謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!76

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
其国本亦以男子為王 住七八十年 倭国乱 相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名曰卑弥呼
事鬼道能惑衆 年已長大無夫婿 有男弟佐治国 自為王以来 少有見者
以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食伝辞出入 居処宮室楼観 城柵厳設 常有人持兵守衛

古代史のミステリー、謎の女王とされる卑弥呼という女王。
邪馬台国問題に終止符!

前スレ http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1384792322/l50
2日本@名無史さん:2014/01/02(木) 21:38:39.19
ここの連中はレベルが低いので、卑弥呼は九州や大和にいたとか見当違いなことをいっている。
しかし、それが間違いだということは、ネット史を読めばすぐわかることだ。
しかも、新スレを立てる手順すら知らない。蛮族ばかり。
新スレを立ててやったから、今年こそ邪馬台国問題に終止符を打て。

では、はじめましょう。
3太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/02(木) 21:49:17.24
>>2 ←根具w
4エマタラ:2014/01/02(木) 21:57:20.77
あれ・・・流れが早いですね。

>>961
>では言うが、天皇の祖先は10万年以前、アフリカにいたんだよw

何とか文章ですよね?なんでしたっけ?!

>>965
>稲作が中国南部で始まったこと、それが日本列島に普及したのは間違いないけど、
>だからと言って、日本人が中国南部出身ということにはならない。

そりゃそうだw
5日本@名無史さん:2014/01/02(木) 22:17:48.24
卑弥呼と壱与の墓は久留米だろ。
久留米中を発掘すれば見つかるよ。
6エマタラ:2014/01/02(木) 22:27:32.99
>>5
墓あらしめ
7日本@名無史さん:2014/01/02(木) 23:52:55.15
系譜学者の太田亮博士の説によると、邪馬台国は久留米付近にあり、冢はその周辺にあるとのことである。
ただし、墳とは異なり冢は僅かながらに盛り上がっている程度のため、発見されることはないだろうとのことである。
安本説も近隣の甘木を比定しているし、この一帯は天孫族の東遷前の本拠地であろう。
明確な根拠は示せないが、高木神の影響が強く、天照以前の主祭神は、高木神ではなかったかと思うのである。
8日本@名無史さん:2014/01/03(金) 00:20:30.96
>>2
ニセ満州
9日本@名無史さん:2014/01/03(金) 08:44:16.91
ご本家の北野満州氏かも
10日本@名無史さん:2014/01/03(金) 09:08:28.26
>>前スレ979
A邪馬台国の支配勢力は遺跡の発掘から推測して韓半島東部から入植した人達
 と推測される。それに対してニギハヤヒは奈良盆地の発掘物から推測して韓
 半島西部からの入植者と推測される。
B村雨賢次氏。同氏の著書「ヤマタイ国はどこへ行った」参照。
11満州二等兵:2014/01/03(金) 09:55:01.22
いやにスレの立つのが早いなw なにはともあれ立ててくれた人に感謝しよう。
しかし最近は朴のニセ者が出没するから困るw
さて日本の神は韓の神でもあることは前スレで述べたが、もう少し述べよう。

新撰姓氏錄
和泉國 雜姓 山田 造 新羅國天佐疑利命之後也。
攝津國 神別 天孫 羽束 天佐鬼利命三世孫斯鬼乃命之後也。

天佐疑利命=天佐鬼利命である。前者ではそれが新羅の神と書かれ、後者では日本の神となっている。

さらにアメノヒボコの裔である伊蘇志が新撰姓氏錄で天道根命の裔となっているから、
天道根命も韓にいたのだと分る。天道根命は神魂命の子(あるいは五世孫)だから、
神魂命も韓にいたのである。(韓とは満州朝鮮の意味で朴は書いている)

それを裏付けるような記述を以前誰かが挙げてくれたサイトで見つけた。
http://sanpomichi114.web.fc2.com/izumo.html
その中に次のような記述がある。
>朝鮮からのヤタガラスが神武の味方についた。
ヤタガラスはいうまでもなく神武を助けた例の八咫烏である。
それが朝鮮からのヤタガラスと書かれている。
さてこの八咫烏について新撰姓氏錄にこんな記述がある。

506 山城國 神別 天神 鴨 縣主 賀茂縣主同祖。
神日本磐余彥天皇【謚神武。】欲向中洲之時,山中嶮絕,跋涉失路。
於是,神魂命孫鴨建津之身命,化如大烏翔飛奉導,遂達中洲。
天皇嘉其有功,特厚褒賞。天八咫烏之號,從此始也。

つまり八咫烏は鴨建津之身命で、鴨建津之身命は神魂命の子孫である。
その鴨建津之身命が「朝鮮からのヤタガラス」と書かれているのである。
このことから神魂命も鴨建津之身命も韓にいたのだと分る。

つまり日本の神は韓の神でもある。日本の神は太古は韓にいたのである。
12太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/03(金) 10:11:01.58
古代史論の巣韓区 好色コングの言うことは盲象!

>つまり日本の神は韓の神でもある。

そはごく一部のことだ。
こいつはそれを全部であるかのように飛躍する。
つまりデタラメである。
13日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:15:03.60
国譲りとは・・・
一般的には天孫族と交渉した大国主命が 出雲大社=大国主命 であるため
出雲と天孫族が国を交換したという誤解や 天孫族が交渉した出雲こそ日本の祖であると勘違いされてきた。

しかし真実はなんの事はない。
大国主は博多湾岸で「漢倭奴国王」の金印をもらった当時の倭国・筑紫福岡の王統である。
倭人伝:「邪馬台国の一大卒である伊都国(倭奴国)には代々王がいた。」
大国主は代々(天孫族や女王卑弥呼が活躍する以前)筑紫福岡・倭国の王統である。
もちろん大国主命は筑紫福岡を本拠とする安曇君(志賀海神社)・宗像君(宗像大社)等々の豪族の祖先神である。
国譲りとはその大国主が治める筑紫(博多湾岸)を譲れと天孫族が大国主に迫った話のことである。
筑紫・倭国を追われた(追放された)大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
 そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい出雲に移住(追放)された。

だから出雲は出雲大社の本殿が筑紫・西を向き大国主の筑紫福岡と同じ「銅矛銅剣文化」であるが、
後の「三種の神器」「甕棺墓」「神籠石」「絹」といった天孫族や邪馬台国の頃の筑紫の文化(倭国の文化)とは無縁である。
何の関係もない宮崎はもちろん「銅矛銅剣文化」すら無縁である。

この大国主から繋がる筑紫の神々の天孫族による支配を正当化するために古事記や筑紫神話があると言うこと。

ちなみにここに登場する宗像君は「胸」や「肩」に入れ墨を施していたから宗像と言われるようになった。
魏志倭人伝:「男子は大小となく入れ墨をしている。」

また天孫族が元々いたのは志摩国、
倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
    その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
    その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」

このように、天孫族・倭国・邪馬台国等々の日本の発祥地は博多湾岸である。
14日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:16:03.48
http://img29.imageshack.us/img29/4805/5312e.jpg
「ここは韓国に向かい朝日が真っ直ぐ射し夕陽が良く照るところ。故に吉き地なり。」
倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり、周施五千余里ばかりなり。
糸島半島・・・弥生時代になると瑞梅寺川と川原川からの沖積土がデルタ地帯としてのびていたが、まだ北部は島として取り残されていた。
志登と泊の間は満潮時には海面となり、干潮時には干潟となる状況が中世まで残っていた。
http://www.jalan.net/jalan/images/pictL/Y8/Y352988/Y352988260.jpg
綿津見神(総本宮は志賀海神社)の娘 トヨタマ姫
「私はこの子を育てに 海の道 を通ってあなたの元に行こうと思っていた。」
綿津見神の総本宮志賀海神社(別名龍の宮・龍の都)=綿津見神の住居は竜宮城
イザナギが生んだ住吉の「日本第一住吉」、日本最古の住吉は福岡平野の住吉神社
イザナギが生んだ警固大神の神々の総本社は福岡の警固神社
アマテラスが生んだ宗像三女神の総本宮は福岡の宗像大社
スサノオがもらった嫁、クシナダ姫は博多の総鎮守「櫛田神社」
イザナギ・イザナミが一番最初に生んだオロコロ島は博多湾に浮かぶ「能古島(のこのしま)」
イザナギ・イザナミの象徴二見が浦(夫婦岩)の本物は糸島半島の志摩にある夫婦岩
イザナギが黄泉の国との境を塞いだ大岩は糸島の玄海(限界・元海もとうみ)灘に突き出した芥屋大門
http://imgcache.its-mo.com/contents/KNK_ZPOI/J00000000000B4701120/B4701120-1/B4701120-1_m.jpg
卑弥呼が直接治めたのは斯馬国(志摩)〜奴国(福岡平野ないし福岡県域)まで。
倭国・邪馬台国連合と対立した狗奴国は久留米周辺「その南(奴国の南)に狗奴国あり。」
志摩国にいた天孫族は、邪馬台国の一大卒古来から代々王のいる名門伊都国を落とす←天孫降臨
スサノオのヤワタノオロチ退治←福岡平野の倭国の強豪国を天孫族の支配下に置く活躍
そして力をつけた天孫族は倭国自体を乗っ取る。←国譲り
そして天孫族の皇統を(筑紫の支配を)正当化するため古事記(筑紫神話)がある。
日本書紀その他は後世に都合よく古事記・筑紫神話をもじって作ったもの。
全ては博多湾岸から始まったものだな。
15日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:16:55.31
倭国・邪馬台国・国譲り・国産み・天孫降臨・神武東征の出発地に畿内・南九州は全く関係ない。
倭国の範囲は博多湾岸を中心、都とする半島の南岸から九州北部まで。南九州はクマソ。関西は遠い倭種。
 魏志倭人伝:「倭国の北限は狗邪韓国、南限は奴国。」
 後漢書:「倭奴国は倭国の極南界である。」

元・モンゴルが何故博多湾に兵を集結させたか?答えは倭国=倭奴国の中心、都が古来より博多湾岸にあるためだ。
「倭奴は海の東に極小の国土しか持たないのに独り元に服属せず・・・
 唐が百済を攻めた時百済は倭奴の兵を借りたが白村江で敗れた。
 倭奴は物欲しそうにウロウロしながらも撤退した。
 今の倭奴は昔唐に負けたような倭奴ではない・・・」

旧唐書:「倭国とはいにしえの倭奴国なり」
隋書:「倭国は後漢書にある倭奴国から連綿と続いた王朝であり・・」
新唐書:「倭が国号を日本に変えたとか、倭が日本を併合し国号を奪ったと言っているがどうも疑わしい。
     日本は隋の時代に中国と通じた倭国とは別と捉えている。
     筑紫城にいた神武が大和を征服し天皇となった。」
旧唐書:「倭国と日本は別種であり小国だった日本が倭国を併合した。」
宗史:「神武以前はおよそ32世、筑紫の日向宮に都があった。」

このように、倭国・邪馬台国・国譲り・国産みを初めとする天孫族の記紀の舞台は九州北部博多湾岸である。
倭国の乗っ取り(国譲り)を成功させた天孫族は筑紫の支配を正当化するために古事記・筑紫神話がある。
それを後に筑紫から派生した神武を祖とする筑紫の分家大和が筑紫福岡の本家を支配した時に
九州の支配を正当化するため古事記・筑紫神話を引用し範囲を広げ(クマソまで含め)日本書紀を完成させる。
この日本書紀が正史となっているために現代の混乱が産まれている。日本史は全て福岡から始まったもの。

「君が代」や「熊野権現須玖岡本に在り」「我が宇佐宮より穂波大分宮は我本宮なり」「神武原」「伊野天照皇大神宮」
等々様々な本物がある日本は福岡から始まったものだな。
西・筑紫福岡を向く出雲の社殿や「神籠石」「甕棺墓」「三種の神器」「絹」の分布を見ても
神武以前の32世筑紫福岡に都があったのは明らかだな。
16日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:17:55.05
〜まとめ〜

「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」

(邪馬台国の都は伊都国にあり、傍ら(すぐ北の)斯馬国から福岡平野へと連なる)

倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
    その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
    その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」

何故、魏使が伊都国の方角を間違えたか??
それは魏使が帯方郡よりひたすら南下してきたゆえに、
まさか筑紫福岡が北方面(上陸地点より北に行く)にも伸びていると魏使の頭にはなかった。

魏志倭人伝:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」

この倭人伝の記述にあるようように
自分たちがまさか北に向かっているとは全く頭になかった。
ずっと基本は南に向かっていると勘違いしたのだ。
北に向かうという概念が倭国を訪れた魏使には全くなかったのだ。
※(北に向かう=朝鮮半島に戻る=おかしい)←この事よりあえて東南と記した可能性もある。

魏使は帯方郡よりずっと南下してきた故(倭人伝にあるように倭の地は南と思い込んでいた)
まさか自分達が北に向かっているとは思っていなかった。
故に、九州に上陸して実際は北東に向かったが、
自分たちは基本は南下していると勘違いをおかし方角を東南と記してしまったという事だ。

大体の古代史の流れ、大まかな謎は俺がこれで何の矛盾もなく説明してしまったな。
素直に歴史書の記述や考古学的物証を客観的に判断すればおのずと答えは出てくるものだよ。
17日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:55:32.00
伊都国(倭奴国)と位置関係

☆伊都国以北に斯馬国〜奴国までがある。
  現在でも福岡市の西区周辺に住む住人には東区という呼称に違和感を持つ人は多い。 
  それは東区は東区ではなくて本当は北区の方が地形的にもしっくりくるというものだ。

☆奴国の南の狗奴国。男の王在り。女王に属せず。
  福岡平野の南側、久留米付近にあったと思われる。
  「倭奴国」「奴国」「狗邪韓國」「対馬国の大官卑狗、その妻卑奴母離」「一大国(壱岐)の官は亦卑狗、副は卑奴母離」
  これらの邪馬台国(女王国)周辺の国や官と同じ「狗」や「奴」の字が使われている事。
  自らを「王」と名乗れる程先進地域にあると言う事。
  これらのことから狗奴国は南九州のそれ(クマソ)とは違う博多湾岸と同じ文化を持つ
  元は同一の国、兄弟国とも言えるような国だったと思われる。

☆魏使が壱岐から九州への最短地点に上陸したら・・
  伊都国への道のりはまず上陸して東南に進むことになる。そしていつのまにか陸路は北東に変わる。
  現在でも唐津から糸島へ行くときに北東に向かうという表現はしない。
  今の時代でさえ福岡から唐津へ行くのに西南に向かうという感覚はない。
  福岡市にしてもそう実際は北区と呼べるような場所を東区と呼んでいる。
  要するに、今現在でも北に向かうという感覚がない唐津〜伊都国間の方角は
  当時の魏使にしても上陸してまず東南に向かった可能性があるため
  基本は南(東南)に向かっていると勘違いしたのだ。
  (北=朝鮮半島に戻る←これもおかしな事になる)
18日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:56:45.17
古代中国において、倭がある九州島を太陽が昇り扶桑の茂る「九夷」として憧れの地になっていた。
「孔子が言った。中国で道徳が受け入れられないなら、東の海にある九夷に行きたい。」
倭人伝では:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」

このように出発前の魏使の頭には倭のある九州は温暖であり豊かであり桃源郷のような場所のイメージがあった。
よって上陸してからも東南に向かった事などからもずっと基本は南に向かっていた(楽園に向かうように)と思ったんだよ。
「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」←これがその結果の記述

倭人伝:「その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。」
     
     (今までの道理行程を振り返ると、その場所は会稽郡東治(紹興市)の東にある)

      つまり、魏使は帯方郡から、九州に上陸してからも基本ばずっと南下してたと勘違いしている明らかな証拠だな。



「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」


現代でも錯覚しがちな唐津〜福岡の位置関係。当時の魏使も出発前のイメージと上陸して東南に向かった可能性がある事実
からしても、当時の魏使も錯覚するのはある意味仕方がない。
にしても、伊都国=佐賀はないな。 伊都国にしても斯馬国にしても奴國にしても不彌國にしても現在何の名残もない。
博多湾岸一帯にはそれらの国の名残は多数残っているがな。
19日本@名無史さん:2014/01/03(金) 11:09:31.24
14
貴説は非常に興味深い。
吉野ヶ里の近くに櫛田宮がある。
博多の櫛田神社の本宮は肥前の櫛田宮という説がある。
その点を貴殿はどう考える。
また、近隣の吉野ヶ里勢力と博多湾岸勢力との関係はどのように考える。
20日本@名無史さん:2014/01/03(金) 12:32:39.78
>>19
久留米付近は博多湾岸ほど栄えてないが博多湾岸の倭国・邪馬台国連合と同一の文化圏を持つ地域。
狗奴国はその名称からしても以前は倭国・邪馬台国連合と同一の国か兄弟国とみる。
奴国(福岡平野)の南が狗奴国。

地理的にも遺跡や出土品からしても全く何の矛盾もない。
要するに>>17に記述した通り。

よく狗奴国を南九州に比定するやからがおおいが、
南九州は倭国邪馬台国天孫族がいた博多湾岸とは全く違う文化を持っているただのクマソだろう。
その後のだいぶ後世のクマソ討伐のころのクマソが南九州だ。
九州は古代より熊襲国が存在する。このクマソこそ南九州であり、後世のクマソ討伐のクマソだ。

魏志倭人伝の頃は畿内の遠い倭種と同じ存在。
魏志倭人伝の頃はただのクマソであり狗奴国とは関係ない。

狗奴国は博多湾岸と同じ文化を持つ、「王」を名乗れる先進地域にあるという事。
つまり、奴国の南、久留米やその周辺が狗奴国だったと思われる。

南九州はない。 そもそも文化が違う。
21日本@名無史さん:2014/01/03(金) 12:48:16.91
>>19
そして>>15に示したとおり倭国はそんなに大きな面積を持つ国ではない。
力は当時の周辺国からすれば強大だが、>>15のとおり、
後漢書では「伊都国が倭国の極南界」
倭人伝では「北限が半島の狗邪韓国であり、南限が奴国」

つまり、倭国は古来より「博多湾岸を都、中心とする半島の南岸より九州の北部」までという事。

この博多湾岸の倭国勢力が後に日本を支配したために筑紫神話や古事記の筑紫福岡の歴史が
日本の古代史として語り継がれてるという事だ。
そして後に筑紫福岡から派生した神武一派の大和朝廷が福岡の本家を支配し、
南九州のクマソ制圧に手を焼いた大和が、
クマソの支配を正当化するため(景行天皇が日向と命名したからたまたまかもしれんが)南九州も
天孫族の地として勘違いするような記述があるために、
現代の南九州の知識がないやからが宮崎は日向三代の地だと勘違いしてるという事だよ。
南九州は博多湾岸とは全く違う文化を持つクマソの地なんだな。
22満州二等兵:2014/01/03(金) 13:06:51.84
日本神話を研究したことはなかったが、簡単に調べてみた。
分ったことは次のことである。ただし詳しく調べたわけではないから誤りもあるかもしれない。

○大国主はスサノオの七世孫
○大國主と宗像三女神の多紀理毘賣命と多岐都比売命が結婚。←出雲と北九州が結婚。
○神武の代までは天皇家はアマテラス家と結婚していない。
○神武から懿徳までは大国主と多岐都比売命の子の事代主の子孫と結婚している。

神武の后が事代主の娘で、事代主の母がアマテラスの子の多岐都比売だから
アマテラスを尊んだのだと思われる。それ以外に天皇家とアマテラス家の繋がりはない。
そのアマテラスを天皇家の祖にしたのは、天皇家の祖のスサノオの出自が韓だからだろう。
こんなことを書くとまた太国がいちゃもんを付けてくるぞ(笑)
23太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/03(金) 13:45:43.93
コングは稀代のデ○パ!
24日本@名無史さん:2014/01/03(金) 14:44:50.26
福岡県行橋市は白村江の戦いで破れた後、日本防衛の基地とされた。
ここは周防灘に面し、関門海峡を封鎖すれば海からの攻撃は不可能で、
周囲を山で囲まれ陸からの侵入も困難な要塞都市となる。
この地に流れ込む今川を遡ると、みやこ町、そして赤村へ辿りつく。
赤村から香春方面に下ることもできる。

この地に、京都という地名が残っていることに疑問を持った人はいないか?
ググっても、その理由がはっきり書かれているサイトにたどり着けなかった。
大和朝廷によって豊前、豊後に分割される前の臺与の國こそ邪馬台国。
奥まったところの香春付近に卑弥呼の暮らす王宮が置かれていたのではないだろうか?。
25日本@名無史さん:2014/01/03(金) 14:57:19.09
祭事用具「銅戈」見つかる みやこ町・国作八反田遺跡


遺跡から出土した銅戈(手前)や土器など みやこ町教委は25日、同町国作の弥生後期の集落跡「国作八反田遺跡」で形状がはっきりとわかる銅製の祭事用具「銅戈(どうか)」が見つかったと発表した。
みやこ町一帯を含む京都平野ではっきりと形のわかる銅戈の出土は初めて。

東九州自動車道(行橋―豊津間)建設工事に伴い、昨年6月から今年7月までに広さ約1万平方メートルを対象に調査。
集落は3世紀前半に形成されたとみられ、9軒の竪穴式住居跡や1棟の掘立柱建物跡、土器を作る窯跡のほか、南側には祓(はらい)川につながっていたとうかがわれる水路跡(幅約20メートル、深さ約0・8メートル)が見つかった。

出土品は、土器がコンテナ箱で166箱、木製品が100点以上に及び、銅戈を含め、約8割は水路跡にあった。壊れたり、使わなくなったりして捨てたとみられる。

銅戈は、破片8枚が見つかった。復元したところ、鎌のような形状で、厚さ5ミリ、刃渡り約40センチ、柄に取り付ける部分は幅約15センチだった。
町教委学芸員の辛嶋真治さん(46)は「当時の銅製品は貴重。財力のある集落だった証明で、有力者が住んでいた可能性が高い」としている。

町教委によると、京都平野では、銅戈の一部とみられる銅片1枚が行橋市で見つかっている。

町教委は28日午後1時から同町豊津の町歴史民俗博物館で説明会を開く。参加無料。問い合わせは同館(0930・33・4666)へ。
26エマタラ:2014/01/03(金) 15:50:56.38
なぬぅ?!
27日本@名無史さん:2014/01/03(金) 16:09:30.43
キチガイじみた妄想ばかりだしいい加減にしろ。学問でもなんでもないわ
28日本@名無史さん:2014/01/03(金) 16:16:42.71
学問とは、真実を追求するものであって、邪道も王道も鬼道もない。
29日本@名無史さん:2014/01/03(金) 16:23:51.82
http://www.youtube.com/watch?v=l4swAYIl7lc
山形明郷先生講演会(1)

http://www.youtube.com/watch?v=4PybWxLb2kI
山形明郷先生講演会(2)

http://www.youtube.com/watch?v=ciKX5gVEqTE
山形明郷先生講演会(3)

http://www.youtube.com/watch?v=iK2cKMDiISo
山形明郷先生講演会(4)

http://www.youtube.com/watch?v=aut1de_A1Ps
山形明郷先生講演会(5)
30日本@名無史さん:2014/01/03(金) 16:26:07.64
○大國主はスサノオの七世孫

といふは、古事記の記述におけるまぬけな誘導

「此~娶」の「此~」は速須佐之男命であり

大國主のとおちゃんはスサノオそのひと(本拠は根堅洲國)

大國主のかあちゃんのひとは(朝日之直)刺國若比賣

異母兄の八嶋士奴美~のが八十~群のかしらのひとであり

大國主の先祖のおひとなのではないのだ

「故 此大國主~之兄弟 八十~(八嶋士奴美~)坐」

だいたいにおいてスサノオの娘のこと略奪駆け落ちで嫁はんなんだしね
31日本@名無史さん:2014/01/03(金) 17:23:56.17
スサノオは高天原からオオゲツヒメの所で飯食って
出雲へヤマタノオロチ退治に行くんだからな。
普通に考えて葛城の高天原出て阿波から出雲へ向かう話。
32日本@名無史さん:2014/01/03(金) 17:24:15.32
20
貴説は共感するところが多い。
ただし、狗奴国を久留米付近とするところまでは同じであるが、元々邪馬台国と同一の国又は兄弟国とするのは違和感がある。
高良山の玉垂命は元々高木神が鎮座しており、その高木神が麓におろされ、変わって玉垂命となっている。
これは支配勢力が変わったことの証と考えるが、邪馬台国と狗奴国が同一の国とすると説明がつかないからだ。
阿蘇や肥前には鯰の伝承がある。このことから狗奴国は呉系の勢力ではなかったかと考えている。
九州には 原 を バル と発音する地名が多い。前原、目田原など。
また、帯隈や日ノ隈など、クマという地名も多い。
それらを調べているが、もし分かるところがあればご教唆頂きたい。
33満州二等兵:2014/01/03(金) 17:40:42.57
稗箕狐の指摘を受けたので日本書紀を調べてみた。
スサノオと大国主の系譜には三つの伝が載っている。
本文はスサノオと稲田姫の子を大己貴神としている。
しかし残りの二つは大己貴はスサノオの六代孫としている。

古事記が七代孫とし、日本書紀も三つのうち二つは六代孫としているのだから、
古事記を信用すべきである。こういう場合、代数が多い方が信用できるからである。

ちなみに「此大國主~之兄弟 八十~坐」は、
大国主の兄弟は八十神いる、という意味であって八嶋士奴美~とは何の関係もない。
稗箕狐は八十~=八嶋士奴美~と解釈したのだろうが、
そういう変な妄想を働かせたがるのがこの男のアンポンタンなところだw

稗箕狐よ、お前はいつも妄想ばかり書いてるから、もう誰にも相手にされていないぞw
34日本@名無史さん:2014/01/03(金) 17:49:55.24
古事記は泥棒のはじまり

日本書紀はぱくりの集大成

七代孫が娘を略奪婚できるわきゃねえよね

矛盾を追及しないこと



史料批判を放棄することと同
35エマタラ:2014/01/03(金) 18:47:20.65
【正月】そもそも、正月って?!

習慣としては、お世話になった人や知人などに年賀状を書くことや、
お年玉、餅つき、凧揚げ、おせち料理、などが有名ですよね。

で、正月とは、一年が無事に終わった事と新しい年を祝う日ですが、
そもそも、元旦というのは、天皇ご即位の日でもあり(旧暦でいうと2月11日)、
イワレヒコ(天津系)とヒメタタライスズヒメ(大物主系)がご結婚する事を
1日〜31日まで国民全体で盛大に祝う という背景もある。

だからといって、学校や仕事を31日まで休まないように!
36日本@名無史さん:2014/01/03(金) 18:55:30.44
そーがちで〜ビル
37満州二等兵:2014/01/03(金) 19:15:14.16
>七代孫が娘を略奪婚できるわきゃねえよね

稗箕狐がこれをどういう意味で書いているかというと、
アマテラスとスサノオは同世代なのに、スサノオの七代孫が
アマテラスの娘と結婚できるわけがない、という意味なのだろう。

そこが稗箕狐およびここの連中および全学者のアホなところである。
神代の代数を歴史時代の系譜と同じように考えているのである。

かつて西洋の大司教が聖書の系譜を数えて、アダムは紀元前五千年頃と唱えた。
大司教の唱えた説なので当時の人々はこんなアホ説を信じていたのである。
アダムはレムリア時代で、カインとアベルはアトランティス時代である。
何百万年も前の人間なのである。

神武の父のウガヤも少なくとも一万年以上前の人間である。
その父ニニギの降臨は79万年前だと日本書紀に書かれている。
アマテラスやスサノオもレムリアかアトランティス時代である。
何百万年も前の人間なのである。

古代の系譜はアマテラスの子はすべてアマテラスと書いているのである。
多紀理毘賣命の子はすべて多紀理毘賣命である。
多紀理毘賣命の子が何万人いようとすべて多紀理毘賣命である。
紀理毘賣命の時代は何万年も何十万年も続いたのである。

朴はこのことを何回か書いた。しかしここの連中はそんなことは信じない。
信じないのも無理はないが、しかし本当のことである。
38太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/03(金) 19:24:22.09
>>アダムはレムリア時代で、カインとアベルはアトランティス時代である。
 何百万年も前の人間なのである。

こんなことを言ったって、根拠証拠等がなければ単なるカルトの信じよの
優先を用心せず丸受けの丸吞みしてるだけで、ここらへんの学術スレには
クソ以下の主張となる。オマエはカルトの板で言ってろ。

オマエ脳内は確かか〜??w
39日本@名無史さん:2014/01/03(金) 19:28:42.23
嫡妻須世理毘賣ののことね
40日本@名無史さん:2014/01/03(金) 19:46:45.17
34
ある意味、現代世界が日本書記のパクリ
古事記には根の国表記あるからな、古き事記、振ること記
なんか人間の意識操作にでも関連しそうな話だ
1000年代に始まった夢の中にみんないるんだよ
41日本@名無史さん:2014/01/03(金) 19:51:34.35
38
カルトもなにも200年〜1000年ころってブラックボックスだろ
この辺、隠蔽してんだろうよ
42日本@名無史さん:2014/01/03(金) 19:58:49.86
アダムとイブに類似した神話は、世界中の様々な民族の伝承にあります。
我が国ではさしずめ伊弉諾尊と伊奘冉尊。 中国では伏羲と女媧。
ちなみに、我々ホモサピエンス(現有人類全てはホモサピエンスの単種)の 歴史は分化発生から約20万年 と言われます。
約五万年前の急激な気候変動(寒冷化)により絶滅すんでのところでエデンの園、東アフリカを後に旅立た事が現在の大繁栄の端緒。
その際の人数は僅か数十人だったとも。
遺伝子の解析からは全人類はこの5万年前の9人の母親に集約される云々。わ
43日本@名無史さん:2014/01/03(金) 20:17:23.96
神武天皇(とされる)のヤマトの嫁はニギハヤヒ尊の娘とされますが、
また、ニギハヤヒは天火明命の事とされて天火明命がヤマトに天下り在地王朝のナガスネヒコの妹ミカシヤ姫 と結婚して生まれた媛が神武天皇の后。
これは系譜(世代)上は絶対あり得ないマッチング。
神武天皇は天火明命の曾孫の倭宿禰命(神武天皇を出迎えた)やその父親の天の村雲命等と同時代のお方の筈。
いくら老年期にもうけた娘としても天火明命の娘(生存してもかなり高齢なお婆さん)と神武天皇は全く不釣り合い(あり得ない)組み合わせ
44日本@名無史さん:2014/01/03(金) 20:33:01.95
あの番組を見た人ならわかるだろうが、
ブルガリアのトラキア王の黄金のマスクをやっているけれど、
トラキアの古墳が日本の古墳と酷似する。石室の作りまで似ている。
トラキア人にもシャーマンがおり祈祷をし、殉葬の習慣まであった。
文字を持たなかったこの謎の民族こそ邪馬台国ではないだろうか?
ズバリ言おう。邪馬台国はブルガリアにあった。
そして、ギリシャやマケドニアのアレキサンダー大王に追われて日本列島まで逃れてきたのだ。

正月早々、また新しい発見があった。
45日本@名無史さん:2014/01/03(金) 20:51:28.27
43
イワレヒコの曾祖父さんの兄ちゃんがホアカリ。
一世代が20歳で子作りしたとして、イワレヒコが20歳で20歳の嫁をもらうとしたら、ホアカリの娘はホアカリが60歳で仕込んだ娘だ。
俺なら、いけるぜ。
ただし、先代旧事本紀では饒速日をホアカリとするが、本当のところどうなんだろうなぁ。
物部氏調べてるけど、何が何やら、わかんないぜ。
46日本@名無史さん:2014/01/03(金) 20:59:37.83
44
面白い!
拍手一回。
47日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:06:37.45
朱雀天皇のときが朱鷺の夜明けって解釈でいいんだろ
どっちにしろこのときがなんらかの転換期
48日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:10:56.63
誰かが貼った記事のなかにその辺を赤毛猿が占領しただの討伐があっただのって記事があったな
中国の皇帝かしらんがミコトノリがあっただのなんだの
49エマタラ:2014/01/03(金) 21:11:54.53
>>44
似てる、似てる
日本人はマネッコだからね~仕方ない(笑)
50日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:18:00.90
世の中蜃気楼〜♬歌っちゃうよ|( ̄3 ̄)|
51日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:20:55.70
>>44
ブルガリアのトラキアの古墳にも色彩を施した石室が存在した。
それが日本に伝わって、キトラチ古墳になった。
正月早々、妄想、じゃなくて夢が広がります。

宮内庁所管の陵墓に埋まっている天皇家の財宝の価値は数兆円を下るまい。
それが天皇家をして世界一の名家といわれる由縁だ。
52日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:30:09.05
好太王碑みたいなもんでしょ
漢委奴倭王って金印も本来ならホントに金印がでてくるわけないんだけどね
金印の意味が違うんだから
53アセロラ:2014/01/03(金) 21:45:53.87
>>44
渡って来ていても、おかしくはない。

でも>>44のように文章で表すと、
数日〜数週間で日本に辿り着いたような錯覚に陥る。

この七行の文章に数百年〜数千年の歴史が流れている。
54日本@名無史さん:2014/01/03(金) 22:09:10.08
>>53なるほど。
ブルガリアのトラキア王は数百年の時を経て曰本に渡ってきて、日本の古墳文化を生み出したというのですね。
だとすると、その経路に古墳文化が残っていないといけない。しかしそうではないことはお分かりですよね。
つまり、トラキア王は、直接日本までやって来た。
倭国、つまり、黄金の国ジパングはブルガリアにまで親王任国を作っていたのだ。
これでまた謎が増えてしまった。
55エマタラ:2014/01/03(金) 22:10:40.33
NHKで日本神話やってるね
56満州二等兵:2014/01/03(金) 22:59:50.61
誰が貼ってくれたか知らないが>>29の山形明郷先生講演会を見ていた。
まさか講演会をやっていたとは知らなかった。
朴は氏の本を読んだからこんなものを見る必要はないが、
読んだことのない人に言っておくと、
山形明郷の話していることには誤謬もあるから注意すること。
誤謬もあるがそれを補って余りある有益なことも語られているから、見て損はしない。
九州説や畿内説や考古学の本を読むよりずっと有益である。

S氏や浜名寛祐にも誤謬があるのである。どんな人間にも誤謬はある。
だからといって(こんな奴はアホだ)と決めつけないように。
57満州二等兵:2014/01/03(金) 23:13:38.43
カインとアベルはアダムの子である。ところがアダムはレムリア時代で、
カインとアベルはアトランティス時代なのである。
レムリア時代とアトランティス時代は何百万年も離れているのに、
父はレムリア時代の人間で、カインとアベルはアトランティス時代の人間なのである。

古代の文献や伝承はすべてこのようなのである。
神武とウガヤ、ウガヤとニニギの間も何万年、何十万年も離れているのである。

太国は証拠を出せと言うが、そんなものは出せないのである。
出せないが、過去を霊視できるなら分かるのである。
世の中には霊視によってしか分らない事柄があるのである。
58日本@名無史さん:2014/01/03(金) 23:56:23.68
拍手 (→ 爆笑)
59日本@名無史さん:2014/01/04(土) 04:02:55.86
山形明郷の講演会の動画を見たよ。
かなり説得力のある内容で納得していたが、論評を見て、なんだかなぁ〜と思ったよ。
三韓に関する文献や地域的な伝承と突合させると、三韓があの地にあったって整合しない部分があるし、邪馬台国は山島って記述と整合しなかったりと、細かく考えると整合しない部分が多数あるんじゃないかなぁ。
邪馬台国以前は倭の地は半島の奥まったところまであったんだろうとは思うが、あの説は違うんじゃないの〜
60日本@名無史さん:2014/01/04(土) 07:37:02.64
そもそも倭が国とはどこにも書かれていないしな
邪馬台国はでてくるけど倭国ってのはどこにもでてこない
倭人伝しかり倭の五王しかり、倭王ってのはでてくるけど
それ以外で中国史ででてきて日本臭いのは吾国ってくらい
61日本@名無史さん:2014/01/04(土) 07:42:05.33
そもそも独自解釈させてもらうと王って表記が行われたのは
三皇五帝の八王以降ではないかと、王は応にも通じる
この辺は応神天皇の方となんらか被りそうな感じがするな
62日本@名無史さん:2014/01/04(土) 08:30:21.40
倭の五王は「倭国王」を称して、それを南朝が認めてる
63アセロラは次男:2014/01/04(土) 08:39:44.71
記紀に書かれている事なんて信じてないけど、
ここの住人は信じてるの?
64日本@名無史さん:2014/01/04(土) 08:49:15.02
固定観を捨てた上で信じてるけど

あれって元のはどういうのか分からないけど
八幡愚童訓などと同じ類いのものだと思ってる
65日本@名無史さん:2014/01/04(土) 08:52:15.35
ぶっちゃけ古代の中国史を書いた人々らの素姓ともこの辺は絡むのかねえ

中国が中華主義になったのが850年か
66日本@名無史さん:2014/01/04(土) 09:14:21.66
どうにもこうにも人間の意識チェックを題材にして書かれてるようなのが多いんだよな〜
王(応)の時代ってかいたのそういうこと
67太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/04(土) 09:21:13.41
>>57 満蒙巣巣韓句コングよ
証拠が出せないなら、説得力はゼロ。><

オマエ、は霊視とか幽霊関係で論を張っており、ならばカルト・スレで
やってろ。コチラのスレにはオマエのは何の評価も無い。


http://www.senkosha.net/news/gekkou/gekko201209.html
68日本@名無史さん:2014/01/04(土) 09:31:27.23
山形先生の説は初めて聞いたけれど、
私が考えていた倭王の領域のイメージとかなり重なることに驚いた。
すなわち、倭国王の親王任国である遼東半島近くの任城国、任那日本府があったと考えている木浦の任城里。
もう一つ、「牟」と関連する地名、すなわら、鴨緑江流域の牟頭婁、任那4県の一つ牟婁。
すべて山形先生の倭国の領域に含まれる。

だとすると、遼東半島や朝鮮半島に限定せず、九州の大牟田、香春市の隣の今任原などを含む黄海の沿岸領域を広く支配していたとする方が自然だ。
邪馬台国は九州で、倭国は、黄海沿岸の海洋系民族の総称としてもなんの問題もなさそうに思う。
69満州二等兵:2014/01/04(土) 09:37:24.81
1182 和泉國 雜姓 山田 造 新羅國天佐疑利命之後也。
608 攝津國 神別 天孫 羽束 天佐鬼利命三世孫斯鬼乃命之後也。

この天佐疑利命(天佐鬼利命)は古事記に天之狹霧~、天狹霧~と書かれていることが分かった。
山~の大山津見~と野~の野椎~が生んだ神の中に出てくる。相当古い神である。
一方、大國主の九代孫が天狹霧~の娘を娶って遠津山岬多良斯~を生んでいる。
大国主は山~や野~と比べるとはるか後代の神であるから、
その大国主の九代孫が天狹霧~の娘と結婚できるはずはないが、
>>37に書いたような理由で結婚できるのである。
だから神話の神の系譜を現代と同じように考えてはいけないのである。

で、天狹霧~は相当太古の神であるから、
それが新羅の神と書かれていても何の不思議もないのである。
太古は韓も倭も同じだったからである。
ちなみに遠津山岬多良斯~は韓を連想させる名である。
遠い韓半島のタラシ国の神と解釈できる。

>>59
受け取り方は人様々だから、他人の意見に左右されないように。
それに>>56にも書いたが、山形明郷の言っていることが全部正しいわけではないのである。
全部正しいわけではないが、大いに参考になるのである。
70太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/04(土) 09:41:09.70
>太古は韓も倭も同じだったからである
拡大視しすぎの主張であり、当時韓と倭は別々である。
71日本@名無史さん:2014/01/04(土) 09:56:03.31
人間という種の起源はサルだろ
この辺が古代大和朝廷となんらかに繋がってくるんじゃねえのかな?
72日本@名無史さん:2014/01/04(土) 10:00:27.10
現代朝鮮人に対応する罵倒としてはあれだな
日本から出て行け、じゃなくて半島から出て行けが正解だろう
73日本@名無史さん:2014/01/04(土) 10:13:04.09
>>32
あなたに面白い説を教えよう。
久留米(筑後地方)の名称だが・・
筑後は筑紫勢力(天孫族、博多湾岸勢力すなわち倭国)がつけた名前である。
どういう意味かというと、「筑紫の後ろ」「筑紫の都から遠い所」という意味である。
「筑紫の後ろ・筑紫の都から遠い所」=「筑紫の後ろ国・筑紫のみちのしり国」→「筑紫後国」→「筑後国」
筑後という名称が確立してから、本来の筑紫は筑前になったと考えてよい。
何故なら、「筑紫国」があってその後ろに「筑紫後国」ができ「筑後」になった。そして「筑紫」は「筑前」になったのだろう。

そして、何故久留米付近が「筑紫後国」になったかというと、「筑紫」が支配したからだろう。
だから「筑紫の都から遠く離れた所」という意味も込めて「筑紫後国・筑紫のみちのしり国」とよばれるようになった。

それでは「筑紫後国」なる前はなんだったかというと・・
「筑後」を挟んで佐賀長崎側が「肥前」、熊本側が「肥後」、つまり「筑後」は
「筑紫後国」になる前は「肥中」だったんではないかという説だ。

「越前・越中・越後」や「備前・備中・備後」のように「肥前・肥中・肥後」だった可能性はある。
しかも地理的に現代も「肥前・筑後・肥後」になってる事を考えると、
本来は「筑紫」は福岡平野周辺のみで「肥前・肥中・肥後」が正しい並びのようにも思える。

「筑紫」が「肥中」を奪い「筑後」に変えた可能性があるという事。

そして、筑後はまさに北に上れば筑紫があり、南に熊本、西に佐賀長崎、東に大分と
まさに交通の要所。
古代より、博多湾岸の倭国天孫族邪馬台国連合をはじめ、熊本や佐賀や朝倉等々の勢力が
互いに支配しあった地域だと思われる。
魏志倭人伝の頃はその直前に筑後周辺を博多湾岸勢力が治めていたが、分裂か仲たがいがおこり
久留米周辺勢力が狗奴国となり、博多湾岸の倭国邪馬台国連合と争ったと考えても不思議ではない。

筑後の覇権はその時代その時代で激しく入れ替わっていた可能性はある。
74日本@名無史さん:2014/01/04(土) 10:59:57.76
>>32
そして、天孫族が付けた「筑紫後国」という名前。
つまり、「筑紫」は「筑紫後国」の前、博多湾岸という事。

つまり、「筑紫の〜」で始まる一連の天孫族の舞台は博多湾岸という事。
つまり>>13->>18がほぼ確信に近いという事だよ。
75日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:02:52.84
上総・下総、上野・下野、上諏訪神社・下諏訪神社、上賀茂神社・下賀茂神社、
北が下、南は上。太陽に近い南が上というのは明白だ。
一方、豊前・豊後、筑前・筑後方は、日の登る方向、東が前、西が後というわけでもなく、
時間の経過なのか?
76日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:04:17.06
訂正

そして、天孫族が付けた「筑紫後国」という名前。
つまり、「筑紫」は「筑紫後国」の前、博多湾岸という事。

つまり、「筑紫の〜」で始まる一連の天孫族の舞台は博多湾岸という事。
つまり>>13-18がほぼ確信に近いという事だよ。
77日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:10:53.01
73
越後、越中、越前とかは元は若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、羽前、羽後
全部ひっくるめて古志の国
分国法知らねえのかな?
78日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:13:34.59
九州の国単位になったのは西暦700年ころ
それ以前は筑紫と日向とあとは思いつかねえ
79日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:16:46.70
もとは若狭越前加賀あたりまでが越前で越中から越後揚北あたりまでが越中、揚北から出羽までくらいが越後じゃなかった?
80日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:19:34.39
>>77
応用も利かない低能はすっこんでろw
お前みたいなクズは視野が狭すぎるアホなんだよ。

「肥前・肥中・肥後」と「筑紫」をお前が書いた低能レスに入れてみろボケw

答えが見えないか?? お前みたいなアホには難しいだろうなw
81日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:22:59.85
応用とかいってるやつが低脳だの視野だのいぅてるのかい?
笑われるぞほんとにo(^▽^)o
82日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:30:08.96
>>78
南九州のクマソのアホはすっこんでろw
何が日向だ??www 笑わせるなw
お前らは クマソ なんだよw
どさくさに紛れてアピールすんな 南九州のクマソのアホどもが

古代九州の4か国
「筑紫国は白日別と謂う」
「豊国は豊日別と謂う」
「肥国は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と謂う」

「熊曽国(くまそのくに)は建日別と謂う」←お前ら南九州はココw つまりクマソww

そして>>77の低能よ 分かったか??
「肥前・肥中・肥後」と「筑紫」の関係が。
83日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:35:22.98
>>77>>81
低能君わかった??

君の低能レス>>77>>80>>82を当てはめて応用してごらん。
>>73>>76の謎が解けたかな??
低能の丸出しで>>77のようなこと書く君の知識じゃ理解できないかな??(笑)
84日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:39:50.96
へー、西暦何年ころ?
どうも中国史と合わせて比べてみると面白いな
日本書記にでてくる崇神天皇のあれには九州なんて
でてこないけどな
85日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:40:56.72
>>82
それなんだけど
肥国、豊国のどちらがどれだけ宮崎鹿児島県域を含んでいたか、
あるいは含んでいなかったか、分からんでしょ?
日向国は8世紀初めの時点で薩摩国大隅国を含んでいたのは確か
それより前、律令国の前、豊国別という別称を知ってるでしょ?
建日向日豊久士比泥別から肥国との関連性を主張する人もいるよ
86日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:42:05.62
日向は薩摩大隅含んでいたんじゃねえの?
どうにもこうにも合わないな
87日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:44:24.64
山形明郷『邪馬台国論争 終結宣言』星雲社(9505)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/

著者の山形氏は、宇都宮市在住の在野の古代東アジア史研究家である。
上掲書の冒頭に付された、栃木県婦人ペンクラブ会長・吉田利枝氏の「書評」を引用しよう。

「正史二十五王朝史」総冊実に二百八十九冊・三千六百六十八巻に上る驚異の大冊原書に加え、「戦国策」「国語」「春秋左伝」「十八史略」「高麗史」「三国史記」等々、
更に、現・人民中国編集委員会が発行する「月刊・人民中国」そして、李鐘恒氏をはじめとする現・朝鮮半島内学者と共に、
在日朝鮮公民として亦斯界で活躍される全浩天氏諸兄の関係著作論文、その入手苦労されたであろう往年の「大満州国地図」「中国歴史地図」をも机辺にされ、
これら厖大、広範な古文献、多彩な諸資料を丹念に解読・精読を重ね更にこれら叙述内容への精緻な比較・照合・検索・検証に亦精魂を傾けられ、
待望久しかった私どもは、この程漸くにして上梓完成されたこの珠玉の大著に見えることができた。

とあります。
88日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:52:11.34
>>77>>81
の低能君に特別に答え教えてあげようか??
お前が書いた
>越後、越中、越前とかは元は若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、羽前、羽後
全部ひっくるめて古志の国

つ・ま・り >>82で書いてるように九州には「筑紫」「豊」「肥」「クマソ」の4か国があるんだよ。
つ・・ま・・り・・ 肥前、肥後は「肥の国」そして福岡の「筑紫国」があるが、
本来の国別けは「肥前・肥中(筑後)・肥後」の肥の国、
そして博多湾岸の「筑紫国」じゃないのかって話なんだよ、オチビちゃんw

その理由として、「筑後」は天孫族が筑紫の都から遠い所という意味を込めて
「筑紫の後ろ国・筑紫のみちのしり国」=「筑紫後国」と名付けたからだよ。

つまり、本来の「筑紫国」は博多湾岸福岡平野付近だけの事じゃないかという事。

そこから導かれる結論は>>13-18にかいてるように
「筑紫の〜」ではじまる天孫族の舞台はやはり博多湾岸だという事だよ。

わかった?? 低能君(笑)
89日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:59:23.69
>>88
古事記は偽書と言うか、日本書紀の後に、個人的に私見を書き記したとの見方が有力よ。
そういう見方をする根拠がそれなりにあってな。
90日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:04:36.24
>>85>>86
安心しろ、南九州はない(笑)
クマソの国だ。

お前らが少しでも倭国や邪馬台国や天孫族にかかわりたい気持ちはわかるが
いかんせん無理だ。 あきらめろ。 お前らはクマソなんだよ。

後漢書「伊都国が倭国の極南界」
倭人伝「北限は狗邪韓国、南限は奴国」
記紀 「筑紫国は白日別と謂う、熊曽国(くまそのくに)は建日別と謂う」

 「耶は伊都に届き傍ら斯馬へ連なる」

あーーーー 南九州のクマソは絶対にないwwww

ついでに文化も何もかも博多湾岸の倭国邪馬台国天孫族大国主とは全然ちがうぅぅぅ・・・

南九州はクソクマソだな。
91日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:06:49.33
>>89
akiramenakitigaikumaso
92日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:14:38.92
いや別に熊襲でもどこでもいいんだけどさ
九州の人間なら無数の先祖の中に熊襲だけでなく遠い蝦夷も何人かいるだろうさ
1人でも欠ければ今の自分が存在しないとか考えたことないだろあんた
93日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:24:34.57
>>85>>86
古代九州に「日向国」なんてありません。
あるのは、「筑紫国」「豊の国」「肥の国」と「クマソ国」の4か国です。

そしてあんたらのいう「日向」は国名ではありません。
天孫族が活躍したのは「筑紫の日向」つまり「筑紫国の日向」です。
「筑紫(国名)の日向(小地名)」が常識であり、
そもそも「日向国」自体が古代九州にはありません。ありもしない「日向国」とかwww
そして、すべて「日向」から始まりません。すべて「筑紫」から始まります。
「筑紫の日向」です。

それから神武天皇からだいぶ後世の景行天皇がクマソ討伐をした際、
宮崎を「日向」と呼ぶことにしようと話したのが「宮崎日向」の始まりです。

ようするに、初代天皇の神武天皇が出発した「筑紫の日向」は宮崎ではありません。
そもそもそのころに「日向国」は九州に存在しません。
「筑紫の日向」発った神武天皇は「筑紫国の日向」を出発したのです。

そもそも宮崎にはな〜んにも天孫族が暮らした痕跡はありませんw
高千穂とかバカですか?? あんな高地に引きこもって天孫族みんな引きこもりですか??
天孫族が32世過ごした日向宮など宮崎にはありません。 まして日向3代すら痕跡はありません。
ただの妄想宮崎クマソでした・・・
94日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:29:29.30
大丈夫?
95日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:31:58.83
日向は肥国の一部
熊襲は大隅国曾於郡のこと
96日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:38:46.02
>>95
それなら「肥国の日向」だろ。
ばかじゃね〜のか お前ら 

ほんと南九州人は現代人もキチガイだな。 やっぱ クマソ だわw

古代九州に日向国ってのはないんだよ。 わ・か・る??

お前のいう「肥国の一部」が日向なら、
天孫族の話は全部「肥国の日向」だろ(笑)

現実わかってる?? おバカ南九州人??

全部「筑紫の日向」ですけど・・・

ほんと南九州人って必死すぎてきもいんだよ。
「おらが村に邪馬台国を・・天孫族を・・・」ってキモすぎw
南九州のクマソが

南九州人や南九州がほんとに嫌になるようなやつらばっかだな、南九州人ってのは。
97日本@名無史さん:2014/01/04(土) 12:47:04.01
長くなるが、「筑紫の肥国の日向」だ、ただそれだけのことさ
98日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:00:53.60
73
筑後の覇権はその時代時代で激しく入れ替わっている件、同意です。
肥前基山の荒穂神社は筑紫の国魂半島由来とされる五十猛を主祭神とし、高良の神と激しく石を投げ合った伝承がある。
そして肥の国が陸続くになっていない不自然さは、元この地が肥の領域であったろうと思う。
また、肥は火であり、漢字以前は 日 の意味を持っていたろうと思う。
肥は、建日向日豊久士比根別は多くの意味を含む名である。
他方で半島由来の神が記紀において冷遇されている面も見える。
博多湾岸、肥、豊が日本の黎明期に多くの影響を与えていることは間違いないが、博多湾岸だけが日本を創り上げたとするのは疑問である。
99満州二等兵:2014/01/04(土) 13:01:19.44
どうでもいいけど、そんな話は九州スレでしてくれ。

福岡狂徒は日向は北九州の日向だとわめきちらしているが、
それを学問的に証明するのは大変なことである。
一生かかってそれを研究してみればいい。
2chなら何でも言えるが、学問的に証明するとなると大変なことなのである。
早い話、そんな説を唱えているのは古田だけである。
学界の誰もそんな説は認めていない。

とにかく福岡狂徒は自説を本に書いて発表するくらいの覚悟で勉強しないと、
ここで何を語ってもダメなのである。
それは四国説男や東海説男にも言えることだ。
世間の人を納得させるような本を書けないかぎり、
2chでわめきちらしても無駄なのである。
100満州二等兵:2014/01/04(土) 13:07:09.85
それから熊襲と隼人が同じかどうかは知らないが、同じだとしたら、
熊襲は神武と同族である。記紀の隼人の系譜を見れば分る。

福岡狂徒はこういうことを分かって書いているのか?
101日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:09:04.39
.>2chでわめきちらしても無駄なのである。

2chは学者ゴッコをするお遊びの場であり、それをわかってないやつはアブナイ人
102日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:09:30.92
98
九州はどっちかというと中国での初期の争いで逃げてきたやつらが多いって印象だな
この辺は遺伝子調査でも向こうと型が一致する結果がでていたはず
103日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:10:09.52
姫氏の呉だな
104日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:12:46.00
確か防御関係の遺跡がでていたわな
105日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:13:42.73
とくに長崎だのあの辺が多いんだろ?
106日本@名無史さん:2014/01/04(土) 13:18:06.93
出雲関係のスレッドが
どのようになっているのか見てきます
107日本@名無史さん:2014/01/04(土) 14:50:43.51
現在の筥崎宮、あそこが日向臭いな。牟と任と光いう文字に注目して読んでください。
筥崎宮の参道をまっすぐに伸ばすと志賀島の金印公園に繋がり、
更に伸ばすと対馬を通って朝鮮半島の順天市光陽港付近で上陸、光州市付近に達する。ここが任那である。
光州市東部には無等山という山があって、ここは牟頭婁山だったと思われます。
更に西に伸ばすと、山東半島の狼台市牟平区に達する。
更に進むと誤差が大きくなるが、天津市郊外の任丘市に達する。
天津が取りあえずの天孫族の出航の地としましょう。

逆に筥崎宮から東に伸ばすと大分県津久見市付近に達する。そうです。神武東征出航の地です。
神武集団はその後、足摺岬の西に浮ぶ鵜来島に日向鼻という地名を残し、太平洋の藻屑と消えたと思われる。
108日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:15:52.14
日向っつのは東じゃ無くて南が開けた土地だろ。南端
109日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:17:57.26
>>107
高知足摺岬の日向鼻は条件が良ければ日向の山々が見えることから付いた
名付けたのは日向国成立以後から近現代のことであり神武はとっくに崩御されています
110日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:18:38.98
日の出る方向が日向ではないのか?
111日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:19:50.05
神武は南米チリ辺りに着いたんじゃないのか?
112日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:22:19.04
日の出る方角に向っている地 = 東〜南に向って開けている地 = 日向 
113日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:22:58.36
呉の孫武将軍は立派だが王のフサはいささか短気すぎるようだな。
徐福は有明海から肥前の金立に不老長寿の薬を求めおもむくが、有明海から金立まで案内したのは、地元に住んでいた源蔵さんというお方だ。
2200年ほど前の話だぜ。当時から本当に源蔵さんなんて、名前があったなんて不思議だ。
初期吉野ヶ里には華中由来の四眠蚕があ出ている。後期は半島由来の三眠蚕が出るが。
114日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:43:12.12
猿田彦だって取って付けたような名前だし、 八咫烏= ヤタガラスも変な名前だ。
この3本足のヤタガラスは、ギリシャ神話にも出てきて、
昨日のテレビでやっていた黄金の国のトラキア王は、ヤタガラスに導日本列島に渡ってきて古墳文化を起こした。それが神武東遷の始まり。
そういう筋書きなんだけれど。
115日本@名無史さん:2014/01/04(土) 15:44:06.50
ヤタガラスに導かれ、です。
116日本@名無史さん:2014/01/04(土) 16:10:34.58
そのヤタガラスをトレードマークとする現代の総合商社兼旅行代理店のような集団、
歴史の転換点でこの集団が歴史を大きく動いている。
モーゼがイスラエルの民を従えて紅海を渡ったのも、
アレキサンダー大王が東方遠征を果たしたのも、
コロンブスがアメリカ大陸を発見したのも、
神武がトラキアから日本に移り住んだのも、
マゼランが喜望峰を回れたのも、
案内人コーディネータとなる集団の手引きがあったからこそ可能になった。

トラキアからの移住の際は、土建や集団を大量に導入して前方後円墳を造らせいるが、
これは、万里の長城作りが終わったことから大手ゼネコンの雇用対策でもあった。
総合商社は世界中をまたにかけ、需要の掘り起こしをしていたのだ。
なぜなら、トラキア王が一時居ついた遼東半島は、万里の長城の海への出口だからだ。
117日本@名無史さん:2014/01/04(土) 16:24:59.24
倭とは、民族国家ではなく、海商都市国家連合。
地中海フェニキアから極東の日本海、ベーリング海峡を渡って北アメリカ、南米チリ、
ホーン岬から大西洋を渡りスペインまで繋がる情報網を持っていたのかもしれない。

というのが、実は結論なのです。
118日本@名無史さん:2014/01/04(土) 17:16:17.85
総合商社ができたのっていつ?
119日本@名無史さん:2014/01/04(土) 17:21:08.92
倭は船を用立てし、神武集団を遼東半島から九州へ案内した。
さらに、もっと安全で住み吉い大和盆地を紹介したのも倭だ。

恐らく、食料を調達する仕事・以外で人類最初の男の職業は道案内や荷役で、女の最初の職業は娼婦。
120日本@名無史さん:2014/01/04(土) 17:30:00.44
ぶっちゃけ今の半島満州からヨーロッパにかけては人身売買の航路ってのは分かってる
まあいいや
121米国大統領(仮):2014/01/04(土) 17:34:21.01
それよりも
あの朝鮮海表記はどうなったの?
122満州二等兵:2014/01/04(土) 17:50:29.78
どのスレもレベル低下がひどいな。
とくに畿内説スレなんて二人のバカが延々とアホ丸出しの議論を続けている。
しかし四国説男(ジョーカー)には良い薬だろう。
四国説のばからしさをうんと思い知らせてもらうがいいw

このスレにもろくな人間が出て来なくなった。
こんなことなら伊作やローガンが出ていた頃の方がずっとましだった。
稗箕狐や太国や風ゴキでさえ、ここの名無しのチンピラ連中よりましだと思える。
とにかく名無しの連中にろくなのはいない。

さて事代主の系譜だが、先代旧事本紀では大国主が
アマテラスの娘の多岐都比売命を娶って生まれたとなっているそうだ。
ところが古事記では~屋楯比賣命を娶って生まれたと書いてある。
この~屋楯比賣命とは何者なのか。アマテラスの子孫なのか?

もしアマテラスの子孫でないなら、天皇家がアマテラスを祀る意味はまったく無くなる。
なぜならスサノオが娶ったのは稲田姫で、稲田姫はアマテラスの子孫ではないだろう。
そうすると大国主はスサノオの子孫だからアマテラスの血は入っていない。
そうすると~屋楯比賣命がアマテラスの子孫でないなら、
ヒメタタライスズヒメにも(その母親は不明だが)アマテラスの血は入っていないのである。

つまり天皇家とアマテラス家は血のつながりはまったくないことになり、
アマテラスが皇祖となるべき理由は一切なくなるのである。
123エマタラ:2014/01/04(土) 18:19:18.55
日向って前原市と博多をつなぐ日向峠らへんではなく、
現在の筥崎宮があるところ?
日向と箱崎宮との関係を示して欲しい。
124満州二等兵:2014/01/04(土) 19:19:12.13
日向峠。そんなものは地元民しか知らない小地名なのだから、
そんなものが記紀の日向であるわけがない。
日向といえば宮崎に決まっている。

>>122の訂正
ヒメタタライスズヒメの母は勢夜陀多良比売(玉櫛姫、活玉依姫)らしい。
三島溝杭の娘らしいが三島溝杭もアマテラスの子孫ではないようだ。
ということで天皇家とアマテラスの血のつながりは無いのである。
125日本@名無史さん:2014/01/04(土) 19:50:16.74
どのスレもレベル低下がひどいな。
とくに満州なんたらなんてのがアホ丸出しで,こそこそ他スレの批判を繰り返している。
批判するなら本人の前でしろ。このチキンやろうがw

このスレにもろくな人間が出て来なくなった。
伊作やローガンも消えたし、稗箕狐や太国や風ゴキも消えた。
ここの名無しのチンピラ連中もレベルが低いが、聞く耳だけは持っているだけましだあ。

ヤタガラスの手によって、ギリシャ神話のゼウスが アマデウス(アマ=愛する・デウス= 神)に変化し、
アマテラスとして日本神話に挿入されたのだから、トラキア王の子孫である天皇家がアマテラスを祀るのは形だけの儀式だ。
日本神話の多くは、ギリシャ神話を下敷きにしており、それを持ち込んだのは文字を持たないトラキア人ではなく、
道案内をしたヤタガラス、つまり、倭人だ。

中国や朝鮮の文献などいくら読んだところで、真実は片鱗すら見えないのは当然だ。
126日本@名無史さん:2014/01/04(土) 19:52:42.68
>>124
知識も無いのに無理するなよw
127日本@名無史さん:2014/01/04(土) 20:17:47.32
山海経や聖書に湯谷の上に山があってその上に扶桑がありそこから日が昇るみたいなことをエデンの園の位置として書いてあるけどこれって豊葦原と高天原の位置なんだと思うよ
山は富士山その上とは陰陽で上は陽だから陽の方角は東だから富士山の東に扶桑があるから扶桑(シナ語ではbuo-souと呼び)とは房総(ボウソウ)になる
そして富士山の下とは陰陽で下は陰だから陰の方角は西だから富士山の西に湯谷がある富士山の西にある湯谷(ユヤ)とは熊野(ユヤ)になる
だから房総が高天原で熊野が豊葦原になる
日本書紀にニニギは高天原から豊葦原中ツ国に天孫降臨してるから畿内や九州は下界の豊葦原となる
その豊葦原の中心地が熊野だったんだと思うよつまり畿内だから

邪馬台国は畿内となる
128127:2014/01/04(土) 20:46:32.79
うーん。ギリシャ神話を勉強するならインド神話も勉強してほしいわ。

ディヤウス(dyaus ディアウス、発音上はデャウスが正しいが、日本語としてはあまり使わない)は、インド神話の古き天空神。
その名は「空」を意味し、他の印欧語族の天空神、例えばギリシア神話のゼウス、ローマ神話のユーピテル、北欧神話のテュール、仏教の天部らと起源、語源を共有する。
別名「父なるデャウス」を意味するデャウシュ・ピター(dyauṣpitā)。

符合する。
129太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/04(土) 20:56:54.72
巣韓句こと好色コングは稀代のデ○パ。
130日本@名無史さん:2014/01/04(土) 21:22:54.88
なんせレムリア大陸から時空を越えて飛んでくるんだから、そりゃタダモノじゃないよw
131日本@名無史さん:2014/01/04(土) 21:48:18.57
うーん、日本で伝わってる出雲の神々ってのとかぶるんだろうなあそれら
倭の海人てのが船経由で日本にきてたとしたら間違いなくそこから伝わってる
132日本@名無史さん:2014/01/04(土) 21:50:04.15
結構、歴史的に抹殺されてる感じだけど船経由での往来が過去にあったのかもね
133日本@名無史さん:2014/01/04(土) 21:56:33.83
それはアメノトビフネと云ってだな、第六角星からピューッと飛んでくるだよ
134日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:01:26.07
出アフリカを果たした小型の新人類はインドで大型のネアンデルタール人と出会い、恋をし、
亜種交配によりYーDNAの分化が起きたというし、何万年の時を経て出会ったなんてことは、それほど希なことではではないのです。
日本でも、純血が保たれている地方出身者との出会いにより亜種混合がおき、密かに大きな進化を遂げている可能性もあります。
最近、オリンピックの有力選手、ノーベル賞受賞者、その他の分野でも外国で活躍する日本人が増えているのは、そのためかもしれません。
135満州二等兵:2014/01/04(土) 22:02:28.60
姫蹈鞴五十鈴姫命の系譜を調べてみた。

古事記
三嶋湟咋−勢夜陀多良比賣
大物主~(勢夜陀多良比賣)−比賣多多良伊須氣余理比賣
日本書紀
事代主神(玉櫛姫)−姫蹈鞴五十鈴姫命
先代旧事本紀
事代主神(活玉依姫)−踏韛五十鈴姫命

母が三嶋湟咋の娘であることは共通しているが、
父は大物主と事代主の二説あるようだ。

父が事代主の場合は、先代旧事本紀によれば、事代主の母はアマテラスの娘だから、
天皇家はアマテラス家と婚姻したことになる。
しかし父が大物主の場合は、大物主は渡来神だから、アマテラスとは関係ない。
大物主が大国主だとしても、大国主はアマテラスとは関係ないから、
天皇家はアマテラスとは縁がないことになる。
136日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:08:22.87
>>124

>そんなものが記紀の日向であるわけがない。

神武の橿原宮だって同じだろ。
明治時代にどこだかわからなかったので、
無理やり「ここを橿原にしてしまえ」と決めたぐらいだ。
137127,128:2014/01/04(土) 22:15:20.21
もっとある。
これは鎌倉時代の日本人が記したもの。

「殊には此の八歳の竜女の成仏は帝王持経の先祖たり、
人王の始は神武天皇なり神武天皇は地神五代の第五の鵜萱葺不合尊の御子なり此の葺不合尊は豊玉姫の子なり此の豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり八歳の竜女の姉なり、
然る間先祖法華経の行者なり甚深甚深云云」(日興,御義口伝)

>豊玉姫は沙竭羅竜王の女なり  ← ココ

日本神話とインド神話も符合してる。
138日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:34:39.30
東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ(柿本人麻呂)
口向とは東じゃね。
139エマタラ:2014/01/04(土) 22:50:35.28
>知識も無いのに無理するなよw

満州さん言われてるやん
140日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:59:02.49
その滿州さんもあまり本を読んでないっぽい。
自分の専門のところだけかじって満足している。
141満州二等兵:2014/01/04(土) 23:06:34.03
朴は日本神話など研究したことはないのである。
日本書紀は一回だけ通読したが、実は古事記を通読したこともないw
岩波文庫の古事記を買ったはずだが、読まずに文庫本ばかり詰めた蜜柑箱に入れて
押し入れの中に蔵ったままである。
最近、取り出して読んでみようかなと思うのだが、探すのが面倒なのでそのままにしている。

橿原は橿原市があるではないか。
日向峠なんて九州人でも知らないだろう。
そんな地名を知っているのは地元民と古田の本を読んでいる古代史ファンだけである。
142日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:08:48.21
そんな感じだな。
弱い部分の議論が展開されると他でやれというし。
143日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:15:09.67
まあ正直でよろし
144日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:18:22.42
出雲大社の神殿は纒向遺跡の神殿のパクリであるとNHKが言っていた。
145満州二等兵:2014/01/04(土) 23:28:40.28
朴はピミらと違って文学青年なのである。
精神的なものを求めている。文学とか哲学とか宗教とか。

理系の学問とか経済学とか法律学とか歴史学なんて、
精神とは関係のないものである。
そんな学問は所詮はお遊びであり趣味である。
青春時代は人間はもっと多感なものであって、
若くから考古学に打ち込んでいた、などという人間はたいした人間ではあるまい。
朴は年を取ってやることがなくなったから邪馬台国論争に首を突っ込んでいるだけである。
146日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:32:34.92
NHKは嘘の吐き放題。桜井市教育委員会以上の犯罪組織だ。
147日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:52:16.29
>>128インドには興味深々です。
インド仏教はどこに消えたか?
釈伽は倭人ではないのか?
韓国略史の伽耶建国神話に


金首露は本伽耶 (金官伽耶 )の王となり、他の5人の子たちも各々伽耶の王となった。
ある日、西南の方角から赤い帆と旗を掛けた船が一隻近づいて来た。
船には果たして麗しい女人が乗っていたが、この女人は阿踰陀(アユタ)国(インドの国の一つ)の王女で名前を許黄玉(ホファングオク)と言い、
このしばらく後に金首露王と結婚した。許黄玉は金首露王との間に9人の息子を生むが、その内の一人には、許の姓を名乗らせるようにしたと言う。

というくだりがあり、漂着というより政略結婚の臭いがする。伽耶の製鉄技術もインド伝来かもしれない。
神武もインド人との混血か?
148日本@名無史さん:2014/01/05(日) 07:08:39.82
>>145
さすが夢幻如w
だから何?としか言えないwww

それより八幡平説の説明まだ〜?
149日本@名無史さん:2014/01/05(日) 07:54:13.73
韓国時代劇の 鉄の王 キム・スロ を見たぜ。
あれ見てて思ったが、支配層は、カーンという呼び方で、それが九人いてクガン。
その頂点に北方からやってきたという伝承のあるキム・スロがいる。
あと、政治の権力者のほかに天君という宗教上の権威者がいる。
キム・スロの降臨地がクシボン。クシフルタケと似てる。
前にチュモンを見て三種の神器が出てきてびっくりしたけど、キム・スロの方は、もっと日本との類似性を感じたぜ。
河南からの稲作民の上に北方的な統治ノウハウを持った社会って感じだったなぁ。
ただカヤ諸国は、最後まで小国の集まりで大国になりきることができず、一つ一つ新羅と百済に飲み込まれて行くだろ。
この辺は、河南の百越と呼ばれたものとの類似性を感じるよ。
150満州二等兵:2014/01/05(日) 09:35:21.48
>政治の権力者のほかに天君という宗教上の権威者がいる。

ネット史をよむとこれがよく分る。仙君などという語もある。
三韓には狗徒、牛徒…などという、どうもよく分らない民衆がいて、
たとえば狗徒が王女の某を女主とした、というような記事がある。
女主とは女王である。政治的な王の他に仙徒の王がいた。
151日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:19:00.95
聖母太皇 太后之諱柳花姓屋氏
屋氏世守鯤淵之長 屋以是得姓 長屋者祭淵之屋也
皇祖屋文大王 以功封河伯 命世襲狗加乃仙相也
152日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:50:01.95
俺はカヤの天君なるものに非常に興味を持っている。
日本の天皇の原初的なものが天君ではないかと思うからだ。血縁的な繋がりはどうでもいい。
思うに、稲作民は権力者なるものが嫌いだ。
コメを作っていればそこそこ食えるし、秩序や道徳は集落内で自然発生的に生まれる。
だから、高い税金を払ってまで、クニを必要としない。
だが、侵入者には弱いから、近隣でクニをつくる動きがあれば、自衛のため、必要最低限に国家を整える。
それがカヤ諸国だ。
天君は、権力者嫌いの現れで、天を司る権威者にはついていこうというものだろう。
だが、それだけでは、外敵に弱いので、一定の権力も持たせている。
統治ノウハウは北方由来かもしれないが、現実の統治は、稲作民により影響を受けていると思うだろう。
もう少しカヤのことを調べてみよう。
153日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:57:15.11
>>99
この満州ってバカは筑紫・福岡の歴史、遺跡群、出土品、古事記の事を
全く知らないで邪馬台国や天孫族、倭国や大国主、伊都国の事を語ってたのかwww

道理で傍から見ててトンだキチガイ染みた自論を展開してるとおもったがwww

お前はもっと、筑紫福岡の歴史や遺跡群、出土品、その他古事記の記述、中韓に残る歴史書の
記述を勉強しなおして出直してこいw

ここにいる奴らって、中国が邪馬台国とか言ったりしてぶっ飛んだアホばっかだなw

土の中をよく検証しろ、福岡の土の中をな。

空想でインドとか中国とか韓国とか言ってんじゃねーぞ キチガイども
ほんと低レベル極まりないww

まず満州っていう知識のばいバカだなw そしてそれに群がる、
朝鮮人か三国人と思われるやつらの日本古代史の誘導。

キモすぎるわw お前ら空想妄想ばっかじゃなくてもっとまともな議論をしろ。

そして三国人は自分の国の歴史でも研究してろ。 満州ってやつも三国人の可能性あり。
日本の古代史をお前らが勝手に誘導するな、気持ち悪いw
154日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:59:57.54
今は九州説自体に朝鮮人が多いんだぞw
155日本@名無史さん:2014/01/05(日) 11:06:06.95
それから満州ってキチガイは
>>13-18をよく読んで勉強しとけ。

>>13-18には日本古代史を解き明かす沢山のヒントが入っている。

満州ってキチガイはまず>>13-18を何度も読んで、
気になるキーワードがあれば自分でいろいろ調べてみろ。

おのずと答えは出てくるぞ。

日本は博多湾岸から始まった。 きちんと謎を解いて行けよキチガイども。
博多湾岸をスタートに持っていけば全ての謎に見事に光がさすぞ。

キチガイどもはまず>>13-18をよく読んで自分で勉強してみろ。
謎は何一つなくなるぞ。
156日本@名無史さん:2014/01/05(日) 11:10:15.53
そして朝鮮の南岸は、博多湾岸の倭国(大国主・邪馬台国・天孫族)が支配していたのだよ。

満州をはじめとする三国人どもは日本古代史の誘導をあきらめろ。

天孫族の故郷は福岡糸島の志摩(斯馬国)だよ。
157日本@名無史さん:2014/01/05(日) 11:16:25.42
155
バカちん。
博多湾岸は単に半島への玄関口ってだけで、半島を否定するってことは、即、自分を否定するってことだ。
俺も我田引水だが、あんたの言い分は、100%の我田引水で、駄々っ子みたいだぞ。
ば〜か。
158日本@名無史さん:2014/01/05(日) 11:26:10.36
>>157
>半島への玄関口

バカじゃね〜のか。 玄関口じゃね〜よ。
博多湾岸の倭国が支配してんだよ。
わかる?? 倭国??

倭人伝の頃は「半島の南岸から奴国」までが倭国だぞ。
朝鮮の弱小国たちは「倭国を大国」と崇めて恐れてんだぞw
玄関じゃね〜よ。 博多湾岸の倭国が支配してんだよバカw

隋書・東夷倭国:「新羅、百済は倭を大国と崇めた」

↑この記述が何でかわかるか??
博多湾岸の倭が朝鮮にも領地や影響力を持ってるって事だよ。

素直になれ。
159日本@名無史さん:2014/01/05(日) 11:30:02.00
158
もう駄々っ子は相手にしないことにした。
ば〜か。
160満州二等兵:2014/01/05(日) 12:32:28.23
福岡狂徒がえらく威勢がいいw
朴はこの男や風ゴキにはあまり腹は立たないのである。
なぜならそれほどカチンと来るようなことは書いてないからだ。

福岡が重要な地域であることは誰でも分っているのである。
しかしそこに邪馬台国があった、卑弥呼がいた、神武がいた、とは言えないのである。

福岡狂徒はそこが邪馬台国であった証拠として神籠石、甕棺墓、三種の神器、絹を挙げているが、
そんなものは邪馬台国とは何関係も無いのである。
なぜなら倭人伝のどこにも「邪馬台国には神籠石、甕棺墓、三種の神器、絹がある」
とは書かれていないからだ。絹のことは書かれているが絹は三韓にもあったのである。

誰かが「静岡には富士山があるから邪馬台国は静岡だ」と唱えるなら失笑されるだけだろう。
なぜなら倭人伝のどこにも「邪馬台国には富士山がある」とは書かれていないからだ。
福岡狂徒はそれと同じことをやっているのである。

それと日向峠なんて地元民しか知らない小地名である。
そんなものが神武が出発した日向であるわけがない。
古田はそういう小地名を探し出してつまらない妄想に耽っているのである。
そして古田の本を読んだ福岡狂徒のような初心者がその説に熱狂するのである。
161日本@名無史さん:2014/01/05(日) 12:43:37.37
あははは。
福岡狂徒、まだまだケツが青いな。
立ち直れるか?
162満州二等兵:2014/01/05(日) 12:47:23.51
それより>>151の投稿は稗箕狐か? 
朴と稗箕狐の他に<芻牟鏡><后妃列傳>を読んでいる人間はいないはずだが、
稗箕狐の印字は高フはずだが。
尤も奴のことだから印字の色を緑から青に変える方法を知っているのだろう。
ちなみに四国説のジョーカーもときどきその手を使っているように思える。

>>152
そう、もっと加耶のことなどを調べた方がいい。
狗奴国とは狗邪韓国で、狗邪韓国とは加耶、加羅だからである。
163エマタラ:2014/01/05(日) 12:48:39.40
おーんせん、おーーんせん お〜んせ〜んどーーー><

去年は、別府、由布院、黒川、武雄、平山、雲仙、オバマ、
霧島、阿蘇、嬉野、下呂へ行ってきたぜ~!
邪馬台国と関係ない?大ありよ!(笑)
164太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/05(日) 12:57:17.41
誰かが「静岡には富士山があるから邪馬台国は半島だ」と唱えるなら失笑されるだけだろう。 wwwww
165日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:16:07.43
俺が満州をはじめとするお前らキチガイ三国人どもに教えてやろう。

倭国はざっと
大国主(金印をもらった倭奴国王から代々)→卑弥呼→大国主(倭奴国王の王統)→天孫族

へと支配者が変わったんだよ。ざっとだぞ。また必死に壹與がいるとかちゃちゃ入れてくんなよ。

卑弥呼が女王となった倭国は 一時的 にという事だ。
倭国連合が乱れ 卑弥呼 が共立され倭国の一大卒、伊都国の大国主の元にいたという事だ。
そしてその卑弥呼が直接治めるのが 伊都国のすぐ北の斯馬国〜奴国までということだ。
つまり奴国までが倭国だ。

天孫族はその間ずっと大国主が治める倭国〜卑弥呼が治める倭国とずっと斯馬国を拠点に
倭国を形成する一国の首長(王)として暮らしてたわけだ。
これが「神武以前の32世は筑紫の日向宮に都があった」につながる。

朝鮮の文化は奴隷だった朝鮮半島から流入したもの。朝鮮人が伊都国や斯馬国やその他の
倭国の国に家来として入ってきたものだろうな。

証拠に、天孫族はことあるごとに、自分たちの故郷は「筑紫(福岡)」「筑紫(福岡)」と明言してる。
もし、天孫族が朝鮮人なら筑紫を治める前に自分たちは「韓国のどこどこからやってきた」と明言するだろう。
「筑紫」ことあるごとに明言するのに、「韓国」を明言しないという事は、天孫族の故郷は「筑紫福岡」だという事だ。
もちろん家来や舎弟には朝鮮人は混ざってたのは否定せんがな。
166日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:21:25.69
哀れな妄想癖だことw
これじゃ畿内説とレベルが違いすぎて話にならないな。
167日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:26:32.03
>>149韓流ドラマは見たことがなかったので知りませんでした。良いヒントをありがとう。

伽耶の金首露王に嫁いだ許黄玉の出身地、阿踰陀(アユタ)国とはインドのデカン高原を中心栄えたサータヴァーハナ朝アーンドラ王国のことのようです。
この種族は別名テルグ族といい、安東将軍倭の5王はアーンドラ将軍、首露王の息子達は鼻が高く赤顔の天狗族なのです。
釈迦が悟りを開いた場所を仏陀伽耶といい、伽耶の国名となっています。
また、伽耶の別名である任那とは古代インドの神の魚=ミマナからきているらしです。
アーンドラ王国のサータヴァーハナ朝は、ローマ帝国との通商で繁栄しており、
伽耶の鉄製品を手に入れるために娘を王妃として伽耶に送り込み、実質支配していたようです。

更に驚いたことに、サータヴァーハナ朝は直轄地の地方官=アマティヤが配置していたそうです。
アマテラスとは、インドのサータヴァーハナ朝から派遣された地方官で、日本を植民地化しようとしたのです。

更に調べていくと、インドに貧困と飢饉に関する研究でノーベル経済学賞を受賞したアマティア・センという学者が見つかりました。
日本にも韓国にもノーベル経済学賞を受賞した人はおらず、相当レベルの高い人をアマテラスとして日本に派遣したのだと思われます。
このアマティア・セン教授は、なんと、東日本大震災の後、日本に舞い降りて福島大で講演までしているのには驚きました。
うーん、歴史は繰り返す。
168日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:40:42.10
そして、天孫族は次第に倭国内で影響力を大きくし、
倭国の超名門「伊都国(倭奴国)」を落とす。
これを、 天孫降臨 として記紀に記したのだろう。
記紀には 天孫降臨 の際、戦闘があった事は明記されてる。
つまり、朝もやを掻き分け(奇襲か??)伊都国を陥落させる。
その作戦成功の爽快感から伊都国の高千穂に立ち、
「この地は韓国に向かい笠沙の御前を真来通り朝日が真っ直ぐ刺し夕日がよく照る所。故に吉き地なり。」と
感激したのだろう。
ちなみに俺はこの「笠沙の御前」という表現。
これは「歴代の倭国王の王墓(古墳)の御前を真来通り」という事なんじゃないかとも思う。

そして息子が治めていた伊都国を落とされた博多湾岸の大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
 そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい倭国の国外の遠い所、出雲に追放(移住)される。

ここに天孫族による倭国の乗っ取りが成功するという事だよ。

そして筑紫の覇者になった天孫族は、筑紫の国土自体を天孫族が作った国産みや
筑紫の神々(豪族・王)は天孫族に支配されるべき事を正当化するために
筑紫神話や古事記があるという事だ。 日本書記は後に筑紫から派生した大和がつごうよく
もじっただけなんだよ。

ちなみに博多湾岸の大国主の地、千代の近くに「堅粕・かたかす」という地があり、
交差点名は「潟州・かたす」なんだな。 なんとも意味深だな。

要するに、倭国の聖地は糸島の伊都であり、天孫族の聖地はその北の斯馬(志摩)だろうな。
君が代も最終的には志摩の桜谷神社につながる。なんとも感慨ぶかいな。

三国人どもは日本古代史の誘導あきらめろ、ボケがw
169日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:49:21.34
167
日本語の起源の研究で大野晋という人が語彙や文法との共通性からインド南部のタミル語説をとっている。
ただ、当時の航海技術や距離的な関係から、正直どうなんだろうなぁって感じかなぁ。
あと、嫁さんは生粋の韓国人が浅黒く化粧してインド人を演じてるから、がっかりしないように。
全20話位あって、話としては面白かったよ。
170日本@名無史さん:2014/01/05(日) 13:57:11.22
韓流捏造歴史ドラマを史料にしてるって…
171日本@名無史さん:2014/01/05(日) 14:01:26.67
168
ところで、素戔嗚やその子五十猛はどちら側なんだ?
それから、狗奴国とはどうなったんだ?
大和での饒速日とイワレヒコの関係はどう説明する?
172日本@名無史さん:2014/01/05(日) 14:14:47.57
韓流ドラマだから何もかも捏造とは限らない。
NHK大河ドラマの秀吉の朝鮮出兵など当時の航海術ではできっこないといっているに近い。

阿踰陀(アユタ)国はローマ帝国と貿易をしており、ローマ時代の金貨などが見つかっているらしい。
インドからローマと反対方向の国とも商取引を行っていたとしてもおかしくない。
黄海から日本海にかけて支配していた海商である倭人とは、
タイあたりで接触していたと見るべきだ。
173日本@名無史さん:2014/01/05(日) 14:30:54.95
韓流ドラマじゃ、はじめに直立歩行したサルは勧告y人でした、
アダムとイブは韓国人でした、と言いたいわけだろ。
174日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:08:19.37
高天原とはインドのデカン高原。
175日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:09:04.52
面白い設定だな
お前ら漢字からもドラマつくっちゃうからなあ
176日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:28:05.09
アマテラスはインドのアーンドラ国から派遣された地方官。
赤い巨大な船で現れて開国と国の割譲を迫った古代の黒船。
技術の進んだ文明を前に戦意喪失し、大国主は国を譲った。
安東将軍倭王として、そして天皇家の祖となったのだろう。

インド人というと、白人を色黒にしたようなアーリア人を思い浮かべるだろうが、
実は、滅亡した黄金の国トラキアの王の子孫だったとすれば、古墳文化とも繋がる。

この正月だけで、日本の古代史最大のなぞがすらすらと解けてきた。
177日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:37:07.61
自分の説は自分で立証しろよ。ガキの寝言ではあるまいし。
178キチガイ満州:2014/01/05(日) 15:45:53.54
福岡狂徒は面白いな。ゲラゲラ笑いながら読めるw

天孫族は最初志摩にいたらしいw
そこから糸島半島のどこか(前原か?)を攻略した。
それが天孫降臨らしい(苦笑)

志摩と前原はたった5kmほどだぞ。それが天孫降臨とは(爆
179日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:52:33.63
デカン高原説と比べると、あまりにもみみっちい説だな
180日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:56:07.56
>天孫族は最初志摩にいたらしいw

満州って馬鹿だな、このころの天孫族は対馬が根拠地だろ。
181太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/05(日) 16:26:07.34
半島狂徒は面白いな。ゲラゲラ笑いながら読めるw
182日本@名無史さん:2014/01/05(日) 16:27:37.56
志摩の根、つまり、島根県出雲だよ。
183満州一等兵:2014/01/05(日) 17:30:50.11
>天孫族は最初志摩にいた
これはオウム福岡教徒の唱えていることだから誤解しないように。

さて朴は今日二つ三つ面白いアイデアを思い付いた。
そのうちの一つはかなり重要なのでここには書かないことにする。
残りの二つはさほど重要ではないので書くと−

女王国の東にある倭種の国とは日本のことである。
九州を含めた日本列島のことである。

その余の旁国とは台湾の諸国である。
184日本@名無史さん:2014/01/05(日) 18:08:41.13
いい名前つけてもらったな。オウム福岡教徒。
満州も一等兵に昇格してるし。
今日は愉快。
185日本@名無史さん:2014/01/05(日) 18:45:39.99
卑弥呼は卑弥呼。他の誰でもない。
186日本@名無史さん:2014/01/05(日) 18:58:24.12
福岡は広域指定暴力団のはびこる修羅の国
187日本@名無史さん:2014/01/05(日) 19:15:01.50
女王で卑弥呼(ヒミコ)っておかしくないか?
普通ヒルコっていったら男性だろ?女性はヒルメだろ?

おそらくシナ地区の人は
山海経にある東海の海の外にある世界樹・扶桑に住む女神・義和(五帝の少昊の先祖)
のことを昔から知っていたから
実際に現地に行って調べないで、てきとうに昔から伝わっていた神話をもとに、てきとうに記しちゃったのでは?
188日本@名無史さん:2014/01/05(日) 19:23:15.06
その説に賛成。
朝鮮並のでっち上げで邪馬台国話しは片付けたらどうだ?何時迄も平和ボケして無いで
189日本@名無史さん:2014/01/05(日) 19:26:11.60
強引に繋げると

日霊 ニチレイ
190日本@名無史さん:2014/01/05(日) 20:26:41.15
のらくろでもあるまいに、勝手に出世すんな。
いや待てよ、のらくろといえば田河水泡作、
邪馬台国は田川にあった。という暗示か?
191満州一等兵:2014/01/06(月) 09:28:51.97
畿内説スレを見ていて驚いた。
日本海ルート説を知らない男がいるようだ。
当時の日本が南北に描かれた地図さえ知らないようだ。
そんな超初心者が参加しているとは!

ところで朴は耽羅、耽牟羅が済州島ではないと思われる資料をまた見つけた。
もしかしたら朴独自の発見かもしれないからここには書かないことにする。

朴の考えでは済州島は投馬国の候補地の一つである。
投馬、耽牟羅。音が似ている。
耽牟羅を舳羅と書いた異本もあるようである。
舳をトモと読めば投馬に極めて似てくる。

サービスでもう一つ書いておくと、その北岸の狗邪韓国とは、
今の江華島あたりのことかもしれない。
つまり北岸というのは誤文ではなく、文字通り北岸なのである。
山形明郷講演会で山形が最後に掲げた地図を見ると(この地図も誰でも知っているはず)、
韓半島がベラボーに南北に長く描かれていて、
会稽東治の東は韓半島なのである!
まさにそこに倭があったわけで、倭とは韓半島である。
192満州一等兵:2014/01/06(月) 09:35:05.34
倭とは韓半島であるから、

女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種。

この倭種の国は日本を指す。九州も含めた日本列島のことである。
193満州一等兵:2014/01/06(月) 09:38:33.67
旧唐書だか新唐書に書かれた日本とは日本のことで、
倭国とは韓半島のことである。

韓半島の倭の女王卑弥呼が魏に遣使したのである。
194日本@名無史さん:2014/01/06(月) 10:48:41.20
邪馬台国半島説は次の点から無理があると思う。ほかにも探せばいろいろありそうだが、今の時点では次のとおり。
@大海の中の山島と書いてある。半島内にあるとすると、このような記載とならないこと。

A倭には牛馬がいないと記載されていること。半島内にあったとすると、牛馬がいないことは不自然。

B対馬、伊都国、末盧など、現在の日本の地名に対応できる記載があり、邪馬台国が現在の日本の中にあると考えた方が自然であること。

C委奴国の金印が日本国内で見つかっていること。

D少し後の話になるが北史では阿蘇山の記載があること。ただしこの時点でも、日本国ではなく、倭国だ。
195日本@名無史さん:2014/01/06(月) 10:55:40.09
満州が出世するたびに卑弥呼の居場所は南下してるようだ
尉官になる頃には卑弥呼は扶余
佐官になれば対馬
将官にのぼる際には九州へ上陸するだろう
196日本@名無史さん:2014/01/06(月) 11:01:58.42
済州島を投馬国に比定することは弥生の日本人口を6000万と見積もることに相当する。
197日本@名無史さん:2014/01/06(月) 11:02:56.20
邪馬台国は日本列島内だよ。
大和朝廷とは関係ないけど。
198満州一等兵:2014/01/06(月) 11:06:45.50
反論

@漢人は唐代においても韓半島は半島ではなく、海中の島だと考えていた。
A倭人伝の風俗記事などはまったく参考にならない。
B陳寿は卑弥呼を神功皇后、邪馬台国を大和と考えていたのだから当然。
C金印は偽物。
D北史の頃に漢人が思っていた倭と、漢書の頃の倭は別である。

何度も言うが、邪馬台国は大和である。
しかし実際に卑弥呼がいたところを邪馬台国と呼ぶとすれば、
それは韓半島の中のどこかである。
女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種。
この女王国は韓半島の中のどこかの国である。おそらく馬韓か百済である。
狗奴国は加耶、加羅、任那である。
199日本@名無史さん:2014/01/06(月) 11:16:48.84
297年に亡くなった陳寿が、720年頃に書かれた日本書紀の捏造皇后を知っていた
とか凄いな。
200日本@名無史さん:2014/01/06(月) 11:22:20.91
スジなし満州、
いや骨もなかったらしい。
201満州一等兵:2014/01/06(月) 11:54:30.03
神功皇后は269年没だから陳寿が皇后の名を耳にしていたのは当然である。
ピミらのような痴呆に何を言っても無駄である(カラカラ)
202日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:04:13.53
カラカラ
空しい
空々しい
203日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:25:21.56
ほら、お前らの為にまとめてやったぞ

倭国の覇者の変遷 大国主→卑弥呼→大国主→天孫族 へ

倭国はざっと
大国主(金印をもらった倭奴国王から代々)→卑弥呼→大国主(倭奴国王の王統)→天孫族

へと支配者が変わったんだよ。ざっとだぞ。また必死に壹與がいるとかちゃちゃ入れるなよ。

卑弥呼が女王となった倭国は魏志倭人伝の頃の 一時的 にという事だ。
倭国連合が乱れ 卑弥呼 が共立され倭国・邪馬台国の一大卒、伊都国の大国主の元にいたという事だ。
そしてその卑弥呼が直接治めるのが 伊都国のすぐ北の斯馬国〜奴国までということだ。
つまり奴国までが倭国だ。  
何故卑弥呼が斯馬国〜奴国までかというと伊都国は倭国にとって代々大国主が治める特別な存在(聖地)である。

天孫族はその間ずっと大国主が治める倭国〜卑弥呼が治める倭国とずっと斯馬国を拠点に
倭国を形成する一国の王、豪族として暮らしてたわけだ。
これが「神武以前の32世は筑紫の日向宮に都があった」につながる。

朝鮮の文化は支配下だった朝鮮半島から流入したもの。半島人が伊都国や斯馬国やその他の
倭国の国に家来として入ってきたものだろうな。

証拠に、天孫族はことあるごとに、自分たちの故郷は「筑紫(福岡)」「筑紫(福岡)」と明言してる。
もし、天孫族が半島人なら筑紫を治める前に自分たちは「韓国のどこどこからやってきた」と明言するだろう。
「筑紫」はことあるごとに明言するのに、「韓国」を明言しないという事は、天孫族の故郷は「筑紫福岡」だという事だ。
もちろん家来や普通の一般人として半島人が混ざってたのは否定しない。
204日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:26:10.37
そして、天孫族は次第に倭国内で影響力を大きくし、倭国の超名門「伊都国(倭奴国)」を落とす。
これを、 「天孫降臨」 として記紀に記したのだろう。
(これは小大名だった織田信長が大国美濃を攻略し尾張美濃を領する大名になった時に
 天下に知らしめした 「天下布武」 と同じ境遇だろう。)
記紀には 天孫降臨 の際、戦闘があった事は明記されてる。
つまり、朝もやを掻き分け(奇襲か??)伊都国を陥落させる。
その作戦成功の爽快感から伊都国の高千穂に立ち、
「この地は韓国に向かい笠沙の御前を真来通り朝日が真っ直ぐ刺し夕日がよく照る所。故に吉き地なり。」と
感激したのだろう。
ちなみに俺はこの「笠沙の御前を真来通り」という表現。
これは倭国の「歴代の倭国王の王墓(古墳)の御前を真来通り」という事なんじゃないかとも思う。
実際に伊都国には古代より王墓と呼ばれる副葬品も素晴らしく豪華な古墳が多数存在する。

そして息子が治めていた伊都国を落とされた博多湾岸の大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
 そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい倭国の国外の遠い所、出雲に追放(移住)される。

ここに天孫族による倭国の乗っ取りが成功するという事だよ。

そして筑紫の覇者になった天孫族は、筑紫の国土自体を天孫族が作った国産みや
筑紫の神々(豪族・王)は天孫族に支配されるべき事を正当化するために筑紫神話や古事記があるという事だ。 
日本書記は後に筑紫から派生した大和がつごうよくもじっただけなんだよ。

ちなみに博多湾岸の大国主の地、千代の近くに「堅粕・かたかす」という地があり、
交差点名は「潟州・かたす」なんだな。 なんとも意味深だな。

要するに、倭国の聖地は糸島の伊都であり、天孫族の聖地はその北の斯馬(志摩)だろうな。
君が代も最終的には志摩の桜谷神社につながる。現代の聖地も伊勢志摩という事実もなんとも感慨ぶかいな。
205太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/06(月) 12:27:15.21
>神功皇后は269年没だから陳寿が皇后の名を耳にしていたのは当然である。
全然耳にしはいない。

神功年代が200年あたりからという考えなら、応神仁徳両天皇の寿命が
連続して百数十歳になってしまうからウソ。当然不可能に近い数字であるから、
巣韓句・コングの主張は不合理をはらんでいておかしい。
つまりデタラメである。卑弥呼の活動年代は崇神の代ころなのである。

根具が当時の天皇が現人神であるから一般人から卓越して寿命が極度に
長いんだというなら、なぜ昨今の明治大正昭和の天皇は一般人並なのか?
当然これら御三方の天皇も百数十歳くらい超長寿でなければならない。
それがそうではなく通常人程度ということは、巨象根具の主張がインチキ
であることを意味している。
206日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:40:06.18
203・204
頼むから、その話の中で、素戔嗚や饒速日がどうなったとか教えてくれよ。
207満州一等兵:2014/01/06(月) 12:46:22.27
ポクの考証によれば、神功紀の編年は、どんなにずれていても60年しかずれてない。
そうすると新羅征伐は、ずれていても、260年のことである。
当然皇后の盛名は中国にも伝わる。
260年は陳寿在世のときだから当然陳寿は皇后のことを耳にしている。
陳寿が卑弥呼と皇后を間違えたということ、
そのこと自体が皇后が陳寿と同時代の人であったことを証している。

人間が百歳以上生きたとしても、そんなことは不思議でも何でもない。
現代の常識で考えるからおかしいと思ってしまうのである。
昔は食物自体にもっと生命力があったのである。
現在は食物に生命力が失われているから、現代人は多食している。
208日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:54:16.13
もはやオカルトだな
209日本@名無史さん:2014/01/06(月) 12:56:03.99
いつか俺が書いた一連の
>>13-18 >>203-204 の説ををまとめてパクった 本 を
別人が出版しそうな予感ww

そん時はお前らが、その説は俺が唱えてた説だと証人になれよ。
210風の中のゴキブリ:2014/01/06(月) 13:40:44.38
>>209
なにが俺の説だw
笑わせんじゃねぇよカスwww
カスはカスなりにコテくらいつけろ
211日本@名無史さん:2014/01/06(月) 14:37:01.65
だって、倭姫ですら800年も生きたんですよ?
絶対神の、神武〜崇神なら、いったいどれだけ生きてたことだろう?
あとは任位期間のもんだいだろう。
オカ話すまんね。
212満州一等兵:2014/01/06(月) 15:31:45.94
物を識らないからポクの言っていることがオカルトに聞こえるのである。

レムリア人は爬虫類、両生類のような姿だった。
アトランティス人には骨がなかった。
アトランティス人は空飛ぶ船を作ることが出来た。etc

これらは全部本当のことである。

建内宿禰は三百年以上生きた。
不死の人サンジェルマン伯爵は何百年も生きた。etc

これもまた真実である。
四国説を唱えているようなアンポンタンには理解できないことである(笑)
213太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/06(月) 15:51:31.54
すぐ松沢病院に行く支度をせい。><
214日本@名無史さん:2014/01/06(月) 16:25:42.69
霧島。
215日本@名無史さん:2014/01/06(月) 16:26:30.38
危ない人がいるな。
216日本@名無史さん:2014/01/06(月) 16:54:36.25
とにかく朝鮮と朝鮮人とは関わらない
217日本@名無史さん:2014/01/06(月) 17:33:00.02
神功皇后=卑弥呼説について
邪馬台国は狗奴国との国内問題を抱えているから、新羅征伐なんかできないって。
あと、新羅征伐が260年なら、まだ新羅は建国されていないんじゃないかなぁ。まぁ、韓国側の歴史書は違うとしているようだけど。
神功皇后は架空じゃないかと思うが、北部九州に残る足跡が良くわかなぬ。
218満州一等兵:2014/01/06(月) 17:43:40.32
ピミらの反応を見ていると笑える。げに恐ろしきは無知なりw
ま、所詮ピミらのような知的レベルのポンクラには理解できないことである(憫笑)

ニニギが降臨したのは79万年前。79万年前といえばアトランティス時代。
ニニギはアトランティスから飛行船に乗って日向に降臨したのかもしれない。

例の、稗箕狐に優るとも劣らない変なニートの男なら、
こういう話に興味を持ってくれるだろう。
666のことも書いていたから、オカルトにも関心があるのである。
太国も霊視の話に乗ってくるところを見ると、
潜在意識下でオカルトに関心があるのである。
四国説のアンポンタンも雑誌ムーなどを読んでいそうな男だから、
潜在的にこの方面に関心があるのである。
宗教やオカルトを激しく否定している人間ほど、
実は潜在意識下で宗教やオカルトに関心を持っているのである。
219日本@名無史さん:2014/01/06(月) 18:04:56.86
満州は長生きしそうだねえ
よぼよぼになっても、キーを叩いて一日過ごす
220満州一等兵:2014/01/06(月) 18:31:06.98
神功皇后の事跡は記紀だけでなく、風土記、神社の記録、地方の伝承、
いろんな氏族の伝承の中に出てくるのだから、否定しようにもしようがない。

欠史八代についても然りで、記紀以外にもいろんなところに出てくる。
神武ももちろんそうである。

これらを非存在だとか創作だとしたのが津田左右吉とその後継学者たちで、
これらの学者の罪は重い。これらの学者のせいで、
2chに参加している人間の殆んどが記紀を疑っているという状態である。
疑いたい者は疑えばよい。しかしそういう者は結局は古代史とは縁なき衆生である。
それはちょうど、宗教を疑う者は宗教とは縁なき衆生であるのと同じことである。

記紀を信じること。それが古代史開眼の第一歩である。
221日本@名無史さん:2014/01/06(月) 18:45:57.64
ちょっとえろくなったか
222太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/06(月) 18:52:54.65
>邪馬台国は狗奴国との国内問題を抱えているから、新羅征伐なんかできないって

高評価!

ただ架空ではない。

>>218
カルトに関心があったところで、学術スレのここに書くべき内容ではない。
根具は稀代のデ○パそのもの。
223青玉:2014/01/06(月) 19:29:45.47
>>218
賛成。宮下文書は9割正。
224日本@名無史さん:2014/01/06(月) 20:36:33.01
宮下文書に興味あるが、いい検索先知らないか?
225日本@名無史さん:2014/01/06(月) 20:45:55.09
>>218
馬鹿を言え。人類は10万年前、みなアフリカにいたのだ。
226日本@名無史さん:2014/01/06(月) 20:49:14.52
危うく信じるところだった。気をつけないと。
227太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/06(月) 21:25:26.22
>>225
アフリカは鉄人26号27号のほう。
天孫族は鉄人28号に匹敵する。つまり九州が人類発生だと、某神道家が
説明していた。
日本は世界の縮図である。本州はユーラーシア大陸に似ており、北海道は
北米、九州はそのアフリカに似るわけで四国は豪州に似ている。
琵琶湖は南米に似ており、日本地図はかように世界地図の縮図である。
228満州一等兵:2014/01/06(月) 21:49:52.05
アトランティスが沈没したのは一万年ほど前である。
十万年前はアトランティス時代。
その頃、人類の大半はアトランティス大陸に住んでいたのである。

人類は十万年前アフリカにいた、とか、人類は猿から進化した、というのは嘘である。
嘘ではあるが、世界中の科学者がそう唱えているから、人々はそう信じている。

人々は学者の言うこと、本に書いてあることを信じるのである。
学者が神武は実在しなかった、と言えば神武は存在しなかったと思い、
学者が崇神は三世紀か四世紀だと言えば、それを信じるのである。
中には非時香菓はバナナだと本に書いてあるので、それを信じる○○もいる(笑)

>>225のような男は、つまりはそういう愚かな俗衆の一人である。
それでいて俺は教養がある、常識がある、俺はえらい、と思っている(笑)
229日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:11:16.67
先生。骨がない人は象に踏まれたらペラペラになってしまうという認識で良いですか?
230日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:18:49.39
大胆に推理するとこうだ。
まず博多湾岸勢力の邪馬台国が素戔嗚系で、日本海側の支配領域を拡大中。
九州の非博多湾岸勢力の狗奴国が天照系で、太平洋側の支配領域を拡大中。
素戔嗚勢力の饒速日が大和を支配下におく。
天照系のイワレヒコが大和を征服。
九州内で非博多湾岸勢力が博多湾岸勢力を駆逐し九州を支配。
博多湾岸勢力は本拠地を出雲へ。
非博多湾岸勢力は本拠地を大和へ。
博多湾岸勢力は本州での戦いに敗れ国譲り。
途中、天照系と素戔嗚系の婚姻関係があり、系譜に双方が入っている。
231日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:36:29.54
>>229
先生はご多忙だから代わりにお答えします。

そもそも人類に骨がなかった時代に象なんぞはいなかったのである。
象の化石やマンモスの化石などは学者の妄言である。
チミラは妄言を盲信するから救い難いのである。(カラカラ)
232日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:40:18.28
もしかして統一教会か?
233日本@名無史さん:2014/01/06(月) 23:05:43.89
ニンギは200万年くらに前に高天原、つまり、シリウス(天狼星)から満州に舞い降りたのだ。
そして、猿から人間を作ったのだが、失敗作も数多く残した。
234日本@名無史さん:2014/01/06(月) 23:21:26.45
やっぱりそうだったのか。俺もそうじゃないかと思ってたよ。
235筑紫倭皇帝:2014/01/06(月) 23:24:36.35
>>230
ついに俺の説から亜流が生まれたなw
よいことだ。

まあ俺の説には矛盾がないからな。

>いつか俺が書いた一連の
 >>13-18 >>203-204 の説ををまとめてパクった 本 を
 別人が出版しそうな予感ww

 そん時はお前らが、その説は俺(筑紫倭皇帝)が唱えてた説だと証人になれよ。
236筑紫倭皇帝:2014/01/06(月) 23:26:46.06
畿内説スレでいいものを拾ったから>>16を改訂

「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」

(邪馬台国の都は伊都国にあり、傍ら(すぐ北の)斯馬国から福岡平野へと連なる)

倭人伝「女王国(伊都国)から以北(志摩国)はその戸数・道理はあえて省略する。(志摩国〜奴国までが近い)
    その他の国は遠絶にしてあえて詳らかにすべからず。次に斯馬国あり〜奴国あり。ここが女王国(福岡平野)の境界である。
    その南に狗奴国(久留米付近)あり。女王に属せず。」

何故、魏使が伊都国の方角を間違えたか??
それは魏使が帯方郡よりひたすら南下してきたゆえに、
まさか筑紫福岡が北方面(上陸地点より北に行く)にも伸びていると魏使の頭にはなかった。

魏志倭人伝:「場所はおよそ(倭国がある九州島)会稽郡東治(紹興市)の東にある。」

この倭人伝の記述にあるようように
自分たちがまさか北に向かっているとは全く頭になかった。
ずっと基本は南に向かっていると勘違いしたのだ。
北に向かうという概念が倭国を訪れた魏使には全くなかったのだ。
※(北に向かう=朝鮮半島に戻る=おかしい)←この事よりあえて東南と記した可能性もある。
参考資料:http://www.j-real.com/ta-san/yamatai/map3.jpg ←当時の魏使に北に向かうという概念が無かった証拠。
                              (九州島は正に(当に)会稽郡東治(紹興市)の東にある。)

魏使は帯方郡よりずっと南下してきた故(倭人伝にあるように倭の地は南と思い込んでいた)
まさか自分達が北に向かっているとは思っていなかった。
故に、九州に上陸して実際は北東に向かったが、
自分たちは基本は南下していると勘違いをおかし方角を東南と記してしまったという事だ。

大体の古代史の流れ、大まかな謎は俺がこれで何の矛盾もなく説明してしまったな。
素直に歴史書の記述や考古学的物証を客観的に判断すればおのずと答えは出てくるものだよ。
237日本@名無史さん:2014/01/06(月) 23:34:45.38
霧島神宮・・・名前も社殿もかっこいい。
238日本@名無史さん:2014/01/06(月) 23:47:16.40
>>235-236
これが失敗作か、なるほど
239日本@名無史さん:2014/01/07(火) 00:03:16.13
クシナガラあるいはクシーナガルは、古代インドのガナ・サンガ国であったマッラ国(末羅国)の二大中心地のひとつで西の中心地であり、現在のインドのウッタル・プラデーシュ州東端のカシア付近の村。釈尊入滅の地とされ、四大聖地のひとつ。
高天原はデカン高原、 末盧國もインドにあった。
おそらく、邪馬台国もインドだろう。
240日本@名無史さん:2014/01/07(火) 00:52:34.20
デカン高原が高天原。俺も賛成です。
241日本@名無史さん:2014/01/07(火) 01:05:09.34
>>239
あ、ごめん。資料見たら、違かったな。ただ、デカン高原ってなんかあるよ。なんだろな・・・
242日本@名無史さん:2014/01/07(火) 01:24:01.36
あんたも人が悪いな。梯子取っ払われた>>240も気の毒にwww
243日本@名無史さん:2014/01/07(火) 01:30:26.14
同一人物。
244風の中のゴキブリ:2014/01/07(火) 02:33:49.11
伊作が死んだらしい

そういえば夢幻如=満州は生前の伊作にコテンパンにやられていたな

伊作は本当に頭の切れる男だった
あの独特の言い回しが懐かしい

夢幻如=満州は伊作にある種の憧れを抱いているようだが、オマエは伊作にはなれないよ
人物のレベルが違いすぎる
245日本@名無史さん:2014/01/07(火) 02:58:26.20
大海人皇子・・・
246アセロラ:2014/01/07(火) 03:00:53.95
あの橋の話⇒ここに貼った写真の人(自分の家の話)
247日本@名無史さん:2014/01/07(火) 03:06:25.65
夢幻如と満州の区別ができないゴキブリ
どうやら夢幻如に恨みがあるようだが
コテンパンにやられたのかな
変なゴキブリ
248日本@名無史さん:2014/01/07(火) 03:15:02.94
俺さあ、天皇氏なんかより、美智子様の方が格上だと思うんだが・・・
249日本@名無史さん:2014/01/07(火) 03:40:45.65
ゾロアスター。
250アセロラ:2014/01/07(火) 03:44:20.24
遠いから断った
251日本@名無史さん:2014/01/07(火) 07:40:51.21
ほう 伊作死んだのか
252日本@名無史さん:2014/01/07(火) 07:59:06.71
伊作ってドラマ板にも出没してたね
253日本@名無史さん:2014/01/07(火) 09:27:34.25
本人が死んでもブログはネット上に残って恥をさらし続けるのか
怖いな
254風の中のゴキブリ:2014/01/07(火) 09:27:53.97
>>247
オマエの洞察力のなさには呆れ返るばかり

満州は夢幻如だよ

それに俺は夢幻如=満州に恨みなどない
これっぽっちもね

そもそも今のこの世界は10年以上前に滅んでいるのだよ
俺もオマエも夢幻如=満州も太国も全て想念体

伊作の死も当然ながら想念でしかない

今見えている現実は仮想現実に過ぎない
地球は崩壊し次元軸が歪みパラレルワールドで想念だけが漂っているのだ

厳密に言えばこの世界は現実ではない
あくまで何次元かに漂う想念の往来でしかないのだよ
255日本@名無史さん:2014/01/07(火) 09:29:09.49
こいつもキチガイの一人か
256満州一等兵:2014/01/07(火) 09:32:24.47
ポクは伊作にコテンパンにやられた覚えはないがw
それどころか、伊作が出て来ないのはポクを恐れているからだと思っているがw
伊作もローガンも名大生も、それほどのパカではないからポクの力量が分かっている。
分かっているから出て来ない。少なくともポクに議論を挑んで来たりはしない。
ポクを一行横チャリでからかっている四国説男はアンポンタンだから
ポクの頭の良さが分かっていない。分かっていないから書き込んでくる。

ポクはローガンとは肌が合わないような気がするが、ローガンの力量は認めている。
まともなレベルに達しているのはローガンだけではないかなと思ったりする。
伊作も名大生も、ここのその他の連中ほどパカではない。その他の連中はパカすぎる。

しかし名前を入れて書いている連中にはそれほどのワルはいない。
川柳の達人、風ゴキ、太国、唐松山、ひなもり、大和田直木、日本海ルート論者、○…
これらはどちらかといえば真面目な部類だ。
名無しで書いている奴にタチの悪いのが何人かいる。
2chで真面目なことを語るのはアブナイ人、と書いていた青色名無しがいた。
2chはアホ談議、ヨタ談議の場だと思っているらしい。
そういうタチの悪い奴に限って常連中の常連だから困る。
257日本@名無史さん:2014/01/07(火) 09:51:06.28
伊作はお坊ちゃん育ちと見ていたのだが、
満州は対人関係でよほど苦労してきたのだな、カキコの端々からそのように読めるな
258日本@名無史さん:2014/01/07(火) 09:52:25.84
wwww
259日本@名無史さん:2014/01/07(火) 10:00:06.54
満州は夢幻如じゃないだろ
満州は夢幻如以上に、たちが悪い
夢幻如は、まだ「引き際」を知っていた
260日本@名無史さん:2014/01/07(火) 10:15:22.62
しかし邪馬台国関連スレが乱立して変なやつらが増えたな
261日本@名無史さん:2014/01/07(火) 11:05:42.22
>>260
どうとでも妄想できるからね。学者を含めて。
262日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:37:29.88
まあ日本国内のことにしろ海外のことにしろ思い当たる連中がいるってことだろ
まあ日本は島国だから太平洋経由でも半島経由でも入ってくるとなれば入ってこ
れるからな
出雲関係は太平洋経由くさいけどな
263日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:39:32.04
なんつうか島産み神話だの巨人がでてくる話だのどうみてもロマンチックだわ〜|( ̄3 ̄)|
264日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:40:37.47
アイヌや琉球人さえ朝鮮半島経由で入ってきたことが分かってきてる。
台湾人と琉球人は全くの別物。

太平洋経由で入ってきた人などいない。
265日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:47:00.05
縄文航路は太平洋南部から左回りに北上して日本にたどり着きハワイ方面に向かう航路だけど?
あとは東南アジアにあった日本人村の存在やね
266日本@名無史さん:2014/01/07(火) 15:57:03.30
ある意味、日本人てほんと雑多だろ|( ̄3 ̄)|
顔みても統一感なんてほとんどないで
267日本@名無史さん:2014/01/07(火) 16:04:12.49
酒に酔うのは半島経由の新モンゴロイドだけどな。
268日本@名無史さん:2014/01/07(火) 16:13:45.29
日本に残ってるので多いのは碑文関係だからな
269日本@名無史さん:2014/01/07(火) 16:49:19.04
>>264
人類は北からは拡がらんのよw
高緯度行くには脱色する必要が在るビタミンD合成のためにな
270満州一等兵:2014/01/07(火) 17:33:43.07
どのスレも相変わらずだな。
神武が二世紀だとか四世紀だとか、帥升がスサノオだとか(笑)
当人は真剣に議論しているつもりだろうが、世間のまともな人から見れば
○○、白痴、キチガイ以外の何物でもない。

それにも飽きたら染色体とか民俗学の話だ。
四国説のアンポンタンは相変わらず卑弥呼は百襲姫だと宣っているし(苦笑)
むしろ筑紫倭皇帝の方がまだ面白い。

朴が伊作やローガンの話を持ち出すのは、伊作やローガンはいくら何でも
このようなアホなことは書かないと思うからである。
物には程というものがある。あまりにもアホすぎるのである。
271日本@名無史さん:2014/01/07(火) 17:39:25.56
2chは学者様ゴッコ
それはローガンとて同じ
張政は倭国に半島への派兵要請に来たとか言ってるくらいだからな
根拠の希薄なお遊びの説と思って主張してるやつはまとも
心から信じ込んでるやつはキチガイ
272日本@名無史さん:2014/01/07(火) 18:22:21.76
じゃ、満州一等兵様のお説を賜りたい。
お供します。
273日本@名無史さん:2014/01/07(火) 18:31:48.53
夢幻如は新潟出身なので、邪馬台国を新潟にもって行きたかったが、
さすがにそれは無理と知って、新潟経由の邪馬台国八幡平説を言い出した。
それも無理だと悟って、満州という名前に代えて、再登場。
274日本@名無史さん:2014/01/07(火) 19:09:55.46
新潟は古志の国だろ
縄文航路は太平洋側
275満州一等兵:2014/01/07(火) 19:16:01.96
朴はいろんなことを考察している。
卑弥呼が最初に遣使したのは何年か、とか、弁辰は任那なのか、とか。

最初の朝貢年は238年と239年の二説がある。
しかし最初の朝貢年は243年である可能性もある。

三國志三少帝紀正始四年 243年
冬十二月、倭國女王俾彌呼遣使奉獻。

倭人伝より三少帝紀の方が文献としては重要なはずである。
東夷伝など付録みたいなもので皇帝の伝記の方が重要に決まっているからである。
その三少帝紀には243年のこの記事しか出て来ないのである。
遣使奉獻したのも冬十二月となっている。

238年であろうと239年であろうと243年であろうと、
それはそれでいろいろと考察しなければならないことがあるのである。

伊作がいた頃はこういう文献史学的な議論もあった。
今はこういう議論が一つもない。考古学や民俗学的空想ばかりである。
276日本@名無史さん:2014/01/07(火) 19:19:53.12
満州なんて単に話を聞いてくれる人がいるお遊びの場がほしいだけだろ
しかも居心地よくしたいから俺のようにチクチク嫌味を言うやつが目障りなんだろ
孤独に生きてきたとか言っても
老境の寂寥感と経済的不安には勝てない
甘えたがるのもわからくはないが、2chにはおそらく救いはない
277日本@名無史さん:2014/01/07(火) 19:50:43.19
さすがにぼおおっとして読んでるカスの仰ることはまがぬけている。
278満州一等兵:2014/01/07(火) 19:56:04.69
朴はまともな議論がしたいだけである。
ところがその相手がいない。ここの連中のレベルが低すぎるから。
上のジョーカーなんてアンポンタンすぎて話にならないのであるw

龍馬暗殺スレに書いていた頃、鏡川伊一郎という作家のブログを知った。
小説の孵化場というブログである。
この人はなかなかのインテリで、一時は古代史にのめり込んだ時期もあったらしい。
山形明郷の本を読んで大変な衝撃を受けた、とも書いていた。

この程度のレベルの人と話したいのである。
しかし2chにはこんなレベルの人間はただの一人もいない。
一流私大、あるいは地方の国立大卒レベルの人間さえいない。
高校教師レベルの人間さえいないのである。
名大生が出てきたときは期待したものだが、生意気なだけの似非秀才であった。
できれば東大京大クラスの人間に出て来て欲しい。
279満州一等兵:2014/01/07(火) 20:02:47.51
>>277
これは稗箕狐である。
最初の朝貢年は243年であるかも、という朴の書き込みを嘲笑しているのだろう。
嘲笑するだけで議論しようとしない。

243年が間違いであるならそれを指摘してくれればよいのである。
しかし指摘もせず嘲笑するだけである。
280日本@名無史さん:2014/01/07(火) 20:16:34.45
けなすだけのやつ相手にしても無駄だしなw
太平洋に残った遺跡関係だのが日本と繋がるとしたら太平洋の潮流関係で左回りの大往還が
存在してたと考える方が自然だけどな
日本からハワイ、そんでアメリカ西海岸についてそこから南下、南米へと到達して船でオセアニア
通って左回りに北上してくるっていうな
これを無理に否定するってなら逆に作為があると取られても仕方ないと思うがね
281日本@名無史さん:2014/01/07(火) 20:17:17.87
もっときがきいたことかけばあそんであげないでもないにのに
282日本@名無史さん:2014/01/07(火) 20:18:53.04
古代の呉の船団だかなんだかどこに消えたか分からないんだろ?
283日本@名無史さん:2014/01/07(火) 20:20:00.26
気がきくこと書く気はないものw
284日本@名無史さん:2014/01/07(火) 20:22:37.66
そもそも遊ぶってなんだ?
ここは探求する場でないのかい?
285満州一等兵:2014/01/07(火) 21:29:11.08
遊んであげる、というのは稗箕狐の得意フレーズの一つ。
まぬけ、というのもそう。
他人はみんなまぬけだと思っているからこういう言葉を書く。
幼稚園児のような文体で書いているが、かなり自惚れの強い男である。

これまではカスという言葉を書くことはなかったが最近は書くようになった。
だんだん心が荒廃してきている。本物のチンピラになりつつある。

>>284君、ピミも2chにいるとそのうち心が荒廃してくるよ。気を付けたまえ。
なにしろ2chはチンピラが多いからな。今は邪馬台国関連のことを書いてないから
叩かれないが、九州説とか畿内説を唱え出すと忽ち攻撃されるから気を付けるように。
286日本@名無史さん:2014/01/07(火) 22:23:45.92
高天原はデカン高原。
デカン高原を支配していたアーンドラ国サータヴァーハナ王家は世界各地に支配国があった。
たとえば、アンドラ公国。 ピレネー山中にあり、フランスとスペインに挟まれた国家。フランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首とするミニ国家である。言語、カタルーニャ語。
イタリアのサヴォーナ県にかつてあったアンドーラ国。県名に サータヴァーハナ王家の名残りがある。
大韓民国慶尚北道の中部にある安東市。脱解王は、沙婆那で生まれたとあり、おそらく安東市付近だろう。

サータヴァーハナ王家がデカン高原に国を作る前に、もっと大元の文明があるようにも見える。
それは、おそらくシュメールだろうと思われるのだが、順を追って調べてみたい。

今年も忙しくなりそうだ。
287日本@名無史さん:2014/01/07(火) 23:53:27.79
なに、高天原アシール説が覆った?
金返せ、某教団!!

ちなみに私は偏差値59当時の神奈川大貿易科一般受験多分トップ合格だお。
288日本@名無史さん:2014/01/08(水) 00:20:59.68
満州よ、はやく邪馬台国八幡平説を証明しろよ。
289日本@名無史さん:2014/01/08(水) 03:15:13.15
いいこと教えてあげる。
宇佐八幡の正体は、ゾロアスター(エリシャ)だって。
290日本@名無史さん:2014/01/08(水) 05:56:42.00
大田市塊亭洞石室墓、忠清南道牙山郡南城里石室墓、など錦江流域で細型銅剣と
天河石半環式飾玉および粗文鏡がセットで併出しており、日本における三種の
神器の原型が見出されている。

その年代については戦国初・中期(前5−4世紀)とされている。

朝鮮に源流を持つ三種の神器を祭祀とする王統は北九州に渡来、畿内へ東進し
て出雲を滅ぼし統一王朝を打ち立てた。

三種の神器は、今でもそれを祭祀する現在の皇室が朝鮮王統の末裔であることの動かぬ証拠だ。
291日本@名無史さん:2014/01/08(水) 05:59:51.21
宇佐神宮が皇室の宗廟だという事は知ってるな 

表向き第一宗廟は伊勢神宮で宇佐は第二とされている。しかし実際のところ道鏡事件では伊勢は
全く蚊帳の外で宇佐の神託が全てを決めた また、奈良時代以降1000年間皇室
は伊勢に全く足を踏み入れていない かたや皇室は宇佐に代替わりのたびに勅使を
送っている 平成天皇も然り つまり皇室の本当の宗廟は宇佐ということ

宇佐の主神は比売大神 女性名詞 なぜ、皇室と最も縁が深い神社に女性名詞の神を
祭っているのか 

宇佐神宮は小高い丘の上に建立されている この丘は人工物、つまり古墳であり
昭和改修の折に巨大石棺が埋蔵されている事が確認されている

実のところ宇佐は皇室の祖、アマテラスつまり卑弥呼の墓なのだ
292日本@名無史さん:2014/01/08(水) 06:46:22.63
もはや言ったもん勝ちだな
293日本@名無史さん:2014/01/08(水) 08:31:28.94
俺は291の説はいいと思う。
ただ天照が卑弥呼だとすると、天照は新しい神であり、それ以前の、高御産巣日グループと素戔嗚グループとの結びつきを論じる必要があると思う。
294日本@名無史さん:2014/01/08(水) 09:07:12.51
加えて、主神が比売神であるということは、卑弥呼以前の比売神との合祀ともみるべきであり、この点、他の古社との類似性の中から、見えてくるものがあるのではないかと思う。
295日本@名無史さん:2014/01/08(水) 09:07:18.45
麻雀て中国起源てあるね
ここでいう中国ってなんなんだ?
古代百家姓だかなんだかどこかの国の崩壊で
生まれたのかな?|( ̄3 ̄)|
296日本@名無史さん:2014/01/08(水) 09:09:45.08
古代中央アジアやインドあたりの国々の崩壊でいろんなものに繋がってないかい?
297日本@名無史さん:2014/01/08(水) 09:10:29.10
天照が大和系渡来人の祖神なら、素戔嗚は出雲系渡来人の祖神ではないのか
298日本@名無史さん:2014/01/08(水) 09:17:17.14
そして、高御産巣日は高天原つまり渡来する以前の朝鮮半島における神だろう
299満州一等兵:2014/01/08(水) 09:43:41.64
宇佐八幡は神功皇后の新羅征伐戦勝を記念して建てられた神社である。
ただそれだけのこと。

で、神功皇后の祖は香春神社に祭られている辛国息長大姫大目命で韓の神である。
韓にいたスサノオが辛国息長大姫大目命を娶り忍骨命(忍穂耳命)を生む。
それで香春神社に辛国息長大姫大目命と忍骨命が祀られている。

もう一人祭られている豊姫というのはどういう関係にあるのかは知らない。
とにかくスサノオも辛国息長大姫大目命も忍骨命も韓(満州朝鮮)にいたのである。
韓にいたけれど日本人と同じだったわけで、太古は韓人も倭人も同じなのである。
300日本@名無史さん:2014/01/08(水) 09:46:58.45
まあ宇佐の歴史は古くはたどれないな
辛島氏の歴史のほうがはるかに古い
301日本@名無史さん:2014/01/08(水) 10:10:57.71
>>299 皇室の宗廟だという重い事実が有るのですが...
302日本@名無史さん:2014/01/08(水) 10:23:33.14
念のためだが
天上の高天原にある天照大神一族の宗廟ではない
皇室の地上の宗廟だ
303日本@名無史さん:2014/01/08(水) 10:42:15.77
>宇佐八幡は神功皇后の新羅征伐戦勝を記念して建てられた神社である。

場所から言ってもそれはありえない。
また、戦争で勝つことは、神社建立の動機にならない。
304日本@名無史さん:2014/01/08(水) 10:53:15.92
宇佐といえば三女神伝説の方でしょ
どうにもこうにもこの辺が大日本姫こと持統天皇と関わってきそうだなあ
305日本@名無史さん:2014/01/08(水) 10:53:21.31
神社は元の神に新しい神が乗っかるケースがあり、表面にみえるのは新しい神だろう。
神功皇后と古層の比売神との関係が明らかになればいいのだが。
306満州一等兵:2014/01/08(水) 10:56:24.50
皇室の祖はスサノオだから宇佐八幡が宗廟として尊ばれるのは当然である。

また戦勝記念の神社をどこに建てようと自由である。
本八幡とされる神社は対馬にある。
対馬は田舎だから宇佐に建てたのだろう。
香春神社が皇后の祖先を祀っているから、香春に近い宇佐が選ばれたのだろう。

新羅戦勝は大事業であったから記念として建てられたのである。
戦さに勝った記念として建てられた神社だから武士に尊ばれたのである。
307日本@名無史さん:2014/01/08(水) 11:16:18.75
武士といえば源氏と平氏か、あとは武家化した藤原氏もいる
橘氏ってのもいるけど古代九州の地方官だかなんかだっけ?
308日本@名無史さん:2014/01/08(水) 11:19:50.38
ここも電波ばっかりだなw
309日本@名無史さん:2014/01/08(水) 11:22:08.86
綾解きなんて最初はそんなもんだろ
最初から正解求めてるわけ?|( ̄3 ̄)|
310満州一等兵:2014/01/08(水) 11:37:49.04
神功皇后が新羅征伐の帰りに対馬に八旗を立てたという記録がある。
八旗とは八幡である。だから対馬にあるのを本八幡という。

のちに本格的なのを宇佐に建てた。それが宇佐八幡。
新羅を征伐した皇后を顕彰して建てられたものである。
311日本@名無史さん:2014/01/08(水) 11:48:57.78
>>305 神功皇后を追加したのは宗教上の目的というより政治的な意図があった
ものと思えます。

元々、宇佐神宮が卑弥呼を祭った神社だとした場合、卑弥呼は実在の人物で魏志倭人伝
からも没年がAC247年頃ということを当事の人間も知っていた訳です。

そうなると正史たる記紀の記述が年代的にデッチアゲである事がばれてしまうので
記紀と整合性の取れる神功皇后(記紀上269年歿)を持ってきて卑弥呼=神功皇后
にこじつけようと後年追加したのだと思いますね。
312日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:03:32.87
宇佐八幡は仏教との習合関係を考えないとちゃんと理解できないぞ
313満州一等兵:2014/01/08(水) 12:18:48.50
有名な満州八旗の制は朱蒙の時代から既にあったのである。

<芻牟鏡>
大閱水陸軍於<汗濱>,分八旗(黃赤K紺紫香。)六十四軍,
各置「軍正」,使<烏伊>統之,<摩離>‧<扶芬奴>副之.BCE31

皇后が八旗を立てたということは日本にもその制度というか習わしがあったわけで、
これまた日韓同祖を証すものである。
314日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:31:56.54
311
神功皇后は本当によく分からない存在であるが、満州も言うとおり風土記やいろんな古史古伝にもあり、架空では済まされないような気がする。
また、宇佐神宮は重要な場所ではあるが、そこが出発点というようにはとらえていない。
315日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:34:40.61
戦争がらみで神社を建立するなら、戦死者の慰霊とか、
殺害した敵将の祟りを恐れてのことだろ。
戦勝記念神社なんて、誰にもご利益が無いし、建てる動機が無い。
316日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:54:44.77
五帝

滅びゆく種族の歌が〜*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*ってやつか|( ̄3 ̄)|
317日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:59:11.10
ほんとに碑文だらけだな
318日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:59:30.54
314 神功皇后が架空か否かという問題ではなく、皇后の没年が西暦269年だと言うことが
明らかに史実に反するという事です。

私は天照=卑弥呼であり、天照はAC.247年没として記紀を見直すべきだと考えています。
319日本@名無史さん:2014/01/08(水) 14:11:41.63
どうかねえ?
320太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/08(水) 14:21:16.33
>>318
それは史実ですよ。
年号が合わないのは当時の倍暦行使のためで、編年研究すれば不合理で
ないことが明確になります。
天照は紀元前ですよ。
321太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/08(水) 14:30:52.33
>>308
好色の 出る同根具 は稀代のデ○パ!
322記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(2+0:5) :2014/01/08(水) 14:34:56.02 BE:1642449964-2BP(1000)

天皇家、徳川将軍家が縄文系だったことに、大きな喜びとともに、
疑念も感じている。

天皇家が縄文系などということがありえるのか?
323日本@名無史さん:2014/01/08(水) 14:37:41.76
有名人を何でも=で結ぶな。
卑弥呼と天照大神とモモソは、まったく無関係な別人。
324記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2014/01/08(水) 14:38:15.72 BE:4927349298-2BP(1000)

天皇家、徳川将軍家の遺伝型がともに、D2系の縄文系だと確定した。

これにより、出雲、大和が弥生系の征服王朝であるとするわたしの主張は、
完全にくつがえされたことになる。

出雲は、初代スサノオが旅人であることから渡来系かもしれないが、
天皇家は縄文系であり、神武は縄文系ということになる。
325日本@名無史さん:2014/01/08(水) 14:40:11.03
>>322
陛下はどうなされましたか
326記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2014/01/08(水) 14:59:25.72 BE:4927349298-2BP(1000)

>>325 特に声明を発表したということはないようだけど、
もう世界的に、天皇家の遺伝型がD2a1bであることは発表してしまった。
327日本@名無史さん:2014/01/08(水) 15:11:00.66
>>326
そうではなく法学家の偽天皇のことですよ
328記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2014/01/08(水) 15:13:00.55 BE:1368708645-2BP(1000)

>>327 去年の一月から消息不明だよ。
最後のレスとかいってから消えた。
329日本@名無史さん:2014/01/08(水) 15:17:05.77
長期入院なんでしょうね・・・
330記憶喪失した男 忍法帖【Lv=40,xxxPT】(3+0:5) :2014/01/08(水) 15:30:18.41 BE:1642450346-2BP(1000)

>>329 それがよくわからない。
警察沙汰もおこしていたようだし、
入獄の可能性も。

でも、本命は山籠もり。
331満州一等兵:2014/01/08(水) 15:51:04.34
3時の一服

神産巣日という神がいる。神魂命とも言う。この神を祖先にしている氏族も多い。
この神もおそらく韓にいたのである。

なぜなら古事記によると、少彦名神は神産巣日神の子だとされている。
少彦名神は船に乗って渡来した神で、常世国に帰って行った。
常世国とは満州の某地域を指す。

つまり少彦名神は韓(満州朝鮮)にいた神だから、神産巣日神も韓にいたのである。
高木神なども韓にいたのであり、藤原氏の祖も韓にいたのである。
韓から渡来したから藤原氏は韓人だというわけではなく、韓にいたけれど日本人なのである。
日本人はみんな韓にいたのであって、太古は韓人も倭人も同じなのである。
332日本@名無史さん:2014/01/08(水) 16:17:58.98
思いつきだが、天照とは、支配氏族が持っていた比売神信仰を、被支配民にも受け入れられるよう、事後的に創作し、一般化したものと考えるのは如何か。
天皇家の伊勢神宮への関心の低さは、それゆえと考えてはどうか。
333日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:11:45.14
何が関心が低いの?
334日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:15:14.13
天照大神の本名は「大日孁貴(オオヒルメノムチ)」大日孁貴の「大」「貴」は
美称尊称で、核心は「日孁」で「ヒルメ」と読む。ヒルメの「ル」は助詞の「ノ」
の古語で、現代語で言えば「日の孁」すなわち日孁=ヒメである。
「日孁」と「日ル孁」の関係はJR「山手線」「山の手線」と同じである。
そうすると、天照大神=ヒメすなわち比売大神で、宇佐の比売大神は
皇祖神・天照大神ということになる。
335日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:26:43.05
皇室はかねてから伊勢神宮にほとんど足を踏み入れていないこと。
近年は行ってるよ。
336日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:29:50.47
>>334
なかなかの着想
ただ伊勢神宮もそうであるように、
祀ってあるその地が、必ずしも都や陵ではないというところがむつかしい
337日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:36:31.76
皇室が伊勢に参拝するようになったのは明治以降、奈良時代から1100年間伊勢には足を踏み入れていない
338日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:42:56.81
宇佐神宮改修時に石棺が二度目撃されている(明治40年、昭和16年)。明治40年
(1907年)、神楽殿前の広場にそびえる楠の大木と、内陣・三之御殿の向って右側
にある楠の巨木が根を張り出し、建物の一部が傾きかけた。そこで、内陣の部分
をある程度掘り返し、根を切断すると同時に建物の一部を修理する工事が行われ
た。その時、巨大な石棺がその全貌をあらわした。目撃証言によれば、「角閃石
の一枚岩をくりぬいて作ったと思われる完全な長持形の石棺だった。石の節理
の条件からいって耶馬渓付近のものと思われるし、国東半島にはこういう石は
存在しないそうである」
339日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:47:02.52
>>337
天皇が建国記念日に参拝するのは韓神社だし。
340日本@名無史さん:2014/01/08(水) 17:54:54.55
宇佐神宮のは安羅大姫 安樂應寳秘命を祭るお社で6世紀の成立だろ

もとねたになったお社のはもっと古いのかもしれんが

ご先祖のも掻き集めてお祭りしてござるが
 
341日本@名無史さん:2014/01/08(水) 19:56:44.61
>>338
角閃石の1枚岩をくりぬいた長持形石棺とかウソ確定だなw
342日本@名無史さん:2014/01/08(水) 20:58:37.19
宇佐神宮が建つ亀山の山頂(直径70〜80m)に、伝承通り北麓の菱形池を掘った
土で盛土したのが卑弥呼の「径百余歩の冢」。また『八幡宮本紀』は本宮が建つ
山上の周りを390余歩と記すので直径は125歩となり、「径百余歩」と一致する

昭和大造営(昭和8〜17年)の昭和15年頃、地下に宝物殿を造るため拝殿前広場を
長さ数十メートル、深さ数メートル掘り下げたが地層は全く存在せず、性質の
違う玉石や角石が無数発見され、山頂は人工的に盛土されている。
343日本@名無史さん:2014/01/08(水) 20:59:39.41
宇佐神宮の拝礼作法は二拝四拍手一拝じゃないか。
出雲大社と同じじゃないか。
どういうことだ?
344アセロラ:2014/01/08(水) 21:45:03.09
出雲スレッドに書いた統治者の話
すべて現実、本当のことなので
345日本@名無史さん:2014/01/08(水) 21:45:48.88
宇佐の歴史は古くない
346アセロラ:2014/01/08(水) 21:52:40.85
照 月 スサは、
他の家の先祖、祖霊ということだったのかな?
347日本@名無史さん:2014/01/08(水) 21:54:52.18
宇佐神宮のある亀山の西900m余に境外末社の百体神社があり、付近に百余人を徇葬したとされている。

これも魏志倭人伝にある ”卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人”
(卑弥呼の死後は直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が殉葬された。)
との記述と合致する。
348日本@名無史さん:2014/01/08(水) 21:56:18.17
邪馬台国はデカン高原にあった。
しかし、伽耶に仏教が伝ったのは海のシルクロード経由ではなく、陸のシルクロート経由だった。
クシフルも高天原も、タリム盆地の亀茲国のことだ。
インドでも中国でも仏教は衰退してまったので、古代仏教はわかりにくくなってしまった。
349日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:19:44.20
>>286
高天原はデカン高原。
デカン高原を支配していたアーンドラ国サータヴァーハナ王家は世界各地に支配国があった。
イタリアのサヴォーナ県にかつてあったアンドーラ国。県名に サータヴァーハナ王家の名残りがある。

誉田別(応神天皇)もアーンドラの音を写したものだろう。
かつてアーンドラ国であったイタリアのACミランの本拠地に誉田別の子孫である本田圭佑が降臨し、大騒ぎになっている。
350日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:31:37.32
デカン高原クンは、コテ付けてやって
351エマタラ:2014/01/08(水) 23:46:38.34
>>347
ワシザキみたいなこと言うね 君、君!( ̄^ ̄)
352エマタラ:2014/01/09(木) 00:07:28.22
大日孁貴って久々にきいたな
353アセロラ:2014/01/09(木) 00:21:41.30
このスレには関係無い話だけど
「ちびまるこちゃん」の初期OPは名曲
354日本@名無史さん:2014/01/09(木) 00:33:35.37
http://www.youtube.com/watch?v=8wcWdoHvdFk
邪馬台国は奄美(徳之島)か! @品川和尚と竹取翁博物館の館長が古代歴史談義 2014.1.5

http://www.youtube.com/watch?v=Y2chfLmNEjA
邪馬台国は奄美(徳之島)か! A品川和尚と竹取翁博物館の館長が古代歴史談義 2014.1.5

http://www.youtube.com/watch?v=JSHb5GRaypM
邪馬台国は奄美(徳之島)か! B品川和尚と竹取翁博物館の館長が古代歴史談義 2014.1.5

http://www.youtube.com/watch?v=_Kz-XoPU408
邪馬台国は奄美(徳之島)か! C品川和尚と竹取翁博物館の館長が古代史談義 2014.1.5

http://www.youtube.com/watch?v=0F_bJ8d8tIk
邪馬台国は奄美(徳之島)か! D品川和尚と竹取翁博物館の館長が古代史談義 2014.1.5

http://www.youtube.com/watch?v=P7z1mCjkfHE
邪馬台国は奄美(徳之島)か! E品川和尚と竹取翁博物館の館長が古代史談義 2014.1.5
355日本@名無史さん:2014/01/09(木) 00:50:39.33
これからは動画の時代だと確信した。
356日本@名無史さん:2014/01/09(木) 01:46:14.81
>>352
そいつが守護神の俺は、いったい何者でしょう?
357日本@名無史さん:2014/01/09(木) 04:34:35.05
アニメの話ばかりだな

「METAMORPHOSIS」 ウリ・ジョン・ロート

「エヴァンゲリオン」
358日本@名無史さん:2014/01/09(木) 08:09:34.79
お前らの考えって神仏習合から仏教抜かすとすぐ戦争にいくからな
359日本@名無史さん:2014/01/09(木) 09:23:48.46
一言、天皇が、
国連軍を指揮しますとのたまえば、それでいい気がする。
360筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 11:34:39.27
あのさ、大分人も佐賀人も宮崎人も熊本人も関西人も自分の地元に
必死に邪馬台国を持っていこうと必死なんだってww
ほんとバカ丸出しだよな。 
中韓に残る歴史書や古墳や出土品、遺跡の分布、記紀とトータルで判断しろっていってるだろ。
鏡が出たから卑弥呼だ邪馬台国だ、宇佐に古墳があるから宇佐こそ卑弥呼の墓だ
とか、ほかの事を全部無視して語るなってのww
視野が狭いんだよ、福岡以外の地域に邪馬台国を持っていこうとする奴らってww

宇佐八幡はどっからきたんだ?? 宇佐八幡の本宮はどこだ??
日本三大八幡の箱崎八幡の元宮であり、同じく日本三大八幡の宇佐八幡の本宮はどこだ??
なんで福岡にはこんなにたくさんの天孫族にかかわる神社の総本宮や三大○○に選定されてる神社が多いんだ??

冷静に考えろ。 そしたらおのずと結果は見えてくるよ。
答えは全て筑紫福岡につながってるんだよ。
361筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 11:44:58.60
そして、宇佐八幡の古墳を卑弥呼の墓というなら、もっと怪しい所があるだろ。
大分八幡の古墳>>>>>> 怪しい古墳(墓)の壁 >>>>>>>宇佐八幡の古墳だろ

大分八幡は日本三大八幡に数えられる宇佐と箱崎の本宮(宇佐)であり元宮(箱崎)だ。
お前らが宇佐の古墳が卑弥呼の墓と言うなら、大分八幡の古墳こそ卑弥呼の墓だろうな。

大分八幡の後ろにそびえる山は宮内庁が推定皇室陵に指定している。
現代では全く注目もされてない寂れたさみしい所にも関わらずだ。

お前らが「宇佐の古墳」「宇佐の古墳」というのなら
明らかに宇佐の本宮、大分八幡の古墳の方が怪しかろうな。
362筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 12:03:41.93
それから、大分八幡の地理だが、
福岡側からは宇美八幡で有名な宇美町の神武原を抜けショウケ峠を越える。
ショウケ峠とは神功皇后がショウケで担がれて越えた峠であるからその名が残る。
ショウケ峠を抜ければそこが大分八幡さ。

大分八幡のその先は誰かが以前言った「イ」の地名が続き、
その先に烏尾峠がある。
烏尾峠とは神武天皇一行がカラスに導かれて越えたという峠だ。
烏尾峠を越えれば香春町(ここもある意味王家の谷だな)があり仲哀峠がある。

仲哀峠を越えれば、福岡県の京都郡だ。
この京都群にも天孫族・神武の神話が数多くのこる地だ。

俺は本当の神武東征は福岡県東部の遠征記なんじゃないかと思うふしもある。
筑紫の畿内制圧はもちろんあった。
その筑紫勢力の東・畿内制圧と、神武の福岡県東部の東征記をだぶらせたんじゃないのかと。

しかし、神武東征神話は比較的詳しく書かれてるので、だぶらせがあったとしても
所詮は小さなその程度のだぶらせなんだろう。
363日本@名無史さん:2014/01/09(木) 12:21:21.00
妄想乙としか言えないなw
364満州一等兵:2014/01/09(木) 12:30:36.94
宇佐八幡の本宮がどこにあろうと、そんなことは邪馬台国とは何の関係もない。
なぜなら倭人伝のどこにも「邪馬台国には卑弥呼を祭った神社があります」
とは書かれていないからだ。

それに宇佐八幡とは神功皇后を祭った神社だが、
その本宮がどこにあろうと神功皇后は大和にいたのである。
宇佐八幡は卑弥呼を祭っていると考えている人間は、
卑弥呼は神功皇后だと言っているのと同じことで、それは畿内説である。

ちなみに大分八幡が宇佐八幡の本宮である、などとはWikiにも書かれていないが。
365満州一等兵:2014/01/09(木) 12:39:06.22
訂正 これのことか。

>宇佐神宮の託宣集である『八幡宇佐宮託宣集』にも筥崎宮の神託を引いて、
>「我か宇佐宮より穂浪大分宮は我本宮なり」とあるが

本宮がどこであろうと、要するに神功皇后の新羅征伐という大事業を
顕彰して建てられたものであるから、それが福岡にあろうとどこにあろうと、
そんなことは邪馬台国とは関係ないのである。
366筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 12:43:09.81
そして、宇佐八幡が祀る神は神功皇后と宗像三女神だ。
ちなみに、大分八幡と箱崎は神功皇后と卑弥呼となぞる人も多い玉依姫だ。

ちなみに宗像三女神はもちろん福岡の宗像大社。
宗像三女神が降臨した山は福岡県の六が岳連峰。
「朝日(旭)、天山、羽衣、高祖、崎門、出穂」の六峰からなる。

「旭岳に尊の 亡骸を、天冠岳には尊の冠を、羽衣岳には尊の衣をそれぞれ埋めた」
といわれるニニギの陵。

六が岳の近くにある「猿田峠」。
筑紫糸島から痩せた国をさまよい道に迷いながら猿田峠につく。
まさに道に迷ったニニギに道案内をしてくれた猿田彦。

きちんと整理すればやっぱり筑紫福岡になるんだろうな。
367筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 13:00:39.56
>>364
お前は別のスレで俺のレスを参考にして「韓国と倭は一緒の国かも」と自分の
考えを修正してたが、正にその通りだよ。

しかし「韓国と倭」ではない。 「韓国の南岸が倭」だったんだよ。
つまり「博多湾岸の倭が韓国の南岸を支配してたんだよ」
「倭が支配者で、韓国は支配される側」だ。
ある意味一緒の国ってことだw

よって半島の文化は、倭の文化でもあるのだ。 
本国博多湾岸よりいち早く中国をはじめとする文化が伝わる半島。
そこから博多湾岸の倭は最新の文化を取り入れたり甕棺墓(大型)などのオリジナルを作り
支配下の朝鮮にも逆輸入(支配される側が使っただけ)した。

隋書・東夷伝「百済新羅は倭を大国として崇めた」

博多湾岸の倭が朝鮮の南岸を支配していた証拠だ。
368筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 13:07:53.56
>>364-365
それから、俺は宇佐や大分八幡の古墳が卑弥呼とは比定してないぞ。
ここの連中が視野が狭くおらが村に必死に邪馬台国を比定しようとして
宇佐の古墳が卑弥呼といって妄想を膨らませてるから、水を差してやっただけだ。

「もし宇佐ならもっと怪しい所に古墳があるだろう。お前らは
 なぜそう一つしか見えなくなってその他の事実から目をそらすのだ??」とな。

俺は彼らにヒントを教えてやっただけだよ。
369日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:21:22.04
朝鮮半島南岸から倭人だったことははっきりしてる。
倭国は半島南部から九州、場合によっては畿内まで広がっていたんだろうな。

その倭国は小さな日本に征服されたという。
日本は、加羅だな。
370日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:30:10.00
筑紫倭皇帝に+1ポイント
371日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:46:19.45
宇佐八幡ではないな・・・
候補としては、
宗像(志賀の島)、阿蘇、霧島、ひらききなどだが、
先頭立つなら宗像、城は熊本と言ったあたりか・・・
逆か?
372日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:47:42.99
あ、そうだよ。
雲仙が悪の砦じゃないか!!
近づいてきたぞ〜!
373日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:49:50.64
天草四郎が天主様かな?
なんでこんなことがわかるかって?
だって横田のしゃべり声が聞こえてくるんだもん!!
374日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:57:50.57
まずいな・・・
○○の○宮暴かれたら・・・
375日本@名無史さん:2014/01/09(木) 13:59:38.52
世界同時侵攻のXデイはいつだろな・・・
危険日としては、建国記念の日・・・
376筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 13:59:53.69
その昔、アメリカで教えていた教科書、世界史は半島南岸は日本になっていた。
しかもちゃんとした地図付きで「任那日本府」とそれに関する記述もあった。
しかし、韓国の猛反発でそれらすべて、そこらへんの歴史が削除されたって聞いたことがあるな。

今はどうなってるのやら。
確かに古代史スレには、邪馬台国や天孫族を中韓に残る記述や、遺跡、分布といった
ものを全く無視しておらが村に必死に持っていこうとわけのわからぬ妄想を膨らませ
地元人同士妄想と妄想で盛り上がる、ある意味尊敬にも値するやからと、
日本人ではなさそうな人たちが必死に日本古代史を違うところへ導こうとする勢力を感じるな。
377日本@名無史さん:2014/01/09(木) 15:30:42.81
国家機密を発見してしまった
口外は許されない





ナツヤスミ アニメ
378日本@名無史さん:2014/01/09(木) 15:33:03.26
379日本@名無史さん:2014/01/09(木) 15:48:51.15
百済が滅亡したとき、難民を大量に受け入れたからじゃねーの。
関西弁って、百済語由来って聞いたことがあるぜ。
380日本@名無史さん:2014/01/09(木) 16:26:51.25
古墳認証されていないぽい 元祖宇美八幡宮 宮司のおひとは竹内さん

神功皇后ののからみですけど

ttp://maps.google.co.jp/maps?ll=33.508051,130.192623&spn=0.092464,0.16943&brcurrent=3,0x3541e7fad27a8f01:0x919456694edeac0e,0&t=k&z=13
381筑紫倭皇帝:2014/01/09(木) 17:07:00.55
>>380
また糸島か!

やっぱどう考えても日本国家発祥の地は筑紫福岡だな。
382日本@名無史さん:2014/01/09(木) 17:13:09.87
トトロ
383満州一等兵:2014/01/09(木) 17:21:19.75
筑紫倭皇帝君、ピミはまだまだ考えが足りない。
任那は半島南岸にあったのではない。少なくとも今の韓国全部が任那だ。
それどころか任那は満州南部にも及んでいたのかもしれない。

それから日本はBC660年から大和朝廷が支配している国である。
当然九州も福岡も天皇家が支配している。
神功皇后新羅征伐には土蜘蛛や熊襲を除く全九州の豪族が協力している。
三世紀の福岡に大和朝廷とは独立した国があったなどと思うのは空想である。

古田史観から一刻も早く脱却した方がいいよ。
384日本@名無史さん:2014/01/09(木) 17:34:49.14
日本列島を天皇家が征服したのって、せいぜい起源500年頃からだろ。
300年頃までは邪馬台国だったわけだし。
385日本@名無史さん:2014/01/09(木) 17:57:25.94
皇室の祖神は天照大神であり、宇佐神宮は皇室の祖廟である

これが宇佐説、最強の根拠だ
386日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:08:36.53
アマテラスが宇佐で死んでれば、伊勢神宮にではなく宇佐でアマテラス祀ってる。
387日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:11:28.07
USA!(うさ)USA!(うさ)?
388日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:37:41.48
>やっぱどう考えても日本国家発祥の地は筑紫福岡だな。

日本国家発祥の地と邪馬台国は別。
389日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:40:08.24
390日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:47:17.86
糸島市二丈地区は壱岐(一大)の拡張領域と考えていますですよ。
391日本@名無史さん:2014/01/09(木) 19:11:34.34
>>378
逆は考えないのかい?
392日本@名無史さん:2014/01/09(木) 19:23:26.71
近畿=朝鮮 朝鮮=近畿 どっちでも同じだろ
393日本@名無史さん:2014/01/09(木) 20:08:48.53
福岡湾岸の説によると、大国主の奴国は超名門伊都勢力に駆逐され出雲に追放されるということだったな。
筑紫の国魂は五十猛でその父は素戔嗚である。ならば、なぜ、その神も追放されていない?
また、福岡湾岸の説の中に、筑後川中流域の甘木付近の勢力の話がない。この地は高木神に拘る神社が多く、甘木勢力の神は高木神と見るべきだろう。
ならば、この勢力はどのような位置づけとなるか、ご意見を賜りたい。
394日本@名無史さん:2014/01/09(木) 21:12:40.32
まぁ卑弥呼は百襲で確定だよ。
395日本@名無史さん:2014/01/09(木) 21:19:29.67
邪馬台国は、九州で滅ぼされた土蜘蛛だよ。
396日本@名無史さん:2014/01/09(木) 21:22:12.74
満州説によると、邪馬台国は半島にあったとのこと。一方で記紀の記載を認め、紀元前660年には大和朝廷があったとのこと。
ならば、邪馬台国と大和朝廷との関係をどのようにとらえておられる。
また、半島の倭は、その後どのようになったと考えておられる?
397日本@名無史さん:2014/01/09(木) 21:39:19.85
>>395
神功皇后の件は紀のミスリードだね。
398イカロ:2014/01/09(木) 22:01:42.53
高天原はデカン高原。
卑弥呼の墓というか、前方後円填の原形を発見した。
スバリ、釈迦入滅の地と伝えられるクシナガラの釈迦の墓、ストゥーバだ。
円墳のようで円墳ではない。くびれた形をしている。それが何を表わすのかは、やはり迷だが。
サービスで、卑弥呼の墓はインドのにあった。と書いておこう。

http://www.kosaiji.org/pilgrim/india2/13_Kushinagar/DSC_2446.jpg
399満州一等兵:2014/01/09(木) 22:15:07.86
>>396
卑弥呼は満州朝鮮にあったどこかの国の女王で、日本とは何の関係もないのである。
九州説も畿内説も空想である。

邪馬台国は大和である。
陳寿は卑弥呼を神功皇后と間違えたので、卑弥呼は邪馬台国(大和)にいると書いた。
しかし卑弥呼は神功皇后ではなく、馬韓かどこかの女王である。
だから卑弥呼と大和朝廷とは何の関係もない。

ただし卑弥呼が任那(伽耶諸国)のどこかの女王なら、
大和朝廷とは何らかの関係があったかもしれない。
なぜなら任那は大和朝廷の支配下にあったからである。

また卑弥呼が百済や新羅の女王だったとしても同じことが言える。
なぜなら紀の編年を信じれば、その頃の百済と新羅は大和朝廷の支配下にあったからである。

半島の倭というが、半島に倭国があったわけではない。
任那(伽耶諸国)のことを陳寿は倭と書いているのである。

任那については、弁辰と任那は同じなのか、とか、任那はどこにあったのか、とか、
いろいろ考察しなければならないことがあるが、それについては未考。
400満州一等兵:2014/01/09(木) 22:36:32.42
邪馬台国は大和で間違いないのである。
日本人は大和をヤマトと呼んでいたが、外国人はヤマタイと呼んでいたのである。
それを示唆する文献がある。

光仁紀に烏須弗という渤海使が能登国に着いたが、入京を許されず追い返されている。
この人物に耶摩駘記という著作があるのである。大和を耶摩駘と書いている。
あるいは日本を耶摩駘と書いている。

光仁紀には日本が正式な国名になっていたのに耶摩駘と書いているのである。
このことは、大和を外国人はヤマタイと呼んでいたことを窺わせる。
401日本@名無史さん:2014/01/09(木) 22:53:12.41
399
説を展開頂き感謝。
倭人伝の女王の部分を神功皇后に差し替えた場合、邪馬台国のおっている国内情勢や風俗と神功皇后から連想されるものとでは、かなり乖離があるように感じる。
例えば神功皇后は夫がいて子がいるのに、卑弥呼はそれがない。
邪馬台国は狗奴国と争っており、新羅征伐などできるはずがない。
やはり、邪馬台国には卑弥呼を使わないと、辻褄があわない。
このような乖離があるような間違いをおかすのだろうか。
親魏倭王印は半島の卑弥呼のところに行ったのだろうか、それとも邪馬台国へ届けられたのだろうか。
402日本@名無史さん:2014/01/09(木) 22:59:40.16
400
なるほど。
403日本@名無史さん:2014/01/09(木) 23:07:35.20
親魏倭王も、その魏の国が亡んでしまっては何の価値もない。
親晋新王とでも鋳直してもらうしかない。
404日本@名無史さん:2014/01/09(木) 23:10:59.31
耶麻郡といえば会津。邪馬台国は会津盆地にあった。
405満州一等兵:2014/01/09(木) 23:14:59.25
>>401
ピミはまだ朴の言っていることの意味が理解できていないようだ。
倭人伝に書かれている卑弥呼の事跡は神功皇后とは何の関係も無いのだから、
卑弥呼を神功皇后に置き換えて読んではいけないのである。

また卑弥呼は邪馬台国にいる、と書かれているが、
実際の卑弥呼は邪馬台国(大和)にいたのではないのである。

ここの連中はこのことがどうも理解できないらしく、
もう二年以上説明しているのに、未だに理解できていない人がチラホラいるようだ。
ほぼ同時代に、韓に卑弥呼、大和に神功という女王がいたので、
陳寿が間違えたのである。それだけである。

もちろん親魏倭王印は満州朝鮮にいた卑弥呼のところに届けられたのである。
406日本@名無史さん:2014/01/10(金) 06:21:00.07
国民の賛同を得られない歴史は残らない。
歴史とは、真実を伝えるものではなく、願望なのだ。
407日本@名無史さん:2014/01/10(金) 07:46:24.00
くだらん 歴史が多数決で決まるはずがない
408日本@名無史さん:2014/01/10(金) 07:58:00.97
朝鮮はそうだけどな
409日本@名無史さん:2014/01/10(金) 08:07:26.05
405
理解し難い部分もあるが、なるほどという箇所もある。
もう一つ伺いたいが、満州氏が考える 韓 とは、どのようなものか?
扶余系の民か、それとも河南系の民か?
あわせて、倭人はどのような民か伺いたい。
410満州一等兵:2014/01/10(金) 09:32:19.13
>>409
古代は満州朝鮮を韓と言ったのである。
黒龍江省、吉林省を真朝鮮(真韓、辰韓)、遼寧省を番朝鮮(番韓、弁韓)
朝鮮半島を莫朝鮮(馬韓)と言った。桓檀古記を読めば分かる。
番朝鮮はのちに箕子朝鮮、衛満朝鮮となる。これが古朝鮮。

韓人と倭人は同じである。
その証拠に中国史書が伝えている倭人はすべて満州朝鮮方面の人間である。
扶余、穢貊、沃沮、挹婁、朝鮮半島民…、これらすべて韓人と言えば韓人だし、
倭人と言えば倭人である。韓と倭を区別したのはおそらく三国志が最初である。

陳寿の三国志以降、韓といえば韓半島の民族を指すことになったが、
それ以前はそうではない。というか、それ以前は韓という語はなく、倭と書かれていた。
韓という語が現れるのは後漢末か魏に入ってからである。
史記朝鮮伝にも前漢書にも韓という語は出て来ないはずである。
中国内に韓という国はあったが、満州朝鮮を指す韓という語は出て来ないらしい。
411日本@名無史さん:2014/01/10(金) 09:37:35.51
日本に来た裴世清は、朝廷は秦王朝(辰韓)だと言ってるしな。
412日本@名無史さん:2014/01/10(金) 09:55:42.31
勝手に捏造するなよw
413日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:02:51.27
卑弥呼の存在自体は百襲姫で問題はない。
対外的な話をカットしているだけの事。
但し神功皇后にも逸話が振り分けてある。
伊予の部分も含まれるかもしれないが。
414日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:05:23.11
卑弥呼は百襲姫
415日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:13:27.13
何故日本書記にあえて神功皇后の項に、卑弥呼の逸話を入れたか?
神功皇后には九州の山門郡の女酋長を討たせるという、
紛らわしい記述を載せたのか?
答えは簡単、ミスリード。囮にしたかっただけの話だ。
アホの物書きなら九州の偽物を神功皇后が
退治したとか言ってるが、真逆の事を言っているw
416日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:28:31.85
勿論半島に卑弥呼がいたなんて話も大ボケ。
だが倭が半島南部に広がっていた話は正しいがな。
417筑紫倭皇帝:2014/01/10(金) 10:34:04.80
半島系の陰謀@

ほら見てみろ、俺が以前からここには、
おらが村にどうしても邪馬台国や倭国、大国主や天孫族を持ってきたい可愛いバカども=日本人の地元愛が強い畿内、宮崎熊本佐賀大分の必死厨と

日本古代史をあらぬ方に誘導しようとする半島の朝鮮の濃い血が流れる満州等々の
やからが入り乱れてると指摘したが、やっぱりそのようだな。

上の日本人による地元愛厨はただ単に地元愛からくる必死キチガイどもだからまだいいが、
下の半島系はちょっとやっかいだぞ。

半島系の狙いはこうだ。
半島系は自分たちの歴史には詳しいので、朝鮮半島南部から九州北部(筑紫福岡県域)は倭国であると認めている。
そしてその倭国に度々半島を支配されその事実は否定できない史実として半島に残っている。
しかしどうだ。半島からすれば倭国は日本ではないのだ。
朝鮮は倭国(倭人)に支配されたのであって日本ではないのだ。
そして、その倭国を滅亡させたのはどこか?? そう元々小国だった日本だ。

日本こそ半島人、つまり朝鮮が作った国家なのだと。
このことは、俺が度々述べてる日本国家の成り立ちで述べてるが、当たり前の事なのだが、
日本は、筑紫博多湾岸に都があった倭国、大国主、邪馬台国、天孫族の勢力が東征をして
大和を征服し、大和朝廷を築き後に本家の倭国、筑紫福岡と九州を支配した。
つまり、日本の祖は朝鮮をもしはいした博多湾岸の倭国であり、つまり日本なのだ。

しかし、この事実をよく思わない、学会や畿内宮崎佐賀大分熊本のキチガイどもが
妄想に妄想を並べ必死に福岡を飛ばして自分の地元に倭国や邪馬台国や天孫族を引き込もうとする愚かな行為。

これは、「倭国は倭人」、「日本は朝鮮が作った国家」としたい朝鮮からすれば格好の構図であり
言葉巧みに、反福岡勢力に近づき直接半島とその地域を結び付け「やっぱり日本は朝鮮が作った国家でしょ」
という構図に持ち込みたいのが半島系の狙いだ。
418日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:35:38.71
成りすまし朝鮮人は、中国王朝の子孫だと言って朝鮮半島を治めていた。
日本列島を征服してからも同じだ。
419日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:42:02.52
また矛盾に気がつかないアホが一人w
卑弥呼は吉備からヤマトで活動した百襲で問題ない。
420筑紫倭皇帝:2014/01/10(金) 10:58:42.99
半島系の陰謀A

これはこの動画からも見てとれる。
http://www.youtube.com/watch?v=JvIpRFz2eK4

この動画の15秒ぐらいのところで見れる地図。
つまり、半島人は自分の国の歴史は強いから、自分たちを支配していた倭国の範囲もある程度研究している。

中韓に残る歴史書や遺跡の分布等々客観的に判断すれば倭国の範囲はココだろうというのは
お隣の半島人でさえ理解しているのである。

しかし、畿内や宮崎佐賀熊本大分といった必死厨←これははっきり言ってトンデモ説にトンデモをかぶせるキチガイ説だが、
                       反福岡ということで一致してキチガイ説が威勢がいいのが現実。

この事実が日本の国家発祥を朝鮮に持っていきたい半島系をも巻き込んでより複雑化させている。
そして半島系が言葉巧みに時に畿内説や、時に宮崎説へと加担し、
最終的に半島へと導こうとする、半島系を容易に受け入れさせようとする罠をばら撒かされている現実へとつながっている。

畿内、宮崎佐賀熊本大分等々の郷土愛信者はもっと客観的に判断できる力を身に着けることが重要だろう。

倭は博多湾岸に都を持つ半島南岸より九州北岸。
その倭国で大国主をはじめとして邪馬台国、天孫族が活躍した舞台であり、
博多湾岸より全国に広がっていったのだ。
このことは記紀にも中韓に残る記述にも、遺跡、出土品の広がり、その他諸々
すべてに矛盾のない事実だ。

畿内、宮崎佐賀大分熊本の諸君はもっと頭を柔らかくし、客観的に判断できる力を身に付けることだ。
お前らは視野がせますぎる。 だから半島系につけこまれるのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=JvIpRFz2eK4
もう一度この動画をみて、こういうことが容易にできる地域はどこか??
様々なことを容易に説明できる力を身に付けることだ。
421日本@名無史さん:2014/01/10(金) 11:05:02.17
一番半島からの影響を受けやすい、福岡原理主義者が寝言言ってるぞw
倭の始まりは阿波周辺だとはっきりしてるのにな。
422日本@名無史さん:2014/01/10(金) 11:19:52.18
半島の連中の顔を見てみろ。
日本人と同じじゃないか。
何千年も負け組でいたから、福岡男と同じようにすねた育ち方をしているが、同祖だろうよ。
あいつらはすねているから、今も憎まれ口もたたくが、何千年もいじめられたら、みんなそうなるって。
ここは懐の深い寛容な日本人が、大人の品格で接してあげることがなにより。
423日本@名無史さん:2014/01/10(金) 11:30:46.97
>>420
これは新羅中心の説明だ
倭は新羅ばかり攻めていたようだが、なぜ百済は攻めなかったのか

かっての卑弥呼の時代とは国際情勢がちがうようだな
いつのころからか、百済と倭は親密な間柄になったからではないのか
そして百済再興のためたびたび軍を送ったのだろう、その出撃拠点が博多だったというだけのこと
424筑紫倭皇帝:2014/01/10(金) 11:37:17.45
で、お前の言う本拠地は??
もちろんおまえの言う本拠地がずっと後世にも残ってるなら
それらの記述もお前の言う本拠地に残ってるはずだな。

いつまでも変な妄想ばっかたれてんじゃね〜よ ばかw

ほんとこんな筋の通らないキチガイばっかだから仕方ないいんだよ お前らはw

ちゃんと筋道とおして話してみろ。 トンデモだから難しいだろうがなw
425筑紫倭皇帝:2014/01/10(金) 11:39:30.56
>>424>>423
への質問だ。 トンデモばっかはほんといらね〜んだよ。
きちんと容易に筋道立てて話してくれ。

お前みたいなのには所詮無理だろうがな。
426日本@名無史さん:2014/01/10(金) 11:55:48.96
手遅れかもしれないが、自分が一番トンデモなのにいい加減気付けよw
427満州一等兵:2014/01/10(金) 12:17:55.62
朝鮮説を唱えれば半島系人なのかw
それなら高天原デカン高原説を唱えているのはインド人ということになるが(苦笑)

心の狭い人間は考えることも狭い。

仲哀天皇が筑紫入りしたとき伊都県主が歓迎しているではないか。
しかもこの伊都県主はアメノヒボコの子孫で神功皇后と祖が同じだ。
伊都県主は大和朝廷の忠実なる臣民なのである。

倭人伝にも伊都国王は世々女王に統属すと書かれている。
この女王は大和朝廷の神功皇后を指す。
九州や福岡はずっと昔から大和朝廷の支配下にあるのである。
428筑紫倭皇帝:2014/01/10(金) 12:25:38.88
>>427
今まで朝鮮の歴史はずいぶん詳しく語ってきたのに、
日本の古代史になるとずいぶんちゃっちなど素人のような説を唱えるんだなww

お手本のような「日本=朝鮮国家」と結び付けようとする日本古代史知識低レベル満州乙w
429日本@名無史さん:2014/01/10(金) 12:25:40.21
朝鮮半島の半分は、倭人の土地だったが、北から扶余だのワイだのが押してきて、
倭人が列島側に押し出された。
だから、扶余だのワイだのを祖先とする韓ないし朝鮮は、倭人と一応は別だ。
ただしどちらも混血が進んでいるから、無縁の民族ではないだけだ。
430満州一等兵:2014/01/10(金) 12:40:27.90
韓と倭は同じである。
三国志以前は韓という語は現れず、倭と書かれているのである。

陳寿は伽耶諸国を倭と見なしたようだが、加耶は加羅であり韓カラである。
このカラという語は表記は異なるが満州にも朝鮮にも至る所にある。

日韓は同祖である。
疑う者は金沢庄三郎「日韓両国語同系論」「日鮮同祖論」などを読んでみれば良い。
こういうものを読むのが学問である。
2chでペチャクチャお喋りしていても何の進歩もない。
431満州一等兵:2014/01/10(金) 12:50:01.30
三國志所引魏略にこういう記事がある。

後檀石槐乃案行烏侯秦水,廣袤數百里,停不流,中有魚而不能得。
聞汗人善捕魚,於是檀石槐東擊汗國,得千餘家,徙置烏侯秦水上,使捕魚以助糧。
至於今,烏侯秦水上有汗人數百戶。

この汗人とは韓人である。それを後漢書では倭人と書き直している。
これまた韓人とは倭人である証拠である。
後漢書の著者はここに書かれている汗人とは倭人のことだと思ったから
倭人と書き直したのである。満州朝鮮に住む人間はみんな倭人だと思っていたのである。
432筑紫倭皇帝:2014/01/10(金) 12:54:25.72
>>430
でたーwww
大和がだめ(無理)なら今度は倭を必死に韓国の国家にしようというこの魂胆w

なに?? 日本と仲良くしたいの??
日本が悪く思ってなくても韓国の方が一方的に被害妄想をふくらまして
つかっかてくるんだろ。

素晴らしい歴史や皇室を持つ日本に憧れるのはわかるが、
ケンカをうってくるのはいつも韓国。 

先人が互いの国にやった事なんかどうだっていい。
あまり言いたくはないが、韓国は世界からもあまり好まれない。中国もしかりだが、
韓国は民主主義国家でありながら中国以上に好感度は低い。
どうすればよいかどういう気持ちで他の世界の国々と接したらいいかよく考えて自覚した方がよい。 

もうこういった話は好きじゃないので、この話はこれまでにする。
例え満州が日本のことをぼろくそに反論したとしてもな。 
433満州一等兵:2014/01/10(金) 12:56:07.54
山海經/海內東經
蓋國在鉅燕南,倭北。倭屬燕。

この倭も明らかに華北か遼西か、あるいは満州朝鮮のことであって、
日本ではないのは火を見るより明らかである。
中国東北部の人間を漢人はみんな倭と呼んだのである。

呉越、海南島方面の人間も倭と呼んだ。日本のことも倭と呼んだ。
満州朝鮮のことも倭と呼んだのである。
434日本@名無史さん:2014/01/10(金) 12:59:39.23
まぁ三世紀の邪馬台国はヤマト、卑弥呼はモモソ。
これ以下の選択肢はもうないから。
紀の神功皇后の山門征伐は所謂引っ掛け問題みたいなもんだ。
435日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:04:34.02
そんな韓国、福岡男とそっくりじゃないか。
蒙古斑がまだ残ってるんじゃないか。
436日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:05:11.60
こいつらの馬鹿げた情熱はどっからくるんだろうな
437日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:08:33.94
笑いが止まらん!
438日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:09:08.30
素戔嗚尊神話は欠史八代部分の元ネタになっているよ。
勿論それだけじゃないけどね。
紀は時代を超越して逸話が記されいるのは間違いない。
類似した話がとても多いからな。
439日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:13:54.24
半島南部の南部は倭人であったろうが、粛慎やモンゴルのような新羅以後の朝鮮の中で、
倭人的地域は迫害され、絶え、混血し、もはやかつての倭人の面影は消滅していることは
あの細い目を見れば遺伝子を見るまでもなく直感でわかる。
稀に日本人に近く見えるのは、わずかに含まれるかつての倭人の血が偶然に組み合って、
形質として偶々現れたものだろう。ブータンの方が余程日本人に似ている率が高い。
440日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:32:54.56
周はチベット族の羌族を山東に封じ斉国を建国させる。
その後、山東からの半島や日本列島への移民もあったのだろう。
日本人がブータン人と似ているのは、概ねこういう経緯だろうな。
441太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/10(金) 14:43:54.34
盲象巨根具よ
卑弥呼は満州朝鮮ではない九州の国の女王で、半島とは何の関係もないのである。
朝鮮説も満州説も空想である。

卑弥呼は九州、邪馬台国も九州である。
陳寿は卑弥呼を神功皇后と間違えた根拠は出せず、卑弥呼は邪馬台国(大和)にいると書い
てはいない。
しかし卑弥呼は神功皇后ではなく、九州のどこかの女王である。
そして卑弥呼と大和朝廷とは何の関係もないから大和の畿内に女王国が
あるわけがない。
442日本@名無史さん:2014/01/10(金) 14:59:50.34
間違いなく卑弥呼はモモソですよ、イヨの可能性も少しはあるが。
九州はやはり男王の国だからね。
443日本@名無史さん:2014/01/10(金) 15:07:08.19
歴史古い順
上町台地(大阪市)
神武天皇(初代天皇)の生国魂神社(大阪市)紀元前700年 (日本列島の神そのものを祀る神社)
神功皇后の住吉大社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子(日本仏教の祖)の四天王寺(大阪市)後に奈良の法隆寺
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成26年の今も続いている
難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市(街))(物流の一大拠点経済の中心)商人が増え出す 商業都市として栄える(大阪市)石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)跡地に大阪城(難波津や渡辺津が船場となり商工業が更に発展)
奈良(平城宮 平城京)
京都(平安宮 平安京)
江戸(東の京 東京)
江戸城を築いたのは大阪の源氏
徳川征夷大将軍も源氏 征夷大将軍は源氏にしかなれない
444日本@名無史さん:2014/01/10(金) 15:37:08.53
祟り神だけどな
どれもこれも
分かってきたよ〜、先人たちが初めに呪いありきにした意味がな
すべて基本的に蜃気楼だから
445日本@名無史さん:2014/01/10(金) 15:39:48.80
卑弥呼のときにもう始まってるからどうなんかねえ、過去は
446日本@名無史さん:2014/01/10(金) 16:37:01.41
卑弥呼は隠さなきゃいけない理由があったんだよ
447満州一等兵:2014/01/10(金) 17:33:49.82
話が弾んでないようだから、話題を提供しようか。

スサノオが出雲に渡来して生んだ子が大年~。
その大年~が生んだ子が大國御魂~、韓~、曾富理~、白日~、聖~となっている。
韓~、曾富理~、白日~、聖~はみんな韓の神だろう。

日本で生まれた神が韓の神になっているわけで、
これまた、太古に於いては韓も倭も同じだったという証しである。
448日本@名無史さん:2014/01/10(金) 17:46:23.65
もう最近は伊都とは出雲の事だという気がしてきたよ。
449日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:07:50.43
ウリ・ジョン・ロートの若い頃の顔に似てる人、
家にいるよ。

日本人にしたような雰囲気。
450日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:25:29.49
奈良の山奥(山添の方)に知り合いいるが、
以前葬式に行った時土葬だった。
その友人の顔つきはマジで中東系。
451日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:30:50.15
面白い話しようか
あるとこの宗教によるとバラモン信仰してるがナーガの母を持つのが自慢だとか
さてナーガの地とはどこでしょう?
452大日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:37:01.35
ああ、唐松山氏が懐かしい。

唐松山氏が去って、これほど酷いレベルに陥るとは、想像すら出来なかった。

唐松山氏の説には噴飯ものと思えるものもカナリあった。

しかし、唐松山氏は複数の史料から自分なりの論理を組み立て、主張をしていた。

その論理には、納得できる部分もあった。

おおーい、出て来て、レベルを上げてくれー
453日本@名無史さん:2014/01/10(金) 18:38:04.13
450
日本人ほど千差万別いねえぜ
エジプトのツタンカーメンみたいな顔の人もいるしなw
454日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:05:26.25
マラソンなんか見てたら凄くよくわかるよ。
455日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:21:57.16
>>450
奈良以外の西日本の山奥でも葬儀は神式で土葬だった。
坊主も念仏も一人も一言も出て来ない。
昔の事で火葬が推奨されている今は知らないが。
456日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:41:21.68
卑弥呼が日本に関わってのはわかってんだよ
稗田阿礼って語り部がでてくるからね
457日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:47:51.29
歴史古い順
上町台地(大阪市)
神武天皇(初代天皇)の生国魂神社(大阪市)紀元前700年 (日本列島の神そのものを祀る神社)
神功皇后の住吉大社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子(日本仏教の祖)の四天王寺(大阪市)後に奈良の法隆寺
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成26年の今も続いている
458日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:50:40.03
難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市(街))(物流の一大拠点経済の中心)商人が増え出す 商業都市として栄える(大阪市)石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)跡地に大阪城(難波津や渡辺津が船場となり商工業が更に発展)
奈良(平城宮 平城京)
京都(平安宮 平安京)
江戸(東の京 東京)
江戸城を築いたのは大阪の源氏
徳川征夷大将軍も源氏 征夷大将軍は源氏にしかなれない
459日本@名無史さん:2014/01/10(金) 19:52:01.48
645年 難波宮 難波京(天皇制の始まり)(大阪市)遷都
710年 平城宮 平城京(奈良市)遷都
794年 平安宮 平安京(京都市)
東の京へはまだ遷都されておらず現在でも首都じゃない東京
460日本@名無史さん:2014/01/10(金) 20:13:43.33
昔、機織りのような仕事をしていた
遠い親戚、現在は何をしているんだろう

確か、香野
461日本@名無史さん:2014/01/10(金) 20:58:16.80
日本が女王国ってのは分かってるんだよ
仏教で地皇国とあるからね、地皇ってのは女王のこと
神武天皇で臭いなあと思ってるのは古代インドのシムカ王かな?
とは睨んでるんだけど
462日本@名無史さん:2014/01/10(金) 21:03:31.69
日本語に対する共通性とか考えるとこの辺かな?と思うんだけどね
463日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:05:49.89
>>452
ホツマ真理教の唐松山を懐かしんでも仕方が無い。
464日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:35:10.94
本当の話だったのか

この人の親(写真の人物)は電気を起こして
機織りをしていた
465日本@名無史さん:2014/01/11(土) 08:55:36.20
銅鐸圏が倭国の範囲だな。
466日本@名無史さん:2014/01/11(土) 09:15:28.45
463
売春真理教か?
よく生きてられるな|( ̄3 ̄)|
467日本@名無史さん:2014/01/11(土) 09:36:38.89
日本語の確立プロセスは分かる?
縄文語、南方由来の語彙、高句麗語と共通する数字の数え方、いろいろ調べたが、何が何やら。
468日本@名無史さん:2014/01/11(土) 09:43:53.48
朝鮮語と日本語は文法が同じで、世界的にも珍しい言語らしいではないか
469満州一等兵:2014/01/11(土) 09:43:54.43
朝の茶話

穴門豊浦宮は下関市長府にあったとされているようである。
しかし豊前小倉の儒者西秋谷によると干珠島、満珠島よりさらに東にあったという。

当時は関門海峡が開けていなかったので、そういうところに置いたのである。
隼人部などを使って関門海峡の開削工事を行ったので早鞆の瀬というらしい。
何の為に関門海峡を開いたかというと新羅征伐のためである。

海峡が開けたので祝賀のために伊都県主などの豪族が仲哀天皇を出迎えた。
これを見ても隼人を含めた全九州が天皇に協力していることが分かる。
九州説など空想中の空想であるから一刻も早く脱却した方がいいヨ。
470日本@名無史さん:2014/01/11(土) 10:09:54.36
ヤマトの亀の瀬も掘ったんだよ。
伝承元は秘密にされてるが、判る奴ならすぐ判る。
471日本@名無史さん:2014/01/11(土) 10:53:21.37
>>469満州氏に同意。
関門海峽の通交の障害となっていた岩礁を取り除き、幅を広げ、大型船が安心して通交できる航路を開いたのは神功皇后。
これは新羅の高度な土木技術によるもの。
これによって、九州と大和は海で結ばれ、大和発展の基となったのだ。
472日本@名無史さん:2014/01/11(土) 11:02:59.04
新羅には高度な土木技術の痕跡あったのか?
まぁ大陸方面からなら判るが。
473日本@名無史さん:2014/01/11(土) 11:09:44.25
満州も頑張ってはいるが、
なんせ神功皇后の御陵は五世紀築造らしい
死人に口は無くとも、ブツは真実を語るからな。。。
474日本@名無史さん:2014/01/11(土) 11:13:18.47
>>472仲介したのは新羅にいた秦人、実際に工事を請け負ったのは万里の長城などを手掛けた土建屋、石工集団だろう。
475イカロ:2014/01/11(土) 11:38:52.96
急進技術は金で買える。金銀、鉄などの利権を持った王には、ユダヤや華橋が押し掛けてきて
武器でも土木技術でも建築技術でも何でも売ってくれた。
奴らはシルクロードのその先の市場を開拓したがっていたのだ。
その適地が大和盆地だったということだ。
神武に大和へ道案内けこのば三本足のカラス、つまり、ユダヤだ。
476日本@名無史さん:2014/01/11(土) 11:49:55.28
だから鉱山、水銀朱目的だよ。
神武も宇陀には執着してるだろ?
わざわざ遠回りしてるのは利権の問題もあるんだよ。
477満州一等兵:2014/01/11(土) 12:51:51.65
そうやって考古学や民俗学で歴史を語り始めるから空想に陥るのである。
2chの人間がいつもやっているのがそれ。考古学や民俗学ばかり。
鏡、古墳、土器、鉄、銅鐸、地形学、統計学、染色体…。

そんなものは信頼するに足るものではないのである。
そんなものを根拠にするから箸墓は卑弥呼の墓だとか、
卑弥呼は百襲姫だとか言い出すわけで、畿内論者もおばかさんなのである。

九州説も畿内説も空想である。
空想ではあるが、ここの連中は空想大好き人間なのだから、それに浸っていれば宜しい。
478満州一等兵:2014/01/11(土) 12:58:49.11
四国説のスットコドッコイのネトウヨが唐松山待望論を書くのも、
この男が考古学大好きだからで、唐松山は考古学のことを書くからである。
それに比べて太国は考古学のことは書かないので太国待望論は書かない。

またネトウヨなので朴が朝鮮のことを書くことに嫌悪を感じている。
それで事あるごとに朴に嫌味を書き、排除しようとするのである。

この男が2chを仕切っているから、2chは考古学や民俗学の話題ばかりになる。
この男がいるせいで2chはちっともレベルが上がらない。
479日本@名無史さん:2014/01/11(土) 13:12:39.34
居心地が悪いなら来なけりゃいいのにw
480日本@名無史さん:2014/01/11(土) 13:23:39.86
無駄な情報量と、空想100%が、満州の取得。
だから、他所でやってください。
481日本@名無史さん:2014/01/11(土) 13:33:26.81
いいじゃないか。
満州氏の説を鵜呑みにはしていないが、参考になるところが多い。
そういう部分を自説の肥やしにすればいい。
482日本@名無史さん:2014/01/11(土) 13:35:44.51
自演して 吹雪の音の 増すばかり
483日本@名無史さん:2014/01/11(土) 13:56:21.21
馬 午 南

辰    東南

任 壬 北
484日本@名無史さん:2014/01/11(土) 14:55:34.24
銅鐸文化圏と銅鐘文化圏の解明でたー?京都府だの太宰府だのこれみりゃおもしろそうだな
485日本@名無史さん:2014/01/11(土) 15:06:49.57
ふんふん|( ̄3 ̄)|
日向文化圏と筑紫文化圏かo(^▽^)o
486日本@名無史さん:2014/01/11(土) 15:57:02.44
当時は、関門海峽が開けてなかったのてい、曰向まで行くには、陸路で行くか、大隅半島を回るしかなかった。
487太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/11(土) 16:01:50.37
六雄の話なんて納得するものはゼロ。
臭魔伝と奴自身の権威化カリスマ化から強引に古代史を捻じ
曲げた稀代のデ○パ。

モウひとり末語がここにいる。
巨象根具という奴だ。
半島なんかに卑弥呼なんかいるわけがない。ww
デタラメの極がこの論。

つまり六雄は臭魔伝と奴自身のでっち上げ。
コングは半島の権威化でのでっち上げの大デタラメ。
なんでも半島にしないと気がすまない。
あ〜いえば象いう〜。
488日本@名無史さん:2014/01/11(土) 16:05:41.08
ブーメランo(^▽^)oブーメランo(^▽^)oブーメランo(^▽^)oブーメランo(^▽^)oザマーミロー|( ̄3 ̄)|
489日本@名無史さん:2014/01/11(土) 17:03:06.78
太国さんは本当に九州説なのかい?
もう孝霊の娘、百蘇はおそらくかなりの確率で
卑弥呼か伊予に近いと思うが。
490日本@名無史さん:2014/01/11(土) 17:44:40.19
太国は倍暦という言葉すらロにしなくなったし、歴史に対する情熱がなくなってきたんじゃないのか?
もうすぐ燃え尽きそうな雰囲気。
491日本@名無史さん:2014/01/11(土) 17:48:49.21
>>468
発音もそっくりらしい。
中国人でさえ、日本語と韓国語を容易には聞き分けられないそうだ。
492太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/11(土) 18:19:35.21
>>489
百襲姫はえらく活躍したんですが、女王なんかに即位してないですよ。
つまり女天皇にはなっていません。確率は0同然です。

>>490
いま六雄も間引きされたし他に本格的に歴年を論じる者がいないからで、
必要とあれば倍暦を語りますよ。
493日本@名無史さん:2014/01/11(土) 18:52:42.65
>>491 事実として関東以西の日本人は朝鮮系ということですね
494日本@名無史さん:2014/01/11(土) 18:54:43.46
>>492
中国側が女王と判断してたんじゃないの?
後世の日本側が違うと認めたくないだけで
495日本@名無史さん:2014/01/11(土) 18:57:51.54
朝鮮人が絶賛自演中w
496日本@名無史さん:2014/01/11(土) 19:00:09.75
東北、北海道、沖縄、隼人および未開放部楽は非朝鮮系
497日本@名無史さん:2014/01/11(土) 19:00:29.64
百襲姫だか
貊襲姫だか

古事記にはお名前しか無いよ
498日本@名無史さん:2014/01/11(土) 19:01:13.47
>>492
そうやって、大衆の理解を得られない説は消えていくのです。
歴史は真実を伝えるものではなく、国民が望むように作られるものなのです。
歴史は多数決ではないといってみたところで、多くの支持が集まる歴史が残ります。
多くの国民が、邪馬台国は大和だと考えれば、大和に決まるのです。
卑弥呼も邪馬台国も結局、国民に見放されたため歴史から抹殺された。
そういうことです。
499満州一等兵:2014/01/11(土) 19:04:55.62
今日は重大なアイデアが浮かんだが、ここには書かないことにしよう。
ところで重大な疑問も浮かんだ。三國史記地理志に

尚州,沾解王時取沙伐國爲州

と書かれているが、新羅本紀にもネット史にも沾解王時に沙伐国を取ったという記事はない。
ただし達伐城を築いたという記事はある。しかし沙伐国と達伐国は別である。
どうもおかしい。

ちなみに尚州が沙伐国だというのも真っ赤な嘘で、そんなところに沙伐国があるわけがない。
なぜなら今の韓国は伽耶諸国の領域で、加耶が新羅に併合されたのはずっと後だから、
それより以前の時代に今の尚州に沙伐国などあるはずがないからである。

どうだ、なかなか勉強になるだろう。ピミらとはラベルが違うぞ、ラベルが(笑)
500日本@名無史さん:2014/01/11(土) 19:45:34.65
スレッド違いの場所で自慢されてもね
韓国ファンの集まるスレッドで投稿すりゃ、反応もあるだろよ
501日本@名無史さん:2014/01/12(日) 00:07:17.13
>>497
卑弥呼もないよw
502日本@名無史さん:2014/01/12(日) 02:06:19.01
道敷
503日本@名無史さん:2014/01/12(日) 05:55:52.84
>>501 天照大神という最も大事な名前で出ている
504日本@名無史さん:2014/01/12(日) 06:38:19.14
↓日本はまだ弥生前期の頃の話だな 文明は高きから低きに流れる


中国最古の「計算表」発見=2300年前の竹簡21枚

【北京時事】約2300年前の中国・戦国時代のものと推定される実用的な「計算表」が記された竹簡が見つかったと、清華大学の研究チームが発表した。
8日付の北京日報などが伝えた。2桁の数の掛け算が簡単にできる。
これまで中国で発見された「九九表」などの計算表の中で最も古く、機能も優れているという。
505満州一等兵:2014/01/12(日) 11:39:33.01
面白メモ 三国遺事に見る新羅三姓と色

赫居世 白馬 →朴氏(白)
脱解  赤龍 →昔氏(赤)
金閼智 黃金樻 →金氏(黄)
506日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:48:05.06
ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ
507日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:50:47.70
卑弥呼はモモソ媛命。以上。
無理に難しく考えて、話を混乱させるな。
まあ、今まで、邪馬台国九州説で食ってきたアマチュアの歴史作家とかの
生活かかっているから、必死なのはわかるけど。

ちなみに、卑弥呼が最後に戦った狗奴国王(この国王)とは、
許乃(コノ)の領主だった武埴安彦命のことな。
508太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/12(日) 14:18:48.83
>多くの国民が、邪馬台国は大和だと考えれば、大和に決まるのです。

そう考えたって決まりやしないよ。妄想が多大に拡がったに過ぎない。
真相は別に独立している。ただ、そう国民が考えて決まる場合もある。

>卑弥呼も邪馬台国も結局、国民に見放されたため歴史から抹殺された。
 そういうことです。

抹殺はされないのが、書紀に神功39年の卑弥呼の記述が残っていること
から明白である。抹殺されたならここの記述は削除されている。
509日本@名無史さん:2014/01/12(日) 14:42:45.28
ミスリードさせてる可能性を捨てちゃダメだよ。
記紀の編纂者は倭人伝の記述を熟知してるんだからな。
510日本@名無史さん:2014/01/12(日) 15:02:17.81
八世紀において倭人伝を熟知していたということは、
数百年経過しても抹殺できなかったということだ
511日本@名無史さん:2014/01/12(日) 15:08:46.85
>>509
記紀編纂当時において
卑弥呼を九州で活躍した神功皇后に模し、卑弥呼・台与の活躍年次に合わせざるを得なかったということは、
邪馬台国は大和ではなかったことの何よりの証左
キミは自分で自分を騙してるがなw
512日本@名無史さん:2014/01/12(日) 15:43:45.10
>>511
だが記紀に従ったなら、神功皇后は葛城の生まれだけとなw
513日本@名無史さん:2014/01/12(日) 16:05:10.06
>>512
大和で有名だった葛城の生まれの神功皇后が、
北九州や朝鮮で大活躍した伝承を良いことに、そっと記紀上の年代を合わせたわけだ
しもじもの民百姓や後世の貴族役人には抗うすべなく、だんだんと浸透してゆく
宇佐神宮の神功皇后の宮も、記紀を読んだ九〜十世紀ころの天皇だったか皇族だったかにより創建されたもの
514日本@名無史さん:2014/01/12(日) 16:13:35.39
箸墓も真っ青
宮崎:生目古墳に階段状の葺石
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyazaki/news/20140109-OYT8T01372.htm

>宮崎市教委は9日、発掘調査中の国指定史跡・生目古墳群(宮崎市跡江)にある前方後円墳(1号墳)の後円部で、
>表面を覆う「葺石(ふきいし)」と呼ばれる石が階段状に積み上げられているのが見つかった、と発表した。
>葺石は斜面を覆うように置かれるのが一般的。階段状のものは全国でも珍しいといい、
>「前方後円墳の造り方を考える上で重要な調査事例」としている。

>1号墳は全長120メートル。51基ある古墳群の中で最も古く、古墳時代前期(約1700年前)に造られた。
>南九州で最初に100メートルを超える規模で造られた前方後円墳とみられている。
>昨年8月から初の発掘調査に入り、後円部の一部で、葺石がほぼ築造当時のままの状態で見つかった。

>後円部は直径約60メートル、高さ約12メートル。斜面に沿って1メートルほど石を積み上げた後、
>幅約20センチの平らな面を造り、再び斜面に沿って石を積み上げる構造になっていた。
515日本@名無史さん:2014/01/12(日) 16:21:13.33
神功が山門の女賊を倒してるので、
これが卑弥呼に違いないと思わせぶりしたんだよ。
勝手に九州にいたと思ってくれたらいいよ、と。
516日本@名無史さん:2014/01/12(日) 16:35:24.35
神功紀に倭人伝の卑弥呼の注釈を入れたのはそういう事。
わざと引っ掛けしたんだよw
考えてみろ、鉄器も多い、先進性の高いはずの地域に土蜘蛛だぞ?
517日本@名無史さん:2014/01/12(日) 18:36:22.33
ということは、
建国記念日付近が、Xデイ!!
早めるかもしれんが・・・
518日本@名無史さん:2014/01/12(日) 19:00:38.51
寒暑村。
こりゃあロシアか北朝鮮だな。
ロシアは、モスクワでもそんなに平均気温暑くも寒くもない。

・・・北朝鮮・・・
519日本@名無史さん:2014/01/12(日) 19:53:01.94
丹波はやっぱり侮れない。
520日本@名無史さん:2014/01/12(日) 20:14:01.72
ごまんこのは侮れないよね。
521筑紫倭皇帝:2014/01/12(日) 20:25:34.06
ほんとお前らトンデモばっかの妄想してバカ丸出しだな

きちんとした根拠も全く示せないバカばっかしだw
522日本@名無史さん:2014/01/12(日) 20:35:42.20
記に書いてあるけど、大毘古が卑彌呼のとおちゃん。

日矛を受け入れた側の多婆那の在地の大酋長で彌彌のおひとだら。
523日本@名無史さん:2014/01/12(日) 20:37:35.16
ところで、邪馬台国がヤマタイコクって読む根拠は?
524日本@名無史さん:2014/01/12(日) 20:47:40.13
「邪馬壹國」の「壹」のは「一大」の「一」のとコモン。

「一」のとなんとか仲良くできるためのツールのがこども女王の「壹與」。

こいつがびょうきの「やまゐごく」への処方箋。
525筑紫倭皇帝:2014/01/12(日) 21:00:20.73
まあ朝鮮の歴史書によると、新羅4代王は倭国の東北一千里の地から半島に流れ着いたとのこと。

このことからもどう考えても 倭国の都・中心地=博多湾岸 は当たり前だな。

まあ中韓に残る歴史書や、遺跡や分布図、記紀をことごとく無視するお前らには
この事実もきっと「何にも見えません」と現実逃避するしかないのだろうww

倭国にある邪馬台国。 俺の@〜Gや半島人の陰謀@Aや今まで述べてきた
こと全てトータルのに判断しても 博多湾岸 から全て始まった事はお前らにとっても耐え難い事実だな。
526日本@名無史さん:2014/01/12(日) 21:42:12.98
仏教は曰本に二度伝来している。
『日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代、552年(欽明天皇13年)に百済の聖王(聖明王)により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされているが、これは二度目の伝来である。中国南朝の密教だ。
実は、遅くとも三世紀までには、仏教国伽耶から日本へ仏教が伝来している。
その担い手が、インドのデカン高原に栄えた アーンドラ朝サータヴァーハナ王国が伽耶に派遣したアマティヤと呼ばれる地方官である。
アマテラスとは個人名ではなくインドの地方官アマティヤのことだったのだ。

さらに、スサノオとは、サーサーン朝ペルシアの王子だろう。
サーサーン朝の宗教はゾロアスター教。つまり、鬼道だ。

インドとペルシヤは対立し、競って朝鮮半島や日本を植民地化しようとしていたのだ。
527日本@名無史さん:2014/01/12(日) 21:44:47.36
邪馬台国が日本の元になった国っていうのがどうもしっくりこない
魏の時代、中華からすると九州辺りを倭としていて
日本とは別物なんじゃないのか?

いつかはわからないけど
漢の時代以前から、北九州にはヤマタイやナ、クマナ等があり
ある時期ヤマタイ出身であろうヤマトタケルが東征した
当然、東征の過程で強国(出雲)等の存在を知ることになっていた
辿り着いた機内では、九州にあった地名を充てた
出雲やその他勢力にやれ追いつけ追い越せで、随時統治を強めていった
いつしか元のヤマタイ等よりも大きい勢力となり、これが日本統一の始まりとなるが
もう九州の勢力など頭から重大視していなかった
そんな時に、北九州ではまだ小国同士の争いが絶えず
ナやヤマタイが中華に遣いをやったりしていた
それが、漢委奴国王印だったり、魏志倭人伝の卑弥呼だったりした

ただそれだけのことなんじゃないのか?
528満州一等兵:2014/01/12(日) 21:46:33.66
筑紫倭皇帝はホントに初心者である。
この男は多婆那国をどこだと思っているのだろうか。

多婆那国はどこか。諸説紛々で未だに定説はないのである。
簡単に分かる問題ではない。

多婆那国に限らない。卑弥呼は誰か、卑弥呼はどこにいたのか、等々も、
簡単に分かる問題ではないのである。

簡単に分かる問題ではないことを、ここのアホ連中は簡単に答えを出し、
やれ卑弥呼は百襲姫だ、とか、邪馬台国は九州だ、とか畿内だ、とか、
自信満々に書いている。アホ丸出しである。

邪馬台国問題というのは、東大生や京大生が百人かかっても解けない難問なのである。
それくらいの覚悟を持って取り組まないと解けない。
遊び半分、趣味気分で解けるような問題ではない。
529日本@名無史さん:2014/01/12(日) 21:57:22.97
>>528
このスレだけでなくアマチュア研究家も含めて全否定とはいい度胸だな
学閥に囚われた東大京大のアホ共よりもよっぽど質が悪い
530筑紫倭皇帝:2014/01/12(日) 22:01:40.96
>>528
半島の歴史の核心を突かれ焦る半島系満州ww

どちらにしろ、朝鮮の古代史にそういった地理関係が書いてあるという事。

対馬海峡には温暖な対馬海流が流れている。
博多湾岸の東北一千里はおそらく北九州付近だとおもわれる。
北九州付近なら対馬海流に乗って朝鮮にたどり着くことも可能という事だ。

とにかくお前らは視野が狭すぎる。
全ての歴史書の記述や、遺跡、分布を冷静に判断することだな。

それから半島人なら、新羅の王が倭国から来たというのはどうしても否定したい事実だしなw

博多湾岸の倭国が朝鮮を支配したのはこれまでも明白。
そしてさらに、それを裏付けるどころか朝鮮の王自体が倭人だという記述の事実。

これは半島人にとっては受け入れがたい事実だろうな。
531筑紫倭皇帝:2014/01/12(日) 22:02:54.38
>>528
そして、更に

まあ記述を読むに、
この新羅の4代王は倭国にいた時はその国では歓迎されない子どもだったんだろう。
だからこの子は 不吉 として倭国の東北一千里から流された。

そして半島で老婆に拾われ育てられ新羅の4代目の王に上り詰めたという事だ。

まあそんなことよりも、こういった地理関係も重要だな。

もちろん宮崎や畿内が倭国なら、その東北一千里から半島に流れ着く事はまず無理。
お前らには耐え難いが、やはり倭国に中心地・都は博多湾岸だって事実だよ。
もちろん天孫族の筑紫や邪馬台国もそのまま博多湾岸なんだよ。
532筑紫倭皇帝:2014/01/12(日) 22:09:57.34
満州は 大和 や 朝鮮を支配した 倭国 を朝鮮の国家として導きたいのが本音。

しかし、半島の王までも倭国出身だった、しかも倭国では歓迎されない子が
倭国から流され半島で王に上りつめた事実が受け入れがたいし、
こういう不特定多数が覗く掲示板に出てきてほしくなかったというのが本音だろう。
533日本@名無史さん:2014/01/12(日) 22:11:28.25
東大卒だから解けない問題もある。
そればつまり、学閥を無視て常識を覆す、とんでもない答だったときだ。
ノーベル賞受賞者が、2番手の京大に多いの上同じ理屈だ。
534日本@名無史さん:2014/01/12(日) 22:18:48.40
つまり
一種の村連合のような小国である、倭(北九州)の邪馬台国から追放された子供がいて
そんな子供如きが半島では王になったお話です
535満州一等兵:2014/01/12(日) 23:08:21.50
筑紫倭皇帝の書き込みを読むと、誰でも、(ああ、こいつは初心者だな)と分かる。
初心者だから、誰も相手にしない。初心者にいちいちそこは間違いですよ、
と指摘するのは面倒くさいからである。

>>526-527のような書き込みもそうである。一読して初心者だと分る。
だから誰も相手にしない。

ローガンが滅多に出て来ないのも、
2chで語られていることがあまりにあほらしいからである。

朴もこれまでは面白がって書いていたが、最近はあほらしくて書く気がしなくなった。
まあ、一種のサービス精神で書いているのである。
せめて鏡川伊一郎氏レベルの人間と話がしたいが、2chにそれを求めるのは無理である。
なにしろ、朴の見たところ、ここには一流私大、
あるいは地方の国立大卒の人間さえいないような気がするのだ。
一読してド低能としか思えないような人間ばかりである。
536日本@名無史さん:2014/01/12(日) 23:51:17.31
>>535
孤独で寂しいからあることないこと書いてるんだろ
それとも唐松からプロコテゆずってもらったか
537日本@名無史さん:2014/01/13(月) 00:25:32.97
新説・日本三国志8の1【古代の日本】
九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」

西の九州北部の勢力の「狗奴国」は、地の利を生かした大陸との交易で繁栄し、後漢の光武帝から「漢委奴國王」の金印を授かって
軍事力的にも、経済力的にも、倭=「葦原中津国」の国力の主体をしめていた

一方、東の畿内の勢力の「邪馬台国」は、内陸国であるが故に海路の確保が出来ないため、大陸との交易は少なかったものの
豊かさでは、西の九州北部の勢力の「狗奴国」には及ばないまでも、負けない國であった

そして、西の「狗奴国」と、東の「邪馬台国」の間には、広大な荒れ地が広がる貧しい地域になっており、
そのことによりこの2大国は軍事的にも経済的にも隔絶され、衝突することはなく、倭=「葦原中津国」のなかで各々が繁栄を極めていた
538日本@名無史さん:2014/01/13(月) 00:26:18.95
新説・日本三国志8の2【新たな新興国・出雲の誕生】
ある時、東の畿内の勢力の邪馬台国の女王・アマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオが、政争に敗れて畿内を追われ、
敵国である西の九州北部の勢力の狗奴国との国境の、荒涼とした出雲にたどり着く
そこで盗賊の征伐と引き替えに地元の豪族の娘・稲田姫を嫁にして新たな国造りを始め、稲田姫との間に須世理姫が産まれる

須世理姫はその後、地元の豪族の大国主命と結婚し、スサノオから出雲を託された大国主命は、九州北部・狗奴国から来たスクナビコナの援助を受けて、
新興国・出雲を、北九州狗奴国・畿内邪馬台国と並ぶ大国にまで成長させる

倭=「葦原中津国」は、西の九州北部の勢力の【狗奴国】と、東の畿内の勢力の【邪馬台国】、その中間に位置する【出雲】の3大勢力となり
軍事的、経済的に隔絶されていた【狗奴国】と【邪馬台国】は、中間に【出雲】が出来たことにより、安全保障の上では隣接してしまうようになる
539日本@名無史さん:2014/01/13(月) 00:27:10.17
新説・日本三国志8の3【倭国争乱と出雲の国譲り】
そこで畿内勢力の邪馬台国は、九州北部・狗奴国のスクナビコナの庇護の元、大国にまで成長した出雲を、
もともとはアマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオか造った国として北九州・狗奴国から引き離し、手に入れようとし始め、
出雲に、アマテラス(=卑弥呼)の息子であるアメノホヒを派遣して、スサノオの娘婿である大国主命に、出雲を禅譲することを求める

しかし、父から相談を受けた長男のコトシロヌシは、祖父であるスサノオが、アマテラス(=卑弥呼)の弟であることから同意したモノの、
次男のタケミナカタは、北九州・狗奴国勢力とともに邪馬台国に果敢に抵抗し、「葦原中津国」=日本は新興国・出雲を巡って争乱状態となる。

次男のタケミナカタと北九州・狗奴国勢力の連合軍は善戦するが、結局、畿内の邪馬台国勢力に破れ、大国主命は、
戦いに敗れた次男のタケミナカタの延命と出雲大社の建設を条件に、出雲を邪馬台国に委譲することを認め

邪馬台国はアマテラス(=卑弥呼)の孫のニニギを出雲に派遣して、北九州・狗奴国勢力とともに武力抵抗した次男タケミナカタを、
北九州から東に遠く離れた諏訪の地に幽閉し、出雲に残した大国主命の長男コトシロヌシを傀儡として、

倭国に、「漢委奴國王」の北九州・狗奴国勢力に対抗しうる【「畿内・邪馬台国&出雲」連合国 】が誕生する
540日本@名無史さん:2014/01/13(月) 00:28:10.42
新説・日本三国志8の4【大陸の政変と邪馬台国の台頭】
出雲を併合し、北九州・狗奴国勢力を凌駕しうる大国となった畿内の邪馬台国は、伊都國(出雲)に天にも届くほどの大社を建設して
一大率という派遣官を在駐させ、末廬国(松江)伊都國(出雲)を基点として大陸との交易の海路を開き
独自に大陸との交流を始め、さらなる一大勢力に発展する

ちょうどそのころ大陸では、北九州・狗奴国勢力に「漢委奴國王」の金印を授けた後漢が、魏に権力を禅譲して滅び
後漢との関係が深かった北九州・狗奴国勢力に激震が走る

後漢から権力を引き継いだ魏は、後漢が倭国の王と定めた北九州・狗奴国勢力を嫌い、【「畿内・邪馬台国&出雲」連合国 】を倭国の王とし
邪馬台国のアマテラス(=卑弥呼)に「親魏倭王」の金印を授けて、帯方郡から伊都國(出雲)に魏の役人を常駐させる

こうして邪馬台国のアマテラス(=卑弥呼)は、「漢委奴國王」の北九州・狗奴国勢力にかわり、「親魏倭王」として
倭国と大陸との交易をほぼ独占することに成功した
541日本@名無史さん:2014/01/13(月) 00:29:36.12
新説・日本三国志8の5【アマテラス(=卑弥呼)の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】
一方、出雲を巡る闘いで邪馬台国に敗れ、倭国の王の座も失った北九州・狗奴国勢力は、それでも【「畿内・邪馬台国&出雲」連合国 】の破壊
の機会を虎視眈々とねらい続け、アマテラス(=卑弥呼)の死という邪馬台国の混乱に乗じて、諏訪に流されたタケミナカタの子孫の男王を
次の伊都國(出雲)の国王に立てようと画策する

一方、混乱状態からかろうじてアマテラス(=卑弥呼)の宗女、壱与を女王とした邪馬台国勢は、それまで出雲を治めていた傀儡の
コトシロヌシの子孫を伊都國(出雲)の王にして、諏訪に流罪になったタケミナカタの子孫である男王の正統制のなさを提唱することで、
北九州・狗奴国勢力の破壊工作の阻止を図り、出雲で再び、畿内・邪馬台国勢力と北九州・狗奴国勢力間の緊張が高まる

それにより、出雲に派遣されていたニニギの二人の子、海幸彦と山幸彦も、出雲後継の座をめぐり、
海幸彦が畿内邪馬台国・出雲コトシロヌシ派、山幸彦が北九州狗奴国・諏訪タケミナカタ派、に分断され、

出雲国内でのニニギの二人の子の争いは次第に、
中間干渉地域である出雲を巡る、畿内・邪馬台国勢力と北九州・狗奴国勢力の代理戦争の様相を呈していく
542筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 01:25:19.23
満州の説はこれだろww
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/01/12/2014011200176.html

↑てか、この写真の人物が満州本人ですか??w
543日本@名無史さん:2014/01/13(月) 01:37:55.12
朝鮮日報かよw
544日本@名無史さん:2014/01/13(月) 01:44:41.08
卑弥呼はモモソ、倭国乱は孝霊天皇の時世。
こんなのもはや常識レベルだよ。
545筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 02:06:26.85
博多湾岸から広まった大国主、倭国、邪馬台国や天孫族、
これらを自分の歴史に取り込み歪曲した大和の日本書紀。

現代でも博多湾岸が総ての起源だったことを認めたくない学会や畿内、宮崎佐賀大分熊本説
等々の視野の狭いバカチンたち。
博多湾岸に全ての起源を比定すれば日本の古代史は全てを何の矛盾もなく説明できる。

博多湾岸の倭国が朝鮮をも支配し、博多湾岸勢力の東征、後の大和による本家博多湾岸勢力の支配。
全てが何の矛盾もないが、いかんせん 学会 や おらが村に邪馬台国を勢力 がトンデモ説を連発するので、
結局半島の研究者からもこんな事を言われてしまう。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/01/12/2014011200176.html
>日本は新羅にコンプレックスを抱いている。
 日本書紀の歪曲は新羅にコンプレックスがあったからだと。

まともな歴史を主張する俺の説では、日本書紀の歪曲は、分家の大和が
本家の筑紫福岡・倭国を支配しその歴史を大和のものにしたがために矛盾(歪曲)が発生するが、
日本書紀が正しいと主張する宮崎派や、何としても発祥を畿内にもってきたい勢力が
声を大にすれば大にするほど、半島からすれば、
「日本書紀の歪曲は半島コンプレックスによるもの」として半島人にすれば都合のいいものになるだけである。

畿内派も宮崎派もきちんと真の博多湾岸から広がった歴史と向き合う事だ。
546日本@名無史さん:2014/01/13(月) 02:19:39.99
降り立った場所が韓国に近いと言ってる時点で、
出発点は東か南しかないんだよね
博多湾とか何をボケたこと言ってるんだよw
547日本@名無史さん:2014/01/13(月) 03:46:30.65
>>545
>博多湾岸から広まった大国主、倭国、邪馬台国や天孫族、
これらを自分の歴史に取り込み歪曲した大和の日本書紀。

邪馬台国のことなど一言も書いてない。
博多湾岸は大和朝廷の系列だが
邪馬台国はそれに対抗した勢力だ。
博多湾岸には邪馬台国は無い。
548日本@名無史さん:2014/01/13(月) 07:06:11.85
新説・日本三国志8の6【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】
出雲後継の座をめぐり、畿内邪馬台国・出雲コトシロヌシ派と北九州狗奴国・諏訪タケミナカタ派に分かれ牽制し合っていた
ニニギの二人の子のうち、戦力で劣勢であった北九州狗奴国・諏訪タケミナカタ派の山幸彦が、北九州狗奴国の手引きの元に、
伊都國(出雲)ではなく、北九州の竹斯国(筑紫)から、密かに海神=魏に赴いて事態を告げる

一支國から遠い不便な伊都國(出雲)を倭の基点とするよりも、一支國に近い便利な北九州の竹斯国(筑紫)を倭の基点とするほうが有利
と考えた魏は、倭国に張政を派遣し、檄文で畿内邪馬台国・出雲コトシロヌシ勢の壱与を告諭して、
畿内邪馬台国・出雲コトシロヌシ勢力による北九州狗奴国・諏訪タケミナカタ勢力に対しての、一方的な迫害とも言える攻撃は終止符をうつ

結果、出雲の帰属は、それまでの畿内邪馬台国勢から北九州狗奴国勢に移行して、今度は、魏の擁護の元、倭国に、
【「北九州・狗奴国&出雲」連合国 】が成立する

それにより北九州・狗奴国勢は、竹斯国(筑紫)を、大陸との交易の基点として復活させ、魏の要人の娘と婚姻関係を結ぶなど、
それまでの後漢色を廃して、畿内・邪馬台国勢に追いつくように、どんどん魏との関係が密になっていく
549日本@名無史さん:2014/01/13(月) 09:26:24.84
神武天皇、崇神と応神どれみても九州なんてでてこねえけど
継体天皇は古志の方からだしな
550日本@名無史さん:2014/01/13(月) 09:27:36.12
卑弥呼が関連するとすれば天孫とかそんな方かね?
551満州一等兵:2014/01/13(月) 09:36:15.51
朝の感想

昨夜、録画していた某番組を見ていたら、タレントで評論家の某氏が、
日本海ルート説を知って目からウロコが落ちたと言っていた。
ということはこの男は日本海ルート説を知らなかったのである。

畿内説スレでもそんなことを書いている男がいて呆れたものだが、
ということは最近の邪馬台国入門書は日本海ルート説を紹介していないのだろうか。
昔はそんな説は常識として誰もが知っていたのだが。

朴がお奨めする邪馬台国論争入門書は「邪馬台国研究総覧」という本である。
この本には邪馬台国論争の主要論文がすべて収められている。
これさえ読めば主要論点が全部分かる。
巷間に溢れている安っぽい入門書より、こういう本を読んでもらいたい。

ところで筑紫倭皇帝は、朴が朝鮮説を唱えているから半島系の人間だと思っているようだ。
伊作も朴が何かイデオロギー的な目的があって書き込んでいるのかと疑ったw

知識の狭い人間は心も狭い(憫笑)
552日本@名無史さん:2014/01/13(月) 09:39:14.16
倭=九州
553日本@名無史さん:2014/01/13(月) 09:44:23.15
京都北部、琵琶湖東部は東海文化圏に近い
丹後は独立勢力
日本海ルートだとどこに上陸してどうルートをとったのか
554満州一等兵:2014/01/13(月) 09:47:48.09
新説・日本三国志とやらを貼っている男がいる。
古代史を学んで身に付けた知識を総動員してつまらない空想に耽っている。

日本の学者もここの連中もこれと同じである。
古代史を学んで身に付けた知識を総動員してくだらない空想に耽っている。
555日本@名無史さん:2014/01/13(月) 09:51:28.40
>>554
お前がしょぼくれた人生の寂しさをまぎらわすために
偏向して書いてるものよりは大概がマシだ
556満州一等兵:2014/01/13(月) 11:25:26.51
>>555
お前の四国説、卑弥呼=モモソ説、
瀬戸内海が最初に誕生したので邪馬台国は四国だ!説のようなアホ説は誰も相手にしない(笑)

アマテラスもスサノオも四国とは何の関係もない。
九州、出雲、大和。日本の歴史で重要なのはこの三地域だ。
四国に日本の首都があったことなど一度も無いのに四国説を唱えるアホさよw

こんなアホ男、不良中年チンピラが年がら年中張り付いて九州説を嘲笑しているのである。
このバカ男、バカの見本のようなネトウヨがいるから2chは進歩しない。
557日本@名無史さん:2014/01/13(月) 11:28:04.87
わー怒った ははは
558日本@名無史さん:2014/01/13(月) 11:29:40.29
それにしても虐げられた人生を送ってきただけあって回復が早いな
559日本@名無史さん:2014/01/13(月) 11:50:21.41
新説・日本三国志8の7【北九州・狗奴国勢の権力の拡大と出雲の衰退、邪馬台国の軍事クーデター(神武東征)】
魏の後ろ盾を背景に、北九州・狗奴国勢の権力が拡大していく中、魏との交易の中心も必然的に、一支國から遠い伊都國(出雲)から、
一支國に近い北九州の竹斯国(筑紫)に次第に移りはじめ、それに危機感を覚えた出雲は、今度は、巻き返しを図りたい畿内・邪馬台国勢に接近し、
北九州・狗奴国勢を牽制しようとする

出雲の申し出を受けた畿内・邪馬台国勢は、「親魏倭王」の名にかけて、出雲に対しての北九州・狗奴国勢力の排除に乗り出すが、
北九州・狗奴国勢は、畿内の邪馬台国を追われ、北九州・狗奴国に身を寄せ、魏とも深い関係をもっていた邪馬台国の王族カムヤマトイワレヒコ
を担ぎ出し、邪馬台国に対する軍事クーデターを起こさせて、畿内の邪馬台国は逆に、北九州・狗奴国勢に武力制圧されてしまうことになる

北九州・狗奴国勢は好機とばかりに邪馬台国を解体して、新しく大和国とし、武力制圧の将軍であったカムヤマトイワレヒコを『天皇』という
その国の王として駐留させ、北九州・狗奴国勢は出雲と畿内邪馬台国を完全に押さえ込むことに成功する
560満州一等兵:2014/01/13(月) 12:34:59.10
このガラの悪さ、他人の不幸を喜んでいる神経。
これが四国説男、ジョーカーである。

鈍感で、繊細な神経がない。まともな男ではない。
しかし、こういう男だから、2chでやっていける。
年がら年中、平日でも休日でも2chに張り付いているw

とにかく、さすが九州脳だな、とか、絶えず九州説を嘲笑しているのはこの男である。
今どき九州説を唱えているのは朝鮮人だけだろ、などと書いているのもこの男である。

他人や朝鮮人を平気で嘲笑しからかう。これがネトウヨである。
ネトウヨなんて、所詮はこの男のようなチンピラなのである。
561日本@名無史さん:2014/01/13(月) 12:35:33.96
わけわからん文字の羅列だにゃー
562日本@名無史さん:2014/01/13(月) 12:45:12.45
新説・日本三国志8の8【北九州・狗奴国と新しい大和国・天皇の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】
しかし、初代の天皇カムヤマトイワレヒコの死後、次の天皇を誰にするかで、もともとは邪馬台国の流れを汲む新しい大和国・天皇勢と
北九州・狗奴国勢の間で意見が分かれ、両者の蜜月は終了する。

そこに再び、捲土重来を図る出雲の残党が加わり、
事態は今度は、北九州狗奴国勢 vs【「 畿内の新しい大和・天皇勢と出雲の残党」連合 】の戦いの様相を呈していく

結局、【「 畿内の新しい大和・天皇勢と出雲の残党」連合 】が推していた、初代天皇が出雲のコトシロヌシの娘との間に作った子
カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が、北九州狗奴国勢が推していた、初代天皇が北九州狗奴国の渡来人の娘との間に作った子
タギシミミに勝利して「大和」の次の天皇となり、「親魏倭王」を継承する

このことを切欠に、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭であった「葦原中津国」には、
「魏」の想像以上の早さの衰退と大陸の混乱も相まって、徐々に外夷の気運が高まり、倭国は、大陸の影響力を廃絶した、
出雲と大和による【天皇】が納める日本国・大和政権へと変貌していく
563日本@名無史さん:2014/01/13(月) 12:49:18.85
倭人の居住地域は、馬韓と接していたわけだから、朝鮮半島南部から九州北部や出雲にかけての海岸とそこに流れ込む河川の流域とするのが正しい。
海の民、川の民、湖の民、要するに水上生活者の連合体だったと言える。
土地を持たないため、農耕民族とは同一地域の海岸や川に同居して、物流を担っていたのだ。
戦前まで瀬戸内海や伊豆、霞ヶ浦、東京湾の江戸川、墨田川辺りにも水上生活者が残っていて、この辺りも倭人の居住地だった。
ミャンマなど東南アジアにはケロン族、モーケン族など海のシープシーと呼ばれる水上生活者が残っている。中国では蛋民(たんみん)と呼ばれている。

毛野氏とは、関東の水上生活者集団ケロンだったのではないかと思われる。
毛野氏は、水上生活者集団を支配し、白村江の戦いでは海洋民を中心に5万人を水軍に仕立てたのだろう。
しかし、舟に慣れているとはいえ、にわか水軍では、新羅と唐の正規軍に勝ち目はない。

呉の民も水上生活者であり、海岸沿いに半島の多島海を経由して瀬戸内海に移り住んだのではないだろうか?

日本書記崇神記 の軽野船は全長30m、100t以上の巨船だったという。 崇神天皇に献上したこの巨船の建造地は、 西伊豆町仁科の入江で鍛冶屋浜の地名があり、造船に携わった製鉄工が住んだとされる。

邪馬台国は伊豆だろう。
564満州一等兵:2014/01/13(月) 12:57:09.24
以前、この青色名無しの馬鹿男が、太宰治や寺山修二をバカにしていた。
所詮、文学が分かるような男ではないのである。
繊細な神経がない。
文学なんてバカのやることだと思っているのだろう。

そういう鈍感な人間、朝鮮人に対するヘイトスピーチを2chでやっているような人間が、
邪馬台国スレの常連中の常連、十年選手なのである。

適当に馬鹿で、適当に鈍感だから2chに持って来いの男であるw
こういう馬鹿で鈍感な男でないと2chでは長続きしない。
565日本@名無史さん:2014/01/13(月) 13:28:35.92
ただ、いっさいは過ぎていきます。自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきた、いわゆる人間の世界において、
たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした
「人間失格」より

まるで、満州氏のようだ
566日本@名無史さん:2014/01/13(月) 13:39:50.86
「新説・日本三国志」の肝

・倭には当初、「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国と、畿内の邪馬台国の、大きく分けて2国だった

・国力は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国のほうが強く、畿内の邪馬台国は弱かった

・その中間に「出雲」という新興国が出来、畿内の邪馬台国がそれを手中に収め、後漢も滅びたことで、
 倭国の王は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国から、「親魏倭王」の畿内の邪馬台国に移行した

・『魏志倭人伝』に出てくる末廬国・伊都国は出雲地方、『隋書』倭国伝に出てくる竹斯国・秦王国は北九州

・出雲という新興国を手に入れたモノの邪馬台国は、北九州の狗奴国の竹斯国・秦王国を利用できず、出雲に末廬国・伊都国という新港を開いた

・出雲大社は、新港である末廬国・伊都国の灯台変わりでもあり、大陸に対して国力を見せつけるための迎賓館でもあった

・2大国に挟まれた新興国「出雲」は、ある時は北九州の狗奴国を味方に付け、ある時は畿内の邪馬台国を味方に付けて、生き残りを図った

・神武東征は、邪馬台国の非主流派が北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて行った軍事クーデター

・天皇は邪馬台国の非主流派の人であったが、天皇を成立させたのは北九州の狗奴国
567日本@名無史さん:2014/01/13(月) 13:49:00.84
あなた、作家になれるかもよ。
568日本@名無史さん:2014/01/13(月) 13:49:27.35
どうみても五世紀ころの九州王朝説だわな
569筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 13:53:34.78
>>566
やっぱトンデモだな・・

中韓に残る歴史書の記述や遺跡や出土品その他分布図を
ことごとく無視している。

やっぱ全てにおいて矛盾がないのは俺の説なんだよな。
ただそこまで繋げた努力は認めれるけどね。
570日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:00:06.57
>>567
だから「新説・日本三国志」なのだ(^_^;
571筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 14:01:52.07
>>566
スタート自体がトンデモからスタートしちゃってるしね。

やっぱ邪馬台国や倭国や天孫族の筑紫を畿内に結びつけるのは無理っぽいね。
572日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:08:38.10
天孫族の筑紫w
573日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:11:14.07
古代の日本史に置いて最大のナゾは

遺跡や出土品その他分布は、東から西なのに、なぜ天皇は西から東に来たのか・・・ということ

このことは、邪馬台国は北九州を利用せず、西は大陸との交流からハブられていた・・つまり
・出雲という新興国を手に入れたモノの邪馬台国は、北九州の狗奴国の竹斯国・秦王国を利用できず、出雲に末廬国・伊都国という新港を開いた



・神武東征は、邪馬台国の非主流派が北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて行った軍事クーデター
・天皇は邪馬台国の非主流派の人であったが、天皇を成立させたのは北九州の狗奴国

で説明がつく

そして魏志倭人伝によれば、倭国で「王」がいると記されているのは伊都國と女王國と狗奴國の3っつ
女王國は当然邪馬台国で・・・・伊都國は「出雲」
574日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:11:19.11
天孫族の筑紫 テンツク テンツク てんてんつくつく朝鮮人
575日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:15:47.08
俺は奈良県民だが
邪馬台国というよりも倭国が本州にあったとする説には違和感しかない
日本書紀に卑弥呼の記述がないこと
倭と和で文化が違うこと
当時の地図に本州と思える場所がない(小さい)こと
他にも理由は多々あるが
邪馬台国は大和政権とは関わりがないようにしか思えない
九州にヤマタイコクやその他の国の名前や名残が少ないのは
大和政権が九州を制圧し太宰府を置いた時に上書きしたのであろう
逆に本州に魏志倭人伝に出てくる地名と一致するものがあるのは
大和政権の始祖が九州出身だったのであろう
576日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:34:36.44
「新説・日本三国志」の肝

・「漢委奴國王」は北九州の狗奴国

・倭には当初、「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国と、畿内の邪馬台国の、大きく分けて2国だった

・国力は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国のほうが強く、畿内の邪馬台国は弱かった

・その中間に「出雲」という新興国が出来、畿内の邪馬台国がそれを手中に収め、後漢が滅び魏になったことで、
 倭国の王は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国から、畿内の邪馬台国に移行して「親魏倭王」となった

・魏志倭人伝によれば「王」がいると記されているのは伊都國と女王國と狗奴國の3っつで、伊都國は「王」の伝説が残る【出雲】

・魏志倭人伝に出てくる末廬国・伊都国は出雲地方、隋書倭国伝に出てくる竹斯国・秦王国は北九州で、全く別の地域

・出雲という新興国を手に入れたモノの邪馬台国は、北九州の狗奴国の竹斯国・秦王国を利用せず、できず、畿内により近い出雲に、末廬国・伊都国という新港を開いた

・出雲大社は、新港である末廬国・伊都国の灯台変わりでもあり、大陸に対して国力を見せつけるための迎賓館でもあった

・2大国に挟まれた新興国「出雲」は、ある時は北九州の狗奴国を味方に付け、ある時は畿内の邪馬台国を味方に付けて、生き残りを図った

・神武東征は、邪馬台国の非主流派が北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて行った軍事クーデター

・天皇は邪馬台国の非主流派の人であったが、天皇を成立させたのは北九州の狗奴国
577筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 14:43:06.52
中韓の歴史書では 倭国=倭奴国=伊都国
倭奴国は金印でも分かるように 博多湾岸 にあったんだよね。
伊都(倭奴国)や志摩(斯馬国)や不彌国や奴国の名残も現在でも残るしね。

そして倭人伝に 「伊都国 の北の 斯馬国〜奴国 まではあえて戸数や距離は省略する」とある。
これは 斯馬国〜奴国 までが密集してるということ。
そしてその 「斯馬国〜奴国までが女王が直接治めるところ」 とある。
つまりこれは 伊都国の北の志摩〜奴国の主に福岡平野又は福岡県域が女王の国であるという事。

これは 「邪は伊都に届き傍ら斯馬に連なる」 にも表れてる。

その南、「奴国の南に狗奴国あり」はつまり久留米付近の事。
「その他の国は遠絶にしてあえて詳しく書かない」←つまり南九州の事
「倭国の東、海を渡りそこにも国はある。それも倭種である」←つまり畿内等々

これは遺跡や出土品や様々な記述に全く矛盾しないという事実。

しかも新羅の4代王は半島の歴史書によると
「倭国の東北一千里の地から海に流され半島に辿りついた」とのこと。
倭国=博多湾岸の東北東北一千里は北九州市付近。 正に記述通りである。

更に、天孫族の筑紫は福岡であり、福岡には天孫族にかかわる寺社の総本宮や総本社
や天孫族の象徴が多数残ること。
記紀の記述でも筑紫国=福岡であることは容易にわかる事。
大国主は元々博多湾岸を治める、つまり倭奴国王からつながる筑紫の神々(豪族)の祖先神であること。
天孫族に筑紫の覇権争いに敗れ筑紫を追われ(国譲り)出雲に追放された事。
筑紫と出雲は大国主が祭事や天孫族が国産みで使った銅矛と同じ銅矛文化である事。
大国主が建てた出雲大社の本殿がなぜか西(筑紫)を向いてる事等々。

全てに矛盾が発生しないのはやはり博多湾岸が総ての答えだったという事実だろうね。
578日本@名無史さん:2014/01/13(月) 14:51:40.16
>>577
いいや、それならば

大和政権は九州で成立していないとツジツマが合わない

邪馬台国が九州にあり、天孫も九州で繁栄しているのに
その九州ではなく、畿内で大和政権が興るわけがない
579筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 15:02:52.80
>>578
筑紫の日向からたった初代天皇の神武東征があるでしょw

中国の歴史書にも
「筑紫城にいた神武が大和州を平定して天皇になった」
「神武以前のおよそ32世は筑紫の日向宮に都があった」
「元々小国だった日本が倭を併合した」

とか、様々な記述があるじゃない。
遺跡の副葬品からしても筑紫の王墓の副葬品等々の副葬形式が畿内にもたらされてる
という 考古学的物証 の 事実 もあるんだしね。
ちゃんと認めなきゃ。
580日本@名無史さん:2014/01/13(月) 15:11:56.09
初代天皇が死去した後に、次の天皇を巡って畿内で
初代天皇が北九州にいたときに渡来人の娘との間に作った子と
その後初代天皇が東征し、畿内で出雲のコトシロヌシの娘との間に作った子
の間で政争が起きたことからもわかるとおり

九州に、天孫族にかかわる寺社の総本宮や総本社や天孫族の象徴が多数残るのは
東征して始めて天皇になった人物が、東征して天皇になる前に、九州で子をなしていたことの名残り

では、始めて天皇になった人物が、なぜ、東征をしたのか・・といえば、

近畿の方が石器の消滅が早く、鉄器の本格的な普及が早い
方形周溝墓は近畿から九州へも移動するが、九州の墓制(支石墓など)は近畿には普及していない
近畿や吉備の人々の九州への移動は確認できるが、逆にこの時期(3世紀)の九州の土器が近畿および吉備に移動した例はない

など

東征は、九州から畿内への集団移住ではなく
畿内から一時期、九州に追いやられていた人の、近畿への帰還・・とするのが妥当
581日本@名無史さん:2014/01/13(月) 15:20:58.94
孝安崩御248年卑弥呼死す
孝霊即位249年壹与立つ
壹与は、孝霊の妃、倭国香媛(意富夜麻登玖邇阿礼比売命)である。
この孝のつく天皇一族の祖 懿徳天皇(いとくてんのう)とは何者れか。
これが女史八代の迷を解く鍵だ。
582日本@名無史さん:2014/01/13(月) 15:30:20.36
また、畿内で成立した天皇の祖先は、アマテラスという女王だということから

邪馬台国が九州にあり、天孫も九州で繁栄しているのに
大和政権はなぜ、九州ではなく畿内で成立したのか

という疑問には

邪馬台国は畿内にあり、
畿内から一時期、九州に追いやられていた邪馬台国の非主流派が、
九州勢力の援助により畿内への帰還を果たし
畿内で大和政権を成立させた・・

とすることで解決出来る
583筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 15:38:28.69
あの・・・
神武が東征した理由は記紀に書いてあるよ・・・

神武「この国にはいまだに自らを 王 と名乗るものが絶えない・・・
   どこかにもっとスムーズに国を治めれるよい土地はないものか??」
側近「それならば、遠い昔筑紫よりたった者が東方によい土地を手に入れたと聞きます
   そこに行かれては??」
神武「よし、ならば俺はその土地へ行き国を治めよう」

つまり4男坊の神武は天孫族として支配しているはずの 筑紫平定 を福岡県(東部)でおこなっていた。
しかし、筑紫は大国主より天孫族に譲られたものの
「いまだに筑紫にはいたるところに自らを 王 と名乗る強者が多数いる」となげき、
もっとスムーズに天下を治めれる地を求め、
以前筑紫から発って畿内で新しい国を作っている人物の話を聞き、
自分がそこへ行き国を奪い大和朝廷の楚を作ったという事だよ。

福岡県東部に多数残る神武の話もおそらく、天孫族による筑紫平定の話かもな。
四男坊の神武は筑紫では天孫族として暮らせても 王・天皇 になれることもない。
神武はものすごい野望を抱いて筑紫の日向を発ったのだろうよ。
そしてそれをやり遂げた。

だから大和朝廷の歴史は本家である筑紫の歴史を引き継いでいるのもそういう理由だろうな。
584筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 15:41:15.68
>>580>>582
あの・・・
神武が東征した理由は記紀に書いてあるよ・・・

神武「この国にはいまだに自らを 王 と名乗るものが絶えない・・・
   どこかにもっとスムーズに国を治めれるよい土地はないものか??」
側近「それならば、遠い昔筑紫よりたった者が東方によい土地を手に入れたと聞きます
   そこに行かれては??」
神武「よし、ならば俺はその土地へ行き国を治めよう」

つまり4男坊の神武は天孫族として支配しているはずの 筑紫平定 を福岡県(東部)でおこなっていた。
しかし、筑紫は大国主より天孫族に譲られたものの
「いまだに筑紫にはいたるところに自らを 王 と名乗る強者が多数いる」となげき、
もっとスムーズに天下を治めれる地を求め、
以前筑紫から発って畿内で新しい国を作っている人物の話を聞き、
自分がそこへ行き国を奪い大和朝廷の楚を作ったという事だよ。

福岡県東部に多数残る神武の話もおそらく、天孫族による筑紫平定の話かもな。
四男坊の神武は筑紫では天孫族として暮らせても 王・天皇 になれることもない。
神武はものすごい野望を抱いて筑紫の日向を発ったのだろうよ。
そしてそれをやり遂げた。

だから大和朝廷の歴史は本家である筑紫の歴史を引き継いでいるのもそういう理由だろうな。


ちったー 聞く耳持てw そんな事だら半島系につけこまれるんだよ。
お前らは一つの事しか見えなくてほんとに視野が狭すぎるんだよww
585日本@名無史さん:2014/01/13(月) 15:42:36.56
>>583
そりゃあ

邪馬台国は畿内にあり、
畿内から一時期、九州に追いやられていた邪馬台国の非主流派が、
九州勢力の援助により畿内への帰還を果たし
畿内で大和政権を成立させた・・

ぶっちゃけ、嫁に行っていた小姑が出戻って、大金持ちの本家を倒して乗っ取った・・・って話なんだから

出戻って本家を乗っ取った小姑が記紀を書けば、そうなるよ(^_^;
586筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 15:54:51.00
>>585
はい、結局トンデモ・・・ w
587日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:01:22.67
まあ銅鉾文化圏と銅鏡文化圏が北部と南部に分かれていたって疑問は残るけどな
無理に日向と筑紫を分けるのもかなり無理があるけどね
588日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:02:20.16
>>581の続き

懿徳天皇とは、西晋の高祖司馬懿のことである。

司馬懿は、遼東半島で独立国に近い勢力のあった公孫淵を倒したため、邪馬台国は魏に朝貢できるようになったという説があるが、
実は、公孫氏による支配から開放され司馬懿による支配に戻ったということだ。

懿徳天皇の次の5代孝昭天皇と、司馬懿の子、西晋の文帝 司馬昭が重なる。

司馬懿は、河内郡温県孝敬里出身。司馬防の次子で、楚漢戦争期の十八王の一人である殷王司馬ゴウの12世孫にあたる。
この出身地の孝敬里の「孝」がキーワードだ。

天皇家は殷王朝の流れを汲む。河内王朝なのだ。

殷の滅亡後、紂王の叔父箕子は朝鮮に渡り箕子朝鮮を建国したと中華人民共和国では主張されているが、
三韓も倭も殷王朝の子孫なのだ。
589日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:03:40.81
倭だのなんだのそんなものはこれからの研究でいくらでも明らかになるわ|( ̄3 ̄)|
590日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:05:26.69
588
天皇の商売ってもともと位牌書いたり歌詠んだりそういうとこから臭いけどな
591日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:06:55.06
>>586
九州の土着勢力が、畿内を征服した・・という話であれば
畿内の文化の主流は九州の文化で、畿内の土着文化はほんの少しの痕跡しか残っていないはずだけど

実際は、畿内の文化の主流は畿内の土着文化で、そこに九州の文化がほんの少し残っているだけ
それは何を意味するのかというと、

九州から畿内を征服した勢力も、もともとは畿内の土着勢力だった・・つまり、
九州から畿内を征服した勢力は出戻りだった・・ということ

出戻って本家を乗っ取った小姑の子孫が、出戻りの事実を隠し、正当性を主張する記紀だからこそ、
実際の痕跡とは矛盾している
592日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:07:29.78
桓武天皇にしろほかの天皇にしろやってんの神社の建立とかどうみてもなあ
593日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:12:30.12
日本国王に対し天皇家って院と呼ばれたろ
そんなのインドに起源があるなんて分かってることだわ
法王ってのはまた別物か?北朝のがなんで天皇と呼ばれた
かが分からねえけどな
594筑紫倭皇帝:2014/01/13(月) 16:23:08.00
>>591
あんた、畿内に行ってそこで新しい文化を見て
「これはいらない、ここはやっぱ筑紫の文化だ。おっ、これは新しく取り入れよう。」等々は普通の人間ならするだろw

ほんとお前らって一つのものしか見えない視野が狭すぎるキチガイだなw
いい加減呆れるはw キチガイの相手もw
595日本@名無史さん:2014/01/13(月) 16:58:50.31
>>588そうだったのですか、驚きました。
目からうろこが落ちたような感じです。
殷王朝の別名は商、天皇は、インドではなく殷の商人だったのですね。
596日本@名無史さん:2014/01/13(月) 17:04:53.67
「羊と貝」の貝な大和朝廷は貝血統か?
597満州一等兵:2014/01/13(月) 17:25:28.46
ここも遂に○○の巣窟になったかw ま、仕方ない、これが2chというものだから。

さて朴は今日、重大な情報を得た。
その情報から推測すると、卑弥呼は馬韓の卑彌国の女王である。
で、この卑彌国は斉からやってきた氏族によって建国されたのである、恐らく。
よく考えれば、馬韓は斉の対岸だから、馬韓に斉人の国があっても不思議ではない。
斉は鬼道の本場。これが卑彌呼の鬼道につながる。

ちなみに檀君神話の檀君はスサノオであることも分った。
やはり日韓は同祖であった。
598日本@名無史さん:2014/01/13(月) 17:32:36.54
なにその後付けくさいの?
599日本@名無史さん:2014/01/13(月) 17:36:27.46
596
貝血統ってなんだ?
大和朝廷のときじゃなかったか?
色んな氏族が日本に渡来してんの
600日本@名無史さん:2014/01/13(月) 17:41:57.60
西暦250年頃から始まりこの辺は古墳墓でもわかるわな
最後にきたのが胡氏関係臭いな
601日本@名無史さん:2014/01/13(月) 17:46:01.52
仏教に出てる悪魔扱いされてんのこの胡氏みたいな感じだもんなあ
この辺は中国の方の色んな物語り関係の一部題材にもされてるから
多少は関連するだろ
602日本@名無史さん:2014/01/13(月) 17:52:46.42
まあどうでもいいや
603日本@名無史さん:2014/01/13(月) 18:19:16.04
597
卑弥呼が斉の流れだとすると、徐福と同族で、元は羌族。
604日本@名無史さん:2014/01/13(月) 18:25:24.15
満州てやっぱり朝鮮の工作員だったのかw
そうじゃないと居座る理由もないよな。
605日本@名無史さん:2014/01/13(月) 18:33:28.01
>>579
紀をベースにしただけの話。
大体卑弥呼がいない事になるぞw
606日本@名無史さん:2014/01/13(月) 18:35:23.87
満州を慕って○○達がワンサカ集まってきたというわけだ
ただそれだけのこと
607日本@名無史さん:2014/01/13(月) 19:08:04.82
//www.change.org/petitions/u-s-figure-skating-president-pat-st-peter-send-mirai-nagasu-to-sochi?share_id=vZRQlFOvfs&utm_campaign=signature_receipt&utm_medium=email&utm_source=share_petition

長洲未来はフィギュアスケート全米選手権で良い演技をしましたが三位になりソチに行けないことになりました
米国人女子は三枠ですが、1位、2位、4位の子が選ばれました
他の選手は転倒があり、無難にまとめたのは未来だけでした。
この扱いには明らかに未来個人への悪意を感じます。
抗議すべく、請願をお願いします。

もう少し票が集まれば長洲未来の請願が出来ます
未来への対応が変わるかもしれません
米国の日系人の待遇を変えるべくよろしくお願いします

//www.youtube.com/watch?v=rzI7zLYsKQE
未来フリー

//www.youtube.com/watch?v=-5d8nygK2nk
未来エキシ
608日本@名無史さん:2014/01/13(月) 20:16:25.83
どうにもこうにもお前らがいってる武家関係は東漢氏関連っぽいけどな〜

源氏とか平氏ってこれじゃねえのか?
609日本@名無史さん:2014/01/13(月) 21:31:11.11
欠史8代の天皇は、西晋の皇帝とは奇妙に一致する。一部は同一人物か?

4.懿徳天皇=司馬懿は、司馬炎によって、高祖宣帝と追号された。
??天皇=司馬師は、司馬炎によって、世宗景帝と追号された。
5.孝昭天皇=司馬昭は、司馬炎によって、太祖文帝と追号された。
天足彦国押人命(孝昭天皇の長男)=1.世祖武帝司馬炎、在位265年 - 290年)司馬昭の長男
6.孝安天皇(孝昭天皇の次男男)=2.孝恵帝(司馬衷、在位290年 - 306年)先代の次男
7.孝霊天皇(孝安天皇の子?)=3.孝懐帝(司馬熾、在位306年 - 311年)先代の異母弟
8.孝元天皇(孝霊天皇の太子)=4.孝愍帝(司馬ビン、在位313年 - 316年)先代の甥

「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ

孝霊天皇が始めて日本に舞い降りた天皇ではないかと考えられる。
610日本@名無史さん:2014/01/13(月) 22:43:45.39
>>594
そうさ

九州の土着勢力が、畿内を征服し、そっくり大量移住した・・・という話ならば
畿内に行ってそこで新しい文化を見て

「これはいらない、ここはやっぱ筑紫の文化だ。おっ、これは新しく取り入れよう。」



畿内の文化の主流は九州の文化で、畿内の土着文化はほんの少しの痕跡しか残っていないはず

なんだよ

しかし実際は、畿内の文化の主流は畿内の土着文化で、そこに九州の文化がほんの少し残っているだけで真逆
それは何を意味するのかというと、

九州から畿内を征服した勢力も、もともとは畿内の土着勢力だった・・つまり、
九州から畿内を征服した勢力は出戻りだった・・ということ

出戻って本家を乗っ取った小姑の子孫が、出戻りの事実を隠し、正当性を主張する記紀だからこそ、
実際の痕跡とは矛盾している
611日本@名無史さん:2014/01/13(月) 23:00:08.10
>>537 新説・日本三国志8の1【古代の日本】
>>538 新説・日本三国志8の2【新たな新興国・出雲の誕生】
>>539 新説・日本三国志8の3【倭国争乱と出雲の国譲り】
>>540 新説・日本三国志8の4【大陸の政変と邪馬台国の台頭】
>>541 新説・日本三国志8の5【アマテラス(=卑弥呼)の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】
>>548 新説・日本三国志8の6【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】
>>559 新説・日本三国志8の7【北九州・狗奴国勢の権力の拡大と出雲の衰退、邪馬台国の軍事クーデター(神武東征)】
>>562 新説・日本三国志8の8【北九州・狗奴国と新しい大和国・天皇の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】
612満州一等兵:2014/01/13(月) 23:03:37.91
変な系図を発見した。ピミらは知っているだろうか。松野連姫氏系図というらしい。
「太宰府は日本の首都だった」(内倉武久著・ミネルバ書房)に紹介されているらしい。
参考サイトを二つ挙げておく。

http://www.motomurashika.com/kurume-chimeiken/f32-1223.gif
http://koji-mhr.sakura.ne.jp/PDF-2/2-1-2.pdf

伊聲耆や倭の五王が出てくる変な系図である。
613日本@名無史さん:2014/01/13(月) 23:16:59.50
だからさあやっぱり宣長さんのゆうとおりで卑彌呼は熊襲の女大酋長だって
614日本@名無史さん:2014/01/13(月) 23:58:29.47
邪馬台国熊襲説
卑弥呼=卑弥鹿文
次代が厚鹿文なら景行天皇は3世紀後半の人物で神武に相当するのは応神かね
615日本@名無史さん:2014/01/14(火) 00:05:23.02
>612
倭の五王は久留米市だが
卑弥呼がいた邪馬台国は福岡県山門郡、
熊本の山門は狗奴国、
616日本@名無史さん:2014/01/14(火) 00:35:29.11
本当に妄想ばかりだな。
617日本@名無史さん:2014/01/14(火) 00:37:18.00
「新説・日本三国志」の肝

・「漢委奴國王」は北九州の狗奴国

・倭には当初、「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国と、畿内の邪馬台国の、大きく分けて2国だった

・国力は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国のほうが強く、畿内の邪馬台国は弱かった

・その中間に「出雲」という新興国が出来、畿内の邪馬台国がそれを手中に収め、後漢が滅び魏になったことで、
 倭国の王は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国から、畿内の邪馬台国に移行して「親魏倭王」となった

・魏志倭人伝によれば「王」がいると記されているのは伊都國と女王國と狗奴國の3っつで、伊都國は「王」の伝説が残る【出雲】

・魏志倭人伝に出てくる末廬国・伊都国は出雲地方、隋書倭国伝に出てくる竹斯国・秦王国は北九州で、全く別の地域

・出雲という新興国を手に入れたモノの邪馬台国は、北九州の狗奴国の竹斯国・秦王国を利用せず、できず、畿内により近い出雲に、末廬国・伊都国という新港を開いた

・出雲大社は、新港である末廬国・伊都国の灯台変わりでもあり、大陸に対して国力を見せつけるための迎賓館でもあった

・2大国に挟まれた新興国「出雲」は、ある時は北九州の狗奴国を味方に付け、ある時は畿内の邪馬台国を味方に付けて、生き残りを図った

・神武東征は、邪馬台国の非主流派が北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて行った軍事クーデター

・天皇は邪馬台国の非主流派の人であったが、天皇を成立させたのは北九州の狗奴国

・天皇は、北九州狗奴国と作られた系統ではなく、出雲と作られた系統が引き継いだため、狗奴国の名前は出てこない
618日本@名無史さん:2014/01/14(火) 00:53:04.13
まぁ鉄も山陰の方がむしろ多くなるかもしれないしな。
伊都は出雲でいいかもしれないよ。
大体遠くて行き来が大変だ、と書かれてる国が
北部九州に存在する訳がない。
619日本@名無史さん:2014/01/14(火) 01:06:24.56
高天原=現在の奈良県南部と和歌山県北部
高千穂=南九州
620日本@名無史さん:2014/01/14(火) 01:40:23.81
何故、倭の五王と天皇が一致しないのか?
答えは明らか
元々、倭と和(日本)が別物だったからだ
621日本@名無史さん:2014/01/14(火) 02:00:58.75
卑弥呼は一体誰なのか?
そんなのは愚問だ
あくまでも卑弥呼は卑弥呼である
倭を統治していた邪馬台国の女王、卑弥呼
ただそれだけのこと
622日本@名無史さん:2014/01/14(火) 02:58:58.03
歴史古い順
上町台地(大阪市)
神武天皇(初代天皇)の生国魂神社(大阪市)紀元前700年 (日本列島の神そのものを祀る神社)
神功皇后の住吉大社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子(日本仏教の祖)の四天王寺(大阪市)後に奈良の法隆寺
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成26年の今も続いている
難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市(街))(物流の一大拠点経済の中心)商人が増え出す 商業都市として栄える(大阪市)石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)跡地に大阪城(難波津や渡辺津が船場となり商工業が更に発展)
奈良(平城宮 平城京)
京都(平安宮 平安京)
江戸(東の京 東京)
江戸城を築いたのは大阪の源氏
徳川征夷大将軍も源氏 征夷大将軍は源氏にしかなれない
623日本@名無史さん:2014/01/14(火) 03:06:56.82
邪馬台国熊襲説なら景行天皇の九州に関するとこは九州内の別勢力別人の話という可能性が高まりますね。
成務・仲哀天皇も神功皇后も同じく。
しかも景行天皇の該当箇所が卑弥呼没から間もない3世紀後半となるとだいぶ変わってくる。
想像としては面白い。
624日本@名無史さん:2014/01/14(火) 06:49:29.33
622
そんなわけねえだろ馬鹿|( ̄3 ̄)|
関西やたらカルト宗教だの多いのとこの変、関係してくるか?
625日本@名無史さん:2014/01/14(火) 07:46:26.25
鬼道なんてカルトのようなもんだからなw
卑弥呼はやはり関西にいたんだろう。
626日本@名無史さん:2014/01/14(火) 08:22:43.20
菅原家

神別。
627日本@名無史さん:2014/01/14(火) 08:30:28.12
なぜ熊本人が熊襲と言われ、
鹿児島人が隼人と言われるか考えるべきだな。
熊と言ったら、ロシア人。
熊野。

ロシアの東端が、ウラル教。西が、ロシア聖教。
東。あずま、ひがしと二通りの読み方がある。
東が、本当のロシアの経済の中心地。アナデウル。
政治は、モスクワ、レニングラード。

隼人。

フィンランドとは、finlannd。最後の島。終わりの島。
アイルランド。ユナイデッド オブ キングダムに、従わない。


颯(はやて)
628満州一等兵:2014/01/14(火) 09:13:47.06
完全な系図を見つけたので上げておく。やや見づらい。探せば他にもあるかも。
尾池誠「埋もれた古代氏族系図―新見の倭王系図の紹介」

http://www.sysken.or.jp/Ushijima/voyage19.files/image023.jpg

( )内は鈴木某の注記だそうである。
629日本@名無史さん:2014/01/14(火) 09:37:34.03
妙な絵文字で書き込みしてる奴がいると思ったら、
オカルト板から出張してたのか。
巣へ帰って妄想してろよw
630満州一等兵:2014/01/14(火) 09:49:57.32
上の系図に呉王夫差が出てくるので調べたら、面白いことが分かった。
夫差の姓は姫で、呉の首都は姑蘇だという。ここから連想されるのは−

ヒメコソ神社
卑弥弓呼素
631日本@名無史さん:2014/01/14(火) 10:44:07.00
紫微。
blogs.yahoo.co.jp/thunder_bird681/7670274.html

上のサイトトップ
blogs.yahoo.co.jp/thunder_bird681

えっちてーてーぴー://つけて。
632日本@名無史さん:2014/01/14(火) 11:02:14.07
後漢の君主は、和帝って言うんだね
633日本@名無史さん:2014/01/14(火) 11:36:46.89
邪悪宇宙人は、
仏法に弱い!!!
なぜなら、高度文明ばかりを作っていて
心の成長がないから。
634日本@名無史さん:2014/01/14(火) 12:01:42.84
(軍)馬を一つに偏らせて、
最大兵力にする。
それが悪側の攻略失敗法。
635日本@名無史さん:2014/01/14(火) 16:20:41.90
卑弥呼はモモソ媛命ですべて決着。
難しく考えるやつは、なんなの?
636満州一等兵:2014/01/14(火) 17:33:09.46
せっかく面白い系図を紹介してやったのに反応はイマイチだな。
まだ5時半だから会社や学校から帰っていないからか?
もう少し待ってみようか。

しかし、もしかしてここの連中はこういう文献資料には何の関心も無いのか?
考古学ならホンの些細な問題でも侃侃諤諤の議論をするのだがw
637日本@名無史さん:2014/01/14(火) 17:35:59.06
煮麺
638日本@名無史さん:2014/01/14(火) 18:01:28.72
まぁ結局銅鐸圏が倭国大乱の範囲だな。
639日本@名無史さん:2014/01/14(火) 18:07:46.07
銅鐸文化やはりあったろ
思い兼とかどうみても祭儀でこれつかってるもんな
まあこれを否定することは歴史の抹殺だあね
640日本@名無史さん:2014/01/14(火) 18:09:53.90
素直に倭トトヒ姫とかの方が銅鏡だか銅鉾だっけ?
卑弥呼が銅鐸側でいいんじゃねえの?
641日本@名無史さん:2014/01/14(火) 18:15:30.07
卑弥呼の側が征服されたんだよ。神武に。
642日本@名無史さん:2014/01/14(火) 18:32:01.85
鉄鐸の事を蛹(サナギ)と言うと後々ばらしたからな。
これはイザナギに通じるでしょ。
やはり出雲だね。
643日本@名無史さん:2014/01/14(火) 19:01:06.60
まさかさあ、
神武天皇の時に素神が降りてたってことは、
・・・っていうことですか?
644日本@名無史さん:2014/01/14(火) 20:08:35.94
邪馬台国は景行天皇の頃、大和に攻撃されて、跡形も系譜も何も残っててないよ。
645日本@名無史さん:2014/01/14(火) 20:15:03.76
九州勢力は鉄をたっぷり持ってたのに弱いんだね。
646日本@名無史さん:2014/01/14(火) 20:30:18.81
神武天皇127歳、綏靖天皇84歳、安寧天皇67歳、懿コ天皇77歳、孝昭天皇114歳…続く

ま、超高齢化社会だったということで一件落着
647日本@名無史さん:2014/01/14(火) 20:31:02.05
箸墓古墳と卑弥呼の関係って最近どう言われとんの?
648日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:12:03.57
満州。これは確かに面白い系図だわ。
ミネルヴァって古田の全集を刊行してる出版社だけど、
松野連姫氏系図は九州王朝の系図とみてよいのか?
649日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:22:56.28
だからなんで卑弥呼が天皇ってことになるかがわからないんだけど?
下手すれば天皇ってもの自体、800年頃にできたもんだぞ
650日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:24:47.09
むしろ各氏族から系図を出してもらって天皇に当てたって方が正解でないのか?
追号って意味からしてな|( ̄3 ̄)|
651日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:27:17.26
松野連系図は畿内天皇家とは、別系統の王統って筋書きさ。
倭の五王が入ってるだろ。この中に雄略なんか入っていないんだぞ。
九州王朝説の論拠の一つになってるのさ。
652日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:28:53.46
筋書き筋書き筋書きねえ

実際、現実的に見込めるの桓武天皇からなんだろ?
653日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:42:02.22
司馬懿と懿徳って、なんか関係が?
なんかwakwakだね
654日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:46:32.31
お聞きします。
正一位とか、正観音という場合の正って、
どういう意味なんですか?
前世から苦しんでいます。お願いします。
655日本@名無史さん:2014/01/14(火) 21:47:20.71
自分は九州派だが、松野連系図は、初めて知った時は興奮したが、今は、本当かなぁって感じだよ。
656日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:02:16.54
七次元素神
8次元素神
\次元素神と
10〜11次元の素神の
正式名称教えてください。
俺は6次元の上格ですか?

諸葛格
657日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:02:58.81
間違えた。
りっしんべんのほうね!
658日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:03:31.67
古田という時点でもうダメだな。
659日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:10:25.52
自分は奈良県民で邪馬台国は九州派
元々は奈良派で一般のアマチュア並かそれ以上には研究したと自負するが
知れば知るほど邪馬台国と大和政権(初期含めて)はどう考えてもイメージが合わない
最近流行りの箸墓だけど、大和が栄えていたという物証が出てくれば出てくるほど
邪馬台国のイメージから遠ざかっていく
660日本@名無史さん:2014/01/14(火) 22:27:27.60
奈良に住んでいても何の勉強もしてない証拠だな。
河内や丹波辺りの事を含めて見なきゃな。
661満州一等兵:2014/01/14(火) 23:16:58.84
松野連系図を知っていた奴がいたか。さすが邪馬台国オタクw

朴の判断では、この系図はインチキ系図である。
しかしそれはそれで面白い箇所もある。
たとえば、この系図に刀良という名前が出てくる。それが面白い。

なぜ面白いかはここには書かないが、稗箕狐なら分かるかも。
662日本@名無史さん:2014/01/14(火) 23:23:08.85
ミャンマーには、民間伝承である精霊ナッを信仰するお祭りがあって、 毎年7月 から盛大に開かれます。
通常は8月10日ころの満月の日まで開かれ、最も盛り上がるのは8月12日です、
ナッ(精霊)を呼び降ろす為にミャンマー全土から約1,500人もの ナッカドーと呼ばれる霊媒師達が集まります。
日本のイタコに似たものだけれど、そのナッカドーのほとんどがいわゆるオカマ。
昏睡状態に陥ったナッカドーは踊り狂い、トランス状態になってナッと会話を交わしよす。

卑弥呼が女だとはというのは思い込みにすぎません。
本来、仏も神も中性的なものなのだ。

邪馬台国は新宿4丁目にあった。そういうことです。
663日本@名無史さん:2014/01/14(火) 23:32:05.18
神武ことイワレ彦は
卑弥呼ことモモソ媛命の数代前の先祖。
イワレ彦〜モモソ媛命の間、つまり、欠史八代の天皇にあたる人物たちは
高尾張朝廷(ヤマト朝廷の前身)の祭司を継承していない、
つまり、正式な倭王の地位にいなかった。
664日本@名無史さん:2014/01/14(火) 23:34:10.38
そういえば、歌舞伎町を歩いていたら、卑弥呼だか邪馬台国だかの名の飲食店があったっけ。
今度行ったらしっかりおぼえてこよう。入る気はないが。
665日本@名無史さん:2014/01/14(火) 23:39:12.93
はいらねえ方がいいぞ
歌舞伎だのなんだの関係はほとんどボッタクリだからよ
この辺はちゃんと勉強してるかんね
666日本@名無史さん:2014/01/14(火) 23:42:25.18
大学で古墳時代を専門としていた者だが、この掲示板みて
吐き気をもよおしてきた。ファンタジ−物としては面白いかも
しれんが。
667日本@名無史さん:2014/01/14(火) 23:47:46.56
まあ所詮、水商売関係のやつらの妄想に使われているだけだからな
卑弥呼関連は
668日本@名無史さん:2014/01/15(水) 00:27:25.57
大学で古墳時代を専門に何を勉強するんだろうw
669日本@名無史さん:2014/01/15(水) 00:54:32.17
>>661
いや、読んだまんまみたまんまだろそれ・・・
まさか神がしんだら○○になるの?なんだそれ・・・
参考までに、
1.太初
2.人、関係
3.神
・・・

天王と天皇って、どっちが上?
って書いてしまった。文字を読んでないことがばれる・・・
670日本@名無史さん:2014/01/15(水) 01:31:59.43
質問。
無量大数+1と、
∞ー1は、
どっちが大きいですか?
671日本@名無史さん:2014/01/15(水) 05:28:33.87
一神教の馬鹿さ加減がでてるね
商売に使えなくなったら今度はなにに頼るの?
672日本@名無史さん:2014/01/15(水) 05:50:09.80
私は、
二元論支持者だけど、
一神教、多神教、唯一神教
すべて是としているものです。
だって、実神界がそうなんから、
受け入れるしかないだろう。

これがわかってないということは、
あんた死後海王星地獄におちるよ。
今すぐ浄土三部経に改宗しなさい。
673日本@名無史さん:2014/01/15(水) 05:51:50.30
あ、いであ、いでおろぎー。
674日本@名無史さん:2014/01/15(水) 05:55:01.91
バーカ|( ̄3 ̄)|
675満州一等兵:2014/01/15(水) 09:49:34.37
松野連系図。面白い箇所をもうひとつ挙げると、牛慈という名が出てくる。
金刺宮御宇とあるところを見ると欽明天皇時代の人物のようだが、
牛慈と都市牛利の牛利は牛の字が共通している。

インチキ系図だとは思うが一から十までインチキとは限らない。
仮にこの系図がなにがしかの真実を含んでいるとすると、
卑弥呼は熊襲の女王の可能性があるわけで、
もしそうなら、畿内説は全滅、福岡説も真っ青ということになる(笑)

だから安易に、やれ畿内だ、卑弥呼はモモソだ、などと唱えるべきではないのである。
676満州一等兵:2014/01/15(水) 09:58:07.53
訂正

金刺宮は推古朝、牛慈は牛窓のようである。
新撰姓氏録にも呉王夫差の後と書かれているらしい。(未確認)

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03026.htm
677日本@名無史さん:2014/01/15(水) 10:21:10.03
>>675
君は本当に何も判ってない。
熊襲の女王なら畿内説だと全滅どころか補強にしかならないんだよw
まあ君には理解できないと思うけどね。
678日本@名無史さん:2014/01/15(水) 10:26:18.75
〉〉668
君みたいな馬鹿には一生分からないよwww。
679日本@名無史さん:2014/01/15(水) 10:34:54.08
>>678
なんだ、返答レスすらまともに出来ない爺かww
680日本@名無史さん:2014/01/15(水) 10:34:57.10
>>677,678
結局さあ、
京でエシュロン解読しちゃうから、
どうあがいても先手なのね。わかってね。
681日本@名無史さん:2014/01/15(水) 10:38:32.46
ここはエシュロン解読出来ない電波が渦巻いてますw
682日本@名無史さん:2014/01/15(水) 10:53:53.09
エシュロンて商品でも売ってるの?
683満州一等兵:2014/01/15(水) 12:22:12.86
>>677の男が、卑弥呼が熊襲の女王だとしても畿内説が有利だと言っている。
どういう考えがあるか知らないが、その理由を聞かせてもらおうではないか。

もしかして卑弥呼は神功皇后の命令で遣使したとでも言いたいのかな?
とにかく理由を聞かせてもらおう。屁理屈でも何でもいいから。

人をバカにした以上、ちゃんと理由を聞かせてもらおう。
返答の仕方如何では、タダではおかない。
684日本@名無史さん:2014/01/15(水) 12:28:01.00
あ〜あ〜、勉強やれい(創価大学学長)
685満州一等兵:2014/01/15(水) 12:50:37.19
もしかして>>684>>677の男か?
ふふ、答えられなくて逃げたか。

どうせこの程度の男だろうと思った。
ここの連中はバカ揃いだからこの程度の男しかいないのである。

卑弥呼が熊襲の女王だとしても畿内説が有利だ、なんて、
2chにも滅多にいないド阿呆でないと言えない発言であるw
686日本@名無史さん:2014/01/15(水) 12:56:36.83
満州に2ポイント!
687日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:01:16.76
よっしゃー( *`ω´)

勝ったo(`ω´ )o
688日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:04:20.16
>>685
おかしいな、某宗教団体ではギャグによる御魂磨きやってたはずだが。
やっぱり神許がないとだめなのか?
689日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:05:47.80
某氏より1次元高いことをお忘れなく。
色次元。
691日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:13:35.29
夢を見た。
ルペンが、ロシア征服。
熊襲(ロシア人)熊本来襲。
隼人は?
との問いかけに、神は離れていった・・・

サンズイとは、浜。浜崎あゆみ、浜田雅とし。島根浜田。ロシアの西端。
ウラル教=裏ある教。
空港がたくさんある地域に注意。
692日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:14:45.36
横浜。横道にそれた浜。
さんずいにつわもの。
693日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:26:14.07
>>685
じゃ、屁理屈、初歩的なヒントをあげるよ。
百蘇姫の逸話と同世代には吾田姫というのがいるが、
九州南部出身を思わせる名だが、これの存在ついてはど思うのかな?
この年代で既に河内を拠点にしているぞ。
694日本@名無史さん:2014/01/15(水) 13:56:35.21
吾田姫は崇神天皇の身内でもあるからな。
大体紀伊半島南部だって熊襲だよ。
695日本@名無史さん:2014/01/15(水) 14:22:26.60
>>693
初歩的なヒントはいいよ。
きちんと説明しないとあなたは相当的外れな見解の持ち主と思われちゃうよ、
696日本@名無史さん:2014/01/15(水) 14:43:05.05
見当外れと思うならそれでいいんじゃないの?
まぁ畿内説でモモソ説なら、同年代に九州南部の一族が
既にヤマト入りして基盤を持ってるんだよ?
この時点で九州南部=邪馬台国説は説明が難しいと思うけどね。
697日本@名無史さん:2014/01/15(水) 14:56:32.76
>まぁ畿内説でモモソ説なら・・・

モモソ媛は卑弥呼よりずっと時代が新しいからな、畿内説にすらなりえぬ
698日本@名無史さん:2014/01/15(水) 15:03:42.51
>>697
まぁその場合は孝霊天皇をどう扱うのかな?
699日本@名無史さん:2014/01/15(水) 15:39:58.28
九州南部=邪馬台国説は関係ないだろ?
鹿児島は熊襲ではなく隼人なのだから。
700日本@名無史さん:2014/01/15(水) 15:49:47.67
大まかに言って
霧島連山の北側山中がクマソ(球磨・曾於)
霧島連山から南の日当たりの良い面〜錦江湾岸に隼人(薩摩隼人)
701日本@名無史さん:2014/01/15(水) 15:58:27.36
内倉武久「大宰府は日本の首都だった」を図書館の在庫検索したら貸出し中だった。
ここの住人が借りたのかも知れない。
満州の影響力は計り知れないものだある。
702日本@名無史さん:2014/01/15(水) 15:59:24.29
×だある
○がある
703日本@名無史さん:2014/01/15(水) 16:14:27.30
>>699
だから卑弥呼=クマソの女説でも畿内説には何の問題はない、
むしろ補強するに過ぎないという事なのだが。
後年ヤマト朝廷が隼人族に特別な扱いをする説明も出来るしな。
704日本@名無史さん:2014/01/15(水) 16:17:06.69
神功皇后記に、九州の土蜘蛛の女酋長を殺した話があったな。
それが邪馬台国だろう。
705日本@名無史さん:2014/01/15(水) 16:19:10.94
モモソの世代以前に南方、南九州の人間との
交流がある事が重要なんだよ。
巻向からは竹細工の籠に入った桃も出土してたしな。
706日本@名無史さん:2014/01/15(水) 16:21:33.64
>>704
今更化石のような説を持ち出すなよw
707日本@名無史さん:2014/01/15(水) 16:38:44.93
>制詔親魏倭王卑弥呼:帯方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、、、、、
>汝所在踰遠、乃遣使貢献。是汝之忠孝、我甚哀汝。
>今以汝為親魏倭王、假金印紫綬、装封付帯方太守假授。

卑弥呼は魏王朝と親交があったわけだ、
しかし皇女モモソにはそれらしい記事が見当たらぬ、死に方に至っては疫病神扱いのただの野垂れ死に
708日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:02:51.65
>卑弥呼は魏王朝と親交があったわけだ、

モモソ父は孝霊という、後漢霊帝の諡号、孝霊皇帝と
全く同じ名を付けられてるんだよね。
709満州一等兵:2014/01/15(水) 17:07:44.68
>>693
プッ、何を言っているのか、さっぱり分らんちゃw

神武は九州から来たのだから、大和に九州出身の姫がいるのは当り前だじょw
神武即位は前660年、卑弥呼の朝貢が238年だから、約900年も経っているのである。
その間に日本はすっかり大和朝廷の天下になっていたのだが、
東北の蝦夷と九州の熊襲だけは反抗していたわけで、
その熊襲の中に女酋がいたとしても不思議ではない。

それが卑弥呼だとしても不思議ではないわけで、
大和に大和朝廷があろうと吾田姫が九州南部出身であろうと、
そんなことはまったく何の関係もないことではないか。
710日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:15:39.77
>>708
そりゃ結構なことだ
だが、当時黄巾の乱の余波もあって、後漢から渡ってきた貴人は少なくなかったであろう
もしかして、孝霊も、卑弥呼一族もそうだったのかもしれぬ、
だから孝霊の名前だけでは決め手に欠ける
肝心なのは主人公の姫に関する逸話なんだけどなあ
711日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:15:45.08
はんこもろた御眞木入日子タンが

ばあさん世代の夜麻登登母母曾毘賣命のこと

したしく同行しておいでだったとしても

物主さんのもののようにはたたんわけだが
712日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:19:00.61
古事記は泥棒のはじまり

日本書紀は泥棒の集大成
713日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:29:23.97
>>709
>それが卑弥呼だとしても不思議ではないわけで、
大和に大和朝廷があろうと吾田姫が九州南部出身であろうと、
そんなことはまったく何の関係もないことではないか。

熊襲には候補地や伝承の類がないんだからな。
対して畿内には候補者に逸話も遺跡も一応そろってるけどな。
なので、熊襲出身の女性がいても結局主舞台は畿内だね。
714日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:34:43.54
>>710
>だから孝霊の名前だけでは決め手に欠ける
肝心なのは主人公の姫に関する逸話なんだけどなあ

その娘には巫女としての伝承や日女命という別名、吉備津日子という
弟や巨大な墓もあるんだけどね。
墓の近所は朱の山もあったしな。
715日本@名無史さん:2014/01/15(水) 17:42:05.69
>>714
黄巾の乱で渡ってきた後漢王朝の関係者で、吉備地方に落ち着いた一族であったと考える方が納得できる
後に大和王権の礎を築いた人たちの一員で吉備から埴輪文化をもたらした・・・、
そんな感じじゃないの
716日本@名無史さん:2014/01/15(水) 18:06:27.32
倭国は瀬戸内海中心という事だな
717日本@名無史さん:2014/01/15(水) 18:29:04.09
後漢王朝の関係者に限定しなくても良いよね

07【孝靈】は賦斗邇さんで わに酋長
07【孝靈】は高靈の出で 高靈は大伽耶の故地
記では「伴跛國」として出てくる 伴跛は「はゑ」

07【孝靈】は「波延」「蠅」の姉と妹に蠅娘と4名の息子を為す
蠅娘は差し詰め「蛆」だが「夜麻登登母母曾毘賣命」の桃タン

4名の息子たちは 各地に展開
   ●大吉備津日子   吉備 上道
   ●建吉備津日子   吉備 下道
   ●若日子刺肩別命  高志 豐國 五百原 角鹿
   ●日子寤間命     針間 牛鹿

さらに
07【孝靈】は「十市縣主之祖大目♀」の娘「細比賣命」に08【孝元】を生ませる

08【孝元】は「國玖琉」と仰せられて移住者としてぴったりのお名前

08【孝元】「國玖琉」が07【孝靈】の蠅の子たちを引き連れて列島内に移住と嫁る

「うさぎ酋長連」のは「わに酋長連」のよりもそっと後での移動だろ

ちなみに 「伴跛國」のの「伴」は「大伴」のの「伴」とコモンだす
718日本@名無史さん:2014/01/15(水) 18:30:02.10
>>679
わざとやったことに対して、予想通りの
突っ込み。馬鹿の典型だな。
719日本@名無史さん:2014/01/15(水) 18:32:54.71
×  記では「伴跛國」
●  紀では「伴跛國」
720満州一等兵:2014/01/15(水) 18:49:17.55
>>713
何が言いたいのか、まったく不明であるw

>熊襲には候補地や伝承の類がないんだからな。

候補地って邪馬台国の候補地のことか?
卑弥呼が熊襲の女王なら、鹿児島かどこかにいたわけで、そこが邪馬台国だよw

伝承の類? 系図そのものが伝承だよ。
松野氏の先祖が熊襲で、その先祖の系譜の中に卑弥呼が出てくるということは、
卑弥呼は熊襲の女王だという伝承があったからだよ。

>対して畿内には候補者に逸話も遺跡も一応そろってるけどな。

そんなのは畿内説の学者が勝手に空想していることで、根拠は一つもない。
721日本@名無史さん:2014/01/15(水) 19:01:21.42
「くま酋長」→「わに酋長」→「うさぎ酋長」
   ‖
「ゐぬ酋長」
「委奴酋長」

卑彌呼は「わに酋長」の息子が「くま酋長」のところの娘のところに通ってしでかした子

卑彌呼は「くま酋長」のところで育った「くま酋長」のところのトップの女王
722日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:05:12.29
>>720
お前は畿内説じゃなかったのかw
候補地とは卑弥呼の宮や墓の候補地の事。
熊襲にはあるのかという話。
巻向周辺には一応皆そろってるからな。
それ以前にはすぐ近所に鍵唐古に孝霊天皇の宮の伝承もあり、
そこは弥生中期からの大規模な集落も確認されてるからな。
松野氏の系図で何か説明出来るのかね?
723日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:11:55.05
>巻向周辺には一応皆そろってるからな。

悲しいかな、方角と里数に於いて可能性zero
末蘆国東南五百里の伊都国は佐賀平野だにゃー
佐賀から巻向へどの道を通って逝くのだw
724日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:15:05.98
答えは簡単、佐賀は伊都じゃないからさw
725日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:18:10.93
邪馬台国論争も邪馬台国問題に成果が表れないのも、全ては関西史観と関西皇国史観が原因だよ
特に、関西系のアカデミシャンは、完全に関西史観と関西皇国史観に洗脳されてるから
ハッキリ言って、関西史観と関西皇国史観に洗脳されてるアカデミシャンは、
研究者としてのプライドのかけらもなく、研究者の肩書は返上してもらいたいものだ
これらは、特に、関西系の歴史学者や考古学者に顕著な傾向である


関西史観と関西皇国史観とは「日本の歴史で畿内以外で権威や権力が存在した事はないよ、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「日本の歴史で畿内以外が日本の中心になった事はないよ、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「日本の歴史で畿内以外の地域が日本の中心にあった時期は全て暗黒期だよ、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「邪馬台国は畿内以外にはありえないよ、九州説とか論外、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「熊襲、琉球人、蝦夷、アイヌは土人で日本人じゃないよ、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「縄文人は日本民族じゃないよ、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「縄文時代にも縄文人にも文化なんて存在しないよ、反論する奴は売国奴な」
関西史観と関西皇国史観とは「縄文時代は、日本史として認めないよ、存在しないよ、反論する奴は売国奴な」

関西史観と関西皇国史観とは「日本人が日本人を差別するという究極の反日醜悪史観」


関西史観と関西皇国史観の本質は「畿内の起源ルーツが命で全てであり、畿内以外の日本史、日本列島史、日本文化史、日本列島文化史、日本民族史、日本列島民族史は、存在しないもの、価値が無いもの、低俗なもの、土人のもの、暗黒なものと定義する究極の反日思想である」

関西史観と関西皇国史観が、本質的に究極の反日売国思想である事は、疑いようのない事実

関西史観と関西皇国史観は「起源とルーツが命!」と思えばわかりやすい
726日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:22:37.69
>>709
>神武は九州から来たのだから、大和に九州出身の姫がいるのは当り前だじょw
>神武即位は前660年、卑弥呼の朝貢が238年だから、約900年も経っているのである。
>その間に日本はすっかり大和朝廷の天下になっていた

>東北の蝦夷と九州の熊襲だけは反抗していたわけで、
>その熊襲の中に女酋がいたとしても不思議ではない。
>それが卑弥呼だ

なら、それで畿内・纒向は邪馬台国っつーのはキチガイ沙汰(笑)

邪馬台国は九州熊襲で、畿内纒向は大和朝廷だわなぁ
727日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:26:10.42
だが三世紀の南九州には何も無いからなあ。
狗奴国も比定が苦しい。
728日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:27:45.28
>>727
そこで「新説・日本三国志」(^_^;

>>537 新説・日本三国志8の1【古代の日本】
>>538 新説・日本三国志8の2【新たな新興国・出雲の誕生】
>>539 新説・日本三国志8の3【倭国争乱と出雲の国譲り】
>>540 新説・日本三国志8の4【大陸の政変と邪馬台国の台頭】
>>541 新説・日本三国志8の5【アマテラス(=卑弥呼)の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】
>>548 新説・日本三国志8の6【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】
>>559 新説・日本三国志8の7【北九州・狗奴国勢の権力の拡大と出雲の衰退、邪馬台国の軍事クーデター(神武東征)】
>>562 新説・日本三国志8の8【北九州・狗奴国と新しい大和国・天皇の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】
729日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:30:00.87
「新説・日本三国志」の肝

・「漢委奴國王」は北九州の狗奴国

・倭には当初、「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国と、畿内の邪馬台国の、大きく分けて2国だった

・国力は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国のほうが強く、畿内の邪馬台国は弱かった

・その中間に「出雲」という新興国が出来、畿内の邪馬台国がそれを手中に収め、後漢が滅び魏になったことで、
 倭国の王は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国から、畿内の邪馬台国に移行して「親魏倭王」となった

・魏志倭人伝によれば「王」がいると記されているのは伊都國と女王國と狗奴國の3っつで、伊都國は「王」の伝説が残る【出雲】

・魏志倭人伝に出てくる末廬国・伊都国は出雲地方、隋書倭国伝に出てくる竹斯国・秦王国は北九州で、全く別の地域

・出雲という新興国を手に入れたモノの邪馬台国は、敵対する北九州の狗奴国の竹斯国・秦王国を利用せず、できず、畿内により近い出雲に、末廬国・伊都国という新港を開いた

・出雲大社は、新港である末廬国・伊都国の灯台変わりでもあり、大陸に対して国力を見せつけるための迎賓館でもあった

・2大国に挟まれた新興国「出雲」は、ある時は北九州の狗奴国勢を味方に付け、ある時は畿内の邪馬台国勢を味方に付けることで、生き残りを図った

・神武東征は、邪馬台国の非主流派が、邪馬台国主流派に敵対する北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて行った軍事クーデター

・天皇は、邪馬台国に出戻った邪馬台国の非主流派の人であったが、出戻りを助けて天皇にさせたのは邪馬台国に敵対する北九州の狗奴国勢

・しかし天皇は、北九州狗奴国の系統の子と作られた系統ではなく、出雲の系統の子と作られた系統が引き継いだため、記紀に狗奴国の名前は出てこない
730日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:32:11.71
もう畿内説以外の選択肢はないっしょ。
731日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:32:48.23
そういえば太国がいなくなったね。
732日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:41:53.58
大体記紀に欠史八代の詳細記述が無い時点で気付く話。
733日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:06:23.01
>>732
欠史八代は、第2代綏靖天皇から第 9代開化天皇までの8人・・・・

一度、北九州の狗奴国に逃げ延びた邪馬台国の非主流派が、
逃げ延びた先の邪馬台国に敵対する北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて
邪馬台国に対して軍事クーデターを起こして、
北九州の狗奴国軍勢と一緒に邪馬台国主流派を打ち負かし
初代天皇になったものの、

2代目を選ぶ時に、

北九州の狗奴国に初代天皇がいた時に、北九州の狗奴国の娘と初代天皇が作った子ではなく
軍事クーデーターに成功して、大和で天皇になってから、出雲の娘と作た子が、次の天皇になる
・・・なーーんて

軍事クーデーターを支援した北九州の狗奴国からみたら、
逃げてきた邪馬台国の非主流派をそそのかして支援して、クーデター起こさせて、
一度は邪馬台国の掌握に成功したモノの、初代が死んだら、邪馬台国の旧主流派にクーデター起こされて
また邪馬台国が敵対しかねない国になっちゃって元の木阿弥・・のようなもの

第10代崇神天皇まで、綱引きが続いて、天皇なんて地位や権威もほったらかしで、血なまぐさいことが続いたんだろうね
734日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:24:00.24
>>733 訂正
欠史八代は、第2代綏靖天皇から第 9代開化天皇までの8人・・・・

一度、北九州の狗奴国に逃げ延びた邪馬台国の非主流派が、
逃げ延びた先の邪馬台国に敵対する北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて
邪馬台国に対して軍事クーデターを起こして、
北九州の狗奴国軍勢と一緒に邪馬台国主流派を打ち負かし
初代天皇になったものの、

初代天皇が死んだ後の2代目は、

北九州の狗奴国に初代天皇がいた時に、北九州の狗奴国の娘と初代天皇が作った子ではなく
軍事クーデーターに成功して大和で天皇になってから、出雲の娘と作た子が、次の天皇になる

・・・なーーんて、初代の軍事クーデーターを支援した北九州の狗奴国からみたら、

逃げてきた邪馬台国の非主流派をそそのかして支援して、軍事クーデター起こさせて、
一度は邪馬台国の掌握に成功したモノの、初代が死んだら、邪馬台国の旧主流派に政治的クーデター起こされて
また邪馬台国が、狗奴国に敵対していた邪馬台国の旧主流派の国になっちゃって、元の木阿弥・・のようなもの(^_^;

初代の軍事クーデーターの成功で軍事的には決着が付いていたモノの、初代の軍事クーデーター起こした系統が、
狗奴国に敵対していた邪馬台国の旧主流派に「政治的にも」完全勝利するまで、
天皇なんて地位や権威もほったらかしで、狗奴国に敵対していた邪馬台国の旧主流派と「政治的な」(陰湿な)綱引きが続いて、
第10代崇神天皇まで、そうとう血なまぐさいことが続いたんだろうね
735満州一等兵:2014/01/15(水) 21:24:18.34
>>722
ポクは畿内説を唱えたことは一度も無いが(笑)

>候補地とは卑弥呼の宮や墓の候補地の事。

畿内にそんなものがあるとは初耳だ(笑)
そんなのは畿内説の学者が勝手に空想している候補地。

>松野氏の系図で何か説明出来るのかね?

説明も何も(笑)
松野氏系図が本物なら、誰がどんな屁理屈を唱えようと卑弥呼は熊襲の女王であり、
卑弥呼は鹿児島かどこかにいたことになるのである。
736日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:27:17.15
お釈迦さんにでも聞けばよかろう
737日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:28:17.14
鹿児島じゃ尚更無理じゃんw
おとなしく朝鮮日報の仕事してろ。
738太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/15(水) 21:31:07.41
>>731
居るよ。
739日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:33:34.04
結局孝霊の出雲遠征が倭国大乱という事だね。
740日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:38:00.80
>>733
おそらく二代目天皇が師升だね。
741日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:46:23.83
>>740
神武東征が、

畿内の邪馬台国から一度、北九州の狗奴国に逃げ延びた邪馬台国の非主流派が、
逃げ延びた先の邪馬台国に敵対する北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて攻め上がり
邪馬台国に対して軍事クーデターを起こして、北九州の狗奴国軍勢と一緒に邪馬台国主流派を打ち負かし
畿内の邪馬台国に西から出戻るかたちで初代天皇になった

・・という軍事クーデターだったらばこその、その後の政治的混乱、欠史八代・・・
軍事クーデターに成功しても、政治を完全掌握して、政権を安定するまでは、何代もかかるからねぇ・・・・

神武東征が、九州勢の畿内の征服・殲滅・・・だったならば、こんなことにはならない
742朝鮮日報の満州:2014/01/15(水) 21:46:30.41
>鹿児島じゃ尚更無理じゃんw

なぜ無理なのか、さっぱり分らん(笑)
鹿児島に邪馬台国があったらおかしいのか(笑)

狗奴国が南だからか?
倭人伝の方角記事が正しいという証拠はあるのか(笑)
それに鹿児島にも南北はあるぞ(笑)
北に邪馬台国、南に狗奴国。これで何の問題もないが(笑)
743日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:50:06.58
初期の弥生人は江南から山東、半島南部にいた稲作民。漁撈にも長けた民族。大国主、銅鐸、海人族。
西暦一世紀に半島南部から、天孫族が松浦川を北上し侵入し、佐賀平野西部から、東部、筑後川流域を支配。
久留米付近を本拠地とし、これが邪馬台国。邪馬台国王族の支流で伊都国王の庶流のイワレヒコが東征。
大和王権を樹立。記紀にみられる高天原とは久留米付近にあった邪馬台国を指す。ただし、一部は半島やそれ以前の伝承を高天原とする場合あり。
景行天皇の頃、邪馬台国は大和王権により掃討される。熊襲の記述の一部が該当する。これ以外に記述はなく、邪馬台国王族は消滅し、系譜等はない。
744日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:15:06.43
>>743
邪馬台国が九州にあって、畿内の大和政権も九州の邪馬台国の出・・・だと
畿内の文化の主流は九州の文化で、畿内の土着文化はほんの少しの痕跡しか残っていないはず

・・つまり、

近畿の方が石器の消滅が早く、鉄器の本格的な普及が早い
方形周溝墓は近畿から九州へも移動するが、九州の墓制(支石墓など)は近畿には普及していない
近畿や吉備の人々の九州への移動は確認できるが、逆にこの時期(3世紀)の九州の土器が近畿および吉備に移動した例はない

畿内の文化の主流は畿内の土着文化で、そこに九州の文化がほんの少し残っているだけという【現実】が説明出来ないのよ

【現実】が説明出来るのは

九州から畿内を征服した勢力も、もともとは畿内の土着勢力だった・・つまり、
九州から畿内を征服した勢力は、一度九州に出て、九州から戻った出戻りだった・・
だから、畿内の文化の主流は畿内の土着文化で、そこに九州の文化がほんの少し残っているだけ

邪馬台国は畿内だった・・じゃないとムリ
745日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:34:22.53
>>741
神武東征は1世紀のこと、奴国の全盛期だろうな。
一弱小部族のリーダーが、九州を離れ各地を流浪した挙句、正面から畿内に入ろうとしてけちょんけちょんにやられ、それでもあきらめきれずに裏口・・・熊野から吉野を経て葛城あたりにようやく居住の地を得た。
欠史八代は崇神天皇の代にようやく王と呼べる地位を得るまでの、一部族時代の直系当主を羅列したもの。王の系譜ではなく単に親→祖父→曽祖父と直系を遡っているだけ。
だからすべて父子相続も頷ける。この八代は姻戚により勢力を拡大(これも結構大事だが)以外のこれといった事績がなかっただけで決して捏造ではない。単に捏造するならもっと世代を増やして整合性をとれるはず。
家康の前の小領主だったころの松平家の代々の当主の事績が多く語られないのと同じ。
746日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:41:10.48
例の、ユダヤ教徒って、
守護神と守護霊なんだろうな・・・
天狗、ユダヤレビといったとこか?
747弓矢:2014/01/15(水) 22:44:03.14
ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!
ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!

サーテーンサタンクロス
748日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:44:30.19
>>745
いや、
畿内の文化の主流は畿内の土着文化で、そこに九州の文化がほんの少し残っているだけという【現実】
なんだから

畿内にあったのが邪馬台国だった・・にしても、邪馬台国じゃなかった・・にしても
どっちにしても

畿内で大和政権を成立させたのは、【畿内の出の人】・・じゃないとムリ

【九州の出の人】が畿内に移り住んで大和政権を成立させたなら、
畿内の文化の主流は九州の文化で、畿内の土着文化はほんの少しの痕跡しか残っていない・・に現実がなっていないとおかしい
749日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:53:27.83
つまり

邪馬台国は九州・・という立場をとるのであれば
邪馬台国と大和政権は、全く別、邪馬台国が大和政権に変わったわけではない
・・を基調に、論を組み立てなければならないし

邪馬台国は畿内・・という立場をとるのであれば
邪馬台国と大和政権は、おなじで、邪馬台国が大和政権に変わったのだ
・・を基調に、論を組み立てなければならない
750日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:58:16.32
>>749 訂正

つまり

邪馬台国は九州・・という立場をとるのであれば
邪馬台国と大和政権は、全く別、邪馬台国が大和政権に変わったわけではない
大和政権の祖先はどちらかといえば、邪馬台国に敵対していた狗奴国

・・を基調に、論を組み立てなければならないし


邪馬台国は畿内・・という立場をとるのであれば
邪馬台国と大和政権は、おなじで、邪馬台国が大和政権に変わったのだ
九州にあったのは、邪馬台国に敵対していた狗奴国

・・を基調に、論を組み立てなければならない
751日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:03:18.60
>>748
たしかにそのとおり。イワレヒコは九州の文化を多く持ち込んでいない。大挙して畿内を制圧したわけではないからね。
むしろ当初は僻地に居を構え畿内の文化と同化しながら勢力を徐々に増していったと考えるべき。
そうしないとすぐに潰されていたはずだと思う。

つまり九州の田舎(当時はどちらが先進だったのか謎だが)出身の人物がいて(神武)、それが当初小勢力だった故に、周辺の文化に迎合しながら畿内の旧勢力の支持を取り付けて最終的に豪族連合の長になったということだろうな。
752日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:08:31.94
>>751
ぜんぜんそのとおりじゃないよ(笑)

九州の人が、畿内で権力者になった・・なら
畿内に残ってる文化の主流は九州の文化で、畿内の土着文化はほんの少しの痕跡しか残っていない
・・に現実がなっていないとおかしい

神武はあきらかに「畿内の人」
753日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:09:20.78
畿内説のおこちゃま考古学者さんたちには

みるもの何でも前方後円墳に見えちゃうわけで

これはいわば「そらめめ」というやつだろ

まきむく型なんちゃらとかってほんと妄想の産物だな

えろく杜撰にやらかしているだけだしね
754日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:12:31.74
「都於邪靡堆(大和) 則魏志所謂邪馬臺(邪馬台)者也」
755日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:15:02.42
>>752 訂正

>>751
ぜんぜんそのとおりじゃないよ(笑)

九州の人が、畿内で権力者になった・・なら
畿内に残ってる文化の主流は九州の文化で、畿内の土着文化はほんの少しの痕跡しか残っていない
・・に現実がなっていないとおかしい

畿内に残る代表的な遺跡の痕跡のほとんどが、九州文化を踏襲したモノで、独自文化の痕跡はほとんど見つからない
・・になっていないとおかしいんだ

神武はあきらかに「畿内の人」
756日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:25:45.77
だけど、神武には、日向・・つまり、九州で
九州の娘を嫁にして、子供も作ってる・・・・

っつーことは、東征は

なんらかの事情で九州に追いやられて、九州で生活していた「畿内で産まれ育った人」が
ある時、武力で、畿内に戻った

っつー話なんだ
757日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:26:24.86
>>752
だから・・・九州出身の人間が畿内で成功するためには、1)大挙押し寄せて先住民を蹂躙する。2)ひっそりとやってきて周辺と迎合しながら徐々に大きくなる
この2つの方法があるわけでしょ。 記紀には(1)であったとは書いていない。つまり(2)の、周辺と同化しながら何代にもわたって徐々に勢力を拡大したわけでしょ。

たとえば九州人が東京で成功するためには東京と同化する必要があるのと同じ。

この場合天孫族は出自が九州というだけで文化は畿内の伝統をほぼ受け継ぐことになるともうけど・・・

記紀の編者にとって天皇家が九州出身であったと捏造するメリットはほとんど何もない。
彼らがマイナスイメージにしかならないと思えるこの記事を書かざるを得ないということはやはりこれは編纂当時の常識ともいえる事実だったんだろうな。
758日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:36:13.07
>>757
どうかな

権力を掌握するまでは、確かに、周辺と迎合しながらひっそりとやる・・かもしれないが
権力を掌握してしまったら、もうその必要はないから、出自の文化を踏襲した国に変えるはずだよ

お墓・・なんか、まさにその筆頭
必ず「自分が産まれた所の文化のお墓」にする

なんたって、選挙で選出されたワケじゃ無く【武力制圧】した王様なんだから
759日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:48:09.02
>>609を修正
欠史8代の天皇は、西晋の皇帝とは奇妙に一致する。一部は同一人物か?

4.懿徳天皇=司馬懿は、司馬炎によって、高祖宣帝と追号された。
※中世の『古今和歌集序聞書三流抄』には、天皇が出雲に行幸して、素戔嗚尊に出会うという逸話が見える。 司馬懿を模した 架空の天皇だろう。

天足彦国押人命 (スサノオ=帥升か?) =司馬師は、司馬炎によって、世宗景帝と追号された。
※ここで、司馬師(スサノオ)により出雲征服。

5.孝昭天皇=司馬昭は、司馬炎によって、太祖文帝と追号された。

6.孝安天皇(孝昭天皇の次男)=西晋世祖武帝司馬炎、字は安世。

7.孝霊天皇(孝安天皇の子?)=初めて日本に舞い降りた天皇ではないかと考えられる。

「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、考霊が初代。

つまり、「孝」の付く天皇は、殷王朝を起源とする司馬一族ということだ。
760日本@名無史さん:2014/01/15(水) 23:49:53.71
そしてそれは、お墓だけじゃなく、その後の人事・・にも現れている

神武が死んだ時、神武には

神武が北九州狗奴国にいたときに、九州の人の娘との間に作った子のタギシミミと
神武が畿内で天皇になってから、出雲のコトシロヌシ娘との間に作った子のカムヌナカワミミ
がいたんだけれど

九州の人の娘との間に作った子のタギシミミを「反逆者」としてバッサリ切り捨てている

これは、神武が元々畿内で生まれ育った人間で、
権力を掌握するまでは、確かに、九州と迎合しながらひっそりとやってたけど
権力を掌握してしまったら、もう九州には用は無い・・・ということ

もしも神武が九州で生まれ育った人だったら
神武が畿内で天皇になってから、出雲のコトシロヌシ娘との間に作った子のカムヌナカワミミのほうが
「反逆者」としてバッサリ切り捨てられているはずだよ
761日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:01:24.90
漢や魏の時代、中国から見た倭国は九州
だからってこともないが、中国の文献には出てこないだけで
畿内に、地方を順次統一している最中の強大な勢力があった
その勢力は地方を統一している最中だから
当然中国には興味がなかっただけ(誰もわざわざ中国の都に行く必要がなかった)

邪馬台国は土人の村国
卑弥呼はその酋長
それだけのこと
762日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:12:38.97
>>761
うーーーん・・・

後漢の時代の中国にとっての倭国は「漢委奴國王」で、確かに九州だろうけど
魏の時代の中国にとっての倭国は「親魏倭王」で邪馬台国・・・っつー話しなだけだから

九州の「漢委奴國王」が、「親魏倭王」になったのか
それとも、九州の「漢委奴國王」以外の地域の国が、魏になってから「親魏倭王」になったのかは
わからないよ

俺は、出雲を併合して九州の「漢委奴國王」に対抗出来る勢力になった畿内の邪馬台国が
九州の「漢委奴國王」に変わって、後漢から魏に変わった中国から、「親魏倭王」として
倭国の王様として認められた・・・・と思ってるけど・・・・
763日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:25:55.10
>>758

お墓・・・大和王家は各地の文化を取り入れ「前方後円墳」を王家の墳墓として採用し、その影響力の象徴として全国に造営させた。
これは、九州方式の墳墓ともいえないが一方で畿内伝統の墳墓でもない。

いわゆる各地融合型の新しい墳墓である。

逆に天孫族が畿内土着勢力ならば、従来型の墳墓を構築すればいいだけで新しいタイプを造っているところがかえってひっかかるよね。

初期の大和朝廷は(神武期・・・このころは一辺境部族・・・じゃなくて崇神のころだよ)各地の豪族の緩やかな連合政権、決して天孫家の独裁政権じゃなかった。
でも、副葬品などに九州臭が・・・また宇佐なんかはそれこそおっしゃる通りの権力掌握後の九州回帰事例。

とにかく先ほども書いたとおり、記紀がメリットのない記載をしているゆえにこれだけは事実なんだろう。

もちろんこれを以て邪馬台国東遷(ありえない)を主張するつもりもないし、邪馬台国の所在を九州と論じるつもりもない。
ただし、畿内論にも問題があるためにいまだ限定できないでいる。
764日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:26:55.30
なんたって、後漢から変わった魏は内外に
「権力者が変わったこと、権力を掌握したことを示さないと」
ならないからね・・・

そのためには倭国の王様を、後漢が任命した、九州の「漢委奴國王」から
九州じゃ無い、別の地域の国に任命して、変えちゃうのが一番
765日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:31:14.25
>>763
九州の墓制は支石墓で、近畿には普及していない
近畿は方形周溝墓で、九州へも移動している

もしも神武が九州の人だったら
九州の支石墓が、近畿に普及してるはず

なんたって【武力制圧】した王様なんだから
766日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:35:57.37
>>762
まぁなんとなくその考えもわかるんだけど
やっぱ中国に渡っていく道程考えると、まず九州なんだよね
で、ちょっと時代が飛ぶけど白村江の戦いがある
あれ、実は倭国(九州)から戦いに行っただけで
中大兄皇子は殆ど関与してないんじゃなかろうかと思うんだよ
後に九州に太宰府置いたのも
半島見据えてのことだけじゃなく
昔に勝手に倭国の王を名乗ってた九州土人(それを大和政権が知っていたかどうかは怪しいけど)、
その、とりあえずちょっとした勢力を持っていた九州土人を監視する役割の方が強かったと思ってる
767日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:39:22.57
だから、もしも神武が九州の人だったら
九州の支石墓を(お墓だけじゃなく、王様が作る大規模建築や儀礼などを)近畿に普及させ

畿内の人々に、権力者が九州の人に変わったこと
畿内の人に変わって九州の人が権力を掌握したことを示さないとおかしい
768日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:44:39.65
神武って、数十人で畿内に乱入して、わずかな領土を得ただけの小領主でしょ。
そんな人間の風習文化が畿内全域に広まるわけ無いでしょ。
769日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:47:13.75
>>764
え?
逆だろ
前の勢力を滅ぼした上で自分達の力を示すんなら、特に強国である当時の中国なら
「お前らも俺達を敬うよな?」
って、元々親交のあった諸国にはそう触れて回るだろ
770日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:48:20.63
>>765

>>なんたって【武力制圧】した王様なんだから

ここがさっきからおかしいんだよね。
神武は葛城地区の片隅に領地を得ただけ。多分畿内を完全制覇なんかしていないんだよ。

神武のころ(多分1世紀か2世紀初め)にはほんの弱小で纏向のころにようやくヤマトを掌握した。それ他各部族との離合集散により有力部族を排斥する形でね。畿内に大きな武力闘争の爪痕は見当たらない。

記紀の皇統の勇ましい部分は大いに割り引くべき。一方で皇統にとって好ましくない表現は多分歴史的事実を何らかの形で反映している。

>>もしも神武が九州の人だったら
九州の支石墓が、近畿に普及してるはず

これもそうとは言い切れない。
1)イワレヒコが九州のそれほどの有力部族でなかったら支石墓に拘らない可能性はある。
2)10代近く畿内文化に迎合する中で埋葬方法が変わることは十分ある。

とにかく、神武が九州から流れ着いたという事実は消せないからそれを壮大に脚色しつつ書いているんだよ。
771日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:48:37.28
>>766
それは、一番近い所だったはずだ・・という思い込みだと思うよ

例えば、魏志倭人伝には「倭国には文字がない」と書かれているけど
同時代の関東からは文字が書かれている土器が発掘されている
東北でも、北回りで大陸と交易していた痕跡が見つかっているし
邪馬台国は、大陸に船が行く時、大陸から船が来る時
積み荷があっているかどうか、邪馬台国の役人がちゃんとチェックしている

教科書では挿絵とかで、なんかこの時代の日本は、文字も使えなくてウホウホ言ってるだけの倭人しかいなかった
・・みたいなイメージ作られるけど(^_^;

実際は、今の日本と変わりないぐらい、モノの行き来も、人の行き来もあったんだよ

つまり、中国に渡っていく道程考えると、まず九州・・なんて時代は、とーーーっくの昔に過ぎちゃっていて
すでに、中国に渡っていくのには、どこからでもかまわない・・・っつー時代になっていたんだ
772日本@名無史さん:2014/01/16(木) 00:56:50.33
>>699
何の説明にも証明にもなっていない。
773日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:05:14.12
>>769
魏が後漢に攻め入って、滅亡させて成立した・・ならね
魏は後漢から、権力を禅譲させて成立した国だから
「なーーーーんだ、後漢の時と一緒じゃん」って思われることは
内外的に避けなければならないんだよ

じゃないと、禅譲されたは良いけど、国が変わらない・・・


>>770
それだと、天皇だーーー、なんて言えないよ(笑)
言ったとたん殺される(笑)
774日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:11:16.02
>>735
>卑弥呼は鹿児島かどこかにいたことになるのである。

鹿児島は関係ないよ。
熊襲は姫氏だか゜、
姫氏の本拠地は福岡の山門郡か熊本の菊池山門だ。
卑弥呼がいたのは福岡の山門郡で
熊本の菊池山門は狗奴国の勢力。
775日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:12:24.69
半島〜九州なんて日常生活圏だな。
倭人伝でも島同士行き来してると記述されてるし。
九州じゃとても遠方の国とは思えないだろ。
776日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:14:52.94
それにね、神武が九州から来た人では無い・・とは、俺も思っていない

九州で結婚し、子供も作っていた・・というんだから
「九州で生活していて、九州からやってきた人」
というのは確実だろう

しかし
「九州で生活していて、九州からやってきた人」
だからといって、九州の土着の民族だった・・とは限らないと言っているんだ

むしろ、文化の伝播などから
「九州で生活していて、九州からやってきた人」だけど、畿内の土着民族だった
・・というほうが、整合性があると言っているんだよ
777日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:38:48.17
>>771 訂正

>>766
それは、一番近い所だったはずだ・・という思い込みだと思うよ

例えば、魏志倭人伝には「倭国には文字がない」と書かれているけど
同時代の関東からは文字が書かれている土器が発掘されている
東北でも、北回りで大陸と交易していた痕跡が見つかっているし
邪馬台国は、大陸に船が行く時、大陸から船が来る時
積み荷があっているかどうか、邪馬台国の役人がちゃんとチェックしている

教科書では挿絵とかで、なんかこの時代の日本は、文字も使えなくてウホウホ言ってるだけの倭人しかいなかった
・・みたいなイメージ作られるけど(^_^;

実際は、今の日本と変わりないぐらい、モノの行き来も、人の行き来もあったんだよ

つまり、中国に渡っていく道程考えると、まず九州・・なんて時代は、とーーーっくの昔に過ぎちゃっていて
すでに、中国に渡っていくのには、どこからでもかまわない・・・っつー時代になっていたんだ

だからこそ、魏志倭人伝には、魏が「親魏倭王」という倭国の新しい王様にした
邪馬台国という「新しい国への行き方」を聞かれて、その「新しいルート」が書かれている

もしも「親魏倭王」の邪馬台国が、それまでの、九州の「漢委奴國王」が変わっただけの国で
倭国に行くルートもひとつだけで今までと変わらない・・・ならば

行き方なんか聞く必要もないし、書き残す必要もない
778日本@名無史さん:2014/01/16(木) 01:52:33.06
日本書紀が編纂された時に、卑弥呼の話が出てこないのが一番の疑問だと思ってる。
もし神武天皇が実在の人物だったとしたら、邪馬台国は九州にあったと考えられ
邪馬台国なんか知らない国だったと思う。
もし神武天皇が架空の人物だったとしたら、邪馬台国は畿内にあって大和となったと考えられ、
もちろん卑弥呼の存在も知ってはいたが、何らかの理由(あくまでも長は天皇でなければいけなかった等)で載せなかったんだろう。
779日本@名無史さん:2014/01/16(木) 02:45:09.51
>>778
日本書紀は全三十巻あって漢文・・つまり、古代中国語で書かれてるんだけど、

一巻アマテラスから十三巻第20代安康天皇までは、中国語じゃ読めないどころか
文法も間違っていて、当時の中国語には無い「和製中国語」も随所にあって、
現代の日本語に翻訳するのすら難しいんだ

でもそれが
第十四巻雄略天皇から第二十七巻天智天皇になると、とたんに古代中国語で読める、きちんとした漢文に変わる

んで、第二十八巻天武天皇から第三十巻持統天皇になると、また、めちゃくちゃな漢文になっちゃって読めなくなる

つまり、アマテラスや天孫降臨などの神話は、後から書き換えられたモノなんだよ

もしかしたら、書き換えられる前の日本書紀には、卑弥呼・・とか、出てきたかも知れないね(^_^;
780日本@名無史さん:2014/01/16(木) 03:17:26.63
日本書紀は第40代天武天皇が編纂を命じて「漢文」で書かれていて720年に完成

古事記は第43代元明天皇が編纂を命じて「やまと言葉」で書かれていて712年に完成

書き出したのは日本書紀のほうが早いけど、
出来上がりは、あとから書き出した古事記のほうが早い

古事記を書いた時に、日本書紀の第一巻から第十三巻に書かれていた
邪馬台国や卑弥呼の記述は、
高天原やアマテラスの神話に変えられちゃったんだね・・
781日本@名無史さん:2014/01/16(木) 08:51:22.40
いやそうじゃない。そもそもヤマトに伝承していた中に邪馬台国や卑弥呼などは全くなかったのですよ。
ヤマトが九州を征服して、中国の記録が入ってきて邪馬台国のことなどわかったのですよ。
782日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:00:22.02
神話期の話はアマテラスがハエイロネ。
スサノオが孝霊天皇+吉備津彦だな。
天の岩戸でハエイロネはモモソに交代している。
783日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:06:26.30
神武は5世紀
784日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:14:52.95
あ〜禅定ってそれ関係臭いもんな
王権を譲り受けるってのは聞こえがいいが要は
不穏な空気になってきてどうしようもなくなって
きて自分は逃げて(亡命)違うやつにあと任せるって
感じか?
古代中国関係これくせえな〜
殺されるよりマシだもんな
785日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:21:21.36
783
応神、崇神は何世紀?
786日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:24:55.95
聖徳太子周辺の逸話が三〜四世紀の反映だな。
787日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:29:27.98
例えば任那なんて言葉がでてくるけどこれなんて逃げる気満々な感じを受けるのは気のせいか?w
あとに残ったお前は殺されてくれo(^_^)oなんて酷い感じを受けるわ

占ってみました|( ̄3 ̄)|
788日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:33:09.88
始皇帝=文字道理
瓊瓊杵尊=天孫=孫子

でしょう?

日本と中国、世界と日本って、どういう関係だったんだ?
大日本帝国なわけだから、
じゃあ、原日本人は、だれだったんだろうね?
789日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:37:25.87
占い師

中国が帝国で統治で日本が神祇の国なら大陸に影響与えていた占い関係
790朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 09:41:32.39
>>774
べつに知りたいわけではないが、

>熊襲は姫氏だが

この根拠を書いてもらえるとありがたい。
熊襲が姫氏だというのは松野氏系図にそうなっているだけである。
他にも根拠があるならそれを挙げてもらいたい。

>姫氏の本拠地は福岡の山門郡か熊本の菊池山門だ。

この根拠も提示してもらいたい。

ここの参加者全員に言えることは、ここの連中の書いていることは
一から十まで空想だということである。
べつに空想が悪いと言っているわけではないが、学問的な裏付けのない、
素人的な空想だということである。

高天原は大和で、ニニギは最初は大和にいた、という説は昔からある。
しかしそういう説を唱えた学者は、主に文献資料を根拠にそういう説を唱えたのであって、
古墳とかの考古学を根拠にはしなかったのである。

ここの連中は支石墓とか前方後円墳など考古学でそれを論じようとする。
支石墓や前方後円墳の年代さえ不明なのに。
おまけに神武の年代を勝手にいろんな年代に設定し、あまつさえ、
記紀のここは嘘だとか、ここは創作だとか、勝手な空想を恣にする。

そんなのは学問ではないのである。だから、名大生がいた頃、
彼はよく嘲笑していたものだ、「そんなの、学問でも何でもないわw」と。
名大生の言はまったく正しいのであって、たとえば>>782など空想以外の何物でもない。
こんなものは世のまともな人々には一顧もされないのである。
791日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:42:21.30
大陸の皇帝たちが統治していて統治関係に占いを利用していたくせえけどな

そんでうまくいかず殺されそうになったら禅定という形のドロン(消える)o(`ω´ )o
792日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:44:23.15
と、名大生は自画自賛をするのでした。
793朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 09:45:47.37
>神武は5世紀
>聖徳太子周辺の逸話が三〜四世紀の反映だな。

こんなのも空想以外の何物でもない。
ここの連中はこういうヨタ話を書いて面白がっているのである。
794日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:46:33.11
ミコトノリなら占い関係になるもん|( ̄3 ̄)|
795日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:47:58.70
>>793
その空想の書き込みをめちゃくちゃ気にしてるクセにw
796日本@名無史さん:2014/01/16(木) 09:50:03.84
まぁ聖徳太子の伝承の矛盾は、大半の人が気が付いてるだろう。
あれは元ネタがあるからな。
797朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 09:56:31.46
聖徳太子非実在説の大山某なんてド低能の見本のような学者だ。
その学者のアホ説を>>796のようなド低能が信じる(笑)

なにしろこの男は南解次次雄は中筒男だ、とか、非時香菓はバナナだとか、
古代人の平均寿命は三十才代だったとかを真に受けているド阿呆だから救いようがない(笑)

で、こういうド阿呆が朝から晩まで年がら年中2chに張り付いているのであるw
798日本@名無史さん:2014/01/16(木) 10:29:33.04
>>790
学問的裏付けってなんだ?
そんなこといったら古事記や日本書紀の内容まで本当になってしまうぞ?
理由があってそう書いてある記事を、
推測力、想像力でより真実近づけるのが史学だろ?
書いてあるそのまんまでいいなら、ただ伝承をそのまま読んでるだけじゃん
わかったか?ちょん並みのユダヤ教徒!!
799日本@名無史さん:2014/01/16(木) 10:31:54.53
>>797
>聖徳太子非実在説の大山某なんてド低能の見本のような学者

俺はそんな学者全く知らんぞw
某神社の伝承話で聞いたまで。もう故人だがね。
お前の知らない系図や伝承の類なら、まだまだ手元にある。
葛木の伝承では絶対出せないような話もあるしな。
800日本@名無史さん:2014/01/16(木) 10:34:33.76
古代人か?
まあ殺しまくりだったらそうなるわな
801日本@名無史さん:2014/01/16(木) 10:37:20.98
葛城、三輪、和気の話がまた燻ってきそうな感じやね|( ̄3 ̄)|
802朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 12:36:42.44
>>798
お前はパカかw
お前のレスを読むと、お前が記紀は嘘だと考えているのが分かる。

記紀が嘘だというなら、それを証明してみろ。
邪馬台国論争なんかどうでもいいから、
記紀が嘘であることを一生かけて立証してみろ。

それができないなら、記紀は嘘だなどと安易なことを言うな。
もっと真剣に歴史と向き合え。
記紀はお前らのようなアンポンタンが弄ぶ玩具じゃないぞ。
803日本@名無史さん:2014/01/16(木) 12:44:56.74
>>790
>熊襲は姫氏だが
この根拠を書いてもらえるとありがたい。

1)【系図は呉王夫差から始まる。次が忌である。九州に移住してきた王が忌である。忌が日本での最初の王である。】
2) 始祖忌は姫(倭)
3) 忌より数えて九代あとの熊鹿文
4)熊鹿文が熊襲のはじまり。
(松野連姫氏系図から)

以上から熊襲=忌氏、姫氏、松野、鹿文 その他にも現在では松延、稲員なども多数あるという、
鹿児島は薩摩隼人であり、熊襲がいたという話はここのトンデモ以外では聞いたことがない。

>姫氏の本拠地は福岡の山門郡か熊本の菊池山門だ。
この根拠も提示してもらいたい。

1)「姫氏」は、紀元前473年に火の国(肥の国)山門郡(現在の福岡県八女市の南西)周辺に渡ってきた。
2)「忌」のところに「孝昭天皇三年来朝。火の国山門に住む。菊池郡」とある。
(松野連記録から)

以上から福岡県山門郡に移住してきたが、忌のころは熊本菊池山門に忌の支配層が住んでいたらしい。
804日本@名無史さん:2014/01/16(木) 12:51:20.85
>>802
ほう、記紀(古事記と日本書紀の総称)を実話だとお思いで。
じゃあ、古事記と日本書紀で、意見が食い違ってる箇所は、どう説明するのかな?

要するに、
古事記は末法(現在)の世界、日本書紀は、末法の代の日本の予言書さ。
おまえ、純正日本人じゃないから、わからないだろう。w
古事記の、ういじに、すいじに何鱈って箇所は、
聖徳太子が、末法に飢え死に、水不足その他を予言したのさ。
ちなみに、湯津岩村とは、戦場。

だから、日本は白兎に救われるんだろうな。
要するに、出口鬼座ブロウの、霊界物語みたいなもんさ。
これに、聖書も合わせ鏡になってるから、
おまえの読解力で読んでみな。www
805日本@名無史さん:2014/01/16(木) 13:20:31.58
朝鮮日報のようなバカが、偏った資料しか見ないから、
極端な誤解をしてトンでも論になってしまうのがよく判るなw
806日本@名無史さん:2014/01/16(木) 14:15:09.16
だから九州は大陸の争いから逃げてきたやつらが立てこもったって話をどこかでみたぞ
日本書紀も古事記も順番自体がおかしいような感じもするけどな
807日本@名無史さん:2014/01/16(木) 14:17:58.11
山東半島の方と遺伝的に近似の人らがいたんだよな
808日本@名無史さん:2014/01/16(木) 14:19:48.00
まあ日本書紀も古事記も書かれたの800年代だからな
そのあと1050年からがまた臭いがね|( ̄3 ̄)|
809日本@名無史さん:2014/01/16(木) 15:07:14.34
>>790
【「姫(き)」という氏族名は、『十八史略』に「呉は周と同じ姫姓の国」とある通り、周王朝に係累している。
「忌」(呉王夫差の次の代、つまり渡来一族の初代首長)の時
「姫氏」は、紀元前473年に火の国(肥の国)山門郡(現在の福岡県八女市の南西)周辺に渡ってきた 】

以上から
卑弥呼邪馬台国は呉の子孫であるから字の読み書きができたのである。
これにより、大和朝廷が字を知らなかったはずの卑弥呼の時代に
還到録受とか
倭王因使上表答謝詔恩
因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之奉詔書印綬詣倭國
など、字を読むことができたような記述も納得できるし、
何百年も前のことを記録できたのである。
810日本@名無史さん:2014/01/16(木) 15:09:32.67
姫性の呉というのは遺伝子的にも根拠はあるな
811朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 15:22:37.48
>>803
だからそれは松野氏系図が根拠じゃないか。
それ以外の根拠はないのかと聞いているんだ。

>>804
お前がド低能であることはよ〜く分ったw
オカルトスレにでも行くか、パチンコでもして遊んでろ。
学問をやるような人間ではないw
812日本@名無史さん:2014/01/16(木) 15:28:43.65
悪いな。
俺は九紫火星、学問の星。
家系が菅原だから、
さしづめ文章博士、明道(学だっけ)博士、史学博士(なんつったっけか)
あたりじゃねえ?wwwwwwwwwwww
813日本@名無史さん:2014/01/16(木) 15:47:19.90
満州はグダグダ言ってないで、
はやく邪馬台国八幡平説を立証しろよ。
814日本@名無史さん:2014/01/16(木) 15:51:08.42
学問かあ
釈迦族問題が根底にあるなら下手に応用で威張ってると海外から狙われるぞ
815日本@名無史さん:2014/01/16(木) 15:55:45.82
まあ楚国は金家に乗っ取られたってあったから金持ちの連中もそれを悪用してる臭いけどな

むつかしい問題だねえ|( ̄3 ̄)|
816日本@名無史さん:2014/01/16(木) 16:23:27.47
シナヤンとイスラム原理教はあるところで行動が一致しているからな
817日本@名無史さん:2014/01/16(木) 16:57:42.34
完璧なキチガイのスレになった
9割がた満州のせいだ
818日本@名無史さん:2014/01/16(木) 16:59:49.27
>>811
高良大社の祭神・高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の末裔であり、
歴代の高良玉垂命が倭の五王であったという稲員家に残る文書だけだ。

天皇家や本物であることを証明する市役所の印のある文書などを期待しても無駄だ。
819朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 17:19:24.80
>家系が菅原だから

プッ(爆笑をこらえる)、家系が菅原ならさぞかし良い大学を出ているのだろうw
もしよければ大学名を聞かせてもらいたいものだw

ところで、お前、もしかして、雑誌ムーとか関裕二しか読んでいないんじゃないのか(笑)
でなければ>>804のような頭のイカレタことは書かんぞ、普通(笑)

相当重症だから早めに松沢病院で診察してもらった方がいいぞ(笑)
でないと太国や稗箕狐より早く入院しなければならないことになるぞ(爆
820朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 17:35:53.82
高良玉垂命か。以前どこかで読んだが、みんな忘れてしまった。
その文書に熊襲は姫氏だと書いてあるのか?

まあ、こういうことは稗箕狐が詳しそうだから、稗箕狐に聞く方が早いかな。
しかし奴はポクに反感を持っているだろうから、教えてはくれないだろうな(笑)
誰でもいいから、熊襲は姫氏だと書いてあるその文書を上げてくれ。
821日本@名無史さん:2014/01/16(木) 17:41:42.38
高良玉垂命は九州以外から来てるしな。
822日本@名無史さん:2014/01/16(木) 17:45:39.48
朝鮮日報か〜
さて精神病ビジネスも大詰めを迎えてるのかね〜
隠しもしないからな、さてさて
823日本@名無史さん:2014/01/16(木) 17:59:17.44
高良玉垂命は、高良山に宮を構える前は、
高良台の上津天満宮に住んでいた。
ここから松の苗を運んで、高良山に植えたと言われている。

さらにその前は、三潴の大善寺玉垂宮にいたとされる。
この宮の横には、三潴の君と推測される、
巨大な円墳とバチ型の古墳がある。
御塚権現塚古墳である。
824日本@名無史さん:2014/01/16(木) 18:04:34.11
大善寺玉垂宮は、広川と上津荒木川の合流地点にある。
上津荒木川を遡ると上津天満宮であり、
広川を遡ると、岩戸山古墳群である。

どちらも4〜5世紀とされている。
825太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/16(木) 18:21:13.52
このスレの巣韓句 巨象根具はすでに手遅れの稀代のデ○パ!

なお卑弥呼は巣韓区にはいない。
826太国 ◆yVAs7uaYlY :2014/01/16(木) 18:30:36.94
>>825 訂正
× なお卑弥呼は巣韓区にはいない。
○ なお卑弥呼は半島にはいない。
827日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:12:54.20
>>819
神奈川大学経済学部貿易学科(偏差値59)トップ合格。
828日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:16:52.93
ああ、そうだった。
受験偏差値って、操作されてんだってなあ。
それと、学問、学術に順番なんてつけられないとも。
立教と青学と明学、
どれか極めて学業成績が高いなんて言えるか?
829日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:19:44.08
ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!
ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!ユダヤ教!

サーテーンサターンクロス
830日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:23:55.02
このスレ、なんかここ2日間くらいで活気が出てきたな。
831日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:24:53.48
横浜蒔田ゆい訪問看護ステーションの浅野拡夫は、
天主教か、大山ねづに入っている。
名前が変。
832朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 19:38:56.81
神奈川大学。そんな大学があったのか、知らなかった(爆
そんな大学、太国でもトップ合格できそうだ(爆
833日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:45:15.93
高良玉垂命の正体を教えてくれ。
なぜ記紀に登場しない。
三種の神器も菊の御紋も七支刀も見え隠れしてるじゃないか。
834日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:46:01.99
>>768
数十人のわけないだろ…
東征先でも協力者もいるにはいたが、基本的に周りは全て敵と考えるべきで、
どんなに少ない見積もりでも近畿地方に10万は居る。
その中に数十人など基地外の沙汰。
上陸地点で現地の一般民に襲撃されて終わり。
最低でも1,000人は要る。
835日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:53:44.35
うそうそ、もっと少数。

夜中に熊野の獣道を登り、夜襲するなら100人以下じゃなきゃ無理。
836日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:13:49.14
834
最初から大和王権を作ったというより、最初支配したのは、一集落か、一村ぐらいだろ。
東遷したと考えるから無理があるんだよ。
ツングース諸族にみられる王権のない王族が新天地を求めるケースと同じだろ。
出身国の一大勢力を割くのは現実的じゃないだろ。
扶余を去って高句麗をたてたチュモンと同じと考えればいい。
勢力が広がったのは崇神あたりだろうよ。
837日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:24:15.01
>>835
>菟田高倉山之巓 膽望域中 時國見丘上 則有八十梟帥
>又於女坂置女軍 男坂置男軍 墨坂置○炭
>復有兄磯城軍 布滿於磐余邑
>賊虜所據 皆是要害之地 故道路絶塞 無處可通

100人以下でこんなのを討てるか
>>836
神武天皇が得たのは狭い範囲にしても、それをニギハヤヒなりの大和、畿内の王に認めさせたのは大きい意味があろうな
838日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:24:28.04
高良玉垂宮自身は筑後久留米の豪族だろうが、
景行天皇の話に組み込まれている。
839日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:33:38.95
837
然り。大きな意味がある。
ただ出発して二年かかっている。
大勢力を食わせるられる持参金を本国を出してくれるだろうか。
わからん。
840日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:42:38.59
>>838
だが伝承は高良山を一夜貸して来れといって、
そのまま結界を張ったとある。
これは他から来たという事だよ。
841日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:52:01.33
840
不思議なのは、麓に降りた神は高木神なんだよ。
高木神って、元々、高天原の指導神でしょ。
それが、明け渡した相手って誰だって感じ?
いろんな説があるようだけど、結局はっきりしていない。
842日本@名無史さん:2014/01/16(木) 21:11:04.21
高木神は、依り代(神木)さえあれば、どこにでも舞い降りる。
木の神、榊(さつき)は、どこの家の神棚にもある。

そんなことも知らなかったのか?
843日本@名無史さん:2014/01/16(木) 21:13:11.48
名二塁手
844日本@名無史さん:2014/01/16(木) 21:13:59.17
842
わからない。
教えて。
845日本@名無史さん:2014/01/16(木) 21:29:20.48
あまえんなよ。
846日本@名無史さん:2014/01/16(木) 21:54:04.85
>>832
おまえ、関東人じゃないだろう。
くにはどこだい?

じゃあ、お前の学歴を問う。
847朝鮮日報の満州:2014/01/16(木) 21:57:00.14
>>842の男の書いてることはくだらない俗説珍説アホ説だから信じる必要はない。
この馬鹿男はこういうアホ説ばかり学んでオレは知識があると思っているのである。

笑うべきド低能であるw
どうせジョーカーか四国説男か南解次次雄かバナナ男か平均寿命男であるw
848日本@名無史さん:2014/01/16(木) 22:08:38.47
霊媒師満州にも高木神は降臨するであろう。
そして、邪馬台国の真実を語るであろう。
高木神は美しい男けしょうが好きだ。
満州よ、化粧して美しくなれ。
849日本@名無史さん:2014/01/16(木) 22:31:18.86
某占い師によると、先生の経歴は最初に早稲田大学に入学するも数か月で中退。翌年名古屋大学に入学。
ここは卒業したか中退したかわかりませんが、それからアメリカの大学に留学しておられます。
850日本@名無史さん:2014/01/16(木) 22:50:52.96
ほい。
http://www.link-21.com/history/src/
真実の日本史
851日本@名無史さん:2014/01/16(木) 23:04:22.19
優秀な史学科の学生は、まちがっても邪馬台国問題には手を出さないから安心しな。
相手は、みな素人だ。
852日本@名無史さん:2014/01/16(木) 23:17:10.66
説明しなくても、答えは出ているはずなんだよな〜

化粧 日本 伝来
853日本@名無史さん:2014/01/16(木) 23:38:22.66
しつこいぞ。
タコ。
854日本@名無史さん:2014/01/16(木) 23:57:21.38
教えたでしょ

2〜3スレ前 「アフリカ起源?」のときだったかな
855日本@名無史さん:2014/01/17(金) 07:33:47.07
その昔名古屋を開拓したのは大阪の源氏
856朝鮮日報の満州:2014/01/17(金) 12:28:43.16
閑古鳥が鳴いているようだから、何か書こうか。

~功紀に羽白熊鷲という人物が登場する。空を飛ぶという怪人だ。
この人物は、熊襲だとは書いてないが、熊襲だろうということが分かった。

遼東に一時期置かれた蒼海郡。これはもしかしたら、
大凌河と遼河の間にあったのかもしれない。

襄平。これも元来は大凌河あるいは遼河の西にあったことは確実である。
ただし公孫淵の頃は今の遼陽あたりにあったと思われる。
857日本@名無史さん:2014/01/17(金) 12:54:06.19
関帝廟に祭られてる祭神のうち、
関平は養子、周倉は架空人物・・・
おまけに関索ですら架空扱い・・・
関家ってなんなんすかね
858風の中のゴキブリ:2014/01/17(金) 13:55:55.14
最近19歳名古屋がちょくちょく顔を出している
>>663>>851などは非常に怪しい

>>846
満州=夢幻如は新潟あるいは東北の人間だよ
859日本@名無史さん:2014/01/17(金) 17:00:35.75
852
やっぱり釈迦族関連か〜|( ̄3 ̄)|
まあ確かにやつらはいってみりゃ宗教書の翻訳みたいのやってたみたいだからな
仏教作ったのもこいつら臭い
860朝鮮日報の満州:2014/01/17(金) 17:28:01.43
はは、風ゴキはあいかわらずトコトン頭がイカレテいるな(カラカラ)
19歳名古屋は名前の印字が緑だったぞ(ケラケラ)

なにしろこの男は「この世は仮想世界だ」とかナントカ変なことを書いていたから、
アニオタかゲームオタのニートなのだろう(ゲラゲラ)

風ゴキよ、「この世は仮想世界だ」という思想を持っているなら、
ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」くらい読んでみろ。

あ、すまん、お前はそんな難しい本は読めないのだったな(爆
861日本@名無史さん:2014/01/17(金) 17:33:25.20
マンチューは少しジョギングでもするがいい
そして実りのない自分の人生について寒風の中で考えるのだ
862日本@名無史さん:2014/01/17(金) 17:35:46.36
哀心クラクラマンチュー
863日本@名無史さん:2014/01/17(金) 18:33:59.92
応用の元になってるの紐解けばまあやばいやばい

宗教っていっていいものかどうかは知らないがまあ顰蹙ものだねo(^_^)o


精神科ビジネスとか成り立ってるがこれが発生するのはある意味、異種交配関連臭いからな

無理にやったならこれ歴史的な罪過|( ̄3 ̄)|
864日本@名無史さん:2014/01/17(金) 19:12:21.15
白羽熊鷲こそ、大和に滅ぼされた邪馬台国の王族の後だろう。
865日本@名無史さん:2014/01/17(金) 19:51:41.10
アマテラスの墓は朝鮮半島南部にあるんだろうね。
866日本@名無史さん:2014/01/17(金) 20:18:13.71
アマテラス?葛城山中にあるよ。
867日本@名無史さん:2014/01/17(金) 20:41:10.75
>>523
>ところで、邪馬台国がヤマタイコクって読む根拠は?

まともな日本漢字音なら「ヤバタイ」または「ヤメダイ」だから、
いま通行している「ヤマタイ」という読みは俗音に過ぎない。

どうやら新井白石が犯人らしい。白石の著書のどれかに
「ヤァーマァータハーイ」という類の読み方が出ていた。
(正確な表記は忘れたが、「ハ」は小文字)
この読み方は白石の時代 (17世紀後半〜18世紀初頭) の中国音に違いない。
現在の北京音 yémătái の先行形と見られる。

いずれにしても三世紀の音を推測する根拠としては完全に無価値。
868日本@名無史さん:2014/01/17(金) 21:25:29.01
ヤマタイコクとは、オヤマ+イタコ+コク

つまりオカマの霊媒師の国と言うことだ。

天の岩戸の前で裸踊りをしたのは、トランス状態になったオカマだった。

オカマの多い地域といえば、日本中からオカマの集まる新宿2丁目を別にすればや福岡だ。

しかし、本場はタイ王国、邪馬台国はタイにあった。

ありきたりだが、それが真実。
869日本@名無史さん:2014/01/17(金) 21:27:23.34
もお やめたい ごく
870日本@名無史さん:2014/01/17(金) 21:47:32.58
方言で「あの国は、邪魔たい」といわれた国なのだ。
871日本@名無史さん:2014/01/17(金) 21:49:26.06
びょうきののやまいぢゃろ
872日本@名無史さん:2014/01/17(金) 22:06:27.82
邪馬台国とは、マサイ国、アフリカだろう。
873日本@名無史さん:2014/01/17(金) 22:08:20.51
870
鋭い。
ただ、それだと、ツシマたい、イキたい、マツラたい・・・になってしまう。
残念。
874日本@名無史さん:2014/01/17(金) 23:00:54.72
邪馬台国とは邪魔たい国。熊本弁由来ですたい。
熊本の細川元総理も都民から邪魔たいと言われながらも東征を目論む。
それを支援するのが小泉元総埋、つまり、出雲。

あの時と同じ構図じやないか。
875朝鮮日報の満州:2014/01/17(金) 23:10:33.74
邪馬壹 ヤマイチ ヤマイ
邪馬臺 ヤマダイ ヤマタイ

どうとでも好きに読めば良い。
しかし日本にこんな地名はひとつもないのである。
素直にヤマトと読めばよいのである。

どうしても気に入らないならヤマダとでも読めばいい。
そしてヤマダという地名を全国に探してみればいい。
しかし日本にヤマダという国名の大国はひとつもなかったのである。

素直にヤマトと読んで大和のことだと思えばいいのである。
しかし卑弥呼は大和にいたのではないのである。
これに気付いた者は、九州説か満州朝鮮説を真剣に検討すべきである。
876日本@名無史さん:2014/01/17(金) 23:25:05.51
>素直にヤマトと読めばよいのである。

馬鹿か阿呆か詐欺以外、ヤマトとは読めない。
877日本@名無史さん:2014/01/17(金) 23:27:31.03
邪馬壹の壹のは

壹大のの壹で

壹大率のの壹だし
878日本@名無史さん:2014/01/18(土) 07:54:29.47
3世紀の魏の発音で読めば良い。専門的に研究している方もいる。勝手な妄想
を振りまかないように。
879日本@名無史さん:2014/01/18(土) 08:17:05.96
何かオカルトスレのような内容になってるな
880サガミハラハラ:2014/01/18(土) 08:22:36.14
昔昔、九州にイト国(委奴国)というのがありました。(伊都国のことではありません)
邪馬という地域にあったので、後にヤマイ国となのりました。
中国人はそれに邪馬壱国と当て字しました。
卑弥呼という女王が中国に貢献して金印と親魏倭王という称号をいただきました。 
彼女はそれに感激をして、わが国は偉大な国であるとして、大という字をつけて
やま大委国(当時は大をダと発音)としました。中国人はそれに邪馬台国と当て字しました。
881朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 09:25:16.55
>馬鹿か阿呆か詐欺以外、ヤマトとは読めない。

そんなことはない。臺や堆はトと読めるのである。
眠呵堆はミカト、臺米はトメと読む。

どうしてもヤマタイとかヤマダイと読みたいならそう読めばいい。
そしてヤマタイ、ヤマダイという地名を探せばいい。

で、探して見つかったか? 見つからないだろ?
ピミらはいつまでそんな無駄な努力をしているのだ。
百年探してもそんなものは見つからないのだ。
頭が固い。頭が柔らかくない。発想が乏しい。要するに馬鹿である。
882日本@名無史さん:2014/01/18(土) 09:31:08.45
満州は頭が柔らかい。頭が硬くない。発想が豊である。要するに聡明である。
若者風の言い方をすれば天然である。
883朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 09:41:11.78


漢語拼音 dui
粵拼 deoi
朝鮮音 thoy
越南語 doi

これらから推測すると堆はドイである。
i は入声のような音だから発音されない傾向にある。
そうすると堆はドである。
ヤマドとはつまり大和である。

こういうことを考えるのが学問である。
語学辞典にタイの音しか載ってないからタイだ!とわめくのは
学問をやる人間のすることではない。
884朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 09:49:32.54


漢語拼音 tai 中古音doj
粵拼 toi
朝鮮音 tay

これらから推測すると臺はタイかトイかドイである。
堆と同じ理由でiやyは発音されない傾向があるからタかトかドである。
つまり邪馬臺はヤマトで大和である。
885日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:01:03.08
>>881
ヤマダイという地名ならあるんだけどな。
それも瀬戸内のド真ん中にね。
またモモソ姫とつながってしまうなw
886日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:09:21.30
やはり朝鮮人だから日本の古い地名には疎いんだろう。
ヤマダイという地名なら、以前は紀伊半島東部にもあった。
ここは痕跡が少ないのだが、東国へ渡るには重要な場所だったのだ。
つまり海からはここから船を降り
西へ行けばヤマダイに繋がっていた場所といえる。
887日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:17:30.33
現代音と古音の区別もつかない奴がいる。
無知だと言われてもアホだから理解できない。つける薬なし。笑ってやってください。
888日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:34:40.11
魏の時代、臺は、トイ、ドイと発音した。
だとすれば、香椎宮にほど近い福岡市東区に土井の小字地名が残る。
その隣の蒲田、この辺りがカマダ・ドイ国、つまり、蒲田土井=邪馬台国だったと考えられる。
889日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:39:50.46
蒲田土井=邪馬台国
こじつけがハンパないなw
890日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:41:41.63
>>888
案外そんなところだ。
891日本@名無史さん:2014/01/18(土) 10:53:04.92
いつの時代の話かわからないけど

平将門
892日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:03:24.06
この時代、朝鮮海峡を渡って魏まで朝貢できる情報力を持っに集団は、香椎宮の神功皇后以外なかろう。
神功皇后の三韓征伐から帰国した際、三種の宝を埋め、「永遠に本朝を鎮護すべし」と誓いを立てて鎧の袖の杉枝をその上に挿したものが綾杉の大木となったとされる。
帥升の位を継ぐ大宰帥に任じられた者は、香椎宮に参拝し神職からこの杉の葉を冠に挿されるのが恒例とされていた。

邪馬台国は蒲田土井国。ここまでわかれば、あとは遺跡を堀り当てるだけだ。
893日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:07:44.39
ま、五世紀ころの遺物がザクザクでてくるにちがいない
894朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 11:10:51.97
>>887
当然それくらいの区別はついているのである。
古音が不明だから現代音から推測しているだけで。

こんなことも分らない>>887はド低能チンピラ。
アホすぎて話にならない。こんなアホが参加しているのだから呆れる。

>>885-886
ならばそこが邪馬台国だと主張すればいい。
主張していないということは自分でもそこは邪馬台国ではないと分かっているからだろう。

とにかくお前らのようなド低能では話にならないのである。
いいかげんにやめてパチンコでもしていろ。それがお前らに最もふさわしいw
895日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:12:47.75
馬鹿だねえこいつら。邪馬台国は江戸だぞ。
江戸には蒲田と亀戸と候補が二つもある。あとは遺跡を掘り当てるだけだ。
わかったかウスバカども。
896日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:17:51.78
>>894
>ならばそこが邪馬台国だと主張すればいい。

以前から瀬戸内海〜紀伊半島が女王国、
宮がヤマトで卑弥呼はモモソだとしているけど?

お前はまず日本の地理も勉強してから歴史捏造工作活動しろよw
897日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:19:51.15
あのゲームの動画

ドーメキ 百目鬼 と聴こえる
898日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:25:23.34
>>894
あんたはド低脳でもチンピラでもないらしいな。それなら >>895 に反論してみ。できるかな?www
899日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:36:57.97
統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!
統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!統一教会!

サーテーンサターンクロス
900日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:38:34.44
 ここで鳥居の部落調査との関わりから注目したいのは,彼が自身の日本人種形成論の
なかでインドネジアンと呼んだ人種である。既に見てきたように,鳥居は部落民調査に
おいて繰り返し彼らがマレー人種であり,大陸渡来の蒙古系人種とは異なることを述べ
ていた。同書のなかで明言していないものの,彼の調査研究の歩みを踏まえるなら,こ
の箇所は被差別部落民を念頭において述べたと考えてよい。

 彼によれば,日本に到来したインドネジアンとは,「極めて原始的の馬來で,文化の程
度低く,風俗の如きも男は腰に褌,女は腰巻を纏ひ,首,手などには輪を入れ,腰には
刀を提げ,足は跣足であって,今日尚盛んに首狩の蛮劇を演じて居」る。日本人に縮れ
毛の者が見られるのは,このインドネジアンがかつて馬來諸島に居住していた「ネグリ
トー種族」を征服し,これと混血した者が到来したからであろうと推論している。また
「固有日本人とインドネジアンとが日本人として交雑し,雑種型を形成し,尚或地方では
固有型の其の群を諸所に遺して居るのである」とする[鳥居1918]。

ズバリ、邪馬台国は、馬來国。インドネシア、マレーシアなどスンダランド人

の生き残りだろう。
901日本@名無史さん:2014/01/18(土) 11:46:45.44
だからよ羊が龍を騙るだよ。
中国も髭自慢の人種だったが万里の長城の痕跡が示す通り新モンゴロイド化した人種だ。
902朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 11:53:13.80
>>896
ならばそれを本にでも書いて発表しろ。
そんなアホ説は誰も相手にしないw

お前は自分で思っているよりずっとアホであるw
903日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:29:29.80
>>902
>お前は自分で思っているよりずっとアホであるw

お前の自己分析か?鋭いなw

モモソなんて今や畿内説では殆ど定説に近いのだがw
東瀬戸内とヤマトの関係の深さなんて、考古学的にも
益々証明されてるしな。
文献・伝承資料にもヤマトの孝霊天皇や吉備津日子の話なんて
数多く残ってるぞ?
904日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:35:14.34
レベルの低い輩が増えたな。
元の棲家に帰れ。
905日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:40:45.50
パズルやりたきゃ九州スレでいいんじゃないのかな?
畿内説ではすでに考古学と文献資料の一致を探る所まで来てるからな。
906日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:46:04.25
孝王朝は西晋の司馬一族が立てた西晋の親王国。
欠史8代の天皇は、西晋の皇帝とは奇妙に一致する。

4.懿徳天皇=司馬懿
5.孝昭天皇( 懿徳天皇の子)= 1.世祖武帝司馬炎、(在位265年 - 290年) 司馬懿の長男
6.孝安天皇(孝昭天皇の次男男)=2.孝恵帝(司馬衷、在位290年 - 306年)先代の次男

7.孝霊天皇(孝安天皇の子?)=3.孝懐帝(司馬熾、在位306年 - 311年)先代の異母弟
8.孝元天皇(孝霊天皇の太子)=4.孝愍帝(司馬ビン、在位313年 - 316年)先代の甥
907朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 12:46:17.19
>>903
お前の書いていることなど、邪馬台国とは何の関係もない(笑)

モモソ、畿内説、東瀬戸内、孝霊天皇、吉備津日子…。
これが邪馬台国と何の関係があるのだ?

倭人伝のどこにモモソ、畿内、東瀬戸内、孝霊天皇、吉備津日子のことが書いてある?
そんなのはすべてお前の空想ではないか(笑)
908日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:48:33.10
9代天皇から再び皇統が変わる。
西晋が減亡したためだ。
909日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:51:08.47
魏志倭人伝の出てくるのは、邪馬台国じゃなくて邪馬壱国だから、
ヤマトじゃないし、畿内説は初めから崩壊してるな。
910日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:52:38.96
ここの連中は、東アジアや国際情勢など勉強もしないで書いている。
だからわからないのだ。
911日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:59:07.47
>>907
そりゃ畿内説を朝鮮人には理解出来ないんだよw
912日本@名無史さん:2014/01/18(土) 13:09:34.21
>>880
大倭の大はダイではなく、当時の発音ではオオになるんじゃないか。

>>906
漢風諡号をつける時に西晋の系図を参考にしただけだと思いますが。
913日本@名無史さん:2014/01/18(土) 13:13:42.46
>>903
満州は実は畿内説なんだよ。
邪馬台国は大和にあった。
しかし卑弥呼の国は満鮮にあったという、
変則的な畿内説を唱えている。
ちなみに日本書紀原理主義者でもある(古事記はあまり読んでないようだ)。
914日本@名無史さん:2014/01/18(土) 13:16:57.07
漢風諡号をつける時に西晋の系図を参考にしたということは、
そのこと自体が何らかの由縁を推定させる出来事!!
915日本@名無史さん:2014/01/18(土) 13:36:17.08
家康は、藤原氏から源氏へ変えて源氏長者を名乗った。
由緒変更なんて簡単なことだし、中国風に禅譲という慣習がないから、そうなる。

血は繋がってなくとも後継者を名乗ることで天下統一が成るのです。
916日本@名無史さん:2014/01/18(土) 13:44:40.48
公孫淵を倒して倭国をた解放した司馬懿が始祖。
917日本@名無史さん:2014/01/18(土) 14:44:51.57
>>909
魏志倭人伝の出てくるのは、邪馬台国じゃなくて邪馬壱国だから、

百襲姫の墓は大市墓だからな。
壱とは市の事でもあり、おいちさんと言えば女性の事。
邪馬壱国とはつまり女王の国という事なんだよ、
ひとつ賢くなっただろw
918日本@名無史さん:2014/01/18(土) 15:26:22.70
ウスバカいい加減にしろ。座頭市は女かよwww
919日本@名無史さん:2014/01/18(土) 15:38:59.24
「邪馬壱国」は古田の早とちりで後世の写本に由来するらしい
やはり原本は邪馬臺国
920日本@名無史さん:2014/01/18(土) 15:45:24.83
古田をいくら罵倒したところで、畿内説の破綻は救いがたい。
921日本@名無史さん:2014/01/18(土) 15:46:08.34
西晋を統一すると司馬炎は、後宮に一万人の女官を入れ女色に耽ったといわれており
子は百人に上ったとされる。
これだけの数の皇子に領地を与えるためには、公孫淵の支配地倭にも皇子を送ることになったことだろう。
それが孝霊天皇、つまり、司馬霊ではないだろうか?
922日本@名無史さん:2014/01/18(土) 15:59:29.53
古田コケたら、畿内説もコケた
923日本@名無史さん:2014/01/18(土) 16:09:28.19
これはつまり、倭と司馬氏の孝のつく欠史八代の天皇は別の系統だということで、
やはり、倭国はアマテラス.つまり、 南インドのうちデカン高原のサータヴアーハナ朝(アーンドラ王国)ですの太守アマティヤということになる。

やはり、高天原はデカン高原にあった。
924日本@名無史さん:2014/01/18(土) 16:28:16.72
925日本@名無史さん:2014/01/18(土) 17:23:33.94
>>918
どアホ、それは名前だ。
この辺りの言葉でお市は女性の事を指していたのだ。
なので地名でも櫟本(いちのもと)と残ったのだ。
926日本@名無史さん:2014/01/18(土) 17:28:46.14
話のラベルが違うのかもしれない
927日本@名無史さん:2014/01/18(土) 17:32:13.78
座頭市なんて言ってるようじゃねw
小野妹子を女じゃん、というレベル。
928エマタラ:2014/01/18(土) 17:57:28.76
おお〜なんか盛り上がってるね!
今月は進むのが早ぃ〜
929日本@名無史さん:2014/01/18(土) 19:09:32.78
おいちさんと言えばいちばん上の娘の事だとおもっていたけど
930日本@名無史さん:2014/01/18(土) 19:12:17.74
>>912
よかセンスのおひともおったもんだ
931日本@名無史さん:2014/01/18(土) 21:39:18.86
この世に女は一人しかいないと思ってる馬鹿がいる
卑弥呼=ミトコンドリアかあちゃんかよw
932朝鮮日報の満州:2014/01/18(土) 23:18:49.93
卑弥呼=アマテラス
卑弥呼=百襲姫
卑弥呼=日女命
………

こんなのはすべて議論する必要さえ無い駄説だから無視すればよい。
議論すべきなのは次のことだけである。

卑弥呼は神功皇后か否か。
神功皇后でないなら誰か。

これだけである。
933日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:31:12.01
>>906
もう、めまいがするよ。
トンデモはうんざり。
934日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:34:31.53
卑弥呼を別に記紀の誰かに比定する必要もないだろう
935日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:38:09.52
卑彌呼は ゐぬ娘 鬱女系の熊娘

父は多婆那系の彌彌の大毘古だよ
936日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:52:12.95
孫権は遥か東海に5千の兵をつかわし
わずか2千の捕虜兵を残して帰還した
 これは台湾のこと?日本も攻めた?
937日本@名無史さん:2014/01/19(日) 00:02:15.13
夷洲・亶洲のことか
もし南西諸島とかだったとしても当時は日本という概念はなかっただろうし
938日本@名無史さん:2014/01/19(日) 00:08:56.26
>卑弥呼は神功皇后か否か。
神功皇后でないなら誰か。

旦那もいて子を産んでるので違うだろう。
結局モモソしかいないね。
939日本@名無史さん:2014/01/19(日) 00:21:57.76
>>933欠史八代は、中国の西晋の王朝の記録を元に埋められたというは事実だろう。
ただ、司馬炎の子息が本当に日本まで来にうというと怪しい。
記紀の編者が唐代に書かれた歴史書も元に創作したのだろう。
そういうのが多そうだ。
940日本@名無史さん:2014/01/19(日) 00:45:20.40
>>537 新説・日本三国志8の1【古代の日本】
>>538 新説・日本三国志8の2【新たな新興国・出雲の誕生】
>>539 新説・日本三国志8の3【倭国争乱と出雲の国譲り】
>>540 新説・日本三国志8の4【大陸の政変と邪馬台国の台頭】
>>541 新説・日本三国志8の5【アマテラス(=卑弥呼)の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】
>>548 新説・日本三国志8の6【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】
>>559 新説・日本三国志8の7【北九州・狗奴国勢の権力の拡大と出雲の衰退、邪馬台国の軍事クーデター(神武東征)】
>>562 新説・日本三国志8の8【北九州・狗奴国と新しい大和国・天皇の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】



新説・日本三国志【外伝・その後の日本】
それ以降『天皇』は、出雲・邪馬台国の流れを汲む系統と、北九州狗奴国の流れを汲む系統の間での、血なまぐさい政争が8代続き、
このことを切欠に、「大和」は徐々に外夷の気運が高まり、大陸の影響力を廃絶し、
出雲と大和による【天皇】が納める「日本国」大和政権へと変貌していき、
その後は、出雲・邪馬台国の流れを汲む系統から代々輩出されていくようになる

一方、北九州狗奴国は、その後「魏」が想像以上の早さで衰退して「晋」となった後も、「倭国」として大陸と独自の交流を続け、
それはその後「宋」「斉」「梁」まで続き、その後「梁」が滅亡し「倭国」として関係の深かった北九州狗奴国の国力も
それとともに衰退して、大和の「日本国」に併合され、

「隋」の時代に「倭国」は「日本国」という統一国家として、北九州から遣隋使を送ることになる

そして、この期間の話は後に、第43代元明天皇が古事記を編纂する際に、古事記に合わせて日本書紀から削除され、
それに伴い、邪馬台国や卑弥呼などの記述も天孫降臨神話に書き換えられてしまう
941日本@名無史さん:2014/01/19(日) 01:10:29.26
>>940 訂正

新説・日本三国志9の9【その後の日本】

それ以降『天皇』は、出雲・邪馬台国の流れを汲む系統と、北九州狗奴国の流れを汲む系統の間での、血なまぐさい政争が8代続く
このことを切欠に「大和」は徐々に、大陸の影響力を廃絶する外夷の気運が高まり、出雲と大和による【天皇】が納める「日本国」へと変貌し
その後『天皇』は、出雲・邪馬台国の流れを汲む系統から代々輩出されていくようになる

一方、北九州狗奴国は「魏」が想像以上の早さで衰退して「晋」となった後も、「倭国」として、大陸の代々の南朝と独自の交流を続け、
それはその後「宋」「斉」「梁」まで続き(倭の五王)、その後「梁」が滅亡し、大陸が北朝の「隋」に統一されたことにより
南朝と関係の深かった北九州狗奴国の国力もそれとともに衰退して、北九州狗奴国はついに、大和の「日本国」に併合される

そして「倭国」は、「日本国」という統一国家として、北九州から、大陸を統一した北朝「隋」に、遣隋使を送ることになる

この期間までの話は後に、第43代元明天皇が古事記を編纂する際に日本書紀から削除され、
それに伴い、邪馬台国や卑弥呼などの記述も天孫降臨神話に書き換えられてしまう
942日本@名無史さん:2014/01/19(日) 02:23:42.54
「新説・日本三国志」の肝
・倭は、「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国と、畿内の邪馬台国の、大きく分けて2国だった
・国力は「漢委奴國王」であった北九州の狗奴国のほうが強く、畿内の邪馬台国は弱かったが、その中間に「出雲」という新興国が出来た
・畿内の邪馬台国が出雲を手中に収め、後漢が滅び魏になったことで倭国の王は、北九州の「漢委奴國王」狗奴国から、畿内の「親魏倭王」邪馬台国に移行した
・魏志倭人伝で「王」がいると記されているのは伊都國と女王國と狗奴國の3っつで、伊都國は「王」の伝説が残る【出雲】
・魏志倭人伝に出てくる末廬国・伊都国は出雲地方、隋書倭国伝に出てくる竹斯国・秦王国は北九州で、全く別の地域
・出雲を手に入れたモノの邪馬台国は、敵対する北九州の狗奴国の竹斯国・秦王国を利用せず、できず、畿内により近い出雲に新港を開いたため「魏志に記載」
・出雲大社は、新港である末廬国・伊都国の灯台変わりでもあり、大陸に対して国力を見せつけるための迎賓館
・2大国に挟まれた「出雲」は、ある時は北九州の狗奴国勢を味方に付け、ある時は畿内の邪馬台国勢を味方に付けることで、生き残りを図った
・神武東征は、北九州の狗奴国に一度逃げ延びた邪馬台国の非主流派が、邪馬台国主流派に敵対する北九州の狗奴国軍勢を味方に付けて行った軍事クーデター
・神武は、邪馬台国に出戻った邪馬台国の非主流派の人であったが、神武の出戻りを助けて、神武を天皇にさせたのは、邪馬台国に敵対してた北九州の狗奴国
・欠史8代は、その後の、出雲・邪馬台国の流れを汲む系統と、北九州狗奴国の流れを汲む系統の間での血なまぐさい政争
・その間も北九州の狗奴国は「倭国」として、大陸の代々の南朝と独自の交流を続けていた「倭の五王」
・その北九州狗奴国が、大陸の南朝の消滅と共に、大和の「日本国」に併合された「ヤマトタケルの西征」
・その結果、大和の「日本国」は、出雲地方の末廬国・伊都国からではなく、北九州の竹斯国・秦王国から大陸に遣隋使を送れるようになったため「隋書に記載」
・しかし天皇は、北九州狗奴国の娘と作られた系統ではなく、出雲の娘と作られた系統が引き継いだため、記紀に狗奴国の名前は出てこない
・大陸との関係も、第43代元明天皇が国内の、極度の大陸かぶれを嫌ったことで、古事記を編纂する際に天孫降臨神話に書き換えられた
943日本@名無史さん:2014/01/19(日) 04:18:32.90
よくもキチガイばかり涌くもんだ
944日本@名無史さん:2014/01/19(日) 07:34:10.33
満州を見れば
何書いてもいいと思うだろうからな
945日本@名無史さん:2014/01/19(日) 07:52:30.89
そんなに邪馬台国好きなら巻向の発掘のバイトにでも応募してろよ。
部屋の中で妄想垂れ流してるだけじゃたんなるキモヲタじゃん。
946日本@名無史さん:2014/01/19(日) 08:44:38.64
日本史のことなにも知らなかった
今日も、おらワクワクしてきたぞ
947日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:10:54.98
邪馬壱(病い)国か?

やべえじゃねえかよ|( ̄3 ̄)|
948日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:14:33.02
倭人伝と記紀を含むその周辺の文献しか読んでおらず
3・4世紀あたりにしか関心がないというやつは
トンデモ率8割位だろう
949朝鮮日報の満州:2014/01/19(日) 09:25:23.61
今朝の新聞の書評欄で見つけた本 

岡谷公二「神社の起源と古代朝鮮」

書評から推測すると神社の起源は新羅にあり、とする本のようだ。

話変わって、衛満が古朝鮮を滅ぼしたのと同じ年に
北夫余の始祖解慕漱が没していることが分かった。
何か関係があるのだろうか。
950日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:31:21.29
その本は呼んでないが、「神社」という概念がどの時代のものを指しているかによるな
日本には縄文時代から山岳祭祀遺跡があり、磐座なども作られている
こういうのが古代の神道の源流の一つだろう
しかし鳥居のある現在も見られるような神社の形態はけして古いものではない
951日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:33:53.81
しょせん神社は入れ物であり、本来は神道がどのように変遷してきたかという
宗教史、思想史的な面のほうが重要なのだが、これは難しい
952日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:49:14.73
元々神社は自然の脅威に対する封印みたいな物だからな。
新羅?さすが安定の朝鮮日本特派員w
953日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:58:15.95
中国の苗族の村が、神社社殿風のデザインだったな。
村全体が昔の日本の農村っぽくて、和んだ。
954日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:06:24.60
まあもう新しい発見ないと進展しないのは明らかだろう。
邪馬台国に関わっても個人レベルの妄想だらけになるだけ。
955日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:09:15.11
現状でも充分答えは出てるよ。少なくとも畿内周辺しか選択肢はない。
956日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:10:35.33
相変わらず朝鮮だのいってんのがいるんだな
そんなので都合のいい歴史捏造だのして楽しいのかね?
阿尼吉師だの古代に道師がきてることから想像はつくだろうがよ
957日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:11:58.69
元は学問所みたいなとこが出発点だよ
958日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:31:52.14
まあ新羅建国には倭人が絡んでる時点で察しはつくだろう。
大陸内陸部からの伝達だね。
959日本@名無史さん:2014/01/19(日) 11:42:49.82
満州一等兵待ちスレ
960日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:27:30.94
先生は初場所中は思索を中断されます。
961日本@名無史さん:2014/01/19(日) 13:32:57.37
バカ。今日は駅伝やってんだ
962日本@名無史さん:2014/01/19(日) 14:37:14.07
古代史の話って、トンデモ説だらけになって、
うんざりする。
963日本@名無史さん:2014/01/19(日) 15:01:15.33
んだ。我田引水的論法が多すぎるな。
964日本@名無史さん:2014/01/19(日) 15:07:27.01
神社の拍手はどこからきた風習だ?
苗族や中国の少数民族の慣習に詳しいものはいないか?
965日本@名無史さん:2014/01/19(日) 16:22:36.50
伊都国女王卑弥呼の東遷とか素人の古代史論などみんなこんな感じのトンデモ妄想。
邪馬台国とか痛いヲタクだらけのジャンル。
966日本@名無史さん:2014/01/19(日) 16:26:01.49
冷蔵庫の女王キムコ
967日本@名無史さん:2014/01/19(日) 16:31:45.10
妄想の最たるものが呉を挟み撃ちにするためとかな
お仲間が増えましたな
http://www.youtube.com/watch?v=11v39zba27E
968日本@名無史さん:2014/01/19(日) 19:16:18.46
いや、諸葛亮が祈祷したら卑弥呼があらわれた
969朝鮮日報の満州:2014/01/20(月) 10:21:50.60
一服がてらの投稿。

張政の素性が分った。あくまで想像にすぎないが、
中国史上有名な暗殺未遂事件を起こした或る人物の子孫だろう。

もしかしたら朴の独創的な説かもしれないから、
ここに書くのは惜しいような気もするが、ま、サービスである。
970日本@名無史さん:2014/01/20(月) 12:09:35.29
まだ朴とかいってんのかw
さて朝鮮日報の悪行が明らかになるだけだと思うんですがなあ
971日本@名無史さん:2014/01/21(火) 02:40:26.98
現代の支那朝鮮に関わる必要は全くなし
時代が変われば、まあいい時もあるだろが
972日本@名無史さん:2014/01/21(火) 08:22:01.52
邪馬台国朝鮮半島説はトンデモ説ではないだろう。
楽浪郡平壌説の検証が十分に行われておらず、無条件に正しいとされているのだから。
歴史学者も考古学者も全ての学者がトンデモかも。
973日本@名無史さん:2014/01/21(火) 10:52:22.15
他のスレッドに書くべき事かもしれないけど

ゲーム・漫画の話
「君たち(主人公のパーティー)は、なんで生きてるの」

理解しましたか
974日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:12:41.21
975日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:13:11.71
ゲーム漫画で考えているやつらがいるってことかの?
まあふざけたこと言ってるなお前らo(`ω´ )o
物部ってのは美濃の辺にいたやつらだろ
漢東直比羅夫だのって役人だのなんだのが大化改新ころに
でてくるな、こいつが安部比羅夫か?
班田調、庸、関係のことじゃねえか、これって
976日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:21:15.35
その後、日本は寺社領、公家領が増えて行きますなあ
それが崩れて武家が独立し各地方勢力に分布していく
天神地祇関係ってやたら人、神って言葉がでてくるけ
どなんだかんだ未だにそれの尾を引いてんだな
977日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:27:11.30
「神は倒すもの」

主人公達は神に勝った
というストーリーを創作するだけ

現実の世界では、負けは負け

なぜ生きてるの
978日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:27:33.21
971
時代が変わればってなに言ってんだお前

時代で物事考えてんのかよ|( ̄3 ̄)|
それがシャーマニズムだっていってんだよアホ
979日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:32:46.66
977
いつ誰が誰に負けたのかね?
その説明が全然ないんだけどよ?|( ̄3 ̄)|
勝ったとか言ってるやつがいたら協力しなきゃ
いいだけじゃねえか
物事はっきりさせてくれるならいくらでも行動するぞ
なぜ生きてるの?ってなに言ってんだお前?
生きる死ぬを語るならお前はなんで生きてんの?
誰の許しを得たんだ?
980日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:33:10.95
架空や幻想世界の住人なら
この世界(現実)には出てこない事をオススメする
981日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:37:34.92
馬鹿じゃねえのかよほんとに
現実にでてこなきゃって捏造が多いから学問的に追求しなきゃならないんじゃねえかよ
蘇我氏関連の記事はこの辺に関連してんだろな
982日本@名無史さん:2014/01/21(火) 11:55:46.20
そういったモノには
現実世界での、現金や食料・衣服を与えてはいけない。

なぜならば、お金も食べ物も必要ないはずだから
ゲーム内通貨や架空紙幣で生活しよう。

現実世界…指名手配「この顔を見かけたら110番!!」
983日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:05:03.39
面白い面白いo(^_^)o
そんな単純に通用するならそもそも国家なんて成立してねえわ
お前さんの方が架空や幻想世界の住人っぽいよ
影でこそこそするなら通用するだろうがそういうの
気がつけばみんな表に引っ張り出すもん
984日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:11:30.01
ここに写真を貼り付けた

説明は必要ない
985日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:22:30.14
さて大化けの改新だから元でを作ったのは蘇我氏
カラクリ綾解き開始しようかね?
986日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:25:54.49
アホな妄想は叩かれるだけだぞ。
987朝鮮日報の満州:2014/01/21(火) 12:26:52.47
ここもニートが跋扈するようになったかw
どうでもいいが、せめてもう少しスレに関連したことを書いてくれ(泣)

見込みがありそうなのは>>972の男だけだな。
朝鮮半島説に関してはまだほんの初心者のようだから、今後の研鑚を祈る。
988日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:27:40.42
うーん、同じ話ばかりで先に進まない

すべてイルミナティの陰謀なので
どうにもならないよ
989日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:35:41.97
ニートって言葉もマスコミが作ったんだっけ?w
その辺で探れるとこもあるな|( ̄3 ̄)|
十分な検証なしで推し進めるってとこがその辺でこいつらの
底意地みたいのが見えるな、逆効果
o(^_^)o
990日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:37:07.93
対立するのはどんどんよい!|( ̄3 ̄)|
もっと書き込んでくれo(`ω´ )o
991日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:40:53.83
誰々さんが亡くなりました

このような報道を見たとき、現実を知るだろう
死ぬことがないような神がいるのなら話は別だ
992日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:48:05.68
991
ご苦労|( ̄3 ̄)|

金印(鈴)が鳴り響くようになったo(^_^)o
993日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:51:00.86
絵文字キモい
994日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:53:31.13
宇宙人
995日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:57:12.37
地底人
996日本@名無史さん:2014/01/21(火) 14:22:02.09
これは凄いぞ!

宇宙を創った〜地球を創った〜一子相伝

そして現在:2014年
997日本@名無史さん:2014/01/21(火) 16:18:03.97
月氏の呪い怖いです´д` ;
998日本@名無史さん:2014/01/21(火) 16:21:35.33
998
999日本@名無史さん:2014/01/21(火) 16:26:45.34
埋め
1000日本@名無史さん:2014/01/21(火) 16:28:51.74
1000
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。