1 :
日本@名無史さん:
津軽の安東氏については、系図も混乱しており、安倍氏説、藤原氏説などが並立しています。
安藤と書いたり安東と書いたり、若狭の羽賀寺(でしたっけ?)には安倍康季の銘があったり、
姓ひとつとっても混乱しています。
蝦夷管領の職務を遂行するため、蝦夷に縁の深い「安倍」姓を名乗っただけなのでしょうか?
また「藤原」姓を名乗ったのも、奥州(平泉)藤原氏の正当後継者と主張したかっただけなの
でしょうか?
安東蓮聖、円恵親子に見られるように、鎌倉中期には有力御内人として安東の姓を名乗る人が
登場しますが、彼らと津軽安東氏とは何か関係があるのでしょうか?
2 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 18:06
3 :
横須賀:2001/03/22(木) 18:17
安藤氏は、御内人の安東氏とはまったく別の氏族のようです。
何年か前に新人物往来社から刊行された「鎌倉と北条氏」なる本では
「安東氏は駿河出身の武士で、津軽の安藤氏とはまったく別の家」と
網野善彦先生が指摘していました(他にも「御内人の横顔」なるペー
ジに同内容記事あり)。最初「安藤」と書いていたものが、のちに
「安東」と書かれるようになって誤解を生じた、と書いてあります。
津軽安藤氏が鎌倉時代初期から北条氏の被官だったことは事実ですが、
そのルーツや実態は皆目わからないのが実情のようです。
安藤氏は南部氏と抗争していたのですが、現地資料もないらしく、
京都などの資料に頼るしかないのが実情です。
ただ、1430〜50年代に、南部氏によって津軽を追われたことは
事実のようです。それが「コマシャインの蜂起」に直結しているらし
いとどっかの本で読みましたが、これも十分には解明されていないよ
うです。
>>2さん
ありがとうございます。
ここの系図は、もっと綺麗ですよ。
ttp://www.harimaya.com/o_kamon1/buke_keizu/html/akita_k.html >>3さん
ありがとうございます。
でも北条氏の被官ってことは御内人じゃないのですか?
御内人に2系統の「あんどう」氏がいたってことですか?
それが文字表記の混乱によって混同しやすくなったと。
タイトルにも書きましたが、「東日流」みたいなトンデモ本以外に
津軽安東氏の歴史を伝えるものが少ないので、青森、北海道、秋田の
在野史家や田舎役場の観光担当者などが「東日流」に踊らされるの
でしょう。
それが気に入らないのです。
「新羅記録」(松前藩史)や「津軽一統史」(津軽藩史)は、いわば
安東氏よりも自家の方が正当であるとの主張のもとでの記述になって
います。
安東氏の歴史書はありません。
「保歴間記」とかしか。
5 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 20:22
6 :
飽きた:2001/03/22(木) 20:36
安東氏の後裔秋田子爵家は、宮内省に長髄彦の兄安日王を祖とする系図を出した。
そして神武以前からの旧家と自らを誇ったという。
これは大正期の歴史学者で蝦夷研究学者でもあった喜田貞吉が伝える話である。
(昭和三年八月十五日大阪朝日新聞)。
逆賊の兄安日王を誇りとする秋田系図は、実季が伊勢の朝熊に流され八十四歳で死ぬまでの三十年間ひたすら秋田系図の編纂に執念を燃やし、死の前年、孫の盛季に与えた苦心の一巻であると言う。
天皇家よりも古いと自負する秋田系図はただひとつ安日王を遠祖とする伝承に支えられているからである。
しかし、この伝承自体が胡散臭い。
安日伝説は、室町時代ころ成立の「曽我物語」以降に見られる説であり、「曽我物語」の創作の可能性が高い。
しかし諸芸能を通じて安東氏の祖に触れているものは、これくらいであり、江戸初期に編纂した系図も、「曽我物語」の影響を受けているのではないか?
>>5 読みました。
>>6 曽我物語って、あの仇討ちの?
じゃあそれも根拠レスなんですね。
8 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 22:18
安藤氏は藤原だろ
9 :
日本@名無史さん:2001/03/22(木) 22:32
>>6 歌舞伎や浄瑠璃の原作を読んでるようなレベルの人間は
この板には来ないな(ワラ
その証拠に厨房もつっこみようがないな
10 :
名無しのオプ:2001/03/22(木) 22:40
Λ_Λ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
キャー (・∀・ )< みんなちゃんと勉強するんだよ
_| ̄ ̄||_)_\____________
/旦|――||// /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
|_____|三|/
11 :
ほれ:2001/03/23(金) 00:23
阿倍引田臣比羅夫−宿奈麻呂−小嶋−家麻呂−黒人−富麻呂−宅良−隣良−忠良−頼良−行任−高任−和任−安藤季任
「古代氏族系譜集成」所収 奥州安倍氏系図より
12 :
日本@名無史さん:2001/03/23(金) 04:12
うむむ・・・東日流ネタとのエッジを歩かざるを得ないですな・・・(笑)
「確証」ってものがいまんとこ存在しないからねぇ。
このスレ、むしろ秋田家に喜ばれたりして(笑)
13 :
1:2001/03/23(金) 10:18
>>8 それがはっきりしないんです。藤原の可能性もあるんですが。
>>9 いや、私は少しは分かりますので、助かります。
>>11 ほー、これは詳しいですねえ。
>隣良−忠良−頼良
のところは安倍氏なんですね?
>>12 正に!(笑)<エッジ
秋田旧子爵家の方、見てましたら何か教えてください。
14 :
秋田市在住の名無しさん:2001/03/23(金) 10:53
秋田旧子爵家って、何年か前に秋田に来てたね。
確か先祖の600回忌とか(ワラ)
15 :
日本@名無史さん:2001/03/23(金) 13:40
12の言うとおりだな。
東日流ネタを嫌がる気持ちは分かるが
津軽→秋田安東氏の資料は少なすぎるから
東日流とどっこいのネタしかないんじゃ…
16 :
1:2001/03/23(金) 16:29
>>14 そうなんですか?
>>15 そこを何とか、少しでもまともな研究成果など知ってる方いましたら
教えてほしいんです。
結構調べたんですが…。
17 :
日本@名無史さん:2001/03/23(金) 18:21
トンデモ和田に目を付けられたのが運の尽きだったのか。
18 :
日本@名無史さん:2001/03/23(金) 23:06
>13
安倍になったのは家麻呂のときです。
家麻呂は出羽国領狄将軍でした。
19 :
日本@名無史さん:2001/03/24(土) 07:36
>>18 その前は「確実に」藤原姓だったの?
なに流の?
煽り抜き純粋に質問。
20 :
日本@名無史さん:2001/03/24(土) 10:42
安藤が奥六郡の安倍氏の末だというのは到底信用できないだろう。
藤原系にはちがいないが、安倍と藤原を合わせて「安藤」とした、なんて伝承もコジツケだろうな。
信頼性の高い史料がそもそも少ないので憶説になってしまうのは承知でいえば
奥州藤原氏じゃなくて、安芸の藤原とか安房の藤原ってとこだろう。
あまり確実なことはなかなか言えない。
21 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 11:30
つまり安倍氏と安藤氏と安東氏はみんな別系統だったのね。
22 :
1:2001/03/26(月) 11:59
えーと、すみません。
話の流れが錯綜しておりますので、ちょっと交通整理を。
>>18 ははあ、阿部家麻呂が安倍家麻呂になったってことでしょうか?
で、それ以降は安倍という。(勿論確実な話ではなく、この系図上の話でしょうけど)
>>19 藤原ってのは、この系図とは関係なく、20さんのおっしゃるように
そういう説が考えられるってことであって、18さん(たぶん11さん)
の提示された系図とは関係ないことじゃないでしょうか?
何流ってことについては20さんのおっしゃるように
よく分からないってのが答でしょう。
>>20 その場合の「安藤」ってのは、津軽安藤氏ってことでOK?
鎌倉あたりに安芸か安房から移住したってことでいいんでしょうか?
で、蝦夷対策上、奥州(平泉)藤原とか奥州安倍に系図を繋げる詐称をしたと。
>>21 おっしゃることは、
「奥州安倍氏と津軽安藤氏と蓮聖の安東氏は別系統だったのね。」
ってことでよろしいですか?
23 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 13:31
>20
藤原系に違いないって言い切れるか?
所詮謎の一族、蝦夷の子孫。
北条氏が陸奥守護になってから取り入った現地人では?
だから安倍や平泉藤原氏と何らかの関係があって、それを強調して子孫と称しただけではないか?
ただ、安芸、安房ってのは面白い発想。目から鱗だ。
24 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 14:32
>藤原系に違いないって言い切れるか?
さあ。ありそうな憶測としていっただけだからなあ。
白か黒かっていう絶対を追求する人には歴史学はむかないね。
>所詮謎の一族、蝦夷の子孫。
確かに謎は謎だけどさ、謎っていってもいろんなレベルがあって皆目闇の中ってわけでもないよ。
蝦夷の子孫だなんて決めつけは根拠なし。
謎といったら皆目謎と決めつけ、何かいったら「言い切れるのか」と迫る、
そういうゼロか100かって発想の人はトンデモ本が肌にあうだろうなあ。
25 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 14:38
>北条氏が陸奥守護になってから取り入った現地人では?
東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえる、これが初見。
ゆえに遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみてもいいんじゃないか?
ただしこの頃はまだ福島県下の山民の首領ってくらいで、
津軽に本拠をもつようになったのは北条氏の被官になってからで、ずっと後だろうけど。
26 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 14:43
>24
蝦夷の子孫って断定して書いたのは確かにミス。
同じく憶測で書いてしまった。スマソ。
言っておくがトンデモ本を信じていたら、書き方違うよ。
>皆目闇の中ってわけでもないよ。
藤原ってのがありそうなのは同意。可能性としてね。
ただトンデモとのエッジを渡り歩くしか資料がないのは痛い。
27 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 14:46
>東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえる、これが初見。
>ゆえに遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみてもいいんじゃないか?
>ただしこの頃はまだ福島県下の山民の首領ってくらいで、
>津軽に本拠をもつようになったのは北条氏の被官になってからで、ずっと後だろうけど。
ってことは、東鑑の「安藤氏」を津軽安藤氏と思っているってことだね?
その可能性は高いかもしれないけど、その東鑑の「安藤氏」と蓮聖を出した「安東氏」が続いている可能性もあるからね。
微妙なとこだが。
28 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 15:15
24では少しキツイ言い方をして悪かった。
>微妙なとこだが。
微妙だねえ。
断定できない部分についてはどうしても憶測っぽくなっちゃうけど
個人的には安藤と安東はなるたけ区別した方が無難じゃないかと。
あきらかに安藤が改称した安東もあるけど、それはそれとして。
29 :
1:2001/03/26(月) 15:25
>>23-27
勉強になります。
ちょっとまとめますと、以下のようになりますね。
1.網野善彦説では「蓮聖の安東氏」は駿河出身の武士で、「津軽安藤氏」とは別の家。
2.「津軽安藤氏」は鎌倉時代初期から北条氏の被官だった。
3.「津軽安藤氏」が長髄彦の兄・安日の子孫という伝説は、室町時代ころ成立の「曽我物語」以降に見られる説であり、「曽我物語」の創作の可能性が高く、江戸初期に編纂した系図も、「曽我物語」の影響を受けているのではないか?
4.「古代氏族系譜集成」所収奥州安倍氏系図によると、阿倍引田臣比羅夫−宿奈麻呂−小嶋−(安倍)(出羽国領狄将軍)家麻呂−黒人−富麻呂−宅良−隣良−忠良−頼良(前九年役)−行任−高任−和任−安藤季任
5.「津軽安藤氏」は藤原系の可能性がある。
6.「津軽安藤氏」は奥州藤原氏ではなく、安芸の藤原とか安房の藤原ではないか?
7.東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえるので、遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみてもいいのではないか?その頃はまだ福島県下の山民の首領ってくらいで、津軽に本拠をもつようになったのは北条氏の被官になってからで、ずっと後だろう。
8.安倍氏は前九年役で衰退、「津軽安藤氏」は福島付近の山民首領出身で鎌倉時代から津軽入り、「蓮聖の安東氏」は駿河出身、全部別系統の可能性が高い。
30 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 15:31
ここの1は働きものだねえ。
>28
いやいや、俺も誤解をまねきやすい言い方だった。
31 :
1:2001/03/26(月) 15:34
>>28 そこが問題ですねえ。<あきらかに安藤が改称した安東もあるけど
ただ、東鑑では区別しているんですよね?
>>30 恐縮です。
32 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 15:54
>4.「古代氏族系譜集成」所収奥州安倍氏系図によると、阿倍引田臣比羅夫−宿奈麻呂
>−小嶋−(安倍)(出羽国領狄将軍)家麻呂−黒人−富麻呂−宅良−隣良−忠良
>−頼良(前九年役)−行任−高任−和任−安藤季任
これはだめだろう。奥六郡の安倍氏は中央の安倍氏じゃなくて
丈部の部民で賜姓された連中だろう。
そういうと「安倍姓を賜姓された丈部は東北地方南部の連中だから
北奥の安倍氏はわからない」という反論がすぐ来そうだけど、
よりありそうな方はと考えると、どうなのかな。同じ憶測にしても…
33 :
公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 18:26
そうだねえ。安倍氏については少なくとも中央の安倍氏じゃないとは思うんだが。
だったらちゃんと臣姓を記載されるよ、いろんな資料で。
丈部の部民ってのも可能性高いけど、やっぱり資料に姓が記載されていないのは不思議。
アテルイやモレ、アザマロ、清原、みんな姓が記録されているのに安倍だけがない。
可能性としては、一切中央と関係なかった豪族ってのもありだろう。
34 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 18:48
奥六郡の安倍氏はよくわからない。
清原や藤原みたいな中央からの系統でもないし、かといって蝦夷系でもない。
得体が知れないね。
そこで高橋某みたいに役職名の「安部使(この部は郡の意)」から
きてるなんていう珍説も飛び出すわけだ。
イチオシを出せといわれれば、やむなく「丈部の部民」説だけど、自信はないな。
35 :
公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 22:30
36 :
1:2001/03/26(月) 22:49
>>32-35
結局、安倍氏(前九年役)は正体不明ということですね。
じゃあ、前回まとめの4は、そういう説があるというに留めます。
主題の「津軽安藤氏」と「蓮聖の安東氏」に関してはいかがでしょう?
37 :
日本@名無史さん:2001/03/26(月) 23:00
奥州藤原氏は思いっきり中央の系統。
骨格調査でもモロ京都人ということが判明している。
38 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 23:01
今んとこ、1がまとめたように、「津軽安藤氏」は福島出身の可能性が高く、
「蓮聖の安東氏」は駿河出身の可能性が高い。
その結果、両者は別系統と思われる、ってことだろ?
39 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/26(月) 23:04
かぶったな(笑)
そう。奥州藤原は骨格調査でも経清の官位でも中央の系統であることはほぼ確実だろう。
また、山北清原も真人なんて姓を名乗れて鎮守府将軍になってるくらいだから
中央の系統だろうと思われる。
40 :
1:2001/03/27(火) 00:00
えっと、そこで主題の「津軽安藤氏」と「蓮聖の安東氏」に関してはいかがでしょう?
41 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 00:07
42 :
1:2001/03/27(火) 00:24
あ、はい。その他にってことです。
>>35 丈部はハセツカベとタケルベと読みに2説ある。
最近はハセツカベとルビふってる本の方が多いみたいな感じだけど、
とくに有力説ってことなのかどうかは知らない。
福島か宮城県南あたりで「阿部の○○(地名)臣」と名乗ってても、
一旦没落して移動したら地名の部分は落とすこともありうるだろう。
なんか安倍氏が奥六郡で勢力はるようになったのは世代数から逆算すると
将門の乱の頃のようだ。その頃なんかあったんだろうね。
…かなり憶測ばかりならべてしまった…申し訳ない。
44 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/27(火) 09:46
そこで
>ただしこの頃はまだ福島県下の山民の首領ってくらいで、
に繋がれば、それはそれで面白いけどな。
45 :
1:2001/03/27(火) 12:41
あげさせてください。
46 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 15:15
>43
長谷部さんってハセツカベさんの子孫なの?
47 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 17:58
「津軽安藤氏」は福島出身の可能性が高く、
「蓮聖の安東氏」は駿河出身の可能性が高い。
その結果、両者は別系統と思われる。
終了
48 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 18:10
旗指物が「倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事あげ」
すまぬスレちがひ
鬱だ師能
50 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 19:29
安東大将軍ってオチか?>48
51 :
日本@名無史さん:2001/03/27(火) 21:20
津軽安東氏は、鎮守府将軍兼陸奥守藤原秀ひら公の弟が中興の祖だって
本で読んだ事があるよ
それが本当なら、鎌倉時代以前から津軽に勢力があったんじゃないかな?
安部貞任の次男が 厨川の柵が落城する時に逃げ出して、津軽に見を隠し
安東氏の祖になったって説もあるよね
52 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/27(火) 22:03
藤原(十三)秀栄が安倍氏季の娘露姫と結婚して、その間に生まれた子が「津軽安藤氏」の祖ってやつだろ?
元資料の信憑性は、あまり高くなかった筈。
貞任の次男って高星だろ?
それも伝説の域を出ない。
元亨の乱関係者以前の「津軽安藤氏」は、系図ごとに記載が違っており、一級史料にも出てこないので伝説に毛が生えた程度。
2や4に記載の系図は見たの?
ちゃんと載っている。
>>51はスレッドの流れをぜんぜん見てないね。困った子だ。
54 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/27(火) 22:24
>困った子ちゃん
一応、ここのスレッドでは、「奥州安倍氏」と「津軽安藤氏(のち安東氏)」と「蓮聖の安東氏」は別系統の可能性が高いという結論になったんだよ。
55 :
1:2001/03/28(水) 10:06
>>50 わらてしまいました。
>>51 すみませんが、そういうレベルの知識を前提にして、もっと信憑性のある仮説を探るスレッドなんです。
56 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 11:51
安東金氏あげ
57 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 14:02
チョンの安東金氏は逝け
58 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 17:19
結局さ、秋田実季が家系調査したときに、変な軍記物とか宗教文書なんかを参考にしたのがよくないんだよ。
家系伝承もしっかりしていなかったってこと。
代々伝承してきた家宝とやらがアイヌの弓だって話もあるけど、いつから伝承されてるのかも分からないし。
59 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 18:10
東鑑に出てくる安藤次、安藤四郎らは、三澤を所領として、山の案内が出来るような素性の一族。
三澤は今の福島県いわき市の三沢町ではなかろうか?
ここが初出ということはいわゆる関東の御家人ではないだろう。
奥州土着ながら積極的に頼朝軍に協力して、北条家の被官になったものではなかろうか。
そして津軽が北条家領(のち得宗領)になったときに代官としておかれたと。
蝦夷管領になったころ、統治の必要上、祖先を現地人のカリスマ(?笑)奥州藤原と奥州安倍に繋げて箔をつけたとも考えられる。
日本海海運で関係のあった「蓮聖の安東氏」が衰退した後、名字を僭称して若狭方面まで進出した可能性もある。
60 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/28(水) 18:37
安藤太(諏訪明神)と安藤次(東鑑)の関係はどうなんだろうな?
61 :
日本@名無史さん:2001/03/28(水) 18:43
諏訪はトンデモ
62 :
日本@名無史さん:2001/03/29(木) 08:53
そろそろ出尽くした?
早いね、ネタないからなあ。
でも東日流外三郡誌とかその亜流のとんでも説しか知らないドキュンには
たいへんためになるスレであった。ありがとう。
終了かな?
64 :
非公開@個人情報保護のため:2001/03/29(木) 15:38
基本的に、東日流系を抜きにした安東氏論はWeb上にも少ないので
こういうスレのようなサイトが増えればいいな。
学術的で、こういうのが日本史板の模範かも(笑)
安藤太(諏訪明神)と安藤次(東鑑)の関係は、やっぱり分からないってことで。
終了だね。
65 :
1:2001/03/29(木) 16:35
これ以上の御意見、ございませんでしょうか?
できれば終了してほしくないんですが…
66 :
日本@名無史さん:2001/03/29(木) 16:43
津軽の安藤氏は、海上交易や蝦夷方面に特別の力をもっていたみたいだけど
モンゴルと戦ったアイヌを指揮していたのが蝦夷管領の安藤氏だという説もあり。
でも陸上では、津軽地域ではむしろ工藤氏の所領の方が多くて、大した力なかったみたいだね。
67 :
日本@名無史さん:2001/03/29(木) 17:01
曽我氏は?
津軽の地頭では?
68 :
横須賀:2001/03/29(木) 18:36
>67さんへ。
曽我氏は南北朝の動乱期に、南部氏だかと争って没落しちゃったみたい
ですよ。工藤氏はよくわかりません。
でも安藤氏が今の福島県あたりの出身だって説には魅力を感じます。一
応「御内人」に含まれない(1285以前は、とすべきか?)安達氏も
陸奥の出身ですし、北条氏は陸奥とのつながりが強いような気がする。
陸奥が北条氏の強権(足利氏も徳川氏も達しなかったような……)を支
えた、と言ってもいいぐらい。
曽我氏にしろ工藤氏にしろ、あまり勢力の大きくない武士が北条氏の被
官になってるみたいですね。南部氏だって、甲斐の国では武田氏の支流
のまた支流って感じだしねえ。日蓮を保護した波木井氏は有名ですけど
(だから身延山に日蓮宗の総本山がある)。
69 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 12:40
網野なんかも、1冊の本の中で同一人物を初めは「安藤」後で「安東」って、
書いていたりするけど、実際東鑑とか保暦間記ではどう表記されてるのかな?
70 :
日本@名無史さん:2001/03/30(金) 14:51
基本的に「安藤」やろ?
「安東」は蓮聖親子にしかないんちゃう?
71 :
日本@名無史さん:2001/04/02(月) 09:37
そうなんだけど、安藤もずっと後になって安東と書くようになったんだよ。
だから駿河安東氏(蓮聖親子)とは別の安藤系の安東氏ってのができた。
72 :
横須賀:2001/04/03(火) 10:55
駿河の安東氏と陸奥の安藤氏のあいだに姻戚関係があったりするのかな?
「太平記」には、新田義貞の舅が「安藤」って書かれてるけど、
あれどっちなんでしょうね?
そもそも「安東」「安藤」なんて地味な名前だから混乱するんだよなぁ。
「べったら漬け屋○○」とかだったらわかりやすいのに(笑)
74 :
日本@名無史さん:2001/04/06(金) 08:41
んな、こたぁない。
75 :
1:2001/04/06(金) 10:27
76 :
日本@名無史さん:2001/04/09(月) 19:50
駿河の安東との婚姻関係はたぶんないんじゃないのかなあ? わかんないけど。
それと安藤が後に安東と名乗ったという話はあるけど、
その逆はあんまりきかないから、新田義貞の舅の安藤は津軽の安藤でしょう。
77 :
日本@名無史さん:2001/04/10(火) 09:00
安藤なら、藤原と結びつけられるメリットがあるが、安東という表記にはどのようなメリットがあるのだろう?
78 :
日本@名無史さん:2001/04/10(火) 12:30
>>76 津軽安藤は、南朝方だからありうる。
後に北畠の子孫と縁組してるしね。
79 :
日本@名無史さん:2001/04/11(水) 08:39
んなこたぁない
80 :
日本@名無史さん:2001/04/12(木) 09:25
おわりか?
81 :
1:2001/04/12(木) 14:06
できましたら、もうちょっとねばらせてください。
82 :
日本@名無史さん:2001/04/13(金) 17:38
安藤は資料がないからわからん
83 :
日本@名無史さん:2001/04/16(月) 09:28
age
84 :
日本@名無史さん:2001/04/16(月) 09:37
アズマも薩摩も単なる煽り。
日頃、人にかまってもらえない
ひきこもり君がかまってもらいたい
ために泣き叫んでいるだけ。
だけど、そういうやつに限って
自尊心だけは高いから、
「この日本史板では僕がナンバーワンだ」
と思っている頭が高いおこちゃま。
そう、彼はこの日本史板ではナンバーワンだ。
ここでは、天皇も将軍も歴史上の英雄も
彼の妄想の自由になる単なるコマのひとつ。
彼は誰にも負けない。いや、負けてはならない。
そう、ここは現実に見捨てられた彼の最後の砦
なのだから。
85 :
日本@名無史さん:2001/04/16(月) 11:58
福島の安東氏って福島県ですか。最初十三湊福島城だと思って読んでいました
86 :
日本@名無史さん:2001/04/16(月) 12:12
25 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/03/26(月) 14:38
>北条氏が陸奥守護になってから取り入った現地人では?
東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえる、これが初見。
ゆえに遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみてもいいんじゃないか?
ただしこの頃はまだ福島県下の山民の首領ってくらいで、
津軽に本拠をもつようになったのは北条氏の被官になってからで、ずっと後だろうけど。
87 :
日本@名無史さん:2001/04/16(月) 13:24
東鑑の記事「宇都宮左衛門尉朝綱が郎従、紀権守波賀次郎大夫己下七人、安藤次をもって山の案内者となし」
88 :
1:2001/04/16(月) 17:46
なんか、混乱しているような(笑)
>>29 がまとめです。ただし、そのうち4は、伝説の域を出ないということで削除。
89 :
日本@名無史さん:2001/04/17(火) 09:37
伝説だろ?
90 :
1:2001/04/17(火) 12:06
伝説じゃないだろう部分でお願いします。
91 :
日本@名無史さん:2001/04/17(火) 19:30
でつくしたでしょ?
これで終了じゃない?
92 :
日本@名無史さん:2001/04/18(水) 10:44
古史古伝ではどうなの?
93 :
日本@名無史さん:2001/04/18(水) 15:21
安藤さんは福島県選出でしたか。!!
94 :
日本@名無史さん:2001/04/19(木) 12:01
選挙板に逝け!
95 :
日本@名無史さん:2001/04/20(金) 13:38
>>92 古史古伝はなんでもあり。
基本的には津軽安藤氏は、蝦夷の安倍氏の子孫という説だが、
その安倍氏が物部と関係あったり、長髄彦の兄安日彦の子孫と
なっていたり、そちらが本当の邪馬台国だと主張していたり、
もう、めちゃくちゃ。
96 :
日本@名無史さん:2001/04/23(月) 11:48
古史古伝まんせー!
97 :
1:2001/04/23(月) 16:48
そろそろ終わりでしょうか?
結局、
1.網野善彦説では「蓮聖の安東氏」は駿河出身の武士で、「津軽安藤氏」とは別の家。
2.「津軽安藤氏」は鎌倉時代初期から北条氏の被官だった。
3.「津軽安藤氏」が長髄彦の兄・安日の子孫という伝説は、室町時代ころ成立の「曽我物語」以降に見られる説であり、「曽我物語」の創作の可能性が高く、江戸初期に編纂した系図も、「曽我物語」の影響を受けているのではないか?
4.「津軽安藤氏」は藤原系の可能性がある。
5.「津軽安藤氏」は奥州藤原氏ではなく、安芸の藤原とか安房の藤原ではないか?
6.東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえるので、遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみてもいいのではないか?その頃はまだ福島県下の山民の首領ってくらいで、津軽に本拠をもつようになったのは北条氏の被官になってからで、ずっと後だろう。
7.安倍氏は前九年役で衰退、「津軽安藤氏」は福島付近の山民首領出身で鎌倉時代から津軽入り、「蓮聖の安東氏」は駿河出身、全部別系統の可能性が高い。
って結論でよろしいですか?
そんなもんでいいんじゃない。ってことで、めでたく終了。
99 :
日本@名無史さん:2001/04/24(火) 09:23
めずらしく、あまりあれなかった、学術的にもおもしろい内容にage
100 :
日本@名無史さん:2001/04/24(火) 12:32
面白いっていうか、マニアック。
やった!100!
101 :
日本@名無史さん:2001/04/24(火) 17:14
「津軽安藤氏」は奥州藤原氏ではなく、安芸の藤原とか安房の藤原ではないか
この部分はいらないとおもいます。マジです。
102 :
1:2001/04/24(火) 17:38
確実なところと言えばそうかもしれませんね。
>「津軽安藤氏」は奥州藤原氏ではなく、安芸の藤原とか安房の藤原ではないか
>この部分はいらないとおもいます。マジです。
でも、もともとは安東だったとか、安倍と藤原くっつけたんだとか、
下北の「安渡(あんど)」だとかいう軽い冗談みたいなヨタ話よりは
もっともらしく聞こえると思ったんだが。まあいいか。証拠もないし。
104 :
日本@名無史さん:2001/04/25(水) 08:43
59 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/03/28(水) 18:10
東鑑に出てくる安藤次、安藤四郎らは、三澤を所領として、山の案内が出来るような素性の一族。
三澤は今の福島県いわき市の三沢町ではなかろうか?
ここが初出ということはいわゆる関東の御家人ではないだろう。
奥州土着ながら積極的に頼朝軍に協力して、北条家の被官になったものではなかろうか。
そして津軽が北条家領(のち得宗領)になったときに代官としておかれたと。
蝦夷管領になったころ、統治の必要上、祖先を現地人のカリスマ(?笑)奥州藤原と奥州安倍に繋げて箔をつけたとも考え
られる。
日本海海運で関係のあった「蓮聖の安東氏」が衰退した後、名字を僭称して若狭方面まで進出した可能性もある。
>蝦夷管領になったころ、統治の必要上、祖先を現地人のカリスマ(?笑)奥州藤原と奥州安倍に
>繋げて箔をつけたとも考え られる。
最近やってきた新参者のくせに現地人を騙せるわけないだろ。これだから学者先生の発想てのは…
106 :
日本@名無史さん:2001/04/25(水) 17:02
>最近やってきた新参者のくせに現地人を騙せるわけないだろ。
ってことは、津軽安東氏はホントに安倍の子孫、蝦夷だって考え?
まあ少々トンデモになるが、後世の資料では藤崎安東氏と十三安東氏が仲が悪かったような記述もあるし、意外と両流あったのかもね。
107 :
日本@名無史さん:2001/04/25(水) 18:43
>>105 祖先は実はこうでしたってとかいって、大義名分を立てる例の多さをご存知
ですか?
108 :
日本@名無史さん:2001/04/26(木) 14:45
>>105 現地人って言っても、安倍は元々今の岩手。今の福島あたりの出身者が、津軽に行って「俺は岩手のだれそれの子孫」って言っても疑うに足る証拠を持っている現地人がいるわけないだろ。これだから素人の発想てのは…
109 :
1:2001/04/26(木) 16:20
まあ、トンデモを排除した上で確実な資料だけから言えることは、
1.「蓮聖の安東氏」は駿河出身の可能性が高い。
2.東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえる。遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみていいのではないか?
その頃はまだ福島県下の山民の首領のような存在だったらしい。
3.「津軽安藤氏」は鎌倉時代初期から北条氏の被官だった。
そのころには津軽に本拠をもつようになっている。
4.「津軽安藤氏」が長髄彦の兄・安日の子孫という伝説は、室町時代ころ成立の「曽我物語」以降に見られる説であり、「曽我物語」の創作の可能性が高く、江戸初期に編纂した系図も、「曽我物語」の影響を受けているのではないか?
5.「津軽安藤氏」は藤原系の可能性がある。
6.安倍氏は前九年役で衰退、「津軽安藤氏」は福島付近の山民首領出身で鎌倉時代から津軽入り、「蓮聖の安東氏」は駿河出身、だとすると、全部別系統の可能性が高い。
って結論ですかね?
110 :
日本@名無史さん:2001/04/26(木) 16:39
『陸奥話記』によれば安倍氏は東夷の酋長で奥六郡の司に
任命されたとありますが、安藤氏の出自はたとえ福島としても
自分の祖先を安倍氏に結びつけるとはたいしたもんですね。
当時の東北の住人には安倍氏は貴種なんですな。
111 :
日本@名無史さん:2001/04/26(木) 18:52
そういうわけでもないだろ?
貴種というより、蝦夷の支配の正当性の話だ。
蝦夷管領としての正当性が、蝦夷の首長であった安倍氏の子孫と称することで得られたのであろう。
112 :
日本@名無史さん:2001/05/02(水) 12:29
終了
113 :
日本@名無史さん:2001/05/02(水) 14:34
最近のこの板にしてはレベル高いのでage
114 :
1:2001/05/02(水) 15:15
とりあえず100までいったので満足です。
113さんの言うとおり、最近のこの板にしては勉強になりましたし。
感謝。
115 :
日本@名無史さん:2001/05/02(水) 15:36
これも途中は面白かったあげ
116 :
日本@名無史さん:2001/05/07(月) 11:09
大河で出てくれば面白いね
117 :
日本@名無史さん:2001/05/07(月) 13:58
安東氏で史実に諱が出てくるのは得宗で言えば高時の時代。
そんなの無理だよ。
でも原作が高橋克彦だからなあ。
松浦党の偏愛も安倍氏の子孫という伝承からだし、わからん。
118 :
日本@名無史さん:2001/05/07(月) 18:12
このスレも終わったか…
ますます普通のスレが無くなっていく…
119 :
日本@名無史さん:2001/05/07(月) 18:44
「安藤」が安倍と藤原をつなげて作ったという説だけど、
奥六郡の安倍氏はじつは当時は「阿部」と書いており、「安倍」と書くようになったのは
陸奥話記以降のことらしい。だから「安藤が安倍と藤原をつなげて作ったということはありえない」
という説をきいたことがあるのだけれど、安藤氏が登場するよりずっと前に陸奥話記は
できていたのだから、この説はおかしい。
ただ、これと別に「当時は阿部と書いており安倍と書くようになったのは陸奥話記以降」
ということ自体は、それ以前にどこかで読んだおぼえはあるが。
120 :
日本@名無史さん:2001/05/07(月) 18:57
意外と「繋げる」説は眉唾かも。
松前が松平と前田の合成って伝説はウソらしいし。
(あ、羽柴はホントらしいけど)
松前はマンドウマイヌ(万堂ま犬。字は忘れた)っていうアイヌ語地名からだろ。
122 :
120:2001/05/08(火) 10:40
>>121 そうっす。でもまことしやかに追従で松平と前田くっつけたなんて言う説があるもので。
123 :
日本@名無史さん:2001/05/08(火) 13:07
それは、羽柴からの連想だろうな。
124 :
日本@名無史さん:2001/05/08(火) 15:07
マンドウマイヌ?マトゥマイじゃなかったか?
>>124 昔のアイヌ語を昔の日本人が書いてんだから、厳密な発音を写してるかどうかわからないよ。
つまんないツッコミやめれ。
126 :
124:2001/05/09(水) 09:12
スマソ
127 :
日本@名無史さん:2001/05/18(金) 09:17
あげ
128 :
1:2001/05/18(金) 09:57
おおっ、まだ残っている!
129 :
日本@名無史さん:2001/05/22(火) 12:30
age
130 :
日本@名無史さん:2001/05/25(金) 10:51
>>124 マトウマイは諏訪大明神絵詞だからトンデモと思われ
131 :
日本@名無史さん:2001/06/10(日) 20:06
ためしあげ
132 :
日本@名無史さん:2001/06/15(金) 11:41
ooh
agatteiru!
133 :
日本@名無史さん:2001/06/15(金) 11:50
阿弖流為(アテルイ)って何者?
134 :
1:2001/06/18(月) 11:50
阿弖流為は、大墓公。
(?〜802年)奈良・平安前期の蝦夷の族長。
陸奥胆沢地方を本拠とし、延暦年間における律令政府の征夷事業に、蝦夷を率いて頑強に抵抗した。
延暦8年の衣川の戦いでは政府軍に大きな損害を与えたが、同21年坂上田村麻呂の下に投降し、河内で処刑された。
後、伝説化し、悪路王、あくじの高丸等と呼ばれる。
135 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 19:04
安東氏って今何してるの?
136 :
日本@名無史さん:2001/06/18(月) 22:14
Nステでも観てるんじゃない?
137 :
日本@名無史さん:2001/06/19(火) 05:10
すげえ勉強になった
138 :
1:2001/06/19(火) 08:51
一応、ここのスレは終了したことになっています。
新情報があったときのためにたまに見てますが。
結論は、
1.「蓮聖の安東氏」は駿河出身の可能性が高い。
2.東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえる。遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみていいのではないか?
その頃はまだ福島県下の山民の首領のような存在だったらしい。
3.「津軽安藤氏」は鎌倉時代初期から北条氏の被官だった。
そのころには津軽に本拠をもつようになっている。
4.「津軽安藤氏」が長髄彦の兄・安日の子孫という伝説は、室町時代ころ成立の「曽我物語」以降に見られる説であり、「曽我物語」の創作の可能性が高く、江戸初期に編纂した系図も、「曽我物語」の影響を受けているのではないか?
5.「津軽安藤氏」は藤原系の可能性がある。
6.安倍氏は前九年役で衰退、「津軽安藤氏」は福島付近の山民首領出身で鎌倉時代から津軽入り、「蓮聖の安東氏」は駿河出身、だとすると、全部別系統の可能性が高い。
139 :
日本@名無史さん:2001/06/20(水) 17:40
へえ
140 :
日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:48
>5.「津軽安藤氏」は藤原系の可能性がある。
これは奥州藤原氏という意味でなく、
佐藤、斉藤、加藤、伊藤、工藤と同じようなものという意味ね。
141 :
1:2001/06/21(木) 09:16
そういうことです。
ただ、今の福島地方の出身だとしたら、奥州藤原氏の系統である可能性も残っている、という程度。
まあ、安房とか安芸の藤原氏って可能性も残っていますが。
○藤氏ってのは、別スレでいろんな意見が出ていますが、基本的に(家系伝説としては)藤原氏の子孫を称する家が名乗っているということに間違いはないでしょうから。
142 :
日本@名無史さん:2001/06/21(木) 09:36
143 :
日本@名無史さん:2001/06/21(木) 15:27
いいすれだ
144 :
日本@名無史さん:2001/06/25(月) 15:17
御内人についての詳しい情報きぼんぬ
145 :
日本@名無史さん:2001/06/26(火) 11:58
北条得宗家の家臣。
146 :
日本@名無史さん:2001/06/29(金) 10:39
御内人であることが判明している人の名簿とかってあるの?
吾妻鏡とかその他置き文とか下知条とかで出てくる名前の一覧みたいなの。
147 :
日本@名無史さん:2001/07/05(木) 12:32
age
148 :
日本@名無史さん:2001/07/12(木) 13:05
網野は安藤(津軽)と安東(蓮聖)を別系統としているけど、黒田俊雄は同一系統だろうと言っているよね?
(小学館の日本の歴史「蒙古襲来」と中央公論社の日本の歴史「蒙古襲来」)
ただ、東鑑、鎌倉年代記、保暦間記等をダウンロードして検索してみたけど、両者の表記は完全に使い分けられている。
安「藤」(津軽)と安「東」(蓮聖)だ。
東鑑、鎌倉年代記等の筆者は使い分けていたのではないか?
149 :
日本@名無史さん:2001/07/17(火) 13:20
秋田県の歴史(山川出版社)によると、湊安藤(東)家の系図(安東系図)は嘘っぱちみたいだよ。
男鹿の神社の棟札写しってのが安藤家の分家の湊家(千葉県市川市在住)に残されてて、その系譜と系図の系譜が一部を除き一致しないらしい。
やっぱり実季の収集した資料っていい加減だったんじゃないの?
150 :
日本@名無史さん:2001/07/23(月) 16:14
>>146 基本的に得宗が守護地頭のところの守護代、地頭代を務めた人は御内人なんじゃないの?
151 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 11:31
御内人=御家人
152 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 11:53
↑バカ?
確かに両方兼ねていた人もいただろうけど、立場・定義が全然違うだろうよ。
御内人は北条得宗家の家臣。御家人は将軍家(幕府)の家臣。
江戸時代で言えば、大老とか老中の家臣(陪臣)と大名や直参旗本とを一緒って言うようなもの。
今なら首相の地元選挙事務所の運動員を国家公務員と言うようなもの。
153 :
日本@名無史さん:2001/07/24(火) 13:45
大河ドラマあげ
154 :
1:2001/07/24(火) 20:37
御内人については、その得宗家被官となった経緯とかもよく分かっていないし、知りたいところですね。
北条家が守護職・地頭職を得た土地の在庁・下司なんかで、非御家人だったり、御家人の分家だったりした人が、既得権益を守るために被官になって代官にしてもらったってのが一般的なのかな、と思ってますが。
>>148 そういう訳で、このスレでは別系統説が有力という結論になったんです。
>>149 読みました。
それにしても実季が集めた資料は適当ですよね。
そのせいで系図が混乱している。
155 :
日本@名無史さん:2001/07/26(木) 19:21
御内人一覧がほしい
156 :
田中清玄研究家:2001/07/26(木) 21:59
わたしは主として12世紀に興味があったので安藤氏かんけーねーや
と思っていたのですが昨日、大石直正論文「北の海の武士団・安藤氏」
を読んだらそうもいってられないらしいことがわかり、このスレで学ばせ
ていただきたく思います。特に安藤氏系譜は曽我物語どころか田村麻呂に
山椒太夫、唐糸草子と当時の人気語り物総出演、ほとんど中世東北のスー
パーロボット大戦(大石にいわせりゃ語り物のモザイク)ってとこが気に
いったね。しかも、大石論文では、「だからウソ」っていうんじゃなくて
そういう語り物関係者の結節点に安藤氏を位置づけるっていうはなれわざ
が稗史好きにはたまらないぜ。
つまり、平泉藤原氏VS十三湊安藤氏のともに安部氏の血をひく(自称)
ものたちの王位争奪戦ってか?…拾い読みなんでちゃんと読んでから
また来マース。
157 :
1:2001/07/27(金) 09:15
稗史は好きなんですが、安藤氏関係には稗史があまりにも多すぎなんで、このスレをたてたんです。
稗史以外の資料から推察できるネタが中心です。
でも、
>人気語り物総出演、ほとんど中世東北のスーパーロボット大戦
ってのは同感です。
わたしは、だから嘘って立場ですけど。
ただ、語り物関係者(芸能民)の系譜って、津軽に色濃く残っているんですよね。
民俗学的には、その辺、どうなっているんでしょう?
>平泉藤原氏VS十三湊安藤氏
これについては、稗史ですが、平泉藤原氏時代の十三湊安藤氏ってのは平泉藤原氏系ってことになってますよ。
当時の藤崎安藤氏が、藤原系十三氏を滅ぼしたって話なんで。
なお、いんちき99%ですが、江戸時代になってから、津軽氏が十三氏の子孫を称していますね。
158 :
日本@名無史さん:2001/07/27(金) 14:52
>>人気語り物総出演、ほとんど中世東北のスーパーロボット大戦
だから実季が悪いんだ。
おやじに比べて使えねえし。
あ、ノブヤボの話な。スマソ。板違い。
159 :
田中清玄研究家:2001/07/27(金) 23:04
いや、実季は単なる語り物ヲタだったとか。
つまりネタだな。三十年もはまってるってとこが…
語り物クリエーター集めて「ボスキャラほしいんだけど」
「アテルイで行きでしょう」「じゃラスボスは」「長髄彦」
みたいな。前近代の系図作者の意識はまず「カッチョイイ」
だから、論文材料収集の院生よりバンプレストのプロデューサー
に近いでしょ。実季、きっと楽しかったろうぜ。
大石論文では中世安藤家当主が時衆であったことを語り物の民と
結びつけ、さらに磁器の分布みたいに語り物の伝播ルートから、
安藤氏の移動を復元しようとするのがおもしろい。
あと安藤氏初心者(一昨日から)としては
1、安藤氏=蝦夷、とか「諏訪大明神絵詞」ってトンデモなの?
海保嶺夫ってバリバリ蝦夷説で「絵詞」使いまくりなんだけど…
(66氏がふれてるの海保説だとおもうんだけど榎森論文読んでない
からオリジナルかどうかわからない)
2、まとめ1〜4はともかく、5・6説っておれの読書視野に入っ
て来ないんだけど…(6は「福島出身」の件…いや一昨日からな
んだけど、前読み飛ばしたものひっくりかえしてみて)
3、それに関係するんだろうけど藤崎VS十三氏の稗史って何?
(説話は好きですが東日流とかもあまり知らないし…)
4、それって「安藤氏の乱(ゲストに工藤氏)」に関係するの?
…なんてことをご教示いただければさいわい農場です。
160 :
1:2001/07/30(月) 12:29
>>159 >1
トンデモの定義にもよりますが、安倍氏あくじの高丸って「諏訪大明神絵詞」じゃなかったでしょうか?
歴史物語と歴史の区別がつかない2次資料は、ちょっと…。
当然、当時の人々が信じていたことを記録したものな訳ですから、間違いじゃないんですが。
だから当時の蝦夷の風俗や種類、等々は使えるんです。
ただ安藤氏の先祖については使えないだろうと思います。
>2
5は単に字面から想定されるから、昔から言われていた説ですね。6は、ここの議論の総括。
>3
東日流にある話で、藤原秀衡の弟が婿入りした家が十三安藤氏で、安倍氏直系が藤崎安藤氏。
藤崎安藤氏が十三氏を追って十三湊を手中に収めたって話です。確か。
>4
いや、直接関係はないはず。
そういえば、昔安彦良和のマンガに「安東(アントン)」ってのがあって、おもいっきりギャグ&エンタメなんですけど、藤崎安藤氏を北条の手先、十三安藤氏を蝦夷直系の誇り高き一族と描いたものでした。
161 :
1:2001/07/30(月) 13:49
語り物オタ…笑いました。
そうか、そういう展開もありかも。
ただ、当時実季は「おおまじめ」だったと思うんですよ。
真面目に自分の家の歴史を収集していたつもりだった。
でも蝦夷の歴史なんて、「史学」ではなくて「文学」や「博物学」的な資料しかなかった(笑)
それで虚実の分別が出来ない系図になってしまった。
だいたい、苗字を「生駒」に変えるなんてドキュソなことしてますから。
東日流が偽書でも、類するフィクションは、当時からあったとは思いますけどね。
ただ、真の歴史を探ろうとすれば、実季のせいで混乱したことには違いない。
>>158 わかります。愛季が長生きすれば東北統一くらいは簡単なんですけどね。
(南部攻略がネックだけど)
「あくじ」じゃなくて「あくろ」
163 :
1:2001/07/31(火) 10:01
いや、あくじですよ。
原文は「安倍氏悪事ノ高丸」ですから。
悪路王とごっちゃになっているんじゃないですか?
しったかするなら、ちゃんと読んでからお願いします。
164 :
1:2001/07/31(火) 15:36
フォローを。
まあ、語源はきっとアテルイ→阿弖流為→阿弓流為→阿弓流→あくる→あくろ→悪路→あくじ→悪事なんだとは思いますが。
165 :
日本@名無史さん:2001/07/31(火) 15:43
何故青森人は ねぷたなんかに熱狂してるの?
自分たちを侵略した奴を祭るなんて頭悪すぎる
>自分たちを侵略した奴を祭るなんて頭悪すぎる
そんな俗説を間に受けている君もな。
167 :
日本@名無史さん:2001/07/31(火) 20:14
168 :
日本@名無史さん:2001/08/01(水) 13:45
青森人はバカ
169 :
日本@名無史さん:2001/08/01(水) 17:14
青森人にふられたのかな…八つ当たりはやめようね
170 :
日本@名無史さん:2001/08/06(月) 14:28
100万人以上の多様性ある人間達をひとまとめにしてバカと言い切れる人間に、戸惑いと悲しみを覚える。
そんなに真面目に相手すんなよ。バカ相手に。
172 :
日本@名無史さん:2001/08/06(月) 18:13
青森人を、蝦夷の純粋な子孫だと思っているイタいヤツがいるな。
東北人の血のほとんどは、柵戸、地頭、その郎党、などの系統。
蝦夷の血は薄まってしまっている。
たぶん、江戸時代あたりには、既に自意識としては蝦夷を他者として見るようになっていた。
津軽領の蝦夷政策について知らないの?
>>166 しらなけりゃ黙ってな。
173 :
田中清玄研究家:2001/08/07(火) 00:04
初心者(2週間弱)なんでおそるおそるですが…
蝦夷って、「蝦夷の血」って言えるほど、実体のある存在とは
言えないのでは?少なくとも、一つの人種としてあつかうような
考え方は歴史学者の皆様はしていないような…
それとも「蝦夷の血は薄まって」てのは、そういうことの比喩?
174 :
日本@名無史さん:2001/08/07(火) 02:39
>>165 最近は、田村麻呂を祭るのを止め、陸奥(みちのく)蝦夷(えみし)の大酋長「アテルイ」を祭ることにしたという
175 :
172:2001/08/07(火) 09:08
>>173 確かに人種じゃない。でも人種と民族は違うし、ここでは民族とまではっきりしていないが「民族」的グループとして使用した。
ここでは、大和時代〜平安時代中期までに北東北にいた現地人の意味。
大和時代〜平安時代初期までの毛野氏、阿部氏の植民や、以降の征伐を経ての共存によって、当時の「蝦夷」は、そのほとんどが「その他和人」と混血し、鎌倉、南北朝期の人口移動によって更にぐちゃぐちゃになったため、もう「蝦夷」を一つの「民族」的存在として扱うことは出来ないという意味だ。
で、江戸時代には、津軽領内の一般人は、いわゆる「アイヌ」を「蝦夷」だと信じている。
実際に津軽半島には、点々とアイヌが住んでおり、彼らを同化させたのが、津軽氏の統治方法だ。
アイヌがいたことは文献的にも証明されている。
(松前領内のアイヌ反乱の時、津軽からの援軍に、津軽領内のアイヌ人通訳が同行している)
176 :
1:2001/08/08(水) 10:56
177 :
日本@名無史さん:2001/08/09(木) 13:09
南部領内にも「○○犬」などと記録に残っている蝦夷村があるそうな。
佐竹領内にはあるのかな?
178 :
日本@名無史さん:2001/08/09(木) 17:55
聞いたことないけど、秋田はマタギの本場だよね?
マタギ言葉にはアイヌ語と共通の語彙があるって聞いたけど?
179 :
日本@名無史さん:2001/08/14(火) 16:38
聞いた。詳細きぼーん
180 :
日本@名無史さん:2001/08/15(水) 11:18
27 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/08/14(火) 08:31
秋田や青森のマタギの人が使っていた単語にアイヌ語と近いものが混じっている
らしい。(水=ワッカ 犬=セッタなど)
かつて本州で”エミシ”と呼ばれていた人々がアイヌ語に近い言語を話していた可能性
は高いと思います。
近世に津軽に存在したという蝦夷村が消滅した時点で話せる人はいなくなったのでは
ないでしょうか?
181 :
日本@名無史さん:2001/08/21(火) 10:37
age
182 :
日本@名無史さん:2001/08/23(木) 05:12
う〜みゅみゅ?
>>176 海保嶺夫なんか読むと、
日本(ひのもと)は後世の東蝦夷で、日高、根室、千島方面。
唐子(からこ)は後世の北蝦夷・西蝦夷で、石狩、留萌、樺太方面。
で、オホーツク文化人云々はちょっとキビシイと思われメ。
渡党については「二種三類」あるってことだから、まあ混合集団で
エスニックな意味では「こういう集団」とは決められないだろうけど。
183 :
1:2001/08/23(木) 18:05
>>182 なるほど。ありがとうございます。
渡党については、そんな感じでしょうねえ。
オホーツクは思いつきですので。何の根拠も証拠もありません。
でも、東蝦夷と西・北蝦夷って、方言があったことは知っているのですが、そんなに違いがあったんでしょうか?
日の本って区分するのは、何をもってしていたんでしょうね?
白人に近い外見?
184 :
182:2001/08/24(金) 03:24
日本人(ってゆーか渡党)からの呼び名でしょう。
東蝦夷(古くは日本)と西蝦夷(古くは唐子)はそれぞれ
「尹」という大首長がいて取りまとめ役になっていたようなので、
もしくはたんなる政治的(経済的)なまとまりで、人種や文化の差ではなかったのでは?
日本はたんに東の方の意味、唐子は唐(大陸)の方の意味で、深い意味はないのでは。
近世の「東蝦夷・西蝦夷」と、中世の「日本・唐子」をストレートにつなげる
のは疑問とする考えもあるでしょうが、とりあえず海保嶺夫さんの説を敷衍してみました。
個人的には、真偽のほどはよくわかりませんが、これ以上の代案は知りません。
185 :
1:2001/08/24(金) 11:13
なるほど。ありがとうございます。
海保嶺夫さんの本、読んでみます。
186 :
日本@名無史さん:01/08/29 12:35 ID:GG/N6DGE
安東氏、大河に出るかな?
187 :
歴史の勉強:01/08/29 16:42 ID:4ozfTJv6
現時点の研究進展では、とてもじゃないがドラマ化は不可能じゃないかな?
だって、いつごろ南部氏に敗れて北海道に逃げたかもハッキリしないんだもん。
188 :
日本@名無史さん:01/09/03 18:06 ID:xNZieoxQ
山口県の安倍晋太郎は、
安倍宗任の子孫なんですか?
189 :
日本@名無史さん:01/09/04 15:52 ID:ZAVKRO3.
そういうはなしだ。
190 :
日本@名無史さん:01/09/04 16:10 ID:Zf.cXbPw
本当か?
191 :
日本@名無史さん:01/09/06 11:04 ID:pDwpgzXI
自称だ。本当かどうかは和下欄。
海保嶺夫さんの本、読みました。
アイヌ民族の歴史がよく分かりました。
まあ、この辺で本題に戻しましょう。
結論は、
1.「蓮聖の安東氏」は駿河出身の可能性が高い。
2.東鑑に頼朝の奥州征伐の時に参陣した安藤氏がみえる。遅くとも奥州藤原氏の末期頃には安藤氏は存在したとみていいのではないか?
その頃はまだ福島県下の山民の首領のような存在だったらしい。
3.「津軽安藤氏」は鎌倉時代初期から北条氏の被官だった。
そのころには津軽に本拠をもつようになっている。
4.「津軽安藤氏」が長髄彦の兄・安日の子孫という伝説は、室町時代ころ成立の「曽我物語」以降に見られる説であり、「曽我物語」の創作の可能性が高く、江戸初期に編纂した系図も、「曽我物語」の影響を受けているのではないか?
5.「津軽安藤氏」は藤原系の可能性がある。
6.安倍氏は前九年役で衰退、「津軽安藤氏」は福島付近の山民首領出身で鎌倉時代から津軽入り、「蓮聖の安東氏」は駿河出身、だとすると、全部別系統の可能性が高い。
193 :
日本@名無史さん:01/09/13 21:38
age
194 :
日本@名無史さん:01/09/27 12:27
松浦党は安倍の子孫って本当?
そういうはなしだ。
196 :
日本@名無史さん:01/09/27 17:14
本当か?
197 :
日本@名無史さん:01/09/27 21:31
ここまでの議論で村井章介氏の名前が挙がっていないので、
『海から見た戦国時代 列島史から世界史へ』(ちくま新書)から
「日の本将軍」に関する記述を抜粋しておきます
中世における「安藤氏の自立意識を象徴するもの」として、「日の本将軍」
という称号が注目される
若狭の羽賀寺の再興にあたって「奥州十三湊日之本将軍安東康季」が
莫大な寄進をしたという記録から「北辺の豪族としての独立意識とともに、
日本海航路を通じて若狭や京都とつながろうとする指向」もうかがえる
198 :
日本@名無史さん:01/09/28 11:51
そういえば、夷千島王遐叉(安東政季?)の使者宮内卿(武田光広?)朝鮮に大蔵経を求めに行ったって話もありましたね?
本当に安東氏なんでしょうか?コシャマインのコシャと遐叉は似ていると思うんだけどな
199 :
日本@名無史さん:01/10/01 15:52
政季がコシャマインの名を騙ったという説も(トンデモ?)あったと思う。
200 :
日本@名無史さん:01/10/08 19:47
200get
201 :
日本@名無史さん:01/10/10 09:46
おめでとう
202 :
日本@名無史さん:01/10/22 13:13
>198-199
コシャマイン(kosam-aynu)の敬称aynuを外した部分はkosamですから
遐叉=コシャマイン説が出たのでしょう。しかし従来指摘されている通り
年代が違うので政季に比定したのでは? 当時「蝦夷・朝鮮地続き」説が
流布していて、死んだコシャマインの継承者を称するのも有利と思った
のかも。もう少し資料が出てこないとトンデモ以上になりませんが。
>>202 ははあ、コシャマインのアインはアイヌなんですか?
204 :
日本@名無史さん:01/10/29 16:01
夷千島王遐叉、日本国王源、中山王尚
以上3王の並立する島、日本。
205 :
日本@名無史さん:01/11/07 11:42
今気付いたんだが、もしかして「琉球の風」とかの大河ドラマは、204さんの言う3王の関連物語なのか?
おお、残っていますね。
随分ご無沙汰してしまいました。
>>197 村井章介氏も面白そうですね。
>>198-203 コシャマインと安藤氏との関係って興味ありますね。
津軽を追われた安藤氏との関連は、かなりありそうですけど。
>>204 明から見ればそうなのかもしれませんね。
>>205 意図的ではないでしょうか?
207 :
日本@名無史さん:01/11/15 14:38
意図的?よくわからん。
何を指しているの?>205
208 :
日本@名無史さん:
トーホグ人は樺太にでも逝け