悪いから日記に書かないってのも、都合の良い解釈だなあw
時間がたってからの聞き取りは勘違いたくさんあって当たり前だし…
柳生新陰流の免許皆伝らしいけど、これは実力なの?
上海行って攘夷は無理だと分かったが帰国してからも攘夷と言ってたのは
倒幕の戦略だったと
司馬遼太郎あたりに言わせるとなるのだが
そんなことはとても言いだせなかったというのがホントのところなんだろうな
しかし上海から帰ってきてから、
金澤八景で外国公使刺殺計画、(武市→容堂→定広と伝わり制止される)
英国公使館焼き討ちだろ?
生麦事件について薩摩に遅れを取ったという認識だったようだし。
どっちかというと、安易に開国し譲歩してはいけないと思ったはずだが。
それなら上海で見た状況とその後の行動が合っている。
英国公使館焼き討ちも、外交上は
幕府が英国からなにか無理強いさせる結果を招いたかもしれないが、
高杉としては公使館の存在そのものが、既に譲歩であると見えたのだろう。
あいつらを日本に入れたら最後、好き放題やられると。
そして戦して勝てるようじゃないと、譲歩を強いられると。
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 17:12:12.11 ID:xWdaQ8iR0
上海行って攘夷が無理って分かったのかどうかも微妙だしなあ。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 17:21:14.25 ID:SUIzVYcT0
高杉は上海行ってからむしろ過激攘夷に走ってるな
西郷も久坂も高杉も中岡も別に攘夷戦が無理とかは思ってなかったろ
むしろ正道を踏んで堂々たる攘夷をやれば最終的に勝てると思ってただろうな
その為に日本を統一国家にしなきゃという考えだし
>>565 それ誰の日記?サトウ?
サトウなら別に都合良くもなんでもないよ
賠償金は連合軍共通の要求で公的な要求だから、軍事行動の下関砲撃も連合軍としてやったんでイギリスの単独じゃない
伊藤の話なら租借はイギリスが交渉の際に私的で言い出したことだから、連合軍としての行動から明らかに逸脱してるからね
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 17:46:24.64 ID:SUIzVYcT0
中岡慎太郎も民族の攘夷戦争は、きちんと道を踏めば勝てるという考えだからね
夫れ攘夷と云うは、皇国の私言に非ず、その止むを得ざるに至っては、世界各国、皆これを行うもの也。
米国かつて英国の属国也。時に英王利を貪る日々に多く、米民益々苦む、よってワシントンなる者、民の疾苦を訴え、是に於て米地十三邦の民を率い、英人を拒絶し、鎖国攘夷を行う。
此より英米連戦七年英遂に不勝を知りて和を乞い、米国に於て英属を免れ独立し、十三地同盟合衆国と号し一強国と成る。実に今を去ること八十年前なり。
ゼルマニアは属国たりしも、また能く国議を定め、拒絶攘夷を行い、戦争八年、戦う毎にことごとく敗すと雖も、其の末に至って一戦能く奇を出し、大いにイスパニアの軍を敗り、遂に独立す。
是れに依って之を看れば、主客当然、権我れに在り、其の和戦開鎖は、時の宜きに隨い、国の利害に由り唯我に好む所の也。
>>571 某論文で知ったけど、攘夷を外国の独立戦争と絡めて考えてたのは目からウロコだった
高杉の他は中岡久坂らは外国見てないじゃないか
上海に行った五代才助らは皆攘夷は不可能と分かった
時期は後だが長州ファイブもイギリスに行って攘夷は不可能と分かった
高杉が分からなかったならどこに目ついてるのって話しだな
帰国して過激攘夷したのは松下村塾一味の首領格だから皆さん無理ですとはとても言えなかったのだろ
言えば斬られたかもしらん
けど、焼き討ち止めろと言っても、土佐の人間は切られてないだろ?
江戸を離れる前に、武市と坂本は止めたんだろ?
>>574 よそ者はいいんだよ
身内だから裏切りモノとなるんだよ
けど焼き討ち隊長だろ?
言い出せなかったというレベルか?
>>558 サトウ日記は読んでみると分かるけど、比較的フリーに書かれてるよ
それを言い出したら伊藤は長州藩の人間だから長州の武勇伝を吹きまくるに決まってる
実際は、彦島租借は予備交渉で議題として出たが、高杉はよく知らずに反対、
薪炭補給や乗降の自由が認められ、海峡の安全航行が認められた本交渉では話題にもならず
と言うのが実態だろう
砲台撤去と下関の自由港化だけで連合国にとっては大成果なんだから
それと彦島租借要求と一口に言うけど、そんなものは幕府が絶対に認めない
彦島は関門海峡の通行の安全を保持するポイントだし、他の条件が満たされれば不要
無理に要求すると、より重大な懸案である兵庫開港問題とか一挙にお釈迦になる。
>>572 最初からそうだよ松蔭の攘夷論自体が西洋の武器文物輸入して侵略国に対抗するって考えだったし
攘夷論も文久で外国打ち払えから不平等条約に対する破約攘夷論になってるし
>>573 独立戦争には結局は勝てないよ近代史がちゃんと証明してる
植民地化された国は全部ナショナリズムが存在しない内部に欠陥抱えてた国ばかり
>>575 外国公使殺害計画は久坂も反対し高杉と斬り合いになる寸前になったくらい
高杉が強引に過激攘夷を進めたんだよ
>>577 伊藤があの時点でわざわざ創作までして作って嘘つくはずが無い
いくらフリーと言ってもサトウはイギリス側の利益者代表者だから
公式な要求でないし不名誉だから書く必要が無いと書かなかった方が可能性が高い
攘夷派と呼ばれた人を好きな人は、
攘夷をすごく狭く考える傾向があるけど、
一人ひとりの考え方があったはずで、
それが右派の中でも顕著なのが高杉だと思う。
高杉は上海視察体験から租借地の問題を非常に大きく見る立場の人で、
教会が医療行為により民衆に浸透することも恐れている。
上海で「攘夷が無理だと分かった」とは到底思えない。
せいぜい列国の侵略方法と武力を詳しく知ったくらいのことでは?
列国と妥協して土地を渡してはいけないこと、(これが焼き討ちに通じる)
軍隊の近代化を図らないといけないこと、これが高杉の考えの特徴では?
「即今攘夷一辺倒ではいけないことが分かった」ならまだ分かる。
この辺り久坂とはちょっと温度差があるように思う。
ただ全く違うとは言えないので、行動を共に出来たのではないか。
長州系志士の人間理解は、単純化されすぎていることが多いと思う。
>>579 殺すのはいくらなんでも物騒だから、
建設中の英国公使館を壊して、行使が国内に住めないようにしてしまえ、
という風にまとまったわけだよね。久坂は焼き討ちの副隊長だから。
やはり高杉は租借の問題を非常に大きく見ている。
公使殺害は妥協できるわけだから。
夷狄殺害は捨て去ったわけではないけど、
攘夷=夷狄殺害ではなくなってきているのだろう。
中岡が久坂と高杉の考えを書いてる。
そもそも癸丑(嘉永六年)以来、皇国一和、武備充実、紛々説があります。
始め三港条約が締結された時、久坂玄瑞は「回瀾条議」を著しました。
その説に曰く、今すでに三港条約が締結された以上、広く有志の者を海外に派遣して、西洋諸学諸芸及び工商の術を学ばせて国体制度を一新し、大いに海陸の軍備を盛んにしなければならない。
この様にならなければ外国の侮辱を絶つには足りませんと。
その後幕政益々妄乱、諸藩日々因循、これまでにその実効を見る事ができないままです。
ここに於て始てその言の空論のままではいけないと知り、壬戌(文久二年)の年に至り、玄瑞又、「解腕痴言」を著しました。
その説に曰く、今日天朝の勅諭を確々奉じなければならないと。
断然攘夷の説を決し曰、いやしくも吾輩節義を以て天下を動かし、一死を以て皇恩に報い、ひとたび不測の難を神州に引受、百戦の危難を経て、豪傑その間にあらわれなければ、何を以って土崩の患を防ぐことが出来ますかと。
高杉晋作また曰、今日の西洋事情を説き、彼を知っていると自負する者、わずかに西洋の一端を知って、これまで古今盛衰の機の由る所を知らず、
当時彼の盛になったのにはその本があります。
もし今日、彼の盛なるを学ぼうとすれば、英仏等の未だ盛ならざる時、内戦が度度有った事、
又、ロシアは百戦危難の中より起った事など斟酌して手本とすべきです。
若し我国が今日の弊勢を以って、彼の盛強文明すでに治っているのを坐しながらにして学ぼうと云うのは大間違いの極です。
ですから曰、宜しく奇変、英達、実行を以って天下を一新すべしと。
高杉は、南北戦争とか太平天国の乱も重く受け止めてるよ。
特に後者。何が何でも乱戦になればいいって考え方でもない。
>>580 伊藤のは後年の回想
サトウは当時の日記
伊藤は通訳を兼ねた長州藩の実質代表
サトウはキャリアの通訳
彦島については伊藤の回顧談しかソースがない
どう見ても無理があるぜ伊藤ソースだけで彦島話を真実と認定するのは…
学術書でもみな注がついてる
あと高杉の公使館焼き討ちについては、文久2年における長州と薩摩の立場を考える必要がある。
文久2年は1月に坂下門外の変が起き、安藤・久世政権が崩壊。
さらに島津久光の上京と、勅使大原重徳を伴っての江戸下向、さらに帰路の生麦事件によって、
薩摩藩への評価は一気に上昇し、長井雅楽の航海遠略路線の失墜が決定的になった。
長井が6月に失脚すると、長州藩は藩論を大転換させるがいかにせん出遅れている。
焦った高杉らは公使襲撃によって長州藩の浮揚を狙い、失敗すると公使館焼き討ちに目標を切り替えた
一方で、幕府も大原勅使から、御殿山への公使館建設につき孝明天皇の反対意思を伝えられ、
英米に建設中止を申し入れたが拒絶され窮地に立ったため、直後に起きた焼き討ちをこれ幸いと傍観を決め込んだ
そのため犯人の目星はある程度ついていたのにも関わらず、長州は売名に成功したわけだな
天皇も内心は開国に傾いていたから、
即今攘夷の勅命はやめて、公使館建設に懸念で済ませといたのになw
朝廷はこの後の長州藩志士のテロリストぶりにびっくりして、
薩摩に泣きつこうとしたことさえある。
ところが薩摩京都藩邸の一味が藩論とは離れた尊攘主義者だったので…
あの焼き討ちって結局意味あったのかな?
長州藩的には藩論転換のアピールになったし、
英国はテロを恐れて建設を中止したし、
幕府も面目を施したから意味あったんじゃないのw
司馬本とか読むと、幕府は無能だから犯人を捕まえる気力もなかったとか書いてあるけど、
幕府が恐れていたのは盗人を捉えてみればわが子(幕臣)かなと言う事態だったので
あと孝明天皇の意思ははっきりしないんだよね、尊攘激派の蠢動は孝明天皇の迷いもあると思う
条約勅許問題では頑として応じなかったんだが、
一方で「自分のような不徳の者がこんな難局に判断を求められても」と泣き言を言ったりしてる
異国を中に入れることに抵抗を感じつつも、どうしたらいいか分からないから幕府よ何とかしてくれ
と言うあたりだろうw
まあもともと朝廷は合議制ですから。
合議制だからこそ時々独裁者が出てくるわけで。
それから中川宮等によく相談してますよ。
天誅がなかったらもうちょっと早く意思表明できていたかもね。
>>587 攘夷の勅命出したから薩英戦争や下関戦争起きてるんだが?
取り消しもしてない
朝廷が困ってたのは孝明天皇自体は公武合体で幕府と仲良くやるべきと言う意見だったのに
京で佐幕派が斬られまくり暗殺が横行し治安が悪くなったから
>>591 攘夷の勅命ださせたのは長州ら攘夷勢力
それが馬関戦争の講和談判で攘夷は朝廷と幕府の命令で長州の責任じゃないって言うんだから
当時の朝廷は公武合体で攘夷でしょ
内政問題の佐幕、公武、勤王の対立と、外交問題である開国と攘夷をわざとごっちゃにしてるね
公武合体・開国だった長井は江戸では幕府の支持もあり成功したが、
攘夷の高まりある京では失敗し(久坂らの反対工作もあるけど)、毛利家まで危険になり敬親は家臣を朝廷に謝罪させ、敬親自身も入京し藩論を転換してる
しかも薩摩の生麦で攘夷をやった為に長州は人気も地に落ちて長井は切腹
西郷隆盛も長井を天下の奸物として暗殺も是認してる位だからね
>>585 サトウの日記全て正しいと信じるのが遥かに無理ある
サトウは後年公使にもなってるイギリスの利益代表者
自国の利益のためにアヘン戦争まで起こす国の代表者の日記で、いわば自国にとって不名誉な非公式の申し込みをわざわざ書くと思えないしね
伊藤が後年で単純な記憶違いしたならともかく、明らかに虚言の創作話した事は考えにくいからね
>>591>>593 天皇は長井雅楽の航海遠略案を内諾してたんだよ。
けど攘夷の勅命出した後だったから、
朝廷は内部の攘夷派対策を含めて、
どうやって軟着陸させるかに頭を悩ませた。
朝廷が幕府に対して優位になってきているのは、
勤王の思想だけではなくて、攘夷の勅命を幕府がなかなか実行できない
という事実に支えられる所が大きかったため。
「攘夷」の中でも、高杉のいうような租借の問題だけではなく、
攘夷親征のような無謀な考えまでなかなかなくならなかったのは、
朝廷、志士の対幕府の思惑に支えられる所が大きい。
「幕府は一体何をしているんだ」って言い続けられるから。
その証拠に倒幕が終わったら、ほとんど皆、開国に転じた。
「攘夷」の中には、租借問題のように重要なものもあるが、
倒幕の方便に過ぎないものも多くある。
航海遠略は文久元年の策、攘夷の勅命は文久3年。
当時の攘夷論の主流は、井伊直弼が朝廷の許可無く勝手に結んだ日米修好通商条約の破約攘夷論。
不平等条約の破棄の為に、戦も辞すべきではないという考え。
幕府総裁の松平春樂らも一時期この考えだった。
慶喜の反対で、国内破約攘夷派を騙す事になった。
攘夷が不可能だったのは、挙国攘夷が出来なかった為。
攘夷の勅命が降りても、実際に戦ったのは長州藩だけ。
攘夷戦で敗れたと言われるが、戦ったのは長州一藩に対し相手は四カ国の連合艦隊で最初から戦力差がかけ離れて敗れるのは当たり前。
薩英戦争ですら薩摩藩と英国艦隊一国の戦いでしかない。(しかし薩摩一藩で英国と互角に戦ってる)
破約攘夷を捨てたのではなく、各藩の利害が複雑にある封建体制では挙国攘夷が不可能な為、まず幕藩封建体制を打破し国民国家統一国家樹立を先決と考えたに過ぎない。
破約攘夷は新政府出発からの目標で幾たびも改正交渉を行ってる、結局中岡などが幕末に説いたよう内治の改正や外交交渉だけでの破約攘夷は不可能で、日清、日露戦争と戦を経て最終的に不平等条約を改正し破約攘夷を達成してる。
サトウって人がインディアン並みに評価され過ぎてるのもおかしいと思う
サトウ ウソツカナイ
>>593 攘夷の勅命を出させたのは長州らの働きかけじゃないの?
自分で勅命ださせておいて敗戦したら
命令されました責任ありませんて
>>596 薩摩は攘夷じゃないし
薩英戦争は攘夷戦争じゃないような
>>599 ( ゚Д゚)ハァ?
薩摩は、長州と同様、開国攘夷だし、薩英戦争は英国から強いられた攘夷戦争。
>>600 薩英戦争は英国による生麦事件の報復戦争じゃないの
そして生麦事件は攘夷ではないと思うが
古事記でけむに巻いた事実はあるの?
司馬とくいの捏造?
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/18(水) 23:23:45.20 ID:5nEKuTP10
↑
この人ボケ老人か?確か数日前にこの話してたよな
>>603 このスレをずっと見てる人ばかりだと思ってるの
みんなはそんなに暇じゃない
どんだけログ読んでないんだとしか
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 23:41:24.59 ID:F9gfQe/I0
>>604 暇じゃないなら書き込みするなよ。
別に数ヶ月も前を遡れって言ってるわけじゃない。
たった2〜3日前の内容だから603は言ってるんだろうが。
さすがに何回も同じ話をするほどはみんなも暇じゃないと思うんだが。
首突っ込むなら空気は読むべきよな。
>>607 同じはなしの繰り返しかは以前から継続して読んでないとわからない
ならみんななんて一括りにするなよ
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 13:56:11.97 ID:2gK6mNjs0
>>608 だから全部を読めなんて言ってないだろうよ。
たった数日前にしたばかりの話をまた1から振り出しに戻されると迷惑だって言ってるだけだろうが。
それすらできないほど暇じゃない、忙しいと言うならここに来るなよ、ボケ。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/20(金) 14:05:08.76 ID:2gK6mNjs0
>>610 うやむやと思ってるのはアンタだけ。
首突っ込むなら数日前からの流れくらい読むのはマナー。
ずっと読んでる人間や書き込みしてる人間に迷惑かけるな。
それが結論だよ。
そろそろこういうくだらん輩はスルーだな。
>>612 別に誰も迷惑してない
お前が神経質で小さい人間なだけ
ちなみに結論はでてない
でてるというならそのレスは何番か言ってごらん
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 02:32:08.30 ID:jWUrzPTW0
そういう書き込み迷惑してますけど!??
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 02:41:09.84 ID:jWUrzPTW0
自分がピント外れな質問をしたとは思わないんですか!??ビックリ!!!
ウザイ奴w
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 03:43:00.30 ID:nUWUPcnpO
マジで614イタ過ぎる‥
>>606 公武合体派って括り方は低脳丸出しな曲学阿世の輩のやることだと思うんだよね。
倒幕派の長州藩が最も強力な公武合体派だったからこそ同じ公武合体派で幕政改革派の薩摩と主導権争いとなって
818クーデターになったわけだからね。
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで
>>594 いやいや、その理屈なら伊藤の証言のほうがはるかに無理があるでしょ。
サトウはリアルタイムの記録者で、記録はほぼ正確。
しかも当時は通訳。キャリアを積んでる最中。
伊藤の回顧の当時はすでに日本政界を代表する政治家。
どっちが過去の体験をデフォルメする必然性が高いかは一目瞭然
サトウの批判者は、同じ立場にありサトウと盟友関係だった伊藤の回顧談は信用するんだよね
だから批判にならないんだよ
生麦事件と砲撃事件の最大の違いは、組織的に起こした事件か否かにある
生麦の薩摩藩の報復戦争はいわれのない攻撃に対する正当な防衛行為だが、
長州の場合、藩ぐるみで決定して民間商船まで無警告・無差別に砲撃したのは正当とは言い難い。
同じことを当時の日本が、たとえば朝鮮や清にやられたらどう思うかと
当然報復攻撃しないでは済まなかっただろう。
現に条約が締結されている以上、安全確保のための報復は仕方ないと言わざるを得ない
将軍にむかって「よっ征夷大将軍」って言ったってのも司馬の創作?
>>622 馬関攘夷戦争は朝命かつ幕命によるものなんだが。
「砲撃事件」って言い方自体が卑怯そのもの。国賊用語だね。
長州藩の勇気こそ讃えられるべき。
結果的にも、英国から尊敬や友情を獲得したし、日本国の独立を維持し得たわけだし。
いや、民間船砲撃はさすがに非難を浴びてるよ。
しかも薩摩と違って砲撃を政争と藩内の民衆動員の手段に使ったのが明らかだから
だいたい歴史板で国賊用語もくそもないだろw
>>624 攘夷も幕府に計画等の判断を猶予を与えて迫っている段階。
長州のは明らかに暴走。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/21(土) 17:27:58.20 ID:A7ZnLkwh0
暴走モードで勝てる相手ならいいんだけど、後先ほとんど考えずに攻撃を仕掛けるのがね・・・
まあ幕末の対外戦争は長州も薩摩の場合も、列強を知らないだけに戦うことで互いを知った感がある。
なので、薩長首脳部は武力に差がありすぎること、これ以上の戦争行為は国を滅ぼすと感じ、挨拶程度の戦闘で講和を結んでいる。
この暴走体質が昭和になると、規模も桁違いながら、歯止めがきかないほど狂暴化してしまった。
そしてついに、大日本帝国は滅びてしまった。
長州はいつから強くなったのかね。薩摩は外国と戦っても互角にわたりあったけど
長州はボロ負けだよね。禁門の変も負けてるし。
この時期はさほど強くない印象。
長州が強かった時期なんてあるの?
闘う意思が希薄な幕府を蹴散らしただけじゃ?
長州をディスってんじゃないよ。
諸隊が当時は近代的だったのははっきりしているし。
薩摩が強かったのは事実だろうが、薩英戦争と長州と四カ国艦隊との戦いと安易に比べられないよ
特に海対陸の戦いは地理的条件や気象条件でも違うし、艦の数も違うし、攻める側の目的も違う
長州は当時京都と下関に分散していたり、藩の意思統一がいまいちだったりもする
薩英戦争については、『遠い崖』読むとイギリス側の不完全燃焼感が笑えるw
イギリス側が、あとから薩摩的には勝ち戦と思ってると気づいて納得いかない…って感じもw
>>612 サトウが正しい、いや伊藤が正しいで論争してるな
結論はでてなかったみたいだね
ほんの少し前のスレなんだから自分で見ないといけないよ
長州藩的には、一応合理性があるんだよ
列強艦隊は上陸後の長期継戦は不可能だろうから、むしろ藩論を固めるのに攘夷は使える
攘夷実行への反撃を座視したら非難が起きて幕府が仲介に入ると
確かにその通りだったんだが(最初消極的だった幕府はそういう非難も恐れて長州に出兵した)、
禁門の政変の最中に再度、懲罰攻撃されるとは思ってなかったのが痛かったな
1864年7月24日(陰暦)、4カ国連合軍は下関遠征に関する覚書を作成しているが、その2項に賠償金を受け取るまでの間、海峡沿岸地域を保障占領するという項目がある。
期限のある保障占領で租借ではない。
そもそもこの話は、『伊藤博文伝』での伊藤の約45年後の回想ででてくる話であり、イギリスの外交記録やサトウの日記、回想録には一言も登場しない。
実は、4カ国連合軍の指揮者イギリスのキューパー提督は、あたえられた兵力では占領は不可能として、この2項を実行しないと決めていた。
しかし、交渉の中の取引材料としてそのようなこと持ち出していたのかも知れない、だからすぐにそれを引っ込めたのであろう。
高杉が拒否したかどうかは不明だが、彼は賠償金の支払いは幕府のすることだと一番強硬な意見をいっているから、彼が反対したのかも知れない。
伊藤とすれば、自分たちは外国のいいなりになっただけではないと言いたくて話を大きくしたのではなかろうか。
まあサトウ日記では高杉は最初は魔王みたいに尊大な態度だったけど
最後は大人しくこっちの言い分全部聞いたよってオチだから
伊藤的には話を大きくして反論したい部分はあったかもしれない
伊藤の話は既に歴史として話してるから信用できる
サトウはイギリス側の利益代表者として当時の日記に書かなかっただけだろうな
日記を書くと言う事は当然他も見ることを意識して欠いてるから
日記を全て鵜呑みにするなんてナンセンス
>>627 なんだその司馬小説みたいのわ
薩英戦争じゃイギリスは戦艦3艦破壊され大打撃を食らってるし
その理屈なら暴走したのはイギリスの方
そもそも当時内乱せずに攘夷戦に絞ってれば勝ったと思うし
講和結んだのは利益になら無いからなだけ
時間たってからの記憶に基づく回想を疑うのが定法です。
>実は、4カ国連合軍の指揮者イギリスのキューパー提督は、
>あたえられた兵力では占領は不可能として、この2項を実行しないと決めていた。
これは「遠い崖」にあった?自分もソース探してるんだけど出典が知りたい
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 17:42:03.75 ID:VCY7g/E7O
すでにでていたらすみませんがもし長州が負けかけたら、薩摩は援軍をだしたでしょうか?
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 22:16:35.29 ID:fZFMXCJx0
>>631 ( ゚Д゚)ハァ?
みんなお前が空気読まん質問する以前からの続きやっとるだけやで
すでにかなりの議論をやりとりしてから
>>602 >古事記でけむに巻いた事実はあるの?
司馬とくいの捏造?
なーんて間抜けな質問しとるから嫌がられとるねん
お前が質問する前に同じような質問やりとりがすでにあったんや
しかもお前の質問はレベル低い質問
もっと勉強してもうちょいレベルの高い質問せえや
ええ加減 気付けや 粘着野郎
みなそのままスルーで話続けてや
>>639 もうやめたら
彦島租借の話しに戻ってるじゃないの
一人で馬鹿みたい
>>639 皆が議論してるんだから彦島租借の件は結論がでてなかったということ
結論がでてるという君の主張は間違いでした
>>642 自分からイチャモンつけておいてイチャモンに対する反論をしつこいとはw
どちらが正しいかは誰の目にも明らか
スルーすべきは君のレスのほうだな
次の君のレスはスルーしてあげる
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 23:41:57.38 ID:SQBbgW+60
失笑
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 00:06:06.94 ID:fIbWgEA70
彦島租借の件は結論が出たとは誰も言ってないと思いますよ
もういいでしょう、そろそろやめましょうよ
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 01:03:46.82 ID:Mei5IUNz0
もうやめろ
スレの流れは彦島租借はあったのか高杉の逸話は本当か結論はでてないだ
イチャモンをつけたのがどっちかは見れば誰でもわかる
こだわったらお前もバカ
スルーしろ
まぁ新資料が欲しい所だな。
>>598 長州藩が航海遠略策を放棄したときの勅がうたってたのは、和親条約も破棄って内容。
当時は一番過激な久坂ですら、既に勅許が下りてた和親条約の破棄までは考えてない。
あくまで、勅許が下りてない通称修好条約に反対するってのが大義だったから。
んだからその内容の確認のために、桂とかが京の公家周りを走り回ることになった。
>>629 薩摩の誰かからは案外強くないとか言われたこともあるらしいが、薩摩だからなぁw
つか、戦意が怪しくても規模はアホみたいにデカイ幕府軍を、長州以外ではどこの藩なら退け得たか考えれば
答えは自ずから明らかだと思うが。強さってのは相対的なもんなんだから。
とりあえず薩摩はやれそうw
高杉の辞世の句って高杉のかどうか分からないって本当?
あの「おもしろきこともなきよをおもしろく」の奴。
それは普通に高杉作
ソースがわからないのは三千世界
高杉作と紹介した(今のところ)最古の文献が思いっきり引用間違いしているという
長人、怜悧なり
三千世界の〜は、高杉説、桂説、久坂説があるんだっけか
イメージ的には高杉が如何にもって感じだがw
高杉説は下手したら一番根拠が怪しいけど、一番イメージ合うよね
個人的には合作ってことにして欲しいw
イメージに合うというか。この歌詞とか辞世の句から
小説家たちがキャラクターイメージしただけでしょ。
ごもっともw
直筆遺ってないのが残念だよなぁ<辞世
>>572 中国で米国通史を買おうとして、断られて(外国員への販売は法律違反)、
ひと悶着起こしてるもんね、高杉は。
桂太郎がパロディのような都々逸(三千世界の烏をさとし、そして朝寝をしてみたい)を書いていたから、
作者は不確かながら、長州藩士の間では有名だったんだろうな
あと、おもしろきこともなき世に〜は、確か死ぬ4ヶ月前の12月ころに作ったから
厳密には辞世の句とは言えるかどうか…
木戸が長州閥のトップになれたのは高杉が先に死んだからだよね。
高杉さんが政府に収まるタイプかどうかは…
木戸は高杉が死ぬ前から実質長州のトップだったし…
クーデター成功後、「桂さんなんとかして〜!」と探してたからね高杉自身が。
高杉は最後まで桂を兄貴分と見ているだろ。いろいろ相談もしてるし。
てか高杉の桂あて書簡は相当あまったれてるよなw
山県あたり相手だとかっこつけた手紙書いてるくせにw
高杉が死んだ事で松下村塾派閥が弱まり木戸がちゃんとTOPに
建てたってのはあるね。
だからどんな派閥だよ、それw
藩政府に全然食い込めてないし、力を発揮した場面が全然無いじゃん
ないです
あんたがどんな歪んだイメージを持ってるか知りませんが
そもそも村塾閥ってなんなの
久坂あたりが先導して村塾出身者ががんばって活動したってのはあるが、
それだって松陰の弟子たちに周布や桂が目をかけてやってたから活動できたんだが
高杉を中心とした村塾派閥ってのは珍説ともいえないぐらいの幻想だし
高杉の死で木戸がトップに立ちやすくなったってのは笑うしかないほど見当違い
高杉が死んだから木戸がトップになったんじゃなくて、
高杉がいるからこそ木戸がトップになったんだろ。時系列考えろ。
広沢じゃあ高杉ら暴走する村塾生を制御できないからな
そういや木戸帰藩前に、広沢が藩要路に宛てた書簡
「諸隊今解散させたら暴走するからやめたほうがいい」ってのが残ってるんじゃなかったっけ
むしろうまく制御してる。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 20:41:21.35 ID:jNvK9RGZ0
高杉が居た時代の木戸はトップではないと思うんだよね。
高杉が作った革命政権に雇われた感じ。
思うんだよね
感じ
この人いつになったら妄想じゃなくて根拠のある話ができるようになるんだろ?
ていうかいい加減ここで寝言喚き散らすのやめて欲しいんだが
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/29(日) 22:34:46.25 ID:jNvK9RGZ0
ていうか木戸は革命に参加してないんだからトップに立てないでしょ。
奇兵隊とか革命の主力が納得しない。
木戸が政権トップについたのは高杉が尻まくって逃亡している間なんで、
高杉革命政権とかありえませんがw
正確には、革新中道保守の連立政権首座に木戸が迎えられたってことだよな
路線としては革新なんだが
「ていうか」がどこにかかるのかがわからんわ
「ていうか」は諸隊並みに独立していて
どこにもかからず、どこからの命令も受けません。
高杉の藩内革命がなければ木戸は帰藩すらかなわなかったわけで、
このときに高杉と木戸の事実上の序列は逆転た。
いや、高杉のほうが木戸を立ててるわけで。
しかも藩内の政権を構成してたのは鎮静会が中心だろ。
高杉では藩内の中道保守層を動かせたとは思えない。
支藩といざこざ起こして萩政権にかばってもらえず逃亡する羽目になったぐらいなわけで
>>676 その高杉は馬関の件で、桂が帰ってくるまで大坂の方に脱出してるんだが。
つか、それ以前に長崎から海外に渡航しようとしてるしなw
色眼鏡無しで見れば、高杉のクーデターで桂が帰って来れる様になり、
桂が高杉の失敗を収拾して帰って来れる様にしてるじゃん。
大体この二人が対立してたなら、その桂に、愛人と暮らしてたら妻とオカンが乗り込んできちゃうよ…
金も無いし…内心泣きそうなんて手紙送ってる高杉は一体なんだったんだよw
高杉も桂もお互いにお互いの足りない所を補いあっているというか
相手がいるから自分が苦手な分野をやらずに済んでいるというか
長州は朝敵になるし、外国との戦争には負けるし、
藩内で争ってる場合じゃないのがうまく働いた。
不幸にも藩内の争いが先行してしまった土佐と好対称。
東洋暗殺大失敗。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 19:37:08.27 ID:LopPrV+k0
内乱までしてるのに何を言うのか
そうせい候のおかげだろ
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:18:38.35 ID:2X7BnuNT0
高杉は奇兵隊を作っただけで上手く扱えてもなかったしな。
奇兵隊の奴らって結局何がしたかったんだろう?
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 20:35:52.42 ID:OV9fojV50
>>681 確かにそうせい候がそうせい候じゃなかったら
長州の運命はまったく違うものになってた可能性はあるよな
>>682 志願兵でしかも藩に頼らずとも活動が可能だったから、隊士の総意のが強かったんだよ。
だから赤根武人も、結局隊士が俗論派との融和に反発したから脱隊せざるを得なかったし。
士官学校制が正常に運用される前は、多かれ少なかれそんな感じ。
大村益次郎の軍制改革の中にも、「編制や教育を統一し、幹部の人事異動を可能にさせる」
ってのがある。
例えばナポレオン戦争中のフランス軍なんかは、兵と下士官の互選選挙だった。
そもそも下の意見を無視するトップダウンの世の中でいいなら、
志士なんて生まれないしね。
将軍のいうこと聞いていればいいなら志士は必要ない。
諸隊の隊長もしかり。
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 22:35:29.76 ID:nUzINh490
西郷とかなら下の奴も文句言わずについてきてたのかな。
諸隊のトップは西郷には無理じゃね?
薩摩では、けっきょく諸隊みたいな農民兵を含む軍って
西南戦争に到るまで出なかったんじゃないの
西郷にとって農民は、統治したり庇護したりする対象ではあっても
率いてともに戦う兵士とは考えられないだろう
高杉らは士族以外の兵たちのやる気と根性に期待したし
訓練すりゃ使えると思っていたわけだが
西郷はそういう一種の信頼を農民兵に示し得ただろうか?
以上から「西郷なら諸隊の兵をまとめられた」という命題は
成立しないと自分は考えている
西郷が長州出身だったら? という話も成立しないな
長州には斉彬侯はいないからな
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 20:50:04.21 ID:ZDqLUvjx0
あの司馬が良く使う薩摩型の大将ってのはどこまで本当なのかね。
無能を装って部下に任すのがいい大将で長州にはそういうのはいなかった。
みたいに言ってたけど。乃木と東郷が似たような性格だから言ってる事
矛盾してるじゃん。って坂の上の雲読んでたとき思ったけど。
県民性が違うよ、九州は徹底的に体育会系だから
西郷は今でいったら親衛隊抱えたヤクザの親分、高杉は民主主義に目覚めた近代人だよ
>>689 そうせい候こそあるい意味そういう大将かもしらんね
結局松蔭、久坂、高杉が望んだ天下に大本を大義を打ち建てられる英雄とは
西郷だったのは薩摩嫌いの長州に対する歴史の皮肉だなあ
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 08:03:11.91 ID:nm3HXYPC0
松陰は別に薩摩嫌いではないでしょう。久坂も西郷と会ってるし。
それ以前に西郷のどこが長州の望んだ英雄なのかと
武士階級の象徴として反乱起こすような人はちょっと・・・
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 19:29:44.55 ID:ceqBn/2o0
西郷と松陰は同い年だから似たような思想っぽいけどね。
西郷は松陰の2才上
大久保と松陰が同い年で生まれも数日違いだが思想は全く似てない
つーか松陰らが望んだ英雄に伊藤や山県がなった訳なので、
別に皮肉でもなんでもない、順当な結果ですね。
同い年だから似たような思想って何
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/03(金) 20:58:01.87 ID:ceqBn/2o0
>>698 なんかあの時代って歳によって考え方に違いがあるような気がするんだよね。
今だって団塊の世代とかと世代ごとにまとまってるんだし。
松陰の世代 木戸の世代 伊藤の世代とやっぱ違うんだよね。
一年ごとに世代が変わるとでも言うのか
つか訳のわからん主張をする前に松陰が誰と思想が同じか位統一しとけ
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 07:02:23.76 ID:rFEzsyMt0
結果的に幕末の混乱の中で天下の期待と衆望を集めて英雄になったのは西郷のみだったからね
長州でそういうタイプは居ない
松蔭も高杉も久坂も自分はやはり書生で、高杉も自分は少しそういう面はあるが100万の心をつかめる英雄でないと認識してた様だし
まあ西郷は維新後反政府の期待も一身に背負って反乱者になってしまったが
それまでの多くの功績は否定できない
史実として、薩摩以外でもそこまで西郷が英雄視されたのか?
どの藩の人間からも一目も二目もおかれていたのは事実だし
西南戦争が始まってから判官贔屓で庶民の人気が盛り上がったのは知ってるが
…っていうか、そもそも長州に西郷がいたからってみんな黙ってついてくとは思えないし
そう考えると松陰の英雄待望論はないものねだりだった気もw
結局明治維新は英雄が起こしたものではないと自分は思っている
英雄はいないからこそ、つい英雄はいないの?って探しちゃうときに、
もっとも英雄イメージを仮託しやすいキャラが西郷なだけ
幕末の西郷には凄味がある でも薩摩の藩としての凄味のほうが上回るし
そのことが西郷の英雄イメージを実際より大きく見せている
まあ凄味で勝負しない(できないともいうが)長州が自分は好きだけどな
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 17:31:41.46 ID:o7RXFT170
そもそも長州の人らって人に畏怖された系のエピソードないよね。
薩摩は西郷はもちろん大久保だって桐野がびびったってエピソードあるのに。
黒田は木戸の名前を聞いただけでびびって逃げ出しておりますが
近藤が桂は剣を構えただけでこえーって言っていたという逸話もあるな
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 19:20:32.94 ID:jWWeq9TD0
黒田は酔っ払って木戸に絡んだ男でしょ。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 21:37:49.94 ID:JcYKRQvx0
当時天下から生ける英雄として認識されてたのは西郷のみ
木戸や大久保すら単なる派閥の長程度の認識だし
薩摩人を馬鹿扱いしてた江藤さえ西郷を英雄と呼び藩閥解体ために力を利用しようとした
西郷を特別支持してない反政府層や野心家からも西郷さえ立てばと期待を一身に集めた
そういう幻想も含め抱かせられる大いなる求心力こそ英雄
西南戦争までに政府は着々と力をつけたが
それ以前は西郷の方が軍事面でも明治政府より上回ってただろう
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/04(土) 22:04:43.52 ID:jWWeq9TD0
けど西郷って軍事的にすぐれた事ってやってないでしょ。
>>707 内戦で相手蹴散らしても褒められたことじゃない。
そういうこと言い出したら、大久保だって神社建ってるじゃん。
木戸は地元に建ったから勘定に入れないが。
そんなことが、西郷が松陰らが求めた英雄だという証明にはまったくなりません。
はいもうスレチはおしまい。
現に英雄の役割を果たしたのは西郷だからね
王政復古から江戸城無血開城〜戊辰戦争〜廃藩置県〜西南戦争まで
明治政府が正しい視点は現在の視点に過ぎないし
西南戦争までの重さからすれば西郷>明治政府と言っても良いでしょ
だから政府は西郷を恐れたし反政府側は政府を覆せるのは西郷と期待した
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/05(日) 15:16:31.18 ID:AZETQ79bO
西郷が何かしらの英雄的要素を持っていたことは否定しないが
ここは高杉スレなので。
お後、西郷スレでどうぞ。
英雄の役割果たしたのは普通に明治天皇だろ。
そういう風に利用したのが岩倉や西郷大久保木戸な訳で。
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/05(日) 16:31:04.16 ID:dCM4AOay0
明治天皇が神格化されたのは明治になってからでしょう。
最後もなんか体調悪いのに山県とかに無理させられたぐらいだから。
元老クラスは下に見てたんじゃないかな。
近代国家に英雄など不要
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 22:44:55.31 ID:zoTIlqEq0
>>713 そのとき明治天皇は幼児じゃん
知らないの?
だからもうスレチだってば
しかし何歳まで「幼児」なんだよw 天皇とっくにミドルティーンだよ
もしかして「幼沖の天子を云々」って話から幼児っていってんのかw
前田通れば 目蓋に浮かぶ 男晋作 晴れ姿
って聞いたのですが
これの出典はどこでしょうか?
作者不詳の都々逸のはず。
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 02:14:37.34 ID:ch1AAmXP0
この人は俺からみると過大評価されすぎ
確かに事に及んでの士気を鼓舞する能力は凄いが
普段やってる事は余りにも出鱈目
むしろ過小評価されすぎ
ここ一番で一番凄いから明治維新起こせた
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/11(土) 10:32:33.62 ID:fH/7e9IBO
松陰に
「防長年少第一流の人物にして、固より亦天下の英才なり」
と言わしめた久坂玄瑞と、
徳川将軍を乗せた参勤交代の列に罵声を浴びせる奇才高杉晋作
あなた方一比羅夫が彼らの評価を語るのは非常に滑稽
独力でドラゴンレーダーを作ってしまうピラフ大王って何気に天才だよな
高杉は彦島租借を古事記でけむにまいたってのは嘘なのホントなの
こないだループしてたばっかの話持ち出したら嵐認定されるだけ
>>724 まあ伊藤博文の作り話だろうな。
有名な話だから取り上げるけど研究者だって本当に信じてはいないだろうよ。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/17(金) 02:52:57.33 ID:Jd20qm4p0
>>724 それ俺もききたい
花神でみた
面白いよなあのシーン
友達に、高杉晋作って何やった人?って聞かれて、例の彦島の件だけ教えて終わっちゃった
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/17(金) 17:31:44.07 ID:iBoNs60LO
いや、あれは高杉じゃなくて宍戸刑馬だからw
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/02(土) 20:51:11.63 ID:9xXP51/OO
面白いのう…
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/06(水) 22:26:50.14 ID:SMt7rq9t0
伊藤が最後のほうで高杉君呼ばわりしてるけど、
あの時代君づけで亡くなった先輩を呼ぶのは失礼じゃなかったの?
木戸の跡継いだ甥っ子が木戸のことを「松菊君」って書いてたから失礼じゃないんじゃね?
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/07(木) 19:36:44.78 ID:ZmBANUa8O
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/09(土) 21:18:36.76 ID:2nOK+Mqa0
軍艦に乗り込む時に「俺は扇子で十分」って言って武装しなかったってのは
史実?それとも司馬の創作?
田中光顕の創作じゃないかな?
高杉と木戸旧家行ってきた
彦島出身なんだけど
萩には行ったことなかった
あまり人いなかった
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/21(木) 07:10:44.66 ID:PQOmJ+qt0
萩と高知に
半年位住みたい
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 09:03:57.09 ID:YAsEYiUuO
おうのさん結構長生きしたんだね
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 13:20:02.24 ID:kOq8GFpf0
初心者な質問で申し訳ないんだけど・・・
「高杉晋作資料 東行先生遺文 山口新聞社ほか/昭46発行/」
「高杉晋作全集 堀哲三郎編、新人物往来社 /昭49発行」
これに収容されてる内容とか違いなどをざっくりでもいいので教えていただきたい。
いずれは両方入手し勉強したいのだが、どなたかひとつよろしく。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 13:43:35.05 ID:S+It01kK0
動けば雷電の如く、発っすれば風雨の如し・・であってるかな?
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/24(日) 17:33:25.37 ID:wAckmXtZ0
高杉は運で生きてきた奴。実力は皆無。
運すらない奴にとやかく言われる筋合いないけどな。
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/25(月) 10:11:03.93 ID:/XWIp3WIO
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 07:18:30.83 ID:/V7Pf0Sd0
真面目な性格だったのか。狂った性格だったのかどっちだろ。
インテリなんでしょ。
松陰の弟子3虎の性質比較評価。
高杉晋作
「高杉の識見と気魂は他人が及ばない。頑固で、人の言うことに耳を傾けないように見えるが、取るべきところは取る。必ず大成する。」
久坂玄瑞
「久坂は潔烈な志操と縦横の才を兼備してる。清潔、激烈であるが縦横無碍の才あり、しかも人に愛せられる。」
吉田稔麿
「稔麿の識見は高杉に匹敵する。いささかの才がある。これが気魄を害す。気魄衰えれば識見また昏む、気をつけるべき」
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 01:00:20.95 ID:6rKTw5KW0
識見ってのは知識って事だよね。
当時の知識っていうと
国学。歴史。政治。地理
とかそんなもんかね。西洋の事とかも知ってたんだろうか。高杉
>>746 ageたんかな?
識見を辞書で引いてみてね
高杉は上海でアメリカ史を買おうとして、
中国人に外国人に売ると法に触れると断られている。そう日記に書いてる。
各国の今の状況だけでなく、植民地化、独立の歴史の知識があった。
ageたん本読めよ
高杉なら現代語の日記でてんだろ
I坂だけど
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/31(日) 21:43:10.58 ID:nX1ijFSg0
アマゾンで買うたらええがな。
しかし一坂って毎度お騒がせな奴だね。
なんでageたんはぐぐろうともしないのかね
識見調べた? 識見と知識はイコールじゃないよ
晋作終焉の地から東行庵まで遠すぎてビックリした
昔の人って50〜60kmの距離を遺体担いで歩いたのか
>>754 海路(水路)で移動できる。小月から吉田川を登れば吉田までたどり着く
>>755 それでも小月までけっこう距離あるー…
現代っ子感覚じゃ計り知れないわ
こっちは震災の時、都内から千葉船橋までも歩けなかったっつーのに!
台車とかにのっけたのかな?www
…なんかアホっぽくてゴメンね
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/07(日) 11:12:21.05 ID:y4CbebmM0
馬じゃないの?
>>756 新地は海が近いので小月へも陸沿いに船でいける。
小船ならそのまま木屋川を登っていけるし吉田へは簡単に到着する。
当時は埋立地がないので現在の日清食品のあたりまで海だったはずなので
それほど遠回りにもならない。
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 01:13:51.47 ID:9xy0yH9s0
上海で外人と会談してるけど
高杉は英語できたの?
筆談くらいでも
だから革命日記嫁 外国語できるオトモダチがいっしょだ
ヒャッハーとイギリス大使館焼き討ちにしたり
オッス!征夷大将軍と言う高杉△
つかI坂って嫌われてるの?
書籍わかりやすくて好きなんだが
カニが好きなのか
i坂は下関や萩の自称郷土歴史家のおっさんたちに嫌われてんだよ
県外出身なのにどんどん業績上げてるから。
山口県てのは本当の田舎だから、部外者は徹底的にいびる。(観光客には優しい)
それが嫌ならオラが村の権力者(古川や知事)に媚びれば良いのだが
都会っこのi坂は田舎の慣習であるそれをしなかったので叩かれるようになった
それだけの話。
郷土歴史家達が古文書読めればそれで終わる話だが、彼らはそういう知識は無いので
i坂が解読した物を横からかっさらおうとする。実際泥棒のようにかっさらう。
散々そういう目にあってきたからi坂はきつい性格になったんだろう。
今年の春、久しぶりに東行庵に行ったのだけど、
記念館自体はもう書簡や遺品など直接高杉本人に関わるものの展示は皆無。
高杉の小さな像があるくらいで後は東行庵と記念館自体の歴史みたいなものが僅かに展示してあるだけ。
あれじゃ中で売ってる限定書籍を買うためだけに入場料払ってるようなもの。
その販売書籍類もたいしたものでもないし。
建物も老朽化が進んでいるし、遺品たちが萩に移ったのもやむなしという感じだね。
本人の墓所だし、ちょっと寂しい話だけど。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 19:42:20.63 ID:neCyASovO
>>765 高杉子孫から預かった物を返す返さないとかで揉めたのってi坂(萩市?)じゃなかったっけ?
どっかのサイトでそんな記事見た気がする
>>767 765じゃないけど
それ未だに裁判続いてて東行庵側がもうしっちゃかめっちゃかな言い分
すでに県内に住んでいない高杉さんちまで凸を繰り返し
その心労もたたって高杉さんは先日お亡くなりになってしまった
裁判官もどん引きの、地元では有名なムカつく話
因みにI坂さんはとっくに東行側に勝訴しているよー
スレ違いだったらごめんね
簡単に言うと、高杉家のものを東行庵がずっと預かっていたが、ほったらかしになっていた。
状態が悪くなってしまうと高杉家は心配していた。
そんな中、ヤングI坂がやってきて研究を開始。成果を次々に上げる。
憎たらしく思った東行庵(を牛耳ってる人々)が「ここは研究の場ではなく墓場。出て行け」と命令
それならばと、しっかり研究してくれそうな自治体に高杉家が遺品の研究と保存を依頼。
すると東行庵逆切れ、「この史料は東行庵の物、高杉家の物ではない」と高杉家を告訴。
その裁判が今でも続いている訳だ。つまりI坂は実は余り関係なく、高杉家vs東行庵のかたち。
当然だが晋作の遺品は高杉家の物だ。しかし東行庵側は「昔くれるって言いましたー」と引かない
本当に裁判官も弁護士も地元民も皆呆れている
>>769 今山口県に残ってる長州人は、嫉妬甚だしい長州俗論派の低脳国賊の血筋ばっかりだからなwwwww
長州正義派の家系はみんな京や東京に移動しちゃってるからw
東行庵主三代目までは養子縁組みといえ谷家
だから祖先である高杉をきちんと大切に守っていた
今の四代目は…運営&東行庵拡大にしか興味ない感じ
あれじゃ人は来ないよね。
平日とはいえ記念館の中も、東行庵、庭園内も自分一人っきりだった。
おかげでゆっくり貸し切り状態でお墓参りはできたけど。
辺鄙な場所でもしっかり遺品の研究、保存、展示を行ってくれてたらまた行きたいと思うんだけどね。
遠方から行くとなると今だったら断然、萩の方が見るべきもの多いから。
手紙本を買ったけど、これ原文に解説っていうスタイルなんだね
日記みたいに現代語訳かと思ってたから、orzってなった
高杉が手紙を保管しないのは有名だけど
聞多宛のが木戸に渡した2通しかないってことは聞多も保管しないタイプだったのかね
時代違うけど乃木希典と玉木なんとかが先祖にあてた何でもない手紙なら実家にあるなあ。
先祖が長府藩の士族だったもんで・・・
玉木文之進では?
それ何でもない手紙と言ってもお宝ですよ
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/06(火) 14:02:46.21 ID:4os6p4ML0
松陰の叔父でもあるしね
しかし一坂も思い込み激しいのかヘンな事書いて
他の研究者によく突っ込まれてるよね
山口無関係の所からも
手紙本に興味あるけど、どんな感じなんだろ
一坂が厳選した文書の原文の後に解説文
現代語訳はついてない
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/09(金) 08:03:36.36 ID:YsaHM2++0
西南戦争、高杉晋作がもし生きていたら西郷隆盛と一緒に戦っていたのではないか。
>>779 ありがとう
原文と現代語訳、両方載ってるとベストなんだけどなぁ
>>780 西郷のこと大嫌いなのに?
むしろこのチャンスにとばかりに討伐するんじゃね?
>>780 高杉は薩摩は嫌いだろうし西郷タイプの人間は更に嫌いそう
西郷も、井上を馬鹿にしてたから高杉も同様だろう
薩摩なら五代とか中井と気が合いそう、つか高杉は生きてたら築地梁山泊メンバーにいそう
若手急進派でガチャガチャやってて木戸を困らせつつたまに援護
実際、五代とは上海行きで意気投合してたよな
高杉は薩長同盟進めたし木戸と違いあっさりしてるから
高杉が生きてれば井上以上の貪官汚吏として奇行の人として名をはせただろう
いやああ見えて根は真面目だよ、根は
ただちょっとそれを出す機会が少ないだけなんだ
お金のフォローは無理だが
公金と私金の違いがついていたようには見えないけどw
あと政治家は無理だと思うw
山県みたいに参議になりたいなどと言い出さずに軍部の掌握に専念するかもな
まあ何よりまずは留学だろうから、形だけでも政府に席は置くと思う
おぉ。
でもそらそうよな。
フツーに考えて本人の遺言や贈与証書がないなら遺品は高杉家のもんだろ。
それにどう見ても今の東行記念館の設備では遺品のまともな保存行為は無理だろうよ。
良かったね。
つか東行庵の設備費って、先代達が基金作って潤沢にあったはずなんだけど
なんでそれを使って史料を保存出来る環境を整えようとしなかったのかな。
ま、まさか使い込み…?もしそうなら根は深いよね…((((;゚Д゚))))
ピカピカの萩博物館の高杉コーナーを観た後だと
東行記念館のボロ具合が際立って見えるわ。
周囲の菖蒲園の手入れとかにはそれなりにお金かけてそうだけど
記念館の中は蛍光灯も薄暗くて、なんだか昭和の古びた田舎の役場みたいな感じだったもん。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/04(火) 07:59:17.73 ID:5+udcHwQ0
こんなラディカルな人は死ぬ運命だよね
何も成さずのほほんと生きながらえるよりは魅力的だけどね
というかラディカルでなきゃ日本が植民地にされたからな
非常の難をおさめるには、常道を以って対処してはならない
非常の行動をする者は、常眼以て見てはならない
>>789 高杉は奇兵隊作ってもあっさり他に譲って、それ使って権勢拡大とかしないからなぁ
クーデターした後も政権トップから逃げたし
高杉、井上、木戸、山田
このあたりは中士でそれなりの家格の跡取りのためか
(井上は養子先から離縁したけど)
良くも悪くも権力への執着が薄いよなあ
嫌になったらすぐにやめて別の所に行っちゃう人たちだね
ラディカルでなきゃ日本が植民地にされたと言う認識は完全に誤り
列強は当時、清のほうが圧倒的に関心事で日本はオマケ
しかも先行組のロシア、アメリカがクリミア戦争、南北戦争で離脱してしまう
プロイセン、イタリアはまだ国家形成過程。
民間船無差別発砲と言う暴挙を行った長州にすら報復攻撃がせいぜいで、
保障占領も出来ないくらいの能力しかなかった
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 11:04:16.05 ID:Ckr/oBKa0
植民地にしなくても、不平等条約をもっと不平等にして甘い汁を吸えるだけ吸おうと、虎視眈々と狙っていた。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 19:08:44.73 ID:+7bErSC4O
極めて狡猾な思考じゃ!サイコパス的な発想じゃのぅ!『ケトウ』『ロスケ』と揶揄されるのはそんなヤリクチにあるんぞな!
よう覚えちょけー!サイコパス【反社会性人格障害】は日本人より西洋人に多いそうなんじゃ!
アホな独裁者の屁理屈には我々の祖先は実に骨をおらされたのぅ!
ちなみにケトウとロスケの漢字を誰か教えてくれんかのー!
>>799 明治維新を出来なかった国は
ほぼ全て他の植民地にされてるのが現実だが?
生き残ったのはタイくらいじゃね?
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 05:56:58.01 ID:JjRhFwdy0
「この日終日暇座す。よりて、つらつら上海の形勢を見るに、
支那人はことごとく外国人の使役となれり。
英仏の人、街市を歩行すれば、清人皆避けて傍らに道を譲る。
実に上海の地は支那に属すといえども、英仏の属地というもまた可なり」
>>802 じゃ何で好き好んで300万ドルの借金を皇国に背負わせて講和なんてするの
あくまで拒絶して戦えばいいじゃん
>>805 いい加減、氏ねば?
軍艦を全て破壊され、砲台占拠されてしまったら、さすがに戦いようがない。
孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府の命令に従って、
長州藩だけが孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府の名代の役割を果敢に果たし、
馬関攘夷決行・馬関攘夷戦争になったわけだから、
その結果について責任を取るべきは、当然、
その命令を下していた孝明朝廷・征夷大将軍・江戸幕府。
中でも征夷大将軍を抱える江戸幕府。
その当時の長州人・英米仏蘭の当時者が揃ってラクに理解できたことを
いまだに理解できないでいるような低脳国賊は、もうさっさと氏んだほうがいいねp
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/30(日) 20:57:58.88 ID:88ve4Qix0
>>805 全国士民が一致して戦うのが攘夷なんで
長州藩はその為に朝廷や幕府の了解取り付け攘夷したんで
政変が起きて国内一致できず長州単独では攘夷は不可能だからだよ
>>806 条約の中で償金の支払を認め、砲台を撤去し、さらに下関を事実上自由港化すると言うのは
当然、「攘夷」実行の完全撤回を意味するものだろ。
こんな屈辱的な講和条件があるか。
天皇の勅を直接受けて攘夷なら、天皇の勅がないのに勝手に諸外国と講和する権限はない。
>>807 長州単独での攘夷が不可能なら、なぜ幕府や諸藩の実行を待って行わなかった。
「さすがに戦いようがない」なんて理屈は事前に言え。
いったん勅を奉じたからには、新たな勅がない限り勝手に講和する権限は諸侯にはない
政局に対外戦争を使うからこんなざまになる
>>806 お前むちゃくちゃなことを言ってるね。
勅を奉じた幕府の命令に従っただけと言う言い分が成り立つなら、
その幕府の命令もないのに勝手に講和したのはなぜだと言う反論も成り立つ
いわゆる終戦の聖断問題だな。宣戦と講和はコインの裏表だから。
砲台撤去、開港、償金を認めるのは攘夷実行の非を認めたも同然
禁門の変の直後に必ずしも進撃に熱心でなかった幕府が出兵せざるを得なかったのは、
長州の下関開港条件によっては、それが爾後の国内の開港条件の前例になるから
事実オールコックは償金を取るより、下関開港の既成事実化のほうを優先していた
幕府はその後、列強間の対立を利用して「償金」を損害賠償ではなく「損失補償」とすることに成功し、
(但書できちんと償金の性格を規定している)、オールコックの思惑を外している。
つまり違法な攻撃の懲罰としての償金と言う体裁を拒絶した上に、長州への懲罰権についても
「大君政府の職務」として勝手な報復や開港の強要を禁じている。
ここまでやってもらって、さすがに長州藩側の言い分は擁護できないなあ。
グレて無差別殺人を犯した息子のために親が賠償金を支払ったら
そんな育て方をした親が悪いと言ってぶっ殺したも同然
2ちゃんではドラ息子に共感するんだろうな
>>809 毛利家は毛利家。長州藩は長州藩。決して徳川宗家でも江戸幕府でもない。
その当時の長州人・英米仏蘭の当時者が揃ってラクに理解できたことを
いまだに理解できないでいるような低脳国賊どもは、もうさっさと氏んだほうがいいねp
>>808 日本全土を攘夷にもってく為に長州が先鋒として攘夷実行したんだろ
長州藩は国家の政策として攘夷したんであって勝手にやるんなら朝廷の許可も必要ないんだよ
その為に朝廷や幕府を動かし国内をまとめ了解取り付けてやってるんだよ
天皇の攘夷親征や攘夷に協力しない小倉藩への処罰要求や天誅組の挙兵は一環の動き
ところが政変でやっぱ攘夷取りやめで長州追放と変わり、しかもこれを覆そうとして禁門の変が起き
幕府の長州征伐になったんだから講和するのは至極当然
>>811 だったらてめえの尻はてめえで拭うんだな。
>>812 それ基本的に政治過程を説明してるだけで、弁解の域を全く出ていない
幕命を奉じたなら幕命に従って行動する。勅命を直接奉じたなら勅命が追って出されない限り講和は許されない。
日本全土を攘夷に持っていくために長州が先鋒として=勝手に攘夷を実行したなら、
当然、その償金はてめえが払う。当たり前のことだ。
独断で講和した上に下関を事実上自由港化して日本の外交政策にとんでもない前例を作り、
償金の性格を丸投げしたことへの言い訳が一切出てこない
現実にこの腰砕けに呆れた諸藩士に、長州藩の行動は論理矛盾だ、と責められてる
同じ対外戦争を戦った薩摩藩は、償金の性格をきちんと幕府や仲介藩に預けた上で講和している。
だから幕府は最初からそれを前提としての仲介が可能になっている。
薩摩藩の責任感に比べたら、長州の場合、発端である民間船無差別砲撃と言う違法性の高さ、
さらに交渉における相手側の解釈の自由度の異常な高さは明らかに事後の交渉を困難にしている。
>>814 薩英戦争の原因である生麦事件なんぞ、江戸幕府はやれとは全然命令していないが、
被害者である英国は、大名行列を横切った者に対する無礼討ちをも
統治責任者である江戸幕府の責任と英国が認識してくれるわけだから、
攘夷の勅命・幕命に唯一果敢に従っただけの長州藩が英米仏蘭に誠実で勇気ある無実の藩と見なされ、
諸藩に攘夷を指図していた統治責任者の江戸幕府を条約違反の赦されない加害者として責任を取らせるのは極めて当然。
>>813 > てめえの尻はてめえで拭うんだな。
それ、江戸幕府や会津藩や新撰組に未来永劫言い続けろよ。
江戸幕府や会津藩や新撰組は安政の大獄や不平等条約の責任を何ら取らず無理強いしたままコソコソ逃げ出しただけだが、
薩長政府は破約攘夷(条約改正)まで完全にやり遂げてちゃんと責任を果たしてるんだからさ。
江戸幕府が支払うべきであった賠償金も、結局、薩長政府が完済してるんだからさ。
どっかの一橋や会津や新選組は失火で京都を焼き払ったくせに
長州に責任転嫁しているしなあ
それで「京都を守る新選組」とは笑わせてくれる。
>>815 お前ばか?生麦事件は日本の慣習を知らずに乗馬で諸侯の行列を突っ切り
さらに藩父の駕籠のすぐ近くまで乗り入れてきた英国人に第一の非がある
薩摩藩の奈良原以下がこれを切り捨てたのは自救行為に限りなく近い行為
その上に薩摩藩士はいきなり切り捨てたのではなく、何度も下馬を促している
(日本語を解さないのに日本法が適用される地域をうろついてたのは英国人の過失)
ある程度順序を踏んだ上で斬ってるんだよ。長州藩のような無差別無警告発砲じゃない
また生麦事件の場合は久光は既に大名行列妨害を禁ずるよう幕府に苦情を申し入れているが、
幕府としても久光の請願を却下する理由がなく、自重を求めたに過ぎない
事前に幕府と薩摩はある程度意思疎通を経た上で、あの事件が起きてるんだよ
これは確かに幕府が仲裁する責任がある(事後に薩摩が非協力的だったのは確かだが)
ニール代理公使と幕府の交渉では英国人の過失を前提として
「幕府の英国人居留民への通知義務違反」が問題となり、これに賠償金を支払っている
つまり薩摩藩は手続を一応踏んでいるから、何が過失なのかと言う幕英間の交渉がスムーズだったわけ
さらに言えば、幕府は勅使の通行を通達しており、
事前に各国居留民は万一を慮って慎重な態度を取った。米国のヴァンリードが下馬しておりこれに薩摩藩は危害を加えていない
だからリチャードソン以下の行動についてはサトウらも「双方の」不幸な過失としか記していない
大名行列に突入した英国人と異なり、当時の慣習でも明らかに違法である民間船への無差別無警告発砲と言う暴挙に出た長州と、
薩摩では事前事後の行動でまったく責任感が異なる。
>>815 薩英戦争の始末に関しても、薩摩は馬関戦争の講和条件のように償金の性格を曖昧にしたり、
鹿児島への寄港を容認したり、
砲台撤去などと言う一地域の武装解除に等しい条件には一切応じていない
(一方、高杉の講和交渉ではこれらをあっさり認めてしまったため、
オールコックは「償金は賠償金である」として多額の請求を吹っ掛け、下関の自由港化を迫ることになった)
とんでもない講和条件に幕閣は長州に激怒したが、ここで幕府が目を付けたのが四カ国の英国以外の3か国。
蘭仏米は問題に深入りするのを避けたがっており、海峡の安全と戦費の保証で充分と言う立場だった
幕府はここを執拗に突くことでオールコックの要求に対する他国の不同意を引出し、
「懲罰権は大君政府にある=列強が長州に勝手に報復を行うことを禁ずる」
「償金の性格は友好のために支払うもの=損害賠償的性格を否定=支払延滞の場合のペナルティ義務化が明文化されず」
と言う恐ろしく有利な条件で纏めてる。実際、幕府は1回支払を延期したが何もクレームがついていない
長州と幕府の外交能力はこの一事を取っても歴然としている。
だから薩英戦争に関しては英国本国でもキューパーを非難する論調が多かったが、
(しかも結果的に英国艦隊は戦闘では引き分け〜敗北に近い状態に陥った)
長州への報復攻撃に関してはこれを非難する声は列強のメディアや人士でもほとんどない
>江戸幕府や会津藩や新撰組は安政の大獄や不平等条約の責任を何ら取らず無理強いしたままコソコソ逃げ出しただけだが、
>薩長政府は破約攘夷(条約改正)まで完全にやり遂げてちゃんと責任を果たしてるんだからさ。
>江戸幕府が支払うべきであった賠償金も、結局、薩長政府が完済してるんだからさ。
アメリカは1回受領した後で78万ドル返してくれてるけどね>明治政府
それと江戸幕府が纏めた協定では「四半期ごとに50万ドル、6回の分割支払」なので、
慶応元年7月から支払が始まり、遅れがちではあったが第4回の支払を明治2年とすることで合意が出来ていた
つまり幕府は第3回までに半額を支払っている計算になる。その前に幕府が崩壊したんだから、明治政府が引き継ぐのは当然
では明治政府の支払のペースはと言えば、幕府よりはるかに遅い。
明治7年完済だから、わずか8か月で半額を返済した幕府の10倍近く遅い計算になる
それと江戸幕府が支払う約束をしたのは「賠償金」ではなく「友好関係を維持するための補償」と言う性格だから、
米国が償金を返還する時も返す名目が立った。
あと条約改正に関して言えば日英通商航海条約が明治27年。
関税自主権回復に関しては日露戦争後の明治39年の日露間の同条約で、
完全回復は明治44年の小村条約以下。
さんざん失敗した交渉が成功したのは、英国の極東政策をめぐる政治的思惑があったのは周知の事実
ちなみに日英条約の時の第2次伊藤内閣の経済通商関連の主要閣僚を見ると
外相は陸奥、渡辺財相は信州高島藩出身、農商務相は榎本武揚と「非薩長」で占められている。
陸相は大山、海相は西郷、担当相の法相は芳川(非藩閥、徳島藩)、文相は直前まで井上毅(熊本藩)
逓信相は黒田で、長州出身者がポストを抑えていたのは総理の伊藤、内務の井上のみ。
既にこの段階では「薩長政府」ではない。
もともと新政府は実務レベルを見たら「薩長政府」なんて言える実態は存在していないんだけどね
既に議会開設後であり「閥末」と言われた時期の撤廃。
ちなみに第2次伊藤内閣には最終的に政党人の板垣が内相と言う枢要ポストで入閣している。
また長州はこの時、砲台の撤去を受け入れてしまったため、長州戦争で大変なことになった。
第2次征長戦の前年の閏5月に桂が下関でパークスと会談し、
馬関条約で砲台への重砲設置が禁じられていることを持ち出して砲台撤去の緩和を求めているが、
イギリス側に却下されている。
>>817 > 薩摩藩の奈良原以下がこれを切り捨てたのは自救行為に限りなく近い行為
( ゚Д゚)ハァ?
素直に、見事な攘夷討ち でいいじゃないか。その当時の多くの人がそう感じたように。
みっともない自己正当化p
> その上に薩摩藩士はいきなり切り捨てたのではなく、何度も下馬を促している
まるで奈良原が英語をしゃべってたみたいな、イミフな話だなp
その当時、薩摩藩が攘夷討ちじゃなかったんだとみっともない自己正当化をしたいのであれば、
薩摩藩は無能で臆病な江戸幕府ではなく英国大使にこそ無礼を直談判すべきだったな。
これと、英国が、
大名行列に対して外国人が取るべき作法を統治責任者の江戸幕府が事前に教えてくれてなかった責任は当然、江戸幕府にある!
としたこととは全く別次元の話だからp
>>818 まず、真人間になれよ。意味の分かる文を書けるようになれよw
> 薩英戦争の始末に関しても、薩摩は馬関戦争の講和条件のように償金の性格を曖昧にしたり、
> 鹿児島への寄港を容認したり、
> 砲台撤去などと言う一地域の武装解除に等しい条件には一切応じていない
英国との友好という観点からは長州人と比較すると薩摩人は甚だアフォないし臆病というだけp
> 一方、高杉の講和交渉ではこれらをあっさり認めてしまったため、
> オールコックは「償金は賠償金である」として多額の請求を吹っ掛け、下関の自由港化を迫ることになった
武士らしく、潔く負けを認めたことを悪く言いたがるって、藻前、人間性がとてつもなく腐り果ててるよp
しかも潔く負けを認めつつも、賠償金は一切支払わず幕府に支払わせるという交渉術、
しかも英米仏蘭と友好を結ぼうと下関港の自由化交渉を幕府とさせるという交渉術、
これらはもはや天晴れ!としか言い様がないレベルであることは極めて明らか。
馬関攘夷戦争で、長州藩は潔く負けを認めてるんだから、
しかも既に馬関海峡の砲台はすべて破壊されるか奪われるかしてるんだから、
長州藩は砲台撤去も全くしていない。
下関を開港しようとしてるのに新たに砲台を並べるっていうのも明らかにあり得ない話。
但し、長州藩は、君が言うような「武装解除」なんて全然してないよ。
その後、長幕戦争(小倉戦争)を戦って勝利していることからも明らかなように。
>>820 京都河原町の長州藩邸には、諸藩の志士たちがウヨウヨ居候してたぐらいで、
薩長出身者でなくても薩長の同志はみんな薩長なんだよ。
実際、薩長の人脈というバックを薩長の人間と同様に背負うことになるわけだし。
有名な坂本龍馬や中岡慎太郎だって、薩長同盟以前から
長州藩からは長州藩士以上の長州藩士なみに扱われ、
薩摩藩からは薩摩藩士以上に薩摩藩士なみに扱われている。
そして、陸奥宗光は、海援隊では坂本龍馬の子分、陸援隊では中岡慎太郎の子分だった人。
よって、陸奥宗光は、紀州藩出身ではあっても、元々、薩長関係者なわけだ。
小村寿太郎も、同様に薩長閥からの引き立てがなければ外相になれていない。
薩長政府は当初から薩長土肥以外の人間も登用しようとしているし、登用している。
その薩長政府を攻撃するときだけ十把一絡げに薩長打倒!と喚いて、
薩長政府の功績は薩長政府のものではないと言いたがるのは余りにも虫がよ過ぎる。矛盾甚だしい。
全く正当な根拠のない、逆恨みによる地域差別主義に過ぎない。
国賊司馬遼太郎がはびこらせた、
>>820ののような地域差別主義・私怨・逆恨みは、
それそのものの存在自体が非常にみっともない。
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/01(火) 23:15:00.78 ID:tgpzSxq60
慶応元年に中岡が情勢分析と見通しを書いてる。
抑も吾人熟々時勢を見聞仕候に、国勢の衰うる其の来る事遠しと雖、外夷の起りしより天下優々、
困難此秋より甚しきはなく、且夫れ封建の勢たるや利害相反す。
抑抑国家苟安三百年士気頗る惰弱、上下事を忘る。加うるに封建の勢を以てして、各藩趨向を異にし、一旦強敗、大敵率然として我れに迫る。
於茲大命攘夷の必戦に出づ。而して天下是を挙行すること能はず、議論百端、各異人の国体、於茲や不立、是れ則ち封建の害ある所也。
而して其論の岐るゝ処、或は攘夷の論となり、又開国論となり、武備充実の論となる。
開国の論なるものは、略ぼ、海外諸国の情実を知るとは乍申、大旨苟安偸愉生の徒、所謂坐上の空論にして頗る人情に害あり、固より取るに足らず。
武備充実の論に至っては或は固陋の見にして事態に暗きあり、又は実の卓論上より出る英断あり、然るに其の見、或は異なりと雖、
皆以て義を重んじ、死を軽んじ、利害を以て其の節を動さゞる輩にして、天下をして慷慨義烈の風を生ぜしむるに足る。
而して其の固陋に出づる者に至っては気を負い、敵を侮り、若し一敗する時は或は惑う事あり、其の大卓識の者に至っては、機に臨みて勢に達し、百敗不挫と雖、敢えて不惑、
何ぞ一二の破敗を以て其の有為の志を屈せんや且、夫れ国に兵権有て然る後可和、可戦、可開、可鎖、皆権は我に在りて而して其兵権なるものは武備に在り。
其の気は士気にあり、故に卓見者の言に曰く、富国強兵と云うものは、戦の一字にあり、是れ実に大卓見にして千載の高議、確乎として不可抜、
則も知能の事に処する者、且和し、且戦い、終始変化無窮極る者なり。
中岡は封建体制で国内が一致できない欠陥を指摘し、薩長の攘夷戦を高く評価してる。
攘夷を行った薩長が天下を主導し、将来外夷を防ぐのは薩長になると予言、薩長同盟に動いてる。
そして封建制の欠陥を正す為にも尊皇攘夷の確立を説いてる。
全く戦争の功にして、卓見家の事業如此、自今以後天下を興さん者は必ず薩長両藩なる可し、
吾思うに天下近日の内に二藩の令に従うこと鏡に掛けて見るが如し、他日国体を立て外夷の軽侮を絶つも亦此の二藩に基くなる可し、
是又封建の天下に功ある処なり。
又士気は武備と如何程盛に相成候共、国体立たざれば敵国外患を待つ所以にあらず、且国の大体は何を本とするや、吾曰く内には名分大義を明にし、
祭政一致と共に皆朝廷に帰し、天下の大基本を立つるを以て急務とす、今日の如きは天下の大機会にして上下勉強し候は、禍を転じて福とし、
今日の敵国外患、他日より見候得へば天下の名灸と相成り候へば、実に天下の大功、之に過ぎ不申と奉存候。
>俺がいつそんな事いった、俺は最初から長州藩は尊皇攘夷を叩き込まれているから、
>士気が高いといっている。
>志願兵だから士気が高いといっている。
>四民平等だから士気が高いなどといった覚えはない。勝手に発言を捏造するな。
>脳内で作り上げた妄想にレスしてどうするんだよ。
他の諸藩とさほど違った徴募方式じゃないと何度言えば分かるのかねこの男は。
現に被差別部落には1つの集落から○名までと言う定数制限がついてそれ以外の取立は禁じられてたし、
もともと被差別部落諸隊の本格的結成は俗論派の藩命により開始されてそれを正義派が引き継いでいる。
慶応改革の結果、佐分利隊のような既存の諸隊にすら藩命で解散の勧告が出ている
それはともかく、ここで
「長州諸隊は士庶平等ではなく、あくまで身分差別を前提とした藩秩序の中の諸隊だった」
との自白が成立しましたw
つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。
奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが
>>619 嘘をつきなさい。町方村方の徴募は基本的に願い出と言う形式になる。
この徴募方法はどこの藩でも変わらない。
それでも足りずに藩が員数を定めて賦役を命じた「仰せ付け」
が文久年間にあったことは明らか。これも諸藩と変わらない。
さらに維新団は志願とは言い条、隊則を見ると茶筅隊のような自主性の強い隊とは全く異なり
黒ずくめの服装を強制されたり、身分を弁えることを隊則で強調されている。
そもそも元治内戦の際に被差別民諸隊の設立は藩命によってなされている。
正義党政権はそれを引き継いだだけ。
控え目に見てもとちゃんと断ってあるが、お前は読めんのか?
>>620 違う。償金の支払と、その性格の規定は全て下関協約第5条でなされている。
もし長州藩が償金支払約束をしていないなら、当然、幕府においても支払義務は発生しない。
だいたい償金支払を拒絶したなら
誰がどこで「長州藩が償金支払約束を拒絶した」と言っている?
さっきから聞いているが全く答えがないじゃないか。近現代史の人間に聞かせたらみなびっくりするぞ。
お前の主張が真実なら、長州藩は一切賠償金支払約束をしていないにも関わらず、
なぜか己の砲撃の違法性を認め、下関を焼き尽くされる所を焼き尽くさなかったので償金は支払うべきですね
などと勝手な性格付けを与えた上で約束を拒絶したことになり、
江戸幕府は長州藩が償金支払を拒絶したにも関わらず願い出て支払った意味不明な政府と言うことになるが、
そんなことを唱えている学者は全国でどこにもいない。
つーかこのキチガイ長州おたく、一体どこで幕末史習ったのよ。ほんと不思議だわ。
百歩譲って幕府の無策無能とか言ってた1970年代以前のおじいちゃんが火病って書いてるんだとしても、
田中彰や遠山茂樹の古典的名著くらい読んでるだろうになあ。
奇兵隊が「上からの軍隊」に収れんしていった過程や、維新団と茶筅隊の隊則に見る諸隊の性格、
さらに大坂南御堂の事件に見る隊内での理不尽な処刑、袖印の存在、私称の禁止
これ全部40年くらい前には指摘されてることだが
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 23:56:04.08 ID:ltSI0+H50
サルさんが出てきて書き込めんからこっちに書いておいた。
お前の言うことが本当なら小中学校の教科書は書き換えなくちゃならんね
/\ /\
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| / ̄\ ::::::::::::::::| いけめんを ひていするやつは おしおきやで
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>>829) ::::::::::::|
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\ | /| | ::::::::::::::::::/
// | |
U .U
>>829 なんでアンカーが
>>619>>620なん? 一種の敗北宣言?wwwww
封建社会(身分差別社会)の現状維持を望んでいた俗論派政権が勝手にやったことを
「四民平等」を推進した正義派政権が推進したかのようにねじ曲げて物事を言うのは明らかに間違っている。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 00:51:58.76 ID:PA2C8Hmr0
長州の部落オタがうざいんでこっちに反論しておくよ。
言っておくが田中・布引・前田・北川らの著作は満遍なく見ているし、
最近の研究も一応見てるよ。
お前は布引と言えば長州藩維新団しか知らないようなので驚いたが、
あれは基本的に布引が30年前に書いたやつをちょっと変えて引っ張ってるだけだぞ。
そもそも一坂の引っ張ってる例は井上(勝)が10年以上前に指摘してる例だし、
井上以前に確認されてるから井上の功績でもない。
だいたい紀要と言うものがあるのに海道の本なんて連想する時点でお前は部落オタだよ。
それとな、北川の論文なり書評なり読んでみろよ。
ほとんど他の研究者に対する罵倒のオンパレードで胸が悪くなるぜ。
他の研究者は北川にそれなりに敬意を払ってるし、研究成果を取り入れて改説したりもしてるけど、
北川系のやつは一貫して「北川が正しい、被差別部落民は差別じゃなくて区別、
だから身分解放の期待なんてあり得ない」と創価顔負けの凄まじい折伏をするんだぞ。
で、北川が長州藩マンセーになると言うのは結果的にそうなっちゃうわけ。
被差別部落民が自由意思で結成され、褒賞についても自由意思だと言うことになれば、
藩権力と被差別部落民との軋轢、ましてや良民との軋轢を想定できない。
となれば長州藩の指導者に対しては無批判的になるのは当然。
と言うわけで残念ながらお前のは完全な当て推量。
大学の図書館の使い方も知らない人?
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 00:54:21.56 ID:PA2C8Hmr0
キチンと研究者の指導を受けてれば、お前みたいな極端説には走らないはずなんだよな〜。
だって論文読んだ方がはるかにピンポイントだもん。
独学の悲しさが出てるよね。
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 01:06:08.51 ID:PA2C8Hmr0
と言うかおじさん何歳なのって言いたくなるな。誰それが解同だとか、
石井、田中、北川とか、自分らは名前と文字しか知らない大御所クラスの名前を出してるところとかw
>>833 > 田中・布引・前田・北川らの著作
申し訳ありませんが、姓だけでなく下の名もおながいします
つーかいい加減スレ違いなんだが
長州マンセーの部落ヲタが暴れてたんだろ
あの部落ヲタはキューパーが保障占領構想やら萩攻撃やらについて
「自分の責任外のことで女王陛下の文官の使臣から命令を受ける気持は毛頭なかったので
自分の使用できる兵力では長州藩のいかなる土地をも永久に占領することは不可能であると判断し、
砲台を破壊し、下関海峡の自由通航を実現すれば、それで自分の任務は終わったと考えていた」
ことも知らない。
さらに第3回会談の翌日、本国海軍省に「現在使用し得る兵力をもって、
海峡近傍の島嶼、あるいは本州の一部を占領するのは得策ではないと言う確信を強めた」
と報告していることも知らない。
さらに伊藤博文の回想でも、キューパーは租借と言う条件にあまり固執しなかった
とされていることも意図的に隠蔽している。
さらに言えば、償金の金額を江戸で決定すると言う条項に関して、
長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼しにサトウの乗っている船を訪れたことも知らないんだわ。
この長州藩使節を乗せた船は遅れて8月20日に出航している。
しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていたことも知らない。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」
部落問題には恐ろしく詳しいくせに、どんだけ無知なんだと言いたくなる。
そのくせ屠勇取立令についての吉田稔麿の書簡とか、呼称問題とか全然知らないし。
そもそも、賠償金を支払うための保障占領(担保に取るようなもの)と、
オールコックが考えていた萩の攻撃と、租借はまったく性格が違うものなんだけどな。
伊藤が保障占領を租借と間違えたんじゃないの。
その保障占領すらキューパーは文官の指図は受けない、我々の軍事力で長く占領するのは困難、
として最初から拒絶してるんだが。
保障占領の場合、当然、賠償金が支払われれば担保物件は返還される。
また、長州が賠償義務を認めていないのなら、
なぜ賠償金の軽減のために修好使節を差し向けたのか全く意味不明なことになる。
下関の講和の段階では、長州藩側の違法行為と賠償義務は確定していた。
ところが四ヵ国公使は長州藩に命令を下したのは幕府であるとして連帯責任を追及し、
最終的に幕府が支払を引き受けたことで、長州藩は幕府と言う連帯債務者に全額押し付けられたわけで。
長州は間違いなく賠償義務を負ってるんだよ。ただし幕府が代位弁済してくれた。
その幕府の支払は英国側によれば、開港と秤にかけて「自主的に支払ったもの」であり、
長州藩の約した賠償金とは性格が違うものであることが幕府側、英国側双方の史料から裏付けられる。
伊藤の回想は明治42年(1909年)、実に45年後の出来事であり信憑性に著しい疑問符が付くわけだが、
仮に伊藤の回想を全面的に信ずるとしても、
キューパーは賠償金の金額が第3回会談で大激論になったため、公使連中が選択肢の1つと考えていた保障占領を提案し、
反対されたのであっさり引っ込めたと解するほかない。
あくまでも伊藤の回想を信ずればの話であるが。
もともと英国艦隊側には、賠償金より強い抵抗が予想される保障占領にこだわる筋合いがなかった。
なぜならこの段階で長州藩は今回の攘夷が幕命によるものだとエクスキューズしており、
英国は幕府に請求し得る根拠を文書化して入手しているから。
もっと言えばオールコックは賠償金にはさほど関心がなく、下関の開港を望んでいた。
賠償金を吹っ掛けて下関の開港に持っていく作戦だったことはサトウが記す通り。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 04:34:10.27 ID:+MXFu1Sm0
推理ドラマならその富蔵は確実に真っ黒だなw
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 05:46:39.87 ID:u8KwpXNN0
何の行動も起こすことをせず、瑣事を巡っての
不毛な論争で、日がなコンピューターの前で勝った負けたと
一喜一憂している現代人たちを見たら、
東行先生はどう思われるであろうか?
「しっかりせい」と癇癪球を破裂させるのでは
なかろうか?
晋作が挙兵した時、藩政府が動かせる兵力は二千あったという。それに八十で抗するのだ。
まず物理的に冷静に見たら、成算などあろうはずがない。
しかも晋作が、例えば事前に豪農たちを訪ね、根回ししたといった形跡は無い。
諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
さらに晋作が下関を制圧した時、藩の役所の蔵は空だったという。
保守派も用心して、武器も金も食糧も萩に引き上げていたのだ。そんな下調べも出来ていなかったのである。
別の用件で下関に滞在中だった晋作の旧友で筑前藩士の月形洗蔵が、見兼ねて公金百両を貸したという逸話が残る(『高杉晋作入筑始末』)。
または、入江和作など下関商人たちから、当座の軍資金を借用したという記録もある。
晋作が山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛に手紙を発し、経済的援助を乞うのは十二月二十七日である。
これは挙兵から十二日も経っている。しかも吉富が応じなければ即座に斬るよう、晋作は使者に命じていたというから、
かなり強引な交渉をするつもりだったに違いない。結局、吉富は軍資金を提供し、
ここで初めて豪農の支持を得るのである。
あるいは、傍観を続けていた奇兵隊および諸隊が、保守派の陣営を奇襲し、
晋作たちに呼応するのは慶応元年(一八六五)一月七日未明というから、実に挙兵から三週間も後のことなのである。
いずれにせよ「天才革命家」の行動とするなら準備不足で、お粗末極まりない。
620 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/05/21(土) 06:39:11.02 ID:wS2ZvWqW0 (PC)
(・◎・)わいは いけめんのおおむらさんやで
829 返信:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/02(水) 23:48:03.30 ID:ltSI0+H50 [3/4] (PC)
>>620 違う。
831 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 10:24:46.16 ID:6hMvRdLC0 (PC)
/\ /\
/ \/ :::\
/ :::::\
/ ● ● ::::::::\
| / ̄\ ::::::::::::::::| いけめんを ひていするやつは おしおきやで
なんじゃこのやりとりw
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 19:49:57.03 ID:xBf+qMnG0
>>844 誰も成算ありと見る挙兵なら、初めから挙兵する必要ないし天才でもなんでもないわ。
窮地の情勢を挙兵で覆したから天才なんで、しかも何度も際どい機略を成功させてる。
高杉は当時の情勢を承知してるから、挙兵という行動をした。
九州に行って、長州没落と共に全国尊攘派が弾圧される情勢を見てる。
結局天下は長州中心に動いて、待っても情勢が旋回せず、自力で動かすしかないと知った。
成功失敗以前に博打で挙兵するしかない動かせない情勢と高杉は判断。
事前に根回しなんてできる情勢でない、機を逃し筒漏れになるだけ。
はーん、その理屈はおかしいでちゅね。
だったら12日に既に決起計画から離脱している諸隊の前で酒食らって決起を促す理由がない
高杉の遊撃隊説得が漏れてたから赤根・時山の交渉団が止めたんだけど
12日に決起を促すとか言っても、実態は決起に応じてくれなくて泥酔した男が
勝手なこと喚き散らしてどっか行っちゃったと言うだけの話なんだけどねw
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/05(土) 23:19:20.49 ID:WmIAKztc0
金とか富蔵とか言ってたあいつか。
長州ヲタもあそこまで行くと贔屓の引き倒しで迷惑だは。
押し借りは長州藩が京・大坂で世論の支持を得るために組織的に使ってた手段だからね。
高杉もそれまで何度も使ってるだろう
外国との取引で利益を上げてる豪商を調べ出して「値段を下げろ」と要求。
援助を約束すれば放免する。拒否したら、斬奸と称して加徳丸事件のようなことをやる。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 08:15:09.16 ID:74ZB99qx0
>>848 そこが動いた高杉と、動かなかった諸隊の歴史的評価の違いなんでちゅよ?
高杉の挙兵成功を見て、諸隊が高杉の挙兵に加わろうと騒ぎ出し、その後長州の農民が参加し、藩政府軍を破りクーデター成功、幕府をはね返し、全国の尊攘派が息を吹き返した。
禁門の変以降、どの藩も自藩の尊皇攘夷派を処罰し最悪の状況。
月形も処分され死んでる。
高杉が挙兵しなければ、俗論党が政権を握ったままでどっち道諸隊は終わり。
尊王攘夷派は全部死亡、薩長同盟も大政奉還も無く、明治維新も無い。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 08:16:43.45 ID:+79zcoG20
何を今さら
高杉と白石正一郎も高杉が本藩に取立を依頼すると言う打算で結びついた関係だが
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 08:17:59.66 ID:+79zcoG20
>>853 その高杉君が決起計画を堂々とお漏らししていたことはどう弁解するのよ
>>853 諸隊が動いたからこそ高杉の挙兵は成功したんだぜ。
太田絵堂でも高杉の進撃論に山県が反対してそっちの意見のが通ってる
高杉の意見なんて山県はじめ諸隊幹部が反対すれば無視されるような状況
内乱勝利後、高杉は干城隊によって諸隊の勢力をそごうとしている
つーかお前が例の富蔵?!
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 09:15:50.63 ID:74ZB99qx0
高杉は挙兵すると少数の決死隊で三田尻の軍艦3隻を奪取。
挙兵の報が広まると井上、品川、山田らが呼応し、義勇兵を集結。
勢力を増すと日和見してた諸隊も高杉に協力した。
この情勢を作り上げたのが天才の高杉の偉大さ。
それは山県の偉大さを証明するものにしかならないな。
高杉の挙兵で藩政府との交渉がぶっ壊れても諸隊は3週間も参戦せず
諸隊が参戦してからは高杉の意見は通らず
>>844 ×諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
○既に挙兵反対を決めていた諸隊の陣営に乗り込んで怒鳴り散らしたものの、相手にされず脱走したと言う史実があるくらいだ。
裏山かづらとか言って山県の機嫌を取るのに必死だったしな
>>839 キューパーや東行先生遺文の中原の伝聞を引っ張るまでもなく
従軍していたアルフレッド・ルサンが1866年に刊行した回想録で
フランス艦隊のジョーレス提督が賠償金取立のための保障占領に反対していたこと、
と言うよりもフランス海軍にそのための兵力がなかったこと、
公使間の覚書に保障占領は四ヵ国間の協議で行われなくてはいけないことが定められていること
を証言しているから、フランスが反対している以上、公式協議で提案なんか出来ないよ
ジョーライスだけでなくキューパーも反対なんだから、雑談に出た程度しか考えにくい
だいいち、伊藤博文伝の伊藤も中原の談話も租借の件をそれほど重大に取り扱ってるわけではない
「日本の開港場にせよ、また他の地点にせよ、領土の割譲ないしは排他的利権を
要求も受理もしないことに一致した。…占拠することが有益又は必要に見えても、
かかる占拠はその地を確保した国家に何ら排他的権利を付与しない」…当該条項
また、ルサンやキューパーが言及する保障占領は関門海峡の安全航行を確保するためのもので、
賠償金支払とはあまり関係ない。下関の高台を挙げていることから主に安全面の保障だったことが分かる
つまり長州藩が砲台を撤去し新設を止め、寄港を認めると言う講和条件で目的は充分達せられる
サトウが「要求が完全に満たされた」と言ったのはそのため。
長州はこの講和交渉の初っ端で信任状を忘れてくるほどのうっかり八兵衛。
当事者の伊藤や高杉が混乱してるから租借や保障占領についても間違えたんだろう
と言うか高杉自身は租借について一言も触れていない
山県、この戦争で何か疚しい所があったぽいな
>>862 パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ
パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ
パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ
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パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ パチパチパチオパチパチ
(拍手万雷)
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 19:14:09.12 ID:gVCn7dE00
侵略の野心ある英国の狙いを看破し租借を断固拒否!
わずか数十名の功山寺挙兵で勤王攘夷を再び復活させ、15万の幕軍を天才的奇略で華麗に打ち破る
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。 これ我が東行高杉君に非ずや…」
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 19:21:31.05 ID:gVCn7dE00
高杉は、狂ったのだ。
と、たれしもが晋作の脳髄の正常さをうたがい、山県狂介以下奇兵隊の壮士のすべてが、晋作に対して冷淡であった。
傷負い猪が荒れくるっているとしか見なかった。
奇妙なものであった。結果からいえば、「高杉晋作の挙兵」として維新史を大旋回させることになるこのクーデターも、伊藤俊輔をのぞくほか、かつての同志のすべてが賛同しなかった。
歴史は天才の出現によって旋回するとすれば、この場合の晋作はまさにそうであった。
かれの両眼だけが、未来の風景を見ていた。いま進行中の政治情況という山河も、晋作の眼光を通してみれば、山県狂介らの目でみる平凡な風景とはまるでちがっていた。
晋作は、この風景の弱点を見ぬき、河を渡ればかならず敵陣がくずれるとみていた。
が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。
(行動で示すあるのみ)と、晋作がおもったことは、悲痛であった。なぜならば、行動とは伊藤俊輔がひきいる力士隊三十人だけで挙兵することであり、三十人で全藩と戦うことであった。
その前途は死あるのみであった。が、劣弱な風景想像能力しかもたない同志たちに、
政治風景というのは、こう押せばこう変わるのだ」ということを示すには、実物をもって示すほかなかった。
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/08(火) 23:41:32.93 ID:gcUkEPxE0
大阪府島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校で暴力やいじめを受け続けて、心も身体も
壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
>>867 司馬遼太郎は売国奴なんじゃなかったの?w
>が、かれは自分の頭脳の映写幕に映っている彼だけの特殊な風景を、
>凡庸な情況感受能力しかもっていない山県狂介以下の頭脳群に口頭で説明することができなかった。
凡庸な情況感受能力しか持ってない奴が洞春公の銅像担ぎ出してでも戦えなんて言うもんか。
てか司馬のポエムに引っかかる馬鹿大杉
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 06:03:03.67 ID:6YWJDVgS0
山県は最近、再評価の機運があるな
成功したとは言い難いけど
高杉は・・・
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 19:15:24.21 ID:/CFtPxOg0
夜になって、山県がこっそり二階へあがってきた。
「藩の天地は、俗論が満ちている」と、晋作は言い、いきなり、「やるかね」と、言った。
人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。
あとは相手の目をじっと見、その精神から立ちのぼる気のうごきを見るだけである。
この時期、奇兵隊士は二百人ほどであった。山県は、わずか二百人で、全藩士を向うにまわしてのクーデター戦争が出来るとはおもっていなかった。
山県は、そのことを言った。
「なるほど」晋作は、さからわなかった。かれはその生涯で一度といえども他人を説得したことがない。
相手に気がなければそれでしまいさ、とつねにあっさり割り切っている。それに、藩論が佐幕に傾いた以上、いまさら二百人で決起したところでひとびとはついてくるまい、とも思っている。
その点、山県と同意見なのである。ただ山県が、死物狂いでやってみましょう。
と気を動かせれば、その気をひっさらって雲をよび、雷電を鳴動させてみるつもりはあった。が、あきらめた。
伊藤は、馬で夜道を奔った。伊藤はたてがみにしがみついた。馬にくらいつきながら、馬関での大仕事をおもった。伊藤は、
(おれはもう死んでいるのだ。死霊が駆けているのだ)
そう思え、と自分に言いきかせた。政敵の赤根武人は伊藤を「才子」とあざけったが、たしかにこの若者は多少の軽薄さをもった才子であった。
かれがもし、この時期、長府・下関のあいだを死霊になった気で奔ったという意外な一面がなかったならば、かれは生涯単に才子として終わったかもしれない。
奇兵隊って事実上前田を見捨てて逃げてるよな。
前田の住民が怒ってる。
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 00:58:15.24 ID:YDk4fzUN0
>人を説得するにしても、晋作という男は鳥の声ほどの短さでしか言わない。
12月12日の挙兵の呼びかけでは泥酔して
大演説したあげく無視されてますが?
高杉はむしろベラベラしゃべるほうだよ
と言うか高杉は功山寺のちょっと前に御楯隊から挙兵計画持ちかけられて拒絶してるけどね。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 07:24:51.49 ID:jx3mBfdT0
ここで言い争いをしている人達はいくら高杉について知ろうとも
(たとえ本人以上に知ろうとも)、高杉のようには
なれないであろう。
何故なら、彼らは本質的に高杉とはまるで異なる人種の人達だからだ。
>>877 イミフ
キミは、今後、チラシの裏に思う存分カキコしてて
>>876 最初に決起を促した冷泉から見たら「だから言わぬことじゃないか」という心境だっただろうな
彼は12日に泥酔して現れた高杉に相当反発した記述をしている
>>873 ほぼ総崩れだよ。元奇兵隊士が証言してるが、まず銃撃戦で頭を上げられない。
で撤退命令来て逃げる。逃げた先で物音がしたら飛び起きて仲間内で切りあうような状態
薩摩はこんな醜態を晒してない。
もともと高杉って60年代のやくざ映画の世代のおっさんや、
学園紛争の左翼学生のアイドルだからな。馬鹿ほど高杉が好き
経営者や政治家に好きな奴が多いイメージがあるが
>>881 功山寺決起の過大評価でね
学園紛争の左翼馬鹿学生が高杉好きだったのは有名だよ
それが今の団塊のオヤジ
長州出身者でまず関心の対象になるのは伊藤。続いて山県。続いて木戸、大村あたり
高杉の重要性はこの3人に比べて圧倒的に低い。同時代人なら久坂にも劣る
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/30(水) 08:12:41.50 ID:Z0kB8e7B0
最後の名前は谷潜蔵。
妻と長男も後に高杉に再改姓
しなければならなかった。
木戸は久坂、高杉が先に死んでくれたおかげで長州閥のトップに立てたんだ。
そして大久保に押されっぱなし。高杉なら大久保、西郷と互角で渡り合えた。
いや、高杉の生前から木戸や周布が長州を仕切ってると思うんだが
大久保の苦手なものが木戸
むしろ馬関問題の顛末とか見るに、高杉本人も自分が政治に向いてるとは
思ってなかっただろうw
維新後生き残ってても軍務畑でないかな
渡欧して何を学ぶ気だったんだろう
この頃の留学といえば軍事系だったらしいからやはりそっち系か
まあもし実現しても途中で気が変わった可能性もあるが
馬関義挙が維新への路を切り開いたんだ。高杉の功績は木戸よりも大きい。
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 18:39:31.40 ID:Hr0FW16T0
功山寺決起なければ木戸は長州に戻れず死んでるしな
小倉戦争も奇襲仕掛けたり、退却したり巧みな戦い
作戦命令もいちいち格好良い
いよいよ実に彼を誘い出し
箸を一本ずつ折るがごとく彼が力を割き
枝葉よりついに根元に至らん
高杉の小倉口上陸作戦はノルマンディー上陸作戦に相当するビッグイベントといえないだろうか。
事前に艦砲射撃を行い、下関からロケット弾らしき物まで飛ばし、海岸へ敵前上陸。
民主主義を信奉する若い兵の連合軍がナチスのベテラン・ドイツ兵を破る
奇兵隊(市民軍)がプロの侍・幕府軍を破る
>>893 敵陣を焼き払ってすぐに撤退したのも評価が高い
普通はあそこで拠点確保しようとしてしまう
>>893 ノルマンディーは規模の点で明らかに言いすぎ。
まぁガリポリ上陸戦みたいな体たらくにならなかったのは評価。
進退の見極めは上手いね。
>>895 高杉の如く→→竜馬の如く 焼酎2合、麦焼酎コーラ割りを飲むと間違いが多くなりますね。
898 :
忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/12/28(水) 09:42:22.62 ID:L1HtRdJB0
tes
■国難は全て関東人が引き起こし、中四国九州が尻ぬぐいさせられている■
@1274年と1281年の蒙古来襲
→鎌倉に幕府
→関東の指導者が、軽率なことに、蒙古からの国書に返書せず、蒙古の使者を
切り捨てるなどして、蒙古を怒らせたため発生。
→中四国九州の御家人が防衛に当たり、神風が吹き、国難を乗り越えた。
A1853年の黒船来航
→江戸に幕府
→関東の指導者が、鎖国を長引かせ、米国を怒らせたため発生。
→中四国九州出身の、元勲(薩長)が日本を救った。
B1945年の日本の敗戦
→東京に首都
→近衛文麿(東京出身)と東條英機(東京出身)という無能な首相が、日本を敗戦に導いた。
→中四国九州(広島と長崎)への原爆投下で降伏。日本の滅亡は回避された。
国難は全て、関東に政治中枢があった時代に発生しているが、「がめつい」と
よく言われる関西人は、保身を最優先させるため、大勢力のくせに貢献しない。
その結果、毎回、中四国九州が犠牲になっている。
■関東や関西に首都があると国難を招き、結局は中四国九州が犠牲になる■
歴史上の国難(元寇、黒船来航、太平洋戦争)は、全て、関東人の短気で、
喧嘩早く日本人らしくない性格によって、引き起こされている。
中四国九州では、国防への意識が比較的強いため、それが裏目に出て、
広島(軍都)と長崎(造船所)が、原爆攻撃された。
首相など有力政治家の輩出は、中四国九州に多く、関東や関西に少ない。
つまり関東や関西のような、政治的人材が不毛の地に政治の中枢が
置かれていると、国難を招き、結局最後は、中四国九州が犠牲になるのだ。
関東人や関西人は、普段は偉そうにしているが、いざという時、役に立たない。
首都は、中四国九州のどこかに、一日も早く遷都すべきだ。
歴代首相の人数
北海道 1
東北 4
関東 13
中部 9
関西 6
中国 16
四国 4
九州 9
合計 62
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5237.html
それトリックがあるよね。
例えば橋本龍太郎は東京生まれで麻布中学、慶応大学に進学。
宮沢喜一も東京生まれで帝大進学、大蔵省入省。
両人とも選挙区は西日本から立っただけの話。東京生まれ東京育ちでも本籍が田舎なんて人間は大勢いる。
80年代の鈴木善幸以降、19人の総理大臣の「出生地」を見ると、
西日本は竹下、宇野、村山、麻生、菅の5人くらい。辛うじてまともな評価に値する首相はせいぜい竹下程度しかいないことが分かる。
生育地が首都圏のほうが普通にエリート街道に近いんだから当たり前の話。
しかもオチが笑わせるぜ。昨夏の原発停止の直撃を受けたのは東北以外では関電九電
四国は慢性的な水不足、どうやって首都機能を移転すんだか
>>895 見極めがうまいも何も、背後を遮断されたら孤軍になるんだから撤退は当たり前。
関門海峡でゲリラ戦をやってればそれだけで京畿の物価が跳ね上がるし、諸外国から介入の動きが出る。戦略の常道
>>903 > 背後を遮断されたら
イミフ それは昭和戦前の参謀本部に言ってやれ
後ろは関門海峡と関門海峡につながる海
自分たち自身船で来てるし、陸づたいにも逃げられるし
>>905 続く、 これまた失礼しましたあーーー。「昔の焼き物にいいものがあるのになぜ現代はダメなのか、自分が出てしまうからだ」
例えば掲示板で固定ハンドルを使って出てくると→→ 「自分が出てしまう」 んですね。
確かに2ちゃんえるでコテハンを使うことによって,または掲示板を司会者のごとく仕切る作業、下司な作業をする事により
@事大主義、商業主義、利己主義、形式主義、権威主義に陥り、その結果自己の所属する団体のしがらみ
まで背負ってしまう。発言が重くなりすぎツマラナイものになる。
軽く発言するためにコテハンをはずすといいんですね。そしてあらゆるしがらみを取り去り、1人のホモサピエンス
1匹のホモサピエンスとして発言すれば良いのですね。
これまた失礼しましたあーーーー ガチョーーーン
BY クレージーキャッツ 植木等ANDハナ肇
>>896 続く、やはり 我以外、みなこれ師です。しつれいしましたあーーーーーーーーーーー(汗)
よよよ、よろしく、今後とも宜しくお願いします。
BY 植木 等
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 07:53:41.63 ID:jnw7/xgj0
おもしろき こともなき世に おもしろく
暴れた果ての いまの世か
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 07:58:56.48 ID:jnw7/xgj0
されどもな その生き方ぞ 魅力的
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 12:57:49.51 ID:Rpgm/H8p0
だな
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 00:17:46.45 ID:Fm3BD1vH0
一度妻のお雅を連れて芸者をあげてドンチャン騒ぎしたが、お雅は何が面白いのか分からないと回想していたらしいな。
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 19:41:12.66 ID:Vg3p0mG10
おもしろき ことがあるぞと つれだされ
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 12:48:27.67 ID:32MNMW+X0
高杉晋作に似ているのはナポレオンだろう。
高杉晋作ゆかりの温泉地、温泉宿に行こうと思ってます。
湯田温泉の松田屋か萩で宿泊しようか迷ってます。
オススメがあったら教えてください。
915 :
<a href="あ">あ</a>:2012/02/11(土) 17:19:42.74 ID:HdrFmSWc0
m
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 21:32:58.22 ID:HGQXUJPl0
上士の家柄でおとなしくしていたら殿様の側用人くらいにはなれたが、アホらしゅうてサラリーマンなんかやっていられるか、という性格だったんだな。
>>904 1回目の攻撃後、パークスが幕府艦隊の出動をけん制してる
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/20(月) 11:11:08.61 ID:G6zUjSA10
高杉晋作は関門海峡に列強租界地を作らせなかった日本の英雄だ。
ここが香港、マカオを取られたシナと違うところだ。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/20(月) 11:22:49.79 ID:IhRsHWzT0
その通り!
そもそも彦島租借要求じたい出てないんだけど…
と言うか一国の単独の要求では出せないようになっており、
フランスは租借に反対だったんだが
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/05(月) 15:53:46.95 ID:58hiGNbY0
高杉晋作って豚肉も牛肉も食べないのになんであんなに骨太なの?
幕末の偉人の中で一番好きだ
こんなに魅力的な男はいない
松陰よりも久坂よりも木戸よりも偉い
晋作が挙兵した時、藩政府が動かせる兵力は二千あったという。それに八十で抗するのだ。
まず物理的に冷静に見たら、成算などあろうはずがない。
しかも晋作が、例えば事前に豪農たちを訪ね、根回ししたといった形跡は無い。
諸隊の陣営に乗り込んだものの、挙兵に反対されたため、激情に任せて怒鳴り散らしたという史実があるくらいだ。
さらに晋作が下関を制圧した時、藩の役所の蔵は空だったという。
保守派も用心して、武器も金も食糧も萩に引き上げていたのだ。そんな下調べも出来ていなかったのである。
別の用件で下関に滞在中だった晋作の旧友で筑前藩士の月形洗蔵が、見兼ねて公金百両を貸したという逸話が残る(『高杉晋作入筑始末』)。
または、入江和作など下関商人たちから、当座の軍資金を借用したという記録もある。
晋作が山口矢原の大庄屋吉富藤兵衛に手紙を発し、経済的援助を乞うのは十二月二十七日である。
これは挙兵から十二日も経っている。しかも吉富が応じなければ即座に斬るよう、晋作は使者に命じていたというから、
かなり強引な交渉をするつもりだったに違いない。結局、吉富は軍資金を提供し、
ここで初めて豪農の支持を得るのである。
あるいは、傍観を続けていた奇兵隊および諸隊が、保守派の陣営を奇襲し、
晋作たちに呼応するのは慶応元年(一八六五)一月七日未明というから、実に挙兵から三週間も後のことなのである。
いずれにせよ「天才革命家」の行動とするなら準備不足で、お粗末極まりない。
腐った幕府を倒してくれてありがとう
兵に臨んでまどわず、機をみて動き
奇をもって人に勝つものは、高杉東行、これまた洛西の一奇才(中岡慎太郎)
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/10(土) 20:00:37.80 ID:/ZcItuUX0
坂本竜馬も高杉の門司、小倉城攻めを見物していたんだな。
来年は高杉のNHK大河ドラマを望む、もちろんあの方、怪鳥のはばたくが如くしゃべるあの方で。
誰?
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 00:30:39.84 ID:WZWDlYF/0
しかし高杉も久坂も吉田松蔭の思想によって動かされていたんだから、松蔭が明治維新の黒幕とも言えるな。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/12(月) 01:03:10.43 ID:nayDkrAj0
松陰の操り人形じゃあるまいし、何年も前に死罪になってる黒幕なんているかよw
原動力と言うならわかるがな。
>>932 おー、伊勢谷か!「龍馬伝」の伊勢谷の高杉はかっこよすぎた
三味線無双は笑えたけどw
>>933 野村萬斎かな
見た目なら伊勢谷なんだけど、かつぜつがね…
個人的には20代半ば〜30歳ぐらいの若い人で固めた幕末大河を
一回見てみたい
若い人達が世の中を変えたんだっていう実感が沸くように
ちょっと前のTBSのルーキーズみたいな面々になりそうだけど
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/14(水) 20:51:06.58 ID:A4bOmmAn0
そうなんですか、残念です。 ゲッ、しかも宿敵の会津なんですか。なんとーーーー
>>936 佐幕NH犬の亡国自己中路線がいよいよひどくなっていくな
>>938 昭和49年発売 作詞:寺山修司 作曲:古賀政男 編曲:竜崎孝路
五木ひろし 浜昼顔
http://www.youtube.com/watch?v=xvX8uZ7bQIk&feature=related 「家のない子のする恋はたとえば瀬戸の赤トンボ
ねぐらさがせば陽が沈む
泣きたくないか日ぐれ径
日ぐれ径ーーーーーーーー」
寺山修司や阿久悠は誇るべき日本の宝、大人の文化 (正)
AKB48 秋元康 クールJAPAN NHK フジテレビ (悪)
AKB48の放送時間が長すぎて、
「 大人の落ち着いた番組を見たいな 」
この要望がかなえられず、やたらAKB48の女の子の「みんな、泣いちゃいけない東北のみんなの
為、がんばるのよ」 女の子だけで、どのチャンネルを回しても女の子ヤッテルヨ (泣き)
クールJAPAN(誤)→→→→→→→→→地獄JAPAN(正)
最近ようやく判った。NHKが見てられない状況になった。
>>937 2017年の高杉没後150記念で「高杉晋作伝」か
2018年の明治維新150周年で長州物が大河化されるといいなと思ってる
長州大河が作られるとすれば、松子にお任せの木戸か、伊藤しかない。
そして伊藤が作られるかどうかは山本八重子の視聴率にかかっている。困難だろうね
何より幕末維新史は「高杉晋作」と言う人名を使用しなくとも説明できる。
高杉の立ち位置は小栗忠順より低い(日本中枢の政策決定に関与していたわけでもない)
講談本的に河井継之助あたりと肩を並べるのがせいぜいだろう。
木戸、あと久坂を抜いて説明しろと言われたら困難だが。
そりゃ手柄立て放題の戊辰戦争の直前に死んでいるからなあ
戊辰に参戦してたら西郷、大村の次くらいには評価されてたかもしれないね
高杉ってただの戦争馬鹿じゃないからね
新政府には参加せず、下野して好きなことやって暮らしてた気がする
そして彼が必要とされる混乱が起こった時、また姿を現す
高杉の最終目的は日本を列強から守ることであって、倒幕はその途中経過にすぎないんだから
倒幕したらあとは好きなことして暮らしまーす、なわけないじゃん
どういう形であれ政治には参加すると思うよ
ててて、寺山修二です。私も晋作ファンでした。
競馬のレースが止まってますから、ちょっと高い所から書き込みます。どこぞの
バーカが、上で上げた古賀メロディー・五木さん「浜昼顔」の花言葉はズバリ、「絆」です。
そうです。
寄る辺なき、心優しき、あの金玉閣下、東海アマさんとの、いいさん山さんとははははh「絆は」は1000億円。ーーーーーーーー。
寺山です、5番レース開始です。もう行きます。上野公園のはしっこで、と唐十郎とのコラボ公演
「毛皮のマリー」入場たったの800円よろしく。
寺山です。AKB48、ブリッコの、上の↑↑↑ 偽物の秋元の少女詐欺ではなく、下の↓↓↓こっちを見て下さい。
聖少女。プリオン狂牛脳の白人さま方が 「 ゲッツ、聖なる糞だ。最高だ、最高の俗物だ。GAGAを凌ぐぞ、聖少女見つけた 」
騒ぐところのインパクトある。 便所民フランクリンとかリチャードこすい水 とかの、低級宣撫工作員のオッサンのあの肉謀もオーマイゴットなのか。。
ゲゲゲーーーーーーこれでいいのか。
聖少女 ↓↓↓ 荻野目洋子
http://www.youtube.com/watch?v=RjqMn9nbnN0&feature=related
寺山修二→→→→寺山修司 スマン。
>>941 高杉の存在はそれほど軽かったのですか。四境戦争は村田蔵六だけで勝てたとは思えませんが。高杉無き場合は
長州藩そのものが歴史から消えていたのではないかと、私は思うのですが。
>>941 てめえーー、宿敵どころか あんたは朝敵会津の工作員
941はいつもの粘着アンチだからスルーで
久坂ヲタや薩摩ヲタのフリしてるが、ただの会津ヲタなのは前からバレてる
あちこちのスレでご苦労さんw
>>940 記念の年に是非お願いしたいねぇ
維新150年に向けて、山口県が県をあげてキャンペーン予定の
ディスカバー!長州博 明治維新150年祭が始動始めてるね
公式パンフ欲しいなぁ
>>948 そんなことはないよ。一会は寛典で纏まってたから。
>>950 そんなことはないよ。木戸や伊藤は認めているから。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 08:15:04.19 ID:ZTCK1txk0
幕末動乱期では坂本竜馬と並ぶオモロイ人物だな。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 08:19:02.95 ID:ZTCK1txk0
>>931 死せる松蔭、生ける玄随、晋作を走らす。
結果論で見ると高杉は幕末史で欠いてはならない人物ではあるが、
全体的に幕末の流れを語るには省かれがちなのは確かだ。
活躍が長州内しかないから仕方ない
当時から知名度抜群だったらしい桂や久坂に比べたら低い扱いは仕方ないよ
>>954 その故事は敵に向けたものだから例えがおかしい
死せる益次郎、生ける隆盛を走らす、が正しいな
高杉が行動しなきゃ俗論派が健在だったろうな
高杉が活きていたら汚職で悪名をなしたろうな
ぶっちゃけ高杉がいてもいなくても大して変わらなかったと思われる。
諸隊と藩政府の交渉をぶっ壊して結果的に内戦を引き起こしたのは確かだが、
だからと言って赤根の交渉が纏まっていた可能性もない。
>>950 あ、やっぱりwこいつ、木戸スレや大河板のスレも荒らしてるよね。
深夜〜明け方になるとゴキブリみたいにゴソゴソ活動始めて
長文連投や亀レスで絡んだりするからわかりやすいwコピペ厨だし
アンチの巡回ルートw
高杉晋作スレ
924 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/07(水) 04:40:28.87 ID:LrY6C+QK0
長文コピペ貼り付け
【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎スレ
288 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/07(水) 04:50:31.94 ID:LrY6C+QK0
追い払うどころか長州は砲台撤去、償金支払義務の存在を認めるなど全面譲歩。
砲台撤去は後で木戸がパークスに頼んだけど承知してくれないという醜態。
江戸での講和交渉に長州藩が修好使節を派遣して償金の減免を図ろうとし、
そのために井原主計、伊藤、杉、宍戸環の4名が選ばれ、旧暦8月18日に広沢真臣が
同乗を依頼し長州藩使節を乗せた船は8月20日に出航している。
しかも下関の開港について尋ねられたら、朝廷と幕府の承諾があれば異存はない、
と返答するように藩庁から指示を与えらえていた。
※「彼らは、将軍の許可を得ることなしには、貿易のために下関を開港することには同意しないであろう」
つまり長州藩の全面敗北を飲んだのが高杉。尻拭いに苦労したのが木戸だ。
289 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/07(水) 04:53:03.98 ID:LrY6C+QK0
>>287 内乱でも長井雅楽暗殺計画は高杉がぶち上げ、久坂に褒められてるような力関係だよ。
鉄砲玉と親分くらいの力量差はある。西郷も久坂は褒めているが高杉には全く言及していない。
実際、長州藩が京で活躍したのは久坂、桂がリードした時代であって高杉は二線級の人材。
何故、高杉晋作が作られないのか?其の二
593 名前: 日曜8時の名無しさん [sage] 投稿日: 2012/03/07(水) 04:55:59.81 ID:lfUjwJWN
>>589 美味しいどころか三味線弾いてるバカだと思われるんじゃね?w
>>952 嘘つけwお前はアンチ長州アンチ山口だろ。
高杉晋作スレ
952 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/18(日) 03:27:04.41 ID:t7aaDFEa0
>>948 そんなことはないよ。一会は寛典で纏まってたから。
>>950 そんなことはないよ。木戸や伊藤は認めているから。
【攘夷】久坂玄瑞・高杉晋作・大楽源太郎スレ
299 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/18(日) 03:28:20.29 ID:t7aaDFEa0
いいえ、事実です。高杉は久坂の政治的同志に過ぎません。
300 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2012/03/18(日) 03:33:01.85 ID:t7aaDFEa0
>>295 役割分担にしては高杉は収拾能力がなさすぎるなあ。直線的にしか動けていない。
久坂は直線的な行動も出来るし、人脈派閥を作って搦め手から攻め落とすという行動も出来る。
高杉は志士的というか、官僚的というか、役人的というか、その種の工作が全く出来ない。
久坂が政治的辣腕ぶりを発揮していた時期だから、なおさら脳筋ぶりが目立つね。
何故、高杉晋作が作られないのか?其の二
597 名前: 日曜8時の名無しさん [sage] 投稿日: 2012/03/18(日) 03:37:57.80 ID:ZAJrKGBn
あぁ、ここにいるのはみんな山口県民か。
誰も興味がないホモ大名信玄で食ってる山梨県民と同じくらいうざい存在だな。
>>935 いいな。若いエネルギーで腐敗した権力組織をぶっ潰す熱い青春群像劇!
そうせい侯のスレなんてあったんだな
>>964 高杉晋作…伊勢谷 これは定番のはずですが?
>>965 個人的にはちょっと格好良すぎる気がするなー
伊勢谷友介
それ以前に年齢が若くないだろ
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/26(月) 15:21:46.94 ID:zeeI40Ud0
>>968 このオッサンが松下村塾で久坂玄随や高杉晋作に革命思想を吹き込んでいたんだな。
>>968 それだと今度は松陰先生がカッコよすぎにw
でも、そんな松陰先生もちょっと見てみたい
花神でもアグレッシブな松蔭先生を塾生みんなでなだめたり
血判状を出したりで、抑えるのに手を焼いて
先生を止めないと・・・みたいな描写が面白い
幕末モノに出てくる松蔭像の多くは「人格者」として描かれれすぎで
若き一人の勤皇の志士の側面が薄い、そこを描いたら
高杉達が感じる「先生がやられた、いなくなった・・・」という喪失感は凄いと思うよ
若くてパワフルな人が演じる松蔭がいい
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/27(火) 15:57:17.68 ID:cZsidh+Q0
この流れで久々に松陰神社に行きたくなった
丁度そろそろ桜の時期だし
花見して、木戸の寄進した鳥居や、伊藤や井上や山縣の奉納した石灯篭や
徳川が松陰先生の墓ぶっ壊した謝罪の水盤見て
松陰先生の墓にお参りして、高杉と伊藤が小塚原から改葬した頃に思いを馳せてみよう
>>960-961 木戸や久坂、あるいは実務レベルで伊藤と高杉を比較したらアンチ長州と言う理屈が分からん。
木戸や伊藤は長州人ではないのかと。こういう暴論がまかり通るから高杉はイヤなんだよ。
ちゃんとそこに書いてあるだろ。木戸、伊藤は評価していると。
べつに長州だのアンチ長州なんてくくりで人物評価しているわけではない。
高杉は政治的戦略的な意思決定能力に乏しく、官僚的な志士と評するのが正確な所だと言ったまでだ。
功山寺決起なんか計画性がほとんどないんだから仕方ないだろ。
それと下関協約の交渉のくだりは前にもこのスレに詳しく書いた。
すべて事実だよ。他スレでも指摘したが、何か間違ってたらちゃんと指摘したらどうだ?
長州藩から使節が追っかけて派遣されたのは紛れもない事実だ。
べつにコピペでも何でもないし、隠してるわけでもない。
>>974 奇兵隊初代総督の高杉晋作が動けば奇兵隊はじめ諸隊が動き、正義派が復権できるはずだ!
というたかすぎならではの立派な計画性があった。余りにも明らか。
>>975 >>862
高杉は育ちは良く、物欲無く、決断力有り、幸運に恵まれ、詩歌の才能ありおまけに三味線まで持ってたのか、かっこよすぎ。
「高杉にだけは会いたい、会ってゆっくり話を聞きたかった。歴史上の人物で一人だけ会わせるというなら、高杉晋作に会ってみたい」
創価学会の第二代会長、戸田城聖、上記のようにいわく。
晋作は男のやきもちを妬かれる存在。
高杉にはツキもあった。しかしツキも才能のうち。
>>977 その高杉が心酔した松蔭に私ゃ会ってみたいけどね