九州戦国史について語ろう

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1立花
九州の戦国時代は、大友、島津、龍造寺の三国志。
それに宇都宮、蒲池、松浦、有馬などが絡んでくるが、
なかなか話題にされることがない。
そこで、多いに語ってもらいたい。
2日本@名無史さん :2000/10/20(金) 22:59
ゲームになってたぞ
3名無しさん@1周年 :2000/10/20(金) 23:44
なんていうゲーム?
4天之御名無主 :2000/10/20(金) 23:47
大友って、重要な合戦全部負けてるよな。
大分県民として恥ずかしい。
5名無しさん@元大分県民 :2000/10/21(土) 01:01
いや勝ってる戦もそれなりにあるから最大6国の国主になれたんだけどな<大友
一端弱体化し始めたあとの崩壊ぶりがひどすぎるだけであって
#やっぱ宗麟は(政治・軍略はともかく)人格・人望的に問題ありすぎかもしれぬ
6日本@名無史さん :2000/10/21(土) 01:06
大友って、ゲームからだと家臣で何とかなってたってイメージが強い。
いや、実際のところはどうだか知らんけど。

でも、南北朝〜織豊期の九州って、かなり面白そうなのは事実。
誰か一冊の本にまとめてくれないかねえ。
7福岡県民 :2000/10/21(土) 13:25
葦書房の
九州戦国史
筑後戦国史
なんか面白いよ。
8> :2000/10/21(土) 14:41
 大友は元がでかかったし、戦より調略で大きくなった、てイメージ。
龍造寺は血塗られた歴史のイメージ。
9日本@名無史さん :2000/10/21(土) 15:09
元寇の時、日本軍の総大将として奮戦した小弐氏や
平戸に停泊していた元軍の船に夜襲をかけた松浦党

戦国時代に両氏はどうなっちゃったの?
10名無し三等兵 :2000/10/21(土) 16:17
>>7
九州戦国史はよんだぞ。大友は、三氏のうち最も中国地方(最初大内、
次 毛利)の侵略を受けやすい立場だったし、島津と龍造寺は最終局面
以前では相互に戦わなかった(大友とだけ戦ってた)ので、地政学的に
弱体化はしょうがなかったような気がする。

筑後地方の対毛利防衛戦は、大友のベストマッチといえるほど素晴らしい
ものだったぞ。立花道雪による戦術面の勝利、大内遺臣を使った周防かく乱
による戦略面の勝利。双方の効果により毛利の九州侵攻を断念させた。

ま、私は大分育ちだから、私情入りまくりですけど。
11名無し三等兵 :2000/10/21(土) 16:19
筑後じゃなくて筑前ね。立花城前面での戦いだったかな。
12名無しさん@元大分県民 :2000/10/21(土) 17:45
>>9
少弐は永享年間(戦国以前!)から大内氏とずーっと争いを続け、
その結果徐々に弱体化し、筑前を奪われてしまう。
かろうじて肥前に勢力を保っていたのだが、結局
龍造寺隆信に滅ぼされてしまうのであった。
ってその前に龍造寺一族を皆殺しにしたのが少弐氏だから
しょうがないといえばしょうがないのだが。

松浦党は戦国時代にはバラバラになっていたのだが、それを
大名としてまとめあげたのが平戸の松浦隆信(近世平戸藩の祖)
ということらしい。一応。
13名無しさん@1周年 :2000/10/21(土) 18:40
大内氏は、筑前を奪取する大義名分を得るため、公家に多額の献金をして、
太宰大弐の官職を得て、少弐は先祖が太宰少弐だったことから名乗っているのに対して、
その上だと誇示したところが面白い。

大内義隆は、従二位まで上がり、足利将軍より官位では遙かに上になったけど、
公家かぶれの形式主義に陥って、下克上で滅ぼされてしまったのは皮肉。
14>12.13 :2000/10/21(土) 19:32
9です
書きこみありがとうございました。
小弐氏も松浦党も元寇の時はあれほど大活躍したというのに…
常者必衰の理…とは申せ九州は大名の入れ替わりが激しかっ
たんですね。。。。最後まで残ったのは島津くらいですかね。
15日本@名無史さん :2000/10/21(土) 23:26
>14
対馬の宗も残ったのでは?
16日本@名無史さん :2000/10/21(土) 23:39
竜造寺隆信の少年時代は昔の少年向け時代小説になりそうなネタだと思うんだけど。
後がね・・・・
17名無しにゃーん :2000/10/21(土) 23:40
>14
その島津も薩摩、大隈、日向の土豪(肝属氏、菱刈氏等)を制圧するのにすごく
苦労している。挙句に島津分家同士の主導権争いも大変で最終的には支流筋が
統一している筈。その流れで有名な島津義弘が出現するがあれだけ活躍したのも
元はと言えば藩内が落ち着いたからこそなれば。
1814 :2000/10/22(日) 01:58
信長の野望シリーズでも九州の武将は軒並み戦闘能力が
高いですからね。もっと全国に分散していればそれぞれ
大活躍したんでしょうけれど、私個人的には高橋紹運が
好きなんです。実子の立花宗茂も小早川隆景とともに、
朝鮮の役で明の大軍相手に大活躍しましたしね。
19>16 :2000/10/22(日) 02:36
龍造寺隆信も、蒲池鎮漣を騙し討ちした後は、どうしょうもないしね。
筑後の諸氏は次々に離反するし、蒲池鎮漣謀殺と蒲池氏殲滅の実行部隊に
された田尻鑑種も反龍造寺になるしね。
20秀@レイカ命 :2000/10/22(日) 02:46
大友宗麟と竜造寺隆信は、前半生の英邁さと後半生の堕落の差が激しすぎ
それぞれ知将と猛将という対照的な色彩があるが、立花道雪や鍋島直茂という
有能な家臣を遠ざけたのは共通してたりする

道雪と直茂は典型的な永遠のライバル。筑前筑後で追いかけっこ?をしてたらしい
21初心者 :2000/10/22(日) 03:52
>19に書かれてある
「龍造寺隆信も、蒲池鎮漣を騙し討ちした後は」について。
蒲池鎮漣とは、どこの大名なのでしょうか。
また「蒲池氏殲滅」とは、どこの国の出来事なのでしょうか。
初心者なので、初めて知りました。
ご教示いただければ幸甚です。
22名無史さん :2000/10/22(日) 03:54
松田聖子の先祖でしょ
23秀@レイカ命 :2000/10/22(日) 20:30
>>21
筑後・柳川の土豪、蒲地鎮並(または波、漣)のことだと思います
竜造寺隆信が城を失い筑後へ亡命してきたときに大友に逆らってまで匿った大恩人です
しかし、隆信の生来の残忍さに危惧を抱いた鎮並は隆信に謀反、屈伏を繰り返します
ここんところ、鎮並の方が先に離反したように見えますが、隆信が諸将を
糾合する器にあらず。というのがおおかたの見方でしょう
隆信は鎮並を佐賀に誘い出し、謀殺してしまいます。その後柳川に攻め込み
あっけなく蒲地家を滅亡に追い込んでしまいます
こういう計略は戦国にあっては見事なもので隆信の鮮やかな手並み炸裂と
言えます、、、が、大恩人をコロした隆信からはますます人心が離れていき
ますます隆信は疑心暗鬼の陥穽に囚われていき、酒に溺れていきます

#筑後・柳川は鍋島直茂に与えられ、筑前・立花山の立花道雪との死闘が繰り返されます
24日本@名無史さん :2000/10/22(日) 22:02
蒲池氏の歴史や系譜は、下に詳しい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/index.html
蒲池氏は、>23氏が言うような土豪とは違って、本家10万石、分家8万石の
筑後随一の大身で、九州一の堅城とされた柳川城の城主家。また、龍造寺隆信の
蒲池鎮漣謀殺は、見事というより、鎮漣も迂闊とはいえ、やはり残忍で、蒲池の
門脈の広い筑後豪族は、龍造寺隆信から離反していきます。ただ、蒲池氏の本家
は滅びても、分家や一族は、存続し、豊臣秀吉は蒲池氏の大名としての再興に内諾
していたらしいですが、その前に死去してしまったらしいです。
>22氏のいう松田聖子の件は、蒲池鎮漣の娘の徳姫が、蒲池本家を再興し、その
子孫に松田聖子がいるということです。すべて上記のURLのサイトに詳しいです。
25日本@名無史さん :2000/10/22(日) 23:13
有馬晴信とか、秋月なんちゃら、筑紫惟門、相良義陽、そしてそれぞれの家臣たち・・・。
(深海長智とか赤池なんたらとか、そういう人たち)
みんな一癖あって、面白いよね。
26秀@レイカ命:2000/10/23(月) 23:52
>>24
そこのサイトってバイアス掛かりすぎじゃ?まあ、それはそれでおもしろいんだけどね

ツッコミ入れてみると、、、
> 本家10万石、分家8万石
領土を石高で測るのは太閤検地以後のような気がしますが、違いましたっけ?
> 九州一の堅城とされた柳川城
え〜?毛利、竜造寺、島津を退けた立花山城より固い?それはちと、、、
> 見事というより、鎮漣も迂闊とはいえ、やはり残忍で
ちょっと聞きたいんだが、戦争において残忍っていう基準はなにか意味があるのですか?
隆信が蒲地氏を滅ぼそうとしたこと自体は理不尽かもしれないけど
いざ、倒すことを決断した後は能力の及ぶ限りあらゆる方法を考える
というのが将たるモノの役目のでは?
柳川城を正面攻撃して、多くの兵を損なえばタダの愚策でしかないような
犠牲が大きければ恩人を殺したという理不尽さが薄れるわけでもないと思うし
27>26:2000/10/24(火) 01:39
ツッコミですが、
その蒲池のサイト見ましたが、蒲池の勢力については、龍造寺氏の資料を
使ってます。ということは、それなりの客観性があるでしょう。
「石高」は、>24が、たまたま使っただけでなく、上記の蒲池サイトでは、
本家10万町、分家8万町となってます。正確には、本家分家ではなく、
嫡流庶流という表記ですが。
柳川城は、立花道雪も落とすことが出来ずに悔しがったそうです。立花山城より
固いかどうかは知りませんが、当時は、九州一の堅城というような見方がされて
いたのではないですか。
「残忍」というのは、誰に対してであれ、周囲の主観でしょう。ただ、当時の筑後
の大身たちは、隆信をそう理解したのでは。だから龍造寺から離反していったのでは?
ただ、蒲池サイトは、そんな情緒的見方はしていないようです。もっと複雑な内情が
あったことを示唆しているようです。
28日本@名無史さん:2000/10/24(火) 01:53
蒲池が土豪ということについて言うと、蒲池も、大友や龍造寺と同じ「下り衆」
でしょう。
もともと蒲池は、嵯峨源氏の松浦の一族出身だから、松浦久が京都から九州に
下ったのがルーツでしょう。戦国時代の蒲池は、ルーツが南北朝の時の宇都宮姓
だから、懐良親王の九州下向に伴って来て、蒲池の家督を継いだ。
筑後の豪族は、大蔵氏族と宇都宮氏族が二大勢力で、蒲池は宇都宮氏族の棟梁
みたいな位置にあっんだろうと思う。
29同盟:2000/10/24(火) 13:26
  大友氏が大活躍なのは、陶のクーデター支援でまんまと大内氏を滅亡へ向かわせた
ところあたりなんだよなぁ。名目上の大内氏後継は大友宗麟の縁者だったし。厳島で
元就が台頭して大内家臣団を吸収して逆に九州進出されるってオチもあるけど。
 にしても大友氏って周り敵だらけ四国から小早川、北九州に毛利、南から島津
西に竜造寺ってダメじゃん。大内家との同盟がなくなった時点で南の伊東家だけって
...。太閤に降るしかないかやっぱ。
30名無しさん@元大分県民:2000/10/24(火) 22:45
>>29
せめて「よく四面楚歌の状況であれだけ保った」と言っちゃあくれませんか
毛利から立花城を取り返して筑前を押さえ、筑後・肥後では一時は佐賀まで
攻め込み(今山の合戦:負けたが)……。
31戸次:2000/10/25(水) 02:16
大友が、日向の耳川の合戦で、島津に大敗したのが、
大友の凋落の発端?
あれも、まともにやってたら大友の勝ちじゃなかったか。
今山なんて本当は、大友の圧勝なのに。
32小野崎:2000/10/25(水) 07:09
佐竹芦名が、会津の摺上原の合戦で、伊達に大敗したのが、
佐竹の凋落の発端?
あれも、まともにやってたら佐竹の勝ちじゃなかったか。
人執橋なんて本当は、佐竹の圧勝なのに。
33名無し三等兵:2000/10/25(水) 09:34
耳川の合戦は、立花道雪はあんまり乗り気ではなかったらしい。
そのせいか肥後から迂回する軍は完全に遊軍になってたし、
本隊はこれまた歴戦の将が慎重論を唱えたのに、なぜか渡河しちゃった
し、負けるべくして負けたという気もする。

少なくとも言い伝わってる事実だけをみると、今川が田楽狭間で
負けたときよりも納得できる負けっぷりですね。
34日本@名無史さん:2000/10/26(木) 03:45
鍋島に家督を奪われた龍造寺の子孫はどうしたのだろうか?
35日本@名無史さん:2000/10/26(木) 04:06
後藤家信の系統は鍋島家臣として残ったのでは?
36秀@レイカ命:2000/10/26(木) 09:51
>>27
> 柳川城は、立花道雪も落とすことが出来ずに悔しがったそうです
初耳です。いつの年代のことでしょうか?蒲池氏の支配の時?鍋島に変わった後?

>>29-30
しかし周りが敵だらけなのにそれを跳ね返し、九州のうち六州を影響下に収め
九州探題になったのを見ると、やはり宗麟はただ者ではないと思いますよ

>>31 >>33
そもそも道雪が耳川の合戦に参加してない時点で負け決定のような気がする

>>34
竜造寺氏は、大友氏と同じく徳川幕府の名家コレクション制度である
”高家”に組み込まれたと聞いていますが
37日本@名無史さん:2000/10/26(木) 10:59
>36
「> 柳川城は、立花道雪も落とすことが出来ずに悔しがったそうです」
これは有名な話です。
ただし、蒲池氏の居城の時ではなく、その後です。
しかし、城そのものの造作は、鍋島時代も、ほとんど蒲池時代と同じです。

龍造寺の子孫は、鍋島を家督簒奪として幕府に訴えますが、敗れて、会津藩預かりの
身になり、そのまま明治になります。「高家」にはなっていません。
38名無し三等兵:2000/10/26(木) 11:26
柳川城って平城だし、そんなに堅城だとは思えない。もっとも水郷
地帯の中にあるから、平城の中では地形を利用した堅城ということに
もなるけど。
柳川が落ちなかったのは、城の堅固さが理由というより城の重要性に
あったと思う。肥沃な筑後平野の中にでんと構えてるんだから、守り
にしか役に立たない山城と違って、筑後地方の平時の拠点になりうる。

蒲池が本城にしてたり、鍋島直茂が派遣されたりしてたら、そりゃ
なかなか落ちないでしょう。あと、大友軍って調略べたなせいか、
攻城戦はあまり得意じゃないみたい。門司城攻めの時なんかは毛利に
弄ばれたし、鮮やかに攻め取ったという戦史は余りみたことない。
39秀@レイカ命:2000/10/26(木) 11:27
>>37
立花山城もいろいろ城主が移り変わっていますが
道雪が赴任してきてからは、不落になりましたよね
柳川城も直茂が城主になってから難攻の要塞となったんじゃ?

つまり、軍事的ハードウェアよりも、巧みな戦略・戦術こそ
重要であり、それを体現する名将の存在が難攻不落と言えるのでは?
40日本@名無史さん:2000/10/26(木) 12:52
>39
柳川城は蒲池の頃から、堅い城として知られていた。
龍造寺隆信も柳川城には手を焼いた。
だから、謀略で蒲池鎮並を肥前におびき出して殺したのよ。
41日本@名無史さん:2000/10/26(木) 12:58
柳川城の強さは、やはり水郷の利用でしょう。
まさに水郷という堀に十重二十重と囲われた城だったらしい。
蒲池鑑盛(宗雪)が、それに目をつけて、それまで支城に
すぎなかった柳川を本城に建て直し、蒲池城から移った。
もちろん、城主が蒲池から鍋島に変わったことで変化もあった
だろうが、水郷の利用は一貫していたと思う。
42轢死の語りべ:2000/10/26(木) 23:02
九州は凄いね
43日本@名無史さん:2000/10/27(金) 09:41
島津が全国制覇できなかったのは伊東が実力以上に粘ったせい。
結局木崎原の戦いまで一進一退だったから。
44名無し三等兵:2000/10/27(金) 10:11
耳川、沖田畷、戸次川という有名な島津軍の勝利した戦いは、
敵が不用意に攻め込んだのを逆襲するというパターン。
伊東は島津を過小評価するような愚を犯さなかった(つーか
はっきりいって自分が弱いのを自覚していた?)ので、
ギリギリまで島津に惨敗することがなかったんでしょうね。

もともと薩摩と大隈はそんなに肥沃な土地じゃないから、
他国を侵略する兵員動員があまり思うようにいかなかった
せいもあるでしょうけど。

45名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 11:39
最高の武将立花道雪、高橋紹運、立花宗茂、また、彼らは人間として最高である。
46日本@名無史さん:2000/10/27(金) 12:55
>45
その三人がどうして人間として最高なのか具体的に教えて
47名無し三等兵:2000/10/27(金) 13:23
>46
人格などは限られた史実では勿論知りようがないんだけど、

道雪は、宗隣が猿の飼育に夢中になって国政がおざなりになってたのを
猿を打ちすえて殺し、涙ながらに主君の道を説いて宗隣も涙したという
逸話が残ってます。他の家臣は猿にいたずらされても我慢してたそうな。
まあこの手の主君を諌める話はよくありますな。

宗茂は、武才だけでなく人望面からも評価が高いおかげで西軍の将で
ありながら、大名復活を遂げたというのがよくある評価ですよね。
文書として人物評が残ってるのかどうかはチトしりません。朝鮮の
役で智将小早川隆景に大人物だと惚れ込まれたという話も読んだ
ような気もしますが資料の裏付けはないです。

紹運は若くして死んだからねぇ。もっとも絶対不利の玉砕戦で
敵に大損害を与えたのだから、その統率力たるやもの凄いんだろうと
想像はできますが。


48ベルリン帰り:2000/10/27(金) 14:20
15>
ちょっと突っ込みますが、
 対州と雪州は、九州に含まれないのでは?
  九州=筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隈の計九カ国
  三島=壱岐、対馬、種子島の三島
それとも「九州」=西海道または大宰府・九州探題の支配領域と考えれば別だけど。
49与六:2000/10/27(金) 21:39
角隈石宗ってあやしげだよね。でも大好きオカルトチックな所が。
50日本@名無史さん:2000/10/31(火) 10:56
島津お得意の「釣り野伏せ」戦法は、有名ですが、実際はどんなものなのでしょうか。
「実際」なんて、後代の者には愚問かもしれませんが。
書物で見るかぎりでは、基本型はパターン化しているみたいなので、誰かが一度でも
それにかかると、分かってしまう気がしないでもないのですが、これもやはり
後代の後知恵なんでしょうかね。
51飛蝗:2000/11/01(水) 14:30
立花道雪、高橋紹運、立花宗茂
この3人については、恐れながら語って頂ける方がいらっしゃると嬉しいですね。
私は関東人なので、余り九州は詳しくないですが、「武将列伝」を読んで、立花
宗茂には特に興味があります。
52飛蝗:2000/11/03(金) 04:42
お、おおい。。。
済みません、まさか放置を喰らうとは思わなかった。(汗

是非、立花父子なんぞについて語ってもらえませんか?
53日本@名無史さん:2000/11/03(金) 07:23
銀千代って結局どうなったんだろ。
54今亜寿:2000/11/03(金) 09:58
>53
宗茂と別居状態のまま三十代で若死に。
55>50:2000/11/03(金) 10:38
驚愕の「全滅囮戦隊」を使ったんでしょ。
56日本@名無史さん:2000/11/03(金) 14:09
現在も柳川にいる立花氏の子孫の家では、毎年、戦国時代に立花家のために
討ち死にした家臣の法要をしているらしいです。
57日本@名無史さん:2000/11/03(金) 16:56
田尻鑑種について調べてます。
適当なよい本はないでしょうか。
58名無しさん@1周年:2000/11/03(金) 18:03
関が原の帰りに、島津を同船させた立花宗茂。

ところで、なんで肝付くんは関が原で戦死してるんだ?
敵じゃなかったのか?
59日本@名無史さん:2000/11/06(月) 15:52
age
60名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 16:42
高橋紹運について調べたくば岩屋城の戦いについて調べよ。
61名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 17:41
確かに、藤村が高卒だったために、却って遠慮ない批判がしにくかった、
ということはあり得るね。仮に、彼が在日韓国人だったとしたら、私だっ
て、その成果について、しつこく疑り深く検討の目を向けることに自制心
が働くだろうから。
62日本@名無史さん:2000/11/06(月) 19:26
>50

チンギス・ハーンを知っているか?
63>61、62:2000/11/06(月) 23:05
無意味。
64日本@名無史さん:2000/11/06(月) 23:50
>飛蝗さん
童門冬二氏が立花宗茂の本を出してますよ。
65日本@名無史さん:2000/11/14(火) 03:02
age
66日本@名無史さん:2000/11/15(水) 03:43
九州の戦国大名を描いた小説について教えて下さい。
67日本@名無史さん:2000/11/15(水) 04:56
>66
ん〜と、「乱離の風」滝口康彦著、文春文庫<立花宗茂
「王の挽歌」遠藤周作著、新潮文庫<大友宗麟
などかな?もっとほかにもあるやろけどね
68日本@名無史さん:2000/11/15(水) 05:09
龍造寺隆信を描いた小説はないのかな。
69日本@名無史さん:2000/11/17(金) 06:09
age
70日本@名無史さん:2000/11/17(金) 07:56
>68
PHP文庫あたりあさってみれば?
7168:2000/11/18(土) 04:25
>70
PHP文庫にはないですね。
72日本@名無史さん:2000/11/19(日) 03:35
龍造寺隆信はヒーローとしての爽やかさに欠けるからな。
73日本@名無史さん:2000/11/19(日) 03:48
倣岸、デブ、謀殺マニア、戦場で首取られる
爽やかさの欠片も無し。
74日本@名無史さん:2000/11/20(月) 03:54
大友宗麟も人格的に問題ありだしね。
75日本@名無史さん:2000/11/20(月) 03:58
>>73
かえって魅力的だな。>龍造寺
司馬マニアのおこちゃまにはうけないだろうが。
76日本@名無史さん:2000/11/20(月) 04:06
いま中公文庫から「完訳フロイス日本史」が出てるけど
九州の動勢にも多く触れられていて面白いよ。
道雪の人柄に関わる逸話とかも載ってるし。
77日本@名無史さん:2000/11/20(月) 04:07
司馬じゃあダーティーヒーローの魅力なんて書けねえよ。
例外は『覇王の城』だけ。
78日本@名無史さん:2000/11/20(月) 05:58
>75
龍造寺のどこが魅力的なのか教えて
79日本@名無史さん:2000/11/20(月) 08:15
>78
有る意味、魅力的だと受け取るべきでしょう。
73に書かれている事を読めば・・・。
十一番目の志士もダーティーの内に入らないかな?
80日本@名無史さん:2000/11/21(火) 05:36
>79
変態マニアの魅力?
81日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:24
立花宗茂は実父が高橋紹運、養父が立花道雪
子供のころに統虎と名乗っていた宗茂に道雪が惚れこんで
養子にしたそうな
紹運は宗茂と分かれる時に、もし敵味方に分かれたらこの剣で
私を討てといって太刀を渡したらしい

道雪の死後、宝満山城に紹運、立花山城に宗茂が居城を構えていた時に
島津軍の北上が始まる
大友宗麟はこの時独力では島津に対抗できないと考えて
太閤秀吉に援軍を要請している
ここだけを見ると、島津・大友両軍とも時間との戦いになるわけね
援軍が来る前に筑前・豊後あたりを抑えれば島津の勝ち
援軍が来るまで持たせれば大友の勝ち、ってね
最終的な勝敗はまた違うだろうけど
有名な岩屋城はもともと宝満山城の支城の一つだったんだけど
タイミングの悪い事に紹運の出陣時に近くの筑紫氏に奪われてしまい、
岩屋城で島津軍で迎え撃たざるをえなかった
もっとも、これは紹運の願う所だったんだろうけどね
山深い宝満山城に立てこもってしまったら、島津軍は宝満山城を無視して
実の息子の立てこもる立花山城に直行してしまうから
実際、宗茂も紹運にいっしょに立花山城に立てこもろうと、書状を
送っているんだけど、理由をつけて断ってる
紹運が宗茂に送った書状の最後には
「実に再会を期せず候」
って書いてるから、実の息子のために討ち死にするつもりだったんだろう
時間稼ぎの為にね

82日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:24
さて、岩屋城の戦いだけど、岩屋城に構える高橋紹運以下763人と
島津忠長率いる約5万人の間で14日間にわたって繰り広げられる
まあ、数には諸説あるだろうけどね
結局、城方は一人の逃亡者も出さずに全員討ち死にするんだけど、
このあたりが紹運の評価につながってるんだろう
この時代に全員戦死というのは珍しい出来事で、それだけ部下を掌握する
統率力、人徳ちゅうのが高評価をうけているんだね
島津軍はこの戦いで、城方の実に5倍の戦死者を出した、というから、
いかに城方の抵抗が激しかったかを物語ってるんじゃないかな?
また、城方の抵抗にえきへきした島津方も何度か降伏勧告をしてるんだけど、
「主家が衰えたからといって見捨てるのは武士ではない」
と言って突っぱねてるみたいだね
ちなみに紹運は落城時に切腹して果てた。
「落ち延びたと勘違いをされたくない」という理由で、
建物に火を放ったりはしなかったそうな
紹運の墓は、この岩屋城の2の丸跡にあるよ
この時の島津軍のタイムロスが、後の秀吉の島津討伐をやりやすくした、
というのはひいき目になっちゃうかな
いじょ、暇人のひとりごと
83日本@名無史さん:2000/11/21(火) 06:46
>80
そうそう。
っで、誰か「フロイス日本史」よんだ?
大友宗麟篇と大村純忠・有馬晴信篇はなかなかいけるぞ。
84黒田如水:2000/11/21(火) 09:50
道雪も紹運も君主がもう少しかしこかったらよかったのになあ。
85与六:2000/11/21(火) 13:44
いわゆるキリシタン大名も千差万別てことですかね。
86日本@名無史さん:2000/11/21(火) 23:58
しかし、パッとしないね九州は。
87四国の人間:2000/11/22(水) 03:04
所詮、九州だからね。
88日本@名無史さん:2000/11/30(木) 04:38
age
89東北の人間:2000/11/30(木) 04:57
所詮、九州だからね。
90日本@名無史さん:2000/11/30(木) 05:56
>>81
>紹運は宗茂と分かれる時に、もし敵味方に分かれたらこの剣で
 私を討てといって太刀を渡したらしい

ん?それって
「もし父が道雪様の敵となった時迷うような事があればこれで自害せよ」
って言って短刀を授けたって話じゃなかったけ。
それともまた別の逸話なのかいな、間違ってたらスマソ。
91日本@名無史さん:2000/11/30(木) 06:02
四国には「南海治乱記」のような、言い伝えや習慣などにも
触れた本が有りますが、九州には有りますか?
誰か紹介してください。
92日本@名無史さん:2000/12/01(金) 02:27
「九州治乱記」というのがありますよ。
93日本@名無史さん:2000/12/01(金) 08:31
>92
ありがとうございます。
さっそく探してみます。
良い現代誤訳本が有ると良いのですが。
「隆元記」のときは、漢語の本しか無くて
読むのに辛かったです。
あっ。
同題の変な本に当たりたく無いので、著者もお教え下さい。
宜しくお願いいたします。
94日本@名無史さん:2000/12/01(金) 14:44
少弍萌え!
95日本@名無史さん:2000/12/01(金) 15:05
らんちき?
96与六:2000/12/01(金) 19:22
徳川や武田の四天王は有名だけど、龍造寺は成松信勝、江里口信常、木下昌直、百武賢兼(ゼータガンダム好きならしびれる名前)円城寺信胤って、マイナーなのに五人で四天王かい(苦笑)。
97宮崎県人:2000/12/01(金) 22:21
>>51飛蝗殿
ものすごい亀レスですが、立花道雪なら、
「炎の軍扇 立花道雪」という本があります。(既出かな?)
2年ほど前に出ておりました。
今手元にないので、著者、出版社共に忘れているのはご勘弁を。
結構、知らないことが書いてありました。
通常、道雪は足が悪かったため、輿に乗ってエイトウ突撃をやっていた、と
言われていますが、古文書には彼が馬に乗って戦場に出向いていたことも
記述してあったそうです。
また、彼が死んだときの模様について、
「五丈原の喪に同じ」と記されており、彼の死は孔明の死に比されていた
様です。
なにせ昔に読んだもので記憶があやふやで…。失礼しました。
98秀@レイカ命:2000/12/01(金) 22:55
>>96
木下か円城寺か、どちらかが偽物。
99与六:2000/12/01(金) 23:24
佐賀県人は龍造寺四天王に興味無いのかな。四人が誰なのかハッキリしてほしいよ。
100日本@名無史さん:2000/12/02(土) 00:25
佐賀県人は葉隠れの方がお好き?
101日本@名無史さん:2000/12/02(土) 00:31
「葉隠れを読め!!=キャットキラー=ネオ麦茶」ってマジ?
102日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:36
九州の戦国武将 星野氏
あるいは調一党についてお願いします。
103日本@名無史さん:2000/12/02(土) 12:39
星野氏は、黒木氏などと同族じゃないの。
黒木氏も調氏子孫らしいが、もう一つ、多田源氏の子孫という
系譜もあるらしい。
ここの掲示板の過去ログに出ていたと思う。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/index.html
104日本@名無史さん:2000/12/05(火) 01:26
九州戦国史はどうなってるの?
105日本@名無史さん:2000/12/12(火) 06:05
あげ
106名無しさん:2000/12/24(日) 07:05
いいねこのスレッド
今山合戦についてはどうよ
10倍以上の大友軍に対して奮戦する
鍋島直茂の真骨頂やし、詳細・エピソードきぼーん。

あと、あの一勝で、あっけなく大友の包囲網が瓦解したのはなぜ?

107日本@名無史さん:2000/12/26(火) 02:45
>106
同感なのだが人気がない。
108名無しさん@1周年:2000/12/26(火) 03:49
五島氏について教えてくれい
109日本@名無史さん:2000/12/26(火) 04:26
五島玄雅って結構クセ者だよね
110松浦隆信:2000/12/26(火) 04:28
わしを忘れるな〜。
111日本@名無史さん:2000/12/26(火) 04:37
当主が殺されまくりの少弐氏最高〜
112無謀松:2000/12/26(火) 17:41
>82
奥方も自刃してますね。
婚約中に疱瘡で顔に跡が残ったんだけど「顔で嫁をもらうのではない」と反対を押し切って結婚したそうです。
岩屋城跡に行くと夫婦並んで墓碑が立ってます。
>102
福岡市の吉塚の地名は、星野吉実の首塚があることに由来してるそうです。
113日本@名無史さん:2000/12/27(水) 13:01
くだらない質問なのですが、島津貴久の息子達で 義久・義弘・歳久・家久
の4人の中でなぜか、義弘だけ貴久の「久」の字をもらっていない。
これって、大名家で父親の字を受け継がないって珍しく無いですか?
しかも、他の3人はちゃんと「久」ってついているのに。
これって単なる偶然ですか?
それと、義弘の息子(忠恒)も「久」がない。豊久(誰の息子か分からないけど)は
きちんと「久」を受け継いでいる。
なんでだろ?誰か、分かる人いますか?教えてください
114日本@名無史さん:2000/12/28(木) 06:27
他家の例をみても、通字はそれほど厳密ではないと思われます。
義弘が家督を継いだなら、改名すれば済むこと。
それよりも、久の字が多くなった時期に注目するべき。
一族の結束を強化したいときなどに、多用されることが多いのでは。
115日本@名無史さん:2001/01/08(月) 21:11
あげ
116日本@名無史さん:2001/01/08(月) 22:17
岡城の攻防戦も凄惨だったと聞いたけど。
117日本@名無史さん:2001/01/10(水) 13:42
島津義弘は、島津家の当主ではなかった!という内容の論文があるのですが、これって島津に興味のある人にとっては常識なんですか?ちなみに、その論文のタイトルは
西本誠司「島津義弘の本宗家家督相続について」(『鹿児島中世史研究会報』43号、1986年)
118調:2001/01/12(金) 01:55
>102
黒木氏には「黒木物語」というものが存在しており、この「物語」というのは
琵琶法師によって語り継がれていたらしい。
黒木氏の祖先が笛が上手くて京都に上ったときに帝から笛を吹くように
言われて、その褒美として調姓と女性をもらったという話です。
しかしすでに郷里にいた奥さんはそのことを知って自殺してしまいました。
いまでも祟りが続いているらしいぞ。
119日本@名無史さん:2001/01/16(火) 04:25
黒木
星野
120(-_-):2001/01/16(火) 23:43
黒木城が落城したのは椿原という家老の裏切りとされた。
しかし実際は黒木家断絶を避けるための家老の究極の選択による
ものだったころが後に分かった。
驚いたことに、その椿原氏と黒木氏の仲直りの式が
黒木町町長立会いのもと、平成になって黒木城址で行われたと
いう話を聞いた。
121日本@名無史さん:2001/01/26(金) 07:08
毛利氏と大友氏の抗争ですが、

厳島合戦→毛利氏の防長制圧・大友氏の北九州進出
→秋月文種・筑紫惟門、毛利氏の誘いで挙兵するが大友氏に敗れる
→毛利氏、豊前に侵攻
→毛利氏、対尼子に専念するため、将軍の斡旋を利用し、大友氏と講和。門司のみが毛利氏の所属となる。
→月山冨田城落城、尼子氏滅亡。
→毛利氏の誘いで立花鑑載・秋月種実・高橋鑑種・宗像氏貞ら挙兵。
→大友氏、立花山城を攻略。城主・立花鑑載自刃。
→毛利氏、立花山城を奪還。
→大友氏、大内輝弘を山口に乱入さす。出雲で尼子勝久・山中鹿之助挙兵。
→毛利氏、大内・尼子残党掃討のため、九州より撤退。
→大友氏、立花山城、再奪還。以降、城主に立花道雪。
以後、毛利氏は織田氏との対決、大友氏は今山の合戦以降の衰亡が始まる。

こんな感じ?
122与六:2001/01/26(金) 14:12
窮地に追い込まれると冴まくる宗麟の智略。おかげて戸次川で信親が討ち死にしたせいで、元親がボケちゃったよ。
123日本@名無史さん:2001/01/26(金) 17:31
元就が晩年に伊予に出兵して戦った宇都宮豊綱って人がいるけど、彼は何者?
九州に宇都宮氏がいると聞いたけど、それと関係あるのでしょうか?
大友氏と関係あるのでしょうか?
124日本@名無史さん:2001/01/26(金) 17:38
九州に宇都宮氏がいると聞いたけど、それと関係あるのでしょうか?

ありますよん。宇都宮氏は全国に散らばってます。本家は多分、
下野でしょうけどね。
125日本@名無史さん:2001/01/26(金) 19:20
関係というのは、どういう関係なのでしょうか?
遠い親戚なのか、従兄弟なのか、兄弟なのか、同一人物なのか・・・・
宇都宮氏について詳しい本なども教えてもらえると、あり難いっす。
126与六:2001/01/27(土) 00:46
相良や遊佐も頑張っているね。 ゲーマー的には小早川隆景VS戸次鑑連ってドリームマッチじゃないの?
127日本@名無史さん:2001/01/29(月) 14:24
お調子者のくせにピンチに強いのが宗麟の魅力。国崩しで島津軍を撃退!
その智謀を耳川で活かせればねえ……九州統一も夢ではなかったのに。詰めが甘いんだよな。

でもせがれがあれだから、結局大友は滅びる運命だったのかもしれない。
128与六:2001/01/29(月) 20:35
古処山城や休松(人投原)合戦のイベント、何かあるのかな。
129日本@名無史さん:2001/01/29(月) 22:31
>>126
戸次鑑連(後の立花道雪)vs毛利両川だな。
永禄12年(1569年)筑前の国多々良浜河畔。
戸次軍は最初、毛利両川を直接攻める事を避け、
毛利勢の中でも、弱い部分を突き、攻め込んだ。
小早川軍が援護に回ると、戸次軍は一転して、
隆景本陣を電撃的に直撃。さしもの猛攻で隆景も
支えきれず、毛利全軍は後退を余儀なくされた。

このいくさで、毛利両川はあまり指揮が冴えなかったが
もしかしたら半年に渡る九州攻めで軍隊も本人たちも
疲れていたのかもしれない。
130日本@名無史さん:2001/01/29(月) 22:59
>>128
休松合戦。秋月種実vs戸次鑑連。
永禄10年(1567年)筑前の国、休松(安見ヶ城)。
毛利の直接・間接の支援を受け、種実は高橋氏、筑紫氏と
連携を取りつつ「父の仇・大友」打倒の旗を挙げる。
大友勢は戸次軍を先鋒に休松にある秋月勢を一蹴。
古処山城に追い詰め、兵糧攻めの態勢を採る。
しかし、毛利援軍の風説が流れ、大友勢が動揺。
鑑連は一旦、兵を引くことを決意するが、
その一瞬の機を種実は逃さず、夜襲を決行。
地理に暗い戸次軍は同士打ちの醜態をさらす大敗を喫し、
敗走。鑑連の5人の実弟も討ち取られる。

この時、鑑連の縁者が数多く討ち死にしてしまったため、
跡継ぎに困った鑑連は僚友の高橋紹運の嫡子に目をつける。
131日本@名無史さん:2001/01/30(火) 01:33
>>129
その戦いはどういう状況で生じたのでしょう。
毛利が立花城を攻略する前か、
大内・尼子の残党狩のために九州からの撤退を始めたときか。
あ、でも半年間の九州滞在ということは、九州からの退却戦?
132与六:2001/01/30(火) 17:12
毛利が九州から撤退する際大友勢に相当やられたと、NHKのTV番組で大河の元就の原作者(名前が出てこない、恥ずかしい)が言ってました。休松(人投原)の合戦ですが、一万二千の秋月種実の軍勢を三千の戸次軍が相手したそうで、戸次軍の十時惟忠が秋月勢を投げ飛ばして奮戦したので、人投原と呼ばれるようになったそうです。でもこの戦いで惟忠は戦死しました(涙
133日本@名無史さん:2001/01/30(火) 17:42
やはり志賀親次でしょう。岡城萌え〜。
134日本@名無史さん:2001/01/31(水) 00:07
>>132
有難う。
そんな合戦があったなんて、全然知らなかった・・・・
135129:2001/02/02(金) 23:24
>>131
あっ、イカン。間違えた。
えっと、毛利が何度目かの九州遠征を敢行したのが
69年4月。多々良浜の戦いは69年5月。
1か月しか立ってないや。
> 大内・尼子の残党狩のために九州からの撤退を始めたとき
は69年10月です。
136129:2001/02/02(金) 23:26
それから、68〜69年の間、立花山城は
目まぐるしく、所有者を変えています。
調べているんだけど、あまりに複雑で
自分でも理解できない。。。

よって説明できません(爆)
137与六:2001/02/02(金) 23:54
立花鑑載と高橋鑑種が裏切ったので二人の名将の名前がカッコヨクなった。西大友と言われた立花が寝返ったのには宗麟もショックだったろうな。
138日本@名無史さん:2001/02/03(土) 02:14
う〜ん揚げ!
139日本@名無史さん:2001/02/03(土) 02:59
戦国時代の九州というのは、どうも小勢力の乱立で複雑なように見える。
140日本@名無史さん:2001/02/03(土) 03:21
九州の要所は筑後でしょう。
その筑後は、飛び抜けた大勢力がいなかったことで
九州の縮図かもしれない。
141与六:2001/02/03(土) 13:20
柳川では立花祭なんてあるねかな?鍋島祭があったら猫は厳禁(藁
142日本@名無史さん:2001/02/04(日) 13:28
>>137
立花が西大友と呼ばれたのは、道雪が立花家に入ったからでは?
143日本@名無史さん:2001/02/04(日) 13:30
>>142
そんな気もする。しかし、立花家は大友家の分家だから、
最初から、「西大友」と呼ばれていたとしても不思議ではないが、、、
144与六:2001/02/04(日) 17:04
私もいつから西大友と呼ばれるようになたったかはわからないです。ゴメンネ。立花城は大友貞宗が築城し筑前の重要な拠点であり、だからこそ宗麟も一族の鑑載に任せていたのに、元就の調略にかかるとは、しかも二度。大友好きがバレバレだね(藁 でも鷹山公の先祖なので秋月も無視できないし複雑。
145日本@名無史さん:2001/02/05(月) 10:37
>142
立花氏が「西大友」と呼ばれていたのは、道雪の前では?
道雪以後は「西大友」と称されたことはなかった気が・・・。
146142:2001/02/06(火) 02:10
立花道雪は大友三家老の一人であったので、西大友と呼ばれた、とある本に書いてあったので、そう思ってました。
でも、歴史群像シリーズとかいう本の記事なので、あまり信用できないかもしれません。
詳しい人、教えて。
147与六:2001/02/06(火) 02:33
豊州三老は臼杵鑑速、吉弘鑑理、吉岡長増じゃなかったかな。それにしても鑑が多いぞ大友一門。
148日本@名無史さん:2001/02/06(火) 02:39
あうち!
じゃ、記事書いた作家の出鱈目かい。

>鑑が多いぞ
読みにくいよね。立花鑑載なんて、かんさいって読んでしまうよ。
149与六:2001/02/06(火) 09:13
>>148さん、鑑連は三老より長生きしたので、三老没後宗麟が指名したのかもしれませんね。
150日本@名無史さん:2001/02/06(火) 11:55
>148
鑑載は「あきとし」、「あきのり」どっち?
151日本@名無史さん:2001/02/06(火) 18:18
私は「あきとし」と読んでます。
九州の武将は難読氏名の宝庫。
152日本@名無史さん:2001/02/06(火) 18:33
義鑑−義鎮−義統(大友吉統)
↓ ↓ ↓
鑑理−鎮種−統虎(立花宗茂)

153与六:2001/02/07(水) 02:02
一万田、入田、戸次、臼杵の下に鑑がくるから大変だぁ。 龍造寺の百武も百式と似ているので嫌いじゃないです。
154日本@名無史さん:2001/02/07(水) 02:06
諸悪の根源は鑑の字をばら撒いた宗麟の親爺にあり、かな?
155日本@名無史さん:2001/02/07(水) 11:15
>153
百武と改名前はどんな名字だったの?
156日本@名無史さん:2001/02/07(水) 12:35
大友氏にもう少しやる気があれば、毛利氏も尼子氏を滅ぼすことはできなかったような気がする。
元就が足利義輝の調停を巧みに利用したと言えば、それまでだけど・・・
157与六:2001/02/07(水) 13:16
>>155さん。隆信から授かった姓で武勇百人に勝る意味。それ以前はわかりません、スマソ。 角隈石宗の怪しげな術も気になります。
158日本@名無史さん:2001/02/07(水) 18:19
>155
旧陸軍の百武中将は子孫らしいね。
159与六:2001/02/08(木) 02:15
今山の合戦、鍋島直茂を褒めるべきなんだろうけど、親貞を大将にするより鑑連か鑑理に任せておけば良かったのに。
160大友関連戦史:2001/02/08(木) 22:45
1550年 二階崩れの変。義鎮、大友家21代当主となる。菊地義武、大友に反旗を翻すも攻められ、肥前へ逃亡する。
1551年 大友勢、肥後を勢力下に収める。
1554年 菊地義武、大友義鎮に謀殺される。
1556年 秋月文種、古処山城にて大友に反旗を翻す。
1557年 戸次鑑連らの大友勢、古処山城を落城させ秋月文種討ち死に。
1558年 戸次鑑連ら、伊予へ侵攻。
1559年 毛利勢、門司城を攻めて陥落させる。大友義鎮、九州探題となる。
1561年 戸次鑑連らの大友勢、門司城を攻めるも敗退する。
1562年 大友義鎮、出家し宗麟を名乗る。
1564年 大友宗麟の外交政略により、毛利から門司城を譲渡させる。
1567年 高橋、秋月、筑紫、宗像、原田ら豊筑の諸将、大友に反旗を翻す。休松合戦。宝満城攻防。
1568年 立花鑑載・竜造寺隆信、毛利へ寝返り。直ちに戸次鑑連、立花鑑載を討ち取り、更に佐賀城へと向かう。
1569年 小早川・吉川、立花山城を陥落させる。戸次鑑連、竜造寺と和睦し、筑前へ取って返す。大内輝弘、毛利領へ乱入。毛利、撤退に追い込まれる。
1570年 大友勢、肥前佐賀へ侵攻するも、撤退。吉弘鎮種、宝満・岩屋城主となり、高橋紹雲を名乗る。
1571年 毛利元就死去により、九州より完全撤退。戸次鑑連、立花山城主となり、立花道雪を名乗る。
1572年 土佐一条氏より救援あり、援軍を遣わす。

九州三強時代へ…
161竜造寺関連戦史:2001/02/08(木) 22:46
1551年 竜造寺隆信、佐賀城を失い筑後へと亡命するも、程なく復帰。
1557年 神代勝利との抗争が開始される。
1559年 竜造寺隆信、一族の仇敵・少弐冬尚を討ち取る。
1565年 神代勝利を討ち取る。
1568年 大友に反旗を翻す。毛利、密約を守らず援軍を出さず。佐賀城にて包囲される。
1569年 毛利勢再び筑前へ侵攻。大友勢はこれを討つため、竜造寺と和睦。
1570年 大友勢、肥前佐賀へ侵攻。今山合戦。鍋島直茂、夜襲をかけ大友勢を撤退に追い込む。
1574年 竜造寺勢、肥前島原に侵攻。
1575年 竜造寺隆信、少弐氏を完全に滅ぼす。

九州三強時代へ…
162島津関連戦史:2001/02/08(木) 22:47
1550年 島津貴久、島津家15代当主となる。
1554年 祁答院、入来院、蒲生、北原、菱刈ら大隅連合軍、島津義弘の猛攻の前に敗れる。岩剣合戦。
1555年 島津貴久、蒲生氏を攻める。島津勢、祁答院を破り、祁答院は蒲生へと逃亡する。
1556年 島津義弘、蒲生氏の本城を陥落させる。
1557年 島津勢、矢筈城の菱刈氏を攻め滅ぼす。大隅西部を傘下に収める。
1560年 島津義弘、島津忠親の養子となり、おび城へ入城。
1561年 島津貴久、忠親と肝付兼続の抗争が開始される。島津敗れる。
1562年 伊東、肝付両勢おび城を攻める。島津忠親敗れる。
1563年 島津勢、三つ山城の伊東勢を破る。
1566年 伊東勢、三つ山城に集結。島津義弘、三つ山城を攻める。
1568年 伊東義祐、おび城を攻め、陥落させる。島津忠良没。
1572年 島津義弘、木崎原にて10倍の伊東義祐に大勝する。

九州三強時代へ…
163九州統一戦史:2001/02/08(木) 22:48
1576年 竜造寺隆信、松浦隆信を降し、肥前平戸を収める。竜造寺勢、肥前島原に侵攻。
1577年 竜造寺隆信、有馬晴純を降し、肥前島原を収める。伊東義祐、島津に大敗し、大友家へ逃れる。
1578年 大友宗麟、義祐の願いを聞き、日向へ侵攻。土持氏滅亡。耳川にて島津勢が大友勢を撃破。竜造寺勢、筑前に侵攻。
1579年 竜造寺勢、筑後に侵攻。
1580年 竜造寺勢、筑前、肥後、豊前に同時に侵攻。
1581年 島津義久、水俣城を陥落させ、相良氏を降す。竜造寺隆信、筑後柳川の蒲地氏を降す。鍋島直茂、柳川城主となる。立花道雪、宗像勢と戦う。
1582年 筑紫勢、岩屋城の高橋紹運を攻めるが敗退する。
1584年 竜造寺隆信、有馬勢を攻める。島津勢、島津家久を救援に向かわす。沖田畷の戦い。竜造寺隆信討ち死に。立花道雪、高橋紹運、筑後へ侵攻。
1585年 立花道雪、筑後の戦陣にて病没。筑紫広門が宝満城を攻め落としたため、立花・高橋勢、筑後から撤退。島津、筑後を勢力下に。
1586年 大友宗麟、大阪へ赴き豊臣秀吉に謁見、九州征伐が決定。筑紫広門、島津から大友へ寝返り。島津勢、筑紫広門を討ち取り、更に筑前へ侵攻。岩屋城の戦い。高橋紹運討ち死に。島津勢、更に立花山城を攻める。秀吉、中国勢を立花山の救援に向かわす。島津勢、筑前より撤退。島津勢、豊後へ侵攻。秀吉、四国勢を豊後の大友勢救援に向かわす。島津家久、大友・四国勢に大勝。戸次川の戦い。
1587年 秀吉、20万の兵を率い、大坂を進発。島津義久、秀吉に降伏。九州征伐完了後、大友宗麟病没。
164160-163:2001/02/08(木) 22:50
ふぅ、、、疲れました。
165日本@名無史さん:2001/02/09(金) 01:16
お疲れ様でした。

以前から疑問に思っていたのですが、日向を隠居料として与える旨の打診を
宗麟が断ってしまったのは何故でしょう?
死後には義統に相続される可能性もある以上、断る理由がないと思うのですが。
166与六:2001/02/09(金) 13:07
豊後では家督が義統に移っても宗麟の能力を必要に考えており、宗麟もそれにこたえ大坂の秀吉を動かすことに成功した。 紹運、江里口信常、真田幸村、戦いに敗れても武勇を島津に認められたが、長年抗争しても名が挙がらない伊東って…。
167名無しさん@1周年:2001/02/09(金) 17:51
>>165-166
健康上の理由じゃないでしょうか?または、現世の利益に厭うようになったとか。

伊東義祐は、九州の今川義元の異名を持つほどの京カブレ。
やはり、政治面でのマイナス点が目立ったからじゃないですか?
168名無しさん@1周年:2001/02/09(金) 17:57
木崎原の合戦が面白いよ。10倍の敵に挟撃された島津義弘が、
戦術を駆使して、相良・伊東の連合軍を手玉にとり、翻弄させた。

天才というほかはないな>義弘
169日本@名無史さん:2001/02/09(金) 18:19
伊藤を馬鹿にするな
170日本@名無史さん:2001/02/09(金) 22:04
マンショがいるやんけ<伊東
義弘はまあスコい。関ヶ原でも活躍して欲しかった。結局あれが
最善だったのでしょうか?
171与六:2001/02/10(土) 01:55
川辺で水遊びしているところを島津義弘に急襲されて大惨敗をきっした。これが本当の話なら戦国時代でもトップクラスのダメダメですね。伊東家の戦術。
172日本@名無史さん:2001/02/10(土) 07:03
そういう人たちの方が僕は好きだ。
173与六:2001/02/10(土) 08:08
あれ、1さんも伊東に触れていませんね。高鍋市と米沢市は姉妹都市なので、伊東も嫌いじゃないんだけどなぁ…。
174日本@名無史さん:2001/02/10(土) 08:34
高鍋は市じゃなくて町じゃないの?
あと高鍋は伊東じゃなくて秋月でしょう。
175与六:2001/02/10(土) 17:09
>>174さん、日向にゆかりのある大名家に対して、好意的な感情がある。それだけの理屈です。もちろん秋月の領地があったからですけどね。
176日本@名無史さん:2001/02/11(日) 02:00
南九州のことがあんまり話題に出ないね。島津とか肝付とか相良とか阿蘇とか・・・
177日本@名無史さん:2001/02/14(水) 23:18
挙げてしまえ。
178日本@名無史さん:2001/02/14(水) 23:47
日向飫肥藩は強いぞ!!
西南戦争でも強かった!!
179日本@名無史さん:2001/02/14(水) 23:59
伊東が島津に勝ってさえいれば
日向隼人すなわち天孫族すなわち海女族すなわち
襲族が薩摩隼人を支配化に置いたのに。
180世界@名無史さん:2001/02/15(木) 11:09
相良なんか好き。
181日本@名無史さん:2001/02/15(木) 19:53
>>180

相良最高! 一族の間で殺し合いしまくり。
182日本@名無史さん:2001/02/16(金) 22:35
相良家の双璧、犬童頼安と深水長智はどうよ?

謎の闘将・赤池長任もいるぞ>相良
183日本@名無史さん:2001/02/17(土) 01:53
>>182

水俣城の籠城戦が見せ場なのだが省略されること多し。かわいそうな犬童頼安。
とゆーか、話としては子供の頼兄の方がおもしろいからなぁ。
ttp://www.kumanichi.co.jp/sekigahara/sekigahara06.html
を読むと凄さが分かるぞ。

深水長智がいなかったら秀吉の九州征伐時に潰されたかも。
ついでに自分は蔵入地の代官に抜擢されてるし、かなりのやり手。
頼安と違って後継者には恵まれなかったが。

赤池長任は……実は勝ったり負けたりだからニンともカンとも。
島津義弘を追っ払ったのは事実だから評価はしてるけど。

他にも岡本頼真とかイカス武将いっぱいいるんだよね。
一般レベルじゃ島津のやられ役だろうけどさ。
184与六:2001/02/17(土) 11:04
犬童頼安と新納忠元が水俣城攻防の際連歌をかわした話も好きですね。
185日本@名無史さん:2001/02/17(土) 15:02
>179
日向隼人なんてねーよ、馬鹿
186日本@名無史さん:2001/02/17(土) 22:14
>185
一般に薩摩大隈日向は隼人族の居住地とされてきたはずですが。
大隈隼人や日向隼人という名もあったと聞いています
187日本@名無史さん:2001/02/17(土) 22:51
日向って広いけど、特にこれっていう武将いねーもんな
188日本@名無史さん:2001/02/19(月) 03:43
吾田隼人、薩摩隼人、大隈隼人というのはあるが
日向隼人というのはカブンにして知らない
189日本@名無史さん:2001/02/19(月) 04:28
筑後の猫尾城主の黒木鎮永とはどんな人?
190日本@名無史さん:2001/02/19(月) 05:07
>189
家永ならしっとるが・・・
鎮永は知らんな
191日本@名無史さん:2001/02/19(月) 11:40
>188
ほんとに寡聞だな
192日本@名無史さん:2001/02/20(火) 04:57
筑後国の田尻鑑種に興味があります。
彼について書いた本はないでしょうか。
193与六:2001/02/20(火) 07:58
>>192さん田北親子と勘違いしてしまいました。 由布惟信と小野鎮幸の武勇も凄ですね。
194遅レスで、話の流れに沿ってなくてすまんが:2001/02/20(火) 19:31
多々良浜の合戦と呼ばれる毛利×大友の戦は、
立花山城を落した両川が宝満山の高橋鑑種の支援に赴こうとし、それを阻止せんとする大友軍と激突ということらしい。
合戦は大友軍の大勝利ですぐに決着というわけではなく、一進一退の攻防、対陣が続き、
立花道雪決死の斬り込み隊の活躍なんかがあって、
結局毛利軍が宝満山への援軍を諦め、立花山城に兵を引いた、
ということみたいだ。

なんか第四次川中島や関ヶ原みたいなド派手な合戦ではなく、
1〜3回目の川中島に近いイメージなんだけど、どうなんだろう。
ちなみに、この戦、毛利系の本にはあんまり書かれてなくて、
大友に関する本を適当に漁って調べた。
いい加減な情報も含まれているかもしれんので、よろしく。
195日本@名無史さん:2001/02/20(火) 19:35
んで、そのあとに大内輝弘や山中鹿之助の騒乱があって、
毛利が北九州から総撤退するわけですな。

で、大友の方は北九州の拠点を奪還したあと、中断してた龍造寺攻めを再開し、今山で大敗すると。
196名無しさん@1周年:2001/02/20(火) 20:06
197日本@名無史さん:2001/02/21(水) 02:41
「大身」とは、何と読み、どのような意味なのでしょうか。
198与六:2001/02/21(水) 03:30
半身不随ながら戦場ではかごにのって指揮し、キリスト教に対し批判的であったにもかかわらず、宣教師達から『豊後のヘラクレス』と呼ばれた戸次鑑連。 西国一のもののふだ(息子も)。
199日本@名無史さん:2001/02/21(水) 03:33
ヘラクレス・・・・
200必読書籍:2001/02/21(水) 22:35
201日本@名無史さん:2001/02/22(木) 00:16
>>198

「豊後のヘラクレス」と呼ばれたのは柴田リイノ。嘘はイカンよ。
202日本@名無史さん:2001/02/22(木) 00:26
>>197

「大身(おおみ)」
昔の近江国、現在の滋賀県の別称。
琵琶湖を巨大な心臓に見立てたことに由来する。
203与六:2001/02/22(木) 01:26
>>201さん、御指摘ありがとうございます。歴読の中の、えとう乱星氏の記述は間違いでしたか。
204日本@名無史さん:2001/02/22(木) 02:27
>>200
もってるけど、それだけだと、わからないことも結構多い。

ところで、宇都宮=城井氏が戦国期に何をやっていたのかさっぱりわからん。
どっかで耳川の合戦にも出陣したという話を聞いたような気がするが、かなり親大友な国人だったのだろうか? 毛利・大友の抗争でも全く名前出ないし・・・
豊臣政権下でのトラブルしかわからん。
205日本@名無史さん:2001/02/22(木) 13:15
城井氏は宇都宮氏だが、筑後の蒲池氏も戦国時代は宇都宮氏だが、
交流はなかつたのだろうか?
戦国大名の松浦氏は、松浦党の後裔なの?
206福岡在住:2001/02/22(木) 22:34
うちの近くに「少弐さん」がいるよ。没落名家の末裔らしい。
207日本@名無史さん:2001/03/02(金) 20:31
あげ
208非公開@個人情報保護のため:2001/03/02(金) 20:46
>206
少弐家末裔は太宰府(大野城だったか?)在住の武藤家では?
たしか少弐の墓の管理権を持っていたはず。
209日本@名無史さん:2001/03/03(土) 20:00
現在、発売中の『歴史読本』4月号に以下の記事があります。

三重野誠「大友氏三代は豪壮な大友館で優雅な生活をしていた!」

堀本一繁「竜造寺隆信は今山の戦いで本当に勝利したのか?」

山口研一「義弘は島津家当主ではなかった!」
210日本@名無史さん:2001/03/10(土) 00:30
age
211日本@名無史さん:2001/03/10(土) 01:45
松田聖子って蒲池氏の子孫?
212日本@名無史さん:2001/03/10(土) 02:01
大内輝弘や山中鹿之助を使って後方攪乱させたのは、吉岡宗勧(だっけ?)の
戦略によるもの。

光栄よ、もう少し数値を上げろや、ゴルァ!
213お願い:2001/03/10(土) 02:14
立花四天王について教えてください
214日本@名無史さん:2001/03/10(土) 03:44
つーか調一党が最強だろ
215日本@名無史さん:2001/03/13(火) 22:26
調氏のどこが最強なのよ?
216名無しかも:2001/03/14(水) 02:59
>211
 ザードの坂井泉(本名=蒲池幸子)もらしいよ。
217名無しかも:2001/03/14(水) 03:00
>214
 調氏=黒木・星野・川崎
 名門とは言われるが最強ではないだろう。
218>217:2001/03/14(水) 03:02
川崎ってのは初めて聞いた!どんな家?
あと調って渡来系?
219みょゎ:2001/03/14(水) 03:36
源大蔵太夫助能には四人の子があり、一人は女で残り三人が
黒木・星野・川崎の初代となったそうだ。
調というのは、助能が笛の名手として名高かったが、警護のために
上京した際に帝の前で笛を吹いて褒美に「調」という姓を
賜ったという話が残っている。
まあ、学者の中には渡来系と見てる人もいるにはいるようだが。
220>>219:2001/03/14(水) 03:41
thank you!
221日本@名無史さん:2001/03/14(水) 03:45
>219違う朝鮮系のことだよ。
222日本@名無史さん:2001/03/14(水) 03:49

>>221
詳細キボーンヌ
223日本@名無史さん:2001/03/14(水) 03:50
>221 意味がわからん。
 「違う朝鮮系」ってのは「別の朝鮮系」と言っているのか
 「違う!朝鮮系なんだよ」って言いたいのか?
224日本@名無史さん:2001/03/14(水) 04:05
調党は「調=しらべ」だが、それとは別に
「調氏=つき氏」というのがあり、それは渡来系と言われている。
両者には関連がないとされてはいるが・・・。
ちなみに調党の成立は800年以上前に遡る。秀吉のころに来たものではない。
225日本@名無史さん:2001/03/14(水) 23:43
調党名門?
調姓でご住職の人がいる。
名門は五条氏でしょう。
226名無しさん@公演中:2001/03/15(木) 14:43
>>225
もっと続けて
227日本@名無史さん:2001/03/15(木) 17:44
ぺろぺろ
228日本@名無史さん:2001/03/16(金) 01:04
五条って公家の末裔?
229日本@名無史さん:2001/03/16(金) 01:20
蒲池氏はHPがあるよ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/index.html
230225:2001/03/16(金) 23:01
五条氏は清原系だな。
南北朝の頃、懐良親王にくっついてきた人。
小武将が多く小競合い激しい筑後において生き延び、戦国後は
肥後加藤、柳川立花に仕え、明治になって南朝華族として授爵
(男?子?)している。

調党も南北朝以来の武勲の家柄だけど、星野氏の分裂によって
調党が団結できなかったのが不運・・


調党の黒木流上妻郡谷川村領主で高橋紹運の家臣、谷川大膳が
いいと思うのだが。
231日本@名無史さん:2001/03/18(日) 22:01
age
232>225:2001/03/19(月) 00:04
調姓のご住職って調〇〇っていうの?どこのお寺ですか?
233日本@名無史さん:2001/03/19(月) 23:53
調○○サンと言います。
福岡県のお茶の有名な市。
234日本@名無史さん:2001/03/20(火) 03:50
黒木氏は、多田行綱の後裔という説もあるね。
多田助能が祖という系譜。
235日本@名無史さん:2001/03/21(水) 00:07
>234
 八女の黒木氏に限っては違う。
 他に関東以北や宮崎・鹿児島にも黒木姓はある。
 八女の黒木氏の祖は鹿児島の根占からきた源大蔵太夫助能。
 彼が黒木に来て黒木姓を名乗ったのが始まりのようだ。
236日本@名無史さん:2001/03/21(水) 00:57
調一党は江戸以降どうなったんですか?やっぱり近辺諸藩に組み込まれたor郷士?
237日本@名無史さん:2001/03/21(水) 01:11
黒木氏の本流は柳川藩に仕えてたけど部下の不始末などでその後行方不明なんだってさ。
238日本@名無史さん:2001/03/21(水) 01:16
>237
・・・
239日本@名無史さん:2001/03/21(水) 02:00
黒木って苗字は宮崎でものすごく多い苗字だよね。
古来の黒木家の出身は福岡なんでしょ?
宮崎であれだけ異常繁殖したってのはどういうことなんだろう?
福岡の黒木とは別流なのか?
240日本@名無史さん:2001/03/21(水) 02:51
黒木もいいですけど、星野についての議論もお願いします
241日本@名無史さん:2001/03/21(水) 23:15
星野、佐賀で繁殖って本に書いてある。

川崎氏の領土には平家の落人の倉員(くらかず)氏や安徳氏がいたけど
関わりないのかな。
上妻氏には平さん(江戸期、大庄屋)もいたはずだけど。
242日本@名無史さん:2001/03/28(水) 01:41
九州といえば、やっぱ大友でしょう。
つい勝機を逃してしまう、あのおっちょこちょいな所は
笑えます。

あ、でも家の御先祖なんだそうで。自称ですが。
243名無しさん@1周年:2001/03/28(水) 02:06
うちの母方の家系は宗麟の配下だったらしいけどね。国東半島の
山の中。昔は別府から近かったので、交通の要所だったらしいが。
戦争が始まって負けそうになったら、山にあらかじめ用意したあった
隠れ場所に逃げ込んだり、突然畑を耕し始めたりしてたそうな。
砦(あったそうだ)守れよな。
情けないけど、なんか好きです、こういうご先祖様。
244名無しさん@1周年:2001/03/28(水) 02:23
宗氏ってどこの影響下にあったんですか?
245日本@名無史さん:2001/03/28(水) 07:09
少弐氏じゃないの?
246名無しさん@1周年:2001/03/28(水) 08:44
つうことは、そのあとは龍造寺かな。
247日本@名無史さん:2001/03/28(水) 11:11
結局、島津とて羽柴秀長の遠征軍に
破れたのだから、
四国の長そかべ元親と同じく
「鳥なき島のコウモリ」に
すぎなかったんだよね。
奥羽の伊達政宗もおなじ
天下なんてのは最初から近畿か中部の大名に限定されてたのよ。
ただ、関東の北条や中国の毛利なら可能性はあったかな?
自分でその芽をつんでるけどね。
248日本@名無史さん:2001/03/28(水) 11:29
宗氏ってのはもともと少弐(武藤)氏の家臣だったものが
対馬の在地領主になったんでしょ。
249日本@名無史さん:2001/04/05(木) 00:20
星野氏については国会図書館に「星野家譜」って本があるよ。
250日本@名無史さん:2001/04/05(木) 17:27
筑前・筑後といへば秋月氏もかかせないでしょう。もと麻生氏や千手氏、
長野氏、高橋氏等と同様古くからの国人だったとはいえ、天正以降は島津と
結んですごい勢いだもんね。そして秀吉直轄軍と、懐柔を拒否して最初に
戦った男。九州的には、ロマンを感じるなあ。
251日本@名無史さん:2001/04/05(木) 17:30
千手氏なんて知ってる人がいるんだね。
千手氏の系譜史料とかってどこかにあるんだろうか?
25258:2001/04/05(木) 17:40
千手氏は一説には大蔵姓に発し、宇佐神宮ともかかわりの深い姓らしく、
鎌倉期に防塁を整備したり、南北朝に南朝方として活躍したりしたあと、
戦国前期には大内氏のもとで秋月氏と同列の扱いを受けたりもしますが、
幾度もの戦乱を経て没落し、今では全国で百軒強くらいしか残っていま
せん。天皇から頂いたという仏像をお持ちの一族も、すでにそうした歴史
の多くを忘れておられる状態です。そうしたところが、いかにも九州戦国
らしいと思います。
253日本@名無史さん:2001/04/05(木) 17:48
251>252
日向高鍋藩士(秋月氏に随いて筑前から日向にいった)は大蔵姓の
ようなんだけど、佐賀藩士になった千手氏というのがあって、こっちは
平氏を称している。後者のほうの系図というのを見たことがあるが
古文書に残っている千手姓の武将とはまったく一致していなくて
どうも嘘っぽい。ただ佐賀藩(鍋島氏)からは相当厚遇されて迎えられた
様子がある。前者の秋月の家来のほうはイミナに「興」の字が入っていて
戦国期の武将・千手興国なんかと通字的に合うんだけど、秋月と近い
ような格のあった家としてはそんなに厚遇されていない。(系図は未見)
どうも出自がよくわからない家ですね。
仏像を持っているというのは筑前に残ってる家なのですか?
254日本@名無史さん:2001/04/06(金) 00:02
age
255日本@名無史さん:2001/04/06(金) 02:27
天正七年(1579)、大友方となった千手氏は、毛利秋月と通じた高橋鑑種
により攻められ鬼ケ城(田川郡香春岳)で自害したという。
千手氏は秋月種実の古処山帰還の際、大いに種実を助けたと伝える割に高鍋で
あまり厚遇されていないのは、ひょっとするとそのせいかも。

仏像は筑前ではないみたいです。その仏像は戦で落ち延びるとき、子女の背に背負われて
難を逃れたという話があるそうです。

本来、戦国は千手氏のように南北朝の歴史を背負って始まるわけで、とくに九州は南朝の
拠点だったり、尊氏が多々良で反攻する拠点となったりで、その歴史を濃く残して戦国へ
入るのだが、立花、高橋、島津、鍋島以外のほとんどが江戸期没落した中、そうした記録
が各地の家でお蔵入りしているとことかが、やはり九州戦国の魅力の一つと思ふ。
256498:2001/04/06(金) 02:32
三笠宮彬子女王殿下―三笠宮寛仁親王妃信子殿下―麻生太賀吉―加納夏
―加納久宜―立花種道―立花種周―立花長煕―立花貫長―立花種明―
立花種長―立花種次―高橋鎮種(紹運)
257日本@名無史さん:2001/04/06(金) 02:41
↑太郎くんも紹運の子孫って、なんだか。
258北九州八幡人:2001/04/06(金) 02:47
中学のとき千手ていう先生がいたよ。そんなに名族だったとはね。
259日本@名無史さん:2001/04/06(金) 03:27
戦国以後の立花氏って、鑑載までの血脈は引いているのかな。
260日本@名無史さん:2001/04/08(日) 17:55
>>255
>仏像は筑前ではないみたいです。その仏像は戦で落ち延びるとき、子女の背に背負われて
難を逃れたという話があるそうです。

その千手さんって高鍋へ行った千手さんかなあ?調べたら高鍋の千手さんも
古い仏像を持ってたらしいんだけど。ただ高鍋には今でも千手姓はあるけど
本家ではないらしいですね。仏像を持ってる家って今は東京にお住まいの家ですか?
261日本@名無史さん:2001/04/09(月) 12:59
>>260
仏像が実際にどこにあるか、詳しくはよくわかりません。でも、高鍋千手氏が本家
でない、という話など、本当にお詳しいですね。よろしければメールをください。

しつこいけれども、さいきんニュースによくでる麻生氏や、宗像氏、千手氏、原田氏、
などなど、ほんとうは九州戦国史に欠かせないのだけれども、ほとんどメディアに
出てこない、関東からの「下り衆」でない地元の一族に興味を惹かれる。
262日本@名無史さん:2001/04/10(火) 02:18
麻生氏は勘違い、失礼。
263菊兵団:2001/04/10(火) 03:41
女優の黒木瞳は、筑後の国出身だよ。

現在の福岡県八女郡黒木町、八女茶で有名な所。

264日本@名無史さん:2001/04/10(火) 13:45
麻生太郎って北九州の麻生氏の末裔じゃないの?>262
265名無しさん@1周年 :2001/04/11(水) 12:35
お願いです。
ここの板の方は、知識人と、感じられます。
熊本、阿蘇の岩尾氏に詳しい方あればご教授くだされ。
266262:2001/04/11(水) 13:51
>>264
そういう意味でなくて、一説には頼朝の家来の子孫とあるそうで、
鎌倉の民族大移動以前からいるわけではないかも、ということでした。
267日本@名無史さん:2001/04/11(水) 14:19
田原氏については?
268日本@名無史さん:2001/04/11(水) 15:39
田原氏の何が知りたいの?
269日本@名無史さん:2001/04/11(水) 23:20
黒木瞳は本名「江上」だよん。
黒木って姓は「五木ヒロユキ」がつけたんだヨン。
270日本@名無史さん:2001/04/12(木) 13:53
へーそうだったんだ。とすると大蔵姓の名族江上氏末裔の可能性強し。
江上氏も戦国竜造寺氏家臣となるまで、いろいろあるんだよねえ。
271日本@名無史さん:2001/04/12(木) 13:56
>>265
俺は北九州については割と知ってるけど、そっちのほうは
知らないなあ。
272日本@名無史さん:2001/04/13(金) 14:20
>>265
たしかに、熊本の戦国大名!といっても誰も浮かばない、のは俺だけ?
菊池、阿蘇って戦国までいたのか?
273日本@名無史さん :2001/04/13(金) 16:13
>>271>>272
レスありがとうございます。
知ってることは、島津氏に攻めたてられ降伏した事ぐらいだったので。
基本はやっぱり調べることですね。この板の方は皆ホントニ詳しいので
好感が持てましたのでついズルをしてしまいました。
皆さんお騒がせ致しました事をここにお詫び申し上げます。
274日本@名無史さん:2001/04/14(土) 01:07
>>272
「大名」と言えるかは分からんが、菊池、阿蘇両氏は明治に入って受爵(男爵)
してたはず。井伊直弼腹心の長野主膳は、阿蘇大宮司家と深い関係にあったようだ。
275日本@名無史さん:2001/04/14(土) 06:48
熊本には甲斐って苗字の人多いけど
甲斐の武田氏と関係あるの?
276日本@名無史さん:2001/04/14(土) 08:45
>>275
ノミが多くて「背中かい〜」って言ってたから
277日本@名無史さん:2001/04/14(土) 08:54
すげえーすげえー
276
276
おまえ おまえ 超ー おもしれー
おもしれー
278日本@名無史さん:2001/04/16(月) 17:41
優良スレを荒らすな
279与六:2001/04/16(月) 19:27
歴史街道五月号は立花宗成と島津義弘の特集ですね。
280日本@名無史さん:2001/04/25(水) 21:58
阪神の赤星って熊本の赤星家の末裔?
281日本@名無史さん:2001/04/30(月) 22:53
さあ?
282日本@名無史さん:2001/04/30(月) 23:00
283日本@名無史さん:2001/04/30(月) 23:02
284日本@名無史さん:2001/05/01(火) 04:37
土持氏について教えてくだされ(特に鹿児島の)
285日本@名無史さん:2001/05/01(火) 06:38
>280 赤星氏のルーツ
菊池氏の一族。蒙古襲来のとき菊池武房(菊池氏十代)
の弟菊池有隆が奮戦、そのとき鎧兜が血で赤い星のように
染まった。ときの亀山帝が、「汝の姿はまさに赤星のごとし。
菊池を改めて赤星と称せよ。」と言われたことから肥後国
菊池郡赤星村(熊本県菊池郡)に住んで赤星氏を名乗った
ことに始まる。
因みに現在の赤星姓は福岡南部や特に熊本に多く、そんなに
珍しい名字ではないです。
286日本@名無史さん:2001/05/01(火) 09:22
大蔵氏の嫡流・原田家は江戸時代には会津藩に仕えたらしいんだけど、
この系統の系図って何かに載ってますか?
ご存知の方、教えてください。
287日本@名無史さん:2001/05/09(水) 15:16
あげ
288日本@名無史さん:2001/05/11(金) 22:04
>260
高鍋の千手氏って、現在お菓子やさんをやってる千手さんなんですか?
そんな由緒ある名族だったとは知りませんでした。
あまり関係ない話ですみません。
289日本@名無史さん:2001/05/12(土) 00:19
九州に問注所氏っていたらしいんだけど知ってる人いたらおしえてください・
   
290日本@名無史さん:2001/05/12(土) 00:23
問註所氏でしょ?庶家は町野氏とか名乗ったみたい。
291290:2001/05/12(土) 00:24
292与六:2001/05/12(土) 00:35
>>289さん、問注所鑑豊の娘が戸次鑑連と結婚&離婚をしていますね。
293日本@名無史さん:2001/05/12(土) 03:14
290.291.292さん、どうもありがとうございます。
やっぱり書き込んで良かった!
294日本@名無史さん:2001/05/13(日) 17:23
260>>261
非常に時間が経過してしまいましたが、さきほどメール送らせていただきました。

260>>288
そうですね。苗字を冠したお菓子屋さんをやっている千手さんも福岡の千手一族の
末裔なのは間違いないと思います。あなたは高鍋の周辺の方ですか?
高鍋藩は筑前から移住してきた藩なので、高鍋の電話帳と福岡・甘木あたりの
電話帳を比べると、苗字がとても似通っています。
295日本@名無史さん:2001/05/17(木) 23:49
>>294
現在はちがいますけど、かつては住んでたことあります。
知ってる人に、善家、三好、野間口、といった宮崎県ではあまりみうけられない
姓のひとがいるのですが(宮崎で一般的な姓は黒木、河野など)この人たちも筑前
秋月から移住してきた人たちの子孫なのでしょうか?他にはどんな姓がそれに
該当するのでしょうか?手元に高鍋の電話帳がないもんですから、教えて頂けると
うれしいです。千手さんのお菓子屋さんでは「みつなでしこ」と「剣菱」という
まんじゅうを売っていたのを覚えています。共に秋月家の家紋ですね。
296日本@名無史さん:2001/05/19(土) 01:36
>>295
私は先祖が高鍋の出身だというだけで住んだことはないので、あんまり偉そうな
ことは言えないんですけど、善家・野間口という苗字に関してはまったく聞き覚え
がありません。所持しているかぎりの藩士分限帳のコピー等を見ても、その苗字は
ないですね。ただ善家というのは三善氏の一族かとも想像できますが、だとすると
>>291のHPに載っている三善(問註所)氏とゆかりがあるのかもしれず、福岡との
関連は否定できません。ただ甘木近辺には三善(みよし)や善(ぜん)という苗字
はあるものの善家という苗字は見当たらないようです。野間口という苗字も福岡で
散見される苗字のようなのであるいは本貫地は福岡なのかもしれません。
ただ福岡発祥で近年まで福岡に住んでたような人が宮崎に移住してくることもない
わけではないですしね。少なくとも高鍋藩との関連性を証立てる史料は見当たりま
せん。
三好に関しては家老の三好氏というのがあって、その分家も1軒あったようですが
この家は安芸国出身と言われており、江戸時代に入ってしばらくしてから秋月家に
仕えており筑前との関係はありません。ただ、それ以前にも三好姓を名乗る別流の
秋月家来がいた形跡はあり、その家は筑前出身らしい。けれども、前出の家老
三好家が高鍋に出現した前後からその後の足取りが掴めない、という奇妙?な現象
があります。高鍋に三好姓の方がおられることは知っていましたが、どういう
来歴をお持ちの方々なのかは存じません。家老家のご子孫ではたぶんないとは
思うのですが・・・。
筑前から移住してきた秋月家臣で今も宮崎県内に残存している苗字をざっと列記
すると、
坂田・柿原・泥谷・恵利・野津手・野津原・財津・内野・隈江・諌山・岩下・
上野・大坪・大庭・久家・税田・武末・篠原・則松・林・林田・中元寺・原・
平木・平山・深江・深見・星野・水筑・矢野・横尾・浦・吉瀬・水町・守部・
野崎・馬渡・香月・河辺・赤司・一木・内山田・倉掛・藤・堤・立山などなどです。
297日本@名無史さん:2001/05/19(土) 20:30
>>296
ていねいなレス、ありがとうございます。
善家さんはいかにもいわくありげな姓なのでなにか関係があるのかなと思っていたのですが・・・。
あげていただいた姓のなかで心あたりのあるものもいくつかありますね。
恵利、馬渡、岩下さんは直接面識はありませんでしたがそういう姓の方がいらっしゃるのは知ってます。
野津手さんはたしか眼科、産婦人科をされてます。町内には秋月姓の内科医のかたもいます。
野津原さん、大庭さんはクラスメートでした。
篠原、原、矢野さんも知ってますが、全国的にもポピュラーな姓なので高鍋藩士の子孫かどうかわかりません。
一木さんもクラスメートで、町内でも同姓の方が同じ地区に固まって住んでおられます。
確か現在は農業をされてます。
それ以外は聞いたことはないです。まあ子供だったんで付き合いは狭かったですけど。
中元寺さんや水筑さん、守部さんとか変わった姓のかたがいらっしゃるんですね。
高鍋に帰る機会があればいろいろ調べてみたいですね。卒業アルバム引っ張り出したら案外該当する
姓の人がいっぱいいたりして。結構忘れてますからね。
それにしても旧藩士の子孫がお菓子屋さんだったり農業だったりと、維新後の武士の身の振り方という
ものを考えるとおもしろいですね。田舎のせいもあるでしょうが、勤め人をされてるひとはあまりいな
くて、商人だったり医者だったりと独立して事業をおこされてる方が多いですね。
298与六:2001/05/19(土) 22:16
米沢では上杉鷹山公生誕250年祭を、9月29日〜10月21日松が崎公園周辺で行いますが、高鍋では何かイベントでも行われるのでしょうか。
299日本@名無史さん:2001/05/24(木) 20:17
>>298
なんだか勝手に一人で地元ネタで盛り上がってしましました。
高鍋では少なくとも町を挙げてそのような祭りをやっているという話はないですね。
秋月家とその親族の方々が何をされてるかまでは分かりませんが。
上杉鷹山公は高鍋が生んだ偉人にはちがいないのですが、かといって高鍋の発展に寄与した
ひとではないですからね。
300日本@名無史さん:2001/05/26(土) 21:45
上杉鷹山は江戸藩邸で生まれて、高鍋には一度も足を踏み入れたことの
ない人ですからねえ。特別なイベントはないんじゃないかな?
301日本@名無史さん:2001/05/28(月) 18:42
揚げ
302名無しさんの花園:2001/05/28(月) 21:13
    
303日本@名無史さん:2001/05/28(月) 22:10
           
304日本@名無史さん:2001/05/30(水) 23:46
age
305日本@さいたま:2001/05/31(木) 14:47
同田貫に関して、何かありませんか?
菊池のほうだと聞いたことがあります。
306日本@名無史さん:2001/05/31(木) 22:06
それって人名ですか?地名ですか?
307名無しさん@そうだ選挙にいこう:2001/06/01(金) 00:25
なんだ、ゲームのこといってるのかと思ったよ。
308日本@名無史さん:2001/06/02(土) 10:31
ゲームって?
309日本@名無史さん:2001/06/04(月) 14:46
大友氏の分家の田原氏は、江戸時代以降はどうなったのでしょうか?
310日本@名無史さん:2001/06/04(月) 15:00
としちゃんになりました
311日本@名無史さん:2001/06/04(月) 16:20
田原俊彦って九州の出だっけ?ひょっとして本当に関係あるのかな?
312与六:2001/06/04(月) 18:09
蒲池と田原で新人賞を争った?
313日本@名無史さん:2001/06/04(月) 19:07
西武ライオンズの帆足と大友家臣の帆足って関係ある?
314日本@名無史さん:2001/06/04(月) 19:10
俺も帆足のことは考えたことあるけど、真相は知らないなあ。
ただ九州の帆足以外に同姓はいそうもないけどねえ。
315日本@名無史さん:2001/06/04(月) 21:31
>>284
俺も土持氏に関する情報きぼーん。
由来等知ってる人いる?
316日本@名無史さん:2001/06/04(月) 21:41
鹿児島の土持か。宮崎の土持の分流なの?
317313:2001/06/04(月) 22:45
なんだかんだ言っても、日本史板はやっぱ違うね
三国・戦国板の大友スレではレスつかなかった
318日本@名無史さん:2001/06/07(木) 10:31
age
319日本@名無史さん:2001/06/08(金) 08:52
土持親成。
320日本@名無史さん:2001/06/08(金) 16:06
筑紫(つくし)氏と筑紫(ちくし)哲也って関係あるのかなあ?
321日本@名無史さん:2001/06/11(月) 14:29
土持氏は物部氏の子孫です。
322日本@名無史さん:2001/06/11(月) 22:46
物部氏の子孫がなぜ南九州に土着し、一大勢力を築くまでにいたったのですか?
323日本@名無史さん:2001/06/12(火) 08:22
うちの父方の実家は大隈半島の先端、佐多町にあって家は丘のてっぺんにあり細い階段を五分ほど上がったところにあり、砦かなんかがあったような雰囲気です。庭を掘ったとき古銭(江戸時代のものだったと思う)が出てきたこともありました。"カライモ士族じゃったとよ"と祖父が言ってました。やはり宮崎から流れてきたんでしょうか?西郷 隆盛が島に流されたとき、世話をした人に土持っていう人がいたそうですが、、、
324日本@名無史さん:2001/06/12(火) 17:35
>>311
田原俊彦は山梨県出身で九州は関係ないよ。
松田聖子は、家紋が左三巴で、戦国蒲池氏の末裔であることは地元の史家も認めている。
325日本@名無史さん:2001/06/13(水) 08:32
age
326日本@名無史さん:2001/06/13(水) 08:40
ふむふむ
327日本@名無史さん:2001/06/13(水) 13:34
>>322
物部氏は以外と多いかもしれない。
四国伊予には物部氏後裔の水軍が多く、九州にも来て土着している。
328日本@名無史さん:2001/06/14(木) 19:59
物部氏って、聖徳太子の時代に出てきたあの物部氏ですか?
329アマノウヅメ:2001/06/14(木) 20:32
>>327
勝海舟も物部氏を名乗っています。
結構多いんじゃないですか?
330日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:25
名字と家紋が同じだけで子孫になれんるんだから
有名人と云う肩書きは美味しいですね蒲池聖子さん(杞憂)
331日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:26
名字と家紋が同じだけで子孫になれんるんだから
有名人と云う肩書きは美味しいですね蒲池聖子さん(杞憂)
332日本@名無史さん :2001/06/14(木) 21:38
すんません。話がちょっとずれてしまうのですが、秀吉の朝鮮出兵の
原因の一つに、豊臣軍の猛攻に対して、大友氏が朝鮮に援軍を求めたため、
という説を聞いた事があるのですが、もしご存知の方いらっしゃいましたら
教えていただけませんでしょうか。お願いいたします。
333日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:42
最後の勝利者は島津!
この現実を直視しよう!!!
334日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:47
>>333
維新を先導したのは薩摩藩ではあったが、島津ではないよ。
335日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:53
>>332
ソースは?
336日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:54
ブルドッグ。
337日本@名無史さん:2001/06/14(木) 21:55
島津は公爵。

毛利と徳川と同格。

毛利と徳川は馬の骨。

島津が最高に偉い。

338小太郎:2001/06/15(金) 02:49
うーん、いちどもドラマ化してないのがもったいないな!
何故、中央で取り上げられないのか?
一度、真剣に、九州各県の方集まって、ドラマ化してみたら、募金募って!
竜造寺隆信の生涯なんていいぞ!主演は中尾彬なんていいぞ!鍋島直茂は
うーんだれがいいだろうか?宗麟は?しまんずは?筑紫は哲也でおっけー。
立花は、ノンフィクションライターの立花のおっさん。
339日本@名無史さん:2001/06/15(金) 17:22
>338
マイナー&ローカルだからでしょ。
340小太郎:2001/06/16(土) 11:49
おれはもう、赤穂、織田、豊富、徳川話もうお腹いっぱい。
今はあっさり、もっぱら地方史大好き。わかりますか、339さん。
マイナー、ローカルそんなこといってんじゃなくて。中央の話題にまだ触れられて
いない、新鮮さかな。それを、nhkなどとりあげて欲しいのさ、いつも同じ物
食ってたら、つまんないな。そいうこと。いつも同じ物みせられてる他の視聴者
はよく飽きずにみてられるなって感じ。nhkよどんどん新しいものやってかないと
俺ら玄人にはあきられるぞ。もっと勉強しないと。
341日本@名無史さん:2001/06/16(土) 12:33
原田、秋月はどうなったの?
342日本@名無史さん:2001/06/16(土) 13:28
>>332
その話、どこかで聞いた事があるぞ。ただ大友氏ではなく竜造寺家だった
と聞いたが・・・・ネタ本がなんだったか忘れた。スマソ。
343日本@名無史さん:2001/06/16(土) 15:04
勝ち組であるだけで「日本」史として中部地方のローカル史を見させられる、織豊時代の
大河自体ももういやだが、地方発ドラマとか、ケーブルの歴史チャンネルでのドラマ化
を狙うにしても、そうして昇華されるための、基礎となる学問も芸術作品も少なすぎる
と思う。やはり、学問>小説>TVドラマ、だろうから。

秋月はまだいいにしても、九州は負け組が多いからもともと史料がお蔵入り、
または散逸している上に、生計のために日本史をやっている人にとっては、九州地方史
はややおいしさに欠ける。小説を書くにも同じ問題がある。それらを支える、九州地方史
への関心や郷土愛、という意味でも、九州(北部)は他地域に劣っているように思う。

磐井、大宰府、大蔵、南朝、戦国大名、キリシタン、不平士族、と敗戦を重ねている九州
の、滅びの美学をまずは芸術に、そのためには、関心や郷土愛を持つものの地道な行動が
必要と思っている。
344日本@名無史さん:2001/06/16(土) 15:50
龍造寺隆信は、蒲池鎮漣、小田政光、赤星統家らに対する行為は、俗に言う
冷酷、残忍、卑劣だからね。たとえ、こんな視点は駄目だとしても、やはり
歴史のヒーローに必要な爽やかさに欠けるね。大友宗麟も一人の人間としては
問題多いし、島津も同じ。
かといって、この三人の次のクラスになると、立花道雪などいいけれど、
完全にローカルになっちゃうものね。
345日本@名無史さん:2001/06/16(土) 16:07
大分県の平松知事が大友宗麟を大河に、ってNHKに陳情にいった
けどダメだったらしい。可能性あるのは島津だろうね。
竜造寺はちょっとしょぼいでしょ。
346日本@名無史さん:2001/06/16(土) 17:27
ふつうは戦国時代とは言わないけど、まあ、南北朝からずっと戦国だ
った、ってことで敢えて言うと、九州が「中央」(笑)で、というか、
日本人の多くの気持ちを動かせるドラマの舞台になる時代の一つは
南北朝。弱小だった島津や大友もからむし、もちろん菊池や少弐、
了俊、秋月、五条、松浦、千手、宇都宮・・・うーん複雑すぎてやっぱ
だめかも?
347日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:23
大河ドラマになりそうといえば伊東マンショかな。
九州戦国だけが舞台ではないかもしれないが深いかかわりがあるのも事実。
これは結構マジいけるんじゃないか。
そういえば伊東ネタ出てないな。土持ネタも出尽くした感ありだな。
348日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:27
司馬遼太郎がその手の話を書いといてくれればなぁ
マーケティング的にはアリなのに
349日本@名無史さん:2001/06/18(月) 00:56
その手の話?具体的には何をテーマにするのがマーケテイング的に
ありだと?
350日本@名無史さん:2001/06/18(月) 02:06
肥後国人一揆について詳しい本とかってないのかな?あまりよく知らないんだが
351日本@名無史さん:2001/06/18(月) 02:39
>>350 ホイ。

●肥後国衆一揆 : 肥後戦国武将たちの最後の戦い / 荒木栄司著. -- 熊本出版
文化会館, 1987

●天正時代と和仁一族 : 肥後国衆一揆 / 國武慶旭著. -- 熊本日日新聞情報文
化センター (制作), 1993

●肥後国衆一揆のまき / 山鹿市教育委員会編集. -- 山鹿市教育委員会, 1995.
-- (子供のためのれきし絵本 / 山鹿市教育委員会編集 ; 3)
352日本@名無史さん:2001/06/18(月) 03:08
>351サンクス!
大学の図書館に行けばあるかな?
肥後国衆一揆に詳しいWEBサイト探してみたけど無かった・・・
当たり前か・・・
とうことで国衆一揆ネタきぼん
353日本@名無史さん:2001/06/18(月) 03:14
肥後国衆一揆との死闘で佐々成政の養子の佐々与左衛門宗能・
同じく佐々右馬頭成光が討死したというが・・・詳しい人いない?
354日本@名無史さん:2001/06/18(月) 03:21
>>352
もいっちょ追加、ホイ。

●隈本の魁 : 肥後国衆一揆四百十周年顕彰記念誌 / 國武慶旭著. --かもめ印刷(印刷), 1998
355日本@名無史さん:2001/06/18(月) 03:32
さらに2ちょ追加。

●肥後国衆一揆 知られざる中世の挽歌 : 400周年記念シンポジウム完全収録集 / 肥後国衆一揆顕彰会議事務局編. -- 肥後国衆一揆顕彰会議, 1989

●国衆一揆より王政復古まで / 荒木栄司著. -- 熊本出版文化会館, 1999. -- (よ
くわかる熊本の歴史 ; 2)
356日本@名無史さん:2001/06/18(月) 14:33
>354、355さんくす!
どうやって調べたの?
357日本@名無史さん:2001/06/18(月) 14:43
肥後国人衆って、あまり知られてなくない?
面白い話きぼーん
358351=354=356:2001/06/19(火) 02:47
実はたいした仕掛けはないです。
ネット上の各種書籍データベースで「肥後」や「一揆」その他を
キーワードに検索をかけただけ。
私も肥後の郷土史に興味があるので、普段から文献を探して
いたもので・・・
ただ、残念ながら主に肥後の幕末維新史に関心があるので
(宮部鼎蔵とか河上彦斎とか神風連とか)あまり戦国史には
詳しくないです。十分にお相手できなくてごめんなさい。
359日本@名無史さん:2001/06/21(木) 00:55
あげ
360日本@名無史さん:2001/06/22(金) 23:00
土持氏は宇佐の神官・物部氏の子孫である田部氏の末裔です。
361日本@名無史さん:2001/06/23(土) 23:38
をいをい。
さがりにさがっちゃって全く。
362日本@名無史さん:2001/06/25(月) 03:27
すんません。話がちょっとずれてしまうのですが、秀吉の朝鮮出兵の
原因の一つに、豊臣軍の猛攻に対して、大友氏が朝鮮に援軍を求めたため、
という説を聞いた事があるのですが、もしご存知の方いらっしゃいましたら
教えていただけませんでしょうか。お願いいたします。
363日本@名無史さん:2001/06/25(月) 05:34
豊臣軍の猛攻、ていうのは少なくとも違うのでは。大友宗麟は、耳川の敗戦以来、
島津・毛利・秋月あたりに攻め立てられて、秀吉に直接援軍を請うたくらいだから。
364日本@名無史さん:2001/06/27(水) 00:13
大友氏は朝鮮出兵に参加したんじゃなかったかな?
365日本@名無史さん:2001/06/27(水) 00:59
肥後国衆一揆はどうなったんだ
366日本@名無史さん:2001/06/30(土) 01:47
日本@名無史さん
367日本@名無史さん:2001/06/30(土) 02:54
>347
土持ネタどこに出尽くしているのか教えてくださいませんか?
>360
では名前の由来はなんなのですか?
368日本@名無史さん:2001/07/01(日) 23:21
だって新たな土持ネタ出そうになかったんだもん。
まあ360で新たな情報が出てきたのでめでたしめでたしってことでいいんじゃない?
369日本@名無史さん:2001/07/02(月) 03:03
土持氏に関して
http://www.harimaya.com/o_kamon1/buke_keizu/html/tutimoti.html
ここは見ました?
370日本@名無史さん:2001/07/02(月) 04:23
へえ、こんなスレがあったんだ。
おいらは、里が球磨郡なんで相良氏萌え萌えっすよ。

ここは弱小のワリにはサバイバル能力が異様に高くて、
島津占領、秀吉軍下向、肥後国衆一揆、梅北の乱(だっけ?)、関ヶ原と
お家断絶の危機を5回は乗り切っているんですよね。
なんか、もうちょっと評価されてもいいと思うのですけどね(^^;<地元で
371日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:14
堺市並松町に百武という散髪屋があった。
百武氏の子孫だろうか。
372日本@名無史さん:2001/07/07(土) 13:55
百武彗星ってなかったっけ?
これは彗星を発見したアマチュア天文家にちなんで命名されたと聞いているがこの人も
百武氏の子孫だろうか?確か鹿児島の人だったように記憶している。記憶違いだったら
すまん。
373日本@名無史さん:2001/07/07(土) 17:37
九州って所詮ローカルなんだね。
全国的な大名がいない。
374日本@名無史さん:2001/07/07(土) 18:37
>>373
そんなことを言ったら近畿以外はどこもかしこもローカルでしょうが(笑)
375日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:08
三河尾張以外はと言えるくらいだよね。そうした下克上の戦国の中で生き残った
島津、相良、鍋島、秋月、立花、松浦、伊東、宗、大村あたりが九州の地大名。

で、百武氏は龍造寺・鍋島に仕えた武将。戦場での百人並の働きに、殿様より
名字をいただいたのだとか。百武さんは、鹿児島へは仕事で赴任されたのでは
なかったか。
376日本@名無史さん:2001/07/08(日) 17:11
>375
旧陸軍の百武中将は鹿児島出身。
でも先祖は佐賀の百武氏。
377日本@名無史さん:2001/07/09(月) 03:51
松田聖子のファンだから蒲池氏頑張れって・・・言っても龍造寺にやられたもんな。
378日本@名無史さん:2001/07/09(月) 05:28
百式は?
379日本@名無史さん:2001/07/19(木) 21:47
百式?
380日本@名無史さん:2001/07/24(火) 22:02
>>377
蒲池氏は、松田聖子(蒲池法子)で天下を取ったんだよ。
蒲池氏の子孫は活躍しているけれど、龍造寺氏の方は寂しいね。
381日本@名無史さん:2001/07/24(火) 22:04
>>380
ここが面白いよ。
http://www.tcup5.com/508/kamachi.html
382日本@名無史さん:2001/07/24(火) 22:33
>>371
その百武理髪店の人、やはり佐賀県出身らしい。
383鎌倉夫人:2001/07/25(水) 01:02
384日本@名無史さん:2001/07/25(水) 06:39
>>383
どこがどう結びついて後裔なのか、よく分からん。
関係ないでしょう。
385日本@名無史さん:2001/07/25(水) 06:48
かなりマイナーだが、田尻とか黒木なども面白いんじゃないかな。
386日本@名無史さん:2001/07/25(水) 13:29
黒木瞳は子孫なの?
387与六:2001/07/25(水) 15:06
富野はクワトロの愛機を百武と名付けたかった?
388鎌倉夫人:2001/07/25(水) 16:13
>>384さん始めまして
佐賀県の田代姓には2氏族あります。一方が松浦党の一族です。
もう一方が、龍造寺胤久後裔です。「葉隠」を佐賀藩の古老・山本常朝(武雄
後藤氏中野氏一門)の話を聞き書きし、執筆した田代陣基が有名です。
彼は竜造寺胤久八代の孫佐賀藩士田代小佐衛門宗澄の子、母は鍋島主水茂里家来の
淵上又兵衛の女である。田代まさしは祖父、父が佐賀出身で、彼自身も佐賀生まれ
途中養子が入ってなければそうでしょう。竜造寺嫡流の村中竜造寺系です。
389日本@名無史さん:2001/07/26(木) 10:53
>>386
黒木瞳は本名なの?
仮に本名だとして、実家は福岡県の黒木の出身なの?
もし、そうだとしても、明治皆姓の時に、地名にちなんで黒木と付けた場合もある。

系図、古文書その他にしろ、そういう伝承でもあるのだろうか?

>>388
こちらも同じ、佐賀の田代氏の由来はわかったが、その田代氏と田代まさしが
結びつく、史料なり伝承はあるの?
同じ名字、同じ地域の出自というだけでは、子孫とは言えないのでは。
390日本@名無史さん:2001/07/26(木) 10:56
郷ひろみの本名は、原武で、佐賀出身だが、堤氏の家臣の原武氏の
子孫という話はどうなの?
391日本@名無史さん:2001/07/26(木) 11:10
黒木瞳は芸名。宝塚だぜ。
たしか出身に因んだ。
392日本@名無史さん:2001/07/26(木) 11:14
>>391
じゃあ>>386は、姓氏の基礎知識にも無知なお馬鹿ということでよろしいですね。
393日本@名無史さん:2001/07/26(木) 11:18
江崎グリコの社長の江崎も、元は佐賀の出で、佐賀の江崎氏の
一族の子孫らしい。
394日本@名無史さん:2001/07/26(木) 11:40
>>392
386だが、子孫か聞いてるだけなんだから許してね(笑)。
395日本@名無史さん:2001/07/26(木) 11:51
>>394
せめて、本名か芸名か、くらいは調べようよ(藁
396日本@名無史さん:2001/07/26(木) 15:06
江崎社長は朝鮮系説が根強かったように記憶しているが・・・。
あの事件当時・・・。
397日本@名無史さん:2001/07/27(金) 04:32
>>396
それは”噂の真相”クラスのガセです。
江崎グリコの江崎氏は、本家が佐賀の江崎氏で、堤氏の家臣です。
398日本@名無史さん:2001/07/28(土) 23:36
>>396
一橋文哉の「闇に消えた怪人」にもその話のってたね。
それを思えばそんなにいい加減な話とも言い切れないのでは?
本当のところはどうなんだろう。
399与六:2001/07/28(土) 23:59
リクルートの江副さんは江副信英と関係あるのかな。菅原道真の後裔?
400イカンザキ:2001/07/29(日) 17:54
黒木瞳氏の本名は江上です。
◆江上氏@筑後三潴郡に起こる江上氏は、大蔵姓原田氏一族で江上城々主
Aのち竜造寺隆信次男が肥前国神崎郡に移った江上氏子孫・勢福寺城主江上武種
の養子に、このあと江上本家は龍造寺隆信の血脈になり藤原姓江上氏が起こる。
子孫は肥前佐賀で江上氏、佐野氏を名乗る。
B肥前国彼杵郡より起こる藤原姓宇都宮系宮村氏流江上氏は別。
家紋 丸の内二つ雁金
※本名・江上氏こと黒木瞳氏は上記の@、A、Bのどれかの一門かと思われます。
他に東京の江上料理学院院長・江上栄子氏は肥前佐賀出身。
401イカンザキ:2001/07/29(日) 18:18
◆江上氏遠祖は、漢の高祖といい、その十代の孫、阿知使王のとき来朝
、藤原純友の乱に勲功を挙げて、九州に下向、筑前三笠郡に知行を得て、
太宰大監となり、源平時代の頃、原田種直がいて、その兄弟が分かれて、
秋月種実(筑前秋月城城主)、田尻実種(三池郡田尻城主)、江上四郎
光種(三池郡高橋住)となりました。「江上氏略系図」
その後、江上種実が肥前国神崎郡(佐賀県)と関係を持ち、元弘の変
(1331)に参戦しています。そして功により東肥前に領地をもらい、
その後、東肥前の一豪族になりました。のち少弍氏家臣、勢福寺城に
少弍冬尚を迎えて、馬場頼周と後見役になります。執権職。
402イカンザキ:2001/07/29(日) 21:19
◆九州大蔵姓原田氏系図
大蔵春実(天慶三年、940年藤原純友討つ、征西大将軍に任ぜられ、九州
に勢力を持つ。子孫は太宰府在庁官人として大監などを世襲した。
→後漢霊帝子孫、先祖に坂上(田村麻呂)氏、一族に丹波氏、田村氏が
いる。)

大蔵春実−種光−種材−光弘−種弘−種輔(種輔四世種範が●田尻氏祖)
−種平−種直(●原田氏祖、太宰府大監・原田次郎を称する。筑前国
三笠郡原田邑発祥、後漢霊帝の子孫大蔵氏の分かれで大蔵本流)−−
−種雄(●秋月氏祖、北九州の大族、筑前夜須郡秋月(城)に起こる
近世日向高鍋藩主、家紋なでしこ・花菱・九枚笹)

大蔵春実−種門(●江上祖)

原田種直●は安徳天皇西海行幸の折りに私宅を皇居にあてたほどの実力者
で、平清盛に属して平家方九州の中心勢力であった。しかし源平合戦で平家
が敗れたため、領地没収没落、しかしそれぞれ原田一族は肥前筑前(佐賀・
福岡)根強く残った。その他豊前豊後(福岡・大分)長門周防(山口)俳優
の原田大二郎出身、安芸にも、三河に種直後裔も。
403日本@名無史さん:2001/07/29(日) 22:01
今日の参院選に自民党から出馬している武見敬三の母親が高鍋藩主
秋月子爵家の娘。ちなみに父親は昔の日本医師会の会長の武見太郎ね。
404森永小枝:2001/07/30(月) 12:52
>>399
リクルートの■江副氏はお父さんが佐賀県出身です。
江副新八郎信英は菅原道具後裔で、江副左近将監茂遠のとき蒙古合戦功、1289年に
新庄郷内十一町の加恩を授かる。(今の佐賀市内新庄)
江副氏は竜造寺・鍋島に仕えて各地戦陣参加する。江副久良は一時、竜造寺隆信執権
になり水ヶ江城に在城したことがある。江副信英(1558)金敷峠合戦で、竜造寺側で
神代勝利と戦い、小川信安(鹿島太夫将監則隆裔、肥後菊池城主肥後守為邦の子・為安
の孫。小川為純嫡男で始め肥後上益城郡小川領有後、後に筑後山門郡上小川、下小川に
移封したころから小川姓名乗る、先の鹿島則隆は肥後菊池十八外城の一つ鹿島氏を名乗
る菊池一族、藤原道隆(関白)−隆家(菊池祖・太宰権)−正則−則隆(鹿島祖)。
佐賀県の菊池族は小川氏の他に神崎郡神崎の姉川城主の姉川氏・今も姉川城址あり。
佐賀化け猫騒動で有名な千布氏もその祖・千布因幡守家利は甲斐利弘三男利明で彼杵郡
から佐賀郡安富庄地頭となり千布村(佐賀市金立町)に移住し土生島に城を築く、菊池族。
その裔・千布家利は神代勝利家臣のち龍造寺隆信家臣。また朝倉氏も菊池族)
を始め石井兼清、江副信英ら多数戦死者を出す。その子・信俊は島原沖田畷で戦死、その
子孫は同じ菅原道具裔の右近氏が佐賀城下六座・伊勢町創建のため城下に移り、代わって、
蛎久天満宮神職を江副氏が代々務める。
405森永小枝:2001/07/30(月) 15:40
江副系図(略) 家 久
┌−−−−−−−−−−−┬─−−−−−−−−−−┐
茂久(兵部左衛門) 良 武 信 良
(鍋島一番槍) ┬
信英(金敷峠戦死)

信俊(沖田畷戦死)
406森永小枝:2001/07/30(月) 15:49
江副系図上記変更
家久−−−信良−信英(竜造寺臣神代氏戦金敷峠戦死)−信俊(島原沖田畷戦死)
家久−−−良武
家久−−−茂久(兵部左衛門、鍋島直茂追腹、のち小城鍋島元茂家臣に)

407森永小枝:2001/07/30(月) 17:32
江副兵部左衛門(茂久)♂鍋島一番槍−鍋島軍士の一人。父の家久は龍
造寺周家(隆信父)に従い祇園原で戦死。茂久は天正二年(1574)竜造寺
隆信が一万余騎で上松浦の草野氏を攻めたとき、草野家人の草野元幸、青木
良珍、吉井右近允ら平井峠に打って出て、鍋島の先陣で江副兵部左衛門(茂
久)が一番槍を入れて奮迅の働きをした。 翌年、平井(武雄後藤一族)経
治の須古城を攻めたとき彼は鍋島勢の中で、一番に鉄砲を放って軍功を立てた。
また天正四年(1576)の横沢合戦では鍋島の江副兵部左衛門一番に打ちかかり
鉄砲にあたり負傷する。城主の原十郎は江副土佐守に、原五郎は江副兵部左衛門
(茂久)に切られる等、江副一門は数々の武勇伝を発揮している。
天正七年(1579)龍造寺隆信が筑後筒岳の本城を攻めたとき、江副兵部左衛門
(茂久)は敵将の荒木弾正と子・進士允を捕らえ、また同年、肥後の和仁城を攻
めたときは北の口より一番に乗り込み戦う。また三溝合戦でも軍功。★筑後の柳川
攻めでは蒲池鎮並の長臣・中山きんに君、いや中山筑前守を討ち取る。
また天正十年(1582)筑後戸原城攻めで、鍋島勢は大手から攻めかかり、江副
兵部左衛門(茂久)は一番に大櫓に取り付き、味方の兵を招き寄せる等、鍋島の中
で、常に先陣を切って軍功を表していた。江副兵部左衛門(茂久)甥に※江副伝兵衛
がいる。江副兵部左衛門(茂久)は鍋島直茂に仕え、武功をたて諱の一字を賜って
江副茂久とした。小城の鍋島元茂に預けられたが、元和四年(1618)六月三日鍋島直茂
逝去に追腹する。法名、機了道仙と号した。
408与六:2001/07/30(月) 17:54
リクルートの江副さんは東大出身ですよね。血は争えないか。
409森永小枝:2001/07/30(月) 18:07
■鍋島直茂公追腹十二人
八戸宗禾周、▼江副兵部左衛門(茂久)、服部宗延、大薗木工、斎藤
用之助、一番ヶ瀬左近、堤刑部左衛門、堤雅楽、秀嶋源兵衛、末次浄覺
、秀嶋吉右衛門、斎藤佐渡・・・以上。
410森永小枝:2001/07/30(月) 18:09
与六さん反応ありがとう。
411鎌倉政子:2001/07/31(火) 07:13
>>389
そうですね田代まさし氏の田代姓と佐賀の彼の代々菩提寺と親戚知り合い探して
確証えてから断定しないとね。でもとにかく佐賀の田代姓名は>>388紹介した二流
派の村中龍造寺胤久系田代氏と松浦党祖源久の孫・源来が鶴田氏祖でその一族の田代
氏が主流。
しかし第三の田代氏が判明しました。ありましたよ!柳川宇都宮蒲池氏の最後の城主
・蒲池鎮並落胤の深堀之助はもと田代姓で(関ヶ原後の鍋島軍による柳川立花攻めで
勇名を馳せた柳川七騎に田代猪之助、田代大右衞門の名がありました。)
竜造寺隆信公の蒲池鎮並征伐後、猪之助の母が肥前に逃げて来て、隠していたのを
鍋島安芸(深堀茂賢・石井一族、長崎の三浦族深堀家家督継ぐ)殿が召し抱えられた。
の記述が。しかし深堀に改名したので元の田代姓を名乗る蒲池鎮並系の田代氏がいる
かどうか不明。調べてみなければいけないな。
以上、佐賀の田代姓は上記の三流派が主流でしょう。佐賀において田代姓は多くなく
むしろマイナー姓なので、その他の氏族というのはむしろ考えにくい。そして彼は旧
農民系じゃなさそうだから少なくとも彼みたいな細身でシュッとした顔は武士系の顔
です。農民顔ではない、農民顔は近藤勇(旧姓宮川)みたいな骨太でごつい顔、骨格
をしている。また殿様の顔はその全く逆の顔している。それは代々の生活スタイルや
堅いもの食べてるか、柔らかいもの食べてるかの違いなどの違い。
412日本@名無史さん:2001/07/31(火) 20:33
大名顔ってのはたしかにあると思うけど(食べ物の咀嚼の問題等から生じたもの)
武士と農民で画然とわけられるような身体的特徴ってあるかなあ?
413ふじの田代尚あなです。:2001/08/01(水) 09:27
わたしも上記の田代三流派から出てるのですね!
414日本@名無史さん:2001/08/02(木) 11:19
>>411
蒲池鎮漣(鎮並)にそんな落胤がいたの?
史料は何?
415日本@名無史さん:2001/08/02(木) 13:56
蒲池鎮漣公の落胤とされる深堀猪之助のイミナは、何というのでしょうか?
416明智智明:2001/08/03(金) 07:48
イミナって正式な名前とおくりながあるんだけど上の彼がどっちなんだろうか?
忌み名、諱など。
417日本@名無史さん:2001/08/03(金) 16:13
>>416
正式な名前ということでしょう。
418日本@名無史さん:2001/08/08(水) 07:20
上げとくね
419日本@名無史さん:2001/08/12(日) 19:38
深堀の話し、どうなってんの?
420日本@名無史さん:2001/08/18(土) 14:15
江崎竜男『筑後武士』は、筑後の宇都宮氏・蒲池氏・今村氏の盛衰を
描いていて面白い。
4212chには聖子ファンが多い:2001/08/18(土) 15:49
なんで九州人は落胤だのを信用しきってるの
422蒙子:2001/08/18(土) 17:54
421おまえは馬鹿か!深堀いのすけは鍋島藩の葉隠論語にしっかり記録が残ってるん
だよ。それも鍋島藩の重臣が彼の身を、小さいときから守ってた。そこいらの農民、
土民の馬の骨の話じゃないんだよ!わかったか!

俺は他の落胤説はしらんが、アプローチの仕方は歴史学だけじゃなく色んな学問から
落胤説を探求し論じてもらいたい。なにも歴史は歴史学者だけのものではないからな!
より客観性をきたすため、それこそ色んな分野の学者たちなどの歴史学参入をもっと
もっときたいしたい!例えば父親の子煩悩さこれは父から男の子へ遺伝していくものが最近
発見されたそうだが、この子への子煩悩さの面でみていくと、島津忠久、大友能直などは
充分条件クリアの内に入るんじゃないかな!しかもあの冷徹な頼朝があんなにも両者を
厚遇したり、常に身辺に置いていて寵愛したのは、自分の子か寵童のどちらしかないから
な!まー色んな分野の人の意見もっともっとをききたいぜ!
421君みたいに頭から拒否してしまったら理化学も歴史学も進歩がないぜなんの学問も
そうであるという前提から始まり色んなかたちでアプローチして探求していってより
客観的なもののなかに信実性が横たわっているもんだよ。(半分信じて半分疑う)
例えば霊などもいないと決め付けてしまえばもうそれ以上探求などの努力をしなく
なるだろ、その分野の学問の発展がない、そこなんだよ。きみも耳学問でなくて自分で
あらゆる分野の本や人の話しを聞いたり、ときには自分で足を運び努力してことの
真相を自ら探求しより客観的な情報集めてから、断定的にいいな!
423日本@名無史さん:2001/08/18(土) 17:59
>>422
その蒲池鎮漣の落胤とされる深堀猪之助の実名は何ですか?
424日本@名無史さん:2001/08/20(月) 12:51
成人教育講座


 蒲池中学校の成人教育講座は、「戦国時代の蒲池」という題で、十一月
十九日に本校の体育館で行われ、生徒や保護者、地域の方々と大勢の人達
が受講しました。
 今回の講師の先生は、食品会社を経営しながら、九州戦国史を研究され
てある吉永正春氏。先生は、筑後戦国史の書き出しでも紹介されている筑
後の英雄、蒲池一族について説明され、さらに、蒲池の名称や、「金納」
「立石」など地名の由来と姓又、蒲池城・柳川城についても詳しく説明さ
れました。約一時間半ほどの講演では、子供達も初めて、自分の住んでい
る郷土、蒲池一族の盛衰や蒲池地区の歴史由来など、郷土の歴史のルーツ
を知ることができました。
 また、今現在自分たちが生きているという生命の尊さを理解するという
今回の目的が、子供達の一人ひとりの顔を見て達成できたなあと痛感しま
した。貴重な講演を聴き、生徒の皆さんが、最後の先生の力づよい「君た
ちには時間がある。そのため自分の可能性をこれから大いに発揮してくだ
さい。」という言葉をしっかりと脳裏に刻み、大きな宝物を先生よりいた
だいたことを感謝して生きていってほしいと思います。
425前田五郎利幸:2001/08/21(火) 01:24
424殿、前田五郎利幸です。
早速ですいませんが、その講座でなにかパンフレットや本などが配布などされません
でしたか?もし何か配布本などあったならお教え願いませんか?お願い致します。
426421:2001/08/22(水) 22:29
ネタじゃないよね、マジレス(プ なんて言わないでよ(汗

いやぁ〜あんなヌルいレスに>>422のような攻撃的なレスがつくとは
422さんは深堀いのすけの御子孫さんですかね、失礼しました
てゆうか名前みて松田聖子のこと言ってるってわからないかな

>自分の子か寵童のどちらしかないからな!
「どちらか」がなぜ落胤になるのかがわからないんですよね
頼朝に寵愛された御家人は他にもいるし、八田知家にも頼朝の弟説があるけど
それを肯定する人は殆どいません
>しかもあの冷徹な頼朝があんなにも
比企尼の縁者は大抵重用されてます

関東にも北条氏政の落胤の話とかってあるんですよね
氏政の愛妾が小田原落城に際して落ち延びて男子を産み
国貞の刀や氏政が愛妾に贈った歌を後世に伝えた(新編武蔵風土記稿から要約
美濃にも織田秀信の裔を称す坪井誠軒(蘭学者だったか)なる人物がいました
上の2つは小田原北条氏と戦国の覇者信長の嫡流になるかも知れないのに
これらの話は目や耳にする機会が相当少ないと思います
まず落胤などには疑いを以って当たるのが普通ですからね
九州と九州以外と括ってしまうと語弊があるけど
九州人と中部・関東人の間に貴種に対する温度差があると思うんですがどうでしょう?

>・・・めてから、断定的にいいな!
どこも断定してないんですが・・・。
427日本@名無史さん:2001/08/25(土) 05:27
吉永正春の本も間違い多いよ
428kouji:01/08/26 19:57 ID:bsqL4UXA
確か伊豆か小田原かの大道寺家も横溝作品で頼朝落胤を名乗ってたような?
小山氏一門の結城氏も頼朝御落胤説あるね!?
大友氏も結城氏も頼朝のそばにいつもぴったりと近侍していた。
429日本@名無史さん:01/08/30 05:31 ID:akp/r7Fc
>>426
「てゆうか名前みて松田聖子のこと言ってるってわからないかな」
これは何を言いたいのだろうか?
「松田聖子のこと」って、松田聖子の何についてのことなの?
430日本@名無史さん:01/09/07 01:41
蒲池氏の分家(上蒲池)の子孫の方が
『蒲池氏の歴史』という本を刊行。
ハードカバーで350ページという大作。
嵯峨源氏松浦党蒲池氏の由来から詳しく説き起こし、
子孫のところでは、宗虎丸の弟の宮童丸(蒲池経信)の子孫の豊後の蒲池氏や、
蒲池徳子の後裔で西国郡代の蒲池鎮克の子孫の関東の蒲池氏などにも詳しくふれている。
431日本@名無史さん:01/09/14 02:08
蒲池氏の本の記事は「西日本新聞・筑後版」の8月28日号に出ていた。
432日本@名無史さん:01/09/19 04:02
age
433日本@名無史さん:01/09/21 00:22
>429
松田聖子=蒲池の落胤 のことだろ
434古庄党:01/09/21 02:19
大友を語るなら、同紋衆筆頭の古庄党は外せない。元々大友家は古庄を名乗っていたのだし、加判衆
には古庄党から一人選ばれる。大友家が戦国大名となる事ができたのも同党員たる朽網親満の乱以降。古庄智円は、大友家の守護代と学問上証明された唯一の人物。立花道雪も檄文の中で名門古庄兄弟
の再度の召抱えを強く義統に訴えている。所領の国東郡田染牧は馬産地であり戦略上極めて重要であるといえる。総領家は代々右馬助を先ず受領。
435日本@名無史さん:01/09/21 11:11
古庄党ってきいたことないけど、系譜を教えて。
436日本@名無史さん:01/09/21 13:03
有馬晴信の子孫だって言ってる友達がいるんだけど
今でも末裔はいるの?っていゆーか「有馬」まんまなのかな?
そいつは「有馬○○」って名前で父親が九州出身らしいんだけど。
437-:01/09/21 14:00
438古庄党について:01/09/21 23:38
古庄氏は、藤原秀郷の流れを受けた現神奈川県厚木市古沢を中心とした在地勢力であったのがそもそも。
大友「古庄」能直が、頼朝の腹心たる中原親能の養子となり大友氏を称したことから、
実弟で古庄三郎重能が古庄家の総領となる。後の大友家豊後入国の際に古庄重能は神角寺合戦で
総大将となり豊後在地の大神党を誅しそのまま守護代職を務める。国東郡を中心に早くから
所領を有し、朽網、井上、高田、寒田、倉成、小田原、原尻、波多、草地、霧渡、坂折、永留家
に庶流を持つ。国東郡田染荘は吉弘氏、長野市、古庄氏から政所職「司法、行政、軍事面の責任者」
がだされる。1564年の政所は古庄鎮元。庶流の朽網氏は直入郡山野目を中心に大勢力を有しこれを恐れた
義鑑の時代以降待遇に不満を持ちたびたび反抗する。そのたびに古庄総領家は迷惑だった。
もっとも大友家は古庄総家には常に寛大だった。血縁は佐伯、吉弘、田原まで及ぶ。義統の時代には
その側近として母子に仕える。石垣原の戦い以降も大友家が高家になり江戸に留まるまで厚き親交が
あったといわれる。神角寺合戦から石垣原まで約800年大友家と隆盛を共にしたロマン。
語り尽くせぬが、今宵はここまでにしとうございます。 因みに大友家の出自論争に決着を着けたのは
小田原古庄氏の系図による。
439日本@名無史さん:01/09/22 01:48
>>433
松田聖子は、蒲池氏の落胤じゃないぜ。
蒲池鎮漣の娘の蒲池徳子にはじまる江戸時代の蒲池氏のちゃんとした子孫だよ。
兄貴は平安時代の初代の蒲池圓から数えて44代目になるらしい。
440日本@名無史さん:01/09/22 02:29
437刑事告訴しました。
441日本@名無史さん:01/09/22 20:05
古庄党ってしらなかったけど、名家だったんですね。
442日本@名無史さん:01/09/23 05:47
>>438の書き込みに、朽網の名前が出ているが、>>439が書いている
蒲池鎮漣の娘の蒲池徳子が結婚した相手が朽網鑑房で、息子の朽網宗寿に
蒲池の家名を相続させ、孫の蒲池鎮明から江戸時代の朽網氏系の蒲池氏が
はじまる。江戸時代最後が、幕府の最後の西国郡代となった蒲池鎮克で、
直系の子孫は東京にいる。
443日本@名無史さん:01/09/23 05:55
大友宗麟・・・智謀67武力62人徳75政治78野望65
竜造寺隆信・・智謀72武力85人徳74政治53野望80
島津義久・・・智謀84武力81人徳76政治76野望90
444日本@名無史さん:01/09/23 10:05
蒲池家も古庄家の血脈を受けていたのですね。朽網本家は大友義統に滅ぼされたので
なんだかほっとしました。
445調です。:01/09/23 14:07
東京に住んでます。2ちゃんを色々見ていたら、ここにたどり着きました。
親父の実家は福岡だから・・、何かむかし、先祖は武将だったようなことを言っていたので・・・。
そんな理由です。
そしたら、僕の名前が出ていたので、びっくりしました。
ただそれだけですが・・・・。
記念かきこです。
446日本@名無史さん:01/09/23 23:31
朽網家は滅んだんじゃないの。江戸時代のそれについて教えてください。
447日本@名無史さん:01/09/24 04:31
>>446
矢野一貞『筑後国史』にある「朽網氏家記抜粋」の系図によると
蒲池徳子の夫になった朽網鑑房の子孫は、嫡男の蒲池宗寿に3人の子がいて、
長男が朽網宗常、次男が蒲池の家名を継いだ蒲池鎮明、三男が朽網貞右衛門。
長男の宗常の子が、久留米に住み、『蒲池物語』を著した蒲池豊庵。豊庵の子
の洞摩は朽網に復姓。洞摩の孫は朽網宗房。その後は不明。
蒲池鎮明の子孫は現代も壮健。ただしこれは蒲池家の子孫になり朽網家の子孫
ではない。
448お詫びage:01/09/25 00:44
>439/442
へ〜、「落城した姫君が産んだ子だ」って盛り立てる(詐称する)人間がいて
出来た話だと思ってた。男親もはっきりしてるんだ。これは失礼つかまつった。
449日本@名無史さん:01/09/25 04:40
名家にロマンありですなー。
450日本@名無史さん:01/09/25 18:56
蒲池氏のロマン

蒲池氏のルーツは、一説によると、あの藤原純友らしい。純友の弟の藤原純乗が、
橘公頼を追撃して筑後に入り、蒲池の地に砦を築き(現・蒲池城跡の石碑がある)、近隣の領主となる。
そこへ松浦党の山代囲の子の山代圓が聟養子に入り、嵯峨源氏蒲池氏のルーツになる。
元寇の時も出陣して一族の山代諧が、佐志房らと共に討死にしている。
南北朝時代は南朝方に属す。蒲池12代目の蒲池武久に男子がおらず、
娘が高良大社で出会った宇都宮久憲と夫婦になる。
宇都宮久憲は、下野宇都宮氏の一族で、源頼朝の一番弓といわれた宇都宮朝綱の子孫で、
祖父、父と共に、肥後の菊池氏と共に南朝の懐良親王の征西軍府で戦っていた。
久憲は蒲池久憲となり、彼以降、藤原氏系宇都宮氏族としての蒲池氏になる。
筑後宇都宮氏としての蒲池氏は、筑後の筆頭大名となり、久憲の6代後の蒲池鑑盛の時、柳川城主となる。
鑑盛は、身一つに近い状態で落ち延びてきた理由造寺家兼(剛忠)と隆信を手厚く保護
(もし、蒲池鑑盛が、家兼と隆信の2代に渡る保護をしなければ、その後の龍造寺氏の興隆はなかった)。
鑑盛は、筑後守護の大友宗麟の幕下にあり、大友と島津の耳川の合戦に3千の兵を従えて参陣し、
大友氏総崩れの中で、果敢に島津の本営に突入を企てるが利あらず自決(湊川での楠木正成の一党の
自決に比されるような自決だったらしい)。
鑑盛の子の蒲池鎮漣は、反大友の立場にあり、龍造寺隆信に組みする。しかし、反龍造寺の意志があるため、
龍造寺2万の軍に攻められる。しかし、九州屈指の堅城の柳川城は、半年以上の篭城戦を戦いきる。
鎮漣と隆信は和睦し、隆信は娘を鎮漣の後妻にさせる。そうして親戚関係になり、義父として鎮漣を肥前に誘い、
謀殺する。龍造寺軍は再度、柳川に侵攻し、鎮漣の蒲池嫡流は滅びる。鎮漣の妻となった隆信の娘は、
父より夫を選び、蒲池家の支城のあった塩塚で自決(現在・蒲池鎮漣夫人殉難の地の史跡に指定され石碑がある)。
この時に、鎮漣の子で生き残ったのが、柳川城下で蒲池残党狩りをしている龍造寺軍の包囲網を突破した
16歳の徳姫(蒲池徳子)。彼女は長崎の有馬氏の元に落ち延び、次いで豊後に移り、大友一族の朽網鑑房と結婚し、
蒲池家を再興する。美貌で気丈な女性だったらしい。彼女は、今も蒲池氏の菩提寺の崇久寺に眠っている。
もう一人が、嫡男の宗虎丸の弟の宮童丸で豊前に落ち延びている。宮童丸の子孫は、豊前蒲池氏として現在も健在。
徳子の子孫は、筑前黒田藩や肥後細川藩の藩士(500石クラス)になり幕末の蒲池鎮克は西国郡代になり、
その子の鎮章は鳥羽伏見の戦いで幕府軍先鋒として討死に。子孫は関東に健在。
また、蒲池鎮漣の兄の鎮久(鑑盛の落胤。鎮久は鎮漣と共に佐賀で討死に)の子の熊千代は成人して、
龍造寺家晴の家臣になり(家晴は、隆信と違い、蒲池氏の恩を忘れなかった)、蒲池貞久となる。
家晴の子孫は鍋島時代は諫早家となり、貞久の子孫も諌早蒲池氏として残る。子孫は和歌山に健在。
さらに、蒲池鎮漣の従兄弟の蒲池鎮運は、嫡流滅亡後も存続。蒲池鎮運は豊臣秀吉の朝鮮遠征に参陣し、
釜山で死去。子の蒲池吉広は関ケ原合戦では立花宗茂と共に西軍に参加したため、家は取りつぶしになり、
筑前黒田藩に召しかかえられ郡奉行となる。その子孫は、現在も筑前・筑後に健在。
先般、その子孫が350ページの大冊『蒲池氏の歴史』を刊行。
ロス・オリンピツクの金メダリストの蒲池健夫氏や、城島市の銘酒「池亀」の蒲池氏、
また歌手の松田聖子(蒲池法子)や坂井泉水(蒲池幸子)も蒲池氏の子孫。
451日本@名無史さん:01/09/25 19:12
朽網家は大友一族ではありません。大友一門古庄家の庶流です。義鑑時
代に一度滅びてますが古庄家の懇願で再興されてます。ところで、蒲池
家の家紋は杏葉ですか。
452日本@名無史さん:01/09/25 20:40
高校の時鍋島ってやつがいて同じクラスになった時真っ先に
もしかしてお父さん九州の人?って聞いてみたけど
いや、東北です。と言われたことがあるなぁ。。
453日本@名無史さん:01/09/26 00:57
だからなに
454日本@名無史さん:01/09/27 11:03
大友家の中で他に名家はないのですか?
455天野めぐみ:01/09/27 15:16
http://www4.ocn.ne.jp/~primrose/ootomo1.html
郷土日出町に住んだ 大友旗下の武将たち
456ガッツ:01/09/27 15:22
http://www4.ocn.ne.jp/~primrose/hukae2.html
野原文書に見られる大神氏と家臣の四天王家
457ガッツガッツ:01/09/27 15:25
http://www4.ocn.ne.jp/~primrose/hukasiro.html
大友系大神氏の誕生と一戸城の築城
大友能直豊後下向、大友庶子家
458そして:01/09/27 17:03
蒲池の末裔が松田聖子あんどさやかだぜい!
459日本@名無史さん:01/09/27 17:22
友人が言うには聖子は在日です。
460日本@名無史さん:01/09/28 00:30
>>459
聖子の親爺は久留米市の公務員だったよ。
在日なわけないだろう(笑)
つまらんデマとばすな。
461日本@名無史さん:01/09/28 00:34
>>451
蒲池氏は、嵯峨源氏であり、南北朝末期に宇都宮氏の婿養子を迎えているから
家紋は、「左三巴」と「比翼鶴」で、分家の蒲池氏は「下り藤」です。
462日本@名無史さん:01/09/28 00:37
在日芸能人に目の敵にされているのが聖子
463461へ:01/09/28 02:17
藤原純友が先祖では?
464日本@名無史さん:01/09/28 02:28
>>463
最初に蒲池を名乗ったのは、松浦一族の山代諧の子の山代圓(松浦源三圓)。
だから、蒲池という氏名のルーツは、松浦氏であり、嵯峨源氏になる。
藤原純友説は、今日では否定されているみたい。
465日本@名無史さん:01/09/28 02:31
ここに詳しい系図や歴史が紹介されている。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/index.html
466日本@名無史さん:01/09/28 07:58

松浦が源氏というのは明らかな嘘だ。面倒だから説明しないけど
467日本@名無史さん:01/09/28 13:05
>>466
そういう「嘘」を言うなら、日本の家系は、かなり嘘が多くなる。
ことさら松浦だけが嘘なのではあるまい。
問題は、嵯峨源氏の源綱=渡辺綱の後裔の源久=渡辺久=松浦久の流れを汲む
松浦氏と、一族とされた松浦党との関係だろう。血縁関係もあれば、
仲間というような関係のものもあったろう。
ただし、松浦党の指導的位置にあった氏は、松浦氏の一族(庶流としても)だった。
もう一つ、松浦党には安倍貞任の血縁のものがあるが、貞任の系統と、久の系統は、
婚姻関係が結ばれている。
「面倒だから説明しない」では話にならない。数行でも説明すべきだろう。
468日本@名無史さん:01/09/28 13:13
>>466
北条が平氏というのと同じ程度の「嘘」だろう。
しかし、歴史的事項に対する「嘘」という言葉(笑)。
歴史に詳しくなさそうだね。「仮冒」といわないと駄目だぜ(笑)。
松浦の嫡流や枝族は、嵯峨源氏だ。
469日本@名無史さん:01/09/28 15:06
松浦が嵯峨源氏の末裔だというのは、比較的信憑性のある部類の
話だと思うがな。この種の話としては。
470日本@名無史さん:01/09/29 02:21
450の書き込みに対する451の指摘から考えると、蒲池家の系図には誇大妄想の匂い
がするのは私だけでしょうか?
471日本@名無史さん:01/09/30 01:56
>>470
そう、君だけ。
>>450が書いていることは、蒲池家の有名な歴史だよ。君が知らないだけ。
>>451の言っていることは、蒲池嫡流が戦国末期に一旦滅んでからの話。
蒲池家は、大友家とは関係なくても、嵯峨源氏であるし、また筑後宇都宮氏族だから、
太田涼が『姓氏家系大辞典』で書いているように「筑後屈指の名族」なんだよ。
472日本@名無史さん:01/09/30 02:00
蒲池氏の歴史や系譜は、ここに詳しい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/index.html
473日本@名無史さん:01/09/30 02:05
>>470
一般向きの本だが、せめて吉永正春『筑後戦国史』くらいは読めよ。
戦国時代の筑後の動きや蒲池氏についてまとまった記述がある。
474日本@名無史さん:01/09/30 02:47
朽網氏は、藤原親能の第3子の筑井親直の子の古庄重吉が、大友能直に従って九州に下り
朽網郷に定住したことから朽網を氏とした。朽網氏の祖の藤原親能は、藤原秀郷の後裔。
大友氏は、大友能直が、藤原親能の子になっている。
古庄氏と大友氏については、「立花系図」には「能直、始め古庄の姓たり、後に大友の姓を号す」とある。「大友系図」には「能直の弟築井左衛門尉親茂、庶流古庄」とある。
>>451は、大友系図のことを言っていると思うが、「朽網家は大友一族ではありません。大友一門古庄家の庶流です」というのはおかしいだろう。
古庄家が大友一門なら、古庄の庶流の朽網も大友一族になるだろう。
475日本@名無史さん:01/09/30 02:59
>>474
立花系図によると大友氏の祖の能直は、最初は古庄能直となのっていたことからすると、古庄氏の方が格上じゃん。大友氏と古庄氏は、徳川氏と酒井氏の関係に似たようなところがあるな。
476474へ:01/09/30 10:45
古庄重能なんですけど。重能が朽網郷に定住したとの田北学の見解は朽網氏が
古庄総領家とするもので既に否定されています。重能は国東郡田染荘に定住
しました。義鑑時代の家臣団編成資料にも朽網氏はあくまで庶流です。
そうすると、朽網氏の祖は親能ではなくなります。
また、一族と一門は明確に異なります。
朽網氏は一門古庄家の庶流ですから、大友一門の格ではありません。
名門古庄総領家の血が大友に謀反し滅亡した蒲池家如きに流れるのは不自然では?
あくまで古庄家の庶流の血が蒲池の再興につながるのです。
因みに朽網家はその後すぐに義統に滅ぼされました。
また、蒲池家が源氏の血が引っ掛かっているのは誰も信じないでしょう。
そうであっても、源氏を名乗るのはおこがましく、そのことは蒲池の
劣等感の現れです。
ただ、古庄家の血の欠片が入っているのは確かなようですから名門と
よべるでしょうよ。

477日本@名無史さん:01/09/30 12:45
蒲池のサイト見たけど系図はかなり強引だ。こんな系図の作り方したら、
猫も杓子も貴族だよ。で、一体蒲池家って何者なの?下剋上の謀反人が
成敗された後に系図をでっち上げたというのが真実では?
或時は源氏或時は宇都宮、月光仮面ってか?
451を見て思ったが、謀反起こして主人の大友一族名乗るとは。。。
古庄、朽網も良い迷惑だよ。下克上、恥を知れ!
478日本@名無史さん:01/09/30 13:08
>>477
そんな根拠の無い独断的感想を書いても意味ないよ。
どこがどうおかしいのか書けよ。
蒲池が下克上の謀反人って、どこから出てくるのよ(笑)
最低限度の基礎的学習をして書けよ。
君は、歴史や系図の基礎知識も見方も知らないようだね。
それから、蒲池は別に大友一族なんて言ってないぜ(笑)。
蒲池の娘が朽網鑑房の妻となり、子が蒲池の家督を江戸時代に継いだから、
系図の整理上、江戸時代の蒲池氏を、「朽網氏の男子血統の入った蒲池氏」
というだけだよ。
あえて言えば、蒲池は、歴史的には大友、古庄、朽網と並ぶ名族なんだよ。
つまらない世迷言を書くなよ。
479日本@名無史さん:01/09/30 13:25
>>476
誰も蒲池が大友一門だなんて言ってないでしょ。
誰が言ったの?何番の発言?
問題となっているらしい>>450は「大友一族の朽網鑑房と結婚し」とあり、
大友一門だなんて書いてない。それともあなたは、朽網は大友一族ではないとでもいうの?
それから、蒲池は、筑後守護の大友の、筑後における外様の筆頭大名でしょう。
そんなことは、大友氏の筑後支配の歴史でも常識でしょうが。
ところが「蒲池ごとき」って、あなたは、筑後の歴史に無知のようですね。
また、「〜ごとき」とは、およそ歴史には相応しくない言葉ですね。見識を疑います。
蒲池は、松浦氏の一族の山代源三松浦圓が、平安時代末期に筑後蒲池邑に住み、蒲池圓と
名乗ったのが始まり。そして南北朝時代に嫡子がおらず、縁戚関係にあった
筑後宇都宮氏の久憲を婿養子に迎えている。
こんなことは、九州治乱記にも肥陽軍記にも筑後国史にも書いてある事柄ですよ。
あなたも、勝手な独断的妄想ばかり書いている。自分の好き嫌いと、歴史を混同させたらいけませんよ。
480日本@名無史さん:01/09/30 13:37
>>476
筑後史をかじっている者ですが、戦国時代の蒲池氏は、別に自分の祖を源氏とは言ってません。
戦国時代の蒲池氏は、宇都宮久憲が蒲池氏の聟養子となり家督を継いだことに始まります。
だから、久憲の妻の実家(蒲池)の先祖の嵯峨源氏よりも、自分たち(宇都宮)の先祖の
宇都宮氏の系譜を伝えていました。
蒲池が嵯峨源氏というのは、宇都宮の聟養子が入る前の蒲池の祖を言ったものです。
それから、蒲池家は、別に古庄家の血統が入っていなくても名族です。
あなたの発言からは、蒲池に対する反感と誤解だけの非歴史的な感情しか見えませんが。
481日本@名無史さん:01/09/30 13:50
歴史知識も無しに蒲池の悪口を書いてるやつらは、
松田聖子や坂井泉水が嫌いで、彼女たちが蒲池の子孫ということが気に入らないんだろうよ。
だから彼女をけ落とすために、先祖の蒲池の系譜を勝手に矮小化しているのさ。
松田聖子や坂井泉水は、たまたま子孫の有名人というだけで、戦国時代の蒲池氏の歴史とは関係ないだろう。
>>476氏は、古庄−朽網のことにこだわっているが、蒲池の系譜にとって、それはあまり重要じゃない。
それは、あくまでも蒲池徳子の子孫にのみ関係することだから。蒲池の子孫は、徳子の子孫以外にもかなり残っているから。
482ガッツガッツ:01/09/30 14:22
>477さんへ君は畿内戦国などのとことん下剋上のおきた歴史の影響受けてる
みたいですね。九州は畿内と違って、下剋上が畿内みたいに氏素性のわからぬもの
が武士になったり農民あがりの武将など出なかった、下剋上の動きも畿内など中央
の初期の段階でいきなり秀吉などが九州にきて終わった。だからその当時の九州
の武将達は皆氏素性のしっかりした人たちがほとんどだったことは確かだよ。
詳しくは・(教育者)の歴史新書54・中世の九州(外山幹夫)p163〜p167に詳し
く書いています是非一読を。もしよかったらその内容書き込みましょうか?

それと蒲池氏は嵯峨源氏松浦党って言うからややこしくなるけど、鎌倉初期は
筑後まで松浦党が勢力のばしていたことは事実、その前の藤原純友一族のこと
は直接関係あるかは、わからないが藤原純友の父(良範)が当時の九州での太宰府関係
の仕事で赴任していたことは事実(太宰少弐の役職、従五位下、筑前守)で藤原良範とその子
純友(兄弟あと7人いる)は幼い頃九州にいたらしい、ので九州に土地観があり、純友は瀬戸内海
で敗退して九州に落ち延びて討たれたがその兄弟や彼の子孫や一族の話が九州には山ほどある
、初期蒲池氏は藤原純友と関係しているという話や、後世に大村氏や有馬氏が藤原純友の
後裔を名乗ったのは100l嘘とも言いきれないのも事実、有馬氏は平安末期北九州にも勢力を拡大
した平家の被官の平直澄の子孫と(出土物から)いわれている、しかしそのむかしの藤原純友と
まったく関係してないともいいきれないのも事実。

蒲池氏ではっきりいえることは、蒲池氏は後醍醐の御子と共に南朝方に従い九州に下った
てのち少しの期間、筑後守護になった宇都宮氏の一族であることは疑いなく事実です。
ここで問題視されてる蒲池の名跡(家名の始まり)は松浦党の族の蒲池氏が宇都宮氏以前
に筑後地域にいたことは本当ですし、その名跡を受けて筑後に勢力を張った宇都宮氏はのち
の彼らの勢力の張り方からみればこれもかなり事実でしょう。(とにかく宇都宮氏は筑後の
在地勢力に養子をことごとく押し付けて勢力を拡大させた(大友氏もそう)北部九州では肥前
の高木氏もそんな感じで高木の血を拡大させているね。
483日本@名無史さん:01/09/30 14:28
>>477
戦国時代の大名や豪族、武将の系譜は、みんな先祖については曖昧です。
島津も龍造寺もそうです。大友も例外ではありません。この3大名以外も同様。
そんな中で蒲池氏の系図の信ぴょう性はむしろ高い方だと思います。
それは蒲池氏が戦国の下克上で成り上がったのではなく、鎌倉時代から続く一族で、
南北朝時代後期に筑後最大の豪族になっているからです。
だから「下剋上の謀反人が成敗された後に系図をでっち上げたというのが真実では?」
というのはまったくの的外れですし、歴史の経過とも符合しません。
蒲池氏は下克上の謀反人ではありません。鎌倉時代より続く豪族です。
系図をでっち上げたとありますが、蒲池氏を滅ぼした龍造寺氏について書いた『肥陽軍記』にも
蒲池氏の系譜は紹介されています。これもまたでっち上げですか。
先祖が源氏になったり宇都宮氏になるのは、他の方も書かれていますが、聟養子を迎えているからです。
聟養子の本人、例えば蒲池久憲にとっては、家名の先祖は嵯峨源氏ですが、自分の先祖は宇都宮氏に
なるでしょう。そういうことです。月光仮面とは何の関係もありませんし、皮肉が的外れです。
「謀反起こして主人の大友一族名乗るとは。。。」とありますが、どういう歴史事実のことですか。
蒲池の嫡流が滅びた時に、一人娘の徳子が落ち延び、朽網鑑房と結婚して、息子に自分の実家の家名を
継がせたというだけでしょう。徳子もその子孫も、誰も大友一族とは言ってません。言ったのは、>>450さんが、
徳子の夫の鑑房の朽網氏について、朽網氏の位置づけについて「大友一族の」と書いただけです。
蒲池氏の歴史にも系図にも、大友云々のことはひとことも書いてありません。
「古庄、朽網も良い迷惑だよ。下克上、恥を知れ!」
古庄については、>>444さんが書いているだけで、蒲池氏の歴史においては古庄の名前は登場しません。
朽網についても、徳子の夫が朽網鑑房だから、徳子の子孫には朽網姓の者がいるということで、別に徳子の
子孫が朽網の嫡流とは誰も言ってません。
恥を知らなければならないのは、自分の無知を知らないあなたではないですか。
歴史に対しては罵倒は不適切です。
484日本@名無史さん:01/09/30 14:34
松田聖子は在日韓国人名簿に載っていたけどなー。蒲池の系図にも
載っていたんだー。日本国中の有名人が蒲池の出という噂は本当だった
んだ! 先祖代々(といっても血はつながってないが)他家の誉れを
盗む悪癖は直らないようだ。
485日本@名無史さん:01/09/30 14:44
>>484
そんなすぐにバレるウソは書くな。
松田聖子の先祖は別にして、親爺は久留米市の公務員(社会保険局長)だったよ。
聖子の父親の年代で、久留米市で、在日が公務員になれたのか?
お前の発言から、お前の卑しい根性が見えたよ。
「日本国中の有名人が蒲池の出という噂」だって(笑)
そんな噂、どこにあるんだ(笑)、蒲池の子孫なんてそんなに多くないがね。
486日本@名無史さん:01/09/30 14:48
>>484
プププ・・・聖子が嫌いだが、歴史の知識が無いから、そんな話しか
書けないんだね(藁
お前の悪口も、語るに落ちたね。
487日本@名無史さん:01/09/30 14:51
何で下剋上蒲池如きが大友、古庄と並ぶ名家なの?笑われるよ。
両家ともはっきりとした出自だが蒲池は不明確。
大友は高家になっていることしらないの??
朽網の情けで謀反の家を再興しながらその恩義忘れよってからに。
488日本@名無史さん:01/09/30 14:56
「松田聖子の先祖は別にして」ということはやっぱり蒲池は良いとこ
どりの家風か?君も名簿みたら?
489日本@名無史さん:01/09/30 14:57
485は皮肉っていう言葉があるのしらないんだ
490日本@名無史さん:01/09/30 15:02
>>487
歴史的根拠の無い発言だね。君の魂胆は見えてるよ。
蒲池のどこが下克上なのか、歴史に基づいて言ってごらん。
蒲池の出自は、はっきりしているよ。
高家になってないのは、戦国末期に大名家として滅びたからで、そんなのは
他にもたくさんあるけどね(笑)
朽網の情けって、どこをひっくり返せば、そんな話になるのかね。
みんな、歴史的根拠の無い君のわい小な妄想の産物みたいだね(笑)。
491日本@名無史さん:01/09/30 15:05
>>488
そういう発言は、お前の好きそうな人権板でやれよ。
ここは個人の中傷をするところじゃないんだよ。
492日本@名無史さん:01/09/30 15:07
「当時の九州
の武将達は皆氏素性のしっかりした人たちがほとんどだったことは確かだよ」
視点の違いだろうが!大友、古庄からみれば蒲池如きまぎれもない
下剋上。そんなこともきずかないのか?本という権威に飲み込まれるなよな。
493日本@名無史さん:01/09/30 15:12
>>492
「まぎれもない下克上」の根拠を示してよ(笑)
それが無いかぎり、お前のくだらん妄想じゃん。
「本という権威」よりも、お前の妄想の方が正しいのか(笑)
蒲池氏は、歴史のしっかりした一族だよ。だから大友氏も筑後経営において
蒲池氏にはそれ相応の扱いをしたんだよ。
494日本@名無史さん:01/09/30 15:17
蒲池のサイトは系図について言い訳に終始している。でっち上げを
繕うために。はっきりしている系図とは大友、古庄のようなものを
いうんだよ。 蒲池が残ったとして、高家になれるわけないだろー
なんで同格なんだ?  無礼者!
495日本@名無史さん:01/09/30 15:18
>>492
蒲池氏は筑後の国人豪族で、鎌倉時代は筑後国蒲池庄の地頭で、
決して下克上の家ではない。
大友、古庄と並べても、出自そのものは見劣りしないよ。
496日本@名無史さん:01/09/30 15:22
お前こそ蒲池が大友古庄と同格という根拠しめせ!「大友氏も筑後経営において
蒲池氏にはそれ相応の扱いをしたんだよ。」これが根拠か?
しかも謀反している。更に竜造寺にまで裏切られて!
497日本@名無史さん:01/09/30 15:24
>>494
相変わらず、発言に根拠が無いね。妄想ばかり(笑)
そんな発言、いくら繰り返しても説得力ないよ。
君が無知なのは、やたらと大友や古庄を出すことでも分る。
蒲池の系譜では、どちらもほとんど重要じゃないんだよ。
蒲池が高家になれたかどうか、それは分らない。
しかし、蒲池氏の子孫は、近隣の藩に、そこそこの身分で
召し抱えられている。これは、近隣の藩主たちが蒲池氏の系譜を
知っていたからだろう。
「無礼者!」って、歴史的対象に対してあるまじき言葉ですね。
ほんと、馬鹿を相手にはしたくないですね。
498日本@名無史さん:01/09/30 15:28
>>496
自分は根拠が提示出来ないから、他人に「示せ」か(笑)
蒲池の家系は、ちゃんと出ているだろう。
それに批判があるなら、どこがどうなのか具体的に示しなさいよ。
とにかく、あんたの書き込みは、抽象的で、感情的すぎる。
まず、あんたの言う、蒲池の「謀反」の根拠を示さないと、それが順序だろう。
499日本@名無史さん:01/09/30 15:28
何で地頭と守護、守護代が同格だ?系図良いとこどりこそ
下剋上にあこがれた証拠!大友に謀反したのが下剋上の事実。
もっとも、かなう訳ないけど。
500日本@名無史さん:01/09/30 15:32
蒲池は大友の家臣の端くれなのに、謀反したのは君ー知ってる?
501日本@名無史さん:01/09/30 15:38
結局まとめると、蒲池は大友古庄と同格でないことは君もみとめるだろー。
下剋上の証拠は系図の上で上にとってかわっていること。
卑しい家ということだよ!
502日本@名無史さん:01/09/30 15:39
大友古庄からみると、蒲池は下剋上といったんだ!
503日本@名無史さん:01/09/30 15:42
>>499
お前も文章を正確に読めない人間なんだね。
ここでいう「同格」というのは、守護とかいう身分じゃなくて、出自のことだろう。今までのログ読めよ。
出自については、大友、古庄と蒲池は、ほとんど見劣りしないよ。
「下克上にあこがれた」、また根拠の無い発言だな。
蒲池の出自は下克上とは違い伝統あるものだが、戦国時代なら下克上があっても批判されるべきではないだろう。
それとも、あんたは戦国の下克上も批判するわけ(笑)
「蒲池が大友に謀反したのが下克上の証拠」だって、いいじゃん、大友が耳川で負けた時、肥前や筑後の豪族大名はたくさん謀反してるよ。
そんな中で、蒲池は、まだ大友に忠義を尽した一族だよ。耳川でも蒲池鑑盛が大友側の先陣の一翼として討死にしている。
また庶流の山下の蒲池も、龍造寺の筑後侵攻に対して、大友側の守りとして孤軍奮闘して龍造寺を寄せつけなかった。
歴史に基づいて発言してくれよ、いいかげんに(笑)
それとも、ただの煽りか(笑)
504日本@名無史さん:01/09/30 15:46
>>501>>502
大友や古庄は、蒲池の系図とはほとんど関係ないんだよ(笑)
それしか言えない君は、無知。しかも、そこからどんな論理で「下克上」なのか。
下克上の意味は、知っているのか?
505日本@名無史さん:01/09/30 15:48
蒲池の悪口書いている奴、見苦しい。
お前の悪口は、完全な的外れだ。
もし、まともな批判したければ、教えてやる。
メール、よこせ。
[email protected]
506日本@名無史さん:01/09/30 15:48
悔しかったら、大友古庄と同格の根拠示せ!
両家は頼朝に無二の寵愛受けたんだよ!7カ国の知行地の内2カ国
の守護になった。落胤説も根強いほど。頼朝の顔みれたの?
守護代にもなれたの?言い訳に終始した下剋上系図の蒲池と一緒
にするな無礼者!
507日本@名無史さん:01/09/30 15:53
>>506
悔しくないよ。大友や古庄なんて関係ないんだもの(笑)。
でもね、戦国時代の蒲池氏の先祖の宇都宮朝綱は、頼朝がもっとも称賛した一番の弓取りだったんだよ。知らなかっただろう(笑)
守護代がどうのこうのというのは、その後の歴史展開の結果でしょう。そんなのと出自は別じゃん。また「下克上」(笑)。意味もわからずに馬鹿のひとつ覚えみたいだね(藁
508日本@名無史さん:01/09/30 15:57
蒲池の庶流子孫の方ですか?それでも、れっきとした名門
大友古庄と同格といってはいけない。
石垣原で始まり、石垣原で終わる、その間400年そんな忠義
が古庄にあっても蒲池にはない。
最後は大友竜造寺に愛想尽かされて滅亡。
509日本@名無史さん:01/09/30 16:00
蒲池の悪口書いてる奴、ただ因縁つけてるだけだな。
それに大友・古庄ばかり引きあいにするのは的外れ。
大友は筑後守護だったから、筑後15城の筆頭大名の蒲池はその傘下にいたという関係。
古庄は、蒲池滅亡後の徳子の亭主の朽網鑑房の本家というだけ。
蒲池は、戦国以前は嵯峨源氏松浦党としての、戦国の時は、藤原氏族の宇都宮一族としての独自の歴史と系譜を持っている。
510日本@名無史さん:01/09/30 16:05
>>508
笑った。おまえ、本当に歴史を知らないね(笑)
大友の歴史も知らないだろう(笑)
「最後は大友龍造寺に愛想尽かされて滅亡」って、語るに落ちたね。
そんな話、大友や龍造寺のまともな研究者さえ認めない珍説だよ(笑)
511日本@名無史さん:01/09/30 16:06
507、あーあ、家臣だったのに関系ないとは、さすが下剋上!
先祖先祖って、血の欠片が薄く流れているだけだろ!
そんなの宇都宮の子孫といえない。
嫡流だけが先祖と名乗れるの!
512日本@名無史さん:01/09/30 16:07
竜造寺に成敗された。忠義がないから
513日本@名無史さん:01/09/30 16:16
>>511
ほんとうに困ったちゃんだね(笑)。
系譜と、家臣であることは別だろうが(笑)。系譜的出自の話じやないのか。
それとも、まともなことが言えないから、話を都合の良いように逸らしているのか(笑)
「嫡流だけが先祖と名乗れるの!」というのは、君の珍説だね(笑)。
その理屈でいくと、足利家は源氏ではないんだな(笑)
足利の祖の義国は嫡流じゃなかったからな(笑)
頼朝だって源氏ではなくなるぜ。頼朝の祖の頼信は、満仲の嫡男じゃないからな(笑)。
>>512
龍造寺の行為は、成敗なんてもんじゃないよ(笑)。
筑後が欲しかった隆信は、蒲池の柳川城を攻められなかったから謀略行為をしただけ。
514日本@名無史さん:01/09/30 16:24
>>511>>512
いつまでもご苦労さん(W
ほとんど根拠のない発言ばかりですね。
聞き飽きたので失敬します。
ここに来ている人は、九州戦国史について知っている人が多いから、
まともな人は、あなたの相手はしないよ。話がムチャクチャだから。
一人で自作自演するか、同好の人を待つしかないね(笑)
515日本@名無史さん:01/09/30 16:24
509は大友古庄と同格と言っていながら、窮すると関係無いと言う。歴史の流れという。
前言は撤回ということだな。それなら勘弁してやる。
特別だよ。一回だけだよ。
蒲池の卑しい家風は門外不出にしなさい。
先祖は跡を継げた時から始まります。庶流はそのつぎから。
蒲池は何度も断絶しているからといって、いっぱい先祖作ってはだめだめ。
朽網からだね。古庄の欠片いただいているんだから、恩義わすれるなよ!
また断絶して先祖作るまで。決して同格と言ってはダメダメ!
516日本@名無史さん:01/09/30 16:26
>>511
宇都宮氏の歴史を調べろよ。
そんな恥ずかしいこと言えなくなるから。
517日本@名無史さん:01/09/30 16:29
>>515
勘弁してやるって(笑)、あんた何様(藁
>>514の言うように、そんな話、まともな人は相手にしないよ(笑)
518日本@名無史さん:01/09/30 17:13
蒲池氏の悪口を書いている人は、下克上ということを非難すべきことのように書いているけれど、
下克上は別に非難すべきことじゃなくて、伝統を更新しようとした戦国のエネルギーの現れでしょう。
ただ、蒲池氏は、下克上でのし上がった一族ではなくて鎌倉時代以来の名家です。
実はそれが、蒲池氏に、戦国特有の下克上の意志を育まなかったのです。
だから蒲池氏の悪口を言う人の発言と、歴史は正反対なのです。
蒲池氏は、むしろ筑後においてもっとも大友氏に忠義を尽したといえます。
大友氏に反旗を翻したのは、戦国最後の蒲池鎮並だけでしょう。彼は戦国のエネルギーを感じる感覚があり、
大友氏への忠義を尽そうとする父の鑑盛と路線対立します。それが耳川の戦いの時です。
耳川の戦いの時、蒲池鑑盛は、病身の初老だったにもかかわらず、大友氏の先陣に加わり、大友氏への忠義の壮烈な討死にをしています。
>>500に「蒲池は大友の家臣の端くれなのに」とありますが、これも歴史に反します。
蒲池氏は、筑後における大友幕下の外様大名の筆頭でした。だから大友氏は、蒲池氏に対して様々な懐柔策を行っています。
また、蒲池氏の勢力を分散させるために、柳川の蒲池嫡流に対して、蒲池別流を山下にたてさせ、大名分としています。
519日本@名無史さん:01/09/30 17:32
だ・か・ら・、宇都宮と蒲池は関係無いの。ていうか、たくさん先祖作るな。
514も515も其れ以前も同一人物だろ。自作自演しよってからに。私は始めから一人。
世界のみなさん!今、姑息という文字が蒲池の辞書に載りました。
いーか、もう一回言うよ、いっぱい先祖作るな!
本当の出自がいやしからといって、恥じるなよ。誇りを持ちなさい。
まあ、まともな人は相手しないといいつつ相手してくれて謝謝。
君はまともだよね。
それと、あまり人格攻撃しちゃダメダメ!私は蒲池の嘘を指摘したまで。
君はまともなんでしょ!
大友古庄に憧れて同格と言いたい気持ちはわかるけど、全然出自が違うんだから。
無礼だよ本とに。
憧れるなら、古庄の忠義を持て。険しいが一歩ずつ憧れに近くなる。
忠義無いから滅んだんだから。歴史に学べぇー。
全然違うんだから、大友古庄と蒲池とでは。
いいかーいっぱい先祖つくるな!下賎を恥じずに誇れ!忠義をもて!
少年強くなれよ。
520日本@名無史さん:01/09/30 17:36
>>494
「はっきりしている系図とは大友、古庄のようなものをいうんだよ。」
とありますが、大友氏の系図も、その出自や初期については諸説あって、はっきりしていないんですけれど。
太田涼も、大友系図には異説多く、その真相は究め難いとコメントしてます。
521日本@名無史さん:01/09/30 17:39
>>519
馬鹿丸だし(笑)
本当に君は、大友のことも蒲池のことも宇都宮のことも知らないんだね。
久しぶりに笑ったよ、本物の馬鹿を見て(笑)
522日本@名無史さん:01/09/30 17:43
>>519
君の発言、同じことの繰り返しだね。
発展性が無いし、指摘された疑問にも答えられずにいるね。
そして相変わらずの感情的な罵詈雑言の繰り返し。
君の発言からは、君の卑しさだけが印象的。
君も自覚しているはずだよ(笑)
もし、君がそういう確信犯でなければ、本当の馬鹿だよ(笑)
523日本@名無史さん:01/09/30 17:59
あのぉ、蒲池氏を非難している方は、蒲池氏は成上りで卑しいと書いてますが、
そんなことは非難すべきことじゃないと思うよ。戦国大名なんてほとんどが
成上りじゃないの。
そうじゃなくて蒲池氏は、成上りのくせに名家だと嘘をついている、と言うのなら、
蒲池氏は成上りじゃないし、筑後ではトップクラスの名家。筑後の豪族は、
宇都宮氏系と大蔵氏系が代表的で、蒲池氏は宇都宮氏系の筆頭だったから、
筑後15城の筆頭大名になれたわけ。
先祖をたくさん作るな、ということですが、これもおかしな非難。
聟養子で家系を存続させれば、家の系譜と、聟養子本人の系譜は異なるのは
当然で、こんなことは蒲池氏だけのことではなくて、よくあることですが。
大友氏の系譜も、由来はそんなにはっきりしてないです。
古庄氏は、戦国の蒲池氏にとっては関係ないです。それは江戸時代初期の
話でしょう。
524日本@名無史さん:01/09/30 18:12
ハハハハハ・・・・・
まだ、やってのる(藁
蒲池の悪口書いてる奴は、松田聖子が嫌いなだけ。
その聖子が蒲池の子孫だから、知識もないのに蒲池の悪口書いているだけ。
だから、聖子を在日というウソまで平気で言う破廉恥な奴。
こいつが歴史知識が無いのは、こいつのログでよく分るんじゃないか。
ほっとけ、こんな厨房は。
525日本@名無史さん:01/09/30 18:28
大友氏は耳川で負けて落日の一途をたどるけれど、耳川での負け方は惨めだったね。
その頃から勢力を伸ばした龍造寺氏も沖田畷での負け方は惨めの見本みたい。
やはり、ある程度の勢力になると驕りが芽生えるんだろうな。
俺の田舎の実家の本家の先祖も、沖田畷で死んでいるらしい。
やっぱり九州は島津なのかな。島津は小説にもあるが、大友や龍造寺はあるのだろうか。
526日本@名無史さん:01/09/30 18:33
大友宗麟は好色で、龍造寺隆信は残忍。
ということで、あまりヒーロー向きじゃないな。
鍋島直茂も陰謀ばかりしてそうでイメージが陰。
固定的ファンもいる立花道雪の小説はあるのか?
527日本@名無史さん:01/09/30 19:08
520から526は自作自演の同一人物。蒲池の恥じをこれ以上さらしたくないので、
今度は話題逸らそうとしている。演じるなら蒲池家の悪口もかいたら。
いやー蒲池ってほんとーに姑息ですねー。
528日本@名無史さん:01/09/30 19:23
大友古庄の系図論争は20年以上前に決着している。何時の本読んだんだ?ばーか、
権威にへつらうな!
蒲池が下賎だからといって、大友の攻撃しても無駄。哀れじゃのー。
格が違うの。養子の系図を家の系図にするのは、家の系図に誇り持てなく否定
するのと同じことなんだよ。そんな感覚も持てないのか?
蒲池の薄い子孫なんだろ?(自称)
529蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 19:29
蒲池も耳川で死んでいるのに、大友を惨めと言っている。
いくら薄くても子孫はそこまで落ちたか。
哀れ哀れの蒲池。
530:01/09/30 19:33
祖先の死を汚す蒲池の子孫は心まで落ちぶれた!
531蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 19:36
耳川の誇りとりもどせ。君の先祖は泣いているぞ!
532蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 19:37
養子の系図を家の系図にするのは、家の系図に誇り持てなく否定
するのと同じことなんだよ。そんな感覚も持てないのか?
祖先の死を汚す蒲池の子孫は心まで落ちぶれた!
533日本@名無史さん:01/09/30 19:47
>>527>>532
ご苦労さん。
君が口汚く蒲池氏を罵っても、みんな君よりよく知っているから相手にしないよ(笑)
まあ、自分の醜態さらけるのは、ここまでにね。
みんな、君が歴史の知識も、歴史の感覚も無いことは、君のログから分ってるから。
534日本@名無史さん:01/09/30 19:54
>>526
滝口康彦に龍造寺に取材した小説があったはず。
彼は鍋島もとりあげてますから、何かあると思います。
535蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 21:00
みんなって、全部お前だろう。
536日本@名無史さん:01/09/30 21:30
>483
>島津も龍造寺もそうです。大友も例外ではありません。
島津・大友・竜造寺も鎌倉から続いてますよ
>戦国時代の大名や豪族、武将の系譜は、みんな先祖については曖昧です。
地域にもよると思います
平安末期辺りから主要な盛者に異同の少ない場所
甲斐信濃・関八州は武家源平藤の嫡家にかなり近しいです
武田・小笠原・佐竹・上杉・藤太の末葉の由緒に比べたら他の地域なんぞ

蒲池氏に対する異常なまでの恋慕はなんなのか読んでて怖くなる
「蒲池ファン」なのか「蒲池さん」なのか「聖子ファン>485のような」なのか
はたまた「蒲池氏は後醍醐の御子と共に南朝方に従い九州に下った」が理由なのか

>527〜
あんたはあんたで「蒲池さん」になんかされたのか?
そのうち山田「かまち」も気に食わないとか言い出さないだろうな
537>>536:01/09/30 22:02
>>511(=>>527>>532
によると「嫡流だけが先祖と名乗れるの!」ということらしいよ。
だから武田家の祖の新羅三郎義光は嫡流ではないので、源氏ではない。
というようになるみたいよ。佐竹も同じ理屈で源氏ではなくなる(笑)。
だから、系図の正しい大友・古庄に比べたら、嫡流の子孫ではない武田、小笠原、佐竹、上杉などは
出が卑しいということになるらしい。
俺は、この人は、ビョーキだと思う。
538蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 22:49
黒田家は島津家から養子をむかえているが、黒田は島津を名乗らない。
上杉も秋月をなのらない。なぜ?家に誇りがあるから。
では、なぜ蒲池はちがうのか?つまり誇れない後ろめたさがあるから。
また、系図不明だから。
無礼者!蒲池如きが身の程を知れ!
539蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 22:52
養子の系図を家の系図にするのは、家の系図に誇り持てなく否定
するのと同じことなんだよ。そんな感覚も持てないのか?
祖先の死を汚す蒲池の子孫は心まで落ちぶれた.
これにはんろんしてみろ
540蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 22:54
511もお前が書いた。しかも蒲池に対する内容は
笑われるよ。
541蒲池の薄い子孫へ:01/09/30 22:58
先祖いっぱい作る系図など、笑われるだけ。
ばーか、もっとも、誇りが無いから解らないだろうが。
542日本@名無史さん:01/09/30 23:19
>>640
>>511は、お前だろう(笑)、蒲池の悪口なんだから。
543日本@名無史さん:01/09/30 23:25
>>538>>541
いくら書いてもかわりばえしないね。
知識の無い悲しさだな(W
前は、蒲池は卑しいと言ってたのに、今度は、子孫が卑しいってか(W
そういう論点のすり替えを哲学では詭弁と言うんだがな。
蒲池が、いつ養子の家系を系図にしたの? 資料的根拠はありますか?
蒲池氏は、一貫して嵯峨源氏で、本姓は、源だけどね。
544 :01/09/30 23:34
蒲池氏への批判・聖子批判にすごく敏感な人が2ちゃん日本史板に定期的に
来ている様子は俺も以前から感じている。
蒲池氏の歴史のHPがあるでしょ?あれのアドレスが俺が見ただけでも
ここで10回ぐらいは(過去2年の間にだけど)貼ってあって・・・。
蒲池が大した名家ではない、とか、聖子が本当の末裔ではない、とか、
聖子の人格批判みたいなものが投稿されると、なぜか目ざとく見つけて
反論が書き込まれるんだよね。
アドレス貼った人に一度、件のHPの管理人さん自身なのかどうか訊いたら
否定していたが・・・。ではなぜ定期的に蒲池氏プロパガンダがあるのか?
とは今でも思っている。
あ、俺は別に蒲池氏に批判的な人間じゃないよ。聖子が本当の末裔なのも
(少なくとも系図上は)事実だと認識してるし。ただ彼女の家は江戸時代は
下級武士で、遠祖が名家だというのは事実だけど、世が世ならというほどの
家系ではないとも思っているがね。
545柳川在住:01/10/01 00:20
>>544
ここが九州戦国史のスレッドだから、見ていても不思議ではないよ。
「蒲池が大した名家ではない」「聖子が本当の末裔ではない」というのは、
間違ってるから反論のレスがつくのだと思うよ。アドレス貼った人が蒲池サイト
の人じやないということは、意外と蒲池氏について知っている九州戦国ファン
がいるからではないか。
蒲池は、筑後国人だから大友のような戦国大名とは勢力的には比較にならないが、
系図上の由来ということだけでいえば、ほとんど見劣りはしない。別に蒲池だけ
じゃなくて、筑後国人でいえば田尻氏や黒木氏、草野氏なども同じ。
ずっと、蒲池の悪口を書き連ねている人は、そのあたりの系図的知識が無さすぎると思う。
だから発展性の無い口汚い(「無礼者」と言うような)罵倒の退屈な繰り返しでしかない。
私は、松田聖子が蒲池の子孫だとしても、蒲池の歴史を見る上ではどうでもいいことだと思う。
江戸時代の蒲池氏の子孫は、4つほどあるけれど、五百石クラスの藩士だから下級とは言えない。
郡奉行にもなっている者もいるし、蒲池鎮克のように幕臣で西国郡代にもなっている者もいる。
江戸時代の筑後近隣の藩主は、立花にしろ黒田にしろ細川にしろ、蒲池の家柄については
知っていたから、それなりの身分で召し抱えている。特に黒田藩と、鍋島藩の諌早家はそう。
各藩の家臣録でも見れば分ると思う。
蒲池サイトは何度か見たし、メール出したこともある。管理人はかなり真面目な人のようだったし、
歴史や系図には博識だということはそこの掲示板を見ても分った。提示されている系図についての
説明はかなりまともで、諸説についてもふれている。
そこが蒲池氏に好意的なのは当たり前だと思う。そこが「世が世なら」というのは、
蒲池が戦国時代に滅びていなければという前提があったと思うけれど。滅びてなかったら、
立花藩クラスか、少し小さいくらいだった可能性はあると思う。
本来、こんな可能性は意味ないけれど、別にしてはならないわけではないからね。
それから名家・名門というのは、時代によって異なってくる。戦国の名門と、江戸期の名門は
違うし、明治期の名門はまた違う。蒲池は、戦国期最後までは名家だつたけれど、大名家としての
再興はならなかった。江戸時代も時が経過すると、戦国の記憶は薄れ、蒲池の子孫も、数多くの
藩士や幕臣の一人になっていったと思う。
546544:01/10/01 01:25
>アドレス貼った人が蒲池サイト
の人じやないということは、意外と蒲池氏について知っている九州戦国ファン
がいるからではないか。

そういうこともあるかも知れないが、それにしては、数あるその種のサイトの中で、
このサイトのアドレスだけが目だって頻繁に貼られているとの実感があるので、
書いただけの話。別にそれが悪いわけでもなんでもないんだけどね。

>蒲池は、筑後国人だから大友のような戦国大名とは勢力的には比較にならないが、
系図上の由来ということだけでいえば、

系図上というのがどこからを指しているのかわからないが、戦国以前でも大友氏は
鎌倉・室町時代にすでに守護を務めている家柄であり、門地として見劣りがしない
とするのは言い過ぎでは?
そのような過度の「蒲池誉め」がアンチ蒲池とも言うべき存在を用意してしまってる
ようにも思えなくもない。

>江戸時代の蒲池氏の子孫は、4つほどあるけれど、五百石クラスの藩士だから下級とは言えない。

下級といったのは松田聖子の実家の先祖のこと。たしか久留米藩の数十石取りの藩士では
なかっただろうか?久留米のようなそれなりの規模の藩では下級の部類じゃないかな?
547柳川在住:01/10/01 02:04
>>546
松田聖子ファンと、九州戦国史好きが重なっている人もいるのではないか。
特に、聖子が、戦国の蒲池氏の子孫となればなおさらかもしれない。

大友氏が守護という家柄云々ということに対して、「見劣りしない」と言った
のではなく、ただ、系譜上の出自について言っただけのこと。今までの悪口氏と擁護氏
の発言も、門地ではなくて、出自由来についてのものだったと理解しているから。
それを悪口氏は、門地へとズラしていったと思っている。おまけに的外れにも古庄氏など
を持ちだすから話がもともに進展しない。
家の門地から言えば、大友氏と蒲池氏では比較にならない。よくても守護の大友に対して
蒲池は地頭なのだから。
ただ、系図上の出自について言えば、蒲池は嵯峨源氏であるし、大友の傘下になった時は、
宇都宮久憲以降だから、藤原氏族宇都宮氏としての出自になっていたと思う。
つまり源頼朝の第一の家臣といわれた宇都宮朝綱の子孫になるわけだから、
大友氏よりも、はるかに劣るとは言えないのではないか。いや、それでも大友氏の
方が上だと言うのなら、それでもかまわない。私は別に蒲池派ではないから。
しかし悪口氏が悪口雑言を重ねたような蒲池への罵倒は、あなたもお認めにはならないでしょう?
過剰な「蒲池誉め」は、よほど事実をねじ曲げたものではないかぎり、微笑んで見ていれば良いのでは。
私は、蒲池氏について書かれている「蒲池誉め」は、むしろ事実に近いと思ってます。
蒲池氏のことが、あまり知らない人からすれば、ええっ!と思うのかもしれないが、
ある程度、知っていれば、そんなに驚いたりしません。
聖子の実家の先祖は、久留米藩の藩士でしたが、蒲池鎮俊は百石取りです。
まあ百石でも下級かもしれないけれど。ただ鎮俊は藩の武術師範になってますよ。
548蒲池の薄い子孫へ:01/10/01 06:52
だ・か・ら・、宇都宮と蒲池は関係無いの。ていうか、たくさん先祖作るな。蒲池擁護の書き込みは全部同一人物だ。自作自演しよってからに。私は始めから一人。
世界のみなさん!今、姑息という文字が蒲池の辞書に載りました。
いーか、もう一回言うよ、いっぱい先祖作るな!
本当の出自がいやしからといって、恥じるなよ。誇りを持ちなさい。
まあ、まともな人は相手しないといいつつ相手してくれて謝謝。
君はまともだよね。
それと、あまり人格攻撃しちゃダメダメ!私は蒲池の嘘を指摘したまで。
君はまともなんでしょ!
大友古庄に憧れて同格と言いたい気持ちはわかるけど、全然出自が違うんだから。
無礼だよ本とに。
憧れるなら、古庄の忠義を持て。険しいが一歩ずつ憧れに近くなる。
忠義無いから滅んだんだから。歴史に学べぇー。
全然違うんだから、大友古庄と蒲池とでは。
いいかーいっぱい先祖つくるな!下賎を恥じずに誇れ!忠義をもて!
少年強くなれよ。
549蒲池の薄い子孫へ:01/10/01 06:54
蒲池も耳川で死んでいるのに、大友を惨めと言っている。
いくら薄くても子孫はそこまで落ちたか。
哀れ哀れの蒲池。
祖先の死を汚す蒲池の子孫は心まで落ちぶれた!
550日本@名無史さん:01/10/01 17:52
久しぶりにこのレスを開いてみたら大合戦が展開されている。
どうやらそもそもの発端は蒲池さんの家柄自慢に対する中傷らしい。
それにしても蒲池さんのしつこさは凄い。一人で何役も演じてる。
中傷されるのが嫌ならば、わざわざこんな所で自慢しなければ良かったのに。
他に自慢できることもあるでしょう?何時まで自慢するのかな?
551日本@名無史さん:01/10/01 19:00
552日向国を語れ!:01/10/01 23:14

伊東氏以外知らんのか?
たれか!誰かある!
553僕も柳川在住:01/10/02 06:52
自作自演ありがとう。大友古庄と同格と言っていながら、窮すると関係無いと言う。歴史の流れという。
前言は撤回ということだな。それなら勘弁してやる。
特別だよ。一回だけだよ。シモノビッチ君!
蒲池の卑しい家風は門外不出にしなさい。
先祖は跡を継げた時から始まります。庶流はそのつぎから。
蒲池は何度も断絶しているからといって、いっぱい先祖作ってはダメダメ!
古庄家の庶流朽網古庄家のお情けでお家再興おめでとう。古庄の欠片いただいているんだから、恩義わすれるなよ!
また断絶して先祖作るまで。決して大友一族と言ったり、同格と言ってはダメダメ!
554日本@名無史さん:01/10/02 09:16
もう蒲池なんかどうでもいいよ。大した家でもないし、だから自慢して
皆に認めてもらいたいんだようよ。可愛そうに!
其の執念深さは認めてやれば?
555554へ:01/10/02 12:42
子孫といっても薄い子孫らしいぞ。
多分苗字は松田だ。
556ガッツ信長:01/10/02 15:18
蒲池氏も本姓の宇都宮氏を名乗ればこんなにも叩かれずにすんだのにね。
皆さん穏やかに平和に行きましょう。
よければ他の色んな氏族の話もじゃんじゃんしましょう。
557日本@名無史さん:01/10/02 20:12
>>556

それじゃ婿養子に迎える意味ねぇよ(藁
558チーカマ:01/10/02 22:37
蒲池氏と大友・古庄氏の何が同格か?
→書き込みによって「出自」だったり「身分」だったり。

下克上系図
→系図自体は一貫して嵯峨源氏?
 宇都宮氏や朽網氏の血も引いているが。

蒲池氏は大友氏に対して不忠?
→蒲池鑑盛は耳川合戦で討死しているが、息子の鎮漣は反大友。

>>487

江戸時代の大友家はタダの旗本。
559日本@名無史さん:01/10/02 23:16
血を引いてるのと系図上の家系というものは違うんじゃないの?
560日本@名無史さん:01/10/02 23:16
>>559

大友家は高家だよ。1000石だけどな。
561日本@名無史さん:01/10/02 23:18
問注所氏て名前がすごい・・・
なぜこんな姓・・・
562560:01/10/02 23:19
間違えた。>>558 だ。
563536:01/10/02 23:27
>537
>>511〜卑しいということになるらしい。

なんだそりゃ(W
足利、徳川は当然、頼朝とも血筋で争えるほどなのに>武田、小笠原、佐竹
564557へ:01/10/02 23:33
婿養子迎えるのと、迎えた家の系図がパクラれるのか?
系図パクルために養子を迎えるのか?
565日本@名無史さん:01/10/02 23:38
↑日本語おかしい
566日本@名無史さん:01/10/02 23:39
上杉から後嗣を迎えても佐竹は源姓のまま
姓や苗字(家名)を残すために養子を入れるんだから
557はおかしくないと思うよ
567日本@名無史さん:01/10/02 23:56
>>558
家系と血統の区別、知らんのか?

>>560
高家って、そんなに凄いのか? 吉良上野介の家みたいなもんだな。
568>>566へ:01/10/03 00:12
>>556がおかしいんだよ。
婿養子の宇都宮を名乗っていれば叩かれずにすんだのにと言いながら、
婿養子の先祖を名乗るなと言ってんだから。どーすりゃいいのよってことになる(笑)
ただ蒲池を中傷したいだけにしか見えない。
宇都宮から婿養子迎えても、それまでの蒲池の家名と先祖を伝えてるから
佐竹と同じだよ。

ただし、動乱期で勢力拡大をめざす時と、平和になり家名を残そうという時
では違うかもしれない。
勢力拡大の時は、有効な方を選ぶんじゃないかな。
569日本@名無史さん:01/10/03 00:15
>>561
少弐と似たようなものじゃないの。
役職をそのまま名字にしたみたいな。
570日本@名無史さん:01/10/03 00:21
558
高家とは、生活保護みたいなものだろう。
幕府から食い扶持もらって生きてるだけだろう。
で、高家の大友の歴史は?
571日本@名無史さん:01/10/03 00:32
鍋島に乗っ取られた竜造寺は高家になったのか。
572558:01/10/03 00:33
>>567

文章があいまいだった。すまん。
蒲池氏が、婿養子で入ってきた宇都宮氏や朽網氏の家系を
自分のとこの家系にしたと叩く人がいたけど、
>>543 が突っ込んだようにそんな証拠はあるのか?ということを
書きたかったのよん。

余談:
手元の国語辞典で家系を引いたら「家の系統、血統、家がら」とあった。
をいをい、家系=血統かよ(^^;)
573日本@名無史さん:01/10/03 00:38
>>571

既出。>>37
574日本@名無史さん:01/10/03 00:56
>>572

その件はすでに期出してると思うが、蒲池は、嵯峨源氏松浦党の後裔。
宇都宮の婿養子を迎えても、家系は嵯峨源氏であり、源姓。
朽網は、蒲池の娘の亭主の家名。息子に蒲池を名乗らせたが、やっぱり
嵯峨源氏で源姓。

家系は、家名の系譜。
血統は、血筋。
養子を迎えると、家名は続くが、血統は別なものになるということ。
江戸時代の下級藩士の家などは側室なんか持てないから、家名を伝える
ために養子を迎えている家もけっこうある。
575544:01/10/03 01:12
>アドレス貼った人が蒲池サイト
の人じやないということは、意外と蒲池氏について知っている九州戦国ファン
がいるからではないか。

そういうこともあるかも知れないが、それにしては、数あるその種のサイトの中で、
このサイトのアドレスだけが目だって頻繁に貼られているとの実感があるので、
書いただけの話。別にそれが悪いわけでもなんでもないんだけどね。

>蒲池は、筑後国人だから大友のような戦国大名とは勢力的には比較にならないが、
系図上の由来ということだけでいえば、

系図上というのがどこからを指しているのかわからないが、戦国以前でも大友氏は
鎌倉・室町時代にすでに守護を務めている家柄であり、門地として見劣りがしない
とするのは言い過ぎでは?
そのような過度の「蒲池誉め」がアンチ蒲池とも言うべき存在を用意してしまってる
ようにも思えなくもない。

>江戸時代の蒲池氏の子孫は、4つほどあるけれど、五百石クラスの藩士だから下級とは言えない。

下級といったのは松田聖子の実家の先祖のこと。たしか久留米藩の数十石取りの藩士では
なかっただろうか?久留米のようなそれなりの規模の藩では下級の部類じゃないかな?
576日本@名無史さん:01/10/03 01:22
>>575
そんなのコピペしてどうするの?
それのレスに>>547があるじゃん。
577>>574:01/10/03 01:57
<蒲池は、嵯峨源氏松浦党の後裔。>
松浦党の系図を盗前は何なのよ?養子を迎え、
松浦党の系図を盗んだから源姓を名乗ったわけで、<宇都宮の婿養子を迎えても、家系は嵯峨源氏であり、源姓。>
というのは、蒲池は系図大泥棒の良いとこ名乗りの証拠では?
汚いな。
578日本@名無史さん:01/10/03 02:53
>>577
蒲池が松浦党の子孫というのは有名な話じゃない。
系図盗んだとは、どういうことを指しているのですか?
宇都宮の婿養子を迎えても嵯峨源氏のままということは、
「良いとこの名乗り」ではなくて、むしろ反対ではないのかなぁ。
あなたの文章は、どれも言葉が乱雑で大ざっぱすぎる気がする。
579日本@名無史さん:01/10/03 03:13
>>577
ずっと君の蒲池への悪口を読んだが、つまらんことばかりしつこく言ってるね。
蒲池のことはよく知らないけれど、もし、君の言う通りだったとしても、
だから何?ということになるよ。
だって系図のパクりやデッチ上げなんて戦国ではよくあったことだし。
それで自家の勢力が強くなるんなら、「系図大泥棒の良いとこ名乗り」でもいいと思う。
北条や斉藤から織田、豊臣、徳川まで、みんなそうだったと思うけど。
それが戦国のエネルギーではないのか。
1000石程度の高家の自慢よりも、そっちの方がいいと思うけどね。
580日本@名無史さん:01/10/03 03:40
つーか577は全然ダメ。基本すらわかってない。
581日本@名無史さん:01/10/03 04:03
私はずっと蒲池の悪口書いてません。大友の自慢もしてません。
蒲池擁護派の方が一人で何人も演じられるから、このレスは混乱してるのでは??
彼は蒲池の系図を盲信しつつ、これに対する事実の指摘に病的過剰反応を示しています。
<北条や斉藤から織田、豊臣、徳川>の<パクりやデッチ上げ>は貴方のおっしゃる通り
周知の事実ですが、マイナーな蒲池の<パクりやデッチ上げ>は捨て置くと、このレスを
見た方に誤解を生じさせる危険があります。
真実の歪曲を<よくあったことだし>として容認できませんし、それに対する指摘に
口汚く攻撃することも猶容認できません。
最後に、<君の言う通りだったとしても、だから何?>とありますが、
今まさにそのことが議論されているのであり、彼のこだわるとこであります。
<蒲池のことはよく知らない>という貴方の態度はその点謙虚ですが、
知らないなら的外れな発言は控えて下さい。
 <1000石程度の高家>についても、知らないなら的外れな発言は控えて下さい。
いずれにしても、以上の全ての点であなたは的外れです。
私は、貴方も演じられている一人と考えています。
582日本@名無史さん :01/10/03 04:06
飫肥城を本拠地として島津と100年戦争を繰り広げたという
伊東飫肥藩について知りたい
583日本@名無史さん:01/10/03 04:25
人攫いで有名らしいですな、飫肥藩は。
ああいうことは九州の他藩でもあったんでしょうか?
584日本@名無史さん:01/10/03 06:46
飫肥藩校「振徳堂」→旧制飫肥中学→日南高校

主なOB:小村寿太郎

以上
585蒲池の薄汚い子孫へ:01/10/03 09:47
下賎蒲池は皆から集中砲火をくらっているようじゃ。うむうむ、良き事かな。
他家の系図を公然と盗み、源姓語るとは!
匹夫蒲池の薄汚い子孫よ、祖先の大罪を恥じ腹でも斬れ!
ではさらばじゃ。余も急がしいでの。
下郎蒲池に幸あれ!
586日本@名無史さん:01/10/03 17:03
>>581
お前がずっと、蒲池の悪口書いてる奴じゃん。
汚い芝居すんなって。
>>585もお前だな。
勉強しろよな、厨房。
587日本@名無史さん:01/10/03 17:16
>>585
あんたが一人でずっとストーカーやってるんだね。
あんたの言葉や書き方で、あんたが歴史を知らない奴だってことはよく分る。
「余も急がしい」だって(プ)そういう時は「忙しい」だろう。
588日本@名無史さん:01/10/03 19:38
蒲池氏の家系の問題は結局のところ

【非難派】
もともと蒲池氏というのが存在して、そこに松浦氏が婿養子に入り、
この松浦氏の先祖を拝借して、蒲池氏の家系とした。パクリだ。

【擁護派】
松浦氏がやって来て、はじめて蒲池氏を称した。
だから蒲池氏は嵯峨源氏で問題なし。パクってない。

のどっちの意見が正しいかなんだよな。最新の研究ではどうなのよ?

しかし例の蒲池氏のサイトも無理あるよな。
○○△△から○○氏を見る場合、○○氏は、××氏族となる。
なんていう論法持ち出したら、そりゃ先祖増えるわ(藁
589栗雄ちゃん:01/10/03 23:49
名跡(家の起こり、家名の起こり)と血流が同じ家なんて少数派。
足利氏の一門の畠山氏は名跡が桓武平氏秩父流で血流が清和源氏足利流。
幕臣の田沼家は名跡が藤原北家秀郷流で血流が清和源氏足利流だね。
正確にいうと田沼意次の家は途中で足利一族から養子が入った。
これからは家の名跡と血流の二面提示が混乱しなくて、わかりやすくてよろし。
590日本@名無史さん:01/10/04 01:38
>>588
蒲池氏の由来からいえば、嵯峨源氏松浦党ということだろう。
松浦党の者が蒲池を名乗ったのだから、蒲池という名字のルーツは松浦党になる。
宇都宮氏が聟養子に入り、蒲池の家督を継ぐ。
家名から見れば、嵯峨源氏のままだろう。
聟養子に入った宇都宮氏の者が自分たちの血統を重視して宇都宮氏を称したかもしれない。
嵯峨源氏の蒲池氏を「前蒲池」、宇都宮氏の蒲池氏を「後蒲池」というらしい。

非難派、擁護派についていうと
もともと蒲池氏というのは無くて、筑後国蒲池邑の領主の家(これが藤原純友一族とされているらしい)
に、松浦党の者が聟養子に入り、そこで初めて蒲池を名乗るのだから、蒲池の出自は松浦党になるのが正解ではないか。
だから擁護派が正解。非難派は、史料の家裏付けがないから非難のための非難をしているようにしか思えない。
最新の研究では、松浦氏説がほとんど。ただ今までは、松浦久の子の直の六男の囲の後裔とされていたが、
最近では、史料批判から、直の四男の披の子の持の子孫とする説が有力だと九大の人から聞いた。

例の蒲池氏サイトでの系図説明は、諸説を紹介しようとしているからだろう。
むしろ、あの論法は学術的だと思う。
591588氏とも批難派氏とも別の者:01/10/04 03:00
蒲池氏は後代には松浦党特有の諱の一字名乗りをやっておらず、
彼らの内に松浦党後裔というようなメンタリティーは希薄だったのでは?

蒲池氏サイトとは無縁と言いながら、蒲池氏やサイトに対する書き込みに
対して逐一反応しなくては気がすまない人がいるのは何なのかね?
私には批難派よりも擁護派の書き込みのほうが(子孫でもなければサイト
運営者でもないのだとしたら何が彼をしてこうまで蒲池氏擁護に走らさせ
しむのか、という観点から)妙に気になる。
592<<589:01/10/04 07:23
田沼家は源氏と関係無い。出自卑しいが恥じ佐野家の系図を強奪しようとして、佐野政言に
より田沼意知に殺された。
  
593日本@名無史さん:01/10/04 07:25
田沼意知は殺されたでした。スンマソ
594日本@名無史さん:01/10/04 11:19
蒲池と田沼はにているなあ。他家の系図パクルなんて。。
595日本@名無史さん:01/10/04 11:25
>>594
パクルという根拠あるの?
根拠無しに言うのは、ただの煽りでしかない。
596日本@名無史さん:01/10/04 11:30
>>591氏へ
松浦氏の嫡流の子孫も戦国時代は、もう一字名ではないよ。
私は擁護派より、非難派の根拠の無い暴言の方が問題だと思ってます。
蒲池系図に疑問があるなら、根拠を示し、また汚い言葉を使わずに書くべきでしょう。
「無礼者」とか「パクル」「卑しい」では、まともな話にならないでしょう。
597日本@名無史さん:01/10/04 11:52
松浦氏の一字名は、その前の渡辺氏の一字名に由来するが、
時代が下るにつれ、渡辺氏本流においても松浦氏においても、
一字名ではなくなっている。後に華族になる渡辺氏の半蔵流も
一字名ではなく、藩主の松浦氏も一字名ではない。
多くの子孫分族の中には一字名を名乗り続けた者もいただろう。
渡辺氏の子孫では、毛利氏被官や豊臣家の家臣に一字名がいる。
しかし、多くは一字名ではなくなっていたようだ。
やはり、時代の流れや、その幕下に入った上位大名や勢力との関係
などの要因があるのではないかと思う。
598日本@名無史さん:01/10/04 12:12
「パクル」の件だけど、パクルというのは、他人のものを勝手に自分のものにすること
つまり盗むことでしょう。
だったら、蒲池は、そうではないと思う。
聟養子に入った者が、それぞれ血統上の「自分の先祖」を主張してるだけでしょう。
松浦党から聟養子が入った者が嵯峨源氏をいうのは当然だし、宇都宮氏から養子になった者が
宇都宮氏というのも当然じゃないかな。
結果的に、後世から見ると先祖がたくさんいるようだけど、家名の先祖ということでは、
いくら聟養子が入っても、最初に蒲池を名乗った者の子孫で、先祖は、家名を最初に名乗った者の
由来になるんじゃないのかな。
最初に蒲池を名乗ったのが松浦党なら、蒲池氏は松浦党の一族でしょう。
そして蒲池の庶流や分家は、それぞれの初代が自家の祖になるのでは。
私は、須藤氏の枝裔ですが、やはり聟養子が多く、家名と血流は違うものに
なっており、違う血流にはそれぞれ先祖がありますが、家系的には血の繋がり
はなくても、最初に家名を名乗った人の子孫だと聞いてます。
もし、間違っているなら、正しい見方を御教示下さい。
599日本@名無史さん:01/10/04 12:41
何言ってんだ?汚い言葉使っているのはお前だろう。
松浦家が戦国時代に一字名でないのは何の根拠になるんだ?
松浦が一字名を家の誇りにしている時すでに蒲池は一字名でないんだよ!
ていうか一字名使ってない。
それがどういう事か想像もできないのか?<それぞれの初代が自家の祖になる>
んだったら、家名と系譜はちがうことになる。すると松浦と蒲池とは切り離される。
宇都宮の系図パクリが失敗したからといって、松浦の系図までパクろうとするな。
それに、お前始めから論理矛盾してる。
お前が否定していた論理で今度は肯定するんじゃねー。
頭悪すぎ!
600日本@名無史さん:01/10/04 12:47
>家系的には血の繋がりはなくても、最初に家名を名乗った人の子孫だと聞いてます

それで合ってます。577あたりはなにか勘違いしているのでは?
601日本@名無史さん:01/10/04 13:03
蒲池氏がもともと筑後の名も無い土豪で、後から(徳川のように)系図を松浦党に繋げた、というのなら確かに詐称だが、
この場合松浦党の一人が筑後に行って初めて「蒲池」という名字ができたわけだから、養子が入ろうが通り名が共通してなかろうが先祖は松浦=嵯峨源氏だろ?

このことが載ってる文書なり系図なりがあやしい、と言い出したらきりがないしな。
602日本@名無史さん:01/10/04 17:42
>>599
  <それぞれの初代が自家の祖になる>
  んだったら、家名と系譜はちがうことになる。すると松浦と蒲池とは切り離される。

その理屈、おかしいです。
例えば、新田義貞の弟は脇屋義助だから、脇屋家の祖は、初代の義助になる。
しかしだからといって、新田と脇屋が切り離されるわけではないだろう。
もし、切り離さなければならないなら、大友もその家名を名乗った時に、それ以前とは
切り離されることになる。足利氏も足利を名乗ったことから源とは切り離されることになる。
こんな話は初めて聞く。
家名と系譜は違っても、そこでいわれている松浦と蒲池が切り離されることはないと思うよ。
ずっと読んできたが、論理矛盾は君だと思う。それに言葉が汚いのも君の方。
まず「パクリ」という言葉がそう。歴史は、それぞれ立場があるから、相手の見方や立場を尊重し、
疑問や批判があるなら、史料をあげて、対話形式の発言をするべきだと思う。
それから系譜は、法則があるのではなく、100の家があれば、100の個別事情があり、
A家はこうだがB家は違うからB家はおかしい、などという論理は通用しないと思いますが。

>>601
私も調べてみましたが、蒲池の家名の起こりは、松浦党の圓の子孫の名乗りにあります。
文書史料は、蒲池家の系図以外にも史書や他家の文書などにもあるそうです。
603日本@名無史さん:01/10/04 19:38
599は、系図についての基礎知識が無いか、根本的な間違いをしている。
それとも、蒲池氏を非難したいだけなのだろうか。非難したいだけなら、ここにはふさわしくない。
正しい批判だと主張するならば、もう少し系図に関してきちんとした基礎知識を持ってほしい。
604日本@名無史さん:01/10/04 19:42
>>599
>それがどういう事か想像もできないのか?
資料的根拠があるのではなくて、貴公の「想像」でござったか。
605日本@名無史さん:01/10/04 19:49
600、601、602、603、604は全部同一人物。
606601:01/10/04 19:53
>>605
それは君がそう思いこみたいだけだろ?
607反論一:01/10/04 20:06
では反論しましょうか?、 <100の家があれば、100の個別事情があり、
A家はこうだがB家は違うからB家はおかしいとなどという論理は通用しない>と述べているが、
A家がこうだからB家も正しいと述べている。 <100の家があれば、100の個別事情がある>
と述べる前提と結論が矛盾している。
608反論二:01/10/04 20:25
家名と系譜が異なっても、元の家との系譜とは切り離されない。と、君は述べる。
御説ごもっとも、その通りです。
では、その規範を蒲池家にあてはめてみましょう!
松浦党の何某を養子に迎えて新しい家名を名乗っても、元の家との系譜とは切り離されないのだから、
系譜は新しくならず以前もとのまま。
従って、蒲池は松浦党の系譜を盗り込めず源姓を名乗れない。

 
609日本@名無史さん:01/10/04 20:32
>松浦党の何某を養子に迎えて新しい家名を名乗っても、

ここの認識が間違ってるの。君は。
松浦党の誰かを養子に貰った家が有った訳じゃなくて、松浦党の内の一人が「蒲池」と名乗ったの。
610日本@名無史さん:01/10/04 20:59
まったく困ったものだ!
一、反論に一切答える能力が無い。従って完全に破綻している。
二、<松浦党の内の一人が「蒲池」と名乗ったの。>
  そんなに元のお家は卑しいのか?
  そんなに元のお家の系譜を抹消したいのか?
  誇り持とうよ!恥じないで。
 
611日本@名無史さん:01/10/04 21:36
というか、>>590 の書き込みで決着してるじゃん。<蒲池家系
そろそろスレ通り「九州戦国史について語ろう」よ!
612日本@名無史さん:01/10/04 23:05
<松浦党の山代囲の子の山代圓が聟養子に入り>
450で御馬鹿な君はこう言っている。君お得意の正確な資料に基付いた発言だよな。
<松浦党の誰かを養子に貰った家が有った訳じゃなくて松浦党の内の一人が「蒲池」と名乗ったの>
との発言と矛盾してないか?猿でもわかると思うから御馬鹿な君でもわかるでしょ?
お前が示した蒲池のサイトを否定するのか?
613蒲池は困っている。:01/10/04 23:09
蒲池の嘘バレル!
614日本@名無史さん:01/10/05 00:16
>>596
>松浦氏の嫡流の子孫も戦国時代は、もう一字名ではないよ。

本当の嫡流の松浦氏(平戸松浦氏ではなく)の話?戦国時代の嫡家の人名の
史料が手元にないのでわからないが、>>597氏がいわれる「藩主の松浦氏も一字名
ではない」(つまりこれが平戸松浦氏だが)について言うと、二字の諱は
大内氏当主の偏諱を受けたことに由来するものがその端緒であって、政治的
色彩が濃く、後には「甲子夜話」の作者松浦静山(諱は「清」)のように一字に復しており、
つまり>>599氏の言う「松浦が一字名を家の誇りにしている時すでに蒲池は一字名でないんだよ!」
(すごい剣幕だが)と意味するところは同じです。
蒲池氏に関して言うと、氏祖は確かに松浦党と関わりはあるが、実態的には
藤原氏族(まあ宇都宮氏も実は藤原氏ではなく中原氏の出だという説が近年強くなって
いるようだが)としてのアイデンティティーを持って生きていたのではないだろうか?

>私は擁護派より、非難派の根拠の無い暴言の方が問題だと思ってます。

ああ、暴言が問題だとかそういうレベルの話ではなく、どっちの派のモチベーションに
私が興味があるか、不思議だなあと感じるか、という話ね。
批難派は、私には、擁護派が擁護するから煽って侮辱的なことを書いてるだけのように
見えるんだよねえ。擁護派のモチベーションというのが、よくわからないということ。
子孫やサイトの運営者というのならまだしも、関係ない人がなぜ、ここまで蒲池氏という
マイナー氏族擁護に熱弁をふるい精力を傾けているのか、それがよくわからない。
615日本@名無史さん:01/10/05 00:56
>>614
戦国時代の蒲池氏は、確かに意識の上では嵯峨源氏というより、自分たちの出自の
宇都宮氏を強く意識していたし、周囲もそう見ていた。龍造寺興隆記のような『肥陽軍紀』
や『九州治乱記』その他にも、蒲池氏は、宇都宮朝綱の後胤の宇都宮久則(憲)に始まるとある。
宇都宮氏が藤原氏か中原氏かはともかく(私自身は中原氏説だが)、室町後期の蒲池氏は、
嵯峨源氏よりも宇都宮氏として存在したと思う。
蒲池非難派は、この宇都宮氏の件についても、パクリというが、別に室町後期から戦国にかけての
蒲池氏が、勝手に宇都宮氏を詐称したのではなく、聟養子に入った嵯峨源氏の蒲池氏の中で
自分たちの血統上の先祖を主張しただけだろう。これはパクリでも何でもないんじゃないか。
整理すると、
藤原純友一族説の家(家名不明) → 松浦党の聟養子(蒲池を名乗る) → 宇都宮氏の聟養子(蒲池の家督を継ぐ)
こういうことだろう。
私は、宇都宮氏系の蒲池氏が嵯峨源氏の意識はなくても当然だと思うし、問題ないと思う。
これに対して、バクリとか先祖をたくさん作るなという非難は完全な的外れで、家系に関して少しでも
きちんとした知識があれば分ると思う。

擁護派と非難派はについては、むしろ非難派のいいがかり的非難のしつこさと言葉の汚さの方が
やはり問題ではないか。非難派も、根拠があり、理屈がちゃんとしていれば、それなりに耳も傾けるのだが、
どう見ても、知識は無いか間違っている。論理も自己破綻している(本人がそれに気づいてないのが痛い)。
見方の違いになるのだろうが、非難派がいちゃもん的非難するから、擁護派が擁護しているようだが。
だから、あなたの言葉を借りれば、 非難派のモチベーションというのが、よくわからないね。
蒲池氏に個人的な恨みでもあるのかね。
616609:01/10/05 01:10
あの〜450を書いた人と私は別人なんで矛盾してるとか言われても困るんですが(ワラ
まずこのへんの思いこみを何とかしてもらわないと議論もへったくれもない。
617日本@名無史さん:01/10/05 01:23
>>612
君は、松浦党の聟養子が入る前に蒲池という家があったと思っているようだね。
だから、婿養子の松浦党の系図を自家の系図にするなと言ってるのだと理解する。
しかし、君の前提が間違っている。
松浦党の聟養子が入った家は、まだ蒲池じゃない。蒲池を名乗るのは、松浦党の聟養子の子孫。
<松浦党の山代囲の子の山代圓が聟養子に入り>
この聟養子に入った山代圓か、その子孫が蒲池を名乗るわけだから、蒲池という家名の祖は、松浦党の山代圓でしょう。
例の蒲池サイトも、そう書いてあった。どこが矛盾しているのだろうか。
すべては、君が、松浦党の聟養子以前に、蒲池という家があったと錯覚しているのが
君の論理の破綻。
>>609がちゃんと指摘しているのに、同じことを繰り返しているようだね。
618日本@名無史さん:01/10/05 11:32
蒲池君の先祖には舌がない。
閻魔に抜かれているから。
619日本@名無史さん:01/10/05 11:36
蒲池の子孫は超馬鹿!
論理が解らない。
全部同一人物。
反論に答えてみろ、ばーか。
620日本@名無史さん:01/10/05 13:10
>>618-619
ついにまともな反論さえ返せなくなった避難派(ワラ
一生懸命「自分の敵は一人だ」と思いこもうとしてるのね。哀れな。
621日本@名無史さん:01/10/05 13:54
ホントおかしな奴。
非難派と違う発言者は、みんながみんな擁護派ではないのに。
大半が、あえて言ったら是々非々的中間派でしょう。
私も別に蒲池氏を擁護する気はないが、非難派があまりにも無知で
理屈もメチャクチャなので、もう少しまともなこと書いたらどうかと言ってるだけなんだけどね。
>> 618、>>619には、この人の荒廃したメンタリティが露呈してるね。
そんなこと書けば書くほど、自分で墓穴を掘っていることになるのに。
自分以外は、みんな同一人物という思い込みもすごい。馬鹿馬鹿しいというか、
それぞれ書いた人は呆れていると思う。
擁護派以外の人は、この人が、きちんとした知識に基づいてまともな批判でも
していれば、言葉の汚さには目をつぶり、聞く耳も持つだろうに、すべてが勝手な
思い込みの結果だし、対話の姿勢の無い暴言には、呆れるしかない。
622日本@名無史さん:01/10/05 16:17
607、608の反論に、下賎蒲池の子孫は答えられない。
もう、人格攻撃しかできない。
623日本@名無史さん:01/10/05 17:18
確かに。擁護派の人は完全に論理破綻している。
624<<623:01/10/05 18:21
擁護派といっても、一人だけなんです。
蒲池の子孫らしけど。
625日本@名無史さん:01/10/05 22:17
>450子孫は関東に健在。
これが坂井泉水になるのかな
626日本@名無史さん:01/10/06 00:19
>>624
確かに622-624は一人だな(ワラ
そもそも蒲池の子孫だなんて奴いたっけ?
627日本@名無史さん:01/10/06 00:35
非難派って一日中いるの?
628蒲池物語:01/10/06 01:29

或所に蒲池の薄ーい卑しい御馬鹿な子孫がいました。彼には何の誇るところが有りませんでした。
そこで、御馬鹿は考えたあげく先祖自慢して誇ろうと思いました。
そして一生懸命先祖について御馬鹿な頭で調べました。来る日も来る日も調べました。
御馬鹿は思いました。「もう僕は御馬鹿じゃないぞ、誇るところが有るのだから!」
更に御馬鹿は思いました。「そうだインターネットで自慢したら、世界中の人が僕を尊敬するはずだ!」
其れから毎日インターネットで自慢しました。
そんな或日親切な人が教えてくれました。「蒲池は下賎だよ。系図も泥棒したんだよ」
そして、多くの人が御馬鹿を軽蔑しました。「君が御馬鹿なのは先祖が卑しくて泥棒なのだから!」
そう、御馬鹿が卑しいのは先祖代々の遺伝だったのです。

皆さん!卑しくて御馬鹿な蒲池の子孫を笑わないで下さい。
御馬鹿が卑しいのは先祖譲りなのです。
卑しくて御馬鹿な蒲池の子孫の書き込みに、
皆さん!寛大な眼差しを贈りましょう。これからもずっと。
629日本@名無史さん:01/10/06 01:41
まあいいから寝ろよ577。
630日本@名無史さん:01/10/06 02:37
628おもろい
631日本@名無史さん:01/10/06 03:04
>>628
頭悪そおーー
632ありがとう批難君:01/10/06 08:34
批難君の名前満場一致で決めたよ。(命名の儀・蒲池批難君)で決定。
多分気に入ってくれると思うよ。
しかし君のおかげでこのスレッドこんなに盛があがったことは、感謝するよ。
本当に君の蒲池批判のパワーには圧倒されるよ。一体全体そのエネルギーの根源
は何?もしかして君の出自は蒲池に滅ぼされた者の子孫、或いは、天敵・竜造寺の
一族かな。それとも名門の出ではないから妬みやっかみからきてるのかな?
とにかく蒲池好き好きさんもしつこい、ここまで蒲池、蒲池、名門、名門って頻繁
書かれると別になんとも思ってない人でもうざい。一度でいいよ、わかるよ蒲池の
こと書くの、僕らも馬鹿じゃないんだから。程々にお控え召され−!じゃないと、
妬みだけでなく、多くの中立派からも批難が出て、結局、蒲池険悪派を増やすだけ
ですよ。筑後蒲池氏は所詮、下野宇都宮氏の分家・豊前宇都宮氏(城井氏)の分家
の一つに過ぎない。麻生、香月、荒巻(牧)如法寺、川底、宮尾、山田、仲蜂屋、
鳥越(俊太郎)、伝法寺、広津、吉富、中間、宇都宮系成恒、野仲、西郷、宇都宮系
山鹿、(→初期山鹿氏は天慶年間938〜947に鎮西奉行になった藤原秀郷弟・藤原藤次が
山鹿氏を名乗るのち平家と共に滅亡。)肥前長崎の宮村、江上、佐田(まさし)、江良、
江里口、高野。
633日本@名無史さん:01/10/06 11:02
鳥越俊太郎が宇都宮氏族というのはたしかな話なの?
福岡出身であることは知っているが・・・。
634ありがとう批難君:01/10/06 13:02
宇都宮氏紹介−出自は諸説あって系図的に難解な氏族の一つ。通説は藤原北家で、
粟田関白藤原道兼の曾孫宗円(朝綱)を祖とする。前九年の役に際し、下野国一宮
宇都宮大明神(二荒山神社)に於て凶徒討伐を祈祷した功により宗円は下野国を賜り
、同神社の座主を兼ねて以後同地で発展した。この説に対し中原氏を出自とする説、
古代国造系の流れ下毛野氏後裔説もあり近年後者が有力。
源頼朝に属し、代々その御家人として重きをなし評定衆、引付衆に列している。
南北朝期には後に氏綱が北朝方で活躍して旧領を安堵され常陸、伊予、越後、伊賀に
も所領を得た。なお宗円の●弟・宗房が九州の豊前国城井郷の地頭となり子孫は◎筑後
守護を一年だけ経て九州一円に広まった。また●九州の宇都宮氏は宗円の孫・信房が豊前国
仲津郡に下向して以来一族が土着し、豊前最大の豪族となった。更に筑前、筑後、肥前、
肥後にも発展した。続いて伊予にも宗円五世横田頼業が伊予守護となり宇都宮氏子孫は
分布した。また室町期から戦国にかけて下野の嫡流は佐竹氏や小山氏らと共に関東八家の一家
に数えられる戦国大名である。国綱のとき関ヶ原で西軍とみられて追放され、子孫は水戸
徳川家に仕えた。家紋・左三つ巴。
筑後宇都宮系蒲池族には関東御家人で伊豆の藤原(家綱)姓の西牟田氏や菅原姓酒見氏や
菅原姓安武、また光孝天皇の仁和三年(887)に豊島真人時連が筑後国三潴郡大依(大預里)に
土着してその長男・大依太郎時祐がのちに城島に移り、城島太郎と名前を改め、21代の石見
守時次の代に大友氏の支配下にはいり22代直時は大友義鑑から一字貰い鑑時、23代は鑑教と
名乗る。この城島氏も蒲池氏族といわれるのは途中に蒲池氏から養子が入ったからであろう。
他に宇都宮系蒲池族は肥前に移りより栄えた犬塚、大木に。今村、久納、はそれ以前にその
姓を名乗った族いないので彼らは本姓・蒲池で血流は宇都宮氏である。他に雲仙普賢岳噴火時
の島原市長で有名な鐘ケ江姓も本姓・蒲池で血流は宇都宮氏。鐘ケ江氏は宇都宮蒲池が名乗る
前に確か名乗っていた族いたような?確か今の福岡魚連の会長さんで必死になって有明海の海苔
問題で農水省の役人とやりやってる方は確か荒牧さんですね、彼は宇都宮族ですね。
それと京都府知事の荒巻さんも確か城島の大庄屋・荒巻家(宇都宮族)の出身ですね。
これをみても宇都宮系蒲池族は筑後で大いに栄えましたの、うまく南朝に同調し、南朝の勢力が強い
九州で筑後で(肥前で)菊池族と共に栄えた。そのあと北朝(武家方)勢力が強くなっても
うまく時の守護・大友氏の幕下になり、うまく取り入って依然勢力を保ち戦国末期までその
命脈を保った。しかし、その蒲池氏の九州での宗家・豊前の宇都宮(城井)氏の末路も
悲惨ですな。黒田と家臣・後藤又兵衛に毒殺の騙し討ちに。これで後藤又兵衛は黒田
の殿様とこを辞して(このやり方が武士とした卑怯ということと、うまく自分がとりなし
に利用されたことにも憤懣らるかたない黒田への怒りから、後藤は助けたかったしこれが
鎌倉以来の名門豊前宇都宮氏への武士としての礼節をを欠いたやり方だったし)
哀れ豊前、筑後の宇都宮氏は育ちのよさか、人の良さからお互い騙し討ちに逢い戦国の藻屑
となり滅んだのでした。彼らは大大名ではなかったので戦闘よりも融和策で生き延びてきた
ことが、最後にお互いだまし討ちに逢った原因でもある。
635日本@名無史さん:01/10/06 14:14
>>632
今過去ログ読んできたけど、蒲池が名門だなんて言って自慢してる人なんてほとんどいないような…
家系と血流について根本的に誤解している非難君に中立?の人が「そうじゃないんだ」と言ってるだけじゃないの?

そもそも元の家も藤原純友の系統なわけでしょ?非難君が言うほど下賎なわけでもないし、嵯峨源氏(の末流の松浦党)がむちゃくちゃ高貴なわけでもないし。
だからといって、ここは「九州戦国史」を語るスレなわけだから蒲池を過大評価するつもりもないけど。
636 :01/10/06 14:34
634さんはやっぱり蒲池物語の管理人さんなんじゃないの?
京都の府知事の出自まで知っているなんて宇都宮氏族に詳しすぎるよ。
別に認めたっていいじゃない?
637初めて書き込みます。:01/10/06 15:28
蒲池物語の掲示板にここの事が書いてあったので覗きに来ました。
初めてこんな掲示板に来て戸惑ってしまいます。
(非難中傷が多すぎて話の本論が見えませんが^^;)
「九州戦国史について語ろう」というのは面白いしいいことだと思うのですが、
個人向けの中傷はおかしくありませんか?
ちなみに蒲池物語の管理人の方の名誉のために書き込みますが、
あのサイトの管理人さんは蒲池の子孫ではありません。
628さんの書いてるように蒲池の子孫が自慢したしたりする
ために作ったサイトではないと思います。
純粋に蒲池家に興味を持たれた方ではないでしょうか?
私自身は蒲池の出身なので628さんのような発言を見ると
「ドキッ」としてしまいますが^^;
自分が関係しているかもしれないと思うと系図の信憑性の真意
とは別に誇りとロマンを持つのは本当ですよ。
とにかく蒲池物語のサイトで蒲池の子孫が自慰行為しているような
書き方はやめてくださいね^^。
(このサイトの噂は色々聞きますが、私も中傷されるのでしょうか?^^;)
638日本@名無史さん:01/10/06 16:35
>>636
文体が全然違う。
>>634は、ほとんど句読点の無い文だが蒲池サイトの文は句読点が多い。
こういうのは癖だから自然に出てしまうと思う。
639日本@名無史さん:01/10/06 16:47
635
同意。
蒲池批難の人が一人で、家名と血統について間違った認識をしていたり、
蒲池家の由来についての根本的に誤解したまま悪口を書き続けていることに対して、
中立的な人たちが、間違っていると言ってるだけ。
蒲池を、盲目的に称賛してる発言なんてありますか。悪口書いてる人が勝手にそう書いてるだけみたい。
ログをずっと読んでそう思いました。
蒲池氏は、嵯峨源氏松浦党の庶流として起こり、宇都宮氏が後を継いだということじゃないのですか。
宇都宮氏が家名を継いだ蒲池氏については、こんなのもあります。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kamati_k.html
640日本@名無史さん:01/10/06 17:03
>>632
「筑後蒲池氏は所詮、下野宇都宮氏の分家・豊前宇都宮氏(城井氏)の分家
の一つに過ぎない」

豊前宇都宮氏(城井氏)は、宇都宮朝綱の次男の宗房の子孫で、筑後宇都宮氏(蒲池氏)は、朝綱の長男の宗綱の子孫だから、
双方は、本家・分家の関係ではないと思うよ。途中で宇都宮氏同士だから婚姻で親戚関係になっていたかもしれないが。
641日本@名無史さん:01/10/06 21:06
そんなことよりキリシタン大名の有馬氏の子孫はちゃんと
「有馬」を今でも名乗ってるのか誰か教えて欲しい。
有馬家は取り潰されたんじゃないのかい。
642日本@名無史さん:01/10/06 23:03
>>641
たしか子爵だよ。
643日本@名無史さん:01/10/06 23:26
有馬氏嫡流(久留米21万石)は、伯爵。
支流の下野吹上1万石が子爵。
644日本@名無史さん:01/10/06 23:36
九州の有馬氏といっても戦国時代の肥前長崎の有馬氏と、江戸時代の久留米藩主の有馬氏は
まったく別なんですよね。
肥前の有馬氏は、藤原純友一族の子孫と伝えていますが(平氏説もありますが)、
久留米藩主の有馬氏は、赤松氏の一族。
645日本@名無史さん:01/10/06 23:40
643は知ったかぶってはいけないよ。
644の言うとおり、
キリシタンといえば自称藤原純友の子孫という有馬だよ。
646日本@名無史さん:01/10/06 23:43
蒲池、かばちたれるな。
所詮、下賎の偽源氏
647日本@名無史さん:01/10/07 00:38
>>646
無理して顔出さなくていいよ非難君。

長崎の有馬は江戸時代初期の岡本大八(?だったっけ?)事件のときに有馬晴信が切腹させられて滅んじゃったの?
久留米の有馬はなんで出世したんだろう…関が原の合戦前夜に家康が伏見の諸侯を訪問して歩いてる時にここも混じってた、というぐらいしか思いつかない…
648日本@名無史さん:01/10/07 13:59
>>647
長崎の有馬氏は生き残っている。
有馬直純は日向国に移されたが5万3千石。その孫の晴純は越前国に移され、
越前国丸岡藩主として明治維新を迎え、子爵になっている。
649日本@名無史さん:01/10/07 14:08
秋月も高橋も、敗戦豪族はみんな日向送りになっているような……。
650日本@名無史さん:01/10/07 14:47
647
長崎奉行暗殺未遂事件のことでしょう。
651神風:01/10/07 15:45
 現代の日本人の多くは武家の子孫ではないと思う。一般の人々が苗字を名乗ることが許されるようになったのは明治維新になってからだったと思う。だから日本人の苗字は多様なのだと思う。
652日本@名無史さん:01/10/07 17:16
>>651
そうだよ。日本人の人口比で、武家の子孫は1割も満たないだろう。
日本人の9割は、古代の農業労働者(部民)の後裔の農民の子孫。
もちろん武家に成り上がった者もいただろうし、武家から零落した者もいただろう。
しかし、婚姻は、基本的に身分を越えるものではなかったから、代数を重ねようと
身分が混合することはなかった。
現代の日本人の先祖は

1割:公家、武家(江戸時代の下級士族、郷士も含む)
9割:農民
1割:農民外
というところ。
つまり、日本人の9割近くの苗字は、明治になって付けられたもの。
明治以前には、公家、武家以外は、苗字は許されていなかったが、一部では私称されていた。
ただし、公家や武家以外も、古代の部民以来の姓はあった(伝えられていたかどうかは別にして)。
それらの姓は、例えば、藤原氏の部民であれば「藤原部」といい、名前が仮に弥兵とすると「藤原部弥兵」となる。
明治新姓の時に、藤原部から「部」を外し、「藤原弥兵」という名前になる。もちろん、古代の藤原氏に憧れて藤原を
苗字にすることの方が多いが。
653日本@名無史さん:01/10/07 20:56
飫肥伊東氏のこと誰か知らない?
知りたいんだけど、全然カキコがない。
カマチなんてもういいからさあ。耳タコ
654日本@名無史さん:01/10/07 23:20
>>653
伊東義祐が国を追われて、各地を一人で歌詠みながら放浪する小説が良かった。
655日本@名無史さん:01/10/08 00:14
成人教育講座


 蒲池中学校の成人教育講座は、「戦国時代の蒲池」という題で、十一月
十九日に本校の体育館で行われ、生徒や保護者、地域の方々と大勢の人達
が受講しました。
 今回の講師の先生は、食品会社を経営しながら、九州戦国史を研究され
てある吉永正春氏。先生は、筑後戦国史の書き出しでも紹介されている筑
後の英雄、蒲池一族について説明され、さらに、蒲池の名称や、「金納」
「立石」など地名の由来と姓又、蒲池城・柳川城についても詳しく説明さ
れました。約一時間半ほどの講演では、子供達も初めて、自分の住んでい
る郷土、蒲池一族の盛衰や蒲池地区の歴史由来など、郷土の歴史のルーツ
を知ることができました。
 また、今現在自分たちが生きているという生命の尊さを理解するという
今回の目的が、子供達の一人ひとりの顔を見て達成できたなあと痛感しま
した。貴重な講演を聴き、生徒の皆さんが、最後の先生の力づよい「君た
ちには時間がある。そのため自分の可能性をこれから大いに発揮してくだ
さい。」という言葉をしっかりと脳裏に刻み、大きな宝物を先生よりいた
だいたことを感謝して生きていってほしいと思います。
656日本@名無史さん:01/10/08 00:16
625殿、前田五郎利幸です。
早速ですいませんが、その講座でなにかパンフレットや本などが配布などされません
でしたか?もし何か配布本などあったならお教え願いませんか?お願い致します。
657日本@名無史さん:01/10/08 00:18
蒲池氏の分家(上蒲池)の子孫の方が
『蒲池氏の歴史』という本を刊行。
ハードカバーで350ページという大作。
嵯峨源氏松浦党蒲池氏の由来から詳しく説き起こし、
子孫のところでは、宗虎丸の弟の宮童丸(蒲池経信)の子孫の豊後の蒲池氏や、
蒲池徳子の後裔で西国郡代の蒲池鎮克の子孫の関東の蒲池氏などにも詳しくふれている
658日本@名無史さん:01/10/08 00:51
>>653
飫肥伊東氏ですか。
発祥は伊豆の国、温泉で有名なあの伊東。鎌倉御家人の一人。
鎌倉時代初期、宇佐神宮の荘園の日向の国における管理者となる。この時、分家を日向に送る。
(本家ではない。後、この点はわざと曖昧にされて、「島津と同等に古くからいる」という偽証となった。
ちなみにこの分家は戦国時代に伊東氏に滅ぼされている。)
日向への本家の下向は南北朝時代。鎌倉幕府崩壊に付き合い無位無官になったところを、
足利尊氏への従軍義務の見返りに日向に領地を与えられたため。
国人の土持氏と同盟し、当時日向全域に点在していた島津荘を侵食。
今川領俊(名前はうろ覚え)と同盟し、日向の有力国人に成長、そのうち土持氏の領地も侵食。
最盛期は都郡(西都南部山中)・佐土原・清武及び進撃基地としての小林を中心に中央集権を確立した時期。
この時、都城盆地の一部及び飫肥を占領。
領土は現在の宮崎県のうち、県(延岡)・真幸(えびの)・都城を除く全てとなった。
転落はその数年後。圧倒的多数でえびの盆地に侵入し、逆に包囲されて戦力の過半を喪失(木崎原の戦い)。
その数年後、逆に島津軍がやって来ると中央集権を確立したはずなのに各城主は無血開城。
迎え撃とうとしたが、家臣は一族を見放すことを決定。歩いて大分へ逃亡。
後、大友宗麟と一緒に帰還しようとする。しかし大友宗麟の寺社破壊が悪かったのか、
日向国内で大友側についたのはわずかに一領主のみ。敗戦とともにまた大分へ。
そのうち大友ももてあまし、堺に引越し。そのまま野垂れ死に。
これの親戚の息子が豊臣の家臣になる。
そして豊臣の九州侵略において道案内をして大名に返り咲く。
秀吉の当初の予定では、領地は佐土原のはずだった。
ところが彼は飫肥を選ぶ。このことが北方領土問題のように島津との間に係争をもたらす。
そしてそのまま明治へ。結局彼は子爵になった。終わり。
659日本@名無史さん:01/10/08 01:15
>>655>>657
おいおい批難君よ、つまらん偽装やめとけよ。
バレてるんだから。
誰も蒲池の話題に乗らないからってつまらんことするな。
原因は、君の知性の貧困なんだから。
660日本@名無史さん:01/10/08 01:26
>>655>>657はコピペだね。
みなさん、コピペは、すべて無視しましょう。
661日本@名無史さん:01/10/08 16:07
下郎蒲池、くだらねえ宣伝するな。
662日本@名無し史さん:01/10/08 16:45
本にこんなの載っているぞ。
蒲池城の歴史は古く、天慶年間(938〜47)、藤原純友の弟・純東が築き、延久
年間(1069〜74)に蒲池氏がこの城を居城とした。
663日本@名無史さん:01/10/09 00:33
>>661
まだやってんのかこの馬鹿
664日本@名無史さん:01/10/09 01:08
>>661>>662>>663
批難派か便乗派か知らんが、もういいかげんにしろよ。
もう一件落着なんだよ、その話は。
665日本@名無史さん:01/10/09 01:19
662は勘弁してやれよ
666蒲池物語:01/10/09 08:31
或所に蒲池の薄ーい卑しい御馬鹿な子孫がいました。彼には何の誇るところが有りませんでした。
そこで、御馬鹿は考えたあげく先祖自慢して誇ろうと思いました。
そして一生懸命先祖について御馬鹿な頭で調べました。来る日も来る日も調べました。
御馬鹿は思いました。「もう僕は御馬鹿じゃないぞ、誇るところが有るのだから!」
更に御馬鹿は思いました。「そうだインターネットで自慢したら、世界中の人が僕を尊敬するはずだ!」
其れから毎日インターネットで自慢しました。
そんな或日親切な人が教えてくれました。「蒲池は下賎だよ。系図も泥棒したんだよ」
そして、多くの人が御馬鹿を軽蔑しました。「君が御馬鹿なのは先祖が卑しくて泥棒なのだから!」
そう、御馬鹿が卑しいのは先祖代々の遺伝だったのです。

皆さん!卑しくて御馬鹿な蒲池の子孫を笑わないで下さい。
御馬鹿が卑しいのは先祖譲りなのです。
卑しくて御馬鹿な蒲池の子孫の書き込みに、
皆さん!寛大な眼差しを贈りましょう。これからもずっと。
667日本@名無史さん:01/10/09 08:33
系図泥棒、蒲池の薄い子孫に愛を!
668日本@名無史さん:01/10/09 08:35
笑えるぞ蒲池の子孫さん。
マジおもれー
669日本@名無し史さん:01/10/09 09:06
批難君また息復活しているやないか。
解読本・蒲池物語(全)読んだりお持ちのかたよかったら内容教えてくれますか。
ところで他の氏族のこととかもっと書き込み求む。何かリクエストあります?
670日本@名無史さん:01/10/09 15:54
途中までは良いスレだったのに。
671日本@名無史さん:01/10/09 18:36
批難君、もう君の低能な発言は聞き飽きた。
その話は、君の破産で終わってるから、来なくていいよ。
672推理小説風に@大友小五郎:01/10/09 18:38
蒲池氏の先祖についての所謂「パクリ」事件ですが、これは成立するのか。
まず、考えなければならないのは、パクリが成立するためには、それを遂行した張本人がいるはず。
つまり「犯人」ですな。容疑者として浮かび上がるのは
(1)藤原純友一族の家
(2)松浦党からの聟養子(orその子孫)
(3)宇都宮氏からの聟養子(orその子孫)
(4)蒲池氏の現代の子孫
あたりでしょう。江戸時代についても聟養子はあるでしょうが、江戸時代は、血統より家名第一の
時代ですから、聟養子によりどんな血統が入ろうとも、血統の先祖は捨象されますから度外視でき
ます。
重要なのは、蒲池という名字(家名)が、どの時点で成立したかということです。そして答えは、
(2)の松浦党からの聟養子以降ということです。松浦氏の庶流の山代圓なる人物が、聟養子にな
りますが、その時までは、蒲池という名字は成立していません。つまり藤原純友一族の家は、蒲池
以前ということになります。蒲池の家名は、松浦党の養子の数代後に起こるわけですから、藤原純
友一族の家がパクれるわけがありません。祖父が孫の系図をパクれないということです。もしかり
に可能だとしても、藤原純友一族が、松浦党の系譜を盗む必要があるでしょうか。あるというため
には、藤原純友一族より松浦党の方が貴種であるというような前提が必要になりますが、どうでし
ょうか。松浦党の方が貴種であり上ですか? 私には、どっちもどっちとしか思えません。松浦党
も藤原純友も、海賊衆であり水軍ですから似たようなものです。松浦党が遡ると嵯峨源氏になるな
ら藤原純友も藤原氏の主流の北家に辿り着きます。九州の戦国大名では、藤原純友の子孫の系譜を
伝えている家もありますから、藤原純友一族の家は、わざわざ松浦党の系図をありがたがる必要は
ないと思うのです。
では(2)の松浦党からの聟養子が犯人なのでしょうか。これもまたおかしい話になります。なぜ
なら彼らは松浦党の子孫ですから、パクるも何も、松浦党は自分たちの先祖にすぎません。また、
蒲池という家名が松浦党の聟養子の子孫において成立していますから、この段階では、蒲池氏は、
家名においても血統においても松浦氏(松浦氏庶流の山代氏)になります。
では(3)の宇都宮氏からの聟養子が犯人なのでしょうか。ここで、家名(嵯峨源氏由来)と、
血統(宇都宮氏)の相違が生まれますが、宇都宮氏の聟養子は、わざわざ自分たちの先祖は、嵯峨
源氏であると、松浦党の系図をパクる必要はないでしょう。つまり彼らは、松浦党系図については
無罪です。では宇都宮氏系図についてはどうでしょうか。これは松浦党の聟養子と松浦党の関係と
同じで、宇都宮氏の聟養子にとって宇都宮氏は自分たちの血統上の先祖であり、パクるも何もあり
ません。
すると残るのは(4)の現代の子孫だけです。系図パクリを告発する人は、現代の子孫が張本人だ
と言っているようです。つまり、先祖を「たくさん作っている」と。しかし、これが正しいための
条件として、松浦党子孫説、宇都宮氏子孫説が、現代の子孫たちに以前には存在していないことが
不可欠でしょう。現代の子孫が、先祖を作るために系図パクリをしたとするならば、すべては現代
の子孫の作為ですから、現代の子孫以前には、そんな松浦党子孫説も、宇都宮氏子孫説もなかった
ことになります。
しかし、実際は逆で、戦国〜江戸時代の間の書物、例えば『大友記』『肥陽軍紀』『筑後国史』そ
の他において、すでに松浦党子孫説、宇都宮氏子孫説が記されています。もし、現代の子孫が犯人
ならば、彼は、これらの書物を書き換える能力が必要になります。そんなことはタイムマシンでも
ないかぎりは不可能であり、したがって現在の子孫には、先祖の系図パクリは不可能になります。
もし、出きると言われる方がありましたら、お教え下さい。言うまでもなく、ただ「書き換える」
では駄目ですよ。上記の書物は、すでに過去において多くの人々に読まれていて、現代の子孫が
書き換える隙は無いのですから。
とすると、何ということか、犯人がいなくなってしまいました。犯人のいない事件なんてあるので
しょうか。つまり、蒲池氏の所謂「系図パクリ」事件などは元から無かったことになります。そし
て、事件の正体は、蒲池氏は系図パクリをしたと告発した 人のデッチあげであったということにな
ります。

                        明智小五郎、毛利小五郎の後継の大友小五郎
673日本@名無史さん:01/10/09 18:47
>>672
一件落着ですね。
蒲池関係の話題は、しばらくはお預けにしましょう。
かなり食腸気味ですので、批難君、みなさんに迷惑かけないで下さい。
674日本@名無史さん:01/10/09 20:21
>聟養子によりどんな血統が入ろうとも、血統の先祖は捨象されますから度外視でき
ます。

必ずしもそうとは限りません。養子に入った人間が養家先の姓を、彼自身の実家の
ものに改めてしまう、というようなこともありました。
675日本@名無史さん:01/10/09 22:15
673は粘着くん
676日本@名無史さん:01/10/09 22:17
蒲池なんてしらねーよ。
677日本@名無史さん:01/10/10 00:42
飫肥伊東氏のこと誰か知らない?
678日本@名無史さん:01/10/10 00:51
伊東氏の何が知りたいんですか?
679日本@名無史さん:01/10/10 02:29
伊東氏も蒲池のように、系図を盗んでいるの?
680九州:01/10/10 02:43
なんだ、自分の家の先祖がよくわからないもんだから
蒲池氏の悪口なんか言っちゃって。
よっぽどうらやましいんだろうね。可愛そう。
681日本@名無史さん :01/10/10 03:48
ねえ、どうでもいいけどなんで蒲池氏の話ばっかなの?
もうお腹いっぱいなんすけど・・・・。
682日本@名無史さん:01/10/10 11:19
>>679
伊東氏はどこから盗んだと言うの?
683<<682:01/10/10 19:04
松浦、藤原、宇都宮、たしか蒲池の子孫がいっぱい盗んだ系図を
自慢してた。
684日本@名無史さん:01/10/10 19:06
いえーい蒲池たぜ。
685日本@名無史さん:01/10/10 23:45
>>683
だからやめろって、非難君。ばればれなんだから
686日本@名無史さん:01/10/11 09:38
かーまーちー何故泣くの?蒲池は昔ー
系図盗んで卑しいからよー
687非難君へ:01/10/11 09:49
そういえば卑血蒲池の子孫が652で、日本人の9割以上の苗字はいいかげん
と言ってたよ。
688日本@名無し史さん:01/10/12 11:44
本姓 蒲池 名は、批難 人は僕のことを蒲池批難君と呼びます。みんなよろしく!
年はただいま反抗期の13才の中学生です。家は蒲の池の端のぽつんと立つ貧相な
一軒家です。
689日本@名無し史さん:01/10/12 12:54
彼はちいこい頃、蒲の池で溺れたのです。それがトラウマとなり蒲の池が嫌い、恐い
のです、でもお金がないから引っ越せません。(以上、批難君の蒲池アレルギーの秘密話)より。
690日本@名無し史さん:01/10/12 17:01
・蒲池批難君系図
蒲の池の河童(先祖・初代)−河童−河童−河童−(数十代略)−批難君(称蒲の池、
冒蒲池姓)(代々蒲の池の鮒を盗り、いや獲り生業とする。)
本当に立派な系図ですね。数十代も続く名家名門ですな。
691日本@名無史さん:01/10/12 22:55
批難君は蒲の池の河童の子孫か。
だったら君の名は
「河童批難」だね。
692日本@名無史さん:01/10/13 23:23
蒲池の卑血がついに現れた!
これこそ、系図泥棒の真の姿。
693日本@名無史さん:01/10/13 23:27
蒲池が他家の系図盗みに励んだ理由は
かような卑しい血を隠すため。
694日本@名無史さん:01/10/13 23:30
ほざけばほざく程、
蒲池の卑しい性根あばかれる次々と。
まあがんばって
では、おやすみ
695日本@名無史さん:01/10/14 00:57
>>692〜694
君、楽しいね。
典型的なアホまる出しとい類だな。
みんな、君のアホぶりをからかってるんだよ。
そんなことにも気づかないのかなぁ(藁
みんな、蒲池なんてどうでもいいんだよ。
君が一人でアホみたいにわめいているだけ。
アホでないことを示したいなら、そんな戯れ言ではなくて、
正しい日本語で、史実を踏まえた文章を書くこと。
君は、ついにそれが書けなかったね。
だから、何を言っても、まともに相手にしてもらえないんだよ。
俺なんか、老婆心のある方だよ(藁
696龍造寺小五郎:01/10/14 01:13
===================================================================
687 :非難君へ :01/10/11 09:49
そういえば卑血蒲池の子孫が652で、日本人の9割以上の苗字はいいかげん
と言ってたよ。
===================================================================
これ、典型的な自作自演だね(笑)
非難君であるあなたは、>>692で「卑血」という語を使ってますね。
ところが「非難君へ」と呼びかける別人らしき人も「卑血」の語を使用。
語の意味は分りますが、これはあなたの自作語ですね。広辞苑にもこんな語
はありません。
特殊な語を使用する時は注意しましょう(藁
みんなは、すべて気づいているんだよ。
697日本@名無史さん:01/10/14 02:10
相も変わらず御馬鹿だのー卑血蒲池の子孫君。
態々広辞苑でお調べですか。大儀であった。
698日本@名無史さん:01/10/14 02:16
一応説明しとくね。
このレス見た人の「御馬鹿君の病的な執念のお陰で」
蒲池の評価は上がるどころか、下がる一方だよ。
699日本@名無史さん:01/10/14 02:18
だから言ったろう。
ほざけばほざく程、
蒲池の卑しい性根あばかれる次々と。
700日本@名無史さん:01/10/14 02:22
いやー蒲池って本当に卑しいですねー。
馬鹿の子孫からかうと本当に面白い。
これからも自作自演してがんばって楽しませてくれ。
701卑血蒲池の馬鹿さ加減:01/10/14 04:42
1・先祖蒲池の繰り返し自慢。
2・蒲池は大友家よりも名門と嘘自慢。
3・実は蒲池は他家の系図を幾つも盗んでた事が判明。
4・3をごまかすため蒲池と名乗る前の先祖を汚点として抹消。
5・蒲池は江戸時代には久留米藩で馬にも乗れない身分だった。
6・子孫も御馬鹿だった。
702卑血蒲池の馬鹿さ加減:01/10/14 05:19
卑血蒲池と書いたけど、これって蒲池お得意の自作自演?
703日本@名無史さん:01/10/14 17:33
頑張ってるね非難君。
君のエネルギーは凄い。
しかし、オツムは良くないみたいね。
701の事項、全部、君の妄想じゃん。過去ログ読めば分っちゃうよ(藁
もう少し説得力のあること書いてよ。
大友氏関係者の恥さらしと思われるから。
704日本@名無史さん:01/10/14 17:37
こんなところでしか生息出来ない哀れな非難君
広い世界へ出てごらん、誰も君の言うことに耳を傾けてはくれないよ。
なぜなら、みんなは君と違って、ちゃんと歴史を知っているから。
ま、せいぜいここで頑張って下さい。何せここは2chだから(藁
705日本@名無史さん:01/10/14 21:18
どうでも良いけど蒲池君
先祖いっぱい作って自慢するのは止めましょう。
706日本@名無史さん:01/10/15 00:20
態々ってなによ(ワラ
707日本@名無史さん:01/10/15 14:42
「先祖いっぱい作って自慢するのは止めましょう」
河童の子孫の非難君は、妄想が強いね。
それにしては頭が悪過ぎるぞ。こんな馬鹿のひとつ覚えしか言えないの(笑)
根拠示さないと、ほんと、笑われるよ。いや、みんなとっくに笑ってるか。
708日本@名無史さん:01/10/15 14:52
709日本@名無史さん:01/10/15 16:59

「筑後蒲池氏は所詮、下野宇都宮氏の分家・豊前宇都宮氏(城井氏)の分家
の一つに過ぎない」

豊前宇都宮氏(城井氏)は、宇都宮朝綱の次男の宗房の子孫で、筑後宇都宮氏(蒲池氏)は、朝綱の長男の宗綱の子孫だから、
双方は、本家・分家の関係ではないと思うよ。途中で宇都宮氏同士だから婚姻で親戚関係になっていたかもしれないが。
710日本@名無史さん:01/10/15 17:04
<松浦党の山代囲の子の山代圓が聟養子に入り>
450で御馬鹿な君はこう言っている。君お得意の正確な資料に基付いた発言だよな。
<松浦党の誰かを養子に貰った家が有った訳じゃなくて松浦党の内の一人が「蒲池」と名乗ったの>
との発言と矛盾してないか?猿でもわかると思うから御馬鹿な君でもわかるでしょ?
お前が示した蒲池のサイトを否定するのか?
711日本@名無史さん:01/10/15 17:09
いやー、卑血蒲池の汚い子孫君の妄想には脱帽。
論理でものを考えることできないし。
712日本@名無史さん:01/10/15 21:35
筑後蒲池が豊前宇都宮と本家分家の関係に無いというのは判例通説です。
芦部先生も団籐先生も自説にしてます。
713日本@名無史さん:01/10/16 00:34
いや、非難君は本当にすごいよ。誰も相手にしてくれないからって一日中自作自演できないよ普通。
きっと筋金入りのキチ外ヒッキーなんだね。
714712だが:01/10/16 17:27
初めて書き込んだのに自作自演ときめられた。
誰も相手してないといいながら相手している君って。。。
715713だが:01/10/16 23:41
だれも君のことを言ってるわけじゃないよ。自意識過剰。
716日本@名無し史さん:01/10/16 23:46
実力本位の戦国時代にあって、いたずらに名門名家を誇る”筑後蒲池氏”が生き残る
途はなかった。
717日本@名無史さん:01/10/17 00:03
もうその話を蒸し返すのはやめれ。すっかりここ糞スレになっちゃったよ。
718日本@名無史さん:01/10/17 00:05
そうそう、続きは「蒲池物語」でやりなよ。そっちのほうが
展開的に面白そう。
719蒲池物語ってこれか?:01/10/17 05:04
或所に蒲池の薄ーい卑しい御馬鹿な子孫がいました。彼には何の誇るところが有りませんでした。
そこで、御馬鹿は考えたあげく先祖自慢して誇ろうと思いました。
そして一生懸命先祖について御馬鹿な頭で調べました。来る日も来る日も調べました。
御馬鹿は思いました。「もう僕は御馬鹿じゃないぞ、誇るところが有るのだから!」
更に御馬鹿は思いました。「そうだインターネットで自慢したら、世界中の人が僕を尊敬するはずだ!」
其れから毎日インターネットで自慢しました。
そんな或日親切な人が教えてくれました。「蒲池は下賎だよ。系図も泥棒したんだよ」
そして、多くの人が御馬鹿を軽蔑しました。「君が御馬鹿なのは先祖が卑しくて泥棒なのだから!」
そう、御馬鹿が卑しいのは先祖代々の遺伝だったのです。

皆さん!卑しくて御馬鹿な蒲池の子孫を笑わないで下さい。
御馬鹿が卑しいのは先祖譲りなのです。
卑しくて御馬鹿な蒲池の子孫の書き込みに、
皆さん!寛大な眼差しを贈りましょう。これからもずっと
720日本@名無史さん:01/10/17 05:08
御免、言いすぎた?
でも蒲池君は歴史資料に基づいた発言せずに
人格攻撃ばかりするから叩かれるのでは?
721672について:01/10/17 07:45
養氏に入ると、入った先「つまり本件では純友系?いかにも胡散臭いが」
の人間になり、実家の松浦とは系図上切り離される。
であるのに、純友系の系図を抹消し松浦の系図を使うのは蒲池になる前の家が
松浦の系図をパクッタと言われても仕方ないのでは?
つまり犯人は蒲池になる前の家となる「何という家なの?教えてくれ」。
こんな系図の作りかたをすれば、例えば4回養氏を迎えると源平藤橘すべて
名乗れる事となり不自然。
かような蒲池家の系図は後世に恣意的に作出された蓋然性を持つ。
722日本@名無史さん:01/10/18 11:12
大分に関しての歴史でイイサイトだな〜と思う。
あまり知らなかったので、勉強になりました。
http://www.e-obs.com/heo/heohome.htm
723日本@名無史さん:01/10/19 20:36
面白かったよ
724日本@名無史さん:01/10/21 16:53
蒲池以降盛りあがってないな
725日本@名無史さん:01/10/21 17:33
ほんと、ほんと。また馬鹿言ってこないかなー。
楽しみにしてたんだ。
今度は偽平氏名乗ったりして(稿)。
726日本@名無史さん:01/10/21 21:37
>>721
過去ログ、ちゃんと読むといいよ。
貴方の言ってることは全部間違っているし、論破されているから。
727日本@名無史さん:01/10/21 23:04
なんだ蒲池の子孫は復活したのか?
それにしても721の指摘にどう答えるんだろう?
過去ログで論破されてるのは誰が見ても蒲池君。
721の「例えば4回養氏を迎えると源平藤橘すべて
名乗れる事となり不自然。」の指摘はしばらくあの蒲池君を
沈黙させた。
728日本@名無史さん:01/10/22 00:37
>>727
お前の言ってることが馬鹿馬鹿しいから誰も相手にしなくなっただけ(藁
気づけよ、厨房の非難君(藁
729日本@名無史さん:01/10/22 01:09
蒲池君が相手しているっつーの。
完全に論破されて悲しいのは解るけど、
まあ先祖いっぱい作るなよ!
730日本@名無史さん:01/10/22 02:04
>>728
ほっとけ。みんながあきれて寂れたこのスレでキチガイが独りで騒いでるだけ。
自作自演しすぎて彼の脳内では非難派(一人だけど)の勝利らしい。
731日本@名無史さん:01/10/22 13:37
盛り上がって来たねー。
732日本@名無史さん:01/10/22 13:42
俺も非難派だが他にも何人かいるみたいだ。
自作自演してるのは730.
733日本@名無史さん:01/10/22 15:07
蒲池物語の続編に期待している。
734日本@名無史さん:01/10/22 18:01
要は蒲池というマイナーな氏族が系図を盗んで
源氏と称したり宇都宮と称したり。
子孫さんがその素性を暴かれたので、逆恨みしているということかな?
735日本@名無史さん:01/10/22 23:13
蒲池は大友、竜造寺と裏切り最後は島津についたが、
竜造寺に成敗された笑える家。
736日本@名無史さん:01/10/22 23:15
蒲池の子孫には奇形児が多いというのは本当?
737日本@名無史さん:01/10/22 23:20
おいおい言い過ぎだろう。でも蒲池は代々嘘吐きで
閻魔に舌を抜かれてるので喋れないと聞いている。
738日本@名無史さん:01/10/23 00:27
>>734
全然要してねえよ。過去ログよんだ?
739日本@名無史さん:01/10/23 00:36
       ジサクジエーン!                  ジサクジエーン!!
     (・∀・ )≡  シュッ             シュッ ≡( ・∀・)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(・∀・)ズートオナジヤツガ シツコク ジサークジエンシテル、カコワルイ
740日本@名無史さん:01/10/23 11:33
蒲池が狂った。
741736へ:01/10/23 11:50
蒲池には奇形児が生まれるというのは
本当だった。
742日本@名無史さん:01/10/23 12:52
そろそろ独り言板へ移ったら?(ワラ
743日本@名無史さん:01/10/23 13:49
しかし蒲池君も暇じゃのー。
744これって本当?:01/10/24 04:54
蒲池は大友、竜造寺と裏切り最後は島津についたが、
竜造寺に成敗された笑える家。
745日本@名無史さん:01/10/25 01:44
本当。笑える
746 蒲池:01/10/25 02:32
要は先祖が卑しいもんだから
蒲池とかの名門がうらやましくて
「蒲池は系図を盗んで源氏と称したり宇都宮と称したり
子孫さんがその素性を暴かれたので、逆恨みしている」
などと他氏をさげすむことによって
卑しい自分を人並みに押し上げようっていうことかな?
747日本@名無史さん:01/10/26 21:31
蒲池が卑しいのは真実。
滅亡先祖の子孫は家の系譜をでっち上げ自慢。
パターンだよな。
748日本@名無史さん:01/10/26 21:43
卑血蒲池の分際で「蒲池とかの名門がうらやましくて」の勘違い。
何で蒲池が名門だ?
肥前では大友家から家紋盗んだ鍋島の家来のその又家来の陪者蒲池。
久留米藩では馬にも乗れぬ身分の蒲池。
そんな家が他家の系図盗んで名門気取り。
恥知らずの卑しい血筋。「笑」
749日本@名無史さん:01/10/27 06:07
>>748
プ、馬鹿の一つ覚え?
そればっかりじゃん(W
まだ「卑血」なんて言ってるの(爆
750日本@名無史さん:01/10/27 06:10
まあ、非難君が、ここでどんなに頑張っても、何も変わらないのにね(藁
ここは非難君が活躍出来る泥沼だからね。
見物のみなさん、非難君に石を投げては駄目ですよ。
保護動物ですから。
751日本@名無史さん:01/10/27 06:15
ここで、蒲池の悪口を言っているのを
「非難君」と言います。
時々、一人で何役か演じてますが、非難君は一人です(W
あまり知識もなく知性もなく品もない奴ですが、
適当に笑ってやって下さい。
752もう一度言う:01/10/27 06:51
卑血蒲池の分際で「蒲池とかの名門がうらやましくて」の勘違い。
何で蒲池が名門だ?
肥前では大友家から家紋盗んだ鍋島の家来のその又家来の陪者蒲池。
久留米藩では馬にも乗れぬ身分の蒲池。
そんな家が他家の系図盗んで名門気取り。
恥知らずの卑しい血筋。「笑」
753あんまりアホぶりさらすなよ(藁:01/10/27 06:57
>>752
「肥前では大友家から」
いつ、肥前は大友家のものになったの?
言ってることが、無知+支離滅裂やね(藁
もうちょっと歴史、勉強した方がええんちゃうか。
754日本@名無史さん:01/10/27 07:02
それでも、でっち上げ先祖自慢する気?
恥ずかしくて卑しくて笑われるのは蒲池の方。
蒲池の名前まで出してアー恥ずかしい。

蓋し卑しい蒲池の血筋だから?(卑血略さず)
755735馬鹿か:01/10/27 07:06
蒲池は竜造寺に拾われたんだろ。
その主君は鍋島。
歴史知らずにえばるな!恥じさらしな蒲池は陪者!
756753の蒲池馬鹿:01/10/27 07:08
蒲池は竜造寺に拾われたんだろ。
その主君は鍋島。
歴史知らずにえばるな!恥じさらしな蒲池は陪者!
笑える
757どうせ蒲池はばかだから説明する:01/10/27 07:39
江戸時代に、竜造寺はかつて裏切りの故で成敗した卑血蒲池の片割れを拾った。
その竜造寺の主君は鍋島(これも典型的な成り上がり。因みに家紋の杏葉は大友家から盗用)。
つまり蒲池は陪臣。
鍋島の当主の顔も見ることも出来ない。
蒲池の禄高は30石がいいところ。
758日本@名無史さん:01/10/27 08:05
蒲池は名門
759日本@名無史さん:01/10/27 11:00
マヌケな子孫を持った蒲池が不憫でならない
760蒲池夫人:01/10/27 15:02
誰っー夫の悪口言うのは!許さないわよ!
761日本@名無史さん:01/10/27 15:07
マヌケな夫を持った蒲池夫人が不憫でならない
762日本@名無史さん:01/10/27 15:08
いくら卑しくても、蒲池子どもが竜造寺に殺されたのは
可哀相だと思った。竜造寺に勝てると思ってたのかな。

誇大妄想は、変わらないんだね。
763蒲池第二夫人:01/10/27 15:20
私も許さないわ!
764蒲池愛人:01/10/27 15:23
いやあーん、私もゆるさなか!
765日本@名無史さん:01/10/27 21:34
蒲池は大友・竜造寺・島津を配下に従えていました。九州の主です。
わしのもとには続々全国蒲池一族約10万人からと参陣願いがきておるぞ。参陣願い
を断るのもう大変、批難よ、わしにたて突こうとは120万年早いぞ!
・戦力比較−蒲池正規軍10000人 対する 蒲池批難軍1人(批難君一人、馬なし歩兵一人
戦う前からこりゃ勝負あったな。わしが出ることもなさそうだな。
蒲池総統(わし):(側近の蒲池将軍に命じて)前線に偵察兵を出せ!
蒲池将軍:偵察に行ったものの報告によると、敵の批難軍は蒲の池の前で背水の陣
をしいておる模様です。武器は池端で拾った朽ちた棒切れ一本だけです。
ナレーション:(哀れ批難三等兵、前に進むも死、後ろに下がるも死を待つのみ。
なぜなら彼は泳げない河童だったのです。
・衝撃の真実、批難君の正体−戦国の昔、
彼の13代前の先祖が蒲池軍の往来を横切り邪魔したかどでお手討ちになった蒲の池
の河童だった。以来、蒲池家憎悪の怨念を代々受け継いできた。
盛者必衰の法則、さしずめこのスレで栄える批難君、君は滅び行くのみですな。
767日本@名無史さん:01/10/28 00:11
蒲池はネタの才能もないね。
768日本@名無史さん:01/10/28 00:20
深堀氏考をプリーズ
769日本@名無史さん:01/10/28 00:23
奥州にも深堀ってのがいるけど同族?
桓武平氏だよね?
770だから聞いてみたい:01/10/28 00:35
すいません、平氏(三浦氏系?)ってぐらしか知りません
771 :01/10/28 03:56
深堀ってのは長崎に多いんじゃなかった?
隠れキリシタンも多い。
いまでも神父さんとか多いみたい。
772日本@名無史さん:01/10/28 04:06
蒲池はネット上までも滅んだの?
陪者が系図盗んだの暴かれたから?
773 :01/10/28 04:33
でも実際の社会ではあるひとが蒲池家の子孫ですって言えば「ほほー名門ですなあ」
なんてお世辞も出るんじゃないか?
2chみたいに「あんたの祖先は卑しい」なんて言わないだろうなあ。
774日本@名無し史さん:01/10/28 14:28
深堀氏は上総(千葉県)発祥の三浦一族
深堀氏紹介http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukabori.html
775日本@名無史さん:01/10/28 14:35
>でも実際の社会ではあるひとが蒲池家の子孫ですって言えば「ほほー名門ですなあ」

実際の社会じゃ100人中99人が蒲池氏なんて知らないと思うぞ。
九州北部あたりじゃどうだか知らないが、全国レベルで見たら
そこそこ歴史に詳しい人しか知らないだろう、蒲池氏なんて。
776福岡:01/10/28 14:40
蒲池なんて、信長の野望で始めて知ったよ。
777下郎蒲池とは格が違うんだよ!:01/10/28 20:09
下郎蒲池の子孫は始め大友氏をも凌ぐ名門と誇大自慢してたが、
今では「実際の社会では」とレベルを下げている。
所詮、大友氏やその一族一門の同紋衆とは格が違うんだよ!
778 773だが:01/10/29 00:14
俺は別に蒲池の子孫ではない。
ご指摘の通り福岡県南部か戦国時代に詳しい人しか
蒲池なんて知らんだろう。
ただ言いたかったのはここで言うように
実社会ではおまえも言えんってこと。

ところで蒲池をけなすのもいいが
ではどこが名門なのかな?
恐くて言えんだろ?
779日本@名無史さん:01/10/29 00:33
深堀って海賊だっけ?
江戸期には鍋島藩の出張所があったそうだが…
780蒲池の正体           :01/10/29 04:41
1、陪者だった
2、複数の他家より系図を盗用。偽源氏偽宇都宮を名乗る
3、度々の謀反の故で成敗される
4、子孫が蒲池の名で2ch「こんなとこで」誇大自慢
5、子孫もやっぱり馬鹿だった。
サンキュウ蒲池!
781           :01/10/29 04:49
蒲池の馬鹿な子孫の執念の誇大先祖自慢「つまりただの嘘」のお陰で
本当に楽しめた!有難う!

最後に一言。
      下郎!陪者の分際を知れ!
        
782日本史@名無史さん:01/10/30 05:11
●伝統的領主で占められる国人領主≪戦国九州編≫

国人領主というのは戦後用いられ出した概念である。名主層以上であって、しか
も守護より下のいわば中間層である。と同時に九州以外の諸国一般の守護のよ
うに、幕府から任命され、新たに現地に入部してきた者と異なり、古くから在地に
蟠踞し続けている領主を指すのである。

守護大名は、これら在地に勢力を張った国人領主を被官として吸収することによ
って、初めて地域支配を進め、守護大名として成長発展することが可能となる。
つまり守護大名化成否の鍵は、国人領主の向背いかんにかかっていたというこ
とができる。それだけに九州の国人領主の性格と、その動向を見極めておくこ
とは、守護大名の領域支配のありかたをみるうえできわめて重要なポイントとなる。

国人領主をひとくちに中間層といっても、その領主制の規模は多様である。しか
し系譜的にみて、◆九州の国人領主は大きく二つに区分することが可能である。
@第一は、かっての鎌倉時代以来の地頭御家人の系譜を有する者で、そのまま
この時代にいたった者である。この中には、さらに平安末の在地領主以来の系譜
を持つ者と、関東御家人として鎌倉時代この地に下向土着した、いわゆる下り衆
との二種がある。

A 第二は、少弐・大友・島津三氏の庶家の流れをくむものである。彼らの惣領で
ある右の三氏は、鎌倉時代守護職に任じられとことに伴って、多くの所領(地頭職
)を給与され、あるいはみずからの手によって所領を獲得した。この膨大な所領
を基盤にして、数多くの庶家が成立発展し、この時期にいたった。こうした国人領
主が加わっている点が、九州のそれの一つの特徴となっている。

次に右の九州の国人領主の二つ型のものを通していえることは、いずれにせよ
彼らは、少なくとも鎌倉時代以来の伝統的領主であって、概してその領主制の規
模が大きい。従って、それとともに、南北朝・室町時代の農民層の分解の中から
台頭してきた新興の領主はほとんど含まれていないということがいえよう。

右について具体的に二三挙げてみよう。@まず第一のものについて示そう。筑
後の三原氏・田尻氏の場合、これは古く藤原純友の追討のために下向した大蔵
春実の子孫が大宰府の府官となり、その後、筑前原田に住んで原田氏となり、
それぞれ筑後御原(みはら)郡及び同国三池荘田尻に住み、在地名によって三原
・田尻各氏を称し、室町・戦国期にいたるのである。豊後日田郡に住んだ別の一
族が日田氏となって室町期におよんでいる。 肥前の大村氏も、古代以来の名
族として室町・戦国期におよんだ。同国の松浦党一族もまた然りである。大隅国
の禰寝(ねじめ)氏も古代以来の豪族である。 また関東からの下り衆としては
、豊前の城井(きい)氏(旧宇都宮氏)、肥後の相良氏、薩摩の入来院氏、肥前の深堀氏などがある。
783日本史@名無史さん:01/10/30 05:20
A第二のものとしては、大友家の庶家その他の出身として志賀・田原・戸次・
木付・田北・吉弘の各氏などがある。また島津氏の庶家出身としては、伊集院・
新納・樺山・山田・伊作らの各氏がある。いずれも鎌倉時代以来、そのまま連綿と
して倒壊することなくこの時期に入り込んできた者であることがわかる。

●通用しない下剋上の論理

九州の国人領主が、右のように南北朝・室町期に勃興した者がまれであり、大
半が少なくとも鎌倉時代以来の伝統的領主としての系譜をもつものであるという
ことは、おのずから彼らの思考行動形式も規定した。すなわち彼らは、九州の三
守護家につぐ名族としての意識が強く、/伝統と権威を重んずる保守的な体質
を形勢していた。

(九州以外の諸国の場合、新興領主が多く認められ、彼らはときとして上部の
守護大名と結んで農民層を抑圧し、またときとして逆に農民層を動かし、その先
鋒となって国人一揆を起こして、守護勢力に立ち向かうのである。)

しかし九州のそれの場合、自己の利害によって守護権力と争うことはことはあ
っても、農民層を抱き込む、これと提携して戦うことはなかった。彼らはその体質
から農民とは妥協しえず、一線を劃(かく)し続けた。ここに国人勢力が守護大名
を倒壊に追い込むことのできなかった要因が潜んでいる。

これには、一方において九州では農奴制への進展が畿内・近国より著しく遅れ
、農民層が国人層と提携しうる社会的条件が整備されなかった側面も見落とされ
てはならない。/九州にあっては本来、守護権力は鎌倉時代以来強かったはず
である。しかし守護は、∴有力国人領主の領内割拠にはばまれて、その領域支
配の体制は容易に進展しなかった。だがそれにもかかわらず、なお九州の大友・
島津氏らの守護大名が他地域において広く認められるように滅亡することなく、
戦国大名化を遂げることができたのは、こうした事情に基づくものである。

少弐氏の滅亡は、国人領主の突き上げによるものではなく、大内氏の戦力に
圧倒されただけである。倒壊に瀕した少弐氏が、いくども息を吹き返すことができ
た原因は、こうした伝統的領主として共通の基盤の上に立つ、国人領主のたゆ
まぬ支持があったからである。

父政親と抗争中の大友義右は明応五年(1496)、その重臣で筑後代官を勤め
ていた田原(たばる)親宗率いる2,000の兵に、突如、豊後大友氏本拠地の府
内で襲われた。しかし親宗はかえって敗れ、逃走の途中、同じ大友氏庶家出身
の木付氏によって討たれている。主君にとって代わろうとする田原親宗の下剋上
の行為は、同じ国人領主の手によって封じ込められている。/九州にあっては、
下剋上の論理は、現実性の乏しい空論に等しかったのである。

●牙を抜かれた国人一揆

九州の国人領主がこうした保守的体質を備えていたことは、彼らによる国人一
揆も、/守護権力の倒壊を目指す闘争姿勢を示すことなく、かえって守護、ある
いは足利氏権力(幕府)におもねる集団としての性格しか示さぬ、牙を抜かれた
ものでしかなかった。
784日本史@名無史さん:01/10/30 05:23
皆さん読んでください。
785日本@名無史さん:01/10/30 05:30
蒲池の悪口を言い続けてる人。
悪口は自由でいいけれど、蒲池についての知識がデタラメすぎる。
だから、歴史の知識が少しでもあると馬鹿馬鹿しくて読んでいられない。
せめてデータくらいは正しく書いてよ。
いくら蒲池が嫌いでも、すぐに分るような矮小化をすると、
非難している人の底が簡単に割れてしまう。
しかし、この人物に、普通の歴史感覚を求めても無理かもしれない。
相当な電波が入っているようだから。
786日本@名無史さん:01/10/30 05:52
蒲池氏は、松浦党の庶流が起こした家だから先祖は松浦党になるし、
今でも、松浦党になってるよ。
全国レベルだと無名のローカル豪族だけど、筑後国では一番有力な大身だったから、
歴史は、きちんと残っている。
南北朝の頃に、関東の宇都宮氏の一族が蒲池を継いだので、戦国時代の蒲池氏は、
周囲の大名や国人豪族から宇都宮氏の一族と見られていたが、家名の系譜は、
松浦党で、別に変えたりしていないけどね。
江戸時代は、子孫はいくつかに分れていたみたいだけれど、
幕臣で日田郡代になった蒲池家は2000石、黒田藩の郡奉行になった家は500石。
久留米藩の武術師範になった家は200石だった。みんな幕府の旗本の記録や、藩の記録に
出ている。
787さるぼぼ:01/10/30 06:39
>>155
百武賢兼の父親は戸田兼定なので戸田姓と思われ。

いつも疑問に思っているのですが、龍造寺鎮賢(政家)の生年が
永禄9年(1566)になっているのはおかしいと感じませんか?
第三子の後藤家信と比較すると家信のほうが年長になります。
どなたか御存知の方いらしゃいますか?
788日本@名無史さん:01/10/30 06:44
>>787
近くに、佐賀出身の百武姓の人が住んでいますが、やっぱり
龍造寺四天王の百武氏の子孫なのでしょうか。可能性はあると思いますか。
789蒲池君相変わらず間違ってますねー          :01/10/30 09:43
養子に入った者は其の家の家系を継ぐ。
でなければ、4回養子を迎えれば源平藤橘の全てを名乗ることになり不自然。
よって蒲池は松浦党ではない。
松浦家も良い迷惑では?
790↑君が間違っているんだよ:01/10/30 23:54
>>789
もう間違っているよ。
松浦党の庶流が、蒲池という家を起こしたんだよ。
だから、その後、どんな婿養子を迎えても、松浦党のまま。
別に、松浦党以外の先祖なんて言ってないよ。

それとも、松浦党の前に蒲池家があったと思っているの?
もし、そうなら、それが基本的な間違いだよ。
791日本@名無史さん:01/10/31 00:05
>>790
その説明はかつて数多くの良識者がしてきたけど、789(というかずっと独り言を繰り返してる電波)が
それをことごとく無視して延々と自作自演を繰り返してるの。だから言っても無駄。
792日本@名無史さん:01/10/31 00:11
>>782-783は何の引用?
793はじめまして:01/10/31 01:42
九州の旧家で蒲池氏以外にHP開いているところはありますか?
知っている方がいらっしゃったら教えて下さい。
794日本@名無史さん:01/10/31 01:50
>>793
せっかくお越しいただいてこんな事を言うのは
心苦しいのですが、自分で検索して下さい。
理由 ここは2chだから紹介先に迷惑が掛かる
795日本@名無史さん:01/10/31 02:10
松浦は党
796789とは無関係        :01/10/31 22:11
松浦党が一字名を使っていた時既に蒲池家は一字名を使ってない。
蒲池家は松浦党としての意識が低いもしくは無いのではないでしょうか。
また蒲池家の家系図は江戸末期に作成されていることからも、
その信用性には疑問が残ります。
松浦家の家系図に蒲池家の名は有りません。
797はじめまして:01/10/31 23:15
かりに蒲池がでたらめな家系だとして
なぜそんないんちきな家柄が九州の雄とか最大の・・・などと
本に載ったりするのでしょうか?
たしか吉永なんとかさんの本には
名家のように書かれていたように思います。
まさか吉永さんが蒲池家の子孫からなにかもらってるって
ことじゃあありませんよね。
798日本@名無史さん:01/10/31 23:30
>>796
>松浦家の家系図に蒲池家の名は有りません。

そりゃ松浦家から出てったんだから当たり前じゃないの?
799何で蒲池が九州の雄だ?      :01/11/01 00:24
立花宗茂が秀吉に柳川に奉じられたとき、
蒲池の残党の仕官を一切拒否している。
理由は大友氏や竜造寺などに蒲池が謀反していたから。
800日本@名無史さん:01/11/01 00:32
>九州の雄とか最大の・・・などと

批難君じゃないけど、九州の雄はいくらなんでも大袈裟だろ?
最大って何が最大なの?
吉永ってジイサンは中小企業経営していて、小金とヒマを持ってるから
本書いてる、ただの歴史好きの素人だよ。
801日本@名無史さん:01/11/01 00:54
>>799
そんな話あったの?立花宗茂が棚倉から戻ってきた時に田中家の家臣を採用しなかったって話は聞いたことあるけど。
802蒲池君には虚言癖があるんです       :01/11/01 03:40
みなさん蒲池の御馬鹿な子孫君を許してください。
ご存知の通り蒲池は度重なる謀反のため天罰を受け滅びました。
もちろん系図も江戸末期に盗用された偽者。蒲池物語でもずいぶん苦労して作られたことが記されてます。
その卑しい家の子孫くんが2chでせめて夢を見たくなるのも私には理解できます。
実際本当の名家ならこんなとこで子孫を名乗り自慢しません!
蒲池君は頭も弱いのでついつい嘘をついてしまいます。
803801へ     :01/11/01 03:45
宗茂は忠臣なので大友義統に謀反した蒲池を許しませんでした。
804日本@名無史さん:01/11/01 03:49
>>802
君が虚言癖の固まりのようだよ。
ずっと悪口の自作自演ばかりしているようだし。
ここの板のために、もう辞めたらどうかね。
蒲池氏のことは興味のある人が、それぞれ調べればよいことだし。
805日本@名無史さん:01/11/01 03:55
>>804
ここでずっと蒲池の悪口を書き続けてる人は、かなり電波の入った人で、
根拠の無い思い込みを書き続けてるだけだから相手にしない方がいいです。
806日本@名無史さん:01/11/01 05:59
>>803
虚言癖レベルの話じゃないよ。居もしない蒲池氏の子孫相手に電波垂れ流してるだけ(ワラ
807<<802    :01/11/01 07:21
もう相手しなさんな。
蒲池の家名は地に落ちたし(見ている人思っている)
君の目的は果たされたのでは?
江戸時代に作られた系図なんて大体いい加減なのは皆知っているから。
808日本@名無史さん:01/11/01 08:16
蒲池を誰が藁うことができよう。蒲池を藁うということは、自らを藁うということだ。
809日本@名無史さん:01/11/01 11:53
>>799

立花宗茂は、豊臣秀吉の九州侵攻に従わなかった蒲池氏に厚い手を差し伸べて秀吉に取りなしているし、
関ケ原で共に西軍についた蒲池氏に共感し、宗茂が奥州棚倉より柳川に戻る時も、
豊前に到着したことを知らせる書簡を蒲池鎮運に出している(元和6年2月22日付)
810日本@名無史さん:01/11/01 11:59
>>807
別に蒲池の家名は地に落ちていないでしょう。
そのアホが一人で、妄想して騒いでいるだけだから。
九州や筑後の戦国史をある程度知っている者なら、
そのアホがどれだけデタラメを書き散らしているかは
ひと目で分る。
まともなことは何ひとつ言ってないのだから。
811日本@名無史さん:01/11/01 12:07
>>800
貴方が素人でしょう。
もし素人でないなら、もう少しまともなことが書けるはずだが。
812大友小五郎:01/11/01 12:33
推理小説風に   

蒲池氏の先祖についての所謂「パクリ」事件ですが、これは成立するのか。
まず、考えなければならないのは、パクリが成立するためには、それを遂行した張本人がいるはず。
つまり「犯人」ですな。容疑者として浮かび上がるのは
(1)藤原純友一族の家
(2)松浦党からの聟養子(orその子孫)
(3)宇都宮氏からの聟養子(orその子孫)
(4)蒲池氏の現代の子孫
あたりでしょう。江戸時代についても聟養子はあるでしょうが、江戸時代は、血統より家名第一の
時代ですから、聟養子によりどんな血統が入ろうとも、血統の先祖は捨象されますから度外視でき
ます。
重要なのは、蒲池という名字(家名)が、どの時点で成立したかということです。そして答えは、
(2)の松浦党からの聟養子以降ということです。松浦氏の庶流の山代圓なる人物が、聟養子にな
りますが、その時までは、蒲池という名字は成立していません。つまり藤原純友一族の家は、蒲池
以前ということになります。蒲池の家名は、松浦党の養子の数代後に起こるわけですから、藤原純
友一族の家がパクれるわけがありません。祖父が孫の系図をパクれないということです。もしかり
に可能だとしても、藤原純友一族が、松浦党の系譜を盗む必要があるでしょうか。あるというため
には、藤原純友一族より松浦党の方が貴種であるというような前提が必要になりますが、どうでし
ょうか。松浦党の方が貴種であり上ですか? 私には、どっちもどっちとしか思えません。松浦党
も藤原純友も、海賊衆であり水軍ですから似たようなものです。松浦党が遡ると嵯峨源氏になるな
ら藤原純友も藤原氏の主流の北家に辿り着きます。九州の戦国大名では、藤原純友の子孫の系譜を
伝えている家もありますから、藤原純友一族の家は、わざわざ松浦党の系図をありがたがる必要は
ないと思うのです。
では(2)の松浦党からの聟養子が犯人なのでしょうか。これもまたおかしい話になります。なぜ
なら彼らは松浦党の子孫ですから、パクるも何も、松浦党は自分たちの先祖にすぎません。また、
蒲池という家名が松浦党の聟養子の子孫において成立していますから、この段階では、蒲池氏は、
家名においても血統においても松浦氏(松浦氏庶流の山代氏)になります。
では(3)の宇都宮氏からの聟養子が犯人なのでしょうか。ここで、家名(嵯峨源氏由来)と、
血統(宇都宮氏)の相違が生まれますが、宇都宮氏の聟養子は、わざわざ自分たちの先祖は、嵯峨
源氏であると、松浦党の系図をパクる必要はないでしょう。つまり彼らは、松浦党系図については
無罪です。では宇都宮氏系図についてはどうでしょうか。これは松浦党の聟養子と松浦党の関係と
同じで、宇都宮氏の聟養子にとって宇都宮氏は自分たちの血統上の先祖であり、パクるも何もあり
ません。
すると残るのは(4)の現代の子孫だけです。系図パクリを告発する人は、現代の子孫が張本人だ
と言っているようです。つまり、先祖を「たくさん作っている」と。しかし、これが正しいための
条件として、松浦党子孫説、宇都宮氏子孫説が、現代の子孫たちに以前には存在していないことが
不可欠でしょう。現代の子孫が、先祖を作るために系図パクリをしたとするならば、すべては現代
の子孫の作為ですから、現代の子孫以前には、そんな松浦党子孫説も、宇都宮氏子孫説もなかった
ことになります。
しかし、実際は逆で、戦国〜江戸時代の間の書物、例えば『大友記』『肥陽軍紀』『筑後国史』そ
の他において、すでに松浦党子孫説、宇都宮氏子孫説が記されています。もし、現代の子孫が犯人
ならば、彼は、これらの書物を書き換える能力が必要になります。そんなことはタイムマシンでも
ないかぎりは不可能であり、したがって現在の子孫には、先祖の系図パクリは不可能になります。
もし、出きると言われる方がありましたら、お教え下さい。言うまでもなく、ただ「書き換える」
では駄目ですよ。上記の書物は、すでに過去において多くの人々に読まれていて、現代の子孫が
書き換える隙は無いのですから。
とすると、何ということか、犯人がいなくなってしまいました。犯人のいない事件なんてあるので
しょうか。つまり、蒲池氏の所謂「系図パクリ」事件などは元から無かったことになります。そし
て、事件の正体は、蒲池氏は系図パクリをしたと告発した 人のデッチあげであったということにな
ります。

                        明智小五郎、毛利小五郎の後継の大友小五郎
813言い訳が多い  :01/11/01 20:02
盗人猛々しいね蒲池君
814日本@名無史さん:01/11/01 20:54
>>811
別に自分がプロだなんて一言も言ってないよ。
ただ吉永というボケ老人の著作をたまたま数点仕方なく読まされるハメになって
あまりの基本的間違いの多さ、憶測だけでモノを書く姿勢に驚かされたのは事実。
あと彼が素人だというのは、これは客観的な事実。(上に書いたプロフィールが
ウソだと思うのなら調べてごらん?)
というか多少なりとも歴史に関心があれば、あれが専門家の著作だなどとはゆめゆめ
思わないんじゃないかな?
ところで重ねて問うが、蒲池氏の何がいったい九州最大なの?
815日本@名無史さん:01/11/01 23:09
九州最大=名家じゃないし
816<<812 :01/11/01 23:22
名も定かでない自称純友系の家が、松浦家から養子迎えたことを
奇貨として、卑しいその名を変えて系図も盗み蒲池と名乗った。
犯人は、名も定かでない自称純友系の家。
817日本@名無史さん:01/11/01 23:30
また始まった…(ワラ
818日本@名無史さん:01/11/02 04:03
擁護さんは批判に正面から答えないのね。
いつもごまかしてるような。。。814や817にどう答えるのかな?
何か都合の悪いことでも有るの?
819日本@名無史さん:01/11/02 09:37
だから、蒲池君は頭が弱いの。理知的な反応は無理無理!
814には無視すると思う。自作自演とか言って。都合が悪いと口を噤むから。
滅亡した卑しい先祖の白昼夢を見たいの。
九州最大とか言って。プッ、誇大妄想も良いけどもうちょっと歴史の勉強してほしいね。
820日本@名無史さん:01/11/02 10:04
でもおまえらがおれの血筋にジェラシーってことは確かだよな?
821日本@名無史さん:01/11/02 10:55
やはり子孫がいたのか。
822卑血蒲池君妄想の果てに。:01/11/02 13:43
何で卑しい蒲池君の血筋にジェラシーするんだ?
大友家に謀反しつつ其の一門古庄家の庶流の朽網家のお情けで家名再興できた蒲池。
江戸末期に作られたいい加減な系譜。
出自も定かでない蒲池の分限を少しは知ったら。
下郎、下がれ。
823日本@名無史さん:01/11/02 16:11
俺も蒲池なんか嫌だ
824日本@名無史さん:01/11/02 23:33
まあなんだかんだ言っても子孫が一番活躍しているのは蒲池じゃねえか?
大友の子孫が活躍してるか?
825日本@名無史さん:01/11/02 23:40
>824松平アナ
826日本@名無史さん:01/11/02 23:55
大友柳太朗・大友康平・大友進
827817:01/11/03 00:31
>>818
俺は非難君の電波の垂れ流しっぷりをあざけってるんだが…
828追い込まれて次々論点変える下郎蒲池:01/11/03 01:02
要は蒲池が卑しい事を子孫が認めた上でのお話か?
ならば良い。もっとも蒲池の子孫と言ったってどれが本家か解らない程
落ちぶれているが。
829日本@名無史さん:01/11/03 01:07
また辛いことが有ったら卑しい血筋の自慢でもしてくれ。
俺も出来るだけ下郎蒲池君のカウンセリングしてあげるから。
830日本@名無史さん:01/11/03 01:10
だから全然要してないっつーの(ワラ
831日本@名無史さん:01/11/03 02:16
こいつらやっぱりジェラシーしてるよ┐('〜‘;)┌
832日本@名無史さん:01/11/03 07:50
がんばれ、蒲池。痛々しいよ。
833日本@名無史さん:01/11/04 06:47
私は蒲池、下郎の家の子。
834蒲池:01/11/04 12:30
all right all right
835日本@名無史さん:01/11/04 13:00
蒲池の子孫は死刑囚のように穏やかになった。
全ての罪を暴かれ地獄を覚悟。
836蒲池:01/11/04 13:56
kirisutegomen!
837判明したこと:01/11/05 16:44
蒲池は系図を盗み偽源氏や偽宇都宮を名乗った恥ずかしい家。
度々の謀反の故に天誅を受けて滅んだ笑える家。
江戸時代は陪臣としての地位に落ちる。
838日本@名無史さん:01/11/05 16:47
明白了!
他家都卑。
839日本@名無史さん:01/11/05 18:31
水飲み百姓ごときが、武士を語ったらいけませんよ
840だから、蒲池君も薄々きずいているだろ?:01/11/05 22:17
謀反者が!
もう一度其の首刎ねようか?
841日本@名無史さん:01/11/05 23:46
嫉妬の力は恐ろしい
842鎌倉節って何?:01/11/05 23:53
九州武家子孫活躍度番付
 横綱 阪神赤星 球界史上初、新人王+盗塁王ダブル受賞
 小結 松田聖子
 前頭 西武帆足
 十両 ザード
843日本@名無史さん:01/11/05 23:56
誰か宇都宮の正系知ってる?
844日本@名無史さん:01/11/06 03:35
これだけ話題を盛り上げるって
やっぱり蒲池ってえらいんだね。
845日本@名無史さん:01/11/06 08:12
やっぱり僕等は蒲池を斬り捨てる必要があるんだね。
846日本@名無史さん:01/11/06 13:27
蒲池君は卑しい自分以外は皆百姓だと思っているめでたい御馬鹿。
御馬鹿な君と違ってこんなとこで家名名乗るか、ばーか。
臣下の礼を忘れたか?謀反して卑首無くしたからか?
847日本@名無史さん:01/11/06 14:38
批難栄えて批難goーgoー!!
848日本@名無史さん:01/11/06 16:43
下郎蒲池身の程を知れ!
849日本@名無史さん:01/11/06 18:08
おまえらはおれより下賎なことは確か
850日本@名無史さん:01/11/06 18:11
>>837
陪臣ならまだましだと思うが。
例えば大友氏なんかも吉統の家系以外は陪臣になった訳だし。
俗に名門といわれる家が陪臣になってる例は他にも多くある。
851日本@名無史さん:01/11/06 22:46
陪臣といっても蒲池は其のまた更に陪臣だよ。
あと、大友一族の中には他家に仕えるを潔しとしない
誇り高き家が幾つもあるよ。
852もう蒲池ボロボロ!:01/11/06 22:50
蒲池先祖は卑首晒され笑ったものだ。子孫も更に恥さらし。
853日本@名無史さん:01/11/06 22:52
何かと大友氏と比較して蒲池を「名門」って言ってる人がいるけど、
大友と蒲池じゃ格違いだろうが?
蒲池あたりじゃいわゆる「名門」とは言わないんじゃないのか?
「旧家」ではあるだろうがさあ。
854無理だって蒲池君:01/11/06 22:54
蒲池如きが憧れても格の違いは埋まらない。
855<<853:01/11/06 22:56
それ言っているのは、マジで蒲池の薄い子孫なんだよ。
馬鹿だろ?
856さるぼぼ:01/11/06 23:00
話題かえない?
857偽蒲池:01/11/06 23:16
嫌だ。
858どうかな:01/11/07 02:06
特定の家を捉えて卑しいだのなんだのって
教養のある者のすることじゃないと思うが。
859日本@名無史さん:01/11/07 02:17
だって教養ないんだも〜ん
860日本@名無史さん:01/11/07 03:36
蒲池の悪口書いてる人、ほんとうに教養無いね。
861日本@名無史さん:01/11/07 03:40
>>853
大友も所詮は、中原氏でしょう(藁
あんまりたいしたことないけどね。
862日本@名無史さん:01/11/07 03:42
>>854
で、君の先祖は?
さぞ、ご立派な名門なんでしょうな。
教えて下さらんか。
863先祖は:01/11/07 03:44
島津氏;惟宗氏
大友氏;中原氏
龍造寺氏;高木氏
原田氏;大蔵氏
黒木氏;調氏

どこも似たり寄ったりじゃん(笑)
864日本@名無史さん:01/11/07 03:49
島津は、明治になると華族になったけれど、
大友や龍造寺の子孫は、今、どこで何してるの?
865日本@名無史さん:01/11/07 03:51
島津の先祖は、大阪の住吉大社の境内で生まれたらしい。
8662001.8.26:01/11/07 03:55
◇柳川市長選(福岡県)開票結果 投票率74.60%
当11902 河野弘史(無新、64歳、初当選)
11630 立花寛茂(無新、61歳)
1023 岸  暁(無新、63歳)
867まちごうとる:01/11/07 04:01
863 名前:先祖は :01/11/07 03:44
島津氏;惟宗氏

>大友氏;中原氏
>龍造寺氏;高木氏
>原田氏;大蔵氏
>黒木氏;調氏

 黒木氏の祖先が調氏ではないぞ。
868日本@名無史さん:01/11/07 04:14
>>843
宇都宮氏の正統は、
朝綱の四男の広綱の孫の泰綱の流れと、泰綱の弟の泰業の流れでしょう。
泰綱の孫の貞綱の子の冬綱は、豊前宇都宮=城井氏の養子になっている。
豊前宇都宮=城井氏は、朝綱の弟の宗房の子孫。
また泰綱の孫の貞綱の弟の泰宗の孫の貞氏が、筑後宇都宮=蒲池氏の久憲の祖父。
貞綱の系統で正統は、公綱の子孫。これが下野宇都宮の嫡流を継ぐ。
泰綱の弟の泰業の子孫は、下野宇都宮から分れたが、明治には華族になっている。
869日本@名無史さん:01/11/07 04:19
>>867
筑後の黒木氏のことじゃないの。
筑後の黒木氏は、源氏の多田氏の子孫という説もあったらしいが、
最近は、調氏の子孫というのが定説。
肥後の黒木氏は菊池氏族。
870まちごうとる:01/11/07 04:25
助能から調を名乗っている。(朝廷から名をもらったということの真偽は別にして)
助能から分かれた黒木・星野・川崎は調党と呼ばれている。
だから黒木の「祖先が調氏」という言い方はおかしい、
と思った。
871日本@名無史さん:01/11/07 04:30
黒木助能は、黒木大膳大夫源助能と名乗っていて、朝廷から
調姓をもらったという話ですよね。すると黒木氏は多田源氏
になるのかな。
872日本@名無史さん:01/11/07 05:22
多田源氏は、もとは摂津源氏でしょう。
摂津源氏は、摂津の他に美濃源氏の支族を持っているけれど、一族の多田源氏が
九州に行ったという記録はあるのでしょうか。
873日本@名無史さん:01/11/07 07:51
蒲池万歳
874kamati:01/11/07 10:07
マンセー(万歳)
875日本@名無史さん:01/11/07 15:14
批難栄えて、非難 goーgoー!!(^O^)(^^)v
みんな避難しろ!批難がいるぞ!!ヽ(^o^)丿
876日本@名無史さん:01/11/07 18:30
ここで蒲池について騒いでいるのは、ずっと非難一人だけみたい。
一人で複数演出してるようだけど、中身が無さ過ぎる。
もう分ったから(笑)、他の話にしないか。
877ボロボロ蒲池へ:01/11/07 23:33
御馬鹿な蒲池を嘲笑い非難しているのは、マジで俺だけと思っているの?
何処まで行っても妄想癖は血筋だね。ハッハッハ!
878日本@名無史さん:01/11/07 23:38
ところで、卑血蒲池よ。
頭が高いぞ!卑しいんだから君は。無駄なあがきは止めろって。
879日本@名無史さん:01/11/07 23:38
880日本@名無史さん:01/11/08 00:32
>>877=878
どこぞの馬の骨か
お里が知れるってもんだぜ
881日本@名無史さん:01/11/08 21:29
すごいカキコの数なので読んでみました。どうも、松田聖子と蒲池(←これなんて読むの?)に対して凄い執着を持っている人がいるようです。
で、彼に対して凄いパワーでいじめ抜いている人もいるようです。
中国ではおぼれる犬を棒でつつけと言うことわざがあるようですが、ここは日本ですよ。
882でも:01/11/09 00:38
日本には中国人も沢山住んでるからね。
883日本@名無史さん:01/11/09 12:18
もっと、おぼれている犬(蒲池)を棒でつつけということかな?
884日本@名無史さん:01/11/09 12:43
ところで土持氏について教えて。
885日本@名無史さん:01/11/09 13:41
前にも土持氏について知りたいという人がいたが同じ人?
土持氏のなにについて知りたいの?
そんな漠然とした聞き方をされても答えようがないんだが?
886↑話題を変えようと必死の蒲池君:01/11/09 13:44
です。
887885:01/11/09 15:06
蒲池君じゃないよ。蒲池の話続けても構わないよ。
888日本@名無史さん:01/11/09 19:15
>885
土持氏はいくつかの家に分かれていたそうですが、
その系譜について教えて。
889話題の蒲池氏について調べてみた:01/11/09 22:01
蒲池氏についての資料は乏しく、基本的に竜造寺家に滅ぼされたことがメインになっていた。
出自については、非難されているとうりハッキリトしてない。ということはやっぱり系図盗み専門の一族ということか?
ちょっと可愛そうな気がしたけど非難派のゆうとうりみたいだ。
でもなんでこんなに盛り上がっているのだろう?
890日本@名無史さん:01/11/09 23:53
>>889
君が非難君の自作自演キャラじゃないとしてだが…
>系図盗み専門の一族ということか?

そんな一族居るわけ無いだろ(ワラ
891しろうと:01/11/10 02:36
ものを知らずにすまんが
「土持氏」←なんて読むんだ?
892神代一号:01/11/10 02:46
神代家も中々。
と、こんばんはです。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kumasiro.html
893日本@名無史さん:01/11/10 02:57
神代辰巳が子孫だったっけ?
894>892:01/11/10 02:57
このシリーズは、少なくとも我家についてはかなり違っている。
知人に言わせれば、デタラメもいいところ、だそうだ。
もちろん他がどうなのかは分からない。
895892じゃないが(893です):01/11/10 03:01
割とよく調べてあると思うけどなあ、このサイト。
たしかに明らかな間違いを俺自身何箇所か見つけているけど、
そう簡単には手に入らないような史料を引用したフシがある部分も
あったりするし・・・。
896>895:01/11/10 03:09
確かによく調べてあるし立派なサイトだと思います。
昔の家系などに着いては諸説あるから一概に
間違いとは言い切れないし。
ただ、自分の家のことについての記述などは
間違いに気づくけど
他の家について書かれていることは全部本当のことと思って
しましそう。
897日本@名無史さん:01/11/10 03:13
系図が間違ってるわけ?解説の文章の内容が間違ってるわけ?
系図は粉本によってずいぶん異同があるから、あなたの家の
系図と違っていてもあながち間違いだとは言えないと思うが・・・。
898しろうと:01/11/10 03:14
土持氏はどうなったのかな?
どもち?つちもち?どじ?つちじ?
899日本@名無史さん:01/11/10 03:17
「つちもち」氏
900しろうと:01/11/10 03:27
つちもち氏でしたか。
勉強になりました。
901 :01/11/10 03:39
892さんの示すサイトでは蒲池氏は大した有力豪族のようですね。
あ、蒲池氏の話はもうタブーだっけ?
902蒲池君は下郎の家之子で生まれつき頭が弱いので:01/11/10 23:42
ういーす蒲池、相変わらず馬鹿か?恥知らずか? 両方だってか?しようが無いよ、いやしい血筋なんだから。
ところで、聖子は整形してるが卑しい先祖の名残けすためか?系図パクリの嘘で固めた蒲池の名残そのものか?
解ったら教えてくれ。
903 :01/11/10 23:54
なんでそこまでけなすんだろ?
誇り高い人はそんなことしないよな。
立派と言われる人もそんなことしないよな。
人から尊敬される人もそんなことしないよな。
教養のある人も、本当に賢い人も、心の広い人も、優しい人も
人生を楽しく過ごしている人も、大人と言われる人も
そんなことしないよな。
904日本@名無史さん:01/11/10 23:56
そうとは限らんよ
905日本@名無史さん:01/11/11 00:55
山田かまちは?
906偶然:01/11/11 02:41

おお!俺も思った。
907日本@名無史さん:01/11/11 02:44
かまちたれ
908日本@名無史さん:01/11/11 04:13
なんか1000を前にして停滞してるなあ。
909日本@名無史さん:01/11/11 12:33
土持氏の基礎知識としては、大体こんな感じでしょう。
 日向国人。発祥は鎌倉以前。宮崎県中部の国富荘(今の国富町)を基盤に一帯に勢力を持っていた。
伊東氏と連合、島津氏を日向中北部から放逐するが、その後自らが伊東氏に征服されることとなる。
(土持氏の場合、各分家間の連携を欠き、伊東氏に各個撃破されたらしい。あと、大友氏と下位の同盟関係を
結んでいたが、大友氏は伊東氏との関係をより重視し、まるで抑止力にならなかった。)
伊東氏滅亡時には県北部の県(「あがた」と読む。今の延岡市)の県土持氏のみが存続。
即座に島津氏と連絡を取るが、翌年大友宗麟は大軍を派遣、一日で征服。ここに土持氏の歴史は終わる。
(逃げて、その後の耳川の戦いに島津側で参加していたら運命は変わっていただろう。
大友との連合維持でも良かった。その場合は島津の支配になった直後の旧伊東領を取り放題だった。
しかしこの時は伊東への憎悪がそのまま大友への憎悪に転化していたと思われる。)
 ちなみに過去の伊東氏の紹介中の間違いを訂正。今川了俊(貞世)が正解。領俊ではない。
土持氏の分家については山川の「各県別郷土の歴史」に三つくらいは載っていたと思うけど、記憶が遠い。
伊東の食事の献立程度にしか扱われていなかったような気がする。「(ナントカ)土持氏、何年に征服」って感じ。
これらの分家の相互関係についてはまるで不明、載ってる本を見たことがない。お役に立てず申し訳ない。
 ところで、戦国期の伊東の家老といえば落合だが、江戸期の飫肥伊東氏には姿がない。
やっぱり滅亡時の「見捨て組」だったのか?島津の側にも名前はないし、その後の消息をご存知の方はお知らせください。
910一句できた:01/11/11 12:41
謀反して、首下寒し匹夫蒲池
911批難君よ!:01/11/11 12:43
批難君、の君情熱には負けたよ。とにかくいい根性、熱いパッション
持ってるんだから、それをもっともっといい意味で社会に還元するべき
だよ。それと気軽に心療内科などで見てももらうのもいいよ。
すこしゆっくり自分の心を開放して、釣りや渓流釣りなど野外でのんびり
できる趣味を持つのもいいよ。そして人間関係よくするには、相手のアラを
探すことしないで相手のいいとこ(どんな人でも一つくらいいいとこあるもの
探せばけっこうあるよ)を見つけて評価するほうがいいよ。そしたら相手の
短所も(長所を誉められたり理解されているうちに)自然に消えていきますよ。
とにかく君もここのスレッドで一番の根性も持ち主だからその才能を社会に向
けて生かさないともったいよ。では幸運を祈るね。おせっかいな兄貴より。
912だって、君(蒲池君)からかうと面白いんだもん自作自演だし君:01/11/11 13:39
そこで、一句。
取り柄無き、下郎蒲池の妄想を
楽しんで今日、楽しんで明日。
913日本@名無史さん:01/11/11 13:41
↑下手過ぎ
914日本@名無史さん:01/11/11 15:16
卑し系・蒲池
915日本@名無史さん:01/11/11 15:16
>>909
ありがとう。ところで土持氏は宇佐の神官の流れということですが、
その神官がなぜ日向に栄えたのでしょう?
916日本@名無史さん:01/11/11 17:13
かーまーちー何故卑しい?
宇都宮と松浦の系図をパクリー、ついでに謀反で首刎ねられたからよー
917批難よ我は恥ずかしいぞ!:01/11/11 20:27
>911だが、俺は蒲池族じゃないぞ!そして蒲池氏のこと書いた
こともないけど、蒲池擁護派ではあるはな!批難お前はいったい
何者や!大友系かな。いっとくが鎌倉武士は批難中傷は御法度
って知ってるか!それだけ礼節、廉恥を重んじたからな。
お前は同じ大友一門の恥だな!よく顔を洗って来い!
918 :01/11/12 05:12
蒲池の直系っていうか本家はどこにいるんだろ?
本当の直系の本家は一軒だけのはずだけど。
919日本@名無史さん:01/11/12 08:16
賎し系・蒲池
920蒲池最強:01/11/12 08:19
馬の骨だから妬むんだろ?藁
爆笑!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
921日本@名無史さん:01/11/12 08:35
>礼節、廉恥を重んじたからな。

ちがうよ。武士は罵り合いになって裁判どころじゃなくなるからだよ。
悪口を禁ずる法律を作らなくちゃいけないなんて恥ずかしい話だよ。
922批難君じゃないよ:01/11/12 12:30
<<911
非難中傷やめろと批難君にいいながら、初めてのカキコで最初に口汚く批難君を中傷してる
君って鎌倉武士?
923日本@名無史さん:01/11/12 15:01
蒲池よお前は卑しい下郎の子なんだからもそっと端を歩け!
頭も高いぞ!血筋より生まれつき頭が弱いそうだから御結び恵むから、もう系図パクルなよ。
924日本@名無史さん:01/11/12 22:08
蒲池を笑おうの会
925日本@名無史さん:01/11/13 00:12
ここはキチガイ大集合スレか?
926 :01/11/13 00:42
2chってそういうところだろ?
927蒲池を笑おうの会員より:01/11/13 01:00
笑える笑えるー血筋卑しい蒲池笑えるー。卑しさ隠す偽宇都宮の蒲池笑えるー。
謀反して首晒された蒲池笑えるー。
あー笑えた。また笑わせてねー。
928蒲池最強:01/11/13 01:15
┐('〜‘;)┌
929日本@名無史さん:01/11/13 01:16
ほうら、蒲池のせいで飛行機が落ちちゃったじゃないかあ。
930 :01/11/13 01:20
大昔の家系どうしの因縁かなにかで、現在でも仲が悪い家どうしっているのかな?
例えば徳川家と豊臣家とか。
931日本@名無史さん:01/11/13 01:27
┐('〜‘;)┌
932日本@名無史さん:01/11/13 01:37
>>929
寒すぎ
933日本@名無史さん:01/11/13 09:31
蒲池の悪口書き続けてる奴、エネルギーは評価するが、凡打ばかりだな。
決定打が皆無だよ。
そんなんじゃあ蒲池はビクともしないよ。もうちと勉強した方がいいと思うよ。
934日本@名無史さん:01/11/13 09:34
非難君は、系図の基礎知識が無いからね。
家系と血筋の違いも分ってないみたいだし(藁
935↑系図盗人の言い訳:01/11/13 14:24
です。
936日本@名無史さん:01/11/13 18:02
確かに蒲池物語でも偽系図の言い訳に終始してた。
やはり後ろめたさが有ったんだろうね。
937934:01/11/14 04:54
>>935
俺は蒲池とは関係ねぇよ。
お前のアホさかげんが可笑しかったんだよ。
書いてることも矛盾だらけだし、論理も破綻してるしな。
お前、ただのアホか、卑しい煽りだろう(藁
せいぜい蒲池非難の自作自演を続けていろよ。
ただ、もうちょっとレベルを上げて。
今のような内容だと話にならんから。
938日本@名無史さん:01/11/14 04:56
>>936
貴方は、まともに系図の研究をしたことがないでしょう。
939日本@名無史さん:01/11/14 05:23
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kamati_k.html
ここに書いてあることは、みんなウソなのでしょうか。
940日本@名無史さん:01/11/14 05:41
>>939
非難君はそういうの関係無く非難してるだけだからねえ┐('〜‘;)┌

すでに彼の脳内では蒲池一族は系図盗み専門(なんだそりゃ・藁)の賎民で、居もしない子孫がこのスレで反論してると思いこんでるみたいだし。
941ド素人:01/11/14 08:58
 歴史については全くのド素人ですが、戦国時代末期から佐々時代の肥後宇土名和氏
について調べる必要が出てきました。どなたかお教えいただけませんか。
942日本@名無史さん :01/11/14 11:22
佐賀の化け猫伝説は竜造寺の末裔に飼われていた黒猫が
主人の復讐をする話ですが、元になった事件があったのでしょうか?
943 935俺は批難君じゃないぞ:01/11/14 17:53
どうしてそんなに蒲池の系図が本物と思えるんだろうか。
子孫だからって批難君がいうとうり妄想はいけないね。蒲池のどこが名門なのかせつめいしてくれ
944日本@名無史さん:01/11/14 18:00
蒲池は代々、九州探題を輩出してきた名家です。
皇室にも蒲池の血脈が流れています。
945日本@名無史さん:01/11/14 18:07
名門扱いするから話がこじれるんだよな。
旧家扱いならここまで非難されなかっただろうに。
946日本@名無史さん:01/11/14 18:21
>皇室にも蒲池の血脈が流れています。

そうかね?どういう繋がりがあるの?
947日本@名無史さん:01/11/14 23:31
┐('〜‘;)┌
948935俺は批難君じゃないぞ:01/11/14 23:31
蒲池が九州探題だと?妄想もここまで来たのか(藁)。
相変わらず笑わせてくれるねー。しかも代々と来たもんだ。
もしかして、と言うよりそうだろうけど、蒲池君は精神病院から書込みしてる?

今日も笑わしてくれて有難う。
949日本@名無史さん:01/11/14 23:37
おいおい、妄想もいい加減にしろよな。ったく。
蒲池の言い分にも少しは理があると思うこともあったが、君の言うことは全部嘘だった事がこれで分かったよ。
950日本@名無史さん:01/11/15 00:10
>>948
944のはどう考えてもネタだろ?そんなことも判断できんのか…
精神病院に行けとは言わんが,2ch向きではないね、君は。
951j:01/11/15 00:13
インターネット上で炉無等を配布しているGRANDCROSS管理人のリュウセイという                       
者ですが、先日2chに会員のURLが掲載され潰れてしまうと言う、
最悪な出来事が起こりました。又、犯人は私が送ったメールをそのまま掲載しており、
犯人を見つけ出したいのであなた達にてつだってもらいたいのです
別に犯人を見つけても悪い事はしようと思っていないので安心してください。
一般の2chのみなさまには不可解に思われると思いますが、何卒ご協力お願いします。

<協力内容>                   [email protected]
このメールが着たら11月31日午前0時までに、
私は犯人ではないよ!と言うメールを送ってください。
ウイルスは勘弁してください
おねがいします!
952<<950:01/11/15 00:29
そんなこと言われても、君には前科があるのだし{九州最大}とか言ってたし。
事実と妄想の区別をまずつけてくれ。もううんざりだ、どうせ田舎の二流大学の学生か
プー太郎だろうけど、君のお陰で蒲池家は野次馬の慰め者になってるんだよ。
953日本@名無史さん:01/11/15 00:31
┐('〜‘;)┌
954日本@名無史さん:01/11/15 00:32
事実と妄想の区別をまずつけてくれ。もううんざりだ
事実と妄想の区別をまずつけてくれ。もううんざりだ
事実と妄想の区別をまずつけてくれ。もううんざりだ

┐('〜‘;)┌
955日本@名無史さん:01/11/15 00:58
次にスレ立てる人はカマチスレと九州戦国史スレとを分けてくれ。
今のままでは誰かが違う話題を振っても続かない。
956日本@名無史さん:01/11/15 12:15
戦国板に合流したら?このまま新スレ立ててもまた電波が来るだろうし。
957日本@名無史さん:01/11/15 14:12
なんだ蒲池君。とうとう愛想尽かされてるんだね。精神病院から卑しい先祖の誇大妄想ご苦労様!
また一人で自作自演して楽しませて下さいね。気違い病院のベットの上からね。
「事実と妄想の区別をまずつけてくれ」「田舎の二流大学の学生さん」
もう今更常識人ぶってもダメ。
みんな君が頭の病気だと知ってるから。
958日本@名無史さん:01/11/17 09:03
ここで蒲池のこと、名家だとか書いているのは、非難の自作自演だろう。
蒲池が九州最大って、何番の発言なの?ちゃんと指摘しないと駄目だよ。
それも非難の自作自演だろう。
ここに蒲池の子孫とか関係者が来ているとは思えないね。ほとんどが非難の
自作自演か、便乗の煽りなんじゃないの。
結論として、もういいんじゃない。
959日本@名無史さん:01/11/17 09:05
>>957
「蒲池君」じゃなくて「非難君」だろう。そいつは蒲池をコケにしているんだから。
960日本@名無史さん:01/11/17 09:09
このスレは終りにしよう。
961日本@名無史さん:01/11/17 10:33
>>958
確かに九州最大という話が出てたが,それを言ってるのはその発言者じゃなくて引用した本の著者。
それをいつまでも自分に都合の良いように抜き出していつまでも非難のタネにしてるのが非難君。
962日本@名無史さん:01/11/17 15:31
「九州最大」について疑問を呈した者の一人だが(批難君とは別人)、
吉永正春は蒲池のどの部分が九州最大だと言っているんだ?
聞いても答えないじゃない?
963日本@名無史さん:01/11/17 20:14
2日間カキコが無い中でたった6分間で3つのカキコ、==958〜960は同一人物だ
批難君がゆうとうり、蒲池の子孫が自作自演している。
964日本@名無史さん:01/11/18 01:54
>>962
それは引用した本人に答えてもらうしかないと思うが、
本に書いてある=正解じゃないんだから吉永氏がなんと書いてようが一意見にすぎないわけで。

そもそも蒲池を過剰に賛美してるレスも無いし、子孫なんて名乗る人物も出てこないのに、それらを勝手に妄想で作り上げて話を引っ張ってる非難君の方が問題だと思うよ。
話が他の大名に変わる→構って欲しい非難君電波で自作自演→過去ログ読んでない人が相手する→非難君大喜び の悪循環。
965言い訳ばかりだな、しかもバレバレ:01/11/19 18:58
もはや支離滅裂。わかっちゃいたけど君って恥ずかしいね!
966<<964:01/11/19 20:17
随分と幼稚な言い逃れをするもんだね。精神病院どうこうは格別、君(蒲池の子孫の蒲池君)が頭悪いの証明されたね。
967蒲池の子孫が自作自演してるのは知っているが:01/11/19 22:17
自分で頭悪いの証明してどうするんだよ
968非難君、頑張ってます(嗤:01/11/21 14:55
>>965>>967
「構って欲しい非難君電波で自作自演→過去ログ読んでない人が相手する→非難君大喜び の悪循環。」
これの絵に描いたような展開だね(藁
969感想:01/11/21 14:57
非難君は、蒲池の悪口書き続けているけど、
結果として、蒲池の宣伝をしてしまったんじゃないの(藁
970日本@名無史さん:01/11/21 14:58
どうでもいい。
971日本@名無史さん:01/11/21 14:59
>>970
お前はアホ
972日本@名無史さん:01/11/21 15:00
非難君へ
君の先祖と家系を教えて下さい。
973↑969〜972=同一人物(蒲池の子孫):01/11/22 00:32
お薬の時間ですよー蒲池君。妄想はベットの中でして下さい。
974日本@名無史さん:01/11/22 02:16
>>973
お前の自作自演だろ、非難君(藁
お薬の時間ですよー非難君。妄想はベットの中でして下さい。
976 :01/11/22 04:09
蒲池物語って昔からあるやつ?平家物語みたいに。
それとも最近誰かがつくったやつ?
977日本@名無史さん:01/11/22 13:33
蒲池よ!系図盗むな!謀反するな!おまえの卑しい先祖のように卑首晒すぞ!
978967,973だが:01/11/22 14:13
俺がそうなら批難君は少なくとも2人以上いるようだ。だが、忘れちゃいけない蒲池君、
大事なのは誰が自作自演してるかではなく、蒲池が如何に卑しいかだ。
俺にとって其れこそ興味あるところで、其れ以外(君が田舎の3流大出のプー太郎云々)は
取るに足ら無い刺身のつまである。
  従って、今日も976の問いに答えつつ卑しい君の先祖蒲池を嘲笑する。
いくら卑しくったって、偽源氏偽宇都宮なのるんじゃねーぞ。いくら落ちぶれたからといつて、謀反して一族皆々獄門台に首晒された笑える家を
誇りにするんじゃねーぞ。蒲池物語はこのような卑しい子孫の現実逃避の手段として作成されたもの。






   
979蒲池を笑おう会入会しました:01/11/22 17:06
まだ続いていたのですね。しかしこんなに馬鹿にされて蒲池さん可愛そう。最近トーンダウンしてるけど
一人ですごい執着は子孫のまさしく証拠?
そういえば私も以前批難君と呼ばれました。何人いるのかな。
980日本@名無史さん:01/11/22 18:55
ここにいる人の士族の割合ってどれくらいなんだろう
981日本@名無史さん:01/11/22 22:58
>>978、..979
非難の自作自演バレバレ(藁
理由に気づかないか?
ま、ごくろうさんなことで。
982日本@名無史さん:01/11/22 23:47
>>980
いまだに士族なやつはおらんやろ。
983日本@名無史さん:01/11/23 11:28
蒲池一族皆々卑首晒される。当時、大友竜造寺家の足軽小者まで笑っちゃった!
984日本@名無史さん:01/11/23 12:50
>>983
「卑首」なんて言葉使っていると正体バレるぜ。
まともな日本語も知らんのか(藁
985日本@名無史さん:01/11/23 12:52
当時って…
986日本@名無史さん:01/11/23 22:51
卑しい卑しい蒲池の卑首。人絶えず通る船着場に飾られた獄門台の上。
日差しの故か過ぎし時の故か、蒲池の卑首は腐れていた。如何わしき身分の地下人
の嘲笑が地獄に落ちし下郎蒲池の供養。
卑しき出自隠すため、他家の系図を盗み重ね、遂には謀反の天罰を受ける。
987日本@名無史さん:01/11/23 22:55
  ∧_∧  九州出身は・・・・          ∧_∧
  ( ´∀`)                   (´∀` )
  (  つつ                   (サイゴク )
  )  ) ヽ                    | | |
 (__)(_)                   (_(__)

  ∧_∧  ここから・・・・          ∧_∧
  ( ´∀`)                   (´∀` )
  (つ*⊂ )                   (サイゴク )
  >  ) ヽ                    | | |
 (__)(_)                  (_(__)

  ∧_∧  出て逝けって・・          ∧_∧
  ( ´∀`)                    (´∀` ) ム?
  ((○⊂ )                    (サイゴク )
  〉 ) ヽ                   | | |
 (__)(_)                  (_(__)

 \ ∧,,,  ∧_∧ 言っただろうが・・・   ∧_∧
   ゞ ⌒ヽ/ ´∀)              (;´Д`)ワァァァァ!!!
  <(     >> ⊂ )              (  ⊃ ⊃
   //,, ノ\/> >               //〉 〉
 / ,/ | |_)\__)               (_)(__)

  ゴラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!
    ∧_∧   \ | / /       ・・・¥・・・・・・・
   (,_´∀)  ゞ ⌒ヾ∠_       ・・・(/・・・・・
   ( _ ̄つ⊃(     =- 三ニ=−   ・・・・・・・。。・・・・
  / /,>" >   //_  く ̄         ・・・・・・・・・・
 (_ノ (__),/ /                   (消滅)
988日本@名無史さん:01/11/23 22:59
嗚呼卑血蒲池の子孫よ!
晒されし腐れ首の子孫下郎蒲池よ!
何と君の卑しい事か!
卑しい君の未来に少なからずの天の恵みを僕願う。蒲池一族に
天罰与えし家の子として。
989<<987:01/11/23 23:02
君も卑血蒲池を笑い給え!
晒されし腐れ蒲池首の供養となろう!
990 :01/11/23 23:59
>988
 一瞬、卑弥呼の子孫って見えた。藁)
991日本@名無史さん:01/11/24 00:29
2ヶ月前の時点でレスの数400ちょっとだったのになあ・・。
恐らく今日本史板にあるスレの中で3本の指に入るぐらい
細く長く長持ちしたスレだったのに・・・。
1年もったというべきか、1年しかもたなかったというべきか・・・。
半分以上が蒲池問題になっちゃった・・・。
992じゃ時間まで:01/11/24 00:39
おれの歌謡漫談でも
「カリの黒い少女が〜♪」
「これこれ。それは少女じゃない」
993じゃ時間まで:01/11/24 00:40
「棹の長い少女が〜♪」
「これこれ。それも少女じゃない」
994日本@名無史さん:01/11/24 00:40
論争ならまだ有益だが…
995じゃ時間まで:01/11/24 00:42
どうするの?
いまから何か有意義なことする?
996じゃ時間まで:01/11/24 00:43
九州の鉄砲生産量のデータでもコピペしようか?
997じゃ時間まで:01/11/24 00:43
それともおれの歌謡漫談で暇潰す?
998じゃ時間まで:01/11/24 00:44
「カリの黒い少女」
999じゃ時間まで:01/11/24 00:48
名残惜しいが
1000じゃ時間まで:01/11/24 00:48
はいさようなら
10011001
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