落ちたようなので立てた
前スレの最初の方のテンプレ案採用したけどこれでいいかな?
最近脱糞君見ない気がするが…
ともあれ、引き続きどうぞ
>>1 スレ立て乙です!
ここスレが落ちるの随分早いね
最後の書き込みおとといぐらいだった気がするのに
おお!スレ立て乙
>>1 あと今更でごめん。木戸スレ9の
>>1へ。スレ立てthxでした。
前回タイミング逃して言えず。面白かったよ。
>>1 スレ立て乙!
前スレに行ったら落ちてたからびっくりした。
やっぱりこのスレが無いとなんか落ち着かないww
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/14(月) 22:24:56 ID:T681BrKZ0
木戸孝允は徴兵制度や地租改正や廃藩置県にどの程度
かかわっていたのですか?
>>7 どの程度っていうか木戸主導だよ。
木戸が主張し岩倉や三条、他の高官を説いた
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 15:06:43 ID:GnMnP+oBO
五箇条の御誓文も木戸が主体で書かれたのかな。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 15:55:10 ID:1OHsdwo5O
>>9五箇条の御誓文は、船中八策を元に、原案を出したのは由利公正。その後、福島が手を加えたものが、封建的要素が強くなっていたので、
木戸が福島案に手を加え(削除したり追加修正したり)完成。
施行の方法として天皇を主と立て、列候が天皇に誓うという形を提案したのも木戸だと言われます。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/17(木) 19:09:07 ID:Dket5Ykk0
木戸は巣鴨あたりで没したんじゃなかったっけ?
京都といわれているが・・・
>>12 そうだっけ。ごめん、音の雰囲気?で覚えてた。
>>11 いや京都で没したのは事実だよ。
というか巣鴨ってってどこから出てきた?
「鴨川沿い」→「巣鴨」か?
「別邸で死亡」、ということで、富士見台の本宅でなく、巣鴨の別荘の方、という解釈で
「京都の」が抜けてるんでは?>14
話変わるが、関係文書4遅ればせながら読んだ。
品川ぁぁぁぁ〜〜〜〜!!サイコー!
青木の手紙で、これ、品川は連名になってるけど、いいわけ?とか思ってたが、全然
いいわけだな、ありゃ。青木と品川のいるプロシア、楽しそう!行きたい!
あの軽快な文章、ユーモア、いい加減さ、全てが面白すぎ孫。。。。
杉孫も解説で下ネタチェック入れられてたがw
新聞屋、なってほしかったね、品川。福地より有名になってたんじゃない?
君尾の小説、品川本人の聞き書きかね?あのまんまじゃん。
品川の全集とかってないんだろか。読みてぇ〜〜。
>>15 関係文書4の品川、ほんとフイタw大好きだ!
慶応2年1月の薩長同盟同席後、薩摩藩邸京都潜伏中の報告だけど、
なにこれwww 6月の四境戦争直前のぴりぴりした中、
こんなんで京都の情勢報告受けたら木戸も楽しかったろうな〜。
諸藩周旋方集会での会津「壱人宛弐朱づつの持より」とか
「大樹は弥(いよいよ)極楽世界え御進発」とか、毒舌だしな川ww
何よりいきなり薩摩と仲良い!
まぁよく引用されるようなこの品川書簡=木戸の意思そのままとは
思えない部分もあるんだが。
思わず何回も宮さん宮さんをYo uTubeで聞いちゃって、やばい、
耳から離れないw
来年大河のムック本に谷原のインタビューと写真が載ってた。
何故か微妙に小さい月代だった。
風雲児たちの桂を見たときも思ったが、なんで月代なんだろう。
早いうちから総髪だったイメージなんだが、実際はどうだったんだろうか
町人に変装できたなら月代あったんじゃないかな?
急に剃ると日焼け具合ですぐにばれるらしいし。
>>11は釣りじゃないかと思ってしまった。
幸一の関係で巣鴨プリズンがどうとか言いたいのかと。
わざわざageてるし・・・
って邪推すまぬ。
心が荒んでるなorz やじの手紙読んでくるノシ
∧,,∧
( ・ω・)iiii メリークリスマス!
/ o[ ]o
しー-J  ̄ ̄ ̄
邪推・・・てか、むしろなるほど〜とすっきりしたww
ほんとに釣りだったら分かりづらいよ>11w
そなの?>巣鴨の釣り
自分は、木戸坂とかある昔の染井の別邸って、場所としては駒込とか巣鴨だと思うんだよ。
染井っていう地名、言ってわかる人って、もうそんなにいないと思うし。
だから、「京都の別邸」と「染井(現在の感覚で巣鴨)の別邸」が混乱?と思った。
関係文書5はどうなるんだろう。全部入るのかね?できるの?そんなこと?
どう考えても、「あ行→た行(4冊分)」と「な行→わ行」の差は微小だと思うが。
1冊だけ広辞苑状態なのか?情報あったらおしえれ
そうだ
染井の屋敷跡の碑をみたんだわ
没地は京都か・・
遅れ馳せながら
>>1乙。
醒めた炎買ったどー。
次は関係文書だな。早く手に入れな。絶版の書籍を探し回る悲哀はもう勘弁だw
図書館で木戸本借りようと思って
やっぱ醒めた炎かなと最初借りるつもりだったけど
古川薫の小説の方を借りてしまった。良作だったけど。
>>25の掛軸見てみたんだが、
この詩の説明のコピーっていうのには明治九年の作、と書いてあるのに
掛軸本体には安政三年って書いてある(出品者の説明でも安政三年)のはなんでかな?www
内容からして明らかに安政三年なんかの作じゃないだろw
「頭を回らせば知己人已に遠し」とか、安政三年じゃまだ家族くらいじゃない?亡くなってるの。
というか二十代の一介の長州藩士が廟堂だの三千余万蒼生だのって詠むかな?ww
これ有名な詩だし、誰かが作った贋物じゃない?
字体もなんか違う気がするし。
>>26 確かに。右上の印影が本来「事々不如人」なのに「事々木如人」になってるしね。
安政三年って、剣豪時代だよね。まだ水戸と密約とかする全然前でしょ?
木戸作と解釈して、だけど、その頃に、この詩は枯れ過ぎつか、泣き過ぎでは。。。
でも、この解説の紙みたいのほしいな。どこからの引用なんだろ?
あんまり偽者っぽすぎて、実は「安政3年」の字だけ本物だったら笑うが
でも、本文の字は木戸っぽいと思う。年月日と署名が木戸じゃないような。
自分はヤフオクに木戸を登録してるので、新しいのが出ると通知が来る。
オークションで落とす気は全くないけど、集めておいて、眺めるため。
結構頻繁に出るよね。本物率がどれくらいかわからんけど。
例の瓢箪なまずが再び出るのを待ってるんだが。。。
落札されてるwww
今年はまだ木戸活動してないわ
寒気の緩みを見計らって霊山にでも行くかな
ついでに護国神社で汚沢消滅を祈るんだ・・・
ってスレチすまぬ
汚沢が尊敬する政治家は大久保利通らしいな。
どの口が言うんだか…
こっちもスレチすまぬ。
昨日のネプリーグに木戸の写真出たね
女芸人たちに「誰これ?」「森田健作さん」とか言われててワロス
武田鉄也が「木戸孝允だ!」ってちゃんと言ってくれたけど
森田ワロスww
そういえば竜馬伝ムックの桂紹介文も間違えすぎてて噴いたなwwあれはww
素だったらひどすぎだが、仕様なんかなーとも思う。分かりやすいように。
…作為的だよな?そうと言ってくれ。次男だの村塾生だの…
今週の龍馬伝の桂の登場シーンは良かった。
真面目なんだか不真面目なんだか分からない、酒好きで女好きで人の名前を間違える、
という特徴を表してた。しっかり笑いをとってるし。
ドラマでの桂や久坂は標準語であることが多いけど、ちゃんと長州弁なのがうれしい。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 16:09:21 ID:WvWP8kHcO
>>32 桂と井上、村塾生だと勘違いされやすいよね。井上なんかは丸きり松蔭と関わりないのに。明治に残った長州第一世代は全て村塾生みたいな誤認を生みそうだ
>>32 一般にムック類って雑なの多いから、素だろ
大抵時間的にも予算的にも、信頼性高い裏付け資料あたったり、
誰かにきちんと監修させたりする余裕ない状態で編集進めてると思うよ
むしろたまにちゃんとしたこと書かれてると好きな人がいるのかと嬉しくなったりするw
萩の松下村塾内に掲示してある塾生一覧に木戸の写真がある(世田谷の方は知らないが)
それを見た人は村塾生だと勘違いしても仕方ないだろうな。
展示する側の意図が分からない、縁はあるからついでに置いとけ、という感じなのかな
萩の史料館の塾生リストにも別格として木戸の名前が書いてあった
>>33 ドラマではっちゃけた性格の桂ってなかなか無いから龍馬伝には期待
役者の人も若い頃の写真に似てる感じだし
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 22:55:29 ID:btCHB84T0
>>37 少年時代の木戸って病弱で勉学も剣術の腕もぱっとした所がない寡黙で凡庸な子供だったっていうぞ
どちらかというと破天荒で甘ったれ坊ちゃんだった高杉晋作の方が塾では成績優秀な超エリート学生だったらしい
松下村塾でも久坂と並んで双璧と呼ばれていたしな
>>39 いや、そういう意味じゃなくて塾生じゃないけどメンバー、みたいな感じで書いてあったよ
別格と書いてあったけどニュアンスとしては番外、みたいな
>>39 川で船をひっくり返して遊ぶのが好きで、船頭に怒られてケガしたりしてなかったっけ?
萩の生家にも先生のとびきりの褒め言葉付きの習字が飾ってあったりするし、
別格は
>>40の意味として、大人しくも地味でもない印象だけどな>少年時代
漢詩を藩主の前で朗読して褒められたエピソードもあるだろ
普通かっこいい話を捏造されるのだが、桂の場合はなぜか改悪される
知るほど可哀想になってくるww
39の印象は古川薫だよな
古川のは下巻だけ持っているけど、作者がイメージの悪い木戸像に
引きずられていると思うよ。
調べていくうちに木戸の印象が変わったとは後書きに書いていた気がしたが、
小説本編を見るかぎりでは、もともと悪い印象だったのが、まあまあよくなった程度に
見方が変わったぐらいな感じだ。
しかし、「醒めた炎」が再版されない限りは古川作品くらいしか主人公の小説無いからねぇ。
古川さんは、高杉のファンなの?大砲に対する愛から考えたら、木戸も愛して
くれててもいいんでない?古川著の木戸本は読んだことないんだけど。御所車みたいなカバーのやつ?
つーか、「小説」だと、なんか怖くて読めない。司馬遼太郎は予想付くからいいけど
知らない人がいきなり木戸も出てくる小説とか書いてたら、なんか恥ずかしくて読めない。
昔、財津和夫がドラマに出たときの感覚。(って、知らんと思うが)
大河の再放送見たが、この桂すげーいいなw
もっと桂のこういう一面が周知されて、一般に抱かれてるイメージが変わると嬉しいんだが
>>45 財津和夫がドラマに出た時の感覚は分かんないけどw、小説に関しては同感だなあ
歴史物の、特に幕末を扱ってるやつだと、書いてる人のやたら熱い思い入れが
行間でとぐろ巻いてるようなのも多くて、何か恐ろしくて読めない
無闇と美化されてたり、偏ったキャラクターになってたりとかするしさ
「醒めた炎」はそういう意味では安心して読めたな
大河桂は先週見た感じだとちゃんと多面的な人物に描かれそうで、楽しみ
俺にとっては古川の方が性質悪い
司馬は翔ぶが如く限定で、一応木戸の本質を掴んでいるが
古川は何も分かっとらん、お前が木戸を語るなー
まあ小説なんだがw
一般でいう木戸(というか桂)イメージってどんなの?
昔は木戸っていうとすごいマジメ人間を想像してたよ。
歴史人物全般にそうだったかもしれないけど、特に完璧な人物イメージが強かった。
おそらく美化された方。初めて記憶に残ったのがるろ剣だったからかもしれない。
幕末は思い入れ強い人多そうだから客観的にってなると難しいよな。
好きな人物はあえてあら探しするような変なクセがついてしまった。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 14:47:31 ID:K1YRup3/O
>>49 自分は大河ドラマや小説しか最初知らなかったから、逃げてばっかの奴って酷いこと思ってたけど
ちゃんと学校で勉強したらもっと知りたくなって調べまくったら、真面目で心配性で愚痴るけど、天然でお茶目で優しい人って思うようになった
良くも悪くも人間的で、そんな木戸が大好きだ
小説はあんま読んでなかったからか、そういうイメージはなかったな。
真面目で部下に慕われる、まさに長州リーダー維新三傑というようなイメージだった。
おそらくこのイメージのまま大河を見ていたら耐えられなかったw
木戸日記と文書だけで信者作るこいつパネェっす
関連創作物は見たくてもないんだろうけど
むしろ10スレも何を語っていたんだそこらへんが知りたい
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 19:49:43 ID:K1YRup3/O
>>52 最初らへんのスレッドはみんなふざけてたんだ…
途中から真面目に語りだして10スレッドまで行った気がする。ほとんど木戸日記や醒めた炎について語ってたような
幕末は誰が悪くて誰が正しいとかいうんじゃないからどこに主眼を置くかによって論は変わるけど、それを考慮しても
むしろ木戸の場合なんで評価されないのか不思議。
明治早々に憲法制定と廃藩置県を提唱し、文民統制の徹底を叫び、
地方議会の設置とか、正院の設置とか。
文民統制してないがために戦争で痛い目を見た後、外国に強要されてようやくそうなったのになぜ、あの時代、自力で明確にそこにたどり着いてた木戸の評価がこんなに低いのか。
桂小五郎 長州志士の頭、颯爽としてる
木戸孝允 なんか暗い男
一般イメージはこんなんじゃないか
位人臣を極めたのに得意にならず愚痴り始めるのはかっこいいと最近思っている
てか谷原桂良いキャ過ぎるなこのまま行ってくれw
大河の桂はいいね
遊び人かと思えば生真面目に悩んで勉強家な面も描いてるし
セリフの中だけど斉藤新太郎との交遊もサラッと匂わせてたし
脚本家、月9専門らしいけどかなり史料読み込んでるっぽいね
確かに、今日の放送では、当時の桂の日記とかもちゃんと踏まえてるのかと感じたな
日記や手紙を読み込んだうえでキャラ作りしてくれてるんなら、今後にすごい期待w
最初に触れた幕末ものが「お〜い竜馬」だったから
クソ真面目で冗談が通じない人物だと思ってた
谷原桂いいね
今更だが大河板や実況みてると
司馬の桂(というか木戸)像に毒されてる人が多いなあ
演じてる谷原章介も背景を結構押さえてそう
以前史跡メインの萩の案内本読んだ時に、自分でもいろいろ調べて訪ねたらしき谷原の文章が載ってた
今日のは目の下のクマが可笑しくて笑っちゃったな
でも日記なんかから感じられる人となりとかなり近いと思った
脚本家は山口県出身だそうだ
俺の初木戸は司馬遼だったせいで何となく陰々としたイメージだったが、
なんか容堂公と議論しながら酒飲んで御所の廊下で爆睡してた辺りと
平田東助宅襲撃辺りで見る目が変わったw
>>60 調べてみたが、本当だな。
山口県民だからって詳しいとは限らないが、期待してみよう。
ああ。
「平田は起きたか?」(笑)
この人基本的にマメだよね。マメっていうか自分から足運ぶ。
それにしても維新後大半の者と上手くいかなかった容堂に家に呼ばれたりしてるの見ても年上には本っ当に可愛がられるね。
製作スタッフには「司馬遼読むな」令が出ている。
このスレでは、伊藤と山縣は小物扱いでいいよね?
なぜか井上は高評価される
伊藤山縣?どうでもいい
見たいなぁ、その大河の木戸。ぐやじい。
なんか、このスレ、ネタ元にされてんじゃないのか?品川のキャラに要注意だねw
>木戸日記と文書だけで信者作る
これ、逆に、日記、文書、関係文書が現時点で揃ってる+入手可能だから、じゃない?
どれも活字になってて、閲覧可能な人って、ごくごく少ないと思う。
木戸は、木戸自身が書いたものを読める可能性の高いとこがラッキーなんだよ。
しかも、大方の事件の当事者で、そのラッキーに恥じない笑いのセンスありで、性格は天然くん。
そのレベルのファン=信者(なのか?)が多くて当然、だと思う。
全集というか、日記、書簡がほぼ網羅されてて、図書館とかで比較的簡単に読める
っていったら、他に誰だろう?
大久保、伊藤は外国の図書館でも見かけたよ
日本は分からんがw
ほぼ網羅されてるかは知らないけど全集とか出てるのなら
坂本竜馬、大久保利通、高杉晋作、吉田松陰、伊藤博文あたり?
幕府側は勝海舟や新撰組あたりなら出てんのかな?
全集や関係文書とか文庫とは言わないから1冊5000円未満の
廉価版出てくれたらうれしい
極一部にしか需要なさそうだから無理だろうけどw
日記のマメさも良かったんじゃない?
今PORTAでダウンロードした高杉の日記読んでるけど、
記述が簡素だし特別なときしか書いてないからボリュームが少ないよ
各日記も最初は細かいことまで書いてるけど日が経つにつれ露骨に無口になったりするしw
木戸日記・文書の読み応えは破格だと思うな
>>66 大河を視聴できない環境なの?
ネットに接続できるなら、NHKオンデマンドでも見られるかもよ
接続環境にもよるけども
日記は色々とぶっちゃけすぎだろう。木戸公の赤裸々日記とか言われても違和感無いぞ。
天皇陛下以外閲覧禁止と言うだけのことはあるw
>>64 業績的にも能力的にも大物だろう。
木戸大久保が生きてる時代はまぁあれだ。パシリもとい修行中みたいな。
人物的な大物・小物で言うと、まぁ色々あるよな。
大久保を一番理解してたのは俺だとか木戸の後継者は俺だとか、本人死んだら何でも言えていいっすねwww的なw
まぁこれは、この2人に限った話では全く無いがw
もう、自分が思うには、こういう昔の文書、どんどん電子文書化してもらいたい。
図書館とか、公共施設に寄贈されてるのからでいいから、PDFにして、オンデマンドで
ネット販売してほしい。出来れば翻刻しててほしいが。
収益は、更に文書を集めたり、読み下すのに使ってもらって。
近デジの全国展開つーか。山口の図書館とかやってくれそう。
ただとはいわん。金は払う。会員制でもいい。
あと、古文書持ってる人は、強制的に文書をスキャンされる。
そういう法律を無理無理通してほしい。
さすが大河w
海外組の為アップ用の抜粋動画データ作った後、著作権法思い出し
悩んでた自分脱力w>NHKオンデマンド どうだい?観れたかい?
1/24放送 嘉永6年4月(1853年)江戸到着
1/31放送 嘉永6年6月(1853年)黒船来航
この時期どんな書簡残ってるかと手元の関係文書4見たら、斎藤弥九郎から安政元年
「書者六芸之一端、一日不可欠之儀に而相認候得共、
画之儀は全く百分一見之為め少々たしなみ候事故、
御需之儀甚難渋罷在候間、何卒追々は書之外御請合等無之候様奉願候。」
やっぱ師匠は自重してるよw
やっぱり画は苦手なのかwww
谷原桂はおーい竜馬の桂キャラに似ていると見かけるんだが
おーい竜馬は司馬の影響受けすぎだったような
かなり不安になってきたww
>>75 幕末はおーい竜馬から入ったクチだが、
今のところあの桂と谷原桂はまったく似てないと思うなあ。
先週分の大河をまだ見てないから、そのときに
それっぽさがあったのか??
ちなみにおーい竜馬の桂は初登場の頃はいい味出していたと思うが
後になると司馬の描く木戸っぽさが濃厚。
>>72>>73 ありがとう。こんなサービスがあるんだね。感動したが、1番組見るためだけには、ちと勿体無いので
ここで話を聞いて、指くわえとく。。。orz
せめてもの救いは、話が竜馬死ぬところまでだろう、というとこかなw
桂というより木戸ファンとしては。
しかし、竜馬になってる人、これ、かわいすぎないの?竜馬ってイメージじゃないなぁ。
写真だけで決めるのもなんだが。。。
そうだよなぁ。オンデマンドなら1番組300円だからいけると思ったんだが、
わざわざワールドプレミアムは敷居高いわな・・・。
実は先日、非公開でストリーミングならギリ違法にならない?と思い、
試しに某サイトにアップしたんだが、1分後にブロックされた。すげぇw
せっかくパスワード用にカルトクイズまで考えたのになぁw
(木戸宛で青蛇が嫌いだと書き、最後にe付けちゃ駄目wなもの何だ?英6文字)
力及ばず・・・すまんw
今回は岩崎が主人公(語り部)なので、龍馬死んだ後にも期待できる。かもしれない。へへ。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/12(金) 23:04:30 ID:yzlhP5Hl0
黒船来航の時の桂小五郎は本当のところはどんな反応を示したのだろうか?
夜も眠れないということがあったのだろうか?
おお。。。感謝 m(..)m
答えたかった、そのクイズ>78
複数のときはeがつくもので、品川はしばらく一緒でしたね?
桜田門が映画かなんかになるというニュース読んだけど、それには小五郎は出ないの?
桜田門がクライマックスでそこで終わりだと出ないだろうけど、その後まで続くんなら出るでしょ。
井伊の方が主人公なんだろうか。
>>80 水戸藩開藩400周年記念の映画で、水戸藩側から桜田門を描いたものみたいですよ。
四十七士ものみたいな感じで、安政の大獄の少し手前から、井伊大老暗殺と処罰までを扱う模様。
主人公は長州に行くけど、主要登場人物には長州の人の名がないので、出番はあまりないかも?
ttp://mitoppo.jp/index.html
長州で出るなら吉田松陰くらいかな?
>>80 正解!・・・何か本末転倒に楽しいw でも木戸スレだと他にも分かっちゃう人いるんだろなw
>>79 夜も眠れないということがあったのだろうか?
ドラマでは「象山の開国・新太郎の攘夷どっちがいいか分からん」と本音を吐き、憑かれたように
本読んで精巧な黒船の模型wまで作ってたけど、まぁあってるんじゃね?史実では行動のが目立つが。
第5回 嘉永6年6月(1853年)黒船初来航(10日間)
↓
第6回 嘉永7年1-6月(1854年)黒船再来航(和親条約)&松陰密航
嘉永6年6月から江川太郎左衛門の人足に変装して海岸測量に同行したり洋式兵術習ったり、
黒船に初乗船し交渉した中島三郎助に造船教わったり。バリバリの現場第一級の人物に師事してる。
それに、第6回下田海岸で松陰の密航を止め「何故桂君は外国へ行こうとしない」と反問されてたが、
実際は賛成しとったな。自ら嘉永7年2月末長州藩庁へ渡航願い出す程。
ああいうやりとりがあるならもっと前の時点とは思うw
んで、あれだけ修学しながら、既成の煩瑣な注釈学問に鬱屈した反発と焦りを抱き続け、
「西洋兵学は各国実験を経たる実事、吾れは太平以来一二の名家座上の空言」
と言い切る松陰に、木戸が強く惹かれるのは分かる(いつの時代も)。
ドラマでは龍馬が剣術への疑問に苦しみ、密かにより大きく悩む木戸に冷たく一蹴されてたが、
この二人には同時代人の中では、従来の日本の学問なり剣術なり価値観に固執せず、
比較的ひらりと飛躍できたという共通点がある。ルートは違うだろうけどw
>>77 かわいすぎるとおもうよ。
でも、いわゆる司馬竜馬の黄金色みたいな演技が去年年末民放で出て
来年の大河龍馬は大惨敗と世間では言われてたけど
その割にはちょっとづつ独自の竜馬像(史実とは別物として)を
作ってる気がするw
今んとこ谷原桂や香川弥太郎やらのバイブレーヤーに後押しされて
視聴率はいいらしい。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 10:28:03 ID:j4IznT7y0
木戸孝允が主人公の歴史ドラマ造ってほしいね。NHKで。
醒めた炎とか。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 12:16:23 ID:bq5kQfkm0
できれば木戸と高杉のセットで見たいけど
中盤まで幕府側に警戒されて逃亡劇ばかりつまらいないと思う。
龍馬伝では中盤以降は長州藩士がかなり登場してくると思うから楽しみ。
1年じゃ幕末通史みたいになって焦点がボケそうだw
しかしなぜなんじゃろ。
幕末のはじめから終り、その先10年まで見てるのに
ちっとも主人公になれないなんて・・・。
出石潜伏期間以外はいつも幕末視点の特等席にいたし
ハンサムだし剣も一応強いし、美人との恋もあるし
なによりばっちり日記も残ってるし。
人柄なのか?でも自分はすげぇ好きだけどなぁ。
物書きからしたら描きにくい人物なのかもしれない
理性的でバランス感覚がある人物だから、話しをドラマチックにしずらそう
個人的に桂と高杉ダブル主演のドラマが見たい
>>89 タイプはそれぞれ違うけど松陰先生とか高杉とか
突き抜けてるキャラとの絡みはすごく面白そうだぜ。
きっと困った〜困った〜って言いながら
世話したり引きずられたりするんだ。
いや桂は最初から最後まで自分の理念に基づいて動いてるよ
世話はするが引きずられてはない、全くないw
意見が異なると手を回すか無視するか失脚に追い込むって
しかし自分は明治木戸のがより魅力感じるし主役に見える
なんでかは不明だが……
女性ファンは多いんだけど男性ファンが少ないってのがネックかな
男性はどうしても豪放磊落の大英雄ってわかりやすい人物に人気が集中するし
木戸のようなバランサータイプの魅力が理解できる男性が少ないよ
明治初期というと戊辰戦争か征韓論〜西南がメインの作品が多いから、
その間に一番活躍した木戸が目立たないんだよなー。
龍馬伝最終回あたりに、弥太郎回想で洋装の谷原木戸見れないかな。
容堂と飲みながら武市や龍馬についてしんみり語る感じでも良いけど。
あの容堂と飲む谷原桂がまったく想像できないんだがw
その上居続けられたら胃痛になりそうだ
男性ファン少ないのか?
前のスレだかイケメン木戸ファンがこのスレの住人と
演説会かなんか暴かれたからそうとも感じられない
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 17:03:07 ID:YmCdqVKwO
本当は、男女双方に、人気が有るのだが目立たないだけと思われる。
表だったことをあまりしないから。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 00:20:40 ID:sP8Pw1xN0
イメージ上の木戸のキャラって、極論するとドMなんだろうね。
野性的な部分がないと男性受けは悪いからな。
龍馬も似たタイプだけど、粗野なイメージのおかげで木戸よりは釣り合いがとれている。
もっと過激になったのが西郷。まったく別のくくりの宇宙人が大久保って感じでしょうか?
本当に男性の木戸ファンが多ければ、男性誌でよくやってる
歴史偉人に学べ!とか幕末志士の生き様!みたいな特集に
いつもいつも木戸の名前がスルーされてるはずないんだけどな…と思う
大衆人気の高い龍馬・西郷・高杉はまあしょうがないとしても
大久保・岩倉・伊藤があって木戸が無視られてるのは何故なんだぜ…
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 09:31:59 ID:zdBJPhle0
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がでるまでは、木戸孝允は人気者だったかも。
「竜馬がゆく」で坂本龍馬に人気をとられた可能性がある。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 11:10:20 ID:/qJoWEfu0
んーでも「竜馬がゆく」連載以前の小説、映画、ドラマでも
桂が主役の作品ってほとんどないよね?
せいぜい鞍馬天狗の協力者か近藤勇の敵役くらいのあつかいで
やっぱ男子には高杉の大島奪還とか大久保の北京談判とか
わかりやすい武勇伝がないと人気でないんじゃない?
ぎゃくに桂の女子人気はあがってるよ
銀魂や幕末乙女ゲーで桂=美形長髪キャラが定着してるから
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 11:22:28 ID:zdBJPhle0
その生涯の多くを平和的に解決しようとした(維新初期のころ戦争で解決
しようとしたときはあっても)ことにはドラマを感じないのかな。
その生涯は、かなりドラマティックなのだけども。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 14:56:38 ID:nBQrmQPpO
ごめんちょっと吐き出させて…龍馬メインだが長州藩も沢山載った雑誌を買ったんだが、広ク会議ヲverの五箇条の御誓文が由利が書いたことになってたりetc…なんかものすごく切ないのだが。由利の御誓文って列強がどうのってやつじゃ…
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 14:59:33 ID:nBQrmQPpO
上の者だけど、上記のがスレチだったらごめんなさい。ただ木戸の扱いが酷かったから切ない。人気ないのかなあぁぁ…
なんてこんなシメジメとしてんの
いわゆる男性ファンだが人気とかどうでもいい、俺が良さ分かってるからww
木戸の場合は、史実を調べるのが楽しいから寧ろ得した気分
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/06(土) 00:32:35 ID:fP9n+ufh0
木戸のどの辺が良いんだよ?
>>99 武勇伝が無いってより馬関戦争〜功山寺決起まで但馬にいたこととか
明治六年政変のとき矢面に立たずに引っ込んでたこととか
「肝心な時に泥を被らない」ってのが不人気のモトみたいよ
徳冨蘇峰の木戸評にも書かれてたし
但馬にいたのは不可抗力だろ、桂はそもそも長州主体の考え方ではない
あの情勢で企んだのは生野の変や天狗党に参加することだよ
明治六年の政変はな、大久保も木戸も矢じりに立つのを嫌ったが
結局大久保が折れたと思っている
大久保は西郷との仲割れ、木戸は薩長の決裂を恐れたから当たり前
木戸は最悪の時運のなかで、最善の策をとってるだけなんだけどな
なぜかそういう時局にいるとき、一か八かの大博打やるような人物が
古今東西ヒーロー扱いされてもてはやされるんだよなー
「オレひとりが腹を切ればいい」とか言って無謀な特攻する奴とかさ
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/06(土) 14:31:33 ID:8Lp6/8xY0
木戸の一般的イメージ
#窮地に陥るとすぐ逃げる 自分の命が一番大事で維新まで
#幾松にも愛想つかされ浮気されスキャンダル、インポ疑惑
#奇兵隊の反乱で新政府での立場悪くなると、功労者を「尾大の弊」と罵り
大軍を差し向けて皆殺し、新時代に賭けた夢と理想踏みにじる
こんなところか、とてもじゃないけど。ヒーロー扱いできません。
アンチじゃないと仮定して相手してみるぉ
#帰藩命令を無視し、長州人というだけで殺される京に残り嘆願したんだと
#南條と司馬より当時の手紙読もう、九年の時点で夫婦同伴の洋行企んでる
#「尾大の弊」と書かれた手紙は明治元年、指した相手のは薩長丸ごとぜよ
>>104 天然なところ。
>>108 1.蛤御門は十分窮地だったが、現場で因州藩の説得工作に行ってたぞ。
2.それが事実かどうかしらんが、何だかんだで晩年まで夫婦仲いいぞ。
3.反乱諸隊は論功行賞とリストラが不満だったんであって、新時代の夢とか理想とか関係ないぞ。
あと、討伐に動員したのは、岩国・長府含めた長州藩兵だけ。
これによって自分含め長州藩の立場が悪くなるのを防いだのは事実。
ぶっちゃけ、あの頃の純粋な政治家で人気ある人いなくね?大久保ですら人気の点では微妙だし。
>>107 一癖も二癖もある困ったちゃんのが人気あるのは事実。
でも押しも押されもせぬ困ったちゃん揃いの長州藩士の中でも
五本の指に入る困ったちゃんだった久坂の人気は今一という事実。
やはり死んだ時期が悪かったか……
ちなみに個人的な長州困ったちゃん五傑は
1.正気にては救国成らずシグルイ松陰
2.酒飲んだら容堂公でも挑発しまくる麻田公輔(仮名)
3.愛人と同棲してたら妻が母さん連れて乗り込んできたんだけどどうしよう高杉
4.お茶屋で5両足りなかったよ久坂和尚
5.老いて益々過激な来原のじっさま
順不同
2位と5位だけで薩長鴻門の会が出来ます。
日本人は「奇跡の一発逆転ホームラン」大好き民族だから
たとえば、今歴女さんとかに人気の戦国時代もので言うと
信長の桶狭間とか秀吉の中国大返しなんて、何万回やるんだよって勢いで
時代ものの人気エピソードだし
鳥居強右衛門とかの「敵に一矢報いて笑いながら死んでゆく」
なんて相撃ちものも、小説やドラマのクライマックスによく使われる
あとは義に殉じた大谷吉継とかの悲劇キャラかな
大衆人気ヒーローになる歴史人物って、だいだいパターン決まってる
木戸は多くの犠牲を出すような無謀な策とかとるの嫌いだし
すぐに切腹持ち出すのを、ただの責任逃れだって批判してるし
慎重すぎて上のような人気パターンに当てはまらないから
大衆ヒーローになりにくいってだけの話じゃない?
西郷従道に言った
てめぇーの命が何個あろうと国民に償えるわけないだろう阿呆
というのはかっこよくて痺れたんだがなー
国民主体の考え方が自然と出来てる、今日の政治家見習えと思うんだ
大隈という切腹の何たるかを分かってなさそうなやつが代弁したわけだし
司馬が書く木戸ってただの危険察知能力がある批評家だよね。
龍馬はあれだけもちあげておいて・・・
まぁ好き嫌いが出るのは仕方ない。
木戸さん好きだけどなあ。
内面の葛藤やら穏便対処が多過ぎて華やかじゃないwだけで
身心共に元気でさえあれば、今より評価高かったんじゃないかなと思う。
治外法権撤廃コンビの伊藤と陸奥も当初は木戸が一番信頼できるとして
木戸の下に付いてたらしいし。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/07(日) 17:36:06 ID:7vMbDjHwO
木戸のいい意味で人間らしいところ好きなんだけどな
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/07(日) 18:56:36 ID:/Al5cxUd0
木戸好きはマスオさんも好きそうだな。
そういう草食系志向、わかります。
なぜチョイスがサザエさんw
自分はサザエさんでは中島君が好きだな。
さしづめ磯野は坂本龍馬だな。あの策士な所といい。
なにを言うw
第二次長州征伐に桂が居なければ、高杉は暗殺され大村も埋もれて
支藩との関係悪化でそのまま長州滅亡だろ
桂の帰還は「大旱に雲霓を望むが如し」と伊藤博文も言っている
桂の愚痴も心配性だからと思うとイメージは悪くならないw
維新三傑の中で四民平等に最も一番理解があったのは
実はこの人じゃないかと思う。
西郷は敬愛天人といいつつ士族第一で封建主義的思想が抜けてないし
大久保は能力重視だが権威主義的だし。
ここでは木戸sageで評判悪い司馬の文だけど
「木戸は薩摩に生まれてたらもっと大人物だったんじゃないか」
て珍説は妙に納得したな
木戸の親切で世話好きな長者の性格は薩摩じゃ理想的な親分で
説教も「オセンシに従え」文化の薩摩ならみんな素直に聞くけど
長州だと上の言うこと聞かないし親分風吹かすのは嫌われてるし
桂さんウゼえってなるから「口煩い兄貴分」になってしまうって
>>122もし大久保と木戸の立ち位置が逆で、木戸が西郷の幼なじみだったらと考えた
なんだかんだ言って身内に甘いから西郷に懐く木戸はギリギリ想像出来たが
心から西郷を嫌ってる大久保がどうしても想像出来ない不思議
大久保との約束すっぽかしたら木戸よりも説得大変そうなのに、何故だ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/08(月) 13:19:48 ID:kIF+FlDt0
私個人お考えでは、木戸は長州の藩の中でやって生き生き活動できた。
大久保は薩摩が似合うと思う。
西郷は長州だと新政府で天寿をまっとうできたかも。
あくまでも直感によるもの。根拠なし。
薩摩の木戸は興味ない
長州で次々と同士に死なれる悲壮感がたまらん
うぜえと言われたのは伊藤ぐらいしか思いつかないw
>>123 そりゃ完成された関係を目にしてしまってるからでしょう。
「心から西郷を嫌っている大久保が想像できない」と同類語に
「心から伊藤を嫌っている井上が想像できない」
「心から龍馬を嫌っている陸奥が想像できない」
「心から松陰を嫌っている高杉が想像できない」
などがあるw
>>121 あのセリフは痛快だったな。
桂=木戸の尊敬するところはあの当時あれだけ国民一般を
思っていた人はいないところかな
それも冷静だけれど上から目線じゃないところ
思想的なギャップをあまり感じないのが素晴しい。
廃藩置県や五箇条のご誓文に果たした役割、
会津・徳川慶喜の助命嘆願と見ると大変「ちゃんとした」人だと思う。
昔、外交官が講演で「熱いハートに醒めた心」が大事だといってたが
それを体言する人だと思う
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/11(木) 00:21:19 ID:v9diJKjS0
>会津・徳川慶喜の助命嘆願
確か木戸って、戊辰戦争後の会津藩士を蝦夷地に送る案を主張してなかったけか?
幸い薩摩の反対で潰れたがこれってどーみても捨て石にしか見えんが。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/11(木) 08:49:50 ID:P5RjXdaD0
>>129 行き場(生き場)を失った会津の人たちの生きる場所を与えようとした。
捨て石でなく、使命、希望を与えようとしたくて提案したと思われる。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/11(木) 11:13:58 ID:fO/OmAJE0
鬱の木戸は薩摩だったらオセンシ所か仲間外れにされたんじゃないか?
維新前は逃げ回って生き残りたまたま長閥の代表になり、維新後も逃げ回り自分の手は汚さず愚痴愚痴評論言ってただけだし
世渡り上手の伊藤でさえ、鬱の木戸には厭きれたくらいだし
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/11(木) 23:55:02 ID:vn/H91Ya0
いい場面で発言はするが、実行の段階では薩摩頼みの男。
誰も口に出せないでいるところを、長閥の代表として発言しているだけ。
薩長同盟、倒幕、廃藩置県いずれも同じ構図。
そう考えると、木戸の人物像がしっくりくる事に気付く。
京でぶっ倒れて以来、第一線から身を引いてる感はあるかな。
だが明治初期は改革派の領袖。不思議だねぇw
>>129 ちょおま、北海道開拓=捨石とか松前蠣崎氏はw
木戸が鬱つーのは、死ぬ頃の話だっつの。可愛がってて、養子の実母でもある妹に死なれて、
多分、幾松さんともなんかあるのか?
幾松さんとの話は詳しくないんだけど、井上がなんか密偵してるよね?内容わかんないけど。
そんで、自分は病気なんだよ。しかも、そんな状態で天皇の東北巡業に付き合わされる。
その頃に明るいこと言って、元気で溌剌としてたら異常だろ。
それより前で、鬱とされてるとこって、どこあたりなんだろか。
自分がわかんないのは、やっぱ佐賀の乱あたりだな。
文部卿はやめんなよ?!と言いたいわけよ。そこまで怒るなよ、と。
でも、木戸は人気なくて困ることないから人気なくていいよ。文書、関係文書、日記と
これだけ揃ってれば、ほかにいらんて。
でも、かっこいいとこより、天然のとこだよね、魅力は。
大久保は、佐藤進(か?)の話で、大久保が佐藤の父親だかから言付かって
持ってきて来てくれた髑髏の話あるじゃん?
どうしても、あれ+江藤の首=寝室で一人こっそり江藤の髑髏撫でて笑う大久保
になってしまうんだが。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/13(土) 17:09:38 ID:SUZ6BC2t0
↑誰と戦ってるんだ、こいつはw
木戸と戦っておるのだ。
>>134 その大久保、撫でる時は指一本でやっててほしいなw
うん、木戸別に人気はなくてもいいな。
ただ木戸を見直すと、明治0年代にこんな人らが白刃かいくぐって
ここまで考えて近代国家を作って(人工物だよねw)、大いなる影響を残しても、
その後の世代ではあんな常軌を逸した状態にまでなり得るんだ、
という点、かえって現代にも通じる怖さを実感させられる。
同じ言葉使っても世代で意味が異なってたり、同世代ではあえて言わない自明の理があったり。
例えば当時木戸が本当は何に苦しみ戦ってて、何に勝ち負けたのか。まだ分からんこと多いもんなぁ。
木戸と関係ないけどミルグラム実験(学術w映画es)とかその一端と思われるものに触れると嬉しくて仕方ない。
んでも、ここに女性も多くいるのならそれ自体が興味深い。
それに、女子教育・一般教育に関心持って力を入れてくれた木戸に、
少しは顔向けできるようになったのかなとも思うよw 漸進主義の木戸もびっくりかもだがw
>>137 自分が出た学校は木戸の援助なしには設立も発展も難しかったと思う
学校史を習うのにちゃんと出てきたよ。
史実から乖離したイメージが流布するのでそんなに人気はいらないが
今は小説やドラマのイメージが大きすぎるので、もう少し正当な評価や業績が知られて欲しいな。
ほしゅ
二十年内に小五郎伝が作られますように
期待しないで待ってるw
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 21:32:59 ID:ojm8feLe0
醒めた炎を文庫で出版して欲しいな
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/19(金) 03:04:52 ID:/eqhb/Qb0
自分は逃げてただけで部下に死に物狂いで働かせただけの人。
人気ない人」
いつもお疲れ様です。
管理職は部下を使うのが仕事なんだぜということはある。
人気については反論する余地がない。
また来てね。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 02:48:37 ID:xd8h3aOv0
木戸は常識的に見えて天然なのが魅力だと思う
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 06:01:08 ID:Ed277Dwv0
木戸孝允はもっと評価されてよいよね。少なくとも坂本龍馬よりは。
あんなイケメン色白なのに身長高くて、当代最強クラスの剣豪で長州征伐退
けちゃって維新後は五箇条の御誓文とか廃藩置県とか智謀、政治力も当代最強。
幕末描くなら桂小五郎主人公だともっと納得するのになぁ。
それほど人気出ないのが不思議だ。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 09:55:26 ID:U6Ahq51V0
ほんとなんで人気ないんだろな・・・
やっぱ小説とかでの書かれ方が悲惨だからかな?
定期的に出てきて人気ない人気ない言う奴が禿げしくウザい件
まあこんな奴が常駐してたら普通の奴はいなくなるわな
っつーかこいつ、木戸ファン=やっぱ鬱w みたいなイメージを
作ろうとしてる工作員か?
人気無い無いと嘆くのは俄かオタと認定する
そんなやつより脱糞くんの方が面白かったぜ、執着度が違うww
今人気があってもなくてもどうでもいいけど
昔写真がブロマイド的に流布してたって時期の人気はどういう人気だったのかね?
当時の人にインタビューしてみたいw
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/22(月) 17:30:30 ID:LEY82l/F0
池田屋事件で新選組局長近藤勇局長、沖田総司ら4人が突入したときに小五郎、
実は中にいて屋根つたいに逃げた話があるけど、太刀合いしてないかな。
神道無念流 小五郎 VS 天然理心流 近藤 で。
性格から言って、小五郎適当にあしらって逃げたのだろうけど、池田屋事件、
実に1時間半に渡って中で斬り合ってたらしく、可能性はあると思うけどどう?
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/23(火) 00:58:03 ID:hIip9wEz0
>>124 西郷が長州に生まれていたら維新まで生き残っていないと思うな。
長州には久光みたいな統制力の強い殿様がいないから、
西郷みたいな豪傑肌の人は行くとこまで行っちゃうでしょ。
現に何度か死にかけてるし、維新まで生き延びていたのが奇跡に近いと思う。
河上弥市と一緒に、生野義挙あたりにでも参加しそうだな
かつての同士を想い我慢出来ず脱藩w
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/28(日) 00:05:50 ID:G4uVUWAL0
>>130 >行き場(生き場)を失った会津の人たちの生きる場所を与えようとした。
>捨て石でなく、使命、希望を与えようとしたくて提案したと思われる。
いや、最果て(明治初期当時)の蝦夷地に追いやって「希望を与えよう」
は無いだろう。どー考えても極寒の地で会津藩士が根絶やしになってくれれ
ばいい、ってな木戸ら長州の悪意を感じて仕方無いのだが。
>>154 前スレでも確か似たようなことが話題になってたと思う。
そっちの方が詳しく書かれてたから、一度見てみたらどうかな。
最終的に行った先の斗南藩も土地としてはかなり悪いことを思うと
蝦夷地案を出した人たちだけに悪意を感じるのはなんか違くない?
というか蝦夷地に追いやる=根絶やしになってくれ、という図式が成り立つなら
北海道開拓使はどうなるんだ?w
>>154 龍馬の夢であった蝦夷地開拓が悪意となww
そんな発想があることに驚きだ
そもそもこの建白は旧会津藩士と共同でなされたものだよな
もし捨石なら蝦夷地行きを主張した会津藩士たちはどんだけMなんだよ
>>154 おま屯田兵とか蠣崎氏の存在を抹消するなよw
小五郎と龍馬は、どれくらい仲が良かったんでしょう?
>>156 ドMの会津想像して吹いたw
龍馬の坂本家なんか蝦夷地開拓のために一族全員で引っ越してったんだもんな。
政府が左遷したい奴を蝦夷に送る事があるから誤解してる人が多いんだろうけど
あれは、反対勢力を作らせたり政治に関わらせないために仲間から引き剥がす目的で行われてるから
別に蝦夷地自体が嫌がられてた訳ではないんだけどね。
>>159 小五郎の友人を上から百数えて入るか否かぐらい
晋作の友人百数えるならたぶん入んないw
長州は長州陣同士でつるむ率高いから1〜100は大半長州で埋まってる人が多いよな
まあ井上馨の友人の1〜100番目までは全て伊藤俊介で埋まっているわけだが。
あ、輔の字間違えたスマソ
井上の友人なら高杉は五本指入るだろ常考ww
一番が伊藤なのは否定しない
晋作の碑(碑文は伊藤作)の除幕式で
炎天下に何時間も長広舌をふるい、参列した小学校生徒が
ばったばったと倒れたくらいだから…w>井上
スレに話を戻すと、寺田屋事件の時に「骨も凍るほど驚いた」
と手紙に書いてるから、同志としてそこそこ仲良かったと思うけど。
ただ桂さんは活動歴が長い上に情が深いから仲良い人はかなり多そう。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/29(月) 00:48:01 ID:hSVpP+Rz0
仲良し同盟じゃあるまいし、しょうもない話題だな
厨坊どもはこれだから困るw
そういう部分を知るのも良いと思うよ。
色々な角度から見て興味を広げ、調べていけば楽しいし。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/29(月) 23:59:54 ID:P98Ea6pE0
酒乱の黒田さんは木戸孝允に簀巻きにされて縛り上げられました。
世の中は桜の下の相撲かな
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 19:08:39 ID:/al0BENp0
>>129 確か木戸って、戊辰戦争後の会津藩士を蝦夷地に送る案を主張してなかったけか?
うーむ、それが強制移住なのか、希望者を募る形なのか。
どちらであるかで全く変わってくるよなあ。
果たして木戸の意図はどっちだったんだろうかな。
>>170 それ、「桜の季節になると木戸の作った歌を思い出す」って続くよね。
懐かしいな。ちょうど2年前頃のレスだ。もしやずっといる人?
お互い定住してるねw
北海道はまだツボミだろうけど。
安政期以降の蝦夷地は、通商の利益からも攘夷の急務からも注目されてたよ。
佐賀の島義勇や土佐の北添らが探索し、運輸・流通・開拓という海援隊の目的を支え、
榎本武揚が「蝦夷共和国」の夢を追った北海道。
元々榎本の決断には、明治元年6月の
「旧幕臣を蝦夷地に移住させて開拓をはかれば、彼らの生活もたち
皇国への忠勤にもなる」という陳情がとおらなかったことが理由としてある。
その後、黒田の開拓使は十年一千万円の莫大な資金を投入され、
諸産業の育成から学校から何から新たな「国づくり」に心血を注ぎ、そりゃ色々な面はあるけど
後に北海道は開拓のモデルともいわれるようになる。
今日は満開の桜の下、北海道開拓使の☆印の付いたサッポロビールで
木戸を偲びますか。
お、珍しく書き込めた・・・。かえってビックリw
アク禁多すぎ。てか携帯までアク禁ってあるんだねorz
アク禁解除なすきに。
4月24日に立命館東京キャンパスで明治維新と京都っていう講座があるみたい。
第一回が桂さんだ。
佛大教授の青山忠正氏がやるみたいだが、この先生何かの本出してたよな。なをだっけ。
×なを
○なん
あー、でも上の講座は予約制か。どんな感じなんだろうな。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 13:22:12 ID:S9Es2iJR0
2月まで東京に住んでいたけど家庭の事情で九州の実家に戻ったので
東京の講演は聴けないな。
>>174 青山氏って、幕末維新の個性で高杉書いてなかったっけ?
わりと木戸に好意的な見方をしてくれる人だと思った気がする。
しかしその講座、やっぱり金かかるんか……情報ありがと。
>>174 なんて夢のような情報をさりげなくくれてるんだ。おまいは妖精かw
京都文化講座で、タイトル「桂小五郎と木屋町」、東京、土曜開催。しかも講師が青山忠正氏。
高杉のほかにも、木戸と竜馬の往復書簡比較が入ってる「明治維新の言語と史料」を書いた人だね。
どんなんかなぁ。
京都って今ひとつ分かってないんで(…)、地図片手に少しでも勉強してくるよ!>176の分も。
レベルが違ってたらごめん。。。前から、いつか行きたい京都マップみたいの作りたいとは思ってるんだが。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/11(日) 10:53:53 ID:ylFccS0s0
情報収集は国家戦略の基本
それを金が無いのに断行した岩倉使節団は偉い
テロと結びつけるなんてどこぞのアホかと
要は日本に発展してもらいたくないんだろう。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/12(月) 17:39:04 ID:cVCi+FZuO
岩倉使節団と共に世界を巡ってみたいと思う今日この頃
>>178 う、うらやまし。。。orz
鳩居堂の話も面白そうだけど、どんな感じだったか、ぜひ教えてくだされ。
結構いろんな講座あるんだね。秋から冬にかけて、いいのやってくれ。
岩倉使節との脳内旅行はたのしいよね。ツアーでも組みたいとこだが
ここではそーゆーことができないのが残念。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 20:19:45 ID:6yRqLo/H0
岩倉使節団で欧米の実情を目の当たりにして
木戸の政治思想や姿勢はかなり変わったようですね。
大久保利通も変わったようだけど変わり方はかなり違ったようですね。
だれか、上の講座に行った方はおりませぬか…?
どんなだったか教えてほすぃ
>184 あまりに長文になりそうで途方に暮れとったw
4/24「桂小五郎と木屋町」行ってきますたよ。
受講者は60名位で、けっこうぱんぱんだった。粋な着物の老婦人がカッコよかった。
史跡の写真スライドと、木屋町周辺の地図で進めてく感じ。
※以下、京都を知らない仲間向けw
その配布された地図、偶然持参した「京都時代MAP幕末・維新編」のP.6だった。
知ってる?半透明のトレーシングペーパーに書かれた現代の京都地図(史跡マーク入り)の下に、
その部分の幕末当時の地図があるやつ(藩邸は橙、公家は紫、寺社は緑、と色分けもされてる)。
講義では現代版地図だけだったけど、幕末版も一緒に見るとまた分かりやすい。
・幕末の鴨川以東は人の住む所でなく寺社ばかり
・各藩邸はほとんど役所か学校に変わった(土佐は廃校立誠小、同志社・立命館は薩摩、京都守護職は府庁、
自分の佛教大学は桑名藩陣屋だったなど。薩摩関連が広いのは大兵力を送りこんだからとか)
・各石碑は昭和初期に(時代ですな)作られたものが多い(←微妙に場所違うのない?)
・東西を走る御池通りは第二次大戦中に防火帯として作られた(みそそぎ川も大正期以降だよね)
・木屋町とは高瀬川がそもそも材木を運ぶ用に作られたから。高瀬川の舟入は現在は一番北の長州藩邸の
一之舟入しか残ってないが(防長の四白ですな)八個あった。※近くに堰き止め石の史跡あり。
・【桂小五郎寓居跡】高瀬川西岸に藩邸(長州・加賀・対馬・彦根・土佐)が続き、高瀬舟が通るので当時は
高架の橋を渡って、東岸の木屋町通りは町屋を借り上げた控屋敷(増えすぎた藩士用)、現幾松等があり鴨川に抜けられた。
・【木戸孝允邸跡】木屋町の北、鴨川西岸は東山を眺る景色の良さからか九条・鷹司・近衛ら五摂家の
屋敷が並び、明治後木戸は近衛家から購入したその別邸で亡くなった。
印象的だったのは、元治元年禁門の変での「どんどん焼け」。御所のすぐ南から京都駅周辺まで(東はさすが鴨川は越えず)、
大戦中のように、一面の焼け野原でしばらくバラックだったろうと。そんな中で、慶応年間はすすむんだな。
青山氏は今回木戸については、いつもの「既成を疑う」姿勢じゃなかったのかw、よくある、
「明治後は病弱で政治への関心失い引っ込んでた」ってのみで特に人物像には踏み込まず〆てた。
でも、維新と京都というテーマで、
慶応期3年も在京してた大久保利通らではなく、政治の中心だった御所周辺でもなく、
何故、文久2年5月から断続的に在京通算たった18ヶ月間の「桂小五郎」がシンボルとなり、
何故、それまで高瀬川沿いで舟運の便はいいが町外れだった「木屋町」を取り上げるか、
そここそがこの時代の京都を物語ってると思うんよ。
一時間半じゃ無理だが、その辺もっと話聞きたかったな。
達磨堂もやっていたよね。
187 :
185:2010/05/01(土) 08:50:42 ID:w8GrM3IN0
>186 何だ来てたのか〜^^。その一行レスやめれw 185のアホぶりが目立つw
達磨堂、やってたね。子孫本人ネタってあんま関心ないんだが、忠太郎さんのこれは面白そうと思った。
木戸が亡くなった建物(旧木戸邸の一部)も同じ京都市職員保養所敷地内にあり、地図にあまり載ってないが
ほんの数年前から頼めば見学可になったとか。(外観のみ。達磨堂は内部入れるが写真NG)
行ったことある?
関係ないが、地図で「上ル・下ル」って京都御所を中心と思ってたけど、御所の北側でも普通に北上・南下なんだね。
越前・越中・越後とか、新潟の上越・中越・下越とか逆転してる地名の立場がw 究極、下関もか。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 19:26:22 ID:ide0hFsjO
>186です。
>>187 ごめん、このときプリントが手元に無くて不確かだった。
>186のまとめが神すぎて、とてもよかったよ。
補足というか自分メモみたいな感じでいくよごめん。
みんな物知りだから既知なことばかりかもしれないけどこんなお話だったよってことで。
・山口の桂、和田家。和田家は現存。
・明倫館はいまでいう地方私立。江戸に来るのは更に上を高める、みたいな。昌平學は官立、難関。
・安政六年有備館用掛が初の公式なお役、それまで書生
・このころから水戸、薩摩とも交流(但し個々人間関係)
・ホテルオークラ前の桂像モデル写真は明治四年の八月頃?丁髷切る前にとったんじゃないかと先生は思ってる。
・文久三年から慶應元年ぐらいが高杉や坂本、久坂などオールスター!
↑です。
すまん、sage忘れた。
>187
187のおかげで書き忘れ補足出来たよありがとう。
どの辺にいたの?
190 :
185:2010/05/02(日) 07:31:59 ID:n59ihYmK0
あわわ、そんなつもりじゃ。引き擦り込んだみたいになってるw
補足サンキュ。律儀だT_T
そだね、あったね青山氏の三大想像。
@ホテルオークラ桂像は明治4年撮影
A但馬逃亡時政治から離れた人生を送ろうとしたのは本気
B忠太郎は木戸の実子(母は不明、松子が育てた)
けっこう言い切ってるのが気持ちよかったw
>189 真ん中の後ろの方。
もしや二人組みで「ここ座席指定制ですか?」って聞いてきた人?
仲良さそうでいいね。こっちも182や176と一緒だったけどなっw
規制やっととけたorz
もはやオフ会wwいいなあ、行きたかった…
>>178 >>188 長文とんです!資料まで詳しく…ありがたいっす。今度確かめてみよう。昔って川沿いの土地が人気だったんだっけ。
学校ネタ楽しそう。当時の感覚が非常に分かりやすい例えだw
達磨堂も行きたいと思ってたんで、情報嬉しい。
忠太郎問題にまで触れてたんだ。その勢いで好子の母親まで突き進んで欲しかったw
しかし根拠は何か気になる。性格的な遺伝かな?笑
でもこういう推測って、活字にはしにくいことだよね。ナマならでは。う、裏山しくなんか…orz
桂in但馬はこう言っちゃ桂に悪いけどwなかなかロマンティックだと思う。
足挫いてぐずぐずしてた時も、最初は桂アホスwwとしか思わなかったけど、半分自暴自棄になって、本気で死んでもいいと思ってたからな部分もあるのかも、とか想像すると…もう、ね。
出石にずっと居ようと思ってたっていうのも、何だか説得力。小説とかにしたらかなり盛り上がると思うんだが。幾松がヒーローで(笑)
…誰か書いてくれ〜。漫画でもいい。
こっちも長文(しかも残念)になってしまったwこういうのって新しい視点が得られるんで楽しくて…スマソ。とにかく感謝です!^^
192 :
182:2010/05/07(金) 07:55:10 ID:L58NvctE0
つれてってくれてたのか>185/190 乙(涙)
ったく、報告ありがと〜〜と書くのに一苦労だぜ!なぜか奇跡的に書き込めた。
高瀬川は寺田屋の裏のつーか向かいのつーか、あの川に合流してるんだったよね?
あの辺に屋形船があるでしょ。あれに乗ったとき、これが高瀬川だと聞いた記憶がある。
あの川は結局、淀川に出て大阪湾でしょ?
城崎逃亡は、そりゃ本気だよね。こっちはその後助かったつーか、長州帰ったの知ってるけど
あの時点では、本人は帰ったら殺されると思ってるわけだから。
でも、っていうことは、そういうことで、故郷には帰れず、大村が来ないんで、維新にも参加できず、
他人になって、歴史に残らずに生きた人も一杯いるんだろうなぁ。。。とおもふ。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/12(水) 02:42:34 ID:s5A+ZNo80
おくれては 梅も桜に劣るらん 魁けてこそ 色も香もあれ
思いたつ ことは成らねどますらおの 心正しき 末の道哉
かかる時 ただいつまでもながらへて わが真心を 国に報ひむ
玉の緒の たとへ絶えなば絶ゆるとも 身は大君の 勅をささげむ
いはがねも 通す誠の心には など天地も かえらざらめや
先年開港以来、御国体を汚し奉り小民ども困窮いたし候を、御憂慮遊ばされ、度々関東へ攘夷の勅錠諚を
くだされ候へども、終に受け奉らず朝廷を蔑如し奉り、度々毒薬を献じ候処、皇祖天神の保護により玉体
つつがなく在らせられ候処、去る八月十七日奸賊松平肥後守偽謀をもって
禁門に乱入し関白を幽閉し、公卿正義の御方々の参内を止め
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/12(水) 19:21:21 ID:s5A+ZNo80
先年開港以来、御国体を汚し奉り小民ども困窮いたし候を、御憂慮遊ばされ、度々関東へ攘夷の勅諚を
くだされ候へども、終に受け奉らず朝廷を蔑如し奉り、度々毒薬を献じ候処、皇祖天神の保護により
玉体つつがなく在らせられ候処、去る八月十七日奸賊松平肥後守偽謀をもって禁門に乱入し関白を幽閉
し、公卿正義の御方々の参内を止め御親兵をとき放ち、言路を隔絶し畏れ多くも今上皇賊の囲中にあら
せられ、実に千秋一時の一大厄をほしいままに処置致し候始末、ともに天をいただかざるの仇に候、
嗚呼率土の浜、誰人か涕泣せざらんや、男子胆を張り、身をなげうち候は此の時に候、但馬の国は人民
忠孝の志厚く南北の時節にも賊足利にくみせず、皇威をあげ国体を張り候条聞こし召し上げられ、かね
て頼もしく奇特に思し召し候、早々はせ集まり、大義をうけたまわり叡慮を奉じ奸賊を平らば宸襟を安
んじ奉るべく候事。 文久三年亥十月
昨日京都に行ったら、観光案内所に松菊祭のリーフレットが置いてあった
去年は霊山神社サイトのみの告知だったけど、今年は気合入ってるな石材屋さん
うわ、196に気づいたのが遅かった
>>197 番組紹介にあった木戸の手記は全く無く、久米の実記だけだった
でも面白かったよ、「真ん中で棒を持って踊っているのは何者か」とか。
確かに見たことない人には指揮者の存在は不可解だろうな
199 :
197:2010/05/24(月) 00:40:21 ID:rzZmd+CE0
>>198 ありがとう!
木戸手記が無くても面白そうだ
当時は楽器とかも初めて見るものばかりだろうし
今日は、木戸さんの命日だな。合掌。
書き込めないうちにテレビは終わり、木戸の命日になっていたのか。orz
どこかで鶯になって鳴いているだろうか。鶯じゃなかったかな?木戸の命日に
鳴いたと長が書いている。。。
このテレビは、リンクの番組紹介で見る限り、イギリスでのものを再現している
ようだけど、久米の話として、多分、ボストンだったと思うんだけど、交響楽団
を見て、真ん中の人はなんなのか?ということになって、どうも軍隊のように、
指揮しているらしい、そうでないと皆一緒に演奏できないらしい、と理解して
日本の楽団(雅楽ですな、多分)の奏者の方が、ずっと熟練なのだと解釈した....
みたいな話があったと思った。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/26(水) 20:10:06 ID:7McVYuH50
日記読んでる。おもろい。
204 :
sage:2010/05/27(木) 18:25:52 ID:upOjp3nT0
「醒めた炎」村松剛著を頼んで借りてきて、今日から読み始めている。
借りたものは返さないといけないし、文庫でも出ないかな。
地元の萩では吉田松陰先生や高杉晋作のほうが人気が高く
木戸孝允や伊藤博文は人気がないなあ
木戸孝允の人気薄なのは、なぜだろう。
地味に見えるから。逃げの小五郎のイメージから。
でも、木戸を大好きという人が少ないが大嫌いも少ないのだろう、多分。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 01:15:38 ID:uSkxMTTc0
きっと印象薄いんだよw
山県有朋は人気がないけどアンチは多いよな
>202
N響の番組はまさにそのボストンで開催された太平楽会(1872/5/13-14)の再現だよ。
指揮者の話もフイタが、面白かったのは、我邦人ニテキケバ「千曲一調ニテ」w
…久米オマイとは仲良くなれそうだw。しかも長いんだよなw
でも、回覧実記ではそこで周囲の聴衆に愛国心の高揚を感じて分析してるのがサスガ。
この時の、いわゆるロマン派音楽(←この名称イマイチじゃね?)は、大規模化しつつ
国家的・民族的なものが否応なしにからまってくるじゃん。
貴族サロンから民衆へ、革命児ベートーベン先生を皮切りに、
1866普墺戦争でビスマルクに敗れたウィーンに向けて『美しき青きドナウ』を書いたワルツ王シュトラウス(墺)、
1870普仏戦争で達成されたイタリア統一運動のシンボル「ヴェルディ万歳」オぺラ王ヴェルディ(伊)、
神が死んだ後ゲルマンに光を見て世界を再構築、1871成立の統一ドイツの為政者も心酔させた楽劇王ワーグナー(独)。
ここに、のち抹消されていくユダヤの苦悩メンデルスゾーンの宗教曲が加わる。
何かいいプログラムだなぁ。まさに当時ときめく各国スーパースター3人揃い踏み。番組繰り返し聴いちゃったよ。
んで、彼らの国と人生を大きく動かしたビスマルクに木戸らはこの後会うと。
ヴェルディの『トロヴァトーレ』の「アンヴィル・コーラス」で、太鼓ガワリニ【本物の大砲】を電線でつないで
バンバン放ったっつーのもあまりに曲調に合っててワロタけどw、それも米の南北戦争・欧の普仏戦争が終結し、
やっと世界が平和になったぞという演出と思うと一瞬すぎて泣ける。
「1872年」で輪切りにした回覧実記ってやっぱ面白いね。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 23:59:42 ID:uSkxMTTc0
山県の場合は人気がないというより、嫌われ者だろ
アンチどころかマンセーする奴なんていないw
青山の講座は何度も行ったが内容は孫引きばかり。
>>185 のレポが正確であるなら、
>高瀬川の舟入は現在は一番北の長州藩邸の一之舟入しか残ってないが八個あった。※
ウソ。
一之舟入は角倉邸南側。長州藩邸内の舟入は9個時代の二之舟入。
>【桂小五郎寓居跡】現幾松等
歴史捏造で有名なところ。
>>190の
>忠太郎は木戸の実子(母は不明、松子が育てた)
についても最近まで霊山木村の著書から、広戸甚助の妹みねの子と言い切っていた。
昨年京都で開催された「桂小五郎と木屋町」の席上
生咲家と交流のある維新を語る会から間違いと指摘され
突然忠太郎は木戸の実子と言い始めた。
青山の講座は霊山木村等の著書やネットからの孫引きばかりで、
本人の研究成果はほとんど無い。
多くの碑を建立した京都教育会についてもほとんど知らないばかりか、
間違った情報を平気で話しているからね。
>>185 のレポが正確であるなら、って痛いとこ突かんでくれw
正確?には「八個程度」て表現だったかも。
でも長州藩は一之舟入使ってないんだ?教えてもらえると嬉しい。
現幾松は幕末当時のものではないと何度も強調はしてたw
オイラの拙いメモを解読して超勝手にまとめただけなんですまん。
青山氏が185以下見たら怒り出す自信はあるぞ。
政治史的な話や周辺面白エピソード全部ばっさりカットしたし。
(春嶽の話はもっとしたそうだったw)
これ実は連続講座5回全部受講したんだ。
青山氏の講座の研究成果の有無はよく分からないけど、第1回として
まず幕末京都の全体像をイメージするとっかかりになったよ。
第2回 奈良勝司: 黒住教と禁裏御所 幻の八・一七政変
第3回 山崎有恒: 坂本竜馬三万キロの旅
第4回 高木博志: 明治維新と天皇
第5回 小林丈広: 幕末維新期の鳩居堂 (←これ昨日)
もう毎回楽しくて本当感動で、贅沢すぎな気がして舞い上がっとった。
それに各々独特で全く共通点ないのに、京都という一点で全体が交差する面白さも。
船上や他地域から見た危険空間京都という【地理的な横】の視点と、
近世の姿と比べて天皇像の欧化&逆に古都化させる京都という【時間的な縦】の変化。
京都の【オモテ舞台】で活躍した人らも現代と同じ皆「弱き個人」でありそも神道とは何かを、
そして江戸〜幕末・明治と、京都民衆側である意味変わらず【ウラ舞台】を切り盛りした豪商
三代を追うことで見えてくるものがある。
まぁどだいあの内容を表現するのも難しいが講師自体が魅力的なんだな。
211さん他にはどんなの受講してる?
※昨日の鳩居堂は木戸が非常に木戸らしいwからみ方で出て来た。
>182の好みと思う。いい勘してるw
213 :
211:2010/06/07(月) 15:22:00 ID:J3HHuvv+0
>でも長州藩は一之舟入使ってないんだ?教えてもらえると嬉しい。
使ったかどうかはわからん。
だが一之舟入は高瀬川支配権・輸送権を独占していた
角倉邸に面した舟入なので長州藩邸の舟入で無い事は確か。
長州藩邸内にあった舟入を二之舟入と呼んではいるが、
実際には開削後約400年の間で二之舟入が存在したのは
ほんの数十年間だけでその数十年だけが9か所時代。
>現幾松は幕末当時のものではないと何度も強調はしてたw
これも青山のいい加減なところで、
建物が幕末当時のままでは無いが木戸公寓居跡だと話している。
しかし実際には木戸公寓居跡だと判断できる史料は何も無い。
第一同所が長州藩控屋敷だったと説明しているしね。
控屋敷なんて言葉は当時使われていないし
下屋敷は現在の京都市役所の場所。
木屋町通りに下屋敷があったとする史料も何も無い。
幾松は昭和32年に京都に来た創業者が作ったテーマパーク。
>オイラの拙いメモを解読して超勝手にまとめただけなんですまん。
いやいや、どんな内容だったかを知る事ができて感謝している。
>211さん他にはどんなの受講してる?
ttp://www.bukkyo-u.ac.jp/BUSEC/lecture/course/2009_04/kyouyou/p40.html 上の中で5回ほど受講した。
霊明神社の調査は元々青山が行っていたんだが、
絶縁状態の弟子である中村に奪われてしまった。
琵琶湖疏水の開発に木戸忠太郎が関係していたって知ってる?
レスありがと〜。
琵琶湖疎水に忠太郎さんが?なるほど元々地質学者だから?
いつ頃のどんな話なのか。若き忠太郎さんが明治23年までに関係できてたら
それこそ面白いんだが。
>213のリンク先だと、「北垣国道と琵琶湖疏水」での話かな。
今度来た(北)餓鬼(垣)極道(国道)さんか。
豪農出身で、文久3年10月のあの壮絶な生野の変の首謀者の一人が生き残って長州に亡命し、
槇村後任の京都府知事として日本人の手だけであの琵琶湖疎水建設しちゃうんだもんな。
木戸含めこの辺の人らの繋がりは濃そうだ。忠太郎さんちゃんと協力出来たかなw
講座の中でも(←しつこくてごめんw京都知らない仲間向け)琵琶湖疎水の話がでてた。
東から鴨川に直角に流れ込む疎水は、明治20年代日本初の水力発電を行い、
西岸の木屋町にある島津製作所(現記念館)にも電気を供給し発展を助けたとか。
職人出身で明治8年設立の島津製作所の創業者も只者ではない。
槇村依頼の軽気球見てみたかったな。やっぱ京都は散歩楽しそうだw
しかし…。う、裏山しくなんか…orz
> >213のリンク先だと、「北垣国道と琵琶湖疏水」での話かな。
いやいや、青山は忠太郎氏の詳細なんて知らないよ。
忠太郎氏はたぶん京都市水道局の責任者として
田邉朔郎と共に開発事業に参加していた。
とあるところに一緒に写した写真が残っている。
時期についてはわかんないけど
写真を見る限りでは40代ぐらいに見えるので
第2疏水の時なんだろうと思う。
北垣国道の邸宅は土手町木戸邸の北隣。
お隣さんだからお付き合いはあったんだろう。
島津製作所が出てきたからついでに書けば
二代目島津源蔵と忠太郎氏は小学校の同級生。
そっか。勘違いしてた〉リンク
でも裏山って青山氏の講座について言った訳ではないよ。
忠太郎さんナイス。てことは
士)木戸孝允 −木戸忠太郎
農)北垣国道 −田邉朔郎
工)島津源蔵 −島津源蔵二代目
商)鳩居堂熊谷直孝−熊谷直行
になるのか。
いやこういうまとめ方はつまらないと分かってるが。
でも明治維新の一面を表してるようじゃない?
931の小林丈広氏が、講座で北垣国道日記「塵海」の
2010年3月刊行のチラシ配布してた。それによると
天狗党・長州藩内部抗争などの回想とかあるらしい。
北垣って元治元年5月頃鳥取藩邸潜伏中に木戸の命で
天狗党へ軍資金千両を密かに送ったりしてるんだよね?
維新後はお隣さんかw
塵海、見たことある?
とりあえず640頁あるらしいがw
さすがにこれは修正。謎の数字になっちょるorz
× 931の
○ 212の
218 :
215:2010/06/12(土) 13:01:07 ID:eC+ZcT860
塵海も含めて北垣国道についてはほとんど知らん。
講師の小林丈広氏って京都市歴史資料館の主任歴史調査員の小林氏だよな。
東京で講演なんかもしてるのか。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/12(土) 21:27:12 ID:1pi2FtbP0
Wikipediaを見ると孝允の名は桂家を継いで以降の名前だそうだけども、
じゃあ元服してから桂家の養子になるまでの諱は何だったんですか?
220 :
218:2010/06/13(日) 17:11:02 ID:OTOzroyW0
あぅあぅ…、大ボケかましてました。
平に謝ります。m(__)m
琵琶湖疎水云々は忠太郎氏では無くて、
松子夫人の実弟政治郎氏。
写真も第一疎水の時かもしれない。
何をボケボケで書いていたんだろ…。
221 :
216:2010/06/13(日) 22:15:50 ID:X8AXbiMf0
>>220 ちょ、おまw どや顔で216書いちゃったじゃんww
でもわざわざ確認してくれたん?そこは逆にありがとう!
・・・だから今後はこっちのも優し目で何とか。ふふ。
>>218 北垣の件、自分も知ったかで書いただけで詳しくないんだw
(知ったか・・・久しぶりに使った)
小林氏知ってるの?鳩居堂の講座、機会があれば是非受講を。
ラストの木戸日記の引用が泣ける。(んでかつ笑える)
222 :
220:2010/06/13(日) 22:40:07 ID:dX7D2sN80
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/22(火) 01:21:31 ID:reKxILwzP
会津戦争の殲滅作戦を立案したのは木戸?
木戸は馬鹿殿には死刑を求めたけど会津藩士は救済しました
【自民党清▲和貝=2▲ちゃん運▲営の北朝鮮カルト統▲一京会信者】
2ch規制→シベリアなどのレス代行スレに人が集まる→待たされるのにうんざりして△を買う→
→じつは2ch運営のカルト統▲一京会信者がレス代行人をしてる(つまり2chに人と金の両方を集めるための、2ch規制とレス代行スレ)
はい言論統制が始まります。
今年の7月から東京にあるネッ▲トカフェはすべて会▲員制になります。匿名書き込みできなくなりました。
警察が、ユ▲ダヤ(統▲一京会)や薩▲長連合のためにイ▲ンターネ▲ットカフェ規制をした。
↓【参考:洗▲脳支配 苫▲米地英人(著)】↓【参考:マ▲インドコントロール 池▲田整治 (著) 】↓
・ 第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。
・アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。
GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、
農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。
■いま日本の最▲高権力者は薩▲長連合(鹿児島県、山口県)たちです。日本はいまだに武家社会です■
・明治維新はテロだった
薩▲長土肥の戦費・・・・・ユ▲ダヤのロンドン支店が資金を貸し出す(年利18%)
幕府の戦費・・・・・ユ▲ダヤのパリ支店が資金を貸し出す(年利18%)
借金を型に最新兵器を売り、彼ら(ユ▲ダヤや貴族)の派遣した軍事教官をもって教育し、最新武装の洋式軍隊を作ればいいだけだ。
・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、 高知県、
佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。国策捜査は、薩▲長連合とアメリカのための捜査です。
↓
2▲ちゃんねるに書き込めないレス
http://m▲egalodon.jp/2010-0527-2135-09/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/s▲iberia/1▲274526803/2▲96
↑ 新しい掲示板に移動しよう
北朝鮮カルト統▲一京会=2▲ちゃん運▲営=自民党清▲和貝=薩▲長連合=ユ▲ダヤ権力
2▲ちゃんねるは統▲一京会の世●論工作所として作られてる。あとI●P集めが目的。
木戸さん177才おめでとう!
木戸は旧暦6/26生まれで西暦だと8月生まれじゃなかったっけ
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/26(土) 15:37:54 ID:6QKYc8Xt0
木戸孝允と木戸幸一や桂太郎は家族なの?
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 06:12:41 ID:lVXhlX640
木戸孝允の孫が木戸幸一。桂太郎は血縁関係はない。
つうかググれwwww
木戸と山内容堂ってなんで仲良くなったん?
今日本屋に行ったら漫画で読む木戸孝允っつのが出ていた。
まさか学習漫画になるとはww
>>230 容堂が木戸の飲みっぷりを気に入ったから
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/07(水) 17:27:36 ID:pYNohIeK0
本当のところ木戸は容堂をどう見ていたのだろうか?
江戸時代の殿様の意識が抜けないやつと
ある面で哀れに想っていたかもしれない。
容堂公は維新のあと酒と遊びで身代つぶして五年くらいでアル中が元で死んだんだっけか
(龍馬伝の白髪の容堂公をみると寿命で死にそうに思えるがw)
でも木戸とは熱心に日本の今後について話し合ってたともいうし
酒好き上司は藩時代からいて仲良かったし
金遣い荒いやつらもいっぱい知ってるし
諌めはしても哀れとかまでは思わなかったんじゃないだろうか
>>231 西郷や大久保が主人公はあったけど木戸はあんまりなかったんだよな
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/07(水) 21:23:34 ID:O7CMdQvp0
このスレの住人の中には『木戸孝允日記』『木戸孝允文書』『木戸孝允関係文書』を
全部読破・所有してる人はいるのかな?
>>233 版籍奉還、廃藩置県に理解を示した容堂を、
殿様の意識が抜けないやつだとは思わないんじゃないか?
>>238 学習指導要領に沿った赤字の人物は必ず小学校の教科書に載ってる。
龍馬とかの青字の人は指導対象に入ってないけど載ってる人。
教科書に載ってないのは黒字の人だけだろう。
2年くらい前に、小学校の教科書に載ってる人物で正答率が一番低いのが大久保、次いで木戸、というニュースがあったから、
とりあえず木戸は教科書に載ってはいるはず。教師がちゃんと教えているかどうかは分からんが…
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 18:20:44 ID:5VwdJsCC0
維新の三傑に含まれている木戸と大久保を小学生が知らないのはよくないと思う。
近代日本を創った最高の功労者として先生も親もべきだと思う。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 19:07:57 ID:7iw75JIU0
桂太郎の伝記読むと木戸は伊藤だけじゃなく、桂にも色々便宜を図ってるんだな。
どこの馬の骨ともわからん韓国人やらしょうもない一揆に
ページさく余裕はあるのに何故三傑は中途半端なんだか
桂小五郎って幕末の浪人たちのリーダーってだけかと思っていました。
海外視察前後とか日本の歴史でとても重要な役割を果たしているのに
全く教育で扱われていないのはおかしいと思います。
留守政府とか西郷隆盛をメインにした教育はなにか意図的なものを感じます
まぁ、大西郷は当時から人気あったから……
話とばしてすまんが、滅多に書き込めない状況につき許されたし。
ホテルからも駄目だった。。。orz
木戸の地方官会議って、議事録とか残ってる?
木戸の日記の中のものじゃなくて、もちっと正式なもの。
できれば書記が書いたもの。
もし知ってたら、どこにあるかも教えてほし。
木戸は伊藤や桂だけでなく、いろんな人に便宜を図っている。
ここでは定番だが、中島三郎助未亡人親子とか斉藤弥九郎(字が違うか?)一家
江川太郎左衛門一家などなど。あと、青木の養子先w
これらは便宜じゃなくて、面倒みてる、が正しいかも。
木戸の日記はけっこう正確じゃないかと思うけどな。
ごまかす人じゃないと思うし、日記は人に読ませるために書いたのではないし。
日記に書かれた内容がどうとかより
出版されている木戸の日記に誤解読(?)みたいなものが多いとどこかで見た
…気がするけどどこでだったか
248 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 10:27:17 ID:2Wzv/53a0
兄弟山リフレッシュロードはいいよね
鴻ノ峰にもよく登ってる
なんでこのスレに書き込んだかわかるやつはたぶん地元民
249 :
きど:2010/07/11(日) 17:39:18 ID:5kF1quIJO
>>245 地方官会議の議事録はわからないが改正案とかそういうものなら地方官会議事務局掛の人間が書いたものがあった気がするよ。
大熊学校図書館データベースとかにありそうな気もする。
三村wwwwww
御免誤爆した
幾松
>>254 漂流乙(泣)
久々で嬉しくて、全く知らんのに土曜に図書館まで調べに行っちゃったよ>地方官会議の記録
ただこっちもPC・携帯・他全滅。ずっと手も足も出ない。。
>>249なんで書き込めるんだw
公式なのは、今だとまとめて『地方官会議史料集成』という便利なものが刊行されてた。
巻数多いけど。影印だけど。でも木戸の小っさな<孝允>印があちこち押されてて楽しい。
浅草本願寺の会場間取り、人員配置図もあったぞ。
その中の「地方官会議日誌」(by書記官:福地・依田学海ら)が要望に合うのかな。1期3巻あたり。
※公式じゃない『傍聴録』もあるけど、結局東京日日の焼き直しらしいw
さらっと見たけど、各知事の発言が大量記録されてて、書記官ほんとマジ乙w
日記の木戸は愚痴が目立つから、もっとひどい有様かと思ってたが、
意外と?木戸の事前準備ぶり・議長ぶりが頼もしい。
ちなみに起立して発言、回答は議長に向けて、相互直接の議論は禁止のルールなのね。
ただ、これ読んでる学者さんが疲れを覚えたとしてもよく分かるw
3日目立ち上って、地方官会議における論議の無用論を提察した薩摩の大山綱良、
木戸が苦い顔でその建議をつぶしてたって回顧録もあるそうだが、それも分からないではないw
木戸の地方官会議、一般に報われないのはこれこそ名前のせいじゃね?
地味な事務会合と勘違いしちゃうみたいな。
もっとこう、、、栄えある第一回「民撰議院先行国会」とか。ムリかww
木戸は人々の幸福を願っていた人だから、そのために廃藩置県を行った人。
地方の自治も大切にしていたと思われる。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 18:26:54 ID:X5thJzyf0
本日7月14日は廃藩置県の日。木戸孝允も大きく関わっていたんだよね?
フランスは革命記念日。日本もフランスもきんだいかに向けて大きく踏み出した
記念すべき日なのですね。
地方官会議で地方からきた参事達は何処に泊まったんだろう…
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 21:18:36 ID:5IonW40I0
日記、木戸文書、関係文書読んだ。
小説のいい加減さが恐ろしい。
松子とは仲が良く、一緒に出かけたり、主婦としての用を命じたり
ごく普通の夫婦としか思えん。
ただお茶屋遊びは激しい。芸者加代は幕末から明治の初めになじみだったようだ。
明治元年八月の日記に「東山の加代等座す」と数回出てくる。
ただ、この頃松子も山口から呼び寄せ明治二年の六月頃まで京都に住んでいる。
大阪遷都の話があったから京都に住もうと考えたか?
西園寺卿は卿が26歳頃(明治7年頃)加代のなじみだったらしいから、
その前に木戸がなじみだったのか、それとも別の加代か?
ただ『醒めた炎』で指摘されているように、晩年加世に貢いでいたとは思えん。
東京に居を移してからは、櫻屋の阿亀小春小松小濱の名がよく出てくる。
洋行から帰ってからはあまり激しくは遊んでないようだが。どうだろう。
立場や容姿などを考えると思いっきりもてただろう。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 22:19:48 ID:w0snuqWZ0
>>257 あくまでも推測だが
木戸は芸者と大騒ぎをするのは好きだが
芸者と深い仲になることはほとんどないのではないかと思う。
だいたい酔いつぶれて寝てしまうことが多かったのでは。
日記からの推測だけど。
妻を大切にした人ではないだろうか。
特定の愛人と言うのもなかったのでは?
どこの記憶か定かじゃないが、幾松って女世話してなかったっけ?
その流れで、下女にだけは手を出すな→井上の手引きで下女を妾にしてると聞いてアメリカへ激怒のおてまみ→誤解を解くために聞多奔走かと。
名家で唯一人の跡継ぎながら継嗣が無いのを、本妻として気にしてたんだろうなぁ、と思った記憶がある。
でも夫婦仲はかなり良さげ。あの時代の感覚だろうな。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 01:29:48 ID:2IPWLyw5O
ダメだ・・・もう我慢の限界・・・なにこの糞スレ・・・・
もうね、院で近代史を学んでる自分からすると馬鹿馬鹿しくて観てられないのね・・・
高卒とか学士の人は楽しめるかも知れないけど、自分は無理っすわ・・・
っつーことで落ちるわw あとは高卒&学士の諸君で楽しんでくれやノシ
映画実況で御馴染のコピペの改変か。今更なネタだなw
「長州の関係者が細かに記録を残しているので長州は扱いにくい」みたいなことを
小説家が言ったと聞きました。
誰が記録を残して、誰が不満を言っていたのでしょうか?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 12:20:54 ID:sxBApZo20
>>262 長州藩のことを小説に書くと史実と違うと言い出す人がしばしば現れるからね。
しばしばのクレームにペンネームをしばりょうたろうにした人もいるくらいだから。
桐野利秋も日記を書いているのだが、
彼が歴史小説内であらゆる時代の日本各地に同時に現れ何千人も殺して回っても、誰も騒がない。
というか、記録に残っているのは婦女暴行魔(未遂)をその場で斬った一件のみで、残りは全て創作
それにつけても佐幕小説の虚偽の多さよ
防長回天記は伊藤やら元勲がいかに正しいことをしてきたかを書いたところがあるから一概に信憑性があるとは言えないようだけど。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 21:32:21 ID:a+uQEdIa0
関係文書5早く出てほしい。年内に出るのだろうか?
7月24日(土)関西テレビ 11:40〜45 偉人散歩「木戸孝允」
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 11:27:07 ID:Vh8pn3Yd0
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 03:28:50 ID:w//Xqis10
あのー、初めて書き込ませてもらう者だが、聞きたいことがあるんだ。
木戸と大久保の関係についてなんだが、ややこしくてよく解らんのだ。
彼らは一流の政治家だから、関係に政治が絡んでるのは当然として、彼ら個人の性格・才能の質も絡んでるのかな?
互いが互いの才能を認め補い合う、って面もあったのか?
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 23:59:23 ID:4XrKz6cM0
そりゃ、あったんじゃね?
(超てきとー)
仲の悪い爺さんと婆さん
あれだけ仲が悪いのに相手が出て行くと引き戻そうとするのが不思議だ
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/28(水) 20:42:48 ID:TrHNc6gZ0
>>272 互いに個性が違うことを意識していた?
個性が違うゆえに自分の出来ない部分を
相手が出来ると言うことを感じていた。
明治2年だったか、大久保と岩倉が組んで木戸を道連れに奉り上げ、副島・前原体制で
実権掌握しようとして失敗したことあったよね。
待詔院学士の一件。
あの騒動を収めるには、結局大久保と木戸を参議にするしかなかった辺りの力関係は面白い。
(実際には、木戸は固辞して廣澤を推薦してるけど)
政府内の立ち位置も、使節団前は木戸が改革派の本尊、大久保が保守派の領袖だったが、
使節団後は木戸が改革漸進派・政府内民権派の本尊、大久保が改革急進派・有司専制の領袖に変化してる。
しかしこれだけ立ち位置が違っても、政府の危機にはとりあえず協力し合ってるのも面白い。
もちろん、間に立ってた伊藤や井上の艱難辛苦も外せないがw
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/28(水) 21:51:44 ID:TrHNc6gZ0
大久保に政策等方針を部下が相談したらその方針に多少の問題があっても
やらせてもらえたと言う、逆に木戸に相談するといろいろ、問題点を指摘
されてしまったと言う。
伊藤などが大久保を良く言うのはそこの点にもあったかもしれない。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/29(木) 22:53:05 ID:/EtapbJi0
なんか調べたら木戸が政治家やめて大久保が願うような
形で大阪会議に出席みたいなwikあったけど大久保と木戸だと木戸の方が立場上なの?
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 00:12:38 ID:RuvvRfef0
明治初期の政治は表向き三条>岩倉>西郷>木戸>大久保
だから人前だと大久保は木戸を立てたりもする
だが実務はあくまで大久保=木戸であって他三人は自己主張少ない
伊藤は木戸の良い所も多く言い残している
京都に行けば必ず山登って墓参りもするんだよ
むしろ例の発言が異質であって、その印象を一般人に広めた司馬が有罪
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 03:20:21 ID:+kN5EXcb0
ああ、例の「心が狭くては・・・」の発言だね。
あれは一体どういう状況下での発言だったのかな。養子の孝正くんに、なぜ父の晩年あなたと父は疎遠になったのか(実際のところ全然交流は絶えてないんだけどね)、とでも質問されたのだろうか。
司馬は多少の別はあれその著作において一貫して木戸(桂)を矮小化してるからなあ。その根拠付けとして伊藤の、木戸に対しては異質の発言を持ってきたんだね。
確かに陰湿だ。
現在のメディアと共通してる部分がある。ひとつの発言だけ取り上げて繰り返し放送するじゃん。
木戸は運が悪いよなあ・・・ よりによって司馬に好かれなかったなんて。司馬がこの国の大衆に植え付けてしまった木戸(桂)像を変化させる、つか本来の姿に戻すのって可能なんだろうか、って絶望的な気分になることがあるよ。
しかし大久保と木戸の関係は面白いよな。
研究書とかも出て欲しいんだが・・・ その価値が充分にあるんだけどねえ。
明治のはじめ10年間に政府の中心にいたのは間違いなくこの二人なんだから。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 07:59:57 ID:xQLYR4IG0
竜馬物とかだと幕末で終わるけど明治10年ぐらいまでのやりとりも
相当面白そうだよね。木戸が西郷が戦争するってわかった時、京都にいったり
木戸が死ぬとき大久保がいたりしたわけでしょ。ドラマチックだと思うんだけど。
木戸って今なら思想とかも受け入れやすくて主役になれそうな気がするんだけどな。
高杉の引き立て役 竜馬の引き立て役 西郷の引き立て役にされてかわいそうだな。
後、吉田松陰があんまり木戸の事を書き残してないような気がするんだけど、詳しい人どう?
松陰は高杉、久坂、伊藤の資質の事は丁寧に教えてるのに木戸にはなんて言ってたんだろう?
桂は松陰個人の門弟じゃないからな
評価のための評価は遠慮してしないだろう
高杉宛の送辞や目安箱に投入した推薦状での言葉はかなり良い
寛洪の量、温然敬愛すべき人なる、かつ才気あり
だがここでも二人が仲違い、というか松陰が一方的に誤解して
桂にブチ切れた際の発言ばかり取り上げられるワナwww
まあファンとして実態のがより偉人だと更に好きになるんだが
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 17:40:03 ID:iUxWgOj/0
明治のある、政治家の話
「薩長の関係はやがて木戸(孝允)と大久保(利通)との関係になっていて、
両雄とも互いに心を労していた。私どもが何か献策、あるいは相談ごとがあって
大久保のところに良くと、大久保は先ず木戸に相談しろと言った。こんどは
木戸のところに行くと、そのことは大久保は承知かと訊ねられるといったふうで、
双方が譲り合っていた。
と言うことが有ったそうです。互いに一目おきあっていたのだろうと考える。
*参考文献:講談社学術文庫「大久保利通」佐々木克 監修
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 18:12:36 ID:lwC/0s4s0
勝の発言も木戸の評価を下げる要因だよな。
西郷に比べると小さいとかさあ。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 18:40:23 ID:iUxWgOj/0
勝海舟は自分に媚びた人間は評価してなびかねぇ人間は悪く言うのさ。
勝自身がそこら辺に関しては小せえ男よ。
と嫌味の一つも言いたくなるのは俺が小さい男だからかも。
どんな、悪口にも同ぜず、国民のため信念を貫いた幕末維新の志士は
大きい人間達。
司馬に好かれなかったのが不運、ってのは同意かな
元新聞記者らしい恣意的な引用を感じる
でも戦前は西郷に次いで人気あったみたいだし、また木戸が評価される時代が来るでしょう
器小さいと言われても反論する必要を感じ無いw
木戸の場合は器の綺麗さで勝負すれば良い
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 22:32:04 ID:lwC/0s4s0
裏方に回る事が多いから「これは木戸がやった」って事が目立たないのかもな。
高杉、大村。西郷は戦争指揮してるし。伊藤は後の初代総理大臣。
大久保は木戸と似たような感じだけど。西南戦争で西郷と戦った悲劇的な事で
インパクト強いし。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/31(土) 11:40:14 ID:arZzcWlT0
畳の上で死んでいるとなぜか、人気が下がるのが日本の特徴。
例外は高杉晋作。この人は志し半ばでの死去で
そこに、判官贔屓が働いたのかもしれない。
だけど、それらは全てメディアと言うかマスコミの扇動に因ってなんだけどね
木戸のおかげで史実資料を調べることの面白さを知った。
だけどもうちょっと手に取りやすい本でまともに扱ってほしいとは思う。
木戸日記なんか気軽に読める現代語訳でも出てきてくれたらなあ。
久米の米欧回覧実記 みたいに。
原文で読めって言われそうだけど。
史料読みは習うより慣れろ。愛があれば大丈夫だよ。
(自分も初めて木戸日記を見た時は、漢字ばかりで絶望した)
適当に眺めていたんだがなぜか分かるようになってきた
にしても関係文書面白いな、木戸周辺の人間はなぜあんなに個性的なんだ
変人率高すぎるwww
品川は普通な方と思っていたんだけどなぁ
京都情勢報告の手紙に毎回琵琶名手美少年、美人芸妓の話が出てくる
また色々お話したいけど土産話に残しておきますねっておいww
こいつは何のために京都残ってるんだ、木戸怒れよまじで
>>290 古本屋で木戸日記は購入しているから、まあ、慣れるしかないね。
291が言うように気が向いたときに眺めているだけでもなんか面白いですw
それはそれとしてやはり初心者向けで且つしっかりしている入り口は欲しいなと思う。
木戸なんてせっかく本人が書いているものが一番面白そうな上、それ自体が貴重な史料なんだしね。
>>291 夜の京は工作の舞台だから、そこの情報は詳細に報告する必要があったんだよ。
それに実はその話の中に重要な暗号が
ごめんこれ以上のやじの弁護は無理。
品川のハジケっぷりは全く予想外だった
明治初期の青木が普通に見えるんだよ
八年以後はさすがにネタ以外の何でもないがw
木戸本人の事は日記を読むとして
他人の木戸評を集めた本みたいなのはないですかね?
いろんなとこに散らばっってるからなー
手軽に読むなら「醒めた炎」としか言いようがない
わかりました
気長に資料を漁ることにします
ありがとうございます
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 09:27:04 ID:a5A/da9T0
八朔で、京都の舞妓芸妓さんの井上流家元への挨拶の新聞記事が出ていたので
スレ違いかもわかりませんが書き込みます。
上でも書かれていた加代さんですが、踊りが上手くて井上流の舞を習っていました。
木戸がそれを好んで京都のお座敷では呼んで舞わせたそうです。
その関係で師匠三世井上八千代を知ります。これは小五郎時代とも言われています。
そのため、木戸の懐刀である槇村正直が、明治4年頃?京都で博覧会を催すにあたり
井上流の京踊りを博覧会のメインにすえたのです。
これが都踊りの始まりとも言われ、当時井上流より有名な流派はあったのですが、
これ以後、京都において井上流が御本流となり、
この経緯が井上流の古い歴史本に書かれているため、
木戸と加代の話が大きくなって伝わったのだと思います。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 20:12:28 ID:7D6qNoJM0
>>277 けど翔ぶが如くとかだと明治政府は大久保と江藤が作ったみたいになってるんだよな。
大久保と江藤以外、国家の骨格を作り上げるような青写真をもってないといわれちゃってるし。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/02(月) 20:53:57 ID:UNyLyYbj0
>>299 ドラマも小説も見てないから分からないけど、
あくまでも、歴史をベースにしていてもフィクションはフィクション。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/03(火) 03:16:12 ID:T3m1UrnG0
へえ、跳ぶが如くってそうなんだ。
青写真持ってたのって木戸じゃないのかと正面から反論してみる。
結構自信あるんだけど。
フィクションだとは承知してるんだが、司馬の文章は読者にとにかく「信じさせてしまう」文章だから。
創作を史実に勘違いさせてしまう達人。
・・・創作だと知りつつ木戸へのあんまりな扱いにムカッとしてしまう俺は未熟なんだろうか。
いやまあ普通だろw
司馬の場合は何とかあら探しをしようと躍起になって
見つけた些細な事例をそれが全てのように必死に繰り返し吹聴して回ったと考えると
むしろ笑えるが
単純に主人公として書きにくいんじゃ
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/03(火) 07:49:53 ID:3vH8ee6i0
木戸が活躍する小説とかなにかある?明治ぐらいで
飛ぶが如くだと大久保が内務省握ってて江藤が司法省握ってて
両方が新しい国家を作っていってたみたいな感じだったけど
この時木戸はなにやってたの?
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/03(火) 20:41:06 ID:nNjU6jqQ0
司馬の翔ぶが如く読んでるんだけど木戸の描き方がよくわからないな。
木戸は大久保より聡明であったが悲観的なので政治家としてはだめだった。
木戸は意見だけの人
黒田はどういうわけか木戸を智者だと思い
とかさあ、司馬は木戸の事嫌いなのかね。竜馬が行くも読んだ事あるけど
それほど桂の事を悪く書いてた覚えはないんだけどなあ。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/03(火) 21:23:36 ID:kGsXYAtJ0
>>304 木戸孝允が主人公の小説なら村松剛の「醒めた炎」しか思い浮かばない。
図書館で木戸孝允で事項検索するといくつか出るようです。時間が有れば
調べてみてください。
>>305 司馬遼太郎先生がどういう意味合いで言ったのかよく分かりませんが
木戸孝允は人の痛みを自分の痛みとして感じるようになってしまい
冷徹に物事を進めることが出来なくなってしまったのかもしれません。
(岩倉使節団で帰国して以降のことですが)
その心は政治家向けではなくなったと言うことでしょうか。
意外と翔ぶが如く読んでない人多いんだな。
こういう板に書き込みしてなおかつ木戸という人物について
書き込もうなんていう人は司馬を全部読むようなコアな人ばかりだと思ってた。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/04(水) 02:15:14 ID:mSAiCgfb0
いやだってちょいとネットで調べりゃ司馬の創作スタイル(主人公アゲその他サゲ)、人物について好悪の
情の激しい人であること、長州、とりわけ木戸孝允に当初から悪感情を抱いてたらしいこと(戦争体験が原
因?)、そしてそれを本人ついに最後まで克服できなかったらしいこと等々が分かるから。
何より恐ろしいのは司馬作品読んだら司馬マジックにかかってしまうことだ。創作を史実と思い込んでしま
うんだよ。
少なくとも俺はこういう情報を収集できたんで、書店に寄って気が向いたらぺらぺらめくる程度だ。
きつい言い方になるかもしれんけど、こんなん読んでる暇があったら客観性貫いた研究書や一次資料に目を通す方がほんまもんの(?)歴史好きとしてはあるべき姿かと。
司馬の、木戸への悪意ある、もしくはよくわからん文章を読んで娯楽になるというなら止めないが・・・
いや〜〜しかし司馬に洗脳されなくて良かった!抜け出すの大変みたいだから。
司馬を読むのがコアって一体何のコアだよ
まさか史実ファンとしてなんて言わないよな?
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/04(水) 18:58:09 ID:1x23vklh0
司馬は龍馬が行くを木戸が潜伏していた出石の宿で
執筆したと記憶する。
司馬の木戸に対する感情はこの点からも一筋縄
ではいかない複雑なものを感じてしまう。
わざわざ嫌いなやつの潜伏していた宿で大事な
小説を執筆するだろうか。
司馬はとことん変なやつだ。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/07(土) 07:46:05 ID:qldfQi/j0
司馬ってあんま資料とかみないのかな?飛ぶが如くは
読み進んでいくと木戸が有能になっていったりして最初言ってる事と
違う感じなんだよな。書いてる途中に資料読んでたりしたんだろうな。
>
>>311 某氏のある、小説では最初、無知だった坂本龍馬が年を追うごとに
成長したようなかんじで描かれているのもあるが
飛ぶが如くの木戸もそうだと言うわけでは無いのね?
はじめ→木戸のことを主観で書いてた
途中→実際に木戸の行動を書くと有能になってしまった
とか?w
翔ぶが如く読んでなかったから今度読んでおこうかなあ
小説家なんていい加減なところあるでしょ
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/07(土) 15:23:36 ID:VvBPVERl0
>>305 それは木戸の実像を知らないから
知ればあまりのsageられように笑えるんだ
孤独を好み人を寄りつけなかったから書生がいないとか
屋敷に満ち溢れたあいつらは食客なのか
桂太郎も青木周蔵も単なる食客だったのかよww
あの面子が食客だと、なんか戦国四君みたいだなw
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/07(土) 17:04:17 ID:vLtgek+F0
>>299 >大久保と江藤以外、国家の骨格を作り上げるような青写真をもってない
いや、青写真は持ってるし、他人の青写真を批判する意欲も実力もあるが
自分の青写真を実現するためにはどうしても権力を握るのが必要で
その段階になると乗り気しないから論外、じゃなかったっけ?w
「翔ぶが如く」はまだ木戸の本質を掴んでいるほう
短編の「逃げの小五郎」とは大違い
孤独で憂鬱な人物像のほうが小説の「脇役」として都合がよかっただけだろう。
そこはもう小説だからしょうがない。
正直、司馬はまだマシ。
木戸主役で手に入りやすい小説は古川薫の桂小五郎だが、あっちのがひどいように思える。
木戸を知らないでそれだけ読むとそんなにひどいことを書いているように見えないのだが、
知っていて読むと作者は木戸が好きじゃないことがよくわかる。
もともと嫌いだったのが、調べていくうちに多少好感を持つようになったという感じだ。
実際に後書きにそんなことを書いていたと思った。
まあ司馬が桂=木戸を実際より小さく描いたのは嫌だけど
木戸嫌いだったっていうのも違うように思う。
小説家で、キャラ配置するのに実像を曲げたって方があたってるかな。
はっきり嫌っていて酷評してる島津久光・井伊(安政の大獄)の描写と
比べてみ。木戸の場合はいい点・評価している点いくつも書いてる。
それがまた中途半端でイヤなのかもしれんけど…
長州も別に嫌ってるように見えない。松陰・晋作・吉田としまろの描写や
長州の論評?みてると普通に興味あって評価してるし、好感もってる
点も伺えるけどな。
長州sageっていうのは早乙女貢とかだよ。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/07(土) 22:47:42 ID:EozDxK7c0
桂小五郎は新撰組ファンからは嫌われていると言う人もいるな。
フィクションの新撰組の敵、鞍馬天狗は桂小五郎の助っ人みたいだし、
それだけ、佐幕派からは厭な存在だったのだろう。
嫌われるのは逆の立場の人や組織や思想に大きく貢献したと言うことか。
谷原章介の桂が実像に近いのは何故なんだ
脚本家が長州生まれゆえか、役者が歴史好きで自己研究してるのか
単に偶然な気もしてならないんだがどうだろうw
>>322 それはないw
司馬のイメージからは外そうと思ったら偶然実像に近くなっちゃっただけじゃね?
桂以外はとんでもキャラになってるのとかいるしなあ
長州の人間関係だけは史実に忠実だよw
井上がタメ口、伊藤が高杉に敬語だったり
松陰先生の一番弟子がちゃんと久坂なあたり
行動はめちゃくちゃだがw
役者さんは実際に歴史好きみたいだ。
伊藤甲子太郎やってた時に萩へいったらしく
一坂太郎氏がその時の文章だか言葉に感心してた。
今回も「従来と違った桂小五郎をみせたい」と
抱負を述べていたし。
薩長同盟で西郷にブッチされる前回大河はGJだった。
脚本が外してないのも幸運だったな。
芸州口で大将やってたり、伊藤井上が久坂より
血気盛んな攘夷志士みたいになってたりするけど
演出も編集もおかしかったよ。
井上に振ったら伊藤が映り、
伊藤に振ったら井上が答える、みたいな。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 03:39:42 ID:8lLJGgmA0
>>326 うん、役者さんが良く調べてる感じだね。「醒めた炎」、読んでる可能性高いんじゃないかと思う。
一次資料に手は回らなくても、桂を演じるならまずあれは読んでくれ、という位置にある本がこれだ!!ということを世間にもっと認知できんかな。
それにしても「醒めた炎」原作で大河やってほしいなーと思いつつも、昨今の大河のレベルの低さを見るに、やっぱいいです、という気持ちにもなる。複雑。
昔の大河に戻ってほしいな。主人公マンセーでない、登場人物すべてを大切にする大河。
龍馬伝のような大河はまじいらないな
あれは龍馬上げてるつもりか実際下げてるだろ
桂に洗脳されたり高杉に洗脳されたりどんだけ時勢に疎いんだ
龍馬ファンでもないが涙出そうになる
木戸ファンからすればひたすら上げようとする制作者の姿勢そのものが羨ましいけどねw
龍馬は脳内補完で良い方向に受け取ってくれるライトファンが多そうだし
まあコアなファンは御愁傷様だけど…
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 14:16:37 ID:uyWCuBmp0
>>320 会津研究家の星亮一が「会津を何が何でも攻め滅ぼせ」と主張したんだと著書に書き、
会津戦争を私怨で起こした大元が桂だと力説し広めているからね。
過去から引き継いで、現在進行形でアンチ桂キャンペーン中だよ。
ターゲットは歴女らしいけど
>>331 その話はどこまで事実なの。確かに木戸は
戦争で早く日本を一つにまとめようとしたとも言われているが
責め滅ぼせと言うのは違うように思う。そこまで過激だろうか。
>>332 どこまでも糞も…
木戸はむしろ処遇軽減派では
木戸の日記読めば分かるが、会津婦女が自決したの聞いて
政府軍の無徳を罵りまくってるぞw
>>332 会津系作家の戯言なんて信用しなくていいよ
司馬は軍での体験から大村を除く長州閥に余り好意的じゃないけど木戸を酷評してるわけじゃない
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 22:09:09 ID:nd1at2wF0
で、木戸忠太郎は実子なの?
その場合母親は誰?
実子という説もあるにはあるが……
実子だとしたら、なんでわざわざ後継に来原と治子の次男である正二郎に家を継がせ、
更に正二郎が継嗣なく没した後に、孝正(正二郎の兄)まで引っ張ってきたのかがなぁ。
孝正の妻は木戸の娘である妙子だけど、その後に家督を継いだ幸一は孝正と後妻(山尾庸三の長女)の子で、
結局孝允の直系は絶えてるし。
もし忠太郎が実子なら、正二郎の次ぐらいに持ってきても良くね?と思うのだが。
血筋云々っつっても元勲の妻は大体ry
母としては広戸甚助の妹説がある。
松子の生家である生咲家では、間違いなく松子の妹・信の子であると断言してるが。
大体、誰でも彼でも頼まれればホイホイ養子にするから話がややこしくry
結局養子は総勢何人なんだろw
この家庭環境でよく給料減らせとか言ったもんだ
木戸孝允の養子になった人は「ヨーシ、頑張るぞ」と
張り切ったそうです。木戸が偉い人と、よう知っとたのかもしれない。
(事実かどうかは分からない)
>>338 木戸にしろ子沢山なのに借金まみれな大久保しろ
政府から離れたら生活できそうにないな
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 00:17:13 ID:5TrCUDpH0
まぁ木戸は江良加代に入れ揚げてたからな
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 00:24:20 ID:Wrzz2v9m0
木戸なんて飾りですよ。偉い人にはそれがわからんのです…by伊藤
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 04:08:25 ID:bmHbGzCE0
いや、木戸というか桂というか、ペリー来航からの幕末長州を見ると、司馬は吉田松陰からすべて始まった
みたいな書き方してたけど、むしろ木戸あっての幕末長州って気がして仕方がないんだよねえ。
木戸は自己顕示欲があんまりなかったみたいで、表向きは松島剛蔵、周布政之助、長井雅楽あたりが
まず出てくるけど、裏方の根回しは木戸が担当していたんじゃないかなあ。
水戸との同盟も、「航海遠略策」の提示も、ああ、松陰の遺骸引取りも。
あと、攘夷親征工作も久坂の活躍より木戸の根回しのほうが大きいと思う。
久坂は久光襲撃計画に動いていてあの頃はさほど公家と連絡してなかった筈。
同時にヨーロッパに留学生を送ることも、木戸が発案したんじゃないかな。
大村を藩に呼び込もうとしてるし。
高杉の挙兵で倒幕派主導になってからも、木戸がいない間はほとんど何も進められず、
木戸が帰藩してはじめて大村の起用、武器の購入、中岡を介しての薩摩との同盟と、
すべてが動き出した。
まあ誰々より木戸とかは別にいいよ
なんかいつの間にかその時々の派閥の象徴みたいになってるよな
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 10:10:09 ID:ehlJN5ta0
桂小五郎ー木戸孝允は幕末維新に最も長く、最も多く働いていると
幕末維新の歴史を見ながら思う。そして、周りの人の良さを上手く
引き出すこともやった人。それだから、周りが目立ち、木戸自身は
あまり目立たない。
幕末鴻門の宴なんだありゃ
そこまで持ってくのにどれだけ木戸が苦労したとw
幕末の木戸を見てるせっかくお膳立てしたのを
周布とか久坂とかwが壊しまくってる感じなんだが
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 19:11:26 ID:OeBP4L000
ヨミダス歴史館より
昭和29年11月2日の読売新聞に忠太郎の事が載っていて
明治7年三才のとき明治の元勲木戸孝允の養子に若狭小浜藩士松本家よりひきとられたとある。
実際に籍は9年に入れているが、日記には8年頃からでてくる。
井上馨が大阪会議の時に松子の事を探索しているが内容から
忠太郎の父親が誰かを松子の妹に探索しているような・・・
このあたりに引きとられたような・・・
妹と小浜藩士の子じゃないかな。多分。
だから木戸の死後、忠太郎を連れて京都に住んだのだと推測するけど・・・
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 19:22:49 ID:OeBP4L000
江良加代に貢いだ事は信憑性が薄い。
木戸の葬式後ぐらいの新聞に、
木戸が死んだ為今年の祇園舎の練り物は中止とあった。
明治11年1月中頃の新聞には、
翠香院12月28日に京都に着して以来木戸の墓参を怠らず・・・とある。
仲の良い夫婦だったのだろう。
ヨミダス歴史館で当時の記事を読むと、こまいネタもあって面白い。
大学や大きい県等の図書館にあると思うので是非読んでみてください。
探索?
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/11(水) 19:34:53 ID:OeBP4L000
今、手元に関係文書がないからあやふやだが
木戸関係文書井上馨の項に明治八年2月頃のはずだが
『your wife探索の事・・・・・妹写真を見せ終にその名を云いウンヌンカンヌン』
という文書が木戸宛にある。
それかなっと思ったので。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/15(日) 19:18:42 ID:Diaz1c700
桂小太郎
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 02:54:22 ID:gpXk1q3q0
皆良く知ってるなあ・・尊敬するよ。
木戸の場合はほんとに一次資料読まないとファンとは名乗れないなあ、と少々臆してる。
なにしろ量が多い。漢文が苦手。だが愛の力でがんばるぞ!
漢文つらいよねw
そういやどっかで木戸日記の本は可と不可が間違ってる箇所がいくつかあるらしい
って話を聞いたけど、それって直ってるの?
>>352 わかるわぁ
自分も漢文苦手だ…
何よりまだ木戸初心者なもんで、日記読むにはまだ早いかなって思ってたけど
とにかく一度チャレンジしてみようかな…
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 18:54:01 ID:Tu7JZN4XO
木戸孝允日記は、書店でも手に入るが、何しろ高価(@_@)。図書館で借りるのが良いかな(^_^;)。
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 20:11:05 ID:CAfNHyX90
木戸の伝記については誰が書いたのが特にオススメ?
醒めた炎は面白かったな。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 21:05:09 ID:NJXOBje40
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 22:57:41 ID:yyPrXjIa0
じゃあ木戸孝信って誰なの?
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 18:10:50 ID:t8S9IeqK0
>>359 木戸孝信と言う名前の人は木戸孝允の孫の木戸幸一の子どもにいるようです。
だから、木戸孝允から見ると曾孫に当たります。
なお、木戸幸一の父親は木戸孝正、木戸孝允の養子です。
>>360 木戸幸一は木戸孝允から見ると又甥じゃない?木戸孝正と寿栄の子だから。
寿栄はあの山尾庸三の娘。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 21:09:19 ID:Chg/5dMq0
>>360 孝澄と孝彦は系図に載ってて、孝信だけ載ってない件
妾の子なの?
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 22:05:06 ID:eMMD4/WtO
>>361 木戸孝正は木戸家に養子として入ったから親子と言えるとおもいます。
>>362 母親は同じのようです。余り活躍しなかったので掲載されなかったかな?
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 00:08:26 ID:r32zjPJg0
系図上は弟・正二郎の養子という奇妙な感じw
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 18:28:47 ID:v/+ZOSE+0
>>365 木戸孝允自身に男性の実子がいないから養子を貰い、
貰った養子が早世したりで養子縁組を繰り返したから
複雑になるのも仕方ない。
戦国から続いた上杉氏も養子でいろいろ複雑ではなかったかな?
別の話だけど(^_^;)
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 23:23:39 ID:lhu+1/MH0
忠太郎は小浜藩士・松本某と松子の妹・信の子って事でFA?
孝允の義理の甥ってとこか
>>295 亀レスだが、『木戸松菊公逸話』がオススメ。初心者でも読みやすいよ
>>368 ありがとうございます
早速図書館にあるか調べてみます
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/22(日) 11:11:22 ID:qLRnj0mx0
村松剛の「醒めた炎」やっと読み終えたぞ。
面白かったよ。
でも、西南戦争が終わる前で物語りは終了してしまったのだ。
官軍と薩摩郡はどちらが勝ったのだろうか?
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 02:43:01 ID:E8o4kK/20
>>368 うわあ、妻木忠太氏の木戸一連本だね!
自分も読みたいんだが、最寄りじゃない図書館まで行かねばならず、しかも閲覧のみなんだよ(涙
面白い逸話がいっっぱい詰まってるんだよね。
実物を手にとって読めてはいないんだけど、木戸の一次資料を全部ではないが割りと多い量掲載してるサイトさんがあって(具体名は出せないが)、そちらで『木戸松菊公逸話』の一部を読むことができたよ。
面白かったw
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 18:53:35 ID:utZvD7L90
木戸孝允は信頼できる資料が残っているのだから
ドラマ化すればいいドラマが出来そう。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/23(月) 19:43:49 ID:GLiNv2kV0
マツノ書店とかから『木戸松菊公逸話』復刊してほしいな。
木戸孝允が維新関係の人物で一番凄いな。
>>367 >忠太郎は小浜藩士・松本某と松子の妹・信の子って事でFA?
小浜藩士・松本某ってのがどこから出てきたのかは知らんが、
信は丹波亀山藩形原松平家の家臣、小関廣次(教孝)に嫁いでいる。
忠太郎については木戸と信の子説が濃厚。
それより歴史秘話ヒストリア10月6日は木戸の予定。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/26(木) 22:25:11 ID:MuaJ7e2f0
347に書き込んだものです。
読売新聞の昭和29年11月2日朝刊14面に、
木戸忠太郎夫妻が写真入りで紹介され、本人のコメントが掲載され
「・・・私が若狭国小浜藩士松本家からもらわれて木戸孝允の養子となったのは
三歳のときで明治7年です。・・・」あるので。小浜藩士が父かなと考えました。
木戸日記に明治7年6月25日の項に
『(京都土手町の新しく買った家に管理のため)今日より木崎政太郎父子移住。
其の母姉等にも始めて面会す』とある。
姉とあるが、当時は妹も姉と表記している事があるから妹の信では?
信なら、このとき初めて妹に会ったと思うので、木戸が父である可能性は低いような。
信が小関氏にいつ嫁いだか知らないですが、この後と云う事は無いでしょうか?
読売新聞に書かれている記事は夫妻の笑顔で新聞をめくる写真も掲載され
事実だと感じます。
347にも書きましたが、大きな図書館ではヨミダス歴史館で明治大正昭和の
古い新聞がそのまま読めるので、是非読んでみてください。
>>375 > それより歴史秘話ヒストリア10月6日は木戸の予定。
期待半分どうせまたあることないこと変な捏造されるんじゃないかという諦め半分…
ヒストリアは松蔭先生の話が面白かったから期待しておくw
木戸が征台に反対して辞任しても追随して辞任する長州人はいなかった。
長州閥の性質か。木戸に人望がなかったからか。
人望のない人をあんな大騒ぎして政府に連れ戻そうとしてたんですか
明治政府もなかなか酔狂な人の集まりですね
藩閥均衡人事で長州閥の代表として政権のトップに立っただけ。
西郷、大久保亡き後の黒田、松方のようなもの。松陰、久坂、
高杉が早く死んでくれたおかげで長閥のトップに押し上げ
られたんだよ。
久方、高杉が生きてた時でも彼らより立場は上だったんだけど、
381は何を根拠にそう言ってるの?
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 19:25:19 ID:mV83zKot0
人望が無いなら維新になってリーダーの一人になったり
下野したのを連れ戻そうとするわけが無いでしょうが。
>>381 久しぶりだなぁ、お前。元気してたか?体をいとえよ。
鶴亀レス申し訳ない。家からもWifiも駄目だ。。。>地方官会議
書記官マジかぁ。貴重情報いつもどうもです。
忠太郎さん、明治7年で3歳?木戸が洋行する前に出てこなかったですかね?
なんか、病気になって横浜に松子さんといって云々みたいの。
それじゃないかも、だけど、洋行前に出てくるような気がする。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 21:45:26 ID:+DkxP0Vw0
それは、養子の正二郎では?
忠太郎は明治4年4月14日生まれです。
新撰組に命を狙われながら果敢に活動する志士桂小五郎のイメージは
『鞍馬天狗』のたぐいの小説や映画が作った虚像なんですね。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 21:04:32 ID:ypFzEWG10
征台論は結果をみればやはり清国が介入してきて、木戸の意見の方が正しかった。
木戸はチキン
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 13:05:48 ID:ed7neMHG0
ところで「木戸孝允 子孫」でググると某人物の名前が大量に出てきますが、これは本当に子孫の方でしょうか?
木戸の嫡流だとしたら「孝○」と名乗るのが普通ではないでしょうか。
次男以下だと話は別だけど。でも幸一の子供たちはみんな「孝○」が付いてる。
1969年生まれで幸一の曾孫というのがかなりの疑問です。一番年長の孝澄さんでも多分1920年代前半生まれでしょう。
大体華族の嫡男は結婚が遅いのが相場だし、普通に考えれば20代後半以降に子供をもうけたと考えた方が普通です。
孝澄さんの娘が十代で子供を設けて、離婚したから引き取ったとかなら話は別ですが。
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 13:30:21 ID:ed7neMHG0
確かめました。孝澄さんは1917年生まれ、妻の舒子さんが1923年生まれ。上記は訂正しておきます。
微妙なところでしょうね。六歳差がありますから、
舒子さんが二十歳前半になってから結婚したと見た方が分かりやすいと思われます。
ですが、孝澄さんには子供が三人あり、どの方も女性でしたから、この人たちの子供である可能性はありえますね。
特に長女は養子を取らねばなりませんから、一番早くに結婚していてもおかしくない。
桂が生涯憎んだのは松平薩摩じゃなく容保、徳川家茂、徳川慶喜だよ
この3人は桂は許さなかった
実際この3人は幕末に好き勝手やってたからね
まちがえた
桂が生涯憎んだのは薩摩じゃなく松平容保、徳川家茂、徳川慶喜だよ
この3人は桂は許さなかった
実際この3人は幕末に好き勝手やってたからね
木戸は明治4年頃に徳川慶喜を政府に登用すると言い出してましたが
つうか家茂許すも何も一番先に逝ってると思うんだけど。墓を発いたり
したのか?
ちょっと北朝鮮に似てる(キム、関係者だけいい目に会う)制度を
本気になって変えたのは木戸
傲慢で自己中の「徳川」が終了
それにしても
あの傲慢な制度を見ると今の時代と一緒
上に立ちたがる人物はいい性格の奴はいないってことだよね
木戸や西郷は上に立とうという野心はなかったし
木戸は毛利の殿様大好き野郎ですが
世襲で上に立ってたから性格悪いなんて短絡的なことは思わないだろうよ
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 23:31:45 ID:Z9aOUCGX0
木戸は封建制度を近代的な制度に変えようと命懸けで努力したよね。
それは、人々の幸福のため。木戸の願い、目指すところは人々の幸福だった。
そのために、より良い制度を模索し実行しようとした人。
ただ、旧制度で活躍していた人を悪いと切り離したり、急激過ぎる改革で
進もうとした人を良しとはしなかったよね。
目指すところは民主国家でも進め方も細心の注意を払っていたのだと思う。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 00:32:11 ID:UY4BSTZs0
人気が薄いと言われる木戸ですが、
名前を変えなかったら(桂小五郎→木戸孝允)、もちょっと人気あったと思う。
名前が変わって、イメージが分散して印象薄くなってしまった感あり。
別人だと思ってる人も少なからずいるはず。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 00:39:49 ID:VHaNRDxf0
>>399 名前を変えたのは藩の命令、命を守るため仕方なかったんだけどね。
とりあえずsageてね
第1級のお尋ね者だったことと、だから藩命で改名したってことがあまり結びつけられて認知されてないのかね
認知されてないですね。
それと「孝允」という字。普通読めないです。
これもイメージ薄くしてる一因かと思う。
>>402 こういん矢の如しと言う言葉をしってたかよしよし
と覚えよう。
大河スレ見てると、おめー木戸が小物化されてる創作物の時も同じ批判をしたんだろうな?と突っ込みたくなる時がある
まあ愚痴っても仕方ないが
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 20:31:19 ID:lzLXpWSX0
木戸って戦とかしてないイメージだけど奇兵隊やっつけてるんだよね。
戦ベタではなかったの?
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 22:29:27 ID:FLqcokylO
先頭切って戦うことは少ないけど下手じゃなさそうだ。
江戸留学中に西洋兵学や砲術を習っていたらしいので、戦ベタではないと思う。
戦上手であったかは、(特に実戦)う〜ん未知数。微妙w
ところで木戸の人気薄についてだが
例の大礼服の写真もいけないんだともうよ。
かくいう自分も子供時代に百科事典であの写真見るたび
「なんて暗い人(それもちょっと叔母さんちっく)」
と思ったものだ。
そこで説明文読めばよかったんだけど、暗い人=怖いと思って
スルーしていた。
のちに桂小五郎後年の写真と知った時のあの衝撃(涙)
必死に見比べて、
「ホントだ造作は同じだ〜。どうしてこんなことに。
よっぽどいろいろ大変だったんだなぁ…」(再涙)
…と納得した。
今となっては、激痩せ、激太り、間抜けな股引アンブレラ姿などなど
どの時代の写真を見ても面白く彼の人生をかみしめているけれど。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/05(日) 23:54:37 ID:lzLXpWSX0
翔ぶが如くとか読んだけどなんで木戸がここまで嫌われてるかなって思うんだよな。
前原とかも乱起こしたとき木戸を名指しで批判したみたいだし。
大久保暗殺した奴も木戸を一番の悪人扱いしてたみたいだし。
なんでだろう?政界から引っ込んでた時期も多いのに。
>>409 長州筆頭、開明派筆頭というのが大きいと思うよ。
政界から引っ込んでいた時期が多くても、影響力はでかかったと思うし、
だからこそ大久保もなんとしてでも引きとめようとしたのでは。
前原のことはよくわからないけど、大久保を暗殺するような人間に
してみれば木戸は極悪人の扱いになるのはわかる気がする。
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 03:28:12 ID:ttw5SEO30
前原は木戸より一歳しか年下でなかったよね、確か。
過去スレでも前原の話は出てきてたと記憶してるけど、自分は木戸よりも前原自身に問題があったと思ってる。
彼は性格が閉鎖的で、理性よりも感情の量がはるかに多い。愛憎が激しく、視野が狭い。
才能の面でも木戸のように指導者としての資質もその優秀な手足となる資質も無かったように思う。
過去スレでは、前原は木戸に嫉妬してた、という書き込みがあったよ。自分も同意だ。
木戸(桂)の周りには自然に人の輪ができる。それは木戸自身の天性の資質と、努力があったためだけれど、前原には木戸の苦労や苦悩を理解する能力も意欲もなかったんじゃないかな。
大久保暗殺時、木戸の暗殺も同時に企てられてた件や、明治期の木戸の影響力の大きさについてもしゃべりたいが、ながあああくなりそうなのでここでやめとく。
前原が長州で流した悪評がそのまま今の評価につながってる気がする
松陰の批評は前原と伊藤に関しては外してると思う
まあ再三引き止められて忠告されてお目こぼしされても
それを乱を起こす時間稼ぎにしかしなかった人を誠実かというとね…
ただ人気云々に関しては前原がどうとかより
士族の不平不満を民衆の不満ってことにしたがる論調のせいだと思うよ
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 17:25:02 ID:66v2pVaVO
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 19:58:53 ID:8Y1L1nmo0
前原の乱にはそんなに人は集まらなかったんだよね。
その前に奇兵隊の反乱みたいのあったけどあれと前原の乱が一緒に起こってたら
もっと大事になったんだろうな。
木戸がどれだけ長州藩の不平志士に嫌われてたのか分からないが
大久保よりうまく出身国の反乱を鎮圧できたわけだとおもうが。あんま評価されてないよね。
前原さんは良くも悪くも士族の反乱でしかなかったからな。それも極一部の。
諸隊反乱の大原因はリストラだから、両者が共同出来たかというと……
木戸はきちんと自力するまでリストラ待ってって言ってたのに
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/06(月) 20:28:29 ID:8Y1L1nmo0
後、思うんだけど吉田松陰が生き残ってたら征韓論で西郷と同調しそうだよね。
まあ松陰が生き残ってたら幕末で長州藩は滅んでただろうけど。仮に安政の大獄でずっと獄に
入れられて明治にぽっつり出てきたらすごい無茶な事やりそうな気がする。
>>415 そりゃ長州は首謀者に西郷、久光みたいな士族の寄りどころになる人がいないし、長州の大半は政府支持だからね
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
木戸って結構物語になると思うんだけどな、木戸主役で大河とかやってほしいな。
剣豪&松陰と同士時代。
高杉とコンビ時代。
大村益次郎とのコンビ時代
を経て西郷との対立
みたいな風に仕立てていけば結構ドラマチックだと思うんだけど。
最後西南戦争は大村の策で勝ったみたいにして。少年漫画みたいな感じにできるんじゃないかな。