安土城吹き抜け説

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1日本@名無史さん
を今NHKでやってるんだけど、これって確か?
2織田信長:2001/02/17(土) 22:01
本当じゃ、余がそうせよと命令したのじゃ。
3日本@名無史さん:2001/02/17(土) 22:02
 放送を見る限りだと、あの資料(天守見取り図?)が安土城であれば
そうだけど、ていった感じ
4名無しさん@1周年:2001/02/18(日) 03:53
NHKは、’92年のセビリア万博の時は内藤説だったが、
’96年の大河ドラマ「秀吉」では上層階だけで誤魔化し、
’97年放送の「堂々日本史」では宮上説に鞍替えしてた。
そして、今回再び内藤説・・・。

どっちなんだ〜、はっきりせい! NHK!

信長がバチカンに贈った屏風が出てこんかなあ。
5織田信長:2001/02/18(日) 03:57
あの屏風が出てくるとちょっと恥ずい。
余の全裸図なのじゃ。
6日本@名無史さん:2001/02/18(日) 04:10
7アズマ:2001/02/18(日) 04:52
信長は尊皇派だった。
よかったなブサイゴク人
8名無しさん:2001/02/18(日) 07:07
信長の思想や哲学の一端に触れたような気がしました。
9日本@名無史さん:2001/02/18(日) 07:25

誰が安土城を燃やしたのか分からんとは・・・
10名無し太郎:2001/02/18(日) 16:11
堂々日本史って、ちゃんとした番組だったんだね…。
宮上氏の反論を読めば、吹き抜けが絶対無理であることがよくわかる。そもそも
もとになったろ「天主指図」が、江戸前期に加賀藩で作られた復元図だそうで、
吹き抜けは、「間」と「畳」の区別もつかなかった製作者の計算違いから生み出された
「ありもしない空間」なんだそうです。そもそも信長が渡り廊下を回って4階にある
自分の寝所に行ったなんて、荒唐無稽もいいところ。
でも、それはそうとしてあの安土城+城下町のCGは凄かったね。
11日本@名無史さん:2001/02/18(日) 16:48
>>7
>信長は尊皇派だった。

な訳なかろ?馬揃え強行したり、譲位せまったり、官位返上したり。
あれは自分が天皇になったつもりなんだろうよ。
12日本@名無史さん:2001/02/18(日) 17:30
いや。天皇とか既製のもんじゃなく、日本の始皇帝になる気だったんじゃない?
13日本@名無史さん:2001/02/18(日) 18:09
同じようなスレッドなのに戦国・三国志板とは違った展開だ。
ちとほっとした。
やはり史実に関わる話を詰めるならこっちだねえ。
14日本@名無史さん:2001/02/18(日) 18:13
ちなみにこっちは吹き抜け説(関連して構造的な話か)に関する
スレッドだし、天皇云々は戦国・三国志板行った方がいいよ。
あっちの板ではまさにその話でもりあがってた。
15日本@名無史さん:2001/02/18(日) 18:17
屏風の絵の話(こういう絵が飾られていたとか)なんかも、
何か資料的な根拠はあるの?
番組見てる限りだと「ただの想像」でしかない気もするが・・・

16日本@名無史さん:2001/02/18(日) 19:21
信長は天皇を城内に住ませて
実権を取りたかっただけんじゃないかな。
尊皇とは思えないし。
17織田信長:2001/02/18(日) 21:43
余は天皇制を廃止しようと企んでおったのじゃ・・・
世界的にみてもひとつの皇帝がこれほど永きに渡って
存在する例は少ない。そろそろ新たな秩序が生まれて
も良い時期に来ているとおもうた。
それをあの金柑頭め・・・!
18日本@名無史さん:2001/02/18(日) 21:53
>17
その説は過去のものとして否定されているよ。
19日本@名無史さん:2001/02/18(日) 21:54
>>11

正親町天皇の子の誠仁親王を養子にしてるじゃん。
20日本@名無史さん:2001/02/18(日) 21:57
しかし、あれが本当だとしたら
天皇の住まいを見下ろすような位置で
生活しようとしていた、というのは、なかなか。
信長ならやりかねんか。
21日本@名無史さん:2001/02/18(日) 22:00
>>19
>正親町天皇の子の誠仁親王を養子にしてるじゃん。

その誠仁親王に譲位するよう何度も強要してるじゃん。
自分が養子にした者を皇位につけようとする行為自体が尊皇でない根拠
とされてるのをまさか知らないとか?
22日本@名無史さん:2001/02/18(日) 22:07
天皇までも自分の支配下に置こうとしたのかもなあ
保守派の信長嫌いがよく分かるな。
23日本@名無史さん:2001/02/18(日) 22:13
信長の真意がどこにあったのかはさておき…
>>21
尊王でない=天皇家廃絶をもくろむ
にはならないと思うんだけど
24日本@名無史さん:2001/02/18(日) 22:28
>>23
>尊王でない=天皇家廃絶をもくろむ
>にはならないと思うんだけど

誰もそんなこと言ってないじゃん。
25日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:11
>>18 無理やりね
清涼殿の建てかたが本物と何故か左右対称。
天主の中には信長と家臣が謁見するような広い間が無い。
ということは、『清涼殿風な建物』は天皇のためではなく信長用ではないか?
仮に天皇の為の館にしても
天『主』が清涼殿を見下ろす形になる。
天皇一行は信長の住居天主を見上げる形で安土山を登らなければならない。

天皇一行って牛車じゃないのね>馬を繋ぐ場所
26日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:16
信長は天皇に代わる新しい権威の象徴になろうとしてたんだろうな
本能寺で暗殺されてなければ面白い事になってただろうね
見てみたかったな。
27日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:23
要するに天皇制を廃止するような人物では
なかったことがわかったということでしょ。
尊皇じゃなくても、天皇に権威を感じてたし、
それまでの為政者同様、祭り上げて利用しようとしていたということでしょう。
だいたい、信長は桓武平氏を自称するくらいだからね。
28日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:23
NHKの歴史バラエティーは最悪
29日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:23
>25
それはあんたの願望でしょ。
30日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:24
>>22

足利義満よりはるかに尊皇だろ。
31日本@名無史さん:2001/02/18(日) 23:26
>21
秀忠だってそうじゃん。
権力者は程度の差はあれ、
みんな似たようなことしてるだろ。
ようは、天皇の権威を利用しようとしてるわけでしょ。
老獪で思い通りならない正親町天皇より、
傀儡になる誠仁親王にしようとしたわけでしょ。
32感想:2001/02/18(日) 23:57
あれが史実かどうかという点はおいといて、
信長らしさは確かに感じたな。
高いところから天皇と民衆を見下ろし、
「フッフッフ愚民どもめ……」とか何とか呟いてる感じ。
宝塔は、仮に実在したんなら、
自分の死語に自分の遺骨を入れるためのもんでしょ。
33日本@名無史さん:2001/02/19(月) 00:01
>32
てゆーか、
あそこは天皇を迎えるところでしょ?
天皇が住むところではないでしょ。
高いところから天皇を見るってどういうこと?
34日本@名無史さん:2001/02/19(月) 00:03
信長が自分の家系を
平氏と自称したことがすべてでしょ。
本願寺との争いでも調停を依頼したり、
ある意味、天皇の権威を一番感じてたひとかもね。
35日本@名無史さん:2001/02/19(月) 00:05
戦国時代に日本に来た宣教師が
天皇をどう見ていたか例をあげてみる。

永禄7年、宣教師ガスパル・ビレラの報告書に
「彼(正親町天皇)は少しも兵力を有せず、これがため常に
 困窮せりといえども諸人に尊崇せらる」とあり、
翌年のルイス・フロイスも報告書で、
「(日本人は天皇を)日本の頭として、殆ど神の如く尊崇せり」
と述べている。
36日本@名無史さん:2001/02/19(月) 00:18
安土城豪華過ぎないか?
まだまだ天下統一の先も長いのにあんな贅沢してる余裕が
あったとは驚きというか・・・
37>34:2001/02/19(月) 08:26
外国人の報告で言ったら信長は神をも恐れない人ということになるのだが。
38日本@名無史さん:2001/02/19(月) 12:30
ここは「天守指図」肯定派。宮上氏には否定的。(内藤説にもだけど…)

http://www002.tokai.or.jp/asitaka/asitaka/index1.htm
39日本@名無史さん:2001/02/19(月) 17:08
まあこの話はすごくなぞが多くて面白いね。
俺の意見をいうなら尊王でもなく傀儡にするつもりだったんじゃないかと思う。
権威を利用してさ。
でも足利義昭の例もあるように、いつ気がかわるかわかったもんじゃない。
そんなの会社や政治とかでもよくあることじゃないかな。
40日本@名無史さん:2001/02/19(月) 20:53
>>29 「信長ですら天皇には跪いた」てのも貴方の願望でしょ。
>>34 調停は相手に対して権威が有る所に拠るから効果が有るんでない?。
平氏詐称も朝廷向けでなく、源姓足利幕府向けではないですか。
征夷大将軍を目指す目指さぬを問わず、源姓を称しては、一応300年間
源氏の嫡流として認知されていた足利の下風に立つことになるし。
武家として足利と張り合うには源氏に対する平氏が適当だったんでしょう。

天主台跡の地下から宝塔跡らしき物が出てきたからには、現状で「天守指図」を
否定するのは難しいですよね(発掘関係者に藤井某さんがいたからこれも捏造だった
事にしますか?藁)。でも、そうなると信長は何処で家康を饗応したんでしょう?
信長のプライベートルーム天主には、その様な場所が無いような気がするんですが。
「清涼殿」しかないんでは?
41日本@名無史さん:2001/02/19(月) 22:22
>40
願望だね。
もうそういう味方は古いよ。
42日本@名無史さん:2001/02/19(月) 22:22
訂正。
味方→見方
43日本@名無史さん:2001/02/19(月) 22:42
負け惜しみのsage書き晒しage
44日本@名無史さん:2001/02/19(月) 22:48
信長は正親町天皇の子の誠仁親王を養子にしてる
信長は平氏を名乗ってる。


45日本@名無史さん:2001/02/19(月) 22:49
>調停は相手に対して権威が有る所に拠るから効果が有るんでない?。
>平氏詐称も朝廷向けでなく、源姓足利幕府向けではないですか。

だから天皇に権威を感じてるんだよ。

4640:2001/02/19(月) 23:06
>>41
否定するなら自分の見解もレスしなきゃ
4740:2001/02/19(月) 23:09
>>45 相手がね
48日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:11
>47
あほか。
本人が感じてないなら使わないだろうが。
そんなこともわからんのか?
49( `д´):2001/02/19(月) 23:13
>48
あほか。
相手が感じてないなら使わないだろうが。
そんなこともわからんのか?
50日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:16
>47
それに相手が感じてることを認めるなら、天皇家を否定しないだろ。
利用したほうがはるかに得だしな。
潰そうとすれば、相手に大義名分を与えるだけ。
本当に尊皇思想はなく、天皇に権威も何も感じてなかったのは、
高師直とかのバサラ大名だろ。
51日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:18
>49
相手が感じてるということ認め、利用することは、
天皇に権威を感じてるわけだろうが。
52日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:20
信長は必ずしも旧体制の権威を全部否定せずに、
朝廷などには理解をしめし、利用するほうを考えたんだろ。
5340:2001/02/19(月) 23:24
>>48 は?相手に対して権威が有るから利用するんだろ。
自分が脅威に感じている処に調停を頼んでおきながら、正親町天皇には
譲位をせまり、朝廷に対しては暦の改変を圧力かけるのか?矛盾してるな。

返レスも高が知れてるからもういいや、全部俺の妄想で結構、返レス不要。
54日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:30
たんなる利用でかたずけられるかな。
やっぱり神代の時代から続く天皇家に
敬意を持っていたと思うよ。
55日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:32
>53
それは、征夷大将軍を目指してたわけだからだろ。
正親町では望みがかなわんからね。
やっぱりあんたの妄想だね。
5640:2001/02/19(月) 23:34
>>50 天皇を担ぐ利益を誰に対して使うの?謙信が死に織田包囲網も、
もはや自壊しかけた本願寺だけのあの時期に信長が脅威を感じる程の敵が
何処にいたの?それだけ教えて。
57日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:37
>53
信長は譲位をすすめるにあたり、
仙洞御所の造営を申し出ている。
正親町天皇は「奇特さ朝家再興の時いたり候と
たのもしく祝い御おぼしめし候」という書状を
信長に与えて喜んでる。
しかし、信長が見返りに将軍宣下と幕府の開設
を望んだために白紙に戻ったと言われている。
58日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:39
>56
それは自分の体制内にも体制の外にも常にあるだろうが。
天皇家を潰すことに何の益がある?
59日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:40
戦国時代に日本に来た宣教師が
天皇をどう見ていたか例をあげてみる。

永禄7年、宣教師ガスパル・ビレラの報告書に
「彼(正親町天皇)は少しも兵力を有せず、これがため常に
 困窮せりといえども諸人に尊崇せらる」とあり、
翌年のルイス・フロイスも報告書で、
「(日本人は天皇を)日本の頭として、殆ど神の如く尊崇せり」
と述べている。


60日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:43
やっぱり、信長は尊皇的な面もあったと思うよ。
61日本@名無史さん:2001/02/19(月) 23:43
>やっぱり神代の時代から続く天皇家に 敬意を持っていたと思うよ。

ウヨクには何言っても無駄だぞ>40(藁
6240:2001/02/19(月) 23:59
>>57 見返りを求めている時点で敬ってはいないような。
旧権威による調停を必要とする敵(本願寺)も去り、将軍職も必要ない程の
権勢を握れば(本能寺直前が当にそうだと思う)、自分を引き摺り下ろすで
あろう者にも権威を与えてしまう朝廷=天皇は邪魔なんじゃないかな。
63日本@名無史さん:2001/02/20(火) 00:01
>61
あらら、苦しくなってレッテル貼りね。
64日本@名無史さん:2001/02/20(火) 00:05
>62
それはわからんだろ。
多かれ少なかれ、為政者なんてそんなもんだし。
それとさあ、信長が仮にそうでも、
自分の配下や外の大名はそうじゃないだろ。
権威を感じる人はすべて消えたと思ってるの?
彼は邪魔どころか、政権維持に利用するほうをとったんだろ。
それまでの為政者と同じだね。
65日本@名無史さん:2001/02/20(火) 00:09
信長は近衛前久から天皇家の伝統と権威を聞いていたからね。
66日本@名無史さん:2001/02/20(火) 02:53
このスレでは、もっと安土城そのものの話で盛り上がりたいなー。

かの『安土山図屏風』(狩野永徳 作)は巷の噂にも上る実に見事な出来栄えで、
信長もたいそうお気に入りだったらしい。で、その噂を伝え聞いた正親町天皇が
是非譲ってくれないかと持ちかけたのだが、信長は一笑に付して無視したそうな。
ところが、宣教師のヴァリニャーノが欲しがるとあっさり快く贈ってしまうんだなぁ。

その後の屏風の事を考えると天皇に贈っておいた方が良かったのかも知れんが。
67日本@名無史さん:2001/02/20(火) 02:57
>>66
ソースを教えてください。
68日本@名無史さん:2001/02/20(火) 03:23
当初は天皇家と対立してたのは事実でしょう
しかし安土城を見る限りどちらかというと
和解もしくは共存しようとしてたのでは?
信長は安土の地に首都を築こうとしてたんだろう
それには天皇に安土城に来てもらう必要があった。
69名無し太郎:2001/02/20(火) 03:33
信長の安土遷都構想は、漫画「信長」(池上遼一・画)の中にもみられる
けれど、ソースはどこ?
70日本@名無史さん:2001/02/20(火) 09:23
安土遷都構想? 大坂・安土・岐阜の三都構想ならわかるが・・・。
天皇を京からほかに移そうとした意図はどこかに見うけられるか?
71日本@名無史さん:2001/02/20(火) 15:43
秀吉は朝鮮出兵をさらに進めて明まで攻めて、
天皇を北京に移す計画までたてていたね。
7266:2001/02/20(火) 23:52
>>67
出典は失念。たしか宣教師筋の記録だったような。
以前安土城関連の本を読み漁った時、何度も見かけた。

web上ではここなどに。↓
http://osaka.yomiuri.co.jp/azuchi/ca0403.htm

信長の本心がな〜んとなく窺える逸話だと思いません?(笑)
7340:2001/02/20(火) 23:55
昨晩のレスに追加、本能寺直前はまだ利用価値ありましたね(スマソ。
秀吉の『筑前』と光秀の『日向』、滝川一益の『関東管領』、他に村井長門とか。
でも九州制覇に関しても、朝廷権威(官職)とは別に、『姓』も使ってるよね。

明智光秀→惟任 簗田広正→別喜 丹羽長秀→惟住 塙直政→原田

昨日は日本史板に似合わぬレスの速さが楽しかったッス(今日はもういいや。
74日本@名無史さん:2001/02/21(水) 02:04
>>72
そのリンク先の内容が正しいとしても、
>一笑に付して無視したそうな
これはあなたのつくり話ということになりますね。
>宣教師のヴァリニャーノが欲しがるとあっさり
欲しがったというソースは?

ところで、そのリンク先では正親町帝は見たとありますが、
どこで見たんですか?
75日本@名無史さん:2001/02/21(水) 02:17
>73
「まだ」とは何を根拠に言っているのですか?
それ以後、利用価値がなくなるというですか?

>でも九州制覇に関しても、朝廷権威(官職)とは別に、『姓』も使ってるよね。

朝廷権威とは別といえるのですか?
http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-nobunagakansyoku.htm
↑のページから引用します。

 天正三年(1575)の七月三日に、明智光秀・丹羽長秀が、それぞれ「惟任」・「惟住」の姓を朝廷から下賜されたという逸話があります。当然それには、信長の意向が働いていたと思われます。それと同日、又は同時期に、信長の他の家臣らにも、姓や官職が多く与えられているようです。
 武井夕庵→「二位法印」
 松井友閑→「宮内卿法印」
 明智光秀→惟任「日向守」
 塙直政  →原田「備中守」
 簗田広正→別喜「右近大夫」
 村井貞勝→「長門守」
 羽柴秀吉→「筑前守」
 滝川一益→「伊予守」
 丹羽長秀→惟住
  ※『織田信長家臣人名辞典』(谷口克広著/吉川弘文館)より
 これに、加えて、同年の11月に信長の嫡子信忠は「秋田城介」に任官しています。

76日本@名無史さん:2001/02/21(水) 02:18
信長って朝廷の権威が大好きだからね。
77日本@名無史さん:2001/02/21(水) 02:24
てゆーかさあ、
信長は天皇が大好きだったけど、
正親町天皇が信長を嫌ってたというのが実情でしょ。
皇太子誠仁親王に譲位してもらいたかったんだろうね。
78 名無しさん:2001/02/21(水) 02:43
正親町帝は毛利の援助で即位してるし、
その後も毛利と繋がりがあったというからね。
信長が譲位を迫るのもわかる。
79名無しさん@1周年:2001/02/21(水) 02:52
共鳴だ共鳴
80日本@名無史さん:2001/02/21(水) 02:54
信長が尊皇かどうかは別として、全国統一したら利用価値がなくなるとも思えんが。
81日本@名無史さん:2001/02/21(水) 03:07
なんかさあ、
志なかばで暗殺された歴史上の人物に、サヨが勝手に思い入れをして、
自分たちに都合のいい歴史を妄想してるとしか思えないんだよね。
坂本竜馬も織田信長も実は天皇制反対派だったとかね。
まさに死人に口なしだね。
82日本@名無史さん:2001/02/21(水) 04:19
誠仁親王とか、吉田あたりが本能寺の変に関わっていたことは
どう考えるの?
彼らが危険をおかしてこんな行動をとったことは、
朝廷側に危機感があったことの裏づけにはなるでしょ。
実際、比叡山を焼いたり「蘭じゃたい」(漢字失念)を切ったり、
呪術的権威を否定する行動は見られる。
もちろん、それが天皇制廃止に直結するわけではないけどね。
※本能寺の変と朝廷の関わりは、立花京子さんの論文でどうぞ。
83日本@名無史さん:2001/02/21(水) 04:26
>82
過去の史観だね。
84日本@名無史さん:2001/02/21(水) 04:28


  彡川川川三三三ミ〜
   川|川/  \|〜 プゥ〜ン
  ‖|‖ ◎---◎|〜
  川川‖    3  ヽ〜  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  川川   ∴)д(∴)〜 < 共産主義万歳
  川川      〜 /〜
  川川‖    〜 /‖〜  \________
 川川川川     /‖\〜


85>82:2001/02/21(水) 04:32
「蘭奢待」を切るのは「過去の権威」に従って「権力者の証」を示した
ものにしか見えないけど。
室町幕府では義満、義教、義政の三人が切っている。
86日本@名無史さん:2001/02/21(水) 20:45
このイタイ右傾っぷりはサヨの自演か?
87日本@名無史さん:2001/02/21(水) 21:15
>>86
どう見ても左傾っぷりが異常だろ。
88日本@名無史さん:2001/02/22(木) 17:04
89日本@名無史さん:2001/02/22(木) 19:29
>>77 >信長は天皇が大好きだったけど

これが一番、願望臭いんだけど(自分の体臭は分からないっていうしね)

>>82
『朝廷の大事な宝物蘭奢待切り取りを力で脅し勅許させた』という見方もできる。
切り取った蘭奢待は人にやっちゃってる処からも、朝廷の『権威』は利用してるだけで
信長自身に禁裏を『敬う』心は欠けている、という見方もできる。

原田(大蔵氏流)っていうのは元々は朝廷から下賜された姓じゃないわよん
90日本@名無史さん:2001/02/22(木) 19:40
だれか教えてください。
「蘭奢待」切ったの本によって人が違うんですが
正確にはだれが切ったか知ってます?
だいたい共通してるのは、義政、信長、明治天皇で
あと資料によっては義満、義教、家康の名もみかけるけど・・・
家康は信長にもらったっていうのもあるし・・・
91天之御名無主:2001/02/22(木) 19:55
>89
おまえの願望は聞き飽きた。
権威を利用することそのものが、
天皇の下に入ることだろうが。
歴史を見れば「敬う」と「利用」は表裏一体だろ。
92日本@名無史さん:2001/02/22(木) 19:56
>『朝廷の大事な宝物蘭奢待切り取りを力で脅し勅許させた』という見方もできる。
これが一番、願望臭いんだけど(自分の体臭は分からないっていうしね)
93日本@名無史さん:2001/02/22(木) 19:58
>切り取った蘭奢待は人にやっちゃってる処

これは違う。切り取った将軍や信長も、天皇に献上するためとの名目を立て、
天皇にも一部を献上している。
94日本@名無史さん:2001/02/22(木) 19:59
74 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:04
>>72
そのリンク先の内容が正しいとしても、
>一笑に付して無視したそうな
これはあなたのつくり話ということになりますね。
>宣教師のヴァリニャーノが欲しがるとあっさり
欲しがったというソースは?

ところで、そのリンク先では正親町帝は見たとありますが、
どこで見たんですか?

75 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:17
>73
「まだ」とは何を根拠に言っているのですか?
それ以後、利用価値がなくなるというですか?

>でも九州制覇に関しても、朝廷権威(官職)とは別に、『姓』も使ってるよね。

朝廷権威とは別といえるのですか?
http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-nobunagakansyoku.htm
↑のページから引用します。

 天正三年(1575)の七月三日に、明智光秀・丹羽長秀が、それぞれ「惟任」・「惟住」の姓を朝廷から下賜されたという逸話があります。当然それには、信長の意向が働いていたと思われます。それと同日、又は同時期に、信長の他の家臣らにも、姓や官職が多く与えられているようです。
 武井夕庵→「二位法印」
 松井友閑→「宮内卿法印」
 明智光秀→惟任「日向守」
 塙直政  →原田「備中守」
 簗田広正→別喜「右近大夫」
 村井貞勝→「長門守」
 羽柴秀吉→「筑前守」
 滝川一益→「伊予守」
 丹羽長秀→惟住
  ※『織田信長家臣人名辞典』(谷口克広著/吉川弘文館)より
 これに、加えて、同年の11月に信長の嫡子信忠は「秋田城介」に任官しています。

76 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:18
信長って朝廷の権威が大好きだからね。

77 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:24
てゆーかさあ、
信長は天皇が大好きだったけど、
正親町天皇が信長を嫌ってたというのが実情でしょ。
皇太子誠仁親王に譲位してもらいたかったんだろうね。

78 名前: 名無しさん投稿日:2001/02/21(水) 02:43
正親町帝は毛利の援助で即位してるし、
その後も毛利と繋がりがあったというからね。
信長が譲位を迫るのもわかる。

79 名前:名無しさん@1周年投稿日:2001/02/21(水) 02:52
共鳴だ共鳴

80 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:54
信長が尊皇かどうかは別として、全国統一したら利用価値がなくなるとも思えんが。

81 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 03:07
なんかさあ、
志なかばで暗殺された歴史上の人物に、サヨが勝手に思い入れをして、
自分たちに都合のいい歴史を妄想してるとしか思えないんだよね。
坂本竜馬も織田信長も実は天皇制反対派だったとかね。
まさに死人に口なしだね。
95日本@名無史さん:2001/02/22(木) 20:03
http://users.goo.ne.jp/sue34/ranjyatai.htm
 これは国宝ではありません。国宝の上を行く皇室の宝です。正倉院にあります。これ一点を見たいがために奈良へ行きました。四十数年ぶりの一般公開だったそうです。時の権力者がノドから手が出るほど欲しがったという珍宝中の珍宝で、伽羅(きゃら)です。右から足利義政、織田信長、明治天皇が切り取ったという紙が張られています。「織田信長拝賜之為」などと書かれています。この張り紙はボロボロになったせいでしょうか、何度も書き直されたそうです。徳川家康が切り取ったか否かで論議になったそうですが、保存に尽力したものの、切り取らなかったというのが結論だそうです。この写真の裏側をじっくりと見ました。切り取った跡がたくさんありました。皇室が所有する御物(ぎょぶつ)は国宝の指定から外されています。御物は国宝以上の宝物なのです。
96日本@名無史さん:2001/02/22(木) 20:04
http://www.azaban.com/asagi/info/news/07.html
7) 名香「蘭奢待」は沈香だった(朝日新聞ニュース速報)
 織田信長らの切り取った跡が残る奈良・正倉院所蔵の香木「蘭奢待(らんじゃたい)」が、東南アジア産の沈香(じんこう)という高級香木で、約千二百年たった今も香りが残っていることが宮内庁正倉院事務所の科学調査で明らかになった。香りの成分を調べて分かったもので、調査に当たった米田該典・大阪大薬学部助教授(薬用植物学)が、このほど開かれた「正倉院薬物フォーラム」(正倉院事務所、朝日新聞社主催)で報告した。

 「蘭奢待」の正式名称は「黄熟香(おうじゅくこう)」で、長さ百五十六センチ、最大径四十三センチ、重さ十一・六キロの香の原木。正倉院には九世紀に納められたとする説があり、蘭・奢・待の各文字に、東・大・寺の文字が潜んだ香名で知られる。古くからこの香に魅せられた人が多く、室町時代以後、足利義政や織田信長、明治天皇が蘭奢待の一部を切り取ったとされ、紙を張ってそれぞれの切り取り跡を示している。仏教や香道関係者の間では伝説的な名香だ。

 香の種類は、沈香の中でもとくに高級な伽羅(きゃら)と伝えられてきたが、実際に沈香かどうかは分からなかった。香木に詳しい米田助教授がガスクロマトグラフィー分析装置などで成分を調べたところ、オキソアガロスピロールなど数種の香気成分の組成が分かり、現在入手できる沈香とほとんど同じ成分と確認された。正倉院のもうひとつの代表的な香木「全浅香(ぜんせんこう)」(長さ百六センチ、最大直径三十二センチ)も調査し、沈香と分かった。

 米田助教授は「香は年月を経ると、香気を失うのが一般的だが、蘭奢待は約千二百年間も香りを保ち続けてきた。『名香か』と問われると、ちゅうちょなく『そうだ』と答えてよい。こんなに豊かな香りが残っているのは驚きだ」と話している。
97気付いてるんだろ自分一人だって:2001/02/22(木) 20:13
>>91
おまえと反対の発言するやつはみんな妄想野郎の自作なのか

マ〜マァ〜ん、こわ〜いこのおじちゃ〜ん
98日本@名無史さん:2001/02/22(木) 22:09
74 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:04
>>72
そのリンク先の内容が正しいとしても、
>一笑に付して無視したそうな
これはあなたのつくり話ということになりますね。
>宣教師のヴァリニャーノが欲しがるとあっさり
欲しがったというソースは?

ところで、そのリンク先では正親町帝は見たとありますが、
どこで見たんですか?

75 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:17
>73
「まだ」とは何を根拠に言っているのですか?
それ以後、利用価値がなくなるというですか?

>でも九州制覇に関しても、朝廷権威(官職)とは別に、『姓』も使ってるよね。

朝廷権威とは別といえるのですか?
http://www.ymg.urban.ne.jp/home/kenf/zassou/zassou-nobunagakansyoku.htm
↑のページから引用します。

 天正三年(1575)の七月三日に、明智光秀・丹羽長秀が、それぞれ「惟任」・「惟住」の姓を朝廷から下賜されたという逸話があります。当然それには、信長の意向が働いていたと思われます。それと同日、又は同時期に、信長の他の家臣らにも、姓や官職が多く与えられているようです。
 武井夕庵→「二位法印」
 松井友閑→「宮内卿法印」
 明智光秀→惟任「日向守」
 塙直政  →原田「備中守」
 簗田広正→別喜「右近大夫」
 村井貞勝→「長門守」
 羽柴秀吉→「筑前守」
 滝川一益→「伊予守」
 丹羽長秀→惟住
  ※『織田信長家臣人名辞典』(谷口克広著/吉川弘文館)より
 これに、加えて、同年の11月に信長の嫡子信忠は「秋田城介」に任官しています。

76 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:18
信長って朝廷の権威が大好きだからね。

77 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:24
てゆーかさあ、
信長は天皇が大好きだったけど、
正親町天皇が信長を嫌ってたというのが実情でしょ。
皇太子誠仁親王に譲位してもらいたかったんだろうね。

78 名前: 名無しさん投稿日:2001/02/21(水) 02:43
正親町帝は毛利の援助で即位してるし、
その後も毛利と繋がりがあったというからね。
信長が譲位を迫るのもわかる。

79 名前:名無しさん@1周年投稿日:2001/02/21(水) 02:52
共鳴だ共鳴

80 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 02:54
信長が尊皇かどうかは別として、全国統一したら利用価値がなくなるとも思えんが。

81 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/21(水) 03:07
なんかさあ、
志なかばで暗殺された歴史上の人物に、サヨが勝手に思い入れをして、
自分たちに都合のいい歴史を妄想してるとしか思えないんだよね。
坂本竜馬も織田信長も実は天皇制反対派だったとかね。
まさに死人に口なしだね。
9940:2001/02/23(金) 01:22
今更意味ないかも知んないけど一応ね。
この人のレス見てると、自分でも「信長が天皇を利用してる」って発言してん
だよね、天皇の権威は認め、それを利用する人間を尊皇思想の持主と言うなら、
執権北条も足利も徳川も維新の元勲も皆、尊皇だね。
>>51 利用できる『権威』であって『脅威・畏敬』ではないね。
さらに言うなら、天皇の産む金の卵が何時までも金の卵で有りつづける事もない。
要するに、西国の官職と九州名族の姓に利用価値が有るのも九州併呑まで、実際、
丹羽長秀は任官を辞退してますな、『長秀』は朝廷の『権威』がいらないらしい。
>>54 ハァ?敬意を持ってたら、暦その他の圧力かけねぇだろ。
>>57 見返りを求める善行は善行じゃねえぞ。
>>58 自分の体制内に脅威を感じてなかったから本能寺で死んでるんだろ。
>>63 仮想敵作んなって。
>>64 これへのレスは↑の2行〜4行までが当にそれだね。
>>66 スンマセン。
>>68-70 安土遷都を考えてたかどうかも判らんのに、何故『清涼殿』が天皇用になるのか。
>>75 『まだ』というのは、九州制覇までだね。姓の由来も元々朝廷とは関係ないし、
統一後に受領地と同一の『〜守』のような官職を名乗る事にも意味がない。そして、
信長が新しい価値観として茶器等を使ったのも、滝川一益が旧権威『関東管領』より、
信長が作り出した新権威の茶器を欲したのは周知の事実の筈、要するに、織田家内では
朝廷の権威よりたった一つの茶器の方が価値があった。
大体、そのサイトでも九州制覇に合わせて任官&下賜させた、と書いてあるじゃん。
朝廷の権威を家臣の為ではなく、他家の為に使ってるのは明らかなのに。
ちなみに、大内義隆も対少弐の為、一時的に太宰大弐に任官してますな。
>>91 オイオイ(w、呼びました?。たとえ、表裏一体でも敬意と利用は違うだろ。
そもそも、『左』と『右』(思想じゃねぇぞ)に唯、左右という以上の意味があった
のは解かりますか?左遷とかね。
10040:2001/02/23(金) 01:32
×茶器を欲したのは周知
○茶器を欲したのも周知

>官職を名乗る事にも意味がない
これに付けたし、室町以降は必ずしも一致してないからね、江戸なんか全然
10166=72:2001/02/23(金) 02:15
>>74
>これはあなたのつくり話
たしかに「一笑に付して」は余分ですね。(^^;
ただリンク先は細かな経緯を省略してるので。

う〜ん、話の出所の史料が何だったか忘れた。
何分、安土城に夢中になったのは数年前の事、
今は調べ直す程の情熱は無いのであしからず。
ま、この話の要点は以下の三っつでしょう。

1.正親町天皇が屏風を欲しがった。
2.屏風はヴァリニャーノに贈られた。
3.時系列上、1が先で2が後。

史料に残る記述として最低この三点は確かなはず。
この行為を>>54のような仮定に基づいて説明するのは
かなり困難だと思うんだなぁ。無論、不可能ではないが。
(信長が「この屏風は呪われているから迷惑がかかる」
と考えたとかね。(↓のネタを拝借)(笑))

おまけ  屏風ネタの歴史ミステリー
http://www.minc.ne.jp/~yoshir/yoshir/novel/maborosinohune.html
http://www.urban.ne.jp/home/saitom39/Artmystery/Maboroshi/maboroshi.html
「安土城 屏風 天皇」で検索したら引っかかった。今度読んでみようかなぁ。
102日本@名無史さん:2001/02/23(金) 04:35
>99
>天皇の権威は認め、それを利用する人間を尊皇思想の持主と言うなら、
俺は尊皇とは言ってないだろ。自分を批判する奴はみんな一緒か?(藁
権威と敬意を感じ、今までの為政者と同様だと言ってる。天皇制を否定してないと言ってる。
>利用できる『権威』であって『脅威・畏敬』ではないね。
おまえは信長かよ。(藁  願望に何の根拠もないね。
>天皇の産む金の卵が何時までも金の卵で有りつづける事もない。
これもおまえの願望。それならば過去の為政者はとっくに天皇家を潰してる。
>国の官職と九州名族の姓に利用価値が有るのも九州併呑まで、
これだけ天皇の権威を利用しておきながら、統治に利用価値がないと言えるか?
>ハァ?敬意を持ってたら、暦その他の圧力かけねぇだろ。
正親町帝との対立であって、天皇家の歴史と伝統(すべてではない)への敬意とは別だろ。
>見返りを求める善行は善行じゃねえぞ。
なぜ?じゃあ計算で結婚した人は単純に愛は全くないと言えるか?
>自分の体制内に脅威を感じてなかったから本能寺で死んでるんだろ。
結局、感じてたわけだろうが。「天皇家を潰すことに何の益がある?」には答えないのか?
>仮想敵作んなって。
自分で作っておいて自爆ですか?(藁
>これへのレスは↑の2行〜4行までが当にそれだね。
てことは、これまでの為政者ど同様、天皇の下での体制に過ぎないわけだね。
>安土遷都を考えてたかどうかも判らんのに、何故『清涼殿』が天皇用になるのか。
それが自然だね。トンデモな妄想はいくらでもできるがな。
>『まだ』というのは、九州制覇までだね。
それ以後はないと言える根拠は?
>姓の由来も元々朝廷とは関係ないし、
関係ない?朝廷があたえたんだろう?
>統一後に受領地と同一の『〜守』のような官職を名乗る事にも意味がない。
君にとってね(藁
>滝川一益が旧権威『関東管領』より、 信長が作り出した新権威の茶器を欲したのは周知の事実の筈、
そんなのあたりまえだろ。信長が優先されても不思議はないし、今更幕府の役職なんかね。
>要するに、織田家内では 朝廷の権威よりたった一つの茶器の方が価値があった。
何を根拠に言ってる?関東管領は幕府の役職だろうが。
>朝廷の権威を家臣の為ではなく、他家の為に使ってるのは明らかなのに。
はぁ?他家のため?他家にあたえたのか?おまえ大丈夫か?かなり妄想入ってるな。
>たとえ、表裏一体でも敬意と利用は違うだろ。
だから表裏一体と言ってるんだよ。尊皇派と呼ばれる連中もそうだろうが。

結局、おまえの「そうあって欲しいという願望」にすぎないな。

103日本@名無史さん:2001/02/23(金) 04:37
>>官職を名乗る事にも意味がない
>これに付けたし、室町以降は必ずしも一致してないからね、江戸なんか全然

じゃあ、なんで名乗るんだよ。なんで官職を望むんだよ。
おまえはいつも「木を見て森を見ず」だな。(藁


104日本@名無史さん:2001/02/23(金) 04:39
>101
>史料に残る記述として最低この三点は確かなはず。

なるほど。それ以外は君が嘘をついていたと認めるわけか。(藁
105101:2001/02/23(金) 21:02
>>104
ここの議論で重要なこの三点については方々に同様の記述があり
(例、>>72>>101のリンク)、わざわざ原典を示すまでもなく使えよう、
それ以上の詳細については記述を読んだ記憶があるのみで手元に
資料が無く今すぐはソースを提示できないので使わない、という事。

記憶に基づくなら、74への回答は
・ 天皇の所望に対し信長の返答は無かったと記憶。
・ 贈与は宣教師側の要望を信長が快諾する形で実現したと記憶。
・ 天皇は屏風を直接見てはいないと記憶。

となる。この件に興味をお持ちなら、あとはご自分お調べを。
106俺は25→40です:2001/02/23(金) 21:53
本来の意味での本丸は何所になるんでしょうか?

スレ汚しスミマセン

>>102
>天皇制を否定してないと言ってる。
俺も信長が『天皇制』を否定しているとは言ってねぇな(藁
『清涼殿』は天皇用じゃない、とは言ったが。
否定的に天皇に触れる奴は全員、反天皇制のサヨクになるのかよ。
>おまえは信長かよ。(藁  願望に何の根拠もないね。
おまえは天子様かよ。(藁  願望に何の根拠もないね。
くだらねぇレス、反論できないと願望、妄想、過去の史観ですますのな。
>>天皇の産む金の卵が何時までも金の卵で有りつづける事もない。
>これもおまえの願望。それならば過去の為政者はとっくに天皇家を潰してる。
金の卵の権威より、信長の作った価値観の方が上だったから
滝川も茶器、丹羽も任官辞退&茶器なんだろ。
元小姓の蒲生氏郷も豊臣時代に会津じゃ茶が出来ねぇって嘆いていたね。
>これだけ天皇の権威を利用しておきながら、統治に利用価値がないと言えるか?
守護制か?統治そのものには価値がないから大内も『一時的』なんだろ。
>正親町帝との対立であって、天皇家の歴史と伝統(すべてではない)への敬意とは別だろ。
千数百年に及び朝廷が司ってきた暦に口だすのが、天皇家への敬意と別ね、フ〜ン。
>>見返りを求める善行は善行じゃねえぞ。
>なぜ?じゃあ計算で結婚した人は単純に愛は全くないと言えるか?
愛の先に計算(目的)があるんだろ?不敬だなぁ〜。
107続き。長すぎだって:2001/02/23(金) 21:53
>結局、感じてたわけだろうが。
??感じてたならもっと手勢を連れるだろ、油断、慢心があったから死んでんだよ。
>「天皇家を潰すことに何の益がある?」には答えないのか?
俺、潰すって一度も言ってないけど、まぁいいや。
謀反者への権威付け(藁)。新しい価値観の再構築(藁、これで満足?。
(潰したヤツがいねえのに断言出来るわけねぇじゃん、それこそ妄想だよ)。
>>仮想敵作んなって。
>自分で作っておいて自爆ですか?(藁
初出は>>63ですな。誰のレスですか?>>91は?
俺がこのスレに書き込んだのは25、次は40からだけど
>てことは、これまでの為政者ど同様、天皇の下での体制に過ぎないわけだね。
『天皇の下』の体制なら其れこそ、『天子様の守護→天守』でいいじゃん。
『清涼殿』が天子用にしても、なんで態々、清涼殿を上から覗く『天主』なのよ。
あと、本来の意味での本丸は何所になるの?誰か教えて。
>>『まだ』というのは、九州制覇までだね。
>それ以後はないと言える根拠は?
国を統治するのに、守護である必要がないから(前例、大内
>>姓の由来も元々朝廷とは関係ないし
>関係ない?朝廷があたえたんだろう?
原田、別喜は朝廷に由来したっけ?。朝廷に由来しない姓の下賜には、
朝廷の意向は関係しないんじゃ、この時のは任官と併せて便宜的にじゃない。
名跡を継いだ人達→斎藤道三、立花道雪、姉小路、山県等も勅許ですか?。
108続き2:2001/02/23(金) 21:54
>>統一後に受領地と同一の『〜守』のような官職を名乗る事にも意味がない。
>君にとってね(藁
『織田家中』では意味がないから、官職より茶器を望む奴がいるんでないの?。
>そんなのあたりまえだろ。信長が優先されても不思議はないし、今更幕府の役職なんかね。
認めてるね自分で。旧権威より信長が優先されても不思議はないって。
>何を根拠に言ってる?関東管領は幕府の役職だろうが。
スンマセン、間違えました。
>はぁ?他家のため?他家にあたえたのか?おまえ大丈夫か?かなり妄想入ってるな。
九州制覇に向けての任官は、西国の在地勢力(他家)に向けてだろ、なんで妄想なのよ。
>だから表裏一体と言ってるんだよ。尊皇派と呼ばれる連中もそうだろうが。
表と裏は一つであっても、必ずしも一つではない。
『天子の利用と敬意は一つの意味』と定義付けしないと困る人もいるしね。
>結局、おまえの「そうあって欲しいという願望」にすぎないな。
便利な言葉を知ってますね(藁

>>103 江戸時代は織田政権か?信長の価値観の上に成り立つ政権なのか?
元の文章も↓だろ
>統一後に受領地と同一の『〜守』のような官職を名乗る事にも意味がない
江戸時代に領地と合わせて『〜守』を名乗り『〜守護』っつ〜概念があったか?。

《『天皇を頂く』『政権下に組み込む』》のと『天皇制廃止』は別問題ですぜ
『清涼殿風』の建物を安易に解釈して『天皇用』と決め付けていいのか?って言う
話じゃねぇのか?。『天皇』って文字に異様に噛み付く人>>104がいるんだけど。
109日本@名無史さん:2001/02/24(土) 03:17
>106
>『清涼殿』は天皇用じゃない、とは言ったが。
だからそれはおまえの願望だろ?(藁
>おまえは天子様かよ。(藁  願望に何の根拠もないね。
苦しくなって鸚鵡返しですか?(藁
おまえが「利用できる『権威』であって『脅威・畏敬』ではないね。」
と言ったんだろうが。だから何で信長の気持ちがわかるんだよ。
>くだらねぇレス、反論できないと願望、妄想、過去の史観ですますのな。
痛いところをつかれると、「くだらねぇレス」ですますのか?(プ
>金の卵の権威より、信長の作った価値観の方が上だったから
>滝川も茶器、丹羽も任官辞退&茶器なんだろ。
滝川の件と朝廷の関係はどうなったんだよ。
それと一部の例をもって、全体を語ることはできないな。
丹羽はその後も朝廷の権威をすべて無視してたか?
>守護制か?統治そのものには価値がないから大内も『一時的』なんだろ。
幕府開設求たり、誠仁親王を養子に迎える意味はなんなんだよ。また一時的と妄想か?
>千数百年に及び朝廷が司ってきた暦に口だすのが、天皇家への敬意と別ね、フ〜ン。
「木を見て森を見ず」だね。
>愛の先に計算(目的)があるんだろ?不敬だなぁ〜。
ようするに答えられないんだね。(藁
そんな単純なものではないだろうと言ってる。
ちょっとでも計算があれば、その人物はすべて不敬者で尊皇意識もないと言いたいのか?(藁
「計算で結婚した人は単純に愛は全くないと言えるか?」
この質問に答えて見ろよ。
110日本@名無史さん:2001/02/24(土) 03:18
>107
>??感じてたならもっと手勢を連れるだろ、油断、慢心があったから死んでんだよ。
そうだよ、油断、慢心があったんだよ。
権威を感じてても、信長の予想以上に権威が強かったということだろ。
また彼の予想以上に朝廷に嫌われてたんだろ。
>新しい価値観の再構築
その新しい価値観も、従来同様朝廷を取り込み、
形式的に天皇の下の立場を変える意図はないということでいいな。
>初出は>>63ですな。
ハァ?仮想的をつくったのは、>>61が初出だろ。
それを指摘せずに、>>63に反応するのは自爆だと言ってるんだよ。(藁
>『天皇の下』の体制なら其れこそ、『天子様の守護→天守』でいいじゃん。
それこそ、あんたの「新しい価値」だろ?(藁
従来の「天皇の下」の体制ではなく、新しい「天皇の下」の体制があってもいいわけだろ。
頼朝だってそうだろ。おまえは、「俺、潰すって一度も言ってないけど」と言ってるんだからな。
>『清涼殿』が天子用にしても、なんで態々、清涼殿を上から覗く『天主』なのよ。
天皇を迎えるところだろうが。天主より高いところに『清涼殿』をつくらないと不敬ってか?(藁
>国を統治するのに、守護である必要がないから(前例、大内
説明になってないね。
朝廷の権威は一切必要とせず、すべて否定していたか?
それに一例、二例をもって、全体の論理を覆すことはできないね。
>朝廷に由来しない姓の下賜には、朝廷の意向は関係しないんじゃ、この時のは任官と併せて便宜的にじゃない。
意味不明。落ち着け。(藁
>名跡を継いだ人達→斎藤道三、立花道雪、姉小路、山県等も勅許ですか?。
その名跡はどっからきているのかね。
それと、すべてトップダウンでないと反朝廷か?(藁

111日本@名無史さん:2001/02/24(土) 03:20
>108
>『織田家中』では意味がないから、官職より茶器を望む奴がいるんでないの?。
織田家中だってそれぞれ温度差があるだろうよ。それをもって「官職を名乗る事にも意味がない。」
と言い切れる根拠は?
> 認めてるね自分で。旧権威より信長が優先されても不思議はないって。
そうだよ。しかしそれがすべての旧権威とはならんだろ。崩壊寸前の幕府の権威より
優先されるのは、ある意味であたりまえだろ。
>九州制覇に向けての任官は、西国の在地勢力(他家)に向けてだろ、なんで妄想なのよ。
おまえは「他家のため」といっただろうが。苦しくなってすりかえるのか?(藁
「自家が他家に向けて」は結局、自家のためだろうが。
>表と裏は一つであっても、必ずしも一つではない。
意味不明。(藁
表と裏を認めながら、一つのものでないと?(藁
>『天子の利用と敬意は一つの意味』と定義付けしないと困る人もいるしね。
「天子の利用はすべて不敬で敬意はまったくない」定義付けしないと困る人もいるしね。(爆笑)
>便利な言葉を知ってますね(藁
図星で言葉に詰まっての発言ですか?(藁
>江戸時代は織田政権か?信長の価値観の上に成り立つ政権なのか?
では織田政権は一切の官職を否定したか?朝廷の権威を否定したか?
>江戸時代に領地と合わせて『〜守』を名乗り『〜守護』っつ〜概念があったか?。
ないとなんだと言うんだよ。名乗ることそのものを聞いてるんだよ。
>『天皇』って文字に異様に噛み付く人>>104がいるんだけど。
『天皇』って文字を異様に否定したがる負け犬がいるんだけど。(爆笑
ムキになってるのはお・ま・え・(クスクス

11240:2001/02/24(土) 15:34
本来の意味での本丸は何所になるんでしょうか?

>>108>『清涼殿風』の建物を安易に解釈して『天皇用』と決め付けていいのか?
は、無視して>>109
>>『清涼殿』は天皇用じゃない、とは言ったが。
>だからそれはおまえの願望だろ?(藁

>苦しくなって鸚鵡返しですか?(藁
>おまえが「利用できる『権威』であって『脅威・畏敬』ではないね。」
>と言ったんだろうが。だから何で信長の気持ちがわかるんだよ。
あのさぁ、だったらあんたも信長が朝廷に対して感じていた『脅威・畏敬』を
挙げろよ。また、『見返りを計算した普請』のことでも書くのか?
>痛いところをつかれると、「くだらねぇレス」ですますのか?(プ
「おまえは信長かよ。(藁  願望に何の根拠もないね。」
↑のレスがくだらなくないと。
>丹羽はその後も朝廷の権威をすべて無視してたか?
織田政権中に任官しましたか?
>幕府開設求たり、誠仁親王を養子に迎える意味はなんなんだよ。また一時的と妄想か?
ハァ?統一前と統一直前と統一後じゃ全然意味が変わるぞ。
>「木を見て森を見ず」だね。
これも、ハァ?。木の2・3本なら朝廷という森の中から伐採していいと、
沢山有るんだから数本ちょん切っても「それは不実にはならない」と。
>ちょっとでも計算があれば、その人物はすべて不敬者で尊皇意識もないと言いたいのか?(藁
尊皇から尊皇意識にかわったね。
>「計算で結婚した人は単純に愛は全くないと言えるか?」
>この質問に答えて見ろよ。
俺、結婚したことないからなぁ〜(笑。
まったく無い、とは言えないでしょう、でも
計算の上に成り立つ愛で、『愛』を貫き通す事は出来ますか?。
11340:2001/02/24(土) 15:34
本来の意味での本丸は何所になるんでしょうか?

>>110
>そうだよ、油断、慢心があったんだよ。
ようするに、家中に脅威を感じてねぇんだろ。
>権威を感じてても、信長の予想以上に権威が強かったということだろ。
>また彼の予想以上に朝廷に嫌われてたんだろ。
本能寺の黒幕は朝廷ですか?。光秀=貴方、のような思考なら理解出来ますが。
>その新しい価値観も、従来同様朝廷を取り込み、
>形式的に天皇の下の立場を変える意図はないということでいいな。
この人やっぱり>>107の「(潰したヤツがいねえのに断言出来るわけねぇじゃん、
それこそ妄想だよ)。」みたいなのは無視して都合のいい言葉尻だけを捉えるのね。
実際、信長が確実に天皇という権威の『下』に入ったかどうかは解からないでしょう。
唯、織田政権時には官や知行を受ける事よりも、たった一つの茶器を貰う事の方が
権威(独自に茶会を開ける)や名誉があるという価値観が出来かけていたも事実ですね。
>ハァ?仮想的をつくったのは、>>61が初出だろ。
>それを指摘せずに、>>63に反応するのは自爆だと言ってるんだよ。(藁
>>61が俺ならね。>>63は誰が見ても40(俺)に向けてだけど。
>それこそ、あんたの「新しい価値」だろ?(藁
『守』と『主』の本来持つ言葉の意味は?
>天皇を迎えるところだろうが。天主より高いところに『清涼殿』をつく・・・(略
覗くより『天主』に意味を持たせたつもりだったんだけど。 『』を付けて。『主』ね。
>朝廷の権威は一切必要とせず、すべて否定していたか?
>それに一例、二例をもって、全体の論理を覆すことはできないね。
『信長』が統一したか?。家中で室町以前のように『官』に権威があった?。
信長が存命していたら、『権威を破壊したであろう』が妄想で、
『信長も天皇を頂いたであろう』を妄想でない、と言い切る根拠は?。
>意味不明。落ち着け。(藁
理解できないか?。原田や別喜姓を下賜するのに朝廷の勅許がいるんですか?。
>その名跡はどっからきているのかね。
>それと、すべてトップダウンでないと反朝廷か?(藁
斎藤は美濃の守護代、姉小路は飛騨国司。どっから反朝廷が出てくるの?。
11440:2001/02/24(土) 15:34
本来の意味での本丸は何所になるんでしょうか?

>織田家中だってそれぞれ温度差があるだろうよ。
そりゃそうだ、あくまで統一過程での話だからね『織田政権』は
>それをもって「官職を名乗る事にも意味がない。」と言い切れる根拠は?
織田家中で十指にはいる丹羽、滝川が『官』より『茶器』を望んでも根拠にならない?。
新しい価値観が『下』からではなく『上』からも浸透してる証拠だろ。
>しかしそれがすべての旧権威とはならんだろ。
すべての旧権威ではない、とも言い切れないよ。
>ある意味であたりまえだろ。
それすらも欲した地方領主は確実に存在した。
>おまえは「他家のため」といっただろうが。苦しくなってすりかえるのか?(藁
他家ってのは対外勢力じゃないのか?どこがすり替えなんだよ。
>「自家が他家に向けて」は結局、自家のためだろうが。
家臣への褒章、名誉の為ではないね。
>意味不明。(藁
>表と裏を認めながら、一つのものでないと?(藁
ウヨクとサヨクも『表裏一体同一の者』と言い切れますか?。
>「天子の利用はすべて不敬で敬意はまったくない」定義付けしないと困る人もいるしね。(爆笑)
俺は困らんよ、政治云々、思想云々で生活してないもん。
>では織田政権は一切の官職を否定したか?朝廷の権威を否定したか?
織田政権が全国統一しましたか?。過程だったから西国制覇に向けて任官してる。
反対に、織田家の家臣に受領と併せて任官した人いますか?。
>ないとなんだと言うんだよ。名乗ることそのものを聞いてるんだよ。
徳川『幕府』の価値観と織田政権の価値観は違うからなぁ〜。
>『天皇』って文字を異様に否定したがる負け犬がいるんだけど。(爆笑
>ムキになってるのはお・ま・え・(クスクス
・・・・・・・・・・・・「(クスクス」に「(爆笑」だってよ。
115日本@名無史さん:2001/02/24(土) 15:53
>40
ああ、この粘着質ぶりは、どうやらヒキコモリクンを相手にしてしまったようだ。(苦笑
自分の都合の悪いことは答えずに、些細な例をもって全体に当てはめようとする。
戦前の意識でもあるのか、歴史上の人物に「これは不敬の例だ!」などと見つけては喜んでる。(寒っ!
相変わらず「木を見て森をを見ず」を繰り返す。
彼の意識では木を一本でも切ったら全人格が「反天皇」になるのでしょう。(藁
すべて反論できるけど、「ああいえば上祐」なみの粘着質のヒキコモリを
相手に時間を費やすのは無駄。あとは見ている人に判断してもろうしかない。
まあ、こういう奴は、自作自演の応援レスをつけるのは目に見えてるけどね。
そうやって妄想してな。君がいくら妄想しても何も変わらないから。
死人に口ナシで、いくらでも妄想できるからよかったね。(藁
116織田信長:2001/02/24(土) 15:58
憧れと嫉妬は表裏一体。
誰かさんはそれがわからんのでしょう。

117日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:09
すべて尊皇と反天皇という二元論で片付けようとするからおかしくなるんだよ。
歴史に「もし」はないんだから、彼がその後、天皇制を廃止したかどうかを考えてもしょうがない。
そうあって欲しいという人は、彼がいかに反天皇的であったかの例を探るんだろうけどね。
「木を見て森をを見ず」とはそういうことでしょ。


11840:2001/02/24(土) 16:13
>>81
信長と竜馬を同一次元で騙るな
119日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:14
40=ルサンチマン君
12040:2001/02/24(土) 16:24
>>116
こーゆーのを自作自演の援護射撃ってゆーんじゃないの?
>>115
どこに俺への応援レスがあるんだよ。

否定だけで自分の主義主観を述べずに、人を粘着、ヒッキー呼ばわりね。
レッテル貼るの好きですね(w。
121織田信長 :2001/02/24(土) 16:27
こりゃ重症だわ。
122日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:34
ログ見たけど、40って「尊皇」と「勤皇」の違いもわからないクチじゃない?
123日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:40
上位の権威に頼ろうとすることをすぐに
「だから天皇を崇めていたのだ」
ということも違うと思いますがね・・・
124日本@名無史さん:2001/02/24(土) 16:48
天皇の権威を頼ったという史実を取り上げられると、すぐに
「でも天皇を崇めていたのではない」
ということも違うと思いますがね・・・
125日本@名無史さん:2001/02/24(土) 17:37
清涼殿の件は発掘した結果清涼殿の作りと似ている建物だという所から、
推測を働かせて説ができているだけで、あの建物が天皇を迎える建物だと
断定できるような証拠はないのでは?
40は、天主台には家康等々を供応するような施設がなさそうだし、天主の
麓にある施設をそのような供応場所だったと考えてもいいのでは、という
趣旨のことを言っていたと思うけど、それはそれで一つの説でしょう。
それに対して、「あそこは天皇を迎える施設だ」と言う主張、それ以外の説
を「願望だ」とだけ言って片づける人、そう片づけるだけの根拠出せますか?

仮に天皇を迎える施設だとしても、その位置づけについてはまた推測をはた
かせた上での説でしかない。
天主台が清涼殿より上だと言うことだって、それをどう考えるかなんて
断定できないではないの。
天主から清涼殿を覗くように上にあることの方が、天主の方が下にあること
よりも「天皇を敬っている」ことを表すのでしょうか?
でももし下にあればあるで「天皇を上にして敬っている」と思うのでしょ?
結局そういうことなんでしょう。なんとでも捉えられるっつーこと。
126日本@名無史さん:2001/02/24(土) 17:38
弾正にもう一仕事してほしかったなあ…
127日本@名無史さん:2001/02/24(土) 17:56
>125=40
ハイハイ、
案の定、自作自演の応援レスが出てきたね。
でもバレバレ。
128日本@名無史さん:2001/02/24(土) 18:01
>>125
ようするにどっちも説でしかないじゃん。
天主が上にあることにさほど意味があるのか?
天皇を取り込むかどうかの問題だろ。
129日本@名無史さん:2001/02/24(土) 18:02
40=ルサンチマン君

130日本@名無史さん:2001/02/24(土) 18:13
しかし、清涼殿が下だから「不敬だー!」って
わめく奴は旧式の右翼か?
馬鹿丸出しだぞ。
131125:2001/02/24(土) 18:33
>>127
違うと言っても信じないでしょうね。勝手に思っていて下さい。
意見があるなら反論という形でどうぞお願いします。

>>128
だから「説でしかないじゃん」と言ってるのですが・・・
132125:2001/02/24(土) 18:54
>>128
ちょっと付け加えますね。
読んでいくと、40としては清涼殿風の建物というだけで
天皇を迎える建物だ、と断定することに対しての異論でもありますね。
それに反対する方の説も、説として認められるのは当然です。
しかし、40の説に対して「願望だ」とだけ言って否定するだけ。
願望だというなら、それなりに相手の説の不審点を問いただし、
自説の根拠を述べて反論をするのが筋かと思います。

天主が上にある、下にある、というのは単に一連の応酬の中に出てきていたので
「こんなこと、何とでも捉えられるでしょ」
といいたいだけ。重要だなどと全然考えていない。

それでも、史料もない互いの説のぶつけあいになるだけで
不毛といえば不毛だと思いますが。

天皇を取り込むかどうかの問題、ですか?応酬を見ているとそれも
違うように思いますが。本気でそういうことを考えたいなら屏風の
事例などを考えた方が適切だと思うのですがね。
133日本@名無史さん:2001/02/24(土) 19:00
>40=125

バレバレなんだよ。
誰が見てもわかるぞ。もしかしてわざとやってんの?
134日本@名無史さん:2001/02/24(土) 19:09
>132(40)の自己弁護君

40は天皇を迎える建物という説に、
「天皇を迎える建物でない!」とヒステリックに反応している。
それは「願望では」という人に、
戦前の旧式右翼にならって「こんなに不敬をしてるんだぞー!」
と言って否定するだけ。(藁
まさに「木を見て森を見ず」。
いくら数少ない事例をあげても、それをもって全体を覆すことはできない。
135日本@名無史さん:2001/02/24(土) 19:11
115 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/24(土) 15:53
>40
ああ、この粘着質ぶりは、どうやらヒキコモリクンを相手にしてしまったようだ。(苦笑
自分の都合の悪いことは答えずに、些細な例をもって全体に当てはめようとする。
戦前の意識でもあるのか、歴史上の人物に「これは不敬の例だ!」などと見つけては喜んでる。(寒っ!
相変わらず「木を見て森をを見ず」を繰り返す。
彼の意識では木を一本でも切ったら全人格が「反天皇」になるのでしょう。(藁
すべて反論できるけど、「ああいえば上祐」なみの粘着質のヒキコモリを
相手に時間を費やすのは無駄。あとは見ている人に判断してもろうしかない。
まあ、こういう奴は、自作自演の応援レスをつけるのは目に見えてるけどね。
そうやって妄想してな。君がいくら妄想しても何も変わらないから。
死人に口ナシで、いくらでも妄想できるからよかったね。(藁

116 名前:織田信長投稿日:2001/02/24(土) 15:58
憧れと嫉妬は表裏一体。
誰かさんはそれがわからんのでしょう。

117 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/24(土) 16:09
すべて尊皇と反天皇という二元論で片付けようとするからおかしくなるんだよ。
歴史に「もし」はないんだから、彼がその後、天皇制を廃止したかどうかを考えてもしょうがない。
そうあって欲しいという人は、彼がいかに反天皇的であったかの例を探るんだろうけどね。
「木を見て森をを見ず」とはそういうことでしょ。
136日本@名無史さん:2001/02/24(土) 19:12
119 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/24(土) 16:14
40=ルサンチマン君

122 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/24(土) 16:34
ログ見たけど、40って「尊皇」と「勤皇」の違いもわからないクチじゃない?

123 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/24(土) 16:40
上位の権威に頼ろうとすることをすぐに
「だから天皇を崇めていたのだ」
ということも違うと思いますがね・・・

124 名前:日本@名無史さん投稿日:2001/02/24(土) 16:48
天皇の権威を頼ったという史実を取り上げられると、すぐに
「でも天皇を崇めていたのではない」
ということも違うと思いますがね・・・
137132 matsudo1-64.ppp-1.dion.ne.jp:2001/02/24(土) 19:50
そんなに決めつけるなら何か証拠でもあげればいいじゃないですか。
ヒステリックだということをあげれば40も対論しているあなたも
どちらもそうでしょう。

>それは「願望では」という人に、
「願望では」でなく「願望だ」と言ってますね。そもそも願望だと切り
捨てるだけの自説の根拠をあげていない、としか私はいっていないの
ですけどね。そちらにしても史料にないこと断定するのは不毛だと
書いているのですが。
138:2001/02/24(土) 20:08
恥の上塗りはやめとけ。
139日本@名無史さん:2001/02/24(土) 20:39
>40
>そもそも願望だと切り捨てるだけの自説の根拠をあげていない、

勝手に断定してることに「願望だ」と突っ込まれてるわけでしょ。
断定するほうが、その根拠をあげるのがあたりまえ。
立証責任がどちらにあるのかもわからないの?
140日本@名無史さん:2001/02/24(土) 21:41
安土城は七重ではなく、ただの二階建建築に過ぎなかったって説もある。
天守など存在せず、岐阜城とはかなり様相を異にしてたとも。
天守はいずれ大阪の石山の地に造るつもりで、安土は仮の王城だったようだ。
141132 matsudo4-201.ppp-1.dion.ne.jp:2001/02/25(日) 00:05
>139
ですから、40は
そもそも清涼殿ふうの建物を天皇の住まいだと断定できる根拠はない。
家康等を供応するような設備が天主の中には見られなかった。
天主にしても、天皇の住まいを見下ろす位置にたてるものか?
と説の根拠はあげられていますよ。
それらを「願望だ」と一蹴しそう断定する根拠はあげられていないですね
と私は書いているだけですよ。
推定にしろ断定にしろどちらも自説の根拠を出すのは当然でしょう?
なんで立証責任などという話になるのやら。断定かどうかを取り上げるならば、
40もお相手もどちらも断定しているではないですか。
そもそも先に私はどちらもヒステリックだと書いてますし、史料的に裏付けが
ないことを断定して議論すること自体不毛だとも言ってるのに。
なんで40の自作自演だとか、あげくに40を庇護しているように言われなければ
ならないのか、ちっともわかりませんわ。

お邪魔なようなので退散しますが、一つだけ。
信長と天皇について興味があるならば、立花京子さんが岩田書院から出された
本など一度ご覧になってみては如何でしょうか。私自身は立花さんの説にも
大いに問題ありとは思いますが、少なくともここで議論をされている方の
参考にはなるでしょうかと。
142日本@名無史さん:2001/02/25(日) 00:10
>141(40)
君さあ、必死に40を弁護してるね。(笑)
でも自爆だよ、それって。
143日本@名無史さん:2001/02/25(日) 00:23
>141
>天主にしても、天皇の住まいを見下ろす位置にたてるものか?
そうやってすぐ住まい断定してるのは君じゃん。
>それらを「願望だ」と一蹴しそう断定する根拠はあげられていないですね
はぁ?願望だとする根拠?
断定する根拠がなかったり、勝手に信長やその家臣の気持ちを代弁するから、
願望だと言われるんだろうが。根拠を出すのは40でしょ。
>なんで40の自作自演だとか、あげくに40を庇護しているように言われなければならないのか、
なんで40をそこまで必死に擁護するのか、不思議だねえ。
>ちっともわかりませんわ。
爆笑!
40のネカマだとバレバレじゃん。(藁

>お邪魔なようなので退散しますが、一つだけ。

なるほど、そのキャラは終わって、
次は40が出てくるわけね。(藁
>>66-67たん。フロイス「日本史」の第二部、三一章にでてきます。
>>143たん。つぎが40たんじゃなくて、ごめん。
該当箇所、夜にでも書きこみに来ます。。。
内裏はそれ(安土城下を描いた屏風)を見ようとして、
彼(信長)に伺いを立て、気に入ったので譲渡されたい、と伝えたが、
彼はとりあわず、その希望(をかなえること)を回避した。

ところで、巡察師がまもなく出発することになったことを知ると、
信長は側近の者を司祭の許に派遣し、

「伴天連殿が予に会うためにはるばる遠方から訪ねて来て、
当市に長らく滞在し、今や帰途につこうとするに当たり、
予の思い出となるものを提供したいと思うが、
予が何にも増して気に入ってるかの屏風を贈与したい。
ついてはそれを実見した上で、もし気に入れば受理し、
気に入らねば返却されたい」と述べさせた。

フロイス「日本史」第二部 三十一章 中公文庫
巡察師が都に信長を訪問し、同地から再度、安土山を参観に赴いたこと