明治2年の版籍奉還と同日に
堂上家136家、諸侯248家、堂上格28家、藩主格15家の
合計427家が華族と称される。
明治17年には華族令が宮内省より通達されて、
公、侯、伯、子、男の五爵の格付けが行われる。
以降の授爵者を大別すれば、
旧華族として公家華族(堂上、堂上格)と武家華族(藩主、藩主格)、
新華族として賜姓降下華族、奈良還俗華族、神官華族、分家華族、勲功華族となる。
年を経る毎に華族は増え続けて、
新憲法により華族制度が廃止された昭和22年5月には913家に達した。
過去スレ
華族についてpart5
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1121077450/
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/08(土) 18:19:39 ID:QePpXQYkO
公家華族以外価値無し…
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 00:07:40 ID:uQMxJ+xQO
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 14:22:55 ID:HGil+ykN0
>>1 スレ立てお疲れさまでした。
あわせて正しい板へ移転してくださって、ありがとう。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/15(土) 11:21:23 ID:8D1HDm/w0
7 :
cr211.ade.point.ne.jp:2006/04/16(日) 11:11:39 ID:GFRK6mew0
ここは平民ズレばかりが打ち揃ふて居るな
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/17(月) 00:29:00 ID:OSLhumzE0
よく着物関係の研究書で目にする「鷹司綸子」さんって、あの五摂家の末裔なの?
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 09:39:27 ID:egpGl2oMO
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 18:04:13 ID:JGVwFnDd0
>1
新華族に真宗系僧侶華族も加えてください。
名前が綸子で着物研究家とは、洒落みたいなお方ですね。
もっとも、クミコと読ませるようですが。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/25(火) 19:49:17 ID:H2+4Cx/RO
大谷光尊とその正室枝子の父大谷光威が兄弟なのはマジ?
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 04:11:39 ID:1V5TZvkfO
>>12 新興奈良華族さんは省いて下さいましね。当家とは付き合いが御座りませんのでゑ。
御免遊ばせ。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 04:25:13 ID:voto0NsMO
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 12:49:58 ID:uVhi8sfqO
アゲ
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 17:58:21 ID:BmTdmayS0
琉球王族・貴族出身の華族はいくつかあってアイヌ貴族(?)出身華族は存在しない。
近世初期にはアイヌも統一が進んでだいたい5大酋長のもとに統合されていたが、
シャクシャインの乱で潰されてしまった。乱が無ければアイヌ出身の5つの伯爵家ないしは子爵家が
成立したのかな。
>>19 がわけわからない創作ネタ始めたので下げます。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 19:14:57 ID:aDQDUPtO0
朝鮮貴族はスレ違いですか?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 19:19:16 ID:QBedOvI10
>>21 華族の一部であったのだから、それについて論じることはスレ違いではないと思います。
貴方がそのような疑問を持ったのは何故ですか。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 20:02:22 ID:aDQDUPtO0
>>22 いわゆる華族令で定められた華族ではないからです。
朝鮮貴族については朝鮮貴族令という別の法令によって定められ、そこで
華族と同じ礼遇を受けるとされています。華族令に基づいて爵位を授けなかったのかね?
24 :
乱が無ければアイヌ出身の4つの伯爵家・子爵家:2006/05/07(日) 20:12:52 ID:Yum9sVGS0
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 21:10:11 ID:QBedOvI10
>>23 >華族令に基づいて爵位を授けなかったのかね?
誰が? あなたの日本語はおかしいですよ。
それはともかく、立場としては微妙ですね。
たしか、授爵を拒んで自殺した人もいませんでしたか。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/07(日) 21:26:51 ID:aDQDUPtO0
>>25 すまん
×華族令に基づいて爵位を授けなかったのかね?
○何故華族令に基づいて爵位を授けなかったのかね?
佐幕派諸侯と同じく日韓併合への賛否に関わらず単純に家格職歴で叙爵してるようだし。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 21:56:11 ID:q8D5ecSCO
でも叙爵を拒んだ人もいるらしい
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/13(土) 22:06:51 ID:xWwcn1JPO
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/15(月) 21:52:33 ID:g1zW2S7bO
旧華族は今でも華族同士で結婚?
んなこたーない
とりあえず『平成新修旧華族家系大成』を嫁
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 15:24:26 ID:FMVvKLIlO
>29
政治家、実業家とが多い
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 17:35:34 ID:xeiVUHZB0
戦前でも、華族と非華族(官僚・軍人・財界人)との結婚は多い。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/17(水) 20:18:02 ID:SACw0Lu6O
旧五摂家は今でも天皇家と親戚? 一条は昭憲皇太后、二条は? 九条は貞明皇后、近衛は三笠宮が…鷹司は和子内親王が…
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/20(土) 22:01:15 ID:rr/sapET0
_,,.. -‐ '''''''ニ''',,─-..、
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http://eva.xrea.cc/kimigayo/ 【概要】日本国の国歌「君が代」をオリコン一位にする
【目的】サッカー日本代表を応援し、ひいては日本人の団結力をやしなう
【決行日】現在協議中
【注意事項】
1.これは国歌に対する侮辱ではありません。一国民がその国の国歌を愛すること。またその国歌のCDを購入することは誰にも束縛はされません。
2.まとめ買いはいくら買っても1枚としかカウントされません。面倒ですが、一枚一枚予約・購入して下さい。
ゲーマーズ、アニメイト、アマゾンなどはデイリーチャートには入りません。デイリーは気にしないでウィークリーに賭けてください。
なお、オリコン加盟店は右記のサイトで参照できます→
http://www.oricon.co.jp/rank/index2.html ★「君が代」をオリコン1位にしようぜ
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1147610802/
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 23:27:29 ID:1V2hKnNNO
少し遠いけど二条家は恭仁子女王が
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 20:31:46 ID:4jnH9dZT0
昭和初期あたり、叙爵の権限はどこ(だれ)にあったのですか?
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 22:10:16 ID:45T4t6up0
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 22:36:17 ID:4jnH9dZT0
>>37 ありがとうございます。
宮内省にその権限があったということは最終的には内大臣のハンコがいるってことですね。
で、実質的に「この人とこの人は伯爵で、この人は昇爵ね」とか決められる人って
誰でしょうか?
首相?内大臣?宗秩寮総裁?
質問ばかりですいませんが、ご存知でしたら教えてください。
昔は三条実美あたりがやっていたって司馬さんは書いていましたが・・・・
昇爵じゃなくて陞爵だった。
あまり意味のない訂正ですが・・・
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 23:20:29 ID:ncgC4lPaO
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 23:26:45 ID:45T4t6up0
>>38 現代の受勲選考もそうだが、誰が決めているのかは秘密なのではないだろうか。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 19:40:56 ID:pwbN/pzy0
宗秩寮って謎なんですが・・・
なにしてるところなんだろう。
>>42 主に、華族に関する事務を管轄している宮内省の部局。
木戸侯が総裁だった頃、赤化華族問題が起こり
対応に苦慮している場面が、木戸日記にあったと思う。
なるほど。
やっぱりその部局の役人は華族が多かったんすかねえ
確か、歴代宗秩寮総裁は全員華族だった気がする。
有名な人では、木戸幸一侯爵、松平康昌侯爵、武者小路公共子爵などが就任していた。
一般の役人では、非華族もいたと思うけど、詳しくは分からない。
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 22:43:40 ID:KCYMVHepO
仙石政敬も?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 23:29:06 ID:aaV/7xNy0
華族政策の生き字引と言われたのが、酒巻芳雄氏。
宮内省の課長だかをずっとやっていた。著作多数。
読んでみんさい。
内大臣はそういうことにはタッチしないと思う。
所見を述べることぐらいはあっても、決定打ではない。
宗秩寮総裁の権限は大きい。
木戸幸一日記読むとよろし。
内大臣は内大臣府という役所の長であって、
宮内省とは別の独立した役所だから
宮内省の権限に属する問題にはあまり口出しできないと思う。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/02(金) 01:15:21 ID:tiRobhGd0
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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(⌒ヽ |)
( __ ( ∩∩ ) |
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竹石 圭佑
(1986〜 愛知県名古屋市)
在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。
中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。
相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。
愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。
※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/02(金) 22:23:30 ID:Phcs75Qv0
公家華族ってやっぱり近代以後もかつての身分関係に相当縛られていたのだろうか。
子爵の公家華族が公爵の公家華族に話しかけたりできるのかな。
あのね、たとえ平民上がりでも、用があれば相手が旧摂関家だろうが何だろうが話しかけることはできますよ。
どうして家格が下だからといって、口も利けないほど遠慮しなくてはならないの。
意識の中には何らかのものがあったとしても、行動を規制する規範があったわけではない。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/02(金) 23:59:01 ID:Uox6O9g6O
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/03(土) 04:35:35 ID:i6rc6lNZO
皇族と半家の結婚があったぐらいだからそんなことはないのでは?
でも子爵の公家華族と五摂家の結婚は聞いたことがない
子爵の大名華族と五摂家の結婚は腐るほどあるが
さすがに、皇族と新華族の結婚は基本的に無理だな。
例外的に、竹田宮恒久王第一王女 禮子女王が、佐野常光(伯爵家嗣子・新華族)に降嫁している。
佐野常光自身は、一条公爵家の出で佐野伯爵家の養子。
55 :
50:2006/06/03(土) 08:55:15 ID:VmGEXMCB0
>51
ありがとう。やっぱりそうですよね。
ただ近代以前では下級の公家なんかは上級の公家に近づくことも
できなかった(代理を通さないと)てなことを聞いたので
そういう慣習が続いているのかと思いました。
>53
大名華族や軍人華族なら、男爵や子爵でも公爵と親しくできても
同じコミュニティにあった公家同士なら
細かいところでもわりと上下の意識が厳しいのかもしれません。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/03(土) 22:25:03 ID:i6rc6lNZO
佐野常光は朝子妃の弟、直子妃の兄だったね。
この時代皇族と結婚した人は親戚も皇族と結婚している確率が高いね。
特に皇族と結婚した女性はその事が顕著で他に皇族と結婚した親戚がいない女性は山階芳麿夫人寿賀子しか思い浮かばない(男性は結構多いが)。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/03(土) 22:39:44 ID:UJnak5Ab0
>>51 そういうことではなくて、庶民だったら旧華族がどうとか言われても「へ〜そうなの」くらいの感覚だろうが、
家柄だとかを意識している旧華族自身は「半家より清華家のほうが上」みたいな意識を常に持ちつづけている中での付き合いをしているのか、
ということが気になる。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 22:52:12 ID:vRxsYuC/0
わたしも気になります。
例えば半家出身の子爵が清華家出身の公爵に
(それなりの節度は持ちつつも)「馴れ馴れしく」話しかけたりしたら
無礼だと思われたのじゃないだろうか。
逆なら失礼でもなんでもないと思われるような場合でも。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 19:28:30 ID:JjnEcDQl0
結婚云々は単純に子爵の公家華族は貧乏人が多かったということじゃないか?
大名華族は子爵でも裕福な家が多かったし、勲功華族は初代の地縁血縁で
役得も多かっただろうけど。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 20:21:51 ID:GdDNJ7rqO
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 01:31:52 ID:X0Kjpb9D0
学習院高等科に進んだあとはほとんどが帝大だったのですか?
帝大以外にどんなコースがあったのでしょう。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 03:28:57 ID:p/EBmetqO
久我美子の母と祖母の出身はどこの家なの?
>>61 確かに、帝大が多いけど早慶などの私立大学へ進む人もいた。
又、英国などに留学する人もいる
(留学できるのは、旧大藩藩主など財力の有る華族だけ)
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 19:32:17 ID:p/EBmetqO
侯爵夫人なのに商家の出身なんだ・・・
まあそれなりの家だろうけど
でも俺の中で久我美子の尊貴性が半減したのは間違いない
まあ、華族の体面を保つのもたいへんだったということだ。
久我さんのお祖父さんが芸能界入りを猛反対したんだって。
「家計を助ける為に」って女優になったけど、女優として売り出すのにお金がいって
逆に家宝を売ったりしたそうです。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 14:17:54 ID:8Pqm+7Xg0
爵位を継げるのって長男だけなんですよね?
次男以下は今後どうなっていくのですか?
分家して受爵したり他の華族の養子に入ればいいですが
そんなことができるのは割合的には少ないですよね。
長男が爵位を継いだ場合、次男以下の殆どは平民になってしまうのですか?
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 17:42:27 ID:e8SS6UuJO
>68
分家を認められなかった
次男以下も華族。ただ爵位がないから無爵華族と呼ばれる
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 19:11:37 ID:IRBJiB140
近衛秀麿(篤麿の次男)は分家して受爵(子爵)してるよね。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 19:54:45 ID:Frzomn14O
>>68 次男以下も華族なのだが、分家してしまうと平民となります。
分家しても受爵できたのは、功績のあった公卿・大名の子孫ぐらい。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/23(金) 23:01:58 ID:xGUbAdgV0
勲功華族とされる人々は家柄が良くないのに何故世襲したのですか?
外国ではナイトの爵位など一代限りですよね?
開設前の帝国議会上院(貴族院)の議席確保が目的だった。
議会開設後も貴族院は、華族議員が全体の半数を占めている。
勢力を伸張させていた政党(衆議院)を牽制するのが目的。
勢力を伸ばしていた政党(衆議院)を牽制する為。
最後の一行 消し忘れた・・
76 :
68:2006/06/24(土) 13:44:04 ID:hn+mP8Rn0
>>69 >>72 ありがとうございます。
次男以下が結婚すると、分家ということになるので、
平民と結婚した場合は、自動的に平民になってしまうわけですね。
次男以下も結婚するまでは、無爵華族、という解釈でよいわけですね。
秋篠宮妃殿下のご懐妊がたいへんめでたい慶事であるのは、もちろんのことです。
しかし、生まれてくる子供が男子であろうと女子であろうと、
皇室の危機が消えてなくなるわけではありません。
仮に男子ご誕生となったとしても、平成生まれの皇子がたったお一人では、
皇室の末永い安泰はおぼつかないでしょう。
ということですから、やはりどうしても、ここは六十年前までは宮様であらせられました家柄の方々に
皇室に帰ってきていただくよりほかに仕方がないと思います。
でも、実際のところ国民の誰も彼もがこの旧宮家のことはきれいに忘れてしまっているのが現実です。
そこでどうするべきか?やっぱり日本は国民主権の国なのですから、
国民のみなさんに旧宮家の方々のことをもっともっと知ってもらうのが一番でしょう。
そんなわけでわたくしの同志の一人が2ちゃんねるの極東板にそういう趣旨のスレを立てました。
みなさん、よろしくお願いいたします。
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1151109637/
秋篠宮妃殿下のご懐妊がたいへんめでたい慶事であるのは、もちろんのことです。
しかし、生まれてくる子供が男子であろうと女子であろうと、
皇室の危機が消えてなくなるわけではありません。
仮に男子ご誕生となったとしても、平成生まれの皇子がたったお一人では、
皇室の末永い安泰はおぼつかないでしょう。
ということですから、やはりどうしても、ここは六十年前までは宮様であらせられました家柄の方々に
皇室に帰ってきていただくよりほかに仕方がないと思います。
でも、実際のところ国民の誰も彼もがこの旧宮家のことはきれいに忘れてしまっているのが現実です。
そこでどうするべきか?やっぱり日本は国民主権の国なのですから、
国民のみなさんに旧宮家の方々のことをもっともっと知ってもらうのが一番でしょう。
そんなわけでわたくしの同志の一人が2ちゃんねるの極東板にそういう趣旨のスレを立てました。
みなさん、よろしくお願いいたします。
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1151109637/
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 21:25:39 ID:A+uZX2nz0
公家華族や大名華族や家老華族が自力で実業に成功した例ってありますか?
大河内正敏子爵(旧諸侯・大多喜藩)は、理研コンツェルンを経営。
新興財閥の躍進に乗じて、成功したといえる。
戦後、財閥解体。大河内子爵も公職追放。
なるほど。
帝都物語にも出てきた人ですね。
調べてみます。
ありがとうございました。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 16:46:59 ID:Z0R9spRb0
大河内正敏は長男なのに従姉の婿養子になった
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 00:51:29 ID:AEwD/JKyO
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:59:13 ID:rkCKIHQI0
>>73 一代限りにしたら華族制度を作った意味がない。
公候伯あたりを受爵した勲功者一覧も見てみ。
家柄華族の存在があるから、
誰のための制度であったか見失いがちだけど。
一代華族論を唱えた人もいるにはいたのだが。
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 22:08:43 ID:/MENMNvB0
乃木は養子相続を拒絶したし井上良馨は実子の相続を拒否したね。
どちらも結局存続してしまったから話しの種になるわけだがw
実際、華族一代論を実践した人として・・・
板垣退助(伯爵) 石黒忠悳(子爵) 北里柴三郎(男爵) 安川敬一郎(男爵) がいる。
他にもいたかも知れない。
>>84 勲功爵位の世襲については、
勲功があったのは本人だけだから
息子や孫に引き継ぐのはおかしいと思う。
国家に勲功のあった者に対しては、
男爵の下に一代限りの名誉爵位でも作ってやれば良かった。
伊藤や山県なんかはそれが相応しいと思う。
勲功華族で一代限りなら公爵と同格でも良いと思う。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 00:15:58 ID:UuSS51IpO
>86
乃木伯爵家に毛利から養子きたけど結局、除籍して断絶した。乃木自身、存続を望まず殉死したのに血筋に関係ない人間が来たから世間から猛反発くらって
>>88-89 イギリスなんかはそうだよね
ナイトの称号とかくれるけど絶対に自分たちの仲間とは認めない
>87
北里柴三郎は嫡男が心中騒動おこして、北里本人の爵位返上問題にすらなってる。
継がせたかったが継がせられなかったというのが本当かと。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 10:36:34 ID:wm+0vFpBO
爵位には「士爵」なんてのも検討された。旧武士専用
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 13:10:33 ID:dZa7pVFkO
今も華族が続いてたら………
>>94 それも良かったと思う。
エセセレブなんか引っ込んでろって。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 20:55:42 ID:AVWYVYyc0
華族≠貴族
設立当初は公卿や大名のための制度のはずが、
途中から庶民出身者に乗っ取られて、
全く価値の無い、いかがわしい制度と化してしまった。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:12:01 ID:qt5a6E0o0
公家を華族にするときに最低資産1万円以上くらいで足切りすれば良かったのに。
公家華族に限らずだけど金に困って悪事に手を染めたり、貧困の中で体面を保てなくなった家が結構あるよね。
そういう人を華族にするのは気の毒だから平民にしてやれば良かったのに。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:40:59 ID:gaGeJgp20
公家は勲○等とかでよかったんじゃね?わざわざ華族作らんでも・・・
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/10(月) 21:55:23 ID:Oufr9QuiO
板垣伯爵家は息子が退助の一代華族論にしたがって授爵手続きをせず平民に。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 01:14:29 ID:d+WWp+APO
「士爵」「農爵」「工爵」「商爵」
があっても良かったかもね。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 12:43:51 ID:QCHNv0K3O
没落したのは軍功華族が、一番多いんじゃね?明治、大正期は将官になれば男爵だしな。公家、大名みたいに歴史ないし実業家華族みたいに金ない、勲功華族みたく政界にコネないから 速攻、没落したそーな
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:21:29 ID:y2YulHgJ0
>>103 お公家さんたちは元々貧乏だから没落しようがない。
むしろ、対面を保つ必要も無くなったから暮らし向きは楽になったんじゃない?
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:26:19 ID:QCHNv0K3O
下手に位の高い公家は生活苦しい気も。伯爵、侯爵と上位華族になったはいいがやはり付き合いは欠かかせんだろうし。大名華族や財閥華族あたりから持参金たっぷりで嫁もらってたのかな
とはいえやはり落ちぶれたのは子爵あたりの公家華族でしょう。
元々貧乏だといっても近代と中世では色々な意味で惨めさが違います。
対面を保つ必要がなくなったというよりもむしろ貧乏のあまり
そんなことに構ってられなくなったという方が正しいかも。
上位の華族でも騙されたり慣れない事業に手を出して没落するのは
公家華族でも諸侯華族でも同じなのでしょうね。
公家華族令嬢の嫁ぎ先といえば成金親爺が定番ですな。
あれだぞ、公家系華族は爵位に応じて金もらってた。明治天皇の配慮だ。
昭和天皇も、戦後の華族廃止の時、公家華族のみ存続させたいと言っていた。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 12:21:37 ID:VHQ+miY7O
>98
目的は皇室の藩屏と
民権派からの防止壁だろ
一代限り勲位制度なら 勲章あるし
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 13:34:31 ID:ncdm8zZcO
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 22:16:37 ID:+eOLli2K0
>>110うん。1,2,3当たりを実質的に世襲させたり(位階でもいいが)。わざわざ身分制度が破壊されたのに逆行する事が
不自然。士族のように有名無実というのが一番良かったと思うけど。結局役に立たなかったじゃん。。。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 23:58:45 ID:VHQ+miY7O
>112
確かに「貴族」各爵位付き特典なしがよかったと思う ただ士族と違ってそんなに多くなかったし当時にそこまで求めるのは無理だろ
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 10:55:42 ID:CZEui39VO
世襲財産を登録して華族の当主でも勝手に処分できないようにして没落防ぐ制度あった。最低でも家屋敷は手放さずにすんだ
華族制度に矛盾があるのは当たり前じゃん。成立からしてハリボテなんだから。
そもそも本当に貴族だったのなら、国家のあらゆる所で指導的役割を果たしていたはず。
お手本とした西洋じゃそうですよ。
実際に貴族らしい働きをしたのは勲功華族ぐらいのもんだし、現在もいくばか影響力を残してるのはこの層。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 18:25:22 ID:3BR9bvLL0
>>115公家華族は昔も今も文化の継承がお仕事ですよ国を守るのは武家(軍人)のお仕事。
勲功華族がもう少し人数が多く頑張ってくれたらよかったのにね。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 18:59:57 ID:ARpvBijFO
武家(軍隊)
使い捨て“歩兵” 上層部は痛くも痒くもない。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:08:14 ID:dpvpoVCm0
文化の継承ということは公望公はさぞ琵琶が上手かったんでしょうなあw
林野庁職員やら普通のサラリーマンになった公家貴族も家業の継承に精勤されていたのでしょうね。
公家が今も文化の継承をしている?
ほとんどの公家衆は京都を離れて公家文化とは疎遠になった。
そもそも、家業を持つ公家は少数だし。
で、冷泉家の他に目立った活動をしてる家はあるの?
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 19:20:39 ID:3BR9bvLL0
>>118-119全てとはいえないと思うが今も皇居に御呼ばれして時々行事を行ってるじゃん。
>>120 最大限見積もって呼ばれてそうな家は20家ぐらいか。興味あるから家名教えてよ。
でもね、時々皇居に呼ばれて家業を披露しているぐらいのことで、
公家の仕事が文化の継承、なんて言えるべきものじゃないと思うよ。
小笠原流礼法家や東儀家、能楽の家などの方がよほど目に見える形で文化継承に力を入れてるし。
冷泉家は言わずもがなね。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 20:05:25 ID:3BR9bvLL0
>>121どうなんだろうな・・・表立ってやってるのはそうだろうが。。。党議さんも宮内庁時代は豊作を願って
演奏したりしてたらしいし。じゃあ宮内庁職員かな・・・
東儀家は楽家とのことだけど、華族さんでもあるの?
NO ただの下僕
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 22:10:03 ID:dzteCbY1O
>>123 もういらっしゃらないけど、園さんとかはそうじゃないかな?
それと子爵?近衛さんも宮内庁楽部にいらしたよ。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 23:57:03 ID:CZEui39VO
>116
大名の子孫で職業軍人になったのは前田、蜂須賀とかごく少数でお公家さんの方が割合多かったよ
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 08:52:51 ID:99EsTdJvO
旧五摂家の当代は皆元気?
近衛以外の旧摂家は天皇家とは近い関係?
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 09:23:55 ID:hlVcxcfjO
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 16:45:12 ID:PfK0r898O
鷹司家に昭和天皇の娘が嫁いでる。
今上天皇の祖母は九条家出身。
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 18:23:32 ID:AjobwN4H0
鷹司家は池沼を押し付けられて気の毒な結果に
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 19:12:22 ID:CsTQW/Wk0
>>127 蜂須賀の当主は政治家や鳥類学者で職業軍人ではない。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 19:31:42 ID:wAJmquePO
西園寺公望の曾孫あたりがどっかの省庁から侍従に
出向してたがもう古巣に
戻ってるだろーな
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 14:13:02 ID:9C6g50/p0
俺たち平民から言わせれば「無為徒食の社会のお荷物」でしかない。
新平民から言わせれば平民もクソ
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 21:26:54 ID:ApcQeISB0
>>132 現在オーストラリア大使館(港区三田)になっている場所は蜂須賀家の邸宅があったところ。
戦後、接収されて当時の当主は伊豆かどこかに隠居して、奥さんと息子さんとは別々に暮らした
そうですが、現在も蜂須賀家は存在するのでしょうか?
>>136 現在女性戸主。養子も迎えてないのでもうすぐ断絶。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 01:19:50 ID:eNwguUdf0
>>137 徳島市に家法を寄贈した人だよね?蜂須賀家千恵子さん?
子供がいるって書き込みを見たことあるけど。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 10:11:56 ID:Yhaae4+4O
でも蜂須賀家は徳川家斉の血筋ですから途絶えても
いいんじゃないですか
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 17:38:14 ID:URQDWxhBO
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 19:07:40 ID:FNsKcyPl0
蜂須賀家の家業が断絶してしまうとは惜しいな。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 09:33:04 ID:6/+yo1TG0
>>142 この人は後妻さんだね。
だから細川元首相、近衛赤十字社長から見れば継母。
青山繁晴:著「日本国民が決断する日」(扶桑社刊)に首相番をしていた、
共同通信記者時代の思い出が書いてあるのだけど、
300頁にシアトルで開かれた、APEC首脳会談でのクリントンと江沢民の様子が記されている。
ビル・クリントン、アメリカ合衆国大統領であり、冷戦終結後の世界に於いて、
世界で最も権力のある男である。
このクリントンが緊張しガチガチになっている。顔が青ざめ、手が震えている。
真面目な中学生が、校長先生の前に出たときのように、その身を小さくしてビビッているのである。
13億人の内の一人にまで上り詰めた、江沢民から発せられる威圧感、圧迫感に負け、
無様な醜態を晒していたわけだが、側で取材している筆者はこれは恥ではないと感じていた。
と言うのも、もっと情けない首脳を既に見ていたからだ。
北京の中南海にある迎賓館釣魚台。
ここで江沢民が到着するのを待っている、当時の日本国首相 竹下登 の手足が細かく震えだし、
止まらなくなっているのを、筆者は目撃している。13億と1億2千万。スケールが違いすぎるのである。
さて場面が変わって、クリントンのあとは、細川護煕が江沢民が会談することになった。
細川護煕、父の細川護貞は侯爵(総理大臣秘書官)。
祖父は近衛文麿(貴族院議員・議長、内閣総理大臣)であり、
清和源氏足利家の一門。肥後細川藩の直系当主にして、確実な系図で皇室とも繋がりのある名門中の名門である。
当時は日本国の首相だった。
この細川護煕、江沢民を前にしてビビらない。なごやかで普通に接している。
クリントンと違って萎縮しないから、江沢民を途惑わせ、かえって不審がられている。
「なんだこいつ?」江沢民の表情は筆者にはそのように読めた。
感じ入ったのは筆者だけでなく、アメリカの新聞は「泥の沼に舞い降りた一羽の白鳥」と細川首相を表現した。
筆者はココに総理大臣としての細川護煕の資質とは別個の、
2666年の伝統を誇るロイヤルの系図、血統に裏打ちされた、ある種の威力、底力を感じている様だった。
そしてこのように表現している。(皇室は)日本の、日本人の知恵だと。
クリントンはヒラリーにバレた浮気のことで震えてたんだろうなw
というか江沢民ほど威厳の備わらない一国の指導者もいないと思うのだが。
いしいひさいちが床屋のマスターって表現していたが言い得て妙。
威厳という点では宮沢喜一の方が江沢民より下だろ。
宮沢ほど風采の上がらない首相は日本でも稀。
宮沢喜一の頭脳が小泉純一郎に装備されてれば最強総理だっただろうな。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 19:05:41 ID:3ehC3eVv0
小泉はいつもセンスのいいスーツ着てるよな
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 02:03:53 ID:u2nZbSy2O
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 03:21:18 ID:u2nZbSy2O
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 07:20:00 ID:1i7A1teq0
家元はどうして華族になれなかったのでしょうか?
所詮芸人だし。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 16:34:20 ID:mX2nneuz0
でも、裏千家には江戸後期に譜代大名の大給松平家から養子が入ってたはず。
戦前基準だったら誰が勲功家族に叙爵・陞爵していたでしょう?
首相はだいたい男爵確実?子爵や伯爵は出たでしょうか?
戦前でも総理大臣経験者だからと言って、華族になれる訳ではない。
(原敬の様に意図的に華族にならなかった人もいるが・・)
取敢えず、戦後歴代総理で、華族になれる可能性のある人は・・
@吉田茂(桑港講和条約)→伯爵
A岸信介(日米安保条約)→男爵
B佐藤栄作(沖縄返還)→男爵
C田中角栄(日中平和条約)→男爵
D中曽根康弘(現に大勲位だし・・・)→男爵
尤も、角栄はロッキードの絡みで無理かもしれないが・・・
角栄はロッキードで爵位剥奪。
外交関係ではどうですか?
椎名悦三郎とか愛知癸一とか・・・
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 18:09:38 ID:mX2nneuz0
陸奥宗光が伯爵、小村寿太郎が侯爵、桂太郎が公爵なのだから、
@吉田茂→公爵
A岸信介→伯爵
B佐藤栄作→公爵
C田中角栄→平民
D中曽根康弘→伯爵
ほか、鳩山一郎→男爵、池田勇人→男爵、小泉純一郎→男爵
>>158 少しインフレ過ぎなような気がします。
幣原は男爵でしたっけ?
吉田は子爵か伯爵ぐらい貰えそうです。
重光や池田の名前が出ませんね。
戦前は、沢山の外交官・外交官出身の政治家が華族に列しているんだが・・
(小村寿太郎・陸奥宗光・林董・珍田捨己・栗野慎一郎・林権助・石井菊次郎・幣原喜重郎 などなど)
小泉はもらえるだろうな。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 01:20:49 ID:WYb2hcP1O
>151
明治維新でパトロン大名失ってツテで政治家に茶道復旧を働き掛けたら
「そんな隠居爺ぃの道楽」と当時の裏千家の当主が言われたそうな
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 10:25:28 ID:aSdrqnRa0
少し話題から逸れますが、お伺いしたいことが御座居ます。
北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と結婚した
という話を耳にしたことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
また「結婚した」とすれば、宗教上の問題は無かったのでしょうか。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。
ある情報では、北白川宮能久親王が独逸留学中に「結婚」したのは、
「ブロッケンシュタイン公爵の令嬢」との由ですけれど、
当主のブロッケンシュタイン公爵は何という名前で、
また、その令嬢は何という名前だったのでございましょうか?
御面倒ではありましょうが、何卒お教え下さいますよう願い上げます。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 22:57:16 ID:MMGOuL8q0
>>144 祖父の近衛文麿公爵も、昭和天皇と対面してリラックス出来る唯一の日本人だったらしい。
昭和天皇と謁見した人の椅子の背もたれは、みんな緊張のため冷たいままだったが、
近衛はゆったりと腰掛けて座ったから、去った後はいつも暖かかったというエピソードがある。
>>162 幕末は抹茶の茶道は人気もなかったからね
幕末志士といわれる人には文人気取りの出来る煎茶道の方が人気があった
参考文献は何年か前のNHK人間大学のテキスト
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 01:41:55 ID:KP5IfPqsO
>153
各千家は相互に養子のやりとりしてたけど大名から?
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 08:55:02 ID:I1Ve47w0O
勲功なら大勲位で見ても吉田と佐藤がツートップで伯爵でしょう。
次いで中曽根とか橋龍が子爵。
以下が男爵でノーベル賞なんかもここ?
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 10:24:49 ID:FfvyC4QP0
おまえたちケチだなw
吉田の功績は明治国家での伊藤、山県にも匹敵するだろう。
大勲位、国葬なんだから公爵がふさわしい。
佐藤も政治家で初のノーベル賞だし、小笠原・沖縄の復帰をなしとげてるし、
戦後最長の在任期間ということも考えれば公爵か侯爵でよい。
桂太郎や小村寿太郎に比べて劣るってことはないだろう。
大東亜戦争に勝利していたら、東條・嶋繁も伯爵ぐらいになってたかも。
山本五十六も戦死しなければ、伯爵かな?(東郷も日本海海戦後、伯爵になってる)
杉山・畑・山下など将軍連(大将)も男爵だろう。
>>168 そうですね。
そのあたりの政治家が受爵する姿は何となく頭に浮かぶのですが
竹下あたりからは全然想像できません。中曽根でもギリギリです。
功績もあるのでしょうが、なにより風格において劣るように思えます。
でも村山富市には雰囲気的に伯爵を差し上げたい。もらいそうだし(笑)
>>169 それはよくいわれていますね。
軍人には戦争で勲功をあげる以外に受爵、陞爵の機会がない。
従って戦争後には必ず爵位の大盤振る舞いがあるということです。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 05:04:41 ID:kain5jMB0
>>137 >>138 正子さんは、昨年か一昨年うち(徳島)の県に寄贈していました。
蜂須賀といってもどの他の大名と同じで「蜂須賀山城家」とか
分家がある。
蜂須賀家には富田藩以外に分家があってこっちの方が本当の
嫡流なんだそうな。家斉の息子斉裕が入ったとき、正勝の甲
冑などは斉裕には渡らずに、分家に渡されたそうな。
今ある正勝の「朱漆塗萌葱糸素懸威胴丸」は、この分家の蜂
須賀弘行さんが現在も所有している。
財部彪は惜しかったなあ。
統帥権干犯論争がなければ男爵は確実だったのに。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 17:55:44 ID:PIOuJR++0
北白川宮能久親王が独逸留学中にドイツ貴族の息女と「結婚した」
という話を、竹田宮の孫息子が書いた本で読んだことがあります。
この相手の女性は何という名前の何家出身の人物だったのでしょうか。
おそらくは正式の婚姻関係ではなくして、内縁的なる愛情関係でしか
無かったかと思われますが、その後二人は無理やり別れさせられたと
いう風に記されていたと記憶致して居ります。
このあたりの経緯に就いて詳しい方々の御教示を願い上げます。
宜しく。
そう言えば1910年の日韓併合と同時に朝鮮王朝(大韓帝国)の両班80家も華族の身分となったとのことですが=李王家は王公爵(皇族と同格の身分)とのこと
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 00:38:45 ID:zhKGcu0y0
>>175 ちがうよ。
両班80家ぜんぶが授爵したわけじゃなく、明治43年の
「朝鮮貴族令」で”朝鮮版華族”に列せられたのは60家弱。
貴族院廃止までに貴族院議員へ勅撰されたのは3名だけだし。
李王家、李公家は公爵ではなく、「朝鮮王公家軌範」に則り
身位が保持され、礼遇上は皇族と同等で「殿下」の称号も
受けたよ。学習院での修学や男子王公族の軍籍義務も同じ。
ただ、李王職が管理する李王家の財産は敗戦まで莫大で、
やっかみ(&朝鮮人ということで)、距離を置く皇族がいた
のも事実。
>168
伊藤や山縣が公爵になったけど、それは明治維新での功績で伯爵になって
その後に戦争やら総理大臣やったりで功績を積んでとう爵したんだ。
吉田、佐藤は子爵か男爵程度かとおもわれる。総理大臣になったからって
授爵されるわけでもないし、ノーベル賞とか+αの功績でやっと男爵か子爵
ってかんじだとおもうぞ。
とう爵 ってなんですか?
陞爵の間違いじゃない?
でも確かにそれも一理あるな。
首相になる前に平民だった人が首相時代の功績でいきなり公爵ってのも考えづらい。
吉田佐藤の出自は知らないが。
ただし吉田や佐藤でも子爵どまりということは
家柄華族を除いては伯爵以上の人間が出ないということになるから
バランスを保つためになんらかの措置があるような気もする。
華族制度が生き残ってるってことは大戦に勝利しているということだから
その時点で吉田が子爵あたりを受爵していてもおかしくないですが・・・
>華族制度が生き残ってるってことは大戦に勝利しているということだから
これはどうかな?
華族制度を廃止したのは日本人。
もう少し国民の良い指標になるよう身を慎んでいたら制度だけは生き残ったかもね。
まあ経済教育特権はなくなって称号のみにはなってただろうけど。
それにどちらにせよ財産税でほとんどの華族が没落したのは確実だけど。
>177
陞爵=しょうしゃくですね。
むずかしめだけど覚えておくといいとおもう。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:03:23 ID:ZV5t4A5EO
だから伯爵だと
>>176 >明治43年の
「朝鮮貴族令」で”朝鮮版華族”に列せられたのは60家弱。
素朴な疑問。
この60家の子孫はなにをやっているのだろう
また、なんという苗字なのだろう
多くは没落して消滅したに違いないが
ググッてもわからなかった orz
>>185 こせいさんのお姑さんなのかと思った・・・。
こせいさんも福永さんだっけ?
泰子さんの夫君は正造らしい。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 19:49:59 ID:YKdPzhzq0
須磨で老後を過ごしてらっしゃったのね。
>>184 >>176の書いてるのは正確じゃないと思うんだが・・・
朝鮮貴族令で叙爵されたのは76家、そのうち男爵9名が叙爵を拒否。
だから全部で67家のはず。
何をやってるかは人それぞれ、日本と同じ。
もともと富裕層だった人はうまくやって今も金持ちだろうし、没落したのも多数。
姓も色々、見た感じ李が多めだね。当然だけど。
韓国が李完用の子孫から財産を取り上げるなんて言ってるということは
子孫は取り上げられるだけの資産を維持してるということでしょうね。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 00:01:18 ID:Nued9qnw0
正親町三条家の当主は今はだれぢゃ?
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 08:54:53 ID:mjDNLZW90
平民風情が大半を占める今の皇室など
最早や存在価値なしぢゃ!!!!!!
皇族と摂家の血統たる当家の方が遙かに高貴であるぞ!!
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/16(土) 10:30:04 ID:42hpsurT0
190 嵯峨実允という町田学園幼稚園園長さん。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:12:09 ID:8uDuz3fC0
旧華族の有名人
小倉久寛
仲本工事
ごあきうえ
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 01:15:53 ID:txtXBRc80
>>193 思わずナツカシスww
「ごあきうえ」は「華族を辞退した広島新田藩浅野家」の子孫だから厳密に言うと旧華族ではないが…
旧華族の有名人
細川護熙(元総理大臣)
平沼赳夫(衆議院議員・元経済産業大臣)
亀井久興(衆議院議員・国民新党幹事長)
田英夫 (参議院議員)
平沼赳夫って平沼騏一郎の孫かなんかですか?
あと前原誠司って前原一誠となんか関係あるのでしょうか。
>>196 少しは目の前にある箱か携帯で「検索」をする習慣を付けましょう。
平沼氏はすぐ出てくるはず。
元民主党党首・前原誠司氏ですが前原一成とは一切関係ありません。
雰囲気的に前原誠司って前原一誠っぽいけど違うんだね
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 03:17:02 ID:QkkSXHTM0
丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」
〜第63回〜
《2006年9月〜》
http://www.tamba.ne.jp/ma.html 前にも話したが、祖父は東大名誉教授で、数々の特効薬を開発し、世界を股にかけて儲けたうえ、
薬事法をつくって勲章(正三位勲一等瑞宝章)をもらい、男爵にまでなった人物だよ。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 10:52:17 ID:pUiXAN0kO
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 13:28:43 ID:QkkSXHTM0
丹波の母方祖父は秦佐八郎
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/01(日) 14:48:51 ID:eCL7Zr4r0
此のスレは地下の者ども許りが
打ち揃うて居る身分低き徒輩の板なのかゑ?
若御台
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/13(金) 18:18:41 ID:T886LPPh0
華族制度を復活させよう!!!
愛子なんてくたばればいいのに
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/18(水) 20:43:12 ID:aouuFpMw0
醍醐聡東大教授って醍醐侯爵家の縁者なのかなあ?
>>205 華族制度になりゃおまえは最下層(^竸)じゃ
男爵?
醍醐姓はいっぱいいるから
醍醐聡
NHK受信料支払い停止運動の会共同代表
歴史が断絶してるから華族制度の復活は不可能だな
1950年代くらいならまだなんとかなったろうが
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 00:01:33 ID:JtVkK6tD0
欧州のほうだと制度としては廃止されていても本人たちは堂々と「ナントカ家何代目当主」とか名乗ってるよね
日本ではなぜか目立たぬように内輪だけでやってるけどもったいないような気がする
自分の国を誇りに思うという教育が無い
必然的に自分の家もご先祖も誇れない
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/10(金) 07:54:45 ID:zWU24Koj0
>>196 平沼赳夫は平沼騏一郎の養子
妻が徳川慶喜の孫の娘
>>216 社会が無教育だろうが自分だけは先祖や国を誇りに思えばいいと思う。
愚者の中に身を置いているという感覚は確かに溜め息も出るが
快い優越感も得られるものだよ。
元男爵家ですが何か?
武田氏の末裔とだけ言っておきましょう。
武田氏の末裔でも男爵なのか。
武田家って藩としては江戸期は存在しなかったの?
武田信玄の嫡流は絶えているが、庶流が徳川家旗本として存続していた。
華族には列していないが、大正時代に信玄に従三位が追贈された。
頼朝の末裔が公爵に叙されてるような話しってことか?
それはないw
225 :
名無しさん@お腹いっぱい:2006/11/14(火) 20:41:39 ID:JpeGPBYA0
当家の先祖は、弥生時代の九州の豪族である。
当家の苗字は、日本で最も古い苗字の一つである。
華族と呼ばれる者の大部分は、素性の知れぬ成り上がり者にすぎぬ。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 20:53:06 ID:4TNofoLrO
予備校時代の友人に旧侯爵家の人がいたが、公団暮らしだった。でも、両親をおもうさん、おたたさんと呼んでいた。ちなみに熱燗はお鍋というらしい。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 00:42:38 ID:ZoUlIGVDO
少尉も華族だよ
>226
公家華族かな?
昔の清華家とか
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:26:52 ID:1Qhyk8X2O
華族は「家憲を定める特権」が認められていましたが、華族令で定め得る「家憲」とは、どんなものだったのでしょうか?
ネットで調べても実際の家憲って見つからないし、いい文献はありませんかね?
>家憲を定めうる特権
>有爵者は、法律、命令および華族に関する規程の範囲内において、宮内大臣の認可を経て家憲を定めることができた。
>この家憲は一般のものとは異なり、法的拘束力を有し、裁判所もこれをもとに裁判しなければならない性質のものである。
これか
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 21:56:48 ID:tBpTnECn0
華族で一番多いのは松平?
越前系だけで5家、御三家連枝が6家、その他いっぱいいそう。
徳川は宗家、御三家、御三卿、慶喜家、松戸家くらいかな。
>216
教育の問題じゃないよ。
身近に自分の出自を誇るようなやつがいたら普通にイタイだろ。
そういうことを許さない社会、あるいは国民性なのさ。
233 :
栴檀公主 ◆MDuA7Bsu5M :2006/11/25(土) 14:31:48 ID:dxRuuFps0
>>216 人にもよろうが、旧大名家レベルの家になると話が違う。
旧大名家当主の手になる文章を読む機会があったのだが、
旧藩主家としての強い自負心と、
旧領地に対する保護者然とした姿勢が印象的であった。
昔の話ではなく、つい最近書かれたものなのである。
最後の琉球国王だった尚泰王は侯爵なのに、
なぜその子の尚順は男爵だったのでしょうか?
236 :
234:2006/11/27(月) 00:02:18 ID:LpUC1ILJ0
>>235 さんくす。そういうシステムだったのかー
大名や公家(五摂家や清華家)の次男や三男は、
分家して子爵か男爵を授かる事があります。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 11:06:45 ID:RQfZhIv50
岩倉の子孫なんかすごいお手盛りだよな。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 15:03:13 ID:iyu5UNHs0
落ちぶれて、爵位を返上した家もあったよな。
紀州徳川家なんかはその口じゃねえの?
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 15:10:52 ID:wHhHHL1V0
清水徳川家は一度返上したね。
飛行機に乗った功績でまた爵位もらったけど。
華族の体裁・体面を維持できない、という理由で爵位を返上する
家はかなり有ったようですね。
某男爵などは、経済的困窮により、詐欺事件をおこしたりしています。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:05:07 ID:oUssyChXO
華麗なる家族 キムタクのドラマ
日露戦争の将軍たちは軒並み華族になってるのに、
軍医としても文化人としても頂点をきわめた
森鴎外がなれなかったのは、脚気問題のせいなのでしょうか?
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 20:35:19 ID:/umOFJEL0
家族で官僚や政治家として使える奴ってどれだけ居たの?
>>245 帝大や陸・海軍大学を卒業した人達だよ。
近衛公・木戸侯・寺内寿一伯は使える部類ではない様に思うが・・・
248 :
栴檀公主 ◆MDuA7Bsu5M :2006/11/28(火) 22:25:37 ID:M1f9PWDf0
>>243>>244 脚気問題はたしかに鴎外の評価に影響したであろうが、
授爵内規が変更されたということも考えられる。
鴎外以降、陸軍軍医総監在任中に授爵された者がいれば話は別だが、
知る限りでは一人もおらぬ。
そもそも、日露戦争の軍功により男爵となった家系の多くは、
華族の体面を維持できずに爵位を返上した。
主な収入源が、軍人としての俸給であったのだから当然のことである。
>>247 昭和天皇の側近は官僚・政治家とは別物。
>>248 日露戦争に従軍した陸軍軍医の中で、爵位をもらえたのは
軍医総監(中将級)の小池正直(男爵)だけだね。
鴎外はワンランク下の軍医部長(少将級)で、軍医総監に
なったのは終戦後だから、キャリアが見劣りするのは
仕方がない。
同じ経歴の藤田嗣章もだめだったので、森鴎外が華族に
なれなかったのは結局順当なことだったのかもしれない。
本人は悲憤慷慨していたというけど・・・
やっぱ脚気でしょ。
DQN少将伊地知幸介でも男爵になれたのにな>日露戦争
軍人のくせに小説など書きおってとも思われていただろうし。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 09:26:14 ID:ru6dYcIjO
使えた既成家族は近衛親子、西園寺、鍋島、蜂須賀、木戸ぐらい?
徳川宗家親子は貴族院議長
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 19:46:01 ID:5vCFgRj50
皇室の藩屏というのが華族の存在意義なのに、結果として皇室のためにも国のためにも
ほとんど役に立たなかったというのが呆れる。
身を捨てて国を救ったといえるのは鈴木貫太郎男爵ぐらい。
醍醐忠重侯爵は立派だったと思うよ。
あれが皇室の藩屏となっていたかは疑問だけど。
まあ華族が軍人になることは理想論としては推奨されてたわけで
立派に華族の務めを果たしたと言っていいと思う。
ふと思ったんだけど、公爵・侯爵って書面だと区別は付くが
口頭の場合はどう区別つけていたのだろうか。
どちらも「こうしゃく」だし。
それとも名字とセットで覚えていたのかな。だとしたら結構記憶力がいるな。
後者は「そうろうこうしゃく」という呼び方があったらしい。
>>258 ハム公爵、そうろう侯爵という呼び方をしていたらしい。
違う「音」の名称を考えればよかったのにな。
三条実美は政治的に無能だからw
四条大橋で新撰組と斬り合った片岡源馬って後に男爵になったのか・・・
勤皇の志士って生き残りさえすれば栄達は思うがままという感じだね。
それに比べて新撰組は西南戦争で大活躍した斉藤一ですら警視庁警部がやっとだ。
負け組はつらい。
>>262 幕府軍(桑名藩)出身ながら、陸軍大将・男爵となった立見尚文がいます。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 15:58:48 ID:cCoNVug0O
柴五郎、林権助。
立見尚文は日露戦争でも大活躍してるね
戦前は東北あたりでは軍神扱いだったらしい
北越戦争の時には山県有朋もかなり痛い目に会わされたらしくて
維新後も立見と顔を会わせるのを嫌がったらしい
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 20:56:09 ID:cCoNVug0O
それでも瓢箪が助かってよかった。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 21:34:34 ID:P8SbCExHO
戊辰戦争
立見は伯爵ぐらいもらってもおかしくない人物。
藩閥政治は本当にろくでもない。
立見本人がそういう事に関心が無いというのが多少は救いではあるが
秋山好古も藩閥のせいで爵位をもらえなかったのでしょうか?
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 18:24:10 ID:Z/0xIWmz0
日露戦争時に大佐だから資格がない。
たいした功績もあげていないしな。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/05(火) 19:55:45 ID:HWakAMNz0
>>1 華族は全部で1018家から1024家じゃなかった。
正確な数字は学者でもわからないくらいだって話だけど
華族が増えすぎたせいなのか、昭和期の軍人・政治家に対する授爵はほとんどないね。
松井石根あたりは、「仮にも敵国の首都を陥としたのに、爵位もなしかよっ」とか思ってただろう。
軍人勲功の叙爵は戦争が片付いてからが当然だし
日清、日露の時もそうだったはず。
まあ叙爵しなくて良かったじゃないw
満州事変後、荒木貞夫・本庄繁・大角岑生の三大将が男爵に叙されています。
湯浅倉平内府や原嘉道枢相なども男爵になってます。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 21:14:11 ID:rHkazwleO
前田利為について語り給え。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 22:29:51 ID:hwinCPYxO
最初の妻はなみ子
二番目の妻は菊子
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:29:11 ID:cZOV8cn30
荒木なんかに爵位をあたえるからツジーンやムッチーが我も我もと・・・
大東亜戦争に勝利していたら、
牟田口・辻・富永みたいな輩も華族になったかもしれないな・・・
寺内も、侯爵に陞爵か・・・
ちなみに今日は、大詔奉戴日
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 17:35:03 ID:uMjnUwav0
>>280 鉄板で授爵されてたでしょうね>牟田口・辻・富永
インパール作戦やノモンハン事件が万に一つツボにはまっていたら、
華族どころか、牟田口はインド総督、辻はモンゴル総督を経て、
ゆくゆくは当地に王朝を開いていたかもしれん。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 19:39:25 ID:mOrSOElk0
>>281 大東亜戦争は、アジアを欧米列強の植民地支配から解放することを目的としていました。
あなたが仰るような時代錯誤の茶番劇が生じる余地は、どこにもありません。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 19:48:52 ID:MLlBT06mO
>>281 牟田口朝インドか・・・
「短い治世の間にも野球拳、女体盛りを始めとする高度な芸者遊び文化が花開いた」
とか教科書に書かれるのか。
牟田口・辻・富永が叙爵されるくらいなら戦争に負けてよかったと素直に思えるw
東條は侯爵ぐらいになってたろうし、他にも黒島亀一、花谷正などなど。
まさに鬼畜の帝国。
大東亜戦争時、有名な華族の将軍・提督は、
前田利為侯爵(陸軍大将)
醍醐忠重侯爵(海軍中将)
小松輝久侯爵(海軍中将)
寺内寿一伯爵(元帥陸軍大将)
町尻量基子爵(陸軍中将)
小笠原長生子爵(海軍中将)
徳川好敏男爵(陸軍中将)
荒木貞夫男爵(陸軍大将)
伊集院松治男爵(海軍中将)
大角岑生男爵(海軍大将)
鮫島具重男爵(海軍中将)
富岡定俊男爵(海軍中将)
西竹一男爵(陸軍大佐)
本庄繁男爵(陸軍大将)
山縣有光男爵(陸軍大佐)
思い出せるだけ書いてみた。
↑追加
加藤隆義子爵(海軍大将)
偉大なバロン西を佐官どまりにした挙句に硫黄島に送り込むのが東條イズム
皇族軍人と華族軍人は違うから。
軍の中では華族は平民と同じだよ。
安全面や昇進面に関して、特段の恩恵を受けた形跡は無い。
まあ実質的に馬鹿でも将校になれるというのが最大の恩恵だねw
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 08:00:34 ID:G6BiN2hFO
有爵から将官になった軍人と将官から受爵した軍人、どれだけ居た?
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 09:25:37 ID:4hCOceDwO
>>291 有爵から将官は前田利為、醍醐忠重とかいるな。
将官から有爵はたくさんいる。
世界史板でフランコ総統は爵位をもらえましたか?と聞いたらスルーされた!
クーデターを起こして独裁者になるのは結構なことだが、勢いあまって王制打倒までやってしまうと、
今度は自分に爵位をくれる人がいなくなってしまうという両刃の剣なのか・・・
>>293 ところがどっこい(これは世界史板でいうべきだが)フランコ総統下のスペインは
いわば「国王なき王国」だったわけでどういう理屈かフランコは縁者に爵位を授けている。
ちなみに王制を倒したのはフランコではなく第二共和制で…てかお互い完全にスレ違いだな。
295 :
293:2006/12/15(金) 21:02:14 ID:PJ+0UQt30
>>294 スレ違いというのは同意だけどさんくす!
自分は平民のくせに人様に授爵してたのか。
面白い人だなあ>フランコ
>>290 華族の軍人は、だいたい尉官・佐官で予備役・退役するケースが多いようです。
後は、貴族院議員になる人もいます。
むしろ、将官まで軍に在籍する方が稀だったようです。
欧州だと、世襲貴族は必ず領地を持っているので、生活に困ることはないけど、
日本の華族は国からの年金が頼りなので、生活は大変だったろうね。
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 23:53:36 ID:ZyxgbmD10
古い写真の写真集見てたら、すごい美少女姉妹がいた。
ふりふりのドレスを着ていたし、かなり上流階級だと思う。
だけど、説明文には
「小山喜勢子・佐和子姉妹 中村家アルバムより 明治42年」
とあるのみです。その写真で、姉のほうが7歳くらいな感じで、妹は5歳くらい??
華族かどうかさえ分からないのですが、詳細お分かりの方いましたらお願いします…。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 19:13:33 ID:UyLVW2jF0
>>295 平民というより、貴族とか平民とかいう身分を超越した「総統」だからな。
ホルティ提督同様、「王なき王国」の摂政みたいなもんだし。
現代でもスペインでは功績のあった人物への授爵は行なわれている。
民主化当時の首相は公爵や侯爵、元IOC会長のサラマンチは侯爵になった。
アドミラル山本大元帥は無爵?
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 17:41:19 ID:Ya9F1hX60
無爵。
普通、軍人の授爵は戦争が終わったあとの論功行賞として行われるから、
太平洋戦争中の指揮官で戦功を理由に授爵した人はいない。
アドミラル山本大将は伯爵だけどw
>>302 いいよなぁ、薩摩ってだけで、ちょっと頭よかった位だろ?おいしいよな、官軍は。
そりゃ木戸や西郷はすげーけど
>>303 抜群の切れ者はたいてい非業の最期を遂げて華族どころじゃないというのも切ない。
薩摩は比較的犠牲者が少ないが肝心要の西郷と大久保が・・・
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:06:28 ID:Ya9F1hX60
山本元帥は五十六なので無爵
山本大将は権兵衛なので伯爵
勲功華族さんは仲間はずれで結構肩身狭かったようですよ
内情はボロボロで華族とは名ばかりの公卿華族さんも大勢いらしたし
まあ現実はどうあれ、権威付けに弱い日本人は
平成の世になってもこれから先の代もずっと華族の末裔と言われるんだから
やっぱりもらったもん勝ちかも
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 10:29:37 ID:5ce2eD6r0
勲功華族なんてお父ちゃんが偉かっただしね。
伊地知みたいに本人すら全然偉くなかった奴までいるし。
勲功華族の二代目で父をしのぐ偉業をなした人って西竹一ぐらい?
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 11:58:54 ID:rK9fhPhM0
吉井友実→吉井勇なら、勇の方が有名だろう。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:43:14 ID:zEQUJNBZ0
吉井勇は爵位は継いでないのでは?
310 :
307:2007/01/08(月) 16:39:44 ID:5ce2eD6r0
>>308 さんくすです。ゴンドラの唄の人が華族とは知らなかった・・・
樺山資紀→白州正子というのを思いついたけど、どっちが偉いのだろう。
家督の相続までやってるケースだと、渋沢栄一→渋沢敬三というのがあるけど、
これはやっぱりお爺ちゃんの勝ちか・・・
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 17:33:08 ID:mpwqf2XH0
海軍は、山本大将について、叙爵と位階と勲位と軍功(功一級)と元帥を申請したけど、
授爵だけ不可だった。爵位と位階と勲位は宮内省か?
そこで、こんな質問見つけました。↓
位階と勲位はどう違う? 従二位とか勲一等とか。
さらに教えてください。
勲位は廃止になった。功績に上下をつけるのはおかしいから?では、位階はおかしくないの?
政府はどういう理屈を使ったのでしょうか。
271 :世界@名無史さん :2006/11/25(土) 20:49:15 0
思いっきり板違いです。日本史板へいきましょう。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:06:56 ID:T94pSAac0
位階は死なないともらえないからあんまりやかましく言わないんじゃない?
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 21:47:31 ID:Gs59MS4O0
フランコ総統のwikipedia見たけどサッカーチームにレアルを乱発したのもこいつか!
サッカー好きの王室だなあと思っていたが全然違うのか。
義太夫唄いに摂津大掾とか山城少掾を授けた我が帝室の方がずっと筋が通ってるな。
>>248 遅レスもいいとこだけど、森鴎外がもらえなかったのは明白に脚気問題だろ。
脚気論争の相手で、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛が男爵に叙せられたことを考えれば
ペナルティを課せられたと考えるのが自然でしょ。
ただ、森鴎外もセコい男で、外国人にはバレないと踏んで
ドイツの友人に宛てた手紙には「バロン」と署名しているそうな。
>>311 勲位って、そのまま宮中における席次になるんじゃなかったっけ。
山本五十六は朝敵・長岡藩の出だから、戦争勝ってたとしても受爵は無かったわな。
んなこたーない
つ 山川浩(会津藩出身)
>>314 軍医総監になっても叙爵されなかった人物はいくらでもいるので、
鴎外が脚気問題のせいで選外になったと言い切るのは無理だと思う。
むしろ軍医総監程度の職では、そもそも爵位をもらうには役不足で、
高木兼寛(脚気予防)や小池正直(日露戦争勝利)といったプラスアルファが
あってはじめて対象になると考えるべき。
鴎外には確かに文学者としての実績というプラスアルファがあったが、
脚気問題での悪評や、華族の娘との離婚、弱小藩の出身といったマイナス面が、
それを打ち消すほどに大きかったのか、それとも文学なんて最初から論功行賞の
対象外だったのか・・・
あと,鴎外は帝室博物館の総長をやったりとか、
元号策定にかかわったりとか、そういう業績もあるが、
すこし足りないんだなぁ。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/19(金) 21:13:00 ID:16UeYFgt0
盟友・青山胤通はちゃっかり叙爵されてるしな。
樋口一葉が危篤に陥ったとき、彼女の才能を惜しんだ鴎外が、
青山に治療を頼んだもののもはや手遅れだった、という話は
美談のように言う人もいるけど、実際のところ、こんなヤブ医者コンビの手に
かからなかったら、一葉さんはもうちょっと長生きしてたんじゃないかな。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 21:11:33 ID:oSADtp690
新渡戸稲造が爵位をもらってないのはなぜ?
北里柴三郎は男爵になったのに、野口英世は華族になれなかった。
長岡半太郎や本多光太郎などの化学者も華族にはなれなかった。
学者を華族にする基準が曖昧だな。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 23:04:06 ID:nU1gvY+q0
最後に爵位を受けた人は誰でしょうか?
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 23:06:13 ID:nU1gvY+q0
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/21(日) 17:27:02 ID:jahY2BhA0
>>322 勲功華族という制度は、帝国政府のインサイダーとして働いた軍人、政治家、官僚、
そして彼らに資金を提供した財界人のためにあるもので、権力もカネもない学者・文化人は
最初から相手にされていないのが実情。
そういうわけで学者では山極勝三郎、鈴木梅太郎、牧野富三郎など、文化人では夏目漱石や
横山大観など、希代の天才たちがカスりもしない冷遇を受けている。
青山胤通も医学者としてではなく、天皇の侍医としての叙爵だろうし、こうして考えてみると
北里柴三郎の男爵というのは何とも異例・破格の大盤振る舞いといえる。
おそらく、伝染病の撲滅という彼の業績が、富国強兵の国策を遂行する上で、結果的に格別の
貢献となったという点が評価されたのだろう。
つうか、閣下と呼ばれるのは華族?吉田茂も閣下と呼ばれてたけど、華族なの?
>>327 閣下は勅任官以上の者に対する尊称。
吉田は総理大臣、つまり親任官なので閣下と呼ばれる。
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/22(月) 21:20:26 ID:SPYaiZxI0
>>328 そうですか、ありがとです。
確か、吉田が近衛低に新年参りで尋ねた事を理由に軍部に拘束されてしまう際、憲兵隊長が「閣下、ご足労願います」と言っていたもので。
華族では無いんですね。イギリス大使でしたもんね、吉田は。
祖父が陸軍獣医中佐だったそうなんですが、大佐待遇だったと言ってます。
家系が勲功家族の子爵家だったのですが、華族制度がそんぞくしてたらどうなってたんでしょうか?
存続してても勲功さんは別ですからと大名公家華族から差別されていただけでは
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 20:34:38 ID:/MvGFhFbO
戦死した華族のリストない?
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 21:15:29 ID:/MvGFhFbO
前田利為、西竹一、音羽正彦、
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/21(水) 21:29:20 ID:B5b0kcNH0
日露戦争
南部利祥(伯爵 陸軍騎兵中尉 近衛騎兵連隊)
本多忠晃(子爵 陸軍歩兵中尉 近衛歩兵第二連隊)
河田景延(子爵 陸軍歩兵大尉 近衛歩兵第二連隊)
仁礼景信(子爵 海軍少佐)
大東亜戦争
音羽正彦(侯爵 海軍少佐)
前田利為(侯爵 陸軍大将 第八師団長)
伏見博英(伯爵 海軍少佐)
伊集院松治(男爵 海軍中将 第一護衛艦隊司令官)
西竹一(男爵 陸軍大佐)
召集されて戦死した華族も沢山いる
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 05:22:38 ID:K5JI20Ot0
召集じゃないでしょ、職業軍人として戦死した華族。
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/22(木) 13:29:31 ID:e3EPNcWUO
尚は何で戦死したの?
戦死はしなかったが有馬伯爵家の三男、有馬 頼義は召集で兵役に就き
その経験をもとに小説「兵隊やくざ」を書いたのは有名。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 10:43:00 ID:tSp2G67QO
尚順は非戦闘員として死んだんだな。
しかし召集された有爵者なんているのかな?
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 18:15:28 ID:tSp2G67QO
では戦犯処刑された有爵者は?
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 21:22:27 ID:N5CqRWdF0
>>341 戦死してないけど、徳川慶光公爵。
宮内省勤務だったが、陸軍に召集され二等兵として出征している。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 21:32:56 ID:gJRZLyFD0
む?
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 22:38:37 ID:gJRZLyFD0
むむ?
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 10:32:20 ID:JQSZKMI+0
米軍はバロン・ショウには降伏勧告をしてくれなかったのか・・・
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 14:40:54 ID:FmH4ViAE0
清華出身の侯爵、醍醐忠重中将は捕虜虐待で処刑されたはず。
A級戦犯で処刑された人達は爵位持っている人いたっけ?
いない気がする。
>A級戦犯で処刑
状況次第では近衛文麿がそうなったんだろうな。
あのさ、男子フィギアスケートの人。彼のご先祖も華族だったの?
>>347 所謂A級で有爵者は木戸侯と平沼男の二人。どちらも終身禁錮のち仮釈放された。
まあ平沼男は病気による仮釈放で釈放後すぐに亡くなったが。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 20:38:57 ID:S3J0SjfdO
なんで荒木貞夫男爵を無視するのさ。
あとA級戦犯容疑者にも結構有爵者が居るよね。有馬とか菊地とか。
352 :
350:2007/02/28(水) 19:52:43 ID:lvZ7zsBi0
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 15:59:18 ID:qujNmLzL0
華族は国から給金をもらっていましたか?
財産がなくて爵位返上する華族もいたから給金てどうなのかなあ。
あっても微々たるものじゃないかねえ。
旧華族(公家や大名)の中での相互扶助なんかはあったみたいだが。
貴族院でいえば公爵侯爵は無給、伯子男は議員になれば歳費はでたみたい。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:28:36 ID:VFKAShHk0
>351
荒木と同期の本庄大将も一応男爵だったよ
裁判前に自殺したけど…
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 22:02:56 ID:ibHAOS+g0
旧堂上華族保護賜金は維新前に創設された旧公卿家が対象。
男爵華族恵恤金は、維新後に還俗した家(奈良華族)や神官・僧侶出身の華族を対象とした。
奈良華族や神官・僧侶はみんな男爵だったから。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 22:30:51 ID:P07O2+fk0
領地も領民もないのに貴族になろうとする方がどうかしている。
ナイトで充分なのに。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 23:49:55 ID:v6RVbyIF0
結構みんな詳しいな。
>353
旧堂上華族保護賜金は爵位が上なほうがもらえたらしい。
ここら辺は岩井忠熊氏の皇族財産の研究に詳しい。
公爵ともなると結構もらえたって木戸内府が戦後語ってたぞ。
貧しい男爵子爵などは歳費目当てで議員になりたかった奴が多かったそうな。
ここら辺は内藤一成氏の論文に詳しい。
財産が無くて爵位返上する華族も居たけども、世襲財産指定すれば抵当に取られないとか
いう特権もあったぞ。でも、抵当に入れられないから金借りれないってのもあって、
金に困って解除する人も結構居た。
ここら辺は誰が詳しかったかな。百瀬孝かな?違うか。西尾林太郎だろうか。忘れた。
あ、これも内藤氏だったかな。
十五銀行って華族から金集めて作った銀行があって、そこからの利子も収入だった。
でも大正期の関東大震災で世襲財産が燃えた奴とかもいて、世襲財産解除が一気に増える。
そして昭和初期の十五銀行倒産で華族は困窮するものが増えたと記憶している。
華族についてならば小田部氏の『華族』ってのが中公新書から出てる。値段も安いしお勧め。。
あとは浅見雅男氏の『華族たちの近代』とか。浅見氏は歴史学者ではないけど、
しっかり調べてて面白いよ。
貴族院についてならば、小林和幸氏の『明治立憲政治と貴族院』って本。これははずせない。
>>159 旗本の家系でしょ。自称するところによれば。
ただこの家系は安政〜文久年間の当主以降は家系不詳になってるんで
信成自体が自称の域を出ていないのが真相。
いずれにせよ幕末から昭和に至るまでの系譜が不明なので
自らを名門と名乗ることも苦しい。
信成のことみたいだから多分上のレスは
>>149へのアンカーミスだろうな
364 :
361:2007/03/31(土) 12:30:19 ID:IJHVi55k0
そうです。すみません。
おっしゃるとおり
>>349へのアンカーミスです。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 21:20:03 ID:9v6/xcB/0
津田家が明治に織田に戻した子孫ってどこかで読んだ。
華族じゃないからこれ以上の話題はスレ違いだけど
前に出てるように、スケーターは自称・高家旗本の家系。
ただこの家系は明治維新で禄を失った後、家系がよくわからなくなってる。
明治維新時の当主・織田信真が9代目にあたるので、
10代目以降、当主不詳になっていて、スケーターはこの家系に繋げて
17代目としている。ただし信成自身は次男なので当主という言い方はおかしいが。
京大に家系図の鑑定を依頼したとかなんとか聞いたことあるが
結果はどうなったんだろう。
まあ織田家の場合、大名家系でもあまり知られてないところに及んで
旗本家系の、しかも家系図不詳でもって信長の子孫だと強調されてもってとこだろう。
華族大観とか言う本をもってるんだけど、押入れの奥で行方不明になっちゃった。
あった。織田姓で爵位があったのは4家だね。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 22:46:21 ID:Nop4UXyC0
すると、華族の末裔でスポーツ選手、ってちょっといなさそうだな
細川元首相(旧侯爵家)は国体に出たけど
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:02:35 ID:QY2DDpTO0
麻生大臣は射撃でオリンピック出てるんじゃなかったっけ?
つーかカコ様がフィギュアで優勝って「大いなる力」が働いたのか?
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 00:39:04 ID:adJBETQZ0
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 03:17:39 ID:T+GUW+iaO
華族ってたまに耳にしますが、なんですか?
>>374 ヨーロッパでいうところの貴族のことだよ。
戦前、戦中の日本には「貴族」が存在していたんだ。特権階級な。
四民平等とは名ばかりで出自や財力でしかのし上がれない社会だったんだよ。
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 14:07:21 ID:gwgoRLsU0
日本の華族なんてヨーロッパの貴族に比べれば、ショボイけどな。
(大大名、財閥は除く)
ヨーロッパの貴族なんてほとんど山賊やゴロツキの子孫だけどな
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 04:07:31 ID:3Yyx/M3CO
吉田健一の『本当のような話』に
戦後に華族制度が廃止されて漸く日本の華族が貴族らしくなった
という一節があった。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 21:24:58 ID:BlMxwgEV0
>>373 限りなく華族だけどね。
牧野雪子の写真を見たことある?
少女漫画のような伯爵令嬢が日本にいたんだね。
吉田和子が限りなく父親似なのがあわれ
>>322 野口英世は、母親や姉妹がイヌとかシカとか言う名前だったから
少々出自に問題があったのではないかと。
仲本工事が華族だというのには爆笑。さすが2ちゃんねるだな。
>>仲本
まあ、学習院大卒って事でそう思ったのかも
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 17:37:00 ID:j7CgHzY20
華族のなかで男色家として有名な人々と言えば
誰と誰とが挙げられましょうか?
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 18:39:51 ID:SxXhVScy0
宮家ならカンイン宮
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 19:50:52 ID:Fq0hc1HG0
学習院というだけで、なんでも華族扱いするのは2chネラーの悪癖。
戦後の学習院なんて誰でも入れる普通の私学だし、大学にいたっては
あらかたが一般人なのにw
今の昭和会館て、まだ貴族院(て言っても男爵クラス)の家系でしめられているんでしょうか?
それにしてはメンバー数が多いなぁ、という気がして。
て、そんな下のクラスはここでは話題になりませんよね。
〜会館て、霞しか出てきてないみたいだし。
華族と言っても勲功華族は薩長の下賎な人ばっかりだからなあ
たいして価値ない気がする
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 11:44:36 ID:DRSYRA6a0
下級武士や平侍でも、下賎な水呑百姓や小作人の末裔の君たちよりはマシですが。
俺は豪商の末裔だが、今は財が残ってないぞ。。
水呑みでも小作人でも平侍でも下級武士でもないんだけど・・・
なんで勝手に決め付けるかな
>>390 たぶん勲功華族(薩長出身)に対して失礼な発言を仕掛けた
>>387のせいでしょ。
どっちもどっち。
勲功さんは大名公家華族からも見下げられてたからあたりまえだけどな
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:31:01 ID:alquOG4k0
当家は新華族さんとは一切お付き合いが御座いませんのよ。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 23:51:41 ID:xvnAFQQK0
そりゃ、小作人のキミんちじゃ、新旧問わず華族さんとの付き合いは無理だろう。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 06:36:28 ID:/JjzFrnN0
と穢多の394番めが一人前に
ほざいて居りまする!
なに子供の喧嘩やってんだか
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 22:20:16 ID:0HaXPJvd0
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 22:07:22 ID:gPi38suM0
我が家は勲功旧子爵家(もちろん脳内です!)
我が家は元・銀河帝国皇帝家だ(脳内で)
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 00:21:29 ID:fP/vsx4+0
>>373 麻生太郎は華族の末裔で間違いはない
麻生家は家族ではないが、大久保利通の玄孫、牧野伸顕の曾孫なので、華族の子孫ではある
そんなのまで入れてたら誰でも華族の子孫になるよ
ちょっと待てよ。大久保の娘さんを貰った吉田茂、その吉田の娘と結婚したのが麻生だろ?
そんじゃ麻生は家族じゃないでしょw
縦にも横にも遡っていいなら誰でも華族の子孫になってしまうよ
家を継いだ嫡流子孫を子孫って言うの
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 01:01:07 ID:swReE1xX0
結局、現職国会議員で華族出身者(上にある麻生のような、華族の血を引く、ではなく)
は、池坊保子さん(梅渓子爵家)だけ、かな
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 06:46:43 ID:mCFoXPOz0
徳川幕府時代の大名って維新後どんな生活をしてたの??
例えば、政府によって城から追い出されたタイミングとか、
歴代仕えてきた家臣が離れていったりとか、
殿様と呼ばれなくなったりとか、
そんな事が知りたい。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 11:47:22 ID:4wa0f7JfO
普通の暮らしです。
ただし、現在も殿と呼ばれています
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 12:56:29 ID:7yib0+De0
徳川幕府時代の大名って維新後どんな生活をしてたの??
華族の中では財閥家に次いで経済基盤がしっかりしていたんで、まあまあの生活。
受け取った公債額は大雑把に言って表高円くらいあるから小藩藩主でも贅沢しなければ金利生活可能。
例えば、政府によって城から追い出されたタイミングとか、
廃藩置県の時に知藩事が全員東京に集められたので、そのときに城から出た。
歴代仕えてきた家臣が離れていったりとか、
財力のある家では旧家臣を使用人としたとこもあるし、任意団体としての家臣団の結束があったとこもある。
そういう繋がりがあれば旧藩秩序が残ったとこもある。まあ家臣が全員旧藩主家から離れたとこは少ないんじゃないの?
殿様と呼ばれなくなったりとか、
殿様じゃないわけだから殿様なんて呼ぶのは旧藩家臣や住民、家中の人がほとんど。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 18:33:21 ID:8/BJzIIm0
>>408 丁寧に解説ありがとうございます。
戦争や相続税やで現在まで栄えてる藩主っていなさそうですね。
薩長土あたりの有力藩主のその後が知りたいです。
関係ないんだけど、こないだ高知県のニュースで容堂町って地名が出てきたけど、山内容堂からついたのかな??
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 18:43:16 ID:8/BJzIIm0
違うや。東洋町だったw
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 19:52:04 ID:NMaZBpKk0
>>405 国民新党の亀井さん(静香ちゃんじゃないほう)も津和野かなんかの殿様の家じゃなかったっけ?
>>409 薩長土肥あたりの有力藩主の明治以降の話なら
華族関連の本にはよく紹介されているよ
>>411 正解
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/25(金) 01:34:53 ID:iLCmipCP0
>>411 津和野藩主亀井家の出だから華族だね。父親が伯爵亀井茲建。現在は兄の亀井茲基氏が当主だったと思う。
平沼さんも養父(曾祖父の弟)が男爵平沼騏一郎。家系では直系の祖先だけど、実系では直系ではないことになるね。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 18:06:38 ID:2hOC0hpX0
社民党の田英夫も。
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 20:58:30 ID:PklS+4VI0
>>415 あれは、華族の息子でありながら、海軍の特攻部隊に配属させられたそうだね。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 22:05:19 ID:DQkx+Yky0
戦時中は当主や嗣子でも戦死者が相当いるわけで
普通の華族では特別扱いされんわな。
海軍はともかく陸軍は華族嫌いだしw
>>359 本家は子爵。
信成の家は分家筋で旗本の家柄。
信成のってどこかに出典とか証拠はあるんだろうか
テレビで彼が出してきた系図みたいなものってピカピカと真新しくてさ・・・
それに親父さんの風貌はダンプの運ちゃんみたいだった
信成が織田信長の子孫で通じるのなら俺は大友宗麟の子孫だわ
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 08:27:13 ID:s1hrfpiE0
少なくとも系図の確実な大名・旗本レベルなら、分家でも子孫は子孫だから。
そこいらの百姓・平民が名字と家紋と出身地「だけ」を根拠に同族や末裔を
自称するのとは全然違う。
なんで大名の子孫たちって頭いいんだ?
オレの通ってた小学校に牧野って大名の子孫いたけど医者になったぞ。
大学時代の徳川君は某在京キー局に就職した。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 11:06:20 ID:s1hrfpiE0
大名華族でも完全に没落して庶民に埋没したような家はともかく、
そこそこ家名を維持してるようなところはコネでいいとこに就職できる。
まあ、分家の分家くらいの末の方の人は完全に庶民化してるだろうけど。
天皇の孫がトラック運ちゃんやってるってのにね
>>421 じゃあ信成は?
父親はトラック運ちゃんみたいなパンチ君だよ
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 14:35:50 ID:s1hrfpiE0
>>425 家系が確かなことと、現在、何を生業にしてるかは別。
先祖もよくわからない百姓の子孫が、系図本の記述とか名字と家紋だけを根拠に
有名武将の子孫とか言い出すのとは、本質的に違う。
>>424 運ちゃんやってるのはアサカの直系じゃなくて、外に嫁いだ娘(マンガ家)のそのまた娘。
女系の女系じゃ血はつながってても、端くれの端くれだから何になろうが関係ない。
>>426 信成の家系は確かなのか?そういうのはどこで判断するんだ
彼の家こそ分家の分家の末だと思うが
>外に嫁いだ娘(マンガ家)
kwsk
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 21:50:56 ID:14HCCXqf0
>>424 >天皇の孫
朝香宮鳩彦王の曾孫のことだな、多分
つまり、明治天皇の玄孫
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 23:41:55 ID:PjCpUMTI0
鳩の孫が女流マンガ家で、某外様大名家に嫁いだのち離婚。その後、一般人と再婚した。
その再婚後に生まれた娘が成人してトラックの運ちゃんに。
一般人と再婚して生まれた子だから、普通の人です。
女流漫画家の名前はわからないの?
朝香宮孚彦王第一皇女富久子女王
詳しくはわからないけれど、SF系のマンガを描いていたらしい
SF系か
あんまり有名な人じゃなかったのかな・・・読んでみたい
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 19:44:26 ID:VT2Vk39u0
朝香富久子のペンネームは「美苑ふう」
アリガトン!!
中央温泉研究所長の甘露寺泰雄氏は勧修寺流の甘露寺家なのだろうか
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 21:47:59 ID:EuUFmNMQ0
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 00:14:34 ID:RmhOlCo10
>>411 亀井さんの娘さん、参院島根選挙区でいい戦いをして、当選の可能性もあるみたい
世が世なら、お姫様。
「選挙民よ、わらわに投票するのじゃ」
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 05:13:07 ID:kyaHWLrC0
むしろ、いまの時代、旧華族は政治家になどならないほうがいい。
どんな候補でも、多かれ少なかれ「土下座選挙」を強いられるわけで、
とくに田舎の保守陣営ほどその傾向は強い。
泥臭い選挙で家柄に泥を塗ることはあるまいに。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 05:14:26 ID:kyaHWLrC0
旧大名華族は資産管理会社と美術館などの財団経営で家名を維持するのが一番。
>>439 その点では尾張徳川家は成功したと言えるかな。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 12:19:49 ID:JYbUZqHQ0
地元藩を治めてた家の子孫なんだから別にいいと思うけどな
一票入れなきゃ年貢を厳しくするぞってわけでもないし
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 17:45:08 ID:kyaHWLrC0
殿の子孫が旧領地でヘコヘコ頭下げたり、お願いしますを絶叫するような無様な姿は、
あんまり見たくない。
殿様は文化人っぽく、財団の理事長か美術館の館長さんでもやっててくれればいい。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 19:15:34 ID:JYbUZqHQ0
へこへこ頭下げてるのは見たことないな
握手する時も泰然としてて、さすが殿様の子孫って感じだよ
育ちが良い人は違うね
それにポッと出の水呑みの子孫に治められるよりはよっぽどいい
444 :
↑:2007/07/06(金) 12:24:24 ID:a4FQShT10
秋田市民ハケーソ
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 12:35:55 ID:8Aga3jb/0
明治から戦前にかけて皇居勤め(宮内庁?)するには、家系的に制約あったの?
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 20:19:21 ID:zlfa7tzy0
宮内庁で聞けば
殿様だって江戸城ではヘコヘコしてたんだからいいだろ別に
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 20:30:30 ID:XEI3MO9y0
>>445 戦前は、華族が宮内省など宮中の役職の多く占めていた。
ただ、非華族でも宮内省官吏はいた。
江戸時代なら俺、豪商だったらしいから超金持ちだったんだけど・・
華族ねぇ、そういや俺の初恋の子が岡山の殿様の子孫だったんだよな。。
すげー美人だったんだけど、やっぱ血筋がよいせいかね?
450 :
445:2007/07/07(土) 02:16:30 ID:BF5s5lPj0
>>448 ありがとうございます。知人に苗字が「いかにもそれっぽい」人が居て
おじい様が宮内省勤務だったとかで・・ひょっとしたらと思ったものですから
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 06:13:41 ID:2la+6NFs0
>>447 不特定多数の選挙民、そこいらの得たいのしれん連中にヘコヘコしたり、
選挙カーで絶叫したり、あげくに土下座まがいの下品なことを殿様にしてほしくない。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 13:20:08 ID:CDA2qOGn0
殿様だって食ってかなきゃいけないんだからしょうがないだろ
美術館だのを持てるのは徳川位だろ
それとも今日はこの野菜が安いですよって殿様に農協で野菜売ってて欲しいのかw
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 20:40:31 ID:2la+6NFs0
いまの時代、政治家の方が普通の職業より品位がない。
それに大大名だった家は、たいてい財団や資産管理会社を持ってる。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 21:27:23 ID:CDA2qOGn0
ま、本人がやりたくて票を入れる奴がいれば通るだけだ
他人がどうこういってもな
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 23:33:36 ID:GTChumhrO
伏見宮邦家―久邇宮朝彦―仙石素子―梅渓夏子―池坊保子
伏見宮邦家―北白川宮能久―有馬貞子―亀井正子―亀井久興―亀井亜紀子
また亀井亜紀子氏は
岩倉具視―森寛子―有馬頼寧―亀井正子―亀井久興―亀井亜紀子
でもある
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 00:55:36 ID:hTMPnwz/0
>>455 おお、すごい
亀井姫は、公明党の池坊議員と(そして当然今上陛下と)遠い親戚、なんですね
そして、岩倉つながりで、加山雄三とも遠い親戚。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 09:43:04 ID:HMNHb6OM0
政治家なんかに成り下がるヤツは、もはや殿でも姫でもない。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 14:19:51 ID:dk5W5LD+0
亀井姫と言われると亀井静香ちゃんを思い出してしまう
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 16:33:33 ID:HMNHb6OM0
現代は政治家になる時点で、もう上流っぽい気品をかなぐり捨てないといけない。
東大卒であれ、元キャリアであれ、チンピラまがいの野次と乱闘させられる。
選挙のときは、ことさら庶民っぽさをアピールするため泥臭いことやらされる。
まとも人間なら、政治家なんてならない。政治家一家にやらせとけ。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 16:41:08 ID:dk5W5LD+0
人が何をしようと他人には関係ないじゃない(´ー`)y━~~
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 19:11:05 ID:YR4k714o0
>現代は政治家になる時点で、もう上流っぽい気品をかなぐり捨てないといけない。
参議院はそうでも無いと思う
扇千影とか神輿に担がれてるだけ感丸出しの人もいるし
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 05:47:21 ID:ODt5ZLkZ0
しかし、あの松浪ケンシロウに
「扇と何発やったんだ!」と野次った民主党の馬鹿は、あれでもキャリア官僚だった。
やっぱり、議員なんて職業は、元が何であれ下品になるようだ。
選挙運動とかも、わざとガラガラ声の塩辛声で浪花節やらないと当選しないしw
まともな感性と良識とプライドがあれば、なる職業じゃない。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 17:30:28 ID:+CP367cU0
>>462 お前がやりたくないなら、ならなければいいだけ
他人が何の職につこうがどうでもいいじゃないか
なんでそんなことに粘着するのかわからん
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 08:08:49 ID:rx6pEQ520
政治家(特に保守系)が品がなく、選挙運動が泥臭いというのは紛れもない事実だが、
細川モリヒロみたいにわざと既成の政治家イメージを打破して、カッコつける人もいたから、
そこらへんは人にもよるんだろうな。
モリヒロの場合、メジャーな大名であり、コノエの孫というネームバリューが絶大だったが。
モリヒロは政権丸投げするところまで爺上様そつくりでしたね(棒
いまは作陶する茶人としてマダム系雑誌を中心に出演中だが
先日の東京の個展での説明は先祖美化しすぎて( ´,_ゝ`) されていたぞ。
>>464 野党(左翼系)もなかなか品がないぞ
松波けんしろー(元与党議員)に
「扇(現参議院議長)と何発やったんだ」
とやじったのは野党議員(元官僚)。
日本の政治家に品ない香具師が多いのは認めたくないが事実だ。
最もこのネタ自体が板違いだからこれでやめとく。
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 23:03:37 ID:i30OIYhy0
2ちゃんなんてしてる暇があったら旦那の相手してやれよおばちゃん
>>465 とくに細川忠興などはリアルキチガイと言って差し支えないしなw
松波に野次ったのは、あれだ、永田だ。あの阿呆だ
1910年の日韓併合の際に韓国(朝鮮王朝)の両班80家も華族に編入されたらしいが
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 23:43:12 ID:5OTzainE0
亀井家の姫君当選age
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 00:42:25 ID:MKEoqwA60
亀井亜紀子さんて静香ちゃんの娘だったのかw
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 03:18:35 ID:4Jc4DWWQ0
議員なんてガラの悪い職業になる時点で、もはや殿でも姫でもない。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 11:10:47 ID:cUa90z1N0
うちは田舎では名主の家系だったのですが祖父の弟の奥さんが華族です(勲功華族)
昭和の初め頃結婚したのですが・・・こういうことって結構あるの???
なんでうちに来たのかなーーーーって?財閥や財界で貰い手もあったろうに。
もう一つですが平民との結婚では政府に(?)よる承認が必要らしいですが
資料等残ってますか?調べたいのですが・・・
結婚時には当主は祖父の弟の奥さんのおじいさんで、祖父の弟の奥さんは
当主の次男の娘に当たるのですが・・・厳密には次男だから華族ではないのかな?
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 13:28:53 ID:MKEoqwA60
勲功華族の次男の娘なら華族じゃないんじゃないかな。
それに昭和初期の結婚なら、たとえ華族であっても結婚に政府の承認はいらないよ。
その頃は自由恋愛ができた時代なので、お爺様の弟さんと奥様は恋愛して結婚されたのかもしれないし
斜陽華族・士族の子孫と裕福な家との結びつきは結構あったから、そういう繋がりかもしれない。
その辺のいきさつは、子孫の方に直接聞いてみればわかると思うよ。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 16:10:32 ID:9ypNpOIp0
>>470 ちがう、もう一人の方の亀井さんのお姫さん。子爵家だっけ?
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 18:09:19 ID:MKEoqwA60
>>474 亀井久興さんの娘さんだな。失礼しますた
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 23:13:26 ID:RxoasAhR0
>>468 それは朝鮮貴族。原則的に貴族院議員にはなれなかった。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 06:36:13 ID:ONaRMDXS0
日本史には全く暗い素人ですが、お伺いしたい事がございます。
「女嫌いで名高かった井伊伯爵が、病床にあった時に、ふとした誤ちから
看護婦と通じて男子を儲けた」という話を聞いたことがありますけれど、
この井伊伯というのは誰のことだったのでしょうか?
もしや井伊直忠伯だったのでしょうか知らん?
宜しく御教え下さい。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 11:20:04 ID:rvNAGdqR0
重ねて伺います。
日本史には全く暗い素人ですが、お伺いしたい事がございます。
「女嫌いで名高かった井伊伯爵が、病床にあった時に、ふとした誤ちから
看護婦と通じて男子を儲けた」という話を読んだことがありますけれど、
この井伊伯というのは誰のことだったのでしょうか?
もしや井伊直忠伯だったのでしょうか知らん?
宜しく御教え下さい。
ちなみに、この件は昭和4〜5年頃に刊行された本に載って居たと
記憶して居りまする。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 16:24:30 ID:qD8ye76W0
津和野の亀井の娘といい、柳川の立花の娘といい、もう完全に普通の人だな。
政治家とかホテル業とかで金はあるかもしれんが、庶民と全然変わらない。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 17:35:14 ID:MlJV6D0v0
宮家の娘の承子見りゃわかるだろ
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 07:43:51 ID:m0AJ9PeG0
本当に貴族っぽい人は政治とかビジネスの第一線には出てこないよ。
事業やってても資産管理会社みたいなことしかやってない。
まして、ガラガラ声で頭下げて回る、政治家なんて下賎な仕事(ry
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 14:40:41 ID:0dxm0zxT0
本人に直接言えば?
こんな痰壷と言われるところで陰口みたいなこと言ってる方がよっぽど下賎だよ
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:47:38 ID:MSAsIqwY0
確かになw
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 13:38:09 ID:5Px37YSo0
誰ひとりとして478番の質問に返答出来ませぬのか?
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 00:25:14 ID:TN/QDeze0
自分で調べろよ
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 17:06:56 ID:YNvviNEB0
公爵の子孫だが、公爵ってどのくらいいたんですか?
>>486 近衞、九條、一條、二條、鷹司、三條、西園寺、コ大寺、岩倉の堂上が九家。
コ川宗家、コ川慶喜家、水戸コ川家、毛利家、島津宗家、玉里島津家の大名が六家。
伊藤、大山、桂、松方、山縣の新華族が五家。
あわせて二十家。
>>486 近衛家(五摂家)
一條家( 〃 )
二條家( 〃 )
九條家( 〃 )
鷹司家( 〃 )
三條家(清華家)
徳大寺家( 〃 )
西園寺家( 〃 ・西園寺公望の功)
岩倉家(岩倉具視の功)
徳川家(将軍家)
徳川家(徳川別家・徳川慶喜家)
徳川家(水戸家)
島津家(薩摩藩主)
島津家(島津別家・島津久光の功)
毛利家(長州藩主)
伊藤家(伊藤博文の功)
大山家(大山巌の功)
桂家(桂太郎の功)
松方家(松方正義の功)
山縣家(山縣有朋の功)
以上20家が公爵家。
但し、松方家は昭和二年、爵位返上。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 21:28:54 ID:8Bf+cGDD0
69くらいだったか。
華族も結婚すれば分家するので平民とあったが、
結婚しても分家しなければ、華族のままだと思う(少なくとも庶民はそうだから、家族も同じだと思う)。
結婚すると分家するのは、戦後の仕組みで、戦前は結婚しても普通は分家しなかったと思う。
ただ、分家しないと戸籍がだんだん複雑になるね。ちがっていたらごめん。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 23:59:13 ID:yNPbtgMH0
>>489 結婚すると分家するのは庶民も華族も同じ
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 18:17:43 ID:rpgZlice0
478番の質問に誰一人として返答出来ぬとは
さてこそ、ここは低能無知な平民どもの集まりでしか
無いナッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 18:51:48 ID:WJ5wCEKB0
吉田茂は実は「平民」なんですね。
吉田茂の奥さんが牧野伯爵家の出身
>>489-490 実際のところ、分家してまったくの平民になってしまう人はいたの?
徳川や島津・毛利といった有力華族の息子は男爵位を貰ったり養子にいったりしたと思う
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 21:44:22 ID:1Df06iUP0
有力華族以外はまったくの平民になる
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 22:46:12 ID:raEHGFgx0
>>489いや結婚と分家は別。昔の戸籍は当主の兄弟の子供まで入ってるぐらい
巨大なのが普通。
秋山兄弟の弟が分家しなかったので士族のままと言う話は聞いたことがある。
華族のおぼちゃんとして生れ育ってきたのに突然平民になると
経済的には天と地の差があるんじゃないの?
例えば同じ兄弟でも跡継ぎとそれ以外の結婚相手はまったく別物?
長男は華族のお嬢さんで次男は平民の娘だったり。
俺んちは元男爵。ひいひいじいちゃんが陸軍大将だった。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 00:01:59 ID:SHSof1eL0
華族制度復活を目指そう!!!
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 01:02:22 ID:k3A08//a0
我が家は某大藩の筆頭家老の家柄で旧伯爵家
伯爵って丸メガネ(片方だけの)かけてワイン傾けてるイメージしかない。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 03:21:07 ID:dWRtUtWx0
ルネッサンス
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 10:22:39 ID:Atfh3LrS0
>>498,500
なんか証拠のひとつでもうpってくれ
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 12:29:09 ID:M1u5DJrt0
>>500は小松さん?
でも小松さんは筆頭家老の家柄じゃないはずだし・・・
誰か分かる人いる?
大藩の筆頭家老の家柄で旧伯爵家なんてほとんどないと思うんだけど。
小松さんところはくだんの本によれば先日若くして御当主が急死し
残されたのは若い奥方と現在小学生ぐらいのお嬢さん1名だけのはず
2ちゃんしている暇はないと思うんだが・・・
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 16:14:48 ID:HfqxWds20
家老は皆男爵までと思ったが
>>505 まあ、実際に直系の人が本当に書いてるとは誰も思ってないわけでw
血縁くらいならいるかもしれんけどね。
しかし小松さんとこは大変なんだなあ。
>>506 そう。
だから家老で伯爵なんて限られてくる。
上に書いた小松帯刀は薩摩藩家老、維新勲功で伯爵。
家老が伯爵になるのは勲功しかありえないけど、勲功も家老クラスってなかなかいない。
あとは最初は男爵、もしくは士族で維新後に軍人や政治家の勲功で伯爵とか。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 14:33:20 ID:pKU7AuR/0
日本一の家老といえば
加賀百万石の本多家であろう
石高は5万石
それでも爵位は男爵
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 23:50:48 ID:FkoWJpTxO
なんか公家華族の娘って行き遅れ、後妻、わけのわからん成金の妻が多いな
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 00:42:43 ID:WPf+0HhY0
子爵家とはいえ、家禄が幕府の御徒や同心以下の家もあるんだから、
見方によっては家格相応では?
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 01:13:21 ID:ElUL+XH50
何の話だ
512 :
509:2007/08/23(木) 11:53:54 ID:jHdet4XTO
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 03:04:47 ID:Js9+TdRg0
久邇宮朝彦王はたくさんの子どもに恵まれているが
娘たちはどのような人生を送ったのだろう
みんな華族に嫁していると思う
>>514 榮子(さかこ)女王=東園基愛子爵夫人
安喜子女王=池田詮政侯爵夫人
飛呂子女王=夭逝
絢子女王=竹内惟忠子爵夫人
素子女王=仙石政敬子爵夫人
懐子(やすこ)女王=夭逝
篶子(すずこ)女王=壬生基義伯爵夫人
純子(あつこ)女王=織田秀実子爵夫人
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 21:03:44 ID:0UQwjs+L0
イギリス議会は、上院(貴族院)が終身制である。
したがって日本のように、政治家たちが1〜2年毎に、
「来年の参議院選挙はどうなるだろうか」などと頭を悩ませることはない。
イギリスの上院は「保守派の牙城」である。
イギリス議会は、上院が終身制であるということを大前提に、
下院(衆議院)本会議を中心に運営されているのである。
つまり、イギリスの政治家たちは、4年〜5年に一度(イギリス下院の任期は5年制)
の衆議院選挙のことだけに気を使えば良いのであり、上院選挙の勝ち負けを
心配する必要がないのである。
日本の参議院も『終身議員制』にしたほうが良い。
総理大臣が参議院に対して推薦した、40歳以上の元総理大臣、元国務大臣、
元衆議院議員や外交官、都道府県の元知事、裁判官、検察官などを、
参議院の同意を得た上で任命する。
日本の参議院も、議員を終身制にして、見識のある人物を議員に任命するすることで、
政府の良きアドバイザー機関となるであろう。
つまり、参議院(貴族院)とは、政府の諮問機関としての性格を持った議院なのである。
75歳くらいを定年にするのが良いであろう。
欠員が出たら、その都度、選ぶのである。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 21:12:16 ID:n6AyEqZW0
英国のウイリアム王子の婚約者ケイト・ミドルトンさんの母親の旧姓はゴールドスミス
ユダヤ人は母親がユダヤ人であることで決まるので
未来のイギリス王はユダヤ人確定です
>>516 貴族院改革…
ていうよりどちらかといえばカナダ上院に近い考えかな。
あそこは勅任、定年のある終身制だから。
ただ問題は第一に終身議員に良識は期待できるのか、
そして第二にスレ違いというこった。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 00:00:03 ID:ATElWMPUO
>>515 栄子女王・31歳で48歳の後妻になる。子無し。姉妹では一番長生き(80歳)。
安喜子女王・後妻になり2男3女を産む(先妻の娘に細川元総理の祖母がいる)。享年49歳。
絢子女王・旧名晴子。夫は14歳年上だが初婚。2男1女あり。35歳で未亡人になる。享年74歳。
素子女王・夫は宗秩寮総裁。数男数女あり、末娘は池坊保子の母。享年41歳。
篶子女王・28歳で34歳の後妻になる。1男数女(?)あり。享年68歳。
純子女王・27歳で死ぬが夫はその4年前夫は死亡。おまけに夫死亡の2年後には長男が死に、幼い次男・三男・長女が残る。
家柄的には安喜子女王>>篶子女王≧栄子女王>純子女王>絢子女王≧素子女王だと思うが何せ後妻、行き遅れ、超格下婚(?)である。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 00:02:12 ID:ATElWMPUO
>>515 追加
栄子女王の姉に智足宮がいる(夭折)。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 07:28:16 ID:gVlXA00R0
参議院を任命制の上院にする場合、この華族の後継者が適切かと。
公爵 7名
島津 伊藤 鷹司 徳大寺 岩倉 二条 桂
侯爵 10名
徳川 佐佐木 黒田 鍋島 野津 中御門 山階 四条 前田 佐竹
伯爵 28名
林 佐野 黒田 阿部 柳原 坊城 広橋 山本 徳川 大木 宗 溝口 樺山
室町 正親町 ニ荒 広沢 後藤 上杉 南部 三条西 香川 壬生 酒井 小笠原
松平 東久世 島津
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 07:33:53 ID:gVlXA00R0
子爵 83名
武者小路 大河内 秋月 岩下 八条 松平 松平 富小路 北小路 松平 大島
安藤 本多 交野 大久保 井上 今城 西大路 立花 谷 白川 戸沢 秋田
奥田 三室戸 土岐 波多野 柳沢 大久保 舟橋 高木 加納 錦小路 渡辺
綾小路 北条 石井 松平 石山 森 大久保 吉田 花房 風早 青木 井上
稲垣 大迫 松平 内藤 京極 梅渓 伊集院 入江 内藤 松平 七条 堤 内藤
三浦 柳生 大迫 久松 鳥居 稲垣 堀田 三宅 阿部 小笠原 高松 品川
芝山 一柳 木下 黒田 毛利 石井 牧野 井上 伊達 山尾 池田 東坊城
男爵 49名
安保 東久世 向山 飯田 矢吹 三須 松平 関 大蔵 山内 久保田 有地
宍戸 周布 金子 伊江 高崎 万里小路 佐竹 徳川 内海 肝付 林 梨羽
新田 岡 益田 一条 都筑 有坂 片岡 千秋 永山 橋元 鶴殿 岡内 岩村
渡辺 八代 尾崎 沢 藤枝 森村 佐竹 四条 浅野 本堂 川崎 徳川
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 20:47:51 ID:j2F9Qm4J0
どういう基準で選んだの?
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:04:32 ID:ATElWMPUO
俺も気になる。しかも四条侯爵家なんかは滅んで(?)いるし、酒井伯爵家のように同姓同爵位もある。
華族廃止に立ち会った奴らの子孫てか
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 05:10:12 ID:2rFHrhCh0
何で徳川宗家・勝家・榎本家抜いたの?
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 08:29:04 ID:2UQCMR/h0
>>519 適齢期は明治10年代から20年代。
このころって朝彦親王は謹慎かなんかしてて、娘を嫁に出すような状態じゃなかったのか?
それとも、父親の前科が響いて華族の方がいやがったのか?
飛呂子女王は尼寺にやられたらしいよ。で、その尼寺で19歳でなくなった。
あと、純子女王は結婚したあと婚家が貧乏で梨本宮に無心してたんだよね。たしか
>>515 >>519-520 dクス!
コウジュン皇后の父方叔父叔母は栄子女王を抜かして全員子持ちか!
皇太子妃に選ばれたのもむべなるかな、だ
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 10:40:44 ID:jWWVyY6L0
堂上家や諸侯大名家は兎も角
出来星の新華族は全く以て不要ぢや!
勲章を授与しておけば十分であるぞ。
>>530 新公卿・新諸侯はどうすんのさ?
堂上でも堤・交野・長谷なんて禄高の少ない御家は?
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 23:14:08 ID:lOhPyiBQO
>>529 いや出産能力という点では俔子妃→山崎寿満子のほうが評価されただろう。
俔子妃の同母兄弟は成人しただけで8人。夭折も含めたら計12人(?)にもなる。
寿満子は22歳から37歳まで休みなく次々と出産した。
俔子妃も4年連続で出産している(良子女王は3年目)。
脇腹に出来た子も入れてるんじゃないの
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 04:42:09 ID:0PtELImmO
寿満子自体が側室だから成人した人は全員側室腹
ちなみに菱刈久からも5人が生まれている
側室にばかりばかばか産ませているとはいえ
その側室が限定されている島津忠義と徳川慶喜はあの時代じゃ真面目の部類にはいるのだろうか。。。
死産とはいえ子供を産んだ忠義の先妻2名(斉彬の娘)に対し、最後の妻・板倉棲子はどんな心境だったんだろう。
嫁いだときには既に寿満子がいたようだし。
それよりなんで忠義は棲子を後妻に迎えたのか事情がはっきりしない。
板倉家は島津家と比べると格下の大名だし、
棲子の父・板倉勝達って維新などですごい業績があったわけでもないし。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 18:18:45 ID:0PtELImmO
というか棲子は忠義の何歳下なんだろう
それによって俺のコメントが変わってくる
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 23:47:46 ID:jpbtwWeJ0
対馬の宗武志と李氏朝鮮の徳恵との間に生まれた娘の正恵が
昭和30年に日本アルプス山中で行方不明になったと聞きました。
その理由や経緯に就いて詳しく御存知の方々、教えて下さい。
よろしく。
539 :
536:2007/09/08(土) 06:30:42 ID:EGsDqYgRO
>>537 満年齢か数え年か知らないけどここまで若いとは思わなかった・・・
この時期は生母側室多数から生母正室多数になりゆく過渡期で女が学校教育を受けはじめるようになり棲子も学校教育を受けているわけだけど
先進的な環境にいた棲子は古い体質の島津家で父親とさほど年齢の変わらない夫と毎年のように出産する側室と一番上は数歳しか違わないその側室の子とどのように過ごしていたのだろうか
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 17:53:34 ID:scDuymmj0
今年の春3月に中央公論社から浅見雅男『華族たちの近代』の文庫版が
刊行されましたが、これはNTT出版刊『華族たちの近代』(1999)
に「若干の加筆、訂正を」施した袖珍本だとの旨、追記されています。
かつて1999年度の単行本を購入して読んだのですが、新たに文庫版を
買い直すだけの加筆や訂正個所があるのでしょうか?
ご存じの方がいらっしゃったら、教えて下さい。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 20:28:50 ID:qTAUiEzi0
文庫の一冊くらいケチケチするな。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 23:51:16 ID:WftjflwO0
まともに返答出来ぬ阿呆は黙して居れーイッ!!!
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 20:51:34 ID:a5U0/abl0
財閥系の華族って男爵だけ?
子爵や伯爵もいたの?
財閥・財界系では、渋澤栄一が唯一子爵になっている。
あとは全て男爵。(三井・岩崎・住友・古河など)
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 22:05:24 ID:Jqv77aET0
安倍辞任
次はいよいよ、牧野伯爵家の血をうけつぐ麻生太郎の出番
>>545 それを言ったら大久保侯爵家の血も入ってるぞ。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 01:10:00 ID:d84xJ5hW0
麻生は品もないし顔もおっかないけど一応氏育ちはまとも
人間ってわかんないもんだな
安倍・岸・佐藤はモロ長州系だが、
大久保−牧野−吉田−麻生の系譜で見ると、
麻生は、薩摩系とも言えるわけだ。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 03:54:05 ID:rDjE326m0
麻生がごときで名門だとは笑止千万ぢゃて。
それよりも私、その昔、巴里の社交界に於いては
グレフュール侯爵夫人よりも遙かに美しく気品ある貴婦人
として大層な評判だったので御座いましてよ。
と云っても、皆様方、下賤な平民ズレには一向に理解出来ないでしょうが。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 07:02:46 ID:hPzn8fXb0
うん。全然理解できない。俺は平民だからなw。
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 19:00:39 ID:1/I/nn+p0
>>547 >麻生は品もないし
立ち振る舞い、服のセンスはちゃんとしてる。
あわてるな
>>549は なっちゃん(別名「ホモ吉」)の罠じゃ!(AA略
もし今華族を復活させるとしたら
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 17:10:34 ID:6FYYIL5S0
>>522 何故、酒井伯爵家があって井伊伯爵家の名がないんだろうか。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 18:10:09 ID:J4zK0ZLZ0
>>551 喋り方がな・・・
それで品がないように感じる
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:11:59 ID:6FYYIL5S0
一つ聞きたいんだが、未だに存在が分かっていない男爵家や子爵家ってあるのかな?
そもそも明治政府は公式に叙爵者を発表したりしているの?
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:16:48 ID:Z0Spokuc0
>>556 当然公表してる。
華族特権は単なる栄誉じゃなくて社会的、経済的な特権も含まれてたから公表しないわけにいかない。
よって存在が明らかではない華族は存在しない。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:30:23 ID:J4zK0ZLZ0
>>556 どんだけ浅学だよw
まさか自分の家がそれだって思い込んでるんじゃwww
559 :
556:2007/09/16(日) 22:40:32 ID:6FYYIL5S0
いやね。叙爵要請をしたが拒否された場合とかのことは公開してたのかなと
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 22:43:27 ID:4NBaXOEN0
原敬とか?
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 23:30:58 ID:Z0Spokuc0
>>559 そういうのもいるけど辞退すりゃ華族とは言わない。
板垣退助が叙爵を辞退しまくった経緯は公表されてる。結局受け入れたけど。
原の場合は叙爵をされないように根回ししたんで表には出てないんじゃないかな?
叙爵されて困ることってあるの?
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 15:14:59 ID:u2jkQEDA0
>>562 衆議院議員になれない。
衆議院に勢力を持つ原敬はこれを避けたかった。
板垣の場合は意地だろう。
自由民権派の親分として華族制度反対を主張してきた経緯もある。
内心で言えば自分を追い出した薩長政府から栄誉だけ与えられるのは、迎合してるようで腹立たしいって気持ちもあったんじゃないの?
あと一般論で言えば、爵位に伴う特権は経済的にはそれほど魅力的なものではない。
むしろ体面を保つための出費のほうが大きいので貧乏人が自主的に爵位を返上するケースも散見される。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:36:04 ID:+GM7PVLr0
でも、加藤高明とか貴族院議員で有爵者なのに、護憲3派内閣の首相になったぞ。
その後の政党内閣でも若槻や田中義一は貴族院議員で政党総裁。
原ほどの実力者なら、爵位の有無や衆議院の議席の有無は関係なかったと思うが。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 19:44:22 ID:3Bo9dbV+O
日テレで来たね
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 23:40:58 ID:Vr633ykp0
次々期徳川宗家当主はベトナム人とのハーフかもな
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 01:31:24 ID:qadoz8VVO
家達夫人&家正生母・・・日本国近衛家出身
家正夫人&恒孝外祖母・・・日本国島津家出身
恒孝夫人&家廣生母・・・日本国寺島家出身
家廣夫人&次々期当主生母・・・ベトナム国?家出身
だんだん夫人&生母の家柄が落ちてくる
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 10:39:13 ID:IIq8tR3U0
皇女の嫁ぎ先見てても顕著だしね
もう特殊階級は終わっている。そう感じざるをえない
ベトナムでもバオダイ帝やクオンデ侯の子孫ならともかく、
どこの馬とも知れない人なんだろうなあ。
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 16:57:58 ID:qYE8caZf0
>>568 恒孝は会津松平家の庶流の出だから
既に宗家とは呼べないだろ。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 18:36:27 ID:IpGx/xK00
八百屋の娘から生まれたお方もいるんだから、
別にいいんじゃないの。
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 00:01:30 ID:YX6kq6xc0
仙台伊達家は、自分家の家紋を商標登録してるらしいな。
セコスギルw
元々上杉から貰った家紋なのにww
知らんけど防衛目的じゃないの?
勝手に家紋を使われて商売されちゃかなわんから。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 22:01:43 ID:CYeXiCfh0
>>573 徳川慶喜家の御子孫の著書で
「葵の御紋を商標登録しようとしたら、できなかった。
既に一般的になりすぎているから、という特許庁の見解」とあった
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 23:07:06 ID:6UlSiWNm0
伊達は一般的じゃないってことか
つか、家紋を商標登録ってのもおかしな話だ
誰でも使えるものだろうに
>>576 「葵の印籠」が出てくるドラマの影響も大きいかと。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 12:49:00 ID:jI2k/vTl0
>>574 信長の野望とかのゲームが流行ってるし、書籍とかでけっこう儲かるらしいよw
家紋を商標登録w
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 12:53:21 ID:jI2k/vTl0
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 12:59:24 ID:JAcRchyf0
>577
家紋の成り立ちから勉強してね
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 02:07:43 ID:UJdnVu960
>>581 桐は天皇家の家紋の一つだけど誰でも使えるよ
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 03:29:12 ID:55skGe060
秩父宮妃殿下の母は鍋島公爵家の正室から生まれた令嬢なのに
平民(松平でも)に嫁いだのは不細工だからですか?
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 10:07:49 ID:h9eNXXC40
秩父宮妃の母信子が松平恒雄に嫁いだのは
娘を外交官夫人にしたかった母栄子の意向らしいですよ。
不細工って言うのは関係ないのでは?
異母姉妹の朗子も前田侯爵家に嫁いでいるけど
信子と変わらない程度の顔だし。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 12:15:23 ID:0BqMBY5rO
松平信子の同母姉は九条男爵家に嫁いだがすぐ離婚して牧野子爵家の後妻になった
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 12:39:24 ID:8jQgw0Im0
でも、前妻の娘は前田家。いつ子は皇族。その下は2回の結婚とも華族。
末娘も華族。側室の娘は信子と同じ松平だけど、実家の格は側室の娘の方が上じゃん。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 12:40:50 ID:8jQgw0Im0
サエコはあの時代では美人の誉れが高かったらしい。
娘のナミコはガチ美女だけど。
>>586 茂子だーね
直大の娘達が写ってる写真で
俊子の表情がなんとなく冴えないのは
栄子の娘でなく妾腹だから差別されてるのか?
と思ってしまう。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 16:46:56 ID:0BqMBY5rO
でも栄子は先妻や側室の子供も分け隔てなく接したとあるけど実際はどうなんだろう
先妻の子供は栄子が鍋島家に来る前からいたけど(先妻の子供だから当然か)
側室の子供は栄子が嫁いでから生まれたから栄子の心情的に自分という妻がありながら側室をつくるなんてと思ったのではないかと思ってしまう
まあ栄子の生母はわからないけど5女だから多分栄子は側室腹なんだろう
それに朗子や伊都子、茂子や信子の夫や直映の妻も側室腹だから当時はまだ側室腹主流で栄子も黙って認めることしか出来なかったと思える
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 18:32:22 ID:EJo08u0i0
俊子は好みによっては美人じゃないかな?
栄子はおおらかな人格者だったらしい。
側室は朝千代っていうから芸者さん?
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 19:29:00 ID:0BqMBY5rO
歴史読本によると朝千代は大木益知娘らしい
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 19:44:50 ID:qtF3f5sA0
大木って一般市民?でも新橋とかの芸妓だったんじゃ?
息子は朝千代の生んだのがイケメンだね。
茂子は出もどりで写真に写ってるけど、肩身狭くなかったかな?
36歳で早世したのはかわいそうだけど。苦労したのかな?
俊子の娘で後に韓国の皇族と結婚して(不倫の子供を産んだことで)離婚した
佳子はお上品なおばちゃんだったよ。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 20:35:17 ID:0BqMBY5rO
朝千代が芸妓だったのは初耳だ
というか直大の息子は直映以外名前しかほとんど知らないんだけど
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 20:47:02 ID:mfpzGYns0
名前まらいって普通につけられた名前じゃねージャン朝千代って。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 23:00:43 ID:Y36ftiW+0
栄子は新婚から中年以降の劣化がひどすぎる。
栄子マニアの多いスレ
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 23:18:54 ID:0BqMBY5rO
>>596 きっと公家風の質素な食事だったのから大名家の豪華な食事、さらに洋食などでぶくぶくに太ったのだろう
それでも39歳で末娘を産んだからすごい
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 00:02:55 ID:oN9wvkjbO
松平容保の息子の嫁の中では野ブタだけ家柄が突出しているw
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 02:28:49 ID:Gi30n9AyO
>朝千代は大木益知娘
本のタイトルは忘れたが大木益知娘は「夏」という名らしい 朝千代は源氏名では?
彼女の所生は明治20年4月生まれの貞次郎、明治21年9月生まれの孝三郎、菊子(明治22年生まれだが夭折)、明治23年10月生まれの俊子(誠子改名後佳子の母)、哲雄、明治28年2月生まれの5人らしい
栄子も5人生んでるみたいなので直大も律儀?な気もする
栄子も若い頃は美人で伊都子とよく似てるが歳とってからの写真は信子そっくり 親子だなぁと感心した
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 08:53:55 ID:wHtQJDsN0
近代以降の一私人をここまで根掘り葉掘り詮索するのはキモイな。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 09:33:17 ID:sBE8Hv8K0
前妻の胤子は才能のある女性だったみたいだね。
夫婦仲も良かったみたいだし。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 19:20:45 ID:9K1l7uyW0
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 21:40:28 ID:D19JF29f0
サエコの娘ナミコは、初孫だからじいちゃんの直大にかわいがられたみたいだね。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 00:50:56 ID:WH5CgnwUO
直大の子供のうち13人中6人がなみ子より年下だったりする
一方直大の次の孫の方子女王はなみ子より14歳も下。
母の伊都子(直大第4子)はなみ子と5歳しか違わない。
茂子(直大第5子)が生まれる前に朗子は嫁ぐ。
これってどうなんだろう。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 01:40:22 ID:3oQpK+Td0
あのころは結婚早かったからねー。栄子とサエコは鹿鳴館で一緒に活躍したから仲は良いのでは?
サエコの同腹の弟と黒田家令嬢の間に生まれた長男(朝香宮女王と結婚)は
かなりイケメンだよね。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 01:42:56 ID:3oQpK+Td0
あと、サエコがすぐに未亡人になって、ナミコに養子をもらうことになったりするとき、
前田家とともに、父直大も長女の嫁ぎ先の家族会議に参加してたらしい。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 01:59:32 ID:3oQpK+Td0
哲夫かわいいな!
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 02:01:48 ID:WH5CgnwUO
>>606 長男はそれほどではないがその朝香宮女王は美人だった気がする
というか朗子も直映も子供は一人だけだから胤子の子供は繁殖力が無いのか?
あるいは二人とも配偶者と年が離れていて夫婦仲がしっくりこなかったのか?
前田利為カコエエ!!
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 05:12:35 ID:ksCf93Xv0
サエコはダルビッシュの嫁
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 09:13:29 ID:tM5GQWNp0
朝香宮の女王は母君(明治天皇内親王)は、はっきり行って
女性お笑い芸人クラス(森三中)のお顔なのに、娘、美人だね。
短命だったけどの母君は、愛嬌あるし夫婦仲もいい感じだね。
明治天皇の内親王の中では一番幸せだったかも。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 14:32:54 ID:pO3wusw00
朝香宮女王は後とり生んだの?
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 15:16:47 ID:HxttCaz+0
このスレって近所の人のプライベートを喋り捲る主婦の井戸端会議そのものだな
女くせえ
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 18:27:53 ID:vjIZxfvo0
↑ニートキモ
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 18:54:39 ID:Shor0dxB0
マンコくさいスレ
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 19:28:43 ID:WH5CgnwUO
>>612 確か跡取りは当然のこと男女とも数人の子を産んだはず
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 21:08:54 ID:pmLQTSbF0
直大の長男と黒田の娘は結婚10年目にひとつぶ種の跡取りをもうけてるから仲良かったんじゃない?
サエコは夫が病弱ですぐ亡くなったからナミコだけなんだろ。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 23:17:20 ID:pmLQTSbF0
園祥子の多産の血を受け継いでるな。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 08:01:25 ID:3cxgfoXj0
しかし、姉が美しいだけに信子はお笑い芸人顔にしか見えん。
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 09:39:15 ID:4TimobIu0
令嬢のオーラマイナス1000000000000000くらいだよな。
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 14:08:16 ID:hvR4q1ep0
なれど根性の悪さでは諸侯華族で一二を争う勢いだったぞゑ
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 17:01:17 ID:SKVx9AJK0
信子は美智子様苛めてるからな。あ、いつ子も。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 17:49:11 ID:SKVx9AJK0
鍋島と根性悪を競っていた華族ってどこ????
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 20:46:54 ID:Zxjgj6Zt0
信子と一緒に、美智子様御成婚に反対した宮崎白蓮は?
柳原伯爵家出身(白蓮は美人だけどね)
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 01:00:42 ID:axJQnCSNO
直大の娘の嫁ぎ先はよく話題になるが直大の息子の嫁と実家はテーコ以外は全く話題にならないし俺も知らない
次男以下の嫁は一体どのような出身なのか?
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 01:14:55 ID:WJvBh4pI0
白蓮は芸者の子。
直大の長男の嫁は大人しい人だったらしい。
白蓮は華族社会が嫌で、駆け落ちして飛び出したのにそんなことやっとったとわ
>>625 駆け落ちは今でもよく美談として取り上げられるが、その話は虫というのがさすがご都合主義の今時のマスゴミ・・・
白蓮の最初の夫・北小路子爵は吉外だったというのは本当か
間に生まれた功光氏は白蓮の才能を遺伝して歌人となったが、白蓮を嫌っていたようだね
629 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 17:17:10 ID:fG4bxMFD0
武者小路ちゃうーん?
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 21:07:22 ID:X0lG8ICXO
かけ落ち騒動中に白蓮を預かっていた樺山家の令嬢である白州正子は、
正田美智子排斥運動をしていた白蓮を
「腹のなかまでまっかっかになっていたと思ったのに(笑)」
と、笑ってたね。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 22:20:38 ID:mtl0uIRV0
正子は、勢津子妃と仲良しだけど冷静に時流をみてるね。
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 10:24:37 ID:dfDa45M90
なんで樺山が預かったんだろ??
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 16:13:33 ID:BjAsWFWL0
信子って令嬢のオーラないね。
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:45:11 ID:+Q44BKYH0
ナミコ36歳で亡くなったんだよね。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 20:15:18 ID:nT4hX+xtO
なみこには利国という息子もいたらしいが夭折したのか?
>>633 信子が姉伊都子妃似で、娘勢津子妃がこれまた美女で、
秩父宮家が美男美女の製造所だったらなぁ、、、、
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 21:55:05 ID:IiwsRdnJ0
勢津子は、信子よりはるかにまし。
子供は流産してるよね。
>>637 青森から上京したときの長旅と寒さが原因だったそうですね。
秩父宮様もまもなく発病なさり、若くして亡くなったから、その
赤ちゃんが産まれていてくれたら、とこれまた溜息がでます。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 00:08:26 ID:CpqlLtQW0
子供できるのに10年かかってるよね。
もっと多産方の人と結婚させるべきだった。
モーホーの旦那相手によく頑張ったと褒めるべき
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 06:54:56 ID:U6YN5Ci9O
勢津子の妹の正子はお菓子が手放せない
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 08:20:12 ID:JeuN/Qpn0
正子は、不細工だよな。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 00:00:01 ID:tIUkXwIy0
高松はモーホー。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 00:00:48 ID:1Qovq9Q40
>>635 とりあえずI子の子、利建が前田本家を継いでくれてよかった
菊子は嫌いだ
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 08:36:29 ID:Fu2q6okMO
>>643 徳川正子だけでももう一人いて(徳川家正夫人)旧姓の松平正子は知っている限りあと二人いる(松平春嶽娘、松浦伯爵5女(夫の名前は忘れた))w
春嶽娘正子の姉はこれまた節子w
だから正子の娘は三千子という珍しい名前なのか・・・
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 10:20:54 ID:v4sRKzTt0
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 10:21:00 ID:IyXptw2h0
>>646 家正夫人の徳川正子(島津家出身)は「なおこ」と読みますね
美人かどうか、というと、姉の久邇宮俔子妃同様、少しあごが長いし。。
家正さんより家達さんがハンサムだと思う
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 22:30:48 ID:lwQfHWED0
みいこは嫌いだけど菊子は好き。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 00:39:37 ID:5dTr251Y0
不細工信子の不細工娘正子はどうなった?
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 00:54:38 ID:fyDNeZ1G0
>>354 大名出身の華族に関しては、
1万石毎に現在の貨幣価値に換算すると、
1億円くらいのお金が1時金として渡されたみたいです。
ですから、大名出身の華族は金持ちだったでしょう。
公家出身は、貧乏ですね。
貴族院はお給金が無かったらしいのですが。。。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 01:25:00 ID:5dTr251Y0
松平不細工信子
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 04:12:38 ID:xeufu3efO
松平徳川正子は息子を産んだのになぜ婿養子があとを継いだんだ?
信子の不細工次女正子はどうなのさ?
信子性格悪いねー。
不細工だよなー。
信子最低ーーーーーーーーーー。
娘正子もブス!
信子最低
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 01:30:48 ID:0mYcLfps0
信子は、外務省若手から「鬼婆」と呼ばれてたそうです
でもその鬼婆は宮内庁参与で、良子皇后から絶大な信任を得ていたそうです
信子てめー何様なんだよ
平民のくせによー
と思ってた奴いただろうな
663 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 05:28:29 ID:kKGCx1ie0
女官なぞは戦時中に東條が参内するたびに「お土産」をもらってた奴らだよ。
「細川日記」にも出てくる。君主制の盲腸みたいなもので、よくあること。
>>652 こういうスレには必ず出てくる話題だね。
公・侯は歳費なし。そのかわり互選なしで貴族院議員の資格あり。
その下は互選だが歳費が出るので、貧乏華族による談合選挙も同然。
ちなみに皇族も貴族院議員。出席しないのがむしろ慣習。
明治・大正・昭和と宮内省には爵位関係の「陳情」が切実に行われていた。
特に仙台の伊達伯爵。宇和島が侯爵なのに・・・という家臣団の熱意は報われず。
秋山好古は男爵候補ではあったが、常に落選。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 05:34:25 ID:kKGCx1ie0
おまけだが、越前松平は当初伯爵。
家臣団の陳情が実り、無事に侯爵に。
「幕末四賢侯」として伊達(宇和島)・山内・鍋島なぞの下風に立てるかという気概やね。
御三家の付家老も成瀬や安藤、三浦といった万石取りの連中が男爵になれた。
信子性格悪いな
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 08:51:24 ID:lEVrWl7X0
華族の末裔のかたがたがお下品な噂話をしあうスレはここですか?
不細工だし!
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 12:06:48 ID:2HjSzR+a0
>>632 亀ですが
┏━━━┓
川村純義╋花子=柳原義光 白蓮
┃
┣常子=樺山愛輔
花子の夫は柳原義光 白蓮は義光の妹
常子の夫は樺山愛輔 白洲正子は常子
樺山家は嫁の姉妹の小姑を預かったことになる
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 13:24:31 ID:zwUhqcZ4O
確か花子って吉井徳子たちの生母では無かったよね
花子は後妻 前妻の銀子(池田慶政の娘)との離婚が明治37年3月らしいから銀子の子か、側室(いたかどうかしらない)の子だろう
☆徳子 明治33年5月生まれ 文子明治37年3月生まれ らしい
川村って明治天皇の内親王の教育係で薩摩藩関係でしょ。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 18:25:47 ID:zwUhqcZ4O
>>670 申し訳ないのですが文子って誰の妻なんでしょう・・・
婿養子を迎えた方は別の娘でしたよね・・・
あと花子は子供を産んでいるのでしょうか?
673 :
670:2007/10/08(月) 20:44:57 ID:eR8c49btO
>>672 婿養子を迎えたのは福子 (大原家より博光) 彼女が義光長女と思われ
花子の子供についてと文子の嫁ぎ先についてはしりません 役にたたずごめんなさい
誰か知っていたら教えてくださいm(__)m
信子性格悪いなー。n
正子ブスだな。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 23:02:14 ID:c6Ja/CZ20
すみません。美人で有名なナミコさんの肖像ってどこでみられますか?
探したがありません。どこで美人って知ったの?本とかでしょうか?
美人帖
なみこは、36歳でパリで亡くなった。美人。
育ちの良さから感じられる気品が
I子を美しく見せているのだと思う。
顔立ちはまあ普通。
あの時代としては美人だろ。
鍋島家も孫娘かわいがってるし。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 02:44:03 ID:tEZ3aSQN0
なみこの、旦那と一緒に写ってる写真みると、気品はさすがだね。でも顔長い。
ちょうど、江戸時代の浮世絵の美人画みたいな顔立ちだと思った。
母親が鍋島直大の長女だけど、生母が直大の最初の正室で公卿の梅渓家の娘で、
嫁いで子供生んだ頃はまだ明治維新すぐで公卿の奥方の格好して眉もなくお歯黒
してる写真がすんごいブスなんだけど、洋装の写真は眉毛もあって現代的なまあまあな顔。
この洋装の顔と、孫娘の前田なみこってあまり似てないんだけど、なんと
梅渓家の外孫・池坊美佳さんが二人の特徴をもろ受け継いでんのよね。
でも美佳さんの姉の家元はブス、母親の参議院議員池坊保子もブス。
池坊保子氏が梅渓家の出身だっってことは知ってるよね?
娘の美佳さんはたまにテレビや雑誌にも出てくるけど、ググれば写真でてくるよ。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 03:03:46 ID:tEZ3aSQN0
>>681 すまん間違えた
×姉の家元 ○姉の次期家元
×母親の参議院議員 ○衆議院議員
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 07:09:21 ID:VkNn1KaYO
池坊保子は朝彦親王の曾孫
胤子は愛嬌がある。直大とも仲良かったみたいね。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 10:47:01 ID:wXGSKWQK0
>>676 日本の肖像―旧皇族・華族秘蔵アルバムに沢山載ってる。
今風の美人ではないけど、雰囲気は充分美人。九条武子風。
ここでよく出る鍋島栄子さんは再婚だけど、明治初期にもなると
二夫にまみえずの考えも薄れたのだろうか?
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 11:12:10 ID:5N2+FGb+0
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 15:29:57 ID:VkNn1KaYO
>>685 栄子の前の夫は岩倉具視の息子の南岩倉さん(名前失念)
南岩倉さんが死んだとき栄子は若く子供も無く跡継ぎは堀河家からの養子(岩倉具視の兄の孫で岩倉具視の孫と結婚)だから離縁→再婚出来たんじゃない?
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 16:16:43 ID:pA6qfdOA0
ちょっともめた。
鍋島が前妻が亡くなった後にイタリア公使に任命されたんだけど、以前イギリス留学してたもんだから
外国人妻を迎えることになったら困るってんで後妻を探していた。
一方南岩倉が亡くなったんでちょうどいいから栄子をいったん宮中に入れてそっから嫁にやろう。
宮中から嫁をもらえば離婚しないだろう。という話になったけど皇太后や土方久元も反対した。
そこでいったん話はなくなったんだけど、妹を不憫に思ったか藤波侍従が皇后に引き合わせて
皇后の御声がかりということで縁談をまとめた。
ただ後日談があって、儒学者で侍補の元田永孚や土方が寡婦に再婚を世話するのは節婦の道に反する
皇太后が反対してるのに姑の意向を無視するのか、孝子の道にもとる。と詰め寄った。
すると皇后は謝って「今後も注意してほしい」と伝えたらしい。
栄子は鍋島侯爵夫人として婦人慈善会や愛国婦人会の要職を歴任したり、外交官夫人を務めたりと
お国のためにやったので、皇后のほうに先見の明があったと思える。
維新前から儒学者をやって頭が固いじいさんと、まだ若い皇后の考え方の違いだね。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 17:21:26 ID:XRj4iYD30
朝千代さんの写真ないの?
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 17:23:45 ID:nSi9SDzp0
鍋島直大が結婚するころは、爺さんが将軍家から嫁をもらってすごい金がかかったので
以後嫁はたいそうな身分からもらわない、というような家訓めいたものがあったようだ。
だから最初の妻もビンボー公家(最初質素なところが気に入った中院家の姫が
候補だったらしい)からもらい、次の嫁も公家からもらった。
次の代になると直大も侯爵として宮中で重きを成すから長男の嫁が黒田藩姫、
その次は宮家降嫁、そして国際結婚と派手になってゆくけど。
>>690 >将軍家から嫁
エロ家斉の娘だね
子沢山のために諸大名たちはマジ迷惑したらしいから
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 20:25:47 ID:nSi9SDzp0
朝千代ってだれ
側室
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 21:34:04 ID:nSi9SDzp0
誰の?朝彦の?
直大の側室。
ところで将軍の娘はDQNだったの?
朝千代さんについて詳しく!!!!
信子の晩年は?不細工。
姫は子供生んでないの?
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 17:50:01 ID:G35BC43uO
盛姫国子は子供は産んでいない。後妻の筆姫建子は分からないが少なくとも成人した子供は産んでいない。
成人した子供を産んだのは
山本勇(貢姫生母)
鍋島濱(直大、幸子生母)
村松某(宏子、直虎、直柔生母)
である。
筆姫は晩年外国にいる直大と胤子に代わり朗子と直映を育てていた。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 22:55:33 ID:sPUil3OY0
筆姫ってどこから嫁に来たの?
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 01:01:46 ID:/3dSZhMV0
このスレって、誰が美人か不美人か、誰がどの子を生んだか、その他はスキャンダルの話ばっかだなw
ワイドショーで皇族を見て、うだうだ言ってるバカ主婦どものようだ。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 04:24:04 ID:ed3D4VwV0
華族のスキャンダルをテーマにした本は多い。また、誰がどの子を生んだかなんて
人物史の基本中の基本で、関心が高いに決まってんだろ。
ワイドショーみてる主婦みたいだと?ばかか、世間知らず丸出しだな。
筆姫の話にもどろうぞ。
705 :
700:2007/10/12(金) 05:11:35 ID:5Jzry7F9O
>>701 筆姫は田安家の出身で確か松平春嶽の同母妹だったはず
側室の娘だったんだ。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 09:23:32 ID:bpG4/HfB0
↑あの時代、正室の子供のほうが珍しいよね。
田安の3兄弟(家達、達孝 頼倫)のうち、みんな側室腹だけど上の二人は生母が同じだから、晩年になっても似てるよね。
ちなみに達孝の最初の妻(慶喜の長女・鏡子)が生んだ4姉妹がみなびっくりするくらい美人なんだけど、
特にきれいな3女(名前忘れた)が晩年、伯父である家達にそっくりになるから笑える。
ちなみにその3女は、柳川の立花家に嫁ぎ、女の子しか生まれなかったので、その家付き娘(立花文子さん)が
執筆した『何とかなるわよ』に、写真がふんだんに使われている。『美人帖』などには掲載されてない写真ばかりで、
とにかく田安4姉妹の美しさにびっくりさせられる。
鏡子って20歳くらいで死んだから子供いなかったんじゃない?
でも、慶喜の娘では一番美人、母親は信って説があるけど不明らしいね。
美人だって思うのは、紀州徳川の3姉妹。伏見宮女王の生んだ子かな?
あと、鏡子は次女、長女は正室の子で夭折。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 12:45:07 ID:5Jzry7F9O
>>708 鏡子は驚くべきことに長女を15歳、次女を16歳、三女を17歳、四女を19歳で産んだ。
そして鏡子の孫は女性ばかりで長女の婚家は外孫が継いで次女、三女、四女の婚家は婿養子が継いだ。
紀州家は長女と次女は伏見宮が産んだ子だけど(長女の前に夭折長男も産んでいる)伏見宮は次女を産んですぐ産後の急病で亡くなり三女は多分後妻の子だと思う
あと鏡子の長女はなぜか改名歴がある
鏡子の娘と家達の娘よく似てる(美人)
あと田安家出身の面々て皆下膨れなのね
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 22:45:24 ID:785ZrPYN0
>>708 美人帖には鏡子の生母は不明、側室の信か?って書いてあったけど、
ふたりの写真比べるとそっくりだと思う。面長の顔つきや雰囲気が。親子だと思うよ。
>>711 家達の娘って、近衛姫が産んだの?誰?写真どこに出てる?鷹司に嫁いだ娘?
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:51:42 ID:5Jzry7F9O
ウィキには信の子供の中に鏡子がいたよ
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 23:55:08 ID:lqdilkTw0
朝の4時にカキコしてるニートが世間知らずってw それどんな笑い話?
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 00:13:00 ID:j9VVpCXKO
ところで家達、達孝の異母妹で頼倫の同母姉の鎮子(庄内酒井家に嫁ぐ)はどんな顔なの?
>>712 1億人の昭和史 明治 中
の島津忠秀初節句の集合写真
そう鷹司の方w
徳川綏子と徳川繍子がよく似てるの
いとこだから当たり前だけど
鏡子にしろ信の子供はキレイだね(鏡子は母不明とも言われるが)。
幸の子供は糸子なんかブス系・・・じゃ。
島津から徳川に嫁いだ為子さん美しい。晩年は苦労したんだね。
あと、一条家は美人多いね
幸の子と言われてる筆子と国子は
目鼻立ちがはっきりしたなかなかの美女だとおもふ
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 07:27:24 ID:fnQMa7V+0
>>714 ばかだね、あんた。いろんな働き方あるでしょ、それに早起きしたのかも知れんし。
そんな想像もできず、何かといえばすぐニート、と言う。自分自身がニートだからだろ?
意識変えろ。
国子は伏見宮妃殿下と同年の姉だよね。
おとなしげな顔立ちだけど、年取ったら下品なおばちゃんやった。
筆子は、蜂須賀に嫁に行って早くなくなった人?
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 14:57:26 ID:73wk4xoc0
爵位のランクはどうやって決めたの?
とくに伯爵以下の(江戸以前の家格や維新功臣以外)功績
による場合。
維新の功労者が決めた。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 23:54:42 ID:nnWPsLUC0
国子と経子って同年生まれなのに、嫁ぎ先に差があるよね。
どうして宮妃は、国子でなく経子だったんだろ?
あるいは二人が比較されて経子に決まったわけではなかったのかな?
宮妃って、相当名誉なことで、婚約が決まると家の中でも特別扱いだったと思うんだよね。
慶喜家の一代後に、高松宮喜久子妃殿下が生まれているが、幼いときから親王妃が内定していた
ようなもんだったから、幼少期から家の中でも他の姉妹とは別格の扱いだった様子が、
妹の榊原喜佐子の著作『徳川慶喜家の子供部屋』で回想されている。
ちなみに彼女はおばあちゃんの有栖川宮慰子妃殿下(前田慶寧の娘)の狐顔を
受け継いでる。お美代の方のDNAか?面長なところは、新村信のDNAかもしれないが。
そのまた妹の久美子は、全然違う丸顔・大きな目の顔立ちで、まさに祖父の
有栖川威仁親王そっくり。
幸より信の子の方が優遇されているようだ。
2人は仲良し側室だったから問題はなかっただろうけど。
一応大正天皇のお妃候補として、幼女時代に2人は明治天皇の
内親王のお遊び相手をしたらしいけど。
ルックス的には幸の娘は色白美人。
そういえば、このときの九条家の節子とその姉(東本願寺裏方となる)も
嫁ぎ先に格差ありすーぎ!
ところで、徳川で有栖川の血を受け継いだのは、高松宮妃殿下と死んだ姉だけで
他は側室の子供だから、オミヨちゃんの血は受け継いでないよ。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 01:00:18 ID:EIEk9toj0
公爵位を継いだ喜久子妃の弟(慶光)は実枝子女王腹ではないの?
慶光の母も実枝子
下の妹2人だけ妾腹
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 02:13:38 ID:2TQIdkg7O
伏見宮は長身だったから国子より身長の高い経子が選ばれたらしい。結婚当時経子も国子も満14歳。
経子は結婚の11ヶ月後に長男、また11ヶ月後に長女を産んでいる。
慶喜の初期の娘は皆15歳ぐらいで結婚しているのにだんだん晩婚になって末娘の英子は24歳で結婚している。なぜだ?
あと榊原喜佐子は自分と血の繋がっていない美賀子や
やはり夫と血が繋がっていない夫の祖父の正室(慰子妃の姉)を祖母と呼んでいるのに対し
公式なら外祖母であるはずの慰子妃を祖母と呼んでいないから激しく違和感を感じたがそういうことだったのか。
でもそうだとしたら喜佐子は前田家の血を引かないから嫁ぐ理由が無いような?(喜佐子の息子の嫁は前田家の縁者らしい)
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 02:18:41 ID:C75Svntn0
>>729 ええ、妾って誰?
さっきの『徳川慶喜家の子供部屋』では、著者の喜佐子は生まれたときから実枝子元女王のもとで育てられて、
自分や妹が妾腹なんてひとことも語られてないよ!
根拠を出して〜。
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 08:12:46 ID:u19SgpG3O
>>731『女聞き書き 徳川慶喜残照』遠藤幸威著 の中に松平幸子未亡人聞き書きというのがあり、それによると実枝子夫人が胸を悪くして転地療養する時、自分の侍女の「仙台生まれのテツコ?」とかいう人を慶久にかしづけて、その人が2人の娘を産んだ とある。
戸籍上はみな実枝子夫人の子になっていると思う
ただ、ソースはそれだけだしこの「松平幸子」未亡人も何者かは不明。
二人は上の三人に比べて年が離れているというのはなる
>>730 推測だけど、初めのころは徳川本家のほうが積極的に動いていたんじゃない?慶喜が公爵になるまでは
すべて本家丸抱えだったし。あと静岡じゃ立派な教育が受けられないからって子供たちを本家に預けていた
らしいし。
ただ、公爵になってからは本家から独立したわけで、慶喜が自分で動かなくてはいけなくなったため遅くなっていった
とか。
英子はどっちの子?この人の写真は見ない。
その上の姉糸子は公爵家に嫁ぐが不細工だな。
やっぱり鏡子が一番美しい。
かわいそうなのは美作の松平に嫁いだ幸の娘だよね(夫失踪)
美枝子女王は男子を産んでないはず。
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 14:23:50 ID:HffDm3bX0
英子って幸の子供?父にもにてるかも。どこにお嫁に行ったんだろ?
黒田清子さんには十二単着てほしかった。あの人は似合うだろうね。
愛子内親王も将来似合うだろう。個人的には一条美子皇后が一番美です!
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 14:34:19 ID:5yJIE6fH0
前田家といえば15代藩主前田慶寧をなんかの本で見たことがあるけど
近衛文麿にそっくりでびっくりした
母方の血を色濃く受け継いだんだなあ
母親ってオミヨちゃんの娘、赤門の容姫だろ。
母親に似てるって容姫の写真あるのか?
娘の4女(アリス川妃殿下)はキツネ顔じゃん。
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 14:40:30 ID:5yJIE6fH0
近衛文麿が母方の血を色濃く受け継いだと言いたかったのだ
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 15:40:01 ID:2TQIdkg7O
>>735>>738 英子は信の子供。水戸家の徳川圀順(慶喜の兄慶篤の孫)に嫁いだけど30代後半で死んでいる。
糸子が嫁いだのは四条侯爵家。
夫の母親は元芸者で先妻を追い出して(?)自分が妻になったといういわくつきの女性。
夫は兄たち(先妻の子かどうかはわからないが)をさしおいて四条家を継いだ。
浪子は同母姉の筆子が死んだので筆子の夫の後妻にという話もあったが断ったらしい。
なんか幸より信の子供のほうが配偶者の家柄が良い気がする。
浪子なんか分家にお嫁に行って半年で旦那失踪、15歳で子持ち未亡人(つーか自殺したのか?もわからない夫)
それに、後とりも信の子で長男じゃないし。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 18:36:14 ID:2TQIdkg7O
成人した順だと
厚・生母幸・妻松平里子(伯爵→侯爵娘・母側室)
仲博(旧名博)・生母信・妻池田亨子(侯爵娘・婿養子・母鍋島家出身)
慶久(旧名久)・生母信・妻有栖川宮実枝子(親王娘・母前田家出身)
誠・生母幸・妻名和霽子(男爵娘・母家付き娘?)
精・生母信・妻勝伊代子(伯爵娘・婿養子・母正室だが平民)
まあこんな風になる。慶喜の息子は全員側室腹だが嫁は一番歳がいっている里子以外は全員正室腹。
厚の家は宗家から直接の分家だが誠の家は慶喜家からのさらに分家。
厚の妻里子は詐欺してるし。
精は自殺・・・・。
浪子の夫って結局なんだったんかなー?
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 20:37:22 ID:2TQIdkg7O
>>746 詐欺は里子じゃなくて厚と里子の息子じゃないの?
里子と長男が詐欺だよ。関連本みなよ。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 20:45:30 ID:5yJIE6fH0
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 20:56:06 ID:1Z5SWIn50
『徳川慶喜残照』は、今日本屋に問い合わせたら取り寄せできない絶版だと言われた。
読みたいなー。どうすりゃ手に入るんだ?
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 21:43:44 ID:2TQIdkg7O
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 21:45:24 ID:1Z5SWIn50
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 22:05:52 ID:u19SgpG3O
「女聞き書き 徳川慶喜残照」遠藤幸威著 の中の松平幸子未亡人聞き書きでは、『慶久と実枝子の間には慶子(夭折)・喜久子・慶光がいた』とある
>>751つ図書館
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 22:21:56 ID:5yJIE6fH0
慶光の写真をなんかで見たけど
やっぱ実枝子の面影があるよ
高松妃殿下は父に似てる。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 08:37:02 ID:JffiPpysO
厚の長女も喜久子という名前だったよね
信は色白美人、おしとやか
幸は色黒大柄でも明るい気さくな性格
2人は仲良しだった
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 14:49:45 ID:JffiPpysO
幸の孫は全滅
信の孫もあとわずか
妃殿下は信の孫だよね。
鏡子は歴史読本では2人の子じゃなく
「母不明」ってなってたよん。
喜久子は実枝子に似てると思うけどな
喜佐子の本に載ってる写真を見た感想
若いころの美枝子は美しい、早世した明治天皇内親王の許婚だった兄弟もイケメンだったらしいね。
父親ににたのか?前田家出身の母は美人とはいえないぞ。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 20:12:02 ID:JffiPpysO
>>763 生きている方も80代90代のおばあさんですから・・・
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 20:19:58 ID:PLTpp3pB0
「女聞き書き 徳川慶喜残照」に
実枝子は歌舞伎の歌右衛門がやる女形に似た面長な美形の年増な貴婦人だったと
書いてある
美枝子女王も夫も美形だよね。夫は信に似てる。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 20:56:46 ID:JffiPpysO
確かにに慶久はイケメソだった
浪子の夫は結局自殺したのかなー?
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 23:44:34 ID:PLTpp3pB0
喜久子妃は才気が溢れる感じがしたが
弟の慶光は軍隊で2等兵でどの徳川か誰も知らなかったりと
あまりパッとしない気がする
喜久子は江戸っ子って感じの女だったな。
慶喜家現当主の慶朝さんって曾祖父の威仁親王に似てると思いました
ところで慶朝さん離婚なさったのですか?
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 06:13:06 ID:EGpbqdeO0
>>772 一応、伍長だか上等兵だかにご昇進なされたとか。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 08:43:20 ID:TOSvKIx70
東京帝大でてるのに
どうして2等兵で軍隊に入ったんだろう
大学でてたら幹部候補生だろ
>>774 離婚したかどうかはしらないけど現在独身だよ>慶朝氏
近著?『徳川慶喜家の食卓』などで「花嫁募集中」と書いてられる。
今なら御台様になれる
チャンスだ
ごめ 間違えた 慶喜家だったねorz
喜久子の本の中の高松宮(有栖川宮)略系図に
喜佐子・久美子の名前が載せられてない。
2人は有栖川家の血が流れていないけれど
こういう扱いはモヤモヤしたものを感じる。
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 17:39:24 ID:iAbqR+xqO
>>780 しかも喜佐子や久美子は完全スルーされているわけではなく時々「妹が・・・」とか「妹は・・・」とか出てきた(と思う)から余計歯がゆく感じる
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 17:40:54 ID:iAbqR+xqO
ちなみに喜佐子や久美子は吉子経由で有栖川宮の血は一応引いている
吉子女王を忘れていた。慶喜は将軍の中では唯一の皇族の母持ちだった。
まー妃殿下的には生まれたときから特別に育ってるから、母親も美枝子って呼んだらしいし。
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 00:15:59 ID:POeuwlOG0
それにしても吉子はよく産んだよね、しかも男子を二人も。あの時代の大名家の正室なんてまず産まないし、育たない。
やっぱり斉昭が絶倫だから正室といってもお飾りみたいに考えず寵妾なみにセクスしたから、ということかしら?参勤交代もないし。
水戸家のスパルタ子女教育法は有名だけど、そもそも吉子が丈夫な子を産まなきゃ話にならないわけで、柳腰の深窓の姫君が
よくやったもんだと不思議でならない。他の姫君たちも、仮に旦那が斉昭だったら、丈夫な子を何人も産んで且つ嫡男として立派に成長
させられることができたのかなあ。どっか史料探せば解決するような疑問じゃないけど、みんなどう思う?
有栖川の女王は美人が多いよね。吉子夫人はどうやった?
吉子夫人は28歳で結婚してるから当時だったら超行き遅れだよね。
斉昭は降嫁を喜んだらしいけど。
吉子長男の嫁は子供生まなかったのか?
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 06:16:00 ID:ok5lh6ngO
最初の嫁は一人娘を産み成人して蜂須賀家に嫁いだ。
後妻は一男一女を産んだがともに夭折。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 06:38:13 ID:8l/6OC/L0
このスレで美人、産んだを連鎖あぼーんすると、いったい何レス残るだろう
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 07:57:44 ID:uaTlpovMO
昔大河ドラマの「徳川慶喜」で吉子が釣りをするシーンがあった 多分史実にそっているだろう
部屋の中にじっとしている奥方とちがいそういう環境も吉子の健康によかったんじゃないか
>>780-781喜佐子・久美子は既に他家に嫁いでいたからじゃない? 正式なものでないなら
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 09:59:02 ID:KsTHj/fy0
図書館で見た徳川慶喜展?の図録には吉子女王が釣り好きであるとあった。
あと、乗馬も好きだと。
釣りは吉子だけでなく、美賀子や慶喜の娘たちも好きだったそうだ。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 10:29:56 ID:MgDv6rtQ0
>>785 どうして吉子はそんな晩婚だったの?それまで何してたの?
宮家は晩婚珍しくない、伏見の晃と近親相姦した女王も26歳くらいで独身だったし。
吉子は4人産んでるけど、あの時代に30過ぎた女性がすごいよ。相手が絶倫なのか吉子に魅力があったのか?
長男の嫁(姪?)は美人だったし、伏見宮妃になった女王も美人。
有栖川は美人、美男多いな。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 15:14:07 ID:ok5lh6ngO
慶篤の嫁幟子は吉子の兄韶仁の息子幟仁の長女。
ちなみに韶仁には韶子という娘がいて、
吉子の父織仁にも織子という娘がいて、
さらに織仁の父職仁にも職子という娘がいて、
職仁の先々代幸仁にも幸子という娘がいる。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 17:11:49 ID:eQogpLqN0
>>792 晩婚が珍しくない、というよりむしろ宮家も余裕なくて、大名家や将軍家のほうから縁組の申し込みがあるまで父や兄などの当主から
ほっとかれるケースも多かったのかしら?
宮家の娘なら一応降嫁になるから、御三家・御三卿や大大名家に限られるし、公家社会でも嫁ぎ先候補はもともと少ないしね。
かといって宮仕えに出る身分でもないし。吉子みたいなのは嫁に行けただけマシなのかな?
たしかに幼児の死亡率高かったから、幼いうちに婚約しても無駄になる場合が多いので年頃になって
ようやく嫁ぎ先を探し始めようとすると、意外と釣り合いの取れる相手が見つからないものなのかもしれない。
公家社会では、一生尼寺に入るんでもなく独身のまま年老いて果てていった身分の高い家の姫は案外結構いたのかもね。
でも吉子の場合は若いうちに早々に輿入れしなかった分、丈夫な子供が産めたのかもしれない。
歴史読本みると昔は宮家の女王は結婚と仏門入りが半々だった。
嫁ぎ先は武家(徳川)、皇族同士、お寺(本願寺)が多かった。
公家も摂家クラス、武家も将軍家、御三家など相手を選ばないといけないから。
斉昭は、尊王の考えが強く皇族好きだったし、吉子との婚姻を喜んだらしいから
吉子も美人だったのでわ?
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 17:46:04 ID:eQogpLqN0
じゃあやっぱり、嫁ぎ先が見つからなかったら仏門に入ってたのね?
入らざるを得なかったんだろうけど、吉子が28歳まで独身で仏門に入らないでいられたわけだから、
仏門にはいらないといけない限界は30歳くらいかなあ?当時の考え方として。
でも後妻とかになるよね。なりあきは、初婚だったの?
どっかのスレで写真見た慶喜の一橋家の姑は美人と言うほどではなかったような。
ナリアキは初婚。しかし、結婚時側室との間に4人女児が生まれていた。
そのひとりが南部家の室。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 17:59:49 ID:ok5lh6ngO
あと宮家や公家の姫だけではなく当主も晩婚だった
幟仁は三十代半ばで三十路の二条広子(母は斉昭の姉)と結婚したが既に熾仁や幟子は14歳ぐらいで広子には子供が生まれなかった
広子の妹も30を過ぎて寺に嫁に行っている
また美子皇后の父一条忠香は40歳ぐらいで26歳くらいの伏見宮順子を嫁に迎えたが末っ子の皇后でさえ既に生まれていた
順子も子供は産んでいない
その順子が生まれた当時父の邦家はまだ妃を迎えてなくて
三十過ぎて12歳下の鷹司景子を嫁に迎えたが邦家や邦家の父貞敬も生まれた当時父は妃を迎えてなかった。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 18:02:49 ID:ok5lh6ngO
>>797 連投だが南部家に嫁に行った人は慶喜より2つか3つ年上だから吉子の結婚後に生まれているよ
また女児の数は3人
南部室は慶喜の姉って言われてるよ。
慶喜の一橋家の姑、伏見宮女王は慶喜と7歳違いで若いころは大変美しかったという。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 18:25:09 ID:eQogpLqN0
でもさ、晩婚っていっても決して好き好んで晩婚だったわけじゃないよね?
30歳くらいになったら、むかしは高級化粧品もないんだから、シワやたるみがでて
いい年の女に見えたと思う。白髪もまじってたかもしれないし。
いまでこそ、30歳すぎて独身でもきれいな人いっぱいいるし仕事もあって、
独身でも変でもなんでもないけど、その当時は別に仕事があるわけでもないし、
年頃になって釣り合う立派な若様へお輿入れするのが女子の幸せ、って思想でしょう。
だから、なんで晩婚が珍しくないくらいの状況になったのかってことが知りたい。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 05:44:25 ID:ZNZlMOzZ0
華族が徴兵されたら、すごい苛められそうだな・・・・・・・・・・
>>803 徳川慶光公爵なんて二等兵で徴兵されてる。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 06:59:00 ID:lWeHNcKp0
ループしてる。さすが和製ウィンザー公、大人気。
>>803 だから、堂上華族でも陸士や海兵に入って戦後も自衛隊の幹部に
なった方もおいでだよ。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 15:44:59 ID:LUjMAGJZ0
大学でてたら
幹部候補生待遇で軍隊に入れるんじゃないのか
話がループしてるずら
というか
>>806=
>>776の質問の正確な回答は
この板より軍板とかもしかしたらN極東板とかの方が早く返ってきそう
(大学卒は幹部候補生待遇という話は私も直木孝次郎の回想話辺りで聞いたことがあります)
>>796 嫁ぎ先が見つからないので仏門に入るは間違い。寺に入る女王は小さいころから確約されている。
宮家の女王だからどこの寺でも入れるわけではなくて、比丘尼御所のそれも宮家用の尼寺でないと
入れない。一部は摂家の養女や猶子になって入寺するけれど、それだって数は決まっている。
正確には寺に入れなかった女王が結婚する。
現在の価値観と違って寺に入ることは不幸ではないと思われる。
結婚すれば夫をたてたり、舅姑親族との交際、夫には側室がいて継子もいるわけだけど
寺に入ればその寺の中ではトップ。親兄弟親戚やほかの門跡たちとの交際もあるけれど
寺の中では気を使うのも無し。子供を生むプレッシャーもないし実家に帰ったりしていることも
しばしば見受けられるので、案外気楽な生活かもしれない。
>>803 二等兵として徴兵されても華族の当主とその嗣子は位階を持っているため、
皇室行事の際には高級将校が居並ぶ中に二等兵にも拘らずポツンといれられることもあって、
それで古参兵に生意気だ云々といじめられたという話は聞くな。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 19:56:10 ID:zVtJH6jaO
>>808 それで九条家や久我家の養女になる尼の女王がいるんだ
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 23:33:07 ID:283Vszaf0
母親の身分もあるのでは?
低いほど尼、高いほど将軍夫人。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 06:28:21 ID:7ffXwQf+O
>>812 御台所の中で王女は5人 4代の浅宮の母親は不明だが残り4人は全員家女房が母親なので
その説はあたらない。
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 12:55:45 ID:jMKQVD7/0
今の華族の女性はもっと尼さんになるべき.
尼門跡の空席はたくさんある.
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 17:35:36 ID:7ffXwQf+O
>>812 家重正室は側室腹だが妃(しかも皇女)腹の異母姉は松江松平家に嫁いでいる
家慶正室も側室腹だが妃腹の異母姉は毛利家と浅野家に嫁いでいる
もっとも妃腹の異母姉は将軍よりはるかに年上だが
>>751 つ ネット古書店
徳川喜佐子、久美子が、宮妃の妹たちとしてはやや格下の華族に
嫁いだのも、側室腹だったためと、実枝子女王の恋愛スキャンダルのせい。
誰とスキャンダルに?聞いたことない。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 22:36:31 ID:aNNWldg/0
>>817 確かに、キサコの嫁ぎ先が子爵家なのは格下な気がして不思議だった。ブスだったからだと思ってた。
でも、クミコの嫁ぎ先は越前松平家で、侯爵だし一門なの中でも名門だよ?美人だったからだと思ってる。
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 23:12:10 ID:k3tcU+ws0
実枝子も内心は資産も家宝もたいしてない落ち目の慶喜家に嫁ぐのは皇族出身のプライドが許さなかったかもしれないな
しかも旦那は側室腹だし
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 01:50:50 ID:0lT1wzLS0
喜久子は訳ありの娘じゃないか
良子も結婚前にスキャンダル
勢津子は爵位なしの平民出身
この嫁達たいしたことないね
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 03:53:37 ID:q2OG+oWKO
>>819 でも子爵家でも大名華族の榊原家だから十分名門だよ
しかも前から縁戚ということを考えたらこの結婚は全く不思議ではない
どっかの馬の骨かわからぬ男に嫁いだ公家大名公爵令嬢なんて腐るほどいる
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 03:55:55 ID:q2OG+oWKO
>>820 そんなこと言ったら実枝子はどこにもお嫁に行けなくなってしまうw
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 16:59:41 ID:0lT1wzLS0
良子も結婚前にスキャンダル→これってアサアキラのでそ?
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 17:54:52 ID:q2OG+oWKO
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 18:23:28 ID:QbA6kCmW0
あまり知られてないけど、美智子妃の祖父の弟に嫁いだ一条家の令嬢がいたね。
朝子妃、直子妃の姪で二回目の結婚で皇后祖父の弟と結婚した。
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 19:02:03 ID:q2OG+oWKO
>>827 確か母親は朝子妃直子妃の異母姉だよね
その方の母親(朝子妃直子妃の異母姉)は婿とりなのに大正天皇の妃候補になっていたらしい
>>818 実枝子女王はいわゆる「役者買い」を慶久公爵に知られ、
(妊娠したため)髪を引きずり回され折檻されたそうです。
これは当時、鵜の目鷹の目の上流階級スキャンダルハンターに
みつかり、広く世間に知られてしまいました。
その腹いせで慶久公は侍女に手をつけて異母妹二人が生まれた
そうです。慶久没後一時は喜久子妃の入内もあやぶまれましたが、
有栖川宮家の祭祀を継ぐこともあり、実枝子女王もその後、
髪を半そぎ(在家出家みたいなもん)にしてひたすら謹慎に
努めたのでめでたくご成婚となりました。
>>829 どこに書いてあったの、そんなこと。ソース教えて。
んで、あの時代、宮家出身の公爵夫人が役者と恋仲になんて大胆するか?!
>>830 ソースといわれても、自分がこれまで20年間ほど読んだり、
(皇族・華族関係以外に歌舞伎の古本もかなりありました)
ネットで見たりしたことなので、この一冊というものは
ありません。千田稔の「明治大正昭和・華族事件簿」にも
のっていませんでしたし。華族といっても人の子、不倫、詐欺、
さまざまな醜聞があったことは上記の本でもあきらかですし。
記憶がややあいまいですが、相手の役者は6代目くらいの松本幸四郎(?)
世間からの非難囂々のなか、日本一の美男俳優、橘屋15代目市村羽左衛門は
「間男しねぇ役者があったらお目にかかりてぇ」と言って二人を
かばったろ言われています。
三笠宮妃のご実家の(醜聞ではありませんでしたが)悲劇は公然と
語られるのに、高松宮妃は徳川家と有栖川宮家の出身なので(しかも
最近まで矍鑠としていらした)皇室をはばかる空気も大きかったので
あまりおおやけには語られなかったのでは?戦前や戦後すぐのほうが、
華族旧華族はイエロージャーナリズムの餌食となっていたように思えます。
美恵子女王の不貞が事実なら妊娠した子はどうなった?
なんかありえない(娘が生まれながらに皇室入内予定だから)
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 00:17:33 ID:ljuhaTrO0
慶久のほうが侍女に
あまりに呑み込むんで
それをこころよく思わなかった
実枝子が役者遊びするようになったんじゃないの
堕胎まえに3人生んでたってわけ?
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 01:19:05 ID:81kO+D1RO
>>830前々から何度もでている「女聞き書き 徳川慶喜残照」遠藤幸威著の中の松平幸子未亡人聞き書きに書いてある
相手は高麗屋とあるが誰かは判らない
この本では慶久が侍女に子供を身籠らせたのが気に入らず役者遊びをするようになったという説を採っている
一応書くと「聞き書き・徳川慶喜残照」と『女聞き書き 徳川慶喜残照』は松平幸子未亡人聞き書きがあるなしで違う あるのは後者
美枝子女王は長女と喜久子妃殿下以外に男子も産んだんでしょ。
そのあと、夫に省みられなかったってことか?
華族など有閑階級の人々は夫婦お互いに恋人がいて
楽しく生活してたなんて聞くけどな
>>836 「高麗屋」は松本幸四郎家の屋号。もし幸四郎ならば、当代の
祖父、美男と弁慶上演で有名だった七代目松本幸四郎かもしれません。
この人は三重の百姓の子ですが抜きんでた美貌で舞踊の藤間宗家に
養子になり、九代目市川団十郎の弟子になり、松本幸四郎を継ぎ、
伝説の美男先代十一代目団十郎、八代目幸四郎、二代目尾上松緑という
3人の息子を昭和に贈ってくれた歌舞伎界の恩人です。
江戸時代、役者は「色を売る」といって、大金持ちのパトロン女性が
タニマチになり、お金をつぎ込むのが当たり前で、当然役者も買われて
いました。江戸の風情が残る関東大震災くらいまではそういう
風習も残っていたかもしれません。
840 :
836:2007/10/21(日) 15:49:51 ID:81kO+D1RO
>>839Thx.歌舞伎にうといからなんのことかわからなかった 実名をだすのははばかれるから屋号(わかる人にはわかるよう)をだしたのか
>>837同書には「慶光を産んだあと少し胸を悪くして転地療養をすることになり、慶久に迷惑かけるのは申し訳ないと考えたらしく自分の侍女をかしづけた
しかし病気が治って侍女の妊娠とか癪にさわってきて役者遊びをするようになった」とある
以後夫婦喧嘩がひどかったとか
割り切ってるようで割り切ってない実枝子であった。
へー、びっくりだなー。
ミエコについての一連のレスを興味深く読ませてもらった。
単なる感想で恐縮だが、
サキコの『徳川慶喜家のこども部屋』に掲載されているミエコの写真は
普段の日なのに黒い非常に地味な着物で、未亡人としての慎みからなのかと
思っていた(貞明皇后も、夫帝の崩御後は常に黒いワンピースだった)が、
自分の不祥事への謹慎の意味での「半そぎ」の姿だったのか、と思い知らされた。
また、その本の中で、ミエコが死因になる病気を発病したときの記述があるんだが、
家で突然腹を抱えて?のた打ち回る痛みに苦しんだとのこと。母の豹変にびっくりして
駆け寄ったクミコを突き飛ばした、という記述があったと思う。それだけ強烈な痛みだったのかー、
と思って読んでいたが、今思えばそんなところにもクミコが脇腹の子なのが感じられる。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 21:05:08 ID:ljuhaTrO0
まあ、青春らしい青春を経験しないで嫁いできたんだろうから
同情の余地はある
直腸がんだったよね、実枝子。
しかし、有栖川の女王なのに・・。
一条直子も付議の子を堕胎してるよね。これはかわいそうだけど(旦那がゲイ)
当時コンドームとか避妊法はなかったの?
膣外射精
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 08:19:32 ID:BcZTnLqUO
両親ともお盛んだったのに
喜久子は一人も子供を残せなかったww
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 12:17:59 ID:WMxrgh+V0
ゲイ相手に子供作りようがない。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 12:47:19 ID:4eRGABIxO
一条直子は離婚のときに30歳代後半に不義の子供を堕胎したことを告白している。さらに夫がゲイってことも。それで、60歳過ぎて年下の平民と結婚80過ぎで千葉でなくなった。
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 20:30:24 ID:BcZTnLqUO
直子は1908年生まれだから終戦の頃?
30代後半で他の男性の子供を身篭るも当然堕胎。
夫はゲイだったので終戦後離婚するが、離婚の争いの際
自分と夫の表に出したくない部分も出した。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 22:02:48 ID:BcZTnLqUO
春仁は子供欲しく無かったのだろうか?
河原敏明の本でも読んだら?
夫ゲイだから。
高松ちゃんも?
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 19:39:56 ID:80md54Wj0
姦淫宮はガチ
実枝子かわいそす。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 09:27:56 ID:22vEVDQf0
あーキサコがミエコの子供じゃなかったなんてショック。
『こども部屋』の続編『殿様と私』も名著で、キサコの人となりや知性に感服させれれていたので。
もちろん出自がどうだろうと関係はないが、『殿様と私』の中で、旦那の生母が側室でもともとは
正室(前田慶寧の娘)の侍女にすぎない長瀬 庸という女性で、長生きしたので当主夫妻の若死後
榊原家で幅を利かせていた(側室なのに姑の態度だった)ことがキサコは許せなかったと思われる
記述が結構あって、キサコもそもそも側室の子ならばそこまで思わなくても・・・・と感じてしまう。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 10:37:54 ID:sC++s342O
喜佐子、久美子姉妹は自分の出生について知っていたのかな?
『女聞き書き 徳川慶喜残照』が出版されたのは1985年12月
もしかしたらそれまで生母は実枝子と信じていたかも
美枝子女王も自分のことがあったから、わき腹を実子のように育てることで償ったんやろ。
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 14:01:23 ID:lpv+mwKw0
証拠が何も残ってない武田家臣の子孫と思い込んでるおばちゃん
こんなとこにいたのか
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 18:11:14 ID:MgPkZeilO
>>861 長瀬庸は喜佐子の旦那の生母ではなくて旦那の母親の生母
旦那父は榊原家分家の出で先代の四女つね子(母は慰子妃の姉)と結婚して長男が生まれたけど
つね子が死んだのでつね子の異母妹の五女鑑子(母は長瀬庸)と再婚して喜佐子の夫などが生まれた
旦那父の長男は喜佐子が生まれた頃死んだので次男の喜佐子旦那が榊原家を継ぐことになった
慰子妃の姉は後妻で喜佐子旦那祖父には他にも側室がいたらしい
866 :
りり:2007/10/24(水) 18:37:02 ID:tx+LK1e9O
喜佐子さんと久美子の生母は一緒ですか?あまりにもお顔が似ていないので!
侍女はブスってことか。
戦前は姦通罪・堕胎罪があるけど
実枝子は罪に問われてないよね
名家のため見逃してくれたのか
周囲の口が堅く公にならなかったからなのか
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 20:33:09 ID:sC++s342O
河原敏明氏の本にY宮が妃を亡くした後、体調をくずした時看護婦?とねんごろになり彼女は妊娠したが堕胎させられた とあった
Y宮とは山階宮武彦王と思う わが子が欲しかっただろうに気の毒
家が一番大事な時代だから上流階級の場合は結構堕胎とかあったんじゃ?
慶久の2人の娘の母は同じ
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 20:43:23 ID:pTDZfZs3O
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 21:16:05 ID:xUHE6c+C0
さすが!詳しい方がここ、たくさんいて勉強になります。
山階宮武彦王が精神をわずらって(震災で妃が圧死のため)
ナースを孕ませたのは有名。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 09:54:05 ID:r0zS6bg90
後妻として梨本宮次女と婚約したが、武彦の精神疾患が治らないので破棄に。
それで次女は縁戚の広橋家に嫁ぐことになった。
これは、一度婚姻が破棄になったので格を下げた結婚しかできなかったのか、
母妃が自分の手元に置いておきたいという親心から比較的自由の利く自分の縁戚に
嫁がせたと考えるべき(長女のこともあるし)か、いずれだと思う?
ちなみに長女はドレス姿の写真を見たが、昭和天皇の妃候補になったほど確かに
大変な気品があって美人。母に似てるし、あの父親の血など入っていないかのよう。
一方、次女は母にあまり似ていないよね
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 10:23:03 ID:Az840K2KO
佐紀子妃は懐妊していて診察受けている時、関東大震災で圧死 それにショックを受け病んだ武彦王
その後ナースが妊娠したのに堕胎させられたんだから病気もひどくなるよ…
則子女王と縁談があったのは初耳 伊都子妃か方子女王の本にはただ親戚の広橋家に縁があり嫁いだ、と簡単にふれていただけだった
則子女王の顔がおもいだせない〜
菅野美穂主演の李方子のドラマ
('A`)
佐紀子妃とは当時珍しく恋愛結婚だったって弟王がいってたよね。
佐紀子妃とは当時珍しく恋愛結婚だったって弟王がいってたよね。
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 17:20:14 ID:yhuvlJGwO
>>873 いや、美人だったのは方子より規子だったような・・・
規子の夫は伊都子の従弟だったよね(方子よりさらに年下だが)
規子は母や姉と違い結構子供を産んでいる
規子鼻でかいブス系だろ。
話の腰を折って悪いんだけど、山内侯爵に嫁いだ伏見宮禎子女王はすごい凛々しい美女じゃないか
皇太子妃に内定していたけど病弱であることから破談になったのは有名だが、山内侯爵と結婚後は子供は産んだのか
何歳で死んだのか
誰か知ってたら教えてくれ
伏見宮禎子女王は長刀の名人でもあった。
子供はいなかったが、責任はどっちにあるかわからない。
長刀連盟の会長をしていた(老後)
この人が皇后にならなかったのは伊藤博文らが皇族の力が大きくなるのを
危ぶんだからとも言われている。
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 21:22:16 ID:yhuvlJGwO
>>880 禎子は子供無く(流産や夭折した子もいないのかはわからないが)80歳以上まで生きている
山内家は夫の甥が継いで黒田家に嫁いだ茂子女王の次女光子を嫁に迎えている
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 22:10:02 ID:Az840K2KO
山内豊敷の側室について教えてほすい
豊景と豊秋は同腹?
禎子は明治18年6月生まれ 亡くなったのは昭和41年2月9日
884 :
880:2007/10/25(木) 22:42:46 ID:mCCLjA7o0
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 02:35:36 ID:uHQqDj1MO
>>883 豊敷→豊範
豊秋→豊静
では?
豊景と豊静は二人とも(というか兄弟全員)正室の上杉栄が生母のはず
886 :
883:2007/10/26(金) 06:28:09 ID:7EABqe/NO
>>885あ、そうです。恥ずかしい!! 訂正ありがとうございます。
継室の栄が生母なんですか。ググッてもみつからないのでてっきり側室所生と思っていました。
重ね重ねありがとうございましたm(__)m
前田家に後妻にいった菊子の写真てないのー?
あたしも菊子の写真みたい〜
あんだけミイコ自慢するからね〜
ミイコはったりおおいからさ〜
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 10:36:42 ID:8G7890Or0
酒井美意子 華族の肖像が一番載ってるかと。
別に普通の顔です。とても3大美人には見えません。
美意子が結婚する際に菊子が放った言葉。
「あなたもうまくやりなさいね」
つまり婚外恋愛を楽しむのよ、家を壊さない程度にね。
菊子って誰と?クニ宮は違うでしょ。
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 14:04:44 ID:86+uuI+J0
写真出してくれたらさらに嬉しい・・・
>873>880
>>889
>>892 贅沢言うんじゃありません
特に
>>889は本のタイトルまで出してるんだから
図書館行きなされ
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 22:30:11 ID:+0O0PWrc0
>>889 華族の肖像には、菊子の余り若い頃の写真は載ってないね
できれば、朝融王とのロマンスがあった頃の写真が見たい
『華族の肖像』は普通の公立図書館に置いてあるのかな?
>>892 規模の大きい書店に行けば、日本史の書籍のところに華族アルバム本は
置いてあると思うよ
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 23:58:36 ID:86+uuI+J0
>>893すんまそん。図書館へ行ってきます。
前にも日本の皇族家族?という本を借りて面白いところコピーしまくったので
借りてきて時間があればうpします。
北白川成久王の若いころは最高にイケメンじゃ。房子内親王よかったな。
常子妃殿下美しいったい!
北白川紘子女王きれい
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 03:32:52 ID:CGlHAjC80
常子妃やばすぎ。まじ超きれい。女優級。
常子妃の晩年の写真見たら、田安家に嫁いだ知子に酷似していてびっくり。若い頃はそれほど似てなかったから。
島津家は男女とも容姿端麗が多いと言われていたようだが、常子や知子のあのあごのラインのシャープさは
伯父・斉彬そっくり。まあ忠義も結構シャープだけど。
んで、島津忠義の娘たちを生母別に分類できる人いますか
誰と誰が同腹なのか気になる
ちなみに徳川宗家に嫁いだ正子が末娘でいいのか
ぱっとしない結婚をした娘はいるのか
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 07:21:15 ID:ILb6wPaVO
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 07:37:06 ID:hgAFFVx9O
真の長女 房(生母てる姫・夭折)
戸籍上の長女 清子(生母山崎寿満子・黒田長成侯爵夫人)
次女 充子(生母寿満子・池田詮政侯爵夫人離婚・松平直亮伯爵継夫人)
三女 常子(生母寿満子・山階宮菊麿王継妃)
四女 知子(生母寿満子・徳川達孝伯爵継夫人)
五女 普子(生母寿満子・夭折)
六女 貞子(生母寿満子・久松定(言莫)夫人)
七女 俔子(生母寿満子・久邇宮邦彦王妃)
八女 和子(生母寿満子・夭折)
九女 正子(生母寿満子・徳川家正公爵夫人)
十女 為子(生母菱刈久・徳川頼貞夫人)
以上。
あととりの忠重は10人目の子供だったのか!
寿満子さん乙華麗…
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 11:33:11 ID:hgAFFVx9O
>>903 忠重には二人同母兄がいるので忠重は12番目
ちなみに清子と忠重は15歳差で忠重出産当時寿満子は36歳。
香淳皇后の女腹はこの人からの
隔世遺伝なのかな〜
当時の華族の結婚はどうやって決まったの?
実際に会ってお見合?写真でお見合?それとも親同士で決めた?
すごく興味がある
それと鍋島茂子と島津充子がすぐ離婚したのはなぜ?
性格の不一致?
907 :
900:2007/10/27(土) 19:44:54 ID:zpEqTWjm0
>>901>>902 どうもありがとうございます。
為子以外みんな同腹なんて信じられない!しかも他に側室はいなかったのか?
「薩摩島津家について」スレも読みました。
ここでは知子が一番の美人だと絶賛されていてびっくりした。常子より美人だと。
彼らが見ている「1億人の昭和史」には凄くきれいに撮れた写真が掲載されてるんだろうなあ。
私が持ってるアルバム本なんかには、そんなに美しく写っていないので。
908 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 19:52:41 ID:Bj0wsr6n0
美枝子堕胎したのか?
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 20:08:19 ID:Bj0wsr6n0
実枝子かわいそう!!
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 22:24:00 ID:lShOo9bA0
美恵子さんってすごくまじめそうなのに・・・そのギャップがイイ!
俔子は父にでキツネなのに、若くして雲上人へ輿入れできたのはなぜか?
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 00:18:55 ID:whPQD9J7O
幕末の一時期朝彦の嫁候補に島津と会津の姫がいたけどどっちつかずで両方断ったらしい
>>906 偶然島津家のネタが出たので、また島津家が例になるけどw
島津忠重は一応徳大寺伊楚子とは見合いをして会ってから結婚したようです
回想録によると「徳大寺家の 人 々 と」とある所から見て向こうは一族総出で忠重の品定めに来たんだろうか・・・
時代は下がりやや異色の例になりますが、愛新覚羅溥傑と嵯峨浩も見合いをして会ってから結婚しています
>>907 島津忠義の側妾は山崎寿満子と菱刈久の2名です
明治時代という時代を考えると2名が多いか少ないかは微妙なところ
>>911 久邇宮邦彦王と俔子妃が結婚したのが明治32年
そのとき
>>902の中で未婚なのは
三女 常子
七女 俔子
九女 正子
十女 為子 の4人
九女正子は徳川家正のいいなずけ、
十女為子とは年が離れすぎ(明治30年生れ)
残るは三女常子と七女俔子だけで
単に年若いほうの娘と結婚しただけかと。
ちなみに次女充子はすでに再婚してる
>>914 久邇宮邦彦王の父・中川宮は島津家の薩摩藩とは幕末遺恨の仲ですよね?
他の華族からケコーン相手を選ばなかったのは何故なんでしょうか?
大正天皇の皇子達が佐幕側出身者から妃を選んだのと同じような仲直りパフォーマンス?
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 01:24:24 ID:whPQD9J7O
邦彦より先に結婚した朝彦の他の子供の結婚相手は
安喜子→池田詮政侯爵(後妻)
邦憲→醍醐忠順侯爵長女好子
絢子→竹内惟忠子爵
素子→仙石政敬子爵
栄子→東園基愛子爵(後妻)
割りとショボい家が多い
惟忠妹は忠義弟忠済に嫁いでいるからその関係で島津家から選ばれた?
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 01:25:58 ID:46v852zk0
島津忠義の側室がその二人だけってびっくり。二人の側室は年が離れてるから
実質山崎寿満子が一人妻状態だろう。ちょっと意外だな。
寿満子が引退?してから久が登場するわけだし。
それとやっぱり常子があの美貌で晩婚なのが気になる・・・
婚約者が亡くなったってのが有力らしいけど。
妹のキツネがクニ宮に輿入れするのをどう見ただろう。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 02:34:34 ID:whPQD9J7O
常子と年齢が釣り合って19世紀末期に未婚で亡くなった大名か公家の跡取り誰かいた?
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 04:11:52 ID:QO5PFjoO0
俔子ってブサなだけじゃなく、物凄いぺちゃパイなんだけど。まさに壁。
しかし6人の子供たちは見事にみな容姿端麗だな〜
すまこの遺伝子は持っていたんだな。
良子の入内前の袴姿の写真なんてどうよ、見事なオカメ顔で気品高いこと極まりない。
縄文顔の薩摩人のDNAが半分入っているのになんであんな典型的なうりざね顔の超美しい顔立ちができたんだろ?
不細工な宮と狐妃殿下から大谷智子裏方みたいな美人が生まれたのは化学反応か?
良子は父似だろ。子供のころとかオヤジそっくりじゃ。
>>917 ところが忠義は2人目の妻・寧子(やすこ)の死後に板倉家から棲子という3人目の若い妻を迎えてるんだな
その時既に山崎寿満子は忠義のそばに侍って子供を産んでいた状態
棲子に関しては情報が乏しくて、
忠義と共に鹿児島に住んでいたのか
体裁を繕うだけの形ばかりの妻で、別居していたのか
全く分からない
ただ分かるのは、
先妻2名が子供を儲けた(但し出産時に死去)のに対し棲子は一人も子供を産まなかったこと
そして、忠義より先立って明治19年には没していること
常子はあの時代ではかなり晩婚だね
>>918の言うように婚約者に死なれた等の辺りが理由としては妥当なところだろうが
美人で語学堪能、家柄も申し分無しで何故あそこまで晩婚になったかは気になるところ
常子は何歳で結婚したの
26歳くらいだった。キツネ妃殿下は15歳なのに。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 14:44:20 ID:juhTrQjk0
島津って確かにみんな狐顔だよね・・・狐のお面みたいな
別に婚約者が死なくても、家と家の関係悪化で婚約解消なんてのはありそうだよね。あの時代
有馬伯爵家に嫁いだ岩倉寛子はある日実家の母が危篤だと知らせを受けて
急いで帰ってみると母親は元気ぴんぴん。実は有馬家から寛子を帰宅させる口実で
彼女はその後二度と嫁ぎ先に帰れなかった…と読んでドン引きしたのを覚えてる
有馬頼寧氏は後妻を実の母親と思って育ったとか・・・
現代人じゃ考えられないことだからね
>>926 久光の息子全員がみごとに狐目ぞろい
浮世絵みたい
斜視に見える
下々のものはかくもやんごとなき者に憧れるんだなあと
このスレ見てよくわかった
>>913 とある華族の回想本(徳川幹子さん・高松宮喜久子妃の従姉妹)で
「本人同士よりも親同士が意気投合して婚約させたこともあった」
「7歳で両親同士が婚約の口約束をしたおうちもあった」等々おっしゃっていて
実際のところどうなのだろう〜?と疑問に思っていました。
おそらく時代が変われば結婚の形も変化していったのでしょうね。
こんなこともおっしゃっています。
『私たちの一つ前の世代では、当人が嫌だと思っても、どうしてもと、
首に縄をかけて連れていかれるような結婚がたくさんあったらしいのです』
『私たちの世代では、本人がノーって言えば、それでも押す親は少なかったですね』
つーか喜久子妃殿下とか生まれながらに決められてたし。
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 16:39:51 ID:whPQD9J7O
>>924 常子は28歳9ヶ月、俔子は20歳2ヶ月で結婚
弟たちもそこまで晩婚じゃない(はず)だから常子は相当な晩婚になる
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 21:08:27 ID:jgF36OcY0
常子やっぱ晩婚だな
気になる
慶喜の母(吉子女王)も28歳結婚
文明夫人
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 23:43:17 ID:1lckE02+0
>>920 朝融王なんて、今の基準でもイケメンだからね
色弱さえなければ、非の打ち所なし
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 01:05:09 ID:Om/d9/+00
よく出てる、洋正装して椅子にやや斜めに腰掛けている東伏見宮周子妃の顔は、やっぱり加山雄三に似てると思うんだが。
アサアキラって女にだらしないDQNじゃん。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 08:53:07 ID:M9P9tfje0
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 10:07:25 ID:kB9PI7byO
>>939 昭和天皇と妹の結婚では婚約破棄はまかりならん!と騒ぎまくったのに
自分は婚約解消、しかも先方に破棄を申し入れさせてる
他と結婚してから捨てた元婚約者にストーカー
>>925 久光は丸顔なのにね
但し目は狐だがw
兄の斉彬とも違うし
お由羅の方からの遺伝なんだろうか>狐
>>940 上2行はその通りなのだがw
下1行はソースが酒井美意子情報しかないから話半分に聞いた方がいいと思われ
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 15:43:56 ID:Om/d9/+00
酒井美意子の著述はガセで有名だからな
酒井美意子ってどんな顔?
島津斉彬の娘典姫と結婚した珍彦って久光の息子だよね?
とてもじゃないが狐目にも斜視にも見えなかった
どちらかといえばギョロ目じゃん
こいつはお由羅の方の血をひいてないの?
>>943 >>889に一番載ってる
945 :
944 :2007/10/29(月) 17:59:26 ID:8tuPAJaT0
久光じたいがお由羅の方の子孫だったw
失礼しますた
久光はお由羅の方の子
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 18:23:38 ID:7LfmWA/qO
悪女お由羅がオーラのないキツネだとロマンが崩れる。
由羅は美貌を見込まれて御殿に上がったんでしょ
江戸生まれの艶やかな美女だったとか
しかし薩摩武士の心の底は
「たかが一介の江戸の下町娘が殿様を籠絡しおって…」
ちんヒこ
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 23:57:47 ID:F/lJCHnQ0
山内豊隆子の10人の男子はその後各々どうなったのか
久光って皇太子みたいだけど。
由羅は美人だからキツネ妃とは違う顔立ちだろ。
常子は母親に似てるんだろうね。
金柑に糸目みたいな顔立ち=久光
良子は父に似てーる。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 23:29:59 ID:dVfksWpqO
大織冠は、中大兄(天智天皇)と外戚になる密約をしたことにより、独裁的権威を振るった(後の摂関家も)蘇我宗家を外戚からはずした。
蘇我と藤原摂関の違いは、暴力的か文化的(律令制の利用)かの違いと、蘇我は祖先が武内宿禰(第八代孝元天皇の曾孫)と言われ、外戚でありながら男系は皇室遺伝子。
藤原氏はアメノコヤネの男系を誇り、その女子を通じて外戚になった。つまり天皇位(三種の神器)を合法的に藤原氏に纂奪されるおそれは男系である限り無い。これが藤原体制が江戸初期まで安泰した最大理由。
平家は桓武天皇男系、足利義満も清和天皇男系、江戸以降の摂家も後陽成天皇の男系。これらは、結局蘇我体制への逆行(実力主義社会)です(1945年まで)。平成の今も無恥な大多数の日本人は、後者にどっぷり浸かっている。文化改革が急務(真の先進国になるために)です。
真の社会改革は文化改革を伴うのです。華族は、時代の流れに翻弄されたか、近衛文麿も政策的には後手であった。
キツネ妃殿下が姉妹の中で一番撫すってのでOK?
やっぱり南部の奥様は、徳川慶喜の腹違いの姉だって。
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 04:29:27 ID:LWYJMlomO
南部の奥様はなぜか30過ぎてから子供産みまくり
何があったのか?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 07:55:56 ID:uhlYvDs/O
南部の奥様って徳川斉昭の娘、明子のこと? 生母は松波春
夫利剛の側室の宮路倭所生に郁子、利泰いるが、明子にも子供ができたのか
華頂宮妃となったのは郁子 明子の娘は幼すぎたか生まれてなかったのかな?
ついで斉昭と松波氏の子は昭徳、昭休、松姫(明子)、八代姫と夭折した三郎麿、余二麿の6人と【徳川将軍家血族事典】ではなっている
水戸は生殖能力がすごいのだろう。
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 11:48:19 ID:yK/s/wj30
徳川宗家は鶏姦ですから
>>965 写真見たけど、弟の慶喜に似ている。父親に似てるのか、2人。
鶏姦?????????
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 23:52:05 ID:NUz4OmQF0
お由羅の話が出てたけど、そういえば20年弱前の大河ドラマ『翔ぶが如く』ではお由羅の方(草笛光子)は主人公・西郷隆盛に罵られたりして
悪役のイメージで描かれているんだが、
ドラマ化に当たって、当時の皇太后(良子)がそのお由羅の血を引いているので、原作どおりに表現できなかったというNHKの裏事情が、
週刊誌にでていたらしい。
そのころまだ自分は子供だったので、そんな話を学校の先生がしていたのを思い出した。
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 03:09:47 ID:H4uhTPi20
おユラって悪だな。
斉興は斉彬を嫌っていたけれど
斉彬と久光は仲が良かったようだ。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 18:56:32 ID:6J6ete/M0
なぜ父が正妻のサンを?ユラのせいかYO
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 19:48:30 ID:LL+G67f60
『翔ぶが如く』で久光役の高橋秀樹は、来年の大河では斉彬役だからな
>>973 藩を財政破綻寸前まで追い込んだ浪費家であり西洋かぶれ、
また斉興が藩主になっても実権を握り続けた憎っくき爺さん重豪に
進歩的な考えを持つ息子の斉彬が似ていたんだと。
近代化を唱える斉彬にまた散財されたらたまらんと斉興は危惧の念を抱く。
家定は誰がやる?
北村一輝の家定は影があって良かったなあ
家定は堺雅人
雅人かっこいい!
渡部とか変人だからいいのになー。
堺雅人ってにやけてる人だよね。
この人山並み三西髪円だろうな・・・
・・・来年の大河話は別板で続けてもらうとして、華族のお話を・・・
誰が美人とか子孫の捜索でもいいからw
疑問
明治天皇の4人の娘のなかで、朝香宮妃だけ顔が違くない?
まあまれに顔だちの違う兄弟姉妹いるけどさ。
本当に園祥子の娘なの?
河原氏によると、祥子は親王も産んだけど夭折したので内親王夭折とされたとか。
確かにバンバン産んでそうだから、4人以上産んでそうだし、するってえと中には男の子がいても不自然じゃないし。
秋篠宮が、美智子皇后の子じゃなくて女優の加茂さくらの子だという噂もマジなの?
聡子内親王は天皇に似てる。
園を知らないが、昌子内親王は美人だね。
連投スマソ
このスレの住人的には「円照寺門跡山本家姫=大正天皇内親王」説はガチだと思う?
山本静山尼?
写真は大正天皇の息子達とは違う顔立ちしてると自分は思った。
本の著者の河原氏は似てると書いてある。
久邇宮朝彦の息子達は皆個性的だ
顔立ちも邦彦や多嘉みたいなブ○もいれば
鳩彦のようなイケメンもいる
良子父と 多嘉は母同じ。
東伏見邦英も華族だね
伏見宮も顔違う。
伏見工業
次スレ宜しく
・・・ウリは建てられなかったニダヽ(`Д´)ノ
ナド アンドェッタ
次スレは鬼女板に立てろ
お好きなように
999
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。