【初心者】初心者はまずここで質問を【歓迎】

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940名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 08:29:05 ID:yhw0AUkU0
太平洋戦争に興味(後世に伝えていかなければならないという思いです)があり、靖国行ったり、映像や写真を見たりしています。
自分で見れる映像は酷くは無いとおもいますが、だんだんと悲惨さや悲しさが解ってきて、目をあけて見ていられなくなってきました。

詳しい方や専門家の方はもっと過酷な映像を見ていられると思いますが、見ていて辛かったりしないのでしょうか?
どういった考えで見ていられますか?教えて頂きたいです。(使命感とか)

941名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 09:24:26 ID:9DXexx510
「ド畜生め! この鬼畜米英が! 地獄の業火で焼き尽くしてくれるわ!」
と思いました。
942名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 23:42:31 ID:61JlZUNp0
>>933
近衛の死刑は鉄板。
おそらく近衛が文民代表として裁きを受けていたら広田は助命されたはず。
松岡も同じ理由で助命。
陸軍大臣は死刑がデフォなので杉山と寺内は多分あぼん。
永野は海軍なのでセーフ。
本庄は微妙だが最大犯罪の南京虐殺に関与してないので死刑はないと思う。
943名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 10:42:07 ID:03KeK/Y20
南京虐殺を信じてるバカがいると聞いて飛んできました
944名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 12:44:37 ID:2FWFege70
東京裁判で生死を分けた基準が南京虐殺への関与ということだろ
945名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 18:16:04 ID:lRwyJUHUO
>>1
946名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 19:06:42 ID:jcC35X3h0
>>936
やっぱり新聞・雑誌では。
新聞は図書館で閲覧できるし、雑誌も古本屋で結構売ってる。
戦前のサンデー毎日・週刊朝日とか1冊千円ぐらいだったような気がする。
947名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 19:57:06 ID:9q+j3Zzh0
>>946ありがとうございます。調べてみます。
948933:2007/08/07(火) 21:45:16 ID:7ExFGDsf0
>>942
どうもです
949名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 11:08:25 ID:hXJnYxft0
旧日本軍の戦車ってなんであんなにショボかったの?
ドイツからタイガー戦車を買えばよかったのに。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 11:29:46 ID:7iwM1EaP0
>>949
そもそもが戦車と戦うために作られていなかった。

砦にまでキュルキュルと自ら足を運んで砲弾をぶち込むのが本来の戦車のお仕事。
戦車と戦うことが前提になるのはそれから後の話。
日本は軍備の機械化に驀進した第一次世界大戦もまともに経験していない。
当然、ドイツやソ連の戦車開発競争の枠の外。
しかも(仮想)敵は「戦車って馬何頭立てアルカ」と言いそうなこの連中→( `ハ´)
只でさえ貧乏な機械後進国だったのに前提すらこれでは、戦車二流国のアメリカにすら負けて当たり前。
951名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 12:54:19 ID:GqEUByk/0
>>949
ノモンハン事件で得た教訓は、
戦車の消耗を防ぐためには、戦車を投入しなければよい。
戦車には対戦車砲と火炎瓶で対応となったから。
また、敗北の原因は、参加将兵の無能と臆病、並びに及び腰の政府という結論になったから。
952949:2007/08/25(土) 13:43:24 ID:hXJnYxft0
>>950-951
サンクス!
戦車戦をやる気がなかったわけか>皇軍

>戦車には対戦車砲と火炎瓶で対応
イラクのテロリストかよ!
953名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 15:50:52 ID:hG0Ae4C40
>>949
ドイツからタイガー戦車を計画もあり、実際に金額を払うとこまで
いったんだが戦局の悪化で輸送もままならなくなり日本に輸送
する計画は中止になった。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 15:52:39 ID:B9PJICyP0
大戦初期の戦車はみなしょぼい。(ソ連以外は)

ドイツがポーランド・フランスをあっさり破ったのは作戦がうまくいったおかげで、別に戦車が優れていたわけじゃない。
ソ連と戦争初めて、T−34という戦車をまともに相手できるドイツ戦車がなかったのは結構有名な話。
それから猛烈に開発競争が始まって性能が飛躍的に向上した。

日本の戦車は同時期に開発した戦車と比べればカタログ上はしょぼくない。
でも、新たな開発競争について行けるだけの国力・技術力がなかった。

まあ、初期は悪くないレベル(部分的には優位)なんだけど、後継機種の開発遅れから時代遅れとなった後も無理して使われた零戦なんかと同じ末路ですね。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 16:20:55 ID:EJIbm3Sr0
なぜ東京大学の歴史学者には左翼が多いのですか。
956949:2007/08/25(土) 22:52:58 ID:hXJnYxft0
>>953-954
ありがとうございます!
みんな本当に詳しいですね!
俺は戦車戦とはパットン軍団VSタイガー軍団のようなものと思ってたので
日本軍の戦車の写真を初めてみたときは本当にハァ?という感じだったね。
957名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 04:45:20 ID:opXwx++U0
第二次世界大戦中の日本の食糧事情は悪く、とくに昭和20年は大凶作だった。
戦後、30万人の日本人が餓死し、もし終戦が1年間延びていたら、
日本人の2/3が餓死していただろうという話を聞きましたが、本当でしょうか?
958名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 17:23:32 ID:gJXq2MwsO
うちのじいちゃんは栄養失調で徴兵されなかったそうです
959名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 21:23:52 ID:E4q/HhNc0
>>957
戦後の戦略爆撃調査団のレポートにそういう記述がある。
960名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 22:48:24 ID:Nee12XQL0
>>957
ガセだよ。
昭和20年の夏は暑かったと当時の人は口をそろえて言ってる。
凶作になるような気候じゃないよ。
961名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 23:07:34 ID:WnZDkuXC0
凶作の目安として7月もしくは8月の平均気温があるけど、昭和20年は最悪だね。
http://www.reigai.affrc.go.jp/zusetu/reigai/kako/kyorei.html
962名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 10:43:06 ID:GBEIRHYQ0
>>960はマトモな本を一冊も読まない馬鹿w
963名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 17:14:35 ID:7ZM26biS0
質問させてください。
なんで左っぽい人って歴史問題(靖国とか)に
触れること自体が禁忌みたいな事言うのは何故なんでしょう
964名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 00:39:09 ID:4VLKxJTH0
>>963
自分たちの言ったことを既成事実化したいだけだから
965名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 01:57:56 ID:B/O/7UJ20
>>963
自分で調べさせたらウソだってばれちゃうでしょ。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 13:48:20 ID:Wg+aC4LP0
先週の朝日新聞土曜版(青いほう)を読んでいると、
政界のフィクサー・福本邦雄の回顧録が載っていました。

写真も載っていたのですが、大平総理の要請ということで、
ある元海軍大佐をかこんで、中曽根、大平、福本と並んでいました。
この海軍大佐は誰でしょうか?中曽根、大平の先輩にあたると、
ボヤけたことしか書いていませんでしたが。
967名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 13:55:57 ID:Wg+aC4LP0
連投すみません

源田実かなと思ったのですが、
「中曽根は最後まで打ち解けなかった」とあり、国防族の源田参院議員とは
違うかなと。
968名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 18:52:59 ID:/U9HIN9r0
>>964
>>965
ありがとうございましたー
969真実を知っている日本人の孫:2007/08/29(水) 22:18:00 ID:Ve673I710
質問ですが、スレを見ていると時々、絵?みたいなものがありますが、勝手にコピーして貼り付けは、いいでしょうか?



970名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 22:37:35 ID:qTsF42Oj0
>>957
>>960
不作で飢えるんじゃなくて、機雷・潜水艦による港湾の封鎖、爆撃や燃料不足による鉄道の稼働率低下などで
海外(植民地や占領地)からの輸送も国内輸送もまともに機能しなくなる、
その結果として、もう少し戦争が続いていたら本土で餓死者が出ただろうという話は聞いたことがあるよ。


971名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 19:38:24 ID:WMtGvOvi0
>>969
著作権があるからちゃんと著作権料払えばよい
972名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 21:26:01 ID:gQ25BlrK0
>>969
自分で描けばいいじゃまいか?

↓30秒で描ける東条英機
    __ 
  /  ニ ヽ
  3ー○-○
  lヽ、ハ / <由○子乙w
     ー
973真実を知っている日本人の孫:2007/08/30(木) 22:12:28 ID:o0qrEnlY0
971殿・972殿、有難う御座います。
974名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/31(金) 12:35:42 ID:rs2utorC0
日本史板でこちらで質問するように誘導されたので質問させてください。

大正13年(1924)3月24日の博忠王の薨去による華頂宮の断絶後から、昭和22年(1947)10月14日の
旧皇族11宮家の皇籍離脱までの11宮家の継承順位について、上から順に
(1)伏見宮、山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、北白川宮、竹田宮、閑院宮、(東伏見宮)
となっているものと
(2)山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮、北白川宮、伏見宮、閑院宮、(東伏見宮)
となっているものがあります。
旧皇室典範時代は庶子が認められていたので、嫡子を先に庶子を後に、そして長を先に幼を後に継承順位
をつけると(1)のようになるが、昭和22年5月3日施行の現皇室典範では庶子は認められていません。
そこで現典範施行後に誕生した庶子は皇族の身分とならないが、旧典範時代に誕生した庶子およびその男系子孫については
これを嫡子とみなしたという話を聞いたことがあります。
そうすると昭和22年5月3日から同年10月13日(皇籍離脱の前日)までの11宮家の継承順位は(2)のようになるのですが
この話は本当なのでしょうか。

また(1)についても、邦家親王の王子で嫡子は貞教親王だけで他は庶子のようですが、貞教親王の後を承けた弟の
貞愛親王が嫡子ということでないと(1)のようにならないと思うのです(貞愛親王には庶出の兄が多かったので)。
貞教親王の生母は邦家親王の正室の鷹司景子ですが、天保7年(1836)生まれの貞教親王と安政5年(1858)生まれの
貞愛親王が同母の兄弟とは考えにくいです。
Wikipediaで調べたら貞教親王の生母は鷹司景子となっていましたが、貞愛親王の生母は織君となっていました。
鷹司景子と織君は同一人物なのか、そうだとしたら鷹司景子は文化10年(1813)生まれだから
だいたい45歳で敦宮(後の貞愛親王)を出産したことになります。
現代でさえ40歳を越えてからの出産は厳しいのに、このようなことは当時あり得たのでしょうか。
以前から気になっていたことで、文献を調べてもどうしても分かりませんでした。
よろしくおねがいします。
975真実を知っている日本人の孫:2007/08/31(金) 22:57:59 ID:O3a+5Onc0
あの、2ちゃんねるのキャラは自分が描いても問題は無しですよね。
他の人も描いてイルですし。
976名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 11:04:50 ID:77T6o6qf0
>>969 >>975マジレスすると、商売に使わない限りは殆ど問題にはならない。
977真実を知っている日本人の孫:2007/09/01(土) 11:12:47 ID:AI553ixY0
976さん、有難う御座います。
978名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 11:40:35 ID:JZcuZrqc0
>>957
>>960
もっと深刻な問題もある。
「海上護衛戦」(大井篤著)P416引用
大蔵省専売局の代表は塩の逼迫について説明したが、彼は
「塩の状況はこの分でゆけば今年の秋頃には家畜にやる塩の配給は全く停止となり,
家畜の斃死がはじまるだろう.来年になったら,一般家庭に対する配給もできるかどうか心配である.
 そうすれば国民の上にも,家畜と同じような運命が訪れないとは保証し得ない」

 当時の人口で,食糧としての塩だけで毎月九万五〇〇〇トンぐらいを必要としていたのに対し,
国内の塩の生産全額は月平均二万五〇〇〇トン(二十年四,五,六月頃)を下回っていたのだから・・・
979名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 20:00:18 ID:cbAIX5RD0
質問です。

ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/syashin3/kenshi.jpg
上の写真、左から斎藤弥九郎・陸奥宗光・谷干城・榊原健吉・田中光顕との事ですが、
これって、どういった経緯で集まり、撮られたものなのでしょうか?
と言うか、そもそも全員本物なんですか?
あまりにも、歴史的に名のある人物が集まりすぎているので気になります。
980次スレ:2007/09/01(土) 21:56:45 ID:3kGgQoEh0
【初心者】初心者はまずここで質問をPart2【歓迎】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1188651343/
981名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 21:58:28 ID:3kGgQoEh0
>>976
同人誌みたいなものですね
982名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:14:00 ID:YZ0F7RoX0
質問です。
大老井伊直弼はなぜ勝手に不平等条約を結んだのですか?
大老ともあろう役職の人がその不公平さに気付かないわけありませんし、
アメリカと内通していたとしか思えません。
この条約を結ぶメリットについてどのように考えていたのでしょうか。
また、なぜ朝廷(天皇?)に相談しなかったのでしょうか。
983名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:24:15 ID:pTKvUHva0
>>979
本物の陸奥ならもっとハンサムじゃね?

>>982
勝手には結んでないよ。
朝廷に拒否られたのでやむなく勅許なしで条約を結んだ。
なぜそんな独断専行をしたかというと、
・条約を拒めば武力行使の挙句にもっと不利な条約を押し付けられる危険があった。
 ハルノートを拒否したらポツダム宣言が来た、というようなもの。
・さっさと開国して国力を充実させて中国・朝鮮から倍付けで取り返すつもりだった。
 実際に井伊の死後、明治政府はそのまんまの外交政策を取ってる。
あと、アメリカと内通なんて妄想だろ。
井伊が本当にそんな奴だったら、桜田門外の水戸浪士たちはウインチェスター、S&W、コルトなどで
迎撃されて蜂の巣になっていただろう。
984名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 23:55:59 ID:YZ0F7RoX0
>>983
なるほど合点がいきました。それならば内通の可能性があったとはどうやら言えないですね。
どうもありがとうございました。
985名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 09:41:38 ID:808a2YEi0
不平等条約だから突っぱねろ(あるいは神国に異人が来るのはけしからんという感情論)という主張には、
突っぱねる基になる武力がないという考えが抜けているのよね。
(薩摩・長州はわからなくて実際に戦闘して初めて、武力の差を実感した)
986名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 20:16:32 ID:1+ldKMHR0
そもそも不平等と正確に認識していなかったと思うが。
大々的に交易する気もなかったし。
987名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 00:42:32 ID:uT3Kroig0
そもそも一時的な場つなぎみたいなものだし。
988名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 01:25:31 ID:opA6FDpc0
不平等云々については最近の研究からは結構
幕府もドライな外交だったみたいね。
情報がオランダ経由から入っていることもあるけど
「そのやりかたは国際法に反する」(意訳)とか言ったとか。

まあ一番の成功は外国人の内地雑居の禁止。
幕府はこの件に関してだけは列強に譲歩しなかった。
外国資本から独立して自国産業の近代化をできたのは維新以降大きいだろう。
989名無しさん@お腹いっぱい。
アヘン戦争のことも知っていたから
それに続く不平等条約も知っていただろうね
ただどれぐらい正確に捉えていたかまではわからないけど