邪馬台国畿内説 Part9

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
邪馬台国ド本命の畿内説のスレです
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつけてやりましょう

前スレ
邪馬台国畿内説 Part8
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1391227942/l50
2日本@名無史さん:2014/02/27(木) 19:56:25.88
もはや確定
3日本@名無史さん:2014/02/27(木) 22:53:12.51
『新唐書』日本伝
欽明之十一年、直梁承聖元年。次海達。次用明、亦曰目多利思比孤、直隋開皇末、始與中國通。
>欽明の十一年は、梁の承聖元年(552年)に当たる。次は海達。次は用明、また目多利思比孤といい、
>隋の開皇末に、初めて中国と通じた。

>隋の開皇末に、「初めて」中国と通じた。
>隋の開皇末に、『初めて』中国と通じた。
>隋の開皇末に、【初めて】中国と通じた。
4日本@名無史さん:2014/02/27(木) 23:08:30.97
>>2 さっそく精薄の登場
5日本@名無史さん:2014/02/27(木) 23:56:39.04
結局卑弥呼=モモソという事だろう。
6日本@名無史さん:2014/02/28(金) 00:55:23.01
文献資料の解釈でも、今や畿内説一択状態だろう。
吉備周辺の海人を中心に、ヤマト初期王朝が
形成されたのだろうな。
7日本@名無史さん:2014/02/28(金) 01:11:30.24
>>5
また出た〜 こういう奴の精神構造ってどうなってるんだろうな 邪馬台国よりよっぽど謎だわ
8日本@名無史さん:2014/02/28(金) 01:50:53.90
>>7のような奴の方が稀少だろw
モモソ媛を卑弥呼に比定してる奴なんて普通に多いのにw
9日本@名無史さん:2014/02/28(金) 02:36:43.93
な、こうだよwww
10日本@名無史さん:2014/02/28(金) 02:39:22.27
芝居でいうと道化役だな
11日本@名無史さん:2014/02/28(金) 02:53:27.90
なんだ、もうおしまいか
12日本@名無史さん:2014/02/28(金) 07:57:12.26
道化役というのは、色んな才能が無いと務まらない重要な役だけどね。
凝り固まった価値観を、突拍子な意見で突き崩して
場の流れを変えるのだからな、むしろほめ言葉。
13日本@名無史さん:2014/02/28(金) 08:41:30.26
畿内説は茶化す役
14孝霊厨:2014/02/28(金) 09:13:41.45
畿内説において、日本の伝承や文献資料に拠ると、
百襲媛が卑弥呼像に一番近い存在だと思うからね。

他者は何処かに矛盾が生じる事が多い、
もしくはセヤタタラ媛のように、同じ逸話を共有
しているような点から、記述伝承者によって
異なった人物として描かれていると推測する訳です。
15日本@名無史さん:2014/02/28(金) 09:43:44.32
>>14
モモソは時代が違うね。
3世紀中頃に死んでない。
むしろその頃に生まれた。
セヤタタラ媛と同一人物な訳なかろう。
子供がいるいないも大違いだろ。
16孝霊厨:2014/02/28(金) 10:11:00.97
孝霊天皇は2世紀後半に活躍した人物という説だからな、
娘が3世紀中頃に生まれる説は、私には論外です。

まずセヤタタラ媛には親に関するまともな記述が無いしな。
セヤタタラ媛=玉櫛媛なら、その出自は畿内から瀬戸内方面に
限られるだろう。
17日本@名無史さん:2014/02/28(金) 12:28:01.34
はるか後世に纏められた文献なんだから
史実とあちこち合わなくたってあたりまえなのに
厳密な一致を要求してくる馬鹿って
歴史を語る資質ないよね
18日本@名無史さん:2014/02/28(金) 13:38:16.94
平均在位年数とか必死で求めてる奴とかなw
19日本@名無史さん:2014/02/28(金) 14:47:45.34
>>17-18
歴史を語るとはデタラメを語ることかキチガイ
20日本@名無史さん:2014/02/28(金) 14:59:50.59
調子に乗ってつい本音を漏らしたってことだよ。詐欺も一人前にできない。
21日本@名無史さん:2014/02/28(金) 15:14:23.79
今どきの詐欺なんてその程度のものよw

ある男に女の声で電話がかかってきたそうだ。
「○○くん、高校のときの同級生の△△子で〜す」
男が言うには、「俺たしか男子校だったよな」
22日本@名無史さん:2014/02/28(金) 15:20:47.97
ある男に女の声で電話がかかってきたそうだ。
「お父さん、どうしてもお金が要るの」
男が言うには、「おれ中学生で、まだ子供いないと思うんだけどなあ」
23日本@名無史さん:2014/02/28(金) 16:39:31.03
>>19
歴史を都合よく改変するのは、中韓見てりゃ判るだろw
24日本@名無史さん:2014/02/28(金) 17:46:01.00
ついに詐欺もできなくなって開き直りか。これからどうするつもりなんだろう?
25日本@名無史さん:2014/02/28(金) 17:51:10.74
>>23
自分のデタラメがバレたのによその国を持ち出しても始まらないぞド低脳
26日本@名無史さん:2014/02/28(金) 18:04:41.53
事実を突かれると本当にすぐファビョるねw
27日本@名無史さん:2014/02/28(金) 18:11:13.34
>>24
心配しなくても大丈夫ですよ。
九州説と違い話の材料には事欠かないので、
詐欺話なんてする必要性は皆無だからな。
28日本@名無史さん:2014/02/28(金) 20:35:47.72
>>16
孝霊天皇が2世紀後半に活躍した人物という説は私には論外です
29太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/02/28(金) 20:43:29.27
>>16
>>28
>孝霊天皇は2世紀後半に活躍した人物という

これは正解ですね。
30日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:10:37.58
崇神が考古学的にも4世紀前半なので合いませんね、以上。
31太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/02/28(金) 21:20:47.61
考古の測定は1年の精度はない。

そんなものはアテにはならんね。

倍暦計算から

 崇神元年=景初元年=237年

 孝霊元年=162年

八幡愚童訓(甲本 上)と呉史から

 開化48年=黄龍2年=230年

であるからして、孝霊が2世紀後半は整合している。
32日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:27:43.97
「崇神が考古学的にも4世紀前半」って言ってる考古学者・・誰?
33日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:31:04.50
チームA 島崎遥香・宮脇さくら(チームKW兼任)
チームK 小嶋真子・松井珠理奈(チームS兼任)・山本彩(チームN兼任)・児玉遥(チームH兼任)
チームB 渡辺麻友・柏木由紀(チームN兼任)大和田南那・生駒里奈(乃木坂兼任)
チーム4 岡田奈々・西野未姫・木崎ゆりあ
34日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:42:16.25
>>32
ほぼみんな。
35日本@名無史さん:2014/02/28(金) 21:57:35.59
神功皇后を卑弥呼に見せるために日本書紀は年代を偽った
それで後世の人がスゲー苦労してる

神功皇后の三韓成敗は四世紀前半ぐらい
卑弥呼の時代の畿内は欠史八代の後半あたり
36日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:16:58.91
九州説男は知障だから具体的事実が全く言えない
37日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:28:57.58
>>30
何も根拠が無いだろw
38日本@名無史さん:2014/02/28(金) 22:32:36.35
孝霊天皇の名は、後漢霊帝の年代に合わせた
というのは充分な根拠だろう。
39日本@名無史さん:2014/02/28(金) 23:12:30.06
>>37

四道将軍の城の山古墳が4世紀前半。
40日本@名無史さん:2014/02/28(金) 23:16:43.22
循環している
41日本@名無史さん:2014/02/28(金) 23:20:34.93
トトロ ジ
42日本@名無史さん:2014/03/01(土) 00:41:51.95
>>3続き
用明天皇(多利思比孤)は朝貢について無知だった
だから「日のいずる天子」と書いた
中国皇帝が怒るとは知らなかったのだ

使者の扱いも知らなかった
だから礼を尽くさず、中国の使者は怒って帰る有り様だった

畿内の王権が以前から朝貢し使者を受け入れていれば
このような事態は有り得ないだろう
朝貢した事が無かったのだ
43日本@名無史さん:2014/03/01(土) 00:59:31.41
しまったw
第一回遣隋使は国書を持っていなかった
第二回が火にいずる処の天子事件

つまり畿内王権は二度も失態している
朝貢に不慣れだった証明だ
44日本@名無史さん:2014/03/01(土) 01:12:51.24
隋書倭国伝では、タリシヒコの国と、倭人伝の女王国は
あくまで同一国という認識で書かれてるがな。
45日本@名無史さん:2014/03/01(土) 01:40:02.33
まあ、秦と漢も同一国だしね
46日本@名無史さん:2014/03/01(土) 01:53:04.25
>>39
それは四世紀初頭以前にヤマト朝廷が平定を完了していた証拠だよ。
47日本@名無史さん:2014/03/01(土) 02:37:15.47
隋も唐も同じ中国という国
48日本@名無史さん:2014/03/01(土) 08:29:39.22
奈良の天理で古墳の発掘があり、現地説明会がある。
周濠のみで、埋葬部はやってないけど。
地味で無名の古墳だが、三世紀後半〜四世紀にかけてという、
初期の130mの前方後円墳。
49日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:14:18.02
畿内説も巻向だけにとらわらわれる必要ないからな。
勿論三輪周辺は重要ではあるが、今後
葛城や王寺周辺も同様に何があるかわからない。
50日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:33:12.34
おそらく箸墓を発掘してもわかることは少ないだろう
51日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:36:05.53
妄想するにしても発掘してからやらかせばええのに
52日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:39:26.30
ホケノ山を発掘してわかったことはいろいろあるが、
それはあくまでも考古学的な興味であって、被葬者については皆目わからない
また、新資料が増えたことで謎が深まったとも言える
53日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:45:52.01
神功皇后陵

>五社神古墳は、宮内庁によって神功皇后の狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのうえのみささぎ)に治定されている。
>佐紀盾列古墳群の中で最大の前方後円墳で、全長は273メートルもあり、
>古墳群の北西地域に位置している。4世紀後半から5世紀前半に築造されたと推定されている。
54日本@名無史さん:2014/03/01(土) 09:59:22.16
箸墓は盗掘の可能性があるか

空撮によれば地元民がショートカットするために使われていた道の跡が見てとれる
つまり自由に立ち入りできた期間が長かった
また他の纏向の古墳も、周濠が用水として用いられたり
耕作地として切り崩されたりしているものがあり
古墳に入ることへの禁忌というのはあまりなかったようだ

一方、埋葬部はおそらく竪穴式と考えられ、葺石で覆われていただろうことから
後世の横穴式とは違って、盗掘するには相当大規模に掘らねばならず
目立ちやすい
55日本@名無史さん:2014/03/01(土) 10:07:59.67
箸墓からは何が出るか

ホケノ山では石囲い木槨と名付けられた埋葬施設が出て発掘者を驚かせたが、
あれはまだ試行錯誤の時期であって、箸墓の段階ではある程度完成形に近づいているだろう
推測にしかならないが
コウヤマキ製の刳抜式木棺、これまでの例から人骨は残らない可能性が高い
繊維製品なども残らないだろう
祭祀用の壷、銅鏃や鉄鏃、鉄刀、銅鏡、水銀朱などの出土が考えられるが
これらの多くは葬具としての副葬品であり、被葬者の生前の愛用品のようなものがはたしてあるかどうか
56日本@名無史さん:2014/03/01(土) 10:28:56.96
はたして古墳から金印は出るか

基本的には親魏倭王の称号は卑弥呼一代のもので、
台与の時代には晋に変わっているから、卑弥呼の金印は台与の朝貢で返した可能性がある
ただしこれは返さないと極めてまずいというようなことでもなかっただろう
副葬品として古墳に入れた可能性はかなり微妙
57日本@名無史さん:2014/03/01(土) 10:37:42.06
卑弥呼の墓でもないのに親魏倭王の金印が出るわけもなし
58日本@名無史さん:2014/03/01(土) 10:41:00.23
金印なら俺のとなりで寝てるよ
59日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:15:51.87
「すた丼」は豚肉をにんにくとしょうゆなどで炒めた丼で、国立市で誕生し、関東の学生街などで人気があるメニューです。
その「すた丼」をお店に行かなくても楽しめる「すたみな焼きのタレ」は2月上旬に発売されて即日売り切れる店舗が続出するなどしましたが、
2月24日(月)の再発売時にゲットすることができたので、料理に使ってみました。
60日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:30:36.23
卑弥呼の死の直前の狗奴国の卑弥弓呼の乱は
モモソ媛命の死の直前の武埴安彦命の乱のこと。
61日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:35:43.41
もういいんだ
そこまで無理することは無い
62日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:37:46.95
確かにモモソで確定したようなものだから
無理することはないな。
63日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:47:11.19
そうだ、無理することは無い、
64日本@名無史さん:2014/03/01(土) 11:51:18.17
魏志倭人伝の影響から卑弥呼を高く評価する人が多いが
当時の国内的には台与のほうが偉大な王として評価されていたかもしれん
65日本@名無史さん:2014/03/01(土) 13:29:45.90
>>60
>武埴安彦命の乱のこと

じゃ狗奴国ってどこよ。
66日本@名無史さん:2014/03/01(土) 13:30:40.79
モモソが卑弥呼なら、トヨは誰になるかだな。
67日本@名無史さん:2014/03/02(日) 11:35:06.70
台与は、名前だけで考えるなら豊鍬入姫が相応しい。
ホケノ山の被葬者という伝承があるらしいが。


考古学的に考えれば、卑弥呼=箸墓の被葬者と仮定するなら、
次代の台与は西殿塚の被葬者になるだろう。

ただ記紀では西殿塚の被葬者について記載されていない。


記紀の頃にはすでに台与は重要視されておらず、
きちんと伝承されていなかった可能性がある。
68日本@名無史さん:2014/03/02(日) 14:19:01.72
.


   じゃ狗奴国ってどこだよ。


.
69日本@名無史さん:2014/03/02(日) 14:42:37.85
狗奴国は熊襲に決まっている
70日本@名無史さん:2014/03/02(日) 16:01:37.86
>>68
狗奴国は今の熊本辺りだろうね
71日本@名無史さん:2014/03/02(日) 16:34:12.04
狗奴国が熊本なら畿内説は無理。
72日本@名無史さん:2014/03/02(日) 22:52:20.56
ぜんぜん無理じゃ無いけど、無理だと思ってる人との議論は無理。
73日本@名無史さん:2014/03/03(月) 09:04:20.49
いつも理由がひとことも言えない九州説は池沼の世界
74日本@名無史さん:2014/03/03(月) 09:09:39.74
倭人っつうのは南の人種だ貝血統な新モンゴロイド系人種じゃない。

もうやめたらどうだいい加減w
75日本@名無史さん:2014/03/03(月) 09:13:13.20
発掘状況と記紀の記述と、不思議なほど矛盾がないな。
古い天皇の子に吉備と名のつく人が現れ、尾張の先祖から嫁を取り、
その後丹後や播磨や河内や紀伊や近江も現れる。

吉野ケ里のような弥生の環壕集落は、支配層と民衆が一体となって住んだ「ムラ」。
邪馬台国の「宮」とは、支配者と民衆の住居が分離した纏向のような形態でなければ
いけない。

唐古鍵の段階では「ムラ」だったが、纏向に至って「王宮」になった。
76日本@名無史さん:2014/03/03(月) 09:13:43.79
>>72
無理しなくてもいいよw
77日本@名無史さん:2014/03/03(月) 09:15:20.85
>>75
王宮と決まったわけではない。
有力豪族の邸宅跡かもしれない。
78日本@名無史さん:2014/03/03(月) 14:08:23.78
絶対に理由を言わない馬鹿のいうことを理解することは誰にも不可能
79日本@名無史さん:2014/03/03(月) 20:46:15.82
>>78

>>72みたいにな。
80日本@名無史さん:2014/03/03(月) 22:26:30.35
と言うことで九州説の人との議論は無理ということで結論がでました。
めでたし、めでたし。
81日本@名無史さん:2014/03/04(火) 07:29:54.73
狗奴国が熊本なら崇神の時代に熊襲と戦ったという記録がないのだが。
景行の時代を3世紀中頃に設定しなおすなら別だが。

できないだろボケ。
82日本@名無史さん:2014/03/04(火) 07:30:37.01
>>72は理由が明確だよなあ
83日本@名無史さん:2014/03/04(火) 08:13:37.13
景行天皇は大分から宮崎にかけて、
熊襲退治をやっている。

熊本と大分の県境の、大分県大野町では、
大量の鉄鏃が出土している。

激戦だったようだね
84日本@名無史さん:2014/03/04(火) 09:41:44.72
崇神天皇はせいぜい4世紀前半で、
景行天皇はいいとこ4世紀中頃あたりかな、卑弥呼時代とは100年ちがう
85日本@名無史さん:2014/03/04(火) 23:58:00.02
孝霊天皇とは、西晋の司馬炎の流れを組む親王、司馬霊(仮名)だろう。
欠史八代の天皇と、西晋の皇帝、後漢の皇帝を比較した人はいないのだろうか?
86日本@名無史さん:2014/03/05(水) 08:16:54.89
狗奴国は、許乃国(コノ国)のこと。
ココの領主は、武埴安彦命。
狗奴国の乱とは、武埴安彦命の乱のこと。
87日本@名無史さん:2014/03/05(水) 09:05:25.26
許乃国って何だよ。
勝手なもの出すな。
88日本@名無史さん:2014/03/05(水) 09:34:07.63
>>85
後漢なら散々前スレで。
霊帝なら諡名が孝霊帝で倭国乱れた時期に重なるしな。
89日本@名無史さん:2014/03/05(水) 10:36:00.93
神武天皇は三世紀前半〜中頃で、おそらく卑弥呼・台与の親族あるいは取り巻きの一人、
孝霊天皇はいいとこ三世紀後半だろう
90日本@名無史さん:2014/03/05(水) 10:49:11.82
神武の実体=崇神だろうな。
91孝霊厨:2014/03/05(水) 11:04:15.25
まあ神話、逸話は同じ人物が異なる形で解釈されていると。
各地の豪族間において見方が異なると思いますよ。
忙しいので説明は端折りますが、モモソ媛とは
セヤタタラ媛であり、三穂津媛のこと。
92日本@名無史さん:2014/03/05(水) 12:37:11.53
>>91
セヤタタラ媛には子供がいる。
モモソ媛にはいない。
名前も実態も時代も全然違うのに同一人物にするなアホ。
93日本@名無史さん:2014/03/05(水) 13:13:57.10
セヤタタラヒメはどうやって子供作ったんだよw
まして親は誰なんだ?
あれは神武天皇を大物主に結びつけるための逸話だろう。
94日本@名無史さん:2014/03/05(水) 13:19:10.70
古今東西の女はすべて同一人物。世界に女は一人しかいなかった。ミトコンドリアおっかさんだよ。
95日本@名無史さん:2014/03/05(水) 13:36:18.52
神武帝ー武功のある皇帝が武帝と諡されるのは一般的。
綏靖帝ー争いをやすめるの意味。別腹の子と後継者争いを収めたことによるか。あくまで身内の争い。

安寧帝ー平和の意味。
懿徳帝ー立派な徳という意味。
安寧・懿徳の世は、世の中が牧歌的で争いがなく小康状態にあった時期かと思われる。

孝昭帝ー昭は功罪相半ば、やや功が多い皇帝に多い。
孝安帝ー安は決して善政が布かれたとは言えないが、長く続いた皇帝に多い。
孝霊帝ー国境が吉備と隣接する。霊は世が乱れもしたが、決して愚かでもなかった皇帝に多い。
孝元帝ー元は不相応にも擁立された皇帝に多い。
孝は父母に報いるという意味。
孝とつく皇帝はたいてい不慮の事故によって亡くなった父母に代わり幼齢で擁立され、実権を専断されている場合が多い。
地方領主であった皇室にとって苦渋の時代であったことを表す可能性はある。
だんだん世の中が荒れてきて、皇室も、戦乱の中で家を存続させるのがやっとだったのかもしれない。

開化帝ー教え諭すの意味。周辺諸国と婚姻関係を築き、宥和したことによるか。
崇神帝ー疫病が流行ったときに神を崇めたことによる。ハツクニシラス。
96「ガスライティング 集団ストーカー カルト」で検索を!:2014/03/05(水) 14:24:04.97
★マインドコントロールの手法★

・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法


↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること

TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。

リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。
,..,,m,,
97日本@名無史さん:2014/03/05(水) 19:57:25.29
愛媛、安芸、讃岐香川から畿内が女王国。
これで間違いないよ。
98日本@名無史さん:2014/03/06(木) 00:08:39.98
>>93
神話の揚げ足とってどうする。
亭主は大物主で父親はミゾクイだろうが。

何言ってるんだおまえ。
99日本@名無史さん:2014/03/06(木) 00:38:18.74
>>95
漢風シ号は八世紀の淡海三船が一括で決めた。
記紀の欠史が公式見解なんだから、無理やり解釈しなくてもいいよw
100日本@名無史さん:2014/03/06(木) 00:56:59.62
>漢風シ号は八世紀の淡海三船が一括で決めた。

そのくらい知ってるから。
諡は後から振り返って皇帝の業績に応じて贈るものであるから
三船がそのような漢風諡号をあたえたのにも当然意味がある。
そこから決史と言われている天皇の事跡もうかがい知れると言うもの。
とくに孝○天皇というものには他の天皇と比べて字義から意味を類推することができないから
とすれば、三船の意図を、漢魏晋南北朝の例に求めるのは当然だろう。
101日本@名無史さん:2014/03/06(木) 08:50:09.37
公式見解が欠史なのに、淡海三船がなぜ欠史八代の事績を知り得たのか?
八世紀の段階で、伝承にかなりの混乱が見られ、
それが日本書紀の編纂理由なんだが、
古過ぎる大王の事績は失われて何も分からないというのが、その当時の認識。
字義からの推測、というか殆ど妄想だがw、余り意味がないように思うがな。児戯に等しいw
102日本@名無史さん:2014/03/06(木) 09:19:02.19
それを言い出すと八世紀以前の歴史なんて全て怪しくなるしな。
まして欠史より神武天皇なんて創作という事になる。
103日本@名無史さん:2014/03/06(木) 10:55:37.67
>古過ぎる大王の事績は失われて何も分からないというのが、その当時の認識。

これこそ妄想
公式見解には載せられないが、当時の知識人にとって一般認識であったことを加味して
漢風諡号が贈られた可能性は十分ある。

あと、字義からの推測のどこが妄想か説明もとむ
皇帝諡号は漢から。唐代に入ると長くなるから、三船が漢魏晋南北朝から参照した可能性は圧倒的に高い。
その時期の皇帝の中から、事跡の類似性に応じて名付けたと考えれば、上のような意味が論理必然的に導かれる。
104日本@名無史さん:2014/03/06(木) 11:43:59.10
>>98
>亭主は大物主で父親はミゾクイだろうが。
母親の名は?それにミゾクイならオオヤマツミ(その他の名もある)
という事になるだろう。
結局セヤタタラヒメは安芸周辺にいたという事にもなるからな。
105日本@名無史さん:2014/03/06(木) 12:31:00.54
>>103
事績が分かってるのに、敢えて正史に載せないなんて、かなりの不敬だと思うがなw

どちらにしても「事績が分かっていた筈」という根拠が示せない以上、
妄想と言われても仕方がないだろう。
「記紀に書かれてないこと、僕には分かった!」は電波w
106日本@名無史さん:2014/03/06(木) 14:16:05.31
公式に書けない事情を命名に込める、というのは
ありうる話だが根拠としては些か脆弱と言わざるを得ない。
107日本@名無史さん:2014/03/06(木) 14:41:34.75
>>105
>どちらにしても「事績が分かっていた筈」という根拠が示せない以上、
>妄想と言われても仕方がないだろう。

いや、三船が自国の皇帝に考えもなく諡号を贈ったと考える方が不敬な妄想と言うべきだろうw
記紀に書けるような明確な事跡がきちんと伝わってはいなくとも、
伝わっている情報を総合考慮の上ふさわしい諡号を贈ったと考える方が自然。
そうすれば、上のような推論が論理必然的に導かれる。
108日本@名無史さん:2014/03/06(木) 15:05:46.21
確かに安帝、霊帝と東漢が衰凋した時期の諡号が続くのは何か含意があるかも知れない。
しかし論理的とは言い過ぎ。
109日本@名無史さん:2014/03/06(木) 15:35:02.14
ヒント:北魏皇帝の諡号

事跡が書かれてないのに追号されている
明らかに、当時の北方の角逐や継承経緯、伝承を考慮した上での追号
110日本@名無史さん:2014/03/06(木) 16:47:42.93
漢風諡号は、日本書紀や古事記の原文には存在しない。
神武天皇という名前も存在しない。
こういうこと言うと怒る連中がいるけど、事実なんだよ。
漢風諡号が誕生したのは、日本書紀や古事記が編纂されて後に
淡海三船がつけたものだ。
111日本@名無史さん:2014/03/06(木) 17:25:04.08
北魏の皇帝も道武帝の時代(390年頃)に、おそらく紀元前後あたりからの先祖に追号されたもんだよ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%93%E8%B7%8B%E9%83%A8

拓跋力微は存在したんだろうけど、異常に長齢だし
その息子も事跡が残ってないのに追号されてる
さらに力微以前の先祖にも追号されるし
112日本@名無史さん:2014/03/06(木) 19:18:40.65
継体や持統といった諡号が本人の事績に関する明確な意味を持っている事実がある。
天智や孝安、孝霊といった語彙がマイナスイメージを励起する事実は否めない。
確かに、何でそんな名を贈ったかは考える必要があるだろう。
国押人命や太瓊尊に現行の記紀に収録されなかった何らかの伝承があり
それが負の業績であると推測することには一応の合理性がある。
だが、そこまでだ。
113日本@名無史さん:2014/03/06(木) 19:38:51.71
どこまでかよくわからない
114日本@名無史さん:2014/03/06(木) 20:16:28.50
よくわからないから、推論も「よくわからない」程度の確実性だということだな
115日本@名無史さん:2014/03/06(木) 20:25:33.96
よくわからないのは、君が合理性を認めるライン。

>それが負の業績であると推測することには一応の合理性がある。

そう。それを認めれば、上のような推論が論理必然的に導かれる。
つまり、上の推論までは認められる。
116日本@名無史さん:2014/03/06(木) 20:44:12.01
あんたの『論理』って何?
117日本@名無史さん:2014/03/06(木) 21:23:13.69
論理というのは集合論だね、各事象の包含関係を弁じ分けるのが論理。
118日本@名無史さん:2014/03/06(木) 21:46:53.38
懿徳帝とは、公孫淵を討ち西晋王朝の礎を築いた司馬懿がモデルではないのか?
「懿」などという使用頻度の低い文字を天皇の諡号に当てるというのは、
西晋の歴史に精通したものが歴史書を下敷きにしたとしか考えられない。
119日本@名無史さん:2014/03/06(木) 22:19:11.46
>「懿」などという使用頻度の低い文字

そんなことない論語や詩経、顔氏家訓、三国志などなど
有名どころにいくらでもでてくる
120日本@名無史さん:2014/03/06(木) 23:23:22.53
>>117 つまり基本的に論理というものが分かってない、ってことだな
121日本@名無史さん:2014/03/06(木) 23:24:42.47
>>110
新唐書には神武からずっと天皇の名が載ってるが
122日本@名無史さん:2014/03/06(木) 23:39:15.02
>>120
どうしていきなりそんな結論に至ったのかマジわからんわ
123日本@名無史さん:2014/03/07(金) 00:26:08.08
それはきみの頭が悪いから
124日本@名無史さん:2014/03/07(金) 00:28:58.11
反論できずに罵倒か
125日本@名無史さん:2014/03/07(金) 00:39:48.63
わからないのか?
基本だぞ
当然自分独りで分からねばいけないレベルだ
答えを聞きたければ、頭を下げて頼め
やさしく教えてあげるぞ
126日本@名無史さん:2014/03/07(金) 00:45:48.41
そういうくだらない主導権あらそいで学問が決まると思ってるのが儒教的というか、朝鮮人臭いんだよな
127日本@名無史さん:2014/03/07(金) 01:09:56.51
・・こんな基本的なことが分からないなんて・・・恥ずかしいな。
128日本@名無史さん:2014/03/07(金) 06:49:46.89
ちょっと気になったのだが、ウィキペディアで「磐井の乱」を見たら、
大和朝廷がヤマト王権に書き換えられている。
どうも畿内説の仕業らしい。

一番上には、

利用規約の一部改正
報酬を伴った秘密裏に行われる編集に対して制約を課すための
改定案にご意見をお寄せください。

とある。畿内説はやり方がえげつない。
129日本@名無史さん:2014/03/07(金) 10:56:18.33
>>104
>母親の名は?

それが何の関係があるんだ?

>それにミゾクイならオオヤマツミ(その他の名もある)
>という事になるだろう。
>結局セヤタタラヒメは安芸周辺にいたという事にもなるからな。

君は夢想が趣味なのだろうが、茨木市の三島周辺だ。
130日本@名無史さん:2014/03/07(金) 12:44:22.67
>>128 陰謀説に陥る九州説と鉄板通説(畿内説)の間には
越えられない壁があるな
131日本@名無史さん:2014/03/07(金) 13:03:24.00
畿内説派の妄想には勝てないよ
132日本@名無史さん:2014/03/07(金) 13:47:29.60
詐欺で固めた利権集団=畿内説には、誰も勝てません。
133日本@名無史さん:2014/03/07(金) 23:39:48.90
八世紀頃に唐の影響で、何でも漢風にするという流行があって。
官位やら国名まで、漢風・漢字表記するようになった。

その一環として、全ての大王に漢風シ号が贈られることになったんだろう。

殆ど事績の無い大王の贈り名は、国風・漢風を問わず苦労したみたいで、
ヤマトネコとか後世風の贈り名が採用されたりしている。
134日本@名無史さん:2014/03/08(土) 08:57:49.19
>>121
新唐書が成立したのは11世紀だろう?

記紀が誕生したのは8世紀前半、
その後、8世紀中ごろに、淡海三船が
あとつけで、倭国のスメラミコトに、漢風諡号の天皇名をつけた。
135日本@名無史さん:2014/03/08(土) 12:30:22.81
日本人はそういう乗りが好きだからな。
大国になびいて、今ならアメリカ風の愛称を付けたがる。
テリー伊藤、ヤス中曽根、ルーピー鳩山
136日本@名無史さん:2014/03/09(日) 15:36:28.55
邇邇芸命
倭迹迹日百襲媛命
大田田根子
星神香香背男

このですね、同じ文字を2つ重ねる名前、これがかっこいい。
はやった時期がありそうです。
137日本@名無史さん:2014/03/09(日) 20:55:27.09
>>136
はやった時期たって、
漢字が当てられたのは本人たちの時代よりもっと後だろ。
138日本@名無史さん:2014/03/10(月) 19:26:35.33
九州説の皆さん畿内に確定したわけではありません。
物証に基づき九州説を証明してください。
九州説の方々は感情が先のようで・・・
139日本@名無史さん:2014/03/10(月) 19:53:35.89
物証に基づきという発想がおかしいよね。ランケ流かい。日本古代史の流れの
中にしか邪馬台国は有り得ない。古代史の流れを考えなよ。
140日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:03:35.31
物証つっても、九州には既に鉄も絹も鏡もあるからなあ。
倭人伝の文献も8割がたは九州内で問題ないし。

むしろ、物証がありすぎて、どこか決められないのが問題。

吉野ヶ里は倭人伝の記述をよく示しているといわれているが、
部分的なら、同じような環濠集落はいくつもあるから、
吉野ヶ里で決定とも言い切れないだけ。

畿内で吉野ヶ里クラスが出てくれば、
他に該当しそうな遺跡もないから、即決定したんだろうけどな。
141日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:13:46.77
地面の上も地面の中も、畿内説は全部ダメだから、一方的に完全崩壊しちゃったな。
九州説は、詐欺の物証を使って「これぞ卑弥呼の証拠」なんて偽証しないから、ゆっくり行こう。
142日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:34:56.14
女王国は瀬戸内海から東の国。そこから
徐々に大和盆地を開拓しっていったという事。
今更九州説なんて誰も相手にはしないよ。
143日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:40:43.48
畿内は唐古鍵時代から九州勢力が東遷してるんだけどね。
144日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:49:56.44
虚勢だけで、結局物証が出せない九州説みじめ
145日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:55:31.31
最近、唐古鍵から北九州土器が出たね。
146日本@名無史さん:2014/03/10(月) 20:56:00.04
宮内庁に阻まれ、
立ち入りすらできていないのに、
箸墓を大発掘し、卑弥呼の金印を掘り当てたかの如く言う畿内説怪奇妄想。
147日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:16:11.66
畿内説の手の者が発掘してきたのに、九州系土器が大和で出るわけなかろ
148日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:27:16.75
もう被害妄想の極みだなw
大体鉄だって最近は九州よりもむしろ
丹波や出雲〜安芸からの線に注目だよ。
149日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:28:36.29
>>146-147 さすが九州説、無知と盲信が強烈だな
150日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:33:38.75
もっと早い可能性もないことはないが、
確実な国内製鉄は5世紀以降。

それ以前は熊本の遺跡で
製鉄が疑われるものがいくつかある。
151日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:36:57.87
>>146
「卑弥呼の金印を掘り当てたかの如く言う」って
誰がそんなことを言ったの?

また九州説お得意の捏造?
152日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:40:16.80
>>150
初期製鉄の痕跡なら既に三原周辺にもあるだろう。
153日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:44:48.05
製鉄遺跡と鍛冶遺跡は区別しなければならない。
鍛冶遺跡を製鉄と表記して、
ごっちゃにしている例がかなりある。
154日本@名無史さん:2014/03/10(月) 21:57:55.64
捏造なら、近畿方面ではよくあるだろ
あちこちで同じネタを使いまわしするやつな
155日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:03:05.95
壱岐の製鉄炉は弥生後期のものだけどな
156日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:04:14.68
あれだけ半島の南部でもばんばん製鉄してんだから
九州北部に製鉄遺跡がないほうがおかしい
157日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:05:07.21
で、それ製鉄なの?鍛冶なの?
158日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:14:17.00
>>157
馬鹿か?製鉄炉って書いてるだろ
159日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:15:48.10
>長崎県壱岐市教委は14日、同市の弥生時代の環濠(かんごう)集落カラカミ遺跡で、
国内で初めて鉄生産用の地上炉跡が複数見つかった、と発表した。
弥生時代では明確に確認されていない精錬炉跡の可能性があるとしている。
専門家によると、日本で精錬が始まったのは6世紀後半とされており、
従来の定説の見直しにつながる可能性もあるという。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/history/20131214-OYS8T00491.htm
160日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:17:15.57
だから精錬じゃないんだ製鉄なんだだという根拠を聞いてるんだが
161日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:18:14.28
あ、書き間違い
精錬じゃなくて鍛冶ね
162日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:19:31.64
>>161
自分で記事読みなカス
163日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:20:51.15
>>160
>精錬じゃないんだ製鉄

それで精錬と製鉄をどのように区別してるのか、教えてくれ
164日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:22:43.35
>>158
「製鉄炉」と書いてない件について
165日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:23:15.47
>>161
おっちょこちょいめ、
2ちゃんをバカにしとる。もう出てくるな。
166日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:24:36.32
製鉄は鉄鉱石や砂鉄を精錬するものだろ
弥生末ころは半島南部で製鉄が盛んだったし
倭人が多く入り込んでいたはずだ
北部九州でなら技術的には製鉄が行われていても不思議はない
原材料の入手がネックなだけだ
167日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:25:15.79
>>164
製鉄の可能性が高いだろ
168日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:26:34.62
精錬してあげると鋼ができるんだよ
169日本@名無史さん:2014/03/10(月) 22:26:36.23
畿内は後進地域だったが、農業奴隷が送り込まれて発展しただけの辺境の地だろ。
やっと出来た畿内銅鐸国家も、あえなく滅亡してる。
170日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:30:31.21
やっぱり>>153の指摘通り、九州説の馬鹿爺は製鉄と鍛冶の違いがわからないままデタラメ情報を流しているようだ
171日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:50:39.36
と、自分の母ちゃんと余所のおばさんの違いもわからないやつが申しておりますよ
デベソでないのは余所のおばさんだぞ。それくらい憶えとけタコ
172日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:52:08.63
製鉄 鉄鉱石や砂鉄から銑鉄を作ること。
精錬 高炭素の銑鉄やくず鉄から、鋼や低炭素鋼の軟鉄を作ること。
鍛冶 鉄材料から必要な製品を作り出すこと。

たたらは製鉄と精錬を一度に行う、ちょっと特殊な製鉄法である。
173日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:55:33.53
記事を書く人間がよくわかってないらしく、
記事を鵜呑みにして、製鉄や精錬などの言葉に
踊らされるとひどい目に合う。

記事を精査して、自分でどの段階の鉄遺跡かを
判断することが必要だ。
174日本@名無史さん:2014/03/10(月) 23:56:18.09
このように、九州説の迷走の多くは無知による。
175日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:13:47.28
開放的な炉で焼く弥生土器、土師器は、酸素が多い環境で
鉄分が酸化し、赤っぽい色をしている。

閉鎖的な炉で焼く須恵器は、酸素が少なく、鉄分が還元されて
鉄になり、青黒っぽい色になる。

この須恵器の製法が入ってくるのが5世紀後半との説がある。
国内で製鉄が始まるのも、だいたいこれくらいの時期のようである。

熱の制御と、酸素と一酸化炭素の制御が出来なければ、
製鉄は難しい。
176日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:18:43.49
ちなみに件の読売の記事では、文章を書いた人間はちゃんと「製鉄」という言葉など使わずに執筆している。
見出しを付けた人間が不用意に「製鉄用」と書いたようだ。
むろん「製鉄」は「精錬」という一工程を含む広義の意味でも使うから「製鉄用の地上炉」という見出しは間違いではない。
しかし精錬だけなのに「製鉄が行われていた」と言うのは間違い。
177日本@名無史さん:2014/03/11(火) 00:42:52.91
古くから半島南部で盛んに行われていた製銑は、なかなか日本列島に入ってこない。
これは技術移転が選択的に行われていたことを意味し(村上恭通)ており半島南部が倭であるという説の明確な否定材料である。
一方、博多地域に伝わった精錬技術は即座に纏向に伝わっており、両地域が同じ国であったことを示している。
178日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:00:05.69
製鉄で盛り上がってるが、倭人伝の記述で
倭の山にあるのは丹山だという点も重要だからな。
まぁ既に阿波の鉱山がある瀬戸内方面が
断然有利なのは今更言うまでもない話。
淡路島周辺には鉄工房も丹山鉱山も既に確認されているのだからな。
179日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:03:28.75
3世紀の九州に水銀朱の産地がないことは九州説にとって絶望的なので
かわいそうな彼らは「丹」を赤土(酸化鉄)だと言い張っているが、むなしい
180日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:18:14.13
水銀朱の鉱山は佐賀、大分、熊本にありますね。
丹生神社もありますから、
採掘もされていたのは確実ですね。
181日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:20:36.27
日本(大和朝廷)は倭の別種と言われてる
よって卑弥呼は機内に有らず
182日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:35:27.26
丹有、という書き方は、地元の人間が大々的に採掘をしているというよりは、
存在を知ってはいるが、たいして利用はしていないようにも見える。

九州はベンガラ系の阿蘇リモナイトなど、安価で安全な赤色塗料が豊富にあるので、
それほど重要視する必要はなさそうだ。
仕方なしに毒性のある水銀朱を使う理由があるかどうか。
微妙に色合いが違うから、そういう違いが必要な塗料として、
使い分けてたのかもしれないが。

神社の赤い鳥居などの朱色がベンガラだな。

畿内の何処かでどっさり水銀朱を独り占めしていた古墳があったが、
そんなに執着する理由はなんだろうか?

当時は精錬して金属水銀にした痕跡はないよな?
183日本@名無史さん:2014/03/11(火) 01:47:10.41
九州では赤色塗料は、
主としてベンガラを使い、一部に水銀朱と使うというやり方が多いが、
畿内周辺ではどんな状況なのか?

ベンガラなど何処にでもあると思っていたが、
同様にベンガラ、水銀朱を併用しているのか?

それとも、ほぼ水銀朱だけなのか?
184日本@名無史さん:2014/03/11(火) 02:40:36.63
九州は輸入水銀朱、畿内は国産。つまり、3世紀の九州では水銀朱色生産が実用化できていない。
185日本@名無史さん:2014/03/11(火) 03:09:52.44
丹といえば普通辰砂なんだから水銀朱だから貴重品な。
また丹生神社なら圧倒的に紀伊半島だし。
ベンガラは酸化鉄で丹じゃない、しかも何処でもとれる。
186日本@名無史さん:2014/03/11(火) 03:19:03.43
阿蘇のリモナイトなんてそもそも黄土、赤色塗料とは言い難いよw
大体水銀の毒性なんて当時は判ってもいない。
187日本@名無史さん:2014/03/11(火) 03:28:41.07
畿内で朱が結構使われたのは、産地が近いからだろ。
九州で当たり前に採れるベンガラは、建築物に塗る赤色塗料として一般的だぞ。
188日本@名無史さん:2014/03/11(火) 03:43:35.75
けっきょく倭人伝の記述とは合わないことが決定済みの九州説に合掌
189日本@名無史さん:2014/03/11(火) 04:28:32.09
丹生神社が九州の水銀朱の産地にも、
しっかり建立されている。

丹有り、とは言える程度に、丹の存在は認識されていた。

しかし、紀伊半島の丹の産地のように、
いたるところを穴だらけにするほど、
九州では必要なものではなかった。

あの異様な執着はなんなのだろうか?
190日本@名無史さん:2014/03/11(火) 04:38:12.23
九州説の人間は時間軸という観念がないんだな。歴史を語るには決定的な欠格事項だ。
191日本@名無史さん:2014/03/11(火) 04:43:05.74
大量の水銀朱の採掘、
銅鐸の大型化、
大量の三角縁神獣鏡の生産、
前方後円墳の均一化と大型化、

どれも異様な執着を見せ、実用的な範囲を超えて、
ガラパゴス化へ突き進んでいく傾向が見える。

こういうのは、外との関係が絶たれ、
独立で進化した時に起こりやすい現象である。

祭祀の手段であった道具が、いつのまにか
信仰そのものの目的になってしまい、

手段と目的を取り違えたようなものである。
192日本@名無史さん:2014/03/11(火) 04:44:51.18
銅矛って、知ってる?
193日本@名無史さん:2014/03/11(火) 05:01:23.68
おそらくは、赤色塗料や薬用であったと考えられる水銀朱は、
古墳の棺に大量に詰められ、水銀朱の保有そのものが、
信仰の対象と化す。

もともとは鐘のような演奏具として使われた銅鐸は、
大型化で鳴らせなくなり、鳴らすと割れるほど薄くなり、
置いて鑑賞する祭祀具となる。

死者の守りとして置かれた鏡は、三角縁神獣鏡として
大量生産され、鏡として磨かれることもなく、
鋳っぱなしで割られて、棺の周りに撒かれるようになる。

権力の象徴であった前方後円墳は、数百万人以上の労力を必要とする、
国を疲弊させるほどの大型化が進む。

全体的にいびつな方向に進化する傾向があるのである。
194日本@名無史さん:2014/03/11(火) 05:34:06.89
九州説の歪さに比べれば些細なことだが
195日本@名無史さん:2014/03/11(火) 05:51:52.05
基本的な誤りが多いのは九州説ならでは
196日本@名無史さん:2014/03/11(火) 05:58:53.66
九州説を半万年恨みたい
197日本@名無史さん:2014/03/11(火) 06:14:03.03
こいつ、畿内説への恨みだけで連投してるんだな。
198日本@名無史さん:2014/03/11(火) 06:30:23.19
九州説が憎くてたまらない
199日本@名無史さん:2014/03/11(火) 06:50:12.81
おうおう、気の毒に。学問をするという意識に欠けていて、ただ自分の思い込
みを無闇に信じたいというカキコの連続、罵り合いだね。
200日本@名無史さん:2014/03/11(火) 08:02:55.13
罵り合いは存在しません。
9州説におる罵りと、それに対する客観的評価しかありません。
201日本@名無史さん:2014/03/11(火) 08:20:42.18
九州説の人間は、どうしてそんなウソばかりつけるのか不思議です
202日本@名無史さん:2014/03/11(火) 09:12:20.94
>>191
だから中国人からは鬼道を用いるとされた訳だろう。
それに水銀朱は道教、神仙思想や錬丹術でも
欠かせない物だから、次第に大陸の方で需要が高くなるという事。
当然産地である紀伊半島方面が交易人の目的地となる。
倭人伝の記述の重要性なら丹>鉄だろう。
203日本@名無史さん:2014/03/11(火) 09:50:03.03
丹、鏡、桃とくれば道教=神仙思想そのものだろう。
また道教は仏教との親和性があるものだからな。
後に蘇我が仏教を推進する下地でもあるという事。
204日本@名無史さん:2014/03/11(火) 09:55:07.91
STAP論文、理研撤回検討 共著の教授「データに問題」
(産経新聞 3月11日(火)7時55分配信)

>理化学研究所などが英科学誌ネイチャーに発表した新型万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の論文に
>不自然な画像があると指摘された問題で、
>共著者の若山照彦山梨大教授が「STAP細胞の存在に確信が持てなくなった」として、
>筆頭著者で理研の小保方(おぼかた)晴子・研究ユニットリーダーらに論文の撤回を打診したことが10日、
>理研への取材で分かった。

>この問題を受け、理研は10日夜、論文の取り下げも含め検討していることを明らかにした。
>理研の広報担当者は「若山教授から(論文の取り下げを促す)メールを送った話は聞いている。
>論文の取り下げには共著者全員の同意が必要で、今後の対応を検討している」と話した。

旧石器から万能細胞まで捏造だらけ時代のようだ、畿内説は大丈夫か??
205日本@名無史さん:2014/03/11(火) 10:26:44.75
>>177
それ倭で鉄が産出しないと思われていたからだろ?
206日本@名無史さん:2014/03/11(火) 11:02:46.78
菅官房長官、理研に事実解明要請=STAP細胞論文
(時事通信 3月11日(火)10時44分配信)

>菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で、
>理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーらが発表した新万能細胞「STAP(スタップ)細胞」に関し、
>共同研究者の若山照彦山梨大教授が論文取り下げを呼び掛けていることについて、
>文部科学省を通じて理研に早期の事実解明を求めたことを明らかにした。

国家的・政治的問題に拡大してきたようだ。
207日本@名無史さん:2014/03/11(火) 11:54:28.85
九州バカは叩けりゃ何でもいいからなw
そりゃ「邪馬台国は畿内以外なら何処でもいい」
なんて言った九州説の某先生のようなのがいる位だし。
208日本@名無史さん:2014/03/11(火) 12:00:46.00
>>207
問うに落ちず、語るに落ちた畿内説
209日本@名無史さん:2014/03/11(火) 12:12:27.60
邪馬台国を絡めるのは確かにいいアイデアだったが
いつの間にか本人達もそんな気がしてきて
気付いたら退くに退けない状態になってしまった
210日本@名無史さん:2014/03/11(火) 12:35:05.94
吉野ヶ里説の高島先生のことですね
211日本@名無史さん:2014/03/11(火) 12:36:58.66
卑弥呼云々かんぬんより鏡などがでてんだからそっちの研究する方が先だろが
翡翠の勾玉やら採掘されなくなった謎もあるしな
212日本@名無史さん:2014/03/11(火) 12:38:00.50
銅鐸なんかもででんだろ
213日本@名無史さん:2014/03/11(火) 12:47:09.30
万葉集でやめとけば良かったんだよ
214日本@名無史さん:2014/03/11(火) 13:21:21.99
この辺は実は部民関係で記録残ってるけどな
大和朝廷で職業的に過去に独占だかで廃業されたんだってね
飛鳥奈良以前のこと分からないようであるところにはちゃん
と記録残ってるというね
215日本@名無史さん:2014/03/11(火) 14:28:20.91
正確か分からんけどな
216日本@名無史さん:2014/03/11(火) 14:44:49.87
どうなんですかねえ
近くに古墳あるから掘って来ようか?w
217日本@名無史さん:2014/03/11(火) 14:48:33.70
大型古墳ばかり目がいくけど忘れ去られたような小型の古墳なんかもけっこうあるからね
218日本@名無史さん:2014/03/11(火) 14:53:02.05
まあ土葬の習慣よねこれは
219日本@名無史さん:2014/03/11(火) 14:54:53.98
火葬の習慣は仏教以降だろうな
荼毘に伏すっていうくらいだから
220孝霊厨:2014/03/11(火) 16:15:34.11
今後は出雲出土の銅鐸と同型鐸から昨年は中国鏡、
また七世紀までの古墳の集積地である
上牧〜広陵の馬見丘陵地こそ要注目だと思うけどね。
信貴山こそ磯城山に他ならない訳ですよ。
221日本@名無史さん:2014/03/11(火) 19:12:10.55
道教てのが臭いんだよな
鬼は甕に入った人を象る文字で、死んだ人という意味だ。
仏教の餓鬼ももともと死んで苦しんでいる親族の霊であり、それを訳した言葉と言われている。
鬼というのは本来、ゴーストや幽霊みたいなものなのだ。
よって、鬼道とは、なんらかの霊に乗り移ってもらって神意を占う、シャーマニズム一般を指したもので
特定の宗教を指して言ったものではないと思う。
また丹が道教に明確に現れてくるのは4世紀の葛洪を待たなければならないはずで
3世紀の日本で丹を神仙思想と関連づけるのは難しい。
それと鏡は道教とは関係ないと思う
222日本@名無史さん:2014/03/11(火) 19:20:42.19
個人的な見解だが、道教は雑多な混淆宗教で明確な淵源が見つからない。
あえて原型を考えるならやはり神仙思想であり、それは崑崙山の西王母とその見習いである仙人を崇拝する山岳信仰と
彼らの駆使する術によって主に不老長寿を達成するという現世利益的な救済概念をもつ宗教ということだ。
東海の蓬莱山や青島半島の泰山、どこにあるのか分からない桃源郷などもあるが、
全体との結びつきが弱いことから後付けであろう。
共通しているのは、人里離れた遠いどこかへの憧れであり、安楽に生きたいというひたすらな願望。
なぜ、混淆宗教になったかと言えば
本来、山の人を意味するにすぎない仙人には、山岳信仰から不思議な力をもっていて自分を幸せにしてくれる人という
概念がすでに付加されており、結果、あとから入ってきた外来由来の神秘的な文明文化を扱う人にも
仙人という概念をもたせたために、基盤となる概念をもたない雑多な概念はこれにとりこまれていったのだと思う。
仙人、僊人とも書くが、「釈名」をまとめると、世俗から離れて山に遷り住む人を言うらしい。出家者と同じく隠棲する世捨て人、隠者であろう。

仙人には、その見習いに道士や方士がいるが、この道士は西王母などの神仙思想とは起源が異なり、
もともとは宗教という範疇にも属さない奇術家、特殊技術者の一群であったと思う。
まあ、道教の元になった隠者の思想、冶金、禅、経穴、医学などの源流は概してインドにあるので、仙人、道士、方士の術はチベットを通して
伝わってくるインドの学問だった可能性は高い。(経穴の書とされる黄帝内経も紀元前後の作と思われる。)
ともかく、神仙思想は同じく現世利益的なヒンドゥー教に似ているとは言えインド神話からあまりに切り離されていて
インド神話というバックボーンの上に作られているインドの学問とは相容れない。
よって、インド由来の学問を受容するさい、インド学問と結びついているインド神話を神仙思想にいちいち換骨奪胎して受容したものが
道教として発展していった可能性は考えられる。
223日本@名無史さん:2014/03/11(火) 19:28:34.75
漢書によれば紀元前後において、神仙は不老長寿の術、錬金術、氷を一瞬で水に変える術をもっており、崑崙山や蓬莱山に遊ぶことができるような
不思議な存在であると認識されていたようだ。注目すべきは、錬金術だろう。
前漢は製鉄技術が発達していたので、冶金学はおそらくインドに優越しており、これが葛洪の外丹術へと発展していったかもしれない。
だが、史記や漢書には冶金によって不老長寿の薬をつくるとの明確な記述は見当たらない。

道教は、神仙思想、インド諸学問、道家哲学、仏教的教義体系によって成り立っていて
教義ができたのは5世紀。相似性のある道家と仏教を混淆してつくったのであり
それ以前は、もっぱら神仙思想とインド諸学問の混淆であったと考える。
224日本@名無史さん:2014/03/11(火) 20:17:09.75
日本人は古来から山岳信仰はあったが、不老長寿への憧れはとくになかったように思う
なぜなら、国土は温暖豊かで長寿者もかなりおり、憧れるような存在でないことが分かっていたから。
長寿よりも自然を恐れ、神々の怒りを鎮めて、繁栄を享受することへの願望の方が大きかったと思う。
ただ、道教は日本古来の山岳信仰がやがて五行陰陽道や密教と混淆していったのと似ている。
225孝霊厨:2014/03/11(火) 20:22:22.63
タタラ製鉄なんてのも元々インド方面からの流れだろう。
タートルとは外洋の亀、タターラだね。
鞴もそのまま亀だしな。
226日本@名無史さん:2014/03/11(火) 21:34:35.36
>>225
何を訳のわからない事言ってるんだよ。
227日本@名無史さん:2014/03/11(火) 23:10:45.93
孝霊厨はアレなので相手にしない方がいいですよw


葛洪はあくまで古くからあった神仙思想をまとめただけではないでしょうか?
長江流域で古くからあった様々な土着信仰が合わさって、
二世紀末に五斗米道やら太平道の隆盛があったと思います。

天変地異が続き、人々は現世利益の神仙思想に飛びつき、
それは倭国でも同じだったのではないでしょうか?

あとまあ、秦の始皇帝陵に水銀の川や海があったように、
古くから水銀を不老不死のアイテムとして考えていたのでは?
228日本@名無史さん:2014/03/11(火) 23:58:12.67
>>227
説明不足で申し訳ない。
私は、道教の中核は山岳信仰と不老不死という救済概念の二つをもっている神仙思想だと思っていて
これ自体、周をつくった民族とともに継承されてきたものだと思っています。
西の崑崙山に西王母や仙人、中原の黄土に黄帝、黄河の治水によって黄龍、東海の果てに蓬莱山と、意識が東へと広がってくる中で
神仙思想も広がりをもっていき、桃源郷や蓬莱山などの要素が付加されていったのだと思います。
ただ、不老不死の薬に、辰砂などの冶金学を背景にした話がもぐりこむのは、前漢代以後ではないかと考えるのです。
なぜなら、その時期に製鉄技術の発展があったからです。
史記には水銀の話はありますが、それが神仙思想の影響を受けたものとは読み取れません。
前漢以後には神仙思想が流行ったらしく、例を挙げるに史記、漢書、淮南子と枚挙に暇がありません。
それで谷永のように、諌める臣下が多かったそうです。
ですが、その内容は冶金によって物を金に変える話が多く、冶金で不老長寿の薬をつくる話ではないです。(神仙思想に不老長寿の話はあります。)
五斗米道や太平道も三国志演技では金丹などの薬を庶民に与えたような話がありますが、正史では出てきません。
多くは4世紀以後の書物にしかないはずです。
それで、一般に道教で外丹術と言われる冶金術は4世紀前後に起源があるのではないかと考えている次第です。
229孝霊厨:2014/03/12(水) 00:02:18.97
まぁ結局はインドには注目せざるを得ないのだけどね。
これからは意外な物が発見されるだろう。
230日本@名無史さん:2014/03/12(水) 00:21:10.42
ちなみに外丹術は葛洪以降すぐすがたを消します。
そもそも外丹は毒ですから、抱朴子の書いてある通りの丹薬をつくって食せば死にます。
廃れて当然でした。
代わって起こったのは身体内に丹という不老不死の薬をつくろうという内丹術です。
体内にある丹田を耕して丹を錬成しようという話ですが、
理屈は外丹術の延長であるように見えてまるで違う。
実体は丹田はチャクラであり、呼吸法から瞑想法までヒンドゥのヨガにそっくり。
ヨガは初期のウパニシャッドにあるそうなので、インドから来た可能性は高いと思います。
231日本@名無史さん:2014/03/12(水) 00:41:59.61
おそらく、道教教団に丹という金属化合物をつかった不老長寿の薬はなかったと思いますね
丹が不老長寿に使われたという文献そのものが葛洪の名を借りた後代の作り話だと思います。
正一教のあり方を見れば、隠者が食べるような山川の粗食をもって世俗の穢れを落とし
より高位の存在になろうとする宗教的な行為があるだけではなかったかと思います。
穢れを落とすために山のものを食していたのを、周りの者があれを食べれば不老不死になると思うようになり
その都市伝説にあやかろうとしたものが、神仙思想に名を借りた冶金を行ったのがそのはじまりではないでしょうか。
五斗米道は一部の出家者というか隠者が、その徳行ゆえにカリスマをもって人々を統治するというスタイルだったのでしょう。
その淵源を探せば、やはりインドのヒンドゥ教に起源があるように思えます。
出家者という慣習もそうであるし、鬼道につかう麻薬などもヒンドゥ教では好まれるものだからです。
232日本@名無史さん:2014/03/12(水) 00:45:48.31
だからやはり、道教の中核は神仙思想という話になる
233筑紫倭皇帝:2014/03/12(水) 09:26:44.47
大国主=元々の漢倭奴国王の可能性大。
    邪馬台国天孫族以前の博多湾沿岸(倭国の都)の覇者であり
    天孫族(国産み・天孫降臨)により出雲へ追放(国譲り)される。

邪馬台国=博多湾沿岸部を都とする 倭国 の覇者。
     日本書紀によれば卑弥呼=神功皇后の可能性もあり。

天孫族=博多湾沿岸部の斯馬国(志摩)を聖地とする
    日本を古代より現在まで支配する世界最古で最後??の皇帝。
    自分たちの祖でもある大国主から博多湾沿岸(筑紫・高天原)奪い、
    大国主を出雲に追放する。

博多は古代より覇者の住むところとして 覇家臺=覇者・皇帝の住む処。家がある処。 と呼ばれる。
元寇の時もその名残で、元軍はなぜか当時の都・鎌倉ではなく、古代より覇者の住む処 博多 に全軍を集結させる。

天孫族による九州の国別けも「筑紫国・肥国・豊国・熊襲国」とあり
筑紫国だけ博多湾沿岸部だけというものすごい範囲の狭さ。
これは博多湾沿岸部の「筑紫国」だけは天孫族にとって特別な「国」だという事の証であり、
「高天原」は博多湾沿岸か博多湾沿岸部の中にある狭い土地(範囲)であることが考えられる。

全てこのことから古代史を解いてみろ。
全ての歴史がきれいにつながっていくからな。

そのうち俺の亜流が本を出すのだろうな・・・
俺にはその才能がない・・
234日本@名無史さん:2014/03/12(水) 09:50:47.32
健康が一番ということだねぇ
235日本@名無史さん:2014/03/12(水) 09:55:40.72
ことに脳の、な。
236日本@名無史さん:2014/03/12(水) 10:27:07.87
3世紀、三輪山のふもとに、前代未聞の宗教的空間があったことは判明した。
その宗教は多分に初期道教の亜流くさいもので、日本列島のかなり広域に亘って影響を及ぼした形跡がある。
あるいは神道の源流のようでもある。
3世紀中葉は畿内に中華文明の影響が出現する画期であり、4世紀に入ると中華色が薄れて半島系に染まっていくが、これは二郡の消滅に呼応している。
このトレンドを読めば、畿内説が既に「説」でないことは明らかだろう。
237日本@名無史さん:2014/03/12(水) 10:41:16.52
>>233
>全てこのことから古代史を解いてみろ。
全ての歴史がきれいにつながっていくからな。

九州説は間違いなく成立しないという結論になるのは確実w
238日本@名無史さん:2014/03/12(水) 12:06:14.10
初期道教は中華色というより西インド色が強いな。
239日本@名無史さん:2014/03/12(水) 12:40:27.60
九州説が成立しないどころか、畿内説のほうが自然消滅してるわけだが
240日本@名無史さん:2014/03/12(水) 12:49:06.69
まぁ九州説と対比という意味では畿内説は消滅しと言ってよい。
既に説というレベルではなく、決定事項といっていいからな。
241日本@名無史さん:2014/03/12(水) 12:56:00.00
むしろ九州説という珍説が、なぜ一時期
成立しえたのか?という研究の方も面白いかもな。
242日本@名無史さん:2014/03/12(水) 13:12:16.73
覇家臺って中世の呼び名だろw
243日本@名無史さん:2014/03/12(水) 14:42:05.50
そりゃ政治的なものでしょ。
皇国主義者は天皇家が中国に臣従して朝貢したという黒歴史を消したかった。
だから九州説を創り出したんです。
244日本@名無史さん:2014/03/12(水) 14:54:28.37
皇国主義とかそんなのはどうでもいいが朝廷の正体ってなにかの?
左弁官、右弁官、この辺で正体ばれてるけどな
どうみてもヤバイのは中国の方
245日本@名無史さん:2014/03/12(水) 14:56:55.90
ウヨだのサヨだの騒いでるのはこの名残り
武士たちが天皇排除に向かったのもある意味当然
246日本@名無史さん:2014/03/12(水) 16:40:48.03
九州説の根源が皇国史観なのが知られたくないので話題そらしに必死だね
247日本@名無史さん:2014/03/12(水) 16:46:57.91
まあ正確には中国なんて国は無いのだから、
今や気にする必要性もないんだしな。
始皇帝だって基をたどれば西から来てるだろう。
248日本@名無史さん:2014/03/12(水) 17:40:44.67
>>243
ただバカなことに
ヤマト朝廷は、倭の五王でも中国に朝貢して官位を受けている。
だから、戦前、一時期、倭の五王まで、九州の豪族が勝手に
倭王を名乗ったという説もあった。
249日本@名無史さん:2014/03/12(水) 17:41:56.88
>>246
旧皇族の竹田がまさしくそれ。
やつは邪馬台国九州説なんだけど、
卑弥呼が天皇家の女性だと、それが都合が悪いのだよ。
250日本@名無史さん:2014/03/12(水) 17:53:32.43
高天原の高天とは、高野山と天野山の山間の地域一帯。
現在の奈良県の橿原市、葛城市、御所市、五條市、橋本市のあたり。

高千穂は九州高千穂
251日本@名無史さん:2014/03/12(水) 22:15:49.03
国号を倭から日本に変えたことが華夷秩序からの決別の証だったんだろう
それ以来、皇室は直接シナ王朝と交際していない。
252日本@名無史さん:2014/03/13(木) 09:29:11.58
>>250
畿内のような後進地から九州に行くわけない。
253日本@名無史さん:2014/03/13(木) 09:55:33.05
このように、常に九州説は思い込みから出来ています。
254日本@名無史さん:2014/03/13(木) 10:44:56.60
246
アホか〜ね〜
天皇が歴史的にみてもどこかに幽閉されたりしてんのはガン無視か?
飛鳥京、奈良京だの移転しまくったのもこのころ
大和の都放棄して京都に移ったときに残った天皇とかもいたんだよな
その辺の歴史消されてんのか?
255日本@名無史さん:2014/03/13(木) 12:02:20.87
消されたのは対中国史だろうな
256日本@名無史さん:2014/03/13(木) 14:49:56.21
>>254がいかにダダコネしても、九州説が皇国史観の人々によって政治的意図たっぷりに創造された、という現実の近代史は消せない。
257日本@名無史さん:2014/03/13(木) 15:02:44.60
薩摩長州人が滅茶苦茶にしたんだよ。
仁徳天皇陵をはじめ、畿内の古墳荒らしてたのも薩摩人だたしな。
258日本@名無史さん:2014/03/14(金) 09:39:26.62
>>257
こう言っちゃ何だが、
税所の盗掘のおかげで大仙陵の副葬品が明らかになり、
騎馬民族説というクソ説を論破することが可能になってる。
副葬されてた甲冑が日本製であり、大陸の物ではないからな。
259日本@名無史さん:2014/03/14(金) 20:10:02.78
甲冑は調査の時で、盗掘は清掃小屋で1年間暮らしてた時じゃね
260日本@名無史さん:2014/03/15(土) 17:33:28.66
堺市は未だに大仙陵古墳を仁徳陵と呼んでる。
世界遺産を目指すなら、まず学術的な検証が必要なのにな。
せめて「伝」仁徳陵と記載すべきだろう。
261日本@名無史さん:2014/03/15(土) 19:48:30.55
大仙陵は5世紀中頃と言われてたが、
須恵器の編年から5世紀前半頃になるらしいね。
したがって仁徳で間違いないとは思うが、
そうすると伝・履中陵(上石津ミサンザイ)が誰の墓かわからなくなる。
262日本@名無史さん:2014/03/15(土) 20:16:10.33
お歯黒の風習のあった畿内は黒歯国だったんじゃないかな。
263日本@名無史さん:2014/03/16(日) 08:50:04.31
まぁ既に確定した畿内説なんて主張するまでもないしな。
264日本@名無史さん:2014/03/16(日) 09:01:33.51
もう、そのまま教科書に載るだけっぽいしね
265日本@名無史さん:2014/03/16(日) 16:18:26.21
STAP細胞の小保方さん、どうもだめらしいな。
怪しいと思われたのは、ほかの学者が同じ実験を繰り返しても
同じ結果が得られなかったことによる。自然科学というのは
そういう風にして他の人が確認しないと認められない。

そこで思い出すのは、年輪年代法。畿内説は、都合が良いという理由だけで
これに飛びついた。追試は出来ない。検証もできないのに。
そして、これを根拠に畿内の年代を100年繰り上げた。

ひどい話だが、もっとひどいのは、これをなかったことにしようとする連中。
結果だけちゃっかりいただいて、年輪年代法については「おりゃ知らん」
みたいな顔をしている連中。

畿内説というのはこんなもの。学問の世界の話ではない。
さらにひどいのは、畿内説を既成事実化しようとしていること。
ヤマト政権なんてどこから出てきたのやら。
まるで、旧石器捏造の世界だ。
266日本@名無史さん:2014/03/16(日) 16:24:01.99
>>265
年輪年代法に関しては、他の学者もやるべきだな。
ただし、そのことを指摘すると
年輪年代法が確立する前までの考古学年代も
実はまったく科学的に根拠のない怪しいものとなる。
267日本@名無史さん:2014/03/16(日) 17:11:24.56
何度完全論破されても
「これを根拠に畿内の年代を100年繰り上げた」
というウソ宣伝を繰り返す粘着厨がまた来た

九州説って、畿内説を中傷できるなら
どんな汚い手でも使うんだね
268日本@名無史さん:2014/03/16(日) 17:16:13.71
つうか畿内説が年代を繰り上げたことで
北部九州の土器編年に近くなった
もともと九州の考古学は現在に近い実年代観を主張してたわけだ
なぜそっちを批判しないんだろうな
269日本@名無史さん:2014/03/16(日) 17:16:33.02
今は文献解釈だけでも充分畿内説を証明できるしな。
270日本@名無史さん:2014/03/16(日) 17:19:15.31
北部九州は甕棺によって非常に精密な編年がなされ
しかも年代の指標となる大陸の遺物も多い
そしてその年代観を支持する畿内の学者も
年輪年代以前から多くいたわけで
271日本@名無史さん:2014/03/16(日) 17:19:42.67
>>265
>追試は出来ない。検証もできないのに。

だから名大の中塚教授の新しい方法は1年単位まで判明するのだからそれで充分でしょ。
272日本@名無史さん:2014/03/16(日) 17:21:27.82
畿内説は新しい年代測定方法に期待している
現在の庄内〜布留の年代が大きくずれるとは考えられない
273日本@名無史さん:2014/03/16(日) 19:15:16.10
>>270
>しかも年代の指標となる大陸の遺物も多い

畿内説でもその辺が奴国や伊都で問題ない訳だからな。
274日本@名無史さん:2014/03/17(月) 03:55:34.31
たとえいくら年代が同じでも
距離も方角も違う畿内説は
成立する余地がない。

そんなことも判らないのかなぁ?
275日本@名無史さん:2014/03/17(月) 04:47:03.50
むろん年代も違い
距離も方角も違う九州説に
成立する余地などないことは

当然お判りですよね?
276日本@名無史さん:2014/03/17(月) 08:05:06.05
伊都国の南にないし、水行10日陸行1月の場所でない。
東方海上に倭種の国もないし、その南に侏儒国もない。
東南水行1年の裸国、黒歯国の場所もない。
そんな場所に邪馬台国を確定するなんて、トンデモ説もいいところ。
277日本@名無史さん:2014/03/17(月) 08:50:45.69
確かに今はもう邪馬台国=畿内説しか無理だろう。
278日本@名無史さん:2014/03/17(月) 10:02:16.01
だから九州説は>>276みたいに街宣車よろしく
理由なしの結論連呼しか道がないんですな
279日本@名無史さん:2014/03/17(月) 10:23:56.82
九州説は基本的に半島人の主張手法そのままだからな。
根拠もなしに九州を全ての始まりにしたいだけの話。
280日本@名無史さん:2014/03/17(月) 10:28:11.09
採り上げる論拠が全部詐欺、という畿内説ほどじゃありませんが
281日本@名無史さん:2014/03/17(月) 11:49:41.12
なんの証拠も出さずに、そんな中傷をいくら連呼しても
九州説の品位を汚すだけなのに
282日本@名無史さん:2014/03/17(月) 12:17:37.95
詐欺かどうか検証するから根拠を出せと言っても出さないのが九州説。
年代見直すと九州説にも色々影響が及ぶのにそれは無視w
畿内を新しくても、吉備や阿波がクローズアップされるだけなのに。
本当に従軍慰安婦の主張する連中と全く同じなんだよな。
283日本@名無史さん:2014/03/17(月) 12:31:12.66
△鏡、箸墓、年輪、桃種、鯖骨など、中身が空っぽの打ち上げ花火で
詐欺を強行するのが、畿内説。詐欺はどう言い訳しようと、詐欺は詐欺。
畿内説はどこまで行っても詐欺。
284日本@名無史さん:2014/03/17(月) 12:39:13.50
九州は倭人勢力が少ないね、縄文時代からずっと
九州を避けて渡来してるから、非常に排他的な民族だったと考えられる
長江流域の水稲栽培が4千年伝播しなかった原因だな
285日本@名無史さん:2014/03/17(月) 13:01:29.82
いくら言われても絶対に根拠を出さず
ただ詐欺詐欺詐欺詐欺と連呼する九州街宣車が通りました
迷惑ですね・・・
286日本@名無史さん:2014/03/17(月) 13:18:19.51
畿内詐欺は迷惑です
287日本@名無史さん:2014/03/17(月) 14:34:13.35
日本での農耕の始まりが、当初言われていたよりも
ずっと古い時代から始まっていたとされるようになってきたんだから
当然、2000年くらい前の日本列島の推測も大きく異なるだろう?
何が大きく違ってくるかというと、その時代の人口推定値だったり、
九州と畿内の発展度の違い。
農耕の開始時期が遅いほど、2000年前の日本で、九州>畿内となるのだが
農耕の開始時期が早いほど、2000年前の日本で、畿内>九州となるんだよ。
288日本@名無史さん:2014/03/17(月) 14:51:02.86
大局的には、畿内の農業は大規模組織的農業で、
よその土地にいる権力が畿内を開発させた印象。
289日本@名無史さん:2014/03/17(月) 16:10:05.08
>>288
意味わからんね。
290日本@名無史さん:2014/03/17(月) 17:19:23.45
九州土器の権威・柳田さんまで畿内説なのは笑えるw
九州説しっかりせいよw
291日本@名無史さん:2014/03/17(月) 17:22:01.19
九大はほとんど畿内説だな
292日本@名無史さん:2014/03/17(月) 17:43:58.74
今はもう、学者に九州説なんていないだろ
293日本@名無史さん:2014/03/17(月) 18:27:26.80
関西考古学の権威を代表する故・森浩一教授が

九州邪馬台国論者だったってことが爆笑できるwww

畿内説者達の自信が乏しさから来るネット工作忙しいな♪
294日本@名無史さん:2014/03/17(月) 18:54:27.73
生活がかかってる奴は、みな畿内説www
295日本@名無史さん:2014/03/17(月) 19:40:16.47
森浩一は考古で地方に元気をみたいな、村おこしの草分け的な人だったな
296日本@名無史さん:2014/03/17(月) 20:18:41.27
>関西考古学の権威を代表する故・森浩一教授

関西考古学の権威を代表してません。

昔はそういう時期もあったかもしれないが、
韓国の円墳を前方後円墳と間違えたり、
北朝鮮の積石塚を日本の前方後円墳のルーツだと言ったり、
稀代のおっちょこちょい。
297日本@名無史さん:2014/03/17(月) 20:22:57.60
つうかだな

>関西考古学の権威を代表する

こういう言い方は森の最も嫌うとこなんだけどな
あの人は反権力・反体制で、自分が権威とか言われれば虫唾が走るだろ
298日本@名無史さん:2014/03/17(月) 21:14:36.19
反権力・反体制だから多数派たる畿内説には与することができなかったってことだな
299日本@名無史さん:2014/03/17(月) 22:18:05.50
畿内説のいかがわしい利権に反感したんでしょう。
300日本@名無史さん:2014/03/17(月) 23:56:08.78
考古学者で九州説なんてもう殆どいないよ。
もう有り得ないのは判ってるから。
301日本@名無史さん:2014/03/18(火) 01:26:49.61
森は、京大から追い出された大学者の弟子だったから、ただ恨み辛みで反発してただけ臭い。
その証拠に、きちんと理論付けされた異論ではなく、その場の思いつき発言が多い。
302日本@名無史さん:2014/03/18(火) 01:36:20.89
△鏡も箸墓も、ぜんぶ嘘八百だったから嫌になったんだろう。
303日本@名無史さん:2014/03/18(火) 02:05:18.20
>>300
その恩師ともいえる大学者に対しても後ろ足で砂をかけるようなことをしでかしてる
世間に知られるようになったきっかけはイタスケの保存運動だし、もともとスタンドプレーが好きだったみたいだね
304日本@名無史さん:2014/03/18(火) 03:49:06.40
悪事を大いに反省して、畿内説から足抜けしたんだろう。
305日本@名無史さん:2014/03/18(火) 05:23:22.33
マスコミに密着して名前を売っただけで、森には特に目立った業績はないだろ
306日本@名無史さん:2014/03/18(火) 05:27:16.83
やれ△鏡だ、箸墓だ、年輪だなど、詐欺で名前を売り込まなくてよかったな。
307日本@名無史さん:2014/03/18(火) 07:34:49.30
元々△国産説だった俺には大歓迎だわ。
308日本@名無史さん:2014/03/18(火) 07:57:26.28
なにを歓迎?
誰も来てないけど。
309日本@名無史さん:2014/03/18(火) 08:51:07.74
森さんにはお迎えが来た。
310筑紫倭皇帝:2014/03/18(火) 10:27:48.72
>前原あたりは、微妙な海岸線の傾きに誘われて、
 海側を北としたくなるのは確か。

>方向のずれは25〜30度程度だ
 北部九州の海岸線の傾に惑わされたのだろう

「こういった九州北部の海岸線の難しい傾きにより魏使が勘違いしたのだろう」、
といった提唱は俺がしたもので、解かる者には分かる 「正しい論」 になったが、

実際に現代の福岡市民北九州市民のほぼ多くが、
福岡人からすれば「北九州市は福岡市の東にある」
北九州人からすれば「福岡市は北九州市の西にある」というのが大部分の意見だが、
実際は北と南に大きくずれてるのが事実である。

現代人ですら勘違いするこの九州北部の地理感は当時の魏使や倭人をも勘違いさせていた事は間違いない。

しかし、俺が提唱したこの説はやっぱ分かる人には分かるもんだな。
311日本@名無史さん:2014/03/18(火) 10:34:57.76
東大が九州説、京大が畿内説といわれていたのは、遠い昔の話。
今では、東大であろうが、京大だろうが、九大だろうが
9割以上が畿内説だよ。
アカデミックの場では、畿内説で決定。

逆に、九州説というのは、在野の歴史学者だったり、歴史作家とか小説家とかが
九州説を押してくるのが多い。
安本さんは、専門分野が心理学という在野の歴史学者w
彼らは当然、在野のアマチュアなので、本とか売って生計たてているから
商売のために必死に九州説を押してくる。
312日本@名無史さん:2014/03/18(火) 10:40:22.71
魏志倭人伝の出典元の魏書は、
自国の中国大陸の地理の方角ですら、間違っている箇所が多いからな。
自国ですら間違って記述しているのに、外国の日本の地理なんて
間違っていて当たり前だろう?
313筑紫倭皇帝:2014/03/18(火) 10:43:00.58
>>311
ばか、先生方は畿内派じゃないと研究費がおりないからだよw
学会はどうにかして畿内に持っていこうとしてるのが現実。

畿内説じゃないと研究費という名の国民の血税をもらえるという
あたたかいぬるま湯につかれないからだよ。

逆に九州説は学会に無視され、それを押す研究室に血税はもれええず
九州説を真剣に研究すればするほど実費で自分の財布事情がさみしくなるのが現実だからだよ。

これが現実というもんだ。
少しは勉強になったか?小僧。
314筑紫倭皇帝:2014/03/18(火) 10:51:12.80
福岡と唐津もそう。

福岡人の大部分は
「唐津は福岡の西にあると思ってる。」
決して
「唐津は福岡の南にあると思ってる」人は皆無に等しい。

しかし、実際は唐津は福岡の南にある。

現代人でも困惑するようなこの地理関係に当時の魏使は惑わされ勘違いしたのだろう。

この説も俺がここ(2ちゃん)で提唱したものだ。
俺の感性の鋭さが際立つな(笑)
315日本@名無史さん:2014/03/18(火) 11:01:43.61
唐津は福岡の西に有るが正しいな
南に見えるのは頭が悪い
316日本@名無史さん:2014/03/18(火) 11:48:51.29
おい、そこのうすばか!

どうして畿内説は研究費が貰えて、九州説だと貰えないんだ?
理由が言えるなら言ってみな。
317空飛ぶクラゲ満州:2014/03/18(火) 11:55:06.22
× 俺の感性の鋭さが際立つな(笑)
○ 俺の感性の凡庸さが際立つな(笑)
318日本@名無史さん:2014/03/18(火) 12:18:28.19
>>313
畿内説をでっち上げて研究費を貰った人なんていたっけ?
オレの知ってる専門家は、邪馬台国には近寄らないってスタンスの人が多いが。
ややこしいのに巻き込まれたくないってw

邪馬台国という言葉を使わず、発掘の結果をまじめに考えると、三世紀の奈良盆地に
広い地域(吉備、東海ほか)から土器の流入が見られ、人の集住があったことが
確認できる。巨大古墳に繋がる系譜を持つ初期の古墳が多数見られる。
この時期の九州にはそういったことは認められない。
国家の揺籃期は、奈良盆地の東南部から始まったと考えて差し支えない。

九州で吉野ヶ里がいくつ見つかってもダメなんだよ。弥生中期にどんなに
栄えていても、邪馬台国にはならないから。
それに、纏向が消えてなくなるわけじゃないから。
319日本@名無史さん:2014/03/18(火) 12:40:25.55
畿内説を訴える事でご褒美がもらえる既得権益構造が問題だね。
320日本@名無史さん:2014/03/18(火) 12:43:48.07
新天地に土器を作る労働力が大量に連れてこられただけのこと
皇統とは関係ないので基本記紀には載らない
321日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:03:48.33
まぁアレだな

畿内説は寄せ集め系ほど強く支持される訳だけど。
322日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:33:07.99
本当に九州説の僻み根性が情けないねw
323日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:39:27.94
>>311
旧石器捏造事件で、佐原眞は「絶対多数の考古学の人は成果を認めてきた」
と言っている。捏造したものを絶対多数の考古学者が認めてきた。
考古学ってのはこんなもんだ。

だいたい、畿内説の考古学的根拠は何なんだ。
これについては誰も言わない。ただ、考古学的には畿内説、
学者のほとんどは畿内説と念仏のように繰り返すだけ。
324日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:46:22.15
おじいちゃん! お昼ごはんなら、ちゃんと食べたでしょ?
もう何度も「食べてない!」「食べてない!」って、もう。
325日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:47:45.35
ちなみに、捏造された旧石器時代については教科書にまで書かれていた。
誰にも反対意見は言わせない。出版物や教科書にまでそれを書いて
既成事実化しようとする。考古学会はこんなもの。

邪馬台国畿内説も瓜二つ。たとえば教科書も文部科学省の学習指導要領では
大和朝廷になっているのに、ヤマト王権などという妙なものを教科書に
載せている。ヤマト王権がどんなものか調べればわかるが、
まさに、畿内説に沿った豪族の連合を意味する。
これは最近のことで、戸惑っている人も多い。
こういうことに非常に危険な臭いがする。
326日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:50:41.02
畿内説の根拠なら沢山あるだろ。
まず弥生後期、七万戸の戸数だけでもまず
北部九州説は完全に候補から脱落する。
また丹山も阿波と紀伊半島が主産地だからな。
また銅鐸を造れている時点で、鉄の優位性なんて
主張する意味すら無いw
327日本@名無史さん:2014/03/18(火) 15:54:08.87
>>326
七万戸ってどこから出てきた?
弥生後期の近畿地方にそんなに人の住んでいた痕跡はないだろう。
328日本@名無史さん:2014/03/18(火) 16:00:16.58
吉野ヶ里でも推定戸数は数百だからな。
同時期なら高知の遺跡が現時点で最大級だ。
また松山のも劣らず大規模だしな。
他にも妻木晩田や鍵唐古etc、弥生後期に九州だけに
こだわる考古学学者なんている訳がない。
329日本@名無史さん:2014/03/18(火) 16:02:53.04
諸説あるが

吉野ヶ里内部で1500から2000人、
吉野ヶ里支配地域で20000人程度と言われているようである。
330日本@名無史さん:2014/03/18(火) 16:03:25.76
>>327
倭人伝の七万戸にこだわるなら、相応の広さを見ればいいだけだ。
畿内と淡路島周辺の遺跡を合わせりゃいいだろう。
331日本@名無史さん:2014/03/18(火) 16:15:01.21
畿内説だと、西日本全土を都合よく「領土」と看做すから、何でもありだな。
332日本@名無史さん:2014/03/18(火) 16:51:56.42
弥生後期に銅鐸圏は北部九州から東海地方にまで広がってるからな。
未だに九州島のみにこだわる連中なんて、
特殊な思想を持つ連中か、単なる馬鹿しかいないよ。
333日本@名無史さん:2014/03/18(火) 17:20:12.55
九州説は生命線を絶たれたから、考古学が憎くてしようがないんだな。
だから、ひたすら誹謗中傷する。
334日本@名無史さん:2014/03/18(火) 17:35:07.40
初期ヤマトと瀬戸内東との関連性の高さは考古学的な裏付けも進んでいる。
しかもご丁寧にモモソは最初讃岐にいたという裏付けまであるのに。
なんの根拠もない九州説なんて、既に
畿内説と対とする存在ですらないんだよなw
335日本@名無史さん:2014/03/18(火) 17:37:55.33
畿内説だと、金印の志賀島も畿内にある首都一部なんだよな。
どこかのハンナラ説とそっくりだな。
336日本@名無史さん:2014/03/18(火) 17:52:50.37
妄信畿内説キワード
学会 主流 常識 総意・・(笑)
337日本@名無史さん:2014/03/18(火) 18:04:31.24
志賀島は伊都津彦の活動拠点だから畿内ではないなw
その男王である伊都津彦は山口辺りで王権の境界を主張しているのだから、
当然筑紫は女王国ではないだろう。
338日本@名無史さん:2014/03/18(火) 18:43:53.14
>>335が誰も主張していない変な説を考案して、畿内説だと言い始めた。
九州説の人は捏造が好きだな。
そういう習性なんだろうか・・・
339日本@名無史さん:2014/03/18(火) 18:53:56.40
畿内説でもええけど

あらゆる点で求心力の無い奈良盆地だけはやめとけ

むしろ岐阜あたりのほうが良質の鏡とかざくざくだしさ
340日本@名無史さん:2014/03/18(火) 18:57:16.05
などと、また根拠のない断定をする九州説の痴愚が恥をかくのであった
341日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:06:15.47
倭絹が出ず、宮室、楼観、城柵がない奈良盆地は、100%無理だからやめとけ。
342日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:13:20.86
中国製の小札革綴冑(3世紀後半〜4世紀前半)が10数点出土してるが、
九州の1点(石塚山古墳)を除いて、残りすべてが畿内だ。
時期的にトヨの朝貢時に入手したものと考えられるので、
これは王権が畿内にあった証拠なのだ。

九州説ハウス、シッシッ。
343日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:42:06.19
トヨさんの朝貢のときにそんなのもらったっけか?
344日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:50:04.12
>>343
記録にあれば議論の余地すらない。
記録にはないが充分入手したことが考えられる。
というかトヨの朝貢時期以外にあるまい。
345日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:50:39.58
卑弥呼の時も含めて、鎧、甲冑の類をもらったという話は無いね。
346日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:55:37.53
>>345
もらったのでなく現地で自ら入手したのだろう。
それともあんな高度なものが日本製だとでも言うのか?
347日本@名無史さん:2014/03/18(火) 19:59:34.65
http://gunsight.jp/c/sankou-02.htm

お手本の一つや二つは輸入しただろうけど、
古墳時代初期には国産でも作っているようだね。

該当するものが、何を持って中国製とされたのかは知らないが。
348日本@名無史さん:2014/03/18(火) 20:03:12.55
九州説ってマジで何言ってるか分からないんだけど
これはまともって説を述べてるサイトあったら教えてくれ

基本知識を持っている人がいないので議論していても楽しくない
349日本@名無史さん:2014/03/18(火) 20:05:29.83
畿内説の根拠って、魏志倭人伝に「出てこない」ものばかりだなw
350日本@名無史さん:2014/03/18(火) 20:06:46.89
弥生中期から鉄を輸入したりしてたんだから、
弥生後期から古墳時代初期にかけて、
戦に関わるものを入手することもあるだろう。

で、小札革綴冑と倭人伝をどう読み取れば、トヨさんにつながるのかね?

年代が近いというだけかい?
351日本@名無史さん:2014/03/18(火) 20:21:06.19
似たデザインの鏡の出土地のが
苅田石塚山古墳 原口古墳 赤塚古墳 中小田1号 備前車塚 椿井大塚山 万年山 御陵古墳 新山古墳

小札革綴冑の出土地のが
http://www.google.co.jp/search?q=%22%E5%B0%8F%E6%9C%AD%E9%9D%A9%E7%B6%B4%E5%86%91%22+site%3Awww.isekiwalker.com

石塚山古墳から吾作銘のがでているから4世紀後半から5世紀のじゃろね
352日本@名無史さん:2014/03/18(火) 20:53:59.03
大体黒塚古墳からは黄どうらしいU字型鉄製品も出てるしな。
353日本@名無史さん:2014/03/18(火) 20:57:44.51
>>348
コテハンにして九州スレに殴り込みかけてみたら?
354日本@名無史さん:2014/03/18(火) 21:02:21.40
邪馬台国に無関係な知識が豊富だって自慢されてもな。
355日本@名無史さん:2014/03/18(火) 21:08:40.13
>>353
九州スレ見たけど似たような感じなんだが。
論理思考ができないやつの集まりだろ
とりあえず、一般的な説ってのを知りたいんだがいいサイトがあれば教えてくれ
356日本@名無史さん:2014/03/18(火) 21:31:59.09
そもそも甲冑の年代は、
土器編年の定点として使ってて、
直接卑弥呼やトヨの年代として
使うものではない。
357日本@名無史さん:2014/03/18(火) 21:36:36.12
つまり、甲冑と同時に出てくる土器は
この年代だから、数世代前のこの土器だと、
卑弥呼時代だ。

だから、この土器が出る○○古墳は
卑弥呼の古墳だ。

といった具合に使うもんだ。
358日本@名無史さん:2014/03/18(火) 21:55:09.05
>>347
>古墳時代初期には国産でも作っているようだね。

どこにそんなことが書いてあるのだ、いい加減なこと言わないように。
3世紀後半と言えば木製短甲から鉄製短甲に移行した時期。
そんな高度なものは作れない。
ゆえに中国製でほ間違いない(高橋工)
359日本@名無史さん:2014/03/18(火) 22:43:57.88
>>355
まあ、九州説の大半は70年代に青春期を迎えて、
松本清張や高木彬光の娯楽作家が書いた文章によって
エンターティメント的に引き込まれた人が多いからなぁ。
その後、安本古田の両人により洗脳されて、
この四人の主張を踏襲していまだにいじくりまわしてる。
そういったものを楽しむのが九州説なんで
おススメサイトってのは特にないねぇ。
360日本@名無史さん:2014/03/18(火) 23:01:40.59
>>359
大筋論が知りたい
361日本@名無史さん:2014/03/18(火) 23:09:05.32
362日本@名無史さん:2014/03/18(火) 23:28:31.66
いいかげんな乞食や日本処忌に

邪馬台国や倭人の歴史的記録が

記述されてないから謎が深まるんだよな
363日本@名無史さん:2014/03/19(水) 01:12:51.07
>>355

> とりあえず、一般的な説ってのを知りたいんだがいいサイトがあれば教えてくれ

更新が止まって久しいが、初心者には、昔からここが質量的には一番と言われている。
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/index1.html
364日本@名無史さん:2014/03/19(水) 09:10:54.13
365日本@名無史さん:2014/03/19(水) 09:37:20.54
相当のトホホだな、こりゃ
366日本@名無史さん:2014/03/19(水) 11:32:19.83
>>359
よく分かる。そのとおりだw
いや、過去形だな。
20年前の安本説は面白かった。

九州説は。古墳時代の開始を300年にしたから、それより昔の記紀にない時代を
九州にしたのか。
邪馬台国時代の紀年銅鏡が近畿から出てくるのに、伝世したんだとか、無理やり
時期をずらしてるからな。
367日本@名無史さん:2014/03/19(水) 12:26:11.68
まぁ、木材の年代は名大の中塚教授の新手法によって明らかになるから。
追試ができないと批判されてた年輪年代法も追試可能となったわけだ。
368日本@名無史さん:2014/03/19(水) 12:26:18.76
安本なんてもはや工作員を疑ってもいいレベルだw
銅鐸が北部九州や出雲から多量に出土しだした時点で終わったんだよ。
369日本@名無史さん:2014/03/19(水) 12:26:32.70
景初四年鏡は有名ですねえ。
あれが決め手でしたね。
370日本@名無史さん:2014/03/19(水) 12:27:46.64
>>368
銅鐸は北部九州から大量に出土してねぇだろ。
371日本@名無史さん:2014/03/19(水) 12:35:27.72
倭国の大乱は、2世紀終わりくらいの話になる。
梁書に霊帝光和年中と書かれていて、これは西暦178年〜184年であり、
これくらいが三国志や後漢書に照らし合わせても妥当だろう。
この倭国の大乱の後で卑弥呼が女王になった。

つまり、このときに邪馬台国は存在していたわけである。

しかし、畿内説によると、それ以前には邪馬台国はなかったということらしい。

畿内説によると、各地の豪族が連合して、新しい都である纏向を建設し、
卑弥呼を女王にしたということらしい。こう書くと、畿内説のお馬鹿さんの
中には、纏向はもっとずっと前からあったというのも出てくる。
そんな人はここを参照。
http://www.city.sakurai.nara.jp/maki_c/info/iseki.html

纏向は卑弥呼時代に合わせて年代を決めているわけである。
卑弥呼時代を含まなかったら邪馬台国ではありえないから。

また、九州の入っていない邪馬台国連合なんてのはありえないから、
九州から東海あたりまでが邪馬台国連合というわけらしい。
誰が言い出したのか、どうしてみんなが従ったのか知らないが、
まあ、古代にすごい連合を考え付いたものだと思う。
372日本@名無史さん:2014/03/19(水) 13:07:16.69
>九州の入っていない邪馬台国連合なんてのはありえない

心配しなくても九州はほとんど入ってない
玄界灘の沿岸部だけ
漢人はまだ奴国の中心部にも住めず、糸島のような内陸からの防御性が高い
場所にしか住めない状態であった
「その種族の人々を鎮撫し、努めて孝順させよ。」
373日本@名無史さん:2014/03/19(水) 13:16:28.11
奴国ってなによ
374日本@名無史さん:2014/03/19(水) 13:25:44.89
奴国 wikipedia

奴国(なこく、なのくに)とは、1世紀から3世紀前半にかけて、
『後漢書』「東夷伝」や「魏志倭人伝」にあらわれる倭人の国
である。大和時代の儺県(なのあがた)、現在の福岡市付近
に存在したと推定される[1]。
375日本@名無史さん:2014/03/19(水) 15:19:57.26
九州説のひとの言うことは
「らしい」などと出所不確かな推測ばかりなのが特徴
376日本@名無史さん:2014/03/19(水) 16:51:16.18
九州説のひとって本当に無知だよな
377日本@名無史さん:2014/03/19(水) 17:02:37.34
よくわからないのですが、
景初四年鏡って、景初四年に作られた鏡なのでしょうか?
378日本@名無史さん:2014/03/19(水) 17:14:11.22
●●●
体が左右対称でない人たち=障害者

小保方晴子
・右の鼻の穴が大きい
・左の目が大きい
・顎が右側にずれている

小泉進次郎 ←体が左右バラバラなのでイケメンではない
・左の鼻の穴が大きい
・左の耳が大きい
・右の眉毛が高い(上にある)
・左の前髪を垂らしている(髪の生える方向が左右対称でない)
●●●
379日本@名無史さん:2014/03/19(水) 20:36:17.52
>>377
昭和57年の硬貨のようなものです。
情報網が発達していないあの時代、改元が全国に伝わるには時差がありました。
380日本@名無史さん:2014/03/19(水) 20:40:03.31
現在のカレンダーだって夏から印刷を始める。
銅鏡は、さらに長い時間がかかった。

本国ではさすがに使えない架空の元号の入った鏡を
邪馬台国の使者へのみやげにした。
つまり、不良在庫の一層、だから大量に下賜されたのだ。
381日本@名無史さん:2014/03/19(水) 20:43:00.65
「卑弥呼が魏に使いを遣って魏に大歓迎された事件」にあやかって、
100年以上後から畿内で作られた国産鏡だから、年代が不正確なだけ。
382日本@名無史さん:2014/03/19(水) 21:08:47.61
景初銘と正始銘らしいものが入った鏡は6点存じておる

そのいずれもが「陳是作」銘(1点のみは推定)

共通の特定の鏡作デザイナーの作品なんだ

縁の形状は平縁のが1点で残りは斜縁形状だ

同向式のが同笵ので3点 これは楽浪鏡といわれる種の鏡だ

おもしろいところが

「自有經述 本是京師 杜地命出」

鏡作デザイナーの履歴が銘文として記されている4点

そんな履歴入りのへんな鏡を魏帝がプレゼントするわけないよね

ということで、わざと景初二年より後の年号入れて

習作のあかしとして偽作じゃないよのアピールでしょ

時間的に銅鏡百枚のブツとはちがいますよとの鏡の証言。
383日本@名無史さん:2014/03/19(水) 21:42:45.98
レアものには高い値がつく
こういったものは入手が難しい
倭国の底力が感じられる
384日本@名無史さん:2014/03/19(水) 23:30:28.60
根拠のない「なわけない」で全て決定しちゃうのが九州説クォリティ
385日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:01:36.49
根拠がぜんぶ詐欺、というよりマシだが
386日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:05:53.52
詐欺だという根拠は? ww
387日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:08:15.91
魏から貰った鏡を
卑弥呼が倭国国内で権威づけにつかったという解釈自体
かなり主観が入った解釈だけどな。
388日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:09:27.94
主観でも何でもない
中国では普通なこと
389日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:15:22.45
あらゆる言動に根拠がない。
それが九州説
390日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:15:47.44
いや、中国から見たらそうだが
倭国からみたら、どうなっているのか分からないだろう?

倭国が中国の権威を欲しがるとしたら、対外情勢においてだ。
倭国国内では、倭王の権威で十分だろう?
391日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:16:57.65
「吏人銘之 位至三公」みたいな銘の入った鏡(広峯15 神原神社)

そんな鏡が魏帝からプレゼントされたとか妄想できるやつは

どのようなところに在職していようが知性が欠如していると云わざるを得ないな。
392日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:16:59.96
きみ、日本語不自由?
誰がどう分らないの?
393日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:19:39.59
九州説人の思考はどうなっているのか分からない
394日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:21:34.03
九州説のひとの考えには、常に理由がない。
(例)>>391
395日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:23:19.98
>>391
>倭国が中国の権威を欲しがるとしたら、対外情勢においてだ。
>倭国国内では、倭王の権威で十分だろう?

どうして?
理由は?
396日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:26:26.00
倭王が中国の権威を欲しがるとしたら、
あくまでも対外関係においてだ。

その当時だったら、朝鮮半島や満州の情勢において。
倭国は、これらの国とも貿易をやっていたから、それに関して
倭国が優位に立つためだろう。
これらの国々は、倭国からみて外国なんだから、倭王の権威が通じない。
そこで、その当時の大陸で覇者だった中国皇帝の権威が必要になる。

逆に倭国内部に関しては、中国の権威はさほど必要なかったと思われ。
倭国内部では、倭王の権威で十分だったから。
わざわざ、海の向こうの中国の皇帝の権威は必要ない。

よって、中国から貰った鏡も、倭国側から見たら
ただのお土産にしか過ぎないと思われ。
397日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:26:34.71
>>391
じゃあ弥生時代の北部九州にあった中国製青銅器が
威信財だという通説は
すべて否定するんだな、九州説は?
398日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:27:37.02
△鏡は、古墳の中で「安物」「量産品」的に埋まっている。
これが魏からありがたく頂戴した鏡だったら、相当な馬鹿だな。
399日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:27:44.18
>>396
「その当時」って、いつよ?
400日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:29:10.55
畿内説って、二言目には「威信財」っていうオカルト用語を持ち出して煙に巻くんだよな。
401396:2014/03/20(木) 00:29:42.35
その流れで、西暦5世紀、倭の五王の上奏文まで繋がる。
402日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:29:59.42
祭器場
403日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:30:14.74
九州説人の思考ってのは、いつも上すべりしてるな
404日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:30:59.61
卑弥呼がもらった魏鏡は100枚だったのに
いつの間にか500枚以上に増えました・・・これが畿内説クオリティー
405日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:32:11.55
>>398って、うすばか?
魏が亡んだ後なら惜しくないじゃん!
406日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:33:52.21
「年輪判定で箸墓は卑弥呼の墓だと証明されましたが、
その判定根拠は非公開です」

・・・・う〜ん、さすがはオカルト畿内説だけのことはありますね
407日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:35:03.11
畿内説では、魏鏡が日本列島に来ると、どんどん増殖して増えるそうです。
さすがは畿内説ですね。
408日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:35:20.26
いまどき九州説にかじりついているのは
ボウ製鏡も踏み返しも知らない>>404のような無知厨
歴史を語る資質が決定的に欠けている
409日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:35:57.11
>>399
古代においてだ。

東アジア世界では、古代においては、中国皇帝の権威が凄いんだよ。
中国はその時代の超大国で、今でいう米国であったり、国連だったりする。

つまり、世界に出たら、米国で認められたり、国連で認められたりしたら
それが大きな権威になるだろう?

でも、日本国内においては、一応、
日本の政治が決めた法律が優先される。
米国の法律も日本国内では通用しない。
410日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:38:20.62
>>406みたいな捏造が九州説の主な特徴です。
411日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:39:41.90
>古代においてだ。

だから、古代のいつ?
何世紀?
412日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:42:28.82
「日本国内」って、なぁ・・・
日本という国家は西暦何年ごろ確立したの?
413日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:45:32.84
まあ、畿内説に三角縁神獣鏡は鬼門。
もう、三角縁神獣鏡を根拠にする畿内説はいないだろ。
414日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:45:35.41
九州説人というのは基本的に歴史知識に欠けた
人々
415日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:46:26.88
>>413
そう言う根拠は?
416日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:48:17.22
>>411
古代と言っても、全般的に。
少なくとも卑弥呼の時代においてもだ。
417日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:49:13.42
そもそも、なんで箸墓が畿内説の根拠になってるの?
418日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:54:56.93
鋳っぱなしで鏡として磨かれもせず、
有りもしない年代が書かれ
500枚以上出土し、
割って棺の外に撒かれるのが
三角縁神獣鏡である。
419日本@名無史さん:2014/03/20(木) 00:55:59.63
下賜された鏡そのものより、それを基に自国で製作した鏡を配ったほうが効果があるな
420日本@名無史さん:2014/03/20(木) 01:01:24.56
鏡が権威づけのために配られたという解釈も
かなりの思い込みだけどね。
421日本@名無史さん:2014/03/20(木) 01:01:46.25
カスな鏡とか貰ったりしてもね
422日本@名無史さん:2014/03/20(木) 01:07:57.04
配る鏡に価値があるのではなくて
祭祀様式を同盟内で統一することに意味があるからな
右倣えで中国のほうを向いてもらっても困る
423日本@名無史さん:2014/03/20(木) 01:11:17.30
「吏人銘之 位至三公」みたいな銘の入っていること自体が

すでに中国の方向いているんだけど文盲なのかな
424日本@名無史さん:2014/03/20(木) 01:31:54.93
いや、銘文なんてのははっきりいってなんか字が書いてありゃいいんだよ
倭国内の勢力関係を表現してるもんでもなんでもないし
425日本@名無史さん:2014/03/20(木) 05:21:35.87
>>413
△は国産で畿内説の根拠だと思うけど。
鍵唐古の近くで銅鐸の代わりに造れるのだからな。
426日本@名無史さん:2014/03/20(木) 07:13:34.21
>>418みたいな無知丸出しが九州説かと思うと、哀れになってくる
427日本@名無史さん:2014/03/20(木) 07:14:35.02
>>422 :日本@名無史さん:2014/03/20(木) 01:07:57.04 配る鏡に価値があるのではなくて
>祭祀様式を同盟内で統一することに意味があるからな

それも、思い込みだけどな。
実際のところ、何も分からない。
428日本@名無史さん:2014/03/20(木) 07:15:51.68
鏡自体は、紀元前からあるわけだから。
有名なのは、前漢鏡。
429日本@名無史さん:2014/03/20(木) 07:40:31.03
ところで、どういう鏡がどういう理由で、
畿内説の根拠になるの?
430日本@名無史さん:2014/03/20(木) 10:39:32.05
わからない理由は>>427が馬鹿だから
431日本@名無史さん:2014/03/20(木) 11:50:08.49
そうですね。
祭祀の様式が急速に統一色を帯びていく事実から政治的統合の広がりを読み取れないのは、愚かです。
432日本@名無史さん:2014/03/20(木) 11:57:26.31
>>429
漢鏡7期の集中的流入が中国との交渉本格化を示すから畿内説の確定要因
433日本@名無史さん:2014/03/20(木) 12:05:10.79
大体銅鐸の存在してる時点で、ある程度の
統一された祭祀の存在は証明出来るだろう。
434日本@名無史さん:2014/03/20(木) 12:20:49.74
九州説人には何も分からない
それは、ばかだから
435日本@名無史さん:2014/03/20(木) 14:24:17.17
畿内説詐欺に何言われても、所詮、詐欺は詐欺だからな〜
436日本@名無史さん:2014/03/20(木) 15:16:15.49
まるで「歴史認識がウリと違うニダ」と連呼する半島人と同じだよ
根拠が無いのもまるで同じw
437日本@名無史さん:2014/03/20(木) 15:22:40.96
鏡の裏の取っ手(紐・ちゅう)にひもを通す穴(紐孔・ちゅうこう)が、
三角縁神獣鏡だけ長方形であるのは、
魏の官営工房や魏領域で作られた鏡に特有のものであるという福永伸哉さんの意見に反論してみろ。
438日本@名無史さん:2014/03/20(木) 15:26:03.06
100年以上前に、遠い九州の卑弥呼が魏に貢献した事にあやかって
魏の作風を一部真似て、後世、畿内で△鏡をつくったというだけ。
439日本@名無史さん:2014/03/20(木) 15:29:04.94
>>438
ほう。当時の日本人が漢字の銘文を彫ったのか?
440日本@名無史さん:2014/03/20(木) 15:59:50.65
邪馬台国からヤマト王権へ (奈良大ブックレット 04)
http://www.amazon.co.jp/dp/4779507979
441日本@名無史さん:2014/03/20(木) 16:32:02.87
五世紀といわれる稲荷山鉄剣や、江田船山古墳の鉄剣は、
日本人によって彫られたらしい。


原文は韻を踏んでおらず、漢籍に似た文があり、それらを参考にして
改変されたものであること。

書体は楷書体と隷書体の混じったもの。これは同時期の漢籍と一致する。

しかし、字体は書の形式をなしておらず、書き順が不正確で
止め、払えが意識されていない。


従って、上級官僚が漢籍を元にして原文を作成し、
下書きの書を元に、文字を書けない職人が彫ったものと推測される。


5世紀では、こういう状態のようである。
442日本@名無史さん:2014/03/20(木) 17:11:06.56
それは中国でも同じだから、日本製だという根拠にはぜんぜんならないんだよ。
443日本@名無史さん:2014/03/20(木) 18:29:18.48
たたしいチュコクコ、書けない人わ、にほんちんアルヨ。
444日本@名無史さん:2014/03/20(木) 21:40:44.30
世界に日本人と中国人しかいないと思う池沼あわれ
445日本@名無史さん:2014/03/20(木) 22:49:21.35
朝鮮人がいるじゃないか。
あとはロシア人とクリミア人。
446日本@名無史さん:2014/03/20(木) 23:19:46.26
日本には紙と木簡がほぼ同時に入ってきている。
記録保管用に紙、輸送タグや手紙など、
通信用途に木簡が使われていたようである。

最古の木簡は7世紀末だが、通信用途に文字が使われる場合は、
送り手と受け手で文字が読めなければ成立しない。
この頃には文字が読み書きできる役人が各地にいることを示している。

しかし、他に木簡などが見つかっていない以上、
下級役人にまで文字が普及するのは、
7世紀からそう大きく遡るものではないだろう。
447日本@名無史さん:2014/03/20(木) 23:26:49.34
卑弥呼は鬼動に仕えていたんだから、識字者だな。
448日本@名無史さん:2014/03/20(木) 23:38:04.91
>>446
それ以前に
文字は無い、木に刻み入れて通信する
と書いてる訳だが
449日本@名無史さん:2014/03/20(木) 23:42:08.65
倭人固有の文字はない、あるのは少々の中国語だけ、という状況だね。
450日本@名無史さん:2014/03/20(木) 23:57:20.11
いやいや
倭人は漢字は知らない
独自の文字で通信していた
という意味だぞ
451日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:03:53.53
中国の3世紀代だと木簡竹簡の他に絹布に書くというのもあったけどな
452日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:07:20.96
神代文字というネタはあるが、
今のところ漢字以前に文字があったという確実な証拠はない。
神代文字のほとんどはカナからのモジリということである。
453日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:17:08.38
梁書新羅伝
>無文字、刻木為信。語言待百濟而後通焉。

北史倭国伝
>無文字、唯刻木結繩。

さらに中国には伏羲が縄文字を作ったと言う伝承が有る
454日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:17:42.54
インカ帝国には記録官がいて、「キープ」といって縄に結び目を付けて記録していたな。
邪馬台国では木に刻みを入れて意を表し、連絡していたわけだな。
でも邪馬台国は漢や魏の国書を読めたし、書けたんだからだから、漢字を知っている
やつが少数いたはず。

そもそも大和朝廷になってからの中国宛て国書は、卑弥呼の時代より倭臭のする
下手な漢文に劣化しているのが笑える。
455日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:18:25.66
>>452
その程度の知識で歴史を語るなよw
456日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:37:08.96
>>455

ははーっ、どうか漢字以前の文字について
ご教授くださいませ
457日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:40:01.76
>>456
とりあえず 三星堆 でググレな
458日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:45:02.82
さすがにこの知識はなかったw
459日本@名無史さん:2014/03/21(金) 00:53:28.80
で、笑えるのがこれ
三星堆時代の中国人(発掘された人骨の復元)縄文人やん
http://blog-imgs-11-origin.fc2.com/j/i/k/jikuusennin/20071121-00000029-rcdc-cn-view-000.jpg
460日本@名無史さん:2014/03/21(金) 09:51:34.12
結局倭人はインドの東側方にルーツがあるんだよね。
文化のエジプト由来説もある意味正解なんだろう。
461日本@名無史さん:2014/03/21(金) 10:42:39.48
>>438
畿内説そのまま。
462日本@名無史さん:2014/03/21(金) 15:14:26.67
倭人ってドラヴィダ人の子孫だろ。
463日本@名無史さん:2014/03/21(金) 15:32:12.05
>>459
形質はシベリア人一滴の血が東アジアを大きく変えたのよw
464日本@名無史さん:2014/03/21(金) 19:12:28.98
田原本の鏡作神社のあたりを掘ったら鋳型が出てくるかも知れんのにな。
神社と集落で、大規模な発掘は無理なんだよな。

奈良はというか関西というか西日本というか、古墳時代に入って弥生の環壕集落が
消えてからは、今の古い集落にずっと住んでるんじゃないかな。
集落が広がったり、分村が出来たりはあるだろうけどさ。
465孝霊厨:2014/03/21(金) 21:38:08.74
卑弥呼の都ならば、まず保津・宮古の集落遺跡を注視すべきなんですよ。
ここは鏡作の神社もあり、旧名が都(ミヤコ)村。
ホの津、都ですからね。ミホツ姫にも通じる名です。
ミホツ姫は丹波、大和、伊予の地に名を残した訳です。
466日本@名無史さん:2014/03/21(金) 22:47:07.19
3世紀に、首都をミヤコと呼んだ形跡がない。
467孝霊厨:2014/03/22(土) 07:56:39.40
天皇の宮所在地で都(宮古)と名の付く場所を無視は出来ないよ。
飛鳥時代以前の古道まで確認されてるしな。
468日本@名無史さん:2014/03/22(土) 10:31:39.01
岩手県宮古市が卑弥呼のいた所だとは知らなかったな。
469日本@名無史さん:2014/03/22(土) 13:28:53.68
>>465
関係ないね。
天皇がいた宮なんて天皇ごとに変わってるんだから。
470日本@名無史さん:2014/03/22(土) 14:09:01.72
話は逸れるが、岩手の宮古市の北の久慈地方は国内最大の琥珀の産地だな
あと日本では千葉の銚子、アジアでは倭人の故郷の雲南、河南、広西、福建、貴州
コハクをローマでは活力石 (succinum)、 古代ギリシャではエレクトロン (elektron) と呼んで、宝飾品として珍重された
英語の electricity(電気)は擦ると静電気を生じることに由来している
宮古市の南は山田だな
471日本@名無史さん:2014/03/22(土) 22:01:04.45
お歯黒の風習があった近畿は黒歯国だったんじゃないかな。
472孝霊厨:2014/03/22(土) 22:08:38.26
>>469
だが天皇の宮があったとされる場所で「都」と名の付く、
弥生時代の遺跡も確認されている場所は限られているからな。
まぁここが場所的にも重要な位置にあるのは簡単に判るだろう。
473日本@名無史さん:2014/03/22(土) 22:57:00.24
>>471
また九州説の人が無知を晒しているぞ
かわいそうに
474日本@名無史さん:2014/03/22(土) 23:22:50.75
まぁ九州説もいい加減半島中心史観から離れないとね。
475日本@名無史さん:2014/03/22(土) 23:31:01.61
>>471
「裸国」は?
476日本@名無史さん:2014/03/22(土) 23:32:35.52
>>474

畿内人の形質がもっとも半島人に近い、という事実を直視して考えよう。
477日本@名無史さん:2014/03/23(日) 01:11:27.97
倭迹迹日百襲媛命のトトヒは鳥飛びと言われてるけど、
モモソはどういう解釈すれば良いのだろう?
巻向の桃の実との関係も取りざたされてるが、
ソの意味がよくわからない。
478日本@名無史さん:2014/03/23(日) 01:18:45.24
漢語だと 百襲=多くの衣を重ね着する というような意味かもしれないが
おそらく和語だろう
桃とは関係無いような気がする

日本書紀を検索すれば「襲」は「渟名襲姫」など人名にはけっこう出てくる
479日本@名無史さん:2014/03/23(日) 01:22:47.92
ちなみに古事記では「夜麻登登母母曾毘売命」(やまととももそひめのみこと)
480日本@名無史さん:2014/03/23(日) 01:34:04.74
もし桃と関連付けるとすれば
弟の吉備津彦命が桃太郎伝説のモデルとされる説があることとかかな
「桃」は西遊記で有名だが道教的に尊ばれた果物で
原初的な道教とかかわりがあるのかもしれない
481日本@名無史さん:2014/03/23(日) 01:36:44.47
この段階ではヤマトの音は人名にしか出てこない。
最初はヤマト氏なのではなかろうか
482日本@名無史さん:2014/03/23(日) 06:48:22.34
>>476
特に畿内人が畿内説を唱えてる訳でもないのだがw
九州説は全て半島と九州島内で論を
完結させてしまう事を言ってる訳だよ。
483日本@名無史さん:2014/03/23(日) 07:05:54.34
畿内でも九州説の人は結構いるってことか。
484日本@名無史さん:2014/03/23(日) 07:21:01.19
というより正直あまり興味を持っていない。
自治体にしても桜井市位だろ。オール九州で主張するのと相当差がある。
485日本@名無史さん:2014/03/23(日) 07:26:17.58
まあ、予算を確保するために、纒向を掘っている連中が、
邪馬台国を煽っている側面はある。

奈良文研とか歴博とか。
あのへんは、掘る予算がつかないと干上がりそうだからな。
486孝霊厨:2014/03/23(日) 08:13:27.08
ヤマトトトヒのトトヒとは、知恵者や
指導者(の姫、后?)といった意味があるのですよ。
487日本@名無史さん:2014/03/23(日) 11:55:29.13
>>485
歴博はプロジェクトを立ち上げでもしない限り通常は発掘調査をしないし
奈文研は邪馬台国に関連するような遺跡を掘ったことはない

こんな風にろくにく知りもしないのに知った風に嘘をついて畿内説を貶めているのが九州説の実態
488日本@名無史さん:2014/03/23(日) 12:06:55.76
纏向の発掘はほとんどが僅かな市の予算で桜井市がやっていた
しかも多くが開発による緊急調査
489日本@名無史さん:2014/03/23(日) 12:52:59.89
吉野ヶ里では、保存目的だが、学会、業界あげての一大キャンペーンが行われたから、
”どこの遺跡でも同じことが行われているはずだ”と思い込んでるんだろうね。
490日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:02:43.93
畿内に投入された経費とは比較できないほどに、ささやかなキャンペーンだけどな。
491日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:11:13.87
昨今はこの板の邪馬台国関連スレの連中が思っているほど
邪馬台国問題は一般人の関心を引いていない

奈良であれば法隆寺などのほうが
纏向遺跡とは比べものなならない金を観光客が落としてくれる

発掘の予算にしても、平城京跡、藤原京跡などのほうが
纏向遺跡より桁違いに大きい
492日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:13:03.96
と、間違いを認めず、根拠を出せない発言をするのも九州説
493日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:14:20.58
纏向で騒いでいるのは、既得権益にまみれて生計を立てている、特殊な関係者だけで、
一般国民は纏向は邪馬台国じゃないと知ってるからな。
494日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:28:24.21
九州説で騒いでるのも既得権益を手放したくたい連中でしょうに
495日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:32:38.43
利権詐欺集団だから、ピンポイントで纏向遺跡で意見統一。
畿内説は既得権益を守ります。
496日本@名無史さん:2014/03/23(日) 13:47:06.30
>>490
>畿内に投入された経費とは比較できないほどに、ささやかなキャンペーンだけどな

金額に絡むそういう事は「具体的な数値」を出して発言しような。
下手すりりゃ君アウトかも?
497日本@名無史さん:2014/03/23(日) 14:04:39.80
畿内説の>>488は具体額を隠蔽したのに、自説には突っ込まない畿内説って、やっぱり詐欺だな。
498日本@名無史さん:2014/03/23(日) 17:09:32.82
>>497
巻向は邪馬台国名目の発掘予算でもないに何を突っ込むんだ?
499日本@名無史さん:2014/03/23(日) 17:53:25.00
吉野ヶ里のキャンペーンは酷かったそうで、9大の重鎮教授が怒っちゃったとか
その教授を権柄ずくで委員から外したとか、いろいろあったけどな。
でも、あの遺跡を破壊させないために敢えて手を汚した行政は、褒めてやってもいいと思うんだ。
ぬか喜びした九州説の面々には気の毒だが。
500日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:01:25.89
吉野ヶ里は、やりすぎたw
でも、流石に、熱気が冷めまくりだけど。

吉野ヶ里のあたりは、筑紫の米多国(メタ国)があったところで
たぶ、107年の倭の面土国(メタ国)の師升の居城があったところ。
501日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:10:20.88
でもまあ素人観光客は賢くて
直感的にこんなの邪馬台国じゃないと気付くからな
かわいそうなのは地元の3セクよ
産物館つぶれちゃったし
502日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:20:14.93
辺鄙な奈良の山奥?が近畿文化の発祥なの?
503日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:21:55.92
吉野ゴリの予算は諫早湾干拓事業の反対運動抑制の一環だからキャンペーンも大々的にやるわな
諫早湾干拓事業自体が自民党の利権の巣窟だからな
まあ自民のことだから有事のための軍用地確保も見据えてるかもな
504日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:27:56.51
>>502
九州教徒って何年経っても無知ね
505日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:40:43.59
>>504
辺鄙な山奥?の纏向が近畿文化の頂点として成立したんでしょ?
世界共通に文明・文化って海や川(大河)で造り出されて
文化は海や川を利用して伝播していくものなのに
何故か畿内だけは変テコな文化の成り立ちだと思って
506日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:46:22.24
日本は山岳国ですけど?
507日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:55:21.87
まあ世界共通といっても日本とは河のスケールがまるで違うがな
日本の川は多くの都市を結ぶわけでもなく
ちょっと行けば辺鄙な山奥で急流だから遡るのも難しい
508日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:58:39.25
世界共通って向こうは大河沿いに平野が広がってるってことじゃん
参考にならん、開墾とか進まなければ山岳地帯の方じゃなきゃ暮らして
いけないだろ
新潟なんか湿地帯だらけで稲作に昔は向かなかったのがよく表れてるわ
技術ごなきゃ無理
509日本@名無史さん:2014/03/23(日) 18:59:32.74
弥生の前時代の遺跡の最大密集地は八ヶ岳西麓だからな
510日本@名無史さん:2014/03/23(日) 19:08:01.57
>>502
あまりに無知ですな。
巻向は大和川の源流地みたいなもんだよ。
(正確にはもう少し先だが)
つまり瀬戸内海が川みたいなモノと考えればよろしいw
511日本@名無史さん:2014/03/23(日) 19:12:00.14
>>510
無理がある結果論ですか?
512日本@名無史さん:2014/03/23(日) 19:32:48.59
そうか、奈良湖周辺に発生した
文化圏ではないだろうか。
513日本@名無史さん:2014/03/23(日) 19:47:23.42
>>511
結果論もなにも、吉備や阿波が母体となっているのだからな。
514日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:18:01.57
山奥の僻地などと、考え違いも甚だしいですよ。現に豊富な海産物が出土しているのだから。
当時の日本有数の巨大湖が干上がって労せずに耕地が出来上がっていく地に入植者が殺到し、組織的に干拓を指導する権力者が発生したのだから、必然も必然ですわ。
しかもそこは、瀬戸内交易ルートの終点である河内湖から大和川を遡って、東海沿岸ルートの始点「百船の渡合」に向かう陸路への結節点。
そこに大市が立った場所。
つまり、中国で言えば洛陽と同じポジションなのだものね。
515日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:21:14.54
ハリボテだからしょうがない
516日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:26:13.95
だから畿内は、文化的後進地帯に、よその地の権力者が
入植者を大量投入した開墾地。

こんなところが文化の中心地など、有り得ない。
517日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:37:25.88
理由のない決めつけがすべて
それが九州説
518日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:44:27.44
文化的後進地帯というよりは、
奈良湖かその名残の湿地帯で、
いわば無人地帯

ここを農地や都市として開拓したとすれば、
住居が少ないのも頷ける。
519日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:46:51.98
開墾地は、必ず文化的後進地帯。
520日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:49:48.88
現に文化の中心になっているのだ、という
自分に都合の悪い現実を認めたくないんですね。
521日本@名無史さん:2014/03/23(日) 20:52:29.59
アメリカ合衆国が世界の覇権国家だなんて、絶対に認めないんだろうなー
ローマ帝国の存在も認めないかもね
522日本@名無史さん:2014/03/23(日) 21:46:39.91
後進地というのは遼寧式文化圏から遠いといっているのだろう
523日本@名無史さん:2014/03/23(日) 21:52:33.22
玄関は訪問販売の人が来て賑わうからスゴいススンだ場所で、奥座敷は後進の田舎なんだよね
524日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:00:15.42
>>516
畿内は銅鐸作れる技術を持つ土地だからな。
つまり邪馬台国の時代以前には技術的に充分先進的だよw
525日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:19:11.47
>>524
歴史書でもある古事記や日本書紀にも銅鐸の記述が一切無いから

極めてローカルな畿内土人達の土着宗教的な祭祀道具って言われてるね
526日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:31:29.05
畿内の銅鐸は、銅鐸本来の用途を逸脱した、巨大据え置き銅鐸なのが笑える。
畿内土人らしい田舎の発想で、巨大に作って喜んでいたんだな。
527日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:35:37.33
銅鐸の分布範囲を知らないの?
九州土人は無知だなあ
528日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:43:38.11
弥生時代の各地の物品交換交流で他の集落の代表者が
物珍しさと呪祭道具として畿内土人から分けて貰っただけじゃね
529日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:44:22.68
九州の銅矛は、銅矛本来の用途を逸脱した、巨大据え置き銅矛なのが笑える。
九州土人らしい田舎の発想で、巨大に作って喜んでいたんだな。

wwwww
530日本@名無史さん:2014/03/23(日) 22:58:51.57
銅鐸は鐘の一種で、倭人は槃瓠の神話を持っているから鐘は重要だな
畿内では綾杉文などの彫刻を施した石刀、武器形祭祀は銅鐸以前に既に終わっている
勢力が拡大するにつれ異なるルーツの集団を取り込むことになるから、祭器を変化させる必要がある
朝鮮半島文化圏の九州を取り込むときにカガミに変化しているが、連続三角紋は銅鐸から継承されている
連続三角紋は埴輪の祭祀者、藤原京の瓦などにも使われている
531日本@名無史さん:2014/03/23(日) 23:07:37.77
九州説の人は基本的な歴史知識が決定的にないようです。
532日本@名無史さん:2014/03/23(日) 23:50:50.69
あれば、九州説など唱えていられない。
533日本@名無史さん:2014/03/24(月) 01:08:27.12
銅鐸を作るのは結構な技術が必要だよ。
534日本@名無史さん:2014/03/24(月) 01:11:23.03
あの立体的なものを作るのは難しいよ
むしろ踏み返しで造る鏡のほうが簡単だろう
踏み返しでなければ最初の型を造るには
図像や漢字の意識がいるが
535日本@名無史さん:2014/03/24(月) 01:27:43.77
邪馬台国の時代は、その高度?な銅鐸文化を破壊して迎えたんだよね。
野蛮な後進国が3世紀の畿内を支配したってことだな。
536日本@名無史さん:2014/03/24(月) 01:35:27.15
支配階級は倒されても、
職人はそのまま再利用じゃないかな?
537日本@名無史さん:2014/03/24(月) 01:47:56.46
そんな征服ないし
538山崎 渉(^^):2014/03/24(月) 01:57:42.91
         ∧_∧   ┌────────────
       ◯( ^ ^ )◯ < 僕は山崎渉ちゃん!
        \    /  └────────────
       _/ __ \_
      (_/   \_)
           lll
539日本@名無史さん:2014/03/24(月) 06:16:17.65
三国史記の百済本紀はどこまで史実に則ったものなんだろうな
三国史記は高麗時代、新羅が滅んで200年後に書かれている。
新羅末期には後百済や高麗が建国され、三国時代が蘇ったかのような様相を呈していたが
高麗によって統一され、歴史が編纂されることになったのだった。
だが、新羅の歴史は王宮に残されていただろうが、百済はどうなのだろう?
百済は663年に滅んでいる。新羅より300年も前に滅んでいるのだ。
どこに資料が残っていたのだろう?新羅が保存しておいたのだろうか?
しかし、百済滅亡の経緯は複雑だ。唐が百済を滅ぼしたのち、唐に臣従する百済王子を
冊封する体裁をとっていたため、別に663年になってすぐ滅んだわけではない。
唐が半島から離れて自国の国境の安定に戻ったのちに新羅によってじわじわと
実効支配されていったのだ。すると、新羅にとって都合の悪い歴史書は破棄された可能性もあるし
唐に逃げていた百済王族によって持ち去られた可能性もある。
500年後の高麗が百済本紀を正確に編めたのか疑わしいのではないか。
さらに、百済王族が扶余の後裔であることは中国の史書にも書かれとくに問題はないのだが
それはあくまで西晋が乱れた300年以降のことであり、中国の史書によれば魏の三韓時代にはまだ
半島に定着していない。だが、三国史記の百済本紀には紀元前後あたりから慰礼城(ソウル辺り)におり
中国の史書と合わない。どうも、三国史記は百済王を高句麗の祖、朱蒙の末裔であるとしているので、
高句麗の朱蒙、しいてはその後裔を名乗る高麗の立場をよくしようとして
百済の歴史を変えようとしている節があるのだ。
後漢末200年の三韓時代から、西晋300年の三国鼎立時代への曖昧な時期について
百済だけが三国史記の中において釈然としない内容になっている。
540日本@名無史さん:2014/03/24(月) 07:24:18.22
割竹形木棺は九州の平原1号に見られるが、
その後、畿内のホケノ山、中山大塚、黒塚などにも見られるね。
鏡玉剣の副葬といい、九州から畿内に移った事が確実www

考霊厨脂肪www
541日本@名無史さん:2014/03/24(月) 08:20:38.71
不勉強が光る九州説
542孝霊厨:2014/03/24(月) 08:47:09.77
何故死亡するのかさっぱり理解出来ないが、
青銅器の中でも銅鐸の製作技術は相当高いと考えるべきだな。
それらの技術導入には北部九州を窓口にしただけの話。
今時九州勢力の移住なんて論説をはるのは滑稽だね。
更に言うと諸技術のルーツは半島でもなくインド方面だから。
543日本@名無史さん:2014/03/24(月) 08:51:27.24
右翼が創り
 無知が維持し
  馬鹿が自ら滅ぼす

それが九州説
544日本@名無史さん:2014/03/24(月) 10:57:48.64
大型銅鐸の鋳造技術は日本オリジナルじゃないかな?
小型(中型?)銅鐸と鋳型が九州からでも出てるが、
あれだけ薄く、面積の広い銅加工品は余り例がない。

山陰に伝わったあとで、大型化、高度化したと考えているのだが。
545日本@名無史さん:2014/03/24(月) 11:33:26.72
巴形銅器のほうが高度な技術じゃないかな?
546日本@名無史さん:2014/03/24(月) 13:15:40.75
約3000年前に富士山が数度大規模噴火して、関東人は紀伊半島に来てるね
刳抜式木棺は丸木舟の技術で、東日本縄文人の船
日本での先史時代の丸木舟の発見例はおおよそ200例ほどで、
その分布は関東地方に最も多く150例近くあり、そのうち千葉県での発見例は100例を数え日本全体の半分を占める
次に多いのが滋賀県の琵琶湖周辺で25例ほどあり、福井県から島根県にかけての日本海側がこれにつづく
九州は長崎ぐらいしかない
547日本@名無史さん:2014/03/24(月) 14:59:09.32
>>542
>北部九州を窓口にしただけの話

北部九州の王墓と同類の木棺が、後の時代の畿内の墓から出る。
人間の移住以外に理屈があるかよ。窓口って何だよ?
>>546で名無しに変えても君のアホさ加減は変わらない。
548日本@名無史さん:2014/03/24(月) 15:24:58.69
なるほど
平原で突然甕棺をやめて畿内みたいな方形周囲溝墓+木棺直葬にしたのは、畿内から移住してきた人だったのか!
549日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:07:42.32
「同類の木棺」は畿内の方が古いから
アホの理屈だとそうなるね。
550日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:07:52.79
あっちの地域、こっちの地域の習慣の寄せ集めに見えるらしいな。纏向は。
江戸時代初期の、家光の時代の江戸を1000年後に掘ったらそんな感じだろ。
三河・尾張地域と京・大阪の影響が非常に強い新都市が出来たってw
あと、東北、九州、中国、北陸等、日本列島の広範な地域からの影響が見られるw
551日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:30:38.40
各地から奴隷を集めて開墾させた土地だな。
552日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:35:57.58
奴隷じゃなくて、ご奉仕信徒でそ
553日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:43:48.23
親魏倭王に対する列島各地からの貢物だな
554日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:45:23.51
>>548
平原1号とホケノのどっちが古いのかな?ドアホ君。
555日本@名無史さん:2014/03/24(月) 16:56:36.68
誰もホケノなんて言ってないのに九州痴呆人が自滅
556日本@名無史さん:2014/03/24(月) 17:10:25.04
>>555
はぁ?平原1号とホケノのどっちが古いのかなという話なのだが?
どっちかさえ言えないのか痴呆。
557日本@名無史さん:2014/03/24(月) 17:59:19.14
>>547
>546で名無しに変えても君のアホさ加減は変わらない。

俺はHNは使わない
まあそう感情的にアホだの必死にならなくても
客観的に日本全体を観察したらいいじゃないか
確実にいえることは、君と平原の主とは何の関係もないのだから
558孝霊厨:2014/03/24(月) 18:38:40.26
>>547
別人だから勝手に思いこまないでくれよ。
物理的にみて半島へ渡航するには北部九州が一番便利なのは間違いない。
なので海人連中が拠点を持ったにすぎないと思うけどね。
それに何度も既出だが、巻向周辺への影響が一番濃いのは瀬戸内東部だ。
559日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:03:20.97
>>558
>海人連中が拠点を持ったにすぎないと思うけどね。

アホか。
畿内には弥生後期に平原のような立派な王墓がないではないか。
で、やっとできたホケノが平原と同じ割竹型木棺なんだよ。
それでも九州の影響を否定するなぞよっぽどのアホだ。
560日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:10:31.05
糸島で棺桶屋さんを営んでおられたということではないのか
561日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:10:33.70
立派な王墓あるけどむりやり4世紀に比定して逃げてるし
562日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:16:37.51
馬木向なんて彌馬岐のお向かいなだけ

お向かいのでこあなところは柳本

柳本のは
伊射奈本ので
伊邪那本

【射】=【邪】=【じゃ】

【邪馬】=【じゃま】

あと

https://maps.google.co.jp/maps?q=%E4%BC%8A%E5%B0%84%E5%A5%88%E5%B2%90&sll=34.564818,135.836334&sspn=0.41301,0.837021&z=10&iwloc=C
563日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:23:17.22
年代的に糸島の平原が先行しているのは間違いない。
平原の特徴が、畿内の古墳の幾つかに散見される。

割竹型木簡、大型内行花文鏡、方格規矩四神鏡など。

何らかの文化が畿内に流れているのは間違いなさそうだが、
どう筋道をつければよいものかな。

面白いがうまくまとまらんな。

そういや、三種の神器の吉武高木遺跡も、一山越えて
わりと近所だな。
564日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:23:52.00
木簡→木棺
565日本@名無史さん:2014/03/24(月) 19:30:20.61
長宜子孫系内行花文鏡
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/8ko4yo.gif

尚方作系方格規矩四神鏡
 http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/img/3_hkkk.htm
566孝霊厨:2014/03/24(月) 20:05:08.06
弥生後期の王墓なら丹後にもあるな、ここも海人の拠点だろ。
平原とて海人の拠点の一つにすぎず、しかもそこは伊都だろう。
交易に便利な海の拠点にまずお宝が集まっただけの話だね。
567日本@名無史さん:2014/03/24(月) 20:10:01.57
>>566
その丹後の王墓にはホケノと同じ要素はあるのか?
丹後も北九州の影響だろ。
568日本@名無史さん:2014/03/24(月) 20:16:24.09
西域の伊吾に倭地の伊都だな
569日本@名無史さん:2014/03/24(月) 20:19:15.54
>>556
>はぁ?平原1号とホケノのどっちが古いのかなという話なのだが?


どこの白痴が
 「平原1号とホケノのどっちが古いのかなという話」
を突然はじめたの?


548=556以外の誰?
570日本@名無史さん:2014/03/24(月) 20:23:50.57
九州説支持者の少なくともふたりに一人は、平均以下の知能しか持っていない。 
571孝霊厨:2014/03/24(月) 20:25:12.40
北部九州の影響といっても、お宝なんて海人や
半島から渡ってきた連中がもたらした物だしな。
何も北部九州の王が入植した訳ではあるまいw
記紀にも初代倭国造は瀬戸内海の主、ウズヒコと明記してあるからな。
572日本@名無史さん:2014/03/24(月) 20:26:16.26
北部九州であまされた倭王が入植した
573日本@名無史さん:2014/03/24(月) 20:31:41.68
このように
九州説人間の言うことには、いつも根拠が皆無
574日本@名無史さん:2014/03/25(火) 09:07:59.30
>>569
>突然はじめたの?

話を始めたのは俺だが、
決して「突然」でなく、文化は古い方から新しい方へ流れたと考えるのは当然だね。
ならば平原とホケノはどちらが古いのかな?

答えず逃げてるおまえが白痴。
575日本@名無史さん:2014/03/25(火) 09:10:40.86
>>571
記紀には神武の大和入りが堂々と書かれてるのだが。
ウズヒコみたいなチンケな話はどうでもいいのだよ、ボケ。
576孝霊厨:2014/03/25(火) 10:08:30.76
必要以上に攻撃的、口の悪いのは自信が無い事の証明だな。
神武東征神話なんてのは、複数の豪族の伝承をまとめたにすぎない。
577日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:26:51.42
倭が和に、
邪馬台国の邪馬がなまって大和、
で邪馬台国が大和朝廷になったでOK?
578日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:32:15.36
分家の畿内王権が、本家九州王権の引継ぎを一方的に宣言、
倭を和にして、邪馬台国を印象付けるヤマト国に改名したけど、
まあ、いろいろと無理があるわな。
579日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:34:28.57
>>574
>話を始めたのは俺だが、
>決して「突然」でなく、文化は古い方から新しい方へ流れたと考えるのは当然だね。
>ならば平原とホケノはどちらが古いのかな?

だから、突然そんな関係ない話を始められても
答えてあげる義務はないね。

「同類の木棺」が畿内の方が古いことは
ホケノ山古墳とは無関係だから
 「文化は古い方から新しい方へ流れたと考えるのは当然」
 「人間の移住以外に理屈があるかよ」
ならば
平原の女王は畿内から移住してきた人なんだな?

九州説のうすばかに付ける薬はない。
580日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:37:06.55
>>578
なるほど、自分で「無理がある」と言うだけあって
悲惨なまでに無理がある珍説だ
581日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:38:03.10
「同類の木棺」ってどこの遺跡のやつ?
582日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:41:17.69
市三宅東
583日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:44:54.97
そもそも、6世紀に播磨国を併呑できていない大和が、
3世紀に西日本統一など出来るはずがない。
584日本@名無史さん:2014/03/25(火) 10:59:38.41
平原遺跡も市三宅東遺跡も
主流となる推測年代は二世紀じゃね?
585日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:01:03.20
平原遺跡も市三宅東遺跡も
割竹型木棺は最古級と書かれているようだね。
586日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:03:34.87
平原は2世紀末、市三宅東遺跡はそれよりは古いと思われる
587日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:06:16.43
ググってみても、共に年代がはっきりしないのか、
最古級、という言葉でごまかしてあるな。
588日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:32:08.50
ネットの噂話耳囓っても無駄
報告書や現説資料読まなきゃ意味なし
市三宅東は弥生時代後期で、古い
平原は弥生終末で、それよりあと
589日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:33:54.55
>>583みたいに「はずがない」ばかりで根拠がないのが九州説の特徴だなww
590日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:34:29.05
その資料が提示されないとわからないよね
591日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:36:25.28
ググレカス
592日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:38:23.61
ぐぐっても2世紀以上の情報が無いなあ
593日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:39:04.08
時にいじわるな人がいて、調べれば容易に手に入る資料なら教えてくれないことがあるのが畿内説
常に証拠がないので資料は絶対に出せないのが九州説
594日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:39:43.73
>>592 ヘタなだけ
595日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:42:32.86
平原は再調査した柳田が180年代頃を想定していたはずだ
市三宅東は土器編年ではわかりずらい地域だが、おそらく平原よりは古い
596日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:43:14.25
ないものを根拠にする
いつもの畿内詐欺だろ。
597日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:45:52.16
おそらく、とか、おもわれる、
とかで断定されてもねえ。

どっちにせよ、非常に微妙な違いしか
なさそうだね。
598日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:49:41.53
まったく根拠なく
>北部九州の王墓と同類の木棺が、後の時代の畿内の墓から出る。
>人間の移住以外に理屈があるかよ。
と言い張っていた九州説者が詐欺師なことは確定
599日本@名無史さん:2014/03/25(火) 11:51:02.35
しかも、指摘を受けたら
強引にホケノ山と比較して誤魔化そうとしていたな
600日本@名無史さん:2014/03/25(火) 12:45:38.75
元々木棺が主流な近畿で、初めて現物が見つかったのが市三宅東
甕棺エリアの九州で、初めて痕跡が出たのが平原
どちらが新しいか、わかるな?
601日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:05:58.36
>>579
>答えてあげる義務はないね。

答えれないでいいね。

>「同類の木棺」が畿内の方が古いことは
>ホケノ山古墳とは無関係だから
> 「文化は古い方から新しい方へ流れたと考えるのは当然」
> 「人間の移住以外に理屈があるかよ」
>ならば
>平原の女王は畿内から移住してきた人なんだな?

お〜ま〜え〜は〜ア〜ホ〜か♪

平原のほうが古いと言ってるわけだ。
しかも唐古鍵から九州土器まで出てるしな。

こんなしつこいアホは初めてだ。

九州説のうすばかに付ける薬はない。
602日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:07:38.96
最後訂正

×九州説のうすばかに付ける薬はない。
603日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:11:55.67
>>601 

×九州説のうすばかに付ける薬はない。
○九州説の詐欺師でウソツキなうえ、うすばかにな男付ける薬はない。
604日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:12:53.85
市三宅東はどうでもいい。
今は王墓の話。
平原は王墓でホケノもしかり。
605日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:17:10.01
>>601って馬鹿じゃないの?

近畿出土の割竹式木棺の方が古いことは通説なのに
むりやり後のホケノ山と比べることを強要してるよ。

こんなミエミエの詐欺で他人を騙そうとし続けるなんて
白痴同然じゃないのか?
606日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:26:50.30
九州詐欺師>>604の、都合の悪いもの無理やり無視www
607日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:29:59.52
>>601
お〜い、チエオク九州くん!
甕棺文化の中心に、どうして突然、割竹式木棺が登場したんだ?

ない脳で少し考えてみな!

   ・・・無理か・・・
608日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:32:28.71
>>601
格言
強弁するより勉強せよ
609日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:38:24.44
>>607
何でホケノは平原より割竹式木棺が遅いの?白痴君www
610日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:40:39.29
>>605
>近畿出土の割竹式木棺の方が古いことは通説なのに

ごまかすな、そんな通説はない。
近畿で最も古い割竹式木棺の王墓を答えよ。
611日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:40:44.33
こいつ・・・本当にすこし足りないのか・・・
612日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:41:58.59
>>605

通説ってどんな資料にあるのw
613日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:48:58.62
市三宅東遺跡
「また、弥生時代後期にはすでにヤス地域でも畿内で始まった(古墳)葬送儀礼を早い段階で受容している証拠となり、古墳時代的な首長(王)に既に誕生していたと考えられます。」
野洲市教育委員会文化財保護課
614日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:52:16.40
市三宅東遺跡は弥生時代後期後半(現説)
平原1号は弥生終末、西暦200年頃(調査報告書)
615日本@名無史さん:2014/03/25(火) 13:57:32.17
http://www.47news.jp/CN/200903/CN2009033001000637.html

市三宅東遺跡は最古級

最古ではなく最古「級」
つまりどちらが古いなんて決められないから「級」としている。

それよりも木の中を刳り貫いたノミなどの鉄具はどっちが古いのだ?w
弥生時代、圧倒的に九州だろ。
つまり割竹型木管という文化は九州→畿内なんだよ。
わかったかドあほ。
616日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:08:18.22
>つまりどちらが古いなんて決められないから「級」としている。

それ、あんたの勝手な想像でしょ?
馬鹿決定
617日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:11:20.92
お〜い、チエオク九州くん!
甕棺文化の中心に、どうして突然、割竹式木棺が登場したんだ?

どうして答えられないんだ?
618日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:12:11.98
>>616
「級」と書いてあるのが見えないのかな?

割竹型木管製作に鉄具は不可欠。
よって九州から畿内。
619日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:14:09.75
それ書いたの通信社だから。
二次資料に価値なし。
620日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:14:15.70
>>617
鉄があったから。

だから?
畿内より九州の方が圧倒的に早いよね。

残念だな白痴君www
621日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:16:10.06
こいつ、ホンマモンの馬鹿だな
622日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:16:20.60
何で滋賀の文化が九州に行くんだよアホか。
しかも市三宅東に王墓はねぇし。
623日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:18:42.17
おまえが独断でそんあなこと決めても、買うのは失笑だけ
624日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:20:36.20
学問の常識に逆らうことでしか成立しない
それが九州説
625日本@名無史さん:2014/03/25(火) 14:26:16.76
箸墓古墳でさえ歴博は250年頃として一部から古過ぎると顰蹙を買っている。
3世紀後半あるいは末という意見もあり、
つまり古代史に何十年かのタイムラグなんて当たり前だから、
どちらが古いなんて決められない。
ゆえに「最古級」なんだよ。

わかったかアホ。
626日本@名無史さん:2014/03/25(火) 15:40:06.91
何かと必死だね不可能なのに畿内説ってw
627日本@名無史さん:2014/03/25(火) 15:45:12.34
>>626
妙な日本語だねw
628日本@名無史さん:2014/03/25(火) 15:56:18.05
>>625の必死さに失笑
629日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:05:22.33
九州の方が古いと断定している九州説信者の自己矛盾に、深刻な脳の欠陥を見た。
630日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:20:48.62
失笑としか反論できない>>628の無能ぶりw

ところで平原1号の副葬品には鏡、玉、剣が見事に揃ってるんだね。
あと鉄具があり、しかも割竹型木棺。
墓の形は違えど、副葬品はホケノ山古墳そっくりなんだが。

つまりホケノ山埋葬者は九州系だろw
631日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:24:00.48
馬鹿すぎる
632日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:26:33.32
いまどき馬鹿しか九州説にはいない。当然。
633日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:28:27.46
>>625
平原1号の木棺を「最古級」とは誰も言わないんだ。
誰も言ってないだろ?
なぜ言わないか、わかる?
634日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:31:33.77
>>625
「誰も言ってないだろ」って、
普段、割竹型木棺についてどれだけの人間が語ってるんだ?
635日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:32:50.57
奈良県桜井市には宗像神社がある。
なぜだろう。
面白いねw
636日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:45:21.33
>>634 平原1号の割竹式木棺が「最古級」だって誰も言ってない事実は認めるな?
637日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:48:50.99
>>636
アホか。
タイムラグのある弥生後期なので最古級に決まってるだろ。
638日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:49:51.66
キミが一人でそう言ってるだけだって認めるね?
639日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:52:55.02
九州説人間の低能ぶりにみなが憫笑
640日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:54:26.19
比類がなく飛びぬけて古いのは最古。
比べるものが存在する場合は最古級。

おまえは頭が悪いのか?
641日本@名無史さん:2014/03/25(火) 16:57:20.09
いさくちゃんげんきそおね
642日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:04:03.66
500年ころの中国大陸あたりで戦いみたいのがあってその痕跡みたいのが西日本どころか
関東にまで残っていそうってのは確かなんだろ?
643日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:05:01.82
なぜ平原1号の割竹式木棺を「最古級」だと誰も言わないのか?
644日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:09:30.73
福岡で出土の鋳型と香川の巴形銅器、ぴったり一致


http://www.asahi.com/culture/news_culture/SEB200804170016.html

九州から香川にまで来てたのなら
当然畿内にも来てただろうねw

考霊厨は巴形銅器まで畿内発祥を言うのかな?
645日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:20:14.66
この馬鹿は、そのうち燕市が日本の首都だと言い出す
に500クズセ
646日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:20:55.19
だろうねですか?
古代集落が多かったのは東日本だからさてどうなるか
647日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:22:44.85
1800年ころ前の遺跡がでてるのは確かなんだろ?
648日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:23:40.75
>>645
>>646
名無しに変えてもアホさは変わらないね考霊厨クンwww
649日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:24:41.30
逃げるだけが特技の九州説
650日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:28:46.39
さて九州発祥の巴形銅器の東征について答えてもらおうか。
畿内の古墳から見つかるんだけどな。
651日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:33:25.80
652日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:42:54.41
割竹式木棺で必死の抵抗を見せたものの、
巴形銅器で、ついに九州からの人的影響を認めざるを得なくなった考霊厨脂肪www
653日本@名無史さん:2014/03/25(火) 17:44:11.33
アフリカにもスマホがあるだろ。同じ事だ。
654日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:27:30.88
そりゃどこにでもあるだろwww
学説だけは成り立つけど九州発祥といえるだけの根拠ねえし
655日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:28:42.95
九州説が無理筋で死亡
656日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:31:17.82
つか古代中国辺りの戦乱のときにいろんなものが流れこんできたって方が納得がいく
657日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:37:04.04
戦乱の痕跡残ってるんだろ?
658日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:38:32.56
九州説は阿呆の群れ
659日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:42:59.15
畿内説が次に出してくる「詐欺のネタ」が楽しみです。
はやく新ネタを投下してください。みんなを笑わせてください。
660孝霊厨:2014/03/25(火) 18:46:56.30
>>648
どっちも俺じゃないぞ。
まぁ九州方面からの影響なんてあるに決まってるよw
だけどそれは九州発の文化でもない、あくまで大元は
大陸でありインドの方だね。
初期製鉄の竃様式にタタラやイヨ、金毘羅という文言でも証明出来る。
「シナ」という言葉も最初はインド側からみた言葉だな。
大物主とは海外からの神であり、
これは知恵や指導者という意味だろう。
661日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:48:07.76
九州説はまいど陳腐な詐欺ばかりで飽きるからなあ
今回の木棺詐欺もお粗末だったし
662日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:48:40.95
>>653
あのなぁ。
巴形銅器には呪術的要素があるわけだから人の移住しかないわけだよ。
畿内にスイジ貝なんてないのに、なんでそんな宗教的要素を取り入れるんだよww
ちなみにスマホに呪術的要素なぞありません。
日本の土師器が半島南部で多く見つかる場合も人の移住が想定されてるんだよ。
土器でさえそうなのに巴形銅器ならなおさらだろ。

九州発祥の巴形銅器が仲哀天皇陵でほぼ確定と言われてる津堂城山古墳から4点も出てる事をどう説明するのだ?
663日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:50:24.17
>>660
インドの話なんてどうでもいい氏ね。
664日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:50:44.54
巴型銅器は明らかに南島文化で、九州発祥ではないね
当然ながら北部九州ではありえない
665日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:52:41.60
<スイジ貝>
西太平洋とインド洋の熱帯域に広く分布する。日本では紀伊半島以南の沿岸域で見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%82%AC%E3%82%A4
666日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:52:48.44
>>664
最古は吉野ヶ里
667日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:56:42.99
平原の木棺や大型内行花文鏡、方格規矩四神鏡などがまとまって、
わずかながら、畿内でも出土する。

特に弥生時代には九州でしか出土しなかった絹が、
内行花文鏡や方格規矩四神鏡などを包んだと思われる状態で
出土する。

平原では、国内量産か大量輸入によって、鏡が余っていたことを
推測できるような大量出土となっているが、

畿内では絹に包まれているように、非常に大事にされていることがわかる。
668日本@名無史さん:2014/03/25(火) 18:59:42.08
平原では、輸入が出来なくて必死に国産したことが判っています。
669日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:00:54.40
必死なのは668だろw
670日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:02:37.45
九州の弥生絹は時代とともに衰えて少なくなり、代わってまったく製法の違う古墳時代の絹が畿内を中心に全国に広がる
671日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:05:32.85
平原で大量出土する方格規矩四神鏡が、
畿内の二ヶ所で出てくることは知っていたが、
絹や内行花文鏡、割竹形木棺まで関連するとは思わなかった。

これだけ揃っていれば、かなり関係の深い氏族が
移住したと考えるべきだろう。

もっとも、三角縁氏族のほうが数は多いわけで、
それをひっくり返すというほどメジャーになったと
考えるべきではない。

また、同様に九州でも、三角縁は出土するのであって、
畿内方面から移住したものもいただろう。

ただし、それぞれが自分たちの祭祀を続けることが
できていたということでもあるから、
中央集権による支配という形式ではなく、
それぞれの氏族が独立した小国を形成していたと思う。
672日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:06:02.69
平原1号の副葬品及び木管がホケノ山に以降してる時点で何をか云わんやなのだが。
673日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:08:40.24
>>671
>これだけ揃っていれば、かなり関係の深い氏族が
>移住したと考えるべきだろう。

ニギハヤヒ、後の物部氏だろうね。
674日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:27:16.49
西日本全体を支配する、
大女王国は幻想ってことだろうな。
675日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:31:59.50
http://inoues.net/club/karakonew723.jpg

物部氏の布留遺跡出土の円筒埴輪。

さて、ここの畿内説糞ドアホ達は、
これが九州原産の竹細工を模倣した物だと気づいてないだろう?

君たちは馬鹿だから無理もないwww
676日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:35:19.81
竹細工が九州発祥なのかよw
677日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:37:31.24
畿内土人さん達は銅鐸と共に歴史地下深く埋められ死亡しました

哀れーー畿内土人族w
678日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:42:07.34
ろくな武器もないから、全員殺されても仕方ないね。
四国からサヌカイトを輸入して対抗しても、鉄鏃相手じゃやっぱり全滅かな。
679日本@名無史さん:2014/03/25(火) 19:56:22.34
>>676
>竹細工が九州発祥なのかよw

そうだよ、隼人の文化。
12700年前のヤンガードゥリアス期に唯一残った真竹の分布地は南九州。
竹は人の手を介さねければ分布地を広げれない特殊な植物なので、
九州原産なんだ。
つまり今現在、あっちこっちでみられる竹林も、昔に人間の手で植えられたもの。
大元は九州なんだ。

分かったか?氏ねw
680日本@名無史さん:2014/03/25(火) 20:13:41.45
なんだ九州脳か、春になればおかしなのが沸いてくる。
681日本@名無史さん:2014/03/25(火) 20:13:45.57
布留遺跡の埴輪が竹細工を模しているという時点でトンデモな訳だがw
682日本@名無史さん:2014/03/25(火) 20:15:02.39
>>681
じゃ何なんだ。
答えろ。

氏ねw
683日本@名無史さん:2014/03/25(火) 20:17:58.67
>>678
四国から輸入?太古の時代から二上山はサヌカイトの大産出地だよw
684日本@名無史さん:2014/03/25(火) 20:40:01.07
>>682
埴輪について勉強してから出直しておいでw
685日本@名無史さん:2014/03/25(火) 20:51:05.36
>>684
何なのか答えられないクズwww

氏ねw
686日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:10:05.01
暇だった今日一日をまとめると、
割竹形木棺がホケノ山古墳より平原のほうが明らかに古いのに、
滋賀の遺跡の例を出して最古か最古級かに拘り、
九州発祥の巴形銅器が後の時代の畿内に出土してるのに、
まだ九州からの人の移住さえ認めず、
円筒埴輪が九州原産の竹細工を模したものだという俺の意見に、
批判はするが代替案さえ出せない。

考霊厨、完全脂肪www
687日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:13:44.29
  ↑
あきらかに知障
688日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:16:07.78
なんか九州説って、日本のあれもこれもウリナラ起源だー!!っていう人々と頭が同種ね
689日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:16:58.87
>>687
何ら反論できない屁たれwww
690日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:18:39.03
反論でボコボコにされてんのに見ないフリで虚勢の九州脳
691日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:19:56.96
>反論でボコボコ

何もまともな反論されてませんがwww

氏ねw
692日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:20:23.87
割竹式木棺は九州のが古い!!!は
誰もが吹き出す珍説で決着済み
693日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:21:45.24
滋賀の遺跡の例って

ふつうのところから船底材出土してお棺だって騒いだ早漏のまぬけなやつでしょ

まあ奈良でないから滋賀ならあってもおかしくはないけどね

奈良のはむりぽ
694日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:22:25.71
>>692
滋賀の遺跡と平原は、ほぼ同時期なのでお互い最古級でいいの。

まだわからないアホなのか?

氏ねw
695日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:23:01.84
後進地域の畿内人は、「後進」といわれると脊髄反射で反発するなw
696日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:24:40.46
通説に必死で珍反論の九州説あわれ
697日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:26:17.91
>>685
馬の耳に念仏唱えてみるか…

埴輪の透かし孔は、埴輪のルーツである弥生時代の特殊器台の文様から受け継いだもの
特殊器台および古墳時代前期前半の埴輪には、巴形、上向き・下向き三角形、長方形などの透かし孔がある
布留遺跡の埴輪の透かし孔は、数は多いが、この時期に見られるものとなんらかわりがない

以上
698日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:26:31.21
弥生後期と弥生週終末が同時期と言い張る九州説が満座の失笑を買いました
699日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:29:44.23
>>697
>弥生時代の特殊器台の文様

アホw
だからその文様が何だと聞いてるんだよ。
アホは透かし孔しか見ないだろ。
大事なのはそれを形造ってる節。
あれは竹細工なんだよ。

反論するなら代替案出してみろw
700日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:30:26.47
>>694
じゃ、平原が「最古級」だと言った人を探しておいで。
オレ様が言ったら、ではダメだから、念のため。
701日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:31:36.18
>>700
考古学者全員。
702日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:32:20.40
九州説主張者がもれなく馬鹿だと証明ありがとう
703日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:33:35.64
>>701
証拠は?
704日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:35:07.98
平原が最古級なのは当たり前ではないか。
誰が違うと言ってるんだ?
>>693氏が言うように滋賀の遺跡の物が船底ならなおさらだwww

氏ねw
705日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:36:22.81
証拠が出せない発言ばかりの九州説が
もう終りだという証明ありがとう
706日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:39:27.33
誰かが「最古級だ」と言った証明ヨロ
むろん「当たり前だ」ではダメ
707日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:43:06.26
>誰が違うと言ってるんだ?

誰ひとり「最古級だ」と言ってないでしょ?
これ、事実。
708日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:45:10.30
両方共、後期となっているようだが、
何年くらい違うのかね?
709日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:45:31.90
証拠って、平原より明らかに古いものをお前が出せばいいだけ。

さぁ、やってみろ。
出来ないだろ。
710日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:47:25.64
ほら、九州説は絶対に証拠を出さないで相手に押しつける
これ、トンデモの証し
711日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:48:40.29
後進地域の畿内は、いくら先進的と嘘をついても無駄。
712日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:49:55.22
>両方共、後期となっているようだが、

証拠は?
713日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:50:05.45
>九州説は絶対に証拠を出さないで

平原から木棺が出てるのか出てないのかどっち?
滋賀のは船底説が出てる時点でシオシオのパー
714日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:51:41.97
九州説の人間がウソをついたり詐欺をしたりした証拠は腐るほどあるんだが
畿内説の人間がそんなことをしたという証拠が提出されたためしは、ないな
715日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:53:46.79
>平原から木棺が出てるのか出てないのかどっち?

出ていない


>滋賀のは船底説が出てる時点で

どっから?
716日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:55:38.54
>>715
>出ていない

あるものさえない???
おまえもうだめだ。
人間として壊れた。
マジで医者に行け。
717日本@名無史さん:2014/03/25(火) 21:58:33.64
あるもの?
じゃ、どこにあるか言ってみ?
718日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:02:04.66
>>699
節?もしかして突帯のことか?w
特殊器台の古い段階とかマジで知らないんだなw
719日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:02:56.09
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1

>中心部には、長さ3メートル、幅90センチメートルの割竹形木棺(丸太を半分に割り、中をくり抜いて再び合わせ棺とした物)が埋納されていた。

ないというなら発掘主体者に言え。
ある物が「俺には見えない」と言えばキ○ガイ扱いされるだけだがな。
720日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:13:16.66
http://www.ss.iij4u.or.jp/~hsumi/docs/tusin/honbun/tusin3.html

2号墓にも木棺があったとよ。

@2号墓の存在が確認されました。2号墓は円形ないしは隅丸方形と考 えられ、
周囲に溝が巡らされています。
その規模は9〜10m(周溝 を含む)です。
墳丘の中央には丸太を刳り抜いて造った木棺が
ほぼ東 西方向に埋葬されていました。


どこまでしつこいんだよこのキチガイ。
721日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:21:29.09
>特殊器台の古い段階とかマジで知らないんだな

結局、何なのか答えられないおまえはアホだと言ってるわけだ

氏ねw
722日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:25:44.13
割竹形と書かれていない木棺なら、
弥生中期からかなりあるんだが、
朽ちてしまったのか、
形式まではわからない感じだね。
723日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:29:26.20
あるものさえ「ない」と断言する異常者が居座ってて、
このスレは非常に寒いのでほどほどにして寝よう。
724日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:37:43.34
>>717
> あるもの?
> じゃ、どこにあるか言ってみ?

もう、いい加減に弄くるのはヤメレ。
相手はWIKIくらいしかググる手段が無いレベルの人なんだからさ。

>>719
平原一号墓は、既知の木棺墓と同じように長方形墓坑を持つが、棺本体は残存していなかった。
なので「ある」は間違い、「あった」又は「あっただろう」が正解。

それに九州の木棺墓なら吉武高木の円形周溝墓の方がダンチに古い。
副葬品の多鈕細文鏡や銅矛の編年から、中期以前とみることが可能。
725日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:39:06.75
市三宅東遺跡のは、木棺のような
木製品が出てきているだけで、
いわゆる古墳の副葬品みたいなものは
無いですね。

工房跡などがあるようなので、
作りかけのなんか別の製品の
可能性がありますね。
726日本@名無史さん:2014/03/25(火) 22:52:34.27
>>724
吉武高木は割竹型木棺なのか?
727日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:02:29.63
割竹形木棺状木製品について

 弥生時代後期の溝から出土し、全長約353cm最大幅約65cm 
最小幅約45cmの半円形に割った丸太材の中を(外殻から)
厚さ約4cmを残してくり抜いた木製品が出土しました。
出土した木製品は大阪府久宝寺1号墳(古墳時代前期初頭)
から出土した割竹形木棺(全長さ約3.2m、幅約0.4m、木棺の
内部は刳り抜かれ、)の棺蓋に酷似しており、立命館大学
和田清吾教授と滋賀県立大学林博通教授に確認頂いたところ、
「割竹形木棺」である可能性が高いことが指摘されました。



と、古い以前に、まだ墳墓としては使われてなかったようです。
728日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:10:30.20
>>724
吉武高木は割竹型木棺なのか?
729日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:11:25.26
なんだ、また畿内詐欺だったのか。
730孝霊厨:2014/03/25(火) 23:15:34.50
桃の入った竹細工の籠なんて巻向でも出土してるしな。
仮に隼人由来の物だとしても、これは巻向建設時点で
九州南部から畿内までは同一文化圏であった事に他ならない訳だが。
九州出身であろう、山城辺りに基盤を持つ吾田姫の反乱も
史実だと言える証拠の一つだね。
731日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:17:19.81
>>721
古い段階の特殊器台には突帯はないんだよw
732日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:18:00.46
>九州南部から畿内までは同一文化圏

違うだろ。畿内説では畿内を中心とした地球は同一文化圏だろw
かの国とおんなじ主張w
733日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:25:59.48
734孝霊厨:2014/03/25(火) 23:27:12.73
畿内中心ではなく、元々瀬戸内海が倭の中心だろうと思うが。
九州説の人は、何故か全ての文化を九州発祥に
したいみたいで滑稽ですな。単なる中継点ですよ。
735日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:30:44.68
吉武高木遺跡

甕棺墓34基、木棺墓4基、土坑墓3基
2号木棺墓は、長さ4.8m、幅3.5mの長大な墓坑に、長さ2.5mの割り竹形木棺を納めた痕跡が残り、
3号木棺墓は2号より小規模ではあるが、硬玉製勾玉1点と碧玉)製管玉95点からなる頸飾りが副葬
糸魚川産のヒスイ
736日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:33:40.80
>>735
割り竹形木棺もやっぱり九州の方が圧倒的に早いと言うことだね。
737日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:36:58.99
出土数が増すに従い現状その筋では「割り竹形木棺」は徐々に「船底形木棺」にすりかえられつつある模様。
738日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:37:09.85
宇宙から瀬戸内海に降臨して来た畿内人が邪馬台国をつくった、というオカルト説か。
畿内説はやっぱり、かの国と同じような説だなw
739日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:45:09.97
つか邪馬台国ってのがどこなのかねえ
中国史文献では見えるが日本史にはでてこないもんだしね
740日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:49:43.35
秦の時代にでてくるので謎っぽい文化で古蜀ってのがあるけどこれ関連どうなの?
詳しいこと謎ってのもどこかと似てるわ
741日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:51:29.20
>>736

自分が幸せな気分になるように判断したらいいんじゃね
2chなんてそんなレベルだから
742日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:55:09.55
>>741
畿内の方が早いの?
743日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:56:15.13
つながり関連みてるんだけど?
744日本@名無史さん:2014/03/25(火) 23:56:46.31
>>739
日本史にも隆盛を誇った銅鐸がでてこないしね
745日本@名無史さん:2014/03/26(水) 00:57:21.11
やっぱりどう足掻いてももう九州説はダメだな。
746日本@名無史さん:2014/03/26(水) 00:59:38.07
>>742

東日本にも古いのはある。
名古屋の平手町遺跡の方形周溝墓からは、舟形だが弥生中期のくり抜き木棺が出ている。
くり抜き木棺なんて、まあ、丸木船が作れれば、どこでも作れる程度の技術品だ。

ただ、これが全国的に普及するのは庄内期以降。
747日本@名無史さん:2014/03/26(水) 01:05:12.89
日本の真っ黒捏造四天王( ̄□ ̄)

ゴッドハンドの藤村

現代のベートーベン佐村河内

ノーベル賞級リケジョ小保方

日本の小黄禹錫iPS森口
748日本@名無史さん:2014/03/26(水) 02:55:23.34
下三つは、マスコミが絡んでいるのがなんとも()

藤村っていうか、歴史学会がおかしい
こないだも自称愛好家が古墳の盗掘企てて捕まってたし
このスレといっしょで頭おかしいやつが多いんじゃねえの?
749日本@名無史さん:2014/03/26(水) 05:10:48.86
どの世界にも、下手の横好きが狂っていくパターンがいるが
古代史では自費出版する老人でおつむが異常なのが大漁
750日本@名無史さん:2014/03/26(水) 05:33:41.46
ヤマトだよ。変にヤマタイなんて読ませるから。
751日本@名無史さん:2014/03/26(水) 06:35:33.68
結局考古学的にも文献解釈にしても、残る選択肢は畿内だけだよ。
752日本@名無史さん:2014/03/26(水) 06:36:33.33
百濟について書かれているもっとも早い歴史書は宋書(6世紀)であり、
百濟についての記事は5世紀初頭までしか遡れない。広開土王碑の百残も4世紀末の記録である。
宋書によれば、百濟は高句麗とともに遼東の東にいたが、高句麗が遼東を略有すると、百濟は遼西を略有した
とある。梁書(7世紀)によると、百濟の先祖は三韓にあり、小国が後に巨大になって百濟となったする。また宋書と
同じく晋のときに遼西を略有したとある。隋書(7世紀)によると、百濟の先祖は高麗国であるとし、朱蒙神話が語られるように
なる。また仇台(三国志によると公孫度のときに帯方郡にいた扶余王)の後裔であり、のちに百家で
海を渡ったので百濟と名乗るようになったとある。
歴史書からでは、百濟が三韓の後裔なのか、高麗の後裔なのかよくわからない。

ただ北朝系の歴史書は概して百濟を扶余の出としている。
正確さが疑わしいものの、魏書(6世紀)には、百濟は扶余の出としており、周書(7世紀)も同様だ。
周書では、百済の先祖は馬韓の属国だっただろうと推測されている。
扶余の別種で仇台によりはじめて帯方郡に地盤を築いた、と北朝系と南朝系の説を
折衷したような内容になっている。しかし、諸国家群にすぎない馬韓が属国をもてたとは思えない。
唐太宗の命による晋書(7世紀)には出自については書かれていないが
百濟の記事を東晋(西暦371年)まで遡らせている。
753日本@名無史さん:2014/03/26(水) 06:37:05.83
総合すると、おそらく3世紀に扶余が帯方郡に南下してきて公孫度が彼らをうまく使ったのは事実であるし、
のちに4世紀初頭に百濟が遼西に進出していたのもそうなのだろう。
しかし、扶余から百濟へのつながりが弱すぎる。
まず、公孫度の遼東に属していた扶余が、遼東に南下してきた高句麗を許容してさらに遼西に進出するのは
高句麗に旧帯方郡を孤立させられるわけで軍略上おかしい。むしろ高句麗の侵攻から逃げてきて遼西に移ってきたと考える方が自然だ。
また仮に百濟が旧帯方郡から遼西にまたがる国家をつくっていたとすれば
三国志にその兆しが記載されているはずであるが、一切それらしい記事はない。
遼東には元から扶余の難民が多くおり、仇台は公孫度にその管理を委任されていただけであろう。
難民は馬韓の国にも流れていて小さな国をつくっていたかもしれない。
だが三国志からすると、馬韓は扶余とは関係なく馬韓としてまとまっていた。百濟が歴史の表舞台に出てきたのは、その名が示す通り
西晋東遷のときに遼西に広がって国を立てていた者たちが、前燕の朝卑に押されて百家で海を渡って旧帯方郡へ避難してからだろう。
彼らが旧帯方郡で勢力を保ち、後漢魏晋時代の文化を維持したためにそれを欲する倭国とも好しみを通じることになったのだろう。
754日本@名無史さん:2014/03/26(水) 06:40:03.92
しかし、そう考えると百濟ができたのは早くとも4世紀ということになる。
日本書紀や七支刀の記述との錯誤が問題となる。
また、もし百濟が4世紀に建国されたとするならば、三国史記における比流王以前の系図は何を示しているのか?
馬韓歴代の盟主的存在の代位か?海を渡って来る前の扶余系国家の首長の代位か?
北朝系の史書で百済は仇台の後裔を名乗っているが、三国志によれば、扶余は仇台のとき高句麗と鮮卑に挟まれていた公孫度と同盟し
帯方郡に属して後漢の文化に浴した。また、?兵倹が高句麗遠征に来た正始年間(240〜249)には、仇台の孫・麻余、ついで依慮が
王として立てられおり、3世紀後半まで扶余が帯方郡に属していたことが知れる。
ところが、三国史記の系図はその仇台の流れに合わない。三国史記自身それを認めている。
また、依慮の在位が3世紀末に迫るのに、そこから30年ばかりで遼西にまで広がる国家をつくることが可能なのであろうか?通常考えられない。
百濟は毎年仇台の廟を祀っていたそうだが、彼らが仮に扶余の末裔であるにしても、少なくとも王族は仇台の後裔である可能性は低い。
海を渡ってきた者たちが何物であったかは分からないが、彼らは帯方郡に残っていた扶余系難民をまとめて百濟を建国した。
さらに彼らが5世紀以後南遷して馬韓をも勢力下に置くこととなったと思われる。
よって、三国史記の系図は渡海者と帯方郡扶余と馬韓の三つの混淆していた可能性がある。
私見を言えば、三国史記の系図はおそらく遼西に逃げていた部族集団をまとめていた長のものであると考える。
755日本@名無史さん:2014/03/26(水) 06:40:36.23
日本書紀との関連だが、七支刀の銘文に百濟の文字が認められる以上、これが4世紀以後であるのは確かで、日本書紀の記述に誤りが
あるのはその通りであろう。なぜこのようなことが起きてしまったか?
それは白村江以後の百濟難民から聴取した伝承記録に錯誤があったからであろう。
肖古王と近肖古王を混同していたことなどから、翻訳に錯誤があった可能性もあるが、
同時に百濟王族が外来民であったことが百濟の歴史を複雑にさせていた可能性も高い。
王族や貴族も帰化している以上錯誤があったとすれば意図的なのものか、上層階級ですら正確な歴史を知らなかったのかもしれない。
少なくとも、日本書紀の作者が神功皇后を卑弥呼に比定している以上、そこに4世紀の百濟の記述を並列させたのは
なんらかの錯誤が起こったためと考えてしかるべきだろう。

三国史記の新羅の記述であるが、新羅も建国経緯上、?狛の侵入を受けているが
統一して長く歴史を保持していたため、信用度が高いのではないだろうか?
新羅本紀によれば、魏の時代の三韓と倭の関係は、三国志や日本書紀ともよく符合している。
756日本@名無史さん:2014/03/26(水) 07:43:08.37
>>746
>くり抜き木棺なんて、まあ、丸木船が作れれば、どこでも作れる程度の技術品だ

鉄斧や鉄のみがないと無理だよん♪
757日本@名無史さん:2014/03/26(水) 07:44:42.69
鉄がなくても、焼いて削ってを繰り返せば、
できないことはないが、効率は悪いだろうな。
758日本@名無史さん:2014/03/26(水) 07:46:33.18
そっとしといてやれ
九州狂脳内世界では畿内弥生は石器時代だそうだから
759日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:03:09.51
九州脳はこの20年程で他から新しい発見が相次ぎ、
自我崩壊しちゃったんだよ。
760日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:05:11.03
>>758
鉄が来るまでは石斧だよね?
761日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:46:02.06
現物が遺存していなくても、石斧が使われなくなった時期から判断して、畿内でも南関東でも鉄斧の普及度合いが判明しているんだよ
762日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:47:05.36
鉄は圧倒的に九州だけどねw
763日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:48:28.73
九州説にかぶれた人間って、歴史の基礎知識が異様なまでに歪んでるよね
764日本@名無史さん:2014/03/26(水) 08:57:33.19
九州説ってさ、剣道も茶道もウリナラ起源だって言いはる韓国ナショナリストの俗流史観と凄く似てね?
765孝霊厨:2014/03/26(水) 09:02:49.97
例えば最近でも吉備の弥生前期集落、南方遺跡からは、
中国の戦国時代(紀元前5〜4世紀)につくられた青銅製鏃なんかが
出土した訳です。これなんか半島にも出土例がないものだからな。
鉄・銅器に関して吉備は丹後と同様今後非常に期待できるだろう。

鉄は九州なんていう説も正直怪しくるかもね、
昔の銅鐸文化圏等と同じ運命になるかも?
766日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:06:26.80
今後非常に期待できるだろう
今後非常に期待できるだろう
今後非常に期待できるだろう
今後非常に期待できるだろう

今は?w
767日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:11:02.78
九州説に未来がないことは確実
768筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 09:13:35.78
三種の神器がセットで出土する日向峠周辺の遺跡群と須玖岡本遺跡を擁する

博多湾沿岸部。

当たり前です。 筑紫博多湾沿岸部は天皇の故郷ですから。


宮崎や出雲や畿内はありません・・・・
当たり前です。 
天孫降臨や国産み神産み等に出雲や宮崎や畿内は全く関係ありませんから。
それら出雲や宮崎や畿内は後に筑紫の天孫族が支配下においた地域です。

今年も天皇は三種の神器を携え伊勢神宮にご参拝。

伊勢志摩は天皇の故郷、筑紫の糸島半島の志摩から移した地名です♪
769日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:20:03.43
異常者の巣窟にお帰り下さい
770孝霊厨:2014/03/26(水) 09:20:08.78
出雲で銅鐸・銅剣大量発見の例もあるからな、
あれが結局九州説の終了フラグになった。

地道な調査自体は鍵唐古や巻向の発掘調査でも何十年もかかりますよ、
吉野ヶ里の様に早急に結論出しちゃダメだな。
771日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:26:07.72
山陰で銅鐸や銅剣の大量出土があって、
それだけのものを保有できる強大国家であることは否定しないが、

邪馬台国とどう関係があるの?
772日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:27:05.60
>>770
弥生時代の鉄の出土量で九州北部が圧倒してることさえ認めるのが悔しいのか?
しみったれた男だな。
773筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 09:30:33.31
出雲は筑紫の大国主(おそらく倭奴国王)が、
支配下の豪族(斯馬国・現糸島半島志摩)だった天孫族に
天孫族の台頭で筑紫・高天原を奪われ追放された地。

それが出雲。
774日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:37:26.86
九州説以外に未来がないことは確実
775日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:39:29.90
>>768
>天孫降臨や国産み神産み等に出雲や宮崎や畿内は全く関係ありませんから。

そんなことはない。
ヒギハヤヒ系(物部)が北部九州なのだろう。

神武の九州時代の奥さんアヒラツ媛を祀る社が宮崎の日南市と奈良の御所市にしかない。
記紀編纂前からある社だ。
神武が南九州から出航したのは間違いない。
776日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:40:57.13
×ヒギハヤヒ系

○ニギハヤヒ系
777日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:41:59.20
要は荘園制度が始まる以前の歴史がどうだって話なんだろ
778孝霊厨:2014/03/26(水) 09:42:08.51
>>771
出雲や吉備周辺には孝霊天皇の伝承が多く残っていて、
その娘が百襲姫な訳ですが。百襲=卑弥呼説なら大事な部分だ。

しかも香川、讃岐から大和へ戻って大物主に嫁ぐという話だよ?
倭国乱を西日本一帯の事象と捉えると、当然出雲や吉備は重要です。
779日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:42:08.59
福岡が強大国家であることは事実だが、
南九州から瀬戸内を放浪して畿内に移住する一部族まで
福岡出身に比定する必要はないと思うよ。
780日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:44:22.08
大分、後世の出来事を遡っての捏造が多いから正確なのでるかねえ
781日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:46:19.28
>>778
>孝霊天皇の伝承が多く残っていて

むりやり探し出した下らない伝承ね。
何で孝霊なんて影の薄い天皇にこだわってるんだよ。
782筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 09:52:50.95
宮崎とか畿内とか瀬戸内とかほんとお前らバカだな。

基本からやりなおせ。

九州には4つの国がある。
筑紫国、肥国、豊国とクマソ国だ。

宮崎のクマソは全く関係ない。
後の景行天皇がクマソ宮崎を日向と名付けただけ。

勘違いすんな宮崎や畿内のアホどもはw

出雲は筑紫の大国主が天孫族に倭国(筑紫)を追放され落ち着いた地だよ。


まあ筑紫博多湾沿岸部の覇者は

漢の倭奴国王(倭奴国王・後の大国主)→邪馬台国→
漢の倭奴国王から代々の倭奴国王・大国主(天孫族と血縁あり)→
最後の 覇家臺 の覇者天孫族 と推移したんだよ。
783孝霊厨:2014/03/26(水) 09:53:45.45
>>781
自説に都合が悪くなると下らない伝承になるんでしょうなw
孝霊天皇は江戸時代までは普通に知名度高かったんですよ。
孝霊5年といえば富士山が出来た年とセットで出てくるから。

だが個人的には出雲に孝霊61年、月支国が攻めてきて
争ったという話は重要だと思うけどね。
784筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 09:54:42.68
三種の神器がセットで出土する日向峠周辺の遺跡群と須玖岡本遺跡を擁する

博多湾沿岸部。

当たり前です。 筑紫博多湾沿岸部は天皇の故郷ですから。


宮崎や出雲や畿内はありません・・・・
当たり前です。 
天孫降臨や国産み神産み等に出雲や宮崎や畿内は全く関係ありませんから。
それら出雲や宮崎や畿内は後に筑紫の天孫族が支配下においた地域です。

今年も天皇は三種の神器を携え伊勢神宮にご参拝。

伊勢志摩は天皇の故郷、筑紫の糸島半島の志摩から移した地名です♪
785日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:55:36.09
781
後漢の霊帝の話を知らないのか?
786日本@名無史さん:2014/03/26(水) 09:58:20.20
>>782
じゃなんでニニギの降臨地が山奥の高千穂なんだよ。
むしろ最近のDNA研究で皇祖はD2a1bという、
縄文系であることが明らかになってるが、
山奥の高千穂ならむべなるかなだ。

物部系鈴木姓3例の検査ではすべて華北に多いO3だ。
787筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:08:05.74
>>786
山奥の高千穂??
だ か ら〜 宮崎は関係ないと言ってるだろ ハゲ

高千穂は地名ではない。 高い山という事。

筑紫の日向の高千穂。

つまり、博多湾沿岸部の日向の高い山。

高祖山連峰、飯盛山、油山、立花山、若杉山あたりだろう。

今でも古代より「日向」の地名が残る高祖山連峰や飯盛山、油山あたりが怪しいか?

まあ、神功皇后の本拠地である筑紫福岡平野東部の立花山、若杉山も怪しいな。
788筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:13:10.27
まあ宗像三女神の降臨地が
「六が岳連峰」なので天孫族の降臨地も独立峰じゃない可能性が高い。

そうなると「高祖山連峰」だろうな。
789日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:13:21.99
>>787
北部九州に神武の九州時代の妻アヒラツ媛を祀る神社がない。
つまり北部九州は神武と関係ない。
790筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:23:38.32
>>789
お前の根拠がショボすぎなんだよw
おこちゃまじゃあるまいし。

消えろ低脳

その程度のショボイ根拠で、
書ききれないほど本物が詰まった筑紫博多湾沿岸部に刃向ってくるな

身の程知らず知らずがw

少しは学習する謙虚な姿勢を身に付けろ

>>786
博多湾沿岸部の糸島半島にも縄文系の墓が多数存在するぞw
たしか志摩の志登支石墓あたりはそうじゃないか??
つまり斯馬の天孫族は漢の倭奴国王に仕える豪族だったんだよ。
791日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:25:06.05
>消えろ低脳

>その程度のショボイ根拠で

まるっきりそのままお前に返すよwww
792筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:25:50.19
例えば糸島半島の志摩の新町遺跡

>新町遺跡は、昭和61(1986)年、当時の志摩町教育委員会により発掘調査が行われました。
 約300平方メートルの狭い調査区の中から、57基の墓が検出され、
 このうち上石まで残った支石墓が7基、上石がなく支石のみが残っているものが十数基確認され、
 かつては半数以上が支石墓であった可能性があります。墓に供献された小壺などから、
 支石墓の造られた時期は弥生時代早期〜前期ごろであり、
 まさに稲作をはじめとする朝鮮半島からの文化を受け入れた時期にあたることがわかりました。
793孝霊厨:2014/03/26(水) 10:26:10.91
「月支国」は魏志韓伝に登場する、馬韓の色々曰くのある国だが、
こういう具体的な国名が出てきてる伝承は無視出来ないからな。
しかも半島人らしき集団との戦闘跡なんていうのも
出雲の青谷上寺地遺跡でも確認されている訳だ。

この頃は正に邪馬台国の年代とも直結してる訳だし、
そこに孝霊天皇の伝承が多いというのを無視出来るはずがない。
794日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:30:05.59
>筑紫倭皇帝

日向が北九州なわけない。
安本のケツの穴でもなめておけw
795筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:32:46.83
おっと、一番大切な部分を忘れたww

例えば糸島半島の志摩の新町遺跡 続き・・

>支石墓に埋葬された人骨の中には、縄文人の特徴を色濃く残したものや抜歯などをおこなっているもの、
 磨製石鏃を打ち込まれ絶命したものなどがあり、弥生時代の始まりに関する貴重な資料となりました。
796日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:33:04.45
ま、いくら頑張っても九州は弥生時代どまりなんですよ。
邪馬台国ではありえない。
797孝霊厨:2014/03/26(水) 10:33:33.75
まあ100%北部九州は伊都所在地、奴国の範囲ですから、
ここに邪馬台国は存在のしようがない。
このスレでいくら頑張っても時間の無駄ですよ。
798日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:41:37.96
>>795
支石墓の縄文人骨の話なんてけっこう知られてるんだよ。
何をいまさら強調してるんだよ。
799筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:43:00.58
しんまちしせきぼぐん【新町支石墓群】

>福岡県糸島市志摩新町にある墓群。玄界灘に面した糸島半島の南西側に位置し、引津湾に面した砂丘上に所在。
 1986年(昭和61)に本格的な発掘調査が実施され、弥生時代早期から前期前半の支石墓などの墓域が確認された。
 以後数次にわたって範囲確認調査が実施された結果、墓域はその後、東側に広がり、南側の砂丘裾では南北約80m、東西約140mにわたっていた。
 2000年(平成12)に国の史跡に指定された。調査では、合計57基の支石墓・甕棺墓(かめかんぼ)が確認され、半数以上が支石墓だった可能性がある。
 支石墓からは人骨が出土しており、乳幼児は甕棺に埋葬され、成人は木棺に埋葬されていたと推定されている。
 人骨は低顔・低身長という縄文人的な特徴を示し、縄文的な抜歯が共通して確認された。
 さらに左大腿骨に朝鮮系の柳葉形磨製石鏃(せきぞく)が刺さった男性人骨も発見され、朝鮮系の支石墓を多く含む弥生時代初期の墓制をよく示している。
 現在、この支石墓の上には覆屋がかけられ、新町遺跡展示館として調査当時のようすが公開されている。
 JR筑肥線筑前前原駅から昭和バス「新町」下車、徒歩約5分。

まあこの他にも、糸島、志摩や福岡平野には縄文系の墓が多数存在するという事。
支石墓は甕棺墓より古く、縄文系の人物が埋葬されてる事が多い。
後に糸島から魏志倭人伝にも登場する「甕棺墓」が始まり、その後世には一部熊本や朝鮮半島南部まで広がった。

すべて歴史書とも一致する事実であり現実もそうだった証明。

まあ、宮崎とか畿内とか出雲とかいうバカはこういう事実も認め、あきらめることだなw

全ては、筑紫福岡、博多湾沿岸部から始まった、博多湾沿岸部でおこってた事実だ。

倭国でもない出雲や宮崎、畿内はまったく関係ないんだよ。
800日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:55:36.50
>>799
支石墓の縄文人骨の話を強調しなくても、
現代日本人男性の半数近くが縄文系のY染色体。
つまり福岡でなくてもどこでもいたの。
あほらしw
801筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 10:55:50.14
>>797
あの・・・
邪馬台国の卑弥呼が直接治める国は
伊都国の隣の「斯馬国〜奴国」までですけど・・・
つまり斯馬国から福岡平野の奴国までが卑弥呼が直接治めるクニ。
伊都国は倭国の「聖地」漢の倭奴国があったところ。
卑弥呼はその伊都国に都を置き、斯馬国〜奴国を治めたんですけど・・・

ちなみに、斯馬国と奴国の間のクニは、まあ福岡平野内にもそれ以上の弥生の集落遺跡
が出土する福岡平野なので集落がそれぞれ クニ を名乗った可能性も有るし、
志摩からはじまり奴国まで戻ってきた可能性もある。

どっちみち甕棺もない出雲や宮崎や畿内は倭国ですらなく
別の野蛮人たちがすんでたってことだ。

出雲も宮崎も畿内ももうあきらめろ アホども。

「耶は伊都に届き、傍ら斯馬へと連なる。」

何もない出雲も宮崎も畿内もあきらめなさい アホさんたちw

大国主も邪馬台国も天孫族も全て博多湾沿岸部で起ってた史実です。
802日本@名無史さん:2014/03/26(水) 10:58:19.63
>>801
墳丘墓は北九州より出雲のほうが古いね?
何で?
803筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 11:00:01.24
>>800
初めて「支石墓」の存在を知って焦るな、低脳w

ちなみに「甕棺墓」は糸島で始まり、後世は一部熊本や朝鮮半島南部まで波及した。

魏志倭人伝やその他様々な歴史書の記述とも一致してて面白いね。

また一つお勉強になってよかったな>>800クンw

倭国ですらない出雲や宮崎や畿内のアホたちはいい加減あきらめろよw
804日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:03:44.53
>初めて「支石墓」の存在を知って焦るな、低脳w

10年前から知ってるがw
805日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:07:34.69
>筑紫倭皇帝

墳丘墓は北九州より出雲のほうが古いね?
何で?
806日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:08:29.86
ま〜
古墳は200年ころから900年ころまで作られてるらしいからな
朝鮮が600年ころだっけ?この順で考えると順番分かるね
807日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:10:21.01
それ以上、朝鮮北部になぜいかなかったのかとかな
808日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:13:53.10
最後に伝播したのが北海道あたりの南部あたりで終わってるんだよな
古墳時代がないんだから合うわけがないよ
809筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 11:14:07.91
まあ、「甕棺墓」や後の「神籠石(純筑紫様式)」が存在する範囲が、
せいぜい倭国の九州側の範囲だろうな。

倭国とは博多湾沿岸部に都を置き、朝鮮半島南部まで支配した一大海洋国家。

ちなみに、本州や畿内に存在する「神籠石」は筑紫のそれとは「似て非なるもの(神籠石)」

出雲は筑紫の大国主が天孫族により倭国筑紫を追放されて落ち着いたところ。
畿内は筑紫博多湾沿岸部より東征した神武が制圧して、後の「日本」になった大和王権。
宮崎はクマと同居する原始人がすんでいたクマソ。

これが全ての答えだよ。
810日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:15:55.97
どこの商人が考えたことだよまったくw
811日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:17:00.23
筑紫は磐井だろ^_^
812筑紫倭皇帝:2014/03/26(水) 11:29:05.39
「三種の神器」がセットで出土する日向峠周辺の遺跡群と須玖岡本遺跡を擁する

博多湾沿岸部。

当たり前です。 筑紫博多湾沿岸部は天皇の故郷ですから。


宮崎や出雲や畿内はありません・・・・
当たり前です。 
天孫降臨や国産み神産み等に出雲や宮崎や畿内は全く関係ありませんから。
それら出雲や宮崎や畿内は後に筑紫の天孫族が支配下においた地域です。

今年も天皇は「三種の神器」を携え伊勢神宮にご参拝。

伊勢志摩は天皇の故郷、筑紫の糸島半島の志摩から移した地名です♪
813日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:31:28.72
大丈夫?
814日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:33:18.22
畿内説で生計を立てている既得権益者のためだけに畿内説があるんだから、
筑紫倭皇帝氏が正論をぶつけても既得権益者の立ち位置は変わらないんだな。
815日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:40:50.46
倭皇帝ねえ
弥生期の遺跡がでるってのは誰も否定していないと思うけど
816日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:44:36.74
中国山東半島あたりの人と九州北西部あたりの人のDNAが一致した
ってニュースみたな、どうみても古代大陸の争いから逃げてきた人
らが移り住んでる
817日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:44:56.80
>>806
出雲の四隅突出墳墓は弥生中期後半
818日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:49:56.64
>>814
>筑紫倭皇帝氏が正論をぶつけても

どこが正論なんだよwww

天皇家とは別の降臨伝承をもつ物部が北部九州というなら大賛成だが。
819日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:54:28.04
物部だのなんの話してんだよ
820日本@名無史さん:2014/03/26(水) 11:57:06.54
>>819
天皇家を北部九州出自というアホに対して。
821日本@名無史さん:2014/03/26(水) 12:06:21.35
出雲系・大物主
ニギハヤヒ(物部)
神武(大王家)

奈良盆地においてこの3派が存在したのだから、
物部を無視するわけにいくまい。

考霊天皇なんて何も関係ない。
こんな天皇こそ無視すればいい。
822日本@名無史さん:2014/03/26(水) 12:15:08.12
正確なとこは分からないんでしょ
全国の古墳関係の調査しかわかる手段ないだろうねえ
823日本@名無史さん:2014/03/26(水) 13:07:02.14
纏向石塚、勝山、ホケノなどの纏向古墳群が、

@出雲系・大物主
Aニギハヤヒ(物部)
B神武(大王家)

の3派のうち、どの派の古墳かといえば、
埋葬品に北部九州系要素をもつAニギハヤヒ(物部)だろう。
4世紀には北に布留遺跡も出来る。
記紀でもB神武(大王家)の墳墓は畝傍山及びその近辺だ。

また初期前方後円墳には播磨など東瀬戸内の影響があると言われるが、
物部は播磨にも拠点があり、後に播磨物部と呼ばれる。
824孝霊厨:2014/03/26(水) 13:11:54.71
出雲系?の大物主とは海を渡ってきた神だと明記されてるからな。
その大物主は愛媛の金毘羅さんの主祭神だろう。

コンピラなんてどうみてもインドのクンピーラから来てる訳だしな。
しかもクンピーラ=鰐だよ?仏典では竜であり蛇だから。

初期製鉄といい吉備のルーツを探ってゆくと、結局インド方面になる。
文言を理解するなら最低この辺りを抑えないとな。
825日本@名無史さん:2014/03/26(水) 13:21:02.28
金毘羅さんは香川な。
だいたいそんな古くはない。
平安時代あたりだろ。
826孝霊厨:2014/03/26(水) 13:28:57.33
だが大物主=金毘羅さんは水神であり竜神、蛇神。
しかもワニだという点は見逃せないだろう。

自国の姿である、ワニの姿で産んだトヨタマ姫とその子は誰だ?と。
なぜそんな逸話を入れたのかというと、色々考えさせてくれるだろう。
827日本@名無史さん:2014/03/26(水) 13:39:54.65
大物主=大黒さんが、
えびす神社に祀られ、
釣り竿や魚を持ってるのは、
イサナ(自ら湾内に入って来てくれるイルカや鯨)を象徴してて、
同じように商売も客待ちなんだから、商売人の信仰を集めただけ。
828日本@名無史さん:2014/03/26(水) 13:45:11.19
大物主は個人名でなく代々王の名称。
だから神武の義理祖父であったり、
モモソ姫の亭主であったりする。
どっちにしても出雲荘のある三輪山を本拠にしてたのだから出雲系。
829孝霊厨:2014/03/26(水) 14:11:56.62
大物主は「海から渡ってやってきた、新たな神」だとあるからな。
金毘羅さんの主祭神が大物主と決まる以前は、スサノオや
金山彦も共に祭神な訳だから、色んな新たな物を持ち込んだ物神だろう。

その正体が後に蛇だったと記されてるのは、やはり元々蛇神、
インド辺りにルーツがあるという事だよ。

トヨタマ姫がそんな遠方で子を産むという話はさすがに無理だが、
これが愛媛辺りで産むという話なら十分つながる事になる。
830日本@名無史さん:2014/03/26(水) 14:17:45.95
>「海から渡ってやってきた、新たな神」

祖先のスサノオは海を渡って新羅に行って帰ってきたがな。

>インド辺りにルーツがあるという事だよ。

氏ねよ、おまえ。
831日本@名無史さん:2014/03/26(水) 15:07:39.99
九州説なら氏んでいる
832日本@名無史さん:2014/03/26(水) 15:32:49.57
芋臭い神社オタクが寄ってくると
現実離れの致命的な妄想が広がって
理路整然としたアカデミックな議論が出来ないのが常
833日本@名無史さん:2014/03/26(水) 16:10:44.90
名大の中塚教授の新手法で、光谷さんの年輪年代の追試が出来そうだし、
古墳時代の開始時期については決着がつくだろう。
834日本@名無史さん:2014/03/26(水) 16:11:53.91
古墳時代開始4世紀説の安本もとうとう年貢の納め時かもなw
835日本@名無史さん:2014/03/26(水) 16:46:20.36
もうとっくに誰からも相手にされてないから変化なし
836日本@名無史さん:2014/03/26(水) 16:49:29.38
畿内説、お前は既に死んでいる!
837日本@名無史さん:2014/03/26(水) 16:55:39.35
さるまね九州説に未来なし
838日本@名無史さん:2014/03/26(水) 17:21:17.84
神話や伝承を歪曲して考えるやつが多すぎ。
その歪曲した説を、まるで定説のように語るのも多すぎ。
839日本@名無史さん:2014/03/26(水) 18:26:49.51
>理路整然としたアカデミックな議論が出来ないのが常

そんな事、邪馬台国スレでは過去に遭遇した事がないぞw
840日本@名無史さん:2014/03/26(水) 18:40:57.58
九州説はオレ様解釈が絶対だからな
841日本@名無史さん:2014/03/26(水) 18:42:05.84
畿内説詐欺って、書き込み内容がゴロツキ以下だな。
842日本@名無史さん:2014/03/26(水) 18:55:38.33
自分がゴロツキと証明する愚かさ
843日本@名無史さん:2014/03/26(水) 19:11:48.17
あらまあやあざますわ^_^
あたくしの好きな邪馬台国スレがアカデミックじゃあな〜いなんて(≧∇≦)♪
844日本@名無史さん:2014/03/26(水) 20:36:21.62
畿内説は詐欺が似合う
845日本@名無史さん:2014/03/26(水) 20:45:23.27
九州説の相手をするって意味?
846日本@名無史さん:2014/03/27(木) 10:05:55.10
3世紀前半に邪馬台国の王都はどこにあったかと言えば畿内だろう。
しかしながら畿内には九州系要素がふんだんにあり、
九州人の東征があったのは当たり前であろうに、
それさえ認めれない頑迷な畿内説者はアホ。
847日本@名無史さん:2014/03/27(木) 10:51:05.85
また何も立証できないまま「当たり前」で済まそうとするアホが通過しました。
848日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:06:36.70
>>847
え〜と…
上のほうで割竹形木棺が吉武高木遺跡が最古で決着してるね?
あと巴形銅器も九州なんだが?
849日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:16:04.40
どう最古で決着してるの?
そもそも九州ばっかり調べてるからねえ
そりゃ痕跡はでるだろうよ
850日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:20:19.67
東北の方とかはなぜか捏造になって潰れるとかいうの多いし
まったく調べもしないとこもあるし犯意が多すぎるんだね
マスコミあたりかなりおかしな動きしてるしな
851日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:21:39.24
例えば遺物が発見されても抹殺されるの多いしなw
852日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:23:36.49
九州説唱えるのはいいが命取りにならなきゃいいね
853日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:28:27.35
>>849
吉武高木遺跡より古い割竹形木棺を出せばいいだけ。
痕跡でなく実物を出せなんて屁理屈は言うなよ。
854日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:31:52.40
割竹形木棺が吉武高木遺跡が最古で決着してる?

そういう根拠は?
855日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:37:08.30
吉武高木遺跡で割竹形木棺が出たって証拠は?
856日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:42:27.36
現実を都合のいいように造り替えるのが九州説の特徴
ひとことで言えば「捏造体質」
857日本@名無史さん:2014/03/27(木) 11:55:16.69
九州教徒は東京でメンタイコ売ってるのを見たら
「九州人の東征があったのは当たり前」とか言い出すぞ
ばかだから
858日本@名無史さん:2014/03/27(木) 12:30:18.95
500枚以上出てきた△鏡が、畿内説の証拠だってさ。
畿内説ってもう馬鹿かと、アホかと。
859日本@名無史さん:2014/03/27(木) 12:36:02.68
>>855
「割竹形木棺 吉武高木遺跡 」でググっても大量に出てくるので、
それをすべて否定していかねばならないのは君。
さぁやれ、屁理屈こき。
860日本@名無史さん:2014/03/27(木) 12:39:33.81
あほ
自分は痕跡だけでOKにしといて他人には
「吉武高木遺跡より古い割竹形木棺を出せばいい」
と要求するおまえのインチキは
もうバレてんの!
861日本@名無史さん:2014/03/27(木) 12:46:21.60
>>860
おまえ頭おかしいの?
畿内で、吉武高木遺跡より古い割竹形木棺の実物でも痕跡でもいいから出せと言ってるのだが?
862日本@名無史さん:2014/03/27(木) 13:01:49.06
「割竹形木棺を出せ」と言ったウソツキが居直ります
863日本@名無史さん:2014/03/27(木) 13:02:03.92
大変な後進地帯で、他所からの文化流入しかなかった畿内を、
列島最高の先進地帯だったと言いくるめるのは、あまりにも困難だなw
864孝霊厨:2014/03/27(木) 13:02:33.52
>>858
見本を元に畿内で作って全国に配布するのだから、証拠になるわけだが。
銅鐸に比べると、技術的には全然楽勝なんだしな。
865日本@名無史さん:2014/03/27(木) 13:03:38.26
>>862
言葉のあやを理解できない白痴w

で、畿内では吉武より古い痕跡も実物も出せないんだね?w
866日本@名無史さん:2014/03/27(木) 13:08:44.41
>>864

△鏡が発掘される状況をみると、他の鏡より「格下」扱い=安物量産品扱いされてるんだよ。
魏からありがたく頂戴した100枚の鏡が500枚以上に増殖するはずないし、
貴重な魏鏡を粗悪品扱いするのも有り得ない。まあ、畿内説は詐欺だから仕方ないけどね。
867日本@名無史さん:2014/03/27(木) 14:09:36.34
>>863は江戸幕府の実在が認められないチエオク
868日本@名無史さん:2014/03/27(木) 14:12:52.32
>>866
>安物量産品扱いされてるんだよ。

だから△は国産説でいいんだろうがw
869日本@名無史さん:2014/03/27(木) 14:23:36.74
あくまでも誤魔化そうとする>>865
870日本@名無史さん:2014/03/27(木) 14:26:13.32
どうやら>>866さんは踏み返しもボウ製も知らないんですね。
魏の亡んだ年も知らないのでしょう。
九州説というのは実に粗雑ですねえ。
871日本@名無史さん:2014/03/27(木) 14:29:31.07
>>868

誰が見ても国産鏡の△鏡を、
「卑弥呼の魏鏡=畿内説の決定的証拠」と
マスコミ呼び込んで大騒ぎしたのは
畿内説詐欺だったことを、もう忘れちゃったのかい?
872日本@名無史さん:2014/03/27(木) 14:34:53.40
九州説になる絶対必要条件、それは無知
873日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:16:13.34
>>869
で、畿内では吉武より古い痕跡も実物も出せないんだね?w

ごまかし、逃げたあげく、泣いてるのかい?www
874日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:24:54.37
出す必要ないもの。
ごまかしたり逃げたりしたという証拠でもあるのかな?
出任せばかりの九州説くん
875日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:39:04.46
畿内説を妄信する知能程度の低い人達

弱い犬ほどよく吠える!って言いますけど

本当の事のようですねぇ。
876日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:43:14.74
>>874

出す必要ないもの。
出す必要ないもの。
出す必要ないもの。
出す必要ないもの。
出す必要ないもの。
出す必要ないもの。
出す必要ないもの。
出す必要ないもの。


www

出せないとはっきり言えwww」
877日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:43:44.42
畿内説が三角縁500余り枚すべてを舶載だと言っているかのように捏造して卑劣なプロパガンダを企んでいるのですね?
九州説はどこまで穢れているのでしょう、
878日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:44:13.60
九州説がなんの根拠なのか検証してやるからそういう情報だしなさいよ
879日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:49:03.14
>>875
吠えとる吠えとる弱い犬九州説
880日本@名無史さん:2014/03/27(木) 15:57:56.78
>>876
愚かだな
自分が自滅したことに、まだ気付かない。
九州が古いほど、文化の伝播で説明でき、征服説のでる幕はなくなるのに。
881日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:08:34.48
>>880
なんだ征服されたと認めるのが嫌な小心者だったのかww
記紀に何で九州勢による征服が書かれてるの?
882日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:09:38.44
九州説が詐欺をした証拠は山ほど揃った。
883日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:19:34.99
>>881
あらたに支配下に置いた南九州、わしは元々おまえの主人!というために決まってんじゃん
884日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:33:54.84
>>883
小心者クン、何でそんな事を南九州だけに言うの?
885日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:37:30.21
>>881
九州勢力の征服ではなく、瀬戸内海周辺の話ですが。
886日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:38:17.34
畿内の土着民なんて大物主に征服され、
ニギハヤヒに征服され、
神武に征服された屁たれwww

テョンみたいwww
887日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:39:40.99
親衛隊としてこき使ってるからに決まってんじゃん
888日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:39:43.26
これが中華主義ってやつか?
かなり頭悪そうだな
889日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:40:22.89
>>885
考霊厨クンだね。

病気?
ニニギ降臨の高千穂は九州。
890日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:41:34.58
頭を殴って正気っかせれば少しはマトモになる?
891日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:41:55.68
九州(クズ)中華
892日本@名無史さん:2014/03/27(木) 16:46:02.99
九州人による征服は記紀にも書かれ、
割竹木棺、鏡玉剣の副葬など考古学でも明白なのだが?www

小心者だから認めたくなかったのかwww
893日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:04:57.27
>>890
よせ
殴ったら死ぬぞ
九州説はヨボヨボ爺さんだから
894日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:12:29.91
このご時世に九州説になれる要件
考古学知識ゼロ
歴史常識なし
低知能
895日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:29:33.11
>>894
は?
おいら畿内説ですが?
ところが九州の影響を思いっきり認めてる畿内説。
しいて言えば柳田さんに近いかな。

どっちにしても、おまえみたいな現実を直視できない小心者の畿内説ではありません。
896日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:34:26.00
ほら、逃げに出た
897日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:37:28.85
ナリスマシ乙
898日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:38:36.44
>>896
逃げてるのは巴形銅器、割竹型木棺、鏡玉剣の埋葬など、
九州の文化が畿内に現れる事に何もも答えられない君だよwww

あ、あと銅鏃、鉄鏃もねwww
899日本@名無史さん:2014/03/27(木) 17:52:10.33
答えてるけど?
900日本@名無史さん:2014/03/27(木) 18:04:04.84
>>899
逃げてるけど?
901日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:22:06.19
>>900のキミ、また逃げてるのか。
ダメなひとだね。
902日本@名無史さん:2014/03/27(木) 19:46:11.63
>>893
巴形銅器は弥生時代のものと古墳時代のものとの間に時間的な断絶がある
903日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:19:09.30
>時間的な断絶がある

それがどうしたの?
904日本@名無史さん:2014/03/27(木) 20:21:37.40
考霊厨って名無しに豹変して自演してるけど、
ほんと情けないねw
905日本@名無史さん:2014/03/27(木) 21:33:48.42
>>903
時間的に連続していないということは
弥生時代に九州でつくられていたものが
そのまま古墳時代の近畿に持ち込まれものではないことを示す
906孝霊厨:2014/03/27(木) 22:39:18.04
>>904
しつこいね、君も。
今日は忙しいので昼以降は書き込みをしてない。
907日本@名無史さん:2014/03/28(金) 08:06:53.77
>>905
断絶ってどれくらいあいたら断絶になるの?
そして誰が断絶してると言ってるの?
たとえば木製短甲なんてかなりあいてるけど断絶なんて言われてないよ。
908日本@名無史さん:2014/03/28(金) 09:06:04.02
>>902
弥生時代の九州の吉野ヶ里で出て、奈良の唐古鍵や愛知の朝日遺跡で出るから断絶なんてないよん♪
909日本@名無史さん:2014/03/28(金) 10:35:21.84
それ全部弥生やん
910日本@名無史さん:2014/03/28(金) 10:58:11.53
>>908
だから地域的に断絶してないだろ?
そんでから古墳前期ね。

どこに断絶があるのかな?
911日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:01:20.63
>>905が「時間的に連続していないということは 」と言ったのを
スリ替えたわけですな?
さすが九州説、やることが汚い。
912日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:20:28.53
>>911
しかし女々しいやつだな。
時間的にも連続してると言ってるわけだが。
弥生後期から古墳時代前期って断絶してるのか?
どこの学者が巴形銅器の断絶を言ってるのだ?
おまえ負けず嫌いもほどほどにせいよ。
913日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:26:51.07
罵って誤魔化しても、きみが詐欺やった事実は変わらない
914日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:30:31.67
どこの弥生時代?
915日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:37:23.28
いつまでたっても、弥生の鉄は九州が圧勝だっていうやつがいるね。
弥生時代は長いんだよ。
後期になれば近畿が圧勝するって知らんのかな。

弥生初期〜中期は九州が圧勝だよ。
遠賀川式土器が日本中を席巻し、水稲稲作は九州北部から広まった。
誰も異論を挟んでいない。

いろんな説があるけど、中国本土と遼東半島の混乱で、後漢の後ろ盾を
失った九州勢力の力が衰えた。
畿内の海人を主とした勢力が日本海経由で鉄の入手をし、それを
広い地域に配布したことが近畿の勢力伸長に関係したんだろうね。

卑弥呼の時代は、鉄は九州からはちょっとしか出ないけど、近畿から
たくさん出るようになってるんだから。
景初三年とかの鏡も近畿が多いんだしさ。
逆転は出来ないよ。九州から何が出ても、近畿の遺跡が消えてなくなることは
ないからね。

三角縁神獣鏡も途中からは日本が作ったんだろ。日本人お得意の技術を
取り入れ自己流に加工するってやつでさ。
916日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:44:51.92
>どこの学者が巴形銅器の断絶を言ってるのだ?

現状では古墳前期巴形銅器が弥生後期巴形銅器の系列上に位置することは否定的な見解が支配的である。(赤塚次郎)
917日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:47:16.32
>>916
リンク先も表示してないから無効。
918日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:51:51.77
>>915
>後期になれば近畿が圧勝するって知らんのかな。

アホ。
ホケノ山や椿井大塚山以降だろ。
ごまかすな卑怯者。
919日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:52:02.65
都合の悪い情報を必死で無視するのは穢れた九州説の常套手口
920日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:56:09.74
いつの弥生時代?
921日本@名無史さん:2014/03/28(金) 11:58:27.10
古墳時代の巴形銅器は4本足、弥生は6本以上が多く。形状の上で断絶がある。
また九州のものと大阪湾以東のものは鈕の形状が異なる。
922日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:00:12.90
>>917はネットサーフィン以外の情報収集手段がない情弱ww
923日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:02:41.03
>>922はネットで提示できない白痴ww
924日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:03:41.76
ほんと、こいつ馬鹿だな。ネット情報以外知らないのか・・・
925日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:03:45.34
>>921
>形状の上で断絶がある。

変化。
926日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:05:11.37
変化だという根拠は?
中間形態でも見つかったの?
927日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:08:38.70
>>926
7本もあれば5本もあれば4本もある。
だから何?
それをいちいち断絶というのかアホ。
928日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:10:04.24
巴型銅器が断絶してようが、してまいが、
巴型銅器を祭祀に使用する集団が、
移住したか、
持ち込んだ連中がいて、
地元の豪族がその祭祀を採用した
ということだろうと思うのだが、

断絶にこだわる理由がよくわからない。
929日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:12:31.62
>>928
>断絶にこだわる理由がよくわからない。

断絶ということにして、
とにかく九州からの影響を排除したいという願望を持つ、
小心者畿内説者がこのスレに多いのです。
ま、考霊厨の自演だろうが。
930日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:13:27.59
この世界に書籍というものが存在することを知らない低知能種族とみられる
931日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:17:21.65
巴形銅器というマイナーな祭器の形状の変化さえ断絶というなら、
土器や武器などは断絶だらけだろうなwww
土器の庄内式から布留式も断絶なのか?
馬鹿じゃねぇのwww
932日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:23:15.00
それは変化。
変容過程が明らかになっているから。
933日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:26:05.82
いくら罵っても、割竹式器木棺や巴形銅器の話を聞かされて「九州人の征服」などというたわごとを信じる人はいない。
低知能人類は別として。
934日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:29:15.69
割竹型木棺、鏡玉剣の副葬、銅鏃、鉄鏃、巴形銅器。
つまり畿内は九州勢に征服されました、残念w

おまけに記紀にまで書かれてるしね。

逃げ場のない畿内の被征服土着民www
935日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:31:22.02
確定:九州説=低知能
936日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:33:56.38
弥生時代に九州勢が長野県まで征服したんだとさ!
笑ってやって!九州説の妄想を。
937日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:34:30.97
記紀にまで九州勢による征服が書かれてるよね。

                        ∩___∩
     __ _,, -ー ,,             / ⌒  ⌒ 丶|     今、どんな気持ち?
      (/   "つ`..,:         (●)  (●)  丶        ねぇ、どんな気持ち?
   :/       :::::i:.        ミ  (_●_ )    |
   :i        ─::!,,     ハッ  ミ 、  |∪|    、彡____
     ヽ.....:::::::::  ::::ij(_::●    ハッ    / ヽノ      ___/
    r "     .r ミノ~.      ハッ   〉 /\    丶
  :|::|    ::::| :::i ゚。            ̄   \    丶
  :|::|    ::::| :::|:                  \   丶
  :`.|    ::::| :::|_:                    /⌒_)
   :.,'    ::(  :::}:                    } ヘ /
   :i      `.-‐"                    J´ ((

   畿内土着民
938日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:38:12.55
いつの弥生時代?
939日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:39:44.10
百年前を弥生時代とはいわないよ^o^
940日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:45:48.87
畿内で九州的要素が出るのは王墓だからねw

つまりおまえら畿内の平民は、
九州から来た王に対して、
はげ頭を湯気だしながら地面こすりつけたのだよ。
941日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:57:05.53
どこの半島???wwwww
942日本@名無史さん:2014/03/28(金) 12:59:56.53
大物主を王と崇め、
ニギハヤヒを王と崇め、
神武を王と崇めた畿内土着民って、
まるっきしチョンだねwwwww
943日本@名無史さん:2014/03/28(金) 13:02:04.74
どうぞお帰りくださってけっこうでございますよ^o^
944日本@名無史さん:2014/03/28(金) 13:22:27.25
九州説って、もう完全にアウトだね
945日本@名無史さん:2014/03/28(金) 15:09:24.21
なんか、文化の伝播っている始点がまるっと欠落してて、思考が畸形化してるな、九州説って・・・
946日本@名無史さん:2014/03/28(金) 15:13:24.83
九州説だから仕方ない
947日本@名無史さん:2014/03/28(金) 15:17:50.47
後に九州を左遷場所や成敗対象にしてるのになw
948日本@名無史さん:2014/03/28(金) 16:29:07.21
九州説って、弥生の始まりが紀元前300年で終わりが紀元300年という説だった
時代の、縄文人のような原始人は日本人の先祖じゃないって頃の一説だろ。
そんで、騎馬民族国家説が席巻していた時代の。

今の九州説を唱えてるのは、何が根拠?
水行・・陸行・・南へ・・
これだけ?
949日本@名無史さん:2014/03/28(金) 16:39:37.67
パズル曲芸読みでどこでも好きなおらが村に持って行けるのがいいんだろうが
そろそろ爺さんたち次々と鬼籍に入るし
書く文章見てて明らかにアルツが出てきてるのが判る人も少なくない。
950日本@名無史さん:2014/03/28(金) 16:45:11.01
ものがなしいな
951日本@名無史さん:2014/03/28(金) 17:12:38.50
年取るともう現実を受け入れるのは無理なんだろう。
なので妄想やパズルに現実逃避するしかないんだよ。
952日本@名無史さん:2014/03/28(金) 17:41:46.22
鉄や銅の精製が出来る人間が、
あらゆる地域で主導権を握ったに決まってるじゃん。
つまり北部九州だよね?

畿内ぶざまwww
953日本@名無史さん:2014/03/28(金) 18:22:27.42
5〜6世紀になれば、国産の製鉄も確実となるが、

いきなり高品質な鋼を作れるが、一回ごとに炉を作りなおさなければならない
たたら製鉄が主流の時代に、

糸島では、精錬が必要だが、
量産が可能な斜め型高炉製鉄が行われていた。(元岡遺跡)
954日本@名無史さん:2014/03/28(金) 18:33:53.19
948
騎馬民族の日本影響説って150年前か?
955日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:08:19.27
>>953
まさかいまだに、邪馬台国のみならず、九州王朝説まで主張する猛者が居ようとは・・・な!
956日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:18:27.11
九州王朝説など、一言も書いていないが、

元岡遺跡の大規模鉄コンビナートをみれば、
確かに誰だって九州王朝説をイメージするよな。
957日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:21:15.47
ついでに、元岡遺跡からは、7世紀くらいと推定される鉄滓や炉壁が、
78トン出ている
958日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:25:06.91
九州説の時代錯誤に失笑
959日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:29:15.23
元岡・桑原遺跡群は九州大学統合移転事業に伴って発見された遺跡で、福岡市西端にあたり、玄界灘に突出する糸島半島の東側基部の丘陵地帯にある。
<中略>
時期はおおむね8世紀代を示している。
960日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:30:34.49
>>957
ちなみに元岡遺跡は何世紀まで遡れるの?
961日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:32:19.65
倭人伝には邪馬台国に鉄が豊富だなんて何処にもないぞw
962日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:33:00.58
九州説ぶざますぎる
963日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:36:40.38
福岡元岡遺跡から、AD570年製の鉄剣が出土

www.city.fukuoka.lg.jp/data/open/cnt/3/25547/1/230927-02.pdf
964日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:39:15.20
九州説の老残痴呆脳には、いろんな情報がごっちゃになって腐ってんだろうなあ
965日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:39:52.48
白村江時代の武器製造プラントと補給基地だろうな
966日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:43:01.30
九州脳は500年くらいの時空なら平気でジャンプします
967日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:43:35.69
白村江で48000人を投入してると書かれているが、
まんざら吹いた数字でもないのかもしれんな。
968日本@名無史さん:2014/03/28(金) 19:53:14.10
こちらは元岡よりちょっと古い鍛冶遺跡

http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/files/ExcavationNewsParagraph20fileja.pdf
969日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:01:17.18
邪馬台国とは無関係で、九州説ぶざますぎる
970日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:03:15.91
5万はないと思う
派遣するかどうかで迷ってたし
800艘で一艘10人乗るとしても8000人だし
それほど50人乗りの船とかそうそうないはず
971日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:05:11.46
>>908
>>911
古墳時代の前期前半にはなく時間的に空白がある
972日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:23:59.88
はいはい忌内説忌内説
973日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:24:59.60
九州痴呆の老人が思考停止しました
974日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:31:13.12
たぶん、あと数年で心肺も停止します
975日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:42:58.57
>>971
古墳時代の前期前半には短甲はないが空白とは言わない。
976日本@名無史さん:2014/03/28(金) 20:49:08.03
老残九州脳が空白
977日本@名無史さん:2014/03/28(金) 21:59:55.48
>>975
それ以前に鉄製の短甲がないからだが

弥生時代九州のものからの系譜を主張するには
時間的に断然が存在することは致命的
978日本@名無史さん:2014/03/28(金) 22:19:45.90
それ以前に>>975の脳味噌がないカラだが
979日本@名無史さん:2014/03/28(金) 22:35:01.45
やはり、天皇陵を発掘すべきだが・・
無理ですな。
980日本@名無史さん:2014/03/28(金) 23:32:42.73
九州説ほど無理ではない
981日本@名無史さん:2014/03/28(金) 23:48:07.59
江戸時代に日本の首都はどこにあったのか?
もちろん京都だけれど、実権を握っていたのは江戸。
天皇が居たところが首都だとすると、首都は京都御所、つまり今の二条城だ。
首都が東京に移ったという法的根拠はないらしい。

邪馬台国=女王のいるところ、大和=政治や経済の中心。こういうことだ。

孝明天皇の子→大室寅之祐、捏造説、
大物主神の子→大田田根子、捏造説、
構図があまりにも似ている
982日本@名無史さん:2014/03/29(土) 00:10:19.82
九州の 正体みたり 陰謀論
983日本@名無史さん:2014/03/29(土) 00:11:07.36
大田田根子っていんぽ
大物主神ってでかちん神
984日本@名無史さん:2014/03/29(土) 00:14:49.88
根子 根の国の男 島根?紀伊?
日子 日の国の男 肥国?日向?
985日本@名無史さん:2014/03/29(土) 00:25:27.96
根子 根の国の男 島根?紀伊?
日子 日の国の男 肥国?日向?
巫女 巫の国の女 美濃国?木曽?
986日本@名無史さん:2014/03/29(土) 00:29:11.62
みこは 御子 子をていねいに言ったもの
御子、巫女、皇子、すべてミコ

みこしは御輿、神が乗るものだから、御をつける
いつの間にか定型句になり、神の字を当てて神輿となり、
それをさらにていねいに言うために、御神輿になった
987日本@名無史さん:2014/03/29(土) 05:15:51.46
>>977
>弥生時代九州のものからの系譜を主張するには
>時間的に断然が存在することは致命的

何言ってるの?
唐古鍵にも巴形銅器がでて。香川からは福岡の鋳型の物さえ出るのだが?
何が時間的に断然だよ。
あと唐古鍵から北九州土器がでたのは最近だが忘れたのか?
老人ボケか?
988日本@名無史さん:2014/03/29(土) 05:18:51.15
>>977
>それ以前に鉄製の短甲がないからだが

だからそれなら余計に空白と呼ばれてもいいのに、
呼ばれてないと言ってるわけだが?
何言ってるんだ、おまえ。
老人ボケ確定w
989日本@名無史さん:2014/03/29(土) 05:58:03.49
こいつ、まともに日本語が喋れないのか?
九州脳って程度低すぎっwww
990日本@名無史さん:2014/03/29(土) 07:15:06.68
モモソが卑弥呼、それで問題無しです。
991日本@名無史さん:2014/03/29(土) 07:37:49.56
キナイブシも落ちたのう。九州説を攻撃することでしかキナイブシの存在を
アピールすることができなくなったか。もっと自分達の説の研究を深めて、
立証・証明に力を入れないと本当に落ちてしまうぞ。
992日本@名無史さん:2014/03/29(土) 07:58:50.71
>>990
名前が違う、時代が違う、論外。
993日本@名無史さん:2014/03/29(土) 08:59:08.96
モモソは日女命なんで無問題
994日本@名無史さん:2014/03/29(土) 09:26:05.10
>>987
あ、>>977の「断然」は「断絶」の間違いだな 失礼

で、時間的に連続していると主張するなら
唐古・鍵と香川の巴形銅器の共伴土器型式くらいは
明示してもらいたいものだ

>>989
普通の日本語で「空白がある」という時は
空間的には、あたり一帯には存在するものが一部地域にのみない場合で
時間的には、前後の時代に認められるものが途中のある時期にだけ認められない場合だと思うが違うか?
明治時代に認められる洋服が江戸時代にないからといって
「江戸時代は洋服の空白期だ」などといわない理由を考えてみることをお勧めする
995日本@名無史さん:2014/03/29(土) 10:37:47.86
知能の低いひとには教えても無駄
996日本@名無史さん:2014/03/29(土) 10:42:12.49
畿内説と九州説じゃなくて

奈良説、大分説、佐賀説、福岡説1、福岡説2、熊本説だろ
997日本@名無史さん:2014/03/29(土) 10:54:00.27
まあ呉服問屋とか発達するのは江戸時代だからな
998日本@名無史さん:2014/03/29(土) 11:54:45.97
>>994
佐賀・桜馬場遺跡 〜AD1世紀
愛知・朝日遺跡 2世紀初頭
福岡・筑紫地区遺跡群→香川・森広遺跡 2世紀
唐古鍵  〜2世紀後半


>普通の日本語で「空白がある」という時は
>空間的には、あたり一帯には存在するものが一部地域にのみない場合で

ほう、3世紀からの纏向古墳群には勾玉が存在しないが「空白がある」と言われてるのか?
999日本@名無史さん:2014/03/29(土) 12:12:58.57
しっかし女々しいのう一部の畿内説者はwww

なのが断絶なんだよハゲw
1000日本@名無史さん:2014/03/29(土) 12:14:13.03
ついでに1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。