1 :
日本@名無史さん:
お前らまだまだやれ
2 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 08:51:08.31
これ、もういらんやろ
佐村河内厩戸さんのスレですね。
5 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 23:07:26.92
バカだなあ大御所ミュージシャンやアーティストで
ゴーストいないのなんか一部だろ
佐村河内言う人のゴーストは自分が表に出たくなっただけだよ
じゃなければ何かの事件や報道の煙幕
佐村河内の信者が猛り狂うクソスレ
聖徳太子伝説を涙流してありがたがってる奴らだから、まだ騙されてるのさ。
聖徳太子って、実際は聞こえないのに聞き分けられるふりしてたんだろうなw
結論
聖徳太子=サンタクロース
トルコのどっかの山で、初雪が降ると斜面が白ヒゲを蓄えたおじいさんみたいに
見える風景があった。
その土地では、その現象を擬人化して「白ヒゲ爺さんが来た」=「冬の到来」を意味した。
これがサンタの元ネタ。要するにある現象を擬人化したもの。
後にキリスト教がそれをパクって布教に役立てた。
ちなみにクリスマスもキリスト教以前の原始信仰であった冬至の祭り
をパクったもの。なんでもパクって自分のものにするところはなんだか日本人ぽくて面白い。
仏教の普及に「聖徳太子」という素材を偶像化したかも、と考えれば
サンタも聖徳太子も、どっちも布教の道具という意味である意味似ていると言えなくもない。
光明皇后の仏教への思い入れは尋常でなかったからな。
12 :
日本@名無史さん:2014/02/09(日) 12:17:22.07
虚構爺のファンタジー語りうざい
太子像がガンプラで
飛鳥大仏はジオングで
山背はガルマ「謀ったな、入鹿!!」で
入鹿がシャア「坊やだからさ・・・」なんだろ
わかったからどっかいけ。
宇宙ゴミって…つまり創〇学会の事だろ?
>>13 意味不明なこと言ってないで「論破」しろよハゲ
敏達直系の彦人大兄を蹴落とすためのコマに過ぎないから、箔をつける必要がある
たまたま厩戸ちゃんは仏教オタクだから推古と蘇我氏がPRしたら後世に伝承したのかもな。
彦人を抑えるには徳が高いことをアピールする必要はあるね
「大山さんの虚構説は間違いです」と言ってるだけで、
従来の通説についてはむしろ修正してる
>>17 「A氏は現代のベートーヴェン」
「ベートーヴェンどころか単なるいかさま師」
「それは極論に過ぎる、音楽に興味を示していた証拠は看取される」
虚構説への反論て、こんな感じだよねw
粗雑な大山説だけ叩いてあとはダッシュで逃げてるから虚構論批判ですらないよ
『天皇と日本の起源』 遠山美都男 著 講談社現代新書
第二章 飛鳥と、斑鳩と――厩戸皇子の実験
厩戸皇子の登場
飛鳥の開発を企画し、それを実行に移したのは、推古女帝と蘇我馬子であった
が、推古・馬子と述べてきて、今ひとり、厩戸皇子について触れないわけにはい
かないだろう。
厩戸皇子は、蘇我稲目のむすめ(堅塩媛・小姉君)を母とする両親(用明天皇
・穴穂部間人皇女)のもとに誕生した。彼の祖父は父方・母方ともに欽明天皇で
あり、父方の祖母、母方の祖母、いずれも蘇我氏の出身(稲目のむすめ)であっ
た。厩戸皇子が蘇我系の王族というべき存在であったというのは、たしかに彼の
本質を衝いた評価といえよう。
厩戸皇子の誕生時の奇跡や彼の異能を語る幼少期のエピソードは、飛鳥を舞台
にした七世紀の歴史を綴ろうとする本書にとって埒外の問題とせざるをえない。
彼が歴史の舞台に初登場したのは、蘇我馬子らが物部守屋をを倒した内戦、丁未
の役への参戦であった。厩戸はこの時、わずか十四歳だった。馬子は、守屋との
対決を前にして、守屋を完全に圧倒するために、その陣営に有力な王位継承候補
を多数参加させた。厩戸はあくまで、そのなかのひとりにすぎなかった。馬子の
持ち駒のひとつ、といったところである。
厩戸皇子の歴史の表舞台への正式なデビューを記すのは、つぎの『日本書紀』
推古元年(五三九)四月己卯条であろう。
厩戸豊聡耳皇子を皇太子にたてた。よって国政を統括させ、政治のすべてを委
ねることにした。
厩戸皇子が推古女帝の皇太子であったというのは、かつては定説として不動の
位置を占めた。だが、今日では皇太子制は六八九年に施行された飛鳥浄御原令に
おいて成立したと考えられており、厩戸皇子は皇太子という公的なポジションに
あったわけではない。皇太子制の成立以前は、即位資格をもった皇子が複数存在
したのであって、厩戸はある時期以降(後述)、王位継承資格をもった皇子たち
のなかで最も有力な人物というにすぎなかった。
「国政を統括させた」の箇所は、原文では「録摂政」となってる。「摂政」の
文字が見えることから、厩戸皇子があたかもこの時、「摂政」という役職に就任
したかのように誤解されてしまったのである。しかしながら、実態としては、彼
が女帝推古のもとで国政に参画する地位に就いたことを示してるにすぎない。
要するに厩戸皇子は、有力な王位継承候補として国政に参与するようになった
ということなのだが、それが、『日本書紀』のいうように推古即位に伴うもので
あったかとなると、そうとは考えられない。なぜならば、この時期、大王は世代
や年齢などの条件によって選出されており、三十歳前後の壮年に達していなけれ
ば、その即位は容認されなかったからである。
したがって、大王候補として国政に参画する場合でも、年齢がまったく問題に
ならなかったとは思われない。厩戸皇子は、五九三年当時、まだ二十歳であり、
大王としての即位はもちろん、有力な皇子として国政に参画することも、なお遠
い将来のことだったに違いない。
女帝がいたから彼がいた
厩戸皇子が国政に参画するようになったのは、五九三年よりも十年ほど後、西
暦六〇〇年前後のことだったのではないかと思われる。
それは、六〇〇年頃から倭国の政権が新政策(遣隋使、冠位十二階や憲法十七
条などの制定)を打ち出し始めており、その点からいって、政権のメンバー構成
に変化のあったことが考えられるからである。さらに、六〇一年に厩戸皇子が斑
鳩宮の造営を開始しており、六〇七年、その経済基盤としての壬生部(後に上宮
乳部とよばれるようになる)が諸国に設定されていることが手掛かりになる。
斑鳩宮について詳しくは後述するが、それは、厩戸皇子とその一族の居所であ
るとともに家政機関(家産の維持、管理機構)でもあった。発掘の結果、その規
模は一般に考えられているよりもはるかに大きなものだったことが判明している。
壬生部は、厩戸皇子のように大王候補として国政に参与する有力な皇子の地位
に付属しそのような皇子に貢納・奉仕は、厩戸が住まう斑鳩宮に集められること
になる。
斑鳩宮のような宮殿や、その経営・維持を支える経済基盤である壬生部は、後
に皇太子の居所・家政機関である東宮坊や、その経済基盤ともいうべき東宮湯沐
に引き継がれていった。このことから見て、厩戸皇子が授かった斑鳩宮や壬生部
は、有力な王位継承資格者のステータスだったことが明らかである。厩戸皇子が
斑鳩宮を造営し、そこに遷り住み、壬生部という経済基盤をあたえられた六〇〇
年頃、彼の政権内部における地位・身分に大きな変動・上昇があったことは確実
といえるだろう。
ところで、厩戸以前に、王位継承資格をもった皇子が内政や外交に関与したこ
とがあったであろうか。そのような前例がまったくなかったとはいえないが、そ
のようなポジションが制度的に確立を見たのは、厩戸皇子の時が初めてだったの
ではないかと思われる。
なぜかといえば、それは、女帝の誕生と関係がある。すでに述べたように、女
帝とは、大王の政治を補佐して執政の経験と実績を積み上げてきた大后が、その
点を高く評価されて王位を継承したものと考えられる。このように大后から大王
に上昇した女帝は、かつての大王が大后の補佐を得て執政を行ったように、やは
り特定の人物による補佐を受ける必要があるのだろう。
史上初の女帝推古のもとで、彼女の甥という近親者である厩戸皇子が国政に加
わるようになったのは、かつて大后が夫である大王の執政を補佐した前例になら
い、それに代わるものだったのではあるまいか。そして、敏達の時代に成立した
大后の地位を制度的にたしかなものとするため、その地位に付属する私部が設定
されたように、厩戸皇子のように有力な大王候補という資格のもとに女帝の統治
を補佐する皇子の地位に付属する服属集団として、壬生部が設置されることにな
ったのであろう。その意味で、我が国における女帝の出現なくして厩戸の登場は
なかったといってもいいだろう。
近年、大山誠一氏は、『日本書紀』に描かれた聖徳太子が編纂者による創作の
所産であり、それと実在の厩戸皇子とは別個に考えるべきだという「聖徳太子虚
構説」を唱え、脚光をあびている。しかし、『日本書紀』の聖徳太子像に多くの
粉飾が加えられていることは、大山氏以前に多くの研究者がすでに指摘ずみのこ
とである。大山説にメリットがあるとすれば、それは聖徳太子像を創造した人物
の具体名とかれらに共通する動機を明言したことであろう。だが、この点につい
ては種々の解釈が可能であって、大山説はなお仮説の域を出ていないといわねば
ならない。
さらに、大山説の問題は、実在の人物である厩戸皇子が王位継承資格もなく、
内政・外交に関与したこともない、たんなる蘇我氏の血を引く王族にすぎなかっ
た、とみなしていることである。斑鳩宮に住み、壬生部を支配下におく彼が、王
位継承資格も政治的発言権もない、マイナーな王族であったとは到底考えがたい。
大山氏のいうように、『日本書紀』の聖徳太子はたしかに架空の人物だったか
もしれないが、大山氏の考えとは大きく異なり、やはり厩戸皇子は実在の、しか
も有力な王族だったのである。
25 :
日本@名無史さん:2014/02/11(火) 20:15:08.78
なぜ、斑鳩をえらんだのか
厩戸皇子は六〇〇年頃に国政に参画するようになり、推古・馬子の政権に加わ
ったわけであるが、それと同時に斑鳩に遷ったのは一体どうしてであろうか。斑
鳩宮のような宮殿を営んだのは、彼が国政に参与する有力な皇子となったことに
対応するものであるが、そのような宮殿の所在地が飛鳥から北方に位置する斑鳩
の地であったのはなぜだったのか、ということである。
すでに述べたように、当時の飛鳥は、推古女帝と蘇我馬子が建立した飛鳥寺に
よって、新たな大王家の本拠地、王権の聖地として熟成するのを待っている段階
にあった。その飛鳥にはなくて、斑鳩に備わっていた条件とは一体なんだったの
であろうか。
考えられるのは、周囲を山に囲まれた「小宇宙」ともいうべき飛鳥とは異なり、
斑鳩が大和川を通じて難波に直結しているということであろう。
難波は筑紫を介して朝鮮半島に、さらに中国大陸に通じていた。後に倭国を訪れ
た中国、隋の使いである裴世清の一行が、難波津に上陸した後、大和川を船で遡
上し、海石榴市を経て推古女帝の小墾田宮に達したことを見れば、難波と大和と
を結んだ竜田越えを抑える位置にある斑鳩が交通の要衝であたことが分かる。
厩戸皇子が国政への参画とほぼ同時に斑鳩に宮殿を造り、そこに遷り住んだこ
とから考えるならば、国政の中枢に加わった厩戸がとくに任された仕事は外交だ
ったのではないか、と考えられる。有力な王位継承資格者であったかれは、外務
担当すなわち、「外相」として入閣したということができるだろう。
(中略)
以上のように、四世紀の百済王権、また六、七世紀の倭国の王権において、王
がその王位継承予定者に主に外交を担当させるという王権の分掌体制があったよ
うであり、厩戸皇子の国政参画もそのような類型のひとつとして考えてよいので
はないだろうか。
かつて、厩戸皇子が飛鳥から斑鳩に遷ったのは、蘇我馬子との権力闘争に敗れ、
傷つき、事実上の政界引退だったといわれたことがあった。しかし、事実はまっ
たくの逆であって、厩戸の「外相」としての活躍は彼が斑鳩へ遷った頃から本格
的に始まったのである。
>皇太子制の成立以前は、即位資格をもった皇子が複数存在したのであって、
>厩戸はある時期以降(後述)、王位継承資格をもった皇子たち
>のなかで最も有力な人物というにすぎなかった。
遠山美都男もこう認めているな。政治的隠遁者だったという大山説を否定してるだけ
ケネディ太子みたいなものかな
推古と馬子が官邸で実質決めてて、離れた斑鳩には仏教オタクの応接用お飾り外相を置く。
ときどき閣議に呼んでやる。岸田と同じ。
29 :
日本@名無史さん:2014/02/12(水) 05:03:35.24
太子も前期は政治的にいろいろ活動してたようだが、後期は
ほとんど隠遁者同然の生活だったようだね。
遠山先生の大山説批判って、ほんとに「大山説に対する」批判であって
聖徳太子については旧通説のイメージをはっきりと否定してるね。
馬子の実在を否定するとか
厩戸信者はまさにカルトね。
キャロラインケネディも政治経験ゼロでシンボリックな影響力しかないけど
外交的応接なんてそれで充分だからな
>>32 「聖徳太子」の大部分が虚像と認めた上で、ではどこからどこまで実像があるのかという議論だね
前スレでも言われてたが、厩戸が斑鳩にいるのは重大なハンデ
大統領選のライバル候補が中国駐在大使を仰せつかって
(それ自体は栄転の形を取るが)体よく隔離されたり
現代でも似たような例はあるけどね
38 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:00:14.40
聖徳太子とは蘇我馬子のことだろ。
蘇我氏の業績を太子という架空の人物に移したんだよ。
聖徳太子の信憑性を疑い出したら当然同じ書物における同時期の人間である推古や馬子だって疑わしくなるさ
むしろなんで聖徳太子だけに限定するのかよくわかんない
功績を疑うのは結構な事だけど厩戸の聖徳太子という名の後付けニックネームを何故ここまで躍起になって引き離そうとするのかがイマイチ理解出来ない
別に誰も聖徳太子に限定していないけど、スレ違い
馬子や推古について追求したいなら別スレ建てなされ
あと太子という嘘混じり後付け「だけ」を否定しているわけじゃなくって
実像の厩戸王と分けて考えるのに便利だから使い分けてるだけだよ
42 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 11:57:39.58
馬子が冠位十二階を制定したなら、
大化の改新以後に廃止になってるよ
十七条憲法も天皇に重きを置いてる
>>38 いや、やはり別者だろう。
前スレにあった寺院の軒丸瓦文様の様式。
飛鳥寺式花組・同星組は飛鳥寺創建当初からともに活動してるから、
大もとは馬子の監督下にあったものだろう。
しかし7世紀初頭には、星組でも飛鳥に残るものと斑鳩に移るものが出て来る。
そしてその後、船橋廃寺式を経て百済大寺や山田寺の瓦文様へと展開していく様式は、
斑鳩系星組の系統と考えられている。こちらは厩戸の監督下にあったものであろう。
その斑鳩系星組は、花組や飛鳥の星組に比べ、地理的にも広範囲の活動分布が確認できる。
こんな所に、6世紀末の「馬子時代」、7世紀初の「厩戸時代」、の様相を感じ取ることも可能ではなかろうか。
>>41 大山を始めこの件に熱中してる連中って大体限定してると思うけど…
まぁ日本書紀は胡散臭いじゃそりゃそうだろって事で誰も食いつかねーからだろうけど
いつ誰が聖徳太子以外はみんな実在するなんて言ったんだ?
逮捕された犯罪者の言い訳と一緒だな
「俺より悪い奴がいるのになんで俺だけ逮捕するんだ」
>>39 厩戸などと呼ばれたモデルは存在するが聖徳太子は虚像
と言われたら「だったら馬子もいなかったはず」とか、お前はガキか
ホントに何時何分何秒レベルのいちゃもんだなw
前スレでも見たけど
>>45-46の受け取り方も少しズレてるよね
聖徳について論じるのに推古や馬子はスレ違いとかそこまで厳密で精細に検討しなければいけない場所なのか此処は
>>48のほうがズレてるだろ
スレ違いなんて誰も言ってないわけだが
蘇我馬子という人物が実在しなかったと主張したいならそれは自由だよ
べつに「聖徳太子のモデルになった厩戸という人物すらもいなかった」
なんてトンデモなことを言ってるわけではないからね
聖にコラオスは実在するがサンタクロースは実在しない
こんな簡単な主張を理解できないのかね
遠山美都男も
>『日本書紀』の聖徳太子像に多くの粉飾が加えられていることは、大山氏以前に多くの研究者がすでに指摘ずみ
>大山説にメリットがあるとすれば、それは聖徳太子像を創造した人物の具体名とかれらに共通する動機を明言したことであろう。
>だが、この点については種々の解釈が可能であって、大山説はなお仮説の域を出ていないといわねばならない。
つまり太子像に粉飾が加えられてることは前提にして大山の「仮説」を批判してるわけなんだが…
その他に政治的地位に就いて見解を異にしてるけどね
遠山さんの乙巳の変軽皇子主犯説のほうが
日本史的には重大なトピックだな
聖徳太子なんてある意味どうでもいい存在
軽皇子主犯ってむしろ主流じゃないの?
違う時代では近親相姦した不埒ものにされてるしな
天智天武兄弟にとっても邪魔者だったのか
聖徳太子、実は同時に聞き分けられなかった疑惑
「ある時期から同時に聞き分けることができなくなった
影武者に同時通訳させていたことは謝罪したい」
ここって一応学問板なんで、厩戸の眉唾エピソードを真に受けてる奴なんか居ないと思うんだけど。
なんか虚構説批判したら即、太子信仰してる奴みたいに思われるのは心外だなぁ。
大山が書紀の太子関連記事を史料的価値無しと切って捨てる理由は、書紀編纂時に太子信仰が創作されたって事が前提なわけ。
だけど、多くの研究者は書紀以前の金石文などから書紀編纂時には既に仏徒の間で太子の神格化は始まっていて、それを編纂時に厩戸のエピソードとして挿入されたとみている。
だから、書紀を丁寧に史料批判すれば朧げながら厩戸の実像が現れて来る。
若草伽藍や斑鳩宮の発掘等もあり、厩戸が壬生部を持った有力王族であり、推古の後継候補で馬子と共に推古を補佐する立場にあったとするのが、今の史学会の主流だね。
>>55 うむ、概ね賛成
最初の法隆寺が存在した頃、太子信仰はあったのかね
>>55 そうそう。大山説は日本書紀によって太子信仰が捏造されたという考え。
書記以前の基本史料、古事記・風土記に太子を敬う記述がありすでに破綻。
厩戸は法隆寺建てただけで政治関与なしという全否定。すると、推古朝史を
書きかえることになる。そこで大山が言い出したのが蘇我馬子大王(天皇)論。
推古女帝すら抹殺いたしましたとさ。大山は平成の抹殺博士。
しかし、大山についてきた学者たちよ、学者仲間からの嘲笑にも耐えて
信じた道を突き進む意気やよしだけど、馬子大王説と心中するの?
推古も架空だろ。
少なくとも女というのは確実に嘘
59 :
名無しさん@実況は禁止です:2014/02/15(土) 11:03:51.96
無から伝説を作って1500年後も語り継ぐのは無理
やっぱりある程度の素地はあったと思われ
変な例だが源頼朝が建立した寺が今はなく、
それより古い太子が建立した寺が残ってるのが、いと面白しw
>>58 あり得るね
最初の女帝は皇極斎明だと思う
これがかなり無茶な即位だったので、推古や飯豊皇女とか造り出したのでは?
つまり、女帝は昔からあったのだ、と
61 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 12:21:35.79
太子伝承のお膝元といってよい、香芝市尼寺にある
巨大な塔跡すら記録が残っていないからな。
太子道の真横で、法隆寺五重塔より高いとされてるのに。
太子時代の伝承は相当怪しい部分が多いのは間違いない。
推古は古きを推し量るだ。
ヒミコやイヨ辺りの話から流用している。
63 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 12:24:54.41
聖徳太子(厩戸)が熱心な仏教推進者だっただけで
政治的業績は大したことないというのは
SF作家の豊田有恒が昭和の頃から書いているがな。
>>55 だって「粗雑な大山説を批判して虚構説をひとしなみに否定した気になってる」んだからしょうがない
厩戸が統治能力を持った推古に政治的思惑で引き立てられ、共同執政者の1人でしかない時点で既に聖徳太子なんて半分虚像
詐欺師厩戸
66 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 14:28:37.02
九州大学教授の田村圓澄も述べているが、
聖徳太子が太子じゃない時期にも、馬子は大臣だったが、
とくに画期的な政策を断行していないという
67 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 14:29:43.96
>>66の続き
よって太子の在世中に内政・外交の新政策が集中している事実から考えれば、
推古朝の政治は太子によって指導されたとみるべき
>>61 香芝市尼寺の廃寺は上宮王家が滅亡する7世紀半ば以降の建立との見方が有力
>>60 推古が男だったとすれば、タリシヒコの件も辻褄が合うんだよなぁ
>>69 まあ、一番手っ取り早いよねそれだと
しかし、推古自体捏造とみるねオレは
71 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 15:47:56.56
天智天皇も捏造だろう
天武天皇が弟なのも捏造だろう
吉野の土豪・オオアマ氏が日本を統一して、勝手に歴史をねつ造して継ぎ合わせた
72 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:07:03.48
>>64 大山の虚構説以外にどんなのがあるの?
遠山も指摘しているが、三経義疏だとか憲法十七条の「国司」とか、大山以前からいろいろ疑義が出されていたし、ちょっと古代史に詳しい人なら元々常識的なことを何を今更って感じ。
古代史にあまり関心のない人は、教科書に載ってる遣隋使の派遣、冠位十二階や憲法十七条が太子主導でなされたって知識くらいで、南岳慧思の生まれ変わりだとか抹香臭いエピソードや未来予知とかの超人エピソードなんか知らないだろうし。
まっ、たとえ知ってても、授業で習ったり試験に出題されるような類の話題じゃないから、弘法大師伝説のように話半分程度にしか思ってないはず。
だから、これまでの太子に関する地道な史料批判はあまり世間一般には関心をよばなかったが、「聖徳太子は架空の人物」とかを謳い文句にすると話は変わって来る。
お札には聖徳太子と書かれていたし、教科書も90年代までは普通に聖徳太子と書かれていて、厩戸の名はせいぜい括弧付きで載るか参考書に注釈で載る程度だった。
つまり一般人には教科書の太字で書かれていた人物が実在しないとなると、それなりに衝撃的な話題となり聖徳太子=厩戸が存在しなかったんだと普通に思った人は多いはず。
なんか誤解されることを見越して本のタイトルをつけたっぽい。
>>68 だけど太子道伝承の地なのに、正確な記録が残ってないのは事実だからな。
時代的に文字文化が広まる境界だからね。
7世紀後半からは大量に残ってるけど。
尼寺の件は、太子基盤の土地で、何でも仏教関連の功績は
太子伝承にしちゃおう、という流れの中であえて記録が
残らないという点に注目すべき点だろう。
>>72 大山以外に聖徳太子伝承に疑問を投げかけた人間がいなかったとでも???
77 :
日本@名無史さん:2014/02/15(土) 19:24:29.57
>>72 だから、大山以前から太子についていろいろ疑義が出てるのは常識って書いてるじゃん。
ただ、「聖徳太子は実在しなかった」みたいなセンセーショナルな物言いをしてこなかっただけ。
逆に、大山独自の史料批判て特に無いでしょ。
先人達の研究成果を元に法隆寺系史料と書紀を乱雑に切って捨てただけで、後は太子像を創作した動機と犯人探しの陰謀論的な話だけじゃん。
虚構説の本質は書紀編纂時に長屋王や道慈らによって「聖徳太子像」が創作されたって事で、三経義疏が太子作か否かとか憲法十七条が後世の偽作か否かといった個々の研究成果を引っくるめて虚構説みたいに言われるのは違和感がある。
日本書紀は太子の事績を賞賛するのに躊躇なし。
>>71 それだったら面白いけどね
しかし、名古屋の土豪が名門貴族を敵に回して勝てるほど甘くないだろう
>>74 逆にそれ以前の少なさに驚くよな
それまでどーしてたの?って感じ
稲荷山鉄剣みたいなのがザクザク出てくれば日本書紀に頼らずに古代史の合理的推察ができるよね
竜田御坊山3号墳からは三彩有蓋円面硯や筆軸と思われるガラス製品が出てるんだよな。
時代的には厩戸より山背大兄時代の人物だろうけど、
いやでも上宮王家周辺の文字記録の発見を期待してしまう。
>>80 持統の焚書が効果あったということじゃないか?
あっ、アンカーミスってる
>>77のアンカーは
>>76ね
ついでに『歴史人』3月号に遠山美都男氏が聖徳太子と蘇我氏について寄稿しています。
興味ある方は読んでみて下さい。
四〜五世紀頃の鉄剣時代は半島進出に熱心で、漢人系渡来人が文字を
持ち込んだが、製紙技術が太子時代までは未熟だった。
記録は少ないがある程度の推察は付く時代だ。
七支刀時代だ。中国朝鮮には日本の記録はある。
中国へ帰順する倭の五王として記録にある、中国文化の強い影響を
感じさせる時代だ。
この時代、前大和朝廷時代に対外進出とともに国内統一は
進んだが、太子時代になるまでは独立国の意識は生まれなかった。
前スレからずらずらコピペ張ってる子が発狂してるみたいだけど、
そのいずれもが従来の聖徳太子像には同意してないね
天孫降臨の話題ならそのために神話板がある。
東大寺の紙背文書や大量の荷札木簡がある奈良時代は史料が豊富で研究も活発だが、その前後の飛鳥、平安初期は史料の絶対数が少ない。
小治田宮と書かれた墨書土器が出てるから、近くで小墾田宮跡が発見されれば何らかの文字資料が出て来るかもしれないが。
現在2、3ヶ所の推定地があるみたいだ。
>>82 木簡に関して言えば、7世紀第T四半期以前のものは未発見であり、
それを持統の焚書のせいにするならば、
持統は数十年も前のゴミ捨て場を一々掘り返し、燃やして回ってたことになる。
そう思いたいならそれでも良いが、やはり木簡が出だす前の時代には
文筆に関する遺物やその模造品が古墳や居館跡からまず出て来ないことからも、
口頭行政・口承歴史が主流の時代だったと捉えたほうがいいだろう。
>>71 確かに天武天皇が本当に弟だったのかどうかは、疑問を呈する声もある
大陸情勢とからめつつ、壬申の乱は意外と謎が多い
悪党大海人
詐欺師厩戸
>>90 だろうね
ただし、文字が出てこなくてはどうにもならない
はっきりと人の意思を示したものがなければね
半島製の宝石やらが副葬されてたら被埋葬者も半島由来なのか?全く違うよね
しかし長らく考古学でも歴史学でも、そういう解釈が罷り通ってきたように思う
>>82 ホントかどうか知らんが聖徳太子も歴史書を書いていたとか
それが日本書紀の種本ならば、オリジナルを見てみたいものだよ
95 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 02:20:40.53
>>58 架空の人物ではなく、当時は蘇我氏が大王だったんだよ。
その歴史を隠蔽するために、当時は推古が女帝として即位していたことにした。
そして、蘇我氏の業績は太子に移した。
法隆寺の戊子年銘釈迦如来及脇侍像の光背には「嗽加大臣」とあるんですけど
蘇我が王権に非常に近いところにいたのは事実だが
王になれていたとは思えない
>>98 天皇を絶対神聖の存在に仕立てて【一の子分】が権力を振るうという摂関政治の原型が既にできている
不思議なもんよね
持統や元明は馬子の玄孫だ。
その人が大王で業績残したんなら、隠蔽どころかむしろそう書くだろう。
それなら聖徳太子が「聖徳天皇」だったことにした方がよかったってことになる。
聖徳天皇の子を殺した蘇我氏、許さじの方が乙巳の変の物語性が向上する。
崇峻弑逆した馬子が即位?中央集権化していない氏族連合的ヤマト王権では
殺した奴は行為を正当化するために別の人を推挙して就けるだろう。
結局彦人皇子が黒幕だろう。
馬子天皇としながら入鹿天皇にはできないあたり苦しい。
崇峻→馬子→舒明なんて継承が成立すると思うか?
入鹿天皇だと、乙巳の変も虚構、皇極女帝も虚構になるため
さすがのファンタジー大山をもってしても無理だったらしい。
今後、大山とその周辺から期待できる成果はないだろうね。
「聖徳太子」は不比等・長屋王・光明皇后・道慈らの思惑によって
生み出されたというのが大前提であり、後はつじつま合わせ作業。
登場人物を配置して犯人決めて、推理小説書くようなもの、
もちろん推理小説はそれでいい。そういうのは梅原猛に任せとけや。
まぁ、山背がしょぼい謀反であっさり討伐されてるの見ても、
厩戸の「有力」ぶりは分かろうと言うものだよ
105 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 13:52:26.13
やっぱ、虚構説をのたまうファンタ爺は大山だったか
サンタだ何だとしつこい野郎だと思ってたんだよなー
頭大丈夫っすか?
日本書紀に山背自体、聖徳太子の子とは書かれてないしな。
馬子が実権を握っていた、と言うならまだ分かるが
馬子が天皇は流石に無いw
そういうのはオカルト板でやっとけ
聖徳太子自身の逸話も十分オカルトだけどなw
110 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 15:43:27.05
ファンタ爺 今日も元気でなによりー
>>107 日本書紀には明記が無いが、用字法などからそれより古い、
あるいは新しく見積もる人でも記紀の頃には成立という
上宮記や上宮聖徳法王帝説の系譜に記述があるんだからしゃあない。
相変わらず日本書紀は天武時代から編纂が始まったことになってんの?
天武が主導して編纂したと言える史書は稗田阿礼が伝えた古事記で、
元明時代に文書化された。この作る会教科書みたいな史書を叩き台に
史書編纂が始まって元正時代に完成したのが日本書紀だろ?
古事記はそもそも太子の事績を生き埋めにするために書かれた
ようなもんだ。女性天皇期の元明元正時代は太子の影響が強いんで、
アルカイックな古事記よりもより文明的な雰囲気だ。
持統の禁書とかどっから話出て来たもんだか。入鹿を討った
天智天皇の娘だな。
天智天皇(中大兄皇子)ってのもなかなか好感の持てるイメージだ。
上宮王家と太子の一家が呼ばれたのは、推古時代に天子(宗教的権威)と
王権(世俗的権威)の二重構造という今までなかった体制が生じた
からで、王としての太子が中国に書簡を送るというのは考えられる話。
前スレの話。
太子亡き後の上宮王家は宙ぶらりんで、もともと朝廷の機関だったんで、
入鹿に王家に仕えてた兵を徴発されて太子の娘が抗議したりしてる。
118 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 18:07:22.61
∧_∧ ジャムリンだ〜 アッー!
(ヽ( )ノ) ∧_∧ ガチホモだ〜 ∧_∧
ヽ ̄ l  ̄ ./ (ヽ( )ノ) ∧_∧ (ヽ( )ノ)
∧_∧ | . . | ヽ ̄ l  ̄ ./ (ヽ( )ノ) ヽ ̄ l  ̄ ./
(ヽ( )ノ)(___人__ ) | . . | /⌒ヽ ヽ ̄ l  ̄ ./ | . . |
ヽ ̄ l  ̄ ./ ; 丿 し ( _,;*;,__ (ヽ( )ノ) | . . | (___人__ )
∧|_∧ | ∪ ∪ ; 丿 ヽ ̄ ∧_∧ (___人__ ) ∧_∧
(ヽ( )ノ) ∧_∧ ∪ (ヽ( )ノ)丿 し (ヽ( )ノ)
ヽ ̄ l  ̄ ./ (ヽ(::::::::::::::::)ノ) ∧_∧ ヽ ̄ l  ̄ ./∪ ヽ ̄ l  ̄ ./
| . . | ヽ:: ̄ー ̄./ (ヽ( )ノ) | . . | ∧_∧ |
(___人__ ) ∧_∧::::::|:::::::::| ヽ ̄ l  ̄ / ( _,;*;,__ ) /⌒ヽヽ(::::::::::::::::)ノ)
; 丿 し (ヽ( )ノ) ::::::::) | . . | ∪ ; 丿(ヽ( )ノ) ー ̄./
∪ ヽ ̄ l  ̄ ./ ; 丿 (___人__ ) ∪ ヽ ̄ l  ̄ ./::::::|:::::::::| ∧_∧
| . . | ∪ ; 丿 し | . . | (:::::人:::::::(ヽ( )ノ)
アッー!
アッー! ジャムリン待て〜
推古&太子なんて邪馬台国の時代のシステムと大差ないと思うが。
太子が講釈したと言われる勝鬘経は女菩薩の徳を称える経典で、
推古時代の思想的裏打ちだったんだろう。
邪馬台国時代の故事は太子達も意識してた可能性は高い。
この時代の中国文献に阿蘇=高天原=邪馬台国についての
記事がある。
太子と仏教が朝廷の権威の中心だった中世まで古代史書と言えば
日本書紀だったのを仏教の権威の後退期に国学者の本居が古事記
の埃を払ったのは故なきことではないわな。
太子の憲法は「和の心」として現代に至るまで見えない影響を
与えてる。
記紀神話なんてのは一応文書化しときましたくらいな感じで、
同時代には関心も向けられなかった。
魏書ではほんのちょっとしか書かれていないが、政治権力は握っていたことが
書かれている卑弥呼の弟。一方、謎人物になってしまう聖徳太子。そして、
権勢とその規模だけなら明らかに卑弥呼のそれよりはありそうだが、馬子と聖徳太子に
囲まれて目立たない推古。
推古があまりにも空気なので「女帝」という箔を付けたと思われる。
天皇の威厳は保たなければならない。
127 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 19:50:25.19
新羅外交をみると、聖徳太子の影が見える
596年 磐士氏が特使として新羅に派遣される
600年 新羅征伐開始
602年 新羅征伐中止
603年 冠位十二階(この頃から聖徳太子の独自政策が目立つ)
610年 新羅使が来日
616年 新羅が仏像を寄贈
622年 聖徳太子死去
624年 新羅征伐が企画される
聖徳太子がいなくなってから、新羅への対抗心が剥き出しになっている
太子が中央政界にいる時は、新羅との関係は落ち着いている
やっぱり太子は、政治家として中枢にいたのではないか?
馬子の抑え役の太子がいなくなったのと、太子がいなくなった
動揺を静めるのに対外出兵をやったんだろう。
倭の五王時代は中国の天子に仕える王権だった。讃とか珍とか
中国風の名前で朝鮮半島経営のグチをたらしてる。どう見ても
前期大和朝廷だ。
仁徳や雄略の時代で古墳が巨大化した時代。
>>90 七世紀第一四半期ったら、太子が冠位十二階を作ったりした
律令制黎明期でないの?
>>114 いや、古事記は偽書だから
作ったのは多人長オオノヒトナガで平安時代
>>131 官位12階は隋書にも書かれてるから事実だろうね
官位の内容が違うらしいけど
聖徳太子てな初代総理大臣みたいなもんだな。
(もうちょっと投稿の間隔を空けないと自演ってバレバレだよ)
136 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 21:44:22.44
. ,.-==…- 、 ,. ィ.:;;ィイニ三ミミy'ミヽ、 __ _
,.ィイ ``ヽく ,/;;;ィ彡三三ミミ'ィ彡ミ,  ̄``
.〃 ; j〈;;;ィ彡三三ミミ'゙,ィ彡ミ',
り; ,′ ,r<ミシ jいミy彡'´`ヾシ彡ミミミ;;ト、
}1;,' ``ー-y'´ ',::::jソミ' ,'´ )^)ノ;シ′ >….::;;
,′;;', ,入 V''7r' ,:',,z-、、,,, /′,r'" .::;'´ ←ジャムリンの頭の中での自分
i; ;;~`ヽ i ,.イ ,;;;; `ー=''` ,r==7 / .;;'
l; ;; ', i、_ノ i ;;;;;;、 ,::;' ,'゙゙゙゙7"´1 .:;;'
.V/ ` , .::′ `ヾi ';;;;;;;;;、,,r彡、_ノ,,/ 1 .:;;'
i1 ,..イ `ヽヾ;;;;;;;;;;;:`ー'シ′ 1ィイ彡;;;;.
i1 ミミy′ `ヾ;;:;;;;;r'゙ j毟彡;;;/
i1 `ミミy'′ jミミミヲ´
.i1 .:;ィ毟;:. i ;. ,′`y′
i1:::::. '゙゙゙'`1::::::. ! ;;. ,′ ,′
.l.::::::::. 1::::::.;;。;; ! ;;. ;;。;;i ,.′
',:::::::. 厂`ヾ ノ ;;:. ,'1 j
',::::::. j ゝ---‐'´ `ミ;;、 ____ノ 1 j
i::::::. j  ̄`ヽ,,_ ,' /
',:::::::. j ̄``ヽ ;;.. _ _ _;;'゙ ,, 、、、,,,ハ彡′
',::::::::..::ニニヽ ,′ j ; ,X′
ヾ;;;;:.ミミヽ 、,′ _ノj ; ノ }
ヾ;;:ミミヽ.:::'""""゙´ ,'`''ー……'´.::;}
〉トト、 .::. .;;. .::::::',
,';;′',;;、 ,r孑 ,:′::::!
i;;; ;;;;、 ,:′ .::,′
l;;;;;、 ,′ ,r'1
ハ:´``ヽ / 1、
ハ´``ヽ ヾミミミy彡 / 1 ヽ..
ちんぽ汁
暇持て余して固め打ちしてるだけだ。
自演なんかする必要ない。
聖徳太子一万円、伊藤博文千円な時代もあったな。
アメタリシヒコってな日本太郎くらいな特徴のない名前だが、
アメタリシってのは先祖は天から下ったって意味あんのかね?
>>139 うむ
しかし、歴代天皇の名前は全部こんな感じなのよ
分解すると【どこそこの〇〇な特徴の美しい男】風の名前でしかない。つまり一般名詞
これは遠山美都男が書いてた。まあ、諡は本名ではないだろうしね
そこで思い出すのが井沢元彦の言霊論だ
すなわち『本名をみだりに他人に名乗ってはいけなかった』らしい
逆説はさて置き、正説からちゃんとやろうよ。
聖徳太子=菅
推古=安倍
馬子=小沢
>>132 日本書紀に古事記の話が出ないのは日本書紀が古事記の潤色が
多くてネタバレになってしまうからだろ。
文献考証の観点からすりゃ日本書紀の叩き台としての古事記の
地位は明白と思うが。
左翼史観と復古主義的国体思想の二極対立の間で、バランス良く
歴史を評価するのはなかなか難しいんだろう。
太子の憲法なんて全文読んだら実に深みがあって面白いのに、
戦後はワザと触り部分しか読ませないでつまらなく見せてる。
冷戦終結後90年代に保守論壇が「自由主義史観とは何か」とか
「司馬史観を騙るなかれ」とか熱心にやってたが、極右国家主義
を踏み越えるのは難しかったな。
>>143 文献考証からすると完全に偽書だよ
偽書説調べてみたら?オレは古事記は棄てたよ
日本書紀だけでいい。それと万葉集かな
「聖徳太子」っていつ、どの史料が初出なんだろう?
日本書紀には「上宮厩戸豊聡耳太子」「皇太子」などあり、
この時点で「聖徳太子」は日本書紀で生まれたという大山説破綻。
「聖徳王」とか近いのなしで「聖徳太子」って完全に見られる史料は?
>>144 いや、客観的に批判して抽出された次週だけを認めるだけでいい
そこに善悪を求めるなら歴史学でなくて政治学だ
事実を眈々と書き記していくといいよ
151 :
日本@名無史さん:2014/02/16(日) 23:48:41.51
お箸の使用も聖徳太子が奨励したんだよ
それまでは手掴みだった
ハイセイセイが来日した晩餐会で、
日本の天皇以下重鎮たちが手掴みで食べてたら、ドン引きだったろう
152 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 02:47:32.71
そもそも大王家と他の豪族との差がどれほどあったのかという問題があるしなぁ
大名を殿と呼ぶのと一緒だな。
>>147 本居なんか、序文の「からごころ」のせいで偽書を
疑ってるくらいだろ。
日本書紀に記録のないのも江戸時代の国学者が
指摘しているらしいが、ネタバレのせいだ。
誰かタイムマシン持ってない?
江戸期はバテレンと蘭学の時代で長く続いた仏教の権威が
あんまりアテに出来なくなった体制イデオロギーの模索期でも
あった。
バテレンの東アジア来寇で、奈良の大仏に天竺の坊さんに
目を入れて貰って以来の須弥山中心の宇宙観は崩れたが、
西洋中心の近大が来るにはまだ間があった。
彦人大兄を潰そうとして厩戸を対抗措置として引き立てたが、
結局それだけの存在だったのでその子の山背大兄の討伐は皇族が黙認、加担した
乙巳の変で対蘇我氏クーデタを成功させたあとで上宮王家の「悲劇」をことさらに言い立て
蘇我氏を断罪
そうした過程でどんどん太子像の美化が進んでいったのだと思われる
実際の政治的プレゼンスは大したことなかったとしか思えないんだよな
残念ながら太子神格化はそれ以前からある。
>>159 あなたの文章読んでるとね、
後世じゃなく7世紀前半当時における上宮王家のプレゼンスの高さが逆に見えてくるよw
・有力皇子彦人大兄を潰すための対抗者ともなる存在だった厩戸。
・時の政権から「討伐される対象」であるほどの王族であった山背大兄。
・もう蘇我氏を倒してしまった後だというのに、「大した存在でもなく、こっちも加担したはずの悲劇的最後」
がなぜかクローズアップされてしまう上宮王家一族。
・有力皇子彦人大兄を潰すための対抗者ともなる存在だった厩戸。
→前帝・用明の息子が対抗者として担ぎあげられるのは当たり前。
・時の政権から「討伐される対象」であるほどの王族であった山背大兄。
→謀反をたくらめばその辺の無名豪族でも討伐されます。
・もう蘇我氏を倒してしまった後だというのに、「大した存在でもなく、こっちも加担したはずの悲劇的最後」
がなぜかクローズアップされてしまう上宮王家一族。
→直近の皇族討伐が山背大兄なんだからクローズアップされるのは当たり前。
聖徳太子信者の特徴として、
「血統」「権威」にかかわる話と、「統治能力」「影響力」に関わる話をゴチャゴチャにしてると思う。
「討伐されたんだから影響力があった」なんて主張はその最たるもの。
謀反起こしたら、犬だって猫だって討伐される。
しょぼい謀反だからあっさり討伐されている
>>160 彦人大兄を抑えるために箔をつける必要があったことに変わりはないよ
>>162 王族(有力王族の対抗者ともなった人物の後嗣)と無名豪族の謀反討伐を一緒にすんなやw
そのくせ、王族であったからクローズアップされた、なんて言ってる。
だって、こっちも「大した存在でもない」上宮王家討伐に加担したんでしょ?
さらに蘇我氏も潰して天下握ったんでしょ?
なんでその後に、無名豪族の謀反に等しいどうでもいい事件を、
またぞろ悲劇として持ち出さなきゃなんねえんだよ。
あなたは歴史の結果だけみて深読みしてるだけ。
その当時に自分の身を置いてみると、また違った見方も出来てくる。
天下の副将軍ポジションだったんだろうな
家柄は高くそれに見合った礼遇はされてるが発言力はない
水戸黄門みたいなもんだろw
「外務大臣」がはたして有力と言えるかどうかという問題があるな。
外交は行政の長の専権だから、国務長官より大統領補佐官のほうが影響力大きいわけだし。
なんか体の良い隔離にも思えるのだが…
彦人大兄皇子が推古王権において煙たい存在だったかというと微妙。
この時代はまだ中央集権じゃないから、王族もそれぞれが半ば独立していたようでもあるし。
一方で、彦人大兄皇子の墓と目される牧野古墳はその頃屈指の大円墳で、
その石室は推古の愛児竹田皇子の墓と目される植山古墳東石室と極めてよく似ている。
それに彦人大兄皇子は厩戸皇子同様推古の娘婿でもあるんだし。
彦人大兄皇子に対抗するため(だけ)の厩戸皇子登用、という見方が良いのかどうか。
>>148 私がパッと思いつくのは平安初期の「日本霊異記」。
だけど、日本書紀の中でも「東宮聖徳」とか「上宮太子」という書き方をしていて、
これは基本的に「聖徳太子」と変わらない概念だと思う。
崇峻が殺害された直後の蘇我氏政権で登用された厩戸王が、
蘇我氏を牽制する力を持ち得たとは到底思われないな
江戸期の鎖国は開国と近代化に至る準備期間だった。
その間、我々は少しずつ西洋の学問を採り入れながら独自の知恵を
培って来た。小林秀雄が言いたかったのはこうでないか?
>>168 そこで瓦当文様ですよ。(
>>43参照)
加えて、太子が没する620年代頃から、豊浦寺式・奥山廃寺式という
蘇我氏のお膝元で新様式が生まれるのも興味深い。
しかしその後、大王家の官寺・百済大寺(吉備池廃寺)で用いられるなど主流になるのは、
斑鳩の星組の系統と考えられる船橋廃寺式を土台として生まれた文様。
百済大寺のおおもとが厩戸の道場から来ているという伝承と合わせて興味深いじゃないか。
寺院の伽藍も、飛鳥寺式は朝鮮由来でかの寺独特のもの。
そういう意味ではオリジナリティはMAXだが、
斑鳩寺(若草伽藍)などの四天王寺式は大陸様式でいろんな寺に使われ流行する。
やはりね、600年またぎの頃である種のパワーシフトは起きてますよ。そして620年頃にも。
>>168 何のために殺したんだという話になるしね。
>>164 「討伐されたのは有力だったからだ」などという論法は成立しないわけだが。
謀反の討伐に有力も何もないよ。謀反を企んだから討伐される、ただそれだけ。
お前が謀反を企んでも討伐される。
>>172 そしたらぼくを伝説にしてくれますか?
レジェンドにしてくれますか?
よろしくおねがいします
ていうか山背大兄王って謀反だったの?
舒明即位前紀の記述から、山背大兄って結構激情的な性格がうかがえるから、
そうしたうるさ方の王を飛鳥朝廷側が抑える手段に出たものだという印象もあるけど。
蘇我蝦夷なんかは討伐側に名を連ねてる資料もあるけど、書紀では入鹿を叱ったりしてるから、
殺すところまでは考えて無かったんじゃないか? もっとも山背大兄一族は自殺のようだけど。
上宮王家が大王を出し得る血統と認知されてるなら、
なんで討伐軍にあんなに簡単に討たれてしまったんだ
無法な討伐だとしても、これに随伴して討たれる与党も見えないし、
討伐の余波がほとんど見られないんだが
権威は武力から来るわけではない。
見ようによっては、蘇我入鹿討伐(乙巳の変)は最大の余波とも取れるよ
武力を吸引できない権威だとしたら穴穂部以下だね
見ようによっては
とも取れるよ
何という
へー
何処の馬の骨かも分からないようなどうでもいい人間でも謀反を起こして討伐されたら
でかでかと史書に載るんだ
181 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 20:42:39.32
どこの馬の骨かもわからない奴でも幼女を殺せば新聞やテレビに出られるのと同じこと
>>179 だって
>>175氏のも「見ようによっては」でしょ
この人はこの騒動に山背大兄王の謀反を見て、それを前提に話を組み立ててるが、
斑鳩への不意打ちだったということも考えられるし、
謀反じゃなければ別に山背側が徒党を組んでたわけでもなかろうし、
また「見ようによって」しまうが、その後の蘇我父子、軽王・巨勢徳陀・大伴長徳、
そして中大兄・鎌足・石川麻呂らの分裂や台頭という新たな動きを見ると、
この事件が飛鳥側に動揺を起こさせる原因になったとも見て取れるわけ。
>>181 まあたしかにごく一部のマニアックな人種にとってはレジェンドとなるだろうがなwww
上宮王家を潰した奴等同士でまた潰し合いをしているだけで
上宮王家の支持勢力がどうこうって話じゃないんだよ
蘇我や長屋王の時とはそこが決定的に違う
よほど極端な孤立状態に陥っていたのか、大した勢力ではなかったのかなどという話になるし
そうなると上宮王家や法隆寺は何なのかという根本的な部分を再考せざるをえなくなる
見方によっては織田信長は武田氏に敗れているともいえるし、
見方によっては日本は第二次世界大戦で勝ったとも言えるな
>>185 その上宮王家や法隆寺は何なのかの再考を披露してよ。
むしろこのスレは山背大兄王ではなく厩戸皇子が主人公なんだから。
せっかく寺院伽藍や軒丸瓦当文様といった考古学的資料もあるしさ。
史書とメディアを同列に扱ってる人間が学問板にいるとは思わなかったわ
190 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 21:45:50.79
本当に謀叛を企んでいたら、
詔勅によって御所(宮)に呼びつけて拘束するだろ
武力行使が必要なくらい、山背大兄王には力があったんじゃないかな?
境部摩理勢が擁立しようとしてた位だし
秦氏とか小野氏とか、太子恩顧の豪族たちもいるわけだし
>>184 つまり継承順位という序列では上だけど、現実の政策決定では大統領側近におとり、
必ずしも重要度がない人ということね。
192 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 23:14:39.18
それにしては自ら斑鳩寺に入って自害したとか無力すぎじゃね
組織的抵抗もないし豪族が呼応した気配もない
193 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 23:16:12.66
境部摩理勢が山背を擁立した時に、一緒に戦うべきだったな
石田三成を見捨てた豊臣秀頼のようだ
山背大兄の供廻り10数名が、100名くらいの討手に抵抗しただけなんでしょ
後は傍観
195 :
日本@名無史さん:2014/02/17(月) 23:27:30.07
>>191 副大統領ならともかく、国務長官が大統領を継承した例なんてないしな
だから女に平気でやらせてるわけだし
推古は馬子の姪、馬子は太子の大叔父でなかったか?
太子の時代は、蘇我氏と天皇家との間の緊張関係で
成り立ってた。
やがて太子の権威は馬子(蘇我氏)から独立して上宮家
と呼ばれるようになった。
蘇我氏の一部(摩理勢)が山背大兄に加担し、蝦夷が舒明、皇極らに肩入れしたように、
○○家と「天皇家」の対立なんて構図を単純に措定すること自体に疑義がある
天武の改革は太子の改革を土着主義の立場から
上書きしたもんじゃないか?
律令制の始まりというものがいろいろと曖昧さを漂わ
せているのはそのせいで。
>>197 そんな例は幾らでもあるだろ。楠正成の家から北朝についた奴もいたろ。
何が言いたいのか分からない
蘇我氏という一族と天皇家という一族が争ってたわけではないので
>>197 とはいえ、一族の人間が血を裏切るのは難しかった時代だからね
人が血縁で生きてた時代だよ
聖徳太子はそれを切り離して職務に忠実であるようにと憲法を作った
わざわざそんなこと書いてるってことは、それが日常茶飯事だったから
ちなみにユダヤ教の十戒には獣姦はやめろと書いてある
小林秀雄が太子に嫌々関心を向けたのは、平家物語に
引き合いに出されてる十七条憲法の哲学性に揺さぶら
れてだな。
>>167 石井公成って学者のブログによると「聖徳太子」初出は懐風藻。
この人も日本書紀に「聖徳太子」とないことに触れている。
日本書紀の中にこれほど名前の表記が多々あるのは、
いろんな呼び名が種々の史料にあったから多く採用したためだろう。
特定の意図をもって神格化したならもっと絞られているもんだが。
新説 聖徳太子はユダヤ教徒だった
>>203 推古朝→乙巳の変→律令制とそれぞれの時代それぞれの意図で美化されていた
神格化が進んでいたっと考えれば何の矛盾もないよ。
それこそ、楠木正成が南北朝、江戸時代、明治時代においてそうであったように
>>200 馬子は天皇殺しだろ。晩年は推古にすげなくあしらわれちまってるが。
朝廷の軍事警察面を仕切って来た物部を馬子が
追い落として蘇我氏が朝廷に対する影響力を一気に
強くしたが、所詮は地方豪族の外戚の地位で、天皇
家には本家として守らなければならない権威はある。
>>206 崇峻を殺した時には厩戸王は黙認したはずだが。
>>206 何で聖徳太子は天皇殺しと手を組んだのですか?w
>>205 そういう考え方が穏当だと思う。が、大山は違う。
日本書紀成立以前に神格化はなく、一族滅亡して死人に口なしで
好都合だから何の素地もなく「聖徳太子」が日本書紀で生まれたと。
聖徳太子って冷静に見ると皇族内部で内ゲバ繰り返して
馬子サイドについてのし上がってった男だよね
それで終わらなかったのが後々まで太子が崇拝された理由。
内ゲバは太子が子供時代の話だからな。
馬子サイドについてのし上がるなど、やっぱ少年時代から飛び抜けてたんじゃないか?
厩戸王は馬子には都合良く利用しやすい手駒のつもりだった。
ところがなかなかのやり手だった。
太子の立場は複雑で現実は血なまぐさい。
世間虚仮唯仏是真が口癖になる。
「これは馬鹿には見えない服です」
「王様は裸だ」
「大山君何を言うんです。パンツは履いてるでしょ。裸という説に根拠はない」
こんな感じだね。
>>215 崇峻殺害、立太子した時はもう大人と言っていい年齢だけどね
>それで終わらなかったのが後々まで太子が崇拝された理由。
それで終わってると思う。
乙巳の変のように蘇我氏勢力の排除に成功したわけでもない、
というより、対立関係ですらなかったんだろう。
馬子は推古に退けられてるだろ。
古代的権力体制の社会から律令制の基礎を作り出し、女性の
天皇の地位を確かなものにした。
「おおきみは神にめしませば」なんて歌は文化でなくて、権力に
対する単なるおもねりだ。
日本の伝統文化は石原大王風な男根崇拝とは違う。
力に頼む者は自分より強いと見える者には無抵抗になる。
国の独立という意識がそこから生じることはない。
天武の天皇絶対主義親政も推古時代の後だから成り立ったに
過ぎない。
226 :
日本@名無史さん:2014/02/18(火) 07:14:00.49
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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::::::::::::::: あぁ・・・なんて愛らしいんだ :::::::::::::::
::::::::::::::: ジャムリン、ジャムリン・・・ :::::::::::::::
::::::::::::::: ジャムリン・・・・あぁぁぁあああ :::::::::::::::
::::::::::::::: :::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
リ,;;;;;;:: ;;;;;:: ;;;;; ::;;;;;; \ 人 从
(彡ノり/リノ" ミ;;;;;;,,,.. ゝ ) あ (
);;; ヾ、;;;;...__,, );;;;;;;; ヾ ) お (
i:::) ` ;;ー--、` 〈;;;;;;;::;;; i ) お (
i i::/ ^:::::::.. i ,ll/ニi ;; l ) / (
i l ヾヽ'' ゚ ))ノ;; / ) っ (
i | | iにニ`i, (_/i;;; | ) !! (
| | ! `ー‐'" / ゞ:l つ (⌒
i l| ! " ̄ ,,,. /,; ミi |l
| |i ヾ二--;‐' ,;; ,; ミ ||i il i|
| ll _|彡" ,' ; /' ̄^ ̄''''\ ||
l ,..-'" 〈 ; / ヽ
/ 、, \) ,,.-/ `i
` ミー,;;' ,l l
/ ;; / .| |
ヾ/ ,i' ト |
'i ' /゙` イ !
,;;|o; i| / ヲ /
,;;人,,_ ハ / , /
>乙巳の変のように蘇我氏勢力の排除に成功したわけでもない、
大化の改新は入鹿が上宮王家を滅亡に追い込んだのがきっかけで
起きたろ。
海豚が女性天皇の皇極を担いで山背大兄王を亡き者にし、推古
時代の事績が台無しにされるのを皇極の息子の中大兄皇子が防いだ。
海豚にとって皇極天皇は新自由主義の女性政治家みたいな
言いなりになるカカシに過ぎなかった。
大化改新後は蘇我氏は中枢から退いたが一族が全くいなくなった
わけでもない。蘇我氏と天皇家との縁故は強いから、皆が皆、
海豚のようだったわけでもなかったろう。
230 :
日本@名無史さん:2014/02/18(火) 10:34:34.82
>>194 よく考えればおかしくないか?
兵100人で、たった10人余り程度が守る宮を攻めて、
山背大兄王、三輪文屋、女たちにもゴッソリ逃げられるってw
しかも斑鳩宮を攻撃した軍を指揮した巨勢徳多、大伴長徳って、
改新後にも左大臣や右大臣になってる
高向国押には出陣命令を拒まれてる
>>230 しかもわざわざ逃げてから兵も揃えずに戻ってくる山背
厨房が書いた小説みたいに支離滅裂だw
馬子天皇説を挙げてる人は乙巳の変についてはどう説明するんだろう
まさかそれすらも虚構だと言うつもりなのか
天武の大権も太子の手のひらの上の話。
ちょうど、俺の手のひらの上で石原たちが威張ってるような話。
上宮王家が滅亡に追い込まれたのは太子の遺訓で権力抗争には
積極的でなかったからとは言われてる。何と馬鹿正直でやり切れ
ない話。
常時だろ。
違う常識。予測変換ミス。
最低限の勉強もしないで妄想だけで話したって通じないよ?
太子の写し身と言われる夢殿の救世観音が千年の間、
秘仏として隠されていたように、太子の事績も隠されて
来たと。
「敬神の詔」というのも出して土着宗教の神道にも配慮している。
からごころにかぶれただけの無能な統治者ではなかった。
厩戸、佐村河内に続いてまさか…
詐を以て貴しと為す
崇峻殺しを見逃して馬子と手を結んだ聖徳太子
>>238 こんなことばっか書いてるから
信者とか言われるんだろうな
ミステリアスではあるな。
未来記とか中世には流布されてたろ。
244 :
日本@名無史さん:2014/02/19(水) 21:58:44.13
唐本御影の太子って、夢殿の救世観音がモデルじゃねえの?
245 :
日本@名無史さん:2014/02/19(水) 22:06:20.81
唐本御影の初出は鎌倉時代だから、親鸞が救世観音を開帳
した頃か?
親鸞で救世観音を調べると如菩薩様の話しか出てこないけど。
ヤンキーの後にくっついて夢殿の救世観音を開帳した
岡倉の六角堂は3.11で流されたらしい。
247 :
日本@名無史さん:2014/02/19(水) 22:51:57.45
{ ! _,, -ェェュ、 |
ィ彡三ミヽ `ヽ ,ィハミミミミミミミミミヽ、|
彡'⌒ヾミヽ `ー /ililハi変態iliミliliミ|
ヾ、 /iiiiイ!ヾヾミ、ミニ=ー-ミ|
_ `ー―' i!ハ:.:.\\_::::::::::::::/:.| このスレは
彡三ミミヽ i! ヽ:.:.:.:冫': : :::/ ∠|
彡' ヾ、 _ノ i!::: ̄二ー:: : :(◎) | ジャムリンに
`ー ' {ヘラ'(◎)シ;テ ヽ''''" |
,ィ彡三ニミヽ __ノ ヽヘ彡 ( o -^ ノ | 監視されて
彡' ` ̄ `l ∴ )-=ェっ( ∵ |
_ __ ノ ヽ ⌒ | います
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ィニニ=- ' / i `ー----(二つ
,ィ彡' / ミ/ (二⊃
// / ミ/ ト、二)
彡' __,/ ミ/ :..`ト-'
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/ ヾ\_ :.:.:.:.:|
ィニ=-/ ミ/ :.:.:.:.::::| 投稿されても
/ / ̄ ̄/ : .:.:.|
ノ _/ / :. :.:.:.:.:.:.:| います
厩戸カルト信者が独り言と妄想を並べるスレ
大山信者が流れも読まずに願望を書き連ねるスレ
>>191 それを首肯したとして何で重要度がないという評価になるんだ?
>>195 >>166は国務長官と補佐官を対比させていたのになぜ途中から副大統領との比較になったのかね?
>>248 世間虚仮唯仏是真と天寿国繍帳に言いましてな。
遠山がいう「外相」の役割には、対隋外交以外にも対半島外交と対新羅作戦も含む外交軍事全般を想定している。
なので、役割分担が細分化されている近代の国家組織と比較してもあんま意味無いと思う。
古今東西、軍事力を掌握することは、必然的に政治力が増すことなので、推古に信頼されたうえで大任を任されていたに違いない。
外相は嶋大臣みたいな感じではあるけどね。
隋に書簡出したのは総理だとしても。
で、太子まぼろし化工作員の大山ってオッサン、1996年から
やってるんだから、作る会系修正主義オヤジだろ。
取り上げるには値しない。
GoogleEarthで京都奈良大阪辺りで、日常空間の直中に散在する
古墳群などを眺めると、所詮、東日本にとって歴史なんて抽象
観念に過ぎないんじゃないかと思ってしまうね。
チンピラみたいな市長が騒いでるが、目と鼻の先に巨大な仁徳
天皇陵がどかんと鎮座してる。
小林なんか鎌倉にいたからまだマシだった。小津映画はひっきり
なしに京都に帰りたがる。
これじゃ保守論壇もおいそれと小林にあやかるわけにもいくまい。
259 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:29:43.77
自民党は1999年の石原都政開始以来の極右史観集団だろ。
それ以前からか?
260 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:31:24.93
_. ‐''"^``丶、
,r'" `ヽ、
,r'" `';i,
,i;'´ 二  ̄ ‐ -- ';i, ジャムリン容疑者の人相
,i;' ‐ -- ';i,
,i;' _ -‐- -‐- 、 ';i,
i;' /‐''" ̄`  ̄`ヽ\ i;i 特徴@ 頭頂部がハゲてる
n __ _...._ i;h
| | : = <●\ ∠●>-=: i| | 特徴A 後頭部もハゲてる
ト|: ` ̄  ̄´ : | |
l」: / ヽ lノ 特徴B 全体的にハゲてる
l (__ __)ヽ l
l ( ';';';';`ー'´;';';';',';
l: . r‐===‐ 、';i /
∧:: : . ヽ士土±ノ : . : :/
/{ \;: . `二二二´. : ::/ト 、__
/\二\ ヽ、;';';';';';';';';';';'/ `iニヽ ヽニヽ
/ \ニニ\ ヽ`二二二´ / |ニヽ \ニ\
/三\ \ニニ\ ヽ i ノニニヽ \ニニ\
261 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:33:10.13
保守派は天武の撰述したコジキだけ読んでりゃ良いんだって。
太子の事績に肯定的な日本書紀はもったいない。
262 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:39:55.93
敗戦で人間宣言するまでの近代天皇制てな女性天皇禁止なことからも
分かるように天武的天皇観だからな。
263 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:42:01.10
男根主義天皇制なら太子は亡き者にしたいわな。
264 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:56:43.14
小林が死ぬや、歴史を捨てて太子から脱亜論の福澤に切り替えた
わけだ。石原どもの時代。
265 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 15:59:49.42
オカネもアブクみたいに軽くなって、皆でバブル踊り。
ミッキーマウスにポパイ、オリーブちゃんたちの世界になった。
266 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 16:01:26.36
去年が小林没30年、ディズニーランド開園30年。
一万円が福澤になって今年で30年か?
十数年前だが、仏教史のY氏が講師に来ていて
「聖徳太子虚構説」を2回くらい、計3時間講義しやがったなあ。
あの時は知識なかったから半分以上信じちゃったけど、
その後、大山の著作読んでトンデモなことを知って頭にきたわ。
梅原猛の悪口よく言ってたけど、聖徳太子虚構論って劣化梅原。
269 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 23:06:59.53
磯長の太子や推古の墓陵の前で考えるべきだね。
それを支えて来た歴史の重みの前で。
東京のよどんだ空気の中で曇った頭巡らしてないで。
270 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 23:19:00.01
小林が東大寺だったかに菊池寛に連れてかれた時は菊池は入り口で
「ボクはここで待ってるよ。君たちは歴史を知らないからね」と
言ったとか。昔の知識人てな当たり前にこんな顔したもんだね。
文春の創業者だろ。今じゃ文春で主筆ぶってんのはアレか?
271 :
日本@名無史さん:2014/02/20(木) 23:29:37.03
iイ彡 _=三三三f ヽ
!イ 彡彡´_ -_=={ ヽ
fイ 彡彡ィ 彡イ/ ・ ヽ ジャムリン・・・
f彡イ彡彡ィ/ f==ュ r==‐ォ
f/ミヽ彡f 、_‐‐tッ,゙ ' r' r tッ‐ァ'
イイレ、´彡f `ー 'ノ !、`ー ' .リ まるで成長していない・・・
fノ /) 彡! . ,イ 'ヽ l
トヾ__ら 'イf u ゚ ´...:^ー^:':... ゚ !
|l|ヽ ー '/ r ζ竺=ァ‐、 /
r!lト、{'ー‐ ヽ `二´ 丶 /
/ \ゞ ヽ ヽ ヽ /
./ \ \ ヽ /
/〈 \ ノ
-‐ ´ ヽ ヽ \\ \ 人
272 :
日本@名無史さん:2014/02/21(金) 00:06:37.56
つくる会のオッサン方の薄気味悪い陰謀論臭さは「ユダヤを
知れば全てが分かる」みたいな本ばかりバブル時代に読みふけっ
てたせいか?
273 :
日本@名無史さん:2014/02/21(金) 00:16:05.03
猛烈にカルト臭くて。サリンの翌年からだろ?
石原の体臭なのか?
ついでに神功皇后も頼む
筑紫哲也じゃね?臭さなら
鳥越も人口肛門の故障でウンコ臭いらしいよ
つくる会と大山の虚構説は全然関係ないと思うよ。
市販本の『新しい歴史教科書』(2001年)では「聖徳太子の新政」と銘打って、推古の摂政となり遣隋使を派遣し、相手と対等な文面の国書を送ったとか、
冠位十二階や十七条の憲法も太子主導でなされたような記述になっている。
大山の虚構説は津田左右吉の流れを汲むものだと思う。近代合理主義で割り切れないものは取り敢えず否定しとくみたいな。
右翼や保守でも紀記をなるべく信用しようとする者は聖徳太子に対し肯定的だが、
国学や篤胤の神道の流れを汲む特に国粋主義的な者は、
仏教にかぶれ崇峻を暗殺した馬子を糾弾もせず一緒になって政治をする太子に対して否定的。
近代の史料批判が始まったばっかの頃は、釈迦やイエスみたいに虚像ばかりが大きく実像が見えにくい人物は、軒並み後世の創作による架空の人物とされたもんだ。
277 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 03:15:50.89
現代に残っている爪痕が多い太子が架空なら、
いっそ馬子架空説、守屋架空説、用明天皇架空説、
いっそ崇峻天皇架空説とかねえのかな?ww
278 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 03:27:33.48
>>276 教科書では仕方なしにそう書いてあるんだろ。
唐本御影のニュース聞かなかったか?
在日朝鮮人拉致連行架空説
280 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 07:38:53.95
>>278 御影については「古くから聖徳太子の像として伝えられている、わが国最古の肖像画。奈良時代の作と考えられている。」とある。
確かに学習指導要領の縛りはあるが、太子が隋に対して対等外交を志向し、その後の遣唐使に至まで形式として冊封を避けた事を評価したり、
冠位十二階を天皇中心の体制をつくるためと説明し、十七条の憲法を天皇と役人と民衆の役割の違いを明確にし、
それぞれが「和」の精神でことに当たるべきと説いた、と説明してる。
西尾幹二の『国民の歴史』でも太子が対等外交を志向した事を評価するが、虚構説を採ってはいない。
大山の劣化コピー本を出した谷沢永一を、小林よしのりは論破された虚構説の焼き直しと批判してたし。
ちなみに、谷沢は保守系論客だが、友人の渡部昭一をつくる会に誘わなかったのを根に持ったのか、終始つくる会には批判的だった。
そもそも、つくる会発足のきっかけは、「従軍慰安婦」の教科書記載に対する抗議であり、執筆陣の専門や関心も近現代史に偏りがち。
古代史については、日本神話や神武東征伝説を紹介し、縄文と弥生の連続性を強調するところくらいしか新味は無い。
281 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 09:21:13.80
>冠位十二階を天皇中心の体制をつくるためと説明し、
>十七条の憲法を天皇と役人と民衆の役割の違いを明確にし、
天武天皇が喜ぶであろう。仏教は忘れたのか?
282 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 09:30:50.24
ガチャ「右翼のものだが」ってやったら、皆、石像になった
時代だったな。
283 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 09:43:09.49
仏教については、「聖徳太子は、仏教や儒教の教えを取り入れた新しい政治の理想をかかげ、
それにしたがって国内の政治の仕組みを整えようとした。」とか「仏教への信仰をまず基本に置いた政治だった。」と、記述した後に冠位十二階や十七条の憲法を説明している。
あとは飛鳥文化の項で太子や蘇我氏を引き合いに出して、仏教建築や仏教美術に触れている。
天皇の地位と王権の分離と云う観点からすりゃ太子時代がやった
のは天皇への権力集中とはむしろ逆だったとも受け取れる。
285 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 10:13:40.16
太子まぼろし派からすると、そもそも太子時代に「天皇」という
尊称自体がなかったことになる。
286 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 10:35:07.54
天武は別に仏教弾圧したわけでもなく、むしろ逆だったようだが。
古代日本にも地方ボス利権というのはあったわけだな。太子時代には
馬子がある程度それを代弁してたんではないかな?
聖徳太子虚構論って歴史研究としては落第だが、
歴史ファンタジー小説の原作としては悪くない。
石原都政時代の知事連合も鬱陶しかったな。二重国家みたいだった。
もともと東京一極集中は石原の仕業で、たまたま国政が敵方に
奪取されたからああやっただけだからな。北海道民主は政権交代
するや脇に追いやられた感があるし。
天武は地方に女人を供出させて悦び組を作ったりしてもいる。
ここいら辺の経緯はどうしても壬辰の乱を連想させる。
全部、千年に一度の津波で流されたが。
YKB(悦び組)48とかありだな。脱線し杉
292 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 12:20:02.50
そもそも日本書紀の中身は捏造だという奴に限って、
自分に都合がよい所は日本書紀を引用するww
まあ日本書紀を超えるような史料が見つかってないからな
だから袋小路になってる
293 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 12:46:14.57
_,,..--――--,,..
/::: ハゲ \
/:::" ヽ ←ジャムリン
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>>285 飛鳥時代に天皇という尊称が無かったのはむしろ通説なんですが
295 :
日本@名無史さん:2014/02/22(土) 18:06:47.68
>>294 最近は天寿国繍帳から、天皇は飛鳥時代でも使われていたと言う論が浮上している
www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/tennoutonihon.html
現存の天寿国繍帳は13世紀に突如発見されたものを縫い補いまくったものだし
その銘文を記載している上宮聖徳法王帝説も11世紀までしか遡れない
証拠としてはあまりにも心もとないな
どっちにしろ漢籍からの引用だろ?
アマタリシの一族だ。
天皇という言葉がなかったとかって言ってるのは太子いなかった派の
まぼろし化工作員のアホだろ?
津田左右吉は十七条憲法の偽作説を唱えて大学をクビになってんな。
戦前ですらそんな調子。何しろ日本書紀に登場する重要な天皇家の
一員だ。かえって実証主義的研究が自由になって、適当なことを
言う似非学者が増えたくらいだろう。
検証責任は異議を唱える側にある。「いた」というのはもともと
言うまでもない前提だから。前にも言ったように思う。
この論法でキリストいなかった派やらホロコーストなかった派やらも
黙らせたんだけど、未だにアンネの日記なんか破ってるらしいw
>>298 難しいところだね
天皇の初出は史記秦始皇本紀の『天皇・地皇・人皇』、それが道教に採り入れられて則天武后の称号となる
似たもので五胡十六国の遊牧民政権がよく使った天王ってのもある
まあ、中国(唐)かぶれの飛鳥時代なので則天武后の真似か道教からの採用かどちらかだろう。少なくとも字面はね
内容的にはアマタリシヒコの名を見る通り太陽の子孫的な意味だろうね
「言うまでもない前提」ってただの決めつけじゃないか……
学問からは最も遠い考え方だよ、それは
まあここで太子信仰を唱えてるのは、当時太子や摂政がなかったことすら認められず
先代旧事本紀が偽書ではないとか言い出すような人たちだから、今の天皇号が
幕末から使用され始めたことも知らないんだろうな
>当時太子や摂政がなかったことすら認められず
類似の制度はあったんじゃねえの?
日本書紀はあくまで唐式に編纂された歴史だから、摂政という言葉を使っただけかもしれない。
たとえば、宗教はレリジョンの訳語として作られたもので
それまでは宗教という言葉は宗派の教えという意味でしか使われていなかった。
そもそも、近代まで反証可能性という考え方もなかったし、宗教と科学も未分化だったから
仏教や儒教、神道という言葉も現代で言うところの宗教という意味で使われていなかった。
あのニュートンも錬金術やキリスト教の神秘性を信じる時代の人だったし、
ベンジャミン・フランクリンやマックスウェーバーが信仰と生活の中に生きていたということを考えれば
レリジョンという意味での宗教が現代的な意味での宗教という意味合いになったのは比較的新しいことがわかる。
では、我々が考える宗教という言葉が近代以前に存在しなかったから
近代以前に宗教が存在しなかったと言えるだろうか?当然、言えない。
だから、聖徳太子の時代に摂政という言葉がなかったから聖徳太子はいなかったというのは論理が飛躍していると思うよ
>>303 じゃあ、飛鳥時代にあったという摂政のような地位について
どのような名称でいつからどんな風に使われ始めたか論拠をあげながら解説してくれ
305 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 09:31:58.16
なんだ、まだ大山ファンタ爺が暴れているのか・・・
>>304 いやいや、そういうことを言っているんじゃなくて
君の論拠は聖徳太子がいなかったと言える論拠になりえていないと言ってるんだよ。
たとえば、殺人現場に或る人物の指紋が見つかったからその人物が犯人であると訴追した場合、
殺人以外の理由で指紋が残りうる根拠を示されれば、指紋という理由だけではもうその人物が殺人犯であるとは言えないでしょ。
その人物が新たに真犯人を見つけてこなくても。
>>306 結局、太子や摂政のような地位があったっていうのは何の根拠もない妄想じゃないか
その妄想を前提にしなければ存在し得ないのが聖徳太子
あえて犯罪捜査の例えに乗るなら、きみの言っているのは現場に影も形もないのに犯人像を勝手に
作り出して、それに当てはまる犯人候補を探しだし後付けで証拠を揃えるような捜査方法だ
冤罪事件で一番多いパターン
308 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 10:10:51.31
太子をいなかったことにしたいのは
女性が天皇になったら困る派の人たちだろ
だって、皇太子を堂々と女性にしちまった
初めての天皇が太子だからな(にや)
>>307 支離滅裂なんだけどw
俺は、君の根拠が根拠となりえていないということ言ってるだけなのにな。
犯罪捜査の喩えも不適切だな
なぜか俺が他人に罪をなすりつけようとしているかのような印象を与えようとしているけど
俺は別に〜が間違っていると主張しているわけではないよ。
間違っているとは言えないと主張しているだけ。
悪意のある捏造があったという嫌疑を解いているだけだから。
>>309 つまり、聖徳太子は宇宙人だったと言う奴がいても、宇宙人ではなかった証拠はないから否定できないわけだな
312 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 11:01:44.14
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313 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 11:36:10.84
>>307 日本書紀に書いてあるじゃん
日本書紀は伝承が多いけど、日本書紀に勝る史料はない
他に太子が政治を指導していなかった証拠(史料)はあるの?
>>313 唯一の史料が嘘書いてあったらどうなるの?信じるだけなのか?
315 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:02:34.46
>>302 近代天皇制は近世国学が捏造したもんですからのう。
316 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:07:33.10
>今の天皇号が
>幕末から使用され始めたことも知らないんだろうな
ここ、笑うところですか?
318 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:11:36.52
>>314 日本書紀に勝る史料出してよw
それがおまえの論拠なんだろ?
319 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:23:28.60
実証主義的近代学問は迷信が嫌いであるからして何でも科学的
証拠を欲しがる。これも一種の迷信だな。
>>311 意味が分からんのだが、聖徳太子って言葉は日本書紀の言葉だね
つまり、日本書紀の主張なわけだよ
日本書紀の記述を否定して、聖徳太子が宇宙人(=地球外生命体?)であるというならば
まず宇宙人ではなかったと否定する以前に、宇宙人であったという主張する側がその証拠を出さないと
話がはじまらないだろう?
>>314 信じるかどうかはともかく、否定できないんなら、一応認めるしかないだろうね
認めた上で、合理的でない部分は疑わしい部分があるという風な言い方でとどめなければならない。
それが学問的な態度だと思うけど。
321 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:28:30.00
未来記は太平記にも引き合いに出される太子の権威ある予言書だぞ。
楠木正成も騙されたとある。
>>318 だからその日本書紀の記述に何の根拠もないわけだが
まあ天皇号が1000年近くも使われていなかったことも知らない初学者ならば仕方ないミスか
324 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:36:24.37
それ自体は客観的な史実と言える。日本人の歴史的メンタリティを
考える上では興味深い逸話だ。
何が何でも迷信が嫌なら天皇制も止めてしまうべき。
>>322 ちょっと待て。
「天皇号が1000年近くも使われていなかった」ってのは、
いわゆる追号の話においてだってのは知ってるよな?
326 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:40:41.96
「馬子の墓」で小林は「遠近法」という言葉をちゃんと使ってる。
歴史に対する勘の良い人物はこういうことは分かっている。
>>325 諡号、追号以外で天皇なんて言葉使わんだろ
スメラギとかわりとでてくるけどな
>>327 orz
宣命とか公家の日記とか読め。いや読めとは言わん、見ろ。
桜町天皇なんかは「大日本天皇」とか署名してるぞ。
まあ、何十年も同じこと言い続けてるやつら多いからプロパガンダで言ってるだけかもね
331 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:49:48.14
近世国学者の本質主義的日本論もイデオロギー探求であって、
そもそも近代学問の範疇ではない。
還元主義的な本質主義じゃなくて、マクロで世界史の中の日本をとらえても
日本の独自性は描けるはずだけどな
>>329 それじゃ言い換えるわ
ごくまれに復古趣味の人だけが「天皇」という言葉を使っていたと
「王」とか「院」の方が主流であって当たり前に使われていた言葉だからね
334 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 13:55:57.26
環境一元論のような相対主義には主体性の意識はない。
>ごくまれに復古趣味の人だけが「天皇」という言葉を使っていたと
>「王」とか「院」の方が主流であって当たり前に使われていた言葉だからね
この言い換え合ってます? 日本史板ではあり得ない解釈じゃないか?
初心者の方ですか?
>>333 それだと、「幕末から」ってのが引っ掛かる。
幕末であなたの言う復古趣味じゃない人が「天皇」使ってるのって、
どんな例があるんだろう
>>333 復古趣味というより、直言を避けるためだろ
相手が高貴な人物であるほど、直接的に言及することを避ける
日記とか見ても、過去の天皇は天皇と言っているけど
その時の天皇は、天皇とは言っていない。
>>334 マクロ的な視点は相対主義ではあろうが
地域の独自性というものも認めるだろ
物事を理解する上で、より効率的な把握を可能にするビックピクチャーを
探求するのがその主目的なんだから。
>>337 いや、「天皇元服」とか「天皇即位」とか「天皇出御」とかある。
まあたしかに今上は「主上」とかが多いだろうけどね。
339 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 14:19:20.96
歴史とは集団的主体と環境的条件との相互作用で前進する。
というと史的弁証法みたいだな。
>>338 ほう、ありがとう。参考になりました。
日記の中で天皇の字を探すのはけっこう大変じゃね?
>>336 「皇」と「王」の使い分け自体が江戸時代の国学から始まったイデオロギー要素の強いものなんだよ
「王政復古」という言葉があるように国学や明治イデオロギーが強くない大半の人にとって天皇家は王家であり、天皇は院だった
もっともその「王家」というのも南北朝期に南朝側がイデオロギー的要素を含めて使うようになったとかなんとか
342 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 14:28:20.02
_,,..--――--,,..
/::: ハゲ \
/:::" ヽ ←ジャムリン
,i :: ◞≍≍≖≍≍◟ ◞≍≍≖≍≍◟ i
`. `Y.. / ー-' ヽ '.
>イ ヽ ::.| ト‐=‐ァ' |: i ボクはジャムリンです♪
ノ∧ 丶、 ` `二´' }ィ´`フ
_人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V
`Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * ボク、ジャムリンは
/::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉
. /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ ウィキペディアをヤリタイ放題編集・加筆してます♪
//:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´
/:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 日本史板も荒らし回ってます♪
!:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/
|::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ *
`ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/
//:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/
/⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' *
>>341 ちがうよ
春秋の後の戦国時代に、周王の権威が失墜して諸公が勝手に王号を名乗りだして
王号の権威が落ちたから、諸国を統一した秦の始皇帝が王号の上位概念として皇帝号をつくった。
この時代以後、王号は皇帝号の下位概念が定着する。
だけど、春秋時代には王号が最上位の号であったから
孔子や孟子の書物に権威をおく儒家の間では、
覇道に対する王道とか、儒教内の文脈の中で王という語に良い意味を与える。
尊王攘夷や王政復古もそのような儒家内の文脈で使われる言葉で
外交交際内で使う王とはちがうニュアンスで使われている。
「歴史の効率的把握」だなんて言ってもヤンキー風の合理主義でしかない。
紙の上の歴史で侃々諤々やってる最中に石神遺跡の飛鳥時代の
石像がドンと目の前に置かれると、歪んだ遠近法が矯正されて、
皆ぐらぐらする。
日記で天皇の字探すより、王家(天皇家の意味で)の字探す方が難しいかもな。
「天皇は院だった」ってもまんま追号の話だし、
その前に天皇は院じゃないだろ(院は上皇・法皇・女院)
>>344 そりゃ新資料が見つかれば認識は一新されるわな
一次資料が塗り替えられるんだから当たり前だ
つっても、考古学から得られる知見にも限界があるし、年代推定も曖昧。
結局、最初のインパクトとはうらはらに、やがて冷静に再考されることになる。
>>345 王家は全然ないよwwマジで。、
亀井勝一郎は『聖徳太子』も『親鸞』も「これは文学」と断ってるな。
国学風なアプローチだ。
348 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 16:57:11.12
>>346 その見方は質量のある遺物を紙の上の情報に還元して歴史意識の
空間性という問題を回避してるだけだよ。
349 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 17:00:47.38
「ここ」にかつて実在した人について話をしてる。
>>348 つまり、どういうこと?
フィールドワークが大事だってこと?
351 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 17:16:49.00
平成の空の色は、飛鳥時代から変わっていない。
東京のビルの谷間から灰色の空を見上げてもピンと来ないか。
昔とかなり地形が変わってるところもあるから
フィーリングがどれほど信用できるか、もっと懐疑的であってもいいと思うけどね
服装は今とは割と違うかも知れない。
言葉も聞き取るのは難しい可能性はあるな。
しかし白黒の世界なわけではない。
無自覚な根無し草の近代人種には言うだけ無駄か。
歴史やるのも無駄みたいな話だが。何のために歴史を?
>しかし白黒の世界なわけではない。
自己陶酔しすぎでは?
対象に対して無関心を保つための懐疑主義は、歴史研究では有害無益だ。
近代人種ってのは、そうやって歴史意識を解消してしまうのが
常套手段だ。で、証拠証拠とやる。
キリスト教研究でもそうだな。後に残るのは歴史でも何でもない、
紙の上のイデオロギーだ。
アメリカの福音派の聖書原理主義の話な?
アメリカを背景に物を言うとタコ殴りにされちゃいます。
懐疑的≠懐疑主義だと思うんだが・・・
対話をやめて同じ思考ルーチンに耽るのは単なるオナニーだと思う
アメリカ的価値観を世界に押し広げるために修正主義と戦ってる
わけではないからなw
チンピラ政治家が商業マスコミとグルになってでっち上げた
歴史なき日本への愛国心とか、害悪そのもの。
反修正主義というイデオロギーは学問的態度ではないと思う
なぜなら、学問は常に批判に対して開かれていなければならず
したがって、取り扱われるのはいつも暫定的な真実と心得なければならないから。
俗悪新格闘技みたいな日本人のプライドとか。
366 :
日本@名無史さん:2014/02/23(日) 19:00:01.38
聖徳太子虚構論者は日本書紀を史料として信頼できないと叩くが、
聖徳太子虚構論・蘇我天皇論こそ日本書紀以上に信頼できない史料・論を基に成立している矛盾
言うまでもなく小林秀雄の「無常といふ事」は歴史論だ。
冒頭の親鸞の一句からする小林の不思議な体験は、単なる言葉に
歴史の息吹が宿る瞬間の意識を書いたものに思える。
亀井が『親鸞』を依頼されたのは、小林のこの文章が契機かな?
>>363 その考え方自体かなりイデオロギッシュだと思う
記紀には、日本の独自性に関する思想が明らかに見られるのであって、それは疑いようのない事実。
WW2以後、先進国では愛国主義が戦争を招くといった道徳的価値観が巻き起こったが
そのような道徳観念を基にして、歴史を再構成しようとすること自体、学問に反している。
小林は歴史とは単に記憶されるだけではなく、思い出さなければ
ならないものだと言う。
記憶するとは歴史を知識に還元することだが、思い出すとは、
過去と思われる方向空間に向けて心を差し伸ばすことだ。
もちろん、そのような直観的理解は必要だと思うが
まるでイタコのように、昔の人の魂が降りてきて完全に自己の中で一致すると思い込むことには
一抹の疑いは挟むべきだ。それは学問的なアプローチにおけるせめてもの作法というものだ。
372 :
日本@名無史さん:2014/02/24(月) 07:54:18.47
天皇という呼称だけど、
701年大宝律令前は「皇子」と呼んでいた(律令後は「親王」)
だから「皇」という字句は、太子時代でも使われていたんだよ
大王の子を「皇子」と呼ぶのは、チグハグな気がする
373 :
日本@名無史さん:2014/02/24(月) 08:12:25.35
隋書によれば日本天皇と中国皇帝を共に「天子」と位置づけた
国書を送ったことに意義がある
「日出処天子」は隋書のみ
日本書紀には、来日した裴世清が帰国する際に妹子を再派遣して、
その際の国書「東天皇 西皇帝」が記載
日本犯罪史上はじめて国家に対する詐欺を働いた厩戸
佐村河内の大先輩にあたる
最初の歴史捏造事件だな。
378 :
馬鹿な:2014/02/24(月) 18:53:52.94
聖徳太子みたいな聖者がすすめたと言って仏教が普及したのである。彼がい
なかったら、日本に仏教は存在しない。
馬鹿のアインシュタインの特殊・一般相対性理論は神の絶対性を理解出来な
いで数学だけで求めた空論である。
yをばね秤につるしたおもりの重さ、xを秤の伸びの長さとすると、重さy
は伸びの長さxに正比例してy=axとなる。y=axは数式では証明できないが、
実験的に正しい。1+1=2も数式では証明出来ないが、1個のりんごにもう
1個のりんごを加えると2個のりんごとなると言う物理現象で証明できる。つ
まり、数学は物理現象を基礎としないと成り立たない。量子力学によると、物
理現象は確立の波として起きると言う。それなら、因果律が成り立たなくなる。
原因がなくても結果が発生することになる。卵子と精子が融合する前に、受精
細胞が生まれてしまう。タイムトラベル等の空論も数学が0や負の数の存在を
認めているからである。0、負の数、虚数、∞等は存在しないし、物でないの
で数学で取り扱ってはいけない。
血なまぐさい権力闘争をみてきた聖徳太子は、仏教を奨励することで、
「和を以て貴し」とする精神を日本社会に広めたかったんだよ
>>378 仏教が百済伝来ってのは信じがたいね
前漢時代にはすでに中国に入ってるし、仏教好きの遊牧民(理由は謎だよね)のおかげで五胡十六国時代は仏教全盛だった
この時代、中国の文物は百年を措かず日本列島に入ってくる
そして、あまり知られていないが新羅でも仏教流行ってたんだよね。例の西域風建築群が残ってる
古事記が新羅びいきで日本書紀が百済びいきだと聞くが、仏教伝来の真実も暴いてみたいね
>>379 ナイーブな解釈だな
鎮護国家の萌芽だろ
穴穂部や守屋一派を殲滅し崇峻を引きずり下ろした男が和を強調するのは当たり前
「戦う太子」のイメージって結構重要かも。
四天王寺に伝世してる七星剣や丙子椒林剣。
伽羅での失地回復を目指した所とか、後の中大兄の先駆け的な存在だな。
実際の聖徳太子はガチガチの武闘派。
逆だよ
太子の独自色が出た冠位十二階(603年以降)は、戦争をしてない
602年に来目皇子を後任に当麻皇子を新羅遠征軍の将軍に任じたのは太子の意向が働いてると思う。
ただ、期待した成果が得られれず、600年に躓いた対隋外交を再度進めて、
新羅に圧力をかけるように方針転換したと思う。
これが効いたのか、610、611年と新羅が連続して使者をよこすようになった。
だけど、太子が亡くなった翌年に新羅が任那を攻めて再び新羅へ出兵することになった。
今度は、旧来どうり氏族が将軍として派遣され、皇族が任命されることは無かった。
武闘派=戦争しまくるという意味じゃないぞ。
大王殺害を黙認したクズ。
恐らく自分の地位が上がることを承知の上の行動だろう
388 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2014/02/26(水) 19:16:37.13
1に1を足す前に2にはならない。これが因果律の制約である。
1個のりんごに1個のパンを足して2個の何になるのか。1個のりんごの重
さ100gに1個のりんごの体積1000p^3を足して何になるのか。同じ物の基準同
士でないと意味を持たない。0と1は物の基準が違う為に0+1=1ではない。0
+1は基準が違う為計算出来ないし、何の意味もない。
人が死ぬと霊体は光のトンネルを通って三途の河原へ瞬時に到達する。そこ
で判決を受けて行くべき神界へ瞬間移動する。地上世界ではエーテルの抵抗力
で光速度以下でしか移動できないが、 神界では宇宙の果てまで何兆光年であ
ろうとも一瞬で移動できる。と同様に星の光も瞬時に地上に届く。科学はこれ
をワープしたと誤魔化している。時間が遅れるのではなく、光の速度が無限大
近くなるのである。
GPSの時間のずれや放射線物質の半減期が伸びるのはエーテルの抵抗力の増減
の影響から来るものである。
荒らすな馬鹿
390 :
日本@名無史さん:2014/02/27(木) 13:29:49.79
聖徳太子はガチムチのマッチョ野郎
馬子にケツ掘られてたか馬子のケツ掘ってたんだろうな
忠臣鎌足も上宮王家討伐は座視した。それがすべて。
聖徳太子巨根説きました
でも性愛関係にあったとすると、馬子との協調、馬子の政策への影響力
という相矛盾する要素が説明つくね
馬子との肉体関係を疑われたがゆえに斑鳩に退避して身を慎まねばならなかったと
日本では仏教と衆道の関わりが根深いからなぁ
日本仏教の開祖とも言える馬子と厩戸がそういう関係だったのがその原因なのかもしれない
397 :
日本@名無史さん:2014/03/01(土) 12:02:27.55
厩戸って変な名前だよな
どちらかというと橘寺ゆかりの名とか
そういう名前がつきそうな環境なのに
なんで厩戸にあえてしたのか疑問
>>397 そこがキリスト教パクり説の出る原因すね
<厩戸> <キリスト> <ブッダ>
母の名 はしひと マリア マーヤー
生地 馬屋 馬小屋 帰省中の道端
妊娠 観音が口に入る 処女懐胎 白象が胎内に入る
出産時 とくにない 東方三博士 占星術師がくる・唯我独尊
産後の母 成人後まで生きてる キリスト死後も生きてる 産後すぐ死ぬ
逸話 10人の話を聞き分ける ワインやパンの奇跡 既存の学問や修行を究める
身分 皇族 庶民 王
結婚 してる してない してる
修行 してない してる してる
敵対者 物部氏 ローマ帝国 いない
業績 国家事業・仏教広める 復活して福音を広める 悟り(仏教)の完成
薄幸度 死後一族が絶える 死後民族が亡国 生前に一族が絶える
女性関係 嫁の献身 マグダラのマリア スジャータ
死因 病死 刑死 病死
没年齢 50代 30代 80代
個人的にはイエスキリストよりも蘇我氏との名前の呼応が気になるな
"馬"子と"厩"戸
蘇我"善徳"と"聖徳"太子
そういうパズルはこじつけ臭くなるだけ
場当たり的な符合に終始して全体性を失っている
善徳なんて単なる法名だろ
一方、聖徳太子は追号
>>399 いろいろと違うな。
イエスが生まれたのは、馬小屋じゃない。家畜小屋。
クリスマスシーズンに教会に行ってみれば人形がおいてあるからすぐわかるよ。
生まれたイエスの脇にいるのは羊やロバや牛。
それからイエスの敵対者は、ローマというよりはユダヤ教会だろ。
タカラとかタカラベという地名が日本にはいくつかある
それらはかつて部民制の元、タカラと名のつく皇族の部曲だったことによると言われている
全国にソガベがいくつもあるのと同じことだ
さて、そうするとタカラと名のつく皇族はタカラ部曲の主だと推測されるのだが
その中で一番有名なのは二度天皇に即位した宝皇女であろう
その他に、聖徳太子の王子にも財王がいる
同じ皇族とは言え、血縁的にも政治的にも遠いはずの財王と宝皇女が部曲を共有していたのだろうか?
細かいところではあるがこういうところの謎が解ければその時代の実像が見えてくる気がする
こじつけ。
大王は基本的に正規の配偶者の女性の家に居候するスタイルだったので
王子には、配偶者の名前がつき、配偶者の男系男子が王子の側近になる。
財部という名の王子なら、配偶者が財部だったということ。
財部とは宝の管理を任されていた部曲で、部民はすべて同じ血統というわけではない。
太子と馬子がアッーまで読んだ
407 :
日本@名無史さん:2014/03/01(土) 23:53:22.72
イエスというよりも、ペルシャの影響をかんがみて
年代的にもそんなに離れていないムハマドに近い気がするな厩戸
当時のムハマドの影響力は知らんけどな
>>392 鎌足から見れば上宮王家と入鹿の対立なんて
しょせんおホモだちの仲間割れだったのかな?
いい加減建設的な話しようぜ
ホモとかパクリとかくだらねえ
>>403 部民の研究はもっと向き合うべきだよね
【〇〇部の皇子】というのはその地域と人民を受け継いだという意味だろうし、
今でいうと市町村などが一つの単位で財産になっていたことが分かる
この部民を多く所有してるのがつまり有力者なんだろう
宝はタタラからの転化だろう。
宝物製作系技術者を支配していたとか。
<聖徳太子> <キリスト> <ブッダ>
本名 厩戸 イエス ゴータマ
母の名 はしひと マリア マーヤー
生地 自宅の馬小屋前 避難中に泊まっていた他人宅の馬小屋中 帰省中の道端
妊娠 観音が口に入る 処女懐胎 白象が胎内に入る
出産時 とくにない 東方三博士 仙人・唯我独尊
産後の母 成人後まで生きてる キリスト死後も生きてる 産後すぐ死ぬ
逸話 10人の話を聞き分ける ワインやパンの奇跡 既存の学問や修行を究める
身分 太子(長男) 庶民(長男) 太子(長男)
結婚 してる してない してる
修行 してない してる してる
敵対者 物部氏・その仲間たち ローマ帝国とその追従者ユダヤ教会 いない
理解者 蘇我氏 母親・十大弟子 十大弟子・教団
業績 国家事業・仏教広める 復活して福音を広める 悟り(仏教)の完成
記録 8世紀・日本書紀(死後百年後) 1世紀・聖書(死後20年後) 紀元前2世紀・仏典(死後二百年後)
薄幸度 死後一族が絶える 死後民族が亡国 生前に一族が絶える
女性関係 嫁(複数)の献身 マグダラのマリア 嫁(おそらく複数)・スジャータ
死因 病死 刑死 病死
没年齢 50代 30代 80代
宝・財はタタラじゃなくて高良でしょう
川原宮はどうみても高良(かわら)の訛かと
河原も瓦も大元は製鉄に結びついた物、なのでタタラ宝。
記紀でも素戔嗚尊が最初半島には宝が多いとしてるが、
これは鉄に関する物と判断してもいいだろう。
416 :
日本@名無史さん:2014/03/02(日) 13:17:38.66
つまり、皇極はもののけ姫なわけですね
はりつめた〜弓の〜♪
イエスの報われなさを愛でたい
>>412 だからイエスが生まれたのは馬小屋じゃないって、何度言ったらわかるんだ?
>>416 「皇室制度」「天皇制」「天皇家」などの造語を使う奴は100%韓国人だと思って間違いない
皇室は制度でも家でもない
したがって廃止も取り潰しも出来ない
これらの造語を使うのは「廃止」したがっている奴らだけ
日本人の半分以上は半島人になってしまいそうだなw
皇極のおかーさんは吉備姫
吉備のあたりは 鬼=鉄です
弟の軽は銅です
ちなみにじーさんの桜井というのもまあ、物部の拠点があることから
娘の名前も考慮すると武器に関連する士族じゃないんですかね
ちなみに穴穂も鉄です
石工の穴太衆というのもいます
>>419 まあ、市民権を得た(得てしまった)用語だからね
君も年号より西暦使っちゃうだろ?あれはもともと日本国を否定したい左翼勢力が用いたもんよ
イデオロギー論争はよその板でやってくれ
ひとつだけいってやれることがあるなら、二言目には愛国愛国うるさいタイプと
何でも日本を否定したがるやつらはたいていグルだ
水掛け論に愚民の目線を向けさせて、その隙にとんでもない法案を通すという昔から変わらない手法
妹を犯したことが確実な歴史上の人物=聖徳太子
>>419 「皇室制度」は内閣や宮内庁が使ってるけど?
426 :
日本@名無史さん:2014/03/09(日) 10:52:08.63
オカ板の人が出張してきている
やっぱ、未来記とか秦氏のなぞとか
ムー民どもなのか
コピペ爆撃してた人いなくなっちゃったね
やっぱり厩戸擁護してたの1人だけだったんだな
>>55の言うような現在の史学の水準で特に問題はない
穏当な解釈が嫌で突飛なことやら陰謀論みたいなのが好きならオカ板にでも行けばいい
「聖徳太子は実在した」
って主張に対して
「じゃ十人の話を同時に聞き分けられる奴連れてこいw」
って返すのが非実在派だからな
まるで小学生
このスレ以外でもたまに、持統が焚書した、っていうレスを見るけど、なんなの?
「サンタクロースは実在しない」
って主張に対して
「じゃ聖ニコラウスの実在を否定してみせろw」
って返すのが実在派だからな
まるで小学生
じゃあ毛沢東も存在してなかったことになるな
>>431 鸚鵡返しは敗北宣言と同義な
覚えておくといい
435 :
日本@名無史さん:2014/03/11(火) 19:03:24.22
親王は王より上なんだろうけど皇子というのもあり序列が分かりにくいよね
436 :
日本@名無史さん:2014/03/11(火) 19:07:46.97
親王って単に女ってだけじゃね?
440 :
日本@名無史さん:2014/03/12(水) 13:06:27.88
女性は内親王
律令の継嗣令では、王・親王は共に男女両方を意味する。
続日本紀には氷高内親王(元正女帝)を氷高親王と記述している。
また、女流の万葉歌人で有名な額田王も女性ながら女王ではなく王。
律令施行後はそれまでの皇子・皇女が親王・内親王に代わったが、
長屋王木簡には長屋親王宮に混じって長屋皇子宮と書かれた物もあり、まだ過渡期だったみたい。
首皇子(聖武)から親王と呼ばなければならないはずだが、首親王より首皇子の方が定着している。
その子供達(阿倍内親王や安積親王等)の世代以降は親王・内親王で定着している。
皇子と書いて、ミコと読む
親王は唐を真似たもの
ただそれだけのこと
443 :
日本@名無史さん:2014/03/26(水) 21:18:56.74
来週BSで聖徳太子の番組いっぱいやるね
444 :
日本@名無史さん:2014/03/28(金) 07:11:26.21
>>430 続日本紀で、和銅元年(708年)正月に、全国に大赦が出されたことが記されていて、
その中に「山沢に逃げ、禁書をしまい隠している者は、百日以内に自首しなければ罰する」
という内容がある
直接、禁書令や焚書をしたという命令を記録に残していることはないが、恩赦の中にこのような
指示があるということは当時において禁書令や焚書は当たり前の日常茶飯事だったという証拠になる
>>444 それなんだけど、印刷本では軍器になってるんだよね、江戸時代のやつでも。
しかも、続日本紀に大赦は他にもたくさん載ってるんだけど、ほかの部分はすべて軍器になってるし
写し間違えの可能性大きいよ。書写本も「禁書印本作軍器」と注を入れてるし。
あと、訳まちがえてるよ、これ恩赦の場面だから。
大赦天下自和銅元年。正月十一日昧爽以前大辟罪已下。罪无軽重。已発覚未発覚。
繋囚見徒。咸赦除之。其犯八虐。故殺人。謀殺人已殺。賊盗。常赦所不免者。不在赦限。
亡命山澤。挟蔵禁書。百日不首。復罪如初。高年百姓。百歳以上。賜[米+丑]三斛。
九十以上二斛。八十以上一斛。
和銅元年正月十一日朝から、罪を軽重を問わず、発覚したものもしてないものも、囚人も徒刑者も
すべて恩赦する。八虐、故殺、謀殺、賊盗など、普段免除されない者も制限なく恩赦する。
山沢に逃亡している者、禁書を私蔵している者は、百日の間に出頭しなければ、初めのごとく罪にもどす。
年取った百姓で、百歳以上は米三石、九十歳以上は二石、八十以上は一石恩給する。・・・
ま、当たり前のことだよな。軍器を密蔵してる者が恩赦されたままだと謀反の危険が増えるだけだから。
常赦所不免者。不在赦限
すまん、これは
常赦の免ぜざるところの者、赦の限りに在らず。
かな。まあ文脈上、そうだろうな。
はっきりと書かれていることを無かったとする根拠としては薄弱だな
むしろ、軍器に関する恩赦は何度も出たのに禁書に関しては一度しか恩赦がなかったと考えるのが資料に忠実な考察じゃないのか?
そもそも、軍器と禁書なんて文字も読みも全く違って間違いようなどないのだから
聖徳太子が十人同時に聞き分けたとかいかにもうさんくさい話ならともかく、
禁書なんて古今東西どこでもある話をなんでやっきになって批判しても、客観性の無さを露呈するだけだぞ
>>447 >はっきりと書かれていることを無かったとする根拠としては薄弱だな
>むしろ、軍器に関する恩赦は何度も出たのに禁書に関しては一度しか恩赦がなかったと考えるのが資料に忠実な考察じゃないのか?
いや、君の「資料に忠実」の方針がいまいちよくわからんのだがww
書き間違えなんて普通にあるし、
亡命山澤。挟蔵○○。百日不首。の定型句で禁書と軍器が並列されてるのも違和感がある。
本貫地からの逃亡罪や国家反逆罪が同列なのは分かるが、禁書ってのは文脈上おかしいし。
原本は、軍器だったという可能性は十分あるよ。
それに、禁書か軍器かを決定しなきゃ学問が成り立たないなんて決まりはない。
禁書として話を進める場合は、この論考では「禁書と書いてあるとする」と断って
話を進めればいいだけだ。
あと、君はまだ反論する余地があったと思うんだが、「学問はこうあるべき」論にすぐ逃げすぎじゃないか?
せめて最古の写本がどっちかぐらい突き止めて話を進めろよ
>禁書なんて古今東西どこでもある話をなんでやっきになって批判しても、客観性の無さを露呈するだけだぞ
この論理もおかしい。
とりあえず周りに合わせるってのは学問的態度じゃないよ
>>445 朝日版の全文がウェブに載っているので調べてみたが
恩赦に関しては「軍器」は707年、「禁書」は708年の一例しか載ってないよ
『ほかの部分』ってどこにあるの?
「兵器」も717年に一例あるが、それが「禁書」を誤写とする理由にはならないだろう
「禁書」と「軍器」や「兵器」を間違えた例がいくつもあるというわけでもなく
特段ややこしい漢字というわけでもなければ読みや意味がにているわけでもない
誤写とみなさなければならない理由がない
こちらは学が浅いので残念ながら708年の記事が「軍器」になっている写本をみたことがない
それが実在し、正統だというのならその実物と根拠を示してほしい
>>449 江戸時代の印刷本は禁書のところが軍器になってるんだよ
ウェブにあるのは卜部家本を書写した永正本を底本にしてるものだろうな
現存最古にあたるから一応の信用はあると思うよ
だけど、大宝律や養老律から考えて禁書が律になった記録は残ってないし
それらが参考にした唐律にも存在しない。
そりゃそうだ、そもそも禁書なんてものは秦の始皇帝以来、宋代まで中華でもされていないのだから
律で定められているわけがないんだよ
一方、軍器や亡命(戸籍から名を亡くなるから亡命という、つまり本貫地から失踪するということ)は
唐律にもあるし、断片的に残る養老律からも十分窺える。
よって、これらが刑法たる律にのっていても別段おかしくはないし、違反した者を律に則って
捕えて罰してもまったく問題ない。だから、軍器・亡命はありえても、禁書には違和感があると言ってるわけだ。
もし仮に禁書についての律があったのだとしたら、それは特例中の特例ということになるね。
あと、書き間違えの件だけど、草書体だと、器と書は似ているね、
軍と禁も場合によっては混同することもあるだろう。
もちろん、当時の人が草書体で書いていたかは分からないところだが
卜部家本は、貴族が子弟の手習いとして残していた物だろうから、仮にこれを日記に類する物と見るならば
自筆本が残る御堂関白記あたりが参考になろうし、また卜部家が半公的な仕事として残した史書だと見るならば
最古の日本書紀の写本が参考になるだろうが、その両方等も、字体からして楷書で書いてあるわけでなし
くずして書かれているから、見間違えの可能性は十分あるだろうね。
よって、誤写の可能性が大きいと俺は考えるわ
きっと卜部本をもとにしたはずで
きっとそれは手習い本で
きっと日記に近いもので
きっと草書体で
きっと書き間違えやすかった
たとえひとつひとつが8割の確実性をもって言えることでも全部正しい可能性は3割強程度しかないな……
ちなみに、中国では漢代から魏晋南北朝隋唐と断続的に禁書や思想弾圧が行われているよ
特定の宗教や政治思想に対して限定されたものだから後の時代ほど大規模ではないようだがね
日本の物部氏の廃仏運動も仏像や寺院を燃やしてお経だけは守ったなんてありえないから
一種の禁書とみなせるね
日本書紀の最古のものは完全な楷書だったわw
注や訓読点も書かれていない、奉納用みたいなものだな
続日本紀はどうだったのやら
>>451 >きっと卜部本をもとにしたはずで
落ち着いてよく読もう
卜部本というのはおまえが押してる方の本だよ
>ちなみに、中国では漢代から魏晋南北朝隋唐と断続的に禁書や思想弾圧が行われているよ
刑法に禁書をもっている罪ってのは書かれていないんじゃないの?
残ってないから。むしろ律より令で、行政側が風紀引き締めために行なうもんなんじゃないかな
だから、刑罰の対象になる犯罪じゃないよ
しかも禁書って言っても、宗教関係の本。
漢武帝のころの誣告が有名だけど、占いやら奇術やらで人心を惑わすから取り締まられた。
ちなみに道教と言えば、救急如律令だけど
これらの呪句も同時代の役小角や久米仙人あたりが伝えているっぽいね
本があったとも思えないけども
>>453 人心を惑わす怪しげな宗教の書を持っているいかがわしい宗教家に対して何の罰も課さなかったというのか?
近代法でも行政罰があるというのに、当時においてそこまで人権の保護がなされていたとすれば驚異的だな
ぜひぜひ、その新説を学会で発表してくれ
中国は世界でも稀に見る人権先進国だという画期的な新説を
>>455 ググったところ僧尼令には禁書についてあるようだね
まあ、僧尼限定なので、ここの話題とは関係ないけどさ
ちょっと調べてみようか
僧尼令の最初のやつだね
○凡僧尼。上観玄象仮説災祥。語及国家。妖惑百姓。併習読兵書。殺人奸盗。及詐称得聖道。並依法律。付官司科罪。
すべての僧尼について、天文を見て吉凶を予言し、国家を語り、民を惑わすこと。併せて兵法書を読んで
殺人をおこなったり、奸智を用いて盗みを働くこと。及び悟りを得たと詐称すること。これらは法律に依って
官司に付きて罪を科す。
「妖惑百姓」は、禁じられた書物で惑わすことを言っているのではないみたいだね、あくまで言葉だけ。
「習読兵書」は、六韜やら三略やらを指すみたい。でも、別に禁書はされてないみたいだ。
官司に付きてというのは、国郡の担当行政長官が訴えに応じて罪を科すことみたい。
法律に依るとあるのだけど、原則還俗させてそれからそれぞれ該当する律によって裁くそうで、
上の「妖惑百姓」に該当する律は以下のもののようだ。
賊盗律の
○凡造妖書及妖言遠流。伝用以惑衆者亦如之。其不満衆者減一等。言理無害者杖六十。
即私有妖書。雖不行用杖八十。言理無害者笞四十。
すべての妖しげな書や妖しげな言をなす者は遠流罪。それらを聞いて利用し、衆を惑わす者も同罪。
衆に満たない場合は一等減じる。たいした害をなさない者は杖六十。妖書はひそかに隠し持っていれば
たとえ用いなくても杖八十。妖書の内容がたまたま無害な者であっても笞四十。
「妖書及妖言」は、怪異書をつくること、鬼神の言を弄して人をあざむいたり、妄りに他人に吉兆があると説いたりすること、
天文や地理を占い、国家の吉凶を語り、従わない者に干渉していくこと、のようです。
「衆」は、三人以上。
どうやら、禁書に該当する律はあったみたいだなww
ただ妖書つまり禁書ってのは、唐に習って道教の誣術やら占星術やらを禁止していたようだ。
でも、その割に宇佐神宮の託宣も仏教の本格的導入と同期して始まるんだよなぁ・・・
巫女さんは神が乗り移って(託)、神として言葉を授ける(宣)から、その言葉は天皇と同格の扱いだったんだけど
やっぱ嘘だと発覚したらキツいお仕置きがされたようだ。
まあ、結論から言うと、持統天皇が焚書したってのはガゼだと思うよ
ガセだと「思う」以上は言えないな
はっきり禁書と書いてある上に、それが誤字だというのは通説でも有力説でもない
いや、少なくとも焚書とかいう次元のことは起こってなかったってことだよ
律(刑法)にある犯罪しか取り締まれないし、恩赦も律令で定められているから
続日本紀の原本が、仮に禁書を私蔵していた者の恩赦を記載していたとしても
それは賊盗律の部分に該当するような内容の禁書でしかなかったってこと。
よって九州王朝正統史観の歴史書が持統天皇のときに闇に葬られたというのは夢想にすぎないってことだよ。
禁書を私蔵するのはたかだか80杖の罰だし、誰にもしゃべらず家族の間で相伝すりゃ捕まる恐れなんてまるでないし。
律にない罪は裁けないなんてのは建前論であって、実際にそんなことは無かったはずだよ
死刑廃止だった平安時代の一時期でも死刑が行われなかったのは上流階級の一部だけ
現在においても、法律上罪にならないことを条例や行政規則で罰しまくっている
ましてや、当時は律令制度がはじまったばかりだ
今までの決まりや慣習、命令を即座にすべて成文化するなんて、現実的に考えて不可能だし
すぐさま行政が律令で回るようになるなんてこともありえない
あと、禁書や軍器については山沢に潜んでいる相手に対する告知になっているのが大きな注意点だな
堂々と屋敷を構えてそこで私兵や書を持っている奴が相手ではなく、僻地に潜んで勢力を保っているゲリラがいたということだ
飛鳥末から断続的に内乱が起こっているから政権転覆を狙うゲリラが居ても不思議ではないが、そういう連中にたいする告知は
単に指定有害図書を差し出せという意味のお触れとは明らかに性質が違うものだろう
なんだか水掛け論になってきたな、いつものごとk
九州王朝説の是非と禁書・焚書があったかどうかはまた別の話だよね
闇に葬られた歴史もあるだろうが、それが九州王朝だとするのは飛躍がありすぎるし
九州王朝説を否定するために禁書などなかったと言い張るのは鶏に牛刀を使うようなものだ
雄略天皇の日本紀(旧紀)なんかは焚書臭いけどな。
そんな話ありましたっけ?
>>461 もう少し勉強しようか
いちいちツッコむのもめんどくさい。
あと山沢に潜んでいる相手に対する告知ではないと思うよ
単に持続犯罪についての恩赦のあり方について述べたものにすぎないよ
基本的にちまたに流布している陰謀論は信用にあたいしないと
改めて思う。
467 :
日本@名無史さん:2014/03/30(日) 12:57:00.09
山沢に潜む相手がいなきゃ
『亡命山澤挟蔵禁書百日不首復罪如初……』
なんていう恩赦ありえねーだろーが
お前こそが勝手に山沢も禁書もなかったことにするdでも陰謀論の教祖だ
468 :
日本@名無史さん:2014/03/30(日) 13:25:17.68
464
あ〜そういう見方もあるのかあ
469 :
日本@名無史さん:2014/03/30(日) 13:28:22.06
山沢に潜む相手に恩赦とかその恩赦を出すってのはどういう立場の人間なんだ?
この場合は侵略者側か警備側かどっちだ?
そりゃ戦に勝った側だろう
中央で決着がついても日本全国がすぐにいれかわるわけじゃないんだから
天智派や有馬皇子派、あるいは蘇我宗家派なんかもまだ密かに残っていたかもしれない
そういう残存勢力に投降を促すために恩赦を出すというのは合理的だし自然なことだ
でも、天武・持統政権の悪口をばら蒔かれちゃ困るわけで、書に関して厳しくなるのも当然
>>467 山沢に逃亡している者、禁書を私蔵している者は、百日の間に出頭しなければ、初めのごとく罪にもどす。
だな。単に継続犯については恩赦に制限を設けるという内容だろう。
低脳すぎるんで相手にしたくもなくなるな
どうも陰謀史観を流してるやつらってのは朝鮮人臭い
基本的に頭が悪いのも共通している
勝手に続日本紀の内容を誤記扱いにする陰謀論者気持ち悪すぎるな
勝手?
一般兵は棒切れで戦っていた時代に「軍器」と言えるだけの武器を持ち
識字率が低く印刷技術もない時代に「禁書」を持って山沢に潜む
ただの盗賊や蛮族でないことは明白ですね
……これって陰謀論になるの?www
>一般兵は棒切れで戦っていた時代
意味の分からないことを言い始める陰謀論者
ん?
まさか、堅穴式住居に棲む一般庶民に鉄や青銅で出来た武器・防具を支給していたとでも思っているのか?
兵器は鉄製武器だけじゃないしwww、日本じゃ甲は禁じられていないよ
律に書いてありますーw
奈良時代の防人ですら武器防具食料自弁なのに
白鳳時代には万単位の全兵士に甲を支給できたのか
もはや白鳳時代は超古代文明だなw
ちなみに甲っていっても普通の兵士が身に付けたのは綿の布切れにちょっとばかし金属片縫い付けただけのものだぞ
それすらまともに装備できた人間がどれだけいたか怪しい
まさか貴族様がつけたようなフルアーマーやきらびやかな飾りのついた綿甲を全兵士が装備してたとか思うなよ?
480 :
日本@名無史さん:2014/04/01(火) 07:50:22.04
白鳳という年号は、正史にはない、
九州王朝が出したと推測される年号である。
481 :
日本@名無史さん:2014/04/01(火) 09:09:31.24
白鳳は九州年号で661年から684年まで
661 白鳳
684 朱雀
686 朱鳥
695 大化
>>479 自己負担なのは基本装備だけだろ。当然、徴発されるのは体格のいい若者だけだから
徴発されない周りの者も負担してたろうし、たいてい以前の兵役負担者のお下がりもらってるだろ。
甲杖損失条には、戦争で使えなくなったものは官費で修理する旨があるし
弩の教習については弓矢の自費負担は免除されていた。
およそ、野球部に入ったらグローブ、バット、ユニフォーム買わされて
遠征のバス代まで負担しなきゃいけないようなもんじゃないのか?
>ちなみに甲っていっても普通の兵士が身に付けたのは綿の布切れにちょっとばかし金属片縫い付けただけのものだぞ
まさか、綿襖甲のことじゃないよな?これは東アジアではもっとも伝統的な武装だぞw
これらは官営で各国でつくられ太宰府などの各道中央へ保存されていたが
毎年の納入分は全兵に足らないかもしれないが、備蓄分や修理分があろうから
みなに配分されるだけは十分あったと思うよ。修理は各自がやらされていたかもしれんがさ。
>>482 その体格のいい若者ってのが健児(コンデイ)と呼ばれる兵士
うろ覚えだが、山本七平の本によると、それだと全国で3000人位しか集まらない
それまで頻繁に半島に兵士を送り込んでいた人々はどこへ消えたのか
戸籍が作られてからはどこかおかしいんだよ
良民と奴碑に分けてしまったのが原因か
>>483 三代格に健児が3000人徴収されている記録があるからそう言ったんだろうが
しかしそれは9世紀の話で、かなり貧富の差や家業化が進んだあとの話だろう
それ以前は若者でかつ村の男の中で元気なもの、体力あるものを選んでたんじゃないのか?
まあ働き盛りの男が常時すべて徴収されていたら国家が成り立たない。
父が徴収されてたら子は行かなくていいとか、子が一人しかいなかったら行かなくていいとか
いろいろ条件あるくらいだし、根こそぎもっていかれることはなかったろ。
日本の人口は戸籍上500万で推移してるみたいだから、最大5%の25万くらいは出せるよ
俺も戸籍がそんなに正確だったとは思わんね
庶民は堅穴式住居に住んでボロ布まとってて、貧窮問答歌の山上憶良すらかなりマシな生活って時代に
健康的で自前で基本装備を揃えられる若者が万単位で集まったのか
中学生が書いたファンタジー小説ぐらいにバランス崩壊してるな
>>484 なるほど平安時代はそうだね
戸籍から抜け出た連中が増え始めた頃
律儀に国の畑を耕してた農民は貧しかったはずだ
>>問答歌の内容を一般化する必要はないと思う
水澤龍樹の『まつろわぬ民』を読んでくれ
言うにことかいて貧窮問答歌かよ
昭和の歌謡・軍歌だって貧窮や悲哀を歌った曲ぐらいあるのに
昭和は律令時代なみの生活水準だったとでも言う気かよ、くだらない。
まるで毎日、牛肉食ってるくせに保護が足りねえと嘆いてるキチ女だよ
バカは資料にも当たらないで、どっかで読んだ特定のイデオロギーに染まった本が真実だと思っている
みたいだけど、調べれば彼らの装備がきちんとしたものだと分かる。
自費で用意した基本装備はこれな。
弓一張、弓弦の袋一個、予備の弦二本、矢五十本、矢箱一個、大刀一振、小刀一本、砥石一本
編笠、弁当袋、水筒、塩入れ、脚絆、靴。
これだけの装備を自分たちで用意できる富があったと見るべき。
ちなみに大刀は私有が禁じられていない。護身具として認められていたのだろう。
>水澤龍樹の『まつろわぬ民』を読んでくれ
こういう本て依拠している資料がまるでないよな
網野善彦ですら戦国・江戸時代の資料をふんだんに使ってるってのに
どのようにも意味が取れる文章一行を適当につなぎあわせて
陰謀史観をつくっていくってのはまともな学者なら相手にしないし、それが普通の見方だろう
自由民てのはどの世界にもいるし、彼らは結局どの民族にも属さないし属せない人たちだよ
子供をなすのだって難しい階級だからな
江戸時代だって子沢山で長男以外は生きていくのが難しかった。庄屋の末子の子なんてなると
末は乞食か雲助かってなもんだろ。雲助ってのは街道で荷物を運ぶ臨時人足だ。
だから、信用なくても雇えたし、明日は別のところへって感じだから、スリをする危険のある人たちと蔑まれていた。
>>487 山上憶良は一握りの貧乏人ではなくて、人並以上の生活を送るエリートだぞ
そんぐらい知ってるよw
貧窮なんてものは時代によって階級によって程度が変わるし
ある階級が貧窮を嘆いたからってそれが全体の貧窮とはならないって言ってるんだけどな
所詮、貧窮とは全体の中で自分が水準以下であると思うことによって生まれるのであって
その水準が妥当であるかどうかは、社会意識が決めるのでしかない。
景気のよい時代から、一気に貧富の差が開いてしまったときには概して貧窮していると嘆くものだ。
そういうやつらは飯もろくに食えないと嘆いたりするが、よく見るときれいな服を着ていたりする
社会がそのような服を着ているのでなければまともな人間と認めなかったりするからな。
だが、その社会から一歩出て客観的に見ると、彼らが別の国の人より貧窮であるとは思えない。
律令時代の日本であっても、貧窮になげく人がいただろうが、それが原始人なみの生活水準であったというわけではない。
俺は前々からそういった日本人の前近代人、非中華文明人への蔑視観が鼻につくんだよな。
群馬県人をバカにするのに黒人をもちだすのも非中華文明への蔑視観が身についているようで気持ち悪い。
文字をもたなければそんな大きな国を支配できていたはずがない、とかさ。
で、山上憶良より劣悪な生活環境の一般民衆からたくましい肉体を持ち自前である程度装備を揃えられる人間を万単位で集められるの?
492 :
日本@名無史さん:2014/04/02(水) 18:40:44.34
糸島の製鉄高炉群をみると、
製鉄及び鉄器供給体制は整っていそうだな。
時代的に白村江にも近そうだし、
白村江48000人のための兵器廠かもしれない。
>>488 > こういう本て依拠している資料がまるでないよな
読んでねえだろおまえ
史料のオンパレードだよこの本
多少我田引水のきらいはあるものの、発想と視点は面白い
常々、日本の歴史は農耕文化だけでは説明つかないと思っていたわ
飛鳥〜奈良時代の製鉄能力は年30トンほどと推定されているが、
国の動員力や資源採掘のペースを考えれば毎年フル稼働は無理だろう
ましてや政局が安定していない時期には生産も安定して行えないはずだ
そして、鉄は武器防具だけでなく馬具や車や船などにも使う
そうなると数万の兵に行き渡るだけの鉄を蓄えるのが相当な難行だというのは分かると思う
>>494 だから戸籍に載ってない連中が作ってたんだよ
こいつらが関東を開拓したといっていい
出雲王朝とかいうつもりはないが、天皇家が確立してゆく過程で取り潰された小さな王国は多くあったはず
それらに一つずつ製鉄民はいたわけさ
そして、奈良平安を経て敗残者は増え続ける
こういう連中も戸籍から脱出してアウトローになる
朱天童子は好例だ。あれは化け物でなくて明らかに人間だよ
大和朝廷の支配下に入らなかった小国や、あるいは大和朝廷の内乱での敗残者は
大和朝廷が日本と国号を名乗り、律令国家化すると、表だって活動できなくなる
山や谷に潜んでゲリラ化せざるをえない
そういう連中に降伏を促したのが元明の大赦だったんだろうね
>>496 有婆塞ウバソクとかもその類いかな
突然、何気なくその名を書いてるところから推察するに、そうした存在が元々あたってことだよね
なんの話をしてんだよ
おまいらチャットしてんなバカ
>>493 書評・表紙みればだいたいどんなことが書いてあるか分かるよ
ああ、サヨクが流行らせてる陰謀史観・自由民・アイヌとかの混合かってね
そういうものはまあ、あったかもね程度。それによって正史を否定し出すと
知らない間にトンデモ論者になっているということに気づいとこう。
>>494 >国の動員力や資源採掘のペースを考えれば毎年フル稼働は無理だろう
>ましてや政局が安定していない時期には生産も安定して行えないはずだ
毎回思うんだが、おまえの勝手な妄想で話を進めるなよ
鉄甲より革甲のほうが丈夫ってのが8世紀での結論だぞ
それに鉄甲も修理して使えって言っているし、ほかには木製短もあるし、 綿甲もつくるように言われている。
さらに古墳時代からの蓄積もあるのに、それらの再利用もなしに丸腰で合戦に行かせる方がむしろどうかしてるだろ
どんだけ想像力がないんだよ、おまえは。
しかも、防人や衛士は常時甲冑をつけてるのか知らんが、
各国の兵役で甲冑つけるとか合戦でもないのにかえって動きにくい。
兵役従事者すべてが甲冑をつけなければいけなかったわけでもあるまい。
>>495 マジで死んでくれよ
奈良時代の製鉄所は全国でも多数発掘されており、どれも大規模、官営であることが分かっている。
おまえの考えるような製鉄民なんてすでに消えてるよ
>>500 毎年すべてのプラントでフル稼働で生産なんて、それこそ妄想の中でしかありえない話だ
鉄甲よりじょうぶな革甲や綿甲っていうのはちゃんと金属の小片をたくさん縫い込んだものでね
当然ながら技術的なレベルも高いものだ
使う鉄の量は鉄甲より少なくて済むかもしれないが、鉄甲より簡単に支給できるものだとする根拠はないよ
ってか、全軍にきちんとした甲を支給するなんて出来なかったと認めるのか
じゃあ、そんな時代に軍器で武装して山沢に潜んでいる存在がただものでないことも分かるよね
503 :
日本@名無史さん:2014/04/03(木) 07:49:13.83
安来のたたらで一躁業で2トンくらい。
古墳時代には各地にたたらがあり、
奈良時代には高炉があるとすれば、
奈良時代で30トンというのは
少なそうだな。
>>502 アホか、すべてのプラントでフルで30トンという情報はどこにあるんだよ
すべておまえの妄想だろ
書評を見て読んだつもりになって
しかもサヨクどうこうとか真面目に歴史学するなら一番不要なイデオロギーによる決めつけで判断して
それで他人にはもっと勉強しろとかちゃんと本読めとか言ってるのか……
狂気だな
>>503 白村江敗戦で、奈良時代になって鉄は国産化が進められただけだ
それ以前は半島からの輸入があるし、それまで作ってきたものがある
製鉄は九州、瀬戸内、畿内、東海、関東まである
>>505 似たような本をすでに読んだことがあるんでな
糞みたいな本にかける金も暇もない
ネット上のソースながら
「近江の古代製鉄について」
金属センター長だとかなんとかっていう技術的な専門家による記述なので信頼性は高いだろう
あと、基本的に施設の生産力を言うときは材料がなかったり戦乱で運休とかそういう事情は考慮しない
>>499 >
>>493 > 書評・表紙みればだいたいどんなことが書いてあるか分かるよ
へーすごね( ^∀^)ゲラゲラ
それはさておき、この本ばかりは2ちゃんねるで知って読んだんだわ
初めて2ちゃんが役に立ったね
農耕民族論で日本は語れないと思うわ
>>501 先鞭をつけたのは名もない民間の産鉄民だね
多田銅山を源満仲がブン取るまで、誰が経営してたの?
>>510 へー、じゃあ、根拠となる資料をここで披露すればいいじゃん
どうせ上で書いた持統の禁書みたいな陰謀論でしょ?
>>511
もう産鉄民なんて妄想はいいよ
弥生時代から鉄や銅が扱われるようになってるし
そんな重要なポストを名もない人間に任せるわけがない
>>512 銅鐸わんさか作ってた技術者の名前なんか残ってんすか?
>>512 買ってよんだら?金ねぇのか?送ってやろうか?家どこだ?
>>505 だよな
こいつは多分日本史板に常駐してる無職だから、相手すんな
>>513 馬鹿か、名前が残ってるじゃなく、名のある人物って言ってるのも理解できねえのかよ
>>514 おう、じゃあアマゾンに1円で出品しといてくれ
>>515 それ、おまえだろw
あと、鉄生産量の話はもういいのか?都合が悪くなると話をすりかえるから
はじめの持統の話から随分ずれてきてるんだが、早く答えろよ
ついに続日本紀が陰謀の書になってしまったか
禁書=陰謀って発想も凄いし、ありもしない罪で皇族が裁かれたり偽神託事件もあったりした時代に
陰謀を全否定する姿勢もまるで宗教家のユートピア思想だな
>偽神託事件
それ、史書に書かれた歴とした陰謀だろ
禁書と書かれている背景に陰謀があったとしているのはおまえの邪推だろ
混同するなよ
マジレスすると、アマゾンでまつろわぬ民の内容が少し見れるんだが
どう見ても資料が引用されていないよ。
内容も以前、鬼伝説がうんたらかんたら言う本読んだことがあるが似たような内容だろ
信用に足らないというのが素直な感想
>>521 あのさ…そういう場合買うしかないよ
2ページに一個出典出てくるから。これは本当
忍者の考察は面白いよ
ま、嫌なら読まなくていいよ。君には難しいかも
523 :
日本@名無史さん:2014/04/04(金) 12:17:57.09
だれかータイムマシンで見てくれば解決
つか、Amazonレビューで買う買わない決める奴っていたのね
わざわざ(職業:医師)とか書いてる奴みると嘘臭くて笑っちゃうんだよな、アレ
>>40 聖徳太子がいけないんなら、
歴代天皇も山部(桓武天皇)とか呼ばないといけなくなるよな
ほぼ伝説と化した聖徳太子像を否定するために、名前まで否定する必要がないと思うな
このスレでとっくに言われていることだが、〜〜天皇は歴とした諡号
天皇という言葉がほぼ使われていない時代の帝も後に〜〜天皇と諡号を送られている
一方聖徳太子というのは本人が名乗ったわけでもなくいつ誰が送ったわけでもない俗称
明らかに別物
527 :
日本@名無史さん:2014/04/15(火) 22:36:13.41
さっきお風呂入りながら考えたら
たぶん正解にたどりついてしまった…俺すごい
「厩」というと木造の馬小屋を想像しがちだが
当時のことなので、「厩」とは馬を飼うための洞窟や洞穴のことであろう
「厩戸」とは『洞窟や洞穴をふさぐ大きな岩(戸)』のことであろう
528 :
日本@名無史さん:2014/04/15(火) 22:38:14.86
何をいっとるの?
529 :
527:2014/04/15(火) 22:40:12.89
「厩戸」を『洞窟をふさぐ大きな岩』という意味にとらえると全てつながるぞ
・太陽神アマテラスは『洞窟を大きな岩でふさいだ』というエピソード
・太陽神ミトラ(みろく菩薩)は『洞窟の大きな岩から生まれた』というエピソード
530 :
日本@名無史さん:2014/04/15(火) 22:41:47.42
527
平安時代には御料牧あったで
荘園関連の話になるけどな
531 :
527:2014/04/15(火) 22:43:00.83
「太陽神ミトラ」がインドに伝わり「みろく菩薩」になったと言われている
国宝第一号である広隆寺の「みろく菩薩(太陽神ミトラ)」は
聖徳太子信仰の象徴と言われている
532 :
527:2014/04/15(火) 22:46:52.95
すべてつながる
・「厩戸」とは『洞窟をふさぐ大きな岩』という意味である
・みろく菩薩(太陽神ミトラ)は『洞窟の大きな岩』から生まれた
・太陽神アマテラスは『洞窟を大きな岩』でふさいだ
そして国宝第一号である広隆寺の「みろく菩薩(太陽神ミトラ)」は
聖徳太子信仰の象徴と言われている
533 :
527:2014/04/15(火) 22:52:49.43
結論
「厩戸」とは『洞窟の大きな岩』のことで
『洞窟の大きな岩』は「みろく菩薩(太陽神ミトラ)」のことである
つまり聖徳太子の「厩戸皇子」という名前も
後年考えられた創作物である
古代日本史否定しているのって、創価日教組じゃね〜のかなぁ・・
これまたスゴいのが乗り込んできましたな
536 :
527:2014/04/16(水) 20:47:55.12
調べれば調べるほど俺の説の正しさが証明されていく
西方教会ではキリストの産まれた場所は「厩」と伝承されているが
正教会ではキリストの産まれた場所は「洞窟」と伝承されている。
新約外典『ヤコブ原福音書』にも「洞窟」で産まれたと書いている。
キリスト教でも「厩」と「洞窟」はリンクしてるんだな
537 :
527:2014/04/16(水) 20:51:05.58
ミトラ教 → キリスト教
↓
弥勒菩薩
↓
聖徳太子の弥勒菩薩信仰
学問的にはこういう流れになっている
538 :
527:2014/04/16(水) 21:00:10.63
厩戸=洞窟の大きな岩=弥勒菩薩
つまり厩戸皇子というのは弥勒菩薩皇子という意味になる
539 :
日本@名無史さん:2014/04/16(水) 21:03:04.73
またまた変なこと言い出したのがでてきたな
540 :
527:2014/04/16(水) 21:04:36.37
聖徳太子の弥勒菩薩信仰は有名
中宮寺の弥勒菩薩半跏像
中尊寺は、聖徳太子が、母(用明天皇妃)のために創建した寺である。
国宝弥勒菩薩半跏像は、その金堂の本尊である。
541 :
527:2014/04/16(水) 21:08:43.94
広隆寺は、聖徳太子のスポンサーだった秦河勝が建立した寺
そこにも弥勒菩薩像(国宝第一号)がある。
542 :
527:2014/04/16(水) 21:24:34.29
「太陽神ミトラは、ソロアスター教の文献によれば千の耳を持つとされる。ゆえに多聞天と意訳された。」(京都大学名誉教授、宮崎市定)
これが聖徳太子が沢山の人の話を同時に理解することができたという伝説のモチーフだな
太陽神ミトラ=弥勒菩薩像=洞窟の大きな岩=厩戸=聖徳太子
伝えてくれた渡来系の人達こそが国宝クラス
544 :
527:2014/04/16(水) 21:43:33.48
ここの人はミトラ教について知識がないだろうから説明しておくと
「太陽神ミトラは、『洞窟の岩』から自然に目覚めてい。
Mithraic Studies では、ミトラスは堅固な岩の中から大人の姿で生まれてきたと述べられている。」
これがアマテラスの岩戸隠れのモチーフだな
545 :
日本@名無史さん:2014/04/17(木) 23:45:48.17
ミロのビーナス → 弥勒菩薩
エンタシスの柱 → 法隆寺の中央が太い柱
キリスト → 厩皇子
こういう図式は容易に思い付くが、あまりにも安直。
どっかの本でみたけど、欧州でもなんでもかんでも起源をエジプトにこじつける学者を皮肉る呼び名みたいなのがあるらしい
ところで、聖徳太子の地球儀は?
548 :
日本@名無史さん:2014/04/22(火) 03:18:28.94
アレキサンダー大王も関係してたような
馬子と厩戸はおほもだち
551 :
日本@名無史さん:2014/04/22(火) 16:50:43.89
ネットで検索
またはメディアに惑わされてはいけないこと
太古の昔に日本に渡って来て「日本人となっていた」人々と
2〜3世
552 :
527:2014/04/25(金) 21:46:29.98
>>545-546 それとは全然違うよ
キリスト教や弥勒菩薩が
ミトラ教から影響を受けているのは学問的にすでに定説になってるからね
553 :
527:2014/04/25(金) 21:51:43.21
聖徳太子と弥勒菩薩信仰の関係性もすでに学問的な定説だし
俺はあくまで
「厩戸=洞窟の大きな岩」と考えると
すべての学問的な定説がうまく関連つけられると言ってるだけ
キリスト → 厩皇子
これひでえなって感じがする。歴史学者は、なんでもかんでも海外から来たことにしないと気にすまないのかねえ。
>>554 そもそも聖徳太子虚構説自体が、
海外のイエス・キリストに対する人間イエス研究から来てるんじゃね?
556 :
日本@名無史さん:2014/05/10(土) 11:08:27.08
キリストが生まれたのって、馬小屋じゃなくて家畜小屋じゃないの?
557 :
日本@名無史さん:2014/05/10(土) 11:22:14.66
聖徳太子は仏教導入後の話じゃねえか
なんで日本と関係あるんだよ、キリスト教が伝わったの
戦国時代だぞ
>>557 西暦0年にキリストが生まれてキリスト教が誕生して、結構早い時期に中国までは入ってきてるんだよ。
景教(ネストレウス派キリスト教)って歴史の授業で習わなかったか?
説話のネタとして使われても不思議はない。
>>558 それを言うならギリシャ神話だね
よく言われる日本神話との類似性
>>559 ギリシャ神話のどの話に馬小屋で生まれた聖人の話があるのかね?
>>560 いや、大陸のおとぎ話のモチーフが日本に流れ込むって現象全体の話
馬小屋というのは、翻訳の都合でそうなったわけで、
原典では別に馬小屋なんて書いてないわけだけど、
景教の時点で、中国では厩と訳されていたのかねえ
原始の人間が考えることなんてみんな同じようなもんだってだけでしょ。
なんでもかんんでも伝わったとかあほらしくてもうね。
>>563 確かに縄文時代は一万年100世紀だから、日本列島で産まれた神霊もあるだろうね
ただ、例えばイザナギの左目から太陽(アマテラス)、右目から月(ツクヨミ)、鼻から風(スサオヲ)ってのは盤古神話とまるで同じ
こういうのはパクりなわけで分析が可能だよ
聖人や英雄であると表現するために他人のエピソードを拝借するなんて昔の書物では日常茶飯事だから
厩で生まれたというのもそういうものだという可能性はある
そもそも王子様がそんなとこで生まれるなんてありえないし
しかし、その程度のネタを元にイエスキリスト云々言い出すのはナンセンスだ
>>565 確かにマリア様は庶民だから馬屋ホテルもあり得るわな
蘇我馬子の家で育ったからだよ、馬の家だから厩
皇族の名は乳母氏族の名をつけるだろ。
馬宿 馬子が宿る ホモ
569 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:01:59.13
>>1 >>147 >漢語と朝鮮語が日本列島に入って日本語に窯変したのと似てないかな。
似ていません。
日本人は漢語を利用しただけです。(あーどうでもいいですが近代朝鮮語は日本の創作です。漢字ハングル交じり文とか見たらわかるでしょ?ハングルの発掘・復活・強制とか。)
例:「飛鳥(あすか)」
ね?
ちなみに「アスカ」とは「ヒト」を意味する中央ユーラシア騎馬民族の言葉です。
日本人のルーツはそこ「中央ユーラシア」です。
精確にはメソポタミアのパルティア大帝国です。
パルティア大帝国の自称は「アスカ」で、
「「アスカ」すなわち「ヒト」が国家概念であること」も
中央ユーラシア騎馬民族大帝国に共通して観られる哲学です。
それからアスカに別の意味をも持たせた飛鳥は白鳥のことで
中央ユーラシア騎馬民族大帝国の神聖な鳥です。
570 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:03:22.94
>>1 キリスト教のパクリねたもとのミトラ教は東方の東イラン高原から来たと
キリスト教徒ユダヤ教は思っているから。
実際は南シベリアから東イラン高原に南下して西進してメソポタミア文明に入った。
そしてパビロン第X王朝はユダヤ王国を破壊してユダヤ王とユダヤ人をバビロンに補囚した。
バビロンでミトラ教とミトラ教から東イラン高原で発生た救世主思想を教えられたユダヤ人はキリストつまり救世主を待ち望みつつミトラ教とメシアニズムを信仰し続けた。
そこに『お母ちゃんは処女なのに懐胎した。』とか言っている
少しだけ頭のおかしな大工の息子イエスが現れた。
ミトラ教とメシアニズムがなければどこにでもいる少し頭のおかしな子として見過ごされたはず。
だが、ミトラ教とメシアニズムを得たユダヤ人はイエスをメシアと設定した。
メシアを強く待ち望んでいたからだ。
そしてキリスト教が誕生した。
キリスト教はミトラ経から剽窃して教義と体系を確立した。
その後ユダヤ教が成立し旧約聖書が整理された。
571 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:04:32.65
>>1 時代は少し前に戻る。
サカ(スキタイ)が南シベリアから西進して南下しローマ王国(ローマ帝国)を脅かした。
その時ミトラ教はミタンニ王国に広まった。
ローマ王国(ローマ帝国)がミタンニ王国
(ミトラのミトとアンニでミト・アンニ、ミタンニ)
と戦ったときとった捕虜から
ミトラ教を学んだローマの軍人や将軍がミトラ教を信仰し出した。
ローマ王国(ローマ帝国)にギリシア神話の丸パクリのローマ神話でなく、
先進的なミトラ教が広まった。
(ただし、ギリシア神話の元ネタは南シベリアの遊牧騎馬民族が
ティエン(天)からアスカ(人)がいかにして生まれたかを語った神話。
この神話は日本に伝わり
聖徳太子が『天皇記』(スメラミコトのフミ)としてまとめ
古事記日本書紀に垣間見える)
ローマ王国(帝国)のミトラ教信仰がキリスト教受け容れを準備した。
572 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:05:05.47
>>1 現生朝鮮人の祖先は誰か?
古代に北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国から別れた
強大な遊牧騎馬民族帝国が東満洲にあった。
フーヨ(扶余)である。
西満洲からモンゴル平原、支那中原を支配していた近縁の
遊牧騎馬民族大帝国の東進を阻むほど強かった。
フーヨ(扶余)はコマ(高句麗)を支配していた。
コマ(高句麗)はシラギ(新羅)を支配していた。
クダラ(百済)は日本寮であった。
ミマナ(ミマナ)は日本府であった。
これらの国は北方ユーラシア騎馬民族の分派帝国であり、
後続や貴族は全員のちに日本に渡来する。
残された下層民が原生朝鮮人である。
渡来したのはフーヨだけではなく、
アスカ・パルティア大帝国の皇族と大神官たる蘇我氏であった。
つまりスメラと蘇我氏は、北方ユーラシア→南下→東イラン高原→西進→
アスカ・パルティア帝国→北上→草原の道→東新→
北方ユーラシア(南シベリア)→南下東進→
フーヨ→日本→日本帝国天皇と大神官へとなったのである。
573 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:07:24.11
>>1 そもそもは歴史とは伝承されるものであって記述されるものではありませんでした。
歴史を記述して誇示するようになったのは
南シベリア遊牧騎馬民族が南下して西進してメソポタミアに入った
スメル人(スメラ人)のシュメル帝国が起源です。
権力王ルガルと宗教王エンシの二重王政と各地域の連合政権という政治システムにより
シュメル帝国は1000年の安定を誇りました。
これは遊牧騎馬民族由来の統治システムです。
日本にも南シベリア遊牧民族かつ
アスカ・パルティア大帝国の大神官蘇我氏がもたらしました。
しかし、蘇我氏地震がルガルとエンシの対等性を崩したために
いっしのへん(大化の改新)によって蘇我氏は倒され、
『天皇記』(スメラミコトのフミ)は意図的に焼かれ
(スメラミコトのフミを焼くことがクーデターの第一目標)、
聖方位を向いていた法隆寺は焼かれたあとで北面するように建てなおされました。
メソポタミア文明シュメル帝国は
ルガルとエンシの対等性が崩れたことによって滅びました。
のちののちになってゲルマン人と支那人が「嘘を付くための歴史記述」をはじめました。
つまり、歴史とは書かれたものだけではなく、
書かれていない事こそを含むあるいは主体とするものです。
古代渡来系=現半島人と考えるからダメなんだよ
575 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:28:53.78
どうなんですかね〜?
アメとかが天の意味をもってるのはフィリピンだのの東南アジアみたいな海洋諸国
中国あたりで出土する古代の忘れられた石碑みたいのは日本の道祖神のようなのに
共通する特徴がみえる
日本の文献の特徴としては古代の女性の名前は一部除きほとんど記載なし
現実話として昔の女性の名前の付け方は凄いいい加減
はな、くま、やえ、まさ、だのそんなの多いから調べてみ
576 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:36:45.29
武士の台頭、戦乱に乗じた暴徒により
寺社は焼き尽くされた
見たこともない珍品、金銀財宝、
お宝ZAKUZAKU
577 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:53:23.14
>>1>>聖徳太子様へ
おん まいたれいや そわか
おん まいたれいや そわか
おん まいたれいや そわか
「弥勒菩薩ご真言を三遍唱うれば
太陽神ミトラの加護がえらるるなり。」
多神教ミトラ教の主神太陽神ミトラ
ミヌシンスク文明(残念だが現在はロシア語名)のミトラ教
→草原ルートのユーラシア騎馬遊牧大帝國サカのミトラ教
→アスカ・パルティア帝国のミトラ教
アスカ・パルティア帝国の皇帝の幾人かはミトラダテスを名乗り
アスカ・パルティア帝国の首都は光の都市と闇の都市の二重の都ミトラダキルトである。
→草原ルート
→日本列島東北地方の扶桑国にアスカ・パルティアの皇族蘇我氏が
ミトラ教などの文化(価値観)をともなって渡来した。
扶桑国の中の日高に小王国「日本」が存在していた。
→蘇我氏がヤマトを「大和」としアスカを「飛鳥」とした。
ヤマトとは、ヤマ(祖霊)のト(地)で「祖霊の地」を意味し
アスカとは「ヒト」の意味で同時に
ユーラシア騎馬遊牧民文化で「国家」の概念であり
飛鳥とは「飛ぶ鳥」をも意味し
「飛ぶ鳥」とはユーラシアから日本へ渡るユーラシア騎馬遊牧民文化の
神聖な鳥「白鳥」のことである。
→蘇我氏の一族の聖徳太子が『天皇記(スメラミコトノフミ)』を編纂し
日本の国号を『アスカ』にしようと考えていて
弥勒菩薩信仰の仏教を通してミトラ教を日本に定着させようとしていた。
→中大兄皇子が乙巳の変(大化の改新)クーデターで
聖徳太子と一族を殺し、『天皇記(スメラミコトノフミ)』を焼却した。
578 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:54:31.11
>>1高校講座日本史
『ヤマト王権と日本文化』
◎古墳時代
今回の時代の三つの要
1.巨大古墳と大和王権
2.大和王権と東アジア〜倭の五王
3.大和王権の支配のしくみ
古墳時代には文献がないのでわかりません。
1.巨大古墳と大和王権
1-1.前方後円墳
石敷き、円墳の方に王の遺体、近畿から九州・東北へ
(朝鮮半島南部にあることは政治的理由で排除か?)
巻向遺跡にある箸墓古墳
486*356mの世界一巨大な墓(仁徳天皇陵?)
近畿地方に集中
円墳や方墳もある(=クルガン)
コンビニの数より多い前方後円墳
2.大和王権と東アジア〜倭の五王
北魏と宋
高句麗、新羅、百済、伽耶諸国
高句麗が百済へ侵攻
百済王が大和王権に七支刀
朝鮮半島から多数の渡来人
宋書倭国伝
さんちんせいこうぶ=倭の五王(日本を倭と呼ぶのは情報が及んでいない宗など)
大和王権は支那や朝鮮の進んだ文化を求めた
579 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:55:02.41
>>1 3.大和王権の支配のしくみ
埼玉県本庄市の歴史民俗資料館
埴輪
「笑う盾持ち人物埴輪」
土師市(はじし)が指導して埴輪を作った
埼玉県行田市さきたま古墳群
稲荷山古墳、5世紀前半、120m、登れる、円の頂上に墓の内部の復元、
鉄剣に金象嵌漢字
「私オワケの〜
ワカタケル大王(だいおう(「おほきみ」だと僕は考える))〜したのだ。」
王権と豪族の関係(スメラ=アスカ二重性)
氏姓制度
○日本の歴史いとをかし
わたなべあきひろ
熊本県江田船山古墳
鉄刀
大王=ワカタケル大王と判明してきた。
関東から九州まで大和王権の支配が及んでいた。
ワカタケル=雄略天皇=倭の五王の武
強い力で支配したのではなく、
地方は豪族に任せていた。
6世紀になると国造制(くにのみやつこせいになる。
支那・朝鮮を学びながら『日本独自の仕組み』を作っていった。
つまり日本は昔から東アジアで特有で同じではなかった。
まとめ
2.
鉄などを求めるため中国と
中国皇帝の権威を借りて
580 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 09:55:44.07
>>1 ◎1.うつのメカニズム
『NHKBSP2013年版病の起源第?集うつ』NHKオンデマンドより
深刻な社会問題の「うつ病」。
その原因が意外にも5億2000万年前に誕生した魚の研究から明らかになってきた。
魚にある条件を与えると、天敵から身を守るために備わった
脳の「扁桃(へんとう)体」が暴走し、うつ状態になることが分かってきた。
ほ乳類は群れで暮らし始めたことで、うつ病になる条件をさらに抱え込んでいた。
人類がうつ病になる秘密を進化から解き明かし、
それを手がかりにして生まれた新たな治療法を紹介する。
581 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:24:24.98
確実に言えること
幕末〜明治まで、勝てば官軍、やった物勝ちが通用していた
582 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:31:11.37
>>1>>聖徳太子様へ
◎2.うつのベースとトリガー
上位(扁桃体の常時興奮状態→大脳がうつ状態へ遷移)(包括的全体)
文明=トリガー(普遍的共同体に存在した
「互酬」「再分配」「交換」(『栗本経済人類学』より)
という少なく受け取っても『多く受け取っても』
興奮してしまう扁桃体を刺激しない文化システムとして
『平等』を保ってきた「文化という欠損本能の補完体」を
破壊したメソポタミア文明と文明という感染症に感染した世界中の共同体と
各種文明、そして近代と、近代文明。)
言葉(言葉によって他者の恐怖の記憶を共有し扁桃体を刺激。)
記憶(恐怖の実体験だけではなく恐怖の記憶も扁桃体を刺激。)
孤独(群れて生き残るために孤独だと扁桃体が興奮しストレスになる。)
天敵(天敵から逃げて生き残るために扁桃体が発生した。)
下位(ベース=具体的諸細目)
うつには運動が良いようです。
それからこの番組をご覧いただければ、
なぜうつが起きるのかがおわかりいただけます。
583 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:31:39.00
>>1 ◎3.うつに打つ手
TLC(生活改善療法)
=『太古の暮らしでうつ病を克服』
1.『社会的な結びつき』を強める。
=自宅をなわばりとなさっている神社(神主さんに伺えばわかる。)に
気分が向いた時に詣でる。
2.15分間の散策などの『定期的な運動』
=萎縮した脳の神経細胞を再生させる働きがある。
3.『規則正しい生活』をする
=『早寝早起き』 (睡眠時間から逆算して朝6時に目が覚めるように眠る。)
=うつでは常に起きている興奮しつづけている扁桃体からの指令で
副腎皮質が分泌する過剰な
ストレスホルモンの分泌異常を正常に戻す効果がある。
7割のカイゼン確率。
584 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:32:08.32
>>1 4.嫌なことを思い出した時は、スクワットを10回してください。
嫌なこと想起
→扁桃体興奮→副腎皮質刺激
→尋常ではない瞬発性と持続性を持った回避運動のために
ストレスホルモンを全身の筋肉に分泌
分岐
→運動をしない→過度のストレスへ。。END
→運動をする→ストレスホルモンが正常に消費される→適度なストレスですむ。。END
585 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:32:35.55
敗戦国となってから気が付いても
手遅れ
勝てば官軍 力こそが正義
586 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:33:07.44
>>1 『NHK2013年版病の起源』参照
包括的全体
うつ
近代 ←本当のトリガー
文明
言葉
記憶
孤独
天敵
具体的諸細目
◎僕が理解できたことを共有
1.互酬、再分配、市場交換という暗黙知による知恵
古代の人はなに(具体的諸細目)を見つめ何を発明したか(包括的全体)
〜暗黙知の意味と生命のメカニズムとしての互酬、再分配、市場交換〜
少なく受け取っても不快でストレスホルモン、
多く受け取っても不快でストレスホルモン、
丁度だとドーパミンで快感を覚えるヒト。
これを察知し、互酬、再分配、市場交換を身体が導いた。
2.「互酬、再分配、市場交換」の意味
「互酬、再分配、市場交換」のおかげで
(共同体に「埋め込まれたもの」であり機能ではない。)
「天敵、孤独、記憶、言葉、文明」といううつ土台があっても
鬱にならなかった。
587 :
日本@名無史さん:2014/05/18(日) 10:33:36.47
>>1 3.近代はヒトを狂わせる。
近代文明こそが、
ヒトの正常な共同体やヒトの正常な活動を破壊し、
ヒトをウツやガンや脳梗塞や心臓病という近代文明病にさせた。
4.我ら栗本経済人類学更新が栗本慎一郎先生から受け取ったもの
「ミトラ」、「アスカ」の研究に加え、以下のものを受け取り、
注意して健康で長生きすべきである。
栗本慎一郎先生を脳梗塞で倒れさせ、
経済人類学という統一科学研究を
大幅に縮小・遅滞させたのは
ほかならぬ栗本慎一郎先生が注視し注意していた
近代文明である。
あら。頭がおかしくなってトンデモ説にハマってしまった栗本先生じゃないですかー
>>587 ニーチェも近代文明にやられたが、それは単に世渡りが下手だったとも言える
590 :
日本@名無史さん:2014/05/29(木) 01:30:23.01
日テレ赤坂アニメ理大ベースボール北京ダウニューヨーク塩素スープ ニュース沖縄牛ライス低原価テレビ問題分
日テレ赤坂アニメ理大ベースボール北京ダウニューヨーク塩素スープ ニュース沖縄牛ライス低原価テレビ問題分
日テレ赤坂アニメ理大金ベースボール北京ダウニューヨーク塩素スープ ニュース沖縄牛パスタ低原価テレビ問題
馬子と厩戸は性愛関係にあった。
595 :
日本:2014/07/17(木) 13:34:42.81
最初に「聖徳太子はいなし」説を唱えたひとは誰ですか?
596 :
日本@名無史さん:2014/07/17(木) 13:37:11.26
間違えました「聖徳太子はいない」でした。
誰が言い始めたのでしょうか?
いつから広がったのでしょうか?
江戸時代は聖徳太子は神道の破壊者として悪人扱いだったのに、
いつのまにか、偉人扱いになったのはなんでなんだろうね?
廃仏毀釈などの経緯からすると、むしろもっと悪人扱いされそうなもんだが。
598 :
日本@名無史さん:2014/07/24(木) 22:54:58.72
悪人扱いは、一つには時代の違いだと思います。
公家より武家の力が強かった時代。
それでも、いなかった、とは言われなかった。
聖徳太子はいなかった、というのは古代史としては、一説として面白い。
色んな説を唱えるのは文化的であり、白か黒しかない国民性とは違う日本人らしい。
ただ、その意見を国家的陰謀の一つに使われ、教科書まで書き変えられ
はじめているのは、本当に怖い事なのだと思う。
日本人がのほほんとしている間に、実はもう日本は他国に売られかけているのです。
本当を流さない民放に新聞。捏造した内容を作り、やってはいけないサブリミナル
効果(映像を見ている人の洗脳が可能です)を映像に入れてまで放送していたNHK。
今、あちこちの水面下でとんでもない事が起こっています。
目を覚まさないと、本当に何年後かに日本は中国が依然言ったように、本当になくなって
いるかもしれません。
599 :
日本@名無史さん:2014/07/24(木) 23:21:41.49
悪人だろ。江戸時代の人間がすでに見抜いている通りだよ。
うわ、へんなもん召喚しちまった
602 :
日本@名無史さん:2014/07/25(金) 21:03:45.05
悪ものかどうか、で見るのは歴史を語るならやめた方がいいよ。
何しろ、歴史は勝ったものが後から作る、所があるからね。
悪い悪いと思っていて当たり前だった価値観が、勝者によって捻じ曲げられた
結果だってこともある。
いかに歴史を冷静に見るかは、とっても大事だと思うよ。
善い物扱いもやめなければ客観的とはいえないね
604 :
日本@名無史さん:2014/07/26(土) 19:25:52.96
聖帝(仁徳)の名前を一部貰ったのだ
605 :
日本@名無史さん:2014/07/26(土) 19:38:30.45
聖徳太子は藤原氏
606 :
日本@名無史さん:2014/07/26(土) 19:41:39.89
龍造寺隆信も藤原氏
607 :
日本@名無史さん:2014/07/26(土) 20:11:59.69
太子は渡来系だろ
紀香も藤原さん
嶋大臣蘇我馬子とは
(大八)嶋大臣(=日出処天子の臣)蘇我馬(しくにぞあきつしまやまとのくには)子
であるといえよう。
天皇の妹が馬小屋で出産するという話を考えた奴はアホだな
609の前半は所詮想像にすぎないが後半はさにあらず。
古事記 うましあしかびひこぢのかみ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)
探せば「うま」を含む言葉はいくらでもあるだろう。
馬子のうまと厩戸のうまは少し違う。ウマが合わないのだといえよう。
日本書紀…馬司の所においでになった時、厩の戸に当たられ…
このような話が実話である可能性はほぼゼロと見なしてかまわないだろう。
聖徳太子御在世当時から日本書紀編纂に至る期間のどこかで、厩戸のうまは馬だと理解した上でこのような説話が誕生したのだ、と一旦はそう判断しておくしかない。
613 :
これが正解:2014/08/24(日) 08:35:29.49
ミトラ教の神は「洞窟の岩(厩の戸)」であった
↓
ミトラ教がインドに伝わってミルク菩薩信仰になった
↓
聖徳太子は、ミルク菩薩を信仰していた
ここまで事実としてはっきりしてるんだから
厩戸皇子の「厩戸」は、ミトラ教の神様(ミルク菩薩)という意味がある
厩戸皇子っていうのは、ミルク菩薩皇子という意味
614 :
これが正解:2014/08/24(日) 08:41:16.02
※事実
広隆寺の弥勒菩薩像(ミルク菩薩像)は、
聖徳太子が生涯大切に守った弥勒像です。
615 :
これが正解:2014/08/24(日) 08:43:23.38
「厩戸」という言葉に「ミルク菩薩」という意味があるいじょう
これ以外の解釈はありえない
厩戸皇子=ミルク菩薩皇子
>厩戸皇子の「厩戸」は、ミトラ教の神様(ミルク菩薩)という意味がある
意味不明
617 :
日本@名無史さん:2014/08/24(日) 18:47:15.18
厩戸皇子が生前に建てたのが間違いないのは
法隆寺と四天王寺の2つだけだよ
広隆寺は明らかに渡来系・秦氏の氏寺
聖徳太子信仰にあやかった寺は多いが
実際には厩戸皇子と関係ない
618 :
日本@名無史さん:2014/08/24(日) 18:55:37.54
秦氏の話やらなつかしいな
そいつらどこの氏族なんだよ
うまやどの皇子
「うまやで生まれて育った」は
身分が低い、貧しい生まれ
物語のテンプレだからな、全世界的に
だがしかし
もともと日本に馬はいなかったし、馬の利用法も確立していなかった
当時のそれは渡来人の技術
だから逆に、
ハイテクと外国にかぶれた先進的な御方であった
という現代とは真逆の意味だったのかもしれない
トンデモ説にすっかり席巻されてますね。
聖徳太子は、架空の人物なのに。
621 :
日本@名無史さん:2014/08/26(火) 01:18:32.23
架空だという虚構説もトンデモ説だけどな
622 :
日本@名無史さん:2014/08/26(火) 01:32:34.26
架空の訳ないじゃんw
ありうるとしたら聖徳太子という人物を装った人物が当時いたという可能性だ
じゃなきゃ歌碑が残ってる訳がない
623 :
日本@名無史さん:2014/08/26(火) 02:10:02.93
まあ、騎馬民族征服説を信用するにせよそうでないにせよ、馬が
外来の動物であることには違いないな。 聖徳太子の時代は
馬が広く使われるようになってから、それほど間がなかったので
仏教も馬も外来文化として捉えられていたろう。
ウマという言葉自体、慣例的に訓としているが実際には音読みだしねえ。
本来菊と同様、日本固有の呼び名は存在しない。
>>73 聖徳太子の痕跡は大化の改新で可能な限り消された。
天皇記も。
627 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 16:46:21.60
>>626 むしろ盛られたんだろ
蘇我馬子や推古天皇の功績まで「聖徳太子」の功績にされた
聖徳太子と馬子は親戚関係
聖徳太子の家系を断絶させたのは入鹿
蘇我宗家は自分で自分の首をしめたんだろ
629 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:16:12.01
>>628 「聖徳太子伝補闕記」によれば、山背王一族を攻めたのは入鹿一人ではなく
皇族のほか、大伴氏、巨勢氏といった他氏の大豪族も含まれていた
つまり、更に上の命令系統から指示が出ていた可能性がある
山背王は田村王(舒明天皇)と帝位を争って敗れた
山背王を討てと命じたのは舒明天皇の可能性は高いがな
>上宮聖徳太子伝補闕記の用語解説 - 聖徳太子の行実を,調使 ・膳臣の家記にもとづいて記したという伝記。平安時代初期の成立
まあ、その書によればだけどな
どちらにしろ、蘇我氏内の内輪もめだったんだから、自業自得だろ
631 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:42:59.33
632 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:45:21.50
あとどっかの遺跡だか貝塚だかからも馬の歯とかが発見されてる
633 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:49:46.49
聖徳太子はよくしらんが日本は空海、日蓮、法然、親鸞の影響の方がでかいしな
聖徳太子はよく分からない
634 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 20:59:29.62
聖徳太子なんてほとんど神話上の人物だわな
親鸞は、聖徳太子讃つくってるじゃん
636 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 21:29:23.49
空海、日蓮、法然、親鸞の話がしたいなら該当スレへ
ここへ書き込む意味がない
637 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 21:29:31.76
聖徳太子は、賎民との間に生まれた子
638 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 21:37:57.77
>>635 天台宗では聖徳太子は日本仏教の祖として
釈迦の生まれ変わりだと位置付けられた
天台宗比叡山延暦寺で修行した親鸞も若い頃より聖徳太子に傾倒し
親鸞の開いた浄土真宗の寺では仏教の祖釈迦の画とともに
日本に現れた釈迦として聖徳太子像や画も祀られるようになった
いずれも後世の話だけどね
じゃあ、親しまれてるんとちゃうの?
640 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 22:13:35.93
641 :
日本@名無史さん:2014/08/28(木) 22:55:41.89
642 :
日本@名無史さん:2014/08/30(土) 01:30:01.27
643 :
日本@名無史さん:2014/08/30(土) 04:38:58.91
預言スレ見てる?
644 :
日本@名無史さん:2014/08/30(土) 04:45:53.87
現在
予言、預言、予知夢、直感など総合532
>>94 >ホントかどうか知らんが聖徳太子も歴史書を書いていたとか
『天皇記』という。すめらみことのふみと読む。
>それが日本書紀の種本ならば、オリジナルを見てみたいものだよ
乙巳の変の第一ターゲットなので償却されて現存しない。
天皇記をパクって書かれた日本書紀古事記とギリシア神話を照合して部分復元するしか無い。
先代旧事記によると、まさにそれが天皇記の完成形らしいけどね
647 :
日本@名無史さん:2014/08/31(日) 15:18:40.57
>>645 天皇記は乙巳の変で蘇我蝦夷邸と一緒に燃えたが
国記は船史恵尺が持ち出して中大兄皇子に献上されている
尚、天皇記・国記が蘇我蝦夷の自邸にあったことから
これらの編纂者は蘇我馬子だとみられる
聖徳太子が編者ならば山背王の邸に伝えられているはずであり
矛盾が生じる
聖徳太子も山背も死んだから蝦夷がひきとったんじゃない?
>>116 >推古時代に天子(宗教的権威)と
王権(世俗的権威)の
二重構造という
今までなかった体制
鋭い!
そうだね、天皇はまとめ役であり、私事を言う立場にはない。
その結果、豪族の利益分配政治があり、権力闘争の末、蘇我による一強体制を招いた。
だから、皇族がリーダーシップを発揮する体制として摂政というものを利用したんだろ
それは天智天皇も使った。
簡単に言えば、院政と似たようなもの。
>>121 阿蘇は邪馬壹国だけど高天原ではない。
>>123 和をもって尊しとなす=合議制で行けよ
>>130 応神天皇陵はクルガンKurganやバベルの塔と同じく北北西を向いている。
652 :
日本@名無史さん:2014/08/31(日) 15:46:00.18
>>649 聖徳太子は叔父の天皇が殺されたので危機感を持ったのだろう
天皇が権力を持ち続けると最悪、天皇家が滅ぼされる
だから自身は権力者のまま天皇にはならず、いざとなれば
上宮王家の滅亡だけで犠牲を抑えるつもりだった
>>140 >すなわち『本名をみだりに他人に名乗ってはいけなかった』らしい
妄りではなく絶対だと思う。
名を知られたら死ぬより悪い。
>>647 史書が蘇我にある時点でその時の支配者って蘇我だよなあ
「実質的な」という意味ではな
でも名目的ではないし、それが永久に世襲するかもまだ分からん状態と見るべき
>>574 遊牧民の特徴として支配層と
被支配層が完全分離していることが挙げられます。
支配層は被支配層に無関与なのです。
当然血も交わりません。
というわけで古代フーユ(扶余)から渡来してきた渡来人と
新羅などの被支配層は全く血のつながりがないのです。
>>575 >アメとかが天の意味をもってるのはフィリピンだのの東南アジアみたいな海洋諸国
アメはキルギス語では?
>>585 >敗戦国となってから気が付いても手遅れ
負けてからの起死回生策は??
>>588 >あら。頭がおかしくなってトンデモ説にハマってしまった栗本先生じゃないですかー
どの説がトンデモですの?
>>589 >ニーチェも近代文明にやられたが、それは単に世渡りが下手だったとも言える
ニーチェだけが近代文明を直視していた。他の哲学者は無能。
アリストテレス、アレクサンドロス、カール・ポランニー、マイケル・ポランニー、栗本慎一郎。
>>598 >公家より武家の力が強かった時代。
天皇陛下と征夷大将軍は対等ですよ?
このシステムを二重性の二重王といいます。
>目を覚まさないと、本当に何年後かに日本は中国が依然言ったように、本当になくなって
いるかもしれません。
そうですね。
日本人に必要なのはインテリジェンスという意味での情報。
>>613 ミトラ教の神は太陽神ミトラでバチカンに「ミトラの聖洞(厩の戸)」がある
↓
ミトラ教が東イラン高原からインドに伝わってミロク菩薩信仰になった
↓
聖徳太子は、アスカ・パルティア大帝国の皇太子でミロク菩薩を信仰していた
ここまで事実としてはっきりしてるんだから
厩戸皇子の「厩戸」は、ミトラ教の神様(ミロク菩薩つまり太陽神ミトラ)という意味がある
厩戸皇子っていうのは、ミロク菩薩皇子つまり太陽神ミトラの皇子という意味
>>619 >もともと日本に馬はいなかったし、馬の利用法も確立していなかった
いたよ。日本はアスカ国だから。
>>623 ミトラ→ミルク→ミロク
ミトラ→ミシア→メシア
太陽神ミトラがミルクって言っている人の話は信用できる。
>>627 天皇記の詠み方をご存じですか?
それから聖徳太子はまさに神聖な世界規模の太子です。
>>631 そんなに探さなくてもミヌシンスク文明から日本列島にわたってこれますよ、馬で。
今言われている縄文文明は日本列島にとどまらず環日本海文明でしたし。
>>647 ではなぜ乙巳の変で
クーデター第一ターゲットとして
天皇記が焼かれたのですか?
>>650 そうではない。そうではないのです。
最初に二重性があって二重王はその具現化したものです。
天皇陛下と征夷大将軍。
660 :
日本@名無史さん:2014/09/01(月) 13:23:06.94
>>648 だったら焼けた斑鳩宮から誰かが天皇記・国記を運び出す記述がないとおかしい
>>658 蘇我蝦夷邸を焼いたのは中大兄皇子ではなく蝦夷本人
乙巳の変首謀者が天皇記・国記の焚書を目論んでいたのならば
わざわざ燃える邸内から運び出す理由がない
>>658 >ではなぜ乙巳の変で
クーデター第一ターゲットとして
天皇記が焼かれたのですか?
別に焚書して歴史を隠蔽するために焼いたわけじゃないでしょなぜそんな珍説にいきつくの??
厩戸=日本列島
太子=多聞天
そーだよパルティアの王族の血筋だよ
>>661 ではなぜ乙巳の変で
クーデター第一ターゲットとして
天皇記が焼かれたのですか?
>>664 天皇記が焼かれたのは屋敷にこもってる連中を皆殺しにするためでしょ
あとさ
>クーデター第一ターゲットとして
これの根拠は?
666 :
日本@名無史さん:2014/09/06(土) 18:44:34.76
用命天皇→蘇我馬子
聖徳太子→蘇我蝦夷
山背大兄→蘇我入鹿
を天智天皇のがクーデターして
日本書記を編集しちゃった説
>>665 >天皇記が焼かれたのは屋敷にこもってる連中を皆殺しにするためでしょ
違います。
法隆寺をわざわざ燃やしてすぐに方位を変えて建て替えるという大規模クーデターであることを念頭に置いて下さい。
歴史の改竄は当然行います。
そのために第一ターゲットが天皇記だったのです。
668 :
日本@名無史さん:2014/09/07(日) 08:26:11.29
>>667 焚書、焚書って…
そんなに天皇記が嫌なら命助けるから天皇記を提出しろで済むでしょ
法隆寺の再建はすぐではないでしょ
山背王を討った時は舒明天皇の代なのに
法隆寺の再建は天武・持統の辺り
あと方位が変わったのは区画整理が行われたせい
厩戸時代の法隆寺(若草伽藍)は古い条里制に基づいていたために南北軸が西に傾いていた
天武・持統の時代に南北が正しい条里制に区画整理されただけ
>>668 >そんなに天皇記が嫌なら命助けるから天皇記を提出しろで済むでしょ
ではなぜ天皇記の写本が現存しないのですか?
>あと方位が変わったのは区画整理が行われたせい
厩戸時代の法隆寺(若草伽藍)は古い条里制に基づいていたために南北軸が西に傾いていた
北北西を北とするシステムを聖方位といいます。
ここで注意されたいのは、
北北西を向いていたのではなく当時はそちらを北として基準化し
北として意識していたということです。
670 :
日本@名無史さん:2014/09/07(日) 10:19:42.34
>>669 >ではなぜ天皇記の写本が現存しないのですか?
君はなぜ写本がないと思ってるの?
あと、国記が助け出されて献上されたのはなぜ?
天皇記のことばかり書いているけれども
天皇記がやばいなら同じ人物が編纂した国記だってやばいでしょう
>北北西を向いていたのではなく当時はそちらを北として基準化
法隆寺以外に北北西に建てられていた建物を上げてみよう。
北北西を聖方位と位置付けてわざと枢軸を傾けていたのならば
同時代に建てられた飛鳥の宮も飛鳥寺も四天王寺もすべて北北西に傾いていたはず
あげてくれる?
>>670 あなたは知的ではなくプライドだけ高い人物なのでお相手出来ません。
672 :
日本@名無史さん:2014/09/07(日) 15:26:34.76
>>671 ここでは史料を挙げずに妄想を繰り広げる
>>670 を
知的だ素敵だと言って顕彰し、史料を求めて議論しようとする人を
プライドが高いだけで知的ではないと貶める
馬鹿スレに成り下がったのかw
673 :
672:2014/09/07(日) 15:27:20.31
もともと聖徳太子虚構説というトンデモのスレじゃん
675 :
日本@名無史さん:2014/09/07(日) 17:57:17.31
>>674 この時代に皇太子制度はなかったのだからそれは史実
聖徳太子って摂政にまでなったのに
なぜ墓が1人用ではないのかな
他の人のところにちょっと入れてもらいました的な感じがして不思議だ
>>675 この時代に推古「天皇」なんていなかったんじゃねえの?
678 :
日本@名無史さん:2014/09/08(月) 00:04:10.93
まあ、事実上一豪族にすぎないレベルだろうけどな。
679 :
日本@名無史さん:2014/09/08(月) 07:26:31.82
>>677 「大王」はいたからな
皇太子はこれに代わる人もいなかったってこと
ま、下らない言葉遊びだ
681 :
日本@名無史さん:2014/09/09(火) 08:35:39.03
>>680 厩戸皇子は推古天皇の次の天皇が約束されていなかったんだよ
なのに言葉遊びとか
普通に考えて摂政をする能力があるなら天皇(大王)だってできるだろ
なぜ女性の天皇を立てて聖徳太子が摂政になったのか
>>682 二重性の重視では?
宗教王と権力王の二重王。
685 :
日本@名無史さん:2014/09/09(火) 17:03:27.41
>>683 聖徳太子は推古天皇よりもずっと早くに死んだのに
それ以降、推古天皇は摂政を立てていないんだよ
どう説明する?
>>685 すみません。僕はマダ日本史を取っていないので知っているっことしか知りません。
そういや女帝は権力王で、祭祀はやってなかったんだっけ
関係無いけどまだ父親も大兄王というはっきりした位置づけがないのに
なんで息子が中大兄王って名乗れるの?
そんなに有望株なの?
小姉君(大兄君)
大兄(おおえ)→大江(丹波)
↓
穴穂部間人
大江 穴穂 丹波とくれば倭彦王
小姉君は継体の血筋ではなく
最初に大王の打診を受けた倭彦王の血筋なのではないかと推察する
君というのは特別な女性に使う漢字ではないだろうか
娘の間人は鬼前という異称もあるし
丹波の鬼が平安京では驚異になっているのも
何かありそうだと思う
何故倭彦という名前を持ちながら
大王になれなかったのか
摂政として政治の中枢にいる時に
長期間のんびり四国まで温泉旅行に行っていたのはすごい
今だとちょっとした災害のときに
会食をしたりゴルフをしていたら文句言われるのにな
名目上は温泉湯治旅でも
内容は違うかのかも
アークを探しに行ったんだよ
三種神宝
その後動きづらいので
死んだと見せかけて神宝探しの旅にいったので
日本のあちこちになんやら足跡がある
と妄想してみる
神功皇后は北九州まで遠征したよ
693 :
日本@名無史さん:2014/11/08(土) 12:19:32.12
>>666 正しいとして
なんで蘇我氏が皇族扱いされてんの?
694 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2014/12/02(火) 11:00:13.24
日月地神示とイルミナティカードから読み解く日本の近未来
イルミナティカードには2011・3・11東日本大震災時に日本を侵略する計画
があり、米軍はそれに備えていた。その地震を事前に予知し(フリーメイソン
には悪神に仕える霊媒師がおり、地震予知も可能)、地震の直後に福島原発を
小型水爆で破壊してメルトダウンさせた。その混乱に乗じて、中国軍が北朝鮮
軍を手下に使って戦争の口火を切らせてアジア侵略戦争、米軍の日本侵略戦争、
第3次世界大戦と遂行させる予定であったのが、北朝鮮軍部の内紛等で中止と
なった。そのため急遽、米軍は計画を変更して、欺瞞に満ちた友達作戦で日本
を救援する事になったのである。マヤの人類滅亡日2012・12・23が前倒しされ
たのである。第3次世界大戦(核戦争)はロンドンオリンピックの後に起こる筈
であった。
2015年x月 北朝鮮が朝鮮戦争を行う。韓国は米軍と日本の自衛軍に応
援要請を行う。中国軍とロシア軍も参戦する。
x月 パレスチナとイスラエル軍によって中東戦争が始まる。
xx月 米国の次期大統領の調停によって停戦合意が結ばれ、停
戦となる。
2016年 8月 5日 リオデジャネイロオリンピックが開催される(平和の祭典)。
10月11日 日本の各都市が中国等から核攻撃を受ける。
2017年 4月xx日 ロシア軍が急遽日本の北海道から侵攻する。
6月xx日 米国が連合軍を率いて日本に来襲する(黒船再来)。
2018年10月xx日 富士山が大噴火する。
2018年xx月xx日 第三次世界大戦が始まる(核戦争のハルマゲドン)。
xx月xx日 大彗星が地球に衝突する。地球が泥海と化す。
2019年xx月xx日 弥勒の世(極楽浄土)が実現する。
695 :
日本@名無史さん:2014/12/02(火) 21:33:11.23
696 :
日本@名無史さん:2014/12/03(水) 00:51:38.95
>>690 ただの皇位継承予定者だっただけじゃないの?
ハタチそこそこの若者に摂政は任せられんでしょ
次期天皇として政務を学びながら時には意見を奏上する権利と義務があった って所
>>696 『全世界史』位読んでから書いて下さい。
699 :
日本@名無史さん:2014/12/03(水) 11:31:59.34
>>696 敏達天皇と推古天皇直系の竹田皇子がいる状況で
厩戸皇子が次期皇位継承者ということはないだろう
(厩戸皇子の父用明天皇は敏達・推古の弟)
当時は天皇が死ぬと群臣が次の天皇を推挙する形態
次期皇位継承者というものが存在したかどうかすら無理がある
実際に推古天皇が死ぬと田村王と山背王が皇位継承争いをして
田村王が即位している(舒明天皇)
推古天皇存命中に次期皇位継承者が決定していればこんなことは起こらない
外務大臣だから有力者って言うけど、今のケリー国務長官や岸田外相を見ても分かる通り、
重要なことはほぼ官邸で決まってしまう。
外務大臣だから重要ポストとは言えないんだよな。重要人物を外務大臣に据える、ということはあっても。
一族の中で一番外国語が得意だったからだろ>外務大臣
他の連中は、英語で言うと、できてI am bookのレベル。
702 :
日本@名無史さん:2014/12/04(木) 23:09:09.77
聖徳太子は実在する
神話と言われる古事記に記載される神々も実在するのだから当然だ
古事記は神話では無いのです
事実を誇張し、遊び心を付け加えたノンフィクションなのです
ノンフィクションの場はそこに確実に存在します
イザナギが黄泉の国から逃げ出した道程
天岩戸、ヤマタノオロチ、高天原、日出づる国、古事記に記される記事は何でも来い
全て揃っている場所が日本には存在する、当然である
>>702 聖徳太子は実在した。
聖徳太子を消したいのは朝鮮の思惑。
聖徳太子は蘇我馬子や推古女王の思想、功績も併せ持ち、
キリストの生まれ変わりかもしれない
神に近い存在である
>>704 聖徳太子はキリストより上だよ。はっきり。
707 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2014/12/15(月) 08:03:44.23
近年、天変地異等の災害が多発し、エボラ出血熱等の疫病が蔓延するように
なったのは、神の裁きが近づいてきた前兆である。世界恐慌が近づいているの
は資本主義経済の終焉である。資本主義経済は弱者の犠牲の上に成り立つ悪の
仕組みなのである。贅沢になりすぎた人間生活はバベルの塔が崩壊する様に滅
亡する。
日月地神示は神国日本人を覚醒させる為に正神界から下ろされた。ユダヤ議
定書は悪神界から出された。この世の出来事は正神と悪神の思いが交錯して、
人間が神の代わりに代行しているに過ぎない。だから、日月地神示に書かれて
いる事がほぼ10割の確率で実現する事は当然である。予言は霊界での神の思い
を映像として見せられたものが多い。ヨハネの黙示録等もそれである。しかし、
神の枢機で秘められたものだから、暗示的になるのはやむを得ない。神の思い
に同調出来る霊格者だけが悟る事が出来るのである。
ではなぜ、人類が滅亡する様な艱難や試練を神が課すのか。それは人間が神
の教えに背いて悪業を繰り返すから、徹底的に叩き直して性根を入れ替えさせ
る為である。また、それによって人間の神格を向上させる目的もある。なぜ、
フリーメイソンは悪の御用として存在し、人類滅亡に寄与するのか。それは人
間が他の生き物を虐殺している事を反面教師となって、同じ様に人類を虐殺す
る事によって報復しているのである。すると、天変地異、疫病等の災害は自然
の復讐と見れる訳である。人間は牛豚等を屠殺して食物にし、魚等を生きたま
ま切り刻み、火炙りにして食い殺す。虫等は害虫と称して毒殺する。公害等の
環境破壊が生物の息の根を止める。殺生をして神を殺し、嘘をついて神を騙し、
姦淫をして神を冒涜し、盗みを働いて神を奪い、贅沢をして神を酷使する。人
間の悪業は限りなし。今の人間では神に裁かれても仕方がないのである。大峠
までに改心出来ないならば地獄の苦しみにのたうち回って、草木以下に成り下
がる外ないのである。
708 :
日本@名無史さん:2014/12/15(月) 23:29:17.85
まことに電波ゆんゆんなスレですね。
709 :
日本@名無史さん:2014/12/15(月) 23:59:15.81
聖徳太子など新しすぎる事実だ
古事記に登場する神々ならまだしも
古事記に登場する神々も実在する人物である
現実を受け入れられないのは、己の知識と人生と権威を失う自体になるからである
古事記に登場する神々の里、出雲を失う訳にはいかない
日本人は神々の故郷として出雲を思う
その根本が違うなど許されないし、許さない
自分の信じた世界の崩壊を意味する。人生の無駄を意味する
絶対にそれだけは許されない事なのである
それでも、出雲は神々の子孫の地でしかない
神々の故郷には成り得ない
倭の文字は、先祖代々を語る唯一の証明である
その文字は、倭大國魂神社・倭大國敷神社が存在する場所にこそ存在する
710 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2014/12/18(木) 13:43:10.35
大和民族の大使命
神も人もすべての霊魂は天之御中主大神の分霊であり、肉体は大国常立尊の
分体であって、霊体共に天地の先祖様の直々の尊いものである。したがって、
天ヶ下に他人も無ければ外国人も無い。天地間の生物はたとえ禽獣虫魚といえ
ども、天地の神の宮たる我々と同じ分霊分体をその身分に応じて付与されてい
る。だから、これを敬い、尊はねばならない。
国祖国常立尊は世界の修理固成に当たり、まず、その中心とし、雛型として
わが日本の国土を造り、これを世界に移して万国を固成せられたのである。人
民も日本人は神直々の御子として、その言語も、肉体も、最も神に近く造られ
たものである。万国の人民も神の御子であるが、日本は世界の宗主国でその人
民の魂も世界無比の大和魂を授けられている。だから、大和魂を基にして世界
万民にその魂を広め、大神の御旨に応え奉り、世界を統一しなければならない。
今や、世界は混乱の極みに達している。この難局を打開し、地上に真の平和
を招来するのは、日本民族の天からの使命であり、その時期は正に到来したの
である。過去の歴史を考えると、我ら祖先の偉業は日本肇国の大精神に則り、
世界人類福祉の為であった事が判明する。一例を挙げるなら、大東亜戦争時の
神風特攻隊の大和魂の発露が、白人帝国主義を打ち砕き、アジア・アフリカ独
立の原動力となった。彼らの独立戦争も大和魂の発露によって勝ち得たのであ
る。日本国民たるもの、一日も早く肇国の精神に目覚め、この大神業に参加し
なければならない。
日月地神示に書かれている一厘の経綸を日本の救世主が実行する事によって、
悪魔に洗脳されていた世界の人民が覚醒し、日本滅亡の土壇場が大逆転して、
フリーメイソンも改心せざるを得なくなるのである。ハルマゲドン、食糧危機、
天の岩戸開き等についての対処法が日月地神示に書かれている。大和民族が大
使命を果たす為には、精進潔斎して、日月地神示を何々回も音読して、暗示的
な内容を悟って、救世主を助け、挙国一致でこの大神業に邁進しなければなら
ない。
711 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2014/12/18(木) 13:44:32.56
日月地神示
富士は晴れたり、日本晴れ。神の国の真の力を表わす世となれる。仏
もキリストも何もかもはっきり助けてしち難しい御苦労のない世が来る
から身魂を不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。いま一苦労あるが、
この苦労は身魂を磨いておらぬと越せぬ、この世始まって二度とない苦
労である。この結びは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾け
んことぞ。日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都の大洗濯、鄙
の大洗濯、人のお洗濯。今度はどうも堪えてくれというところまで、後
へ引かぬから、その積りで掛かって来い。神の国の神の力を、はっきり
と見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出てく
る日本は神の国、神の力でないとなんにも成就せん。人の力で何が出来
たか、皆神がさしているのざ。いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯し
て置いてくれよ。戦いは今年中と言っているが、そんなちょろこい戦で
はない。世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終わらぬ
道理が分からぬか。臣民同志の戦でない、悪神と神、偽あかとあか、偽
人と人、偽肉と肉、偽魂と魂の戦ぞ。己の心を見よ、戦が済んでいない
であろ、それで戦が済むと思うているとは、呆れた者ぞ、早く掃除せぬ
と間に合わん。何より掃除が第一。寂しさは人のみか、神は幾万倍ぞ、
寂しさ越えて時を待つ。神が世界の王となる。天子様が神と分からん臣
民ばかり、口と心と行と、三つ揃うた誠を命と言ふぞ。神の臣民皆命に
なる身魂掃除身魂結構
今日までの御教えは、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来るという。
これが悪魔の御教えぞ。この御教えに人民すっかり騙され悪殺すことが
正しき事なりと、信ぜし事の愚かさよ。三千年の昔から、幾千万の人々
が、悪を殺して人類の、平和求め願いしも、それははかなき水の泡、悪
殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増える
のみ。悪殺すというそのことが、悪そのものと知らざるや。神の心は弥
栄ぞ。本来悪も善もなし。やまた大蛇も金毛も、邪鬼もみなそれいける
神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、善いさかえば悪なるぞ。
善悪不二と言いながら、悪と善とを区別して、導く教えぞ悪なるぞ。
>>677 隋書倭国伝では当時の大王は阿毎多利思比孤という名前で後宮・妻がいたとされてるし
煬帝への国書も同一人物が出した事になってるからそもそも女帝がいたかどうかも怪しい
日本書紀では唐が成立する前の608年に推古天皇が唐の使者に会ったとか書いてるし普通に考えれば推古天皇自体が虚構
関係ないけどお金の絵柄
貧乏人、借金人とかやめて聖徳太子に戻すか
アマテラスにしてくれ
近代史の人じゃなくていいよ
諭吉とかセンスねーよな
ユッキーは日本国憲法に通じる近代思想を日本ではじめて展開した思想家だから
サヨク系知識人にとってはうってつけの偉人なんだよ
江戸時代賛美でもなく明治政府賛美でもなく天皇賛美でもなく愛国賛美でもない
近代思想賛美に値する人物こそ今の日本を象徴的に指し示しているしな
仮に神武天皇とかにしてみろ、サヨクは発狂するし
必ずアイヌがうんたらかんたら、皇国史観がうんたらかんたら言ってくる
近代化、自由主義、男女平等のお題目にかなう人物以外は排斥されるにきまっとろうjk
思想家を金にするのもどうなのか
諭吉になってから経済がいまいち
いっそイザナミ・イザナギでいいよ
国を生むように金を生んでくれそうで縁起がいい
どこの国でも紙幣にその国の偉人をのせてるね
うちはうち、よそはよそ
他国に金のデザインまであわせることもなかろう
ぶっちが廃盤になった2000円札に源氏物語絵巻を使ったのは斬新だった
718 :
日本@名無史さん:2015/01/20(火) 18:30:40.43
・冠位十二階・十七条憲法・遣隋使の派遣
これらは聖徳太子の事跡とされるが異説も多い。
厩戸皇子なる人物に時の為政者が自らの政策を
正当化する根拠として後世に創作された伝説を
付加し神格化する事でその後継たる自分達の神
格化を目論んだのである。
池田大作も然り。
池田大作も同様に公明党や創価学会の左翼運動
を鼓舞する為に創作された伝説的存在に過ぎず、
仮に池田大作が存在したと仮定した場合生涯300
個以上もの称号を授かったという事になってし
まうのだ。
戦中に戦争反対していたとされるが記録によれば
創価学会は戦争に反対していたのでは無く「自分
達を信じなければ戦争に負ける」と主張していた
のであって資料的な矛盾も多いと言わざるを得ない。
総本山の日蓮正宗ですらその存在を否定してい
る事も興味深い事実である。
また池田大作完全架空説とは異なりモデルにな
った人物が居る筈だという半架空説も存在する。
その場合、池田大作の実家墓は真言宗であると
される。
聖徳太子なんていないよ
ウマヤド王という縁故王族が斑鳩で趣味の寺作りに没頭してただけ
趣味で仏教文化にちょっと興味があるから外国人を招いて逗留させてた
キャロライン・ケネディと同じ
元祖引きこもりオタクなのは間違いない
まあ、中大兄王はいなかった方がガチな気がする
大化改新の意味がわかんねえ
721 :
日本@名無史さん:2015/01/28(水) 12:02:42.09
大化の粛清じゃん
722 :
日本@名無史さん:2015/01/29(木) 18:10:29.20
今の教科書では乙巳の変というんだよ
大王崇峻暗殺を黙認した男
724 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2015/01/31(土) 18:18:55.77
最後通牒
人間は暴力と戦争を否定するが、牛豚等を屠殺して肉を食らう事は暴力や殺
し合いではないのか。この世を残酷な弱肉強食の獣の世に落として、自分だけ
助かろうとしても無駄である。人間世界も強者が弱者を殺して食う。
なぜ、東日本大震災等で多くの人命が失われたのか。それは大神様が人間の
悪業を反省させる為に裁かれたのである。つまり、因果応報の法則が保たれて
いる。悪の原因が悪の結果をもたらす。人を殺せば今度は自分が殺される事に
なる。殺された牛豚等が怨霊となって人間に復讐するのである。人間が食べた
肉が血になり、血が細胞に化成する。その時、動物の怨霊が宿って癌細胞とな
って人間をとり殺そうとする。戦争は戦争指導者にこの怨霊が憑依して戦争を
起こさせるのである。
なぜ、嘘をつく事が悪なのか。それは言霊信仰から来ている。言葉には神の
聖霊が宿っていて、言葉通りの事が実現する。悪魔が発生するのも言葉からで
ある。
盗む事は人の物を苦労しないで手に入れる事であり、争いの基となる。
姦淫は悪。人間は男と女の言霊の結びつきで生まれる。性交行為は獣以下の
行為である。動物は種族保存の為に性交する。人間は快楽の為に性交する。動
物より劣っているから悪なのである。
贅沢は悪。それは他の生き物の生活の糧を奪う事であり、それによって他の
生き物を絶滅させる。
人間は神がこの世を治める為に任命したこの世の主宰者であるから、すべて
の生き物の幸福の為に責務を果たさなければならない。それが神の恩寵に報い
る事である。
早く改心しないと、神の裁きによってそれだけ死の苦しみを味わう事になり、
草木以下に成り下がる。
725 :
日本@名無史さん:2015/02/02(月) 19:32:47.53
北朝鮮は?都合のいい天罰ww
726 :
日本@名無史さん:2015/02/02(月) 19:41:39.41
>>724 都合の良い平和主義もあったもんだぜ。
命を差別しないならチベット虐殺をな
ぜ報じないのか?
何で中国の軍国主義や極左ヘイトは批判
しないのか?
ああ、わかってるよ・・・命ってのはお
前らにとっても「株」なんだよな?
大作とそこらへんに居る蟻の命とどっち
か選べと言われたらお前だって大作の命
を選ぶだろうに?俺だっていくら創価嫌
いつっても人間の命の方を選ぶ。
この命の資本主義をお前は否定するか?
肉食獣が居ないと生態系がぶっ壊れるのよね
727 :
日本@名無史さん:2015/02/03(火) 22:59:47.97
728 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2015/02/08(日) 18:14:58.44
マレーシア旅客機撃墜はマハテール大統領がTPPは米国の植民地化だと発言し
た制裁であり、原油安値はロシア経済破綻を誘い、戦争引火を狙ったものである。
イスラム国が欧米諸国を悪魔と見なして打倒しようとするのは正しい。かつて、
日本も鬼畜米英と大東亜戦争を行った。アメリカは非戦闘員を何十万人も原爆で
虐殺した。日本は正々堂々と相手の軍事兵力と戦った。イスラム国が非戦闘員を
殺戮する事は卑怯である。その点から見ればイスラム国も悪魔である。つまり、
欧米諸国とイスラム国はフリーメイソンでお互いに八百長の喧嘩をしているだ
けで、世界戦争への策略である。全世界が悪魔の支配下にあるのだから、イス
ラム国はその傘下にいなくては生存出来ない。
日本人はフリーメイソンの思想に毒され、神の教えに背いて悪魔に魂を売って悪
業を働き、贅沢(聖者の生血に酔う)を享受しているから悪魔である。
日本は世界文明の発祥の地である。飛鳥をあすかと読むが、あすかに飛ぶ鳥の
意味は今の日本語には無い。ナスカの地上絵はハチドリの飛翔の絵である。あす
かとナスカは非常に似ている。つまり、日本の大和言葉が世界の共通語として存
在していたのである。ではなぜ、大和言葉が滅びたのか。それはユダヤ人等に侵
略されたからである。仏教、耶蘇教は侵略の先兵である。聖徳太子は朝鮮人に殺
された。日本を本朝と言うのは本当の朝鮮王朝と言う事である。
宇宙に存在する森羅万象の全てが神である。太陽、月、地球も神で生きている。
火山は人間で喩えるなら吹き出物である。マグマは血液とみれる。雨も風も雷も
地震も神が引き起こしている。酸素は大神の精霊で生物はこれが無ければ生きれ
ない。UFOは存在するが宇宙人は存在しない。UFOは酸素の供給が続かないから宇
宙を航行出来ない。UFOは地底人が開発した。我々の霊魂の故郷は宇宙の星である。
宇宙人と見えるものは霊魂である。先祖から受け継がれていた迷信が真実であり、
科学が虚構である。幽霊、妖怪、怨霊、神通力、予言、神の奇跡等は存在する。
人間は肉体が滅びても霊魂は滅びない。今度の最後の審判では霊魂も滅ぼされる
事になる。我々が畏れるべきは神であって、肉体を滅ぼす悪魔など恐れるべきで
はない。
729 :
日本@名無史さん:2015/02/15(日) 14:35:41.30
聖徳太子虚構説って歴史修正主義?
虚構説じたいはずっと前からあっただろ
摂政という制度がないんだから
ないという根拠は?
制度化されてないから。
733 :
日本@名無史さん:2015/02/16(月) 23:31:06.17
横から失礼
制度化されてない根拠ってなに?
734 :
日本@名無史さん:2015/02/17(火) 18:05:01.23
史料に「摂政」という役職があると書かれていない(「政を摂る」という文章)
聖徳太子が死んだ後、平安時代の摂政藤原良房まで誰も任じられていない
摂政じゃなくて倭王タリシヒコだからじゃね?
いわゆる「摂政」ではなかったって話、結構有名な定説やと思ってたがそうでもないんかな?
後の摂政とパラレルな位置にある「摂政」って意味だろ
日本書紀には隋も唐と書いてあるから類推できるだろ
だから、のちの摂政とパラレルな位置がないんだって。
そういう意味じゃ聖徳太子については誰もが大なり小なり虚構説だよ
確かに摂政という役職があったかどうか判然としないみたいだな
シナに同名の役職があるわけでもないようだ
だが、字義からして政治をとりしきったのは確かだろう
そこからなぜ虚構説につながるか不明だな
日本書紀には
摂政をやったのは厩戸豐聰耳皇子爲皇太子とあって
用明天皇紀に、其一曰廐戸皇子更名豐耳聰聖コ、或名豐聰耳法大王、或云法主王とあるし
是皇子初居上宮ともある。
推古天皇紀には、故稱其名謂上宮廐戸豐聰耳太子とあるから
厩戸=豊聡耳=聖徳=上宮の連想は不可避だと思うがな
聖徳は法名だろうな
>>734 >>738 皇極・斉明天皇における中大兄皇子、元正における長屋王は聖徳太子的な意味での摂政と言っても良いのではないかな
いわゆる女帝のうち、持統と孝謙以外はまともに政治を担っていないし、女帝は政務を取らずに周囲の皇族に任せるというのが本来想定されていた形態だと思う
これは聖徳太子+推古天皇という形態が飛鳥・奈良時代において女帝政治のロールモデルとなっていたという傍証ではないか
中大兄皇子は「称制」と呼ばれているね
摂政との違いは自分で調べろ
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%94%9D%E6%94%BF 攝政是指在君主制下,一個國家的即位君主不能管理國家時,由他人代替君主處理國政
?史上著名的攝政者
中國
伊尹(?太甲)
周公(對周成王)
共和?政(?周?王)
霍光(對?昭帝、?宣帝)
王莽(對漢平帝、孺子?)
司?懿,曹爽(?魏?王)
?居正(對万?帝)
多爾袞,孝莊文皇后(對順治帝)
索尼、遏必隆、蘇克薩哈、鰲拜、孝莊文皇后(?康熙帝)
?命八大臣,慈禧太后,慈安太后(對同治帝)
慈禧太后、慈安太后(對光緒帝)
??,隆裕太后(對宣統帝)
わりとシナでも普通に摂政っているじゃん殷の時代から
ただ役職なのか分からんわ
まとめると、
・日本書紀に厩戸=豊聡耳=聖徳=東宮=皇太子=上宮なる人物がいる。
・摂政という用語はすでに伝統的に存在していた。
摂政、聖徳太子は存在したとみなせる。
聖徳太子は皇太子じゃないぞ。なにデタラメふいてんだ?小学生?
745 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 09:11:12.18
>>740 元正天皇は妹婿の長屋王を可愛がり長老の藤原不比等死後は
右大臣に昇進させたが長屋王に政治代行はさせていない
長屋王が台頭したのは男性天皇の聖武天皇のとき
即位と同時に左大臣となり政治首脳として政務をとり始めた
藤原四兄弟に粛清されたが
だから中大兄ってそもそもだれやねん
架空だから近江朝だの嘘ならべてんじゃねーの?
継体が飛鳥に入れなかったことと同じ
大王や天皇じゃねーべ
虚構説の人は
架空の設定の人物の息子の死を利用して
成り上がった人たちのことは
胡散臭いと調べたりしないのかね
カラヒトに注目されるのがまずいのか
748 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 10:46:43.47
>>746 荒らし?
中大兄皇子=天智天皇
父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇
称徳天皇没後は天智天皇の皇統に変えられていることから言って
実在の天皇であることは間違いなし
天智天皇が築いた近江大津宮は発掘調査で遺構が発見されており
実在することが確定しています
天智とか桓武とか
あっちの人がだいすきなんだね
聖徳太子は渡来人
ハズレ
日本人だから抹殺したい
天武系も
つーこったろ
>>744 夏四月庚午朔己卯、立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子、仍?攝政、以萬機悉委焉。
753 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 15:41:56.06
蘇我って渡来系なんでしょ
厩戸皇子は父方母方双方から蘇我の血が入っている
祖母が両方蘇我氏
754 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 17:45:29.00
古代の不文律には、諡号に徳。聖。が付くのは非常非業の最期を迎えて無念の思いをいだいきなくなった貴人に贈られるもので
大体が荒び祟り為す厄介で非常に不味い怖い方。
聖徳太子は今日的な価値観から
大変素晴らしい方と刷り込まれていますが、元来は真逆。
蘇我と須賀とかって出雲系
756 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 17:53:32.84
上宮…かみのみや…神宮。
そんでヤマトヒコ王の逃げ込んだとされる
丹波に元出雲があるのも面白い
国常立尊の穴穂宮のあったところというのも
面白過ぎる
渡来系である根拠は先祖の名前に満智・韓子・高麗と
朝鮮半島にあった国名を連想させる言葉が使用されているということだけだね
日本書紀も新撰姓氏録も尊卑分脈も蘇我氏は武内宿禰の子孫としているよ
たまに履中天皇紀の蘇我満智宿禰と応神天皇紀の木満致を同一人物と見るアホもいるけど
意味不明だよな
759 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 18:34:59.81
>>758 欽明朝以前の蘇我はどこで何をしていた?
なぜ欽明朝で突然大臣となり娘2人を天皇に嫁がせ
3人の天皇の外戚となることができたのか
761 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 19:27:27.15
762 :
日本@名無史さん:2015/02/19(木) 19:29:58.80
>>760 蘇我氏の末裔の一部が石川を名乗ったのは
石川に住んだ傍系の蘇我倉山田石川麻呂が由来で
もともとの蘇我宗家の居住地は石川ではないよね
>>762 尊卑分脈によれば、こう。
孝元天皇-比古布都押之信命-建内宿禰-蘇我石河宿禰-満智-韓子-高温-稲目-馬子・・・
日本書紀には馬子の奏言に
「葛城県は、元臣が本居なり。故に、其県に因にて姓名を為せり。」とあり
蘇我の名は奈良県の地名からとったことが分かるが
一方、三代実録には
「始祖大臣武内宿禰男宗我石川河内国石川別業において生れ、故に石川を以て名と為す。
宗我大家を賜り、居と為し、姓宗我宿補を賜る。」
とあり、河内国石川別業で生まれたが、蘇我に家をもらったから蘇我石川と名乗ってる。
ただ三代実録は9世紀の史料であり、のちに蘇我の名を嫌った石川を名乗る子孫の影響が
あるとも指摘されていることは書き添えておく
葛城襲津彦がらみで半島と秦氏に縁が深いんでしょう
箸墓で考えるにハシというのは
巫女のことじゃないかね
安易にハシ=ファルシアと提示すると
じゃあ太子はペルシア人とのたまう輩がいるので
そこを除外して考えてみる
出雲系の巫女ハシヒトさんを用明さんがもらった
やっぱり出雲系の石上の巫女を嫁にしたのは崇峻
この系列は殺さている
物部氏も蘇我氏も滅んでおる
出雲系が徹底的に消された感が否めない
日本書記中だと、聖徳太子を太子や上宮太子とよぶのは、高句麗の慧慈関連の記事だけだから、
律令制で皇太子が規定される前から、高句麗人が聖徳太子のことを「太子、太子」と言ってたんじゃないかという説はある。
同様に、「天皇」を皇帝や皇太子のように「てんこう」と呼ばず、「てんのう」と呼ぶのは、
日本書記中の百済系史料だと、天皇ではなくて天王と表記されていることから、
もともと、百済人が倭の大王のことを「天王、天王」と言ってたことに由来するんじゃないかという説もある。
>>766-767 頭わるすぎて話にならないw
太子てのは、嫡子のこと
皇帝の太子だから皇太子、王であれば王太子、公であれば公太子、それだけのこと
日本書紀中で太子と使われているのは聖徳太子だけ?嘘言っちゃいけないww
>日本書記中の百済系史料だと、天皇ではなくて天王と表記されていることから、
おい、また嘘つくなよww
糞チョンはすぐ嘘をつくよな
さすが世界一頭のおかしい民族
てんのうではなく
なぜかスメラミコトと読む
771 :
日本@名無史さん:2015/02/25(水) 12:37:00.59
中大兄皇子と中臣鎌足は在日百済人
在日百済人に倭国大王蘇我さんが殺されて乗っ取られたのが日本
そもそも日本書紀がある程度信じられるという前提がおかしい
クーデター王朝“日本”が徹底的に捏造、創作したんでしょ
蘇我大王が持ってた倭国の歴史書「国記」「大王記」は
在日百済テロリストに燃やされて、倭国の歴史は永久に抹殺された
発掘や中国の史料でもって倭国の本当の歴史を明らかにして
蘇我氏をはじめとする倭国の人々の無念を晴らしてあげたい
774 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 12:05:20.69
>>773 蘇我氏はいつから大王だったの?
推古以降の天皇は祭祀王であって実権は戦国・江戸時代と大差無いレベルでしか持っておらず、事実上の倭国王は幕府蘇我氏にあったというならわからないでもないが
蘇我氏が皇統に繋がるというなら、どの天皇から別れたのか
775 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 13:33:05.82
蘇我氏の系図では一応
蘇我氏は8代孝元天皇の子孫ということになってる
776 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 15:28:09.27
在チョソは今も昔もやること変わらないな。
平気で一国の国史を焼き捨て頃し去るとか...
在チョソは恐ろしいな。
777 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 17:31:54.04
>>775 武内宿禰―石川麿呂―満智―韓子―高麗―稲目―馬子―蝦夷―入鹿と蘇我氏が天皇だったなら、その間の応神〜斉明は天皇じゃなかったとでも?
ホラホラ記紀は権力者の捏造厨はもっと書き込んで、どうぞ
779 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 18:22:01.54
そもそも応神王朝と継体王朝が別だからw
780 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 18:22:59.34
欽明朝で突然大臣として国の政権担当となり
娘2人を大王に入内させる蘇我氏
781 :
日本@名無史さん:2015/02/26(木) 18:35:42.40
>>779 応神朝と継体朝が別であることと、継体・欽明以降蘇我氏が天皇だったことには大きな違いがあるわけだが
>>778 べそかくなよ?
九州王朝説先生、お願いします
厩戸が斑鳩にいる時点で政務の中枢には参加できない
距離の要素は絶対的に不利
厩戸は難波に近い場所で外国の諜報や使節応接などを分掌していた王族
序列はそれなりに高いが、後世の「皇太子」や「摂政」なんかではなく、
崇峻殺害後の推古−馬子体制を正当化するために政権の列に加わってた要員
784 :
日本@名無史さん:2015/02/27(金) 10:12:08.33
>>783 当時は皇族が皇族として政治に参画するだけで後世に摂政とされるぐらい、皇族に不遇の時代だったのかね
岩倉具視は一山幾らの下級貴族であって、明治維新を主導したかのように言われるのは後世の神格化によるものだ、に近い必ずしも誤りではないのかもしれないが
785 :
日本@名無史さん:2015/02/27(金) 10:24:22.21
>>783 厩戸は父用明天皇存命中の子供時代には用明の宮の隣に宮殿を用意されていたし
父没後も蘇我馬子の娘蘇我刀自古娘と結婚してた頃には飛鳥にいた可能性が高い
しかし刀自古娘は山背王一人を産んで早くに亡くなってしまったのか
膳大娘と結婚し推古13年には膳氏の本拠地である斑鳩に移住した
このとき山背王も斑鳩に伴い、膳大娘との間に生まれた異母妹と結婚させている
斑鳩という地名も重要だったと思いますよ
外交ルートの拠点としても重要な地だけど
ニギハヤヒの降り立ったイカルガの峰とイカルガ
元々の血筋の大王へ戻したかったのに半島人に歴史をいじられて封印されたんでしょうな
明治前後に発生した教派神道とかいう宗教の共通点が
全部聖徳太子に集約されているのも興味深いと思う
封印された救世主ってことか
だからいない人間にしたいんだろうね
788 :
日本@名無史さん:2015/02/27(金) 18:40:16.33
ニギハヤヒって物部の祖なんだよな
あと後世の聖徳太子信仰と厩戸皇子は別物
物部の血も入ってるでしょう
まったく関係ないのに物部本家の妹を蘇我本家がもらえますかね
聖徳太子と厩戸は同一人物の別名です
ばらばらにして何の得があるのか知りたいね
>>783 発掘が進んで斑鳩が相当な先進都市だったことが分かっちゃったんだよなあ
先進都市の領主なんか任せられるんだから相当な有力者だったことは確実なんだよな
てか崇峻を殺害する時点で炊屋姫のほかに王族の賛同者がいるわけで、
その結果成立した政権で「相当な有力者」だったのは当たり前なんだが有力の意味が違う
昔は皇太子だの摂政だの言ってたけど今じゃ「相当の有力者」程度だろ
まあ難波に近い斑鳩で総督府的なポジで職務を分掌してたんだろうな
馬子を牽制する存在ではなく協力者として
相当な有力者程度なら
直接難波に行かせたほうがいいだろう
斑鳩に拠点作らせるとか朝廷は馬鹿なの?
コスパ悪い
雄略天皇:大泊瀬幼武尊、大長谷若建命
武烈天皇:小泊瀬稚鷦鷯尊、小長谷若雀命
崇峻天皇:泊瀬部皇子、長谷部若雀天皇
諱に「泊瀬/長谷」を持つ天皇のイメージがあんまし良くない気がするんだが偶然か?
隠国の長谷ってどういう意味?
795 :
793:2015/03/01(日) 12:31:10.33
>>794 隠国(こもりく)は、山に囲まれた地、隠れ里のような意味があるようで。
またさらに、人が隠れるところ、死者の霊が隠れ住むところとしてお墓や霊場の意味があるとか。
現代の我々からすると縁起が悪いような感じがするが、昔はそう思わなかったのかな。
796 :
日本@名無史さん:2015/03/01(日) 17:05:31.62
>>789 八幡大神と応神天皇は同一人物の別名
応神天皇を八幡大神と呼ぶべきという考えの人ですか?
797 :
日本@名無史さん:2015/03/01(日) 17:13:02.03
日本昔話を見てわかったはず
本当の神「お前を某神とする」「おまいを 〜神に任命する」
798 :
日本@名無史さん:2015/03/01(日) 17:18:34.86
神を次々に生み出した=創造神?
何度も言ってるでしょ
神武以前がホントの神
だから話がおかしいんだよ、記紀神話?
菅〜族が本当の神w出雲の系統でしょ
801 :
793:2015/03/01(日) 18:45:31.10
武烈天皇を実在しなかったとする説があるように、
崇峻天皇も実在しなかった可能性はあるだろうか。
蘇我氏に天皇殺しの汚名を着せる目的で捏造したとか。
803 :
馬鹿な学者の妄説信者へ:2015/03/04(水) 14:41:21.40
ヨハネの黙示録に言う額や手に獣の刻印を押された者とは、その人の肖像と
指紋がフリーメイソンに登録され、確かに悪魔に魂を売ったと確証された者を
いう。肖像と指紋は、パソコンのWEBカメラ、防犯カメラ、写真映像等で肖像を
採取され、スマホ、アイフォン、鉄道の券売機、ATC等のタッチパネルで指紋を
採取されている。その人の思想、性格、趣味、交友関係等の個人情報は携帯、
インターネット等で探知されている。キーワード、例えばフリーメイソン、イ
ルミナティ、日月神示、大本教を使った者は危険人物と見なされて、徹底的に
マークされ、危険と判断されたら暗殺される。佐宗邦皇氏ら多数の犠牲者が出
ている。額や手に獣の刻印を受けた者でないと物を買う事が出来なくなり、悪
魔以外は生存が許されなくなる。それに備える為に自給自足の生活を行い、ベ
ジタリアンのビーガンとならねばならない。不殺生、不妄語、不偸盗、不姦淫、
禁贅沢で身魂を清め、神を祀らねばならない。
悪魔は神の刻印を受けた者には災いをなす事が許されず、それ以外の者にイ
ナゴによってサソリに刺されたような痛みを与える(狂牛病)。その痛みから逃
れようとしても死ぬ事も出来ない。かえって、死んだ者を羨むのである。
第7の封印が解かれて、第1の天使の血の混じった雹と火の鉢は原爆の事で
あり、ハルマゲドンは日本を指す。大淫婦は都会を表し、みだらな行いのぶど
う酒に酔うとは聖者の血に酔い痴れる事であり、肉食をして、姦淫にふけり、
人の生血を吸った財産で贅沢を行う事である。
人は食べなくても生きていける。かえって、それによって若返り、天使とな
って空を飛翔する事も出来る。原爆にも耐えられる生命発光体となる。悪魔は
天使に危害を加える事が出来ず、その輝きに目が眩む。
804 :
日本@名無史さん: