【旧日本軍】 戦陣訓 【軍紀の乱れ】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
あまり知られていないが、旧日本軍の軍紀は実際、半端じゃなく乱れていた。
国会図書館にも資料が膨大にあるから嘘だと思うなら確かめて欲しい。

同じ部隊内での刺殺が続発し、婦女暴行は当たり前に行われ、窃盗、暴行、リンチは、
数えればきりがない。びっくりしたんだが、上官の刺し殺し、上官に対する集団暴行、撲殺など
さまざまな行為が行われていた。ちょうど今の犯罪を平気で起こすDQNみたいな連中の方が
多かったそうだ。他国の人間だけではなく、なんと、日本の女性に対する強姦、
日本の同じ仲間内での殺人が普通に行われていた。

1941年、軍部はこの事態を重く見て、「戦陣訓」というものを通達した。
しかし、戦陣訓を通達してもいっこうにこの軍部内の乱れはおさまることなく、
慰安所を設置したり、仲間内での暴行、殺人をかなり大目に見るように姿勢を変えたそうだ。
当時の上官などは部下のリンチや、仕返しに恐れおののき、びくびくしていたそうだ。
これが本当の旧日本軍の実態らしい。
国家図書館に行けば、すべて資料として残ってる。いかに軍部が
この事態に頭を抱えていたか、ちゃんと記録に残っている。
尚、この事実は公表されていないばかりか、当時の新聞記事にも載っていない。
だが公文書として資料は残っている。確かめたいなら国立国会図書館に行きなさい。

恐るべし日本軍。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 10:34:47 ID:HPppvEIz0
どうやらテレビの情報や戦争映画、戦争ドキュメンタリーはあまり信じない方が良さそうだ。
あれはどうも、いい風に、カッコよく、みんなが泣けるように、感動するように、
感動ドラマとして描いているのは本当のようだ。自分の目で実際に確かめたら、
いかに隠してあることが膨大にあるかいろいろ分かる。

3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 10:54:17 ID:EoFLKgU80
支那事変海軍作戦記録

盧溝橋事件・通州大虐殺・大山大尉殺害事件・支那軍の上海包囲
http://jp.youtube.com/watch?v=LZTZ-TTSODk
蒋介石の精鋭88師の日本租界攻撃・数十倍の敵の攻撃を跳ね返す我が海軍陸戦隊
http://jp.youtube.com/watch?v=sr5zdWXOgR4
八月十四日の支那空軍の租界無差別爆撃・帝国ついに支那膺懲に立つ
http://jp.youtube.com/watch?v=b9VvKFJce3k
八月二十三日、救援の陸軍師団がウースンに上陸・兵隊さんありがとう!
http://jp.youtube.com/watch?v=dryd5KjzMd0
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 10:55:11 ID:HPppvEIz0
一番驚いたのが、これが単発の個人犯罪っていうレベルではないから驚く。
部隊内全員で15〜20人にリンチを加えたり、兵長の指示の下に部下100人くらい引きつれ、
略奪、殺人が横行したり、自分の部隊の少尉にリンチ加え殺害したり、とにかく凄いんだが・・・・

国立国会図書館には探せばいろいろ資料が出てくるので、
一度行ってみるよいい。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 11:05:41 ID:HPppvEIz0
ふと思ったんだが、現在の金髪ヤンキーDQNや、チーマー、などを、
旧日本軍の軍服着させれば、当時の日本兵とさほど差はないという感じがした。

軍部内では天皇陛下に対する暴言も相次ぎ、ヤジも凄かったらしい。
こういうのが全然ドラマでは描かれてない。集団で憲兵を撲殺し、
それが後々発覚して逮捕だとか、こういうのもドラマでは皆無。こういう事件がすごい多かったわけだが・・・
ほんと凄いよ。日本軍のイメージが、一つの「武勇伝」として後から作られたイメージであるってことが実感するよ。

実際は、多くの兵隊さんは天皇陛下のためとか、お国のためとか思ってなかったらしい。
一部の将兵とか、軍の上層部だけが天皇陛下のために死ねるとか言ってて、
多くの兵隊はかなり冷めてたというのが本当らしい。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 13:55:24 ID:d/vfoc4P0
国立国会図書館の何をどう差出せば皆目示していないのに
探せなんて無理言うな。
資料を示せ。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 18:13:45 ID:thmCFM6m0

日本軍/一等兵「おいおい、おそこにイイ女がいるぜ、やっちおまおうぜ。俺、性欲溜まってるしw」

日本軍/上等兵「それいいなw 俺も性欲溜まってるw いこういこう!」

日本軍/中尉「おまえらまた強姦作戦か・・見つからないように強姦してこいよ。上の連中がうるせーからな」

日本軍/一等兵・上等兵「中尉殿!了解しました!行ってきマース!」

日本軍/二等兵数十人「おれらも連れってよ!!!女とやりてー!!」

日本軍/上等兵「そつしゃ!ついて来い!」

日本軍/一等兵「今日の獲物は、あの女にしょうかwたくさんあそこに女がいるしな!」

日本軍/上等兵「ええのう!あの肉体たまらへん!強姦した後、解体して見ようぜ!」

日本軍/二等兵・一等兵「いいっすね!今日もまんこに、焼酎ビン突っ込んで骨盤破壊して見ますか!」

日本軍/上等兵・一等兵「だなw アハハハハハハ」
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 19:03:54 ID:jvwXJbbV0
気になるスレ
ゆえにage
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 08:44:09 ID:xK/4bpeh0
×村一等兵は、気の弱い男だった。そして、大人しい内気な性格を持つ文学青年でもあった。
×村の実家は、田んぼをいくつも持っていたので、当時からすればかなり裕福な部類に属していた。
同僚はそのような×村の家柄、振る舞いが気に食わなかった。

×村は、×原()という男に度々呼び、根性を入れるという名目の下に、×原の直属の部下17人と共謀し、
連日のように殴る蹴るの暴行を加えられた。実家から持参してきた小説もすべて破り捨てられた。
軍内部では軍の規律として私的リンチ禁止されていたが、ほとんど黙認されていた状態だった。

ある日、軍内部で盗難が起こった。同僚は嘘の証言をし、×村を犯人に仕立て上げた。
×村は実家が地主なので、日頃からお金には困っていなかったので盗難をするはずはなかった。
その事件から2日後、トイレから×村の首吊りしたいが発見された。
軍も本格的捜査もすることなく、自殺と処理された。しかし×村の体には無数の傷と、
肋骨骨折、内臓破裂、脾臓破裂があった。松村が首を吊ったとされる2時間前には、激しいリンチにあったような×村の悲鳴の声を、
他の同僚が聞いている。



10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 09:07:24 ID:xK/4bpeh0
軍内部で乱闘騒ぎが起こった。平×(伍長)以下60人が、軍内部で喧嘩を行った。
喧嘩の原因はアルコールと女だった。この喧嘩で死者6名(撲殺)を出した。

事件の発端は、日頃から仲が悪く、平×(伍長)に対し、個人的に恨みを持っていた中×(曹長)が、(1週間前にも酒を盗んだ言いがかりで喧嘩をしている)
平×の内縁の妻を境内に呼び出し仲間14人で強姦した事からはじまった。
この中×曹長は、軍の中でもかなり悪質な事をやる事で有名であり、他にも強姦を繰り返していた。

中×曹長の行動、強姦などの悪評判などは、前々からいち早く知っていた中尉、少尉であるが、
チクリによる仕返しリンチを恐れ、全く上層部に伝えておらず、黙認状態であった。それでエスカレートし事態はますます悪化した。

平×(伍長)はこの強姦にキレ、短刀を持ち仲間数人で殴り込みを仕掛けた。
そして大乱闘が起こり、結果的に6名の死者を出した。
この事件に関連した60名は、その後、罪は不問にされ、一番戦闘が激しい最前線に送られる事となった。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 11:28:41 ID:qCLTEKTpO
戦後に捏造されたものだろ

共産主義者
日本軍を悪にするためあらゆることを捏造した

南京大虐殺の捏造が最たる例
南京戦元兵士のインタビュー

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1809349
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 15:40:58 ID:+ic6ZmDVO
てか軍記が乱れに乱れまくってたからチンピラゴロツキばかりだから戦陣訓が発布されたのだろう。
戦陣訓が発布されたのは南京大虐殺のずっと後で大東亜戦争勃発の1941年
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 00:24:49 ID:VzljvgDV0
>>11
これってコピペだよね?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 19:43:06 ID:weLjJ2lh0
左右を問わず、プロパガンダ映画の内容なんぞ結論は分かりきってる
初歩でも、秦郁彦の『南京事件』ぐらい読んで南京を語りたいものだ
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 20:32:03 ID:EUjKLtMJ0
 雑兵など残酷で下劣なものというのは古来から万国共通。
(その時点で)軍国主義的かあどうかはそれを認めるか,否定するかの違い。
日本でも上流階級は日中戦争はじめあたりまでは本音ではそういう認識だった
人が多い。 「負傷兵に十分な医療など不要」「雑兵などに高額な援護や恩給は不要」
というのがホンネでは大勢(兵クラスへの恩給や援護は日中戦争泥沼化して大幅に引き上げられた
がその時点でさえ上流階級は反対論が相当あった。)
日中戦争時はお金さえ出せば,かなり高い水準の負傷兵への医療なども行えた状況なのに,劣悪な
医療だった,それは大戦末期のように「孤立化して物資も設備も軍医もいない」
からではなく「そんなものは雑兵には贅沢」というような,政府や議会.上流階級の考えから。

16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 23:11:58 ID:pOSag/bq0
90%以上は商人・百姓。
江戸時代、武士道が存在していたのは、たったの7%の人達。
ほんの一握りの文化であることがよく分かる。
日本人に「武士道」というものが存在するというのは大嘘。
日本人の90%以上は武士道は存在しなく、忠誠心もない。
初めから存在しない。腹切の文化もないければ、こそこそと田んぼを耕すしか能がない。
存在したのは農村地帯特有の排他精神と臆病気質のみ。
どこかどろどろとした百姓文化。

日本人の7%の武士道文化を90%以上の日本人に
押し付けるのはただの妄想。

■さっさと逃げる
■いじめ
■排他精神
■臆病
■大往生(徹底的に生きる)
■責任のなすりつけ

これが本当の日本人気質。武士道は、江戸時代でも全人口の7%の別世界のお話。
忠誠心がないのが本当の姿。夢は見ない事。





17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 23:57:05 ID:XYaiGJod0
日中戦争は政府も軍も不拡大方針で
関東軍精鋭や規律正しいエリート部隊は対ソ戦のために温存された。
チンピラゴロツキばかりが動員されたのが日中戦争。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 12:03:47 ID:R+lmZMG60
age
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 12:47:07 ID:ntUyOvcd0
http://www12.ocn.ne.jp/~nacky/akaitenshi.html
この当時の悲惨さはやろうと思えばある程度十分な治療や手当てはできたが兵
たちのためにそんなお金はもったいない,というもの。
実は「戦争の悲惨さ」や「反戦」というより,当時は「すべて軍のため」
という体制ではなかったというある意味内地やとくに上流階級が平和的だったことを示す
(当時は上流階級(大卒)は兵としての徴兵はほとんどなかった,されてもほぼ全員数ヶ月で将校になれた)
そういった上流階級(大卒)の特権はしだいに剥奪されていったが
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 19:45:25 ID:4XBGGksm0
結局、>>1は妄想で語っていたということでFAだな。
夏と冬はこういうのが湧いて出てくるな。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 19:58:43 ID:4mwKwbQu0
>>1
こういう現実を表に出したら日本が嫌になる人が増えるだろ。
ただでさえ愛国心がもてない子が多いのに。
あまり調べんほうがええよ。日本が嫌になるぞ。

22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/21(金) 20:17:30 ID:mEUFdoHFO
一番驚いたのは、>>1が何一つ具体的な資料名をあげていないことだ
23白馬青牛:2007/12/21(金) 23:04:56 ID:7G8ZEWm50
>>17
関東軍が規律正しい?シベリア抑留でも、「関東軍の人達は、ともすれば
自分の身を守るために、他人を犠牲にする。口先はうまいが根性がない。」
と、広島39D兵士の回想にもあるが、関東軍は、一部の戦闘玉砕した
部隊や、ソ連に抑留された部隊を除いて、同胞の日本人の満州開拓団を
見捨てて逃げたよ。
後にシベリア抑留になった広島39Dは、転属し中支から満州へ行って終戦
をむかえたが、軍専用列車ゆえ客車が空いておっても乗車拒否する
関東軍兵士を殴った広島39D兵士の回想にも、
「立て兵長、こんくらいの事ぶっ倒れる様な関東軍じゃけえ、地方人を
置いてけぼりにしゃあがるんよ。我々は支那派遣軍じゃ、つい三ヶ月前まで
のう、中支の最前線の山の中で、十数人の兵隊で何百人を相手に戦って
来た者で、この駅の状況をみて頭へきとったんじゃ。兵長、女子供や病人が
おるんじゃ、この中に入れてやれえや。先っき誰か知らんが、これは軍用
列車じゃ言うて追い返したらしいじゃないか。お前らは国民を守る為の
軍隊じゃろう。」と、あるが、
関東軍は実戦馴れもしとらんし、同じ日本人をも見捨てて逃げた汚名は
消しようがない。まあ、軍上層部が国民より先に逃げ、見殺しにしたわけ
じゃが、民主主義国となった現在の日本でも、政財界官僚ら上層部らの
自国民に冷淡な構造は変わらんのう。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 12:09:18 ID:MJEEnicg0
何言ってんだ、お前?
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 18:25:03 ID:PDyHoFuE0
>>23
関東軍がおっさんと少年かきあつめた寄せ集め集団になってた事をしらんようだなw
女子供老人以外の市民は関東軍に動員されたよ
満州は内地より安全だといわれてたからな、熟練兵士も武器弾薬もろくにない状況
で素人かき集めて100万関東軍と言ってたわけだ
あんたがボロクソに書いてる関東軍は訓練もろくにしてない満州開拓団の子供達の
ことなんだぜ
26白馬青牛:2007/12/22(土) 22:00:06 ID:MN2QvDVd0
>>25
わりゃ、何幼稚なことをいよるんなら。関東軍兵士は内地で徴兵された
国軍兵士じゃ。武装開拓団とちがうど。確かに武器弾薬は貧窮しとった
わい。じゃが熟練兵士じゃ云うが実戦から離れとった部隊がほとんどじゃ。
伊藤桂一氏が書いておられるが、
「兵力二千の関東軍部隊が、約三百の中共軍を急追して河北省まで入って
来た。対中共戦に不熟のため、関東軍は勝ったと信じて追ったのである。
凹地で大休止をした。満州で教育された通り、一列に叉銃線を敷き、
炊爨と休養をとっているうち、周辺の山上約三千の中共軍が包囲した。
逃げながら、反撃の機会を待ち罠にかけたのである。完全な包囲網に
閉じ込められ、いたずらに犠牲を重ねた。
このとき独混八旅の一個小隊二十四名の兵隊が、関東軍救出に赴いている。
二千の部隊をわずか二十四名で救援する。この二十四名は対中共軍戦を
生きぬいてきた精兵で、黙々として現地へ急行し、包囲網の一角を開き
関東軍討伐隊を救出した。しかも自軍は一名の負傷も出さなかった。
この時関東軍討伐隊は、弾雨下、死者の小指だけを切り取って避退した。
これを救出を行った独混古参兵は「関東軍は薄情だ。小指だけを切り取って
きた。われわれだったら遺体は必ず収容する」といった。
関東軍の死傷約百。昭和十九年四月、撫寧付近馬家峪での戦闘である。
27白馬青牛:2007/12/22(土) 22:41:02 ID:MN2QvDVd0
>>25の続き。
 「この事例は、実に多くのことを教えている。演習と実戦の違い。
中共軍の作戦、兵員間の人情がいかに養われるか、そして何よりも戦闘
熟練者たちの戦力である。彼らが「われわれだったら遺体を収容する」
といったのは、必ず遺体を収容する中共軍に対する立場と、同時に、
いかに多くの仲間を殺してきたか、という悲劇の追懐につながるもので
ある。しずかな呟きだが、裏を返せば、悲痛な絶叫である。
昭和十六年、独混八旅と中共軍の戦闘では、トーチカの前面の中共兵の
死体に照準を合わせて日本兵が待機したが、遂に発砲せぬまま夜が
明けた。ところが死体はひとつ残らず消えていた。中共兵が、いかに隠密
行動に長じていたかの一例である。独混八旅は九月から十月までわずか
一ヶ月に実に四十二回の戦闘をやり、将校の半数以上が死傷した。他は
推して知るべきである。
こういう状況では小隊長だって楽ではない。一人の小隊長は、彼我交戦中、
突撃をかけて飛び出したが、兵隊は命令を聞かず一人も出なかった。
小隊長は敵の弾雨にさらされ身動きできず、部下を怒鳴ったが誰も救出
しない。遂に哀願した。すると古参兵が張り切って救出した。古参の兵隊は
あきらかに不利と分っている戦闘には出ないし、指揮の拙劣な小隊長は
弾雨下で教育されたのである。小隊長は、熟練分隊長の指示通りに命令を
出せば間違いなく戦闘ができたのである。熟練した敵を相手にするには、
熟練者に主導権を渡すよりほかなかったのである。これは必死な兵隊の
防衛本能であった。また、それが戦場行動の原則でもあった。」
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 23:20:15 ID:PDyHoFuE0
>>26
なにいってんだ?w 
末期に満州で19才以上45歳以下の男子が根こそぎ徴兵されたんだが?
太平洋戦争勃発後、満州という安全な所で、精鋭部隊がぬくぬくしとったら
いかんということになって使える部隊と武器弾薬をぶっこぬかれてボロボロ
の関東軍の穴埋めに動員されたのが、満州のおっさんと子供達25万
29白馬青牛:2007/12/22(土) 23:20:50 ID:MN2QvDVd0
>>27の続き。独混八旅のさまざまな兵隊たちの横顔から。
G軍曹とH上等兵=分屯地にあるもG軍曹は統率力なく気弱し。但し
女好きで土民の評判悪し。H上等兵が代わりの実力者になる。妾ももつ。
敵が来ると支那馬に乗って単身敵中に飛び込み軽機を乱射して奮戦し、
つねに敵を追う。
K伍長とL上等兵=L上等兵は東大出、父は大佐。二年兵。K伍長に
食事を持参し、洗濯物があったら持ち帰ろうと思い室内を見廻す。
伍長「何をみるか」とこれを咎め、右手で食事を続け、左手にスリッパを
持ち、L上等兵を殴打しつずける。K伍長は土工上がりである。
M一等兵とN伍長=階級は違うが同村の幼馴染。M一等兵立哨中、N伍長
が通りかかり、M一等兵が「撃つぞ」と銃を構えてみせるとN伍長は
「撃ってみろ」といった。M一等兵が撃つと(不覚にも安全装置を忘れて
いて)N伍長は即死した。(あまり馴れ合っている為の過失である。)
N伍長の妹はM一等兵の恋人であり、M一等兵に「兄の戦死状況を知ら
せよ」といってくる。M一等兵は事件後入倉中も自殺を懸念されたが、
のちに戦死した。
30白馬青牛:2007/12/22(土) 23:35:23 ID:MN2QvDVd0
>>28
何とぼけよんない。末期は満州じゃのうても、内地でも徴兵され南方や
中国、満州へ動員されたんじゃが。まあ弾道の近遠、高低を判断できる
ようになるにゃあ、戦闘馴れするにゃあ最低3ヶ月は必要じゃけんのう。
演習馴れしとっても実戦馴れしとらん部隊を南方戦線に使うたわけじゃ。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 23:40:21 ID:PDyHoFuE0
>>30
>関東軍兵士は内地で徴兵された国軍兵士じゃ。
これはもうどうでもいいんかw適当な奴だな
内地で動員されたのはしってるよ それが関東軍となにか関係がある?
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 23:44:32 ID:PDyHoFuE0
内地で動員された兵力を満州にまわす余裕などなかったと思うが
>内地でも徴兵され南方や中国、満州へ動員されたんじゃが
これは確か?
33白馬青牛:2007/12/22(土) 23:57:13 ID:MN2QvDVd0
>>31-32
普通、師団兵士は郷土師団菅区、郷土聯隊菅区の兵となるが、
日本の弱兵雑軍とも云われた全国から兵を募した混成部隊に入隊することも
ある。戦争末期妻帯の補充兵で満州へ行った人もおるよ。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 00:00:21 ID:QpCqyHsc0
ちなみにうちの爺さんが、内地の根こそぎ動員で徴兵されたが
本土決戦がなかったから戦争にはいってない
満州ではソ連侵攻のため、根こそぎ動員された現地住民が即戦
力とされたんだよな
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 00:14:24 ID:QpCqyHsc0
>>33
>戦争末期妻帯の補充兵で満州へ行った人もおるよ。
その話しは具体的に聞いて見たいが、今回の流れはそういうまれな事例の話し
ではないだろ?
満州根こそぎ動員25万が関東軍で闘っていたということに対する反論じゃなか
ったのかな
36白馬青牛:2007/12/23(日) 00:59:28 ID:3lvfBE+60
>>35
じゃけえ最初からズレとるんじゃ。
昭和20年終戦前満州に於いて編成された三桁師団は、在満邦人の
招集兵も含んだが、ソ連軍に対し、112、124、126、128、
135の各師団は、激戦し悲壮な最期を遂げたわい。逃げずに一部の部隊が
玉砕しとるんは在満関東軍古豪師団じゃのうて、寄せ集めを含む兵の方で。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/23(日) 01:20:43 ID:QpCqyHsc0
>>36
地域にもよるが、新兵が多い部隊が壊滅しやすいのは仕方ないとして
逃げたというのはどの部隊?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 23:12:32 ID:s6kdeMwk0
在満関東軍古豪師団とはどの部隊のことでしょう
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 22:19:08 ID:Yld6DKU20
逃げたのは関東軍じゃなくて白馬青牛か
40白馬青牛:2007/12/31(月) 00:40:38 ID:hCMQ71Te0
>>37-38
戦記の手記に逃げた部隊まで銘記しとる訳あるまい。
じゃが、関東軍へ引き抜かれた当時の広島39D第231聯隊長の
福永氏でさえ、将兵を見捨てて、軍旗と共に遁走しようとしたわけじゃ。
このことは、お国自慢板の郷土の英雄。帝国陸軍のスレにも書いとるよ。
軍上層部は、少数の方を除いて、平気で逃げる。
関東軍古豪師団とは、昭和20年の臨時編成した師団じゃない
師団を云うたんじゃが、>>27の戦闘馴れしてない関東軍も古豪の部類じゃ。
>>39
アク禁で書けなんだけえのう。わしが誰から逃げるんなら。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 14:45:33 ID:vASkl1oN0
>>40
>戦記の手記に逃げた部隊まで銘記しとる訳あるまい。
苦し紛れにでまかせいっただけか くだらねー
42白馬青牛:2008/01/01(火) 01:32:33 ID:gt4K38TT0
みなさん、あけましておめでとう。
>>41
戦闘馴れしてない関東軍の体質に言及したんじゃが、都合が悪かったんか、
そっちが苦し紛れに、前線で闘うた兵士の手記に「でまかせ」じゃ
因縁をつけるとは、年末〜正月早々根性の腐ったもんよのう。
そこまで兵士を見捨てた軍上層部の弁護がしたいんか。
逃げた連中より、前線で血みどろで闘うた将兵の言こそ真実じゃ。
>>40のお国自慢板のそれは、
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
満州の顛末は、493、494、495にも書いとるよ。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 02:05:04 ID:v9/4Wt810
>>42
想像でかたられてもなーw
>関東軍兵士は内地で徴兵された国軍兵士じゃ
こんなお馬鹿なこといってたわけだ
ここから苦し紛れに、満州根こそぎ動員25万は戦死したが、在満関東軍古豪師団
がにげんたんじゃーというお馬鹿な言い訳にかわったわけだな

そこから、在満関東軍古豪師団なんてすでにほとんどないのにきがついたんだろうなw
ここでお馬鹿の上塗りだなw
>関東軍古豪師団とは、昭和20年の臨時編成した師団じゃない
>師団を云うたんじゃが、>>27の戦闘馴れしてない関東軍も古豪の部類じゃ。

逃げたほうがいんじゃないのか 年もかわったことだし




44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 02:15:03 ID:v9/4Wt810
>>42
>前線で闘うた兵士の手記に「でまかせ」じゃ因縁をつけ
つけてないよ、被害妄想もいいかげんにしてほしいが
これが白馬青牛ということか 論点ずらしは一流だな
45白馬青牛:2008/01/02(水) 00:43:13 ID:cuwfLjBn0
>>43-44
じゃけえ、わしが、まるさ(第31聯隊)戦記や第231聯隊第五中隊記
から引用した文のどこが想像なら?関東軍兵士の多くは内地で徴兵された
国軍兵士じゃない云う根拠は何か?昭和20年には、内地帰還云う名目で、
軍命令によるが、現地開拓民を置き去りして、編成の早い古豪師団もが
遁走しとるよ。遁走するんなら関東軍の意味はあるまい。これが論点の
中心になることで、論点をずらしとるんはどっちなら。
>>27の戦闘馴れしとらん関東軍の件は、>>26に、昭和十九年じゃ云うとる
んで。被害妄想?云うてなんなら。満州開拓民のどこが被害妄想かいのう。
条約を破棄して満州へ侵攻したソ連軍を正当化するんか?
侵攻したソ連軍も、日本人開拓民を見捨てた軍上層部も同罪じゃ。
これが白馬青牛いうことか?云うおどれはなんぼのもんなら。
結局わしに、逃げるじゃの、論点ずらしは一流云うてわし直接じゃのうて、
第三者に白馬青牛はこういう奴ですよ。云う第三者に同意を求める軟弱もん
の、書きっぷりじゃないか。武士道の誇りやかけらもない、哀れな人間よ
のう。風の悪りいこたあすなや。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 02:43:13 ID:xdmswxHD0
>>45
>被害妄想?云うてなんなら。満州開拓民のどこが被害妄想かいのう。
>条約を破棄して満州へ侵攻したソ連軍を正当化するんか?
こういうのを論点ずらしというんだよ その下もそうだ 
自覚がないなら相当やばい、わざとやってるんだろうけどな
武士道やら持ち出す前に、逃げの姿勢でしか書きこまないからな
それがあんたに対する印象だよ

関東軍は、1/3が新兵だろ
>関東軍兵士は内地で徴兵された国軍兵士じゃ
このお馬鹿な書きこみを無かったことのようによくのうのうと書きこめるものだ
その神経は感服するよ これが白馬青牛かとはそういうこと

在満関東軍古豪師団とはどの部隊なのかというのが論点だが
あんたが区分したんだ、グダグダ中身のないこというまえに
かいたらどうだ、想像厨の白馬青牛よ
47名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/02(水) 02:54:09 ID:xdmswxHD0
>まるさ(第31聯隊)戦記や第231聯隊第五中隊記
これなんだが、そういう本はでてないようだが、どこからの引用なんだ?
2chではでまかせで書く奴もおおいからな
もっとも、こういう個別の戦記を読む前に全体的な知識が
欠如してるようだ、それでは どういう状況でそうなったかも理解できんだろ
48白馬青牛:2008/01/02(水) 23:18:08 ID:cuwfLjBn0
>>46-47
逃げとるんはわれの方ど。関東軍の満州根こそぎ動員は、昭和20年
7月10日じゃなかったか。昭和19年5月の満州編成師団の107D、
同じく昭和20年満州編成の122D(第11師団の残留組も混じって
おった)や孫呉でソ連軍と戦闘した123Dもあるが、内地で
訓練を受けた国軍兵士じゃ。眼こそぎ動員時期の昭和20年7月編成は、
134Dからど。昭和20年7月編成から1ヶ月余りの師団を中心に
論点をずらしとるんは、われの方じゃ。
第31聯隊じゃのうて、2が抜けとったわい、「まるさ(第231聯隊)
戦記(藤友会、聯隊史編纂委員会)」じゃ。そういう本は出てない?
わりゃあ馬鹿たれじゃないか。
郷土戦記は概ね非売品じゃけえ、一般書店に出るわけあるまあが。
郷土の図書館や古本屋でしか見ることは出来んよ。
わりゃあ地元も郷土戦記に眼を通さん程の馬鹿か。そいで、ようヌケヌケと
書けるのう。ほいで、まるさ戦記は、引用じゃのうて手元に持っとるよ。
でまかせ書く奴は2chのネットウヨのことか?全体的な知識とは何なら?
どういう状況でそうなったか理解しとるんなら、何で状況を云わんのか?
具体的に書かんかい。わりゃ抽象的な文章を羅列して「逃げるな」。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 22:01:31 ID:9Cl65S/I0
>>46
負け戦ってのはそういうものだろ、現役師団でも離隊逃亡は普通に起きる。

ニューギニア、ウ号作戦、レイテ戦然り。

ソビエト参戦時の日本師団が新兵だからってのは逃げ口上としても稚拙。
50白馬青牛:2008/01/05(土) 01:56:03 ID:xGMwgUgm0
>>49
負け戦さは、離隊逃亡は普通にあるが、マニラの弘前第八師団の
斉藤隊などは立派なもんじゃ。
参謀たちが、降伏する意図のもと、斎藤隊に洩らさぬよう指示していた。
このような卑屈で意地の悪い行為が行われたのは、かわらぬ団結を持って
行動してきた斉藤隊、及び斉藤大尉に対し、嫉妬と憎悪の感情から「斉藤隊
は放置して行け」という方針になったのだろう。と、伊藤桂一氏は云わ
れる。
「軍全般が飢饉による錯乱ーに陥ちていた状況の中、斉藤隊は終始、
団結よく行動し、相互扶助の精神、連帯感を失ってなかったが、隊長である
斉藤大尉が卓越な統率力を持ちながら、自身を、「隊長というのは部下に
養われているだけの存在だ。いわば部下にかつがれているお神輿のような
ものだ」という見解で律していたからである。権力でなく、隊長自身の
人間性によって、部下全員を蔽わなければならなかったのである。
日本軍は一たん降伏して収容所入りすると、意外な懦弱性を発揮して、
高級将校ほど、米軍に阿諛(おべっか)してしまう者も多かったが、
斎藤大尉は意志の通じる仲間とともに、復員に至るまで、自身の節は枉げ
(まげ)なかった。」伊藤桂一氏著、「かかる軍人ありき」(飢餓の中ー
兵団の栄光を守る)から引用。
51白馬青牛:2008/01/05(土) 02:22:04 ID:xGMwgUgm0
>>50の続き。
斉藤大尉の人間性は立派なことじゃが、反面、参謀の自軍将兵を見殺しに
する不人情や嫉妬心は、日本人の性質が表れとるし、高級将校の懦弱性も
その例外では無い。ほいで、斎藤大尉について来た兵士は東北兵である。
「斉藤大尉は、かれらを放置した自身の非情を激しく責めた。この歩哨も、
さすが東北の兵隊である。大尉は東北兵団に配属されたとき、与えられた
命令は必ず解除しない限り、兵隊は絶対に臨機の処置はとらない、という
朴訥な性情については教えられていたが、すでに日本軍が潰走している
状態の中でさえ、一途な命令だけ守って、立哨地点を動こうとしなかった
兵隊たちの行為を、どうほめてやってよいかわからなかった。」
東北の兵隊の強弱は別として、朴訥や忠誠心は旧国軍で褒め称えられただけ
あって、郷土地域の性質が強い兵隊なればこその話でもある。
52白馬青牛:2008/01/05(土) 02:52:58 ID:xGMwgUgm0
>>51の続き。
弘前兵団(青森・岩手・秋田・山形の壮丁)は、東北北部の純朴な
兵団気質もあって風評では精強師団の常連でもあったけんのう。
http://www.rakuten.co.jp/ishii-fruit/owner.html
文中に、「熊本師団、広島師団と並び国内最強師団と言われた。」と、
あるよう、軍上層部の評価も風評人気も高い兵団じゃったようじゃ。
弘前師団は、南九州の熊本師団の攻撃性の強い兵団気質、広島師団は、
風評人気より実力でもぎ取った最強師団に恥じぬ戦歴と実績が個性で
あるが、東北師団ファンの伊藤桂一は、広島70Dについて
「広島編成の部隊は、もっとも(上下忠誠関係でなく横の友情)人情に
厚い連帯感を持っているが、そういう連帯感に支えられているからこそ、
思いきった挺身行動(隠密行動、遊撃戦)もできるのである。」
と、云われる。郷土自慢になったが、兵隊の地域個性や性質が占領地や
戦闘行動に影響する部分は大きい。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 05:18:36 ID:luyFUhen0
前線将兵の補給途絶や指揮命令系統の崩壊による離隊逃亡はある程度仕方が無
いにしても、ソビエト参戦以前によりにもよって司令部が前線将兵はおろか現
地邦人や同盟国首脳を放り出して逃げ出して丸ごと逃亡した例も有る。

木村兵太郎(階級は大将)とビルマ方面軍司令部(参謀長の田中新一を除く)
がそれ、隷下部隊や方面軍参謀長が前線指導するよう念押ししたにも拘らず参
謀長が出張したのを見計らって勝手にビルマ放棄を宣言し、しかもご丁寧な事
に前線部隊はおろか同盟国首脳のバー・モウやチャンドラ・ボースにも内緒に
して、自分達は慰安婦や芸者達を「篤志看護婦」と偽って同行させて逃亡。

前線部隊がいつまでたっても連絡が来ないので司令部に赴き、ものけの空にな
ってるのを見てはじめて司令部が逃げ出したのを知る。

因みに木村はA級戦犯として逮捕され極東国際軍事裁判にて死刑、1978年
に靖国神社に合祀された。

こんな屑を靖国に入れる奴の神経が判らん。
54白馬青牛:2008/01/06(日) 01:23:08 ID:a2Wyv0FU0
>>53
日本の上層部の見殺しの文化。降伏した場合は諂い、おべっかを使う
要領だけは身に着けておる。現在も靖国自体も遊就館も米国の圧力で
記述を変更・撤去で、中国・韓国の内政干渉に騒いでも、米国の意思と
なると、従がうだけじゃし、米国様の意向次第の構図は変わらん。
同国民を見捨て、逃げた人たちを弔う場所がないと靖国になるんじゃ
ないか。勇敢な兵士も逃げた臆病者も同様に英霊になることまで、
今んところ米国が関係ないと寛容な態度を示す現状では。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 00:05:17 ID:Js8Y82v40
白馬青牛ってオバヤンだよな
56名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 01:54:21 ID:XGNLQNaa0
来日時に、靖国訪問を希望した米大統領っていなかったっけ?実現しなかったけど。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 22:34:53 ID:bcvhb3dc0
白馬の馬鹿出没!
何時も何時もどこかで聞きかじったことを自分の事のように書きなぐれるな。
お前の馬鹿さには呆れるぜ。親族に一人の将校もいなければ、好きかってな
ことが書けるよな。一人で妄想の世界に浸れよ。
58白馬青牛:2008/01/09(水) 00:03:22 ID:98C8NQOE0
>>57
聞きかじって何が悪りいんか。もちろん自分の経験じゃないが。
親族にも将校、下士官、兵卒もおるよ。日本はドイツのプロシア貴族じゃ
あるまいし、階級性の薄い社会じゃ。
わしの親類は明治期に、近衛師団の将校であった人もおるし、昭和期、
地元の広島師団に所属し、部下を見捨てず戦死された人もおる。
旧制中学時代、他校との喧嘩で何回も放校になった人は、幹候を受けず
最後まで兵卒じゃった。
まあ、わしの親族は階級の違いはあっても、部下、後輩に人情を持ち、
上官に従順でない、反骨者であったことは誇りに思うとるよ。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 02:08:41 ID:buJuN5ZU0
親族に将校がいなきゃ書いちゃだめなの?
あーあ とんでもないアホな子孫を排出してるなご先祖さまはw
60名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 04:59:37 ID:qY5ItL3eO
>>59
あきれた…
61虐殺否定論者:2008/01/10(木) 15:25:40 ID:O+wkkblo0
実際には南京で、非戦闘員虐殺はかなり行われましたが、
あれから70年、もうそろそろ日本も中国にぺこぺこ頭をさげるのはおかしいと思います。
70年も前の事ですし、もうこのさい「虐殺はなかった」事にしましよう。

右翼の方々の論理のように、本当は虐殺はあったけど「なかった」事として、
新たな一歩を踏み出しましょう!

桜チャンネル万歳です!


62白馬青牛:2008/01/11(金) 00:15:20 ID:+TUOrjvK0
>>61
虐殺否定論者氏は、「非戦闘員の虐殺はかなり行われました」と
認めとるじゃないか。まあ日本人の隠蔽癖が逆に世界に恥をさらすことに
なるんじゃないか。虐殺はあったが少数に収めたい、軍上層部の弁護を
したい秦邦彦氏を苦しめんでも。
虐殺なかった派が増え、軍上層部の人たちまで虐殺肯定派の嘘つき呼ばわり
されるんは秦氏にとって辛かろう。
松井石根将軍が「南京事件ではお恥ずかしい限りです。私は日露戦争の
時、大尉として従軍しましたが、その当時の師団長と、今度の師団長など
比べてみると、問題にならんほど悪いんですね。武士道とか人道とかいう
点では、当時と全く変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて
軍司令官として泣いて怒った。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行に
よって一挙にしてそれを落としてしまった、と。ところが、このことの
あとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは『当たり前
ですよ』とさえいった。」と、云われたが、虐殺がなかったことにしたら、
軍上層部の人たちの証言は嘘つきになる云う、矛盾が出てくるけんのう。
虐殺否定論者氏は、そういうことに対する、うまい皮肉を云われる。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 10:22:00 ID:h7HfR2y/0
白馬青牛という人間はいったい何が言いたいのか?
文が長い&わかりにくい。

主張を一言でまとめると、どうなりますか?
64名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 14:32:13 ID:PQKEfUYx0
昭和18年6.8に、戦艦「陸奥」が沈没。
沈没原因は、敵の攻撃ではなく、艦内で窃盗を繰り返していた二等兵曹による放火が原因。
捜査の手が伸びてきたことで、証拠隠滅のために火薬庫に火をつけ放火。
死者1121人。この事件は、史上最大の大量殺人として知る人ぞ知る大事件である。
このように敵の攻撃ではなく、仲間内の日本兵による沈没事件は数多い。

他にも、戦艦河内、巡洋戦艦筑波、 戦艦三笠、装甲巡洋艦日進など、すべて、アルコールで酔った勢いの放火や、
虐めを恨んでの爆発沈没など、実際には、日本兵による沈没事件の方が多い。

65名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 17:34:39 ID:8NPw36h40
放火というのは一つの説でしかなく、未だに原因は不明。
河内、筑波、三笠、日進も同様。
ハッキリと決まったみたいに書くのはただの愚かでしかない。
66白馬青牛:2008/01/11(金) 23:29:04 ID:+TUOrjvK0
>>63
文が長い云われても、駄文から解釈してもらえばええことですよ。
一言コメントで自分の考えをまとめるほど、賢くありません。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 13:22:16 ID:pIcq2bhn0
>>66
それはどうも。のんびりよみます。( ´-` )
68名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 14:01:41 ID:8sxRS2vkO
末期のあたりの最前線なんか乱れまくりだろ。
後ろからも弾が飛んでくるといわれてたしな。
軍艦でも新兵をリンチで殺してしまいどさくさにまぎれて海を放り込み事後報告では事故死。
現場の士官もみてみぬふり。
ほんと嫌だな。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 15:35:45 ID:V5+bXffT0
海軍の場合は一般人には被害が及ばないからいい
船が沈んでも、死ぬのは海軍軍人とせいぜい軍属だけ。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 18:54:44 ID:81FWtSRl0
おいおい、輸送船の乗組員は?
71名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/16(水) 22:44:33 ID:sCbx3xTZO
>68
軍隊でのイジメは最前線では沈静化するのが通常だとものの本で読んだが。後、海軍は陸軍にくらべ少なかったとも。
あなたの逸話は何でしったの?
72名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 01:38:58 ID:ELfKvmb70
普通現場の兵の一人がいなくなっただけで大騒ぎでは?
まして艦船上では?
73名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 22:38:08 ID:SeDytEkeO
新兵いじめは海軍の方が激しかった、陸軍兵が海軍兵と違うのは個人で銃を任される点。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 21:32:57 ID:Than/Jsn0
【九州?】広島人気質と近いのは【関西?】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1187969286/
【熊本?】博多っ子と気質が近いのは?【広島?】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1189583552/
20代前半の韓国人の平均身長170・80センチ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1120402893/
アイヌ女性とケコーンしたい!!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1064748910/
日本人どこから来たんだ?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/
帝国陸軍二等兵
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1195008563/
■騙されてた!弥生人は渡来人じゃなかった!■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1125596156/
坂東武者は本当に残忍だった?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/
▲日本人に近い顔の人種▲
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1101414306/
郷土の英雄。帝国陸軍師団の歴史 其の弐
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1144579367/
【旧日本軍】 戦陣訓 【軍紀の乱れ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1197768526/
75名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 21:42:09 ID:Than/Jsn0
【日露戦争】旅順攻略における白兵戦6【203高地】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1184864583/
日本女性は処女性を重んじない
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163713670/
出身国別 最強兵卒はドコだ?? パートB
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187470340/
【最上】出羽の戦国大名 弐【秋田】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156478887/
犬食についての考察
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/geo/1120168911/
76名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 01:42:58 ID:wdrGbvMu0
捕虜になることを禁じなければ、優秀な人材の損耗もある程度防げたと思う
77名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 06:52:59 ID:j5tuX0sf0
>>76
そうだろうけど
でもちゃんと捕虜として扱ってくれのかどうかも不明だな

なんせ黄色い猿とおもわれてるんだし
78名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 03:57:59 ID:SlIr7nRAO
宮城事件についても資料収集してるんですが、これもまたすごい事件ですよね。
終戦の日に軍事クーデターがあったとは知りませんでした。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/18(月) 08:59:20 ID:OwQjONtsO
>>73

確かにそうかもね。

いつか忘れたけど テレビ番組で 元兵隊さんの爺さんの証言にもあった。 戦後もずっと部下の報復行為に脅えてたとか。
つねに刀や実弾入りのピストルみたいなんを手離せなかったって。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 19:27:43 ID:3YcEBQbIO
また祖父の戦争話を二時間も聞かされた。
うるせーつぅの、マジで。
南京で中国人を何人叩き切ったとかすげー自慢してくる。
もう勘弁。昔の武勇伝はもういいよ。

まじ、うるさい。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 21:31:07 ID:9+mwcTWd0
関東軍ってのはかなり流動的な部隊だな
師団がよく入れ替わっている
82名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 21:45:13 ID:pp6s/inT0
日中韓首脳会談、9月21日開催の見通し
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080820-OYT1T00419.htm

 日本、中国、韓国の3か国首脳会談が、9月21日に神戸市で開かれる見通しとなった。

 外務省幹部が20日、明らかにした。3国は首脳会談を年1回、
持ち回りで定期開催することを決めており、今回が初めてとなる。
中国は温家宝首相、韓国は李明博(イミョンバク)大統領が出席する。

 3か国首脳会談は、日本が新学習指導要領解説書に竹島問題を盛り込んだことに韓国側が反発し、
日程調整が遅れていたが、事務レベルの協議で9月21日開催の方向となった。
町村官房長官は20日午前の記者会見で、「韓国に一定の提案をして回答待ちだ」と述べた。

(2008年8月20日14時41分 読売新聞)
83名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 00:21:13 ID:rnRsGf0k0
なるすれ
84名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 00:04:01 ID:rwp36fVlO
俺の爺ちゃん、南京攻略戦に参加してるよ。
やっぱ、当時は言われてるようなことはあったみたいやね。
爺ちゃんによれば、中国人を縄で縛りつけて、
ドラム缶の中に入れて、
その中に手榴弾いれて、
ズドンっ!と爆発させて
川に流してたらしいよ。
上官の命令だし戦争だから仕方ないって言ってたな。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 00:49:03 ID:3XYMOULO0
戦陣訓書いた本人が、即死しない腹を撃って見せかけの自殺まがいの
ことをして挙句の果てに首を括られたことは、それに囚われ死んだ
軍人を思うと涙が流れて止まない
86名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 02:24:24 ID:MujVnHDL0
ムッチーは自分の中華料理店に遺族がやってくると、居留守を使って逃げていたという。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 11:40:11 ID:0FomU0Xz0
戦陣訓が兵を律するどころか、日本軍は捕虜にならない、だから相手捕虜も人間扱いしなくていんだ、なんて戦陣訓理由に自分の非行を正当化した軍人すらいたぞ。
小笠原人肉食事件とかで。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 12:28:37 ID:c+JELYkt0
というか、下級兵士に国際法の勉強すらさせていなかったんだろう?
ジュネーブ協定すら知らない兵士が、ライフルもって現地でなにをやったか
簡単に想像ができようものだ。人倫なき日本兵の質が悪いなんてことは
小学生でもわかる。

戦陣訓なんぞより国際法を勉強させればよかったものを。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 12:35:09 ID:pdiYHBoY0
>>88
日本兵の後進性の例として指摘されることだけど、
最近見たドキメンタリーではアメリカ兵も習っていないそうだぞ。

俺たち騙されていたのか?
90名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 12:59:12 ID:0FomU0Xz0
日本軍は、「日本兵は捕虜になるような恥は受けないんだ」と、捕虜関連の条項が追加されたジュネーブ条約調印を見送り。
太平洋戦争がはじまってから、中立国にせっつかれてやっと準用する、と曖昧な適用を宣言したぐらい。
士官クラスですら知らなかったんじゃないの?
91名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 13:48:36 ID:VZWLbOVW0
気になるスレ発見!
92名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/12(金) 15:34:05 ID:AZeetzDH0
先週の日曜日にさ、お爺ちゃんの日記帳が偶然出てきたんだよ。
何書いてあるのかな・・とペラペラめくってたら、なんか当時のグロイ写真が
たくさん出てきたんだよね。あとは仲間は婦女に暴行をしたとかたくさん記録が出てきたよ。
ちなみに俺の爺ちゃんは旧日本軍の少尉だった。
93名無しさん@お腹いっぱい。
http://blog.crooz.jp/usr/yuki339/ums2/show_article.php?guid=on&no=50
在日だか日教組のおかげか知らないけど
高校生さえもこんなブログ書いてるよ