明治維新の意義について

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1学生
誰か教えて下さい!!今日テストなんで困ってます!!!!
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 14:26:35 ID:W1nOyc1G0
不完全なブルジョア革命です。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 16:26:43 ID:sJrWbim90
3人めの打ち首
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 17:15:28 ID:vy/2Jihd0
侵略国家の始まり。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 19:13:20 ID:dPecVpKq0
ゆとり教育の弊害を実証するスレはここですか?
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 20:44:43 ID:p21it8XFO
欧米諸国の侵略から神国日本を守り存続させる為、国家の近代化が急務だった
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/14(金) 21:26:08 ID:Wt9C+MTW0
兵士「尊皇思想天皇の国家なんてお飾りですよ。バカな人にはそれがわからんのです。」
シャア「ハッキリ言うのだなw」
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 08:47:47 ID:99EsTdJvO
明治維新はクーデターで成り立った。
薩摩長州が幼い明治天皇を擁立して明治維新を成し遂げた。
明治維新以降、日本は軍国になった。
天皇家の悲劇は明治維新から始まった。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 09:28:25 ID:As2CPuUR0
兵士「天皇なんてお飾りですよ。藩単位で国家意識のない人々をまとめ国家意識を持たせるために必要だっただけなのです。バカな人にはそれがわからんのです。」
シャア「ハッキリ言うのだなw」
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 11:36:22 ID:kvVUd8hJO
廃藩置県
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 13:50:43 ID:ZYMu5v3F0
明治維新は欧米の侵略的国民国家勢力のアジアへの台頭を背景に(知識人や
支配層はアラブ、インド、インドシナ、中国の情勢について知っていました)
アメリカの武力威嚇的な開国要求による不平等条約締結に植民地主義、白人
人種主義を読み取った南国の地方武士知識層が、停滞腐敗しつくして統治の
箍がゆるんでいた東国の統治権力(徳川幕府)に対抗して決起し武力により
全国統一を企てた本格的な反乱でありました。


12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 14:07:28 ID:ZDVaJOHWO
明治維新は長州の暴発で始まった。
あれから140年の今日も長州の安倍によって日本は…
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:26:21 ID:2hUpv6Cj0
そう!長州の暴走によって日本は救われたのだw
そして安部もまた日本を救う逸材だ。
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 15:52:22 ID:xLdKxDMn0
長州人のがんばりが近代国家を成立させ
日本が列強の植民地になるのを防いだのだ!

それに比べてダサツマンはいったいなんなんだ?
佐幕派と倒幕派を両方裏切り、明治維新が成功したら
今度は田舎に帰って反乱起こすってwww

結局ダサツマンなんかに維新が何であるかなんてわからなかったんだなw
土人達はたぶん戦国時代のつもりだったんだろ?w
四民平等なんか薩摩じゃありえんからな。
百姓は奴隷階級。これがダサツマンの意識の限界wwwwwwwww
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/02(土) 16:29:20 ID:CHPg80vr0
あとは会津厨の登場で無限ループ開始だなw
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 15:14:57 ID:TiWfEkCs0
明治維新は薩長の勝ちというのが定説だがこれは建前で皮相にすぎる
ロマンチストたちの柔な解説とはことなり
伊藤博文と勝海舟という二人の下級這い上がり組が結託して自家製天皇を擁立して
権力闘争に勝利したむごい権力闘争の物語りなのです
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/03(日) 15:30:45 ID:TiWfEkCs0
天皇制はそれ以前の孝明までの京都天皇のなごりとは直接つながりがありません
(イデオロギー上はこれを引き継いでいることとなっておりますしその宮中儀式を
借用してはおりりますが)
当時の諸国列強がみな王制であったため対等に渡り合うためにこれにあわせて
便宜的に王制をしいただけなのです

それは王政復古などではありません
「日本」の歴史と伝統を引き継ぐようなしろものではありませんでした
西欧列強になぞらえて歴史上はじめて誕生した官僚制国民国家「日本帝国」
という人工的創作物でありました
太古依頼群雄割拠する藩(小地方軍閥)の連合体を解体して、
ここにはじめて日本国が誕生したのです

摂政的な権力を振るう二人の成り上がり独裁者(旧官軍派をのっとった伊藤派閥と
旧幕府派をのっとった勝派の密室談合野合)によって日本国を作り出した
易姓革命が明治維新であります
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:25:21 ID:C4wwzici0
共産主義のような日本の官僚制を無能な政治家と中央集権による官僚機能肥大化
のように描き出すのが普通ですがこれはちがいます

守るべき利権をもつ半端な中間階層出身者程度ではとても耐え切れない
生きるか死ぬかの闘争であった幕末時期を通じて、
すなわち暗殺の応酬と容赦ない拷問獄死が続く熾烈な武力闘争時期を通じて、
闘士は先鋭化し、なにも捨てるものを持たぬもっとも下層からの出身者の決意と
能力本位の這い上がりをもたらしたのです(薩長土佐サイド、幕府サイドどちらでも
この流れは加速され下層からの能力本位の抜擢人事が横行しました)

西南戦争による西郷の死により藩閥的素養の指導者は絶滅し、廃藩置県、
武士身分の廃止によりほぼ無産の下級武士による最高権力奪取という
革命の特徴が完成しました


19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 18:59:33 ID:dLGHHU72O
明治天皇は長州に作られました…
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 19:06:28 ID:CnBxEyzf0
明治天皇は、明治帝のパパとママがエッチして作りましたが。なにか?
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:27:09 ID:L0Tv2uaK0
明治政府は勝派閥と伊藤派閥が家族という身分を手にいれその最高位につく
ことを内的動機として結成された政府です
ちなみに華族中の「皇族」の数と「その他の下層なり上がり」の数を数えて
ください「皇族」は他のなり上がりのカモフラージュにつかわれたことが
一目瞭然でわかります

22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:40:27 ID:L0Tv2uaK0
尊王派閥の旧藩主たちも少数を除いては華族にとりたてられませんでした
明治政府の権力簒奪者たちにとっては旧幕府的身分序列をなんとか破壊して
もともと下層の自分たちを浮かび上がらせたかったのです

そのためには日本的な文化連続性を断ち切り西欧式の国家制度を樹立すること
こそ非常に好都合でした
いち早くアジア植民地の情報を入手した上で明治維新を起こし幕藩秩序を
破壊して欧米に対抗する国民国家の建設にとりくんで
諸外国による国内分断と内乱を早めに防止し植民地化を阻止したことは
賞賛に値します

しかし洋装に着替え恐るべき肉食を取り入れ(生まれて初めて肉を口に入れる
婦人の気持ちわかりますか?とても高級なお姫様では無理でしょう)たファナティックな
生活転換の中で舞踏会に明け暮れる生活は大変です
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:44:24 ID:L0Tv2uaK0
権謀術数と血で血を洗う地獄の闘争を勝ち抜いた男たちのつれあいは
ほとんど芸者花柳界の女たちでした
彼女たちは遊び女のようにこれより下はなく、利発活発で好奇心の塊で
した
これが明治維新の原動力です
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 09:57:29 ID:L0Tv2uaK0
うよく諸紙が書くような日本文化の継承性などと明治維新は関係ありません
また低脳のさよく書誌が口角泡を飛ばすブルジュアか絶対主義かなどという
「論争」など知ったところで歴史の真相について何一つ理解することが出来ません

明治維新は有史以来はじめて国民国家「日本国」が誕生した瞬間ととらえても
よい瞬間でありました
古代からのつながり云々は民俗学的歴史の始点であり明治維新とは関係ありません
明治維新ではそれらはイデオロギー(レトリック)として利用されているに
過ぎないのです
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 10:53:17 ID:L0Tv2uaK0
開明的な民主主義者であるなら明治維新を日本国のはじまりとして
とらえなおすことが必要です

民俗文化論として日本的な文化の塊の生成や様態について論ずるならともかく
(それにしても「日本文化」はそのルーツにおいて一様ではなく
ポリネシア・インドネシア・ベトナム・現中国内各国・台湾・朝鮮とりわけ
蒙古など各様の文明の消化吸収体で明治維新直前まで言語風習に及ぶまで
全国的な統一性は存在しませんでした)
制度論としての日本国は明治維新によって初めて誕生した国であります
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 17:26:31 ID:8UM5nUybO
睦仁親王は孝明天皇…中山慶子から誕生

明治天皇は長州に作られた
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 18:08:43 ID:c3UeaVvS0
フランケンシュタイン博士乙
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:19:38 ID:an4CNDrX0
>>26
明治天皇は明治天皇のパパとママがエッチして作ったんだってばw
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/05(火) 21:23:28 ID:mRuDWKc40
26
そんなこと根拠が証明されたわけじゃないのだから
夢中になって宣伝しなくても良いよ
たとえそうだとしても明治維新の性格は何も変わらない
明治維新によって歴史上初めて「日本国」が成立したということだ
それ以前に日本国があったことは一度もない
天皇制もこのとき初めてできたものですよ
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 06:41:07 ID:ue0Z1vuE0
明治政府が特定の富裕層の後ろ盾で守られていたわけではありません
官軍の徴用(強奪)と植民地主知的介入を目論む外国政府の後ろ盾で
なりたっておりました

国体とは女王蟻のように孵化させた天皇を取り囲む形でつくられた
この明治の「戦時共産主義」のような官僚政府制度のことであり
最初から鉄の官僚制による絶対主義的統治を前提に議会や民権が
後からくっついてきただけなのです
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 06:58:09 ID:+tJrAFCZ0
欧米文化マンセー、それまでの日本、アジア文化は野蛮で後進的という
自虐文化観を植え付け、アジア蔑視意識を根付かせたのが明治維新。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 09:04:06 ID:DlNfbimo0
31のように西欧文化に反発し「独自の文化」の優位性を主張するのは
ある意味では自然のなりゆきであります

どこの国の反統治権力勢力(野党)も
そのように「反」を掲げて「守旧の美しさ」を「中身(コンテンツ)」
とし、自分の主張の土台であると証明しようとします
アジアの民族独立主義的○Xイズムや反米社会主義、欧州のファシズム、
最近のイスラム原理主義などもこれであります

しかしこうした認識のしかたは誤りで、歴史認識を政治闘争にすりかえるための
プロパガンダにすぎません
実相に即した歴史の認識にせまろうとするならもっと徹底的に「構造的に」
客観的にならなければなりません

明治以来日本が「欧米文化マンセー」を国是としてアジア的なものを
後進性として遠ざけたのは欧米植民地主義の十字軍的イデオロギー
すなわち、欧米キリスト教文化=先進、他地域=後進=被教化地域という
欧米人の社会観を逆手に取り入れ、日本人だけ欧化=先進だから侵略対象で
はないというレトリックをつくりあげたためなのです
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 09:12:28 ID:DlNfbimo0
歴史はもっと広く深く認識しなければなりません

民俗分化史的な観点からこの問題をとらえると
明治維新の支配官僚たちのもののみかたの中に八世紀以来の素養が
生きており(本居派国学の影響)

「日本は反中国によってのみ日本たりえる」現実を直視していたからにほかなり
ません
日本は「中国マンセー」と唱えた瞬間その独自性を喪失し日本は日本ではなく
中国の一部となります
また、そのほかの「アジアの国マンセー」と唱えることは歴史的には中国が
けっして許容しませんでした
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 09:22:16 ID:DlNfbimo0
もちろん中国などという数千年にわたり統一され普遍の国など
あったこともないし厳密には中国なるものもたかだか数十年の歴史を
もつ国家にすぎません
ここでいう中国はその時々の大陸中国地方の覇権者のことです
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 09:44:52 ID:sIFqmY240
構造主義の文化論の中ではアジアやアラブが野蛮で後進的などということはありません
また欧米が先進的で特別に優越しているなどということはありません
ただ対比的に存在しているだけです

しかし、日本は明治維新によって中国とは異なるアイデンティティーの
確立を宣言し、欧米的であろうと決意し努力をしてきました

そして西欧化を国内にとりいれるという苦しい作業を厭わず頑張ってきました
それは婦人が猿股をはき肉を食らうことであります
みずからの生理的なレベルでの葛藤をのりこえる壮絶な努力でありました
わたしたちは先達がなぜそのような努力を費やしたかの内的な情熱をも
理解しなければなりません

単純に「アジア」にはなしをゆりもどしてはいけません
それでは反戦主義=コミンテルン社会主義のスローガンや
原理主義的政治主張におどらされるだけのような気がします

さあ明治維新の新しい位置づけを踏まえて日清日露戦争から太平洋戦争
そして朝鮮戦争からベトナム戦争を経て今日の日本論を再構築してください

36園児:2006/09/08(金) 20:46:10 ID:BSybxv8A0
伊藤とか福沢とかって、アメリカ外遊して
共和国制がトレンドだと感じ取って、帰りの船で
「立憲君主制やってるオレたちって古くね?」
と議論したらしい。定見ないのお。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/08(金) 22:15:57 ID:6X0TnTtH0
尊王派でのし上がったてまえ共和主義へののりうつりは難しかった

もともと無定見、権力闘争に勝ち抜くことしか考えてないプロの
政治屋たちだから共和主義への変節くらい軽いのだが、できなかった
なぜならおったてものの天皇をどうやって整理して誰をリーダーに立てるかの
アイデアが出てこない
結局、立憲君主主義でいくしかない

この権力目的であってリーダーシップが目的でない日本の民主主義の限界と
なってその後も長く尾をひくことになりました
また、ドイツ法(大陸法)系の国家体制に傾斜せざるをえなくなり
日英同盟にヒビ割れをいれ、松岡や白鳥のような観念主義者の誕生となり破滅へむかうことに
なる

おまけに
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:01:45 ID:12B3MLT00
>>37は馬鹿なのか?それとも歴史を知らないのか?
とりあえず勉強しなおしてこい。いろいろ間違っているよ。
間違い多すぎて説明もできないほどだw
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:06:42 ID:LB5LP7dv0
明治維新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

明治維新(めいじいしん)は、明治初期における日本の政治体制革命の総称。
英文名称は"Meiji Restoration"または"Meiji Revolution"。一般的に、明治
維新は革命ないしそれに類するものと認識されているが、革命と見なさない歴史観
をもつ者もいる。

江戸幕府による幕藩体制から、明治政府による天皇親政体制の転換と、それに伴う
一連の改革をいう。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・
流通・産業・経済・教育・外交・宗教政策など多岐に及ぶ。
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 02:12:11 ID:LB5LP7dv0
改革の影響など

明治維新の諸改革は、新たな制度で生じた矛盾をいくらか孕みながらも、
おおむね成功を収め、短期間で立憲制度を達成し、富国強兵が推進された。
その評価は日清戦争・日露戦争における勝利により飛躍的に高まり、諸外国
からも感嘆・驚異の目で見られるようになった。特にアジア諸国では明治
維新を模範として改革や独立運動を行おうとする動きが盛んになる。
ただし、その多くは明治維新が行政制度のみならず教育・産業・金融などを
含めた総合的な改革であったという本質への理解には及ばず、形だけの改革
や一部いいとこ取りの「上からの改革」に終始したため、成功に至った例は
少ない。朝鮮における壬午事変・甲申政変や、清の戊戌の変法の失敗などが
典型である。


41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 08:52:55 ID:95nTFih60
矛盾をはらぬばかなって・・・・・へんな言葉がはいっているね
矛盾をはらみながらってなんだい
こいつらいつも自分だけ利口ぶって「矛盾をはらみながら」だ…
こんなバカが書く歴史や辞書なんて読むなよ
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 07:20:01 ID:3aijBYY+0
些事に拘って偉そうなやつはダメだ
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/18(月) 20:24:39 ID:zHePBH840
日本の歴史で一番誇れるのは明治維新じゃね?
有色人種で初めて近代化を達成したんだぜ。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 09:24:30 ID:F4Yjsfep0
近代化を達成ってなんだろねえ

近代を知ってる俺たちには近代化のメリットを判断できるけど
近代も知らない連中がどうして外国の服を着て自分たちの食文化ではタブー
とされている食いものを食い外国人にあわせた接待を展開したの
先方は和服での接待のほうが面白かったと思うけどね

(はじめてステーキ食うのは芋虫食うよりきついよ)
ーちなみにパキスタンに豚肉食わせればみなゲーってアゲチャウー
ようするに西洋コンプレックスだな

45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 09:33:42 ID:F4Yjsfep0
「文明開化」とは自分たちの文明を捨てて
西洋の文明を日本の土地の上に開花させようとする考え方だね
こんなこと教養ある文化人にはできない
これが明治維新
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 12:46:04 ID:pmkSyrIt0
第二次大戦が終わるまでは非白人の文化なんかウンコだからな。現実政治のつらさよ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 13:52:17 ID:0kGH54VG0
明治維新の大きな目的は、近代化(西洋化)することで西洋の植民地になることを防ぐことだ。
それさえ知っておけば大丈夫。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 14:44:40 ID:F4Yjsfep0
なめられないようにかたちを整えるということだね
和魂洋才ってすごいよな
和の思想なるものがあって洋装にくるんで外人には見えないラップの下で
西洋とは別の目的を追求するってってことか

ところで和の目的ってなんだい
ひたすら和することかなあ


49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 15:06:34 ID:FWrby6ps0
色々な考え方はあるだろうけど、一つの分類方法として、
東洋思想=精神文明
西洋思想=物質文明
というものがある。「精神世界を尊重しつつ、物質的な豊かさを保つ」
というのが、明治期のイデオロギーだったのだろう。建前的に。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:31:34 ID:z6sEYfOCO
>>45
李朝と並んで世界最貧地域のひとつだった幕末の日本に、
教養ある文化人なんかいないでしょう。
儒学とかいうカルトの狂信者ならたくさんいましたけど。

それが昭和のはじめに息を吹き返した結果が、
例の大戦での一連のお粗末ですよね。
足利義満の時代もそうでしたけど、
いつもこの国は冷静に現実を
とらえることのできる売国奴が作り上げ、
その上にのっかって自らの力量を見誤り
オリジナルコンプのウリナラマンセーに陥った
国粋主義者が台無しにしてくれますよね。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 17:45:14 ID:0kGH54VG0
>>50
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   ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|   r‐ィt- '" /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
   ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|  /,彡彡}  ,!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;

      ツレマスカ [Vladimir Tzlemazka]
        (1915-1997 ロシア)
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/19(火) 23:38:36 ID:k+i5wMBtO
阿片戦争が起きたりペリーに開国させられたりと、日本も植民地化の
危機に瀕し、攘夷する必要に迫られた訳だ。この時点で他の選択肢は
あり得ないわな。
しかしながら、日本全体でまとまるという感覚が武士連中には無く、
なんか接着剤はねーかと思い悩んだ末、
そうだ!天皇がある!
「尊皇攘夷」思想の誕生だな。
で、なんやかんやあって天皇中心の政権を立ち上げたんだが、
日本全体でまとまるという事は、全ての日本人が自らを日本国民で
あると自覚できる体制、つまり国民国家(≒近代国家)でなければ
ならんと、納税・教育・兵役といった義務を均等に割り振った訳。
という事はすなわち、俸禄や武装などの権限を武士階級から奪う
結果を招くんだけれども、クソ真面目にも、下級とはいえお武家様達が
自ら、実行に移しちゃったんですね〜。
明治維新を評価するとすれば、このクソ真面目さ加減じゃないですかね。
どこかの時点で間違えてたらたちまち植民地。


ちょっと、はしょり過ぎたか?補足・反論はご自由に。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/30(土) 21:53:02 ID:s7nmvqDC0
どうして植民地になったかというと、まず軽く門をひらく
次に適当に仲良くする、おいしいものをもらう、お友達になる
いっしょに金儲けしようよと持ちかけられる、周りのバカなんか相手にするなよ
とささやかれる、俺たちとつきあおうぜと居丈高に迫られる
そして囲われる、周りの連中はアヘンづけにされて奴隷状態になるんだよ
日本も植民地化される危機だった
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 07:49:16 ID:TZWuhzun0
>>53
開国した途端に経済的な植民地化になってたよ
不当な換金レートに関税自主権が無い。
産業革命して機械による大量生産能力を持った欧米。
無尽蔵に生み出される商品を、無尽蔵に買ってくれる相手が日本。
なにしろ日本の関税が欧米の思いのままなんだもん。
庶民の生活は経済的に破壊されて庶民は一揆。下級武士は攘夷運動。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 08:34:35 ID:wGT7xGLuO
だから、開国派vs攘夷派って見方は的外れなんだよな。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 13:31:03 ID:y/t1AXZl0
結局開国したけれどその途端に植民地にはならなかった

その理由は日本人がケッコウまともで(西欧仮装して肉も食う)民度が高く
騙しにくい、
おまけに武器は豊富で西洋式軍隊までもっている
船に積んで上陸させたぐらいの軍隊では屈服させられそうにもない

こりゃあジックリいくよりほかにない
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 13:33:37 ID:y/t1AXZl0
ケッコウ統一していて外国と組んで君臨しようとするヤツがいない
こともあるな
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 22:23:09 ID:uO0UYXG00
長州征伐の時に、幕府の一部勢力にフランス軍の協力を得ようという考えがあったけど、
やはり幕府内の別派閥に反対され頓挫した。
鳥羽伏見の時は、薩長がイギリスに掛け合って、諸外国を局外中立にさせた。
幕府方も勝海舟らがフランスの介入を阻止している。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/02(月) 09:35:01 ID:X6ytxhTo0
そう列強の介入阻止については勝海舟と西郷の役割が大きい
明治維新を成功させたのは勝ー西郷の愛国連合
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 20:04:33 ID:mJrnqIJXO
そこは実に危なかった。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 22:58:40 ID:ty3sYnyg0
鉄道などの外国資本を入れなかったのも正解だった。
イギリスが幕府に汽車のミニチュアを見せて、資金はイギリスが出すから作ろうという申し出を幕府は断っている。
明治政府の同じように、イギリスから持ち掛けられたが、工事技術者だけを高給で雇い入れて、
鉄道そのものは日本の資本で作り上げた。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 23:06:49 ID:I38MnRyu0
蒸気船ごときでは兵員輸送力が乏しく
欧米は侵略したくてもできなかったんだよwww
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 23:57:55 ID:ty3sYnyg0
ハァ?
中国は蒸気船で運んだ兵隊で屈服させてますが。なにか?
アフリカ各国も蒸気船で運んだ兵隊で屈服させてますが。なにか?
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 09:23:49 ID:PfyLiYmS0
中国ちがい

中国という中央政府の下に組織化された国家が存在したわけではないことを
忘れないで
「中国ウン千年」とか何逝ってるかわからない嘘八百

中国は屈服させられたんじゃないです
国をうりわたしたんです
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 20:04:23 ID:Mdgaywks0
阿片戦争で抵抗してまつが。なにか?
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 10:28:30 ID:EV3ZA/wc0
>62
高利貸しの金を借りなかった意義はおおきいよ
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 10:32:40 ID:EV3ZA/wc0
>12訂正
勝は偉大(えらい)

伊藤はそのとおり
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 10:34:27 ID:EV3ZA/wc0
二人の時代が1世代づれている
勝・・明治維新時代
伊藤は明治国家の形成時代
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 10:36:57 ID:EV3ZA/wc0
>65
外国の侵略戦争に対抗して軍事的にもちこたえられない
あるいは持久戦ができない国は国家の体をなしていない
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 10:38:59 ID:EV3ZA/wc0
ちょっとおどされたらすぐ国益をほうりだしたらだめ
勝海舟は20回死にそうになったそうだけど大儀を放り出さなかった
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 16:04:28 ID:21B8kYTV0
戦わずに条約を結んだことがよかった。アヘン戦争などの情報を得ていたから。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 20:42:30 ID:nXRojXtO0
>>69
いや、あのねあのね
>外国の侵略戦争に対抗して軍事的にもちこたえられない
その外国の軍隊は、蒸気船輸送されたもので蒸気船の輸送力はすごいよねって話しなんだけど。
論点わかってますか??
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:12:45 ID:mxlsczJI0
国が統一していれば
引き入れた後人民戦争(レジスタンス)で勝てますよ
おばさんがヤラセルふりして反対に一突きとか…

外国が支配しても自国の暴君が支配してもおなじだっただけだよね


74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 15:17:31 ID:mxlsczJI0
72は生産力信仰

社会進歩=蒸気機関車という社会進化論

異民族がなんでもできるほど人の世の中甘くない
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 20:22:52 ID:ppVJEoFP0
生産力のある国が最後に笑うのですよw当然じゃないですかww

 by.ルーズベルト
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 18:01:10 ID:pCRk2uBU0
まちがい
文明も技術も直線的に進化するのではないですよ
当然に後退や退化もあり
天変地異や戦争による石器時代への逆戻りだって十分考えられるのです
(アーミテージがパキスタンを石器時代に戻すと脅しました)
生産力のあったギリシャやエジプト、ローマだって下層階級に乗っ取られ
生産力の低い騎馬民族に国をのっとられたことなど数えればきりがないでしょう
ぜんぜん当然じゃないですね
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:46:17 ID:8+ZiLgRT0
>>76
ほとんどコジツケの理屈だなw
漏れは生産力の高い方が勝てるとはいったが、生産力だけで絶対に勝てるなんていってませんよw。
質より量の方が勝てるなんて断言した覚えもありませんねぇw。
質の高い物(知的文化や兵器、食料など)を大量に生産できる国は強いのですよ。いろんな意味で。

でさ・・・必死に論破しようと噛み付くの勝手だけどさ・・・
元々の論点は「中国を蒸気船の輸送力で運んだ兵隊で屈服させた凄いよね」って事で、誰も生産力なんで論じてません。
全然生産力なんて関係ないでつけど??。君はアフォなんでつか??。
それとも、論破できないネタから摩り替えて論破できそうなネタに論点移そうとしているのでつかね?。
ま、理屈がほとんどコジツケだから意味無いけどさw。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/07(土) 23:51:23 ID:8+ZiLgRT0
>生産力のあったギリシャやエジプト、ローマだって下層階級に乗っ取られ
>生産力の低い騎馬民族に国をのっとられたことなど数えればきりがないでしょう


 どっちにしろ勝った奴らは凄いよねw。
 眠れる獅子中国を屈服させた外国軍は凄いよねw
 その兵力は船ので運ばれました。船って凄いよねw
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 09:00:22 ID:ZGW5rDhN0
眠れる獅子」はロシアのこと
当時の中国はチャン
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 11:18:33 ID:k2rKxmTq0
>>79
いい加減ウザイ
なんでもかんでも噛み付けばイイってもんじゃねーぞ
そういう事をやり過ぎると「粘着厨房」と呼ばれ嫌われるよ
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 15:12:01 ID:yiHqLWeb0
明治維新の意義なんてたいしたことないね
論じてるやつがたいしたことない
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/16(月) 22:43:15 ID:MFvSElPr0
>>81
それじゃ最初からこのスレ来るなw
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/17(火) 20:09:01 ID:972VIu5H0
明治維新とは絶対君主制を確立してアジア侵略にのりだした半封建的政治改革。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 01:34:21 ID:byvoKJGS0
>>83
釣れますか?
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 09:36:36 ID:c9x+ZXCb0
このスレも会津のバカが荒らしているのか
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/22(日) 19:49:16 ID:DcwzJD180
>>84
釣られろよ
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:12:49 ID:rWCil3Zn0
明治維新はクーデターで成り立った。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 22:16:32 ID:hd7449oj0
めでたいことだw
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:57:42 ID:5nGqZxlJ0
明治維新はドイツ、イタリアの統一と同時期で、米英仏露の列強に対抗するための
革命の一環だろう。その後、シナの辛亥革命、ロシア革命が続いて専制国家が
倒されていった。トルコでも西欧化の革命が起こっている。

 シナ、ロシアでは皇帝専制国家の代りに共産党専制国家になったが、これも崩壊
しつつある。近代世界史はマクロで見ると欧米先進国のあと(資本主義、民主主義、
自由主義)を追い駆けているということは間違い無いだろう。

 米英仏+日独伊+カナダがG7を結成して崩壊後のロシアが加わってG8に
なったことは偶然ではないだろう。次はシナがこれに加わるはずだ。

 第3次世界大戦が起こるとすれば、G7対シナ、ロシア、イラン枢軸になるの
だろう。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 17:55:55 ID:LGahytB3O
明治維新は封建体制を打破して
アジアで初の近代国家を樹立した
日本人にとって誇るべき輝かしい歴史ですよ
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 18:00:02 ID:LGahytB3O
明治維新のすごいところは
その主力が下級武士や地方の豪農、豪商など
封建制度上では下の階層の人たちが
主体となっていることですね。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 18:02:32 ID:iO2pppcoO
BCD-FL01 120
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 03:35:48 ID:hzpfEooX0
半島にかかわったことが、
今日のキムチ寄生虫を作ってしまった。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/16(火) 10:38:51 ID:ckw5vqj60
長州藩のあの反骨はどこから?
たった一藩で幕府相手に戦争するとは。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 11:14:14 ID:Evyw+aqg0
この視点が欠けていないか?
http://www2.2ch.net/2ch.html
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 17:12:50 ID:ecSn+p+2O
明治維新は明治天皇を利用して成り立った?
97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 17:59:56 ID:RbKV/vwQ0
>>96
限りなくそれに近いな
少し違うところは、明治天皇陛下自身も日本を救う意志を持っていらっしゃったことだ
トルコが立憲君主制に失敗したころだったから、アジアでひとつでも成功例を出しておかないと
「やっぱりアジアは劣等民族」という見方を定着させてしまう恐れもあった
あのころの明治政府は必死だっただろうな
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 13:22:36 ID:1xRVo/Zd0
明治維新の功罪
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history2/1132452428/


↑が埋まったのでこっちに合流age
99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 13:54:12 ID:x0uwaVkZ0
>>91
そのまま大東亜戦争の主体だねww
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/26(金) 19:29:40 ID:zBI5bOz+O
大東亜戦争の主体は、東北の百姓(軍部を媒介として政治に影響)と
財閥(政党を媒介として政治に影響)だぞ。
その証拠に、農地解放は百姓をおとなしくさせて
体外膨張をルサンチマンのはけ口にさせないためのものだし、
財閥解体はこいつらが利権を求めて体外膨張するのを防ぐため。
101財閥解体という幻覚を見た奴隷国民:2007/01/26(金) 19:58:27 ID:SFksw0on0
きみもまたおぼえておけ、2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。

、、、私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
http://zenkyoto68.hp.infoseek.co.jp/misima00.htm
情交の後、三島は福島次郎に問いかける、
「私にもしいざということがあったら、駆けつけてくれるか」
 「はい、行きます!その時には、電話か電報を下さい」、三島は強く頷く。
 福島はだが、間をおいてこう言った。
 「行くのは、行きます。しかし……その、いざということが、どういう内容のいざなのか、はっきりわかってから行きます」
三島はそのとき、
「風船がはじけたように、急にしぼんでしまったよう」な感じになり、「日本刀を袋に納い、
鉢巻をはずし、そこらをごそごそ」「片付けている様子だったが、いつの間にか、バスルームへ姿を消した。」 『剣と寒紅』福島次郎著
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
 共に起つて義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。檄文・三島由紀夫
http://sintarou.e-city.tv/hokanshoko/m07.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
・亀頭にたばこを押しつける皇軍憲兵大尉は終戦後、昭和12年から16年までの期間に
犯した罪状で米軍から戦犯として指名され謹慎していましたが、
しばらくして戦犯指名から解除され、その後、防衛大学の教師として採用されました。
年齢は50歳近くになっていたと思います。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 11:48:27 ID:ex+Evz8g0
「なぜ日本が圧倒的な外圧のもとで植民地化の危機を乗り切り、
資本主義化に成功したのか」という問題。
歴史、経済史の参考文献でこの問いに答えているのは、あるのかな?
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/28(日) 14:26:40 ID:AbXQJU3I0
現人神など認めん
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 00:50:42 ID:DFOzzhM40
今の日本がこうしてあるのも明治維新の革命が有ったればこそ!
世界史の上でも稀に見るたいへんにスムーズに革命がなされた。
新しい日本は明治に始まった。
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 04:41:43 ID:hm4l8rIj0
>>100
満州への移民で最も多かった県は長野県だよ。
永田鉄山も長野県出身だよ。
因みに右翼や軍部強硬派に流行った日蓮宗は鎌倉時代以来
地方武士や商人に普及していたものだ。
意外と北陸にも多いんだな。北一輝は佐渡の出だろ。
日蓮が島流しになったところだな。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/29(月) 10:04:59 ID:/cBarrHR0
よく聞くのは、西洋の科学技術を外国語のまま取り入れずに、
和訳して日本人一般に使いやすくしたことで、知識人のみの
物ではなく一般大衆までその技術を共有できたため、
輸入されたものを理解して独自で製品化することが早めにできた、
と聞きます。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 07:55:47 ID:/+HQ9IwuO
明治維新で多少とも気楽だったのは、
フランスの場合のように貴族と教会が国の富の大部分を占めるような異常な状態ではなく、
農家・豪商に集まっていたこと。
イギリスでジェントリに富が集まっていたのと同じだよね。
分配面を見直さなくてよかったから庶民の不満は比較的少なかった。
あとは労働力の創出だが、これは士族を没落させることによって得ることができた。
一国規模でみた相対的な富の集積だけが問題で、
これはイギリスのように他の国から搾取するか、
アメリカのように国土や鉱物資源などを次々に獲得するか、
ドイツのように保護関税をかけるか、
いずれにせよ明治前半の日本はどれも満足に選べないフラストレーションに絶えず晒されており、
このことが陸奥-小村外交ラインの大陸進出政策へ繋がっていき、
ひいては太平洋戦争の伏線になってゆく。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 17:30:36 ID:O7pWSygfO
大日本帝国憲法と第二次世界大戦は別?繋がりはない?
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 17:44:32 ID:M2hROpMW0
「抑々(そもそも)建国以来大化改革に至るまでの一千三百年間の日本国は
厳格なる意義を以てすれば、国家としてに非ずして、単なる社会なりき。
皇室は主権者としてにあらずして、只近畿数方里の地に於てのみ尊敬を以て
仰がれたる大なる家族なりき」
明治36年の「佐渡新聞」に掲載された一文です。
天皇制神話が、明治政府の創作であると主張するのは、21才の北輝次郎(一輝)です。

明治以前の日本人の殆んどがこの程度の天皇観だった。
明治政府は中央集権化を行うために天皇の神格化を進めました。
それは、欧米列強に追い付くために必要であったかもしれません。
しかし、それは同時に日本人の心を偏狭なものにし、体制批判の出来ないものにした。
戦前の日本が「天皇」の名で元に、冷静な判断の出来ぬまま、泥沼の戦争に進んで行った。
結局、敗戦でしか戦争は止めることが出来なかった。軍部の暴走もあるが、根源は
日本人に「天皇」と言う権威・神格に逆らえない「天皇教育」を押し進めて来た結果でもある。

戦後、「天皇」はその権力と共に権利すら奪われた。そうすることで、日本人の心にあった
天皇への拘束を断ち切ることが出来た。
今や、日本人は自由に天皇批判が出来るようになった。
その権威に恐れる必要もなくなった。
しかし、今も天皇を利用して、再び日本人を「天皇」の権威・神格で縛ろうと考える者
が現れる。
天皇を敬愛する者もいるだろう。その者は今の天皇の状態をどう考えているのだろうか。
なにも発言出来ぬが故に「天皇」の名を利用する者がいることに。
なぜ、天皇に普通の権利を回復させてやろうと思わないのか。

戦前は「菊花の御紋章に類似せるものまで厳重に取り締まった」と聞く。天皇を敬愛する者
が、断りもなく「菊花」を描いた車を乗り回し、騒音をまき散らし、周囲に不快感を与えて
も平気でいられるものだろうか。
天皇の権威を自己の目的のために利用することしか頭にない者達である。
天皇を真に敬愛する者もいるだろう。ならば、天皇のことを真剣に考えてみてはどうか。
最後に、中江兆民は「天の説」で「草木禾穀の果して人に益あらば縦(たと)ひ甚だ
蕃茂して天を制し雲を穿つに至るも猶ほ将さに益々之を養はんとす」と書いている。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/30(火) 19:42:24 ID:/+HQ9IwuO
>108
まあ一般的に言われているように統帥権干犯問題の後ろ盾に利用されたことは否定できんだろ。
しかしそういった形而上的論議と連関しつつ、
ゴーストップ事件のような権力闘争も起きている訳で、
実際は軍部による権力簒取はこうした法解釈や学理上の論争と、
具体的事象に対する闘争活動の両輪によって実現されていったとみるべき。
このメンタリティだけは戦後にも残って新左翼運動を展開して行く。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/31(水) 07:58:02 ID:NH8ywmANO
>>106
有利だった点は多いのだが、
まず平仮名を使用できたこと。
単純な表音文字があったお陰で、
ラテン系語族の読解力も比較的早く身についたし、
庶民にもやさしく伝達することができた。
それから早くから漢文の文法をかなり法則的に捉える慣習があり、
それも語学修得のメリットになった。
ただ、発音だけは難しかったようだ。
日本語には同音異義語が多いが、
母音・子音とも豊富とはいえず、
母国語にない発音及び表記をするのは困難を伴う。
表記ゆれや困難な発音を嫌う結果、大量の造語や新しい割り当てが生まれた。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 19:53:57 ID:EJKTb4RwO
外国の書物を日本語で読めるため制約として外国語が苦手な日本人が増えたともいわれている。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 20:07:39 ID:8U3oa+UeO
英語やドイツ語の文献の邦訳は、
いかにも屁理屈をこねてるような回りくどい日本語になる。
>>111の指摘するような利点もある反面、
日本語は深遠な思考には不向きでもある。
下層民の知識や労働水準は諸外国に比べ優れているのに
上層民のそれは欧米に遠く及ばないのは、これと関係があるのかも。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 20:11:06 ID:uRZthe6i0
始まりは明治政府。
終了は日米戦争。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 22:41:59 ID:AcABq1eN0
薩長+徳川残党勢力による徳川政権継承・乗っ取り
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 22:47:08 ID:AcABq1eN0
>>109
>明治政府は中央集権化を行うために天皇の神格化を進めました。

しかも、その天皇を名乗る人物が大室寅之祐だったというから性質が悪い。
しかし、考えてみると神格化する人物が同郷の長州人だからこそ出来たのだろうな。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/03(土) 23:59:09 ID:SDb2i4kR0
(´,_ゝ`)プッ
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 01:27:41 ID:B8Mrx9NGO
議論のレベルが低劣化すると伸び始める近代史板
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 02:20:13 ID:/C6H7m9/O
>>118
幕末ネタと日露・大東亜戦争ネタという厨房の巣窟を
日本史板から隔離するために作られたのが近代史板だろう?
その目的も虚しく、ID制を嫌って未だに日本史板には
幕末ネタや日露・大東亜ネタのスレが乱立してるけど
(しかも露骨な重複スレが多数)。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 05:20:10 ID:mPMLKt2L0
幕末・明治の歴史は比較的理解しやすい
しかしそれ以降になるといくら本を読んでも納得しきることができない
なぜだろう
121名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 09:02:48 ID:B8Mrx9NGO
近代史という隔離は失敗だったな
日本史板の方では邪馬台国と信長スレが乱発して最悪。
日本史好き板と日本史学術板みたいな分け方の方がよかった。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 10:56:10 ID:4kNhn4Sa0
意味ないよ
結局、会津厨が薩長叩きしつつ会津同情者を増やしたいだけ。
多くの人を厨房かさせたいので、幕末ヲタが集まりそうな所でスレ重複乱立。
学術とかただの歴史好きとかは関係ないしな。
知っているか?会津バカは地域板観光板でも同じような薩長叩きスレ作ってるぞw。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 13:28:28 ID:mPMLKt2L0
五箇条のご誓文の第一条は民選議院の設立を意味していたんでしょうか?
それとも単に太政官での参議による合議のような形を意図していたんでしょうか?
124名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 14:04:09 ID:/C6H7m9/O
>>121
「幕末以降は近代史板で」という超明確な基準があっても
日本史板には幕末以降のスレが新規に乱立されるんだから、
そんな曖昧な基準では無意味。
日本史板も強制ID化するくらいしないと。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 14:04:25 ID:B8Mrx9NGO
>>123
列公会議を想定した草案だったが、
それすらも行きすぎた開明思想であるとされて最終的にあのようになった。
民選なんてとんでもないざんす、ってとこだろうね。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 14:25:05 ID:UZg6LmVT0
坂本竜馬の考えた議会制も
上院が大名、下院が大名の有能な家臣たちを選抜という形だからな
大名会議を前提に、そこに有能な家臣たちの意見も加える程度のもの。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/04(日) 17:05:04 ID:cQWGyC8a0
>>123
何の下準備もなく突然民選議員始めちゃったら
トルコの二の舞を踏むからね・・・
128名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 10:07:40 ID:7khIOWQ80
国民が民主主義政治ということを全く知らないのに
導入しても戸惑うだけだろうからね。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 15:10:35 ID:GI83b65E0
>>128
同感
戦後日本には大正デモクラシー期の民主主義の土壌があったから
突然20歳以上の男女に選挙権が与えられても
混乱が起きなかった
130名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 19:50:43 ID:HyZonPiD0
      ___
     /∧_∧ \
   ./  <ヽ`∀´>、 `、 池袋西口立教通りに本拠地
  / /\ \つ  つ、ヽ 極東会 東京都豊島区西池袋1−29−5
  | |  ,\ \ ノ  | | 松山眞一=曹 圭化
  ヽヽ  レ \ \フ / / 次の池田も朝鮮人
. 新宿 池袋 大塚の朝 鮮 人暴力団 極 東 会お断り
     ヽ、 ____,, /
 極東会は、北朝鮮政府から麻薬を輸入販売する正規代理
店です。最近も、拳銃や麻薬の不法所持で何度か摘発され
ています。同地域の店は、否定しても大概みかじめ料を支払
などの関係があり、少年少女や各店舗などを通じてその地域
で何か話せば情報は筒抜けになります。学生相手と同じだね
同地域の、キャバクラ バー 風俗店 1円ゲームなどは、
彼らの経営ないし影響下です。行かないようにしましょう。
 黒服や十五の金貸しや風俗嬢、キャバ嬢は彼らの目で
あり耳であり手足である香具師です。黒服は、昼は頭の軽い
女をスカウトしてAV【女優】やキャバクラ嬢、風俗嬢に仕立て
ます。夕方〜夜は粘着ストーキングや駅などでの見張りや
スカウト、キャバクラなどの客引きを主に担当します。
同じ朝鮮人の集団粘着ストーカー創価学会と連携します。
池袋西口には、彼らの本部があります。気をつけましょう。
 右翼団体も経営し、赤羽 町田 埼玉にも勢力を持ちます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E4%BC%9A
131名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 06:49:46 ID:0fFXwGLlO
封建制から民主制への過渡期。明治維新はそのような時代
132名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 08:50:55 ID:hNeztGBbO
明治維新の革命は世界史上でも稀にみるスムーズに改革ができた改革だそうです。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 10:46:04 ID:KMw0bw1b0
そりゃイギリスが用意した台本があったんだから
当然じゃんw
134名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 13:39:54 ID:u/kOccvj0
陰謀論が好きだね
135名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 16:29:57 ID:a8HIvERhO
明治維新は陰謀で成り立った
136名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 20:47:15 ID:sq0v5GcS0
陰謀以外の方法で成立した政権など存在しないw
137名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 22:38:28 ID:pDmUrxwQ0
>>133
でもトルコは失敗してたぜ?
両方イギリスより後だけど
138名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 09:45:53 ID:zqbT+H1mO
>>133
それなら日本はエゲレス風の制度になるか
エゲレスの属国になりそうなものだがそうなっていないのは何故。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 10:56:49 ID:NG5HNc/P0
会津人は無知で馬鹿だからイギリスの属国だと思っているらしいよ
140名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 12:37:24 ID:EtG1UfUK0
原理原則のない民のほうが時代に順応しやすいってこと。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:31:48 ID:wHmrlJwtO
>>140
民とは言っても、日本の民特有の性質っぽいけどな。

ttp://www.j-world.com/usr/sakura/japan/WTO.html
日本人の行動様式は(西欧キリスト教文明と違って)抽象的普遍的原則をもたず、
その場その時の権威に従う、というものである。
その例として、戦時中は日本軍の命令に自分の命を捨てるほど忠実だったのに、
敗戦と同時に、敵国占領軍に気味が悪いほど従順に従ったことが挙げられる。
そこで、リビジョニストの代表の一人ジェームズ・ファロウズ氏は、
「日本人の内的行動を変えさせる方法として残されているのは外部からの圧力しかない。」
しかも「圧力者が挑戦不能なほど強くなければならない」と結論を下すのである。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 13:43:58 ID:wHmrlJwtO
天皇教といういわゆる一神教の導入は、
社会や科学の発展に貢献したんじゃないかな。
一神教の思想は真理追求の姿勢を生み出すからね。
ほとんど地理的・気候的条件によって文明が支えられていた古代はともかく、
中世以降の文明地はアラブ→西欧→アメリカと
いずれも一神教の地域を経由している。

天皇をそれとする選択も、歴史的背景の無い日本に
一神教を導入するにあたっては効果的だったんじゃないかな。
神があまりに具体的な存在だと一神教の意味がないし、
かといってユダヤ・キリスト・イスラムのように
あまりに抽象的で説明のめんどくさい存在だと
日本人にはピンとこずに普及しなかっただろうしね。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 17:38:40 ID:3o/b5wNG0
>>142
なにか神道を勘違いしとるぞw
天皇制は一神教じゃないし。
天皇は単に日本の神々の中で天から地に降りた神「天津神」の子孫というだけ。

幕末明治前期ごろの「尊王思想」は、天皇を神と崇める事ではなく、天皇の為に働きましょうという意味。
藩が解体されたばかりの国民は国家意識が薄い。そうした国民に日本国民という事を意識させ、
統一国家日本への愛国心を求めるためには、天皇のような存在が必要だった。
つまり、明治政府は天皇を利用していたに過ぎない。
明治政府が議会制を始めた頃、議会が決めた事に対して天皇は逆らえなかった。
そういう法律を定めている。過激な尊王家(彼らは宗教的な尊王家)は、これは「天皇を政治の機関にしている」
と批判している。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/03(土) 18:28:33 ID:Wd/ZVZlv0
>>141
日本人が従うのは「その場その時の空気」であって、「その場その時の権威」ではない。
多数派の意見、コンセンサスに従う根っからの民主主義者。
(自由主義の伝統は少ないので、多数派の独裁になりがちだが)

>>142
伊藤博文は、「国家の基軸」に天皇制が必要といったけど、
あくまでも、国家統合の理由付けと、憲法体制の正統化のため。

既存宗教に介入して「一神教」を押し付けるつもりはなかった。
(そもそも、日本人には一神教を理解できない。ヨブ記とか意味不明。)
145名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 11:23:35 ID:+PZv+6uC0
江戸時代より、明治時代の農村が悲惨なことを言わない。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 20:08:59 ID:NeMZH6Le0
>>145
江戸時代には義務教育も国家が福祉事業もない。
明治時代からそれが行われ、国民全体の知識レベルを引き上げる事ができた。
君の言う「明治時代の農村が悲惨なこと」の具体的内容は、
「子供たちが学校に取られ、畑を耕す人数が減る=農民にとって悲惨」という事だ。

学校に言った子供たちが大人になり、学力を持った彼らが農地改良や機械耕作、品種改良を始めた事で、
最終的に明治の農業は江戸時代の農業よりも遥かに楽に生産量もアップさせている。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 21:39:02 ID:jU/h0VySO
会津は たしかに可哀想だけど
戦で負けて 大抵の有志は 会津を後にして 下北半島に移住しちゃったから 会津に残っているのは 民百姓が 多いんじゃないかなぁ
148名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 23:00:32 ID:WIcKysj50
>>145
江戸幕府は税金が取れなくて滅んだようなもんだったからね。

地券発行・地租改正という280年ぶりの一斉検地は、
当然、農家にとって増税になる。

でも、明治政府はその税金を有効に使ったよ。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 00:54:31 ID:oiljUa4jO
たしかに明治期に小作人に転落した百姓が大量発生したけど、
これはかつての搾取者であった武士を絶滅させたことの反動(西南役→松方デフレ)。
その武士は江戸時代事あるごとに地主の排除を行ってきたが、
それは単に中間搾取者に上前をはねられることを嫌ったため。
「胡麻と百姓は絞れば絞るほど出てくるものなり」
という江戸時代の政治哲学から容易に推測できるように、
江戸時代の百姓の生活はロクなものではなかった。
何せ、数十万人単位の餓死者を出す飢饉が頻発したにも関わらず、
百姓の遺言が何ら遺されておらず歴史の闇に葬られているくらいだから。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 01:37:33 ID:XRKF+NRf0
>>148
当時の検知は自己申告、従って殆どが過小申告。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 17:46:13 ID:N9sjhAH70
明治維新は何故明治革命あるいは日本革命という呼称に成らなかったのか?
英文では「Meiji Revolution」とも呼ばれている。
厳密には革命では無かったのだろうか。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 18:07:15 ID:o6Qa3jUMO
明治維新はクーデターで成り立った。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 18:33:16 ID:W1H+t1170
>>151
>英文では「Meiji Revolution」とも呼ばれている

一般的には、英文では"Meiji Restoration"の表記が普通では?
どの本で読んだかは忘れたが、Reformを使用することもあるらしい。
(個人的には、RevolutionではなくRestorationだと思う)
154名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 01:52:49 ID:qRwmNT0T0
やはり、生きている人間を神と崇める狂信者を生み出したことと、
日本優遇しすぎがナチ化に繋がったのではなかろうか。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 17:34:18 ID:UIvdzpARO
日本はナチ化はしてないだろう。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 18:16:10 ID:qN0PWKSk0
 左翼は明治維新をなんとしても貶めたいんだよ。もう、戦前に与えられたテーゼの桎梏から逃れられないんだ、と云うよりもその枠内に安住したいんだろうな。

 学生時代は明治維新となると遠山茂樹が有名だったが、今考えると講座派のバリバリの人だったなあ。当時は服部之総や羽仁五郎あたりからの伝統芸が戦後の維新史の主流となっていたけど、現在の研究状況なんだろう?相変わらずかな。
 
157名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 18:39:13 ID:tIVUI0o80
>>156
>相変わらずかな。

遠山茂樹の「明治維新」は、参考文献には必ず今でも挙げられるけど
今はもう誰も読まない。三谷博「明治維新を考える」を参照のこと
158名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:36:39 ID:q54V7HWt0
>>1
殺害強迫の強い民族観を持つ日本は、近代化の手始めに被害者30万人以上である
とされる惨たらしい会津大虐殺を行った。
その後も、東北地域にホロコースト政策を敷いた。
例えば、「身売り」と言う名の従軍慰安婦、「出稼ぎ」と言う名の強制労働がそれを示している。
その後、反動として、2.26事件のような東北人たちによる内乱が起きるが、
失敗に終わる。
そして、他国すなわち、米軍という第三者の介入による解決を待たなければならなかった。
つまり、アジア・太平洋戦争の性格は米軍という第三者による、
日本人によるアイヌ系民族である東北人へのホロコーストからの解放であった。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 01:19:52 ID:yGk4Z7GJ0
「身売り」→政府の強制ではなく、東北人が自ら望んで売ったw
「出稼ぎ」→政府の強制ではなく。東北人が自ら望んで職場を求めたw

その後、反動として、2.26事件のような東北人たちによる内乱
              ↓
当時の軍閥は東条ら東北人が支配し、政治も彼ら東北人主導で行われていたw。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 23:00:36 ID:yGVE+qTH0
>>154
ナチ化してないって
161チャンネル桜が今日から無料放送に!!:2007/04/03(火) 01:22:30 ID:8ZasvqVt0

日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。

※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
       【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
       【土・日】21:00?24:00

http://www.ch-sakura.jp/index.html

162名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/27(金) 06:00:56 ID:9vwoUeMK0
>>161
んなとこで成長の家の宣伝機関の話題は要らん。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 02:21:22 ID:7DW8Z0UCO
明治維新の素早い近代化あればこそ
日本は西欧の植民地あるいは属国化せずに
済んだ。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 10:26:53 ID:8a7kKVUF0
こいつが一番悪い
   ↓
http://www.omosiro-flash.com/flash/peri.html
165名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 00:35:27 ID:QxMOOHPU0
田沼意次と蘇我馬子がいなければ、明治維新は無かっただろう。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 01:16:32 ID:9p1ua9s90
明治政府は統帥権を曖昧にしたまま。
日韓併合による財政難と汚鮮された日本。
最終的には日露戦争と満州事変と日中戦争と対米戦争。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 07:01:59 ID:jfgpjvyd0
>>166
それをやったのは明治政府ではなく昭和軍閥。
昭和軍閥の主だった人達の出身地は、奥羽越列藩同盟を作った東北人たちですが。なにか?。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 03:08:15 ID:NMulLF+v0
昭和初期からの軍閥の台頭は日本全体に責任が及ぶでしょう。
東北だけでなくて
日本人同士で一地域に責任を押し付けるのはどうも
疑問がある。
書き込んだ私は九州出身
169名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 03:21:37 ID:QwO27SxR0
まぁ、徳川の主張通り「幕府の権力を強めて日本をまとめる」じゃ
今の日本はフランスかイギリスかどっかの外国の植民地だったろうね。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 06:52:07 ID:WcCo3Eu90
明治維新の意義とは、私の理解で言うと
外国に負けない新しい日本国ですね。
それには徳川の政権ではダメだったと私は思います。
外国で文明を学んだ伊藤博文や井上馨達の時代だと思っています。
外国に低頭し、攘夷を行い、国内戦争も行い、最終的には
外国の文明を参考に富国強兵へ進んだのだと思ってます。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 19:34:17 ID:ugtvYxRTO
明治になって日本人に日本という
国家を意識するようになったのかな。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 01:20:24 ID:dHn6rIsw0
江戸時代に日本人という定義は無いぞ
いたのは会津人とか長州人とか江戸人。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 01:39:32 ID:SIA+gflN0
「江戸時代に日本人という定義は無いぞ」
→よく言われることだが、本当にそうだろうか。天皇という存在があることによって、少なくとも他国とは異なるという意識は形成されるはず。
 「日本人意識」が全く無かったのなら、欧米列強に介入されて植民地になっていただろう。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 02:44:14 ID:dHn6rIsw0
>>173
○○人という認識の世界で日本人という定義はない。
しかし国学によって日ノ本という世界(国家ではない)が神々によって作られ、
その地に住まう人々(九州から青森まで。沖縄と北海道は入らない)は神民という定義はあった。
日本は神の国で、他所から来る外国人は野蛮な鬼達。こうして攘夷思想が生まれた訳だが?。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 03:27:33 ID:S5gaJ9EB0
>>174
攘夷思想は維新の志士たちはやがて少なくとも欧米に対しては、
捨てることができた。敵わないことが分かったから。
しかしアジア諸国、特に朝鮮、次、で中国に見下す想いが
引き続いて残ったため今日、今なお残るアジアとの交流の
ごたごたの原因の一つと成っているかもしれない。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 06:26:20 ID:2H8BBqMI0
政治史と経済史と文化史をごっちゃにしてるから
話が整理されない。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 07:43:58 ID:q0mCSMvK0
>>176
それでいいのさ
現実の世界には政治と経済と文化が密接な関係をもって動いている。
どれも欠けてはいけない。欠けていいのは小説と妄想だけ。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 08:58:45 ID:/dmlph95O
>>175
中国・朝鮮を見下す感情は、
日清戦争での勝利を経て国民の中に自然発生したものだよ。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 09:52:43 ID:yoMiw8Cg0
>>175
向こうから散々見下されてたからね
>>178の言うように、日清戦争という「東アジアにおける主導権を握る国の交代」がおきたがゆえに
「価値観の逆転」を誘発し、中国・朝鮮人が日本人を見下していたのが、逆になったってわけよ
まぁ、それ以外にも「無秩序」で「無学」だから嫌われた面もあるけどね
国民のほとんどが読み書きできる日本とそうでない支那朝鮮では、こうなって当たり前だが・・・
180名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 13:02:30 ID:ImOaHF5S0
>>172確かに日本という国ではあっても他藩は他国だからね。
ただ、黒船来航以来、外国を知ることにより、日本人という
アイデンテティーは生まれたのかもしれないね。
特に外様の若い藩士はそうなんじゃないかな?
そうとう燃えたんじゃない?国家という思想が誕生したわけだし。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 14:31:41 ID:q0mCSMvK0
>外様の若い藩士
 いいや。藩に属する武士はさほどでもない。確かに一部の藩士に萌えた連中はいたけど。
どちらかというと藩に属さない浪士たちが萌え萌えした。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 17:35:45 ID:3OfoXxBK0
で、オマエは燃えないのか?
なんか燃えそうにないな。
燃え上がった所でヒョッコリ現れて
「俺も志士として頑張った」
みたいなツラしてそうだ。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 20:53:39 ID:pisRtB4w0
>「俺も志士として頑張った」
それは池沼のお前だろう
184名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 22:31:56 ID:+cMDp2dZ0
>183君が世に言うクソボケですか?w
185名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 11:46:36 ID:xvvidblcO
志士として活躍した武士は(時代が変わることに
気付き活動した武士)はごく一部で後の武士は明治になって何が起こったか
とひどく戸惑ったようです。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 13:23:02 ID:5ocTbMX50
鎖国から近代文化・富国強兵の発展。それが明治維新。
今更徳川主権の国を作るなんて迷走だろw
187名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 19:12:07 ID:xvvidblcO
誰も武士の時代に戻ろうとは思ってないだろう。ヽ(゜▽、゜)ノ
188名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 19:48:18 ID:93bhJeei0
え?だって会津ヲタの人は武士の素晴らしさと明治維新不要を説いていらっしゃいますが?
189名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 10:31:27 ID:6Q4tnUMDO
>>188
だからといって今の日本を封建社会に戻そうなんて
思っているわけ無いでしょ。武士道という心を大切にしたいのでしょう。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 11:44:13 ID:CeaGTPvS0
>>189
そうやって精神だけを大切にして起こした戦争が太平洋戦争だ
武士道ったって現代人の言う武士道は明治以降に作られ広められた武士道だって事を忘れちゃいけない
191名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 14:07:09 ID:BR4bzwaf0
幕末から日本人という概念ができたんだよな。
若い奴等は心高ぶっただろうね。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 14:36:56 ID:CeaGTPvS0
そうなのだ
そして国民意識を高める為に新たな武士道が作られて広められた。
現在、武士道と言われているもののほとんどが昭和軍閥が広めた武士道。
軍閥の頭目連中の多くが東北出身だから、会津藩や白虎隊の敢闘精神を奨励した。
太平洋戦争がほとんど「精神力だけを頼り」に始められた事を思えば、会津厨の言う武士道の弊害いかばかりか。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 09:29:31 ID:5recxl4y0
明治は外国の文化を取り入れた富国強兵の第一歩
194名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 19:09:32 ID:NISeHAh/O
明治天皇を利用し皇室をダメにしていった明治政府。



195名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 21:08:37 ID:GtewkrzZ0
>>194
天皇は鎌倉幕府の昔から利用される為だけに存在していますが?
皇室がダメになったのも鎌倉幕府の頃からですが?
なにか?
196名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 23:27:37 ID:3DpwWWpA0
>>195
>皇室がダメになったのも鎌倉幕府の頃からですが?

その根拠は?どうせ何にもないのでしょう…なぁ、電波君
197名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 23:45:24 ID:GtewkrzZ0
>>196
お前は馬鹿か?
朝廷がダメになってなけりゃ、天皇の家臣である平氏と源氏の騒乱ぐらい治められただろ
源頼朝がなぜ京都を離れ鎌倉に幕府を開いたのか?。中学校の歴史の教科書嫁w
198名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 02:15:39 ID:DVyglPBK0
逆に考えれば明治天皇とその元老たちがドライな関係だからこそ日本の近代的発展はあったわけだ。
相互に補完する関係だからね(天皇は権威を高め、元老はそれを利用して権力を得る)。
これが元老がいなくなる昭和期になるとどうなったかはご存知の通り。
近代国家としての日本の発展を考える上でこの両輪が働いたことは否定できない。
むしろ皇室の権威を高めすぎた(そして利用しすぎた)が為に、維新の元勲がいなくなったとき
日本の政治システムは機能不全に陥ったとも言えるのではないかね?
199名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 11:21:24 ID:Qyx8y7Ub0
とうとう会津厨が天皇まで持ち出してきたよ・・・。
社会主義の現状を知った左翼が、論点を慰安婦に移行した時に似てるねw
200名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 14:23:06 ID:xGQUt5LM0
確かに会津厨と左翼って通じる面があるね。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 23:05:18 ID:huv5jmH10
そうか?どっちかっていうと右翼だろ
真の勤王は会津と言ってみたり、身分制度武士階級マンセーだし
202名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 23:42:22 ID:tAq4Xsnf0
今の日本のウヨとサヨの概念自体が特殊だからな。

韓国とかだとウヨは親米反共で国家意識が強く、北朝鮮を主敵とし
対米追随こそ韓国を守れる手段だと叫ぶ輩。
逆にサヨは反米親北で朝鮮民族意識が強く、北朝鮮を民族同胞だとし
米国こそが民族分断の敵だとして、民族和解と反米共闘を叫ぶ輩。

よーは、ウヨは「韓国」とゆー国家至上主義
サヨは「朝鮮民族」とゆー民族至上主義だし。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 11:25:21 ID:a5sBFezF0
200が言う左翼ってのは誇張と捏造を指してるんだろ。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 16:26:33 ID:EkhmSbUo0
>>1 明治維新とは250年振りの日本の政権交替だ。

 維新後の日本は日清、日露戦争で清国、李氏朝鮮、帝政ロシアを崩壊させて、
満州国を作り、シナを支配しようとして欧米露と対立し、ヨーロッパで東欧を支配
しようとしていたドイツと組んで、米英仏と戦争したが、日独伊はまだ米英仏に
対抗する力が無かったため、叩き潰されたが、米英仏+カナダとともに日独伊は
G7として先進国になっている。

 ロシアとシナはまだ先進国グループに入れない二流国家のままだ。

205名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 02:06:38 ID:bFgzGopK0
>>204が何を言いたいのかよくわからないが、
日露戦争で清国、李氏朝鮮、帝政ロシアを崩壊までが薩長中心の明治政府。
満州国を作り、シナを支配しようとして欧米露と対立し、ヨーロッパで東欧を支配
しようとしていたドイツと組んで、米英仏と戦争したが、日独伊はまだ米英仏に
対抗する力が無かったため、叩き潰されたのが東北人を中心として政府を乗っ取った昭和軍閥がやった事だな。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 03:39:28 ID:62LFTPA/0
明治維新を勤皇というのは、真実ではない気がする。確かに、それは建前ではあったけれど。
大日本帝国憲法下であっても、所詮天皇はお飾りでしかなかった。それが証拠に、実際明治以降に政治の実権を握っていたのは天皇ではない。

ちょっと話がそれたが、明治維新は諸外国の来航をきっかけにして、家康が心配していた通り、外様の毛利、島津が徳川幕府に対して反乱を起こしただけのこと。
薩摩、長州と呼ぶからわかりにくくなるけどね。薩摩=島津、長州=毛利、なわけだから。
そう考えると、家康の先見の明は凄かったな。彼の予見した通り島津、毛利の連合軍が徳川を打ち倒したわけだから。
207名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 07:19:03 ID:mkuYbDPs0
勤皇が=で天皇が実権を握ること、では無いと思う。
天皇というよりも天皇を中心とした朝廷が実権を握ることとしたほうが正しい気がする。
後、天皇をお飾りとすることと尊皇であるかどうかは別じゃないか。
天皇を敬っていた政府の人間はたくさんいるが、彼らは天皇に実権を握らせようとは思っていなかった。

>家康
家康が防長二州に毛利を押し込めたことは幕末になって、幕府にとってマイナスになったけどな。
下関という北回り航路の要を握られてしまい、特に第二次長州征伐以降、対岸の小倉まで手中にした後は、
何時、下関を封鎖され、米が届かなくなり、京阪の物価が上昇するか解らなかった。
実行はされなかったが、実は長州側には下関を封鎖して経済的に混乱を引き起こすという案まであって、
そういう意味で経済的な要である下関を毛利に与えてしまったことは物凄いマイナスだった。
まあ家康の頃は北回り航路はまだ開発されていなかったから、家康の所為には出来ないが、結果的には不味かったな。
もっと僻地に飛ばしておけば良かった。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 07:52:38 ID:VdYUpk+K0
>>206
真性の馬鹿ですなw

>明治維新を勤皇というのは、真実ではない気がする。確かに、それは建前ではあったけれど。
 御所から外に出た事が無い天皇や朝廷に実権を握らせ、欧米列強とまともな外交ができるとお前は信じているのかw。

>大日本帝国憲法下であっても、所詮天皇はお飾りでしかなかった。
 幕府は本来天皇の軍隊で、将軍は臨時に天皇権力を代行する立場だが、
徳川家康をはじめ徳川家はそうであったかw。徳川幕府政権下の天皇もお飾りだろw。

>外様の毛利、島津が徳川幕府に対して反乱を起こしただけのこと。
 薩長だけと確信している所がイタイなw。佐賀藩は?土佐藩は?。紀州徳川家と尾張徳川家がなぜ薩長に組みしたの?
連中は天皇の為に徳川宗家に敵対した訳じゃないんだけどw。

>家康の先見の明は凄かったな。彼の予見した通り島津、毛利の連合軍が徳川を打ち倒したわけだから。
 本当にモノを知らない奴だなw。関が原で痛撃を与えた毛利と島津は警戒してはいたがそれほど恐れられていないよ。
家康が真に恐れ幕府を倒すものと見ていた外様大名は仙台伊達家w。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 11:01:30 ID:Md0EEXlP0
確かにアテルイ以来の東北と中央政府の対立があって
東北が史上はじめて中央を占拠したのが226以降の昭和軍国時代といえるな。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 16:07:48 ID:0a1D19BA0
どうでもいいじゃんトーホグなんて
211名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 17:06:43 ID:VdYUpk+K0
どうでもいいんだけれど、トーホグ人が妙なネタで挑んでくるからさ。
降りかかる火の粉を払っているだけさ。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 18:41:48 ID:IQSwSw4O0
統帥権を天皇、内閣で発議、国会で決議することを憲法に明記すればよかった。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 00:06:41 ID:V3Y3LWEf0
妙なネタでなくて、完全なる誇張でしょ。あいつ等パープリンだから。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 00:20:20 ID:fy8r7kjS0
>>208
何か単なる知識オタクだな。ひけらかすことに快感を覚えていないか。
でもその前に、もちっと国語の勉強をした方がいいよ。
別に、細かいことをイチイチ書いていないからといって、重箱の隅をつついてもな。

>欧米列強とまともな外交ができるとお前は信じているのか
別にそんな議論はまったくしとらん。ただ、勤皇でも尊王でも構わんが、そもそもの天皇中心の国家はそうだった、というだけ。

>徳川幕府政権下の天皇もお飾りだろ
そうだよ。誰も否定なんてしてないじゃん。一応、将軍は形式上は天皇の臣下だしね。
私が言いたかったのは「明治維新」前後で、徳川中心が薩長中心に変わっただけ、ということ。

>連中は天皇の為に徳川宗家に敵対した訳じゃないんだけど
別に尻馬に乗った全ての連中のことを細かくことが重要ではないだろう。別に薩長だけではなくとも、戦闘の実力において彼らが中心勢力であったわけで、それを代表して書くのは普通だろ。
紀州、尾張は別問題。徳川宗家に敵対したわけではなく、水戸への反発なんだからさ。

>家康が真に恐れ幕府を倒すものと見ていた外様大名は仙台伊達家
どれが一番かの議論の場じゃないだろ?警戒していたone of themが倒幕した、というのが趣旨なんだから。
さすがに、紀州、尾張が倒幕の中心だったというのなら反論としては意味があるけど。

とにかく、国語の勉強をしてくれ。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:49:42 ID:xsRp4fG/0
>>214
他人に突っかかる前にお前も日本語下手だよw
恥ずかしいからもうしゃべるなw
216名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 05:09:54 ID:cu2JVVTN0
>>198
最後の元老は西園寺は昭和にいた。
制度ではなく人による統治を言いたいのなら改革
した意味がないよ。人による統治ならビスマルク統治下の
ドイツ同様滅びる運命だったろうな。
元老は憲法体制下では制度外の立場だが、憲法以前には
参与参議と言う官位で国政の中心だった連中。これは律令制度下の令外官だが、
この影響が残ったものと言えるな。元老と言う立場は憲法体制下では
説明はできないが、藩閥政治を実行していたと言う現実から考えて、
明治以前の幕藩体制の意識から抜け出せていなかったのが明治の元老で
あり、ならば官位と言うものを重視していたはずだ。
もともと参与参議と言うことで天皇に意見具申できる立場と言うのが元老の
強味の一つで、これはなんのことはない明治以前の幕藩体制でも
貫徹されていた律令体制と言うことだな。つまり摂政や関白と同じく天皇に
近いと言う権威で支配していた。
ただ、問題はそれを令外官のように制度化しなかったことだ。
制度にできなければ個人の資質で終わる刹那的なものにしかならない。
701年の大宝律令直後の702年に参議が新設されたのと比べて、
憲法体制における制度の硬直性は如何ともしがたい。
これは明治政府の人材の限界を示していると思う。

硬直的な制度は必ず破綻するものだ。重臣制度が新設されたのが1935-40
年と言うことで事態が混沌として来た頃で時機が悪過ぎたな。
天皇の権威を強化維持しながら憲法との融合が実現できなかった点に
明治政府の限界があった。それを繋ぐのが元老のはずだったが、
官制や天皇制と違い元老だけは単なる呼称でしかなく、慣例と言う
ことならより明確に早期に制度化すべきだったろうが、多分地位の不安定さか
信頼のなさがそれを妨げたのだろうな。いずれにせよ、限界だな。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 05:19:21 ID:cu2JVVTN0
考えて見れば明治維新は大化の改新や鎌倉幕府や江戸幕府の
ように政敵を人的に抹殺して新設した体制ではない。
要人の処刑や断罪はあまりない。

この中途半端さが維新後の政府の地位を曖昧にし、幕府や律令体制の
ような明確で独自性のある日本にあった体制を創造できなかった原因と
考える。つまり政敵は下野しただけで残存していて、政府の不安定さの
原因だった。これが次期政権の独自な創造を妨げた。

明治政府最大の失敗は江戸城の無血開城だろうか。
しかし、なんとも日本的ではあるww
218名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 07:55:28 ID:xOACKVz10
批判するだけが一番簡単だよね
219名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 11:39:21 ID:/xcfWDps0
また敗残者の会津厨が騒いでるのか?
こいつらはいつになったら過去の呪縛から放たれるの?
薩長の人間でさえ維新はお国自慢なだけだぞ。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 12:34:04 ID:E1NPfYHH0
なんでも会津の仕業に見えるのはすでにデンパだと思うぞ。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 12:39:21 ID:xOACKVz10
と、会津厨が語った
222名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 17:19:06 ID:yoJ7DfOp0
電波ゆんゆん
223名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 17:49:32 ID:xOACKVz10
と、会津厨が語った
224名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 17:56:21 ID:Uj4tdVnQ0
>>220観光地が既に仕組みの元凶ですがな会津は
225名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:22:27 ID:xOACKVz10

こいつは自分の気に入らない書き込みにいちゃもん付けるだけが脳のカマッテ君です
スルー願います。レスすると荒れますのでご注意をw
226名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 22:15:19 ID:TrslYLWH0
>>225
そうやって煽ってるのはオマエだろ?恥垢野郎
227名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 22:23:31 ID:yGMk9dbl0
と、煽りしかしてない奴に言われてもねぇニヤニヤ
228名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 18:32:03 ID:0X5/hg3J0
一生ニヤニヤしてなさい。とだけ言っておこうかな。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 20:27:11 ID:OSRNIBnG0
やっぱ明治維新の意義って富国強兵でしょ
230名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 22:16:55 ID:B/bl/Hi40
秩禄処分と地租改正、トドメが廃藩置県
231名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 03:29:28 ID:vVRvrg2jO
あの和装と洋装の混在するふしぎ空間が、なんとも…
(*´д`*)ハフゥ…
232名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:19:00 ID:KlJe/1Nx0
日本が列強国と肩を並べるための偉業それが明治維新
当時が西洋の列強国が、植民地作りまくってたからな
日本も徳川政権の下で、他藩は他国という概念を捨て
ひとつの国になる必要があったのさ
233名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 13:20:44 ID:er9RNsNi0
>>229
条約改正(列強と対等な立場に立つこと)だろうな。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 14:57:16 ID:fzsSR6WT0
まぁ何にせよよかったじゃないか^^
235名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 01:26:40 ID:spzP5EWt0
>>232
明治維新期にそのような「列強国と肩を並べる」地位は望んでいなかっただろう。
現実に日本にとって地政学的に関心のある中国・朝鮮は未だ植民地となってなかったし。
実際、朝鮮や台湾は山県陸軍の「利益線」論に負うところが大きかったわけで
はじめから列強のように植民地大国になろうと意図してわけではない。
むしろ>>229のいうように不平等条約改正が第一義。そのための欧化主義・近代化だろうよ。

まあ政治学の観点から見れば西欧的な「国民国家の形成」となろうがそれは目的だったのか、
それとも手段だったのかは意見の分かれるところだと思う。
その意味では後段は同意。
早期の(平等な)義務教育充実など国民国家形成を目的としない限りあり得ないからね。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 03:28:53 ID:+IpLxqrl0
>>235
教育勅語や軍人勅諭等制度内容を見てもわかるように、
現実的には明治初頭の徴兵制度こそ国民国家の始まり。
これが武士階級を排し、戦争等を通じて政治への関心を高めた。
ただし、これが国民を幸福に導いたかは疑問で、実際には明治の
改革で徴兵一揆が一番激しかった。これは農村が労働力をとられたからで、
その担保として軍人恩給制度が早期に確立され、靖国神社とともに
維新兵制の両輪となる。
そして、民意が国政に反映する端緒となり、是非はともかく、
万民の国政参加への道を開くことになる。

「戦争とは別の形式によるところの政治である」〜クラウゼビッツ〜

この政治には当然外交も含まれ、条約改正にも世論の強硬意見が反映され、
なかなか容易には妥協はできなかった。選挙権だけが政治への参加意識の
反映ではないのは、デモや暴動等の直接行動でもわかると思う。
それらの結果が憲法制定、選挙制度確立後僅か36年後の普選成立であり、衆議院では
明治末期の22年後に既に法案は通過していた。そしてその国民の政治意識が最も
過激な形で反映されたものが軍隊であり、陸軍、特に関東軍の貧困層からの兵士だった。
515事件226事件は、明治初頭から十分に予測ができるものであり、実際、竹橋事件等と類似の
事件は敗戦直前も繰り返されることになる。明治初頭に訪欧した際に維新の元勲等はビスマルク
卿に早期普選実行の危険性を厳として忠告されたはずだった。

日本はあまりに急進的に改革に走り過ぎた。そしてそういう体制は滅びるのも早かった。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 13:35:56 ID:1WxdSnUG0
清国はイギリスの植民地で租界まで作られていたのでは?
そういった状況を、長州藩の高杉や、薩摩藩の五代が見て来たんだろ?上海で。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 16:16:13 ID:bhNAqr1f0
そそ。弱腰幕府に、上海の現状を見てきた。
まぁ、結果維新に成功したし富国強兵も実現した。
大東亜では敗れたけど、それまでは戦勝国家だからね。
韓国を保護国にしたり
満州を建国したり
随分金も使ったけど
それは、それだけ富国だから出来た事なんだと思う。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 06:13:27 ID:LjuF2CBU0
>>235>>233>>232>>212
明治政府の指針の大前提は国家の独立。
だから条約改正や兵役を重視した。
植民地主義の時代だから尚更重要だろうな。
統帥権問題も国防、つまり国家の独立維持の為の権限の問題だな。
それだけ重視していたからそれだけ問題視もされた。

近代化や国富も国家の独立維持のためだろう。
天皇制、改革、納税と兵役の義務、憲法、全て独立した国家としての
体制だ。幕府の締結した条約が問題視されたのもここに問題があったからだな。
つまり外国への従属性が問題だった。

大日本帝国憲法 告文
皇朕レ謹ミ畏ミ皇祖皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ
保持シテ敢テ失墜スルコト無シ
240miko:2007/06/08(金) 13:21:44 ID:4jDFK1Bs0
こんにちは。
伊藤博文の大フアンです。
私の知らなかった伊藤博文の一面が載っているブログみつけました。
是非、読んでみてください。
   ↓
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
241名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 18:25:22 ID:ZjH4qADc0
関東人とか東北人って正義を主張する傾向が強いんだけどさ
主張してる人が案外底意地が悪かったりするのは何故?
242名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:36:43 ID:P61NKz7u0
おいおい、お願いだから東北人と関東人をひとくくりにするな
西国人と煽りあいをしたいなら東北だけでやってくれ。
関東人として非常に迷惑だよ。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:24:29 ID:mX5cNSoS0
関東人で薩長など西国に異様な怨念を燃やしている奴って大概
両親や祖父母が福島などの東北だったりする。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:27:02 ID:C45SEBdu0
東夷の関東も十分DQNだと思うぞ
245名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:44:20 ID:P61NKz7u0
>>243
そりゃ実質的に東北人だろ。出稼ぎ労働者の子孫。
生粋の江戸人と一緒にされちゃ迷惑だ

>>244
そうやって闇雲に敵を増やす西国人も十分DQNだw
246名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 05:32:57 ID:4shYV12H0
まぁ関西には朝鮮人や中国人や層化がやたらと多いのは確かだけどなww
売国奴の巣窟だなww
247名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 15:56:50 ID:w5Oq5Dgx0
話が、パラパラしていてわからない
248名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:02:31 ID:wGtnZLVO0
朝鮮系の顔は東京出身者にもたくさんいるよ
目が細くて、青白くて、ホリがなくて、目が細くて一重瞼
249名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:09:17 ID:GzqD24ED0
>>248
ああ、今わかった
オマエ、カマッテ君だったのか

>>247
このカマッテ君は、会津スレで会津を長州スレで長州を
竜馬スレでは竜馬を叩いては、ついたレスすべてに揚げ足とてって荒らしまわっている奴だよ。
主張は何も無く、揚げ足とって快感を得ているだけだから話しはパラパラw
250名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:06:06 ID:rg8HmxSk0
朝鮮系の顔ならどこの地方にもいるよ
同じ東アジアの人間だから
似てるのは当たり前さ
251名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:16:09 ID:/OW+UfYA0
会津人はDNAやら人種や家柄で人間の優劣が決まると本気で信じてるらしいからな
252名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:56:18 ID:spkgh8iu0
そうなんですか?差別的なんですね会津って(^^;
253名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 06:52:10 ID:JBait7fx0
東北みたいな地域は根深い奴が多いんじゃない?
254名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 11:28:27 ID:vTYFTqeQ0
東北ってひとくくりにすんなよ、いい迷惑だ
255名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:27:57 ID:XFj76v2F0
岩手の女もかなり執拗で陰湿だったがな
青森の奴も異様にしぶとい感じだった
宮城の奴なんか他人を見下す傾向が強かった
秋田の奴はもう終ってるおっさんだったなw
256名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 21:58:03 ID:f/YWld7g0
東北から関東の人間性は陰湿な面が強く出ている
257名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 22:52:27 ID:+9YwHMR20
帝国主義国家による植民地政策から国土を守ったのが第一の功績。
坂本竜馬による根回しや徳川家最後の将軍喜公が政権を返上した事により
内戦状態を回避できたことが大きい。
地政学上の理由と当時の日本は他のアジア諸国に比べ遥かに軍事力を
(武士階級の絶対数が多いため内戦に強い)有していた為、植民地化を免れた。
翻って現代、戦後オブラートに包まれた形で日本は植民地化は進行、
小泉政権以降その動きは益々加速している。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 23:42:22 ID:igxp1awi0
根が暗いんだよな
259名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 05:03:24 ID:v8edg2hZ0
139年も遺恨に燃えてるんだもん、根が暗いどころの話ではないよ
260名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 11:07:39 ID:+d0qHXjI0
恨500年の分離工作には負けるよw
261名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 17:40:06 ID:Ogfp3Lt70
ふあああああああああああああああああああああああああああっ!
我々は被害者なんです!被害者です!
薩長に虐殺されたのです!言い伝えもあります!!
うわあああああああああああああああああああああああああああああああ
薩長人が我々を蔑ろにしますっ!全国に会津の悲劇を伝えよおおおおおっ!
賠償しろおおおおお!賠償してくれええええ!国は保護してくれ!!!
会津人に生活保護をををををををををををおおおおっつ!!!!!!!!!
薩長人は県知事が代わるたびに謝罪しろおおおおおおおおおおおおおお!!
ふわーふわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!
ちくしょおおおお!ちくしょおおおおお!星先生ええええええええ!渡辺先生えええええええ!!
会津をお助けくださああああああい!!うわーうわーうわー薩長が攻めてくるううううう・・・あっ!
262名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 19:58:32 ID:cbWWXG4t0
朝鮮顔の多い県はどこだ!
263名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 20:07:19 ID:p43CDcfe0
朝鮮顔どころか本物の朝鮮人が多い東京
ついでに中国人とかも多いけどw
264名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 23:11:14 ID:WDqnFFSI0
馬鹿はこのスレに来るな。自分がバカかどうかわからないなら
ここに来るな
265名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 23:20:49 ID:tCN0dYko0
そうだ、もう少し有意義にスレを使おう。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 00:07:54 ID:MJivMK7h0
こんな単発質問スレ、もう利用価値なんてないだろ

とっくに答えは出てる

長引かせてるのは必死で日本を地域間の対立感情を煽って
分離させたがっている某国工作員と
それに乗せられているとも知らずにただ煽ったり罵ったりするのが楽しいバカニートだけ
267名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 01:46:03 ID:X1khBLW10
明治維新を否定する会津「恨」作家と呼ばれる人達自体が
地域間の対立感情を煽りまくりだからなあ
268名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 03:52:13 ID:gk55sqBa0
朝鮮の多い県となれば岡山だが?
多いから何なの?お得意の差別ですか?
269名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 07:24:27 ID:OKxtN2ra0
最近のネットでの朝鮮系工作員の主な日本分断活動

★地域同士を争わせようとする工作
地域同士あおり合って対立させようとする
いわゆるお国自慢厨と言われてる人達は大抵がこの工作員
特に東京vs大阪の構図にしたいらしく大阪叩きに力を入れてる(もしくは関東vs関西)
「大阪民国」等と名前を付けて日本から孤立させようとする
明治維新がらみで会津厨になりすまし、
薩長叩きを延々繰り返す者もいる
在日であることを隠すためにワザと嫌韓を装うことも多い
★日本の男女分断工作
ありとあらゆる板で女性を軽視するスレを立てたりレスをする
「女って存在価値あるの?」「女は役に立たない」などと、
女性を挑発するような書き込みをして男女を争わせようとする
★血液型で争わせようとする工作
血液型をけなし合うことで、血液型同士対立させようとする
★スポーツファン同士を対立させようとする工作
視聴率や人気などで競技同士争わせようとする、サッカーと野球が利用されることが多い

2ちゃんには驚くほど多くの朝鮮系工作員がいて他にもあらゆる工作活動を行っています
惑わされないように注意してください
270名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 17:36:44 ID:ZUGSpEqn0
会津工作員は出版関係にいるでOKですか?
271名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 20:59:28 ID:WiI3VOqL0
明治維新がなければ明治製菓もなかった。
明治のきのこの山もとうぜんなかった。
不二家も森永もたぶんないだろう。
ロッテは菓子をつくらずキムチをつくっているだろう。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 09:06:43 ID:b7tVaDY+0
会津厨=工作員
273名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 20:50:48 ID:qaTn0qDZ0
だから、政治史・経済史・生活史を統合した維新の意義を
誰か書いてくれ。
薩長・会津がどうのこうのの話は全く意味がないから
274名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 22:15:15 ID:vqTkB/MM0
鎖国をし、世界から遅れをとった日本が
富国強兵を目指し、近代化に進んだ
コレが明治維新の意義
>>273なんだったら富岡製糸工場でも見学してこい!
政治にいたっては、ドイツの国会を模範にしたし
長州藩で使われていた、局や裁判という制度も導入されている
生活面でも、和服から洋服に移行し、食文化の変化も起こった。
つか、自分で調べろ!ボケナスが
275名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 00:33:33 ID:19OFqYo30
「會津は偉大だ!薩長は日王…いや天皇を担ぎ上げた鬼畜集団!」
<丶`∀´>カタカタ……と。

「うぜーぞ會津厨!會津人は劣等民族だ!」
<丶`∀´>カタカタ……と。






<丶`∀´>こんだけ餌をバラ巻いとけば馬鹿な倭豚どもは釣られて
深刻な地域対立が発生するはずニダ!
倭豚の民族分断を図り、倭国の国力弱体化を達成するんだニダ!
276名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 02:32:50 ID:uSPfwJ+J0
>>275会津厨に言えよ
会津も薩長もこの会津厨のせいで
21世紀になっても争わされてるんだろ
とは言っても、ファビョってるのは会津だけだが
277名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 09:33:22 ID:CmRuWZwl0
会津厨のプロパガンダに乗っかるのは愚
278名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 11:52:43 ID:ejXclsq50
>>274
>鎖国をし、世界から遅れをとった日本が
富国強兵を目指し、近代化に進んだ
コレが明治維新の意義

教科書に書いてあることならイラネ。
偉そうだが、お粗末なレベルだね
279名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 14:38:56 ID:mSWmIhL8O
非常に短期間のうちに欧米型システムを導入したのはすごい。
これには毛唐もびっくり!
…でも外国の武器やら軍艦やらを、どうやって買ったんだろう。
それなりの経済力が無くてはならないはず…。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:20:53 ID:IVSjgkjH0
知らなかったけど人力鉄道の歴史サイトがあった。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
281名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 08:25:05 ID:XKi25kms0
>>287簡単にまとめるとそうだろ?
じゃ、オマエの意見を述べてみろ
オマエの方が十分要らない奴だって知ってた?
早く死ねばいいのになぁ〜こんな奴
他人をお粗末扱いしてる暇があったら
粗末な自分をこの世から消せよ
282名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 08:40:53 ID:E/Kmfhv20
>>281
>オマエの方が十分要らない奴だって知ってた?
早く死ねばいいのになぁ〜こんな奴

どうしてこういうことを書くのか…。
お粗末でしょう?教科書で書いてあることなら別に
ここに書くことないから。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 08:44:24 ID:E/Kmfhv20
>>281
ひとつだけ、教科書を越えたことで質問するよ。
富国強兵って、どういう思想がベースになっていて
明治政府で誰が、推進した?富国と強兵は一つではなかったことは
知ってるよね?
284名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 16:11:26 ID:UIHKwIpi0
あの時代、富国は強兵、強兵は富国なんだが・・・
285名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 03:39:55 ID:iIirlQUa0
>>284
ロシアなんて見るとそうでもないんだけどね。
スイスなんかも反対の意味で違うよ。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 23:44:57 ID:i9bJ+LUp0
>>285
ロシアとスイスでは背景が違うだろ。
結果だけ切り取っても説明不足。
所詮ただの聞きかじりかw
287名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 01:10:04 ID:+I4PLfhP0
スイスって傭兵としての強さでしょ

傭兵なのに雇い主を放り出して逃げずに最後まで戦うから
評価されてるんで強さとはまた別の話。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 16:16:06 ID:WeH7Q9+50
会津遺恨祭
289名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 20:42:25 ID:aEBRIdOX0
「富国強兵」ばかりが明治のキャッチフレーズじゃないでしょう。「殖産興業」を忘れていませんか?
 この二つの言葉のバックボーンには勿論「不平等条約を何とかしたい」「西洋の列強と対等になりたい」と云う強い願望があるわけですが。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 21:13:51 ID:aMDBoCxq0
>>289
強兵は、佐久間象山の「海防論」が明治初年の日本の軍部に継承されている。
1871年兵部省の建言ー詳細は「山県有朋意見書 大山梓編 原書房」を参照のことー
富国は、横井小南の「富国論」が明治に入り「殖産興業論」に直接つながっている。
そして、西郷は強兵。大久保は、富国=殖産興業論。
君のような議論を待っていた。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 22:17:21 ID:XOOe80Oq0
脱亜と入欧が一緒になったようなもんでしょ

富国と強兵を一緒にすることが国益に適った、それだけの事

ロシアやスイスについて何の説明もない所からすると、
ただのもって回ったハッタリだなw
292名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 05:37:08 ID:5JK2rbee0
>>289
それを言うのなら独立自尊だろうな。
戦後の日本人が忘れたものだな。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 01:19:58 ID:ndsKGtSr0
ま、弱っちくて刀を振り回す事しかできない穀潰し武士はいらねぇってこった。
時代が進み馬を捨てて戦車に置き変わったように、武士を捨てて兵士に置き換わっただけさ。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 08:27:00 ID:BL8Gms9w0
>>293 日本語でおk
295名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 09:44:41 ID:kAhutEn80
最近の会津厨は、気に入らない書き込みがあるとすぐに「日本語が下手」と言い出す。
知識と内容で勝負できない悲しい宿命らしいw
296名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 11:46:46 ID:MnuwPyXs0
この会津厨は知識がないから、相手の言葉を理解できないのだよ。
この手の連中の好む早乙女貢や藤原正彦の文章を読んでみても、
単語を適当にばら撒いているだけで中身には乏しい。
おまけに論理の組み立てでは決定的な矛盾があちこちにある。

彼ら会津厨の好む文章を作りたければ、語彙では漢語をちりばめ、
論理は矛盾だらけで、最後に差別感情を炸裂させていればそれで良い。
297名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 13:12:32 ID:9lFr1KqdO
明治新政府は会津人の死体埋葬を許さず
298名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 17:22:09 ID:kAhutEn80
↑それ会津研究家の捏造だからw
299名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 18:06:53 ID:RGo97eHJ0
>>291
>富国と強兵を一緒にすることが国益に適った、それだけの事

それは違う。いくつかあった近代化を計る案の中で、明治政府は
富国強兵を選択した。それは、殖産興業をベースに資本主義の
実現=富国と、それを実現すると同時に強国=近代的軍事力の
創設・増強を計った。その急激な産業化・軍事化の歪みは、日清
日露戦争へ結びつき帝国主義化していった。司馬が書いている
昭和が屑だという素地は、彼の大好きな明治にその起源がある。

>>292
>それを言うのなら独立自尊だろうな。

あなた慶応の出身?福沢諭吉が言ってることだけど
彼は明治政府の政策には関与していない。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 18:09:02 ID:Clf+CEXc0
これはクーデター
しかも前時代的な天皇中心の国家に逆戻り
301名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 21:48:39 ID:rcDxCb2I0
>>300
>前時代的な天皇中心の国家に逆戻り

なら、徳川慶喜が続けるしかなかったのか?
誰がどうやる?答えてみろ
302名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 22:10:13 ID:BL8Gms9w0
天皇中心で諸大名が議会を構成して話し合いで首相を選出ってとこかな
たしかそうなりかけてたんだよな?
清末の康有為や梁啓超らの百日維新がもし成功したらってイメージするといい。
大名は大地主として残り、農民は藩と国との二重課税に苦しむ。

四民は不平等のままだったかもしれない。
すぐに列強につけこまれて分裂しそうだw
分裂しなかったとしたら・・・

国軍が編成されても志願するのは士族ばかり。
徴兵制を敷いても戸籍自体が未整備だからうまく集まらず、
教育も不統一のままで国軍に集まった氏族が国民意識を醸成する核となる。
農村の貧窮を見かねた軍閥による内戦かクーデターが起こり、
やっぱり大名はお払い箱になる。
こんな所かね?
303名無しさん@お腹いっぱい:2007/06/24(日) 23:14:57 ID:DxK/UPM/0
>>257
>帝国主義国家による植民地政策から国土を守ったのが第一の功績。

これにつきる。キリスト教帝国主義に対し
神道帝国主義の新機軸を打ち出したことこそ
明治維新の最大の意義。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 00:21:03 ID:mFyMENXx0
欧米諸国では明治維新の評価は低い
305名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 06:35:57 ID:v76nZc+E0
>>299
明治政府は国家の独立維持のために富国強兵を図り、
条約改正や国防に邁進したんだよ。
政策以前の話だな。
てーと、維新政府は国家の独立はどうでもいいと考えていた言う理解だな?
306名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 20:59:25 ID:jL67dqvW0
>>305
あ、そう。それで?どうしたね
307名無しさん@お腹いっぱい:2007/06/26(火) 01:42:24 ID:KijHb9bb0
>>305
そう思うよ。すでに不平等条約を飲まされ、植民地になる危機もあった。
しかし長州は偉大だな。根幹を宗教に見ていた。儒教、仏教、イスラム国家
はオールキリスト欧米列強の食い物になり、
唯一、天皇制つまり国家神道で対抗した考え方は素晴らしい。
国防もそうだが、集落でさえ神道形式で作り直した。

江戸時代当時 エリートの学問は朱子学 つまり儒教だったしね。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 05:14:21 ID:uQkSFmix0
>>307
日本人は無宗教ですが、倫理観のベースは江戸期に研ぎ澄まされた儒教でしたからね
過去形になってしまうのが悲しい所です。
せめて(地道に)自分の親や周りの人を大切にしていくしかないですね。
なんだか2チャンらしくないレスだな。。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 06:18:40 ID:OCALKYYa0
多くの日本人に貼られる「無宗教」のレッテルは、
キリスト教の倫理・哲学が適用できないという理由で
半端な学問をした者が作ったまがい物。真の無宗教はそんなもんじゃない。

本当の無宗教者なら死体を火葬したら許可をとって散骨するか、
法に触れないようほったらかしにする。

鳥居に立ち小便したり他人の信仰をゲラゲラ笑い飛ばしたり、
存在自体「罰当たり」なのが無宗教。
それをためらう気持ちがあるなら信仰を持っているのであり、無宗教ではない。

「黄色い大地」という昔の中国映画に、農村工作に訪れた共産党員が、
そこで知り合った農民が茶碗の水滴を天と地にお供えするのを見て
腹を抱えて笑う場面がある。この工作員にとって「宗教はアヘン」だからだ。

もし同じ風習をキリスト教の宣教師が見たら「これは宗教ではない」と言うだろう。
どちらも偏見だ。彼らの傲慢をたしなめる事ができるのは、
共産主義にもキリスト教にも頼らずに近代化を果たした日本人だけなのだ。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 18:54:55 ID:/0bDZEy40
>>307
>しかし長州は偉大だな。根幹を宗教に見ていた

え、初めて聞いた。長州は、その理論背景は水戸学じゃなか?
311名無しさん@お腹いっぱい:2007/06/26(火) 20:36:27 ID:KijHb9bb0
>>310
少し俺の論理が飛躍したかな
>水戸学の思想は、天皇の伝統的権威を背景にしながら、
>幕府を中心とする国家体制の強化によって、日本の独立と安全を
>確保しようとしたのである

と文献としては全く信用できないそこらへんの安いHPにそう記述ある。
これを馬鹿正直に読めば、倒幕という概念が出てこないよな。
まぁ安っぽいHPの定義の「幕府を中心とする」が消滅し、
天皇の伝統的権威だけが残ったと。

長州が まぁ吉田松陰のことだわな これは撤回するとして
いずれにせよ、国家神道の道筋を>>310のいう水戸学は与えた
とそう思う。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 01:04:19 ID:uIr4ykof0
日本で明治維新が起きなければ、中国や朝鮮で起きていたのかな?
313名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 01:26:40 ID:n2Ypt7Rv0
>>312
中国の場合、外国勢力が中国内の支配派層同士を反目させたり
傀儡権力を与え国自体を混乱させアヘンやら不平等条約だので
消耗していたのでかなり難しかったはず。
朝鮮は詳しく知らんが鎖国が続いていたし外圧に鈍感だった印象、
革命の土壌がまだなかったのでは
日本のケースでもキリスト教国は幕府(フランス)VS薩摩(英)+長州の構図を仕掛け
内戦状態にし軍事資金を借金させ、それの借金のかたに領土を譲割させ、
まざまな利権を支配しようとしてたんだから、維新が無ければ日本も分断されてたかもね
314名無しさん@お腹いっぱい:2007/06/27(水) 23:18:32 ID:NXc6MhsA0
>>313
仰るとおり中国、朝鮮での近代国家樹立は難しかったし、不可能
だったろうね。
日本もやばかったよ。四国連合艦隊に負けた高杉はよく領土の割譲
を飲まなかったと感心する。

大東亜戦争負けて、国家神道が否定されるがその神道がなければ
明治はなく、植民地はおおげさとしても日本もまぁ中国のような悲惨な
状況になっていたと俺は思うね。

その意味で再度いうが、明治維新の意義はキリスト教帝国主義に対抗した
神道帝国主義の樹立と俺は思っている。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 02:15:34 ID:e04orE/G0
国全体がキリスト教に魂を売ってたらフィリピンみたいになってたな・・・
316名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 08:09:03 ID:pim8Ql+g0
信長は無邪気だったが、秀吉はそこら辺の嗅覚が鋭かった。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 13:03:06 ID:+t6jjsta0
明治維新がなくても日本は植民地にはならないよ
そこまで欧米も暇じゃなかった
318名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 01:22:40 ID:esUg0scV0
まあロシアを信用しきって南進なんてありえないと
たかをくくってた朝鮮人なら同じ口調でそう言いそうだな
319名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:33:58 ID:hpgjtUlx0
>>317
いや、幕府が治外法権と関税自主権放棄の条約を結んでいたから、すでに植民地状態。
単に土地だけを奪われていなかっただけ。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 01:51:56 ID:Y6tbtJRz0
明治維新は結果的に欧米のアジア侵略を助けただけだ
日清・日露戦争も英米の支持・協力のもとでやったからな
そういう面もある
321名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 07:22:48 ID:FQMLGaH90
明治天皇が長州に匿われていた南朝の子孫で、しかも伊藤博文の幼馴染で、
維新の志士達によって、孝明天皇の息子とすりかえられていたという今一番ホットな話題を取り上げなければ、
このスレの存在価値ってゼロじゃないの?

「幕末維新の暗号」読んだ人いないの?

http://fmono.sub.jp/aws/asin.php?asin=4396612869&c=01
322名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 08:53:27 ID:C5IOlz990
>>321
もう少し、基礎的な勉強をした方がいい。
君はあまりにも無知。それだけ
323名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 09:16:02 ID:o91dv5Sl0
>>321
明治天皇を南朝の子孫にすると、昭和期に南朝正統を名乗って天皇を訴えた熊沢天皇が可哀想だろ
324名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/01(日) 09:17:11 ID:fBhl6IAF0
>>320
確かに日露は日英同盟がなければ勝てない戦争であったろう。
ポーツマス条約も米国の口利きがなければ難しかったかもしれない。
それは支持、協力というよりは帝国主義国家の利害の一致と俺は
見るけどね。

この後、第一次世界大戦を勝利した日本は白人クラブの出入りが
許されるが、この後日英同盟は解消、米国とは対立を深めることに
なる。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 17:24:00 ID:T9SxI2EY0
不平等条約改正までの日本は半植民地状態だったというのが定説だな。

 日清、日露戦争に勝ってようやく一人前の独立国として認められた。そしてシナ
は日本にも劣る後進国として認められた。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 18:22:13 ID:XwW71QLbO
白人がムチを片手に見張って現地人を
肉体労働させなければ、植民地ではありません。
戦争は、正々堂々一対一でガチンコ勝負をして勝たなければ偉くない、
いわばスポーツの一種のようなものです。

以上、佐幕派からの見解をお送りしました。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 04:48:00 ID:tFVlad+O0
>>325
そんな定説はねーよ、馬鹿ww
植民地とはそもそも入植や支配を前提にしているが、
そんな前提で開港された地域はない。
日本はそもそも中国への進出のために米国が
開港させたのであり、入植の関心さえあまりない。
これは既に中国に進出していたロシアや英国にしても同じだ。
戦略的な中継地や寄港地でしかなかったんだよ。
つまり支配や入植の関心は薄かった。
だから大戦に大敗してからも中国に対する兵站基地としての
役割が重要で、その典型が沖縄だ。ここもペリーが代替地として
維新以前に開港しておいた土地だ。
中国への妥協の現れが1970年代の沖縄返還と台湾の国連追放。

つまり米国の戦略は19世紀から現在までほぼ一貫している。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 00:31:01 ID:/IQD1nw40
つまり日本は明治維新で近代化しなくても良かったんだよ
植民地になる可能性はほとんどなかった
だから欧米では評価が低い

性急な近代化は日本にとってはプラスではなかった
もっとゆるやかに移行するべきだった
329名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 00:49:25 ID:0ng3oIMo0
欧米の評価なんか気にして改革が出来るかい
330名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 02:30:46 ID:0nO7drBK0
>>328
そりゃ結果論だろw
結果を知っている現代人だからこそ言える事で、当時を生きた人々は知らない。
知らないんだからしかたねーだろw
331名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 03:42:38 ID:0q/3VWv30
>>330
いや、開国当時から日本は米国の分析が甘かったと言うことだ。
英仏露よりも最初に開国を強いた米国を警戒すべきだった。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 16:43:43 ID:2aLpV6BqO
>>328
お、いきなり>>326の典型例みたいな奴が現れた。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 17:13:38 ID:bYMNDFPQ0
白人様に認められてない(その根拠さえ不明だが)明治維新は間違いだった、か。
すごい白人コンプレックスだな。
そのうち鹿鳴館でも建て始めるんじゃねーの?
334名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 00:19:53 ID:u/k+pwIA0
>>331
>植民地になる可能性はほとんどなかった

分析が甘いって・・・・
阿片戦争や大砲で脅して無理やり開国を迫ってくる連中を
「こいつらは日本を植民地にしないから安心だお」
なんて言う日本人がいたら「頭大丈夫か」と言ってしまうだろ。普通w。
335僻地極東に植民地の声が聞こえたらその終焉:2007/07/04(水) 09:55:38 ID:ZlZmt2kg0
大局的に見て15世紀から続いていた植民地主義が停滞衰退する
時期が18-19世紀だけどね。南北米大陸の独立は18-19世紀で、
入植した白人の独立運動から支配された土着のアジアアフリカの独立
運動が始まるのが19世紀だよ。

19世紀後半に植民地主義を誇張するのは世界史的には間違え。
でないと突然20世紀に独立戦争や独立が実現するわけがない。
多くの起源は19世紀中頃に遡る。

英国に関しては19世紀末のボーア戦争が致命的になる。
鎮圧するが国力の限界に既になっていた。
これは19世紀前半までの一連の間接統治が限界に来て直接統治に
移行せざるを得なくなったから。直接統治後は転落するように
反乱とのいたちごっこになり、20世紀初頭には経済力で米独に
抜かれ始める。つまり国力の限界に来ていたと言うことで、だから
20世紀早々に日本と同盟結ぶわけだよ。
そして生産力より金融支配と言うもので影響力を確保していたが、
第一次大戦でそれも衰退。
英国は東インド会社があった頃が全盛だった。
統制貿易から植民地の安定支配を図っていたが、自由貿易にして
国内新興勢力どころか海外の新興勢力に抜かれるわけだ。

アヘン戦争は寧ろ英国植民地主義の限界かその始まりと見るべきだろうな。
実際その後10年もせずに反乱が起きるからね。
インドはセポイの反乱が転換期だな。
東インド会社の傭兵の反乱だが、間接支配の限界の現れだ。
これにつけこんだのが新興資本家でこれが清朝支配を図り結局は短命に終わる。
こいつらがアヘン戦争を起こすのだよ。
これが19世紀の英国植民地の姿だよ。
英国植民地政策黄金時代は東インド会社の解散とともに終わっていた。
それから半世紀もしないうちに米独に生産力でも抜かれ始めるんだよ。
つまり英国は19世紀の国だった。その後半には黄昏ていたから日本と同盟した
と言うことだ。

英国間接支配の担い手は東インド会社であり、その解散とともに
優れた間接支配、分断統治の策は消滅するんだよ。
つまりアヘン戦争は英国植民地主義の終わりの始まりだよ。
極東して見ていないからそれが見えないんだよ、幕府みたいにねwww

336名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 21:42:52 ID:UCz9caDW0
>>335

 ボーア戦争は基本的にイギリスとボーア人(オランダ人の入植者)の戦いで、黒人は蚊帳の外ですが?
 いったい、黒人や黄色人種が主役の独立運動なんて19世紀にあったのだろうか?ハワイの王政が倒されアメリカの準州になったのは明治時代ですよねえ。
337名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/04(水) 21:45:58 ID:YkB5U3SO0
>>328
緩やかに移行できればそれはいいがね。長州が四国連合に破れたときは
領土割譲の要求もあったはずだぞ。もう忘れたが。もし高杉がそれを
飲んでいれば香港のような状況が生まれただろうな。

>>335
>19世紀後半に植民地主義を誇張するのは世界史的には間違え。
>でないと突然20世紀に独立戦争や独立が実現するわけがない。
>多くの起源は19世紀中頃に遡る。

萌芽はあるだろが、結局独立したか?植民地が インドがインドネシアが
フィリピンが? 1850年代に

まぁ帝国主義というか 19世紀後半には植民地は既に確定されていたが、
その再分配の激突かと。植民地競争に出遅れた日独伊と英仏の対立。
もちろん利害が一致すれば共闘も組むよ。日英同盟はいい例だね。




338名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 03:30:59 ID:K5W1TIND0
>>327
>植民地とはそもそも入植や支配を前提にしている

それは>>335で言ってる植民地主義と同じなんだろうけど、
どちらも狭義のもの。

産業革命と近代資本主義経済の生成によって、
帝国経営の中心は農業プランテーションから市場の開拓に移った。
終わったのはあくまで「古典的植民地主義」。
「帝国主義的」侵略が終わったわけでは決してない。
より効率のいい侵略に変わっただけ。

日清戦争で清が負けたことにより欧米諸国の大陸進出が加速したのは
「市場を求めて」のことだ。
全く同じころ宣教師の活動も活発になり「教案」というキリスト教会と中国人との
文化摩擦が多発し義和団事件を引き起こした。

孫文は20世紀初頭のシナの現状を「半植民地状態」と言っている。
通商上不利益な状態に置かれ舶来品がやたらと出回り、
治外法権の「租界」が国内にあって外国警察の支配を受けている。

横浜にあった「外国人居留地」とは「租界」そのものだった。
339名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/09(月) 00:21:54 ID:dq38uy5b0
>>338
全く同意だね。外国人居留地=治外法権は国辱で、
これが日本を近代国家樹立に駆り立てたものだと思う。

ただ、色々妥協もしなくちゃいけない。キリスト国家と付き合うには。
江戸時代、キリシタン弾圧の実行部隊(具体的名称は書かない)には
明治になって棄民政策を採ることになる。
まぁここでは関係ないか。
340東洋史しか知らないとかか?:2007/07/09(月) 04:40:02 ID:8YEENwvL0
>>338
日本の日清戦争が欧米の植民地政策をアシストしたと言うことだな。
では欧米の植民地主義の脅威は拡大こそすれ縮小はしないわけだな。

日本の条約改正は日清戦争の直前からだ。英国に嵌められたのかもしれんな。
>>336
人種ばかりで歴史をみてもわからないよ。
例えばソ連からのバルト三国の独立は確実に中央アジアやカフカース諸共和国の
独立にも影響した。18世紀の米国の独立さえ英国植民地の減少の近因、
遠因になっているのは事実だよ。ボーア戦争も英国の国力を低下させたと言う
意味では他の植民地の独立には大きく影響した。
ここいらは国際政治の基本的な視点が不可欠だよ。
なぜ現在イラクごときのために米国が北朝鮮に妥協しているか考えてみるんだな。
国家と言うものは同時に多発的な反乱や外交に対処するのはなかなか難しい。

世界を広く見てみな。19世紀中頃のセポイの反乱はインド植民地維持が困難になる
契機なんだよ。欧州は北アフリカ-インド-東南アジアと言う経路で植民地を拡大して
きた。つまり極東に着いた時点でその限界が出始めていたと言うことだ。
そもそも当時の技術で地球的な規模の支配なんて長くはできはしないんだよ。
現代でも困難なんだから。

教科書を疑うところから歴史は始まるんだよ。帝国主義なんて用語はみっともないから
あまり使わない方がいいよ。レーニンじゃあるまいしなw
>>337
大雑把に観念的に理解していて具体的に植民地を把握してないだろ?
例えばフランスがインドシナに移動したのは英国とインド支配の争いに負けた
からだ。これは18世紀のことだよ。

白人の独立と有色人種の独立を殊更に区別するのはおかしな史論だよ。
それはそもそも「白人」なる連中が団結力でもあるかの幻想の元での理解だな。
黒人や有色人種、そして日本人にさえ実は団結力なるものがあると言う
理解は幻想だけどなw日本人の民族性は小異に拘泥して大同につけない、
と言うものだ。これは大戦中に如何なく発揮されたなw

しか日本の近代史板はイデオロギーにおそろしく染まった歴史理解が目立つなw
そもそもイデオロギーなんて幻想を粉砕する道具が史実だろうがよw
341名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 13:21:11 ID:LQ1B+ywG0
中村政則の「明治維新の世界史的位置」も比較に終始して
結局何が言いたいのかわからん
342名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 18:31:09 ID:h7m2kEy70
>>341
自分の頭と相談して読む本は選んだほうがいいだろうなw
343名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 22:39:34 ID:CRro+pWE0
>>342
どういう事かわかりましたww
サーセンwww
344名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/11(水) 01:18:22 ID:Z8T2cGfz0
>>338
>日本の日清戦争が欧米の植民地政策をアシストしたと言うことだな。
結果そうなったかも疑わしいが、帝国日本としては欧米なんて頭にあったの
だろうか。アシストどころか 橋頭堡を築きたい それだと思うがね。
すでに中国は欧州の食い物であったし。

>日本の近代史板はイデオロギーにおそろしく染まった歴史理解が目立つなw
>そもそもイデオロギーなんて幻想を粉砕する道具が史実だろうがよw

イデオロギーこそが人間を突き動かす。当然神道で帝国日本は動いているし
現在でも欧米はキリスト帝国主義で動く。
なんら第二次世界大戦前と論理は変化していない。
史実をイデオロギーこそが動かすとでも貴方には説明すればよろしいか?
宗教イデオロギーこそが最も重要だな

345名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 02:32:48 ID:oem47i750
帝国主義=レーニン、てのも毒されてるなw
人がカギカッコをつけた用語には「いわゆる」という意味がある事も知っといた方がいい

もう少し勉強した方がいいよ
「帝国」は単に独立国、主権国家という意味で
19世紀のアメリカの政治家でさえ使っている。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 18:49:22 ID:PIXqJ03s0
ここの連中は教科書の言う通り信じちゃいます連中だからなw
347名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 21:24:46 ID:zvUbxTSa0
事実と教科書が一致している部分を信じているだけで、>>346のように教科書の全頁間違いというイタイ人じゃないだけw
348名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 22:05:57 ID:i6f7sqSn0
教科書ならまだいいが
会津郷土家の星辺りの
捏造を鵜呑みされたんじゃ
かなわないぜ・・・
349名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/12(木) 22:11:36 ID:kZhogZqC0
>>346
教科書はここまで書いてあるかもしれないが注意深く読まないと
ここに書いてある論理は出てこないと思うがね。教科書だって
いろんな見方を持って読めばどこの教科書であろうが有用な教材だ。

帝国主義という言葉 なんかおかしいか? 膨張資本主義という
意味で現在でも通用する言葉だと思うが。勿論歴史は法学とすごく
似ていてどこの学説がヘゲモニーを握るかだけどね。

白人が一枚岩という論理は確かに乱暴かもしれないが
いずれにしても同じような言葉から派生した連中。
言葉こそが論理を形成する。その意味で俺は白人はほぼ同じ
論理と言いたいな。少なくとも 論理では米−独の差異より独ー日の差異
のほうが大きいと思うね。

350名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 23:49:15 ID:Q8PakM9k0
あのー>>338の「帝国主義」にはカギカッコがついてるんですけど・・・
カギカッコは「いわゆる」という意味で、その背景となる考えを支持するわけではない、
て習わなかったのかな
>>340はレスする相手も間違ってるし、「自分以外はバカ」教の信者だから
何言っても通じないかな?しかも考えが他人と大して違っていないのもイタイ
351名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/13(金) 01:36:32 ID:bgTJKqU40
>>350
俺は頭悪いでな。気に障ったらごめんよ
ただ俺は>>338の論理はかなり賛同するんだな。
>より効率のいい侵略に変わっただけ。

特にこの部分。今この時点でも効率よい侵略が継続していると考える。
「帝国主義」は、俺の学説では「修正帝国主義」は似非人道主義的チンコ押し付け
帝国主義とでも定義づけておくかなw
352名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:33:32 ID:gC9SqqZA0

「日本において、体制の変化が起きるとすれば、それは日本人だけから
 端を発しているように見えなければならない」

          (1866年4月26日付、ハモンド外務次官よりパークスへ)


この命令は重要である。
すなわち明治維新の工作は、誇り高き日本人に気付かれぬよう、
あくまでも秘密裏に行え、と徹底的に釘を刺しているのだ。

本国からのこの訓令は、以前から在日公館に幾度となく繰り返されている事実がある。
とすると、明治維新の舞台裏で、英国はかなりの工作を行っているということだ。

これから更に英国の動きが「理性的」に「抑制」しながら盛り上がってゆくのだが、
裏から見れば、さながら武士の魂を埋葬し、東洋の島国を転覆させようとする怪物である。


1866年の3月16日、強烈な論文が炸裂した。

「ジャパン・タイムス」 横浜で発行している英字新聞だ。無題である。
後に「イングリッシュ・ポリシー」とか「英国策論」と呼ばれる論文だ。
無題、無記名で書かれたからと言って、この論文をうっかり見過ごしてはならない。
幕末史上、大事件のひとつなのである。

文は、これまでのイギリスと幕府とのやり取りを振り返りながら幕藩体制を批判する
長文だが、内容は強烈だ。「外国を欺き続けてきた将軍は、その座を降りろ」と迫り、
「日本は天皇と大名連合が支配しなければならない」と激しく攻撃を浴びせる。

度肝を抜かれるのは、次の警告だ。すなわち、約束した兵庫開港期日がこじれれば、
「イギリスは強制と流血の手段に訴える」と恫喝している点である。
英国による国家転覆を目指した宣戦布告だ。

しかも開港期日に着目して欲しい。二年後の1868年元旦なのである。
この年に何が起こったのか? そう、武家社会を埋葬した明治維新である。

さらにロンドンでも凄い事が起こった。寺島宗則が直接クラレンド外相に会い、
「英国策論」の説く「大名の合議制」を正面から訴えたのだ。二つは同じ内容である。
即ちイギリスと日本で同時に、『革命』の狼煙を上げたのだ。

これで仕掛け人は誰か分かるだろう。グラバーとサトウの諜報ラインだ。弱冠22歳の
英国諜報部員、アーネスト・メーソン・サトウが、大胆にも「ジャパン・タイムス」
で革命論をぶち上げる。サトウが論文を書いて日本国内を煽り、薩摩の軍事経済
顧問のグラバーが五代友厚、寺島宗則をイギリスに送って、英国政府を動かす。

英国諜報部が覚悟をもって磨き上げたシナリオである。
353名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/14(土) 00:27:05 ID:yh4vqc7d0
>>352
俺の認識でも確かに英国の影響は多大であったと思う。
雄藩を支持したのは英国だし、その本音は日本支配との説もうなづける。

でも日本は英国の植民地になってないよ。勿論治外法権は認めていたが
領土の割譲 中国の香港のような例はない。
もちろん英国も下心はあったと思うよ。海軍はじめ軍隊は英国を習い
鉄道も英国を習う。まぁ当時一番の先進国だから当然だけどね。

英国を排除できたのは もう何回も言うが精神的支柱において
江戸時代とは全く違う論理でキリスト教を排除しているからだ。
明治政府は江戸のようにあからさまにキリシタンは弾圧しない。
表向きは歓迎した。
むしろ江戸時代の弾圧の実行部隊(エタ、カワタなど呼ばれる)
は棄民政策を実施し、神道集落からも排除した。

まぁ英国の日本支配の企図がもしあったとしても失敗している。
354名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 01:02:39 ID:P9NA/2eI0
>>352
えーと・・・・
フリーメーソンってのはユダヤ教という事になっている。
(正確には違うが、キリストを磔にしたユダヤ教を嫌うキリスト教徒がそういうデマを流した)
ユダヤ教はユダヤ人の選民思想が根底にあり、原則としてユダヤ人でなければならない。
そしてアーネスト・サトウは英人でありユダヤ人ではない。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 04:05:35 ID:sLIUcL7S0
>>353

>>352は副島隆彦あたりを丸写ししたんじゃね?
タイピングの練習かOCRの操作練習で
356名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 10:17:13 ID:TpqHDVH+0
副島隆彦・佐治将一・星亮一、ってあたりでしょう。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 12:14:50 ID:sLIUcL7S0
>精神的支柱において
>江戸時代とは全く違う論理でキリスト教を排除しているからだ。
>明治政府は江戸のようにあからさまにキリシタンは弾圧しない。
>表向きは歓迎した。

もう少し複雑。明治政府も当初禁教政策を採ったが
とたんに列強の非難を浴び、条約改正のためしぶしぶ布教を許可した。
経済基盤と精神的支柱を失った士族がキリスト教の主たる受容者となった。
それでも内村鑑三が「2つのJ」を口にしたように、彼らには常に葛藤があった。

明治前半の欧化政策の時代は今よりもキリスト教の勢いが強かった。
急ごしらえの「日本人」という自我が日清・日露の戦いと条約完全改正で
自信を取り戻した頃にはキリスト教はいったん退潮した(特に正教)
358名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 09:21:19 ID:CtkZgbp60
>>357
それに補足するならば、キリスト教を許可したが為に国内の仏教、神道世界が政府に対して反発。
神道の信者による廃仏毀釈(明治政府の政策で廃仏が行われたという説は嘘。正確には徳川幕府が仏教に与えていた特権を剥いだだけ。それによろこんだ神道家や仏教に虐げられていた庶民が喜び廃仏を始めた。)
もあり、キリスト教、仏教、神道の三つ巴の狂騒状態となった為、桂小五郎主導で政府は「信教の自由」を制定。
憲法が出来ると、その中にも明記された。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 00:25:07 ID:fXe1eojf0
年賀状と言う慣行は明治政府が郵便の普及の為にクリスマスカードを
猿真似して始めたものだが、類似した明治以後の新しい慣行として天皇家でも始めた
神式による葬儀や婚礼がある。婚礼はやはりキリスト教の猿真似なんだが、
その延長にクリスマスやバレンタインデーを祝う慣行ができあがった。
現状、結婚式でウェディングドレスを着たり、キャンドルサービスをする等という
慣行の先駆けがここにある。
昨今流行しているハロウィンなんかも、欧米の猿真似と言う意味では類似した
慣行と言えよう。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 17:33:52 ID:Y3/97h7z0
文明は伝播するものだ。
他の文化から伝わったものを「猿真似」と揶揄するなら、
およそ猿真似をしない国なんてないよ。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 21:31:19 ID:KHgjDiXk0
チワワのブログです。
http://plaza.rakuten.co.jp/minoran/


362名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/18(水) 01:02:35 ID:CDVM+LBa0
猿真似というならヨーロッパの文明はギリシャ、イスラムの猿真似。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 11:12:59 ID:lq416eS70
今日テストなんですけど…
364名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 11:41:10 ID:cuohbchv0
明治に至るまで日本人には国家意識がなかったという考えには同意できない。
1675年に江戸幕府が小笠原諸島の一角に「此島大日本之内也」という碑を
設置しているから。
将軍のものでも、徳川家のものでもなく、大日本と記すのは
国家意識の存在を物語っているといえるのではないのか?
365名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 14:05:52 ID:L2Y8S+Ld0
>>364
その1675年の小笠原の件はレアケースだと思うよ。
むしろ領土的観点から外に対して碑を設置し主張しなければいけなかったケース。
行政区分は藩だし住民の意識する国は藩がベース
日本の中に小さな国家が300あったと考えた方がいい。
徳川幕府は外国に対し幕府こそが日本国を治める機関として振舞ってきただけで
徳川幕府が統治する日本国の実態はEU的な連邦国家的なものだったし
貴方の問いかけで重要なのは日本に住む人間(明治に至るまで日本人)
の国家意識だがそこで出てくる国家意識は=お国=藩とういう形。
日本列島を国家として捉えた日本人は一般的にはまだなかったことでしょう。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 19:30:04 ID:jK42Sow70
当時「日本」を意識できた人は、たぶんこんなところか
・幕府や対馬藩などの対外折衝のお役人
・長崎近辺の住民
・交易や漁業で遭難した人

そしてやや観念的だが

・儒教や仏教と日本の精神風土との違いを重視した国学者

日本の学問は(中国と違い)多くは外来のものだし、
和歌や平安文学や記紀を読んだ国学者だって
「藩」単位だけで思考していたら学問が成り立たない。

およそ学問というものをすれば、少なくとも文化圏としての
「日本」というまとまりは意識せざるを得なかったと思う。
だから広い意味では

・蘭学者、漢学者、僧侶

を加えてもいい。国学者は学者の中でも極端な例。
こうしてみると遅れたのは「日本」という概念の形成ではなく、
国民意識の形成だと思えてくる。
国家の利害が個人に直接関わってくるような状況が
19世紀までは極めてまれだったわけだから。
367名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/20(金) 19:45:46 ID:PgEgPwTq0
上にものすごく難しい事が書いてあるのだが、江戸時代の庶民に
国家国民の概念はまずないだろうな。
但し、フランスのようなジャンヌダルクは別として
日本のような島国は国家国民の意識を急速に民衆に加速させることは
可能だったかもしれない。

しかしよちよち歩きの近代日本の指導者は大変だったろうね。
欧米にも媚を売ると同時に国民そして国家の概念を庶民に植え付ける
必要があった。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 22:15:38 ID:4K4IdZDT0
そもそも人民レベルの国民国家の概念が欧州でも19世紀なんだし
逆に江戸期に「我々は日本国民」という意識があったほうがおかしい。
明治国家が近代国家となって国民意識が(紆余曲折はあったけれど乱暴に言えば)
「上から」形成されるまでは、人民=日本国民の図式は成立しないだろう。

まあ日本の国民意識、あるいは同胞意識の形成は明治維新以降だろうねえ。
東洋の場合、国家概念が希薄であった(欧州における領域的主権国家の概念)ことを
考えれば支配階級においても国家意識があったかどうかは疑問だなあ。
せいぜい>>366が示してくれた特殊な環境下の諸人が漠然と意識した程度だろう。
東洋の国家観と西欧の国家観の違いを考えれば、支配層においても維新以降としても
よいかも知れないね。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 22:28:08 ID:2OsNrCpY0
近藤重蔵の択捉島でロシア人が建てた碑を倒したなんて
ナショナリズムの発露からきた逸話じゃないかと思うのだが。
国家意識、民族意識というのは近代西欧だけの発明だったのだろうか?
370名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 02:54:28 ID:ag0HL6aF0
こういう「国民意識の形成が遅れた」論で目立つのは、
いきなり頭ごなしに

藩が大事だった→国なんて意識してなかった

って飛躍するんだけど、「アイデンティティーの重層性」という
可能性は考慮に入れなかったんだろうか?

薩摩人であり仏教徒であり武士であり日本人である、ということは
それぞれのアイデンティティーが行動原理となったと思うんだが。
ちょうど「パシュトゥン人でありパキスタン国民でありムスリムであり・・・」
といったアイデンティティーが同一人物をさまざまな対立軸に沿って
行動させるように。

どうも上記の飛躍というのは、都会のインテリが考えそうな単純さがある。
「郷土」で自己規定をした体験なんてないからいきなり「国家」に飛躍するんじゃないか?

それとも、魯迅の「藤野先生」に出てくる、日露戦争のニュースの幻灯撮影会で
間諜の清国人が斬首される場面をみて喝采する清国留学生みたいなのは、
幕末の日本にいたんだろうか?
371戦争論:2007/07/22(日) 05:53:34 ID:+ZHEw+Hy0
>>366
それが明治時代以後でも通用したから藩閥が残った。
>>367
それに最適ものが戦争だよ。
>>370
それは対外的な行動でやはり顕在化し易いものだ。例えば
>>366の例示はその端的な現れに過ぎない。蒙古来襲の際も
似たような現象があったのはそれが故だな。

やはりその顕在化の典型的なものは戦争だよ。
と言うよりは対立が人間の区別を意識させ形成すると
言うものだな。人間の感情で言えば愛情より憎悪が
境界や警戒心を形成し易い。例えば文化的地理的境界を特に意識するの貿易や文化交流
と言う共通性があるものより、異質的な要素により対立或いはそれを強調し易い
戦争、国境紛争、外交的政治的対立だな。
幕末の尊皇攘夷運動も底辺にあるものは中国伝来の夷敵への警戒心や憎悪だ。
これに戦闘が伴い更に拡大する。明治時代のロシア等大国への「臥薪嘗胆」や多分大東亜戦争における
米国に対する異常な「鬼畜米英」もこの夷敵への警戒心や憎悪のリメイクだろうな。
当然明治初頭の内戦が藩同志の対立や区別、更には怨恨や憎悪や警戒心を
増幅し藩閥と言うものが残存していくのだろうな。
例えば靖国神社の朝敵思想はこれにあい通じるものがある。

敢えて言うが、村にしても藩にしても国家にしてもそれを特に意識させる
ものは残念ながら愛情ではなく憎悪だ。戦闘や戦争で顕在化する所以だ。
欧米の当初は不承不承の革命運動や独立運動や市民運動とやらも戦争が
伴うと意識が変化したのだろう。これは覚醒や自覚と言うよりは変化と言うべきで、
やはりその火付け役の実態は理屈や愛情延いては憎悪等の感情でさえなく
本能的な生きる為の方便かもしれない。個々の人間にしてもいやでも生や死の意味を
考え自覚する(多分これがアイデンティティーとやらの実態だと思う)のは戦争のときだ。
だからどうしても題目だか自己意識だかが必要になる、嘘や念仏でもなw

人間はそう簡単には進歩なんぞしない。
近代日本の出発も徴兵制度から始まった。
戦争を通して自らが政治を体感する端緒だな。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 15:12:32 ID:m7bfcEZQ0
支那の戦国時代、秦漢時代には徴兵制が採用されていたし、異民族との
抗争に明け暮れていたから、その当時にも似たような国民意識があったのかしら?
373名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 14:49:17 ID:muG3zSDH0
374名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 15:01:07 ID:oopnonwT0
思い出すがいい 容保公が授けた明白な願いを
白虎隊の死の意味を思い出せ 賛辞も歌も欲せず
碑も戦争や武勇の詩も欲せず 願いは明白であった
思い出すがいい 私に言われた
それは希望である この地に連綿と継がれる
自由の魂たちのように不変の石碑がその声を物語る
道行く者に会津を伝える この地は汁の掟によりて我らここに在りと
容保公は死し兄弟も死し
140年が経ち 容保公が言った“勝利”に隠された
意味を考えた 彼の聡明さを示す時が来た
東北の自由民から自由民へ世界に伝わった 豪傑容保と新撰組は故郷を離れ
会津のみならず日本全土のために散った
この国を守ると誓って京都と呼ばれる荒地で
安倍長州政権を叩き潰すのだ!奴らは粗野な者の集団
恐怖で支配された冷酷な心を持つ者 女・子供・老人合わせて5000の数にさえ被害をこうむった奴らが
目の当たりにするだろう 平野に広がる10万の会津市民を 東北自由民1000万も戦う
敵は10倍の勢力に過ぎぬ 勝機は東北にある
この日我らが恐怖と強権から世界を救う
まだ見ぬ栄光の未来へ先陣を切るのだ
称えよ!容保公と勇敢な白虎隊に!勝利を!
375名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 16:37:32 ID:oopnonwT0
◆福島県勢が2戦2敗だった山口県勢に初勝利した聖光学院・横山博英部長
「(会津と長州の)戊辰戦争も入れれば1勝3敗。会津の人たちが喜んでくれたらうれしいです。」
先祖を敬うまるで古武士のような立派な発言ですね。
同じ東北人として誇りに思います。
http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200708/bt2007081316.html
376名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 16:57:24 ID:oopnonwT0
◆第89回全国高校野球選手権大会1回戦 聖光学院11―7岩国(12日、甲子園球場) 

聖光学院(福島)が県勢最多となる18安打、最多タイの11得点を挙げ、岩国(山口)を圧倒。
福島県勢として悲願の“対長州”初白星を挙げ、幕末に白虎隊の悲劇を生んだ「戊辰戦争」の
リベンジを果たした。

平成のサムライは刀ではなく、バットで勇敢に立ち向かった。あの敗戦から139年。時空を超え、
リベンジの瞬間が訪れた。夏の甲子園で福島県勢として対山口県勢初勝利。聖光学院ナインは
真夏の青空に向かって、大声で校歌を歌い上げた。「山口県勢を倒してくれという、年配の方の
声が大きかった」と斎藤智也監督(44)。白虎隊と同い年の若武者たちが、県民の悲願となる
“打倒長州”を成し遂げた。

因縁は江戸末期にさかのぼる。長州中心の新政府軍と旧江戸幕府による戊辰戦争がぼっ発。
旧幕府勢力の中心だった会津藩は、10代の武家の男子によって「白虎隊」を編成した。
だが、苦戦の末、総勢19人が自害する悲劇を生んだ。今月5日の組み合わせ抽選後、岩国との
対戦が決まると、ナインの間では「戦いだな」との声が上がった。「向かっていく気持ちだけは
負けたくなかった」会津若松出身の小椋大輝(3年)が話した通り、福島に脈々と受け継がれ
「打倒長州」の魂がナインに乗り移った。

防戦一方だったあの時代と、同じ轍(てつ)は踏まない。5回を除き毎回安打に毎回得点と攻め続けた。
県勢最多を更新する18安打、最多タイとなる11得点の猛攻。黒土の“戦場”を駆けめぐった。
県大会で打率2割1分1厘と不調だった黒羽剛広は5打数4安打2打点。「これまで支えてくれた
みんなに、恩返ししたかった」と言い切る顔つきは、忠義を尽くす武士そのものだった。

過去の夏の甲子園では、山口県勢に2連敗。横山博英部長(37)は「戊辰戦争から数え、これで1勝3敗。
会津の人が喜んでくれたらうれしい」と笑った。「次も命をかけてぶつかりたい」と黒羽。
勝ってカブトの緒を締めよ―。ナインはひたむきに勝ち進む。

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/hs/news/20070813-OHT1T00044.htm
377名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 18:13:48 ID:GKpQmxD90
ウザ!
岩国なんざ長州の支藩だ
長州の支藩に勝ったぐれぇでおおはしゃぎすんな会津馬鹿が
378名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 18:26:37 ID:FwiyqMr5O
>>376
かわいそうな人達…
379名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 11:09:53 ID:0AkxKYz10
聖光学園も全然会津じゃないよな。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 13:58:53 ID:Ed9UqQ2X0
明治維新で、日本は国家の中枢を山口県の朝鮮人部落出身の天皇や政治家に乗っ取られてしまった。
乗っ取りを後押ししたのが、ユダヤ人のグラバーであり、
天皇家を乗っ取ったということは、京都に住んでいた幕末の天皇を殺し、
代わりに朝鮮人部落の人間が明治天皇に摩り替わったと言うことで、
政府はこの弱みをユダヤ人に握られ、操られてきた。
この朝鮮人部落とは山口県の田布勢町周辺のことであり、
戦後は、岸信介、佐藤栄作、安部晋太郎親子などが出ており、
また鹿児島県にも田布施という朝鮮人部落があり、
小泉純一郎の父もそこの出身である。
現在も天皇をはじめとして、国家の中枢は在日朝鮮人で占められており
朝鮮系の政治家がユダヤに脅され、言いなりになるのは、
民族的怨念や、私腹を肥やす目的もあろうが、
明治維新からの実質的朝鮮人支配を守るためというのが
大きいのではないかと思われる。
もし天皇すり替えの事実が暴露されれば、天皇制は崩壊し、
それを行った在日朝鮮人もただではすまないだろう。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 22:59:56 ID:sGh3X4mK0
なぜ真宗について触れない
382名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 07:06:43 ID:/nD3R1G20
A型とB型は違いすぎ。O型はB型に頼るのをやめませんか?
383名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 07:20:45 ID:Iai19S+a0
>>380
天皇家は大陸系であり、かつて朝鮮王の姫を皇后として招いた。
天皇家自体が朝鮮系なんだから、いいんじゃないのw
明治維新以降どころか太古の昔から朝鮮に支配されてたといいなさいw。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 09:30:28 ID:CMI0pwxW0
ここは、じじい専用スレか?
長文(中身のない)ばかり。ツマラネ
385名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 16:38:57 ID:FjMQYXH80
>>384
ほい、↓純ニッポンジンのスレだよ。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1192191143/l50
386:2008/01/20(日) 15:34:59 ID:OR+1qDQD0
中国最高
387名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 16:18:00 ID:RO1ttGSq0
いま明治維新について調べています。
幕末〜明治でおきた事件、その結果どうなったか、
特に日本人の考え方がどう変わっていったかを解説した本を
いくつか紹介いただけないでしょうか?

例えば「日本を教育した人々」斎藤孝
みたいな本を探しています。

388名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 16:26:42 ID:XnLxJnuS0
>>387
星亮一の本嫁
389名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 16:28:31 ID:o9NlmUqL0
ちなみに、星亮一の著作は韓国国定教科書と中身が同じ。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 16:40:25 ID:86V89OXm0
>>387
>「日本を教育した人々」斎藤孝

上記の本を読んだことがないので、何ともいえないが
思想史としての幕末維新のことを知りたいのか、生活史としての
ことなのか、政治史なのか経済史としか…明治維新の本はべらぼーな
量があるので簡単お手軽本は読んでも役に立たないと思う。
391387:2008/02/23(土) 17:52:46 ID:RO1ttGSq0
社会学っぽいのをお願いします。産業、経済、思想などがいいです。
べらぼーな量があるので自分では選べないです。
どうかよろしくお願いします。
392387:2008/02/23(土) 17:54:59 ID:RO1ttGSq0
星亮一Amazonの評価が散々なのですが‥‥
だまそうとしている?
393名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 18:29:27 ID:0EnT1StX0
明治維新など不要だった事が書かれているから嫁>星亮一の本
他の本は勝者が都合よく作った歴史に過ぎない
真実は敗者の中にこそある
394名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 18:52:19 ID:o9NlmUqL0
一般的に、星亮一という小説家の著作は、
日本史の中で、会津人だけを賛美し、他の地域を
根拠示さず執拗に罵倒誹謗中傷する、偏狭かつ無責任な文書とされています。、

ですから、その偏狭さを正義と感じ、共鳴する人間にとっては、「お勧め」なのです。

一般的に言えば、もっと中庸で史料に準拠した著作をお勧めします。
戊辰戦争通史といえば、原口清「戊辰戦争」(塙書房)、石井孝「戊辰戦争論」(吉川弘文館)が双璧で、
実際の双方の作戦では、大山柏「戊辰役戦史」(時事通信社)が参考になるでしょう。

他は、あまりの文書の数が多いので、どこかの本の巻末参考文献を探すのが良いでしょう。
ちなみに、保谷轍「戦争の日本史18 戊辰戦争」(吉川弘文館)が現在の所
最も入手しやすい、この時期を扱ったまともな著作と思います。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 19:06:13 ID:o9NlmUqL0
その時期の日本史の事を知りたければ、
全云十巻とかいった日本史の通史本を図書館で探し、
該当箇所を読んだ上で、巻末の参考文献の中で興味を持ったものを探す、
そういう手法が一番確かです。

ここで「お勧め!!!!!」と執拗に勧められる本は、
大抵、特定の偏見に色濃く染められたもので、危険です。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 19:08:13 ID:axIYX8Rh0
それは勝者である薩長が都合よく作った歴史を研究したものに過ぎない。
どんなに権威ある先生方でも、元が嘘では真実は見えない。
星亮一の本こそ読むべき本で、それ以外は参考程度に読めばよい。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 19:08:16 ID:z2ACP44b0
>>391
幕末維新をその延長として、日本の産業革命への経済史の視野で
書かれているものは、石井寛治『大系 日本の歴史12 開国と維新』小学館
及び同じ著者の「日本の産業革命」朝日新聞を読んでみてはどうだろう。
前書の巻末にある参考文献は、必読のものがあるので関心がある分野の
ものをあたるのに便利です。いずれも図書館には必ずあるので、まず
手に取り読むものとしていいと思う。それから、石井氏は、歴史学者ではなく
日本経済史の研究者です。
398397:2008/02/23(土) 19:11:50 ID:z2ACP44b0
>>391
ちなみに、前にあげた本には星亮一氏の書かれたものは
載っていない。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 20:50:43 ID:0kQkIPIo0
>>387
幕末〜明治の日本人の思想や教育を展望するなら、とりあえず福沢諭吉の「時事小言」は必読。
福沢はここで、薩長や下級公家といった尊王バカが政権を握ったことにより、後ろ向きの復古ブームが蔓延し、
幕末期に幕府が導入し定着しつつあった開明思想が消えかかったことをボヤいてる。
明治初期という時代は、日本が近代化への道筋を見失いかけた大混乱の時代。
福沢などの旧幕府が育てた知識人が民権論や富国強兵を説き、新政府の中の開明派グループに影響を与え、
日本はかろうじて行き詰まりから抜け出すことができた。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 21:01:48 ID:86V89OXm0
>>399
>いよいよ出るゾ

高文研HPより

福沢諭吉の戦争論と天皇制論
新たな福沢美化論を批判する

安川寿之輔=著
●四六・上製・380ページ
●2006年7月10日発行
●本体価格3000円
●ISBN4-87498-366-9

日本の近代化を導いた思想的リーダーとして今も一万円札を飾る福沢諭吉の
肖像! だが実際に福沢が主張し、力説したのは何だったのか?

日清戦争に熱狂して全国第2位の高額の個人献金をし、時事新報紙上で「あ
らん限りの忠義を尽くし」「事切迫に至れば……幼少の別なく切死して人の種
の尽きるまで戦う覚悟」を説いた福沢は、その一方で皇室・天皇の尊厳神聖を
力説した。

だがそうした言説の大半は弟子の手によるもので、福沢自身の真筆でないと
主張する2冊の著作(『福沢諭吉の真実』文春新書、『歴史とテクスト』光芒社)
に対し、その虚偽、誤りを徹底的に洗い出し、論証した渾身の力作 。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 21:47:07 ID:ZycQLZxK0
>>400
留意せよ。
滅茶苦茶なこじ付けで福沢を叩いてるのがどの筋の連中か?

朝鮮新報
〈本の紹介〉 
「福沢諭吉の戦争論と天皇制論」 - 「美化論」完膚なきまで叩く
「福沢諭吉全集」を通じて浮かび上がる実像とは、
中国、朝鮮などに対する徹底したアジアべっ視、冷厳な弱肉強食論、
侵略戦争の扇動と植民地化政策の推進、関与、天皇制の国策的活用、
国権至上主義、のちの大陸侵略、「大東亜戦争」の「盟主」思想の先駆、
「尽忠報国」「報国致死」「臣民」思想の鼓吹など枚挙にいとまはない。
(中略)
現在の「靖国問題」に象徴される歴史認識、戦争責任問題、朝鮮半島、
中国などアジアと日本の広がる摩擦の思想的根源は福沢諭吉にある。
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/06/0606j0908-00003.htm
402名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 21:57:47 ID:+pAjpQB20
歴史家の井上勝生も明治維新なんてぶっちゃけいらんかった。
って言ってたな。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 22:38:12 ID:ZycQLZxK0
たしかに日本の近代化とっては明治維新は不要。
しかし朝鮮の近代化にとっては明治維新は必要不可欠。
明治政府は、朝鮮との合邦を行い巨額の資金を三十数年間朝鮮に投じ続けたが、
このような朝鮮に理解のある政治指導者は、明治維新がなければ登場しえなかった。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 23:25:20 ID:+pAjpQB20
個人的に井伊直弼を大老にしちゃったのがいけなかったな。
あと孝明天皇が見識なさすぎ。黙って言う事聞いてりゃスムーズに
いけた。
あと徳川斉昭が過激派を煽っちゃった。本人もまさか自分の家臣が
井伊直弼ぶっ殺すとは思ってもみなかったろうな。
405名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 23:32:35 ID:L/coLHaO0
>>402
井上勝生って何処を評価できるのかはなはだ疑問なのだが。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 08:16:26 ID:iT6+LT1c0
>>304
征韓論って知ってる?w
あれって朝鮮側の方から明治政府との国交を断絶した結果起こった議論だけどw
407福沢諭吉:2008/02/24(日) 08:57:23 ID:hZE2KYU30
●王制一度新なりしより以来,我日本の政風大に改り,外は万国の公法を以て外国に交り,内は人民に自由独立の趣旨を示し,既に平民へ苗字乗馬を許せしが如きは,開闢以来の一美事,士農工商,四民の位を一様にするの基,こゝに定りたりと云うべきなり。
408福沢諭吉:2008/02/24(日) 08:58:27 ID:hZE2KYU30
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
409福沢諭吉:2008/02/24(日) 08:59:33 ID:hZE2KYU30
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
410名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 10:39:04 ID:LSCG9KCP0
>>405
著作の内容ではなく、「自分でない別の人も薩長を批判している」ということを
言いたいだけなのでしょう。
だから、官能小説家でも反日活動家でも犯罪行為を重ねた人物でも挙げてしまう。

星亮一が「偽りの戊辰戦争」内で、宮崎十三八が後に謝罪撤回した発言を
これ見よがしに記して、自説の補強に使ったようなものです。
411福沢諭吉:2008/02/24(日) 10:50:09 ID:Tyf3MS+p0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。
412福沢諭吉:2008/02/24(日) 10:51:00 ID:Tyf3MS+p0
●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。
413福沢諭吉:2008/02/24(日) 10:52:02 ID:Tyf3MS+p0
●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 11:15:13 ID:Tyf3MS+p0
明治初期、薩長藩閥を批判することは非常にリスクの高い行為だった。
あからさまに罵倒した文書をかけば、発禁処分となり、社会的地位を追われ、
場合によっては罪に問われ処刑される可能性もあった。
こうした中、可能な限りの政府批判を行った福沢の勇気は評価できる。
ただし、彼の批判は巧妙なイソップの言葉で書かれてる。というか書かざるを得なかった。
倒幕の「偉業」を賛美するほめ殺しによって、暗に権力や利益を独占する門閥を非難する。
こうした形式の表現が多いのはそのため。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 11:25:16 ID:iT6+LT1c0
どっちにしろ
俺の財布からすぐに居なくなる福沢は嫌いだ
416名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 13:02:16 ID:aOOn95K50
開国だ攘夷だなんだと言ってたが、ようはただの国内権力闘争だったと言う話。
薩長て国の事なんざたいして考えてなかったんじゃねえの?
今の小沢とか鳩山とか見てればわかるやん。結局権力闘争の為に国だって
売るんだから。
まず第一にほしいのは権力であって国家なんぞ二の次。
100年前も今も根本は変ってないと思うね。
民主党が勝ったらいかに自民党政治が軟弱でアホで売国的だったのかを
言いふらし、国民も「うんうんその通りだよね」と乗っかるんだろ。

417名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 13:16:30 ID:iT6+LT1c0
尊王だ佐幕だなんだと言ってたが、ようはただの国内権力闘争だったと言う話。
徳川会津て国の事なんざたいして考えてなかったんじゃねえの?
今の福田とか自民党とか見てればわかるやん。結局権力闘争の為に国だって
売るんだから。
まず第一にほしいのは権力であって国家なんぞ二の次。
100年前も今も根本は変ってないと思うね。
自民党政治が軟弱でアメリカ言いなりのアホで売国的だったのかは
、国民も「うんうんその通りだよね」と知っての通りだろ。

418名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 13:23:16 ID:aOOn95K50
それもそうだな
419名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 15:24:03 ID:/jM95jCR0
>>416
全然違いますね。あなたが国の事なんざたいして考えてなかったから、そう見えるだけと言う話。
開国だ攘夷だというのは亜米利加等による外国からの開国・通商要求に対する方針を巡る
一時的な国内の混乱を意味しているが、明治維新はそれだけの話じゃないんだよ。
幕藩体制は鎖国を前提としていたから、開国となると幕藩体制が続けられないのは
幕府側も薩長側も共通の認識であった。ただ新政体についての考え方が一致しなかった。
どうやって幕藩体制から新しい政体に移行するのか。
その移行のプロセスが明治維新なのだよ。
その為には徳川家の威信により諸大名を統制する幕藩体制に変わる新国家の理念・コンセプトが
必要であった訳でもある。
明治維新を権力闘争としかみないのは極めて偏狭な視点だと思う。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 17:00:38 ID:aOOn95K50
見事な歴史観だな
421名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 18:40:25 ID:BYRATNWq0
売ってたのは幕府だけどな。
フランス様にね。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 19:07:43 ID:SzO6Lmzo0
>>421
何をフランスに売ったというのか?フランスは何を得たというのか?
423名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 19:17:45 ID:r6P/B9390
>>419
そもそも鎖国は幕府が勝手に決めたことで、
鎖国を解いたからといって必ずしも幕藩体制が崩壊するわけではない。
朝廷の勅許をからめて政争となったことで体制問題の引き金となっただけ。

幕藩体制の行き詰まりは、幕末の混乱期に、直轄地からの収入に依存する幕府が、
事実上の中央政府としての役割を果たさなければならなかったことの矛盾に由来する。
幕府は中央政府としての責任から、実際に開国を決断し、殖産興業のため近代的な産業基盤を誘致し、
来るべき近代国家の体制を模索していた。
しかし、これに危機感をもったのが薩長などの外様藩。
幕府主導で改革が進められれば、自藩の密貿易利権が封じられ、藩の存亡が危うくなる。
そこで既得権維持のため、あらゆる手段で幕府の動きに敵対し、倒幕クーデタに打って出たというのが実態。

>幕藩体制に変わる新国家の理念・コンセプトが必要であった
討幕派にどのような「新政体」についてのコンセプトがあったのか説明してごらん。
王政復古、政祭一途等々のカルトなコンセプトしかもっていないだろ。
天皇の権威を振り回して権力を奪取することしか頭に無い一種のカルト集団としか言いようがない。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 19:34:20 ID:aOOn95K50
これまた見事な歴史観。
歴史っていろんな方向から見れるから面白いね。
安倍正弘とか川路聖顕とか幕府側も頑張ってたからな。
425419:2008/02/24(日) 20:30:13 ID:SzO6Lmzo0
>>423
>事実上の中央政府としての役割を果たさなければならなかったことの矛盾に由来する。
そのとおりだよ。つまり幕藩体制は鎖国を前提に成立していた体制だということなのだ。
だから鎖国を解いて開国すれば幕藩体制では持たない。
外国を相手にするとなると、今までどおり、会津藩に京都守護職を命ずるなんて訳にはいかないからだ。
幕府は鎖国していたから、国としての意思決定能力が無くても、機能できたのだよ。
だから幕府も幕藩体制に代わる新体制を模索していたが、やっぱり意思決定できないんだよね。
開国したから幕藩体制が崩壊するという話じゃないんだよ。幕藩体制では国として外国と付きあって
いくことができないということなのだ。だから長州藩の不始末を幕府が肩代わりして外国に賠償金を
支払うハメになったわけだ。これじゃ、幕府がもたないものな。

>しかし、これに危機感をもったのが薩長などの外様藩。
>幕府主導で改革が進められれば、自藩の密貿易利権が封じられ、藩の存亡が危うくなる。
>そこで既得権維持のため、あらゆる手段で幕府の動きに敵対し、倒幕クーデタに打って出たというのが実態。
笑止千万だ。藩の存亡だの既得権維持だの、そんな次元の低い目的で倒幕したのではない。

>討幕派にどのような「新政体」についてのコンセプトがあったのか説明してごらん。
>王政復古、政祭一途等々のカルトなコンセプトしかもっていないだろ。
>天皇の権威を振り回して権力を奪取することしか頭に無い一種のカルト集団としか言いようがない。
王政復古、政祭一途がカルトですか。すごい偏見だ。
そもそも徳川幕府は徳川家康を東照大権現として神格化して、その権威・威光を徳川家が継承することで
政権を維持していたのだよ。これこそがカルトなコンセプトなのだよ。
江戸時代末期には当の徳川家でさえ、このカルトなコンセプトを疑って自信を無くしていたのだ。
だから幕府は朝廷から条約の勅許を得ようと苦心惨憺していたではないか。
なんのことはない。天皇の権威を振り回して権力を維持しようとしていたのは徳川家なのだね。
じゃ徳川家は一種のカルト集団かね?そうは思わないね。一定の歴史的役割を果たしたことは正当に
評価すべきだよ。長くなったから、残りはレスを改めて。

426419:2008/02/24(日) 21:01:50 ID:SzO6Lmzo0
>>423
そんな訳で1867年の大政奉還に至ったわけだ。
その前提として今までの徳川幕府の統治は天皇から任されていたものだという理論がある。
これもカルトというかフィクションというか現実ばなれした後付の理論だよね。
それでも政治というのは、そういう形式も重要なことだから、馬鹿にはできない。
薩長はそれがフィクションと分かっていても、そうしたストーリーに乗っかるしかなかった。
この国には天皇の権威を上回る権威などない。もちろん薩長にもない。
薩長がそんなのインチキだ、嘘だと叫んだところで誰も信じてはくれない。
だから、薩長はそうしたストーリーに乗りながら主導権を握ろうとした。
それが1868年の王政復古に他ならない。
なんのことはない。天皇の権威を振り回して権力を維持しようとして失敗し、
完全に薩長に逆用されたのが徳川家なのだね。
王政復古によって、徳川家の主導する新体制というシナリオが完全に否定されたわけだ。
今日はここまでにしておく。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 21:29:46 ID:yyX4pEFi0
現代人から見れば、幕末に活躍した人文は佐幕尊王関係なくカルトw
428福沢諭吉:2008/02/24(日) 21:35:46 ID:Tyf3MS+p0
薩長が唱える尊皇攘夷とは、朝廷への尊敬から出たものでもなければ、外敵を排除せんがためのものでもない。
それは浮浪の輩の私利私欲と姦計の口実にほかならない。
>「長州再征に関する建白書」
>其説(尊皇攘夷)の趣意は 天子を尊候にても無之、外国人を打払候にても無之、唯活計なき浮浪の輩、
>衣食を求候と、又一には野心を抱候諸大名 上の御手を離れ度と申姦計の口実にいたし候迄の義にて、其証跡顕然。

国賊の筆頭は長州。今般、長州が朝敵として征伐されることになったのは千載一遇のチャンス。
長州を征伐し、その余勢をもって他の大名(特に薩摩)も制圧し、京都の混乱を鎮めるべき。
開国近代化に反対するバカどもを一掃することが肝要。
>諸侯の内、第一着に事を始め反賊の名を取り候者は長州にて、弥以て此の度御征罰相成り候儀は千古の一快事、
>此の一挙を以て恐れ乍ら御家の御中興も日を期し天下の為不幸の大幸、求めても得難き好機会に御座候。
>何卒、此の上は大英断の上にも御英断遊ばされ、唯一挙動にて御征服相成り、
>其の御威勢の余を以て他諸大名をも一時に御制圧遊ばされ、京師をも御取鎮に相成り、
>外国交際の事抔に就ては全日本国中の者、片言も口出し致さざる様仕り度き義に存じ奉り候。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 21:54:25 ID:Tyf3MS+p0
幕末期の福沢諭吉は、幕権をもって反対派を鎮圧し、近代的な中央集権国家を樹立せよと主張してた。
これは小栗上野介などの幕府の改革派と同じ構想だね。
当時の情勢を考えれば、これが最も合理的かつ現実的な近代化のプロセスだった。
しかし、こうした幕府の攻勢に対し、外様諸般は大きな危機感を抱いた。
当初は幕府よりも積極的に長州征伐に加担してた薩摩も、方針転換し、長州と組んで、
必死に近代化プロセスを潰す側に回る。
そして、結果的に開国近代化に敵対してた尊攘バカが権力を簒奪してしまう。
福沢は悪夢を見てる思いだったことだろう。
430名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 23:58:25 ID:aOOn95K50
幕府だろうと薩長だろうと結局形は違えど近代化してたって事だろ。
じゃやっぱりただの権力闘争だったと言う事でいいや。
明治維新あったおかげで近代化出来た、幕府は間抜けの腰抜けだった、
薩摩、長州、土佐は英雄だ。
ってゆうのが義務教育で習う定番の歴史観だが、ようは権力闘争で勝った方が
正しくて偉いってことだな。
歴史を書くのは勝利者だから。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 23:58:26 ID:9jL5lYuM0
>>425
>そんな次元の低い目的で倒幕したのではない。
で、その次元の高い目的とはなに?

>徳川幕府は徳川家康を東照大権現として神格化して
一方で幕府は仏教も支持基盤としてた。
神仏混合のいい加減な状態で、宗教を統治の道具として積極的に利用する必要はなかった。
一方の薩長は、天皇を神格化し、その権威を最大限に誇示することによってしか、
己の野望を実現することができなかった。
それゆえ権力を握った薩長政府は、最初に狂信的な宗教改革を行うことになる。

>この国には天皇の権威を上回る権威などない。
徳川幕府は禁中並公家諸法度によって朝廷を統制し、
事実上、幕府が最高の権威であることを世に示す。
天皇の権威は武士階級のアクセサリーの一種で、
幕府の統治は天皇から任されていたものという論は形骸化していた。
朝廷の重要性が再び浮上するのは、
幕末期に開国をめぐって攘夷派が天皇を担ぎ出したことによる。
近代化を進めるにおいて、幕府の場合は、天皇の権威に依存しない展開が可能。
しかし薩長は、天皇の権威を借りなければなにもできないため、
王政復古というアナクロな主張に逆行することになる。

ともあれ、討幕派にどのような「新政体」についてのコンセプトがあったのか、早く説明しろ。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 00:21:47 ID:D5Bxgm6j0
>>430
その回答は50点。
たしかに幕府と薩長の争いは武士階層内の権力闘争。
しかし、薩長がいなくとも幕府主導で日本は近代化できたけど、その逆は成立しない。
もしも幕府が開国を決断せず、欧米の先進文化を無視し、日本の近代化を拒み、
攘夷戦争を繰り返してたなら、日本は中国・朝鮮のような後進的な植民地に堕ちてたはず。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 00:30:45 ID:c5p5rTDT0
そもそも幕府が開国しようとしたのに孝明天皇が反対したんじゃねえの?
幕府側はやる気満々だったろ。
見識のない天皇が反対して「えーー、まさか反対とは思わんかった、、
で、どうすんの?」って事になってそれ無視して条約結んだら
井伊直弼ぶっ殺されちゃって。幕府の威信落ち始め泥沼の権力闘争へ、、、
434名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 01:15:29 ID:xA2GpFjG0
薩長の権力っていっても江戸時代の徳川の権力に比べればたかがしれてるだろ。
薩長が軌道に乗るまで政府の中心に座るのは仕方ない。
別に権力を狙って幕府を倒したわけじゃねえだろ。

近代化もだが、大名とか武士という制度を無くした功績も大きいだろ。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 01:16:22 ID:xA2GpFjG0
国が軌道に乗るまで薩長が政府の中心に座るのは仕方ない。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 01:35:57 ID:xA2GpFjG0
明治になって藩閥があったのは事実だけど、
藩も解体して、いろんな人が好きなところに移り住める時代になったんだから、
幕末の人らの時代が終れば藩閥なんて終るのは時間の問題だったわけだし。
藩の流れの人脈の問題はあったかもしれないけど、徳川みたいに〜家が独占するとかそんなことじゃなかっただろ。
山口県や鹿児島県に何か権力を使って突拍子もない利益誘導したわけでもないだろ。
反乱があれば長州だろうが薩摩だろうが分け隔てなく厳しく対応もしてる。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 01:47:52 ID:xA2GpFjG0
>>428

その後、>>407-409みたいなの書いてるから笑わせるな。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 02:05:35 ID:FrRqhpc00
結局、薩長を罵倒したいためだけに福沢などを持ち出しているだけなので、
言っている内容に一貫性が無い。

嘘だらけのつぎはぎによって他人を誹謗中傷しているだけ。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 02:49:53 ID:D5Bxgm6j0
>>434
むしろ薩長政府は「大名とか武士という制度」を残そうとしてる。
幕府時代の武士は特権階級である華士族となり、その家禄はそっくりそのまま承継された。
のちに士族を切り捨てざるを得なくなるのは、財政が破綻し家禄の支払いが不可能となったからにすぎない。

>>435
いみじくも福沢が「我家に招待せざる客」と表現したとおり、
近代国家として起動に乗る際の邪魔者が、ほかならぬ薩長だったんだよ。

>>436
廃仏毀釈で貴重な日本の伝統文化を破壊。
天皇の権威を悪用し、異常な政祭一致体制を構築し、その後の民権運動や議会政治を妨害。
日韓併合により「突拍子もない利益誘導」を行い、朝鮮人を日本人とし、
国家予算の1/3を超える資金を朝鮮半島開発に投じ日本を疲弊させる。
…薩長藩閥が後世に残した悪影響はとても深刻だよ。

>>437-438
福沢が明治以降に>>428のような本音をぶちまけたら彼の命はない。
>>407-409のように封建社会を批判し、本来あるべき社会の理想を語るのは、
それとはかけはなれた貧困な現実に対する警告であり、
「あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し」
となってる第二幕府たる新政府に向けられた皮肉なんだよ。
440名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 03:02:59 ID:xA2GpFjG0
>大名とか武士という制度」を残そうとしてる
形がまったく変わってるだろが。
大名中心の藩とかがそのまま継続されたか?

>近代国家として起動に乗る際の邪魔者が、ほかならぬ薩長だったんだよ。
歴史にもしもはない。近代国家に向かった日本の政府の中心に薩長がいた。
政治だけじゃなく留学して日本の近代化に尽くした人も多い。
藤岡市助など。

>その後の民権運動や議会政治を妨害。
まだ軌道に乗ってもいない国の体制を脅かすものを排除しようとするのは仕方ない面もある

>廃仏毀釈で貴重な日本の伝統文化を破壊。
廃仏稀釈の問題も政府だけのせいでもない。

>第二幕府たる新政府に向けられた皮肉なんだよ。
薩長憎しのお前の都合のいい解釈

441名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 03:22:02 ID:xA2GpFjG0
そもそも全部が全部パーフェクトな歴史なんてない。
探せばいくらでも問題はある。
徳川幕府が後世に残した悪影響だってあるだろう。
部落問題とか。

歴史にもしもを使って都合いいところだけ抜き出せばいくらでも自分にとってのパーフェクトな歴史はできるだろうけれど。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 03:26:56 ID:D5Bxgm6j0
>>440
>大名中心の藩とかがそのまま継続されたか?
封建領主を華族として特権階級にしてる時点でダメダメだろ。

>留学して日本の近代化に尽くした人も多い。
グラバーの手先の五代や伊藤をなぜ例示しない?

>まだ軌道に乗ってもいない国の体制を脅かすもの
民権論や議会開設がなぜ国の体制を脅かす?
むしろ国の体制を脅かし歪曲したのが薩長藩閥だ。

>廃仏稀釈の問題も政府だけのせいでもない。
予想外に拡大しコントロールが利かなくなった部分もあるけど、
伝統破壊の原因は薩長政府にある。

>薩長憎しのお前の都合のいい解釈
皮肉をほめ言葉ととらえるお前のおめでたさがうらやましい。

>>441
意味不明。パーフェクト云々なんてどうでもいい。
重要なのは事実を直視する勇気でしょ。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 03:39:30 ID:xA2GpFjG0
>建領主を華族として特権階級にしてる時点でダメダメだろ
華族が残ったっていっても江戸時代の大名と比べりゃ月とすっぽん。

>グラバーの手先の五代や伊藤をなぜ例示しない?
手先じゃねえだろが。長州ファイブは映画化もされてるな。

>民権論や議会開設がなぜ国の体制を脅かす?
武力に訴えた奴らがいた通り、まだまだ今と違って混乱の時代だったわけだろ。

>皮肉をほめ言葉ととらえるお前のおもでたさ
誰も誉め言葉ととらえてない。

薩長を美化しようとも思わないし、幕府を美化しようとも思わない。
馬鹿だとかいって問題並べるだけや、
もしも、こうやってたら未来がバラ色でしたとか猿でもできる。

444名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 12:11:02 ID:c5p5rTDT0
安倍正弘があと5年生きてたら幕府主導で近代化達成出来たろうな。

445425:2008/02/25(月) 19:41:31 ID:LVU/3mRy0
>>431
>それゆえ権力を握った薩長政府は、最初に狂信的な宗教改革を行うことになる。
違います。神仏分離政策は明治新政府の理論的根拠を整備する為の政策だ。宗教改革ではない。
ただ、それに便乗して暴走した勢力が一部に問題を起こしただけです。
>徳川幕府は禁中並公家諸法度によって朝廷を統制し、
>事実上、幕府が最高の権威であることを世に示す。
違います。権威と権力を混同してはだめだ。朝廷という権威を幕府という権力が統制するための法的根拠を
定めたものです。
>天皇の権威は武士階級のアクセサリーの一種で、
>幕府の統治は天皇から任されていたものという論は形骸化していた。
違います。権威と権力を混同してはだめだ。徳川幕府の権力は実力だけでなく、朝廷という権威から
征夷大将軍を任命されることで権威に裏打ちされて成立した権力なのです。何も形骸化はしていない。
>朝廷の重要性が再び浮上するのは、
>幕末期に開国をめぐって攘夷派が天皇を担ぎ出したことによる。
違います。思い出したように天皇を担ぎ出したのは徳川幕府そのものです。
>近代化を進めるにおいて、幕府の場合は、天皇の権威に依存しない展開が可能。
違います。幕府も天皇の権威に裏打ちされ、その支持を得なければ何もできません。
>しかし薩長は、天皇の権威を借りなければなにもできないため、
>王政復古というアナクロな主張に逆行することになる。
違います。薩長もその辺は幕府と同じことで、幕府より巧みに朝廷に取り入ったのです。
というより公家の岩倉具視と結託して朝廷の実権を握った。

446名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 19:58:23 ID:LVU/3mRy0
>>431
>ともあれ、討幕派にどのような「新政体」についてのコンセプトがあったのか、早く説明しろ。
討幕派なんてものは存在しないし、一つの意思決定機関があったわけでもない。
それぞれがそれぞれのビジョンを持って、その実現に命を賭けたのである。
一口に言えば、中央集権化・近代化による挙国一致救国が新政体のコンセプトである。
よりブレークダウンすれば以下のとおり。
徳川幕府→天皇親政
地方分権→中央集権
士農工商→四民平等
神仏合一→神仏分離
文明停滞→文明開化
農本主義→殖産興業
参勤交代→富国強兵
幕藩体制→廃藩置県
寺子屋教育→学校教育
江戸庶民→帝國臣民
身分世襲→人材登用
このうち、いくつかの方針は西南雄藩が先駆的に実施していて、外様として冷遇されながら西南雄藩として
実力をつけ幕末に台頭する原因となった。そうした成功を根拠に、この国を救うのは自分だという自覚を
薩長の下級武士が身に着けたということなのです。そして朝廷は、この国を託す相手はもはや幕府ではない、
薩長だと認めました。次世代の政権と認めたのは英国もそうです。英国は薩英戦争、下関戦争で
薩長と戦いましたが、それが反って薩長が英国に認められたことにつながるのです。
447425:2008/02/25(月) 20:05:31 ID:LVU/3mRy0
>>439
>むしろ薩長政府は「大名とか武士という制度」を残そうとしてる。
違います。ささやかな激変緩和措置で旧勢力の反発を和らげただけのこと。
>近代国家として起動に乗る際の邪魔者が、ほかならぬ薩長だったんだよ。
違います。役割が終われば不要になるというだけのこと。
>…薩長藩閥が後世に残した悪影響はとても深刻だよ。
たわけた妄想に過ぎない。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 21:27:31 ID:tJ+X1mZm0
結論から言うと、幕府主導で近代化された方が害悪が大きい。

幕府権力の続投は、既得権が保護されつつの改革となる。
大名制と身分制度は確実に残る(世襲制の知事による地方分権)。
行政の運営期間は世襲制の幕臣により運営される。
人として扱われるのは日本人口の一割程度の武士まで。
農民町人職人など大多数の人々は冷遇される
(なぜなら、非生産階級である武士階級の生活費を彼らがすべて賄うしかないからだ)
義務教育は行われない(明治期の義務教育反対一揆に諸大名は耐えられない。)
統一的な教育は行われない(諸藩によって違うから)
物価の不安定化(諸大名によって物価統制方法が違うから)
地方分権といえば聞こえは良いが、実際には地方別権である。
(中央政府である徳川家は、地方権力者である他藩の政治に口出しできない。なぜなら家が違うから
もっと簡単に言えば、隣の家の晩御飯をカツ丼にしたらと言えるが、カツ丼にしないと駄目とはいえない。強制力がない。)
したがって、武家の対面もあって徴兵制は導入できない。
日本の軍隊は、人口の一割の武家人口。そのまた半分の男性(半分は女性)。
その男性の数十分の一の動員力しかない。
(武家社会なら元服した15歳から死ぬまで戦うが、近代的軍隊は18〜30歳を主力歩兵とする。それ以上の年齢は兵隊に適さない。
よって常備兵力は異常に少ない。さらに地方(その藩次第だから)によって常備兵力が違う。
また、武装面において統一的な装備ができない(藩によって装備が違う)。
幕府が勝てると攻め込んだ長州征伐で、フタをあけて見たら洋銃を持っているのは幕府の歩兵のみで、
あとは刀槍弓だったという現象が起こる。

ちょっとあげただけでもこれだけの害悪が想像できる。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 21:51:33 ID:c5p5rTDT0
当時の公家って10万石しか貰ってねえんだろ。
それを全員で分けるんだから貧窮ぶりが激しかったんだよな。
皇室にとっちゃ明治維新あって良かったよな。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 22:04:41 ID:FL6ew8rj0
>>444
井伊直弼があと5年生きてても幕府主導で近代化達成できた。

>>445
>神仏分離政策は明治新政府の理論的根拠を整備する為の政策
要するに薩長による神道国教化政策だね。
その「明治新政府の理論的根拠」は記紀神話にあり、天皇を現人神と神格化。
神祇官を使って国民を扇動し寺社仏閣を破壊しまくった。
破壊の規模はポルポト派やタリバンなどの文化財破壊をはるかに超え、
近世においてこれほど徹底的に自国文化を破壊しまくった政権は世界的にも珍しい。

>朝廷という権威を幕府という権力が統制
江戸末期、天皇は腐った魚を食べ、京市民は公家の貧乏をさげすみ、
江戸っ子は天皇の権威などまるで理解していないような状態だった。
朝廷は武士階級内でのみ通用する観念的な権威にすぎず、
世俗的な意味で権威と権力を併せ持つ存在はあくまでも幕府。

>思い出したように天皇を担ぎ出したのは徳川幕府
たしかにその通りだ。
外交権は幕府が握ってるのだから自己の責任において開港してれば何の問題もないのに、
一橋派は、わざわざ朝廷に許しを求めた。愚かだ。
そのミスに尊攘派がつけこみグダグダの展開となって行く。

>幕府も天皇の権威に裏打ちされ、その支持を得なければ何もできません。
幕府自体が圧倒的な権威・権力だから、
薩長に比べれば天皇の権威への依存度ははるかに低い。

>薩長もその辺は幕府と同じことで、幕府より巧みに朝廷に取り入ったのです。
長州嫌いで佐幕派の孝明天皇を、絶妙なタイミングで亡きものとした。
岩倉の「巧み」はすごいね。
この宮中における猿芝居に明治維新のすべてのエッセンスがある。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 22:08:06 ID:FL6ew8rj0
>>446-447
>中央集権化・近代化による挙国一致救国が新政体のコンセプトである。
「政体」といいうからには、具体的な近代国家の綱領となる文書を示せ。

>天皇親政、中央集権、神仏分離、帝國臣民
これはその通り。律令時代に復古したことの副産物として「臣民」が復活した。

>四民平等、文明開化、殖産興業、富国強兵、廃藩置県 、学校教育、人材登用
これはいずれも薩長政府がコンセプトをもって自覚的に行ったことではない。
彼らは税制が破綻し政治が行き詰まった結果、小出しに封建的な既得権を放棄して行く。
また、文明開化や殖産興業はそもそも幕府が進めてた政策。
旧幕府の知識人が無知蒙昧な薩長政府を啓蒙して、諸々の近代化政策が実現しただけ。

>ささやかな激変緩和措置で旧勢力の反発を和らげただけのこと。
明治維新の根底には、阻害されてた外様藩の下級武士の成り上がり願望が根底にあり、
彼らは幕藩体制を変えようとする意図は、そもそも持っていなかった。
維新後の彼らは幕府の財産の分捕り合戦に夢中となり、その後は権力の維持に汲々としている。

>たわけた妄想に過ぎない。
薩長閥は、無数のお寺や城郭を破壊し、日本を朝鮮人だらけにした。これが害悪ではないとでも?
452名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 22:14:51 ID:FL6ew8rj0
>>448
大名制と身分制度は確実に残る(華士族制)。
行政の運営は世襲制の藩閥により運営される。
非合理的な皇国史観教育等々。
キミがあげた害悪のほとんどは薩長政府のもとで実現してる。

>>449
政争の道具とされ、政治の矢面に立たされた皇室にとって明治維新は一種の悲劇。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 23:08:30 ID:tJ+X1mZm0
>>448
君は馬鹿かね?

>大名制と身分制度は確実に残る(華士族制)。
大名制と身分制は廃止されていますよ
大名制は廃藩置県により廃止身分制度廃止により廃止。
身分制度は、徴兵制度導入の前提条件なので廃止されています。
身分制の廃止により、皆平民。平民の一定の年齢の者は皆徴兵制で兵隊。
こうやって常備兵力を増やした。

>行政の運営は世襲制の藩閥により運営される
馬鹿かwww笑うしかないなwこりゃ
薩長藩閥政治では世襲制は採用していません
伊藤博文の家系の者がずっと総理大臣やってましたか?w
山縣有朋の家系の者以外、陸軍大臣になれませんでしたか?w

>非合理的な皇国史観教育等々
教育史を再度確認してください。
皇国史観刷り込み教育が行われ出したのは、東北人など非薩長系の者が軍部を掌握しだした頃ですw。

>キミがあげた害悪のほとんどは薩長政府のもとで実現してる
は?
>義務教育は行われない
義務教育は行われましたが?www
>大名制と身分制度は確実に残る
廃藩置県や断髪廃刀令、秩禄処分による大名、武士階級は解体されていますが?w

もっともないからキチンと勉強してから反論してねw
小学生レベルの知識量の奴とは議論できないからwww
454453:2008/02/25(月) 23:14:33 ID:tJ+X1mZm0
誤爆
>>448じゃなく>>452なw
455名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 23:42:38 ID:G880OLyZ0
>>448
そういう状況は近代化とはいわない。だから幕府主導ではたとえ改革ができたところで、
近代化は不可能だということなのだ。
>>450
>神祇官を使って国民を扇動し寺社仏閣を破壊しまくった。
それは明治新政府が為したことではない。ごく一部の過激派分子が調子に乗って過剰反応したもの。
その証拠に局所的にしか発生していない。
>江戸っ子は天皇の権威などまるで理解していないような状態だった。
2百数十年も朝廷は冷遇されていたから、確かにそうかもしれない。
江戸は将軍のお膝元だし。
>外交権は幕府が握ってるのだから自己の責任において開港してれば何の問題もないのに、
外交権を握っていても、諸藩・武士・町民が幕府にしたがわなければ、そんな責任は取れない。
実際、生麦事件などの攘夷事件が起きたではないか。幕末には幕府は統治能力を失っていた。
だから外と内の板ばさみになった幕府はどうにもならなくなったのだ。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 23:58:40 ID:D5Bxgm6j0
>>446
>このうち、いくつかの方針は西南雄藩が先駆的に実施していて、外様として冷遇されながら西南雄藩として
>実力をつけ幕末に台頭する原因となった。そうした成功を根拠に、この国を救うのは自分だという自覚を
>薩長の下級武士が身に着けたということなのです。そして朝廷は、この国を託す相手はもはや幕府ではない、
>薩長だと認めました。次世代の政権と認めたのは英国もそうです。英国は薩英戦争、下関戦争で
>薩長と戦いましたが、それが反って薩長が英国に認められたことにつながるのです。
たわけた妄想に過ぎない。
薩摩は薩英戦争でボロ負けし、英国に土下座して藩論を開国に転換することを誓う。
このとき藩論を英国下僕路線に導いたのが、グラバーの手先の五代。
その後、英国外商から融資を受け、上海との間の大規模な密貿易を開始。
大量の銃器を買い付けイギリス人の指導のもと軍制改革も行い割拠体制を固める。
このような薩摩の動きは、日本全体は念頭においておらず、
あくまでも一藩の利害を絶対視してるところに特徴がある。
長州もまた同じで、四国連合艦隊にボロ負けした後、
上海との密貿易を軸に独自の割拠論が台頭。
下関の貿易利権を幕府から守るためイギリスの庇護のもとに入ろうとする。
両藩ともやってることは国賊そのもの。
457446:2008/02/26(火) 00:02:59 ID:/SwTxOck0
>>451
>「政体」といいうからには、具体的な近代国家の綱領となる文書を示せ。
訳の分からない命令をするな!
綱領だと?当時、誰が誰に対してそんなものを示す必要があったか。
幕府と薩長が御前でそんなプレゼンテーションをしたとでも思っているのか?
>>四民平等、文明開化、殖産興業、富国強兵、廃藩置県 、学校教育、人材登用
>これはいずれも薩長政府がコンセプトをもって自覚的に行ったことではない。
馬鹿をいってはいけない。これらの政策は廃藩置県以外は、
薩摩藩・長州藩が既に江戸時代に先駆的に採用した政策なのだ。
だからこそ薩摩藩・長州藩は実力をつけて自信を深めたのだ。
まあ、それが自信過剰となって薩英戦争、下関戦争を起こしたが、これが散々なボロ負けとなり、
それをきっかけに薩長は攘夷から180度方針を転換して日本の遅れを痛感することになる。
それが明治維新を急いだ理由でもある。
旧幕臣をも新政府の幹部として重用したのは薩長閥である。人材登用とはそういうことだ。
ちなみに薩摩藩の琉球支配は早くも1609年のこと。この発想は明治新政府の朝鮮進出につながるもの。
明治新政府が採用した政策は、あらかた既に薩摩藩・長州藩が採用して成功を収めた実績のあることばかりだ。
無知蒙昧はお前のほうだ。
>明治維新の根底には、阻害されてた外様藩の下級武士の成り上がり願望が根底にあり、
成り上がり願望でも出世欲とでも好きに呼べばよい。
しかし、そうした欲が歴史を動かしてきたエネルギーなのだ。
それは何時の時代でも同じことだ。
>薩長閥は、無数のお寺や城郭を破壊し、日本を朝鮮人だらけにした。
大げさ杉。なんにでも副作用は伴う。それだけのこと。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 00:06:48 ID:vct6alXlO
>>450
>孝明天皇を、絶妙なタイミングで亡きものとした 孝明天皇は毒殺じゃなく天然とうによる病死だったはずだが…。

>岩倉の「巧み」はすごいね。
岩倉の企みってなんだ?
459名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 00:17:45 ID:HOYp4p9M0
薩摩長州土佐が英雄で明治維新は正しかった。ってゆう歴史観は義務教育で散々習うから、
違う目線から見てみるのも面白いね。
460446:2008/02/26(火) 00:24:33 ID:TV943h9F0
>>456
英国下僕路線?一藩の利害?貿易利権?笑止千万だ。それこそがたわけた妄想に過ぎない。
薩長こそが日本の近代化の走りであり、さきがけなのだ。薩長は藩政で実施した近代化政策を
日本全国を舞台に国政として実施しようとした。そのためには中央集権が必要である。権力が必要である。
それが日本を近代化するアプローチだと彼らは確信した。
それが明治維新だ。国賊どころではない、日本は薩長によって救われたのだ。
しかしそれは薩長だけの手柄ではない。元々は幕藩体制をしいて諸藩の自主性を尊重した幕府の手柄でもある。
そして薩長の実力を認めた朝廷の手柄でもある。
会津藩はひたすら幕府に忠誠を誓ったが、それがために朝敵となって討たれた。
これは悲劇であるが、そうした犠牲となった人々のことも現代人は忘れてはならない。
それが明治維新だ。戊辰戦争で敗れた側も近代日本の礎となったのだ。国賊などどこにもいない。
461名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 00:46:04 ID:HOYp4p9M0
結局勝者が歴史書くんだからそりゃそうなるわな。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:24:28 ID:sb7NeobU0
敗者は正しい? そういうわけでもあるまいし
闇雲に「敗者の歴史は抹殺されている」と妄想を逞しくするのが阿呆の証明だろう。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 21:44:48 ID:h4DBHbPR0
>>461
>結局勝者が歴史書くんだからそりゃそうなるわな

 こういう手合いの歴史研究家が「敗者に都合よく歴史を改竄捏造をしている」という事実に気が付きなw
勝者によって闇に葬られた歴史的事実も過去に確かにあった。
そして現在は、敗者の側が自分たちに都合の悪い歴史的事実を隠滅させ、
自分たちに都合の良い歴史に塗り替えるべく、捏造を繰り返している。

たいがに2ちゃんで論破されたり馬鹿にされまくる奴って、「本を鵜呑みにしているだけ」の奴だよw
464名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 21:46:27 ID:HOYp4p9M0
一方の意見だけ有難がって聞く方が阿呆だと思うけどな。
勝者の意見も敗者の意見も両方聞いて判断した方がいいんじゃねえの。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 21:59:02 ID:MJJXnxIY0
「敗者の歴史は抹殺されている」のは妄想

こんな難しい洗脳すらやってのけるのは勝者の特権もあるんだろうが
洗脳を洗脳とも思わせないってのはすごいよね。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:03:52 ID:vct6alXlO
しかし最近は敗者の歴史の研究もされているんじゃないか?
大学の研究レベルで…。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:07:00 ID:F4F1rPEP0
>>460
>薩長こそが日本の近代化の走りであり、さきがけなのだ。
愚かな冗談はやめろ。

>薩長は藩政で実施した近代化政策を日本全国を舞台に国政として実施しようとした。
近代化政策を日本全体のために国政として展開しようとしてたのは、はかならぬ幕府だろ。
そして、幕府が日本の将来のために開国を断行し横須賀製鉄所を建設したとき、
一藩の私欲にこだわり、近代化政策に敵対し、幕府への当てつけで外国人を斬り殺してたのは誰だ?

>>462
>敗者は正しい? そういうわけでもあるまいし
てか、そもそも薩長や土佐の長曽我部残党は敗者なんだよ。
関ヶ原に破れて僻地に追われ、約350年もの間、国政からはじき出されていた。
明治維新はその虐げられてきた敗者の下克上であり、
全国的な視野をもたない浮浪の徒が、単に徳川憎しで暴走したにすぎない。
>>460は典型的な薩長史観だけど、その幼稚で独善的な信念の表明には、
真の勝者としての余裕・公正さ・理知が微塵もない。
敗者がマグレで権力にありつくとこうなるという悪しき典型例だね。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:24:44 ID:sb7NeobU0
特権意識だけで前も見ずに、自らの正義を謳うばかりだね。
まるで佐幕擁護は藤原正彦のように愚劣だよ。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 22:48:58 ID:h4DBHbPR0
>関ヶ原に破れて僻地に追われ、約350年もの間、国政からはじき出されていた。

司馬小説の読み過ぎw
それを言ったら会津だって関ヶ原の負け組だよw
関ヶ原当時は会津領は上杉家が支配していて、石田三成と組んで会津に家康をおびき寄せてるだろw
会津松平家藩祖保科正之にいたっては、戦国時代以後の生まれで、会津藩は戦国時代を体験していないだけw
戦国時代の恨み辛みをもってくれば、徳川家に強制的に領地を減らされた奥羽越列藩同盟盟主米沢藩上杉家と仙台藩伊達家だって同じだw

>>466
>しかし最近は敗者の歴史の研究もされているんじゃないか?

その認識はちょっと違う。
正確には勝者敗者関係なく、史料を検証し事実を明らかにしようとしているだけ。
大学の維新史研究は政権の移動などが主だったから、大政奉還から鳥羽伏見の戦いあたりがメイン。
会津戦争や函館戦争は、政権が幕府から明治政府に移った後なので、研究する意味がないと思われていた(地方史の範疇だった)。
最近は、細かい地方史にも目が向くようになってきたという話しだな。
470名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 23:43:16 ID:E1Dt+6Iv0
>>469
>戦国時代の恨み辛みをもってくれば、
長州は明治になるまで毎年正月に「殿、今年こそ徳川征伐を!」と、
徳川への恨みを確認する儀式を繰り返してた。
ここまで徳川への恨みを引きずった藩はほかにないだろ。
人種的に朝鮮半島からの影響を強く受けてるから?

>史料を検証し事実を明らかにしようとしているだけ。
史料ではなく視点の問題でしょ。
以前は階級史観にこだわる研究者が多く、明治維新を、武士対草莽の階級闘争、
封建社会からの解放などといった、無茶な図式で描きたがった。
この場合、下級武士や農民からなる薩長には感情移入できるけど、
幕府側の視点で歴史を捉えようとする動機は働かなかった。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 00:17:42 ID:iYukdgWi0
>>467
>愚かな冗談はやめろ。

冗談でもなんでもない。明治新政府の大半の近代化政策は、江戸時代の薩摩藩・長州藩が
先駆的に採用して両藩が西南雄藩と呼ばれるまでに実力をつけた実績のあるものばかりだ。
会津藩がやった政策って何がある?
新撰組を雇って長州の浪人を斬り飛ばしていただけじゃんか。
それで会津藩が実力をつけましたか?日本の近代化を遅らせただけじゃないか。
幕府への忠誠にこだわり、近代化政策に敵対し、長州への当てつけで日本人を斬り殺してたのは誰だ?
横須賀製鉄所ってか。あまりにも遅すぎ。軍艦作っても外国と戦うどころか蝦夷地にまで逃げ回った
だけだろ。手前らの死に場所探しの為にわざわざ軍艦なんか作ってさ。大笑いだ。

>全国的な視野をもたない浮浪の徒が、単に徳川憎しで暴走したにすぎない。

確かに下っ端には、そんな輩もいただろうさ。
しかしそういう憎悪のエネルギーも、世の中の大変革を起こすエネルギーとしては利用しなければならない。
いつの時代でもどこの国でもそれが普遍の真理なのだよ。明治維新もしかり。
綺麗ごとだけでは、誰も命をかけやしないって。
そういうミクロなことにこだわっていたら大局を見失う。幕府側にも大局を見失わなかった人物はいた。
そうかと思えば、死に場所探しで蝦夷地まで逃げた奴もいた。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 00:30:37 ID:cCZXXNeG0
儒教風味の毒ギョーザ徳川武士道は、紛れもないカルト。
これに比べると創価やオウムなんてカワイイもんだな。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 04:06:34 ID:RkB0WYPa0
日本史上最大の超自虐革命。
日本の伝統文化を後進的として一掃し、欧米文化を至上とした。
その延長線上にアジア蔑視観がある。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 04:07:49 ID:8VtIPs/j0
つか薩長が嫌いという感情が根底にあるから
まともに歴史を見れないんだろう。
それはそれでしかたない。
475名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 15:46:10 ID:g+p4qvrs0
池田大作先生こそ救世主。
鉛筆一本まで池田大作先生のもの。
池田大作先生の教えを実践することこそ真理。
池田大作先生のためなら命を惜しんではいけない。

池田大作先生の部分を徳川に変えてみてください。
分かりますね、よって儒教系武士道≠武士道
476名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 17:25:01 ID:fIMNpDaj0
>>470
>徳川への恨みを確認する儀式を繰り返してた。
これは司馬遼太郎の小説なんかで有名になったけど、
司馬自身がこれについて作り話でしょうみたいなこと言ってたし、
関ヶ原のほんの前までは、長州藩の防長の領主は大内氏だったわけで、
滅亡後に毛利家の領土になったわけだから、
毛利家が関ヶ原に負けたからって防長の人々全部が関ヶ原の恨みを持つ義理はない。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 19:40:44 ID:UKawdlH80
みんな勉強してんだなぁー。
でも、もう少し学会雑誌や専門書を読んだ方がいいな。
楽しくやってるようだからそれだけ書いとく
478名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 19:59:38 ID:dgR7MGGx0
>>470
>徳川への恨みを確認する儀式を繰り返してた

だから最初から

 司 馬 遼 太 郎 小 説 の 読 み 過 ぎ w

と言っていただろうw
なぜ会津ヲタは小説ネタばかりで勝負しようとするのだろうかw
だから馬鹿にされるんだよ会津ヲタw
479名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:02:16 ID:dgR7MGGx0
ちなみに、司馬遼太郎小説で主人公が薩長側だった時、
会津藩や新撰組は

 単 な る 人 殺 し の 弾 圧 機 関 

で、

 思 想 も 志 も な い 幕 府 の 屑 犬 

の扱いだが、小説を信じている会津ヲタってこれも信じているのだろうかw
480名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:06:09 ID:TVcoYRGI0
>>478-479
それがどうした?
481名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:25:37 ID:0klmriFR0
>>476
大内といえば朝鮮人大名だね。
そして朝鮮人にとっては根拠のない逆恨みはお家芸。
チョソ臭い大内遺臣団や防長土着民と、恨み爆発の毛利家臣団が融合したのが長州藩。
結果「防長の人々全部が関ヶ原の恨み」を延々と共有することとなったんだよ。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:35:43 ID:fIMNpDaj0
>>481
大内氏が百済の王の子孫ってのは信憑性が少ない。
それに、逆恨み云々で必死なのは君みたいな書き込みをしてる人のほうが
強いように見える。
感情的になって妄想を膨らませてるだけの異常な逆恨みかた。


483名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:59:37 ID:dgR7MGGx0
>>480
ププw
小説を史実と信じていたが故に何も言い返せないとはw
哀れだねぇwww
484福沢諭吉:2008/02/27(水) 21:06:15 ID:Dx3jNeMf0
日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。 
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:06:50 ID:4MnpR4b20
>>483
それがどうした。
何が哀れだ?え?人生の落伍者が偉そうに何を言う
486名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:07:31 ID:4MnpR4b20
福沢諭吉うぜぇー
487名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:14:59 ID:fIMNpDaj0
幕臣時代だったからな・・・・・。
 >>484

その後
>>407-409
488名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:20:07 ID:dgR7MGGx0
>>485
うはー!それは俺の事なのかい?w
俺の事そう決めつけるぐらいだから、当然根拠あっての事だろうねw
根拠となるモノを示してくれないか?
示せないよねw

これが基地外会津厨の得意芸

    妄 想 w

自ら妄想し、勝手にストーリーを作り、自作した妄想に自己満足する哀れな姿w
根拠のない誹謗中傷は君みたない会津厨の十八番だよねw
489名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:23:25 ID:0klmriFR0
>>482
百済王の子孫か否かの「信憑性」は本質的な問題ではない。
大内が自分で自分をチョソだと言い張ったことが重要。
後に長州人は日鮮同祖論をぶちあげて、日本を朝鮮人だらけにするんだけど、
その原点は大内にあると考えるべきだろう。

>>487
幼稚で表層的な理解だ。
言論の自由のない明治初期に>>484のような批判をしたら福沢は抹殺されてる。
>>407-409は幕府批判の形式をとって、迷走する薩長政府を啓蒙するためのもの。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:24:27 ID:fIMNpDaj0
>>489
だ  か  ら

お前の都合のいい妄想はいいって。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:26:07 ID:fIMNpDaj0
だいたい百済人と朝鮮人は違う民族といわれてる。
492名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:29:05 ID:0klmriFR0
>>491
百済人と朝鮮人が同じ民族か否かは本質的な問題ではない。
長州人が自分達を朝鮮人と「同祖」と考えていたことが重要。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:31:54 ID:fIMNpDaj0
>>492

考 え て な い
494名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:50:59 ID:Om7jSld00
>>488
>根拠となるモノを示してくれないか?

こういうレスをしていることが、なににもまして明確な根拠。
人生の落伍者のね。会津なんて関係ねぇけどね、ねぇ、人生の落伍者さん。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:57:54 ID:ugRysP230
>>488
>自ら妄想し、勝手にストーリーを作り、自作した妄想に自己満足する哀れな姿w
根拠のない誹謗中傷は君みたない会津厨の十八番だよねw

人生の落伍者に対して根拠なんて書いても何の意味もない。
>>485のどこに、妄想していることがあるのか、そして勝手なストーリーがあるのか
自作した妄想に自己満足しているのか、逆に書いてあるか根拠を書いてみな。
人生の落伍者君よ。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 22:14:10 ID:NyxRyhyQ0
>>488
根拠を書けなくてこの落伍者は逃げました。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 22:15:55 ID:/X1Ean/i0
ということは、妄想を書いていたのは自分ということ?
498名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 22:29:25 ID:JIlparfuO
>>488はみんなからいじめられて逃げだしましたとさ



おしまい
499名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 20:36:45 ID:awsVn5660
>>494-498
必死にレッテル張りに勤しむ負け犬厨房が自作自演しているな
これだけ連投するところを見ると、顔を真っ赤にして一生懸命煽ったのだろう・・・

で、スルーされたと・・・・
あ、哀れすぎる・・・・馬鹿丸出しだなw
500名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 20:49:16 ID:aGgFVLcX0
廃仏毀釈で馬鹿なこといっている奴がいるけど、
あれは別に政府がしたわけじゃないぞ。
政府がしたのは見てみぬふりをしたこと、
あれをやったのは民衆。
寺ってのは、幕府の民衆支配の末端を担っていたもので、
キリスト狂などの問題もあって、全ての民衆は檀家に組み込まれてたの。
で、寺はすき放題やっていたわけね。
けど寺の背後には幕府がいるから、なにもできなったんだけど。
幕府の庇護がなくなったから、民衆の怒りが爆発して、寺を襲ったわけ。

ただ新政府よりの本願寺の一派などもいて、
そちらのほうは、政府が積極的に保護したために襲われても助けている。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 20:59:45 ID:X0tQHV20O
>>499
見たところ全部IDが違うが、どうやって自作自演して連投したんだ?
502アーネスト・サトウ:2008/02/28(木) 21:08:15 ID:uKNcusjl0
大君を本来の地位に引き下げて、これを大領主の一人となし、
ミカドを元首とする諸藩の連合体が、大君に代わって支配勢力となるべき。
これが私の提案である(英国策論)。

イギリスが表立って口を出すとまずいから直接介入は避けるが、
我が下僕たち(薩長)への間接支援は惜しまない。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 21:11:53 ID:OnOczzXx0
また副島のイギリス薩長神話ですか?
当時、フランス公使のロッシュと徳川慶喜は一心同体でしたが、イギリスは中立でしたよ。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 21:20:58 ID:uKNcusjl0
>>500
>あれは別に政府がしたわけじゃないぞ。
アサハラが「サリンテロは部下が勝手にやったこと」と言ってるようなもの。
廃仏毀釈は明治政府が真っ先に行った神道国教化政策から派生した現象であり、
事実上、明治政府が誘導した破壊活動だ。
確かに幼稚な明治政府は、自分達のデタラメでカルトな妄挙が、
どのような結果をもたらすかを、正確には認識していなかった。
しかし、だからといって彼らが引き起こした事態についてイノセントとはならない。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 22:05:31 ID:vgDHwSyN0
>>504
馬鹿馬鹿しい。日本国民は老人から赤ん坊まで一人残らず政府のあやつり人形のように
政府の命令どおりに動いているとでも思っているのか?世界のどこにそんな国がある?
お前漫画の見すぎか?それじゃ、どうして士族の反乱が起きるんだよ。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 22:31:09 ID:uP6KFzg70
>>505
504は日本人が「一人残らず政府のあやつり人形」になったとは言ってないだろ。
君は勝手な前提をつくって論点をそらしそれを批判してるだけ。
自分の影に殴りかかってるようなもの。

ただし、薩長政府は、日本人を「老人から赤ん坊まで一人残らず政府のあやつり人形のように」
しようと陰謀をめぐらしていた。

宣教使ヲ置クノ詔(明治3年正月3日)
朕恭しく惟るに天神天祖極を立て統を垂れ列聖相承け之れを継き之れを述へ
祭政一致億兆同心治教上に明かに風俗下に美なりし而して中世以降時汚隆あり道顕晦あり
今や天運循環百度維れ新なり宜しく治教を明らかにし以て惟神の道を宣揚すへきなり
因て宣教使に命し天下に布教す汝群臣衆庶其れ斯旨を体せよ

「祭政一致億兆同心」という基地外じみたスローガンにその野望が現れてるね。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 23:24:53 ID:OnOczzXx0
当時国家に尽くすことは旧幕府側でも異存は無かったはずだが、
何をもって「基地外じみた」と表現しているのだろう。

同じことを旧幕府の人間が喋った場合、礼賛唱和しているくせに。
嘘を嘘で塗り固めているのがここのID:uP6KFzg70だ。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 00:21:21 ID:AVaLOo5u0
幕府は、血族の維持管理をシステムの頂点に持っていったことに無理があったよね。
そのツケを払わされ続けた下級武士が、一番その矛盾に気づいていた。
強大な権力を倒すための力を外資ファンドに頼り、無我夢中で市民の解放を目指したのが薩長ではなかったのか?
芋侍で結構。
無骨で、猛々しく、コンプレックスの塊のような集団が命がけで市民の国家を目指したことを感じて欲しい。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 04:35:26 ID:MwltIDKm0
>>508
市民の国家を目指した?ご冗談を。
510名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 22:14:03 ID:u/+r79ve0
>>507
>>506の詔はどうみてもカルトだろ。
政府が神道の教説をつかって国民を洗脳。
神祇官はあらゆる官吏の頂点に立ち強大な権力を持つ。
…こうしたカルト政策は、本来の意味で「国家に尽くすこと」ではない。

>同じことを旧幕府の人間が喋った場合、礼賛唱和しているくせに。
薩長がカルト宗教を国民統合の道具に用いたのは、
なんの権威もない薩長が幕府という巨大な権威を否定するため。
仮に幕府が近代化を進めたなら、国家神道のような蒙昧な政策は必要ない。
したがって「同じことを旧幕府の人間が喋った場合」という前提はナンセンス。

>>508
薩長がコンプの塊であったこと及びグラバー等からの借金に依存してたこと以外はすべて間違い。
薩長は天皇の下に封建大名を等しくぶら下げようとしてただけで、「市民の解放」なんて毛頭考えていない。
権力を握ると、皇族・華族・士族という特権階級を設け、どさくさにまぎれて自ら特権階級に成り上がり、
国家予算の半分をその家禄に当て徳川以上の圧制者と化す。その他の庶民は没個性な「群臣」扱い。
薩長は権力を握る前からすでに腐臭を漂わせていた。
日本人は、腐った芋との闘いをとおして「市民の解放」「市民の国家」を勝ち取らなければならなかった。
この事実を理解してほしい。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 22:42:21 ID:ZrjIr9rL0
>>510
この佐幕厨房が「ナンセンス」と書いた部分が、悉く佐幕派の泣き所をついているのが面白い。
512名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 23:27:15 ID:6cKcHwUf0
>>510
あ−・・・必死なところすまないが・・・

幕末当時に生きた知識層(佐幕尊王双方)は、現代人から見たら皆カルトだぞw
現代の我々と違い、当時の日本人全員が日本神話を信じていた。
なぜなら、当時の日本人は誰一人として「縄文人とか弥生人の時代」の知識が無いw。
何故無いのかと問われれば、彼らの事を書いた書物が無いからだ。
日本最初の書物とされる古事記や日本の正史として普及していた日本書紀は、
日本はイザナミ、イザナギの神が作り、アマテラス大御神が存在し、天孫降臨して朝廷ができたと書いてあるw。
みんなコレを信じていたよ。徳川将軍家も天皇家も近藤勇も松平容保もね。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 23:31:16 ID:6cKcHwUf0
君の言う「神祇官」は早い段階で廃しされていますw
なぜなら、諸外国(キリスト教国)との兼ね合いで外交問題化したからw。
明治政府の方が「これは問題だ」と気が付き廃止されますたw
514名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 23:59:59 ID:yrXeQV470
>>512
>当時の日本人全員が日本神話
それはデマだな。ほとんどの日本人は天皇のなんたるかを知らなかった。
だからこそ明治政府は必死に皇国史観教育を行う必要があった。
では、日本は近代化にあたって、必ず国家の基礎を記紀神話に置かねばならなかったのか?
答えはNOだ。薩長が天皇を現人神に祀り上げるのは彼らの脆弱な立場に起因している。

>>513
そう。神道国教化政策は早々に破綻する。
薩長が願望し着手したものの、現実の壁にぶつかり破綻した政策は多い。
神祇官制もそのひとつ。
ともあれ薩長が真っ先に行ったのが、国会の開設や殖産興業政策でもなく、
神仏分離や国民教化という時代錯誤なカルト政策だったことが重要。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 00:31:19 ID:kXGc8JeH0
>>514
アホ
>ほとんどの日本人は天皇のなんたるかを知らなかった
だれがほとんどの日本人と言った?俺は
>幕末当時に生きた知識層(佐幕尊王双方)
と言ったろw。字も読めない連中の話しはしていない。
そして尊王攘夷佐幕開国といった事を叫んでいる連中はすべて知識層であり、
字を読めない連中はこうした思想は持たない。持つはずもない。

>必ず国家の基礎を記紀神話に置かねばならなかったのか?
>答えはNOだ。
 お前馬鹿だろw。イエスもノーも無いわ。一番手っ取り早いのは政教一致政治だよw。
日本に限らず、イギリスもフランスもドイツも最初はコレからだ。他文化(外国)と交わる事で、
多様化し、宗教が邪魔になってきたから政教分離が行われたのw。

>薩長が願望し着手した
 違いますw。最初に願望し着手したのは朝廷w。陰陽寮とか当時はあるからねw。
 彼らが薩長に懇願して許可された。
 元々、幕府の寺社奉行が仏教を幕藩体制の基礎部分においていた。
 各地の寺はその村の人別帳(戸籍)を管理し、寺は寺社奉行が管理。
 通行手形の発行場所も寺で、村人は定期的に寺に献金しなければならない(法要とかの名目で)。
 そうしなければ、手形も発行されず人別帳から名を消される。
 消された人は村人ではなくなり、一切の保護を受けられない(これを村八分という)。
 薩長はこうした制度を廃止する目的で寺を保護しない政策を行った。
 寺が廃れ、反仏教を唱える国学者(薩長ではない。薩長は水戸学系)による寺の破壊が行われた(廃仏毀釈)。
 諸外国のキリスト教国も問題視した為、薩長(主に桂小五郎)は「信教の自由」を設定、
 キリスト教布教許可問題と廃仏毀釈沈静化を図った。また、かなり早い段階で太陰暦から世界標準の太陽暦を導入。
 この結果、神祇官および陰陽寮などが廃止されている。
 薩長は統一国家を作り正常な外交が行えればそれで良く、宗教はあまり気にしていなかった。その結果、宗教統制は迷走した。
 それだけのことだよ。

>国会の開設や殖産興業政策
 殖産興業の方が宗教関連より先に手が付けられているってばよw
 文明開化っつーだろーにw。
 国会設置は無理だねw。だって先にも書いたが字を書けない読めないという人が大多数だw。
 知識層(武士階級)だけの選挙やれば「攘夷決行で日本滅亡」されちゃうじゃんw。
 だから殖産興業と同時に義務教育を実施。農民層から田畑を耕す労働力として子供達が学校に奪われると
 一騎まで起こったが、それでも明治政府はめげずに義務教育を全国に広め読み書きできる人間を育てた。
 彼らが大人になった頃(明治三十年代)に選挙やって国会を設置したろw。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 00:58:03 ID:PIApa4Kt0
>>515
ちょっと待て。国会の開設と義務教育は、そんな関係ではないぞ。
板垣退助の自由民権運動をスルーしては駄目だろ。
薩長は国会の開設については抵抗勢力だったのだ。
彼らが大人になった頃って、それ偶然だ。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 01:27:25 ID:kXGc8JeH0
>>516
自由民権運動は元々薩長藩閥政治に対する土佐藩閥の反発から始まった。
実際、初期の自由民権運動家はほとんど武士階級だ。
だから現在言われているような純粋な市民平等思想からはじまったわけではない。
だからワザと外した。
結果論かもしれないが、結局読み書きできる人間が増え、そうした彼らが自由民権運動に参加していく事で、
板垣が始めた自由民権運動は、本当の意味での民権運動となって力を付けた。それが明治20年から30年代ごろ。
薩長は彼らを弾圧し続けたが限界に達し、ついに負けて国会を設置するにいたる訳だが、
こうした事柄と義務教育は切り離せまいよ。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 01:31:41 ID:kXGc8JeH0
だいたい字が書けなけりゃ選挙できないじゃんかw
人の名前を書いて投票箱に入れるんだから
519名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 01:51:59 ID:PIApa4Kt0
>>517
確かに自由民権運動は純粋な市民平等思想などではないが。
だからといってスルーしちゃ駄目だろ。
>>515 の書き方だと薩長が義務教育化と国会開設をタイムスケジュールに基づいて
実施したかのように読めるよ。
義務教育化と自由民権運動の関連については懐疑的だが、ここでは議論するつもりは無い。
>>518
いや、そうでもない。現代でも字が書けなくても穴あけ方式で大統領選挙をやってる国もある。
当時の選挙の実態は知らないけどね。
520福沢諭吉:2008/03/01(土) 02:11:04 ID:huS2TX3p0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 02:52:23 ID:huS2TX3p0
>>515
薩長ヲタの愚かさを極めたようなレスだな。

>だれがほとんどの日本人と言った?俺は
>>幕末当時に生きた知識層(佐幕尊王双方)
>と言ったろw。字も読めない連中の話しはしていない。
お前は「現代の我々と違い、当時の日本人全員が日本神話を信じていた。」
と書いてる。 「幕末当時に生きた知識層(佐幕尊王双方)」は、
「当時の日本人全員」の一部ではあるが「当時の日本人全員」ではない。

ちなみに江戸末期の日本は世界で最も識字率の高い国で女子供でも字が読めた。
文盲だらけの薩摩は例外的な僻地にすぎない。

>一番手っ取り早いのは政教一致政治だよw。
イスラム原理主義諸国や北朝鮮やかつてのポルポト政権…
手っ取り早くカルト国家をつくるには政教一致政治が一番だ。

>他文化(外国)と交わる事で、多様化し、宗教が邪魔になってきたから政教分離が行われたのw。
薩長が外国文化の多様性を知らなかったという点は正しい。
しかし薩長は「政教分離」を行っていない。それどころか国家神道は宗教ではないという詭弁を弄して開き直った。
幕府は黒船以前から欧米文化と交わり、世界の多様な文化を理解していた。
それゆえ開明的なテクノクラートを大勢輩出し、開国近代化に向けて国の舵を切った。
幕府がアメリカを倣って国家制度の大改革を行っていたなら、明治初期の愚かな混乱は避けることができた。

>最初に願望し着手したのは朝廷w。
朝廷の権威を楯にし、己は決して責任をとらない。
こうした無責任な政治が始まったのは明治以降。
お前の愚かなレスにまでその腐敗臭がしみついてる。

>殖産興業の方が宗教関連より先に手が付けられているってばよw
>文明開化っつーだろーにw。
文明開化や殖産興業はもっと後のことだ。国会開設に至ってはあまりに遅すぎる。
旧幕府の知識人が新政府の尻をさんざん引っぱたいて、やっと実現したんだよ。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 06:27:06 ID:C5UEWw7y0
>>516
木戸と大久保などは、国会の開設などは初期から議論してるよ。
早期開設派、中期開設派、開設に反対派の三つに分類されてる。
板垣など下野した人たち、つまり権力争いでやぶれ、政治に関われなかった人たちは、
政治に関与する為に、早期開設派だった。
木戸などは中期開設派、すぐに開設しても分盲が多いから、意味内としていた。

あと識字率が高かったのは事実だけど、あくまでそれは都市の人間に限られる。

国民の大半の農民は文盲だよ。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 08:38:32 ID:VAMkMG210
>>522
>国民の大半の農民は文盲だよ。

めんどうだから、上記の一点だけきく。
国民の大半をどう把握したのかとその実数をレスくれ。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 09:04:07 ID:EqWDx8lX0
明治天皇はカルトニダ!!徳川は正義にだ!!部落差別するニダ!!
525名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 09:05:07 ID:EqWDx8lX0
徳川チョンの負の遺産がこうやって部落差別となって現在も受け継がれているである。
526福沢諭吉:2008/03/01(土) 09:22:12 ID:EqWDx8lX0
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
527福沢諭吉:2008/03/01(土) 09:22:50 ID:EqWDx8lX0
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 09:43:56 ID:46b20BLY0
>>521
佐幕贔屓者の妄想に過ぎないな。

>ちなみに江戸末期の日本は世界で最も識字率の高い国で女子供でも字が読めた。
 パーセンテージならそうかもしれない。だがお前は重要な見落としをしている。
たぶんお前の数えた人間の中に小作人階級が含まれず、小作人を雇っている農民(地主)階級だけの数を数えているぞ。
小作人を管理する農民階級層は、その性質から文字が書けなければならない。だから文字が書ける者も多くなる。
だがな、水飲み百姓とも言われる小作人階級の多くが文字を書けない。
それは子供の頃から労働力として働かされ、勉強などする余裕がないからだ。
いわば日本人の生活の底辺部分を無視したパーセンテージになんの意味がある?
どこぞの勘違い研究家の本を読んで(まぁ、俺も読んだからわかるんだがw)鵜呑みにしないことだな。

>朝廷の権威を楯にし、己は決して責任をとらない。
>こうした無責任な政治が始まったのは明治以降。

 馬鹿か?幕府が無責任な政権だったから攘夷運動が討幕運動に発展したんだぞ。
 不平等条約の責任を幕府が取ったか?
 長州征伐に失敗した責任を幕府閣僚の誰が取った?
 鳥羽伏見敗戦の責任を負って切腹した幕府老中がいるか?
 諸外国外交官の記録を読んでもほとんどが、幕府の棚上げ時間稼ぎ外交を非難しているぞ。


>文明開化や殖産興業はもっと後のことだ。国会開設に至ってはあまりに遅すぎる。
>旧幕府の知識人が新政府の尻をさんざん引っぱたいて、やっと実現したんだよ。

 はぁ?マジお前ばかか?
 殖産興業文明開化が明治維新が起こった途端に一年そこらであっというまに実現できると思ってるの?
 お前の妄想のように魔法でも使う人間でもいれば、「ほうら、今日は薪で火を起こしているけど、明日から全日本人がライターで火をつけるようになりますよ」
 なんて魔法が仕える人間がいるなら見てみたいものだよw。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:34:24 ID:46b20BLY0
ちなみに幕府は農民人口(年貢徴収の為に)を有る程度把握していたと思われる。

>江戸末期の日本は世界で最も識字率の高い国で女子供でも字が読めた

という論旨の本を書いた著者は、そこから数字を割り出してこの結論を導き出したが、
ご存じの通り、年貢は耕作地の持ち主に対してのみ取り立てられた。
つまり幕府の農民把握は、農民の中の地主層のみだ。
小作人など土地を持たず、地主に雇われて生活する農民の実数を把握する事は不可能。
ついでにいえば、同様の調べ方で農民の裕福度を調べた結果、
多くの農民がお伊勢参りなどの巡礼に行ったり、歌舞伎なども見に行っていた事から、
日本の農民は比較的裕福で餓死した者はいないというトンデモ本まで出版されているが、
これも小作人層を見ずに出された馬鹿げた結論である事を言い添えておく。
530名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 11:29:58 ID:111UYxwr0
>>529
>ちなみに幕府は農民人口(年貢徴収の為に)を有る程度把握していたと思われる。
違います。幕府がある程度把握していたのは直轄地だけです。
諸藩の領地については幕府は年貢を徴収していないし皆目把握していない。
全然把握してないかというとそうではなくて諸藩の自己申告によって石高を把握していました。
なかには見栄をはって過大に申告する藩もありました。
いずれにせよ、こうした農本主義的な徴税制度は商人の台頭もあって経済の実態にそぐわない
為、幕末には幕府が財政難に喘ぐ一方で西南雄藩が実力をつけ大商人も力を持つようになりました。
こうした幕藩体制の矛盾の極大化も明治維新が起きた原因の一つです。

>日本の農民は比較的裕福で餓死した者はいないというトンデモ本まで
そりゃ確かにトンデモ本ですな。江戸四大飢饉は有名ですが、それ以外もさまざまな凶作が起きています。
ただし文字通り地域によってその影響には温度差があり、餓死者がほとんど出なかった藩もありました。

531名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 21:09:33 ID:C5UEWw7y0
>>523
明治初期で4割という数字。
それもこれは男子だけで。
江戸時代でそれ以上高いわけがない。
そもそもそんな教育機関などない。

西南雄藩のなかには、確かに教育を重視し、
農民まで寺子屋などに強制的に通わせた藩もいるが(長州藩や岡山の、なんて藩だったっけ?)
そんな藩は少数派、
幕府にいたっては、農民の教育なんて目もかけてません、
町民が自主的にやっていただけで。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 23:11:53 ID:mSsrS+Bh0
>>531
>農民まで寺子屋などに強制的に通わせた藩もいるが(長州藩や岡山の、なんて藩だったっけ?)
岡山藩?日本最古の庶民学校として閑谷学校を開設した。
長州藩は庶民学校ではないが松下村塾が武士・町民を区別なく受け入れた。
俺は以前、薩長は明治新政府の近代化政策を先駆的に取り入れていたと書いたが、それはこういうことだ。
ちなみ薩摩藩も教育に力をいれていた。薩摩藩は郷士が多かったから、他と少し形態は違うけど。
とにかく江戸時代は幕藩体制だから、藩によって政策の違いは大きかった。
藩政として公教育のシステムを持っていた藩は例外的であって、一般的には寺子屋などの民営の学習塾が
あった程度ですね。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 23:58:03 ID:b7M0eWqW0
寺子屋の数が教育に力を注いだ備前岡山藩の次に多かったんだってね、長州は。
更に育みという制度(身分保障人みたいなもの。養子に似ているが
相続権は無かったはず)があって、これによって明倫館に通った人間もいた。
534名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 02:09:17 ID:sW5kyI170
>>515
>幕末当時に生きた知識層(佐幕尊王双方)は、現代人から見たら皆カルトだぞw
>現代の我々と違い、当時の日本人全員が日本神話を信じていた。 (>>512

>>ほとんどの日本人は天皇のなんたるかを知らなかった
>だれがほとんどの日本人と言った?俺は
>>幕末当時に生きた知識層(佐幕尊王双方)
>と言ったろw。字も読めない連中の話しはしていない。
>そして尊王攘夷佐幕開国といった事を叫んでいる連中はすべて知識層であり、
>字を読めない連中はこうした思想は持たない。持つはずもない。

言ってることが支離滅裂だな、こいつ。
いずれにせよ「当時の日本人全員が日本神話を信じていた」がデマだということは認めたわけだ。
そして明治政府は武士階級のアクセサリーにすぎなかった尊王思想を、
文盲の百姓に押し付けることで求心力を得ようとする。
この行為のどこに「市民の解放を」を目指す理念がある?
535名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 02:13:35 ID:sW5kyI170
>>528
>馬鹿か?幕府が無責任な政権だったから攘夷運動が討幕運動に発展したんだぞ。
オマエこそバカだろ。
幕府が日本のために開国近代化を進めたことのどこが無責任だよ。
無責任に攘夷を煽ったあげく、英国の手先となって内乱をはじめた討幕派こそが、
絵に描いたような無責任集団だ。

>不平等条約の責任を幕府が取ったか?
条約の不平等性が問題となるのはもっと後のこと。
尊攘派が反対してたのは勅許がなかった点についてであり、条約の不平等云々はまったく問題にもしていない。
薩長は、倒幕の過程において、英米に積極的に条約の遵守を誓い、
幕府が結んだ条約を破棄・改定しようとはせず、明治以降に新たな不平等条約すら結んでる。
卑屈に英米に屈従して「不平等条約」を追認した薩長が、幕府を批判するのはお門違いだ。
536名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 03:39:39 ID:AZNfgWJZ0
>薩長は、倒幕の過程において、英米に積極的に条約の遵守を誓い、
>幕府が結んだ条約を破棄・改定しようとはせず、明治以降に新たな不平等条約すら結んでる。
>卑屈に英米に屈従して「不平等条約」を追認した薩長が、幕府を批判するのはお門違いだ。

最恵国待遇とはどんなものかも知らない外交音痴が佐幕派だったからこそ、
後の日本国は苦難の道を歩むことになった。
諸悪の根源は佐幕派なのだ。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 07:17:49 ID:JXN9e1dw0
>>537
>「当時の日本人全員が日本神話を信じていた」
いいえwそれは事実です。
なぜかって?日本神話を信じている者以外の日本人は日本神話を知らないだけだから。
当時の日本人の中で、「日本神話は嘘っぱちだ!」と叫んだ人は存在しませんw。

ところでお前はもう「人の揚げ足取り」に固執する以外に反論する術が無くなったのかw

>>535
>幕府が日本のために開国近代化を進めたことのどこが無責任だよ
馬鹿w
無責任に開国したからこうなってんのw
それに近代化なんて幕府はしてねーだろw
やったのは唯一「軍隊を洋風にした」ぐらいだ。
なぁーんて書いて終わりだと馬鹿の一つ覚えのように「小栗が・・・」
と叫ぶアホがいるが、小栗も基本は軍備強化だけで日本全体の近代化なんて考えてないからなw。

>勅許と不平等条約
これも単なる揚げ足取りか・・・
あのなぁ、お前さぁ・・・
>尊攘派が反対してたのは勅許がなかった点についてであり、条約の不平等云々はまったく問題にもしていない
幕府が開国した直後はそうだねw
>明治以降に新たな不平等条約すら結んでる
いきなり明治に飛ぶのかいwだったら「条約の不平等性が問題となるのはもっと後のこと」なんて書くな。
訳解らないw

>卑屈に英米に屈従して「不平等条約」を追認した薩長
追認するしかねーだろーが。
どこぞの馬鹿が日本政府として結んだ条約だぞ
政権が変わったら一方的に破棄なんて事国際社会で通用しない。
諸外国に蛸殴りになる。幕府が最初に間違った事が尾を引いているだけだ。
薩長に転化するなよ
538名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 07:24:19 ID:JXN9e1dw0
>>534
>この行為のどこに「市民の解放を」を目指す理念がある?

そこの君
誰と勘違いしているかは知らないが、
俺は「市民の解放を」なんて事一言も言ってないし、思ってもいないからw
539名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 07:40:47 ID:zj261QQl0
>>531
>明治初期で4割という数字。
それもこれは男子だけで

それはどの調査ですか?学制(1872)の公布時あたりのものですか?
4割というとー全国レベルでの数字ならー大変な数です。当時の、職業別の
人口比でいえばどうなんでしょう。それから、手元の歴史事典をみても、
近世に生まれた寺子屋は、江戸時代幕末維新期には全国津々浦々にまで
普及していて、そうとうの識字率だったようですが…
540537:2008/03/02(日) 07:48:32 ID:JXN9e1dw0
一部訂正しておくわ
また揚げ足取りでギャンギャンわめくとウザイんでw

>当時の日本人の中で、「日本神話は嘘っぱちだ!」と叫んだ人は存在しません

「キリシタンの日本人は日本神話を信じていないぞ」なんて言うなよw
それ当たり前の話しで宗教が違うから当然の事だ。
541名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 08:31:57 ID:J93eoXYE0
>>534
>そして明治政府は武士階級のアクセサリーにすぎなかった尊王思想を、
>文盲の百姓に押し付けることで求心力を得ようとする。
横レスですが尊王思想は武士階級のアクセサリーというわけではない。
有識者階級のコンセプトといったところです。理念といってもいい。
有識者階級をリードしたのが武士だったというまでです。そして武士だけでなく
町人や百姓も有識であるものはそれを支持したというまでです。
「押し付ける」のは世界中の近代国家が国家として求心力を規定する為に
どこでもやっていることです。国によっては共産主義思想であったり、抗日神話だったり、
独立闘争英雄神話だったり様々ですが、日本は世界でもユニークな尊王思想なだけです。
どの国も近代国家を成立させるために長年の戦争や異民族に支配された苦難の歴史を
かかえ、そうした苦難の末にたどりついた知恵なのです。そして義務教育化によって
文盲を一層し身分制度を廃し国民(帝國臣民)を定義したのが明治新政府です。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 08:59:51 ID:J93eoXYE0
>>535
>幕府が日本のために開国近代化を進めたことのどこが無責任だよ。
横レスですが、無責任との批判は言いすぎのきらいはあるとしても、
そう批判されても仕方ない面はあります。
国内をまとめきれない無能な幕府ができもしない契約を結んで国内を混乱させたわけですから。
そして、日本のために、というより外国から武力で恫喝されて拒否できなかっただけです。
それまで無能な幕府でもなんとかかんとか持っていたのは鎖国体制だったからです。
>無責任に攘夷を煽ったあげく、英国の手先となって内乱をはじめた討幕派こそが、
横レスですが、攘夷を煽ったのは幕府と政治的争点をつくるための方便でもあり、
またそうでもありませんでしたね。これは民主党がやたら政府と対決姿勢をとりたがるのと
一脈通じるものがあります。さて薩長は確かに攘夷でしたが薩英戦争・下関戦争の敗北で
開国に転じました。一戦も交えずして外国の軍門に下った幕府とどちらがましだったか。
英国は例によって立ち回りがうまいので、明日の日本を担うのは薩長に違いないと判断して
薩長についたわけです。仏蘭西は、英国との対抗上幕府に肩入れしましたが失敗でした。
結果としてどちらが正しかったかは今更書く必要もありますまい。
>幕府が結んだ条約を破棄・改定しようとはせず、明治以降に新たな不平等条約すら結んでる。
明治新政府が幕府の負の遺産を相続せざるを得なかったのは当然のことです。
どこの国でも同じことです。明治以降の不平等条約も幕府の負の遺産のためです。
駅伝で他大学にはるかに遅れてタスキを貰ったようなものです。そして遅れを取り戻し、
他大学に追いつくまでに数十年かかってしまいました。幕府の負の遺産を相続した明治新政府を
批判するのはお門違いだ。
543名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 09:16:11 ID:5SPKDynw0
>>543
>結果としてどちらが正しかったかは今更書く必要もありますまい。

↑これはどういうことが正しかったか、と書いているのですか?

>無責任に攘夷を煽ったあげく、英国の手先となって内乱をはじめた討幕派こそが、

↑前文は、この一文に対するレスの最終行ですが、英国の手先になって内乱を
始めたことに対して正しい事だったということなのでしょうか?

そうであるなら、薩長は英国の手先になり戊辰戦争を仕掛け勝利したという
史観なのでしょうか…
544543:2008/03/02(日) 09:24:25 ID:wYMtw7GT0
>>543(誤)
>結果としてどちらが正しかったかは今更書く必要もありますまい

>>542(正)
>結果としてどちらが正しかったかは今更書く必要もありますまい
545名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 09:33:29 ID:JXN9e1dw0
っていうか、大政奉還したんだから後はおとなしくしていれば良かったんだ佐幕派は。
その後も武力をちらつかせ、ついには鳥羽伏見の戦いを起こして内乱を発生させた。
薩長が不平等条約を無条件で引き継いだのは、内戦になってしまったのでじっくりと条約再締結交渉が行う時間が無いってのもある。
諸外国も新政府の足下を見て、新政府が混乱している最中にこの件の交渉やっている。
いつでも旧幕府に味方して明治政府と敵対してもいいよって感じでね。
江戸総攻撃に猛反対したのが英国のパークスだった事も忘れちゃいけない。
546542:2008/03/02(日) 10:12:16 ID:Gpgi2duR0
>>543
>そうであるなら、薩長は英国の手先になり戊辰戦争を仕掛け勝利したという
>史観なのでしょうか…
はあ?馬鹿馬鹿しい。薩長は主体的判断で動いている。英国は薩英戦争・下関戦争を経て、
薩長が明日の日本の主役であると見定めて応援しただけの話だ。手先でもなんでもない。
戊辰戦争は薩長VS幕府の戦争ではない。明治新政府が抵抗勢力を処理しただけ。
どこの国でも国が生まれ変わる時には、そうしたセレモニーで門出を祝うものだ。
仕掛けるも仕掛けないも無い。それが明治新政府の初仕事だったというだけのこと。
初仕事もこなせないようでは政府たる資格が無い。明治新政府は見事にその資格があることを
示したまでのこと。徳川慶喜は危うく抵抗勢力のシンボルに担がれかかったけど、逃げたよね。
ここに至っては旧幕府軍の虚構性は明らかとなり大義名分もビジョンも失い、後は特権階級の
死に場所探しの旅になってしまった。末端の兵士の士気が落ちるのも当然。
成り行きや行きがかりの事情で旧幕府軍として犠牲になった大勢の人たちは不憫としかいいようがない。
しかし国が生まれ変わる時にはそうした犠牲が出てしまうことが避けられないのは歴史が教えるところだ。
薩長は江戸時代から既に近代化政策を藩政に先取りして実施していた。それが為、西南雄藩として
外様として幕府にいじめられながらも実力をつけ幕末には表舞台に登場した。そして薩長は明治新政府の
主役たる資格があることも実力で証明してみせた。明治新政府は旧幕臣も人材登用して近代化を成し遂げた。
やや駆け足だが、これが俺の明治維新についての史観だ。何か?
547542:2008/03/02(日) 10:26:48 ID:Gpgi2duR0
>>543
おっと忘れ物だ。
>結果としてどちらが正しかったかは今更書く必要もありますまい。
542でそう書いたのは、薩長についた英国と幕府についた仏蘭西を指している。
英国は薩長に生麦事件でイギリス人を殺されたり商船を砲撃されたりしている。
さらに攘夷の薩長は賠償金を拒否して薩英戦争・下関戦争を起こしたりもした。
長州に至っては幕府に賠償金を肩代わりさせている。
これらのことにも関わらず、英国は薩長についた。ついたというか応援したというか。
そして英国は幕府には見向きもしなかった。
542でいいたかったのは、英国のこの判断が正解だったということだ。
判断というのは明日の日本を担うのが薩長であること。
薩長でないと日本は近代化できないし、そうして近代化した日本でないなら交わる価値も無いということだ。

548名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 10:32:13 ID:daXuSjH00
>>542
>535じゃないが、討幕派は確かに攘夷を煽ってたよ。
もちろん、煽ったのは政治に対して無邪気な連中を利用するのが目的で本音は別。
しかしどっかで攘夷をやめたい。そのために打った芝居が薩英戦争・下関戦争だよ。

それから、幕府が不平等条約を結んだ背景に恫喝はもちろんあっただろうが、
幕府の中にも欧米の手が入ってたんじゃないかという気がするけどね。

ともかく、彼らは財力でも江戸幕府なんかとは桁違いなんだからそれも有効に使いたい。
はっきりとした見返りもあるわけだし。

> 駅伝で他大学にはるかに遅れてタスキを貰ったようなものです。そして遅れを取り戻し、
> 他大学に追いつくまでに数十年かかってしまいました。幕府の負の遺産を相続した明治新政府を
> 批判するのはお門違いだ。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:00:56 ID:JXN9e1dw0
英国が薩長を手助けした最大の原因は「幕府の無責任外交」にある。
条約で締結した兵庫港開港がまったく行われず、朝廷の許可が下りないと時間稼ぎ&棚上げし続けた。
これをして、攘夷派である薩長などの尊皇派や朝廷を非難すべからず。
孝明天皇の義妹和宮と将軍家茂の結婚条件「十年以内に攘夷決行します」と孝明天皇に約束したのは幕府だからだ。
国内には攘夷決行を約束し、国外には開港する港を増やしていくと条約締結した。
これを無責任と言わずしてなんという?。
英国はそれを知り、幕府を見限ったに過ぎない。
薩長も幕府ではもう駄目だと結論し見限ったに過ぎない。
腐ってるんだよ幕府は。潰れて当然だろ。
550福沢諭吉:2008/03/02(日) 11:32:45 ID:dPteWv2I0
●幕府はウンコ!!幕臣のワシがいうんだから間違いナシ!!
551名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 11:49:55 ID:/SxMja2DO
>>550
うるせーよボケェ。
552543:2008/03/02(日) 12:48:30 ID:Q/Qq8msD0
>>546
>英国は薩英戦争・下関戦争を経て、薩長が明日の日本の主役であると
見定めて応援しただけの話だ。

へぇー英国は、薩英(1863)・馬関(1864)戦争のあと、「明日の日本の主役」と
見定めていたのですか、そんなに早い時期から政治的に薩長が主役なるとどうして
見定めたか、それが書かれている史料がありますか?

>>547
>542でいいたかったのは、英国のこの判断が正解だったということだ。
判断というのは明日の日本を担うのが薩長であること。
薩長でないと日本は近代化できないし、そうして近代化した日本でないなら
交わる価値も無いということだ

それって、後付の理屈でしかないですよね。繰り返しますが、当時の史料から英国が
そのような判断をしたというものを立証できますか?
私が知っている限りでは、英国産業革命後、綿織物工業の生産過剰を極東へ
輸出する本国政府の経済的な意向があり、その時に日本が有力な輸出先としてみていて、
その為には維新の内乱で国内の荒廃を極力避けるようにしたいと考えていたことが
日本を重用視していた根拠だと思うが、違いますか?
553福沢湯吉:2008/03/02(日) 12:56:58 ID:dPteWv2I0
●本気で幕府がいいと思ったら他の藩が力を合わせて長州なんざ全力でぶっつぶせただろ。
それをしなかったのは幕府がウンコで嫌われ者だったから。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 13:02:02 ID:JXN9e1dw0
>>552
>>547じゃないが、「英国産業革命後、綿織物工業の生産過剰を極東へ輸出する本国政府の経済的な意向があり、その時に日本が有力な輸出先としてみていて」
だから開港場所を増やすと約束したのに、約束を果たさない幕府に対する非難が英国側から出てきたんだろ。
アーネストサトウの記録とか読めば?
555名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 13:17:31 ID:5MvV0uMd0
>>549
そのとおりだ。内外にできない約束をしてしまったのが幕府だ。
開国を迫られて幕藩体制の矛盾が顕在化して幕府は外国と朝廷の板ばさみに陥った。
しかしながら是を無責任と評すのはどうだろうか。
俺が思うには幕府は自己の統治能力を過信していて、時間があれば解決できると信じていたのだろう。
説得すれば朝廷も攘夷派も分かってくれるだろうと。しかし説得も失敗。
幕府の威信は既に無く、将軍家の威光は既に輝きを失っていた。
早い話が幕府はもう統治能力を失っていたということだ。
第二次長州征伐の失敗はその事実を確認した儀式に過ぎなかった。
>薩長も幕府ではもう駄目だと結論し見限ったに過ぎない。
というか薩長に見限られたから幕府は駄目になったのだ。
藩が勝手に外国と戦争始めたりしてるのに、その始末もできないのだから幕府の面目丸つぶれどころか、
もはや政権の体を為してない。
徳川慶喜は幕府の終わらせ方に腐心した将軍であったが、2百数十年続いた政権なだけに、
幕府側の既得権益層もすんなり慶喜の意を受け入れることが出来なかった。
幕府を無責任と評するのは少し酷であると俺は思う。誰もがそれが日本の為と信じてやったことだと思う。
仏蘭西は幕府を嗾けて内乱を大きくしようとしたが慶喜はこうした挑発には乗らなかったし、
それゆえ外国はつけいる隙を見出せなかった。これは評価しなくてはいけないと思うし、
幕府を無責任と評するのはあたってないと思うのだ。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 13:32:37 ID:0LekzbLA0
>>554
海港問題についてはそうなんだが、それが

>>547
>薩長でないと日本は近代化できないし、

に飛躍した根拠が知りたいだけ。少なくとも、慶喜の志向は
間違えていなかったしそれを組織体ー幕府対薩長ーで評価すれば、
薩長しか近代化が出来ないとは、後付の話でしかないのは間違いない。
鳥羽伏見の幕府側の暴走がなければ史実は相当違うものとなったのは
多くの幕末研究者の見解であるし…
557名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 13:52:50 ID:5ooVqiwk0
確かに、1864年7月の禁門の変では、薩摩は公武合体派で会津とともに、尊攘派の長州藩と
戦っているのに、英国は薩英・馬関戦争後に薩長が日本の近代化を担うとどこからそうなったのかは
興味ある
558名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 16:15:49 ID:+wf8hbJ20
>>555
君の意見にはほとんどすべてに同意するよ。
しかし、>521はこう言った。

>朝廷の権威を楯にし、己は決して責任をとらない。
>こうした無責任な政治が始まったのは明治以降。

佐幕馬鹿がこう書いたものに対する反論として
「じゃあ幕府は無責任な事をしていないのか」という話しで、
一例として外交問題を語っているわけだ。
そこのところをよろしく。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 17:01:44 ID:863DL2Re0
>>549-555
あんまり歴史を省略して、結論を先に想定しての話はどうなんだろうかな。
慶応三年があけたばかりの頃には、政治的な対抗関係は、幕府と薩摩藩との
つばぜりあいの状況じゃないの?幕府が新将軍慶喜のもと、諸藩を統率して
国家の代表という地位を貫けるか、それとも薩摩が主導して雄藩連合という
新たな国政合議の体制を造りあげることができるかという対抗関係。
その場合、朝廷の位置づけはどうなるのか。その存在は、国家の正当性を
保証するものとして、どちらの勢力にも大前提だった。朝廷をつぶしてしまおうと
考えるものは誰もいなかったと思う。しかし、先帝孝明天皇のようにあまり勝手な
ことをされても困る。(という矛盾を抱えていた)孝明天皇は亡くなり、あとを
継いだのは、16歳の明治天皇で父孝明天皇のように政治的な判断は出来なかった。
それが、とりあえず幕府よりも薩摩など諸藩側にとって有利にはたらいた。
少なくとも孝明天皇と慶喜、容保に一会桑のコンビを組まれている状況よりはるかに
動きやすい。これをチャンスとみて薩摩京都藩邸の主導権を握っていた西郷と大久保が
動き出した。…というのが史実に基づいた話でこの先は、複雑でトリッキーな出来事が
次々とある。明治維新史は、片方がこうだからこうなったなんて単純で簡単な話では
ないですよ。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 17:38:19 ID:+wf8hbJ20
↑だからといってぜーんぶ薩長が悪いんだって話しにはならないだろw
561名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 18:50:41 ID:i90pynq80
>>560
もう少し、続きを書けば
政治闘争を行うには争点が必要だ。漠然と国政を合議するには
具体的な手がかりがなくては現実の問題を解決する方針を決めようがない。
慶応三年初めの時点で諸藩が等しく関わりを持つ政治的争点は、二つあった。
兵庫開港と長州処分だった。兵庫開港は、慶応元年十月の条約勅許の際にも
これだけは期日が来ても禁止とされていた。その期日は、慶応三年十二月七日。
(1868年1月1日)でその期日は迫ってくる。そして、長州処分は、幕長戦争が
停戦になったあとも、決着がついたわけではない。だから、長州はあいかわらず
「朝敵」のままであり、政治的公民権剥奪状態で、公然と政治活動はできない
立場のままだった。薩摩の西郷・大久保は、この二つの問題を争点に幕府に
迫ろうとした。政治闘争を行うには争点が必要だ。漠然と国政を合議するには
具体的な手がかりがなくては現実の問題を解決する方針を決めようがない。
慶応三年初めの時点で諸藩が等しく関わりを持つ政治的争点は、二つあった。
兵庫開港と長州処分だった。兵庫開港は、慶応元年十月の条約勅許の際にも
これだけは期日が来ても禁止とされていた。その期日は、慶応三年十二月七日。
(1868年1月1日)でその期日は迫ってくる。そして、長州処分は、幕長戦争が
停戦になったあとも、決着がついたわけではない。だから、長州はあいかわらず
「朝敵」のままであり、政治的公民権剥奪状態で、公然と政治活動はできない
立場のままだった。薩摩の西郷・大久保は、この二つの問題を争点に幕府に
迫ろうとした。誰が悪いとかでなく、どういうことをどういう背景・意図から
行ったかを書かないと、歴史が分からなくなるといいたいだけです。もうここに
書かないから、じゃあね。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 18:58:22 ID:hE3FiGHc0
>>532-533
長州藩はそんなもんじゃない。
寺小屋を藩の教育機関にして、
領民全てに教育してた。
講師は武士を当ててな。
そして藩の思想を領民全てに刷り込ませている。

長州征伐のときに藩レベルでまとまって幕府に対抗し、
幕府に同調したり、反乱がおきてもいいのに全くおきなかったのはこういうからくり。
一揆もほとんどおきていない。
幕府なんて、打ちこわしと一揆が頻発。

>>539
学制発布のときの数字だな、ちなみに女子はその半分。
町民は八割という数字だから、田舎から出てきたばかりの人間や、
まだ押さない子供以外は全員読めた(書きは微妙かも)

町民の人口は、全体の一割ってところだ。
国民の八割は当時は農民(当然魚、林とかも含む)

寺小屋は全国津々浦々というが、江戸末期で一万ちょっと。
そしてそれは多い藩や都市部に集中してて、
日本全国津々浦々というのは間違いだよ。
岡山とか山口とかなら、領内だけで、1000を軽く越えるけど、
ない藩はほとんどない。

あと天皇を知らなかったってのは、この文盲の人間ね。
読み書きができて知らなかったなんてまずありえないし(どんなものかはよく知らなかっただろうが)
ましてや武士階級で知らないなんてありえない。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 18:59:13 ID:ck2oG/Dt0
>>524
天皇がカルトなのではない。
天皇の権威を借りて、私利私欲のために政治利用した薩長の思想がカルト。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:00:30 ID:ck2oG/Dt0
>>537-538
>俺は「市民の解放を」なんて事一言も言ってないし、思ってもいないからw
少しは落ち着けヴォケ。議論の流れをちゃんと理解してるか?

そもそもの議論の発端は>>508が「市民の解放を目指したのが薩長」と主張したことにある。

それに対し>>510が「神道の教説をつかって国民を洗脳」「権力を握ると、皇族・華族・士族という特権階級を設け、
どさくさにまぎれて自ら特権階級に成り上が」った薩長に「市民の解放」というコンセプトはないことを指摘。

この>>510に対しオマエは「現代の我々と違い、当時の日本人全員が日本神話を信じていた。 」と批判。
オマエの珍説は、言うまでもなく、薩長は「当時の日本人全員」の信仰を弾圧してた幕府を倒し、
「日本人全員」の信仰を基礎に国家を再建した解放者であることを暗示してる。

オマエの珍説に対し、>>512は「それはデマだな。ほとんどの日本人は天皇のなんたるかを知らなかった。
だからこそ明治政府は必死に皇国史観教育を行う必要があった。 」と常識論を対置。
同時に「薩長が天皇を現人神に祀り上げるのは彼らの脆弱な立場に起因している。」との論点を追加。

これに対しオマエは、「だれがほとんどの日本人と言った?俺は」 「字も読めない連中の話しはしていない。
そして尊王攘夷佐幕開国といった事を叫んでいる連中はすべて知識層であり、 字を読めない連中はこうした思想は持たない。
持つはずもない。」と支離滅裂となり開き直る。
字を読めない草莽は思想をもたない、という暴論に対する突っ込みはとりあえず置いとくが、
ここでオマエは、尊王思想が封建体制の擁護者である「知識層」の思想であることを認めている。

そこで、>>534が矛盾を指摘。「明治政府は武士階級のアクセサリーにすぎなかった尊王思想を、
文盲の百姓に押し付けることで求心力を得ようとする。 この行為のどこに「市民の解放を」を目指す理念がある?」。

上記の指摘に対しオマエは>>537で再度バカげた珍説を繰り返す。

この手の幼稚な詭弁は、薩長擁護論のひとつの典型だから、あえて突っ込んでみたけど、
とりあえず>>537は論点を整理して出直してこい。
尊王思想が武士階級内の特殊な建前論であることを認めるならば、>>573の意見はアンチ薩長の意見と一致してる。
つまり薩長は「市民の解放」に対する弾圧者である。
565名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:06:57 ID:hE3FiGHc0
>>535
幕府は開国近代化なんてしてません、
幕府がしていたのは貿易利権の独占であって、
開国じゃありません。

近代化もね。莫大な借款のほぼ全てが、
賠償金の支払いやら、長州征伐の軍事費、
欧米から買った、武器と船、借金の利息で消えてしまいました。
西南雄藩が、自藩の金だけで、とっくにやっていたことを、
借款してても、ろくにやれなかったのが幕府。
小栗なんぞが必死にやっていたことすら、西南雄藩にとっては昔の話。

つか武士の俸禄や、大奥の経費すら削れずに、なんの改革ができるってんだよ。
武士にわけわからん職をつけて、そういった無駄な武士が山ほどいたんだよ。
今の日本の公務員や天下り組織と同じで名。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:07:47 ID:ck2oG/Dt0
>>541
そのとおり。一般論として、上から近代化を進めるためには強力な権力・権威が必要。
そして明治維新とは封建的な武士階級内の権力簒奪戦にすぎず、
薩長は幕府を倒すに際して、朝廷の権威に全面的に依存せざるを得なかった。
それゆえ明治国家は近代化とは逆行する「復古」を指向しバカげた妄動を繰り返す。

たしかに日本はその後薩長の暴挙を乗り越え近代化に成功し、
「義務教育化」「文盲を一層し身分制度を廃し」するけど、これはあくまでも結果論。
薩長という邪魔者に乗っ取られたにもかかわらず、
日本はかろうじて近代化に成功したというのが実態だろ。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:15:12 ID:ck2oG/Dt0
>>565
>幕府がしていたのは貿易利権の独占
実質的な中央政府たる幕府が貿易を独占するのは当然だろ。
そもそも幕府による貿易独占を批判したのはイギリスのオールコック。
幕府は外国人外商を居留地に押し込め、徐々に英国人貿易商の利権を抑制した。
さらに兵庫商社など民族資本の確立も模索。
こうした幕府の動きがイギリスの利権と抵触したことが背景にある。
ちなみにイギリスは密貿易で薩長に利益を与えると同時に、
幕府による貿易独占を打破し、藩単位で割拠することをそそのかしてる。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:15:12 ID:hE3FiGHc0
>>542
攘夷ってのは鎖国や、排外主義を意味するものではない、
高杉は、アメはイギリスから攘夷して今がある、
といっていた、
彼らのいう攘夷とは、独立、対等な関係、
という意味だよ。
馬関戦争や、薩英戦争で、方向性が変わったわけじゃない。

技術や貿易は否定していないんだよ、
不平等条約結んで、海外の資本など受け入れて、
駐兵されたりして、占領されないのを目的にしてるんだから。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:16:14 ID:ck2oG/Dt0
>>542
幕末の混乱は一橋派が継嗣問題のために外交をオモチャにしたことが遠因。
その意味で幕府にも落ち度はある。
しかしその後幕府は自らの責任で開港を断行し、諸々の近代化政策に着手。
開国近代化に舵を切った幕府の判断は基本的に正しい。
一方の薩長は当初攘夷に狂い、薩英戦争・下関戦争に完敗した後は英米の軍門にくだる。
自藩の利益のために割拠論をとなえはじめるわけだけど、この割拠論は英国に吹き込まれたもの。
570名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:17:57 ID:ck2oG/Dt0
>>542
>明治新政府が幕府の負の遺産を相続せざるを得なかったのは当然のことです。
革命に際して旧政権の結んだ条約を破棄・改定するケースは珍しくない。
薩長は徳川家が私的に条約を結んだことを批判してたわけだから、
倒幕に際しては、新たに「平等な」条約を結び直す必要があった。
しかし、薩長は早々に徳川家の条約をそのまま追認することを英米に宣言してる。
これは自動車泥棒が盗んだ自動車に欠陥があったと所有者を非難してるようなもので、
どう考えても薩長に幕府を批判する資格はない。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:19:07 ID:dPteWv2I0
長州征伐でやられた時点で幕府が糞ってのがあきらかになったんだよ。
維新後、まだまだ混乱のある国をまとめるのに、天皇の権威を強くしたわけだ。
酷い身分差別(部落差別など)を徳川家繁栄のためにやった江戸幕府に比べりゃ、なんでもない。

維新後に権力を握って国をまとめるのはあたりまえ。
士族反乱だとかがまだまだ起こってる時代背景を考えろっての。
572名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:21:50 ID:hE3FiGHc0
>>567
幕府だけが開国しているのは、出島でオランダと幕府だけが貿易していた鎖国と、
なんら変わるものではない。

兵庫商社は、商人たちのカルテルに過ぎないよ。
株仲間と一緒。
573名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:22:04 ID:7Kwh5RHr0
>>570
薩長を批判する資格もないよね
574名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:23:01 ID:ck2oG/Dt0
>>568
>技術や貿易は否定していないんだよ、
>不平等条約結んで、海外の資本など受け入れて、
>駐兵されたりして、占領されないのを目的
高杉がその不平等条約云々の「目的」を主張したソースを出せ。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:25:02 ID:hE3FiGHc0
>>570
そんな国は海外から承認されんぞ、
戦争吹っかけられても文句いえん。

つか中国みたいな非常識な国家じゃあるまいし。
多くの政府は、前政権の遺産も、負の遺産も受け継ぐんだよ。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:28:50 ID:ck2oG/Dt0
>>572
藩単位での勝手な貿易を認め、割拠体制を推し進めれば、
日本は小国家に分裂し、それぞれ列強に食い物にされることになる。
そして薩長の勝手な動きを放置すれば日本がそのようなコースに進む可能性もあった。
国家全体の利益のために対外貿易を統制することは必要不可欠だよ。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:29:14 ID:hE3FiGHc0
>>574
当時の志士の間では、破約攘夷論は基礎知識だ。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:30:59 ID:7Kwh5RHr0
>>528
>>長州征伐に失敗した責任を幕府閣僚の誰が取った?
>> 鳥羽伏見敗戦の責任を負って切腹した幕府老中がいるか?
>> 諸外国外交官の記録を読んでもほとんどが、幕府の棚上げ時間稼ぎ外交を非難しているぞ。


これに対する佐幕擁護者の回答は??
579名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:31:47 ID:hE3FiGHc0
>>576
小国家に分裂しても、欧米ごときに占領されんよ。
当時の輸送力で、日本の一部とはいえ占領するのは無理。
幕府みたいに、国を売らない限り大丈夫。

つか外国の技術や製品を独占して、なにが近代化なんだか。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:35:49 ID:7Kwh5RHr0
小栗ってフランスから土地を担保にして借金までして戦おうとしたんでしょ。


国賊wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
581福沢諭吉:2008/03/02(日) 19:38:07 ID:sW5kyI170
●日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。 
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:40:35 ID:hE3FiGHc0
つか志士がなんで、幕府批判してたと思ってんだよ。
不平等条約を、幕府の独断で結んだからだろうに。

彼らは軍を近代化し、欧米に一撃食らわし、
対等の関係であることを示して、今の条約を廃棄して、
対等な条約を結ぶのを目的としていたんだし。
583福沢諭吉:2008/03/02(日) 19:44:31 ID:dPteWv2I0
>>581は本音を言えば殺された幕臣時代
維新後自由な発言ができるようになると・・・・・
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。

584名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:48:23 ID:ck2oG/Dt0
>>577
その「破約攘夷論」を踏みにじったのがほかならぬ薩長。

>>579
>>小国家に分裂しても、欧ごときに占領されんよ。
お前は馬鹿だろ。
薩英戦争・下関戦争にボロ負けした薩長が英国の植民地にならなかったのは、
幕府の後ろ盾があったからだ。

>>582
>つか志士がなんで、幕府批判してたと思ってんだよ。
>不平等条約を、幕府の独断で結んだからだろうに。
デタラメな俗説だ。
勅許に有無にはこだわったけど、条約の不平等性についてはなんら批判していない。
そうではないと言い張るならソースを出せ。

>彼らは軍を近代化し、欧米に一撃食らわし、
>対等の関係であることを示して、今の条約を廃棄して、
>対等な条約を結ぶのを目的としていたんだし。
ではなぜ維新の転換期に条約破棄・改正を行おうとしなかった?
585名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 20:02:53 ID:hE3FiGHc0
>その「破約攘夷論」を踏みにじったのがほかならぬ薩長。

意味不明。

>薩英戦争・下関戦争にボロ負けした薩長が英国の植民地にならなかったのは、

そんな力英国にはなかったから、彦島の租借を要求したら、
長州は拒絶してる、賠償金は、幕府に話しろ、長州は一銭も払わんと、
強気にやって、英国は、へタレの幕府と交渉しました。
そしてこの二つの戦争にしても、死傷者は英国(連合軍)のほうが多く。
艦船にもかなりの被害がでている。欧米ごときが、勝てるわけねーんだよ、
地球の裏まで、そこまでの艦隊を編成して、送ることは当時の技術では無理。

>勅許に有無にはこだわったけど、条約の不平等性についてはなんら批判していない。

珍説キターーーーーーーーー!
条約の廃棄をみな目的にしてたのにw
破約攘夷で、とりあえず、検索でもしてみれば、
つかこんな基礎知識もなしで、議論してたのかおまい。

>ではなぜ維新の転換期に条約破棄・改正を行おうとしなかった?

だから、国の承認のためだろうが、
そして破棄から、改正にかわっているが、それを最初から目的にしてるだろうが、
586名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 20:37:12 ID:ntTZRn5q0
>>552
英国は一貫して日本に開国を求める方針でした。
幕府は一旦、開国して条約まで結んだものの攘夷派を統制できずに鎖港に転じます。
欧州に使節を派遣して交渉しようとしたが、全然相手にされない。
使節団は欧州の近代化ぶりを見て幕府の方針が不可能であると進言するも
頑迷な幕府中枢に処罰されてしまう。そして幕府は信用を無くしただけでした。
英国が下関戦争で4カ国で最大数(他の3カ国足したのより多い)の艦船を送ったのは、
商船を砲撃された報復というだけではない。
長州を幕府を通さず直接、叩かないことには日本の開国は無理だという判断があったからです。
つまり下関戦争の前から幕府は内外ともに相手にされてないのです。
下関戦争でボロ負けした長州藩は攘夷から開国に転じました。というか開国派が実権を握りました。
英国は講和会議の交渉を通して幕府は信用できないが薩長は信用できると判断したのです。
>それが書かれている史料がありますか?
知りません。>>547は私の解釈に過ぎません。ただし後付の理屈とは思いません。
そう解釈しないなら、どう解釈すれば英国の行動が説明できるのでしょうか。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 20:50:10 ID:ntTZRn5q0
>>556
飛躍した根拠?そうは思いません。そう解釈しないと英国の行動が説明できないと考えたまで。
>鳥羽伏見の幕府側の暴走がなければ史実は相当違うものとなったのは
>多くの幕末研究者の見解であるし…
その幕末研究者には同意しません。
鳥羽伏見の前に慶喜はもはやこれまでと判断していて薩長と戦うつもりなど無かったと思います。
ただ強硬派はそれでは収まらず鳥羽伏見の戦いに至りました。
鳥羽伏見では親藩・譜代も局外中立を貫いて幕府軍には加担しませんでした。
戦火が起きる前に幕藩体制は崩壊し幕府も張子の虎になっていました。
ただ、武士たるもの戦わずして薩長に頭を下げるとは何事かという連中が納まらずに戦火に及んだだけです。
588555:2008/03/02(日) 20:52:53 ID:ntTZRn5q0
>>558
ああ、そうでしたか。もちろん>>521の「こうした無責任な政治が始まったのは明治以降」にも同意しません。
幕府も明治新政府も無責任とは自分は思いません。
589555:2008/03/02(日) 21:02:17 ID:ntTZRn5q0
>>559
ええ。単純で簡単な話でないことは承知しています。
多くのプレイヤーがそれぞれ独立した考えがあって動いているし、
薩長、幕府もそれぞれ一枚岩ではないし、また必ずしも一貫した考えがあったのでもない。
薩長も幕府も従来の幕藩体制では無理なことは共通認識ではあったものの、
それぞれ頑迷な勢力をかかえて意思統一にも苦労している。
新体制と呼ぶべきか新政権と呼ぶべきか、とにかく新しい形にどうやって移行するか皆が
模索していたのだと思います。
そういういろんな模索の中から大きな流れが生まれたのだと理解しています。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 21:15:38 ID:ntTZRn5q0
>>564
>つまり薩長は「市民の解放」に対する弾圧者である。
横レスですが、そうとも思わない。
薩長はそれを時期尚早と考えただけだと思う。
あまりに急進的な改革は、さらなる混乱を招き、血が流れることになるだけだと。
実際、欧州ではそういう歴史もありましたし、それを薩長は知っていたと思います。
明治新政府の政策に問題が無かったとはいいませんが、当時の日本人は
自分と意見の違う奴は切り捨ててしまえばいいと考えるぐらいの民度ですから、
民主化への移行もさぞかし苦労しただろうと思います。
昭和に入っても、そうしたテロが起きているぐらいですからね。
明治に至っては、なにをかいわんや。
明治新政府になったからといって日本人の民度や気質が急に変わる訳はないのです。
591542:2008/03/02(日) 21:22:29 ID:ntTZRn5q0
>>570
>革命に際して旧政権の結んだ条約を破棄・改定するケースは珍しくない。
しかしそうした国は外国の信用を無くして近代化に失敗したか、
苦難の独立戦争で膨大な血を流したか、どちらかあるいは両方ではないでしょうか。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 21:24:15 ID:3qyRseRM0
>>586-587
あなたがそう思うのは、御勝手にです。
しかし、史実はあなたの思うことを史料に基づいて根拠ある
ものにしなければなりません。後付と書いたのは、あなたが

>>587
>そう解釈しないと英国の行動が説明できないと考えたまで

と書いたことが、そのまま正しいとはとても史料の裏付けがあるとは
考えられなかったからです。事実、あなたはそうだと自ら認めました。

>>587
>その幕末研究者には同意しません

専門の研究者の書いたものを読みもしないで、どうして同意できないのか
わかりません。それはただ怠惰なだけです。少なくとも、慶喜の数多くの
研究者の人物伝を読んだことがあるのか?と思いました。なぜなら、慶応三年
12月下旬、慶喜本人は、自分が議定に登用されて新政権に参加できるという
見通しがついている頃だった。しかし、末端の将兵まで、そうした高度な政治的な
判断を徹底させるのは無理だった。そういう状況のところに、江戸から大目付滝川具挙が
大阪にやってきて、関東の情勢と薩摩藩邸焼き討ちの報を告げた。12月28日のことだ。
この報が入り旧幕方の間には、もはや我慢がならぬという空気が充満した。滝川あたりが
薩摩をこのままのさばらせておくのかと慶喜を突き上げる…、と史実によればあなたの
書いているような話ではないのですが…
593名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 21:55:58 ID:ntTZRn5q0
>>584
以下、横レス。
>その「破約攘夷論」を踏みにじったのがほかならぬ薩長。

薩英戦争・下関戦争で「破約攘夷論」の愚を悟ったまで。

>薩英戦争・下関戦争にボロ負けした薩長が英国の植民地にならなかったのは、
>幕府の後ろ盾があったからだ。

全然違う。英国には植民地にしようなどという意図は初めからない。
英国の対日方針は一貫して開国・通商を求めるということでした。
当初は幕府を相手に交渉すれば幕府がそれをやりとげると期待していた。
しかし幕府は英国の期待に応えられなかった。
こりゃ幕府まかせじゃ駄目だ。攘夷のご本尊である薩長を英国自ら叩いてお仕置きしてやらにゃあと。
だから薩長が攘夷から開国に転じたのなら、それで英国は目的を果たしたことになるのです。
戦争といっても、大人がいうこと聞かない餓鬼を叩いて懲らしめたようなものです。
講和会議での彦島の件は、クーパーがちょっとすけべ心を出して自分の手柄を作ろうと
思っただけのこと。高杉晋作に煙にまかれて、さほど粘りもせず引っ込めました。
そして英国が植民地化政策を取らなかったのは幕府うんぬんには関係ない。
英国は日本人が天皇の元で一丸となって抵抗してくれば泥沼化して英国人の膨大な血が流れると
考えたのです。万一、そうなれば英国議会で政府はボロクソに叩かれて政権を失うと分かっていたからです。
幕府?んなものアウトof眼中ですな。ボケ老人がいつまでも主人づらしてるとしか思われてません。
594587:2008/03/02(日) 22:33:36 ID:ntTZRn5q0
>>592
>と書いたことが、そのまま正しいとはとても史料の裏付けがあるとは
>考えられなかったからです。
自分は歴史学=史実+解釈と心得ています。解釈を伴わない歴史学など存在しないと考えています。
史実だけなら歴史趣味の域を出ない。といって架空の人物・事件を創作してしまえば歴史小説になる。
あなたが私の解釈に反対するのならあなたは別の説得力のある解釈を提示すればいいのです。
そもそも歴史とはなにもかも資料が完備されている訳でもないし、公開されているわけでもない。
文字の無い歴史もあるし、解読されてない文字の歴史もある。
だからこそ、いろんな解釈、いろんな仮説を戦わせているのではありますまいか。
ついでにいえば資料があっても、それが偽書である場合もあります。そうでなくても真実が書かれている
保証もありません。資料を出せというだけでは話になりません。
解釈を否定する資料があるなら、その資料を出せというだけです。
>史実によればあなたの
>書いているような話ではないのですが…
さてなんのことかな。私がどんな話を書いたと?
私は>>555で書きました。徳川慶喜は幕府の終わらせ方に腐心した将軍だと。
慶喜の立場を考えてください。先祖代々の将軍は徳川家康の威光を継承して、その神話に乗っかり、
諸大名を統制して、実務は部下に丸投げで務まりました。
しかし慶喜の時世には前例の全く無い内外の諸情勢がありました。
慶喜は身分世襲で火中の栗を拾う役目となっただけで、のしあがってきた天才政治家でもなんでもない。
神ならぬ人の子に過ぎません。慶喜にも様々な迷いはあったでしょうし、必ずしも慶喜が想定したようにも
世の中は動かなかった。さまざまな誤算もありました。当然のことだと思います。
そういう激動の時代だったのですから。
で、繰り返しますが私がいったいどんな話を書きましたか?
595名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 22:35:05 ID:+wf8hbJ20
ま、どっちにしろ

 揚げ足取りに必死な佐幕マンセー厨相手じゃ話しにならん。
 自分が「珍説」を唱えている事は棚上げにして、
 反論する者はすべて「珍説」でつかw
 議論で勝負する気ないなら 
 星亮一の本読んで喜んでろって感じだな
596名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 22:50:16 ID:/SxMja2DO
>>595
ただの馬鹿はさっさと退場しろ。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:02:10 ID:pMJAJYUv0
>>586
イギリス本国の関心はあくまでも中国に向いており、日本に対する関心は低い。
さらに幕末期のイギリスは極度の財政難で、日本への余計な内政干渉はするな、というのが基本的態度。

ただし、実際に対日関係を担ったのはジャーディン・マセソンやグラバーなどの外商で、
オールコックやパークスといった公使の政策には彼ら外商の利害が色濃く反映されてる。
オールコックは攘夷にこだわる日本の支配層に対するデモンストレーションとして下関攻撃を行うが、
その直前に幕府に提示した覚書では、貿易に利益の分配について幕府・朝廷・大名間の調整を行えと進言。
その後のパークスも、幕府の貿易独占を批判し、大名の貿易参加を訴えている。

>英国は講和会議の交渉を通して幕府は信用できないが薩長は信用できると判断したのです。
幕府は外商に内地通行権を与えず、アヘン貿易を禁止し、輸入品に高額な関税をかけた。
グラバーなどにとって、幕府は手ごわく融通の利かない相手だった。しかし、薩長ならどうにでも操作できる。
パシリとしての扱いやすさを「信用」と表現するなら、たしかに薩長は「信用できる」。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:03:13 ID:pMJAJYUv0
>>587
>鳥羽伏見の前に慶喜はもはやこれまでと判断していて薩長と戦うつもりなど無かったと思います。
君がどう思おうと勝手だ。しかし、豹変癖の慶喜の心中を断定できると思い込んでる奴は珍しいぞ。
実際には、武力で討幕派を滅ぼすか、偽錦旗の前に平伏するか、彼にはこの二つの選択肢があった。
「足利尊氏になりたくない」この慶喜の言葉が彼の迷いを端的に物語ってる。

>>590
「時期尚早」というのは、あらかじめ改革プログラムを持ってる人間が言うせりふだ。
薩長は近代化についてなんの展望ももっていなかったのだから、時期尚早もへったくれもない。
ただの無知蒙昧な復古馬鹿だ。
599名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:04:44 ID:pMJAJYUv0
>>591
近代化に敵対し、無謀な内乱をはじめた薩長が、そんなことを気にする必要はないだろ。

>>593
>英国は日本人が天皇の元で一丸となって抵抗してくれば泥沼化して英国人の膨大な血が流れると
>考えたのです。万一、そうなれば英国議会で政府はボロクソに叩かれて政権を失うと分かっていたからです。
君のマヌケなフィクションはもういいよ。
対象国の国内対立に乗じて、内紛を助長し、現地人の一方を支援する。
英国の植民地政策はこうした分割統治が基本。
日本においては中央政府を最も憎んでいる薩長がイギリスの手先として選ばれただけ。
600名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:07:28 ID:dPteWv2I0
で、具体的にどうイギリスの植民地になったんだ?
601名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:13:07 ID:dPteWv2I0
幕府はフランスの手先として選ばれたってことか?
602名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:17:23 ID:hE3FiGHc0
改革プログラムはあったんだけど、
学制、徴兵制、近代的な軍の創出。
廃藩置県、議会、中央集権国家。
全て最初からあったもの。
幕府とは違うんだよ。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:19:48 ID:dPteWv2I0
夏目漱石のイギリス留学もイギリスの手先として選ばれたのか?
604名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:32:54 ID:sW5kyI170
神戸事件や堺事件の顛末をみれば、薩長がイギリスの手先と化してたことがよくわかる。
何の罪もないのに異人の環視のなかでセプークさせられた備前藩士が気の毒。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:34:54 ID:sW5kyI170
>>602
それは最初からどこにあったの?
誰が発案した?具体的によろ。
606586:2008/03/02(日) 23:47:16 ID:ntTZRn5q0
>>597
薩長というか攘夷派の統制も出来なくて約束も守れない幕府など相手にしても無駄と英国は考えたのです。
デモ?糞餓鬼の躾もできない馬鹿親に替わって糞餓鬼に体罰を食らわしてやったのです。
この馬鹿は痛い目合わせて体で覚えさせてやらんと分からないのだろってね。
英国は薩長の操作などしてません。
607590:2008/03/03(月) 00:04:03 ID:U9jQik8Y0
>>598
改革プログラムはありました。実際に長州は藩政において庶民にも教育を施し、
そうした庶民も参加した軍隊で明治維新を成し遂げました。
そうした長州の藩政は、江戸時代に何十年、何百年も歴史の蓄積があったものです。
思いつきで一朝一夕に奇兵隊ができたのではありません。長年の庶民教育があったからです。
一方、会津奇兵隊の方は、そうした歴史の蓄積の無い、真似っこの即席ラーメンでしたから、
まるで使い物にもならず歴史から忘れられようとしています。
そうした長州であったから、明治新政府になったとはいえ、いきなり国会開設など時期尚早と考えました。
会津奇兵隊の惨めな顛末を見ても、それは現実的な判断であったといえましょう。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:12:28 ID:rAIJ3+WL0
>>605
学制は、長州での初等教育の焼き増し、
徴兵制は、幕末での長州藩の奇兵隊の成功からだし、
廃藩置県と中央集権化は、木戸が維新前から提唱してる。
また大久保も維新前から言っているな。

薩長の上層部は、明確なプランを事前にもっていて、
その計画を遂行しただけ、
もちろん木戸と大久保の間でも、大きな意見の違いがあったから、
喧々諤々の議論になってたけどな。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:13:15 ID:rAIJ3+WL0
あと、幕府にはもちろんなんーーーもありません、
小栗の妄想しかね。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:17:35 ID:rAIJ3+WL0
いや、あるにはあったかな、
鉄道の敷設とかもあったね、フランスの資本でさ。
鉄道守る為に駐兵、半植民地化。
フラグたちまくりですよ。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:26:09 ID:X6qkijuO0
「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」大隈重信
612名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 04:17:41 ID:zPlop2Zd0
血族を支配システムの要にしていたから、幕府の統治システムは破綻していた。
コンプレックスの塊だった芋侍は、古いシステムを壊した。
新しいシステムは、天皇や宗教云々ではなく「立憲君主制」だった。
ただ、政治システムだけでなく西洋列強に対峙するための軍事力増強もテーマであったはず。
薩長は密輸を通じてイギリスから武器も得ていた。
薩摩は、西洋式の実験的溶鉱炉も持っていた。
富国強兵のために何が必要なのかを模索していた。
613名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 11:12:37 ID:ErPV8+/b0
しかし司馬遼は、薩長を間接支配の道具にした可能性を考えたことはなかったのかな?
614名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 17:49:33 ID:75xr07tw0
>>613
いくら大衆小説家といっても、
お前なんかよりも、才能もあって頭脳明晰で、膨大な資料を読んで、いろんな可能性
について考えてるだろ。
みくびんなボケ。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 19:43:26 ID:xXt7D/Cw0
>>594
>慶喜の時世には前例の全く無い内外の諸情勢がありました。
慶喜は身分世襲で火中の栗を拾う役目となっただけで、のしあがってきた天才政治家でもなんでもない。
神ならぬ人の子に過ぎません。

まずあなたの書いてることは、時系列ではありません。
家茂と慶喜が将軍職についている時期をまるで区切らず書いていること、
それに併せて英国が云々を重ねているので、もう少し整理して書いて欲しい。

一つ聞きましょう。英国は誰があなたが書いてることを担当したんですか?
オールコックとパークスはどういう風にあなたがいう薩長と外交をしたのですか?
年号を入れて書いて下さいね。

それから、アンカーをつけた事についてですが、孝明天皇は長州嫌いだった。
そして、孝明天皇にしてみると前の将軍よりも遥かに親近感があってたのもしい
相手だった。薩摩の西郷・大久保も天皇がバックについた慶喜には手の出しようが
なくなっていた。慶応二年の秋にはそんな状況だった。その年、12月に孝明天皇が
急死した。その後、慶応三年五月二条城で将軍慶喜と四侯会議が薩摩の西郷・大久保の
計画で開かれた。ここでの政治的な筋書きは、薩摩島津久光・越前松平春嶽・宇和島伊達宗城
土佐山内容堂の幕末四賢侯とよばれる四人の合議をもって将軍慶喜に対抗させるという
ものだった。慶喜は、この四人を適当にあしらいながら、巧みに丸め込んでしまった。
薩摩の狙いの裏をかいてー薩摩はまず長州処分問題を先に解決してから兵庫開港について
朝廷からあらためて勅許を得よというものだったー、兵庫開港のほうが大きな問題だから
先に決定すべきという慶喜の論に、四侯のほうはうまく反論できなかった。
この史実をみても慶喜は、大変有能な政治家だったんですよ。違いますか?
616名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 20:17:47 ID:+hwk9g3c0
江戸しぐさのなかに稚児戻りってのがあってね。幼稚な人間に対して言う言葉。
薩長軍が江戸に入ってきた時町の中はしゃぎながら来たんだと。
それを見た江戸の町人が
「やれやれ、こんな田舎者のガキ共が徳川様に代わって国治めるのかい、
まんま稚児戻りじゃねえか、見てみろよあのはしゃぎよう。大人のやることかい。
こりゃ3世代後には英国やメリケンの子分に成り下がってるぜ。」
と馬鹿にしてたんだと。
明治維新から140年、見事な奴隷に成り果てたぜ。わが国は。
欧化政策とか馬鹿なことしたもんだぜ。鹿鳴館とかアホかってんだ。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 20:42:38 ID:s17jEO6h0
実際の所、江戸末期が植民地化寸前であったと思う。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 21:33:28 ID:91scAqmm0
★先生のノーベル賞受賞も間近だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%BA%AE%E4%B8%80
星 亮一(ほし りょういち、1935年 - )は、日本の作家、歴史家。
彼の歴史哲学は、海外に於いてアイザック・バーリン、ジャック・
デリダなどビッグネームの哲学者から三木清以来の好評価が与えれられている。
619594:2008/03/03(月) 21:37:52 ID:MPZxp+qM0
>>615
>まずあなたの書いてることは、時系列ではありません。
それで?だからなに?
>家茂と慶喜が将軍職についている時期をまるで区切らず書いていること、
区切る必要性が無いと認識しています。
>それに併せて英国が云々を重ねているので、もう少し整理して書いて欲しい。
何のために?誰とも分からん人の要望を聞く意味などありません。
>あなたが書いてることを
どこかな?たくさん書きすぎて具体的に指摘してくれないとわからん。
>この史実をみても慶喜は、大変有能な政治家だったんですよ。違いますか?
もちろんそうですとも。でも、だからなに?
慶喜が無能だとか、無能だから幕府が滅びたとか、そんなこと一度も書いた覚えがないのだが。

俺の歴史観を書かせてもらおうか。
徳川幕府が2百数十年続いたのは歴代将軍が代々有能だったからではない。
朝廷・天皇の支持があったからでもない。
馬鹿でもアホでも将軍が務まり、それでも幕府が継続するシステムを作ったからである。
それが幕藩体制である。しかし幕藩体制は農本主義と鎖国を前提としていたシステムだった。
だから農本主義が崩れだし、鎖国が難しくなった幕末に幕藩体制が動揺した。
参勤交代などの有力藩弱体化政策にもかかわらず西南雄藩が実力をつけ政治の表舞台に上がってきた。

将軍が無能だから幕府が滅びるでもないし、将軍が有能だから幕府が継続するでもない。
つまり誰が後でも先でも、有能でも無能でもあまり関係ないのだ。もちろん有能にこしたことはないが。
されど幕末には目先の利く人は武士・町人・異人にかかわらず徳川幕府が長くないことを感じていた。

慶喜がいくら有能であっても、幕藩体制の崩壊を止められなかったし、
慶喜にも歴史の流れに逆らう意思はなかった。

620名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 21:45:22 ID:rAIJ3+WL0
日本の国力を殺ぐそうな糞体制を徳川が敷かなかったら、
そもそも日本はあんなにやばいことにはならなかったよ。
621名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 22:29:53 ID:6N4U9dhT0
>>608
長州でまともな近代化プランをもってた長井雅楽くらいだろ。
木戸は律令制に復古することにより、裏で長州が実権を握ろうとしてただけで、
「廃藩」「中央集権化」はその副産物にすぎない。
また長州の軍制改革は英米武器商人の指導により実現したもの。
上海に渡り武器を購入するとともに最新の兵術を教え込まれた村田某が、
長州に戻って藩内皆兵を進めたことはご存知の通りだが、
卑民部隊である奇兵隊は用済みとなると長州人の手で皆殺しにされる。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 22:32:57 ID:6N4U9dhT0
>>612
>幕府の統治システムは破綻していた。
だからこそ幕府は幕藩体制に終止符を打ち、新たな体制への移行プランを実行しようとしてた。
西周はイギリス議会制度に倣い三権分立を骨子とする新国家構想「議題草案」を起こし、これを徳川慶喜も確認している。
これは日本初の憲法草案であり、後の伊藤のバカ憲法と比べるとはるかに先進的で民主的な内容だった。

>新しいシステムは、天皇や宗教云々ではなく「立憲君主制」だった。
ウソをつくな。
「神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御回復被遊候」
これが薩長が構築したシステムだ。

>薩長は密輸を通じてイギリスから武器も得ていた。
薩摩はジャーディン・マセソン商会から資金援助をうけて銃器を大量に買い付けた。
端的に言えばイギリスの死の商人が薩摩の軍制改革を行ったといえる。

>薩摩は、西洋式の実験的溶鉱炉も持っていた。
反射炉建設はペリー来航以降、海防に悩む諸藩で建設されてる。
最初に実験炉をつくったのは幕府。実用炉をつくったのは佐賀藩。
薩摩はそれをパクっただけ。
623名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 22:37:24 ID:75xr07tw0
>奇兵隊は用済みとなると長州人の手で皆殺しにされる

勝手なつくり話するな。
萩の乱で、処刑されたとかはあるが、皆殺しなんかしてねえだろ。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:09:28 ID:MPZxp+qM0
小栗上野介は比類の無い天才的官僚だったと思う。
企画・立案・軍略・外交・金策など何をやらせても失敗が無かったし実行力もあった。
こういう人物を斬首したのはとんでもない蛮行で愚策であったと思う。
ただ政治的センスは無かったし、政治家とは呼べないのが惜しまれる。
ただし、だからといって明治維新が無くても幕府は近代化できたかというと、そうは全く思わない。
横須賀製鉄所が代表的な小栗の業績であろうし、他にも近代化といえる政策を実施ないし企画してはいた。
しかし、それはあくまで小栗の業績であって幕府の業績とはいいがたいのだ。
小栗は幕府の人材発掘システムで見出されたのでもないし、幕府の教育システムで教育されたのでもない。
たまたま新潟奉行の家柄に天才が生まれたという奇跡が幕末に起こっただけなのだ。
そして幕府の高官は小栗の足を引っ張っていただけだ。仕事など何もしない。
小栗の政策に対し、「できまっしぇーん」「お金ありまっしぇーん」と出来ない理由を見つけて反対していただけ。
それでも小栗が政策を実行にうつせたのは徳川慶喜のプッシュがあればこそ。
近代化政策を実現するには政策だけでは駄目だ。権力基盤・支持基盤が要る。資金力も要る。
小栗には確かに政策があった。しかし権力基盤は徳川慶喜次第という脆弱なものに過ぎない。
慶喜が失脚しても、慶喜の支持を失っても途端に霧散解消してしまうような実に心細い基盤だ。
任期が決まっていたわけでもないし、ましてや終身雇用でもない。これでは社長に気に入られたアルバイトと
さほど違いがない。そして幕府には資金力が無かった。ひとえに小栗が自分の才覚だけで外資を導入できたから
政策を実現できたに過ぎない。これでは永続性がはなはだ怪しい。いつまでこのやり口でお金が続くか
何の保証もない。つまるところ幕府の近代化なるものはフィクションである。すべては小栗上野介という一代の
天才が生んだ物語に過ぎないのだ。そもそも時計の進み方の遅い悠久の昔ならいざ知らず、
時計の進み方の早い幕末という時代において奇跡的な天才の出現を待っていただけでは論外なのである。
そんな幕府が小栗上野介という天才の出現にかかわらず歴史の舞台を降りたのは当然といえよう。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:11:09 ID:X6qkijuO0
>>623
一方的な解散命令に抗議しただけで、130人以上の奇兵隊士が処刑されてる。
彼らが武士の身分だったらこんな扱いは受けなかっただろう。
最前線で最も汚い任務を担ってきた部隊に対する仕打ちとしてはあまりにひどい。
626名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:15:42 ID:7by3WVgL0
>>619
>鎖国が難しくなった幕末に幕藩体制が動揺した

↑あまりに大雑把すぎて、何も具体的には書いてない。整理して時系列で書くとね、
嘉永六年六月三日ペリーが浦賀にやって来たことから国内政治の混乱が始まった。
それは、19世紀前半以来、西欧で資本主義が進展し、その波が、アジアの辺境をも
飲み込まずにはいなかった。世界のすべての地域は、製品の販売市場として、または
原料の供給市場として、何らかの形で資本主義的な世界市場の網の目の中に
組み込まれざるを得なくなっていた。しかし、日本を含めた後進国側にとっての問題は、
そうした通商関係を結ぶことが、平和的に行われるとは限らなかった。おとなしく通商条約を
結べばよし、いやといえば力づくで結ばせる西欧諸国側の方針を、歴史的には、
砲艦外交という。
当時の日本は、外国のやり方がこういうものだというのはよく分かっていた。隣国の
中国が阿片戦争(1840〜42)でイギリスに打ちのめされ、南京条約を結ばせられたことを
よく知っていたからだ。よく日本人が泰平の夢の中で、惰眠をむさぼっていたというのは
俗説。現実に、中国がイギリスなどの属国になりつつある、それは日本の支配層ー
大名・武士・知識人たちーにとって戦慄すべき事態だった。自分たちがそこに住み
生活を成り立たせている場が、中国と同じような危機にさらされている。その強烈な
危機感は、現代の我々には想像しがたいほどのものであったようだ。その危機を
凌ぐには、現状の日本を西欧諸国と対抗できるような国家に作り替えてゆくしかない。
その方策とあるべき国家の姿を巡って、凄まじいほど精神を高揚させ、肉体を燃焼させて
いった。ペリー来航後、あんたのいう幕藩体制が動揺が安政期(1854〜60)の通商条約の
勅許と将軍継嗣問題だった。大老井伊直弼はその動揺を押さえ込もうとしたが、暗殺され
さらに勢いが増す。伊井の死後、文久〜元治期(1861〜64)は、攘夷というものが流行した。
長州が必死にやった時期だ。これでは駄目だと気付くのは、元治元年(1864)の禁門の変で
敗退した時だった。慶応期(1865〜67)には、かわって薩摩が「雄藩連合」というコンセプトで
時代を動かす。それは。「攘夷」の誤算を踏まえているだけに、より現実的で具体性があった。
徳川慶喜が十五代将軍になってしばらくたち、慶応三年(1867)なって幕府が変わってくると
国家形成へ向けて急速に時代は動く。戊辰戦争という内乱を経てだが…。大雑把でも
このくらい順に書けば鎖国が出来なくなった理由と、その結果の幕藩体制の動揺とその
歴史を整理できる、と思うんだが。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:30:18 ID:X6qkijuO0
>>624
小栗上野介を発掘し登用したのは井伊大老。
井伊大老の豪腕と、小栗の知性が結びついて改革を進めたら、薩長が暗躍する余地はなかっただろう。
しかし小栗がアメリカから戻ったとき、井伊大老は非業の死を遂げていた。
その後、慶喜のもとで一定の幕政改革が進められるが、いかんせん優柔不断な慶喜では役不足。
最悪のかたちで幕府の責任を投げ出してしまう。
一橋を担がなければならなかったことが、小栗にとって最大の不幸だったと思う。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:34:33 ID:MPZxp+qM0
>>622
横レスでおじゃる。
>これは日本初の憲法草案であり、後の伊藤のバカ憲法と比べるとはるかに先進的で民主的な内容だった。
アイデアだけでは絵に描いた餅に過ぎません。
幕藩体制に終止符を打つということは幕府が終わるということです。
幕府が終わるということは将軍という地位は意味を失います。
つまり幕藩体制が終わってしまえば、途端に徳川慶喜は「あなた誰?なんでここにいる訳?」といわれてしまう立場です。
先進的とか民主的とか内容なんて関係ありません。その正当性を万民が認めなければなんにもなりません。
それが憲法というものなのです。だから明治新政府も大日本帝國憲法を発布するまでに時間がかかりました。
でも遅いともいえません。欧米では、時期尚早という評価が主流でした。
>「神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御回復被遊候」
それはシステムではない。明治新政府の正当性を主張する為のおまじないみたいなものです。
>端的に言えばイギリスの死の商人が薩摩の軍制改革を行ったといえる。
軍制改革の為には死の商人だろうがユダヤの商人だろうが何だって利用しますよ。どこの国でも同じです。
>薩摩はそれをパクっただけ。
役に立つものは外国だろうが幕府だろうが琉球だろうが、どこからでもパクりますよ。どこの国での同じです。

それが政治というものです。遅れて近代化した国は皆どこでも似たようなものです。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 23:59:11 ID:X6qkijuO0
>>628
長文乙。
君はしたり顔で「勝てば官軍」と言ってるにすぎない。
薩長を無理やり肯定しようとすると、
どうしても君のような卑屈で迎合的なご意見に帰着せざるを得ないんだよ。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 00:16:02 ID:sKxvP/B40
>>626
ちょっとまってよ。>>619>>615に対するレスなのです。
615氏と俺との間にかなり歴史観の相違があって、あたかも俺が慶喜が無能だから薩長に敗れたといったとでも
誤解しているのかと思ったから、かなり大雑把だけで俺の歴史観を披露しただけだよ。
なんか話がかみ合わない感じなのでな。
626氏には手間かけさせて悪かったかも知れないが、そこから話を始めなきゃならないような
615氏ならレスしても意味ないかなという判断もありましたし、そもそも文字数制限が心配になる。
俺は615氏の家庭教師でも何でもないのだから。
話かわるけど、>>626見て気づいた。俺は「幕藩体制の動揺」という意味を説明してなかったなと。
俺のいう幕藩体制の動揺というのは、幕府自身が幕藩体制が今も機能しているのかどうか自信がなくなってきたという
意味なのだ。幕府は国を代表して外国と条約を結べる立場なのかと。
結んだところで諸藩の武士・町民は従うのかと。
皮肉なことに御三家である水戸藩から水戸学が生まれ、水戸学から出た攘夷論が全国に広まっていた状況で、
それに反する条約を結んで、どうやって理論的に正当化できるのかと。
631628:2008/03/04(火) 00:23:50 ID:sKxvP/B40
>>629
長文でもないし、したり顔でもないし、「勝てば官軍」とはいってないし、
無理矢理でもないし、卑屈でもないし、迎合的でもありません。
629で会ってるのは、俺が薩長には肯定的だということだけだな。10点。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 00:32:09 ID:IZyknPNC0
>>631
>水戸学から出た攘夷論が全国に広まっていた状況で、
>それに反する条約を結んで、どうやって理論的に正当化できるのかと。
その見解は倒錯してる。
条約を結び国を開いたことは正しいんだよ。
問題なのは開国するに際して愚かな外様大名や公家の意見を聞いたことであり、
勅許を開港の条件としたことだ。
一種の基地外である徳川斉昭や、決断力に欠けた安倍正弘が元凶。
この点を確認することから、幕末史を認識しなければならない。
633630:2008/03/04(火) 00:52:52 ID:sKxvP/B40
>>632
どうみても>>630へのレスだよな。
正しいとか正しくないとか話が別。
幕府が国を代表して条約を結ぶという権利に正当性があるのか。
あるとして諸藩、武士、浪人、町民は幕府が結んだ条約に従うのか。
これが問題なのだ。案の定、攘夷で外人斬られて幕府は賠償金まで払うハメになった。
外にも内にも面子丸つぶれ。目もあてられない。
いたるところキチガイだらけだ。どうすりゃいいんだよ、これで。
634名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 11:44:57 ID:rAKBiTd+0
外様の反乱を防げなかった時点で幕府に統治能力がないってことじゃないの?
635名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 12:52:51 ID:bPhWOTmm0
>>634
そうだよ。
でもな能力は無くても人には面目、意地、矜持というものがある。ましてや武士だ。
悪あがきといわれようが、それが武士というもの。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 18:07:05 ID:y4zmxpAp0
>>630
>幕府は国を代表して外国と条約を結べる立場なのかと。結んだところで諸藩の武士・町民は従うのかと。
>>633
>幕府が国を代表して条約を結ぶという権利に正当性があるのか。

何度も訪ねているのでレスさせてもらう。
江戸時代は、1603年に徳川家康が江戸を開府して以来、1868の大政奉還まで
265年間続いた。武士は領地の農村を離れて城下町に集住し、年貢の取り立て
などは領地の村役に手紙で指示するようになる。
徳川幕府は諸大名との連合体だ。それを「幕藩体制」と呼んでいる。
幕藩体制はかなり複雑で得意な政体だが、これが江戸時代の根幹をなす。
だいたい次の五点にまとめられる。
1.「改易添封」の権限。幕府が戦争をすることなく、領主(大名)から
  領地を没収し、または他所に移す権限。
2.「石高制」領地の土地生産力を、領主が年貢として徴収する石高で
  決めること。大名は最小の一万石から最大の加賀百万石まであり、
  江戸藩邸(大藩は上・中・小の三つの江戸屋敷)を持つ。
3.「軍役制」旗本・大名ともその石高に応じて軍需をととのえ、幕府の
  命令で出動する義務。例えば一万石の大名は騎馬の武士十騎、槍三十本、
  弓十張、鉄砲二十挺、旗本など計二二五人、五万石クラスでは千五00人を
  平時も維持しなければならない。
4.大名の「参勤交代」軍役発動の一形態。1635年に開始。大名の半数を江戸に
  常駐させ、首都防衛に当たらせた。このため大名には二年毎に一年間の
  江戸滞在を義務づけた。
5.「普請役」幕府が大名に負担させる軍役の一種としての土木工事。
全国の総石高は約三千石であり、そのうち幕府の直轄領は四百石余りの一割強に
すぎない。幕府は、この財政収入を持って行政経費を維持していた。この財政基盤は
脆弱だったとも、あるいは健全であったともどちらでも言えると思われる。これを
補ったのは、上記の軍役制・参勤交代・普請などであった。幕府と各藩(大名)とが
協調関係にあった長い期間にわたり、政治・財政・軍事の各方面において、各藩の
安定がそのまま幕府の安定を意味していた。よって幕府が国を代表して条約を結ぶ
ことは、問題がなかった。長崎にいたオランダ商館にいたケンペルはこの幕藩体制を
「地方分権」と絶賛している。なお、浪人・町民は政治に参加できないので議論の
対象とはならない。
637630:2008/03/04(火) 18:22:22 ID:wmLkS8Tp0
>>636
物凄い読み違えをされてますよ。
>>630 >>633 の主旨は全然全くそんなことではない。
幕府自身が俺が、この国の代表として条約なんか結んじゃっていいかの自信を無くして自問自答していたという意味ですよ。
法的根拠があるかとか権限があるかとか全然関係ない。
俺に違反者を取り締まる力量があるのかと自問自答したという意味。
話通じないのかなあ。
俺は誰にも質問しているつもりもないし、何も答えてもらおうとも考えてない。
幕府が幕藩体制の崩壊に気づきつつあり、この国の統治に自信を無くしていたと書いただけなのだ。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 19:17:19 ID:12ihoAty0
>>637
>幕府自身が俺が、この国の代表として条約なんか結んじゃっていいかの自信を無くして自問自答していたという意味ですよ

ペリーとの開国の日米修好条約を結ぶとき、まったくそんなことはありません。
この条約をまとめあげた日本側全権の林大學頭らは、ペリーが漂流民の救助・寄港許可と
通商を要求するのに対し、前者は人道問題であるから了承するが、後者は経済上のことがらで
おのずから別問題であると切り返している。なかなか筋が通った応対ぶりじゃないですか?
ペリーもそういわれてはひとまず引き下がらなければならなかった。そういう条約締結の応対が
史料にあるが、幕府は自身を無くして自問自答していたのですか?
ソースも書きましょう。「開国始末」全二巻 続日本史籍叢書 東京大学出版会 1978
話が通じないのではなく、頓珍漢なことを書いているのでお答えしただけです。
いらぬお節介をしてすいませんでした。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 19:22:54 ID:fh2Q1Y710
>>621
また珍説を、
木戸は最初から、廃藩置県と中央集権国家を目的にしていたんだが、
天皇を担ぎだしたのは、それが一番都合がよかったから、

あと大村は輸入した書物で独学しただけであって、
英米から直接学んだわけじゃない、
そもそも大村が参考にしたのは、フランスだ。
武器を輸入したのは、英米、さらに仏からも輸入しており、特定の国から輸入したわけじゃない。

つかそんなこといったら、フランス人を雇って、フランスの武器を輸入して、
フランス式の訓練をしていた、幕府は、完全にフランスの狗だろうが。

>西周はイギリス議会制度に倣い三権分立を骨子とする新国家構想「議題草案」を起こし、これを徳川慶喜も確認している。

はあ?西はただマルパクリしただけだぞ。
伊藤や起草者のような、知性のかけらもなかったから、そのまま書き写すしかできなかった、
その国の歴史や国体に合わせることが出来なかっただけだ。
つか伊藤と、西程度を同列に語るな。

>これが薩長が構築したシステムだ。

それは西洋の君主が、権威の箔付けのために、序文に入れるのと同じです。

>端的に言えばイギリスの死の商人が薩摩の軍制改革を行ったといえる。

だからあ、フランスから膨大な借金して、フランス人を雇って、軍制改革をしていた幕府はどうなるの?
西南雄藩のなかには、借金すらせずに、独自の資金でやっているところもあるんだから、
幕府の売国っぷりがよくわかるんだが、

>最初に実験炉をつくったのは幕府。実用炉をつくったのは佐賀藩。

英龍という一人の天才のおかげだな、尚歯会を弾圧しなければねえ。
英龍は生き残って、こういう実績を残したが、
彼の意思を継いだものも、井伊によって殺されたりと散々、
そしてその一人の木戸は、日本の改革を成し遂げたということだ。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 21:26:47 ID:4JDXYWlN0
>>630
>>幕府は国を代表して外国と条約を結べる立場なのか

書き忘れたことがある。お節介ついでに書いておく。
ペリーは日本の政体をどう考えたか。つまり日本の統治者は誰かという
ことだが、「日本」では、ほとんど断絶のない統治者の家系106代を
神武天皇から数え、鎌倉幕府からは将軍に継承させている。ペリーは
「日本は同時に二人の皇帝を有する奇異な体制を持っている。一人は
世俗的な皇帝であり、もう一人は宗教的な皇帝である」と解釈した。
これは、ヨーロッパにおける、国王とローマ法王との関係に似ている。
条約締結にあたって誰と交渉するかが最重要な課題だった。アメリカ大統領国書の
宛先も、同時に添えたペリー書簡も宛先は「日本国皇帝」(Emperor of Japan)と
なっている。受理したのは幕府だった。ここで事実上、日本国皇帝イコール徳川将軍の
関係が確立した。日本では、世俗的皇帝と宗教的皇帝とが、それぞれ権力と権威(宗教的
より広範囲な権威)を別々に体現していた。1615年、幕府は朝廷の権威を弱めるため
禁中並公家諸法度を定めたが、最後まで幕府が確保できなかったのが象徴的行為の確保だった。
具体的には、律令制いらいの官位・爵位の授与権を幕府は握ることができず、将軍・大名・幕閣は
朝廷から官位を受けていた。多分、あなたがいいたい

>>630
>俺のいう幕藩体制の動揺というのは

通常、権威は隠れていて表面には出ないが、幕末になって各藩と協調関係が崩れ、対立関係が
表面化するようになり、隠れていた朝廷の権威が浮上したことをいいたいんだろうと推測する。
「火山のマグマ」のようだと歴史学者がいう幕府と朝廷の関係、つまり権威の保持者は誰かという
問題が噴出したことだね。大政奉還(徳川将軍が天皇に政権を返上すること)の政治変動期には
権威が権力の上位にたったけどね。
641名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 22:06:25 ID:HLvCaGji0
>>633
>幕府が国を代表して条約を結ぶという権利に正当性があるのか。
外交は幕府の専管事項であり正当。

>案の定、攘夷で外人斬られて幕府は賠償金まで払うハメになった。
半島系テロ集団が日本国内で英国大使館に放火テロを行う。
日本政府はイギリスに遺憾の意を述べ賠償を行う。
…幕末期に長州人が行ったような卑劣なテロは現代でも起こりうる。
ところで。このような事件を前にし「攘夷で日本は賠償金まで払うハメになった。
外にも内にも面子丸つぶれ。目もあてられない」と、テロ集団の尻馬に乗って、
日本を非難する奴はいったい何者だろう?
642名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 22:09:15 ID:HLvCaGji0
>>634
そのような浅はかな視点では、複雑怪奇な幕末を理解できない。
幕末期に日本全体を統治する能力を備えていたのは幕府のみ。
薩長にしろ朝廷にしろ単独で日本を統治する能力は有していない。
しかし現実には唯一統治能力を備えた幕府が政権を投げ出し、
一藩の利害しか考えず右往左往してた薩長に権力が転がり込む。
このねじれた政変劇を演じたキーマンが徳川慶喜。
643名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 22:14:18 ID:HLvCaGji0
>>637
>幕府自身が俺が、この国の代表として条約なんか結んじゃっていいかの自信を無くして自問自答していたという意味ですよ。
自信が無かったのは無能な安倍正弘だけだろ。
井伊直弼は責任を一身に背負い開国を決断。
岩瀬たち幕府のテクノクラートは様々な制約のなかでベストをつくした。
条約締結により直面した最大の問題である交換レート問題に関しては、
遣米使節として派遣された小栗がすかさず解決している。
このような自信と責任感に満ちた人材が幕府にいたからこそ、今の日本がある。
644637:2008/03/04(火) 23:07:03 ID:uj+6ogRt0
>>638
私の説明不足でまた要らぬ誤解をさせてしまったようだ。それについては謝る。
>>637 で「幕府自身が〜自信を無くして自問自答していた・・」というのは
>>630 で「幕藩体制の動揺」の意味を説明するために、日米和親条約+10年間の
幕府の迷走・混乱ぶりを幕府を擬人化して表現したのだ。
630 での表現を637で言い換えてみただけだが、これは意味なかったね。
スレの流れを見てもらえば理解してもらえると思っていたが甘かったようだ。
というわけで特定の個人が異人を前にしてきょどってたなどという意味は全くありません。あしからず。

>>640
建前論、政体論、机上の空論の話はしてない。全然興味ない。

>>641
正当性、合法性の話もしてない。日本を非難もしてない。
幕府の統制が空洞化していた話をしていたつもり。
長州のテロ?桜田門外の変を忘れてないか?
水戸の浪士が大老を白昼公然と暗殺したのは何でしょうか?
それなのに幕府は水戸藩には何にも処分できなかったんだよね。御三家だしね。
で警護の彦根藩にはやたら厳しい処分を下してなんとか格好つけた。
それで数年後の天狗党の乱の時に彦根藩は恨み晴らすチャンスとばかり張り切っちゃったな。これ余談。

>>642
横レスだ。幕府の統治能力は失われていた。意地で政権にしがみついていただけだ。

>>643
誰がとか彼がとかいう問題でない。自信と責任感?あまり笑わせるなって。
小栗が一人で頑張ったところで、もうどうにもならん状況だったのだ。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 23:44:17 ID:IZyknPNC0
>>639
>天皇を担ぎだしたのは、それが一番都合がよかったから、
そう。木戸は長州にとって「一番都合が」よい政体を欲してた。
天皇を担ぎだしたのはそのため。
「廃藩置県と中央集権国家」はそこから副次的に派生したもの。
西周のような近代的な政体を目指していたわけではない。

>あと大村は輸入した書物で独学しただけであって、
>英米から直接学んだわけじゃない、
たしかに大村はオランダ語の書籍からも学んでる。
中でも重要なのはアメリカ独立戦争の散兵戦術を解説したクノープの戦術書。
大村はこれを第一次長州征伐前後の時期に翻訳してる。
しかしそれだけではない。
その直後にアメリカ人武器商人とともに上海に武器の買い付けに赴く。
数ヶ月の滞在の後、大村は南北戦争で使用された大量の最新銃器とともに、
フィーパン号(武器商人の船)で長州に帰港。
帰港するとすぐさま軍制改革の責任者となり「西洋陣法」を担う部隊を創設。
こうして幕軍に勝てる軍が突然できてしまう。
大村が絶妙のタイミングで「西洋陣法」にたどりつき、
さらに絶妙のタイミングで大量の最新兵器(条銃)を得ることができたのはなぜか?
英米武器商人の関与がこの「奇跡」を起こしたんだよ。

>つか伊藤と、西程度を同列に語るな。
西に失礼だよな。
ちなみに伊藤の憲法はプロシア憲法の幼稚な模倣。

>フランスから膨大な借金して、フランス人を雇って、軍制改革をしていた幕府はどうなるの?
フランスからの借款の過半は横須賀製鉄所・造船所の建設に当てられてる。
また中央政府たる幕府がフランス人を雇って近代的な軍隊をつくってなにが悪い?
外様藩が国の秩序を乱して勝手に外国と通じて軍制改革を行うことが問題なんだよ。

>西南雄藩のなかには、借金すらせずに、独自の資金でやっているところもあるんだから、
薩長はグラバーなどに巨額の借金をしてたけどな。

>英龍という一人の天才のおかげだな、尚歯会を弾圧しなければねえ。
幕府の人材は玉石混合。無能も多いけど、英龍のような天才も次々出てくる。
人材が皆無の薩長とは層の厚さが違うね。
646名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 23:54:48 ID:IZyknPNC0
>>644
>幕府の統治能力は失われていた
その妄想に以下の言葉を対置しておく。
「慶喜は実に家康の再来を見るがごとし」木戸孝允
647名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 12:56:02 ID:Nn+42dG60
幕府金なかったしな。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 13:13:12 ID:YO2w0WWa0
>>643
 榎本や大鳥の明治政権下での活躍はご存知ですよね?
少なくとも小栗が殺されずに明治政権下で活用されていたら、
位の想像力は働くかと。どっち途、幕府としての徳川家執政
は既に終焉した後の話で、戊辰戦争自体は新しい中央政権国家の
下でのイニシアチブを巡っての問題だったんだから。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 19:50:38 ID:77zGHF0n0
>>644
>建前論、政体論、机上の空論の話はしてない。

どこが、建前論?史料に基づき、研究者の文献を読んで
まとめた内容だがね。
そして、机の上の空論とは何ですか?
どこがどう空論か書いて下さい。

>全然興味ない

興味がないんじゃなくて、知識がないの間違いでしょう?
知識がないので、知らない・分からないんでしょう?
ここは学問板です。歴史学者の先行研究をよく読んで、あなたの自己満足の
妄想を書くのはやめましょう。
650644:2008/03/05(水) 20:24:14 ID:pPFtMTjO0
>>646
>その妄想に以下の言葉を対置しておく。
>「慶喜は実に家康の再来を見るがごとし」木戸孝允
妄想でもなんでもない。常識。普通の人の共通認識。
それが「幕府の統治能力は失われていた」ってこと。
木戸がそう評した慶喜でさえ、どうにもならないぐらいにね。
レスを換えて説明してやるから待っててな。
>>649
貴方が>>640で延々書いていたのは切符を持っているから電車に乗る権利があるという耄碌爺の話だ。
俺は切符を持っていても、たかだか10mも歩けないほど足腰が弱っていたら現実問題として
権利があっても行使する能力が無いよねという話をしているのです。
だから俺は>>640は机上の空論だと批判したわけだ。
貴方は知識が無いから、机上の空論に耽溺しているのだろうね。
651河井継之助:2008/03/05(水) 20:46:01 ID:D4txFQJM0
薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…
今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 20:48:57 ID:wj2tLG2q0
>>650
>切符を持っているから電車に乗る権利があるという耄碌爺の話だ。
俺は切符を持っていても、たかだか10mも歩けないほど足腰が弱っていたら現実問題として
権利があっても行使する能力が無いよねという話をしているのです。

え?私は、具体的に幕末における史実を

>>幕府は国を代表して外国と条約を結べる立場なのか

に対するレスとして書いたんですがね。
幕府は国を代表して日米修好条約を結べる立場でした。
そこで、>>640はアメリカ側からの史料をベースに書いたのですが、
あなたの書いてることはまるで根拠となる史料や文献はなく
ただ、あるのはあなたの頭の中の思い込みのようなものしかないですよね?
だから、あなただけ理解できる喩えばかりでしか書きませんよね?
その思い込みの根拠となる史料・文献を明示した上で、もう少し歴史を書いて
くれませんか。その上で、レスして下さい。
くれぐれも、同じような何の根拠もない妄想でレスを返さないで下さい。
お願いします。それから、

>貴方は知識が無いから、机上の空論に耽溺しているのだろうね。

当方に対し、ずいぶん失礼なことを書くものですね。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:10:30 ID:pPFtMTjO0
どうして幕末に幕府の統治能力が失われたか。

1.水戸藩で水戸学が起こり、尊王攘夷論に発展し討幕運動の理論的支柱となった。
将軍家を支える為に創設された徳川御三家の一つ水戸藩において起きた水戸学が
幕末には討幕を利する結果となった。水戸浪人は桜田門外の変で井伊直弼を暗殺する。
なまじ徳川御三家だった為に幕府は水戸藩を厳正に処分できず諸藩の信頼を失う契機となり、
豪腕小沢じゃなく豪腕井伊を失った幕府は迷走が明らかとなった。
2.鎖国の弊害が顕在化
鎖国は当初は所定の効果を挙げたが、幕末において政治体制・軍備・法制度・科学・民度など
あらゆる方面での遅れの原因となった。近代化の点で西南雄藩が幕府に先行し、
もはや幕府は西南雄藩を統制できなかった。
3.天皇の政治参加による二重権力構造化
水戸学が天皇の政治参加を理論的に正当化してしまい、なおかつ孝明天皇が強硬な攘夷派で
あった為、幕府の開国方針との矛盾を幕府は解決する方策が無かった。
4.諸外国と不平等条約の甘受
近代化に遅れ軍事的に脆弱で、かつ経済・外交・外国情勢に通じる人材不足の幕府は
開国・不平等条約を甘受せざるを得なかった為、攘夷派に力を与えてしまった。

すなわち幕末の国内の混乱、幕政の混乱は幕府自身が原因なのである。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:03:05 ID:kmn5QA7e0
>>645
>「廃藩置県と中央集権国家」はそこから副次的に派生したもの。

だから間違ってるって、これを主目的にしたんであって、
天皇とかはそれこそ道具。
幕府みたいな無知蒙昧なやからと違って、木戸には明確な理想像があるんだから、
少しは勉強しような、会津や幕府マンセー本以外も読み名。

>英米武器商人の関与がこの「奇跡」を起こしたんだよ。

陰謀論かMMRの世界だな・・・
普通に翻訳した大村が、それを実践に移して大成功しただけだよ。
武器商人なんかなんも関与していないし、
そんなきな臭いもんは、長州はつかわん。

>ちなみに伊藤の憲法はプロシア憲法の幼稚な模倣。

英独から折衷したものを、日本の国体に合わせて作り直したもの。
西がつくった程度の低い作文と一緒にすんな。憲法起草者に謝れ。

>フランスからの借款の過半は横須賀製鉄所・造船所の建設に当てられてる。

借金のほとんどは、借金の返済で消えてますよ。造船所なんぞにはほとんど回ってません。
幕府は国の内外から莫大な借金をしており、その借金の返済に苦労してました。
未来への投資などには、全くといっていいほど回ってません。

>また中央政府たる幕府がフランス人を雇って近代的な軍隊をつくってなにが悪い?

自称中央政府が、反乱軍討伐とかいって、外国から莫大な借金をして、
軍事費につぎ込み、外国人の言うがままに、内乱を起こそうとする、もう売国奴でしょう。

>薩長はグラバーなどに巨額の借金をしてたけどな。

薩摩は借りてましたが、長州や佐賀は一銭も借りてませんよ。
つか長州と佐賀なんて、グラバーはおろか、外国からは鐚一文借りてないでしょ。
列強が、借款を通じて、難癖つけて、侵略してきたのは歴史が証明してますしね。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:08:38 ID:kmn5QA7e0
>幕府の人材は玉石混合。無能も多いけど、英龍のような天才も次々出てくる。

幕府のほうが人口も多いんだから、その文優秀な人材が出る確率は高かろうな。
だが、その人材の多くは幕府が育てたものでも、発掘したものでもない。
大鳥などは岡山の関谷学校で育てられたものだし、英龍にしても、
たまたまそういう要職にいただけ。

さらに無能な人間が上層部を占めていて、天才は不遇だったから幕府は滅びたわけです、
薩長のように優秀な人材が、上層部を占めていたところとは違う。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:30:06 ID:KhHxu4R70
>>653
はいはい、アンタの頭と同じようにスカスカな内容だね。
議論しても、そんなバカの何とかを繰り返すなら、もういいや。

一つだけ書く。桜田門外の変で、幕府は水戸藩を厳正に処分できずじゃなくて
朝廷が水戸藩に送った、この事件のそもそもである「戊午の密勅」の返納を
朝廷に直接命じてもらい、返納が遅れた理由に勅命違反のかどで水戸家を処分に
持ち込み、井伊家の顔を立て事態を収めようとしているがね。
それが、斉昭の死亡などが重なり結果としてうやむやになったが…。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 23:54:03 ID:pPFtMTjO0
>>656
愚かだなあ。かくかくしかじかのつもりでした、なんて後から言い訳しても無意味なんだってば。
表に出た形が世間にどうみえて、世間がどう思うかが全てだよ。
政治というのは昔も今もそういうものなのだ。
それが分からないなら政治的センスゼロだね。
事態を収めるだけでは駄目なんだ。それが世間の目にどう映るかが問題なのだ。
昔はいざしらず、幕末はもう世間の目が無視できなくなっていた時代なのだよ。
お前も幕府と同じで政治的センス無いわ。
これじゃ確かにお前とは議論できんな。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 00:06:32 ID:8DvDVQg/0
ずーっと眺めてたけど、>>656の方が馬鹿に見えるなw
二言目には煽りと人格批判、レッテル張りか・・・
これらは論破されそうになった奴が必死の抵抗をする時に用いる常套手段だよなw
659名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 07:41:29 ID:OwvM4eJ6O
明治維新はクーデターで成り立った。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 08:42:07 ID:V8Pts0yF0
>>654
>だから間違ってるって、これを主目的にしたんであって、
>天皇とかはそれこそ道具。
木戸にとって主目的は藩の既得権の維持で日本の近代化なんてまったく念頭にないぞ。
「玉」は権力を握るための道具ではあるが、近代化の道具ではない。

「甘く玉を我方へ奉り抱候御儀、千載一遇の一大事にて、
自然万々一も彼手(幕府)に被奪候ては、たとへいか様の覚悟仕候とも、
現場の処、四方志士壮士の心も乱れ、芝居大崩と相成、
三藩(長州・薩摩・安芸)の亡滅は不及申。」

薩長にとって維新の目的はあくまでも王政復古。
それゆえ権力を握ると、律令に逆戻りし、神祇官を太政官の上に置き、
国民洗脳運動にまい進し、日本を大混乱に陥れる。

>武器商人なんかなんも関与していないし、
英米武器商人が長州に何をすべきかを教え込み、武器を与えたのは事実。
武器商人の救いの手がなければ長州は滅亡していただろう。

>日本の国体に合わせて作り直したもの。
長州人の都合にあわせて「国体」を捏造したというのが正解。
伊藤のバカ憲法が後々に大きな禍根を残したことはご存知の通り。

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス 
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス 
天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

>未来への投資などには、全くといっていいほど回ってません。
薩長やイギリスが大反対した横須賀製鉄所こそが「未来への投資」。
ちなみに幕府のファイナンスはそれを引き継いだ明治政府が返済してる。
無能な明治政府でも返済できたのは幕府が未来を見据えたプロジェクトを進めていたおかげ。

>自称中央政府が、反乱軍討伐
お前の世界観はひっくり返っている。日本が一丸となって近代国家への脱皮を進めるべきときに、
英国の手先となって国家分裂を謀り内乱を起こした薩長こそば売国奴。
それを鎮圧するのは国事を預かる幕府の責務だ。

>薩摩は借りてましたが、長州や佐賀は一銭も借りてませんよ。
幕末期の長州は朝敵として叩かれてたから、借りてたとしてもそんなことは公言できないわな。
武器購入にも薩摩藩名義が使われており、薩摩を媒介とした密貿易で利益供与が行われたことは事実だ。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 10:24:14 ID:l6go33VL0
>>660
>薩長にとって維新の目的はあくまでも王政復古。

維新政府の目的は、藩の既得権益じゃなくて日本の独立維持と不平等条約改正だろ。
そのための中央集権化、近代化、富国強兵なわけで。

>長州人の都合にあわせて「国体」を捏造したというのが正解。

明治憲法制定史を見直したほうが良いよ。
伊藤博文、井上毅、金子堅太郎、森有礼らが、
現代の国会議員らもおよばない高度な議論をしている。

伊藤博文と井上毅の書いた憲法義解はネットでも読めるが、
江戸時代生まれの人間とは思えない奇跡的な内容。

しかしまあ、国体の捏造というか、解釈による創造であったのは事実だろうね。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 12:48:22 ID:0tKFJlpK0
幕府が1858年日米修好通商条約を結び、桜田門外の変、生麦事件などの大混乱を引き起こした。
しかし幕府の売国政策はこれだけでもなかった。
1867年大政奉還に先立ち、しょうこりもなく江戸〜横浜間の鉄道敷設権を朝廷・新政府に諮ることもなく
勝手に亜米利加に売却していた。幕府の外交オンチ、政治オンチここに極まれり。
そもそも鉄道は1830年英国においてリバプール〜マンチェスター間の旅客営業開始が最初であった。
もちろん当時、鎖国政策を取っていた幕府に鉄道技術導入の機運など起こる筈も無かった。
しかし開国した後においても幕府は諸問題の収拾に追われるばかりで、鉄道敷設の為の動きは全く無かった。
幕府がやったことは鉄道敷設権の売却だけなのだ。
明治になって亜米利加は当然のごとく鉄道敷設権を主張した。
しかし明治新政府は、かくなるものは無効であるとして却下、イギリスの技術援助・資金援助を得て、
1872年新橋〜横浜間で官営鉄道を開業し、大成功を収めた。
その後のわが国の鉄道発展の歴史はここで触れるまでもなかろう。

幕府が惰眠を貪っていた間に日本は遅れに遅れてしまったが明治維新によってわが国が救われたことは
日本人として絶対に忘れてはならない歴史なのである。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 14:02:13 ID:0tKFJlpK0
樺太は長年松前藩の所領であった。所領とはいっても当時の農業技術では稲作は出来ず、
アイヌとの交易権を独占したいたというのに留まり、それが松前藩の収入源なのであった。
それは北海道においても同様のことである。松前藩は1万石相当の小藩に過ぎなかった。
19世紀に入ると帝政露西亜の南下政策によって樺太が脅かされるようになる。
小藩に過ぎない松前藩に露西亜に対抗できる力がある筈も無く、1807年幕府の直轄地となる。
1855年日魯和親条約にて北樺太が露西亜の、南樺太が日本の勢力圏であったが、明確な国境を
定めることはできなかった。1858年幕府は大野藩に樺太の開拓と警備を命じたが、
名君土井利忠の隠居、大野丸の沈没等により、はかばかしい成果は無かった。
一方、1860年北京条約によって清から沿海州を得た帝政露西亜は樺太への圧力を強め、
幕末においては樺太はもはや風前の灯となってしまった。
意思はあっても実力が伴わない、頭があっても体がついていかない幕政の特徴が樺太にも現れた。
樺太問題は明治新政府に引き継がれる。
1870年樺太問題の解決が急務であると考えた明治新政府は黒田清隆を樺太に派遣する。
帰京した黒田は視察結果を踏まえ、樺太の放棄、北海道開拓優先を答申する。
明治新政府は黒田の答申を受け入れ、1875年樺太千島交換条約を締結、1874年屯田兵制度を設け、
北海道開拓に尽力する。その後樺太・千島・北方領土は日露戦争・太平洋戦争の間で日露間を動くが
北海道だけは一貫して失うことが無かったのは明治新政府によるのである。

幕府が惰眠を貪っていた間に日本は遅れに遅れてしまったが明治維新によってわが国が救われたことは
日本人として絶対に忘れてはならない歴史なのである。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 18:37:30 ID:3CjQljgd0
>>653
何度読んでも、中学の歴史のレベル。
幕藩体制の揺らぎは、単に幕府の失政だけでなく19世紀の世界史の中で
捉えてはじめてその評価をすべきものであり、最近の研究では開国までの
幕府の外交はそうとう的確な対応をしていたことが、発表されている。
開国を求めてきた帝国主義まっさかりの欧米諸国との国力の差は、鎖国を
長い間続けてきた幕府にはどうしようもない「国力の差」だった。
それから、>>653には、公武合体運動についてまるで書かれていないが、
和宮降嫁は幕府の公武合体だったが、尊攘派を激怒させ坂下門外の変で挫折した。
これが雄藩の公武合体運動を誘発させた。これは、63年8月18日の政変により
公武合体派が主導権を回復し、翌年の参与会議の成立までこぎつけた。
3ヶ月後、瓦解。佐幕的傾向を保ってきた公武合体運動はその使命を終え、
尊王討幕派に主導権を譲った。
>>653

>すなわち幕末の国内の混乱、幕政の混乱は幕府自身が原因なのである。

まるで、参考書の写し書きみたいなスカスカな内容で、この結論ではねぇ…。
結論が先にあって、並べてるだけだものなぁ
665名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 18:39:12 ID:3CjQljgd0
おっと、>>653賛レスはいらない。
また、スカスカのことを得意になって書くか、興味がないかだから、イラネ。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 19:23:54 ID:1KPSgTvs0
「ふーふー、、日本の義務教育が全て正しいんだ!!!ふーふー、、
幕府は無能でなければいけないんだ!!!ふーふー、、、
英雄は長州薩摩土佐だけで十分なんだ!!!ふーふー、、
それ以外の説はいらないんだ!!!!ふーふー、、、
幕府は無能なんだ、幕府は無能なんだ、幕府は無能なんだ!!!!!
志士を愚弄することは許さないんだ!!!!ふーふー、、、」

「幕府こそ正しかったんだ!!はーはー、、薩長土佐は糞だ!!はーはー、、
明治維新なんていらなかったんだ!!!糞だ!!!ただのテロクーデターだ!!はーはー、、
だから薩長を英雄視するのは許さないんだ!!!!はーはー、、
幕府を無能呼ばわりすんのは義務教育に洗脳されてるからだ!!はーはー、、
だから幕府が正しかったんだ!!!」


ってゆう戦いですか。どちらか一方じゃなくてどっちもとりゃいいじゃん。
667名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 19:29:46 ID:jfd+WY640
>>660
>木戸にとって主目的は藩の既得権の維持で日本の近代化なんてまったく念頭にないぞ。

いつから木戸が藩の既得権益の為に動いた。
長州征伐で占領した土地は全て、朝廷に「返還」するように奏上したし、
日本全土の土地をそうやって返還して、封建制から、中央集権国家へと脱皮を、
最初から目的にしていたんだが。

>それゆえ権力を握ると、律令に逆戻りし、神祇官を太政官の上に置き、

そんなのただの権威付けに過ぎない。
実権がどこにあったのか、など子供でも知ってる。

>英米武器商人が長州に何をすべきかを教え込み、武器を与えたのは事実。

それを担保する資料でも新たに発掘したのか?
それに武器は買っただけだし、武器も英米に限っていない。
英米は金さえ出せばなんでも売るよ。
馬関戦争で、英国艦隊などに砲撃した中には、アームストロング砲もあったが、
これを長州に売ったのは、もちろん英国。
英国が長州に指示するわけがないし、そんなものを聞き入れる長州ではない。

>ちなみに幕府のファイナンスはそれを引き継いだ明治政府が返済してる。

明治政府だから返済できただけだよ。
幕府なら絶対無理だね、実際300万ドルの追加借款をフランスに申し込んでるだろ。
100万ドルの借金ですら返済できていないのに。
幕府はただ反乱軍の征伐の軍事費を必要としただけ。

>お前の世界観はひっくり返っている。日本が一丸となって近代国家への脱皮を進めるべきときに、

違う、フランスにそそのかされて、フランスから金借り手、フランスに言われるままに、軍事力を強化し、
フランスの言いなりになって、フランスから軍事費借り手、諸藩を討伐しようとしたのが幕府。
内乱を起こしたのは幕府であり、幕府はフランスの狗だった。これが史実。
さらに貴重な資源である、生糸を優先的にフランスが買い付けられるようになり、
関税も引き下げられた。売国奴以外の言葉が見当たらない。

>幕末期の長州は朝敵として叩かれてたから、借りてたとしてもそんなことは公言できないわな。

朝的かどうかなど、欧米の金貸しにはどうでもいい話だよ。
奥羽列藩同盟も朝敵になったが、欧米から借金できました。
そして藩を解体したときも、長州や佐賀は100万両もの余剰金があり、
その多くは国庫に入っている。金を借りた形跡は皆無。

また薩摩が長州の変わりに借金まで肩代わりしてくれるわけないだろ、
武器の密輸にしても、長州は代金とは別に、密輸の対価として米を供給することになっていたし、
利益供与どころか、密輸の維持に長州はコストを払っていた状態。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 19:36:26 ID:jfd+WY640
>伊藤のバカ憲法が後々に大きな禍根を残したことはご存知の通り。

君主の神聖条項など、当時の欧州の国家の憲法には当然盛り込まれてますが。
条項ではなく、運用の問題だよ、珍解釈するやからはいつの時代にもいる。
今の九条だってどうみても、違反してるだろ、だからとっとと改憲しないといけないのに。

西なんぞ、軍人勅諭でも書いてればいいんだよ、
憲法など、彼には無理。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 19:56:08 ID:jfd+WY640
>>666
幕府がやったことは、今につながってないから、
そもそもそういう評価にもつながらないわけ。

つか幕府の近代化とか言われても、
朝鮮人が、日本に占領されなけえば、独自に近代化して大国になっていたんだ、
と妄想すんのとなにが違うんだろ。

改革したいのなら、仕事らしい仕事もしていない、無駄飯くらいの武士の、
大量解雇、(これ今の役人の天下り組織と同じくらい無駄なのばかり)
そろばん武士などの大抜擢、経費だけかかる大奥の廃止、
街道の整備、架橋、車輪の使用か、大型船舶の建造の許可、これにより流通網の拡充
身分による、指揮系統を廃止し、実力と実績に偏向、
身分制度もついでに廃止と。

最低でもこれぐらいはやってほしかったね。
ぶっちゃけなんもしてないもん。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:13:47 ID:EAdm+7x10
>>667
>藩を解体したときも、長州や佐賀は100万両もの余剰金があり、
その多くは国庫に入っている。金を借りた形跡は皆無。

とても力んだ書き込み乙!
1838年(天保9年)に、長州藩の財政危機は、銀9万貫目でしたよ。
この額は、当時の米価にすると75万石(11万2千5百トン)になる。
1837年(天保8年)新しく藩主になった毛利敬親に登用された村田清風は
藩が藩士の借金を肩代わりするかわりに、債権者の商人に対しては元金を37ヶ年
据え置くという、踏み倒しに近いことをしてるのが史実に残っている。
天保の改革は、長州だけなく薩摩藩・肥前藩も同じように借金踏み倒しの上に
改革が行われている事実は、無視してはいけない。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:29:40 ID:jfd+WY640
財政再建する前の話をしてどうするんだ。
あと利子つけないだけで、払っており、踏み倒しジャないだろ。
薩摩みたいに250年後とかいうなら、流石に払ってないんだけどさ。
ていうかこれ坪井が廃止しただろ、

あとね、それは一般会計のほうで、
長州は別枠で貯金してたの、それが100万両の余剰金があったってわけ。
というか、その別枠の貯金のほうが、大きくなって、
一般歳入を減らしてしまったわけなの。
今の一般会計と、特別会計みたいなもん。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:43:44 ID:Ri6/t3kE0
>>671
>長州は別枠で貯金してたの、それが100万両の余剰金があったってわけ。

別途会計の撫育方は、幕末期で銀3百貫余の黒字があったことは知ってるよ。
しかし、1831年の6万とも10万とも言われる百姓を巻き込んだ長州藩天保2年の
大一揆が起こり、天保の飢饉治には長州藩でもふたたび一揆が起こっている。
藩士を対象に知行を半分に削る「半知」が行われ、家臣団も窮乏に追い込まれての
別立て資金であるから、大変な犠牲を強いているわけで、その上での天保の改革の
成立があることを言いたいだけ。

>その別枠の貯金のほうが、大きくなって、
一般歳入を減らしてしまったわけなの。
今の一般会計と、特別会計みたいなもん。

まったくの無知ですね。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:48:06 ID:jfd+WY640
あと肥前が踏み倒したって話は聞いたことないんだが。
あそこは専売と、行政機構の効率化で乗り切ったはずだが。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:49:32 ID:inhIN/lI0
>>671
>財政再建する前の話をしてどうするんだ

書き忘れた。
天保の改革は、何故行われたかを書かなくて、その後のことを
書いて何をいいたいの?
675653:2008/03/06(木) 20:53:29 ID:51Qn2RYk0
>>664
笑っちゃうなあ。でも中学生には、そんな風にしか読めなかったか。
幕府の失政なんて、そんな幼稚な話じゃないんだ。もちろん失政もあったがな。
しかしその程度の失政など江戸時代の260年いくらでもあった。幕末だけのことではない。

>幕藩体制の揺らぎは、単に幕府の失政だけでなく19世紀の世界史の中で
>捉えてはじめてその評価をすべきものであり、最近の研究では開国までの
>幕府の外交はそうとう的確な対応をしていたことが、発表されている。

あのなあ、こちらは幕府の外交政策の正しさなど論じてないのだ。
外交政策がいくら正しくても、それを朝廷・諸藩・武士・町民の津々浦々に納得させなければ
政治とはいえないのだよ。実際、攘夷派を全然コントロールできなかったよな。
公武合体運動は、瀕死寸前の徳川政権の延命策の模索にしか過ぎない。
使命を終えたというか、もうみんな気づいたってこと。なにも徳川にこだわる意味ないじゃんってね。

>>653 の1.は幕府の失政ではない。水戸藩は水戸学で徳川政権を正当化しようとしたのだ。
なぜか。政権の正当性を徳川家康の威光に頼っているだけでは、もはや信頼されなくなってきたということ。
徳川政権を理論的に裏打ちしないと幕府が持たない。しかし、水戸藩は警戒されて幕政から遠ざけられてしまう。
水戸学を勤皇論、攘夷論と解釈して討幕運動に走る過激派を水戸藩自身が生んでしまう。
徳川政権を正当化する筈だった水戸学が討幕派を正当化する理論に利用されてしまう。
>>653 の2.は鎖国が失政というわけではない。段階的に鎖国から開国に向かう政策を取らなかったことが
失政といえる。それが幕府の大きな政策課題だった筈なのだ。しかし誰もそれを考えなかった。
いつまでも鎖国の世が続き、時計がゆっくり進むと思ったのだね。これは致命的な間違いだった。
外国人に寝ているところを起こされて寝起きの頭がはっきりすると大変な事態に気づいたが手遅れだった。
>>653 の3.は失政じゃなくて大誤算だね。公家に小遣いやれば何とでもなると思っていたがあにはからんや。
水戸学が寝た子を起こしてしまっていた。もはや手に負えない。対朝廷政策は薩長の方が巧みだった。
ここにも幕府の人材不足が露呈した格好だ。
>>654 の4.は上記の集大成だ。これで幕府が国内を大混乱に陥れ、政権担当能力無しを印象づけた。
民主党の弁じゃないけどな。攘夷の賠償金を代位弁済してまで政権にしがみついたが無駄な足掻きだった。
幕府はやることなすこと全部裏目に出た。歴史の流れに逆らった罪だ。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:57:44 ID:jfd+WY640
>>672
意味がわからん、
撫育方は村田が作ったものじゃない、
宝暦13年に作られているもので、村田がやったのはそれの拡充。

で、新田開発や専売での収入が全てこっちに入ってしまい。
一般会計が厳しくなったんだよ。

それに半知なんて、長州藩じゃ、数年に一回はある恒例行事だ。
別のこのときだけじゃない。
677名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 20:59:49 ID:cT2tY8iN0
>>673
>あと肥前が踏み倒したって話は聞いたことないんだが。

1820年代藩債は銀二万貫をはるかに越えたおり、米に換算すると
その額、35万石(52500トン)以上だった。藩主鍋島直正のもと
中堅家臣団が実権をにぎって藩政改革を行った。
長崎での借銀は100年賦とし、大阪での借銀は元銀の四分の三を献金させ、
のちには、大阪の鴻池らからの借銀を1000年賦返済にするなどの踏み倒しに
よって財政再建をしている。文献は、「幕末の藩政改革」田中彰 1965を参照のこと
678名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:03:11 ID:jfd+WY640
>>674
なぜ行われたなんて、どの藩でも一緒だろ、
幕藩体制という、長い日本の歴史でも屈指の悪政を250年も続けていたからだよ、
参勤交代と、江戸滞在費、賦役、さらに天災が重なって、藩財政はどこの藩でも火の車。
そのため、ほぼ全ての藩で改革が行われた。

つかなぜ行われたか、なんてなんの意味があるんだ、
今話しているのは、当時の西南雄藩の財政状況であって、
財政再建を遂げる前の、時点での状況を記しても無意味だろう。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:04:20 ID:cT2tY8iN0
>>676
修訂防長回天史をもう一度精読することをお勧めする。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:04:38 ID:jfd+WY640
>>677
それは知らん買ったな、ありがとさん。
681名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:09:09 ID:cT2tY8iN0
>>678
>つかなぜ行われたか、なんてなんの意味があるんだ、

歴史には、原因があって結果という因果律で理解をするわけでね。
明治維新は、天保の改革の正否から始まるという研究者の見解があるわけだ。
あなたは、それを知らないだけのことですよ。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:09:22 ID:jfd+WY640
>>679
具体的になにが違うのか言ってみろ。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:13:12 ID:jfd+WY640
>>681
はあ?
だからそれが、幕末の武器密輸と、当時の財政状況になんの関係がある。
もう一度、スレを眺めて、自分がどれだけ突飛なこと言っているか、理解しろ。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:21:00 ID:jfd+WY640
いや、見直してみたら、37年払いのは一応利子は漬けているみたいだな、
ただ年利2パーくらいだがw。
今の低金利時代の、銀行の金利よりも安いぜ。

ただこれが当時のインフレ率や、相場と比べて高いか安いかは不明、
当時はかなりデフレだったようだが、相場としては格安っぽいな。
685名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:23:04 ID:1I7Tj4J60
>>683
>だからそれが、幕末の武器密輸と、当時の財政状況になんの関係がある。

いつ幕末の武器密輸のことを書きましたか?
天保の改革は、いわゆる西南雄藩が成功し幕末の政治史の表舞台に出てきた
理由であり、それが明治維新の歴史的経緯として必須だから書いているんですが
それがどうして突飛なことなんですか?
686名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:25:15 ID:1I7Tj4J60
>>682
>具体的になにが違うのか言ってみろ。

通常、自分が知らないことを教えてもらったら、まず言われたことを
やってみるものではないですか?
687名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:29:17 ID:jfd+WY640
>>685
645からまず見直してみよう。
あなたがいきなり、変なことを言い出したのがよくわかる。
文脈をまず読もうね。
>>686
長州藩のことで、あなたに新たな知識を教わった記憶はないが、
長州藩に関しては、何か新しい知識があなたから得られるとも思えないし。

佐賀藩のことは、ありがとうとお礼を言っておこう。
こっちはあまり詳しくなかったのでね。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:29:49 ID:51Qn2RYk0
天保の改革が話題になっているから飢饉の話もしておこう。
江戸時代には天候不順の影響で凶作・飢饉が何度も発生した。
江戸の3大飢饉とか4大飢饉とかいわれている。
この飢饉の被害を大きくしたのも鎖国政策の弊害である。
鎖国していたばかりに外国から緊急食料援助を受けることもできなかった。
援助かどうかはともかく開国していれば食料輸入の余地はあった筈だ。
1609年薩摩藩は琉球を侵略し、薩摩藩は琉球を通して外国から情報を得るようになった。
そして1705年薩摩藩は琉球からサツマイモの栽培を取り入れ、広めた。
これがために享保の大飢饉において薩摩藩は餓死者を出さずに済んだのだ。
外国の文化を取り入れるとはこういうことなのである。しかし幕府は幕末まで鎖国にこだわってしまった。
そして飢饉の被害を大きくしたのは幕藩体制の弊害でもあった。
薩摩藩のサツマイモのような良策が他の藩、全国に広まるまでに何年も何十年も掛かっていた。
サツマイモを関東に広めたのが享保の改革の親政で有名な徳川吉宗なのだ。
そして緊急時に藩同士が助け合うことが出来なかったのも幕藩体制の弊害である。
こうした凶作・飢饉は農村から都市への細民流入の原因ともなった。
幕府は天保の改革で人返し令を発し帰農を勧めたが、所詮は一時しのぎの場当たり的な対症療法に過ぎず、
本質的な問題の根本的な解決には程遠い政策であった。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:34:56 ID:1I7Tj4J60
>>687
>645からまず見直してみよう。

私は、645ではないですよ。

>>686
なら、もう一度書きます。修訂防長回天史をもう一度精読することをお勧めする。
しかし、

>長州藩に関しては、何か新しい知識があなたから得られるとも思えないし。

そんなに長州藩について詳しいなら、そうして下さい。私は、全巻を精読出来ていません。
しっかり読んでカードを書いた分だけでの話です。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:45:13 ID:jfd+WY640
>>689
あのね、
幕府がフランスから金借り手、軍制改革をしていたという話題で、
645が薩長がグラバーから金借りていたと、反論したわけだが、
当時薩摩はともかく、長州や肥前などは外国から金を借りていないと返したわけ。
当時の長州藩は、財政にはある程度余裕があり、
軍事費は、撫育方から捻出することができたからね。

で、あなたが天保の改革の意義と、状況を語りだした。
そして、これに触れないのはおかしい、とか言い出したわけ。
横レスは、レスへの賛否問わず大歓迎だが、スレの流れは読めよ。
ここが藩政改革の意義と、状況、結果を考察するスレなら別にいいんだが。

>そんなに長州藩について詳しいなら、そうして下さい。私は、全巻を精読出来ていません。

自分も出来ていないことを、他人に強要するんですが?
というか、なにか間違っているところがあるから、参考史料として示したじゃないんですか?

俺としては、違うところがあるというのなら、そこを具体的に示せといっているわけ。
その部分を調べなおすからね。
新説、新解釈が出てくることもあるし、常識が覆されることもあるのは、この業界じゃ当たり前なんだから。


691名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:52:26 ID:51Qn2RYk0
薩長が幕末をリードしたのは決して偶然の産物でも、政治力でも、天才の出現でもない。
江戸時代を通して一貫して農本主義にこだわっていた幕府に対して薩摩藩・長州藩とも
農業だけでは食えない藩だったことが大きな原因となっている。農業だけでは食えないから
薩長は教育に力を入れる必要があり、外国との交易(長州は密貿易)をする必要があった。
思い切った近代化政策を取り入れる必要があったのだ。
それゆえ薩長は下級武士・町民も力をつけて、そこからも人材が産まれた。
下級武士は藩政の実権を握るまでに力をつけ、大名はもはや飾りであった。
これも幕藩体制のゆらぎにつながった。
幕府の有力藩弱体化政策にもかかわらず、薩長が幕末をリードする大きな要因が
両藩とも農業藩でなく農業で力をつけたわけではないという事実だ。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:53:48 ID:uZ3VL+Vu0
>>690
>軍事費は、撫育方から捻出することができたからね


あなた、本当は文献読んでないね。

>自分も出来ていないことを、他人に強要するんですが?

あなたに強要してないよ。長州藩に関心があるようだから
参考文献を読むことをお勧めしたこと。

>としては、違うところがあるというのなら、そこを具体的に示せといっているわけ。
その部分を調べなおすからね。
新説、新解釈が出てくることもあるし、常識が覆されることもあるのは、この業界じゃ当たり前なんだから。

この業界で当たり前なら、自分でそれを調べるのが当たり前でしょう?
オレ、アンタに銭もらって教えてるわけじゃないし。アンタが、知識を
タダで得たいなら、お門違い。な、長州藩に詳しい方よ
693名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 21:57:25 ID:51Qn2RYk0
>>692
横レスだけど、そんなにとんがる話とも思えんが。
単なる感情のもつれで、何が争点・論点とも思えん。
もっとドイツマルクなりましょう。スレを私物化しないようにね。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:04:13 ID:SyGEvsj90
>>661
>維新政府の目的は、藩の既得権益じゃなくて日本の独立維持と不平等条約改正だろ。
日本の独立維持のために苦慮してたのが幕府。
薩長は藩単位の割拠、つまり日本がバラバラに分裂すべきと主張してた売国奴。
また、薩長は「不平等条約改正」なんて全く念頭になかった。
天皇の勅許な無いことを責めてただけで、条約が「不平等」であることすら理解していない。

>伊藤博文、井上毅、金子堅太郎、森有礼らが、
伊藤、井上、森はどうしようもない攘夷バカだったけど、
グラバーがイギリスに連れて行って調教したおかげで開国派に転じた面々。
薩長の中では相対的にまともな人材だった。
維新後は、福沢諭吉や西周などの幕臣がこいつらを指導教育したおかげで、
幼稚ながら憲法論議に首を突っ込むところまで成長できた。
なお当時は西の草案を皮切りに多くの開明的で民主的な私擬憲法が起草されてる。
しかし結局、いたずらに天皇大権を強調した伊藤のバカ憲法が通ってしまう。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:05:11 ID:SyGEvsj90
>>662
>幕府が1858年日米修好通商条約を結び、桜田門外の変、生麦事件などの大混乱を引き起こした。
うんざりするほど突っ込みどころ満載の雑文だな。とりあえず病院に行って頭の中を診てもらえ。

>しかし明治新政府は、かくなるものは無効であるとして却下、イギリスの技術援助・資金援助を得て、
最初に鉄道建設の必要性を建議したのは小栗上野介とも言われてる。日本の近代化のためには鉄道は不可欠。
それゆえ幕府は幕末の混乱期にアメリカと組んで鉄道を整備しようとしてた。これもまた幕府の先見性の証だ。
ただしこのプランは具体化するまえに幕府が倒れ頓挫してしまう。
そして薩長は例によってこのプランをパクり、ご主人様(パークス)に泣きついて、
日本の関税徴収権と鉄道収益を担保にイギリスから借金をして鉄道を建設する。
万が一鉄道事業がコケたら日本はイギリスの植民地に転落する仕組みだ。
薩長が売国奴であることが理解できたかな?

>>663
樺太放棄を薩長政府に命じたのはイギリスのパークス。
明治政府は唯々諾々とそれに従い、何百年間も幕府が死守してきた樺太を露助に譲り渡してしまう。
これは日本史上最悪の売国行為といっていいだろう。
広大な樺太、豊富な漁場と天然資源にあふれた樺太、殉死した多くの侍の魂が眠る樺太、
その樺太は薩長の売国のおかげで、もう二度と日本には帰ってこない。
696名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:08:56 ID:SyGEvsj90
>>667
>そんなのただの権威付けに過ぎない。
実体のない権威ではない。
木戸をはじめ薩長のバカどもは本気で律令の古政に逆戻りすることを夢見てた。
律令制も立派な「中央集権制」だからね。

なお、討幕派のなかで新国家の見取り図を描くことができたのは坂本龍馬のみ。
それゆえ彼の「船中八策」が絶賛されてる。
ただし、坂本のプランは勝の下僕として行動してたときに聞きかじった知識の走り書きで、
要するに幕府の近代化プランの模倣にすぎない。

>英国が長州に指示するわけがないし、そんなものを聞き入れる長州ではない。
イギリスは幕府が外国人を居留地に閉じ込めていることにいらだっていた。
オールコックは下関攻撃の前に伊藤・井上を介して長州藩主宛の書簡を送っており、
その中で、イギリスは幕府の貿易独占を認めない旨の主張を行ってる。
ここには幕府という共通の敵を持つ事によって長州を懐柔しようとする意図がある。
そして四国艦隊にボロ負けした後、長州は下関開港と割拠に方針転換する。
さらに高杉と伊藤は長崎のイギリス領事のもとに赴き、「幕府の貿易独占は間違ってる。
長州は開港するが、そうすれば下関は幕府に占領される。その場合、英国による援護がほしい」
という趣旨の直訴を行ってる。まさに自分から「植民地奴隷になります」と志願したような行為だ。

>明治政府だから返済できただけだよ。
明治政府は鉄道敷設も、秩禄処分もすべてイギリスからの借金でまかなってる。
関税収入を担保に入れ法外な金利をむしりとられる条件は、植民地としての扱われ方。
こんな売国がまかり通ったにもかかわらず日本の独立が維持されたのは、
極めて優秀な幕臣が官僚として明治国家の屋台骨を支えていたから。
697名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:13:33 ID:jfd+WY640
>>692

>↑ あなた、本当は文献読んでないね。

撫育方から捻出されてないとな、新説だな、誰が主張したんだ?
三坂や小川の旧来の説が覆されたんだな。
末松から100年新たな歴史がまた一ページと。

>この業界で当たり前なら、自分でそれを調べるのが当たり前でしょう?

正直にいったら?、
とりあえず相手を否定したくて、言っただけで、実はよく調べてみたら、
自分が間違ってましたって。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:24:45 ID:8CUGSOb10
>>697
パブロフの犬、条件反射厨。
もう一度だけ書くよ、自分で調べてみなさい。
このわずかな時間で、何もしないで自分の思い込みを
平気で書くあなたは、金沢大仲正教授のいうところの、パブロフの犬だよ。
699名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:25:05 ID:jfd+WY640
>>694
>また、薩長は「不平等条約改正」なんて全く念頭になかった。

だから破約攘夷論をまず勉強しろと。
条約の不平等制が問題になり、だからこそ破棄して新たな条約を結べ、
ということになったわけ、勅許なんてこれに比べれば、たいした問題じゃない。
勅許がえているか、どうかなんて、日本の権益とは無関係。

>グラバーがイギリスに連れて行って調教したおかげで開国派に転じた面々。

いつからグラバーが渡航の斡旋をしだしたんだよw

>最初に鉄道建設の必要性を建議したのは小栗上野介とも言われてる。日本の近代化のためには鉄道は不可欠。

これ欧米の資金で、欧米が作り、欧米が守る鉄道だろ。
植民地化以外のなにものでもねーじゃん。
鉄道収入を担保にして、鉄道敷設して、鉄道が赤字になっても、
別に日本は損しないが。鉄道そのものを担保にしたなら大問題だが。
それはしてないんだよね。
つか関税を担保に金借りたのはどこの幕府だっただろうか。

>明治政府は唯々諾々とそれに従い、何百年間も幕府が死守してきた樺太を露助に譲り渡してしまう。

幕府の樺太どころか、蝦夷地への無関心ぶりを知らんのか、
死守してきたのなら、田沼があんなに苦労することはなかったのに。
江戸で唯一ましな政治家、田沼に謝れ。

>木戸をはじめ薩長のバカどもは本気で律令の古政に逆戻りすることを夢見てた。

誰が主張してんだよ、そんなこと。
つかそんなことして、木戸になんのメリットがある。

700名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:39:58 ID:V8Pts0yF0
>>699
>条約の不平等制が問題になり、
そこんとこ具体的によろ。
「不平等制」とは?誰がいつ問題にした?
701名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:40:30 ID:jfd+WY640
>なお当時は西の草案を皮切りに多くの開明的で民主的な私擬憲法が起草されてる。

翻訳家が、欧米の憲法をそのまま移しただけです。
私擬憲法は伊藤ら起草者にも読まれていますが、
あまりの荒唐無稽さに、見捨てられました。正しい判断でしょう。

>>696
>なお、討幕派のなかで新国家の見取り図を描くことができたのは坂本龍馬のみ。

坂本なんて小物誰も相手にしてないだろ、名に言ってんだ。
木戸と大久保、これが当時明確なプランをもって、日本を近代化した、建国の父といえる。

>という趣旨の直訴を行ってる。まさに自分から「植民地奴隷になります」と志願したような行為だ。

租借を要求した英国は、高杉にふざけんな、と一言で切って捨てられているわけですが。

>明治政府は鉄道敷設も、秩禄処分もすべてイギリスからの借金でまかなってる。

イギリスからの借金は、幕府がしようとした莫大な借金に比べれば、
何分の一程度ですよ、
そもそも、あの程度の金で全て出来るわけないじゃん。
さらにこの借金は、前倒しで返還しているし。

また鉄道にしても、小笠原の鉄道敷設の免許あげるよ、好きにつくって、
てのとは本質的に異なる。
建設も資本も経営権も全て日本が担ったから意義があるわけ。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:46:32 ID:V8Pts0yF0
>>701
>木戸と大久保、これが当時明確なプランをもって、日本を近代化した
そこんとこ具体的によろ。
木戸と大久保の近代化プランの具体的な内容を知りたい。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:48:49 ID:alVw469t0
>>697
>三坂や小川の旧来の説が覆されたんだな

誰?それ。無学で知りません。
文献があれば教えて下さい。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:51:45 ID:jfd+WY640
>>700
最初は誰かはしらん、
ただ当時より人世代前の思想家、
横井、吉田は、破約攘夷、もしくは開国攘夷派。
今の屈辱的な条約は廃棄し、新たに対等な条約を結ぶべし、
とする、当時の志士連中というか、日本人のほとんどが賛同していた意見。

>>698
たまにいるんだよなあ。
相手を罵倒したり、反論したりして、
んじゃあ、なにが違うんだ、指摘しろ、
とか史料はなんだ、と問い詰めると、自分で調べろ、
とか言い出して逃走する奴。
佐賀のはさっさと示したのに、こっちは調べろ、
としか言わない。
さてさて、なんででしょうねえ。(笑
705662:2008/03/06(木) 23:02:46 ID:51Qn2RYk0
>>695
の割りには全然つっこんでくれないんだね。つまんない。
しかたないから俺が>>695に突っ込んでやるか。
鉄道敷設権を外国に売却することの意味を知らないようだね。
1896年三国干渉の見返りに清は露西亜に東清鉄道の鉄道敷設権を譲渡した。
南満州支線は日露戦争の結果、露西亜から日本が譲渡されることになり、
これが関東軍、満州事変、日華事変へとつながっていくんだね。
これ以上説明が要るのかな。幕府は亜米利加に売ったつもりかも知れないが、もし
これが露西亜に転売されていたら大変なことになっていたろうな。
幕府がどさくさまぎれにやったことって、これぐらい酷い売国行為なんだよ。
『庇を貸して母屋を取られる』 なんてことわざがあるな。
>日本の関税徴収権と鉄道収益を担保にイギリスから借金をして鉄道を建設する。
生産財のファイナンスとしては賢明な策だよね。明治新政府の発明でもないが、
当時最先端の資金調達手段だよ。さすがに海外で国債を発行するほどの信用は日本は無かったしね。
これが真の近代化というもの。幕府のは近代化っぽいけど売国。えらい違いだ。
ちなみに関税徴収権を担保にして借金することは、李氏朝鮮が日本の第一銀行に対してやっている。
しかし李氏朝鮮は資金を近代化に使うのでなく皇室の浪費に使っただけ。
だもんだから李氏朝鮮はいずれ併合されるハメになったわけだ。
同じ借りるのでも工場建設費用に使うのとパチンコ代に使うのでは意味が違うわな。
そしてな日本に資本家が育っていれば何も外国に借りる必要など無かった。
しかし日本には幕府の愚政のおかげで資本家が育ってなかった。大商人に作った借金を
踏み倒したりしたしな。
>何百年間も幕府が死守してきた樺太を露助に譲り渡してしまう。
死守なんかしてないっての。露西亜は西欧やオスマン帝国や清やなんかと戦争やらなんやらで
忙しかったから樺太攻略に本気出してなかっただけの話。樺太に関しては明治維新が
間に合わなかった。もう手遅れだったのだ。でも明治新政府は日露戦争で南樺太を取り返したけどね。
失ったのは昭和の責任だよ。昭和の政治家は露西亜が執念深く恨んでいることに全然気づいていなかった。

結局、なにもかも幕府が作ったツケを払う為に明治新政府が苦しんだのだよ。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:04:53 ID:jfd+WY640
>>702
両者の意見は大分違うけどな。
共通項は、当時の地方分権的な封建制を打破して、
強力な中央集権国家を作り上げることと、
条約を改正し、他国と対等な関係になり。
そしてなにより、外国に占領されない国を作り上げること。

そのために、廃藩置県と近代化、富国強兵を目的としていた。

両者で違うのは、
木戸のほうは民権論よりで、早期の議会開設などを主張し、
憲法なども早めに作ることを主張していた。
ただし、識字率も低くかったので、初等教育の拡充をし。
民度があがってから、つまり十年以上はあととしていた。

大久保はより官僚統制型であり、民衆を余り信じていなかった。
だから議会開設などは、ずっとあとでよい、とする方針。
(その後の議会を見る限り、大久保が正解だったな)
木戸や大久保よりもさらに急進的な改革派もいる。
大隈、伊藤、井上などはそれに分類される。
>>703
三坂圭治と小川国治
三坂は撫育方の研究をしており、長州藩の財政と撫育制度という、
ここでの話題、そのものずばりの著書もある。
(萩藩か山口藩の財政と、撫育制度だったかもしれん)
707名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:08:56 ID:V8Pts0yF0
>>704
>当時の志士連中というか、日本人のほとんどが賛同していた意見。
「不平等条約」のポイントは、領事裁判権、関税自主権、片務的最恵国待遇など。
これらの問題について、幕末時代に具体的に批判してる意見を見たことがない。
「日本人のほとんどが賛同していた意見」なのに不思議だ。
ぜひそのご意見の詳細を知りたい。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:12:50 ID:V8Pts0yF0
>>706
ほとんど君の後付けの解釈にすぎないように見える。
木戸や大久保が↓のような意見を事前に持っていたとは信じられない。
>条約を改正し、他国と対等な関係になり。
>そしてなにより、外国に占領されない国を作り上げること。
これを実証できる史料を教えて欲しい。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:21:22 ID:WX2Ehkw20
>>704
>指摘しろ、
とか史料はなんだ、と問い詰めると、自分で調べろ、
とか言い出して逃走する奴。

だからね、修訂防長回天史をもう一度精読することをお勧めする。
と書いたでしょう?くどいねぇー。全部読んで、書いてないのかどうか
読んでからここで書けよ。パブロフの犬コロ君。

それから、

>>706
>三坂は撫育方の研究をしており、長州藩の財政と撫育制度という、
ここでの話題、そのものずばりの著書もある。

山口の郷土史の人なの?そんな人、基本文献を調べたときに
出てこなかったけどな。小川の方はどうなった。
両名とも、書名:出版社:発行年度を書いてくれ。
地方出版では手に入るか分からないが、あたってみるから。
それくらいならできるだろう?
710名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:28:01 ID:WX2Ehkw20
パブロフの犬は、山口へ逃げたようだ。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 23:52:34 ID:jfd+WY640
>>708
お前さんが信じるか、どうかはどうでもいい。
だが破約攘夷論、破約開国論、自主開国論、人によっていろいろ代わるけど、
これらの意見は破約鎖国という急進派を除けば、
現在の条約を破棄して、対等な条約結びましょって意見なの。
勅許だけが問題なら、勅許だすか、もしくは断固鎖国でいいでしょ。
結びなおす必要はない。
全ての不平等性に着目していたかどうかはわからんが、
関税自主権と、領事裁判権は問題になってた。
欧米の輸入物が、流入するから、物価が安定せず、
江戸などは大混乱になっていた、また幕府が関税を担保にしたり、
引き下げたりした代わりに、借金していたのを批判してるんだよね。

そして薩摩は生麦事件があったから、領事裁判権は人事じゃあない。
>>709
記憶に頼らず、正確な書名と年度、版まで調べて示してもいいよ。
だけど、その前に、間違ってました、すみません、
の一言はあってしかるべきだろう。
それが礼儀というものではないかね?

もしくは本当に間違っているところを指摘するかだ。
できるのならな(苦笑

つかなんで指摘するくらいできないんだろ。
んな長文カキコするよりよっぽどラクだろうに。
712名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 00:10:19 ID:7m7h/ag00
あ、誤るか、指摘するなら、明日の朝までにしてくれよ、
明日は休みだから、正確な書名や項まで調べにいけるけど、
9時くらいはでるから、それ以降は次の休みまでずれこむ。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 01:51:36 ID:2DQ9uTI90
>>711
>現在の条約を破棄して、対等な条約結びましょって意見なの。
繰り返すけど、薩長をはじめとする尊攘派は、不平等だから破棄せよとは主張していない。
無勅許だからけしからんと言ってるだけだ。
松陰にしろ木戸にしろ大久保にしろ、条約の内容に踏み込んだ批判は一切していない。
なぜなら彼らは国際条約のなんたるかを全く知らなかったのだから。

それゆえ薩長は倒幕の過程で徳川家の条約を丸ごと追認する。破棄・改正のための行動は一切なし。
さらに明治以降、スウェーデン・ノルウェー・スペイン・北ドイツ連邦などと、新たな不平等条約を結びまくり、
幕府ですら絶対認めなかった沿岸貿易権を明治政府はあっさりと与えてしまう。

仮に薩長が「対等な条約結びましょ」という理念を持っていたと仮定するならば、その理念は一体どこへ消えた?
714名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 11:21:43 ID:DHqlHj630
>>713
> それゆえ薩長は倒幕の過程で徳川家の条約を丸ごと追認する。破棄・改正のための行動は一切なし。
> さらに明治以降、スウェーデン・ノルウェー・スペイン・北ドイツ連邦などと、新たな不平等条約を結びまくり、

そりゃ、内乱の後に、正統政府であることを諸外国に認めさせるには、
従前の条約の義務をまるごと承継すると言うしかないだろ。
(ソ連はロシアの債務を踏み倒して国際的に総スカンだったけど)
北ドイツとかスウェーデンとかにはサービスが過ぎるところだが。

> 仮に薩長が「対等な条約結びましょ」という理念を持っていたと仮定するならば、その理念は一体どこへ消えた?

明治4年の岩倉使節団の目的のひとつが、
「あわよくば不平等条約を改正しよう」てものだったろ。
消えちゃ居ないと思うが。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 15:47:49 ID:+TNuFiqZ0
徳川慶喜・小栗忠順ーゴルバチョフ
木戸孝允・高杉晋作ーエリツィン
大久保利通    ープーチン
伊藤博文     ーメドベージェフ
716名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 17:03:50 ID:4JriotFL0
>>713
>繰り返すけど、薩長をはじめとする尊攘派は、不平等だから破棄せよとは主張していない。
711さんじゃないけど、そんなの何回繰り返しても全然意味ない。違勅というだけで、
天下の大犯罪なのだから。そこから先は突っ込む意味もない。
それに尊攘派といっても、そんな一枚岩の組織があったわけじゃないし、誰が代表して幕府を
批判する立場でもないってこと。誰が条約審議会委員だったという話でもないし。
>松陰にしろ木戸にしろ大久保にしろ、条約の内容に踏み込んだ批判は一切していない。
それを要求するのは筋違いだ。松蔭なんか安政の大獄で死罪だし、踏み込むどころじゃないって。
逆に官憲に踏み込まれたってか。
木戸・大久保にしても幕末は頭角を現しつつあったというだけで、自分の身の安全を確保するのが
先決だし、出世して発言権を確保しなきゃならんわけよ。くだらない言いがかりだ。
>なぜなら彼らは国際条約のなんたるかを全く知らなかったのだから。
それはそうかも知れない。だからこそ、彼らは外遊・外国留学の必要性を痛感し、そうしようとも
した。しかし幕府の鎖国政策、妨害のせいで実現しなかった。いや、それでも長州藩は幕府に秘密に
留学生を派遣したんだった。全部、幕府の責任だ。

だいたいよう、散々弾圧して彼らの努力を妨害していたのは幕府だろうが。
それで「〜主張していない。〜一切していない」なんてなんたる言い草だ。

>それゆえ薩長は倒幕の過程で徳川家の条約を丸ごと追認する。破棄・改正のための行動は一切なし。
現実的で妥当な処置だ。不平等条約を改定するには国力・軍事力をつける必要があるという判断だ。
それは横井小楠が『破約攘夷論』で説いたことでもある。
>幕府ですら絶対認めなかった沿岸貿易権を明治政府はあっさりと与えてしまう。
じゃないだろう。幕府は開港の約束すらろくに守れないのだから、沿岸貿易の話にまで進めなかっただけの話。

結局、713さんの主張はあらぬ言いがかりとしかいいようがない。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 22:34:18 ID:kK88J9S+0
>>714
>そりゃ、内乱の後に、正統政府であることを諸外国に認めさせるには、
>従前の条約の義務をまるごと承継すると言うしかないだろ。
そう。薩長にとって条約の内容なんてどうでもよかった。
自分達が権力を握るためなら、外国の既得権の不可侵を誓い、 新たに劣悪な条件の不平等条約を結び、
樺太をロシアに売り渡し、主要港の関税を担保にイギリスから巨額の借金をした。
やってることは売国奴そのもの。
しかし薩長史観によれば、幕府が結んだ不平等条約改正のために「内乱」を起こしたことになってる。
これほどデタラメな歴史観は類例がない。

>明治4年の岩倉使節団の目的のひとつが、
>「あわよくば不平等条約を改正しよう」てものだったろ。
だから「消えた」という表現は誤り。薩長はもともと不平等改正の意志なんて持っていなかったのだから。

実際は、自分達が外交権を握りこの問題に直面した後に、はじめて気づいた。
そこで岩倉、木戸といった政府主要メンバーが総出で海外漫遊に出かける。
薩長のせいで大混乱の国内を無視した暴挙である点については、蛇足なので突っ込まない。

とりあえず岩倉使節団はイギリスで恐る恐る条約改正を口にする。
しかしイギリス側に一喝され即座に交渉を断念。
結局それ以降不平等条約問題を40年以上解決できななった。
似合わない背広を着込んだ彼らは「黄色いサル」と揶揄されたが、
問題の本質は外見ではなく無知と卑屈な奴隷根性にあったといえる。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 22:47:10 ID:kK88J9S+0
>>716
>違勅というだけで、天下の大犯罪なのだから。
外交は幕府の専管事項。開港は正当な事務の執行であり「犯罪」でもなんでもない。
むしろ国際情勢も条約の内容も知らないバカ集団が、天皇の権威と外交をもてあそび、
いたずらに国家の分裂と内乱を煽ったことの方が「大犯罪」だ。

>それを要求するのは筋違いだ。松蔭なんか安政の大獄で死罪だし、踏み込むどころじゃないって。
吉田某は外交とは無縁の無知蒙昧な田舎者なんだからおとなしく謹慎してるべきなんだよ。
しかし身の程を知らず国事に首を突っ込んでテロを煽り、老中暗殺を企てた。
死罪は至極当然の処置だ。

>彼らは外遊・外国留学の必要性を痛感し、そうしようともした。
たしかに若干名の長州人がイギリス本国に送られ植民地奴隷として教育された後送還されてるね。
コーディネートしたのはもちろんグラバーなどのイギリスの武器商人。
イギリスにとって「全部、幕府の責任だ。」という怨念を持ってる長州人は、
日本分断のための格好の駒として利用価値があった。
本来なら、開国が正しいと気づいたのなら、それまでの愚行を反省し、幕府の正しさを認めるべきだが、
長州人はその後一貫してイギリスの意図どおり反日テロリストの立場を貫く。
外様として数百年もの間、差別・抑圧されてきた長州人の立場には同情するけど、
国難を前にして、幕府への憎しみを優先させた長州のやり口には賛同できかねる。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 22:49:22 ID:kK88J9S+0
>>716
>現実的で妥当な処置だ。不平等条約を改定するには国力・軍事力をつける必要があるという判断だ。
薩長が内乱を起こして日本の「国力・軍事力」が著しく衰えた、そこに付け込まれたというのが実際の流れ。
劣悪な借款条件も樺太放棄も、すべて内乱で「国力・軍事力」が衰えた結果だ。
それを「不平等条約」が目的であったかのごとくデマを流すのは、著しく史実に反してる。

>幕府は開港の約束すらろくに守れないのだから、沿岸貿易の話にまで進めなかっただけの話。
当時の日本は中国が内地通行権や沿岸貿易権を与えたことによって、欧米資本に蚕食され、
国が滅びたさまを横目で見ていた。
それゆえ幕府はこれらの権利を外国人に与えないという強いスタンスで交渉に臨んだ。
日本が欧米の植民地化から免れたのは、幕府の賢明な政策が防壁として機能したからである。
しかし薩長は倒幕後、真っ先にその防壁をぶち壊すことに着手する…。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 01:12:26 ID:gcrElWJq0
>>719
そりゃ詭弁だよwいっくらなんでもw

>薩長が内乱を起こして日本の「国力・軍事力」が著しく衰えた、そこに付け込まれたというのが実際の流れ
ペリー艦隊が来た直後から文久の頃までは、薩摩も開国派。長州も長井の「航海遠略策」を掲げた開国派だよ。
国力軍事力があるなら、ペリー艦隊を撃退すればよかっだじゃないかw。
薩長が内乱を起こそうが起こすまいが、それとは関係なく日本の国力軍事力は欧米列強と比べればたいした事ない未開の小国レベルだろw。

>幕府はこれらの権利を外国人に与えないという強いスタンスで交渉に臨んだ
モノは言いようだなぁw
元々攘夷思想が広まりきっている所に黒船が来たわけだよ。
幕府だけがわかっているんじゃなくて、みんな解ってた事だ。
ただ幕府だけがペリー艦隊が来る時期を正確に知っていたってだけでしょw。

>日本が欧米の植民地化から免れたのは、幕府の賢明な政策が防壁として機能したからである
それは違うw。欧米列強が日本を植民地にしようとしたのならいつでも植民地にできた。
なぜ植民地にならなかったのかと言えば、土地が欲しいなら中国の方が美味しかっただけの事だ。
日本に期待されていたのは土地ではなく市場。したがって関税自主権を日本に放棄させればそれで十分儲かる。
逆に日本国内の金銀の流出を抑えられなくなって、日本国内の経済がガタガタになったんでしょ。
この事は横浜開港資料館が発行している資料に書いてあるよ。
721名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 01:21:51 ID:gcrElWJq0
>>716を支援するぞ

>それで「〜主張していない。〜一切していない」なんてなんたる言い草だ。

これは「悪魔の証明」と言って議論する上でやってはいけない事です。
なぜならば「○○していない」とは誰も証明できないからです。

たとえば「薩長をはじめとする尊攘派は、不平等だから破棄せよとは主張していない」事は誰も証明できません。
毛利公や島津公、西郷や高杉が「独り言で不平等条約の不満を語っていた」かもしれない。
記録に残っていないだけでw。井上馨や大久保利通も誰かに相談していたかもしれない。記録に残ってないだけでw。
誰にも「主張していない」ことは証明できないw。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 01:24:33 ID:gcrElWJq0
したがって、この場合「薩長をはじめとする尊攘派は、不平等だから破棄せよとは主張していない」ではなく、
薩長をはじめとする尊攘派は、不平等だから破棄せよとは主張していたかどうかはわからない」が正解です。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 05:09:34 ID:hqX672sP0
>>717
貴方の機関銃のようにデタラメを並べ立てる芸風には飽きたなあ。
でも世の為人の為に突っ込んでやるか。
>そう。薩長にとって条約の内容なんてどうでもよかった。
どうでもよくないからこそ、富国強兵・殖産興業を急いだのです。
>外国の既得権の不可侵を誓い
誓ってません。幕府のせいで一時的に受け入れざるを得なかったまで。
>樺太をロシアに売り渡し、
幕府の無策のせいで樺太は絶体絶命になっていた。明治新政府が乗り出した時は手遅れ。
>しかし薩長史観によれば、幕府が結んだ不平等条約改正のために「内乱」を起こしたことになってる。
意味不明。内乱を起こしたのは明治新政府に反抗する旧幕府の新撰組他の残党に過ぎないが。
そして内乱というほどでもない。箱館まで見苦しく逃げ回る反政府勢力を追撃しただけで。
親藩・譜代の大名にも見放された反政府勢力が惨めをさらしただけのこと。
>実際は、自分達が外交権を握りこの問題に直面した後に、はじめて気づいた。
はじめてじゃない。条約に問題があることは理論的・概念的に初めからきづいていました。
>そこで岩倉、木戸といった政府主要メンバーが総出で海外漫遊に出かける。
総出でもないし、漫遊でもない。まだ新政府の基盤が磐石でない内から、要人自ら大規模な
海外視察を実施したのは大胆だと思うが、それだけ近代化が急務である為です。
長年幕府が惰眠を貪った為に日本は遅れに遅れていたからです。
>とりあえず岩倉使節団はイギリスで恐る恐る条約改正を口にする。
打診してみて相手の反応を窺うのは外交の常套手段で当たり前のこと。駄目元ですから。
どうせ断られるに決まっているとして何もいわなかったら、それこそ卑屈な奴隷根性だ。
724名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 06:12:03 ID:hqX672sP0
>>718
貴方の機関銃のようにデタラメを並べ立てる芸風には飽きたなあ。
でも世の為人の為に突っ込んでやるか。
>外交は幕府の専管事項。開港は正当な事務の執行であり「犯罪」でもなんでもない。
鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎすと後世に謳われた家康は何でも辛抱強く、
遠大な構想で、段取りよく手順をつくして、周到な根回しのもと着実に事を進めました。
関が原の合戦も大阪冬の陣、夏の陣、全部そうです。しかしこうした家康の手法に
学んだといえるのは徳川三代まで。後は徳川三代の業績に頼り、家康の威光を借りただけ。
だから後は生類憐れみの令で世間を混乱させたり、寛政の改革・天保の改革のように反対されて
老中の首を飛ばしただけに終わった。失敗続きの中でかろうじて成功といえるのは享保の改革ぐらいでしょ。
吉宗以降の将軍は側室に子供生ませたこと以外には仕事なんかなんもしてない。
条約問題にしてもそうなんです。準備、構想、段取り、手順、根回し、何にも無い。見事なまでに
何もない。ただぐずってただけ。亜米利加の武力恫喝に負けただけの開国だから準備が無いのは当然としても。
せめて天皇の勅許を得ないことには大変なことになるとさすがに諸侯は諌めたわけです。
しかし愚かな幕府はこうした意見さえ受け付けず、ついには文字通り大老の首まで
飛ばしてしまった。だけに収まらず国内を大混乱に陥れた。専管事項とか全然関係ない。
物事には手続きってものがあるのです。何でもかんでも強権振り回せばいいというものではない。
>いたずらに国家の分裂と内乱を煽ったことの方が「大犯罪」だ。
しかり。幕府の罪は重い。
>吉田某は外交とは無縁の無知蒙昧な田舎者なんだからおとなしく謹慎してるべきなんだよ。
その吉田某に条約の内容に踏み込んで批判しろという貴方は支離滅裂杉。
>長州人はその後一貫してイギリスの意図どおり反日テロリストの立場を貫く。
反日テロリストの立場を貫いたのは新撰組だ。新撰組は日本の為のつもりだったが、
結果的に日本の近代化を数年遅らせ、有為な人材を殺しただけに終わった。
新撰組は誠の旗印を掲げ、誠を貫いたとはいえる。信念を貫いたといえる。
でもテロリストとはそういうものなのだから、賛美するにはあたらない。
新撰組でも時代の流れに棹を指すのは不可能でありました。
国難を前にして、長州への憎しみを優先させた幕府のやり口には賛同できかねる。

725名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 06:49:28 ID:MhvAW4Z80
書いてることが、あっちこっちへ飛び過ぎて、それでなくても
複雑輻輳する幕末・維新の歴史を一言半句の揚げ足取りになってる。
もう少し、細かく区切って書いた方が議論が深まりなにより面白くないか?
ペリー来航・開国1853,54〜岩倉遣外使節1871までの期間を、ごちゃまぜで書いてんだから
726名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 07:44:50 ID:hqX672sP0
>>719
貴方の機関銃のようにデタラメを並べ立てる芸風には飽きたなあ。
でも世の為人の為に突っ込んでやるか。
>薩長が内乱を起こして日本の「国力・軍事力」が著しく衰えた、そこに付け込まれたというのが実際の流れ。
薩長は内乱なぞ起こしていない。起こしたとしても、それを鎮圧するのは政府の当然の職務であって、
それで著しく衰えるようではそもそも政権を担う資格が無いといえる。
歴史を見れば内乱が起きるのは、政権が腐敗し著しく統治能力を失った時、治世・治安が乱れた時、
政権の基盤が固まる前の勃興期の3つのパターンの内どれかだ。
1番目は応仁の乱、2番目は大塩平八郎の乱、3番目は戊辰戦争が代表的な例だと思う。
つまり幕末において内乱を起こしたのは旧幕府の残党なのであって、明治新政府は当然の職務として
それを鎮圧し、明治新政府が政権を担う資格があるという事実を満天下に示したのだ。
もちろんそれで国力・軍事力はいささかも衰えることは無かった。明治新政府は難なく初仕事をこなした。
そもそも徳川慶喜は大政奉還で政権を朝廷に返却したわけで、旧幕府の残党は徳川家に対しても
謀反を起こしたのだ。衰えたのは天保の大飢饉、大塩平八郎の乱からだ。幕府の統治はここから
崩れだしたといえるのだ。そうした幕府に黒船が止めを刺しに来たのであった。薩長は断末魔に喘ぐ
幕府に替わり救国の為に立ち上がり、明治新政府の成立にも力を貸した。そんな薩長が明治新政府で
重用されたのは、これまた当然といえよう。
>当時の日本は中国が内地通行権や沿岸貿易権を与えたことによって、欧米資本に蚕食され、
>国が滅びたさまを横目で見ていた。
どこの講談師なんだよ、お前は。見てきたような嘘つくなって。
清が列強に内地通行権や沿岸貿易権を列強に与えたのは1858年の天津条約だ。しかも清の朝廷が
批准を拒否して1860年の北京条約まで発効してもいないのだ。そして清が滅びたのは1894年の日清戦争、
1898年の義和団の乱を経た1911年の辛亥革命による。
つまり、清はその後も50年は続いたし、明治新政府により近代化がなった日本と戦争する体力さえあった。
内地通行権や沿岸貿易権で国が滅びたなんて大嘘どえす。そんな国は世界史見てもひとつもない。
直接の因果関係はないのだ。
誰が横目で見ていたっての。大法螺もいい加減にしろ!
>それゆえ幕府はこれらの権利を外国人に与えないという強いスタンスで交渉に臨んだ。
なにがそれゆえだっての。幕府が列強に内地通行権や沿岸貿易権を与えなかったのは、
ひとえに攘夷派が異人を斬り飛ばして幕府が責任を取らされる事態を恐れただけの話。
それでも責任を取らされたけどさ。強いスタンスもなにも、そこまで譲ったら老中の首が飛ぶという
悲壮感があっただけ。それでも老中の首が飛んだけどさ。おっと大老もか。
>日本が欧米の植民地化から免れたのは、幕府の賢明な政策が防壁として機能したからである。
>しかし薩長は倒幕後、真っ先にその防壁をぶち壊すことに着手する…。
防壁でもなんでもない。明治新政府がいち早く立ち上がったから仏蘭西につけいる隙を与えなかっただけ。
もし幕府の売国政策が続いていたら危ないところではあった。幕府がドサクサ紛れに売り飛ばした鉄道敷設権を
明治新政府が取り戻した話はすでに書いたが。
明治新政府が成って攘夷派が霧散解消したあとは、沿岸貿易権を異人に与える支障も無くなったということ。
これまた船舶不足の状況で経済振興を優先させる政策として、それは賢い政策であったといえるのだ。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 08:15:24 ID:hqX672sP0
>>725
揚げ足取りかなあ。
講談師が時空を超越した御伽話をやたら流暢に騙ってるから突っ込んでいるだけで。
まあ議論にもならないが。
講談師が次々と話題を摩り替えて箱館まで逃げ回ろうしているから追撃しているだけで。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 10:15:56 ID:hN3K0AOW0
>>727
はっきりいえば、全部あなたの自演だとみてます。
理由:あきれる長文、自己陶酔の文章、A→Bの対称関係
別にそれは御自由にだけど、>>725で書いたけど、歴史を色々知って
いるようだから、細かく区切っての新たな自演なら静にロムしてるよ。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 10:29:09 ID:NcMGUpgp0
>>728
俺は君が「>>727の知識に対抗できなくなり論破されそうになっている」から
そう言ってネタ終了させたがっているだけに見えるが?
自演自演と煽っているあたり、その疑いが濃厚だろw
730名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 10:40:31 ID:FgbXoQUj0
>>728
違うがね。>>725で書いた事が全て。
論破って言葉が好きな人が多いですね。
閑ならアンタが、>>727のお相手をすればいい。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 10:45:29 ID:FgbXoQUj0
>>728
議論がなくて、非常に不十分な文章を論い、それを間違えているとか
指摘しても、それは言いあいでしょう?あなたの好きな、論破というのは
互いが議論しあって相手の説を破ることでしょう?
議論をしてるのなく、言いあいをしているだけで論破も何もないですよ。
732名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 10:47:13 ID:FgbXoQUj0
失礼アンカー間違えた。
>>730-731
>>728>>729の誤りです。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:08:39 ID:NcMGUpgp0
>>729-732
俺は>>727の意見に同意だよ。
なんで相手にしなけりゃならんのw

ぐちゃぐちゃ言ってないで論破されたんなら消えろ厨房
734名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:13:43 ID:MigZihlT0
>>733
頭が悪いねぇ。論破の説明したでしょう?
論破されてませんが、バカを相手にすると
>>733のようなことしか帰ってこないので、
自演さんをヒマがあったら見に来ます。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:14:31 ID:fsZt3AOh0
どっちもどっちだよ。もっと面白い議論しようぜ。ウンチクや独りよがり秋田
736名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:15:56 ID:3v+3ufrNO
なんか何がなんだかわからなくなったんだけど、誰か整理してくんない?
737名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:20:05 ID:NcMGUpgp0
>>734
二度と来るな負け犬w
738名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:30:40 ID:dz4PvPOj0
佐幕派:地域主義or国家主義で、どちらかで徳川に有利な点を拾い読み。
     論理に一貫性がないので要約は出来ない。
739名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 11:36:10 ID:p34uKxf/0
ID:NcMGUpgp0
>二度と来るな負け犬w

お返ししよう。
永遠に来るな負け犬w
740名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:10:35 ID:QkMQneIw0
>>735
といわれるなら、なにかテーマを投げかけてくれないと。
>>736
そういうことなら教科書か参考書でも見て。
741名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:12:12 ID:eoymvvz10
ごちゃごちゃしてるので、まず「不平等条約改正」問題の骨子をトレースしてみよう。

>>661(薩長史観)
維新政府の目的は、藩の既得権益じゃなくて日本の独立維持と不平等条約改正だろ。
>>694(佐幕史観)
薩長は「不平等条約改正」なんて全く念頭になかった。
天皇の勅許な無いことを責めてただけで、条約が「不平等」であることすら理解していない。
>>699(薩長史観)
条約の不平等制が問題になり、だからこそ破棄して新たな条約を結べ、
ということになったわけ、勅許なんてこれに比べれば、たいした問題じゃない。
>>704(薩長史観)
今の屈辱的な条約は廃棄し、新たに対等な条約を結ぶべし、
とする、当時の志士連中というか、日本人のほとんどが賛同していた意見。
>>707(佐幕史観)
「不平等条約」のポイントは、領事裁判権、関税自主権、片務的最恵国待遇など。
これらの問題について、幕末時代に具体的に批判してる意見を見たことがない。
「日本人のほとんどが賛同していた意見」なのに不思議だ。
>>708(佐幕史観)
木戸や大久保が↓のような意見を事前に持っていたとは信じられない。
>条約を改正し、他国と対等な関係になり。
>そしてなにより、外国に占領されない国を作り上げること。
>>711(薩長史観)
全ての不平等性に着目していたかどうかはわからんが、
関税自主権と、領事裁判権は問題になってた。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:12:57 ID:eoymvvz10
>>713(佐幕史観)
松陰にしろ木戸にしろ大久保にしろ、条約の内容に踏み込んだ批判は一切していない。
なぜなら彼らは国際条約のなんたるかを全く知らなかったのだから。
薩長は倒幕の過程で徳川家の条約を丸ごと追認する。破棄・改正のための行動は一切なし。
さらに明治以降、新たな不平等条約を結びまくり、
幕府が認めなかった沿岸貿易権を明治政府はあっさりと与えてしまう。
>>714(薩長史観)
そりゃ、内乱の後に、正統政府であることを諸外国に認めさせるには、
従前の条約の義務をまるごと承継すると言うしかないだろ。
>>716(薩長史観)
違勅というだけで、 天下の大犯罪なのだから。そこから先は突っ込む意味もない。
だいたいよう、散々弾圧して彼ら(尊攘派)の努力を妨害していたのは幕府だろうが。
それで「〜主張していない。〜一切していない」なんてなんたる言い草だ。
>>717(佐幕史観)
薩長にとって条約の内容なんてどうでもよかった。
薩長はもともと不平等改正の意志なんて持っていなかった。
実際は、自分達が外交権を握りこの問題に直面した後に、はじめて気づいた。
>>721(薩長史観)
これは「悪魔の証明」と言って議論する上でやってはいけない事です。
なぜならば「○○していない」とは誰も証明できないからです。
743名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:15:38 ID:eoymvvz10
>>741-742
議論は、薩長史観側が、維新の目的は不平等条約を正すためだと断言するところから始まってる。
佐幕史観側はこれをデタラメな俗説であるとし、具体的なディテールの例証を要求。
しかし薩長史観側は大久保や木戸の「不平等制」批判論を例示することができず、どんどんトーンダウン。
最終的には、例示がないことによってその可能性を否定する幕府オタの理屈は「悪魔の証明」であり、
討幕派が最初から条約の不平等性を理解し批判してた可能性は否定できないと開き直る。
この一連の議論は、薩長史観の前提は証明できない仮定の上に成立してる、という事実に帰結してる。
端的に言ってしまえば、維新の目的は不平等条約を正すため、とする説は、仮定に基づく願望にすぎないということになるな。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:38:41 ID:eoymvvz10
>>725
最もなご意見だ。複雑な幕末史は断片的な事実をつなぎ合わせただけでは見えてこない。
しかし一般に幕末史は粗雑な結果論がまかり通ってるのもまた事実。
>幕府はペリーの砲艦外交に屈し不平等条約を締結。
>そこで薩長ひきいる討幕派が幕府を倒し不平等条約を改正した。
>維新がなかったら日本は列強の植民地になってただろう。
このような薩長美化論は、都合のよい断片的な事実をつなぎ、勝手な願望を織り込んだ代物にすぎない。
それゆえ幕末維新史は、知れば知るほど、幼稚な薩長美化論とは正反対であることがわかってくる。
一言半句の揚げ足取りではなく、細部にこだわり議論を深化させたほうが、面白いね。
745名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:44:13 ID:NcMGUpgp0
>>143-744
あははははw
佐幕史観の都合の良いところのみを抽出してまとめたのかよw

>どうして幕末に幕府の統治能力が失われたか

この件もあったはずだけど見て見ぬ振りとはたいしたものだw
こうやって都合の悪いことは見ず、都合の良いものだけを見る姿勢だから馬鹿にされていると気が付かないのかなぁw
746名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 12:56:56 ID:eoymvvz10
>>745
>どうして幕末に幕府の統治能力が失われたか
幕藩体制が維持できないことは幕府側の方がより正確に理解してた。
それゆえ幕府は開国近代化に転換し、近代国家への移行を模索する。
この問題は来るべき新国家のコンセプトを持ってたのは誰か?という点で議論されてる。

オマエの勝手な解釈でかまわないから、論点をまとめてみろ。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:05:32 ID:NcMGUpgp0
>それゆえ幕末維新史は、知れば知るほど、幼稚な薩長美化論とは正反対であることがわかってくる。

幕府美化論の君が言っても、あんまり説得力ないだろうねw
事実として幕府は条約を結び開国し、国内が荒れ幕府は倒れた。
次の政権を担った明治政府は不平等条約を改正し、日清日露の戦争に勝利し、
欧米列強の仲間入りを果たして植民地にはならなかった。
国を滅ぼす一歩手前まで行ったのが幕府で国を立て直したのが明治政府。
幕府にもそれができたというのは、佐幕史観者の妄想だしねw
748名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:09:03 ID:NcMGUpgp0
>>746
なーんか会津研究家の星亮一みたいな奴だなお前はw
749名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:13:38 ID:eoymvvz10
>>747
>明治政府は不平等条約を改正し
明治政府が不平等条約にとりくみ苦労はしたが一定の成果を得たのは事実。
しかしそれを薩長の成果であるかのごとく語るのは誤り。
岩倉使節団の渡航は福地をはじめ海外に明るい幕臣のガイドがあってはじめて成立したもの。
条約改正を行った陸奥は紀伊藩の出身、日英同盟の立役者は旧幕臣の林。
外交音痴の薩長はことごとく旧幕臣や幕府譜代出身の人材に頼りきってる。
薩長オタの妄想はいいかげんにしてほしい。
750名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:14:42 ID:InL3UPwF0
ペリー来航以来の後、さまざまな勢力の間で模索され生まれてきた
方向性は、明治元年からあとよく使われた言葉で「万国対峙」がある。
この方向性は薩長だけが主張してきたのではない。海外万国と並び立つという
表現は、徳川慶喜が大政奉還の上表文で使っている。「万国対峙」は、すべての
政治勢力の共通の課題であり、どうすれば実現できるか政治抗争の焦点となっていた。
薩長は、我々に政治を任せればそれを実現させてみせると主張していた。
そして成立したばかりの新政府は、外国との関係をつくるうえで、まずやらなければ
ならなかったのは、諸外国から正当な政府としての承認を取り付けることだった。
明治元年正月9日に仁和寺宮嘉彰親王が外国事務総裁につき、さらに三条・東久世が
外国事務取調掛に任じられ、12日伊達宗城が事務取調掛に追加任命される。
不平等条約云々の前に、歴史の事実を述べれば上記のことが初めにやったことです。
この後、神戸事件があり、天皇を外国公使と会見させた…。あったことを書けば
こんな風になる。
751名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:18:18 ID:eoymvvz10
>>750
そもそも五箇条のご誓文が、大政奉還の上表文のパクリですから。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:23:47 ID:QkMQneIw0
>>743
>端的に言ってしまえば、維新の目的は不平等条約を正すため、とする説は、仮定に基づく願望にすぎないということになるな。
↑これが丸ごと、貴方の仮定に基づく願望にすぎないのだよ。
745氏に先に指摘されてしまったが、>>741-742ってあんだよ。ご都合主義的なつまみぐいで俺のレスはほとんどスルーしてやがる。

そもそもどうして幕府は不平等条約を結ばざるを得なかったか。

英吉利は1840〜2年、アヘン戦争、南京条約、1857〜60アロー戦争、1858天津条約、1860北京条約と清の半植民地化を進めていた。
英吉利のやりくちは無茶苦茶乱暴で無法であった。もし、これが清でなくて日本だったら、天保の大飢饉・大塩平八郎の乱と
重なっていた時期に英吉利に口実つくられて宣戦布告されていたらひとたまりもなく、清より酷い不平等条約を飲まされていたに
ちがいないのだ。幕府は1825年に異国船打払令を発していたから、それが口実に利用される事件をつくることになりかねなかった。
こうした清の有様を横目で見ていた幕府は何をしていたか。
1842年に慌てふためいて異国船打払令を廃止しただけ。これだけですよ。
まさか、これだけってことはないだろうと思って必死に調べても何も出てこない。逆さに振ってもこれだけ。
老中阿部正弘がどうぁー皆大変だよう、誰か良い案考えてくれようと半鐘鳴らして駆け回っていただけ。
そうこうしているうちに黒船が来てしまう。
図体のでかいのろまな奴がいじめっ子を引き付けてくれていたお陰で何とか時間が稼げていたいじめられっ子ですよ。
これがペリー来航の時の幕府の状態ですわ。笑い事じゃない。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:41:58 ID:eoymvvz10
>>752
長文乙。
いずれにせよそのような背景から日本は開国に至る。
幕府は凶暴なイギリスを警戒し領土的野心が薄いアメリカのハリスとの交渉を急いだ。
一方の薩長は攘夷に狂い、開国派の長井は殺されてしまう。
どちらが正しかったかは言うまでもない。

>↑これが丸ごと、貴方の仮定に基づく願望にすぎないのだよ。
だったら討幕派が具体的に条約の不平等性を批判したことを例証してみろ。

>俺のレスはほとんどスルーしてやがる。
しるかヴォケ。

>英吉利に口実つくられて宣戦布告されていたらひとたまりもなく、
>清より酷い不平等条約を飲まされていたにちがいないのだ
戊辰戦争の際に英吉利に口実つくられて宣戦布告されていたらひとたまりもなかっただろう。
いずれにせよこの手の仮定論は無意味だ。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:42:47 ID:NcMGUpgp0
>>749
>しかしそれを薩長の成果であるかのごとく語るのは誤り
誰が薩長と言った?俺は「明治政府」と言っているだろw。

>岩倉使節団の渡航は福地をはじめ海外に明るい幕臣のガイドがあってはじめて成立したもの
>外交音痴の薩長はことごとく旧幕臣や幕府譜代出身の人材に頼りきってる

その人材を活用できなかったのが幕府で、彼らを活用できたのが明治政府だと言っている。
そういう事を認識していないから佐幕史観と馬鹿にされるんだよ。
なぜ有能な幕臣を活用できなかったのか?
そこで出てきたのが

>どうして幕末に幕府の統治能力が失われたか

という話しとリンクしてくる。これ、前の方でさんざん議論してたよな?
お前、いままで何を議論してたんだよw。

いいかげん佐幕美化するしか能がない佐橋史観の妄想はやめてほしい。
755名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 13:51:48 ID:NcMGUpgp0
あとな・・・・
「無勅許での条約締結」か「不平等条約」って話しだけど、どうでもよくねーか?
佐幕贔屓者は必死にしがみついているみたいだが、
不平等条約を結んだ事で国内経済が混乱し、その結果として幕政に対する不満が高まった事実はかわらないぞ。
つか、これって薩長ヲタが単に揚げ足を取られ、あとはもう佐幕ヲタがこの揚げ足にこだわり続けてるだけだろw
756名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 14:30:49 ID:QkMQneIw0
>>752の続き
こうして無為無策の10年を過ごした幕府は何の備えも無いまま、黒船を迎えてしまう。
幕府にとって幸運だったのは同じいじめっ子でも亜米利加は英吉利よりは上品ないじめっ子であったことだ。
幕府は粘り腰を見せたものの1854年日米和親条約を結びやむなく開国する。
しかし幕閣内部では攘夷派と開国派の権力闘争が起き、腐心の阿部正弘は1855年老中首座を
堀田正睦に譲り、2年後には心労の為か急死してしまう。
堀田正睦は日米修好通商条約調印問題の解決の為勅許を得ようと上洛するも失敗。
さらに将軍継嗣問題で対立していた井伊直弼に罷免されてしまう。
井伊直弼は無勅許で日米修好通商条約を締結してしまう。
これが手続き論として問題な手法であったことは>>724で指摘済。
1860年桜田門外の変で井伊直弼は水戸浪人に暗殺され豪腕一本槍という稚拙な政治手法の咎を受ける。

このように幕政中央は急死、失脚、暗殺と続き、政策の継続性も何もなく、後手後手に回り、
事態の収拾に追われるばかりとなっていた。
757名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 15:31:37 ID:QkMQneIw0
>>756の続き
1860年に豪腕井伊直弼を失うと、1858年に13歳で将軍に就任した家茂にかような難局を収拾できる筈も無かった。
将軍後見職である慶喜が幕政をリードする形になり、慶喜は井伊に見出された鬼才小栗忠順をプッシュし、
鬼才小栗忠順も横須賀製鉄所の建設で慶喜の期待に応えた。
しかし時既に遅し。政局は既に江戸から京都に移っていたのだった。
1863年将軍家茂が上洛し孝明天皇に攘夷を誓う事態となっては、矛盾がますます極まった。
1866年家茂が上洛のまま大阪城で病死し、将軍職と長州征伐を引き継いだ慶喜だが、
戦局が劣勢で全国で一揆が起きるに到っては、もはや幕府の幕の降ろし方を模索する以外に
道は残されていないのであった。1867年ついに慶喜は大政奉還を決行するに到る。
しかし江戸ではなお主戦派が幕府に拘泥し、鬼才小栗忠順も主戦を主張したが慶喜は恭順の意思を変えず、
官軍の迎撃策を建策するも受け入れられず、ついには罷免されてしまう。
こうして徳川幕府は終焉を迎えたが、旧幕府の残党はなおも抵抗を続け、これ以降は戊辰戦争となり、
明治新政府に政権が移動することとなった。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 16:51:29 ID:QkMQneIw0
>>746
745氏ではないが、応えよう。
>幕藩体制が維持できないことは幕府側の方がより正確に理解してた。
幕府側って具体的に誰だろうか?まさか慶喜に梯子を下ろされた連中のことじゃあるまいな。
>それゆえ幕府は開国近代化に転換し、近代国家への移行を模索する。
>>752 >>756に記述したとおり、幕府は亜米利加に押し捲られ開国に転じただけ。
近代化は鬼才小栗忠順が孤軍奮闘していただけ。
「近代国家への移行を模索する」などといえる実は幕府には全く無かった。
>この問題は来るべき新国家のコンセプトを持ってたのは誰か?という点で議論されてる。
>>446で具体的に指摘したが再掲しよう。
徳川幕府→天皇親政(吉){長}{薩}
地方分権→中央集権(横){長}{薩}
士農工商→四民平等(横)(吉){長}{薩}
神仏合一→神仏分離
文明停滞→文明開化
農本主義→殖産興業(横)(小) {長}{薩}
参勤交代→富国強兵(横)(小) {長}{薩}
幕藩体制→廃藩置県
寺子屋教育→学校教育(横) {長}{薩}
江戸庶民→帝國臣民
身分世襲→人材登用(横)(吉){長}{薩}

(横)横井小楠,(吉)吉田松陰,(小)小栗忠順{長}長州藩{薩}薩摩藩
これはさほど厳密なものでないし、異論もあるでしょう。
しかし幕府には小栗を別とすれば近代化方針などというものは存在しなかったし、
小栗も幕府の存在を前提としての近代化方針しか無かったということです。



759名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 17:07:52 ID:NcMGUpgp0
>>757ではないが、彼を補足

大老井伊直弼は、独断での条約締結に踏みきり、将軍後継を家茂と決定した。
幕府のこの強引な決定に怒った尊王攘夷派は、朝廷を工作し、幕府のこのやり方を非難した勅「戊午の密勅」を出させる事に成功する。
幕府のこのやり方に朝廷が正式に異を唱えた勅が出た事で、井伊直弼は怒り「安政の大獄」をもって尊王攘夷派と将軍後継に一橋慶喜を支持する派を徹底弾圧。
さらに孝明天皇の義妹和宮と家茂を結婚させる事で、朝廷からの圧力をかわそうと画策する最中、
桜田門外の変で暗殺される。
和宮と家茂の政略結婚は、公武合体の象徴として勧められた。
これに対し、朝廷側は難色を示した。岩倉具視は、「結婚と引き替えに攘夷決行を約束させる」と孝明天皇に提案した。
この意見に心を動かされた孝明天皇は、ようやく政略結婚を認める。
幕府も「十年以内に攘夷決行する」と約束し、和宮降嫁は成立する。
しかし、待てども待てども幕府が攘夷する気配はなく、国内の不満は高まっていった。
清河八郎や真木和泉守ら尊皇派は、再度朝廷から幕府に命令を下すように朝廷を工作。
もし幕府が朝命を無視するのであれば討幕もやむなしと言い始める。
それにそなえ清河八郎は江戸で浪士隊を作り、朝廷直轄の浪士軍結成を目論む。
長州は航海遠略策を提出して開国論者であった長井が失脚し、尊攘論が藩論となり、
土佐はやはり開国派の吉田が暗殺され、土佐勤王党によって尊攘論が藩論となる。
攘夷期限が来ても動かない幕府に朝廷をはじめとする尊攘派の不満が高まると、
一橋慶喜ら幕府側は「開港以外の場所に諸外国船が近づいたら攘夷を行っても良い」
と消極的な攘夷許可を出す。
幕府が協力しなければ、単独で攘夷する度胸のある藩などないと幕府は高をくくった。
これにもとづき長州藩は攘夷を決行するが敗北し、
諸外国の武器の性能を知る。同じ時期、生麦事件が拗れた薩摩も薩英戦争を行い、
諸外国との接触が始まる。
長州は諸外国から賠償金を請求させると、先の「幕府の攘夷決行許可命令」を持ち出し、
幕府から賠償金を出させる。
薩摩は受けた被害が想定内だった事から、英国との再戦を希望。幕府はそれを阻止しようとし、
賠償金は幕府が肩代わりする事で英国を納得させた。
同時期、尊攘派は長州の攘夷決行を先鋒とし、幕府を動かして本格的な攘夷戦へ移行しようと考え、
将軍と天皇の大和行幸を計画する。神の前で将軍に攘夷を約束させて戦いに引きずり込もうとした。
一方、幕府に何の期待もしていない過激派は大和行幸時にそのまま討幕挙兵しようと大和天誅組の挙兵に発展した。
ところが会津と薩摩が動き8.18政変のクーデターを起こす。
これにより攘夷派が考えていた計画はすべて失敗に終わる。
朝廷から攘夷派を駆逐した幕府は、本格的な京都手入れを始め、会津は新撰組を使っての尊攘派狩りに血眼になる。
池田屋事件で多数の攘夷派が殺されると怒った長州は京都と幕府へ抗議の使者を送るが、会津が京都警備の為に守っていた関で
すべて止められ、長州の声は朝廷には届かなかった。怒った長州は軍を京都へ派遣。禁門の変を起こすが敗北、
朝敵となる。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 20:03:44 ID:gXwWjJAt0
>>713
>繰り返すけど、薩長をはじめとする尊攘派は、不平等だから破棄せよとは主張していない。

何度も繰り返すけど、不平等だから廃棄して、
新たに結びなおせ、という話なの。それが破約攘夷論。

>無勅許だからけしからんと言ってるだけだ。

勅許がでたあとでも、駄目って言っているでしょ。
勅許がでればOKなら、条約改正の交渉などせん。
木戸日記に書かれていることとかどうなってんだよ。

吉田松陰は、んなの結んだら、属国になる廃棄せよとかいってんのに。

>それゆえ薩長は倒幕の過程で徳川家の条約を丸ごと追認する。破棄・改正のための行動は一切なし。

馬鹿かいな、条約の締結しなければ、日本国の代表とは認められん。
また改正は、交渉開始時期が決められており、
即座に改正できるわけじゃない、五カ国以外も、それが旧幕府勢力を結びつくのを防ぐ為に仕方なく打。
そして改正できるようになったら、即座に飛び出しているし、これを大問題としていたのは常識だよ。

>幕府ですら絶対認めなかった沿岸貿易権を明治政府はあっさりと与えてしまう。

薩長は別に貿易の否定などしていないぞ、
むしろ貿易は積極的にやれ、というのが昔からのスタンス。
それどころか、幕府の貿易統制を非難している。
幕府が沿岸貿易を否定したのは、幕府のみが利権に預かりたかっただけ。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 20:11:53 ID:gXwWjJAt0
>>717
>樺太をロシアに売り渡し、主要港の関税を担保にイギリスから巨額の借金をした。

千島列島を売り渡した幕府がいってもねえ。
またイギリスの銀行から借りた借金は幕府がしようとした借金の何分の一程度、
だから前倒しで返済している。
幕府みたいに、関税を引き下げて、国益を売り飛ばして、
借金返済を先延ばしにしていたところとは比べ物にならんよ、

>しかし薩長史観によれば、幕府が結んだ不平等条約改正のために「内乱」を起こしたことになってる。

だって史実だもん。
倒幕は、攘夷派が最初から、条約の廃棄を主張している。
そして対等な条約を結び、対等な関係になるのが目的なのに、
幕府は欧米の狗になっていた。

>薩長が内乱を起こして日本の「国力・軍事力」が著しく衰えた、そこに付け込まれたというのが実際の流れ。

違うだろ、幕府がフランスにそそのかされて、軍事力を強化し、
それを欧米に向けるのならともかく、日本国内に向けた。
そして内乱を起こし、国力を低下させたんだよ。

>当時の日本は中国が内地通行権や沿岸貿易権を与えたことによって、欧米資本に蚕食され、

日本は明治政府が許可しても、一切侵食されていない。
このことから分かるように、幕府が禁止したのは、
貿易利権や、西洋の技術文化を独占したいだけであって、
日本のことを考えた行為ではないということだ。

762名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 20:23:34 ID:tRZ/TsNu0
>>752
>こうした清の有様を横目で見ていた幕府は何をしていたか。
>1842年に慌てふためいて異国船打払令を廃止しただけ。これだけですよ。
まさか、これだけってことはないだろうと思って必死に調べても何も出てこない。逆さに振ってもこれだけ。

1840年アヘン戦争の情報をオランダ船から入した半年後、西洋砲術家高島秋帆を
幕臣に登用し、翌年五月、広東攻略戦が伝えられるころ武蔵徳丸ヶ原で西洋砲術演習を
実行した。アヘン戦争に備えるためだった。
1842年忍と川越の両藩に対して、相模(川越藩)房総(忍藩)の江戸湾両岸の
警備を命じている。
1843年印旛沼掘割工事が着工された。
この工事川幅は十間じつに18メートルと指定されていた。銚子から江戸へ
物資輸送水路の意図からだった。なぜか、1826年、シーボルトは著書「江戸参府紀行」に、
江戸は「異常に大きい人口」をもっており、江戸への海上輸送が一週間途絶えれば、
「大名屋敷にいちじるしい圧迫を及ぼし、貧困な庶民階級は飢餓に苦しむ」と帰し
海上輸送のストップが江戸を窮地に陥れることを見抜いていた。印旛沼工事は、江戸湾が
封鎖された場合の、銚子から品川への内陸水路を造成する工事だった。(水野忠邦の失脚で
90%は完成したところで事実上中止になったが…)
必死に調べなくても、何にもやっていなかったわけでないのが分かったぞ。
あまり調子に乗って嘘を書くなよ。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 20:43:32 ID:gXwWjJAt0
江戸湾が封鎖されるような状況では、太平洋からの輸送なんて絶対無理だろ。
関西からの流通は絶望的。
制海権を完全に握られている状況だよ。
つか、九割完成で止めた?
金の無駄使いもいいところじゃねーか。
完成してれば、多少は流通のたしになるのに。

それより、街道の整備、架橋、車輪を活用した、大規模輸送体制とか、
やることあるだろ。
陸上輸送をできないようにしているから、そんなことになるんだよ。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 20:55:12 ID:gXwWjJAt0
>>746
新国家建設のビジョンは、それこそ薩長にしかないな。
幕府にあったのは、今の体制の維持、
それに尽きる。
佐幕派がマンセーしている小栗にしても、反乱諸藩を全て討伐して、
幕藩体制を維持したいだけだしなあ。
郡県制なんて、構想ですらないし、
もしあったのなら、長州がやったみたいに、領土を返還とかすりゃいいのに。
765名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 21:33:52 ID:fzBMIUMU0
>>752
おい、早くレスを>>762へ返せ
こういうのが、論破されたということだろうwww
766名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 21:41:19 ID:xhdkP+Nk0
廃藩置県や群県制なんて、机上の空論だよ。
小栗が考えたらしいけど、考えただけで幕府は見向きもしていない。
幕府の体制は譜代大名による老中会議(評定)だよ。
群県政ってのは、領地を中央政府が管理するという事になるから、
大名領主にとってみれば領地をすべて奪われる事になる。
領地を奪われては、家臣を養えない。事実上のお家お取り潰しだよ。
自分自身のお家お取り潰しを譜代大名の老中たちが決断するなんて無理。
幕臣の小栗と徳川将軍家が納得しても、幕政を仕切る老中の反対で頓挫するのがオチでしょ。
幕藩体制を「地方分権」と言うけど、俺はそうは思わない。
地方分権なら、有る程度の幕府政治が地方に入り込む余地があるけど、
実際の幕藩体制では、徳川家が薩摩島津家の統治や内政に干渉できない。
武家としての「家」が違うからね。幕府としての要望を突きつける事はできても、
それをやるかどうかは島津家次第だ。
だから「地方分権」じゃなくて「地方別権」でしょ。
統一政府あっての中央集権であり地方分権だから。
統一政府がないから薩長は統一政権である明治政府を作ったわけだし。
767752:2008/03/08(土) 21:58:01 ID:NjdqPu6H0
>>762
そりゃ何もやってないことはないさ。でもあまりにお粗末過ぎて書けなかった。
でも、やはり指摘することにする。
1.砲術
高島秋帆は高島流砲術の家元にして第一人者であった。
しかし、登用されて2年後には嫉妬に狂った鳥居耀蔵によって投獄されてしまう。
許されたのペリー来航に慌てた1853年のこと。
ちなみに鳥居耀蔵は水野忠邦の部下だったにもかかわらず水野を裏切り、天保の改革を失敗させてしまう。
未曾有の国難というのに幕府はこんな馬鹿げたことをしている。
2.江戸湾両岸警備
単なる物見。特記するほどの施策でもない。
3.印旛沼掘割工事
あらかた763氏にいわれてしまったが、この治水事業が仮に成功していたとしても国防としての
効果が不明。

どれもペリー来航に備えた有効な施策とは到底評価しがたい。
この件に限らず、幕府の施策は失敗ばかりであったが、その理由は以下のとおり。
1.不安定な行政権
終身制なのは将軍職だけで、それ以外の役職は無任期のアルバイト同様で、
簡単に罷免されてしまう。上役の不興、裏切り、上役の交代、民主党のさぼり癖などなど取るに足らない理由でも
失脚してしまう。さらに暗殺・不審死・投獄などイレギュラーなケースも目立つ。
2.藩に丸投げ
幕府には執行能力が無いため、諸藩に命令して丸投げすることになる。
事の首尾は、その藩の動員力・技術力・資金力次第となる。
失敗が多いが成功してもその藩の恨みを買うだけ。
3.政策の妥当性が無保証
政策の妥当性をチェックする仕組みが無く、延々あーでもこーでもないと時間を使った挙句に
誰かが責任を負うはめになり、結局失敗して失脚してしまう。
4.長期事業執行体制の欠落
責任者が失脚してしまうと事業は必ず中断に追い込まれ、継承されることがない。
5.幕府直轄軍だけの近代化
これも幕藩体制の弊害。近代化といっても幕府直轄軍だけが対象であった。
これでは近代国家の軍といえず、当然外国と対峙できるはずもない。
そして、それは諸藩に目的を疑われる要因ともなった。

主だったものを挙げても5つの構造的な幕政の欠陥がある。
この為に幕府は毎回同じパターンで事業・施策に失敗し、最後まで根本的な改革はできなかった。
幕府は諸藩にとって反面教師に過ぎず、日本の近代化を任せられない所以でもあった。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:09:46 ID:NjdqPu6H0
>>766
なるほど地方別権か。俺も地方分権と評していながら、あまり的確な表現でもないなとは
思っていた。これから、使わせてもらおうかな。
普段は藩に任せっぱなしなんだよね。でも幕府は時々思い出したように
全国に号令かけて顰蹙買ったりもしていた。幕藩体制って将軍家の配下に
大名が横一線、ただし序列有りという臣従関係を基盤としていたが、
藩によっては大名(藩主)が実権を失い下級武士の党派が藩政の主導権争いをしていた。
これも幕藩体制の揺らぎといえる。幕末にはいろんな点で矛盾が極大化していた。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:30:42 ID:xhdkP+Nk0
佐幕厨房さんへ

いいかげん一役人が考えた事をあたかも幕府が考えていたかのように言うのやめなさい。

小栗が新国家ビジョンを持っていた→幕府も新国家ビジョンを持っていた

ということにはならない。

自衛官幹部の中に本気でイラクと戦争したいと考えている奴がいた→日本政府はイラクと戦争するつもりで自衛隊を海外派遣した。

にはならないでしょ。
そう考えると、幕臣の有能な連中がごっそり抜けて、残るのが幕府閣僚の老中(譜代大名たち)だけになる。
この老中達が真面目に小栗案を検討し、新国家ビジョンを取り上げたならいざしらず、実際はそうじゃなかったよね。
という事は、新国家ビジョンを幕府はほとんど何も考えてなかったって事だよ。
辛うじて長州征伐に失敗した後で、一橋慶喜が考えたぐらいじゃないかな。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:36:11 ID:vNMhSshU0
>>767
>そりゃ何もやってないことはないさ。でもあまりにお粗末過ぎて書けなかった。

あのな、アンタは
>>752
>こうした清の有様を横目で見ていた幕府は何をしていたか。
>1842年に慌てふためいて異国船打払令を廃止しただけ。これだけですよ。
まさか、これだけってことはないだろうと思って必死に調べても何も出てこない。逆さに振ってもこれだけ。

と、ここまで言い切っているのよ。その後のことは、全く聞いていない。
そんなことなら知っていたといいたいのだろうね。
そして、挙げ句の果てには議論のすり替えの

>どれもペリー来航に備えた有効な施策とは到底評価しがたい

アンタは、いつの間に
>有効な施策とは到底評価しがたい
などと、聞いてもいない別のことをまたまた得意になって書いてんだ?
その後、5つも余分なことを書いてるけど、聞いてないから。
聞いてるのは、

>>752
>こうした清の有様を横目で見ていた幕府は何をしていたか。
>1842年に慌てふためいて異国船打払令を廃止しただけ。これだけですよ。
まさか、これだけってことはないだろうと思って必死に調べても何も出てこない。逆さに振ってもこれだけ。

についてだけだから。アンタは間違えていたそして、論破されたんだよ。
知識自慢さんwwww
771名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:40:14 ID:BE7gvVik0
>>754
>誰が薩長と言った?俺は「明治政府」と言っているだろw。
つまり旧幕臣が明治政府の実務を担ったからこそ、
日本の近代化が成し遂げられたということだね。
薩長は福沢が言う「我家に招待せざる客」つまり邪魔者にすぎない。

>その人材を活用できなかったのが幕府で、彼らを活用できたのが明治政府だと言っている。
表現に誤りがある。
明治政府が旧幕臣を活用したのではなくて、旧幕府の知識人が明治政府内の反開化派を啓蒙したから。
日本の近代化が成し遂げられた、というべき。
仮に薩長単独で政府を運営してたら、即座にイギリスの植民地になってるところだった。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:41:31 ID:BE7gvVik0
>>755
>「無勅許での条約締結」か「不平等条約」って話しだけど、どうでもよくねーか?
てか不平等条約を結んだと言って執拗に幕府を攻撃するのは薩長史観の特徴。
そしてそこから薩長が不平等条約改正の目的で幕府を倒したのは正しい、となる。
このスレでもその種の主張が何度もでており、事実上、薩長オタにとって「不平等条約改正の目的」は、
倒幕の正当性を主張するうえで不可欠な論拠になってる。

>>756-759
長すぎる。1/20に要約して書き直せ。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:42:07 ID:BE7gvVik0
>>760
>何度も繰り返すけど、不平等だから廃棄して、
>新たに結びなおせ、という話なの。それが破約攘夷論。
反論になっていないぞ。
とりあえず誰がいつ「不平等だから廃棄して」と主張したか説明しろ。

>勅許がでればOKなら、条約改正の交渉などせん。
条約廃棄云々は日米修好通商条約から問題となったこと。
新政府が「条約改正の交渉」の必要性に気づくのは岩倉使節団の頃。
この時間の開きを理解できないバカは余計なカキコをするな。

>むしろ貿易は積極的にやれ、というのが昔からのスタンス。
>それどころか、幕府の貿易統制を非難している。
幕府の貿易独占を非難してたのはイギリス。
薩長はその手先として動いただけ。
774名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:44:57 ID:BE7gvVik0
>>764
明治維新はしばしば「青写真なき革命」「ビジョンなき革命」などと言われる。
それは討幕派に明確な近代国家建設のプランがなかったからだ。
しかし、お前は 「新国家建設のビジョン」は薩長にしかないとのたまう。
その「ビジョン」とはなにか?ちゃんと説明してみろ。

>>761
>違うだろ、幕府がフランスにそそのかされて、軍事力を強化し、
>それを欧米に向けるのならともかく、日本国内に向けた。
幕府の軍備近代化は海軍優先だった。
陸軍の改革に本格的に着手するのは第二次長征以降で、
幕府は近代兵器を国内で使用するという発想が希薄。
一方の薩長は英米武器商人に近代兵器を与えられ、
それを日本人に向けて内乱を起こした。
その結果が国内の荒廃であり、樺太の放棄だ。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:50:37 ID:9D7diLcA0
>>757
>旧幕府の残党はなおも抵抗を続け、これ以降は戊辰戦争となり、
明治新政府に政権が移動することとなった。

ここは少し書き方に問題があると思う。慶喜は山内容堂のすすめで大政奉還を願い出た。
1867年10月。しかしその後、幕府領地を新政府に引き渡すよう命令。
それで、鳥羽伏見の戦いが起こる。1868年1月。その後、慶喜は恭順、一ヵ月後、会津藩主容保も
家督を息子にゆずり、謹慎する。同年4月江戸開城。
期をほとんど同じくして、会津追討令が出る。奥羽越諸藩が会津に同情し容保の助命嘆願を行ったが、
聞き入れられず、多くの奥羽越諸藩が官軍と戦うはめに。
そのため、民間人を含む犠牲者が多数でた。
戦後処理は多くの藩で家老や重臣の死罪など。
藩主はみな死一等を減ぜられた。
本当に抵抗したのは、榎本武揚だろうか。
でも彼さえも、北海道に脱走して、新天地で国を構えようとしたのであって、
戦いを挑んだとは正しくは言えない。
新政府軍は戦争をして、安定した新政権を作ろうとしたのだろう。
戦争は鳥羽伏見の戦いで一切を終わらせ、会津藩主を許せば奥羽越諸藩とは戦わずに済んだし、その後は榎本軍を恭順させる、それだけで充分だったと思うのだけど、どうですか。


776名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 22:56:51 ID:BE7gvVik0
>>766
幕府には近代国家が建設できないとするキミの意見が空論。

>廃藩置県や群県制なんて、机上の空論だよ。
>小栗が考えたらしいけど、考えただけで幕府は見向きもしていない。
幕末期に小栗が直面してたのは財政問題。
幕府は直轄地からの収入しかないのに、中央政府としての役割を担い、
海防、治安、賠償金、殖産興業等々で巨額の出費を強いられた。
行き詰まった幕藩体制から抜け出すには、
中央集権制に移行し全国的な徴税権を確立するしかない。

>群県政ってのは、領地を中央政府が管理するという事になるから、
>大名領主にとってみれば領地をすべて奪われる事になる。
>領地を奪われては、家臣を養えない。事実上のお家お取り潰しだよ。
>自分自身のお家お取り潰しを譜代大名の老中たちが決断するなんて無理。
幕末期は小栗の努力もあってぎりぎりのところで破綻を回避できてたけど、
経済が破綻すれば、いくら保守的な老中が反対しても幕藩体制は維持できない。
近代化、中央集権化の流れは歴史の必然。

薩長にしても近代化の展望を持ち合わせずクーデタを起こした。
維新後は、国家財政が破綻しかかってるのに、戦功賞典(島津10万石、毛利10万石等)や、
復古功臣賞典(岩倉、木戸、大久保等)やらの収奪に熱中。
彼らの思想は幕府の保守的な老中となんら変わりはない。
しかし財政が危機的な状況となり、しぶしぶ体制変革を行わければならなかった。
777名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:08:31 ID:2vIs7H2D0
>>775
>戦争は鳥羽伏見の戦いで一切を終わらせ、会津藩主を許せば奥羽越諸藩とは戦わずに済んだし、
その後は榎本軍を恭順させる、それだけで充分だったと思うのだけど、どうですか。

それはその通り。しかし、戊辰戦争を歴史としてフィックスしたものとして
知る者だから、それが合理的でいらない血も資金も非戦闘員の犠牲もなかったのにと
神の視点から判断できることだと思う。政治という神ならぬ人が遂行した幕末・維新史は
理屈では動いていない。情念や執念などのウェイトの方が大きかったようだ。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:15:40 ID:loEKO8rz0
>>770
笑止。摩り替えているのはお前の方だ。当時大国と思われていた清が
列強に迫られ、日本にも危機迫るというご時世に幕府がやってたのは
幕閣の内も外も足の引っ張り合いだけだってこと。
子供のままごとレベルなんだよ。子供がいくら必死に泥饅頭こねていても
食事の準備をしていたとはいわん。花も咲かなきゃ実も結ばないなら種をまいた
ことにはならん。お前は子供のように必死に言い返しているつもりかも知れないが、
大人の世界とはそういうものであって、子供の出る幕なんか無いっての。
すっこんでろ!すっとこどっこいが。アヘン戦争から黒船まで10年もあったのに、
幕府がやったことは異国船打払い令を取り下げただけ。10年間何してた?
この脳なしどもが。
779名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:17:39 ID:eoymvvz10
維新前後の売国事例を置いときます。

慶応4年 神戸事件。討幕派、攘夷を行った備前藩士を外国人が見物する前で切腹させる。
慶応4年 討幕派、幕府締結の条約の絶対遵守を各国に誓約する。
慶応4年 堺事件。討幕派、土佐藩士20名を外国人の前で公開処刑。うち9名はフランスの助命で命拾い。
慶応4年 パークス襲撃事件。十津川郷士2名が攘夷を試みるも失敗。討幕派の手で攘夷志士は惨殺及び梟首。
明治1年 明治政府、スウェーデン・ノルウェー・スペインと不平等条約を調印。
明治2年 明治政府、北ドイツ連邦との不平等条約に調印。
明治2年 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議せず容認したため兵営陣地を構築。
明治2年 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告。
780名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:21:52 ID:louJxGXE0
小栗がいくら有能でも最終的にゴーサイン出すのは世襲のボンクラだろ?
意味なし
781名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:37:05 ID:xhdkP+Nk0
>>772
>>「無勅許での条約締結」か「不平等条約」って話しだけど、どうでもよくねーか?
>てか不平等条約を結んだと言って執拗に幕府を攻撃するのは薩長史観の特徴。

と、薩長ヲタの揚げ足にこだわっているのは君だけなんだが?
事実として「不平等条約の為に日本人の不満が高まった」という事実はかわらんだろーがw
782名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:47:48 ID:loEKO8rz0
>>771
横レスながら笑止。
日本の近代化は明治新政府の身分、人種、過去の経緯にこだわらない適材適所の
人材登用方針だからこそ為しえた。
横井小楠,吉田松陰の思想を引き継いだのが紛れも無く明治新政府だ。
明治新政府は旧幕臣も官僚として登用し、有意に活用した。
国鉄職員がJRに再雇用されたようなもの。
それを国鉄職員がどの口で鉄道を再建したなどといえるか。
明治新政府は樺太アイヌの山辺安之助を樺太探検にも参加させた。
幕府は樺太アイヌを土人呼ばわりしていばっていただけではないか。
新しい世では、もはや幕府も藩も無い。武士も町民も無い。
和人もアイヌも無い。皆日本人として力を合わせなければ、決して欧米列強に太刀打ちできない。
これが横井小楠,吉田松陰の思想だ。この思想を明治新政府が活かしたからこそ、
日本はどこの植民地にもならずに済んだ。
身分世襲、身分固定にこだわり、いつまでも譜代だの外様だの時代遅れな上下関係にこだわり、
脳なしが嫉妬で有能な人材の足を引っ張るばかりの幕府に日本の近代化など到底できた筈はない。
>>767をよくよめ。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:52:02 ID:loEKO8rz0
>>772
>事実上、薩長オタにとって「不平等条約改正の目的」は、
>倒幕の正当性を主張するうえで不可欠な論拠になってる。
横レスながら笑止。
論理が倒錯している。
アンチ薩長が必死に食いついているだけ。倒幕にとっては不可欠でもなんでもない。
>長すぎる。1/20に要約して書き直せ。
えっらそうに。お前に命令される筋合いなどない。
784名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:53:50 ID:KfmIqVO40
>>778ID:loEKO8rz0
んーID見ると違う御仁のようだが、

>当時大国と思われていた清が
列強に迫られ、日本にも危機迫るというご時世に幕府がやってたのは
幕閣の内も外も足の引っ張り合いだけだってこと。

はいはい、そうですか。でもねオレが

>>752
>こうした清の有様を横目で見ていた幕府は何をしていたか。
>1842年に慌てふためいて異国船打払令を廃止しただけ。これだけですよ。
まさか、これだけってことはないだろうと思って必死に調べても何も出てこない。逆さに振ってもこれだけ。

レスしてるのは、↑に対してだけです。

>>778
>当時大国と思われていた清が
列強に迫られ、日本にも危機迫るというご時世に幕府がやってたのは
幕閣の内も外も足の引っ張り合いだけだってこと。

勘違いしてませんか?そんなことは議論してません。
挙げ句の果てには、

>お前は子供のように必死に言い返しているつもりかも知れないが、
大人の世界とはそういうものであって、子供の出る幕なんか無いっての。
すっこんでろ!すっとこどっこいが。アヘン戦争から黒船まで10年もあったのに、
幕府がやったことは異国船打払い令を取り下げただけ。10年間何してた?

だから、>>762でやっていたことは書きましたが、どうして大人の世界云々が
急に出して怒ってるの?ちょっとだけオレもプラスアルファを書こうかな。
アヘン戦争で中国は、広州・廈門・舟山諸島・寧波・鎮江など各地で惨敗をした。
それにもかかわらず北京の清朝は倒れなかった。しかし、江戸は北京と比べると
臨海都市で、脆弱な首都だった。シーボルト文庫やオランダの地図を買い上げた
ペリーは、日本へのアプローチの仕方を軍事専門家として、事前に周到に研究っしたと
述べている。翻って、内陸、広大な華北平原の北端、華北と蒙古高原を結ぶ交通路の
要地に築かれた首都北京は、総合的にそれだけの地力をもっていた。海に隣接した
江戸城は、緒戦から最前線だ。この立地の違いは、国土と地勢の相違だ。
臨海政治都市江戸が示すものは、日本が総合的には軍事的弱国であるという事実が
あった。
785名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:59:20 ID:eoymvvz10
>>781
>「不平等条約の為に日本人の不満が高まった」という事実
条約が「不平等」だから不満が高まったわけではないだろ。
明治以降に「不平等」に気づいたのに、
最初から反対してたかのごとく言うのは間違い。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:01:23 ID:qCBZRqgu0
>>776
横レスながら笑止。
全部後付けで人権弁護士じゃなかった、お前が適当に物語作っているだけじゃんか。
当時の幕府要人で誰もそんなこと考えてない。
小栗は幕府の存在を前提とした改革しか考えてなかったからこそ、執拗に慶喜に
主戦を進めたし、罷免されたらあっさり村に引き上げてしまった。
じゃ誰が考えていた?
787福沢諭吉:2008/03/09(日) 00:08:18 ID:fWus0ieN0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:09:51 ID:JvoKAjqR0
>>785
ちがうって!
だから

不平等条約を締結→金銀が日本から流出→国内経済混乱→幕政に不満を持つ者が続出→世直し一揆が広まる

という展開だろ。原因が不平等条約にあったと気が付いたのが明治だったって話しでさ。
ちゃんと影響が出て不満が噴出したと言っているの。
789757:2008/03/09(日) 00:13:31 ID:qCBZRqgu0
>>775
何がいいたいのかなあ。よくわからん。
それって新政府軍に甘えられる話なの?
慶喜の責任は?幕府の終戦処理の責任は慶喜にあったと違うか?
幕府に忠義を尽くした部下を見殺しにしたのは誰?
790名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:15:46 ID:W1WoLx9u0
>>773
>とりあえず誰がいつ「不平等だから廃棄して」と主張したか説明しろ。

維新志士全て。破約攘夷論は志士にとっては常識であり、
これは条約は不平等だから、廃棄しろというものだからね。

>新政府が「条約改正の交渉」の必要性に気づくのは岩倉使節団の頃。

馬鹿かおまいは。改正交渉するには、交渉する時期ってもんがある、
一定の期間は、交渉すらできないように、幕府がアホな条約結んでたんだよ。
そしてそこでやっと気付いたって、曲解にもほどがある。

>幕府の貿易独占を非難してたのはイギリス。薩長はその手先として動いただけ

はあ?
幕府の貿易の75パーセントはイギリスだぞ。
実質対日貿易を独占していたのは、幕府とイギリスだ。
それに倭って入ったのがフランス。フランスは幕府をそそのかして、内乱をあおり、
南北戦争でだぶついた兵器を売りたかったし、
そこで英国にかわり、貿易を独占しようとしただけ。

>明治維新はしばしば「青写真なき革命」「ビジョンなき革命」などと言われる。

言っているのは、佐幕派のヲタだけ、
研究者は全て、明確なビジョンがあって、やったことを知っている。
廃藩置県をおこない、天皇のもと、一元化した、強固な近代国家を作り上げる、
それが目的なんだからね。
既得権益を維持することが目的の幕府とは違う。

>幕府の軍備近代化は海軍優先だった。

佐幕派なのに、文久の軍制改革も知らんのか。
それとも、あれは意味内から、スルーだよ(苦笑
あと外国から船を買うのを近代化といわれても名亜。
運用がさっぱりだったから、長州征伐でも、少ない長州軍に大敗。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:21:31 ID:qCBZRqgu0
>>784
俺っちダイヤルアップですしー。誰を騙っているつもりもない。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:23:36 ID:JvoKAjqR0
>>785
もうちょっと詳しく説明するとね。

金銀が流出し、物価上昇などの経済混乱が起こった。
この結果、農民や町民、浪士といった裕福ではない階層の生活が圧迫され、
幕府は何をしているのかと怒る。もしくは、もう生きていけないと一揆や打ち壊しに走る。
治安が乱れる事でさらに幕府が行う政治に対して不満が高まったという話しね。
この段階では、条約が不平等だからそうなったのだと尊攘派は気付いていないかもしれないが、
彼らが気付いていようかいまいが関係なく、不平等条約の影響は出ているだろ。
と言っているわけだよ。
ここまで手取り足取り教えたんだから、もう理解できるだろ?。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:25:56 ID:fWus0ieN0
>>788
>不平等条約を締結→金銀が日本から流出
日米修好通商条約では、内外通貨の交換比率は同種同量交換規定があり、
為替取引における「不平等」はない。

ただし日本国内の金銀交換レートが国際水準と乖離してたため、
開国直後は裁定益を狙う外商により金貨の流出が進んだ。
幕府はすぐさま金銀比価を国際レートに引き上げるんだけど、
今度はそれが原因で通貨インフレが起きる。
これが君のいう「国内経済混乱」だ。

要するに閉鎖的な経済体系を開放した際に不可避的に起きた混乱であって、
条約の内容が「不平等」だから起きたわけではない。
よって君の意見は間違い。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:29:12 ID:W1WoLx9u0
つか外国と抜け荷をしていた西国大名にとっては、
貿易による不利なんて、とっくに分かっていたことなんですけど、
伊藤も明治初年度か、翌年に建白書だしているでしょ。廃藩置県のと同じころに。
関税自主権ないから、外国の安い製品に対抗できましぇんって。
795名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:30:44 ID:fWus0ieN0
>>792
>彼らが気付いていようかいまいが関係なく、不平等条約の影響は出ているだろ。
それは開国のインパクトであり、条約の「不平等」の影響ではない。
とりあえず>>793を10回読め。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:35:05 ID:JvoKAjqR0
>>793
それが
 
  揚 げ 足 取 り だ 

と言っているんだよ。

>ただし日本国内の金銀交換レートが国際水準と乖離してたため、
>開国直後は裁定益を狙う外商により金貨の流出が進んだ。

結局不平等な交換レートだったから経済混乱が起こり国内の不満が高まったんだろ。
条約の結果か幕府との外交の結果か知ったのが明治の頃だったって話しで、
結局は幕府の外交の失敗だったんだろ。
不平等によるかよらないかってはなしなだけでさ。
俺の揚げ足取って満足するだけなら、それでもいいけどなw。

結局は幕府の外交が失敗していた事には違いはないわなw
797名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:39:02 ID:W8fVwV8z0
>>789
何が言いたいって、簡単に言えば、佐幕派はその後抵抗を続けたんじゃなくて、
抵抗させられたんだと思うから、あのように戊辰戦争は拡大したんだと思う、ってこと。
つまり、新政府側に強行に戦争を起こされたんじゃないかと。
慶喜の責任?江戸開城のとき、勝海舟らの勧めで、江戸開城した。
そこで新政府と取引をして無血で開城した。
幕府に忠実な抵抗勢力が尚も戦わざるをえなかったことは、慶喜にとっては
悲しいことだったに違いないが、あの場合、慶喜の立場ではなにも言えなかったに違いない。
>幕府に忠義をつくした部下を見殺しにしたのは誰?
誰も助けられなかったよ、出来なかったと思う。できたのは、
新政府側だ。追討令を取り消して、東北列藩を恭順させたらよかったのに思う。
甘えるって話じゃない。戦争は命がけ。死を覚悟で戦うんだよ。
甘えるんじゃなくて、命がけの話なんだよ。
798名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:39:59 ID:JvoKAjqR0
>>795

>>彼らが気付いていようかいまいが関係なく、不平等条約の影響は出ているだろ。
>それは開国のインパクトであり、条約の「不平等」の影響ではない。

だからそれがどうした揚げ足取りクン
幕府外交の失敗は失敗だろ
結局それが原因で国内の不満が高まった
条約の問題か幕府外交の問題かだけの話しで、幕府の失敗は失敗だよw。
799名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 00:45:14 ID:W1WoLx9u0
もし万が一誰も主張してなかったとしたら、
幕府は条約の内容を隠していたか、
条約の不平等的な内容を諸藩に一切説明しなかったということになる。
あと幕府もさっぱり理解してなかったというのもあるかな。

そんなものを朝廷の勅許を撮らずに、独断結んだら、そりゃ文句もでよう。
800名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:00:59 ID:JvoKAjqR0
揚げ足取りクンへ

殺人犯が裁判で「ナイフを使って殺人を犯した」と言った。
だが真実は「拳銃で殺人を犯した」だった。

殺人に使った道具が「ナイフ」か「拳銃」かという違いだけで、
彼が人を殺した事実は変えようもなく、彼の罪が消えて無くなるわけではない。

そこのところよろしくねw。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:09:48 ID:fWus0ieN0
>>796
>結局不平等な交換レートだったから経済混乱が起こり国内の不満が高まったんだろ。
君はバカか?
国際的な交換レートの問題ではない。
日本国内の金銀比価が国際水準と齟齬があったため裁定益が発生しただけ。
外交の失敗ではなく蓄積された幕藩体制の矛盾が表面化した事案だ。

いずれにせよ条約が「不平等」だから経済が混乱したという妄想は誤り。

>>798 >>800
おバカの開き直りは見苦しいぞ。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:10:07 ID:aysLWHI+0
>>797
>抵抗させられたんだと思うから、あのように戊辰戦争は拡大したんだと思う、ってこと。
そう思う根拠が分かりません。例えば、
パトカーが止まれと飲酒運転容疑の暴走車に命令したが、聞かずに
暴走車は逃げ回って、無関係な歩行者を跳ね飛ばしたら、
抵抗させられたんだと思うから、あのように事故は拡大したんだと思う、ってこと。

といわれましても、なんのこっちゃとしか。
新政府側は皆、明日の日本の為に戦いました。戊辰戦争の前から。
じゃ、その時東北は何をしていたのでしょうか。何の大義があったでしょうか。
東北は明日の日本の為に何をしていたのでしょうか。
のほほんと時局に乗り遅れ、政治力も軍事力も無かったのですよね。
それでぼくちゃんはどうして欲しかったのかなあ。
803名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:30:38 ID:aysLWHI+0
>>801
横レスであるが、なんか「不平等」の意味を勝手に狭く定義して人様を罵倒しているだけにみえます。
日本にだけリスクが発生する条約というのは、不平等条約に他なりませんが。
または外人にだけ収益機会が発生する条約も不平等条約ですよね。
横井小楠は欧米列強は武力と詐術で必ず不平等条約を押し付けてくる、だからそれを跳ね返すには
富国強兵・殖産興業に務めねばならぬ。その為には(以下省略)と主張していました。
当時経済学なんてあるわけではなし、裁定取引がどうのなんていわれても武士も町民も
誰一人理解できる訳ないのです。誰も理解できなきゃ念仏と同じ。
大雑把にいえば、話聞くまでも無く振り込め詐欺に決まっているってこと。
攘夷論には、うぶな日本人は悪辣狡猾な異人に騙されるに決まっているから、そんな連中を国に
入れては駄目だという意味も含まれます。
幕府は開国止む無しで条約を結んだだけで、開国してしまえば後は野となれ大和なれですもん。
庶民が怒るのは当たり前でせう。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:39:25 ID:aysLWHI+0
>>803
自己補足。
誰一人うんぬんは言いすぎだ。相場やってる商人はある程度知っていたかも。
横井小楠は異人に騙されない為には文明開化が必要だなんて主張もしてたかなあ。
これは自信なし。ともかく横井小楠は当時の武士には理解できる言葉で論旨を展開していたに
違いないのであって、高等な学問を駆使して煙に巻いていたら誰にも相手にされてなかったでしょうな。
説明責任じゃないけど、幕府は条約について誰が誰にどう説明していたのでしょうか。
やらせタウンミーティング?まさか。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 02:02:22 ID:aysLWHI+0
>>797
やっぱし甘えだわ。命がけで甘えるなら、腹を切るから部下は助けてくれと
いわなきゃ筋がとおらん。散々弾圧しておきながら恭順で済まそうなんて甘いだろ。
そんでも新政府は寛大な処置を取るべきだったというなら、それが明日の日本の為だと
いうなら話は分からんでもない。しかし明日の日本の為に何一つ血と汗を流していない東北に
そんなおねだりする資格があるのだろうか。それじゃ明日の日本の為でもなくて、
自分の保身を図りたいだけの詐術だ。それじゃ血の気の多い若い衆がおさまらんのじゃ。
恨むなら無為無策の幕府を恨めばよい。新政府を恨むのは筋違いもいいとこだ。
806名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 09:22:07 ID:97ByB7n10
>>801
おまえさぁ・・・・
自分の揚げ足とって面白いか?

>>793で君はこう言った
>ただし日本国内の金銀交換レートが国際水準と乖離してたため、
>開国直後は裁定益を狙う外商により金貨の流出が進んだ。
>幕府はすぐさま金銀比価を国際レートに引き上げるんだけど、
>今度はそれが原因で通貨インフレが起きる。

これが君のいう「国内経済混乱」だ。
>つぎの君の反論がこれ
>国際的な交換レートの問題ではない。
>日本国内の金銀比価が国際水準と齟齬があったため裁定益が発生しただけ。
>外交の失敗ではなく蓄積された幕藩体制の矛盾が表面化した事案だ。

君は自分で「レートの引き上げ」が原因でインフレを起こしたと言って、
そのあと「国際レートの問題ではない」などと言い出すw。どっちだよw。
しかもそのあと「外交の失敗ではなく蓄積された幕藩体制の矛盾が表面化した事案だ」と結論する。

だからもう幕藩体制では駄目だって話しじゃんw

じゃあこう君に言い返そうか?

「外交の失敗ではなく蓄積された幕藩体制の矛盾が表面化した事案だ」
交換レートの差を読めなかったのは幕府の失敗だろw。
海外のレートと国内レートの差を調整する事に失敗した。
それは外交の失敗なのか、それとも幕藩体制の失敗なのかはしらないが、
幕府が失敗していた事には違いない。

何故なら「幕府支配の元で不満が高まった」からだ。

あーいってらこーゆう・・・
こーいったらあーゆう・・・
揚げ足取りの揚げ足取り・・・
問題の本質を捕らえずに重箱の隅っこを突っつき続けての人格攻撃・・・・
たいしたものだよw
君は厨房の達人と呼ぶよw
807名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 09:27:42 ID:97ByB7n10
おい揚げ足取り
もう一度言うぞ

殺人犯が裁判で「ナイフを使って殺人を犯した」と言った。
だが真実は「拳銃で殺人を犯した」だった。

殺人に使った道具が「ナイフ」か「拳銃」かという違いだけで、
彼が人を殺した事実は変えようもなく、彼の罪が消えて無くなるわけではない。

この文意を理解できるか?
無意味に関係のない例を書いているわけじゃないぞw
お前はこの書き込みの真意を何も理解していない。
良く読んで考えろ
808名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 10:04:59 ID:W8fVwV8z0
>>805
>やっぱし甘えだわ。命がけで甘えるなら、腹を切るから部下は助けてくれと
いわなきゃ筋がとおらん。
これこそ、今風の甘えた考えだわ。
新政府は最初から、戦争しか考えてなかったんだから。
新政府側が戦争の拡大を防ぎ、本当の意味で無血の政権交代をするために、
寛大な処分にするべきだったんだ。
日本全土の民心はすでに新政府側に多くがまわっているんだから。
809名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 11:07:05 ID:ryqzcUFW0
よく、薩長側はイギリス産の武器が凄かったから勝ったって聞くけど、
そんなに幕府と薩長の武器の差ってあったんですか?
810名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 11:09:39 ID:ryqzcUFW0
イギリスの手先だったとして、どこまでイギリスの指令で行われてたのでしょうか。
811名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 11:24:05 ID:97ByB7n10
>>809
征長戦時
長州奇兵隊;英式前装ミニェー
幕府歩兵隊:前装ミニェー&後装シャスポー(紙式薬莢)
銃の性能差は同等か幕府の方が高性能

鳥羽伏見時
長州奇兵隊;英式前装ミニェー
幕府歩兵隊:前装ミニェー&後装シャスポー(紙式薬莢)
銃の性能差は同等か幕府の方が高性能

戊辰戦争江戸占領以降(会津戦争&函館戦争)
長州奇兵隊;英式後装スナイドル(金属薬莢)
幕府脱走歩兵隊:前装ミニェー&後装シャスポー(紙式薬莢)
会津藩:ゲベール、ヤーゲル、前装ミニェー
徳川降伏後、ようやく武器性能が完全に佐幕派を上回った。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 11:50:35 ID:9DQuvJBj0
>>808
話が逆だ。甘えているのは貴公にて候。
そもそも大政奉還がなった以上は、もはや幕府には何の権限も無い。
もちろん藩にも何の権限も無い。蟄居してただ、ひたすら朝廷の沙汰を待つ以外に無い。
それが物事の道理であり、けじめなのです。
恐れ多くも将軍が自分の判断・責任で為したこと。
そして王政復古の大号令が出た。
となるともはや幕府に政権が返されることはないってことです。
しかるに残党一味は鳥羽・伏見の戦いで新政府に弓を引いた。
すなわち残党一味は自ら逆賊となる道を選び、自ら朝敵となった。
最初から、戦争しか考えてなかったのは残党一味に他なりません。
本来、蟄居謹慎すべきところを、武装も解かず、隊も解かず、果ては戦火を開いたのですから。
そうなれば新政府は逆賊を討たねばなりません。
それが古今東西、世を治めるということです。
残党一味は私兵を集め領民まで巻き込み、いくらでもあった帰順の機会をことごとく無にした。
されば徹底的に叩かねば、民に示しがつきません。
無血の政権交代ですって?大政奉還→王政復古の大号令にて無血の政権交代は済んでいます。
残党一味が将軍に逆らい、朝廷に逆らい、新政府に逆らったのは只の反乱です。
反乱軍はことごとく死罪が当然。実際はそうは処置しなかったが。
こうした新政府のあまりにも寛大すぎる処置が悲惨極まる太平洋戦争につながった遠因だと思います。
貴公もそうだが、日本人は情に溺れ法を軽んじる傾向がある。
特に東北人はそうだ。無法者に寛大な処置など必要ない。そうしなければ天下は治まらない。

>日本全土の民心はすでに新政府側に多くがまわっているんだから。
何の根拠も無い妄想ですな。当時はネットもラジオもTVも新聞も何もありません。
ついでにいえば電気・電話・電報・郵便・FAX・ガス・水道・鉄道・自動車、何もないのです。
講演会も書店も集会も弁士も映画もない。せいぜい僧侶の辻説法ぐらいか。
東北の農民に至っては何が起きているのかまるでちんぷんかんぷんだったと思います。
当時は往来の多い場所に札を立てるしか広く情報を伝える手段は無かったのです。
藩主が札を立てなかったら、誰にも何にも伝わらない。回るも回らないもない。
813名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:01:31 ID:ryqzcUFW0
>>811
詳しくありがとうございます。
長州征伐のとき、長州が武器で圧倒してるのではと思ってたのですが、
意外ですね。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:11:33 ID:9DQuvJBj0
>>809
長州は密貿易でそこそこ軍資金があったし、武器を購入する伝手もありました。
幕府は小栗によって軍備の近代化がなされましたが、それは幕府直轄軍だけです。
だから幕府直轄軍だけならいい勝負ですな。
ただし会津は幕府の直轄じゃないのでそうではない。多少は都合つけてもらったかも知れないけど。
>>810
>イギリスの手先だったとして、どこまでイギリスの指令で行われてたのでしょうか。
事実無根の極み。
英吉利の手先じゃないし、英吉利の指令でもない。
英吉利人の顧問弁護士(のようなもの)を雇い、その提案を活かしただけのこと。
反政府という立場で利害が共通する点があったのです。
英吉利本国は何の関与もないし、英吉利人にも何の権限もない。
ただの雇い人に過ぎない。
長州に優秀なブレーンがついているのを知った幕府がそんなデマを流して誹謗中傷していただけの話。
いや、それは史実じゃない。正確に言えば現代の幕府贔屓のオタだな。
815814:2008/03/09(日) 12:23:24 ID:9DQuvJBj0
>>814
>反政府という立場で利害が共通する点があったのです。
反幕府の間違いでした。
幕府には仏蘭西人がついていたから、仏蘭西人は英吉利を締め出すような政策を
幕府にやらせようとけしかけていました。
長州も締め出されていたわけで。
締め出された同士で長州と英吉利人は利害が共通することが多かったという話。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:30:53 ID:W8fVwV8z0
>>812
私は前に鳥羽伏見の戦いで戦争は一切おわらせるべきだったいいましたよ。
あなたは時系列がごちゃまぜなんですよ。
817名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:41:23 ID:W8fVwV8z0
鳥羽伏見の戦いってのは、正式な幕府軍が新政府と戦ったんだよ。
慶喜も戦地にいたよ。そして江戸に逃げ帰った。
残党一味の戦いなんて勘違いはなはだしい。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:58:30 ID:kj8BvDrs0
鳥羽伏見の戦いでは既に徳川幕府はなく、
鳥羽伏見の戦いの後、徳川慶喜が江戸で謹慎することで、旧幕府は政権の継承を放棄してしまいました。
この時点で日本に政府は、朝廷と薩長の作った新政府しかなかったと思いますので、
東北地域が新政府の沙汰を否定する論理がないと思います。
819名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 13:08:09 ID:W8fVwV8z0
>>818
それだからこそ、恭順の意志をみせていたでしょう。
恭順するしかないと思っただろう。

列藩で助命嘆願まで出したけど、絶対許すなーだったんですよ
会津藩の悲劇だよ。しかも新政府軍は大砲で無差別にうちまくった。
歴史に残る悲劇だ。
なんで武装したかって、相手が武力で迫ってくるなら、それを命がけで
防がなきゃならないとかんがえるから。
寛大な処置にしていれば、武装解除は必ずした。当時の文献からもわかる。
820名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:02:26 ID:kj8BvDrs0
>>819
会津の武装と責任否定は、恭順ではありません。
会津の武装不服従が東北の悲劇であったと思います。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:08:46 ID:kj8BvDrs0
だいたい会津が恭順していた、ということ自体真っ赤な嘘です。
大鳥圭介の旧徳川歩兵は、宇都宮陥落後一旦会津領田島で補給を受け、
再度北関東を転戦しています。会津は最初から旧幕府軍に加担していました。
822名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:33:37 ID:W8fVwV8z0
>>821
幕臣にはまだ抵抗を考える人はいたよ。
幕臣と地方の大名は根本的に違うからね。
新撰組残党もいたけど、会津の家臣じゃないからね。
京都時代には一緒に戦ったけど。
会津藩の安泰のためには恭順を考えるよ。
結局こういう幕臣たちは、北海道の五稜郭まで行って、榎本とともに
戦ったでしょ。自由に行動できる立場があったからね。
藩主は自分の身がすなわち家臣の身でもあったわけで、その反対もいえるし、
自分勝手な行動はとれなかったよ。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:44:47 ID:kj8BvDrs0
>>822
この文章は、会津が旧幕府軍を支援し新政府に恭順しなかった、という事実に対する反論とは思えません。
824812:2008/03/09(日) 14:55:11 ID:vcfqibuJ0
>>816
>あなたは時系列がごちゃまぜなんですよ。
具体的に指摘しなさい。そんな乱暴な言いっぱなしは卑怯だ。
>>817
正式な幕府軍など存在しない。大政奉還をした後は幕府軍などというのはありえない。
ただの軍閥あるいは只の武装集団に過ぎない。
慶喜は残務処理の為に京都にいただけだ。そして京都で残党一味が反乱を起こし
慶喜を担ごうと策しただけ。慶喜は逃げ帰ったのではない。慶喜には朝廷にも
新政府にも謀反の意思など無かったし、残党一味の領袖として勝手に担がれる
意思も無かった。慶喜はそうすることで残党一味が早く投降するだろうと考えたのだ。
世の為、人の為、万民の平和の為に慶喜はそうした。
慶喜を担ごうと悪巧みをしていた残党一味が未練たらたらに慶喜を誹謗しているだけの話。
残党一味には何の大義も名分も無い。まさに反乱にしか過ぎない。
政府を舐めた無法者集団に過ぎない。残党一味の勘違いははなはだしい。
そういう政治オンチだからついには朝敵にまで落ちぶれたのだ。
残党一味は慶喜の警護の為とか適当なことをいいふらしながら慶喜にまとわりついて
京都に潜伏し、一向に軍備を解かず、軍を解かず地元にも引き上げなかった。
こんな無法はありえない。そうしたいのなら新政府の許可を取り、新政府の命令で
そうするしかなかった。それがけじめというものです。法治国家では無法者の居場所は
刑務所だけです。それがいやなら天国にでも行ってくれ。
>>819
会津は口先だけで全然恭順などしていない。
部隊に解散命令を出してない。武装解除命令も出してない。国許引き上げ命令も出していない。
飲酒で停学処分受けた高校生並みにも恭順の意思なぞこれっぽっちも見せてない。
果ては徒党組んで戦闘準備に入るはもう滅茶苦茶。世の中舐めるのもいい加減にして欲しい。
>なんで武装したかって、相手が武力で迫ってくるなら、それを命がけで
>防がなきゃならないとかんがえるから。
>寛大な処置にしていれば、武装解除は必ずした。当時の文献からもわかる。
そりゃ犯罪者の自己正当化論理に過ぎない。盗人にも三分の理があるとかいうからな。
そういうふざけた言い分があるか。人質ぐらい差し出せばあるいは信用されたかも知れないが。
豊臣秀吉は家康に臣下の礼を取らせるためだけに実母と妹を人質に差し出した。
人から信用を得るというのはそれだけ大変なことなのだ。口先だけの調子のいい話を信用する奴は
振り込め詐欺にひっかかるお人よしだけです。もちろん新政府にはそんな馬鹿はいなかったのでしょう。

大政奉還をしたということは、旗本・御家人・その他、公務とか公務員という名目、身分の一切を失うということです。
当分の期間は残務引継ぎの為にそれらしい身分を新政府から与えられるかも知れないけど。
将軍も大老も老中も目付も一切合財チャラです。再雇用されるかどうかはすべてが新政府の判断による。

慶喜、朝廷、新政府、天下万民の心を踏みにじり、長州に対する私怨にこだわった逆賊一味の大罪は
あまりにも大きい。

825名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:56:33 ID:97ByB7n10
>>813
>長州征伐のとき、長州が武器で圧倒してるのではと思ってたのですが

長州征伐と限定したら、「長州の武器は幕府軍を圧倒した」というのは正解。
確かに幕府直轄の歩兵は長州よりも優良装備だった。
問題なのは、この幕府歩兵は江戸から大阪城まで出てきた(だから征長に加わっている事になる)が、
長州領までいかず、大阪城に留まり、一部の歩兵隊のみが長州と戦った。
その他多くの幕府軍は、紀州藩だったり小倉藩だったり浜田藩だったりで、
武装に関しては戦国時代そのままの装備で洋式化されていない。
この為に、長州軍は武装の面で幕府軍を圧倒する結果となっている。
幕府歩兵隊がいた戦いでは、長州軍が押されている場面も多々あったが、
それ以外の方が全部負けてしまったので、幕府歩兵隊の勝利も結果だけ見れば負け判定になってしまっている。

幕府の最高指揮官の一人は、開戦の後でこの事実を知り、「長州には勝てない」と結論付けている。
つまり幕府は作戦立案の段階で、参加部隊の武装を把握できていない。これは非常に大きな問題だ。
これは当然で、各藩の経済力や知識の差で藩兵が近代化されていたり、されていなかったりする。
それを事前に調整するのは難しい(統一国家ではないからね)
そしてこれが幕藩体制の軍隊の真の姿でもある。
戊辰戦争時、明治政府はどうしたかといえば、
ミニェー銃を持たない藩兵は不要と通達し、兵を出させなかった。
その結果、明治新政府軍はすべてミニェー以上の装備となっている。
やむなくそれ以下の装備の部隊を使う場合は、後方警備任務にしか使わず、最前線では戦わせなかった。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:12:42 ID:vcfqibuJ0
戊辰戦争と称する一連の反乱は慶喜の責任も大きい。
慶喜は大政奉還にあたっては、将軍の立場として津々浦々にまで今後は新政府の命令に従い、
速やかに武装を解くように命令して、軍を解散する職務があった。
そうしなかったのなら新政府に野心を疑われても仕方が無いし、部下も慶喜の真意が理解できなかった。
慶喜は自分の事しか考えてなかったのかと非難されてしかるべき。
これでは成り行き、行きがかりで巻き込まれ、無駄に命を落とした人たちが不憫だ。
827名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:23:54 ID:97ByB7n10
>>819

閏四月十五日会津藩主ノ届書ヲ総督府ニ出ス
後沙汰ノ趣難有拝誦仕候得共徳川家名成行不見届内ハ謝罪仕間敷覚悟ニ御座候間可然御沙汰奉願上候以上。
陪臣 松平肥後守

これは奥羽越列藩同盟結成以前、仙台がなんとか会津を恭順させようと薩長を仲間はずれにして会津と交渉していた時期に、
会津藩が総督府に対して出した文書。
徳川家の処分を見届けない内は謝罪しないとキッパリ言っている。
つまり、恭順姿勢じゃないよ。徳川家の処分が会津の納得できるものではない場合、戦うという意志がミエミエだしね。
828名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:40:19 ID:97ByB7n10
>>826
罪を慶喜のみに集約するその意見には賛同しかねるな。
慶喜に優柔不断の気があったのは確かだが、親慶喜派で新政府内にあり、
小御所会議の決定を骨抜きにした土佐福井尾張の要請で大阪に彼は下がった。
それ以後も慶喜は朝廷工作を彼らに任せている。
最後には慶喜の明治政府参加を岩倉具視をはじめ薩長をしぶしぶ認め、明治政府は慶喜に上洛命令を出している。
(もっとも薩長は慶喜の上洛、明治政府入りを認める代わり、会津桑名は国元に帰れと命じた)
怒った会津と桑名、そして薩摩藩邸焼き討ちに怒った江戸の幕臣たちが大阪で決戦しない慶喜に囂々と非難を浴びせている。
結局、彼らに煽られた形で慶喜は討薩の表を作り軍を出してしまった。
本来なら、慶喜はあくまでも土佐福井尾張を信頼し、主戦派を押さえるべきだったが、押さえられなかった。
「徳川慶喜公伝」では、この部分のやり取りで慶喜が「なんとか主戦論を押さえられないか?」と板倉に質問した所、
板倉は「上様を刺してでも京都に軍を送るべしと叫ぶ者もいる」と説明、説得はとても無理だと慶喜に言っている。
武力を用いた事で、慶喜の新政府入りは潰れ、努力を水の泡にされた土佐福井尾張は徳川を見放した。

この段階で、徳川は朝敵になっていない。徳川軍を恐れた公家が日和見を始め、薩長に錦旗を渡さなかったからね。
第一日目は「薩摩と徳川の私闘」と見なされ公戦とされなかったんだ。
残念な事に主戦派が絶対に勝てると言い、慶喜も信じたこの言葉通りにはならず、この第一日目に旧幕軍は敗北してしまった。
日和見していた公家衆は薩長に靡く。二日目になってついに徳川は朝敵とされる。
こうした流れから、一方的に慶喜に敗戦責任を押しつける訳にはいかないと私は判断する。
829名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:43:47 ID:vcfqibuJ0
>>825
詳しいですね。小栗は確かに軍に近代装備をさせました、幕府直轄軍だけは。
しかし総合的には旧態依然たる体制で幕藩体制の弊害そのまま。
幕府の称する改革や近代化はほとんどが中途半端でことごとく失敗しているのだ。
長州征伐もしかりだね。長州の方がよほど近代化できていた。
830名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:58:26 ID:97ByB7n10
>>829
そこは幕藩体制の限界でしょうねぇ。
統一国家ならば政府予算で政府軍の全装備を買えるけど、
幕藩体制では、徳川直轄軍は徳川の金で、紀州徳川家の軍隊は紀州徳川家の金で作るしかない。
長州は長州の金で、薩摩は薩摩の金でという感じだから。
ここで幕末の飢饉と財政改革に成功したか否かで別れてくる。
財政改革に成功すれば優良装備。失敗して借金だらけの藩は刀槍しかない。

会津藩に肩入れすれば、会津藩は京都守護職という任務で京都に藩兵を駐屯させていた。
これに掛かる費用は莫大で、国家老西郷頼母は松平容保に執拗に守護職辞任を進め続けた。
それだけ会津の国元では財政難に喘いでいる。会津藩が洋式化したくてもできないのだ。
831826:2008/03/09(日) 16:18:06 ID:vcfqibuJ0
>>828
そりゃ誤解だ。「のみに集約」とは書いてない。「も」と書いた筈だ。
俺が言いたいのは慶喜は仮にも幕府のトップなのだから、部下がその後の身の振り方を誤らないように
導く責任があったということ。敗戦責任などではない。
確かに主戦論が圧倒的であったし、お言葉一つでは到底治まらなかっただろう。
しかしあまりにも無為無策で芸が無さ過ぎる。
それではこの国のトップは務まらない。
スパイを主戦派に潜り込ませてかく乱し内部分裂を図るとか、
やらせで主戦派を過激に煽り、そのスパイを皆の前で斬って捨てるパフォーマンスをやるとか。
人事異動でキーマンを樺太や北海道に派遣すると称して追い出すとか。
東北諸藩が勝手に連合しないように、藩毎に別々の命令を出して相互の疑心暗鬼を起こさせるとか。
罷免するとか牢獄にぶちこむとか謹慎を命じるとか、とにかくあらゆる手練手管で
主戦派を解体するしかなかった筈だ。まあやりすぎて暗殺されたかも知れないがな。
やれることは全部やって新政府側にも身の証を立てないと到底、お家安泰とはならない。
戦国時代の大名は皆大なり小なり、そうした必死の芸で生き残ったのだ。
大を助ける為には小を切り捨てる非情だって要る。
優柔不断ではすまされない。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 17:14:54 ID:97ByB7n10
>>831
そうでしたか。私の誤解でしたか。すまんかった。

しかし、少しだけ反論させてくれ。
>部下がその後の身の振り方を誤らないように導く責任があったということ

確かに部下の退去を見届けず、いの一番に大阪城を退去した徳川慶喜の行動は総大将としてどうか?
という問題が残るものの、一応大阪退去時に大阪城の事は尾張越前(福井)二藩に任せると命じている。
また大阪城の引き渡しおよび撤退してくる幕臣達の管理役として目付妻木多宮を城中に留めおいている。
少なくとも、慶喜が部下達を放って何も言わずに放り出したのではなく、
戦いを止める為に大阪城を新政府に引き渡す為の人事と旧幕軍の速やかな撤退の手配りを行う人事の手配はしていた。

公は東帰の際、大阪城を尾越二藩に託せんとし、目付妻木多宮を城中に留めて引渡の任に当たらしめ、
且二侯によりて奉聞書を闕下に捧げしむ。其書に曰く、
「此度上京の先共、途中偶然の行違より、近畿に及べるは、巳むを得ざる場合にて、素より天朝に対し奉り他心あるにあらず、
されど聊たりとも宸襟を悩まし奉りしは恐懼に堪へざれば、浪速城は尾張大納言・松平大蔵大輔に託し、謹みて東退仕るなり」
と(正月慶喜と書す)。又二侯へは、「浪速城各へ預け、退去帰東に及ぶの間、右の趣然るべく御執成御奏聞これありたく頼み存ず」
との直書を副へらる。(ソース:慶喜公伝)

とあり、同書ではこの後の文章で、城に残された目付と尾張藩との間で城の扱いについて相談の様子が記録されている。
少なくとも、慶喜は戦後処理の対処方針を示した上で退去している。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 20:04:44 ID:W1WoLx9u0
>>811
ちょいと違う、
ジャスポー銃は、長州征伐のころは持っていない。
それは長州征伐で大敗したあと、幕府軍を立て直すときに、
フランスから送られたもので、伝習隊しか装備していないもの。
当時は存在しない。

あと長州藩は、最後までミニぇーがほとんどです。
薩摩や佐賀はスペンサー銃という最強銃を使っていたわけですが、
長州藩では最後まで、ミニぇー一筋。
長州藩は単独で、ほかの新政府軍全ての銃に匹敵する数の銃を所有していましたが、
そのほとんどがこの銃なのは、最新式のスペンサー銃は故障も多く、
武器の安定性にかけ、また銃がいろいろあると、弾薬が合わないという、
補給面の問題だと思われます。
あとは安いから、数がそろえられるというものでしょう。
長州藩の場合は、初期では別会計の撫育方などから捻出されてましたが、
中期以降は兵士が自分で武器を購入するようになってましたから。
834名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 20:05:43 ID:ccFut17O0
>>832
せっかくですが、そんな程度のことではアリバイ作りにもなりません。
勝海舟が江戸城を無血開城していなければ御江戸八百八町の町民たちはどうなっていたことでしょう。
そして勝海舟一人の手柄でもない。山岡鉄舟の功績も大です。
またイギリス公使パークスは官軍の江戸城総攻撃に強行に反対した。
NHKに至っては、篤姫が大きな役割を果たしたとまでいってますが、これは
さすがに大河ドラマの視聴率を上げる為のお手盛り記事でせう。
ともかく本来なら慶喜が指揮すべきことを、彼の部下が立派にやり遂げたからこそ救われた部分が
かなりある。勝海舟は旧幕臣の再就職先にまで気を配り手配している。
慶喜の責任はそんな小さなものではなかったはずなのだが。
東北諸藩の事はどうなのだろうか。慶喜はどう考えていたのか。
俺は必ずしも慶喜について詳しいとはいえないが、はなはだ疑問であるといわざるを得ない。
835名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 20:15:03 ID:KiPmDSGc0
>>834
 確かに、慶喜が大坂を捨てた時点で、既に彼の中では総て
終っていたのだろうな。でも、彼自身が恭順の意を示すに
留まり、戊辰戦争は蝦夷地まで続く事と成った。彼らの
犠牲とは何であったのか‥。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 20:16:21 ID:W1WoLx9u0
>>829
武器が新しくなっただけで、近代化なんてしてませんよ。
なんで伝習隊が、旗本や御家人ではなく、
ちんぴらごろつきを集めて組織されていたかというと、
そういう銃を撃つようなことは、下々のものがやることであって、
武士たるわれらがするようなもんじゃないという、意識があり、
彼らはやらなかった(やらせなかった)からなんです。

軍組織として、根本からおかしいんです。

ちなみに、伝習隊の多くは、幕府が滅びたあとも、転戦してますが、
旗本御家人は、さっさと降伏して、尻尾ふりふりです。
幕府にさんざん世話になった奴等が、降伏して、
幕府には世話になってないものが、最後まで戦った。
なんとも皮肉な話です。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 20:36:28 ID:W8fVwV8z0
>>824
幕府軍といわないで、旧幕府軍といえばよかったんだね。そんなこといわなくても分かると思った。
鳥羽伏見の戦いの段階では、まだ錦の御旗がどっちに渡されるかわからなかったって。
鳥羽伏見の戦いを残党一味の戦いだといっていたので、江戸開城後、(大政奉還後ではないですよ)
戦いが鎮撫総督府軍が北上する間、あちこち小さな戦いがあったけど、そのことと勘違いしているんだろうと
思った。これは失礼致しました。
私が言いたいのは、鳥羽伏見の戦いで、徳川家は決定的な打撃を蒙り、
反撃の恐れは無くなった(一部の主戦派幕臣を除く)のだから、もう以上戦争するなと。
会津戦争といい、奥羽諸藩との戦いといい、やり過ぎだ。
戦後処理はなぜか会津藩主は死罪を免れる。あれほど、絶対許すまじーだったのに。
だったら、最初から、寛大な処置にしておけば、多くの血が流れずに済んだのに。
838829:2008/03/09(日) 20:38:56 ID:ccFut17O0
>>836
>武器が新しくなっただけで、近代化なんてしてませんよ。
同意ですよ。俺も全く同じことを829で書いたつもりなのだが。
幕府の称する改革や近代化はほとんどが中途半端でことごとく失敗しているのだ。
と829に書きました。
「幕府の称する」と冠をつけたのは幕府はそのつもりでやっているけど、
その実、改革にも近代化にも何にもなってないという含意があります。
今風の言葉でいえば幕府側の武士は旧態依然のままで意識改革が全然できてなかったともいえましょう。

839名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 21:06:07 ID:ccFut17O0
>>837
>幕府軍といわないで、旧幕府軍といえばよかったんだね。そんなこといわなくても分かると思った。
どちらでも同じこと。同じ勢力を指し示していることには変わりない。
大政奉還後に幕府軍と名乗るのは身分詐称ですが、旧幕府軍という表現も欺瞞的で問題である。
鳥羽伏見の戦いについてはいささかの議論の余地はあるとしても、その後は
徳川家とは全く関係の無い戦いです。つまり将軍家と関係ないなら、よくても反新政府軍としか
いいようがない。おれにいわせりゃ残党一味ですけどね。

>反撃の恐れは無くなった(一部の主戦派幕臣を除く)のだから、もう以上戦争するなと。
>会津戦争といい、奥羽諸藩との戦いといい、やり過ぎだ。
その主張の論拠が分かりません。地方の軍閥が反抗の意思を露骨に見せているのだから
討伐は当然のことです。中華民国の蒋介石の北伐と意味は同じです。
会津は自ら武装を解除し、私兵を解散させ、国許に引き上げさせ、
藩主・家老は京都に妻子を人質として送るしかなかったのだ。
そうしたのであれば、俺が新政府側の人間なら反乱の恐れは無くなったと判断します。
そこまでした後なら会津は、もう以上戦争するなと主張できる根拠があります。
ところが史実は全くそうではなかった。会津は反政府軍の頭目と見られても仕方がない。
あなたの主張は一事が万事、何の根拠もない甘えです。
あなたの家族ならその甘えを受け入れてくれるかも知れません。
しかし、そんなもの世間には通用しません。
何度もいいましょう。東北人は情に溺れ法を軽んじる。こうした性質が太平洋戦争を招いたのだ。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 21:12:04 ID:W8fVwV8z0
>>839
ちがうよ。あなたみたいな考えの人が太平洋戦争を招いたのだw。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 21:18:45 ID:qy2qO2RE0
幕府を擁護するのではなくて、
>>838
>幕府側の武士は旧態依然のままで意識改革が全然できてなかった

と言うのは後生の人間がいうのは間違っていないだろうけど、
武士だけでなく、人間一般自分が生まれ育った環境・教育・価値観が
大きな時代の変わり目であっても、意識改革とやらができるのだろうか?
とっても困難なことだと想像する。
われわれが維新史を読むと書いてあることで、王政復古の大号令は、
「近年幕府の失政」として、第一に「各国条約締結」を挙げている。
条約を結んだことは、幕府の失敗であったのか?公然と議論すべき
問題は、他にも数多くあったはずなのに、条約締結を第一にしている。
近代日本は、幕府が条約を結んだことを「失政」と位置づけ、それを外交の
大前提として、「万国対峙」を国是の第一として出発した。クーデター当日の
夕刻から、小御所で「御前評議」が三職によって開かれた。岩倉は、天皇の
御前という権威で、議論を抑えつけた。以後、新政府の国家構築は、天皇の
尊厳正当性を要にして「万国対峙」を表看板にして組み立てられた。
それしかなかったのか?それを前提にこのスレでも多くの意見が書かれているが
それは、旧態依然とした認識ではないのか?という問いはありえないのか?
842名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 21:29:07 ID:97ByB7n10
>>834

>せっかくですが、そんな程度のことではアリバイ作りにもなりません

すみませんが、あの私の書き込みは横レスで、あなたと議論していた方ではないのです。
私が言いたかったのは、会津研究家が言っているように、
「慶喜が大阪城を逃げ出さなければ勝てた」
第一日目に勝てなかった主戦派の言い訳に過ぎない(朝廷は日和見してたからね)
「慶喜が戦うというから会津が手伝った」
会津をはじめとする主戦派が慶喜を半ば脅迫に近い進言を行っていたのが事実。慶喜の戦う意志は最初から薄かった。
「慶喜は誰にも知られずに逃げ出し、旧幕府軍は指揮者を失って個々に逃げた」
先にも言った通り、戦後処理担当者を残している。
という事です。
慶喜を鳥羽伏見に駆り立てた主戦派が、負けるやいなや慶喜に責任を押しつけて、
あたかも自分たちが被害者だと主張する事に納得いかなかったからです。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:15:58 ID:PVXTq+Hc0
旧幕軍は兵員、装備、士気で圧倒的優位だったから負けるはずがなかったのに
錦旗に怯えた慶喜が逃亡したから総崩れになった。慶喜が陣頭指揮したら半日で
京都を制圧していた。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:21:48 ID:W8fVwV8z0
幕府は滅びる運命にあった。その時期が来ていた。
民心がもう幕府からは離れていたし。
幕末はいろんな一揆があちこちで多発したでしょう?
滅びる前兆だよ。
ただ、薩長政府は幕府に変わる政府としてはたしてどうだったんだろうかという議論は
ホントに興味深いですよね。
会津戦争でその流れをぶった切ってしまったですねw。
江戸開城後も抵抗勢力が尚も戦争を続けたといういう表現はちがうんじゃないかと、
そう思ったので。この考えは今もかわりませんが。
容保は鳥羽伏見の戦後、慶喜に対し、新政府軍は追討するつもりだったようだ。
容保は慶喜の助命嘆願を朝廷に送り続けたって話だよ。
歴史には捏造もあるし、勘違いもあるし、自分に有利な解釈もあるし、
それらを全部知った上で自分の考えをいうことに意義があるのかな。

少し、軌道修正しますかw?

845名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:30:24 ID:W1WoLx9u0
>>841
意識改革できたのが新政府側の西南雄藩で、
出来なかったのは幕府。
そしてそれにふさわしい結果が両者に現れた。

また学術的なことをいえば、幕府の不平等条約が日本に害悪を与えたのは確かであり、
政治的な話をすれば、外圧に屈して条約を結ばれた。
どちらにしても、幕府への信頼性を揺らがせることにしかならないから、
幕府批判、新政府の正当性を明らかにするには、正しい行為だよ。
>>843
無理無理。
長州征伐でどうなったよ。
兵力差30倍だぞ。これを覆される幕府が逆転なんか絶対ありえないから。
そして鳥羽伏見の戦いは、薩長の主力はまだ上京してないの。
先発隊だけが戦ったわけね。
そしたら、その先発隊が圧勝して、幕府は潰走という始末。
846名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:40:42 ID:UY+47TMO0
>>845
意識改革できたのが幕府のみ。
薩長はヴィジョンもなく反乱を始めた。
薩長を背後でけしかけたのがイギリス。

ざっとスレを読むとこれが結論だな

>幕府の不平等条約が日本に害悪を与えたのは
討幕派も自分で不平等条約を結んでるし
847名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:43:13 ID:UY+47TMO0
日墺修好通商航海条約…明治政府が結んだ日本史上最悪の不平等条約
樺太・千島交換条約…イギリスの指示でカラフトを二束三文の島と交換
848名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:48:18 ID:W1WoLx9u0
849839:2008/03/09(日) 23:04:20 ID:DcejqT9s0
>>840
とんでもない。天下の大逆賊石原莞爾を軍神と崇め奉っているのが東北人だ。
情に溺れ法を軽んじる暴走の代表例が満州事変であり、その東北人の象徴が石原莞爾だ。
大日本帝國は情に溺れ法を軽んじる東北人に引きずられた。
>>841
>とっても困難なことだと想像する。
それを成し遂げたのが長州であり薩摩であります。
吉田松陰、横井小楠に学んだのが長州であり薩摩であります。
>岩倉は、天皇の御前という権威で、議論を抑えつけた。
既に議論は尽くされてます。王政復古の大号令は議論を目的にしていないし、議論している場合でもない。
新政府の大義を掲げ、一刻も早く天下を治めないと大変なことになります。
議論を押さえつけたのは問答無用で長州浪人を斬り飛ばしていた新撰組ではありますまいか。
議論を押さえつけたのは吉田松陰に無実の罪をかぶせ惨殺した幕府ではありますまいか。
>それしかなかったのか?
他になにかありました?
>>842
>>832がレスしてる>>831が俺なんだけど、はて。でも論点が全然違っていたみたいね。
どこで混乱したのかなあ。まあいいや。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 23:12:17 ID:DcejqT9s0
>>846
笑止千万。貴方の芸風はもう厭きた。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 23:48:28 ID:fWus0ieN0
>>841
>条約を結んだことは、幕府の失敗であったのか?
幕府が開国和親の立場で条約を結んだことはなんら間違ってはいない。
むしろ無責任に攘夷を煽って開国方針に敵対した尊攘派こそが批判されなければならない。
討幕派が掲げた「万国対峙」は幕府の方針の追認にすぎない。
852名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 23:49:17 ID:fWus0ieN0
>>849
太平洋戦争は昭和天皇の御意志を無視して三国同盟を結び、
日本をナチスに売り渡した長州人・松岡洋右の責任だよ。
日本の外交機能尾を破壊し、日米交渉をことごとく妨害し、
大東亜共栄圏、満蒙は日本の生命線といったスローガンで国民を扇動。
松岡のせいで政治・外交的に追い詰められた日本は、
軍事的な打開策に賭けるしかなくなった。

>それを成し遂げたのが長州であり薩摩であります。
薩長は王政復古、政祭一途等々のカルトなコンセプトしかもっていない。
彼らは天皇の権威を振り回して権力を奪取することしか頭に無かった。
明治当初の日本が近代化から背を向け大混乱に陥ったのはそのため。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 23:59:28 ID:fWus0ieN0
>>844
>幕府は滅びる運命にあった。その時期が来ていた。
>ただ、薩長政府は幕府に変わる政府としてはたしてどうだったんだろうかという議論は
>ホントに興味深いですよね。
日本の近代化は幕末期にすでにはじまっていたとする意見があるけど、そのとおりだと思う。
幕府は幕藩体制の維持自体が重荷になっており、その打開策を求めて四苦八苦していた。
開明的な知識人の多くが幕府側にいるのも、国家をどうするのかという深刻な問題意識を抱えていたから。
小栗にしろ福沢にしろ薩長よりもはるかにラディカルで大胆な改革構想を持っているのはそのため。
重要なのは未来のコンセプトを持っていたのは誰か?ということ。
>幕臣=幕藩体制維持
>薩長=近代化
よくあるこの手のひっくり返った構図で幕末をみると流れが理解できなくなる。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 00:22:04 ID:Mt02JRSl0
>>853
順逆史観? それは殺人犯の中村彰彦の提唱した、でたらめ歴史観のことではないですか。
855名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 00:50:10 ID:tjyHocNP0
誰がどんなプラン持ってたかなんてぶっちゃけどうでもいい。
それを実現できる力があるかどうかだ。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 01:21:22 ID:c5ySPHOS0
そう。プランをもつ者が権力を握るとは限らない。
明治新政府がその一例。
しかしプランがなければ何を「実現」すべきかわからない。
一方で徳川に成り代わろうとして掴んだ政権は足元から瓦解しかかってる。
茫然自失の明治政府首脳は国事を放棄して外遊に出かけなければならなかった。
岩倉使節団は、討幕派がプランも実行力も持ち合わせていなかったことを明示してる。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 19:39:56 ID:JanEpiAr0
慶喜は、外国代表との謁見式開催を宣言し、イギリス、フランス、オランダ、
アメリカの四カ国のうち、大阪城で最初に謁見したのはイギリス公使のパークスだった。
萩原延壽の「遠い崖」に、謁見の模様が詳細に書かれている。パークスとの謁見は
三時間半に及んだ。通訳サトウの抱いた慶喜の印象は、「秀でたひたい、形のよい鼻、
まさに紳士そのもの」だった。パークスは、本国外務次官に、慶喜は「もっともすぐれた
人物」であり、信頼に値すると報告する(遠い崖、四)通説では、フランスが幕府に
近づき、イギリスが幕府を見限って薩長両藩と親しくなったと叙述される。このような
幕末の国際関係の枠組みは、戦前の「維新史」などがつくってきたものだ。フランスの
ロッシュの外交が、慶喜の改革を指導したというような見方に、最近の研究は懐疑的だ。
フランス外務省が、ロッシュを支持していなかったことが明らかになっている。
(高村「維新前後の”外圧”をめぐる一、二の問題」社会科学研究)さらに、萩原氏は
イギリスと薩長が親しくなったという通説にも否定的だ。サトウは間違いなく薩長に
「親密」を持っていたが、公使パークスはサトウとは違っていた。このころのイギリスの
外交の基本は、本国外務省も公使館も徹底的に「ただ貿易の発展」であり、「政治的
影響力の行使」を欲していなかった。日本が条約を厳密に守ることが日本に対する要求で
あった。パークスは日本の政治状況が揺れていることを知っていて政治情報を収集して
本国に報告していた。イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、
くりかえし厳重に禁じていた。パークスも、外務省の方針に依存はなかった。イギリスが
薩長と「親密」などということはなかった。逆に、条約承認や兵庫開港問題について
薩摩藩がくりかえし執拗に妨害するのをイギリス公使館は警戒していた。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 20:20:30 ID:FNV3+nmx0
>>852
三国同盟は、それにソ連も加えて、
四カ国の圧力で、アメリカに日本の権益を認めさせるというものだよ。
その偉大なプランを理解しなかった、昭和天皇がアホだっただけでしょ。
また松岡は対米交渉の邪魔なんてしてないし。
外交能力も松岡以外皆無に等しく、神父と軍人のかいた作文をみて、
これで対米交渉はなった、とか勘違いする馬鹿どもだらけだよ。

対米戦争反対派で、中国からの撤兵派で、軍部大臣現役武官制の廃止をもくろんでいた、
松岡を追い出した。昭和天皇と近衛が無能だったのがよくわかる事例なんだが。

>>853
幕府には近代化のなんたるかも全くわかってないし。
近代化するきもなかったし、
近代化を実行する力もなかった。
これが歴史ってものだよ、少しは学べ。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:24:03 ID:CKdwbisD0
>>858
>その偉大なプランを理解しなかった、昭和天皇がアホだっただけでしょ。
松岡が三国同盟を結んで有頂天になってたとき、
ヒトラーは独ソ戦の準備を進めてた。
四ヶ国同盟なんてありえねーんだよボケ。

英米はドイツの動きを正確に探知しナチス崩壊を予測してたけど、
日本は松岡が外務省大粛清を行ったせいでナチスがたれ流す情報しか手元になかった。
こんな外交メクラの国が戦争で勝てるわけがない。

>軍部大臣現役武官制の廃止をもくろんでいた
その軍部大臣現役武官制のおかげで外務大臣の座にありついたのが松岡だろ。
近衛は松岡を軍部をけん制するために登用するが、松岡は功名心から軍部のお先棒かつぎとして暴走する。
昭和天皇は軍部大臣現役武官制によって倒された米内内閣をバックアップしてた。
仮に米内内閣が続いてたら三国同盟は成立せず、太平洋戦争もなかった。
そもそも軍部大臣現役武官制をつくったのは山県だし、長州人は害虫だな。
860名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:46:19 ID:FNV3+nmx0
>四ヶ国同盟なんてありえねーんだよボケ。

その場合は、いち早くソ連をきって、北進するというものだ、
実際モスクワを救ったのは、極東から回されたソ連軍だし、
北上して後止めしてれば、モスクワは維持できなかった可能性が高い。
それを潰したアホがいるんだよな。

>英米はドイツの動きを正確に探知しナチス崩壊を予測してたけど、

それは攻勢の限界点を予測しただけであって、
崩壊など予測しとらんよ。
イギリスが逆侵攻なんて、絶対無理だから。
情報収集能力で負けていたのは事実だが、それは松岡の問題ではない。
外務省の情報収集能力の問題点。
暗号解読などは、陸軍などと共同でやるべきだった。

>その軍部大臣現役武官制のおかげで外務大臣の座にありついたのが松岡だろ。

それは違うね。当時彼は著名で、非常に人気があった。
そのうち大臣になったのは間違いないよ。

>仮に米内内閣が続いてたら三国同盟は成立せず、太平洋戦争もなかった。

その場合は日本だけ孤立して、連合軍にフルボッコされるだけだよ。
それに戦争の原因は三国同盟ではなく、南進だよ。
松岡一人が反対していたのに、政府が馬鹿だから、南進決定。
アメは石油禁輸をしてくるという流れ。

そして軍部大臣現役武官制は、議会や政府が軍部よりも対外強硬派で、
好き勝手に戦争しかねなかったから。
それを利用して、戦争に活用したのは、東北人が中心となる昭和軍閥。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 23:26:19 ID:oXFpOkAhO
う〜ん一つ言えることがある。スレ違いじゃね。
862名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 23:13:30 ID:PRdY2Is40
岩倉使節団の岩倉具視は、欧米に訪問中に欧米人にばかにされたため、それまでちょんまげだったが、断髪した。
wiki
863名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 11:29:31 ID:M2D6UEHtO
日本人の歴史意識―「世間」という視角から (岩波新書)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4004308747/

ttp://dewanokuni.hp.infoseek.co.jp/Review105.htm
864名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 00:19:27 ID:LhzVWQVzO

大半の日本人に
名字がついた

865名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 08:29:39 ID:prigGfFu0
日本は明治以降、ロスチャイルドに利用されていたのではないか?
866名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 17:42:17 ID:p7oG0ir70
>>864
少なくとも、代々田んぼを持ってた本百姓は、
代々の名字くらい持ってただろう。
お墓が作れんし、名字が無いと守るべき「家」概念が持ちづらい。

お寺の過去帳みると、小作人に至るまでみんな名字がついてたみたいよ。
867幕府の愚政シリーズその1:2008/03/15(土) 12:32:38 ID:USTaE+sm0
宝暦治水事件(1754-1755)
幕府が薩摩藩の弱体化を目的として木曽三川の堤防普請について費用の全額出資と藩士派遣を命じたが、
度重なる幕府の工事妨害や病死者が続発するほどの劣悪な藩士への待遇に抗議する為多くの自殺者を生んだ。
薩摩藩は40万両以上の費用と80名を超える犠牲者を出した。幕府は大工などの専門職人の雇用を禁止するなど
露骨な薩摩藩いじめであった。薩摩藩家老平田靱負は工事完了後、責任を取って自害。
辞世の句は「住みなれし 里も今更 名残りにて 立ちぞわづらふ 美濃の大牧」。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 08:30:38 ID:qMgqBr/C0
どうして3日で幕府軍は崩壊したのか?不思議だ、本当に
869名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 09:21:36 ID:qbCpQQ8N0
>>868
全然不思議じゃない。幕府軍などというものは存在しない。
本部も指揮官も参謀も何もない。ただ、残党が逃げ回っていただけです。
将軍たる徳川慶喜は大政奉還して、早々に降りてます。
将軍のいない幕府はもはや幕府ではありません。幕府の残党に過ぎません。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 10:39:29 ID:KBSvBAGv0
>>869
あ、そう。あなたとは話ができないこと確認した。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 18:16:48 ID:Sr1/Y0kP0
>>869
>全然不思議じゃない。幕府軍などというものは存在しない。

幕府の騎兵隊があったようじゃないか?
知らんの?
872名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 18:42:46 ID:lg9lACZG0
>>871
大政奉還以降は幕府軍は存在しない。ただ幕府の残党がいただけだ。
873名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 19:44:32 ID:dtXNJcKV0
>>872
>大政奉還以降は幕府軍は存在しない

じゃあ、鳥羽伏見で戦ったのは幕府の残党ならどうして
あんなに重要な戦闘となった?
概念としての幕府軍が存在したかどうかで戦闘が行われたわけじゃないだろう?
征夷大将軍の規定についていったら、二百年以上続いた幕府が大政奉還ですべて
なくなったのか?
874名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 19:58:04 ID:lg9lACZG0
>>873
>あんなに重要な戦闘となった?
重要とは、誰にとっての重要?意味が分からない。既に幕府軍という名目は失われていました。
それが理解できない頭の固い連中が残党として明治新政府に楯突いた。それだけですが。
なくなるということはないでしょ。組織としてまだ解体はしてないし、武装を解除してもいない。
しかし幕府軍という名目はもはやない。これだけ書いても理解できませんか?
そして、もはや幕府軍ではないという冷徹な事実を認識した淀藩あたりは幕府の残党には
一切協力を拒否しました。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 20:56:12 ID:b2sEvNo80
>>874
>しかし幕府軍という名目はもはやない

名目とはどのようなことをいうのでしょうか?
誰が、どのようにそれが名目というものを認定したのでしょうか?
幕府軍という名目が、鳥羽伏見の段階でないのなら、

>頭の固い連中が残党として明治新政府に楯突いた。それだけですが

↑明治政府は、鳥羽伏見の戦の時に、法制上誰がどう新政府と
認めたのですか?加えて、国際社会でどの国が、鳥羽伏見の戦の時に
認めたのですか?
876名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 20:59:07 ID:b2sEvNo80
>>874
しかし、名目とはどういうことをいうのか、詳細に書いてくれ。
文献もあげてくれ、必ずそれは読むから。日・英・仏・中国語
いずれのものでも必ず読む。逃げるなよ
877名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 21:02:28 ID:b2sEvNo80
>>874
>重要とは、誰にとっての重要?意味が分からない。

教えてあげよう。明治維新の大きな出来事として重要ということだよ。
878名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 21:09:14 ID:PgmrJm/+0
大政奉還後、鳥羽伏見の戦いの時点では、朝廷しか正式な政府は存在しない。
歴史上はそういうことになってしまった。

「朝廷には統治を行う実力はないので、大政奉還後も実質的には日本国政府は旧幕府である」、と
徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いの前には主張していた。
しかし徳川慶喜は鳥羽伏見の戦いで敗北し、江戸に帰っても謹慎するだけで、
「我々は日本国政府である」、という主張を放棄してしまった。
そのため、「大政奉還後は朝廷が日本国政府となった」、ということになってしまった。

日本が自国で決定したことだ。鳥羽伏見の戦いにおける徳川慶喜の江戸逃亡後は、諸外国も承認した。
879名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 21:35:33 ID:lg9lACZG0
>>875
淀藩が鳥羽伏見の戦いでどういう対応をしたか調べてください。
>>876
それはあなたの問題。小生の関知するところに非ず。
幕府が無くなったのだから幕府軍も無い。これが理解できない人に理解できる文献などない。
>>877
鳥羽伏見の戦いは、重要でもないし、大きな出来事でもない。
明治維新時のエピソードの一つに過ぎません。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:01:13 ID:DJwOvT920
>>879
>幕府が無くなったのだから幕府軍も無い。これが理解できない人に理解できる文献などない。

歴史に無知なようだから、お知らせするよ。
大政奉還後、と簡単に片付けて書いているが、そもそも「政権」という
抽象的な力を、一片の文書で動かせるものでない。慶喜はこの時点でも
まだれっきとした征夷大将軍だった。奉還上表とは別に将軍の辞表も、
10月24日に出したが、諸大名上京までは保留とされていた。
そこで、西郷・大久保は、王政復古のクーデターを仕掛けた。
繰り返すが、王政復古前は史料の上では慶喜は、将軍を辞職しても、まだ内大臣の
官職をもっていた。だから、内府と呼ばれていた。官位剥奪というわけでは
ない。王政復古で、それを辞職させ徳川家領地を朝廷に返納させようと、
西郷と大久保は理屈もなく、言いがかりとしかいいようのないやり方で
戦争を仕掛けた。それが史実だよ。オマエ相当の無知だな。
881名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:18:27 ID:b9gsQhvT0
>>879
>理解できない人に理解できる文献などない。

そういうごまかしはやめてね。
>>880は、「再夢紀事」「続再夢紀事」日本史籍協会叢書 東京大学出版会が
ソースだよ。アンタもソースを書いてくれ。
882名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:23:14 ID:b9gsQhvT0
>>880
>それはあなたの問題。小生の関知するところに非ず

小説を読んで真に受けているんですか?それとも妄想をただ書いてるだけ?
そうでなければ、何を根拠に書いているか史料名を書くのは造作もないことでしょう?
883名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:28:06 ID:lg9lACZG0
>>880
歴史に無知なようだから、お知らせするよ。
慶喜個人の官位など全然関係ない。それはあくまで慶喜個人レベルの話。
そして辞表を出した以上はもはや征夷大将軍でもない。離婚届を提出した以上は
もはや夫婦ではないのと同じこと。そうはいっても役場の事務処理が終わらないと、
戸籍は変わってないだろうし、世間へのお披露目もしないと、まだ夫婦と思われてるかもね
という程度の話なのだ。
そもそも「政権」という抽象的な力は、一片の文書で動かせるものである。
それは古今東西普遍のお約束であります。
そうはいっても、俺はそんなの認めないという抵抗勢力もいるのが実態。
抵抗勢力は実力で打倒する。そうして実力で一片の文書を裏付ける。
それが史実だよ。オマエ相当の無知だな。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:37:49 ID:VIAdJTL50
>>883

本当に歴史について学んだことがないんですね。
1自分の意見の根拠となる史料を書けない。
2離婚届なんていう、明治になりできた法律を近代の社会との対比で語る無教養。
 (まるで何の意味もない例示)
3一片の文書で政権が動かせるなら、古今東西のお約束の史料を明示せいよ。
 まるで行政の現実を知らない。

>俺はそんなの認めないという抵抗勢力もいるのが実態。
抵抗勢力は実力で打倒する。そうして実力で一片の文書を裏付ける。
それが史実だよ。

何が史実だ、ふざけるな。だからな、それはアンタの無教養な戯れ言なんだって。
そうじゃないなら、その根拠を早く書け。日・英・仏。独・中・スペイン語までなら原文で
読めるから逃げるなよ。
885名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:39:52 ID:VIAdJTL50
>>883

でも史料を読んだことがない奴に書けといっても、書けないよね。
中卒?高校中退?五流大卒?
886名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:51:32 ID:eMZAbRk40
この国は、なぜこんなひどい国になってしまったのでしょうか?
 すべての根源は明治維新にあるのです。

日本の諸悪の根源は明治維新
http://blog.goo.ne.jp/meijiisin000
887名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 22:58:02 ID:lg9lACZG0
>>884
お前馬鹿なの?あらゆる条約は一片の文書に過ぎないのだが。
本当に歴史について学んだことがないんですね。
888名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 21:15:13 ID:dXaH6NtU0
>>lg9lACZG0

おい一日待ったが、まだオマエの根拠は出せないのか?
早くしろ。それとも、妄想を書いてましたと謝るか?
根拠を書いた内容以外のレスならするなよ。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 08:54:57 ID:ewNIrjpO0
>>887
ドアホw
お前は根本的に間違っている
出直せ

>>885
>>887は根本的に権力というものを軽く考えている。
そこが間違っているから論破されたわけだが、だからといって君が正しいという根拠にはならない。
>>885の言っている事もまた正しいからだ。
ソースというが、『徳川慶喜公伝』を読めば彼が正しいことは明白となるだろう。
890名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 09:26:52 ID:FvBj0hYz0
久しぶりに見たら随分伸びているねw

歴史の継続性と言う視点で明治維新は見た方が洞察は深くなるな。
ロシア革命でもフランス革命でもそうだ。

馬鹿ほど改革や革命に熱狂するからなww
>>883
明治の元老は天皇に近いと言うことで権威があったんだよ。
これは官位そのものの発想で、実際薩長の維新の功労者の
多くが参議になっているだろ。
これは律令制度下の官位そのものだ。
戦後もなんで参議院ができたと思っているんだ。

近代史しかわからんと近代史はわからんよ。
歴史はしっかりと継続されているものだ。
そして21世紀に政治の捻れと言われる現在、その参議員が解散がないと言う
ことで実は政権安定の重しとなっていたのがわかったわけだ。

日本の歴史は参議や関白、摂政から始まり征夷大将軍から参議員に至るまで所謂令外官と言う
中国の律令制度にはない例外的制度や地位で安定化させてきたんだよ。
つまり日本独自の制度の創造がその安定の基本にあったわけだ。

さて、日本の皇室が伝家の宝刀、摂政、を東宮に対してふるうことがあるのか?
891名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 13:00:09 ID:VuzBYgJM0
>>890
>明治の元老は天皇に近いと言うことで権威があったんだよ。
お前さんは論理が倒錯している。
元老は明治維新に功績があったからこそ、明治天皇に元老に任命されたのだ。
つまり、元老は明治維新の功績と天皇に任命されたことで2重の権威を持ったわけだ。
そして天皇に近づくためには、官位が必要。
官位があったから、権威があったのではないのだ。
参議院は二院制の一方の院というだけで官位とは全然関係ない。
いったい何がいいたいのか、お前さんは。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 14:11:17 ID:Cs1i54F00
>>891

ん?またアホが懲りずに帰ってきたかwww
893名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 19:19:20 ID:elMBNTiq0
どうして3日で幕府軍は崩壊したのか?不思議だ、本当に
(>>lg9lACZG0はこなくていいからな)
894名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 19:36:06 ID:TxZse3QT0
1日目…会津の槍兵・旧幕府ライフル歩兵の密集突撃が薩長ライフル兵の散兵戦術で崩壊
2日目…旧幕府軍は川沿いの隘路に密集し薩長の散兵戦術の的へ、錦旗は薩長へ
3日目…朝廷の薩長軍への加担(勅使による薩長軍への参加強制)、旧幕府軍大阪へ撤退
895名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 19:37:13 ID:2qwBpvZ40
>>893
幕府軍など存在しない。幕府の残党が夢から覚めるのに3日かかっただけの話。
はじめから崩壊していたのだ。それに気づくのに3日かかっただけ。
896名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 19:57:26 ID:pegzY8d/0
>>894
本当に、そういうことだけで崩壊の原因なんだろうか?

>>895
>2qwBpvZ40
よし!本日のオマエのIDは了解した。
一言からかってやるよ。

>はじめから崩壊していたのだ

なら、どうして戦闘が起こった?
崩壊していたなら、薩摩は幽霊と戦っていたのか?
897名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:03:50 ID:2qwBpvZ40
>>896
幕府軍ではありません。旧幕府の残党が居残っていただけです。
慶喜が解散命令を出さずに放置していたからです。
自分のことで精一杯ですっかり忘れてしまったのでしょうね。
梯子を外されて降りるに降りれず逃げ遅れた惨めな連中がいただけなのです。
彼らが「もしかして俺らってただの間抜け?」と気づくのに3日かかったのです。
898名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:32:34 ID:PyE9TMs30
>>897
>幕府軍ではありません。

オマエは、幕府軍という名詞に拘っているだけなんだよ。
幕府軍だろうが旧幕府だろうが、その中身は一緒だろう?

>慶喜が解散命令を出さずに放置していたからです。

な、解散命令って何?どうして戦闘が起こったか、オマエはやっぱり知らない。
知らないなら、知ったかやめて静にロムしてろ
899名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 20:50:08 ID:2qwBpvZ40
>>898
中身が同じでも国鉄職員とJR職員は違います。
中身が同じでも郵便局員と日本郵政グループの社員は違います。
ましてや旧幕府軍は明治新政府にそのまま再雇用されたわけではありません。
ただの旧幕府の残党に過ぎません。
中身など関係ありません。人は立場・名目・大義が重要です。
それが無いなら武装スリ団となにほどの違いもありません。
旧幕府の残党にはいかなる立場・名目・大義もありませんでした。
ましてや幕府軍を僭称する資格など全くありません。
900名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:32:05 ID:WLx5i6KM0
>>899
>人は立場・名目・大義が重要です。

だからどうして戦闘が起こったか、オマエは知らないと
書いただろう?
慶応3年12月28日江戸から大目付滝川具挙が大阪にやってきた。
関東の情勢と薩摩藩邸焼き打ちの報を告げた。この報が入ると、旧幕方の
間には、もはや我慢がならぬという空気が充満した。滝川あたりが先頭に
なって、薩摩をこのままのさばらせておくのか、と慶喜を突き上げる。
慶喜は、家臣たちの突き上げを抑え切れなかった。朝廷に対する奏聞書に
署名して、滝川らに渡した。それがいわゆる討薩表だ。あけて正月2日、
これを携えた滝川具挙をはじめ、旧幕勢は京都へ向け進軍を開始した。
これが史実だ。どうして、立場・名目・大儀もありませんとオマエは書けるの?
それは、オマエが歴史をまるっきり知らないからだ。
違うというなら、どういう史実があったのか書いてみろ。
901名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:59:15 ID:UWFalqcU0
>2qwBpvZ40

今夜も逃げたか…。少しは勉強してからこいよ。
バカの1つ覚えばかり書いてないでな
902名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:13:04 ID:2qwBpvZ40
>>900
その連中は情に溺れた暴徒の群れに過ぎません。
何の立場・名目・大義も無い。全く無い。全然無い。これぽっちも無い。
私怨・私闘・一揆・反逆、これ以外のなにものでもない。
滝川具挙は大目付ではない。元大目付というだけ。
だから残党の私闘なのだよ。
903名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:17:37 ID:iV9I4qd90
>>902
>その連中は情に溺れた暴徒の群れに過ぎません。
何の立場・名目・大義も無い。全く無い。全然無い。これぽっちも無い。
私怨・私闘・一揆・反逆、これ以外のなにものでもない。

どうせ書けないだろうが聞く。
その根拠は?
大久保や西郷の書簡は、そんなこと1つも書いてないがね。
必ず、根拠とする史料名をあげろよ。妄想じじい。
904名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:19:57 ID:iV9I4qd90
>>902

書き忘れた、根拠とする史料をあげないレスは、アンタが論破された
自己認定と受け取る。だからもうレスは書かない。
905名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 22:42:57 ID:2qwBpvZ40
>>903
幕府は大政奉還で滅亡しました。これは定説です。
>大久保や西郷の書簡は、そんなこと1つも書いてないがね。
当たり前。常識だから、わざわざ書く意味が無い。今日は昨日と同じようにお日様が東から
上がりましたなどと書簡に書く馬鹿はいない。
906名無しさん@お腹いっぱい。
>>905
定説なら、その史料名をあげろ。何度でも聞く。
定説ならかけるだろう?

>大久保や西郷の書簡は、そんなこと1つも書いてないがね。
当たり前。常識だから、わざわざ書く意味が無い。今日は昨日と同じようにお日様が東から
上がりましたなどと書簡に書く馬鹿はいない。

大バカ野郎。鳥羽伏見の戦が起こる慶応三年暮れから戦までの時期の書簡に
もう一方の側はどうのように事態を見ていたかを指しているかだよ。
まだ戦が始まる前、寸前、始まった直後。刻々と変わる状況を両者の書簡は
克明に伝えている。何が常識だ、バ〜カ。それはすべて終わった現代から
見ての話だよ。