1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 16:47:17 ID:D3b1sCY/0
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 00:11:52 ID:Frr4y0F70
隔離とは悲しいな。
まあ近代なのだろうけど・・・
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 10:19:11 ID:++G4U6JH0
なぜ西郷のスレッドがこんなにも少ないのか
日本人よ、西郷をもっと学べ
そうしないでどうする
西郷を知らないで日本人と言えるのか
言える
芋でも喰ってろデブw
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 23:03:37 ID:dHg9cy2B0
西郷の最期って、被弾して、「もうここらでよか」と言って
切腹したことになってるけど
これはあくまで従者の証言であって、実際は撃ち殺されていたのかもしれない。
それを切腹ということで美化したという可能性もある。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 05:26:55 ID:Fyd8I9aR0
確かに不明なところがあるよね
最後に城山に立てこもったのは40数人だと聞いた事があるが、生き残ったのは
何人なのかな?何人かいるとすれば、なぜ最後まで戦って戦死しなかったのか?
怖くなってバンザイしたの?もしそうなら最後の玉砕部隊の中にも「へたれ」が
いたってことになる・・・。 ちょっと幻滅するよね。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 06:11:52 ID:D2/LF+NJ0
>>9 自分がその立場になったらどうする。
最期まで残っただけでも凄いことだ。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 00:23:31 ID:id68jrLG0
大久保から学ぶことは多々あるが西郷から学ぶことは少ないな
>>11 いっぱいあるよ
今流行りのスローライフなんかそうだろ
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 12:22:42 ID:mGct8NX2O
西郷愛好家のあるべき姿としては、
>>10よりも
>>9のほうが適切だ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 17:49:31 ID:2IuQXxnf0
>>13 怪我して意識不明になってそのまま捕虜になって生き残った木強者だっていただろう。
死を美化しないように。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 19:04:36 ID:wQph2Ha/0
実際に誰が生き残って、どんな証言をしたか知っている人いたら教えて。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:06:09 ID:KM+jbw1yO
13ではないが
>14
鹿児島突入前に全軍を解散した後、西郷が出した訓示を見れば>13の言う通りと思う。
生き恥を晒すより名誉ある死を彼らが望み、城山の戦に挑んだのは事実でしょう。
ちなみに城山が全滅したわけではない。
幹部では野村忍介などが生き残っている。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 07:15:19 ID:ciHEiscw0
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 05:45:45 ID:ufF7bmUe0
今回の西郷スレの初動段階はいきなり西郷どんの最期について盛り上がってますなぁ。
土壇場になって逃げようとして桐野に殺されたって説があるって「とぶがごとく」に書いてたな。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 13:53:42 ID:24/U5eqp0
ヒュー!ヒュー!ヒュー!
(ちゃちゃっちゃらら〜ちゃちゃらら〜)
ヒュー!ヒュー!ヒュー!
(ちゃちゃっちゃらら〜ちゃちゃらら〜)
風が吹くように どこからともなく現れて
「強い体を鍛えよ」と ぼくらに教えてくれる人
その名は岩城純一郎
変身(チェンジ)するんだ正しい男
突撃!ヒューマン 突撃!ヒューマン
ぼくらの先生
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 13:23:30 ID:K5wkrpHi0
村田新八
渋いぜ
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/09(月) 13:59:30 ID:YFfkuMwvO
北朝鮮が今のような最悪な国なのは西郷のせい
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 06:48:18 ID:fQvTXbrM0
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 20:46:48 ID:nl0QCU+kO
スレ違いかもしれませんが、西南戦争後の熊本鎮台の首脳部が写った写真の人物の名前が
谷干城以外わからないので教えてください。どこさがしてもわからない・・・
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 09:01:47 ID:nT62+dJZ0
谷亮子
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:43:23 ID:NkzgfNmZ0
人生山あり谷啓ガチヨ〜ン
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/19(木) 15:38:04 ID:UtlfnYVn0
谷啓のように西郷どんも一発芸が有れば良かったのに。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 23:54:46 ID:kjFK36slO
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/23(月) 01:43:59 ID:lCAExRbPO
>>26 まわりに立ってる武士団の中で一際目立つ背の高い人でかい人が西郷かな?
とされている。
西郷さん写真嫌いだったし理由の一つは また今度教える。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 10:58:43 ID:pzc73vmA0
薩摩隼人が絶滅した件について、おはんらはどう思うか??
>32
長淵がおるとよwww
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:18:52 ID:jG/NaPIS0
長渕なんて生意気だ。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:01:27 ID:jG/NaPIS0
征韓論の征は征服ではなくて、
長州征伐と同じ懲らしめるという意味の征です。
>>34 強がってるけどめめしくて地元が大嫌いで大好きというところが
まさに我ら鹿児島人
37 :
緊急指令:2006/11/10(金) 01:44:03 ID:CeBZ3P8R0
腐った現政権を打倒するために、我々はもう一度立ち上がる。
西郷先生が熊本戦線で君の到来を待っている。
最初の攻撃目標は安部の地元、長州だ!!
>37
まだまだ甘いなw
安倍長州の前に、九州を席巻しとる麻生をやらんとな。
麻生な、仇敵大久保利通の縁者と知らんと?
まずは弔い合戦で麻生を討つべき!
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 02:53:59 ID:CeBZ3P8R0
>>38 おはんナカナカ目の付け所が違うな。
しかし西郷先生は大久保さぁ自身には怨み言は無かったと思うよ。そう願いたい。
>>35 征韓論ではなく、遣韓論だったわけだが。
現在の朝鮮との関係を見ても、あの時西郷が遣韓していたら、状況は変わっていたかもしれないね。
西郷は基本的に対露を意識して、日中韓の同盟を模索していたから。
その後、征台のあと日清、日露と進むわけだから、西郷の思いは杞憂ではなかったわけで。
西郷は自らが作った明治政府を潰す気はなかったんじゃないかな?
アレだけの政略家が無策で、オイドンの体をあげるといっただけだもんな。
言葉通り、死んだわけだが。
薩摩隼人の死としては
>>8の死に方しかないわけで、疑問を挟む余地もないな。
主だったものは、一緒に戦死んでるあたり、潔くて薩摩らしい。
西郷は切腹はしてないはず、突撃して被弾して、ただ別府に「もうここらでよか」と首を落としてもらった。
西郷は言葉通り体を預けただけ。西郷の心事を理解するのは難しいよ。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:53:14 ID:oA6x6doM0
薩摩隼人は突貫 突貫 また突貫
>>41 うむ、なぜか俺は牟田口閣下を思い出したよ・・・orz
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/18(土) 04:08:01 ID:WA7E/adR0
司令官自ら最前線に出て指揮する様でなければ薩摩隼人とはイワンのバカ
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 22:36:45 ID:FrA9cyve0
冬は嫌だお
寒いのはテメーの心だけで十分だお
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:32:48 ID:4izJ9Y1T0
, '´ ̄ ̄` ー-、
/ 〃" `ヽ、 \ 西郷ちゃん!
/ / ハ/ u \ハヘ
|i │ l |リ\ /}_}ハ 西郷どん!
|i | 从 ○ :::::::::: ○l小N
|i (| ⊂⊃ 、_,、_, ⊂li|ノ 西郷さん!
| i⌒ヽ j u (_.ノ u ノi|__/⌒)
| ヽ ヽx>、 __, イl |::::ヽ /
| ∧__,ヘ}::ヘ三|:::::/l| |',:::::ハ
| ヾ_:::ッリ :::∨:/ | | >'''´
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:19:42 ID:GRFBBd7R0
\\\\\\\\
\\\ /⌒\ , ─ 、
/___ヽ / ヽ\\\
/  ̄  ̄ ヽ. i
\\ /  ̄ ̄ ̄ ̄ \ \ |
/ へ /ヽ ヽ ヽノ 私 西郷どんみたいな体型じゃないわ!!
/ /^ヽ /^ヽ ヽ ヽ \\\
|. | 0 | | 0 | | i
\\| `− 6 `−′ |. |
! ! !
ヽ /  ̄ ̄ ̄ \ / /
\ \_ (⌒ヽ丿 / /
━━━6━━━━━ヽ、
/| / ___ \ /⌒ヽ
(⌒ | | ヽ ノ i ` ┬′
西郷は馬鹿だったけど、武士の一分を示してくれたから好きだ!
ラストサムライは西郷と大久保の世間一般の評価を如実に投影した浅ましき娯楽映画だ
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 01:44:57 ID:Jc7yR55B0
(゜д゜)<あらやだ!
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 13:04:31 ID:9qjp3/Ph0
51 :
名無し募集中。。。:2007/12/13(木) 05:45:43 ID:P9rhulc4O
海音寺潮五郎の西郷隆盛は面白いのかい?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 02:44:34 ID:7I25AiR10
西郷隆盛は最高の朝鮮人
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 02:31:41 ID:0WMcyiTbO
よくわかんないけど西郷の写真ってないの?
新潟の村上のどっか(確か酒造所)
に写真あったよ
月照とのホモ心中に失敗し自分だけ生き残ったクズ
>>1 なにが「高潔」だよヴォケ。
薄汚いテロリストだろ。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 04:55:23 ID:D8NxrhOT0
西郷って
明治後なしてまるで使えない人材になりさがったの?
幕末時と別人みたい。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 05:02:54 ID:E+SJCnNJO
小松のほうが身分として
上だったから
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 05:12:15 ID:yTp/AvtzO
小松の親分さん
>>39 甲突川のほとりで生まれ西郷家での食事時には兄弟に並んで一緒に座って飯を食ってたのが大久保
西郷は大久保との政論(征韓論)には破れて野に下ったが
「大久保に任せておけば政府は大丈夫」と漏らしていた由
統幕活動では二人は一つになって目的に向って連携した
西郷も大久保も互いを認めあった仲 結果的に西郷は賊軍の首魁者として担ぎあげられて西南戦争で自刃した
大久保も政府軍をもって西郷を討つのは心中複雑だったと思う。。。。。。(と、後世の小市民は信じたい)
西郷の潔癖さは評価すべき 大海のような大きな懐を持つその度量、人格
不正出の陸軍大将であり、英雄であると思う。
江戸城の無血開城の功労者(勝と並ぶ)
西郷(せご)どんな、安らかに眠ってたもれ
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 07:05:25 ID:E+SJCnNJO
>>58 小松帯刀だ
知らないやつがいたのか・・・(泣)
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 09:34:10 ID:1KKu08G/0
西郷がどこが最高のサムライなんだ?w
ただ、世界情勢も知らず、士族にこだわったアホだろ
バカな西南戦争して、貴重な人材を失ったアホな大将だよ
大久保利通の方がよっぽどサムライだよ
薩摩にサムライはいない。
農作業のかたわらに刀を振り回してた百姓がいるだけ。
西郷も高潔だが桐野の爽やかさも素敵
吉原に薩摩の志士達(桐野)が遊びに行くと花魁達が落ち着きなくそわそわした位桐野に惚れていたと言う
桐野の通る後には薫風が吹くと言われていたくらい
でも川路とは仲悪かったんだよなw この辺りが面白いところ
征韓論に敗れて桐野も篠原も西郷と共に下野 川路は後に羅卒の総長に任命され東京の治安を守る任務を担当
政府軍が薩摩軍を討つ 桐野も無知で粗野でDQNであったが人物の潔癖さは評価したい
64 :
おいどん:2008/01/20(日) 18:31:01 ID:xcCP+Nbi0
オレは西郷どんは尊敬してるな!
現代に欲しい指導者だろうし教育者だと思うぞ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 20:32:31 ID:tATg7f+YO
>62 残念だが薩摩が全国一番士族が多く
西南戦争になった
あれは 征韓論者 西郷 ならび士族が起こした
西南戦争 別名『士族の反乱』ともいわれている。
西郷も大久保も賄賂とか汚職とかは無縁だったんだよね
それに引き換え長州閥 薩人は女に聡く長州人は利に靡く(談;江藤新平
山縣、井上、陸軍の幹部連中 皆長州藩時代から藩の公金にたかり豪遊した猿ども
明治新政府はまるで利権に群がる輩に巣窟 土佐薩摩長州藩他志士達が殉難した果ての統幕革命成就
恥を知れ恥を 特に長州藩の猿どもめ
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 14:14:08 ID:m9vEYV720
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/21(月) 15:47:00 ID:VdQMt5wW0
長州と組むのではなく 会津とずーと組んどけば良かったのに
西郷は例の銅像のせいでホモデブと思われてるけど、
親戚の証言によると、本当は痩せて神経質な小男だった。
70 :
おいどん:2008/01/21(月) 22:44:33 ID:PfH4Z5OT0
長州の兵力も魅力あったからね!
>>68 島津久光が京都での政治参加の夢を託していた諸侯会議を潰したのは、
徳川慶喜と松平容保だ。
諸侯会議が破綻したので、薩摩は替わりに長州と手を結んだのだ。
薩長同盟は、徳川慶喜と松平容保の薩摩排除政策の結果として誕生した。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 11:55:13 ID:IhtZ+J6F0
違うよ、坂本竜馬のおかげだお(´・ω・`)それぐらいもわからないのか・・・・・・
73 :
おいどん:2008/01/23(水) 13:11:51 ID:HjRf/Wus0
いくら竜馬がお膳立てしようとも西郷どんが長州と同盟組むのを
混乱なく実現させたという側面もあると思う
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 20:47:50 ID:WCJ6cpyoO
村田新八
森 有礼
五代 友厚
鮫島 誠蔵
中村 宗見
寺島 陶蔵
別府 晋介
小松 帯刀
大久保利通
黒田 清隆
西郷隆盛
75 :
おいどん:2008/01/23(水) 21:03:56 ID:hJyBeq710
>>74 んで・・何のベスト10でごわすか?・・
ん?・・・
西郷どんは圏外じゃなかど?
ていうか竜馬の考えは勝の受け売りだから・・・船上八策もそうだし。
薩長同盟の構想を固めていったのは勝−西郷ライン。
実際に長州との間を取り持つために動いてくれたのが竜馬と中岡。
なんでもかんでも竜馬様のおかげってわけじゃないと思うけどねえ。
幕末薩摩藩の豪傑10選じゃね?
それにしては西郷どんが一番下11番めにあるのは解せんのだが
>>69 ホフマン先生(医師)の診断を知らんとね?脂身が多過ぎて脈拍、心臓の機能に著しく
影響を及ぼしつつある由、散歩などをし小食に務め痩せる必要がある
ーーとの診断結果を知らんとね?おんしゃぁーー
西郷どんな西南戦争へと至る最後の数年、猟師のごつ生活して桐野ら幕下にも行方を知らせず
山の中に姿をくらましておったげな 本気で反乱を起こそうとは考えていなかったげな?
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 23:31:23 ID:1/PlYvJT0
政府軍
大久保利通
川路年良
西郷従道
黒田清隆
大山巌
川村純義
野津鎮雄
野津道貫
樺山資紀
川上操六
賊軍
西郷隆盛
桐野利秋
篠原国幹
村田新八
永山弥一郎
池上四郎
別府晋介
辺見十郎太
野村忍介
河野主一郎
篠原国幹
は江戸に残ると大久保も考えていたみたいだね
実際は帰郷してしまった ショックが大きかったろうな大久保
「飛ぶがごとく」を書き終えて司馬遼太郎氏が感想をポツリ
君達(薩摩隼人)は得体が知れないーー物凄い勢いで薩摩境から飛びだし太政官政府を中枢の座を長州とともに占め
廃藩置県が施行され旧来の士族の特権が剥奪され不満が昂じつつあるところへもって
西郷氏征韓論に敗れ下野 あっという間に薩摩へ帰郷
チェストーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
飛ぶがごとく;を読んでも薩摩藩士の正体はよく分からないままだ
凄い風土に育つ薩摩隼人 君達は凄い
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 03:09:25 ID:ntNLm4pfO
西郷は帝に弓を引いた逆賊です。
83 :
81:2008/01/25(金) 09:34:08 ID:Zruz7DX/0
高橋新吉は賊軍に回った村田新八の親戚だか従兄だか甥っ子だったかな(?
示現流の太刀捌き
桐野が現れると新撰組でさえ道を譲ったと言われるね
84 :
おいどん:2008/01/26(土) 22:21:28 ID:h2jFfdHn0
>>83 それに引き換え西郷どんは剣術を早くより見切りつけたと言う弱点を
カミングアウトしてしまう高潔さに、おいどんば憧れるよ!
西郷どん現れたら新撰組は道をふさぐだろうな・・
凄い人だ!
>84
西郷どんは若い頃に腕だか負傷して町か村で相撲大会催された時も辞退したんじゃなかったか?
86 :
佐之助:2008/01/27(日) 18:03:09 ID:pcfDY48S0
>>85 そう!
あの時代のそんな弱点を口にしても好かれる人っていないと思う
体のワリには喧嘩はからっきしだったらしいからね
時代に取り残された革命家
88 :
おいどん:2008/01/27(日) 19:02:52 ID:pcfDY48S0
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/27(日) 19:19:35 ID:rmg31cMl0
西郷って、革命家というより戦争屋でしかなかったんでないの?
維新後の廃藩置県だって、木戸達が西郷の威信が必要だったから
担ぎ出して恫喝してもらっただけだろ。
この人自身には国家建設のビジョンなんてなかったろうよ。
江藤を見殺しにしたくせに、結局は西南戦争に担がれてしまった。
カリスマ性は認めるけどどうも西郷自身はでくのぼうにしか思えない。
90 :
おいどん:2008/01/27(日) 19:31:37 ID:pcfDY48S0
>>89 西郷どんは神輿だったとおいば思う
担がれれば嫌とは言わない
それもただ薩摩への義理立てだけで
確かに国家建設のビジョンも全くないと思うばい
西郷どんのすごか所は
死ぬまで「誰かに」頼られた所でごわす
愛されたでくのぼうでごわす
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 20:46:49 ID:zMLQBqly0
確かにあの当時からすれば変わった個性だったのだろう
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 21:15:16 ID:bkKQ0Yg10
1 ああ こうゆう 方向にきたのか。新撰組の人?
だいたいこういう方向くるよね
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 21:58:22 ID:1xJQV8l90
たしかに西郷は何のヴィジョンももってないな。
ホモ心中で死に損なって、死に場所を求めてただけ。
大久保も当初はただの無知で愚かな田舎者だったが、
犯罪者特有の勘と狡猾さで、それなりに政府をコントロールしてみせた。
94 :
おいどん:2008/02/02(土) 21:53:15 ID:fkURFZeR0
>>93 それは・・・・
確かに西郷どんば「死への願望」はあったように思えるばい
じゃけんど西郷どんも気張りもうした
西郷て理性はボケてなかったの?
二才たちにかつがれるに身をまかせてたみたいだが。
96 :
おいどん:2008/02/03(日) 09:53:59 ID:9lOkYpnm0
>>95 そげんこつなかっ!とおいどんば言いたい
やはり西郷どんは義と情の人だと思うばい
戊辰戦争時での活躍ば久光公への義理だと思われるばい
崇拝する故・斉彬公への忠義があり、ソリの合わない久光公に
一応の義を返した
現代で例えると左遷を命じた社長の下でせっせと結果を出した・・
泣かせるば〜い!!
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 15:23:16 ID:7aExtBKd0
西郷どんは崇高な革命理念と同時にそれによって生じた没落階級への限りない憐憫に
身もだえする程苦しんでいたんでしょうな。
薩長同盟締結の頃は殺伐とした場を和ませる為に特大の金玉を披露したという
お茶目な一面も持ち合わせてた方でもありました
征韓論→下野→西南戦争
あるいは凋落ともいえるこの晩年の西郷について弁護できる人いる?
西郷隆盛の従兄弟で、隆盛の絵のモデルになった人って誰?
101 :
おいどん:2008/02/05(火) 22:50:14 ID:SGpWBUFM0
>>99 これは明らかに大久保(久光)の「やり口」に霹靂してたんですばい!
西郷どんばその昔、寺田屋事件に凄くショックしとるのでした。
同じような「上意打ち」に江藤、島、前田を「殺されて」
大久保得意の「挑発」を避けて「無視が一番路線」を取ったと思われる
形跡の書簡がある位ですばい!
所が弟子達が「挑発」に乗ってしまい
弟子達に全て任せて自分はじっくりついて行く行動をとったとです
102 :
さつまっこ:2008/02/06(水) 00:00:51 ID:eQJn/8DPO
おいどんさん、はじめまして。
自分は鹿児島にすんでるのですが、周りから西郷どんの話を聞くことがありません。
偉大な人物だったんだなあって自分も最近本読んで知ったくらいで。
西郷の偉大さをたくさん知りたいので、カキコミ期待してます。
ちなみに、おいどんなんて、じいちゃんもいわんばい。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 08:12:57 ID:dd15Xg5u0
>>99 倒幕を成し遂げた結果、新国家の有り様に絶望して
死に場所を求めていたという解釈が一番妥当なのでは?
弁護する必要もないけど。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 08:51:19 ID:bqrBsPli0
鹿児島じゃ、「西郷」と呼び捨てにすると怒られると聞いたんですが、本当なんでしょうか。
105 :
さつまっこ:2008/02/06(水) 11:24:50 ID:eQJn/8DPO
西郷っていうな!
とは、鹿児島でもあまりなりませんよ。
西郷って名字の人は、あだ名が西郷どん、いつからかドンとなりますが。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 20:07:42 ID:KAfTM+Xs0
さつまっこ;
>>102さん
周囲から西郷どんの逸話を聞く事ぁない?本当ね?
いつぞやの毎日だか朝日の日曜版に記者が鹿児島を訪れるコラムがあったど
地元では西郷は偉い人気で明治新政府を土台から作りあげた大久保は今でも不人気だとね
だっども、いつの時代も警察=内務省を握った時代の権力者は影のイメージが付きまとうとね
大久保もせからしか、後世になっても不人気なのは彼は真面目で目的に向って機械のように正確に機能したらとじゃなかね?
西郷どんは諧虐味もあり、周囲の人間を慕わせる度量、温味があったどぅ
堅実に処世を渡り、宰相になった大久保、対して下野してしまった西郷どんは反逆の首魁者に担がれ自刃
歴史は物語っどぅ 西郷は賊軍で負け組じゃっどぉ だどん西郷は後世の人間にとって英雄と印象されてるっど
107 :
さつまっこ:2008/02/06(水) 22:06:01 ID:eQJn/8DPO
106さん
話がないのは、言い過ぎだったかも。
最近も、鹿児島の西郷どんの銅像にマントをかける話があったんだけど、役所がNOでぼつになってました。
鹿児島では小学生の夏休みの課題が史跡めぐりな事が多く、
自分も西郷さんの誕生地とかまわりましたよ。
ちなみに自分の家の近くには、西郷さんと坊さんの銅像がある公園があります。
そう考えると、やっぱ鹿児島は西郷さんどっぷりかも知れないですね。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 22:55:15 ID:KAfTM+Xs0
107さん レスありがとうね
司馬先生の作品読んどったら 甲突川のほとりの西郷の家で兄弟が飯を食うとると
いつの間にか大久保も並んで食っておったげな それ位二人は子供の頃から一緒に過ごしておったげな
征韓論に敗れ下野する時も「一蔵がおれば太政官政府は大丈夫ぞ」と西郷(せご)どんは言ったぞな
お互いが実力を認めておった証拠ぞな
後の西南戦争でーー陸軍卿に登りつめ政府軍を率い西郷を討つ陣頭に立ったのは長州の山縣
宰相の大久保はどういう心境であったどぅ?
西郷どんを討つのは複雑であったろうな?(そう思いたいんじゃ後世の市民は)
国を守る立場じゃっどぅ、そりゃ冷徹に対処したかもしれん
じゃが、幼い頃共に過ごした思い出が去来したじゃろうの? 大久保も人間ぞな?
109 :
おいどん:2008/02/06(水) 22:56:19 ID:fmZpw3BK0
>>102 おいどんば多分に誇張しとります(笑)
すまんこってす!
>>106 西郷どんを馬鹿と言う人もおるが
「愛され当てにされた馬鹿」でごわす!
そこにおいばひかれちょる!
大久保は「大久保どん」と呼びたくないし呼ばれないほど強烈な
残虐性の持ち主・・
「誰もやりたくない事・先送りしたい事」を全部やってとっとと
殺された・・じたばたすることなく最後の言葉「無礼者」
これまた、ひかれちょる
110 :
おいどん:2008/02/06(水) 23:12:51 ID:fmZpw3BK0
>>108 西郷どんば写真は嫌いじゃっど
当時の男子にしては筆まめで詳しい胸の内はかなり残ってるばい
江藤、前原が処刑された時大久保が寺田屋事件を操っていたと
西郷どんは直感した
大久保が久光公に擦り寄ったのではなく久光公が大久保にいつも相談を
していた
それを感じた西郷どんは怒り嘆き・・・・うそ!
本気で大久保を怖がって次は、おいたちばい!そう思い門弟達に
いかなる挑発も盛らぬように言いつけた!
西郷どんの魅力はあれだけの人物なのに人間っぽい所
私塾を開いた事も「人生最良の時期」と喜んでいた時だったから
「必ず殺す」大久保がマジ怖かったみたいでごわす!
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 10:34:21 ID:MWBPsre00
>>109 >じたばたすることなく最後の言葉「無礼者」
紀尾井坂で島田一生、長連豪らに刺殺された最後の言葉か
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 11:59:52 ID:MWBPsre00
>>110;おいどん
>江藤、前原が処刑された時大久保が寺田屋事件を操っていたと
>西郷どんは直感した
坂本(龍馬)さぁの暗殺は見廻り組の仕業じゃいう巷間の定説じゃが
大久保指令説いうんもあるげな?どじゃっと?(大久保は関与せず?)思うな?おいどんな?
孝明天皇毒殺 坂本龍馬暗殺 西郷隆盛に刺客放つ
これぁ全部、大久保がやったことさ
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 20:02:01 ID:MWBPsre00
田中河内之助親子を小豆島から突き落としたんも大久保の仕業じゃね
西郷どんに比べると冷たい機械という印象しかないんだよな大久保
政治家として革命家としては正確無比な働きをするんだけどね
西郷の人情味は後世に伝わってくるけど大久保は人間味に関する逸話は伝わってこんね
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 07:16:37 ID:eYNfUXOgO
バルタン星人が西郷どんのことば
尊敬しとるち言うて家ば焼き払おて行ったど。
バカかこんwwwwwww
わざわざ見んなこんwwwwwwww
116 :
おいどん:2008/02/08(金) 23:31:24 ID:B6f9SAPR0
>>112 西郷どんば大久保を怖がっていたのは史実!
竜馬暗殺はどげんじゃろな?
あったとしても確かにおかしくないばい
じゃっどん、おいも大久保は関与してない思う!
大久保は集団や軍団のリーダー等を制圧する事に生きがいを感じるタイプで
一個人が何しようと興味がない人だと思うばい
武士とか時代に固執した奴を許せないだけで
坂本のカンパニー作る夢などに反応なんかしないと思うばい
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 13:54:40 ID:+wSk2Q3c0
出世しても拝領した屋敷に住まず、その長屋門に下男と一緒にやもめ暮らし。
太政官には竹の皮の握り飯を持参し、美食してる高官連中の前でパクつく。
これだけでも偉人と言える。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/09(土) 15:00:23 ID:eESO5iR40
>>116 じゃっどん、大久保にとり(西郷にとってもじゃが)
あくまで武力による倒幕を目指してっどぉ
坂本が幕府側とも通じて 話合いによる統幕⇒大政奉還は
大久保西郷の意図するところとは相容れんじょって
後藤や(坂本、中岡)の薩長と徳川側との仲立ちは厄介と思ってたぞな?どげんね?
坂本暗殺の件で西郷は後藤を難詰したらしいね
それもポーズだったのだろうか
120 :
おいどん:2008/02/09(土) 20:21:54 ID:FZu5ajEw0
>>118 ここは今も尚歴史の争点となっている所だが、おいどんば
西郷どんば「武力による討幕」は必ずしも本願ではなかったと思う
ただ薩長進軍イコール西郷の意思と言う形になってしまったんだよ
もちろんそれは「責任者」なのだから仕方ない所だ
江戸騒乱は顔から火が吹くほど西郷どんば恥じていたんだって
江戸無血開城、大村益次郎後任にして帰る
ここがアンチ西郷に「いい加減、武士でない」といわれる所だ!
おいは西郷どんは武士、志士というより理想、思想家の要素が強いと
思うばい!「敬天愛人」はジョンレノンの「イマジン」と同じだ思う
こん人の武士道は人、情、愛なのだと思うばい
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 14:21:47 ID:K1eMcOTz0
大久保は坂本が幕閣と通じて薩長勢力を骨抜きにしようとしてる
って見抜いてたみたいだね(統幕運動の過程で)
坂本さぁの暗殺の実行役は佐々木(見回り組)だろうけど指令は何処から?
謎ですなぁ 西郷どんの西南戦争の自刃は(桐野ら薩摩の配下達に唆されたとは言え志士の忠義に殉じて
散っていった) 坂本さぁも生きていれば西郷どんとも意見を交わして面白い明治の世の中になったでありましょうなぁ
征韓論政変で、西郷の使節派遣は=戦争だったから、内治優先の大久保と衝突した
っていうのが通説だけど、実際西郷が使節として派遣されたら殺されて戦争になった
可能性高かったの?
いくら当時の朝鮮が頑迷だとしても、外交使節を殺すほどアホとは思えないんだけど。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 02:07:00 ID:pv6RcHVe0
木戸、大久保、伊藤の仕事は彼らでなくともいづれ誰かがなし得たと思うが、
西郷の代わりは誰にもできなかっただろうな。
江戸城の無血開城、廃藩置県、留守政府での江藤らの活躍。
124 :
おいどん:2008/02/11(月) 10:14:38 ID:ThoAA7Kk0
>>123 いや〜っ!一緒に芋焼酎飲みたか〜
おいどんも「そこ」を高く評価しちょる!!
じゃっど大久保君の仕事も誰も成しえたくないとは思うが(笑)
木戸、伊藤とかは今の政治家のほとんどが「そんな感じ」だもんな
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 10:39:33 ID:bja06xCLO
無血開城や廃藩置県は西郷だけの手柄じゃねえだろバカ
江藤の活躍は結局晒し首になって終了
人気取りだけは上手かった、役立たずのデクノボー豚だろ西郷は
126 :
おいどん:2008/02/11(月) 12:48:31 ID:MaBGL8fj0
>>125 登場人物は数多いるがやはり当時の薩摩隼人に「よし!」と言わせた
西郷どんばすごか人でごわす!
どんな名案も賛同してもらえなくては、ご破算です
幕末にいたっては、いわずと知れたやっかい薩摩っ子!
その薩摩っ子を「西郷が言うのなら・・・」と「暗殺された」なしで
やってのけた西郷どんの信頼ば認めてくれんじゃろか?
人気取りもここまで上手ければ歴史の人物ばい!
127 :
大久保利通:2008/02/11(月) 18:46:50 ID:3s6QGABc0
一概に言えない・・・嫌いな言葉だ
政治に1人位は前倒しせぬ人物は必要じゃ!
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 22:20:23 ID:3s6QGABc0
上野の西郷像は、なごむよね
あの風体で無防備・・
小さい頃は何の人だろう?って最初思ったよ
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 23:52:20 ID:/Uu74Itj0
127
それはご評定になりますまい-大久保がこう言ったらテコでも動かない(ダメ
イッコンメ-すぐにやりましょう
大久保に企画、陳情に行くと大久保の場合は返事が3通りしか無かったという
そして、大久保が内務省に馬車で乗りつけ廊下に入るとそれまで雑談していた役人が鎮まりかえったという
根っからの仕事人だよね 忍人であり、後世には不人気な大久保だけど
革命運動では西郷と一つになりながら島津久光を倒幕へと気持ちを変えさせた
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 08:24:51 ID:fzw71pNw0
士族階級は失業し、農工商は江戸幕藩体制より厳しい重税に喘ぐ
維新の結果は国民全てが苦しむ酷な世となり、結局誰の為の革命だったか?
戊辰戦争で死んでいった同志達は何の為に命を落としたのか?
西郷は苦しみ、自責の念にかられ、結局ああいう結果になったのだろうね。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 08:27:20 ID:t1KKottR0
大久保は暗殺時、号外が出て国民は「あたりまえ」という世論が
大半だったそうな・・
所が妻と娘?だったかな、国に陳情したんだよ「生きていけないから
財産少し返せ」って。国は担保で取った家屋に一部を返した・・
つまり全財産を国に次ぎ込み更に借金して財政の一部を
やりくりしてた。
日本史で死後評判落とした人物は数多いるが逆にこれほど
再評価された人物はいないのでは・・・
今の大物政治家に一人でもいいから大久保のような奴がいれば如何ほどか?
大村益次郎や大隈重信は
西郷のことは全く認めてなかったらしいね。
なんで??政治力がなかったから?西郷ヲタの方教えて
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 12:32:07 ID:fL7m+6HO0
>>130 権利を取られた人たちは怒っただろうね
しかし下っ端の侍は見切りつけて職人、商人、農業で
食えるようになって感謝が多かったという
ただ日本の空気上「口にして喜べなかった」らしい
平民にも同じ事言えたらしく実力ある奴らは
独立して豊かになった
指示待ちに安堵感を抱いていた人たちは
怖がったらしい
キャリアに退職後は自力で職を見つけろって言われるようなもので
「先輩方は威張って生きてこれたのに俺達の代でこの仕打ち?」
って言いたくなるのは人情として分かる
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 13:02:15 ID:fL7m+6HO0
>>132 西郷は軍人ではないから大村も当てにはしてなかったのは
事実だろう
元々大村は誰も当てにしていない所はあったようだ
西郷も義理だけで戊辰に参戦して江戸城無血開城で義理を返した
から辞めた。
人生で考えると大村は怖いほど言ったことが当たったんだって
軍略家としては天才だ!しかし的中すればするほど
士族連中からは嫌われた。人情が判らなかったのだろう
つまり人は嫉妬する生き物だという事を計算に入れていなかった
と言える。
西郷のある種「わがまま」「きまぐれ」が許される人柄は
紛れもなく愛されキャラだったのだろう
恐らく人の「わがまま」「きまぐれ」にも「いいよっ!」って
フランチェン見たいに答えたと思う
そこに大事を成した大久保、大村、大熊の3大の「過小評価」
西郷の「美化しても語りたい人」の差になったと思う
いつの世も人間関係は「情」なのかもしれない
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 13:30:14 ID:gqdO45GS0
>>125 江戸無血開城はひとえにパークスの功績だよ。
西郷は最後まで江戸を火の海にしようとしてたけど、
その旨をパークスに報告したところ、パークスが激怒して反対したため、
西郷は震え上がって攻撃を思いとどまったのが本当のところ。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 13:35:13 ID:XscH+y3g0
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 13:39:57 ID:fzw71pNw0
>>132 軍略家と政略家の機能上の相違だろう
と司馬遼太郎が書いてたね。
事実大村の純軍事的な計算では鳥羽伏見で戦闘の火蓋を切る事を危惧してたのを
西郷・大久保は勝算ありとみて開戦に踏み切った。
大村だけでは維新は成し得なかったのも事実
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 14:49:45 ID:EdMMVXqC0
>>134 >>137 政府で会議がある席でも 大隈と西郷はあまり会話がなかったというよね
西郷は板垣とばかり話してて「これはワシ(=西郷)の印行(印鑑)でごわす、これを自由に使うてくだされ」
大隈はこれ(西郷)は本物の馬鹿なのか? と思ったらすぃ
西郷にしてみれば自分には事務の細々とした事はよく分からんから
それには主らが自由にやってくれ、印鑑は自由に使ってくれ;というような心境だったかもしれない
維新の立役者西郷に関しては大隈、江藤は傑物には違いなかろうが粗野で愚物;という印象を抱いていたみたいで
西郷のいう大きな人格に靡き影響されたのは郷党薩摩の後輩志士達で他藩の志士には
西郷の魅力は分かりにくかったかもしれないね
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 15:04:54 ID:fzw71pNw0
>>135 よいところに目をつけておられる
ただパークスが江戸攻撃の中止命令を出した背景には
勝海舟が江戸市中の無頼者を集めて官軍が攻めて来れば
彼らに放火させ内乱を泥沼化させるのも辞さない、というブラフを
パークスに伝えた事が原因らしい。これをされると
英国の日本に対する基本方針である
1.親英政権を早期に日本に樹立させ対日貿易を独占する
2.日本をロシア南下の抑えとする
を根底から見直さざるを得なくなり
パークス自身も罷免更迭される可能性が大であり震え上がったんだとか
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 17:16:10 ID:gGhRZ9oa0
>>135 この件は近代になってアーネスト・サトウの日記に基づいて考証
された所、パークス発言は西郷、勝の会談後と2人に
知らされたという見解が有力視されている
もちろん勝もパークスの慶喜助命発言は知らない
ただし西郷は板垣や不満分子にはこのパークス発言を
多いに利用したそうだ
勝はこの時点ではあるいは「暗殺」の腹積もりで望んでいたらしい
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 18:45:06 ID:EdMMVXqC0
西郷と勝の会談ではどちらが主導権握ってたんですか?
西郷も勝も大まかな下準備(会談に入る前の下交渉)してたんでしょ(?
切腹とかそんな覚悟が勝にあったんですか?
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 19:28:33 ID:8XvsOqeP0
「氷川清話」で勝は策略、暗殺・・・
とにかくこの会談は最低限は譲歩しない覚悟があった
所が西郷はあっさりと勝に任せて引き上げた・・・
また別の書では周囲がかえって用心して緊張したほどと
記されている。
また西郷は「その後」の板垣君説得の方が憂鬱だったらしいよ
西郷のアドリブといっても過言ではない。またこの会議を
終結させた史実は疑う所ではない
古今東西にあふれる英雄の自己肥大
その宿阿から逃れることは西郷先生でもかなわなかった
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 15:53:56 ID:UBC5BYRm0
肥大したのは金玉だけではなかったんだな
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 23:23:56 ID:qB9TQ+l70
でおまいら、もちろん今やってる翔ぶが如くは見てるんだろうな?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 00:32:02 ID:DOwEnZu30
鹿賀丈司と西田敏行が出てるヤツだっけ?
あくまでドラマだから
ごっちゃにしないようになw
まああれだろ、バルタン星人みたいなもんだよ。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 10:29:52 ID:gb9dYRAv0
お聞きしたいです。
西郷は斉彬に対して絶大な忠誠心をずーと持ってたようですが
明治に入ってからも同じだったんですか?
なにかエピソードとかありません?
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 17:45:49 ID:DOwEnZu30
自分を育ててくれた絶対君主が斉彬
久光には生涯軽んじて見るきらいがあったようだね
嗣子問題で毒殺したとか、騒動あってから久光派には心を許さなかった西郷
>>149 島津久光に対しては、倒幕よりずっと前から「田舎育ちの先が読めない馬鹿」扱いでしたが、
篤姫に対しては、明治以降も常に平身低頭でした。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/14(木) 20:36:20 ID:CDE2Lc80O
西郷は肥後の菊地家のマツエイさ
153 :
おいどん:2008/02/14(木) 21:55:38 ID:XK/436bG0
>>149 西郷どんば私塾を作った時に「蘭学」をふんだんに取り入れた
かつて遠い昔斉彬公に「蘭学は軽薄ですからお辞め下さい」と言った
事を思い出し、「あの時は江戸生まれで蘭学をかじっている斉彬公が
羨ましく妬んでいた」と吐露したそうだ
思えば西郷どんば上司に生意気な口を利いてそれを笑ってくれた人物は
斉彬公のみと生涯崇拝していた事は疑う余地なし
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 23:06:15 ID:Tqlw60qgO
影響を濃厚に受けたことは間違いないね。
薩摩だからこそ西郷隆盛ような人物が活躍できたともいえる。
俺は翔ぶか如くで大久保が好きになった。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 02:57:19 ID:lFsLwQA20
跳ぶが如く;読んで大久保が好きになった;とは酔狂な人じゃ=
>>154とね?
忍人じゃね一蔵は
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 15:57:14 ID:iVxrz1ciO
友人になるなら西郷さん。
仕事するなら大久保さんがいいな。
157 :
おいどん:2008/02/16(土) 20:10:14 ID:bqAMCZkc0
>>156 大久保は自分に向けられた誹謗中傷を薄ら笑いで場を過ごす
ずうずうしさがあったそうですばい
生まれつき孤独とか逆境には強くさほどストレスを感じない
人間性の強さもあったと思うばい
鬼謀、策略もお手の物!しかも生涯にわたって鎮圧、粛清、弾圧の
類は恐ろしいほど対処が早かったらしいばい
一緒に仕事したら相当スリルを味わえるかも知れんね・・・
ただ生涯を通して情熱は人一倍あったのだろうね!
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 22:52:36 ID:sZ18/HUp0
どこかのサイトで見たんだけど
西郷って被差別部落の出身者だったの?
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 23:22:44 ID:UF/kjSwO0
>>158 当時の薩摩には城外士族という被差別部落出身の人達がいたけど
西郷とは関係ない
西郷家は「下から2番目の地位」だったのだけど
城外士族ではない
恐らく下級武士イコール城外士族とくくった論だと思う
西郷の被差別意識が彼の原動力と唱える者もいるが
それは誤解で西郷が死ぬまで反発していたのは
「理不尽な権力への怒り」なのだ
久光公とそりが合わなかったのはそこだった
斉彬公と違い下々の意見を「上意」と捉え
不満を態度に出す久光公が西郷は生涯許せなかった
当時にしてみれば西郷の態度は回りがドキドキしただろう
大久保みたく久光を手なずける器用さがあれば
西南戦争は免れたはず
160 :
158:2008/02/17(日) 00:50:52 ID:yNJj9xBd0
>>157 なんか貴方のレス読んで
大久保みたいのは敵に回したくねえなとオモタw
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 01:19:27 ID:yNJj9xBd0
>>161 大久保利通は世渡り上手って感じだな。
あの中村半次郎さえ 大久保のことは恐ろしく顔も見れなかったらしい
でも人間関係でいくのなら西郷さんの方が断然いいな
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 01:24:56 ID:fW4Y4Pb70
世渡り上手で言えば長州の伊藤とか山縣だろう それと肥前の大隈
大久保は職務に忠実で汚職とは無縁の根っからの仕事人気質
おのれの考える国家運営の仕事に没頭した政治家
彼には私心がなかったからこそ「俺は国家を作るんだ」という強烈な信念に裏打ちされた行動力で突き進んでいった。
栄達欲と世渡りは不可分なのか?は判定しかねるが
大久保の清潔さは評価すべきだろう 江藤ともう少し交際があればあのような結末(=佐賀の乱)には
ならなかったかもな
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 08:53:09 ID:pkAoluzA0
>>163同意!
大久保のおかげで50年の大事を数年でこの国は完了したと言える
もし大久保がいなければ(タブーですが・・)
ちょんまげ、刀の問題には誰も触れずに利権争奪が先行し
我々日本人の得意技「先送り」ばかりでもしかすると悪い結果になって
いたかもしれない。
大久保の最大の功績は正義、善の武人、江藤、西郷、前原等を
死に追いやった事だろう。これは意外と日本人には出来ない事なのです
リストラと同じ意味合いがある事です
伊藤、山縣等の方が政治家にふさわしいと思ったのでしょう
実際、外交力はあった方達ですからね
貴方が大久保の立場なら恐らく出来ないでしょ?・・出来る!?
恐れ入りました!
江藤に関しては大久保の個人的恨みと単なる権力闘争な面が強いと思うんだが。
西郷は大久保本人も殺すつもりはなかったはず。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 11:12:35 ID:98IkvpBEO
岩倉具視と大久保さんが謀ったと言われるな。目的を果たすためには手段を選ばず。
こんな意思の強い人間でなきゃ維新後の混迷を主導できなかっただろ。
陳寿の曹操評じゃないけどまさに破格の人で非常の人。
信長と大久保さんくらいじゃないか?
西郷さんは中国の大人を思わせる風があるな。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 14:45:03 ID:fW4Y4Pb70
岩倉と大久保と西郷の3人がいなければ倒幕革命は実現しなかったかも
西郷や大久保の実行力、陰謀、企画力、時代を読む力に比べると
三条など公家の甘ちゃんさが抜けない善良な人に過ぎない
後世、策士と評すされた江藤にしても征韓論騒ぎの渦中裏で政治工作を一切やらなかった
政治とは「情」であり「「演出」であり「工作」活動であるのに
それを一番理解していたのが大久保、次いで西郷
やはり維新の立役者はこの二人の下士だな そしてこの二人を伍して革命戦を乗り切った岩倉も
凄い才器だ。
168 :
おいどん:2008/02/17(日) 20:42:43 ID:cG85lq7p0
>>165 大久保ば江藤とか前原とか不満分子を抹殺しようと
決めちゃったんですばい
決めたからやっちゃった・・・それだけですばい
西郷どんば逆に大久保に殺される事が怖かったのですばい
自分1人ならまだしも、かわいい塾生まで容赦ない仕打ちをする奴だ
って知ってるからね
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 21:55:56 ID:fW4Y4Pb70
諧虐のおかしみを理解できる薩摩藩の風土
真面目で窮屈な肥前
生まれた土地が違った為に薩摩長州土佐肥前(順不動、所謂幕末から明治維新に於ける
革命側の藩の序列)という構成で幕府を倒した先達
西郷先生だけでなく大久保、桐野、川路、篠原、木戸、伊藤、大村、山縣、前原、
板垣、後藤、武市、坂本、中岡、江藤、大隈、大木、副島、。。。
日本が外国勢力に蚕食されまいと身体を張って祖国を守り抜くいたでありますな
時は下って21世紀ーーー混迷を深める日本(の政治、経済)
この国が再び活力を取り戻し人々が元気に生きる社会になるにはどのように国の梶取りをすればいいのか?
身命を投げ打って日本を再生する気概のある侍は最早おりもはん
薩摩隼人の偉大な先輩達は堕落しきった軟弱日本(男児)を見て草葉の陰で泣いておろうな
我ら後代の日本男児として顔向けができません
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 23:16:37 ID:pYtVay6A0
一番の功労者は 小松帯刀だと思う
その人さえいなかったら 西郷も大久保も出世しなかったろうに。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 01:53:36 ID:w456h3Hn0
小松といい、西郷、大久保、桐野、川路、篠原、村田新吉
大山巌、
どうして次から次へと豪傑が出てくるんだ 薩摩の国
やはり人材宝庫だな 薩摩隼人は江戸幕府を倒し、次いで明治新政府相手に西南戦争まで起こす
ほとばしる情熱と猛る戦闘力
桐野の生家を訪ねた作家;司馬遼太郎氏は言う
>君達(=薩摩藩士)は得体が知れない
チェーーーーーーーーーーーーーイ!
チェストォォォーーーーーーーーー!
示現流剣法の掛声 凄い先輩達を持って俺達後世の軟弱な(?日本男児は誇りに思うべきだな
いかんな、マンセーも過ぎればかえって毒だ
あえて俺が憎まれ役をかぶろう
薩摩が天下を取ったことによる弊害もあるのではないかな?
たとえば今に至る官僚主導主義の病根はこの時代に求めることが可能だと思うのだが
また戦前一貫して重苦しかった父権主義
薩摩の因習が鉢植えされたのではないかと思う俺の見方は穿ち過ぎだろうか
173 :
sage:2008/02/19(火) 04:20:26 ID:R0LSh7FB0
>>171 薩摩は「剣」で幕府を倒したわけじゃないだろ。
イギリス人に仕込んでもらった銃砲部隊があったから勝てた。
西南戦争では弾が尽きて抜刀戦をやってるけど、
すぐさま政府軍の抜刀隊に鎮圧されてる。
江戸時代の薩摩は言葉が通じず得体の知れない僻地であり、
明治以降の薩摩人は得体の知れないホモ集団として忌避されてた。
開放的で享楽的だった江戸の庶民文化を潰して、
日本を男尊女卑の暗黒社会にしたサツマイモの罪は大きい。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 08:18:02 ID:qX6obH4Y0
程度の差はありますが江戸時代はどこの藩のどの家中でも男尊女卑ですw
女には家督の相続権が無いから養子を入れないとお家断絶と相成ります
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 21:11:00 ID:sTfCuPNJO
父権主義は日本においてそう悪いとは思えない。江藤は優秀な高級官僚だが優秀な政治家じゃなかったな
それが悲劇。
明治期の薩摩は人材がほんと豊富だな。
見い出す目のある人物がいたからだろう。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 22:29:46 ID:uowBYOA80
>>175 維新までに多くの逸材を失った長州と違って、薩摩はほとんど生き残ったからな。
しかし西南戦争と大久保暗殺で長州の二流の人物が権力を握った結果が・・・
177 :
おいどん:2008/02/19(火) 22:50:23 ID:kzr3vgAx0
>>176さん
でも大久保は外交出来る人材は長州しかいないと割り切っていたみたいばい
その後政界は長州派閥で固まる
結論!所詮政治家は「二流の人物」が権力握るばい!!
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 10:20:41 ID:EzVy/h0a0
一流どころは成立するまでの過程で皆死んで
二流以下が生き残って革命の果実を独占するから
結果としてそうなるんだろうね
死んだ爺さんが村の顔役で、村や業界の人々にとても慕われてたんだが
とにかく人に慕われる事が大好きで、家族は本当に困った。寄付金とかあると
家にあるなけなしの金を出してしまって、家族は明日食べるお金にも困った。
平気で人の連帯保証人とかになってしまう。借金取りが何度も押し掛けてきた。
「人望好き」の人って最悪だ。周囲を破滅に導いてしまう。
骨董好き、酒好き、女好き、普請好き、とかのほうが、遥かに害が少ない。
西郷も「人望好き」で、自分だけじゃなく大勢の若者を破滅に追い込んだ。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 20:53:55 ID:OYwovKwy0
>179
>西郷も「人望好き」で、自分だけじゃなく大勢の若者を破滅に追い込んだ。
郷土薩摩の若者(にせ)を喜んで死地に赴かしめ飛び込ませたー結果的には
西郷も心中悼み入っていたと思うよ 西郷には彼ら若者を無償で身を犠牲にさせる人望があった
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 21:43:56 ID:FXLsbyj8O
うーん。人間的魅力はわかるが、西南戦争はいただけない。
無知で血気にはやる若者を導くのが西郷の役割だろ?
59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 01:35:49 ID:SQ0Yq2AZ0
チョンはほんと馬鹿だからなw
南洲翁は敬天愛人。
西郷は征韓論なんて言ってないぞ。西郷のは「遣韓論」。
征韓論者というのは派閥争い上でのレッテル。
西郷が公の場で征韓論の主張をした事実は無い。
熱心な征韓論者は板垣系の方。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:36:50 ID:zGcib9mp0
チョンはほんと馬鹿だからなw
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 18:43:03 ID:oGDoafKK0
福島ちょんっぺ
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 22:45:12 ID:g8891Zgq0
>>179 貴方のお爺さんはいわば「極道」であって女房、子供を泣かせても
人様の面倒を見たいという男ならある意味、憧れてしまう世界ですね!
西郷さんは最後は若者に従ったんですよ
一番恐れていた大久保から逃げられないと思った西郷や桐野達は
最後は時代と共に死のうと思ったんだよ
>>181 導く手段がなかったんだよ
「必殺野郎」大久保は江藤、前原を殺した後は西郷だったのだ
これは事実!
この世から武士色を消したかったのだろうね・・
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 01:46:35 ID:HMbLdg+zO
そうかなぁ。
大久保さんから見たら西郷さんが野にいることは脅威だっただろう。あれだけ敬愛された人物は日本史上いないだろうし。
西南戦争で多くの有為な若者を死なせた責任は西郷さんにもあるだろう。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 01:55:36 ID:utPiIU5P0
西郷さんって意外と保守的な考えな人だったかもな
斉彬公にずーと忠誠心もっていただろうし
>>186 西郷さんはどう身を処すべきだったと思う?
189 :
おいどん:2008/02/22(金) 08:06:36 ID:1xePVl/A0
>>186 江藤も前原も敬愛されていたばい
西郷とて大久保から見たら所詮うざい反発分子ばい
当時の大久保に怖いものはなかったとおいも思う
そのエネルギーがこの国を変えたわけだ・・
>>187 同意!保守そのものばい
忠誠心から戊辰の官軍となったが
喧嘩は嫌いな性分で最初から乗る気じゃなかった見たいばい
そこら辺が優柔不断説で突付かれる原因ばい
でも西郷どんの士道ば紛れもなく敬天愛人ですばい!
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 20:20:42 ID:MJSzY2kP0
薩摩で農業やってれば良かったのにね
結局維新で功績揚げちゃったもんだから志士達に担がれちゃった
西郷どんは長州閥が陸軍の金を使いこんだ時も
板垣に対し「いっそ退隠し北海道へ行って開墾でもしもそ」と言ってたくらいだからね
余生は静かに過ごさせてあげたかったなぁ 人望のある人は自分の思い通りの人生は歩めない典型だな
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 21:23:10 ID:9CUNap3M0
大久保も凄いと思うところがひとつある
それは薩摩を例外にしなかったところ
佐賀、長州の反発分子を葬った後きっちり故郷薩摩も
文句ある奴はケジメつけたところだな
>>191 木戸孝允から「山口県も含めて、他県は全て太政官政府に従っているのに、
どうして薩摩だけ特別扱いなんだ、ふざけるなゴルァ!!」と
さんざん文句言われたからだよ。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 00:32:01 ID:yElY3RXE0
近頃に太政官政府を見るに主要な幹部ポストは薩摩がその多くを占め
長州はより少ない 幕末如何に長州の志士達が殉難し多くの血を流したか。。。
木戸の愚痴を延々と聞かされウンザリした;と大久保が漏らした由
木戸は神経質で恨みがましく(同郷の先輩である自分よりも大久保にベッタリの伊藤に嫉妬していたらすぃね)
大久保は冷徹な仕事人だぁね
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 01:40:54 ID:hIAt/K8+O
静かに余生をすごしていろいろ語り残したり書いたりしてほしかった。
大久保さんはすごいと思う。
死んだとき借金たくさんあったんだろ?
大久保さんは偉大な政治家だね。偉大な政治屋はたくさんいるけど別格。
西郷さんは人徳の人だね。
二人とも偉大だよ。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 04:51:48 ID:yElY3RXE0
大久保は欧州の要人を日本に招く際に拙宅にも寄ってもらおうと家を増築したんだよね
当時としては立派な作りだったし、何と言っても日本の首相
さぞかし蓄財してるだろうと思われたが死後残ったのは借財
政治家としての力量もさる事ながらお金に関する点でも潔癖な人であったワケです
凄い人だ 大法螺吹きに後藤でさえ「大久保公と議論すると岩石にぶつかったごとき心地がし、
これほど議論のしにくい人はいなかった」 他人を食うような粗大なところのある後藤でさえ
大久保公の実力風格には脱帽していた 薩摩は凄い人(=西郷、大久保)を輩出したね。
大久保スレで語れよ
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 20:31:22 ID:eLJI43pS0
こんな西郷はいやだ!!
・色っぽい西郷
・目つきの悪い西郷
・ガリ、チビの西郷
・江戸っ子の西郷
・猫を抱いた西郷
198 :
さつまっこ:2008/02/26(火) 01:31:19 ID:4l9w+49lO
全くの初心者ですが、
西郷さんは、武士階級廃止には賛成だったが、義理人情で最後は武士の側についた、みたく個人的には理解しています。
だったら、西郷さんは、武士をどうしようとしていたんですか?
なんか、西郷さんの大久保たちによる専制政治への不満と、西南戦争が不平士族の反乱って言われることが、
なんかピンときません。
みなさんは、どう思われますか?
俺も知りたい 教えてくれ
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 02:12:54 ID:DWtvJ05K0
廃藩置県、士族特権の廃止後のビジョンが無かったから苦悩したんだろうて
明確な青写真が描けなかったからこそ、自分(=西郷)が批判を一身に浴びる覚悟をしつつ
苦悩していたんだろう
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 03:32:14 ID:T73r45SUO
でも結局バルタン星人差別には何もできなかったからね。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 08:48:26 ID:Qzt+xIlN0
>>198 確か清、朝鮮と手を結んだ上で50万の士族を北方警備の軍隊として使うプランを
考えていた形跡があったとか。
清側はこの計画を知っていて日本の西郷の戦死をアヘン戦争以上の損失だと惜しんだらしい。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 13:09:25 ID:4WHwjX+40
>>198 結局のところ西郷さんは、
維新後も武士の価値観から脱却することができなかった、と
いうことではないでしょうか。
そういう西郷さんが明治政府の留守居役として悶々としていたから、
征韓論による武士の雇用、という方向に傾いた。
いっぽう、大久保ら洋行組は、当面外国とはことを構えず
国力の涵養に注力せざるを得ないと、
外国をその眼でみて決心していたから、
両者の溝は埋まらなかった、とは渡辺昇一氏の受け売りです。
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 13:21:46 ID:DWtvJ05K0
欧州へ視察の旅に出た洋行組は世界勢力図における日本の実力を芥子粒程度の
危うい存在だと肌で感じたろうからねぇ
征韓、遣韓のニュアンスの違いはさておき 国内で思想を固めていた西郷や桐野には
やはり日本の実力、存在を過大に見てしまうきらいがあったかもね
廃藩置県断行した後とっとと洋行したのは酷いよね
まるで西郷に全責任おっかぶせるようにさ
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:00:35 ID:c2VFC44q0
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。
日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
207 :
さつまっこ:2008/02/26(火) 22:54:54 ID:4l9w+49lO
みなさん、レスありがとうございます。
実に興味深かったです。
やっぱ、西郷は維新後の構想は描ききれてなかったんでしょうか。
そこで苦悩して、海外に武士の雇用を求めた。
仮におもいっきり長生きしてたら、
日清、日露戦争を主導してましたかねえ。
西南戦争、うまくやれば勝てた?
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 08:21:32 ID:HwdAyRhR0
歴史にIFはないんだけど
もし西郷さんが海外を視察しに行ってたら、
大久保さんが国内残留組だったらどうだったんだろう、と
今でも思うよ。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 09:10:27 ID:/drOCadk0
>>205 今後の日本の方向性を決断するために、
敢えて国を空けて海外視察をしたのは英断であった、
との、これまた渡辺史観の受け売りです。
だって、大政変の直後に国を空けたら、
クーデター等で帰れなくなるかもしれないリスクもあった。
そして、征韓論が盛り上がっても、
安易に走り出さずに、洋行組と連絡をとり、
独断専行をしなかった西郷さんの責任感も立派だと思う。
209>>
所詮、一地方の士族の反乱で、
政府軍は全国から徴兵・補給ができたわけだから、
九州全土を一時的に押さえるくらいが限界だったのでは
ないでしょうか。
207>>
逆に、大山巌や山縣有朋というように政府軍側で
西南戦争を戦った人が日清日露で活躍したのも事実。
もし西郷さんがいれば、さらに結束が強まったとは思います。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 13:06:56 ID:STL1lDtg0
レス進行が思うように捗りませんなぁ
我が;陸軍大将、歴史に名を残す西郷どんに関するネタ、批評は汲めども尽き無い水のようではおじゃはんか?
いっど、田毛の集落におじゃっどぉ 集落に分け入れば 漁師のごつ生活をしておった
西郷どんを偲ぶ気分になるかもしれんどぉ
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 05:50:33 ID:IfUv2luR0
>>212 いい事言うなあ〜
そんな人だとほんとに思うよ
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 16:13:09 ID:1fZX2kRO0
西郷信者は 大久保のとことはどう思ってるの?
やはり西郷を死なせたから腹立つの?
215 :
おいどん:2008/03/05(水) 22:07:46 ID:jqhZqrxt0
おいば何故か嫌いじゃなかっ!
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 23:56:56 ID:JFfQnTyLO
死んだ時、借金しかなかった話とかきくと、
ほんと全力で日本のために頑張った人なんだなあって思う。
西郷に刺客放ったという話を聞いちゃうとね
川路単独でやったワケないし
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 10:31:54 ID:+OTeytzE0
>>214 大久保は西郷を支持する志士(当時の西郷派)にも、後世の日本人にも不人気なのは事実
>>216 西郷もだけど大久保も借金しか残ってなかったよ
西郷大久保が袂を分かつ原因になった征韓論は歴史の転換点だったけど
事、人物の清廉さに於いては二人とも私心無き、魂身これ政治家、仕事人だったと思うばい
ワシは西郷も桐野も大久保も川路も皆好きばい
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:17:58 ID:vOBrXY9q0
俺も大久保好きだけど、黒田を庇った話だけが解せん。
これが暗殺された一因にもなってるんだろ?
有為な人材だからかばっちゃったんじゃね?
非難されるのはやむをえないね。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 10:36:42 ID:6ZUNxqo60
黒田は何をトチ狂って妻を惨殺したぞな?
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 13:52:07 ID:Ejhob+Zm0
しかし、清廉な人物だけど、害にもなるんだよな。
それが歴史の難しいところ。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 15:15:38 ID:6ZUNxqo60
太政官政府が出来たばかりで山縣は山城屋事件で江藤に追及されたし、
長州閥は陸軍の公金にたかったし、庶民の政府に対する疑惑の目がキツかった時だから
黒田の妻惨殺事件は大久保によって捻り潰された
司馬先生の「飛ぶがごとく」によると、征韓論に敗れた西郷だけど
その後、台湾に出兵しようという動きになった時に、大久保と従道が西郷にお伺いを立てた
ーー薩摩藩士を出兵してもいいか?ーーというやり取りがあったとか(?
西郷は下野してひっそりと故郷の山野に隠棲しておったげな
じゃが、結局、台湾出兵という流れになり(西郷が意図したような情勢に近い形にはなったぞな)
西郷どん、最後の瞬間、桐野ら幕下の志士に「もうここらでよか」と言って首を刎ねさせたげな?
江藤も西郷も(大久保も)皆死んじゃったぞな
台湾出兵で西郷にお伺いはなかったんじゃないか?
政府の連中が西郷を戻して指揮させようと言っていたようだが。
大体従道は知らんが大久保とはその頃連絡をとりあっていなかったはず
うろだが薩摩から兵士が派遣されたのは事実だが西郷自体はそういう指示は
しておらず、兵士たちは征韓論後に下野した薩摩人が集めて
そいつはそのまま政府に復帰したんじゃなかった?
大久保は黒田を必要な人材だと思ったんだろうが結局ぱっとしなかったなあ…。
逆に西郷がかばった山縣は良くも悪くも日本に多大な影響を与えたけど
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 08:18:30 ID:ava6Qu9J0
従道は結果的には兄とは袂を分かって山縣を盟友として
大久保側に組した。兄隆盛よりも現実に明快な分析力を持ってた点で
海軍大臣には相応しかったと思う。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 14:31:41 ID:JK9ZsvLB0
西郷が洋行し大久保が日本に残留したら2人の運命は逆になっていたと
皆さんはお考えですか?
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 16:03:13 ID:c8j7mvlaO
西郷が洋行するイメージがわかないなあ。
話ぐらいはあったのかなあ?
西郷さんの征韓論を、欧米に対抗するための国交正常化みたく考えると、
かりに洋行しても西郷さん的には同じ気がする。
話はかわるけど、西郷さんの逸話が沢山のってる本読んだけど、
真偽は別にして、会う人会う人がみな、その人間のでかさに感嘆するって、ほんとすごい。
会ってみたいなあ
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 19:01:18 ID:PlWXFpV40
>西郷が洋行し大久保が日本に残留したら
寄生虫感染による象皮病で脳が侵されてた西郷が、
洋行できるわけがないだろ。
すでに死に場所を探してさ迷う廃人同然だった。
>会う人会う人がみな、その人間のでかさに感嘆するって
人間ではなく陰嚢のでかさだ。
人の頭以上の大きさに腫れ上がってたとか。
>>227 西郷に関しては、大型犬を連れ歩いていたのは臆病だったから、
とアンチ西郷は言うところ
>>228 西郷の破滅から逆算して貶めるのは構わんが、
極端な話、そこまで理性が減退していたなら、
洋行組を待たずに進むことも在り得たな。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:28:21 ID:BRtqMrMq0
留守内閣は洋行組に無断で国の大事を決めるべからず
という約束を取り交わしてたんですよね
征韓論騒ぎが起きて西郷や板垣副島江藤が賛成し公家の三条の許可も貰ってた
乱暴な言い方をすれば洋行組の帰着を待たずにクーデターを起こす事も不可能ではなかった
西郷は一令の元に陸軍を動かす位の実力、実績があったし
でも、それをやらなかった 大久保、木戸、岩倉が帰ってくるのを待って廟堂に審議を諮った。
公明正大な人だね 西郷どん、
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:37:01 ID:UY+47TMO0
>>229 >西郷に関しては、大型犬を連れ歩いていたのは臆病だったから
ちがう。あの犬は食用だ。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 23:06:44 ID:TicETg6G0
僕は臆病だから犬に怖くて近寄れません><
まあ、存命時から現在に至るまで、これだけ人気のある人物は、日本史上でも希有な存在なのは確か。
強いて他に挙げるとすれば、田中角栄ぐらいかな?
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 23:50:18 ID:yG39bqMhO
西郷さんは何故、
西南戦争で陸路をとったんだろう。
みなさんはどう考えますか?
やっぱ始めから戦争って意識だったんですかねえ。不平士族を結集させてみたいな。
ドラマなんかでは、政府が戦争にしたみたく言ってたりするけど。
西南戦争は封建反革命。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 00:45:40 ID:q1+AW/oD0
>>234 結局 海路から行けば一番良かったと思うが
そうなると西郷は海路は得意ではない。
陸軍大将でもあるし、堂々と陸路で進軍したかったんだろうな。
それに『政府に尋問の筋これあり』という名文を出し進軍した訳だから
陸路で堂々と行ったんだろうな
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 08:35:10 ID:l3F5jI8l0
勢いだけで暴発した西郷軍に戦略らしい戦略は何も無かった
そもそも薩摩人の精神体質はそういう物を受け付けないらしい
作戦を考えること自体が「小ざかしい議を言うな」と刎ねつけられる
桐野ら無能な幹部は熊本城に一ヶ月も引っ掛かって結果的に
政府軍には良い時間稼ぎになった。
彼らに命をくれてやる覚悟だった西郷も最期は
多くの若者を無駄死にさせた桐野を憎み口もきかなかったらしい。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 10:10:04 ID:pTIpFMVZ0
ケーブルで翔ぶが如く見てるんだけど、
なんでこんな西郷が持ち上げられてるのか理解できない。
所詮ムラ意識の中でのボス猿に過ぎなかったんじゃないの?
意識を開明して近代日本を切り開いた大久保が可哀想。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 14:12:51 ID:WBaX33EvO
西郷は人望家だから。
だから、存命中から人気は抜群だった。
大久保はあらゆるもので西郷より上だが、人に好かれる能力だけは足下にも及ばなかった。
そして人に好かれる能力は、今でも最も大切なものの一つ。
どれだけ優秀でも、嫌われたら誰もついてこないし、話すら聞いてもらえない。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 14:29:40 ID:eP7CxgwZ0
>>238 明治政府に逆らって自爆的な反乱を起こしたから人気があるんだよ。
たしかに西郷が国政を担う器ではないことは維新以降実証されてる。
しょせん辺境の地の閉鎖的なムラ集団の中のボスにすぎない。
しかしその他の明治政府のリーダーも似たり寄ったりの小物だった。
西南戦争前後の日本は、薩長閥や華士族といった特権階級が利権を独占し、
庶民には重税が課されるのみで選挙権などの権利は与えられない。
当然、民心は新政府から離反し大規模な政変が期待されていた。
そこで大規模な反乱を起こしたのが西郷。
政府の御用機関がいっせいに西郷を国賊として非難するなか、
庶民は逆に腐った新政府に対する破壊行為に快哉を送った。
西南戦争がなければ西郷は「江戸に放火した陰険な薩摩芋」、
というネガティブ評価で終わってたはず。
横から失礼します。
どうでもいいような話なんですが、
昼にクイズ番組で「西郷隆盛の写真は一枚もない」というのをやってたのを見て思い出したんだけど、
数年前のTV番組で下町の中華料理屋かなんかの店に飾ってある明治維新の偉人の集合写真の中に
西郷が写っていてレポーターの米助が驚いていたのを思い出した。(「隣の晩御飯」的な番組だったのでそれっきりだった)
その写真が本物かどうか気になるんだけど、その写真が本物かどうか調べたという話があるかどうかわかる人いますか?
それとも幕末の歴史好きの人たちの間ではよく知られた話(写真)なんでしょうか?
ちなみに西郷の顔は四角ばった馬面で目がぎょろっとしてたと思う。
今まで、通俗的な雑誌が何度となく西郷隆盛の写真を掲示しましたが、
全て偽物でした。その中の一枚でしょう。
集合写真として最も知られているものは、佐賀藩明治初期のお雇い外人医者フールベッキが、
門下生の佐賀周辺の医学生と共に撮った写真が、なぜか
「フールベッキは実は欧州のスパイで、彼を囲んでいる者は全員明治政府の要人なのだ」という説が付いて流布してしまった、
フールベッキ写真、と呼ばれるものです。
243 :
おいどん:2008/03/16(日) 18:57:53 ID:Upy80h1d0
>>214 遅くなってすまんでごわす!
大久保ばその性質、誠、陰惨で思慮に欠けた所多々ありき・・
しっかし!当時は「特権階級」が横行していて当たり前の時代に
「搾取はやめろ」という法律を作ったのだ
実際大久保に反発したのは武士、地頭など楽して生きてた輩ばい
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 03:08:54 ID:zAhVsoCF0
>>240 薩摩芋も長州猿も井の中の蛙に過ぎなかったという事か
欧米列強の世界地図切り取り競争の流れの中で安穏としてはいられんばいと
薩長の志士達が命を賭けて徳川体制を転覆し明治国家を作りあげたばいね
国難という意味では現代日本の閉鎖的な状況とは全く別の(現代を遥かに上回る危機的状況であったでごわすなぁ)
西郷のこつ、大山、大久保のごっつ、桂(木戸)、伊藤、山縣
よくぞ日本を守りぬいてくれたでごわす
現代日本の政治家は小粒じゃのうて どれも自分のこっつ考えてばっかりでなもし
西郷(せご)どんな、泣いておろうて
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 07:57:49 ID:Zwk05vPhO
西郷どん、つけ揚げが食いたか!!
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 08:21:32 ID:dwKpV4pp0
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 17:46:07 ID:7Ty1VakE0
みんな!幕末の真の立役者は誰だと思う?
慶喜だよ!
慶喜いなくして明治の扉は決して開かれなかったよね
大久保?西郷?違うな・・・
何かが違う!
慶喜だよ
小松慶喜、SE(26)独身じゃないよ
徳川慶喜その人ありき!
>>248 旧幕体制を統括する意思が無かっただけ。倒幕勢力にまともな
指導者がいなかったら、どうなった?
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 20:37:30 ID:kZ885lHp0
>>249 慶喜のスケールを所詮文書で表現できるような作家が
いないだけじゃないの??
相当のハートがないとあの局面を脱し得なかったはず
北海道だってロシアに抵当に取られてたかもしれないから・・
降参してよかったんだよ!
私的な恥を忍んで新しい日本を建てた・・・
くう〜っ渋い!!
徳川の体裁ばかり考えていたら井伊ってしまう所だった
でもそこは慶喜!全体を考え無抵抗を貫いた
無血革命は世界史にだってない
日本人なら誇りに思おうよ!今も力ずくで
思想を弾圧している国が多々ある
恥を知れ!!
みんなも慶喜を好きになろうよ
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 21:35:05 ID:Az0Sr9vc0
その慶喜が西郷、大久保、木戸よりずっと長生きしてるんだから
面白いよね。勝もそうだけどさ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 08:25:53 ID:EueN6PIT0
>みんな!幕末の真の立役者は誰だと思う?
俺は英国公使パークスに一票
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 08:53:01 ID:Z6tkOIxB0
>>250 日本を開国に導いたのは井伊大老の功績。
おまえも日本人なら誇りに思え。
一橋は将軍継嗣のために外交をもてあそんだカス。
>>252 グラバーに一票。
薩摩はその下僕。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 21:00:05 ID:JhFwWTkd0
>>253 開国した時には彼はぶっ殺されているし・・
その時点でダメでしょ?
彼は死んでも歴史や周りが何事もなく動いたでしょ?
慶喜が死んでいたら大変だったよ、きっと・・
徳川激派の徹底抗戦で本土はメチャメチャ
各藩の深刻な人的被害!
民の死傷者は増えるばかり・・
よくぞ泥水を飲んでくれなすった
慶喜様!!僕はまいったです
255 :
荒らすなヨ事信玄:2008/03/31(月) 21:13:30 ID:yRQ5Pcu+0
結局日本は何戦何勝何敗なんでしょうかね
256 :
荒らすなヨ事信玄:2008/03/31(月) 21:15:33 ID:yRQ5Pcu+0
ようわからんけど日本が努力したんでしょうかね
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 21:43:15 ID:JhFwWTkd0
西郷さんもかなり好きだけど
彼は天然だったから当時の人間関係で滑稽かつ快く思われたふしが
あるのさ・・
それに「肩書き」の無い生い立ちのおかげでコンプレックスを
感じる人がいなかったんだよ
偶然が彼を大きくしたのか?
慶喜の学んだ水戸学は現代教育にも通用するんじゃないのかな?
そう思うとわくわくしません?
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 22:09:20 ID:fUZ8JYrv0
西郷は相撲なら負けないじぇ!
当時、相撲で出世を競う世の中なら
横綱じょ!
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 15:30:24 ID:gi76edba0
西郷さんの罪は無学!
慶喜の誉れは水戸学
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 15:39:03 ID:d+i+wsNE0
test
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 15:45:09 ID:33NrEomJ0
西郷は大久保の絶対主義的近代化路線に反対し、武士特権回復を目指して
反乱を起こし敗れた。
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 21:30:24 ID:E0qYA7k/0
>>261 そこが西郷と慶喜の違うところ
腹のすえ方が違うんだよね!
やはり徳川の血がそうさせるのか
モチベーション違いすぎ!!
平和の為に自分を殺した漢、慶喜を語り継ごうよ
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 09:55:07 ID:zwg66OCd0
道は違えど非業に死んだ西郷・大久保
悠悠自適に76歳の天寿を全うした慶喜
どっちが勝者と見るべきか
大久保の絶対主義的軍国主義路線に西郷の封建的士族的軍国主義路線が
敗れたんだよ。戦後史学では解決済みだ。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 21:39:49 ID:B5Ybpvqi0
>>263 長生きした方が俄然、勝者だと思うが何か?
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 08:39:22 ID:JhAPU4Tr0
>>265 その理屈だと徳川家康より八丈島に流されて83歳まで生きた宇喜田秀家
の方が勝者になるな
ガチホモ
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 10:06:40 ID:RWKmUKRU0
>>266 それは違うよ!
「悠々自適に天寿をまっとう・・」したから勝者なんだってば
罪人で長生きしても苦しいだけだろ?
多分そういう事じゃね?
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 10:13:34 ID:32sZ9Gh20
西郷は封建反動。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 15:48:00 ID:JZgpTD3R0
自分のところに来た若い者を使いにやる時いつも多めに小遣いやった西郷どん
金払いの悪い親分じゃ人は付いてこないよね
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 17:13:28 ID:32sZ9Gh20
西郷の藩政改革は下級武士の利益のために農民からの搾取を強化した。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 19:01:14 ID:4vWDIL7a0
YOSHINOBUは国家と言うレベルで政治を
推し量る才人だから凡人には分りづらい部分が多々あるよね
しかも徳川も救わなくてはいけない・・・・
その行動力はどの様にして生まれたのか・・・?
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 23:22:49 ID:fqh7Bp0o0
徳川慶喜は慶喜神社、銅像あってもいいよね!
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 09:09:38 ID:VjxafinR0
西郷どんの神社、記念館、ドラマを増やせ!!
慶喜の自己退転のあざやかさは異常というほかないな
徹底を極めてる、やはり傑物
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:31:08 ID:xt6JWBQT0
慶喜の器量は才人の一言に尽きる
慶喜だからこそ歴史、徳川を変えることが出来た
どこにでもいる好々爺などで終わらないで良かったね!
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 08:17:48 ID:2ndeS+FQ0
やっぱり同時代の慶喜評
百才あって一誠なし
の一言に尽きるな〜
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 22:14:39 ID:WCc4j0mc0
西郷さんだって言ってみれば戊辰の立役者だけれど
下野して以降は財産が犬だけになった
詰め下手じゃない?
保身とか考えなかったんじゃない?
明治初年の動乱で亡くなった方々は
西南以後残ったのは二流ばかりってね
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 10:51:16 ID:BaCF43UU0
>>278 西郷は金や地位が欲しくて維新をやった訳ではないよ
勲一等の2000石も広大な屋敷も拝領したけど
弟の家で起居し、服と言えば袷一枚しか持たず、会議の際には
ご馳走を食べる他の大官たちを横目に持参した握り飯を食べていたのは
国民の苦しい生活を知りながら栄達を憚らない明治政界の人間に対する
彼一流の痛烈な皮肉だったと思う
留守政府の政策などをみると西郷が政治家として無能ってのは無理があるような。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 10:45:15 ID:sUlDyazl0
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 16:14:57 ID:J3pab6bb0
詰めも何も西郷にとって維新成就は理想の達成ではなく理想の幻滅だったからね
目標を失った後の最後の望みは韓国で殺される事だったと思われるが
それも敵わなかった・・・
戊辰で死んでいった同志や没落した士族階級に申し訳なくって
死にたかったんだろうな。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 16:16:18 ID:3IkUJuS10
西郷も大久保も金には汚くなかった
それに引き換え長州の猿どもめ 山城屋和助事件、山縣が主に関わった鉱山の利権に群がった事件
長人は金に聡く薩人は女に目がないーー江藤の観察
長州の芋め 西郷どんの潔癖さを見習え
西郷の爪の垢を煎じて西郷どんの金玉を包んでた褌を手ぬぐいに使え
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 19:03:03 ID:bMnWqBkS0
やはり英雄は我らが慶喜だけなのかな?
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 08:36:57 ID:lIMvXXFF0
維新後の清貧で馬鹿正直なイメージが浸透してしまっているが
維新達成前の西郷は一筋縄ではいかない策謀家で
島津久光を騙して薩摩軍を率い、長州追落しの為の朝廷のロビー活動の方針を決め
その後薩長同盟締結の際も桂小五郎との面会の約束を一方的に破り、
戊辰戦争の際は赤報隊を散々利用した挙句、ニセ官軍の烙印を押して
容赦なく罪人扱いで切り捨て
最高のサムライどころか人としての信義に背く、節操の無い変節漢としての一面も
否定できない。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 13:31:19 ID:Tw9rEBka0
286よ
革命を成就する時にはしばし敵を欺き、己に信義に反する事も厭わない
そんなタフネスさも求められるよ
大久保しかりね 西郷大久保岩倉がいなければ革命は成し遂げられなかったよ
ある時は寝返り、ある時敵を出しぬく それが西郷の策謀の全てだとは括れないし
公明正大で無私の懐の大きさは西郷の魅力 だが、時には悪魔のような陰謀、出しぬき、寝返りも使わざるを得ない
桂だって倒幕運動を果たす為に藩ぐるみ革命家し、下級武士が血まみれになって奔走する間
あの手この手で目的に向ってまい進した、時には汚い手を使ってもね
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 13:39:47 ID:QO8Wd8US0
>>284 >長州の芋め 西郷どんの潔癖さを見習え
西郷の稚児好きは有名ですが・・・
少年の穴に出し入れしてた奴が潔癖なの?
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 19:49:06 ID:Tw9rEBka0
細かな痴話やらを引っ張ってきてそれを歪曲化して西郷どんの人格に傷をつけようとする輩がいるな
完璧な人間などいない
信長、秀吉だって男色にも興味を示したし
生活全てにおいて潔癖で瑕疵のない人間なんて存在するのか?
そんな朴念仁みたいな仏様みたいなのがいたら連れて来い
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:25:39 ID:Elhdq8q90
人格はどうでもいい。歴史的に進歩的か反動的かが評価基準。
この基準に照らせば西郷は封建反動。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 15:23:32 ID:zyURk5tm0
旧会津藩士の多くは西郷への恨みを晴らすため
西南戦争に従軍したのは当然といえば当然かも
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 22:12:25 ID:nf5DqZiQ0
西郷どんは牢人の自分を総大将に指名してくれた久光公への義理立て
の一心で戊辰を乗り切った。そして傷ついた
下野して私塾に淡い己の夢を刻めたら・・などと考えていた人生で最も
幸せなひと時を壊した江藤、前原の処刑・・
西郷は大久保に恐れおののき
久光が変わって行った裏に大久保が深く関わっていたと推測したそうな
「久光が自分を戊辰に立てたのは大久保の指図で何かあったら全責任を
おいに被せて何もなかった事にしよう」
「義に意を感じ断れない性格を大久保は知っている」
と、西郷どんは勝手に推測していたらしい
でもこれってある意味当たってると思う
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 22:20:16 ID:OX4ypgn70
また早乙女貢の説ですか
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 01:39:55 ID:PPkafCyU0
大久保どんに自分(=西郷)の存在を消されるかもって危惧してたのは本当みたいね
薩摩藩を革命化し西郷ー大久保が手を取り合って岩倉とも組んで倒幕革命を成就した頃は
西郷も大久保も革命遂行の為に必死だったろう
その後の国家運営に際して欧州を見て日本の実力が小っぽけなものだと認識した大久保は大きく変わったな
西郷も下野してからいつ大久保に消されるかビクビクしてたんだな
消されるかもと危惧していたかはともかく、その程度で
怯える人間が留守政府で大胆な改革を実行するとは思えない。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 08:23:11 ID:iu2yQuDB0
大久保にしたら幕末の頃から秘密留学生として英国を実体験で見た長州閥の伊藤
との方が世界情勢における現実認識を共有できる相手だったと思う。
三弟の西郷従道も政治的には兄を捨て(心情は別として)山縣有朋をパートナーに
選んだ決断力は評価されて良い
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 13:39:36 ID:Hh4LzF1U0
西郷どんはぶっちゃけ幕末表舞台にはハナから立ちたくなかった
義理立てついでに大将になったものの
内心は「とんでもない事に巻き込まれたな〜」って思ってたと
思うよ
西郷どんを引きずり出して未来の日本のビジョンが見えていない
なんていう人がいるが大きな間違いで
人情家、理想家、それゆえに少し天気家
それだけ
そんな人間臭い西郷どんが好きなんだ
「人に優しく」とか「平等な世の中」とか綺麗事だけで
ここまで偉くなれた人って、いないでしょ?
矛盾や不安定な所もあるだろうがそのショボさ・・
そこも彼の魅力だと思うけど
まあ西郷さんもえげつないこと随分やってるんですけどね
赤報隊の件とか
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 20:17:26 ID:P+tvHsqj0
>>298 相楽総三の件は一番つらかったらしい
結果、自身がその昔久光が行った寺田屋事件での上意討ちを
凄く非難したのに自分がそれと同じ事をやらせてしまった
また救えなかった
この一件から萎えたのは確かだ
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/16(水) 22:26:51 ID:QQHQ/9UP0
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 10:24:59 ID:MXrWJuyg0
明治維新後パッとしなかった元薩摩藩士
吉井友実
岩下方平
税所篤
桂久武
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 10:47:59 ID:xh349pMv0
>>299 江戸市中での挑発行為や殺人
商家に押し込み強盗同然の借り上げも各地でやってたというから
自業自得とも言える
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 19:06:10 ID:jvoQdINs0
>>302 西郷どんは「江戸の町を焦土と化しても・・・」という様な物言いを
した事を後悔したらしい・・
でも実際には西郷は指示した事実はなく
責任者なので西郷の命令で・・・みたいに言われた
責任者なのだから当然だよね!
しかし西郷どんはそれを悔やみ苦しんだのも事実
それ以上に、戦における群集心理の愚かさ・・
まさか便乗強盗、強姦、暴動が起きて全部西郷のせいにされたのは
無念だったらしい
江戸の人の恨み、薩摩藩の名をおとしめた責任
西郷は群集の恐怖を後日語っている・・
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 20:28:49 ID:jvoQdINs0
でもその江戸を・・日本を救ったのは慶喜だけどね!
度量、器、胆力・・どれをとっても天下無二の英傑
その西郷さえも勝安房経由で「爪の垢」をいただき
煎じて飲んだとか飲まぬとか・・
事実かどうかはさておき
当時の志士からも一目置かれる存在であった事は云うまでもない
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 19:04:36 ID:2Hb0MZ56O
江戸を救ったのは慶喜公と
敵中突破し使者となった山岡先生、
そしてなにより義理人情を知る南洲先生の
熱い気持ちです。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 19:07:25 ID:2Hb0MZ56O
>>290 典型的な小人の評価のしかたですね。
進歩て何でしょうか?
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 19:13:45 ID:2Hb0MZ56O
慶喜公は明治天皇の御用列車が通るたびに
正装して列車の通るほうに向かって正座していた
水戸学正統の尊皇家。
士は士を知る。南洲先生も
慶喜公も
天朝と日本国への熱い気持ちを
もっていたのです。
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 20:08:52 ID:hVTXnuvQ0
慶喜と西郷!
共に泣けるんだよな〜
それに比べれば岩倉具視!!なんなんだあれは・・?
最初、名前聞いたときに女かと思ったぞ
ひどい奴だ
大久保が死んだ時は心細かっただろうね?くすくす・・
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 08:16:31 ID:QFA4s6hE0
慶喜が江戸を救ったってのは
天璋院が江戸を救ったというのと同じレベルのこじつけという気がする
慶喜は投げ出しただけで実際に救ったのは勝海舟ではないのか
(パークスが救ったとも言えるが)
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 10:31:43 ID:HH2dMjeL0
>>306 封建制の廃止が当時では進歩だったんじゃないの?。それに反対して武士の特権の
回復をめざした西郷は反動だよ。西郷は朝鮮侵略の企てが阻止されたのを
根に持って内乱を起こしたトンデモナイならず者、封建反動の権化。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 21:58:54 ID:8LsL2e1F0
>>309 パークス案は開城後に勝の耳に入った
つまり勝はこの時(江戸会議)は西郷を暗殺も有りとテンパってた
「これで」終わらせた西郷も「これで」引き上げた勝も
共に英断だった
当時の社会情勢を考えたらこんな結末は考えられない
そしてこの勝にして「このお方の命だけは・・・」と言わしめた
慶喜とは一体どれだけの漢だったのか?
>>310 にしては、西郷にやる気がなかったのはなんで?
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 15:37:56 ID:ju3vDp+G0
慶喜は勝を嫌い冷遇し続けた
長州大打込の気勢を上げるも初戦で敗れると早々と投げ出し
都合よく勝に敗戦処理を任して自分は早々に手を引いてしまった
戊辰の戦火の口火を切った時も将軍でありながら
自ら立とうとせず、官軍の3倍もの配下を置き去りにして
こそこそと戦列を離れた。
当時も百才あって一誠なしと言われた慶喜の根気の無さに
もともと譜代の幕臣でもない勝が
愛想を尽かしても何の不思議も無い状況だったが、
それでも最後まで投げずに日本の将来を考え
新政府に恭順しつつ徳川幕府の死に水を取ったのは
勝の立派さだと思う。
>>312 歴史の進歩に逆らったものは滅びるんだよ。人民の支持も得られなかったし
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 16:49:13 ID:pAosAq3MO
人民やら反動やら一般の日本人が使わない左翼言葉が飛びかっているね。
情の人西郷
冷酷な殺人機械大久保
みごとに相反してるな
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 21:32:05 ID:M0nPRUWh0
西郷は後世の人々に膾炙し人気があるのに
大久保の不人気と来たら。。。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 23:26:00 ID:ZLf8/LE/0
大久保を悪く言うのは薩摩ぐらいだろ
他藩士出身の政府人には尊敬されて足し
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 02:23:50 ID:kYrMuNQf0
罪刑法定主義を無視し自分の感情で江藤をなぶり殺した独裁者大久保
>>315 左翼用語じゃないよ。科学的歴史学の用語だよ。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 10:52:44 ID:REZItFg2O
明治維新はこの男から始まった。
なんで幕末あんなしたたかだったのに明治以後理想主義に逃避したん?
そりゃ現実主義の大久保に敗れ去るわな
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 09:00:14 ID:GRm/k05L0
>>322 始めから理想家だよ!
ただ戊辰時には「出馬要請」があっただけ
期待もされていた
ただ綺麗事をつらぬけただけでも稀有な存在だ
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 21:24:38 ID:byEyvu2X0
みんな浅はかなんだよ!
だから死んだ・・
慶喜は生きた!
そもそも天才は長寿ではないのだろうか?
そう思うのは私だけだろうか?
>>324 俺が思うに天才には天才の悩みがあるんじゃないのかな。
だから、天才は凡人には理解できない理由や動機や行動で
早死にしてしまう事もあるんじゃないのかな。
慶喜だって、天才なりの悩みがあったと思うよ。良寛も天上大風とか言ってるし。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 08:23:55 ID:3zgAP1WB0
>>324 >そもそも天才は長寿ではないのだろうか?
一般には天才は早世すると言われてるが
高杉晋作然り、モーツアルト然り、アイルトン・セナ然り
西郷さんによる江戸城無血開城も無駄だったか・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080428-00000000-yom-soci 札幌・ススキノの風俗店で火災、男女3人が死亡
4月28日1時15分配信 読売新聞
28日午前0時20分ごろ、札幌市中央区南6西5の4階建ての風俗店「江戸城」から出火、午前1時過ぎにほぼ鎮火した。
札幌市消防局などによると、女性2人と男性1人の計3人が死亡した。消防局や札幌中央署が建物内に逃げ遅れた人がいないかどうかの確認を行っている。火元は3階と見られている。
現場は、札幌市の歓楽街・ススキノにある飲食店や風俗店などが立ち並ぶ一角。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 14:38:42 ID:KbdqzoKz0
>>326 ピカソとかエジソンとかアインシュタインは?
やっぱ長寿も多いよ
早死には鬼才って言葉がぴったり
329 :
おいどん:2008/05/02(金) 22:02:27 ID:8Zt/iQSP0
西郷どんを育んだものは2つ!
1つは薩摩藩・・彼の士気はここでしか培われなかったばい
大久保ばどげな藩でも頭角を現すだろうが
西郷どんば薩摩の吉でごわす
2つめは斉彬公
彼の取り入れあってこそ世にでた
彼の目が確かだったのも確かだろう
なぜ西郷隆盛は写真が残ってないのでしょうか?
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 07:46:38 ID:IVjkZLpP0
>>330 当時の空気で写真は「お偉いさん」の道楽であり
「下っ端」は固辞するのが「常識」だったとみられる
西郷に限らず、写真撮影を固辞した例はよく聞く
つまり当時は「顔」にプライドを持っていた
「下っ端」なりのプライドがあったのだと思われる
下っ端がいるからこそお偉いさんが成り立つぐらいは思ってたでしょうね
とにかく当時は「平社員」でも士たるものプライドは
大事だったのだ
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 14:13:44 ID:vWkMS+4pO
斉彬公が長生きしてたら西郷さんの人生はまた違った人生になっていたのでしょうか?
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 14:47:13 ID:3LYJ58NY0
>>330 写真が一切ないのは寄生虫感染による象皮病を患ってたから。
おそろしく醜い顔だったと思われる。
睾丸が人の頭ほども肥大化してたのも寄生虫の影響だね。
ちなみに現在知られてる西郷の肖像画や銅像は、
本人とは全く似つかない作り物。
親族などの証言では痩せて神経質な小男だったとされてる。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 16:14:41 ID:P3nG3cY20
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 20:01:36 ID:CKsBdesOO
南洲先生の至誠に感動いたしました!
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 20:41:55 ID:IOmhKduk0
従道や小兵衛ですら写真残ってるのに南州翁は無いのがねえ。
恩師の斉彬公なんて写真の先駆者だし。
子飼いの桐野、篠原、別府、辺見等はみんな有る。
明治十年まで生きてて写真が無いのは、なんか事情があったと考えるべき。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 20:57:01 ID:CKsBdesOO
南洲先生は古きよき道義の人。
写真などというあやしげなもので
魂を奪われることを恐れたのでしょう。
>痩せて神経質な小男
これは嘘でしょ?
重すぎて馬から落ちたとか聞いたような
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 09:07:23 ID:aJMTD+750
>>329 もう一つ加えれば
勝海舟との出会いを持って初めて
倒幕思想への方向性を見出したとも言える
342 :
敬天愛人國學院大學卒:2008/05/06(火) 21:26:16 ID:cvbI8/HcO
写真なぞ残さなくとも
南洲先生は魂を残された!
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 03:22:00 ID:XR3jUUlg0
高潔な者は、辱めることができる
勇気ある者は、殺すことができる
よく知られるキヨソネの肖像画は、従道をモデルにして
西郷隆盛の顔を知ってる人からの証言を集めて書かれた絵だが、
当時、西郷隆盛本人をよく知っている人が大勢存命していたが、
「西郷さんはこんな顔じゃなかった」と言う人もいなかったから
まあ、ほぼ正確だったんじゃないか。
上野の西郷像の除幕式で、糸子夫人が「全然違う」と言ったのは有名だが、
あの像は相当デフォルメ化されているし、
西郷は服装はいつもきちんとしていて
着流しで外出することなんてなかったからね。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 10:54:44 ID:IvJgmukx0
一張羅の袷を洗濯してしまって
乾くまで会議に出られない為、木戸が服を貸したというエピソードは嘘?
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 19:20:24 ID:b5xMbWli0
このデブは、単に理想がなかっただけ。
そんなデブが下の者からの人望だけはあったから始末に惡かった。
維新前夜の血を流し合う時期はそういう下の者を動かすのに都合が良かったが、
廻天成った後の新国家建設期には、そういう何も考えてないし理想もなかった下の者にふり回されただけ。
理想も統率力もなく、ただ情に流されただけのデブ。
大久保利通こそ最後のサムライ。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 03:31:26 ID:XhSY2wreO
あちら側に付いた政治家は薩摩では、長いことスルーされてきたからなぁ…
日露戦争関連で鹿児島市を訪れた時には、
大山巌の銅像は無かったなー、たしか
自分の中では、東郷平八郎とセットなのだが…
たしか二人共、育った地区も同じだったはず
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 21:48:52 ID:lrQJprAb0
>>346 情に流されただけのデブなのに「人望あった・・」って
フツーに考えてスゴくね?
うちの親父がそうだ。人に慕われるのが異常に好きで、常に情に流されて
お袋はいつも苦労している。
親父のお人好しは有名らしく、詐欺師みたいのが一杯来る。
何の縁もないのに「金貸してくれ」「保証人になってくれ」。
一回、俺がブチ切れてクソ詐欺師を帰らした事がある。その後ですごい怒られた。
で、翌日から親父はそのクソ詐欺師が戻ってくるのを心待ちにしてるんだ。
しまいには電話しようとするから、必死に止めた。
「本当に彼が金が必要なら、1回追い返されたぐらいで引っ込むはずがない。
俺は彼の言葉を信じてる」とか言ってるんだから、もう駄目だ。
ただ社会に出てから「○○さんの息子さんですか、お父さんには本当に
お世話になってるんです」みたいな事は散々言われて、親父の信用の高さには
驚かされる。どうなんだろうねー、、、俺は親父みたいな生き方はできないね。
>>349 西郷なら詐欺師を自分の味方にするんじゃないか。
そのお父さんは詐欺師に利用されているから西郷とは違うと思う。
西郷なら逆に詐欺師を利用しそうだ。
反乱起こしたのに、明治天皇が殺すなとか言ったり、勝が名誉回復運動したり
やっぱとんでもない人だったんだと思うよ。キンタマもでかいが人もでかい。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 10:58:36 ID:oTJUVz7E0
>>349 オレはこのオヤジさんは偉いと思う。オレも真似できないし
誰かの本に最近の日本にいなくなったのはこの親父さんのような
頼れる「兄貴」「親父」タイプだそうな・・だからつまらない国に
成り下がったとか・・
それはいえていると思う
結果、日本は勤勉さを突き詰めて行った結果「主義者」ばかりが増えて
「人情家」がいなくなったんだとさ
やはり男気って身内には辛いよな・・多分!
でも今、こんな国でオレが憧れる男ってこの親父さんとか西郷さんだな
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 11:11:34 ID:oTJUVz7E0
人望厚いって凄い事だ
大体「許す」って出来る?
オレも器が小さいのか歳とる度に人を許せなくなったような気がする
不義理こいてトンずらしたような奴をまた迎え入れる
など出来ない
「美談」には裏話はあるだろうがそんな事どうでもいい
「美談」は「美談」だ
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 13:50:58 ID:877T7iyQ0
ワシも
>>349オヤジは男の中の男(死語)だと思うわい
未だに「赤穂浪士」が美談として残ってる位の国民性だから
ホントは昔から「そんな人」って稀有な存在なんだろうよ・・
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 19:50:38 ID:2c7+bqmVO
なんだかかなりいい話しになっていますね。
日本の夜明けは近いのか!?
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 20:19:48 ID:FATW5tze0
>>349 おまいのオヤジは立派だよ!実にたいした漢だ
悪く言っちゃバチ当たるぜ!西郷スレにふさわしい逸材だ
おいらのオヤジはガキの頃電車に乗った時、地元の厨房がふざけて
投げた靴がオヤジの顔面に直撃!!スローモーションで靴が落ちて
眼鏡がややゆがみのオヤジの顔は卑屈なほどの慈愛に満ちており
その後どうなるのかおいらは息を殺して見ていた
厨房が「オッサン・・パス」
オヤジ「ハイ・・いい靴だね・・えへへへ」
厨房は何もなかったようにまた靴を投げていた・・
半年前もへたれのクセにくどいから兄貴と喧嘩になった時
兄貴に首絞められておふくろが止めに入った隙を見て
逃げて自分の部屋から警察に通報しやがって・・・
警察も困ってたよ・・
そんなおいらのオヤジは幕末で言うと誰に似てる?
.~旦 )
(( 旦~ グラグラ
.旦
..旦~
(旦~~
/⌒ヽ みなさん ごくろうさまです
/ ´_ゝ`)
| / お茶がはいりましたよ
| /| |
// | |
U .U
ダシャーン
\
⊂\ _,,,,,,,,__ /
\\_/ .,’'.,’:.',, .,’:.',, .,’: l .,’:.',,|[]].,’:...,
ガッ _] ).,’:.',,:.',, []] .,’:.',,.,’:.',,.,日 .,’:.',,.,’:.',, /
凵シニニ_______________,,..ノ /[]].,’:',,:',[]]/[]]\[]].,’:.',,|[]].,’:.',, _ .,’:.',,]]/ 日.,’:.',,.., . ..,,,;:[]]
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 06:30:22 ID:KNOxU3Lh0
359 :
國學院大學卒:2008/05/11(日) 21:00:20 ID:XTjy25BTO
南洲先生はあきらかに
江戸儒学の薫陶を受け
それを実践された大人。
しかし、その後の民族派は
次第に儒学的な素養を失い
神道にのみ傾斜したため
南洲先生の精神は途絶えて
しまっていると思います。
これは非常に残念なことです。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:32:24 ID:7s5X3/9Z0
西郷と大久保のキャラクターと印象は、新選組の近藤と土方にそれぞれかぶる。
でも人間力・知恵・冷酷さ、どれにおいても全然及びもつかないよね……
まあそこが好きなんだけどね。
テロリストを江戸に放って市民を殺傷させ幕府を挑発し、薩摩藩邸を焼き討ちさせ
(藩邸内の薩摩藩士数十名は捨て駒の見殺し)
戦の理由をでっちあげるなんてことする連中、どうしたって好きになれそうにないわ。
薩摩は壊す側、新撰組は守る側
それだけの違い
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 23:15:49 ID:awmUsF4B0
西郷の非合理的な所に惹かれるなぁ
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 01:52:47 ID:jORYqvbOO
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 23:04:19 ID:pEGpMp1Z0
マリア・ルス号事件って
日本が世界に誇れる文句なしに素晴らしい
輝かしい歴史の一幕だと思うんだけど
ろくに知られて無いのは
留守政府時の出来事だった
&
副島種臣や大江卓が西郷派だったから?
マリア・ルス号事件っては毛利さんの台湾出兵って本で知った口だ
留守政府自体が見直され始めたのは最近らしいから
まだまだ知らない人も多いんでは?
留守政府を研究してる人ってあんまり居ないみたいだが
これから研究されればもっと広まるんじゃないかなあ
結構革新的なこともやってるんだよね
ただ下に任せていたという意見もあるけど
留守政府の中心というか責任者が西郷だったっていうのは面白い
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 10:33:30 ID:nRV74KPD0
ふつー留守の際に悪さするじゃない?(伊藤博文とか・・)
でも西郷のすばらしい所は理想を追っていった所にある
西郷が留守政府で政治とってたときは、民衆から政府に対してあまり反感が無かったって本当?
明治6年以前の明治政府が成そうとしたことは
知られて無いけど大きなことがいっぱいある気がする
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf05/5-112-123-yamamoto.pdf 本稿は、『日本外交文書』をもとに、明治新政府が遭遇した「人権問題」の中から、
明治初年のハワイの日本人出稼者召還問題、
明治3年の清国人日本人小児買取事件、
明治5年の暴風雨のために横浜に寄港したペルーの苦力(coolies)運搬船「マリアルス号」問題を中心に、
国際社会に乗り出したばかりの新生日本が、これらの「人権問題」にいかに対応したかについて考察する。
それにしても、明治新政府は、誇り高い政府だった。
売買された小児を海外まで行って調査したり,
ハワイの出稼ぎ労働者召還の努力を一所懸命にした。
個人の人権が、大切だからというより
「血」と「言葉」を同じくする明治新国家の「御国」意識が、
そうした行動を支えている。
明治初期の人権問題は、明治新政府にとって「国の形」を作るために取り組まなければならない課題であり、
その後の国家と国民の関係を方位づけた事案でもあった。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 20:55:10 ID:SsImFD+9O
それこそ西郷先生が
残した仁道の賜物でしょう。
たしかベルサイユ条約ぐらいの時に
日本は当時の白色人種の列強に対し
人種差別廃止を訴えていたと思います。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 21:01:13 ID:UMR8aJSb0
維新前後の売国事例。
慶応4年 神戸事件。討幕派、攘夷を行った備前藩士を外国人が見物する前で切腹させる。
慶応4年 討幕派、幕府締結の条約の絶対遵守を各国に誓約する。
慶応4年 堺事件。討幕派、土佐藩士20名を外国人の前で公開処刑。うち9名はフランスの助命で命拾い。
慶応4年 パークス襲撃事件。十津川郷士2名が攘夷を試みるも失敗。討幕派の手で攘夷志士は惨殺及び梟首。
明治1年 明治政府、スウェーデン・ノルウェー・スペインと不平等条約を調印。
明治2年 明治政府、北ドイツ連邦との不平等条約に調印。
明治2年 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議せず容認したため兵営陣地を構築。
明治2年 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告。
こうして明治政府は攘夷志士を外国人の前で処刑し、
次々と不平等条約を結び、樺太をロシアに進呈してしまいました。
その後、明治政府は廃仏毀釈で日本の伝統文化を徹底的に破壊し、
外国人に媚びへつらうための鹿鳴館をつくります。
江戸時代の日本人が持っていた誇りは、いったいどこへ行ってしまったのでしょう?
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 22:22:47 ID:H2UeW59F0
基地外西郷をはじめ「明治新政府」は、恥ずべきクズだらけ。
西郷と大久保
なぜ島津斉彬は大久保には目を掛けなかったのか
両者の大度、度量の違いを見抜いていたのかもしれない
>>373 斉彬は、父親の時代のお家騒動(正義派vsお由羅)の修復に心を砕いたから
正義派の代表のような大久保を重く用いる事は出来なかった。西郷家は
お由羅騒動にはほとんど関わらなかったから、どんどん重用できた。
お家騒動を収めたい気持は久光も同じで、正義派の大久保を重用できたんだよ。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:24:36 ID:OTwXUaQ7O
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔が好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 02:33:57 ID:OTwXUaQ7O
しもた!
キクラゲば忘れとった!!あいは外せんよ。
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 09:26:02 ID:/syC8PGe0
斉彬公が長命したら幕末の有り様も
また違ったものになったんだろうか
>>377 斉彬公がTOPなら、海外遠征組と居残り組みの間で確執は起きなかっただろう。
少なくとも担ぎ上げられて西南戦争で西郷が死ぬことは無かったと思う。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 20:07:14 ID:QLzO5L+/0
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 21:25:19 ID:VU4LlB0nO
西南戦争は トムクルーズの 『ラスト・サムライ』1877年
村田新八 彼は着てて和装 西南戦争でてます。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 22:33:30 ID:KS7ZuF690
>>377 どっちにしろ薩摩の有り様が変わらないから影響なし。
薩摩は地理的にも文化的にも日本の中の僻地であり異端の地。
藩や士族の存続に執着する閉鎖集団は、遅かれ早かれ討伐する必要があった。
本来なら幕府が薩摩を討伐すべきだったんだけど、
明治政府によって討ちとられたのは歴史の皮肉だ。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 10:14:20 ID:AM4cEFB90
>>381 それだけに薩摩藩の連中は自藩に対しての気概や自覚はそうとう強かった
のだろうな・・
幕府すら見下しているような所があった
家格で言えばうちらの方が上・・みたいな
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 10:55:52 ID:O01N+ULo0
イモ侍の屁は臭うてな〜
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 16:47:04 ID:JI95fFXp0
上野の西郷像は核シェルターなんだぞ!
385 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/18(日) 23:26:14 ID:bTViSWGIO
西郷さんの銅像の前でキスしたことある人いる?
>>382 薩摩は日本のなかの異国なんだよ。
最近まで訛りがひどくて言葉も通じなかったとこだし。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 20:15:06 ID:X8WmpjrF0
オレの通ってる高校の電車内で同じ沿線沿いの養護施設の
奴が「西郷」って呼ばれている
いつだったか西郷は列車とホームの間に落ちたっけ
みんなで「西郷大丈夫か?」って・・
サラリーマンのオッサンも笑いを必死で隠してたぞ
388 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/25(日) 01:04:44 ID:vHYbjiOFO
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 07:23:29 ID:ZjpGtmxz0
オレが小学生の時、特殊クラスにイガグリのでくの坊で目だけやたらに
澄んでいた奴がいた
そいつのあだ名もやはり「西郷どん」
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 11:22:26 ID:8eGOlp3T0
国語の先生のあだ名が西郷だった
動きやしゃべり方が緩慢な印象のオヤジだった
3年位前に淫行で免職になったと新聞で知る。ホントだよ!
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 13:22:56 ID:fkVULPiiO
賊軍になった西郷銅像がなぜ上野恩賜公園にあるのか…
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 16:01:03 ID:ghxpIA7f0
反新政府の目的で江戸っ子が招致した。
今「彰義隊の聖地に新政府が押し付けた!」と叫んでいる古老は、当時の経緯を知らない。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 19:57:24 ID:EXeQYLSb0
>>392 でもハトの糞にまみれた西郷像は屈辱的にすら見えるよ
連れてる犬もいい犬じゃね〜な!きっと・・・
西郷さん、日本は今こうなりもした。
どげんですか?
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 22:05:15 ID:Wn7Aj/PS0
西郷のイメージは安田大サーカスのヒロ君
> 連れてる犬もいい犬じゃね〜な!きっと・・・
薩摩犬のツンな。薩摩犬は小型で飼い主には従順だが、
猟犬としては獰猛かつ優秀で、イノシシさえ獲る。
397 :
七生報国学院:2008/05/26(月) 00:18:40 ID:5/rLryyTO
南州先生は愛国の国士です。冒涜
は私がゆるしませんよ
ちなみに当時の鹿児島人は犬を常食してた。
ツンは西郷の非常食。
399 :
平間重助:2008/05/27(火) 21:43:01 ID:fFDYY+Ir0
>>398 別に鹿児島だけじゃなくたって俺らのじーちゃんが子供の時とかって
家畜はペットじゃなかったんじゃねーか?
生き物は食い物だったと思うぞ
生き物をペットとしてカイダしたのは昭和40年代位じゃねーの?
しかも銀座のホステスとかだけだろ?
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 06:26:30 ID:bozKHXSJ0
>>399 日本人は縄文の昔から犬は食べない。
犬を食べるのは朝鮮人と鹿児島人だけ。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 22:44:27 ID:QIa9MhrB0
>>400 でもそんなの解らんよ
戦後だって犬食ってたらしいから。腹へりゃ何でも食うだろ?
しかもタコやナマコ食うより道理だと思う
それにオレは個人的にはとても偉人には見えない上野の像は好きだ!
402 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/28(水) 23:22:23 ID:7YilLX25O
>>400 昔から犬、盛んに食べられてたよ
近世なんかの武家屋敷跡から食用にされた犬骨がよく出土したりするしさ
>>400 食糧難の時は仕方なかったのか食ってる。
何だったかなぁ、色によって味の程度が変わるって俗歌もあった。
年配の人に尋ねれば、まだ教えてもらえると思うよ。
ぶち犬が一番不味いって話だけは覚えてるw
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 05:49:52 ID:uVHZU3tG0
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 15:09:45 ID:5J7AF6cP0
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 15:13:44 ID:5J7AF6cP0
因みに過激右翼は敬天愛人の天を無理やり天皇にこじつけているが、
全く違う。
天とは森羅万象、全ての源であり、
わが命、またその天命をつかさどる根本。
だと解釈する。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 21:01:34 ID:jHDABPYb0
大田南畝の『一話一語』には「薩摩にて狗(いぬ)を食する事」という
項があり、「薩摩にては狗の子をとらへて腹を裂き、臓腑をとり出し、
其跡をよくよく水にて洗ひすまして後、米をかしぎて腹内へ入納、針金
にて堅くくりをして、其まま竈の焚火に押入焼くなり(略)甚美味なりとぞ。
是を方言にてはゑのころ飯といふよし。高貴の人食するのみならず、
薩摩候へも進む。但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり。」と、その
料理法までも紹介しています。
この薩摩の犬食いは江戸の人々の間では結構知られていたことの
ようで、「品川と麹町とに入れあげる(「品川」は薩摩屋敷から近かった
品川の遊里、「麹町」は上記の獣肉屋をあらわす)」「大部屋に赤犬な
どのあらがあり」「酒盛にきゃんと言わせる御国柄」「『赤犬が紛失した』
と芝で言い」「『赤犬は喰いなんなよ』と南女言い(「南女」は品川の遊
女のこと)」などといった川柳が残されています(「江戸のおしゃべり)
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 22:30:04 ID:RTEiLrlg0
すっげ〜ピンポイントな知識をよくも、こうスラスラと・・・
>>407恐るべし・・・
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 00:16:26 ID:mgrS6tA40
まあ今でも日本国中にゲテモノ喰いはいるわな。
とは言え、江戸時代の食文化における犬喰いは普通。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 00:21:08 ID:uPZNniqhO
兎も喰うよ(^^)フランス料理では常識だが
今じゃ日本はペット文化になり喰わなくなりました。
411 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/30(金) 00:33:43 ID:OUcpAGY+O
友達に連れられて韓国料理屋で犬食べたけどマズかったな。
臭いんだよね。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 00:38:28 ID:mgrS6tA40
日本に近代まで食人習慣があったことは新聞記事として報道されて
います.
東京近郊ある焼き場では、生まれつき虚弱体質
の人々が生焼けの頭蓋骨をつよく欲しがることが
あるとも報道されている。詳細は1902年2月の
『万朝報』3018号3頁、及び同月の他の新聞を
参照のこと
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 00:42:11 ID:mgrS6tA40
日本人は犬どころか人まで食っていた。
ってわけだ。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 01:13:39 ID:uPZNniqhO
陸戦は現地食料調達しなきゃ無理だからね。
なんでも喰わなきゃだめなの喰わなきゃ戦はできんしな
戦国時代も食い物は大切だが 何でも喰わなきゃ損、喰な兵士はくたばる
つまりに(死)を意味する。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 04:50:06 ID:uPZNniqhO
鳥羽伏見・禁門の変・戌辰戦争
(素人集団・新政府軍)と(元士族の抜刀隊)VS 西郷軍
西南戦争です。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 05:18:09 ID:K53nE31T0
>>409 江戸時代は四足を食べることはタブー。
犬どころか豚や牛も食べなかった。
だから犬を食べる薩摩人が気味悪がられた。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 08:13:57 ID:oYdfLOC60
獣肉は一般的な食事ではなく病人に与える滋養の薬として
ももんじ屋で売ってた程度でしょ。
人肉というか死罪人の肝臓を薬として用いてたのは聞いた事ある
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 09:11:36 ID:75Tzdr/K0
日本の食人
>>
江戸時代頃では人間の肝臓は人胆丸とよばれ
正式な薬剤として売られていたそうです。
胎児も薬とされていたみたいです。
遊女などが堕胎して死んでいった胎児を
干して煎じて服用したという話を読んだことがあります。
このように人肉は妙薬である
と信じられてきた時代もあるようです。
あと日本の風習として遺骨を食べるというものがあります。
骨噛みというらしいのですが。
これは
食べれば故人が自分の血肉となる
という感じの深い愛情から来るものらしいです。
国語の授業(多分中学生の時)で
ある戦争の話(詩だったかもしれません)を読みました。
題名も内容もあまり覚えていないのですが
少女が空襲により焼かれた自宅で
骨となっていた家族の骨を口に含む
とい描写があったのは覚えています。
その場面だけは強烈に記憶しています。
<<
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 09:48:55 ID:75Tzdr/K0
敬愛幼稚園
1916年(大正5年)県内初の私立幼稚園としてこの地に創立されました。
初代園長のミス・フィンレー宣教師は西郷隆盛の人柄に惹かれ、
「敬天愛人」と言う西郷隆盛の言葉が聖書の教えに通じることから、
敬愛幼稚園と名付けました。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 10:58:11 ID:75Tzdr/K0
西郷隆盛が沖永良部島へ持っていった主な書物
『通鑑綱目』、『春秋左氏伝』、『孫子』、『韓非子』、
『近思録』、『言志録』、『嚶鳴館遺草』等
・・・・もっとも、西郷は後年明治になって、
「今日の世界万国の様子は複雑多岐のように見えるが、
『春秋左氏伝』の知識と『孫子』の理をもって眺めれば、
もとづくところ、帰趨するところ、瞭然たるものがある」
と言っている。ずいぶん心読したことがわかる。
海音寺潮五郎さんの『西郷隆盛』より
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 11:15:27 ID:75Tzdr/K0
海音寺潮五郎『西郷隆盛』より
もし松陰が維新後まで生きていて、明治新政府の一員となったなら、
新政府は最も清潔なものとなったであろうし、その後の日本の歩みも
また違って来たであろう。
明治新政府の重大な欠点の一つは、政府の要人らに学問ある
道義の士がきわめて少なかったことだ。彼らは皇室にたいする
忠誠心だけは信仰としてかたく持っていたが、学問のないかなしさには、
人間として必要な他の道義の念を欠如していた。
(中略)
しかし、もしこの時期に松陰が健在で、西郷とならんで
新政府の中心にいれば、その欠陥は大いに救われたろう。
もう一人橋本左内がいれば、保守的になる心配はない。
最も完全であったろう。日本のその後の歴史は
ちがっていたはずである。
かえらぬくりごと、死児の齢を数えるに似ているが、
ぼくにはそう思えるのである。返す返すも残念である。
---------------------------------------
と評し、西郷隆盛と並び吉田松陰、橋本左内を挙げ、
悲劇的な結果を招いた明治政府と近代日本の歴史に
対する後悔の念が伺える。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 12:29:30 ID:75Tzdr/K0
『江戸城無血開城』
勝は後年、これは相手が西郷であったから出来た。
他の人ならこちらの言葉の些少の矛盾や小事に拘泥して、
こうは行かなかったろうと言っている。
ここで、勝の当時の人物評を紹介する必要があろう。
彼は「氷川清話」で、大久保利通の事を、
「大久保は西郷の漠然たるに反して、実に截然としていたよ。
江戸開城の時、西郷は、『どうかよろしく頼みます。
後の処置は勝さんが何とかなさるだろう』といって、
江戸を去ってしまったが、大久保なら、これはかく、あれはかくと、
それぞれ談判しておくだろうさ。
しかし考えてみると、西郷と大久保の優劣はここにあるのだよ。
西郷の天分がきわめて高い理由はここにあるのだよ。」
といっており、木戸孝允のことを、
「木戸松菊は西郷などにくらべると、非常に小さい。
しかし綿密な男さ。使い所によっては、ずいぶん使えるやつだった。
あまり用心しすぎるので、とても大きな事には向かないがのう」
といっている。この人物評によると。
同じく維新の三傑といわれていても、この二人はこの際の
談判相手としては皆落第ということになろう。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 12:30:12 ID:75Tzdr/K0
『西郷隆盛と勝海舟』
生前の西郷と親交の深かった人々が集まり、
西郷の墓を建てようということになりました。
その人々は具体的内容について、勝海舟のところに
相談に訪れましたが、海舟はひとこと、
「墓か、墓ならすでに俺が建てているよ」
といってその人たちを驚愕させたそうです。
海舟は西郷の死後2年目に、近所の寺に西郷の墓を建立し、
ひとり西郷の霊を弔っていたというのです。
勝海舟の西郷隆盛に対する深い思い入れがよく分かると共に、
西郷を失った後の、勝の寂しさが伝わってくるようです。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 12:45:13 ID:75Tzdr/K0
勝海舟歌碑(鹿児島市上竜尾町 南洲神社)
勝海舟の詠んだ歌
「ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが なすがまにまに 果てし 君かな」
明治6年(1873)、朝鮮への使節派遣の問題で新政府を去った西郷隆盛は、
鹿児島に戻り、青年の教育のため私学校を設立しました。
ところが明治10年この私学校の生徒が、西郷の意思に反して暴走。
ついには西南戦争を引き起こしたのです。
この歌は、幕末以来西郷と親交の深かった勝海舟が、
愛する私学校生徒に身を委ね生涯を閉じた亡友のために詠んだものです。
隣に立つ常夜燈じょうやとうは、西郷と勝海舟との会談により
江戸城が無血開城され、江戸100万市民が兵火を免れたことへの感謝のため、
昭和14年5月当時の東京市によって建立されたものです。
歌碑はこの常夜燈と同じ花棚石けだないしでできています。
(説明板より)
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 16:09:25 ID:75Tzdr/K0
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 21:33:43 ID:bSzMQ4Fd0
大田南畝の『一話一語』には「薩摩にて狗(いぬ)を食する事」という
項があり、「薩摩にては狗の子をとらへて腹を裂き、臓腑をとり出し、
其跡をよくよく水にて洗ひすまして後、米をかしぎて腹内へ入納、針金
にて堅くくりをして、其まま竈の焚火に押入焼くなり(略)甚美味なりとぞ。
是を方言にてはゑのころ飯といふよし。高貴の人食するのみならず、
薩摩候へも進む。但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり。」と、その
料理法までも紹介しています。
この薩摩の犬食いは江戸の人々の間では結構知られていたことの
ようで、「品川と麹町とに入れあげる(「品川」は薩摩屋敷から近かった
品川の遊里、「麹町」は上記の獣肉屋をあらわす)」「大部屋に赤犬な
どのあらがあり」「酒盛にきゃんと言わせる御国柄」「『赤犬が紛失した』
と芝で言い」「『赤犬は喰いなんなよ』と南女言い(「南女」は品川の遊
女のこと)」などといった川柳が残されています(「江戸のおしゃべり)
西郷は武士の特権の回復をめざして暴動を起こした封建反動の巨魁。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 11:27:53 ID:HtFsh0rj0
西郷隆盛の遣韓論と日本を取り巻く国際情勢
『 通説における西郷隆盛の征韓論は間違いである。』
--------------------------------------------------------------
明治五年(1872) 7月19日 西郷隆盛 陸軍元帥、近衛都督を兼務
明治六年(1873) 5月10日 西郷隆盛 陸軍大将兼参議となる
西郷隆盛の遣韓に至る経緯
--------------------------------------------------------------
明治元年(1868年)日本は朝鮮に使節を送り新政府の樹立を告げ
新たな国交と通商を求る。当初その使節となったのは、
従来から朝鮮との折衝にあたってきた対馬の宗氏である。
しかし朝鮮政府はこれを拒否し続ける。
--------------------------------------------------------------
これに対し明治政府内部から朝鮮に対する武力制圧を主張する
政策意見が出始める。
当然ながら、陸軍大将兼参議である西郷隆盛に対して
政策要求が起こるのは当然である。
また西郷隆盛は当時日本を取り巻く国際情勢における安全政策と
職務上、それに関わる上で中心的立場にあったことは当然である。
即ち、西郷隆盛は個人的に征韓を唱えたわけではなく、
職務上、またその過程において基本的対策と戦略を示したに過ぎない。
もし西郷隆盛が強行的な征韓論者であれば遣韓提案などせず、
直ちに出兵準備の為の政策動議を掛かった事だろう。
それどころか西郷隆盛個人としては、全く逆の立場に立ち、
強行に征韓を唱える政府内部の抑制に努めた結果である。
よって通説における西郷隆盛の征韓論は間違いである。
幕府と薩摩藩の関係
薩摩の犬食いの悪習を幕府は危険と考えていた。
徳川綱吉による犬優遇政策
↓
犬食いは死罪
↓
薩摩人ファビョーン
↓
食い物の恨みで倒幕
↓
明治維新
日本人は犬どころか人まで食していた。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:41:16 ID:cadT1vzR0
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 13:47:16 ID:4MLqH1hy0
会津に遊びに行ったら、郷土食で「イナゴの佃煮」があったけど、
バッタ食うよりは犬食った方がよくね?
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 14:36:54 ID:HtFsh0rj0
明治維新と西郷隆盛と敬天愛人と宝暦治水工事
千辛万苦に耐え、堅忍不抜の精神を以って
極めた宝暦治水工事と薩摩義士
宝暦治水と薩摩義士 伊藤光好(前海津町長)
http://www.mirai.ne.jp/~wakita/gisi/ito.htm 後世の人の心構え
私たちはこの崇高な精神を尊び、治水に対する関心を強め、
治水を考えるとき薩摩義士の映像が浮き彫りに成るほど
人の心の中に薩摩義士を生き返らせるべきである。
そしてこの精神を鑑とし感謝の真心を捧げながら、絶えず心の洗濯を行ない、
たゆまず心の成長を願って行くべきであると、強く願うものである。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 14:42:35 ID:uBA7TUDo0
イナゴは鹿児島でも佃煮や甘露煮にして食べる。
昔はタガメも食べてた。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 17:19:03 ID:XQZg0ESr0
タガメ?今となってはスッゲ〜勿体無い様な気がする!
西郷どん万歳!!
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 18:50:12 ID:aZHLVv4g0
やっぱり西郷さんはエライ!!
偉そうじゃない所がエライ
多くの人間は西郷になりたい、
だが現代に於いて誰も西郷になることを許されない。
まずは大久保利通になることだ。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 08:45:51 ID:WbIO6eaP0
思えば九州の地でクマソと言われた昔から
中央政府へのレジスタンス→敗れて服従
を繰り返し7度目にして初めて天下をとったのが明治政府
というのが彼らの維新観らしいよ
クマソではなく隼人族だと思うがね。
軍人としてはどうなんこの人
441 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/04(水) 10:19:47 ID:5q5SiZwf0
あくまで純軍事的な能力に限定して評価すると大村益次郎がダントツNO.1だろう。
上野攻撃の作戦を全面的に引き継いだ大村は、綿密な構想のもとたった1日で彰義隊を壊滅させた。
それ以後、北越戦争、東北戦争、函館戦争全てに作戦面で指揮をとった。
彼の天才的頭脳がなければあのように短期間で戊辰戦争を終了しなかっただろう。
特に桂小五郎は彼がいなかったら黒田清隆や山県有朋が悪銭苦闘していた、
北越方面の長岡藩に勝てなかっただろうと述懐している。
(戦況悪化の為、西郷が頭を丸めて新兵力を集めるため薩摩に戻ったのはこのころ)
大村は西郷に今から薩摩に行かれてもお帰りになるころに終わっていましょう。
といったがその通りになって西郷は坊主頭を撫で回しながら大村の鮮やかすぎる能力を賞賛した。
また大村はこの時点で西郷がいずれ反政府軍を率いて起つことを予測していて
西郷を「足利尊氏ごときもの」と評した話は有名
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 19:24:49 ID:3JWut2In0
西郷隆盛の征韓論は間違い。
正しくは遣韓論者。
征韓論を唱えるものは韓国に対する武力行使などを手紙やら記録から
論拠としているが、それは当時、陸軍大臣であり参事であった西郷隆盛の
言わば、個人的な主観ではなく職務上、また立場上、当然の仮定であり
記録である。
正式な政府会議では武力行使を唱えず、
まずもって自身が交渉役として遣韓を唱えた。
もし西郷隆盛が征韓論の言う強硬な征韓論者なら
即刻、武力行使の動議を発動していた事だろう。
然るに西郷隆盛は外交においてまず平和的交渉を優先し
解決を望んだ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 19:40:10 ID:3JWut2In0
大村は西郷を全く理解していない。
西郷隆盛の基本精神は「敬天愛人」あり、その本質は
争いごとを好なかった、しかし自らの運命を天命として
割り切り事をなす。
下野後は私学校を開き、傍ら農作業などに従事する。
逸話として西郷隆盛は農作業に行く途中、
農夫に肥え(糞尿)掛けられた時、
「田に掛ければ米が育つ、畑に掛ければ野菜が育つ、
着物に掛けても何も育たぬぞ」
と恐縮していた農夫を咎める事もなくその場を
立ち去ったそうだ。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 19:45:07 ID:3JWut2In0
右翼が「敬天愛人」の天を無理やり天皇にこじつけているが、
そんなもんじゃない。
天とは自らの生と天命をも含めた森羅万象全ての
摂理と生命の根本を指す。
西郷隆盛の本質は全く逆。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 19:48:00 ID:3JWut2In0
×着物に掛けても何も育たぬぞ」
○着物に掛けても何も育たぬな」
446 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/04(水) 20:29:26 ID:KMuTInUD0
>>443 本質はそうかもしれんが西郷はそんな単純な人間じゃない。
西郷は大村によって早く戊辰戦争が終わったことを実は後悔していた。
西郷としては徹底的に日本中が血を流さなければ、革命は完成しないという意識があった。
革命、反革命のエネルギーを流血によって吸収しなければ収まらないと考えていた節がある。
不幸にして西郷の予感は十数年後に的中することになる。
西郷は一筋縄ではいかない大変複雑な人間だと思う。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 22:07:16 ID:B/nnQJZx0
>>446 それはないと思うな
西郷のパーソナリティーってやはり
自然児だと思う
西郷は久光を地ゴロと面罵したり、
慶喜について「ついこの間まで乞食同然の浪人大名だったやつが将軍ですよ」とサトーに言ったり、
奄美大島に流された当初は島民を「けとう」「ハブ」と侮蔑的な言葉で書いたり、
けっこうきつい嫌味な性格だよ〜
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 09:10:57 ID:1+wpMqb20
沖永良部の西郷さん
http://www.keiten-aijin.com/shima.html 西郷隆盛は整然とした態度で出迎えの各位に対して
「遠来の労に感謝します。これからは一流罪人として
各位を煩わす事になりますが、よろしくします」
言葉は乱れず、自ら謹慎の意を表した。衆は皆感激し、
その礼儀の良さに感謝して、乗馬を勧めたが西郷は
乗馬を拒み「私は罪人の身であるから、
再び土を踏むことはないであろう。
もう一度この土を踏みしめさせて下さい」と言った.一
与人役大体
人民の幸、不幸は上に立つ役人が良いか、
悪いかによって決まるものであるから、
役人が良ければ人民皆幸せになるが、
役人が悪ければ、その害は台風よりもひどく、
人民を不幸にするものである。
まず良い役人とは、第1に百姓を可愛がり、
百姓の喜びを自分の喜びと考え、百姓の不幸を、
自分の不幸と考えて仕事をする役人である。
第2に、良い役人とは、自分の為の欲を持たない役人である。
次に、たとえ代官の命令でも、
まず百姓の為になるかどうかを考え、
百姓を痛める様な事は絶対にしない役人であると、教えました。
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 22:27:05 ID:WaGbkFKF0
別に西郷さん聖人タイプじゃないと思うんだが
人間の好悪の判別が厳しく
嫌いな人にはキツイ言い回しで罵ったりしてるし
いまだに西郷を純真純朴な裸の大将・山下清的イメージで観てる人っているの?
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 12:34:58 ID:q2StOe0G0
>>451 逸話として西郷隆盛は下人に対して怒った事はないそうです。
ミスや非道に対して怒ると言うより諭すような言い方だったのでしょう。
山県有朋が山城屋事件を起した時に、西郷が山県を罵倒したのは有名だな。
まあ罵倒されて当然だけどね。西郷は政府高官の汚職を極端に嫌った。
しかし西郷は、「山県の汚職野郎をぶった切る!」と騒ぐ近衛の薩摩仕官たちをなだめ
山県に代わって近衛大将を引受け、左遷された山県の復帰にも努力したから、
山県は最後まで西郷を恩人として、西南戦争でも西郷軍と戦いながら
西郷本人はなんとか逃がそうとした形跡が多々見られる。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 15:50:10 ID:/8iv622M0
西郷ドンがエッチしてる時言いそうな一言
「まっこと・・ミミズのこつありもうす!」
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 19:56:13 ID:HKA3CGbU0
西郷さんが言いそうな言葉
「島の女子はよかっ!うまか〜っ!」
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 02:42:38 ID:7jrmxuXQ0
後世を生きるお前らなんぞに話しても大西郷の徳というものは伝わらぬ
by 高島 鞆之助
458 :
西郷隆盛:2008/06/08(日) 05:20:30 ID:RiWQs8c10
あれっ?勝殿?・・こらいけん!間違えもしたっ!勝殿〜っ!!
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 10:29:32 ID:lRXvxHsg0
西郷さんが上野の像を見て一言
ニヤニヤ・・・「ちょっといい男過ぎないか?」
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 18:54:06 ID:6h0y8uNJ0
西郷は情・仁の人ってイメージ
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 09:17:18 ID:rIXgsDOn0
そうかな?
確かに農政役人だったときには「民を憐れみ、苛斂誅求をしないこと」
を提言しているけど、それはあくまで薩摩の城下士としての上から目線なんだよね。
武士の身分もプライドも捨てて庶民と一体化するとか、士族よりも民衆の方をえらぶとかは絶対にない。
もしそんな思考の持ち主だったら、九州半分を荒らし回る西南戦争なんて起こせるわけがない。
西南の役の責任をすべて西郷にぶつけるのは酷かと
あれは西郷一人の意志でどうなるものではないだろ…
それに情・仁の人ではあるよ。その対象が没落していく武士達のほうに向かっただけのことで…
この人にとって農民はあくまで撫育の対象だったんだろね。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 19:52:13 ID:3Qq1MndV0
それにしては下野後に設立した私学校は、農地開墾が主な業務でした。
死ぬまで農本主義者だからね。
斉彬の1番弟子なのにそこは影響受けなかった。
実は斉彬と大久保
久光と西郷が似たもの同士だったてこと?
薩摩の武士の多くは農民だったんだよね。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 13:45:06 ID:GuRK1OCo0
西郷・大久保はスケールの大きな近藤・土方。
そしてスケールの小さな毛沢東・周恩来。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 14:08:54 ID:GHriM+0Y0
西郷隆盛の本名は、西郷隆永 と言う話をどこかで見たことがある。
本当なのかな?
間違えて新政府に登録しちゃったんだよ。
隆盛は本来お父さんの名前だったと思うよ。
>>466 殖産興業を推し進めたって点で大久保は斉彬と近い世界観をもっていたね。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:36:37 ID:CzMazGV00
>>461 情、仁の人だからこそ西南戦争を回避しなかった
大久保や伊藤のような主義者なら負け戦などしない
武士を捨てなかったのも罪人の身を中央政権に引き上げてくれた
久光への義理立てだ
義理立てかなぁ…
もっと爽やかじゃない屈折した感情があったと思う。
司馬遼太郎は
この人解読不能てサジ投げてたよね
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 05:11:04 ID:PPhmBGdO0
>>472 もちろん情が強い人だから頑固な所あるだろうし
爽やかというイメージではないでしょうね
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 08:13:30 ID:JbID049C0
>471
それで、士族のプライドよりも民衆の暮らしや国土を守ることを優先させたら
情なしだ功利主義だ腰抜けだと言われちゃうんだなあ…勝や慶喜みたいに。
引きあわねえなあ。
日本人は大半が百姓町人出身なのに、武士を守って民衆を蹂躙する人間をマンセーする奴隷根性の持ち主。
勝も慶喜も評価されてるだろ。
一部の偏狭なヤツからは糾弾されてるが。
当時の時代は武士が日本を動かしてたのは事実だし、武士が主導しなきゃ近代化はなかった。
民衆が力をもてない制度じゃないからね。
明治初期の士族反乱は武士社会からの脱却における陣痛みたいなもんで、誰か個人の責任ではない。
これ以上ない正論なんだけど、安易に現代の平民主義な価値観だけで
人物を評価してしまうのは当時の現実を見れてないよね。
× 制度じゃないからね
○ 制度だったからね
478 :
徳川慶喜:2008/06/15(日) 14:01:23 ID:paNv0wwV0
>>476 私は人付き合いが下手な上に趣味のケメラと自転車での散歩が
あの頃の日本人には理解されなかったのさ・・
人の機微と言うものが解らなかったよ!ケケッ!
勝とかみたいに武家株を買って武士になったわけじゃないからね
全く好かれると嫌われるとじゃ背中合わせに離れる様に人気の差がつくよ
篤姫とか和宮とかババアに嫌われたのも敗因だな
みんなも気を付けようね!
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 14:39:39 ID:eEUDsXTg0
>当時の時代は武士が日本を動かしてたのは事実だし、武士が主導しなきゃ近代化はなかった。
その結果として武士階級は総失業→没落階級となった怒りを何処へ向ければ良かったのか
西郷は死ぬことで彼らを受け止めてやるしかなかったんだよね
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 19:05:41 ID:4BafKyK+0
>>473 司馬遼太郎は西郷にサジ投げたっていうより
薩摩気質ってやつを最後まで理解できなかったんじゃないのかな。
薩摩気質って変わってるからな、まず風土から理解しないと
西郷は解読できない
その点じゃ西郷理解の第一人者は海音寺さんだな。
ちょっと西郷に肩入れし過ぎかもだけど、この人の西郷理解が一番しっくりくる。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 21:36:27 ID:Kcqao0lD0
<<480
同意
何か大久保とか伊藤、福沢などはどの藩に居たっていづれ頭角を現しそうだが
西郷は薩摩すなわち島津家の空気の中で育った感じだよね
もうこの時代には既に風化していた忠義というものも西郷は
持ち合わせていたんじゃないの?
ただ形式は忠義でも情ゆえに顔や態度に不満が正直に出たりして
しばしば稚拙とか軽輩者に見られてたみたいだ
>>480 司馬はあれほど時代小説を書きながら、結局、「武士」というものを
理解出来なかった人間。
だからこそ、現代人に共感を呼ぶ小説が書けたのだが・・・。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:13:40 ID:9E2ssgx80
西郷さんの資質はリーダーというより調整役(参謀)タイプじゃね?
>>484 調整役ねえ・・・・
明治後の西郷さんと一番縁遠い言葉だな。
>>480-481 海音寺潮五郎の西郷礼賛は、少なくとも他県人から見ればキモイ事この上ない。
司馬が海音寺みたいに西郷礼賛をしないから西郷の事が判ってない、
みたいな言い方を鹿児島人はするけど、鹿児島人は
西南戦争開戦当時の夜郎自大癖が、まだ治ってないんだろうな。
今じゃ、国の交付金に頼るだけの土建屋天国なのにw
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 17:58:27 ID:9rQXSdmP0
これはオレの思いなんだけどオレの会社の役員で好きな人は佐賀出身
社長は福岡、好きな先輩は鹿児島、大分!
オレ自身は九州人って好きだな
みんな何故か押しが強いタイプだが情はある気がする
ちなみにオレは神奈川出身!
司馬は西郷に結構好意をもっていたと思うよ。
でも西郷を書ききれなかった。
これは色んな人が指摘してるし、俺もそう感じる。
だけど誰もそのことで司馬の批判なんかしてないよ。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 12:48:34 ID:urI8GYPuO
ただの逆賊。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 21:37:31 ID:/3mcZva00
>>487 昔、支援団体のボランティアやってた時
ホームレスに九州人多かったな・・
しかも仲間とトラブルよく起こすから困ったものだった
それもバイタリティーには違いないか・・・
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 21:54:54 ID:nVpWcVuN0
他の地域は知りませんが、私の知る教会に来るホームレスの方は、東北人ばかりですよ。
しかも正直、粗暴な方が多いです。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 03:41:44 ID:BulF63SKO
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:58:43 ID:wKLoBbQW0
>>492 九州のヤクザはホントに殺す奴多くて怖い!
そもそも九州人って短気とか気性荒い奴多いのかな?
494 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 11:45:35 ID:xVzihswk0
でも最後は桐野に後ろから撃たれて死んだわけで・・
そろそろ鹿児島県も史実を認めるべきだと思うが。。。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 11:47:10 ID:Dhce/1Wm0
それは土方歳三だと思う。
桐野みたいな剣客上がりを側近に据えるあたり
幕末の西郷さんと同一人物とは思えんね。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 14:30:40 ID:xVzihswk0
>>495 いや。西郷さんの話
下山しようとした西郷さんを、桐野(それ以外の人間かもしれないが)
が銃で撃った。倒れた西郷さんを別府が介錯
これは証言もある確かな史実。
ただ、西郷さんが命乞いをしようとした、というわけではなく、きっちり
自分の主張を伝えてから死にたかったとも考えられるけど、、
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:53:24 ID:Dhce/1Wm0
>>497 史実では、切腹を行ったことになっています。
銃弾の痕は、正面にあったそうです。
新政府軍が見つけたときには頭はなかったそうです。
つまり、ID:xVzihswk0は妄想です。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 16:17:07 ID:h+5zBMSP0
>>493 九州人=半島からの漂着民の子孫
だからだろ
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 16:26:18 ID:zRI7zFcU0
>>499 なるほど。確かに大陸系はカッとなると主張が激しそうだね
佐賀も福岡も熊本も鹿児島も朝鮮系がルーツなの?
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:23:56 ID:H/yhGuyr0
西郷さんは温厚そうだから九州で言うと今でいう大分とか宮崎出身
の感じがする
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 20:44:45 ID:P1uvH2/d0
司馬は西郷のことを結構断定的に書いてるけどな
ただ最後にこういう人物だったとハッキリいえる面がないから
哲人と言うしかないと
西郷さんのルーツは肥後の菊池氏。
肥後菊池郡西郷村(現在は熊本県菊池郡七城村)。
西南戦争の田原坂から近いのは因縁かな。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 08:08:49 ID:cTxKDlVi0
>>502 全く同意でオレも個人的には西郷どんは武士というより
思想家とか理想主義の人だと思っている
だからこの時代に主流の「これだ」というような凝り固まった
考えがないから、イメージを浮き出しづらいのかもね
時代を超えたユニークな人柄だと思う
505 :
日本史マニア:2008/06/22(日) 17:58:23 ID:2VXNMNG20
西郷さんは先祖はサモア人だよ!
武蔵丸とかマイティ・モーのくくりである!
先天的に格闘センスはあったはずだ
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:22:47 ID:ZnBf6lVP0
西郷さんの小説を読みたいのだけどどれがよいですかね?
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 19:25:27 ID:ZR/zBQGN0
西郷さんの面はでっち上げだよ。
ボンさんの描いた絵やかみさんも否定してるだろ。
典型的な新モンゴロイド顔だよ、真実は。
508 :
日本史マニア:2008/06/22(日) 20:02:24 ID:2VXNMNG20
いやいや・・モンゴロイドで巨漢など皆無だ!
サモア人ですよ
楽天的な思考をする人みたいだからガチ!!
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 21:14:19 ID:Kj9WccyQ0
>>507 絵や銅像が似てないのは今に始まった事じゃないんだね!
従道さんの顔立ちから程度推察できるっしょ
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 07:57:18 ID:hNualqiM0
西郷は戦争基地外!きらい
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 21:58:20 ID:Q/4jDfRH0
戦争吉は大村益次郎だろが
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 08:57:20 ID:mbYUbwQS0
>>513 でもホントは短小、ホーケーって言う史実ないの?
新解釈とかで・・
上野の西郷さんて地元なんだけど、子供のうちは、
山下清と混乱してたね。
ゆかた着て、犬連れてる意味がわからん。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 12:17:03 ID:XZOwoN7q0
>>515 奇遇!!オレも小学校の時、仲間と上野のお山へ行った時
友達の「博士君」が「これは確か山下清の像で西郷像はこの近くに軍服着て
そびえ立っておられる・・」と申すからみんなその気になって
西郷像を探したものだ
しかし見つからずに最後は「野に咲く花のように」を合唱して
上野を後にした
517 :
515:2008/07/03(木) 14:05:39 ID:0UlVjgo40
やはり山下清説はあったのだな。
まだドラマなんかになるずっと前のことだけど、あれは山下清を
彷佛とさせるよね、やはり。
あと、「上野の西郷さんはどっちむき?」「夏向き。ゆかただから」
というさむい台東区ジョークもある。
あそこにあった聚落もなくなったらしい。残念だ。
って、一度も食ったことないが。ないとなればもの悲しい。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 15:14:21 ID:c4K7013X0
ジュラクも最後の最後まで西郷隆盛のお力に頼ってたね
西郷さんの威光もたいしたもんだ
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 19:34:45 ID:Wu/QM2jU0
明日のジョーのマンモス西は西郷さんがモデルなの?
>519
いや、あの辺はジャイアント馬場も合体してる
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 17:41:00 ID:9BaQIooL0
近所の知恵遅れのオジサン(推定40歳位)のあだ名が西郷どん
やっぱ全国区でそういうイメージがあるのはどうしてだろうか?
>>521 実物西郷しぇんしぇ〜
身長179〜180cm
体重90〜100Kg お相撲さんやプロレス体型です。厳ついスッ!
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 20:34:26 ID:mlLNYpeh0
>>522 なるほど!!
そういえば動きは緩慢そうだね・・・
だからそういう風にイメージするのだね?
確かに銅像見ても時津風部屋にいそうなキャラしてる!
太ったのは薩摩に帰った晩年という話もある。
鹿児島にはやせた西郷さんがいるのではないか。
上野のあれは、どう見ても悪意がこもってる。
彰義隊の霊にフタをしようとしたのだろうが、そうはさせない精養軒。
それに、今さらなんで西郷だ...という反西郷派が加担したと思う。
自分の記憶の上野の西郷さんは、ひざたけゆかたと犬で十分まぬけなのに
常に鳩が肩にとまっていて、糞で変色しておった。。。
いまは知らんが。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 01:14:37 ID:NA5P+juGO
トムクルーズ主演映画『ラストサムライ』
1877年《西南戦争》(士族の反乱)
明治天皇決別
あれモチーフは西郷隆盛ですねよね。
顔は慶喜っぽかったが>ラストサムライ
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 02:16:04 ID:NA5P+juGO
>>526 あの時期は戌辰戦争は終結し終わっうる
明治政府 明治天皇がいたし 日本国内での最後内乱激戦地
やっぱ【西南戦争】ですね。西郷隆盛は渡辺兼
樹液なんてカス。
スイカ最強wwww
>>524 > 太ったのは薩摩に帰った晩年という話もある。
それはない。小御所会議には肥満で正座が出来ないため出席できなかったし、
東京では肥満のために心臓を悪くしてホフマン教授の診察を受けている。
ホフマン教授の診断は「肥満しすぎ。散歩などの運動をして下さい」だった。
昔は(二度目の島流し前まで?)痩せていたって言う証言もあるよね。
でもまあ、弟とか従太兄弟を見る限り太りやすい
家系だったのかなあとか思うが
個人的に写真が残っている子供はどっちも格好いいと思う
西郷輝彦って西郷の家系の人でしょ?
従道なんか、似てるような気もする。
サツマイモは太るというサザエさん世代の観念は、西郷隆盛から来ているのでは
と思う。
大久保、海舟も昔の西郷は痩せていた、というか太ってはいない、と言ってると思う。
>>531 西郷輝彦は鹿児島出身で、
西郷隆盛にあやかって、芸名を西郷にしたが
西郷隆盛と血縁関係はない。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 20:47:10 ID:Q4slrUXO0
西郷さんの先祖はは熊本だよ。
熊本の菊池氏とのこと。武士道の本家本元家元の系統らすい。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/09(水) 21:48:04 ID:hs2JUbsG0
西郷さんのホントの顔って肖像画すらないので
分からないのが事実なんだって
535、536 どうもです。
平野五岳が描いたのは見たいな!それはこの中にはないんですね?
平野五岳って淡窓の弟子でしょ?淡窓の塾、興味あるんだけど。
西郷さん、淡窓の塾には関係ないのかしら。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 21:00:28 ID:zzjLXfXI0
せごどんは蒙古症なの?
>538、246 ごち!です。
この説明文よくわかんないけど、平野五岳は大久保と一緒に薩摩に行った
ってことなんだろうか。大久保から頼まれて、昔見たことのある西郷さんを
描いたんだろうか。平野五岳が談判に言ったようにも思えるので、だったら
その話をもっと知りたいが。
いずれにしても、ちょっと高貴な味が出てるとこがいいな。
みんな並べて実物見たいなぁ。
>>540 大久保に頼まれて西郷を説得に行った。
後にそのときの西郷を思いだして絵を描いた。
ってことじゃない?
>>542 その絵についての本人の記述がないから
実際は西郷かどうかもわからないんだよね。
結局、この「新発見」は、認められていない新発見てことですかね?
平野の方の研究者から何か出てないのだろうか。
これが本人に似てるかどうかよりも、平野が大久保、西郷とそんなに親しい
ってのは知らなかったから興味ある。
西郷さんも平野も、詳しいわけじゃないんだけど。
って、一人で騒いですまそ。
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 09:55:33 ID:uxLTkp/U0
だからあれこれ言ったってなんら確証がないんだってさ・・
それが事実
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 19:46:38 ID:SHN9ptzjO
土佐藩の藩士:後藤象二郎 フランス高級ブランド『ルイ・ヴィトン』のカバンを買った初めての日本人である。
戌辰戦争(1868〜1869年)
新政府軍 岩倉具視・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝充
旧幕府軍 徳川慶喜・勝海舟・近藤勇・土方歳三
会津藩士
白虎隊 15〜17歳
朱雀隊 18〜35歳
青龍隊 36〜49歳
玄武隊 50歳以上
1873年10月24日西郷隆盛は政府の役人を辞職した「参議」を辞職
【士族の反乱】
1874年2月17日 佐賀の乱(佐賀)】
1876年10日24月【 神風連の乱(熊本)
同年10月27日【秋月の乱(福岡)】
同年10月28日【 萩の乱(山口)】
士族の反乱で最大だったのが
1877年西郷隆盛が鹿児島県で起こした 【西南戦争】である
◎映画【ラストサムライ】舞台は1877年 西南戦争をモデルとしている。 部族のリーダーが西郷隆盛を指す。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 19:54:51 ID:GdyPVPwWO
大山巌も、顧客名簿に名前載ってたなぁ
ルイ・ヴィトン…
彼は自他ともに認める西洋かぶれ(別に悪口ではない)
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 20:39:37 ID:FfcWMtHJ0
・・・てかルイ・ヴィトンってそんなに歴史あるんだ?
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 20:40:51 ID:FfcWMtHJ0
1980年代に松田聖子とかを介して有名になった
ブランドなのかと思ってた・・・
西郷も海外視察に行きゃよかったのに…
大久保ヒドス
ラストサムライが西郷の場合、真田広之は桐野がモデル?
天皇にいろいろ言ってる一人だけ英語うまい人は伊藤か?
官軍で、泣いてガトリング砲止めるのは誰?山田か?
そこまで忠実につくってないよ。
フィクションだよ。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 18:19:18 ID:jGR5cltH0
西郷さんって大好きって人と大嫌いっていう人に別れるみたいね。
左よりの人は嫌いっていう人多いみたいだけど、それは西郷さんを右翼の元祖と
勘違いしてるからじゃね?
おれは西郷さんは理想主義に燃えた革命家だと思うよ。
チェ ゲバラにちょっと似ている気がする。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 19:48:33 ID:5pmjraqL0
(反省点も含めて)嫌いじゃない…うん
サヨは、西郷が征韓論者だから嫌いなだけだろ。
幕末の西郷は間違いなくバリバリの革命家だったが、
明治後は単なる保守主義者になっちまったな。
征韓論者じゃなく遣韓論者ね
単なる保守主義者が廃藩置県に賛成するかね?
細かいけど"単なる"では片付けられないと思うなぁ。
国粋主義者ではないしね。
>>558 > 単なる保守主義者が廃藩置県に賛成するかね?
討幕の目的が、日本を中央集権国家にすることなのだから廃藩置県しなけりゃ
意味がないだろ。太政官政府に廃藩置県に反対した人間が一人でもいたか?
鹿児島に私学校を作っても、士族の若者に農業・開墾・剣術ばかりやらせて
斉彬のような産業振興をまったくしないのでは、
久光なみの保守主義者と言われても仕方ない。
討幕の目的が中央集権国家の設立って訳でもあるまいに。そのうち必要になってくるのは必然としてもさ。
てか当時西郷は廃藩置県に反対するのではないか?って見る向きもあったらしいね。
それにまだ廃藩置県は時期尚早だとする意見もあったなかで、西郷はこれに賛同したわけだ。
しかも人材を欧州に派遣して勉強させることにも熱心。
上記のことを考えると、西郷が久光並の保守主義者には思えないんだがな…
> それにまだ廃藩置県は時期尚早だとする意見もあったなかで
廃藩置県のさいに起きる内乱が恐かったから。
維新後も、廃藩置県までは幕藩体制とほぼ変わらない体制だから
廃藩置県やらないと意味がないのは、新政府の誰もが分かっていた。
> しかも人材を欧州に派遣して勉強させることにも熱心。
薩摩士族ばかり渡欧させていた。
大久保・伊藤・大隈が、藩の壁を越えて
有為な人材をどんどん登用したのとは大きな違い。
そんな中、廃藩置県らの政策に反対する保守主義者(久光とかね)だっていたわけで…
西郷が薩摩の連中しか留学させなかったっていうけど、それってある程度自然なことじゃないかな?
他藩の藩士が西郷に留学させてくれと頼みに来て断った例とかあるの?あるのなら話は変わってくるけれど…
てか久光だったら薩摩藩士でも欧州に派遣なんて絶対させなさそうだよね(笑)
まぁそーいうとこからも西郷を久光と同じレベルの単なる保守主義者だとみるのは違うんじゃないかと思うわけよ。
オレが言いたいのはそんだけ。
保守的な面はあったと思う。でもそこまでの保守主義者でもないんでは〜と思ったわけですよ。
>>562 西郷って、桐野、篠原、別府みたいな、
自分の子飼いの薩摩士族しか登用しなかったイメージがあるな。
西郷が登用した、薩摩士族以外の新政府高官なんて1人でもいるか?
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 22:23:45 ID:t/NUt9K/0
西郷は保守主義ではない
そもそも彼は極端な死への願望が強い
そこが理想家である所以だ
下野後、西郷の切望は二つあり1つは私塾の成功だった
それと同時に部下や塾生徒達と死ぬ事だった
この相対する願望が彼の魅力でもあり「厄介」な所だ・・
>>558に同意でこの男は「単なる」で片付けられない人物であったはず
>>563 紀州藩出身の津田出ってのがいたはず。
結果的には失敗だったんだけどね。
その反省があって、気心の知れない他藩の人材登用に消極的になってしまったのかもしれない。
それに西郷は大久保みたいに内務省を握っていたわけじゃなくて陸軍大将の身だったからなあ。
官僚の人事にあんまり口を出せる立場でもないし、本人もわきまえてたと思うよ。
軍人については、薩摩が一番って意識は確かにあっただろうねえ。
津田出は確か大久保も期待してた人だよね?
西郷は薩摩ばっかり推してたけど確かに「軍人」だから
薩摩が自然多くなるのはある意味仕方がないのかもね
この人が見出した有名な軍人というと東郷とか山本ぐらい
しか知らないが。
西郷って、政治に興味あったんだろうか。政府の政策という意味の政治だけど。
征韓論のときじゃなくて、明治になってすぐのときの方の韓国に出兵する
論議のときに、既に、戦争し足りないのを連れてって、そこで死ぬ
みたいな希望を持っていたんじゃなかった?
新政府に対する希望みたいなものを大久保みたいには見出せなかったんじゃないかね。
武士というものはなくなるな、という将来は見えただろうし。
ある意味、精神を病んでる状態だったようにも思う。太ってるし。
さっき急に思い出したんだけど、小さいとき、親か祖父母かに教わった
じゃんけんの歌で、西郷隆盛の娘が墓参りにいく歌があるんだけど、誰か知らない?
前半が全く思い出せない。
思い出したのはこんなの>
(はじめのとこ不明。なんか、娘さんが花持ってて云々みたいな内容かも)
_____ 西郷隆盛娘です 切腹なされた父さまの お墓まいりにまいります
お墓の前で手を合わせ _____(なむちん、なむちん、だと思う)拝みます
お墓の陰から幽霊が _____(ゆらりゆられて?) じゃんけんぽん
こういう歌。知ってたら全曲おしえてくれ!!!!
一かけ二かけで三かけて、四かけて五かけて橋をかけ
橋の欄干、手を腰に、遙か向こうを眺めれば、
17、8の姉さんが、花と線香、手に持って、
もしもし、姉さん、どこ行くの、
私は、九州鹿児島の西郷隆盛娘です、
明治3年3月に切腹なされた父親のお墓参りに 参ります、
お墓の中から幽霊がフワリフワリと ジャンケンポン。
一かけ二かけで三かけて、四かけて五かけて橋をかけ
橋の欄干に腰をかけ、遙か向こうを眺めれば、
16、7の姉さまが、片手に花持ち線香持ち、
姉さん、姉さんどこ行くの、 私は、九州鹿児島で、
切腹なさった父母の、お墓参りに参ります。
お墓の前では手を合わせ、 なむちんかむちんジャンケンポン。
娘って菊子(菊草)のこと?
いやー、嬉しいなぁ。ありがとう。
それ、有名な歌?その後聞いたことないんだけど。
題名はある?
自分が覚えてるのと微妙に違うみたい。1番と2番混じってるし。
なむちんて何だろ。薩摩の言葉?
なんで明治3年に死んでるんだろ。その後の西郷は偽物ってこと?
それ見たら、思い出したわ。
自分が知ってるのは、
一かけ二かけで三かけて、四かけて五かけて橋をかけ
橋の欄干、手を腰に、遙か向こうを「見渡せば」、
17、8の姉さんが、「片手に花持ち、線香持ち」、
「ねーさん、ねーさん」どこ行くの、
私は、九州鹿児島の西郷隆盛娘です
(明治3年3月に<これはない)切腹なされた父親のお墓参りに 参ります、
お墓の中「前で手を合わせ、なむちん、なむちん拝みます」
「お墓の陰」から幽霊が(フワリフワリ<なんかちがう)と ジャンケンポン。
それ見たら、思い出したわ。
自分が知ってるのは、「 」のとこが違ってる。
一かけ二かけで三かけて、四かけて五かけて橋をかけ
橋の欄干、手を腰に、遙か向こうを「見渡せば」、
17、8の姉さんが、「片手に花持ち、線香持ち」、
「ねーさん、ねーさん」どこ行くの、
私は、九州鹿児島の西郷隆盛娘です
(明治3年3月に<これは記憶にない)切腹なされた父親のお墓参りに 参ります、
お墓の「前で手を合わせ、なむちん、なむちん拝みます」
「お墓の陰」から幽霊が(フワリフワリ<なんかちがう)と ジャンケンポン。
2番は知らないけど、混じってるみたい。
手ぶりがついてた気がする。手を腰に、とか、遥か向こうを見渡すとか
花と線香持ってるのとか、最後の幽霊のとことか。
こういう口伝えに教わった歌って、ちょっと場所違うと違うよね。
自分のは、誰に教わったにしても、東京の人だな。
なんだ、これ。。。2回入ってしまった。
うざく連レスすまそ。
だから娘って菊子(菊草)のこと?
575だが、おれは知らんが、このスレには、無言で教えてくれる人がいるから待とう。
大久保かもしれぬ。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 19:02:02 ID:vddKXoKo0
やっぱり西郷は国内向けで日本限定の人物だったのかね。
能力的には列強相手にどす黒い外交をできるんだろうけど、
それで人から嫌われるのを嫌うんだろうな。
どんなに頑張っても所詮は東洋の島国の小物扱いで
国内にいるときのような英雄扱いはされないし。
能力より精神の限界が先に来るタイプの人というか。
>>579 そうだね。西郷さんのキャラを愛せるのは生粋の日本人だと思う。
潔く散るからこそ桜は美しいと感じられるメンタリティは他国にはないかも。
能力云々より精神の気高さを大切にするってことでしょ。
散ることが美しいという発想は作られた「日本人の美意識」
幕末期の志士中、最も知性のない者たちが
壮絶な死に方で何とか名を残したいという儚い気持ちから始まった。
太平洋戦争終結まで馬鹿将官がこの嘘っぱちの美意識を押し付けて、
数多くの人々を絶望的な作戦に追い込んだ。
ハッキリ言って、こんなもんはあとから作られた伝説・美談にしか過ぎず
本当の日本人はもっとリアリティとしたたかさに溢れている。
ルートベネディクトゥスなどは史料考察とかほとんどしないまま、
エピソードだけ拾って各国の文化を書く類の人物。
この程度の人が書いたものを学校で紹介している国は多分日本ぐらいだw
遣韓大使実現してたら
どういう取り扱いされたか興味あるな。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 20:01:46 ID:HMK1WyKJ0
「天皇」からの書簡なんて認めない
↓
釜山に留め置き
↓
何も出来ずに帰国
じゃないの?
この人は、ついに最後まで武士の頭領だった印象がある。
あの時期の対外進出論は、士族の存在意義を賭けた闘争であり、
それを目指した桐野なんかは西郷の下に集った。
台湾出兵や江華島事件が何事もなく治まったときには、陸軍は対外慎重派の山県と徴兵軍によって塗り替えられ、
強硬派の多かった海軍も外征の大義を失い、彼らは遂に行くべき場所を無くして内圧により暴発する。
遣韓大使がどうなるかは、西郷どんが士族の存在意義の証明に対してどれだけ本気だったかによるのではないだろうか。
>>584 天皇の元で四民平等の社会を作ろうと革命を起しながら、
鹿児島士族を異常に可愛がった西郷どんは、情の人なんだろうけど
巨大な矛盾を抱えている、という印象はある。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 15:10:08 ID:ykrGgQ5P0
強きを挫く、というのを繰り返しているうちに
自分が一番強くなってしまって終いには自殺するような感じだな
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 21:25:39 ID:99kpbcGa0
>>585 同意!
だから理想家なのだ!
情が強いのだ。大久保のような
「主義者」ではないから「理屈」がない分、矛盾がありありと見える
主義者が矛盾がないかといえば周知の通りだが
西郷の方が「言いやすい」タイプなのだろう
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 21:26:40 ID:99kpbcGa0
>>585 同意!
だから理想家なのだ!
情が強いのだ。大久保のような
「主義者」ではないから「理屈」がない分、矛盾がありありと見える
主義者が矛盾がないかといえば周知の通りだが
西郷の方が「言いやすい」タイプなのだろう
寸鉄人ヲ殺ス大久保の前で言い分を主張できる奴のが少なかったりしてw
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 22:16:43 ID:+y9w4Aij0
西郷隆盛の一般的に知られているあの顔は間違いとのことですが
本人の写真が残っていなくても生前の西郷を知っている人は大勢いるのに
なんで実際の肖像画がないんですか?
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 08:44:54 ID:1FQlAQuo0
>>590 その通りで西郷は特に下野後、私塾を作ってからは
大久保に恐怖して江藤、前原がぶっ殺された後は自分達だ・・
と周囲に恐怖を吐露していた史実がある
大久保は「昔から」やると決めたらやるからそれが怖いらしかった
>>591 何も西郷だけでなくこの頃の武士は写真撮影や自画像といった
たいそうな事は多くの人が固辞した
>>591 西郷は暗殺や人切りの嵐が吹いた幕末の京都時代を経験してる上に
剣術は得意じゃなかったから、自衛のために、
暗殺者にとって便利な写真や肖像画は避けた。
桂小五郎も京都時代は「逃げの小五郎」と呼ばれ、
自衛能力が強い男じゃないと、幕末の京都は生残れなかった。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 14:20:45 ID:z16UOOJ+0
>>593 幕末の時点では次々に人が死ぬサバイバル期があったからな。
実際の政策への影響力がそれほどあると思えない学者まで殺されてるからな。
佐久間象山、横井小楠なんか凄く可哀そうなんだけど。
佐久間象山や横井小楠は政策に影響力の少ない学者じゃねぇど。
佐久間は、そこで殺すのはちょっと時代遅れな感じするけど、
横井はなんか秘密兵器(政策というか案というか)持ってたと思うんだが。
佐久間の息子って、新撰組入って犯人さがしてなかった?
みつけたのかね?結局?
佐久間は海舟の妹のだんななのに、海舟があまり語ってないのが不思議。
テレ朝で若一が生前に会った平野の絵が西郷の真の姿だと言い切ってた。
けどあれ家紋以外に何の証拠もないんだよな。
なぜ西郷に確実に会った石川ら4人の絵はスルーするのか・・・。
あれ、西郷の家紋なの?薩摩の家紋(丸に十文字)に見えるけど。
でも、どの絵も大体似かよってないか?
なんで西郷というと、犬連れてんの?大昔に聞いた覚えあるけど、忘れた。
薩摩の家紋だよ。
だから西郷と断定してるのはおかしい。
>>599 狩りが趣味だから猟犬つれてるんだけど、ああいう服装で狩に行く事は無かったらしい。(奥さん談話)
鹿児島にも像があるけど、そっちは軍服。
あんな山下清的(?)な出で立ちで、狩りに行ってたらこわいよね。
愛犬家なのかと思った。
しかし、このスレにゆうこりんになりたい人がいるのは、すごい気になってる。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/07(木) 11:59:03 ID:w2ko7MeI0
西郷隆盛(実は平和主義者)が生きていたなら
今の自民党政府、官僚にどんな苦言を呈していたか。
これは当時の明治政府に対する苦言でもある。
----------------------------------------------
万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし、
驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して人民の標準となり、
下民その勤労を気の毒に思う様ならでは、政令は行われ難し。
然るに草創の始めに立ちながら、家屋を飾り、衣服を飾り、
美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじきなり。
今となりては、戊辰の義戦もひとえに私を営みたる姿に成り行き、
天下に対し戦死者に対して面目なきぞとて、しきりに涙を催されける。
−−西郷南洲遺訓 四条
ありえない仮定とは思うが
政治どころか今の世に絶望して遁世決め込むに違いないお
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/07(木) 16:46:57 ID:w2ko7MeI0
ありえる。
しかし、こと国の為と腹を括れば爆裂的に動くかもな。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/07(木) 18:58:16 ID:ecaogTBp0
高潔な偉人(笑)西郷隆盛
島妻との間にできた子を連れ去ったのは子供の将来の為としても、
その後、島妻に手紙の一通も書かなかったのが西郷さん。
そして黒糖専売制の維持を主張し、搾り取った利益を西南戦争の軍資金に当て、
専売制を廃止して欲しいと嘆願に来た奄美人は監獄にぶち込んで、挙句に
西南戦争に無理やりに従軍させたのが西郷さん。
敬天愛人とは偽善に満ちた空々しい言葉。コイツは奄美人を人間扱いしてなかった。
龍馬スレと西郷スレはよくこういうアンチがわくなぁ・・・
自分に都合のよい一面的な見方しか出来ない。
すべての責任を西郷は背負わされてるんだよなぁ・・と実感する。
責任を負うべき立場にあったからな。
それが全部西郷のせいにして良いってのとはまた違う意味で。
おいどんが責任を負って、戦乱の時代に決着をつけるから、大久保と木戸
おまいらに後の日本をたのむ
と思ったら、木戸も大久保も殺されてしまった。
木戸は病死になってるけど、絶対暗殺だよ。誰が殺したかは知らんが。
しかし、このスレタイは、よくないな。
サムライだの武士道だのというのは、明治以降、武士の道徳や倫理観などが
失われていくなかで、それらの中の一部の面だけを抽象的に抽出して顕揚した
ものにすぎない。
むやみに人を斬るようなろくでもない武士も少なくなかったし、
西郷だって若い頃はスパイ兼テロリストまがいのことをしていた。
「最高のサムライ」という評価は、「右翼の元祖」という反論と、
次元としては大差がない。
もっと別の観点から西郷を再評価して見せてくれる人はいないかなあ。
西郷って、斉彬が死んじゃったときだっけ?月照と入水自殺しようとするのって?
あの辺に、関心があるけど。
死のうとしたというのは、そこで終わったと思ったということだと思うんだけど、
切腹ではなく、入水というのが気になる。むしろ、サムライとして死ぬみたいなことに
こだわってないんじゃないだろうか。
で、西郷は絶対久光が好きじゃないと思うんだけど、大久保は久光について出世
していく。その辺に、斉彬の遺志を感じるのだが。
西郷って、豪傑、大将、みたいに語られてるんだけど、むしろアンニュイな人に思える。
吉井とか元田とか税所とか、あの辺は、西郷や大久保のことをどう言ってるんです?
入水して、島流しから帰ってきてから、長州征伐あたりまでとかのあたり。
>>612 むしろ西郷はどちらかというと左翼に思えるんだがなあ…
西郷という人は、どこか厭世的でナイーブな魅力の人物だと感じる。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/10(日) 23:09:48 ID:mrf+kfGg0
>>608 後妻のイトさんに気遣っての事じゃないかな?
イトさん自身は愛加那と手紙のやり取りしてるし、愛加那を本土に呼び寄せようともしてる
これは西郷さんの承諾なしにイトさんが勝手にするとは思えないから、西郷さんからの連絡は
イトさん経由でやってたのかもしれない(正妻のイトさんを立てるため)
あと奄美人の従軍の件だが、これは西郷さんが直接指示したことなのかな?
私学校党が絡んではいそうだが・・・
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 00:54:18 ID:3fxykzoc0
絵だろ
>>616 どう考えても西郷が関与してるとは思えないな。
当時の状況からして西郷に会わせてもらえたかも謎。
>>619 来鹿した奄美人と西郷さんがあったところで、この時期の西郷さんが彼らに何かしてやれる状況で
はなかったろうなぁ
西南戦争前は自身を一薩摩藩士の立場に徹していたし、現状維持がやっとって情勢だったからねぇ
まして何か事を起こそう(変えよう)にも、西郷さんの一挙一足が全て士族暴発の導火線になりかね
ない時期だったし
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 11:17:30 ID:G7T760+S0
>>620 蘭領東インドの強制栽培制度よりも酷い黒糖専売制の維持を主張し、実際にその上がりを
利用していた西郷に奄美人への善意などない。何かしてやるつもりなど最初からありはしない。
誰にでも優しい人は、誰にでも利用される人だよ。
西郷の政治家としての冷酷な面を責めるならば、
他の部分も検証しないとね。
同時代にいたら
西郷支持派だな
大久保は優秀、それだけだ
うーん、実はそこがわからない。
江戸ものにとって、大久保が偉いのは理解出来るんだけど、西郷の魅力というのが
実感できないんだよ。だからそこが知りたい。というか、感じたい。
ここが西郷の魅力!みたいな話を聞きたい。
そんなの山ほど転がってるぜ。
図書館行くなりネットで探すなりすれば。
史実かどうかわからないのもあるが
>>625 漫画の中に西郷さんをモデルにしている感じがするキャラが時々いる。
巨人の星の左門豊作とか北斗の拳に出てきた山のフドウとか。大きくてやさしくて、
子供や動物に慕われる。とても強いのだが、策略にはまり、倒れる感じ。
こういったイメージで好かれているのではないかと。。
西郷の最大の魅力はそのカリスマ性
感応しないタイプもいる
伊藤とか大隈とか
人によったら魯鈍にも思われてたり
そういう証言も
どかべそもそうかな?>627
西郷のそのカリスマ性というのは、江藤とか前原にもあったものなの?それが西郷のは大きかった
というような感じ?
1万円以上の本を買うほどじゃないんだけど、手ごろな本で、これは良く書けてるっていうのはどれ?
幕末維新の個性っつーの、どうですか?
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 01:30:28 ID:N5SREn+SO
元幕府系では勝海舟、渋沢栄一、福沢諭吉なんかが代表的西郷シンパだな。
福地源一郎が西郷嫌いなのはわかるが、福沢が西郷好きってのは意外だよな。
>>630 とりあえず何も知らないみたいだから小説から読んでいけば?
西郷大好き海音寺とか、ちょっと?な司馬とか
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 14:35:37 ID:qtNRqit40
佐藤一斎を尊敬してたというのがわからんね
一斎とかいってコイツ、孔孟の道を説きながら昌平校教授なりたさに
弟子の渡辺崋山を見捨て、大塩平八郎と交際しながら大塩の乱が起こると
「自分は大塩の危険な人柄を見抜いていた」と弁解に必死になる超俗物。
水戸の烈公にもボロクソにけなされてる。
晩年には講義で同じ箇所を何回も繰り返すという認知症で周囲を愕然とさせる。
そういう恥ずかしい逸話は西郷の時代にも生々しく残ってたはずだし、
実際に一斎の書物はひたすら中庸を説くつまらん内容。
これに本気で私淑していたというところに、西郷の人柄を解く何かあるかも知れない。
>そういう恥ずかしい逸話は西郷の時代にも生々しく残ってたはずだし、
残っていたか分かりません。
>これに本気で私淑していたというところに、西郷の人柄を解く何かあるかも知れない。
無いかもしれない。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 11:34:12 ID:SObmSzm40
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 12:04:12 ID:SObmSzm40
極右は西郷先生を利用すんな。 西郷隆盛が迷惑な顔をしている。
西郷隆盛は博愛・平和主義者で争いごとを嫌った人である。
また西郷隆盛の数多い書物の中には聖書もある。
但し洗礼は受けていない。またキリスト教信者でもない。
有馬藤太の聞き書きによると西郷は、
「これからは西洋の文化を取り入れる時代だ。キリスト教のことも学ばなければいけない」
みたいなことも語っていたらしいね。
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 15:00:06 ID:BdQ2RaS7O
儒学 兵法学 蘭学 医学 造船技術
海外に行ってればねえ
大久保の罪は大きい
>>635 はあ?
戊辰戦争で会津は、酷い有様で負けて、庄内は逆に連戦連勝で最新兵器を持っているはずの
官軍を押しまくり、会津が降伏したから仕方なく撤退したんだろうに。
だから、新政府も庄内をおそれたとも言える。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 22:52:10 ID:b2g4zLpIO
西南戦争って実は桐野が勝手に先走り、西郷を追い込み焚き付け、桐野一人が起こした戦争って説はマジなの?
>>641 桐野は確かに血の気が多い人物だったようだが
私学校党が弾薬庫を襲う前までは、むしろ西郷の指示に従って二才達の暴発を抑えてた側だったよ
弾薬庫襲撃事件が起き、もはや決起止む無しとなってからはイケイケドンドンだったけどね
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 07:55:20 ID:p659z4E7O
幕末 京を騒がせた人斬りって
岡田以蔵 川上万斎 桐野利秋 中村半次郎
あってます。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 09:48:56 ID:oyjvUYMeO
桐野=中村
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 12:07:19 ID:p659z4E7O
>>643 失礼。桐野と中村は同一人物でしたか。
てーと 四大人斬りで足りないのは誰でしたっけ・・・?
田中新兵衛
どっちも薩摩
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 12:41:04 ID:G+si1Rk4O
できたばっかりの政府が東京にあって、鹿児島に非合法の私兵を数千単位で維持している時点でアウト!
西郷だってそんな状態がいつまでも許されるとは思ってなかっただろうに。
ねえ、お前らマジで西郷なんか好きなの??
こんな奴ただの国粋主義者で近代日本には不要の存在じゃん。
大きな顔して子分に仕事やらせて自分では何も出来ないし。
好かれてるのは桐野や篠原とか何を考えてるのかわからないアホばっか。
きっと大久保も西郷の事は裏では嫌ってたと思うよ・・・
小大隈乙
いや、
>>648の意見も一理あると思うよ
ぬるいんだよね、いろいろと。西南戦争のときも子分たちに作戦丸投げして無策で突き進むしさ。
大隈たちが西郷を嫌うのもこういう何を考えてるのかわからない茫洋とした性格にあるんだろうね。
好漢ではあったと思う。現にこれだけ西郷信者が今でもいるわけだし
きみ(
>>649)が西郷好きなのもいいけど、西郷の欠点とも向き合わないと歴史の本質には迫れないと思うな。
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 23:07:26 ID:xNmWObsGO
河上彦斎の間違いだろ。
ちなみに新撰組の大石鍬次郎も人斬りと恐れられていた。
中村半次郎はそれほど人は切っていない。
あの超開明的な大山巌は西郷信者だから、多分、そこじゃないんだよね。大隈なんかにとって
魅力でない部分は。なんか、親しくつき合ったときに、魂に響くような魅力なんじゃないだろうか。
自分も西郷あんまり知らないので、魅力がわかんないんだけど、大久保があれだけ親しいんだから
そこから推し量ってるわけだが。
西南戦争は、海舟が弟子と情死だかと言ってるけど、久坂が尊王攘夷と情死で
西郷は江戸時代と情死なんじゃないかと思う。
もう一歩昇華して封建制と情死。
西南戦争の集結で天皇以外の世襲的身分・職がなくなった。
うーん、封建制かな?
封建制だと「情死」じゃなく、たまたま同じ戦争で沈んだ二つの船じゃない?
忠義みたいなもんだと思うんだけど、うまいことばがみつからん。
西郷は斉彬が死んだ時に既に死んでいると思うんだよな。
死にたがりと言うか、死に場所を求めていたというか。
自分の存在が役に立てるならそれでいい・・・っつーかね。
なんとなく感じた事だけども。
>>657 うーん、そう思う根拠は何だろう?
斉彬生前と死後で西郷の変化が具体的に表れていることって何かある?
厭世的なトコあったんじゃね
明治初年と政変後の隠遁
在野において機を伺うとかポーズじゃなく本気の節が
前者は大久保に泣きつかれ後者は兵児たちに担ぎ出されて
>>657 海音寺潮五郎の言ってた事そのまんまだなw
西郷は情死 by勝海舟
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 08:27:55 ID:GdoCmzpv0
西郷ほどの指導者なら
いかに担ぎ出されたとは言え1万人もの未来ある若者を犠牲にする愚は
十分に解ってたはずだよね。
>>663 だから、勝が情死って言ってるじゃん。
暴発は天皇はおろか西郷ですら止められない状態だったんだから。
西郷は彼らを見捨てずに一緒に死んでやることしかできなかったのさ。
たんに年取って気力が衰えて統制力がなくなってたってだけのことを、
むりやり西郷大人物史観で解釈しようとするからわけわからんことになる。
統率力はあるだろ。日本でただ一人の陸軍大将なんだから。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 10:58:34 ID:23KKCDx10
ここの西郷信者は小説に感化されすぎたアホの塊だな。
西郷は英雄にあらず!
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 19:45:11 ID:ZxNISHi50
西郷って本当に馬鹿だよな。私怨の為に倒幕を決行した。
慶喜がソンノウ派で勝が空気読めるやつだから結果的に幕府と偽官軍との全面戦争にならなかったけど、
もし全面戦争になってたら戦国の世の中に逆戻りして外国の植民地になってた。
しかも100年以上経っても今だ会津に恨まれてる。
こいつこそ悪の語源。
>>668 戦国の世に戻ることはなかっただろ…。
戦争するには金がいる。
当時は金を生み出す産業なんてほとんどないから
原材料の輸出(生糸とか茶)と輸入品(銃器、毛織物)の専売ぐらい。
それができたのは幕府と
薩摩の密貿易とそれに相乗りする長州・土佐ぐらいだろ。
他の藩は風見鶏でどっちにつくかなあ〜っていう感じで
割拠する力はないだろ。
小説だけ読んで当時の社会や経済を無視する西郷信者と
アンタの主張は根拠の乏しさでは一緒じゃないか?
マジレスすまん。
俺なんてとんこつ信者だけど醤油や味噌の視点も忘れないからな。
お前ら視野狭すぎるよ。
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 11:11:17 ID:GRgv1u+i0
>>668 私怨って具体的に何のことを差していってるの?
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 14:50:56 ID:2MNRmoox0
会津擁護の人は私怨で物事を書いているから、相手に「お前は私怨の輩だ」と言われることが多い。
それで他人に自らの罪を押し付けようと、よくこの言葉を使うのだが、的外れで意味を為さない。
星亮一もこの語をよく使う。
例えばある時、食堂で店員がくるのが遅いと、店員に
「お前は私怨で私を愚弄した、謝罪しろ。」と毒づいて絡んだことがあった。
しかしこの場合、私怨があったのは星亮一の側だったと思う。
まあ、そういうことだ。
673 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 20:54:20 ID:l1WhE79wO
小人がしかも現代的価値観か
マルクス史観しかもってない輩が
大西郷先生を理解するなぞはなから無理。
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 23:41:39 ID:wkXEtKJy0
西郷隆盛と松平容保
ともに民百姓の苦しみを屁とも思わない戦争犯罪者
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 08:17:27 ID:91f0KNGD0
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 08:32:42 ID:9vrf9VSs0
さすがに西南戦争を知ってる世代はいないはず
今度鹿児島行くんだが、
西郷好きなら絶対行っとけって場所教えてくれ!
>679
南州神社と私学校でよかやろ。
ざっとスレ流し読みしましたが…
大西郷南州翁を尊敬する人でも、桐野先生の日記を読んで無い人が、
意外に多い様子でビックリです。
桐野先生の日記は、南州翁の教えを理解する、良い手助けに成り得る
物だと私は思います。
南州翁の心を学ぶ同志の皆様には、是非とも一読して頂きたいです。
今の時代こそ、私学校を全国に創設するべき!!!
西郷サンの様な人物の登場は、後何年待てば良いのだろか…
偶像の登場を待つ愚者w
もうグシャグシャな世の中ですなw
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 21:22:23 ID:1FOMqSHUO
>>681 それは知りませんでした。
手頃に入る出版物等ありますか?
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 21:30:45 ID:1FOMqSHUO
>>682 うーむ。
今の世間の大学の多くは
言わば福沢諭吉の子孫ばかり。
何事にも懐疑的かつ批判的で
人の心を大事にしない
今の現代の悪風潮を築いた戦犯は福沢諭吉とその一派達でしょう。
日本は福沢派ではなく
大西郷派の精神を受け継ぐべきだったのだと
思います。
>>679 城山。
その人物が好きなら、人生という航路の終着点は必ず行くべし。
そこで故人の心情を量るのもよし、
そこで故人の人生を想うのもよし、
そこで失ったもの、得たもの、日本のその後を想うのもよし。
ついでに俺は福島県生まれ。
小さい頃から長州と薩摩にはちょっとした反感を持っていたが、
不思議と西郷さんには敵意は生まれなかった。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 02:30:30 ID:qKmY2YUoO
>671
あんせいのたいごく
>>682 西郷さんっていわば地方利権のために中央に盾突いた英雄
現在はいわば中央が地方に恵んでやってる状況であって
地方へ行くほど与党支持者が多いんだよ
>684
『桐野利秋日記』
PHP研究所から出てます。
昨今の大学が、言わば福沢某の…とは言い得て妙ですね!
脱亜論なんどと言う亡国論者の系統が、名門扱いされておる現状。
なんとも嘆かわしい限りです。
福沢某とやらは、楠公権助論なんどと言う暴論も吐いております。
福沢の如き不義不忠の輩が、我国の紙幣の顔なのが、信じられません。
我国の紙幣は国賊の指名手配書だ!
と言う痛快なサイトがありましたが、正に同感でした。
我国の多数派は、未だに其らの如き欧米に感化された者らでしょう。
しかし、極少数派ではありますが、南州翁の志を継ぐ士、健在ですね。
道を行ふには、尊卑貴賤の差別なし。
堯舜は天下に王として、萬機の政治を執り給へども、其職とする所は教師なり。
孔夫人は魯国を始め、縷々困厄に逢ひ、匹夫にて世を終へ給ひしも、
三千の徒、皆其道を行ひしなり。
大西郷遺訓より。
孔夫人は唯一人じゃが、孔子に教えを受けた者が三千人あれば、
大きなものじゃ。
またこの三千人から教えを受けた者が何千何万人あるやら分からぬ。
「少数の多数」と言うのはここのことじゃ。
六千万が宜しからざる事を行うのと、三千人が宜しき事を行うのでは、
大変な相違じゃないかね。
「偉大なる一人の力」と言うものほど、恐ろしいものはないよ。
頭山満先生講評より抜粋。
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 10:24:46 ID:D6vjy6pA0
>地方利権のために中央に盾突いた
隼人族以来の薩摩の歴史ではあるな
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 12:21:20 ID:PE1buGueO
西郷さんを尊敬し志を持つなら、西郷さんの再来を期待するもんじゃないな。
ただ黙々と志を実践するのみだ。
・郷中教育
・老荘思想
・クリシュナムルティ
日本並びに世界の変革には以上が不可欠。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 04:47:47 ID:ssN8yGsUO
>691
西郷を志す人はDQNしかいないよ
郷中教育
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 20:00:13 ID:J4fqOfF5O
>>692 老荘やクリなんとやらは
よく知らないが
南洲先生の思想はそれ自体で
完結していると思いますが。
それにスレ違いになるので
その二つの思想(宗教)を併記することには
賛同できません。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 20:05:13 ID:J4fqOfF5O
>>689 ご教授ありがとうございます。
指名手配書とはうまい表現でしたね。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 10:58:43 ID:D3iDOGFgO
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 14:28:05 ID:fr7u41am0
益満休之助を、事故に見せかけて殺したんでしょ?
事故というか戦死です。
殺したのは月照だけ。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 15:32:31 ID:hOBtK8y30
創価学会にはストーカーマニュアルがあってうろつきや盗聴方法について細かく指示されている
うろつきについては「子供が襲われないように地域の安全のためにパトロールしましょう」だそうだwww
盗聴については「たまたま自分の家が盗聴されてないかどうか調べてたら声が聞こえてきて
子供の安全のためにこれからはこれを利用してみんなで盗聴しましょう」だそうだwww
この言い訳使ってたらまず創価学会に間違いないし他の言い訳使ってんなら創価学会じゃない可能性が高い
熊本隆談www
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 15:54:27 ID:joGsPVHt0
西郷は月照とのホモ心中に失敗して不本意ながら生き残ったとされてるけど真実は闇の中。
男色関係のもつれで西郷が月照を殺したとみなすのが妥当だろう。
赤報隊や相楽は薩摩のパシリとしてテロ活動に従事した犯罪集団だけど、
最後は西郷によって「偽官軍」の汚名を着せられ粛清されてる。
この経緯を考えると益満も西郷の指示で消された可能性が大きい。
つまんね
大河ドラマで間違った西郷隆盛像を植え付けられた厨が増えたな…
そんなやついねーよ
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 20:51:26 ID:BOVbg90+O
南洲先生の心を知らない
小人が自分の卑屈な価値観で先生を計るなぞ
不遜このうえない。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 22:00:14 ID:mANgJ7zf0
きくところによると
西郷は久光を嫌っていたとか・・
やはり斉彬様を生涯慕っていたのかな??
明治以降のエピソードとかなんかあります???
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 22:17:23 ID:XJjP7ucp0
よく知られてるように、西郷は寄生虫感染で象皮病になり睾丸が人の頭ほど腫れ上がっていた。
おそらく顔も相当ひどい状態だったはずで、すべての写真が抹消されてるのは、
病気に伴う異常な外見に原因があるのだろう。
西郷が誰から寄生虫をうつされたかは謎。
>>708 > おそらく顔も相当ひどい状態だったはずで、すべての写真が抹消されてるのは、
> 病気に伴う異常な外見に原因があるのだろう。
外見に関しては、どの資料にも残ってないようだが。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 22:54:30 ID:kBFeJltC0
慶応4年2月に西郷が大久保とやりとり下手紙では、和宮を賊呼ばわりし「慶喜絶対殺すw」
と断言している。
数ヶ月前まで一藩士にすぎなかった自分たちが、征夷大将軍や宮の命を左右できる立場になった
琴に対する賎しい喜びが溢れている。
まだに下船上がりの性根丸出しの、武士道精神などかけらもない下衆であると言える。
>>708 あと寄生虫っても人から人にうつる病気じゃないし
媒介する虫からの感染が主で南の風土病だわな。。。妄想乙
>>710 これの事かな
「慶喜退隠之嘆願、甚だ以て不届千万、是非切腹迄には参り申さず候はでは相済まず、必ず
越土抔よりも寛論起こり候半(わん)歟。然れば静寛院と申しても矢張り賊之一味と成りて、
退隠位にて相済候事と思食され候はゞ致し方なく候に付、断然追討在らせられ度事と存じ奉り
候」(『大久保利通文書』第七)
こりゃ権力を手中にして調子に乗ってるというよりは、明らかに越前・土佐両藩が温情論に傾いて
御一新が骨抜きになるのを恐れ、慶喜抹殺を焦って急いでるように読み取れるが
西郷達にしてみれば、慶喜が消える事が一番手っ取り早く確実な方法だったろうからね
まぁ悪意を込めて読み解けば誰でも悪意の人に見えるってもんだな
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 23:23:58 ID:bj1wbEcz0
象皮病患者を主人公とした「エレファントマン」という映画があるけど、
エレファントマンは常に袋をかぶって決して顔を出さない。
西郷も同じように慎重に顔を隠してたんじゃね?
あれだけの役割を果たしながら、西郷の外見の記録が全く残っていないのは不可解すぎる。
>>713 普通に明治天皇の前にも顔を出してたようだし
明治天皇に写真を残すように言われても固辞してたくらいだから、本当に写真(肖像画も)嫌いだったんだろ
西郷さんだと「自分ごときが高貴な人達のように写真や肖像などと」っつう感じだったんじゃないかねぇ
大久保が洋行で撮った写真を送ってきた手紙へ、皮肉のこもった返事(ヒゲが似合ってないっつう内容だったが)をしてるくらいだから
なにせ日本で初めて写真撮ったって伝えられてんのが、西郷さんが神のように慕ってた斉彬公だしね
「自分ごときが写真などと。。。」って思いそうな気もするなぁ
案外そういう単純な理由のような気がするよ
>708
フィラリアは蚊が伝染すんだよw
大谷刑部公が覆面だった事は知られてるが南州先生が覆面だった話は一つも無い。
>710
南州先生が生殺与奪の権を持つ地位に喜びを見出す小人なら…
戊辰戦争が終わるとサッサと鹿児島に帰って隠遁する道理が無い。
曲解以外の何物でも無いなw
>713
南州先生の容姿を伝える文書なら普通にありますけど。
君らは南州先生を卑しめたくて書くのだろが…
書けば書くほど自分らの無知無学を晒すだけで何か益があるのか?
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 13:25:26 ID:N2jLm3Hk0
南州先生が
「長井雅楽を刺し殺す」と明言し、
国父久光をジゴロ呼ばわりし、
慶喜について「乞食同然の浪人大名が将軍だってよ」と言い
小御所会議では「短刀一本あれば……」と言い、、
内親王和宮を賊徒呼ばわりしたことは紛れもない事実
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 16:22:29 ID:Zg+peacc0
斉彬が生きてても西郷は権力欲の為に
下剋上してたのかな?
斉彬も自分以外西郷を操れるものはいない
と言ってたが
>>717 年齢的に考えて斉彬が維新後も一線で動くことはないだろう。
となると、東京で殿様ぐらししつつ
華族系サロン作ってただろうな。
西郷の下野に付き合う程の山っ気はないだろうし。
たら、ればの話は結局個々が妄想を楽しむことしかできないので
盛り上がらないよ。
>716-717
そもそも南州先生は権力欲に駆られて行動した事がない。
そして南州先生は聖人君子を気取った腐れ儒者でもない。
国難ある時には命を捨て戦に挑む。
義を山の如き重きものとし、命は野の如き軽きものとする。
南州先生が最も重んじた事の一つは、大義名分、でしょう。
まー。かつて敵だった東北の武士が、西郷の温情に感謝して西南戦争で味方に参じるぐらいだから人望あるかもしくは人心操作はうまかったんだろうね。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 13:33:24 ID:4nmSr3xc0
そっかね。西郷への恨みを晴らすべく旧会津藩士の多くが西南戦争に
政府軍として従軍したとも聞くが
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 14:20:48 ID:s/JF41ZbO
>>721 薩摩軍と白兵戦になると
新政府軍新型銃は装備してるわりに
新政府軍は元商人の息子や農民の息子が多く
戦なれしてなかった 腰抜けが多かった。
激戦地に白兵戦想定され現れたのが 元士族で徴兵し構成された 抜刀隊
>720
庄内藩ですね。
今日私達が南州先生の遺訓に学べるのは、遺訓をまとめた庄内藩士のお陰です。
しかも庄内には南州神社があるんですよね。
南州先生の人柄と、庄内藩士の人柄の故の結び付きでしょう。
とても良い話だと思います。
>721
会津は家老佐川氏も抜刀隊で参戦していましたね。
思うに、藩祖松平正之公以来の、徹頭徹尾徳川宗家に忠義を貫く、お家柄でしょうね。
武士として素晴らしい生き方と感じ入ります。
意外ですが、薩摩の郷中教育と、会津の十の掟は、基本精神が似通ってますね。
>>723 佐川は西南戦争には参加しているが、抜刀隊にいたってのはデマ
抜刀隊の主力は薩摩出身者と東京出身者
もとより薩軍と激戦を演じた警視隊は薩摩郷士が多くを占めていた
知人や親類縁者が敵味方に別れて戦場で切り結んだのが西南戦争
『わいは○○じゃなかかっ!腐っされ政府んしに加勢をすっ気かっ!』
『わいこそ賊軍に加わっせぇ!どこに大義があっとかっ!』
刃を交えながら、こんな会話もあっただろう
日本全国を巻き込みながら薩摩人同士で殺し合ったのが、西南戦争のもう一つの側面だった
佐川は抜刀隊編成以前に戦死してるからな。
生きてたら入ってるだろ。
>>725 警視隊の一部を率いて転戦してたのに、命令でもない限り職務を放棄して抜刀隊に参加はしないだろう
家老職をやってたくらいだから、人を率いて上に立つ者の重責は認知してたはず
佐川を伝説を元に過大評価する気は無い、だからといって過小評価される人物もないが
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 13:11:33 ID:vXCFwwPH0
西郷が優しかったり尊敬したりして見せるのは、自分と利害が一致し、
さらに自分に従順な人間に対してだけ
自分と対立してゆく手を阻む人間を
「彼は自分にとっては敵で邪魔な存在だが、
彼も武士として自分の組織のために必死になっているだけなのだ」
と認める、真の意味での度量の大きさは皆無。
まあ慶喜のことなんだけどね。
斉彬が擁立し、久光が強引に引っ張り出した人間に対し、
よくあそこまで手のひら返しで人格を誹謗中傷できるもんだと思ってさ。
サイゴーさんがホントに世間で言われてるような大度量の人物なら、
「政治に引っ張り出したあげく攻撃するようなことになってしまい、申し訳ない」
と絶対に思うはず。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 10:22:04 ID:yQRwXknz0
テロリスト西郷を歴史上の英雄なんて言っていると
政権末期のブッシュが、攻撃をしてくるぞ〜。
そう思ってるのおまえだけ
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 12:19:04 ID:Jcjmc8y60
まぁ維新前までは評価すべき人物だろうけど
維新後は評価すべきではないな。
例え情が熱く、慕われていても、征韓論が駄目だと思ったら
すぐ下野して、バカな西南戦争したのは間違いだな。
部下を見捨てることが出来ないと決断したと思うが
それでも戦争を止めるべきだった。自分が犠牲になってもだ。
大将はそういう器でないとな。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 16:31:57 ID:aRj9U67u0
>まあ慶喜のことなんだけどね。
>斉彬が擁立し、久光が強引に引っ張り出した人間に対し、
>よくあそこまで手のひら返しで人格を誹謗中傷できるもんだと思ってさ。
慶喜に対する態度だけ見れば確かにその様に見えると思うが、結局は
勝海舟にインスパイアされ幕府に対する価値観が根底から変わってしまった事に
起因してると思う。
その後西郷が革命家として真に尊敬していたのはナポレオンとワシントンだった。
革命の総仕上げとして旧勢力の象徴である王(将軍)の首を取るのはむしろ普通。
取らない方が画竜点睛を欠くのは言うまでもない。
斉彬公らが描いた公武合体の頓挫。
井伊大老の改革派弾圧。
生麦事件で露呈した幕府の無能外交。
長州討伐で露呈した幕府の権威失墜。
薩長同盟→倒幕。
手のひら返しと言えば手のひら返しだが。
幕府の朝令暮改や弱腰惰弱の有り様を見て、見限った、とも言える訳で。
そこに来て、倒幕派幕臣(笑)勝の台頭、強硬派公卿岩倉の台頭。
流れが一気に倒幕に傾いたのも無理からぬ話。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:30:05 ID:aFvfVOMFO
西郷さんの本当の顔はどんな顔なんだろう!現在の肖像画は全く違うそうなんだけど…
俺は武蔵丸をイメージしているが
735 :
795:2008/11/27(木) 14:24:32 ID:rVJ3jKiO0
>慶喜及び幕府については
斉彬時代はまだまだ幕府は健在ではあったが、それは国内に限っての事であり
押し寄せる列強諸国への対応がまるでダメだった。
斉彬は日本の存亡危機を考え慶喜を将軍にすえ幕政改革を実行しようとしたが中途で
頓挫・死亡してしまう。江戸育ちで藩主でもないのに老中クラスと話ができた
斉彬であればこそのことで他の者(特に久光)には到底無理。
その後は残念なことに西郷は島流し。家茂が将軍職となり時代は大きく変化。
慶喜にとっての不幸は斉彬時代であれば幕政改革=日本の改革になれたであろうが
(たらればだが)
慶喜就任時は幕府(特に徳川家)は日本にとってはただの障害物にすぎなかったことであり
西郷は誰よりそのことがわかっていただけのこと。島流しの空白が逆にプラスか?
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 19:07:03 ID:2T7O7MqiO
小松帯刀が少し長生きしていたら西南戦争は起きなかったかもとTVでいっていた。今まで大久保 西郷が目立った存在だったので、篤姫を見て偉大さを知った。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 10:35:48 ID:d+pKGc0f0
歴史にたら、ればは無いんだけど
坂本龍馬が生きていれば西南戦争は起きなかったとか、よく言われるよね
「篤姫」で小松の再評価は結構なんだけど
歴史的な役割は主力(西郷・大久保)を引き立てた、バックアップしたというところで
長州における周布政之助に近いと思う。
「篤姫」というドラマでは篤姫と小松が過剰評価と拡大解釈されている部分が大きいので
小松帯刀その人を知るには歴史的に信用しうる様々な資料も同時に検討される事を
お薦めする
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 11:55:13 ID:MtmVIejt0
>>738 西南戦争は不可避だよ。
薩摩が倒幕に走ったのは、藩の割拠体制を維持し密貿易の利権を守るため。
それ以上の理由はない。
日本にとって薩摩は近代化の最大の障害物だった。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 13:35:14 ID:ozZ/WaZs0
>>739 んなこたないわな
薩摩藩の利益を守るためだったら一番いいのは幕府への恭順だったから
密貿易なんて天皇首班による中央集権の新体制下で公然と対外貿易が行えるようになったら意味は無いし、斉彬公
藩主就任以降は琉球貿易自体が縮小してるし(薩摩藩にとっては奄美の黒糖の方がはるかに重要)
そもそも琉球密貿易で利益を上げてた頃は、倒幕どころか幕政改革に参与する事すら薩摩藩はやってなかったよ
そのため斉彬公没後しばらくは、実際に薩摩藩の利益優先から恭順派が藩政を握った時期もあった
同時に藩内の尊皇派は駆逐されかけた(西郷奄美蟄居もこれに起因する)
薩摩藩内が倒幕に一本化されたのは久光公が実権を行使できるようになってからだしなぁ。。。各藩の割拠体勢も
幕末になったら西のはずれの薩摩藩にとっては状況を不利にするだけ
まぁ西南戦争が不可避だったってのには同意するけどね
維新最大の功労者である薩摩が、その後の新政府にとって最大の障害になったのは何とも皮肉
741 :
738:2008/11/28(金) 14:30:26 ID:d+pKGc0f0
ごめん間違えた
×坂本龍馬が生きていれば西南戦争は起きなかった
〇坂本龍馬が生きていれば戊辰戦争は起きなかった
西南戦争の不可避は同意
>薩摩が倒幕に走ったのは、藩の割拠体制を維持し密貿易の利権を守るため。
これは極論すぎないかな。そもそも島津久光には倒幕の意志はなく
西郷、大久保が勝手にやったこと、自分は騙されたのだと維新後も言ってるし
>739
もう少し深く勉強しなよ。
とりあえず「調所広郷」で検索しな。
>740
西南戦争が不可避だと言う点、少し掘り下げて、理由を教示下さいませんか?
>>742 君も落ち着いて上のレスぐらい読め。
そして謝っとけ。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 14:41:36 ID:MYaClCQkO
>>741 龍馬は政治的地位も軍事力もない。とめる力もない。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 14:58:58 ID:vPKFTvn7O
薩摩が密貿易の為に倒幕w
龍馬なら戊辰戦争を止めたw
小松ならry
妄想脚本は大河スレに書けよ
>>742 まず西南戦争勃発の要因としては「薩摩士族の困窮と士族切捨てに対する新政府への不満」これが一番だよね
この点は薩摩士族以外でも全国アチコチで騒動があったから鹿児島に限った事ではない
維新の功労者である士族無視の政策を取っている(と思われていた)新政府に対する不満は早い段階から蓄積されてた
次に何が導火線になったかというと「政府の火薬庫移動」これなわけだ
征韓論で政府要職についてた薩摩人が下野したのが西南戦争の遠因になったと思われがちだが、これが違うわけよ
実際には下野組は逆に押さえてた側で在鹿士族が暴発している、特に過激だったのは立身出世に無縁だった加治木士族(完全に火を注いだのはコッチ)
火薬の移動は状況がどうあれ行われていた事で、火薬を薩摩藩の物と思っていた士族達は時期が違っても暴発してたろう
西郷を含む下野組がいようがいまいが、いずれ薩摩士族は暴発してたわけだ・・・というか逆に暴発しないわけがないっつうのが当時の状態
つまり政府の状況がどうあろうが、久光公が鹿児島で踏ん張ってる限り薩摩は独立国の様相を呈していただろうし、当時の明治政府
の財政状態を考えれば士族救済は無理
新政府が久光公をどうなだめようが、天皇連れて行っても折れないような人だから懐柔できるわけもない
私学校創設に西南戦争の一因を科す人もいるが、私学校はどちらかと言うと士族の職業訓練(士官・兵養成も含む)や県への人材斡旋
さらに帰農を進める組織であり、西南戦争勃発を先延ばしにした働きはあっても勃発の原因ではない
問題は「俺達が維新を行ったのだから、腐った政府を倒すためにもう一度維新を行えば良い」という考えが士族に蔓延してた事
つまりIFを持ち込んだって、西南戦争の規模が小さくなったりもっと早期に勃発した可能性はあっても、勃発そのものは不可避だったというわけね
>746
御教示有難うございます。
なる程確かに!と頷く事頻りでして、素晴らしい考察と、感服致しました。
特に島津久光公の存在を押さえていた所に、禿しく同意です。
よく聞く陳腐な論では、西郷さんが不平士族の頭目で云々と、ありますが。
廃藩置県以降あからさまに、反政府の態度を表していたのは久光公ですよね。
花火とかw
髷とかw
久光公を頂点とした鹿児島独立国家がある限り、政府との対立は続きますからね。
久光公は折れそうに無かったですしね。
実際には、久光公は西南戦争に関わって無いとされますが…
確かに表面的にはそうでしょうが…
久光公の存在は大きいのではないかと、私は思っていたのです。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 22:04:06 ID:WmigYvoF0
>>740 >薩摩藩の利益を守るためだったら一番いいのは幕府への恭順だったから
それは違う。
薩摩は幕府による開港に終始敵対し、幕府による貿易統制に神経を尖らせてた。
それは、幕府主導で本格的に諸港を開き欧米との交易が始まったら、
それまでの薩摩の密貿易利権が吹き飛んでしまうからだよ。
これが、薩摩が英国の下僕となり、一藩割拠を望み、幕府に恭順せず、
一か八かの大博打(倒幕)に打って出た最大の理由だ。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 22:58:23 ID:QNdLWYkB0
>>748 幕府時代の部分的開港にくらべ、明治維新後の開港数の方が多い。
しかも貿易は明治政府下に置かれ、国家主導による本格的な貿易が始まり、
薩摩の密貿易も糞も丸ごと吹っ飛んでいるわ!w
>>749 >薩摩の密貿易も糞も丸ごと吹っ飛んでいるわ!w
だから薩摩は日本の近代化と発展に伴い衰退の一途をたどり、
現在では沖縄に次ぐ最貧県に没落してる。
もしも西郷たちの反逆が成功、薩摩が日本から割拠(独立)し、
望みどおりイギリスの植民地になってたら、
現在よりは多少はマシだったかもしれない。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 14:22:00 ID:q9ANH6hl0
>>748 薩摩が倒幕を目指し始めた時期に注目
琉球密貿易は琉球を薩摩が独占できる幕藩体制が維持されてこそ利益を生む
そして斉彬公の時代には密貿易は衰退を始めてる
その頃の薩摩の収益の重要な部分は奄美の黒糖であり、すでに琉球を介した密貿易ではなくなっている
さらに薩摩が倒幕を目指し始めた久光公の時代は、すでに開国が始まり対外貿易がスタートしている時期だ
そもそも日本の政事への参画を志向した斉彬公の時期には薩摩一藩割拠なんて考え方は無くなっている
そういう考え方を持ってたのは幕府恭順派であり琉球密貿易で利益を上げた前藩主派だよ
>>750 まず西南戦争が薩摩の独立を守るために行われたってのが間違い
んな事をするためなら薩摩士族が武装し国境を閉ざして防備すればいい、なにも中央を目指す必要はない
彼らが目指してたのは新政府の再度の改革(もう一時維新を)であり、日本そのものを変える気で蜂起している
まして外患を誘引など自立心強い薩摩人がには無理があるねぇ・・・英国が植民地にしようとすれば真っ先に抵抗しそうなのが彼らだよ
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 14:54:13 ID:4UEKKevQ0
どうして西郷さんは薩摩になんかかえったんだろ?
東京にとどまることはできなかったの?
例え征韓論で負けたとはいえ再起を狙えば良かったと思うけどね。
プライドが許さなかったのかな
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 08:24:59 ID:WLdyuc/z0
維新は西郷にとって理想の実現ではなく理想の消滅という結果になってしまった
いっそ朝鮮で殺される為に赴きたかったのにそれも敵わなかった
せめて郷里で死にたかったのではないかな
754 :
795:2008/12/01(月) 13:13:17 ID:xGO32z140
>>戊辰戦争は龍馬が生きていればおきなかった。
龍馬ヲタには悪いが確実に起きている。龍馬も含めて薩長の最終目的は王政復古
であり大政奉還も武力討幕もその中での過程であり手段にすぎない。先に龍馬も
含めてと言ったように龍馬の考えも王政復古でありブレはない。
慶喜を新政府でどうするか(龍馬は慶喜を高評価していた)で龍馬の考えを
戊辰戦争反対とみる人もいるが、幕府はつぶしておかなければ新政府など危なっかしくて
やってられないだろう。
あと司馬の「龍馬が・・」の影響で西郷に対しても多大な影響を与えているような誤解を
する人が多いようだが、西郷は薩摩を率いて自分の考え、立場で薩長同盟を選択している。
龍馬も同盟締結には尽力しているが同盟が成された以上西郷の考えを左右するなど
不可能。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 20:40:15 ID:ivRcAHdq0
月照とのホモ心中に失敗した西郷は死に場所を探してたんだよ。
だから西郷は、江戸で卑劣なテロを行って幕府を挑発し、鳥羽伏見で先制攻撃を行う。
西郷の予定では幼帝を抱えて広島あたりに逃げのびながら非業の死を遂げる手はずだった。
しかし、ヘタレ将軍慶喜は薩長の挑発に抵抗せず、尻尾を巻いて逃げ出してしまう。
ここで西郷の予定が狂ってしまう。無能な西郷に新国家のリーダーが務まるはずもなく、
結局、自暴自棄で意味不明な反乱を引き起こして国賊として討伐される。
西郷はとても喜劇的な人物だ。
大方の人間は西郷以上の器量もなく
もっと滑稽で喜劇と云うより悲劇的な人生だが。
757 :
795:2008/12/01(月) 21:51:39 ID:xGO32z140
俺には西郷は人を裏切るのが大好きの人格破綻者にしか見えん。
会津も徳川も薩摩藩も太政官も何かも裏切っている。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 23:19:06 ID:1jzzl3R+0
>>757 西郷は多くの薩摩人同様に男色家で、愛人の月照と入水自殺を試み、
なぜか自分だけ助かってる。有名な話だ。
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/01(月) 23:22:02 ID:4F4Ss/n50
龍馬が生きてたら西南戦争はどっちについたんだろ?
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/02(火) 08:20:35 ID:ydCmcdRJ0
どっちにもつかない(少なくとも薩摩側には)
政府側には連名を断り海運業に精を出していたろう
勝海舟と同じ様に西郷の運命を憂いた事だろうとは思うが
龍馬ヲタはスルーしろよ
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 12:58:49 ID:cnBytLqi0
話が変わってすいません。佐賀の乱で江藤新平はさらし首になって写真も
公開されてしまっているけど、
西郷さんはそんな事なかったよね。やはり西郷さんの首実験って
山県有朋?がしているけど本物と断言できなかったのかな〜って思っています。
ヒトラーも逃亡説がしつこくあり義経も同じ。
時の権力者大久保はなんでさらし首にしなかったのでしょうか?
>>763 天皇が西郷を気に入ってたから。
あと、切り離された体見たら特徴ありすぎで簡単に本人特定できるだろ。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 18:39:46 ID:mYpJ8lVP0
西郷の首は見つけたの?そのままどこに埋まってるか
わからないってやつ?
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 18:48:18 ID:rC00+GBE0
西郷の首は薩賊が盗んだため行方不明。
しかし象皮病で睾丸が人の頭大に腫れ上がっていたため、
首なしでも討伐軍は西郷の死体を確認できた。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 19:48:42 ID:cnBytLqi0
>>766 そしたら向後鹿児島県で西郷さんの頭蓋骨ってのが突然見つかり
公開される事もあり得るんだね。
多分、どっかに埋められてるのか未だに誰かが隠してるのか。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 23:55:50 ID:EF4MaHeL0
来週の日本史サスペンスは西郷だよ
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 07:22:09 ID:CxfV56icO
じゃあ小松が生きてたら西南戦争はどうなったかな?
すぐに薩摩人によって食べられてしまったから、
西郷の首は残っていないはず。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 06:48:12 ID:vnTslnJk0
>>772 これが、会津人の人となりをしめす文章。
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 15:54:49 ID:8viP34HRO
ちょっと大河だ歴史は動いた見たくらいでここ来るなボケ!
知りたい事があるならまず自分で史料漁ってから来い低脳!
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 15:59:32 ID:KHNfJ583O
西郷さんていまでも鹿児島では人気ある?どれくらいの人気かポケモンでたとえて?
>>774 このスレの住人にとっては君みたいなやつの方がいらんわけで。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 18:17:03 ID:1v23uyVp0
ホモ心中に失敗
↓
自暴自棄となる
↓
幕府を挑発して内戦に火をつける
↓
予想に反して幕府に勝ってしまう
↓
朝鮮で死のうと征韓論を主張
↓
岩倉使節団組に反対される
↓
いじけて国に帰り反乱を起こす
↓
征伐され死亡
西郷の生涯を簡単にまとめるとこうなる
西郷は最悪の国賊だな
西郷批判してるのは韓国人
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 08:32:14 ID:ZAhNUI2/0
革命が成就した後
権力の中枢に組しなかった有力者は
国家にとってたちどころに有害無益の存在となる
というのは残念ながら真実の様だ
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 10:00:22 ID:1ZAKBz/k0
最近の篤姫に於ける歴史捏造しかり
司馬の龍馬持ち上げによる龍馬天動説がハバをきかせていることも含め
日本人にとっては悲しむべき状況のようだな。
幕末における最重要人物は誰か?西郷の右に出る者はいない。
全ては彼のまわりで動いているその他大勢に過ぎない。
しいて言えば大久保・桂・勝・慶喜・岩倉ちょっと時代は下るが斉彬・井伊くらいか。
幕末の歴史は現代に直結し日本人にとっては宝のようなものであり、その中心人物である西郷を
えげつなく批判しているのは確かに韓国人かもな。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 13:01:42 ID:2Y6ZOZzL0
西郷は過大評価しすぎだろ 結局なにした?
無血開城だけだろ、それより大久保のほうがよっぽど貢献してる
>>782 時代を下っちゃうと斉彬はもうおらんだろう
韓信と西郷は似てるな
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 17:43:08 ID:ZAhNUI2/0
>>782 君が西郷を中心に考えるから「西郷が中心人物」になるんだろ
過程においては龍馬にも西郷にも篤姫にも影響を与えた勝が中心人物とも言えるし
西郷の同志で最後に権力中枢を握った大久保が中心人物とも言える
(篤姫ごときが中心人物にはなりえない、ということは断言するが)
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 22:02:39 ID:Svl8pde30
>>785 韓信は大村益次郎じゃないか?
西郷は劉邦っぽい。
大村=韓国
西郷=中国
ということでOK?
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 17:04:16 ID:SAOhAI4H0
>>783 省略しすぎだなw西郷の半生を
大久保にはなかった人望で薩摩藩兵を率い鳥羽伏見の戦いで
3倍近い幕軍を打ち破っただけでも十分な功績だと思うよ。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 20:42:06 ID:Ea3nsp6E0
>>790 韓国人は、韓信を韓国人だと学んでいるのです。
ちょうど会津人が、自らを被害者だと教育されているのと同じです。
どちらも真っ赤なうそなのにね。
>>789 鳥羽伏見で薩長が勝てたのはひとえにヘタレ慶喜のおかげ。
もしも慶喜が命知らずの好戦的な将軍だったら、
薩長は間違いなく敗北してた。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/11(木) 23:58:54 ID:IIUzR+KN0
幕末情勢はすべて慶喜の動向によって左右された。
それは反論できない
クロパトといい
秀才タイプって将領には据えないほうがいいみたいやね
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 16:12:44 ID:hHBVfCslO
この時代薩摩長州会津以外はどのようなスタンスをとってたんだ。まさか寝ていたわけではないよね
奥羽越列藩同盟も知らんのか。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 17:21:35 ID:pCqOYjbkO
>797
日和見、風見鶏、右往左往、寝返り、内ゲバ内乱、強い者には巻かれろ。
関ヶ原の時と似てる罠。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 22:40:36 ID:hHBVfCslO
>>798 しらんかったすまん。それはどっちよりなん?土佐、肥前も維新派だったんだな。近畿、東海、関東はどうだったんだ?
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 10:01:16 ID:hAuVXMCc0
>>796 違うだろ。鳥羽伏見は関ヶ原と同じ裏切りによる勝利だよ。
彦根藩が離脱。
淀藩は幕府軍を城内に入れず。しかたなく幕府軍は男山に陣を構えるが、
津藩は幕府軍劣勢と見るや天王山から大砲を打ち掛け・・・・
広島、熊本・・・・・西国の諸藩はもうすでに幕府に見方するつもりなんて無かった。
裏切りによって勝った徳川が、270年後裏切りによって負けるなんて皮肉だね
しかし、京都の情勢に疎い越後・奥州・羽州の諸藩は同盟を組んで幕府側について
新政府に徹底抗戦しようとした(奥羽越列藩同盟)
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 11:49:48 ID:7YfroW2T0
>裏切りによって勝った徳川が、270年後裏切りによって負けるなんて皮肉だね
どちらのケースも藤堂が絡んでるのは偶然じゃないよね。家風?
それは薩長っつうか西郷の工作によるものなのかね
だいたい彦根が裏切るとか仰天ものじゃないの
だから錦旗のおかげだつってんだろ
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 08:22:18 ID:Xbl3DJYg0
純軍事的には圧倒的に有利な立場にありながら
旗を立てただけで将が戦意を喪失した、というのは
現代人には理解し難いかもしれないね。
尊王の家柄の水戸徳川家の出自の人間にとっては
足利尊氏と並ぶ朝敵として賊名を残すことは死ぬより辛いだろう、という事を
西郷・大久保は十分に計算していたはずだと思う
緒戦にて幕府軍を押し返すことで
朝廷より錦旗使用の許可が薩長側に下りたというのが妥当だろう。
しかし実際の所現場の幕府軍は錦旗(西陣織生地の過去に無いオリジナルデザイン)を見ても反応が鈍かったそうな。
ドラマや小説で見るような劇的なリアクションは現実には無かったらしい。
藤堂諸藩の寝返りも事前の内応あっての事だしな
>>805 慶喜としゃ自分の側近を殺すような権益の塊の幕臣の片棒を担ぐ事も無いという考えもあったのかもしれん。
むしろ第二次征長での幕府軍の失態ぶりから自分が戦線に出ても大逆転は見込めないという判断もあったんだろうな
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/15(月) 22:32:45 ID:zz8HxE4O0
>>805 西郷自身が賊名を残したくせにな。
戊辰の東征大総督と西南戦争の鹿児島県逆徒征討総督が共に有栖川宮熾仁親王
だったのは皮肉だな。
まあ本人は負けるとは思ってなかったのかもしれんが。
結果だけ見るとどうも愚物としか思えないね。
西郷勝つ気あったか?
俺は無いと思うが・・・
西郷が指揮したの、もう負けが確定した頃からだろ。
それまでは桐野が総指揮
>>807 >本人は負けるとは思ってなかった
ん?西郷の事か?
どう見てもあの自暴自棄な挙兵振ぶりから負けること前提だろ。
戦略上の周到な根回しが皆無だし、戦線では現場指揮も幹部委任から本人に勝つ気が全く見えないんだが。
>>805 西郷は官軍認証を利用しただけ。
賊将になる事の恐怖感までは算段に入れていないと思うぞ
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 08:14:03 ID:KuiFnmlR0
そのあたりの算段は岩倉具視卿だろう
政略的な事前準備全くなしに三倍の敵に行き当たりバッタリで臨んだとは
思えない
勤皇の志高い連中はともかくとしても会津と桑名の藩兵レベルが旗で動揺するもんだろか
将門の時代じゃあるまいし
>>811 藩祖以来の会津藩との尊皇ぶりを知らんのか?
因みに桑名藩主松平定敬は会津藩主松平容保の弟。
それぞれ京都所司代、京都守護職につき藩兵も動員してる。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 13:12:21 ID:OuzxAOle0
まあ新政府側が謀略で幕府に勝った=幕府を朝敵に出来たから勝てたわけだ。
ただ未だに「新政府史観」が流通していて幕府や東北が「逆賊」と思っている奴が結構いる。
岩倉具視の謀略などちょっと歴史に詳しい人なら知ってるだろうに。
十分逆賊です。
>>813 逆賊認定されても源頼朝・北条義時・足利尊氏みたいに情勢を覆せた事例は過去あるんですがね。
官軍認定は必ずしも勝利を呼ぶとは限りませんよ。
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 08:46:55 ID:UuWJEwNG0
戦争をする者は常に自分が「正義」である名目を欲しがるものだよな。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 15:01:25 ID:G+XL4G+s0
圧姫は脚色しすぎ。
江戸攻めを中止したのはイギリス、フランスが強く反対し、
逆らったら皆殺しにするぞといわれたからであって、
西郷が圧姫に情けをかけたとかいうのはなかったという。
ヒーローというよりかは権力に取り付かれたセコイ男というのが本当か?
>>817 西郷はあくまで政府軍の纏め役。彼の独断で政府軍は動かせません。
江戸攻撃中止に関しては
首都機能の再利用を考えた大久保一蔵
市場利用価値を考えたパークス
彼らの諸意見により寄り合い所帯の政府軍諸侯の世論を何とか動かせたというのが実情です。
江戸攻めという両軍泥沼の総力戦に陥る事を回避出来たことに
おそらく一番安堵したのは江戸に知己が多い西郷自身ではないでしょうか。
>権力に取り付かれたセコイ男
戦争の役務を終えたら役職・報酬に目もくれずに早々に田舎の畑仕事に戻った御仁っすよー
西郷に権力欲?どこにwww
819 :
ボサツ君:2008/12/23(火) 01:31:23 ID:/QY+49Ha0
西郷自信が望んで引き受けた悪役、汚れ役だとは言え、
西南戦争の事であまりにも叩かれているのを見るのは忍びないので弁護させてもらう。
何故、西郷は明治政府を立てる事に人生を費やしながら、
その後になって明治政府に牙をむいたのか。様々な憶測や、表では史実とされている記録はあれ、
それらの説明では彼の反政府への動機がなんとなく腑に落ちない連中もいるかとは思う。
だが、その感性は正しい。
まず、やっとの事で日本は明治政府までこぎつけはしたが、
当時の国力は非常に危ういものであり、
いつ何所で不平士族達による内乱が勃発してもおかしくない状態であった。
人間は利によって動くのが基本なので、
これまで享受してきた武士達の利潤ってやつが無くなった連中が反乱を起こしたら、
せっかくの政府を台無しにされかねない。
運良く明治政府が内乱を鎮圧できたとしても、
勢いづいた士族達は、日本各地で次から次に、内乱を起こし続けるだろう。
そんなもぐら叩きには、当時の明治政府は耐えられなかったであろう。
しかし、そういった事は世の中が変われば必ず起こる事でもある。
当然、西郷や、時の英雄達もまた、内乱の危険なんて事は予想していたであろう。
820 :
ボサツ君:2008/12/23(火) 01:42:28 ID:/QY+49Ha0
続き
そこで一つの謎が解ける事になる。
その謎とは、何故、西郷は明治政府の役職に付かず、政府の目の届かない
鹿児島に引きこもっていたのかと言う事だ。
それはひとえに、政府の目が届かないからこそだと言わなければならない。
当時、武士としても人間としても、圧倒的なカリスマであった西郷は、
不平士族たちが自分を担いで反乱を起こす事を待っていたのであろう。
そして、歴史のセオリー通り、反乱は起きる。
西郷は、カリスマである者が士族たちと心を一つにして大軍勢で戦い、
そして決定的な大敗北を喫する必要がある事を知っていたのである。
つまり、日本中に散らばる士族たちの心を、完全に折ってしまう。
これが狙いだったのだ。
続く
821 :
ボサツ君:2008/12/23(火) 02:04:33 ID:/QY+49Ha0
ここまで読んで、腑に落ちる事がある人もいると思う。
例えば、西郷ともあろうものが、何故にあのように無謀な戦略や戦術で
明治政府と戦ったのか。
まるで、わざと大敗を喫する為に愚行を繰り返すように。
抜刀隊の池辺喜十郎などは、あまりに無策すぎる西郷の力押しの戦法に
ひどく狼狽していたそうである。
それから例えば、何故謀反人の筈の西郷の銅像が、東京に建っているのか。
答えはこうである。
西郷は、政府との密約通りに政府の為に戦って、そしてわざと敗れて死んだ。
しかし、西郷も侍。武士としての心もある。
たくさんの士族たちを死に追いやっておいて、生きながらえる事はないだろう。
そこで、彼は「もう、ここらでよか」(これだけ戦ったらみな満足であろう)
そう呟いて、腹を切る。
西郷と供に腹を切ったある侍は、腹を切る際に「西郷の気持ちが解った」
そう呟いて、西郷の後を追った。
これらはいかにもドラマチックで作り話の様な感がしないではないが、
九州の一部の年寄り達にとっては、
特に、西南戦争の生き残りから脈々と語り継がれて来た話としてこの話を知る者の間では、
教科書の裏に隠された常識として語られる話である。
まあ、だからと言ってこれを丸々信じろというつもりも無い。
西郷は歴史の記述通りのシナリオで反乱を起こした謀反者である。
西郷自身がそう呼ばれる事を良しとしたのだから、それで良いではないか。
ただ、こう言った話が真実として語られ続けている空間もあり、
実際にそれが真実であるかもしれない。その事は忘れないでほしいなって思う。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 09:06:51 ID:CywRR6zs0
どう好意的に解釈しても
1万人もの未来ある若者を道連れにした事実は消せないよ
征韓論も多分に独り善がりの愚案で(実現していれば欧米諸国が日本を叩く絶好の
口実になったであろう)受け入れられないのも致し方ないし、
不満ならその段階で腹を切って一人で死ぬべきだった。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 16:44:44 ID:IHWtuQdHO
西郷隆盛って身長どのくらいだったのかな?
180あったのかな?
鹿児島で陸軍大将の軍服みたけどそんなに大きくなかったんじゃないかと
当時の人としては大男だったのだろうけど
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 21:29:32 ID:EpelxZQ70
慶喜に対する態度だけとっても、ダイサイゴーのセージツとやらはまったく信じられない。
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 22:03:00 ID:c9bLoObL0
西郷南南洲隆盛の男色相手で名高い人物は誰と誰ですか?
西郷は、木戸があんな微妙に前じゃなく、大久保もあんな微妙に後じゃなく、
二人とも明治7年くらいで死んでたら、どうなってたんだろうか。
やっぱ、西郷は武士とか、藩とか、そういう旧態然としたものの不満が熟すのを
待って、それと道連れで死んでくれたんだと思うが。あそこで、あの手の騒ぎは
極端に下火になるわけだし、あれから徴兵制度っていう民間人が江戸時代でいう
武士(役割上の。身分上じゃなく)になれる制度が確立したわけだから、
新政府への貢献は大きいと思うよ。
それが西郷の意図したところかどうかはわからないが。
徴兵制は西郷が実現したようなもんだしなあ
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 08:40:57 ID:83HS4zxl0
西郷の当初のプランでは中国・朝鮮と連携を取り、欧米の更なる侵略に備え
50万人の失業士族を北方警備に充てるつもりだったらしい。
(どういう訳か李鴻章も西郷のその意図は知っていたらしく、日本が西郷を失った
ことは我国(清)のアヘン戦争以上の損失だったという言葉を残している)
ところが朝鮮側が異常な拒否反応を示し日本を徹底的に侮辱した為に、その
プランは流てしまい、憤懣やるかたない西郷は征韓論を主張し、自分が朝鮮で死ぬ
事で現状の打開を考えたが、それも通らなかった為に、野に下り郷里へ帰るしか
なかった。絶望の果てに自暴自棄に近い心境になり、薩摩の不平士族に自らの体を
呉れてやった、というところじゃないかな。
もう今の世にオイ達に用はなか。ニセたちと共にオイも滅びもす。という様な心理で
結果論としての「新政府への貢献」までは考えてなかったと思う
830 :
話はそれるが:2008/12/27(土) 16:20:06 ID:gWCP3E5i0
黒田清隆が女房を酔っぱらったあげく惨殺したというのはほんとうか?
>>830 ほんとう。
ちなみに黒田は樺太をロシアに二束三文で売り渡した最悪の売国奴。
薩摩人のせいで日本が広大な領土を失ったことを忘れてはならない。
>>830 マスコミはその裏が取れてないので信用性は0。
黒田夫人は晩年結核を患っており、
室内が彼女の吐血で汚れた事と黒田の酒乱エピをリンクさせ
更に黒田バッシングの意味も含めて、そんなゴシップ記事を仕立て上げた可能性が高い。
その後裏も取られたが「仲間内が薩摩閥だから庇っている」
とマスコミも政府発表を一向に信用しなかった。
つまりゴシップ週刊誌で取り上げられるような確証の無い三流記事程度の話でしか無いんだよ
黒田妻殺害の件は、講談社学術文庫の大久保利通に出てる(よね?)。
誰か(忘れた)がそういう話をしてしまい、後で訂正されたという話。
それ読んだ時に、その真偽に関わらず、そんなことを平気で言ってた人がいた
ってことに感動した。言論統制が甘かったんだろうな。江戸時代なら、
誰か腹斬らされてると思うよ。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 12:56:32 ID:ACo+mqMB0
【西郷隆盛のニセ写真が流行していた?】
明治政府に逆らったとはいえ、西郷どんこと、西郷隆盛は庶民の人気者の1
人。その証拠に、彼の死後はいつまでも生存説が語り継がれた。
さて、これも西郷の人気を表すエピソードの1つ。
明治10年のこと。折しも西南戦争の真っ最中。西郷隆盛の写真が東京の市
中にでまわった。3銭や5銭で売りに出されたのだが、これが全くのニセモノ
だった。
ご存知の方も多いと思うが、西郷自身は、写真を撮ったことはない。正真正
銘のイミテーションだった。
どうも、誰かの書いた似顔絵を写真に撮ったらしく、本人とは似ても似つか
ぬところがあったらしい。
しかし、役者ならともかく、どうして西郷のニセ写真が作られ、それがよく
売れたのかは分からない。と当時の新聞記事に残されている
その時代の有名人(所謂政治家)って、ブロマイド売ってるじゃん?
売ったのは後かも知れんけど。
西郷は、キヨソネ(お札の印刷関係で来日。名前日本人みたいだが、たしかドイツ人)
の描いたのが有名だけど、それは従道(だっけ?)とかをモデルにしたもの。
キヨソネは西郷が死んだずっと後に来日なので、会ったことはない。
実際会ったことのある平野五岳の描いたものが生前の面影をとどめているらしい。
要するに、ふっくらして(やせぎすでなく)、つぶらな目って感じなんだと思う。
結局、西郷支持者は日本中にいたということなのではないだろうか。
大久保殺してしまうくらいだし。
西南戦争は錦絵で「西南戦争」ってカテゴリーがあるくらい、世の注目を集めたわけだし。
>>836>>837 今日のスパモニの西郷の肖像特集見て来た人でしょうけど
西郷の肖像に関しては
>>535-545を読んでね。
こういう特集はいつも1番近くで見ていた家族の証言を無視してる。
キヨソネが西郷に会ってないから実際の顔に似てないって決め付けるのはおかしい。
以下はキヨソネの肖像画に関する長男菊次郎氏の証言
菊次郎翁は、往年直接余に話さるゝには、
『この像は得能局長が十分父を承知して、その監督の下に出来たのみならず、
当時父を知って居る人に色々相談をなし、また当地の母などにも聞いて
種々丹精して出来たのであるから、他の画像に較べて、これが先ず一番宜しいと思う。
ただ目元が十分でないとその時から評があつたが、自分も左様に思ふ。』
結局、遺族が西郷に最もよく似てるという肖像画は
実際には西郷に会ってないキヨソネと佐藤均の絵なんだよね。
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 17:46:12 ID:bqoBXyOU0
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/30(火) 17:51:02 ID:mMDqdnF90
俺、戦国時代に生まれたら薩摩は徹底的にやっけるな
犬侍
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 01:36:07 ID:hFb6wrP10
西郷どんは薩摩人の常として男色を好んだが、月照との入水心中譚は
どの程度、衆道と関係があるのだろう?
なかなかの美男僧だったというが肉体関係はあったと見なすべきなんだろうか?
黒田清輝って薩摩の人なの?福岡(か?)の殿様の方だと思ってた。
>>830 ヒント:川路大警視が検死を速攻で打ち切らせました(証言アリ)
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/
2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。
ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン
毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1230363385/
847 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 12:11:23 ID:teh287YCO
>854
その証言者は、山縣有朋と福地桜痴=毎日新聞が庇護し、
この事件の結果、黒田と榎本からは開拓使の資金は奪われ、山縣が朝鮮半島に進出する資金に使われた。
つまり、この事件は山縣の朝鮮政策が生んだ根拠のないざん言であった。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 12:57:49 ID:7fwuYwR40
>>844 自分は、名前が似てるから、黒田清隆の縁戚かと思ったよ。
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 19:48:27 ID:K15z3aRZ0
佐久間象山→西郷隆盛に見られる、「平和的交渉にも武力の背景が必要」
という真理、これをよう考えるんやな、当世のヘナチョコ左翼よ!
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 08:20:23 ID:agEe1bXm0
そうそう。孫子に言う「戦わずして勝つは最上」と言うのは
戦う力を持っていて初めて言える事。
これを武力の放棄とか著しい誤用をする輩が今も多い
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 09:24:17 ID:r3tFN+Kn0
でも強すぎてもいけないだろう〜
フィードバックが無くなるから逸脱に気が付かない
アメリカや日本の子供がまさにそれ
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 09:27:14 ID:r3tFN+Kn0
武装出来るのが警察と自衛隊だけなんだから
「戦う力」もクソもないだろう
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 10:06:47 ID:r3tFN+Kn0
喧嘩は自分も殴られないとダメだね
「武」は矛を収めると書く
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 09:45:48 ID:m0vnACWnO
今、西郷隆盛が待望されている
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 10:16:22 ID:Lh3tYXAw0
それは、西郷隆盛の権謀政治家としての面かな?
それとも、誰からも大人物と見られていた声望の高さかな?
後者は現在の社会では無理さ。すぐにマスコミが叩くから。
カリスマということだけなら、小泉純一郎の資質は圧倒的であった。
856 :
至誠大西郷:2009/01/11(日) 12:27:14 ID:m0vnACWnO
そんなことはない至誠は
わかる人にはわかる
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 12:33:05 ID:WxH3VTSh0
拳銃持っていたら、引き金ひきそうになる人間を何時から「カリスマ」と呼ぶようになったんだ
笑わしてくれる
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 12:35:28 ID:WxH3VTSh0
855、856
ドリフのバカ兄弟を彷彿とするやり取りだねw
>>1 行進曲「抜刀隊」の歌詞で古今無双の英雄と謡われているのは西郷隆盛なんだよね。
吾は官軍我が敵は 天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は 古今無双の英雄で
これに従ふ兵は 共に慄悍決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
起こしし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ
敵の亡ぶるそれ迄は 進めや進め諸共に
玉散る剣抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 00:29:37 ID:/4KUaB510
>>858 どこが悪いのかも挙げられず、罵倒をするだけ。
まるで会津人だね。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 01:09:14 ID:XQTWWebU0
君はコジキ商人だね
「一タス二ハ二」と子供に教えて一円ちょろまかすタイプだなw
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/12(月) 10:34:04 ID:/4KUaB510
嘘を指摘され、反論が出来ないので自らの行為を書く。
これが会津擁護の行動さ。
NGワード:会津
>>845 だから惨殺じゃなければ即行で検死は済むっしょ
切り傷があるか無いかなんだから。
黒田を叩く気満々のマスコミサイドも「川路大警視なら同郷だし庇って当然」みたいな僻んだ論調になるし。
背景にはそれを利用した山縣以下対抗勢力も焦臭いからな
スレ違い。よそでやれ。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 02:35:07 ID:bgp50Hvi0
会津擁護は、反論に根拠があると、虚言を放置させた上で議論を打ち切ろうと策す。
あぼーんになってる。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/13(火) 14:57:01 ID:ryDi2yKb0
今、西郷隆盛が待望されている
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 21:15:33 ID:083Xrk0l0
黒田清隆、西郷従道、大山巌、川村純義… 貴方は誰になりたいですか?
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 23:04:39 ID:Dhv4SSbr0
桐野利秋、篠原国幹、別府晋介、辺見十郎太… 貴方は誰になりたいですか?
政府側・・・大山巖
薩軍側・・・村田新八
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 09:13:36 ID:Ah2Mdo9m0
>>869〜
>>871 皆凄い人たちばかりだと思うな
時代が違うとは言え今の政治家は自己の保身ばかりで
腹を切る覚悟も無ければ、凶刃に倒れ路上で命を落とす覚悟で発言する者もいない
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 10:44:30 ID:cJCPW1Vl0
他人に犠牲になることをおかしな理屈を付けて強いるから「斬奸」などと叫ばれて襲われるんじゃないのか?
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 10:46:36 ID:cJCPW1Vl0
自分たちに多大な利益を供与する、植民地の管理人を「凄い人」と呼ぶのはおかしいんじゃ。。
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 10:47:32 ID:cJCPW1Vl0
橋下みたいじゃん
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 21:37:28 ID:SMCfEaN20
>>877 利権を蓄えたのは、会津松平を始めとする旧佐幕派の連中ですよ。
大久保利通は身内には借金しか残しませんでした。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 22:00:47 ID:cJCPW1Vl0
大久保利通の非情、冷徹を肯定するにはあまりにも俗っぽ過ぎる
派遣労働者が、真冬の寒空に投げ出され
それを面白おかしく指摘する人間は普段何をしているんだろうね
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 22:01:38 ID:cJCPW1Vl0
のーぱんしゃぶしゃぶはご免です
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 22:03:28 ID:cJCPW1Vl0
橋下なんか若者むけの消費都市を作ろうとしてるだけじゃんか
大久保と何の関係がある
笑わせんなアホ
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 22:19:42 ID:SMCfEaN20
関係のない中傷を並べれば、、会津松平が明治から今日まで合法・非合法にわたって営利蓄財に励んだことを
隠せる、と思っているのでしょうね。
不当な行為を行っているのは幕末から今日に至るまで、一貫して旧幕府派の人々です。
このご時世に西郷とか薩摩とか信奉してる奴ってなんなの?
今の鹿児島県と出身者のダメっぷり見て分かるでしょ
>>884 ここまでわざわざ来てそんな書き込みしてる奴ってなんなの?
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 13:28:25 ID:TsvlkYzRO
大西郷は日本人の心の師匠です。
福澤なぞ足元にも及ばない。
一万円札は大西郷に。
意味わからんけど、のーぱんしゃぶしゃぶワロタ
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 18:54:35 ID:eqCbTXKAO
小人ばかりで西郷先生の
偉大さがわからぬか
889 :
國學院大學卒:2009/01/29(木) 18:56:06 ID:eqCbTXKAO
はっきり言って
西郷先生はウヨサヨを超越しています。
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 08:45:21 ID:XdeREOE40
西郷50歳 別れの手紙
「さあ斬りやんせ…おいは一人の男に過ぎもはん」
「…許しゃったもんせー!」
ズバッ
891 :
☆:2009/01/30(金) 20:10:20 ID:W2/n8OR4O
西郷星
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 15:35:09 ID:poZyKV/f0
2月10日 テレビ東京 夜7時56分〜8時54分
新説!?日本ミステリー
幕末の英雄・坂本龍馬の仲介によって結ばれた薩長同盟。
しかし、その裏にはフリーメイソンが存在していた!?
龍馬を操っていた恐るべき黒幕の正体に迫る!
さらに薩摩藩を倒幕の主役にまで押し上げた西郷隆盛が
キリシタンだったというミステリー。
そして豊臣秀頼が秀吉の子どもではなかったという疑惑を徹底調査!
そこから浮かび上がる驚愕の野望とは・・・!?
その番組は、川口浩が出ますね?
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 01:46:09 ID:EIOwMnUZ0
川口弘はもうこの世の人ではありません。
お笑いタレントや星亮一とかなら出るかもしれません、その程度の番組です。
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 19:42:11 ID:l7ypNynyO
おまえら西郷先生のスレッドぞ
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1167.html 『西郷隆盛語録』西郷隆盛 / 松岡正剛の千夜千冊
私に千糸の髪がある
墨よりも黒い
私に一片の心がある
雪よりも白い
髪は断ち切ることができても
心は断ち切れまい
かつて、ぼくはこの詩を『新・代表的日本人』というビデオ・シリーズのなかで朗読した。
西郷は明治維新の「負」をいっさい背負ったのですと言って、この詩を読んだのだが、
リハーサルもあり、カメラも回り、20人近いスタッフがスタジオを埋めていたにもかかわらず、
途中で声が途切れ、涙ぐんでしまった。
897 :
國學院大學卒:2009/04/05(日) 09:35:39 ID:S3s5aB+ZO
中世に大楠公あらば
近世に大西郷あり
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 09:34:26 ID:POu2XPk90
過疎
保守
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 15:40:02 ID:/GmaTyvTO
西郷さん。
明治の政治家で、今もなほ「さん」づけで呼ばれてゐる人は、貴方一人です。
その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の目で見られたかもしれないが、
後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることがありません。
あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもつとも代表的な日本人として見てゐます。
(中略)
…あなたの心の美しさが、夜明けの光りのやうに、私の中ではつきりしてくる時が来ました。
時代といふよりも、年齢のせゐかもしれません。
とはいへそれは、日本人の中にひそむもつとも危険な要素と結びついた美しさです。
この美しさをみとめるとき、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでせう。
三島由紀夫
「銅像との対話――西郷隆盛」より
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 16:05:07 ID:/GmaTyvTO
あなたは涙を知つてをり、力を知つてをり、力の空しさを知つてをり、理想の脆さを知つてゐました。
それから、責任とは何か、人の信にこたへるとは何か、といふことを知つてゐました。
知つてゐて、行ひました。
この銅像の持つてゐる或るユーモラスなものは、あなたの悲劇の巨大を逆に証明するやうな気がします。
……………………。
三島君。
おいどんはそんな偉物ではごわせん。人並みの人間でごわす。
敬天愛人は凡人の道でごわす。あんたにもそれがわかりかけてきたのではごわせんか?
三島由紀夫
「銅像との対話――西郷隆盛」より
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 16:45:26 ID:G3TRHhTF0
写真がないところが西郷さんのカリスマ性をさらに深めてるような気ガス
じゃあ、徳川家康もw
西郷の存在は、リーダーは能力無くても責任さえ取ればそれでいいんだっつう安易な日本的マネージメントを容認する口実になってる気がす。
そんな西郷的リーダーが土壇場で責任取らず保身に走るのが現実。
アジアバカ徳人主義というのがあってだな
発想は893の絵描きそのままだよね
武士の発想じゃない
武士なら名を惜しんでやらないような事平気でやってるよねこの人
朝鮮893みたいなところもあるから
この人が朝鮮統治してたら
ああいう中途半端な事にならずに
原爆落として感謝されたアメリカみたいに
もっとえげつなく支配して、うまくやったかもしれない
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/12(日) 03:33:08 ID:Mj6r0P4YO
批判はけっこうだが
具体的な出来事を挙げて
語ってくれ
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 00:28:09 ID:KWnDhV7y0
西郷さんて尾崎豊とかぶるんだよな。
本人は魅力あるけど、信者は魅力まったく無い人ばかりという点で。
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 01:07:19 ID:4+cyZymt0
西郷を貶す人については、まともな指摘を行わない変な人が多いように感じた。
たとえば星亮一の場合は、証拠もない中傷だけで一面を埋めている。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 02:02:00 ID:KWnDhV7y0
西郷さんを賛美する人も同様じゃない?
聞き伝えの西郷像をさらに信者が脳内変換した「超訳」みたいな西郷さんに意味あるの?
散々嘘を並べ、嘘はいけないよ、と諭されると
「お前は嘘を一生の内でつかなかったことがあるのか」と居直る。
>>911を見る限り、西郷叩きの人にはこのような傾向があるようです。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 11:58:35 ID:4+cyZymt0
星亮一の西郷評が嘘だらけであることを認めるのなら、
「お前もそうだろう、例示は出来ないが」と更に中傷を重ねるのではなく、
星亮一の嘘について何か言うことがあると思います。
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 12:59:40 ID:KWnDhV7y0
おいおい日本語読めてる?
おれは西郷さん叩いてるんじゃなくてあなたのような粘着狂信者を叩いてんの。
ま、ご自分が叩かれてるの分かってるから顔真っ赤にして連投レスしてるんだろうけどね。
幕末のカリスマ西郷吉之助
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 09:26:45 ID:y6mxiDVM0
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 22:11:08 ID:j9HdlffZO
晩年の西郷さんは可哀想だよね
薩摩藩と政府の板挟み
賄賂、豪遊三昧の政府重役に嫌気がさしながらも大久保さんの手前、日本の為、なかなか隠居出来なかった…
918 :
名無しさん:2009/07/25(土) 14:36:39 ID:kM8xyyc60
現在の1万円札が福沢諭吉というのも、この薄汚れた現代を象徴していると思う。
西郷さんにお金(権力や欲)は似合わない。
919 :
國學院大學卒:2009/07/26(日) 19:22:36 ID:Sq+9uoX2O
福澤系の近代合理主義が
日本の精神となってしまったことに
現代の悲劇がある。
私達はもう一つの偉大な
日本の近代の精神である
西郷南洲を見直すべき
時にあると感じます。
西郷隆盛には、社会の多数派の中で主導権を執る独特の政治的なカンがあった。
その為、大衆迎合的な部分があり、当時の世間の人気の的となった。
(個人として西郷に会った人からは、厳格・魅力の固まり・何を考えているんだか分からない、といった評価が返っており、
これは彼の政治家としての評価とは別物だ。)
一方、西郷隆盛は幕末から明治にかけ、最大の革命家として
薩摩藩を掌握し、多数派工作と断固たる姿勢で幕府を倒し、明治政府の急進欧化路線を支持することで、
社会変革の原動力となった。
古臭い安心感で人を信用させ、やった内容は今まで考えられなかった急進的なものであった。
西郷にはこの両面があり、前者だけで彼を語るのは間違っている。
彼が支持推進をしなければ、幕府は倒れなかったし古い社会体系も価値観も温存されていた。
福沢諭吉にとって西郷隆盛は尊敬すべき人であり、対極という言い方はおかしい。
921 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/26(日) 20:16:04 ID:Sq+9uoX2O
そんな表明的な出来事の
話しで語るなかれ。
西郷精神と福澤精神は
対極にあるのは事実。
922 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/28(火) 21:35:23 ID:ECifIIgR0
西郷支持者のイメージってこんな感じかな。
一流校行くほどは勉強できない、人間的な魅力も薄い、実務家としての器用さも無い、
かと言って悪い人ではなく、人の上に立って何事かを成し遂げねばというぼんやりした志は持っている。
そんなイメージ。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/04(火) 00:16:11 ID:HoFa8P7MO
西郷精神とは
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 23:18:10 ID:e/IPNLIGO
ラストサムライの渡辺謙のやっていた役のモデルは
西郷さんだと思うが。
925 :
國學院大學卒:2009/08/11(火) 05:58:03 ID:agZY5MnyO
「敬天愛人」は南洲翁が
我が国に残された至宝
926 :
名無しさん@お腹いっぱい:2009/08/12(水) 16:41:03 ID:yxPTvYOW0
西郷いわく、自分は土台を作り 大久保は建物を作る。 西郷は、日本人と
しての性根を見極め、それに基づいて行動しようとした。大久保たち、欧
米回覧組みの考えとは、感覚が 根本から違った。
西郷が守ろうとしたものは、精神的な何かだった。 建設が進む明治政府を
見て、 土台が変質していくことが耐えられなかったのではないか?
批判を待つ。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 17:48:38 ID:RF44WsP30
>>926 釣られてみるけど、土台と建物ってのは西郷の口から出たものなのか?
後世の西郷信者(おもに鹿児島人)の後付けだろ?
大久保を認めてるってことは、わりと最近の捏造エピソードかなw
きみら鹿児島人は西郷の実像を歪めすぎたな。
西郷の人気不人気が鹿児島人のアイデンティティに関わってくるからって。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 09:49:03 ID:XJTNeONa0
>>927 >きみら鹿児島人は西郷の実像を歪めすぎたな。
>西郷の人気不人気が鹿児島人のアイデンティティに関わってくるからって。
なぜ、この人は嘘をついて他人を批判するのだろう?
土台作ったのって大村や木戸だよな
そっから大隈や江藤が建物を建てていった
でもってその留守政府を抑えていたのが西郷だから、西郷が土台の変質を許してしまった訳だな
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 22:58:29 ID:QU4aH1noO
>>930 西郷が明確なビジョンを持ってなかったというのは分かるが、
批判(士族の不満)を一身に浴びる意思なんて西郷は持ってねえじゃん。
鹿児島士族の不満が大久保に向いた時も、
西郷はむやみな暴発はいかんとは言ったかもしれないが、
大久保はじめ新政府の大計は間違ってないとは言ってないよな。
西郷はどちらの肩も持つわけにいかない苦しい立場だったとは思うが、
それを鹿児島人あたりが、批判を一身に浴びる覚悟だの意味不明の美談にすりかえようとしているようだ。
>>929 ワロタ
大久保は結局、西洋に出て、日本てものを見る目が出来てしまったんだよ。
それまでは、「日本」はせいぜい考える対象で、見るものではない。でも外国に
行くと、どうしても、客観的に見てしまわざるを得ない。
それが大久保に「新しい国の政府」っていう展望を与えたと思う。
西郷と決定的に見えるものが違っちゃったんだと思うよ。
気持ちはわかるだろうし、だから、会って話せばなんでもないことなんだ、
と大久保は思ってたんだろうし、恐らく西郷もそう思っていたんだろうけど。
気持ちがわかるっつーのは、友達レベルの話で、一国の政府の中心にいる人間
の基準じゃない。
大久保はそれがわかってて、新しい国の政府の確立のために断行できる、冷徹でもあり
聡明でもある人だ、という、大久保の魅力はよくわかるんだが、西郷の魅力というのは
どうしてもわからん。
ここでも何度もそういう話になってるけど、おまえらにはわからん、みたいな
対応なのが残念。
わからんかもしれんが、ここだ!という西郷の魅力を教えてほしいのだが。
そこがわからんと、西南戦争がわからんから。
933 :
國學院大學卒:2009/08/22(土) 14:43:08 ID:4QOflnSYO
南洲翁の魅力は東洋的大人です。
西洋にかぶれすぎてしまった人には
理解できないかもしれませんが。
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 08:33:35 ID:oEsxmcMn0
西郷の魅力つーかカリスマ性は異常。
明治以降では生前・没後とも彼を越えた人物いないだろうなあ。
昭和帝とかのネタは除いて。
西洋的価値観では大久保や木戸の方が「優れている」のだろうが、
西郷は巨大すぎる。大隈とか大村みたいな才子には理解不能で嫉妬の対象。
才子は沢山いるが、西郷や大山みたいな人物の方が貴重かもね。
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 09:22:16 ID:mHPOmOWLO
「朝敵徳川慶喜家来 山岡鉄太郎 大総督府へまかり通る!」
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/23(日) 12:26:25 ID:c+a8M5zg0
西郷ってようは薩軍の兵馬の権と、猟官の斡旋権を握っていたから立てられていただけで、
早い話し、裸の王様だよ。
カリスマ性なんて無かった。
親友の大久保や実弟の従道、従兄の大山巌ですら西郷から離れたことを思えば、
どんな人物だったかは推して知るべし。
西郷が神格化されたのは西南戦争後の鹿児島人によるイメージ捏造しまくりの運動から。
937 :
國學院大學卒:2009/08/25(火) 19:41:22 ID:2ZFlxLC+O
勝海舟は
「おれは、今までに天下で
恐ろしいものを二人見た」
(氷川清話)
として、西郷隆盛、横井小楠の二人を挙げています。
敵であったはずの勝が
ここまで称賛する西郷隆盛は
やはり大人物であったのだと
思います。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/26(水) 01:53:17 ID:vu3CA3+fO
>>936 それを真に受けた北一輝に始まる昭和のド根性軍閥政権が、
昭和初期の日本をカルト国家に染め上げ破滅に追いやったね。
今でも司馬小説の影響でブラック企業のワンマン経営者や団塊に西郷隆盛信者が多いけど、
ああいう思考停止の徳人主義に染まった連中は末端の兵卒や底辺単純労働者としては最強だけど
人の上に立たせるぶんには最悪なんだよな。
939 :
國學院大學卒:2009/08/27(木) 23:56:59 ID:X/MXPadAO
良識的キリスト教信者で
知られる内村鑑三も
海外に向けた「代表的日本人」において
西洋キリスト教信者に劣らぬ立派は
高潔な人物として西郷隆盛を挙げています。
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 00:02:39 ID:nOvGhCk7O
>>938 >それを真に受けた北一輝に始まる昭和のド根性軍閥政権が、
昭和初期の日本をカルト国家に染め上げ破滅に追いやったね。
西郷隆盛、北一輝、昭和軍閥の関係を
あきらかにしてください。
>今でも司馬小説の影響でブラック企業のワンマン経営者や団塊に西郷隆盛信者が多いけど、
西郷隆盛は存命当時から
人々の尊敬を得ていますが。
>ああいう思考停止の徳人主義に染まった連中は末端の兵卒や底辺単純労働者としては最強だけど
人の上に立たせるぶんには最悪なんだよな。
理由は?
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 00:13:01 ID:aGeAQAJN0
>>940 鹿児島人は日本の隅っこで畑でもやってなさい
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 15:08:07 ID:KTSRtgs3O
>>940 >西郷隆盛、北一輝、昭和軍閥の関係をあきらかにしてください。
あなたが引用した部分に全部書いてありますが。
>西郷隆盛は存命当時から人々の尊敬を得ていますが。
西南戦争の西郷を皮肉る風刺画に描かれた当時の平民は、人間ではないのですか?
士族利権の擁護者として、抵抗勢力である士族に祭りあげられていただけでしょう。
>理由は?
「根性!根性!」とがなりたてて暴れ回るだけで、
目的達成のためにどのような手段をとるべきか冷静に考えることをしないからです。
いや、そもそも目的自体存在しないといったほうが正しいかもしれません
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 18:40:08 ID:tqNTMDFf0
根性根性と叫び、目的を無視して自らの正義とやらを守った挙句崩壊したのは、
松平容保・近藤勇らの旧幕府軍の方々です。
そして、薩長を排除し第二次世界大戦を起こした、東條英機を始めとする東北軍閥の方々です。
ちっとも西郷隆盛じゃありません。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 21:00:32 ID:aGeAQAJN0
>>943 誰も西郷がそうだとは書いてないじゃん
よく読めバカ
西郷をありがたがるばかりで思考停止してるお前のような鹿児島人が最悪だと書いてあるんだよ
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 22:00:16 ID:tqNTMDFf0
>>944 そのような嘘偽りで、相手を根拠もなく愚弄してきたのですか。
思考停止はあなたでしょう。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/29(土) 22:03:31 ID:tqNTMDFf0
そもそも、あなたの西郷叩きには根拠がありません。
そのくせ真犯人である松平容保・新撰組・東條英機に言及が向かうと、
君は突然地域差別を始め、他人を中傷して高笑いを始めます。
そのような人が会津を尊敬していることが、恥だと私は思います。
947 :
名無しさん:2009/09/14(月) 15:42:56 ID:LSD/SvIa0
西郷どん 1/23生まれ
人類のために働く意思と力を特別豊かに与えられている
人の意図を読み取る 厄介事を収める 知性
世間一般の流行に逆らう 冷静さを失わない 勉強家
人の心の底を見抜く 孤立無援でやっていける
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 10:25:39 ID:NaJ5Gm8V0
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 10:26:21 ID:NaJ5Gm8V0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。
そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 16:00:47 ID:xRK+F/9A0
>948>949
また別スレで同じコピペして薩摩叩きやっているのか、このバカはw
>944も常に鹿児島人批判しているアホの一人。
バルタン星人が
最も尊敬する日本人
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 17:57:12 ID:yrOSnuDR0
西郷を理解し、命を賭けた人間達ってのはやはり俗を離れた者たちだっただろうね
俗物たちにいわせれば変わり者だとか堅物だとか曲がり物だとか
いろいろあるだろうけど、俗を離れるにいたった経緯ってものが人間背景でそこが大事
そういう人間達ってのは体勢のなかではマイノリティなのはもちろんのこと
大衆受けもないからぱっとせずリーダーばかりが目立ったってのはある
というか名を売ろうなんて思ったら手となり足となり、あの混乱の時代に日陰で命がけの任務なんてやってないと思う。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 00:56:54 ID:hs5di3dD0
鹿児島の50代以上のおっさんって最悪です。
男尊女卑、時代錯誤。
だから伸びないんだよ、鹿児島は。
『九州マッチョ』の総本山である鹿児島県は、男尊女卑の本場でもあります。
女性よりも男性が全てに優先されます。
まず入浴という行為は日本人にとって体を清めるための重要なセレモニーですから
最初に入るのはもちろん男。もし誤って女性が先に入ってしまったら
湯を抜いて浴槽を洗って再度セッティングしなければなりません。洗濯物も男女別に干すのが当たり前
夫婦が一緒に歩いているだけで、街中の非難を浴びてしまいます
最近はこのような風習もなくなりつつあるようですが、いまだに家族の中では父親が一番偉く
男女が対等のパートナーシップを結ぶことはまず不可能でしょう
鹿児島では、小学校の授業で「西郷隆盛」に関する独立した授業があるらしい。
しかも、そこで使われる教科書は「手が切れるほど鋭く」裁断された上質紙を使い
「西郷隆盛」の文字が太ゴシック体で目立つように書かれているとか。
鹿児島の小学生は、その教科書に書かれた「西郷隆盛の発言」を一字一句まで暗記させられるとか。
それに関する小テストも頻繁にあり、もし満点がとれなかったら「反逆者」扱いされるとか。
まるで「将軍様」を奉るどこかの国にそっくりですねwwwww
明治維新で活躍し、後に明治政府と対立して亡くなった西郷隆盛は鹿児島県民にとって永遠のヒーローです。
『サイゴウドン』という言葉が彼らの口から発せられた時には、直立不動か正座で対応してください。悪口を言おう
ものなら横浜で殺されたイギリス人と同じ目に遭う事は覚悟してください。
一夫多妻はないの?
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 01:53:19 ID:58nzOxQN0
聞いたことがない。
会津でそういう話なら、体験したことがあるが。
つまらん
薩摩はフェミ
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 02:03:21 ID:58nzOxQN0
私の会津若松での体験は、次のようなものであった。
まず、学校の先輩という妙な爺さんが出てきて、教科書は全て嘘だと叫ぶ。
その上で、男尊女卑は正しいだの、我々は被害者だから薩長を叩けだの、
支離滅裂なことを所構わず叫ぶ。
先生には苦々しく見ている人もいたが、爺さん同様復讐だ正義だ破壊だと目を輝かせる危ない人間もいた。
そしてクラスでは、西日本に関わりのある奴を虐めようだの、妙な談義が始まる。
嫌な地域だよ、会津若松は。
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/25(金) 06:53:16 ID:0zEZXAj80
>>953 かなり誇張されているし、時代錯誤感はあるが、世間に流布された鹿児島のイメージなのだろうね。
都道府県別の県民性ネタに出てきそうな内容だ。男尊女卑の風は確かに今でも多少は残っているらしい。
ただ一点指摘しなければならないのは、『サイゴウドン』ではなく『セゴドン』と読みます。
標準語と薩隅方言の『ドン』をごっちゃにしてはならない。
『西郷どん』と書けば無知がバレなかったのに残念!
鹿児島に行こうと思って、観光案内とか見てて思ったが、
西郷は関東甲信越の武田信玄だな。
関東甲信越には「信玄のかくし湯」というのが至るところにあるが、
鹿児島には「西郷ゆかりの温泉」というのが鹿児島全土にある。
かねがね、武田信玄というのは湯を隠す以外の偉業は何なのか、みんなわかってるのか
と思ってきたが、
西郷が風呂に入る以外に何をしたのか、知らない人は多いのではないのかw
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 13:15:04 ID:LU9Vz32i0
こじつけ乙
西郷さんを叩くやつなんて普通いないって
西南戦争には旧幕臣も参加したくらいなんだから
少なくとも関東では人気
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 00:31:19 ID:hx4udnlA0
西郷さんは戊申のとき、日本中を戦火で焼き尽くして、
そこから新しい国家をつくらねば、と言ったとか言わなかったとか。
これは旧体質である武士階級を徹底的に破壊しなければ、
列強に伍する日本はつくれないという深謀遠慮かと思います。
しかし西郷さんはまず地元鹿児島の武士階級を解体すべきでしたね。
自分に甘く他人に厳しい、にもほどがありますよ。
963 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 23:29:48 ID:oEhxwE0N0
結果的に解体されたから、いいんじゃね?
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/02(金) 00:38:22 ID:OmIBM9b50
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/03(土) 00:07:37 ID:Dudvv4tK0
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/03(土) 00:25:27 ID:gHjkBHqq0
まとめろや
975
とりあえずこのスレ梅
うめ
うめ
うめーん
うめ
たて
うめ
985
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 23:14:09 ID:Sj6n7Sgl0
ワンヤかんむり鷲にナイン
うめ
うめ
うめ
うめ
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