坂本龍馬の真実

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1日本@名無史さん
戦後、司馬遼太郎の小説などによって絶大な人気を得た坂本龍馬。
だが彼の伝説には怪しげな部分も数多く、今だ真の姿は解明されて
いないといってもいい。
本当の意味で龍馬の功績とは何か?
周りが騒ぐほどの大人物なのか?
創作と事実の境界線はどこにあるのか?

さぁ、みんなで考えよう。
2日本@名無史さん:2001/04/23(月) 11:51
勝海舟が、自分を偉そうに見せるために弟子である龍馬の功績を大袈裟に言いふらしただけ。
実際には、長州に知人が多かった薩摩のスパイというに過ぎない可能性が高い。
3日本@名無史さん:2001/04/23(月) 11:53
明治期の小説かなんかで有名になったんだよね。
たしかに大きく描かれすぎているのかもしれない。
4日本@名無史さん:2001/04/23(月) 11:58
日露戦争の時に政府が持ち上げ、それがきっかけで一般大衆に
知れ渡ったという話が・・・
よく覚えてないので詳細希望。
5日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:04
結局小説で有名になっただけ。
実在はするけど創作の部分しか語られない「水戸黄門」のような男。
6日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:06
「水戸黄門」
「遠山の金さん」
「鬼平犯科長」
「暴れん坊将軍」
そして「龍馬がゆく」
7日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:08
>5
さすがにそれはない
明治維新に貢献した人あることは間違いない
8日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:14
剣も強いのかなー?千葉道場でやってたの長刀なんでしょ、
9真・ソニックpool-d2ed923a.fctv.ne.jp:2001/04/23(月) 12:16
船中八策についてどうなん?
10日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:19
ピストル持ってたのは剣に自信が無いからかな
11日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:23
>8
剣も弱くはないと思うよ。
千葉道場で剣もやってた
単に薙刀の免許がでてきたからそれしかやって
ないって思われがちだけど
小栗流は免許皆伝
12日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:25
竜馬スレは荒れるぞ
アンチがでてくるから
13日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:27
アンチとドキュソファンの真ん中。
これが真実の坂本龍馬
14日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:28
試合で桂達に勝ったのほんと?
15日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:29
彼の功績・・・
薩長同盟とか、大政奉還とかですかね?
土佐の一脱藩郷士が(実家が金持ちだったんせよ)
時代の潮流を掴んだことは確かに大したもんだと思います。

ただ正直、大したことない人物でも、環境と偶然に
恵まれることで時代の潮流を掴むことは歴史上ままあることですし
(最近では、自○党の○泉氏とかはその顕著な例ではないでしょーか)、
多大な功績を残した=大人物、と即決するのは危険でしょうね。

又とりわけ彼の場合、戦中、戦後の国威発揚のためのプロパガンダ
として利用された感が強いですから、そのことを見ても、いかに
多大な功績を残しているとはいえ、幾分さっぴいて見る必要が
あるんでしょう。

いずれにせよ、全てが過ぎ去った過去の話ですし、
その殆どが不確かな資料と伝聞によるものですから、
彼の内実をその「功績」自体から評価するのは、
非常に難しいことでしょうね。

ただ彼の「功績」自体は評価に難しいところであるにしても、
その下地となった彼の「人間的魅力」、これだけは確実に
評価して良いように思います。

彼が幕閣から薩長、諸雄藩に渡る幅広い交友を築いていたこと、
これを通じて当時の先端的な見識を得、多方面への何らしかノ
影響力をもつに至ったことは、明白な客観的事実ですし、
またそれらがおおきに彼の「人間的魅力」によるものであった
ことも、推察するに難くはないでしょう。

そしてこの「人間的魅力」というもの、これは殆ど天性のもので
余人に到底真似できるものではありません。
この一事をもって彼を(「大人物」かどうかは別として)
少なくとも「類まれなる人物」としては評価して良いのでは
ないでょうか。
16日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:34
船中八策。
あれは間違いなく「竜馬の独創」ではないはず。
なぜかといえば、あそこに書いてることに諸外国の実例からみて
斬新といえるものは何もない。全て既にある制度からいわば
「美味しいトコ取り」したもの。
単に勝さんとか横井さんからもらった情報を彼なりに
要約した、それだけの話でしょう。

でも竜馬ファンの人って、「竜馬の船中八策が、
後の五箇条のご誓文、そして明治憲法の基礎となった!」
とか強調する人がいますよね。

そーゆーことゆーから、余計にアンチ竜馬が増える
ってことが、わからないかなあ。
本当に竜馬好きなら、評価すべきでないところは
ちゃんと評価しない勇気をもたないと。
揚げ足とられちゃうよ。
17日本人:2001/04/23(月) 12:41
竜馬に刀剣集める趣味があったことや
千葉道場で塾頭したことから考えても
剣に関心があったのは確か
しかし実戦になれば鉄砲のほうが使える
と思っていた合理主義者。
18日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:46
>>15
龍馬に限らず中岡慎太郎を始めとする当時の有能な志士は皆、各諸藩に
幅広い交遊を持ってましたよ。ですからそれだけで龍馬の「人間的魅力」
を語るにはちょっと説得力が弱いと思われます。
19中岡ファン:2001/04/23(月) 12:49
中岡の功績が全て龍馬の功績であるかのように書かれている本を
読むと非常に苛立ちを覚える。
人の功績パクんなって!
2015じゃないが:2001/04/23(月) 12:51
>18
土佐藩士たちや桂、西郷、勝、などが
あれだけ龍馬を持ち上げた文のこしてることから考えても
人間的魅力はあったんじゃないか
21日本@名無史さん:2001/04/23(月) 12:55
勝や、岩崎弥太郎、陸奥宗光のおかげじゃないの?
龍馬人気って。
2215:2001/04/23(月) 12:58
>>18
個人的には、中岡さんも「類まれなる人物」だと思ってます。
ただ思うに、各人との交流の持ち方が極めて「私人的」とゆーか、
「政治家と政治家」じゃなくて、真に「個人」としての魅力で
つきあっていたように、その残された資料(20さんの挙げられた文等)
から伺えるように思います。

とは言え、中岡さんとかについてもその多くが失われただけかも
しれませんし、資料が残ってる=竜馬だけすごい!とは確かに
言えないかもしれませんね。

なお個人的に、竜馬と中岡どちらが有能かといえば、個人的には
「中岡」だなあ。その活動範囲は竜馬に勝るとも劣らないし、
しかもあの忙しい日々の中で、何冊もの「啓蒙書」「論文」等を
発表している。大したものです。絶倫ですな。
23龍馬の不思議:2001/04/23(月) 13:06
皆さン、龍馬って盲目的な信者が発生しやすいみたいなンです
けど何故ですかね?
24日本@名無史さん:2001/04/23(月) 13:16
>23
龍馬は志なかばみたいなイメージがあるから
小説や漫画になりやすいからじゃないのか
男女交際も多々あり結構ドラマチックな人生
25日本@名無史さん:2001/04/23(月) 15:45
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    ЮV ⌒ , ⌒ワ   |<  バカだね〜!
   从人┌─┐ 人   /   \_________________
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26日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:00
竜馬はチョン
27日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:05
竜馬って喧嘩つえーのか
28日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:20
おれのほうがつえーよ
29日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:28
チョンは喧嘩強い
30日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:33

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      (   ゚З゚)//  < 先生!おそらくハム太郎だったと思います!
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31日本@名無史さん:2001/04/23(月) 16:43
>>15
>>2とか>>21のような意見はどうなのかな。間接的に自分を持ち上げてるの。
そりゃ、「おいら立派だよ〜」なんて言う奴、日本では誰も尊敬してくれないものね。
だからといって、もし事実だとすればやらしいやり方だ。
「おいら立派だよ〜」って言ってくれたほうがむしろすがすがしい。

32:2001/04/23(月) 16:55
やらしい(笑)
結局、龍馬の師匠と弟子が長生きして成功したので、若くして死んだ昔の仲間を顕彰したっていう面がある。
その資料に基づいて書かれた小説などによって、これまた大袈裟に評価されている気がする。
そりゃ、15さんの言うように人間的魅力や、時代を読みとる嗅覚、見識なんかはあったんだろうけど。
武市半平太や吉田稔麿の方が失って残念だった人材のような気がするのは気のせいかな?
33日本@名無史さん:2001/04/23(月) 17:02
>>32=2
武市半平太や吉田稔麿には。のちのち持ち上げてくれる友達がいなかった、
もしくはみんな死んでしまった?
前者だとすれば、やっぱり竜馬の方がみんなに好かれていたということに
なるのでしょうか。

あと、「人間的魅力や、時代を読みとる嗅覚、見識」において竜馬が半平太たちより
優れていたのなら、竜馬の方がえらいのでは?
34日本@名無史さん:2001/04/23(月) 18:20
>>33
て、言うか半平太評価低過ぎ
維新後、西郷が山内容堂に「なぜ武市程の男を殺した」と詰寄り
、容堂が口をつぐんだという話がある。
土佐勤皇党なくして龍馬も慎太郎も、いやそれ以上に土佐藩の維新参加
自体が有り得なかったわけで、そう言う意味では龍馬を越える大物では
なかろうか。
志半ばで非業の死をとげ、後年の竜馬人気の引き立て役(龍馬を大きく
見せる為には武市を小物に描くのが一番)に甘んじる羽目になってしまった
半平太に同情票一票
35日本@名無史さん:2001/04/23(月) 18:39
実は淋病<竜馬
36日本@名無史さん:2001/04/23(月) 18:48
竜馬って新婚旅行をした始めての日本人だっけ?
確か旅行先で抜いてはいけない刀だか槍を
抜いた話しがあるけど、結構大胆な性格なんだね
37日本@名無史さん:2001/04/23(月) 21:57
竜馬=新婚旅行はじめて説はヒジョーに嫌い。
彼が初めてってどうやって証明できたん?
彼が「した」だけで、彼以前にダレも「してない」なんて、絶対に
立証不可能。

結局、「竜馬は当時の時代の先端行ってるから、多分新婚旅行も彼が初めてだよ」
とか、根拠薄弱なイメージ後追いをしてるだけなんでしょう。
んないい加減はもてはやし方するから、アンチ竜馬が増えるんだよ。
日本の歴史は血塗られたアズマ弾圧の歴史
日本史を語るものは日本史が我々アズマ
の悲劇のうえに成り立っていることを忘れるな
39日本@名無史さん:2001/04/23(月) 22:22
>>35
淋もかかってたか知らないが、梅毒だったのは本当らしい。
40日本@名無史さん:2001/04/23(月) 22:31
>34
半平太を小物に描くってなんのこといってるんだ?
その半平太も土佐で竜馬を最も評価してた内の一人だろ。
41日本@名無史さん:2001/04/23(月) 22:39
>>39
おいおい梅毒説を本気にしてる奴っているのか
幸徳秋水が書いた中江兆民についての文から言ってる
んだと思うが信憑性のない俗説の一つだぞ
>>37
確かにドキュソファンはなにかにつけて竜馬を日本最初の〜
にしたがるな
42日本@名無史さん:2001/04/23(月) 22:42
>>40
竜馬の物語の中でって意味でしょ。
実際竜馬の小説や漫画では半平太の志士としての限界を描いた上で
それを超えた竜馬は凄い!という話の展開が多い。
43日本@名無史さん:2001/04/23(月) 22:45
>>39
梅毒もかかってたか知らないが、日本最初の水虫だったのは本当らしい。
44日本@名無史さん:2001/04/23(月) 23:02
>>40
てゆうか実際に半平太は時勢を読み切れなかった
んだろな。
カリスマ的魅力は龍馬よりあると思うが
45アラカン:2001/04/24(火) 18:31
>>44
時勢を読み切れなかったというのはちょっと気の毒。武市もいいところまではいっていた。
最大の失敗は容堂の性格を読み切れなかった点かと。
長州ではなく、薩摩を手本にすべきだった(難物の主君をうまくのせる方法)。
46日本@名無史さん:2001/04/25(水) 00:35
>>45
ちょっと思ったが半平太は西郷に似てる。カリスマ的魅力があり、下級藩士の
絶大な支持を得ていたところや、時の藩主に嫌われていた所など。
(西郷も久光に危うく殺されかけたことがあった)
そう考えると、土佐に大久保のような人物がいたら状況はかなり変わって
いたかもしれない。


47日本@名無史さん:2001/04/25(水) 04:29
暗殺でことを起こそうとする人物はしょせん2流
48日本@名無史さん:2001/04/25(水) 10:04
竜馬は大したことなかった派がやや優勢な気がするけど、あんまり実証的な意見がない気も。
竜馬の虚像が、たとえば司馬の小説以前には一般的ではなかったとか、戦前の評価はどうだった、とか
その辺の事情詳しい方、ソース込みで提示してもらえると勉強になるんですが。
49日本@名無史さん:2001/04/25(水) 11:44
>48
ほんとに知りたかったらこんなとこで聞かず
自分で調べたら?マジデ
50日本@名無史さん:2001/04/25(水) 11:50
結局、ソースも提示できず、雰囲気だけで「虚像」呼ばわりだったのか(藁
51tokiha kanenari:2001/04/25(水) 14:29
(薩長同盟に関して)
竜馬の評価を大きくしている功績として、薩長同盟があると思う。
敵対する薩長を、劇的な弁舌によって融和させ同盟を成立させた
功労者として語り継がれている、いかにも英雄的な話。
これは、晩年の木戸や勝の証言にもあるが、いまいち信憑性とい
うか、作られた話という感じがする。
当時、薩長は同盟の必要性を大きく感じていたはずだが、それま
での両藩の抗争からはとても実現不可能のように思えていた。
しかし、意外と両藩の上層部では話はまとまっていたのではない
かと推測する。
そうだとすると、同盟締結の折りには薩長の上層部の要人の誰か
が非難(とくに情勢のわからない下層武士層から)されて、下手
すれば命を狙われるような状況になる可能性は大だと思う。

そこで、両藩(桂と西郷だろう)は竜馬という人物を仲介人にし
て、両藩の不満分子の矛先をすこしでも和らげる思惑があったと
考えることはできないだろうか、
つまり、都合良く利用された形になったが、竜馬の存在がなけれ
ば、この同盟締結には、形式上でも、どちらかが頭を下げること
になる。(これまでの抗争劇について)

しかし、竜馬の人間的魅力や、幅広い人脈が彼の最大の武器であ
り、そのてんでは>15の書き込みに同感。
52日本@名無史さん:2001/04/25(水) 14:49
薩長同盟に関しての龍馬の功績は
あの裏書きにつきると思う。
薩長に信頼されていたのは確かだろう
龍馬は薩摩に利用されていただけという意見も聞くが
むしろ藩の後ろだてのない龍馬のほうが
薩摩という藩を利用したと考えたほうが妥当ではないか
53tokiha kanenari:2001/04/25(水) 15:02
>>45

武市は、吉田東洋を殺した犯人のボスだったと、当時、隠居中
の山内容堂に睨まれていたはず、さらに、郷士出身の武市が、
藩政を牛耳るなど、身分差を重んじる容堂が復帰したら遅かれ
早かれ、武市はもとより土佐勤皇党など大弾圧を受けるのは必
死だったのでは。
なので、島津久光が西郷を嫌ったというレベルと、容堂が武
市を嫌った(というか憎んでいた)レベルは違うと思う。

容堂復帰後は、一時的に利用はされたが、長州の勤皇勢力が
排除されると勤皇党は大弾圧をうけた。
中岡や竜馬はそれ以前から、容堂の危険性を察知して、武市
から離れたし、吉村寅太郎も武市を見限った経緯もあるので
カリスマ的な魅力はイマイチなかったように思える。
下級武士に人気があったというのも、勤皇党は郷士の政治団
体であり、かれらの日頃の不満エネルギーの良いはけ口にな
っていた感もある。

竜馬や中岡に比べ、視野が狭いと言われても仕方がないよう
に思える。しかし、政治的な能力では、桂や大久保に負けな
い秀才型の人間であったと思う。
彼に、土佐を捨てる勇気があれば、もっと歴史に名を残せた
に違いない。
54日本@名無史さん:2001/04/25(水) 15:34
土佐って他の藩(薩長など)とくらべると全然違う。
郷士は能力が高くとも相手にされない。
武市でさえあの結果をみると都合よく利用されたと
思われてしまう。
容堂は頭は悪くないが日和見的で信頼性に欠ける。
竜馬や中岡などの立ち場ではやはり脱藩というのが
ベストな選択だったのではないだろうか。
武市は良くも悪くもあまりに藩に忠実でありすぎた。
55tokiha kanenari:2001/04/25(水) 16:59
>>52
>むしろ藩の後ろだてのない龍馬のほうが

この部分にはおおきく共感する。他のスレッドで竜馬の功績
を疑問視するものが多かったらしいが、桂、高杉、西郷、大
久保、など薩長の要人の多くは藩の重臣であったのは事実。

藩の威光で政治活動するのにも(特に朝廷工作など)、竜馬
などの脱藩浪士より有利であったと考えるのが容易ではないか。

仇敵、後藤との和解や、長州征伐では幕軍と戦いなど、竜馬
の行動が維新の歴史に重要であったことは私は信じたい。
時には薩摩や長州を利用し、勝や大久保一翁などの幕府の要人
とも親交をもつ竜馬の存在はやはり希有な人物だと思える。
56tokiha kanenari:2001/04/25(水) 17:17
>>54
>容堂は頭は悪くないが日和見的で信頼性に欠ける。

基本的には佐幕思想だったらしいですが、結局は勝ち馬に
乗ったということですね。
容堂は四賢侯などと歌われ、自分では鯨酔侯など英雄きど
りだったと厳しい評をされたりしています。

たしかに、寵愛していた後藤や乾が、180度思想をかえたり、
独断で動きだしたあとも容認していたが、武市や竜馬の死を
惜しんだという話は聞いたことがありません。
57アラカン:2001/04/25(水) 18:17
土佐の特殊事情をかんがみても、脱藩はやはりリスクが高いよ。そのほとんどが志半ばで落命している。
数少ない成功者の竜馬にしても、藩との縁を切ってしまっているためその功績(薩長同盟&大政奉還のお膳立て)
も、いうなれば根回しの裏方仕事。自由ではあったが、晴れがましい役どころじゃない。

だから本来竜馬は、業績が非常にわかりにくい人物のはずなんだ。

彼の思想を理解できないと、彼のやったことも彼のすごさも理解できない。
これは、司馬さんの例の小説のおかげだね。
司馬流解釈の竜馬であることは百も承知だが、まったく竜馬を知らないひとに彼のことを説明するのはものすごく
難しい。一口で語れる男じゃない。
私なら、取りあえずあの小説を読んでくれ、というしかないね。
58tokiha kanenari:2001/04/25(水) 22:53
>>57

土佐藩の身分制度(差別)は大変きびしく、郷士出身ではまず藩政
に参加することはできない。だから、脱藩して、長州の庇護のもと
尊皇攘夷運動に参加しようという者が多く出たのは仕方がないこと
だと思う。

>藩との縁を切ってしまっているため

後藤象二郎との和解の後、竜馬率いる海援隊は土佐藩の監察下にな
りましたよね。竜馬は節操のないほど、いろいろな勢力を利用し、
利用されてきたわけで、必ずしも自由な活動はできなかったと思う。
薩摩を頼った際には、船や資金の提供のかわりに、スパイ活動も担
わされていたと考えるのは妥当な解釈かと思う。

>彼の思想を
竜馬の思想というより、何故、彼は維新の嵐に身を投じたのか?
これを解明するほうが難しいと思う。
一般的には、亀山社中に象徴される、海運業で海外との通商を自由
にし、富国強兵(主に海軍の充実)をはかるというとこまでは、
あの小説でもくみ取ることはできる。
ただ、その先、どのようなビジョンをもっていたのか?

>私なら、取りあえずあの小説を読んでくれ、というしかないね。

小説はあくまでも英雄の活躍を楽しめるように書いてあることが
多いですよね。
例えば、「花神」では、大村益次郎の活躍がとても肯定的に書か
れている。しかし、佐幕派からみた戊辰戦争などの小説では、
徹底的に悪者として書かれている。
だから、小説は「楽しむ」ために読む程度で、そこに書かれてい
ることを事実として鵜呑みにしてしまうのはどうかと思う。
59日本@名無史さん:2001/04/25(水) 23:34
坂本竜馬はヤマト主義者。
60日本@名無史さん:2001/04/26(木) 01:57
>58
>竜馬の思想というより、何故、彼は維新の嵐に身を投じたのか?
 これを解明するほうが難しいと思う。
身を投じた人間はごまんといたわけだから解明が難しいうんぬんは
竜馬にかぎったことではない。

61日本@名無史さん:2001/04/26(木) 12:59
船中八策ってオリジナルは横井小楠じゃないか?
62日本@名無史さん:2001/04/26(木) 14:09
容堂、維新後酒のんで「半平太許せ」とか叫ぶこともあったという話はやっぱ作り話?
木戸の「西郷もまた大抵にセンカ」みたいなのも本当なのかただの作り話なのか
63tokiha kanenari:2001/04/26(木) 16:15
>>62

推測にすぎませんが、容堂が武市の処分に関して、後悔の念を
いだくとすれば、それは「生かしておけば利用価値があった」
ということではないでしょうか。
なので、その類の言葉を発したとしても、対外的な情勢や世論
に対して「反省してます」という芝居ではないですかね。

木戸の言葉は、晩年、病床から言ったと聞いたことがあります。
また、木戸と西郷は薩長同盟を成立させた両藩の代表的人物、
なにかしら、友情というか、特別な感情(信頼関係)を抱いて
いても不思議ではないと思います。
だから、西郷の身を案じて出た言葉ではないでしょうか。
64アラカン:2001/04/26(木) 18:22
>>53
>>58
丁寧なレスをありがとうございます。では私も、ちょっと居住まいを正して(笑)。

小説はあくまで小説である、そのことはわきまえているつもりです。ただ、まったく知らないひとに紹介するには、
一番わかってもらいやすい方法ではないかと。
魅力はあるが業績がわかりにくいため、語られることが少ない人物は大勢いるはずですから。

それと脱藩がベストの選択だったか、という点ですが、武市は非常に惜しいところまでいったと思っています。
土佐で郷士が藩政に関与できる立場まで登ったということ自体、並みならぬ実力と、時代を見る目があったことの
証明ではないかと。
容堂ですら、復帰してしばらくは武市を重用していました。
利用されていただけ、との解釈もありますが、容堂にしてみれば、利用すること自体不本意だったはずです。
苦々しく思いながらも武市を重用せざるをえなかった、そこまで武市はもっていったわけですから。
状況の変化により、もはや利用価値なし、どころか有害であると容堂が判断したことにより切腹を言い渡されますが、
その判断が早合点であったことは歴史が証明しています。
武市が指導者のまま大政奉還を迎えていたら、薩長土はまったく対等だったのではないか、と思っています。

武市は切腹にあい、西郷さんは島流しとはいえ死罪の一歩手前とまで云われた沖永良部島。
が、とにもかくにも生き延びた西郷さんはその後活躍する機会を与えられ、武市は後継者らしい後継者にも恵まれず
現在の評価に至っています。
これってホンのわずかの差ではないでしょうか? もしあの逆風を乗り越えていたならば、
あるいは、西郷さんが久光により切腹を命じられていたら。

そういうIFは、言い出したらキリがないのはわかっていますがね。
65tokiha kanenari:2001/04/26(木) 21:26
>>64

こちらこそ、ちょっときつい言葉使いをしてしまったと
思っていましたが、度量の広い解釈をしていただいたよ
うで感謝します。

話はそれてきましたが(でも武市は竜馬にとって重要な
人物としましょう。)

>土佐で郷士が藩政に関与できる立場まで登った

たしかに、これは同感です。利用する、されるは政治者
の宿命ともいえるでしょう。郷士という立場から、土佐
一国の藩論を勤皇にしたわけだし、薩長の勢いに加わる
ことができたのも武市がそれまで行った活動が大きいと
思います。

やはり、武市の不幸は土佐に生まれたこととなってしま
う部分が大きいですかね。
容堂も「私情」と、「身分」で人材を選んでいた愚侯で
あったと私は思っています。
竜馬の評価が大きくなって一番苦々しい思いをしたのも
容堂侯だったかも・・・逆に言うと、桂や西郷(薩長)
からの容堂へのいやがらせかも。
66日本@名無史さん:2001/04/26(木) 21:48
しかしやはり薩摩と土佐では決定的に違う。
長曽我部の郷士集と山内家の上士集
これは薩摩の久光が西郷を嫌っていたレベルとはわけが違う
この対立関係は他藩にはないもの。
武市という人物自体は西郷や桂にひけをとらないとは思うが
やはり他藩と同じようなやり方では土佐では無理だったのではないだろうか。
土佐の上士というか容堂はどんなに優秀だろうが下士郷士であれば
認めなかった。認めるだけの度量がなかった。
下士郷士ではやはり武市までが限界だったのではないかと
土佐が他藩のように上下の制度が厳しくなければ
武市のやり方は成功したのかもしれない
もしそうだったならば竜馬という人物は歴史の表舞台には
顔をださなかったかもしないが。
6766:2001/04/26(木) 21:51
>64さんに対してです。
65さんのスレ読んでなかったので
つながりがおかしくなってしまった
6866:2001/04/26(木) 22:21
>やはり、武市の不幸は土佐に生まれたこととなってしま
う部分が大きいですかね。

同意です。

竜馬のエピソードで
自分の乗っていない名簿を西郷に見せて
「世界の海援隊でもやろうかい」というのは
有名ですが残された資料には坂本の名もありこのエピソードは
創作の可能性が強いらしいです。
竜馬がこういったスタンスをとっていのは事実らしいですが。
竜馬が生きていたら岩崎弥太郎のような財閥を築いていた
という意見もありますが私はこれはなかったと思っています。

69日本@名無史さん:2001/04/26(木) 22:34
マガジンの竜馬終わっちゃったね。
毎週楽しみにしてたのに(泣

最後の「世界の海援隊」は圧巻だったね。
大政奉還も薩長同盟も竜馬一人で成し遂げた事なのにね。
西郷も桂も返す言葉もなかったね。
まさに竜馬の存在は日本史の奇跡だよね。
70アラカン:2001/04/26(木) 22:41
>>66
たしかに、西郷さんは出身階層でいえば決して上士ではないが土佐でいう郷士ほどの最下層でもありませんでした。
薩摩でいえば、中村半次郎たちの階層がそれに該当するでしょうか。
それに贔屓目にみても、西郷さんはかなり独断専行でそれこそ久光をないがしろにしていましたから、
細心に気を使っていた武市と、単純に比較はできないでしょう。似ている点はありますが。
7166:2001/04/26(木) 23:08
武市も土佐の郷士で
最下層ではありませんよ。
むしろ竜馬、吉村などより上士に近い

>細心に気を使っていた武市と、単純に比較はできないでしょう
アラカンさんが64のスレで西郷を引き合いにだして
ほんのホンのわずかの差ではないでしょうか?と書いていたので。
土佐と薩摩では比較できないと思ったので書きました。

私は武市に関しては土佐でなければ、という思いが強いです。
72日本@名無史さん:2001/04/26(木) 23:13
暗殺でことを進める闇のフィクサー
しょせん、2流の人物
73tokiha kanenari:2001/04/26(木) 23:15
>>68 >>69

「世界の海援隊」発言に関して、これも真偽のほどはどうか?
との話もあったようですが、陸奥宗光が言ったことなので、
信憑性は高いとされています。個人的にも信じたい話ですが、
竜馬死後、竜馬を頼っていた海援隊士の多くは活躍の場を
失っていったようですし、西郷や桂の人気に対抗するために、
竜馬はイメージアップを計る(おそらく陸奥が)ために造話
と考えることはできないでしょうか。

>竜馬が生きていたら岩崎弥太郎のような財閥を築いていた
>という意見もありますが私はこれはなかったと思っています。

よろしければ、この理由というか何故そう思うのか、教えて
いただきたいです。
私は、竜馬が暗殺されていなければ、政商として活躍し、や
はり財閥を築いていったような気がします。
また、土佐系出身の人材をバックアップや、政府の要職に付
いたりする可能性も大きいのでは、と思ったりしています。
74tokiha kanenari:2001/04/26(木) 23:25
ご存じかもしれませんが、武市家は半平太の父の代に
何か功績があったらしく、郷士から白札郷士に格上げ
されました。
身分的には、郷士と上士の間の身分になりますが、
事実上、白札郷士から上士に抜擢というか格上げされ
ることはなかったそうです。

ただ、投獄された際に、武市だけ白札郷士ということで
拷問は一切受けなかったそうですね、他の勤皇党で郷士
出身者は激しい拷問をうけたから、そういう扱いの差は
あったかもしれません。
(ただし、情勢や京で朝廷に名の通っていたからという
考えもできますが)
75アラカン:2001/04/26(木) 23:39
>>71
境遇は単純に比較はできないですが、なんというかその、大局的・運命的にみれば近い仕事をやっていたのではないかと。
‥‥‥反論じゃないんですよ。たんに私の文章が下手なだけです(笑)。

>>73
>竜馬死後、竜馬を頼っていた海援隊士の多くは活躍の場を失っていった

 そういうことになってしまったのは、海援隊がまだ組織として未成熟だったせいでしょうか。陸奥も積極的に
海援隊を発展させようとは思ってなかったようですし。
 弥太郎と違って竜馬は倒幕に深く関わりすぎています。顔も効くし頼るひとも多い。
勝海舟の一番弟子でもあったことから、海軍編成に力を貸していた可能性は高いと思っています。
竜馬以上に、中岡はもっとそういった傾向があったように思えます。
7666:2001/04/26(木) 23:40
>よろしければ、この理由というか何故そう思うのか、教えて
いただきたいです。

竜馬は尾崎三良という人と新政府の職制案をまとめているのですが
この中の参議の項に坂本の名もしっかりとあります。
つまり竜馬自身は新政府に入ることを了承していたわけです。
また、個人的な意見なんですが、
西郷や木戸、後藤などが竜馬をほっとくだろうか?
とも思うからです
あくまでも竜馬の暗殺犯の黒幕が薩長土以外という
仮定でのifですが。
それと、岩崎と竜馬では根本的に志が違うと思うので
比較できないと思うのです。
7766:2001/04/26(木) 23:49
またリロードして読む前にふたもレスが・・・
私は新政府の要職に付いていた可能性が、
最も高いのではと思っています。
>弥太郎と違って竜馬は倒幕に深く関わりすぎています。顔も効くし頼るひとも多い。
海軍編成に力を貸していた可能性は高いと思っています。

同意です。私も新政府の要職に付いていた可能性が、
最も高いのではと思っています


7866:2001/04/26(木) 23:52
わかりにくい文になってしまった・・・
79tokiha kanenari:2001/04/27(金) 14:04
>>78

レスありがとうございます。なるほど、竜馬は参議ですか。
(尾崎三良=戸田雅楽ですよね。)
あの新政府案には、薩長と岩倉に見せるものと2つあったとい
う話と何か関連があるのですかね。

竜馬の名を入れるとしたら、戸田(長崎)が、情勢を判断して
竜馬の身を心配し勝手にやったものと考えるのはおかしいです
かね。
80tokiha kanenari:2001/04/27(金) 14:26
>>75

>勝海舟の一番弟子でもあったことから、

揚げ足とり気味で大変申し訳ないですが、海舟の一番弟子が竜馬
というのはちょっと違うような気がします。
(杉亨二の方が、一番弟子にふさわしいような気がします。)
竜馬と海舟は「師弟関係」として有名ですが、実質的にその関係
が続いたのは神戸海軍繰練所時代のわずか半年あるかないかの短
い時間です、ただし、その後も勝を師を仰ぎ、精神的な繋がりで
の師弟関係は続いていたと思いますが。

>海軍編成に力を貸していた可能性は高いと思っています。

たしかに、同感です。
勝と竜馬(海援隊)、そして中岡で、十分、第3か4の勢力を
起こせたかもしれません。
土佐は後藤が参議で入っていますが、竜馬亡きあと、急に
覇気がなくなったような感じで存在感がなくなりましたね、
板垣(乾)も、中央にとどまることはできなかったし・・・・
まあ、その頃の明治政府はあまり興味ないですが。
81日本@名無史さん:2001/04/27(金) 21:41
175センチって当時はでかかったのか
82アラカン:2001/04/27(金) 23:31
>>80
たびたびtokihaさんや>>66さんに指摘を受けて、なんともお恥ずかしい限りです(苦笑)。

>揚げ足とり気味で大変申し訳ないですが

とんでもない、私の不勉強が悪いのですから、いい加減な意見への的確な指摘は本当に勉強になります。
勢いで”一番”弟子なんて書いてしまいましたが、杉亨二についてはよく知らないんですよ。竜馬の兄弟子ですか?

もし竜馬が死ななかったら‥‥‥については明るい仮定が今のところ多いようですが、もしかしたら‥‥‥‥‥、
暗殺されなかったとしても、悲惨な末路を迎えていたんじゃないかとも少し思うんです。
西郷さんでさえあのようになったのですから。

人間的魅力の豊富な竜馬ですが、西郷さんのような、広く万人向けの親しみやすさとはちょっと違っていたようです。
当時の常識にとらわれない発想、生き方をした竜馬ですから、一般的にはかなり変わり者でとおっていたと思うんです。
西郷さんのような大人物なら、彼のよさがわかって評価も高かったでしょうが、柔軟な発想をもてない凡人には、
彼は理解しにくかったのではないでしょうか。
お竜が、その後必ずしも幸福な人生を送っていないところをみても、彼女もまた竜馬と相通ずるものがあったのでは?
8366:2001/04/28(土) 01:48
>暗殺されなかったとしても、悲惨な末路を迎えていたんじゃないかとも少し思うんです
そうですね。現実的に考えるとそう思います
暗殺犯の黒幕は様々な説がありどれも決定的なものはありませんが、
あの時点で多くの敵を作っているのことは事実ですから・・
西郷黒幕説さえあるくらいです
ただ、お竜に関してはその後を考えると単純に
竜馬に女性の見る目がなかったのでは
と思ってしまいます(ワラ

ところで竜馬像って人によってほんとうに違いますよね
当時の人も
ある人は無愛想で怖い人と言ってる
ある人は非常に愛嬌がある親しみやすい人だとも言ってる。
行儀がよくなかったというのは事実みたいですが。
逸話も同じ人のことは思えないほど多々ありますし。
竜馬がゆくでは非常にうまくまとめて魅力ある
さわやかな竜馬像を作っているのですが
逸話など挿入しすぎて明確な竜馬像がわからない気もします


84tokiha kanenari:2001/04/28(土) 09:59
>杉亨二について

勝が蘭学の塾を開塾したおりに、教師として雇われた人物です。
竜馬とはおそらく面識はなかったでしょうね、勝から話は聞いて
いたとは思いますが。
海舟を師と仰ぎ、勝家の人々にも信頼されていたようです。
たしか、統計術をおさめた人物としても有名なはずです。
85dark:2001/05/03(木) 15:47
竜馬は剣だけしか取り柄がないの??>
剣は強いが、頭は弱いと言われていますが実際はどうだったのでしょう?
船中八作やら薩長同盟を導くほどの事ができたのだから、どうなんでしょう。
仮に、バックがいたとしてもここまではできなかったんではないでしょうか?
龍馬の幼少の頃に塾を追い出されたという事実があると思いますが、頭が悪くて追い出されたんでなく
塾にいた上士と喧嘩をし、大変なことになってしまうので塾をやめたと言うことがあったと思います。
剣だけではなく、頭も良かったと思うんですが、皆さんどう思いますか?
実際、剣を抜いたことはないし謎は多いいですが。
確かにこれだけでは、どこまで良いのかわかりませんが・・・・。
86ジョーカー:2001/05/03(木) 15:57
お竜は柄は悪いが、面と「器」は上物だったらしいねぇ。
87日本@名無史さん:2001/05/04(金) 03:54
後藤真希age
88日本@名無史さん:2001/05/04(金) 04:41
お竜=後藤真希
89日本@名無史さん:2001/05/05(土) 01:44
カントリー娘。にココリコ遠藤age
90日本@名無史さん:2001/05/05(土) 23:11
薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね薩長教徒死ね

91日本@名無史さん:2001/05/08(火) 03:10
全員ばかだな、全レスバカが書いた漫画と司馬史観のみで語られている
ホント レベル低いな 漫画と小説以外の文献を自分で調べて発言しろよ
マイッタマイッタ
92日本@名無史さん:2001/05/08(火) 10:33
オマエガイチバンナー
93摂津守:2001/05/09(水) 00:58
竜馬は合理的な商人の感覚をもった志士だと思う。
利用する物は利用しまた利用もされる。
正しいな思えた事は相反する考えでも受け入れる。
幼少時は馬鹿だったなんて言われてるけど生家は才谷屋。
別に塾なんか行かなくても読み書きは出来たろうし。
生家が金持ちのおかげで色々助けられた事もあったと思う。
こまめに実家に手紙を送ってたのも金の普請の意味もあったろうし。
脱藩の際の咎も才谷屋のおかげって所もあったと思う。
何せ土佐藩に金貸してる位の豪商。
身分差があっても財力さえあれば補えるといった考えは自然に生まれて来ると思う。
94 :2001/05/09(水) 01:23
司馬遼太郎の歴史小説=史実にほぼ近い
って思っていたら大間違いです。
あの人の小説は面白いが信用しちゃいかん。人物像の描写が巧すぎ。

竜馬は薩摩に巧い具合に操作され、利用された一剣豪です。
95日本@名無史さん:2001/05/09(水) 01:46
竜馬がそれほどの人物で無かったか そうでないかは 何を根拠と
している議論なんでしょうか 薩摩のスパイにすぎなかった や
西郷 桂から下に見られていた などが 事実であったとしても

維新の時期に 明確な次世代政府の形を明言していたのは竜馬で
例えそれが横井などの論であったとしても) 言うは易し行うは難し
を 実行していたのは 評価に値する

事実海援隊などの試みは 他の人と違う視点で幕末を見、かつ
現実性ある行動であったわけであり 人物でなければそこまで
有名になるものでもないと思う

脱藩浪士の身で後ろ盾が無いにもかかわらず 混沌の時代を
泳いだ人物 一定の評価はすべき

司馬史観のみを根拠に褒め上げるのは無論良くない事であるが
竜馬をこきおろす認識もまた 妥当性を感じない

今までの認識よりも実際はたいした奴ではなかった これは別にいい
ただ竜馬=たいした男ではない には ならないと 考える
9694:2001/05/09(水) 01:48
ちょいと極端に言い過ぎた。回りもあまりに小説を信じきってる人が多いもんで。
↓これには完全に同意です。

>今までの認識よりも実際はたいした奴ではなかった これは別にいい
>ただ竜馬=たいした男ではない には ならないと 考える
97 :2001/05/09(水) 02:14
たいした男ではある。
先見の明を持った男ではある。
そのような人物だからこそ、薩摩は自国のために巧く利用したと。
ただ、歴史を変えたほどの人物ではないなぁ。
98日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:22
>95
ってゆーか、当時、次世代政府のグランドデザインを持っていたのは、
小栗たち幕府側の改革派なのであって、
倒幕派側は尊皇攘夷論しか知らないヴァカぞろい。
唯一龍馬のみが勝を通じて幕府側の進歩的な世界観の一部に触れ、
それをお舟で書き残すことができたってだけ。
武器の闇取引には長けてたかもしれないけど、
マクロな経済問題には全く度素人の龍馬を新国家の創造者のように
持ち上げるのは馬鹿げてるぞ。
99日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:34
小栗は フランスの共和制など およそ日本の現状にマッチしない
考えなどを持っていたに過ぎない ビジョンがあっても
それが使えるものでなければ仕方が無い 当時はすでに徳川もあり
天皇もありではどうしようもない政局であった

幕府は外国文化の受け入れには積極的であったといってもいいが
進歩的考えであったとは言い難い
勝にしても当時の幕閣を痛罵している 小栗はフランスから金を
借りて 幕府を守ろうとした あくまで幕府の次世代デザインであり
竜馬等のデザインとは次元が違う
100日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:39
自分は新国家の創造者と竜馬を持ち上げてはいない
事実 竜馬の案は 欧米の引用であるわけだから 創造ではない
ただ 時代のニーズを先取りしていた先見性を評価しただけである
101日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:40
>>99
では、龍馬や勝の次元の違うデザインとやらを示してみろ。
102日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:44
ええぇ 面倒くせ〜よ〜 自分で調べろよそんくらい

それから 議論しろよ〜
103日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:45
>>99
それは、物は言い様ってレベルではないか?
幕府は政権当事者なんだから、現実とのせめぎあいの中で模索するしかないわけで、
竜馬と同じことをいうのは無責任発言になっちゃうでしょう。
で、竜馬のデザインは実際に力をもったのかというと、
維新以降だって新政府は自信をもって竜馬ビジョンを推進したわけじゃなく、
明治帝国の国家デザインは遣欧使節帰国以後にようやくみえてきたってのがほんとのとこでしょう。
104日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:45
デザインも方法論もフランス対日政策担当の受け売り。
105103:2001/05/09(水) 02:46
>>98に全面賛成。
106日本@名無史さん:2001/05/09(水) 02:54
まいったなぁ 自分の書き方が 小栗はたいした事無くて
竜馬はすごいなんて風に 受け取られたのなら 誤解を解きたい

ここで 言いたいのは 誰よりも早く時代に適した新政府デザインの事に着目し
考えていた竜馬を 評価していると いう事である

小栗などの 立場上そうしか言えなかったとか 立場論は
度外視していただきたい

明治国家の国家デザインにしても 竜馬は向かう方向性をいち早く
表した 討幕その後 を 考えて 行動していた 眼識を評価したのであって
竜馬のデザインが力を持っていたかうんぬんも 全く 論点が
違うというのを ご理解いただきたい


107103:2001/05/09(水) 02:58
>>106
なるほど、そうか。わかったよ。酔っ払ってたんで勇み足だった。許してくれ。
108103:2001/05/09(水) 03:01
いいや認めん! 竜馬なんて厨房でドキュン。パークスの小間使い以上の者ではない。
109日本@名無史さん:2001/05/09(水) 03:01
ご理解を 感謝する>107
110103:2001/05/09(水) 03:23
108は偽者です。
111108:2001/05/09(水) 03:26
107が偽者。110を書いたのは俺だが書き間違いだ。鬱だ氏のう
112ほんもの:2001/05/09(水) 03:41
うわっ なんだこれ?? 偽者は108だよ。
113日本@名無史さん:2001/05/09(水) 05:01
自作自演です
114日本@名無史さん:2001/05/09(水) 11:50
早乙女貢に洗脳されてる奴がいる
115日本@名無史さん:2001/05/09(水) 14:51
最近の三流政治家は「坂本竜馬を尊敬する」とか言ってるな。
じゃあ、商売を始めろと思うのは私だけか?
116日本@名無史さん:2001/05/09(水) 17:42
あげあし取りも いいとこだ
117日本@名無史さん:2001/05/09(水) 21:41
竜馬と小栗を比べるのはおかしくないか
立ち場がまったく違うし。
竜馬は行動力がすごいよな。
政治の才では小栗の方が全然上
118日本@名無史さん:2001/05/09(水) 21:51
小栗は組織にしばられすぎ
119日本@名無史さん:2001/05/09(水) 22:11
>115
最近の一流政治家って誰だ?
120日本@名無史さん:2001/05/10(木) 02:31
竜馬の49カ条からなる語録が残されているが、私なんか非常に竜馬らしいと思うのだが
なぜか小説やマンガには紹介されない。少し書いてみる

一、世に活物たるもの衆生なれば、いづれを上下とも定め難し。
  今世の活物にては、唯だ、我をもつて最上とすべし、されば天皇を志すべし。

一、人に対面せば、此奴はいかにせば打ち殺さるるぞと見破るべし。此奴は殺すわけはない
  と思ふ位な者は智なし。少し六ヶしきと思ふ者は智あり。
  其智あるは早くだまして味方にすべし。

一、予に随ふものは生捕同然、予に随はざるものは皆讐敵と見て心をゆるすなかれ

一、人を殺すことは工夫すべし。刃にては箇様のさま、毒類にては云々といふことを
  さとるべし。乞食など二、三人ためし置くべし。

一、義理などは夢にも思ふことなかれ。身をしばらるるものなり。

一、天下万民を救ふといふ名あれば、恥る所なしと定めて事のかかるべし。

革命家というものはこういうもんだと思う
横井小楠に「乱臣賊子にならぬように」と怒られてるし
121日本@名無史さん:2001/05/11(金) 01:27
age
122日本@名無史さん:2001/05/11(金) 01:43
>>120
知性と理念が全く感じられない文章だね。
ただ鬱屈した激情と天皇(自己と同一視している)に対する盲目的信仰があるのみ。
「天皇」と「天下万民を救ふといふ」名目さえあればなにをやっても良いという龍馬の思想は、極めて非人間的で危険なもの。
人殺しの練習に「乞食」を二三人殺しておけなどと平気で言う人間はただの基地外なのであって、断じて「革命家」などではない。
龍馬を叩き斬った佐々木只三郎こそ正義っだったと、あらためて認識したよ。
123日本@名無史さん:2001/05/11(金) 01:46
>人殺しの練習に「乞食」を二三人殺し
水戸黄門も若い頃やったらしいね…
年取ってから反省しつつ語ったとか。
124日本@名無史さん:2001/05/11(金) 01:54
もっと竜馬の事勉強しろよ〜>122
125日本@名無史さん:2001/05/11(金) 02:13
天皇狂信者だったという点で今日竜馬の利用価値は全くない。
維新後に生き残っていれば、明治政府と結託した腹黒い政商になり、
アジア侵略の片棒を担いでいたことだろう。
126日本@名無史さん:2001/05/11(金) 02:16
天皇狂信者が将軍を思って泣くか?
127日本@名無史さん:2001/05/11(金) 02:28
明治維新の立役者坂本竜馬は日本帝国主義の元凶なのか?
128日本@名無史さん :2001/05/11(金) 02:30
>>122
120の一番上の文は、天皇にもなれるという意味だと思うよ
129日本@名無史さん:2001/05/11(金) 02:31
>>128
じゃあ、坂本は逆賊だな。
130日本@名無史さん :2001/05/11(金) 02:45
>>129
というか、それだけ横紙破りな人間だったんだろうね
この文見たことあるよ 戦前は発表するのはタブーだったとか
武田鉄也なんかは書かないだろうな
ていうか知らないだろう
131日本@名無史さん:2001/05/11(金) 02:53
>>130
上の文が真実なら、坂本も取り柄はあるな。
ただの天皇制狂信者だったんじゃ魅力はないけど。
132日本@名無史さん:2001/05/11(金) 13:15
竜馬が天皇狂信者って・・・
馬鹿しかいないのか
ここは
133日本@名無史さん:2001/05/11(金) 13:26
その文は、竜馬がゆくにも紹介されてるよ。
134日本@名無史さん:2001/05/11(金) 17:15
120さん、ほかのみなさま

すいません、その語録って、どの本をみればのっているのですか?
是非とも全部読んでみたいので、教えていただけないでしょうか。
どうかよろしくお願いいたします。
135日本@名無史さん:2001/05/11(金) 18:37
千頭清臣の書いた「坂本龍馬」じゃなかったっけ
でも、その文も龍馬本人が書いたのかどうか
信憑性薄いらしい
136日本@名無史さん:2001/05/12(土) 01:28
第2時長州征伐後に
いろは丸事件というのが起こった
海援隊が大洲藩から借りたいろは丸が紀州藩の船と衝突
紀州藩から多額の賠償金をせしまた事件
7万両受け取り、大洲藩には船の弁償に4万両
残りの内1万5千両を海援隊がせしめた
賠償交渉にあたり紀州藩を脅したふしが有る
137日本@名無史さん :2001/05/12(土) 03:03
当たり屋竜ちゃんと呼ぼう。
138日本@名無史さん:2001/05/12(土) 03:16
竜馬さいこーー!!
139日本@名無史さん:2001/05/12(土) 03:29
外国の武器商人の使い走り。
140日本@名無史さん:2001/05/12(土) 09:08
商社をつくって
関門海峡を通過する船から、積荷の関税を取ろうとした
慶応元年の事
勿論バックには薩摩、長州だ
141日本@名無史さん:2001/05/12(土) 10:08
>>140
よーするに虎の威を刈る狐ってやつ?
142日本@名無史さん:2001/05/13(日) 00:13
竜馬が生き残って総理大臣になってたら
いい政治家になってただろうか、非常に不安だ
143日本@名無史さん:2001/05/13(日) 00:23
竜馬は百四十年も以前に日本の近代化の基礎となる思想と先見性をもっていました。あの時代ですでに自身も刀剣の腕に秀でながら、ピストルを持ち貿易の知識が得意なほどです。また竜馬は欧米の法律に感銘しワシントンの子孫が名前も知られない(わたしたちにはあたりまえです)政治を日本で実行しようとしたのです。竜馬の平和的革命に関して自身の欲望から戦争を起こしたのが西郷たちです。彼ら小物たちによって竜馬のような先進的思想は実現が送らされたのです。


144日本@名無史さん:2001/05/13(日) 01:44
>>143
すみませんが、
>あの時代ですでに自身も刀剣の腕に秀でながら、ピストルを持ち
京都に潜伏中、斬り合いをして勝った話が無い
寺田屋で奉行所の追っ手に踏み込まれた時、刀を持っているのにピストルを撃つ
ばかりで逃げ出している 剣の達人とは言いがたいのでは?
土佐屋敷のトーナメントでも正式に残っているのは島田駒之助に勝っただけ

>竜馬の平和的革命に関して自身の欲望から戦争を起こしたのが西郷たちです
竜馬が平和的革命を目指してたとはとても思えません
薩摩、長州に先を越され土佐の好戦派が戦いを求めていた(倒幕→討幕)
中岡慎太郎もそのうちの一人
暗殺された時京都に潜伏していたのは、公卿を動かし、天皇から討幕の密勅
を得る為でした

>貿易の知識が得意なほどです
良い様に言えばそうかもしれないが、要するに金儲けですよ
革命家が金儲け? 純粋な元同士は非難してますよ、海援隊のやり方に対して
竜馬はこう言ったんです
「及ばず乍ら天下に志を述候為とて、御国よりは一銭一文の助けを受けず
 諸生の五十人も養ひ候へば、一人に付一年どうしても六十両位はいり申候ものゆへ
 利を求め候」
一人六十両ですよ、当時一般の腕利き大工が月一両 一年で十二両
実に5倍 経費その他差っぴいてもべらぼうです
これじゃ私利私欲に走っていると思われても仕方ないのでは?


145日本@名無史さん:2001/05/13(日) 03:01
>剣の達人とは言いがたいのでは?
刀剣の有用に使いこなす才能があったのにピストルや法律の有用性に着目したのが竜馬の思想です。
>竜馬が平和的革命を目指してたとはとても思えません
竜馬は当時の日本の権力をもつ徳川慶喜さんに大政奉還を実現させ戦争の勢力争いを避けたのです。
>要するに金儲けですよ
経済の能力が竜馬の先進知識と発想の広大さの部分です。竜馬の当時は他の人たちはそのような発想がなく竜馬の先進思想が理解できる人がいなかったのです。

146日本@名無史さん:2001/05/13(日) 21:13
>刀剣の有用に使いこなす才能があったのに・・・
それは司馬さんの完全な創作です。
物語の中の竜馬は北辰一刀流の免許皆伝として書かれているけど、
実際の龍馬は剣ではなく、「なぎなた」で北辰一刀流の目録です。
たいした腕じゃないから護身にピストルを持ってたんです。
勉強しなおしてきてください。
147日本@名無史さん:2001/05/13(日) 21:28
>たいした腕じゃないから護身にピストルを持ってたんです。
ですから私のいわんとしてる現象は当時の武士たちが常識の一部である刀剣の才能に比べて、竜馬の先見的行動と思想がはるかに先進的であり、薩長同盟や大政奉還という常識では考えられなかった発想があり先進的行動を実行できた才能の話です。
148日本@名無史さん:2001/05/13(日) 22:37
竜馬が生きてたら、番頭が岩崎で
いまの三菱が才谷屋になってる
149日本@名無史さん:2001/05/13(日) 22:55
竜馬の思想萌え〜
150日本@名無史さん:2001/05/13(日) 22:59
世の中じぇにや〜、うだうだぬかすやつはピストルでうち殺すぞ〜<竜馬の思想
151日本@名無史さん:2001/05/13(日) 23:18
才谷銀行萌え〜
152日本@名無史さん:2001/05/13(日) 23:41
>>147
>薩長同盟や大政奉還という常識では考えられなかった発想があり
 先進的行動を実行できた才能の話です。

この辺りがよく解らないんですよ、竜馬の功績として言われる事ですが
薩長同盟は本当の竜馬が考えたのか?
西郷は長州と手を結びたかったのは確かですが
(長州が家老三人の切腹という形で一応ゴメンナサイしたわけです
幕府はそれだけじゃ不服だったが、西郷がこれ以上はいいと
長州の弁護をした事でも明らか)
禁門の変、長州征伐でに幕府方で参加していたので難しかった
だからフリーの立場で長州とも繋がりの有る竜馬を利用したと考えられます
(薩摩藩邸で養っているなど)
薩長同盟は竜馬が考えてはいないという説が常識になりつつ有るのですが
その辺り、147さんどう考えられますか?

  


153日本@名無史さん:2001/05/14(月) 00:16
不毛だ・・・・
154日本@名無史さん:2001/05/14(月) 00:36
>147
大政奉還だって、あのタイミングで決断を下したのはあくまでも慶喜。
土佐のおせっかいに乗ったような形にしたのはお得意の責任逃れのため。
竜馬が「大政奉還案」を「創作」するはるか以前に、
慶喜側は大政奉還という選択肢を持っていたことに留意しましょう。
155頭の悪い竜馬オタヘ:2001/05/14(月) 01:15
>>147
おまえ何いってんの?
薩長同盟も大政奉還も竜馬の発想じゃないでしょ。
特に薩長同盟は当時の見識ある志士なら誰でも考えていたこと。
しかもいち早く行動を起こし地道な根回しを行ったのは中岡慎太郎、
土方楠左衛門ら長州の世話になっていた脱藩志士たち。
竜馬は最後の最後に現れ、おいしいところだけ持っていったってのは
、ちょっと歴史をかじった者なら誰でも知ってる常識。
良く知りもせず下らんレスつけるな。能無しが。
156日本@名無史さん:2001/05/14(月) 01:25
薩長同盟は朝鮮人の働きがあった。
157日本@名無史さん:2001/05/14(月) 01:50
ですから竜馬の以外にも薩長同盟などに行動した武士たちもいたわけです。しかし竜馬は経済や貿易の発想など先進的な行動で猿犬の中だった西郷さんや桂さんたちを結び付けたのです。大政奉還も幕府の家臣たちも考えていた案ですが、竜馬は西郷さんたちが権力を欲しがって戦争を当然と発想している時にそれを行動したのです。
158日本@名無史さん:2001/05/14(月) 01:53
>>157
コイツ、日本語、変。

159日本@名無史さん:2001/05/14(月) 04:37
まだそんな論争してんだ、もういちいち説明するのも飽きたよ。おつかれ〜
160日本@名無史さん:2001/05/14(月) 11:02
竜馬の剣の腕がたいしたことないとか書かれていたが
それは違うと思うぞ。
小栗流を竜馬は13年で免許皆伝。
同じ道場の師範代の土居楠五郎という達人でさえ19年かかっている。
北辰一刀流の免許もただ現存していないだけかもしれない。
塾頭もつとめてるしな。
有名な剣士の目録が残っていないことなんて多数ある。
まあ大目録までいったかどうかは疑問だが。

竜馬以外にも薩長同盟の発想を持った人はいた。
だが、最終的には竜馬が関わった。
裏書きをした一点だけ考えてもその信頼性がわかる。

竜馬の功で、独創というのは確かに少ないかもしれないが
その実行力が評価されるべき。
机上の空論で終わらせなかった。


161日本@名無史さん:2001/05/14(月) 11:05
竜馬はただの伝書鳩。
竜馬の功を課題評価する人は
「大阪城を造ったのは大工さん」と同じ理論ですな(ワラ
162日本@名無史さん :2001/05/14(月) 11:19
竜馬は剣道の腕は良かったのかもしれないけど
真剣勝負は恐くて出来なかったという事かな
人を切るのと剣道は違うもんね
岡田以蔵や田中新平の方が真剣勝負は強かったんだろうね
163ラーメン大好き@名無しさん:2001/05/14(月) 12:08
竜馬の千葉道場での話しは?が多い
目録にしても塾頭にしても
信頼できる資料がないでしょ
桂との試合もよく分からん
つまり、幕末に竜馬と言うフィクションの人物の物語と
思った方がいいんでないかい?
164日本@名無史さん:2001/05/14(月) 12:08
>161
ばかか
165日本@名無史さん:2001/05/14(月) 12:12
結局まともな議論じゃなくなってきたな
竜馬のこと好きか嫌いか
166ラーメン大好き@名無しさん:2001/05/14(月) 12:36
司馬遼太郎嫌いで、したがって薩長同盟等の竜馬の事跡を
否定する人って、その否定をする人の説を信じきってますよね。
どうしてその説は否定しないのだろう。
結局、坊主憎けりゃ、袈裟憎しということですか。
167日本@名無史さん:2001/05/14(月) 12:41
司馬遼太郎は好きだけど竜馬は嫌い。

あ、ラーメンは大好きですよ。
168日本@名無史さん:2001/05/14(月) 22:43
「何でも宜しいから、一芝居興業すれば、それより事は始まるであらう」
薩土盟約締結時の龍馬の言葉。
169目のつけ所が名無しさん:2001/05/14(月) 23:11
一次史料読んでない人間は以後書き込み禁止。
本の受け売りはやめてください。
170日本@名無史さん:2001/05/14(月) 23:53
やっぱり竜馬の先進的な凄さを理解している現代人のほうが多いですね。当時の武士の人たちの常識を越えた武士で(商人の家でしたけれども)いまの私たちの暮らしや常識をつくった人物ですから。
171日本@名無史さん:2001/05/15(火) 00:06
常識は超えてないと思うぞ。
後藤の大政奉還論を支持したのも、
「土佐も立なほりて、昔日の薩長土となりはすまいかと相楽み申候」
結局のところ土佐藩の利益のため。
172日本@名無史さん:2001/05/15(火) 00:27
>>143
>>147
>>157
>>170
お前、ちょっと引っ込んでろ。まともに文章も書けない狂信的龍馬オタが・・・
見てるだけで寒気がする。
173日本@名無史さん:2001/05/15(火) 00:29
>>172
おひおひそんな言い方はないんじゃない、狂信的反龍馬ヲタ君(w
174日本@名無史さん:2001/05/15(火) 01:49
いえ。竜馬は土佐藩の利益ではなく日本の全国の事を考えていたのです。当時の藩どうしの違いは私たちにとって国と国の違いでしたが、竜馬のみが争いをこえて日本の行動ができる先進的な思想がもてたのです。当時の武士だけではなく、町人といった人たちに民主主義の国を行わせようと考える思想をもっていました。大政奉還で戦争といった争いではなく革命させた平和による思想は当時の武士たちが考えつかなかった行動です。
175日本@名無史さん:2001/05/15(火) 09:01
竜馬はすごい!少なくてもここであーだこーだ竜馬を
馬鹿にする奴よりも
176日本@名無史さん:2001/05/15(火) 09:53
>>174
なんでやねん
そういう風に見たら、竜馬の行動に矛盾がでてくるぞ
なぜ新政府が薩長土肥で固められてるんだ 天下の為とは薩長土肥
で天下を取ろうという思想だよ
177日本@名無史さん:2001/05/15(火) 10:07
坂本竜馬の悪口っていうのはあまり聞かないね。
薩長の悪口はよく聞くけど・・・。
178日本@名無史さん:2001/05/15(火) 17:10
>174
>町人といった人たちに民主主義の国を行わせようと考える思想をもっていました。

???
うそつけ
179日本@名無史さん:2001/05/15(火) 22:52
あまりにも司馬さんの小説の影響がでかすぎるからだ
180日本@名無史さん:2001/05/15(火) 23:02
ほんとは司馬のほら話に書いてないことこそが歴史の真相なのにね・・・
181日本@名無史さん:2001/05/15(火) 23:05
>178
いえ竜馬は当時の武士たちが常識でかんがえた発想よりも先進的な思想でした。竜馬と一緒に行動した武士の本があり竜馬の思想が分かることができます。私たちが現在くらしている政治の始めを作るための行動ですから。
182日本@名無史さん:2001/05/15(火) 23:44
>181
たとえ竜馬の思想が先進的なものであるとしても、
それは大概彼が交流をもった知識人からの受け売り。
知識人から得た知識をより実際的なモノに練り上げ、
かつ実務のベースに乗せたことに限定して彼の功績を称えるのであれば
ともかく、「”彼の思想”自体が先進的!だから素晴らしい!」なんてゆー根拠レスのイメージ後追いは止めとくれ。
アンチ竜馬ファンに揚げ足とられるだけだよ。
ホントに竜馬が好きなら、真に称えるべき事だけ称えよう。
否定すべき部分は否定する勇気をもつべし。
183日本@名無史さん:2001/05/16(水) 02:19
龍馬を誉め称えよ!!!
龍馬の思想は信じがたいほど先進的であったのだから!
ただし倒幕派内ではの話しではあるが・・・
184日本@名無史さん:2001/05/16(水) 03:57
竜馬好き=ドキュソ
185日本@名無史さん:2001/05/16(水) 07:00
俺は司馬の読んでないから変に創作が絡まんなー。龍馬は好きだけどウザいファンはそればっか押し付けるんだよな。洗脳ってコワイね・・・あ、龍馬を理解したうえで楽しんでる人は別ね。
186日本@名無史さん:2001/05/16(水) 10:47
>170>174
こういうこというからたたかられるんだよ。
ドキュソは過大評価しすぎの奴が多い。
俺は竜馬を魅力的な人物だと思うよ
竜馬のことたたいてる奴も竜馬について表面的
にしか調べてないようだけどな

書き込んでるの読むと詳しい人もいるようだけど
中途半端にしか知らない奴らの書き込みのせいで
まともな議論になってないよ
187日本@名無史さん:2001/05/16(水) 17:25
だいいち聞く耳持って無いからなー。自分の思い込みだけじゃ話にならないよ。もっとこの場をかりてより詳しくなろう!俺もまだまだだけどね。
188日本@名無史さん:2001/05/16(水) 17:29

161 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/05/14(月) 11:05
竜馬はただの伝書鳩。
竜馬の功を課題評価する人は
「大阪城を造ったのは大工さん」と同じ理論ですな(ワラ
189日本@名無史さん:2001/05/16(水) 18:28
現在の三流政治家の尊敬する人=坂本竜馬
190日本@名無史さん :2001/05/16(水) 18:40
子供に竜馬と名付ける人はどうよ?
191日本@名無史さん:2001/05/16(水) 19:53
商売人にはむいてるかも。あと人脈とかかな?付ける親もたいして理解してないと思うぞ。角田のケンシロウ、ユリアと同じレベルと思う。親がよほど好きなんだろ。
192日本@名無史さん:2001/05/16(水) 22:34
当時の西郷さんや木戸さんでも明治政府の先見がなく幕府を滅ぼす戦いの考えで一杯にしていたのです。竜馬は幕府をたおす行動やそのような以前から船中八策や万国公法の思想をしていました。仲たがいの二人を同盟させただけではなくて平和による国づくりや民主主義の国の考えで今の日本の基礎として残る思想です。
193日本@名無史さん:2001/05/17(木) 00:04
ただの狂信者か...

194日本@名無史さん:2001/05/17(木) 00:06
今の我々の近代の生活を作ってくれた竜馬。
竜馬なくして我々はなかった。日本史最大の偉人坂本竜馬。
竜馬板をつくってほしい!
195日本@名無史さん:2001/05/17(木) 01:38
ドキュソレスは無視しよう!常識の範囲で龍馬を語ろう。
196世界@名無史さん:2001/05/17(木) 01:53
誰に対しても辛辣でしかも人物眼の確かさには定評の
あった陸奥宗光が竜馬を評価している所から見ても
やはり竜馬は一流の人物であったと思う。
ただ実際の業績から考えると二流
197日本@名無史さん:2001/05/17(木) 02:17
自分の元ボスかつ(日本海軍の祖といえる亀山社中の創始者)は
誉めるでしょう
198実習生さん:2001/05/17(木) 02:19
龍馬にあやかって子どもの名を付けるのは勝手だけど、どうせなら
実名の方にしろ>直柔(なおなり)
199世界@名無史さん:2001/05/17(木) 02:23
>>197
陸奥は自分の上司にあたる人でも辛辣です
ケンケン録をよめば分かる
200日本@名無史さん:2001/05/17(木) 03:14
土佐閥の日露戦争時の工作があったとしても偉業と言えると思います。

武士が奥ゆかしいから華を持たせるというのは異論があります。>>31
何しろ戦の時に「や〜や〜我こそは!」と名乗りをあげて、有名な武将を
倒した場合は、その対価(土地)を貰っていた訳ですから

>>181
今の政治の元を作ったのは大久保利通だと思いますよ。(官僚制度)
竜馬のはあくまでも、上院下院を置き、優秀な人材は身分に関係なく登用
するということなので。

日本人初の新婚旅行について>>37
当時、関所がありましたし往来を婦人連れで行き来する事が難しかった事、
海外事情に詳しく「新婚旅行」という風習を知っていた可能性を考えると
証明はできなくとも、初めてと言ってもいいのでは?
歴史では新しい事実が発見されるまでは「定説」ですから。
これを否定するのは、人類が発生した年を●億年前という「定説」を地球上を
全て掘って骨を探したんか!ってことになりますから。

201日本@名無史さん:2001/05/17(木) 03:17
な〜る〜!!説得力あり 同意!
200
202日本@名無史さん:2001/05/17(木) 04:39
新婚旅行はわかってしたんじゃなく結果的にそうなった感じかな。資料があるし、薩摩の用事のついでじゃなかったかな?と俺は思うんだけど。
203200:2001/05/17(木) 11:48
>>154
>慶喜側は大政奉還という選択肢を持っていたことに留意しましょう。
徳川側にしてみれば、薩長土という倒幕(討幕)勢力が、大政奉還をすることで
土佐が敵に回らないという計算があったろうし、親藩を説得しやすかったと
思いますが。
幕府という権益集団を捨てるには、本人の意見だけでは無理で、周囲を押さえ込む
理由が必要だったはず。
結局、バックの土佐藩を利用し(後藤と手を結んで)竜馬でしかできない仕事だったのでは?
204200:2001/05/17(木) 11:54
>>202
薩摩に行ったのは寺田屋襲撃で受けた怪我を治すため、幕府から身を隠す
ためという話しですよね?
乙女に出した膨大な量の手紙が、結果的に証拠となり「日本初の新婚旅行」
という事になったのでしょうね。
205日本@名無史さん:2001/05/17(木) 16:27
>200
ダレも全てを「実証」しろとはゆーてないよ。
例えば人類何千年、なんちゅーのは、科学的な状況・間接証拠を練り上げた上での推論な訳でしょ。くわしくは知らんが、それなりの蓋然性、信用性はおける。
でも竜馬新婚旅行説の場合、余りにも根拠が薄弱。
当時あれだけの諸外国事情が国内、とりわけ長崎諸地域に伝播していたことを考えれば、
竜馬以外にも西洋事情に通じ、新婚旅行の風習を知識として知っていた人は星の数ほど居たはず。
とゆうか、竜馬しか知らず、かつ実行に移さなかった、という推論自体、余りにも荒唐無稽。
関所云々にしても、あんなン手形があればダレでもできる。
第一、富士参り、お伊勢参りとか当時の人も国内旅行してんじゃないの。
でも新婚旅行は関所あるからしてない、なんて理屈がたってないよ。

よーするに「竜馬が始めて」なんて「絶対ありえない」とは言わないけど、
少なくとも「そうだ」と言うほどの蓋然性はない、可能性として余りにも低い、
先の人類何千年に沿っていうなら、例えば進化論に異議を唱える創造説論者が
「人類誕生はわずか6千年前。進化論のン億年前は出たらめ。だって聖書にそう書いてあるんだもん」
てのと同レベルだよ。んで創造説は「定説」は宗教旺盛な諸外国限定であればともかく、少なくともグローバルスタンダートとしての「定説」とはなってない。
根拠レスだからね。竜馬はじめて説もその程度、ってことよ。
わかった?
206岡田以蔵:2001/05/17(木) 17:45
結局こんだけスレッドが立って日夜みんな討論してるんだからっ!
やっぱし龍馬は凄いよ。確かに龍馬の魅力に翻弄された作家は多く
過大評価の部分は否めないが過去に生きた人間がいない今に結婚が
どうこう言ってもしょうがないんじゃ?現状の政治の事すら赤坂の
密室で行われていて表舞台には出てこないんだからさ(苦笑)

つまりは北辰一刀流の免許皆伝で薩長同盟の裏書きをしたって事実
ニ個で彼は剛健の持ち主で人脈のある立派な人物と言えるのでは?

幕府が龍馬を殺して未だ徳川幕府が続いていたとしても偉大だよ!
勝てば官軍じゃないけど偉人でないとしても凄い奴には変わりないね
よって,......

@@@@@@@@@@@@@@終了@@@@@@@@@@@@@@@@
207日本@名無史さん:2001/05/17(木) 17:49
>>205
まあ、205の方が説得力はあるわな。
でもなんかどーでもいいわ。
新婚旅行が誰かなんてそんな枝葉の話。
もっと意義深い話をしてくれ。
208日本@名無史さん:2001/05/17(木) 18:25
中岡慎太郎を褒め称えよ。
209日本@名無史さん:2001/05/17(木) 18:30
そうかね?そんな簡単な事(関所やら伊勢参りやら)学者連中が
考えないで初めての新婚旅行とか言ってるようには思えないんだけど
常識として

それを考えないで言っているようではいたって問題だ!

で なんでそんなにムキになるわけ?
210日本@名無史さん:2001/05/17(木) 18:52
確かに魅力的な人物ではある。
だが、痛いファンは竜馬一人で世の中が変わったと思ってる。
竜馬からの視点だけじゃなく他の人物の立ち場からも
幕末を考えよう。

竜馬は好きだが痛いファンにはうんざりです。
211日本@名無史さん:2001/05/17(木) 20:01
>210もう聞き飽きたよ。それは誰しも思っていること。自分の解釈で無視せんときりがないぞ!
212200:2001/05/17(木) 20:18
まず最初に・・竜馬が初めてだから偉いのどーの言うつもりはありません。

>>205>でも竜馬新婚旅行説の場合、余りにも根拠が薄弱。

他に証拠なり文献が出てくれば別ですが、乙女にあてた手紙が現存している
以上認めねばならないでしょ?<竜馬日本初の新婚旅行
根拠(宗教のそれとは違う)の無い創造説と一緒にされてもね。

長崎の直轄領に住む人間は確かに新婚旅行という風習を知っていたかも
しれません。しかし、当時の藩というのは独立した国に近く簡単に手形を
発行されたとは思えません。
例えば、藩のためになる商売やら、剣術修行の目的があって藩から手形が
発行されるものでは無かったのですか?
また「入り鉄砲 出女」の言葉通り、若い婦人は長崎からは出ることは
難しかったのでは?(直轄領ですから)

実行にうつす・・という事ですが、費用の問題も忘れることができません。
一般の庶民が簡単に他藩に行くためにお金の余裕がありましたでしょうか?
船旅行の場合、15日で500両(いろは丸 現在の価値で2500万以上)
の船のレンタル代を払ったことを考えると、庶民・武士も含めて簡単には
できません。徒歩で行くにしても仕事がある以上は・・かなり無理に近いと
思われます。
富士参り、お伊勢参りにしても、参拝に行くのは人生リタイア間近のお年寄り
です。だからこそ藩より許可が降りるのです。

以上の理由で、新婚旅行に限って言えば成しうる条件がかなり狭まります。
1.比較的自由に行動できたこと(幕閣の人間、脱藩者)
2.経済的余裕があること(豪商など・竜馬の場合は薩摩から招待)
3.当然新婚であること
213まる:2001/05/17(木) 22:01
皆色々知っているね。すごいな。
わしはまだまだひよっこ。修行の身さ。
なんなら竜馬ばかだったけど色々読んでる内にそうでもなくなったさ。
まあ、それでも好きだけど。

ところで皆はどんな本を読んでるの?
司馬遼太郎はいけないの?
それは何故。


214日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:18
竜馬のお陰なんです。いまの日本の暮らしがあるのは。
215まる:2001/05/17(木) 22:29
と言い切ってしまうのは、おかしい。
216まる:2001/05/17(木) 22:36
と言い切ってしまうのは、おかしい。
217日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:47
手紙に「俺が日本で初めてだ」なんて記述あったかね。
だとすれば自分の不勉強だが。

あと伊勢参りがリタイア寸前のみとは初耳。
店子や町民の娘、呉服屋のおかみ、その他モロモロの道中記その他資料が
現存していたように記憶するが、自分の記憶違いだろうか。

いや、勉強になりますな、ホント。
知らなかった事ばかりですわ。
218日本@名無史さん:2001/05/17(木) 22:56
ほ〜〜では人類最古と呼ばれる骨には「俺のが一番古い」と
書いてあるんだね??
219200:2001/05/17(木) 23:18
>>217 言葉が足りませんでした。江戸中期位までは比較的
伊勢参りは庶民でも無理すれば、なんとか行けたようです。

ですが
「伊勢に行きたい伊勢路が見たい  せめて一生に一度でも
わしが国さは お伊勢に遠し お伊勢恋しやまいりたや」(伊勢音頭)

とあるように困難な事であったには違いありません。
反論するのであれば、ソースを出してくださいね。

外国文化が庶民に広がってきた幕末期には、「ええじゃないか」運動、
打ち壊しなどが頻発するような御時世ですから、新婚旅行などは知って
いても、行くことは叶わないでは?
突っ込みだけで、論理的に反論、ソースがなければ、これで打止めです。
220200:2001/05/17(木) 23:22
>>213
一番最初は私も司馬の竜馬でしたし、面白いと思いますよ。
ただ、あまりにも売れているので、史実とフィクションを
混同してしまったりしますけど。
221200:2001/05/17(木) 23:29
訂正します 寺社詣に関して言えば比較的自由に旅が出来たようです。
222日本@名無史さん:2001/05/17(木) 23:51
>>218
だからさ、上で「蓋然性」と単なる「可能性」の話をしてるでしょ。
簡単に論破されるしょーもないツッコミはやめてくれ。
疲れる。

一方、219氏の意見は、とにもかくにも論理的ではあり傾聴に値すると思ふ。
見習うべし。
223日本@名無史さん:2001/05/18(金) 00:20
何というのも竜馬が死んでしまい民主主義や平和の思想が止まってしまいました。竜馬のお陰で中をとりむすんだのに明治の人たちは欲望のために政治の行動をするようになり、日本は三流の政治と呼ばれるのです。竜馬が生きていたら戦争を仲裁するし民主主義の国が実現になったのではないでしょうか。
224日本@名無史さん:2001/05/18(金) 01:05
>223感情論で話すと坂本竜馬好き=痛いと思われるので気をつけるべし!
225日本@名無史さん:2001/05/18(金) 01:26
>223
新手の荒らしだろ おめぇ〜
わざと書いてみんなの感情さかなでしてえんじゃね〜の?
226日本@名無史さん:2001/05/18(金) 01:40
坂本竜馬って人は、幼い頃のなんていうか空っぽな頭には窮屈な理屈なしで
色んなことがすんなり入っていったんだと思います。アメリカの実情を色眼鏡
なしで聞くことができて、江戸に出てきたらこれまた、色んな思想がある。
そういう「新しい話」に素直に耳を傾けることのできる性格が大物達に気に
いられたんじゃないかと思うんですよ。

その内、彼の交友関係の中で思想のベクトルが一方に向かっていくようになって、
ベクトルを同じくする大物達の便利屋的存在になっていったんでしょう。
大物で無いが故の、また藩に属さない故の行動力は重宝だったんだろうなと。

薩長同盟を結ぶまでの政治的駆け引き上の時間引き延ばしを、煮え切らない両藩
を竜馬が取り持ったとされるなど、彼の功績とされる画策が当時の大物がやったと
言うには微妙にマズいこともあったんでしょう。

宙ぶらりんの立場にいる竜馬の功績にした方が話がややこしくならないということ
なんだと思います。

彼がどの程度のことを行ったかというのは、体のいいスパイ要員くらいにしか思わ
ないんですが、大物が「竜馬はスゴイ。ヤツがこんなことまでした」ということで
自分の身の保証をとっていたように思います。

彼の懐が大きいからこそ回ってきた損な役回りを嬉々としてやった竜馬は大した
人だなと思います。


227日本@名無史さん:2001/05/18(金) 01:41
>194
竜馬板? 賛成だな。竜馬ヲタは日本史板から隔離してくれ。

別に竜馬崇拝を否定はしない。後漢末の武将、関羽だってアジア中で崇拝されてる。
現在の竜馬は日本のアイドルだし、また神の一人だ。まったくその通り。
北振一刀流免許皆伝でありながら欧米の政治を学び、薩長同盟も大政奉還
も計画実現させ近代日本を産んだ神様坂本竜馬は偉大だよ。

日本史板だからこそ歴史的坂本龍馬を検証しようなどという
無粋が行われるんだよ。彼はアイドル。ファンが好きなように
妄想語ろうがそれも勝手。
228200:2001/05/18(金) 01:52
>>226
空っぽの頭、体のいいスパイというソース、或いは理論を聞かせて欲しい
忙しいからまた来週!
229日本@名無史さん:2001/05/18(金) 09:45
>>226
概ね同意
230日本@名無史さん:2001/05/18(金) 13:05
そういえば
「竜馬は単なる薩摩のスパイ説」は、
昔N○Kの「堂々日本史」でやってたねー
確か竜馬が薩摩の指示で動いていたっちゅー文書が
発見されたとかなんとか・・・だったかな?

詳しい内容は忘れちゃったけど、
もしかしてそんことかな?
226がゆーてるのは?
231200:2001/05/18(金) 13:51
>>226スパイのソースは「堂々日本史」でしたか……

確か島津公にあてた手紙が発見されたという内容ですよね?
精神的な繋がりのある勝海舟をのぞけば、竜馬の後ろ楯は殆ど
無かったと言う状況であれば、一番の武器は情報操作にあった
と思います。
そういう行動をスパイと言うのは簡単ですが、そこに竜馬の
主体性、意志があったかどうかという事が問題になるのでは?


逆にお伺いします 竜馬が薩摩のスパイであったのならば・・・
1.竜馬が薩長による武力による討幕を阻止しようとしたのは何故か?
2.薩長に不利になる大政奉還を後藤を通して提案したのは何故か?
3.戸田雅楽と作った新官制擬定書の役職(内大臣)に
 慶喜と思われる空白があったのは何故か?

もっとも薩摩は亀山社中の株主だったんですよね。

ほんとに忙しいからまた来週
楽しい反論、意見お待ちしております
232日本@名無史さん:2001/05/18(金) 15:02
だから(ワラ
そういう1〜3を竜馬がやったという話自体がおとぎ話なんだってば。
233日本@名無史さん:2001/05/18(金) 15:56
え〜そうなの?例えば上の2なんかは否定する明確な根拠とか
あるの?教えて 誰が んじゃ提案したの?
234日本@名無史さん:2001/05/18(金) 15:59
ということわ?(ワラ
勝海舟、戸田雅楽、桂小五郎、西郷隆盛、陸奥宗光、大久保一扇
などはみ〜んな同じような夢を見て乙女にいたっては自動書記で
一連の手紙を書いたんだな?(爆)
龍馬オタも嫌いだが頭の悪い厨房はもっと嫌いだ..-)
235日本@名無史さん:2001/05/18(金) 16:16
乙女がドキュソなのは周知の事実だべ。
236200:2001/05/18(金) 16:18
>>233
大政奉還のアイディア自体は幕臣の大久保一翁だったはず。
勝を通じて大久保から仕入れた考え方をアレンジして
土佐家老後藤(手を組んでいたからね)を通じ藩主山内容堂
から建白されたのが史実(今のところはね)
連名で後藤象二郎、福岡藤次など。
>>234 ×一扇○一翁
237日本@名無史さん:2001/05/18(金) 16:31
えーあのーそ−する根拠はなんですろ?>236
238日本@名無史さん:2001/05/18(金) 16:36
ごくごく平均的な現代の若者なら
今の日本を憂い、小泉内閣に期待と不安を抱き
「こうすりゃいいんだよ!」みたいな考えを持っているであろう。
239日本@名無史さん:2001/05/18(金) 17:06
ほえたなっっっっっ>237
まず日本語がわからりまっしぇーーーん
240日本@名無史さん:2001/05/18(金) 17:11
× ほえたな
○ ほたえな

>まず日本語がわからりまっしぇーーーん
オマエモナー

241日本@名無史さん:2001/05/18(金) 17:22
「再現日本史」の竜馬特集、買うの忘れた。ウツダ・・・。

誰か買った人いる?
242日本@名無史さん:2001/05/18(金) 21:30
竜馬は当時中たがいをして自分のメンツにこだわり藩を国としていた西郷さんと桂さんに中を取り結び日本という考えをいち早く保有していたのです。藩という思想で考えると薩摩のスパイといった身分の思想で竜馬を考えるのです。
243226:2001/05/19(土) 01:57
薩摩のスパイつーことはいいませんがね。竜馬は頭が柔らかそうですので、
「ゴールはこれなんだが・・」と考える中で「現段階でもっともナイスな手段」
というのを模索してて色んな人の意見を引き出しにしまって置いたと思うんです。

薩摩もどこも竜馬をスパイとして認めたというより、「わしがやったというとマズイし
、この件は竜馬の裁量でやったということで・・・」ぐらいのカンジじゃないかと。
「今は竜馬がオイシイ!」的な感覚で、単発的に利用されたんじゃないかと考えます。

もちろん、竜馬そのものの主体的な考えがあってですが、頭が柔らかそうな分、
彼の理想が ある人とマッチしてある人と反したり・・・ってことが段階的に
起こったんでは無いかと思うのです。

彼の幼少からのエピソードを色々読んだりしていても、小さなことでも
「なんだよ、竜馬、こないだコッチに向いてたのに・・・」と思われることが
しばしばあったんだろうなと感じたのです。
「その時の竜馬の意図を解する者に動かされるのを楽しんだ」というのを
「体のいいスパイ」といったのです。
244日本@名無史さん:2001/05/19(土) 07:09
「陰謀家にはやはり安住の地はなかった。
 いてもいなくても構わぬようになった時、
 ほんとうに殺されてしまったのである。」

大岡昇平著 『龍馬殺し』
245日本@名無史さん:2001/05/19(土) 11:26
「肝胆元雄大 奇機自湧出 飛潜有誰識 偏不恥龍名」武市瑞山

「龍馬は土佐随一の英雄、いわば大西郷の抜け目なき男なり」大久保一翁

「天下に有志あり。余多く之と交わる。然れども度量の大
龍馬に如くもの未だかつて之を見ず。龍馬の度量や到底測るべからず。」
西郷隆盛
「龍馬あらば、今の薩長人などは青菜に塩だね」陸奥宗光

「維新の豪傑として、余は西郷、高杉、坂本の三士を挙ぐべし。
三士共に言行頗る意表に出て、時として大いに馬鹿らしきことを演じたれど、
又実に非凡の思想を有し、之を断行したり」 土方久元

まだまだ龍馬評はありますがこの辺で。当時の人物にも高く評価されてる
と思います。
人によって様々な見方があるとは思いますが、頭が空っぽや大物に
利用されただけと言うのは言い過ぎではないかと思います。
246日本@名無史さん:2001/05/19(土) 21:30
竜馬の思想萌え〜
247日本@名無史さん:2001/05/20(日) 00:22
龍馬がスパイって言ってる奴等ソースは何だ
まさか堂々日本史じゃないよな?


248日本@名無史さん:2001/05/20(日) 01:41
140年という期間の昔に日本という思想から藩という国を超える思想で武士が威張る暮らしを終わりにするために行動を繰り返して今の私たちの暮らしをつくってくれた竜馬というひとがいたことは奇跡です。
249日本@名無史さん:2001/05/20(日) 03:00
>248
そうですね
武士が威張る暮らしが終わって、薩長土肥の政治家役人が威張り散らす
世の中をつくってくれました
竜馬さんありがとう
250日本@名無史さん:2001/05/20(日) 16:42
>249
いえ竜馬は武士ではない人も武士も自由の政治が実現する国を日本で実現する思想でした。しかし途中で殺されてしまうので権力のために行動していた大久保たちが戦争を権力として自由の完全でない国を日本で実現したのです。
251日本@名無史さん:2001/05/20(日) 23:29
龍馬を称えよう。
252日本@名無史さん :2001/05/21(月) 00:19
実際に自分の功績について聞かれて、
「功績ぃ?わしゃあなーんもやっちょらん。たんに西郷さんや桂さんの望むよう、
中岡君にひっついて仲介を手助けしただけじゃ。大政奉還にしても勝さんや大久
保さんに聞いたアイディアを後藤さんに伝えただけ。やはり、本当にそれを決断
された慶喜様が一番ご立派じゃのぅ。海援隊は陸奥君やまんじゅう屋それに岩崎
君が上手くきりもみしてくれちょるおかげじゃし。
スパイ?そんなおおげさなもんか。わしゃあしょせん勝先生西郷さん桂さん高杉
君中岡君・・・・みーんなの小間使いぜよ、ガーハッハッハッ」
と高らかに笑い飛ばす龍馬が好きだ。
253日本@名無史さん:2001/05/21(月) 00:20
>250
それは短絡的な考え方。
色んな考え方があろうが、またこういう見方もある。

例えば竜馬の共和政体論にしても、桂、江藤等の民権論にしても、
所詮は「理想」であり、「奇麗事」に過ぎない。
何世紀にも渡って政治から隔絶されてきた一般大衆に突然政治を開放しても、民主主義が有効に機能することはありえない。
とすれば、まずは一部のエリートかあらなる有司専制によって近代化を推し進めつつ、教育制度を整備し大衆を撫育、後大衆が成熟するに至ればそこで初めて政治を大衆に開放し、議会政治を確立する。
大久保の唱えた、言わば「漸次的民権論」というべきこの思想は、「理想」は「理想」として念頭におきつつも、現実もまた冷静に見極めた、極めて妥当な政策であったとも考えることができる。

結果として、薩長閥(とりわけ長州のそれ)の癒着・腐敗により新政府は見るも無残な姿を呈するに至ったが、それは大久保のとった政策の根本が間違っていた訳ではないのではないか。
むしろ竜馬の唱えた”単純”共和政体を推し進めていれば、ほぼ間違いなく日本の政治は大混乱に陥っていたと推察できるのではないか。

このような理解に立たれる学者・史家も多い
(とゆうか、自分の知る限り普通はこう考える)
竜馬ファンも良いけど、何でも手放しに誉めるのはヤメレ。
いたすぎるよ、ほんと。
254日本@名無史さん:2001/05/21(月) 00:26
>250
大久保を「権力のために行動していた」と見るのは完全な誤りではないにしても、
少々あさはか。大久保を単なる「権勢欲に取り付かれた俗物」とでも言いたそうな感じだけど、
それは明らかな誤解。
大久保批判するなら、もっと勉強してからにしなさい。
255243:2001/05/21(月) 00:49
>252
そう思います。私もなんだかんだ言って竜馬好きですから。
256日本@名無史さん:2001/05/21(月) 00:49
>何世紀にも渡って政治から隔絶されてきた一般大衆
それって何世紀にも渡って政治から隔絶されてきた天皇にも当てはまるんじゃない?
だとすると大政奉還なんて考えた輩はドキュソ?
257200:2001/05/21(月) 01:16
熱いレスが多くて嬉しいですね・・
>>253 >>254 私も大久保に対する意見は同じです。竜馬が仮に暗殺さなかった場合
どう時代に関わっていくかはわかりませんが、大久保が仮に明治維新前に暗殺されて
いれば、今の日本はそうとう変わっていたと思います。
勝流に言えば「版籍奉還、廃藩置県〜中央集権、官僚制度あれは大久保が独りでやった
ようなもんだ」というところでは無いでしょうか?(あくまでも勝流です)

>>256
大政奉還とは、幕府が政をすることを返上したということで、イコール朝廷が
政をするという事ではないのは、後の薩長閥による政治を見ればわかることでは?
258日本@名無史さん:2001/05/21(月) 01:24
先日、出張で京都に行った。
たまたま時間が合ったので清水寺に行った。
地図を見ていると、近くに竜馬の墓があるのを知った。
行ってみた。
竜馬と中岡慎太郎の墓が並んで立っていた。
京都が一望に見渡せる場所にその墓はあった。
後ろに長州藩士の墓が並んでいた。
土佐藩士の墓も並んでいた。
村田蔵六の墓も高杉晋作の墓もあった。
涙が流れてしょうがなかった。
259日本@名無史さん:2001/05/21(月) 13:07
霊山護国神社のことでしょうか?
池田屋事件で死亡した宮部鼎蔵その他土州、肥後浪士等のお墓もありましたよね。
ただ、竜馬の墓等には恐らく参拝に来た方が書いたであろう、イラストが沢山傍らにおいてあったんですが、その殆どがまるで少女漫画のイラストのようなものが書いてありました。竜馬が絶世の美男子だったり、女の子のような目きらきら系になってたり・・・。
壬生寺の新撰組の墓石のところも同じような感じ。
なんで女の子とかは、幕末志士を「美男子」とかで描きたがるんでしょうね・・・
自分の中でまるで「和製ベルサイユのバラ」みたく徹底的に美化しまくってて、
もう殆ど原型を止めてないような気がするんですが・・・
あんなことしてて、本当に楽しんでしょうか?
アイドルの追っかけななんかと勘違いしてませんか?
一幕末好きとしては、厳粛であるべき墓石の脇にあんなモノ飾られていると、まるでその場が汚されたような気がして、
ちょっと悲しくなってしまいました・・・。
260日本@名無史さん:2001/05/21(月) 13:13
>259
激しく同意。
俺もアレを見るたびむしゃくしゃする。
ちなみに府中の近藤勇や土方の墓とかは、もっとイタイことになってます。
先日の土方の命日なんて、まるでコスプレ会場のようになってました。
うざすぎ。
261名無しさん:2001/05/21(月) 13:15
age
262日本@名無史さん:2001/05/21(月) 13:22
>259
そういえば以前、「板垣退助は実は・・・」とか言うスレもあったね。
かなりイタイHPへのリンクはってたやつ。
あれって、正に259のいう連中の典型じゃない?
263日本@名無史さん:2001/05/21(月) 14:47
龍馬という人物を考える時、
商人的感覚の人
土佐藩の郷士
がポイント
これらが理由で他の人物とは少し違う発想(行動?)になる
264日本@名無史さん:2001/05/21(月) 17:18
揚げ
265日本@名無史さん:2001/05/21(月) 17:56
age
266日本@名無史さん:2001/05/21(月) 18:45
>>259
>霊山護国神社のことでしょうか?
そうです。
別に感傷的になっていたわけでは全然ないのです。
丁度境内で128ビルマ会慰霊祭というのが執り行われていました。
80前後のおじいさんたちが仮設テントの中で折り詰めを食べながら
おしゃべりしていました。
なんか胸が熱くなりました。
その後新緑の墓地を上っていくと志士たちの墓があったのです。
訳も無く涙が出て止まりませんでした。
命を賭けて彼らが守ろうとしたもの、守ったもの、守れなかったもの。

そんなわけで少し感傷的になってしまいました。
美化する心情は思春期特有のもの。
アイドルが必要な時期なのでしょう。
温かく見守ってあげましょう、ウザイけど(笑)
267うろ覚え:2001/05/21(月) 18:48
もしも竜馬が維新後も活躍していたら岩崎弥太郎のような存在になっていたのか。
268日本@スレ立てようかな:2001/05/22(火) 07:00

はじめまして。初心者の竜馬ファンです。

去年はそれが嵩じて1000キロ離れた土佐の記念館へ行き、帰りはフェリーで
天保山沖を通ってきました。

ところで、竜馬と海舟といえば、千葉重太郎と切りに行って出会った、というの
が一般のイメージになっていますが、記念館へ行った時「竜馬と海舟は大坂で
会っていた」という資料がありました。

どなたか、根拠になるような情報をご存じありませんか? スレ立てようかなあ。
269あゃしぃアズマ:2001/05/22(火) 07:23
そもそも坂本竜馬は天皇制礼賛なのか?反天皇なのか?
どっちだよ?
270日本@名無史さん :2001/05/22(火) 07:38

>>269
竜馬のアタマには「天皇制」なんて観念はなかったでしょう。
フツーに「天子さま」として認識し、まず幕府の旧弊を除くことの
先にぼんやりとあった程度では? 当時の帝が具体的にイメージできた
とは思えないし、竜馬は顔の見えない相手をあれこれ考えるほどヒマ
ではなかったでしょう。

271あゃしぃアズマ:2001/05/22(火) 07:40
では、反天皇制だな。
さすがは竜馬だ。
天皇なんて、潰して民主主義国家を目指していたのだろう。
272日本@名無史さん:2001/05/22(火) 09:17
>>268
会ってたかどうか知らないけど
切りに来たというのは勝のフィクション
元々切る気はなかった

273日本@名無史さん:2001/05/22(火) 10:54
龍馬は剣術修行ではなく砲術修行で江戸に来て、勝海舟の妹婿の佐久間象山
繋がりで知らない仲ではなかったとかいうような話を聞いたけど。

>>269
龍馬どころか日本全体に「天皇制」という概念は当時なかったはず。天皇制という
語句はマルクス史学?が生み出した言葉。

天皇に対する尊崇はやはりあったんじゃないかなと思う。武市の影響もあるだろう
し、寄宿していた千葉道場は水戸藩に縁が深いこともあるし。想像するに、
ある程度の距離をおいてはいただろうけど、反天皇はないでしょう。
274日本@名無史さん:2001/05/22(火) 18:06

まあ、世の中、何でも天皇制のせいにして満足するヴァカはどこにでも
いますから。

275日本@名無史さん:2001/05/22(火) 18:55
天皇制の前に江戸時代の殆どの人間が東照大権現って言って
徳川家康を神様扱いしてた時代にその神様の子孫に反旗を翻そう
って考えられたんだから志士とは言え徳川ドキュン官僚よりましでしょ?
276日本@名無史さん:2001/05/22(火) 23:35
>>273
うーん、「竜馬と勝」でスレ立てようと思ったら、「サブジェクトが長すぎる」
と蹴られてしまいました。そうですか、象山ですか。

他の情報では、「松平春嶽の紹介で」勝に会った、とありました。

一体真実はどこなんだーーーー!! 大坂で会った説の根拠を知ってるひと、
おしえてくだせーーーー!!!


277日本@名無史さん:2001/05/22(火) 23:36
>>273
うーん、「竜馬と勝」でスレ立てようと思ったら、「サブジェクトが長すぎる」
と蹴られてしまいました。そうですか、象山ですか。

他の情報では、「松平春嶽の紹介で」勝に会った、とありました。

一体真実はどこなんだーーーー!! 大坂で会った説の根拠を知ってるひと、
おしえてくだせーーーー!!!


278日本@名無史さん:2001/05/23(水) 18:35
維新の志士に天皇崇拝なんてないよ
天下を我が物にするための建前でしかない
孝明天皇を暗殺したのは岩倉具視一派というのが定説
幼少の明治天皇を担ぎ上げてどうするのか解るよね?

279tokiha kanenari:2001/05/23(水) 19:46
>>277

1862年(文久二年)、坂本龍馬脱藩(同時に土佐勤皇離脱)
同年夏頃、千葉道場の子息 重太郎とともに勝を訪問し、
勝の意見に同調し、子弟となる。
(この年に勝は海軍奉行並に任ぜられている事も、龍馬が
勝に興味をもった一因ではないか。)

翌年から、神戸の操練所の普請がはじまったことを考えると
この説が一番有力のような気がする。

さらに翌年(1864年)には、操練所の閉鎖、奉行並罷免、江戸
へ帰投し謹慎を命じられて龍馬との短い師弟関係も終わる。

龍馬が象山や春嶽侯と親交があったのも勝の紹介があったから
と考えるのが妥当かと思う。

前レス読んでないので、だぶってたらゴメン。
280tokiha kanenari:2001/05/24(木) 10:01
>>259

あれって、るろうに剣心??とかっていうイタイ漫画の影響も
あるんですかね、ここ数年、急激に増えてきましたね。

また、新撰組人気も拍車をかけているのでしょうか?

対照とする人物を広げて、たしかに別トピで「板垣はなんとかだった」
というのもありましたけど、まあ、一部のマニアで楽しむ分には何の
文句もないですが。(あきれはしますけど)

数年前、高知に旅行に行った際、武市半平太の墓まいりにも行きました。
その時は、右翼的な人たちの心ない落書きが近くの納屋にありました。
なんかね、もう、安らかに眠らせてあげてほしいです。

幕末の志士達の多くは、立場こそ違うだけで憂国の志士であった点では
変わりないのだから。
281日本@名無史さん :2001/05/24(木) 21:53
>>279
・・・と、いうのが、一般に知られている説なんですが……。この出展は?
松平春嶽の方が勝より先に知り合いだった、というのの出展は、実は「学習まんが」
なんですけど……子供向けだからこそ、根拠のないことは書かないだろうと。

千葉重太郎とともに勝を訪ねた、というのも、司馬竜馬があまりに有名になった
からだれも否定しなくなっただけでは? とも思いはじめました。

282273:2001/05/24(木) 23:43
 龍馬が暗殺を胸中に秘め、海舟の許を訪問したとき、松平春嶽の
紹介状を持っていた、との説がある。「暗殺」は茶番だが、龍馬に同
道したとされる千葉重太郎は春嶽が前藩主であった越前福井藩と
深くかかわりがあったから、紹介状は「あるいは」と思えなくもない。

『勝海舟と坂本龍馬』加来耕三(学研M文庫)より。273の佐久間象山
云々もここからです。
283tokiha kanenari:2001/05/25(金) 00:21
>松平春嶽の方が勝より先に知り合いだったというのの出展は、実は「学習まんが」

どうなんでしょう?なにかしら根拠というか、そういう事実があったの
なら、それこそ何をソースにしているのでしょう。
大して名もあげていない、単なる一浪士であった龍馬が
越前藩主であり、幕府の政治総裁、まさに時の人であった松平春嶽に面
会できる理由がわかりません。
かなり太いパイプを越前藩か幕府にないと難しいような気がします。

>千葉重太郎とともに勝を訪ねた、というのも、司馬竜馬があまりに有名

出展はと聞かれても、勝の直筆の文書などをもっていないので、なんとも
いえませんが。
少なくとも勝海舟に関する書籍を数冊に乗っている記述には、この説が史
実のように記載されています。
また、岡田以蔵が海舟の護衛をしていた頃等を考えても、勝の上京前に、
つまり江戸在住時に勝と龍馬が出会っていないと、この話もうそになりま
す。

ただ、私も、龍馬が勝と出会うのは、神戸繰練所であったという記述を
どこかでみたような記憶があります。(調べてますが)
なんともはっきりしない答えですいません。
284日本@名無史さん:2001/05/25(金) 00:24
津本陽の「龍馬」はどうよ?
285日本@名無史さん :2001/05/25(金) 06:52
>>284
読んでみます>津本
読んだ方、何かポイントは……あるいは聞かないで読んだ方が面白いかな?

286273:2001/05/25(金) 08:44
>津本陽の「龍馬」はどうよ?
店頭で立ち読みした限りでは2巻途中から勝登場だった
ので、龍馬というより勝好きとしては3巻以降に期待。
287tokiha kanenari:2001/05/25(金) 10:18
>>282

なるほど、勉強になります。
勝が龍馬と出会う文久二年10月説は、(自己レスで夏頃は誤り)
「追賛一話流 芳遺墨」や「続氷川清話」がソースのようですね、

春嶽に坂本龍馬と岡本健三郎(千葉重太郎と記憶違いだった?)
福井藩邸を訪れ、春嶽が登城の準備中で、中根雪江に面会させ、
その後、直接面接し、横井小楠と勝への添え状をわたした。

この話は、春嶽が、龍馬、中岡の没後の20年祭に招かれた際に、
土方久元に送った返書に、その記載があるようです。
しかし、この返書中、春嶽の記憶では、龍馬訪問は文久二年七月
のある朝となっていますが、龍馬が江戸入りしたのが八月末と
いう説が強く、七月に訪問はできないことになる。

さらに、越前藩か幕府に太いパイプがあったかという疑問。
これは千葉重太郎の父定吉が、福井藩に剣術指南に出入りをして
いたからであるが、が、それだけで、息子の重太郎がいきなり
藩主であり幕府政治総裁という要職中の春嶽に面会でき、さらに
紹介状(これも、春嶽の大切な人材であり、頭脳であった横井や
勝に)をそう簡単に渡すであろうか?
288tokiha kanenari:2001/05/25(金) 10:45
尻切れですいません。 続きです。>

勝に)をそう簡単に渡すであろうか?
という疑問が残る。

また、自己レスですが、
>龍馬が勝と出会うのは、神戸繰練所であったという記述

これは、海舟座談の付録で、杉純道が、勝さんが、大阪出張中
多く浪士に会ったが、その中に俺を斬りにきた男が坂本龍馬で
あったというニュアンスの記載があるからです。
大阪出張が文久二年の12月から翌年2月、また海舟の日記に、
「12月29日、千葉○太郎と坂○龍馬きたる」の記載があるそうです。

12月29日に龍馬にあっているのが真実で有れば、その日、勝は
兵庫に滞在中となり、勝と龍馬は面会している。(これが最初か
どうかはわからないが)
これが、勝と龍馬との最初の出会いであれば、面白みに欠けるが
信憑性はあるかもしれないですね。

もちろん、それ以前に(10月説)龍馬が勝の門下生になっていれば
大阪出張に龍馬が同行するのは自然な流れで、勝は幕府軍艦で、
龍馬は徒歩で上京することになり、日記にある
「12月29日、千葉○太郎と坂○龍馬きたる」は、ただ単に、兵庫で
勝と合流しただけかもしれない。
28966:2001/05/25(金) 12:16
越前藩の公式記録である「続再夢記事」には文久2年12月15日に
春嶽の元へ龍馬、間崎哲馬、近藤長次郎が来たとの記述があるようです。

ところが、明治19年の土方久元あての手紙では同行者が岡本健三郎となっており
日にちもつじつまがあわないのですがこれは春嶽の記憶違いかと。
前者の文久2年12月15日が正しいと思われます。

この時に龍馬は勝、横井への紹介状をもらったのでしょう。
ただ、龍馬がなぜ春嶽に面会できたのかははっきりと分かりません。
(千葉家つながりだと思うのですが)
29066:2001/05/25(金) 12:37
>>273
>龍馬は剣術修行ではなく砲術修行で江戸に来て、
確かに江戸では象山塾で砲術も修行してたようです。
しかしメインは剣術修行だったのでしょう。

また、龍馬は砲術をこれ以前にも土佐で学んでいます。
龍馬が実戦では剣より鉄砲を使ったのもこの辺りに理由があるのでは。


291日本@名無史さん:2001/05/25(金) 17:24

私も好きなんですが、勝さんて、けっこう「面白くなりそうに」コメントを残す
ような気がしませんか? これは、「大政奉還は竜馬がやったことよ」的な自分の
弟子だからというより、竜馬という傑物を持ち上げようと言った気がするので。

いまのところ、松平春嶽と勝に会った順番に定説がなさそうですね? 千葉重太郎
のコネもさることながら、やはり竜馬の人間的な魅力で・・・というのは所詮歴史
ロマンにすぎないのでしょうか・・・。でも、偶然会うには二人ともエラすぎる
かなあ・・・。神戸操練所に竜馬が船を見たくておしかけて・・・なんていうのが
一番面白いんだけど。まぜっかえしてごめんなさい。


292日本@名無史さん:2001/05/25(金) 17:32
>181
>いえ竜馬は当時の武士たちが常識でかんがえた発想よりも先進的な思想でした。竜馬と一緒に行動した武士の本があり竜馬の思想が分かることができます。私たちが現在くらしている政治の始めを作るための行動ですから。

それはうそ
293日本@名無史さん:2001/05/25(金) 17:43
>200
>優秀な人材は身分に関係なく登用
>する

うそ
とくに「身分に関係なく」がうそ
294日本@名無史さん:2001/05/25(金) 18:08
うそ、うそってアホか?
ちゃんと自分の意見かけ
295tokihakanenari:2001/05/25(金) 18:13
>>289
越前藩の公式記録である「続再夢記事」には文久2年12月15日に
春嶽の元へ龍馬、間崎哲馬、近藤長次郎が来たとの記述があるようです。

なるほど、私は勝海舟のサイドからしか調べてないので
とても参考&勉強になります。
(というか、龍馬より勝海舟に興味があるので)

もし、文久2年12月15日に春嶽からの添状を頂戴した上で
勝邸を尋ねたならば、勝が大阪出張が同月17日だから、
ぎりぎりセーフですね。
間に合わずとも、勝を追って兵庫へ向かった説も、一応
説明できます。

しかし、その後、龍馬が近藤長次郎らの土佐志士達を勝の
門下生にしたのは、文久3年になりますね。
(文久2年10月説では、10月〜12月にかけて土佐志士達を
江戸で龍馬が引き合わせ、門下生にしたという説が有力)

ひとつ疑問になるのは、何故、春嶽や海舟の記憶が、岡健と
重太郎に関して曖昧なのか?
もしかしたら、岡健が江戸で行動しやすいように、
重太郎を語っていたら、春嶽や勝の記憶があいまいになる
可能性もあるなぁ、なんて思ってきました。
ただ、岡健が文久2年に江戸にいたという資料が全くないら
しいので、まさにifですが。
296tokihakanenari:2001/05/25(金) 18:16
>>291

たしかに、死人くちなし(言葉は悪いですが)で、春嶽も海舟も
龍馬とのエピソードを誇張して話している可能性はとても高いと
思います。
海舟にいたっては、海舟座談、氷川清話は晩年のお小言集のよう
な感じですから、日付の特定になるほどの信憑性には疑う余地が
大いにあるでしょう。

ただ、龍馬という人物にそれだけの魅力があったことは容易に想
像できますね。
29766:2001/05/25(金) 18:53
すいません。間違えました。
続再夢記事の記述は文久2年12月15日ではなく文久2年12月5日でした。

海舟の12月9日の日記に
「有志両三輩来訪。形勢の議論あり」
とあるのでこれを龍馬達だと考えれば一応つじつまはあうのですが・・
298ええと……:2001/05/28(月) 07:35

>>297
12月9日の日記に、「12月5日に来訪」とあるのでしょうか?
すいません、研究未熟なもので……。

「形勢の議論」か……どんな話をしたんでしょうねえ。


299日本@名無史さん:2001/05/28(月) 13:52
春嶽の元にきたのが文久2年12月5日でこの時
海舟への紹介状をもらい、
12月9日に海舟に会ったのではないかということです。
300日本@名無史さん:2001/05/28(月) 16:41
>294
だから「うそ」という意見
301アラカン:2001/05/28(月) 20:54
また盛り上がっていますね。
>>290
当時砲術を学びに江戸・大阪へ来ていたひとは多かったそうですね。福沢諭吉も適塾での専攻は砲術だったと聞きます。
もっとも、それのみを修得して帰郷したひともいれば、竜馬や諭吉のように、それを足がかりに大きく目を広げた人物もいます。
同じ時代に同じ場所にいても、本人の受け取り方次第でどうにでも変わるということでしょう。
302日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:05
  
303日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:09

幕末といっても江戸時代だし、やはり武力としての最先端技術を学ぶことには
誰もみな熱心だったんでしょうね>砲術

ところで教えて「クレクレ」で申し訳ないのですが、勝が大久保忠寛に認められる
きっかけとなった小笠原佐渡守の鉄砲の注文の「礼金」と「材料費」についての詳
しい資料はないでしょうか? なんとなくコイズミさんあたりに教えてあげたい
エピソードですよね。「米百俵」より流行るかも?

304安房守名無しさん:2001/05/29(火) 00:43
唐津藩などから野戦砲の注文が舞い込んだり、またほかの藩からも
同様に野戦砲三門の発注があったので、築地・川口の鋳物師増田
某に下請けされることにした。十二斤の野戦砲を一つ作るのに六百
両かかった。ところが増田は手抜きして粗悪品を制作しようとした。
しかも、それを見抜いた海舟に、五百両の謝礼を持参する始末。
それを受け取るどころか逆に説教して、その公正明大な人物が
一翁の耳にとまったと。

と長々引用してしまいましたが、どの文献からの出典かはわかりません。
私も龍馬より海舟に惹かれるんですけど、あまり資料に当たるような
ことはしていないので他の方にお願いします。
305日本@名無史さん:2001/05/29(火) 00:58
勝の氷川清話(もちろん講談社の方)には龍馬の事は
一行きりしか書かれていないね。
 本当は大した親交なかったのか?
306日本@名無史さん:2001/05/29(火) 01:47
あげ
307名無しさん@1周年:2001/05/29(火) 02:43
西郷隆盛の駒使い
桂小五郎が逆賊だった長州藩の大義を創作する為
坂本竜馬の武勇伝をでっちあげ
308日本@名無史さん:2001/05/29(火) 12:03
堂々日本史に洗脳されてる奴か
309tokiha kanenari:2001/05/29(火) 19:37
>>304

野戦砲鋳造の話は、一応「氷川清話」(角川文庫、 勝部真長)の
海舟伝の「賄賂を断る」に出てきてます。

12斤の野戦砲を造るのに600両かかるが、当時の蘭学者は、300両の
指導料(賄賂)をとるのがつねだったとか。
海舟が30歳の頃の話だったと、年代を特定できるような話は載って
いないのですが、海舟が30歳というと、1852〜54年あたりでしょう。

この時代は、海舟がやっと蘭学者として頭角を出してきた頃で、
海防意見書を提出した等も含めて、大久保一翁に興味をいだかせたの
ではと思います。

たしかに、現在の官とゼネコン等の癒着等を批判するのは「米百俵」
の話より、インパクトがあるよう思えます。
ただ、事実を裏付ける資料等がしっかりしてないということかな、
造話としても、反骨心旺盛の海舟であれば、あっても不思議ではない
エピソードではありますね。
310風紀委員会:2001/05/29(火) 22:36
告知

荒らし防止のため、これからは以下の規制をこの板全体にかけたいと思います。
つきましては、ご異議のある方は取り急ぎ、「日本史版 風紀委員会」まで
ご意見をお聞かせください。

 <規制案>
proxy規制、ID表示、連続投稿禁止規制、連続スレッド立ち上げ禁止規制
<規制の趣旨>
アラシ行為の撲滅(スレ立てアラシ、スレ上げアラシなどの予防措置)
<異議の受付>
五月三十一日まで・風紀委員会へどうぞ
<規制の実施時期>
管理人に依頼し、できるかぎり早期の実施を予定。

日本史版 風紀委員会
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990956059
311日本@名無史さん:2001/05/30(水) 07:42

「氷川清話」(講談社文庫版)、ざっと読みましたが、以外と竜馬についての
記述が少ないのに驚きました。これは収録してない部分が多いのでしょうか?
それとも、勝にとって竜馬は「多くの弟子の一人」にすぎないのかなあ。

もし、氷川清話全体でもこんなものだとしたら、あるいは「自分の弟子について
語るのはこっぱずかしい」みたいな感情もあるんだろうか。
ここは勝スレじゃありませんが、ホンとに勝さんは竜馬の先生にふさわしい人物
だったと思いますね。

312日本@名無史さん:2001/05/31(木) 08:02

311です。『司馬遼太郎が語る日本』(朝日新聞社)の中に、「当時西郷は巨人だっ
たが、竜馬は無名に近かった」とあります。つまり、坂本竜馬について多く語って
もわかってもらえない、「弟子の一人でこういうやつが……」という程度だったよ
うなのです。
ところがその中でも、例の「大きく打てば大きく響く」の話で、西郷と同列に扱っ
ているんですね。さすが。

313日本@名無史さん:2001/05/31(木) 23:29

竜馬と、平井加尾との恋愛について教えていただけませんか?

小説とか、資料とか、お願いいたします。興味がでてきましたもので・・・。


314日本@名無史さん:2001/06/01(金) 01:24
非為替岩はうそっぱち
みんな死んじゃったんで自分のいい様に書いてる
江戸城無血開城にしても西郷と勝2人で決めた様に書いてるが
実際には既に決定してた事
315日本@名無史さん:2001/06/01(金) 10:33
だから講談社の方は、まともに書き直したんだって。↑
316日本@名無史さん:2001/06/08(金) 00:40
竜馬は薩摩(西郷)の使い走りです。
勝の竜馬話は年寄りの法螺話。
目を覚ませ!竜馬ファン。
なんの後ろ盾のない奴には歴史は動かせませんぞ。
317日本@名無史さん:2001/06/08(金) 01:02
竜馬は亀山社中を興して商売がしたかっただけ
周りが美化しすぎるだけ
318名無的発言者:2001/06/08(金) 03:19
亀山社中という後ろ盾があるだろ。
319日本@名無史さん:2001/06/08(金) 09:37
>>318
その亀山社中にもバックがあるのだよ。
320tokiha kanenari:2001/06/08(金) 10:16
>316
なんの後ろ盾のない奴には歴史は動かせませんぞ。

>318
亀山社中という後ろ盾があるだろ。

>319
その亀山社中にもバックがあるのだよ。

亀山社中のバックは薩摩藩。
海援隊になってのバックは土佐藩。
禅問答か・・・?
321日本@名無史さん :2001/06/09(土) 07:44

>>317 だからいいんじゃないの。「自分のしたいことをして世の中を変える」
私は美化なしに竜馬はかっこいいと思うよ。去年桂浜へ行って、竜馬の像の視線
で太平洋を見た時「ああ、これを見てたら、この向こうへ行ってみたい」と思う
だろうし、「行ける」と知った時には世界がまったく違ったろうと思う。

勝海舟に弟子入りしたのも、勝が「向こう」へ行った人だからだと思う。ついでに
勝の↑名前が気に入ったんじゃないかな。号だけどさ。


322名無し:2001/06/19(火) 00:48
>>36
あの槍は、妻お龍が抜こうと言い出したんだよ!
むしろ竜馬は、罰があたるから辞めようと説得したらしい。
お龍ってかなり男勝りだったらしい!

参考資料  知ってるつもり お龍が晩年新聞記者に語った資料から
323αジョーカーω:2001/06/19(火) 00:52
何せ、お龍は、ヤクザととっ組み合いの喧嘩をするような
女だったからね。
324考えよ名無しさん:2001/06/20(水) 09:58
「おーい竜馬」から入った人が新スレ立ててたので、ひきとってやってください。
「おーい竜馬」は、なんと言っても竜馬が上海に行ったという創作が白眉ですね。
あと、ちょっと「デモクラシー」と「アメリカ」にこだわりすぎ。これは、武田鉄矢
の考えだから仕方ない。

325日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:12

竜馬は剣が弱かった、てのを読みました。脱藩する年に三人と試合をして三人とも
に負けた。あと、江戸の武道会で日本一になったのは偽造だとも。

まあそこそこには強かったんでしょうが、国事に奔走し始めてからは修行もきちん
としなかったんでしょう。ガッカリするより親しみを感じましたけどね。
326日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:14
>>324
何年か前ダウンタウンの浜田が竜馬のドラマをやってたんですが、
その時竜馬が高杉と初対面のシーンで、「君は確か上海で会ったことがある…」
とか言ってました
…参考文献「おーい竜馬」だけだったんでしょうか?
327日本@名無史さん:2001/06/20(水) 23:17
>>325
「長刀」しか目録が残ってないっていいますが、
それは不自然なことだそうですよ
「長刀」っていうのは普通他のことを極めてから学ぶことだからです
実際はそれ以外の免許も持っていたと考えるのが当然らしいです
328日本@名無史さん:2001/06/22(金) 22:46
>>327
たしかに龍馬が千葉道場で長刀(薙刀)しか修得しなかったとは
考えにくいのだけど、

>「長刀」っていうのは普通他のことを極めてから学ぶことだからです

必ずしもそうとは限らないのでは? そういうことが武道史か何かの本
に書いてあるのですか?
329日本@名無史さん:2001/06/22(金) 23:14
>>326
>…参考文献「おーい竜馬」だけだったんでしょうか?

だとしたらイタすぎる…
330日本@名無史さん:2001/06/23(土) 02:14
竜馬あげ
331山は:2001/06/23(土) 07:03
人を褒めたがらない陸奥が唯一大絶賛したのが龍馬
332日本@名無史さん:2001/06/23(土) 09:14
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=992915608



こちらも参考にして下さい。
333日本@名無史さん:2001/06/24(日) 00:26
「おーい竜馬」はやっぱりほとんどフィクションなのかな?
334日本@名無史さん:2001/06/24(日) 14:10
津本龍馬はどうよ
335日本@名無史さん:2001/06/24(日) 15:23
少年マガジンでやってた竜馬は最高によかったね。感動したよ。
336日本@名無史さん:2001/06/26(火) 08:49
>>333
少なくとも少年編は99%フィクション
337日本@名無史さん:2001/06/27(水) 07:20

竜馬好きな上でいいますが、
たとえば、千葉道場で婿に取るために何かの免状が必要で、まあ長刀なら他から
も不満が出ないだろう、てことで与えたっていう解釈は?

日野根道場では強くて、全国レベルになったらまあフツーだった竜馬に親しみを
感じるんですが。あと、桂小五郎との試合に勝ったというのが捏造だという根拠の
資料があったら教えてくださいませんか??
338日本@名無史さん:2001/06/27(水) 22:58
>桂小五郎との試合に勝ったというのが捏造だという根拠の資料

というよりそれを証明する根拠が小説しかないんだよ
339:2001/06/28(木) 19:12
資料が残って無いのかな?
340日本@名無史さん:2001/06/28(木) 19:21
坂本や高杉の子孫はなぜ華族になれなかったの?
341日本@名無史さん:2001/06/28(木) 19:22
華族になるほどの功績なんてないもの。
342日本@名無史さん:2001/06/28(木) 23:48
>>339
「捏造らしい」という記述をどこかで読んだだけなんだが…。
坂本竜馬が剣の達人というのは、明治記からの英雄像の作り方でいかにもあり
そうですね。「剣は弱いが政治に強い」竜馬なんて複雑なイメージはそれこそ
現在でも受け入れがたいものかも。
「政治に強い」なんて書くと反論がでるでしょうね。私も「日本最初のカンパニー
の創設者」であり現在でも会社経営者には絶大な人気ですが、実際には持ち船を
二隻とも静めた不運な社長ですからね。たまたま結果が大きな方向に出たという
だけで。それでもいいじゃないですか。「天下国家のため」でなかったところが
魅力だと思ってますよ。

>>341 ていうか、直接の子孫がおらんがねや。
343日本@名無史さん:2001/06/30(土) 00:26
あの、初心者的質問ですんません。
彼暗殺したのって誰でしたかね?
犯人はもう確定してるんですか?それとも未だ闇の中?
344日本@名無史さん:2001/06/30(土) 00:34
>>343
ここで聞いても情報としていいものがえられるとは思えない。
書籍や多の専門的に考証しているサイトを検索しなさい。
345日本@名無史さん:2001/06/30(土) 00:49
まあ、まじめに教えてくれる人もいるだろうけど、
たしかに>>344の言うように書籍に目を通すことも
大切だね。
346名無しさんの主張:2001/06/30(土) 00:50
坂本竜馬を殺したのは
斎藤一
347日本@名無史さん:2001/06/30(土) 00:53
>>323
日本最初のコンペニーは兵庫商社、
創立者は勘定奉行小栗忠順じゃないの?
348日本@名無史さん:2001/06/30(土) 01:08
>>346
原田左之助です
349age:2001/06/30(土) 09:59

明後日、神戸の海軍操練場跡へ行くんですが、何かアドバイスはありませんか?
噂では、石碑があるだけらしいので、何かありそうだったら、教えてくださいませ。
350日本@名無史さん:2001/07/01(日) 01:44
一般に龍馬は海軍操練場の塾頭だったと思われているようだが、
実際はそうではなく、あくまで勝海舟の私塾の塾頭だった。
海軍操練場の塾頭は別の人。
351日本@名無史さん:2001/07/01(日) 02:26
>>343>>346>>348
佐々木唯三郎以下の見廻組だよ。
352日本@名無史さん:2001/07/01(日) 06:53
>>351
中村半次郎だよ
353日本@名無史さん :2001/07/01(日) 08:17
>>350
なぜって、幕府のお金で作った海軍塾に浪人ものや他藩のものを入れる
ことはできなかったから、勝が自腹で(自分で金を集めて)海軍塾とは
別の私塾を作ったんですよね。まあ、授業は一緒だったそうだが。
それほどに当時の幕府と藩は独立した組織だった。考えれば税収自体が
そうだものね。
今、日本レベルで行われるている「地方は地方に」という考え方は実際
時代の逆行かもね、「廃県置藩」なんていう人もいるくらいだし。

竜馬がいたらどう思うかなあ?
354日本@名無史さん:2001/07/01(日) 08:23
>>353
時代の逆行というよりは、太りすぎ、大きくなりすぎた政府組織に
ダイナミズムを与えるための地方自治体の独立だと思うよ。
竜馬の頃は、外国との対抗のために日本の総力体制が必要で強力な
中央集権を求められた。なぜなら軍事力という絶対課題があったから
ね。
それに対して現在はもっと細かくて個別的な問題への対処が求められ
ている(中央でやるべきことは不良債権の処理くらい)。だから各自治
対の独立性が必要で、ただしそれを現実化する政治組織には強いリー
ダーシップが必要だけどね。
竜馬の時代の勝や竜馬みたいにすばらしいアイデアの持ち主はいないかね?
355日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:49
>>353
? 海軍操練所はべつに幕臣以外の藩士も修学していたよ?
というか塾頭自体が(勝の私塾ではなく操練所の)庄内藩士だったと思う。
名前は忘れたけど。
356日本@名無史さん:2001/07/06(金) 22:24
>>355
いや、だから、浪人ものなんてのは非公認でしょ。
神戸海軍操練習所あと(海軍塾あと)に行ったけど、NTTのビルが建設中で
記念碑すら置いてなかった。がっかりだ。
あと、勝海舟が隣に住んでいたという、平野神社まで登って、その途中に平安
の昔からあるという温泉にも入ってきました。
357名無し:2001/07/06(金) 23:10
神戸だと、勝海舟が造らせた砲台(西洋式の2階建てで会社の敷地
内にあるので許可なく見れません)が現存してます。地震にもたえて。
 平野神社だったかな?維新期の大砲がおいてあるのは。
358日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:26
>>356
非公認どころか塾頭の庄内藩士は正式な教官として採用されていた
と思うよ?
359日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:31
普通に考えれば暗殺したのは只三郎でしょ!
会津の誇りです!
360日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:33
豚マン好きの勝先生
361日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:35
>>359
えーと、その時には旗本だったんだがね…
362日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:37
旗本10000万石
363日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:43
日和見
364日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:44
勝海舟って
365日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:48
366日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:48
勝先生って男前
367日本@名無史さん:2001/07/07(土) 03:29
殺したのは一心太助です。
368日本@名無史さん:2001/07/07(土) 04:15
只三郎が犯人っていう判決が当時確かに出てはいるんだけど、
明らかにそれはおかしいから現在でも論争が続いてるわけで…
369日本@名無史さん:2001/07/07(土) 04:30
真実は闇のなかの様子ですね...
370日本@名無史さん:2001/07/07(土) 04:41
暗殺は誰でもいいけど坂本は死んで当然!
371通りすがり:2001/07/07(土) 06:32
西郷隆盛が戦争する事のみ主張するため、竜馬が先頭に立って反対したので、
薩摩人の仲間に殺されたと聞いたことがある。
竜馬が下準備をしたので無血で江戸城明け渡しがされ、明治維新ができたのではなかったけ。
372日本@名無史さん:2001/07/07(土) 12:37
見廻組の生き残りの一人が臨終の時に坂本暗殺を語ったという話がある。
それまで遺族にも、それ関係の話は一切しなかったのに、死の直前で突然語りだしたとか。
まあ裏づけがないから本当かどうかはわからんが、俺はこの説を推すかな。
373日本@名無史さん:2001/07/07(土) 12:49
薩摩犯人説はネタ的には面白いねー
374日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:09
見廻り組や新選組が犯人だったとしたら別にそれは大きな問題ではない
彼らにしてみれば隊務を遂行したと言うだけのことであって、時効でもある
でももし薩長の陰謀だったとしたらそれは大きな問題だと思う
薩長は土佐藩とは同志だったんだし
375日本@名無史さん:2001/07/09(月) 00:14
グラバー黒幕説ってのもあったな。
大政奉還が成って、龍馬が思い描くような無血革命になったら
グラバーが大量に裁いた武器がたぶついてしまうことを恐れて
薩摩に圧力をかけて殺させた・・って説。
376日本@名無史さん:2001/07/09(月) 12:29
ところで皆さん、津本陽「龍馬」は読んでるかね?
いや、まだ完結してないんだけど…割と面白いYO!
377日本@名無史さん:2001/07/09(月) 17:10
暗殺犯は谷干城(「かんじょう」じゃない。)
378日本@名無史さん:2001/07/10(火) 15:22
>>375
グラバー黒幕説とは、
>>83
西郷黒幕説と、同じようなモノなのですか?
379日本@どっちつかず :2001/07/13(金) 07:12

海舟の「氷川清話」読んだけど、なるほど竜馬はほとんど出てこないですね。
自己顕示欲の強い海舟なら、当時竜馬の評価が高ければもっと語ってると思う
のですが、出てくるの西郷の話ばかり。やはり明治中期には竜馬といっても多く
の志士の一人だったのでは?

まあ、評価が高かったから逆に「弟子のくせに」と癪にさわってホメなかったと
いうムリヤリな解釈もできなくはありませんが。少なくとも竜馬がオリジナリティ
にあふれた存在で(勝にとって)あったなら、もう少し触れていると思います。
それもまた、地味な人の業績ほど大きい、という評価も成り立ちますが。
380日本@名無史さん:2001/07/13(金) 20:39
竜馬はやりちん
竜馬の子孫が全国にうじゃうじゃいるよ。
381日本@名無史さん:2001/07/15(日) 00:39
>>379

>海舟の「氷川清話」読んだけど、なるほど竜馬はほとんど出てこないですね。
>自己顕示欲の強い海舟なら、当時竜馬の評価が高ければもっと語ってると思う
>のですが、出てくるの西郷の話ばかり。やはり明治中期には竜馬といっても多く
>の志士の一人だったのでは?

>まあ、評価が高かったから逆に「弟子のくせに」と癪にさわってホメなかったと
>いうムリヤリな解釈もできなくはありませんが。少なくとも竜馬がオリジナリティ
>にあふれた存在で(勝にとって)あったなら、もう少し触れていると思います。
>それもまた、地味な人の業績ほど大きい、という評価も成り立ちますが。

とても的を得ていますね。
竜馬ファンはもはや宗教のようなものです。
冷静に歴史を見れば真実はひとつです。
382日本@名無史さん:2001/07/15(日) 01:26
的は射る。当は得るもの。
383日本@名無史さん

龍馬をあほだと(本も読まないヤツと)言い切った平井収二郎と、妹のかほに
ついて何かありませんですかね?