田母神航空幕僚長の論文を歴史学会は解明せよ

このエントリーをはてなブックマークに追加
884名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 12:20:21 ID:Bg2Qagwg0
>君は元々満州国の支配は日本に損だったと言いたかった筈。
毎年2億もの軍事予算を取られて
なおも解決の見込みのない土地を保持する事になんの利益も見いだせないからね。
ついでに国際社会から孤立というおまけもついて、ね。
885名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 15:37:49 ID:8f5eYDFkO
>>883
国際社会の立場が「中立」ならまさに口だけだなぁ。
わざわざ
口先でないとは、日本が撤退しうるような実効性がないといけない、
とことわりを入れたのに。
俺と同じ主張に落ち着いてるぞ〜。



北方領土は普通にやってたら解決しないよ。
実際、話し合いで解決してないやん。
僕の主張を裏付ける主張してどーする。
満州国とは違い島そのものを狙った行動の結果でもないから希望はあるが。

満州は満州そのものを狙って戦争までやったんだ。

当時の状況では戦争以外の手段はまぁないだろう。

しかし主張が俺と同じになってくるなぁ。



金の話は解決済み

満州開発は飛躍的な成長を遂げていた。

完全にペイ出来ると思われる。
886名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 15:59:18 ID:OCp+HTrAO
アホか
連盟脱退してるんだから実効性あるだろ
887名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:21:15 ID:lLbc15Ka0
>張作霖はそもそも独立宣言なんぞ行う訳がない

お前もしこれソース出したら謝るか?
ペラペラと無責任に妄想流して他人を中傷するな。
ウソツキ呼ばわりは立派な中傷。
888名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 17:36:59 ID:lLbc15Ka0
>イノシシ馬鹿
「その地方軍に対する攻撃に中華民国の同意は得たのか?」

中華民国軍を何人も殺して追放した張作霖軍を反撃してたのは中華民国だぞ。
日本が中華民国を国際承認してる以上、賊の侵犯を退治して引き渡すのになんの許可がいるんだよ。
タイ人マフィアを捕まえるのにタイ国の許可はいらねえよ。

この他にもそもそも辛亥革命で皇帝追放以降も、
満州は奉天都督として別体制維持を認められていた。
さらには中華民国は北京首都ですらも侵してはいけないという臨時約法も制定されていた。
これを破って北上侵入したのは袁世凱。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 18:56:09 ID:Hl0RMrEXO
馬鹿サヨは無知だな
890名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 19:23:21 ID:Hl0RMrEXO

満州事変が侵略であったという当時の証拠はどこにもない。
リットン報告書第九は満州事変の侵略性を否定する重要な証拠である。

国連は満州事変を侵略と認定せず、満州事変を侵略と非難する国はシナ以外皆無だった。
つまり、満州事変は侵略ではなかったと言うのが当時の国際常識なのである。

891名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 19:35:46 ID:Hl0RMrEXO
リットンの仲裁案にある満州自治政府樹立は、満州事変の正当性をある程度認めたものである。
これは東3省の政治の安定を狙ったものであり、
満州事変によって混乱を招いた張本人である国民党の影響力を満州から極力削ぐものである。

従って、満州自治政府の首班選考に国民党の関与はないだろう。
張学良首班などは混乱を助長するだけであり100%有り得ない。

892名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:36:59 ID:ZYlvn3GQ0
溥儀の意思

溥儀の気持ちが更に強くなったのは、革命を起した国民党の蒋介石軍が北京にあった清朝王室の墓を
ダイナマイトで爆破して略奪を働き、さらにそこに眠っていた西太后の遺骸を冒涜するという事件が
起こったためであった。

この不祥事に対して、蒋介石が謝罪すらしなかったのを見て、溥儀は漢人のいるシナの地がつくづく
嫌になり、故国である満州に戻ろうという決意を固めたのである。

その溥儀が、もっとも心を寄せていたのが日本であった。溥儀は日本の皇室に対して、一種、
崇めるような気持ちを持っており、日本訪問を強く希望していた。ヒョウ玉祥のクーデターによって
紫禁城を追われ、彼自身の自動車で北京北部にあった父の住居のある北府に移ったときも、
日本を頼っている。

身の危険があったので、1924(大正13)年11月29日、強風が吹き砂塵で視界朦朧たる中を
日本大使館に逃げ込み、吉澤謙吉公使の賓客となったのである。


893名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:39:14 ID:ZYlvn3GQ0
満州事変と満州国

当時の日本は国際関係が複雑になることを好まず、彼をなかなか受け入れようと
しなかったが、それから数年経つうちに満州の状況は大きく変わった。
共産主義勢力に後押しされた排日運動が激化し、日本の企業や居留民を狙った
”テロ”が続出するようになったのである。

こうした状況に危機感を抱いたのが満州に駐留する関東軍であった。彼等は、
このままでは満州の鉄道利権も日本人居留民も守れないと考え、日本政府や
軍中央をまったく無視して満州事変を起こすに至ったのである。

満州国の建国理念は「五族共和」、つまり満州人や日本人だけでなく、
漢人、蒙古人、韓人などの五民族による共和国ということであり、当時とし
てはむしろ先進的と言える国是を掲げていたのである。



894名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:42:20 ID:ZYlvn3GQ0
溥儀は自ら進んで満州国皇帝となった

「シナ人は、日本人が皇帝(溥儀)をその意思に逆らって拉致し、連れ去るのだと
言い立てようと努力している。この話は、ヨーロッパ人のあいだに広く流布され、
多くの人がそれを信じた。しかしこれは、まったくの嘘である。
・・・皇帝はご自身の意思で天津を去り満州に行かれたのである」
 ジョンストン(ロンドン大学教授)「紫禁城の黄昏」より

実際、東京裁判の弁護団は「紫禁城の黄昏」を証拠書類として申請した。
しかし、そのような証拠を認めてしまえば裁判そのものが成立しなくなる。
それを恐れた連合国は、この申請を却下した。同様に、満州族が
建国前からつづけていた民族独立運動に関する証拠も、すべて門前払い
にしたのである。



895名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:44:29 ID:ZYlvn3GQ0
満州は満州族の領土である

東京裁判では、結局、満州国は関東軍によってつくりあげられた日本の傀儡国家であり、
溥儀をはじめとする満州人たちは日本に脅迫されて国を造らされていたのだという
判定が下された。つまり、満州人たちが行っていた民族自決運動はすべてなかったこと
にされたのである。

どのように見ても、シナの政権が満州の領有権を主張できるわけはないのである。

なぜ、こうした非道な振る舞いを共産中国が行えたのかーそれは東京裁判において、
日本を裁くために歴史的事実が歪められ、「満州は中国の一部である」ということを
連合国が認めてしまったからである。


896名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:50:35 ID:ZYlvn3GQ0
満州国を承認した国々

日本・中華民国南京国民政府・ドイツ・イタリア・スペイン・ヴァチカン
・ポーランド・クロアチア・ハンガリー・スロバキア・ルーマニア・ブルガリア
・フィンランド・デンマーク・エルサルバドル・タイ・ビルマ・フィリピン
・蒙古自治邦(内モンゴル)・自由インド仮政府

世界の80ヵ国中、23ヵ国もの国が承認していたのである。



897名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:53:58 ID:ZYlvn3GQ0
馬鹿左翼への警告

侵略、侵略というけれど当時の日本人の感覚では未開発の地域を開発するための
進出というのが大方の考えだったことを、こいつらは忘れている。

虎頭要塞は日本にとって中国侵略のシンボルではなく、「対ソ防衛のシンボル」
だったはずである。この似非学者たちは中立条約を踏み躙って満州に侵攻したソ連を
どう評価しているのだろう?


898名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 08:36:01 ID:tAzMH+tTO
侵略だろ
899名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 08:50:40 ID:jlJQZ2lu0
辛亥革命以来の成り行きをよくわかってないからな猪突馬鹿は。

辛亥革命ってのは武昌蜂起という内紛から一気に各省が独立宣言をブチ上げたもの。
十数の省が清朝から独立して、そこに米から帰国した孫文が就任し、
独立省をまとめて中華民国を立てた。

このとき東三省と北京はまだ残っている。
反清復明がスローガンに対してこの北方エリアは清(満)側に入るから。
この混沌地域をまとめ上げる為に、日本軍は捕虜だった張作霖を解放して支援した。

以降中華民国の直接支配が東北に延びたことは一度もなく、
張は恭順と独立を繰り返す。その恭順の大部分は日本が取らせていたもの。

爆殺の直前頃は、張作霖は北京に侵攻し自らが『中華民国』を名乗ろうとした。
自虐史観ではこの辺は全く教えないのか。
900名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 10:01:04 ID:sOcnuDih0
忘れてた
>>878
>イノシシ馬鹿、一段目が読めたのなら実践しろ。
頭がおかしいのか?
君の言う事を認めるなら、これもそうなる、故に君の言う事は矛盾するということなのに・・・

>満皇帝匿ったり圧殺者を排斥したり国際調整付けたり
>これ全部運動。
はあ、それのどこに独立を求める満州の移民が関与しているんですかな?
つかどこが満蒙独立運動なんだよw

>地方軍?・・・第二次では張作霖は敵だよ。
張作霖が敵? 敵は袁世凱の中華民国で、この時期張作霖はその満州における一将軍にすぎませんが?
むしろ彼が満州の独立を実現したという君の主張からすると、
同じ志を持ってハブチャブに合流してもおかしくないが?

>お前の脳は一度決まったルールは時系列で変化できねえのか。
>『局面変化』の概念が無い一次元脳。バ    カ
変化する事と迫害していたことに何か関連が?
君が説明すべきはその迫害にはこれこれこういう理由があって特別であり、
基本的にはそうではなかったということであって、
迫害してない時期もないわけじゃないこともないんだという詭弁ではありませんよ。

>>885
>口先だけで黙認の意味は実効性がなければ十分なんだが。
 ↓脳内変換
>口先でないとは、日本が撤退しうるような実効性がないといけない、
>とことわりを入れたのに。

>北方領土は普通にやってたら解決しないよ。
>実際、話し合いで解決してないやん。
つまり日本政府ひいては日本国民はたんなるバカで
北方はロシア領だと黙認し、実質的には認めているといいたいんですね。
国際慣習についてよくわかってないことは理解しました。

901名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 10:20:49 ID:sOcnuDih0
続き
>金の話は解決済み
満州と同じ計画経済を取り入れていた当時のソ連も同じような状態でしたが、
飛躍的発展とやらを成し遂げた後は経済全体を把握できなくなって失敗しましたねw

>>888
>日本が中華民国を国際承認してる以上、賊の侵犯を退治して引き渡すのになんの許可がいるんだよ。
賊が侵犯してきた、つまり日本の国法を犯したわけではないから。
日本人が日本で日本の法を犯したら、
中国軍が出てきてそいつらを日本で殺した、
これに日本政府の許可が要らないと思うお前が
なぜ他人にバカと言えるのか其れこそ不思議でならない。

>この他にもそもそも辛亥革命で皇帝追放以降も、
>満州は奉天都督として別体制維持を認められていた。
>さらには中華民国は北京首都ですらも侵してはいけないという臨時約法も制定されていた。
>これを破って北上侵入したのは袁世凱。
はい? 確かにそんな脳内辛亥革命は知らないがw
北京で皇帝追放=退位をせまった袁世凱は、同地で臨時大総統に就任。
つか侵入も何も北京も満州も袁世凱率いる北洋軍閥の根拠地だっつうの。
こういえばいいのかな。
お前もしこれソース出したら謝るか?
ペラペラと無責任に妄想流して他人を中傷するな。
ウソツキ呼ばわりは立派な中傷。
単なる恫喝だな、これw
さっさとソースを出せばいいのに。
ほれWIKIの事実部分だけでもみてくれ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E6%94%BF%E5%BA%9C
902名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 11:26:54 ID:mbRAkvYR0
>>42
石原は当時病床の身だったため酒田での特別法廷となったのと、そこでの審問により米国はやばいと思ったみたいです。
米国の反共の国是と石原の主張が一致しただけでなく、そもそもこの戦争は白人によるアジア支配であり、特に日米間においては、
ペリーが原因なのでペリーを連れて来いと言ったそうな。連れて来いと言った意味ではなく、米国並びに欧米白人社会の植民地支配が
原因であることを言ったまででしょう。

満州の人民にとって異民族の日本人、特に軍人が威張り散らしたのはいやだっただろうが、今まで漢民族を支配して革命により立場が
逆転した満州貴族にとっては日本軍の傀儡でも満足したでしょう。民衆は別にしてね。その典型が最後の清国皇帝、溥儀でしょう。

英国も日英同盟だけでなく、日本にロシアの南下を押さえてもらいたいのと、本当かどうかわからないが、満州にユダヤ国家を建国
したかったとの説あり。当時、英国や欧州を闇で支配せいていたのがユダヤ系のロスチャイルド家。明治維新も、このロス家が幕末の
志士や明治新政府の要人に資金援助し教育した模様。伊藤達がそう。薩摩が薩英戦争で英国と繋がりを持ったことが原因かも?

英国のユダヤ国家建設は別にして、当時、アジアは欧州列国の植民地化で、英国にとっての脅威はロシアが南下すること、
それと米国の進出。米国はロス家の米国代理人であったロックフェラーが強大な力を持ち米国を陰で操るようになり、
アジア支配を狙っていたロック家にとってロス家は今や敵でもあり、日中戦争なども米国が裏で工作した可能性が高い。

満州事変は、溥儀を初めとする満州貴族と関東軍の思惑により起こったが、国民党も所詮、中国ではなく満州でのことであり、
それほど意に介さなかったし英国のリットン卿を中心とする調査報告も概ね日本に好意的であった。

にも関わらず日本が連盟を脱退したか。それは、満州事変への批判ではなく第一次上海事変に対してであったとの説もあり。

実際、今となっては真実はわからないが非常に信憑性が高いと思われます。今の米国のやり方を見れば頷ける部分あるんじゃあないですか?
www.amazon.co.jp/review/R124SEQC5XG04O+%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89%E3%80%81%E7%B1%B3%E5%86%85&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp">http://74.125.153.132/search?q=cache:34nQURH1ookJ:www.amazon.co.jp/review/R124SEQC5XG04O+%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89%E3%80%81%E7%B1%B3%E5%86%85&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

http://74.125.153.132/search?q=cache:ne57Jo2B1PEJ:www.asyura.com/08/reki01/msg/391.html+%E6%B8%A1%E6%B4%8B%E7%88%86%E6%92%83%E3%80%81%E7%B1%B3%E5%86%85&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
903名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 11:54:20 ID:jlJQZ2lu0
>>900
アフォか。トリムされない為にも短文だろ。お前やっぱ間抜けだな。

>はあ、それの〜どこが満蒙独立運動なんだよ
誰が感想書けと言った。
・具体的反論
・新情報
・考察
知能があるならどれかを選べ。

なにより「ハブチャブ」がわかんねえ。せめてパブチャブくらいだろ。
ます >>887 に答えろ。話はそれから

迫害の話は何言ってるかワカラン。
お前レスにはこれから年号を毎回入れろ。
904名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 12:07:30 ID:jlJQZ2lu0
>>901
関東州と鉄道は治外法権だよバカ。
今でも日本の中国大使館内で日本人が中国の法を侵したら、
中国は独断で逮捕でも射殺でも出来るよ。当り前。ソースはねだるなよ。

>はい? 確かにそんな脳内辛亥革命は知らない

これもソース出したら詫び入れるか?
無責任野郎薄汚ねえんだよ。
無知な時ほど威張るウジムシ。
905名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 12:16:56 ID:jlJQZ2lu0
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8D%97%E5%8C%97%E5%92%8C%E8%AD%B0

1911-12年南北和議

1. 宣統帝が退位し、清朝を終焉させる
2. 臨時大総統の地位を孫文から袁世凱へ移譲する
3. 政府は南京におき(首都を南京にし)、変更できない
4. 新総統は南京で就任する(それが、孫文辞任の条件)
5. (臨時)約法を制定する
6. 新総統は約法(およびそれに基づく法律)に拘束される(約法遵守を誓約する)
7. 国会を開設する

しかも、袁世凱はこれらのうち、第3点、第4点、第6点については、きちんと遵守することはなかった。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 12:18:23 ID:jlJQZ2lu0
>北京で皇帝追放=退位をせまった袁世凱は、同地で臨時大総統に就任。
>つか侵入も何も北京も満州も袁世凱率いる北洋軍閥の根拠地だっつうの。

自信満々のウジムシ(プ
907名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 15:43:13 ID:tAzMH+tTO
煽り合いは+ででもやってろよ
908名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 16:53:16 ID:bepwBceh0
皮肉でやり合ってるだけでしょ
909名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 16:58:46 ID:bghBd73x0
>>887
張作霖は独立の声明を出していたのかどうか漏れもききたいお
910名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 19:17:17 ID:sOcnuDih0
>>903
>アフォか。トリムされない為にも短文だろ。お前やっぱ間抜けだな。
お前がな。なんでお前のレスをトリミングせにゃならんのだ。
お前が元の文章をトリミングするから短くなるんだよ。

>迫害の話は何言ってるかワカラン。
>お前レスにはこれから年号を毎回入れろ。
意味不明

>・具体的反論
>・新情報
>・考察
全部入ってるがな。いや新情報はないかw

>ます >>887 に答えろ。話はそれから
うん、訂正するね。
まさか第一次奉直戦争に敗れた直後の自治宣言を持ち出すつもりはないだろうからねえ。
一年後に独立したはずの張作霖が中華民国の実権を握り事実上の首席に就任したのを知らないはずはないだろうから、
彼が独立したがっていたwなんて言い出すはずもないだろうから。

イヤマテ。905が888でいう臨時薬法のつもりなのか・・・まさかな。
そこまで史料を歪曲するデタラメはやってないよね。
それだったら間違いなく脳内辛亥革命なんだが正気で言ってるならやらんだろ。
911名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 19:47:04 ID:sOcnuDih0
1916 袁世凱死亡、憑国璋が代理大総統に就任。張作霖が段芝貴を追い払い奉天の北洋軍閥掌握
1917 孫文の広東蜂起の対処を巡り、安徽派段稘瑞と直隷派憑国璋の派閥発生
1920 安直戦争 張作霖直隷派に味方して介入、直隷派が勝利し民国は直隷派・奉天派の連合政権に
1922 第一次奉直戦争、奉天派が敗北し張作霖は6月に東北保安総司令を自称し自治を宣言(←これが独立宣言?
1924 第2次奉直戦争、残存安徽派の討伐に向かった直隷派に対して張作霖が軍を起こすと
    馮玉祥が内部で叛乱を起こし、直隷派政権崩壊、安徽派段稘瑞が臨時執政となる。
1926 張作霖、直隷派呉佩孚と組み馮玉祥を排除、段稘瑞は辞職して再度奉直連合政権となる
    この7月蒋介石北伐により呉佩孚失脚、張作霖中華民国7代目の大総統となる。
    ただし実質上のものであり実際には安国軍海陸軍大元帥が役職名
1928 張作霖北伐軍に敗北、奉天へ撤退

ざっとみた中国軍閥史の一部だが、張作霖は満州の独立なんぞに興味はなく、
その指向は常に中国の覇権にあるように思えるんだがね。
普通、独立ってのは自分の事に構うな、宗主国がどうなろうとうちに迷惑かけてくるなとなるはずなんだが。
912名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 20:59:42 ID:UAeMHVBVO
>>900
まぁ自分の主張が俺の主張を裏付けたことに動揺して
論理力がないことに恥じているのはわかるが落ち着いてお茶でものめ。

北方領土を例にとった議論の論点は黙認の有無でなく
お前の抵抗せずに国際連盟に問題を委ねるという理屈がいかにお花畑かだよ。
北方領土が証明するように問題は解決できないね。

わかるよな。
まるで論点が違う。
論点を整理すれば君が的外れなことを主張したのがわかるでしょ?

では次に戦争以外に問題解決にならないのに、
かつ現地部隊は戦力があるのに抵抗させず軍を受け入れた中国の行いが問題となる。

これは黙認といわれても仕方ないといっている。



経済問題の反論になんでソ連だよ
資本主義と計画経済まぜたものの成功例が戦後日本やんけ。
岸商工相がなんとかするさ。
もうこの筋は無理筋だから諦めろ。
913名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 21:04:35 ID:UAeMHVBVO
>>900
おっと書き忘れ

>>876を読めよ。

どこが脳内変換だ。

お前はなにより国語力に深刻な問題がある。
914名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 21:25:06 ID:jlJQZ2lu0
>>910
トリムとかどうでもいい

年号の意味がわからない?
30日で月、12ヵ月で年、これを暦に照らし合わせて加算したものだ。お前は地球の人間じゃないのか。

>張作霖が中華民国の実権を握り

張が北京入りしたと最初から言ってるだろボケ。>>878で書いてある。
『中華民国軍を何人も殺して追放した張作霖軍』
でもお前の主張↓
>その地方軍に対する攻撃に中華民国の同意は得たのか?

>「はあ、それの〜どこが満蒙独立運動なんだよ」
↑これがお前の[具体的反論]かつ[考察]。。・・・・無理言って悪かったな。いつかお前も出来るよ。

臨時薬法ってなんだ。張作霖がいつから薬屋なんだよ。
915名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 21:43:38 ID:jlJQZ2lu0
>>911
>>887 のお前の能無し質問用の答えメモ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1170517962/622

1917年4月30日、張作霖が国民政府から独立を宣言
1922年5月12日、張作霖が東三省の独立を宣言

自治宣言の意味がわからんのかよw
例えば、
-- 1911年12月19日 モンゴル独立宣言
-- 1912年11月3日 露中干渉の「ロシア・モンゴル協約」により自治宣言に格下げ
受け手の半分拒否を表す。

国ごと乗っ取ろうとした奴がなんでそんな浅い宣言出すんだよバカ。
お前後付けでメチャクチャだらけ。張作霖は薬屋だとか言い出すし。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 22:09:30 ID:jlJQZ2lu0
>張作霖は満州の独立なんぞに興味はなく

さあ謝れ。嘘発覚

>その指向は常に中国の覇権にある

お前ごまかす為とはいえ張作霖は明らかに前より悪者だぞ。
お前最初は中華民国の一部である一地方軍って言ってなかったか。乗っ取りじゃ独立より悪いぞ。
今度は張作霖が侵略者になっちゃったよ。

さて後は南北和議の分。いつ答えてくれるのかなー
917名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 22:31:07 ID:sOcnuDih0
>>912
>まぁ自分の主張が俺の主張を裏付けたことに動揺して
>論理力がないことに恥じているのはわかるが落ち着いてお茶でものめ。
いやあんたの論理力がないのはよくわかったが。

>では次に戦争以外に問題解決にならないのに、
>かつ現地部隊は戦力があるのに抵抗させず軍を受け入れた中国の行いが問題となる。
>これは黙認といわれても仕方ないといっている。
お前の脳内では自衛隊があるのに現在も受け入れている日本は黙認といわれても仕方がないのはよくわかった

>資本主義と計画経済まぜたものの成功例が戦後日本やんけ。
>岸商工相がなんとかするさ。
満州国の労働生産性は投資が鈍った途端にあっというまに低下しましたが、
これは岸商工相がなにをしようとどうにもなりませんよ。
彼には金のなる木があるわけじゃないんですから。

>>914
>年号の意味がわからない?
正気で言っているのか? なにゆえそれをすべきか意味が不明だといっているんだが。

>張が北京入りしたと最初から言ってるだろボケ。>>878で書いてある。
>『中華民国軍を何人も殺して追放した張作霖軍』
>でもお前の主張↓
>>その地方軍に対する攻撃に中華民国の同意は得たのか?
ごめんなにがいいたいのかまったくわからない。

>>915
両方とも1年足らずの間に北京政府に帰順しているんですがなにか?
後者は前述の通り、前者は18年9月に東三省巡閲使に就任して。
あなたがいいたいのは張作霖は独立の意思をもっていたことであって、
戦闘の敗北などで中央に手を出せず、逆に出させないように独立せざるを得なくなった時期があることじゃないでしょ。
違うのかね?
ああ、こういえばいいのか。
さあ謝れ。嘘発覚

>お前ごまかす為とはいえ張作霖は明らかに前より悪者だぞ。
>お前最初は中華民国の一部である一地方軍って言ってなかったか。乗っ取りじゃ独立より悪いぞ。
わけわからんわ。
全土を牛耳ろうという地方軍と独立を目指す地方軍とは別物だろ。
地方軍だと必ず独立志向になるのか、お前の脳内では。
だいたい悪かったらなんだというんだろう?
918名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 23:06:00 ID:sOcnuDih0
これが元のレスだ。
>>838
満州の移民全体には辛亥革命前から独立の気運があった。
だから話は簡単じゃないわけよ。
なぜなら張作霖もその一人だから。で実際軍閥として独立してた。日本支援のもとで。

>>840
ないよw 張作霖は確かに移民の子孫だがそんなことを考えてないし、
生まれも育ちも満州で国民党の地位をどん欲に欲したように中央を常に求めている。
でなきゃ独立満州にまったく関係のない安直戦争に介入なんかしないだろうよ。
独立を阻む中央勢力が勝手につぶし合っているんだから。

一番最初に言っている事すら理解できないで
独立宣言はあったと狂喜乱舞しているヴァカに俺はどうしたらいいんだね?
ちなみに張作霖の死亡時の身分は、第8代中華民国大総統なんだがなw
919×× ◆Xx.B8LFdvo :2009/10/13(火) 01:55:58 ID:cL4kniG9O
>>917
諦めたなwwwww




まぁ駄目押しすると侵略当時抵抗したかというのが論点なんだが。
自分もわかっているように自衛隊でなく帝国陸軍が大本営の指示で抵抗せずにいたら君の主張は成り立ちうるが。

君もよく知るようにそうではないね。

ではさいなら。。

920名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 06:05:13 ID:+e2lA9I9O
> では次に戦争以外に問題解決にならないのに、

本土壊滅と脅されて問題解決してもらって満足か
921名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 06:22:24 ID:YJgOjbBd0
>>917
局面変化の概念がないお前の話は時系列がわからんから年号でも入れろボケ。
迫害のこれこれ、とか何が『これこれ』だ。ヘタクソな指示代名詞が多すぎる。
年号の解説は>>914。宇宙人でもこれでわかる。

>>張が北京入り
>ごめんなにがいいたいのかまったくわからない。

首都入りは政権乗っ取りを表す。そんなもんもわからんでよく歴史やってるな。0点

>両方とも1年足らず〜張作霖〜

張作霖は独立と恭順を繰り返す、とさんざ言ってるが。
お前は一文節ごとにしか話が進まねえのか。5点

>あなたがいいたいのは張作霖は独立の意思をもっていたことであって、
>さあ謝れ。嘘発覚

お前の過去レス↓
>>840 「(独立意思について)ないよw 張作霖は確かに移民の子孫だがそんなことを考えてないし、」
>>883 「張作霖はそもそも独立宣言なんぞ行う訳がないのだが。」

どう考えてもお前が嘘だが。逆を言う意味がわからん。
さあ悲しめ、馬鹿発覚
922名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 06:44:12 ID:YJgOjbBd0
例えば日本政府を乗っ取ろうと言う自衛隊部隊が表れたら反乱罪なんだが。
シベリア出兵の意味もわからん馬鹿なのか。

そもそもこのスレ前半読むと、満州内紛は1930年代の日本の独り相撲くらいの主張しか無いぞ。
なにを後付けで知ったような口を。

なにより前にも言ったように、
>>918
辛亥革命時に張作霖は南側中華民国と普通に分離してるし。
東北は旧清人として革命を攻撃してた側。また後付けで調べるのか。

また>>887の分の罪非を認めることと、
南北和議を破り臨時約法にある新内閣設立を違え北京の内閣制を引き継いだ袁世凱の違反行為が革命の事実だったことを認めろ。
そして泣いて詫びろ。

吐いた唾飲むのかガキ
923名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 10:21:38 ID:9uaT3OH4O
だから煽りは別のところでやってくれない?
924名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 11:15:12 ID:YJgOjbBd0
こんな丁寧で高尚な言葉遣いを煽り扱いとは
お前感覚がヘボイモ壊れてハナクソまみれのクソまみれだぞ。
925×× ◆Xx.B8LFdvo :2009/10/13(火) 12:26:10 ID:cL4kniG9O
>>919
すまん関西弁やった!

自分ってのは「君」の意味や。

ラーメンまだか。。

926名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 12:29:01 ID:Xt3T72eyO

満州事変は侵略ではなかった。
これが当時の国際常識だ。

927名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 12:43:27 ID:Xt3T72eyO

リットン報告書第九章に従えば、満州事変は侵略ではない。
シナという無法国家の実態を理解すれば、満州事変が侵略だとは口が裂けても言えない。

満州事変が侵略だと言い張るカルト信者は、当時のシナの野蛮性・非道義性を見て見ぬふりの卑怯者なのである。

パール判事は聡明だったから、当時のシナの酷い状況を理解し満州事変を侵略と考えなかった。

928名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 12:51:22 ID:Xt3T72eyO

満州事変を侵略だ、と言い張る馬鹿なカルト信者は、無知な卑怯者に過ぎない。
こいつらは何も知らないし、知ろうともしない。

新たな知識は、満州事変は侵略であるという誤った大前提の元、歪曲・捏造される。
こいつら馬鹿どもがカルト信者と呼ばれる所以である。

929名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 13:01:03 ID:Xt3T72eyO

満州事変が侵略だと言い張るなら、当時の証拠を出せとしつこく言い続けたが何も出てこなかった。
そんな証拠はどこにも無いのである。

満州事変が侵略ではなかった証拠は、リットン報告書を含めて沢山ある。

満州事変が突如侵略とされたのは、悪名高い東京裁判である。
満州事変は侵略だとうそぶいて悦に入ってる馬鹿な連中は、東京裁判カルト信者に他ならない。

こいつらは人間のクズである。

930名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 16:51:34 ID:V0YrI9LEO

いつものカルト馬鹿ウヨ
931名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 20:04:14 ID:DUbkkB4r0
当時の中国政府には、中原の地を統治する能力がなかった。五億人の市民が居たのにである。
日本は、法華経カルトと、里見岸雄等の法華経を信じる海軍と、軍縮に怯える元軍属がいたが、
ほとんどは、天皇制の超軍国主義国家体制を報ずる軍人に依って自縛的思考に苛まれていた。
まとも食い物と衣服と住居を獲得できず、軍人の郷里では家族親戚は貧困に喘いでいたからで
ある。なぜならば、それくらいにエネルギー資源に乏しく、1945年までの零才児の平均余
命は、50歳であった。多くは、乳幼児期に、30%が死亡したし、20歳前半では、結核で死亡
した為である。従って、現在の日本人の感覚で考えることが出来ないくらいに、貧困と、低栄
養と、非衛生的な環境で50歳までに全員が死亡したのであるから、軍人になるのが、もっとも
経済的に困難なもののが出世する近道だったのである。当然、東アジア全体が、そういった環
境にあり、フィリピンなどは、アメリカ合衆国統治下で、経済的には恵まれていた。
日本軍が戦った、ビルマ戦線では、インド人が主力のイギリス軍と日本軍は戦った。アウン
サン・スーチ将軍は日本と運命を共にすることを決定した。従って、大東亜戦争は、ヨーロッ
パの白人・アメリカ合衆国の白人政権と華僑中国人と、日本と現地の簒奪された階級の民族が
敵対したという構図があったが、マルクス・レーニン主義を奉ずる共産革命を求める一派もい
た。また、ムスリム(回教徒)もいたのである。その、植民地政策によって、虐げられた民族
は、天皇制超軍国主義国家と手を結ぶ以外に選択の余地が無かったのである。そういった、当
時の環境を無視して歴史を語ることは出来ない。現在は、マルクス・レーニン主義の60年間
に及ぶ思想的経済的な支配が完全に無くなり、中原を支配する中国共産党政府の先祖帰りの資
本主義国家(北朝鮮、カンボジア)と、ムスリム(インドネシア、マレーシア)と、ロシア
(モンゴル、タジキスタン)と、支配が多重層的になっている。
932名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 19:13:15 ID:UjWRcFyt0
>>919
誰? わけわかんないんだけど?

>>921
>局面変化の概念がないお前の話は時系列がわからんから年号でも入れろボケ。
ああ、つまりあなたは張作霖は独立を指向していたというわけではなく、
指向していた局面もあったといいたかったわけか。

>首都入りは政権乗っ取りを表す。そんなもんもわからんでよく歴史やってるな。0点
いや、878に張が北京入りがないんで意味不明だといっているんだが??

>張作霖は独立と恭順を繰り返す、とさんざ言ってるが。
>お前は一文節ごとにしか話が進まねえのか。5点
だとしたら、これが嘘じゃねえかと
>>838
満州の移民全体には辛亥革命前から独立の気運があった。
だから話は簡単じゃないわけよ。
なぜなら張作霖もその一人だから。で実際軍閥として独立してた。日本支援のもとで。

>どう考えてもお前が嘘だが。逆を言う意味がわからん。
というわけで、俺の言ったとおりで政権奪取を狙う張作霖は、
独立するつもりなんぞありませんでしたでおしまいだろ。
だいたい独立を狙うなら本国の争いなんぞ知った事か、
そんな事のために満州の力を使われたくないから独立するってことなんだがw

>>931
>そもそもこのスレ前半読むと、満州内紛は1930年代の日本の独り相撲くらいの主張しか無いぞ。
>なにを後付けで知ったような口を。
宗社党を支援した日本のやってることはまんま独り相撲だねえ。
支援って西原借款のことをいっているなら、あれ本気で独り相撲としかいいようがないものだぜ。

>例えば日本政府を乗っ取ろうと言う自衛隊部隊が表れたら反乱罪なんだが。
それは例えば中国の法律の何を犯しているんですかな?
少なくとも反乱罪ではないですね、他国政府に対する反乱罪が規定されてない限り。
そしてそんな馬鹿な罪を制定している国はございません。
その自衛隊を取り締まるため、中国軍が乗り込んでくるのは
法律的根拠皆無な十分以上に主権侵害ですがw

>南北和議を破り臨時約法にある新内閣設立を違え北京の内閣制を引き継いだ袁世凱の違反行為が革命の事実だったことを認めろ。
認めるのはかまわないが、それがどう関係してくるんだ?
それのどこが
>この他にもそもそも辛亥革命で皇帝追放以降も、
>満州は奉天都督として別体制維持を認められていた。
>さらには中華民国は北京首都ですらも侵してはいけないという臨時約法も制定されていた。
>これを破って北上侵入したのは袁世凱。
と関係あるんだね?
袁世凱生前、張作霖が満州を独立させよう、どころか彼に逆らうことなんてしてない、
というより彼の引き立てで民国の地位を手に入れた地元実力者なんだが。
そもそも奉天都督ってのは中華民国が任命する役職ですがw
933名無しさん@お腹いっぱい。
つか読めば読むほどデタラメな辛亥革命だな>>899
>辛亥革命ってのは武昌蜂起という内紛から一気に各省が独立宣言をブチ上げたもの。
>十数の省が清朝から独立して、そこに米から帰国した孫文が就任し、
>独立省をまとめて中華民国を立てた。
武昌蜂起は孫文率いる中国同盟会によるものだし、そもそも立ち上がったのは農民達で
同盟会に賛同する新軍兵士たちが協力したので内紛というようなものでもない。

>このとき東三省と北京はまだ残っている。
>反清復明がスローガンに対してこの北方エリアは清(満)側に入るから。
違うよw 残っているのは甘粛、河南、直隷で甘粛以外は袁世凱率いる北洋軍閥が牛耳っていたから。
だいたい満州人なんかその地域にほとんどいねえっつうの。

>この混沌地域をまとめ上げる為に、日本軍は捕虜だった張作霖を解放して支援した。
彼がロシアスパイとして捕まり、釈放されて今度は日本のスパイとして協力したのは日露戦争の頃だが?

>以降中華民国の直接支配が東北に延びたことは一度もなく、
清朝の任命した奉天都督(東三省総督)趙爾巽が革命後1年足らずで職を辞すると、
袁世凱子飼いの張錫鑾が就任、彼は袁世凱が皇帝になるのを支持したほどのガチ、
北洋軍閥の根拠地の一つである満州をまとめて中華民国の直接支配しています。
1915年から翌年にかけてやはり子飼いの段芝貴が同じ地位についています。
袁世凱の死の直前、段芝貴が失脚する、つまり張作霖が袁世凱の残した軍閥を乗っ取るまでの状況ですね。
張錫鑾、段芝貴あたりでぐぐればすぐわかることですが。

>張は恭順と独立を繰り返す。その恭順の大部分は日本が取らせていたもの。
そりゃ気のせいだろ。
その時その時の状況で張作霖は恭順と中央への反逆を切り替えている。
1919年には関東軍が唆して関内出兵している訳だがw

>爆殺の直前頃は、張作霖は北京に侵攻し自らが『中華民国』を名乗ろうとした。
>自虐史観ではこの辺は全く教えないのか。
というわけで、独立なんてこれっぽっちも思ってない事が理解できましたね。