>>306 日本国王「良懐」も九州の大宰府にいたんだが。
朝鮮半島にいたと言ってるとは違う書き込みに見えるな。
朝鮮人が日本列島を支配したと読めるが。
309 :
日本@名無史さん:2014/02/04(火) 10:42:30.41
まず、当時の人口や国土概念を考えろと。
現代から見れば緩やかな領域、言葉も通ずる一部の往来、戦。
要は半島南部、列島西日本が倭で後に継承される日本。
当然後の朝鮮国家とは関係ないと。
昔は国境なんてないわ。
九州は、畿内より半島の方が近い。
>>309 羅連合国家だろう。
新羅・加羅=伽耶・多羅=百済・耽羅・阿羅=安羅=済州島・末羅=倭国の邪馬台国・大羅=倭国の下関。
同時期の京都の太秦にも着目。
あれだろ、天孫降臨したニニギが、ここは韓国が見えるヤホーイ!と言ったというあれだろ。
天照大神は朝鮮人。
>>313 高天原から来た天照大神出すなら、高天原から新羅経由の素戔嗚尊のセリフがセットなのに、無視とかぁ
お里がしれてるよ・・君。
315 :
PC:2014/02/04(火) 13:56:53.77
「辛国の城に始めて八流の幡を天降だして、吾は日本の神になれり」
by八幡大菩薩
満洲から八旗勢力を率いて任那加羅に侵入し、更に日本を支配した。
>>315 騎馬民族神話か。案外、本当なのかもな。
317 :
筑紫倭皇帝:2014/02/04(火) 17:20:44.76
>>313 ば〜か
「ここは(大国主倭奴国王・倭国王が治めてた)ハングルを治めるのにも適してる、やっぱよかとこ〜」(博多弁)
っていって喜んだところだよ。
318 :
日本@名無史さん:2014/02/04(火) 19:13:16.14
>>315 なにこれ?
辛国って、カラクニか。天孫降臨と同じだ。
あえて言おう、自演乙と。
>>316 無知な馬鹿チョンの為に心優しい日本人様が教えてやろう
満洲で八旗の祖型が出来たのは契丹の時代で
紀元5世紀以降だ間抜け
>>312の訂正。
倭連合国家だろう。
大倭国の領土としては任那となった元の狗邪韓国と馬韓と辰韓と耽羅
加羅と百済と新羅が大国である大和国に属国として付き従った
新羅経由の徐福秦氏の氏神は、素戔嗚尊の子神の宇迦之御魂神だよ。
宇迦之御魂神は
伊勢と伏見稲荷神社に祭られてるのが有名。
深夜アニメのいなり、こんこんの女神さま。
記紀編纂者が魏志倭人伝を読んでいる可能性は高いが、
卑弥呼についてはっきり書くことはできなかった。
日本での伝承が失われていたのだろう。
別種の国なら、伝承が失われていても仕方がない。
まーそもそも「別種」の他の用例を見ると「ウリナラファンタジーがひろがりんぐwwwww」
な用語でないことはすぐに分かる訳だがなw
327 :
日本@名無史さん:2014/02/05(水) 00:54:53.37
倭の別種だから日本は倭に含まれる
328 :
筑紫倭皇帝:2014/02/05(水) 01:40:15.85
俺がウィキの九州王朝説に更に追加しよう。(ウィキの編集はしないが)
大国主は「漢委奴國王の金印」をもらった倭奴国王だと。
記紀に時代を超えて度々出てくる大国主は 漢委奴國王 の子孫であり
博多湾沿岸を中心、都としてた倭国の代々の中心人物。
卑弥呼の時は、この大国主を中心とした王たちの共立で卑弥呼が女王として
共立され倭国の聖地 伊都国=倭奴国 で君臨した。
天孫族はそのころはまだ倭国内の斯馬国(糸島志摩)程度を治めるぐらいの小国の王、豪族だった。
大国主=倭奴国の子孫 は倭国内では卑弥呼共立時代も絶対的な存在であり
筑紫内の神々(豪族・安曇氏宗像氏等々の始祖神)であるが、
天孫族の台頭で筑紫を追われる。
これこそが 天孫族と大国主の 「国譲り」 である。
大国主は
「この国を差し上げる。その代わり私のすむ所はあなた方が住むのと同じぐらい大きな宮殿を建てて欲しい。
そうしたら私の百八十神(安曇・宗像等々)は事代主神に従ってあなた方には背かないだろう。」
といい倭国外の出雲へ追放された。
天孫降臨は天孫族による 伊都国 攻略。
伊都国を攻略した天孫族は、小国尾張の小大名から大国美濃を攻略し成功させた織田信長の 「天下布武」 と同じような心境から
「天孫降臨」
を知らしめ天孫族の筑紫の支配を正当化するために「国産み」や「アマテラスとスサノオ」の契約等々の話を作り、
筑紫の豪族(王・神々)は天孫族に従うよう創造神話を作ったのだろう、と。
しかしながら、我ながらよくできた説だな。
329 :
筑紫倭皇帝:2014/02/05(水) 01:41:13.37
「空白の4世紀」
天孫族は斯馬国にいて、大国主や卑弥呼の時代の政治をみてきたからこそ、
中国との交流はしなかったのだろう。
中国の後ろ盾を使っても国はまとまらない。
狗奴国との戦いや卑弥呼共立等々で実証された。
だから天孫族は自分たちが筑紫を支配しても中国を必要としなかった。
これが「空白の4世紀」だろう。
もし天孫族が半島人なら決まって中国との交流はしただろうな。
330 :
日本@名無史さん:2014/02/05(水) 07:18:31.56
瓊瓊杵尊のY染色体はハプログループD2であると推測される。
これは瓊瓊杵尊の子孫によるデータに基づくものであり、
瓊瓊杵尊の御陵である可愛の山陵(宮内庁所管)の学術調査が
出来ないため確定的な結果ではない。
梅原猛・埴原和郎 著 「アイヌは原日本人か」
「頭骨の計測Data分析」133頁
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/1-thumb.jpg ●近畿
●朝鮮人
●中部 ●新潟
●千葉
●東北
近畿の人と朝鮮人が非常に近いことが目立つ
整理すると、
(1)アイヌは北方に住んでいても「寒冷地適応」を受けていない。
(2)朝鮮半島から渡来した弥生人たちは北方的要素をもっている。
(3)近畿人が朝鮮人に近いということは、近畿地方の人々は弥生人の混血の影響を相当に受けていると想像される。
(4)オンコロマナイと礼文華の違いから、道内でも道北と道南では小進化の速度が違っているようである。
生体計測値の全国統計資料(1910年代、40年代、50年代の3回に分けてとられた)からの分析(東大人類学教室、河内まき子)によれば、
日本人の特徴によって「中心部」と「周辺部」とに分かれる。
日本の中心部(近畿から山陽、九州の一部、四国の一部)はかなり朝鮮系に似ている。
周辺部(東海、関東、東北、北陸、山陰、九州の真ん中あたり)は別の特徴を持つ。
すなわち、国内における地域差がはっきりと出ている。
溝口優司「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」
縄文・古墳時代の頭蓋・四肢骨計測値における地理的勾配の原因は気温差か
縄文・古墳時代の頭蓋・四肢骨計測値における地理的変異パターンと、
現代の気温、湿度、降水量などの環境変数の地理的変異パターンを、マンテルの行列順列検定法を使って比較した。
その結果、以下のようなことが示された。
・頭蓋の変異パターン
・縄文・古墳間に関連なし
・縄文・古墳ともに緯度と関連 (緯度を固定して偏相関をとると、縄文・古墳間に関連なし)
・古墳で年平均湿度と関連
・頭蓋+四肢骨の変異パターン
・縄文・古墳間に関連あり
・縄文・古墳ともに年平均気温と関連 (気温を固定して偏相関をとると、縄文・古墳間に関連なし)
以上の結果は、骨の計測値が縄文時代から古墳時代にかけて地域ごとにバラバラに時代的変化をしてきたことを示唆する。
これ(骨計測値の地理的変異パターンに時代間の類似性がないこと)が、今回の分析により、
縄文・古墳時代のそれぞれで、骨の計測値が緯度あるいは気温と関連していることを示唆するが、
古墳頭蓋のみ湿度と関連することに意味はあるのか?といった新たな問題が出てきた。
すなわち、国内に於いて気温と湿度の影響を取り除くと差異は認められない。
>>331 その朝鮮韓国人ってぇ・・二重にしたり、エラ切り取って、日本人顔に成形してんだけどぉ・・
>>331 >かなり朝鮮系に似ている。
ワザと、とぼけてるよねぇ・・
336 :
日本@名無史さん:2014/02/05(水) 21:47:49.01
神武天皇のY染色体はハプログループD2であると推測される。
337 :
日本@名無史さん:2014/02/05(水) 21:55:01.10
>>330 忍穂耳までD2だが、Y染色体は父親から息子に継がれるものであるから、
天照大神が♀なら、そのタイプD2は系図に記されないいずれかの男親に由来する。
スサノオ、大国主、イザナギに比定される遺骨の染色体を調べれば彼らとの血縁の有無が明らかになる。
忍穂耳尊までD2でなければ、系図に偽りがあったことになる。
>>337 一時代前の古代史研究者な。
最近の学者さんたちは概ね連続制を認めてる。
340 :
筑紫倭皇帝:2014/02/06(木) 11:25:03.90
ウィキの九州王朝説の中に「漢倭奴国王」の金印を埋めた(捨てた)所が
卑弥呼の墓の可能性があると書いてあったが・・・
となると、志賀島自体が径百余歩の卑弥呼の墓か??
金印は元々は細石(さざれいし)神社の御神体という話もあるが、
志賀島で発見された場所は、見事に志賀島の糸島方面というのはなんとも興味深い。
博多湾を挟んで見事に糸島半島と向かい合った場所から発見された。
これは興味深いな。
総数254基ある福岡県新宮町の相島の相島積石塚群は対岸が安曇氏の志賀島ではなく宗像だから
宗像一族の遺跡だろう。
http://kotobank.jp/word/%E7%9B%B8%E5%B3%B6%E7%A9%8D%E7%9F%B3%E5%A1%9A%E7%BE%A4 同じように対岸に糸島半島を見渡せる場所から発見された金印。
立花山がもし筑紫の日向の高千穂のクジフルタケなら
志賀島からまさに海ノ中道が一直線に伸びる「笠沙の御前を真来通り」もぴったり。
その場合は天孫降臨は斯馬国糸島半島からの天孫族による福岡平野の侵攻だろうな。
341 :
筑紫倭皇帝:2014/02/06(木) 11:26:08.53
まあ、西(糸島志摩)の天孫族が志賀島から海ノ中道を回り込んで
東の立花山方面から、千代堅粕(かたかす)潟州(かたす)の大国主を攻めたかもな。
その時の立花山からの眺望が「天孫降臨」であり、東から回り込む作戦が「神武東征」の東から攻めるモデルになった。
そしてまた、イザナギが西の天孫族であり、東から天孫族(イザナギ)を助けた国が博多湾岸の東にあるイザナミの国であり、
イザナギとイザナギが協力して大国主を筑紫から追い出した(国譲り)。
国譲りを成功させれば、次は筑紫の支配だ。
博多湾を挟んでイザナギ(西)とイザナミ(東)のちょうど真ん中には能古島がある。
この島をまず一番初めに共同で生んだ島(国産み)として天孫族による筑紫支配がスタート。
イザナギとイザナミは喧嘩をして最終的に西の天孫族が覇者になったわけだ。
実に今日も、福岡王朝は絶好調!
342 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 22:01:15.03
九州か出雲に有った日本国を大和朝廷の大倭国が征服して併合し
「日本」って国名が気に入って「俺らの国名を日本にしよう」って成ったんだろ。
343 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 23:54:12.86
344 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 13:32:08.50
九州に在った倭を奈良地方の豪族が征服して併合し大倭を名乗り
国名を日本国とした。
345 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 13:48:45.05
中学生スレ
いや、幼児化した棺桶前老人スレ
大和朝廷が「日本」を使う前に、任那日本府があったらしい。
任那日本府の方が、日本の首都だったってことか。
348 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 17:09:21.75
>>347 任那日本府は日本と云う国号が出来た後に任那日本府と命名されたもの
当時は任那倭府であろう
>>347 しばらく前に、百済の将軍の碑で、朝鮮半島に最古の「日本」表記があることが
ニュースになぅてたね。
350 :
日本@名無史さん:2014/02/10(月) 09:42:22.10
溝口優司「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」
縄文・古墳時代の頭蓋・四肢骨計測値における地理的勾配の原因は気温差か
縄文・古墳時代の頭蓋・四肢骨計測値における地理的変異パターンと、
現代の気温、湿度、降水量などの環境変数の地理的変異パターンを、マンテルの行列順列検定法を使って比較した。
その結果、以下のようなことが示された。
・頭蓋の変異パターン
・縄文・古墳間に関連なし
・縄文・古墳ともに緯度と関連 (緯度を固定して偏相関をとると、縄文・古墳間に関連なし)
・古墳で年平均湿度と関連
・頭蓋+四肢骨の変異パターン
・縄文・古墳間に関連あり
・縄文・古墳ともに年平均気温と関連 (気温を固定して偏相関をとると、縄文・古墳間に関連なし)
以上の結果は、骨の計測値が縄文時代から古墳時代にかけて地域ごとにバラバラに時代的変化をしてきたことを示唆する。
これ(骨計測値の地理的変異パターンに時代間の類似性がないこと)が、今回の分析により、
縄文・古墳時代のそれぞれで、骨の計測値が緯度あるいは気温と関連していることを示唆するが、
古墳頭蓋のみ湿度と関連することに意味はあるのか?といった新たな問題が出てきた。
すなわち、国内地域間に於いて気温と湿度の影響を取り除くと差異は認められない。
353 :
日本@名無史さん:2014/05/02(金) 20:28:39.31
>>340 >「漢倭奴国王」の金印を埋めた(捨てた)所が卑弥呼の墓
そんなわけないだろw 時代が違うやんけ
三韓征伐
355 :
日本@名無史さん:2014/09/17(水) 04:39:11.57
倭国ってのは大友皇子の近江朝廷、日本は天武軍だろ