本土決戦のゆくえは

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1世界@名無史さん
何年ねばったでしょうか。竹やりで。
2日本@名無史さん:2000/12/14(木) 17:23
富嶽が実戦配備されて西海岸が焦土になる。
わけねーよなぁ。
3日本@名無史さん:2000/12/14(木) 18:25
原爆落とされまくられて、日本民族滅亡です。
4大河好き:2000/12/14(木) 20:17
たけやりで飛行機は落とせない アメリカさんはコーヒーを飲みながら爆弾を落としたそうな
5日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:45
だが空爆だけでは決着つかないのは事実。陸戦になればベトナムみたい
なことになったかも。
6日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:46
当時アメリカに、もう一発原爆を作る力はあったろうかね?
7日本@名無史さん:2000/12/14(木) 20:54
陸戦でどこまで戦えたか?
8名無史さん:2000/12/14(木) 21:02
とりあえず、原爆をいくら落とそうが
占領はできません。地上兵力を投入して始めて占領が
できるのです。よって、ベトナム化は避けられなかったでしょう。
しかも、日本は平地が少なく山間地がほとんどです。
ゲリラ戦を展開された場合、それら全てを掃討しようと
思ったらそれ相当の膨大な損害を覚悟しなければいけないことは
あきらかです。
9三等ゲーマー:2000/12/14(木) 21:38
ベトナムはソ連や中国から武器援助を得られたけど、
日本は孤立無援です。

自動小銃相手に竹槍では戦えません。
一方的に殺戮されて終わりです。
10日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:13
山間地帯に政府が逃げても関東平野は制圧されちゃうよ。
松本に立てこもっても情報、経済、軍事の中心は東京だから
戦争なんか続けられないよ。原爆何発も落とされたらそれは
それで諸外国からそこまで戦ったと逆の意味で恐れられるが。
11日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:35
皇居に原爆落とすと脅迫したら
すぐに無条件降伏するよ
12日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:36
京都でもするんじゃない?
首都圏のどこか地方都市でも降伏するんじゃない?
13ぽん:2000/12/14(木) 22:50
ゲリラ戦となると東北地方は強そうだな。平野だけの関東はまっさき
に占領されそうだな。
14日本@名無史さん:2000/12/14(木) 22:58
もし本土決戦やってたら今ごろ北海道はロシア領だったろうな。
15日本@名無史さん:2000/12/14(木) 23:12

食い物はどうするんですか?
16日本@名無史さん:2000/12/14(木) 23:15
>>13
見渡すかぎりの田んぼの中でどうやってゲリラ戦すんのよ
蝦夷の時代じゃねぇんだからよ(藁
ゲリラ戦が出来るような地形だったら戊辰で負けてねぇよ。
17日本@名無史さん:2000/12/14(木) 23:34
東北地方はどっちかと言うと山だらけだよ
18日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:18
パラグアイは19世紀の独立戦争で住民の80%が死んだよ
それにくらべると日本はだらしないな。
上陸作戦したら米軍にも何十万人も死者がでるだろう
アメリカの世論はそれを許さないだろう。

天皇が松代でヒトラーみたいに自決したら その後の展開はどうなるんだろうね
19日本@名無史さん:2000/12/15(金) 00:29
>>18
おいおい、太平洋戦争時の死者は日本だけで185万人だぞ。当時の
パラグアイの人口がどれだけだと思ってる。
20世界@名無史さん:2000/12/15(金) 00:31
>パラグアイは19世紀の独立戦争で住民の80%が死んだよ
あれは死んだんじゃなくて、領土割譲とともに失っただけ。
大統領が戦死したほどのドキュン戦争であることには変わりないが。
21世界@名無史さん:2000/12/15(金) 01:06
自民の大票田の東北地方がソ連に占領されてれば、南側は
かなりいい国になってたかも。田中や森はでてこない
わけだから。
22日本@名無史さん:2000/12/15(金) 01:16
田中カクエーは新潟、森キロウは石川・・・。
つーことは、北陸逝ってよし!!ってことね。>>21
23日本@名無史さん:2000/12/15(金) 01:19
自由の大票田の岩手がソ連に占領されてれば、南側は
かなりいい国になってたかも。小沢はでてこない
わけだから。
24日本@名無史さん:2000/12/15(金) 04:29
ヨーロッパ戦線で戦っていたパットンやモントゴメリー、ソビエトのジューコフ
たちが、本土決戦に参戦してきたら大変でしょうね。
日本の機甲師団では、米・英・ソの機甲師団には絶対に勝てないからね。
戦車の性能が違いすぎるから平野では、戦いと言うより一方的な虐殺になりそう
です。
それとベトナムが戦えたのは、中国やソ連の支援があったからで、当時の日本に
は、支援してくれる国なんてありません。
したがって日本が本土決戦を選択したら、B29の空爆と連合軍の機甲師団のに
よって徹底的に殲滅された事でしょう。
25日本@名無史さん:2000/12/15(金) 14:27
この国で戦車中心の機甲師団が使える場所なんて限られてる。ドコモもエリア
マップ見てごらん。あんなつぎはぎで人口の99.9%をカバーできてる。裏を
返せば、この国の国土のほとんどは人が住むに適さない山林だってこと。そん
なところに篭られたら、機甲師団も戦略爆撃もほとんど無力。歩兵でチマチマ
潰していくしかない。まさに泥沼。
26日本@名無史さん:2000/12/15(金) 14:49
>24
こういう軍事ヲタがいるから笑える。
機甲師団をどこで運用するんだい?
精々、関東平野を制圧できるぐらいだな。
第一、機甲師団という概念事態が山地の少ない平地で運用することが
大前提として生まれた。
日本のように山間地がほとんどの国の場合、機甲師団は役に立たない。
硫黄島の、あの小さな山地ですあら米軍は膨大な犠牲を支払わねば
占領することはできなかったんだぞ。
それこそ、日本全土でギリラ戦を展開されたら、結局のところ
一つ一つ歩兵で潰していかないといけない。
損害は想像を絶する物があるよな、常識的に考えれば。
あと、空爆が効果があるのは平野部か都市部だけです。
山間部では効果がありません。それは硫黄島を見ればあきらかです。
もっと軍事学の勉強をしてください。
27日本@名無史さん:2000/12/15(金) 14:56
>26
もっと笑ってくれ
28日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:22
ところで日本人は全土でゲリラ戦をする気があったんだろうか?
日本国内にどれ位の成人男子がいたんだろうか?
平野部を制圧した連合軍が山間部を残して日本人の傀儡政権でも
立てられたら、内戦状態だね。
そんなことする前に必ず無条件降伏じゃない。
また、天皇や皇族を連れてゲリラ戦でもやられた日には本当の
無条件降伏でしょう。
29日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:23
日本人総出でゲリラ戦するか(w
それでも戦陣訓が幅を利かすのかな・・・
30日本@名無史さん:2000/12/15(金) 17:58
そのころマジでみんな竹槍訓練やってたってことは、ゲリラ戦やる
つもりだったんでしょう。鹿児島あたりじゃ、薩摩隼人が毎日猟銃
かついで山にグラマン狩りに出ていたそうです。

まぁそんなことになってたら、終戦までには日本は丸焼け、米軍も
ボロボロ、北海道はソ連邦、という最悪ケースだったでしょうから、
そうならなかったことは幸いだったとは言えるでしょう。
31日本@名無史さん:2000/12/15(金) 18:04
グラマン狩・・・
陸軍首脳部はそうまでもして本土決戦をしたかったのか・・・
32日本@名無史さん:2000/12/15(金) 18:36
自発的な自衛団だよ(笑)
33日本@名無史さん:2000/12/15(金) 19:40
本気で戦おうとは思わないでしょう。
本気で戦わせたら、無理な戦闘をさせたと戦犯にさせられてしまうから、
各地で降伏でしょう。日本がベトナムみたいに泥沼化するとは想像つか
ない。
34日本@名無史さん:2000/12/15(金) 21:08
食料不足・・
米もそうだけど、塩の供給が一年で絶えてしまうって読んだよ。
服や靴も擦り切れるし、炊飯の薪、冬の暖房(木炭?)・・
とても粘れるもんじゃないよ。
35日本@名無史さん:2000/12/15(金) 21:12
補給のことが頭に無い自称軍事通は逝ってくれ!
36日本@名無史さん:2000/12/15(金) 21:13
>33
当時の状況からという視点で考えてみたほうがいい。
今の自分たちの視点からは想像もつかない時代
だったんだから。
そりゃ、今の自分の視点で考えればあり得ないという結論しか
出てこないでしょ。
神風特別攻撃隊が存在した時代ということをお忘れなく。
37日本@名無史さん:2000/12/15(金) 21:30
本土決戦をやっていたらヒロヒトはパルチザンに処刑されただろうな。
38日本@名無史さん:2000/12/16(土) 03:10
そういえば、日本占領後の分割統治案ってあったけど
どんな案だったっけ?
39日本@名無史さん:2000/12/16(土) 03:40
>本土決戦をやっていたらヒロヒトはパルチザンに処刑されただろうな。

日共?
40日本@名無史さん:2000/12/16(土) 06:32
>26
余程の山岳地帯でなければ、機甲師団は運用は可能ですね。
それに平野部分を完全に制圧されれば、工場や田畑が連合軍の手に落ちて、
ゲリラ戦を展開したくても、物資や食糧の補給が出来なくなります。
本土決戦で日本が、連合国側に勝つ可能性は残念ながら0%ですね。
41日本@名無史さん:2000/12/16(土) 07:26
つーか日本が勝つなんて誰も思っちゃいないと思う
42日本@名無史さん:2000/12/16(土) 07:47
本土決戦を行えば必ず神風が吹いて、大日本帝国は勝てたのです。
43名無しさん@1周年:2000/12/16(土) 07:50
軍事板だなコリャ
2事デ


 _________________完______________________
44日本@名無史さん:2000/12/16(土) 23:47
終戦の前日でも銀座の喫茶店にはアベックがたくさんいたそうだし
終戦の日も電車はダイヤ通り動いていた。20年の夏になっても
娯楽映画は作ったりしてた。玉音放送を聴いて宮城前で割腹なんてのは
極端な例外で、事実はもっとのんびりしていたのだそうだ。
山本夏彦の「誰か『戦前』を知らないか?」という本が去年出た。
内容は当時の風俗を詳しく忠実に再現して実はそんなにヒドい時代ではなかった
戦前戦中真っ暗史観というのは戦後の社会主義者のプロバガンダにすぎない
というものです。
45日本@名無史さん:2000/12/17(日) 00:22
>44
そりゃあ幻想に過ぎないよ。
46名無しさん@1周年:2000/12/17(日) 00:56
>45
わたしの大叔父さんはのんきに本読んでましたw
東京大空襲の翌々日も興味本位で見に行ったそうです。
47日本@名無史さん:2000/12/17(日) 09:32
本土決戦に関する歴史教科書に記述
1946年7月、昭和天皇ヒロヒトは、松代大本営から逃走中のところを住民に発見され、
公道上で処刑された。
享年45歳、悪名高い生涯であった。
48日本@名無史さん:2000/12/17(日) 09:38
こっちの方が現実的かな。
1946年7月、ヒロヒトは松代大本営から逃走中に連合軍に
発見され、逮捕された。
49名無しさん@1周年:2000/12/17(日) 14:12
1945年7月とある日東京に警戒警報がでた で勤労動員はその日
休みになった 友人と二人で千住東映に活動を見に逝く 出し物は「
かくて 神風は吹く」だった オバさんがミンタイの干物を売ってた
囓りながらアー日本は本当に勝つンだなと思った  遠い中学2年
の思い出でした
50静観大名:2000/12/17(日) 14:22
ベトナム以上に泥沼なら勝ったかもよ
それがいいとも思えないけどね
泥沼計算してアメリカも手を打ったし
ソビエト2分割より貿易立国の本来目的は取れたから
軍部批判ばかりも出来ないな僕はさ
ただ自虐過ぎたり反動で国粋すぎたい二極化すぎる市民感情は痛いと思う
51日本@名無史さん:2000/12/17(日) 14:34
自虐とか言ってる時点でよしりん信者↑
ちゃんと歴史を勉強しろ
52日本@名無史さん:2000/12/17(日) 15:04
 言葉ひねり出すのに精一杯で、句読点やらつめるのも忘れたか。
読ませる文章書けない奴は逝ってよし。>50
53日本@名無史さん:2000/12/17(日) 15:11
上陸しないで締め上げてれば、食料不足で死んじゃうよ。>日本人
54日本@名無史さん:2000/12/17(日) 15:19
 組織的な抵抗が続けられれば泥沼にもできるが、いつまで続けられる、組織的な抵抗てのは。
そもそもベトナム以上の泥沼って具体的にどういう状態よ?
組織的な抵抗が終わった時点で連合軍は終結宣言出すだろう。
 以後は山で抵抗する人も大勢いるだろうが、かくれんぼしてるだけだろうから平野部は安全。
後は米軍の演習場にでもなるしかないかな。
的になる日本兵はいくらでもいるのだし、日本人狩りツアーとかやりそう。
 
55日本@名無史さん:2000/12/17(日) 15:46
仮想戦記だって馬鹿にされるかもしれないけど、
檜山良昭 「日本本土決戦」はなかなか良い出来だと思う。
56日本@名無史さん:2000/12/17(日) 17:44
ベトナム戦争とは状況がまるで違うだろが。
ベトナム戦争の時は、ソ連や中国が北ベトナムなどの共産勢力を支援したが、
本土決戦時の日本を支援する国なんてあり得なかった。
だから本土決戦をやっていれば、
補給もままならず日本はめちゃめちゃになって敗北しただろう。
おそらく天皇制も素っ飛んでいたことだろう。
57日本@名無史さん:2000/12/17(日) 19:28
確かに本土決戦で米軍にも多大な被害がでた場合は、昭和天皇は処刑
された上で天皇制も廃止だろう。
そうでもしなければ、アメリカの世論が納まらずに、トルーマンの再
選も不可能になるからね。

58名無しさん@1周年:2000/12/17(日) 19:53
      ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′ ̄ ̄( ゚Д゚)<  >>50
えらがないので「、」ではない!
 UU ̄ ̄ U U  \______________
59日本@名無史さん:2000/12/17(日) 19:58
>57
本土決戦をやって散々な目にあっていれば、アメリカ国民のみならず
日本国民だって天皇制を容認しなかっただろう。
戦争犠牲者が本土決戦をやったドイツ並の700万人以上になっていても
天皇制を信じている奴がいたら、余程のドキュンだ。
60日本@名無史さん:2000/12/17(日) 20:15
>ベトナム以上に泥沼なら勝ったかもよ

当時の状況を何も考えない暴論だな。
だいたいベトナム戦争と違って、日本を支援する国なんてどこにもないんだよ。
特に重要なのは、食料、武器弾薬、エネルギーなどの補給だ。
「腹が減っては戦は出来ぬ」というように、精神力だけでは戦争には勝てない。
ベトナム戦争の時は、ソ連や中国が北ベトナムを支援した為に、
北ベトナムは食料、武器弾薬、エネルギーを無限に供給され、アメリカとの戦争を継続できた。
その結果、戦争は泥沼化しアメリカは窮地の追い込まれた。
しかし、本土決戦では上記の理由でそうなる可能性は皆無。
また、おそらく北からはソ連軍が侵入し、日本は南北分断され敗戦を迎えたことだろう。
そしてさらに数百万人の戦死者が出たことだろう。
そうなれば天皇制もお終いさ。
冷静に当時の国際情勢を分析すれば、本土決戦をやって日本に勝つ目はない。
61日本@名無史さん:2000/12/17(日) 20:18
こういう仮定で一番重要なのは、食料、武器弾薬、エネルギーなどの補給をどうするかだ。
それを考えない仮想の話は、戦時中の軍部と同じ発想で馬鹿げている。
62日本@名無史さん:2000/12/17(日) 21:11
神風は吹いたんだよ。枕崎台風がね。でも20世紀の米軍だから、元軍とちがって
何もこたえなかったろうね。
63日本@名無史さん:2000/12/18(月) 01:11

食い物をどうするのかと言ってんだろゴルァ
64:2000/12/18(月) 02:15
ばかまるだし
65世界@名無史さん:2000/12/18(月) 02:18
というか、皇室の重要性を認識していた米軍が、平野部を制圧した時点で、ヴェトナム
でパオ・ダイをかついだように、皇族を担いで南北朝のような状態を演出したら、
その時どうなったのだろう、と考えると興味深い。
66吾輩は名無しである:2000/12/18(月) 03:13
>65
南北朝にはならないんじゃない?
日本人の性格からして帝都が陥ちた時点でバタバタと降伏しそう。
46年一杯が限界じゃないの?

67名無しさん@1周年:2000/12/20(水) 17:45
昭和18−20年当時備蓄食糧も底をついた内地は如何にして、食糧補給をしたか?
当時まだ日ソ中立条約が有効だったので、夜間朝鮮の清津、羅津港から満州産の黍
大豆を敦賀、新潟へと運送した。日本海のアメの潜水艦は既に制海権を保有していた。
然し夜間なので中立国のソ船と日本船の区別不能。かくして若干の食料補給が続いた。
当時我々は毎日黍と脱脂大豆ばかし食わされていたのでこれを覚えている。食糧がなければ
当然戦争不能であろう。昭和19−20年の内地食糧生産額をみよ!!
68名無しさん@1周年:2000/12/20(水) 20:55
なお 対馬海峡 津軽海峡 宗谷海峡の対潜防水網とお考えかも知れぬが、丸で
役にたたずザルぬけ状態で 連絡船は撃沈される状態だった
69日本@名無史さん:2000/12/21(木) 02:15
みんな逝ってるがベトナムとは状況が違う。つーかそもそも戦争の目的が違う。

何年持つのか興味が無いわけではないが、状況が好転する見通しも無しに戦えるわけもなく、
ソ連よりはまともなアメリカ相手に本土決戦をしてもしょうがないと判断するだろう。
アメリカが日本は無くすぜとか言わん限り戦意がもたんって。

仮に米内光政などが暗殺され8月の終戦が無かったとしても、ソ連が北海道に進出した時点でアウト。
本土決戦がどの程度本気だったかは別として、あれは対アメリカ戦じゃなかったか?
70日本一のぬいぐるみ師:2000/12/23(土) 10:46
本土決戦になった場合、天皇は松代に篭ることになってたんですよね?
だとしたら、日本の全土占領の前に松代まで電撃戦で一気に攻め込まれ
る気がするんですけど。んで、多少の損失はあったが、天皇が捕虜or戦
死(?)した時点で意外とあっさりと終わりそうな気がします。

#ドイツもヒトラー自殺後ベルリン陥落で残りのドイツ軍もあっさり
#降伏してますしね。ちょっと状況は違いますが

もっともその間に北海道までソ連が来るかもしれませんが。
71名無しさん@1周年:2000/12/23(土) 11:02
 ヤルタの密約で、ソ連は日本に参戦するとルーズベルトにやくそくさせたが
若干、日本を泳がせた。日米両者の消耗を画したのだろうか?漁夫の利を
得んとしたのであろう!原爆投下をみて、あわてて濡れてで泡。
国と国との協定、同盟なんて夢の夢。然し、不信だけは、植え付けてくれたのう。
72名無しさん@1周年:2000/12/23(土) 11:05
失礼 泡ーー>粟   。。71
73ななし:2000/12/23(土) 12:06
結局、無条件降伏を選択したという事実から、当時の日本にゲリラ戦展開する余力も気力も必然性も存在しなかったってことじゃない?
まぁ これ言っちゃあ ifも糞もないんだろけど・・
74名無しさん@1周年:2000/12/24(日) 07:31
追い込まれた大日本帝国軍は皇居に立てこもり
バチカン市国的国家、天皇制の「大日本帝市国」建設を
条件に降伏し、皇居以外は民主国家、皇居内は大日本帝国、
となる。が、その後雪解けムードにより、近年統一される。


75日本@名無史さん:2000/12/24(日) 08:06
 檜山良昭「日本本土決戦」一番憶えてるのは
「この先一世紀間は日本は石器時代並みの生活レベルだろう」とかいった文面。
そこまで生活・文化レベル落としてまで守るものって、何だったか分からん。
76日本@名無史さん:2000/12/24(日) 09:41
本土決戦をやっていたら天皇は間違いなく処刑されていたな。
77六誓:2000/12/24(日) 13:13
勝ってたよ。
78日本@名無史さん:2000/12/24(日) 18:59
玉音放送をみんなで涙して聞いたということだけど、私はラジオの音質が悪くて何言ってるか結局分からずじまいだったのを覚えている

79日本@名無史さん:2000/12/24(日) 21:49
↑オイラも
80日本@名無史さん:2000/12/24(日) 22:23
30番台で補給問題が指摘された時点で、もう終わったと思って
たのに、まだ続いてたのね。
20年春の最高戦争指導会議(大本営政府連絡会議の後身)で、秋には
塩が深刻になって家畜が病死し始め、21年には国民に疫病が蔓延する
って予測が報告された時点で、半年以上の継続は不可能と判断されて
た。日本は大正期以来塩の大量輸入国で、中国沿海州や地中海産に大
部分依存してたんだよね。陸軍参謀本部編『敗戦の記録』にリアルな
議事録そのまま掲載されてるから、軍事オタ諸君読んでね。
81元日本兵:2000/12/24(日) 22:24
ザザ・・・耐えがたきを・・・ザザザ・・・

「何て言ってんですかねえ?」
「さあ?」
「がんばれ、耐えろって事でしょう」
「そうだな、そういうこったろ」

あの日の会話・・・。
82名無しさん@1周年:2000/12/28(木) 11:01
実は1945年9月オリンピック作戦で、99里浜上陸作戦、実施予定」だったん
です
83日本@名無史さん:2000/12/28(木) 12:52
1945年9月のオリンピック作戦は九州だよ。
上陸地は宮崎海岸・志布志湾・吹上浜。13個師団。

1946年3月のコロネット作戦が関東平野。
茅ヶ崎・九十九里浜。メインは茅ヶ崎。23個師団。
84日本@名無史さん:2000/12/28(木) 13:00
やはり原始爆弾で本土血栓は回避されたのだ。
      ーーーー盗るぅ萬
85日本@名無史さん:2000/12/28(木) 14:38
最近は70過ぎた爺厨房もいるのか。
86日本@名無史さん:2000/12/28(木) 16:11
塩って海に囲まれた日本なら簡単に作れそうなのですが、
なぜ輸入に頼っていたのですか?
87日本@名無史さん:2000/12/28(木) 16:26
>38
たしか北海道、東北がソ連で東北以外の本州がアメリカ
四国が中国国民政府で九州がイギリスだったと思う。
88名無しさん@1周年:2000/12/28(木) 18:58
89名無しさん@1周年:2000/12/28(木) 19:08
>>88 70すぎた生き残り爺から
90日本@名無史さん:2000/12/28(木) 21:03
88見たけど中国人犠牲者千数百万てのは国共内戦の被害者も含めてない?
91日本@名無史さん:2000/12/28(木) 21:21
米英は、四年間も支那事変で戦ったのだから、日本はかなり弱っているだろうと見縊りよもや戦争は仕掛けまいと思っていたのですが、それ
が決然立ち上がると、僅か半歳たらずに米英は東亜からすっかり敗退させられ、猶おびやかされる結果になってしまいました。武力戦では到底
日本に太刀打ち出来ぬことが、今やはっきり解ったわけです。然しそれだからといって、あっさり降参してしまうような米英ではありません。
なんとかしてこの敗退を盛り返そうと、いろんな手段でやって来るでしょう。そこで当然考えられるのが非武力戦です。

 日本の銃後を攪乱し、経済的に、思想的にあるいは政治的に凡ゆる手段でおびやかし、国民をして反戦的気分にさせ、銃後から降参させてや
ろうと種々の謀略宣伝に全力を尽くしてくるでありましょう。

 例えば日本にはだんだん物資が無くなりもう少しで戦争はできなくなるとか、今はあんな風に負けているが、米英人は優秀な民族だから最後
には勝利を得るとか、敵側には凄く優れた武器が出来たとか、または日本軍が何処其処で大損害を受けたとか、例をあげると数限りありません
が、こんなデマが口から口へと伝えられます。これが謀略で根も葉もないこと、どうしてそんなことが云えるかと思う事を本当らしく装って云
いふらすのです。そして国民に恐怖心を起こさせ、戦争に嫌気を起こさせ、一億一心がしっかり結びついて銃後も前線と同じ様な気持ちで団結
しているのを解し、崩れさせようとするのであります。

 私達は東亜の盟主日本の国民であること、今日本は大東亜の幸福の為に戦争していること、然も戦うからにはどうしても勝たねばならぬこと
などをよく自覚し、種々のデマに迷わされることなく、各自の持場を厳重に守って各自の務めに励むよう努めましょう。
92名無しさん@1周年:2000/12/29(金) 04:43
以上、大本営発表でした。
93日本@名無史さん:2000/12/29(金) 20:21
>塩って海に囲まれた日本なら簡単に作れそうなのですが、
>なぜ輸入に頼っていたのですか?
現在と違って塩は塩田で作ってた。塩田には広い干潟
と乾燥した気候が必要で、日本では瀬戸内海が最適。
しかし、輸入塩に押されて1920年代から塩田は荒廃。戦時下
で塩田の再建に取り組むものの、塩田ってのは成熟期間てのが
必要。電気式の乾燥機も結構開発したけど、国民の生活需要
と軍需には全く対応できなかった。ついでに言うと、塩は
ソーダ(炭酸飲料じゃないよ)の原料で、無機化学工業の基本
物資であって、消費量の半分は工業塩。爆薬の原料の一つ。
94名無しさん@1周年:2000/12/30(土) 07:46
あのころは、松の根から油をとって、松根油と称して飛行機のエンジンオイル
としてました。勤労動員の学生で掘らされたもんですよ。
95日本@名無史さん:2000/12/30(土) 08:34
エンジン・オイルではありません。ガソリンの代替品です。
96日本@名無史さん:2001/01/23(火) 23:50
#カミカゼ特攻は1944年秋のレイテ戦からだが、終戦までの全戦果のほどは・・・

「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」(KKベストセラーズ)上P19より引用
筆者は昭和53年に『日露戦争全史』(時事通信社)を翻訳したことが
機縁となり、その著者でオーストラリアの著名な戦記作家ウォーナー夫妻と
知り合った。同氏は戦争中オーストラリアの新聞特派員として、
サイパンから沖縄まで従軍し、 日本軍の特攻をその目で目撃したばかりか、
沖縄作戦では英空母の艦上で特別攻撃を受けて負傷し、 本国に後送された経験の持ち主でもあった。
「特攻機が水平線に現れて目標にぶつかるまでは、私が書くから、
君は水平線の向こう側を担当してくれないか」ということで、
数年間かけてウォーナー夫妻と一緒にまとめたのが、
『THE SACRED WARRIORS:Japan’s Suisaide Legions』
(バン・ノストランド・レインホール社、ニューヨーク)
邦題『ドギュメント 神風』(時事通信社、徳間文庫)である。
ウォーナー夫妻が太平洋戦線で日本機から体当たり攻撃を受けた
米、豪、英の全艦船について調査したところ、次の事実が判明した。
●空母「セント・ロー」、「オマニー・ベイ」、「ビスマルク・シー」の三隻を含む少なくとも57隻が撃沈された。
●正規空母「タイコンデロカ」、「バンカーヒル」、「エンタープライズ」、
「フランクリン」、護衛空母「サンガモン」、英空母「フォーミダブル」、
水上機母艦「カーチス」、豪重巡「オーストラリア」を含む108隻は、
特攻攻撃で受けた損傷のため、終戦まで戦線に復帰できなかった。
●さらに空母「レキシントン」、「イントレピッド」、「ランドルフ」、
「サラトガ」、「ワスプ」、「ハンコック」、軽空母「ガボット」、
護衛空母「キトカン・ベイ」、「カダシャン・ベイ」、「サラマウア」、
「ウェーク・アイランド」、戦艦「ニュー・メキシコ」、「メリーランド」、
「ネヴァダ」を含む84隻が船体に重大な損傷を受けるか、
多数の死傷者を出すか、それとも物的・人的の両面で大損害を受けた。
●さらに少なくとも221隻が軽傷を負った。
97日本@名無史さん:2001/01/24(水) 00:30
空母プリンストンも撃沈じゃなかったかなあ。
98摂津守:2001/01/24(水) 00:56
天皇中心の国家形態を考えると。関東制圧後、各都市を占拠。
その後は局地戦をだらだら続けながら日本軍の動きをさぐり。
通信傍受で天皇のいる本営の場所を突き止めて。其処を攻撃拠点にして。
物量作戦で一気に制圧にかかる。硫黄島、沖縄の教訓から全国に大部隊を
展開するのは不利になる事は分かっているから。多分、必要最小限の被害で
納めようと考えるのだが。どうだろう?
99世界@名無史さん:2001/01/24(水) 09:18
>>96

米国世論の77%が天皇処罰論だったのに、あのまま存続してしまった原因はこれだろう。
100朝鮮人:2001/01/24(水) 09:43
天皇ってのは罪な人間だねぇ。

ま、われわれの同胞だから許してやってもいいけど。
101日本@名無史さん:2001/01/24(水) 10:02
おいおい、96と97はなんだい?
空母が57隻も沈んだわけないじゃん。
はっきり覚えてないけど、そこに名前が出てる程度だったろ?
あと、プリンストンは通常攻撃だよ。
102日本@名無史さん:2001/01/24(水) 15:35
児島襄  「天皇と戦争責任」P24、25より]
マーシャル参謀総長の発言にたいして、陸軍長官スチムソンは、日本の「潜在的平和勢力」
による降伏は考えられないか、といい、大統領顧問W・リーヒ海軍大将も、指摘した。
「なにも日本を無条件降伏させなければ、こちらが敗けるわけではない。無条件降伏に固執して
日本人を自暴自棄においこみ、われわれの戦死者名簿を厚くしては意味がない」
 だが、ほかに適切な対案もなく、陸軍の日本本土上陸作戦が承認されて、会談は終わった。
 この会議の五日後、六月二十一日、沖縄は陥落した。
 そして、この沖縄陥落は、米国の対日政策、とくに天皇と天皇制にたいする姿勢を転換させるきっかけとなった。
  沖縄戦のバランスシートは、過酷なものであった。米軍側は艦船千三百十七隻、
飛行機千七百二十七機、人員四十五万千八百六十六人を動員して沖縄を攻め、
日本側は航空機延べ九千五百機、兵員約七万七千二百人で戦った。
日本側は将兵約六万五千人、沖縄県民約十万人が死んだが、米国側の損害も大きかった。
海軍は艦船沈没三十六隻、撃破三百六十八隻、戦死四千九百七人、
負傷者六千二百四十人を数え、陸軍は、第十軍司令官S・パックナー中将をはじめ
戦死および行方不明七千六百十三人、負傷五万八千十八人を記録した。
ほかに航空機七百六十三機が失われている。
103日本@名無史さん
>>101
あんたバカ?
空母3隻を含んで、沈んだのが57隻っていみだろうが。
戦艦って特攻ではあまり被害は受けてないと思ったが。