大正デモクラシーとは何だったのか?

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1名無しさん@お腹いっぱい。
何だったのか?
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 20:35:12 ID:N4EIepY9O
短小でもイクらしい
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 21:15:27 ID:4A3lf7jA0
桂太郎カワイソス
4日本人:2006/10/15(日) 21:42:04 ID:G54tRXWk0
薩長に負けた奥羽列藩同盟の逆襲。その筆頭が南部藩の家老の息子原敬。
今、小泉(旧姓鮫島)薩摩、安部長州、それに対する小沢一派は仙台藩、南部藩
、会津等の東国。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:25:49 ID:4A3lf7jA0
原はやっぱり神だな…。初の本格的な政党内閣でありながらその完成度の
レベルも高かったし。そんな政友会も田中義一が芯だあと辺りから劣化が
激しくなるわけだが 
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/15(日) 22:27:12 ID:wZakzIMl0
普通選挙の実現であっけなく息切れしてしまった思想運動。
議会開設で息切れした自由民権運動とパターンがよく似てる。
政府のアメとムチの施しの方がはるかに上手だった・・・
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 23:27:11 ID:safyMkGxO
大正デモクラシーによる日本社会の変革は、
第二次大戦敗戦によるそれよりはるかに大きい。
大正デモクラシーこそが、日本の亡国への歩みの起点であった。
戦後の民主主義イデオロギー物語では、
このことは意図的に無視されるがね。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 05:20:49 ID:uTJAjn4p0
フェミニズムなんかもあの当時、現在にすら負けない程に燃え上がっていたそうだからな。
関東大震災、昭和恐慌となって流れは一変して行った…。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 07:50:22 ID:I/LJVFzL0
 今日の日本主義国家主義革新運動の直接の淵源は大正七、八年代
に求められてゐる。当時の国内に於けるデモクラシー運動及び社会
主義運動に対する反動として国粋運動が盛んとなり、大正赤心団、
縦横倶楽部、大日本国粋会、大日本赤化防止団、大日本正義団、建
国会等の愛国団体が簇出したのであるが此等団体の任務とするとこ
ろは国粋主義国家主義によつて西洋流のデモクラシー、社会主義思
想を排撃するにあつて、現状維持の消極的運動に堕し、彼等の中に
は往々にして既成政党の御用団体として活動し或は資本家の用心棒
として暴力を逞うし世人より擯斥されるものも少くなかつたが、此
の間に於て積極的革新的見解を持し外来異端思想の乗ずるの隙なか
らしめる為、国内改造を断行し、社会矛盾を克服して革新日本を建
設せんとの主張を為すものを生じた。即ち老壮会(大正七年十月)
猶存社(大正八年八月)に拠れる北輝次郎、大川周明、満川亀太郎
等の一派、興国同志会(大正八年四月)に拠れる上杉慎吉博士一派
及大衆社に拠れる高畠素之一派である。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 16:56:57 ID:A4wsOfnF0
>>8
戦前の中では一番民主的な時代だったんだろうな。フェミニズムもそうだし
時の元老山県有朋が死去した際にも「死もまた奉公」とか書いたり原敬首相
が暗殺された際にも「万歳」と言いながら配った号外売りもいたらしいし。
(ある種今以上・・。)それで両者ともこれと言ったお咎めなし。
皇室でみても太平洋戦争中のような天皇陛下万歳風潮は非常に薄く天皇や宮中のことを
たわいもない雑談で話すこともあったらしいし。天皇の病気持ちであることも公開している。
又皇太子(後の昭和天皇)の結婚時には当時の彼の背広姿や登山姿、馬車の御者をしている姿、
良子皇太子妃とテニスをする姿などが新聞や雑誌に載せられたらしい。
又、両者の趣味もテニス、ピアノ、園芸と当時モダンの代表的な趣味でと紹介され非常に
モダンであると記事になり「皇室もモダンに」などという感覚で一般国民には歓迎されたようだ。
そういう点では戦前の中では非常に民主的な時代だったと言えよう。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 22:05:08 ID:g0rwtKG5O
テレビで今やってる
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 22:07:39 ID:bprzXdSNO
その時歴史が動いた!
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 03:59:21 ID:Sk5fVEnN0
>大正デモクラシーとは何だったのか?

金持ち(財閥)がヤクザ者(政党人)を雇って

堅気の政府(藩閥政府)を乗っ取った・・・

ってことでしょう。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 18:29:16 ID:I9d/FwkY0
大正時代の方が戦後日本より西洋に近づいたというのは今や常識になりつつある
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 19:16:07 ID:ZDhzZ+vo0
 然るに世界大戦後から昭和の初期にかけて、我が日本
の政界・学界・思想界等の病的な欧米崇拝論者は・・・
・・国際政局裏面の認識を欠き、英・米・仏等の自利
的現状維持論、自己保存的平和論、仮装正義人道論等に
心酔して全く彼等の思想戦の術中に陥り、帝国本来の
姿と道義に基づく国是、国策を忘れて、自ら帝国を侮蔑し
て、軍国主義、侵略主義、帝国主義等と卑下しながら国
策の進路を誤らせ、好んで欧米迎合の対内外消極政策を
採り、内にあつては数次の軍備縮小を断行して外交の推
進力を弱化したのを始めとし、一切の方面に緊縮退嬰政
策を施し、遂には産児制限を高唱するものさへ現はれ、
外に対しては屈従外交によつて数多の理不尽な条約を
甘受し、欧米に媚び支那に媚びて自ら二十一箇条の廃
案、青島還附を提唱するものもあり、遂には日清・日
露の戦役に於ける苦心と犠牲とを忘れて在満権益放棄
論を主張する者さへ現はれ、外交国難、経済国難、人
口国難、思想国難の渦中に国民を投じて、全く民族的理
想を喪失せしめるに至つた。今日これを顧みれば実に満
洲事変、支那事変を未然に防止し得なかつた責任の大半
は、これら外来思想中毒者の負ふべきものであると信ずる。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 19:33:14 ID:T3i83K7RO
地域分布図
富山大荒れ、和歌山大荒れ
各地点々と飛び火

九州地域穏やか穏やか
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 21:50:58 ID:NShN+H8HO
その地域差は何に基づくの?
九州地方の主食は米じゃなくてタロイモ・キャッサバだったとか?
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 22:04:38 ID:T3i83K7RO
>>17さーねー 田畑はあるだろうが 老女が巻きおこした暴動だし


その時歴史動いた(再放送)あるんじゃない?
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 02:13:47 ID:byvoKJGS0
4年に及ぶ大戦の結果、
専制君主国家のロシアが崩壊して共産主義国家に、
立憲君主国のドイツ・オーストリアが崩壊して共和制国家になり、
もっとも民主的な立憲君主国イギリスと、
民主共和制のフランス・アメリカが生き残った。
(イタリアは・・・?)

この結果だけを見れば、
「立憲君主国は古い。戦争にも弱い(<=ここ大事)。
 自由民主主義最強!!!」
「立憲君主国が生き残るには、イギリス式に民主化しなきゃだめだ。
 下手に改革に失敗すると、ロシア式に共産化しかねない。」
という意識になる。

これは国民だけじゃなく、宮中・元老たちも持っていた共通認識。
だからこそ、さまざまな民主化が上下一致で一気に進んでいった。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 13:17:49 ID:2QuaNkaS0
大正時代へのアンチテーゼが昭和の激動
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 19:56:04 ID:8Nw7lOQV0
そして戦後は修正大正デモクラシー。



そして今、行き詰った(w
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 14:37:37 ID:uuSbOiFT0
>>8
現在のフェミニズムがこれから先どうなるかを考える上でもその歴史的事実は
何やら実に暗示的である。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 23:57:53 ID:guCBKJ9p0
大正デモクラシー期や当時のその流れでの政党内閣とか見ていて思うことは
政党内閣が結果的に日本に明治憲法の枠内であれ芽生えつつあったデモクラシー
を潰してしまったことだな。
加藤内閣の治安維持法制定や軍事教練必修化、現役将校の配属令や、田中義一内閣での
治安維持法改正、山東出兵、特高警察全国設置、3・15事件など、そして浜口内閣の金解禁政策などの
経済政策の失敗とそれによる格差社会と財閥の更なる巨大化、そして全政党内閣時代共通の党利党略に
走りすぎたこと。又、浜口内閣のロンドン条約調印に対して、政友会の犬養総裁が「統帥権の干犯」
と大批判したことなど数えればかなり数多くある。
そしてこれらが結果的に右傾化や軍部の台頭を許してしまい日本にわずかながら芽生えつつあった
デモクラシーをつぶしてしまうことになるのだから。
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 09:09:41 ID:GV9yZ96+0
フランス革命同様一種の熱病みたいなものだなw
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 18:59:59 ID:hiw74kk/0
おれは伊藤博文の政友会と、桂太郎の憲政党の二大政党制を見てみたかったな〜〜
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 20:29:39 ID:5zi2ALwC0
 大正の中葉以後、第一次欧州大戦中の未曾有の好景
気を機会として、頓に擡頭し来つた自由経済と民主主
義政治の思想的風潮とが、つひに畏れ多くも大御心
を悩まし奉るの弊風を生じ、御訓戒の勅語を拝するに
いたつたことは、われら赤子として深くその罪に思ひ
をいたさねばならぬことであつた。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 16:36:11 ID:wv8IVbRP0
良く大正デモクラシーの反動と言われるが、
大正デモクラシーは英米流の民主主義というよりヨーロッパの社会主義も合流していたから
大正デモクラシーに軍部が合流し軍部に合わない部分を弾圧して行った結果ああなったと
考える事も出来る。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/19(火) 21:27:12 ID:KPhwD1pI0
> 御訓戒の勅語

”国民精神作興ノ詔書”のことかな?
http://www.geocities.jp/nakanolib/shou/st12.htm
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:48:22 ID:Wqekf9sb0
中央政府が頭パーの天皇に振り回されてたおかげで
民間ではデモクラ運動する余裕が生まれたわけだなw
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 04:06:14 ID:cu2JVVTN0
つーか普選法案は衆院では明治末に既に通過しているよ。
震源はもっと深い。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 02:39:01 ID:hDR2lo3t0
>>27
特に陸軍には社会主義も入り込んでたから
合わない部分の弾圧というより内ゲバに近いだろう。
実際昭和は内ゲバの連鎖だしな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 07:28:16 ID:0s3Lsko10
厳かな雰囲気に包まれた日本の議場、壇上に立つは軍服に身を包み
原稿を手にする一人の紳士。その面前には百人超の議員達、実に恭しく
敬礼している。
が、次の瞬間議員たちの間にどよめきが起こる。というのも壇上の紳士が
にわかに原稿をくるくる丸めると、望遠鏡のようにそれを覗き込みながら、
辺りを見回し、へらへらとしまりのない笑みを浮かべているのである・・・

お分かりであろうが、この紳士とは大正天皇その人であり、彼は天皇の
業務をおよそこなし得ない白痴であった。この逸話は、皇室に関する醜聞
がタブーとされる日本において陰ながら語り継がれてきた。

斯様な彼の知的障害は、遺伝性のものであり、明治期以前の歴代天皇家
の近親相姦が原因であった。かつて天皇はごく一部の血縁ある公家としか
通婚せず、その血はおのずと濃くなっていった。

こんにちにも、現天皇のいとこもまた軽い知的障害があり、先日の皇太子妃
雅子の流産も、胎児に身体または知能に障害があったために秘密裏に人口
中絶したのではないかと、まことしやかに囁かれているのも事実である。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 14:20:02 ID:PQV7XeoA0
長谷川如是閑
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1179906079/
長谷川如是閑は丸山真男が師と呼んだ人です。
知ってる人はこのスレに書き込んでください。
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19679149
長谷川如是閑は大正デモクラシーの頃活躍した人なので
長谷川如是閑に関する本は参考になると思います。   
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 06:07:29 ID:5JK2rbee0
>>32
雅子匪に関しては、口元が先天的な奇形だろ。
その遺伝はありえるだろうな。今でも話し方に気を
使っているようだ。
大正帝に関しては、池沼と言うより側室を嫌った点の方が問題があるが、
子沢山だったのは良いことw
寧ろ昭和帝の馬鹿が養子制度も実現できずに側室制度廃止した方が問題。

将軍や皇帝或いは国王には馬鹿や池沼は出るもんだよ。
大正や昭和なんてものは所詮は明治の延長でしかなく、区別するには時代が
短過ぎるよ。
>>27
明治初頭に徴兵制度による国民国家形成した時点で、民意の政治への反映は
必然だったと言えるよ。戦争ほど国民の政治への関心を高めるものはない。
特に近親や近所の人間が派兵されれば尚更だ。

日本の民主主義の起源は徴兵制度だよ。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:42:32 ID:3Xc4X0g30
>>34
> 日本の民主主義の起源は徴兵制度だよ。

日本に限らず、世界中そうだよ。
すくなくとも、20世紀前半までは。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 07:44:58 ID:vrF49p5G0
>>35
英国の場合は都市の特権商人の身分議会への参加が
議会政治の起源になっている。この所謂ブルジョワジーの
政治参加は既に中世に始まり突然ピューリタン革命や大戦で
始まったと言うわけではない。英国民主政治は数百年の歴史の
結果だよ。だから現在でもマグナカルタを成分憲法の一つとして
位置付けている。王権の貴族による制限を選挙された議会の制限に
援用しているわけだ。
また米国の民主政治は植民地での自治から始まっている。
徴兵と言うよりはビジランティズムこそ米国民主政治の起源。
これはフロンティアへの西進、入植の方が影響は大きく、軍隊が
起源ではない。そもそも米国の場合国家以前に民主的な自治が
あったと言え、その場合、保安官や判事や騎兵隊の治安維持や
防衛と言うよりは個々の入植者の自衛にかかっていた。
米国の銃社会の成立は国家の成立よりも古い。

日本の場合、薩長の軍事力強化と言うかなり作為的な理由によるところが大きい。
戦争や徴兵がかなり先行して、民意の反映は遅れた点が特徴と言える。
これが日露戦争後なんかに言われる日比谷暴動に代表される直接行動に帰結
するんだな。これは先導するものもいたわけだが、かなりの民意が伴っていた点に
特徴があり、例えば一部の民意でしかなかったロシア革命や米国の独立、
等とは大きく違い、だからこそ制御ができなくなっていった。
民意が本当に多数の大衆の意見になり、過激になった場合、それはもはや
制御はできない。あらゆる憲法で、特に国政への、民意の反映を制限している
理由だ。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 01:12:12 ID:l2OUib5K0
対外膨張主義を捨ててしまえばよかったのにといつも思う。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 09:56:58 ID:0WU+qhJP0
政友会が積極政策取っているからそれは無理だったろう
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 11:32:51 ID:FYl3+2V60
政友会が政府・軍部でなくて憲政会などともう少し連帯していれば、昭和に入ってああなることもなかっただろうにな
40名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 11:44:07 ID:2K+PsA980
政友会と憲政会があるように、民間でも軍部でも違う考えの集団が並立していた。それが大正時代。
それ自体は悪いという訳ではなくむしろいい事なのかもしれないが、
昭和に入って対立が激化して一方が潰され一方が幅をきかせるようになる。
むしろその辺が不幸のはじまり。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 00:58:19 ID:VjscqU630
右翼やつくる会の連中は大正デモクラシーを無視していないか
42名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 01:23:53 ID:AyZPZd+B0
まあ、大正デモクラシーつっても、結局は政治家どもが私利私欲に走っただけだしなあ・・・・。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 21:10:52 ID:QwUH2Mnk0
 然らば何故日本の学生が、暴力革命主義と無産者独裁と
を謳歌して、之に反撥し之を拒否しないのか。英国の社会
主義は之を拒否してゐる。仏独両国に於けるマルクス主義
の多数派も亦之を拒否し、米国に於ては社会主義そのもの
がまだ問題にはならないが当然に之を拒否するであらう。
然るに日本のマルクス主義が共産主義の形に満足するは何
故か。それは極めて簡単である。之を拒否すべき必然の思
想的準備が欠けてゐるからである。
 無産者は勿論のこと、有産者に対してさへ最近に至るま
で選挙権は与へられなかつたのである。議会制度に依る社
会改造が、痴人の夢に等しと思はれたのは無理ではない。
殊に重要なのは国民が、政治的自由といふ観念の洗礼を受
けてゐないことである。すべて自己に関する限り、あらゆ
るものは之に発言する権利と義務とがある。それは専制君
主に対立し少数政治に対立して、今日の議会制度を将来し
たのである。人たる限り彼は制度の変革に預かるの権利を
有し又義務を持つ、彼はたとへ彼の利益の為であらうとも、
無視され看過さるべきではない。之が開明専制にさへ抗争
せしめた思想である。比に個人人格の権威がある。かくし
てすべてが預つた制度こそ制度としての職能を果しうるも
のであり、制度がすべてのものの肯定の上に立つ故に容易
に崩壊せざる重さを持つ。然るに過去に於て専制政治に対
して、凛然として政治的自由を主張することを知らざりし
我が国民は、大多数を度外視して少数のもののみが革命を
実行する暴力革命主義に反撥し抗争する何物をも持たない
のである。

河合栄治郎「マルクスより出でてマルクスを克服するもの」1929
44名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 12:25:08 ID:G65buNDW0
「国民主権という虚構」日本国憲法の三大悪(1)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080702/p1

「国民主権という虚構」日本国憲法の三大悪(2)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080703/p1

「国民主権という虚構」日本国憲法の三大悪(3)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080709/p1

「国民主権という虚構」日本国憲法の三大悪(4)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080715/p1

「国民主権という虚構」日本国憲法の三大悪(補足)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20080716/p1
45名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 18:49:15 ID:PgbfAcYYO
まあそういわずモダン焼きとあんみつでも食いにいこうぜ
46名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 23:04:07 ID:rblpBhf8O
軍部は本当に天皇陛下にご迷惑をおかけした
47名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 07:53:15 ID:hwPXtZxz0
なるれす
48名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 17:07:35 ID:zQV3KX9J0
パレスチナ支援に1千万ドル提供 首相、議長に停戦要請
 
麻生太郎首相は3日夕、都内の私邸でパレスチナ自治政府の議長と電話会談し、
早期停戦を求めるとともに、イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆で民間人に多数の死傷者が出ていることを踏まえ、
人道支援として1000万ドル(約9億円)を提供する考えを伝えた。
アッバス議長は謝意を示した。

 首相は「現状を憂いている。1日も早く停戦が行われるよう努力してほしい」と要請。
日本政府もパレスチナ和平の実現に向け努力することを約束した。
電話会談には河村建夫官房長官が同席した。

http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009010301000401.html


49名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/18(木) 17:28:55 ID:+6w/87nw0
皮肉なことに大正デモクラシーで政党内閣や政党政治が始まり、
民主的になった面もあるが、党利党略に走りすぎて国民から政党
不信、政治不信を招き、それが結果として軍部の台頭を許すことに
なった側面がかなり強くある。
結果としては、政党勢力より保守的だったけど藩閥政府の方が安定
していてここまで混乱することはなかったというか。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/18(木) 23:52:21 ID:Qr3CV+uyO
戦後冷戦期の日本が安定していたのは、政権選択が結局のところイデオロギー選択で
政策決定の契機には全くなっていなかったこと、
そしてこのイデオロギー選択で赤いほうに転げこまないよう
アメリカによる徹底した日本の保護があったことが理由だしな。
民主主義が一番機能していた第二次護憲運動以降の日本が
一気に破滅へと転げ堕ちていった点に、日本人という民族の程度が窺える。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/19(金) 00:45:21 ID:c5IS1h930
何が「民族の程度がわかる」だよ。
どの国でも数々の失敗を経て、長い歴史の末にようやく民主主義が根付いてるわけで、
その歴史の浅かった日本が失敗するのはむしろ当然のことだろうに。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 00:20:29 ID:EDGOzYCu0
53名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 21:18:59 ID:oIEoZwkW0
灯台モトクラシー
54名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/05(日) 01:08:22 ID:yIO7M0JH0
>>51
民主主義が安定にするには二世代(50-60年)かかるという経験則があるそうな。

男子普通選挙を民主制開始として、
複数政党の自由な民主制が国民に受け入れられ、
内戦や軍部クーデターの可能性がほぼ無くなるまでの期間を見るとこんな感じ?

・・・2世代から3世代というところかなあ?

      民主制開始 安定
アメリカ  1787  1865−
フランス 1789  1870−
ドイツ   1871  1950ー
イギリス 1918? 1918−
日本   1924   1960−
スペイン 1822?1930? 1980−
韓国   1945   1990−
ロシア  1918?   ?
中国   1950    ?
55名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/27(金) 01:33:25 ID:rFdcB47P0
>>54
複数政党制に立脚して考えるならば、ロシアの開始は1991年であり中国はまだ始まってすらないのでは
56名無しさん@お腹いっぱい。
なぜ大正天皇は話題に上がらないのか…何かタブーでもあるの?
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1261559352/l50