好きなのに無かったので立ててみた
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 21:26:43 ID:6awYID+nO
勝海舟
@口が達者
A女好き
B女にモテる。
C頭回転がはやいD剣術達人
E刀は持つが幕末では一度も刀に触れてない
F幼少期に野良犬に金玉噛まれ数週間寝込んだ
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 22:01:12 ID:AH/6FLXa0
小栗上野介:
名門旗本の血筋。
育ちがいいため人柄は無私で高潔。
頭脳明晰で幕末期最高の知性のひとり。
志の実現のためなら軋轢を恐れない。
明治政府の開化政策のほとんどは小栗構想の二番煎じ。
勝海舟:
高利貸しの祖父が御家人株を買って武士となった家系、
武士とは言っても最下級の身分。
卑しい出自のため強烈な成り上がり願望をもつ。
知能は低いが持ち前の図々しさで詭弁を弄することが得意。
幕府を売って新政府高官の地位をゲットしようと試みるが、
恩を売った薩長に足蹴にされ、愚痴と法螺で余生を費やす。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/30(木) 22:23:54 ID:TTqOH1mf0
小栗も勝も信者がうざい
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 00:39:00 ID:Muwyjf5E0
福沢オタ
前スレのタイトル「這うが如く」があまりにもなんのことかわからなかったために
忍者ラーメンの速さでどっかに逝ってしまったようなので、スレ立て感謝。
なんか足らんと思ってたら、海舟スレだったか。。。おかえり。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 10:00:31 ID:SaK6gWb40
原市のことを悪く書いたのが許せない
死者は反論できないのに……
もし原が暗殺されず生きて新時代を迎えたら、官には出仕せず、いわゆる旧幕臣とも一銭を画し、
内藤や栗田のように歴史学者にでもなってたんじゃないかな……
横山大観と交流したりして……
そうなってたらあの氷川のくそじじい、あんな風に好き勝手な放言できなかったね絶対!
>>8 >あんな風に好き勝手な放言できなかったね
そりゃないだろw
だって江戸っ子だぜ
火事と喧嘩は江戸の華ってぐらいに暴言はくのが江戸っ子だぜw
逆に言うとこの気質を理解できないと勝は理解できないだろうなぁ
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 21:56:59 ID:SaK6gWb40
水戸っぽ
質実剛健 議論を好み演説が得意 しかし無駄口は叩かずつっぱしる
江戸っ子
軽佻浮薄
人や時勢に真正面から向き合うのを好まず、いつも一歩引いた場所からの批評に終始
言うだけで行動しない 根気なし
こりゃ合わないわけだ。慶喜・原が水魚の交わりで勝とは中悪かったのも当然
もし「お〜い!市之進」があったら勝は悪役で登場。龍馬は空気。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 22:07:27 ID:MUkzuCoN0
夏目漱石の「坊ちゃん」は戊辰戦争の戯画
登場人物のアナロジーは次のとおり
坊ちゃん(正義感が強く無鉄砲)=江戸っ子
山嵐(正義感が強く意地っ張り)=会津
狸(優柔不断な日和見)=薩摩
赤シャツ(陰険で卑劣)=長州
野だいこ(卑屈な太鼓もち)=勝海舟
慶喜は水戸に留学してたことがある江戸っ子だと思うが。
江戸っ子が暴言吐くんじゃなくて、ちょっと笑かそうと思ってサービスすると
暴言と思われるんだよ。
まともにそのまんまのことなんか、言うのがテレるから、遠慮したつもりが法螺になる。
法螺吹きと嘘つきを同じもんに考えてもらっちゃ困る。
慶喜と海舟が仲悪いっていうのは違うと思うよ。お互いに最高の理解者だろ。
気持ちわりぃから、わかり合ってるなんてひとに言わないだけ。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 08:22:39 ID:zgjKLGiRO
>>11 巧いな。
漱石は薩長の連中を「薩摩芋にお萩」呼ばわりで小馬鹿にしてたからな
>>12 江戸っ子には定義があって「三代生まれも育ちも江戸でないと江戸っ子ではない」んだ。
だから慶喜は江戸っ子認定できないんだよ
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 09:22:23 ID:wkXEtKJy0
慶喜は水戸っぽだよ、親父や天狗党のような激しさ向こう見ずさがないだけでさ
20代を幕府のために潰され、30歳以降の人生を新政府のために潰され、
ド田舎静岡で逼塞させられてた慶喜にしてみれば、東京で伯爵になって放言しまくってる勝は
「佐幕にも倒幕にもなにもしなかったくせに偉そうにしやがって……」
としか思えなかったと思うよ。
それでも勝が旧幕臣の支援などに奔走する様子を見て、さすがに感情が和らいできた。
だから息子の一人を勝の養子にしたが、勝の死後、
昔夢会で幕臣についてコメントを求められた時には昔の苛立ちがよみがえってきた。
「勝の活躍と称して彼が語るものは、実態とは少しく異なるものあり」
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 11:39:54 ID:XCB4O/Cb0
勝と慶喜は小栗などの主戦派との対抗上、一時的に共謀しただけ。
勝は慶喜を邪魔者扱いしイギリスに追い出そうと画策してるし、
慶喜もそんな勝をまったく信用していなかった。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 12:07:04 ID:aYwdQUiq0
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 08:44:31 ID:Gzeg+Shy0
維新後あちこちへ連れ歩いたの、大奥の女中たちの生活を助けたの、
天璋院について丸ウソ八百をならべたてた罪は重い
おかげであんな気持ち悪い大河が作られることになっただろ
えっ?勝海舟って人気ないんだ?
明治維新の人物の中で一番の切れ者と思っていたが、、、
龍馬と同じでたまにものすごい嫌ってる人もいるかなぁ。
面白いおじさんだと思う。海舟座談の近しい人の勝のエピソードおもろー。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 19:52:01 ID:PmeA9nCY0
松浦玲って、文章のいやみったらしさというか高踏ぶりっこというか、
そういうとこ、なんか海舟そっくりだと思う
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 19:58:55 ID:nRlwridSO
漫談 勝海舟
べらんべぇーい江戸っ子!
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 23:17:34 ID:OWpgjHQc0
>>13 そのお芋とお萩に政権奪われて上野では一日で負けた江戸っ子っていったい何なのかしら?
せいぜい、煮出したあとのお茶ガラってとこね!
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 14:16:08 ID:O1FyODK/0
洗足池のお墓いいよ
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 21:08:09 ID:qvc7axGQ0
>>14 その定義からすると慶喜は江戸っ子だろう。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 21:54:31 ID:qKPUMmj80
慶喜のようなヘタレな卑怯者が江戸っ子のわけがない。勝もそうだ。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 00:18:11 ID:IL1vf7cv0
這うが如く埋まったヨー
これ必要なキャスト何人だ?
第1回 将軍の帰還
第2回 寛永寺へ
第3回 朝敵の家来
第4回 武士の本懐
第5回 将軍江戸を去る
第6回 上野介無惨(小栗斬首)
第7回 彰義隊、壊滅
第8回 ふたたびの駿府
第9回 パリからの帰還
第10回 慶応の江戸、明治の東京
第11回 戊辰転々
第12回 凶刃(横井小楠暗殺)
第13回 五稜郭、陥落(戦争終結・大村益次郎暗殺)
第14回 泥の舟
第15回 明治大帝
第16回 武士の農業
第17回 文明開化のすゝめ
第18回 思想の時代(西周・中村正直)
第19回 出獄、箱館党(榎本ら釈放・出仕)
第20回 栄一の辞表
第21回 その名は明六社
第22回 東奔西走、勝海舟
第23回 アメリカから来た娘(クララ・ホイットニー)
第24回 武士の誇りを(廃刀令・士族の反乱)
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 00:19:35 ID:IL1vf7cv0
第25回 西南戦争
第26回 ある皇女の死(和宮)
第27回 紀尾井坂
第28回 志士と官僚
第29回 自由の嵐(自由民権運動)
第30回 鹿鳴館狂詩曲
第31回 明治新選組(生き残り隊士と近藤達の遺族)
第32回 明治兜割り(榊原鍵吉)
第33回 クララと梅太郎
第34回 大日本帝国憲法
第35回 幇間と彰義隊(松廻屋露八)
第36回 飄然至極、山岡鉄舟(鉄舟死去)
第37回 静岡にて(徳川慶喜)
第38回 足尾の怒り(田中正造と勝)
第39回 行蔵は我に存す
第40回 開戦(日清戦争)
第41回 氷川から
第42回 創刊『旧幕府』(戸川残花・田辺太一)
第43回 幕臣の娘・1(津田梅子)
第44回 幕臣の娘・2(樋口一葉)
第45回 ある御台所の死(慶喜夫人美香子)
第46回 江戸城と皇居(慶喜参内)
第46回 将軍の息子(小鹿と精)
第47回 コレデオシマイ
最終回 公爵徳川慶喜
おおお!最終回がいいね。
最後のシーンは、カメラを抱えた慶喜が松戸から東京を見ている。
昭武が覗き込むと、家達と勝の記念写真を胸から取り出して、
人知れず、二人で頭を下げる、でどう?
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 13:50:30 ID:ncaVsLn70
慶喜や小栗ならドラマになるけど、勝じゃドラマにならないんだよ。
船室に引きこもりゲロ吐いてた咸臨丸の一件は放送禁止ネタ。
慶喜の惰弱につけこんで主戦派を葬り幕府を薩長に売ったエピソードが、
なんとか逸話になる程度。
駄法螺を吹いてた余生は惨めったらしくて絵にならない。
成り上がる好機を求めてフラフラしてただけの勝のような詐欺師は、
断片的な言行をとらえて美化することはできるけど、
総体として描くとその正体がばれてしまう。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 14:01:17 ID:chw9TbHw0
>>33 徳川慶喜は大河ドラマになり、勝回収は日テレ年末時代劇ドラマの主人公になっているが、
小栗が主人公になったドラマはいまだ無い。
慶喜や小栗ならドラマになるが、勝じゃドラマにならないという君の意見は事実に反している。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 17:32:58 ID:BTUcR/bBO
>>34 あるよNHK正月スペシャルドラマ「またも辞めたか亭主殿」
小栗上野介…岸谷五郎
その妻 道子…稲森いずみ
テレ東でも和泉元弥主演であったな小栗ドラマ。
現代の政治経済の話題とリンクさせるため、番組の所々にスタジオでのゲストのトークが挿入されてたが。
和泉元弥の小栗、ぐぐったらテレ東じゃなくてテレ朝だった。
スタジオでのトーク部分は紳助が司会で代議士とか大沢親分とかが出てたらしい。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 21:30:11 ID:chw9TbHw0
ほー、それは知らなかった・・・
小栗のドラマなんてあったんだ・・・
っていうか、それホントに時代劇なのか?
書き込みみる限りでは、バラエティー番組みたいだw
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 21:36:06 ID:gT1YP70I0
勝海舟は樋口一葉よりも長生きしたんだな
「氷川清話」読んでから海舟と麻生太郎がだぶるのはなんでだ
口調のせいかな
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 11:58:43 ID:0H5LGbuf0
貧乏育ちの海舟と坊ちゃん育ちの太郎とでは「月とすっぽん」の違いだよ。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 22:11:44 ID:19VdFWzs0
子母澤の逃げ水読んで、これが幕末は袂の実態だったんなら幕府が滅びたのも当然だし
滅びたのは日本のためだったと思った。
「サッチョー必死だな藁」と冷笑しながら幕府を守るために指一本動かさず、
政権奪われる惨めったらしさ……
43 :
福沢諭吉:2008/11/13(木) 22:33:55 ID:igvOAbyV0
そもそも維新の事は、その実は二、三の強藩が徳川に敵したる者より外ならず。
(勝海舟が)敵に向て曾て抵抗を試みず、ひたすら和を講じて自ら家を解きたるは、
日本の経済に於て一時の利益を成したりと日本の經濟に於て一時の利益を成したりと雖も、
数百千年養ひ得たる我日本武士の気風を傷ふたるの不利は、決して少々ならず。
44 :
福沢諭吉:2008/11/13(木) 22:35:29 ID:igvOAbyV0
殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。
国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りに非ず。
況や必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるに於いてをや。
然るを勝氏はあらかじめ必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて
自ら自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、
立国の要素たる痩我慢の士風を傷うたるの責は免るべからず。
45 :
福沢諭吉:2008/11/13(木) 22:36:37 ID:igvOAbyV0
勝氏は当時外国干渉即ち国家の危機に際して対世界の見地より経綸を定めたりなど云々するも、
果して当人の心事を穿ち得たるや否や。
若しも勝氏が当時に於て真実外国干渉の患あるを恐れて斯る処置に及びたりとすれば、
独り自ら架空の想像を逞うして、之が為めに無益の挙動を演じたるものと云うの外なけれども、
勝氏は決して斯る迂闊の人物に非ず。
※福沢は、勝が外国の干渉が無いことを知りながら、外国の危機を絶叫して人心を惑わし、
幕府を敵に売ったと、ほぼ断定している。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/13(木) 23:08:34 ID:19VdFWzs0
「俺は身分の卑しい者以外に対しては、いつも丁寧な言葉遣いで接した平等主義者だぜエッヘン」
と自伝に書いた大麻義塾大学の創始者は、慶喜についてはなんて言ってるの?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/14(金) 22:14:47 ID:N9YTZdKj0
勝は弟子の坂本龍馬が暗殺されたのを知った時はすごくショックをうけたらしいけど
龍馬の暗殺犯の存在は気にかけていたと思われるが…。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 01:45:17 ID:0layGT4WO
勝なんて負け犬のほら吹き伯爵にすぎない
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 02:17:02 ID:aNvC/cxZ0
先人が守った日本が崩壊の危機を迎えてます。
もうあまり時間がない。
我々にできるやりかたで日本を守りましょう!
【数年後の日本の選挙】 ∧,,∧
/| ̄ ̄ ̄| <丶`∀´> ←二重国籍
/| ̄ ̄ ̄ ∧,,∧ (つロと )
/| ̄ ̄ ̄|..( `ハ´) `u-u´
/| ̄ ̄ ̄|....|φ ∪ )←帰化 ∧,,∧
| ̄ ̄ ̄|....|/ `u-u´ < >←外国人参政権
|___|/ ∧,,∧ ( o∪
|| || (´;ω;) ∧,,∧ `u-u´
( つロと) <丶`∀´> ←偽装認知
`u-u´ (∪ つロ_____
`u-u/ = = /|
| ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 投票箱| |
【外国人激増】国籍法改悪案の反対【日本破綻】★5
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1226673590/
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 13:02:39 ID:ZYWASaj50
龍馬さんと長崎で相撲を取ったらしいね。
毛むくじゃら大男竜馬
丑和歌勝
俗物諭吉
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 16:20:14 ID:Zg+peacc0
幕末の切れ者ランキングだったら
勝は島津斉彬に負けるだろ。
斉彬と勝じゃ背景、状況が違い過ぎる。
陪臣が万延に咸臨丸の艦長にまでなったのは、少なくとも勝の実力を物語ってるだろ。
斉彬は安政の大獄んときに死んじゃうんだから、勝より一時代前の人だよ。比較出来ない。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/18(火) 07:46:39 ID:mcHEXUPh0
>>53 勝が咸臨丸の艦長になれたのは、自分で提督の木村に売り込んだからだよ。
木村は勝の実力を知ってたから、勝の反対を無視してアメリカ人水兵を乗せた。
そして実際の航海で、勝はとんでもない無能な法螺吹きであることが実証されてる。
咸臨丸が渡米できたのは木村とブルック大尉ほかアメリカ人水兵のおかげ。
その、木村に売り込んで、受け入れてもらえるのが実力だろ。
福沢は売り込んでも、木村のおつきにしかなれなかったんだから。
で、無能なほら吹きであることは実証されてないと思う。
ブルックがアメリカまでの前半、日本人の態度に激怒してたのは事実だが
後でそれが無能だからではない、ということを理解している。
勝は、病気だった、というのと、恐らく、一行の中で自分の意見が日本人上司に通らないというので
船室から出てこなかったんだと思う。
咸臨丸は、復路は自力で太平洋を渡った。蛇足だが念のため。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/18(火) 22:46:06 ID:Q0OdLPeJ0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 04:42:26 ID:76gBTL1d0
昨日のその時歴史が動いたを見て思ったこと
旗本八万騎の存在意義って何!
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 20:49:02 ID:cQG/I389O
勝海舟
静岡県 茶畑広めたのは幕臣であたた勝でした。
幕府財政難による苦肉の作
茶畑の御蔭で幕府財政難を乗り切る。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 21:31:02 ID:4ePkkBIs0
勝は江戸開城とともに切腹して死ぬべきだろ。
おめおめと生き恥を晒し、その上大法螺ふきまくりで最低の奴だ。
江戸開城とともに潔く自決して果てた川路聖謨を見習え。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 22:31:00 ID:d4Bqa8i90
>>59 お前は「静岡茶」を飲む資格無しだな。絶対に飲むなよw
なにしろ、静岡のお茶は牧ノ原を台地を開墾し茶栽培を提言したのが勝だからな。
そしてこのお茶の成功なくして、静岡名産「お茶」も無い。
ちなみに、幕臣達がお茶作りを始める前の駿河の名産は無い!強いて言えば「安倍川もち」ぐらい!
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 17:22:07 ID:qEbhLGvr0
ってゆうか、無血開城のために奔走しただの幕臣の面倒みただの、それって幕臣なら
そんくらいやって当然なんじゃない?
旗本八万期があまりに糞すぎるから、そういう「やってアタリマエ」な行動が
まえうで何か特別に偉いことでもあるかのように見えてしまうんだなあ。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 22:07:56 ID:KlvZ0Ql70
>>61 >無血開城のために奔走しただの幕臣の面倒みただの、それって幕臣なら
そんくらいやって当然なんじゃない?
それをやらないのが幕臣でしょw。
それをやる器量が幕臣にあったら幕府はああ簡単には滅びないってば
それだけ勝がまともだったって事だねw
>>60 静岡の名産はサッカー選手だ。キングカズの生まれる数百年前の
戦国時代に既に今川氏真という歴史に名を残す名プレーヤーがいたんだぞw。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 20:53:47 ID:1/DNc0X90
氷川清話を買ったんだけど表紙の勝の写真がキモイ。
目が腐ってて典型的な詐欺師の顔だ。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 21:03:42 ID:iyAAx0OaO
うちのじいさんなんかハブられるの意味を誤解して、
今日も自治会でハブられたーwww
ってさも格好いいことのように言ってるからな。
しまいには孫に
ハブりに行く?
じいちゃんがハブってやる
ってwwww
孫いじめんなwwwwwwwwww
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 21:28:10 ID:5g2mB/JV0
しゃべりが麻生タローみたいだ。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 23:50:22 ID:gVKFSkpL0
>>64 その表紙を見て「氷川清話」の購入を決めた君の脳の方が変だwww
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/30(日) 10:37:02 ID:Mhiz0eVH0
勝や大久保一翁の伝記を読むと、「家茂に期待していた」ってかいてあるんだけど
彼らが家茂にいったい何を期待するの?
大政奉還?
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/30(日) 17:58:20 ID:hMHNisSL0
>>68 勝も大久保も幕臣だぜ。
将軍家茂になんの期待もしてません・・・なんて言ったら切腹もんだろw
腹芸だよ腹芸w
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/30(日) 22:53:53 ID:2Zbz1GIxO
>>69 明治になってから言ったことで切腹するの?
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 00:19:23 ID:zNKZp1He0
>>70 アホ、ホントに切腹してどうすんだよ。もののたとえだ。
元家臣といえども、かつての主君を馬鹿にする発言は普通しないよ
まぁ、勝は自慢話がてらに言うけど大抵嘘か誇張だろw
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 09:09:42 ID:oQRuQnHR0
家茂を支持派ってのは、
家茂が従順で言うこと聞いてくれるから・既得権益守ってくれるから
でとりあえずくっついて持ち上げとこうという連中。
コイツ頭悪くて扱いやすいwという心情がミエミエ。
そういう姑息な連中は絶対、慶喜のような強い自己を持った人間は嫌いだよな。
明治後まったくといって精彩ふるわなかったのは
結局、ご意見番としてあてがわれるのが
彼に最もふさわしい役回りだったのを証明してるのではなかろう
>>72 ってゆーか、老中の阿部ちゃんが外様も幕政参加させてようとした際、
譜代老中たちの既得権益が外様にもっていかれる事を危惧した連中が担いだのが家茂だって。
逆に阿部や島津斉彬、山内容堂、松平春嶽といった外様も幕政に参加させようとした連中が担いだのが慶喜だったじゃん。
普代代表の井伊直弼が強行に家茂に決定したらから、家茂が将軍になったわけでw
そりゃ、慶喜の親父水戸徳川斉昭からして、大奥潰せ論で嫌われ者だったんだから、慶喜だって将軍成る前から嫌がられてたよ。
それに慶喜自身井伊直弼に政治生命奪われて蟄居謹慎。これを外様の島津久光が武力で幕府を脅し強引に将軍後見職にした。
外様を警戒する譜代老中が慶喜を信用する訳ないってw
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 09:05:00 ID:QkFdmiRR0
勝は家茂が神戸海軍所の開設を認めてくれたから歯の浮くようなお世辞をならべてただけ
腹の底でははバカにしてた。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 13:02:48 ID:2Y6ZOZzL0
勝は二重人格なんだよね
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 13:38:21 ID:RFwq6qom0
>>74 井伊のもとには外様出身の老中もいた
これ豆知識な
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 21:25:49 ID:qgF+XAF+0
勝の明日の日本を見据えた恭順姿勢で、徳川家は滅びずに済んだ。
負けた徳川慶喜は、静岡に移って静かに過ごし、幕末の話しを聞かれても口を開かなかったという。
敗軍の将兵を語らず
それに比べて、会津ときたら・・・・
負けた後にもタラタラと愚痴を言い、今現在に至るも薩長の愚痴
情けない・・・・
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 21:28:39 ID:yiWNYSHd0
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 22:11:32 ID:qgF+XAF+0
君の方が屁理屈だろw
>その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス
徳川家が生き残っても、日本が滅べば意味がない。
>将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒
征夷大将軍とは武家の頭領であり最強である事が求められる。
長州一国を自由にできない将軍は将軍である資格がない。
故に、慶喜は大政奉還した。
慶喜の使命は徳川家を存続させる事であり、家一族の存続こそ武家本来の姿。
戦国期の城主は、己の命と引き替えに、家と家臣の助命を乞うのが通例。
>実際には外国干渉の動きはなかった
江戸総攻撃の際、英国のパークスが圧力をかけて中止させた。
仏国公使はしきりに仏兵の参戦要請(莫大な金もしくは蝦夷の譲渡)を行うよう幕府に働きかけている。
>中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること
幕府は大政奉還しているので中央政府ではありません。
>福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事
彰義隊が上野で戦っている時、幕臣でありながら慶應義塾で知らんぷりしていた福沢の言う武士道とは何か?w
>幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた
別に賄賂なんて使ってないw。単に新政府が爵位を与えただけ。
しかも一度断っている。
>要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣
勝は静岡に移住後、困窮する幕臣達に牧ノ原台地の開墾とお茶栽培を勧め成功する。
また後年、慶喜と明治天皇の会見に尽力し、徳川家にかけられた賊徒の汚名を晴らした。
慶喜は己の子を勝家の養子として家継がせ、勝家を存続させている。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 22:21:00 ID:WVg7lPYn0
薩長は自藩のために外国と組んで内乱を起こしたテロリストにすぎない。
当時の状況で、薩長に権力を投げ渡して、日本の近代化が上手くいく保証はどこにもなかった。
結果論で勝の卑怯な振る舞いを正当化するのは誤りだ。
勝は知識と才能が乏しく、まともな見識は持ち合わせておらず、幕臣時代から、
きわどい政治的パフォーマンスが身上だった。
勝の幕府内の地位は、薩長とのパイプがあるから保たれてるようなもので、
幕府が薩長を滅ぼすことは、勝の足元が崩れることを意味する。
勝が幕府を売ったのは、あくまでも私的な成り上がり願望のためだ。
「今までは 人並の身と 思いしが 五尺に足らぬ四尺なりとは」
この下品な歌が勝の正体を端的に現してる。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 23:10:49 ID:JZlDK7EI0
加勢大周は引退して故郷でやり直すってね。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 00:42:47 ID:qVy0MTWc0
>>81 >勝は知識と才能が乏しく、まともな見識は持ち合わせておらず、幕臣時代から
幕臣にまともな知識と才能をもった奴がいないから、勝が出世したわけだが。
>きわどい政治的パフォーマンスが身上だった
パフォーマンス?勝が?何したって?w
ずーっと謹慎してばっかりだったろ勝はw。
>勝の幕府内の地位は、薩長とのパイプがあるから保たれてるようなもので
勝のパイプって龍馬ぐらいじゃんw。龍馬は土佐だよw。
薩摩とのパイプというなら、会津の方があるよ。なにしろ薩会同盟結んだぐらいだ。
>幕府が薩長を滅ぼすことは、勝の足元が崩れることを意味する
もう支離滅裂になってねーか?勝の足元って何だw。何もないだろ最初から勝はw。
だからずーっと謹慎してばっかりじゃんw。
>勝が幕府を売ったのは、あくまでも私的な成り上がり願望のためだ
明治維新直後は、静岡でかなり悪戦苦闘の貧乏な日々だったよw。
勝が明治政府に召し出された頃に、政府内ででかい顔してたのはむしろ榎本武揚や大鳥圭介の方w
榎本なんて政府閣僚入りして大臣まで歴任だw。
海舟は結局、木戸、大久保、西郷、あの辺の層にとって兄貴分なんだよ。
海舟の世代の人は死ぬのが早かったから。
それが海舟が徹底的に隠居できなかった理由だと思う。
財産あったのは、単に彼の投機家としての才能であって、別に政府がなんか
したわけじゃない。
知識と才能に乏しくて、まともな見識がなかったら、年だけ上でも
兄貴分にはなってないとは思う。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 08:12:20 ID:jHUeu96L0
薩摩が江戸に差し向けた賊徒は、武家町家を問わず無差別に放火・殺人・略奪を行い、
さらには薩摩藩邸から大砲を持ち出して、
江戸警備にあたっていた庄内藩邸に砲撃を行っている。
これは後方攪乱の域を超え宣戦布告なき戦闘行為に近い。
幕府はこれに対し薩摩藩邸を焼き払い一味を捕縛しているが適切な対処だろう。
江戸市民の生命と財産を理不尽に踏みにじった賊徒は、
その場で斬り捨て犬のエサにでもすべきというのが江戸っ子の素直な感情。
しかし勝は益満、南部、肥後の薩摩人首謀者3名を丁重に自分の屋敷に匿い、
さらには獄中にあった他の一味も江戸開城前に全員無罪放免している。
凶悪犯罪を重ねた極悪人を咎めるどころか、
追従笑いを浮かべて薩摩にゴマをすりつづけた勝は一体何者?
福沢から腰抜け呼ばわりされ、江戸っ子達に白い目で見られたのも当然だろう。
恥ずかしくもなく晩年を東京ですごした無神経さには呆れるほかない。
海舟は幕末で燃え尽きた
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 13:25:01 ID:aAMM2NTC0
燃え尽きるほど仕事してないでしょ
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 16:15:26 ID:89iG7Xx70
>>85 >薩摩が江戸に差し向けた賊徒は、武家町家を問わず無差別に放火・殺人・略奪を行い
薩邸浪士には規則があり「幕府と取引のある商人」と襲う相手も規則で決めていた。
襲ったのは商家(幕府と取引のある商家もしくは貿易商)に限定されており、武家を襲った事は無い。
>江戸警備にあたっていた庄内藩邸に砲撃を行っている。
>これは後方攪乱の域を超え宣戦布告なき戦闘行為に近い。
一般的に薩邸浪士とされているが、実は根拠がない。
単に江戸警備をしていた庄内が薩摩だと思い込んだ事が記録にあるのみ。
>幕府はこれに対し薩摩藩邸を焼き払い一味を捕縛しているが適切な対処だろう
小栗が薩摩との開戦理由とした言い訳に過ぎない。大阪の慶喜が兵を挙げないのに業を煮やした小栗は、
薩摩藩邸を焼き討ちして開戦の狼煙を江戸からあげようと画策した。
ちなみに一味を捕縛などしていない。彼らは逃亡し赤報隊を結成している。
>江戸市民の生命と財産を理不尽に踏みにじった賊徒は、
>その場で斬り捨て犬のエサにでもすべきというのが江戸っ子の素直な感情
薩邸浪士を装った江戸の盗賊が横行した事実がある。彼らは皆江戸ッ子だった。
>追従笑いを浮かべて薩摩にゴマをすりつづけた勝は一体何者
もう意味不明w。追従笑いしたというソースは?ゴマをすったというソースは?君の妄想を史実にしないでねw
>恥ずかしくもなく晩年を東京ですごした無神経さには呆れるほかない
新政府に呼ばれたから江戸に移っただけw。
私は君の知識の無さと妄想を平気で叫ぶ無神経さに呆れている。
咸臨丸でまともな働きをしたのは小野友五郎だけ。
彼は、数学家としての頭脳と卓抜した技術力、事務処理能力によって、
陪臣から幕臣に取り立てられ、勘定奉行という官僚としての最高位に抜擢された
幕末最高のテクノクラート(技術官僚)。
咸臨丸の航海、木村摂津守との海軍増強計画など日本海軍揺籃期の真の立役者の一人。
勝海舟が一方的にライバルと思い込んでる為、
常に勝の嫌がらせにあうことになる、不運な人物。
コピペものに反応してしまうが、小野の失脚は勝と関係ない。
能力ってものを理解しない幕府ののーたりんのせい。
小野の才能は技術者のものだから、工部省に入る位置に行ければ、充分活躍できた。
幕府のぼんくらが、小野の才能と関係ない官僚にしたから、小野もあいそがつきて
政府の仕事なんかしたくなくなったんだと思う。
本人に新政府に刺さり込む欲もなかったんだろうね。
商品管理で使える!って人が人事係長に出世して、そこでも活躍して営業課長になる。
次々活躍して、遂に専務までなったら、それが全然合わなくて伸び悩む。
そこで、はじめて高卒だの派閥のバックアップのないことが取沙汰されるから、本人も嫌気がさす。
だからってクビにもできないし、降格もできないからそこにとどまる。
そういうのは、会社も人材も不遇だよ。小野はそういうことだと思う。
刺さり込む欲も、黙ってない根性も、勝にはあったんだよ。
どっちがいいかは好きずき。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 22:54:19 ID:G7LWtHw30
徳川宗家の既得権の温存にこだわった勝は発想が貧弱で時代遅れ。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 18:26:31 ID:7Tw6jygo0
すげえ無知wさすが糞溜2ch
まさに「行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張」
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 20:19:16 ID:yscvq7Oo0
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 21:37:42 ID:8wxWQHif0
海舟病〜氷川清話を鵜呑みにする患者達〜
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 00:22:34 ID:LBVjGIpO0
勝は極端な儲かアンチしかいない感じがする。
そういや、勝海舟は軍隊指揮して実戦に参加したことあったの?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 09:35:09 ID:YsWXCYua0
>>91 >徳川宗家の既得権の温存にこだわった勝は発想が貧弱で時代遅れ
勝というより、むしろ小栗や会津藩だろうw
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 18:02:40 ID:UKms+FQb0
>97
無いよ。未知数。戦争嫌いだったみたいだし。
戦争になる前に交渉したり仲良くなったりして
戦争状態にならないようにするのが勝の真骨頂。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 20:45:32 ID:QC9olwYm0
>>99 クラウゼヴィッツを引用するまでもなく、こちらが望まなくとも敵が攻めてくれば戦争は始まる。
薩摩が江戸市民を無差別殺害する内戦を開始し、鳥羽伏見で薩長が先制攻撃を行った以上、
好き嫌いをこえて戦争は現実となっていた。
それに対する対応として、勝は敵と内通し命乞いをすることによって、事態の収拾を図ろうとした。
勝の行為を現在に例えるなら、中国・北朝鮮連合軍が突然日本を侵略した時に、
中国・北朝鮮と内通し、戦争反対を日本人にのみ向けて叫び、
国土を戦場にしないため中国・北朝鮮に恭順するように説教するようなもの。
福沢が勝を嫌ってたのは、頭のいいひねくれもの同士の同属嫌悪ってやつか
幕臣でありながら、日本の事を第一に考え、徳川の不利益になるような行動をして慶喜たちににらまれて
維新後は新政府の仕事もそこそこに、慶喜と徳川家臣の暮らしと名誉回復のために奔走して
やっぱり勝はかっこいい
口の上手いずるい奴との評価もあるようだが
頭のいい勝ならば、維新前は慶喜に媚びへつらって、維新後は何食わぬ顔で新政府の中枢に居続ける事もできたはず
それができない人物だからこそ西郷や坂本に敬われていたのだろう
でも、ここで俺みたいなのに誉められようが、お前らにけなされようが、本人はあっちで
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候。」(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分は預かり知らぬことと考えています。)
と思っていることだろう
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 21:55:27 ID:QC9olwYm0
>>101 妄想炸裂だな。なぜ勝ヲタってこんな馬鹿しかいないんだ?
>福沢が勝を嫌ってたのは、頭のいいひねくれもの同士の同属嫌悪ってやつか
福沢はずば抜けて頭がいい。けど、勝は凡庸だよ。
合理的な思考ができず海外の文化についての知識もろくに持っていなかった。
>幕臣でありながら、日本の事を第一に考え
幕臣といっても金で身分を買ったなんちゃって幕臣で、武士としての素養に欠け、成り上がり願望が強かった。
当然、日本のことなんてこれぽっちも考えていない。勝は終始個人的な損得で動いてる。
>維新前は慶喜に媚びへつらって、維新後は何食わぬ顔で新政府の中枢に居続ける事もできたはず
事実、その通りに行動してるけど?
勝の思い通りにいかなかったのは、勝の能力が低く、胡散臭い人間だったため。
個人的損得で動いてる奴が維新後の没落慶喜、没落徳川家のために動くかよ
西南戦争で敗れた西郷の名誉回復ために動くかよ
個人的損得のみ考えてる奴だが、敗者へのいたわりが人一倍あるってか
バカか
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 23:51:04 ID:uIlbek3y0
福沢ねぇ
上野戦争の時に幕臣の身でありながら、慶應義塾に引き籠もって傍観し、
明治時代になって自由民権運動が高まった途端に元気に明治政府批判や明治政府に出仕した勝や榎本ら幕臣批判をやった男ねぇ。
幕臣の癖に戦いから逃げた福沢がいう「幕臣でありながら、明治政府に仕えた不忠者論」にどの程度の価値があるのかねぇw。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 00:04:22 ID:nUp+W13g0
福沢が勝嫌いになった発端は恩人だった木村摂津守を勝が苛めた事だったような。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 00:11:50 ID:nUp+W13g0
勝って飛び抜けて優れた人だったとは思うけど、自分でもそれを意識していたような言動があって
それが鼻につくのだと思う。
個人的にはあまり好きじゃない。
>>105 福沢は咸臨丸で勝の無能さを身近に観察してたからでしょ。
木村の機転でアメリカ人水兵を乗せなかったら、
勝のせいで太平洋に沈んでたんだから、嫌いになるのは当然だ。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 00:44:49 ID:BGkEa/yw0
>>107 違うよ
>>105が言う事が真実だよ
福沢が咸臨丸に乗ったのも木村の従者としてだった。
勝は、門閥出身この木村を嫌った。この点は勝が悪いなw。
それで勝は木村にキツかったのだが、その姿を見た福沢が勝を嫌いになるのは自然な事だ。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 00:58:08 ID:eoy83W3K0
>102
ところで福澤はあの危急存亡の時に何処で何をして日本の役に立ったの?
福沢は、なるだけ外に出ないで暮らしたんだろ?
幕府はどうせ負けるから、という達観だろうし、おれのような才能がこんなあふぉどもと
一緒に失せてたまるか、という自負心でもあったろう。
でも、負けるとわかってる戦争をいかにしないですませるか、新政府に新しいことを
任せるか、その中で、いかに徳川家を守るか、ということに勝は奔走した。
どっちが好きでも勝手だけど、福沢と比べられて、福沢より下に見られるのは許せん。
勝はあの混乱期に奉行だよ。他にどんな人が勝くらい大変そうな奉行やってたか見てみるといい。
どんだけ人材を抜擢しようとしてたかがわかる。
福沢の朋友の松木とか村田とかは後の新政府側にもついて国事に励んでる。
福沢の中津藩は最後の藩主が宇和島のせがれだよ。
幕府を見限って新政府を助ける気持ちがあるなら、それも十分可能。
そういうときに私塾やってたっていうのは、先見の明はあるかもしれんけど、
自分は好きではない。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 07:52:22 ID:BGkEa/yw0
ま、勝批判の為に福沢を持ち出しただけってところかなw
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 10:51:11 ID:W94nQC5u0
西郷隆盛も大久保利通宛ての手紙で
「勝氏へ初めて面会し候ところ実に驚き入り候人物にて、
どれだけ知略これあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候」、
「英雄肌で、佐久間象山よりもより一層、有能であり、ひどく惚れ申し候」
と書いている。
福沢=偉大な啓蒙家、海舟=偉大な政治家 ←よって生きる道が違っている。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 11:45:28 ID:srf42qMI0
勝など慶喜公の足元にも及ばぬわ
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 18:34:13 ID:MZt6Ccm40
維新後の勝海舟は薩長閥とは合わずに1875年には引退したけど
幕臣の中で明治以降出世したのは
榎本武揚、大鳥圭介、立見尚文、山川浩の4人だと思う。
山川は幕臣じゃないだろ。。。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 06:01:46 ID:hmLTOO7Y0
桑名の立見が入っている所をみると、幕臣ではなく賊将で・・・と言いたかったのだろうな。
あと、突っ込みを入れると明治政府内での出世頭が彼らであり、政府内である程度まで出世した賊軍出身者は多いよ。
松本良順も忘れちゃいけないしね。
頭のいい人は考え方が合理的で感情的なものを排除したがる
それは人の上にたつ者、特に国の舵取りをする者にとって大事なことかもしれない
でも勝は最後には誠意とかがモノをいう、という感情的なものを大事にしていた
その辺が人を惹きつける魅力であり、西郷、坂本という幕末最大級の英雄に慕われたゆえんであろう
ああ、そうか、戊辰戦争関係者か>114、116
医者は幕臣多いよね。というか、ほとんど松本良順の親戚っつーか、縁者っつーか
養子が入り乱れてて覚えられないけど、順天堂関係とか長与とかあの辺。
政府で出世じゃないけど、渋沢じゃない?明治以降、一番活躍した元幕府側の人は。
あと、寺島宗典は薩摩に数えるの?幕臣?
その辺りの、島がついて経歴的に混乱する人たちに幕臣いるよね?
前島か?新島襄もそうでしょ?
それより一世代後の技術芸術関係の人とかも旧幕府側多いと思う。
勝はそういう人たちの先駆でもあると思うんだよ。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/29(月) 14:12:01 ID:pwKk5MWL0
勝の凄い所は、彼自身はかなりの感情家でありながら、政治となると個人的感情を完全に抑え込めた事だ。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 23:49:56 ID:bqoBXyOU0
勝は原市之進暗殺の黒幕だったんでしょ?
>>119 自己顕示欲が異常に強い勝は、
政治においても常に個人的感情で動いてるぞ。
信じられない事に、勝=反戦家、勝=親中派、というイメージで現代の左翼運動家になぞらえて嫌っている奴もいるんだよ
征韓論を唱えてた連中だって、主に士族の生きる道を模索してただけで今の2chの嫌韓とは違うぜ
時代が違うっつーの
あの頃は「強い欧米」が「弱いアジアの日本、清国、その他」を植民地にしようとしていたという構図で、弱い者同士手を組んで強いものに抗おうという考えで、別に共産主義だったとか日本はアジアに酷い事したよねってことじゃあない
官軍との戦いを避けたのだって、やったら負ける、負けなくても潰しあえば日本を狙ってる奴らがいるからであって、別にラブアンドピースなんて言ってない
最近のアメリカのイラク攻撃の時もそうだった
ジョンレノンを反戦のシンボルとして利用しようとする連中、またそれに踊らされて放送を禁止する権力側
確かにジョンはベトナム戦争に反対してたけど、あのまま殺されずにニューヨークに住んでワールドトレードセンタービルの崩壊を間近に見ていたら、アメリカのイラク攻撃にどんな立場をとったかは誰にもわからない
死者がしゃべれない事をいいことに、死者を利用して現在にあてはめて自分の主張する奴大嫌いだよ
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 08:51:19 ID:oLEesSqa0
>死者がしゃべれない事をいいことに、死者を利用して現在にあてはめて自分の主張する奴
自分が藤田東湖を嫌いだからって「西郷も藤田を嫌ってた」とか信じられないような捏造をした
勝海舟のことですね
わかります
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 10:56:22 ID:yLrK1oA50
>>124 違うよ
星亮一の事だよ
星亮一は「萩の町を全て破壊してやりたい」と言った会津研究家の言葉を著書に書き、
あたかも今なお会津人は、山口県人を皆殺しにしたいと思っているといった勘違いを引き起こさせる文章を書いている。
それはすべて「萩を旅行した○○氏は、後にこう語っている」という出だしで始まる。
また、勝に関しても「私の知り合いの女性(星のシンパの遠藤由紀子の事だろう)は、妾を幾人も作りやがってと嫌っていた」と書き、
自分ではなく他人が語った事として、勝の誹謗中傷を文章中に組み込んでる。
遠藤由紀子は、後に星亮一と共著の徳川慶喜本を出し、その中で勝に関する部分を担当、勝卑怯者、会津を見捨てた武士の風上にも置けぬ奴、江戸で戦争すれば会津は救われた等と書き、
単なる勝の誹謗中傷を書いている。
「会津戦争は広島長崎の原爆被害と同じ」と発言した会津研究家がいたが、後にこの研究家は「いい過ぎだった」と後悔している。
しかし、星はこの反省したという事実を伏せ、ただ会津研究家の○○は「会津戦争は原爆被害と同じだ」という部分のみを抜粋して掲載し、自分の発言ではないという体裁を取っている。
発言をした研究家はすでに故人であり、いわば故人の言葉のみを利用し、故人の反省とその尊厳を自分の本(利益)の為に利用する星は批判されて当然だろう。
>>123 現代日本に勝がいたとしたら、中国や韓国と内通し、中韓の威を借りて、
日本国内での成り上がりを目指すはず。そういうことを繰り返してきた奴だからね。
当然、中国の軍事的脅威を黙認し、それに対する日本の反撃を停止させようと動く。
勝=反戦家、勝=親中派、というイメージはあながち間違っていない。
普通の国では勝のような裏切り者は唾棄されるんだけど、
戦後の日本では勝を美化する論調が一人歩きしてる。裏があると考えるべき。
ちなみに日本の歴史上の人物のなかで、福沢は中韓に最も嫌われてる人物の一人だけど、
勝が悪し様に罵倒されてるという話は聞いたことがない。
>官軍との戦いを避けたのだって、やったら負ける、
大村は主戦派の小栗の意見が通ってたら薩長は負けてたと述懐してる。
>負けなくても潰しあえば日本を狙ってる奴らがいるからであって、
福沢は勝の言う外国の脅威は絵空事だと批判してる。
>別にラブアンドピースなんて言ってない
社会の安寧は害すべきではないとする勝の主張は、要するに「ラブアンドピース」だ。
しかも勝はそれを敵が目前に迫ってるときに、味方を武装解除させるために主張してる。
>現代日本に勝がいたとしたら、中国や韓国と内通し、中韓の威を借りて、
>日本国内での成り上がりを目指すはず。
その妄想がジョンレノンを反戦のシンボルにまつりあげてた連中といっしょで嫌なんだよ
故人の生前の業績を批判するのは仕方ないとして、オマエが妄想で作り上げた「中韓と内通してる勝」を批判するなんて頭沸いているのか?
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 19:26:27 ID:iwMpclc/0
太平洋戦争当時、もしもアメリカ政府内に勝海舟がいたならば、
あるいはアメリカ人が勝のような卑怯者を偉人として崇拝する集団だったならば、
日本は真珠湾攻撃によってアメリカに対し大勝利を収めることができた。
勝の思想は、日本以外のすべての国に広めるべきだ。
島津斉彬、佐久間象山、勝海舟 これら日本史上のMVPやろ
織田長益、小早川秀秋、勝海舟、日本史上の勝の仲間といえばこんな感じかな
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 12:41:08 ID:Ijo6s/da0
>>126 >大村は主戦派の小栗の意見が通ってたら、確実に薩長は負けてたと述懐してる。
大村は鳥羽伏見の戦いが起これば薩長は負けると桂に語り、長州は消極的になって京都に1000人程度しか送らなかった。
しかし、その結果はどうだったかな?w
さらに大村は会津征伐時「先に枝葉(仙台米沢藩等)を刈れ、そうすれば幹(会津藩)は枯れる」と語ったが、
薩摩藩と土佐藩は大村の指示を無視、先に会津攻めを始めた。
その結果はどうだったかな?w
>>131 鳥羽伏見は軍事的には幕府にとって負けるはずのない戦だったということ。
慶喜が想像を超えるヘタレで兵を置き去りに夜逃げすることを、
大村に予知しろと要求するのは無理がある。
慶喜が江戸に逃げ帰った後も幕府の勝機は残されてたけど、
それを握りつぶしたのが勝。だから薩長にとって勝は最大の恩人だ。
列藩同盟との戦いの段階では、すでに趨勢が決まってるから、
枝葉でも幹でもどっちでもよかったということ。
枝葉から刈っても仙台は簡単に落とせたはず。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 00:25:52 ID:07JJz5PF0
>>132 は?
慶喜は錦旗が出たから逃げ腰になったんだよ。
なぜ錦旗が出たのかといえば、初戦(一日目)の戦いで幕軍が負けたからだよ。
錦旗は二日目に出たからね。一日目の敗北は慶喜の逃げ腰とはなんら関係ないよw。
>慶喜が江戸に逃げ帰った後も幕府の勝機は残されてたけど、それを握りつぶしたのが勝
は?
勝は将軍にして主君である慶喜が「恭順して徳川宗家の家名を存続させたい」という希望達成の為に動いたんだよ。
慶喜は「戦え」とは言っていない。勝は主君の命令に逆らうような不忠者ではないということでしょ。
主戦派の小栗でさえ主君である慶喜に「戦うな」と言われると、権田村に引っ込んで恭順姿勢だったんだぞw。
彼も又忠臣だw。
>列藩同盟との戦いの段階では、すでに趨勢が決まってるから
それじゃ会津や桑名仙台米沢といった奥羽越列藩同盟は「趨勢が決まっていて負けると決定した無謀な戦いをした馬鹿」って事でOKですかwww
それに納得してくれるのなら「枝葉でも幹でもどっちでもよかったということ」に私も納得しましょwww
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 02:30:45 ID:En1aRMKgO
枝葉のポイントがずれている。脱走諸隊は江戸から離れ関東を北上、または利根川を防御線としたが、奥羽も同じ。だから仙台を陥落させた上で会津盆地で孤立すればどうなるか。
会津敗走兵は北へ向かうことはできず日本海に向かう。ここで補給線は断たれる。
市中米を買う場合、米価は騰る。ここで戦費の支出も痛いが仙台を同盟の柱としていた諸藩が中立に
なれば身動きが取れない。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 07:16:43 ID:MuU26mXZ0
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136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 09:27:50 ID:/SQeWZcu0
>>133 >慶喜は錦旗が出たから逃げ腰になったんだよ。
緒戦で幕軍が負けたのは戦闘を予期せず油断したためだけど、
兵力で圧倒してたわけだから、巻き返し、薩長を包囲殲滅することは可能。
また、錦旗は戦闘の前から岩倉が準備してたもの。
君側の奸を討つため「討薩の表」を掲げてたわけだから、
幼帝を握る賊がニセ錦旗を持ちだしたからといって逃げ出すのは馬鹿。
粛々と薩長を討伐し錦旗を捏造した下手人を処罰するのが将軍の責務だ。
>「恭順して徳川宗家の家名を存続させたい」
優柔不断な慶喜は恭順か反撃かで揺れ、幕臣のほとんどは薩長討伐を求めていた。
その状況で慶喜に保身の逃げ道を与えたのが勝。
勝は薩長のスパイとしての私的利益のために動いたのであり、
「徳川宗家の家名」のためという言い分は口実にすぎない。
>枝葉でも幹でもどっちでもよかったということ
会津が篭城戦をやめたのは米沢藩など同盟軍が相次いで降伏したことが主要因。
どっちみち枝葉を落とさなければ決着はつかなかった。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 09:53:54 ID:oZNV2vXl0
>>136 >緒戦で幕軍が負けたのは戦闘を予期せず油断したためだけど
あのね、油断をするしないも強さの内なんだよ。
君の一連の話しをまとめると、「幕府軍は油断していた=初戦は負ける」これ確定ね。
という事は、幕府軍が負けたという第一報で朝廷は徳川家に朝敵にする事が決まり、
慶喜が弱気になるのだから、「鳥羽伏見の敗北原因は慶喜ではなく、幕府軍の油断」でOKですね?。
>優柔不断な慶喜は恭順か反撃かで揺れ、幕臣のほとんどは薩長討伐を求めていた
優柔不断だったという妄想を流布したのは会津研究家と会津贔屓の作家で根拠となる史料はありません。
江戸に帰ってきた慶喜の行動(大阪脱出から江戸)を見る限り、慶喜が恭順を求めていた事は明らか。
貴方は会津の捏造を信じているに過ぎませんよw。
>どっちみち枝葉を落とさなければ決着はつかなかった
私は「小栗作戦を行われていたら勝てなかったという大村益次郎の言葉もアテにならない」という事をいいたくて、
「大村の作戦計画に従わなかった会津戦争(枝葉・幹の話し)」をしています。
これに対し、貴方は当初の反論で「会津戦争の趨勢は最初から決まっていた」とし、小栗作戦が実行された場合と会津戦争は比べられないという見解を示しました。
で、今度は大村の言葉は「神の啓示として必ず当たる」という主張に、考えを改めたのですかwww
馬鹿ですか貴方。支離滅裂になってますよ。
そんなにフラフラと変わってしまう歴史観では、お話しになりません。議論にもなりません。
島津斉彬、佐久間象山、勝海舟、大久保忠寛、横井小楠 で決まりや。
これこれこういう事象があって、そこから勝の評価をしようとすればいいのだが
「勝は無能で悪者」ありきで事象をあてはめようとしてるから無理が出て来るんだよ
一度フラットな目で歴史を見てごらん
勝に限った事ではなく
勝は雄藩連合を唱えていたけど、決して倒幕派だったわけではないな。
軍艦奉行に命ぜられて、大海軍を養成するのには西国雄藩の資金・人材も投入する必要があると
軍艦奉行なりに当然のことを考えたまでで。旗本・譜代の幕閣連中が邪魔だと思っていただけで、
幕府を潰せなどとは言ってない。ただテロまがいのことをする長州や薩摩を擁護しすぎる傾向はあったけど。
徳川家康を過剰マンセーしてたりするし
勝の場合は擁護とかそんな考えてないんじゃねーの
井上馨はまぁまぁみたいな評価で、伊藤博文とかはあんま評価してないし
子母沢寛の小説読んでるけどなかなか進まない。
濃い江戸口調がかえって読みづらい・・・・
明治生まれがじーさん、ばーさんだった頃に下町に育った者には、あの口調は
なんともいわれん懐かしさがある。
もう江戸弁しゃべる人ってあんまりいない。元勘九郎(いまの名前忘れた。さんまとかと
年が同じ人)が時々、ああ、江戸弁だな、ってことばでしゃべる。
ピーターなんか江戸弁でしゃべれそうだけど。ピーターの父親は江戸弁だな、
と思ったことがある。
ちゃんと江戸弁指導した俳優による海舟主役「這うがごとく」、早くやってもらいたい。
黒船黒船と騒がれたが、実はあれが当時のアメリカが外洋に展開できたほぼ全戦力という事実。
そしてアメリカでさえ10隻ちょっとした持てなかった航洋軍艦を500隻も揃えようって言うんだから、
勝さんの苦労は偲ばれるわ。
勝海舟についての研究読んでみると、坂本龍馬がただの勝のパシリとして扱われているから笑える。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/18(日) 22:58:13 ID:FBrI8QgP0
>145
でも重要な交渉事を任せていたみたいだし、かなり
頼りにしていたんでないの?実際。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 09:21:26 ID:Ah2Mdo9m0
>>143 同意
特に勝海舟を演じる役者は気風のいい江戸弁でタンカを切れないとダメだと
前から思ってたよ。(翔ぶが如くの林隆三は良かったと思う)
数年前に単発ドラマで西田敏行が演じた時は、あんなもっさりした喋り方じゃ
せっかくの重要な役が台無しだなと落胆した
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/22(日) 21:49:17 ID:WklgPGEj0
放送ライブラリーで「勝海舟」と「徳川慶喜」の総集編見た
「勝海舟」は、最初の真面目そうな書生風渡が、
松方になっていきなり雰囲気がやくざっぽくなったのに笑った。
大原麗子が美しかった!
ショーケンの岡田以蔵が……
あと慶喜が総髪だったのはどうかと思うぞ。
「徳川慶喜」
総集編とは言え、勝の登場は最後の無血開城の時だけ。
ラストシーンのけいきさんの号泣には、見ているこっちも泣けてきた。
それでな、当時、結婚したい女性ナンバーワンだった仁科明子が松方とデキてしまった。
親父の岩井半四郎が、なぜか、渡さんを恨みます、とテレビで言ってたのが忘れられん。
あれ?でもそれって勝海舟?竜馬がゆくだったように思ってた。
石坂浩二もやってない?勝海舟?ビートたけしもやったと思う。
あと、当時新自由クラブの河野洋平もやらなかったか?
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 09:41:40 ID:ZbNNLKBO0
154 :
152:2009/02/25(水) 01:25:06 ID:Kyf8ZFOE0
リンクにつながらない(時間かかりすぎ)けど、それはないだろ>河野がハライチ
その当時で既に河野はおぢさんだったから、年齢的に無茶ではないだろうか。
自分が河野洋平を間違ってる可能性はあるが。
多分、ビートたけしが山内容堂で海舟が河野じゃないかな。
主人公が誰かとか、なんの話かとかは忘れたけど。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 02:35:16 ID:GA2eZ+vI0
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 07:10:34 ID:ZWeBXiw70
最近の勝海舟関係の研究って進んでるの?
なんか目新しい論文ってありますか?
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 16:30:50 ID:RYfdYqfd0
松浦玲の岩波新書「坂本龍馬」の参考文献・6Pによれば、今、
大分量の勝海舟伝を書いてるんだってさ
それよりも全集の再販,現代語訳でお願いしたい。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/13(月) 20:16:16 ID:h3HNNWfU0
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/14(火) 11:09:53 ID:KFw0E4xVO
ちょっとお聞きしたいんですが、忍者ハットリくんの妹の名前を教えてください。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 08:04:49 ID:+BmoHv1u0
福山雅治(40)が主演するNHK大河ドラマ「龍馬伝」(来年1月スタート)
に登場する岩崎弥太郎を香川照之(43)、勝海舟を武田鉄矢(59)、西郷隆盛を高橋克実(48)が
演じることが14日、分かった。
いずれも龍馬に大きな影響を与えた人物で、ドラマでも重要な役割を果たすことになりそう。
個性的で実力ある演技派が“福山竜馬”を支え、もり立てる。
「龍馬伝」は竜馬の生涯を三菱財閥創業者として知られる
幕末屈指の経済人岩崎弥太郎の視点から描く。
弥太郎にとって竜馬は同郷のあこがれの存在で、何度も衝突しながら、
竜馬の死後はその志を引き継いだ。
ドラマのカギを握る人物ともいえ、40代の俳優でトップクラスの
演技力を誇る香川に白羽の矢が立てられた。
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090415-482956.html
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 20:39:43 ID:kqpTHIDR0
勝海舟は薩長のスパイです
by.星亮一
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 18:05:07 ID:vvRJEHc4O
胸にしみる 空のかがやき今日も遠くながめ
なみだをながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤをだれかに告げようか
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 14:30:09 ID:Rq+fYmwa0
この前篤姫をみたんですが
個人的には今まで江戸の無血開城は勝が西郷を説得したってずっと思ってましたが
なんか勝はただいただけで篤姫の手紙が決定的な要因みたいな描かれ方ですが
これってどっちが正しいんでしょうか?
これまで篤姫の知名度もそんなになかったし
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 15:06:53 ID:Xhg3E0cC0
篤姫の手紙が決定的要因です
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 18:23:56 ID:olrsgpZY0
松浦玲以外に勝の論文書いてる人いないの?
この人の論文もいいんだけどね・・・
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 17:58:06 ID:kh/Iewz5O
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 22:08:29 ID:YVmsuCPo0
もう間違いないです!
勝や西郷よりも日本の事を考え、戦争回避に尽力した人が篤姫。
間違いないですよw。
「薩摩藩なんてやっちまえ!」と篤姫の文書に書かれてあっても、
大奥での浪費が幕府財政を圧迫し、長州征伐の軍資金が無かったなんて話しもありますが、
大河ドラマを信じるべきですよ!
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 22:31:37 ID:26fggewKO
諭吉さんの写真、みんなイケメンでびっくりした
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/12(金) 18:27:38 ID:Oa0o+nXQ0
坂本良馬が主人公かよ・・・
なんかあからさまな商業戦略だな…
「幕末受けたからもっかいしましょうや!」
って感じですか?
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 12:10:26 ID:CL7olP980
最近のNHK
戦国→幕末→戦国→幕末→戦国→幕末
たまにゃ他の時代もやってくれ
今生きてたら北朝鮮の問題とかなんて言うんだろう
どっかに勝海舟の生まれ変わりっぽいとか政治家いない?
羽賀研二
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 09:51:20 ID:/L2riuqY0
氷川清話は聖書だよね
といってみる愚者が一人くらいいてもよかろう
維新風雲録ってので伊藤博文が勝海舟ぼろくそにいってるって
木戸スレに書いてあるけど、なんて書いてあったの?
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 20:25:47 ID:rfJe/AtK0
>172
郷ひろみ
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 22:18:02 ID:7sun/RDA0
勝も優秀だったけど
大久保一翁も優秀だと思う…。
前のスレんとき、目賀田男爵の話してた人、もういないか?
目賀田って日記(明治一桁代)残ってる人?
知ってる人、おしえてくだされ。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 08:23:34 ID:n86NCfcl0
チンコが無いのに何で子供ができるの?
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 00:13:47 ID:gcIXxLfO0
勝海舟は上杉謙信と相通じているといえる。「行動するのは自分、評価するのは他人」と言った
勝と、自らを達磨大師にあやかり、「不識庵」とした謙信。すぐにすねる勝と、すねて出奔
までした謙信。二十回も暗殺しかけるが、一度も刀を抜かなかった命知らずの勝と、
自ら敵陣に飛び込み、総大将信玄に切りかかる、命知らずな謙信。
とすれば勝の行動理由も、「義」だったのではないだろうか。確かに勝の「義」は、
謙信のような、金剛石のように絶対的なものではないかもしれない。
しかし、時代の先が見えてしまった勝にとって、真に幕府のことを考え、
真に日本のことを考えたとき、時代の流れに逆らわないことが、何よりだと考え
たのではないだろうか。勝の「義」は水のような「義」であるといえる。
何物にも混ざり、形すらないが、実は何よりも硬く、人間が生きるために絶対に必要なものである。
干からびかけていた日本を、勝は潤そうとしただけなのではないだろうか。
と、考える今日この頃なのですが、いかがでしょうか?
流れに逆らう逆らわないというよりも、海舟は、幕末維新のシナリオを書いてる側の人間だと思うが。
流れに乗ってる人だし、作ってる人だと思うが。
息子のアナポリス留学と目賀田を娘婿にした、というそこだけ切り取っただけで
すごい人だな、と思う。
維新風雲録は近デジにあるよ、たしか>176
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 20:12:26 ID:N36Ko/am0
>>181 「義」っていのうは、大抵が主観論だぞw
勝の義は「勝の自己満足」でしかない。
小栗の義は「小栗の自己満足」でしかない。
会津の義は「会津の自己満足」でしかない。
薩長の義は「薩長の自己満足」でしかない。
不変の義などこの世に無い。
大抵の「義」は、自分が正しいとする為の屁理屈である。
大日本帝国しかり、ナチスドイツしかり、イスラム過激派テロリストしかり、オウム真理教しかりだ。
彼らには彼らの正義「義」があった。
彼らと対立し、戦争に勝利した英国米国中国なども「正義」を掲げている。
そして勝利の後、彼らの義を悪とした。
義を語る奴、叫ぶ奴にロクな奴はいなかった。
義を叫ばず、己を正当化せず、ただやるべき事をやった人間こそ正しい。
義など単なる欺瞞だ。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 00:51:44 ID:Q6/A0bPJ0
>>183 う〜ん、まず正義と義は違うね。正義は掲げるもの。義は不変のものだぜ?
君が言ってる義はすべて正義のこと。義をわかりやすく一言で言ってあげよう。
神である。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 05:20:46 ID:P76mjVTE0
俺の名前に「義」って入っているが
俺には義の片鱗さえ持ち合わせていないが?
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 18:10:37 ID:Q6/A0bPJ0
堂々というなよw
名前のごとく生きる努力をしよう。
親に自分の名前がどういう意味が聞きなさい。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 19:11:57 ID:MkVgzSq70
>183
うむ、慶喜公のことであるな。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 20:32:23 ID:xhmrEZWv0
>>184 正義と義は同義語だバカモン
幕末期の儒教とはどんなモノか、仁義礼知信の意味を調べてみなw
慶喜を嫌っていたが、その慶喜を助ける為に尽力したのは江戸っ子の心意気か。
慶喜は慶喜で二心殿と言われて人心が離れた後は勝を頼りにした、というのも面白い。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 20:46:14 ID:xhmrEZWv0
ついでに言えば「義」は不変であろうはずがないw
大義に対し小義がある。
どれが大義で、どれが小義とするかは本人次第。つまり主観である。
人によっては、別人が小義と切り捨てる義を大義とする場合があるのだ。
例1:勝海舟の大義は「日本の国力を維持し、諸外国から侵略されないようにする事」
この為に戦争を避ける方法、無条件に江戸無血開城を行い、戦わずして恭順した。
例2:会津藩の大義は「徳川幕府の存続保全&幕府打倒勢力に対して徹底抗戦し、幕府を守る事」
この為に内戦になる事はやむを得ないとし、条件付きの恭順が認められず会津戦争を行った。
どちらにも義がある。
もし不変と言うのであれば、勝と会津のどちらかの義が間違っているという事になる。
いや、会津戦争の時点では"徳川幕府の存続保全"、"幕府打倒勢力に対して徹底抗戦し、幕府を守る事"
なんて会津は掲げて無いぞ。
既に幕府そのものが存在していなかったし、徳川家(慶喜)も会津を見捨てていたから。
松平容保の
「何すれぞ大樹連枝をなげうつ断腸す 三顧身を持するの日涙をふるう 南カ夢に入るとき万死報国の志
いまだとげず半途にして逆行 恨みなんぞ果てん暗に知る 地運の推移し去るを目黒橋頭 杜鵑啼く」
という詩があるくらいだ。
勤皇の藩であった会津が朝敵になったことへの悲しみと薩長への憤りはあるけど。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 21:30:19 ID:xhmrEZWv0
>>191 それがそうでもないんだ。
徳川家が恭順した為、徳川家を守るという大義が消えただけ。
江戸無血開城する以前の江戸城内の会議では、会津藩は徹底抗戦を唱えている。
また、大政奉還時も「大政は一旦お返しするものの、再び徳川家に大政委任され、幕府は続く」と会津藩側の観測もあった。
会津藩は、恭順歎願を数回行ったが、その文面を見ても「王政復古の不当性」を叫んでいる事から、
明治政府の否定と幕府の存続が彼らの希望だった事は間違いない。
奥羽越列藩同盟が結成された際の仙台藩側の戦略を見ても、江戸の奪還と徳川幕府の再興が唱えられている。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 21:34:27 ID:xhmrEZWv0
会津の義の中身がどうであれ、
勝は義によって「戦争回避」を選び、会津は義によって「徹底抗戦、戦争」の道を選んだ。
両者の義は並び立たない。しかし、どちらかの義が間違っている訳でもない。
そういう事を私は言いたいのだ。
仙台藩を中心とした東北諸藩の名分は目の敵にされた庄内と会津を救う、或いは助命嘆願だった。
輪王子宮を担ぎ出した時点で幕府再興は念頭に無かったと思うけどな。
江戸開城と慶喜恭順後に幕府再興を目指したという史料あったかねぇ。
薩摩と長州、土佐の行いを訴えてはいるが、徳川(慶喜でも誰でも)に対するアクションは見られないよ。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 23:35:10 ID:xhmrEZWv0
>>194 ウザイなぁ。「会津の義がどうであれ」と言っているだろう。
じゃあ、こうしようか?
会津の大義は「会津藩の尊王を貫き、賊じゃない事を証明する事」でいいか?。
これで満足か。
勝は義によって「戦争回避」を選び、会津は義によって「徹底抗戦、戦争」の道を選んだ。
両者の義は並び立たない。しかし、どちらかの義が間違っている訳でもない。
そういう事を私は言いたいのだ。
(いい加減、何を言いたいのか解ってくれよ。事実解釈談義しているわけじゃない)
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/17(金) 00:07:54 ID:bSNlWVLO0
>>193 まぁ確かに表面上を見れば両者の義が相反しているように見えるかもしれん。
けど結局は両者の義は幕府のためやった。義というのはいつの時代も自分の
最も大切なものを守るための心やったはずや。その自分の最も大切なものが
それぞれ違うから衝突が起こる。薩摩と長州は日本のために幕府を倒し、
幕府は結局幕府のために幕府を守りたかった。それでは当然戦争が起こる。
勝はもう幕府は腐っていると知りながらも幕府のためにその衝突を避け、
その上日本のことまでも考えていたところに勝の凄さがあり、勝の義があった。
とどのつまり、やはり義というのは最も深いところを見た場合、
不変のものであるといえる...と思うw
あと、やっぱり正義と義は違うぜ。だって正義は英語にできるけど、
義はできんもん。義ができるなら徳仁礼信智も英語にできるはず。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/17(金) 21:38:13 ID:SC6rf1uG0
>>196 >やっぱり正義と義は違うぜ。だって正義は英語にできるけど
あのなぁw
英語の義っていうのは、その根本がキリスト教(もしくはユダヤ教、イスラムも同様)に求められるものだよ。
西洋宗教とはまったく無縁の中国から伝わった儒教に基づく義が、日本の義であり正義。
西洋と東洋では、正義や義の意味が違うよw。
自ずと意味が違うのは当たり前。当然、中国の義は英語にないのも当たり前。
俺が言っている正義とは、「儒教といった東洋で生まれた義(正義と同義)」の事だと言ってるだろw。
いつどこで、西洋の正義が出てくるんだw。馬鹿かお前は。
君が勝手に勘違いして「西洋の正義」と混同しているだけw
>とどのつまり、やはり義というのは最も深いところを見た場合
だからな。義の深いところってのが「個人個人の主観」の中の深いところにあるんだろうがw
主観だから義の捕らえ方や重点の置くところは個々に違う。
ついでに言えば、義も時代によって違うよw。
だから不変じゃないと言っている。客観的な義など無いのだ。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 00:10:44 ID:6t3h9f5Z0
いや、だからw
だったら何で日本人はjusticeを正義って訳したん?
君が言うようにそれまでに日本には義=正義って言う儒教の概念があったなら、
justiceは正義って訳すべきではないやろ?
西洋の正義やら東洋の正義やら、君が知識を披露したいのはわかるけど、
俺が言ってるのは日本の、日本人の正義と義についてやで?
じゃあ何故justiceを正義って訳したのか理由を教えてください。
わからんやろ? ぷぷっ、馬鹿かお前はw
もっと本質を見ようよ。
あと君主観好きやなぁw
そんなこと言ってたらこの世は全て主観になるで?
だったら君の思う不変のものを教えてください。
それとも仏教のようにこの世は無常であるとw?
君のいったい何教ですかw?
197ではないが、正義も義も、英語だとjusticeで正解だろう。
西洋人の常識では、公平、平等、透明、そういうのが最も正しいことだから。
義と正義の関係は、正義が義に含まれる、だろう。もともとイコールなんだろうけど
多分、正しいとつけないと、意味が通じなくなったんだと察する(実際どうか知らないけど)
で、義の語彙は不変だが、何が義か、という解釈は変わる。
従って、語彙は客観的なものだが、解釈は主観。
二人の話がかみ合っていないことに、焦れたので蛇足ながら。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 08:33:03 ID:iSVDDZcT0
>>199に同意。
思想や道徳としての意味は不変だが、その対象をどこに置くかは個人個人で変化する。
それが義というものなのでしょう。
>>195 別に会津に「義」とか言い分があることは否定してないよw
そんなことは読めば分かるだろうに。
それでウザイなぁと言われても困る。
>そういう事を私は言いたいのだ。
>(いい加減、何を言いたいのか解ってくれよ。事実解釈談義しているわけじゃない)
言いたいことは分かってるよ。
だけど、その前提として引き合いに出した事実関係が間違ってちゃいけないでしょと言っとるの。
解釈談義云々じゃなくて、史学板なんだからさ。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/24(金) 21:34:50 ID:ysTChvms0
と、必死に粘着する負け犬であったw
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/24(金) 21:39:23 ID:ysTChvms0
遡ってレス読んでみたが、
>>201さんよ。
お前、会津観光史学の捏造信じてるだけじゃんw
同じ穴の狢っしょw
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/27(月) 22:18:17 ID:kUmns8vh0
子母澤寛の勝海舟読んだことある奴おる?
もちろん脚色はあるけど、やっぱり勝はええなって思うよね。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/28(火) 04:04:28 ID:grSt9+C20
チンコが無いのに何で子供ができるの?
ないのはちんこではなく、たまだ。犬に食われてしまった。
それが上野で西郷さんの連れてる犬だ。
子母澤寛いいよね。父子鷹のおやじとその一味、くだらなくてたまらん。
こういうしゃべり方の人、いたよ!!(ToT)と涙出る。
目賀田男爵情報はだめか?待ってるんだが。。。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/28(火) 09:00:56 ID:0pXuaaN50
その犬長生きしたんだね。
その本読みにくいw
江戸弁ってやつ?
実に読みにくい
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 00:54:53 ID:AKE7hN5S0
俺の持ってる本は、字もちっちゃいし、1ページで上下に文が分かれてるし、
600ページで上・中・下に分かれてるし、しかも江戸弁やから関西人の俺からしたら
めちゃくちゃ読みにくい本やったw
けど勝の人情というか、絶対に涙は流さん勝が将軍を思って大泣きするところは
高校生やった俺でもなんか勝の気持ちがわかった。まぁ創作やけど、
こういう小説をバカにはしたらあかんよな。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 01:10:40 ID:eE2UePm00
親父の勝小吉も片金
幕末最強レベルの喧嘩の強さだったらしいな
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/03(月) 23:15:03 ID:ddiI67j30
そりゃあ親父が座頭市だったらしいからね。
検校だったのは、海舟のひい爺さん、小吉の爺さんだね
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/06(木) 14:19:30 ID:mS/7Va0d0
伝説の 勝海舟 語録
「最高の俺は小鹿は当然、俺自身も超えられない」
「『何故俺は幕臣なのか?』それは俺が幕府そのものだったからさ」
「記者相手に語っている時の俺はここではないどこかにいる」
「俺の談話を疑う奴は二度と歴史の本質に触れられない」
「俺、昔、アメリカの市民権取ったんですよ。でも外国の生活なんてウゼーと思って...」
「蘭学は独学です...。筆写したんですよ。どうしても欲しい辞書があって...。で...
買わないで半年間ぐらいずっと本屋で立ち読みしてて..店主もいい加減頭にきたらしく・・。
俺が読んでる間に机の横の刀をけっ飛ばして、それでカチンときて暴れて、
呼び出された小普請頭に...お前は人間のくずだと言われて、また暴れて...。」
「今でも息子とは英語でしか喋らない」
「福沢の英語は聞くに耐えない。榎本の方がまだ聞ける」
「新選組はカスの集団。新選組にはまるやつは人生終わり」
「西郷隆盛の西南戦争での最期はいつか真似したい」
「俺は有名な奴とは大体友達なんだぜ」
「剣道をやっててヨーロッパにフェンシング留学もしていたんだ」
「おれ、黒船前から慶喜が将軍になること予想してましたよ」
「俺を越えてみろ、俺を愛してみろ」
「日本の政治はガキの政治」
「陸奥なんて、幕府でいえば小栗みたいなもん」
「勝家は代々サムライの魂を持った家系」
「俺はアメリカ人。見てくれは日本人だけど、心はアメリカ人っす!」
「ガキの頃犬に睾丸噛まれたけど、泣かなかった!!」
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/27(木) 04:24:24 ID:P1xMG26P0
くそおもろw
一つの勝の見方やし、ある意味的確w
勝ファンでもこれは評価に値する。
もっと書いてw
「違法なものとわかっていた。海外でもアヘンやった」
……
お塩ネタも時節外すとわかんなくなるな
片金は、生殖能力に行くはずのエネルギーが、1個分、別の筋肉とかに行くから強いんだろうな
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/11(金) 12:46:23 ID:i8DyPpdd0
>>219 【キャスター】渡邊あゆみ
って、海舟の話なら、東京弁アクセントの人でやってほしい。
江戸弁とまでは言わないが。。。
今夜だね
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 15:01:23 ID:TUS8jIJB0
幕府って要するに今の自民党だよな
「敗北の美学」「判官びいき」「幕府時代の治世の方が優れていた」
とかいって幕府を持ち上げる連中ってアホだな。
223 :
ねこ:2009/09/19(土) 14:35:53 ID:3MgusEAG0
>>222 勝の場合は小栗との対立とか舌禍で左遷された時期もあったから、将軍・幕閣・一門大名に対する評価が相当ブレてるけどな。
特に一橋グループに対してはかなり酷くて、春嶽グループには甘い。
春嶽が神戸のスポンサーだったのもあるけど。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/03(土) 20:53:15 ID:Rs9CHnFT0
勝海舟の孫の目賀田男爵という人が、戦前に日本にタンゴを紹介したらしい。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/04(日) 05:35:08 ID:7H3Mm3DI0
勝家ってのは断絶したわけ?
小鹿の子供の精が養子に出たのは知っているけど。
他に子供や孫はいないのか?
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/04(日) 19:25:10 ID:p43fhc5a0
小鹿が早死にしたので、その娘に慶喜の子を婿に取ったのが精(くわし)。
そのまた息子が芳孝。
あと、愛人の子に梶梅太郎というのがいた。
>>223 逆だろ、勝海舟が薩摩のスパイだったんだよ
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/06(火) 16:06:27 ID:9PiZH5e80
で現在も勝家の子孫は存在しているの?
海舟の直系で
勝新太郎じゃいるじゃないか
しまった、ギャグ噛んだ
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 23:28:52 ID:Awto3yTB0
弟子が石原裕次郎だろ
>>229 財務次官候補の勝栄二郎が現勝家当主かな
海舟に実子はいなかった、と思う
>>233 違うよ。 当主は会社員1960年生まれ
235 :
直系系図:2009/10/10(土) 11:40:26 ID:p4HwyEZl0
勝左衛門太郎惟寅――麟太郎義邦――小鹿――伊代子
(小吉) (海舟) ‖
‖――芳孝――芳邦(現当主)
‖
徳川慶喜――精
>>150のリンクに小吉以前の詳細図がある
236 :
↑:2009/10/14(水) 23:54:40 ID:9NisB3A60
現在の当主、芳邦さんは海舟諱の義邦と同じ読みと思いきや
マサヨシと読むらしい。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/15(木) 00:14:23 ID:oMgFL23M0
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/15(木) 00:50:34 ID:NVX/APnR0
NHKのヒストリアって番組
"俺がやらなきゃ誰がやる"ってドラゴンボールのタイトルみたいなやつやってて
観てたけど案外面白かった。
買うと300万円の本、それを借りると50万円。
だから写本っていうか、その本を借りて2冊に書き写し
1冊を売ってもう1冊は自分のにし、借りたのは返品と。
静岡のお茶を広めたのが徳川ってのは何かで知ってたんだけど
勝海舟も関わってたんだ。
>239
同じくヒストリア面白かった。
海舟の政治批判は現在に通じるものがあるね。文明の名の元に自然破壊をするのは愚かだとか、欧米の真似ばっかすんなとか、国ごとに外交態度を変えるのはやめて、大局から物事を考えろとか。
勝海舟ほど国際社会における日本の立ち位置と将来のビジョンが見えてた人はいなかっただろうな。
海舟が当時の日本国首相になっていれば未来はもっと良くなってなかもしれない…とか思っちゃったわ
× 良くなってなかも
○ 良くなってたかも
勝の批判は基本的に一般論が多い。
だから後世の人間からしたら「そうだ、そうだ」ってなるけど、
具体的な施策を持ち合わせていないから重用されても長続きしない。
「理屈ではそうだけど、お前結局何もできてないじゃん…」で更迭。
更迭されてからも一般論での批判ばかり続けるから復帰もできない。
小栗や永井との違いはそこ。
>242
勝は日清戦争について大反対する際、「清の局地的な強さにのみ目を奪われ戦争するより、欧米の知らぬ間に手を結んで商売なりした方が良い」ってちゃんと代案を示している。口だけのジジイとは違うと思うが
それは「会社の利益を増やすなら売上を増やしてコストを減らせ」と言っているのと同じ。
どうやって売上を増やすのか?どんな商品を売るのか?誰に?いつ?
コストはどうやって減らす?人件費削減?仕入価格の引き下げてもらう?借金の返済を繰り延べ?
誰がどんな役割をいくらの予算でどのようにするのか?
実現できなかった場合はどういう修正をするのか?
そういう部分が全くない一般論なんだよ。
大体の方向性は経験やら知識で分かっても、それを進めるとなるとそこが具体的でないと進まない。
神戸の海軍学校も始める段階では予期していなかった予算や誰を受け入れて誰を断るのかという実務・運営面での問題に勝が対処できなかったからが頓挫した。
>>245 海軍学校の件は勝に補佐役・参謀がいなかったからではないの?
勝は策士家だし、アイディアマンでもある。日清戦争への機運が高まる中、勝はもっと平和的で簡単で儲る別の構想を持ってたってのが凄いじゃないか。
これだけで首相に選ばれる価値はある。
ちょっと買いかぶりすぎだと思う
首相の器ではないよ
…orz
>>246 勝自身が何もしないから坂本が春嶽のところに行って出資頼んだり、
幕府の考えをさぐるために大久保一翁を訪ねたりしてた。
将軍上洛を機に勝は学校どころではなくなり投げ出した。
補佐役がいなければ連れてくるなり育てるのが責任者の仕事。
問題が起きれば解決の方法を探るのが責任者の仕事。
それをほとんどせず文句だけ言ってたのが勝。
会社やクラブに必ずいる「一見賢く見える何もできない人」の典型。
ジャーナリストや楽隠居ならそれで良いと思う。
〜NHKがやらなきゃ誰がやる〜
大河ドラマ「勝海舟」(総集編)のDVD化、
あるいはNHKオンデマンドでの配信を願うや切。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/15(木) 22:51:14 ID:ZUyQJcFE0
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 02:56:51 ID:MLp1H8htO
吉田茂と勝と家康は日本史の中では最高峰の人物だと思う。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 00:19:03 ID:+xt1/u9C0
勝麟太郎は若い頃に仲間には勝麟と呼ばれ、勝嫌いには変勝と呼ばれたというが
詳しい人このソース教えて
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 14:01:44 ID:Oua5MrhJO
鑑定団に勝海舟の書簡
>>249 >勝自身が何もしないから坂本が春嶽のところに行って出資頼んだり、
まさか。
坂本は勝の私的な門人だから、春嶽のところへ行ったのも当然勝の意思。
それにこれは海軍操練所じゃなくてそれと併設する海軍塾のお金。
一大共有の海局、挙国一致(当時の言葉だと共和)が勝の理念だから雄藩にも金を出させたかった。
勝は公務で忙しいから弟子を遣わしただけで何もしてなかった訳じゃない。
土地の選定、器具の買い付けなど山ほどあるから。
>幕府の考えをさぐるために大久保一翁を訪ねたりしてた。
>将軍上洛を機に勝は学校どころではなくなり投げ出した。
違うよ。
海軍操練所が潰れたのは端的には勝が政争に敗れたから
> 補佐役がいなければ連れてくるなり育てるのが責任者の仕事。
藤沢志摩がいるよ。
> 問題が起きれば解決の方法を探るのが責任者の仕事。
>それをほとんどせず文句だけ言ってたのが勝。 呆れたなああ
君は何も知らないんだね。
勝ほど実務的な男はいない。有名な江戸開城でも和議が破れた時の為に慶喜をイギリスに亡命させる段取り
江戸を焼き払う段取りを全てした。
そのためにあちこち出向いたし、何をどこに配置し、どう使うかも立案した。
こんなことは枚挙に暇がないよ。
だから勝は外国人に受けがよかったんだよ、合理的で実務的だからね。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/22(火) 20:58:35 ID:cDrmuc0T0
その子孫は、いまや財務省の主計局長。
事務次官間違い無しのところまで来たけど、さて、どうなるか。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/22(火) 21:05:34 ID:mBC3O9iq0
カス海舟
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/23(水) 12:52:57 ID:6Y1NcrAgO
福沢と勝じゃあ、ガリ勉君と賢者くらい
イメージが違うなあ…
大きな視点で考えた事を説いて人を動かす
白刃と鉄砲玉と流血の巷で飄々と…
こういう頭と度胸はどっからくんのかな?
お勉強とも殺し合いとも違う、何かだ
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/24(木) 16:26:20 ID:F5YPhYC4O
財務省主計局長勝栄二郎は主君喜慶の子孫だから
弟も世界銀行副総裁だし
江戸最大の天才喜慶の血筋は実力でもトップになるわけだ
まあ喜慶も天皇や家康の子孫だから栄二郎も大したものだわな
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 00:12:49 ID:z33xmrdZ0
海臨丸でアメリカに渡航した時、現地の女性に日本から持ってきた春画を見せびらかして
わいせつ罪で訴えられたって本当ですか?
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 17:56:49 ID:z33xmrdZ0
幕府の海軍奉行並、明治になってからも外務大丞、兵部大丞、参議謙海軍卿、元老院議官、枢密顧問官を兼任
何気に肩書きはすごいんだがほとんど実績上げてないし江戸無血開城以外これといった
活躍ってしてないよな
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/31(木) 09:34:26 ID:bl+UFh8g0
第二次長州征伐の時、家茂の看病につきっきりになってないで
幕府艦隊の戦闘指揮とって晋作と対決して欲しかったな
やっぱ海舟も着流しに扇子スタイルで指揮をとるんだろうか?
山岡が政府に出した記録では江戸城無血開城は幕府側は勝と山岡、
官軍は西郷と薩摩藩士二人の五人で話し合いしたとある
戦前の学校ではこの辺きちんと教えたのに今は氷川清話をもとにした挿絵
が一人歩きしてる
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 17:35:52 ID:eQ11XRZt0
勝が勧めたといわれる、茶の栽培、離農者続出で軌道にのせたは近郷の農民
なんだよね。海外移民や戦後の緊急開拓でもそうだけど、農民出身者じゃない
人間が開墾してもたいてい失敗している。 それでも中條景昭とかならまだしも、
直接関与していない勝が静岡の茶産業の恩人視されるのは凄く違和感を感じる。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 19:50:40 ID:eQ11XRZt0
>>245 同意
>>246 もっと平和的で簡単で儲る別の構想って それができるくらいなら明治政府は戦争しないよ。
勝はアジア共同体志向らしいけど、そんなの空中楼閣ですよ。まあ谷干城の防御中心、一国発展的な考えだったらわかるけど、それとも違うでしょう。
>>258 俺は勝も ガリ勉君のイメージだわ。アウトロー風に吹かせているけど。
優等生の岡本太郎が「芸術は爆発だ」と言っていたのと同じだよ。
勝が修羅場をくぐったといっても、その当時の志士ほみんな経験したよ。
何回も死に掛けた井上馨の前ではそんな恥ずかしいこと言えなかっただろうよ。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 18:15:58 ID:43xTLcTb0
>>246が首相に首相に選ばれる価値というので、
トロピコを勝海舟でプレイすると、
経歴 たたき上げの男
権力基盤 権力を譲り受けた。
素質 園芸の天才、学者肌 (財テクの天才もアリかな?)
欠点 病的なうそつき、卑怯(うぬぼれ屋、プレイボーイもアリか )
こういった設定だろうか。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 03:32:06 ID:R80DctZrO
勝海舟の子孫、集まれ!
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 23:17:26 ID:4TdYRgHF0
>264
ソースは?
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 15:58:15 ID:s0/GcIDK0
>>264 勝は実務には携わっていないけど、顔役としては活躍したのでは?
また、偉人に功績を仮託することで産まれるメリットもあるのだろう。
法隆寺を建てたのは?
大工さん!
みたいなもんだろ
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 06:53:09 ID:tQ0Py3rq0
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/05(月) 04:21:24 ID:xzyFPl180
NHKはほんま勝さん好きやなw
でも俺も好き。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 09:08:26 ID:FChwEb5n0
勝海舟って知的レベルが低いと理解できない。
無血開城だって嘘八百で幕府側をだまさなきゃできなかったことだし
山岡だけじゃ無理
今の政治につながってるぜ
何でも戦えばいいの結果が太平洋戦争で原爆を落とされた。
よく考えることだよ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 20:04:19 ID:/Oa1zrES0
で勝海舟と坂本竜馬はどっちが偉大なん?
竜馬は全盛期に死んだから英雄視されてんの?
海舟は自分の功績を自慢ってこと?
龍馬の功績って?何かあるの?
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/09(金) 23:23:31 ID:b3aUKlD7O
勝海舟は、羽賀研二に似てると思うんだ
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/16(金) 04:16:19 ID:7YQ/ytTpO
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 03:51:20 ID:8JcVk0WX0
結局この人何した人なの
日本を救ったんだよ実質。戦争になれば背後にいる、武器商人たちが大もうけ。それを防いだ救世主さ
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/25(日) 08:19:20 ID:sBYslbv+O
太平洋無着陸横断
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/10(月) 21:26:30 ID:AKz/YafY0
皆さん、松浦玲さんの評伝についてどう読みましたか?
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/11(火) 01:09:27 ID:d55rpcVgO
勝海舟が第二次世界大戦の時まで生きてたら、その時の日本政府を絶賛すると思う?
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/11(火) 16:29:25 ID:dKLGueIm0
あの頃の政府絶賛するやついるか?
世界と対等に戦える海軍を創設すると言いながら
長州にボロ負けしてるからな。
なんだかわからんが、口先だけの人間だろw
勝海舟も「なんだかわからん」なんて
言ってる人間には言われたくなかろうてw
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 15:46:24 ID:wCEXR9tpO
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 15:50:58 ID:wCEXR9tpO
>>276 絵を描いてたのは海舟だ。龍馬はパシリだよ。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 15:59:44 ID:wCEXR9tpO
>>233 女中に手を付けてこさえたのがゴロゴロいるぞ。勝の女好きに愛想を尽かしたカミさんが
「同じ墓には入らない」と言い放ったのを知らんのか?
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 16:24:47 ID:wCEXR9tpO
293 :
真由子:2010/06/05(土) 20:55:55 ID:4UUFAga1Q
1835年生まれの真由子は勝海舟に会ってるよ
>>290 竜馬て西郷のパシリでもあったんだよな
竜馬はプロパシリストだったんだな
勝と福沢ってなんで合わないんだろ?
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 19:14:56 ID:gD3+BgeK0
福沢は幕臣出身の人達が
明治政府で出世することを快く思わなかったみたいだね…。
勝海舟と榎本武揚は痩せ我慢の説でそのことを批判されているけど
大鳥も同じく明治政府で要職に就いて活躍しているけど
福沢にとって大鳥は適塾の先輩だから内心不満に思っても
表立って大鳥のことは批判していないw…。
大久保利通のことは能力は認めながらも大嫌いって感じか
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/15(火) 10:09:24 ID:LwX/tpsx0
大久保が暗殺された理由は
独裁政治だったし江藤を抹殺してしまったことで
人望がガタ落ちした。
勝はそのことで激怒し大久保の葬儀に参列していない。
大久保や西郷の上司だった小松が長生きしていれば
ふたりを周旋したかもしれないが
勝は勢力争いに巻き込まれたくないので
ふたりの周旋を拒否している。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/17(木) 18:41:02 ID:i6FRZuVJ0
何で福沢諭吉が万札で
勝海舟は札にならないのか?
どうみても逆だろ?!
本人は絶対嫌がるな
札になる人物の基準は二つ前のやつからわからんけど
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 06:45:49 ID:CSlKpODzO
>>299 功績が軍事に偏るからな。
軍事功労者の採用にイチャモン付ける勢力が多いからだろ。
明治体制が続いてれば採用されたかも知れんが。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 08:52:32 ID:DDhg0V860
戦前のお札の肖像は幕末・明治の人物は使われないと思われ。
日本武尊、菅原道真、藤原鎌足など伝記上の人物や平安時代の公卿が肖像に使われている。
伊藤はまだしも何故岩倉と板垣が札になったのかわからん
ましてや福沢とか…
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/21(月) 07:22:17 ID:19cRqfsA0
勝海舟は幕末に現れて日本を救ったが、
その子孫は財務省の幹部として消費税増税を推進、日本を滅ぼそうとしている。
どうにも明治以降の勝海舟の動向が気にかかる。
ってゆーか、あんの駄法螺拭きのクソジジイが大好きだw
その裏で元徳川家臣団の救済とかやってたと聞いたら、もうちょっと評価されてもいいんじゃね?って思ってしまう。
まぁ、どんな研究者の研究であっても海舟信者の世迷い言と言われてしまえばそれまでだけど、
なにもそこまで認知度が低くなくてもいいんじゃね?と思うもんで。
……でも、あの女癖だけはどうにも擁護できんw
当時は金にだらしない奴は嫌われるけど女にだらしなくてもそこまで非難されない
明治以降、勝海舟が徳川家臣団の金庫番をしていたというのはどの本で読んだんだっけか。
どこぞのお大名の家臣から近所のお兄いの何某まで、きちんと帳面に書きつけているという話だった。
金にだらしないとはちょっと言えそうにないなw
この前なんで勝海舟が反対したのに日清戦争に踏み込んだのかわからなくって
「こうして、日本人は「戦争」を選んだ」という本を買ったんだけど、
読んだらここで感想書いてもいいのかな?
むろん勝海舟とからめて。
韓国関係だとちょっと神経質なところあるからちょっと聞いてみたw
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 00:11:51 ID:NjkkUZ+JP
勝は会津大虐殺を止められなかったのか?
勝以外にあれを止めれるのはいなかっただろうに・・・
研究者の方の著作を読んだイメージからなので実際にどうかはわからないのだけれど……。
悪い言い方をすれば、徳川家を守るために合津を見捨てた感がある。
ここで動くことで、せっかく恭順を貫いて助命されている慶喜や、静岡移封でお取りつぶしをまのがれた徳川宗家が
ともにダメになってしまうことを恐れたんだろう。
時期的に言えばそのころは徳川家臣の静岡移住で大わらわのころ。
こう言っちゃ悪いけど、家臣団の世話にかまけて他藩の面倒まで見きれなかったということかもしれない。
あと新政府側にとって、対徳川宗家との交渉窓口として離してもらえなかったのかもしれないけどね。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 12:00:31 ID:auV6qqdKO
勝のその判断が会津に大いなる悲劇を呼んだ
海舟にはあんな近視眼の連中をどうこうする義理はねーよ
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/12(月) 00:06:23 ID:JNWFR/mTP
会津戦争を止められなかった事が勝の最大の汚点だな
会津戦争の後に、前藩主が日光の神主になったらしいけど、それに勝海舟が尽力したってのは、デマなのかな。
なんかどこかの資料本にそんなことが書いてあったと思ったけど。
本当だったら罪滅ぼしのつもりなのかね。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 00:49:27 ID:i4Lopm0VP
松平容保を東照宮の神主にしたところで
会津戦争で虐殺された50万人の魂は報われない。
決して報われない。。。。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 16:49:25 ID:dR2eCQnN0
勝財務次官
317 :
田中寛治:2010/07/14(水) 17:37:41 ID:33w3p4tf0
勝か?異臭?(勝海舟)
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 01:17:20 ID:OpmA9OQY0
外国に対抗できる海軍を作るとかいってて
長州1藩にボロ負けしてるのだから
勝の言うことは口だけ。
ほらふきの勝なんかに頼った幕府もバカだが。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 01:19:38 ID:OpmA9OQY0
>>315 会津藩士がバカだから悪いんだろ。
降伏すれば済むものを。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 01:29:15 ID:IHvGwQj90
>>318 すまん、最近勝海舟にはまったヤツなんだが、
それって勝海舟が作った海軍が海戦でもやって長州にボロ負けしたってこと?
自分もかなり資料を読んだと思ってたけど、それらしいのが思い出せないんだ。
いったいどの事件のことなんだろう?
長州戦争の際に調停に行ったのは知ってるし、幕府軍がボロ負けしたのは知ってる。
でも、あれって陸軍だったと思うんだよ。
海軍情報の詳しいのキボン。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 16:42:42 ID:pKd/5MuE0
>>321 第二次長州征伐で幕府海軍は大敗しただろ。
その時、勝は幕府海軍の重要な地位にいたはずだが
どんな指揮をしたのか不明。
肝心な時に役に立ってないし、都合が悪いのか歴史から抹消されている。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 19:36:43 ID:U1c2VtmC0
第二次長州征伐(四境戦争)時に、幕府海軍は伊予松山藩と合同で周防大島に上陸し
地域住民に略奪暴行を行いました。しかし高杉晋作・世良修蔵の率いる兵が救援を行い、
幕府海軍は上陸兵を残して遁走、上陸兵はそれから停戦時まで戦力をしながら略奪で生活しました。
この後に伊予松山藩は微妙な立場となり、長州への謝罪を行いました。
ですが遁走した幕府海軍は、結果として残された伊予松山よりも大きな恥を晒すこととなりました。
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 19:38:43 ID:U1c2VtmC0
>戦力をしながら
戦力を減らしながら、の誤りですね。
幕府海軍は活躍する場面がほとんど見当たらない、不思議な軍です。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 22:05:33 ID:QsKmrnaQ0
勝は肝心な時に何やってたんだ?
第二次長州征伐の初めと終わりの行動は知られているが
幕府の陸海軍を指揮していたのか何していたのか不明。
「長州には大村がいるから勝手っこね〜」と発言したとか
司馬の本には書かれているようだが。
326 :
田中寛治:2010/07/17(土) 10:45:29 ID:u56uF6ky0
「ねぇ、西郷どん、桂さん、本当におめこしても梅毒でしなない?」
吉原に殴り込みをかけた薩長軍を幕臣の小栗上野介は焼き討ちしようとする。
勤皇派に同情的な勝海舟は待ったをかける。
山川の呪いで写真がすり替えられている。
勝海舟の写真が福沢諭吉。福沢諭吉の写真が勝海舟。
勤皇派の坂本龍馬と佐幕派の小栗上野介は顔も背格好もそっくりだったのである
二人とも北辰一刀流の千葉周作の子供。
327 :
田中寛治:2010/07/17(土) 11:04:47 ID:u56uF6ky0
「ねぇ、西郷どん、本当におめこしても梅毒で死なない?」
性感論で明治政府を下野した西郷隆盛に薩摩のにせどんは
尋ねる。
「やってみろよ。やればわかるさ。」
薩摩軍を引き連れて福岡の中洲に攻め込む。
なかなかイカない西郷どんに相手をしたお姉さんは「延長する?」と
尋ねる。
「西郷、いい加減にせんか!」と怒る長州の木戸孝允に西郷どんは
「もう、ここいらでよか・・・。」と腹をくくる。
後に性難戦争と呼ばれる。
328 :
田中寛治:2010/07/17(土) 11:17:15 ID:u56uF6ky0
「坂本の龍の字、本当におめこしても梅毒で死なない?」
尋ねる西郷どんと桂君に坂本龍馬は「大丈夫じゃきに。さんざんおめこした
した望月の亀公と芹沢のカモがぴんぴんしちょるぜよ。」と説得する。
「薩長同盟、あれは全部龍馬がやった事さ。」
勝海舟は証言する。
やりすぎの望月亀弥太は越前松平家に身を寄せて「結城ひでぇ奴(結城秀康)」
を世襲する。
「橋本!養育費!さぁ、ない!(橋本左内)」。
>>322,325
勝部真長さんの著作によれば、海軍操練所閉所の半年ほど前、元治元年の11月10日には
「御役御免、寄合、仰せつけられる」と日記につけていたようです。
寄合とは確か幕臣の中でも隠居あつかいといってもいいと思ったんですけどw
これが復活するのが一年半後の慶応二年5月28日。
第二次長州征伐時にはまったく仕事をさせてもらえなかったことになるようです。
でも。
そもそも幕府の海軍の基礎を築いたのは海舟なのだから、もうすこし規律ってもんを教え込んでおいたほうがよかったんじゃなかろうかw
……まさか、地域住民から略奪を行わなければならないほど、幕府軍の兵站が無茶苦茶だったとは思いたくはないのですけどもw
いくら勝が憎けりゃ海軍まで憎いなんて、変な差別受けてたなんてこともないだろうしなぁw
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 00:01:10 ID:b8PCIgwH0
>>329 勝が長州に大敗した恥を隠蔽するために
日記を捏造したんだろw
>>330 アンチは楽だのうw
捏造呼ばわりすればいいんだからwww
332 :
田中寛治:2010/07/23(金) 12:25:48 ID:MnU6/ZzA0
土佐藩の望月亀弥太の写真は現存しない。
「ビリケンさん」の像として関西圏に残っている。
住友家と三井家と海援隊(岩崎家)に巨額の地下資金をもたらした
望月亀弥太は坂本龍馬と小栗上野介の監視の下に越前松平家の監視
下で回顧録を書かされる毎日。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 13:14:22 ID:4LDG8yVM0
>>329 勝は第二次長州征伐の始まる前に、幕府代表として大阪で
薩摩に幕府軍に加わるよう交渉してるだろ。
停戦交渉も勝が幕府の代表としてやってるわけで
勝は幕府軍の最高司令官だったとしか考えられない。
335 :
田中寛治:2010/07/24(土) 11:54:24 ID:XXkIo4tt0
山川の呪いで写真がすり替えられている。
中岡慎太郎として残っているのが近藤勇。
近藤勇として残っているのが中岡慎太郎。
土方歳三として残っているのが板垣退助。
板垣退助として残っているのが土方歳三。
中肉中背の西郷隆盛とガンメタの桂小五郎は顔がそっくりだったのである。
>>333 交渉にしか出番がないのは最高司令官とは言いませんwww
?
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/25(日) 13:37:37 ID:IsC7TSNJ0
>>336 要するに幕府の重責にありながら
口だけで何の役にも立たなかった人物だろ?
欧米に対抗できる海軍を創設すると言いながら
長州一藩に負けるような幕府海軍だったわけだから。
339 :
田中寛治:2010/07/25(日) 14:53:34 ID:QVAV9g0I0
買うから回収(勝海舟)
340 :
田中寛治:2010/07/25(日) 14:54:44 ID:QVAV9g0I0
徳川よ忍べ(徳川慶喜)
>>338 欧米に対抗できる海軍を作る前にはしごを外された人物に
長州に負けたことを突っ込んでもねえ。
はしごを外される程度の人物だったという言い方もできるけど、
はしごを外す方が無能だったとも言えるし。
ああ、それから、少なくとも口は役に立ってるぞ。
交渉事には引っ張りだこだったんだからw
343 :
田中寛治:2010/07/26(月) 11:29:17 ID:rAYvgIiC0
京都の祇園界隈で「ある流行語」が流行する。
その手は桑名の焼きはまぐり。
「オリジンは俺達だっちゃ。」
長州チェリーボーイズは御所に向かう。
薩摩おごじょ豊丸レディースと会津未成年白虎隊ヤンキースの
前に果てる。
引率者の来島又兵衛は大きな栗の木の下で果てる。
「えらいことになった。わしゃ、しらんきに。」
土佐の流行語を祇園でまいた坂本龍馬は十津川に隠れる。
「あほっ!オリジンはワシじゃっ!」
孝明天皇こと高野長英は御所の御簾の御中であきれ果てる。
「あほっ!オリジンはワシじゃっ!」
高野山で弘法太師を世襲した平賀源内はあきれ果てる。
「蛤御門の変」と呼ばれる。
344 :
田中寛治:2010/07/26(月) 11:32:38 ID:rAYvgIiC0
歴史の改ざんは常に日本列島の真ん中で行われる。
福井県である。
暗号「山!」「川!」
仲の悪い有名人の顔写真を入れ替え、子供を入れ替えて教育する。
「さぁて、いつ洗脳情報が解けるかな?」
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 23:54:35 ID:y9xpK2yE0
時代を読めるということでは巨人だろう。
しかし咸臨丸での困難な太平洋横断では艦長として失格、乗り組み員の信頼を喪失し、
後々までも福沢あたりに批判されるしまつ。
なにしろ太平洋の真ん中で「ボートを下せおれは帰る」と完全に精神を病むしまつ。
ハッタリが通用しない状況のとき人は本質をあらわす。あるいみ勝は馬脚をあらわした。
彼は本質は英雄豪傑ではない人だろう。
日本史の観点でみれば近代日本を築いた偉人の一人でまちがいない。
徳川の裏切り者の汚名はひどいだろう。
そういう時代だったのだ。
それでいくと、実は意外に知られてないのが徳川家を守った人。
徳川の財産を明治政府からできるかぎり守ったうえ、
その後の慶喜赦免、復権、公爵まで勝が粘り強く実現した。
本人のメンタリティーは実は死ぬまで徳川家の御家人だった。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/27(火) 00:33:24 ID:FO5mLtqm0
>なにしろ太平洋の真ん中で「ボートを下せおれは帰る」と完全に精神を病むしまつ。
これは面白いね。イメージどおりの勝らしいな。
>>345 >それでいくと、実は意外に知られてないのが徳川家を守った人。
>徳川の財産を明治政府からできるかぎり守ったうえ、
>その後の慶喜赦免、復権、公爵まで勝が粘り強く実現した。
特に明治以降にあきらかになってくるこの側面をちゃんと教えてくれる資料やら小説やらが少ないよな〜というのが
ファンとしての本音w
まぁ、明治下では徳川家はある意味逆賊扱いだったんだから、おおっぴらには動けなかったんだろうけどね。
でも100年以上もたっているんだから、そろそろそこの部分も再評価されていいと思うんだよね〜。
>>346 実は自分もかなりニヤニヤしたクチw
もしかしてかなり欠点が多いけど、それがまた魅力になってしまうような人だったのかもしれないなぁ。
348 :
田中寛治:2010/07/27(火) 11:48:27 ID:rfAQCwE20
1945年8月15日、日本の歴史は黒く塗りつぶされる。
会津、奥羽越の子供を薩長土肥で育てる。
薩長土肥の子供を会津、奥羽越で育てる。
山川の歴史の教科書の顔写真はことごとく入れ替えられる。
仲の悪い人間の写真を入れ替えてある。
山川かまぼこのお中元が届かないうちはまだまだ甘いという
事である。
349 :
田中寛治:2010/07/28(水) 16:53:22 ID:db8IbFb/0
1970年11月25日、日本の歴史は再度黒く塗り替えられる。
浅間山荘事件、よど号事件、三島由紀夫と楯の会事件、東大安田講堂占拠、
巣鴨プリズンによる壮大なスケールの演出報道が繰り広げられる。
日米問題も共産主義もどーでもよかったのである。
自己採点では合格していた一流大学に不合格、ばかちょん大学に入学させ
られた連中が一流大学のキャンパスを占拠して荒れ狂っただけ。
「納得いかんどー、ガリ勉のたま、とったる!」
期待されていたのは国士舘、大東文化大学、拓殖大学のほうだったのである。
関東の安保闘争で大暴れした連中がある地域に大学中退で投入される。
早慶上智の大学中退者と知恵比べをさせられる。
「1970年11月25日の謎、団塊の世代に解けるかな?」
戦前派は勝てんかった。
山川かまぼこを贈りたくなるやつはまだ現れない。
「そもそも戦後ではないのだよ。」
350 :
田中寛治:2010/07/28(水) 17:06:04 ID:db8IbFb/0
日本全国の大学院課程に共通して言える事。
影の校歌がある。
斉唱 ブルーハーツ
「今まで見たこと聞いたこと今まで覚えた全部でたらめだったらおもしろい。」
そんなバカなの吉本バナナ
偏差値洗脳教育をまともに吸い込んだ人間ほどもがき苦しむ。
福沢諭吉の顔写真が勝海舟。
夏目漱石の顔写真が森鴎外。
「森の熊さんのミステリー、解けるかな?」
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
あげ