【初心者】スレッド立てる前に質問をPart31【歓迎】

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1日本@名無史さん
分からないことがあるときは、スレッドを立てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問については、各分野の専門スレで聞くほうが、より詳しい説明を得られるかも知れません。
回答に時間がかかったり、回答が得られなかったりしても、怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップを付けることをお奨めします。
また質問する前に一度自分でも調べてみましょう。
人名・用語について調べたいときは、ここで聞くよりも検索したほうが速くて確実かと思われます。

※まずは下記でチェックしてください。
日本史・世界史FAQ
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/index.html

<お願い>
・常時age進行でお願いします。
・回答に時間がかかることもあります。ご了承ください。
・既に専門スレがあったり、板違いの質問があったりする場合は、速やかに誘導してください。
・過度な論争は自粛してください。
・煽り質問はスルー。
前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart30【歓迎】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1359761900/
2日本@名無史さん:2013/10/15(火) 18:03:47.36
思い出して!

一杯のスープを分け合う東北の子供達
http://livedoor.2.blogimg.jp/brow2ing/imgs/6/5/6555c06f.jpg

買い占める東京人
http://livedoor.2.blogimg.jp/news2ch4you/imgs/e/0/e0725708.jpg

◆トンキン賤民が被害に遭っても義援金を寄付しないよう注意しましょう。

◆東京都民、神奈川県民、埼玉県民は日本の癌。東日本大震災は彼らの
作った人災。彼らがあの日に何をしたか思い出して!
3日本@名無史さん:2013/10/15(火) 21:50:07.10
天皇ネタで質問スレを荒らしている最中に
地域対立を煽る鮮人がココには常駐していますと曝してどうすんだよ〜w
4日本@名無史さん:2013/10/16(水) 02:56:44.23
>>1
次スレ立てたら前スレにリンク貼れや
5日本@名無史さん:2013/10/16(水) 23:27:54.07
>>1
なんか>>4が喚いてるぞ
言い返してやれよ
6日本@名無史さん:2013/10/17(木) 00:34:02.39
正直スマンかった。
7日本@名無史さん:2013/10/17(木) 00:51:33.88
なんかワロタ
8日本@名無史さん:2013/10/17(木) 01:37:29.72
昔読んだ怪談話で、姫路城の天守閣の上のほうに物の怪が出るとのことで
誰も近づかなくなったところ、ある武士が勇気を出して上っていき、脅かしにも
めげずに最上部までたどりついた。
すると化物が、自分は怨念を残してこの城で死んだ「おさかべ姫じゃ」と名乗り、
以後武士の勇気を称えて悪さをしなくなっただか、供養されたかみたいな話が
あったんですが、おさかべ姫に相当する実在の人物っていますか?
9日本@名無史さん:2013/10/17(木) 01:46:49.12
>>8
だいたいのことはここに書いてある。

長壁姫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%A3%81%E5%A7%AB

更に掘り下げたいならこちらへ。

凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part22
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1379426425/
10日本@名無史さん:2013/10/17(木) 18:53:15.09
>>9
即レスありがとう
そんで、けっこうメジャーな妖怪だったんですね。申し訳ないです
11日本@名無史さん:2013/10/18(金) 18:17:22.09
フロイス日本史では、徳川家康は織田信長の義弟(妹の夫)となっていますが、
時期的には、築山殿と朝日姫の間で、織田の姫君が正室に居てもおかしくはありませんが、
これはフロイスの勘違いなんでしょうか。フロイス日本史以外にはそういう記事は全く無いんでしょうか。
12日本@名無史さん:2013/10/18(金) 21:53:09.37
子供の世代で信康と徳姫が婚姻している。
それをポルトガルでは義理の兄弟ととらえるのかもしれない。
13日本@名無史さん:2013/10/18(金) 22:06:43.06
>>12
信康と徳姫については了解しています。相婿ならぬ相舅とでも言いましょうか。
しかしポルトガルでそういう関係を義兄弟のように扱うのなら、そういった指摘が既になされても良さそうなものですが。
それとも信長と家康は縁組とは違う、いわゆる盃を交わしたとかの義兄弟だったんでしょうか。
14日本@名無史さん:2013/10/19(土) 13:55:17.40
第二次大戦において以下をどう解釈すればいいんですか?

●イタリアのヴィットーリオ=エマヌエーレ3世
ムッソリーニに組閣→敗戦→ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世退位→イタリア王政終了

●日本の昭和天皇
東條英機に組閣→敗戦→昭和天皇新憲法下で続投→今日まで天皇制が続く

同じ戦争の悪玉に組閣命令をし敗戦しています。
イタリア王は退位し王政が終了したのになんで日本では昭和天皇は残り
今でも天皇制が続いているのでしょうか?
15日本@名無史さん:2013/10/19(土) 15:12:51.94
16日本@名無史さん:2013/10/19(土) 15:36:06.30
>>14
国家元首として統治権の総覧者で軍の統帥権者だった現人神が、
単なる象徴になったんだ。
明治憲法のもとでの絶対天皇制は崩壊し、帝政日本は消滅した。
象徴天皇制では、君主制としての天皇制は廃止されたも同然。
日本国憲法下の体制は、日本史上の第一共和政と言える。
17日本@名無史さん:2013/10/19(土) 15:39:39.85
>>12
フロイスの日本史で徳川家康は織田信長の義弟だという文章が出てくるのは
本能寺の変の時だよね。
明智方の雑兵たちは信長の命令で義弟の徳川家康を討ちに行くのだと思ってた
という記述の場面。
このとき、すでに信康はこの世におらず、徳姫は織田家に帰されている。
つまり、信康と徳姫の婚姻はこのとき存在しない。
18日本@名無史さん:2013/10/19(土) 15:43:26.52
信長って別に当時の価値基準からすればとりわけ残虐な君主ってわけじゃなかったと思うんですが
(もちろん今の人権感覚からすれば残虐ですが)
どうして残虐なイメージが付いたんでしょうか?
本願寺との戦いにしても、上杉だって激しく戦ったわけですし
19日本@名無史さん:2013/10/19(土) 17:18:32.17
紀州藩の殿様だった吉宗が将軍になったら
紀州藩は他の人が継ぐの?
20日本@名無史さん:2013/10/19(土) 17:54:23.48
>>19
分家の西条藩主(吉宗のいとこ)が継いでる。
21日本@名無史さん:2013/10/19(土) 19:16:49.44
>>18
いや、当時から残虐。
織田軍の残虐行為の証拠隠滅行為から逃れるために
当時の人々が瓦の裏に後世の人々へその犯罪行為を告発しているほど

「後世の方はどうか語り伝えて下さい。
5月24日に一揆が起こり、 前田利家が千人を生け捕りにした。
磔、釜茹で、その有様を書き留めておきます。」

またフロイスも日本史において
荒木の謀反の時は、荒木の妻、二人の娘、兄弟、彼女の兄弟姉妹、すべての従兄弟たち、甥、近親ら36人を
市中引き回しの上、斬首(市中引き回しは名誉を重んじるので死ぬことよりも甚だしい恥辱と不面目を信長は与えた)
荒木の城から取っていた貴婦人120名は磔(赤子も母の胸に縛りつけて串刺しにして母親を一層苦しめるやり方をした)
これを見た群集は殺された者が赤の他人であっても肝を潰し幾日も放心状態になる人たちばかりだったほどで、
このまったく罪なき人々に対して前代未聞の過酷さと残虐に京の群集が恐怖したのもつかの間、
今度はさらに残酷で非人道的かつ恐怖を比較にならぬほど煽ったのが、
4つの平屋を作り、そこへ514名が入れられ(380名が女性)外から火をつけられ全員を生きたまま焚殺した。
彼らが発する悲鳴や叫喚の声は、彼らが受けている残忍極まりない苦しみが、京都を恐怖で覆った。
このように荒木のみが受けるべき罰を、多数の無実の人々が受けた。
苦悩の涙と尽きることがない慟哭だけがずっと聞こえてきた。


これが信長のやり方で、異常な暴君以外のなにものでもなかった。
22日本@名無史さん:2013/10/19(土) 20:09:51.17
信長は快楽殺戮主義者だよなー。
書状のなかで、一面見渡す限り死体の山で、
足の置き場もない。生きているものが全く無くなってスッキリした!って鬱が晴れて喜んでるし。
23日本@名無史さん:2013/10/19(土) 20:38:13.92
>>18
上杉は武田の指令を受けて反抗する一向宗武装集団を相手に戦っていたが虐殺することは無かった。
信長の場合は一向宗だけでなく、惣村一揆も敵にして根斬り無差別殺戮をして回ってる。
24日本@名無史さん:2013/10/19(土) 20:46:00.28
>>14
東條はヒトラーやムッソリーニと並び称されるような独裁者じゃない。
25日本@名無史さん:2013/10/19(土) 22:10:30.32
>フロイス日本史では、徳川家康は織田信長の義弟(妹の夫)となっていますが
長政が例外であって、信長は妹を他国に嫁がせていない
唯一の例外を除けば、義理の妹を形式的に養女としてから嫁がせるというのが信長の基本パターン

>信長って別に当時の価値基準からすればとりわけ残虐な君主ってわけじゃなかったと思うんですが
>(もちろん今の人権感覚からすれば残虐ですが)どうして残虐なイメージが付いたんでしょうか?
「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」
これは、ジョン・F・ケネディの大統領就任演説で発せられたとされる有名な一節だけど、
実はモトネタはA・ヒトラーなんだよね。同じ言葉でも誰が発したかで印象が全く違うのは死後の扱いの差(ヒトラーを比較させるとスレが荒れるので…)
実際には、ケネディは内政でも外交でも特筆すべき事は何もなしていない(公民権運動に理解があったのは弟だし外交は最低)のに対して、
外交でも内政でも日本の教科書にすら特筆すべき成果として必ず賞賛しなければならないニクソンが米国においても正当な評価がなされていない
人物評価というものは、自分で確認もせずに他人の言葉を盲信していては何も見えてこない

話を日本に戻すが、信長の後継者である秀吉・家康は信長を積極的に賞賛する理由がない
一方、信長・秀吉レベルの批判であれば、家康においても三河一向一揆に対する悪逆非道は批判されて当然なのだが、それを誰も口にはしない

昭和の極短い一時期、我が国では極端な国粋主義が跋扈した
そのことの批判から信長・秀吉のような権力者には一定の批判がなされねばならないという風潮が生まれ、これは現在もなお継続している
他方、家康については、立憲君主制に移行した際の敗残者として、殊更に悪意を植え付けない(死者に鞭打たない)という日本的美徳に守れらているからじゃないかと
内乱と対外戦争に終止符をうった君主を「人民に悪辣な君主」として再査定させるのは、戦後支配的であった歴史観とも相容れないしねw

家康は評価せざるをえないから残虐性には目を瞑る
信長・秀吉は皇室・自民党への代替として、批判することが正義
んな卑俗な痴性からじゃないと俺は信じたい(苦笑
26日本@名無史さん:2013/10/19(土) 22:12:51.29
義理の妹を形式的に養女

親族の女性を形式的に養女
27日本@名無史さん:2013/10/19(土) 22:14:14.58
信長は妹を他国に嫁がせていない

信長は妹・娘を他国に嫁がせていない
28日本@名無史さん:2013/10/20(日) 07:03:35.72
>>17
縁組の当事者が亡くなれば疎遠になるにしても、
絶交でもしないかぎり姻戚関係は継続するものだと思いますけど。
徳姫自身は織田家へ帰りましたが晩年は徳川から化粧料を宛われていますし、
所生の二人の娘は家康に養われていますし。
もっとも子供同士が夫婦だから、その親同士を義兄弟と称するという>>12は甚だ疑問ですが。

>>25-27
信長が近親の女子を政略結婚に使いたがらなかったことは承知しています。
なぜか浅井長政には妹とも従妹とも云われる市を嫁がせていますが、
早くから同盟して終生の盟友だった家康は、浅井以上に例外になってもおかしくない間柄だったと思いますけどね。

これはフロイスの勘違いではなくて、明智の雑兵の勘違いをフロイスがそのまま記録したということなのでしょうか。
それとも、記録から失われた影の薄い姫君が、もしくは記録から消されなければならなかった姫君が、居たのでしょうか。
29日本@名無史さん:2013/10/20(日) 09:35:00.50
在日、日教組が主導したもの。
秀吉の功はたぶん、すべて信長の脳内で構想していたものに違いない。
秀吉は朝鮮人を殺したから悪人
信長は日本人を大量虐殺したから英雄。
これを徹底的にやってる。
30日本@名無史さん:2013/10/20(日) 10:42:06.70
>>28
徳姫はたまたま夫の死後、再婚しなかったというだけで、
夫の死後も徳川との婚姻関係が続いていたというのは言い過ぎでは?
徳姫が徳川にとどまり信康の未亡人として奥を取り仕切っていたのならばともかく
徳川家には置いてもらえていないのだし。
子供を徳川家に置いて出るのは当時の慣習として仕方がない。
家康の母も松平家を離縁されているが、当時2歳の家康を松平家に置いて出ているからね。
(家康の母お大はその後、別の男と再婚)
徳姫が再婚しても、家康は何も言えなかったはず。
信長は身内に甘いから夫と死別後の市にも徳姫にも再婚を強要してないんだけどね。
31日本@名無史さん:2013/10/20(日) 10:55:54.81
>>30
婚姻関係が続いていたなんて言っていませんが?
当事者が亡くなると、姻戚関係は全く無に帰するのですか?子女が居ても?
織田と徳川は、信康の死後、徳姫や二女が居るのに、赤の他人になったのですか?
信康は死んでいるのに、徳姫は誰の奥を取り仕切るのですか?
継承しなかった嫡子の未亡人が、舅の側室や家政を取り仕切った例がありますか?
32日本@名無史さん:2013/10/20(日) 11:13:21.41
東北地方統一するのって難しかったの?
33日本@名無史さん:2013/10/20(日) 12:05:33.93
秀吉によれば日本の三分の一に当たるそうだ。広いな。
34日本@名無史さん:2013/10/20(日) 12:16:38.73
以前、オウム事件が将来的に226事件を超えるか聞いたところ、
影響度等から超えられないだろうとの複数の意見を頂きました
では、昭和の血盟団事件と比べたらどうでしょうか?
35日本@名無史さん:2013/10/20(日) 15:57:58.69
>>31
正室が嫡子の実母でなかったとしても、
嫡母として家政を取りしきった例はいくらでもあるよね。
徳姫が秀康死後も徳川家の奥方様であったのならば、夫の異母弟秀忠を養子として
嫡母として徳川家に身を置き、家政を取り仕切ればよかったはず。
そんな例はいくらでもある。

>婚姻関係が続いていたなんて言っていませんが?
あらら?
>>28であなたは秀康死別後も、徳姫との
「縁組の当事者が亡くなれば疎遠になるにしても、
絶交でもしないかぎり姻戚関係は継続するもの」と書いてますが?
正反対のことを書いていますよ?
立場をはっきりさせてください。
36日本@名無史さん:2013/10/20(日) 17:43:29.85
>>35
秀康?w

信康は徳川家の家督を継承する前に亡くなりましたが、
舅が健在で現役であったのに、継承前に亡くなり男子も居なかった嗣子の正室が、奥を取り仕切った例はいくらでもあるなら、
幾つか挙げてみてくれませんか。

両人の婚姻関係と、両家の姻戚関係というのを、分けて考えているのですが、お分かりにならないようですね。
例えば、家康の母、伝通院は、松平広忠との離別後、久松俊勝に再嫁しています。
広忠との婚姻関係は終了しましたが(近代以降の戸籍の取り扱いと同じですね)、
だからといって水野は徳川の外戚でもなんでもなくなったというわけではありません。

婚姻の当事者が死亡すれば、姻戚関係も全く御破算というのも、極端すぎだと思いますね。
37日本@名無史さん:2013/10/20(日) 18:47:51.77
>>36
歴史を知らない人だなあ。
武家の正室の生涯を見て行けばいいでしょうに。

で、あなたがいう、夫が死んで嫁は実家に帰されたけれども、
まだ前の家との婚姻関係は続いているという例を早くあげてください。
38日本@名無史さん:2013/10/20(日) 18:57:24.02
>>37
舅が健在で現役であったのに、継承前に亡くなり男子も居なかった嗣子の正室が、奥を取り仕切った例
については挙げられないということですね。
39日本@名無史さん:2013/10/20(日) 19:47:36.23
>>38
舅よりも夫が先に亡くなった例が相当特殊なだけ。
男子がなかった正室が、夫の弟や庶子を養子にして
奥を取り仕切った例はいくらでもあるのですが、
まさか、そこまで歴史を知らないのw
徳姫は夫の弟である秀忠を養子に迎えて奥を取り仕切ればよかったのに、
徳川家が帰しちゃったんです。

で、夫が死んで嫁は実家に帰されたけれども、
まだ前の家との婚姻関係は続いているという例はあげられないということですね。
40日本@名無史さん:2013/10/20(日) 20:23:37.87
>>28
>徳姫自身は織田家へ帰りましたが晩年は徳川から化粧料を宛われています

徳川家康や秀忠が徳姫に化粧料をあてがった事実は一切ありません。
そもそも、徳姫に化粧料を与えたのは、松平忠吉です。
徳姫に化粧料が初めて与えられたのは関ヶ原後で、徳姫の実家織田家は壊滅状態にあり、
一時期、徳姫は母方の尾張に住んでいた可能性があることから、
尾張の清州城主であった忠吉が、さすがに徳姫の窮状に同情したためとみられます。
また、このとき忠吉から与えられた化粧料も1761石という非常に少額なものです。
間違っても巷の私小説で言われているように、「五徳は徳川家の未亡人として、
家康から徳川家の身内として認められていたために家康から高額な化粧料を与えられていた」わけではありません。
41日本@名無史さん:2013/10/20(日) 20:35:27.40
1761石って少額かな?
42日本@名無史さん:2013/10/20(日) 21:21:34.69
>>39
>徳姫は夫の弟である秀忠を養子に迎えて奥を取り仕切ればよかったのに、
この表現からは、家督を継承することなく、男子も儲けずに死んだ嗣子の正室でも、
婚家に残って舅や兄弟の家政を取り仕切ってもおかしくはなかったと言ってるように見えますが、
>舅よりも夫が先に亡くなった例が相当特殊なだけ。
というのはどういうことでしょう。
相当特殊なら、徳姫が実家に帰ったことは不思議でもなんでもないんですけど。

徳姫の場合、信康は家督を継承したわけでもなく、二人の女子も何れにしても他家へ嫁ぐことが予想され、
信康という肝腎の夫が亡き後、実家の庇護を受けたというのは、同時代的に何も不思議ではありません。
徳川から積極的に、織田と離縁・絶交するために返されたのではないのですから、
徳姫や二女が健在のうちは、一応の姻戚関係があったと見ることに、何が障るのでしょう。

>で、夫が死んで嫁は実家に帰されたけれども、
>まだ前の家との婚姻関係は続いているという例はあげられないということですね。
婚姻の当事者同士が離別しても、再嫁しなかったり、子女が居たりなどすれば、姻戚関係は細々ながらも続いたという立場なのですが、
それに個々の例を挙げる必要があるのですか。
むしろ、死別・生別を問わず、婚姻関係が終了したなら、姻戚関係も完全に終了といった例を挙げて欲しいのですが。

伝通院は、広忠と生別して、後夫も子女も健在なのに、先夫との子である家康と交流があったり、水野が徳川の外戚扱いなのは何故ですか?
43日本@名無史さん:2013/10/20(日) 21:22:45.20
>>40
松平忠吉も徳川の内だと考えましたが、気に入らないならそれは構いません。
忠吉からすると、徳姫は兄の妻ですが、姻戚関係が全く考慮されず、父や兄・秀忠に図ることもなく、
独断で、無関係の未亡人に、千石を超える封を授けるというのは、傾聴に値します。

関ヶ原以後には、庇護者を失った女子も多数現れたでしょうが、
えんもゆかりもないけど、領内に居るというだけの女子に、化粧料を与えてまで保護したというのは、
徳川・松平の慈愛の深いこと深いこと。他家にも例があれば是非知りたいです。
44日本@名無史さん:2013/10/20(日) 23:57:55.62
秀吉が鳥取城などでやった包囲は残酷だ、酷いもんだと
いろいろな本に論評されていますが、
信長が包囲した場合は非難されないのはなぜですか?
秀吉と信長の包囲は全く別なんですか?
そもそも信長の命で秀吉はやっていた行為じゃなくて独断専行だったんですか?
45日本@名無史さん:2013/10/21(月) 00:57:13.98
秀吉を信長や同時代の他の武将より残酷と非難した本なんて、少なくとも私は見たことがないな
秀吉が残酷で信長はそうではないとしている、いろいろな本とやらを具体的に挙げてくれ
鳥取城包囲に関しては、籠城側の飢餓の悲惨さが強調されているだけで、攻城側の秀吉が
同時代の他の武将より残酷と非難されているわけではない
46日本@名無史さん:2013/10/21(月) 09:12:58.40
それは簡単。
在日、日教組など左翼は、
秀吉のことを悪く書く一方で、
信長については英雄であることを強調する。
信長の負の部分は徹底的に隠蔽する。
日本人大量虐殺した信長を英雄。
朝鮮を侵略した秀吉を極悪人にする感覚は
明らかに朝鮮人視点での記述。
歴史観における思想戦をやっているのだ。
47日本@名無史さん:2013/10/21(月) 09:17:52.11
>>43
徳川と松平は全然違うでしょう。
同情した忠吉が家康に扶持を与えることの許可をとったところで、
家康や秀忠の名前ではなくあくまでも忠吉名義での支給にしたことは
徳姫が織田家に帰された身の上で身内だとされていなかったってことですから。

まあ、家康は名門好きで武田の末裔あたりにも扶持をあたえてますからねえ。
見性院とか信松尼とか。
調べてみてください。
48日本@名無史さん:2013/10/21(月) 11:19:00.86
>>43
徳姫が織田へ帰されてからも徳川家の嫁だったのならば、
ずっと徳川家が扶養する義務があるからなあ。
しかし、家康は徳姫を織田家へ帰したあと、一切扶養しなかった。
ただ、徳姫が織田へ帰ってから20年経った後、
松平家の一人が境遇に同情して扶持を与えたというだけ。

家康が徳川家の一員、それも長男の嫁を、織田の籍に戻したわけではなく、
徳川に籍を置いたまま再婚も認めず扶養もしなかったというのならば、
その薄情な事実は傾聴に値します。

ちなみに徳姫の墓は総見院や清沢院の織田家の墓地にあり、
徳川家や松平家の墓には入っていません。
信康の墓所に入っていないということです。
49日本@名無史さん:2013/10/22(火) 12:51:15.47
織田軍が通過した国は
田地が過分損亡・一国亡国などと嘆かれてますが
信長の一国平均政策とは誰もいない荒野の更地にするという
酷い行為だったのでしょうか?
それとも近世への扉を開いた先進的思考による革命戦略で
これをやらなかった江戸時代は農民にとって暗黒の世だったんでしょうか?
50日本@名無史さん:2013/10/22(火) 20:35:53.65
日本人を苦しめ虐殺した革命的戦略は英雄の条件だよ。
51日本@名無史さん:2013/10/22(火) 22:02:25.16
一方、朝鮮人を殺した秀吉は暴君
52日本@名無史さん:2013/10/23(水) 10:27:57.51
信長は日本人を減らし、在日に参政権を与えて英雄に成りたかったが、
極悪非道の秀吉がそれを廃案にした。
53日本@名無史さん:2013/10/23(水) 19:40:36.49
660年に百済滅亡したのに、3年後白村江の戦いが起きてるのは何故?
もう滅亡してるのにわざわざ助けに行ったの?
54日本@名無史さん:2013/10/23(水) 20:15:33.92
日本に滞在していた百済の王子を帰国させ、ゲリラ戦を続けていた百済軍の残党と合流して百済を再興しようとした。
55日本@名無史さん:2013/10/23(水) 22:11:25.26
>>54
ありがとー!!!
受験勉強で腑に落ちなくてモヤモヤしてたんだ!
56日本@名無史さん:2013/10/23(水) 23:50:45.86
X 日本に滞在していた百済の王子を帰国させ
○ 人質として日本にいた百済の王子を帰国させ
57日本@名無史さん:2013/10/24(木) 00:22:49.43
>>56
人質…?
58日本@名無史さん:2013/10/24(木) 03:16:45.25
本国が滅亡した時点で人質の意味なくなってるだろ。
59日本@名無史さん:2013/10/24(木) 17:26:56.54
匿ったってことかな?
60日本@名無史さん:2013/10/24(木) 17:53:26.07
新羅の圧迫を受けて百済は倭との友好を深める為に王子を人質として差し出した。
しかし百済本国は滅亡した。倭は百済を再興するとともに、半島南部への影響力を
強化する事を目的として王子に軍勢を付けて派遣した。
61日本@名無史さん:2013/10/25(金) 09:53:14.68
>>49
家臣にすら評判が悪い政策だったので、信長死後に
それを引き継いだ者もいない最悪の地域生産力破壊政策

信長の場合は家臣の謀反でたった一日で嫡子まで死ぬなんて愚かな大名はなかなかいないわ。
しかも別の家臣の秀吉に織田は乗っ取られ(多聞院日記「おおむね羽柴がままの様なり」と信長死後
たった『25日後』には完全に秀吉が清洲会議を支配し織田乗っ取り開始www)
家康には甲斐・信濃を横領され森長可は信長の遺命を無視して団の岩村の領土を襲撃横領w
斎藤利堯なんて岐阜城を占領して自立するべく勝手に安堵状を発給しまくる始末www
信長がむちゃくちゃ『厚遇していた織田信澄』を勝手に殺しちゃったり
興福寺も信長死んだ途端に葬儀すらやらずに領地分捕りに熱心とか
これじゃダメ過ぎだろ…などと呆れ果ててるから
織田なんて家臣謀反で遅かれ早かれ崩壊予定だった。
本能寺の変を聞いて魚津から撤退中に宴会やる北陸軍
柴田が光秀射ちにいくよってやる気なしポーズで体面を飾ると、
利家は信長娘婿の息子を持つ立場なのに
無理だな。どうしてもってんなちょっとだけ兵送るけどなどと信長への冷酷態度。
明智光秀とお前らつながってたんじゃないかと思せる鈍さ。
前久も榊原康政に京の情勢は内輪之申事共と信長殺害を織田家臣の内輪揉めと発言してるし
天正14年に大徳寺が信長の位牌所になりたいと頼んだら、
利家は「いやそんなのやらなくていいから俺のオヤジを祀れ」
って言ってオヤジの絵画を作らせ飾らせてる。実は利家って信長嫌いだったろw
みんな信長死んだ途端にめちゃくちゃに振舞ってるじゃんwww
62:\____________/:2013/10/25(金) 10:03:47.22
      ∨
   |/-O-O-ヽ| ブツブツ・・・
   | . : )'e'( : . |
   ` ‐-=-‐
   /    \
||\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
||\\.          \      ∧_∧
||. .\\          \    ( ;´Д`) (オイ、なんか変なのがいるぞ)
.    \\          \ /    ヽ.
.      \\         / .|   | |
.        \∧_∧   (⌒\|__./ ./
         ( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
.         _/   ヽ          \  (     ) うわー、こっち見てるよ
63日本@名無史さん:2013/10/25(金) 11:37:03.66
織田信長という男のやってきたことを
どうしても直視できずに、目を逸らそうとする
信長英雄像盲目の精神のよりどころってなんだろう?
やっぱり日本人大量虐殺を歓迎してるからかね。
米沢人の政宗に先祖を大量虐殺されているはずの宮城県民が
政宗を英雄の如くマンセーして、一切、負の部分に触れないとか
日本人ってのは潜在的に大虐殺=英雄の条件としてたたえる思考構造なんだろうか。
64日本@名無史さん:2013/10/25(金) 18:11:58.38
アンチ信長・秀吉の大量コピペは日本史板の監視してないで
大好きな家康で一日中オナ二ーしてたらいいよ
65日本@名無史さん:2013/10/25(金) 20:15:54.43
61(多分63も)のことなら、平日の午前中に他のスレにも同時刻に書き込んでいる「イチジシリョウガー」君ね
数冊読んだ本が此の世の真実の全てで、自分の知らないことは一切認めないという頭の可哀相な子

日本史板には会話ではなく演説に来ているようだが
他スレならともかく、質問スレで何度もバカな子宣言するくらいだから、日本語も不自由かもしれない
66日本@名無史さん:2013/10/26(土) 12:52:18.87
>>64
秀吉は無差別大量殺戮をやってない。
ドサクサ紛れに鬼畜信長や大坂虐殺王家康と同列に語るなよ朝鮮人くんwww
67日本@名無史さん:2013/10/26(土) 14:57:22.98
信長の民草虐待犯罪歴を照会シマシタ
永禄11年11月上洛するやさっそく
石山本願寺に礼銭五千貫を恐喝
法隆寺に防築銭千貫余を恐喝
永禄12年2月
堺の代表10人中8人を
自刃に追い込み二万貫の矢銭を恐喝。
尼崎は矢銭拒否により全焼略奪。
8月の織田による山名祐豊の但馬攻略後に
祐豊は堺の金融業者の渡辺宗陽を頼って今井宗久を紹介され
今井宗久が祐豊に年利40%で1000貫文を貸付け
それを信長への礼金として但馬復帰を許してもらってる。
信長が永禄12年からの恐喝集金システムでバブリーだったのも
志賀の陣での敗北までに浪費しまくって全部使ってしまったのだろう。
信長がやたら強気に出て、本願寺まで敵に回してしまったのも
あまりの想像を絶した大集金で舞い上がってマトモな判断力を失っていたのだろう。
永禄13年4月改め元亀元年4月に改元。
朝廷からの荘園返還要求から逃げまくる信長
比叡山の荘園横領しまくりの信長による元亀2年9月比叡山焼き討ち略奪。
68日本@名無史さん:2013/10/26(土) 14:58:15.41
元亀3年に奈良内銀子320枚・興福寺銀子100枚・東大寺銀子50枚を上納
しかし金が尽きたのか12月にも再度の要求があり成身院に銀子100枚上納の記録が残ってる。
この年は大和で地震もおきていて大和亡国と呼ばれた。
元亀4年に天皇から乱妨狼藉の禁止・禁中御警固を命じられていたのに
まずは小手調べで賀茂〜嵯峨まで燃やして恐喝し銀棒300(それぞれ重さ43匁)
恐ろしくなった上京が払った銀1300枚の受け取り拒否した上で上京を焼き討ち略奪。
(信長に金を渡しに行く際に織田軍に略奪され、改めて高利貸しから借金して信長に渡すなど酷い状態になったりした)
御所への延焼の恐れが出てきて天皇も逃亡準備。桂川が死体で埋め尽くされる大虐殺開始。
下京恐喝(銀800枚)で金品を集める。
しかしあっちゃこっちゃ延焼しまくりで火だけは統御できない。
織田軍は常に金欠だったんだろうな(ちなみにこれ以前にも京で略奪をやって織田軍と徳川軍が
略奪品を巡り衝突し織田軍が敗北している)
越前加賀で虐殺略奪大会したあとに前田や不破や佐々に越前の寺社領は
先祖の織田神社以外はすべて没収とかやってるし
宗麟とかは商人から借金したりしてるけど
信長の場合は武力をチラつかせて上納を要求する恐喝型だしな。 完全に893
しかしもう恐喝できる相手すらいなくなり
みんな貧民だらけになってしまう現実・・・北朝鮮的織田統治下全員貧困化政策ト ハンメイ シマシタ・・・・
69日本@名無史さん:2013/10/26(土) 15:28:15.48
>>68
上京焼き討ちの時、都周辺の50以上の村々も焼かれて
最後の審判の日のようだとフロイスが書いてるし、
桂川が死体の山になってたようだし
これ完全に天皇を脅迫してんだよね。
これで天皇が動いて、京で戦やるなよって義昭を説得して信長との和睦を受け入れさせると
信長を孤立させ背後を閉じていた六角らを討ちに、急いで都から出て行ったからね。
(和睦がならなかった場合に備えて、信長は徳川軍の派兵を懇願していた)
70日本@名無史さん:2013/10/26(土) 16:08:14.53
風呂椅子の報告もフカシてるからな
71日本@名無史さん:2013/10/27(日) 08:36:53.09
>>69
信長を京で孤立させ
圧倒的有利な情勢に義昭は持ち込んだのに、天皇が動いた為に二条城籠城の選択肢を失う羽目になったのが織田包囲同盟側敗北確定になったよな。
歴史的ターニングポイントであり、信長が味方だと誤認した丹波の内藤が籠城に参加した二条城を信長が落とせる可能性は全く無かった。
信長が京で逆賊行為をしたのは自暴自棄で、
その過激な暴挙に天皇を恐れさせ和睦斡旋を強要させた。
義昭が槇島城に籠城した時には信玄死去が伝わりだした頃なので織田軍が来ると無抵抗で降伏する羽目になった。
72日本@名無史さん:2013/10/27(日) 23:22:04.96
長文コピペが相変わらずの連投
こいつに餌をやった49もグルなのか
73日本@名無史さん:2013/10/28(月) 01:22:14.91
俺は当分の間「信長」をNGワードに指定しとくよ
74日本@名無史さん:2013/10/28(月) 08:19:43.94
>>72>>73
朝鮮人の信長英雄論と秀吉悪逆無道論が崩壊してざまあw
75日本@名無史さん:2013/10/28(月) 09:10:01.93
パワハラ経営で過当労働を強いており家臣は鬱病になっていた。



一揆の者で降伏してきたヤツらもことごとく首を切れ。 
昨日は洪水で動けないとの由だったが 
水も引いて動けるようになっただろ。 
念を入れて残らず討ち果たすことに専念せよ。 
それをやった上で隙が生まれたら俺のところへ来い。 
今後のことを申し聞かせてやろう。 
前回の書に書いたように越前豊原に着いた。 
その意に成るようにいたせ。 
天正3年8/29の滝川宛の信長書状。 

越前大虐殺のためにやってきた信長。 
降伏した者もみんな殺せと命じている。 
そして一寸の休息も許さず、すぐ働け、 
達成したらすぐ俺のトコへ来い 
新たな命令を伝えるとせっかちに命令している。 
まさに絶対暴君にして部下を過労に追い立てる姿が見える。 
この遠征が終わるや、光秀は新たな丹波戦線に派遣され 
そこで敗北して戻るや、すぐ摂津戦線に派遣され病になりながら 
本願寺に破れて天王寺籠城をしている。 
そして毛利が織田に攻撃を開始し木津川口で織田は大敗する。
76日本@名無史さん:2013/10/28(月) 10:44:16.68
日本人を虐殺した信長は英雄ニダ
朝鮮人を虐殺した秀吉は悪逆無道の逆賊ニダ
77日本@名無史さん:2013/10/28(月) 12:17:25.40
英雄というなら信長も秀吉も英雄だし、悪逆というのなら信長も秀吉も悪逆、それだけの話
恣意的にこっちは英雄でこっちは悪逆というのは無意味
78日本@名無史さん:2013/10/28(月) 12:32:17.75
信長は大量虐殺の悪逆無道のキチガイであり英雄なんかじゃねーよ。
79日本@名無史さん:2013/10/28(月) 13:55:28.94
項羽だってチンギスハーンだって英雄だけど?
80日本@名無史さん:2013/10/28(月) 14:12:05.34
>>79
それは大陸的英雄の価値観であり、
本朝の価値観ではありません。
君は日本人じゃないよね?
81日本@名無史さん:2013/10/28(月) 14:30:10.17
>>80
本朝てあなたw
楠木正成が最高の英雄っていうような価値観で語ってるの?
82日本@名無史さん:2013/10/28(月) 16:57:53.34
大陸では何十万人も殺すと英雄になれるし
味方兵士も大量に殺してこそ功を為せるからね。
日本兵はそれをやらなかったから後世に非難されてるんだよ。
83日本@名無史さん:2013/10/28(月) 18:48:28.94
お、おう...
つまり信長を英雄と捉えて今の風潮を作ったのは中国人てことだな
勉強になった
84日本@名無史さん:2013/10/28(月) 21:43:19.61
日本では1年を365日にしたり、1日を24に分けたりしたのはいつ頃からですか?
世界と国交がない時代に時間だけ共通なのは不思議な気がするのですが。
85日本@名無史さん:2013/10/28(月) 21:48:32.92
明治になって西洋暦に切り替えたとき。
86日本@名無史さん:2013/10/28(月) 22:26:50.23
>>84
中国の暦くらい調べろやクズムシが
87日本@名無史さん:2013/10/28(月) 22:58:41.79
暦は中国が世界に広めたの?
日本でも一日を24等分するのは大昔からあった気がするけど。
88日本@名無史さん:2013/10/28(月) 23:23:29.20
十二支で表記するんだから12等分は有ったが24等分は無い。
例えば一刻という単位は約2時間に当たる。
89日本@名無史さん:2013/10/28(月) 23:32:23.17
もうちょっと説明すると昼の12時は午の刻(うまのこく)なので、その前は午前、後は午後。
夜中の0時は子の刻(ねのこく)で2時が丑の刻(うしのこく)。呪いの儀式の丑の刻参りは
この時間にやる。
90日本@名無史さん:2013/10/29(火) 00:07:58.48
暦や時間を12や24等分にした概念が分からん。
天体を元に考えたのは分かるけど、何故12や24なのか。四季は何故4なのか。

歴史板で聞くことじゃないな
91日本@名無史さん:2013/10/29(火) 00:13:37.59
上にも書いたが中国が12等分したのは十二支に当てはめる為。
24にした理由は難しいがメソポタミア文明は60進数を使っていたのが
関係しているだろう。
92日本@名無史さん:2013/10/29(火) 00:22:43.95
ちなみに不定時法というもっとややこしい時間体系も有る。
昼の時間は日の出から日の入りまでを等分して、
夜の時間は日の入りから日の出までを等分して決める。
季節によって時間が伸びたり縮んだりする。
93日本@名無史さん:2013/10/29(火) 00:34:02.05
高校時代の世界史教師が
「中国が12を基本としたのは始皇帝の吉数だったからだ」
と言ってたんだが、ありゃ嘘か
94日本@名無史さん:2013/10/29(火) 01:43:00.22
十干十二支を使って日付を表記するのは甲骨文まで遡るので始皇帝より古い。
そしてどちらかというと五行説に則って5を基本とする事が多いと思う。
方角とか季節とか4つしか無くても無理矢理5にする。
方角 東・南・中・西・北
季節 春・夏・土用・秋・冬

方角は何とかなったけど季節はどうしようもないので、各季節の間に土用という
シーズンが挟まる事にした。今や春と夏の間の「土用の丑の日」しか馴染みが無いが
土用は年に四回有ります。

五行説と陰陽説が合体して陰陽五行説になると5の陰と陽とで10になるから
十干もそれで説明されるようになる。
95日本@名無史さん:2013/10/29(火) 10:19:11.09
>何故12や24なのか
洋の東西を問わず、誰もが数学教育を受けていたわけではない古代には、約数が多い12とか24というのは
扱いやすい便利な数だったってこともある
たとえば物を何人かで山分けする時、12個あれば、2人でも3人でも4人でも6人でも平等に分けることができる
これが素数の11個や13個だとそうはいかないし、10個だと2人、5人、10人の時しか平等に分けられない
だから、西洋では1ダースという単位がある
96日本@名無史さん:2013/10/29(火) 16:15:03.19
織田信長
内政放棄・金融政策欠如・軍事軍政改革皆無・織田侵攻地は亡国化・数十万人大量虐殺・欲しいものはどんな理由があろうが即没収。
休まず働かし部下を酷使・金策・兵糧・戦闘すべての援助を一切せず、部下の才覚や武辺道に丸投げ。失敗したらリストラ
才覚や武辺道のある部下は信長を下克上し、
才覚や武辺道のある部下は織田家を乗っ取る。
無能ブラック企業社長信長はやり手部下たちの実力で大きな会社にしたが、
その部下たちは自分らの力で会社を大きくしたのに増長しやがってと織田を倒壊させ、
部下たちは新たな会社を立ち上げた。
97日本@名無史さん:2013/10/29(火) 21:01:23.37
>>96
その部下も信長方式をおおいに取り入れて統一を果たしたんだがな。

>才覚や武辺道のある部下は信長を下克上し、

光秀は信長個人を倒したものの、すぐに織田家臣に滅ぼされたね。
この戦いで死んだ光秀の家臣達は死ぬ間際に主君のことどう思っただろう?

>才覚や武辺道のある部下は織田家を乗っ取る。

秀吉は信長が生きてるうちに自ら謀反を起こしただろうか?
信長が病気や老衰で寝込んだりして死ぬ間際にあったらどうか知らんけど、
少なくとも自ら動いたら、謀反人として家中・家外すべて敵にまわすことになる。
すなわち光秀と同じ運命。
98日本@名無史さん:2013/10/30(水) 01:19:37.91
>何故12や24なのか
中国が一年を十二分割しはじめたのは戦国時代からでそれまでは閏月を最後においた十三月を意味する甲骨文字がある

黄道に沿って各30°の広がりをもったバビロニア天文学の黄道十二宮が起こりではないだろうか
99日本@名無史さん:2013/10/30(水) 07:53:38.06
>>97
信長方式なんて誰も引き継いでねーよwwwアホかwww
100日本@名無史さん:2013/10/30(水) 12:37:00.95
秀吉が治水をしているのも田畑開発、水害防止、大坂から京への海上経済通商政策を理解しているから。
兵農分離の先駆けは天正13年卯月22日付けの秀吉朱印状が嚆矢。
紀州の雑賀・根来を討ったときに刀狩りを命じていて
その際に頭領の者を選んで皆殺し、平百姓は許すと書いていて
明確に兵と農を区別して国人指導層を殺し、武器を没収して完全な農民にしている。
これにより専業武士と農民が区分けされ秩序が生まれ国内は安定を迎えた。
信長にはそういう思考はなく皆殺しの撫で切りや根切りや磔など残虐な極刑による地域消滅政策。
秀吉は農村の生産力確保維持政策が基本にある。
秀吉の平和安定のための物流革命と言えば、信長死ぬや早くも
天正10年10月には京の出入口に設けられていた関所を廃止し(禁裏領率分関)、
信長のやり方の否定を開始し、次々と経済振興策を繰り出し始め、
ついには「公家武家地下商人に至っては諸役を止め、座を破らる。
これに依りて悦ぶ者多く悲しむ者少なし」などと秀吉の政策は激賞され、
「日本国の諸役、京のみいり(関銭)、兵庫の関、津々役儀かくのごとく往古より有り来る役さへあがり候処」と宣言し昔からあり続けた税の免除を開始。
「日本国諸役悉く上げ申し候処」
関所や港で商品にかける役銭をはじめとして日本国中のすべての役の賦課権を没収するまでに至り、空前の活況を示した。
信長のもとで関所や座の組合が経済活動を押さえ付けていたが(薄と言う公家が牛にまで税を賦課していたのも秀吉が完全廃止した)
これにより自由往来と自由通商が可能となり瀬戸内海から伏見〜京への河川流通網整備のため大河治水が開始された。
101日本@名無史さん:2013/10/30(水) 13:49:25.84
ここは質問スレなので自説をうたいたいなら信長スレに引越してくれ
102日本@名無史さん:2013/10/30(水) 19:33:46.07
公家の半家ってなにやっていたのですか?
103日本@名無史さん:2013/10/30(水) 19:49:15.61
半家は特殊な家業の家が多いし、むしろ羽林家のどっちつかずの家よりも家業が明確だから基本それがメインだろ。
104日本@名無史さん:2013/10/30(水) 21:45:31.01
ここで大量にコピペ張ってる人って
先祖が信長・秀吉・政宗の誰かに虐殺でもされたんじゃねえの

親のかたきかってぐらい恨んでるもんで
105日本@名無史さん:2013/10/30(水) 22:06:13.02
【朝鮮】アンチ秀吉コピペ爆撃報告スレ【旭日】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1375162107/101-200
     ↑
このスレで長文コピペ貼ってる人
24時間365日日本史板と戦国板に常駐してエラーが出るまでコピペを貼り続ける
何言っても聞かない基地外
106日本@名無史さん:2013/10/31(木) 08:38:07.52
日本人を虐殺した信長は英雄ニダ。
朝鮮人を虐殺した秀吉は悪人ニダ。
信長の批判は許さないニダ。
107日本@名無史さん:2013/11/01(金) 15:13:13.27
日本の朝鮮統治時代について質問(ちょっと長いです)
個人的に朝鮮統治の流れは
日本『戦争勝ったからとりあえず朝鮮半島くれ』
清『いーよ』(清であってるよね?)
何百年も続いた中国による支配を終わらせる
で、いざ貰ったらインフラや学力低くて『ダメだこれ、とりあえず朝鮮人の働き口必要だからインフラ整備と学校建ててやるか』ってことで朝鮮人の雇用と海外流出防止を兼ねたインフラ工事&学校建設や身分制度廃止等の近代化進める、割りと強めに統治
腐敗していた朝鮮国内の政治を終わらせる
したらなんか朝鮮人ども五月蝿いので統治を緩める、結構自由、民主主義
その間多少の朝鮮人が内地(日本本土)に来ることもあったがそのほとんどが自分の意思によるもので強制的なものはなかった、朝鮮人将校もいた
色々(太平洋戦争)あって日本が連合国側に朝鮮半島取り上げられたのでそれを良いことに『無理矢理支配されてたニダ、侵略されたニダ、強制連行されたニダ、被害者ニダ、賠償するニダ』って言ってる
てな感じに認識(かなり簡略だけど…)してるのだけど大丈夫?
てか近代に入ってから日本と朝鮮て戦争したことないよね?(中世まで行くと朝鮮出兵あるから微妙だが)
自分でもたまにヒクくらいの嫌韓なんだが嫌うなら嫌うで軽くでも良いから彼等の言う『歴史の歪曲()』を知っておきたいので間違ってたら出来る限り中立な視点で教えていただけるありがたいです
108日本@名無史さん:2013/11/01(金) 18:29:33.84
日本史でお勧めの本、面白い本を教えて下さい。
当然、古田武彦みたいなインチキ本は除きます。
109日本@名無史さん:2013/11/01(金) 19:07:11.47
古代日本史に関する評価の高い通史ってなんでしょうか?中公旧版の該当巻は読みやすかったですが私でも古いと感じる学説が多かったです
110日本@名無史さん:2013/11/01(金) 20:55:39.72
>>108
安部龍太郎の小説が個人的には好きです
111日本@名無史さん:2013/11/01(金) 21:34:34.62
112日本@名無史さん:2013/11/01(金) 22:58:45.60
天皇は英語でエンペラーですよね。
エンペラーと言えば皇帝ということですが天皇は皇帝なんですか?
以前、世界史板で天皇は中国の歴代皇帝とも対等だったとありました。
ローマ帝国の皇帝はヨーロッパから中東・北アフリカまで治める
文字通り「皇帝」と言われてわかりますが天皇は日本列島という
島国の一君主に過ぎないと思うのですが。
だったらイギリス王だって皇帝でいいのでは?
この辺はどのように解釈すればいいのでしょうか?
113日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:08:05.17
>>112
皇帝の定義をよく分かってないから質問しているのだろうに
なんでローマは文字通りの皇帝だなんて解釈しているのか
114日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:41:45.09
>>112
>以前、世界史板で天皇は中国の歴代皇帝とも対等だったとありました。
日本国王だと中国の皇帝に格下扱いになるのでわざわざ天皇という称号を作った。
だから権力としての実態はともかく外交上は皇帝扱いだ。

>だったらイギリス王だって皇帝でいいのでは?
イギリス王はイングランドというブリテン島南部の王で、北部はスコットランド王という別の王権だよ。
今は兼任してるけど。
115日本@名無史さん:2013/11/01(金) 23:58:02.38
>>114
聖徳太子が隋の煬帝に送った手紙は有名ですが
それ以降の唐や宋といった王朝も天皇を皇帝と対等の存在として認めたのでしょうか?
116日本@名無史さん:2013/11/02(土) 00:18:46.06
そもそも認めてない
中華思想では皇帝と対等などありえない
冊封外の異民族、中国から王様を任命されない国になっただけ
それを第三者的に見れば対等という
117日本@名無史さん:2013/11/02(土) 15:19:33.38
天皇が外交上皇帝だってのはないわ
東アジア世界では中国皇帝が唯一の皇帝なんだから
こういうとシナ人だと言われるんだろうけどなw
118日本@名無史さん:2013/11/02(土) 15:49:08.50
>>117
東アジア世界も時代によって様々だっつーの
119日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:15:45.45
少なくとも清末までは中国皇帝が東アジアではNo1だよ
120115:2013/11/02(土) 16:22:48.21
言葉足らずですみません。もちろん皇帝が東アジアでNo1であることは承知しております
中国歴代王朝から見た天皇の立ち位置を教えて下さいませ
121日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:34:54.86
残念ながら明治まで眼中にない
交流がないからね
その間に足利義満や徳川家康なんかの武家が中国皇帝から日本国王の称号で呼ばれてる
朝貢してそれより大きな見返りを得る
貿易と教えられるが実際は冊封だよね
天皇は関与してないから正式にそうだったと解釈しないだけで
122日本@名無史さん:2013/11/02(土) 16:37:32.04
あと維新後に大日本帝国を名乗った際、英語でエンパイアオブジャパンとした
だから天皇はエンペラー
123日本@名無史さん:2013/11/02(土) 17:30:15.31
ベトナムも称号は皇帝なんだけどな
日本だけが皇帝で偉いとか言いたげな奴がいるけどそいつらはネトウヨの類でしょう
124日本@名無史さん:2013/11/02(土) 17:34:20.79
おまえらが見下す朝鮮も近代には清の手を離れ大韓帝国だしwwwチョンが皇帝だしwwwネトウヨざまぁぁぁ
125日本@名無史さん:2013/11/02(土) 18:34:23.54
ローマ皇帝はカエサル、ロシア皇帝はツァーリだが便宜上皇帝と呼んでるのと同じ
あと王より皇帝のほうが上という概念は東アジアだけであって西洋にはない
イギリスの女王がロシア皇帝より格下なんて誰も思ってない
その国の王様の呼び方の違いくらいに思っておいたほうがいい
ただ、天皇は確認できる中で世界で一番継続してる制度であり誇るべきものであることは間違いない
126日本@名無史さん:2013/11/02(土) 18:58:32.00
>>124
清の手から離したのがどこの国だったか知ってて言ってるのなら大したもんだ
127日本@名無史さん:2013/11/02(土) 20:29:47.11
128日本@名無史さん:2013/11/02(土) 20:30:22.45
>>123
いや大皇帝だ。清朝から冊封はうけない。
ベトナム国王は、清朝皇帝からもベトナム大皇帝からも二重に所領安堵される。
129日本@名無史さん:2013/11/02(土) 22:52:07.00
>>125
>イギリスの女王がロシア皇帝より格下なんて誰も思ってない

ヴィクトリア女王はエンペラーの称号にものすごくこだわっていて、インド女帝になったんだが
少なくとも彼女は英国女王がロシア皇帝より格下になってしまうと思っていた
130日本@名無史さん:2013/11/02(土) 23:19:15.77
世界史は知らないけどベトナムの君主称号って皇帝だったの?
いわゆるエンペラーなの?
あんな細長い小さな国土で皇帝ってなんなんだ?
131日本@名無史さん:2013/11/02(土) 23:22:47.64
>>129
いや、そういう名称の拘りの話じゃなくロマノフ王家やロシア国民がイギリスを格下扱いしたり、逆にイギリス王室や国民がロシアを格上として対応した事実はないってこと
132日本@名無史さん:2013/11/02(土) 23:25:31.38
江戸時代の北町奉行所と南町奉行所は本当に中が悪かったの?
133日本@名無史さん:2013/11/02(土) 23:29:48.30
>>130
格上がどうとかじゃなく東アジアでは王は皇帝に任命される君主のことだったから中国の冊封を抜けたり朝鮮のように属国をやめて独立すると皇帝となるってだけ
帝国主義においての皇帝とはちょっと意味合いが違う
134日本@名無史さん:2013/11/02(土) 23:41:16.43
>>132
多少はライバル意識や手柄争いはあったかもしれないが、特に仲が悪かったというほどではない
そもそも、北町奉行所と南町奉行所は、その名称から担当地区が違うかのように思われがちだが
実際にはそうではなく、1ヶ月ごとの交代制
(交代制といっても、休めるわけではなく、その間に事務処理を片付ける)
だから、時代劇でたまにあるように、北町奉行所と南町奉行所の同心が同時に事件の現場に来て
調査で張り合うような場面は実際にはない(前月の事件が持ちこされて調査権が移ることはあるが)
135日本@名無史さん:2013/11/05(火) 00:37:41.74
実家が創価で俺は生まれながらの創価学会員なんですが
ぶっちゃけて話すと日蓮は当時鎌倉時代で言えばいわゆる
キチガイ坊主とか現代語で言えばカルトとかそういう扱いであったという
理解でいいんですか?

自分は学会活動も信仰もしていませんが昔いろいろと日蓮の
話を聞きましたがなんか胡散臭いというかw
136日本@名無史さん:2013/11/05(火) 01:17:48.08
敵しかいなきゃ何事もはじめられないし
何事かをはじめるなら既得権保持者に攻撃される
むしろ完璧な聖人とされる人物にこそ胡散臭さを感じるけどね俺は

関係ないはなしだがイエスの逸話なんか普通に読んだら鼻摘み者の山師だ罠
何であんなのが祭り上げられるのかマジで分かんねぃ
上から下げ渡された宗教ではないやつでカルト的なもののない新興宗教って例えば何よ?
137日本@名無史さん:2013/11/05(火) 01:37:28.17
>>135
平安末期以降に出来た大宗派の殆どはインドにも中国にもない日本独自の仏教なので全てカルトと言えばカルトです
当時からすれば新興宗教なので奇異の目で見られたでしょうね
間違いなく言えることは池田大作はカルトです
138日本@名無史さん:2013/11/05(火) 08:21:35.68
日蓮はモンゴルの侵略と二月騒動を予言して当てたというが本当なのかしらね?
イエスキリストが手で触れただけで病気を治したとか死体に語りかけて死人が蘇ったレベルの胡散臭さだけどw
139日本@名無史さん:2013/11/05(火) 10:43:46.33
>>138
まあ、仮にも僧侶だから「蒙古ってすごい国があって宋をおびやかしている」程度の知識は
あったろう
それで「日本の指導者や民がこのまま私の教えを聞かないのであれば、必ず仏罰がある、
その恐ろしいモンゴルが日本に攻めてくるぞ」なんて布教のための脅しに使ってたら(あるいは
本人は根拠もなく本気でそう思っていたかもしれないな)、たまたま本当にモンゴルが
攻めてきた
驚いた信者が話に尾ひれをつけて、二月騒動まで言い当てていたことにした
……ぐらいなら、まったくありえない話でもないと思う
140日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:48:06.67
>>136
あれもカルトといえばカルトといえるが
戦後の話だと、北村サヨの踊る宗教があっただろうww
安倍総理のおじいちゃんの岸信介も懇意にしていたそうだけど
あの宗教は、当時の人は面白おばちゃん認定していて、
人畜無害なカルト認定したようなのだよなぁ
文春の文士も、一緒に記念撮影をしてニコニコしていたから
君の言うカルト的でない新興宗教といえばそれが一番あてはまるのでは
と思うのだ。
141日本@名無史さん:2013/11/07(木) 00:15:23.00
何で上から目線なのかさっぱりワカランけど
楽しそうだね
142日本@名無史さん:2013/11/07(木) 16:16:09.38
昔読んだ小説で、江戸時代に困窮した浪人が飢えのあまり腹を斬って死んだが、
先祖伝来の具足の中には小判が何両も入ってたって書いてありましたが、
史実なのでしょうか?
143日本@名無史さん:2013/11/07(木) 23:20:17.13
腹を切る程困窮してたらその具足は既に質屋に持って行ってるだろう。
144日本@名無史さん:2013/11/08(金) 08:43:40.92
まぁ大事なものなら定期的にメンテしないといけないから
気が付かずにスルーな可能性は低いだろうねぇ

子孫にも見つけられないように気合入れて隠したんならともかく
145日本@名無史さん:2013/11/08(金) 09:38:54.45
その小説には、武士は戦があれば馳せ参じることになるため、
その時に必要な軍資金として鎧具足の中にお金を入れて置くことがあり、
また戦関係以外の用でそのお金に手を付ける事は武士を捨てることに
相当するとか書かれてました。 
しかしそこまでの戒律は創作っぽいですよね。
146日本@名無史さん:2013/11/08(金) 14:01:12.28
誰の何て小説?
147日本@名無史さん:2013/11/08(金) 14:24:48.51
その美意識が当時の常識だったなら竹光差した浪人は切腹すべき人達ということになる
具足どころか武士の魂とまで言われた刀を売るなり質に入れるなりしてるわけだしね
その手の逸話は確かに昔から小説なりドラマなりで描かれてるけど、当時の庶民や現代の我々から見た武士という特殊な美意識の人達を皮肉った創作の滑稽譚じゃないかな
148日本@名無史さん:2013/11/08(金) 21:41:49.16
大河ドラマを見たら、幕末をよく知らない私には松平容保がバカ殿に見えました。
なんでわざわざ苦労するとわかっている京都守護職を引き受けたのかわかりません。
結局、会津藩の財政を疲弊させ、他藩の恨みを買い、挙げ句の果てに勝ち目のない戦争に追い込まれ、沢山の死者をだしました。

そんな大惨事を引き起こしたのに切腹も出家もせず、wikiを見るとそれなりに平和な老後を要領よく過ごしたように思えます。

しかし、彼は忠義の士として人気が高いです。天皇への忠義に生きた立派な方なんでしょうか。
あのご時世ではあのような選択しかなかったのでしょうか。
当時の価値観や時代背景がよくわからないです。
149日本@名無史さん:2013/11/08(金) 22:00:21.15
当時の価値観も時代背景もへったくれも、君が結果を知った上で決めつけてるだけじゃん。
150日本@名無史さん:2013/11/08(金) 22:35:38.73
きつく言うとそういうことだね
大河ドラマは見ていないのでどう描かれたかは知らないけど、尊皇思想でありながら断りきれない理由は会津松平藩の成り立ちに由来があるかもしれない
そもそも徳川家の分家でもないのに何故松平姓なのかだね
確か藩祖が徳川家へのそれまでとこれからの忠勤を認められたことから松平姓を賜ったはず
元々は保科だったっけか
それとその時はまだ朝敵ではないので尊皇と佐幕が矛盾していなかったし、天皇自身も将軍を信頼していた
それにこの件に限らず幕府からの仕事で財政が逼迫するのは江戸幕府が始まった時から各藩の力を削ぐために政策として常態化していたしね
代表的なのが参勤交代だけど、やれ橋を作れ寺を作れ幕府の建物を建てるから金を出せなどなど
天災のようなものとどの藩も余程の理由がない限り受け入れていた
何せどんな難癖付けて改易やお取潰しされるか分からない
まさか幕府がなくなるなんて思ってもなかっただろうしね
長々書いたけどこれがあなたのいう当時の価値観とか時代背景で合ってるかな?
151148:2013/11/08(金) 23:24:48.84
NHKのドラマなんか見てません
ドラマをみた人が高評価しているのは知ってます
僕はそれが気に入らないですぅ〜そんな事は認めません!
少しでも瑕疵があるなら、全力で叩くのが僕たちネラーの義務じゃないですか!
誰かが褒められるのは耐えられないし、この人ちょっと検索しただけでも叩ける要素が満載ですぅ〜
みなさん一緒に叩きましょう
152日本@名無史さん:2013/11/08(金) 23:28:12.02
>>149>>150
ありがとうございました。無知ですみません。

>>151
不快に感じたなら申し訳ありませんでした。
153日本@名無史さん:2013/11/08(金) 23:40:09.51
>>150
>そもそも徳川家の分家でもないのに何故松平姓なのかだね
藩祖保科正之が将軍秀忠の隠し子だから一門だ。
154日本@名無史さん:2013/11/08(金) 23:43:56.71
>>153
本気で言ってるそれ?
155日本@名無史さん:2013/11/08(金) 23:54:18.79
>>154
お前こそ何を言っている?
156日本@名無史さん:2013/11/09(土) 01:46:19.74
前田 伊達 島津 毛利等徳川の分家でもなくて松平姓も多いよね
157日本@名無史さん:2013/11/09(土) 01:51:00.08
誰も京都守護職なんてなりたくなかったんだけど越前松平が会津おだてて引き受けさせたんだよね
維新後は賊軍会津は十分冷飯食わされたと思う
越前は新政府でちゃっかり薩長土肥に次ぐ地位だし
158日本@名無史さん:2013/11/09(土) 11:00:39.76
武家としては一番の天皇の忠臣のような立場から賊軍になるなんて想定外だ。
朝廷にも幕府にも忠を尽くした結果が仇となった。
あとは東北という佐幕が多い地理環境も影響しているだろう。

文久の改革が主導した薩摩が倒幕派の長州側に寝返ったことが会津にとってはターニングポイントだな。
それまでは薩摩とともに賊軍長州から朝廷を守るという大命を果たしていたわけだから。
かつ幕府の命として沿岸の防備にも従事するなど薩長同盟成立までは八面六臂の動きだよ。

つまり封建時代において>>148のような発想を会津のような藩が持てるはずもなかろう。
京都に近い藩なら津藩や淀藩みたいにあっさり新政府側に寝返るようなシチュエーションもあったかもしれないが
それでも藩祖正之公の遺訓は偉大だったのでは。そういう意味では悲劇というか悲惨な藩だ。

そういうこともあって、昭和になって容保の孫娘が昭和天皇の弟宮に嫁ぐなどの名誉回復が図られてるね。
現在の徳川宗家当主も会津松平家一門出身だし。
159日本@名無史さん:2013/11/09(土) 17:55:35.39
東海道筋の譜代大名が譜代として機能しなくなってた時点で
幕府はオワコンだったんだよ
あとは惰性で続いてただけ
160日本@名無史さん:2013/11/11(月) 00:49:01.04
江戸時代(開国前)の日本に諸外国のスパイって潜伏してなかったの?
シーボルトとか怪しいし漁民の流民を捕まえて再教育して送り込んでもいけそうだけど
(通信手段は渡り鳥とかで)
161日本@名無史さん:2013/11/11(月) 01:11:00.30
ロシアは遭難者に日本語教師をやらせていた。
また遭難者の送還を理由に入港許可を得ようとした。
その機会に国書を渡すつもりだったが門前払いにされた。

シーボルトは弟子たちを使って日本各地の文物を調査した。
伊能忠敬が作った日本地図も手に入れて国外に持ち出そうとしていた。
その活動はまさにスパイだが個人的な博物学的関心だから諸外国のスパイではない。
162日本@名無史さん:2013/11/12(火) 17:07:57.73
ふーん、そうなんだー。
163日本@名無史さん:2013/11/12(火) 19:26:55.30
シーボルトは確信犯だよ。
オランダ政府とつるんでたのがその証拠。
アラビアのロレンスが
表向きは考古学者という肩書きだったが
実は英国諜報部のスパイだった――てのと同じパターン。
164日本@名無史さん:2013/11/12(火) 20:16:17.04
古来学問の為に軍に協力する人は少なくないけどね。
現代でもいろんな科学技術がアメリカ軍の資金で研究されている。
筑波大のロボットスーツの先生は断ったけど。
165日本@名無史さん:2013/11/12(火) 20:25:19.62
日本人で初めて豪州やNZに行ったのは誰?
166日本@名無史さん:2013/11/12(火) 22:06:45.05
戦国時代のキリシタン大名が日本人の奴隷貿易してたというのはホント?
167日本@名無史さん:2013/11/12(火) 22:31:33.99
日本の皇室の秋篠宮文仁、常陸宮正仁などはイギリス王室でいう
エジンバラ公フィリップ、ウェールズ公チャールズ、ケンブリッジ公ウィリアムと
同じ感じと捉えていいのでしょうか?
168日本@名無史さん:2013/11/12(火) 23:15:16.61
>>167
感覚は人それぞれなので何とも言えませんが、
続柄から言えばあなたの感覚は相当いかれていると言えます。
169日本@名無史さん:2013/11/13(水) 08:30:44.85
>>167
>>168は日本の皇室のこともイギリス王室のことも知らないバカだから気にしない方が良いよ
170日本@名無史さん:2013/11/13(水) 12:57:24.13
日本が中国王朝、朝鮮半島より豊かになったのはいつごろからですか?
171日本@名無史さん:2013/11/13(水) 13:08:17.62
>>170
マルチするなカス。死ねよ
172日本@名無史さん:2013/11/13(水) 21:49:54.01
>>169
他人を平気でバカと罵る貴殿に是非御高説を賜りたいものですね。
173日本@名無史さん:2013/11/13(水) 22:34:33.51
と、他人に対していかれていると罵倒する人が申しております
174日本@名無史さん:2013/11/13(水) 22:53:13.01
>>173
日本の宮号と英国の爵位、次男・弟と夫・長男・孫、
わざわざ異質な物を比較して、同じ「感じ」などという曖昧なことを尋ねるのは、
相当いかれていると思いましたが、気に障ったならごめんね。
>>169には日本の皇室や英国の王室への博識ぶりを是非披瀝してもらいたいものですね。
175日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:09:35.51
異質だから感じと曖昧に尋ねてるんじゃないのかw
176日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:19:38.01
>>175
異質だと少しでも思うならどうして他者が同じ感じに思うことを想起するのでしょう。
理路がおかしいとは思いませんか?
177日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:32:48.58
おもいません
178日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:34:53.81
そうなんだ、すごいね!
179173:2013/11/13(水) 23:37:04.27
>>174
おまえは何言ってんだよw
俺は質問した>>167でもなければ>>169でもねーよw
煽るだけなら出てくるなって話だ。
ここは質問聞いて答えるスレだ。消え失せろ。
180日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:38:57.54
>>168=>>174
質問スレで煽ることしか出来ないおまえの方が十分いかれているけどな
バカだから自分がいかれていることにも気がつかないかw
181日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:43:07.58
>>179>>180
俺の相手する暇があったら>>167に適切な回答してやればいいじゃん
それが出来ない時点で俺と同レベルかそれ以下の不要レスだね
182日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:46:31.75

目くそ鼻くそw
183日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:48:08.46
>>182
自己紹介乙
184日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:50:25.38
「いかれてる」と批判するなら批判した奴がどこがどう違うのか言う義務はあるよなw
それをしないんだから単なる頭のいかれた荒しということだなw
人に回答してやれという前に批判したおまえが回答してやれよw
185日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:52:56.69
>>184
>>174で理解できないなら参加しない方が身のためですよw
186173:2013/11/13(水) 23:55:23.08
>>181
まあ俺のレスも不要だろうなw
でも煽って荒しているおまえの方がもっと不要だから消えろ。
187日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:57:49.47
>>186
君のように反応する人が居なくなれば消えるんじゃないかな、荒らしって。
188日本@名無史さん:2013/11/13(水) 23:59:42.11
と、反応している荒しw
189日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:02:20.42
今夜はキチガイが湧いているのか
ageておくw
190日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:02:41.04
>>188
私は>>167に幾ばくかの意見を述べてるけど、
私を荒らし扱いする人たちは質問に対して何にも言わないのはどういうわけだろうね。
191日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:06:41.46
今日はなんで荒れているの?
192日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:07:11.94
伸びていると思ったら荒れているのか
193日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:09:02.80
>>190
目くそ鼻くそw
194日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:09:19.78
>>193
また会えたねw
195日本@名無史さん:2013/11/14(木) 00:11:00.74
耐性ないんだなおまえら
196日本@名無史さん:2013/11/14(木) 08:00:17.95
うわ荒れていたのか。
「初心者歓迎」とうたっているのに初心者質問に「いかれている」という奴がいかれているし完全に荒しだろうw
197日本@名無史さん:2013/11/14(木) 15:55:39.65
>>196
初心者を見下して満足しているゴミだなw
198日本@名無史さん:2013/11/14(木) 16:34:33.35
高校時代に日本史の授業で警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
戦国時代に入って権威権力が低下したって教わりましたが本当ですか?
もし本当ならなんでそうなったのでしょうか?
199日本@名無史さん:2013/11/14(木) 17:29:47.94
権威権力を保証していた体制が崩壊していったから
200日本@名無史さん:2013/11/14(木) 18:39:55.49
>>198はバカ。
警察機構ができたのは明治。
そしてそれに答えている>>199も適当な回答をしてオナニーしているカス。
201日本@名無史さん:2013/11/14(木) 18:40:57.56
>>200
守護の役割って知ってるか無知蒙昧くん
202日本@名無史さん:2013/11/14(木) 19:07:48.82
>>201
バカ死ね。

>>198を読め。

>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど
>警察は戦国時代まではすごい権力があったけど

守護なんてどこに書いているの?
警察は明治になってからじゃん。
守護は室町幕府が崩壊し織田も豊臣も設置しなかったので自然消滅した。
権威権力が低下したのとは違うだろうが。

だから>>198はバカそのものなんだよ。
203日本@名無史さん:2013/11/14(木) 19:09:06.38
>>201は質問者>>198本人か?
204日本@名無史さん:2013/11/14(木) 20:02:54.36
何かここも博士スレと同レベルになってきたな
あっちの問題児達が流れてきたか?
205日本@名無史さん:2013/11/14(木) 20:11:07.03
昨日から初心者を煽ってオナニーするカスが住み着いたんだよ
206日本@名無史さん:2013/11/14(木) 21:19:54.39
質問者より煽りの方に反応する奴が多いから荒れると思うんだけど
207日本@名無史さん:2013/11/15(金) 07:54:15.63
よろしくお願いします。
平成→西暦では月日は変わらないのに、なぜ慶応3年11月15日は、西暦では1867年12月10日になるのでしょうか。
208日本@名無史さん:2013/11/15(金) 09:34:45.73
太陽太陰暦とグレゴリウス暦の違いじゃない?
209日本@名無史さん:2013/11/15(金) 12:07:32.11
>>207
昔の日本が西洋と同じ暦を使っていたわけがないでしょ
長文になるけど、ちょいと我慢して
暦の歴史ってけっこう面白いから

1年のうちのどの日を1年の始まりとするかや、1年の長さは、採用している暦によって違う
たとえば、古代ローマでは、3月が1年の始まりだった
その名残で、セプテンバーなどの9月〜12月までの英語の月名は、実は7番目〜10番目の月の
意味のラテン語に由来しているのだ

太陽の周期(たとえば冬至から次の冬至まで)を基準にしている暦を太陽暦、月の満ち欠けを
基準にしている暦を太陰暦という
昔の人には、暦を決めるのに、月の満ち欠けは大事な基準だった
たとえば、いまでも一部のイスラム教国ではヒジュラ暦を正式に使っているが、これは太陰暦
これは、ヒジュラの年(西暦でいうと622年)を元年としていて、1ヵ月を月の満ち欠けに合わせている
ため、1年の長さは354日となる
当然、こういう純粋な太陰暦は、実際の季節の変化と合わず、農業に向かないなどの欠点がある

そこで、太陰暦で季節がずれてくると、「閏月」を入れて調節したのが、昔の中国や日本の旧暦
このようにして太陰暦を太陽暦に近くなるよう調整したものが太陽太陰暦(あるいは太陰太陽暦)
旧暦は月の満ち欠けと一致しているので、1日は新月だし、15日には満月になる
3日の細い月のことを「三日月」と言う
210日本@名無史さん:2013/11/15(金) 12:10:20.79
続き

一方、古代エジプトでは、1年が365日と1/4であることに気づいて太陽暦を作り、エジプトを征服
したユリウス・カエサルがローマ帝国でもこれを採用して、ユリウス暦を作る
これが西暦の元になる
ただし、この暦も100年に3日のずれが生じてそれが少しずつ蓄積し季節とずれてきたため、教皇
グレゴリウス13世がユリウス暦を改良し、現在の西暦、グレゴリウス暦(グレゴリオ暦)を作った
あいにく宗教改革の時代だったため、新教の国ではカトリックの教皇の定めた暦の採用が遅れて、
ユリウス暦とグレゴリウス暦でも日付に差が生じたりした
それらのユリウス暦採用国も、時代がくだるとグレゴリウス暦に移行するけどね

日本が西暦(グレゴリウス暦)に切り替えるのは、明治5年のこと
翌年に閏月が控えていたので、その分、年間の公務員の給料の出費が多くなるため、慌てて閏月
のない西暦を採用したのだそうな
布告によって、明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日を明治6年(1873年)1月1日として、
強引に西暦に合わせ、ついでに明治5年12月分の公務員給料まで節約した

というわけで、現在では、平成何年と言っても、グレゴリウス暦の年に年号をつけているだけなので、
西暦と日付が一致しているわけ
211日本@名無史さん:2013/11/15(金) 12:18:47.30
訂正

ユリウス暦のずれは、100年に3日ではなく、400年に3日だった
212日本@名無史さん:2013/11/15(金) 12:33:48.83
質問があります。
今の日本でも太陰太陽暦の新しい暦を作ろうとする人、
研究する人はいるのでしょうか?
正直まだ由緒ある神社では旧暦で行事を行っているところもありますし、
漁師や気象庁、及び防災担当者はお月様のことを勘案しないと
仕事にならないと思いますからその辺の需要はあると思うのですが
213日本@名無史さん:2013/11/15(金) 12:44:32.63
>>212
旧暦を併記したカレンダーは今でも売ってるよ
214日本@名無史さん:2013/11/15(金) 13:08:03.62
日本の近代における心中や自殺についての人々の考え方や歴史が詳しく書かれている本があれば、
教えてください。
215日本@名無史さん:2013/11/15(金) 19:03:50.86
太陽太陰暦の便乗質問です。
閏秒?の調製を毎日してないのに時間がズレていかないのは何故でしょうか?
1年は約8766時間(365日と1/4日)で約4年に1回閏年をもうけて調整しています。毎日1分ほどのズレです。
これだと1年後の今日は日没が時計の上では23:00頃になってしまう気がします。どこが間違っているか、ご教授お願いします。
216215:2013/11/15(金) 19:19:52.64
失礼しました。自転と公転の違いを理解していませんでした。スレ違いもごめんなさい。
217日本@名無史さん:2013/11/15(金) 20:29:09.68
>>208-211
なるほど……。難しくも面白い、ですね!ありがとうございました!
218日本@名無史さん:2013/11/15(金) 22:29:40.63
日本人がアメリカ大陸の存在を知ったのはいつ?
南蛮貿易の商人から知らされてたの?

アメリカ合衆国成立はオランダ経由で伝わったとは思うけど
219日本@名無史さん:2013/11/15(金) 22:39:27.63
>>212
今使われている旧暦は近い将来に破綻して日付を決定出来ない期間が発生するんだけど、
それをどうにか解決しようという話は無いようです。少なくとも国は旧暦は公式なものではない
から関知しないという立場のようです。
220日本@名無史さん:2013/11/16(土) 00:06:12.65
>>212
月の動きは太陰暦とは関係なく、毎年国立天文台が発表しています。

旧暦の日付が必要な場合、江戸時代 (1844年) に制定された天保暦をもとに計算しています。
この暦は「冬至が11月、春分が2月、夏至が5月、秋分が8月」になるように調節されていますが、2033年には8月の2ヶ月後が11月になってしまう問題が生じます (天保暦が制定されてから初めてのケース。今後も100年おきくらいに発生するかしないか)。
221日本@名無史さん:2013/11/16(土) 13:49:15.61
>>218
南蛮貿易の頃に来航してきたスぺイン人は、メキシコから太平洋を横断し、フィリピンを経由して
日本に来ていたので、アメリカ大陸の存在はおそらくその頃から日本人も聞いていたろう
支倉常長の慶長遣欧使節団も太平洋・メキシコ・大西洋を横断するルートでヨーロッパと往復している
222日本@名無史さん:2013/11/16(土) 14:09:31.22
春日局は巨乳だったって本当ですか?
223日本@名無史さん:2013/11/16(土) 19:25:34.94
明治時代までコンクリート技術が発展しなかった理由を教えてください
224日本@名無史さん:2013/11/16(土) 20:13:45.03
石灰の商業生産がなかった。以上
225日本@名無史さん:2013/11/16(土) 20:26:19.37
石灰の生産はあったよ、壁とかの漆喰(しっくい)に使われている
その漆喰があったから、コンクリートは必用なかったとも言える
また、コンクリートの建造物は、地震が多く多湿な日本には合わなかったということもあるだろう
226日本@名無史さん:2013/11/17(日) 11:25:13.85
地震が多く多湿な日本にコンクリは
しっくい(しっくり)いかなかったわけだな
227日本@名無史さん:2013/11/17(日) 13:52:09.66
審議中
228日本@名無史さん:2013/11/17(日) 14:16:05.13
幕末の時点で日本はすでに欧米に文化・社会・経済・軍事のレベルで欧米列強に
並んでいたと予備校の日本史の先生が言っていましたが本当なんですか?
229日本@名無史さん:2013/11/17(日) 14:49:51.62
>>228
いろいろな見方もあると思うが、文化や経済では欧米と並んでいた部分はある
大坂では商人たちが先物取引をやっていたし、識字率は同時代の欧米より高かったぐらいだ
でも、社会と軍事についてはちょっと言い過ぎじゃないか?
封建社会が欧米列強の社会と並んでいたというのは無理があると思うし
軍事に至っては、黒船が来ただけで右往左往の体たらくだ
なんとか強くなったのは、欧米の先進の船舶や銃砲や軍事技術を幕府や諸藩が導入してからだし
230日本@名無史さん:2013/11/17(日) 15:22:10.58
>>229
昔、世界史板でこんな議論がありました。

「幕末日本はアジアの大国である清、オスマン帝国より先進的であり進んでいた。」
「清もオスマン帝国も中世から進歩していない」

これはどうなんでしょうか?
質問攻め失礼します。
231日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:03:03.66
どうって言われても何が聞きたいのか分からないし。
世界史スレ池
232日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:07:35.59

質問の趣旨が理解できない文盲
233日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:11:33.75
幕末日本が欧米に並んでいたとか清より上だったとか
さらに中国から冊封を受けたことがないとか言う奴は
日本をマンセーしたいネトウヨじゃないのかな?
234日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:14:55.42
はい?日本は中国から冊封なんて受けてないぞ?何を言ってんだよ嘘つき中国人めが
235日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:17:06.21
この時代は毎回荒れるな
236日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:25:06.74
世界史板と言えば昔、日本は渤海にも朝貢していたとかほざくカスがいたけど流石にもう死んだかな?生きる価値なし!
237日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:35:09.82
詳しくないのだが渤海とは中国の地名で国ではないような…
238日本@名無史さん:2013/11/17(日) 16:41:22.43
>>237
この場合の渤海は、国名だよ
698〜926年に存在した国
727年に使節が来日するなど、日本とも交流があった
239日本@名無史さん:2013/11/17(日) 17:47:19.26
>727年に使節が来日するなど、日本とも交流があった

日本が渤海に朝貢したんじゃなくて渤海が日本に朝貢したんじゃないのか?
240日本@名無史さん:2013/11/17(日) 17:52:06.38
鎌倉時代の守護の権限に「殺害人の検断」ってあるけど、
この場合の「殺害」ってのは武士の私闘による殺し合いのこと?
それとも、一般庶民の間での殺人も対象なの?
241日本@名無史さん:2013/11/17(日) 22:26:17.71
>>239
wikipediaによるとそうらしい。元々は唐と新羅などが接近して孤立した渤海が日本に
使節を送り、日本側はそれを朝貢として扱った。おかげで貢物の数倍のお返しをする
義務が出来て後々負担になったらしい。
242日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:10:21.41
>>234
日本は卑弥呼の時代から冊封受けてるじゃんw
ネトウヨ論破www
243日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:13:37.45
ソースどうぞ
漢文、英語でもok
244日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:26:08.43

日本が最強もっともすぐれているというデマを流布するネトウヨ乙
245日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:28:18.66
魏志倭人伝
246日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:34:24.42
えっ?>>243は日本は冊封を受けたことないというのか?
247日本@名無史さん:2013/11/17(日) 23:54:28.51
だから、魏志倭人伝でもいいから
卑弥呼が冊封受けていたという文をここに書けよ…
日本語読める?(^-^)
248日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:02:05.05
中国の史書に現れた三国時代周辺で日本が中国に朝貢を行っていた記録
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/bunken.html
249日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:23:25.67
>>247
「親魏倭王」の金印を貰っているのに冊封受けてないってのは流石に無理だろ。
250日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:34:16.90
でも今みたら確かに魏志倭人伝には確かに冊封の記事は無いなぁ

金印てのは後世の勘合符貿易みたいに唯一みとめる正当な窓口の証拠として
使われたんだろうってのはわかる
「対中国窓口」に任命するって程度の意味だろう
冊封は冊封でも日本の支配者に任命するってのとは意味が違う
251日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:37:48.72
魏志倭人伝に「生口を献じ」ってあるだろうが
対等な貿易相手ならなぜ「献じ」る必要があるんだ
252日本@名無史さん:2013/11/18(月) 00:54:13.18
228以降のネタフリが数ヶ月前の世界史板質問スレのリピートな件
日本史板では食い付きが悪いのか誰も釣られないのか
228がアホなネトウヨを自演している希ガス

228を除けば、この話題に食いついているのは世界史板と同じ奴が
この板でも釣られているのか?
253日本@名無史さん:2013/11/18(月) 10:15:21.37
日本を中国に頭下げてたことを認めたくないネトウヨがいるんだなw
254日本@名無史さん:2013/11/18(月) 10:38:47.22
何処をどう読んだらそう思うの?
中国に冊封してたのは問題ないのだよ
今話しているのは冊封していたかソース出し合って話しているの
国語の勉強しろよ?
255日本@名無史さん:2013/11/18(月) 16:06:48.73
んじゃおまえがソース出せよ
出せないなら消えろ
256日本@名無史さん:2013/11/18(月) 16:16:40.91
ずっと出して話してるよ
おまえこそ消えうせ路
二度と来るな
257日本@名無史さん:2013/11/18(月) 16:25:17.94
>>256
必死www顔真っ赤www悔しいねw涙拭けよゴミw
258日本@名無史さん:2013/11/18(月) 18:33:31.52
>>254
話しあっているってここは話し合うスレじゃなくて質問を受けて回答するスレだろ
雑談ならよそでやったらどうなんだボケ
259日本@名無史さん:2013/11/18(月) 19:43:00.19
柵封の定義付けからしないといけないようだな
260日本@名無史さん:2013/11/18(月) 20:05:09.09
>>259
漢字の勉強からしないといけないな
261日本@名無史さん:2013/11/18(月) 20:11:49.84
初心者でも判る議論してくださな
262日本@名無史さん:2013/11/18(月) 20:12:36.16
>>261

い が抜けたよゴメン
263日本@名無史さん:2013/11/18(月) 22:04:56.44
タイプうちからしないといけないようだな
264日本@名無史さん:2013/11/18(月) 22:20:13.88
日本様が中国如きに頭下げてたなんてあるかムキィィィィってなっているカスがいるのは良くわかった。
でも日本が中国の冊封を受けていたのは変わらない事実なんだよ。

おまえらが崇めたてやまない天皇も中国の皇帝から冊封されている。(倭の五王)
また足利義満だって明の皇帝から日本国王に冊封されている。

このようにこのスレのカスどもが「日本は一度も冊封を受けたことがない」とか
「日本は中国などの頭を下げない」とかほざいても歴史上の事実は厳然と残っているのである。これは消せない。


ざまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
265日本@名無史さん:2013/11/18(月) 22:30:59.51
なんで日本が中国の冊封を受けたことがないというようにしたがるの?
そんなにシナより下に日本を置かれることが嫌なのかい?
歴史をひもとけば冊封を受けたのは事実なんですよ!
266日本@名無史さん:2013/11/18(月) 23:18:46.06
江戸時代の武士の特権である切捨後免は
実際には家の体面とか後処理の面倒さ等の理由でめったに実行できず
庶民と喧嘩になってもパンチも体面で出来ず泣き寝入りが多かった
という説は本当?
267日本@名無史さん:2013/11/19(火) 11:37:07.00
切り捨てた相手がよっぽどの無礼を働いたことが証明できなければ、切った方も死罪 (切腹ですらなく斬首)。
切り捨てようとして刀を抜いても逃げられたら不名誉の極み。
切り捨ててもいいのは自藩の領民だけ。特に江戸で他藩の侍が町民に手を出したら幕府への謀叛とみなされる。

これだけ条件が厳しければそうそうやる気は起きないでしょう。かといって、泣き寝入りしてもそれはそれで体面が傷つくので、庶民とはなるべく関わらないようにしていたようです。
268日本@名無史さん:2013/11/19(火) 11:39:50.69
武士にとって「刀を抜く」という行為は相当の覚悟が必要だったみたいね
文字通り命がけ
269日本@名無史さん:2013/11/19(火) 12:57:31.58
江戸時代と言っても長いから、その時期にもよるけどね
江戸時代でも初期の頃なら、武士にはまだ戦国時代の荒々しい気風が残っていた
かの水戸黄門こと徳川光圀も、若い頃、腕試し、根性試しみたいな目的で、何の罪もない
浮浪者を切り捨てている
まあこれは切り捨て御免じゃなく、辻斬りだけどね
江戸での町奴と旗本が対立して、町奴の頭領の幡随院長兵衛を、旗本水野十郎左衛門が
斬殺した、なんて事件もあった
270日本@名無史さん:2013/11/19(火) 14:55:45.43
時代劇でよく酔った武士が町民に無理矢理酌をさせるのも嘘か
271日本@名無史さん:2013/11/19(火) 16:41:35.22
中曽根って名宰相だと聞いたのですがこんな無能でカスで悪政を行った中曽根がなんで名宰相なんでしょうか?
272日本@名無史さん:2013/11/19(火) 16:52:03.29
>>270
同じく時代劇でよくある越後屋とお代官様も

へたな旗本より金持ち商人の方が力強かったんだよね
273日本@名無史さん:2013/11/19(火) 16:55:32.16
時代劇の話はよそでやれよ。スレチだ
274日本@名無史さん:2013/11/19(火) 16:58:18.34
このスレはいつから世界史になったんだろ
275日本@名無史さん:2013/11/19(火) 17:03:26.12
それは微妙
確かに代官は給料が少なく、部下も少なく、決して豊かな生活を送っていたとは言えないが
反面権限が大きく、民の生活を左右するだけの力を有していたから
金のある商人といえども迂闊に逆らえるような相手ではなかった

東京地検特捜部長よりホリエモンの方が財産も人脈も動かせる人間の数も遙かに大きいが
だからといってホリエモンの方が特捜部長より力強いとは言えない
276日本@名無史さん:2013/11/19(火) 17:24:21.20
>ホリエモンの方が財産も人脈も動かせる人間の数も遙かに大きい

これは笑うところか?
277日本@名無史さん:2013/11/19(火) 17:31:28.44
つか、>>275の「それは微妙だ」の「それ」ってどれだよ?
どのレスに対するレスだ?
つーか、誤爆か
278日本@名無史さん:2013/11/19(火) 18:04:35.30
>>271
中曽根のどこが悪政なの?
279日本@名無史さん:2013/11/19(火) 18:36:55.17
・子供が生まれたら間引け
・車いすは崖から突き落とせ
・老人は病気になる前に死ね
・うつ病患者は家から出るな
・金がなきゃガキを堕せ
・貧乏人は貧乏人らしくゴミでも漁ってろ
・病気になったら自殺しろ

今の安倍晋三や山口 那津男につながる以上の政治思想は中曽根が原点でしょ
280日本@名無史さん:2013/11/19(火) 18:55:18.29
光仁天皇が中国の使節に頭を下げたというのは本当ですか?
281日本@名無史さん:2013/11/19(火) 19:23:09.10
スレタイの読めない低脳児のあつまりはここですか?
282日本@名無史さん:2013/11/19(火) 19:27:15.49
>>281
その通りです
では、次の質問どうぞ
283日本@名無史さん:2013/11/19(火) 21:58:38.04
>>279
中曽根じゃなくて小泉からそういう悪しき思想が出てきた。
284日本@名無史さん:2013/11/19(火) 22:34:15.38
お手数ですがこの動画をご覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=Va-Qh4-JRck

石原はあの戦争がどんなもんか知らないのか命がけで日本の国を守ってきたと言いますが
なんでそんな戦争をやろうとしているのですか?
285日本@名無史さん:2013/11/19(火) 23:00:28.48
儲かるから
286日本@名無史さん:2013/11/20(水) 15:49:21.47
戦争大好き石原を支持したバカとんきんwww
287日本@名無史さん:2013/11/20(水) 23:26:57.02
長篠の戦における織田軍の損害について質問です。
作戦や兵器に勝っていながらも数千に及ぶ損害を出した理由については、今まで私が読んだ本では以下の3つに大別されますが、
どれが正解、もしくはどの要素が濃厚なのでしょうか?

1 織田軍の損害は、開戦前に脱走が相次いだことによる。士気の低い雇われ兵が、強敵武田軍を恐れて逃げ去った。
 (裏を返せば、実際の戦場では弱兵ぞろいの織田軍でも損害は皆無に等しかった)

2 戦闘中、決死の覚悟で柵を乗り越えたわずかな武田軍により受けた損害である。
 (白兵戦では武田兵が圧倒的に強かった。正面からぶつかったら武田が勝っていた)

3 戦闘の終盤、功を焦って飛び出した織田兵が、敗北寸前と思われていた武田兵に手痛い反撃を受けたものである。
 (馬防柵がなければ即死だった)
288日本@名無史さん:2013/11/20(水) 23:30:23.29
>>287
長篠の戦いは足軽同士の白兵戦が中心だったから双方共に損害を受けた
289日本@名無史さん:2013/11/22(金) 01:48:27.71
正面から戦ってたら武田が勝ったとかいうのは明らかに武田贔屓。
数考えよう。衆寡敵せずは古よりの習いだよ
290日本@名無史さん:2013/11/22(金) 08:27:33.13
実際勝っているが
291日本@名無史さん:2013/11/22(金) 12:21:06.45
時代劇を観てると、女性の名前で、おまさとかおゆきとか出て来ますが、この(お)って何なんですか?丁寧な言い方は何となくわかりますが、3文字の名前の場合は付けないのは何か決まりがあるのですか?
292日本@名無史さん:2013/11/22(金) 13:05:12.02
>>291
接頭語の「お」はもともと室町時代に宮中の女官が使っていた女房言葉
おかず、おはき、おにぎり、すべてこの女房言葉からきている
やがて物にとどまらず女性名にも付けるようになった
293日本@名無史さん:2013/11/23(土) 00:39:22.54
>>287
俺も長篠の戦いで疑問がある。
数において明らかに勝る織田徳川連合軍が出てきたのに、
城を囲んだまま落城させられず、野戦に持ち込まれたこと。

○城を力攻めして無理やりにでも落とす
○城を諦めて退却

この二つの選択肢が有効だと思うんだが、どうして数的に
不利な野戦に挑んだんだろう?
294日本@名無史さん:2013/11/23(土) 01:08:00.46
>どうして数的に不利な野戦に挑んだんだろう?
軍兵にも野戦築城用の資材を運ばせたから武田側が読み間違えたんだろ
実際、長距離移動なら軍の構成は兵より人夫の方が多いというのは事実
ただ織田信長はソノ手の常識に拘らなかっただけ
この一点だけでナポレオンと並べると気違いが噛み付いてくるだろうが
ナポレオンも欧州の軍事常識には従わなかったので勝ちを拾っている
あと将校教育を受けていないロンメルも軍事常識に縛られていない
ナポレオンやロンメルと織田信長の違いは前者が相手の虚を突く戦術を多用したため
相手側が学習した後半生では精彩を欠いた点か
295日本@名無史さん:2013/11/23(土) 01:11:19.50
>>294
信長ってそれなりに軍事教育受けてるだろ?
ナポレオンだって砲兵学校を史上最年少だかで卒業してるはず
何でそんな奇策を用いたんだ?
296日本@名無史さん:2013/11/23(土) 01:20:50.01
>信長ってそれなりに軍事教育受けてるだろ
知識があるということと、階級社会にどっぷり浸からず「立ってるものは親でも使え」という行動原則は両立する

>ナポレオンだって砲兵学校を史上最年少だかで卒業
逆に言えばナポレオンは砲兵の専門家だということ

あとロンメルも士官教育は受けているよ
297日本@名無史さん:2013/11/24(日) 11:48:42.11
すみません他スレで質問したんですが回答が得られなかったので
知っている方がいたら教えて下さい

「紫衣事件」に出てくる、高位のお坊さんが着ている紫の法衣や袈裟について

・それを着ていたお坊さんがいたお寺の名前(大徳寺はわかっています)
・紫の衣を実際に着ていた人のリストなどは現存しているのか
・紫の衣を高位のお坊さんが身に着けていたのはどの時代からどの時代くらいまでか

その他、実際に身に着けていたお坊さんの名前やその人のいたお寺の名前など、どんな些細な情報でもいいです
今のところ調べ方もわからないので、「こういう調べ方すればいいんじゃね?」というアドバイスでも歓迎です
よろしくお願いします
298日本@名無史さん:2013/11/24(日) 12:08:28.18
日本が独立を回復して、米軍進駐下の沖縄と切り離されたとき、
印パやギリシャ・トルコで行われたような「住民の入れ替え」は行われたのでしょうか?

反米的な沖縄人が日本本土に逃れたり、逆にたまたま本土に出稼ぎに来ていた沖縄人が帰郷を禁じられたりということはあったのでしょうか。
299日本@名無史さん:2013/11/24(日) 14:57:17.15
>>297
官位じゃないからさすがにリストはないだろう。
近世までにはほとんど金と引き換えの慣習のようなものになっていた筈だから。

一応、大徳寺、妙心寺、知恩院、知恩寺、浄花院、泉涌寺、粟生光明寺、黒谷金戒寺
この八大寺院は無条件で紫衣が勅許されていたようだ。まあ朝廷と懇ろになっていたと。
なのでここの住持は

紫衣を初めて着たのが奈良時代の玄ムだからそこからの話となるととてもその数が膨大で論外だろう。
300日本@名無史さん:2013/11/24(日) 15:31:56.42
世界史板で日本共産党をマンセーして暴れている人がいるんですがそんなに素晴らしい政党なんですか?
毎回の選挙で500万票も得ているとか言っているのですが。
個人的には「平成の三・一五事件や四・一六事件」を希望しているのですが。
301日本@名無史さん:2013/11/24(日) 15:32:54.83
日本史板でもスレ違い
政治板へどうぞ
302日本@名無史さん:2013/11/24(日) 15:54:11.16
>>298
日本本土と沖縄の間を行き来するのに許可証が必要だったり、本土出身者は「外国人」扱いされ公職につけなかったりしたけど、強制退去はされてない。
303日本@名無史さん:2013/11/26(火) 16:55:09.49
下記の話は事実でしょうか?

徳富蘇峰が良いキャラに作られててムカつくけどな。
あいつは日本史を記述するに、
出典がどこにもない宣教師奴隷売買と日本人奴隷の酷い待遇をでっち上げて、
米英白人敵視を過度に煽り日本を敗戦に追い込んだ戦犯だからな。

どうやら鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』のソース元の記事である
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録ががあり、
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、
獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』
とか、
徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」
欧州の日本女性奴隷が50万
がデッチ上げのウソと言われているそうです。
304日本@名無史さん:2013/11/26(火) 21:01:39.40
311 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2013/11/23(土) 13:30:27.80 ID:9AIec7BAI
下記の話は事実でしょうか?
徳富蘇峰が良いキャラに作られててムカつくけどな。あいつは日本史を記述するに、出典がどこにもない宣教師奴隷売買と日本人奴隷の酷い待遇をでっち上げて、
米英白人敵視を過度に煽り日本を敗戦に追い込んだ戦犯だからな。

313 自分:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/11/24(日) 00:40:36.62 ID:o7vqDXth0
徳富蘇峰は極左思想の松本清張やアレ系の遠藤周作からも歴史家として高い評価が成されているし
>出典がどこにもない宣教師奴隷売買
http://www.nikkeyshimbun.com.br/090409-61colonia.html
古都コルドバ市の歴史古文書館で発見された最初の書類では、一五九六年七月六日、日本人青年が奴隷として、
奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。
 その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、
人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されていない。
 さらに、『日本移民発祥の地コルドバ』(副題「アルゼンチン・コルドバ州日本人百十年史」、大城徹三、一九九七年、
以下『コルドバ』と略)によれば、日本人青年は一五九七年三月四日付けで、「私は奴隷として売買される謂(い)われはない。
従って自由を要求するものである」と起訴したとある。

314 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2013/11/24(日) 14:57:41.21 ID:KX9PNHQB0
どうやら鬼塚英昭著『天皇のロザリオ』のソース元の記事である「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録ががあり、
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫び、わめくさま地獄のごとし』とか、
徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」
欧州の日本女性奴隷が50万がデッチ上げのウソと言われているそうです。
305日本@名無史さん:2013/11/27(水) 11:55:06.25
徳富蘇峰ってA級戦犯のメディア王だろ。
今で言えば読売のオーナーみたいなもんか
306日本@名無史さん:2013/11/29(金) 07:52:55.16
>>276
君の言い分がもっともなんだけど、
>>275がホリエモンじゃなしに、ソフトバンクの孫や経団連の米倉を
例えに出したらそのとおりだと言えるだろう?
まあ、これが日本の国というわけで、経済人はいくら大金を持っても
ちょっとした官僚には頭が上がらないのだよ。
これが、イタリアあたりだとマフィアの親分は実力で邪魔する
官僚を排除するから
>>278
>>279で指摘されていることは中曽根の悪行といえば悪行だが
それは小泉・竹中の時代に大々的にやりだしたこと、
一番の問題は、中国に配慮して靖国参拝を止めたことだ。
それが一番の中曽根の悪行だよ
307日本@名無史さん:2013/11/29(金) 10:12:40.92
否定的に語られてるっぽいけど
>経済人はいくら大金を持っても ちょっとした官僚には頭が上がらない
って、悪いことでもなくね?

もちろん、だからこそ官僚には清廉潔白であって貰わないと困るが
相対的には日本の官僚はマシな方だからなあ
308日本@名無史さん:2013/11/29(金) 15:53:28.44
高校の日本史の先生が言っていたんだけどサザエさんは
昭和初期〜中期の日本のごく普通な家族の姿と言っていたのですがそうなんですか?
それがなんで今みたいな形態になっていったのですか?
ちなみに自分は父母姉自分の4人家族で群馬と名古屋に祖父母がいます。
309日本@名無史さん:2013/11/29(金) 16:30:33.61
310日本@名無史さん:2013/11/29(金) 16:39:28.07
>>308
>>309は知識がなくて答えられないそうですw
311日本@名無史さん:2013/11/29(金) 17:41:36.58
>>308
住宅事情が核家族向けに変わっていったから
312日本@名無史さん:2013/11/29(金) 19:52:34.64
>>308
平均よりちょっと上だと思うな
それと原作だと少し品がないw
313日本@名無史さん:2013/11/29(金) 20:07:45.11
マスオさんがマスオさんしてる時点で一般的とは言い難いような
入り婿してる訳じゃない名字の違う別世帯が同居してるわけだし
314日本@名無史さん:2013/11/29(金) 20:16:28.41
当時の住宅事情から言えば縁者の居候なんて珍しくもなかったと思うが
315日本@名無史さん:2013/11/29(金) 22:07:18.62
五畿七道や六十八州に建制順ってありますか?
316日本@名無史さん:2013/11/29(金) 22:47:36.23
>>308
家を継がない子供が都会に出て核家族が普通になった。
高度経済成長の時代には集団就職と言ってみんなで都会に出たんだよ。
317日本@名無史さん:2013/11/30(土) 14:45:43.93
ユダヤ人が古代日本人という話を聞きますが本当ですか?
日本人とユダヤ人に相似点が多数あるとのことです。
318日本@名無史さん:2013/11/30(土) 15:44:05.28
>>317
うそ。
遺伝子的には日本人のルーツは
現在の雲南省あたりとされている。
セム・ハム語族との共通項は殆どない。
「相似点が多数ある」というのは
イザヤ・ペンダサンのような偽ユダヤ人しか言っていない。
そりゃ、探せば相似点くらい見つかるだろうが
相違点のほうがそれ以上に多いだろう、と
319日本@名無史さん:2013/11/30(土) 17:47:15.88
そもそもユダヤ人という人種はない。
320日本@名無史さん:2013/11/30(土) 20:03:15.71
ここで質問するのもあれですが日本史ってどうやって勉強してますか?
321日本@名無史さん:2013/11/30(土) 20:12:20.13
>>320
学校行ってないなら本読め本
322317:2013/11/30(土) 21:03:47.30
>>318
そうですか。ありがとうございました。
今高3ですが予備校の先生は受験に出ないからと聞いても答えてくれませんでした。
323日本@名無史さん:2013/11/30(土) 21:26:37.68
日ユ同祖論とかオカ板でやれやガキwwwwwwww
324日本@名無史さん:2013/11/30(土) 21:30:14.70
草生やすのはvipでどうぞ
325日本@名無史さん:2013/11/30(土) 21:34:35.94
>>317=>>322=>>324

実にわかりやすい。
草生やされて馬鹿にされたくなければ馬鹿にされるような質問なんてしなければいいのにな。
326日本@名無史さん:2013/11/30(土) 22:03:08.30
>>325
俺は>>324だけど>>317じゃないよ
>>1の<お願い>を読もうね
327日本@名無史さん:2013/12/01(日) 00:06:23.04
亀だけど>>308
サザエさんよりちびまる子ちゃんの方が昭和初期から中期のごく普通の日本の家庭という気がするんだけど違うかな?
328日本@名無史さん:2013/12/01(日) 00:41:55.39
>>327
サザエさんの原作連載は、1946〜1974年(昭和21〜49年)で、ほぼ同時代を描いている
ちびまる子ちゃんの原作連載は1986年からだが、内容的には作者の少女時代の1975年(昭和50年)前後
329日本@名無史さん:2013/12/01(日) 08:11:26.43
江戸時代は天下太平になって、なまくら武士が増えたみたいに言われてるけど、
お役についてる武士は、取るに足りない、ささいな過失ですぐ切腹させられるから、
実際には毎日がサバイバル状態の綱渡り的人生だったんでしょ?
330日本@名無史さん:2013/12/01(日) 08:30:08.51
些細な過失で切腹?
例えば?
331日本@名無史さん:2013/12/01(日) 09:43:28.54
幕府から拝領の皿を割る。
332日本@名無史さん:2013/12/01(日) 13:56:40.71
江戸時代の武家なんて転勤のないお役人で、1年の半分も登庁無しで5年後も20年後も同じ仕事してるし緊張する局面なんてないやん。
大名はともかく
333日本@名無史さん:2013/12/01(日) 16:23:47.65
江戸時代の武士って、常にハラキリと背中合わせで暮らしてたと思うと、怖いな。
何かやらかしてら、即ハラキリだったかと思うと、現代人でよかったわ。
334日本@名無史さん:2013/12/01(日) 16:28:14.01
切腹の意味も分からないのか
335日本@名無史さん:2013/12/01(日) 17:50:58.85
以前、別スレで孝明天皇は幕末の混乱をまとめた名君と言う人とと
ただ「攘夷攘夷」とオウム返ししていて余計に混乱させた暗君という
二つの意見が出てたけどどちらが正しいのですか?
336日本@名無史さん:2013/12/01(日) 18:07:31.49
正しい?
337日本@名無史さん:2013/12/01(日) 18:36:32.49
>>330
>>336
これ同一人物だと思うけど初心者が質問するスレで初心者煽ってどうするんだよバカw
338日本@名無史さん:2013/12/01(日) 18:52:48.47
>>337
そいつは煽って楽しんでオナニーする低レベルな人なんでしょ
339日本@名無史さん:2013/12/01(日) 20:04:31.47
>>335
権謀術数に逞しいお公家さんたちの中に在って公武合体とか攘夷とか
意思がはっきりしていて揺らがなかったのは人物はナカナカだが、その為に
幕府が勅許無しで開国の条約を結んだり、事態を混迷させたのもまた事実。
340日本@名無史さん:2013/12/01(日) 22:02:06.62
孝明天皇は流れが開国に向かっているのに1人だけ意固地に攘夷に唱えていたな。
たんなる頑固者だったのではないのかね?
341日本@名無史さん:2013/12/01(日) 23:04:47.35
しかし少なくとも人物評価に対して正しいとかという質問は
ラーメン板で「○○軒はおいしいですか?」と聞くのと同レベルだろ。
342日本@名無史さん:2013/12/02(月) 00:10:35.76
質問です。
羽柴筑前守とか戦国武将で〜守名乗ってる人結構いますが、別に根拠地ってわけでもないですよね
あれはなんなんでしょうか?
343日本@名無史さん:2013/12/02(月) 03:18:51.39
もともとは国司 (朝廷が任命する総督のような官職) だったけど、戦国時代には大名が名前に箔をつけるために朝廷に献金して官位をもらったり、勝手に名乗ったり家臣に名乗らせたりしている。
344日本@名無史さん:2013/12/02(月) 10:45:37.56
歴史教科書を紐解けば、いろんな時代の学者、政治活動家(政治家ではない)、思想家が名前を残しています
そこで、昭和末期〜平成の時代で将来的に歴史教科書に名前を残しそうな上記職業、立場の人物は誰か思い浮かびますか?
自分にはいまいち思い浮かびません
345日本@名無史さん:2013/12/02(月) 18:51:48.68
孝明天皇は欧米列強とお付き合いして植民地化されて行くアジアの国々の醜態を知ってたんじゃないかな?
346日本@名無史さん:2013/12/03(火) 19:31:02.50
>>345
あの時代の天皇は江戸幕府の命令で京都御所から出ることを許されず
御所の外は恐ろしい魑魅魍魎の世界だと思わされていた
孝明天皇は革新的な天皇で江戸時代の天皇としては初めて在位中に御所を出て
洛中を出て賀茂行幸や石清水行幸を決行した
しかしそれより遠いところはやはり恐ろしいところだと思っていた
東国も恐ろしい東夷が住むところで妹を遣るのは嫌だと言っていたが
東夷より遠いところにいる異国人などもっと嫌だったわけだ
347日本@名無史さん:2013/12/03(火) 19:36:14.86
黒船来襲の時に江戸幕府が朝廷に諮らず独断で外交処理したら
幕末の混乱がほぼ発生せずに幕府の寿命も延びた?
348日本@名無史さん:2013/12/03(火) 19:47:37.28
>>347
その場合どう処理するのかな?
それにもよるだろうな
349日本@名無史さん:2013/12/03(火) 21:30:40.66
>>347-348
既に朝廷の権威が高まっていた時勢で、幕府が朝廷をないがしろにしたなら諸藩の離反を招いただろう。
朝廷が幕府を全く信任して、幕府の営為に常にお墨付きを与えるようになっていたなら、
対外的な施策が失敗したにしても、国内的にはかなりの程度まとまったように思う。
350日本@名無史さん:2013/12/03(火) 21:33:07.59
開国以外の選択肢は無いだろう。それを史実のようなグダグダではなく、
明確な意志で断行していたらどうなっていたのか?

担当者が阿部じゃなくて井伊直弼だったらどうだったのか?
351日本@名無史さん:2013/12/03(火) 22:22:51.08
天皇って親戚同士で殺し合いはあったのに、いわゆる臣下が天皇を殺して天皇にならなかったのは何故ですか?正当性がないからならなかったとかではなく、とって代わろうとした人はいないのですか?
352日本@名無史さん:2013/12/03(火) 22:29:04.51
正当性が無いとなると継承権あるやつら根こそぎしないと後々めんどくさいことになるから
名より実取ったほうがええdしゃ
353日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:03:00.26
>>352
そこを乗り越えて文字通り天下取ったろうと思った人は何故出てこなかったのでしょう?
354日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:11:20.19
新皇平将門。どこまで本気だったかは疑問だが。
355日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:11:29.53
馬鹿じゃ狙える位置まで到達できないから
356日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:31:55.68
織田信長はうつけ(馬鹿)と呼ばれたけど天皇以上になろうとしたかもしれないと言われてるじゃん
357日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:32:15.68
黒田基樹著「百姓から見た戦国大名」(ちくま新書)を読んで戦国のイメージがガラッと変わってしまったんだけど
歴史の世界では今はこの本の内容が戦国時代の実態だったというスタンスなの?
358日本@名無史さん:2013/12/03(火) 23:59:59.11
>>351
足利義満は天皇にとってかわろうとしたという説がある
正確には、義満自身が天皇になろうとしたわけではないが、次男足利義嗣を天皇にしようとあれこれ画策した
まあ、賛否両論あるが
義嗣の母(つまり自分の妻)の日野康子を、後小松天皇の「准母」にしたり、義嗣の元服を親王待遇で行なったり
したのは事実
その直後に義満自身が病死し、長男で足利四代将軍の足利義持は朝廷を尊重していたため、頓挫した
359日本@名無史さん:2013/12/04(水) 00:02:20.21
訂正
日野康子は、義嗣の実母ではなかったので、母は義母と訂正する
360日本@名無史さん:2013/12/04(水) 00:30:01.71
>>351>>353
そもそも、平安中期以降、天皇って位が、とってかわりたいほど魅力あるもんじゃなかった
とりあえず、摂政、関白、征夷大将軍といった形で実権を握ることができる以上、わざわざ代わる必要が
なかったんじゃね?
高師直だったっけか、「天皇なんてもんが必要なら、金か木で作って置いときゃいい」みたいなことを
言ったのがそれを象徴している
361日本@名無史さん:2013/12/04(水) 00:54:38.15
そう言いつつも足利幕府も天皇を無くす事は出来なかった訳だがな。
天皇を無くしてしまえるなら南北朝の対立も無かった筈だ。
362日本@名無史さん:2013/12/04(水) 01:26:25.23
>>361
そうなんですよね。
権力が下がればさがるほど天皇というシステムを崩そうと考えた人間がいそうなものなのに。権力はなくても権威だけが依然あったってことでしょうか?
363日本@名無史さん:2013/12/04(水) 02:16:46.99
>>361-362
「とってかわる」のと「なくす」のは別でしょ
そんな実権もない、名前だけの位に自分自身が就きたいわけではない
でも利用価値があるから、なくしたいわけでもない
別に矛盾しないと思うが?
364日本@名無史さん:2013/12/04(水) 02:27:26.77
>>357
とりあえず私はその本は読んでないのでその内容に関してはなんともコメントできないが、
論文や専門書ならまだしも、一般人向けの新書の本を1冊、たまたま読んだだけで、
その本に書かれていることが学会の定説と思い込むのはよくないぞ
365日本@名無史さん:2013/12/04(水) 10:56:36.44
>>362
武家政権のトップはころころ入れ替わる。
初代将軍が権威の象徴としたのが「自分は天皇の子孫だ。
だから俺が政治をやったっていいだろ」という論理。
天皇は途中から政治権力も武力も持たない
神道の親玉みたいなのになったわけだ。
無力無抵抗の相手を滅ぼすのは面倒くさいしな。
366日本@名無史さん:2013/12/04(水) 14:01:41.77
南北朝時代は3種の神器が南朝にあったようだけど、今のように伊勢神宮、熱田神宮、皇居神殿(レプリカ)に祭られるようになったのはいつ頃からですか?
367日本@名無史さん:2013/12/04(水) 14:56:08.37
俺、今日から天皇なっ!って僭称しても
悪い影響はあっても、
良い影響ありそうもないじゃん。
それに、じゃあ日本の神々へ豊穣を祈願する儀式やってくれ!
などと言われても、知識ないし知らねーよカス!じゃあ通用しないし。
天皇と朝廷と公家と寺社は相互に補完し合う伝統学術独占組織であって
いきなり俺、天皇だからwwwとかやっても、実際になにも実践できずに
京洛で孤立してしまうだけだろ。
しかもモノホンの天皇もしくは皇子が吉野へ逃亡し、あいつ朝敵!とかやったら
10年単位の内戦覚悟しないとならなくなる可能性もある。
信長ですら、紀州惣国一揆に後援された石山本願寺にあんだけ苦戦し、
高野山攻めに失敗してるうちに本能寺の変だぜ。
紀伊全域・大和南部・伊勢南部・河内南部・和泉南部の
あのあたりの国人と寺社のやつら、天険に割拠して
むちゃくちゃ厄介。
368日本@名無史さん:2013/12/04(水) 15:03:25.47
>>367
信長が天下取りに失敗して秀吉が成功したのは、あの辺の制圧を上手くやれたか否かが分水嶺だったのかねぇ
じっさい秀吉が頭角を現したのは、あの辺の地域との戦いが始まってからだし
369日本@名無史さん:2013/12/04(水) 15:15:08.36
違うんです。俺今日から天皇なっ!ではなく、俺今日から新皇な!ってことです。何故戦国武将も含め、天皇を亡き者として新しい支配者が出てこなかったかです。
370日本@名無史さん:2013/12/04(水) 17:58:14.79
蘇我氏は石川真守を最後に歴史の表舞台から姿を消したけど
嫡流子孫はいつぐらいまで続いたの?
千葉市蘇我と関係はあるの?
371日本@名無史さん:2013/12/04(水) 19:27:37.33
>>360
バサラな奴の発言を例に出されてもね。
彼のような陪臣だから言える発言でしょ。土岐頼遠とかさ。

直臣の立場からするともっとリアリティある見方をするわけで
「とって代わる」ことに意味を見出さなかったのでしょ。
それは魅力がないとか価値がないとかそういうことじゃなくて
現実としてありえないことを想定しても仕方ないわけだから。

結局天皇に近い人間ほど権威の拠り所というのを理解していたから現状の中での権力のあり方に縋ったり模索したりしたと。
372日本@名無史さん:2013/12/04(水) 21:44:48.62
>>366
伊勢や熱田に祭られたのは古代の事だから。それ以来宮中には剣と鏡の形代と勾玉が有って
南朝にあったのはそれ。
373日本@名無史さん:2013/12/04(水) 23:00:12.11
神道の世界では、真贋の扱いはわりといい加減で、あっちは偽物こっちは本物って発想があまり強くないからな
草薙の剣は、熱田神宮にも祀られてるし、宮中の三種の神器としてもあったのに、お互いにあっちのは偽物だとは
けっして主張しない
さらに、三種の神器の剣が壇ノ浦に沈んでも、その後の三種の神器が偽物という扱いにはならない
新しい物に、元の神器の魂がうつっていると考える
374日本@名無史さん:2013/12/04(水) 23:05:22.31
君臣の序を守ることは、
下克上防止であるわけで、
天皇を廃止できるなら、
将軍も廃止出来るし、
管領だって廃止できる。
つまり天皇を敬うのは、
自分自身の地位を家臣から守る秩序を守ることであるわけで。
375日本@名無史さん:2013/12/05(木) 01:06:07.61
じゃぁなんで中国では王朝が何度も変わったの?異民族だから?
376日本@名無史さん:2013/12/05(木) 01:12:47.80
中国では周が殷を武力征伐して、それが先例となった。
377日本@名無史さん:2013/12/05(木) 01:15:23.98
書き足りなかった。先例となっただけじゃなくて、周が自己正当化のために
天命とか易姓革命とかの理屈を作ったから、後に続く者は心置きなく武力討伐を目指した。
378日本@名無史さん:2013/12/05(木) 01:25:59.86
>>377
易姓革命なんて自己を滅ぼす概念を作った張本人ながら
なんだかんだで800年も王朝が続いたんだから凄いよな、周は
200年ほどは実に平和だったし、その後400年ほどもまぁそれなりに安定はしてた
379日本@名無史さん:2013/12/05(木) 01:41:02.10
日本の神々を祀る儀式が出来るのは天照大神の子孫だけだからだろ。
しかも儀式や陰陽道や暦や音楽などを公家が分業して支え、
門跡寺院で延暦寺や興福寺らも固めてる。
こんなもん潰せないし、
中国王朝には継続すべきシステム自体を焚書坑儒して歴史歪曲しまくり抹殺してたから、
リセットばかりで王朝のリピート再生の繰り返しループ迷宮に入り停滞した。
日本の場合は幕府交代はしても、文化的な継続発展進化が行われ、
藩ごとの多様性も日本人を結集できる天皇リスペクトで統合でき維新が起こせた。
380日本@名無史さん:2013/12/05(木) 02:54:23.85
>>375
何が正当な権力と人々がみなすか、だな
たとえばもしも、現代の日本で、突然武力クーデターで新政権ができたとして、国民はそれを正当な政府と納得するか?
国民投票とか、そういった民主的な手続きを経て承認されない限り、国民感情はそれを納得しないだろう
権力には、そういう正当性が求められる
で、明治以前の(いや、戦前の、か)日本では、正当な権力とは、万世一系(建前上は)の朝廷に認められたもののことだ
関白にせよ、征夷大将軍の幕府にせよ、形の上では朝廷が承認しているから、正当な権力と認められた
武力で朝廷自体を潰して政治権力を握っても、人々はそれを正当な権力とは納得しない
なんて悪いやつだ、ということになり、後世に悪名を残すことになる
天皇と敵対しただけでも、足利尊氏は後々まで(少なくとも戦前までは)大悪人扱いだ
一方、前近代の中国では「天命を失った王朝は禅譲か放伐で交代する、悪い王朝は放伐してよい」という易姓革命の
思想があったから、武力で王朝を打倒して新たに自分の王朝を立てても正当性が認められた
悪いやつということにはならないし、むしろ建国の英雄、名君扱いで後世に名を残せる
381日本@名無史さん:2013/12/05(木) 10:32:08.50
>>368
秀吉が天才と呼ばれる所以は、
高野山を速攻で制圧しちまったことだな。
第二陣として出陣してきた信雄と秀康らの軍が雑賀に着陣してきた時にはすでに平定してしまっていた程の巧者っぷり。
しかも高野山を完全武装解除させて、
満山一同に血判書を出させて誓わせて、
南方平均を終わらせて、
信雄らに四国出陣の準備を命じて帰陣してる。
これで名実共に畿内全域完全平定に成功し、
天下人となったと呼べる。

天皇は権力を委任し、権威だけの祭祀王になったからだろ。
誰も祭祀王をやれるノウハウ持ってないけど、
天皇が警察行政権にお墨付きを与える機関になってるから、
自己正当化できた。
日本人は切り捨てるよりも伝統を尊重する和する文化だし、血統による貴種が重視され、
中国みたいにいずくんぞ種あらんや!って陳勝呉広の百姓による下克上が起きなかったからな。
中国は大河氾濫で生活リセットが起きるから、
大土木工事が出来る巨大権力を必要としており、
天変地異は皇帝の悪政とされる始末。
そうなると喰うために中国平野で流賊になって略奪虐殺し成り上がってなんぼで、
日本の武士みたいに御恩と奉公の秩序を守り、
中央へ上司に取次を頼み、田舎の山あいの小さい田畑に割拠し一族郎党一所懸命の精神は
文化的風土がまるで違うし。
天皇は権力者の悪政を批判出来る立場に変化しとるから敬われる。
天皇を手に入れることが正統性の付与になるのはマッカーサー統治にも反映される思わぬ効果まで起きたし。
後醍醐に対して尊氏ですら天皇擁立しなきゃならなかったくらいだし。
つかあれも結局は大覚寺統と持明院統の争いの拡大でしか無いから鎌倉幕府も可哀想だ。
天皇が争うとロクでもない内乱になるから権力を手放して正解。
382日本@名無史さん:2013/12/05(木) 17:37:34.02
何かの小説で戊辰戦争当時、列藩同盟側が京都とは別に天皇を擁立して政府に対抗しようとした動きがあったように書いてあったのですが、史実なのでしょうか?

あと政府軍、薩摩は会津をあそこまで追い詰めたのでしょうか?

この2点は繋がりがありますか?
383日本@名無史さん:2013/12/05(木) 20:41:16.67
>>382
前者については史実だよ
東武皇帝、輪王寺宮、公現、能久親王とかでググれ
384日本@名無史さん:2013/12/05(木) 20:55:53.37
>>382
後者に関しては会津はギリギリまで条件つけたり裏で策謀してたりして、薩長から見ればとても本気で降伏するとは
考えられたかった。
ハッキリ言えば自業自得
385日本@名無史さん:2013/12/05(木) 21:21:17.35
由井小雪
386日本@名無史さん:2013/12/05(木) 21:23:24.82
由井正雪って本気で倒幕する気だったの?
人員や装備の準備がへぼすぎると思うけど
387日本@名無史さん:2013/12/05(木) 21:56:51.22
>>386
たとえば江戸時代の農民一揆は、本気で藩を倒す気だったのか?というと、藩を倒すことが目的ではなく
農民が苦しい状況だからしかたなく蜂起しているわけで
それと同様に、当時は浪人が苦しい状況だった
幕府がやたらと外様大名を取り潰した結果、全国に大勢の浪人という失業者があふれていた
それに対し、幕府はなんら救済策をとらなかったから、浪人の失業問題は深刻だったし、その怒りは
当然幕府に向けられた
由比正雪の乱は、その浪人問題放置の結果、必然的に起こったもの
本当に幕府を倒せるかどうかではなく、倒さなければ全国の浪人はどうしようもなかった
388日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:14:14.94
酔っ払って書いてるだろ?
支離滅裂だぞ
389日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:31:32.19
農民一揆の際に「武士は農民を百姓と呼ぶが、天子様から見れば公方様だって同じ百あるカバネの一つじゃん」とか言ってるのが陳呉と違って日本的な感じだよね
由井だって「帝のガラをパクるのが肝だから、俺に任せろ」って言ってるし
由井
390日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:48:21.63
>>386
クーデターはロマンだからなww
戦後に限っても連合赤軍の例があるし、
池口恵観もかかわった三矢事件の例もあるからww
平成に入ってからも、オウムの例があるww
391日本@名無史さん:2013/12/05(木) 22:58:18.37
>>386
当時、江戸幕府は幼将軍・徳川家綱をかかえ揺れていた
豊臣家が幼主・豊臣秀頼を抱えて徳川家康に政権を奪われたように
反徳川勢力が結集すれば幼主をいただく徳川幕府の転覆はありうるように思えた

由井正雪は天皇をかかえ、徳川家綱追討の勅命を貰うつもりでいた
江戸幕府に反感を持つ浪人たち、父や祖父が豊臣から厚遇された大名たちの追随を期待した
実際には事を起こす前に処分されその後江戸幕府は250年ほど続いたから
当時の江戸幕府が絶対安泰のように見えるだけ
392日本@名無史さん:2013/12/07(土) 17:20:03.85
>>391
いや、普通に荒唐無稽だろ
一介の浪人一党が
幕府勢を倒すなんて不可能に近いと思うがな
393日本@名無史さん:2013/12/07(土) 17:23:03.17
当初僅か数人だったならず者集団が
国内の不満分子の力を借りて政権を転覆するどころか、ヨーロッパに大帝国を創りあげた例はあるけどな
数年でヒトラーの野望は潰えたが
394日本@名無史さん:2013/12/07(土) 19:58:10.24
キューバ革命なんかも
395日本@名無史さん:2013/12/07(土) 21:59:05.49
それは新聞や出版などメディア戦略が出来る時代になったからじゃないか?
396日本@名無史さん:2013/12/09(月) 17:24:26.06
旧日本軍は本当に強かったの?
周りの列強が極東に兵を殆ど置いていないから領土をとれただけじゃないの?
397日本@名無史さん:2013/12/09(月) 19:14:24.23
近代史板か世界史板か軍事板で聞けばよかろう
398日本@名無史さん:2013/12/09(月) 19:59:11.29
そんな板があるのかそっちで聞きます
399日本@名無史さん:2013/12/10(火) 00:44:02.08
>>392
浪人一人では無理だが、大名たちの協賛があれば倒せる
坂本龍馬が討幕を企て藩を越えて同士を集い
大名から援助を受けたみたいなもんだ
坂本龍馬だって一介の浪人
400日本@名無史さん:2013/12/10(火) 00:57:55.05
坂本龍馬が何の後ろ盾もなく活動してたと思ってるの?
401日本@名無史さん:2013/12/10(火) 01:02:11.88
だが幕府の後ろ盾ではなかったな
幕末の方が由井正雪の時代よりも幕府の力が強かったというのに
402日本@名無史さん:2013/12/10(火) 05:17:28.81
由井正雪だって紀州藩の後ろ盾があったろ
紀州藩は、証拠不十分で言い逃れてるけど
403日本@名無史さん:2013/12/10(火) 21:09:09.06
質問です
永正11年(1514年)に、佐竹義舜らが宇都宮忠綱を攻撃し撃退された戦いが、
私の手元にある本には「竹林(たけばやし)の戦い」とあるのですが、ネットでは
「高林(たかばやし)の戦い」となっているページもあります
どちらが正しいのでしょうか? あるいは史料にも両方の表記があってどちらが
正しいか不明なのでしょうか?
404日本@名無史さん:2013/12/10(火) 21:40:20.70
質問があります。

中国史や日本史で言う大夫は比較的上の位の身分のようですが
東宮大夫はどのくらいの身分ですか?また日本では太夫とも書くそうですが
だとするとコウメ太夫の身分はどのくらいですか?
405日本@名無史さん:2013/12/10(火) 22:39:52.09
>>404
官位相当制では大夫は従四位下相当
実際の例を見ると、後一条天皇の東宮大夫だった藤原斉信は正二位大納言と東宮大夫を兼ねており
後朱雀天皇の東宮大夫だった藤原教通は正三位権中納言〜正二位権大納言時代に東宮大夫を兼ねている。
大臣になれば東宮大夫は辞したようだ(代わりに東宮傅についている)
後冷泉天皇の東宮大夫だった藤原頼宗も正二位権大納言と東宮大夫を兼ねている。
後三条天皇の東宮大夫だった藤原能信も正二位権大納言と東宮大夫の兼任。

ちなみに小梅太夫の太夫は江戸時代に遊女が称した太夫から取ったもの。
太夫は遊郭の島原、吉原、新町などで、教養・美貌ともに最高級の遊女に与えられた称号。
朝廷が与えたものではなく東宮大夫などとは無関係。
406日本@名無史さん:2013/12/10(火) 23:11:55.59
嶋原の太夫は正五位の地位が与えられてたと思う
だからコウメ太夫が嶋原遊女をモチーフにしてるなら天皇に会える位じゃないかねw
407日本@名無史さん:2013/12/10(火) 23:52:29.60
>>406
島原の太夫は公家たちが贔屓にしていたから
正五位に許される緋の禁色を島原の太夫にも許してたんだよね
本当に朝廷の勅使が島原に来て正五位を与えていたというのはちょっと見たことがない
(禁色を許されていたのは知っている)
島原の太夫が参内して天皇に拝謁することも実際にはなかったようだけど
408日本@名無史さん:2013/12/11(水) 17:27:12.73
明治政府がprime ministerのことを
総理大臣という訳語を当てたのは何故ですか?
なぜ太政大臣という言葉は継承されなかったのですか?
409日本@名無史さん:2013/12/11(水) 17:44:23.93
>>408
内閣総理大臣は議院内閣制における内閣の長だからでしょう
太政大臣は太政官の長であって議会や内閣の存在は想定されていないから
410日本@名無史さん:2013/12/11(水) 23:10:49.61
天守台っていうのは、ようするに城の一階のことですか?
411日本@名無史さん:2013/12/11(水) 23:21:45.58
>>410
天守の乗ってる石垣のことだ
412日本@名無史さん:2013/12/12(木) 02:55:02.67
【文学】夏目漱石の『こころ』の続編と見られる未発表の小説原稿を発見

明治から大正期にかけての膨大な小説原稿を有する個人蒐集家の
書庫から、夏目漱石の未発表の小説原稿が発見されました。
小説には『からだ』という題名が付されており、漱石が『こころ』と『からだ』
という連作小説を構想していたことが明らかになりました。

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/news7/1322813280/
413日本@名無史さん:2013/12/12(木) 04:01:40.35
戦国時代で、領主が例えば自国の領民を斬っても罪にならないかもしれないけど、京都での民を意味なく斬ったりしたら朝廷とかは罰を与えたりするんですか?
414日本@名無史さん:2013/12/12(木) 17:20:23.63
こんな本ご存じないですか?
通史で上下巻だが、下巻はまだ出て無い
上巻は近世まで  
この板で話題になってた 珍しく批判意見が無く良書だっていうから
買おうと思ってたけど、名前忘れちゃいまして
ただお書きになった先生が高齢なので下巻は出るのか?なんてことも心配されてた
作者はたしか筑波大学の先生だと思ったんだけど、確かではない
インタビューもネットにあったなあ 大東亜戦争っていう名前と太平洋戦争を例に出して
なんか中立でいいこと言ってたような気がする
415日本@名無史さん:2013/12/13(金) 06:17:53.64
>>414
俺も読んでみたくなった
御存知の方は教えてください
416日本@名無史さん:2013/12/13(金) 09:02:09.41
自己解決しました。そして過去ログ見たら別に絶賛でも無く、話題にもなって無かった。
期待させてすみません
大M徹也 講談日本史 です
http://www.nichibun-g.co.jp/magazine/history/014.html
なんかインタビューで自分と似てる考えだったから印象に残ったのかな
マイナーな人ですよね
417日本@名無史さん:2013/12/13(金) 20:38:40.03
>>416
いやいやありがとう
さっそく読んでみるわ
418日本@名無史さん:2013/12/14(土) 20:31:47.72
世界史板の質問スレの住人だが
昔から日本人は死をもって上に意見を出す風習があると俺が言っているのに一人の
馬鹿がそういう風習は無いと言ってる。
実際はどうなの?
具体例出して教えてください
419日本@名無史さん:2013/12/14(土) 20:53:45.42
風習があると思う人が証拠を出してくれないことには
420日本@名無史さん:2013/12/14(土) 21:12:48.72
>>418
諫死の例では、上杉憲春、山田原欽。
諸説あって諫死でないかもしれないのはは、平手政秀、堀直虎。
時の政府に疑義を感じて憤死したのは、横山安武、三島由紀夫。

過った上の方針にも従容として死んでいった葉室光親、北畠顕家や楠木正成なんかも当人には諫死の思いがあったのでは。

決死の覚悟で行動を起こして御上(為政者)の施政を改めさせるといった意味なら、
江戸時代以降に義人・義民で検索すれば数多くある。
421日本@名無史さん:2013/12/14(土) 23:05:14.44
よく岸信介のことを「昭和の妖怪」と言いますが、将来的には中曽根元首相や
石原慎太郎は「平成の妖怪」と呼ばれるのでしょうか?
422日本@名無史さん:2013/12/14(土) 23:31:39.37
>>148
日本史板を見てきたけど、君は旗色悪いな
日本史に関する質問なら、世界史板で聞くべきではない
423日本@名無史さん:2013/12/15(日) 00:42:02.45
>>421
全然影響力が違うのであり得ない
岸信介は戦後日本の産業システムや労働システムを整えるのに多大な影響を及ぼした
中曽根は日米関係を安定させたという功績はあるけれどそれだけだし
石原に至っては烏駆除が成功したくらいしか実績がない(逆に新銀行東京や臨海新都心の巨大な失敗ならしてるが)

岸信介の影響力を1000とすると、中曽根が100あるかないか、石原は0.1あるかないか
424日本@名無史さん:2013/12/15(日) 17:22:03.58
>>421
岸信介は極東軍事裁判でA級戦犯の指名を受け3年間拘置所で過ごすも不起訴となり
公職追放されたがまた政界に舞い戻り戦後2度も内閣総理大臣を勤め
日米安保条約に総理大臣として署名するなど後世に与えた影響が大きかった
拘置所に入り死刑になりかけても政界から追放されても政界への並々ならぬ執着心で
瀕死の状態からでもよみがえる稀有な人生が「妖怪」と呼ばれていたはず

中曽根や石原は死刑判決や公職追放を受けたことはないし(賄賂・愛人問題で騒がれたことがあるだけ)
石原は総理大臣にすらなっていない
425日本@名無史さん:2013/12/15(日) 19:38:43.18
岸信介に関するレス、ありがとうございました
まさに妖怪に相応しい波乱万丈な人生ですね
もっと単純に、相当な高齢でアクの強いキャラなら妖怪扱いされるかな、
と思いました
426日本@名無史さん:2013/12/15(日) 20:39:25.77
>412
>漱石が『こころ』と『からだ』という連作小説を構想していた

前期三部作 『三四郎』『それから』『門』
後期三部作 『彼岸過迄』『行人』『こころ』

この六冊を読んでから出直してこい!

>425
>岸信介に関するレス、ありがとうございましたまさに妖怪に相応しい波乱万丈な人生ですね
>もっと単純に、相当な高齢でアクの強いキャラなら妖怪扱いされるかな、と思いました
君、晩年の老醜だけのイメージで妖怪と言ってるだけじゃねぃ
427日本@名無史さん:2013/12/15(日) 21:35:12.78
>>426
釣りにマジレスかこわるい
428日本@名無史さん:2013/12/15(日) 21:38:29.89
死刑判決受けたの?
429日本@名無史さん:2013/12/15(日) 21:44:27.85
「兵を挙げる」ってのは、厳密に言うと、どのタイミングで「兵を挙げた」って事になるんでしょうか。
兵士を集める命令を発した段階とか、武装して集結した段階とか、
攻略目標に向かって出撃した段階とか。
430日本@名無史さん:2013/12/15(日) 21:47:07.69
>釣りにマジレスかこわるい
一般教養に欠けた文章を書くこともコピペすることも釣りとは言わない
それは羞恥プレイ
431日本@名無史さん:2013/12/15(日) 21:55:51.04
>>429
厳密な答えは無い。
432日本@名無史さん:2013/12/16(月) 09:11:40.68
岸信介に関して追加質問です
岸信介は安倍総理の祖父であり、安倍総理は祖父を尊敬してるような事を言ってました  
安倍総理は今の皇室に対して非常に敬意を示し、「政治家がどれだけ頑張っても
陛下の代わりは勤まらない、これは皇室の歴史そのものだ」みたいな事を言ってました
しかし、岸信介は総理という公職トップの立場で「明治天皇は維新の折にすり替えられた」と
発言していたと本で読みました。もちろんその本が百%正しいか分かりませんが、
火のないところに〜とも言いますし。もし事実なら、岸信介と安倍総理とで大きな
皇室観の隔たりがあるように思えます。この辺、詳しい方おられますか?
433日本@名無史さん:2013/12/16(月) 15:13:26.96
ココ日本史板だけど…
434日本@名無史さん:2013/12/16(月) 19:04:21.17
Japanese businessman, stand up please!
435日本@名無史さん:2013/12/16(月) 19:55:13.71
436日本@名無史さん:2013/12/17(火) 13:08:37.94
公職のトップにいるような人物が、国の象徴の正統性を否定しかねない発言をしても良いのでしょうか?
明治天皇すり替え説って、現皇室の正統性を否定することになりますよね
437日本@名無史さん:2013/12/17(火) 15:32:34.87
戦後すぐは皇族が平民になったり、華族が平民になったり、何でもあった時代
今の天皇は当時子供だったが、今に日本も革命が起こって天皇制がなくなるだろうと思い
手に職をつけるためにタイプライターを習った時期があったとか
戦後すぐよりも現代人のほうが皇室を神聖視し崇拝しているだろうね
438日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:09:21.86
学校や予備校の日本史の授業や模試で江戸時代の天皇は
幕末の孝明天皇まで出ませんがそれ以前の江戸時代の天皇や
戦国時代の天皇は何をしていたのですか?
439日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:16:37.06
じゃあ君は戦国時代以前の天皇やあるいは孝明天皇以降の天皇が何をしていたのかを知っているのか?
440日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:26:28.80
↑それはある程度わかるでしょ?
鎌倉から明治までの天皇の歴史って本当に表に出てこないもん
後醍醐天皇くらい
441日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:28:12.05
>>438に聞いてるのだが。
そもそも「何をしていたか」というのは質問が漠然とし過ぎている。
442日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:37:23.07
江戸時代の天皇は御所から出られなかったし、政治にはタッチせず、
神事や文化活動、学問メインだったんじゃないの?
443日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:50:44.30
基本はそうだけど霊元天皇のような方もおられるからね。
>>438は受験生なのだろうから中公文庫の『歴代天皇総覧』でも買うといい。
安いし専門じゃない人にもとっつきやすい。
444日本@名無史さん:2013/12/17(火) 19:53:45.89
中公新書の誤りね。
445日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:14:28.95
このスレって質問者に対して煽りいれる>>439>>441みたいな器の小さな低能がいるのが問題だな。
まだ、世界史板の質問板のほうが門戸が広く質問者に食ってかかる馬鹿はいないよ。
446日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:19:36.11
>>443
いいね。>>438が受験生なら日本の通史もおさらいできるしね
447日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:21:27.74
>>445
お前みたいにいちいち穿り返す馬鹿もいないよ。
448日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:26:39.33

そう言って穿り返す馬鹿www
おまえみたいなカスは質問スレから出て行けよw
449日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:30:59.51
>>445
世界史板の質問スレも、けっこうひどいけどな
450日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:32:19.50
イギリス王、フランス王はまさしくキング=国王という威厳がある。
トルコ皇帝、中国皇帝、ロシア皇帝、ローマ皇帝は大帝国の頂点、皇帝という風格がある。

でも天皇って島の酋長みたいな感じしかしないよな。
日本列島の酋長って感じだ。
451日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:32:27.59
>>448
自分が出て行けば嫌な思いもしなくなるぞ。
452日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:33:26.17
>>450
君がどう思おうと勝手だけど、そんな己の主観を独り言ちられてもどうにもならん。
453日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:39:29.12
島の酋長って言うけどオバマ大統領やエリザベス女王よりも今上天皇の方が国際序列では上なんだけどな。
454日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:46:29.01
>>451
質問者を煽るだけのカスが出て行けばスレも穏やかになるけどな。
455日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:49:04.45
ずいぶん伸びてると思ったらただの煽り合いかよ

国際序列は国家元首の在位期間によるんじゃなかったっけ?
タイのプミポン国王は在位65年かそこらだからかなり高いんじゃないの
456日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:49:13.01
日本史じゃないんだけど現在の大臣の中で先生と愛称がある人って誰だか分かる?
今日山籠りみたいなセミナーやってる人
457日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:53:16.30
プミポン=キング
エリザベス=キング
今上天皇=エンペラー

エンペラー>キングだろ
458日本@名無史さん:2013/12/17(火) 21:56:20.92
天皇を島の酋長というならイギリス王(女王)もグレートブリテン島の酋長じゃないのか?www
459日本@名無史さん:2013/12/17(火) 22:07:37.58
馬鹿の相手はしないほうがいいぞ。馬鹿が伝染るから
460日本@名無史さん:2013/12/17(火) 22:11:44.87
と、いうことなので>>459は以後相手にしない方が良いねw
馬鹿が伝染するからwww
461日本@名無史さん:2013/12/17(火) 22:21:44.45
各国の統治者が並んだ時に序列なんてない。
天皇がトップなんて言っているのは日本だけだよ。
尤も、アメリカ大統領が天皇にお辞儀したらアメリカ国民は
叩いたのでアメリカ人はアメリカ大統領がトップだと思っているかも知れにけど。
462日本@名無史さん:2013/12/17(火) 22:23:08.02
>>457
そりゃ、天皇>国王だろうけど、在位期間は全く関係ないのか?
昭和天皇は在位期間も長かったから、文字通り世界最高格レベルだったらしいけどな
463日本@名無史さん:2013/12/18(水) 01:22:14.43
>>457
東洋の皇帝や天皇って概念に
便宜的に西洋のemperorと言う語を充ててるだけだからな

英国王はカナダやカリブの島やオセアニア諸国の国家元首
英国とムガル帝国の関係では名前の上で王国>帝国だし

東洋で帝国、皇帝というのはつまり、
「うちらは中華の王朝の支配から独立してるよ。中華の皇帝と対等。」
という意味にすぎない
例を挙げると
・大日本帝国
・大韓帝国
・満州帝国
・大南越皇帝
464日本@名無史さん:2013/12/18(水) 01:24:27.32
満州帝国って「中華の皇帝と対等」なんじゃなくて「ウチこそ中華の皇帝」って意味じゃね?
465日本@名無史さん:2013/12/18(水) 09:50:59.03
>>463
ベトナムの皇帝って清朝から冊封を受けてたからそれは違うと思うけど。
466日本@名無史さん:2013/12/18(水) 10:22:03.60
ベトナムの場合、ベトナム皇帝自身は清朝の冊封を受けておいて
自分は東南アジアで中国皇帝のように振舞って周辺部族に
朝貢を支持してその部族長を冊封していた。
467日本@名無史さん:2013/12/18(水) 11:00:02.45
>>457
現代の国際社会においては、国家の君主はエンペラーもキングもすべて同格
式典などで複数の君主が並ぶ場合の席次は、即位の早い順となる

>>461-462
たとえば、一時的に退位していた場合などは、ずっと在位している場合より在位期間は短いが、
その場合も最初に即位した時を基準にするので、必ずしも「在位期間」順とはかぎらない
「元国王」も含めれば、現在の世界の王族の序列一位は、ルーマニアの元国王ミハイ1世(1927年即位)
468日本@名無史さん:2013/12/18(水) 12:08:01.83
話を変えて悪いですが今日の暴れん坊将軍で江戸の街に隕石が落ちるという話で
それに乗じて江戸の街に混乱を起こすという話でしたが、その中で、天文学者が
吉宗に連れられて隕石の軌道や落下地点を探るのです。

そこで、近代的な天体望遠鏡が出ていたのですが当時の日本は天文学は
世界的に進んでいたのですか?
それとも長崎経由でヨーロッパから天文学の知識が入っていたのですか?
だとすると、清よりも日本は天文学では進んでいたのでしょうか?
469日本@名無史さん:2013/12/18(水) 19:22:17.67
室町時代の女性同士の紛争や復讐行為の例はありますか?
よろしくお願いします。
470日本@名無史さん:2013/12/18(水) 19:23:41.65
天文観測は為政者の重要な仕事だし
471日本@名無史さん:2013/12/18(水) 22:09:02.83
案外、知られていないんだろうけど天文学も医学も薬学も
江戸時代の日本は清を超えて西洋並みに高かったんだけどな。

「○○年××の変発生」
「○○法を出したのは△△」
「次の選択肢で正しいものを選べ」
「空欄を埋めなさい」

こんなことをやらせてないで古代から日本がいかに世界で政治的文化的学術的軍事的に優れていたか教育者は教えるべき
472日本@名無史さん:2013/12/18(水) 22:17:34.26
>当時の日本は天文学は世界的に進んでいたのですか?
>それとも長崎経由でヨーロッパから天文学の知識が入っていたのですか?
殆どタイムラグなしに西洋の知識は蘭書で持ち込まれている
本来は禁書で幕閣の一部のみが知識を独占しているはずなのだが、何故か外に漏れていたりする
むろん往来で販売されるなどということはありえないが
473日本@名無史さん:2013/12/18(水) 22:36:21.90
>>471
グサリ・・・うわぁ、痛いわおまえw
俺、大学生の頃に塾の講師をしていて社会化を担当していたけど
「○○年××の変発生」
「○○法を出したのは△△」
「次の選択肢で正しいものを選べ」
「空欄を埋めなさい」
みたいなことばかりやってたわ・・・
474日本@名無史さん:2013/12/18(水) 22:36:52.73
社会化×
社会科○
475日本@名無史さん:2013/12/19(木) 04:57:12.33
>>468
当時清で使われていた暦は北京在住のイエズス会士が作った物だった (現在の中国でも旧暦として使われている)。
吉宗も西洋天文学を取り入れた暦を作らせようとしたが、吉宗死後のどさくさに紛れて京都の陰陽頭が西洋天文学を使わずに作った暦が採用されてしまう。この暦は非常に出来が悪く、幕府は高橋至時に改暦を命じたが、彼が西洋天文学を学んだ教科書は清国人が書いたものだった。
476日本@名無史さん:2013/12/19(木) 08:24:50.25
   ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1288969637/330
477日本@名無史さん:2013/12/19(木) 08:27:23.38
>>468
なんにせよ、時代劇の考証なんて適当だから信じない方がいい
隕石の落下なんて(小惑星か彗星レベルの大きなものでない限り)現代だって予測不可能だし、事前に予測
可能なほど大きな天体の衝突だったら、ツングースの爆発のように、核兵器レベルの大災害になる
まして吉宗の時代に、日本だろうが清だろうが欧米だろうが、そんな予測できるわけがないw
そんな荒唐無稽な番組を見て、日本の天文学が進んでいたのですか、なんて言われても
478日本@名無史さん:2013/12/19(木) 09:30:08.84
お空は広いし隕石自体は発行しないから見つけにくいだけで
発見されれば起動計算はサクサクできてますよ
479日本@名無史さん:2013/12/19(木) 10:04:19.05
>>469
今参局が殺害された件とかか?今参局は将軍・足利義政の乳母。
義政の乳母でありながら義政から寵愛を受けて義政の女子を産み、
義政の奥で純然たる力を持っていた。
これを快く思わなかったのが義政の母日野重子。
重子の一族の娘である日野富子が義政の正室となり、生まれた女子が早世すると、
今参局の呪詛のせいであるとして今参局を流罪にした。
流罪になる途中で今参局は何者かに殺害された。
480日本@名無史さん:2013/12/19(木) 13:47:43.20
>>468
慶長18年(1613年)、イギリスが徳川家康にガリレオ式天体望遠鏡を献上し、
この頃から日本に天体望遠鏡は存在した。
徳川家綱の時に設置された初代天文方に任じられた渋川春海は、
星の動きを観察して日本初の独自の暦・貞享暦を発明したが、
天体望遠鏡で星の動きを観察していたことが弟子の日記に書かれてある。
吉宗は幕府の禁を緩めてキリスト教以外の蘭書の輸入を勧め、
眼鏡職人の森仁左衛門に命じて、国産の天体望遠鏡を量産させている。
吉宗の時代の日本はそこそこの天文学知識があったことは間違いはない。
481日本@名無史さん:2013/12/19(木) 16:35:34.00
>>438です。
お返事いただきました>>439を除く皆さんありがとうございました。

>>442
レスありがとうございます。
大方、そういう感じで政治にはノータッチで学問メインだったのですね。


>>443
早速歴代天皇総覧を入手して読んでいます。ありがとうございました。

>>439
初心者OKのスレで初心者相手に顔真っ赤とか恥ずかしくはありませんか?
482日本@名無史さん:2013/12/19(木) 18:24:37.61
徳川吉宗の改革は実は失敗だったと聞いたけど
どこが駄目だったのか教えてください
483日本@名無史さん:2013/12/19(木) 21:57:13.31
その話は知らないけど、一般論として倹約だけでは財政を立て直せない。
将軍以下誰も絹を着ないとしたら養蚕業者や西陣の職人は飯が食えない。
484日本@名無史さん:2013/12/19(木) 23:07:51.13
>>482
もの凄く単純化して言うと、享保の改革は厳しい引き締め政策
増税だ、倹約しろ、いかがわしいものは出版するなetc
その結果表面上社会が落ち着きを取り戻したのは事実だけど、各層の不満は当然高まったわけだ
485日本@名無史さん:2013/12/20(金) 07:03:27.39
経済政策として見た場合、享保の改革は、あくまで農本主義に立脚していて、実際の当時の経済の実態、
特に商業を完全に軽視している
その結果、農民から搾り取れるだけ搾り取ることになる
「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」、農民への苛斂誅求を象徴する有名な言葉だが、これを
言い放ったのは誰か? 吉宗に抜擢された勘定奉行・神尾春央(かんおはるひで)だ
しかし、いくら農民から搾り取ったところで限界があるのは自明の理
それで国家財政を立て直せるわけがない
486日本@名無史さん:2013/12/20(金) 09:32:19.90
>>482
民主党がやってた政治に似てると思う
日本国の赤字を減らすために、国民には増税、国の支出を少なくして
小さな国家を目指そうとした
吉宗も江戸幕府の主要収入だった農民に課せられる税金を上げ、
幕閣や大奥に質素倹約を命じて支出を抑え、大名たちに金を貸した。
結果、生活できなくなった農民たちの一揆が増え、大名たちは借金で首が回らなくなった。
487日本@名無史さん:2013/12/20(金) 22:35:43.42
>>486
自民党の旧勢力(例えば二階とか)が大きな政府路線、民主党は「第三の道」と呼ばれる中規模政府路線で、安倍ー維新ーみんなの党が小さな政府路線だよ
488日本@名無史さん:2013/12/20(金) 23:25:02.49
日本の長い歴史上、政治の安定、経済の隆盛、庶民の幸せ、文化の浸透、科学技術の進歩、
その他の環境も鑑み、もっとも「良き時代」と思われるのはいつ頃でしょうか?
489日本@名無史さん:2013/12/20(金) 23:30:22.14
>>488
縄文中期
490日本@名無史さん:2013/12/20(金) 23:30:57.44
>>488
間違いなく現代
現代で問題視されてることの殆どは、以前はもっと大きな問題があった為に問題とされなかったことに過ぎない
唯一現代が過去に劣る点があるとすれば、「未来が今より良くなるとは思えない」という不安が蔓延してることだけ
それについても、江戸の停滞期に比べればずいぶんとマシ(江戸は不安が強すぎて「ええじゃないか」の流行や人斬りの跋扈、はては薩長による事実上の革命まで起きた)
491日本@名無史さん:2013/12/20(金) 23:31:38.10
一億総中流の1970年頃じゃないかねえ
492日本@名無史さん:2013/12/20(金) 23:46:13.41
>>491
一億総中流なんて言ってたけど、実体は現在よりも遙かに激しい格差社会だったよ
その頃の貧困って、今のワープアなんて問題にならないくらい酷かった
今のワープアに相当する層はいわゆる「タコ部屋」で、生命の危険を冒しながら恐ろしい激務に耐えてたのを知らないの?
日本史板の住民なんだから↓の事件くらい知ってるとは思うけど・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%82%AD%E5%A4%95%E5%BC%B5%E6%96%B0%E7%82%AD%E9%89%B1%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%AA%81%E5%87%BA%E4%BA%8B%E6%95%85
493日本@名無史さん:2013/12/21(土) 00:11:51.10
488ですがレスありがとうございました
明確な答えは特定できないかもしれませんが、候補として参考にします
ちなみによく言われる善政や泰平の時代として、
平安時代の延喜・天暦の治、江戸時代の中期〜後期の化政文化期、
明治時代、昭和の後期〜末期、あたりは有望ではないでしょうか?
延喜・天暦の治は善政として名高いですし、化政文化期は泰平の時代で
庶民文化が大いに盛り上がったと言われますし、明治時代は国威が大いに
発揚され、また西洋文化が入ってきて生活水準が飛躍した時代、
昭和後期〜末期は高度経済成長とバブルの時代で経済的には栄華を極めた時代ですね
もちろん良い面だけではなく暗い面もありますが、それでも他に時代に比べて
相対的には良い時代と言えるのではないでしょうか?
494日本@名無史さん:2013/12/21(土) 03:52:56.88
>>492
当時小学生だったけど、級友の親戚が犠牲になったんだよな……
495日本@名無史さん:2013/12/21(土) 19:38:49.85
姓(かばね)のWikiなどの説明を読んでもよくわかりません。

山田太郎さんが、姓(かばね)として連(むらじ)をもらったら、
連太郎と名乗って良いということでしょうか?
496日本@名無史さん:2013/12/21(土) 19:49:32.30
名乗って良い、というより姓(かばね)というのはその氏族の立ち位置を示す称号のようなものなので、
山田氏が連(むらじ)という姓を与えられたのならば、山田 連 太郎 (やまだの むらじの たろう)というのが正式な名乗りとなる。

八色の姓の制定以降、特に奈良時代以降は与えられる(使用される)姓も徐々に限定されていって形骸的なものになった。
とは言え、朝廷における正式な名乗りには姓(かばね)使用されたので、
藤原 朝臣 良房(ふじわらの あそん よしふさ)という形で公的な場面では使われた。 
497日本@名無史さん:2013/12/21(土) 19:54:33.39
>>496
ありがとうございます。
498日本@名無史さん:2013/12/21(土) 21:16:15.51
ついでといったら失礼なんですが、苗字氏名姓諱官職などの違い解説お願いします。
499日本@名無史さん:2013/12/21(土) 21:56:09.38
いくらなんでも自分で調べられることは調べようぜ。
初心者だから何聞いたっていいわけでもなかろうに。
せめて調べた上で、495のように具体的に不明な点について質問するとかしよう。
「解説お願いします」なんてとても質問とは言えまい。
500日本@名無史さん:2013/12/22(日) 15:24:16.47
何故ぬるぽと書いたら叩く奴がいるの?
501日本@名無史さん:2013/12/22(日) 15:34:03.84
>>500
ガッ
502日本@名無史さん:2013/12/22(日) 16:57:10.69
江戸時代の庶民の暮らしを理解するのに一番いい本は何ですか?
503日本@名無史さん:2013/12/22(日) 17:15:57.26
>>502
江戸時代も時期によって違うし。庶民をどう定義するかにもよるし
504日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:04:35.82
古代はなんで天皇ごとに遷都しているのですか?
505日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:12:48.59
>>504
国主が移動しないで遷都と呼べるの?
506日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:16:11.25
また、初心者相手に突っ込み煽りとか死ねよ
507日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:18:49.27
>>506
口汚い言葉を使う暇があったら答えてあげれば
508日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:20:23.69
>>505
>>507
煽るだけなら出てこなくていいよ
まあ、どうせ答えられないんだろうけどw
答えられないなら同様に黙っていろって
509日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:28:24.85
*住居の耐用年数が短いから頻繁に建て替える必要があった。
*当時は妻問い婚のため、皇子といえども母親の家で育つのが普通だった。
*オオキミや豪族が不慮の死を遂げた場合に、その祟りを避けた。
等の説がある。ついでに言えば遷ったのは宮だけで、「都」というほどの大都市はまだ存在しなかった。
510日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:34:18.76
>>509
ありがとうございました。
授業では「○○天皇即位し××宮に遷都」というのを
延々と覚えさせられるだけでその理由は出ませんでした。

>>505
馬鹿は黙ってろカス。
511日本@名無史さん:2013/12/23(月) 23:53:19.76
めでたし めでたし
512日本@名無史さん:2013/12/24(火) 00:57:24.49
ガキなら自分で調べろ
513日本@名無史さん:2013/12/24(火) 08:21:48.62
>>512
初心者歓迎の質問スレで調べろはないだおるカス
答える気がないならでてくるな。黙ってろゴミ
514日本@名無史さん:2013/12/24(火) 08:46:38.75
黒田如水の男色相手は、吉川以外に誰が知られているのでしょうか?
515日本@名無史さん:2013/12/24(火) 10:07:02.13
>>514
大河板で無視されたからってこっちにくるなw
516日本@名無史さん:2013/12/24(火) 11:47:58.68
黒田官兵衛が美貌の吉川広家と男色で愛し合ったため
豊臣秀吉養女(宇喜多氏)が吉川広家と結婚する際には花嫁行列に同行し
あれこれと吉川広家の世話を焼いたって一次史料ではなく
軍記物の「隠徳太平記」にある話だからなあ
吉川広家が絶世の美男だったなんて「隠徳太平記」以外に記述なし
官兵衛の男色の話も「隠徳太平記」のみ
517日本@名無史さん:2013/12/24(火) 12:36:41.31
吉川広家はなべおさみのイメージ
518日本@名無史さん:2013/12/24(火) 19:27:03.86
初心者スレにしても礼儀、常識のないやつにまで答えてやる事もなかろうに
519日本@名無史さん:2013/12/24(火) 19:50:56.92
大廊下などの大名の席次は本とかでも書いてあるけど、
旗本の席次がよくわからないんですが?
勘定あたりの席次である焼火の間とかが低そうで、
芙蓉の間とかが高そうだなとはわかるんですが、
どういう序列なんですか?
520日本@名無史さん:2013/12/24(火) 21:26:39.73
「崩御」という言葉は、現在は天皇や皇后に対して使いますが、
皇后がおらず、中宮や女御が正室だった時代には、
それらの妃にも使った言葉ですか?
521日本@名無史さん:2013/12/24(火) 22:04:22.91
520氏とは別人ですが、最近崩御という言葉を使わずに逝去という言葉を使う風潮が
あるように感じますが(特に新聞で)、どういう動き、意図なんでしょうか?
522日本@名無史さん:2013/12/24(火) 22:39:38.24
黒田如水の男色相手は、吉川以外に誰が知られているのでしょうか?
523日本@名無史さん:2013/12/25(水) 08:50:53.27
>>520
崩御は天皇・皇后・皇太后・太皇太后・上皇・女院が死亡したときに使われる。
中宮は皇后と同義。尚、明治以降は上皇・女院は存在しない。
女御はたとえそれが正妃であっても用いられない。
>>521
天皇の死は崩御で統一されているようだが、それ以外の皇族については逝去や薨去でも問題ないようだ。
国として誰それが死んだときはどの文字を使いなさいという具体的な定めがあるわけではなく、
新聞や雑誌の自己判断に任されている。
524日本@名無史さん:2013/12/25(水) 18:44:24.91
>>523
前近代だと三后は殿下だから薨去?
525日本@名無史さん:2013/12/25(水) 20:26:02.97
>>521
こんなの見つけた
-------------------
「新聞業界では、皇室に対する用語を一定のルールに従って表記することにしているから、
間違わないように」ということでした。
敬意を表わすのはもちろんのことなのですが、
戦時中を思い出させるような「皇室独特の用語は使わない」というのがそのルールです。

「崩御」は皇室だけに使われる特別な敬語です。
そういうものはなるべく使わず、「逝去」や「お亡くなりになる」といった普通の敬語にいたしましょうという姿勢です。

「崩御」は特に「亡くなる」という特別な出来事ですからたぶん注目されたのでしょうけれど、それ以外にも皇室に対する独特の敬語はたくさんあります。
「行啓」「幸(みゆき)」「拝謁」「お召し列車」などなど。
こういうものも「お出かけになる」とか「お目にかかる」「特別列車」などと言い換えています。
(中略)
上記の表現の言い換えは、私が新聞社時代に使っていた共同通信社の『記者ハンドブック』によるものです。
(中略)
ちなみに、さすが宮内庁、昭和天皇について書かれた文章中には、
昭和64年1月7日午前6時33分,吹上御所において崩御(御歳87)されました。
と「崩御」を使っておられます。
526520:2013/12/25(水) 20:50:48.51
>>523
ありがとうございました
527日本@名無史さん:2013/12/26(木) 00:00:28.01
>>523>>525

どうもありがとうございました
528日本@名無史さん:2013/12/26(木) 00:51:34.44
豊臣秀吉の治世になっていきなり公家や太政官の数が飛躍的に増えたわけじゃないですよね
豪華絢爛な関白政庁の聚楽第に出仕する公家、太政官はそれまで何処にいた人ですか?
新しい関白政庁の聚楽第ができたことによって、取り壊された古い政庁があったわけですか?
529日本@名無史さん:2013/12/26(木) 00:58:03.63
530日本@名無史さん:2013/12/26(木) 11:26:29.65
>>528
太政官と呼ばれる人は存在しません
公家たちで構成される政治組織が太政官です
豊臣政権は武家政権であって聚楽第に出仕する人は武家です
秀吉は聚楽第の周囲に大名たちを集住させ、政治を行っていました
公家はどこに出仕したかといえばこれまでどおり朝廷ですよ
当時の朝廷は天皇の住まいである東洞院土御門内裏(現在の京都御所の場所)に置かれていました
聚楽第が建てられいたのはどこか?
旧平安京内裏があった大内野です
平安京内裏は広大であったために再建が難しく鎌倉時代初期に放棄されて小規模な里内裏に移り
跡地は野原になって大内野と呼ばれていました
その野原に聚楽第を建てたんです
531日本@名無史さん:2013/12/26(木) 14:55:35.19
詳しい説明ありがとうございました
ちなみに、秀吉は武家ですが途中で名門公家の養子になりました
公家の養子になった以降の秀吉はやはり公家ということでしょうか?
532日本@名無史さん:2013/12/26(木) 19:54:42.34
>>530
内野があの時代まで打ち捨てられて野原のままであったと?
聚楽第建設に際しては町家の立退きが相当数あったはずだがね。
533日本@名無史さん:2013/12/26(木) 21:33:44.36
>>531
養子ではなく猶子。似ているようで違う。また「羽柴」秀吉は公家である近衛家 (藤原氏) の猶子として関白になったので建前上は公家だが、「豊臣」秀吉は武家。
534日本@名無史さん:2013/12/26(木) 21:49:21.09
短い期間だが、藤原秀吉だった
535日本@名無史さん:2013/12/26(木) 23:00:47.72
>>533
羽柴と豊臣を並列にするのはいかがなものか
536日本@名無史さん:2013/12/27(金) 01:09:03.74
そもそも秀吉は死ぬまで「羽柴秀吉」だ。『豊臣』はあくまで姓
537日本@名無史さん:2013/12/27(金) 09:19:53.28
>>532
聚楽第建設に伴う立ち退きの記録はないはずだよ。
(あるなら初見なので提示してほしい)
つまり、内野にはほとんど人が住んでいなかった。
秀吉は聚楽第の周囲に大名たちを集住させ聚楽第周辺での生活を便利にするために
初めて聚楽第周囲に町人たちを呼んで聚楽町を作っている。
立ち退かされた人々を集住させたわけではない。
538日本@名無史さん:2013/12/27(金) 13:07:52.39
>>537
すまん。勘違いしてた。
確か貴殿の仰る通りだと思う。
集団移転は破却後の話だった。
539日本@名無史さん:2013/12/27(金) 15:33:07.54
>>535
『藤原』と『豊臣』ならいいのかな
540日本@名無史さん:2013/12/27(金) 20:47:20.60
>>536
じゃあ、源頼朝における「羽柴」相当はなんなんだ?
豊臣秀吉でいいじゃん
541日本@名無史さん:2013/12/27(金) 20:51:19.97
>>540
人質時代は「伊豆」、反乱成功したあとは「鎌倉」
542日本@名無史さん:2013/12/28(土) 06:53:17.51
なんで豊臣は姓なのに
「とよとみのひでよし」じゃなくて
「とよとみひでよし」なの?
543日本@名無史さん:2013/12/28(土) 09:06:53.53
>>542
おまえの名前は間に「の」を入れるのか?それと同じだ
544日本@名無史さん:2013/12/28(土) 10:45:54.76
俺は正解を知らないけど、本姓の時は「の」が入るという説が有るらしい。

源頼朝(みなもとのよりとも)
藤原不比等(ふじわらのふひと)
大江広元(おおえのひろもと)
545日本@名無史さん:2013/12/28(土) 10:48:34.22
追伸。
高師直(こうのもろなお)は本姓は高階だから苗字でも「の」が入る反例になるな。
546日本@名無史さん:2013/12/28(土) 13:47:43.99
バカ丸出しの回答が目立つが、
そういうスレなのか?
547日本@名無史さん:2013/12/28(土) 14:31:23.64
そりゃ、誰ともわからない雑多な人間が回答してるんだから、中には
悪い回答やバカな回答もあるのは当たり前
548日本@名無史さん:2013/12/28(土) 18:07:48.87
>>546
おまえが一番バカま丸出しだけどな
549日本@名無史さん:2013/12/28(土) 19:46:32.66
ヨーロッパでは教会の収入として小十分の一税がありましたが、
江戸時代の有名で無い小さな神社や寺は何を収入と
していたのでしょうか?
550日本@名無史さん:2013/12/28(土) 19:59:06.22
>>549
氏子や檀家から年中行事や冠婚葬祭の度ごとに巻き上げる
除地という非課税の農地を耕作してorさせて収穫を手にする
現代の神職や僧侶は田舎でもかなり金持ちな方だが
前近代の末端の禰宜や坊主や山伏はそんなに富裕ではなかった
551日本@名無史さん:2013/12/29(日) 02:55:38.48
>>543
明治以降の日本人は本姓ないだろ
氏名のみ
552日本@名無史さん:2013/12/29(日) 12:33:32.63
世話人というのは村長の事ですか?
553日本@名無史さん:2013/12/29(日) 13:47:54.73
何の脈絡も無く唐突に聞かれても分かるわけないだろ
554日本@名無史さん:2013/12/29(日) 14:50:20.16
村長の場合も有るし違う場合も有ります。
555日本@名無史さん:2013/12/29(日) 23:17:32.60
>>553
わからないなら出てこなくて結構。うせろ
556日本@名無史さん:2013/12/29(日) 23:29:15.15
質問者のマナーがこれだもんな。
557日本@名無史さん:2013/12/29(日) 23:38:56.95
庄屋日記系の本を何冊か読みましたが、
江戸時代、名主・庄屋など地方三役以外の平百姓の日記などは
史料としてないのでしょうか?
平百姓日記を研究した本があったら教えて下さい。
558日本@名無史さん:2013/12/30(月) 19:04:33.38
中世の北条氏と戦国時代の北条氏は無関係って塾では習いましたが、関係あるていう意見も聞きます。
どっちが正しいでしょうか?
559日本@名無史さん:2013/12/30(月) 19:32:12.91
直接的な関係はないです。
が、戦国の後北条氏は桓武平氏伊勢氏流の一族なので、桓武平氏を自称していた執権家の北条氏とは一応先祖が同じで家系図上は遠い遠い縁戚関係にはあります。
とは言え、鎌倉執権家の北条氏はあくまで自称桓武平氏なので厳密な血縁関係があるかというと無い可能性の方が高いです。
560日本@名無史さん:2013/12/30(月) 19:34:40.19
早速ありがとうございます。すっきりしました。
561日本@名無史さん:2013/12/30(月) 20:09:46.53
鎌倉時代に北条氏の娘が足利氏に嫁いでいるんだけど、その子孫が今川氏であり、後北条氏3代目の氏康が今川氏の娘を正室に迎えているんで、ものすごく薄いけど一応血縁関係はできてる。
562日本@名無史さん:2013/12/30(月) 21:11:34.89
江戸時代 里見八犬伝とか好色一代男とか沢山の本が出ていますが
一概に言えないでしょうが今のページ数にすると一冊は現在の文庫本の百頁位なのですか?
質問が上手くできないのですが、どうもすみませんです
563日本@名無史さん:2013/12/30(月) 21:26:56.96
江戸時代の有名な作品はだいたい岩波文庫から出てるから本屋に行って見てみれば?
もちろん分量は作品によって全然違うから自分の知りたいものを手にとって見てみればおおよそは分かるよ。
564日本@名無史さん:2013/12/30(月) 21:36:59.13
>>563
情報有り難うでした、明日にでも見てきます。
565日本@名無史さん:2013/12/30(月) 21:46:52.97
「柳沢十六人衆」という美少年集団は実在したのですか?

美輪明宏がテレビで話していましたけれど、いささか疑問なので。
566日本@名無史さん:2013/12/30(月) 22:36:46.29
家康のしかみ像について質問なんですが、
どうして、両手が青く描かれているのでしょうか?
退色かな?とおもったのですが、明らかに顔や足の色と書分けられている気がします。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/73/Mikatagaharasenekizou.jpg
567日本@名無史さん:2013/12/30(月) 23:37:06.50
右手を見ると指の色が違うのが判ると思うが、手袋をしている。
馬から下りた姿なので乗馬用の手袋をしている。
568日本@名無史さん:2013/12/31(火) 02:48:46.15
昔の日本人て顔とかに入れ墨してたんでしょ?
弥生時代とか。

この風習はいつ廃れたの?
飛鳥時代には完全になくなった?
569日本@名無史さん:2013/12/31(火) 03:34:40.51
古墳時代の埴輪には刺青を表現していると推測される彩色や線刻が顔面に施されているものがある
飛鳥時代以降は人物画や人物像をつくらなくなるので、いつ刺青がなくなるのか詳細は不明
ただ、大陸との交渉や仏教伝来の影響で廃れていったのではないかと考えられる
570569:2013/12/31(火) 03:39:38.01
補足
高松塚の壁画の人物像には刺青はない
571日本@名無史さん:2013/12/31(火) 03:44:36.48
もともと身分差であるとか個体差を表象するもののようだったから
中央集権的な国家体制が出来るに連れて消えていったようだな。

つまり古墳時代から徐々に消えていったと考えられていて
一般的な風習としての入れ墨は6世紀の初め頃の儒教の伝来でほぼ途絶えたようだ。
以降は犯罪者に対する刑罰、個体識別としての使用に限定されたと。

とは言え、九州や蝦夷といった特定の地域、あるいは漁労に従事して広く海上を移動していた人々
(海賊を含む)は中世、近世になっても入れ墨文化は残ったようだね。
このあたりは海洋民族の伝統が継続されたのか、それとも別の理由なのかは分からない。

江戸時代以降の入れ墨については広く知られた通りだと思う。
572日本@名無史さん:2013/12/31(火) 09:04:01.16
お忙しい年の瀬に、すみません。
え〜とですね、小説を書きたいんですね。
舞台は化政時代あたりで、十代後半の男女の恋愛もので。
で、職場恋愛にしようと思うのですが。
はて、大店でも武家奉公でもいいんですけど、
江戸の町では、男女が近くで一緒に働く、
もしくはごく間近で働くという、
まさに現在のオフィスのような職場はあったのでしょうか。
573日本@名無史さん:2013/12/31(火) 11:30:17.94
鎌倉〜江戸時代、政治の表に出てこなかった当時の天皇のことを
一般庶民や庄屋、豪農レベルの人はどれくらい認識していたんでしょうか?
574日本@名無史さん:2013/12/31(火) 12:13:21.21
皆さんさんくす
飛鳥時代には一般的にはタトゥー文化終わってたみたいすね
古墳時代あたりの冷凍保存された遺体を発見できれば入れ墨時代の倭人を見られるな
575日本@名無史さん:2013/12/31(火) 12:19:26.62
江戸時代やそれ以前には書籍はどう置いてたたんですか?
現代や西洋なら書棚に並べてますけど和本って
物によるでしょうけど薄くて立ちにくいイメージあるからやっぱり平積みですか
576日本@名無史さん:2013/12/31(火) 13:02:33.30
色々、巻物なら並べるとか広げて釣っておくとか、
和本も記録などの物は後から閉じるから閉じるまでは紙のまま平積み
または畳んで箱に入れておくなどなど
577日本@名無史さん:2013/12/31(火) 13:32:00.53
古本屋行けば今でもそうだけど和本は平積みで重ねている。あるいは引き出しか箱に仕舞う。
578日本@名無史さん:2013/12/31(火) 14:12:56.40
>>572
江戸時代の庶民でちゃんと小説書きたいんなら
こんなところでそんな質問する前に
もっとその時代の概説書なり当時の小説やら読本やらを読んで
相応の知識がついてからの方が書いた方が良いと思うけど
いまのまま書き始めても
現代人が太秦や日光江戸村でコスプレしてるような小説を誰が読みたいと思うか
579日本@名無史さん:2013/12/31(火) 14:33:48.43
>>576>>577
なるほど。ありがとうございまいた
580日本@名無史さん:2013/12/31(火) 14:34:56.28
ました
581日本@名無史さん:2013/12/31(火) 19:23:24.68
江戸時代には一万石程度の天皇家は、
明治以降にどのようにして莫大な財産を築いたんですか?
582日本@名無史さん:2013/12/31(火) 19:46:58.21
>>581
徳川将軍家以下佐幕派から没収
憲法やら各種法律の制定前に寄贈とかいう形で接収
583日本@名無史さん:2013/12/31(火) 19:48:54.54
清華家の左大臣と
摂家の右大臣
実質的に偉いのはどっちですか?
584日本@名無史さん:2013/12/31(火) 20:22:40.24
摂家
585日本@名無史さん:2013/12/31(火) 21:24:08.97
摂関家は別格だからね
特に江戸時代になると摂関家とその他の公家というのは決定的で明確な格の違いが定義される
戦国初期でも九条政基親子のように殺人事件を起こしても「摂関家を他の家と同じ基準で裁くな」という意見が出て処分も軽くなってる
586日本@名無史さん:2013/12/31(火) 21:27:18.83
>>585
摂家を他の堂上から別格とする意識って何時からだろうね
閑院流が摂関を望んで退けられたあたりには既に確立していた気がする
587日本@名無史さん:2014/01/01(水) 11:11:22.17
>>573もお願いします
588日本@名無史さん:2014/01/01(水) 14:05:14.59
>>587
それ天皇関係のスレッドでももう何年も言われてるテーマだけど
結論としては地域や時代によって全然違うし、基本日常的に意識してることくらいしか総意になってない。
京都は別にして。
589日本@名無史さん:2014/01/01(水) 14:05:50.38
訂正
基本日常的に意識していることは無いということしか総意になってない。
590日本@名無史さん:2014/01/01(水) 16:41:52.72
>>572

大名屋敷や大店は基本的に表向き(男性の職場)と奥向き(女性の職場)はかなり明確に分かれてます
男女が机を並べて一緒に仕事するような今の会社の雰囲気ではありません
男女が同じ職場にいるなんてのは小さな個人商店ぐらいの規模じゃないと存在しないでしょう
何しろ男女が肩を並べて一緒に歩くことすら実際にはなかったというぐらい男女のけじめが庶民レベルでも
倫理感覚として厳しかった時代ですから
まあそのへんはテレビや映画の時代劇でも曖昧にごまかされてますが
591日本@名無史さん:2014/01/02(木) 18:50:47.90
明治以前は天皇、皇族、公家は日常的に肖像画でよく見るような衣冠束帯、
女性は十二単だったのですか?重要な儀式の時だけなのか、日常的だったのか、が知りたいです
592日本@名無史さん:2014/01/02(木) 23:40:31.09
http://i.imgur.com/t0Lzc2V.jpg
初詣の際神社で見かけた六角紋ですが何処の家紋か分かりますか?
あと家紋について語るスレッドが無いように思えたのですがこれに相応する、似たようなスレはありますか?
よろしくお願いします。
593日本@名無史さん:2014/01/03(金) 00:01:51.72
ググったら厳島神社とか神社に多いらしい。

浅井氏などの「三つ盛亀甲に花菱」かと思ったけど、それをワードにググってヒットした
Yahoo知恵袋によると写真のそれは花菱というより花角らしいと思われた。(菱形じゃないから)
594日本@名無史さん:2014/01/03(金) 01:59:35.11
>>593

回答の通り写真の家紋は安芸の三大神社厳島神社と並ぶ速谷神社で撮影したものです。
ありがとうございます。
595日本@名無史さん:2014/01/03(金) 16:47:28.50
>>591をお願いします
596日本@名無史さん:2014/01/03(金) 17:39:48.17
しょうもない質問して答えを乞う奴は同じ奴?
597日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:00:20.17
質問。日本の歴史上で「黄金の刀」とか誰か作らなかったのかな?
秀吉あたりが作っていてもおかしくないと思うんだけど。茶室は黄金にしても
刀は実用性を求めて黄金の刀みたいなのは作らなかったのかな?
598日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:10:47.46
古代の天皇や古代の豪族などを表すときに
独特な髪型や衣装が使われているけど、
あれは単なる想像ではなくて、それなりに
根拠や証拠があるわけですか?
卑弥呼や伊予の髪型も独特ですしね
599日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:11:17.95
稲荷山古墳から出てきた刀に金細工で字は刻まれてたが
600日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:46:06.54
>>598
「魏志倭人伝」にある邪馬台国の人々の服装に関する記述や、
古墳から出土する人形埴輪によって当時の風俗を知ることができます
601日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:46:39.19
>>597
隕鉄で作った例は有るが黄金は無い。
海外では金銀宝石で飾り立てて初めて宝剣とか言うけど、
日本刀はそれ自体が特別だからだ。
602日本@名無史さん:2014/01/03(金) 21:56:29.24
>>599
>>601
レスどうもです。刀身が黄金みたいのはないって事ですね。
日本は黄金発掘量が結構あったはずなのに。ぜんぜん黄金関係
の残ってないですよね。金閣寺と金色堂ぐらい。

もっと金で芸術品を作って置けばよかったのに。
603日本@名無史さん:2014/01/03(金) 22:02:16.79
黄金は仏像などを塗るのに使ったんだよ。屋内にあっても風化して残ってない有様だから
金閣みたいのは異例。
604日本@名無史さん:2014/01/03(金) 22:08:59.12
>>591
衣冠束帯や十二単は今でいう式服や正礼装といった類です。
現代の閣僚やら代議士がモーニングを日常的に着ているか否かは分かりますね。

>>597
現存するものも文献で伝わるものも無いということは作刀されなかったということですね。

>>598
当時の髪型などについては、埴輪や古墳の壁画といった考古資料を参考にもします。
後代には、男子より女子に、さらに童子に、古形が残されていることが多いので、
伝世の服飾もある程度は復古の参考にはなるはずです。
605日本@名無史さん:2014/01/04(土) 09:49:08.27
最近、TVでひっぱりだこの竹田恒泰氏は本当に明治天皇の孫(玄孫?)なんですか?
もし明治天皇の直系ならなぜ皇族から外れたのですかね?
606日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:04:54.53
なんか初心者歓迎スレはかまってくんが来やすいな
607日本@名無史さん:2014/01/04(土) 11:37:43.91
>>604
ありがとうございます
衣冠束帯が使われなくなったのは明治の欧化政策が原因だと思うのですが、
なぜ日本の正装まで欧化してしまったのでしょうか?
日常的に使用するわけじゃないのであれば、多少実用的でなかったとしても、
日本の伝統を守るという意味でも衣冠束帯を正装にしてほしかったと思います
見た感じもすごく厳かだし、威厳に満ちてると思うんですけどね
現代でもアラブや中東、アフリカの正装は西洋風になってないところもありますしね
608日本@名無史さん:2014/01/04(土) 14:25:14.12
「宮本武蔵」って吉川英二の小説が有名ですが、
そういう小説がなかった江戸時代や明治時代には、
武蔵って知られた存在だったのでしょうか?
609日本@名無史さん:2014/01/04(土) 14:58:45.48
>>607
>なぜ日本の正装まで欧化してしまったのでしょうか?
日本人は極端に走る傾向があって、欧化する事にしたら全部欧化するんだよ。
それまでの伝統的な文化や芸術などは全く価値の無いものとみなされた。
だから廃仏毀釈みたいな事も起きるし、多くの美術品が海外に流出した。

極端な人は公用語をフランス語にしようとまで言い出す始末だ。

>>605
皇族から外れたのは戦後にGHQの命令で皇室の財産が国庫に帰属する事になり、
皇室の財産が減った結果、皇族が多すぎて維持出来ないという事になったかららしい。
610日本@名無史さん:2014/01/04(土) 19:28:05.85
>刀身が黄金みたいのはないって事ですね
刀身ではないし史実かどうかも知らんが
元弘三年五月二十一日新田義貞此ノ岬ヲ廻リテ鎌倉ニ進入セントシ金装ノ刀ヲ海ニ投ジ テ潮ヲ退ケンコトヲ海神ニ祈レリ
611日本@名無史さん:2014/01/04(土) 20:42:10.02
新田義貞の稲村ヶ崎徒渉自体が虚偽説が有力だし
百歩譲ってそれがあったとしても剣を投じたってのは怪しいし、さらに百歩譲って仮に義貞が剣を
海に投じる演出をしたとしても、そのために黄金を使った高価で貴重な刀を使うなんて絶対にありえない
鎌倉時代、それも末期には、上級の武士も、貧困で質素なんだぜ
612日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:42:42.70
>新田義貞の稲村ヶ崎徒渉自体が虚偽説が有力だし
誰かが疑問を提示したら即有力説ですねわかりますw
>百歩譲ってそれがあったとしても剣を投じたってのは怪しいし
前近代では演じることを強いられるのは常識なのだが…何が怪しいのやらw
>黄金を使った高価で貴重な刀を使うなんて絶対にありえない
いや、演じるのに安っぽいのを使っても…
何が高価、何が貴重かなんて価値観は相対的なものだし
>鎌倉時代、それも末期には、上級の武士も、貧困で質素なんだぜ
小説やドラマのイメージではなく鎌倉遺文でも読めよ
史実かどうかは兎も角金装の刀という概念はあるということを言いたいだけのレスに
何故全力で否定しないと気がすまないのか分からんが、最後に「NHKで見たから知ってるもん」とか言われてもorz

学問の話はできないの?
613日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:11:13.11
邪馬台国のWikiを読んでいて感じた疑問です。

>倭国の邪馬台国は元々男王が治めていたが、国成立(1世紀中頃か2世紀初頭)から70-80年後、
>倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱の時期は2世紀後半)。
>邪馬台国もその影響を逃れえず、卑弥呼という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。
>弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。
>248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、
>「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。

このような記述がありましたが、これでは、その後も女王をたてる事が続くようになるものなのではという疑問を抱きました。
が、結局王にしても天皇にしても、その殆どは男性が就いていると思います。
これは何故なのか明確な理由はあるのでしょうか?
614日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:16:05.72
>誰かが疑問を提示したら即有力説ですねわかりますw
稲村ヶ崎徒渉の史料は『太平記』とそれ以後のみで、信頼できる史料には記されていない
そういう場合、いかにも講談的・小説的な場面は疑ってかかるのが当然

>前近代では演じることを強いられるのは常識なのだが…何が怪しいのやらw
総大将の義貞に誰が演じることを強いたの?
だいたい剣を投じても、その直後にすぐ目に見えるほど急激に潮が引くわけないよね? 潮は少しずつ引くものだ
剣を投じても、「何もおこらないじゃないか」ってなって、士気の面では逆効果でしょ、どう考えても
引き潮になることを知っていたのなら、「演じることを強いられる」よりも、「もうじき引き潮になるから、それまで
待つのじゃ」と下知した方がよっぽどいいはずだよね

>何が高価、何が貴重かなんて価値観は相対的なものだし
なにいってんの?
貴重かどうかはともかく、その時代に高価なものは高価でしょ
田舎侍がポイと惜しげもなく海に捨てられるほど金は安くねーよ

>小説やドラマのイメージではなく鎌倉遺文でも読めよ
鎌倉武士の質素さを伝えるエピソードはごまんとありますが?
そもそも経済的に困窮していたから、武士たちは倒幕に立ち上がったのだが

>最後に「NHKで見たから知ってるもん」とか言われてもorz
NHKで知った気になってるのは君の方だろ
君の言葉をそっくり返そう 「学問の話はできないの?」
615日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:21:23.39
だろう・はずだが学問の話で史料に依拠しない妄想の羅列に終始しているのだがw
君がそう思うならそれでいいんじゃねぃ
616日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:30:10.60
質問。日本書記ってどこまで本当かわからないらしいじゃないですか。

で裏づけが出来る民間人の日記とかで最古のものって何になるんですかね?
貴族の日記で聖徳太子の時代とかのものってあるんですか?
617日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:31:08.08
>>613
それは三国志にそう書いてあるというだけの事で、事実かどうかも分からないレベルの話です。
618日本@名無史さん:2014/01/04(土) 23:34:32.83
はて、「だろう・はずだ」は、最後の皮肉の「君の方だろ(う)」を別にすれば
「下知した方がよっぽどいいはずだ」 のところでしか使ってないのだが?
史料をもとに論理的に考察し、記述のどの部分はフィクション、どの部分は正しいと考察するのが学問であって、
『太平記』の記述を鵜呑みにすることこそ学問じゃない
妄想の羅列というなら、どの辺が間違っているのか指摘してくれたまえよ
619日本@名無史さん:2014/01/05(日) 00:10:40.99
金装ってのは装具が黄金色の太刀だろ

刀身が金だと柔らか過ぎて実用には耐えない
じゃ儀式用はどうかってことになるけど、
儀式では刀抜いて刀身見せる必用なんてないし、
実際に何かを切るような儀式であっても
よく切れるかどうかが重要になるから、
儀式用の刀は、中身は名刀で
外から見える装具にこだわってるものになりがち
620日本@名無史さん:2014/01/05(日) 06:59:43.52
いやまぁ金糸を少し巻いただけでも金装というし中身が名刀かどうかではなく
その刀の謂れが重要なんだけどね

この話はもういいんじゃねぃ「イチジシリョウガー」君っぽい馬鹿の相手なんかだらだらと続けても
誰の益にもならんし
621日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:03:23.16
関が原合戦屏風や長篠合戦屏風等が現在に残っていますが、あれはどうやって書かれたのでしょうか?
後世の絵師が合戦の様子を聞いて想像して書かれたのか、当時の絵師が本陣に呼ばれて合戦の様子を
見ながら書いたのか・・・
おそらく前者なのでしょうが、詳しい方ご教示願います
622日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:28:14.68
実際にその合戦に参加した武将、またはその子孫が自分たちの戦功を伝えるために絵師を雇って描かせた。当然彼ら自身の (盛った) 体験談を作者に話して参考にさせただろう。
623日本@名無史さん:2014/01/05(日) 11:40:59.08
七本槍って、東海地方風味なんですが、
八浜の七本槍って中国ですよね
纓田・羽柴が言い出したんでしょうか?
それとも中国でも当時普通の概念だったんでしょうか?
624日本@名無史さん:2014/01/05(日) 15:35:26.03
>>623
別に日本中どこの地方で言われてもおかしくはないと思うけどな
「三好三人衆」とか、仏教の「四天王」とか、中国の後漢光武帝の「雲台二十八将」とか、
何人かをまとめて数字をつけて呼ぶこと自体は普通にあったわけだし、
戦場での活躍のことは「槍働き」っていうぐらい、槍が象徴しているわけだし、
武功のあった7人を「七本槍」って呼ぶ言い方ができるのは、そう不自然なことじゃない
まあ、八浜の七本槍と、賤ヶ岳の七本槍、両方が別個にそう呼ばれるようになったってのは
さすがにできすぎの偶然だから、どっちかが先に言われて、もう一方が後からそれをまねた
んだろうとは思う
(単純に考えると、先に合戦があったのは八浜だが、その直後にもう七本槍と呼ばれて
いたとは限らない。後に賤ヶ岳の七本槍が有名になったので、こっちにも八浜の七本槍が
いたんだぞ、と言い出したのかもしれない)
625日本@名無史さん:2014/01/05(日) 16:06:56.01
藤原道長、橘諸兄、平清盛、源頼朝、伴善男、小野妹子、紀貫之、菅原道真、
阿倍仲麻呂、清原元輔、大江千里、在原業平、と「姓」の人はみんな「の」が入るけど、
豊臣秀吉の「豊臣」は姓なのに、なぜ「の」が入らないの?


という質問が前に出ていて、気になったのですが、
「鴨長明」、「高師直」、「那須余一」、「千利休」、「賀茂真淵」といった
人たちは逆にどうして「の」が入っているんでしょう?

二音節だと短いから、単に語調を整えるため、でいいんでしょうか。


あと、逆に「藤原惺窩」という儒学者は、姓のはずなのに、教科書でも
「の」が入っていなかったように思いますが、これはどうしてでしょう?
626日本@名無史さん:2014/01/05(日) 16:23:13.77
>>625
「の」はただの慣例で深い意味は全くない。
627日本@名無史さん:2014/01/05(日) 16:33:50.28
大学時代の中東研究の講師が言っていたのですが
17世紀の鎖国下の日本はアジアで一番先進的であり同時代の
サファヴィー朝と比べたら格段に日本が上と言っていたのですが
17世紀の日本は本当に先進的だったのですか?
そしてサファヴィー朝はアジアでは大国ですがそんなに落ちぶれていたのですか?
628日本@名無史さん:2014/01/05(日) 17:01:29.70
飛鳥時代って平安時代と大差ないように思えるけど
文化的発展とかってあったのかな?
629日本@名無史さん:2014/01/05(日) 17:02:54.74
>>627
>>628
そんなこと聞いて知ってどうするの?
630日本@名無史さん:2014/01/05(日) 18:08:07.77
>>627
サファヴィー朝のことは日本史板ではわからんから何とも言えない
世界史板の方がいいと思うから世界史板で聞いてみたらどうかな?
631日本@名無史さん:2014/01/05(日) 19:03:03.44
>>630
回答ありがとうございました。
世界史板の方に移動したいと思います。
632日本@名無史さん:2014/01/05(日) 20:05:08.31
歴史板をいろいろ見てると、歴代首相格付けとかそれに類似した板なんかで
やたら故小渕恵三氏の評価が高いのですが、客観的に見てやはり高評価は妥当ですか?
ブッチホンとか二千円札とかバブル崩壊後の不況を公共事業でカバーしようとし、
結果的に負債(借金)を増やしたってイメージなんですが・・
(公共事業しなかったらもっと悪くなってたかも知れないけど)
めちゃくちゃ悪いとは思わないけど、そんなに良かったかな?という感じです
633日本@名無史さん:2014/01/05(日) 20:32:44.39
>>632
小渕氏は立場によってかなり評価が変わる首相
すごく大雑把に言えば「権力闘争は神懸かり的に強かったが見識や自己の政策はまるでなかった首相」

・小渕氏を評価するタイプ
 「とにかく権力を維持して政治を安定させればいい首相」と考えるタイプ
 江田など、現在の改革派は小渕政権下で抜擢された人が多い。彼らの政策を支持するタイプ
 森元首相を嫌う人は多いが、その半分(小渕さんが生きていてくれれば……と思う)

・小渕氏を批判する立場
 首相に政策や見識を求めるタイプ
 江田のような政策を支持しないタイプ
 森元首相を嫌う人の半分(実質小渕が森を次期総理に据えたと言えるので)
634日本@名無史さん:2014/01/05(日) 20:35:15.26
「宮本武蔵」って吉川英治の小説が有名ですが、
そういう小説がなかった江戸時代や明治時代には、
武蔵って知られた存在だったと考えられますか?
635日本@名無史さん:2014/01/05(日) 21:14:42.87
考えられますね
636日本@名無史さん:2014/01/05(日) 21:22:32.54
小説はなくても歌舞伎や講談があったからね。
637日本@名無史さん:2014/01/05(日) 21:39:19.53
>>633
ありがとうございました
でも、それだと圧倒的人気(支持)で政治基盤を安定させた小泉氏の方が
凄くないですかね?
638日本@名無史さん:2014/01/05(日) 21:51:50.43
>>637
その小泉や、小沢、最盛期の野中といった政局の怪物達を全員抑えてしまったのが小渕
639日本@名無史さん:2014/01/05(日) 22:05:57.00
>>624
レスありがとうございます
確かに不自然ではないですよね
「6人や8人でも7人に数合わせしたのでは?」って話もあるようですので

ただ、小豆坂や蟹江が東海だったり、姉川や上田の七本槍が徳川の家臣だったりするのに対し、
それら以外だと八浜や大垣くらいしか聞かないので疑問に思った次第です
640日本@名無史さん:2014/01/06(月) 16:56:17.91
森を首相に据えたのは野中だろ
立花隆なんて「神の国」解散による総選挙当時
「実質、野中内閣の新任を問う選挙」と喝破してたくらいだ
641日本@名無史さん:2014/01/06(月) 20:22:32.57
>>640
633に書かれてることを繰り返して、何が言いたいの?
642日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:35:22.61
歴史板からずれちゃうかもしれないけど、森元の「神の国発言」って
そんな言うほどの失言じゃないと思うけど、どう思いますか?
日本は天皇を中心とした(八百万の)神の国って言っただけでしょ?
叩かれたのは「天皇を中心」→戦前の軍国主義、皇国史観の復活という無理やりな曲解かと
643日本@名無史さん:2014/01/06(月) 22:45:45.13
学問的見地から見て、武士が平民になったことと公家が平民になったこと、
どちらがより大きなトピックですか?
644日本@名無史さん:2014/01/07(火) 00:03:56.55
>>643
どちらも学問的見地ではないと思います。
645日本@名無史さん:2014/01/07(火) 16:35:09.19
>>641

>>633には
>実質小渕が森を次期総理に据えたと言える
と書かれているが
これは大きな間違いと言える
646日本@名無史さん:2014/01/07(火) 18:36:20.50
>>642
天皇は戦後、「人間宣言」をしていますからねえ。
森元首相が天皇は神発言してわざわざ寝た子を起こさなくてもいいのではないかと。

そもそも全国の神社が天皇の祖先神を祀るようになり
天皇が日本中に鎮座する八百万の神の中心となる神になったのは明治以降ですし。
牛頭天王(厄病除けの神)→スサノヲ命(天皇の祖先神天照大神の弟)、
稲荷神(農業の神)→ウカノミタマ命(スサノヲの子)みたいに置き換えられて。
それ以前は天皇の祖先神を祀るのは限られた神社でした。
647日本@名無史さん:2014/01/07(火) 20:52:50.72
>そもそも全国の神社が天皇の祖先神を祀るようになり
>天皇が日本中に鎮座する八百万の神の中心となる神になったのは明治以降

とりあえず神祇官 でggrks
それだけで間違いに気付くとは思えんけど…
648日本@名無史さん:2014/01/07(火) 21:52:13.37
>>646
森元は天皇=神とは言ってないんじゃないのかな
649日本@名無史さん:2014/01/08(水) 00:31:02.15
「新撰組内で男色が盛んだ」
という事実を手紙に書いたのは誰だったっけ?
650日本@名無史さん:2014/01/08(水) 03:14:21.90
徳川家康の子孫(血を引いてる人)ってどれくらいいますか?
651日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:34:01.64
652日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:40:14.99
>>647
神祇官は朝廷から神社への幣帛を統一するためにおかれたもの
全国の神社の親玉神が天皇だからおかれたものじゃないよ
653日本@名無史さん:2014/01/08(水) 13:30:07.40
>>650
直系の子孫以外にも、幕末までには大名、旗本や公家のほとんどに家康の血が入っていただろうからなぁ。その子孫全部となるととても数えきれん。
654日本@名無史さん:2014/01/08(水) 20:46:31.13
>>625
>>626
彼は冷泉家に生まれたれっきとした藤原を本姓にもつ公家の出身だけど
嫡男でなかったために家を出て儒者になったんだよ。

なので冷泉という家名は名乗らずに本姓である藤原を便宜上苗字のように使ったということ。

慣例で深い意味は全くないということは決してない。
慣例であることには間違いないが、その例外には例外としてのそれなりの理由がある。
655日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:09:31.88
>652
あぁやっぱ何を間違えているのか全く理解できてないか…
古事記がどうとか以前に日本神話すら知らないんだろうな
その書き方では

最近はこんな奴ばっかorz
検索ワードを与えてやっても知識を得ようとはせず只管妄想を語るばかり
656日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:39:19.50
武士はめちゃくちゃ増えていったけど、公家はそこまで増えてませんよね
なぜでしょうか?
657日本@名無史さん:2014/01/08(水) 22:45:36.35
>>656
武士「身分」は言うほど増えて無いぞ。武士と他の身分の中間みたいなのがやたら増えただけで
658日本@名無史さん:2014/01/08(水) 23:47:01.73
足軽、雑兵レベルは武士には入らないのですか?
659日本@名無史さん:2014/01/09(木) 01:25:53.14
武士も公家も現在では存在しないけれど、まだ武士の方が想像しやすいし、理解しやすい
公家というのはなかなか理解しにくいし、難しい
660日本@名無史さん:2014/01/09(木) 02:28:19.03
足利高氏(尊氏)ってなんで足利宗家で一人だけ義の字がないの?
完全に仲間外れじゃん
661日本@名無史さん:2014/01/09(木) 02:44:14.88
尊氏の高祖父 (ひいひいじいさん) から親父までの4代も名前に義の字がない。いずれも当時の鎌倉幕府執権から一文字貰っていた。
662日本@名無史さん:2014/01/09(木) 06:33:16.11
>>661
なるほど高氏は北条高時すか
663日本@名無史さん:2014/01/09(木) 08:32:22.06
今年の大河ドラマの主人公は、どうして黒田官兵衛と呼ばれるのですか?
他のひとと同様なら、黒田孝高ではないのですか?
ドラマ内でも父も子も諱で呼ばれます。
664日本@名無史さん:2014/01/09(木) 09:22:35.13
>>663
官兵衛の名のほうが有名だからそれを採用したからだろ
官兵衛の同母弟も諱は黒田利高だが
ドラマの中では兄同様に兵庫助呼びされるみたいだ
665日本@名無史さん:2014/01/09(木) 09:47:16.55
>>664
質問の仕方が悪かったようですみません。
ドラマに限った話ではなく、
一般論で、諱の方が知られなくなった事情を知りたいのです。
666日本@名無史さん:2014/01/09(木) 10:27:00.99
会話では、諱はあまり使われないから
現代だって、人を下の名前で呼ぶのは家族や親戚、親しい友人、恋人などに限られるでしょ
(芸能人とかで下の名前で活動している人なんかは別として)
まして江戸時代や戦国時代には、目下の者が目上の人間の諱を呼ぶなんて、失礼な行為だった
ドラマではよく部下が「信長様」とか「秀吉様」とか呼んだりしているが、本当はよくない
そういう呼び方は避けて、「殿」とか「お館様」などと呼んだり、官職や官位のある人なら「筑前守様」などと
官職、官位で呼んだりする

西郷隆盛なんか、明治になって、本人がいない間に本名を登録することになったのが、みんないつも通称の
「吉之助」で呼んでいたから、周囲の誰も彼の諱を知らない
で、「確か『隆盛』じゃなかったっけ?」ってことになって、うろ覚えの諱を登録した
実はそれは彼の父親の諱だったのだが、登録されちゃったし、西郷は間違って登録した人を怒るような性格
でもなかったので、それを正式の本名にしちゃった
667日本@名無史さん:2014/01/09(木) 12:34:19.91
京極家なんかだと
道誉が高時から貰った高の文字が
そのまま通字になってたよな
668日本@名無史さん:2014/01/09(木) 14:29:41.25
>>662
そして尊氏は尊治親王からですね
669日本@名無史さん:2014/01/09(木) 14:29:50.27
>>665
「諱」は「忌み名」から来ている
日本では諱は口に出すことを憚る伝統があった(呪術にかかるとされていた)。
そのため諱は公的書類に署名するときだけに用いられ、普段は家族間ですら通名で呼ばれていた。

現在諱呼びされている人物を生きていた当時の通名呼びすると以下の通りになる
・織田信長→織田三郎
・柴田勝家→柴田権六
・明智光秀→明智十兵衛
・毛利元就→毛利少輔次郎
・徳川家康→徳川次郎三郎
・伊達政宗→伊達藤次郎

坂本龍馬や、近藤勇も通名。
それぞれ諱は坂本直柔、近藤昌宜という。
670日本@名無史さん:2014/01/09(木) 15:41:13.01
黒田官兵衛だけが例外的に諱を避けられた理由を知りたいのだろう
秀吉はずっと藤吉郎と呼ばれ続けたわけではない
清正はずっと虎之助と呼ばれ続けたわけではない
お互いを呼び合うときは、通名または官職名で呼ぶのはわかる

で、おれも理由を知りたい
671日本@名無史さん:2014/01/09(木) 16:25:32.41
>>670
司馬遼太郎などが著作で官兵衛呼びを続けたためじゃないのか
それを原作とする大河などでも官兵衛呼び
本人たちが生きていた当時は何も官兵衛だけが諱を避けられていたわけじゃないぞ
面と向かって秀吉呼びも清正呼びもないはずだから
672日本@名無史さん:2014/01/09(木) 16:39:42.74
官職名のが有名なのもいるしその辺結構不思議だ
大谷吉継とか本名知れてるにも関わらず大谷刑部呼びされることが少なくない気がする
こういうのもやっぱ小説とかの影響なのかね
673日本@名無史さん:2014/01/09(木) 18:14:15.62
正しい諱よりも、生前には名乗ってない後世につけられた架空の諱(?)の方が圧倒的に有名な
真田信繁(幸村)なんて例もあるね
これなんかは、小説以前に、講談とかの大衆文化の影響だろう
結局、この人の呼び方は諱、この人は通称、この人は官職みたいに、講談や小説によって、
いつしか自然に慣例的な呼び方がそれぞれの人ごとに定着しているのだと思う
674日本@名無史さん:2014/01/09(木) 19:49:40.65
黒田官兵衛の「官兵衛」読みは、単純に軍記物が竹中半兵衛と「両兵衛」でセット売りしたことから来ただけの話
675日本@名無史さん:2014/01/09(木) 20:09:30.73
クロカンのゴロ良いし
676日本@名無史さん:2014/01/09(木) 21:00:23.59
竹中半兵衛も諱は竹中重治なのな
677日本@名無史さん:2014/01/09(木) 23:53:55.51
女性は諱が不明 (ない?) なせいか院号で呼ばれることが多いよね。官兵衛も如水って号を持ってるし。
678日本@名無史さん:2014/01/10(金) 04:44:05.20
>>667
NHK大河ドラマ太平記では佐々木道誉が自分も高氏なのに足利高氏を「たかうじどの〜」と呼んだ
679日本@名無史さん:2014/01/10(金) 10:13:58.19
>>678
現代でも同名の人というのはいるので
そう呼ばざるを得ないだろ
680日本@名無史さん:2014/01/10(金) 13:04:17.75
>>678
それはどうよっておもったわけですね
681日本@名無史さん:2014/01/10(金) 20:36:42.45
> 結局、この人の呼び方は諱、この人は通称、この人は官職みたいに、講談や小説によって、
> いつしか自然に慣例的な呼び方がそれぞれの人ごとに定着しているのだと思う

これが結論だね。

教科書は原則(あくまで原則)諱主義だから、義経も信長も大河ドラマ内で諱で呼ばれているけど、
教科書系ではなく、講談系の人物は、たとえば宮本武蔵とか、諱でなく、リアルタイムの呼ばれ方で
通り名なり官名なりで呼ばれているよね。
島左近なんかも常に官名で呼ばれる人物。

それに、武田信玄とか勝海舟とか、諱ではなくもっぱら号で呼ばれる人もそれはそれでいる。
松尾芭蕉や葛飾北斎のような文化人は、もちろん諱で呼ばれることはまずない。教科書でも号だから。

まあ、中には教科書では大岡忠相、遠山景元と諱主義で記述されるけど、ドラマだと大岡越前守、遠山金四郎と、
むしろドラマの中でのほうがリアルタイムに近い人もいるか。

赤穂ものの人物なんて、浅野長矩じゃなく内匠頭、吉良義央じゃなく上野介、大石良雄じゃなく内蔵助と、
NHKでも見事に諱主義ではなくリアルタイムの呼称を忠実に出してきているのもある。
他のもみんな忠臣蔵みたいにすればいいのに。
682日本@名無史さん:2014/01/10(金) 21:04:55.91
武田信玄や上杉謙信は法号だし、
松平春嶽や山内容堂は雅号だし、
基準なんかありやしない
683日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:08:04.62
「キリシタン大名・大友宗麟」という表記にちょっともやっとする今日この頃
684日本@名無史さん:2014/01/10(金) 22:30:48.62
区別付きゃ良いんだよ
685日本@名無史さん:2014/01/11(土) 02:18:37.24
坂本直陰、のち直柔、通称として龍馬
なんてケースを全部覚えろってのも面倒臭ぇしなぁ
一番人口に膾炙した名前を覚えといて、それで話が通じりゃいいんじゃないの
>>684に尽きるわ
686日本@名無史さん:2014/01/11(土) 08:27:12.50
キリスト圏の様に名前の種類が限られて区別付かなくなってくると結局アダ名付けて呼ぶようになるしな
687日本@名無史さん:2014/01/11(土) 08:31:17.64
吉川英治のおかげで、宮本武蔵の「武蔵」がまさか「武蔵守」の官名だとは思わず、「たけぞう」という通り名の
読みを変えた名前だと思っていた・・・という向きが日本人の大半を占めると確信する。
俺も長年そう思ってた。

ちなみに、佐村河内守という作曲家は官職名だと思ってた(笑)。

あとは・・・中国人の場合も、実名で呼ばれる人物が主流を占める一方で、字で知られる人物や
号で知られる人物もいたりして、そのパターン分類には興味を惹かれる。
688日本@名無史さん:2014/01/11(土) 12:26:28.68
鎌倉幕府滅亡の原因のひとつに、「元寇に対して出動した武士に報酬を出せなく、武士の不満が高まった事」
が上げられるそうです。

では、のちの室町幕府、江戸幕府においては、勝っても収入・新領土が発生しない、本土防衛戦へ
各地の武士を動員する際の報酬問題をどうするつもりだったのでしょうか?

報酬支払い拒否は、体制を揺るがすと教訓が得られたので、何らかの対策をとったと思うのですが。
689日本@名無史さん:2014/01/11(土) 13:28:55.43
江戸時代に大きな戦は、大阪の陣と島原の乱くらいしかない
幕府にはだれも逆らえない時代
もっと時代が下っても、島津が木曽三川の治水工事を自己負担でやらされている
690日本@名無史さん:2014/01/11(土) 18:38:08.87
>>689
> もっと時代が下っても、島津が木曽三川の治水工事を自己負担でやらされている

主君への軍役は自己負担が当然の話しなんだが。武士の事知らないアホなのか?
691日本@名無史さん:2014/01/11(土) 19:36:12.10
× 鎌倉幕府滅亡の原因のひとつに、「元寇に対して出動した武士に報酬を出せなく、武士の不満が高まった事」
○ 鎌倉幕府滅亡の原因のひとつに、「元寇に対して出動した武士に公平な報酬を出せなく、武士の不満が高まった事」

>本土防衛戦へ各地の武士を動員する際の報酬問題をどうするつもりだったのでしょうか
奉公衆・参勤交代等の負担免除
闕所を宛がう
692日本@名無史さん:2014/01/12(日) 15:08:31.91
多分、江戸時代の場合は中期以降なら加増の代わりに蔵米支給だったかも。
693日本@名無史さん:2014/01/12(日) 15:46:37.66
黒田官兵衛と秀吉は「義兄弟の契り」を交わしたというけど、
男色関係を結んだのですか?

それとも、アナル・セックス無しのセックス・フレンドになっただけなの?

どちらでせうか?
694日本@名無史さん:2014/01/12(日) 16:41:04.34
気違いの相手をするのもどうかとは思うが最近はこの板も世界史板並みにスルー耐性のない低レベルの巣窟だから答えてやると
秀吉は男色の気が全くない
695日本@名無史さん:2014/01/12(日) 17:42:27.46
>>670-671
黒田長政宛の秀吉の書状では
官兵衛のことは勘解由(かげゆ)と呼ばれてる
おそらく両者が対面していたときも
秀吉が官兵衛をその名で呼んだことはないんじゃないかな
696日本@名無史さん:2014/01/12(日) 19:54:09.69
男色と言えば元庶民の秀吉にその気が無かったように
上流階級の嗜みというか上下関係などの社会的な繋がり、コネ等が第一であって
心からの恋愛的な意味での男色というわけではなかったという理解でいいのかな
旨みの無い同階級同士の恋愛男色も普通にあった?
坊主と稚児、江戸時代男娼を買って粋だなんだの男色はまた違いそうだけど
697日本@名無史さん:2014/01/12(日) 20:30:28.63
ここは気違いが妄想を語るスレじゃないから



あ!ごめんw関係ないスレでオナニーするから気違いなんだよね>>696
気違いに自覚を促しても無駄だ罠
698日本@名無史さん:2014/01/13(月) 21:37:31.54
摂家の九条家の屋敷は九条にあったのですか?
御所から遠すぎます
699日本@名無史さん:2014/01/13(月) 22:21:57.91
少なくとも九条家の祖の九条兼実の屋敷は九条にあった
その後もずっと九条にいたのかどうかは知らないけど
700日本@名無史さん:2014/01/13(月) 22:56:06.11
御所も移動してるし
701日本@名無史さん:2014/01/15(水) 21:08:56.30
重機動御所、浮上!
702日本@名無史さん:2014/01/16(木) 10:44:41.60
>>691
さんざんもめた竹崎季長がいいように恩賞問題は霜月騒動後に安達泰盛派の没収所領
を入れても足りなかった。それまでの京都大番に加えて九州警固という新しい負担が
あらわれた。この頃から鎌倉の統制を受けない富裕な非御家人の武士が台頭し始め
対蒙古で実力を示したが同時にその実力で荘園の横領など悪党化して荘園の秩序を破壊
し始め全国的な無政府状態が始まったといえる。
703日本@名無史さん:2014/01/16(木) 17:08:56.77
質問です。

かつて「足利尊氏像」と言われていた騎馬武者像が足利尊氏ではないという最大の根拠として
『画像の上の方に花押があるから』ということが言われているのですが、
その花押が『足利義詮の花押』と書いてある文章と『足利義満の花押』と書いてある文章の両方を見たことがあります。
どちらの花押なのが正解なのですか?
704日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:07:44.39
花押を見てください
705日本@名無史さん:2014/01/16(木) 19:41:28.56
日本で帆船は何世紀からあったかと、村上水軍は櫂で進んでいたのか帆で進んでいたのかを教えて下さい
706日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:26:47.11
>>705
帆船なんて古代からあるよ
君は、奴国や邪馬台国が、櫂だけで推進する船で大陸と連絡したと思ってるのか?
707日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:31:01.53
>>698
御所自体、何度移動していると思っているのか?
708日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:40:42.93
>>700 >>707
御所も鎌倉時代初期から再建されずもっぱら里内裏になったけれど
九条近辺に御所があった時代はなかったんじゃないかな
多いのは一条〜三条あたり
709日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:58:48.90
>702
長い時間をかけて半端な引用を見つけ出してきたようだが
全国的な無政府状態って何年からだとコピペ元では書いているんだ?
ここでいう全国的ってのは全国各地っていう意味じゃなくて全国の過半以上が無政府だと
言いたいんだよね君
710日本@名無史さん:2014/01/16(木) 21:41:42.59
>>706
村上水軍は?
711日本@名無史さん:2014/01/16(木) 22:47:21.86
>>710
帆も櫂もどちらも使ってた
712日本@名無史さん:2014/01/17(金) 00:29:51.16
日本で初めて魏志倭人伝
つまり邪馬台国や卑弥呼の存在が認識されたのっていつですか?
713日本@名無史さん:2014/01/17(金) 00:43:31.16
>>712
そりゃ、3世紀にきまってるだろ
邪馬台国やその周辺の住民が、邪馬台国や卑弥呼の存在を認識してないはずがない
714日本@名無史さん:2014/01/17(金) 06:20:07.42
>>712の意図がわからん
715日本@名無史さん:2014/01/17(金) 08:19:58.35
では聖徳太子は邪馬台国や卑弥呼を認識してたという資料は存在するのでしょうか?
716日本@名無史さん:2014/01/17(金) 11:29:40.46
>>715
聖徳太子の時代についてはそもそも文字史料自体が少ないのだから、明確に肯定する証拠も
なければ、否定する根拠もない
(「そもそも聖徳太子なんていなかった」と主張する人さえいるぐらいだ)
まあ、聖徳太子なら渡来人を通して中国の史書を知っていてもおかしくはないので、どちらも
ありえるが
ちなみに、聖徳太子の死後ほぼ1世紀後に成立する『日本書紀』は大陸の史書も参照して編纂
されており、その編纂スタッフは『三国志』のいわゆる『魏志倭人伝』を確実に知っていた
意図的に、神宮皇后が卑弥呼であるかのように描写している
717日本@名無史さん:2014/01/17(金) 22:10:34.33
天皇はただの元首的立ち位置だけでなく、「宗教的権威」の要素を持っていました
しかし、古代〜中世期には幼くして皇位につくケースがちょこちょこありました
幼帝の場合、本人は神事や儀式もできませんが、「宗教的権威」はどうやって
維持されたのでしょうか?
718日本@名無史さん:2014/01/18(土) 02:02:05.40
そのために「摂政」があるんじゃないか
719日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:08:57.88
天皇が行幸する場合乗り物は牛車でしょうか?
720日本@名無史さん:2014/01/18(土) 12:11:55.69
ドラマなどだと天皇が御簾を隔てて対面している場面がありますが
大名の会談や評定などで大名だけ御簾の中にいて格の違いを見せるようなことはありますか?
721日本@名無史さん:2014/01/18(土) 18:15:02.40
>>720
格は席の上座下座で示すものです。

>>719
鳳輦(ほうれん)と呼ばれる輿(こし)らしいです。
722720:2014/01/18(土) 18:34:46.87
大名は御簾使わないんですね
ありがとう
723日本@名無史さん:2014/01/18(土) 21:36:37.16
>>718
摂政の存在は当然知っています
執務や決裁のような実務は摂政が代行するのが容易に想像できますが、
「宗教的権威」という目に見えない権威や求心力、そういうものまで
代行できるものなのかな、と疑問に思ったのです
724日本@名無史さん:2014/01/18(土) 22:25:22.96
そういう時代になると宗教的権威とか求心力とか、実務とは関係なくて
天皇の位だけで充分なの。
725日本@名無史さん:2014/01/18(土) 23:01:15.87
外出もしない天皇だし、だれも殆ど姿すら見ない。
大人だろうが子供だろうが天皇実体はあんま関係ないんじゃないか
大人だと行動したがるのでさっさと譲位したがるし
726日本@名無史さん:2014/01/19(日) 02:09:26.20
チャイナチャイナチャイナ

チャイナチャイナチャイナ

チャイナチャイナ

チャイナチャイナチャイナ
727日本@名無史さん:2014/01/19(日) 07:31:31.21
生類哀れみ令の時 漁師や魚屋さんどうなっていたでしょうか
728日本@名無史さん:2014/01/19(日) 07:51:44.25
土地に縛られない漁民漁師などは割りと法令の取り締まり外に居る人との認識だった。
生鮮品の販売は店売りより、天秤商売。
それなりに食べてたし、売ってた。
729日本@名無史さん:2014/01/19(日) 07:58:25.80
ご回答ありがとうございます
730日本@名無史さん:2014/01/19(日) 08:05:20.34
江戸時代、丁髷と言う奇習はなぜ保たれたのでしょうか

武家は徳川軍事政権下、甲を被るため、は理解できるのですが
百姓町民もどうしてチョンマゲ?
731日本@名無史さん:2014/01/19(日) 09:34:01.88
>>530
>>豊臣政権は武家政権であって聚楽第に出仕する人は武家です
>>秀吉は聚楽第の周囲に大名たちを集住させ、政治を行っていました

日本各地の大名を聚楽第の周囲に集住させるっていうのは、
江戸時代の参勤交代みたいなもんですか?
聚楽第を江戸城に変えたらそのまんま参勤交代ですよね
732日本@名無史さん:2014/01/19(日) 10:25:50.38
>>730
奇習、というのは維新後に短髪が当たり前になったからそう言えるわけで…
明治以降でも明治天皇が髷を落とすまでは「断髪なんて気違い地味たことできるか」という風潮もあったんだよ特に農村部は。
そもそも兜を被るためは月代のきっかけであって、江戸時代に髷が存続した理由ではない。
733日本@名無史さん:2014/01/19(日) 12:53:41.31
720さん
二条城で見る事が出来ますが、格の違いによって座る部屋の畳の縁や天井が違います。
あと、東本願寺の白書院で見たのですが、勅使が座る所が、繧繝縁(お雛様が座っているあのオレンジ色の綺麗なの)でした。そこも部屋の天井が全て違っていました。
734日本@名無史さん:2014/01/19(日) 15:07:10.20
天皇の勅使というのは、それ専用の人がいつもいるのですか?
その場合は、その勅使はどれくらいの官位官職なのでしょうか?

あるいは、専用の人がいるわけではなく、その都度摂政関白やら公卿やら
皇族やらが必要に応じて勅使になるのでしょうか?
735日本@名無史さん:2014/01/19(日) 16:42:50.18
徳川慶喜が二条城黒書院にて大政奉還を諮問した40藩の重臣の構成は一人残らず分かりますか?
736日本@名無史さん:2014/01/19(日) 18:31:38.60
>>734
普段の勅使は従四位下ぐらいで、卿ではなく輔や丞ぐらいではなかったかな?
部署的には、衛府系の部署で、衛士府、兵衛府、近衛府なんて部署名の次官・判官で持ち回り。
737日本@名無史さん:2014/01/19(日) 18:42:26.32
江戸時代に関して言えば、幕府に対しての勅使は基本武家伝奏だよね。
武家伝奏は従二位の中納言、大納言クラスが任命されてるからその辺。

寺社に対するそれはわからん。
738日本@名無史さん:2014/01/19(日) 21:03:58.98
版籍奉還後、藩主がなったのは藩知事ですか、知藩事ですか?
自分は後者で習いましたが、いろいろな本で混同されています
どうして2つの名称が混在してしまっているのか、経緯も教えてください
739日本@名無史さん:2014/01/19(日) 21:14:13.07
役職名としては知藩事なので教科書でもそうなってる。
ただその名称の前に藩名をつけると「○○藩知事」という呼称になるので混同が生じた。
単独で用いる時は「知藩事」が正しかろう。とは言え世間的にはほとんどその区別もなくなっているようだが。
740738:2014/01/19(日) 21:21:02.03
>>739
さっそくどうもです
741日本@名無史さん:2014/01/19(日) 22:26:29.52
>>731
集住させる事と参勤交代は切り離して考えて下さい。集住させる制度としては豊臣も徳川も
同じようなものですが、江戸と国元を定期的に行ったり来たりさせて金を使わせるのが
参勤交代の目的です。これは江戸幕府のオリジナル。

>>733
いちばん格式の高い天井は折り上げ格天井(おりあげごうてんじょう)ですね。
742日本@名無史さん:2014/01/19(日) 23:37:58.31
>>736->>737
ありがとうございます
>>741
ありがとうございます
集住させるだけで、国元との往復はさせないって言うことは、
豊臣政権下では地方の大名は長く国元を留守にして京都で
暮らしていたのですか?
743日本@名無史さん:2014/01/20(月) 14:29:22.83
>>742
豊臣政権では大名たちがいつ聚楽第近辺の京屋敷に来ていつ国許に帰るかは
秀吉と大名たちとの信頼関係でなあなあだったんじゃないかな(特に決まりはない)
一応正室と嫡子は秀吉の城下町に置くことという決まりもあったんだが
これは後の秀吉の伏見城での話なんだが、江なんかは夫と離ればなれで
江戸に側室を置かれては困ると養父の秀吉に直談判して夫のいる江戸へ一緒に下ったりしている
大名は一年交代で江戸と国許に交互に住め、正室と嫡子は例外なく江戸に置けと言い出したのが徳川幕府
744日本@名無史さん:2014/01/20(月) 14:42:28.22
>>741
> 江戸と国元を定期的に行ったり来たりさせて金を使わせるのが
> 参勤交代の目的です

アホか。目的はあくまで「参勤」(主君である将軍への奉仕)であって、参勤交代は
基本的には期間が決まってなくて国元に帰れない大名のための、参勤の「緩和策」だ。

やたら金を使ったのは大名が見栄を貼り続けたことが原因で、幕府は終始行列の簡素化、少人数化を
命じ続けている。

参勤交代が大名にカネを使わせるためのもの、なんてのはとっくの昔に否定された、典型的な俗説。
745日本@名無史さん:2014/01/20(月) 17:18:28.18
>>744
ソース出せコノヤロー
746日本@名無史さん:2014/01/20(月) 17:21:19.79
>>745
ちょっとでもいいから最近の近世史に関する歴史書読め
747日本@名無史さん:2014/01/20(月) 18:10:44.16
アイヌは日本史?世界史?
748日本@名無史さん:2014/01/20(月) 19:03:15.07
アイヌ史じゃね
749日本@名無史さん:2014/01/20(月) 20:37:29.15
>>741
君さー、君が初心者レベルだろ。
参勤交代が金使わせるのが目的なんて言ってたら業界では笑いのタネだぞ。
せいぜい中学校の先生くらいしかそんな与太話は許されん。
750日本@名無史さん:2014/01/20(月) 20:42:36.35
てか直参と大名の区別も分からない>>741は馬鹿
751日本@名無史さん:2014/01/20(月) 20:46:47.90
>>748
いやそういうんじゃなくて、
どっちの板で質問するべき?
752日本@名無史さん:2014/01/20(月) 21:08:14.44
>>751
アイヌ史も琉球史も日本史教科書で扱ってるし
日本史板じゃね
753日本@名無史さん:2014/01/20(月) 21:09:26.13
むしろ世界史板は無理あるだろ
754日本@名無史さん:2014/01/20(月) 21:17:00.26
トンクスついでに質問なんだが

なんでアイヌは国家を持たなかったの?
持つ必要がなかったのか、或いは風土的に持てなかったのか
↑ならなぜ必要なかったのか教えてくれるとあり難いです
浅学でスマソ
755日本@名無史さん:2014/01/20(月) 21:35:10.34
>>750
直参旗本は参勤交代しないだろ。何が言いたいんだ。

>>749
俺は業界人じゃないし。「金を使わせるのが目的じゃなくて、結果的にそうなった」というのは
「鎖国は無かった」論とか「聖徳太子は居なかった」論と同じで業界人にとっては重要な違いかも
知れないけど強調し過ぎると世間を惑わせる気がする。
756日本@名無史さん:2014/01/20(月) 21:45:56.08
旗本も参勤交代したひとがいますが
757日本@名無史さん:2014/01/20(月) 22:45:22.97
以前井沢元彦の本を興味深く読んだのですが、この日本史板ではかなり辛口評価でした
現在、東島、興那覇共著「日本の起源」を読んでいる最中なのですが、
この本もそこそこ興味深く読んでいます
諸先輩方でこの本を読まれた方はいらっしゃるでしょうか?
もし読まれた方は、この本の内容の妥当性や斬新さ、切り口などは
どのような評価でしょうか?
758日本@名無史さん:2014/01/20(月) 22:50:41.24
>>755
馬鹿すぎてもう・・・

お前みたいな馬鹿がいるから世間を惑わせてるんだよ。
鎖国はなかったとか聖徳太子はいなかったとか言葉遊びの類じゃないから。

もうお前出てくんなw
759日本@名無史さん:2014/01/20(月) 22:54:58.20
>>741
>集住させる制度としては豊臣も徳川も同じようなものですが、

偉そうに言い切ってるけど意味不明。
そもそも、集住させる「制度」って何?
豊臣は「制度」として集住させたの?

まずそれを説明して欲しい。

その上でその豊臣の城下形成と徳川が同じようなもの、という点についても説明してくれ。

知ったかぶるのは勝ってだけど専門家気取りで脳内妄想で語られても困るんだよな。
760日本@名無史さん:2014/01/20(月) 23:09:19.94
>>755
別に業界人じゃなくてもいいけど、その後半のレスは理論破綻してるだろ。
悪いけど無理して質問に答える必要ないと思うよ。
史学科の学生?それともただの歴史好き?
まあそれ以前にそのレスは「何言ってるの?」レベルだよ。
761日本@名無史さん:2014/01/20(月) 23:46:41.38
じゃぁ、業界人のお前さんが適切な回答をしてみろ。
762日本@名無史さん:2014/01/21(火) 00:00:55.43
>>761
煽りは無視しろ。そしてお前はもう出てくんなw
763日本@名無史さん:2014/01/21(火) 00:29:10.83
>なんでアイヌは国家を持たなかった
領土という概念がないから
ちなみに戦闘も追撃という概念がないので局地的な勝利をアイヌがおさめても
退却した敵は再編成し再攻撃してくるのだが、アイヌ人はなぜ負けたのに再び攻撃してくるのか最後まで理解できずジリ貧に陥った
764754:2014/01/21(火) 01:01:55.62
>>763
ありがとう
765日本@名無史さん:2014/01/21(火) 12:14:00.39
>>757
ぜひよろしくお願いします
766日本@名無史さん:2014/01/21(火) 15:26:54.04
>>763後半
そんな話は聞いたことがないぞ
アイヌ史は学校教育よりも少しは深く勉強したクチだが
767日本@名無史さん:2014/01/21(火) 20:41:00.76
自分が無知だという自覚があるのは良いが
馬鹿な煽りで必要な知識が得られると思われても…俺はそこまで親切な回答者じゃねぃし
768日本@名無史さん:2014/01/22(水) 11:45:17.09
>>744
参勤の時期は決まっているよ
大老や老中などの幕閣に名を連ねることもある譜代はともかく
外様なんて江戸城に詰める必要もなかったのだから
参勤交代のときに同行させる藩士の数も家格によっておよそ決められていた

いつでも好きな時に国許に帰っていい、自由、
お金がもったいないから連れてくる藩士の数もぐっと減らせ、
と幕府は言っていたって、お前の説はどの先生が言っているの?
769日本@名無史さん:2014/01/22(水) 19:47:52.64
なぜ昔の皇族、貴族、将軍などは
猫も杓子も出家して僧になるのですか?
770日本@名無史さん:2014/01/22(水) 19:54:37.66
>>769
猫も杓子も…ってことはないと思うが
理由は死んだら極楽浄土に生まれ変わりたいから
寺を建てたり寺に寄進したりするのも功徳になるとされていたが
出家して僧になるのも極楽浄土に生まれ変わるための一つの手段だった
771日本@名無史さん:2014/01/23(木) 13:43:31.39
毛利元就と道元禅師の伝記でオススメなのを教えてくらしゃいm(__)m
772日本@名無史さん:2014/01/23(木) 20:03:52.22
>>769
最初は>>770の言うような、死後のためという信仰的な理由が大きかった
高齢になってから病気になったりすると、いよいよ死期が近いからと、極楽に行けるように出家したりした
中には、北条時頼みたいに、病気になったので出家して執権を引退したのに、病気が治ったなんてこともある
まあ、病気になってから慌てて出家しないよう、もっと早くから出家しておく人も多かったのだろう

また、次男三男以下や庶子が早くから寺に入れられるケースも多かった
権力者は側室が多くて子だくさんな者が多く、子が多いと養育するだけでも大変だし家督争いのもとにもなるし
子を出家させればその寺とのコネとして活用できる(娘を政略結婚させるのと同じ感覚)という利点もある
昔は寺も武装勢力だったからね
そういうわけで、権力者の家と寺は意外とコネで結ばれていた
だから、引退したら本人も出家して寺に入るってのも自然な流れだ

そうやって、権力者を引退したら出家することが慣例的になってしまうと、死後のため、極楽浄土に行くため
って本気で思っていないような人でも、それが普通だから、「みんな大学に行くから特に大学で学びたいこと
があるかけじゃないけど俺も大学に行く」的な感覚で出家したんじゃないかな
773日本@名無史さん:2014/01/24(金) 18:56:11.14
現在の物質文明に毒されると昔の宗教観なんか幾ら説明しても本質的な理解を得られないからなぁ
今でも都市近郊を散策していると年輩者が地蔵の前で立ち止まり熱心(と見える)に拝んでいたりするが
ここで信仰心を如何に語ろうが「はぁ?」とか「そんなことを聞いているのではない!」とレスが返ってくるのは目に見える

足利尊氏が晩年(狂ったようにと表現できる程)地蔵菩薩像を描き続けているがその心情をどうすれば「ユトリ世代」に説明できるのか
鎌倉・室町の地蔵信仰は現在と主旨が違うという突っ込みが入るのが関の山
774769:2014/01/24(金) 20:39:17.98
>>770
>>772
利他でなく自己中心ですね
くじ引き悪将軍の義教も還俗しましたね
ありがとうございました
775日本@名無史さん:2014/01/26(日) 14:31:47.37
山名時氏の烏帽子親は誰でしょうか?
776日本@名無史さん:2014/01/26(日) 19:04:10.05
関東には悪党はいなかったの?
777日本@名無史さん:2014/01/26(日) 20:02:42.19
>>776
「悪党」はレッテルにすぎない。「悪党」は個々の荘園の訴訟問題で荘園側が相手をさした蔑称に過ぎず、
そこに実態があったわけではない
778日本@名無史さん:2014/01/26(日) 20:55:58.88
>>777
そんなことは聞いていません
779日本@名無史さん:2014/01/26(日) 22:41:40.57
翻訳すると、
悪党に相当する存在は居ただろうが「悪党」と呼ばれていたとは限らない。
780日本@名無史さん:2014/01/26(日) 22:46:38.56
>>779
翻訳ありがとう
日本語しかできない自分が恨めしい
781日本@名無史さん:2014/01/26(日) 23:11:15.42
×日本語しかできない
○日本語も中途半端な
782日本@名無史さん:2014/01/26(日) 23:55:38.28
歴史教科書に悪党の記述がありますが、いずれ教科書にヤクザや暴力団が記述される日がくるでしょうか?
783日本@名無史さん:2014/01/27(月) 00:38:32.53
何時もの子?

情勢が変れば金大中事件が教科書に掲載されるかもね
「犯罪と朝鮮系を結びつける報道があってはならない」とTVで言っている現状では絶望的だが
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/b5/b484499ab71e70b250db2d110e6a1d59.jpg
784日本@名無史さん:2014/01/27(月) 11:40:42.06
>>783
ヘイトナショナリズムはどこでも沸くな。
在特会の犯罪には知らぬ顔をきめこむくせに。
ヤクザは在日ばかりとかガセネタ披露するネトウヨ
は芸がないな。

>ヤクザや暴力団が記述される日がくるでしょうか?
どうだか知らないが、これからくるヒステリー右翼の昭和の破滅歴史
の繰り返しで783のようなレスは重要なサンプルとして教科書に乗るだろう。
785日本@名無史さん:2014/01/27(月) 13:14:24.86
>>779
今のネトウヨと同じようなものだなww
ネトウヨの定義とは?と質問されても誰一人としてまともに答えられる
人間はいないだろうww
ただ単にマスゴミに楯突く奴だけとしか答えられないかもしれないww
あの時代の悪党だって、一般市民に悪党の定義とは?と質問しても
たぶん首をかしげると思う。
しいて言うなら、今までの支配体系から外れたところで飯を
食べている連中としか答えられないかもしれないww
786日本@名無史さん:2014/01/27(月) 19:12:12.80
>ネトウヨの定義
784=785の脳内にのみ存在する敵
787日本@名無史さん:2014/01/27(月) 19:37:05.34
788日本@名無史さん:2014/01/27(月) 19:54:02.07
中世の職人、番匠(大工)が小刀と直垂姿なんですが、
武士以外でも帯刀していたのですか?
789日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:02:48.28
江戸時代の事を言ってるのなら小刀は護身用に商人百姓でも携帯は許されていましたよ。
二本差すのは武家や帯刀を許された身分だけですが
弥次喜多に護身用の刀が水に浮く有名なエピがありますが(実は竹光)、
護身用に見かけだけでも持ってるほうが良かったのかもしれませんね
790日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:20:48.12
>>789
江戸時代じゃありません
室町時代です
791日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:25:12.82
鎌倉・室町
  ↓
 中世
  ↓
織豊期
  ↓
 近世
  ↓
明治
  ↓
 近代
792日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:29:41.17
それは失礼しました、
わざわざ帯刀が禁止されてない時代のことが書いてあったので、気を回しすぎた。
793日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:35:50.55
武士以外が帯刀しないと何故思うのか
794日本@名無史さん:2014/01/27(月) 20:44:04.61
鎌倉以降、太閤の武装解除が一応成功するまで
度々の武装解除は全部失敗してたんじゃなかったけ
795日本@名無史さん:2014/01/27(月) 21:03:34.27
「秀吉の刀狩りに効果はない(キリ」
っていうサラリーマン向けの戦国本の拡大解釈かい?
796日本@名無史さん:2014/01/27(月) 21:15:13.38
中世から近世にかけての日本語、特に武士階級の口語について詳しく知りたいです。
それ専門に扱っている本等ありましたら教えてください。
797日本@名無史さん:2014/01/27(月) 21:22:29.63
宣教師が書いた記録を読み解くのが一番じゃないか
798日本@名無史さん:2014/01/27(月) 21:36:17.27
つー『蘭語譯撰』
799日本@名無史さん:2014/01/27(月) 21:39:13.81
近世の外交について書かれた入門書でおすすめのものはありませんか?
大学受験レベルの知識しかないので、山川のリブレットくらいの簡素さだとありがたいです
800日本@名無史さん:2014/01/27(月) 21:55:33.97
江戸時代の外交史なのか中世の外交なのか…
前者は知らんが後者なら田中健夫氏が鉄板だけど入門書ではない罠

初心者でも取っつき易いつーたら創元者の『近代外交史』に日本パートもある
近世の外交って具体的には何よ?
801日本@名無史さん:2014/01/27(月) 22:35:47.38
>>791に書かれているように、各時代区分を大まかに
古代〜中世〜近世〜近代〜現代と分けられています
この古代とか中世とか近世とかって言うのはどんな定義に
基づくのでしょうか?
統治体制とか政体とかの問題なのでしょうが・・
802日本@名無史さん:2014/01/27(月) 22:51:15.51
>>801
厳密な定義はないよ
色々な考え方があるから、したがってそれぞれの境界も色々ありえる

代と世は、政府による支配か幕府による支配かの違いらしい
ただ、これにも厳密な定義はないから考え方はさまざま
803日本@名無史さん:2014/01/27(月) 22:56:39.60
さまざまだけだと投げやりだから補足しておく

たとえば、院政期を古代に含めるか中世に含めるかは考え方による
前者は封建制の有無によって分ける方法だし、後者は武士の台頭によって分ける方法
804日本@名無史さん:2014/01/27(月) 23:00:40.41
承平天慶の乱期の下野守である大中臣全行ですが諱の音は何でしょうか?
805日本@名無史さん:2014/01/27(月) 23:04:54.72
>801
ぶっちゃけ定義付けに意味はない
そもそも欧州史の用語
明治時代に日本史も欧州と同じじゃねぃと導入
今更引っ込みがつかないのでアレヤコレヤト理屈をつけているのが現状
806804:2014/01/27(月) 23:13:32.81
自己解決しました
807日本@名無史さん:2014/01/27(月) 23:14:41.58
>>802->>805
ありがとうございます
よく明治時代から近代国家になったと言われます
よく聞くのが、近代国家の定義(?)=国民国家、選挙、野党の存在、身分制の解体などなど・・
しかし、真偽はわかりません
808日本@名無史さん:2014/01/27(月) 23:35:12.06
今日22時のNHKBSワールドWaveトゥナイトで「エジプトでは軍隊への信頼度が高い」と言ってたけど
自国の軍隊を貶めて喜んでいる日本が世界的には特殊なんだよな

>近代国家の定義(?)=国民国家、選挙、野党の存在、身分制の解体
これも日本だけの定義だね
身分制の解体を問題にするなら貴族院のある英とかは現在でも前近代になるし
米の公民権運動以前も前近代国家になってしまう

法治主義だけでいいんじゃねぃ?
中産階級が拡充されていない段階を狭義で指すのも可
809日本@名無史さん:2014/01/28(火) 06:54:57.92
元寇の蒙古対策の時は刀伊の入寇の記録も参考にされたの?
810日本@名無史さん:2014/01/28(火) 11:03:22.42
>>808
エジプトで軍隊への信頼が高いならどうしてムバラクは
引きずり落とされたのやら、シリアでは軍隊相手に国民が
戦争しているがこれも特殊?

>身分制の解体
中世における身分制は朱子学をもとにした仁政=役割分担をはっきりしているから
下層とされる層も従順になる。江戸時代では武士以外が
戦闘をしないのは約束と言って良かった。だから明治政府の
徴兵令に反対する一揆が起きたのであり、政府の国民を「平等」にし
負担を一律にするというやり方への反対には結局国会開設による
国民の政治参加につながる。

イギリスは貴族という階級があっても議会による国民統合された状態を
江戸幕府の体制と違うのは自明の理だよ。
811日本@名無史さん:2014/01/28(火) 19:58:51.92
>エジプトで軍隊への信頼が高いならどうしてムバラクは引きずり落とされたのやら
このトピックを取り上げる報道番組で必ず説明されている最低限の知識すらない無知なボクチャンでつと自己紹介?
>中世における身分制
コピペはできるけど何を言いたいのか他人に理解させることはできませんと言われても…
君は演説がしたいのであって質問じゃないよね?

俺様に従わない奴は全て敵だ!ネトウヨだ!っていう784=785だろ君
エジプトもシリアも何の興味もないし知る気もない
他者が読んで理解できる主張もできないけど気にくわないレスには見境無く噛み付くという狂犬の相手をしてやる程
俺は優しくないから
812日本@名無史さん:2014/01/28(火) 19:58:53.80
関ヶ原の戦いまでが中世じゃないのか
813日本@名無史さん:2014/01/28(火) 20:20:18.36
豊臣政権を中世とするか近世とするかの結論は永遠にでないと思われ
814日本@名無史さん:2014/01/28(火) 20:29:39.90
じゃ中近世で
815日本@名無史さん:2014/01/28(火) 20:51:23.75
かつては「織豊政権」が歴史の画期であり、早いところでは信長による足利義昭追放を以って近世とする学者まで居たが、
現在は織豊政権はあくまで戦国大名権力の延長線上にしかなく、それどころか織田政権に至っては相当古い体質を
引きずっていたことが解ってきたため、少なくとも織田政権を以って近世とする考えはほぼ消滅した感じだな。
816日本@名無史さん:2014/01/28(火) 21:16:35.98
>815
八十年代に織田政権を近世と主張していた歴史家って誰?
俺より年上なら四十年五十年をつい最近と一括りで語るのも分かるが
平成生まれにその書き方だと誤解されるぞ
817日本@名無史さん:2014/01/28(火) 21:44:59.33
>>816
横レス
>>815は「八十年代」とは言ってないし
「かつては」「現在は」とは言ってるけど「つい最近」なんて言ってないのに
どっからその言葉がでてきたの?
818日本@名無史さん:2014/01/28(火) 21:59:56.32
世代的に結論のでている話題を概括されても違和感しかねいよ
織田政権が近世か否かなんて化石のような話題だ罠

815は何所から大昔の話を拾ってきたのか、むしろそのことに興味がある
819日本@名無史さん:2014/01/28(火) 23:16:33.97
天皇と上皇の関係を社長と会長の関係に置き換えてみた
あくまでもトップの基本は天皇=社長であり、場合によっては上皇=会長が実権を握るということ
かつては皇位を幼子に譲り、自分は上皇となって実権を握り続ける、
ということが繰り返された でも、社長職を幼子に譲り、自分は会長となって経営権を握り続ける、
ということはないわな
なんでだろ?
820日本@名無史さん:2014/01/28(火) 23:19:39.09
社長で小学生なんてトライダーG7くらいだな。
821日本@名無史さん:2014/01/29(水) 00:08:04.00
外国のアニメコミュニティで
「大人が主人公のアニメが見たいのに、どうして日本のアニメは高校生や中学生が現実離れした活躍をみせるアニメばかりなのか」
と嘆いていたがw
日本のアニメの視聴ターゲットがその層だからであって、現実の社会で幼子に社長職を勤めさせようという発想は世の中をなめているよな

血や形式が重要な意味をもつこともある武家や公家と、シビアなビジネスを同列に語れる子供の発想ってのは
ある意味凄いね
822日本@名無史さん:2014/01/29(水) 11:17:56.87
>>819
院政は摂関政治と対立する図式があったからね
天皇は政治を摂関に委任代行させる必要があり、在位中は摂関のおもちゃであって実権が握れない
だから成人するとさっさと譲位する
本来上皇は隠居の身で政治は執らないんだが、そこは天皇の実父の権限であれこれ命令
摂関は天皇業務の代行はできるが、天皇以外があれこれ言ってくることを想定していない
また、院政は天皇の実父・実祖父の権限で天皇に命令を行うものだったので
たとえ上皇であっても天皇との直系血族でなければ院政を執れなかった
823日本@名無史さん:2014/01/29(水) 11:25:53.13
>>811
最低限の知識も披露できないネトウヨの十八番のレッテル貼りですかw
自分の理解力の乏しさを披露する自虐趣味を開陳されてもねw
エジプトもシリアも興味のない無知を自分から表明するネトウヨだからこそ
「日本が世界的には特殊なんだよな」なんて言えるんだよね。
ネトウヨのわかりやすいサンプルご苦労様でしたw
824日本@名無史さん:2014/01/29(水) 11:29:33.57
>>821
ワンピースの購読者に子供が少ない現実を見れば源氏物語や
金瓶梅、にハマる連中を笑うこともできないだろう。

井原西鶴の好色一代男を見れば300年経っても人間というのは
何も変わらないことがわかる。
825日本@名無史さん:2014/01/29(水) 14:01:24.69
>>821
「社長・島耕作」みたいなやつか
アメリカはああいうアメリカンドリーム的なサクセス話がいいのかねえ
だけど日本人って将来は是非サラリーマンになりたい、
サラリーマンになって派閥争いに勝って出世したいとあまり思わないよな
現実離れした漫画読んで現実離れしたいんだよ
826日本@名無史さん:2014/01/29(水) 17:41:54.30
スーパーマンとかバットマンみたいな主人公のジャパニメーションが少ないだけだと思う
827日本@名無史さん:2014/01/29(水) 18:58:48.20
>>826
大人のアニメってガタイの良いマッチョな男がやたら露出度の高い男の都合の良い女が出てきて

そーゆーの?
828日本@名無史さん:2014/01/29(水) 19:15:54.49
アメコミの古典的ヒーロはちゃんと社会に対して責任を持った立場な人がやってるな
829日本@名無史さん:2014/01/29(水) 19:23:13.89
>>827

そもそも少女マンガや少女アニメが無い時点で
830日本@名無史さん:2014/01/29(水) 21:21:39.03
>「社長・島耕作」みたいなやつか
なんか雑談スレになった希ガス

今放送中のだと「宇宙兄弟」
一寸前だと「PSYCHO-PASS」とか「TIGER & BUNNY」

世界史板だともうちょい話が噛み合うのだが日本史板だと
俺一人が場違いの話を持ち出した疎外感しか感じねぃw>>825-829
831日本@名無史さん:2014/01/29(水) 22:38:54.21
小学生低学年向けの雑誌なんかだと読者の入れ替わりを視野に入れて組み立てるのだろうけど
ジャンプとかあのへんになるとどこまで引っ張っていけるかになっちゃってるね
832日本@名無史さん:2014/01/29(水) 22:47:00.37
アメコミはそれが行き過ぎて年少ファンがつかなくなり、先細り状態。
アメリカコミック規制は子供が読むの前提だったのに肝心の子供が読んでねぇーw
833日本@名無史さん:2014/01/29(水) 23:08:04.44
>>822
摂政も関白も元々は「天皇が親政できないときに代理で政治を司る」ものだったはずなのに、
いつから無条件で「天皇の代理で政治を司る」ものになったんだろう?

あと、>>819の例で社長が血縁者ではない副社長や専務に社長職を取られないように
早くに子供に社長職を譲り、自分が会長となって引き続き経営権を握るってことは
なぜおきないんだろう?
834日本@名無史さん:2014/01/29(水) 23:30:33.39
普通の人間は現実に自分を合わせます。
頭の残念な人は現実を自らが設定した仮想に合わせないと理解できません。

                              byさーあーさーこなんどいる
835日本@名無史さん:2014/01/30(木) 09:23:09.75
>>833
平安時代の冷泉天皇以降、摂関常置になった。

あと会社は変なことすると取引停止になるし、
会社四季報に載るのも、官報に載るのもすべて会長ではなく社長の名前。
銀行の信用調査だって社長の資産や人柄、経歴が調べられる。
会社法自体には社長の年齢制限などは一切ないが、
実態のない幼児の社長を看板に出してると会社が潰れるよ。
836日本@名無史さん:2014/01/30(木) 12:15:44.26
今話題の卑弥呼の鏡と3種の神器の鏡はどちらが歴史が古いのでしょうか?
また、日本においてどちらがより重要な文化財扱いなのでしょうか?
837日本@名無史さん:2014/01/30(木) 15:09:59.92
最高!とか最強!とか、発想が少年ジャンプ。
なんでもかんでも順位をつけないと駄目っていう発想で文化を査定しようとするのは
さもしいね。
838日本@名無史さん:2014/01/30(木) 15:37:44.18
穿ち過ぎ
839日本@名無史さん:2014/01/30(木) 17:27:48.69
>>836
三種の神器は、平氏に持っていかれたり、後醍醐天皇が南朝を興す時に「北朝のやつは偽物、こっちが本物」と
主張したり、南北朝合一後にも後南朝に奪われたりしており、その都度取り返したことになってはいても、それが
本当に古代から伝わるオリジナルかどうかの確証はない
また、神道では、神聖な品は、必ずしも昔からあるオリジナルである必要はなく、新品を作ってオリジナルから
魂を移しかえる儀式を行えば、その新品が本物という扱いになる(壇ノ浦で沈んだはずの剣が、三種の神器として
それ以後も存在しているのはそのため)
というわけで、三種の神器の鏡が古代のそのままのものである可能性は低い
仮に古代のままの鏡が伝わっていたとしても、そもそも天皇家自体が、どこまで遡れるのかがあやふやなので、
いつ作られたものか確定できない
ただし、文化財としてどちらがより重要かというと難しい
三角縁神獣鏡も、もちろん重要な文化財には違いないが、各地の古墳から出土していて、合計すると400枚を超え、
希少性という観点だけで見ればそれほどのものではないとも言える
(ちなみに、三角縁神獣鏡は中国では出土していない上に、魏が卑弥呼に贈った鏡は100枚なので、400枚もある
ということはあきらかにその鏡ではない。おそらく魏の鏡を参考にして国産されたものだ)
840804:2014/01/30(木) 17:35:08.97
>>836
今話題の!って言ってるけど「卑弥呼の鏡」なんて言い方はマスコミが勝手につけただけだろ
三角縁神獣鏡なら国内から300枚以上出土してるからそれぞれ出土された遺跡や年代によって
それぞれの意味合いは変わる

三種の神器は文化財とかそういうものではない。
神器というのは所有者の権威によって神格化する
そもそも実体として存在するかどうかを超越したものなので
そのもの自体の文化財的価値など論ずることは不可能
841日本@名無史さん:2014/01/30(木) 19:46:39.21
千早城の戦いで幕府軍の数100万人はどうみても誇張?
842日本@名無史さん:2014/01/30(木) 19:48:18.00
国民が一千万居たかも怪しい時代に100万ですか
843日本@名無史さん:2014/01/30(木) 20:07:09.67
1150年の人口は『拾芥抄』に記載されている田積数を元に推計↓

やる夫が『梅松論』を語るそうです。 〜幕間(5)南北朝時代の動員兵力〜
http://inzainewtown.blog.fc2.com/blog-entry-237.html
844804:2014/01/30(木) 20:08:25.89
出典が太平記だからね。そこんところは当然誇張だろう。
延べ人数としてもせいぜい数万いたかどうかじゃないかな。
845日本@名無史さん:2014/01/30(木) 22:15:31.53
>>835
ありがとうございます
冷泉天皇以降なぜ摂関常置になったんでしょうか?
冷泉天皇か次の天皇が政治をしたくなくて、自ら摂関常置を望んだんでしょうかね
846日本@名無史さん:2014/01/30(木) 23:22:56.10
歴史本読んでいたら、豊臣秀吉が京都の旧五条大橋の改修を口実に
近辺のスラムクリアランスを行ったと書いてました
その辺の経緯に詳しい方、教えてください
847日本@名無史さん:2014/01/30(木) 23:42:38.12
御土居でggrks
848日本@名無史さん:2014/01/30(木) 23:52:44.61
優しいがツンデレだな
849日本@名無史さん:2014/01/31(金) 01:24:12.96
国境の城兵同士って普段から小競り合いとかあったんですか? 意外と仲良し?
850日本@名無史さん:2014/01/31(金) 07:17:40.53
前提がアバウト過ぎる
851日本@名無史さん:2014/01/31(金) 19:59:52.46
教科書で小川未明の野ばらでも読んだんだろ
852日本@名無史さん:2014/01/31(金) 20:14:48.78
小川未明って谷山浩子の歌のせいで未だにミメイと読んでしまうんだよな俺
853日本@名無史さん:2014/01/31(金) 20:26:42.96
>>849
あなた自身が「城兵」と言っているので、明治以後は除外して前近代のことを想定しているのだと思うが
だとしたら、そもそも「国境」に兵なんて常駐していない
「国境の近く」の城の城兵ならいるが
854日本@名無史さん:2014/01/31(金) 20:38:39.27
>>853
つまらん
855日本@名無史さん:2014/01/31(金) 20:41:19.34
>>845
冷泉天皇は病気で自ら政治を執ることができなかった
続く円融・花山・一条らはいずれも幼帝あるいは若年で即位
一方で摂関は壮年と年齢差もあり天皇が政治の主導権をとれない状態が続いた
そして摂関常態化のまま摂関全盛期に突入
856日本@名無史さん:2014/01/31(金) 21:42:27.83
>>855
ありがとうございます
その頃はまだ院政期でもないのに
なぜそんなに幼帝が続いたんでしょう?
質問ばかりですいません
857日本@名無史さん:2014/01/31(金) 21:52:36.40
>>856
主たるところは健康問題(精神的なアレも含めた)
858日本@名無史さん:2014/01/31(金) 23:11:55.82
>>839>>840
ありがとうございました
859日本@名無史さん:2014/02/01(土) 14:08:23.08
雑兵物語読む限り、一人称の「俺」は戦国時代末期にはあったのですか?
この頃の話し言葉は訛を除けば今でも普通に通じますね。
860日本@名無史さん:2014/02/01(土) 17:05:03.01
>>859
「オラ」は「俺」だし
861日本@名無史さん:2014/02/02(日) 08:36:44.63
>>846の近辺のスラムっていうのは旧童話地区ってことですか?
(当然当時はそんな言葉ないでしょうけど)
862日本@名無史さん:2014/02/02(日) 10:43:52.41
50年後100年後という長いスパンで考えた場合、
関東大震災と東日本大震災はどちらが日本の大震災の
代名詞になっているでしょうか?
まだ起きていない首都直下地震とか南海トラフとかはなしとして
863日本@名無史さん:2014/02/02(日) 11:40:34.65
>>862
起こった場所も起きた被害も違うから一概には言えない

関東大震災は死傷者の数としては日本国内過去最大(首都直撃)
東日本大震災は原子力問題としては世界的に問題提起
864日本@名無史さん:2014/02/02(日) 13:14:41.10
昭和三陸地震も規模は同じくらいだが被害は少ない
やはり、戦後の国土計画によって作られた大都市がはじめて津波に見舞われた点が大きいと思われ
865日本@名無史さん:2014/02/02(日) 16:42:55.98
>>863->>864
ありがとうございます
それぞれ特徴が違いますが、現時点ではこの2つが2強でしょうね
866日本@名無史さん:2014/02/02(日) 21:33:46.08
阪神大震災はもう忘れられたか。
867日本@名無史さん:2014/02/03(月) 06:10:39.86
>>861
なんというメルヒェンな世界
868日本@名無史さん:2014/02/03(月) 18:00:20.86
徳川埋蔵金の話をよく聞きますが
敗れ去った武将たちの財産はどうなったのでしょうか?
落ち延びる際に持ち出したりしていないのか気になります
869日本@名無史さん:2014/02/03(月) 18:28:46.49
そのネタだけで本が書けるくらい
870池上アキラ:2014/02/03(月) 20:40:54.02
いい質問ですねえ
871日本@名無史さん:2014/02/03(月) 20:43:01.22
帰雲城埋蔵金だけはガチで有ると思う
872日本@名無史さん:2014/02/03(月) 21:27:43.81
>>866
阪神大震災は東日本大震災と十数年しか離れていないため、
長いスパンで見たらどうしても東日本大震災の陰に隠れてしまうと思う
阪神〜が関東大震災や東日本大震災と同レベルの大災害として後世に
残るとは思えなかったのであえて選択肢から外した
気を悪くされたなら申し訳ないです
873日本@名無史さん:2014/02/03(月) 22:51:09.31
>>868
ほとんどの埋蔵金伝説は、それがあればいいなあ、あってほしい、という願望の産物
戦で負けて落ちのびなきゃいけない時はたいてい命からがら、一刻も早く逃げなきゃならないから、
大量の財産を埋めたり隠したり運び出したりしている余裕なんてないのが普通
財産は置いていくしかないし、攻略した側に奪われる
降伏して城を退去するような場合なら運び出す余裕もあるかもしれないが、そもそも降伏しなきゃ
ならにような状況になっているなら、その時点で、たいした財産が残っているわけがない
幕末に小栗が幕府の埋蔵金を隠したなんてよくいわれるが、幕末の幕府は官軍と戦うために
フランスから借金していたほど財政難で、わざわざ隠すほどの資金など残っていなかった
874日本@名無史さん:2014/02/03(月) 23:21:41.78
嫁の家は祖父さんの代までほとんど遊んで暮らしてた。
隠れ里のような山に囲まれた僻地から出てきただけなのに。
古い鎧や刀があるし、埋蔵金でもあったんじゃないかと思える。
875日本@名無史さん:2014/02/03(月) 23:43:35.13
古い武具とかがあったのなら、価値のある骨董品とかもあって、それを売ったんじゃね?
876日本@名無史さん:2014/02/03(月) 23:52:19.61
戦の前に子弟と財産を一時避難させ
そのまま隠れ里化したケースとかあるかも
877日本@名無史さん:2014/02/03(月) 23:55:33.67
>>871
帰雲城のは埋まってるだろうけど、>>868が質問している「敗れ去った武将たちの財産」ではないな
なにしろ、地震による山崩れで城ごとまるまる埋まっちゃったわけで
878日本@名無史さん:2014/02/04(火) 00:43:27.35
攻め落としたけどスカだった場合隠したと思ったほうが
心の健康には良かったんだろうなぁ
879日本@名無史さん:2014/02/04(火) 00:46:52.48
江戸時代の絵じゃ抜けないのですが、昔の人は何をおかずに抜いていたのですか
880日本@名無史さん:2014/02/04(火) 00:50:39.67
>>877
別に敗れた武将のつもりは無かったが?
いきなり埋まったのでまだ可能性がある程度
881日本@名無史さん:2014/02/04(火) 01:03:46.14
>>879
世界の人が歌麿の浮世絵を見て、日本人はエッチだと思っているのに。
882日本@名無史さん:2014/02/04(火) 01:15:31.90
売春が合法なんだから買えばいいやん
883日本@名無史さん:2014/02/04(火) 02:36:11.44
>>879
逆に、江戸時代の人に、今の萌え系の絵を見せたら、おそらく「なんだこりゃ、お化けの絵か?」って言うよ
現代では目が大きくぱっちりしている方が美人だから、萌え系の絵では目が極端に大きくデフォルメされていて
それが様式になっている
一方、江戸時代には、目は細いのが美人の条件なので、浮世絵の美人画は目は細く描かれている
目に限らず、その時代の美人の要素を徹底的にデフォルメし、それが様式化されたのが、江戸時代の浮世絵
の美人画や春画
884日本@名無史さん:2014/02/04(火) 07:04:17.54
時代劇で町の作りや、街道そのものは見られますが、
実際に村や町を渡り歩くとどういう風景が見えるのかってのは、
何の資料(あるいは現存する史跡)を見ればいいのでしょうか?
885日本@名無史さん:2014/02/04(火) 10:30:23.44
脳内フィルターを使って余計なものを取り除き必要な物を足して
再現映像を思い浮かべる
886日本@名無史さん:2014/02/04(火) 21:24:32.07
鎌倉時代末期や南北朝時代の平均身長は高かったのですか?
887日本@名無史さん:2014/02/04(火) 21:30:50.72
埋葬人骨からの逆算ですが、江戸時代よりは高かったみたいです。
888日本@名無史さん:2014/02/04(火) 23:49:39.18
家紋の名前教えてください
丸の内に三つ引に縦一本足して王の字みたいになってる家紋なんですがこれはなんというのですか?
889日本@名無史さん:2014/02/05(水) 01:18:49.57
かつての幕府権力は王権に含まれるのでしょうか?
890日本@名無史さん:2014/02/05(水) 13:57:28.57
南北朝の争乱がありましたが、後醍醐天皇は京都を追われて吉野に新しい政庁を建てたんですよね?
政庁を建てるのにかなり時間がかかるはずですが、北朝側は特に攻め込むことはしなかったんですか?
敵対しても攻め込むまではしない、一種の冷戦状態程度だったんですか?
891日本@名無史さん:2014/02/05(水) 15:15:57.86
毎日質問してんの同じやつだろ
892日本@名無史さん:2014/02/05(水) 16:24:06.41
答えじゃないのかよ
893日本@名無史さん:2014/02/05(水) 16:55:05.21
元々あった寺を臨時の御所 (吉野行宮) にしたので、新しい建物は造っていない。また当時は日本中あちこちで戦闘が行われており、吉野を攻略すればけりがつくような状態ではなかった。
894日本@名無史さん:2014/02/05(水) 20:06:30.74
890は熊野古道を一度歩いてみることを強く勧める
熊野古道ではないが吉野南部なんか現代でも酷道一歩手前で
木が一本倒れただけで半日通行不能になるような道ばかり

南北朝や戦国時代に数十倍の敵軍を退ける拠点防衛の話は幾つかあるが
少数の軍で地理不案内の山間地に攻め込むのは自殺行為
かといって大量の軍費を費やして大軍を数ヶ月がかりで送り込んでも相手は後背地に退くばかり
その間に策源地へ逆襲されたら正に本末転倒
895886:2014/02/05(水) 20:18:33.67
>>887
有り難うございます。
新田義貞の身長が180センチだったことを読んだことがあります。
今、鎌倉末期から南北朝に嵌っています。
896日本@名無史さん:2014/02/05(水) 21:40:26.96
南朝は大和の豪族を味方に付けた。主に三輪氏のバックアップがあった。
当時の人間にとって、大物主の一族を敵に回すのは恐ろしいこと。
その心理的バリアは、決して小さくはないだろうと思われる。

壇ノ浦の戦いにおいても、大神(三輪)氏である緒方惟栄は
「恐ろしきものの末裔」と言われ、大きな影響力を発揮した。

理由は様々だが、こういう側面もありますね。
897日本@名無史さん:2014/02/05(水) 22:28:06.83
>>893->>896
ありがとうございました

>>大物主の一族

どういういわくがあるのでしょうか?
質問ばかりですいません
898日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:23:24.11
三輪氏が祭る三輪山の神が大物主だ。古事記や日本書紀では大いに霊力の有る神として
恐れられている。
899日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:34:19.61
>>889はいかがでしょうか?
900日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:35:22.53
大物主は三輪氏により三輪山に祀られた神様。
出雲の大国主の別名または関係者であるとされています。
三輪氏や加茂氏はその大物主の一族(出雲神族)です。
出雲から国を奪った天孫族(天皇の一族)は
出雲族の神の祟りをとても怖れていました。
疫病などが祟りに起因すると考えられていた時代には
大物主の祟りは最も恐ろしきものの一つだったのです。

ちなみに

その大物主に嫁いだとされるのが、ヒメタタラモモソヒメで
現在、卑弥呼の最有力候補です。
初代皇后は大物主の一族であり、天孫族と出雲族の一派との
政略結婚により大和王権の基礎は築かれたようです。

大和の旧豪族に支えられた南朝は、想像以上に強力だったと思います。
901日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:51:47.45
明治に入ってから岡っ引きの人は何処に行ったの?
あと江戸から明治にかけての成り行きで庶民関係の本ある?
902日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:56:24.93
>>896>>898>>900
そういう主張は一向に構わないが、そういう考察がどういう史料から導かれるのか示さないことには、
ただの妄想でしかないのだが。
903日本@名無史さん:2014/02/05(水) 23:59:09.30
>>901
岡っ引きという仕事は無くなりましたが自宅に居たでしょうね>一行目
意味不明>二行目
904日本@名無史さん:2014/02/06(木) 00:13:42.75
>>899
含まれない。
905日本@名無史さん:2014/02/06(木) 15:42:02.75
天皇から統治を委任された幕府では王権に含まれないということは、
摂政関白も含まれないですか?
906日本@名無史さん:2014/02/06(木) 21:24:58.52
君は考えるのを止めた方がいいよ。
907日本@名無史さん:2014/02/06(木) 21:32:20.98
天皇との血縁関係の問題じゃないの?
知らんけど
908804:2014/02/06(木) 21:55:11.12
>>905
君は王権の定義をどう考えてるの?
はっきり言ってそこんところもちゃんとしてないのに「これは王権?それは王権?」
ってまるで壊れたラジオのようだ。
909日本@名無史さん:2014/02/06(木) 22:13:28.91
王権の定義、わからないんで教えてください
910日本@名無史さん:2014/02/06(木) 23:44:30.79
wikiによると
王権(おうけん)は、人々に君臨する王の権力、統治権のこと。
だそうだ
911日本@名無史さん:2014/02/06(木) 23:52:16.19
その定義だったら幕府が含まれてもおかしくなさそう
912日本@名無史さん:2014/02/07(金) 00:06:29.85
その場合は天皇の王権に含まれるのではなくて
将軍の統治権(=王権?)に含まれる事になる。
913日本@名無史さん:2014/02/07(金) 10:31:21.19
信長が掲げた「天下布武」ってなんですか?
一種の政治スローガンですか?
今で言うところのアベノミクスとか構造改革みたいな
914日本@名無史さん:2014/02/07(金) 15:54:42.52
そんな感じ。
後から意味も付いてきた感じ
915日本@名無史さん:2014/02/07(金) 16:05:07.47
近世以前で、他に政治的スローガンってどんなものがありましたか?
916日本@名無史さん:2014/02/07(金) 19:40:59.96
>799が近世の外交という曖昧な言葉で質問してきたさい質問を明確化しようと
・江戸時代初期までの東アジア通商・外交史なら中世史の延長
・幕末なら近代史の前振り
・江戸時代の外交なら、対蘭対鮮で別個のもの
なのだから何を聞きたいのかと訊ねても絶対に答えないんだよね
最近の質問って>799のようなタイプばかり…
最初の質問に一言でも付け加えると負けだとか変な勝ち負けに拘っているのか、質問者はできるだけ抽象的な言葉で極力語数を少なくし
回答者はあらゆる意図を考察し最大限の情報を提示すべきだと思っているのか、単にコミュ障で他者と会話ができないのか知らんけど

>王権の定義、わからない
・学問にイデオロギーを持ち込む頭の可哀相な連中がNHK大河『平清盛』に絡めて暴れていたので→「王権・NHK大河『平清盛』」でググれ
・欧州・印度・中南米の王権→世界史板へ
・民族学としての王権→民俗学板へ

天皇・皇室の権威であれば王権とは言わない
それを言うのは前世紀の遺物である少数の左翼系出版社と象牙の塔に引きこもる研究者のみ
で、健常者の質問と違い、オツムがアレな奴が好むウヨサヨ話だとナ・ゼ・カ質問者が何時までも居座るんだよなぁorz
917日本@名無史さん:2014/02/07(金) 20:35:05.68
マニアックな質問以外大抵は検索したら出るし深く聞きたいなら具体的に尋ねたら良いし。
オツムの弱い奴はどの板にもいるてこった
918日本@名無史さん:2014/02/08(土) 11:42:18.72
欲しがりません、勝つまでは
みたいな当時の世相を表した言葉って最近何かあった?
919日本@名無史さん:2014/02/08(土) 12:48:01.17
日本は戦後以来戦争をしていませんのでありません
920日本@名無史さん:2014/02/08(土) 14:52:32.81
現代史なのでスレチになっちゃうけど、ここ数年の嫌韓、ヘイトスピーチ、靖国問題、慰安婦問題などは
平成史のいち側面として歴史に刻まれていくんだろうな
いい悪いじゃなく、平成の頃にはこんな問題、風潮がありましたよっていう
921日本@名無史さん:2014/02/08(土) 16:16:07.33
>>918
バブルとか、その後の「失われた20年」とかではなくて?
922日本@名無史さん:2014/02/08(土) 20:52:57.68
流行語大賞と何が違うんだ?
923日本@名無史さん:2014/02/08(土) 20:55:09.63
924日本@名無史さん:2014/02/08(土) 23:55:21.36
昭和末期〜平成は環境の時代、コンピューターの時代、ネットの時代などと形容されます
来たるべき次の時代はいったいどんな「〜の時代」と呼ばれると思いますか?
925日本@名無史さん:2014/02/09(日) 00:06:46.76
最近こんな質問ばかりやな…
926日本@名無史さん:2014/02/09(日) 00:30:40.14
同じ奴だろ
927日本@名無史さん:2014/02/09(日) 00:39:27.57
かまってちゃんには初心者スレは良いオモチャだしな
928日本@名無史さん:2014/02/09(日) 07:08:43.59
>>924
ずばり、宇宙の時代とかになるんじゃね?
929日本@名無史さん:2014/02/09(日) 08:37:07.13
>>924
いろいろ考えられるけど、ひとつには少し前の生活様式に復古する時代になるかも
大家族から核家族、さらに未婚の子供が親元を離れて一人暮らしへっていう感じで、
生活の個人化が進んできたけど、経済的理由、心理的変化などでまた大家族化が
増えていくような気がする
現にもうすでに未婚の子供がいつまでも親元を離れないという現象が出ているし、
結婚しても親と同居するっていうのも増えている
この流れは当分続いていくと思うね
930日本@名無史さん:2014/02/09(日) 10:05:13.25
再生医療で、長寿120歳時代到来。
寿命まで働ける時代になる。
931日本@名無史さん:2014/02/09(日) 12:49:09.16
世界史板で類似スレがないもので、ここで質問させてください
万里の長城を造ったのは、秦の始皇帝と習いますが、
これは源頼朝を源頼朝と呼ばずに、鎌倉の初代将軍と呼ぶようなものですよね。
どうして名前で呼ばないのでしょうか?
932日本@名無史さん:2014/02/09(日) 12:57:52.53
>>931
板違い
933804:2014/02/09(日) 13:06:14.42
>>931
呼びたきゃ呼べよ
934日本@名無史さん:2014/02/09(日) 15:53:45.75
世界史なんでも質問スレッド123
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1390911219/
935日本@名無史さん:2014/02/09(日) 17:03:15.19
>>931
君はたとえば、明治時代の天皇を名前で「睦仁」と呼んでいるのか? 普通は「明治天皇」と呼ぶが
936日本@名無史さん:2014/02/09(日) 21:13:33.82
↑いつもの、バカのひと?
937日本@名無史さん:2014/02/09(日) 22:22:37.73
>万里の長城を造ったのは、秦の始皇帝と習います
原形は(春秋)戦国時代
現在のは明代

>どうして名前で呼ばない
始皇帝が決めた
始皇帝以降は二世皇帝、三世皇帝……と名乗らせた
漢以後は太祖・高祖を初代に付けている
938日本@名無史さん:2014/02/10(月) 17:02:16.59
偉い人の呼称で、名前の後に公を付けるやり方はいつ頃なくなったんですか?
また、なくなった理由は何ですか?
織田信長公とか
939日本@名無史さん:2014/02/10(月) 17:07:12.91
貴様はいつから敬語じゃなくなったのですか
940日本@名無史さん:2014/02/10(月) 17:08:31.54
自分が一人称じゃ無いと何故東夷は言うんですか?
941日本@名無史さん:2014/02/10(月) 21:23:50.94
>>938
前近代だと三公の意味で大臣以上の敬称として使われましたね。
たとえば本来は光圀公とは言いません。光圀卿です。
近代だと公爵の意味で使われましたね。
たとえば伊藤(博文)公とか近衛(文麿)公とかはなじみがありますね。
いま使われないのは公と称するべき地位の人が居ないからです。

>>939
御前と同じ頃だよ。

>>940
西戎はどうして我という二人称を使うのでしょう。
942日本@名無史さん:2014/02/10(月) 22:49:08.39
>>941
ありがとうございます
>>前近代だと三公の意味で大臣以上の敬称として使われましたね。
戦国期の地方大名も〜公と呼ばれたりしてますが、
とても大臣以上の官職とは思えません
蒲生(名前失念)公とか他にもいろいろと・・

華族制度がなくなった戦後から〜公という言い方がなくなったって事ですね
943日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:00:17.58
>>942
遊女が五位でもないのに大夫と呼ばれたりするので時代が下るほど厳密には使われなくなりますわね。
地方の領主なら諸侯の意味で〜侯ならまだ良いでしょうけど。
944日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:09:09.60
>>940
関西では、自分は二人称だろ、自分
945日本@名無史さん:2014/02/10(月) 23:55:44.63
「トンキン」とか言い出したら間違いなくそいつは普段
「ネトウヨガー」とか「ハシシタガー」のネット戦士クン
946日本@名無史さん:2014/02/11(火) 00:21:18.34
近畿の言葉が日本語の源流になってることはあるからなぁ。
仰山なんて方言と思われてるが。
947日本@名無史さん:2014/02/11(火) 00:32:29.58
このスレで唐突に「トンキン」などと言い出したのは>>2>>945しか居ない件
948日本@名無史さん:2014/02/11(火) 17:20:36.51
質問なんですが、廃寺石碑とかの管理、管轄ってどこになるんですか?
マニアックな石碑なんで、県ではなく市の管轄か個人でやとは思うんですが、
市のホームページにも問い合わせる所とか詳しく載ってなくて…

あの倒れてる石碑を元に戻してあげたい。
949日本@名無史さん:2014/02/11(火) 18:27:07.79
たぶん市の教育委員会じゃなかろうか。史跡関係の管轄はそうだから。
しかし手が回らないとか予算が無いとかだと地元の史学会の方が良いかも知れない。
もちろん史学会が有るとは限らないが。
950日本@名無史さん:2014/02/11(火) 21:43:24.59
>949
ありがとう。教育委員会の方に一報を入れてみる。

史学会があるかどうか分からないけど、探りを入れてみます。

いやー、何とかして倒れているのを起こすぐらいはしたいな。
951日本@名無史さん:2014/02/11(火) 22:01:46.16
文化財に指定されてなければ土地の所有者のものだろ
教育委員会に聞いても困惑するだけだと思うが
廃寺石碑と簡単に言うけどケースバイケースだろうから何とも言えない
廃寺は同一宗派の寺院が管理してることもあるし
墓地だけ残ってるなら墓地の管理組合かなんかがあるだろ
952日本@名無史さん:2014/02/11(火) 22:27:53.78
そうか。俺の中では古代の寺院跡に歴史愛好家が建てた物という設定だったので
お寺の敷地内というのは考えてなかった。
953日本@名無史さん:2014/02/12(水) 02:05:46.17
差し支えなければどこの何て寺かここに書いたら?有名な寺なら事情を知ってる人がいるかもしれない。
954日本@名無史さん:2014/02/12(水) 19:14:16.93
>951
確かに。そうゆう考えがなかった。
勉強になります。

>952
自分もその口。市が建てるか、愛好家とかがっと思ってた。

>953
多分超マイナー。近所の人しか知らないんじゃないかレベル。
香川のしかもその中でも田舎。
陸の離れ小島と称されるぐらいの…
さすがにここで人達でも知らないだろうな。。。
955日本@名無史さん:2014/02/12(水) 19:42:51.36
武士が月代剃ったのは何時代頃からですか?
956日本@名無史さん:2014/02/12(水) 21:26:31.50
>>955
平安時代には既に。常時月代剃るようになったのは戦国期から
957日本@名無史さん:2014/02/12(水) 21:49:20.52
平安武士の頬横に付いてるほわほわは何なんだろう。
名前もわからん
958日本@名無史さん:2014/02/13(木) 00:03:08.28
>>954
倒れている石碑を起こしてあげたいという気持ちは良いと思うので頑張ってくれ。

とりあえず、地元の図書館や資料館なんかで郷土資料をあたり、その廃寺の歴史や経緯は頭に入れる。
ついで、現在の管理者や土地の所有者なんかを確認して、自分の意思を伝えてみる。
近隣の住民(年寄りが良い)と話をするのも大切なことね。

石碑の復元といっても、大きさによるよね。
人力で起こせるくらいのものなら、勝手に起こしてみても問題は少ないだろうが、
重機が必要ともなれば、起こすだけでなく、その後の管理の問題にもなってくる。
東日本だと震災以降、わざと倒れたままにしておく石造物も多いしね。
機械の費用の他に、恒久的な安全対策の費用はどのくらいかかるのか、それを捻出できるのか。

おまえさんが何者かしらないけど、
地元の学生やら青年団やら老人会なんかだったら或は大学生や文教関係の役人だったら、ことはすんなり運ぶかもしれないけど、
全く何の関係もないただの物好きだとするなら、明らかに変人だから、ことは性急に運ばず、穏便にやんわりと進めたらいい。
959日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:09:15.44
倒れている石碑を起こしてあげたいという気持ちは良いと思うので頑張ってくれ

余程しょぼい石碑でもなけりゃ独りでどうこうできるもんじゃないが…そこはスルー

素人が半端な作業で建て直した(心算)直後、子供が悪戯する・年寄りが状態を確認しようと弄る

石碑が倒れ、負傷者が出る

不法に石碑の状態を改変し傷害事案が発生した犯人は誰だ!

僕が悪いんじゃないもん958が使嗾したんだもん

958逮捕
960日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:11:35.61
日本史でお勧めの本、面白い本を教えて下さい。
当然、古田武彦みたいなインチキ本は除きます。
961日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:17:15.35
>>959
どこをどう読むとそうなるかねw
962日本@名無史さん:2014/02/13(木) 01:36:00.53
>>959
ひま人28号
963日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:18:16.62
備中の秀吉の援軍に向かう信長が、何故京都に数十人の家来しか連れてなかったんですか?
964日本@名無史さん:2014/02/13(木) 22:33:18.56
軍勢は明智が連れて行くからです。
965日本@名無史さん:2014/02/14(金) 06:31:23.76
>>960
>>416 悪くなかったぞ
966日本@名無史さん:2014/02/14(金) 08:51:23.50
何で日本社会党や労農党はレッドパージの対象から外れたの?
967日本@名無史さん:2014/02/14(金) 18:20:47.12
>>956
平安時代から!?
968804:2014/02/14(金) 19:06:06.82
>>966
レッドパージ自体が基本的に共産党員に対するものだからさ
そもそも中共優勢に伴うものだから基本共産主義者よ
969日本@名無史さん:2014/02/14(金) 23:11:28.13
>>960
井沢元彦
970日本@名無史さん:2014/02/15(土) 00:22:36.95
よりにもよって最悪のインチキ本を挙げるか……
971日本@名無史さん:2014/02/15(土) 15:28:59.06
インチキかどうかは分からないけど、数冊読んでみて面白かったのは事実
逆説の日本史の外伝みたいなやつ
972日本@名無史さん:2014/02/15(土) 15:43:00.96
面白ければいいっていうなら池波正太郎や富樫倫太郎、隆慶一郎を薦めればいいと思う
井沢元彦は読者が書いてあることを史実だと勘違いしてしまう分、上の三者よりタチが悪い
973日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:02:22.12
レベルの落ちた学問板では、もはや井沢ですらネタにならないw
974日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:12:59.57
井沢を貶めれば通という風潮
975日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:14:12.44
井沢元彦「一神教というのはユダヤ教徒最大の発明だと思うんですよ」
井沢元彦「アメリカが黒船で日本に開国を求めた時、彼らに領土的野心なんてなかったんですよ。あれは日教組の反米デマです。じじつアメリカは太平洋の諸島に全く干渉していません」

彼はアメンホテプ4世もハワイ併合もフィリピン併合も知らないらしい
高校教科書に太字で書いてあるレベルの知識すら井沢には無いんだよなあ……
976日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:15:28.34
>>975
井沢を批判できてもその人が歴史通とは限らないね
小学生に野球で勝てるからってプロ野球で通用するとは限らないだろう?
977日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:20:38.95
井沢が小学生レベルかどうかわからない人間がおすすめの本を教えるなよって話なんだが・・・
978日本@名無史さん:2014/02/15(土) 16:24:52.96
>>975
井沢の専門は日本史だし
世界史の知識まで求めるのはさすがに言いがかりじゃないか?
979日本@名無史さん:2014/02/15(土) 17:43:04.23
井沢の名を挙げた者だが、おれが読んだ著書では、〜こういう解釈もできる、とか、〜は不自然だろう、
みたいな書き方で断定口調は少なかった気がするぞ
あと非科学的と言われそうだが、もっと歴史学の中に呪術的要素、宗教的要素を入れるべきって主張は頷けた
980日本@名無史さん:2014/02/15(土) 17:53:56.61
俺が読んだ感じでは同じこと何回も書いてページ水増ししてるみてぇだった
981日本@名無史さん:2014/02/15(土) 17:56:36.49
>>978
日本史の知識もないんだよなあ…
982日本@名無史さん:2014/02/15(土) 18:26:06.16
なんだかんだで、読んでる奴結構いるんだな
さすが歴史板
983日本@名無史さん:2014/02/15(土) 19:50:05.11
井沢なんて昔の豊田有恒レベルだろ。
史学的には全く話にならん。
清張や池波や司馬のレベルにも全然及ばん
984日本@名無史さん:2014/02/15(土) 20:33:56.69
>>979
断定調でなければ非科学的・無知のヨタ話でもいいっていうなら、まあお前さんには合ってるんだろう
「果たしてダーウィンの進化論は正しいのだろうか? もしかして我々は何者かにデザインされた存在かもしれない」
みたいなレベルであっても
985日本@名無史さん:2014/02/15(土) 20:39:41.31
>>983
井沢は基本的に不勉強なのが丸分かりなのがいかんよな
基本的な教養がないから>>975がいうように高校生でも突っ込めるような間抜けな発言をやっちまうし、>>980が言うように同じ発言の繰り返しに陥る
池波はもちろん司馬遼太郎も、今の史学水準から見ればずいぶん荒唐無稽なことを書いてるけど
彼らは井沢とは比較にならないくらい勉強してる跡が窺えるからね
986日本@名無史さん:2014/02/15(土) 21:02:08.68
もう井沢の話題はいいよ
つまらん
987日本@名無史さん:2014/02/15(土) 21:54:00.42
全くだ!そんなことより山へ登らないか

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単独255万円→半額以下
988日本@名無史さん:2014/02/15(土) 23:59:02.15
言霊とか怨霊とか神格化とか、現代科学で考えれば非科学的な事案だけど、
かつてはそういうことが重要な意味を持ち、現実の社会で大きく扱われたという
事実こそが大事なのではないかね?
そういう趣旨のことが井沢本に書かれていた
989日本@名無史さん:2014/02/16(日) 02:03:31.31
>>988
まず「言霊」が日本独自の発想というけれど
中国にも「曹操の話をすると曹操が現れる」のことわざがあるとおり言霊的な発想は日本独自のものではない
日本の「言霊」が他国と比べてどう特殊なのか井沢は明らかにしていない(ていうか他国にある言霊的な文化は黙殺)

さらに、日本の「言霊」や「怨霊」が歴史にどういう影響を与えたのか定量的な説明ができてない
何とでも言えるレベルでしかないのよ
言葉を入れ替えれば分かりやすいと思うけど「愛は日本の歴史に大きな影響を与えている。歴史学者は愛の重さを軽視しすぎではないか」「この事件には愛の影響があったのではないか」と言ったところで何の説明にもならないよね
この「愛」を「言霊」や「怨霊」に入れ替えると、まんま井沢元彦になる
990日本@名無史さん:2014/02/16(日) 08:48:35.57
保元・平治の乱では親兄弟など肉親が分かれて権力闘争をしました
この乱に限らず、古代、中世ではこういうことがよく行われました

小泉純一郎(細川を擁立)と小泉進次郎(自民党として枡添を擁立)の選挙対決、
石原慎太郎(維新の会代表)と石原息子(自民党要職)の選挙対決、
これらは乱(合戦)と選挙という違いはありますが、本質的には同じと考えるべきでしょうか?
それとも本質的には全く別物でしょうか?
991804:2014/02/16(日) 10:42:11.35
何を本質的としているわけ?
肉親でも権力を巡って争うのは古今東西変わらないということを本質としてるの?
992日本@名無史さん:2014/02/16(日) 10:59:33.61
肉親による権力闘争という意味において、保元平治の乱と都知事選挙(小泉親子)は同列に語れるのかどうか?
993日本@名無史さん:2014/02/16(日) 12:19:08.29
本質って言葉を使うやつはバカ
994日本@名無史さん:2014/02/16(日) 13:02:53.24
同列に語りたきゃ語ればいいんじゃね?

学問としてそんなものは何の意味もないことだけど
995日本@名無史さん:2014/02/16(日) 13:07:50.88
>>992
そもそも権力闘争って言葉の使い方間違ってるだろ

保元の乱における武士が一族で散り散りになったのは権力闘争なのか?
今回の選挙で大小泉と小小泉が意見を異にしたのは権力闘争なのか?
少なくとも後者は父子で権力を奪い合ってなんかないし、
ワン・イシューに持ち込んだ父と、政党に属する子の政治的立ち位置が違っただけだ。
996日本@名無史さん:2014/02/16(日) 15:39:00.01
保元の乱て権力闘争じゃなくて何なんだ?
義理人情か?成り行きか?
997日本@名無史さん:2014/02/16(日) 15:58:10.03
武士は単なる駒だろ
別に一族内で権力を争ったわけじゃない
998日本@名無史さん:2014/02/16(日) 16:08:11.40
おらが一族が生き残ろため
999日本@名無史さん:2014/02/16(日) 16:12:18.05
>>996
武士にとってはある意味成り行きだろ?
契約関係における義理人情もあるかもな

少なくとも彼らは乱の主力ではあっても主体じゃないから
1000日本@名無史さん:2014/02/16(日) 16:39:48.28
皇室、公家の権力闘争だろ
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