滅亡・改易大名家のその後

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342日本@名無史さん
徳川宗家

15代将軍慶喜は、江戸城引渡し(慶応四年4月11日)の後、水戸に蟄居。
同5月29日に、有栖川宮熾仁親王より六歳の田安亀之助に徳川宗家を
継ぐ沙汰が下される。名を徳川家達と改め、駿河府中70万石の
領主として同地に赴く。巷間では「16代様」と呼ばれる。
明治17年、華族令発令とともに公爵に。
貴族院議長も務め、大正時代の山本権兵衛内閣総辞職後、総理候補
になるが辞退。ワシントン会議の首席全権、日本赤十字社社長を勤める。
昭和15年、78歳にて逝去。

「17代」家正は、外交官として活躍。カナダ、トルコの公使を勤める。
昭和21年に、最後の貴族院議長をとなる。妻は、最後の薩摩藩主
島津忠義の九女。昭和38年没。

「18代」には、会津藩主松平容保の孫・一郎の子恒考(つねなり)が
養子として相続。母は家正の長女・豊子。妻は寺島宗従伯爵長女・幸子。
現在、日本郵船に勤務。

なお、現在でも家康の命日4月17日になると、古式ゆかしい衣冠束帯と
なり、一門・旧幕臣の子孫とともに盛大に法事をおこなっている。
興味がある方は、同日に芝の増上寺と上野寛永寺に行ってみてください。
あと、静岡と日光と上野の東照宮もね。
343日本@名無史さん:2001/05/28(月) 06:19
>>342
恒考→恒孝
だろ