【日露戦争】旅順攻略における白兵戦7【203高地】
1 :
1:
まじめに語ろう。
容量オーバー回避のために…
・AA禁止。
・>>>の使えない人も来ないで。
2 :
1:2008/09/03(水) 17:38:13 ID:raWGWdzr0
まじでAA使いは来るな。
膨大なコピペばっかり何度も何度も何度も何度も貼りやがってこの馬鹿野郎他人の迷惑考えろ。
3 :
1:2008/09/03(水) 17:39:57 ID:raWGWdzr0
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 06:23:41 ID:BIy87tp30
861 ◆kRQ7DyWuR:
例えば、大山総司令官から乃木第三軍司令官への訓令が発せられたのを28日としているが、これは本当は29日
のはず。しかしP233下段13行に「翌29日」と書いてあるので、ここでは28日としている。
862 :機密日露戦史の記述はおかしいってこと?
864◆kRQ7DyWuR:特に意見なしということで次に進む。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
864 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 明治軍事史を読む前に陸戦新史を読むべきだろ・・・。
`ヽ_っ⌒/⌒c あのさ 機密日露戦史に疑念を抱くのは構わんが、
説得力に欠ける意見を述べても何の意味もない。
といか他の輩もまじめに指摘しろよw
嶽原が一人で書くから儲の立場がどんどん悪くなる。
児玉参謀長の南下とその活躍
11/27より28日の状況(陸戦新史第180及び181 朗読)の報
逐次烟台司令部に達するや総司令官は第3軍司令部に訓令
(陸戦新史第181項)を発し、且つ・・・・
機密日露戦史P233
陸戦新史 (赤本版P152-153)11月28日第一師団方面に在りては〜
総司令官はこの日第3軍司令官に左の訓示 興う
この度再興させられたる攻撃の結果が期待の如くならざりしはすごぶる
遺憾とする所なるも、貴官並びに貴官の令したに在りて攻撃に参興したる
諸部団隊〜・・ 益々之を鼓舞勤勉せられんことを希望す。
明治軍事史が変な事書いてあったのかと思ったけど、なんだ
出した人間が大した事なかったのか?
(しばらくは転載です)
児玉の旅順行について、時系列を考察したい。
まず機密日露戦史の記述(233〜235P)から時系列を整理した。
【11月28日】
1・大山総司令官は27〜28日までの状況の報を得、乃木第三軍司令官に訓令を発する。
【11月29日】
1・児玉総参謀長は旅順行の決意を示す。
2・20時、児玉総参謀長は烟台を出発。
【11月30日】
1・夜遅く南関嶺に到着。203高地奪還の情報を得、祝電を発する。
2・大連に到着し、同地に宿泊。
【12月1日】
1・児玉総参謀長は大連にて朝食中に203高地被奪還の電報を受ける。
2・児玉総参謀長は烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
3・大山総司令官は第三軍に訓令を発する。その末尾に児玉総参謀長の差遣と歩兵第17連隊の南下を伝える。
とりあえず、機密日露戦史からの抜粋はこれでいいと思うが、意見あれば聞きたし(←長岡か!)。
例えば、大山総司令官から乃木第三軍司令官への訓令が発せられたのを28日としているが、これは本当は29日
のはず。しかしP233下段13行に「翌29日」と書いてあるので、ここでは28日としている。
こういう風に、他の資料を吟味したらおかしい、というのは置いといて、機密日露戦史の記述ではどうなって
いるか?とうことをまず確かにしたい。
よろしく。
(これも前スレからの転載。一部訂正してます。)
さて、次いで「公刊日露戦史」にはこの辺りどう書いてあるのだろうかと読んでみると、526-527Pにて僅かに触れている
ばかりであった。
「是日(一日)正午総参謀長児玉大将第三軍司令部に着し」
「是より先、同大将は途中において二十八日夜爾霊山を失いし報を得、直ちに満州軍総予備隊たる第八師団の歩兵
一連隊を派遣せんことを総司令官に請い、同第十七連隊は二日鉄道輸送により長嶺子に向かい遼陽を出発せり」
一個連隊の派遣を要請する契機となった失陥は29日の事なので、この「28日夜爾霊山を失いし報を得、直ちに〜」
というのは事実と相違する。「29日夜爾霊山を失いし報を得、直ちに〜」が正しい。これを訂正したうえで、上記
の時系列の12月1日の記述を追加補足する。
【12月1日】
1・児玉総参謀長は大連にて朝食中に203高地失陥の電報を受ける。
2・児玉総参謀長は大連より烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
3・大山総司令官は第三軍に訓令を発する。その末尾に児玉総参謀長の差遣と歩兵第17連隊の南下を伝える。
4・児玉総参謀長は、正午、第三軍司令部に到着。
【12月2日】
1・歩兵第17連隊は遼陽を出発。
このように他資料の記述と照らし合わせ、不足する所は追加し、矛盾するところは取捨選択して、今の時点で
判っている限りでの児玉来順の時系列を再確認していきたい。
(これも前スレの転載。ここで容量オーバーとなった。ほんとAA太郎は迷惑だ。)
「明治軍事史」1447-1448Pに児玉来順についての資料がある。元々は「参謀本部文書、満州軍機密作戦日誌」
によるとのこと。
○37年11月29日
○本日命令せし件
第三軍司令官へ 11月29日午前11時50分発電 総司令官より
命令《※1》【203高地攻撃履行に関する総司令官の命令】
再度203高地を奪取して再度敵に奪取せられたるは余の大いに遺憾とする所なり。この際宜しく用い
得べき諸団体を挙げてこれを203高地の攻撃に用い必成の攻を期せらるべし。一般の戦況上この攻撃
を逡巡するの甚だ不利なるを認む。
○本日訓令せし件
11月29日午後5時40分発電 総司令官より
訓令《※2》【右に関する総司令官訓示】
今回203高地に対する戦闘の状況不利なるは、指揮統一の宜しきを得ざるもの多きに帰するといわざるを
得ず。畢竟高等司令部および予備隊の位置遠きに失し敵の逆襲に対してこれを救済するの時期を誤りたる
ものなり。貴官深くこれに鑑み明朝の攻撃に富りては必ずこの弊を除き、各高等司令部適当の位置に進出
して自ら地形と時期とを観察し占領の機会を逸せずかつその占領を確実にすることを期せざるべし。
(次項の朱書き参照)
この、(次項の朱書き参照)というのがとても気になるところ。満州軍機密作戦日誌とは、現在どこ
かで確認できるものなのだろうか。
AA太郎はパクったAAだけどその中に文章入れてるから削除対象にはならないのかなぁ?
ウザイですね。自分は携帯厨だからいちいち拡げてAA見てないけど。
「明治軍事史」には、「第三軍への命令《※1》」と「訓令《※2》」に続き、「大山総司令官が児玉総
参謀長に宛てた訓令」が掲載されている。
総参謀長へ
11月29日午後 総司令官より
訓令
本訓令は之を実施するに至らずして止む、12月13日総参謀長帰部の翌日総司令官に返納せらる。
【総参謀長派遣に関する訓令】
一、貴官を第三軍に派遣す
二、余は第三軍の攻撃指揮に関し、要すれば満州軍総司令官の名を以て第三軍に命令することを貴官に委す
三、貴官は明治37年11月29日烟台を出発すべし
有名な「指揮権委譲の一札」である。
ここまでで、「機密日露戦史」に書かれている28日の訓令とは、実は29日であったということが判明した
のでここを修正する。また指揮権委譲の一札の存在が明らかになったので付記する。
【11月29日】
1・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
2・大山総司令官は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
3・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。
蛇足ながら、「明治軍事史」によれば、28日付けの総司令部から第三軍に宛てた発電自体は存在する。
ただしこれは「激励」として紹介されている。これは第三軍からの報告電報への返答らしい。付記する。
【11月28日】
1・第三軍より総司令部へ電報が打たれる。(戦況報告電報:0時10分発電、1時4分着電)
2・総司令部より第三軍へ電報が打たれる。(激励電報:13時35分発電、着電時間記載なし)
旅順から烟台への電報は、この場合では発電から着電まで1時間掛かっていることに注目しておきたい。
さて、ここで、今まで得られた時系列を再確認する。
【11月28日】
1・第三軍より総司令部へ電報が打たれる。(戦況報告電報:0時10分発電、1時4分着電)
2・総司令部より第三軍へ電報が打たれる。(激励電報:13時35分発電、着電時間記載なし)
【11月29日】
1・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
2・大山総司令官は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
3・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。
【11月30日】
1・児玉総参謀長は夜遅く南関嶺に到着。203高地奪還の情報を得、祝電を発する。
2・児玉総参謀長は大連に到着し、同地に宿泊。
【12月1日】
1・児玉総参謀長は大連にて朝食時に203高地失陥の電報を受ける。
2・児玉総参謀長は大連より烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
3・大山総司令官は第三軍に訓令を発する。その末尾に児玉総参謀長の差遣と歩兵第17連隊の南下を伝える。
4・児玉総参謀長は、正午、第三軍司令部に到着。
【12月2日】
1・歩兵第17連隊は遼陽を出発。
さて、何時の電報の文面がどんなだったかということを改めて確認していくと、「機密日露戦史のいう所の
12月1日に大山総司令官が発電したという訓令って何?」という所が気になってくる。
機密日露戦史によれば、12月1日に大山総司令官は第三軍に下の訓令を発したことになっている。
「訓令要旨 ※3
一、203高地に関する戦況不明なるは、指揮統一の宜しきを得ざること多きに帰するべからず。
二、高等司令部および予備隊の位置遠きに過ぎ、ために敵の逆襲に対し救済するの時期を逸すること。
三、明朝の攻撃には各高等司令部親しく適当の位置に進み、必ず自ら地形と時期とを観察し、成功機会
を逸せず占領を確実ならしむることを期すべし。
なお総司令官の名を以て、第三軍の作戦を指導せしむるため、児玉参謀長を差遣せしむ。
また第三軍方面攻撃進捗を援助せしむるため、歩兵第17連隊を明朝烟台発長嶺子に鉄道輸送す。街連
隊の使用に関しては、本官の名を以て児玉総参謀長の指示に従わしめられたし。」
まず、ここに書いてあるものは「要旨」であることに注意。先の※1※2のように、電文文面が明確に
記録されたものではない。(今のところ。防研とかにはあるのかな?)
第二に、その訓令内容は、前述の《203高地攻撃に関する訓示※2》とほとんど瓜二つ。細部を変えた
だけと言ってもいいものであることにも注意したい。こういうことは他に例があるものだろうか?
第三に、その時期にも注意したい。歩兵第17連隊の南下を要求してきた児玉の電報を受け、それについ
ての手配を終えたあとで発電されたことになるのだが、既にこの時、児玉は大連に居るわけであり、こ
の時期になって「児玉を差遣せしむ」というのは時期が遅すぎる。
先の旅順発烟台着の電報は1時間を要している。早い時はそんなに掛からないのかもしれないが、明治
軍事史によれば、酷い時には数時間かかった場合もある。この場合、児玉が朝食の場面で激怒して「大連
ー烟台」間に電報が飛び、烟台で一個連隊の処置決定に要した時間を経て、さらに「烟台ー旅順」間に
電報が飛んだことになる。いったいどれだけの時間が掛かるだろう?
さて、「児玉来順を伝えるのにしては12月1日の訓令は時期が遅いのでは?」という疑問は、「旅順要塞
攻略戦(陸戦史研究普及会)」にて解決した。152Pに、第三軍に総司令部から児玉来順を伝える電報が
あったことが書かれている。
電報を受けたのは29日となっている。烟台出発とほぼ前後して報告電があったというのは、常識的に考え
てもまず自然な対応といえるだろう。
この資料によると、29日には様々な電報が飛び交っている。
29日未明(午前3時)頃までに、第三軍は第七師団の主力を203高地攻撃に加える事を決定し、そしてその旨
を大本営や総司令部に報告している。
これに折り返して総司令部より「全力を挙げて203高地攻撃の必成を期すべし」という訓令が来たという。
これは時期的に考えて(文面としても)※1の事だろう。
そしてこの訓令受領の直後に「総参謀長児玉大将を貴軍に差遣す。同官は12月1日午前7時38分長嶺子着の
予定」という電報が来たとある。
そしてさらにその15分後に、※2の訓電が来た、とある。
これらを11月29日の所に追記する。
【11月29日】
1・第三軍より総司令部に、203攻撃に第七師団主力を使用する旨の報告電が入る。
2・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
3・総司令部より第三軍に、「児玉総参謀長を差遣する、12月1日長嶺子到着予定」との電報を送る。
4・大山総参謀長は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
5・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。
こうなると、いよいよ12月1日の電報、訓令なるものは、何を伝えたくて出したものなのか疑問となる。
203高地攻撃に関する三か条は、29日に既に発電されているものと瓜二つ。
児玉総参謀長差遣についても、29日の出発前後という常識的な時期に既に電報済み。
ただ、歩兵第17連隊の鉄道輸送についてだけが、知らせる必要のあった用件となる。
「旅順要塞攻略戦(陸戦史研究普及会)」には、12月1日の電報についての記述自体が無い。
ここで、思い切ってこの※3電報を時系列から削除する。
【11月28日】
1・第三軍より総司令部へ電報が打たれる。(戦況報告電報:0時10分発電、1時4分着電)
2・総司令部より第三軍へ電報が打たれる。(激励電報:13時35分発電、着電時間記載なし)
【11月29日】
1・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
2・大山総司令官は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
3・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。
【11月30日】
1・児玉総参謀長は夜遅く南関嶺に到着。203高地奪還の情報を得、祝電を発する。
2・児玉総参謀長は大連に到着し、同地に宿泊。
【12月1日】
1・児玉総参謀長は大連にて朝食時に203高地失陥の電報を受ける。
2・児玉総参謀長は大連より烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
3・児玉総参謀長は、正午、第三軍司令部に到着。
【12月2日】
1・歩兵第17連隊は遼陽を出発。
一応こんなところで。
実は大連に宿泊というのもどうだろうかと思ったり色々あるんだけど資料の突き合わせが今ひとつ。
14間違い。締めで間違えるって締まらないハナシ。
【11月28日】
1・第三軍より総司令部へ電報が打たれる。(戦況報告電報:0時10分発電、1時4分着電)
2・総司令部より第三軍へ電報が打たれる。(激励電報:13時35分発電、着電時間記載なし)
【11月29日】
1・第三軍より総司令部に、203攻撃に第七師団主力を使用する旨の報告電が入る。
2・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
3・総司令部より第三軍に、「児玉総参謀長を差遣する、12月1日長嶺子到着予定」との電報を送る。
4・大山総参謀長は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
5・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。
【11月30日】
1・児玉総参謀長は夜遅く南関嶺に到着。203高地奪還の情報を得、祝電を発する。
2・児玉総参謀長は大連に到着し、同地に宿泊。
【12月1日】
1・児玉総参謀長は大連にて朝食時に203高地失陥の電報を受ける。
2・児玉総参謀長は大連より烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
3・児玉総参謀長は、正午、第三軍司令部に到着。
【12月2日】
1・歩兵第17連隊は遼陽を出発。
861 ◆kRQ7DyWuR:
例えば、大山総司令官から乃木第三軍司令官への訓令が発せられたのを28日としているが、これは本当は29日
のはず。しかしP233下段13行に「翌29日」と書いてあるので、ここでは28日としている。
862 :機密日露戦史の記述はおかしいってこと?
864◆kRQ7DyWuR:特に意見なしということで次に進む。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
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864 ◆kRQ7DyWuR
このように他資料の記述と照らし合わせ、不足する所は追加し、矛盾するところは取捨選択して、今の時点で
判っている限りでの児玉来順の時系列を再確認していきたい。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 明治軍事史を読む前に陸戦新史を読むべきだろ・・・。
`ヽ_っ⌒/⌒c あのさ 機密日露戦史に疑念を抱くのは構わんが、
説得力に欠ける意見を述べても何の意味もない。
といか他の輩もまじめに指摘しろよw
嶽原が一人で書くから儲の立場がどんどん悪くなる。
それで最初に指摘してもこういう態度はどうかと思うよー
児玉参謀長の南下とその活躍
11/27より28日の状況(陸戦新史第180及び181 朗読)の報
逐次烟台司令部に達するや総司令官は第3軍司令部に訓令
(陸戦新史第181項)を発し、且つ・・・・
機密日露戦史P233
陸戦新史 (赤本版P152-153)11月28日第一師団方面に在りては〜
総司令官はこの日第3軍司令官に左の訓示 興う
この度再興させられたる攻撃の結果が期待の如くならざりしはすごぶる
遺憾とする所なるも、貴官並びに貴官の令したに在りて攻撃に参興したる
諸部団隊〜・・ 益々之を鼓舞勤勉せられんことを希望す。
明治軍事史が変な事書いてあったのかと思ったけど、なんだ
出した人間が大した事なかったのか?
偉いぞAA太郎!AA小さくしたんだな!お前もd(−。^)good!!
>>17 多分、嫌みってこともわからないと思うけど。
>>AA使い 二度もスレを吹っ飛ばしてもこういう態度を改めないってのはどうかと思うけど言っても無駄かな。
AA無し、>>>を使って常識的に読みやすく書くようにするんなら応じますよ、念のため。
津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」では、この辺りについてこう書かれている。(抜粋)
【11月29日】
・満州軍総参謀長、当地に急行せらるる旨の通報到来。
・夜半、総参謀長より遼陽発の電報にて、攻撃実行に関する諸種の注意が寄せられた。
【11月30日】
・午後五時頃、大本営、総司令部、連合艦隊に向け電報「確実に203高地を占領した」
・午後七時頃、敵は薄暮に乗じ大々的に逆襲を敢行して203高地を奪還した。
【12月1日】
・早朝から各方面よりの祝電に接し、内心大いに恐縮した。
・午前11時30分、児玉総参謀長、長嶺子の仮停車場に到着。大庭、津野田これを迎えた。
・総参謀長は、夜、歩兵第17連隊を当方面に招致すべき措置を取られた。
上の時系列と微妙に異なる。
興味深いのは、児玉総参謀長が遼陽から電報を打った、と書いてある件。
先の※2は総司令官名で出されたものだから、これとは明確に別のものということになる。
これについて記された資料は、寡聞にして知らない。どなたかご存知だろうか。
今の所、不確実なものということで時系列には含まないでおきたい。
また、歩兵第17連隊が南下してくることについては、旅順到着後に児玉が処置をしたと書いてあるが、
これはこの時まで津野田が知らなかったという事だろう。第17連隊が南下してくることは、児玉到着前は
第三軍は知らなかったのではないだろうか。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
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864 ◆kRQ7DyWuR
二度もスレを吹っ飛ばしてもこういう態度を改めないってのはどうかと思うけど言っても無駄かな。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) スレを吹っ飛ばすもなんも、儲がバイアスかけて捏造論を出さなければ
`ヽ_っ⌒/⌒c すむ問題、 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」で出てきた、
奉天中央突破説や、フォーク談話の鵜呑み。
機密持っている他の輩もまじめに指摘しろよw
なぜか一人だけなんだよなw まったく(・∀・)でな・・・
だから無駄だってのに 相手しないのが1番
オウムと一緒だね。
人語使えど必ずしも理解せず。哀れむべし。
現在、児玉在中時の時系列を考察中。
田中参謀があちこちで証言を残しているから楽かと思いきやさにあらず。
あんた言ってる事バラバラやん?
『名将乃木希典』に「資料によって証言が少しずつ食い違う」とか書かれていた、あれのこと?
少しどころか全然違ってました。
へーそうなんだ。
ガンガッてください、楽しみにしてます。
ただいま挫折中。
「名将乃木希典」では三つの資料と書いてあるが、実際は四つと思います。
「名将回顧日露大戦秘史」と「参戦二十将星日露大戦を語る」がごっちゃになってるのかな?
他に、「田中義一伝」とか入れるともっと増えるのか。
ところで質問です。「砲兵沿革史」で語られているというエピソード、児玉と奈良砲兵隊長?
だったかが砲撃するしないで問答するところ、あれは日付時間が特定されているものでしょうか?
知っている方教えて下さい。
戦後言い訳しなかった伊地知に敬意
30 :
市民:2008/10/06(月) 21:51:51 ID:mfT8BkMN0
再開…
以後、児玉総参謀長が旅順に到着したあとの行動を追い、その時系列を確認していく。
随行した田中国重参謀の言による記録として、とりあえず次のものが挙げられる。
1「名将回顧日露大戦秘史陸戦篇」(名将回顧)
2「参戦二十将星日露大戦を語る」(参戦二十将星)
3「秘密日露戦史」(秘密)
4「機密日露戦史」(機密)
これらを見比べることで、あまりに有名な「機密日露戦史」の記述の信憑性のほどを確認することが
出来る。例えば以前の「大連宿泊?」という疑問点について。
1「名将回顧」では、このように書かれている。
【11月29日】烟台出発、遼陽に宿泊。
【11月30日】朝出発。
【12月1日】午前三時金州駅着、夜明け大連着、鉄道提理部二階へ。
2「参戦二十将星」でもほぼ同じ。11月30日の事についてより詳しく書かれている。
【11月30日】午前六時何十分の汽車で遼陽発南下。夜間、機関車故障。
3「秘密」ではこう書かれている。
【11月26日】烟台を午前六時出発。
出発の日付時間が全然違う。これは「29日」の誤植と思われる。また午前六時というのは、遼陽出発の
時刻である。要するにこれは誤植と田中の記憶の混乱による誤りと思われる。
時間経過を踏まえたうえで、それぞれのリアリティの程度や、記録の数量を比較検討することで、「大連宿泊」
は否定される。
これを踏まえ、前の時系列を訂正する。
【11月28日】
1・第三軍より総司令部へ電報が打たれる。(戦況報告電報:0時10分発電、1時4分着電)
2・総司令部より第三軍へ電報が打たれる。(激励電報:13時35分発電、着電時間記載なし)
【11月29日】
1・第三軍より総司令部に、203高地攻撃に第七師団主力を使用する旨の報告電が入る。
2・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
3・総司令部より第三軍に、「児玉総参謀長を差遣する、12月1日長嶺子到着予定」との電報を送る。
4・大山総参謀長は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
5・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。 当夜は遼陽に宿泊。
【11月30日】
1・児玉総参謀長は朝六時過ぎに遼陽を出発。終日移動。夜間、機関車が故障。
【12月1日】
1・児玉総参謀長は午前3時に金州駅に到着。停車場にて203高地奪還の情報を得、祝電を発する。
2・児玉総参謀長は夜明け頃に大連に到着。朝食を待つ所に第三軍との電話にて203高地失陥を知る。
3・児玉総参謀長は大連より烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
4・児玉総参謀長は、正午、第三軍司令部に到着。
【12月2日】
1・歩兵第17連隊は遼陽を出発。
次いで12月1日の捜参謀長が柳樹房に到着する辺りの前後について検証する。
とりあえずの下敷きは、また機密日露戦史とする。
【12月1日】
1・大連を出発。
2・長嶺子到着、下車。第三軍参謀(大庭副長)迎える。
3・現時の状況報告を問う。参謀が数時間前出発当時の状況を報告したことに憤る。
4・現在の戦況を聞くため通信所の位置を尋ねる。停車場に通信所の無いこと(通信所のある村落は
停車場を隔てること一里余)を叱責。
5・第三軍司令部に向かう。
6・途上、戦死者墓地の位置について叱責。第三軍参謀苦笑。
7・正午、第三軍司令部(柳樹房)に到着。
さて、この辺りは他資料ではどのように書かれているのだろうか。
1「名将回顧」ではあっさりと書かれている。
【12月1日】
・夜明け大連着、鉄道提理部二階へ。凶報あり、激怒。
・第三軍司令部着。
たったこれだけ。これでは上の数々のエピソードの実在性が疑われる。別の資料を見る。
2「参戦二十将星」ではどうか。
・大連発、第三軍司令部に向かう。
・ちょうど一つ手前の停車場に、大庭大将(中佐、第三軍参謀副長)が出迎え。
・総参謀長は非常に怒られて、中佐との間に問答があった。(詳細は語らず)
・柳樹房の第三軍司令部着。
何かしらの詰問があったことは確からしい。しかし戦死者墓地の話は出てこない。
最後に3「秘密」の日露戦役回想談における田中参謀の証言を見てみる。この証言は時系列がバラバラに
語られているので箇条書きにするのは難しい。そのまま書き出していく。
・「第三軍司令部の手前の駅に大庭副長迎えに来たりしが、児玉大将大庭中佐を見て盛んに叱せられ」
・「次の停車場に着きしに、児玉大将は早く福島少将に電話し戦況を聞けとのことなりしを以て、大庭
中佐に電話通信所の位置を聞きしに、ここには家なきゆえ300メートル位の彼方にありと。ここに於て
児玉将軍は大庭中佐に対し、貴様の任務は後方を完全ならしむるにあらずやとて再び大いに叱責せられ」
ここで話題が別に飛び、やがて再び同じ場面を説明する証言が出てくる。
・「児玉将軍は田中国重少佐に対して、高崎山に福島少将あり、之に電話せよと。よって田中は大庭に
軍用電話の位置を聞きしに、電話通信所の位置はこの付近にあらずと。ここに大庭中佐は再び児玉将軍
よりその不注意を叱せられ」
これらを総合すると、大庭参謀が叱責された事はまず間違いなさそうだ。それも二度。
出迎えでとりあえずの報告をしたところ「数時間前出発当時の情況を報告したこと」でまず怒鳴られ
たというのは想像に難くない。
「通信所の位置」について不注意を咎められたというのもありえる話だ。しかしながら、ここではその
距離は300メートルとなっていることに注意したい。ここで考えたいのは、停車場に通信所がないという
のはありえるのだろうか?ということだ。電車運行に間違いがあってはならない。万一事故が起これば、
戦場の後方に大混乱を招きかねない。緊急の備えとしても当然あってしかるべきだ。停車場から一里以上
つまり四キロ以上離れた地点にある通信所が何の役に立つだろう。これは誤りと見て、ここで述べられて
いる300メートル程離れていたという方がより正確に伝えているのではないだろうか。
また、福島将軍の所在を到着したばかりの児玉が知っているというのもおかしな話である。実は資料を読み
進めていくと、児玉が福島少将の所在を尋ねる場面が出てくる。こちらの方(所在を知らない)が現実性が
高い話と考える。
三つの資料では、戦死者墓地のエピソードは、ここではなく別の場面の話として語られている。ここではこの
エピソードは起こらなかったのだろう。
上の時系列を改める。
【12月1日】
1・大連を出発。
2・長嶺子到着、下車。第三軍参謀(大庭副将)迎える。
3・現時の情況報告を問う。大庭が数時間前出発当時の情況を報告したことを憤る。
4・停車場から通信所が300メートル離れていることを知り、大庭を再び叱責する。
5・第三軍司令部に向かう。
6・正午、第三軍司令部(柳樹房)に到着。
以後はいよいよ、柳樹房到着後のところとなる。機密日露戦史における児玉攻撃指導のヤマ場である。
|/-O-O-ヽ| .。oO 機密 (通信所のある村落は停車場を隔てること一里余)を叱責。
| . : )'e'( : . | 秘密 ここには家なきゆえ300メートル位の彼方にありと。ここに於て
~`--=--'~
/ \
864 ◆kRQ7DyWuR
たったこれだけ。これでは上の数々のエピソードの"実在性"が疑われる。別の資料を見る。
「通信所の位置」について不注意を咎められたというのもありえる話だ。しかしながら、ここではその
距離は300メートルとなっていることに注意したい。ここで考えたいのは、停車場に通信所がないという
のはありえるのだろうか?ということだ。電車運行に間違いがあってはならない。万一事故が起これば、
戦場の後方に大混乱を招きかねない。緊急の備えとしても当然あってしかるべきだ。停車場から一里以上
つまり四キロ以上離れた地点にある通信所が何の役に立つだろう。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) スレを吹っ飛ばすもなんも、儲がバイアスかけて上のような捏造論を出さなければ
`ヽ_っ⌒/⌒c すむ問題、 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」で出てきた、
奉天中央突破説や、フォーク談話の鵜呑み。
機密持っている他の輩もまじめに指摘しろよw
なぜか一人だけなんだよなw まったく(・∀・)でな・・・
それでな。中国での一里の距離500m、韓国での一里の距離は400m中国での村落の話なので
田中は中国での村落の距離を中国の単位で確認したと考えるべきでしょ。
また 停車場自体は数百m以上も普通あるから・・。この200−300mの誤差は当然あるだろ。
家もない、土地勘のない場所で距離感が地元の距離を確認したんでしょ。 それで 一里3.9kmって
日本の単位で話をして このエピソードの”実在性”を疑ってなきものにしようとするなんてなぁ・・。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 07:52:54 ID:nertpnQiO
司馬も一里=4キロと解釈している。
近代の日本人(田中)が同年代の日本人向けに語っているのだから、そう解釈するのが自然では?
えーと、じゃあ児玉が通信所の不手際を激怒したって話の真相は、
児玉「おい大庭、通信所はどこだ」
大庭「ここにはございません、あちらの……」
児玉「大庭!お前の仕事は後方を完全にならしむることではないのか!」
大庭(えー、同じ停車場内の3〜400メートル離れているだけの家屋なんですが?)
ってことかい?これじゃ児玉が単にイラついてただけって話だぞ。
つかね、軍司令部までほんのあと少しじゃないの。
この期に及んで電話って選択が間違いだよ。さっさと軍司令部に行けばいい。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) どこにも停車場内に通信施設があるなんて 書いてないのに・・
`ヽ_っ⌒/⌒c 脳内ではそうなってるのは 捏造というか妄想もいい加減にしたらええのにな。
>>34で書いている児玉が主張している意味は何か・・ってのをしっかり
理解できてない香具師がいるのがな イタイイタイ
要は 大庭が児玉を後方に迎えに行ってる時も戦線の状況を即座に把握できてないってことの
数々のエピソードがちりばめられている。 後の地図の中に同部隊が複数あるとかね。
情報の把握の大切さを叱ってるんだよな。これを理解できてないのがさ・・・バカじゃねーのw
つかさ・・・・・
過去の歴史を通じて学んでると思ってたが、単に自分の理想の為に捏造するのはやめなよw
39 :
市民:2008/10/11(土) 13:28:34 ID:78hJolaL0
だからAA太郎は相手にしないつってんのに……
>>31-34 うーん力作だ。大変だと思うが気長に頑張ってください
続いて、柳樹房での児玉総参謀長の行動を見ていく。機密日露戦史における児玉攻撃指導のヤマ場である。
とりあえずの下敷きはまた機密日露戦史である。
【12月1日】
1・正午、第三軍司令部(柳樹房)着。
2・乃木第三軍司令官と会見。攻撃に関する細部の計画を聞き、不同意の点あり。指揮権借用の一筆を乞う。
「要すれば一時軍司令官の指揮権をも借用したき、希くば貴兄の代理たる一筆の添え書きを授けられたし」
3・乃木軍司令官から書状を得る。
4・児玉大将は直ちに軍参謀を集め、攻撃計画の修正を要求。
「一つ、203高地の占領を確保するため速やかに重砲隊を移動してこれを高崎山に陣地変換し、もって敵の
回復攻撃を顧慮し、椅子山の制圧に任ぜしむ。二つ、203高地占領の上は28珊砲を以て一昼夜毎十五分を
間し砲撃して、敵の逆襲に備えること」重砲隊副官奈良少佐が反対意見を述べるが聞き入れない。
豊島将軍に意見を聞き実行を命じる。二三の参謀に第一線の視察を命じた。
【12月1日】
1・自ら高崎山に行く。
これが「名将回顧」ではどう書かれているだろうか。
【12月1日】
・第三軍司令部着。乃木軍司令官不在。参謀勤務ぶりについて「えらい剣幕の鞭撻」
・福島将軍に電話して戦況を聞くことになる。福島少将高崎山にありと聞き電話。
「田中君、どうも高崎山はお悔やみ座敷だよ。一刻も早く総参謀長に来て貰わなくちゃならぬ」
・高崎山へ。
「参戦二十将星」では?
【12月1日】
・柳樹房の第三軍司令部に着。
・直ちに参謀の部屋に入って色々な質問を発し一悶着。
・両樹房を発、高崎山へ。
「秘密」では?
・田中参謀は高崎山の福島将軍と電話。「早く児玉将軍に高崎山に来て第七師団に悔やみを貰いたい」
・児玉将軍高崎山に至る。
三つの資料に共通して、いきなり高崎山に向かっている。
考えてみれば当然である。柳樹房に着いたばかりで情況をほとんど把握出来ていない児玉が、具体的な
指示をするというのは現実味がない話だ。他の資料「乃木日記」でも12月1日の高崎山行きは明白である。
機密日露戦史の【12月1日】の部分は全く信用ならない。他の複数資料を元に時系列を確認していく。
【12月1日】
1・柳樹房の第三軍司令部に到着。乃木軍司令官不在。
2・第三軍参謀らの勤務ぶりを確認し激怒。
3・福島将軍に電話して戦況を聞くことにする。高崎山の福島将軍と通話。
4・高崎山に向かう。
軍司令部での児玉の所業は、たったこれだけとなってしまうが、この辺りが実情といったところだろう。
「名将回顧」「秘密」ともに、児玉総参謀長が高崎山に行くきっかけになるものとして、随行田中参謀が在
高崎山の福島少将に電話して、「ここはお悔やみ座敷だ、早く来てほしい」と言われた事が共通して語られ
ている。(「参戦二十将星」でも、時期は不明確ながら福島少将と電話したことが語られている)
児玉の立場になってみれば、第三軍参謀はなっとらん、総司令部付きの参謀に事情を聞こう、と考えるのは
自然な流れである。また児玉自身は福島少将の所在を把握しておらず、「彼は何処にいるか」と尋ねて電話
したという流れだった事を説明している「名将回顧」の証言は極めて自然である。
柳樹房で情報収集なり督戦なりすることを見切り、直ちに福島将軍の居る高崎山に向かって出発することが、
この時点で出来る精一杯の事だろう。
以後続く。道中エピソードとか。
>>40 気長にお待ち下さい。
|/-O-O-ヽ| .。oO 考えてみれば【当然】である。 柳樹房に着いたばかりで情況をほとんど
| . : )'e'( : . | 把握出来ていない児玉が、具体的な指示をするというのは【現実味がない】話だ
~`--=--'~
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>>42 ◆kRQ7DyWuR
#たったこれだけ。これでは上の数々のエピソードの"実在性"が疑われる。別の資料を見る。
#機密日露戦史の【12月1日】の部分は【全く信用ならない】。他の複数資料を元に時系列を確認していく。
〃∩ ∧_∧ 「名将回顧」 「参戦二十将星」「秘密」では書かれてない事情が
⊂⌒( ・ω・) を◆kRQ7DyWuRが考えただけで、上記の指示したことが時系列的にも
`ヽ_っ⌒/⌒c 矛盾してないのに、【当然】で 【現実味がなく】 が 【信用ならない】 そうだw
1.正午、第三軍司令部(柳樹房)着。 乃木第三軍司令官と会見(機密)
1.第三軍司令部着。乃木軍司令官不在。参謀勤務ぶりについて「えらい剣幕の鞭撻」 「名将回顧」
1.柳樹房の第三軍司令部に着 「参戦二十将星」「秘密」 には司令官不在とも在任とも書いてない。
2-3司令官と会見 書状、(機密)
4.参謀を集めて (ry 二三の参謀に第一線の視察を命じた。(機密)
「名将回顧録」 「秘密」では 参謀の件は書かれていない。
4直ちに参謀の部屋に入って色々な質問を発し一悶着「参戦二十将星」.
5・自ら高崎山に行く。 (機密)「名将回顧録」 「秘密」「参戦二十将星」.
つまり他のそれぞれ部分的な資料では否定できないことを、本人の思い込みで否定して
信用なきと主張しているんだが・・。
箇条書きで書かないのがその例だな。 捏造論文というのがこういう風にできあがっていくというのが
よくわかる。
それよりも 司令官不在の名将回顧録は信用ならんな。
|/-O-O-ヽ| .。oO 考えてみれば【当然】である。 柳樹房に着いたばかりで情況をほとんど
| . : )'e'( : . | 把握出来ていない児玉
~`--=--'~
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>>34 ◆kRQ7DyWuR
34で福島少将の所在云々の確認をしていて、通信所が遠いという叱咤をもって、
児玉は戦況を把握してない”って偉大なる脳内変換されているのに気づいてないんだろうw
通信所が遠いから 把握しないって 思い込みがここには存在しているな。
捏造戦史がこうやって出来上がっていくんだろ・・。
まぁ 乃木マンセーのバイアスがかかってるから どうしようもないけどな。
それよりも 司令官不在の名将回顧録は信用ならんな。
〃∩ ∧_∧ 「名将回顧」 だめだめだな。信用ならねぇw
⊂⌒( ・ω・) いま確認できた。乃木司令官は牛食後 児玉と曹家屯で会ってる。
`ヽ_っ⌒/⌒c 不在ってなんでこんな書き方になってるんだ?
次いで高崎山への道中エピソード。
これまでの流れもあり、一応は下敷きを「機密日露戦史」とする。
【12月2日】
1・自ら高崎山へ行く。
「名将回顧」では?
【12月1日】
・高崎山へ。
・墓地の場所について非常に怒る。
・穴蔵に落ち着く。
「参戦二十将星」では?
【12月1日】
・柳樹房発、高崎山へ。
・戦死者墓地の場所について非常に怒る。
・地下室着。
「秘密」では?
【12月1日】
・高崎山に向かい出発
・途中墓地あり、取払いの指示。
・高崎山着、穴蔵の中へ入る。
三つの資料に共通して、戦死者墓地の場所について怒った(秘密でのニュアンスは微妙だが)とあり、
このエピソードはこのタイミングで起こったというのが事実だろう。
もっとも、高崎山行きが「2日」の出来事として書かれている時点で既に「機密」での時系列は否定され
ているのだが。
上の時系列を改める。
【12月1日】
1・柳樹房を発、高崎山へ。
2・戦死者墓地の場所について非常に怒る。取り払うよう指示。
3・高崎山の地下室に入る。
ここで
>>33以後に細切れとなっている時系列を纏める。
これらは「大連出発以後の時系列」とする。細切れ過ぎるものは纏めている。
【12月1日】
1・大連を出発。長嶺子到着、下車。第三軍参謀(大庭副長)迎える。
2・現時の情況報告を問う。大庭が数時間前出発当時の情況を報告したことを憤る。
3・停車場から通信所が300メートル離れていることを知り、大庭を再び叱責。
4・第三軍司令部に向かう。正午、柳樹房の軍司令部に到着。乃木軍司令官不在。
5・第三軍参謀らの勤務ぶりを確認し激怒。
6・総司令部付参謀の福島将軍に電話して戦況を聞くことにする。高崎山の福島将軍と通話。
7・高崎山に向かう。道中、戦死者墓地の場所について非常に怒り取り払うよう指示。
8・高崎山着。地下室に入る。
以後、高崎山での行動を追う。
が、ここからまた細切れが続きます。複数資料を比較検討しながらのため、ご容赦。以後続く。
|/-O-O-ヽ| .。oO もっとも、高崎山行きが「2日」の出来事として書かれている
| . : )'e'( : . | 時点で既に「機密」での時系列は否定されているのだが。
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◆kRQ7DyWuR
>4・第三軍司令部に向かう。正午、柳樹房の軍司令部に到着。乃木軍司令官不在。
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ミ 、ヽ、 ∬
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<;し(^)_つ
??? 高崎山か。1日に出発して2日に到着って発想になってないところがなぁ。
いたいわ。ちなみに機密の2日目の記述は高崎山山脚の第7師団司令部な。
だから機密の記述 否定できないんだけど???
あと乃木軍司令官と児玉は牛食後に曹家屯で会ってるけど?なんで不在なんだ?しかもだ
名将回顧以外では不在は記載されてないんだけど・・一つの資料に偏ってさも
捏造するのはなんでなの?ネーネー
都合のいい結果ありきだから どうしようもないんだろーw
おれのスレは無視されてもギャラリーは無視しないからw
さて、◆kRQ7DyWuR.嶽原がどう結論付ける(時系列)を確認しようかw
さて、今後は高崎山での児玉の行動を追っていく。
今となっては下敷きとするべきでないのは明白だが、今までの流れどおり、まずは機密日露戦史での証言から。
【12月2日】
1・自ら高崎山に行く。
2・大迫第七師団長と面談。
3・田中参謀に命じ、第七師団の攻撃計画を精査、軍隊区分の不備を叱責。
4・この日鳩湾にて軍艦沈没の内報あり、東郷大将へ要望を通報。
5・歩兵第十七連隊に命令を伝える。
次いで各資料を見ていくわけだが、ひとまずは大迫、乃木と会談するところまで。今更だが、「機密」では
既に乃木と柳樹房で会談し終えているという誤った時系列で述べられている事に改めて注意したい。
まず「名将回顧」。
【12月1日】
・高崎山に着く。(穴蔵に一週間ばかり滞在することになる)
・大迫第七師団長来る。攻撃担当の継続を懇願されるが回答せず。大迫退出。
・乃木来る。対談(詳細は語らず)
次に「参戦二十将星」。
【12月1日】
・高崎山に着く。地下室に入る。
・乃木第三軍司令官来る。会見。(詳細は語らず)
・大迫第七師団長来る。会見。
最後に「秘密」。
【12月1日】
・「高崎山に着し、穴蔵の中に児玉将軍入り」
・「しばらくして第七師団長来たり」
・「夕刻に至り乃木将軍帰り来たりて児玉将軍に会す」
「軍司令官が高崎山の穴蔵を訪ねた」ことを示すにしては、「帰り来たる」とはやや奇妙に感じる文面であるが
他の資料と比較して上記の意味と捉える事にする。
この資料では、他の二資料では(詳細は語らず)とされた会談内容について語られている。これによれば、
児玉将軍から「203高地の指揮を任せろ」と言いだし、乃木将軍がこれに同意したと伝えられる。また
田中参謀はこの会談に同席したことになっている。
「児玉ー大迫会談」が先か?それとも「児玉ー乃木会談」が先か?資料を見比べても判然としないが、
とりあえずは多数意見?をとり、穴蔵を訪れたのは大迫が先で、乃木が後とする。
ちなみに、「旅順要塞攻略戦(陸戦史研究普及会)」では、先に乃木が訪れ、後に大迫が訪れて報告
を行ったことになっている。
さて児玉ー乃木会談では、機密によれば「軍司令官代理の一筆」を書いて貰ったことになっていたのだが、
ここでは単に口約束をしたという域を出ない。機密よりかはこちらの方がマシだろうか。
上の時系列を改める。
【12月1日】
1・高崎山に到着、地下室に入る。
2・大迫第七師団長と会談。大迫は攻撃担当の継続を懇願。返答せず。大迫退出後に田中に指示。
3・乃木軍司令官と会談。田中列席。203高地の指揮を任せることを求める。乃木同意。
ついで、日が変わるまで。
「名将回顧」では?
・偵察により、203高地西南角山頂を我が兵100名程が占領していることが判明。
・逆襲に耐えるよう工事するため、軍各方面から土嚢を集めることを指示。
・夜間に逆襲で西南角を奪還されぬよう、28珊砲を1発/15分感覚で山頂を射撃する考えを示す。
攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだが、児玉はそれを聞き入れなかった。
・西南角から港内が見えるということを確かめるために三人の参謀に偵察を命じる。
「参戦二十将星」では?
・10月30日の攻撃後、百名ばかりの兵が203高地の西南角に取り付いていることが判明。
・そこを取っているなら港内の軍艦が見えるだろうということで参謀を派遣することになる。
(10月30日というのは、明らかにおかしい。何かの間違いだろう)
「秘密」では?
・「12月1日より攻撃を再興することとなり、第七師団が命令を下達せしが、該命令は当時の情況上複雑
なりし故、児玉将軍は田中に点検を命ぜられ」
・「児玉将軍たちどころに白水貴様の天保銭をよこせ軍隊区分の書き方も知らぬ参謀が難になるかと」
「名将回顧」の証言の注目点。
・土嚢集めの指示は、目新しいところ。
・15分間隔に一発の射撃は、「機密」で書かれていた目的「突撃占領後、逆襲による奪還を防ぐため」
というものとは意味が異なる。既に“現時点で占領部隊が山頂に居る”点に注意したい。また一昼夜では
なく夜間となっている所も相違点として挙げられる。
「参謀派遣」のエピソードについて。
ようやく「機密」での「二三の参謀に第一線の偵察を命じた」にあたるエピソードが出て来たが、そもそも
乃木将軍が「自ら立って握手」したメンバーは高崎山方面んにいる面々なのであり、これが「機密」で語ら
れているような柳樹房での出来事でない事は自ずから明らかであった。メンバーは、
・国司参謀(福島将軍に随行していた総司令部参謀)
・白水参謀(第七師団参謀)
・岩村参謀(海軍からの派遣参謀)
メンバーの一人である白水第七師団参謀が、この日に起きた「天保銭エピソード」の人物である。
上の時系列を改める。
1・偵察により西南角の占領状況を把握。
2・土嚢を集めるよう指示。
3・西南角が逆襲で奪還されることを防ぐため、夜間の1発/15分間隔で砲撃するよう指示。
4・参謀に山頂の偵察を命じる。
(この日、天保銭エピソードが生じるが、時刻不明のため時系列には入れない)
|/-O-O-ヽ| .。oO 今更だが、「機密」では 既に乃木と柳樹房で会談し終えているという誤った時系列で
| . : )'e'( : . | 述べられている事に改めて注意したい
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50 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ 乃木希典という人の12月の日記に面白い事が書いてあったから書いておくねw
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
12月2日 朝、高崎山に至り、日夕還る。 ○東京よりリンゴ二箱送り来る。一つは保典の分なり
児玉に煙(草) リンゴを送る。
12月5日 朝より203砲撃 9時より斉藤支隊前進目的を達す。
上記12/1日記と機密p235 ”間もなく正午柳樹房なる第3軍司令部に着し乃木将軍と会見し”という項目は整合する。
また、機密の記述は”翌日(12/1の翌日)自ら203高地攻撃に任ぜる第7師団長の許なる高崎山山脚に至る。”
であり、前日から高崎山に行ってないなどとは書いてない。
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ミ 、ヽ、 ∬
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<;し(^)_つ
逆に◆kRQ7DyWuRが述べてる論だと、当の本人の日記の記述に合わず、信憑性に欠ける。
特に 12月1日 高崎山に児玉と 乃木が行ったとする論は上記日記に反することとなり、
時系列は12月1日から12月2日にかけてって事がわかる。
それを◆kRQ7DyWuRが12月1日固執しようとしているのが現状。
というかそろそろ捏造論 やめたら?
上の時系列を改める。
【12月1日】
1・高崎山に到着、地下室に入る。
2・大迫第七師団長と会談。大迫は攻撃担当の継続を懇願。返答せず。大迫退出後に田中に指示。
3・乃木軍司令官と会談。田中列席。203高地の指揮を任せることを求める。乃木同意。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
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◆kRQ7DyWuR
>>50 「名将回顧」。
【12月1日】
・【高崎山に着く。(穴蔵に一週間ばかり滞在することになる) 】
・大迫第七師団長来る。攻撃担当の継続を懇願されるが回答せず。大迫退出。
・乃木来る。対談(詳細は語らず)
>>53「名将回顧」
・偵察により、203高地西南角山頂を我が兵100名程が占領していることが判明。
・逆襲に耐えるよう工事するため、軍各方面から土嚢を集めることを指示。
・夜間に逆襲で西南角を奪還されぬよう、28珊砲を1発/15分感覚で山頂を射撃する考えを示す。
【攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだが、児玉はそれを聞き入れなかった】。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
児玉は高崎山に行ってるって記述で、攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだとあるってことは、
当然 攻城砲兵司令部も高崎山に移動しているのか????
公刊戦史第6巻P527では豊島少将に対して伊地知軍参謀長が依頼していることから、
この時系列はいい加減なものだって断言できる。名将回顧日露大戦秘史
昭和初期の本なのでまだまとめきれてないのかもしれん。
まぁ いまさらそれに固執して 捏造論をぶち上げるのもどうかとおもうが・・・。
>>50-54 あーそうか
「機密」には、児玉到着時点で203が既に半占領状態だった(西南角に残兵が食いついていた)
ことが書かれていないわけですね。これじゃかなりニュアンスが違ってくる。
故意だったら勿論、児玉を引き立たせるためにそうしたんだろうし、
でなかったらお粗末もいいところだなあ
>児玉到着時点で203が既に半占領状態だった(西南角に残兵が食いついていた)
>ことが書かれていないわけですね。これじゃかなりニュアンスが違ってくる。
機密には203高地を3回占領するも3回奪回せらる って書いてある。さらに12/1に再度占領奪回されている。
そして西南角を残兵がだけで、東北はまったく占領できてない。ういう状況で なぜ半占領状態だったと言うのか。
それだったら望台や東北正面の陣地も食いついてた訳で半占領状態だったと言える。
つかさ。自作自演もここまでくればあっぱれだね。
>>57 「機密」の田中証言とされる部分には、残兵の存在について書かれてません。
彼らの存在があったからこその児玉の提案「土嚢集めろ」「1発/15分間で夜間射撃しろ」なんですがね。
「機密」だと、高崎山に来る以前に、柳樹房で「1/15分間で射撃しろ」と言ってしまってますから、
辻褄があわなくなってしまうわけで。
それにしても、同一人物の証言集とは思えないほどの食い違いは、とても興味深いものです。
高崎山到着後の時系列を纏める。
【12月1日】
1・高崎山に到着、地下室に入る。
2・大迫第七師団長と会談。大迫は攻撃担当の継続を懇願。返答せず。大迫退出後に田中に指示。
3・乃木軍司令官と会談。田中列席。203高地の指揮を任せることを求める。乃木同意。
4・偵察により西南角の占領状況を把握。
5・土嚢を集めるよう指示。
6・西南角が逆襲で奪還されることを防ぐため、夜間の1発/15分間隔で砲撃するよう指示。
7・参謀に山頂の偵察を命じる。
(この日、天保銭エピソードが生じるが、時刻不明のため時系列には入れない)
ついで【2日】の行動に移る。
下敷きとなる「機密」の記述。(既に既述だが再掲)
【12月2日】
1・自ら高崎山に行く。
2・大迫第七師団長と面談。
3・田中参謀に命じ、第七師団の攻撃計画を精査、軍隊区分の不備を叱責。
(ここまでは、【1日】に生じた事と既に判明済み)
4・この日鳩湾にて軍艦沈没の内報あり、東郷大将へ要望を通報。
5・歩兵第十七連隊に命令を伝える。
「名将回顧」での証言。
【12月2日】
・三人の参謀は朝出発。午後四時頃に帰り報告。「旅順港内に敵艦七隻」
・児玉は「すぐ射て」と指示。観測所を設けるのが困難なので猶予を、と意見がある。
・児玉は「いくら吹き飛ばされてもやれ」と。二日から山頂の争奪戦が起こったため、実際は射撃せず。
・一方第七師団は12月2日から攻撃を再興した。四日まで争奪戦を繰り返したが、遂に目的を達さなかった。
「二日から山頂の争奪戦」「第七師団が二日から攻撃再興」「四日まで争奪戦」と奇妙な証言が続くが、これらは
田中の勘違いだろうということにしてとりあえず目をつぶる。
「参戦二十将星」での証言。
【12月2日】
・三人の参謀が派遣される。無事帰って報告「七艘くらいの軍艦がいる、多数の船舶もある」
・児玉は「スグ射て」と主張するが、観測所設置まで待ってほしいと反対意見。
・当初承知しなかったが、うやむやに承知されたことになり、観測所の設置となる。
「秘密」での証言。
【12月2日】
・「四日、児玉将軍は203高地に参謀を偵察に派遣せらる。岩村と白水中佐、国司の三名が203高地の突角
より旅順の偵察をなすこととなり一同死を決して赴きたり」
・「偵察の結果は敵艦を望見し得とのこと、児玉将軍は直ちに射撃を命ぜられたり。然るに重砲隊にては
観測所出来ざれば何人ありても悉く敵砲弾のために吹き飛ばさるべきにより観測所出来るまで待たれたし
と乞いしも、将軍許さず何人吹き飛ばされても差し支えなしとて同意せられざりき、而して11時頃より
砲撃を開始せし」
(四日とあるが、この三参謀の山頂偵察は二日の出来事であることは確実。「反対意見があったに関わらず
射撃を実行した」という後段は、おそらくは203高地占領直後の砲撃の事と混同しているのだろう、と推測
するのが精々か。)
ここで、三参謀の偵察報告を聞いた後の児玉の指示と結果について、各証言該当部を改めて書き出してみる。
これが同一人物の証言であることを忘れてしまいそうになる。
【12月2日】
・三参謀、偵察から帰り報告。「軍艦七隻あり、他に多数の船舶あり」
・「すぐ射て」と指示。
(名将回顧)→観測所設置困難、猶予をと意見あり。不同意だったが山頂の争奪戦が起こったため射撃せず。
(参戦二十将星)→観測所設置まで待って欲しいと意見あり。不同意だったが結局設置を待つことになった。
(秘密)→観測所設置まで待って欲しいと意見あり。しかし同意せず射撃開始。
これらから事実と思われるものを選んでいかなくてはならない。まず「秘密」の射撃を開始してしまうパターン
は論外。「名将回顧」の山頂争奪戦が起こったために射撃をしなかった、というのも事実に相違する。よって、
「参戦二十将星」の証言が、これらのうちで妥当なものということになる。
観測所設置まで待って欲しい、という現場の当然の意見が通り、児玉の「スグ射て」という意見は否定されたと
いうのが事実であろう。「うやむやに承知された」とは如何にも苦しい表現、田中の心情が窺える。
このような判断は、現場に来たばかりの歩兵科出身である総参謀長の出る幕ではないのだろう。
児玉督戦の実情を伝えるエピソードと言える。のみならず、それを後世に伝えるのに色々と苦心している田中
参謀の心情が窺えるところだ。
時系列を改める。
【12月2日】
1・朝、三人の参謀を203高地山頂偵察に派遣する。
2・午後四時頃、無事戻り報告あり「七艘くらいの軍艦がいる、多数の船舶もある」
3・「スグ射て」と主張するが観測所設置まで待って欲しいと反対意見が出る。
4・結局待つことになり、観測所の設置となる。
>>58 奪ったり奪われたりの激戦を何日間も継続していて、しかも陣地の一角を占領し足場を固めているとあれば、
別に「半占領状態」といっても差し支えないと思うが?
いっとき突入したものの、その日のうちに叩き出されてしまった望台なんかとは違うでしょ。
それとも、そんなに気に食わないなら言い換えようか? 「203は占領までもう一息な状態だった」とでも。
>>60-62 どうもご苦労様です。
児玉「すぐ港内の敵艦を撃て!」
攻城砲兵司令部「観測所が出来るまで待ってください」
児玉「ウウム、それでは出来次第直ちにやれ!」
(山頂争奪戦が再開、終わった後で観測所設置、敵艦射撃を開始)
ということですかね。冷静に考えれば、争奪戦の真っ最中に敵艦射撃を試みるというのも妙な話です。
確実に落とした後でじっくり腰を据えて撃てばいいだけだし
高崎山到着後の時系列を纏める。
【12月1日】
1・高崎山に到着、地下室に入る。
2・大迫第七師団長と会談。大迫は攻撃担当の継続を懇願。返答せず。大迫退出後に田中に指示。
3・乃木軍司令官と会談。田中列席。203高地の指揮を任せることを求める。乃木同意。
4・偵察により西南角の占領状況を把握。
5・土嚢を集めるよう指示。
6・西南角が逆襲で奪還されることを防ぐため、夜間の1発/15分間隔で砲撃するよう指示。
7・参謀に山頂の偵察を命じる。
(この日、天保銭エピソードが生じるが、時刻不明のため時系列には入れない)
|/-O-O-ヽ| .。oO 今更だが、「機密」では 既に乃木と柳樹房で会談し終えているという誤った時系列で
| . : )'e'( : . | 述べられている事に改めて注意したい
~`--=--'~
/ \
>>60 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ 12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す
⊂⌒( ・ω・) 児玉大将 高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。
`ヽ_っ⌒/⌒c ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
乃木日記
12月2日 朝、高崎山に至り、日夕還る。 ○東京よりリンゴ二箱送り来る。
一つは保典の分なり 児玉に煙(草) リンゴを送る。
乃木大将の日記の時系列とまったく変わるのですが???? そろそろ ご自分でいってる奇妙な本
を偏向して捏造するのはやめてくださいな。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
公刊戦史において、6章 P526
(12/1) この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 同軍司令官に会し
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。
とある。 これも機密日露戦史 乃木の日記との時系列に問題はない。
名将回顧録その他 ◆kRQ7DyWuR の意見とは完全に相違するが。。。
そもそも 到着後乃木軍司令官の許可も会見もなく、高崎山に赴き、乃木軍の
部下たる第7師団長 及び第1師団に会うのは越権行為も甚だしい。
さらに軍首脳部が全部 高崎山に行ってないと、エピソードの数々は行なわれなく
これまた不自然。
もし、高崎山についてから会見というのも軍の指揮系統から鑑みて極めて不自然。
実際は柳樹房近辺 曹家屯である程度の話を詰めて、兼松氏に案内させたのでは?
>>63別に「半占領状態」といっても差し支えないと思うが?
当時の攻撃司令官も軍司令官も奪回される恐れがあるとの見識で
一致していますが?
バカな意見を真に受けないで もうちょっと当時の戦史なり、まともな
資料を読んでから発言したら?
奪回を恐れる地区が、山頂に既にあるというわけだ。占領地区がなければ奪回される事もない、自明の理。
∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | /
| ( _●_) ミ/ <こいつ最高にアホ
彡、 |∪| /
/ __ ヽノ /
(___) /
12/1AM6:40 後備第一旅団長 友安少将より報告
「我が目下逐次退却にありて多少の戦闘力を有するものは第27連隊の一部に
過ぎず、其の他の諸隊は損害甚大にして現状の維持尚甚だ困難なり」
12/1AM8:00
「第一線の諸隊は異口同音に我が爆弾の劣る事を高唱し之が為我が軍の
士気沮喪せしむる事大なり」
「故に奏功期し難く、かつ其の指揮に堪えざるものなり」
第7師団長は友安少将の辞任表明を受け、斉藤少将に変える・・。
12/1AM9:30
「而して正午まで現状を維持しえる望みありと雖もモシ之を経過すれば
一旅団の兵を以てするも回復期すべからず」
という報告が・・・・。
半占領状態ってどう読めるの?
やっぱりAA太郎か
∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | /
| ( _●_) ミ/ <こいつ最高にアホ
彡、 |∪| /
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>>63 12/1AM6:40 後備第一旅団長 友安少将より報告
「我が目下逐次退却にありて多少の戦闘力を有するものは第27連隊の一部に
過ぎず、其の他の諸隊は損害甚大にして現状の維持尚甚だ困難なり」
12/1AM8:00
「第一線の諸隊は異口同音に我が爆弾の劣る事を高唱し之が為我が軍の
士気沮喪せしむる事大なり」
「故に奏功期し難く、かつ其の指揮に堪えざるものなり」
第7師団長は友安少将の辞任表明を受け、斉藤少将に変える・・。
12/1AM9:30
「而して正午まで現状を維持しえる望みありと雖もモシ之を経過すれば
一旅団の兵を以てするも回復期すべからず」
という報告が・・・・。
陣地の一角を占領し足場を固めているとあれば別に「半占領状態」といっても差し支えないと思うが? にどう見えるの???
説明してごらんよ。
反論されたくないからAA使ってんだよ思いやってやれ。
AA使わないで100レス通したら認めてもいいよ。
本来の児玉時系列の話からは外れて、ちょっと小咄の類い、「観戦してたら怒られた話」について。
「機密」では「児玉大将は大声一喝、田中参謀を掩護下に呼び、故らに大声を以て両師団長以下に聞こゆる如く」
と、師団長らに聞こえよがしに怒鳴りつけたとなっている。
「自己の職責を弁え適切なる指揮に任ずべき、しかるに徒らに観戦とは何事か!」
田中への叱責であるが、その実は両師団長以下を叱責したもの、と伝えられるエピソードである。
状況として、児玉の声の届く範囲に全員が居なければ成り立たないエピソードである。
しかし「名将回顧」で田中自身が語る証言では、この状況自体が成り立たない。
山上で観戦していたところ伝令が駆けて来て「帰ってこい」と伝えられ、それで帰ったら非常な勢いで
怒られた、となっているのである。つまり怒鳴られた現場は観戦していた場所から離れており、現場に
いわば「面当て」される対象が居たとは全く語られていない。
さらに言えば、「機密」では「重砲兵隊の砲撃が始まったところで第一第七師団幕僚が観戦のため高崎山に
登った、田中もこれに同行したところ…」となっているが、「名将回顧」では、「今日の午後から第七師団
が攻撃するから見てこい」と児玉自身が指示を出しているのである。
これで怒られたのならば、随行員田中の行動自体が、児玉総参謀長の癇に障った、というだけの話である。
「機密」で、いわば面当ての役割を背負わされた両師団長以下の面々こそお気の毒である。
名将回顧の記事は信じられないって事でOKですね。
他との資料との相違が多すぎるし。
いや機密が信じられないね。
861 ◆kRQ7DyWuR:
例えば、大山総司令官から乃木第三軍司令官への訓令が発せられたのを28日としているが、これは本当は29日
のはず。しかしP233下段13行に「翌29日」と書いてあるので、ここでは28日としている。
862 :機密日露戦史の記述はおかしいってこと?
864◆kRQ7DyWuR:特に意見なしということで次に進む。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
864 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 明治軍事史を読む前に陸戦新史を読むべきだろ・・・。
`ヽ_っ⌒/⌒c あのさ 機密日露戦史に疑念を抱くのは構わんが、
説得力に欠ける意見を述べても何の意味もない。
といか他の輩もまじめに指摘しろよw
嶽原が一人で書くから儲の立場がどんどん悪くなる。
児玉参謀長の南下とその活躍
11/27より28日の状況(陸戦新史第180及び181 朗読)の報
逐次烟台司令部に達するや総司令官は第3軍司令部に訓令
(陸戦新史第181項)を発し、且つ・・・・
機密日露戦史P233
陸戦新史 (赤本版P152-153)11月28日第一師団方面に在りては〜
総司令官はこの日第3軍司令官に左の訓示 興う
この度再興させられたる攻撃の結果が期待の如くならざりしはすごぶる
遺憾とする所なるも、貴官並びに貴官の令したに在りて攻撃に参興したる
諸部団隊〜・・ 益々之を鼓舞勤勉せられんことを希望す。
機密をまずこういう風にうがった見方をしている人がいる。
高崎山到着後の時系列を纏める。
【12月1日】
1・高崎山に到着、地下室に入る。
2・大迫第七師団長と会談。大迫は攻撃担当の継続を懇願。返答せず。大迫退出後に田中に指示。
3・乃木軍司令官と会談。田中列席。203高地の指揮を任せることを求める。乃木同意。
4・偵察により西南角の占領状況を把握。
5・土嚢を集めるよう指示。
6・西南角が逆襲で奪還されることを防ぐため、夜間の1発/15分間隔で砲撃するよう指示。
7・参謀に山頂の偵察を命じる。
(この日、天保銭エピソードが生じるが、時刻不明のため時系列には入れない)
|/-O-O-ヽ| .。oO 今更だが、「機密」では 既に乃木と柳樹房で会談し終えているという誤った時系列で
| . : )'e'( : . | 述べられている事に改めて注意したい
~`--=--'~
/ \
>>60 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ 12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す
⊂⌒( ・ω・) 児玉大将 高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。
`ヽ_っ⌒/⌒c ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
乃木日記
12月2日 朝、高崎山に至り、日夕還る。 ○東京よりリンゴ二箱送り来る。
一つは保典の分なり 児玉に煙(草) リンゴを送る。
乃木大将の日記の時系列とまったく変わるのですが???? そろそろ ご自分でいってる奇妙な本
を偏向して捏造するのはやめてくださいな。
>を付けないのはなんで?
パソコンのせい?
それとも頭のせい?
>>74「名将回顧」で田中自身が語る証言を全文引用できないのかな?
著作権違反とかいう馬鹿な奴がいるので注意
田中の証言がかなり怪しいというか、眉唾だということはわかった まあ丸ウソという訳でもなさそうだが
気になったので改めて津野田「斜陽と鉄血」を確認してみたが、乃木から児玉への指揮権委譲の件は全く触れられていないね
それどころか砲兵隊や機関銃隊の移動等、あくまで乃木軍司令官の命令に沿って為されたように読める
1.そもそも指揮権委譲がなされていなかった?(田中のウソ)
2.なされていたにせよあくまで口頭で、児玉はオブザーバー的な立場を貫いた?(田中の誇張、津野田の不知)
3.実際に児玉が指揮権を移譲され、指揮を取った?(津野田のウソ)
今のところ、本命が2で対抗が1といったところか
こうなると更なる第三者の証言が欲しいところだが、田中津野田以外に証言を残してる当事者っているのかな?
大庭の日記とか解読できれば面白そうだが
もう少し続けます
さて、「機密」でも語られていない、実に興味深い証言が、これら資料の中で語られている。要約は難しい
ので、原文のまま。
「名将回顧」より
・「我々が総司令部におって第三軍の報告を聞いてみると、どうも203高地を取っても、太陽溝方面の
海軍砲から射たれて、わが占領部隊を吹き飛ばしてしまう。それゆえまず203高地の頂点を射撃する敵の
海軍砲を、どうしても撲滅しなければこの攻撃は成功せぬというので、田中義一参謀なんかといろいろ
相談しあったのです。けれども第三軍の方ではいろいろの行き掛かりがあって実行されなかった。それで
総参謀長が第三軍に来られてからそれをやろうということになり、三日から四日にかけて、12サンチ榴弾
砲15門と、9サンチ臼砲12門を203の西方太陽溝付近に移動せしめて、四日は終日太陽溝南北地区にある
敵の砲兵に向かって猛射を行ったのです。これはたしかに翌五日の第七師団の攻撃に効果があったでしょう」
同様な証言が「秘密」でも語られている。
・「203高地を奪取せん原因は児玉将軍が第三軍に至りて督励せられたること、就中、野戦重砲兵9サンチ
及び12サンチ計24門ありしが、はじめ203高地の射てぬ方面に置きあり、かつて総司令部より注意せしも
第三軍司令部にて受けつけうそのままになりたるが、児玉将軍田中をして訂正せしむのことにて田中は重砲
隊長を呼び重砲を移すことの可能なりやを尋ねしに一昼夜あれば移せると、よって之を移さしめたりしか」
「之より先203高地攻撃においていったん山上を占領するも敵が椅子山方面より海岸砲を打ちつけるゆえ、
我が兵居ること能わず、そのうちに敵が逆襲し来たりて奪還せらるるの状況なりしを以て何とかして椅子山
の砲台を覆滅するの要ありとしこの目的の下に重砲を移し爾後終日椅子山およびカム高地の砲台を砲撃し」
児玉が烟台の総司令部に居た時期、つまり11月29に知20時より以前に、烟台で203高地を側射する敵砲台の
処置が検討されていた、さらに第三軍に注意していた、というのである。
>三日から四日にかけて、12サンチ榴弾 砲15門と、9サンチ臼砲12門を203の西方太陽溝付近に移動せしめて、
あ゛〜
ひょっとしてそれって、これ↓のことですか!?
「三日更に中央地区の野戦重砲兵連隊と、左翼の九珊臼砲二中隊とを右翼方面に移し……」(「斜陽と鉄血」)
このような攻撃体勢の細部に至るまでを、遠方の総司令部で把握し、かつその修正を現地軍に指示することなど、
出来るものだろうか?
疑問1「烟台に於いての状況把握は可能か?」
27日の攻撃が頓挫したのちに、第三軍から戦況報告が送られているが、(28日の攻撃頓挫後にも報告がなさ
れた可能性もある)それによって「203高地を側射する敵砲台への対応処置」が総司令部で検討されたという
のだろうか?そうだとして、その時点に於いて「(特定の)重砲隊の移動が必要」と判断できるものだろうか?
疑問2「第三軍への通知は行われた?」
証言では、「第三軍にはその旨通知していたが、色々の行き掛り上実行されなかった」とあるが、そのような電文
はこれまで見た事がない。29日に発された《命令※1》《訓示※2》は、それを伝える絶好のタイミングなのだが、
重砲移動についてはまったく触れていない。
いろいろ疑問が残る証言である。
また他資料(「田中義一伝」)での田中国重証言とも比較し検討を行うべきとも思うが、今まで三資料について
検討してきた流れがあるので、今までどおりこれら情報を時系列に加えることにする。
【12月2日】
・田中参謀に、重砲隊長へ“重砲移動の可否”を尋ねさせる。24時間で移動可能との返答を得る。
【12月3日】
・12珊榴弾砲15門と9珊臼砲12門を203高地の西方に移動させる。
【12月4日】
・移動完了。終日太陽溝南北地区にある敵の砲兵に向かって砲撃。
>>85 そうですね。
今の所主に四資料を見てますが、「斜陽と鉄血」も児玉来順について書かれている貴重な資料の一つですね。
>>82の言われる「大庭日記」なんか、とても興味深いものなんですがいかんせん読めません…。
>>82 「井上幾太郎伝」「陸大課外講演集」で、井上参謀が児玉督戦の実情について二三触れていました。
詳細はいずれ…。
|/-O-O-ヽ| .。oO 【児玉の声の届く範囲に全員が居なければ成り立たないエピソードである。】
| . : )'e'( : . | しかし「名将回顧」で田中自身が語る証言では、この状況自体が成り立たない。
~`--=--'~ 山上で観戦していたところ伝令が駆けて来て「帰ってこい」と伝えられ、
/ \ それで帰ったら非常な勢いで怒られた、となっているのである
>>74 ◆kRQ7DyWuR 【現場にいわば「面当て」される対象が居たとは全く語られていない。】
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
なんで 児玉は田中が傍観してたのがわかったのか????児玉も山上の両師団長
が見える場所でないとありえないですけど????
名将回顧録どんどん信用できなくなってるね。 まぁ民間向けなのでイロイロ語れない部分を
変更したんでしょうね。
>>82 >乃木から児玉への指揮権委譲の件は全く触れられていないね
1.そもそも指揮権委譲がなされていなかった?(田中のウソ)
2.なされていたにせよあくまで口頭で、児玉はオブザーバー的な立場を貫いた?(田中の誇張、津野田の不知)
3.実際に児玉が指揮権を移譲され、指揮を取った?(津野田のウソ)
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
松川作戦課長の進言により 大山総司令官は児玉に
「乃木将軍へ予に代わり、児玉を差遣す 児玉の言う所は予の言う所と心得べし」との一札を渡している。
総司令部で先輩の児玉とはいえ、指揮権の乱用を後世に残さないためにもこれは必要。
3以外にありえない。
ちなみに公刊戦史でも12月からの203高地関連は軍司令官の命令と児玉と相談を受けという
形に記されている。また、友安少将の攻撃部隊辞任の経緯や斉藤少将の意見は書かれていない。
つか、こういう組織の事を理解してないのは・・社会経験の無さだよな・・・。
|/-O-O-ヽ| .。oO 疑問1「烟台に於いての状況把握は可能か?」
| . : )'e'( : . | そうだとして、その時点に於いて「(特定の)重砲隊の移動が必要」
~`--=--'~ と判断できるものだろうか?
/ \ 疑問2「第三軍への通知は行われた?」
>>86-87 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
烟台に於いての総司令部の状況把握 どの程度行なわれていたか。
11/27には 乃木が総司令部に203高地に指向するとの状況と企図を報告している。
この状況は攻撃準備として28サンチ榴弾砲による203高地を砲撃したのち、
第一師団を突撃部隊として指定していた しかし203高地に対する突撃部隊は
師団中央隊の歩兵第一旅団で兵力は変わらず、師団右翼部隊の後備旅団が
バックアップし、師団左翼隊や松樹山堡塁攻撃部隊の配置は旧来どおり。
攻撃力強化の手段(予備歩砲兵部隊の抽出 再編成)は行なわれてない。
11/29付け 井口高級参謀の長岡宛に送られた書簡がある
・・・しかるに今回の攻撃再興の結果かくのごとく一旦占領したる203を一再ならず
奪還せられたるはいかにも遺憾至極 必意するに指揮の統一を欠き高等司令部が
部下団隊に一任せし結果に他ならずと存知候・・・・
之を裏付ける資料もある。歩兵第一連隊旗手 猪熊氏の鉄血より
28日 午前8時高崎連隊の2中隊を予の連隊長の指揮下に属し同時に突撃を実行
すべきと命令が下った。まだ砲撃さえ開始せられざrに突撃をするとはずいぶん無謀である・・・・
兵力の配置状況と 戦況、結果で上記の事を理解できるのは高級将校では当然でしょ。
|/-O-O-ヽ| .。oO 疑問2「第三軍への通知は行われた?」
| . : )'e'( : . | 29日に発された《命令※1》《訓示※2》は、それを伝える絶好のタイミングなのだが。
~`--=--'~ 重砲移動についてはまったく触れていない
/ \
>>86 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
うん。そんな砲兵までの具体的には話さないだろ・・・。読む背景知識の無さが露呈しているな。
これに該当する訓令はある。有名というかなぜこの訓令がよく取りざたされているか理解すれば??w
12/1 2.高等司令部及び予備隊の位置遠きにすぎ、ために敵の逆襲に対し救済するの時期を逸すること。
この予備隊というのは歩兵、砲兵、工兵を含む。
第2にいったん高地山頂を占領したならば敵の増援部隊の逆襲にを阻止するために高地後方に
弾幕をはり敵増援兵力の203高地接近を不可能たらしめることである。そのためには重砲陣地の
移動が必要であり・・・・宿利 「児玉源太郎」
と上記の訓令にそって上記重砲陣地が移動しているのは明らか。
つか名将回顧以外の資料は整合性があるんだが・・・。
>>87 或いは津野田は、「機密日露」(をはじめとする有象無象の第三軍批判)に対する反論の意図もあって、
「斜陽と鉄血」を著したのかな? とも想像できます。
何にせよ色々と貴重な資料をお持ちのようで、羨ましい限りです。
どうぞマターリとやってください。
今まで書いた時系列のまとめ。
【11月28日】
1・第三軍より総司令部へ電報が打たれる。(戦況報告電報:0時10分発電、1時4分着電)
2・総司令部より第三軍へ電報が打たれる。(激励電報:13時35分発電、着電時間記載なし)
【11月29日】
1・第三軍より総司令部に、203高地攻撃に第七師団主力を使用する旨の報告電が入る。
2・大山総司令官は11時50分、第三軍へ命令を発する。《203高地攻撃履行に関する命令※1》
3・総司令部より第三軍に、「児玉総参謀長を差遣する、12月1日長嶺子到着予定」との電報を送る。
4・大山総参謀長は17時40分、第三軍へ訓令を発する。《203高地攻撃に関する訓示※2》
5・児玉総参謀長は20時、烟台を出発。指揮権委譲の一札を携行。 当夜は遼陽に宿泊。
【11月30日】
1・児玉総参謀長は朝六時過ぎに遼陽を出発。終日移動。夜間、機関車が故障。
(以後、特に明記しないものは児玉総参謀長の行動を記したものとする)
【12月1日】
1・午前3時に金州駅に到着。停車場にて203高地奪還の情報を得、祝電を発する。
2・夜明け頃に大連に到着。朝食を待つ所に第三軍との電話にて203高地失陥を知る。
3・烟台の大山総司令官に電報し、歩兵第17連隊の南下を要求。
4・大連を出発。長嶺子到着、下車。第三軍参謀(大庭副長)迎える。
5・現時の情況報告を問う。大庭が数時間前出発当時の情況を報告したことを憤る。
6・停車場から通信所が300メートル離れていることを知り、大庭を再び叱責。
7・第三軍司令部(柳樹房)に向かう。正午到着。乃木軍司令官不在。 第三軍参謀らの勤務ぶりを確認し激怒。
8・総司令部付参謀の福島将軍に電話して戦況を聞くことにする。高崎山の福島将軍と通話。
9・高崎山に向かう。道中、戦死者墓地の場所について非常に怒り、取り払うよう指示。
10・高崎山に到着、地下室に入る。
11・大迫第七師団長と会談。大迫は攻撃担当の継続を懇願。返答せず。大迫退出後に田中に指示。
12・乃木軍司令官と会談。田中列席。203高地の指揮を任せることを求める。乃木同意。
13・偵察により西南角の占領状況を把握。
14・土嚢を集めるよう指示。
15・西南角が逆襲で奪還されることを防ぐため、夜間の1発/15分間隔で砲撃するよう指示。
16・参謀に山頂の偵察を命じる。
(この日、天保銭エピソードが生じるが、時刻不明のため時系列には入れない)
【12月2日】
1・朝、三人の参謀を203高地山頂の偵察に派遣する。
2・午後四時頃、無事戻り報告あり「七艘くらいの軍艦がいる、多数の船舶もある」
3・「スグ射て」と主張するが観測所設置まで待って欲しいと反対意見が出る。
4・結局待つことになり、観測所の設置となる。
(この日、歩兵第17連隊が遼陽を出発したが時刻不明のため時系列には入れない)
(田中参謀に、重砲隊長へ“重砲移動の可否”を尋ねさせる。24時間で移動可能との返答を得る)
【12月3日】
(12珊榴弾砲15門と9珊臼砲12門を203高地の西方に移動させる)
【12月4日】
(移動完了。終日太陽溝南北地区にある敵の砲兵に向かって砲撃)
今まで、児玉旅順督戦行に随行した田中国重参謀の証言とされるもの四種を総合して検討して来た。
これらを総合してみて、四つの証言は、同じ人が行った証言とは思えないほどに整合性が取れていない。
エピソード(事象)自体にはさほどの矛盾は感じないが、これを時系列に揃えていこうとすると非常に
難儀な作業となる。これは実に不可解なことである。
四つの資料のうち、三つは田中参謀自身の証言であることは確実である(二つは参加者多数の座談会
での会話中の証言、もう一つは記名)。しかしこれらと比して「機密日露戦史」のものは、厳密に言えば
田中参謀の言というべきものではない。
機密該当部には『田中現近衛師団長の随行せられたる事実を聞き、諸官に伝うべく左記事実を記述する』
とあり、これは田中の言というよりは、講義録(いわゆる機密日露戦史)の執筆者である谷教官の言と
いうべきものである。
これまでの考察が非常にやっかいだった理由は、実は『とりあえずの下敷きは「機密」』としたことが
非常に大きい。
「機密」の記述を全く無視して、明らかに田中の言ということが判明している他三資料のみで時系列を
再構築しようとしてみると、多少のブレはもちろんあれども「機密」に振り回されながらの作業よりは
格段に矛盾が少ない。
「機密日露戦史」のこの部分の信憑性はかなり低いと言わざるを得ない。
>>92>どうぞマターリとやってください。
えーと、終わっちゃいましたけど。まあ一応、というところですが。
これまでは主に田中証言に従って、という縛りでやってきましたが、他の資料とかも絡めて行きたいです。
初めはそうやってたんですが、収拾つかなくなっちゃいまして結局このように相成りました。
ご意見などよろしく。AA付きは受け付けません。
|/-O-O-ヽ| .。oO 三つは田中参謀自身の証言であることは確実である
| . : )'e'( : . | 「機密日露戦史」のものは、厳密に言えば 田中参謀の言というべきものではない。 。
~`--=--'~ 三資料のみで時系列を 再構築しようとしてみると、多少のブレはもちろんあれども
/ \ 「機密」に振り回されながらの作業よりは 格段に矛盾が少ない。
>>86 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
>>8 機密に陸戦新史を読めとかいてあるのに 明治軍事史からの抽出による◆kRQ7DyWuR の思い込み
11月29日午後5時40分発電と12/1の決定的な訓令の違い
(児玉差遣と児玉が【12/1】に指定した歩兵17連隊)を◆kRQ7DyWuRが無視して捏造の為に削除したこと。
>>12-13 >>19 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」
児玉総参謀長が遼陽から電報を打った件も怪しいけど 載せてるね。
>>31-32 11/29-12/1
「機密」【名将回顧】「参戦二十将星」時系列があっていて「秘密」は11/26出発で間違い。
>>33-34 12/1
「機密」で7-8行書かれているが、【名将回顧】では【数行】なので数々のエピソードの実在性は
疑われるらしいw 「参戦二十将星」の記事を書く前に疑ってるところを見ると 否定ありき
というのがよく示されている。
また中国での一里と日本での一里の間違いをあげつらって否定するところは彼らしい。
>>41-43 機密では司令官に会ってる。【名将回顧】は不在 会っていない
「参戦二十将星」「秘密」では記入すらされていないが、
【三つの資料に共通して、いきなり高崎山に向かっている。】と捏造。
>>42で乃木日記には会ってないと述べてるが、
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
会っているのにその当時の全文を出さずに書いてない。これでは◆kRQ7DyWuRの書き出しには
なんらかの思想的なバイアスがかかっているとしか思えない。
突っ込みは
>>44にて記載。
参戦二十将星も秘密においてもの日付間違いは多々ある。、なにより 自分たちに省みて
大学などの受験当時の試験の内容など寸分タかわず 座談できるか??という根本的な事を
理解できてないんだろうな。
錯誤は仕方ないが、そのバイアスを名将回顧に置くか、公刊戦史や機密など第3者が当時の資料と
比較して記したのとどっちをとるかは その読者しだいですね。
当時展開中の砲兵隊も予備にしちゃうのは頭が不自由にも程度ってもんが
>>99 当時展開中の東北【主】正面部隊の2個大隊を抽出して司令官自ら突撃しようとした
人がいるが、それはアタマに不自由があるってことですね。
砲と歩の違いもわからないなんてどんだけ…
いっそ哀れ
>101 ?? 砲兵隊が予備隊に入るのがおかしいってこと?
「予備隊の位置遠きに過ぎ〜」てのに砲兵隊の意味もあるなんて珍説初めて見たよ。
101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/10/23(木) 04:57:20 ID:fcVE69UbO
砲と歩の違いもわからないなんてどんだけ… いっそ哀れ
103 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/10/23(木) 06:41:21 ID:fcVE69UbO
「予備隊の位置遠きに過ぎ〜」てのに砲兵隊の意味もあるなんて珍説初めて見たよ。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
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`ヽ_っ⌒/⌒c
>>102の砲兵隊が予備隊に入るのがおかしいってこと? に対する返答が
103って事は何が言いたいのやら・・。
砲と兵の違いがって101で答えているから、予備隊=歩兵部隊のみって思い込みかな?
しっかりのべてほしいぜ。
はいはい哀れ…
101 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/10/23(木) 04:57:20 ID:fcVE69UbO
砲と歩の違いもわからないなんてどんだけ… いっそ哀れ
103 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/10/23(木) 06:41:21 ID:fcVE69UbO
「予備隊の位置遠きに過ぎ〜」てのに砲兵隊の意味もあるなんて珍説初めて見たよ。
105 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/10/23(木) 22:45:00 ID:fcVE69UbO
___
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.| (__ノ ̄| | ///;ト, <はいはい哀れ…
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◆kRQ7DyWuR (哀れ)
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
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第3軍でも予備隊に砲兵第9連隊徒歩砲兵第3連隊第2大隊本部及び第7.8中隊
工兵第9大隊本部及び第2中隊が編成されてたりするのを知らないらしいw
哀れ哀れって己のおろかさが哀れだよな。何を言ってんだが。
身から出た錆とはいえ、相手にされないって哀しいね
>>107 どうみても:fcVE69UbOが相手にされてないな。
ご苦労様
永遠に終わらない喧嘩が続いているスレがあると聞いてやって参りましたが
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 19:08:06 ID:CyM35Ue40
乃木ってそんなに無能でもないよな
日清戦争のときなんかすぐに旅順を陥落させてるし
吟じます!
♪♪日清戦争で〜〜〜〜
旅順が簡単におちたから〜〜〜
今回もなんだかイケそうな気がして〜〜〜
あると思います
(`・ω・´)シャキーン
喧嘩売りの太郎くんは最近無視されて悲しそうです
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/26(日) 01:21:07 ID:qQ/yV52IO
前スレから読破したが、
何かにつけてAA太郎を悪役にしたてようと煽動してる方もどうかと思った。
とくにAA太郎に痛い所をつかれた時にギャーギャー騒いでる所は正直、見苦しいよ。
まだAA太郎の方が正々堂々やってるよ。まああのAAはかなりウザいが。
太郎ほどの卑劣漢もいないと思うが…
あ、白馬ナントカとどっちが上かな
意見に批判するのと ただ人格攻撃している人と どっちが卑劣かは一目瞭然
また都合よく トリップをつけたりつけなかったりして 自己擁護に走ってるのもね。
まっとうな根拠を受け入れないのは どうしようもない。
>AA太郎に痛い所をつかれた
そんなこと、一度でもあったっけ???
コピペと、揚げ足取りと、トンデモ曲解しかないと思うけど
いや、別に煽りでもなんでもなく、マジな話。
>>117 ↓曲解の数々って◆kRQ7DyWuRの方でしょ。
|/-O-O-ヽ| .。oO 三つは田中参謀自身の証言であることは確実である
| . : )'e'( : . | 「機密日露戦史」のものは、厳密に言えば 田中参謀の言というべきものではない。 。
~`--=--'~ 三資料のみで時系列を 再構築しようとしてみると、多少のブレはもちろんあれども
/ \ 「機密」に振り回されながらの作業よりは 格段に矛盾が少ない。
>>86 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
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>>8 機密に陸戦新史を読めとかいてあるのに 明治軍事史からの抽出による◆kRQ7DyWuR の思い込み
11月29日午後5時40分発電と12/1の決定的な訓令の違い
(児玉差遣と児玉が【12/1】に指定した歩兵17連隊)を◆kRQ7DyWuRが無視して捏造の為に削除したこと。
>>12-13 >>19 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」
児玉総参謀長が遼陽から電報を打った件も怪しいけど 載せてるね。
>>31-32 11/29-12/1
「機密」【名将回顧】「参戦二十将星」時系列があっていて「秘密」は11/26出発で間違い。
>>33-34 12/1
「機密」で7-8行書かれているが、【名将回顧】では【数行】なので数々のエピソードの実在性は
疑われるらしいw 「参戦二十将星」の記事を書く前に疑ってるところを見ると 否定ありき
というのがよく示されている。
また中国での一里と日本での一里の間違いをあげつらって否定するところは彼らしい。
>>41-43 機密では司令官に会ってる。【名将回顧】は不在 会っていない
「参戦二十将星」「秘密」では記入すらされていないが、
【三つの資料に共通して、いきなり高崎山に向かっている。】と捏造。
>>42で乃木日記には会ってないと述べてるが、
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
会っているのにその当時の全文を出さずに書いてない。これでは◆kRQ7DyWuRの書き出しには
なんらかの思想的なバイアスがかかっているとしか思えない。
突っ込みは
>>44にて記載。
参戦二十将星も秘密においてもの日付間違いは多々ある。、なにより 自分たちに省みて
大学などの受験当時の試験の内容など寸分タかわず 座談できるか??という根本的な事を
理解できてないんだろうな。
錯誤は仕方ないが、そのバイアスを名将回顧に置くか、公刊戦史や機密など第3者が当時の資料と
比較して記したのとどっちをとるかは その読者しだいですね。
>>116 >また都合よくトリップをつけたりつけなかったりして自己擁護に走ってる
↑の根拠は?
根拠なしにこう断定するのは明らかに卑劣な行為だ。
>まっとうな根拠を受け入れないのはどうしようもない
こんなん書いて、しっかりした根拠なしにただそう思う、てのはちゃんちゃらおかしい。
>大学などの受験当時の試験の内容など、寸分タかわず 座談できるか??
そんな細かい話について言っていたわけじゃないでしょ?
受験に例えていうとしたら、「受験日の足取りを言ってください」レベルの話でしかない。
最寄りの駅まで行った交通手段、時刻、道中のエピソードとか。
宿泊した場所は駅前か?大学の近くか?とかは、覚えていて当然レベルの要件だろうか。
少し記憶のよい人なら、食事した場所とかも覚えているかも知れない。(俺はちょっと怪しい)
そういう意図的なミスリードを謀るあたりが卑劣っていわれるんだよ。
というか、喩え話のやり方で話し手の程度がわかったよ。試験内容だって?笑えたわ。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) )
|/ ∴ ノ 3 ノ
\_____ノ,, ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ
/ ヽ| | バ | '、/\ / /
/ `./| | カ | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
∧..∧
. (´・ω・`)
>>119 本人降臨だね。思考パターンがイッショw
cく_>ycく__) ”まっとうな”という部分を無視して全否定に入る。
(___,,_,,___,,_) ∬ これは
>>96の部分的を持って書物を批判しているパターンと一致。
彡※※※※ミ 旦 全書籍が部分的な状況を示してるにもかかわらずだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 昔嶽原が機密の第6章だけが信じられないとほざいとったのと
イッショだねぇ。
>>120 あのさ、試験の内容など がいきなり試験内容と改竄するのはなぜかな?
覚えている人は日記や手帳に予定を書いている人だよ。だからこそ日記は信用たるんだけどね。
そもそも
>>86 ◆kRQ7DyWuR の内容を批判するのにちゃんとした根拠 乃木の日記
などを示しているわけだが?その日記に書いてるのに 書いてないって主張するのはどういういこと?
そういう偏った見方をする癖って直らないんだよね。社会人でも変わらないんだろうな・・。
|/-O-O-ヽ| .。oO 三つは田中参謀自身の証言であることは確実である
| . : )'e'( : . | 「機密日露戦史」のものは、厳密に言えば 田中参謀の言というべきものではない。 。
~`--=--'~ 三資料のみで時系列を 再構築しようとしてみると、多少のブレはもちろんあれども
/ \ 「機密」に振り回されながらの作業よりは 格段に矛盾が少ない。
>>86 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
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>>8 機密に陸戦新史を読めとかいてあるのに 明治軍事史からの抽出による◆kRQ7DyWuR の思い込み
11月29日午後5時40分発電と12/1の決定的な訓令の違い
(児玉差遣と児玉が【12/1】に指定した歩兵17連隊)を◆kRQ7DyWuRが無視して捏造の為に削除したこと。
>>12-13 >>19 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」
児玉総参謀長が遼陽から電報を打った件も怪しいけど 載せてるね。
>>31-32 11/29-12/1
「機密」【名将回顧】「参戦二十将星」時系列があっていて「秘密」は11/26出発で間違い。
>>33-34 12/1
「機密」で7-8行書かれているが、【名将回顧】では【数行】なので数々のエピソードの実在性は
疑われるらしいw 「参戦二十将星」の記事を書く前に疑ってるところを見ると 否定ありき
というのがよく示されている。
また中国での一里と日本での一里の間違いをあげつらって否定するところは彼らしい。
>>41-43 機密では司令官に会ってる。【名将回顧】は不在 会っていない
「参戦二十将星」「秘密」では記入すらされていないが、
【三つの資料に共通して、いきなり高崎山に向かっている。】と捏造。
>>42で乃木日記には会ってないと述べてるが、
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
会っているのにその当時の全文を出さずに書いてない。これでは◆kRQ7DyWuRの書き出しには
なんらかの思想的なバイアスがかかっているとしか思えない。
突っ込みは
>>44にて記載。
参戦二十将星も秘密においてもの日付間違いは多々ある。、なにより 自分たちに省みて
大学などの受験当時の試験の内容など寸分タかわず 座談できるか??という根本的な事を
理解できてないんだろうな。
錯誤は仕方ないが、そのバイアスを名将回顧に置くか、公刊戦史や機密など第3者が当時の資料と
比較して記したのとどっちをとるかは その読者しだいですね。
試験の内容など、って喩えてるのがバカバカしいって言ってるの。
そんな細かいことの記憶をあれこれ言ってる話ではないって事だよ。
だいたい、なんだよその膨大なコピペを貼るの何度目だよ。>と>>を使えばいいだろが。
愚かで卑劣な最低野郎だよあんた。
太郎は相手にしない事です
>>123 まあもちつけ
論理的整合性とか知的誠実さとかいう語句は、AA太郎の辞書には無いのです
シカトするのが一番
>>125 ◆kRQ7DyWuR の意見に論理的整合性とか 批判を受け知的な誠実さなんて
見当たらないよね。 もう一回あげておくよ。
|/-O-O-ヽ| .。oO 三つは田中参謀自身の証言であることは確実である
| . : )'e'( : . | 「機密日露戦史」のものは、厳密に言えば 田中参謀の言というべきものではない。 。
~`--=--'~ 三資料のみで時系列を 再構築しようとしてみると、多少のブレはもちろんあれども
/ \ 「機密」に振り回されながらの作業よりは 格段に矛盾が少ない。
>>86 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
>>8 機密に陸戦新史を読めとかいてあるのに 明治軍事史からの抽出による◆kRQ7DyWuR の思い込み
11月29日午後5時40分発電と12/1の決定的な訓令の違い
(児玉差遣と児玉が【12/1】に指定した歩兵17連隊)を◆kRQ7DyWuRが無視して捏造の為に削除したこと。
>>12-13 >>19 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」
児玉総参謀長が遼陽から電報を打った件も怪しいけど 載せてるね。
>>31-32 11/29-12/1
「機密」【名将回顧】「参戦二十将星」時系列があっていて「秘密」は11/26出発で間違い。
>>33-34 12/1
「機密」で7-8行書かれているが、【名将回顧】では【数行】なので数々のエピソードの実在性は
疑われるらしいw 「参戦二十将星」の記事を書く前に疑ってるところを見ると 否定ありき
というのがよく示されている。
また中国での一里と日本での一里の間違いをあげつらって否定するところは彼らしい。
>>41-43 機密では司令官に会ってる。【名将回顧】は不在 会っていない
「参戦二十将星」「秘密」では記入すらされていないが、
【三つの資料に共通して、いきなり高崎山に向かっている。】と捏造。
>>42で乃木日記には会ってないと述べてるが、
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
会っているのにその当時の全文を出さずに書いてない。これでは◆kRQ7DyWuRの書き出しには
なんらかの思想的なバイアスがかかっているとしか思えない。
突っ込みは
>>44にて記載。
参戦二十将星も秘密においてもの日付間違いは多々ある。、なにより 自分たちに省みて
大学などの受験当時の試験の内容など寸分タかわず 座談できるか??という根本的な事を
理解できてないんだろうな。
錯誤は仕方ないが、そのバイアスを名将回顧に置くか、公刊戦史や機密など第3者が当時の資料と
比較して記したのとどっちをとるかは その読者しだいですね。
相手にされないって辛いね、でも自業自得だから。
久々の続き。
これまで、田中国重参謀の証言に拠って、児玉総参謀長の行動を時系列に沿って再現してきた。次いで、他の
資料では児玉の行動はどのように記録されているかを見てゆきたい。
当時の関係者で記録を残しているものを順次挙げていく予定である。
まず第一として乃木第三軍司令官の「日記」である。これは多くの書に掲載されているが、ここでは宿利重一著
「人間乃木将軍篇」に拠った(関連部抜粋)。
【12月1日】
「朝、土城子に児玉を待つ。来ず。豊島に登る。午食後、曹家屯に児玉と会す。児玉大将高崎山行き、兼松誘導す。
日夕下山す。」
とりあえず地名の説明。
「土城子」軍司令部の置かれた柳樹房のほぼ真西に位置する、旅順街道上の集落名。
「曹家屯」土城子の東側に位置する集落名。「土城子―柳樹房」間のほぼ中間やや土城子寄りに位置する。
「豊島山」鳳凰山東南高地のこと。曹家屯のほぼ真南に位置する。攻城砲兵司令部が置かれた。豊島とは、
攻城砲兵司令官豊島少将の名に由来する。
12月1日の朝に長嶺子到着予定の児玉を、土城子にて待っていたが会えず、豊島山に登ったということである。
ここで待っていたということは、児玉と共に攻城砲兵司令部を訪ねるつもりだったのではないだろうか。児玉の
到着が遅れたことによりそれは成らず、軍司令官は一人豊島山に登った。その後下山しおそらくは柳樹房に向かう
途中で、曹家屯にて児玉と会ったという状況だろうか。
この時児玉は、高崎山に居る福島少将に会いに行く途中であり、二人はすぐ別れたと考えられる。兼松誘導とは、
不案内であろう事を思っての措置だろう。
次の一文「日夕下山す」とは、直前に出ている高崎山、ここに至り、のち「日夕下山」ということと捉えるのが
妥当であろうか。児玉一行は高崎山に急行途中、おそらくは当地での合流を約したのであろう。
当日の日記はここで終わる。つまり高崎山近くの穴蔵での談判については全く触れられていない。ここを知りたい
というのに全く残念である。とりあえず日記に書かれている内容についていえば、これまでの田中証言から追った
児玉時系列にも合致するため、既述の児玉行動時系列に大きな変更は行わない。
墓地の位置について文句を言うエピソードと、急行途中で曹家屯で乃木と出会ったエピソードと、どちらが時系列的に
先だったのか、詳しく知りたいところである。
以後、5日の203高地攻撃まで。
【12月2日】
「朝、高崎山に至り、日夕帰る。」
【12月3日】
「馬を駆り高崎山に至る(一時間)。斉藤支隊前進命令につき決定を与う。第一師団と第七師団の守備分界を定む。
児玉大将と同宿。」
【12月4日】
「伊地知参謀長、ニコルソンと豊島山に登り、日夕高崎山に来る。」
【12月5日】
「朝より203攻撃、九時より斉藤支隊前進、目的を達す」
高崎山にほぼ日参、という感じである。騎行であれば「柳樹房ー高崎山」の移動時間は一時間であることがわかる。
3日は「児玉大将と同宿」とあり、よく語られるエピソード「乃木の寝屁は格別だった」というのはこの夜の事と
思われる。4日には伊地知参謀長も高崎山に来ている。
乃木日記を読むに、総じて簡潔に過ぎ、あまり参考にならなかった。もう少し詳しく書き残してくれていれば、と思う。
この頃知り合いのWさんのお祖父さんが活躍してるはず。
別宮暖朗によると、乃木日記の旅順戦期間は何者かの手による改竄(削除)がされているらしいが、ホントかな?
>>132 お爺さんってことは貴方は45歳から60歳ってとこ?
>>133 別宮氏がどこでそんなコトいってるんだ?
>別宮氏がどこでそんなコトいってるんだ?
つ掲示板の過去ログ
http://www.ingle.co.jp/past/log48-6.html >それと乃木日記があります。これは6月から12月の一番いいところを、何者かに除去されています。
>寺内正毅がやったようですが(ですから寺内家にある可能性あり)よほど重大な秘め事があったんでしょうね。
別宮さんは確かに凄い博識なんだけど、時々憶測半分で突飛なことをいう癖があるようなので、
注意が必要かな〜、と思う
結局、乃木日記でも、乃木軍司令官の不在と児玉将軍の一日到着直後の高崎山行きってのが確定なわけで。
太郎は何度もコピペして何が言いたかったのかね?
みんな無視してんだからー相手にしちゃ駄目だよ
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . | 「豊島山」鳳凰山東南高地のこと。曹家屯のほぼ真南に位置する。
~`--=--'~ 攻城砲兵司令部が置かれた
/ \
◆kRQ7DyWuR
>>128-131 >>50 「名将回顧」。
【12月1日】
・【高崎山に着く。(穴蔵に一週間ばかり滞在することになる) 】
・大迫第七師団長来る。攻撃担当の継続を懇願されるが回答せず。大迫退出。
・乃木来る。対談(詳細は語らず)
>>53「名将回顧」
・偵察により、203高地西南角山頂を我が兵100名程が占領していることが判明。
・逆襲に耐えるよう工事するため、軍各方面から土嚢を集めることを指示。
・夜間に逆襲で西南角を奪還されぬよう、28珊砲を1発/15分感覚で山頂を射撃する考えを示す。
【攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだが、児玉はそれを聞き入れなかった】。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
児玉は高崎山に行ってるって記述で、攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだとあるってことは、
当然 攻城砲兵司令部も高崎山に移動しているのか????
公刊戦史第6巻P527では豊島少将に対して伊地知軍参謀長が依頼していることから、
この時系列はいい加減なものだって断言できる。名将回顧日露大戦秘史
昭和初期の本なのでまだまとめきれてないのかもしれん。
まぁ いまさらそれに固執して 捏造論をぶち上げるのもどうかとおもうが・・・。
>>137 w
50 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ 乃木日記を出すと 別宮氏による削除で 捏造があったとする論が出てくるあたり
⊂⌒( ・ω・) 腐ってるねー何かがw 12/1日は乃木にとって重要な日なのに捏造かいなw
`ヽ_っ⌒/⌒c
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
12月2日 朝、高崎山に至り、日夕還る。 ○東京よりリンゴ二箱送り来る。一つは保典の分なり
児玉に煙(草) リンゴを送る。
12月5日 朝より203砲撃 9時より斉藤支隊前進目的を達す。
上記12/1日記と機密p235 ”間もなく正午柳樹房なる第3軍司令部に着し乃木将軍と会見し”という項目は整合する。
また、機密の記述は”翌日(12/1の翌日)自ら203高地攻撃に任ぜる第7師団長の許なる高崎山山脚に至る。”
であり、前日から高崎山に行ってないなどとは書いてない。
公刊戦史において、6章 P526
(12/1) この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 同軍司令官に会し
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。
逆に◆kRQ7DyWuRが述べてる論だと、当の本人の日記の記述に合わず、信憑性に欠ける。
特に 12月1日 高崎山に児玉と 乃木が行ったとする論は上記日記に反することとなり、
時系列は12月1日から12月2日にかけてって事がわかる。
それを◆kRQ7DyWuRが12月1日固執しようとしているのが現状。
というかそろそろ捏造論 やめたら?
太郎の言わんとするのが全く理解できないが、誰か解説出来る人いる?
◆kRQ7DyWuRが必死になって捏造しているのはよくわかった。
乃木日記も機密もうがった見方をしてるよね。
太郎の考えは誰も理解出来ないという事はわかりました。
>>136 憶測半分、じゃなくて思い込みが激しくてだね>別宮氏
141 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/11/03(月) 03:06:35 ID:JBvjAQvpO
太郎の言わんとするのが全く理解できないが、誰か解説出来る人いる?
143 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/11/03(月) 08:53:50 ID:JBvjAQvpO
太郎の考えは誰も理解出来ないという事はわかりました。
861 ◆kRQ7DyWuR. sage 2008/08/30(土) 04:08:58
例えば、大山総司令官から乃木第三軍司令官への訓令が発せられたのを28日としているが、これは本当は29日のはず。しかしP233下段13行に「翌29日」と書いてあるので、ここでは28日としている。
862 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/08/30(土) 08:29:49 ID:thNfOPYP0
機密日露戦史の記述はおかしいってこと?
864 ◆kRQ7DyWuR. sage 2008/09/01(月) 22:16:03
特に意見なしということで次に進む。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はははっはw 休日の早朝に書き込んで 朝 返答できる輩がどれだけいるってのw
`ヽ_っ⌒/⌒c 本人バレバレだなw
↑思い込みが激しい典型ですね
つか、あんたマゾか?
続き。
第二に、第三軍の参謀であった津野田是重の著作「斜陽と鉄血」。
乃木日記と同様に、まず時系列を拾い上げて行く。
【11月29日】
・満州軍総参謀長児玉大将出発当地に急行せらるる旨の通報到来。
・夜半、同大将は遼陽発の電報にて、攻撃実行に関する諸種の注意を寄せられた。
【11月30日】
・午後五時頃、203高地占領を電報。
【12月1日】
・早朝より各方面よりの祝電に接し恐縮。
・11時30分頃、児玉大将は長嶺子の仮停車場に到着。
・大庭参謀副長、津野田参謀出迎え。児玉大将すこぶるご機嫌斜め。
・大将まず柳樹房の軍司令部に入り、午食ののち乃木将軍の後を追い第一師団司令部に赴く。
・大迫中将、軍司令官に攻撃延期の許可を乞う。軍司令官これを認可。
・夜に入って児玉大将は歩兵第十七連隊を当方面に招致すべき措置を取られた。
【12月2日】
・軍司令官は工兵二個中隊を第七師団の隷下に属し、第一、第七師団の作戦地境を明示。
【12月3日】
・中央地区隊の野戦重砲兵連隊と、左翼の九珊臼砲二中隊を右翼方面に移した。
29日に遼陽から、児玉大将が「攻撃実行に関する諸種の注意」を寄せた、というのがまず気になるところ。
同行田中参謀が複数の証言の中で一度もそのようなことを伝えていないことと比較して、ここは田中参謀の証言の方が
正しい(つまり遼陽発電報は今の所存在が疑わしいと)判断するべきだろう。津野田の言う諸種の注意とは、
大山総司令官からの《203高地攻撃に関する訓示※2》が、時期としては該当するかもしれない。
12月1日の長嶺子仮停車場への出迎えは、田中参謀の証言ではすべて大庭のみとなっているが、これは大庭の
随行員という身分であるために触れていないだけ、ということが考えられる。実際は二名が出迎えたのだろう。
軍司令部に至るのち、昼食を取った後で高崎山に向かったとあるが、これはどうだろうか。寸暇を惜しんでいる
状況と思われるのだが。もちろん、朝食を激怒の中おそらくさほど取っていない大将一行なのだから、ここである
程度の栄養補給を行った事はもちろんあり得る話ではある。
夜に入って歩兵第十七連隊を招致すべき措置をとったというのは、大連において既に招致するよう総司令官に伝達
してあるのだから、ここで初めて措置を取ったとするのはおかしい。ここで第三軍に伝わったという意味だろうか。
高崎山の穴蔵での談判については、もちろん触れていない。津野田は高崎山に行っていないのだから当然である。
おそらく大迫云々という部分は伝聞によるのだろう。
通じて、203高地攻撃に関する措置は、軍司令官による措置として書かれており、児玉の指示という書き方はして
いない。ここが「児玉大将は…」という書き方で通していた田中証言とは根本から異なる所である。津野田軍参謀
としては、児玉総参謀長が何らかの関与を成したとしても、それはあくまで参謀としての立場の事と見たのだろう。
以後続く。次は白井参謀の証言の予定、は未定。
|/-O-O-ヽ| .。oO 考えてみれば【当然】である。 柳樹房に着いたばかりで情況をほとんど
| . : )'e'( : . | 把握出来ていない児玉が、具体的な指示をするというのは【現実味がない】話だ
~`--=--'~
/ \
>>42 ◆kRQ7DyWuR
#たったこれだけ。これでは上の数々のエピソードの"実在性"が疑われる。別の資料を見る。
#機密日露戦史の【12月1日】の部分は【全く信用ならない】。他の複数資料を元に時系列を確認していく。
〃∩ ∧_∧ 「名将回顧」 「参戦二十将星」「秘密」では書かれてない事情が
⊂⌒( ・ω・) を◆kRQ7DyWuRが考えただけで、上記の指示したことが時系列的にも
`ヽ_っ⌒/⌒c 矛盾してないのに、【当然】で 【現実味がなく】 【信用ならない】 そうだw
1.正午、第三軍司令部(柳樹房)着。 【乃木第三軍司令官と会見】 (機密)
1.第三軍司令部着。 【乃木軍司令官不在。】 参謀勤務ぶりについて「えらい剣幕の鞭撻」 「名将回顧」
1.柳樹房の第三軍司令部に着 「参戦二十将星」「秘密」 には 【司令官不在とも在任】 とも書いてない。
1.食後 【曹家屯に児玉と会す】 児玉大将高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す (乃木日記)
1.大将まず柳樹房の軍司令部に入り、 【午食ののち乃木将軍の後を追い】
第一師団司令部に赴く(斜陽と鉄血)
1.この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 【同軍司令官に会し】
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。 (公刊戦史)
2-3司令官と会見 書状、(機密)
4.参謀を集めて (ry 二三の参謀に第一線の視察を命じた。(機密)
「名将回顧録」 「秘密」では 参謀の件は書かれていない。
4直ちに参謀の部屋に入って色々な質問を発し一悶着「参戦二十将星」.
5・自ら高崎山に行く。 (機密)「名将回顧録」 「秘密」「参戦二十将星」.
つまり他のそれぞれ部分的な資料では否定できないことを、本人の思い込みで否定して
信用なきと主張しているんだが・・。
箇条書きで書かないのがその例だな。 捏造論文というのがこういう風にできあがっていくというのが
よくわかる。 それよりも 司令官不在の名将回顧録は信用ならんな。
しかし、比較検討で抜き出していかないのはなんでだろうね・・。
やあおはよう太郎
|/-O-O-ヽ| .。oO ○12月1日の長嶺子仮停車場への出迎えは、田中参謀の証言では
| . : )'e'( : . | すべて大庭のみとなっているがこれは大庭の随行員という身
~`--=--'~ 分であるために触れていないだけ
/ \ ということが考えられる。実際は二名が出迎えたのだろう。
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
11/28-12/1の203高地の攻撃は激戦中の激戦。 其の最中、参謀副官、参謀員が
総司令部からの参謀長の出迎えの為に片道30分以上 【往復1時間以上】も時間を
割いて来た。しかも大連での報告は大庭が行なっている。
乃木軍司令官は朝、出迎えがすれ違った後に戦況確認の為に豊嶋に登っている事と
比較すると、児玉の怒りは何に向けられているかよくわかるエピソードだね。
結果的に
11/29付け 井口高級参謀の長岡宛に送られた書簡がある
・・・しかるに今回の攻撃再興の結果かくのごとく一旦占領したる203を一再ならず
奪還せられたるはいかにも遺憾至極 必意するに指揮の統一を欠き高等司令部が
部下団隊に一任せし結果に他ならずと存知候・・・・
これを出迎えたコトでこの意見が真実であったと児玉は認識したんだろうね。
ちなみに 12/1の203高地方面の状況。攻撃部隊隊長が入れ替わる時期に
軍司令官は戦況を確認に 参謀は 児玉を出迎えに行っていたと。
12/1AM6:40 後備第一旅団長 友安少将より報告
「我が目下逐次退却にありて多少の戦闘力を有するものは第27連隊の一部に
過ぎず、其の他の諸隊は損害甚大にして現状の維持尚甚だ困難なり」
12/1AM8:00
「第一線の諸隊は異口同音に我が爆弾の劣る事を高唱し之が為我が軍の
士気沮喪せしむる事大なり」
「故に奏功期し難く、かつ其の指揮に堪えざるものなり」
第7師団長は友安少将の辞任表明を受け、斉藤少将に変える・・。
12/1AM9:30
「而して正午まで現状を維持しえる望みありと雖もモシ之を経過すれば
一旅団の兵を以てするも回復期すべからず」
かの様に過去の歴史を振り返って、組織のあり方、指揮官、参謀、部下などの
振る舞いを学ぶコトもできるが・・・・・・。
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__)
| ` ⌒ノ 責任転嫁 言い訳ばっかなのが今の◆kRQ7DyWuR 儲。
. ヽ } これから出る資料も第3軍 司令官、参謀の責任はほぼ皆無だろう。
ヽ ノ \ なぜ 児玉が怒ったのか、乃木は第9師団の一部をもって
/ く \ \ 203高地に突撃しようとしたのか・・・。 彼にとっちゃ永遠になぞだろ
| \ \ \
| |ヽ、二⌒)、 \
太郎はなぜ頑なにAAを使い続け、嫌われ続けるのか… 常人には理解しかねる。永遠の謎だろう
ジャイアンの歌みたいなもんだろ
その他全員からは大ヒンシュクをかってるが、本人だけは素晴しいものと信じて自己陶酔してる
ウマイ、ワロタ
◆kRQ7DyWuR.もなんだかな。
なんか変に物語風に書く辺りが怪しいんだよな。
歴史捏造くんのにおいがする。
捏造と考察の区別がついてない人が
誰かさんは「物語風に書く」どころか、そもそも日本語が怪しいレベルですから
∧_∧ じゃ 乃木を讃える捏造と自作自演はじめよっか。
( ´_ゝ`)
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ FMV / .____
\/____/
◆kRQ7DyWuR
曰 ∧_∧
. | | (# ´_ゝ`) AAが突っ込んできたぜ。 携帯で自作自演しよっと。
ノ__丶 / [ ̄E
||焼|| / / / ̄ ̄ ̄ ̄/
.._|| ||__(_ニ つ./ NEC /
||酎|| \/____/ ̄ ̄
◆kRQ7DyWuR
∧_∧ なんや おれの意見に物言いか? ハイハイ カキコカキコ IDは変更してるな。
( ´_ゝ`)
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ FMV / .____
\/____/
◆kRQ7DyWuR
∧_∧ じゃ 乃木を讃える捏造と自作自演を続けるか・・・・。
( ´_ゝ`)
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ FMV / .____
\/____/
◆kRQ7DyWuR
上に戻る。
例えば全国的に知られた捏造といえば旧石器時代の事件。
あれは、とある地層からの出土物から、例えば「日本に旧石器事件があった」と推論考察した事自体が問題なのではなく、
出土物そのものを、つまり証拠なり根拠なりを捏造した事が問題なわけだ。
判る?AA使いさん。
なにやら「捏造」にトラウマがあるみたいだが、過去にやらかしたのかな。で、誰もかも捏造呼ばわりとか?
続き。
第三に白井二郎第三軍参謀の証言。これは「陸軍大学校課外講演集(一)」に掲載されたもの。
残念ながら時系列で追えるような量ではないが、203攻撃案にどのように関与したかが伺える。
「児玉大将は、新たに満州軍に加えられた第八師団の歩兵第十七連隊を連れて、大山総司令官の代理として
おいでになって、頻りに203高地の奪取を督励されておりましたが、その時、私ども軍の参謀や師団の参謀長
以下に対し、まるで大学校の学泉に問題でも課するように、203高地の攻撃案を提出せよと命じられましたが、
我々別に点数を争う訳でもないので、師団の参謀長以下みな一緒に相談して同一の答案を出しました」
「あるいは之によって旅順の使命を制するかも知れぬと、まあこういうような答解を児玉参謀長へ出しました
ら、参謀長も笑いながら「うんまあこうだろう」と言われました」
突撃方法についての児玉の関与の実態がわかる貴重な証言といえる。
何度もいうが、児玉は来たばかりなのだ。現場の参謀らにこういうことを任せるのが当然の行動だろう。
機密で書かれるような、到着後の柳樹房でただちにあれこれ指示したというのは、無理というものだ。
なお、この児玉の提起により提出された答解、これが第一線に伝達されて成果が上がったというので
あれば格好がつくが、実際はそうではなかったらしい。
白井の言葉はこう続く。
「実際この時には、第一線の方で多分数度の失敗の結果からでありましょう、大概同じような考えで、
最後にはそういう形でやったのであります。苦し紛れからこういう戦法も出たのであります」
取った取られたを繰り返している段階に至った戦況では、いかな有能な将軍であっても、到着して
直ちに貢献できる事は、ごく限られたものだったという事だろう。
なお、「陸軍大学校課外講演集(二)」には、井上幾太郎第三軍参謀の談話も掲載されているが、
児玉督戦については全く触れていなかった。
おまけとして。
「井上幾太郎伝」なる書物に、児玉来順の一場面が語られている。が、これは残念ながら井上参謀の証言という
べきものではない。(以前に、「機密日露戦史」で児玉督戦の状況を語っている箇所は、厳密に言えば “田中参謀
の証言” ではなく、“講義録執筆者(谷教官)による記述”である、としたのと同じ理由で、これは “井上参謀の
証言” ではなく、“伝記執筆者による記述”である)
しかも、「講演集(二)」と同じく、203高地攻撃に関する部分には全く触れていない。ただ占領以後の軍としての
作戦方針決定への関与について述べているのみであった。
一応示しておく。
・(203高地占領の)当時、児玉大将が戦況視察のため第三軍司令部を訪ねていた。
・203高地占領後、総参謀長から今後の攻撃重点を要塞の西北正面すなわち203高地方面に転換しては如何
との意見が出された。
・軍司令官の命により、井上参謀は203高地全般にわたり地形を偵察した。
・その結果として、攻撃点を変換する理由なきを確認し、その旨を総参謀長以下に説明し、諒解を得た。
児玉の提案はここでも却下されたのであるが、まあそれはこれまでとあまり変わらないので目新しい事ではない。
児玉から何らかの提案なりが出たときに、軍としてどう対応していたのか、ということが伺える点に注目したい。
・児玉の意見の提案は、けして頭ごなしというものではないこと。
・そして、それを軍司令官が受けて軍の参謀に研究を命じる、というプロセスだったということ。
・その結果については児玉も諒解したということ。
機密で伝えられる頭ごなしの大活躍とは大いに異なる実情だったと思われる。
>>156 >変な物語風に書く
お気に召さなかったようで、どーもすみません。でもまあ、歴史はある意味で物語ですから。
|/-O-O-ヽ| .。oO 誰もかも捏造呼ばわりとか?
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はははっはw 誰もかれもって ◆kRQ7DyWuR以外に誰が何を騙ってるの?
`ヽ_っ⌒/⌒c
>>160-164 偏向な資料をもって、児玉と乃木は会っていないなんて
ことを事実のように仕立て上げてるでしょ?下記の意見も 偏った
資料で 自分が望む結論を事実のように仕立て上げてる。
こういうのを【捏造】 でっち上げっていうんだよw
◆kRQ7DyWuR
>>128-131 「豊島山」鳳凰山東南高地のこと。曹家屯のほぼ真南に位置する。
攻城砲兵司令部が置かれた
>>50 「名将回顧」。
【12月1日】
・【高崎山に着く。(穴蔵に一週間ばかり滞在することになる) 】
・大迫第七師団長来る。攻撃担当の継続を懇願されるが回答せず。大迫退出。
・乃木来る。対談(詳細は語らず)
>>53「名将回顧」
・偵察により、203高地西南角山頂を我が兵100名程が占領していることが判明。
・逆襲に耐えるよう工事するため、軍各方面から土嚢を集めることを指示。
・夜間に逆襲で西南角を奪還されぬよう、28珊砲を1発/15分感覚で山頂を射撃する考えを示す。
【攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだが、児玉はそれを聞き入れなかった】。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
児玉は高崎山に行ってるって記述で、攻城砲兵司令部は実行を危ぶんだとあるってことは、
当然 攻城砲兵司令部も高崎山に移動しているのか????
公刊戦史第6巻P527では豊島少将に対して伊地知軍参謀長が依頼していることから、
この時系列はいい加減なものだって断言できる。名将回顧日露大戦秘史
昭和初期の本なのでまだまとめきれてないのかもしれん。
>>163 ・(203高地占領の)当時、児玉大将が戦況視察のため第三軍司令部を訪ねていた。
・203高地占領後、総参謀長から今後の攻撃重点を要塞の西北正面すなわち203高地方面に転換しては如何
との意見が出された。
・軍司令官の命により、井上参謀は203高地全般にわたり地形を偵察した。
・その結果として、攻撃点を変換する理由なきを確認し、その旨を総参謀長以下に説明し、諒解を得た。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
12/26日 軍司令官は老鉄山半島と要塞内との交通を遮断センと欲ししかも西太陽溝堡塁以南の
本防御線の防備 堅固ならざるを知り・・・・(公刊戦史6巻)
偵察不行き届きの悪癖は児玉が来た直後では直ってないってことだな。
爾霊山が落ちたのは12月頭なのに、26日の事言われてもなぁ。馬鹿なの?
だからAA太郎を相手にするなと(ry
結局のところ、機密日露に描かれているような児玉のスーパーマン的活躍は、田中の創作ってことですか。
田中本人の自己顕示欲か、はたまた田中→谷への伝言ゲームの中で、現実と願望がごっちゃになったか。
>>168 田中は、他の三つの証言ではそれほど突飛な事を書いてるわけでもないんですよ。程度はありますが。
読み比べると「機密」の異常さが際立ちます。
谷教官への説明は、田中自身は他の三つの証言とさほど変わらないことを言ったのでは?
それが、谷教官の思惑が入り込んだことによってあのような文章になったのではないでしょうか。
|/-O-O-ヽ| .。oO読み比べると「機密」の異常さが際立ちます。
| . : )'e'( : . | それが、谷教官の思惑が入り込んだことによって
~`--=--'~ あのような文章になったのではないでしょうか。
/ \
>>42 ◆kRQ7DyWuR
#考えてみれば【当然】である。 柳樹房に着いたばかりで情況をほとんど
#把握出来ていない児玉が、具体的な指示をするというのは【現実味がない】話だ
#たったこれだけ。これでは上の数々のエピソードの"実在性"が疑われる。別の資料を見る。
#機密日露戦史の【12月1日】の部分は【全く信用ならない】。他の複数資料を元に時系列を確認していく。
〃∩ ∧_∧ 「名将回顧」 「参戦二十将星」「秘密」では書かれてない事情
⊂⌒( ・ω・) を◆kRQ7DyWuRが考えただけで、上記の指示したことが時系列的にも
`ヽ_っ⌒/⌒c 矛盾してないのに、【当然】で 【現実味がなく】 【信用ならない】 そうだw
1.正午、第三軍司令部(柳樹房)着。 【乃木第三軍司令官と会見】 (機密)
1.第三軍司令部着。 【乃木軍司令官不在。】 参謀勤務ぶりについて「えらい剣幕の鞭撻」 「名将回顧」
1.柳樹房の第三軍司令部に着 「参戦二十将星」「秘密」 には 【司令官不在とも在任】 とも書いてない。
1.食後 【曹家屯に児玉と会す】 児玉大将高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す (乃木日記)
1.大将まず柳樹房の軍司令部に入り、 【午食ののち乃木将軍の後を追い】
第一師団司令部に赴く(斜陽と鉄血)
1.この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 【同軍司令官に会し】
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。 (公刊戦史)
2-3司令官と会見 書状、(機密)
4.参謀を集めて (ry 二三の参謀に第一線の視察を命じた。(機密)
「名将回顧録」 「秘密」では 参謀の件は書かれていない。
4直ちに参謀の部屋に入って色々な質問を発し一悶着「参戦二十将星」.
5・自ら高崎山に行く。 (機密)「名将回顧録」 「秘密」「参戦二十将星」.
つまり他のそれぞれ部分的な資料では否定できないことを、本人の思い込みで否定して
信用なきと主張しているんだが・・。
箇条書きで書かないのがその例だな。 捏造論文というのがこういう風にできあがっていくというのが
よくわかる。 それよりも 司令官不在の名将回顧録は信用ならんな。
しかし、比較検討で抜き出していかないのはなんでだろうね・・。
>>167 >26日の事言われてもなぁ。馬鹿なの?
其の通り! 203攻略後は第一師団の区分は11/26 203攻撃以前に戻されて
そこから先、西方地域は新参の第7師団と第13旅団が対応している。
乃木軍司令部が偵察を軽視していたという証左なんだけど???
ほんとに 軍司令部はバカだよなってことになる。
11月?
やっぱりあんた馬鹿だろ
>>172 バカとか言う前にな 第3軍 11月の師団区分と12月の師団区分を書いてくれないか?
話をズラシていくあたりがやはり馬鹿だな。
爾霊山占領後に偵察した結果、こちらから攻めるのを考えたが、結局止めたという話から、なに与太飛ばしてんだか。
>>174 全然理解してないところがなんともな 11月の師団区分と12月の師団区分も理解できてないのかw
11月?って書いた時点でお前さんがバカなのが決定づけている。
それとな その203高地占領後に偵察した結果と12/26日 軍司令官は老鉄山半島と要塞内との
交通を遮断センと欲ししかも西太陽溝堡塁以南の 本防御線の防備 堅固ならざるを知り・・・・
(公刊戦史6巻) 明らかに偵察結果が違うんだが??
その時点で東北正面もやっとこさっとこ落ち始めてるから今更 主攻方面を変えれなかったんだろ。
まぁ気づいてちゃんと書くところは 乃木はえらいよ。 少なくとも 後世になって東北正面主攻が
当然なんて書くバカよりは遥かにマシ。
12月26日が爾霊山占領直後と考えるそもそもの発端からおかしいんだよ。
馬鹿馬鹿しい。
>>176 お前の勘違いを押し付けられても お前さんがバカなだけ。
12/26の偵察結果と 児玉来順時の偵察結果を比較しているだけだよ。
どこのレスに 12/6時の井上の偵察結果に疑義を申し立ててるんだ?
こういう思い込みの馬鹿儲がウザイったらありゃしない。
>12/26の偵察結果と 児玉来順時の偵察結果を比較しているだけだよ。
>どこのレスに 12/6時の井上の偵察結果に疑義を申し立ててるんだ?
自分の言ってることの意味がわかってないでしょ、君。
だいだいなにその無駄空欄。馬鹿丸だし。
167 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/11/08(土) 12:04:09 ID:9MlE077WO
爾霊山が落ちたのは12月頭なのに、26日の事言われてもなぁ。馬鹿なの?
174 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/11/09(日) 12:05:45 ID:8Dh05UoRO
話をズラシていくあたりがやはり馬鹿だな。
爾霊山占領後に偵察した結果、こちらから攻めるのを考えたが、結局止めたという話から、なに与太飛ばしてんだか。
176 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/11/09(日) 14:50:45 ID:8Dh05UoRO
12月26日が爾霊山占領直後と考えるそもそもの発端からおかしいんだよ。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
偵察不行き届きの悪癖は児玉が来た直後では直ってないってことだな。 って言ってるが
なぜか 12月頭と勘違いで 12/26を203高地占領直後なんて誰も書いてないってw
>爾霊山占領後に偵察した結果、こちらから攻めるのを考えたが、結局止めたという話
止めてないって・・・主攻撃方面を変更するかどうかって話がなぜ 止めたってことになるのか。
その井上の理由も書いてないのになんでそこまで必死になるの?君は。
馬鹿信者?
来た来たコピペ攻撃
全くワンパターン
太郎の質が劣化していくのが見てらんない
誰か止めてやる言葉を知らないか
保守
乃木大将は優しくていい人だったらしい。
革新
てっきりリアルタイムで「今児玉はどこそこにいる頃」「んなわけねえ、機密戦史ではこうかいてある+AA(どーせ書くだろ?太郎は)」
って論争が起きると期待してたのに!
AA太郎さんへ。
見るべき意見もあったかもしれないのに、不必要な下らないAAのお陰で只の粘着にしか見えん。
仕方ないのでAA付いてるレスは読み飛ばしてます。
AA抜きで要旨書いて、いわば代筆してみようと試みたがあまりに内容が無いようで諦めた
そりゃ、他人の意見にただひたすら粘着&イチャモンつけてるだけだから>AA太郎
内容も無いし、議論なんて成り立つわけがない
∧_∧ じゃ 乃木を讃える捏造と自作自演はじめよっか。
( ´_ゝ`)
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ FMV / .____
\/____/
◆kRQ7DyWuR
曰 ∧_∧
. | | (# ´_ゝ`) AAが突っ込んできたぜ。 携帯で自作自演しよっと。
ノ__丶 / [ ̄E
||焼|| / / / ̄ ̄ ̄ ̄/
.._|| ||__(_ニ つ./ NEC /
||酎|| \/____/ ̄ ̄
◆kRQ7DyWuR
∧_∧ なんや おれの意見に物言いか? ハイハイ カキコカキコ IDは変更してるな。
( ´_ゝ`)
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ FMV / .____
\/____/
◆kRQ7DyWuR
∧_∧ じゃ 乃木を讃える捏造と自作自演を続けるか・・・・。
( ´_ゝ`)
/ \
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/
__(__ニつ/ FMV / .____
\/____/
◆kRQ7DyWuR
上に戻る。
|/-O-O-ヽ| .。oO 三つは田中参謀自身の証言であることは確実である
| . : )'e'( : . | 「機密日露戦史」のものは、厳密に言えば 田中参謀の言というべきものではない。 。
~`--=--'~ 三資料のみで時系列を 再構築しようとしてみると、多少のブレはもちろんあれども
/ \ 「機密」に振り回されながらの作業よりは 格段に矛盾が少ない。
>>86 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
>>8 機密に陸戦新史を読めとかいてあるのに 明治軍事史からの抽出による◆kRQ7DyWuR の思い込み
11月29日午後5時40分発電と12/1の決定的な訓令の違い
(児玉差遣と児玉が【12/1】に指定した歩兵17連隊)を◆kRQ7DyWuRが無視して【捏造の為に削除した】こと。
>>12-13 >>19 津野田第三軍参謀著「斜陽と鉄血」
児玉総参謀長が遼陽から電報を打った件も怪しいけど 載せてるね。
>>31-32 11/29-12/1
「機密」【名将回顧】「参戦二十将星」時系列があっていて「秘密」は11/26出発で間違い。
>>33-34 12/1
「機密」で7-8行書かれているが、【名将回顧】では【数行】なので数々のエピソードの実在性は
疑われるらしいw 「参戦二十将星」の記事を書く前に疑ってるところを見ると 否定ありき
というのがよく示されている。 (これは次のスレで検証)
また中国での一里と日本での一里の間違いをあげつらって否定するところは彼らしい。
>>41-43 機密では司令官に会ってる。【名将回顧】は不在 会っていない
「参戦二十将星」「秘密」では記入すらされていないが、
【三つの資料に共通して、いきなり高崎山に向かっている。】と捏造。
>>42で乃木日記には会ってないと述べてるが、
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
会っているのにその当時の全文を出さずに書いてない。これでは◆kRQ7DyWuRの書き出しには
なんらかの思想的なバイアスがかかっているとしか思えない。
突っ込みは
>>44にて記載。
参戦二十将星も秘密においてもの日付間違いは多々ある。、なにより 自分たちに省みて
大学などの受験当時の試験の内容など寸分タかわず 座談できるか??という根本的な事を
理解できてないんだろうな。
錯誤は仕方ないが、そのバイアスを名将回顧に置くか、公刊戦史や機密など第3者が当時の資料と
比較して記したのとどっちをとるかは その読者しだいですね。
|/-O-O-ヽ| .。oO読み比べると「機密」の異常さが際立ちます。
| . : )'e'( : . | それが、谷教官の思惑が入り込んだことによって
~`--=--'~ あのような文章になったのではないでしょうか。
/ \
>>42 ◆kRQ7DyWuR
#考えてみれば【当然】である。 柳樹房に着いたばかりで情況をほとんど
#把握出来ていない児玉が、具体的な指示をするというのは【現実味がない】話だ
#たったこれだけ。これでは上の数々のエピソードの"実在性"が疑われる。別の資料を見る。
#機密日露戦史の【12月1日】の部分は【全く信用ならない】。他の複数資料を元に時系列を確認していく。
44の続き
〃∩ ∧_∧ 「名将回顧」 「参戦二十将星」「秘密」では書かれてない事情
⊂⌒( ・ω・) を◆kRQ7DyWuRが考えただけで、上記の指示したことが時系列的にも
`ヽ_っ⌒/⌒c 矛盾してないのに、【当然】で 【現実味がなく】 【信用ならない】 そうだw
1.正午、第三軍司令部(柳樹房)着。 【乃木第三軍司令官と会見】 (機密)
1.第三軍司令部着。 【乃木軍司令官不在。】 参謀勤務ぶりについて「えらい剣幕の鞭撻」 「名将回顧」
1.柳樹房の第三軍司令部に着 「参戦二十将星」「秘密」 には 【司令官不在とも在任】 とも書いてない。
1.食後 【曹家屯に児玉と会す】 児玉大将高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す (乃木日記)
1.大将まず柳樹房の軍司令部に入り、 【午食ののち乃木将軍の後を追い】
第一師団司令部に赴く(斜陽と鉄血)
1.この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 【同軍司令官に会し】
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。 (公刊戦史)
2-3司令官と会見 書状、(機密)
4.参謀を集めて (ry 二三の参謀に第一線の視察を命じた。(機密)
「名将回顧録」 「秘密」では 参謀の件は書かれていない。
4直ちに参謀の部屋に入って色々な質問を発し一悶着「参戦二十将星」.
5・自ら高崎山に行く。 (機密)「名将回顧録」 「秘密」「参戦二十将星」.
つまり他のそれぞれ部分的な資料では否定できないことを、本人の思い込みで否定して
信用なきと主張しているんだが・・。
箇条書きで書かないのがその例だな。 捏造論文というのがこういう風にできあがっていくというのが
よくわかる。 それよりも 司令官不在の名将回顧録は信用ならんな。
〃∩ ∧_∧ 乃木日記を出すと 別宮氏による削除で 捏造があったとする論が出てくるあたり
⊂⌒( ・ω・) 腐ってるねー何かがw 12/1日は乃木にとって重要な日なのに捏造かいなw
`ヽ_っ⌒/⌒c
12月1日 朝 土城子に児玉を待つ、不来。豊嶋に登る。牛食後 曹家屯に児玉と会す 児玉大将
高崎山に行き、兼松誘導ス。日夕下山す。 ○今朝 白井中佐 保典昨日戦死の事を告げ来る。
12月2日 朝、高崎山に至り、日夕還る。 ○東京よりリンゴ二箱送り来る。一つは保典の分なり
児玉に煙(草) リンゴを送る。
12月5日 朝より203砲撃 9時より斉藤支隊前進目的を達す。
上記12/1日記と機密p235 ”間もなく正午柳樹房なる第3軍司令部に着し乃木将軍と会見し”という項目は整合する。
また、機密の記述は”翌日(12/1の翌日)自ら203高地攻撃に任ぜる第7師団長の許なる高崎山山脚に至る。”
であり、前日から高崎山に行ってないなどとは書いてない。
公刊戦史において、6章 P526
(12/1) この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 同軍司令官に会し
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。
逆に◆kRQ7DyWuRが述べてる論だと、当の本人の日記の記述に合わず、信憑性に欠ける。
特に 12月1日 高崎山に児玉と 乃木が行ったとする論は上記日記に反することとなり、
時系列は12月1日から12月2日にかけてって事がわかる。
それを◆kRQ7DyWuRが12月1日固執しようとしているのが現状。
ところで 公刊戦史の編纂にあたり15項目の注意事項とその理由があるんだが
それを以て否定する輩がまったく出てこないのはどうしてかのうー
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
>>185-188は本人が煽ってるのがバレバレだしw そんなに悔しかったのかな?
取り合えず反証レスを纏めてみたw
何故
>>185-188は自演と言い切ってまで、不必要なAAに固執するんだろうね。この人。
不思議だ。
195 :
市民:2008/12/09(火) 08:20:48 ID:2xdy351W0
私は根拠なしに断定する人ですよ、って喧伝ですねわかります
>>194 別に不思議でもなんてもないよ。AA太郎って奴はこういう奴なんです。昔から。
有害無益とは彼の為にある言葉。
落ち防止の効果はあるよ
無益なんてこたーない
NHKは「坂の上の雲」を100周年の時に放送するべきだった。
おせーよ。
総スカンワロタ
12月1日が激戦の最中?
激戦頓挫の「後」での幹部出迎えを、あたかも激戦の「最中」のように言う太郎は見ていて哀れ
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はははっはw
>>63 で半占領状態って言ってる人間がいるが、
`ヽ_っ⌒/⌒c 攻撃が頓挫したってどう思う??w
まぁ指揮官が代わる位の激戦中ってのを理解してないのはいたいわ。
11/30晩に占領の報告を受け12/1早朝に大連にて奪取されたという報告を受けてるのに
なんで 激戦じゃないって言い張るんだろう・・。
67 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/10/17(金) 20:36:43 ID:KiDgTsBSO
奪回を恐れる地区が、山頂に既にあるというわけだ。占領地区がなければ奪回される事もない、自明の理。
68 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/10/17(金) 21:40:07 ID:7/W5uRwN0
∩_
〈〈〈 ヽ
〈⊃ }
∩___∩ | |
| ノ ヽ ! !
/ ● ● | /
| ( _●_) ミ/ <こいつ最高にアホ
彡、 |∪| /
/ __ ヽノ /
(___) /
12/1AM6:40 後備第一旅団長 友安少将より報告
「我が目下逐次退却にありて多少の戦闘力を有するものは第27連隊の一部に
過ぎず、其の他の諸隊は損害甚大にして現状の維持尚甚だ困難なり」
12/1AM8:00
「第一線の諸隊は異口同音に我が爆弾の劣る事を高唱し之が為我が軍の
士気沮喪せしむる事大なり」
「故に奏功期し難く、かつ其の指揮に堪えざるものなり」
第7師団長は友安少将の辞任表明を受け、斉藤少将に変える・・。
12/1AM9:30
「而して正午まで現状を維持しえる望みありと雖もモシ之を経過すれば
一旅団の兵を以てするも回復期すべからず」
という報告が・・・・。
半占領状態ってどう読めるの?
思い込みご苦労
完全占領目指してたのに半占領で留まってんのなら、攻撃頓挫でよろしかろ?
AA太郎の言いたい事がわからん。
201 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/12/24(水) 00:05:16 ID:QcyjdZvDO
12月1日が激戦の最中?
202 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/12/26(金) 20:19:10 ID:PNhI2VXhO
【激戦頓挫の「後」】での幹部出迎えを、あたかも激戦の「最中」のように言う太郎は見ていて哀れ
204 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/12/26(金) 23:17:24 ID:PNhI2VXhO
思い込みご苦労
205 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/12/27(土) 21:31:07 ID:l9CPeDVKO
【完全占領目指してたのに半占領で留まってんのなら、攻撃頓挫】でよろしかろ?
AA太郎の言いたい事がわからん。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) なんか見苦しい言い訳しているな・・。かまって君のマゾッホかw
`ヽ_っ⌒/⌒c 激戦中だろ。取ったり取られたりを繰り返しているのだから。
ちなみに膠着したのは”12/1午後3時”日本軍の予備隊と一線部隊が入れ替わった
時。
午前中から2時までは軍総予備を203高地方面に出撃させたり攻撃指揮官を入れ替えたり
軍司令官と師団長、部隊長は四苦八苦している最中です。
出迎えに行った時点では 攻撃が頓挫した=計画や事業などが途中で【遂行できなくなること】。ではない。
まぁ 注意しないのを見ると、ただ何か喧伝したいだけなんだろうな。 思い込みご苦労とか言っても
なんの説得力もありませんーw
太郎ウザイ
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 20:26:59 ID:NJiWRvFt0
test
新年明けました。今年もルールを守る者どうしで語り合いましょう。
でない者はシカトということで。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 00:10:36 ID:MfsIoFYf0
取ったり取られたりの争奪戦は、12月1日には行われていませんよ。
1日に行われたのは、それまでに得られた地域を保持するための措置。区別しましょう。
「戦史講義録」の「第三回総攻撃における爾霊山及び老虎溝山突撃一覧表」より
11月27日
爾霊山西南部第一回不成功
第二回不成功
東北部第一回不成功
第二回不成功
11月28日
爾霊山西南部第一回一部成功
第二回一部成功せるも撃退せらる
第三回一部成功
第四回不成功
爾霊山等北部第一回不実施
第二回不成功
第三回一度成功するも撃退せらる
11月30日
爾霊山西南部第一回不実施
第二回不成功
第三回一部成功
中央部第一回不成功
東北部第一回不成功
第二回不成功
第三回一部成功
第四回一部成功するも撃退
12月5日
爾霊山西南部、成功
爾霊山等北部、成功
sageたつもりだったのにorz
多分、あの攻撃のどこが「成功」なんだよ?とか、「一部成功するも撃退」って、結局「不成功」だろうが!とか、
いろいろ突っ込みはあると思う。つか自分自身が疑問だし。一応、なんらかの基準があってそう区別しているんだ
ろうとしか考えようがないところかね。
部隊整理やらなんやら、占領地区保持のための作業や措置で四苦八苦だったろうけども、戦史としては12月
1日にはもはや争奪戦は行われていない。指し切り、といったところなんだろう。つまり頓挫。
思うんだけど、総司令部からの幹部つうかナンバー2を出迎えないってのはそれこそ問題じゃね?
もっと考えれば、北方だって危ない時期に総参謀長が烟台を離れるってのがそもそも問題なんで。
児玉だって、「出迎えなんかすんな!」と怒っているわけでなし。
総じて、考えがずれているように思う。AA貼る暇があるならもっと考えようよ。
12/1 第7師団長は是より先 午前十時軍総予備隊より増加せる歩兵第25連隊(第三大隊欠)の
南山ハ山北麓に到着せしにより更に之を加えてニレイ山の攻撃再興せんと欲し 午後1時30分
同連隊(第三大隊欠)を同山攻撃隊に増加しかつ師団砲兵隊の主力を以て同山を一部を以て
老虎溝山を射撃しニレイ山攻撃隊をして3時を期し突撃せしめ老虎溝山攻撃隊をこの突撃の
援助に任ぜり。
(上記の公刊戦史に書かれた攻撃計画について 白水参謀の軍隊区分のミスが明らかにされたりしている。)
この攻撃部隊は2時40分に斉藤少将の下 攻撃位置に到着する。
戦いというのは意思の問題であり、師団レベルにおいて3時まではニレイ山奪回の
為の意思は持ち続けてる。この意思が挫かれたのは3時頃。
攻撃をしなかったから奪回しようとしてないなんて論理はありえない。
爾霊山
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 07:13:06 ID:MuU26mXZ0
★★★★ 検索⇒「国益を考える講演会」★★★★
平成21年3月22日(日) 1600名入場無料全席指定
特別講演
菅沼光弘氏 元公安調査庁・調査部第2部長
志方俊之氏 元陸上自衛官陸将・北部方面総監
青山繁晴氏 株式会社独立総合研究所 代表取締役社長・兼・首席研究員
特別ゲスト
田母神俊雄氏 前航空幕僚長
>>213 >攻撃をしなかったから奪回しようとしてないなんて論理
誰がそんな論理を示しているというのか。一人相撲は他所でやってほしい。
三時頃に意思が挫かれたというが、それは違う。それまでの攻撃が頓挫した
だけで、師団としても、また軍として、当然爾霊山攻略の意思は継続して持
ち続けていたと見るべきだ。
しかし現状は攻撃継続がままならないため膠着状態となり、攻撃隊の整頓や
陣地の確保に四苦八苦しているだけのこと。
総じてあなたの書き込みは「私はこう考える」という自己の思い込みばかりだ。
上の様に、誰も言っていない論理に向かって攻撃してるのは、そのよい証拠。
突撃一覧表で見ても明らかなように、12月1日にはもはや攻撃は行われていない。
また攻撃実施がままならない状態にあったわけで、攻め手側の指し切り状態つまり
攻撃が頓挫している状態である。
その状況で、総司令部から急派された総参謀長を出迎える事は、さして批判される
ことでもあるまい。児玉がそれを批判したという根拠でもあるのなら別だが。
やはり考えがずれていると思う。
AA張らなくなったようなので応じたが、以後もそのようにお願いする。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 15:29:39 ID:cnu2OAnD0
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090105-OYT1T00386.htm 日露戦争の激戦地「旅順」世界遺産申請へ…大連市が方針
【瀋陽】日露戦争の激戦地だった中国・遼東半島南端の旅順地区について、
管轄する大連市が地区全体の世界遺産登録を目指すことがわかった。市政府筋が本紙に明らかにした。
戦跡や日露の建築物など20世紀の“負の遺産”を後世に残すとともに、日本などからの観光客の誘致促進が狙い。
ただ、旅順地区には中国海軍の施設が多く、軍の同意を得られるかどうかが実現のかぎとなりそうだ。
旅順地区は清の時代から軍港として発展。日清戦争(1894〜95年)の戦地となった後、
南下を目指す帝政ロシアに支配され、日露戦争(1904〜05年)を経て日本が40年間にわたり実質統治した。
日露両軍が激突した203高地、露軍が大規模な要塞(ようさい)を築いた東鶏冠山(とうけいかんざん)、旅順港などの戦跡に加え、
帝政ロシア時代に建てられた旅順駅、「日本版の大英博物館」とも呼ばれる旅順博物館など、当時の日露の建築物が多い。
市当局は地区全体を世界遺産として登録するのが望ましいと判断。
6日開会の市人民代表大会(市議会に相当)で提案される市政府活動報告に、登録を目指す方針が盛り込まれた模様だ。
中国は2008年までに、万里の長城など37件の世界遺産登録を受けたが、近代の戦跡は含まれず、実現すれば初めて。
旅順地区は日本とかかわりが深いだけに、日本人を中心に観光客増加を狙う意図がうかがえる。
ただ、軍施設があるため、旅順港や同港周辺への外国人の立ち入りは原則禁止。
203高地と、旅順での戦闘終結を確認した「水師営会見所跡」以外の主要観光地も、地元当局の事前許可がなければ見学できない。
世界遺産への登録も、軍の意向で大幅な変更を迫られる可能性がある。
(2009年1月5日14時53分 読売新聞)
>AA張らなくなったようなので応じたが、以後もそのようにお願いする。
はぁ?
なにこの夜郎自大な発言w ◆kRQ7DyWuR が降臨したんだよなw
あのこういう徹底した態度を取らないのが ◆kRQ7DyWuRの特徴だよなw
>>216 >誰がそんな論理を示しているというのか。一人相撲は他所でやってほしい。
>三時頃に意思が挫かれたというが、それは違う。それまでの攻撃が頓挫した
>だけで、師団としても、また軍として、当然爾霊山攻略の意思は継続して持
>ち続けていたと見るべきだ。
>しかし【現状】は攻撃継続がままならないため膠着状態となり、攻撃隊の整頓や
>陣地の確保に四苦八苦しているだけのこと。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) なんか見苦しい言い訳しているな・・。かまって君のマゾッホかw
`ヽ_っ⌒/⌒c
その【現状】を軍や師団レベルで確認できたのが 3時前。だからその時間に攻撃中止の
命令が出ている!12/1真夜中にロシア軍に奪回された南西部頂上を歳奪取するために
午前中に次期攻撃部隊の編成を行い、乃木は夜半に突撃部隊を再編成し、朝には軍総予備を
第7師団に派遣し、師団長は軍総予備部隊でもって 3時に攻撃をかけようとして
2時40分に攻撃配置転換を行なった。
だが、副参謀は午前中に向かえに行ってるが、朝に報告した内容と同じ内容を数時間後も
行なっている。つまり 【膠着状態】打破の為にまったく動いていない。
だからこそ 児玉の怒りは頂点に達しているのだが・・。まぁ バカにはわからんだろうな。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 21:26:44 ID:So0jWIaG0
あ〜あもう駄目だなこの太郎は。
やっぱ
>>209で行くのが吉ということだな。最低だよあんた。
相手にすると馬鹿を見るってのに
>なにこの夜郎自大な発言w
>まぁ バカにはわからんだろうな。
君にはギャグの才能がある。自信を持て。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 00:27:03 ID:4LcD4MMh0
海軍にせかされたこと。坑道戦術が確立されてなかったこと。
砲弾が足りなかったこと。これらの要因が損害を増やしたな。
「じっくり慎重に攻めていいよ」とか言われてたらまた違ってただろう。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/18(日) 11:28:47 ID:/U8TQlrM0
「よし石合戦だ、石を投げろッ」と大声で怒鳴った。
文明利器の戦場で皮肉にも野蛮な石合戦などと予期しない
戦闘が、この二百三高地の頂上で行われたなどとは、何人も
想像はしまい。
けれども、戦いは人だ、意気だ、飛び道具がなんだ。意気に
おいてすでに敵を呑む。勝利の途の開けぬことはない。
果たせるかな、われらはついに石合戦で敵を圧倒し彼らを
追いまくった。
陸軍工兵証左田村友三郎「二〇三高地攻撃一番乗り」
>>222 じっくり慎重にやってたら、
奉天に間に合わないんじゃねか?
「現地の状況もロクに知らんくせに、余計なクチバシばかり挟みやがって。大本営のアホどもが」
(意訳)と、大庭参謀も回顧録で愚痴っているね
奉天に間に合わないっていうか、
バルチック艦隊に間に合わない。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 14:51:34 ID:Kuk7sYF/O
中公新書の「歴代陸軍大将全覧」。
秦郁彦、原剛など共著。
機密日露戦史の記述には疑問ありとしている。少なくとも無批判に信じられるものではないよ。
最初の作戦じゃあ、封鎖だけで止めるつもりで。
要塞を無理押しなんてバカでもわかる無謀攻撃する気なかったはずなのになぁw
旅順艦隊が出て来ないからじゃないの?
詳しい人教えて。
旅順艦隊とバルチック艦隊両方健在だったら勝ち目ないからだろ。
旅順・バルチック両艦隊が共同して対馬辺りうろついてたら、満州への補給なんざできん。
当然、開戦前に対策が議論された。
その時は、海軍が担当するという事で話が決まった。海軍には、陸軍にも極秘に暖めている作戦があったのだ。
児玉が竹矢来うんぬん言ったというのはこの辺りでの冗談話で、勿論本気で言ったのではない。
開戦後、海軍は自らの作戦を実施していった。開戦の狼煙となった旅順口奇襲もその一つ。だがわずか三隻に損害を与えることしか出来なかった。
ついで港口閉塞作戦が実施されたが、元々実現性の低い作戦であり、三度敢行しても閉塞は果たせなかった。
結局は艦艇を弋遊させての直接封鎖する事になるのだが、これは危険性が極めて高い。実際封鎖中に戦艦二隻が一日にして失われた事がある。
このように海軍が自ら乗り出した作戦が全て失敗に終わり、遂に陸軍にお鉢が回ってきたのである。
>>232氏の意見は妙なバイアスがかかってるね。
ここら辺はしっかり述べておかないといけないけど・・・。
まず開戦当初の日本の目的は朝鮮半島の防衛が第一。
そのためには 日本の第一軍がピョンヤン経由で満州に乗り込む事が必要。
なぜかというと、ロシア旅順艦隊だけでも 日本の海上兵站線を圧迫できたため、
対馬海峡、黄海の制海権を取る必要があった。その一環として
海軍は旅順要塞を封鎖するのが第一目的であった。
そもそも旅順艦隊を海上封鎖しない限り、陸上から要塞攻撃部隊への補給も
ままならない。
当初は完全に封鎖できると日本側も考えていない。
思った以上に封鎖がうまくいき、黄海、対馬海峡の制海権をほぼ握れたことから、
旅順要塞への攻撃が決定された。
封鎖中に日本側の戦艦が2隻失われたこともあるが、これは日本側の水雷戦術によって
ロシアの戦艦を撃沈した後のことで、ロシアも相手の戦術を模倣した結果です。
あれ? 八島ら二隻が撃沈されたのって機雷のほうじゃなかったっけ?
模倣された、ってのが何かの言い訳になるのでもあるまいに。
妙な事言うもんじゃないよ。
機械水雷(⇔魚形水雷)のことと思われ
>>234、236 機雷も水雷戦術の一種だよ。
防勢機雷戦術 しか考えてなかったとか??
連繋機雷攻撃つう 攻勢機雷戦術は知っておくべきだろ・・・。
悪評高き入門書の坂上でも書かれてる程度だし。
>>235 あと全て失敗してないって。何いってんだか。
旅順艦隊による脱出、もしくは 日本側の輸送船団に大損害を与えた事実でもあるのか?
海軍悪玉論っつうバイアスがすごく臭うのだが??
普通は明治37年4月のマカロフのペトロバブロフスク撃沈させてる
その後にロシア側の攻勢機雷戦術により日本側の戦艦に損害がでた。
また実際は閉塞作戦は2月末から3月 5月まで行なわれており、
その閉塞作戦もしくはおびき出し作戦の途中で水雷戦術によりお互い損害が出る。
>>232の書き方は変なバイアスがかかってますね。
>>232 >海軍には、陸軍にも極秘に暖めている作戦があった
結局、宣戦前奇襲と閉塞以外に、旅順攻略(が無理なら最低限、艦隊の撃滅ないし無力化)の作戦ってあったのかな?
どうも秘密日露その他を読むと、確たる見込みも無いまま、単なるセクショナリズムで
「旅順は海軍がやる!陸軍は手出し無用!」と、張り切ってただけじゃね? …と思える
>旅順攻略(が無理なら最低限、艦隊の撃滅ないし無力化)の作戦ってあったのかな?
別に日本の海上補給線が圧迫されなければ 旅順要塞の攻略なんて必要ありません。
そして、旅順艦隊、ウラジオ艦隊が無くなれば、ほぼ黄海から日本海、本土近辺に
至るまで制海権は握れますが??
大体、制海権や上陸地点、その後の海上補給路の安全については、海軍の管轄であり
陸軍は要望を海軍に伝える程度でしかない。具体的な計画は海軍任せにならざるを得ない。
当たり前のセクショナリズムを持ち出して、
「旅順は海軍がやる!陸軍は手出し無用!」と、張り切ってただけじゃね? …と思える
なんて 思う方がどうかしてる。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 13:49:30 ID:0Of+q90MO
>>233の文章って、つぎはぎだらけで読みにくい。
>なぜかというと と書きながら、続く文が前の文の説明になってないし。
レポートをネットで拾い集めた文章ででっちあげる学生を嘆いたニュース見たことがあるが、こんな感じなんだろうな。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 20:18:41 ID:W2/n8OR4O
明治の帝国陸海軍に
昭和のような縄張り対立なぞ
ないと思いますが
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 20:44:21 ID:0Of+q90MO
縄張り争いというか、海軍側の過剰気味な存在主張というかね。
海軍軍令部の成立過程とか調べると雰囲気分かると思う。
「陸軍には優秀な工兵隊がありますか」
「そりゃありますよ」
「ならば朝鮮半島には工兵隊に橋を架けさせて行けばよろしい」
ってやり取りはいつの話だったかな。
縄張り対立と言うか、対抗意識は陸海軍ともにあったよ。
つか、陸海軍の仲がいい国を挙げる方が難しいだろう。
WW2のアメリカ軍なんか、ニミッツとマッカーサーの対立で物凄いことに。
その軋轢が致命的にならなかったのは、アメの物量のお陰。おまけでマッカーサーの豪運。
「アメリカ陸海軍は中央では協力したが出先で対立し、帝国陸海軍は中央で対立し出先で協力した」
と評したのは誰だったかなぁ。
あ、上で引用した言葉は、WW2のことね。
>>240 というか、
>>233はAA太郎だろ。文章に脈絡が無いし、日本語としてなんかおかしいし。
旅順の件は勝ったから全て美談で済んだが、もし万が一負けていたら陸海の罵り合いで凄いことになったのだろうな
陸軍「旅順は海軍でやると主張していたくせに、このザマは何だ!」
海軍「陸軍の要塞攻撃があまりに拙劣だったからだろう! こっちはこっちで精一杯やったんだ!」
まあ、三十数年後のガダルカナルやらレイテやらで、現実のものになってしまったわけだが
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 16:08:48 ID:aInY/+tiO
明治の帝国軍人がそんな
チンケな対立しないだろ。
現に海軍の28a砲を引いてきて
要塞を粉砕し、歩兵が突撃して占領したのでした。
>海軍の28a砲
……おいおい。
>旅順の件は勝ったから全て美談で済んだが、もし万が一負けていたら
>陸海の罵り合いで凄いことになったのだろうな
いや、1904年中は罵り合いをしてたけど??なんか 微妙にフィルターかかってるな。
>というか、
>>233はAA太郎だろ。文章に脈絡が無いし、日本語としてなんかおかしいし。
レッテル貼りされたいのか?乃木儲
232の意見で時系列を捏造して なにかバイアスかけてるのは完全に無視ってるところを見ると
本人か?
>ついで港口閉塞作戦が実施されたが、元々実現性の低い作戦であり、三度敢行しても閉塞は果たせなかった。
>結局は艦艇を弋遊させての直接封鎖する事になるのだが、これは危険性が極めて高い。実際封鎖中に戦艦
>二隻が一日にして失われた事がある。
閉塞作戦は2月末から3月 5月まで行なわれており、
その閉塞作戦もしくはおびき出し作戦の途中で4月に水雷戦術によりお互い損害が出る。
AA太郎か…
ありゃ最悪だ。そう思うだろ?↑もw
>>249 おまえコテハンつけてくれんか?乃木儲でも嶽原でもクソ八でもなんでもいいから。
なんか気に障ったらしいねw
分かりやすい人は嫌いじゃないよw
>いや、1904年中は罵り合いをしてたけど??なんか 微妙にフィルターかかってるな。
罵り合いを「してない」だなんて、誰も、一言も、書いてないのにね
変な脳内フィルターをかけて他人の意見を捏造し、一人相撲に興じるのはAA太郎の悪い癖ですね。
てか1904て戦争中じゃ?
フィルターだのバイアスだのイチャモンつける前に、読解力を身につけなよ。
1904年なんて日露戦争真っ最中、旅順すら落ちてないじゃないの。
おいおいみんな。
あんまり虐めるとまた逆ギレして暴れ出すぞ、AA太郎がw
∧,,∧ ∧,,∧
∧ < `∀´ ><`∀´ >∧∧ ・なんか気に障ったらしいねw
< `∀> U) ( つと ノ( ∀´ >
| U < `><´ > と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u'
・変な脳内フィルターをかけて他人の意見を捏造し、一人相撲に興じるのはAA太郎の悪い癖ですね
・フィルターだのバイアスだのイチャモンつける前に、読解力を身につけなよ
1904年なんて日露戦争真っ最中、旅順すら落ちてないじゃないの。
>>251-255 ∧_∧ ∩
>>232の意見
( ・ω・)/
___ / / / >ついで港口閉塞作戦が実施されたが、元々実現性の低い作戦であり、
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\ 三度敢行しても閉塞は果たせなかった。 結局は弋遊させての直接封鎖・・・
閉塞作戦は2月末から3月 5月まで行なわれており、
その閉塞作戦もしくはおびき出し作戦の途中で4月に水雷戦術によりお互い損害が出てますが?
なんで捏造したのですか?
1904年中は激戦中で”負け戦の為” 陸軍、海軍がお互い 罵り合ってましたが??
大体落ちてないときの話をしてるんじゃないかw
挙句に乃木司令部の解体案まで出て、実質奉天戦では 儲の言う”旅順要塞攻略の立役者”
の第3軍司令部はほとんど改変されてますが??
大体 美談ってなんだよ。明治から昭和初期の士気高揚の美談??
,一-、
/ ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■-っ < んなーこたーない。
´∀`/ \__________
__/|Y/\.
Ё|__ | / |
| У.. |
>>234で 機雷を水雷戦術じゃないって思い込んだり・・・。
なんか 幼稚なんだよな。世間が冷たいからって事実から逃げても 何の解決にもならんよ。
【またAAか】【やっぱりAA】【さすがAA】
【はいはいAA】【AA丸出し】【AAじゃ日常】
【ヨハネスブルグ】【これがAAクオリティ】
【AAて】【だってAA】【相変わらずAAか】
ヤレヤレ… 【AAだから仕方ない】【どうせAAだし】
. ∧__,,∧ 【それでこそAA】【まぁAAだし】【常にAA】
( ・ω・) 【AAは日常風景】【AAすげー】【だからAA】
. /ヽ○==○【きょうもAA】【AAで軽い挨拶代わり】
/ ||_ | 【いつものAA】 【なんだAAか】【AAだもの】
し' ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_))
>>230-255 233 から AA無しでやってみたけど、他にもちゃんと記入しているにも
関わらず まともな反論もせずに下記内容でイチャモンつけてるだけなんで
儲のレスは史実に対しての意見じゃなく、他にしか批判する事ができないと・・。
まぁ彼の脳内お花畑意見を批判すると下記のように叩かれるとw
235:妙な事言うもんじゃないよ。
240:レポートをネットで拾い集めた文章ででっちあげる学生を嘆いたニュース見たことがあるが、
こんな感じなんだろうな。
245というか、
>>233はAA太郎だろ。文章に脈絡が無いし、日本語としてなんかおかしいし
249AA太郎か…
251 なんか気に障ったらしいねw
252変な脳内フィルターをかけて他人の意見を捏造し、一人相撲に興じるのはAA太郎の悪い癖ですね。
254フィルターだのバイアスだのイチャモンつける前に、読解力を身につけなよ。
255あんまり虐めるとまた逆ギレして暴れ出すぞ、AA太郎がw
このコピペは遠慮なく使えるぜw ここのスレッドで使い続けてあげようw
天に向かって唾を吐くってのを身をもって知りなさいw
そんな反応しか出来ないから、皆様に弄られるんだよ。自業自得としか言いようがない。
しょうがない奴。
∧_∧
>>258 ( ´∀`*) キャッ キャッ!
と と ノ
と と ノ
∩_∧∩ 彡
/丿・∀・) << タカイ、タカイ、 他界ぃ〜
. / / 何言ってるのw まともに歴史も見ずに捏造しまくってる人に
_,,..-―'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'''ョ 言われたくないなー。 乃木日記でさえ捏造しちゃうんだものw
>>122 ゙~,,,....-=-‐√"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ 脳内史実は しまっておけってね。
T | l,_,,/\ ,,/l |
,.-r '"l\,,j / |/ L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/
何言っても無駄ってか
まあ予想通りの展開
ナントカは死ぬまで治らない
相手にするだけ時間の無駄
ほっといてこっちは建設的な議論をしようぜ
まあ特に目新しい話題も無いけど、今のところ
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 05:08:30 ID:y/eYBFDs0
突然悪いが、一日に2隻沈んだって日、
もう一隻なんらかの理由で沈んでたよな。
海軍側は当初、戦艦二隻喪失の事実すら隠そうとしており、当時の広報では一隻沈没とされていた。
という話を読んだことがある。
/´" ̄⌒`⌒ヽ,,〜
/ ∧ \〜
/ ノー;;;;;;;;' ll ゙;;;;;;; )〜
/ ,/ ,,`ー・- -・-.ミ _________
/ リ )( ・・) ゙) | |. |
~|/ i| ∵ __⊥_ :.ノ .| | |
| |i、 ´ 二,`ノ .| | |
ノ人ヾ\゙ ー‐ -イ\. | | |
/⌒\)_\ | ゝ ヽ|_|_________|
| \``\ ゙ l |/ ヾ ヽ _,| | |_ カタカタカタカタ…
.|ヽ、 〜ー‐┴ィ'⌒| ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| カタカタ…
───────┴'こ|___|_:◎__[ロ:≡〕ロ.|────
wzkje4JrO
>>260-262 AAつけなくても 内容に対する意見で反論もせずに
ただ 茶化すだけの存在と 自己主張しているわけですけどw
どんどん 自分を貶めてね!!
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ 海軍批判するなら、閉塞作戦自体を批判すべきだと
┃
┃ 戦略レベルでは考えるべきですが、儲(達)は表層の意見にしか固執しない。
┃ 人
┃ ゥ,、 <。 >
┃ ゥ,、 (⌒─⌒) /Vミ バシ!!
┗━━ ((´^ω^)) / ミ < ハイ ここ重要ですからね!
/) y )つ
|~ ̄] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>243 WW2のアメリカ軍が軋轢が致命的にならなかったのは、
ルーズベルト大統領が調停してまとめたのも大きいよ。
日本じゃ陸海軍の対立を調停できる人が全然いないし。
天皇でも無理だったしね。
関連スレ
EU,アメリカカナダ,豪州NZと日本は、合併して一つ!
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/soc/1230641569/ より
EUとアメリカカナダと豪州NZと日本は、合併して一つの国になったほうが良いと真剣に考えています。
もともと日本は文明国でありながら、世界を知らない議員があまりにも多く、
教育・法律においてもあまりにも恥ずべき対策が成されています。
これからの世界は、福沢諭吉さんが目指した「真」の意味での脱亜入欧を真剣に考え、
日本が国民にとって自由でリベラルで住みやすいライフスタイルが確立できる国になるように
世界に対しても働きかけていくべきではないでしょうか?
そのためには、アメリカ、EU、カナダ、オーストラリア、NZおよび日本国で成る
連邦国家を建設すべきなのです。
この冬、私は視察のためにも1月中旬までEUを再び旅行してまいります。
共に歩む、文明国家連邦として。
米国の信頼回復のためにも、第3世界との協調を図るためにも、オバマさんにもメッセージを伝え、働きかけていきたい。
真の改革者へ注ぐ。
もしも昭和10年代に2ちゃんがあったら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1152269567/
>>263 <初瀬><八島>が触雷沈没
<吉野>が<春日>と衝突して沈没
5月15日は「連合艦隊最悪の日」といわれた
これは見事なAA太郎スレ
吉野って日清戦争のときの旗艦だよね?
験担ぐ人は真っ青になっただろうな
264です。戦艦一隻の沈没を隠蔽した、って話のソース、いまだ見つからずです。
十巻くらいの結構な厚さの資料集みたいな感じの本に載ってたと思います。
コピーしたはずなのに見つかりません。誰か知りませんか?
>>269 細かいことだけど一応
吉野は第一遊撃隊の旗艦で、日清戦争当時の連合艦隊旗艦は松島ね
まあ、最殊勲艦には違いないけど
しかし、錬度を誇る我が海軍ですら衝突事故を起こすほどの濃霧が発生するのだから、
旅順に対する密輸を根絶出来なかったのも当然だよね。当時はレーダーなんて無いし
開戦前の児玉と佐藤鋼次郎砲兵少佐の会話
児玉「旅順なんて、陸と海から兵糧攻めにすればそれでよくね?」
佐藤「ムリです。海に面した要塞は、どうしても海側からの密輸を断ち切れないものですから」
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 23:44:57 ID:ljuQ8wiO0
『歴史街道』 2009年3月号
人物で語る日本近代史 第十回
児玉源太郎 後編 日露戦争勝利を導いた男の、もう一つの戦い 中西輝政
http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=84251 戦後通説になっている、このいわゆる「乃木愚将論」に対しては、近年、説得力のある反論が
唱えられています。
しかし、ここで私が指摘しておきたいのは、まったく別のことです。実は日露戦争時、日本の
外交暗号や陸海軍の暗号はほとんどロシアに解読され、また宮中にまでロシアのスパイが入り
込んでいました。それが、旅順攻略にも影響していた可能性です。第三軍による総攻撃は、
その日程から手順まで、ことによると事前に敵側に筒抜けだったのかもしれません。これこそ、
旅順を「難攻不落」の要塞たらしめた、真の要因だったのではないでしょうか。
何年か前までは、『歴史街道』でもいわゆる「乃木愚将論」を垂れ流してたものだが。
うたた今昔の感があるねえ
>>272 ∧_∧ ∩ 期待してたら・・・すんごいぬるい記事なんですけど・・・。
( ・ω・)/
___ / / /
\⊂ノ ̄ ̄ ̄ ̄\
歴史街道3月号P120
第3軍は総司令官に代わって派遣される児玉参謀長の指揮に従うべしとの一筆をもらった上で
再び旅順を訪れました。その後起こった出来事は児玉を描いた小説や伝記などでよく知られています。
到着早々 児玉は第3軍の参謀たちを前に「貴様ら何をしているのか」と怒鳴り散らしたあと、
乃木と対面しました。そして指揮官の乃木の体面を傷つけないことに配慮し、それとなく第3軍の
指揮権を預かることを納得させたといいます。しかし大山からもらった一筆は懐に隠したままでした。
それを見た乃木が自責の念のあまり 己を恥じて自決してしまうことを恐れたからです。
その後児玉は「無理です」と泣き言を言う第3軍の参謀をまたもや怒鳴りつけ速やかに重砲
(28サンチ砲)陣地を移動させ二百三高地への集中攻撃を命じました。・・・・
昔読んだ小説とかPHP系の本を数冊読んで記事にしたって感じ。
最近台湾征討時の鈴木商店と樟脳の関連性を調べ始めてる。なかなか面白い。
>その後児玉は「無理です」と泣き言を言う第3軍の参謀をまたもや怒鳴りつけ速やかに重砲
>(28サンチ砲)陣地を移動させ二百三高地への集中攻撃を命じました。
なんっつー浅はかなorz
これじゃここのAA太郎より酷いじゃないか
保守派の論客といっても所詮この程度か
>>275 どういう意味で、なにが「浅はか」なんですか?
半年romってれば分かるかも知れない
「歴史街道」&「中西輝政」ではな・・・暇潰しにもならん。
単に不勉強なのか、それとも司馬さんの悪口をいって睨まれるのが怖いのか。
どちらかだろうね
悪口言うと睨まれるの?
迷惑太郎は消えたみたいだから、そろそろ再開して欲しい
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 05:52:32 ID:zs9gT+02O
誰か テレビ番203高地みして
すみません教えてください
一昨年か去年か、結構な厚みの日露戦争関連の人物を多数紹介した本が出てましたが、誌名が分かりません。
人物解説は、まったく坂の上の雲に準じたもので、評価は五段階くらいの星付けだったように思います。
極めて多数百人以上が勢揃いした記念写真なのに、何故か乃木大将は写っていない写真が、表紙あたりに使われていました。
なんて誌名でしたっけ?
ラクレの新刊が出ていた。大正編。
なんか
なんだ
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 20:54:17 ID:RlLklF0c0
203高地の奪取は不必要で、
実はそれまでに旅順艦隊は戦闘能力を無くしていた
現場の乃木以下第三軍の参謀もいろいろな情報からそのことを確信して
203高地攻撃はいたずらに死傷者を増やすのみ、と考え乗り気では
なかった。
現場より遠い、参謀本部の机上の論理と海軍の強い要請に押し切られた。
その後、一般市民の感覚から遊離する感覚を持った陸軍幼年学校の、変な
エリート意識集団が陸軍参謀本部の中枢を占めるに至り、あの未曾有(みぞう)
の死者と国土の荒廃をもたらした太平洋戦争へと突っ走ったのである。
という説は、やっぱ真っ赤な嘘か?
現場より遠い、参謀本部の机上の論理
↑
当たってると思う。
自分としては、日清日露までは重要視された情報や補給が、
太平洋戦争になると蔑ろにされていく原因も知りたい。
いや、蔑ろにはされていないのかな?
補給は無理だっただけだろうか?
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/30(木) 23:26:39 ID:fOQ2SQsN0
採用時の成績や出身校によって、地位が与えられる
つまり、業績や実績を評価したり、失策を険しく懲罰したり
なんてことと無縁と思えるような世界。
今の、霞ヶ関の高級官僚にしっかり受け継がれているあたりは
さすが一等国日本
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/14(木) 20:08:13 ID:DnXhuVJk0
正露丸アゲ
>>288 203高地奪取前に旅順艦隊は壊滅してたのかな?
ホント気になる。
>>288 完全自給ができるのは米軍だけ!
まぁあれだけ機械化してたドイツ軍でも完全自給は無理だったし、
海軍にしても船沈められまくってパラオに集積してる有様じゃ無理だな。
壊滅してないっしょ。203高地攻略後もセバストポリその他が出港しようとしてましたしね。
ウラジオ艦隊の跳梁による悪夢から 完全を期さねばならなかったという
悲劇でしょうな。
乗員は陸戦隊に編入されて大幅な定員割れ
副砲以下の備砲は大半陸揚げ
動くのがやっとという状態で、少なくともマトモな海戦なんかできる状態じゃなかった
仮に脱出を試みても、水雷艇の餌食になるだけ
ロシア側の資料を読むとわかるよ
まあ、結果論だとは思うが
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/27(水) 17:01:07 ID:iyJWxglu0
旧満州国の領内にあり、戦後発見された大慶油田
年平均産油量は5000万トン。
昭和16年に日本で必要とされる原油量は600万トン
そこでパレンバンなどの石油施設を手に入れ700万トンの産油で
大喜びしたらしい。
貧困農業国日本の哀れは、農民の開拓民としての移住による口減らし
ばかり頭が行き。
資源探査、特に石油の探索を大々的に行わなかったこと。
捜査はしてたし、一度は見つける寸前まで行ったけど、思い込みで結局スルーしたんじゃなかったっけ。大慶油田。
油田の存在は知っていたけど、原油に
硫黄分が多くて当時の精製技術ではガソリンに
分離できなかったとかなんとかどっかで読んだ。
油田の話をするなら、北樺太を獲れなかったのはやはり致命的だったよね
長岡のいったとおり、北韓作戦は是が非でも実施するべきだった
昭和以降の歴史が変わっていたかもしれん
満州ですら 昭和までほったらかしだったのにそこまで金がいくかどうかは怪しい。
外資を招くのも嫌ってたしね。
もはや戦闘能力もなく、艦隊として潰滅状態だったのはわかってたんだけど、大本営はそこんところが納得できなかったのだね。
あの状況を壊滅状態と認めない人は、全滅を字句とおり一兵残らずの全滅と捉えるようなセンスなのを自覚出来てない人。
日本側は旅順艦隊の戦闘能力が0なのを知ってたの?
海戦はともかく輸送船を襲うこともできない程だったなんて初耳なんだけど
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 10:30:09 ID:/PpMQB330
旅順艦隊が壊滅しており残存兵力無しと完全に確認するためには要塞を攻略
するしかないですな。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 14:16:14 ID:UK7KWSFxO
ガンダムがあったらなぁ
そもそもガンダム造る技術があったらこんな戦争にはならなかっただろう。
>>300 そんな後知恵 結果論を騙っても無意味。 己のバカさ加減を披露するだけ。
わかってた??曖昧な情報を元に作戦を練るほど当時の人は君のようにバカじゃなかってこと。
陸軍政史より
「キングストン」は悉くこれを開放しありという。之に依って之を観ればわが砲弾の
命中著しく精度を加え艦内の起居益に困難になるを及んで、百計苦心の末艦体を
水底に沈没せしめて砲弾の命中を避け もってバルチック艦隊来援の時期に至るまで
艦体の無事を僥倖せんことを企図したる結果・・・。
つまり203高地からの砲撃のみでの撃沈はならなかったってこと。
これでどうして 203高地攻略前に壊滅したって言えるのか。
そもそも、旅順要塞攻略戦の途中でも大破したセバストポリを修理するほどの能力を
持っているのに 何を言ってるのか・・。
これで壊滅状態って言う方がどうかしてる。
数隻でも取り逃して、今後の物資輸送に影響を及ぼす方が大問題ってことを認識できていない。
>>301 まず、誰も戦闘力ゼロなんて言ってないのを確認して欲しい。
>>306:1PA7FRCKO
>まず、誰も戦闘力ゼロなんて言ってないのを確認して欲しい。
300 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/05/28(木) 07:32:51 ID:1PA7FRCKO
もはや戦闘能力も【なく】、艦隊として【潰滅状態だったのはわかってたんだけど】、
大本営はそこんところが納得できなかったのだね。
【あの状況を壊滅状態と認めない人】は、全滅を字句とおり一兵残らずの全滅と
捉えるようなセンスなのを自覚出来てない人。
はぁ?? 戦闘能力もなく、壊滅状態だったと主張しているが、戦闘能力は0って言ってない??
やれやれだな
全滅を字面どおりに受け止めるようなセンスをなんとかしてね。
>>305 キングストン弁を開放していたのは、ペレスベ-トだけなんだよ。実は。「28珊米榴弾砲弾丸効力調査報告」にかいてある。
当時の作戦目的が旅順艦隊を文字通りの全滅=一隻残らず沈めることでしょ?
それなのに「全滅を字面どおりに受け止めるな」と一般論に摩り替えようとする意図がわからない
細部は置いておくとして大きな流れでの203高地攻撃は特に問題ないと思うけど…
>>301 輸送船団を襲うには東郷艦隊の封鎖を突破しなきゃならないわけだが、
黄海海戦・第一次総攻撃以降の旅順艦隊にもはやそんな力は無かった
したがって「艦隊撃滅のために203高地を攻略しろ」と強要した大本営や海軍の横槍は、
結果からいえば満州軍と第三軍に対する余計な容喙だった
>>309 ロシア側の記録「露日海戦史」でも裏付けられますね
<ポルタワ>
12月5日、28サンチ砲弾の命中により弾薬庫が誘爆
消火のため放水したところ、既に水密隔壁がガタガタになっていたので浸水が増大、とうとう着底
残留していた乗員50人は陸上に退避
<レトヴィザン>
12月5日に8発、6日に14発が命中 諸所に火災発生 消防導管が破壊されていたので処置なし
新しく開けられた穴、塞いだがまた開いてしまった穴から浸水が増大、そのまま着底
艦長は復旧を諦め、残っていた糧食弾薬を搬出して退艦
<ペレスウェート>
12月7日、10発が命中した所で、砲火を避けるため艦長の判断でキングストン弁を開き、みずから着底
しかし日本軍は尚も砲撃を止めず、沈没後更に10発が命中
<ポビエダ>
12月7日、23発が命中 吃水付近に空けられた破口から大量に浸水
やっぱり防水隔壁がボロボロになっていたので浸水が止まらず、右舷に大きく傾斜
復旧のため左舷に注水したところ、そのまま着底してしまった
傾斜大のため艦内の備品は持ち出せなかった
結局、それまでの海戦と砲撃による損害で、旅順艦隊は殆んど「死に体」となっていた
まあ、呉軍港空襲時の残存日本艦隊みたいなものだろうか
>当時の作戦目的が旅順艦隊を文字通りの全滅=一隻残らず沈めることでしょ?
違うよ。作戦目的は要塞の攻略。
地上軍が迫ってくるのに応じて艦隊が脱出するのを期待したわけだよ。で、陸軍側は首尾よく艦隊を追い出したんだが、それを待ち受けていた海軍は討ち損ね、あろうことか舞い戻りをみすみす許した。
本来は海軍の仕事だったわけ。
>>311 >「艦隊撃滅のために203高地を攻略しろ」と強要した大本営や海軍の横槍は、
>結果からいえば満州軍と第三軍に対する余計な容喙だった
<ポルタワ> 12月5日
<レトヴィザン>12月5日に8発、6日・・
<ペレスウェート>12月7日
<ボビエダ> 12月7日
全部 203高地攻略後の砲撃が影響を及ぼしているじゃないか。
それまでの攻撃でもセバストポリの大破の修復などまったく無視するのはどういうこと??
ポルタワは水密隔壁を修理すれば引き揚げが可能な状態。 後に”丹後”になっている。
レトビザンも後に日本軍が孔を塞いで引き揚げ後に”肥前”
ペレスベートは”相模”
ボビエダは ”周防”
セバストポリはいまだ健在。脱出時に復員を含め約600名と装備をある程度復活させた。
セバストポリとポルタワは 先に沈没したペトロバブロフスク級で この艦はウラジオで修理できる
ように建造されていた。
修理をあきらめたか否かの問題でなぜか キングストン弁という【語句のすり替え】をしているから
気をつけたほうがいい。
>違うよ。作戦目的は要塞の攻略。
その論理でも時間が抜けてる。 さらに日本海の制海権をまったく無視しているね。
日本艦隊が封鎖できる限りまでに要塞の攻略を完了させ、太平洋艦隊の跳梁を
許さないこと。そして大陸における日本軍の兵站の安全を確立すること。
もし太平洋艦隊がウラジオに居たならば、ウラジオ攻略をも視野にいれなくてはならない。
そういう兵站の視野がまったく抜けているので、議論にもならん。
しかし 最近の疑問はなぜ 日本が朝鮮半島を経由した兵站線を行わなかったかを
調べてる。朝鮮半島ってのはその当時どういう状況で大本営がいかに苦心したか・・。
>>309 >キングストン弁を開放していたのは、ペレスベ-トだけなんだよ
巡洋艦バルラダも開放した。「旅順港引き揚げ戦艦に対する28珊米榴弾砲命中弾に関する
実地調査報告」に書かれている。
誤魔化してる論を鵜呑みにすると どんどん恥を書く例だな。
>>305 >「キングストン」は悉くこれを開放しあり
かなりズレてきちゃったのは知らんぷりなんですねわかります。
でも他人を卑下する書き込みは忘れないんだからたいしたものだ。
「弾丸効力調査報告」ではパルラダはキングストン弁閉鎖になっている。
「実地調査報告」を読んでみると『引揚当時に於る海軍当事者の言に依れば』と伝聞を書いているに過ぎない。
これに踊らされたのだね、報告者のT大佐U中佐は。尤も報告が出たのは明治38年のようだから多分に伝聞が混じるのも理解出来る。
彼らに聞くことは出来ないから、現在踊ってる人に聞いてみたいものだ。
パルラダのキングストン弁は閉鎖されていたという調査報告があるが、どう思うかね?
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 18:38:35 ID:rnj0whnv0
キングストン弁って、キングストンさんが発明した弁かな?
それにしても、「勝って兜の緒を締めよ」なんて分かるね気持ち
三笠が、乗員のどんちゃん騒ぎの飲酒で爆沈、
陸奥も、乗員の精神衛生上の問題があったかも、
自衛艦の火災もそれ。
ちゃんと、真実の報告残さないから、いつまでたっても・・・
真実の情報公開は大事ですよ。公文書館でも作って閲覧公開を。
臭い物に蓋の日本文化はクールじゃないね。
陸奥は爆沈だから正直な報告すら出しようがないのでは……
>かなりズレてきちゃったのは知らんぷりなんですねわかります。
>でも他人を卑下する書き込みは忘れないんだからたいしたものだ。
ここ最近で最初に他人を卑下したのはID:1PA7FRCKO
>>300だが??
あぁ この人も変な「弾丸効力調査報告」資料で 強弁張ってるね。
修理を断念して キングストン弁を開いたという事で 事例を出したが、
キングストン弁に固執する辺りは なんもわかってないようだな。
まぁ お前さん頭悪いようだから これ以上は騙らない方がいいよ。
>パルラダのキングストン弁は閉鎖されていたという調査報告があるが、どう思うかね?
艦体の致命傷なく、バルラダはどうやって着低したのかね?
報告書にはしっかりと 効力が 書かれているはずだが??
その証明もなく、キングストン弁に固執して、誤魔化すのはやめてくれないか?
さらにセワストポリは左舷のキングストン弁を開いて 着低させてから、修理を行っていますが??
結構な資料をもっているようだが、読んでる御仁の頭の程度がわかるのでやめておいたほうがいい。
>全部 203高地攻略後の砲撃が影響を及ぼしているじゃないか。
12月5日以降の砲撃が「最後のトドメ」となったことは間違いないよ
しかし、それ以前の段階で旅順艦隊がほぼ「死に体」となっていたことも、また紛れもない事実
>セバストポリはいまだ健在。脱出時に復員を含め約600名と装備をある程度復活させた。
ソースは? 「露日海戦史」には、12月8日時点で同艦の艦内に残っていた兵員は「総数300人」と書いてあるが
定数(620人)の半分以下じゃ、もう動くのがやっとだろうなあ……
>巡洋艦バルラダも開放した
石炭庫や弾庫に注水したとは書いてあるが、キングストン弁を開いたとは一言も書いてないよ>「露日海戦史」
誰かの論を鵜呑みにせず、もっと色々な資料を比較対照した方が良い
>石炭庫や弾庫に注水したとは書いてあるが、キングストン弁を開いたとは一言も書いてないよ>「露日海戦史」
あぁ。 またバカが沸いて出てるよ。
>>318でやんわりと 指摘してくださっているのに・・・・
結構な資料を読んでるのだったら語句や前後を理解してから書き込めよ。
キングストン弁って何か知ってて書いているんだよな。注水するときにはキングストン弁以外に
どうやってするんだ??
意味不明な事ばかり書いてるけど、政史出したのがあっさり否定された無念っぷりがアリアリで笑えます。
要はキングストン弁開閉状態の確認の話です。
>陸軍政史より
>「キングストン」は悉くこれを開放しありという。之に依って之を観ればわが砲弾の
>命中著しく精度を加え艦内の起居益に困難になるを及んで、百計苦心の末艦体を
>水底に沈没せしめて砲弾の命中を避け もってバルチック艦隊来援の時期に至るまで
>艦体の無事を僥倖せんことを企図したる結果・・・。
これが事実ではないと分かったのなら、当然
>>305の
>つまり203高地からの砲撃のみでの撃沈はならなかったってこと。
>これでどうして 203高地攻略前に壊滅したって言えるのか。
この主張も崩壊するのが道理だが、そこんとこどう考えてるのかね。
己の主張の根拠が崩れてもなお主張を変えないってんならもはや掛ける言葉はない。そんなのはチラシの裏程度の重さもないね。
>意味不明な事ばかり書いてるけど、政史出したのがあっさり否定された無念っぷりがアリアリで笑えます。
>これが事実ではないと分かったのなら、当然
>>305の
>石炭庫や弾庫に注水したとは書いてあるが、キングストン弁を開いたとは一言も書いてないよ>「露日海戦史」
そら 君にとっては意味不明だろw大バカって自分から主張しているのだから。
普通は語句、前後の意味を理解していたら、石炭庫、弾薬庫に注水するのにどんな機構が必要か
理解して想像しながら 読むもんだ。
何度も聞くよー・・ キングストンを開く という意味がどういう事か 説明してみな??
それでだ。 28サンチの効力も巡洋艦程度の艦体を射ちぬけずにどうやって浸水するのか
説明してもらおうじゃないか。語句のすり替えで誤魔化しても何の意味はないぜ??
さらに戦艦セワストポリは右舷の機雷による大損害を修理するために左舷のキングストン弁を開いて
注水してから 傾斜復元と着底を行っている。
キングストン弁という記載がないから開いてないって主張しているのだから 当然
28サンチ砲によって船底まで射洞したというソースでも出してごらんなさいな。
それだったら キングストンを開かずとも転覆したり着床して 航海能力が無くなったって納得するけどね。
いろいろな論拠に頼ってないのは君の方じゃないのか??
いつものAA太郎がいつものように訳わかんないことばっか喚いてるようだが……
そもそもバルラダは自沈じゃないんだよ
「(前略)……第四発は左方より炭庫に中り喫水部を穿ち艦内に浸水し、遂に艦は海底に座し、
高潮時(午後八時頃)には十一度傾斜せしを以て之以上傾斜を増加せしめざる為
対舷の炭庫一箇所同空虚の弾庫二箇所に注水し……(後略)」(「露日海戦史」)
というわけで、
>28サンチの効力も巡洋艦程度の艦体を射ちぬけずにどうやって浸水するのか説明してもらおうじゃないか。
浸水するんだね、AA太郎にとっては残念ながら。
こっちはちゃんと出典も示して説明してるのに、どうしてそれを読もうとすらせず、
支離滅裂な強弁を続けるのかね
その神経が意味不明です
ああ、ついでに
>脱出時に復員を含め約600名と装備をある程度復活させた。
これのソースもきちんと示してくれんかね
出来なかったらお前さんに、「ウソつき」のレッテルも貼ってあげよう
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 13:53:24 ID:tlu0M544O
>>324 頭の引用部だけど、前段は自分の書いた事だけど後段は別の人のだよ。
ちゃんとID確認して分けるくらいして下さい。
>>326 AAとかいうからまたぞろ復活かと思ったけど今の所使ってないじゃん。その姿勢は一応尊重するべきじゃないのかな。
まあいつまで持つのかなと不安に思うけど。
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
いま、血眼になって「露日海戦史」を探している所ですか?AA太郎は。
>>329 ??
あのさぁ。 AA太郎ってレッテル貼り??するの??どういう根拠で??
以前 露日海戦史を出してきた馬鹿儲がいたけどw
それでだ。 セワストポリが 左舷のキングストンを開いて 修理を行った事実があるんだが
炭庫 弾庫に 注水するのに 他にどういう手段があるのか聞いてるが、まったく出てきませんねw
さらに、修理ができる状況 というのがどういうことか理解している?
資料を斜め読みして 捏造する儲がここに居るから過疎るんだけどな。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 06:52:51 ID:KBtKTWtlO
キングストン弁にこだわった調査をしているのが疑問。当時の艦船にとっては重要な位置付けだったのだろうか。
過疎?別にいいんじゃね?つか白熱してきたら粘着とかいうんだよあんたみたいなのは。
おいおいw 下げて書いてあるのに 書いた瞬間に書き込みかよw
sage進行なの?
20分を瞬間とか、なかなか特殊な感覚をお持ちのようでお悔やみ申し上げます。
なんか意味不明なことをウダウダ書いてるけど結局、これ↓の根拠は無しですか? ウソつき太郎君。
>脱出時に復員を含め約600名と装備をある程度復活させた。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 00:18:05 ID:aCR0ZXks0
図書館で日露戦争写真集をみた。
ロシア軍の要塞は落とすのは大変だったろうな。
>>334 なぜそれがウソっていうの?? レッテル貼り君の◆kRQ7DyWuR
12月8日時点で同艦の艦内に残っていた兵員は「総数300人」
脱出、出港するときに復員、させるのは当然ですよ。
それとも?出港時に復員させず 300名程で出したという資料があるなら
まず対抗 資料をだすべきだろ。
相手をうそつき呼ばわりするくらいだから その位はあるんでしょうねw
斜め上ktkr
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 21:13:09 ID:lqM6rZdD0
>脱出、出港するときに復員、させるのは当然ですよ。
うわっ! 呆れたね〜 そこまで自信満々で断言するからには、何かしらソースがあるものと思っていたが
そんないい加減な脳内補完で、いい加減な戯言をほざいてた訳か
ウソつき太郎というより妄想太郎ですね、もはや
>300名程で出したという資料があるなら まず対抗 資料をだすべきだろ。
何度もいってるが「露日海戦史」だよ
ウソだと思うなら自分で確かめてみろ、このアホンダラが
……とはいっても、他のスレ住人の為にいちおう記しておく
「(12月8日)……会議後「フォン・エッセン」大佐は「セワストーポリ」定員620人に対し現在員100人を超えざるを以て
補充を「ウィーレン」少将に請い……」
「此日陸上陣地(予備隊)より乗員の一部帰艦し兵員の総数300人に達したり」
(「露日海戦史」第13章)
もうどんな資料を提示しても、懇切丁寧に説明しても、ムダだとは思うがね、この妄想太郎に
あの縮刷文字を読んでいくのは拷問である。
にしても凄いわこの人。『〜〜するのは当然ですよ』て書いとけばそれらしく見えるもんな。
息を吐くように嘘をつく、の実例を見る事が出来たよ。
たぶん、本人には嘘をついているという自覚は無くて、
脳内で「願望」「妄想」と「現実」がゴッチャになって、区別がつかなくなってるんじゃないのかな
次は「露日海戦史の記述が本当であるという証拠は無い!」とか、
「約600人でなかったという証拠は無い!」とか言い出しそうだ
>>337-340 願望もなんもw オレは300人でも600人でもかまわないって。
300人から600人に代わるとどういう妄想になるのかぜひ聞きたいもんだw
だれも、人数が増えることによる=戦闘能力の回復なんて書いてないけどね。
どっちが妄想と願望なんだか。
それ以前に12/8の会議の結果と出港時の兵員は一致するものではない。
私の曖昧な記憶では 300人+350人 と装備をある程度回復という所しか
覚えていない。多すぎるから 600人程ってっ書いたのですけどね。
岩本町の古本屋で軽く読んだ本に書かれていたから、時間を見て調べておきますよ。
それが虚偽というなら甘んじて受けるけどね。
ところで203高地攻略以前に旅順艦隊が壊滅なんて まったく信用ならない
願望をヒタスラ述べる儲さん。
セワストポリは 12/26までも 未だに砲撃を受けている。(公刊戦史)
この事実をどう捉えるのか??
ロシア軍がひたすらに囲っていた【艦隊の状況を後知恵で知ってる】から203高地攻略が
無意味とほざいて キングストン弁以外に炭庫と弾庫に注水する方法を書きもせず。
IDを変えて 相手を罵倒する 姿勢って 面白いなーw
ごちゃごちゃ言い訳した所で所詮ウソツキはウソツキ
相手にしてられない。
さっさとその本とやらを見つけて来い。話はそれからだ。
>>342 ウソツキってw ここの儲はひたすらウソを吐いているじゃないか
203高地攻略前に戦力が壊滅していたw ってね。
修理していることをまったく無視しているのはどういうことかのうー。
(だから、他の全体の資料を鑑みてどうだったっていうんだ・・。)
それを誤魔化すために言葉尻の揚げ足取りを徹底して相手を罵倒しているんだよなw
そもそもそこに艦隊がいる以上攻めないという選択肢は当時存在しないだろう
旅順艦隊の状態がどうであれね
>203高地攻略前に戦力が壊滅していた
それはウソではなく、単なる「見解の相違」または「用語の使い方の違い」
ウソつき太郎は砲1門弾丸1発駆逐艦1隻でも残っている限り「壊滅」といいたくないだけのようだが、
普通は戦力の大半が失われ、マトモな交戦能力がなくなった時点で「壊滅」という
この点
>>300氏の指摘のとおり
いっぽう、
>セバストポリはいまだ健在。脱出時に復員を含め約600名
これは明々白々に、客観的に判断して、「真実でないこと」つまり「ウソ」でしかない
見解や語用の次元ではなく。
わかった? 自分がウソつき呼ばわりされる訳が。
これ以上相手して欲しかったら、グダグダいわず「約600名」の証拠を示しなさい
つか、現代みたく航空偵察ができる訳じゃないんだから、
艦隊がどれだけの戦力維持してるかどうかは、蓋を開けてみないと分からなくね?
>>346 シー
345=300で罵詈雑言はじめた 儲に何を言っても無駄。
>ウソつき太郎は砲1門弾丸1発駆逐艦1隻でも残っている限り「壊滅」といいたくないだけのようだが、
こいつは上のようなありえない仮定で詭弁を弄しているんだから意味ないって。
修理のしやすい艦から 修理を行い続け、戦力維持に努めてるロシア側の努力は見えないらしいからね。
203高地攻略 砲撃後も 日本軍の解釈として セワストポリ、砲艦 駆逐艦数隻が健在と
解釈しているほど。 実際 これらが修理によって戦力を回復する時間を延ばし、
もしくは戦力を断ち切る必要があった。
12/26日にセワストポリが砲撃を受けてる事実を見ても 儲は何の説明もできん。
修理ってどこまで出来ていたのか?
ただ動くだけで戦闘行為がおぼつかない程度なら意味ないとき思うけど。
最期の脱出時に定員の半数しか都合つけられなかったというのが実情を物語るね。
実際の戦果としてなんかある?
黄海海戦では、レトヴィザンの「修理」したはずの所から戦闘中に浸水してしまって、結局目的を果たせなかったわけだが。
そんなんでも「修理した・出来た」と言う事は出来るわな。
あほらしい。
>>349 前日午後3時半頃に受けた損害を徹夜で応急修理したが450トンもの海水を出せず、
ウラジオストックまでの炭と注水により喫水が通常よりも26cm下がっており、先に述べた
450tの海水を抱えたまま出港。
さらに第一回戦闘中に受けた箇所は別箇所なのに 同じ箇所と言い、 結局目的を果たせなかった
といわれても、レトヴィザンの戦闘間の修理がなければ 脱出できてたかもしれないと
後世の砲専門家に言わせた 事象を持って、
あほらしい と言うのは
なんだかな。 思い込みのなせる業か。
>脱出できてたかもしれない
だから何だと
>>350 おおお なるほど。
やっぱり 儲はウソをついてたか。 たしか前日の損害が尾を引いたと読んだことあったけど
あんま覚えてなかったんだよなぁ。儲の捏造にはほとほと困るよね。
>>351 黄海海戦時、旅順艦隊が旗艦を喪失して四散したときに、レトヴィザンが損害担当艦を
引き受け、他の艦の帰還を援護しているんだけど???
ちなみに ロシア海軍の目的は損害が大きい艦は座礁させるか、旅順に戻ることを目的としていたから
第2目標は完遂している。
こういう苦境におけるロシア側の努力を無視して 捏造説を披露するのはうんざりするよな。
一人遊びは楽しいですか?
>>353 露日海戦史を斜め読みしてる自称 乃木儲のこと??
とことん一人遊びだったからなぁ。 最近でも見られるけどね。
ちょっと自分にそぐわない意見を書くと捏造して火病るんだからどうしようもないけどな。
いやキミのこと。
楽しそうでなによりだ。
被害担当艦?そんなの初めて聞いたがソースがある話なの?
そう考えることもできるなんて解釈はだめだよ、艦隊の一員としての任務なのだから命令の存在もしくは研究結果を示して初めてソースとして認められる。
第二目的うんぬんについては笑った。
旅順攻略を色々文句つけるが、第二目的の第二軍後方の安全確保は果たしている。それも同様に評価するなら主張に一貫性を認めるが、多分違うだろ?
一人芝居までして喜んでるところ悪いが
浸水したのは前日に港内砲撃で空けられた穴と、海戦で空けられた穴の両方です>黄海海戦のレトヴィザン
ほれ、キミの嫌いな「露日海戦史」だ↓
「……須臾にして「レトヴィザン」は艦首を漸次沈下せり。是同艦は出港前日旅順港内に於いて被りたる破口の外
第一会戦に際し艦首右舷側水線付近に巨弾命中せしが同損所より漸次浸水して前部病室に満水したるが為なり……」
>>300 ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) ・もはや【戦闘能力もなく】、艦隊として【潰滅状態】だったのは
) /乃木儲\ 【わかってたんだけど】大本営はそこんところが納得できなかったのだね。
) .|/-O-O-ヽ| あの状況を【壊滅状態】と認めない人は、【全滅】を字句とおり一兵残らずの全滅
< 6| . : )'e'( : . |9 と捉えるようなセンスなのを自覚出来てない人。
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/28(木) 07:32:51 ID:1PA7FRCKO
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
Q:日本側は旅順艦隊の戦闘能力が0なのを知ってたの?
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) ・まず、【誰も戦闘力ゼロなんて言ってない】のを確認して欲しい。
) /乃木儲\
) .|/-O-O-ヽ|
< 6| . : )'e'( : . |9
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/28(木) 21:07:02 ID:1PA7FRCKO
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
↓
Q:はぁ?? 戦闘能力もなく、壊滅状態だったと主張しているが、戦闘能力は0って言ってない??
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) ・全滅を字面どおりに受け止めるようなセンスをなんとかしてね。
) /乃木儲\ ・キングストン弁を開放していたのは、ペレスベ-トだけなんだよ。
) .|/-O-O-ヽ| 実は。「28珊米榴弾砲弾丸効力調査報告」にかいてある。
< 6| . : )'e'( : . |9
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/28(木) 22:34:01 ID:1PA7FRCKO
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
〃∩ ∧_∧ 壊滅とは組織や機構がすっかり壊れること。
⊂⌒( ・ω・) 全滅とは 全部ほろびてしまうこと。また、残らずほろぼすこと
`ヽ_っ⌒/⌒c 言葉をさらっと変えてるところから可笑しいけど・・。
修理能力の件については無視 ここから火病る。
日付が変わりID変更時期を見計らって自作自演開始
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
)
>>309 ロシア側の記録「露日海戦史」でも裏付けられますね
) /乃木儲\
) .|/-O-O-ヽ| 裏づけ以下
>>309参照
< 6| . : )'e'( : . |9
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/28(木) 23:39:28 ID:+K/8qo1X0
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
Q:全部 203高地攻略後の砲撃が影響を及ぼしているじゃないか。
それまでの攻撃でもセバストポリの大破の修復などまったく無視するのはどういうこと??
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) 12月5日以降の砲撃が「最後のトドメ」となったことは間違いないよ
) /乃木儲\
) .|/-O-O-ヽ| しかし、それ以前の段階で旅順艦隊がほぼ「死に体」となっていたことも、
< 6| . : )'e'( : . |9 また紛れもない事実
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/29(金) 22:00:10 ID:BvUnrJDv0
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
〃∩ ∧_∧ 裏付けでは203高地以後のとどめしか述べていない。
⊂⌒( ・ω・) ここら辺りから相手の言葉尻 キングストンベン関連で揚げ足取ろうと
`ヽ_っ⌒/⌒c 必死になる。
ちなみに ロシア海軍軍令部『1904,5年露日海戦史』第4巻P27
「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
とある。
こういう事を抜かし、偏向してさらっと述べるのが儲の特徴。
>「キングストン」は悉くこれを開放しあり
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) 石炭庫や弾庫に注水したとは書いてあるが、キングストン弁を開いたとは
) /乃木儲\ 一言も書いてないよ>「露日海戦史」
) .|/-O-O-ヽ|
< 6| . : )'e'( : . |9
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/29(金) 22:00:10 ID:BvUnrJDv0
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
Q:キングストン弁って何か知ってて書いているんだよな。注水するときにはキングストン弁以外に
どうやってするんだ??
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) 意味不明な事ばかり書いてるけど、政史出したのがあっさり否定された
) /乃木儲\ 無念っぷりがアリアリで笑えます
) .|/-O-O-ヽ| 要はキングストン弁開閉状態の確認の話です。
< 6| . : )'e'( : . |9
) `‐-=-‐ '
) 2009/05/30(土) 00:32:00 ID:tlu0M544O
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
〃∩ ∧_∧ キングストンを開くというのは
⊂⌒( ・ω・) こちらにしっかりとした考察が書かれているから 読んでおくように。
`ヽ_っ⌒/⌒c
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~Tan-Lee/modo/yowa/kings.html 意味不明って言ってるけど。マジ分からなかったんだろうなw
近代の大型軍艦では弾薬庫への緊急注水および、戦闘時の浸水による傾斜(砲撃に支障がある)を
復原させる目的で、艦内に水を取り入れる配管が設けられている。この弁をキングストン社製の弁
を使っていたので さらに 弁を開いても閉じても海水は流入しないw
>>318でやんわり指摘していますが、無視して意味不明なまま論じて火病しまくってる。
正確にはキングストンを外さないと無理。 キングストンと弁と開くと語句で誤魔化しているが
マジ意味不明だったんだろw
Q:修理ってどこまで出来ていたのか?
ただ動くだけで戦闘行為がおぼつかない程度なら意味ないとき思うけど。
実際の戦果としてなんかある?
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) 黄海海戦では、レトヴィザンの「修理」したはずの所から戦闘中に
) /乃木儲\ 浸水してしまって結局目的を果たせなかったわけだが。
) .|/-O-O-ヽ| そんなんでも「修理した・出来た」と言う事は出来るわな。
< 6| . : )'e'( : . |9
) `‐-=-‐ '
) 2009/06/09(火) 22:36:06 ID:fRo9//3VO
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
Q:第一回戦闘中に受けた箇所は別箇所なのに 同じ箇所と言い、 結局目的を果たせなかった・・・・
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) 一人芝居までして喜んでるところ悪いが
) /乃木儲\ 浸水したのは前日に港内砲撃で空けられた穴と、海戦で空けられた穴の両方です
) .|/-O-O-ヽ| >黄海海戦のレトヴィザン
< 6| . : )'e'( : . |9 「……須臾にして「レトヴィザン」は艦首を漸次沈下せり。是同艦は
) `‐-=-‐ ' 出港前日旅順港内に於いて被りたる【破口の外】第一会戦に際し艦首右舷側水線付近に
) 巨弾命中せしが同損所より漸次浸水して前部病室に満水したるが為なり ]
) 22009/06/13(土) 03:25:00 ID:Dx7892+r0
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
出港後から事故で浸水してたのに 戦闘中にあたかも浸水したかのように捏造しているね。
〃∩ ∧_∧ 8/9にレドヴィザンの損害は7発の命中弾 午後3時頃の同艦の艦首付近の水線7フィート
⊂⌒( ・ω・) のところに7uの大破孔を空けたため、400dの海水が侵入し同艦は”左舷”に傾いた。
`ヽ_っ⌒/⌒c (中略)浸水のため傾いた艦体のバランスを取るために反対側の原則区画内に注水とある
さらに 第一会戦に際し右舷側水線と書いてあるとおり 前回は左舷、今回は右舷と
別の箇所にも関わらず、【修理したはずの箇所】と捏造しているw
大体前日の砲撃で大損害を受けて、徹夜で修理した特殊な事例を持ち上げて
修理できてないと論じる方がおかしい。
Q:黄海海戦時、旅順艦隊が旗艦を喪失して四散したときに、レトヴィザンが損害担当艦を
引き受け、他の艦の帰還を援護しているんだけど???
ちなみに ロシア海軍の目的は損害が大きい艦は座礁させるか、旅順に戻ることを目的としていたから
第2目標は完遂している。
ノヽ人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人
) 被害担当艦?そんなの初めて聞いたがソースがある話なの?
) /乃木儲\ そう考えることもできるなんて解釈はだめだよ、艦隊の一員としての任務なのだから
) .|/-O-O-ヽ| 命令の存在もしくは研究結果を示して初めてソースとして認められる。
< 6| . : )'e'( : . |9 第二目的うんぬんについては笑った
) `‐-=-‐ ' 第二目的の第二軍後方の安全確保は果たしている。
) それも同様に評価するなら主張に一貫性を認めるが、多分違うだろ?
) 2009/06/13(土) 02:07:44 ID:VqWZ9fGdO
⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V⌒V
〃∩ ∧_∧ 黄海海戦前 ウィトゲフト提督は故マカロフ提督の作戦を踏襲し
⊂⌒( ・ω・) 。艦隊は途中で触雷や戦闘で損傷を受けて落伍する軍艦があっても援護しないで
`ヽ_っ⌒/⌒c 断じてウラジオストックへ回航して勅命を遂行すべしと命じ、
落伍艦の処置については 旅順の近くでまったく破壊され絶対に航行不能になった艦は旅順に帰港すべしとある。
黄海海戦第2回戦時、午後6時半、ツェザレーヴィチの損害で壊乱したときに、レトヴィザン艦長
シチェンスノーヴィッチ海軍大佐は同艦のウラジオストックへの回航を断念してこの際、味方艦隊に隊形を立て直す
余裕を与えるため日本艦隊に近づいて砲火を自艦に引きつけようとした。同艦は3100メートルまで日本艦隊に
近づいたが、その集中砲火を浴び、砲弾の破片でシチェンスノーヴィッチ艦長が負傷した。
>第2目的
ロシア海軍のOrと日本第三軍のAnd の言葉の違いを理解してないのか?
もうどうでもええけどな。儲ってのはまず 結果ありきで捏造論を組み立てるからどうしようもない。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
こういう捏造話ばかりの突っ込みだらけでは面白くないので 、広瀬中佐の話を披露しておこう。
「港口の閉塞に成功して幸いに帰還することができるならば、自分にはなおひとつの願いがある。
それはほかでもなく、自分はロシアに数年留学したが、ロシアは自分にとって第2の故郷である。
公憤と私情を混同すべきではないが、かの国で受けたおかげに報いたい。
そのため閉塞が成功したときには東郷長官の許可を得た上で、中国のジャンクで旅順に渡り、太守
アレクセーエフ提督の会って誠意を持って利害得失を説いて降伏を勧めたい。これこそがわが国にも
ロシヤにも報いる道である。」 (東郷平八郎全集より)
広瀬中佐は第一回閉塞時にロシア留学時に世話になった海軍少将コワレフスキー伯爵の娘
アリアズナ=ヴラジーミロヴナ嬢 とペテルブルクのフォン=パブロフ博士家で知り合った
ポリス=ヴィルツキー海軍少尉候補生に対して手紙をしたためたという。
アリアズナ嬢は若いロシア海軍士官の間でも評判の美人であり、広瀬を生涯の連れ合いと決めていた
というが、広瀬の帰国によりその思いは実を結ぶことなく終わったと言う。
ポリス=ヴィルツキー少尉は旅順で戦艦チェザレーヴィチに乗り組んでおり、広瀬は彼の便りから
そのことを承知していた。
広瀬中佐をタケ兄さんと慕ったという ポリス=ヴィルツキー少尉は旅順の運命を決する203高地
の最後の攻防戦に海兵90名を率いて参加し 12月5日日本軍の砲弾の破片を胸部に受けて負傷
したというが その後の消息は不明である。
203高地の最後の攻防でロシア側が蒙った損害約5000名の内、海軍陸戦隊の損害は
戦死371名、死傷1033名、計1404名で全死傷者の二割八分にあたる。
あはは。いつもの火病発動だねwww
普段より少しだけ長く保ったようだが
まあAA太郎はそのままで良いよ
こっちもスルー出来るしねwww
>>364 縦深陣に引き込まれてたたかれて反論もできなくて スルー発言とはw
まぁいつもの厨っぷりが展開されてきましたなw。
>>359 ちなみに ロシア海軍軍令部『1904,5年露日海戦史』第4巻P27
「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
とある。
こういう事を抜かし、偏向してさらっと述べるのが儲の特徴。
>>294 >ロシア側の資料を読むとわかるよ
なぁんだ。分からないのに資料をもって知ったかだったのか。
さすが古本屋での立ち読みの記憶がソースだと言って憚らない御仁
修理はしてたようだけど、旅順艦隊の艦載砲ってどういう状況だったのかな?
陸上に供与したってあるけど どんなもんなの?
>>367 露日海戦史 という意味不明な書籍を出す方もどうかしてるんじゃない?
露国軍令部 「1904,5年 露日海戦史」ではないから、 多分 この人の脳内戦史なんだろうけどさ。
ロシア海軍軍令部『1904,5年露日海戦史』第4巻P27
「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
この記述を抜かして 203高地以前に壊滅状態とか述べられても何の意味もないだろ。
なんてのかな。 儲って都合よく捏造したり改変したりするから性質が悪い。
>>369 さすが斜め上!
そのイチャモンは予想外だった。
>369
んなこといったら「公刊戦史」は、「明治三十七、八年日露戦史」
お前がいった「陸軍政史」は、「明治三十七、八年戦役陸軍政史」
と記述せなならんじゃねーか
あほか
::::::::::::::::: :::::::::::::::::: さすが斜め上!
::::::::::::::: ∧_,,∧ ::::::::::::::::: そのイチャモンは予想外だった。
:::::::::::::: _..<; `Д´>.. ::::::::::::::
:::::::::::::.'c(,儲U_U `.:::::::::::::
,ハ,,,ハ
(,,・ω・) 露日海戦史に
〜 。(_ ゚T゚ 「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
. ゚ ゚̄ 合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
,ハ,,,ハ `'′って 書いてあるんだけど、
(,・ω・,) 儲の持っている本には書いてないさそうだ。
。(_ ゚T゚ だから別の本だと思われても仕方ないだろ。
もしくは見えてないか、理解できないか。
/⌒ヽ 彡 それ位しか突っ込めないのがかなしいよね。
(;^ω+。:.゚ 彡
C□゚。:.゚.:。+゚
/ 儲.|
(ノ ̄∪
>>368 大砲は戻せばいいんじゃないか? なんか一旦供与したら戻らないと
言いたげな人がいるけど。
酷い有様になってしまってものだ。無記名ではこのような輩をのさばらせてしまうのもしかたない。
その点wikiは違う。伊地知ページでは無責任な記述の類いは駆逐されてしまった。
書き込みに責任が生じる所では、例えばAA禁止というルールを無視するかような輩は存在出来ない。思えば憐れなものである。
>>368 必死に作業はしたしそれなりの成果も上げたけど、結局は応急修理レベルが精一杯だったみたい
まして包囲網が次第に狭まり、港に巨弾がバカスカ落下するようになってからは尚更
戦艦の艦載砲は黄海海戦の時点で定数の約20%、9月15日の時点で同約33%が陸揚げ済み
11月22日の時点で出動可能な主力艦は<ポビエダ><セワストポリ><パルラーダ>の3隻のみ
しかも<セワストポリ>は修理未了、弾薬も乗員も極めて不足
一旦外した砲はまた元に戻せばいいとか単純な話ではなかったらしく、現に黄海海戦前に砲を付け直したが、
「此等砲熕は同式のものなりと雖も砲戦に際し予期の如き効果を示さず」とある
(「露日海戦史」)
砲架とか照準器の問題もあったのだろうね。
「11月の半ばごろ、各艦には最小限量の砲弾が残された。弾薬類はほとんど全部陸上戦線に引き渡された。
事実上戦闘力としての艦隊は存在しなくなったのだった」
(「ソ連から見た日露戦争」)
最後に残った<セワストポリ>が港外に脱出したとき、残っていた砲は(主砲を除くと)
2インチ砲×3、75ミリ砲×2 だけだった
(レンガード「剣と花」)
他の諸艦も似たり寄ったりだったのでしょう
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 22:18:37 ID:SU1EHY1N0
砲数がしょぼくても通商破壊には十分。
輸送艦なら食えるさ。
結局封鎖は解けない。
そんな手負いにみすみす仕事をさせてしまうほどに日本連合艦隊は頼りにならないとでも?
::::::::::::::::: :::::::::::::::::: ウソウソウソウソウソウソ
::::::::::::::: ∧_,,∧ ::::::::::::::::: ウソウソウソウソウソウソウソウソ
:::::::::::::: _..<; `Д´>.. :::::::::::::: ウソウソウソウソウソウソ
:::::::::::::.'c(,儲U_U `.::::::::::::: ウソウソウソ
>>375 ,ハ,,,ハ ??
(,,・ω・) @【 11月22日の時点で出動可能な主力艦】は<ポビエダ><セワストポリ>
〜 。(_ ゚T゚ <パルラーダ>の3隻のみ
. ゚ ゚̄ ☆ 「此等砲熕は同式のものなりと雖も砲戦に際し予期の如き効果を示さず」とある
A【「11月の半ばごろ】各艦には最小限量の砲弾が残された。弾薬類はほとんど全部陸上戦線
に引き渡された。 【事実上戦闘力としての艦隊は存在しなくなった】のだった」
B最後に残った<セワストポリ>が港外に脱出したとき、残っていた砲は(主砲を除くと)
【2インチ砲×3、75ミリ砲×2】 だけだった
,ハ,,,ハ `'′@で出動可能だけど 次のA説で全否定??
(,・ω・,) 資料を読んでポビエダの12/5の沈没状況を把握してたら書けないもんなw
。(_ ゚T゚ 弾薬庫にあった 47mm弾薬 2100発が爆発したなんてなw
もしくは見えてないか、理解できないか。
☆「衆評によるとロシア艦隊の法が日本艦隊よりも一般に射撃が劣ったが、
長く艦隊にあって経験を積んだ戦艦戦隊の砲手たちだけは格別でこの
砲戦で見事な腕前を示したと言う」(ブブーノフ「旅順」)
よってハンデはあったが三笠のマストに命中させたり損害をかなり与えている。
「敵の射撃の方がまさっているように思われ水兵の中には悲観してため息を
付く者さえあった。」とは一海軍中佐「戦影」
Bは論外。 セワストポリに2インチ砲や75mm砲なんて元々装備してない。
ペトロパブロフスク級 305mm連装砲2基 152mm連装4基単装4基
3ポンド(47mm)単装砲12基 1ポンド 37mm機砲28基 その他水雷
もうちょっと確認してから説かないと ウソばっかりになるよ 希望的
観測が先にあるから ボロボロになってるねw
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 08:57:18 ID:cn0Zukho0
>>377 わずか数隻のブラディオストク艦隊に、貴重な兵力を水漬く屍にされてしまったのを忘れたのか?
場所が違いすぎる。旅順とウラジオでは監視の可否を含めて事情が違い過ぎるのを考えられないか?
出港の情報を気取られずに旅順艦隊が攻撃に出られた例があるか?
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/15(月) 15:31:09 ID:cn0Zukho0
>>380 だったら、海軍があそこまで一生懸命封鎖したのは一体なんだって話だが。
黄海海戦では危うく取り逃がしそうになっていたぐらいだし、
旅順艦隊が行動の自由を得るのは問題じゃないのか?
蔚山沖で上村艦隊に叩きのめされたウラジオ艦隊は、
終戦まで修理もままならず、ロクな艦隊行動も出来なかった訳だが
包囲下にあるわ砲弾は降ってくるわ兵器乗員は陸揚げだわのもっと悲惨な状況にあった旅順艦隊が、
積極的な攻勢なんて出来るかね?
無理だろ。
つーか旅順艦隊が健在だろうが壊滅状態だろうが、要塞が落ちるまで
厳重な封鎖を続ける必要があるのは変わらないのだから、それとこれとは一応別の問題として捉えるべきだろう
ただ、戦艦や装甲巡洋艦の主力を貼り付ける必要があるのか? ということで
現に三笠は、セバストポリの沈没後、旅順陥落を待たずに帰投しているし
7月12日 東郷平八郎から海軍軍令部長に当てた電報
「旅順の敵歓待は昨今艦船の修理に努め、また敵は我が監視を脱し外海に機械水雷を
沈置するの形跡があるが故に我が海上の監視は日を追う手益々困難の度を加ふ(中略)
旅順港の敵は修理を終わり手その勢力を回復するに反し、我が艦船は漸次その勢力を
現ずることとなり、単に旅順の敵艦隊ですら 彼我海上の権衝を失し、全局の作戦上
実に憂慮を堪えず。 必要の修理を加へざるべからず。艦艇の大分は既に入渠後6ヶ月
を経過しあるを以って、塗り替えおよび修理に一ヵ月半を要す。 故にバルチック艦隊の
東航を確認したるときは相当の時期に我が艦艇は当方面をひきあげざれば、之に対する準備
を完了すること能はず。(中略)実情かくの如きをもって刻下我が作戦上の最大急務は
一日も早く旅順を攻略し、上陸軍の後方を安全にし我が艦隊また旅順の敵艦隊を撃破して
新来の敵に対する準備を完了することこれなり」
11月までの日本軍の砲撃の後のロシア当局による観測。
強烈な破壊力をもつ20kg榴弾の射撃がより適切に修正できたなら、ロシア旅順艦隊は
203高地の陥落を待たずに完全に破滅しただろうという事である。(ロシア海軍軍令部
1904,5年露日海戦史」 第3巻P120)
ロシア海軍軍令部『1904,5年露日海戦史』第4巻P27
「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
203高地陥落後の 日本軍重砲部隊の攻撃のあと・・・。
最終的に12/8夕刻 ヴィーレン司令官は各司令官と艦長を召集してセワストポリとバヤーンを
除いて戦闘行動を終了し軍艦旗を降ろして乗員を上陸させることを命じ、ロシア旅順艦隊の
解隊を宣告した。
之以上でも之以下でもなく、日本海軍の要望とロシア軍の推移はこんなものである。
>>379 手負いの相手という、いわば質の話をしているのになんで話をすり替えるかなあ?
>>384 手負いでもなんでも封鎖は解けないよ
仮に旅順艦隊が出撃不可能な状態だったとしても
確証なしに海上封鎖はやめられないし陸から攻めるしかない
それは当然。
問題は、主力艦以下多数の艦船を拘束する意味はないということ。
敵の可能行動を見誤ったというしかない。
そしてそれが、多方面に多大の影響を与えた。物的にも人的にもそして時間的にもね。
>>386 戦艦がいる以上日本側も主力艦をもって封鎖する以外手はないよ
日本が旅順艦隊の状況を正確に把握できる場合にのみ柔軟な対応が可能だけど
203高地陥落前は不可能なことだろうし
敵艦隊の出撃(脱出)に備えて最大戦力を配するのは当然の処置
半分返して修理補修という案を蹴った点についてはどうのように擁護するつもりかな?
それにセバストポリが港外に出た時に実際に対処したのは主力艦じゃなかったね。
主力艦は沈没の確認に出向いたんだっけか。「(東郷)沈んでおる」なんかミッドウエーの大名行列を彷彿とさせるね。
セバストポリ攻撃に行ってりゃあなたの考えにも説得力あるんだけど。
>>388 擁護も何も、何を問題にしているのかがわからない
>>389 203高地陥落後のことを陥落前と同列視するのはよくないのと、
主力艦の温存という姿勢は一貫しているよ?
要するに、陸軍に多大の出血を強いている状況で、も少し頭を使った封鎖は出来ないのかねって事だよ。
>>388 そうだね。結果論からいえば、貴方のいうとおり、半分ずつドッグ入りさせれば済む話だったと思う
旅順艦隊が無力化されていた実情は、それなりに日本側にも伝わっていたようだし。
「……その捕虜水兵の証言を総合した結果、次のようなロシア軍の動きが判明した。
「ロシア太平洋艦隊は今や日本軍の巨砲による制圧を受けて以来、火災による爆発を恐れて
まず最初に弾薬・火薬類の一切を撤去、ついで水兵の避難上陸をしていたが、
その後は火砲も撤去できるものは全部これを陸上要塞砲に転用し、また水兵の主力も陸戦隊に編成されて、
陸軍の補充用に当てられている」……」(「戦略日露戦争」)
ただ、旅順艦隊が玉砕覚悟で打って出る可能性も零ではなかった以上、全力で封鎖を続けた東郷の判断も
決して間違いではなかった気もする。
ミッドウエーのように、「大丈夫、敵は出て来ない筈だ」と油断して、痛い目に会わされるよりはね。
だからっつって陸軍の作戦にあーだこーだと容喙するのは論外だが……難しい所だ。
え〜と、別の方?それとも同じ方?
394 :
392:2009/06/16(火) 22:30:47 ID:pP5zgzWb0
そうですか。句読点の有無とか文体とかね、どうだろうかと迷った。
AA無しなら別に無問題なんだけど。
全力封鎖云々について言えば、海軍の考えというものもあるだろうし結果論といわれればそのとおり。
しかし威風堂々全力封鎖ってのは陸軍から見ればなんだよってなるでしょ。三笠御殿朝日ホテルだよ。
訓練整備休養したい、というのはわかるが、それは封鎖しながら出来ない話ではない。ましてそれを理由に陸軍に色々要求するというのはどんなもんかね。
全力封鎖なら露が出撃してきても瞬殺できたのに
艦を減らしたら戦力比が下がるので日本側にも損害がでるかもしれない
陸兵は数週間の速成で最低限の戦力化が可能だが
海兵は戦力化するのに数ヶ月はかかる
兵員に損害が出た場合の回復力が違う
海軍は金食い虫
397 :
390:2009/06/17(水) 14:53:38 ID:POtzZXOp0
>>395 制海権の問題だから陸軍がどう思うとか関係ないよ
それと封鎖しながらでも出来るというのは艦隊を半分返すということだろうけど
何度も指摘するけど確証なしには無理なこと
>>389 ID:jPEzEYs/O
/⌒ヽ 彡 それにセバストポリが港外に出た時に実際に対処したのは【主力艦じゃなかったね】
(;^ω+。:.゚ 彡 【主力艦は沈没の確認に出向いたんだっけか。】「(東郷)沈んでおる」
C□゚。:.゚.:。+゚ なんかミッドウエーの大名行列を彷彿とさせるね
/ 儲.| セバストポリ攻撃に行ってりゃあなたの考えにも説得力あるんだけど。
(ノ ̄∪
〃∩ ∧_∧ なんでウソばっかりほざくの?????????
⊂⌒( ・ω・) 9/23のセワストポリ出港して第3軍に攻撃をかけた時、、
`ヽ_っ⌒/⌒c 問題はその後触雷して大破したので港外に出るのを控えただけ。
第一戦隊の日進、春日が応戦して対処していますが??
12月の確認時は主力艦で行ってないって・・。通報艦竜田で行ってます。
もうなんだかな、己の妄想の為に捏造、ウソばっかだな。こいつは。
>ミッドウエーのように、「大丈夫、敵は出て来ない筈だ」と油断して、痛い目に会わされるよりはね
__ ∧_∧
|ヽ <-@∀@> << ベラベラ ∧_∧ ∧_∧
.| |( 儲 ⊃ )) <# `Д´> (・∀・ ) ??ハァ??
|,,,, ̄i'i ) ). ∪ ∪ ) ∪ ∪ )
|| ̄||( __フ _フ (__..(__ ̄) (__..(__ ̄)
ミッドウェー作戦は、ミッドウェイ島を攻略することにより、米艦隊特に空母部隊を誘出、これを捕捉撃滅する作戦だぜ??? 実際偵察機を飛ばしているし、 全然知らんのか???
こんな初歩的な間違いを犯す人が二人もいて やんや やんや 話しているわけ??信じられん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%85%E9%A0%86%E6%94%BB%E5%9B%B2%E6%88%A6#cite_note-15 第3軍では多くの死傷者を出したにもかかわらず、最後まで指揮の乱れや
【士気の低下が見られなかったという】[16]。また乃木がみずから失策を悔やみ、
それに対する非難を甘受したことは、乃木の徳という見方と無能故の所作という見方が出来る。
^現場では第1回総攻撃後、【自傷兵(自らを傷つけて戦線を退こうとする兵】が多発し、】
第2回総攻撃前の9月25日付けで自傷兵を後方へ送還することを一事見合わせるよう通達が
出ている。(鶴田禎次郎『日露戦役従軍日誌』)
〃∩ ∧_∧ これよーわからん。自傷兵が出て戦線離脱を図ろうとしているのが
⊂⌒( ・ω・) 士気の低下が見られなかった参照資料になってるのはなんで??
`ヽ_っ⌒/⌒c
>>374の様な無責任の輩が言い張ってるのか??
まぁいろいろな諸説があるのは否めない。それが歴史の面白い所だからな。
たしかに、海軍には海軍なりの言い分があったのだろう
しかしそれを陸兵の命を犠牲にしてまで通そうというのなら、
その結果をもう少し真摯に検討反省するべきだったのだろうな
日本海海戦でパーフェクトゲームをやったおかげで忘れられてしまったようだが
自分たちが外野でわーわー喚いたおかげで、無慮数千だか数万だかの犠牲を増やしたのは間違いないのだから
402 :
390:2009/06/18(木) 02:14:28 ID:MNWLOCLi0
>>401 海軍が外野で騒いだせいで数千から数万の犠牲を増やした事例って具体的には何?
ここでwikiの内容に文句つけても仕方ないだろうに、さすがここにしか棲めない太郎の感性の為せる業。憐れだ...
>>404 ここで都合のいい所を抽出して捏造論やウソをいいまくってる儲はどこに棲んでるんだ??
>>382と
>>392 >現に三笠は、セバストポリの沈没後、旅順陥落を待たずに帰投しているし
__ ∧_∧
|ヽ <-@∀@> << ベラベラ ∧_∧ ∧_∧
.| |( 儲 ⊃ )) <# `Д´> (・∀・ ) ??ハァ??
|,,,, ̄i'i ) ). ∪ ∪ ) ∪ ∪ )
|| ̄||( __フ _フ (__..(__ ̄) (__..(__ ̄)
これもウソ セワストポリは要塞陥落後の1/2に汽船ジラーチに牽引されて沖合い深さ50mの
所で船底の弁を開いて沈没している。
つまり 敵艦隊の状況が確認でき、航海能力が当分喪失したことを確認した上で宣言を出している。
醜態を重ねて晒す趣味があるんだね。理解不能…
::::::::::::::::: :::::::::::::::::: ウソウソウソウソウソウソ
::::::::::::::: ∧_,,∧ ::::::::::::::::: ウソウソウソウソウソウソウソウソ
:::::::::::::: _..<; `Д´>.. :::::::::::::: ウソウソウソウソウソウソ
:::::::::::::.'c(,儲U_U `.::::::::::::: ウソウソウソ
醜態??って? ウソや捏造ばっかりほざいて訂正もできない儲だろw
「戦略日露戦争」みたいな超マイナー本まで脚注に入っていてワロタ>wiki
まさかこのスレの住人が編集したのかね?
>>402 半年ROMるか、過去ログを読めば理解できると思うよ
三行でまとめると、
・そもそも旅順は、海軍が攻略するから陸軍は手出ししなくていい、というのが海軍の主張だった
・しかし、開戦劈頭の奇襲も港外への誘出も閉鎖作戦も失敗に終わり、けっきょく旅順艦隊の撃滅が出来なかった
・黄海海戦でも取り逃がし、「こうなったら一刻も早く要塞を攻略してくれ〜」と陸軍に泣きつき、無理攻めを強要した
旅順難戦の原因は、陸軍の失策もさることながら、根本的には海軍の無定見に依るところが大きい
誰でも編集に参加できるシステムだから、誰がというもんでもない。
議論の分かれる部分では編集合戦になることもある。でも一応抑制が効いているのは記名制ならではだろう。
編集経緯も残っているので変遷を見るのも面白い。
409 :
402:2009/06/20(土) 11:50:41 ID:JNCOJisK0
>>407 サンクス
「外野で喚いたせい」とあったので別のことじゃないかと勘違いしたみたい
陸軍の旅順攻略を当初拒んだのを海軍の失態とするのに何の異論もないのだけど
駆逐艦の奇襲から始まる一連の作戦失敗を以って海軍を責めるのには違和感があるなぁ
作戦成功の確率が高かったのを失敗した訳ではないんだし
無理攻めを強要したのも、「最初は陸軍の参加を拒んだくせに」という感情論に囚われなければ
問題とするようなことではないでしょ
横レス失礼
作戦失敗の程度によると思うが。
初頭の奇襲がはかばかしい成果を得られなかったのはまず良しと思う。
出鼻をくじき艦隊としての初期行動を起こさせなかったのは大きい。
しかしその後はどうかな。閉塞作戦に多大な期待をかけすぎ、かつ準備不足で結局目的をたっせられなかったのは批判されてしかるべきだ。
悲壮勇敢な作戦と評価されるのとは別の話としてね。このあたり白襷隊に通じるものがある。
というか、この一連の封鎖作戦って港内に閉じ込めた敵艦を山越射撃するためのものなんだけど、後々にあれほど近接した陸上でも観測は困難を極めた。
あまり言及されることはないけど、一連の封鎖が成功したとしても結局敵艦破壊の確証が得られず、で最終的には陸戦になっただろうと思う。
最後のこの、敵艦砲撃の成功率なんてほとんど皆無でないの?少なくとも観測方法が確立してない以上どうしようもないわけで。
成功率の低い作戦だから批判云々と言うのは悪いけど意味不明としか思えない。
直接封鎖で戦艦二隻喪失は言語道断。
思い付くまま書いたけどあとなんかあるかな。
海軍も陸軍も甘く見ていた事は同意するが、
大体 第3軍の編成時 閉塞作戦が諦めるはるか以前の3月4日ですでに旅順要塞の攻略は決定している。
海軍の主張は旅順艦隊の対処は海軍で行うってことで、陸戦隊如きで旅順要塞攻略までできんだろ。
実際は 閉鎖作戦じゃなくて、港湾閉塞作戦が一時的にしか成功しなかったってこと。
旅順艦隊の封鎖に関してはほぼ成功している。少なくとも、旅順艦隊による輸送船の損害は
ほとんど出てないはず。ウラジオ艦隊の跳梁による損害はありましたがね。
5月の第3回閉塞作戦は 第2軍上陸援護の為に行ったわけで、旅順要塞攻略のためではない。
第2軍上陸により遼東半島のロシア軍は分断され戦略的イニシアティブを握る事に成功する。
この時点で海軍が旅順閉塞に成功し、日本側の制海権を安定させれば 第3軍などで旅順を
包囲せず、史実の韓国駐留軍程度の後備2個師団戦力で十分維持できる。
乃木大将以下の第3軍も含めて 遼陽近辺にて包囲殲滅戦によって短期決戦が理想なんでしょうけど
この甘い満州軍 海軍、陸軍の考えのツケを払わせれた現地軍は同情の余地はあるが・・・
最終的なツケは回りまわって国力ですから、
海軍の開戦当初からの目的は大陸と本土の制海権の確保が目的であり、これが崩壊すれば
満州における日本軍は維持しえない
ウラジオ艦隊に跳梁を許していた時期も、多少の損害はあれども大陸との連絡は維持出来ていたでしょ。
リスク承知でとりあえずは運用していく、そして相手が出て来たのを逃がさずに仕留める。そうやって徐々に確実なものにしていくわけだ。
制海権確保は大切といっても、誤解をされるかも知れない言い方を承知で言うが、その程度の話だ。
厄介なウラジオが片付いて、より封鎖監視しやすい旅順だけを相手にすればいいという段階になったのに、なんでここでリスクを過剰に恐れるのかね。
石橋を叩いて渡るような余裕があるわけでなし。
慎重にやっていく付けは誰が払う?
>>412 そんな意味不明なリスクを背負う必要が何もないだろ
余裕がないからこそ慎重さが必要なんだよ
日本海海戦の結果やロシア側の資料を知っている未来人の視点からいい加減離れろよ
旅順における陸軍の難戦は補給線の確保の為に必要な犠牲を払っただけ
その犠牲を海軍のせいにするのは筋違いも甚だしい
海軍の作戦でその問題が解決できる可能性が何度も与えられたのに、全てポシャってその結果陸軍にお鉢が回ったって事を忘れないように。
後世の知識のあるなしは関係ありません。あまりにお粗末。
>>414 なんか ハワイ奇襲作戦時に上陸してたら勝てたみたいな事を言い出してるな。
全てポシャってたら、旅順なんて攻撃できないし、辛うじて対馬経由の輸送線が細々と確保できるのみ。
大陸に侵攻すらできんよ。半島防衛で精一杯。
後世の知識云々は確かに関係ないわ。 後世から知る機会が沢山あるのに
当時のリスクなんて全然見えてないんだもの。 お粗末さま。
>>414 後世の知識があるからこそ、そんなお花畑なことが言えるんだろうが
大体補給を軽視するなんて日露戦争どころか戦争自体を語る資格ねーよ
それとアンカぐらい使えよわかりにくい
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/21(日) 07:00:44 ID:dfmLtT9AO
あ
軽視はしてないよ。
現実的にリスクは付き物という当たり前の話をしているだけさ。
リスクを考慮せずに理想的情況を夢想する事に何の意味もない。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/21(日) 08:02:47 ID:QS+YZNDp0
>>418 >海軍の作戦でその問題が解決できる可能性が何度も与えられたのに、
>全てポシャってその結果陸軍にお鉢が回ったって事を忘れないように。
↑のコメントでリスクを軽視してるだろw 全てポシャってもないのに何を言ってるの。
解決ってなんで全解決なんだ???それまでの最低限の目標を達成しているのに
後知恵でも後世の知識位仕入れてから話しても・・・
大体、海軍の行動は全て失敗って決め付けてるのが論外。
いや・・・思い込みありきだから無理か。
閉塞戦のどこが成功したっての?
直接封鎖のどこが成功したってのさ?
結局港口封鎖は達成できなかったでしょうが。
最低限の…とかレトリックで擁護しても仕方ないでしょう。
ならば旅順第一回総攻撃も、軍に与えられた命令の内第二軍の後方安全確保は達成されたからよしと評価するのか?
おっと黄海海戦の不始末もあったね。
あれだけ言っていた陸から攻めて追い出してくれという依頼がやっと達成してくれたというのに千載一遇の機会をものに出来ず。
舞い戻らせるに及んではどうしようもない。
>>420-421 >結局港口封鎖は達成できなかったでしょうが。
ロシア旅順主力艦隊による 日本の輸送船撃破ってあったか?
あと第3回閉塞作戦の目的は 第2軍 大連近辺への上陸作戦支援の為の支作戦。
さらに第2軍上陸に対しては 連合艦隊第一戦隊を含む主力艦艇で援護していますが???
それでだ。 第2軍は上陸に失敗する、もしくは輸送船が襲われて大損害でも受けた事実でもあるか?
上陸後、第2軍とその延長の第3軍部隊は輸送途中に損害を受けたか??
パールハーバー奇襲の誤解と同じ誤解をして都合のいいタラレバを言われても
何の説得力もありません。
>舞い戻らせるに及んではどうしようもない。
まったく史実を分かってないのか。
黄海海戦時、連合艦隊は旅順に舞い戻らせないために 旅順側に艦隊を展開したんだけど??
でも敵の意図はウラジオに回航するという目的だった。その目的を挫いた点については評価しないと。
ほぼ主力艦ではほぼ同等の戦力ではこれ以上望むにはちょっと難しい。
というか まぁ君は分かってないわ。
作戦目的が何か分かってない人が分かってないと言うのか。面白いね。
閉塞作戦の目的は何か?港口を閉塞し出入りの自由を奪う事だ。
それに失敗しているという事実をまず踏まえなければならない。
戦略的な目的について御託を並べる前に、この認識がなければ話にならない。
>>423 大本営は更に第2軍を編成し第3回閉塞を決行すると同時に塩大奥
方面に上陸して第一軍と策応せしむる計画を定めたる
(明治37.8年海戦史 第一巻P198)
閉塞の成否に拘らず一面には極力旅順口を封鎖するとともに一面には
陸軍と協同し以って遼東半島方面における海陸の敵を撃滅せんとするは
我が海軍の策定せる所たり。これをもって第3回閉塞の決行せらるる・・・
(明治37.8年海戦史 第一巻P234)
視野狭窄で周りの状況も見えない御仁には何を言っても無駄かもしれんが、
全体をもっと見て話をしような。
作戦の成功とは、目的の成否によって判断される。言っても無駄かとはこっちの台詞だ。
そちらの言っているのは、作戦は失敗したが戦略的な目的はなんとか達成出来ているということだろう?
前提として作戦の失敗という事実があるのを無理に隠そうとしても、無理なものは無理。
>>420-421 閉塞戦のどこが成功したっての?
直接封鎖のどこが成功したってのさ?
結局港口封鎖は達成できなかったでしょうが。
* | つ ⊂|
∧ノ~ ! ,'っ _c,!
ミ| ・ \ ⊂/ ・ \
ミ| ... '_) | __,,▼
ミ| < `∀´> |・<`∀´>
| (ノ |) | (ノ |)
| 儲 | |・・ .儲 |
人.._,,,,ノ ι・,,__,ノ
U"U * U"U
>作戦の成功とは、目的の成否によって判断される。
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧ 封鎖には成功しているだろ
||. .\\ \ (; ) 何を馬鹿な事を言い続けてるの?
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ 閉塞には失敗したが封鎖に
. _/ ヽ \ ( ; ) 失敗したわけではない。
それで 日本の輸送船がロシア旅順艦隊に撃破された事例があるのか?
第2軍はロシア旅順艦隊によって損害を受けたか??
>>424氏の意見通り、
閉塞の成否に拘らず一面には極力旅順口を封鎖するとともに一面には
陸軍と協同し以って遼東半島方面における海陸の敵を撃滅せんとするは
我が海軍の策定せる所たり。これをもって第3回閉塞の決行せらるる・・・
(明治37.8年海戦史 第一巻P234)
戦略目標を達成している。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ 海軍批判するなら、閉塞作戦自体を批判すべきだと
┃
┃ 戦略レベルでは考えるべきですが、儲(達)は表層の意見にしか固執しない。
┃ 人
┃ ゥ,、 <。 >
┃ ゥ,、 (⌒─⌒) /Vミ バシ!!
┗━━ ((´^ω^)) / ミ < ハイ ここ重要ですからね!
/) y )つ
|~ ̄] ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>424 閉塞作戦は例え、失敗しようとも陽動や牽制になるからいいとしても
貴重な輸送艦艇をバッカバカ沈める作戦は戦略的にどうかと思うけど・・・
主力艦艇で直接封鎖を続けて 沈めた輸送艦艇の有効利用を考えた方が
いいと思うけど・・・。
こういう議論をしたいけど 彼らには無理だろうなw
この辺りはこのスレの
>>229-265で語られているが、
ID:OM2ddc+3Oと同じ意見だな。
布教活動もいい加減にした方がいいぞ 馬鹿儲
どんどん顰蹙を買うからね。
黄海海戦についていえば、ウラジオへの遁走を防ごうとしたのはいいとしても、それ以上に旅順への帰還を防ぐ事を考えるべきだった。
この判断を誤った事による以後の影響は計り知れない。
第一合戦と第二合戦の場所、時間、また相手の状態を考慮すればさほど難しい課題ではない。
つか、なんであれで取り逃がすんだ。
主力の薄暮時攻撃を考えていなかったのだろうと外山氏は考察してたが、追い出す要望は出したが追い出されてきた後の撃滅プランは不十分でしたって事だ。
AA太郎はおよびでないよ。シッシッ
* | つ ⊂|
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ミ| ・ \ ⊂/ ・ \
ミ| ... '_) | __,,▼
ミ| < `∀´> |・<`∀´>
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| 儲 | |・・ .儲 |
人.._,,,,ノ ι・,,__,ノ
U"U * U"U
黄海海戦についていえば、ウラジオへの遁走を防ごうとしたのはいいとしても、
それ以上に旅順への帰還を防ぐ事を考えるべきだった。
第一合戦と第二合戦の場所、時間、また相手の状態を考慮すればさほど難しい課題ではない
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧ ???第一会戦時、日本艦隊は旅順方面に舞い戻るのを
||. .\\ \ (; ) 防ぐ動きをしたから取り逃したんだぞ??
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ; )
ウラジオストック回航の方がマシとでも言いたげだな。
だめだろw
>外山氏
どんな本書いている人だ??
それがモノを聞く態度か、っていうだけ無駄か。
外山氏でピンと来ない人に何もいう事はない。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/21(日) 17:32:51 ID:emCf6dy+0
海軍としては黄海開戦で旅順艦隊を殲滅出来たら100点満点だ
だが結果は旅順に舞い戻り一向に討って出てこない
しかし、陸軍のいる満州への輸送の脅威だから旅順閉塞してたんだよな
乃木の幕僚が無能だったようだが、児玉源太郎が赴任して作戦大幅な変更で
サックっと旅順落とした様に始めから出来てたら陸軍的には100点満点だな
>児玉源太郎が赴任して作戦大幅な変更でサックっと旅順落とした
いや、そんな事実は無いから。司馬さんに脳ミソ犯され杉です
>>435 >>4-193 そんな事実がないってのはウソだよな。
儲に脳みそ犯され杉。
公刊戦史において、6章 P526
(12/1) この日正午総参謀長児玉大将第3軍司令部に着し 同軍司令官に会し
之を伝えるに必ず攻撃の目的を達すべき総司令官の意図をもってせり。
松川作戦課長の進言により 大山総司令官は児玉に
「乃木将軍へ予に代わり、児玉を差遣す 児玉の言う所は予の言う所と心得べし」との一札を渡している。
総司令部で先輩の児玉とはいえ、指揮権の乱用を後世に残さないためにもこれは必要。
児玉の活動は現在では真偽とりまぜた伝説となってしまっている。
味方撃ちもやむをえずというのは虚偽の可能性が高い。二八榴に関しては実質的に何もしていない。
十二榴を15門、九臼12門の移動に関わった可能性はある。
大幅に作戦に関与したとはとても言えない。
墓地の位置を移動させたのは確実みたい。
これも活躍ではあるな。土壇場にどんだけの労力が消耗品されたかは知らんが。
児玉伝説なんて未だに信じてるのはAA太郎だけだろ
少なくともこのスレの住人では
>>439 そんな詭弁を強弁しなくてもいいっすよ。
儲のウソっぷりには飽き飽きしているから。
戦術を語るに学芸、機材は補助にすぎないって言い張る人を詣でてるんだもの。
儲はどういったレベルかは聞かずとも分かる。
信者って何根拠に決め付けてるのかね。
どこだったかで誰かが自称信者が〜とか言ってた気がするが、どこぞでカムアウトでもしてたかな。
でもまあ気楽な話だな。
気に入らない事いう奴は皆信者にしちまえばいいんだから。ハハ呑気だね。
>>440 別に無理してAA太郎「ではない」フリをしなくてもいいよ
いつもどおり普通に、頭悪そうなAAでも貼ってたら?
坂之上の雲読んだけどさ
乃木無能論
・旅順要塞に対する正攻法(戦略目標は旅順艦隊を撃沈か要塞から追いだすかだろ?何本格的に要塞攻略してんの?)
・無謀な正面突撃(要塞に対し無策な正面突撃で犠牲出しすぎだろ?)
・火力軽視(何砲の提供断ってるの?)
・203高地の軽視(戦略目標は要塞攻略じゃなく旅順艦隊だろ?ここ取れば艦隊の位置が把握できて砲撃加えられるだろ?)
・兵力の逐次投入(軍隊の禁忌を何度も繰り返してんじゃねーよ)
こんな感じだったze
児玉到着後
・児玉がそれまでの戦略目標・陣容を変え、乃木が行った正反対の作戦である203高地に対する兵力と火力の集中を行いさっくり落とす
・203高地攻略後、旅順の町や港に正確な砲弾が届き旅順艦隊自壊
・旅順艦隊を失った旅順要塞は存在意義がなくなり士気が低下して降伏
>>441-442 信者(AA太郎)って何根拠に決め付けてるのかね。
どこだったかで誰かが自称信者(AA太郎)が〜とか言ってた気がするが、
どこぞでカムアウトでもしてたかな。 でもまあ気楽な話だな。
気に入らない事いう奴は皆信者(AA太郎)にしちまえばいいんだから。ハハ呑気だね。
.__________
|| // // |
|| / ̄ ̄ ̄ ̄\ . | / ̄ ̄ ̄ ̄\
|| ( 人____) | ( ) ┌───────
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ | < ハハ呑気だね。
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) | └───────
|| __| ∴ ノ 3 )| (∴ \____ノ_
|| (_/.\_____ノ | >--(っ___□__)
|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||========[]===|)
|_|| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
(_)\|三三三三三|
(:::::::::::::::::::::y:::::::::ノ)\
|:::::::::::::::::::::|:::::::::| |
というか アンカー違いに反応するのは愚かのきわみ。
司馬の小説の虚偽に対しては儲が指摘するし、儲の虚偽の指摘を
しているだけ。司馬の虚偽に対してだれも意見を言わなければ 指摘するだけ。
どっちもどっちだよw。
446 :
441:2009/06/23(火) 08:56:24 ID:qu5/4PZgO
>>445 私は442は書いてないんで、混ぜないで答えてくれないかな。
まず第一。信者って何根拠に決め付けてるのかね。
で、第二。どこだったかで誰かが自称信者がとか言ってた気がするが、どこぞでカムアウトでもしてたかな。
話相手を信者と決め付けているのはあなただけではないかも知れないが、あなたの発言の可能性はあるわけだから。
あとはあなたの下らんコピペへのレス。
AA太郎って言われたくなきゃAA使わなきゃいいんだよ。んなのに根拠も自称もくそもあるか。
坂の上の雲しか読んでない俺に とりあえずこれよんどけっていう、
お前らおすすめの解説本を教えれ。
崖の上のポニョとか
>>447 〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 文春文庫の児島の日露戦争1-8
`ヽ_っ⌒/⌒c 加来耕三の真説 日露戦争
坂之上の雲は バイアスきついから、名将乃木希典でも読むと反対に振れる。
大江の本も良いけど、これはドッチかというと下から目線。
公刊戦史 機密、陸軍新史は資料的価値はあるけど、つまんないし。
学研系は参考程度に。
ある将軍の批判文面については 諸説あるので・・・。
ご自分の感性を信じるのがいいと思われ。
ただ、言える事は、日露戦争当時の士官は結構アホというか間抜けが多い。
立派な人も多いけど、その立派な人も間抜けな行動をしている。
色々調べると人間ってのは色々な面を持ってると実感できますよー。
うおっ、直後に真面目なレスとは大後悔。
マジレスすれば
福田恆在の「乃木将軍と旅順攻略戦」がおすすめ。
坂の上の雲発表の後あまり時をおかずに書かれた論評で、坂の〜の問題点もよく理解できると思う。
坂の上の雲のような何十年も前の「小説」に過剰反応しすぎなんじゃないかな?
何をムキになって否定しているんだ?って真面目に思うんだよね
>>449,450
ありがとう
まずはとっつきやすそうな「加来耕三の真説 日露戦争」から行ってみる
「ソースは坂の上の雲」って人がいた時代が懐かしい
「坂の上の雲」に感動
「名将乃木希典」に驚愕
誰もが一度は通る道
司馬の指摘はまずあたってるね、どうひねっても乃木が軍事的名将にはならんわな
逆だね、捻らないと愚将なんてこじつけられないのよ。
およそ愚将論をふりかざす論者は日清戦での活躍にはほとんど触れない。非常にアンフェア。
日露開戦時ほとんど忘れられていたように騙る者もいるが、そんなイメージ植え付けられたら正当な評価なんて得られるわけがない。
むしろ要塞攻略戦なら閃き型の名将より着実型の凡将が向いてると思う。
>およそ愚将論をふりかざす論者は日清戦での活躍にはほとんど触れない。非常にアンフェア
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
書籍を見たら、攻撃開始後、西部隊の援軍に行ったが参加できず
掃討戦に参加したのみ、金州の応援に行こうとするが、結局
その掃討戦の際に旅順での虐殺ということでグレーな存在っていうのが活躍っていうのか??
触れないほうがいいんでない?
ちとズレるが
過去スレで、『機密日露』の記述っておかしくね? という話題があったと思うが、面白い資料を見つけたのでちょっとご紹介。
『旅順に於ける203高地の戦闘』偕行社記事第446号付録 大正元年
著者:コスチウッコ大尉 旅順要塞西方面作戦部隊参謀
訳者:太田工兵中尉 近衛工兵大隊附
この資料の冒頭で、203高地の防備工事が説明してあるのだが、こういう状況だったそうだ。
・1期工事 明治37年5月着手 高地左側に膝射散兵壕を設置 右側は「単ニ火線ノミヲ標示シ」という状態
右高地に15cmカノン砲×2 鞍部に75mm砲×2を配置
・2期工事 東部シベリア第五連隊が工事 37年6月2日着手8月2日完了
1期工事の散兵壕を改良 爆薬・鶴嘴で掘削 鞍部に指揮官用掩蓋を設置
高地全体を取り巻く形で全長1.6kmの立射壕 屋根・銃眼あり 榴散弾に対して安全
主要部は掩蓋に20cm角の梁を用い、上に厚さ12mmの鉄板又はレールを敷き、
そのまた上に35〜70cmの岩石を盛る 15cm砲弾の直撃に耐える
・3期工事 9月末着手11月下旬完了 高地の両頂部に角面堡を増設 レール2層岩石1mで覆う
これは28cm砲弾に対して完全に防護できるようにした
その他各所に連絡用交通壕(一部掩蓋)、陣前に鉄条網を設置
「203高地には9月中旬までは山腹に僅かの散兵壕があるのみで、敵は茲に何等の設備をも設けなかった」
という『機密日露』の記述が、ナンセンスであることが改めて判る。
まあ、もしこれが1期工事に関しての記述であったなら、丸ウソともいえなかろうが…。
117 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/21(土) 22:31:05 ID:p3VNZUaU0
完了ってか。どうとでも取れる言葉を使うね。なんだかな。
そもそも、誰が五月に防御工事が完成していたなんて言ってるのかね。
シャドーボクシングって楽しい?
要塞攻略戦を始める前に、すでにある程度の防御工事が成されていたってことだよ。
要塞総予備隊司令官フォークが津野田に語った言葉。
「余はこの信念に基づき、南山の戦闘後直ちに歩兵第五連隊を彼地の守防に充て、
半永久工事を施さしめた」(斜陽と鉄血)
この防御工事によって二○三高地への初攻は撃退された。
ロシア側がこの要地に備えを作らない筈がないだろう?
機密日露戦史の大澤中将談話を鵜呑みにするのはロシア側をバカにしすぎだよ。
/⌒ヽ 彡
(;^ω+。:.゚ 彡
C□゚。:.゚.:。+゚
/ 儲.|
(ノ ̄∪
〃∩ ∧_∧ 過去の記事は大沢談話の話だろw
⊂⌒( ・ω・) 儲が玉砕した話だったな。、
`ヽ_っ⌒/⌒c
ちなみに 203高地は9月以降大幅に防御力がアップしているのはどこの書籍でも
当てはまる
スミルノフ中将は〜南山戦闘後旅順に帰還せし東狙兵第5連隊をして
爾霊山 大頂子山 化頭溝山近辺の工事に任ず 〜
然れども東狙兵第5連隊及び同第7師団の諸部隊は時々要塞外に
出て前進陣地の防御に任せしと地質一般に堅硬にしてしかも土工具
不足せしとに因り進捗尚遅々たるを免れず。 (公刊戦史)
9月中旬(第1回二百三高地攻撃前) 【西太陽溝堡塁より爾霊山附近に亙る間】を
東狙兵第5連隊第一大隊(第1.3中隊欠)同第28連隊第1中隊及び海兵第6中隊
兵員合計613名 (公刊戦史 第6巻P57)
【西太陽溝堡塁から爾霊山まで第一大隊 第2.4中隊、その他2個中隊 4個中隊のみ。】
9月23日露軍の配備
露軍南山坡山及び水師営附近の前進陣地を失うや更に爾霊山を左翼の拠点とし
新たに老虎溝山 化頭溝山 三里橋北方高地の線を外防御線とし【全力をもって
防備に努めし】 老鉄山 鳩湾附近及び・家大山以南の状況概ね従前に異ならず
・家大山は東狙兵第5連隊第8中隊
爾霊山は同連隊 第6. 第11、同第13連隊 第2中隊、同第14連隊第7中隊
同第16連隊第6中隊 同第27連隊 第7第11中隊 同第28連隊第4 第8中隊
海兵 第6中隊 6インチカノン砲3門 10センチ半カノン砲2門 37ミリ砲3門
機関銃4丁
【爾霊山に10個中隊】 儲には見えてない(見たくない)ようです。
老虎溝山は東狙兵第5連隊第9中隊 同連隊徒歩猟兵一隊及び第13連隊第11中隊
化頭溝山は同第5連隊第3中隊及び 第二(第6.8中隊欠)第3大隊(第9 第11中隊欠)
同徒歩猟兵一隊及び同第27連隊 第9中隊 海軍上陸砲4門機関銃3丁を以って
守備し 大頂子山地区指揮官 トレチャコフ大佐は東狙兵第5連隊第一大隊(第1.3中隊欠)
同第27連隊第12中隊 同28連隊第1.7中隊 第4補充大隊の混成中隊海兵第1,5中隊
野砲6門を予備隊とし・・・・ (公刊戦史 第6巻P143-144)
露軍爾霊山の防御は従来その中腹に散兵壕を有するに過ぎさりしも 是より先
9月下旬日本軍の攻撃を拒子せし後、西南巌頂に強断面の堡塁を築き、堡塁司令所
を儲け各二層の軌鉄及び厚き石屑を以って之を覆い 中腹の散兵壕との間に
鹿柴を設けまた、東北巌頂にも堡塁を築き6インチ砲を備え 同堡塁より深き
交通壕を以って鞍部の軽砲砲台及び西南巌頂堡塁に至る間、又、暗路を以って
中腹散兵壕に至る間を連絡せしめ、逐日一般に内壕を深くし横梁を増し火戦に
銃眼及び掩蓋を加え、山腹一帯に鉄条網を設け、斜面に数層の木材上に鉄板を
敷置し更に土石を以って之を被覆せる掩蔽部及び弾薬庫を築きそのた交通壕を
補修増設し十月下旬悉く竣工し その両目を一新せり。
老虎溝山は9月始めて真摯の防御工事に着手し標高177高地及び其の東北嶺頂
に4小堡塁を築き交通壕を以って之を連絡し殊に標高177高地堡塁は岩石屑内に
掘開せる強断面の堡塁にしてその内部に堅個なる掩蔽部を設けり
また・家大山及び化頭溝山に堅個なる防御工事を施し10月末悉く竣工せしも
該諸堡塁の欠点としてその直前に死角を生じいすれの隣接堡塁よりも
射撃を以って之を側防しえず。又外壕を有せざるに因り日本軍の近接後何らの
障害を呈せざりき。
>>459 新資料発掘ですね。偕行社記事は見掛ければ入手しているのですが、この号は初見です。どちらで?
爾霊山防備の記録、しかも厳重になっていく過程を窺い知れるものは非常に貴重なものと思います。
巷間言われている所の九月攻撃までは〜というのは否定されました。これまでは小説の記述から憶測
しか出来なかったのが確定したのは大きいですね。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/25(木) 20:24:31 ID:Ul7SG54W0
大山巌は上下関係には特に厳しい薩摩出身だから
軍隊の秩序を壊す行為である児玉を派遣しての指導は、苦渋の決断だったのだろうな
でも後年、昭和陸軍の高級将校が自分の持ち場で一旗上げる下克上の基礎になったとは思えないな
それは中国であり満州がすべてだよ
>>463 福岡県某市の古本屋で見つけました。
図面もあるのですが、我が家のしょぼいPC環境ではUP出来ないのが残念です。
203高地では銃眼を日本側に狙撃されるので、中央に小銃射撃用の十字形の孔を空けた鉄板(厚さ1.25mm)を
銃眼に嵌めこんで使い、大きな効果があったそうです。
これは日本側の証言(猪熊敬一郎『鉄血』)と一致しますね。
機密日露の大澤中将回想談なる部分が実は、長岡の回顧録のほぼ丸写しであることはご承知でしょうが、
おそらく長岡はきちんと調べず、谷もそれを鵜呑みにして、あんな文章を書いたのでしょうね。
この資料を読む限りでは、ベトンを用いた永久築城は、最後まで203には存在しなかったようです。
「……故に平時より「ベトン」製の堅固なる掩蔽部を構築し装甲せる強堅の築城を適当の時期に施し置きたらんには
更に一層の効果を収めたりしならんに敢て此の挙に出ざりしは実に千秋の恨事なり」
その他、日本軍に多大な損害を与えたのは確実だが、本国からの補充が可能な日本軍に対して露軍は兵力が尽きた、
と、消耗戦に引きずり込まれて負けたことを率直に認めています。
11月以降の203高地戦での露軍損害は、「算定するに甚だしき困難」ながらも、投入兵力は約80個中隊、
「全然戦闘力を失ひし者」約8000、「内戦病死せる者」約5000、だったそうです。
この他、砲弾が尽きた事も露軍にとっては致命的だったようで、11月末になると、露軍の対砲兵射撃が衰えたことを
見てとった日本側砲兵が堡塁に近接し、盛んに直射を浴びせるようになったので、露軍は益々苦戦した、とあります。
>>458 蓋平・太平山の戦いとか知らないんですね。
まあそんな程度だろうとは想定内なのでつまらないな。残念ですよ。
今度はもっと斜め上のリアクションを期待してます。
>>465 レスありがとうございました。
こちらは熱田や浜松辺りで主に物色しております。
対15センチ砲、対28センチ砲と、日本側の攻撃に合わせて強化を図っていく様は非常にリアリティを感じます。
対して九月まで散兵壕のみだったという講義録記述、信憑性のうすら寒さが際立ちます。
2009/06/25(木) 08:55:27 ID:zIq0ulTjO
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2009/06/25(木) 23:14:26 ID:zIq0ulTjO
〃∩ ∧_∧ ここは旅順スレだから 日清戦争時の旅順をフォーカスしたんだけど。
⊂⌒( ・ω・) 台湾征討時の活躍も中々のもんだよ。治世は批判ありありだけど。
`ヽ_っ⌒/⌒c 己が斜め上にしてどうするw
勝手に限定して相手を批判とはさすが斜め上。なかなかです今度は合格ですおめでとう。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/26(金) 22:27:01 ID:PvkpxeR40
>>465 ベトンの陣地でなくても日本軍の砲撃に持ちこたえたのか。
>>467、470
とはいっても所詮は野戦築城で、何百何千発と降り注ぐ15センチや28センチ砲弾に対しては、
けっきょく抗堪しきれなかったようです。↓
11月28日の状況
「……203高地の主なる盲障掩蔽部は悉く破壊せられ又猛烈なる敵弾下にありて、
試みに死傷者を搬送するも全く不可能に終り、且つ中央の交通壕は2箇所に於いて
埋没せられし為め往来困難となりしのみならず之と同時に多大の死傷者を出せる事……」
11月29日の状況
「……日軍の砲兵が午前七時頃より更に28珊榴弾砲6門を増加して終日射撃を継続せる為め、
盲障掩蔽部及び交通壕の殆んど大部は全く破壊せられて唯だ其の痕跡を止むるのみに至れる……」
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 19:15:21 ID:avOLWbjm0
>>464 第3軍司令官の乃木と大山の幕僚である児玉では指揮命令の権限は
絶対的に乃木にあるのだから本人辛かっただろうなw
海軍大臣が腹を切る覚悟で三笠を買った時代。
国を憂いて違法をまかり通すとしても、後世には残すべき事情ではないわな。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 21:01:20 ID:TNfFPUDK0
>>471 それでも二度にわたる総攻撃を跳ね返したんだから、
十分以上の防御力があったと思っていいんじゃないの?
たぶんロシア側の方がタラ、レバは多いと思う。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 01:53:57 ID:CgUeDJMzO
習志野原にある永久保塁
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 20:42:17 ID:BiZ1sQMw0
>>472 乃木が一切作戦変更せず屍の山を大量に出したから断腸の思いで大山が決断したんだよ
旅順落とせないと日本の当初の目的である短期決戦で
露西亜軍を撃破して英米頼みの講和は実際、不可能になるからね
後年の昭和の高級参謀には児玉派遣の指揮命令系の破壊より、児玉が来る前の参謀の気質が多分に残ったとしか
言い様がないな
>>474 うん
それでも28榴の猛威には耐えられなかった。『露日海戦史』にはこうある↓
(11月28日)
「其後敵は暫時進撃を止め、11吋砲を以て切りに高地の頂上を砲撃せしが、其の威力大にして、
残存せる我が防御物は午後3時迄には或いは破壊せられ或いは倒れ、守兵の死傷続出したり……」
(11月29日)
「……此際一日間に日本軍の発射したる11吋弾は其数実に1000発に達したり。
此の砲火の為此時迄比較的原型を存したる防御物も悉く破壊せられたり」
しかし、東北正面の各永久堡塁が、砲撃のみでは最後まで破壊しきれなかったことを考えると、
もし203に東鶏冠山や二龍山なみの永久築城が施されていたら、ひょっとして歴史が変わったかもしれない
>>477 >乃木が一切作戦変更せず屍の山を大量に出したから
なんですかそれは
もしかして坂の上の雲かなんかですか
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 22:05:30 ID:BiZ1sQMw0
>>479 逆に聞くけど
>乃木が一切作戦変更せず屍の山を大量に出したから
もしかして乃木厨wで、以前からこれに不服みたいだから反論ヨロw
>一切作戦変更せず
正攻法に転換したのは第三軍の判断。
203高地への攻撃目標変更も第三軍の判断。
で?一切作戦変更せずってのはどっから出た与太なわけ?
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 19:36:02 ID:sPsI4C4s0
>>481 旅順でそれまでに甚大な犠牲を出してのにもかかわらず
>正攻法に転換したのは第三軍の判断。
>203高地への攻撃目標変更も第三軍の判断。
厨とはこう言うものかなと思え恐れ入りましたw
話のスリカエってやってて恥ずかしいとか思わないのかな。
イヤハヤその厚顔ぶりにはこちらこそ恐れ入った次第でありますよ。
論破されると「そんなことは問題ではない!」と開き直る
いつものパターン
どーせAA太郎だろ
相手にするだけ時間の無駄だよ
私は442は書いてないんで、混ぜないで答えてくれないかな。
まず第一。信者って何根拠に決め付けてるのかね。
で、第二。どこだったかで誰かが自称信者がとか言ってた気がするが、どこぞでカムアウトでもしてたかな。
話相手を信者と決め付けているのはあなただけではないかも知れないが、あなたの発言の可能性はあるわけだから。
あとはあなたの下らんコピペへのレス。
AA太郎って言われたくなきゃAA使わなきゃいいんだよ。んなのに根拠も自称もくそもあるか。
/⌒ヽ 彡
(;^ω+。:.゚ 彡
C□゚。:.゚.:。+゚
/ 儲.|
(ノ ̄∪
〃∩ ∧_∧ 意味ねー思い込み 極まれりってね。
⊂⌒( ・ω・) 儲が論破されているのをAA太郎って誤魔化すのよく言うよね。
`ヽ_っ⌒/⌒c 質の悪い儲が棲んでるなぁ・・。露日海戦史の人も読めてないしなーw
203高地という弱点(儲は弱点じゃないといいはってるけどな)に攻撃力を集中させなかった
乃木の戦略眼。第3回総攻撃ですら、変更直前まで東北正面に固執し、貼り付け部隊から
抽出して突撃しようとしてたんだから・・・。
まあおれは作戦変更してないって 言わないけどな。
誰が求めたわけでもないのに苦しい言い訳
語るに落ちるってね
たかじんワラタ
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/05(日) 19:35:56 ID:U3Fhchgp0
第3軍司令官の乃木は、旅順を一向に攻略出来ず大失態だろう
大本営も「こいつには無理」と思ってたみたいだし大量の犠牲者が出る前に
何故、乃木を更迭出来なかったのだろう?
だろう、が前提の空想事は日記にでもどうぞ
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 19:48:55 ID:anaVtJHA0
>>488 乃木なんて無能はさっさと更迭するべきだけど実際、出来なかった理由がある
適任であると解る人には解っていたってことだね。
軍司令官解任なんぞ有象無象の戯言ってだけで。
昨日『二百三高地』DVD入手できたのでずっと観てました
観るのは久しぶりでしたが
やっぱりいろんな意味で泣ける映画です
映画の中では明治帝が
乃木更迭→彼が責任取り自決→さらに全軍の士気低下招くから
という理由で反対されてましたが
そういう解釈でOKですか?
映画は基本路線が坂の上の雲だからねえ。
彼が軍司令官であればこそ兵は死地に赴くとかなんとか、って意味あいの文章に覚えがあるんだが
これはなんだったかな。
欧米の観戦武官が本国に送付した文章
適任であるとか全然関係ないだろう
乃木自身に何らかの軍事的裏付けがあった訳ではなし
(補足すると乃木だけに言ってる訳ではなく他の軍司令官も同様)
戦の最中に大将を替える行為そのものが問題ってわけ
だいたい第三軍司令官更迭の話って、いったい元々の出典は何で、どのように書かれているのだろうか。
なんせ当事者たる長岡の回顧録では、全力で否定されている話だし
「巷の講談や浪花節ではそんな事が吹聴されているらしいが、断じてそのような事実は無い!」…とか何とか
映画は児玉が重砲の陣地変換を命令する場面で「ウソでえーw」と突っ込んだよ
司馬さんの小説では児玉伝説の見せ場シーンなので、流石にカット出来なかったのだろうね
他は概ね、史実に沿っていると思ったが
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 05:05:44 ID:6QK5ZRjM0
児玉到着以前にやってた事って
突撃前に敵に知らせる様ラッパ吹いたり、敵に見つかりやすいよう白襷つけたり、203高地に小出しにちょくちょく兵出したりして
失敗しまくってたんでしょ?
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 05:09:21 ID:6QK5ZRjM0
>>496 忘れたけど司馬の小説のあとがきだかなんかで、児玉介入の事はちゃんと資料を読めば書いてあるとなんかの資料上げてたぞ
司馬が書いてた言ってたってのは何の根拠にもならんよ。
彼は小説家。エンターテイナーなんだ。
司馬さん本人が史実を知りたかったら私の小説じゃなくて資料嫁って言ってなかった?
基本的に長岡の話は鵜呑みに出来ない。28榴の語りなんてほとんど詐話師だよこの人。
当時あれだけやいのやいの言われたのだから更迭の話が出てもおかしくはないと思う。
津野田の本や、乃木神社で売ってる本を妄信しているのも一緒。
>>496 >重砲の陣地変換を命令する場面で「ウソでえーw」と突っ込んだ
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>>496 ̄ ̄  ̄ | ||========[]===|)
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>>501 〃∩ ∧_∧ え?命令して陣地変換行ったじゃん・・。何を持ってウソというの??
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
長岡の回顧録?
陸軍政史の陸軍省側の意見と、参謀本部側の意見との相違がある
以外でどこに詐話とまで言い切るの?機密の第6章だけウソなんて言う人が過去に
いたけどそんな自己都合な妄想意見はやめた方がいいな。
>>500 司馬の本は読みやすいけど、いい加減だから。
まぁ偉大な軍人と呼ばれる人の裏側をえぐるのは芸能記事と一緒で
興味をそそりますからなぁ。資料は読みにくいし、細かい。いろいろな書籍から見て
自論を形成するしかない。
あぁ でも 結果ありきで読むのはよくないからね。
ここの乃木儲みたいに司馬を否定して乃木を持ち上げる為、
都合のいい意見しか見れなくなるから。
児玉が重砲陣地の場所変更を命じたって話の根拠って何だっけ。
あ。言うまでもないけどAA太郎抜きでよろしく。この人相手にすると容量無くなるからさ。
>>501 そうだねえ。203の防備状況に関する話なんかも、テキトーに憶測伝聞を述べてるだけだもんなあ
北韓作戦に関する談話なんかは、かなり肯ける部分もあったのだけど
あらためて『戦略日露戦争』を読み返してみたが、第三軍司令官交代の件は要塞陥落前に既に
「大本営から(満州軍に)内連絡があって協定済み」で、1月2日に人事交代の電報を打とうとしたところ、
松川参謀の反対で沙汰止みになった、とある
>>503 『機密日露』によると児玉は「重砲隊」を「高崎山に」陣地変換させたことになっている
ところが『名将回顧』『秘密日露戦史』『名将乃木希典』によると、
「12榴15門、9臼12門」を「太陽溝付近」「大平溝」に移動させた、という
地図を見ればわかるが、高崎山と大平溝って、203の稜線を挟んで反対側だ。
これってどちらかが確実に間違いじゃないのか?
それとも、12榴15門、9臼12門以外に、高崎山へと陣地変換した重砲隊があったのか?
わからん。わからんが、砲種も門数もなくただ漠然と重砲隊としか書かれていない、
『機密』のが信憑性に劣るのは止むを得ないだろう
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 05:57:26 ID:FgyWfrm/0
児玉到着前に乃木さんがやってた事
突撃前に敵に知らせる様ラッパ吹く!
敵に見つかりやすいよう白襷で決死隊!
この時点で軍事の才能0の証明やん
>>504 質問、「これってどちらかが確実に間違いじゃないのか?」としてるが、
両方とも正解・間違いの2つのパターンを完全に無視する根拠は?
それと砲種と門数の記載がないだけで信頼性の優劣を決めるのは愚かなのでは?
例えば別の資料の数値と照らし合わせて合致するから信頼できるとかなら理解できるのだが
この場合、両方とも正しい又は誤りってのはありえないんだけど…。
正直、当時の回想談を俎上に上げてもらちの開かない話なんだなこれは。
同一人が全然違う内容を回想録や談話に残しているんだから始末に負えない。
当時の戦闘詳報なり公式戦史なりを確認するしかないね。資料持ちさんよろしく。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 21:10:23 ID:8PrFh0RvO
高崎山て海軍の黒井のことじやまいかね。
>>506 『名将回顧』『秘密日露戦史』『名将乃木希典』を出してきた
◆kRQ7DyWuR の嶽原だから 捏造意見はさりげなくスルーした方がいいよ。
>>507でありえないなんてバカな事をいってんだからw
〃∩ ∧_∧ え?命令して陣地変換行ったじゃん・・。何を持ってウソというの??
⊂⌒( ・ω・) 命令してるのは事実だし、ウソなんて言ってる奴はどんな資料を
`ヽ_っ⌒/⌒c 読んでウソと決め付けたの??
軍は野戦重砲兵(第一大隊欠)をすべて第7師団当てに石展盤溝に送ってる。
もともと第一大隊は第一師団 つまり203高地方面に配備されているから
最新式の15センチ砲は全部と見てよい。
さて第7師団の境界線に配備された野戦重砲兵(第一大隊欠)その他は兵頭大佐の元に
転じてさらに太平溝に送られている。
つまり どっちも正解。つかいい加減な捏造資料でもって否定ありきで
読んでるからどうしようもないけどな。
児玉が命じたってのの根拠はやはり無いのかね。
>>506 「両方とも正解」だとしたら、大平溝への移動とは別に、「児玉の命令によって」「高崎山に」重砲が陣地変換された、ということだが、
それを裏付ける資料は何処にもない。というかあったら教えて欲しい。
てなわけで公刊戦史を紐解いてみた
「……当時軍司令官は……爾霊山攻撃方針の決定と共に同山に対する砲火の威力を増加し且つ鴉?嘴、西太陽溝両堡塁
及び老鉄山方面の諸砲台に対し十分なる制圧射撃を必要とし午前2時命令を下し野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)
徒歩砲兵第三連隊第二大隊(第五第六中隊欠)を第七師団方面に差遣わし野戦重砲兵連隊第一大隊を第一師団長の
令下より脱して攻城砲兵司令官豊島少将をして併せて之を指揮し爾霊山攻撃を援助し且つ該方面に応援する敵堡塁、
砲台の制圧に従事せしむ……」(12月3日)
「……曩に爾霊山攻撃援助の為大平溝南方に移りし野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)及び徒歩砲兵第三連隊第二大隊(第五第六中隊欠)は
是夜射撃準備を完了す」(12月4日)
やっぱり重砲の移動先は大平溝であって、高崎山ではない。
機密の記述はおかしいと言わざるを得ない。
/⌒ヽ 彡 やっぱり重砲の移動先は大平溝であって、高崎山ではない
(;^ω+。:.゚ 彡 機密の記述はおかしいと言わざるを得ない。
C□゚。:.゚.:。+゚
/ 儲.|
(ノ ̄∪
〃∩ ∧_∧ 意味ねー思い込み 極まれりってね。
⊂⌒( ・ω・) 何で2日の記述を読まないかなw 馬鹿捏造儲
`ヽ_っ⌒/⌒c 質の悪い儲が棲んでるなぁ・・。露日海戦史の人も読めてないしなーw
公刊戦史 6巻P513 12/2
軍司令官は第9第11師団長の令下に在りし工兵第6大隊第2中隊及び工兵対八大隊
第一中隊を第7師団の令下に入らしめまた 東北溝付近の野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)
を石展 盤溝付近に移し、同師団長の指揮に属せり。
第7師団長は・・(中略)野戦砲兵及び野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)を兵頭大佐に属し・・・
って書いてるけど まったく読めてねーw
つか敢えて抜かして捏造してるのは性質が悪いw
おれの意見を無視しようが、ギャラリーは見るわけでw お花畑で妄想論ができあがって
るんだろうなw
「陣地変換の移動先」はどこ?という話なんで。それは大平溝であって高崎山ではない。
高崎山うんぬんの文内で出て来る言葉は「移し」だし、付図でもそこに砲が据えられたようには書かれていない。
移動途中の「取り敢えずそこに置いとこう」みたいな場所について話題にしてるのではなかろ?
* | つ ⊂|
∧ノ~ ! ,'っ _c,!
ミ| ・ \ ⊂/ ・ \ 「陣地変換の移動先」はどこ?という話なんで。
ミ| ... '_) | __,,▼ 移動途中の「取り敢えずそこに置いとこう」
ミ| < `∀´> |・<`∀´> みたいな場所について話題にしてるのではなかろ?
| (ノ |) | (ノ |)
| 儲 | |・・ .儲 |
人.._,,,,ノ ι・,,__,ノ
U"U * U"U
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧ 12/2 軍が203高地に砲撃力を強化するために
||. .\\ \ (; ) 石展 盤溝付近に移し第7師団令下に派遣したんだろ??
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ そして第7師団長は兵頭大佐に任せて
. _/ ヽ \ ( ; ) 検討した結果12/3に大平溝に移動したんだろ
いままで 203高地に攻撃を転換したといっても中途半端だった砲撃力を
やっとこさっとこ集中させたってことだが??
どこをどう見ても 軍は12/2 石展 盤溝付近(高崎山近辺)に移しているのは間違いない。
文を読めてない御仁には何を言っても無駄だけどな。
するってーと、「児玉が」「重砲陣地の移動を」「命じた」というのは全く成り立たなくなるが。
それでオケ?
「……当時軍司令官は……爾霊山攻撃方針の決定と共に同山に対する砲火の威力を
増加し且つ鴉?嘴、西太陽溝両堡塁 」 12/3
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ \
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
第7師団長は前夜軍司令官より攻撃に関し下問を受け先203西南部山頂を確実に
占領し導いてその範囲を拡張して東北部山頂に及ぼし最後に老虎溝山を攻略するを
適当としこの日早朝この旨を復答し 斉藤少将もまた『児玉大将の下問』に対し
略師団長の考案と同一の意見を復申し共にその承認するところとなし・・・
という前文を自論の妄想の為に抜かしたい気持ちはわかるけど、捏造っぽい意見
になるからちゃんと書いた方がいいよ。
「児玉が命じた」という根拠にならない話ばかり出て来るが。
まあ俺が言えるのは
江川が漫画で要塞とその攻略を詳しく図解してくれると思ってたのに
ガッカリですよ。
12月1日未明 203山頂を一旦占領するものの、露軍の逆襲で奪回される
12月2〜4日 争奪戦は小休止状態 日露両軍とも部隊の整頓、陣地の強化に奔走
12月5日 午前8時攻撃再開 12月6日朝完全占領
件の重砲隊は4日夜、大平溝に展開完了し、5日朝の総攻撃に参加している
その移動の途中、高崎山(付近)に寄ったにせよ、これはあくまで「通過点」に過ぎず、
別にそこで総攻撃に加わったわけじゃないことは明らかだ
ところが、機密日露ではどう読んでも、「高崎山で」総攻撃に参加したようにしか解釈できない
「203高地の占領を確保するため速やかに重砲隊を移動してこれを高崎山に陣地変換し、
以て敵の回復攻撃を顧慮し、椅子山の制圧に似んぜしむ」
「次いで予定の如く、重砲兵隊が高崎山より砲撃を開始するや……」
いったいこの記述をした谷教官は、公刊戦史を読んでいなかったのだろうか?
教わる学生も、「それはおかしいですよ」と誰も指摘しなかったのか?
ごめん誤字
×似んぜしむ
○任ぜしむ
12月1日未明 203山頂を一旦占領するものの、露軍の逆襲で奪回される
12月2〜4日 争奪戦は小休止状態 日露両軍とも部隊の整頓、陣地の強化に奔走
12月5日 午前8時攻撃再開 12月6日朝完全占領
|/-O-O-ヽ| .。oO読み比べると「機密」の異常さが際立ちます。
| . : )'e'( : . | それが、谷教官の思惑が入り込んだことによって
~`--=--'~ あのような文章になったのではないでしょうか。
/ \
>>42 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ あのさー 嶽原◆kRQ7DyWuR の思惑が異常だからそうなるの。
⊂⌒( ・ω・) 12/2に石展 盤溝に移し、第7師団の令下に入れたわけ。
`ヽ_っ⌒/⌒c 12/2夜から12/3にかけて児玉大将、乃木大将との下問に対し、
野戦重砲兵部隊(第一大隊欠)を太平溝付近より砲撃する
ことに決定したわけ。
12/4 高崎山近辺の攻城砲兵部隊に移された野戦重砲兵部隊
第1中隊は老虎溝山の制圧射撃をしている。
『』は私が細くした部分、如何に苦心して言葉を取り出して捏造しているのかが
よくわかるよね。端折るにしてもめちゃくちゃ異常っす。
公刊戦史 6巻P513 12/2
『軍司令官は第9第11師団長の令下に在りし工兵第6大隊第2中隊及び工兵対八大隊
第一中隊を第7師団の令下に入らしめまた 東北溝付近の野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)
を石展 盤溝付近に移し、同師団長の指揮に属せり。』
公刊戦史 6巻P534 12/3
『第7師団長は前夜軍司令官より攻撃に関し下問を受け先203西南部山頂を確実に
占領し導いてその範囲を拡張して東北部山頂に及ぼし最後に老虎溝山を攻略するを
適当としこの日早朝この旨を復答し 斉藤少将もまた【児玉大将の下問】に対し
略師団長の考案と同一の意見を復申し共にその承認するところとなし』
当時軍司令官は
『爾霊山は敵艦射撃の好観測所を得てこれを確実に援護するは
刻下の急務にして同山攻撃の目的並びに存じしかも西南部山頂に対する攻撃は
軍に鴉?嘴、西太陽溝両堡塁方向の敵砲に対する制圧よろしきを得は他より縦射
斜射を受くるの慮れもっとも少なく当該山頂に対する我が砲火の威力発揚する
に至らば自然的をして該地を放棄せしむるの望みあり
加ふるに我が我己にその一角を略取して若干の突撃陣地を構成しその後方に
安全なる攻路を有するがゆえに逐次兵力を増加して攻撃を継続するに適す。
我が今確実に同山頂を略取せんか之より更に東北部山頂を奪取し導いて
老虎溝山に及ぼす得べしただ時間を要する弊ありと雖も最も確実にして最も
損害少なき利あり
若しそれを確実に西南部山頂を占有せんか大なる犠牲を賭して東北部山頂及び
老虎溝山を攻撃するの要なく西南部山頂の観測に由り敵艦射撃を開始得へしと
せしか故に』
爾霊山攻撃方針の決定と共に同山に対する砲火の威力を増加し且つ鴉?嘴、
西太陽溝両堡塁及び老鉄山方面の諸砲台に対し十分なる制圧射撃を必要とし午前2時命令
を下し野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)徒歩砲兵第三連隊第二大隊(第五第六中隊欠)
を第七師団方面に差遣わし野戦重砲兵連隊第一大隊を第一師団長の令下より脱して
攻城砲兵司令官豊島少将をして併せて之を指揮し爾霊山攻撃を援助し且つ該方面に
応援する敵堡塁、 砲台の制圧に従事せしむ……
公刊戦史 6巻P543
爾霊山攻撃援助のため大平溝南方に移りし野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)及び
徒歩砲兵第三連隊第二大隊(第五第六中隊欠)は之夜射撃準備を完了す
豊島少将は是日午後11時命令を下し5日早朝より石展盤溝榴弾砲及び
【野戦重砲兵連隊第2第3中隊】をして爾霊山を・・同連隊第一中隊をして
野戦砲兵の一部と共に老虎溝山を射撃し・・・・
とある。
「203高地の占領を確保するため速やかに重砲隊を移動してこれを高崎山に陣地変換し、
以て敵の回復攻撃を顧慮し、椅子山の制圧に似んぜしむ」
「次いで予定の如く、重砲兵隊が高崎山より砲撃を開始するや……」
|/-O-O-ヽ| .。oOいったいこの記述をした谷教官は、公刊戦史を
| . : )'e'( : . | 読んでいなかったのだろうか?
~`--=--'~
/ \
>>42 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ あのさー 嶽原◆kRQ7DyWuR の思惑が異常だからそうなるの。
⊂⌒( ・ω・) 読んでなかったってw オマイが読めてないんだろw
`ヽ_っ⌒/⌒c
機密にしても如何にもその間は何もなさそうな感じで捏造しているけど、
・重砲兵隊副官奈良少佐の反対意見
・豊島大将の24時間でできる話。
・第3軍司令部幕僚の常に軍司令部所在地に蟄居している件の
・翌日の児玉将軍自ら203高地攻撃に任ぜる第7師団長との高崎山での会談
・軍隊区分の問題
・斉遠の沈没問題
・歩兵第17連隊の問題
でやっと
次いで予定のごとく重砲( 兵)隊が高崎山より砲撃を開始するや
第一、第7師団(第一師団もこの付近にあり)幕僚は観戦のために
高崎山に上る田中少佐またこれと行を共にす 然るに児玉大将は
大渇一声高参謀を援護下に呼び故らに大声を以って師団長以下に
聞こゆるが如く
田中の馬鹿者よ 貴様は将来師団長になり軍司令官となるものならん。
かくの如き場合自己の職責を弁え適切なる指揮に任ずべきなり
然るをもっぱらに観戦とは何事ぞや。
機密日露戦史 P236
これは 先に述べた公刊戦史 6巻P543 の野戦重砲兵部隊第一大隊
の射撃時の話であろうと納得できるが・・・。
あぁ なんか 全エピソードを否定してたがってるから
どうしようもないな。
もう双方の意見は出尽くしたのかな。
確認するけど、
「重砲部隊の陣地変換を児玉が命じた」ってのは間違いって事でいいね。
一方は鼻から間違いって感じだし、他方が出してくる関与ってのもせいぜいが下問でしかないんじゃ、そう判断せざるを得ないんだが。
>>525 元々この話のソースは、田中参謀の証言と、機密日露となわけだが
複数ある田中の証言は、各々内容が微妙に異なっていて、イマイチ信憑性に薄い。
(このスレの初期で詳細に検討されている方がいるけど)
機密日露は論外。203を挟んでほぼ反対側にある大平溝と高崎山とを取り違えるとか、
士官学校の戦史の試験の答案なら、はっきりいって零点のレベル。
「重砲部隊の陣地変換を児玉が命じた」可能性は限りなく低い、でFAじゃないかな。
機密日露は論外。203を挟んでほぼ反対側にある大平溝と高崎山とを取り違えるとか、
士官学校の戦史の試験の答案なら、はっきりいって零点のレベル。
「重砲部隊の陣地変換を児玉が命じた」可能性は限りなく低い、でFAじゃないかな。
|/-O-O-ヽ| .。oOいったいこの記述をした谷教官は、公刊戦史を
| . : )'e'( : . | 読んでいなかったのだろうか?
~`--=--'~
/ \
>>42 ◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ あのさー 嶽原◆kRQ7DyWuR の思惑が異常だからそうなるの。
⊂⌒( ・ω・) 読んでなかったってw オマイが読めてないんだろw
`ヽ_っ⌒/⌒c
公刊戦史 6巻P543
爾霊山攻撃援助のため大平溝南方に移りし野戦重砲兵連隊(第一大隊欠)及び
徒歩砲兵第三連隊第二大隊(第五第六中隊欠)は之夜射撃準備を完了す
豊島少将は是日午後11時命令を下し5日早朝より石展盤溝榴弾砲及び
【野戦重砲兵連隊第2第3中隊】をして爾霊山を・・同連隊第一中隊をして
野戦砲兵の一部と共に老虎溝山を射撃し・・・・
野戦重砲兵部隊全軍が大平溝にいってないってw
いかにもそういう風にしか読めない!!って主張しても何の説得力もねーw
機密P236には・・
児玉大将のこの行動たる一面指揮の問題あり。これを厳密にいえば軍規軍律上
大問題なるべきも・・・っで締めくくってる。
実際機密の意見については公刊戦史の下問に対する参謀本部長の干渉を裏付ける
資料として認められているんですよねぇ。名将乃木希典よりはるかにマシ。
間違いって事のようですね。せいぜいが下問とか叱咤激励というところ?
正直、満州軍総参謀長が丸一日電車旅行してちゃまずいでしょ。でもやらかした以上は何か成果がないとなおまずい。
どう扱ったもんか困っただろうなあ。
仮に第3軍独力で203高地を落としたのなら、児玉は陥落後に旅順を訪れるはずだよ
(そもそも旅順行きそのものがない?)
後世のこうした議論から乃木を守りたかったのは児玉自身だからね
もしも大連の朝食までに失陥の連絡が入らなかったらと思うとぞっとする。
そのまま旅順に着いたとしたら大庭は無事に済んだだろうか。
または一旦引き返してしまって復路途中で知ったとしたら…うおお歴史は面白い。
第三軍の参謀連中の立場になってみれば、「今更何しに来たんだ児玉サンよお」位の感情はあったかもねえ。
「総参謀長のアンタにも責任はある筈タイ!」と叫んだ映画の伊地知じゃないが
>>531 果たしてそういう感情を持つだろうか?
映画その他では演出としてそういう場面が作られるが…
第三軍司令部に問題があったことは確かだが、
そういう規律というか明治軍人としての姿勢みたいなものまで問題視するのは行き過ぎだと思う
彼らからすれば将官クラスの人の多くは維新をくぐり抜けた英傑だからね
礼を失するような感情は持たないとみるべきだろう
203高地が落ちたあと、この激戦地にどんな名をつけようかという話になったとき。
児玉が「わしがいる時に落ちたのだから児玉富士でどうか」と言ったところ、皆しらんぷりだったそうだ。
少なくともいい感情は持ってなかった。
>>533 そんな本当にあったかどうかわからんエピソード持ってこられても…
仮に事実としても単なるネーミングセンスの問題としか思えないが?
こんなことを乃木司令部の児玉に対する感情と結びつけるのはナンセンスだろう
まず事実だという事を承知して欲しい。
で、そういう事を知るために色々資料を見たうえでの判断という事も。
そういう事を知らなかった人が、ナンセンス呼ばわりするというのはなかなか面白いことだな。
>>535 あのさぁ、こんな日常会話、または日常風景に近い事柄をどの資料が証明してくれているのよ
軍隊の動きといった重要な事柄でさえ資料で立証するのが難しいことはスレ読めばわかるだろうに
こういうエピソードは語る側や書き方ひとつでいくらでも変わってしまうものなのに
お気に入りの資料を完全に妄信しているあなたが勝手に事実だと断定しているだけ
>>533 それってどんな資料に載ってる話ですか?
まあ、児玉としても冗談半分であったのだろうが
>>537 ソースは司馬先生の「坂の上の雲」です!!!
m9(・∀・)ビシッ!!
>>563 お気に入りにしろ勝手にしろ、まがりなりにも根拠に依って論じてるわけだよこっちは。
それに対してあなたは何?私はこう思うってだけじゃないの。
>>564 後で捜しますが、確か従軍していた法学者の志賀氏の談話が基になっていたと思います。
>>537 多分冗談だろうと思う。
それで場が和まず笑いを得られずドッチラケるというのは相手にどんな印象を抱いているのか…雰囲気として分かるでしょ?
>>538 オイオイ誰だあんた
>>539 確たる証拠もない私個人の意見だよ?
こちらは最初から断定などしていないしそんなことを今更指摘されても
だから何?としか言えないが?
「根拠に依って論じてる」と主張するのならその根拠とやらが事実であることを提示すべきだろう
「皆しらんぷりだった"そうだ"。」と事実と確定できないことを自らが認めているのに
根拠も何もないと思うがね
着想も脳内ってのはちょっと考えても虚しいな。
自分の発想でない所、例えばなんにしろ資料から発想を始めるって、そんなに難しい事ではないので一度やってみたらいい。
>>542 事実であることの提示すらできないのに
「まず事実だという事を承知して欲しい。」なんて恥ずかしいこと言うなよ
その資料が事実かどうか疑うことはそんなに難しいことではないので一度試してみたらいい
まあまあ二人とも
「そういう証言もある」って事でいいじゃないの
児玉来訪の状況に関する当事者の証言は、一般的な刊行物では田中と津野田ぐらいしか残っていないのだから
新たな証言があるってだけでも貴重だよ。
誰かさんみたいに古本屋の立ち読み記憶という訳でもなさそうだし
出典が判ったら是非ご教授ください
では知らんぷり〜が「仮に」事実として議論を進めると、
ID:1LHMOzaYOはそれが児玉に対する悪感情故であることに直結させているが、
違う捉え方もできることを(意図的かどうかはわからないが)無視していることに問題がある
1.ID:1LHMOzaYOが主張する通り児玉に対して悪感情があった場合
2.1とは逆に児玉を慕っていた場合…上官に対してそういう態度が取れるのは両者の関係が良好であるから
3.乃木が名付けた「爾霊山」を引き立たせる為(または見事だった為)に誇張または創作された場合
…このように書くと大げさだが、要はこのエピソードを語る際の話し方の問題
私個人の見解としては3だと思う
そもそも、児玉に対して悪感情があるならこのような雑談の場に児玉がいること自体が不自然
(雑談としたのは乃木が参加してないことから正式な軍議の場ではないだろうとの推測から)
さらに上官に対する悪感情を露骨に出せることができる程軍隊は甘い場所ではない
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 05:16:39 ID:rUlgwSmc0
坂の上の雲ではこうなってるな
旅順攻略が進まない為私が行きましょうと大山に説き、もし第三軍(乃木)が自分に指揮移譲を拒否した場合乃木の即刻指揮権停止の権利を貰う。
↓
旅順に向かう途中に203高地奪取の成功を聞き、ヒレカツを食って祝おうとしたが203高地が奪還されたと聞きこんなもん食ってられんと激怒。
↓
ついたとたん伊地知を無能と散々面罵する。
↓
司令部が常に後方にありすぎる事を怒り、司令部を敵が観測できる前線近くまで移動させる。
↓
乃木と二人きりでこっそり話し指揮権移譲を承知させる。
↓
203高地に対し火力の集中を行う為、第三軍の砲専門家が移動不可能と反対した28センチ砲を敵陣近くまであっさりと配置しわずか半日で攻略。
児玉が「わしがいる時に落ちたのだから児玉富士でどうか」と言ったところ
皆しらんぷりだった( そうだ。)
まず事実だという事を承知して欲しい。
|| // // |
|| / ̄ ̄ ̄ ̄\ . | / ̄ ̄ ̄ ̄\
|| ( 人____) | ( ) ┌───────
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ | < まあまあ二人とも・・・・・・
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) | └───────
|| __| ∴ ノ 3 )| (∴ \____ノ_
|| (_/.\_____ノ | >--(っ___□__)
|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
. ̄ ̄1LHMOzaYO ̄  ̄ | ||========[]===|)
|_|| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
(_)\|三三三三三|
(:::::::::::::::::::::y:::::::::ノ)\
|:::::::::::::::::::::|:::::::::| |
ID:87IP7zWT0
ソースを示せないのは申し訳ないが、うろ覚えではこんな流れだった。
203高地陥落後に、名を付けようという話になった。誰かは鉄血山といい、誰かは旅順富士といった。
そこで児玉がわしがいる時に落ちたのだから児玉富士はどうだと言ったがみんな無視。
旅順富士がよかろうなと合意に至った辺りで志賀氏と思うが乃木の詩を披露。
爾霊山とはこれはよろしい、と。
>>545 >知らんぷりが「仮に」事実として議論を進める
それはどうも。出来るだけ早くソース見つけます。
>1.ID:1LHMOzaYOが主張する通り児玉に対して悪感情があった場合
特にこのケースでは大いに有り得る。
従来の確執に加え、悪戦苦闘の末に落とした陣地に児玉富士とは悪ふざけにも程があるという苛立ちなど。
>2.1とは逆に児玉を慕っていた場合…上官に対してそういう態度が取れるのは両者の関係が良好であるから
関係は良好であっても刹那の悪感情というのはありえるわけで。
というか裏読みすれば何とでも推論出来ますな。で、裏の更に裏とか嵌まっていくわけで。ご用心ご用心。
>3.乃木が名付けた「爾霊山」を引き立たせる為(または見事だった為)に誇張または創作された場合
可能性としてはありますね。
しかしそれならば否定し得るだけの根拠を添えて頂きたい。
>要はこのエピソードを語る際の話し方の問題
目上の人の冗談めいた提案をスルーする時ってどんなケースですかね。話し方の問題で変わる事じゃないでしょ。
>そもそも、児玉に対して悪感情があるならこのような雑談の場に児玉がいること自体が不自然
雑談の場といっているが、激戦地の呼称を決める場なんだから総参謀長が居ても全然おかしくはない。
そして児玉の軽口が無ければ別になんて事はなかったわけで。
悪感情があるなら児玉が居るのは不自然?わけわかりません。
>>548 @無視した場面において
・無視した側の参謀?達の名前がないのはなぜか?(現在出ている登場人物は児玉と志賀のみ)
・本当に「無視」したのか? 何かを考えるという場において反応しないなんてよくあること
・児玉に対して悪感情を以って無視したのなら、当然その後は両者緊迫した場になるはずだがそのことに触れられていないのはなぜか?
・坂雲では無視したということは出てこないし、「児玉〜山」というのを児玉自身は提案していない(坂雲に過剰反応する人がいるので補足するが、ソースとして提示する訳ではなくこういう見方をする人もいる程度に受け取って頂きたい)
A「誇張または創作された場合」について
私の書き方が悪かったせいで誤解させたみたいだが、
>>545の3では、誇張または創作されたとするには大げさだが、話し手によって脚色された可能性があるということが言いたかった
B不自然〜に関して
私は雑談の場であろうとの推測から、そういう私的?な集まりなら悪感情のある児玉を交えるのは不自然だろう…とするのにどこが問題ある?
逆に質問なのだが、乃木や師団長クラスもいない集まりがどうして激戦地の呼称を決める場になるんだ?
さらにあなたに質問だが、事実であると主張していた己の論調を変化させたのはなんで?
ようやく自分が事実と思い込んでいた事柄が可能性の一つに過ぎないことが理解できた?
児玉が「わしがいる時に落ちたのだから児玉富士でどうか」と言ったところ
皆しらんぷりだった( そうだ。)
まず事実だという事を承知して欲しい。
|| // // |
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|| ( 人____) | ( )
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ | < まあまあ二人とも・・・・・・
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) | 誰かさんみたいに古本屋の立ち読み記憶
|| __| ∴ ノ 3 )| (∴ \____ノ_ という訳でもなさそうだし
|| (_/.\_____ノ | >--(っ___□__)
|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
. ̄ ̄1LHMOzaYO ̄  ̄ | ||========[]===|)
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(_)\|三三三三三|
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ID:87IP7zWT0 =ID:himaB2+/O
ソースを示せないのは申し訳ないが、うろ覚えではこんな流れだった。 ・・・・
〃∩ ∧_∧ 嶽原◆kRQ7DyWuR の自作自演のフォローが始まったかw
⊂⌒( ・ω・) 捏造意見がまた展開しちょるな。下記から鑑みるに・・・
`ヽ_っ⌒/⌒c ID:himaB2+/Oの思い込みだな。
大役小志 志賀重昂 爾霊山より
参謀山岡少佐が高崎山の中腹なる藁小屋を訪れた候所 折柄
満州軍司令部より来順せられたる参謀巣長児玉大将、同次長福島少将
第3軍司令官乃木希典、同参謀長伊地知少将との四将軍が鳩首して
密議中なりしを以って山岡少佐には立ち去らんとするや
児玉大将には呼び止め オイ 元老会議と云っちゃこんなもんだぜ
と申されたらんとするや・・・・(中略)
然ればとて203の名称は既によの人口にもカイキュウし来り候
のみならず、岩村海軍参謀にも血に濡れていまや気息を絶たんと
する兵士が「203は未だ取れませぬかと問うところを見れば203
の名称は既に棄て難しうと申され候通り、203の名称はこのまま
保存致度 尚またこの高地の戦争は我が全軍の地を注ぎて奮戦せし
義にも有り之候へば 赤坂山とか創山とか高崎山とか申す一地方
に縁故ある名称は附すべからずものと在り居り候折柄
唯今、乃木対象より小生まで別紙の如き詩を送られ候、然る上は
大将の大功績の山にも有之候へば爾霊山と呼び倣せば韻音とも203
と相通じ・・・・
事実と断言は出来ませんね。
ただこういう出来事が起こっていた可能性は高いと思っているよ。
理由は、資料にそういう記述があった(まだ探せてません)から。そしてそれを否定する客観的事実は得られていないから。
否定的意見の人は、例えばアリバイ証明みたいな事して検証してみればいい。
ところであなた、このエピソードがあったと仮定して…と言いながら第三項目ではその仮定を忘れてしまうあたり、
どうにかならない?数学問題とかで仮定条件をうっかり忘れてミスる事多かったんじゃない?
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 旅順攻囲軍 志賀重昂 爾霊山もまったく同じ文面だな。
`ヽ_っ⌒/⌒c っで志賀氏の本のどこに書いてあるのか??
533 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/07/13(月) 08:50:19 ID:1LHMOzaYO
203高地が落ちたあと、この激戦地にどんな名をつけようかという話になったとき。
児玉が「わしがいる時に落ちたのだから児玉富士でどうか」と言ったところ、皆しらんぷりだったそうだ。
少なくともいい感情は持ってなかった。
535 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/07/13(月) 14:08:21 ID:1LHMOzaYO
まず事実だという事を承知して欲しい。
で、そういう事を知るために色々資料を見たうえでの判断という事も。
そういう事を知らなかった人が、ナンセンス呼ばわりするというのはなかなか面白いことだな。
539 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/07/13(月) 22:11:16 ID:1LHMOzaYO
>>563 お気に入りにしろ勝手にしろ、まがりなりにも根拠に依って論じてるわけだよこっちは。
それに対してあなたは何?私はこう思うってだけじゃないの。
>>564 後で捜しますが、確か従軍していた(法学者の志賀氏)の談話が基になっていたと思います。
548 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2009/07/14(火) 13:42:11 ID:himaB2+/O
ソースを示せないのは申し訳ないが、うろ覚えではこんな流れだった。
捏造儲(第3軍擁護)の意見は疑ってかかった方がいい。
せっかくいい資料を提示してても 過去の例から捏造やら、偏向やらが多すぎる。
>>549 マジですか。坂の上の雲にも児玉富士出てきますか。
困ったな。違うと思ってたんだけど。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
ちなみに 日露戦争の旅順戦に従軍した国際法学者は 有賀長雄だったような・・。
志賀重昂は外交折衝顧問という立場。
なんか志賀氏の書籍には児玉富士のエピソードはまったく出てこないし。
どうなってるんだろうね。
>>552 こちらの書き方が悪かったことには素直に謝罪する
>>545で『知らんぷり〜が「仮に」事実として議論を進めると』と言ったのは
「悪感情を以って知らんぷりしたこと」を事実として仮定したわけではなく
言わばその前段階としてのあなたが提示したエピソードが事実という仮定でという意味
あなた自身が個人的に事実と信じる分には一向に構わないが、
他人と議論する時には慎重さが必要であるということ
特にこういう立証が難しい事柄についてはね
>>554 坂雲読んだのがもう大分昔なのでうろ覚えだけど確かにこのエピソードは載せられている
ただ、名称が「児玉富士」だったかどうかは覚えていないが、児玉の名前が冠してあったのは確か
誰かが「児玉〜」はどうか?
↓
今ひとつしっくりこないがなんとなくその名称に決まりそうな感じでその場は解散
↓
後に児玉が乃木を気遣った漢詩の会?で乃木の漢詩の中の「爾霊山」の名称に志賀?有賀?がいたく感銘して
「名称はこれ以外にない」との感想に至る
こんな流れだったかと思う
>>557 『天辺の椅子』に書かれるような児玉の茶目っ気とその滑りっぷりが実に印象的なエピソードだったので覚えてた
んですが、肝腎のソースが不明なものを軽々に書くべきでなかったですね。こちらこそすみませんでした。
ところで、幕僚が児玉にあまりいい感情を抱いていなかったという点については他にも根拠はあるのですよ。
攻城砲兵司令部の奈良少佐の回想ですが、児玉の督戦に気分を害したのか、第三軍首脳は児玉の所に来ず連絡は電話ですませていたとの事。
こういうのを色々あちこちで読んでだうえでの総合的な意見として、あなたの当初の書き込みにそれはどうかなとレスしたわけです。
>あなたの当初の書き込みにそれはどうかなとレスした
の、当初の書き込みとは、
>>532のことです。念のため。
>攻城砲兵司令部の奈良少佐の回想
この事柄はどんな書籍に書かれていますか?
>>560 歴史群像No.74(200512)の「203高地の真実(瀬戸利春)」です。出典は偕行社の「砲兵沿革史」と思われます。
こういう悪感情は、別に第三軍幕僚に限った話ではありません。
第四軍では上原将軍が酒宴での幕僚の放言に一喝したエピソードが「参戦二十将星日露大戦を語る」に出ています、
一例としてご参考下さい。
長岡談話を読んでいて疑問な点。
28榴って何を攻撃対象として送ったのか?
まず「特に海岸の備砲を陸上の城攻めに転用するということが頗る妙なものと思うた」とあるので、要塞施設の破壊を目的
としていたと考えるのが普通。
だが、すぐに「大本営を同砲は主として敵艦撃破に当たらしめんとの胸算であったが第三軍は得たり賢しとこれを陸正面の
鉄壁破壊に向けた」と第三軍の運用に問題があったかのように書いている。
かと思うと、第三軍の機密作戦日誌からの引用として「然れども尚次回攻撃後の状況得に港内敵艦船に対する顧慮を以って
返電を発せり」と書いてもいる。
支離滅裂な話としか思えない。
機密日露戦史つまり講義録にもそのまま載っているが、なんで誰も突っ込まなかったのかね。そもそも28榴に陰顕砲架なんかないしね。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 15:52:15 ID:v+4OofoKO
陸軍たいしょうだからなw
まず@「特に海岸の備砲を陸上の城攻めに転用するということが頗る妙なものと思うた」
とあるので、要塞施設の破壊を目的 としていたと考えるのが普通。
だが、すぐにA「大本営を同砲は主として敵艦撃破に当たらしめんとの胸算であったが
第三軍は得たり賢しとこれを陸正面の 鉄壁破壊に向けた」と第三軍の運用に問題が
あったかのように書いている。
かと思うと、第三軍の機密作戦日誌からの引用としてB「然れども尚次回攻撃後の状況得
に港内敵艦船に対する顧慮を以って 返電を発せり」と書いてもいる。
支離滅裂な話としか思えない。
|/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ あのさ 捏造するのやめてくれない?
⊂⌒( ・ω・) @の次にBが来てAが来るんだけど??
`ヽ_っ⌒/⌒c そんな支離滅裂な捏造してどうするの?
さらに第3軍の機密作戦日誌は8月以降、児玉が指摘するまで書かれてなかった筈だが?
あとな 陸軍省@と大本営Aと一緒に考えてるんだろう??ぜんぜん読解力も
ないバカ儲だから 説得力皆無だわ。
別に順番どおりに書いても一緒ですが。
一連の文章の中に矛盾があるということです。
第三軍の日誌の引用をしているのも長岡なんだけどね。そんなのを引いている長岡の話は信用できないという結論でいいのかな。
>>565 長岡がその時に機密作戦日誌が8月以降書かれてなかったことを知っていた
って証明できるのだったら 君の言うような結論になるだろうね。
いずれにせよ 第3軍の機密作戦日誌は書かれてなかったという疑惑がある以上、
後知恵で書かれた可能性が否定できない。
さらに 陸軍省の意見と、大本営の意見とを混同している君の読解力はどうしようもない。
@「特に海岸の備砲を陸上の城攻めに転用するということが頗る妙なものと思うた」
これは長岡個人の疑問なわけだが、これがなんの意見だって?
どんな読解力でそうなるのか教えてくれないかね。
>>567 @「特に海岸の備砲を陸上の城攻めに転用するということが頗る妙なものと思うた」
これは長岡個人の疑問なわけだが、これがなんの意見だって?
|/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ あのさぁ。特に海岸の備砲を陸上の城攻めに転用するということ
⊂⌒( ・ω・) は、陸軍省の意見に対してだな。
`ヽ_っ⌒/⌒c そのことが ”頗る妙なものと思うた” と 大本営側の長岡の
個人の疑問があるんだが?
まったく バカな奴だよな あーたは。 そういう捏造しまくりで わーわー
機密の第6章は捏造って騒いでもなんの説得力もねーよ。
長岡の意見=大本営の意見、有坂の意見=陸軍省の意見とでも言いたいようだが、それでいいのかね?
上は間違い。書き直す。
長岡の意見=大本営の意見とでも言いたいようだが、それでいいのかね?
|/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧ おいおいw
>>567で
⊂⌒( ・ω・) 『これは長岡個人の疑問なわけだが、これがなんの意見だって?』
`ヽ_っ⌒/⌒c って聞いてるところから・・。お前が勘違いしていることを
人に擦り付ける癖は辞めてくれw
大本営を同砲は・・なるAの意見はこの記述内では大本営の意見だろ。
@は陸軍省の意見。異なる部署の意見をさも長岡談話として 曲解して披露して
資料を亡き物と解釈する癖はどうしようもないけどなw
ある組織の一個人の意見でも、その組織の意見と見做してもよいわけだね。
では、「陸軍の後援を要求せざることをしばしば口外した大本営海軍幕僚がある」というのも大本営海軍部の意見と見做してもよいわけだ。
今更ダブスタはなしだよ。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 22:24:16 ID:T5VvOwbGO
宮地騎兵大佐
>>572 >>562 『長岡談話』を読んでいて疑問な点。
28榴って何を攻撃対象として送ったのか?
まず「特に海岸の備砲を陸上の城攻めに転用するということが頗る妙なものと思うた」
とあるので、要塞施設の破壊を目的 としていたと考えるのが普通。
だが、すぐに「大本営を同砲は主として敵艦撃破に当たらしめんとの胸算であったが
第三軍は得たり賢しとこれを陸正面の 鉄壁破壊に向けた」と第三軍の運用に問題が
あったかのように書いている。
かと思うと、第三軍の機密作戦日誌からの引用として「然れども尚次回攻撃後の
状況得に港内敵艦船に対する顧慮を以って 返電を発せり」と書いてもいる。
支離滅裂な話としか思えない。
∧..∧
. (´・ω・`) <ある組織の一個人の意見でも、その組織の意見と
cく_>ycく__) 見做してもよいわけだね。
(___,,_,,___,,_) ∬
彡※※※※ミ 旦
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ どっ!! / \ ワハハ! ナイスボケ/
\ / \ ∞
l|||||||||||||| ∩,,∩ ∩,,∩ ∩,,∩ ミ∩ハ∩彡
(, )(,, ) ,,)( )( )
大本営の意見と、陸軍省の意見と第3軍の機密日誌からの引用もすべて
個人の意見として認識しているのかw?
お前が長岡の意見としてダブスタを演じてるのをこっちになすりつけるなw
ばかものw
|/-O-O-ヽ| .。oO とあるので、要塞施設の破壊を目的 としていた
| . : )'e'( : . | と考えるのが普通。
~`--=--'~
普通じゃないw
普通は海岸砲は主に対艦目的、2番目に要塞攻撃として臨機応変に考えるべき。
思い込んでるところはw 第3軍の司令部と一緒だよなw。
それを言い訳してごまかそうと あと知恵で捏造するなんて もってのほかw
もうちょっと乃木大将の失敗に対する真摯さを学べよ こいつら。
というか、28榴関連で長岡の談話を出す事自体がNGなんで。
矛盾あって当たり前。あれはまるっきりの嘘話だから。
明治期国土防衛史で防研の原氏が解説してる。
>矛盾あって当たり前。あれはまるっきりの嘘話だから。
あははw
まるっきりのうそ話w
いいね。
明治期国土防衛史 なる書籍に 旅順攻略の長岡談話の逐一がすべて食い違っている
ってことだよね。
ぜひ教えてほしいものさ。
ものの言い方には気をつけた方がいいよ。
お宅も日本語をきちんと書くよう気をつけたほうがいいよ。
意味を斟酌してもらわないと通じない文章なんて書くのは恥かしいでしょ。
『というか、28榴関連で長岡の談話を出す事自体がNGなんで。
矛盾あって当たり前。あれはまるっきりの嘘話だから。
明治期国土防衛史で防研の原氏が解説してる。』
|/-O-O-ヽ|
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~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
〃∩ ∧_∧
>>577 おいおいw
⊂⌒( ・ω・) て どこのどの当たりに 談話の逐一を否定できるというかウソと
`ヽ_っ⌒/⌒c 結論づける話があるんだ?
読解力がないのはいい。だけど、 捏造意見の為に結構な資料を
持ち出して 捏造がばれて 相手を罵倒して無視したりするけど
そういう意味もない行為は やめなよw
前半、せめて読んでから言ったら?
後半、意味のないというか有害行為をしまくってる人が言っても説得力まるっきり無いよ。
自分がどんだけ浮いてるか自覚してる?
>>579 >>533、
>>535でバカなことを言ってる嶽原◆kRQ7DyWuR が意味ないって
|/-O-O-ヽ|
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~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
『というか、28榴関連で長岡の談話を出す事自体がNGなんで。
矛盾あって当たり前。あれはまるっきりの嘘話だから。
明治期国土防衛史で防研の原氏が解説してる。』
これの根拠を示して?って言ってるの。
国土防衛史に なぜか旅順攻略に関する砲の話が
電報やらも含めて書いてあるんだろうからね。
すごい 興味あるよ。
どうせ 示したとしても 機密否定の儲の曲解、捏造意見なんだろうなって
楽しんでるだけ。嶽原◆kRQ7DyWuR は結果ありきの捏造ばかりじゃん。
第3軍を中心とした日本軍の失敗を真摯に追求するという姿勢に欠けるね。
あなた根拠も示さずに私を嶽原だ信者だとか決め付けてるけど、何の根拠あって言ってるの?
根拠なしにそんなことやってる限り信用できないね。
決め付けこじつけ、うざいのよ正直。
|/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
根拠??w おまいさんが幾ら否定しようが 関係なく、バレバレなんだよな。
AA使ってないレスも ご自分に納得いかないレスは全部根拠なくAA太郎と
主張しているから 意味ねーw
>>561 「参戦二十将星日露大戦を語る」 なんて昭和10年の本を持っている人で
多数本を持ってて乃木や第3軍を擁護しまくってる人が そんなにいるわけないw
その次のレスも文の癖とかぜんぜん変わってないじゃんw ドアァホ。
歴史群像No.74(200512)の「203高地の真実(瀬戸利春)」
には 12榴と9臼 を高崎山に移動したのみって書いてあるけどスルーしているしね。
一部の錯誤を持って 別の論を”まるっきり”否定するならば、
この記事も信じられないってことさ。
こんなところで 「明治期国土防衛史」を買って新しい説!!て思い込んで
披露するなら披露したらいいやん。
どうせ 曲解だらけなんだろうけどな。w
人はそれをこじつけ、思い込みというのだが。
行くところまで行き着いちゃってますな。ご愁傷様です。
もう太郎は駄目なんじゃなかろうか
対象が消えた後も、1年近く粘着してるのは凄いと思う。
あと、資料に対しては真摯たることを信条としてるようなのに、
粘着については自分の分析が絶対だと思い込んでる所も凄い。
まるで大江志乃夫だね
……おっと、こんなこといったら大江さんに失礼か、いくらなんでも
何が彼をそこまで……
いやこれは生まれながらの性というものであろう……
大江さんか〜金日成の剥製に敬礼した人だっけ?
|| // // |
|| / ̄ ̄ ̄ ̄\ . | / ̄ ̄ ̄ ̄\
|| ( 人____) | ( ) ┌───────
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ | < 何が彼をそこまで……
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) | └───────
|| __| ∴ ノ 3 )| (∴ \____ノ_
|| (_/.\_____ノ | >--(っ___□__)
|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||========[]===|)
|_|| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
(_)\|三三三三三|
(:::::::::::::::::::::y:::::::::ノ)\
|:::::::::::::::::::::|:::::::::| |
>>583-587 【またAAか】【やっぱりAA】【さすがAA】
【はいはいAA】【AA丸出し】【AAじゃ日常】
【ヨハネスブルグ】【これがAAクオリティ】
【AAて】【だってAA】【相変わらずAAか】
ヤレヤレ… 【AAだから仕方ない】【どうせAAだし】
. ∧__,,∧ 【それでこそAA】【まぁAAだし】【常にAA】
( ・ω・) 【AAは日常風景】【AAすげー】【だからAA】
. /ヽ○==○【きょうもAA】【AAで軽い挨拶代わり】
/ ||_ | 【いつものAA】 【なんだAAか】【AAだもの】
し' ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_)) ̄(_))
>>230-255 233 から AA無しでやってみたけど、他にもちゃんと記入しているにも
関わらず まともな反論もせずに下記内容でイチャモンつけてるだけなんで
儲のレスは史実に対しての意見じゃなく、他にしか批判する事ができないと・・。
まぁ彼の脳内お花畑意見を批判すると下記のように叩かれるとw
235:妙な事言うもんじゃないよ。
240:レポートをネットで拾い集めた文章ででっちあげる学生を嘆いたニュース見たことがあるが、
こんな感じなんだろうな。
245というか、
>>233はAA太郎だろ。文章に脈絡が無いし、日本語としてなんかおかしいし
249AA太郎か…
251 なんか気に障ったらしいねw
252変な脳内フィルターをかけて他人の意見を捏造し、一人相撲に興じるのはAA太郎の悪い癖ですね。
254フィルターだのバイアスだのイチャモンつける前に、読解力を身につけなよ。
255あんまり虐めるとまた逆ギレして暴れ出すぞ、AA太郎がw
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c 捏造論が論破されてるからといって 批判対象をオレ個人に持ってきても
自論が正当化されるわけじゃないよー。 気に入らない意見を無視しても無駄
使えないスレ
せっかくAAを使うなら歴史を図で示せばいいじゃん
その方がわかりやすくなる
まさに呼ばれて飛び出て、だな。
おちょくられてるのにも気付けないとは。同情くらいはしてあげよう。
|| // // |
|| / ̄ ̄ ̄ ̄\ . | / ̄ ̄ ̄ ̄\
|| ( 人____) | ( ) ┌───────
|| |ミ/ ー◎-◎-)| (ヽミ | <まさに呼ばれて飛び出て
|| (6 ゜(_ _) )|. ( 6) 儲 | └───────
|| __| ∴ ノ 3 )| (∴ \____ノ_
|| (_/.\_____ノ | >--(っ___□__)
|| / ( )) ))ヽ| ( )) |三| ヾ
. ̄ ̄ ̄儲  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ||========[]===|)
|_|| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
(_)\|三三三三三|
(:::::::::::::::::::::y:::::::::ノ)\
|:::::::::::::::::::::|:::::::::| |
583 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/08/03(月) 21:22:58 ID:l62+PizgO
584 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/08/07(金) 20:52:12 ID:hH/NwxPdO
585 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/08/13(木) 08:13:28 ID:69/U/xMG0
587 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/08/21(金) 20:45:04 ID:G/CBRfomO
数日単位で放置してたのが気づかれてないのかw???w
お盆休み位、旅行いくなり、ネットから開放して心でも洗濯すりゃいいのになぁ。
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c 捏造論が論破されてるからといって 批判対象をオレ個人に持ってきても
自論が正当化されるわけじゃないよー。 気に入らない意見を無視しても無駄
なにこのスレスト
馬鹿すぎる
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/18(金) 09:12:21 ID:c8bVXZ4+O
なんで、乃木は乃木神社なんてとこで
神様にされてるの?
分かる人には分かる事。
まあ人生これからだ。
馬鹿馬鹿しい。旅順は乃木でなければ陥ちなかった。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 09:31:58 ID:FWU4H2CJO
児玉さんがいたからじゃないの?
>旅順は乃木でなければ陥ちなかった。
よく言われる詭弁
旅順要塞を陥落まで指揮してたのは乃木は事実だが、
乃木でなければ落ちなかったというのは事実ではない。
結局実際にやった人が評価されるのが妥当。
よって乃木は評価されるに値する。
司令官替えを取り沙汰されたのが「乃木でなければ」と取りやめになったというのが彼であればこそという話の根拠でしょ。
一理あるわけで。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 15:59:13 ID:FWU4H2CJO
最近「坂の上の雲」読んだ者です。
書かれていること事実なんですよね。
昔の俺がいる。
第三軍司令部ではなく第四軍司令部が旅順に回されてたら
どうなっていたんだろう。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/20(日) 18:11:11 ID:O0IP6gr+0
あのコテが来そうな予感
>599 だから、乃木でなければ陥落しないという【仮定】は意味がない。
乃木でなければなんてのは仮定だからね。
だから
>>596の意見は詭弁と申したまで。
さらに陥落後、勝者たる司令部の大半は解雇された事実をどう取るか。
だれがやっても 苦戦をし陥落させたという評価が妥当だと思われる。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 17:44:00 ID:cKjTaVsZO
旅順要塞ってすごいね。
だから習志野原に、あの永久保塁が造られた。
>>604 大半というが、何人のうち何人が代えられたのを指して事実と言っているのか。
残念ながらあなたの評価は、事実誤認に基づいたものと判断せざるを得ない。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 18:39:53 ID:cKjTaVsZO
乃木信者って、けっこういるんだ
>>606 司令官 乃木希典
参謀長 伊地知幸介
参謀副長 大庭二郎
砲兵部長 豊島陽蔵
工兵部長 榊原昇造
経理部長 吉田丈治
軍医部長 落合泰蔵
伊地知幸介 1905年(明治38年)1月、旅順要塞司令官
参謀副長 大庭二郎1905年1月、後備第2師団参謀長(朝鮮駐剳軍)
砲兵部長 豊島陽蔵 1905年1月、独立重砲兵旅団長に転じ奉天会戦に参戦した。
内前線指揮を司っている長のほとんどが 転任しているが??
それで何が言いたいの?
事実誤認ってそもそも 乃木でなければって言い張ってる奴の事は無視かw??
司令部って言葉をどういう意味で使ったの?
今更だけど解雇とか言っちゃったあたり、人から言われる前に訂正したらどうかね。言われなければいいとでも思ってる?
>>609 おいおいw
言葉の揚げ足取りしても 解雇でなく解任、転任だね。
それで下記の詭弁はどう取り繕うんだ?
>旅順は乃木でなければ陥ちなかった。
よく言われる詭弁
旅順要塞を陥落まで指揮してたのは乃木は事実だが、
乃木でなければ落ちなかったというのは事実ではない。
これは覆せないぜ?バカ儲。
誤りを指摘したら揚げ足取り呼ばわりですか。
失礼かごめんかの一言くらいあると思ったが、これは見誤った。あなたそういう人なのね。
あと後段の件だが、それは私の発言ではないので悪しからず。
まあ個人的には、あなたが言っている事も仮定の話でしょ?としか。
「乃木でなければ落ちなかった」
これを仮定の話だ詭弁だと言うが、ならば、
「誰でも苦戦をし陥落させた」
というのも仮定だし詭弁だよ。
だから私は
>>599にあるように
「実際にやった人が評価されるのが妥当」と書いたのです。
横からだが、日露の時は
いくさ下手は軍人として恥ずかしいとか
陛下から預かった、赤子たる兵士をあたら消費するのは申訳ないとか
そんな空気があったかなかったかって議論をしてるの?
司令部っていわれたのなら「軍司令部」の事だと思うのだが、そう思わずに「前線指揮を司る長」の事と解釈しなければならないとはね。
困ったな。これでは話が通じそうにない。
しかも副長が入ったり入らなかったり。非常に恣意的なチョイスですね!
軍司令部の首脳に限っていうなら、
司令官 乃木
参謀長 伊地知
参謀副長 大庭
作戦担当参謀 白井・津野田
兵站担当参謀 磯村・井上
情報担当参謀 山岡・安原
うち転出は伊地知、大庭、白井の三名。
とても大半とは言えませんね。
恣意的ってw
どこに副長が入ったり入らなかったりってしているのかい?
長ってのは責任を取るためにあるのであって実質 ここまで
長が解任された 司令部はあるのか?
絶大な功績を挙げた部隊の前線司令部の首脳部がここまで
解任されるなんて前代未聞だね
ああ それを擁護するのも 臭うよね。
>>614 >どこに副長が入ったり入らなかったりってしているのかい?
もちろんあなたの書いた
>>608ですよ。
発言には責任持って下さい。
>>615 608より
司令官 乃木希典
参謀長 伊地知幸介
★【参謀副長 大庭二郎】
砲兵部長 豊島陽蔵
工兵部長 榊原昇造
経理部長 吉田丈治
軍医部長 落合泰蔵
伊地知幸介 1905年(明治38年)1月、旅順要塞司令官
★【参謀副長 大庭二郎】1905年1月、後備第2師団参謀長(朝鮮駐剳軍)
砲兵部長 豊島陽蔵 1905年1月、独立重砲兵旅団長に転じ奉天会戦に参戦した。
どこに副長が出たり入ったりしているの?あーたの恣意的偏向な見方は
どうでもいいけどね。
絶大な功績を挙げた部隊の前線司令部の首脳部がここまで
解任されるなんて前代未聞だね
こういう事実は覆せないって。
>>604の「司令部の大半を解雇」ってのは誤りってことを認められない人だと無駄話になってしまうので確認。
上は誤りってことでいいね。今時柘植センセーでもやらないミスだよ。これを認めない伊地知いや依怙地なら以後は読まないでいいよ無駄だから。
そのうえでの話だが、解任にあたり上層部も面と向かって作戦内容を批判してそれを理由としていない事には気をつけたい。
それどころかしぶる当人に、これはけして左遷ではない、なんて言いくるめて承知させるあたりは見苦しいほど。
とはいっても誰かが難戦の責任を取らなければならないわけで、現地軍参謀職ってのはそれに適していたわけだ。
一時期の人事をもってどうこう言うのは、一面しか見ない事に繋がりかねないので注意すべき。
本当に問題のある人材だったら以後は冷や飯が妥当だが、彼等はそうなっていない。
>それどころかしぶる当人に、これはけして左遷ではない、なんて言いくるめて承知させる
あー、そんなこともあったんだ。恥ずかしながら初耳だ。
しかし、旅順要塞司令官職が果たして左遷といえるかねえ?
膨大な捕虜(傷病兵多数)・戦利品の管理、民間人の処置、治安衛生その他、
言うにつくせぬ軍政の煩雑困難さ、重大さを考えると、決して左遷とはいえないと思うが。
伊地知本人の意向はさておき。
軍人の本分としては野戦軍司令部勤務は華なのでは。タイミングを考えると、難戦の責任を取らされての左遷としか言いようがないと思います。
ただ、訪欧経験豊富な伊地知には厭味なしに適任だったとも思いますが。
伊地知にしてみればこれから予定されるのは奉天会戦、野戦での砲戦はここぞ腕の見せ所という場面でしょう。内心忸怩たるものがあったと思います。
>>617 >>の「司令部の大半を解雇」ってのは誤りってことを
>>認められない人だと無駄話になってしまうので確認。
>>610 で確認済みだけど? 誤りもしないなんていっておきながら
副長の偏見は何もしないんだから どうしようもないね。
>上層部も面と向かって作戦内容を批判してそれを理由としていない事
えっと これの根拠あるの? 訓令では散々な言われようだったが、これらが
積み重なっているって考えはまったくない?
>本当に問題のある人材だったら以後は冷や飯が妥当だが、彼等はそうなっていない。
ああ これらは官僚主義の典型でね。牟田口やら寺内やら日本軍で難戦と
いえどそうなってない人は幾らでも居る。
そういう詭弁は通用しないのが 官僚主義。
だから後世の冷静な観測が必要だが、まぁ 儲は儲だからね恣意的になるのは
仕方ない。
このスレッドの前半を見ても然り。
あらら本当に分かってなかったんだ。
参謀副長をリストに入れるのならば、他部署の副長相当官も入れないと公平でないよって意味なんですが。
「大半」かどうかってのが論点ならば、該当者リストを恣意的にチョイスできるならどうにでもなる。あなたみたいにね。
会計官を入れてるあたりは笑ってしまったよ。あなたギャグの才能はあるね。多分。
>参謀副長をリストに入れるのならば、他部署の副長相当官も入れないと公平でないよって意味なんですが。
おいおい 担当官なんて官僚的に考えて、司令部の下っ端レベルの雑用レベルだせ?
まぁそこら辺の問題も多々あって責任を取ったのが部長、副長レベル
さらに儲が言う絶大な功績が 【児玉が何もしてないから、】 乃木司令部にあるはずなのに、
前線指揮を司る人はほとんど解任という異常な事態。
(乃木ですら 解任の審議がなされている)
司令官 乃木希典
参謀長 伊地知幸介
★【参謀副長 大庭二郎】
砲兵部長 豊島陽蔵
工兵部長 榊原昇造
経理部長 吉田丈治
軍医部長 落合泰蔵
伊地知幸介 1905年(明治38年)1月、旅順要塞司令官
★【参謀副長 大庭二郎】1905年1月、後備第2師団参謀長(朝鮮駐剳軍)
砲兵部長 豊島陽蔵 1905年1月、独立重砲兵旅団長に転じ奉天会戦に参戦した
”他部署の副長相当官” って?? なにそれ? 副長担当官なんて
バカな妄言を吐き始めたら終わりだな。尉官レベルが軍前線作戦指導の責任を
負っていたと主張するんじゃなかろうなw
ID:Gkify744Oは ◆kRQ7DyWuRな。
>>561-562 と Gkify744Oの書いている 癖も直ってないし まぁ
色々妄言を吐いている嶽原だからどうしようもないが。
難戦で責任を負ったというのは 乃木が一番負いたかったんだろうなって
思うが、まぁ神様を擁護しようとして責任を回避して上層部に押し付けるのが
バカ儲の痛いところ。
乃木も悪いけどな。ドイツからの帰国論文で兵器云々よりも精神論を掲げるから
どうしようもないけどな。
担当官なんて誰が書いてるかな。
支離滅裂ですね。
今日はもうお休みしてみたらどうですか。
言葉尻揚げるしかもう言う事ないってw
副長相当官って??なにそれw。
主計や技術の専門官たる ”将校”相当官で 部隊の指揮責任を負うなんて
聞いたことないけどw。
どこでそんな得たいの知れない副長相当官なんて 語句を作るの?
説明してもらおうじゃないかw 副長相当官がどんな部隊責任を負ってるのかw
担当と相当を見間違えたならそう言えばいいのに、また自分のミス指摘を相手の揚げ足取りだと批判ですか。
いよいよどうしようもないですね。
豊島の転任は本当に左遷ですか?根拠を示してください。
>副長相当官って??なにそれw。
>>613で
作戦”担当”参謀 白井・津野田
兵站”担当”参謀 磯村・井上
情報”担当”参謀 山岡・安原
が書いてあったので担当官と述べたまで。
それがなぜか Gkify744O にかかると 副長 ”相当官” という得体の知れない
言葉に変化して 責任を負うそうだ。
主計や技術の専門官たる ”将校”相当官で 部隊の指揮責任を負うなんて
聞いたことないけどw。どこでそんな得たいの知れない副長相当官なんて 語句を作るの?
さらに相当官って語句を理解して書いてないだろw
主計の将校相当官で 部隊の責任を負って解任なんてバカな話なんて誰がするかよw
ああするんだ・・・。
これ説明ないんだったら 勝手な造語で 間違いってことでいいか?
いい加減だなぁ。
責任が上よりも無いのだから、留任されようが問題ないってことでOKだろw
豊島が左遷って誰が書いているの? 解任とは書いているけど、どこに左遷って
書いてある? 大体他のも微妙に栄転の形を取ってるのは温情の結果だけどな。
なぜか知らないうちに「大半」といわなくなってますね。今は「ほとんど」ですか。
そのうち「主要な人は」になるのかな。
こうやって目先をコソコソコロコロ変えるのは見苦しいですよ。変えるならどうかその旨をしっかり言った上で訂正してください。
>>627 そうでしたあなたが書いたのは「解任」でした。すみません。
では、責任を取らされての解任とあなたは判断したのだと思う(でなければそこに列挙するわけないからね)のですが、その根拠を述べて下さい。
>>627の前段
まるっきり意味不明です。
全く別の所に書いた語句を勝手に混同したのはあなたのミスでしょう。こちらのせいにしないでください。
__キッパリ
/ヽ /\
/ (ー −)\
( (_人_) )
ノ `-' ヽ
(_つGkify744O_つ
>なぜか知らないうちに「大半」といわなくなってますね。今は「ほとんど」ですか。
>そのうち「主要な人は」になるのかな。
,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
,l l| −'´ll ,l rソi" ヽ じ'' f゙l .,//゙l //\
l`l| l|ヽ v'⌒ヽ .,ノ j/ |l // }
l \ l| ,l l_U> r‐--‐ァ ,l |,l // l
/ '\ l|`l ゝ_,´ ゙ヽ__r′ .,.' ___l ヽ // |
,l '\ l| .lヽ__lL..,,, __ ,, _イ___./ | ∨/ ,}
| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
| l ,l ヽ \// l \ /
ヽ | \. ヽ / l ヽ /j
>>613で
作戦”担当”参謀 白井・津野田
兵站”担当”参謀 磯村・井上
情報”担当”参謀 山岡・安原
が書いてあったので担当官と述べたまで。
それがなぜか Gkify744O にかかると 副長 ”相当官” という得体の知れない
言葉に変化して 責任を負うそうだ。
主計や技術の専門官たる ”将校”相当官で 部隊の指揮責任を負うなんて
聞いたことないけどw。どこでそんな得たいの知れない副長相当官なんて 語句を作るの?
さらに相当官って語句を理解して書いてないだろw
主計の将校相当官で 部隊の責任を負って解任なんてバカな話なんて誰がするかよw
ああするんだ・・・。
わずか数日のやりとりで剥がれる化けの皮…たあいもない
|/-O-O-ヽ| .。oO ID:Gkify744Oは ◆kRQ7DyWuR
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ (; )
>>561-562 と Gkify744Oの書いている
. \\ \ / ヽ. 癖も直ってないし
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ 色々妄言を吐いている嶽原
. _/ ヽ \ ( ; ) だからどうしようもないが。
粘着質な3分間書き込みしてる御仁に言われてもな。
628 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/09/22(火) 21:03:43 ID:Gkify744O
629 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/09/22(火) 21:09:42 ID:Gkify744O
630 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/09/22(火) 21:12:26 ID:Gkify744O
早いところ ”副長相当官”なる 得たいの知れない言葉を説明してくれよ。
副長レベルの責任を負ってるにも関わらず 留任したから 大半が解任されてない
って言いたいのだろ??
まったく説明が無いところを見ると、単に持論と違う意見に脊髄反射するだけの
存在ってなるぞーw
大江志乃夫先生がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
久し振りにレスが伸びてると思ったら、まーたキチガイAA太郎が暴れてるのか……
大江さん、亡くなったんだね。
日露戦研究の第一人者であることに異論はないし、その大きな功績を認めるのにもやぶさかではない。
しかし何というか、正直ホッとした気もするな。
つい一二ヶ月前くらいに朝日新聞にインタビュー記事が載っておりましてお元気そうだったのですが。
肺炎ということで急死なのかも知れません。80と少し、もう少し長生きして頂きたかった。
質問を郵送すると多少時間かかってもお返事頂けて、残念なことです。
コンニャク判どうなっちゃうのかなあ。
思想的にはぜんぜん賛同できなかったし、「?」と首を捻らざるを得ないようなヘンテコな学説もあった。
でも、大江さんのおかげで色んな一次資料の存在を知ることができたのも確かですね。残念
桑原氏や別宮氏、兵頭氏とも対談して頂きたかったですね、個人的には。
お悔やみ明けて話戻るけど
「乃木でなければ」は仮定の話と切り捨てた太郎だったが、自身のいう「乃木でなくても」というのも
仮定の話というのを気付かずに無様なブーメラン喰らったのは笑えたが、今月号の歴史街道にも同じ
ような話が載っていましたよと。
|/-O-O-ヽ| .。oO ◆kRQ7DyWuR =621
| . : )'e'( : . | 参謀副長をリストに入れるのならば、
~`--=--'~ 他部署の副長相当官も入れないと公平でないよって意味
/ 信者 \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ (; )
>>561-562 と Gkify744Oの書いている
. \\ \ / ヽ. 癖も直ってないし
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ 色々妄言を吐いている嶽原
. _/ ヽ \ ( ; ) だからどうしようもないが。
>599 だから、乃木でなければ陥落しないという【仮定】は意味がない。
乃木でなければなんてのは仮定だからね。
だから
>>596の意見は詭弁と申したまで。
さらに陥落後、勝者たる司令部の大半は解雇された事実をどう取るか。
だれがやっても 苦戦をし陥落させたという評価が妥当だと思われる。
司令官 乃木希典 ← 解任も提議された。
参謀長 伊地知幸介
★【参謀副長 大庭二郎】
砲兵部長 豊島陽蔵
工兵部長 榊原昇造
経理部長 吉田丈治
軍医部長 落合泰蔵
伊地知幸介 1905年(明治38年)1月、旅順要塞司令官
★【参謀副長 大庭二郎】1905年1月、後備第2師団参謀長(朝鮮駐剳軍)
砲兵部長 豊島陽蔵 1905年1月、独立重砲兵旅団長に転じ奉天会戦に参戦した。
話題すり替えご苦労様
|/-O-O-ヽ| .。oO ◆kRQ7DyWuR =621
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ (; ) いや妥当としてあげてるんだが・・・
. \\ \ / ヽ. 単に乃木はお飾りで白襷隊やらバカな作戦を実行させた
. \\ / .| | | とかで指導者に向いてなかったという評価もあり。
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ 色々妄言を吐いている嶽原
. _/ ヽ \ ( ; ) だからどうしようもないが。
>>596の乃木でなければという【仮定】は意味がない。
さらに実施した者でしか評価しないのであれば、絶対評価で何の批判も許さない
ということであれば優の評価もできない。 あれだけの損害、児玉からの督戦、天皇からの
勅語、多数の批判が存在してるのだからね。
WW2の赤軍の緒戦の大敗やクリミアでのパラグラヴァの戦いなども 参加者でなければ
批判は許されない姿勢らしいw
信者らしい 意見だね。
>>638 俺も立ち読みしたよ。
>>274あたりの記事とはえらい違いだった。
司馬さんの小説がすっかり否定されててワロタ。
流石は渡辺昇一といったところか。
立ち読みすか。では立ち読み出来ないブツはいかがでしょう。文藝春秋12月臨時増刊号「『坂の上の雲』と司馬遼太郎」
240ページで1000円とお買い得です。
司馬氏の講演二つが掲載されているのはよいですね。別に初掲載物ではありませんが資料探す手間が省けます。
70年代のものと90年代のものですが、70年の頃はともかく90年過ぎになってもこんなこと言っていたのかと唖然としました。
で、この講演のあとに半藤一利、秦郁彦、原剛、戸高一成、松本健一ら五氏による座談会です。
このスレ的に注目の話題もありまして、原氏の独壇場です。もうね、講演のなかで司馬氏が言っていた事がガラガラと。
本の構成上どうなのか。
他では、広瀬中佐の遺体引き揚げから埋葬までのビデオ?画像があり、驚きでした。ロシア側からの資料などがこれからも色々出て来るのでしょうね。
あ、グラビアもツボを押さえていてなかなかでした。
コンビニコミックでその時歴史が動いたが出ていた。
日本海海戦と203高地+αで、ほぼ番組通り、多少のアレンジ。
番組の終わり方(鉄血のアレ)に違和感あった私的にはこちらの方が良かった。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 20:36:58 ID:Rp7XRPT6O
「有坂銃」単行本化記念アゲ
203高地は要は日露戦争のベルダンだったのですか?
砲撃のみで陥ちた要塞はほとんどなく、肉弾による消耗戦が要塞攻略の主軸になのは間違いない。
そういう作戦は兵を大事にし、兵の士気を保ち続けられる名将でないと維持できないので、旅順は乃木で
なければ落ちなかったというのは可能性としてはあり得る話。
芥川龍之介の「将軍」のモデルって乃木なの?
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 10:28:59 ID:Uj9YBe05O
もし 第三司令部に
土方歳三が居たら、あれ程激戦に成らなかったよな!??
最初から半年かけて陥落させる計画で行けたなら、無駄な死者は
少なくて済んだとは思う。
坂の上の雲 のクレジットに、原剛さんの名前があったね
そんなに原作に忠実というわけでもなさそうだし、
旅順攻略戦の描写も司馬史観べったりでなく、ちゃんと近年の研究を反映するのだろうか?
652 :
花:2009/12/01(火) 07:03:07 ID:okD4G9VT0
@砲撃のみで陥ちた要塞はほとんどなく、肉弾による消耗戦が要塞攻略の主軸になのは間違いない。
Aそういう作戦は兵を大事にし、兵の士気を保ち続けられる名将でないと維持できないので、
B旅順は乃木で なければ落ちなかったというのは可能性としてはあり得る話
@当初の作戦では砲撃の後、数日で陥落させる作戦であり、消耗戦が前提ではない。
A実際兵の士気は保ちえてない。兵を大事にするということと肉弾による消耗戦は矛盾している。
さらに 第3軍司令部の作戦は的を得ず、数ヶ月間に渡り兵を浪費し続けた。
B結果として消耗戦になっているが、乃木が行った総攻撃は消耗戦前提ではない
乃木で無ければという仮定を完全に可能性を否定するためにキテレツな内容にしたのか??
どっちかと言われれば
>>653の方が奇天烈な件について
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 16:06:04 ID:swPKbFyO0
>>653 >@当初の作戦では砲撃の後、数日で陥落させる作戦であり、消耗戦が前提ではない。
これが間違いの元だろう。
日清のときに楽に落とせたから今回もすぐ落とせっていうのが、そもそもの乃木無能論の元になってるよな。
これは大本営も、第3軍も本格的要塞戦の経験がないから当然だが、
誰がやっても、あの犠牲は出たし、児玉が最初からやってたら、士気崩壊して逃亡兵が続出してたと思う。
損な役回りを、言い訳もせず、自己弁護もせず、乃木は負ったんだ。
実際には第三軍にも自傷兵がかなりいたらしいが、部隊ぐるみで反乱とか逃亡したわけじゃないからなあ
むしろ乃木だからこそ、その程度で済んだといえるかも
児玉が指揮してた場合の旅順戦をシミュレーションしたほうがいいかもね。
>>657 >部隊ぐるみで反乱とか逃亡
日露戦争で他にそんなことあったんですか?
生き証人残ってるのかね?
うちの爺さまも逝ってまられたし…
>>659 日露戦争ではなかったんじゃね
WW1の西部戦線ではかなりあったようだが
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 過疎スレで14時から捏造臭のあるレスがツヅイトルノォ・・。
`ヽ_っ⌒/⌒c
日露戦争で一番ひどい損害を出したのは第3軍。さらに一瞬に大量の捕虜を出して後日問題に
なったのも第3軍。士気喪失も他軍の比較にならない。
満州熱がひどかったのも第3軍で 第2回総攻撃時に突撃部隊の背後に督戦隊をつけなければ
ならなかったし、第3回総攻撃時の攻撃時も確保の方法がなされていない突撃が行われた
部隊もあった。
日露戦役における大和魂と将来 P161においては「不祥事頻発せしが察するに臭物に蓋式
手段を講じ攻囲軍の名声を毀損せざらんと糊塗したりしが幸に開城予想外に早く士気喪失絶頂に
達せざるに先んじ肉弾戦を止むるを得た」ので軍紀崩壊をくいとめることができたと述べてる。
さらに日本軍全体で対上官罪は軍法処分111名 検察処分は113名
詐病自傷免疫を図ったもの 軍法処分49名 検察処分は 69名
当時の日本軍の性格としてまだ身分制による差がそれほどひどくなかったので部隊毎に
反乱するというのは在り得なかった。 WW1の反乱の特質を述べることなく、日本軍の
それと比較するのは暴挙だね。
上記のWW1近い事例は 大阪の病院における、士官と下士官との差別による反乱くらいかね。
>>662 で、聞きたいんだが、旅順攻略戦の指揮官に向いてるのは誰かね?
また、こうすれば旅順は犠牲も少なく落ちたという作戦もついでに聞きたい。
一番苛酷な戦場を担当したということだ。
だから
AA太郎を相手にするなよ
時間の無駄だ
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 01:46:31 ID:VZPrY3mpO
謎の参謀「御厨太郎」を第三軍参謀長にすれば楽に落ちたんじゃね?
実際に軍司令官は飾りです 偉い人達にはそれがわからんのです
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 03:03:46 ID:Vu5r4XRlO
>>662 まさかWWIでヨーロッパの兵士が、身分での差別や待遇への不満から反乱や脱走をしたと考えてるの?
決定的な反乱はフランスとドイツの陸軍、ドイツの海軍で起きたが
原因は何度も攻撃が失敗して、その度に十万近い死者と倍の負傷者を出して
それにも関わらず成功の見込みも無さそうな攻撃を命じられたから。
作戦が成功しそうも無く、命をかけても得る物は無いと感じれば兵士は戦えない。
|/-O-O-ヽ| .。oO ◆kRQ7DyWuR =ID:qcieNxm00
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ (; ) いや647の頓珍漢な意見に何も言わないのかねぇ・・
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ 兵を大事にするといいつつ 無計画な
. _/ ヽ \ ( ; ) 突撃計画と督戦隊というのは 矛盾しないの?
日露戦役における大和魂と将来 P161においては「不祥事頻発せしが察するに臭物に蓋式
手段を講じ攻囲軍の名声を毀損せざらんと糊塗したりしが幸に開城予想外に早く士気喪失絶頂に
達せざるに先んじ肉弾戦を止むるを得た」ので軍紀崩壊をくいとめることができたと述べてる。
って既に書いているンだけど・・・???
少なくとも、児玉来順してから、攻撃地点への攻撃計画が見直されて目的を達成できた事実
これを基準に考えるべきだが、まぁ 認めないだろうね。
第3回総攻撃時の白襷隊と児玉来順以後の作戦計画との比較とかしてみたらよくわかる。
旅順港砲撃なら大孤山を占領した時点で可能
大孤山からの砲撃をうけ旅順艦隊はウラジオに向かう事を決意
1904年8月10日に連合艦隊と遭遇し黄海海戦が発生した
対して203高地占領は1904年12月6日
つまり203高地の観測所設置による勝利説は成立しない
攻撃計画の変更は第1回総攻撃と第2回総攻撃で最大の変化を見せている
旅順要塞は堡塁間を塹壕でつなぐため戦闘の実態は塹壕戦
乃木は第2回総攻撃で対壕作業を本格化している
要塞の兵力が要塞維持に必要な数を下回ったため旅順は陥落した
兵員補給の無い孤立した要塞は敵を消耗させる事が重要
>>668 で、聞きたいんだが、旅順攻略戦の指揮官に向いてるのは誰かね?
また、こうすれば旅順は犠牲も少なく落ちたという作戦もついでに聞きたい
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 14:01:00 ID:xPJa2J81O
AA太郎
テラカワユス
>>669 ・対して203高地占領は1904年12月6日
つまり203高地の観測所設置による勝利説は成立しない
・要塞の兵力が要塞維持に必要な数を下回ったため旅順は陥落した
兵員補給の無い孤立した要塞は敵を消耗させる事が重要
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) 黄海海戦後に旅順艦隊が壊滅したという確実な情報は得られてない
`ヽ_っ⌒/⌒c 以上、砲攻撃続行は仕方ないんだが・・
史実の日本軍が黄海海戦以後、12月以降も砲撃を続けてたのは
なぜか じっくりと考察してみたら?
第2回総攻撃時に督戦隊を編成したし、なぜしなければいけなかったかの考察もね
さらに、一番ロシア軍の損耗が激しかった戦いが203高地の戦いなんだが・・・。
>>670 総司令部 大山巌、児玉コンビ(以下参謀部員) 第一軍黒木 (藤井、松石以外の参謀部員) 第四軍 野津、上原コンビ(参謀部員)
残念ながら 第二軍の参謀部員は天狗になっていた為か第三軍の参謀員と同様、手抜かりも多く 臨機応変に対応できずに同じ失敗を繰り返した可能性はある。
督戦隊の存在はそもそも事実なのか?
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/13(日) 21:41:47 ID:Vu5r4XRlO
>>668 無計画な突撃も何も
徹底的な砲撃の後、鋼の精神力を持つ日本兵が十分な兵力で突撃するわけで、セオリーとしては正しいだろ。
結局は消耗戦に持ち込むしか手は無いと思うぞ
>>672 総司令部なんて全期間通じて無能の極みだろ?論外
>>672 児玉は確かに天才的なところがあるけど、腰が軽い。
あの泥のような消耗戦を続けられるのだろうか?
臨機応変、常に変わっていく状況に合わせて戦術を変化させていくのは得意だけど
あの要塞戦では明らかに向いてない人物。
パターンとしては、奇策に走って、単に時間を浪費し、そして万策尽きて、最後は全力正面攻撃。
犠牲は同じくらいで、乃木よりも時間がかかったんじゃないかな。
学研M文庫の新刊出てた。
写真が多いのはいいが、というかこの本は写真が売りなんだけど、文庫サイズでは見にくい印象あり。体裁の問題か、編集の問題か、なんかなあ。
細かい所では、199ページの28珊榴砲の飛距離がかなり恣意的におもえた。地形の影響かとも思えるが平射するわけでないしなあ?
編集部に質問してみるつもり。
児玉は特殊部隊みたいなの作って爆破工作とかしそう。
考察はしてくれなくてもいいよ
↑なんだこれw
お馬鹿すぎ
大本営なり満州軍総司令部が、最初からある程度の攻略期間を与えてくれてたら
正攻法の坑道戦術で前線を突破する策で行ったでしょ。即効攻略を命じられたら
どんな将でも強襲策で行くしか選択が無いと思えるが。
となるとやはり強襲策は海軍のせいだな
標高200メートルというのは印象としてはかなり低い。小さな丘という程度。
険しいかなだらかかという話じゃないよ、いつだったかこれでバカバカしい話になったから念のため。
海に近いところで適当に見合う山がある環境なら、わかると思うけど、この程度の小山が海上から目立って見えたというのはどうも信じられない。
考察はしなくていい
w
>>653 上原勇作元帥の弁です。
要塞攻略の研究と訓練を怠ったことが苦戦の原因で、そのような状況下旅順を攻略した乃木を称えています。
そのことを書き記した今村均大将もおそらく同じ思いだったのでしょう。
損害が一番少ない方法は兵糧攻め。本当の意味で完全閉塞して二年も経てば
白旗を上げて降伏するしかないでっしょ。
艦隊来襲の問題をどうするのかね?
>>686 海軍がバルチック艦隊が来る前に旅順を落としてくれと言ったから強硬策に出たんだよ
それも相当早く来るとかウソついて陸軍をせかした
黄海海戦の旅順艦隊に対する戦果が確定していなかったからだっけ?
ただ青島でボロボロになった姿をさらしている
旅順では戦闘に使用する上部部分をほとんど修理できないのである程度は分かってたんじゃないかな
それと旅順に迫って封鎖する方法は機雷にやられてから止めている
その後は通報を受けて出撃
旅順の完全封鎖はリスクが高いとみなされてたから旅順に食糧補給は可能かと
>それも相当早く来るとかウソついて陸軍をせかした
擬似同盟国のイギリスがしっかりと邪魔するなんて保障はないからな。
最悪の事態を想定して 物事は行ったいい事例だと思うが?
ああ 要塞戦の研究とか訓練を怠ったまま、だらだらやり続けた
軍よりはいいだろ。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 23:05:05 ID:2UO7cF190
>>689 急かすのは海軍で、実際に出血するのは陸軍というのがミソでね。
被害を被るのも海軍ならば、そちらの言い分も頷けるがね。
>>689 海軍がウソを言ったと言う俺なりの根拠と消耗戦採用の考えですが
大本営は乃木の第三軍に1905年1月上旬までに旅順を落とせと言ったわけで
乃木は見事に期限内の1月1日に旅順を落としている
強硬策の消耗戦は大本営の要求した期限を考慮したためかと
この1月上旬要求の根拠が海軍
バルチック艦隊が台湾海峡に到達までの時間と説明したらしい
この説明が11月だから第三回総攻撃が大消耗戦になったのは当然と言える
ところがバルチック海軍は10月15日出発から18000海里の航海をしなければならない
一月上旬に台湾海峡に来ると言う事は出発から三ヶ月ということ
たぶん巡航速度は無補給無停泊無停止と仮定しても8.3ノットオーバーじゃないと無理
(巡航速度に関しては日露戦争の20年くらい後に海里が統一される事になるので計算が違うかもしれない)
海軍は旅順艦隊に対する戦果の確認が出来なかったのでバルチック艦隊の出撃を聞いて焦ったんだと思う
だから陸軍に旅順攻略を急がせるために1月上旬とウソを言ったと考えてる
これに拘束されて乃木が第三回総攻撃で消耗戦を決意
蛇足ながらイギリスは思いつく限りの嫌がらせをバルチック艦隊にしているかと
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 07:08:02 ID:oG0HQSXs0
消耗戦するにしても要塞のもっとも強固な正面ではない
はなから203高地中心でやってれば良かった話
>この1月上旬要求の根拠が海軍
海軍だけじゃないよ。陸軍の遼陽会戦でのロシア軍を取り逃がした苦い経験から
奉天での決戦に及ぶわけだが、第三軍の戦力を奉天に集中させるのに必要な
期間が90日
そもそも 乃木は8月末に落とす計画を立てて失敗し、天長節までに落とす計画を
立てて失敗し、第3回総攻撃の203高地攻略前の計画も失敗した。
>大本営は乃木の第三軍に1905年1月上旬までに旅順を落とせと言ったわけで
これの根拠と海軍の言った根拠って?どの時期の発言をご覧になっていますか?
>>685 兵頭二十八さんの「近代未満の軍人たち」に、上原元帥に関する評がありました。
・要塞に対する対壕掘削や坑道爆破の研究は、戦前から座学では為されていた。
ただ、予算の関係上、実施訓練がされていなかった。
工兵の最重要任務は、架橋や野戦築城だと考えられていた。
・海側に面し、食糧の補給が可能な大要塞の攻略など、メッケルのドイツ軍事学では考慮していなかった。
敵野戦軍の速やかな殲滅だけが至上命題で、児玉の「竹矢来」発言はこれを的確に言い表したもの。
・可及的速やかに旅順を攻略しろと命令されたら、上原とて最初は、強襲法を採らざるを得なかったに違いない。
そしてもし仮に第一回総攻撃時から対壕戦術を実施したとしても、ロシア側には内線防御の利があるので、
けっきょく泥沼の消耗戦に陥ることに変わりはなく、速やかな陥落など有り得なかった。
旅順を担当せずに済んだ上原は、運が良かっただけ。
>>693 ロシア軍は塹壕だけでも強いでしょ。203高地は線路から遠いし、泥で砲弾が爆発しなかったり
攻めやすい場所とは思えない
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 09:26:42 ID:oG0HQSXs0
旅順は元から旅順艦隊のために作られた要塞、艦隊を失えば要塞として保持する目的が失われる
結局203高地攻略後の砲撃が原因で旅順艦隊は自壊し、旅順艦隊を失った事による場内の士気の低下と降伏
乃木は相手のわざわざ強い場所を集中的に攻撃し消耗した
>>696 じゃ 東北正面で延々とベトンに対して消耗戦を繰り広げたから正しかったっていうのかw
203高地が泥で出来てたなんて初めて聞いたよ。ドロの状態で塹壕なんかほれるのか??
>>697 >乃木は相手のわざわざ強い場所を集中的に攻撃し消耗した
うーん そこは違うと思う。旅順要塞を甘くみた軍参謀の計画を乃木が承認したのが
問題だと思われ。
前半部分はその通りだと思うよ。
ロシア海軍軍令部『1904,5年露日海戦史』第4巻P27
「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
とある。
こういう事を抜かし、偏向してさらっと述べるのが儲の特徴。
過去の教訓を反省することなく、神様の為に捏造やうそで固めて行く儲が
ここに棲んでるので面白いぞ。
>>699 >前半部分はその通りだと思うよ。
さすがにそれは無い。
>神様の為に捏造やうそで固めて行く儲
司馬信者の事ですね。
>>698 「真説 日露戦争」 加来耕三 (著) で読んだ
別宮暖朗もゲームジャーナルに同じことを書いてた
ベトンは壊せばいいけど、塹壕はどうなんだろう?
いくら砲撃して無駄な気がする
もし児玉が軍司令官だったら、敵の裏を掻こうとして初回から要塞西側に主攻を向けたかもしれんね
でも結局、砲兵火力も歩兵戦力も足りないわ、敵には内線作戦の利があるわで、
史実と大差無い大損害を蒙って撃退されると
>>675のいうとおりだと思う
>>697 >旅順は元から旅順艦隊のために作られた要塞、艦隊を失えば要塞として保持する目的が失われる
意味不明なんだが。
艦隊が壊滅したとしても遼東半島に陸軍の根拠地が健在でありつづける事は重要。
これに同意する人がいるってのも信じられん。たしかに面白いなここは。
>>698 ちょっと角度変えると攻めやすくなる要塞なんてのがあると思ってんの?
それこそ机上の妄想だよ。
>1904年2月で満州里への到着本数は2.1本 5月でやっと6本。
>8月(遼陽会戦)になっても 6.6本であった事実
それっていったい、どこからの引用なんだ?
徳間『日露戦争』を確認したら、こう書いてあったぞ↓
戦役中、シベリア鉄道により満洲里停車場に到着した軍隊輸送列車の本数(1日あたり平均)……4ないし6
同じく、貨物列車の本数(同上)……3ないし5(ピーク時で8.4)
つまり、単純計算の合計で7ないし11。
戦役中の兵員・貨物列車の到着数総合計は5227で、戦役の日数約19ヶ月で単純に割ると、ほぼ9本/日。
「1日6列車」というのは、どうみても過小見積もりなのだが?
まず結論ありきの ”かもしれない”でテキトーなことをほざくから、こうしてどんどん恥をさらすんだろうなあ。
こんな人を信じるほど愚かにはなりたくないねえ。
>>693 >はなから203高地中心でやってれば良かった話
んー、もし仮に第三軍が第一次総攻撃の段階で要塞正面ではなく
搦め手を主攻撃線にする作戦を立案したとして、果たしてバルチック艦隊が
すぐ来ると焦りまくってる大本営なり満州軍総司令部が承認しただろうか。
攻略戦が始まる以前の旅順軽視の本元は児玉なのだし、児玉自身が却下して
改めて正面攻撃命令を出すオチで終わる様な気もするが。
203高地は乃木ですら一度取れてるんだよ
もっとも正面攻撃にこだわってた乃木軍は、203高地方面の戦力は足らずロシア側のすばやい補充で取り返されたけど
>>705 旅順なんて港としての価値しかないでしょ?
日本陸軍も満州の野戦でロシア本軍をつぶせば、旅順なんて無視しても立ち腐れると思ってたから攻略は想定外だったんだし
艦隊あっての要塞でそれを守るための陸軍でしかないし
>>709 >旅順なんて港としての価値しかないでしょ?
でしょ?って同意を求められてるならば、全然不同意だとしか答えようがないね。
艦隊亡き後も重要だったんですよ。開城まで戦いが続いたのがその証明。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/20(日) 02:59:08 ID:EVzmf7I40
>203高地方面の戦力は足らずロシア側のすばやい補充で取り返されたけど
そりゃ、予備兵力があれば投入するだろ。
ロシア人だってバカじゃないんだから、やばそうなところがあればすぐ増援できるよう準備するわい。
>>707 >まず結論ありきの ”かもしれない”でテキトーなことをほざくから、
>こうしてどんどん恥をさらすんだろうなあ。 こんな人を信じるほど
>愚かにはなりたくないねえ。
|/-O-O-ヽ| .。oO
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ (; ) 何を後世からの平均値といういい加減な数値
. \\ \ / ヽ. で結論をだしてるんだよw
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ;) \ ∧_∧ お前はバカかw 虚偽報告したという
. _/ ヽ \ ( ; ) 妄想が念頭にあるんだろ
その本の元になった「日露戦争における露軍の後方勤務」(参謀本部偏)なんだが?
戦争開始直前の露軍の軍事列車のダイヤが7列車であったが、実際は
線路補修、輸送機材の不足から5便も難しかった史実。
バイカル湖南岸線が開通してなかったので 2隻のフェリーがあったが、砕氷能力が
足りずに11月から3月までほとんど不通になっていたという事実から
あの予測数値を出したンだろ?
実際は満州里到着便は 2月の2.2便 3-4月は3.7便程度だよ。
さらに、徳間文庫のP412 野戦軍の補充 の項目もしっかり見て9月に欠員4万
11月に欠員 8万 そして やっと12月第一回補充員8万数千が移送されたが
この後に大量輸送が出来上がってる。
この8月以降のロシア軍の敷設努力を無視して当初から 開通してたような言い方は
どうなんだ? お前は田中や福島の立場で戦前の情報からどういう風に報告するんだ?
それを 虚偽って 決め付け 戦争を行いたがっていたように書く人がいるわけだが
その書いた人の器が 知れるエピソードだよね。
>>703 もっとしっかり全体を読んでみたらいかがか?
P240-241 の独立堡塁を支点として塹壕で線を結んだ陣地という辺り。
支点と支点を崩せば 線も崩れるんだけど、著者はこの辺りは微妙に
勘違いしているかもね。だからその弱い支点を崩す場所を攻めなくちゃ
いけないんだけどねぇ。
>>705 >意味不明なんだが。
>艦隊が壊滅したとしても遼東半島に陸軍の根拠地が
>健在でありつづける事は重要。
まったく意味不明だな。 鉄道や補給線が断たれて、艦隊が壊滅して
艦船による補給も期待できないのに根拠地として役に立つと考える
人がいるようだ。
露軍の給養地点は ウラジオストック軍管区、関東州軍管区、沿黒竜軍管区のみ
ウラジオストック要塞、旅順要塞が日本軍艦隊によって海上輸送の可能性が断たれて
役に立たず、給養は鉄道輸送に限られた事実をもって、旅順要塞の野戦軍の根拠地
としての役目は失ったと断言できる。(補給の観点がまったく抜けてる人には永遠に
わからんだろうね。)
実際、野戦軍の予備糧秣に使えるのは沿黒竜軍管区だけであった。
>>705 7月12日 東郷平八郎から海軍軍令部長に当てた電報
「旅順の敵歓待は昨今艦船の修理に努め、また敵は我が監視を脱し外海に機械水雷を
沈置するの形跡があるが故に我が海上の監視は日を追う手益々困難の度を加ふ(中略)
旅順港の敵は修理を終わり手その勢力を回復するに反し、我が艦船は漸次その勢力を
現ずることとなり、単に旅順の敵艦隊ですら 彼我海上の権衝を失し、全局の作戦上
実に憂慮を堪えず。 必要の修理を加へざるべからず。艦艇の大分は既に入渠後6ヶ月
を経過しあるを以って、塗り替えおよび修理に一ヵ月半を要す。 故にバルチック艦隊の
東航を確認したるときは相当の時期に我が艦艇は当方面をひきあげざれば、之に対する準備
を完了すること能はず。(中略)実情かくの如きをもって刻下我が作戦上の最大急務は
一日も早く旅順を攻略し、上陸軍の後方を安全にし我が艦隊また旅順の敵艦隊を撃破して
新来の敵に対する準備を完了することこれなり」
11月までの日本軍の砲撃の後のロシア当局による観測。
強烈な破壊力をもつ20kg榴弾の射撃がより適切に修正できたなら、ロシア旅順艦隊は
203高地の陥落を待たずに完全に破滅しただろうという事である。(ロシア海軍軍令部
1904,5年露日海戦史」 第3巻P120)
ロシア海軍軍令部『1904,5年露日海戦史』第4巻P27
「日本軍は203高地攻略して旅順艦隊を撃滅し、同艦隊と東航中のバルチック艦隊が
合同する不安を完全に断ち切ったが、このことは同軍が要塞に対して決行した強襲
の際に蒙った重大な損害を十分に償ってなお余りある。」
203高地陥落後の 日本軍重砲部隊の攻撃のあと・・・。
最終的に12/8夕刻 ヴィーレン司令官は各司令官と艦長を召集してセワストポリとバヤーンを
除いて戦闘行動を終了し軍艦旗を降ろして乗員を上陸させることを命じ、ロシア旅順艦隊の
解隊を宣告した。
>「日露戦争における露軍の後方勤務」
ググったら近デジにあったけど、アンタなんで、5月以降の数字を出さないんだ?
自分の主張に都合が悪いから隠そう、ったって無駄だよ。
「直通軍用列車ノ戦役間、西方ヨリ満洲里ニ到着セル景況……(一日平均列車数)
1904.2 2.1本
1904.3 3.7本
1904.4 3.7本
1904.5 6.0本
1904.6 7.1本
1904.7 7.3本
1904.8 8.6本
1904.9 8.7本
1904.10 9.0本
1904.11 10.0本
1904.12 10.5本
(以下略)」
>この8月以降のロシア軍の敷設努力を無視して当初から 開通してたような言い方は
>どうなんだ? お前は田中や福島の立場で戦前の情報からどういう風に報告するんだ?
つまり、戦時における鉄道輸送力増加を、実際より低く見積もってたってわけだろ。
そもそも本格的な陸戦の開始は4月下旬なんだから、まるで話にならない。
児玉や田中らが意図的にやったのでなければ、単に無能だったってこと。
>>700 >8月(遼陽会戦)になっても 6.6本
↑こんなのもさ、判っててわざとやってんじゃねーの?
>>714 艦隊の存在が重要というのは分かってる。
でもだからといって、艦隊亡き後も根拠地の存在は重要だったわけだよ。
艦隊撃滅をもってよしとならず開城まで戦いが続いたのが証拠。
まああなたの引用文は無意味って事だ。
ぐはっ推敲したらかえって変になった。
>だからといって
を抜かないと意味がとおらないです。すいません。
>>715 はぁ? 戦前の作戦計画は1年もの計画を立ててたわけじゃないぞ??
当初の予算は陸海合わせても2億程度だったし戦後の結果だけをみて 話をするなって。
2月6日に国交断絶の電文を送ってるのだから 本格的な陸戦が4月。。。なんてそれこそ後知恵。
何を 結論ありきの自説を こり固めてるの??
建設途中だった東清鉄道とシベリア鉄道がいつ完成するか不明で
戦中時の数値を読めなかったから
【虚偽】 って言われるのは酷だろ。
明治 33-36年にかけて建設が進行したウラジオストック要塞、旅順要塞、旅順港、
シベリア鉄道に東清鉄道。 未完成状態をひたすら偵察してたわけだが、ここら辺りが限界
だったと認識すべきなんだけどね・・過大な期待をしすぎだろうに。
実際 2月までは2.2便だったし数ヶ月は 6便から7便程度。完成してからのロシア軍の
さらなる努力によって便数が増えたことを完璧に予測するのは当時の日本軍からは困難だろ。
第1期作戦の遼陽会戦までにモスクワ管区の軍が送られてこないという想定は外れたのか?
ほとんど送られて無いぞ・・ロシア側は欠員だらけだったわけで・・
P264の8月と7月と読み間違いでしたこの点は申し訳ない。
でもな 全体の統計の平均値をいきなり出して割って断定するのは愚かだぞ。
>>716 艦隊壊滅後も、海軍根拠地として旅順は必要なのは判るが・・
>>705の【陸軍根拠地】ってのはどうかと思うけどね。
考え方がずれてる。本当にずれてる。
>考え方がずれてる。本当にずれてる。
て言うか、話がずれる方向に拍車をかけてワザと楽しんでだろう。
根拠地ってのがお気に召さないなら別にどんな言い方でもいいよ。要塞を指して陸軍根拠地と表現したまで。
考え方がずれてるとおっしゃいますが、まあだから論争になるわけで。お互いに思ってる事だよ。
>>721 要塞だから陸軍根拠地て考え方はヤメイ
伊予要塞や関門海峡の要塞は 陸軍根拠地じゃねーよ。
その調子で、肝心の旅順要塞についても言ってみようか。
>建設途中だった東清鉄道とシベリア鉄道がいつ完成するか不明で
>戦中時の数値を読めなかったから
>【虚偽】 って言われるのは酷だろ。
だから、「虚偽」でなければ「無能」というわけでして
開戦後半年の段階で既に予想の五割増しなんだから、明らかに読み違いでしょう
あれこれ言い訳したってしゃーない
兵頭さんは前者だといい、アンタは後者だという
果たしてどちらが真実か、確かめる材料を私は持たないが、アンタの今までの言動をみるに、
どっちの説をとるかはいうまでもない
ところで、NHK大河のHP
>正面攻撃を敢行した第一次総攻撃は、六日間で千五百六十人の死傷者を出し失敗に終わる。
おいおい……桁が一つ間違ってるぞ。
こんな有様じゃ、下手な期待はしない方がいいな orz
>>724 兵頭は
>P7で 若い作戦参謀の田中義一に<ロシア軍は一日6列車 2ヶ月で23万人しか満州に
>送り込めないという過少計算をさせてついに元老たちからOKサインをとりつけた。
>この虚偽の見積もり値と戦史の実数とのギャップを・
と書いている。 虚偽じゃなければ無能というが、開戦直前の露軍のダイヤ
も7便で 実際は5便も出来てなかった事実はなんとする?そして開戦2ヶ月で23万人も
送れてないぞ・・・。
>>712にも書いた通り、
徳間文庫のP412 野戦軍の補充 の項目もしっかり見て9月に欠員4万
11月に欠員 8万 そして やっと12月第一回補充員8万数千が移送されたが
この後に大量輸送が出来上がってる。
2ヶ月で23万人しか満州に遅れないって1904年12月まで実際の補充はそれ以下だったわけで。
過少計算させたとか 虚偽の見積もり値 とか そういう” 捏造”は良くないだろ。
大体 徳間文庫など他の本で読んでるのだったら、ちょっと疑念に思うだろw
まぁ 兵頭の言ってることを真に受けるなんてねぇ。解す程度にしておけばいいのに。
>>722 あれ?肝心の旅順要塞についてはまだなの?
そもそも「旅順要塞は陸軍の根拠地ではない」というのなら、陸軍の根拠地たる条件って一体なによ?
>徳間文庫のP412 野戦軍の補充 の項目もしっかり見て9月に欠員4万
>11月に欠員 8万 そして やっと12月第一回補充員8万数千が移送されたが
それは全部、新規増援部隊を除いた、「既存の部隊に対する欠員補充」分の兵員の話、だろうが
なに頓珍漢なことを書いてんだ
あんたやっぱり、「虚偽」を承知でわざとやってるな
でなきゃ、こんな単純な読解すら出来ない「無能」だよ
他人のことを云々いう資格無し
>>726 >>713にすでに書かれているけどね。 納得しないのだったらそれでいいよ。
バカが増えるだけだから。
>>727 それでだ。新規増援兵力も含めて 2ヶ月で23万人以上 満州に送られてきたのか?
何を頓珍漢って お前も各資料の意味を理解してないのか??w
増援が送られないとか 動員されないなんてまったく書いてないぞ
・ロシア軍が日本軍に比べ戦力の集中に欠けるという情報を示したに過ぎないんだけどねぇ。
大体、あのタイミングを逃したら、どうなるのかという想定もないのか?
平和ボケもここまできたら見事だよ。
あのシベリア鉄道が完成していない時点での 田中の状況分析は正確だし、
虚偽でもなんでもない。それを虚偽というのは なんらかの意図があるとしか思えないが。
その意図の結果、どういうタイミングでの開戦が良かったのか、しないほうが良かったのか
という 議論のタネができるが・・・ そこまで調べる気もないんだろうね。
>>728 戦時中なんだから補給が困難になることだってありえるというだけの話だろそれは。
その時点で補給困難になっているだけで、陸軍の根拠地であることに変わりはない。
なに馬鹿なこといってんのかね君は。
下関要塞が陸軍根拠地でないって?馬鹿窮まるね。ちゃんと調べないで適当言ってるのがまるわかり。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/21(月) 08:32:27 ID:WXAF+P8k0
みんなも見てるだろ、上野雲w
犬HKの偏向は凄いなw
日清戦争なんか日本軍が退却する場面だけで終わりwwwww
海戦も日本が負けたみたいな描写なのに清国兵の見殺しだけはしっかり放送。
竹中の小村寿太郎もあからさまな東夷野蛮…
本木が出る犬HKって、聖徳太子もそうだけど特アマンセーばっか。
露西亜と戦うときは勝利モードがガンガン映るだろうけどなwwww
>>713 突然何言ってんの?
泥の話はどうなんったんだ?
昨夜の坂の上の雲で日清戦争時は簡単に旅順が陥落したエビーソード
は入れておいて欲しかったなと思った。
あの規模の要塞落とすの、すげーしんどいな。
>>730 陸でも海でも日本軍が大苦戦しているようなシーンは延々と流すくせに、
勝った場面は一切無く、ナレーションで済ますだけ
黄海海戦を丸々カットとか、何の冗談かと思ったよ
今までが凄く良かったので期待しちまったんだが…
所詮は犬HKだったね
坂之上の雲 特亜マンセーか? あんな 糞尿の中国の町の表現とか
万国法に暗い中国の政治家やら、中国人が愚かな表現が多かった
気がするが・・・
旅順要塞自体が重要なら
当初攻略目標から外されてるのはおかしくないか?
そりゃ、当初は児玉が旅順なんぞアウト・オブ・眼中だったから攻略予定が無かったというだけ
結果として要塞の存在自体も、それに付随する軍事・政治的な各種要素も極めて重要だった
別に二つに因果関係があるわけじゃない
>そりゃ、当初は児玉が旅順なんぞアウト・オブ・眼中だったから攻略予定が無かったというだけ
それを言うなら、第2軍の遼東半島上陸も予定にはなかったよ。
朝鮮半島防衛が第一目的だったので。
第三軍を設営して旅順要塞を攻略させようとしたのは田中義一だけど、彼の
ロシア増援の予測にかなり自信があったんだろうね。
こう書くと、また何か沸いてくるんだろうな・・。
>坂之上の雲「日清開戦」
この中で旅順要塞の攻略時の場面で 大山が作戦を出す前に乃木が意見を差し挟んで
しまって 大山より悟らされるシーンがあった。 猛将で一本調子の印象を描いてるね。
これは間違いなく 日露戦争時の場面で愚将的に描かれる感じだな。
どうするんだ?NHK
>>783 おやお久しぶり。
ではたまっている質問を無視せずに答えてくれないか?
誰に向かって話しをしてるのかわからんが・・
溜まってる質問って? あまりにもバカバカしいから無視してただけだよ。
まさか203高地が泥でできてるとかバカな話をするんじゃないんだろうね。
下関に 第5師団とかの根拠地があるとかw
兵站とか、ディーポとか そういう観点がない人に話しても面倒なだけだからな。
納得しないだろうし。
それでだ、旅順攻略の予定はなかったが、遼東半島上陸の予定は明治36年
まであったか?
陳腐な言い訳見苦しい
師団司令部がなきゃ根拠地でないのか?
とりあえず
>>726に答えてくれないかな。
泥の話とか別の人のは関知しないんで。
>>742 >>728 で答えてるし、納得できないならそれまでで終わってます。
説得する気も 議論する気にもなりません。
補給の観点を抜かしてああだこうだと話されても ハイハイって感じでね。
どこの部分が答えに当たるのか指摘してくれませんかね。
他の話が混じっても困るんだわ。
>>744 そっか。で?
レス番を書いているが、それすらも無視するんだったら、何回も同じことを書く羽目になるな。
それであなたは 下関要塞も 要塞だから陸軍根拠地って言い張るんでしょ?
別に説得する義理もないしなぁ。
同じ事書く必要はないですよ。
答えてるっていうのなら、>使った引用で済むからさ。
仲良しですね。
答えているという箇所を尋ねてもレス番しか示さず、引用で示すことも出来ない。
例えて言えば、解答用紙にグチャグチャ色んな話題を混ぜて書き連ねて、これで答えた事になると勘違いしているようなもの。
そんなのが世間で通用するものか。
これが少人数で話している場ならハイハイそれで?ってなもんだが、ここはまがりなりにも公開の場所だ。
馬鹿なレスには異論つけとかないと勘違いする人が出て来るかも知れんし、関わった以上仕方ないんでレスしてるだけだよ。
議論する気がないならこんなとこに来るなよ。日記にでも書いて自己完結して、周りに迷惑かけないようにしてくれ。
>>740は、下関要塞の事を話しているのに第五師団がどうとか、基本的な所からでたらめ、お話しにならない。
下関が山口県だからって広島第五師団管区だろうと早合点したのが見え見えだ。
下関要塞は関門海峡の本州側から九州側に及び、重要都市として下関市、門司市、小倉市などが含まれる。
小倉は第十二師団司令部所在地であり、当然下関要塞は第十二師管区に位置する。
>下関に 第5師団とかの根拠地があるとかw
下関要塞地帯内に第十二師団の根拠地がありますが何か?
背伸びして兵站がどうとか言えるレベルじゃないよあんた。
保守
>>748 誰に対して書いているのかレス番も示さず、
この人は引用元を理解することも不可能らしい。補給の概念がないだろうしどうしようもないなw
>>4から指摘しているが、機密をうがった見方をして捏造したり。
乃木の日記を無視してまで結論ありきで物事を見たり。
>>99 当時展開中の砲兵隊も予備にしちゃうのは頭が不自由にも程度ってもんが
ってバカな発言をしているし(突っ込み
>>106 >>375 <セワストポリ>が港外に脱出したとき、残っていた砲は(主砲を除くと)
2インチ砲×3、75ミリ砲×2 だけだった
(レンガード「剣と花」)
>>511 の軍司令部から第7師団に移す 命令や配置の流れとか理解していないし。
バカなレスにはとことん付き合わないとね。
>>749 |/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
要塞だから陸軍根拠地という 結果論を 導くために下関要塞”地帯”も小倉師団司令部があるから
陸軍根拠地って事で 言いたいんだね!
なんで嶽原が住んでたる近くの下関要塞地帯と 伊予を出したかわかってなかったようで
ほっとしたよw 要塞だから陸軍根拠地って説をぶっていた人がいたけど、他人の振りも
してないようだから、本人確定でいいよね。
要塞だから陸軍根拠地だから、伊予も対馬も津軽も陸軍根拠地なんだ。
ふーん 勉強になるねー その結果ありきでどういう論が導き出されるか 見ものだよw
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・)
`ヽ_っ⌒/⌒c
伊予要塞など各種要塞はかならず陸軍根拠地が存在するわけではないw。
要塞というのは 海軍の根拠地などや交通、都市を含む 重要拠点を守るためであって、
根拠地が必ずあるわけではない。
だけど 彼は 要塞は陸軍根拠地だから って言い張っており、それを示すために下関
要塞地帯で論拠を示したわけだが、それがいかに ”詭弁”に満ちたものか判ると思う。
あ?第五師団のひとが何か言ってますかね?
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 01:29:08 ID:BLW7AVd00
旅順口の一般公開が拡大
今日の朝日新聞一面
管区すら間違う人間が要塞のなんたるか、まして補給を語るか。
どんなお笑い芸だよ。おとといきやがれ
|/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
ハイハイワロタワロタ
馬の耳に念仏
AA太郎に正論
時間の無駄だよ、相手にするだけ
ほっとけほっとけ
時間の無駄だし容量の無駄でもある
まあ躾の悪いポストペットとでも思って諦めるべし
|/-O-O-ヽ|
| . : )'e'( : . |
~`--=--'~
/ 信者 \
嶽原◆kRQ7DyWuR
>なんで嶽原が住んでたる
なにこのストーカー気質まじキモイ
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/15(金) 23:33:32 ID:kuwLscS/0
坂上ファンです。
歴史群像シリーズ24も読みました。
次に、旅順攻防戦の真実(別宮暖郎氏)を読み始めたのですが、
どうも司馬の揚げ足とる事が、主体で、議論の中身がめちゃくちゃだと思いますが(歴史の時間軸がバラバラで、)
陸大では本当の事を教えないとか、書きながら、(乃木は優秀だった)みたいな事を陸大が書いてる事は鵜呑みにしてるし、
合理性を欠いてると思うのですが、どうでしょうか?マジれず希望です。
まじレスすれば、坂上からスタートしてしまった時点で残念としかいいようがない。刷り込み・先入観は容易に拭いがたいものだ。
さらに今となってはカビが生えたような古いナンバーをわざわざ選択した時点でかなり運が悪いといえる。きれいさっぱり忘れてナンバーの新しいものを再読すること。
とどめは別宮本というチョイスに及んではもう何も言えない。
相当に運がないと思う。ご愁傷様。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/16(土) 00:25:57 ID:1KtfS0ao0
>>764 レスどうもです。坂上なかったら、歴史群像も買う事がなかったですが、別宮本はついでで、Amazonで買いました。
中身見ないと本てかっちゃいけないなあ(笑)新しいそうなん探して読みます。
助かりました。ありがとう。
歴史群像シリーズ特別編集
決定版図説日露戦争 兵器・全戦闘集
がお勧めです。
別宮本って売れてるの?あんな読みにくい本が。あと問題あるのは柘植本。読みやすいが内容陳腐でだめ。
>>766 売れてるかどうか不明ですが、Amazonのレビューが良かったのでかってしまいました。自分は頭はよくないので、ゆっくりしか読めない。だから絞ったつもりだったんですけどね(笑)
オススメ本まで教えてくれてありがとう。
あんたいい人だね。
>>767 色々な本をボチボチ 読まれるといいですよ。
所詮 坂之上の雲や司馬を批判! 糺す!とか・・坂上に寄生しなければ
世に出てこれなかった本が多いのですから。
言語的寄生虫 は 観察する程度に収めておいてゆっくりと明治期の苦難、苦労、
そして 失敗の数々と 成功など かみしめてくださいな。
大江氏の本は冷静に見れてるので面白いですよ。
でもここはある人やその人が指揮した軍の批判や失敗を許さない人がいて
その人を批判すると 火病る人がいるので 面白いよ。 ご愁傷とか言ってる人なw
批判を寄生呼ばわりする感性…病院行ったら?
>(乃木は優秀だった)みたいな事を陸大が書いてる事は鵜呑みにしてるし、
こんな箇所あったっけ?
別宮さんは確かに頭は良いしもの凄く博識なんだが、ちょっと論理が飛躍しすぎるところがあるのが難だと思う。
首都圏在住だったら、青山の乃木神社に行って『名将乃木希典』という本を買ってみるといい。
司馬さんがいかに大ウソこいてるかよく判るだろう。
坂の上の雲のファンってだけでもう気持ち悪い
文藝春秋増刊 「坂の上の雲」と司馬遼太郎 って雑誌には
各界を代表するファンの方々が熱い想いを語ってくれているのですが、
小説の内容を現実と勘違いしている方が多くて見てらんない
売れてるの?って言ってて何だが、別宮三部作全部持ってます。
最新作での、司令部が遠いってのは満軍総司令部のことだろって指摘には思わずガッテン三叩き。
マンネリ化しつつあるこの類の書籍群中では、刺激を与えてくれる貴重な存在ではある。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/16(土) 12:13:11 ID:1KtfS0ao0
>>768 レスサンクス。
自分は病院に入院していた時に、おばあちゃんが「死んだじいちゃんが読んでた本だ」
っ渡されて読み始めたのがきっかけですから。そこは何とも言えませえん。
大体、日露戦争なんてそれまでまるっきしなんだか全然しりませんでした。
(時々テレビに映る、あの大きな大砲何?ぐらい程度の)
203に関して疑問におもったのでちょっと手をだしてみようかと思いまして。
・乃木さんが無能かどうかはどうでもいい。
(乃木は統帥だけしておけばいい、といいながら結局乃木をたたいている)
・第4軍の司令官の野津が仮に第3軍の指令官だったならば、果たして同じ作戦をやったのかどうか
(野津は、前時代的ながら大砲については詳しいので伊地知の意見など、耳をかさないのではないか
現に、野津は田原坂の戦いで、大砲の運用について面白い使い方をしている
・203は児玉が落としたと言っているが、その前の総攻撃で203をそうとう圧迫しておっり、
ロシア側もかなり参っていた。つまりはあの時点で児玉がこなくてももうひと押しで占領を確実にできたのではないか。
(水兵まで投入)
・大本営は、事前に旅順の情報を収集していない(難しかったとはいえ、もう少しなんとかならんかったのか)
初期段階において具体的な作戦プランをまったく立てていないのは不可解だ。
(いきなり現場行って状況みて作戦立てろってことですか?野戦じゃなく要塞戦ですよ)
とおもったからです。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/16(土) 19:48:17 ID:X/Rm1ICV0
>>769 批判?違うな。 司馬とか坂之上の雲云々に寄生しないと
表に出なかっただろ・・・名将乃木希典(副題〜を糺す)も
名将乃木希典だけでよかったのにねぇ。蛇足が過ぎる。
>>773 情報は収集してたが、不十分であった。しかしこれは満州軍全体で
言えることで、鴨緑江会戦で手に入れたロシア側の地図でやっと遼陽まで
地理がわかったという程度。
また、歩兵将校が情報を判断してたため、その情報にフィルターがかかって
真実がおぼけてしまった。
作戦は現場に行って立てるもの。要塞の状況を 大本営(チーフ)やら
外電に加えて現場の偵察も大事であったが、残念ながら足りなかった。
イギリスからの情報もあったが、活用しきれてなかった。
最悪の状況を現場司令部も想定しきれてなかったし、大本営も見通しが甘かった
自分で「批判」って書いてるじゃんよ。鳥頭か?
司馬小説に便乗するのはビジネスとしてわかるが、小説を史実と勘違いする輩の多い事にはまこと驚く。
>小説を史実と勘違いする輩の多い事にはまこと驚く。
今更なにを言ってる?
そういう輩が多い事なんて随分前から常識だろ?
まあそうだけど。改めてそう思ったって事だけどね。
文藝春秋の「司馬遼太郎にみるリーダーの条件」だったかな。頭クラクラした。なんで小説にあそこまで思い入れられるのか。
>>778 司馬ファンですが、ああゆうしんだ人を神秘化して本をだすのはやめて欲しい。
中身は司馬さんの受け売りばっかりだ。
一人で調べで間違いはあったとしても、彼れだけの内容をカバーして書くだけでもすごいのに、坂上、翔ぶがごとく、
一、二行しか登場しない人物の描写を見ると、ああ、このヒト歴史の一頁に名を残したなうらやましい。とおもえる。
もっとも物書きとしては二流だと思いますが、山崎豊子みたく、あくどく無い。
誌名は「司馬遼太郎リーダーの条件」だった。純粋に資料として買ったんで、司馬さんがどうのこうのというののオンパレードは辛かった。
半藤さんが、防研には終戦の処分をくぐり抜けた本物の戦史が残っている、と語るくだりがあって、ここに興味引かれたわけ。
『海軍は『極秘海戦史』という全百五十巻にわたる史料を三部つくって〜陸軍にも同様の史料が〜天皇家には両方残っており
それらが御下賜されたんです。いまは防衛省の防衛研究所戦史部にあり、私は見に行きました』
ところが、陸軍のそんな史料はないんだなこれが。出版社に確認すると、半藤さんの勘違いとのこと。
勘違い?
本当に勘違いしてたんなら、『極秘海戦史』のようになんらかの史料名を出す、またはそんな素振り(なんてったな。みたいな)
があるもんでしょ。そのうえでの勘違いというなら筋は通る。
しかし『極秘海戦史』と海軍側のものだけ明記して、陸軍側のものは史料名を明かさずうやむやにしているのでは、
ただのハッタリかましだ。
さらに言うなら指摘されての説明が「勘違い」とはこれまた芸のないこと。
いろいろな意味でがっかりな本だった。
推敲してたら一部が抜けた。失礼。
そもそも、「陸海二個揃いの史料」と「海軍のみの極秘史料」と、明らかに違うものを、どうやって勘違いするというのか。
が抜けてました。
>小説を史実と勘違いする輩の多い事にはまこと驚く。
確かに小説は史実ではない。 しかし史実も確たる評価や真実ではないし
それらはひとつですらない。人それぞれの感性のより 多種にわたる。
司馬史観も一つだし、原史観も一つ。
>>780-781 >>375 のように、ある論の為に捏造しているわけではないのにいいんでない?
,ハ,,,ハ ??
(,,・ω・) @【 11月22日の時点で出動可能な主力艦】は<ポビエダ><セワストポリ>
〜 。(_ ゚T゚ <パルラーダ>の3隻のみ
. ゚ ゚̄ ☆ 「此等砲熕は同式のものなりと雖も砲戦に際し予期の如き効果を示さず」とある
A【「11月の半ばごろ】各艦には最小限量の砲弾が残された。弾薬類はほとんど全部陸上戦線
に引き渡された。 【事実上戦闘力としての艦隊は存在しなくなった】のだった」
B最後に残った<セワストポリ>が港外に脱出したとき、残っていた砲は(主砲を除くと)
【2インチ砲×3、75ミリ砲×2】 だけだった
,ハ,,,ハ `'′@で出動可能だけど 次のA説で全否定??
(,・ω・,) 資料を読んでポビエダの12/5の沈没状況を把握してたら書けないもんなw
。(_ ゚T゚ 弾薬庫にあった 47mm弾薬 2100発が爆発したなんてなw
もしくは見えてないか、理解できないか。
☆「衆評によるとロシア艦隊の法が日本艦隊よりも一般に射撃が劣ったが、
長く艦隊にあって経験を積んだ戦艦戦隊の砲手たちだけは格別でこの
砲戦で見事な腕前を示したと言う」(ブブーノフ「旅順」)
よってハンデはあったが三笠のマストに命中させたり損害をかなり与えている。
「敵の射撃の方がまさっているように思われ水兵の中には悲観してため息を
付く者さえあった。」とは一海軍中佐「戦影」
Bは論外。 セワストポリに2インチ砲や75mm砲なんて元々装備してない。
ペトロパブロフスク級 305mm連装砲2基 152mm連装4基単装4基
3ポンド(47mm)単装砲12基 1ポンド 37mm機砲28基 その他水雷
もうちょっと確認してから説かないと ウソばっかりになるよ 希望的
観測が先にあるから ボロボロになってるねw
書いてる自分に酔っ払っちゃったのか寝ぼけてるのか、いずれにしろ意味不明過ぎてまともなレス不能。
推測でレスするが、史観うんぬんなんてどうでもいいの。小説を事実と捉える事が問題と言っている。
誰も捏造なんて言ってないが何か過敏症かね?がっかりな本だったと。それだけさ。
AA小さいから一応で応えるが、以後せぬように。
>>1読めないのかね。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) )
|/ ∴ ノ 3 ノ
\_____ノ,, ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ
/ ヽ| | バ | '、/\ / /
/ `./| | カ | |\ /
\ ヽ| lゝ | | \__/
∧..∧
. (´・ω・`)
>>783 本人降臨だね。思考パターンがイッショw
cく_>ycく__) ”まっとうな”という部分を無視して全否定に入る。
(___,,_,,___,,_) ∬ これは
>>96の部分的を持って書物を批判しているパターンと一致。
彡※※※※ミ 旦 全書籍が部分的な状況を示してるにもかかわらずだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 昔嶽原が機密の第6章だけが信じられないとほざいとったのと
イッショだねぇ。
朝太郎には無理な事だったか。まあ予想出来た事ではある。みそっかす扱いでいこう。
さて。
昨今の坂上関連出版物は、ほとんどが従前のものの焼き直しだが、これはいいなと思ったものが
武揚堂「歴史文学地図 地図で知る日露戦争」。
地図上で見る事にこだわった書籍で、地名の読み方も出来るだけルビを入れてくれているので読みやすい。
個人的には、旅順口閉塞戦の沈船配置図がよい。巷によく見られる同図では、同作戦が失敗したという事が
一見わかりにくいのだが、この書籍の図では船体縮尺を実際に近くする工夫をしていて一目でわかる。
てか従来の図が酷すぎるとも言えるが。
>みそっかす扱いでいこう。
賛成だね。相手してるとこっちまで頭が悪くなってくる気がする。
最近の坂雲マンセー本を出してる出版者とか寄稿してる学者とかって、
半藤さんもそうだが、殆どが50〜70代のおっさん・じいさんでしょ?
つまり、10〜30代の血気盛んな時期に坂雲をリアルタイムで読んで、
大いに溜飲を下げた人たち。
そういう人々にとっては、いまさら司馬さんにケチをつけるような真似は不可能なんだろうね。
心理上も、商売上も。
まあかくいう漏れも、今や30代のおっさんなわけだがw
>陸軍のそんな史料
それってひょっとして、『秘密日露戦史』のつもりでいったんですかね、半藤さんは?
『秘密日露戦史』がえらく中途半端に終わってるのは、たとえ「秘密」扱いでも
ヤバスな実態・失敗を記さねばならんので諦めたのか? と、個人的には勘ぐっている。
・最近の乃木マンセー本を出してる出版者とか寄稿してる学者とかって、
・殆どが30〜60代のおっさん・じいさんでしょ?
・つまり、10〜30代の血気盛んな時期に坂雲の批判本をリアルタイムで読んで、
大いに溜飲を下げた人たち。
・そういう人々にとっては、いまさら乃木にケチをつけるような真似は不可能なんだろうね。
・心理上も、商売上も。 まあかくいう漏れも、今や30代のおっさんなわけだがw
言葉を変えてみると面白いな。
儲というのが いかに 人格的にバランスを欠くものかよくわかるよ。
>>766 今日Amazonから本届きました。
箱がむちゃくちゃでかかったので、びっくりしてあけたら、意外にA4サイズぐらいでした。
すごいやこの本、軍装のページ以外読み応えありそうです。ほんまにありがとう。
表紙の二元帥、六大将の写真、大山、山縣以外の椅子が統一感ないし、乃木さんだけ軍服旧式。乃木さんうわさどうり姿勢世過ぎ、ひょっとして背もたれなし?
川村さんと乃木さんだけカメラ目線。
>>788 これはわざわざ痛み入ります。
よろしければ
>>785もいかがでしょうって本屋かい。70ページたらずで1000円というのがネックだが、いい本と思います。
>>787 うちのお婆ちゃん(80)超えてるけど、乃木将軍、東郷元帥と呼ぶ。呼び捨てにしない。もちろん名将軍だと思ってるみたい。
だけど、太平洋戦争のころはボロクソに言うよ。
>>789 実は、戦場の距離感がつかみ取りにくくて、先レス見て買おうどうか迷ってました。あまり活字のない本(地図上の動き回り方がベース)なのでしょうか?
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 01:17:22 ID:4vfJv2Hb0
坂の上の雲は史実だぁ〜〜〜〜
加山雄三は野津道貫の末裔だぁ〜〜〜〜
>>791 ページのわりに値段が高いのがネックですし、図示するものそのものはどんな本にも載っているありふれたものが多い
ですが精度的に素晴らしいと思います。
仁川海戦図では浅瀬入り組む海域での行動であったことが実によくわかります。また陸地名のルビ(全てではありませ
んが日本語読みと現地読みが並記されている)が多いのがとても助かります。
私としては買って満足、です。
このレビューは参考になりましたか?(違
司馬が叩かれるとホント気持ちいいよね
司馬を礼賛してる連中は偉そうにふんぞり返っているからな
傲慢の鼻を明かしてやろうぜ
乃木を誉めている人間が威張っていたら乃木を貶す。逆なら誉める。
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 12:26:26 ID:D0qMZ5IP0
>>793 レスありがとう。そこまで言われると欲しくなりますねぇ(笑
買います。でも、今届いた本読み終わるぐらいに買う。
自分は頭がよくないので、本を抱えてしまうと焦燥感みたいなのが。。。
それにしても2000円程度でこれだけ内容詰めれるのってすごいですね。
内容からして3000円以上の価値はあるような気がします。
すごく良心的な本ですね。
乃木神社で売ってる二種類の本、注文したら送ってくれるみたいだけど、代引なのか、先に振り込みなのかわからないや。
流石に絵本はいらないな。
問い合せ先も、代表の電話番号でいいのだろうか。
みた感じ、アンチ司馬が軸に、なってそうだけど、どんなもんかな。
>>798 電話連絡して住所を知らせれば、振込み用紙入りで郵送されるとのことです。
全体に渡って司馬批判です。内容を読めば、まあ批判されても仕方ないだろうとは思いますが。
第四版は誤字が多くて辟易したけど、今はどうなんでようか。
>>799れすありがとう。
頁数どれくらい?客観性はありますか?
>>800 300ページ超です。これで500円というリーズナブル。
さて後段ですがおよそ論評なるものは主観的であると思います。問題は論拠が並記されている
かという点と思いますが、そのあたりはなかなか説得力あると思います。著者が陸将補まで務
めた方ですので。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 11:58:53 ID:K0javdQA0
>>793 今日アマゾンで注文しましたぁ。報告です。
仕事で調べ物の資料を注文するついでに注文しちゃいました。
乃木とかお飾りに過ぎないんだから、無能か有能か判断つかないんじゃね
たしかに作戦を立案するのは参謀長以下の仕事で、軍司令官というのはある意味お飾りなわけだが、
それで万事済むのは勝ち戦の場合だろう
難戦苦戦になると、途端に軍司令官の存在がクローズアップされてくると思う
極端な例だと、ラバウルやニューギニアが曲がりなりにも終戦まで持ち堪えた要因として、
今村や安達の統率力を否定する人間はいない筈。
乃木の功績もそういうことだろう
逆の例だとインパールの牟田口とかね
>>804 結局、大山が言った「ゆくさは児玉さんに任せます。ただ、負ゆくさになれば、私が指揮をとります」が的を得てると思うよ。
>>804 ラバウルやらニューギニアの完全に補給が途絶えた状況で終戦まで持ちこたえた
比較で 旅順戦で今村や安達に匹敵するのは
クロパトキンやらコンドラチェンコだろ。
乃木はどっちかというと、ウォルタクルーガーやらロバートアイケルバーガーやら
連合国側の方だろ。
比較対照をさらっと偏向するのはどうかと思うけどね。 日本軍は補給線や補充が確立している
立場だったのだから。
大本営や南方総軍に振り回された、フィリピン攻略軍の本間中将
が比較的似た立場に置かれていたかな。
>>807 だから、「極端な例」だと書いてるじゃね―か
なに見境無しに喧嘩売ってるんだ?
>乃木はどっちかというと、ウォルタクルーガーやらロバートアイケルバーガーやら連合国側の方だろ。
んなこというなら、連合軍には圧倒的な制空制海権と有り余る物量があっただろ
敵艦隊の跳梁に出鼻を挫かれ、まだ航空機なんて代物もなく、銃砲弾にも事欠いていた乃木とは同日の談じゃないよ
キリがないんだよ、そんなイチャモンをつけだしたら
>>809 たしかに旅順戦でどっちが苦境って 日本ではなくロシア側じゃねーか。
攻撃を行う地点や時期を選ぶのは日本側なんだからね。
大体、 ラバウルなんて、かえる飛び作戦で無視された結果だし。
重要拠点で上陸されて攻撃された上で持ちこたえたわけではない。
安達にしても 「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」布告をするくらいの
状況であり、極端どころか、全然方向性が違うだろ。
そのような状況は肉の無くなった旅順ロシア軍に当てはまると
考えるのが当然っしょ。
あんまり太平洋戦争と比較するのはどうも。
旅順は、両方とも苦しかったと思う。
比べる参考にならないのが、旅順の場合、ロシアの高級将校の婦人がたがたがいた点で、ロシア側も相当苦労してるだろう。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 09:06:43 ID:VHHXIbL20
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 13:41:57 ID:yVm76q4a0
>>812 また、客観性がない資料だなぁ。
「陰謀」だれけじゃないか。
旅順攻略は、「無謀」ではないでしょ?
シーレーン確保という補給兵站に関わる重要な部分であって。
作戦に問題があっただけで。(それも大本営の状況把握不足と、第三軍との意志疎通不足が起因)
ネタでしょ
>>814 ステッセルも乃木もどっちも負けてるよね。ステッセルは死刑判決(恩赦)乃木は、無能扱いみたいな感じにされちゃってさ。
頑張れば報われるとか、オリンピックのメダリストは言うけど、あれはうそだなあ。
短距離走も長距離走も黒人だらけだ。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/26(火) 13:37:18 ID:N1jvPYvC0
>>785 何か他にお勧め本はありませんかぁ?
できれば2000円前後で。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/26(火) 22:20:08 ID:Vg76r2D30
>>815 乃木の場合は極端な好きも居るから恵まれてるだろw
戦後は軍神扱いだったしw
>>817 乃木さんを悪く言う気はないけど、お飾りだとしても、数万の人間の部下を殺した事実は残るわけだ。その事に関して本人が、どう感じたのか興味はある。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/26(火) 23:13:40 ID:Vg76r2D30
まぁ殺したのはロシア軍だがw
乃木の手法が正しかったかどうか賛否あるが、一応の乃木は旅順攻略の戦略目標を達成してると云う事実も残ってる
,.――――-、
ヽ / ̄ ̄ ̄`ヽ、
| | (・)。(・)|
| |@_,.--、_,>
ヽヽ___ノ 神サマを否定したら、自分が教祖に祭り上げられていたでござる
の巻
>>819 作戦初期段階で、「大本営のさっさと落と」とばかり罵られ、その為に塹壕掘る余裕もなく突撃。
大本営は旅順に無知すぎ。旅順は、第本営に、空気に呑まれすぎ。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 10:40:44 ID:Ta9LiLPT0
児玉が一度目に視察しに行ってる事になってるんだけど。
沙河の開戦で急いで戻ってることになってる。
それは、信ぴょう性が高いの?
関係ないけど、マハンの海上権力史論が駅前の小さな本屋にあってビックり。
>>822 知識欲旺盛なのは結構だが……少しは自分で調べようぜ
9月4日 遼陽会戦終了
9月15日 児玉遼陽発、旅順へ
9月18日 児玉旅順着
9月19日 第2回総攻撃(前半)開始
9月23日 第2回総攻撃(前半)終了
10月3日(?) 児玉旅順発
10月5日 児玉遼陽帰着
沙河会戦が始まったのは10月8日だが、ロシア軍の先鋒部隊は9月末から行動を開始していたそうなので
まあ、「敵の攻勢がありそうだ」位の情報は入っていたかと。
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 15:39:04 ID:RAQCR1dx0
>>824 自分でも調べたけど、どうもソースに自信がなくて。助かった。
第二回はまるまる、見てただけか。
>>825 ソースは『名将乃木希典』と近代デジタルライブラリの『児玉大将伝』。
ちなみに後者は明治41年の発刊だけど、二〇三高地占領を児玉が指揮したかのように書いてある。
いわゆる児玉伝説が作られたのは、意外に早い時期のことなのかもね。
203高地は児玉が来なくても落ちてたという話もあるけど、
伊地知のままだったら、そもそも203高地攻めてないんじゃね
第三軍が203に主攻を転換したのは児玉の旅順到着(というか烟台出発)前だよ
児玉の居る居ないは全然関係がない
大本営も悪いよ。
早く北方戦線に投入したいから、早く落とせの一点張りだもの。
地図だけしかみてないと言うか、大本営にも攻城戦の専門家なんかいなかったし会戦メインの訓練しかしてなかったのでは。
(自信が無いので、間違えてるなら甘んじて指摘を受けます)
だから、西から攻めろとか総攻撃に時間がよりかかる作戦を押し付けるんだもん。(もっとも西から責めるのが正解だったけど)
大本営の言っとる事は矛盾しとる。
このまずい戦は反省され、改善されたのかな?
要塞戦用の攻城砲はもちろん、訓練もしたのか?
保守
洗心最新号はなかなか資料性が高いのでおすすめ。
洗心について言うとワケワカランこと言って信者認定する阿呆がいたが、今もいるかな?
>>834 儲宣伝乙
そんな宗教宣伝をここで行うなんてな。 洗心 どこの書店で売ってるんだ?
神社関係以外で幅広く 書店などで売っていて 信者認定する奴がいたら
そりゃ バカ だろうけどね。
つか・・・どんな資料かも示さず、宣伝行為だけなんだからなぁ・・・。
出会い系サイトのアフィ厨レベルまで自分を貶めたか・・・。
阿呆はすぐ食いつく。そんなだからアホなんだよ。
別に教典のように見るわけじゃない。資料としてって言ってるんだがな。
これで信者認定って気違いじみた思考回路をなんとかしろ。
洗心 どこの書店で売ってるんだ?
神社関係以外で幅広く 書店などで売っていて 信者認定する奴がいたら
そりゃ バカ だろうけどね。
つか・・・どんな資料かも示さず、宣伝行為だけなんだからなぁ・・・。
出会い系サイトのアフィ厨レベルまで自分を貶めたか・・・。
>阿呆はすぐ食いつく。そんなだからアホなんだよ。
834 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2010/03/07(日) 08:29:39 ID:2ZskOTMDO
835 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2010/03/07(日) 09:16:08 ID:R4Dw6DZG0
836 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2010/03/07(日) 09:24:42 ID:2ZskOTMDO
8分後に食い付いてる御仁が言う言葉じゃないわな。
自虐趣味もそこまで行けば ドアホ だよw
俺はオウムを相手にしてるのか?
洗心は一般人でも入手できるぞ。特に資格、例えば入信するとか必要ない。
書店で買えないって事で、どうして信者かどうかを区別出来ると思い込めるのかね。
不思議な奴。
>洗心は一般人でも入手できるぞ。特に資格、例えば入信するとか必要ない。
中央乃木会は、【乃木将軍ご夫妻のご高徳を慕う方々】の集う乃木神社の崇敬会です。
(ry 又、お送りする機関誌『洗心』により、この【ご神徳を仰ぎ】自己の研鑽を深めていらっしゃいます。
入会につきましては・・
オウム? お前は 昔のオウム信者かw
入会しないと 送られてこないだろうがw ○○みの党とか どっかの会誌と一緒だろうw
何をふざけたこと言ってるんだw
入手方法が郵送だけしかないとでも?
こりゃマジで気違いだったな。
キチガイwってw
資料がどんなものかも示さず 宣伝ばっかで それを指摘したら
キチガイ呼ばわりかw
「誠の心」を持つことこそは自他を万福に至らしめ、畢竟国の繁栄に相通じるものと言えます
というこの会の意向にはそぐわないってことを自己PRしているわけで。
なんだかね。 これこそが 儲と呼ばれる所以ですわ。
>>814 話をすり替えるなこの卑怯者。
根拠とも言えない事を理由に人を信者呼ばわりしている事を言ってんだよ。
こんな言い掛かりつける奴が気違いでなくて何だってんだ。
>>841 に訂正
しかし阿呆で気違いの卑怯者とは最凶だな。エライもんが棲んでんだなここは。
>>834 洗心って乃木神社発行の冊子だっけ?どんな特集をしてるの?
洗心第162号23ページ〜37ページ
旅順攻撃日誌(一)明治37年5月25日から
8月5日まで
「原本所在不明の為、乃木全集収録なし
金園社発行 乃木希典日記も
6月16日から10月30日までを欠いている
玉木正之氏が書写したものによる」
というようなことが事務局報(後書)に書いてある
へー、そうなんだ。
別宮翁がいってたとおりだね
今頃R4Dw6DZG0はなんとか入手しようとがんばってるんだろうなあ。
洗心の事言ったら信者認定してたくせにwww
日記では参謀達はけっこう前線に視察に行っていることが分かる。
他はあまり気になるところないかな。
写しとはいえ、第一級の資料公開がこんなマイナー機関誌で行われるとはなんとも勿体ない。
この日記に限らず、乃木神社に保存されている資料は実に質が高い。数年前に出た極秘写真集も神社由来だし。
こういう公開に積極的な姿勢は好感がもてる。
続報は
Will歴史通の新刊が乃木に色々言及
間違いを恐れずに書けば、
国民党=中華民国=外省人=中国人=親中共
民進党=台湾=内省人=台湾人=反中共という事
別宮翁の新刊、読んだ人いる?
山縣を高評価していたのが意外というか新鮮だった。
「山縣の終生の希望は野戦軍司令官になることであって、
よくいわれる「権力への野望」とは無縁であったように思える」
「山縣は長州藩閥の長として陸軍に権勢を振るおうとした、と同時代人にも後世の人にも思われていた。
だが、決してそのような人物ではなく、常に野戦軍司令官となって軍功を挙げたかったのである。
反対の極の、戦場の経験もなく軍事と関係せず、人事や政治のみに傾注する人物群が、
山縣の死後しばらくして、昭和の陸軍に出現することになる」
「閥を作ったり子分を集めたりしたのではない。人事全体についてはおおむね公平であったというしかない。
山縣は文字どおり陸軍のドンであった。ドンは人事について公平でなければそもそもその地位を保つことができない。
組織内に極端な勝ち組、負け組を作らないことがドンの役割であった」
旅順戦について殆ど触れられていないのはまあ、紙面の都合上仕方がないか。
854 :
sage:2010/06/04(金) 15:36:48 ID:isPmJwrFO
司馬の小説で申し訳ないけど、
「203高地を落として観測所設置、艦隊を全滅させ、あとは引いて包囲戦」
これって、相手が要塞から出撃してきたらどうするつもりなんだろう?
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 12:06:54 ID:f/IUH0+EO
旅順が攻略されても結局バルチック艦隊が極東に来ることは止められなかった事を考えると、そもそも早期攻略という企図が無意味だったと思う。
「一日も早く攻略しなければならない」という強迫観念から、敵の防備や兵力を過小評価した
人間は「自分の信じたい情報」を信じたがるものなのだな、とあらためて思う
旅順は攻略する必要があるだろう
一次大戦前は総力戦じゃないんだから兵隊同士の決戦で勝敗だよ
そこに敵がいるのなら叩き潰して雌雄を決するスタイルだ
青島要塞守備隊だっけ?の歴代司令官について調べられる所ってありますかね。
それと日露戦史編纂の責任者(この言い方もあやふやだよな)が誰かという事について調べたい。やっぱり防研かな…
>日露戦史編纂の責任者
それってやっぱり、大山巌じゃないの?
「我が軍にとって不名誉な事実は書くな」とかいう一文があった気が
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/02(金) 02:21:55 ID:kVKGK3020
>>858 攻城戦マニュアルもないのにどうせいと。
乃木たちは洋書を取り寄せて現地で即席マニュアル作る有様。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/02(金) 02:28:11 ID:kVKGK3020
>>853 >反対の極の、戦場の経験もなく軍事と関係せず、人事や政治のみに傾注する人物群が、
>山縣の死後しばらくして、昭和の陸軍に出現することになる」
そりゃ単に、軍の組織が膨れ上がって人事専門の官僚が現れただけだろうと。
>「閥を作ったり子分を集めたりしたのではない。人事全体についてはおおむね公平であったというしかない。
山縣健在の頃は軍の規模が小さかったから、指導が細かいところまで手が届いたというだけの話。
10個師団で国力の限界に達してた時代と昭和の陸軍を一緒にするな。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/02(金) 02:41:44 ID:kVKGK3020
そもそも疑問だが、山縣って陸軍人事の人事権もってたか。
読んでから批判しろよ
たいして高い本でもないんだし