先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!
1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目という
ことはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!!
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。
※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/ ttp://www.uploda.org/ CURL貼り付けたかったら貼る
前スレ
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 16
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1346029861/
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/miyosi/miyo4-outou.htm ここのko-poとかいう奴の書き込みを読むと
「客観的」にものを考えられない奴は家系研究に向かないかよくわかる。
サイト主さんの返答がズバリ過ぎて笑える
続けて三好兼光とかいう奴の書き込みを読むと
言い伝えをただ盲信する奴は家系研究に向かないかよくわかる。
「私達は先祖が伝えて来た系図、口伝、奉納鏡、絵馬の伝承等を信じるのみです。」とか
もうありえないレベルw
その先祖が仮冒したかも?などと考えないかね、普通w
系図、口伝は偽系図やらどうとでも言える
奉納鏡、絵馬も後の時代に作られたものかもしれない
当時モノであるという科学的調査もせずにw
こうならないためにも読んでおいて損はないよw
コテ「もっこす」はスルーorNG推奨
4 :
前スレ984:2013/01/09(水) 17:35:34.51
スレ落ちしたので再レス御免
NHKで、慶長遣欧使節の再放送番組を見ました。
画面の背景に映し出された旧北上川の中瀬の津波の爪痕が痛々しかったです。
私は、あの中州にあった石巻ハリストス正教会の創設者、勝又cに関しても、
調べています。(私は子孫ではありませんが、勝又家は、私の大伯母の嫁ぎ先です。)
ttp://hirokijourney.blog35.fc2.com/blog-entry-489.html (被害写真)
三年ほど前に、この先祖スレで話を交わした、石巻市内の多福院というお寺が菩提寺の方、
震災で、ご無事であったかどうか心配しております。もしこのスレッドを見ておられましたら、レスお願いします。
>>930 遅レスですが、傑出した絵画の才能が代々遺伝した例として、有名な狩野派のような事もありますから、
一概に否定は出来ませんね。是非他人にも認められるような証拠を頑張って探して下さい。
>>972 仙台藩は、史料が豊富に残っているほうで、研究書もたくさんありますから、丹念に調べれば
戸時代以前の出自も探っていけると思います。
>>982 上記の勝又家などは、最下層の藩士ですが、兄の伝四郎が戊辰戦争で戦死しています。
先祖の墓に○○年 ○(←干支) 天
って側面にあったんだけど隠れ的なアレなんでしょうか?
6 :
日本@名無史さん:2013/01/10(木) 04:09:01.82
夭?
古くから口伝いに聞いていた屋号(私の家の屋号は検索しても出ないような、出身地のとても古い地名)
がきっかけで先祖の出身地が狭い範囲で特定できました。最初は地名かどうかすら不明でした。
それを元に調べると一族の物と思われる系譜が出身地の有形文化財に指定されていることが判明。
独自に調べて判明していた祖先と、拝見させてもらった系譜の内容が複数一致。
幸運にも大昔の祖先との繋がりまで判明しました。
系譜の信憑性は定かではないので、まぁ先祖探しってこんなもんかと思いつつ、
歴史に埋もれていた物をサルベージできて何か感慨深いです。
8 :
前スレ83:2013/01/10(木) 20:33:09.65
>>5 >>隠れ的なアレ
隠れ的なアレといえば、江戸時代に禁教された異端の宗教・宗派ということですね。おもに3つあります。
「隠し念仏」
「隠れ念仏」(厳密には異端ではない)
「隠れ題目(日蓮宗不受布施派)」
「隠れ切支丹」
9 :
日本@名無史さん:2013/01/14(月) 10:17:50.80
ほー
「為取替儀定証文之事」っていうのを見つけたんですが、儀定とはどういう意味ですか?
11 :
10:2013/01/17(木) 11:20:09.42
議定ですね
お騒がせしました
12 :
日本@名無史さん:2013/01/22(火) 13:14:54.23
徳光さんが
朝鮮系の人ではないって信じられる?
13 :
暗黒物質:2013/01/24(木) 13:27:50.57
ある藩の、ある時の、藩士の名簿に「□□村渡邊□左衞門」という名があり、その村の墓地に行って、渡邊□左衞門のお宅のお墓を探した。
渡邊□左衞門のお墓には、渡邊□左衞門の諱も記されてあり、「□綱」という諱だった。
言い伝えでは、我が家は、この村の渡邊の一族だと言われた。
我が家の初代は、江戸時代の末期に、出来た家である。初代の名は、渡邊□右衛門「□綱」である。
我が家の初代の諱と、この村の郷士の諱は、どちらも「綱」を諱に使用している。たぶん源綱(渡邊綱)から来てると思う。
こういうことから、僕は言い伝えを信じ、武士の末裔と思って、良いのだろうか。
それとも、言い伝えを信じることは、危険だと思った方が、良いのだろうか。悩んでいる。
客観的な意見を、知りたいでござる。
戸籍ではどこまで辿れたの?
15 :
日本@名無史さん:2013/01/24(木) 19:16:45.04
幕末頃に分家した家なら、一番古い戸籍に出ている父親の名前が、渡邊□左衛門さんなら、その家が先祖とわかる筈です。
あとは、幕末頃のその村の人別帳に、暗黒物質さんの初代の幼名とか出てればほぼ確実でしょうね。
16 :
日本@名無史さん:2013/01/24(木) 19:19:47.03
右衛門と左衛門が、同じ家なのに親子など、世代によって変わることも実際にあるよ。
17 :
日本@名無史さん:2013/01/25(金) 01:24:45.60
徳光さんのファミヒス見た。
日本人じゃねえかよ。
>>13 分家は知らんが綱の本家は大阪に今も残ってる
解体された渡辺邸?
個人の人間としての営みはどんなに歴史にホンロウされても変わらないってとこが
最近の先祖探し番組のはやった理由だと思うんだ
でも日本のはダメだね
過去が過去になりきってなくて、教科書的な「正しい」歴史の一部としてしかファミヒスを描けてない
だから普遍性がないし
そのうえイイ話で感動させようとばっかりするもんだから
日本の番組見てると、自分の先祖探しなんかバカバカしくて考えるのも嫌になる
海外の番組見てると、自分もぜひやってみたいと思うのに、不思議
22 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 22:29:11.77
NHKは今日焼酎の家族の歴史もやったよね。マンセー。
23 :
日本@名無史さん:2013/01/29(火) 07:46:10.16
まあ渡邊綱の綱って事では無いだろうね
徳光さんが日本人でないという理由はなんなのか?
徳も光(みつ)も、人名地名に飽きるほど使われていたと思うが
25 :
日本@名無史さん:2013/01/29(火) 12:35:12.49
ロッテが重光だから疑われて当然。アハハ
26 :
日本@名無史さん:2013/02/01(金) 23:33:03.66
古い過去帳を見てみたら、江戸中期から江戸後期、明治一桁にかけて、
戒名の院号部分が名字になっている先祖を見つけました。
例:鈴木院○×△□大居士
戦国中期は単なる居士号でした。
名字+院号って、もしかして先祖が勝手につけてしまったものでしょうか?
北海道の先祖調査会社に頼んだけど糞。家族身内子供ちゃらちゃら出してきてるところ。
気をつけて。
どう糞だったの?
単純に調査力不足。HPではさんざん調査力をアピってるけど。
一度問い合わせたら以後メールで調査お勧め何度も来てたからお願いしてみたんだけど。
おかしいのは、調査進めても良い資料が出てこないとだんだん報告メールもテンション↓wこちらからの問合せにも見て見ぬふりの項目ちらほら。
こういった歴史調査だから、良い資料が出てこなかった・何も判明しなかった、は良いんです。でもそれを誤魔化す態度がカス。
その後自分でやったら某資料館から家系図出てきました。(こうこれ以上の資料は出てこないでしょうってのが最終報告だったのにw)
30 :
日本@名無史さん:2013/02/03(日) 20:07:39.28
やったね!!
31 :
日本@名無史さん:2013/02/04(月) 01:13:18.10
資料館なんかに大名家や領主以外の家系図なんて置いてるの??
32 :
仙台藩足軽:2013/02/04(月) 21:58:14.46
本家の御墓を見たところ、初代が文化8年(1811年)没の享年51歳、次に
記載されている方が、明治31年(1905年)没の享年38歳(1867年生まれ)と
なっていました。
初代の没年と次の方の生年の計算が合わないんですが、どういうことが
考えられるでしょうか?単に省略されたとみていいのでしょうか。
みなさんの意見をお聞かせ下さい。
33 :
日本@名無史さん:2013/02/04(月) 23:32:07.26
>>32 仙台藩士じゃなくて仙台藩足軽と名乗るところが「○○藩士の下役」と郷土史に記された者の子孫であるおいらには共感できるなw
「下役」って何だよwって毎日「下役 意味」でググってるわw
34 :
日本@名無史さん:2013/02/04(月) 23:40:36.42
うちはずっと士族だったと聞いていて、婆さんがうちに嫁に来るときに
戸籍調査をしたらしいが、そのときにも士族だったと聞いていたのだが
ところが、調べてみると墓地のある場所が御三卿の知行地内で
そんなところに武士はいないだろうと思うのだが、やっぱりただの農民だったのか。
35です
簡単に説明しておきますと、家は士族であるというのを聞いていましたが
曽祖父が早く亡くなった為口伝の類はあまり伝わっていません
また終戦のドサクサでかなりの家財を失い、書付などもほとんど無かったようです
ですから祖父も士族とは聞いているが良くわからないという状態だったらしいのですが
戦後祖母(こちらははっきりとしていて系図も残っている豪農の出)が家に嫁に来るとき
当然まだ見ることが出来たあの戸籍を含めてわが家のことを全て調べたらしいのですが
士族だったと言うことで、当時のわが家はかなり困窮していたそうですが血筋に問題なく
本人も将来性があるということで嫁に来たといっていました、父はそのことには
かなり無頓着だったのですが、僕が歴史に興味を持ち色々調べてみようとして
解ったのが、墓所があるのが御三卿の知行地内に家の墓所がある
と言うことでした、たしか御三卿は家臣を持っていなかったと聞いていたので
どういうことか解らず、ただの農民だったのかとすこしがっかりしながら
ここで質問させて頂きたいと書きこみました。
先祖がただの農民だったらガッカリって人はこのスレ的にな〜・・・
先祖が士族かただの農民だったかくらいなら、今はやりの先祖調査の会社でかんたんにやってもらえるよん?
今手に入る一番古い戸籍に載ってる人物の名前とか住所見るだけでも。
40 :
日本@名無史さん:2013/02/05(火) 17:16:48.90
>>33 上司と部下の関係だよ。
上司が藩士なら、その部下も藩士じゃないのか?
>>38 >>39 ありがとうございます、まだ高校生なのでそこまでは調べてないのですが
これから調べていきたいと思います、今日歴史に詳しい人に、それとなく聞いたら
管理のために派遣されていたり、代官がいれば手代と言うのであった可能性もあるということなので
そちらのほうからも調べてみようと思います。
43 :
前スレ83:2013/02/05(火) 19:52:38.21
>>32 >>33 仙台藩の史料を引用したり、研究した文献で、注意する必要がある言葉に「下中」があります。
他の大名家や徳川家の旗本などでは、一般にその家臣を示す場合、「家中」を用いるのが普通なの
ですが、仙台藩の場合、「家中」ではなく、「下中」と書いた史料が多くあります。これは、
仙台藩特有のあて字で、意味は「家中」と同じで、直臣、陪臣を問わずに用いられたようです。
次に、仙台藩に限らず、江戸時代後期には、豪農や豪商で、新田開発や大土木事業、あるいは藩に
莫大な献金して、藩政に寄与したものが士分・士分格に取り立てられることが多く見受けられます。
もともと、江戸時代の身分は曖昧なもので、百姓・町人であっても、殿様から一言、「家臣と見なす」と
言われれば、町方の人別から外れて士分になりますので、こういう士分の先祖も多いのです。
とくに、「士分格」というのは微妙で、明治初年の戸籍では、「士族」「卒族」「平民」のいづれでも
ありえます。
参考文献として「仙台藩の献金百姓と領主・地域社会」
http://ir.library.tohoku.ac.jp/re/bitstream/10097/44072/1/AA1115837409007.pdf
44 :
仙台藩足軽:2013/02/05(火) 21:18:53.98
>>32です。
訂正です。明治31年は1898年でした。
>>34 レスありがとうございます。
「名跡をつぐ」とは、跡取りがなく断絶した家を、他家が再興するという意味でしょうか。
初代は、文化5年の仙台藩蝦夷地警固に関する資料に、足軽与頭として記載されており、文
化8年に没しています。その次に御墓に刻まれている方(1860年生まれ)は、明治四年(1871
年)「禄高取調帳」等に名前がありますが、11歳くらいで他家の名跡を継ぐケースとは、どの
ような理由が考えられるでしょうか?
>>33 私の場合、「士族姓名名簿」に先祖の名前があったため、武士かと思い調べていた所、足
軽と判明しました。大事なご先祖様には違いありませんが、たどり着くのに遠回りしました。
うちは太平洋戦争後の樺太引き揚げで途切れてしまった(´・_・`)
今の戸籍は引き揚げ以降の爺さん、父親、自分の3代しかないんだよね。
その前の数百年がないという。
戸籍はなくても
何か残ってる物とかないの?
47 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 00:34:26.67
おいらの家、江戸時代は刀鍛冶をやっていて、初代は名跡を継いだんだよね。
藩士の名簿にも、先代の苗字の横に、初代の自分の苗字と合わせて、名前が載っている。
御用職人とかだと名跡も珍しくないけど、通常の武家だとどうなんだろうな?
>>46 終戦後に一方的に条約破って攻めてきて、形見から布団から全てロシア兵に持って行かれたって。
生きていただけ良かった、日本に戻って来れただけ良かったって状態だったらしいから、
本当何もないんだよ。
あとは爺さんの記憶が頼りってわけか
50 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 13:27:18.73
>>50 そういう意味じゃない。今手に入る最古の戸籍法での記載でも見るとこの地名だとここだったらどういう産業やってた所で士族が農民がどの程度の割合で住んでたとか
名字や下の名でも(明治年式の戸籍でも幕末年号の扶養親とか)これは確実に武士の名前じゃないなってふいんき(ryがわかるの。
そこからすぐ辿れるよってことでしょ
幕末先祖でゴン助とかだったらまず農民だろうし、中村主水だったら武家の名だろうね。
ちなみにウチの先祖に龍齋とか玄龍とか明治の戸籍に載ってた系統があるけど、まるで時代劇の医者の名前みたい思ってたら本当に御殿医の家系だった。
あと別系統の先祖では○兵衛が戸籍だけで2代いて、墓ではもっと前から当主は○兵衛ばかり。ここは農民家系。
54 :
前スレ83:2013/02/06(水) 15:09:40.10
>>45 現地に残っている日本人戸籍は、ユジノサハリンスクの公文書館に直接行って請求すれば閲覧可能になっているとのことです。
以前から日本で取得可能な旧樺太の戸籍は、外務省外地整理室に保管されている6ヶ村のみ
大泊郡遠淵村(とおぶち)
大泊郡知床村(しれとこ)
大泊郡富内村(とんない)
元泊郡元泊村(もととまり)
敷香郡内路村(ないろ)
敷香郡散江村(ちりえ)
ユジノサハリンスクの公文書館所蔵分のうち、豊原と落合の戸籍に関しては
『星空の美しい樺太』の著者の山口真氏が、1万2千人〜2万人分の複写をしている
平成18年11月15日
豊原市のロシア国立古文書館には、ロシア侵略前の日本人戸籍が保管されているが、このたび真岡・大泊などさらに多数の戸籍があることが判明。
2006年に北海道新聞ユージノ・サハリンスク支局員のエヴゲーニー・シャバショーフらがまとめた日本人戸籍史料がある。
豊原、落合、大泊、小沼、真岡、白浦
他に、元の居住地に関係する、日本各県(秋田、青森、和歌山、群馬、千葉、宮城、長野、奈良、新潟、滋賀、栃木、福島、北海道、山形)の戸籍書類
55 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 15:55:14.65
秩禄処分で無禄士族から平民、あるいは無禄卒族から平民みたいになった事例ってある?
ググっても、有禄士族から無禄士族になった事例しかなくて困った。
元々無禄の藩士の場合は探すのキツいね
56 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 17:20:53.49
○太郎 ○次郎 ●吾 ×作ってのはどんな身分だろ?
漁村で、遠見番所や役加子の詰所、高札場なんかもあった場所
百姓っぽい
分限帳を見ればいいだろう。
禄がある代のことがわかるだろう。
59 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 17:56:19.62
>>57 田畑は皆無の地域なんです…
>>58 分限帳ってどこでもあるものなの?
どうやって存在を確かめ、見せてもらうのかがわからない…
漁民も百姓のうちだよ
>>51 士族でも○松とか○蔵みたいな名前があると思うが、軍艦マーチの瀬戸口藤吉(とうきち)翁も士族だし。
ゴン助もですか?
百姓でも元禄あたりからの墓が残ってれば有力者だろうね。
うちは百姓の村だけど、○右衛門、○左衛門、○兵衛、○之介、○郎、○助なんかが多いですね。
>>62 つか居た
林権助(はやしごんすけ)会津藩大砲隊長林権助安定の孫、男爵
華族の戸籍なら見ただけでわかるだろゴンスケだろうとステキチだろうと
○吉の足軽の俺んちは安泰。
>>67 だから、士族っぽくない名前の士族なんていくらでもいるから名前判定は無理って話ですよ。
自分の先祖たちの戸籍で見ると、士族だったのと平民だった方のは紙面の見た目からちがう。
女子の名前とかね特に。明治初期だとカタカナ二文字とか。マキ・リナとかかえってモダーンwなようなでも百姓家
武家の方は漢字でキリッとしたかんじ。子は皇族に憚って付けなかったて大伯父から聞いた。うちの場合だけど。○野とか多い。
>>69だから名前だけで断定せずに幕末の住所とも見てね。何で名前だけにこだわってるのかわからんけど。
>>70 家の方はひらがな名前もあるけど、○満(まと読む)とか○枝、みたいな名前の女の人が結構いる
ちなみに士族です。
72 :
日本@名無史さん:2013/02/06(水) 21:30:11.07
幕末の住所でどうやってわかるの? うちは幕末から今まで一度も住所変わってないけど。
戦前の女性の名前ってカタカナか平仮名のイメージだけど、身分高かったら漢字もあるの?
ウチ戸籍や墓さかのぼっても孫兵エばっかw名を継承してたんだろうけど、幼名はやっぱちがってたんだろうな?そういうのは残ってない。
うだうだ言ってないでさっさと人別改帳か分限帳あたれってことですねw
>>72 幕末の家から変わってないほどの旧家ならば、戸籍取りに行くまでもなく仏壇の過去帳とか家伝書とかで一発だろうに。武家か平民かも不明なの?
75 :
72:2013/02/06(水) 22:20:06.94
何度も大火にあって資料は皆無。うちだけじゃなく寺や隣家も焼失…。
80杉の年寄りに聞いても、先祖の事は全く知らず、俺が調べた戸籍謄本で「へぇ〜ワシらのじ様ば様ってこんな名前か」なんて言うレベル。
この先どうやって調べようか…。分限帳がどこにあるかが問題だが、どうやって調べるのかな
幕末から先祖の住所変わってないって裏山。
ふつうはみんな先祖を調べる郵送で資料戸籍取り寄せたり、墓探しにすら気楽に行けない距離。
75さんは地元の図書館とか郷土資料館とか行き放題じゃん。昔の地図見るだけで先祖の武家屋敷とか周りが農村だったかとかわかるかもしれないよ。
77 :
72:2013/02/06(水) 22:46:17.80
正確に言うと爺さんの弟の家なんだけどね。
クソ田舎で図書館もない自治体。資料館なんかあるのかな。
役所に問い合わせるのが一番かな?
うちも200年は同じ場所に住んでる
79 :
日本@名無史さん:2013/02/07(木) 18:24:00.03
江戸時代、城下の武家屋敷だった土地に、明治20年頃引っ越して来た。殿様名義の土地だった。
明治初期頃に、華族(藩主)の土地に住めるということは、士族だったのだろうか?
そこまでわかってたら士族かどうかわかるだろw
>>79 明治20年は初期とは言えないだろ。
明治初期はせいぜい西南戦争(10年)辺りまでのことだな。
明治4年の廃藩置県後、十数年が経過している時世に於いて元城下に越してきたから士族?
むしろその逆じゃないか?
元城下に住んでいた武士が離れて一般平民(主に商人)が越してきたほうが一般的だと思う。
>>79 どこから引っ越してきたの?
そっちの方がポイントだと思うけど
83 :
79:2013/02/07(木) 21:08:37.74
城下町から引っ越して来た。
引っ越し先が殿様名義だったのに対して、引っ越し元は私有地らしいので、たぶん商家。
84 :
日本@名無史さん:2013/02/07(木) 23:19:28.57
このスレってさ、話の流れを無視して自分の話を放り込む奴らばかりだから話が途中で終わってしまってばかりだよね。
だからスレが盛り上がらないんだと思う。
自己中ばかり。気を付けやがれ!
そのレスが腰を折ってるという
まずは先祖の除籍簿だなぁ
姻族の方は近いところまでしかとれないけど父方の方はずっと遡れる
明治時代に亡くなった人の除籍簿、5代前まで取れた
そこに〜の長男とかさらに上の代の人が書かれてて1700年代生まれの7代前くらいまでは分かった
ところどころしか読めない
修行が足りないな
急にスレ失速したなw
古文書読めないの俺だけじゃなくて安心した
昔火事で燃えたから先祖のことが解らん
91 :
日本@名無史さん:2013/02/09(土) 21:56:16.14
ウィキで調べたら室町幕府にたどり着いたわ。
ばーさんが若い頃に没落して、挙げ句に妾に財産取られたって
悔しがっておった。
父親の妾が家に入って後家になって、それに取られたらしいw
ありがちな話だな…
洋行帰りの大叔父の話もしてたが、男爵か。早稲田の初代学長だな。
青い地券が出てきた。
発行年がバラバラで
家と畑は明治12年に発行されてて、山2つと墓地は明治16年に発行されてた。
山2つと墓地は明治16年に買ったって解釈できますか?
何でも分かるWikipedia。
>>87 題名とういうか そういうのないの
〜之証みたいな
普通に「借用証文」でしょ
土地を借りたっていう。
100 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 19:19:50.78
年号と土地面積が読めるのに
借用證券と金額と利息と印鑑の意味がわからないというのは、釣りが大きすぎ
101 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 19:21:56.22
印紙に割り印押す意味がわからないなんてのも不思議だな
普通に教えてって言うより
知ったかぶったり、白々しくした方がベラベラ教えてくれるじゃん?
>>100 年号が読めるなんてどこにも書いてないけど?
土地面積は反、畝、歩は今でも農地に使うでしょ?
あ庄屋元気かな
105 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 22:47:04.54
数字は、面積の表記と共通するし
年号の明治は自明だからね ww
106 :
前スレ83:2013/02/11(月) 01:27:19.36
一 金拾五圓■弐銭五厘 但利息年弐割定
一 畑 壱畝貳拾七歩
此地價金壱円四拾九銭
□□□村 □□□□
一 山 貳反四畝拾四歩
此地價金三拾三銭
右之地所抵当ニ書入 ●●●金●●●●
借用仕候處実正也 然ル上者 明治十九年十二月
切ニ加利息元利共無滞急度御返済可仕候
為後日金借用証券仍テ如件
□□□□□
明治十八年八月六日 金借用主
-------------------------------------
あえて全部は判読しません。あしからず。
>>100>>101 印紙の割り印はわかるけど他のところにまで押す意味が本当にわかりませんでした。
これでちょっと利口になりました。
>>102 そんなつもりはありません。
>>106 プライバシーの部分(?)の配慮もしてくださり、ありがとうございます。
昨日は番地をたよりにその地へ行ってきました。
グーグルマップで何となく検索するまでは我が家の裏山のことだと思っていました。
しかし、我が家から600m離れた山林のことでした。
そこは小中学生のときによく遊んで思い出深い場所であり
小さい休憩スペースがあって、20歳を過ぎた今でも何となく立ち寄る場所なので驚きました。
そのくらいの年代だと土地の登記から詳細調べられるね
109 :
日本@名無史さん:2013/02/11(月) 13:30:34.15
110 :
前スレ83:2013/02/12(火) 01:04:32.44
>>107 どういたしまして。
コメントの流れというか、スレの空気から敢えて一部の判読を伏せました。
前スレでも話題になりましたが、古文書の判読で画像をアップするときは
自分はこの文字をこのように判読しましたが、皆さんの判読や意見はどうですか?
と聞いたほうが、レスを多くもらえると思います。
私が、●●●とした部分は、是非、ご自分で判読して見て下さい。
>>54 遅くなって申し訳ありありません。
居住地は豊原だったので、ロシアのビザを取って旧豊原に行けば
なにかわかるかもしれないですね。いつか行ってみたいです。
どうもありがとうございました。
>>109 バブルの頃の生まれですw
貸主の住所は10km離れた隣の郡としかわかりませんでしたが、印を使用する意味がわかりました。
確かに小さいミスを頻繁に訂正するとなると面倒ですね。
ありがとうございます。
>>110 ありがとうございます。
単語を拾いながら、自分なりにでも文脈を読めるようにします。
当時は、家から600m離れたその山の付近に家の墓があって
いつからか家の真裏の山に墓を置いて現代に至るそうです。
現在、かつての墓地は他家が使用しています。
またわからないことがあったら来ますね。
113 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 20:23:09.37
>>36 >>農民だったらがっかりする
・・・・
私は君の意見にがっかりだねw
農民がそんなにがっかりかい?江戸武士がそんなに偉いとでも思ってるのかい?
江戸藩士なんて東海の下克上の成り上がりが大半じゃないかw
秀吉の御一門衆、浅野、小出、木下、蜂須賀、前田・・・・
言えばきりないほど足軽出自の成り上がり大名だらけじゃないか。
そんなのに使えてた武士なんて、出自が知れてるだろww・・・・
114 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 20:32:32.25
いいか?こないだNHKのファミヒスで、船越栄一郎やってたが、
彼は関東鎌倉御家人の藤原北家を祖とする船越家35代目だそうだ。
そんな彼の家は鎌倉御家人にもかかわらず、18代目の時、武士身分をはく奪されたそうだ。
そうその時代こそ、徳川の関東入府だ。
徳川の元和演武の大号令により、関東のすべての中世よりしの名門在地武家衆は、徹底的に帰農させられてる。
なに?ソースがほしい?いいだろう。関東の百姓なめるなよww
115 :
関東の豪農こそ真の名門武家衆@:2013/02/12(火) 20:41:38.96
【】武蔵国の名門豪族 鴻巣七騎 の小田原戦役のその後【】
後北条家は上で述べたように重臣のほとんどが帰農しているが、
実は、武蔵国ではこれら中枢の後北条家重臣と同じくらい有名な在地武将軍団がいる
その名は【鴻巣七騎】またの名を{武蔵七騎}と呼び、関東の那須七騎に並ぶ二大七騎と言われる武蔵豪族衆がいる。
この鴻巣七騎は、古くは鎌倉後期より発し、武蔵国の中部一帯を代々治める7豪族であり、
戦国時代には後北条家に従属し、映画、のボウの城で、忍城攻防戦前後でも出陣している、
武蔵国きっての名門関東武士団衆です。
≪豊臣率いる、戦国下克上成り上り軍団の関東攻めによる北条家滅亡後の鴻巣七騎≫
↓
@★深井対馬守 → 名主、家老藩士、 に別れる
>>1)土着して中山道鴻巣宿の草分名主となった一派
>>2)藤堂家に仕えて藤堂姓を許された一派 (分家は本姓の深井を名乗る)
>>3)松平伊豆守家に仕えて家老職をつとめた一派
>>4)高崎藩(松平信綱の五男・信興を祖とする)に仕えて家老職をつとめた一派
と分かれた。
>>この戦で後北条氏が滅亡した後、名主となった深井景吉は、忍城主となった松平忠吉(徳川家康四男)に仕えている。足立郡箕田に陣屋を構え、周辺の村落の再開発を行ったという。(『論集幕藩体制史6巻「藩体制の形成I」』)
http://hp.vector.co.jp/authors/VA035985/archives/roots/roots01.html ★わかるか?関東の庄屋層は、武士として残るなら、藩の家老クラスだバカ!!
116 :
関東の豪農こそ真の名門武家衆A:2013/02/12(火) 20:50:34.58
F★本木某 → 豪農
>>城主として挙げられる第一候補として、「鴻巣七騎」の一人に数えられる本木某なる武士の存在がある。
→ハイ注目★>>鴻巣七騎とは戦国末期に関東八館にも数えられる岩付城主太田氏に仕えた鴻巣郷周辺に居住していた在地の名門土豪の事であり、
→はい注目★>> 天正十八年(1590)六月一日、豊臣秀吉の部将浅野長吉から鴻巣郷内の在所で帰農するように命ぜられると、
→はい注目★>>本木氏は他の鴻巣七騎の武士らと共に当地に帰農し、江戸期には有力農民となった。
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-4ko.html ♪♪農民とは名ばかりの出自不祥の東海軍団の棟梁、名門秀吉さまの直系の御一門たる名門浅野殿に、真の名門関東武士団は、こうやってことごとく帰農させられました。
また始まった
暇なの?
118 :
関東の豪農こそ真の名門武家衆B:2013/02/12(火) 20:59:09.81
119 :
関東の豪農こそ真の名門武家衆C:2013/02/12(火) 21:09:51.43
★清水氏
・(後北条家時代)
伊豆下田城主 清水氏(後北条家の最上位に位置する評定衆の筆頭に名を連ねる最上位の武将) → 名主
>>小田原攻めの際の伊豆下田城主に清水康秀がなり
>>伊豆衆二十九人衆の筆頭とされ、伊豆衆の中でも知行は最も多い829貫700文余であった。
・(江戸時代 になると)
>>小田原開城後に氏直に同行した後、幕末に至るまで名主や年寄などを務め、明治に入ってからは沼津郵便電信局を営んだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%B0%8F ↑ 比較してみましょう
↓
★大草氏
・(後北条氏時代)
>>大草加賀守は「役帳」によると田方郡南条郷で 221 貫 420 文、伊豆東浦の多賀郷 文、で百貫文など、あわせて 391 貫余を領する
↓
その後
・(江戸時代になると)
上級旗本 寄合衆筆頭 3500石
http://hitosugi.web.fc2.com/2400.pdf ≪まとめ≫
旗本大草氏は、後北条家時代、評定衆でもなければ城主格でもないい、一介の上級武士団。
かたや清水家は、後北条家の最上位に位置する、評定衆であり、その中でも筆頭とされる家格。
要は、後北条家の中での大名格武将
旗本大草氏など、評定衆筆頭清水家の足元にも及ばないが、
江戸期は、
清水家→名主 大草家→上級旗本 寄合衆筆頭格 3500石知行 となる。わかるか?なめるなよ関東の百姓を!!!!
120 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 21:18:38.65
>>117 別に暇じゃない。エリートだからな私は。
ただ、関東の豪農は一般的イメージの農民とはわけが違うんだよ
それこそ、保元平治 平家物語、 天慶、太平記、八犬伝にバリバリ出てくる、名門関東武士団が、
根こそぎ、江戸武士の起源たる東海の猿鼠の関東征伐により、これら超絶名門関東武士団の大半が帰農してる。
いいか?これら帰農した関東武士団が、そのまま武士として残ってる場合は、ほとんどが藩家老か旗本でしょ!!!!!
エセ源氏の関東入府以降帰農した関東庄屋層の真の超名門武家出自っぷりを、スレがつぶれるまで出せますよw
江戸武士の戦国期以前の出自と比べてみたいですよねwwwwその恥ずかしい関東百姓の出自とwwww
121 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 21:32:18.02
江戸武士の大半の出自 → 戦国の下克上のどさくさにまぎれての武士化した東海人。それらに雇われた忍者や傭兵の紀伊人
関東の豪農、庄屋 → 藤原北家、
源氏庶流
坂東八平氏
武蔵七党
鎌倉後家人衆
関東八館
足利公方家
。。。。。。。。。。。これらの出自やこれらに仕える中世よりし名門在地土豪、地侍衆が出自
いくらでもソース出しますよwww
ソースはいいから
君の先祖探しの話をしてよ
123 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 21:55:19.55
私の家は先祖探ししなくとも、25代続く地侍出自、
室町守護大名家の末端の家臣団に名を連ねてはいたが。
下克上の申し子、ナンチャッテ源氏の関東入府以降、元和演武の大号令により、
>>114にも書いた鎌倉御家人の船越家と同様に帰農させられた家ですよ。
墓も 江戸武士よりはるかにいい戒名、院号居士が代々ですし。
祖母の家系は、同じく元和演武により帰農させられた、室町守護大名家の但馬守と被官していた上級家臣団に名を連ねる在地土豪。
ナンチャッテ源氏の関東入府の元和演武政策により強制的に機能させられ、豪農に。
ですが、こうやって、現代では百姓は恥ずかしいと馬鹿にされます。
124 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 22:02:04.35
確か徳川幕府で旗本になった船越さんがいましたね。
なるほど
それで明治以降はどうなりましたか?
128 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 22:18:56.69
ちなみに、
>>119で書いた上級旗本寄合衆筆頭格 大草家は、
幕末、大政奉還による駿府遷都後、唯一帰農が許され帰農した家。
どういうことかというと、400万石から70万石に減封された徳川家は、
幕臣(おもに旗本)を再雇用できる土地を失い、
旗本衆の中でも帰農という形で土地を与えられたのは、大身旗本や寄合衆、高家衆クラスのみだったといわれる。
わかる?滅ぼされた地域で帰農できるのは、幕末でもこのような上級武士団のみだった現実。
それでも徳川は存続してるが、戦国時代は、東海の猿鼠の慈悲なき徹底討伐なため、
滅亡後に帰農して庄屋になれるクラスなんて、武士として残れた部類でいえば、旗本、家老クラスの出自がほとんどという現実。
なのに、関東庄屋まで、こうやって常にばかにされ見下される現代。
130 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 22:48:23.90
ちなみに、
現総理大臣 安部、 副総理 麻生
ともども庄屋出自ナwwwwww
以前の
管
麻生
福田
森
田中
後藤田
池田
竹下
・・・・・
言えばきりないほど現代の将軍たる総理大臣は庄屋出自ナwwwww
いい加減江戸武士信仰の幻想はやめなさいよwwwwwwwwwww
131 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 22:58:10.05
>>129 いいでしょうwww
旗本が名門というなら、関東の、その江戸上級旗本以上の出自の超絶名門、古代関東豪族出自の帰農庄屋を
スレ潰れるまで出し合ってもいいですよwww
>>徳川氏の代になると、鹿島氏の子孫は下総に落ち延びていたので、旧家臣たちが幕府に嘆願し、家の再興を願った。
>>徳川家康はこれを許し、鹿島惣大行事家として存続することになった。石高は200石。な
>>お、鹿島氏の一族は、庶子等も含めると、旗本になったもの、水戸藩家老になったもの、高松藩藩士家老職になったもの(高松藩は水戸家の分家のため)、
>>帰農したもの(庄屋)と多岐に渡る。※(ちなみに水戸藩内の横目庄屋として存続)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E6%B0%8F 鹿島神宮 大宮司家 鹿島氏
このスレ的に「自分先祖が農民だったらガッカリ」てのがねぇ・・・消厨防のころ、俺の先祖は武士だったて自慢げに言ってた奴ほどろくな奴じゃなかった覚えが。
かくいう私は前スレで先祖がトンゴリな奴ですw
その節はアドバイス有り難うございました。未だ進展はありませんが・・・気分を変えて別系統先祖を調査中です。農民です。人別改帖で屋号がわかりました。
133 :
関東超絶名門古代豪族の帰農庄屋:2013/02/12(火) 23:13:07.61
134 :
関東超絶名門古代豪族の帰農庄屋:2013/02/12(火) 23:22:41.03
何かキチガイが湧いてるな
136 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 23:31:22.56
言えばきりない、
いいかい?これら超絶名門豪族たちですら、東海の下剋上成り上がり集団の関東征伐により帰農を余儀なくされた。
東海下剋上成り上がり軍団に、たった一家でもいいから、自称源氏長者や仮冒桓武平氏とやら意外にww、
関東のコレラ豪族クラスの出自居るの?wwたった一家でもいいからいるの?www
織田家
東海下剋上軍団のもっともましな出自と思われる織田家
>>)。本姓は藤原氏(のちに桓武平氏の系統と仮冒)wwww
数年前に家系図の嘘が大々的に公表されてたよねwww
ウィキにも仮某平氏と書かれとるやないかいwww
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E6%B0%8F で、現代人が死ぬほど憧れる武士とは、これら江戸武士だとさ・・・・
くだらね
むかーし武士だった家につながってると粋がるのもアホくさいが
○○では百姓は武士よりも上だと威張るとか一周まわってきてるな
138 :
日本@名無史さん:2013/02/12(火) 23:48:23.02
いや、私が言いたいのは、関東の農民は、現代で言われている雑魚と違うということ言いたい。
真の名門武家とは大半が、関東の地で帰農してる。
わかりやすく言えば、戦国時代を例えるなら、
赤穂浪士見てくださいよ。
吉良家→清和源氏足利氏支流にして、室町将軍足利家の式評定衆筆頭に名を連ねる超名門の武家の正統
浅野家→秀吉さまの御一門の名門
この吉良上野が、浅野の末端武士どもに夜陰にまぎれて討ち取られた。
幕府の沙汰が出てるにもかかわらず。
江戸時代でこれなのに、戦国時代、東海下剋上軍団が関東征伐でやったことはこれ以上。
これがわかりやすいたとえで言う下剋上だ。これが江戸武士だからwwww
140 :
日本@名無史さん:2013/02/13(水) 00:18:50.91
そして、まだ話は続きます。
>>138で書いた足利家御一門に、平島公方という足利家が存在します。
この平島公方足利家は血統的には室町幕府11代将軍・足利義澄の次男足利義維(のちの義冬)の末裔で、
家柄的には、足利義視から義稙、そして義維と続く将軍家別家とされる超絶名門の武家の正統
にもかかわらず、明治維新後、華族どころか、士族にすら編入かなわず、平民とされました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B3%B6%E5%85%AC%E6%96%B9 これが、これが、江戸武士ですよwww江戸武士は自らの自称出自の根源を士族扱いすら拒否しましたとさwwwww
下士足軽中間でも士族扱いなのにwwwwwwwww
これが江戸武士だってさwww江戸武士の定義って何よ?wwwww
他人の話はいいから自分の先祖を語れよ
143 :
日本@名無史さん:2013/02/13(水) 20:36:25.31
>>132 トンゴリ?ドンゴリ?仙台藩のこと?
>>143 豚ゴリまちがいw そうですドンゴリ仙台です。
145 :
日本@名無史さん:2013/02/13(水) 21:22:18.85
>>144 私も仙台藩です。前スレの972さんですか?
ご先祖様が平士・大番組ならば、宮城県図書館の「絵図・地図で見る仙台」を探せば見つけられると思います。
分限帳は「仙台藩士族籍」ですか?それともそれ以外の資料ですか?
質問ばかりですいません。
>>145 有り難うございます。「仙台藩士族籍」とあと「士族禄高取調帳」に載ってました。
宮城県図書館の「絵図・地図で見る仙台」は知らなかったのでぜひ見てみます。
最初調べはじめたときは、坂田啓の私本仙台藩士事典ですぐ済むと思ってたんですけど、甘かったですw
147 :
日本@名無史さん:2013/02/13(水) 21:55:51.94
>>146 ご先祖様の御名前が「仙台藩士族籍」と「士族禄高取調帳」に載っていたのであれば、「仙台叢書第六巻」の
「仙台府諸士版籍」も参考になるかも知れません。底本および年代は不明だそうですが、どうやら文化・文
政生まれの当主が記載されているようです。また、「伊達家世臣録」も底本は不明ですが、ネットで閲覧可
能です。
すでにご覧であったらすみません。
149 :
前スレ83:2013/02/14(木) 01:24:19.94
ウィキペディアでついに清和天皇にまで遡りますた!
152 :
日本@名無史さん:2013/02/14(木) 17:34:00.92
幕末の先祖、通称の他に諱も持っていたんだから、もう先祖は武士ってことで良いでしょ?
通称は文左衛門。諱は義明。
153 :
152:2013/02/14(木) 17:43:35.00
文左衛門義明の戒名は、明治六年に居士。院号は無し。
分限帳調べようず
中大兄皇子にまでいけますた!
>>151 「旗本」とか「石橋」とか聞かされてたんでウィキで調べて見ただけ。
知らんけどな。
子供の頃は日曜学校に行ってたとか、家宝が沢山あったのにとか。
158 :
忍法帖【Lv=10,xxxPT】(1+0:5) :2013/02/15(金) 23:51:22.18
おもしろい家系ねーのかよ
159 :
靖国参拝、皇族、国旗国歌、神社神道を異常なほど嫌う在日カルト:2013/02/16(土) 17:16:32.65
在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い
マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません
そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです
在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい
[ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を!
外国人工作員が隠れ蓑にしているのはカルト宗教団体
10人に一人はカルトか外国人..
160 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 05:30:38.71
社会構造的に封建社会だと成り上がりが多そうだよな。
今は学者が戦前を知らないとかいう状況だからね。
公家と華族を勘違いしてうちの店にも嫌がらせに来る連中がいるよ。
明治の戸籍しか手に入らないとか嘆く人もいるかもしれないが、
それは良い方みたいだよ。
もう戦前の祖先すらよくわからない人が増えているようだから。
>>160 >もう戦前の祖先すらよくわからない人が増えているようだから。
さすがにまだそれは無いだろ
162 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 13:31:21.80
最近では、戦時中でも戦前というぐらいだから。
高祖父の名前を一人も挙げられない人は多いだろうね
あと自分の家の家紋を知らない人も結構いる
爺ちゃん婆ちゃんわからないの?
戦時中ったって満州事変からだって15年だ。
>>160 お気の毒。
戦前世代から見たら、戦時中のファシズムはそれだけ極端な
状況だったってことだろ。戦後世代な我々はずっと戦争ばかり
してるんだから一緒だろと思ってしまう。
167 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 15:33:36.66
応仁の乱だろう。
ブランドに弱いおまいら…
ブランド?
源平藤橘とか?
そそ、継体天皇とか。
天和二年 (にんべん?)完○典
○○○○禅定門
○月○日
このお墓の(にんべん?)完○典はどういう意味なんでしょうか。
>>163 うちは三代同居だったから高祖父やその前の先祖の名前も小さい頃から聞かされてきたけど、核家族だと中々難しいのかもしれないね
本家と分家でも差があると思う
176 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 19:40:34.21
>>162 大東亜戦争中のことも平気で「戦前」というのは、
あれは、「終戦前」という意味で言ってるんだろうね。
177 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 19:42:43.43
>>173 それは、多分、○○○という意味だと思うよ。
179 :
日本@名無史さん:2013/02/17(日) 21:33:12.43
>>173 「典」じゃなくて「與」だったりして?
「与一」は「與一」だし
180 :
173:2013/02/17(日) 21:57:58.14
天気がいい日だと見えやすくなるので
空いた時間に撮ってみます。
室町の頃に本家の恨みを買ったせいで、維新で本家が
返り咲いた時は逆賊扱いされたらしい。
182 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 01:51:03.23
意味が解らない。主語をハッキリさせよ。
いやだから御先祖様の話。
一般的に「本家」って呼ばれる家はどれくらい前からあるの?
その「本家」によって違うから一般化出来ないだろう
そもそも本家の定義がよくわからない
188 :
日本@名無史さん:2013/02/18(月) 23:27:21.55
万世一系だろ。1700年くらい。
>本家
結局は、どこで区切るかという価値観の問題。
藤原氏の系図とか見るとよくわかる。
筆頭の近衛家だけを本家として他は皆分家だと見るのか、
閑院、花山院、中御門、御子左、日野、勧修寺、高倉とか、
それぞれの流れの中心的な家を本家として考えるのか。
190 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 00:07:33.30
>>183 「室町の頃に本家の恨みを買ったせいで、維新で本家が
返り咲いた時は逆賊扱いされたらしい。」
誰が恨みを買ったの?
返り咲いたってことは没落があったの?
文章の意味が全く読めないわ。
家の苗字って、山形県だけに異様に多い「舟」で始まる奴。
廃藩置県で帰農したのは分かってるんだが、分岐が多くて調べるの秋田。
江戸時代は、伊達家(仙台)と上杉家(米沢)の家来。
戦国時代は、最上家(山形)と伊達家(米沢)の家来。
この鎌倉時代から、何か良く分からん。
1つは、元々諏訪大社の技術集団の一つの御家で、前北条家に命じられて東北開拓移住ルート。
2つは、奥州安倍家→奥州藤原家の家臣で、何か長井家を経て、伊達家の家臣ルート。
因みに、「船」と「舩」で始まる苗字と山梨県のとは接点無くて笑えた。
192 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 12:24:48.06
日本語で頼むわ
193 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 17:15:03.52
>>173 天和二年の日付と戒名を伏せ字にした意味はなんなのでしょうか
しかも、「(にんべん?)完○典」つまり、「俒○典」はなんなの?
と聞いておいて、と真ん中の字さえも伏せ字にするという感覚はなめてるのか?
194 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 17:35:27.32
俺のところだと
文久○年 喜平次
○○軒○○○○居士
とかだから
普通に俗名じゃないかな?
196 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 19:45:09.01
それなら、そう書きなよ
ヤブレや潰れた字は、■にして、(■は判読不能)とか書かないと、
○や□では、
>>193のように誤解されるよ
確かに古文書的には判読不能は□だな
199 :
日本@名無史さん:2013/02/19(火) 23:01:52.57
原ロアース
原口アース
原□アース
腹■アース
200 :
日本@名無史さん:2013/02/20(水) 12:06:01.39
>>191 舟山、船山、舩山は、中国の浙江省からの渡来で観音布教関係。西日本に多い。
東日本の舟山も渡来系で、諏訪大社のお抱え技術集団の一つ。北条執権の命で出羽開拓へ。後に伊達家と上杉家の家臣。
面白いのは、ふなやまでも仏教や神道と宗教・学問関係出のこと。
終了
201 :
日本@名無史さん:2013/02/21(木) 23:33:21.68
202 :
日本@名無史さん:2013/02/23(土) 16:29:19.74
支那人が先祖と言われて
レス返せないのかな。
先祖探しも机上の調査はだいぶ行き詰まってきた
そろそろ可能性のある所に出向く段階かな
しかし初めて行く土地で江戸期代のことをどう聞けばいいのやら
>>203 自分も同じ境遇。
古文書を見せられても読めるように
NHKの講座に申し込もうと思ってる。
僕は先祖が持ってた土地を再占領と称して
休みの度に立ち寄っては竹藪の絵を書いたりして入り浸っています。
206 :
日本@名無史さん:2013/02/24(日) 00:29:52.54
竹島の絵
207 :
日本@名無史さん:2013/02/24(日) 01:02:09.46
八重は山本勘助の子孫
208 :
日本@名無史さん:2013/02/26(火) 12:52:39.43
姿三四郎は西郷頼母の子孫
慶喜は家茂の子孫
210 :
日本@名無史さん:2013/02/27(水) 17:28:51.77
僕は先祖が持ってた土地を再占領と称して
休みの度に立ち寄っては尖閣諸島の絵を書いたりして入り浸っています
211 :
日本@名無史さん:2013/02/27(水) 18:44:33.20
琉球民乙
212 :
日本@名無史さん:2013/02/28(木) 20:10:29.24
沖縄県石垣市の魚釣島などの尖閣諸島は、日本固有領土で、近世は琉球王国に属しましたが、
もともとは、石垣など八重山諸国の版図だったものです。それが、西暦1500年頃に、
石垣のオヤケアカハチ(於屋計赤蜂)が、琉球王府に殺害されてから、琉球王国に組み込まれました。
仲間由紀恵はアカハチの子孫だと思います。
213 :
日本@名無史さん:2013/03/02(土) 21:13:23.84
>>212 ウィキでオヤケアカハチの乱を調べると、
島民全部がアカハチに同心し服従したが、5人だけは服従しなかったといい、その中に、
仲間満慶山というものがいた。
これが、仲間由紀恵の先祖だとしたら、1809年の文書では
「アカハチ謀叛の際、アカハチと満慶山は、仲すみと申す所で寄合を持ったが、物別れに終わり、
満慶山は帰る途中でアカハチが仕掛けた落とし穴に落ちて死んだ」とされている。
つまり敵の子孫なんじゃね。
215 :
日本@名無史さん:2013/03/02(土) 23:10:38.50
どうでもいいレスばっかw
>>214 警察に発見届を出さないと銃刀法違反に問われる可能性がある
>>214 整った刀があるって羨ましいな。
下の脇差しの型で、拳銃になってるのを見たことがある。
先祖探しに北海道から福井県大野市まで行ってきた。
寺回ったり、戸籍上の集落回ったりした。
よい人ばかりだった。
5代前の妻の繋がりがあるだろう人にも会えた。地酒一升瓶まで帰りがけに貰った。赤の他人同然なのに。
1日しか滞在できなかったけど行ってよかった。
219 :
日本@名無史さん:2013/03/03(日) 12:51:48.43
雪深いこの時期の話ではないんでしょ?
>>217 残念ながら刀身はサビサビで柄を抜くことができなかった
専門に頼まないと銘が入ってるのかすら確認不可能なのが悲しい
>>214 上は普通に脇差なのだけど下のやつは何なのでしょうか?
女性用?なのでしょうか?
>>220 時代劇エキスパートな俺の見解では
下の短刀は医者とか学者とか、武家だとご隠居さんとかが差してるもので
上のは城に登るとか公的業務の際に差す刀だよ(キリッ
223 :
日本@名無史さん:2013/03/04(月) 01:59:56.40
無理に抜いちゃ駄目ですよ。
専門家に見せてね。警察への届出はあとで大丈夫(似た事例で私が経験済み)ですから。
>>220 やっぱり形として残ってるのは羨ましい。
爺さんが生きてたときは家にも南部拳銃(軍で使ってたって言ってたからおそらく)があった。
俺「夜起きてたら人さらいがくるんだって(ガクブル」
爺さん「そんなのがいたら爺ちゃんが撃ち○してあげるから心配せんでいいよ(俺をナデナデ」
銃は爺さんが亡くなって警察に持ってかれたけど頼もしかったのを思い出した。
あれから17年か…シミジミ
>>219 3月2日の土曜日行ってきました。
レンタカー借りて大野の山奥の下山というところにも行って来ました。
途中駅吹雪で大変だったけど。
みんな口々に、あと10年早ければね〜と言われた。
集落の事詳しい大正時代を知っている人が亡くなってきているんで。
先祖に興味がある人は少しでも早く行動したほうがと思いました。
>>225 このスレの住人はもっと古い時代のことを調べてる人が多いんじゃないかな
>>226 俺も江戸末期の5代前の名前までわかっているんだけど、戸籍上の場所に家が無くて大正にはそこに住んでた。
そこに住んでた祖先を捜しているんだ。
>>225 資料を当たるのもいいけど、直接人の話を聞ける機会は貴重だね
数十年前に、先祖探しで祖父を訪ねて来た人がいたらしいけど、その人が記録残してたら見せてほしいわ
私自身が話を聞く前に祖父死亡して、資料の類は手元にないのでおおざっぱな話しか伝わってない
興味がある人が調べて記録を残さない限り、忘れられるだけだ
229 :
日本@名無史さん:2013/03/04(月) 21:47:38.74
多くの人達は、先祖が武田信玄や上杉謙信 徳川家康にたどり着いてそれで
終わりとしている。
アダムとイブ アフリカの女性が先祖だという説もあるらしい。
いずれにしても 人類皆兄弟 人類皆親類縁者 これが正しい。
若し偽りなく武家の先祖に辿りついたと公言すれば、俺の先祖はお前の先祖に
親を殺された、畑を盗まれた、娘を手篭めにされた、罪人扱いされたと非難され
るぞ。
231 :
日本@名無史さん:2013/03/05(火) 01:55:59.28
ただの無知
232 :
日本@名無史さん:2013/03/06(水) 00:09:30.26
ウチの親父、長野県佐久市の出身なんだけど、
先祖はあの真田幸村?だか昌幸だの城に草履とかを作って入れてたって伝わってるらしい
古い屋敷には昔から伝わって来た巻物やら何だかたくさんあったけど、
歴史資料館だかに全部寄付したらしい
でも、本家は別で、ウチは分家のほうなんだよな
お祖父さん、お祖母さんはもういないし、
親父の兄さんはボケて寝たきりだし、
親父の兄弟である親戚のオジサンからはそういう話は聞いたことないけど
ボケる前に、遥か昔の先祖は諏訪のほうから来たってだけ聞いたことがある
どこまで本当は分からないけど、
自分の先祖のルーツを知るってことは大切だと思うんだよな
でも、調べる手段がもう無いんだよなあ
ネットで少し調べたら、
長野県佐久市って最後まで武田信玄に抵抗した辺りらしくて、
激しい戦闘で犠牲者がたくさん出たってあったなあ
その歴史資料館行けば分かるのかなあ
>>232 寄贈した記録あるだろうし、あんたが寄贈した人の子孫だと証明できれば
その資料見せてもらえるんじゃない?
234 :
日本@名無史さん:2013/03/07(木) 06:23:56.26
うちは江戸時代に数代襲名してるから武士だったに違いない。
武士って襲名するの?
むしろ豪農とか庄屋の当主とか職人なんかが代々同じ名を襲名してくイメージなんだけど。
239 :
日本@名無史さん:2013/03/08(金) 15:54:06.29
その場合って幼名と諱があるの?
ブタ切りすまんがちょっと教えてほしい。
先日、たまたま先祖の土地の町誌を手に入れた。昭和の末期に書かれたもので、大昔のことは詳しくなかった。
町誌って一冊だけ?それとも昔から何冊もリニューアルされてたりする?もっと古い史料を詳しく読みたかった…
何町?
>>239 幼名と諱なんて襲名しなくてもあるだろう。
郷土誌なんて1冊も無いところから何度も更新されてるところまであるだろう。
242 :
日本@名無史さん:2013/03/08(金) 22:47:11.36
あ、そうか。ありがとう。
町誌、喜んで開いてみたら、先祖の出身地の歴史の項目には「○○元年 大火により二件を残すのみ」とだけ記録があった。
他の様々な記録にも同姓者は登場するが先祖の記録は皆無。
お寺で過去帳調べたときも火災で昔の記録無しと言われた。
これは諦めるしか無さそうかな…。
ほとんどが漁師で、村方三役も5kmくらい離れた所に置かれ、藩主の城まで40km離れてるような僻地だけど、分限帳なんかに記録がある可能性あるかな…?
>>242 たったそれだけの情報で可能性がないなんて誰も言えないだろう。
>>242 寺が焼けてると一気にテンション下がるな
だから何町?
246 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 02:22:50.12
247 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 02:48:15.26
歌舞伎役者も襲名するけど
武士以外で諱持つことあるの?
>>242 町史(誌)の他に、○○郡史(誌)というのもあるよ。
自分も村史でのご先祖様に関連する記載は数行しかなかった。
郡史では幕末期の村名がわかったり、
地元の神社や菩提寺の調査結果などの記載があり得るものが多かった。
251 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 12:59:06.24
252 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 13:01:59.72
分家の分家で戦前にじいさんが田舎から出てきた家とかだと、先祖がどうのとか
しらんと思う。
253 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 13:45:07.80
>>251 自治体により様々だから、情報得たいなら自治体名書きなよ。
それぐらい書いたって個人情報特定されないから
256 :
前スレ83:2013/03/09(土) 17:03:02.92
>>251 実際、ここ三十年間ぐらいに出された市史はちょっと大きな図書館
なら蔵書されているけど、明治の末から昭和前期に出版された町村史・郡志・村誌
などは、国会図書館にも蔵書されていないものが多いんですよ。
県立図書館にもないのに、意外に地域中心都市の古い公共図書館・町会館の閉架図書に
眠っているばあいもあります。あとは都立図書館の寄贈本や東大史料編纂所図書館、あと神田の古書店。
どの市町村の情報欲しいのか、具体的にわからないと知っていても助言できない。
俺の経験からだけど地域出身の偉人のことを書いた本なんかを読むと
歴史の大事に対して村がどう振る舞ったとか、村人の名前を見つけることができたよ。
ここ1年ぐらいで、国会図書館の近代デジタルライブラリーの充実ぶりが凄いから
検索してみれば?郷土史以外の近代図書が国会図書館に行かなくてもかなり使える。
都道府県史、市町村史も明治期から大正、昭和前期の方が著作権切れで充実してる。
PDFで20Pずつダウンロードも出来るし
あと、Googleブックスの進化も凄いよ、対応してればePub形式でダウンロードも出来るし
近代デジタルライブラリーは、Googleブックスに先を越されるからデータ開放し始めたような気もするけど
http://kindai.ndl.go.jp
>>258 これはスゴい
めっちゃいいもん教えてもらった
260 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 20:30:43.61
オイオイ
国会図書館の近代デジタルも知らないレベルかよ
史料扱いの素人が多いんだろ
ただ、まだまだ点数が少ないと言っても、これまで素人や門外漢がアクセス
しづらかった史料が万人の目に触れる機会が増えるのはいいことだよね。
研究者という特権的な地位の者だけしかアクセス出来なかった史料が多かったけど、
禄に精査もせず、個人的な思い込みやイデオロギーの怨念を歴史に込めて歪曲していた
研究家が駆逐されることを願うよ
262 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 20:56:19.25
263 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 21:44:12.10
>>253 やはり個人特定が怖いです。
どこまで細かい範囲で開示すれば、何を教えてもらえますか…?
地道な作業だけど、
ひたすらググった結果偶然見つけたというのがホントのところ。
ちなみに、前スレ83氏が仰る通り、
国立国会図書館に無いような古書も結構ある。
そこで「日本の古本屋」というサイトから検索してる。
幸いにも国立国会図書館でもあれば閲覧して
必要と判断したら多少値がはっても購入してる。
>>263 お前さんに興味はない、お前さんの先祖探しに興味がある
ここはそういうスレ
266 :
日本@名無史さん:2013/03/09(土) 23:28:22.89
南宇和郡の旧西海町と言う辺鄙な町です。
>>265 インターネッツ見てるのはお前だけじゃないし
268 :
日本@名無史さん:2013/03/10(日) 00:55:43.21
270 :
日本@名無史さん:2013/03/10(日) 02:35:13.14
我が藩の序列
藩主>家老>家中>郷士
文献に家中の“下役”なんて書いてあったから
陪臣なんかなって思っていたけど
郷士名簿を調べてみたら発見した
家中と郷士ってそんなに身分が違うもんなの?
271 :
前スレ83:2013/03/10(日) 13:16:07.08
>>266 関係図書と所蔵館調べてみました。
南宇和史と民俗 : 地域社会史と短歌 本田南城著 地域社会史と民俗研究会 1975
宇和地帯の民俗 和歌森太郎編 吉川弘文館 1974
愛媛縣人物名鑑 海南新聞社 1923.1-1924.6 第1輯 , 第2輯 , 第3輯 , 第4・5輯
西海町誌(目次) 1979年
http://www.ehimetosyokan.jp/contents/siryo/tosyo/sisi/nishiumityou.pdf (所蔵館) 愛媛県立図書館、東温市立図書館、宇和島市立図書館、松山市立図書館、
西予市立図書館、伊方町立図書館、今治市立図書館
国立国会図書館、広島県立図書館、徳島県立図書館、東京都立中央図書館、香川県立図書館、
高知県立図書館
愛媛大学図書館研、近畿大学中央図書館中図、国学院大学図書館、国際日本文化研究センター、
国立歴史民俗博物館図書室書庫、東海大学付属図書館、奈良大学図書館図、人間文化研究機構
国文学研究資料館歴史、広島修道大学図書館、明治大学図書館本、横浜市立大学学術情報センター
南宇和郡史 長山源雄著 各種団体事務所 1938 (出版地:愛媛県御荘町)
南宇和郡史 長山源雄著 臨川書店 1973 (出版地:京都 昭和13年刊の複製)
(所蔵館) 愛媛県立図書館、大洲市立図書館、 八幡浜市立図書館、宇和島市立図書館
273 :
前スレ83:2013/03/10(日) 13:54:47.78
274 :
日本@名無史さん:2013/03/10(日) 13:59:21.22
町史とか村史でなにを知りたいの?
まさか、まさかご先祖様調査ってことないよね。
その町というか、地域の大きな人の流れを掴むには村史、町史は有効なところもあるけど
個別のご先祖様は、その地域でよほど名を残しているご先祖様でないと使えないよね
まさかどころか先祖調査の基本の一つだろ
うちは市史に宗門改帳が収録されてて
それで先祖がわかったよ
>>277 それすごいな
だいぶ昔に発行されたやつとか?
279 :
前スレ83:2013/03/10(日) 15:18:02.66
>>278 地区差別に関係ないところでは、近年刊行された市史の資料編などにはたいてい市内の
旧村(集落)の人別帳が翻字(崩し字を活字にすること)されて、載っているものです。
>>276 同感です。江戸っ子の家系の自分も先祖調べを続けていたら、全く無縁だと思っていた愛媛の
河野氏が先祖の一人に入っていたことを知って驚いたぐらいですから、地域の有名先祖はほとんどの
人にとって、無縁ではありません。
発行は30年ぐらい前
その他の資料も結構充実してる
凄いな
うちの地元の郷土史は宗門改の資料は例として一つの村が出ているだけだ
先祖の歴史をまとめてると
なんだか集落の歴史もまとめたくなってくる
283 :
前スレ83:2013/03/10(日) 15:32:56.80
すみません誤解を招く表現でした。
市史の資料篇に出ているのは、旧名主家などに運良く残っていて、市史編纂委員会
が入手できた、宗門人別改帳の中からもっとも一般的な、一例か二例ですね。
自分の先祖の集落が出ているのは、よっぽど運が良い場合です。
なるほど
良くわかる。
証文などの書き物として残っているのものはあくまでも結果であって、そこに至るまでの時代背景や出来事を知るのが面白くなってきた。
自治体でまとめられた市町村史って今までは地元図書館の蔵書棚に埋もれて
奇特な郷土史マニアだけが手にするものだったけど、ネットでそれが開放されたら
地元を好きになる人も増えるだろうし、悪いことはないと思うんだけど
289 :
前スレ83:2013/03/10(日) 16:17:38.36
>>282 同感です。
>>287 それも同感です。ただし、自分の経験では茨城県の某町史のように、名目上は自治体編纂になっているものの、
実際は板橋区内にあった民間調査会社への丸投げ委託で、記載内容に誤りが多々ある例もあります。私は
その調査会社の責任者(というか社長)に電話で問い合わせたところ、おもな執筆者は日大文理学部の某助教授と
いうことでした。誤りを多数指摘したところ、逆にウチの仕事を今後手伝ってくれなどといわれる始末で、
丁重にお断りしました。
多くの人があの町史を読めば、そのレベルに気付いてもっと良いものが作れると思います。
なお、件の某町は、隣接する町と合併して、茨城県南部海岸沿いの某市となりました。
学芸員の職探しとか、箱モノ歴史館とか文化行政の黒い噂もずっとあるからなぁ
土木関係と比べて予算や金額が小さいからあまり大きな問題になってないのかな
>>287 本当そう思う
技術的にはそこまで難しくないよね
>>270 徳川幕府成立の過程で、前大名の家臣がいる土地に
縁もゆかりもない人間が落下傘就任してくりゃそうなるのかもな
ただ、器量のある新任者ならその土地で優秀な人間は登用するはず
それ以前に土佐のようにどうにもならないほど対立してたら話は別だが
293 :
日本@名無史さん:2013/03/10(日) 23:50:55.08
先祖が常陸大宮市の旧伊勢畑村なのですが、良い資料があったら教えてください。
(以前ググってたら、一揆関係の論文だけは見つけました。)
295 :
日本@名無史さん:2013/03/11(月) 13:06:40.99
297 :
日本@名無史さん:2013/03/11(月) 18:01:07.12
>>293 国図近代デジタルに「水戸東茨城行方鹿島一市三郡名家揃」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780254/100 明治中頃の伊勢畑村の名士・上層農民25名の住所氏名と生年月日が出ている。
運が良ければ曾おじいさんや親戚の名前があるのでは?
さすがに関東地方だけあって、参考になりそうな本もたくさんある。
御前山村郷土誌 1990
御前山村郷土誌 1960
御前山村管内図
御前山村古文書目録
御前山村閉村記念誌
御前山村全図 茨城縣 1900
書評 御前山村教育委員会編『ふるさとの地名と古文書』
旧・御前山村における名字の分布傾向
野口小学校創立百年記念誌
千葉とか茨城とか、今の町だと全然行く気がしないのに
古い資料眺めてると行きたくなる不思議
ご先祖様がいるのが羨ましくなる不思議があるな
わかる
300 :
日本@名無史さん:2013/03/12(火) 00:55:34.93
ここは隠れキリシタンについて詳しい人はいないですか。
地元の山の藪の中で先祖の墓石群を発見した。
本家が行方不明なので何十年も放っておかれて木や草に覆われてた。
一番奥に変わった形の屋根付き墓石?が数基あって、調べたらキリシタン墓らしい。
その前に坐像仏像があって首が無い。
屋根の下に壺が置かれてる。
子供の頃に親や祖父から1600年頃先祖は隠れキリシタンだったと聞いたことはある。
壺の中は怖くて見なかった。
302 :
日本@名無史さん:2013/03/12(火) 01:39:59.40
隠れキリシタンの墓はどんなのか。
先祖が本当にキリシタンだったのかを知りたい。
>>300 >>258、
>>262のリンクや、地元自治体の文化行政関係のリンク、
地元大学・研究機関のデータベースがあれば検索してみるとか
あと、Googleで『○○県 ○○市 隠れキリシタン PDF』で検索すると
色んなPDF書類へのリンクが出て来るので、PDFを読み漁って自分で少しずつ調べるか
自分で手に負えなければ、調べていくうちに研究者の名前が分かってくるので
その研究者に連絡して相談するのもいいかも
304 :
293:2013/03/12(火) 02:14:56.01
>>294様
>>295様
>>297様
ご親切にありがとうございます。
歴史は好きですが詳しいわけではないので、具体的な情報や調べ方を教えてくださって本当にありがたいです。
また(何ヶ月か先になっても)良い情報が入ったり、思い出されたりしたら、ぜひ書き込んでください!
研究者のモラルは疑いたくないけど、盲信するのはリスクがあるよ。
最近だと韓国のお寺が所有権を主張している仏像みたいに
所有権を主張する人間が現れないとも限らないので、記録は残しておいた方がいいと思う。
色んなブログサービスで、非公開で自分の日記のように記録できるサービスもあるから、
非公開で記録しておいて、もし何かトラブルがあればそれを公開出来るようにしておいた方がいいと思う。
気が向いたら調べた結果どうだったかを
またここに書き込んでおくれ
北信から越後への真宗の広がりと人の移動に詳しい史料はどこに行ったら見れるでしょう?
308 :
日本@名無史さん:2013/03/12(火) 14:00:07.40
>>303 ありがとう。
PDFを付けたら色々出てきました。
地元近辺の情報だと高山右近が隠れ住んだとかあるけれど、うちのピンポイントの地元は出てこない。
墓も同様の形がキリシタン墓とされてるので、可能性として大きいと思います。
藪に埋もれてるので、墓の後ろや壷を取ってみて十字架が無いか調べる必要がある。
どっちにしてもちょっと調べ甲斐があるかも。
309 :
前スレ83:2013/03/13(水) 00:01:10.75
>>304 御前山村郷土誌
という同じ題名の資料が三点あったため、昭和51年(1976)の
「古文書 鈴木敬二家史料」
を漏らしてしまいました。
関口家文書と合わせれば、名寄せや宗門人別改帳があるかも知れません。
あとは地区に多い名字が、元はどういった集団の人々か(たとえばどんな
武将配下の子孫でいつ頃帰農したか)を調べて、「系図纂要」などで
おおもとの出自を推定することになります。推定するまでもなく、自分の先祖に
限らず地区のお墓を巡れば、有力な旧家の墓碑に刻んであるかも知れません。
身近に年配の人がいたら早めに聞き取った方がいいと思う。
俺の家は父方が殆どいなくて、祖父のことすら断片的なことしか知らないから
大叔母に祖父の経歴をいつか聞いてみようと思いながら時間だけが過ぎていった。
先日、その大叔母が97歳で他界したから、我が家の歴史を知る人がさらに少なくなってしまった。
近所の神社に行ったところ、300年前に奉納された石造物に先祖らしき人物の名前が彫られていたのですが
百姓でもこのような物にフルネームで名前を入れても大丈夫だったのでしょうか?
312 :
日本@名無史さん:2013/03/15(金) 12:12:53.24
もちろん。
あんまり常識過ぎること聞くと釣りだと思われるよ
>>312 常識でしたか、勉強不足ですみません。ご回答ありがとうございます。
314 :
日本@名無史さん:2013/03/16(土) 13:12:40.14
社寺石造物・奉納者・名字については、過去スレでさんざん既出
それでいて、百姓名字ネタになると決まって、大嵐が吹くの。
>>311 でも、富裕な農民層ってのは分かる
庄屋、組頭等の
>>311 その先祖について
エピソードとか伝わってる?
墓ってうpしていいものなの?
おk
319 :
日本@名無史さん:2013/03/19(火) 12:49:55.30
>>312 ご明察どおり、やっぱり釣りだったみたいね
320 :
日本@名無史さん:2013/03/19(火) 13:24:10.24
>>300だけど私もお墓アップしたい。
墓石の形状と壷についてここの人に推測してもらいたいなあ。
明和年間に神社へ奉納された石造物に光琳梅鉢の刻印と氏名が彫られてますがこれはこの人の家紋ですかね?
322 :
日本@名無史さん:2013/03/20(水) 00:01:28.86
詳しい人がいないのか
このスレ何の役にもたたないな
春休み?
何に詳しい人?
325 :
日本@名無史さん:2013/03/20(水) 02:44:18.33
?
??
>>321 奉納した人の家紋か神紋(神社紋)かでしょうね
329 :
日本@名無史さん:2013/03/20(水) 11:24:07.52
在日の方で箔をつける為に、滅亡した旧大名家の
子孫を自称したりする人がいますが、それと同じ心理でしょう。
何かを誇りにしないと心の支えがないから。
その嘘を何代もつき続けると系図も、先祖伝来の宝物も捏造され、
子孫たちは本気で末裔だと言い出すのです。
>>328 神社紋は梅鉢です
同姓の家紋も一般的な梅鉢なのでこの奉納者の刻印に少し興味がありました
ありがとうございました
332 :
日本@名無史さん:2013/03/20(水) 16:30:33.20
>>329 この写真だけからでは何とも言えないのではないでしょうか。
貴殿の場合は、家に伝承されていて、なおかつ、高山右近との歴史が絡んでいるということなので、一概に否定できません。
しかし、誤解を懼れずに言わせてもらえば、現在の風潮として、先祖の墓を「隠れ切支丹」の墓だと思いたがる人もいるようです。
ところが、多くの研究者によって、隠れ切支丹の墓であることが、「確認された」もしくは「確率が高い」というのは、
ごく僅かなのです。したがって、数からすれば、隠れ切支丹ではないことが圧倒的に多いのです。たとえ、隠れ切支丹の研究者が、
そうだと主張していても、一般的に認められたとは言えないものも多いのです。
自分の先祖が、隠れ切支丹だという人の中には、実は、「隠れ題目」や「隠し念仏」である場合さえあります。
隠れ切支丹がいたのは、数から言えば、九州が多く、その他の地方では、大和など畿内の切支丹大名関係の土地であることなど地域性や、
土地の歴史に裏付けがないと何ともいえないのではないでしょうか。
もしキリシタンなど異端の宗教を信じていた先祖だとしても、江戸時代には、通常の仏教宗派の寺院の檀家になっていたわけですから、
その寺院がどこの何というお寺であったかを調べて、その寺院の檀家に、他に隠れ切支丹がいたか、あるいはいてもおかしくない状況なのか
どうかから調べるべきです。個別の墓石の特徴を調べるのも必要ですが、それには数多くの墓を、組織的に調査をしなければならないはずです。
参考
http://www.ibaraki-kankou.or.jp/jiin/18.pdf#search='高雲寺 キリシタン'
「下音羽や千提寺のキリシタンは当高雲寺の檀家となりキリシタンであることを隠していた。そして、
キリシタンとしての教えは嫡子だけに伝え、表面は高雲寺の檀家であったため明治の頃にはキリシタン
であること事態がその家人に分らない状態になった」
>>329にあるようなお地蔵さんの形の墓は子供の墓って決まってるの?
>>329 いやこれは別に普通の 比較的富裕な農・町民層の一族墓でしょ
336 :
日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:29:52.59
皆さん色々ありがとうございます。
ぐぐるのに参考になります。
檀家になっている寺は現在も実家がお世話になってますが、現在は頼りない住職さんで何も知らないです。
地域の墓は集団移転で引っ越して山の藪の中になるのはウチのあれだけ。
江戸時代は年寄役だったと聞いています庄屋さんと付き合いの深い。
隣村の大庄屋が昔キリシタンだっただろう事だけは郷土史に書いてある。
私個人としては思いたがるというか、もしキリシタン世代がいたとしたら
その後よく脱してくれたと思う。
キリシタン弾圧が無ければ日本の伝統は消えバチカンに飲み込まれていた。
338 :
日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:54:15.83
もう一回藪を切ってよく調べないといけないですね。
首無し仏像が怖いけど。
あの壷も。
本家は放ったらかしで帰る事も無く、うちの死んだ爺さんが次男なのに
親と同居し看取り墓参りもしてきた。
その子である父は権利も義務も無い登記上も関係ないうちが墓守する必要ないと捨てた。
直系でもない私があの墓石群どうすりゃいいの。
本家と一度ちゃんと話をしてみては?
340 :
332:2013/03/21(木) 00:27:21.80
>>334 偶然にしてもこんなニュースがあったとは、驚きました。
フォロウしてくれて有り難うございます。
341 :
日本@名無史さん:2013/03/21(木) 00:53:54.85
>>339 本家は行方不明です。
祖父の兄が家督を継いだが都会へ出て、とっくに故人。
その息子が一切の連絡を絶った。生きていてももう80過ぎてる。
342 :
332:2013/03/21(木) 01:33:16.89
今日はお墓参りをされた方も多いと思います。
祭祀継承者は、お墓の土地の所有者とは限らないことを言わせて下さい。
私の先祖に関係する陵墓が、数年前に市の文化財になりました。
その「お墓」一体の土地は、かつては本家の土地でしたが、その後、
大手デベロッパーを経て、公園のような土地となっているものです。
本家は、明治中頃には転居してしまい、最後(昭和20年代後半)まで祭祀を
行っていたのは、結婚して転居する前の私の母親でした。
そのお墓が、数年前に文化財登録される際に、ネックになっていたのは、
「近所の年寄りが、お花を供えている」ということだったそうです。
聞いたところでは、現在も祭祀が続いている生きた宗教施設では、市としての
文化財の登録が出来ないというのが理由だそうでした。
その陵墓の謂われを知っているのは、もう「私しかいないし、
祭祀は行われていない」と関係者に証言したことが認められたようです。
こんなこともあるとしても、先祖のお墓のまわりの藪は刈っておいても、
よろしいのではないでしょうか。
343 :
日本@名無史さん:2013/03/21(木) 02:13:00.26
文化財指定となるのにそんな事があるんですね。
でもうちは著名人・偉人でもないし文化財指定など受けることはないでしょう。
キリシタン墓だと専門化が認定したら違ってくるかも知れないけど。
現時点で町内では一番古い墓石かもしれない程度です。
町内だけに限っての歴史を重視するなら文化財でなくても郷土史家さんが調べてくれたらいいなとは思います。
他人事みたいだけど放置するだけでは勿体無い。
344 :
日本@名無史さん:2013/03/21(木) 02:27:03.38
スレチになるけどちょっと愚痴らせてもらうと
本家は昔の屋敷土地も放置したままで、数十年前にまだ本家筋と連絡がついた頃
許可だけは取ってうちの父が剪定・草刈、古屋敷の屋根壁など危険な箇所の修理
→どうしようもなくなりついに更地に
と全部費用かけてやったのです。
そうしないとお化け屋敷だし危険で近隣迷惑になるから。
父は「やりすぎるとご先祖さん(の霊?)が頼ってきて自分自身の身上潰れるぞ」と言われ年取ったのもあってもう捨てた。
345 :
江北スタイル:2013/03/21(木) 04:03:29.49
あんたらってさ、先祖がどんな先祖であれ、誇り持ってんの?
え?わて?おっおっおっおっおっオッパ寛容スタイル♪
>>338 ご先祖様の例があなたとお墓を引き合わせたのです
これも何かの縁、面倒を見てあげなさい
そういう気がないなら中途半端に手を出すべきではない
官用スタイル「一度に使えるオッは5つまでです、それ以上のご使用は届け出をお願いします」
お役所仕事なスタイル
明治5年通称名と実名の併用が禁止されたはずなのにそれ以降に先祖が併用した名乗り使ってる記録があるんだが
お茶目さんだったのかな
あ、モチのロンでお役所文書ではない
>>348 ○右衛門とか○兵衛は明治初期でも古風な名前って思われてたらしいよ。
江戸時代末に生まれた人が昭和初期の晩年までチョンマゲを貫いた人がいたらしいから
諱と通称を持ったのも民間ではあったのかも。
>348
屋号だと思う
村内の文書だと苗字で家を区別できんからな
家ごとの通称として屋号を付けて区別してる
その中で初代の名前が屋号になることも珍しくない
352 :
日本@名無史さん:2013/03/22(金) 11:19:42.58
参考までに、私の先祖調査の経過を書きます。
まず、除籍謄本を明治19年式まで取得し、安政生まれの高祖父の父まで判明。
菩提寺も判明、住職に過去帳も見せて貰いました。(快く見せてくれました)
しかし、先祖が幕末か明治の初期頃に当地に移住したそうでそれ明治以前は分からなかった。
(事実、当地に同姓は明治以降の親戚しかいない)
そこで、疎遠だった親戚に聞き取り開始した結果、同県北部の出身との情報を得た。
電話帳に載ってる、同姓の約30軒に電話調査。(事情を説明しても、女性が出ると大概すぐ切られます、
男性は結構親身に聞いてくれる)
続きます
353 :
日本@名無史さん:2013/03/22(金) 11:51:07.71
続きです
なかなか手掛かりが得られず、心折れそうになる。
しかし、1軒の老人から有力な情報を得る。
それによると、老人宅は分家だが本家は同市の××町に健在である。
約300年前、某武将の子孫が当地に帰農したとのことで、
系図、古文書も本家で見たことがあるとの事。
早速、教えてもらった菩提寺にも連絡。(最初は不審がられたが、老人に聞いたと伝えた
ところ話を聞いてくれました)
しかし、住職によると○○家は旧家で色々由緒ありそうな物があるなとは思っていたが、
どういう家系かは知らないとのこと。
やはり、本家に系図を見せてもらうしかない。
そう考え、老人宅に手紙を書く。(自分家の系図、調査したことを添えました)
その後、約3ヶ月間連絡がなく、不安になる。
ところが、先日、老人の息子さんから電話。
何でも、○○家は仏像等も所蔵(寺に預けている)しており、過去にそこに彫られて
いる名前を調べたことがあるらしい。
その時、私の先祖の名前と一致する名前があり、赤の他人ではないと思い、
本家にも連絡してくれたそうな。
本家の蔵に系図も含め、古文書が多数あるそうで、本家の人と一緒に調査しだい、
また連絡するとのこと。(毎日暇してるから、いつでも来て下さいと言って貰えました)
以上、私の先祖調査の経過です。
少しでも、参考になればと思い書きました。
勉強になった
355 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 00:48:05.69
凄いな…!
やっとの思いで本家見つけたら「先祖?気にしたこともないわ。婆さん(俺の高祖母)?小さい頃おったけどこんな名前やったんか」
と言われた俺にその運を分けてくれw
ワクワクする流れ
その後の調査結果もまた書き込んでください
357 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 12:08:24.08
江戸時代に村に神社だけで寺がない所ってあるんですか?
358 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 12:46:21.23
江戸時代の村というのは、現在の地区、つまり部落(差別語とは無縁の)
だから、お墓だけあって、宗門となる寺は部落内にないことも多い。
ただ、多くの場合は、無住の末寺がある。
359 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 12:50:07.31
つうかさあ、江戸時代って神仏混交だから。
神仏混交って便利な言葉だよなw
うちの村は寺4つに神社1つ
362 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 13:14:16.57
事実そうでしょ。どんな大きなお寺の境内にも、小さな神社が併設されてたし。
江ノ島の弁天様なんか、どう考えても寺院のはずなのに、明治以降に
江ノ島神社になってるのって矛盾じゃねえか。
>>358 いや 村は部落よりだいぶでかい単位だよ
>>357 小さい村なら ないとこもあったかも 枝村とか
364 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 13:32:35.85
>>362 それは、神仏混交してるから寺と神社の区別は意味がなく、
神社だけで寺がない部落は、神社に過去帳があるってことですか?
365 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 13:39:41.36
366 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 13:47:01.52
>>364 どんな人でも、必ずどこかのお寺の檀家になっていなければならないから、
集落内に寺がないぱあいは、近くの村にあるお寺の檀家になる。
集落内にお寺があっても、他村のお寺の檀家になっている例も多い。
人別帳(宗門人別御改帳)は、生きている人の管理帳で、村方がまとめている。(現代の戸籍に相当)
死亡した人は、宗門となっているお寺の過去帳に記載される。(現代の除籍簿に相当)
367 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 14:02:28.02
>>329ですが、神仏習合のことが出ていてピンときました。
墓石群の中にある首無し仏像はもしかして習合→分離→廃仏毀釈に関係してるのではないかと。
ぐぐってみたら首がちょん切れた仏像の画像が出てきた。
どっちにしてもキリシタンとは関係ないけれど。
墓石や石造ってのはくっきりと歴史を残すものですね。
369 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 20:40:04.54
>>352>>353 頑張ってる姿に感服しました。
調査に進展がない時など心折れそうになるかも知れませんが頑張ってほしい。
370 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 20:40:50.88
>>352>>353 頑張ってる姿に感服しました。
調査に進展がない時など心折れそうになるかも知れませんが頑張ってほしい。
371 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 20:42:25.09
ダブってしまって申し訳ない。
372 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 21:09:50.67
おれのところじゃ、明治の町村合併で村になったのは江戸期の村がいくつか合併してる。
江戸期の村イコール現代の大字で、部落は小字だ。
お寺は小字(部落)全部にはない。大字(江戸の村)には一つはあるかんじ。
ちょっと大きい村だと二つとか。
神社は多分全部にあるんじゃないかな。寺は坊主がいるからどこでも持てるわけじゃ
ないけど、神社は神主なんかいないから。小さな祠があれば氏神さんに出来る。
373 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 21:47:57.17
風化した墓の文字解読するの得意な人います?
ウチの村の神社は
大正時代に隣村の神社に合祀されて
祠だけ残ってる
375 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 22:44:23.80
>>373 先祖調べ墓碑銘解読の七つ道具
掃除道具 (たわし・歯ブラシ・ハケ・ポリタンクに水)
鏡 (いろいろな方向から太陽光を当てて、摩耗した陰刻を読み取るため)
懐中電灯 (日陰の場合)
デジカメ (陰の射す方向を変えて、沢山撮る)
チョーク粉 (摩耗してほとんど平らになってしまった微妙な凹凸を浮かび上がらせる)
拓本セット (画仙紙、膠分が含まれていない拓本用の墨、タンポがセットになっている)
使える場合には、カビキラーも最有力アイテム
石に文字を刻むって凄いよね
うちの町にも磨崖にびっしりと梵字やらが刻まれた場所があるけれど
あれは素人には拓本取れないわ
377 :
日本@名無史さん:2013/03/23(土) 23:43:20.24
理想的には、古代の天文計算機アンティキセラ機械を撮影した、ヒューレット・パッカードのPTMドームと名付けられた
三次元表面撮影装置があれば、ほとんど摩滅して、人間の眼では読み取れないような、陰刻も読み取れるだろうけど、
実際問題としては難しいんだよね。
ただ、原理は暗くして、いろいろな方向からストロボを焚いて、三脚で固定した正面位置からのデジカメ写真をたくさん撮って、
パソコン上で画像を重ね合わせればいいというものだから、蚊に悩まされない今の時期なら、組み立て式のストロボ棚でも
作って、上下左右全方向からのストロボを焚けるような装置を作れば、非接触型の碑文解読写真装置を作ることが出来るはず。
378 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 00:07:13.16
380 :
373:2013/03/24(日) 03:07:45.42
>>375 アドバイスありがとうございます。
遠い田舎の墓石なんで中々現地に行けなくて、
数回に分けて取ってきた写真とにらめっこしてるんですが、
中々解読できません。
夫婦の合葬墓で、片方は「寛永」と戒名の一字、それと禅定門、禅定尼だけ読めるんですが、
他は難しい状況です。
どこかに画像をアップしたら判定してもらえますかね?
どうも写真の文字と対峙しすぎて固定観念みたいなのが付いちゃってるんで、
第三者に見て貰ったら簡単に分かるかも知れないんで。
うpしてみ
382 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:31:21.28
風化した墓石の文字って読めないよね。
古いやつ10以上あるけど読めない。あれが全部読めたら楽しいだろうなあ。
383 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 00:05:35.50
だれかPTMドーム使って、摩滅した碑文の撮影専門会社設立してくれ。
あるいは、同じような原理の廉価版発売してくれ
ナイトスクープに頼めw
やっぱロシアの手紙のスレで見たやついるな
387 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 13:22:17.51
先祖を探す楽しみがあるってある意味羨ましい。
源氏の末裔とかの可能性もあるんだろうし。
うちなんかかなり古くからこの地に住み着いているからなあ。
388 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 14:01:05.35
所有者さん?
390 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 18:28:57.05
はい小野崎と申します。
391 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 19:40:48.26
岡崎五郎入道正宗
392 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 19:45:34.97
>>367 あのさぁ、明治の廃仏毀釈に関して勘違いし過ぎじゃないの?
一般民衆が、仏像の首たたいて壊しまくるってどこのパラレルワールドだよ。
李氏朝鮮じゃあるまいし、石にはもともと割れやすい目や、筋があって
彫刻したときの細かいヒビなんかも入っているから、そこに雨水が入って
凍ったりするから、石仏の首なんか一番先に自然に割れてくるもんだよ。
>>335さんが婉曲に言ってるように、普通の墓だよ。
俺が思うに、首がないのも普通の自然風化だよ。
まあ、自分の先祖に関して夢は持ちたいけど、妄想になっちまうとな
でもこの人は夢を夢として確認したい感じだったからいいじゃん
天保時代の墓で、狄山○○信士ってのがあったんだけど
狄って蛮族の意味があるらしいから、差別戒名ですか?
場所は広島の山間部で臨済宗です。
395 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 22:23:05.65
○○って隠す必要あんのけ?
396 :
392:2013/03/25(月) 22:32:02.54
ちょっとキツイ言い方したな。すまん。
まあ、廃仏毀釈がひときわ酷かった地域ならありえないこともないから
他の仏像墓の首がみんな壊されているのなら、そうかも知れん
398 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 22:42:16.99
テキザンと読むからいけない。
そこは、湯桶(ゆとう)よみして、「エビスざん」と読めばありがたい戒名
400 :
日本@名無史さん:2013/03/25(月) 23:16:29.00
秋山だとしても後ろの○○がどういう字なのか関係するだろ
戒名ぐらい全部書いたとして、394の個人情報が割れるのか?
402 :
394:2013/03/26(火) 00:06:58.48
>>398-400 秋と読むのは無理があったかな。
秋だと禾の左側に///があって縦棒が右に膨らむ感じに湾曲してて右側には画はなし。
いつになるかわからないけどまた行ったときは写真撮ってきます。
>>401 家の大字周辺にはそういう地区はないけど隣町はあるみたい。
墓は1670年あたりからあるけどこういうのは確認できただけでその一基だけです。
では失礼。
403 :
前スレ83:2013/03/26(火) 00:56:11.14
火は確かなのでしょうか?
彫られている字体が楷書体ではなく、少し崩した行書体に近いとすれば、
狄の様に見えた字は、耿山(コウザン)だと思います。
写真を見なければ何とも言えませんが。
404 :
日本@名無史さん:2013/03/26(火) 11:33:27.06
>>392 そうですね、自然に落ちるかも知れない。
周囲は全て移転したので他に墓の無い山になってるので分からないです。
ところで新たに資料を見つけた。
ある大学研究室資料のPDFで
「○○○が洗礼を授けたのは○、○、○という○村を中心とした地域で
ここに○で最も大きなキリシタン集団がいたことになる」
とあり○村の中の一つ○はうちの墓石群があるピンポイントの部落。
洗礼を授けたスペイン人宣教師は名前を入れてググるとうちの地域の名が出てくるので伏せました。
最初村で1400人の信徒が生まれ、取り締まりに拠って一気に50数人に減った、
「消極的信徒」がほとんどだったのではないか、と書いてある。
「切支丹宗徒人名録」という取り締まる側の古文書に部落内の宗徒名簿まで載っているが
うちの屋号は載ってなかったので、部落ピンポイントとは言えウチがそうだったとも限らないので
やっぱり墓石自体を調べる必要はありますね。
405 :
日本@名無史さん:2013/03/26(火) 13:24:10.43
屋号なんてどんどん変遷するから、当時の屋号と一致しないからって
ご先祖さまが含まれていなかったかどうか、わからないよ。
406 :
前スレ83:2013/03/28(木) 23:51:31.38
墓石の陰刻が、異体字であったり、欠損していた場合には、他の史料で確認できる場合があります。
先祖調べの手順の一例は以下のようになります。
@墓石の碑文詩歌・梵字・戒名・干支・沒年月日の判読
A調べた戒名と没年月日で、お寺の過去帳ではどうなっているかの調査依頼
B本家に残っている位牌、過去帳ではどうなっているかの調査依頼
C俗名が判明した場合は、神社の寄進物、公的・私的な古文書の調査
私の調べた先祖の例では、ひとりの人間(1670年代沒・陪臣武士)で、江戸と主家の領地に、計三つの菩提寺と
二つの墓がありました。江戸のお寺にあった墓と過去帳は、関東大震災の時に失われてしまったそうですが、
領地に現存を確認できた墓石の戒名・没年月日と完全に一致する過去帳が、震災で燃えたお寺とは全く別の
都内の寺に、その文書の写しが現存していました。こんな奇跡のようなこともあります。
407 :
日本@名無史さん:2013/03/31(日) 22:40:28.66
ご先祖が住んでいた地域の図書館へ行って家系図を見てきた。
系図を残していたのは7代前のご先祖で、先は12代前まで遡り、後は子供の6代前までの7代に亘り200余年分。
大蔵姓、家紋は四ッ目結と丸ノ内沢瀉。13代以前は「此前不知」とある。
各世代とも妻の名前はなく誰々の娘となっており、また嫁いだ娘も誰々の妻とだけで名前が書いてない。
当時は女性の名前はさほど必要なかったと思われる。
しかし12代前のご先祖が秀吉の慶長の役に出陣して戦死してたとは驚いた。
系図を残すような先祖がいるのに図書館で調べないと分からないってそれ名字が同じなだけで赤の他人だよ
410 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 04:44:45.60
素人はこれだから困る
大抵は、大先祖からみて、分家の分家になっているわけだし、
83さんが言っていたように、先祖調べは父方の父方だけでなく
八家、十六家と調べていくうちに、大繋がりなどが判明するもの。
それに、仏壇の奥にしまわれているインチキ系図などより
系図纂要とか系図累纂だとかいう、信憑性の高い系図を図書館で
調べるものだよ。
つまり本家ではないと
偽系図作るのが流行った時代ってあるのかな
朝鮮半島では偽族譜の通りだと、人口の半分以上が両班階級になるとか
あり得ないほど出回ってるらしいけど
413 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 11:38:39.09
このスレだったか他か忘れたけど
曾祖母か祖母かがどこか旧家名家の愛人で子を産んで苗字だけもらって
その旧家の末裔が経営する病院へ訪ねたらどうだろうとかあったね。
これ典型的な家系捏造・盗みだ。
典型的ってことも知らずにまんま信じて書いたんだろうけど。
たいてい本物の古い家だったら郷土史家や大学研究室が調査や聞き取りに来る。
>>410 北海道へ渡道したご先祖様は、そうとは限らない。
一応、父方、母方全ての家を調べているが、
各家バラバラの県の出身で、色々な都合があっての渡道と思うが、
残っている資料が乏しい。
415 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 13:47:26.47
我が家が属する一族の総本家当主の歴代を書いた本が20年ほど前に出たけど、
いったいどれほど発行してどれほど売れたんだろう?
一族は合併後の2市に広く分布しているがそれほど名家とも言えないし
ごく一部の神主系統が士族だったくらい。
歴代は3種の姓を代によって選択して名乗っていたようで、現在もその
3種の姓の家が同じ家紋を使っている。
>>415 タイトルもわからない本がどれだけ売れたかなんてわかるわけがない
417 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 14:06:10.01
もっともだ。公開する気は無い。
418 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 16:00:19.79
自費出版みたいなもんでないの。
そういう本が出版されたら何冊か確保しとくと後で古書店に高く売れるw
自費出版+郷土史関係はね。
公開しる
>>410 どうでもいいけど系図纂要が信憑性高いという認識は間違い
421 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 20:35:59.79
>>412 家計図詐欺以前に、日本の武家だって島津を見て見なさい。
ずっと惟宗という帰化渡来系を言い張ってきたのに、
いつしか頼朝の隠し子の末裔と言い張り、
清和源氏と自称するようになったw
徳川も、当初藤原末流といっておきながら、自身では初代親氏は得体の知れない坊さんと白状して、しかし、
その出自は消滅してしまった庶族世良田源氏を持ち出して新田源氏を突如名乗りだす。
こんなもんだろ
422 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 21:07:51.28
>>413 それって結局源氏はみんなそうだよね?w
勝手に軍事貴族だの臣籍降下した集団を言ってるが、現実には単なる愛人の子だよね?w
だから関わりを絶たれたといっても過言ではないのに、現代では名門とされる。
実際当時の朝廷はこれら源姓集団の管理しておらず、どれほど存在してたのかすら、当時の朝廷ですら把握していない。
もちろん、この源氏集団の中には自称してなりきってるものも、当時多数存在してるだろうし。
はっきりいって逆に家系図が源氏につながってるものほど怪しいものはないと思うよ。
423 :
410:2013/04/02(火) 21:08:21.25
>>420 そうですね。尊卑分脉というつもりで、系図纂要と書いてしまった。
まあ、系図だから、どっちにしろ信憑性が高いとは言えませんね。
それでも、他人には絶対に見せないことと書かれた仏壇のインチキ?系図
などとは違って、昔から多くの系図に共通していて、それなりに認められてきて
いる諸家系図のほうが、相対的に信憑性が高いといえるだろうという
先祖調べの基本的知識を言いたかった。どっちにしろ、系図はあまり当てにはならない
ことを念頭においての、レスということで、これで勘弁してください。
島津は一貫して、頼朝の落胤アピールじゃなかったっけ
426 :
日本@名無史さん:2013/04/03(水) 17:28:04.05
写真一枚じゃ判読なんて無理だよ
現物見た本人が読めないんじゃ、この写真だけみた他人に聞くより
光の当て方を変えて、複数枚撮って影が見えるように合成するか
拓本を取るべき。案外簡単にとれるもんだよ。
拓本セットで通販調べれば初心者用が安く買えるし、
最悪、画仙紙あてがって、6Bの鉛筆で擦るだけでもかなり読めるよ。
>>377-378あたりを簡単に実現するならば、
カメラを三脚で固定して照明の位置を手動で変えながら8方向くらいから写せばいいかな。
合成はレイヤが扱えるグラフィックソフト(Photoshopの他、フリーウェアも有り)で可能。
428 :
427:2013/04/03(水) 17:42:08.31
訂正
×カメラを三脚で固定して照明の位置を手動で変えながら8方向くらいから写せばいいかな。
○カメラを三脚で固定して照明の位置を8方向くらいから手動で変えながら写せばいいかな。
カメラの位置は動かさない。
429 :
425:2013/04/03(水) 20:37:31.34
カメラのモードを変えただけでも文字が少し見えるようになった。
拓本とか写しのやり方をググッてみます。
>>426-428 ありがとう チュッ///
>>412 >偽系図作るのが流行った時代ってあるのかな
あったよ。
明治維新前後や戦後の混乱期とか捏造しまくり、されまくり。
系図屋なんて商売があったしな。
そもそも徳川幕府を開いた徳川家自体が系図捏造してるし。
明治に流行った時期があったし江戸時代にも有名な偽系図師なんていたからね
始祖を尊卑分脈の人物に設定して「此間不知」とか「此間中絶」とか書いていきなり江戸時代の人物に繋がるようなものや他の同族系図に記載がないのは大抵詐称
その家系に属する一門との歴史上の関わりがないとか合戦に負けて数千キロの逃避行の後に土着したとか活動地域が不自然に離れているなども後世の仮冒のケースが多い
それ、どこぞのスケーターでは…(゚Д゚;)
あのスケーター本当はどないなん?
間が不自然に空いてるので、自称子孫でしょうね。
大正12年から昭和13年までの家計簿が出てきた
酒一合が10銭から12銭で砂糖が量は不明で10銭
ドラえもんの物のタイムマシンの話で一銭が100円って聞いたから高いね。
>>435 1銭が今で言ういくらの価値があるかというのは、
インフレの影響で時代によって違うだろう。
昭和初期は20円くらいと思われる。
437 :
日本@名無史さん:2013/04/05(金) 14:05:39.82
物価の換算は、単純に比較できません。参考までに、
ビール大瓶一本41銭(大正13年)、 42銭(昭和2年)
現在は定価がなくなっているが、平均的なもので、大瓶330円として、一銭は、約8円
ガソリン12ガロン(約54.5リットル)5円80銭(昭和6)
現在リッター146円として、7957円 だから 一銭は約13.72円
はがき 1銭5厘(昭和3年)、2銭(昭和12年)
現在50円だから、 一銭は一銭は25円から約33.33円
理髪料金40銭(昭和2)
現在は地域や店によって1000円から4000円というところ。
一銭25円から100円となる。
現在、カットのみ洗髪なしでやってもらったとして、 一銭20円ほどか。
銭湯入浴料
4銭 (大正6年)、6銭(大正10年)、.5銭(昭和2)、6銭 (昭和12年)
現在 北海道390円、東京450円、沖縄 370円ぐらいなので、
現在の全国平均的な料金、400円として、一銭は、80円になる
全国一安い佐賀県の280円として、280円を6銭で割って、一銭46.66円
438 :
日本@名無史さん:2013/04/05(金) 23:24:43.86
苗字帯刀が禁止されていた江戸時代末期の庶民の名前って
男性は太郎とか次郎とか通称ばかりが目立つけど
女性はウメとかキクとか諱ばかりが目立つ
これは庶民の男性が諱より通称の方が使用度が高かったから
幕末になると庶民には通称しか持たない人も多かったと思う
女性の場合は梅子(於ウメ)や菊子(於キク)とか庶民ほど諱の使用度が高かったから
(身分のある人は□□院などの通称があるよね)
通称なんて高貴な名前を使うことなんて殆んどなく
諱しか持たない人が多かったと思う
江戸時代の苗字帯刀禁止時代の庶民の名前
男性=太郎、次郎=通称
女性=ウメ、キク=諱
でOKだよね?
439 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 00:08:01.08
庶民に諱なんか有ったのか?
440 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 00:41:01.77
新島八重は八重子って自称してたし。於八重って感じだったと思う。
淀殿とか篤姫とかは、元々の本名である篤子とかが諱で、
公家になって諱が敬子になったから、前の篤を篤姫にして通称にした。
だから本来は通称は高貴な名前だったんだと思う。
山本八重は山本勘助の末裔だから、源氏だから
「新島(通称無し、無位無官)源朝臣八重子」
篤姫も近衛家に養子なる前は
「島津(通称無し、無位無官)源朝臣篤子」
近衛家に養子なった後は
「近衛篤姫(無位無官)藤原朝臣敬子」
441 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:03:22.81
ムメ、キクが諱www
釣れますか
442 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:19:32.26
いみなし
443 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:29:55.48
楢崎龍は於龍だし龍子だし。
庶民の女性の名前は通称ではなく諱である。
庶民の男性の名前は諱ではなく通称である。
ま、こんなところだろうな。
444 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:31:46.61
元々、諱が本名で通称は通称だしな。
445 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:33:59.10
元々、諱が本名で通称は仮名だしな。
446 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:42:19.64
新島八重の八重は本名だから男性でいう諱にあたる。
坂本龍馬の妻である楢崎龍の龍も諱。龍は於龍って呼ばれたり、龍子と言ったりする。
新島八重も八重子と言ったりする。
447 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 01:55:19.24
それで身分の区別が明確になった江戸時代末期には
男性の場合のみ通称系の名前が本名になっちゃったと
448 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 03:59:54.10
諱というより実名だから
清盛とか信長とか、実名で人に呼ばれることは禁忌。
女の場合、実名で呼ばれることが普通であって禁忌ではない。
したがって、女の実名は、諱ではない。
449 :
日本@名無史さん:2013/04/06(土) 20:14:27.82
そうそう。
「いみな」というのは、忌む名であって
だれでも普通に呼んだり呼ばれたりする、女の名前を
諱(いみな)とは言いたくても言えない理屈なわけだ。
450 :
日本@名無史さん:2013/04/07(日) 12:56:55.53
女の名前を諱とか真顔で言うヤツって
どんだけゆとり世代なんだろう。
451 :
日本@名無史さん:2013/04/08(月) 02:26:53.48
関西だが、山間部のような田舎だからか、縄文も混じってて、毛深い。
爺さんは東北人にも居そうなタイプの顔だった。なんやろ
>>451 北方形質は増殖形質なのよ。曾祖父はもっと濃いだろ?
蝦夷奴婢
454 :
日本@名無史さん:2013/04/08(月) 13:32:13.44
じゃあ、2畝の宅地、2畝の畑、5反の山林を明治15年に持ってた俺の先祖は小作人か!?(机ドン)
ごめん
家と畑は明治11年で山と墓地は明治15年って地券に書いてあった
これって家と畑は明治11年に買って
山と墓地は明治15年に買ったってこと?
457 :
日本@名無史さん:2013/04/08(月) 21:21:35.34
旧土地台帳確かめてからもう一度このスレに来なさい。
バイバイっ。
458 :
日本@名無史さん:2013/04/09(火) 13:47:17.15
戦後の農地解放の時期に、わずかでも田畑が自分の土地になったかどうか
調べれば、小作人だったかどうかわかるだろうな。
東京23区内でも、なんか妙に都営住宅がかたまってある地域があるでょ。
ああいうところは戦後の農地解放の時に、やっと水田を手に入れた小作人たちなのに、
土地への執着がなくて、それより早くお金が欲しくて昔の小作人みんなで、土地を
東京都に買い上げて貰ったから、今は都営住宅がかたまってある土地になっているそうだ。
うちは地主だからごっそり持って行かれたクチ
460 :
458:2013/04/09(火) 20:57:03.19
名古屋弁じゃないんだ。しをdeleteしちゃった。
あるでょ ×
あるでしょ ○ だった。
都営住宅じゃなくて今は、URの団地になってるのかもしれない。
まあそういう土地は、三菱とか日立とかの大企業の工場跡地って場合もあるけどね。
461 :
日本@名無史さん:2013/04/09(火) 23:05:02.83
うん。おいらのひいばあちゃんも戸籍名は「トヨ」だけど「登代子」って名前だよ。
462 :
日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:00:05.61
いいえ。あなたのひいばあちゃんは「登代子」って通称だけど、名前は「トヨ」でしょ。
そうでないと、戸籍上の名前を正しいとする近代法治国家の成員でないことになるから。
463 :
日本@名無史さん:2013/04/10(水) 13:55:28.27
464 :
日本@名無史さん:2013/04/10(水) 14:02:22.35
江戸娘A「於トヨさん」
江戸娘B「あら於キヨちゃん」
江戸娘Bの父親「コラッ!豊子」
猫は寝る子、ひよこはひよひよ鳴く子みたいに「子」には可愛いって意味があるんよ
だから女の子には子がつく名前をつけるって聞いた
466 :
日本@名無史さん:2013/04/10(水) 18:50:06.14
小野妹子は可愛い子
聖徳太子も可愛い子
明治19年戸籍の戸主妻が田鶴って書いてあるけど何て読めばいい?
469 :
日本@名無史さん:2013/04/11(木) 18:43:53.49
小学校の担任で○○田鶴先生っていたけど「たづ」と呼ぶと云ってたのを記憶してる。
470 :
日本@名無史さん:2013/04/11(木) 21:46:24.36
「たづ」か「たつ」の可能性が高いと思うが
名乗りの読み方は、決定できない。
墓碑銘や位牌にどう書いてあるかをを調べることが出来れば
平仮名で書いてある場合もあるので決定できるかもしれない。
472 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 08:43:25.32
473 :
日本@名無史さん:2013/04/23(火) 11:09:25.57
>>413 >曾祖母か祖母かがどこか旧家名家の愛人で子を産んで苗字だけもらって
>これ典型的な家系捏造・盗みだ。
>典型的ってことも知らずにまんま信じて書いたんだろうけど。
その話、何となく覚えてるけど
>その旧家の末裔が経営する病院へ訪ねたらどうだろうとかあったね。
なんて記述はなかったよ
確か名前を貰っただけで、しかも時代は江戸だったはず
江戸時代は金持ちが女を囲って妾を持つのが一般的だったので
金持ちの実子だが、妾腹の為に表舞台に出なかった人はかなりいる
そういう人が生家の苗字のみを貰うというのは珍しい事でも何でもないよ
ただ実子であったとしても系図は引けないけどね
474 :
日本@名無史さん:2013/04/24(水) 00:13:25.00
>>473 だから血は繋がっていても家系とは関係ない。
日本は意外に血縁社会ではないから。
昔は血縁なくても養子で家に入ればその家の人になる。
義理父はそうやって血縁ない遠縁から養子にもらわれて育てられ結婚。
親夫婦と義理父夫婦と同居したら4人とも皆血縁なしの元他人だ。
それでも家庭でありイエなんだよ日本では。
475 :
日本@名無史さん:2013/04/24(水) 02:05:29.52
そうか?
いくら母親が妾だからって、実子なのに系図を引けないというのも変な話だな。
嫡男で無いことは当たり前にしても、子孫に間違いないのだから、堂々と系図を書けばよかろう。
実子なのに捏造だの盗みだのと言うのは、正室とその子の器量が狭すぎるだけだろう。
(築山殿でもあるまいし、って感じだな。)
別に養子は軽んじないけど、実子も軽んじすぎはダメだと思う。
家と血は別だからね
残すのはあくまで家系図であって血統図ではない
仮に実子であっても、本家分家の嫡男でなければ
その先は書かないものだと思う
477 :
日本@名無史さん:2013/04/24(水) 12:37:04.49
そんじゃ、ルーピーはどうなるの?
金の縁
479 :
日本@名無史さん:2013/04/24(水) 16:26:18.87
本当に実子だったらいいけどそういう実例があるのに乗じて捏造も多くある、それが問題。
実子と主張しても昔はDNA検査も無かったから、つまりは籍に入らない限りは他人と一緒。
480 :
日本@名無史さん:2013/04/24(水) 16:47:43.53
まあ、どっちかつうと、家と血統は別という話の方が正しいよ
江戸時代の武家なんかが顕著で、頻繁に婿養子や養子が出てきて、血統が変わってる
また困窮して士分を金持ちに売り、無関係な金持ちの息子に家督を譲る事さえあった
そうして血統上は源平藤橘と全く無関係になろうが、系図上はその子孫にカウントされる
家というのは血統でなく、身分を示す器なんだな
先月から調べ始めて戸籍だけで高祖父の父(文政辺りの生まれ)まで分かった
あとは現地行くしか無いけど東京から九州は遠いな
文化人類学に近い興味でDNAを辿りたいのか
社会学・歴史学に近い興味で先祖の人生を辿りたいのか
どちらの興味もあるのか、で手法や解釈も違ってきそうだね
483 :
日本@名無史さん:2013/04/26(金) 20:25:25.38
源姓
齋籐氏
齋籐市之進家
丸ニ木瓜紋
天台宗比叡山寺
初代 利房 ────────┐
(三左エ門) │
(齋籐六右エ門利清之子) │
┌────────────┘
├二代 利光 ───────┐
│(三右エ門) │
├利直 │
│(喜平次) │
└サエ │
┌────────────┘
└三代 利道
(市之進)
(実ハ世良田孫八武清之子)
>>481 とりあえず本籍地の市郡町村史(誌)近代編民俗編を隅々読み漁るといいですよ
うちはここから戸籍のご先祖様や外戚の名前が出てきてかなりの情報が得られた
485 :
日本@名無史さん:2013/04/26(金) 20:41:37.80
籐原姓
齋籐氏
齋籐三左エ門家
丸ニ木瓜紋
天台宗比叡山寺
初代 利房 ────────┐
(三左エ門) │
(齋籐六右エ門利清之子) │
┌────────────┘
├二代 利光 ───────┐
│(三右エ門) │
├利直 │
│(喜平次) │
└サエ │
┌────────────┘
└三代 利道 ───────┐
(市之進) │
(実ハ世良田孫八武清之子)│
┌────────────┘
└四代 利忠
(三左エ門)
(実ハ齋籐喜平次利直之子)
486 :
481:2013/04/26(金) 20:54:24.92
>>484 明日、国立国会図書館か都立中央図書館に行ってきます。
487 :
日本@名無史さん:2013/04/26(金) 21:00:41.54
当然、家系図は家の系統を図るものである。それと当然、血統を示す本姓も記されてあるのである。
家中の家系図をみると、殆んどの家系図に本姓が記されてある。
たまに本姓不明という家中の家系図もみた時がある。
いがいと、不明なら不明だと、正直に記す武家もいるのである。
>>487 >血統を示す本姓
武家の場合、婿養子や養子を迎え、血統が切れてる事が普通にあるけどね
切れてる程度ならまだ生易しい方で、婿養子や養子が頻繁に現れて、グチャグチャになってる家も普通にある
ちょこっと調べるとわかるけど、優秀な子が農家や下級藩士の家にいるというので
その子の才能を見込んで養子に迎えて家を継がせるとか、そういう事も江戸期って横行してたらしいしね
結局、家門が栄え、家名が少しでも上がれば良いという考え方が武家にはあって
それでその為なら養子を迎える事も辞さずという商家的な発想に、武家も染まってたんだよね
なんで血統崇拝が薄れて、そういう実力本位の発想に転換して行ったのかは不明だけど
(そういう点まで含めて、堺屋太一は武家をサラリーマンになぞらえたのかも知れない)
これを書くとまたあの人を召喚しそうだが(笑)、血統の正統性だけなら、戦国期の武将の系譜を引く豪農層の方がはっきりしてる
彼らは血統崇拝が強かった為、子孫が家を継ぐという感覚が非常に強かったから
489 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 14:30:08.60
籐ぢゃなくて藤ぢゃないの
490 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 21:50:48.23
そんなのふつうの異体字でしょ
491 :
日本@名無史さん:2013/04/28(日) 22:03:17.31
492 :
481:2013/04/29(月) 21:12:24.48
昭和初期ごろに作られた郷土史読んでも手がかりになる情報は無かったなぁ。
今日、両親に先祖の事を聞きに行ったら、二人とも全く先祖には全く興味はなく、「過去を振り返らずに未来を生きろ」とか「早く結婚して子孫を残せ」と言われる始末orz
菩提寺や先祖の墓の場所や家紋が知らないまでも親の墓の場所すら知らないとは…。
江戸時代の本籍地周辺の同苗に手紙を出すのは迷惑だから止めろと反対された。
取り敢えず旧土地台帳請求と叔父に手紙を出して見る。
493 :
日本@名無史さん:2013/04/29(月) 22:20:00.29
旧土地台帳の複写必要頁が本籍地の地番だけならいいけど、
普通は、それこそ現地の法務局に行って閲覧して複写が必要な頁を
よくよく調べる必要があるものですよ。
人頼みで「とりあえず」やるようなほど簡単なものでもないよ。
親の墓の場所を知らないって
絶縁してたとか?
495 :
481:2013/04/30(火) 00:06:20.09
>>493 本当はちゃんと調べたいのですが遠隔地にあるのでなかなか行けず
せめて1800年台前半から住んでいた本籍地だけでも法務局に請求中です。
>>494 正確に言うと覚えていないです。
遠いせいかどうやら1回くらいしかお墓参りに行っていないようです。
自分はお墓参りの経験はありません。
>>495 > 正確に言うと覚えていないです。
> 遠いせいかどうやら1回くらいしかお墓参りに行っていないようです。
> 自分はお墓参りの経験はありません。
そら、墓守りしてる親類がいるのかいないのか分からんが薄情だと思うわ
小さかったかもしれんけど、祖父母がお亡くなりになるまで交流も無かったのかな
497 :
481:2013/04/30(火) 01:33:21.96
>>496 両親の祖母はまだ生きており、叔父、叔母が実家の近くに住んいますので墓守りはされていると思います。
父親の祖父は30年以上前に、母親の祖父は14年前に亡くなっています。
両親とも忙しく関東から九州まで10年に1回帰るかどうかです。
自分は今30ですが、父親の母の家へは1回、母親の実家へは3回(内1回は祖父の葬式)で親戚の交流はせめて年賀状くらいでした。
498 :
481:2013/04/30(火) 01:34:20.86
両親の祖母ではなくて両親の母です。
>>497 そっか、うちの親戚関係にもそういう愚痴やらゴタゴタがあってな
薄情だとかよく聞かされたりしてるもんで
ただ、会って素直な心で接すれば打ち解けるのが血の繋がった肉親の強みだと思うから頑張りや
500 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 15:27:58.39
>>親戚の交流はせめて年賀状くらいでした
日本語がおかしいから先祖調べしても無駄かも
501 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 18:13:15.79
481さんの、なんとなく分かる。
うちは自分の一族は少なくとも江戸初期から今の場所に住んでいて、墓も
古くからのがある。多分室町とかもっと前から住んでるんだと思う。
町史とか神社に資料とかに先祖の名前が出てくるし。
だけど、連れ合いの方は、かなり転々としていて、しかも長男じゃない。
曾祖父さんが子供の頃にあちこち動いて(多分これが明治の始めか?)
曾祖父さんの親も、曾祖父さんも長男じゃないから墓守をしていない。
曾祖父さんの親の出身地のおよその地域はわかっているが、誰も
探して墓参りにいこうなんて言わない。
結婚したときは、じいさんだけが入ってる墓を新規に作っていた。
婆さんも両親も死んだけど、親と祖父母の墓参りだけでいいらしい。
先祖の墓がないことに最初は驚いたけど、跡取りじゃなかったら
そんなものかもしれない。ルーツに関心がない人って多いんじゃないかな。
終戦の頃に空襲にあった時に、爺さんのいとこという人が心配して来てくれた
とか聞いた。その頃は付き合いがあったんだろうな。
探して訪ねたら、どんな反応だろ?
もしうちの方の曾祖父さんの子孫がいて訪ねてきたら、親はいろいろ説明して
墓も案内すると思うけど。
502 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 23:04:09.59
うわぁ♫
優しくて素敵な奥様♡♡
本籍地の寺を寺院大鑑等で調べてみると、一村内に残っている寺は意外に少ないんだよな
宗派が分かれば絞り込みやすいし年長の親族なら寺名を見れば曖昧な記憶と繋がることもある
角川地名大辞典や平凡社の○○県の地名という本で手っ取り早く確認できる
稀に遠方の寺を菩提寺にしている場合もあるが何にせよ一度旅行がてら本籍地に行って歩いて回ることをおすすめするよ
良スレ、sage
505 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 01:41:13.90
祖父は戸籍上次男で、夭折した長男がいる。
しかし親父曰く祖父は三男で、もう一人の兄は養子に行ったとのこと。幼い頃葬式に行った記憶があるとか。
曾祖父は弟や妹の子ども(祖父から見れば従兄弟)もすべて養っていたので、その内の誰かと混同していないかと言う話になったが、従兄弟の中に祖父より歳上はいない。
となると戸籍に登録されていない次男が存在すると言う話になるが、いくら大正初期の話とは言え、出生時に戸籍登録をせずにいきなり里親の籍に入るなんて事あり得る?
506 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 01:54:50.34
あるある、普通にある
祖母は戸籍では三女ですが、実際には四女にある
明治末期に生まれた長女は曽祖父母が入籍していないため(昔は往々にしてあったとのこと)
産まれてきた子供は高祖父母の末子として席に入っていた、
昔は跡取り息子が産まれてから入籍するらしい
なので、入籍する前だったのでこのようになったとのこと
しかし、一緒に住んでいるので違和感は無いそうであった
まあよくある話だな
508 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 13:45:53.17
弾左衛門の支配下に置いては皮をはぐ権利はエタが持っていたが、現実に
皮を剥ぐのは必ず非人にさせていた。特に幕末はエタが自ら皮を剥ぐと処罰されている。
土地にしてもエタは土地をもって農業をすることが許されていた。
かつ、弾左衛門は取り調べにおいて語っているところでは”百姓町人より相対之上、エタ仲間
に相成候分も有之”と言っておりこれは文政2年時点の事である。つまり、一般人でも申し出
があればエタになれたというのだ。相対之上ですからね、なりたくてなったと言う事。
それだけエタになるといろいろ利権がおいしいわけ。享保の頃の資料によると常陸国の山根八ケ村
の農民たちがが弾左衛門に申し出て灯心の専売をやりたいので弾左衛門の支配に入りたいと申し出ています。
エタから平民になれると弾左衛門は言っている。あらゆる点でエタの方が非人より身分が高い
という事がわかってきた。
明治以降、非人は分散してしまいエタは工場労働者となって市街地や都市へ流入していった。
東大名誉教授 石井良助氏
509 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 14:11:31.93
510 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 07:48:37.59
>>506 「よくある」といくがそういう場合は私生子か庶子として母か父と同じ戸籍に入る方が大多数じゃないの
>>510 「よくある」というのは「少なくない」という意味であって、「大多数である」ということではないと思う。
日本語は難しい。
512 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 18:55:11.31
>>511 506は「普通にある」と言ったのがまずかったんだと思う
普通はない
少なくないと言いたいのならば「普通」という言葉は不適当
513 :
日本@名無史さん:2013/05/11(土) 01:00:35.17
やられた!菩提寺にある本家の位牌、先月まで貞享から各々煤けた位牌だったのに
昨日寺に行ってみたら、まとめて金ぴかの「●●家先祖代々之霊位」にされてしまった・・・
514 :
日本@名無史さん:2013/05/11(土) 03:49:59.33
諸藩の分限帳の類とか宗門人別帳とか郷土史って、国会図書館でも閲覧できるの?
>>514 分限帳は観れたしコピーもしたよ。
武士以外の宗門人別帳も有れば同じようにみれる筈。
余談だけど国会図書館ってスゲーな。初めて行ったけどぶったまげたよ。
あとPCに疎い人にはちょっと厳しい気もするな。
>>516 いい忘れたけど、俺の場合は全てマイクロフィルムだった。
議会図書館は閉架式なので受付カウンターに紙を出して出納してもらう必要がある
家で事前に検索して閲覧したい書名と請求番号などをリストアップしておくと効率的
刊本は一般フロア、写本類は別室だったはず
あと入館時に身分証が必要
519 :
日本@名無史さん:2013/05/11(土) 21:53:04.12
国会図書館、やっぱり凄いな。
先祖の居たとこ行くより国会図書館に行く方が断然近いから、先に国会図書館で調べられるだけ調べよっと。
でも、みんなはお寺さんでお坊さんに聞いたりいろいろ調べたい時は、いきなり尋ねてって大丈夫なの?
予め手紙とか送っておいてから尋ねるものなの?
>>518 そうそう、予めリストアップしとかないと時間がいくらあっても足らない。
ターゲット御先祖さんの生存していた年代の主要歴史事情もしっかり頭にいれておくこと。
数ある目録からも御先祖さんに近いタイトルを探す役にたつ。
>>519 郷土史に分限帳や宗門人別帳が載っているのは稀。
しかし、まずは記載されているか否かを確かめる必要はある。
東京都立図書館にも各地方の郷土史があるし関連図書が集まって棚になっているので調べやすい。
また、お寺に尋ねるのは、
一般常識から考えてみても、いきなり行くのは失礼。
やはりファーストコンタクトは、手紙でしょう。
昨今の個人情報や差別問題で上より見せてはいけない様通達されてるとか、
実は古文書を読めないとか、何等かの事情で失ったとか、
住職側の事情もあり得るので、そこも考えること。
ここスレでのお勧めは、
調べるだけ調べて熱意をもって、寺へコンタクトをとるスタイル。
もちろん檀家にも一言忘れずに。
人別帳は割とレアアイテムだけど分限帳は結構活字化収録されてるよ
523 :
日本@名無史さん:2013/05/15(水) 21:48:57.96
>>522 レアってあれ?
江戸期には全ての人がどこかの寺の檀家にならないといけなくて、
その檀家であるという証明が宗門人別帳なんでしょ?
それなのにレアなの?
そのお寺さんの特定が実際には難しいとか、もう存在してないとか、
そのお寺さんがあっても宗門人別帳は保管されてない事が多いって事だよね。
524 :
日本@名無史さん:2013/05/15(水) 21:51:39.31
525 :
日本@名無史さん:2013/05/16(木) 03:20:29.81
しっかし、江戸時代の人って名前が沢山あるな
城下にいる商人侍なんて
屋号、家名、個人名(名字・通称・号・本姓・カバネ・諱)
しかも幼名もあるし、更に改名もしてる
越後屋大内庄兵衛の市兵衛(当主ね)とか記されているのもある
>>524 家系のしらべ方、増補改訂系図文献資料総覧あたりは読んでおくと便利
前者は調査ノウハウを学ぶのに最適、ちゃんと正攻法で調べるならこれ一冊買って損はしない
近所の書店に頼めば取り寄せできる
後者は地元の郷土資料にどんなものがあってどの本に収録されてるか把握できる
先祖探しのツールとしていきなり必要になるようなものではないけど、○○藩の系図や分限帳を調べたいがどこにあるか何を見ればいいか分からないなどは、この本にヒントがあるかもしれない
もちろん全てが載っているわけではない
527 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 16:05:29.96
>>475 日本は全然血統社会じゃないんだよ。
血統重視は皇族のみで。
庶民は血の繋がりではなく戸籍が全てで普通養子養子の連続なので
DNAなんか絶対に辿れない。
うちでは「養子」と書かれている人は全て婿養子だった。
世間一般的に全てがそうだと言うわけじゃないが、そういう可能性も有るだろう。
我が家は百姓だけど、養子といっても近い村から過去に血縁関係あったとかで、全く無関係な家からってのは無いですね。
>>529 武家の場合はそうでもない
優れた人が家の跡目を継ぐと、立身出世して家門が栄える可能性もあったので
賢い子供を養子に貰って来て、というのが結構普通にある
>>530 その場合、血縁者を嫁にするケースの方が多いよ。
武家は格上から養子を貰うことも多々ある。
ウチは地方の郷士の分家だが、血統的には間違いなく源氏。
うちの古い明治時代の戸籍見たら曾じいさんは○○家戸主だった女性の「死後養子」って書いてあった。
これって絶えた家を再興させたと言うことですか?死後養子という戸籍用語が昔あったのですか?
間違いない血統なんてほんの一握りだバカめ
535 :
日本@名無史さん:2013/05/23(木) 00:32:12.37
あ
536 :
日本@名無史さん:2013/05/24(金) 00:34:11.04
4代前が分からない時点で調べない方が良いぞ
朝鮮かヨツか犯罪者かロクデナシが入ってるよ
明治時代の先祖が分からない人は先祖を探さない方が良い
入ってても別にってのがこのスレのスタンス
>>533 その家を存続させるために死後に養子縁組させたのかな?
戸籍法は明治4年に制定されてるし、明治31年施行の旧民法前に家族関係の太政官布告などが出てるから、
そっちで処理されてるのかも知れません
旧民法で養親没後の養子縁組なんてあったかな?
539 :
日本@名無史さん:2013/05/24(金) 17:31:49.10
郷士制度がある某藩の江戸期の新百姓取立をみてみた。
殆んどが苗字があり、それらは郷士だった。
一部の苗字の無い人には足軽と書いてあった。
つまり郷士が新百姓として取立されているのである。
つまりこの藩でいう新百姓とは郷士や足軽も含まれているのである。
俺の曾祖母(明治20年代生まれ)が友達の母方の家の生まれであることを知った。
お互い知らなかったとはいえ
高校生時代に一番多くの時間を一緒に過ごした奴が遠い親戚だったとは。
541 :
日本@名無史さん:2013/05/25(土) 00:34:41.83
遠くないじゃんww
俺の幼馴染みは7代前の先祖が一緒だったよ
名字が同じで同じ場所に住んでるから関係ありそうだとは思ってたけども
てかずっと同じ場所に住んでる家は
大概どこかでつながってる
そういう土田舎集落は大抵養子縁組みの出入りが多くて血統は複雑化しているもんだ
旧村はどこもそんなもん
都市部も
>>533 死後養子は明治初期にはあったらしいですよ。
恐らく子がなくて、兄弟・叔父の誰かが家督を継承したのではないかと。
>>544 血縁関係があっても、分からなくなることこと多いし。
うちの田舎でははとこですら、もう遠い親戚だし。
>>546 うちはもう7代前の分家なのにいまだに冠婚葬祭は
本家と交流してる
>>547 うちは本家と一切交流してるつもりはないけど、葬儀には
必ず当主がやってくるw
あの人だれ?って聞いても、遠い親戚らしいという回答しか
返ってこないので戸籍調べたら本家の当主だったという。
多分自分と家族以外の親族は未だそれを知らない。
549 :
日本@名無史さん:2013/05/27(月) 14:57:39.83
オレの父親は一族の跡取りのいない家に養子に入ったぞ。
一族っていっても、江戸時代の真ん中らへんかそのあたりの遠い親戚。
家は近所で墓は同じ場所。
大人になるまで実家で育ったけどな。
多分、養子が決まった頃はそこそこの土地持ちで、大人になったころは
戦後で田畑は取られ、落ちぶれていた。
>>549 親戚だと分かるだけいいじゃん。
うちなんて養子に入ったのが玄祖父の頃で、
血縁関係すらあったかどうか分からんし。
庶流が他にもあったのに、なぜ他家から養子を取ったのか。
551 :
日本@名無史さん:2013/05/27(月) 22:27:15.13
高祖父のことを、チョンは玄祖父っていうよね。
>>551 単なる勘違いなんだが、そう思いたければそう思っていいよ。
養子に入らず家督を相続することってありえるの?
うちの高祖父がそれっぽいんだけど
554 :
日本@名無史さん:2013/05/28(火) 10:57:56.99
Q:ネトウヨ「国を愛したらネトウヨ呼ばわりされたんですが、何故ですか?」
A:愛し方が歪で気持ち悪いからです。愛してれば何をしてもいいというのではストーカーと同じです
Q:ネトウヨ「ネトウヨ呼ばわりする奴らはなんでそんなに韓国が好きなんですか?」
A:それはあなたの妄想です。みな韓国が好きなのではなく、ネトウヨが嫌いなだけです。
ネトウヨちゃんは自分が嫌われる理由をよく考えてみましょう
これに尽きる
あと石破さんのこの言葉も添えておくね
石破茂
「民族派は意に沿わないものに『愛国心の欠如』等と単純に断罪して自分たちだけの自己陶酔の世界に入り浸る」
555 :
日本@名無史さん:2013/05/28(火) 13:23:58.25
>>551 李氏朝鮮時代にもそんな玄祖父などという用語はない。勿論、漢文にもない。
近年、日本で、無教養な犬・猫のブリーダーが作り出した言葉らしい。
まあ、在日のなせるワザだろうけど、そんな言葉で呼ばれたら、ご先祖様が泣くだろうな。
>>553 養子に入らずに家督相続はないんじゃないかな。
それか、前の人が書いてるような死後養子とかじゃないの?
あれだったら死んだ人より年長でも家督継げたらしいし。
557 :
日本@名無史さん:2013/05/28(火) 20:35:18.36
>>492 お前の先祖は不義理をおかしてるか、もしくは外国から来た
色々読んで思ったけど。
うちみたいに、お墓が初代から全部あるのが普通だと思ってた。
まあ、16世紀末から全然動いてないからっていうのもあるだろうけど。
ただ、全部で50基近くあるが、その7割は夭折した子供の墓なんだよね・・・。
初代以前辿ってから来い
>>560 無理すぎだろ。
初代の人ですら事績が殆ど不明なのに、分かるわけない。
男系一本槍君はもう来ないのかね。
>>562 誰のこと言ってるの?
一応全部目を通してるけど、そんなこと書いてる奴いないだろ。
うちは過去帳に戒名があるのに墓石が無かったり、その逆のパターンがあって昔になるほど酷い
親戚が「300年前の五輪塔は珍しいんだぞ名家だ」
って自称してたんだけど
五輪塔って、ある程度の財力の象徴なの?
俺の感覚では、四角い台に丸い石に笠が乗った質素な墓って感じだけど。
566 :
日本@名無史さん:2013/05/29(水) 13:16:53.66
567 :
日本@名無史さん:2013/05/29(水) 18:52:25.51
お前ら、仮に夫婦別姓になったら。
源平藤橘などの姓にする?
それとも
山田、佐藤、鈴木などの姓にする?
どっち?
そして、墓の家名や、墓碑の俗名もどうする?
彼はなにを言ってるの?
>>564 五輪塔って基本供養のために造る墓だから、
先祖の墓を統合したんじゃないのかな。
時代は違うけどうちにも古い五輪塔はあるよ。
>>567 何言ってるか分からない。
某国の人をあぶりだすためにワザと言ってるのか、
素で言ってるのか判断できない。
571 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 04:58:52.37
明治時代に売られてしまった家系図を捜す方法なんてないよな。
九州のほうで売ったらしいということしかわからない。
なぜ売った?
573 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 09:54:51.48
574 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 18:20:48.96
ドクター・ハウスは、Dlife!
>>572 1:売らなければならないほど金銭的に落ちぶれた
2:盗まれて、気付いた時には余所に売られていた
3:売られてしまったというのが嘘
のどれかと思われ。
576 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 18:55:39.90
>>559 うちもたくさんあるが、古いものは文字が読めない。
せいぜい、江戸中期までしか読めない。
子どもの墓はないな。
7歳までは神様にお返しするとかで、墓は作っちゃいけないとか。
墓を作ってしまうと、生まれ変われないとかだったか。
ごく近年になって作る人が出てきたもよう。
いいえ違います
な〜に〜!
わしやっちまったな!
580 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 12:06:03.87
古い五輪塔が破損・摩耗して、地輪・水輪と火輪の一部だけが残っている状況
の可能性を言ってらっしゃるのだと思います。
この写真だけからは判断できません。上から見て、上から三つ目となる地輪が
四角くみえるかどうか。つまり、曾ては、六面体(立方体)の形状であったかどうか
必要があります。
581 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 12:08:46.47
補足
判断する写真を見る (この行が抜けました)
必要があります。
>葉っぱがキュート
これは同意する
>>577 これは五輪塔の成れの果てだと思われ。
放置されてると風化等で大体こんな感じになる。
一般に見慣れてる五輪塔は手入れされてるからね。
>>583だけど
個人的には風輪(上下逆)、水輪、地輪の順だと思う。
ちなみにこれって先祖の墓?
風化の度合でよく分からないけど、室町〜戦国末期のものじゃないかと
いう気がする。
気がするだけだけど。
>>585 うん、俺の先祖の墓。
墓地が戦後まで、山の上にあったらしいから移動の過程で傷んだりしたのかな。
587 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 21:31:37.54
>>501 うちは平安期の賜姓皇族で公家、門跡なんですが、
我々が懸念するのはこういうケースの方で実際のところ
男系の方が歴史が浅いという事態が発生するんですよね。
あと本家、分家は受領に限られるようですね。
588 :
日本@名無史さん:2013/06/01(土) 04:10:59.53
他人の家系図を買って何がしたいんだろう?(´・ω・`)
その家の名跡を継げるわけでもないのに(´・ω・`)
歴史研究のためでしょ
592 :
寺毛安政:2013/06/01(土) 10:18:43.75
質問
@江戸時代いまでいう中一で養子に入ることは可能だったのか?
A江戸時代いまでいう中一(満13歳)の女の子が結婚する事は可能か?
B江戸時代両親が離婚し5歳の男の子と2歳の男の子は母が引きとり
5ヵ月の赤ん坊と7歳の長女は父がひきとりいまでいう小学校1年生
の女の子が赤ん坊の子守りする事は可能か?
>>591 それはない。
自然石を乗せただけの庶民の墓のことだと言いたいんだろうが、
水輪の状態から考えたらありえない。
名前が分かってるかどうか知らないが、少なくとも土豪以上の人の
墓と考えるのが妥当。
>>592 @可能。そもそも養子は養親より年齢が下であれば可能。
A可能だし、そのくらいの年齢で母親になることもある。
B可能。昔ならごく当たり前の話。
>>593B補足
引っかかるのは引き取り方くらいかな。
通常は母方の実家に全員引き取られていきそうな気がするが、
まあ、その時の状況にもよるしなぁ。
時々このスレは異様に消化スピードがはやくなるよね
熱心に書き込みチェックしてる固定さんも多そう
ポケモンやジュエルペット見ながら真面目に書き込み
してるとは誰も思うまい。
マスゴミも歴史家も支那朝鮮と徒党を組んで先人を貶めるのに必死だからね
自分のご先祖様に関してぐらいは真実を知っておきたい
598 :
日本@名無史さん:2013/06/01(土) 20:21:53.00
599 :
580:2013/06/01(土) 22:33:08.34
写真見損ねました。再アップよろしく
墓の場所はどこですか?
石はコゴメ石の気がします。
>>601 備後国の山奥です。コゴメ石をググったらそれっぽいです。
>>603 ありがとうございます。お陰様でいろいろ発見できました。
そういえば宮さんっていう先輩がいたなぁ。
写真の墓には何も書いていなくて、誰の墓とも伝わっていません。
他にも、川の石を乗せただけの墓石もありました。
読める一番古い墓石は延宝時代。
うちの家にも似たような墓あるよ。
ちなみに隣の備中国だけど。
>>600 台座部は自然石を使っているようだな。
背後にあるのは擁壁の現場打ち基礎かな?
607 :
580:2013/06/02(日) 21:41:58.67
再アップありがとう。
地輪が六面体であったことは明らかですね。
間違いなく、五輪塔のなれの果てですね。
時代は、室町時代で、小名主以上の人物だと思います。
608 :
580:2013/06/02(日) 21:56:17.60
小名主という表現は、江戸時代の名主のような誤解を与えたかも知れません。
私の大名小名という意味の小名主で、土地の長者でしょう。
風化の程度が進んだのは、雪深い地域だからでしょうか?
609 :
603:2013/06/02(日) 22:14:27.85
>>604 五輪塔以外に宝篋印塔はありませんでしたか?
ねえよアホ
611 :
605:2013/06/02(日) 23:49:01.67
流石に宝篋印塔は無いと思われる。
あの墓だと、以下の子孫は帰農したと考えた方がいいんじゃないかね。
うちの家の墓も初代〜3代までがああいう感じ。
墓に字が書いてるのは寛文年間からのもので、これも先の人とほぼ同年代。
>>605 お隣さん
>>606 元々、山の上にあった墓地を数m下(同じ山)に移動したらしいよ。
他の江戸時代の墓の台座にも似た石が使われている。
コゴメ石は上記の写真の墓だけです。
>>607 オラの家にそんな立派な人がいたとは知らなんだ。
雪は10年前は積もってたけど最近はあまり降らないです。
>>609 宝篋印塔はうちにはなく、近所の庄屋の家にもありません。
613 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 13:22:27.74
わらしべ長者の絵本や映画を見たことのない人はいないと思います。
平安後期以降に、自分の田畑を10町程度持って、牛を一頭所有しているクラスが長者です。
614 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 13:56:59.61
615 :
605:2013/06/03(月) 18:44:53.31
田畑10町って少なすぎるだろ。
1万uくらいじゃないか。
616 :
605:2013/06/03(月) 18:45:59.59
あ、違った10万uか。
それなら納得できるレベルだわ。
617 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 20:19:06.21
まあ要は荘園の農奴に比べて、自作農は規模が小さくても「お金持ち」ってこと。
618 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 20:48:12.17
ちなみに、東京都23区内の旧家で、中世からの屋敷地が存続して、鬱蒼とした
木々と屋敷のまわりに土塁と掘り割りも現存していて、なおかつ、一軒の
家の敷地面積が5000坪と都内最大で現在も子孫がお住まいお宅は、足立区佐野の
「佐野いこいの森緑地」となったお宅です。さすがに二十年ほど前に、屋敷の
一部が足立区の公園となりました。
ただ、これはあくまでも屋敷地であり、草分け開墾した田畑の面積はもっとずっと
広大です。地名と所有者の苗字からわかるように、テレビアニメの「巨人の星」でも
紹介された、謡曲「鉢の木」で有名な、「すわ鎌倉(いざ鎌倉)」の佐野源左衛門常世の
一族の子孫と考えられます。
619 :
日本@名無史さん:2013/06/05(水) 01:33:25.75
そういえば
渡辺邸ってその後どうなったの?
>>588 系図を売り払う場合、時代にもよるんだろうが、家系そのものを売り払ってる可能性がある
家系図を買った人の子供を法的に養子とし、家の跡を継がせる、とかね
渡辺邸は解体されて分譲住宅に
1枚目の右の墓を除いて、複数の墓を組み合わせたようにも見える。
とりあえず室町末期〜江戸初期くらいの墓とみた。
しかしながら、統一性のない墓だなぁ。
全部それぞれ別の家の墓で、全部絶家したんじゃないかなぁ。
もしくはこの地から去ったか。
(墓華を供える入れ物が無いからね)
長い年月の間に相当何回も崩れたのでしょう、崩れては積直し、
崩れては積直しで変な形になったのでは?
三枚目のはかなり古いとみた
(鎌倉末期〜室町初期じゃないの)
積み直してる間に他の墓が混ざったんだろうね。
掘り返せば他の台座が出てきそうだ。
昔のお墓って、本当に河原から拾ってきた大き目の石をどんっと置いてるだけだったりするからね
その点、
>>623のお墓は、2番目の写真を除けば、きちんとしたお墓然としたお墓になってる
という事はきちんとした菩提寺があるはずなんで、お墓の近くにある寺で話を聞いた方が早い
そのお寺が室町とかそれ以前からある寺なら、その寺にゆかりのある家のものかも
(2番目のものは面白い形をしてるが、下の墓石が長さが不自然なので、いわくがあるのかも
墓石が何者かによって斬られ{権力闘争の果てに破れ、敵方に墓を壊されたとか}、その上から別の石を
墓石代わりに追加したとか……単なる想像だけど)
いや、普通の雪の降らない地域ならともかく、備後の北部は
雪が降るうえに、使用する墓石ももろいものを使うから、
鎌倉期であの形を残すものは無いと思うよ。
江戸初期に造ったものですら、あれより酷くなることあるしね。
>>627 > 下の墓石が長さが不自然
台座のことなら不自然じゃないだろう。
>>623 二枚目はわからないが、
一枚目、三枚目は形からすると結構古いと思われる
三枚目は江戸時代より前だろな
631 :
日本@名無史さん:2013/06/07(金) 12:59:46.33
宝篋印塔は、違う墓の部材が混じったり、
五輪塔も、積む順番が間違っているように見える。
各部の比率、様式など、地域による墓の編年を調べている研究者でないと
年代推定は難しいでしょう。ただ室町時代頃のものであるとは言えるんじゃないの。
632 :
日本@名無史さん:2013/06/07(金) 15:53:40.16
>>618 「鉢の木」ググって感動して涙でた。
彼女に話したら、「その話有名でしょ」だって。俺orz
みなさん
色々有難うございました。
この墓は中世の小領主の墓です
関ヶ原で萩に行きました。
なので、菩提寺とかがありません
(本当はあったのかもしれませんが、今ではどこにあるか不明です)
地元でも、その存在は知られていません個人宅の裏山の敷地内にあります
(その裏山自体が山城ですが・・・)
小領主自身は室町時代から戦国時代に勢力があったので、やはり時代的にはあっていると思います。
634 :
日本@名無史さん:2013/06/09(日) 09:10:41.86
御先祖の筋目書を読むんだけれど、漢文だから意味が完全に理解できない。
635 :
日本@名無史さん:2013/06/09(日) 13:37:23.64
完全に理解できないのか
完全には理解できないのか
636 :
日本@名無史さん:2013/06/09(日) 21:53:48.76
完全には理解できない。
637 :
日本@名無史さん:2013/06/09(日) 22:49:26.65
完全に意味が理解できない。
638 :
日本@名無史さん:2013/06/09(日) 23:01:00.28
>>633 墓の主を知っていて、みんなに聞いてみたのか?
全く意味が理解できない。
氏名も何も書かれていない五輪塔は
戦に負けて追及を逃れるためであって
そのまま帰農ってことですか?
>>639 いや、少なくとも戦国時代くらいまでは五輪塔に名前は入れないぞ。
今はどうか知らないけど。
というか 旧大名家だの公家だのにしても
本当の子孫は少ない。
殆どが明治の新姓。
播磨に住んでるから「赤松」にしようとか、
昔 黒田の殿様の領地だったから「黒田」にしようとか
土佐の国に住んでるから「長曽我部」とか
阿波の国に住んでるから「蜂須賀」とか
そんなノリ。
だから、殆どの人は子孫でも何でもないよ。
なにせ江戸時代の武士の人口比率は1割以下なんだから。
9割の人は姓なしだ。
9割の姓なしの人の子孫がほとんど。
更に言うと武士でも株を買ったなんちゃって武士も多い。
先祖代々由緒ある姓を受け継いできた人なんてごくごく少数なんだよ。
なのに現代で由緒ある姓を持つ人がそこらじゅうにいる訳ないじゃん。
捏造した人がいかに多いかだよ。
ただ、そんな明治新姓の連中でも3代くらい経つと
いつの間にやら立派に「直系の子孫」とか言い出すんだよな。
特に金さえだせば、系図をでっち上げてくれる業者がはびこりだしてからは
系図の捏造がごく簡単に出来るようになったから・・・・
本当の子孫であれば、
・本物の家系図がある
・菩提寺がある
・菩提寺に先祖代々の過去帳がある
・先祖ゆかりの本物の品(書物でも武具でも)がある
くらいは無いと。
自分で思い込む分には良いけど、人様に対して「自分はXXの子孫」なんて言うからには
証明出来るものを示すべきだと思うよ。
証明できないなら人には言わず、ひっそりと自分の胸の中にしまっておくべきと思う。
自称南朝系の子孫と語り、子に教える。
教えられた子は、薄々気付きながらも
虚勢を張って南朝系の子孫だと言い張る。
その子が親になり、自分の子に南朝系の子孫の称号を伝授…。
死んだ祖父の嘘を孫は鵜呑みにして胸を張る。
が、いずれ歴史に詳しい知り合いに出会い
矛盾ばかりの話を笑われて恥をかいて終了。
↑基本はこんな感じです。
菩提寺・代々の墓(1590年以降)以外証明するもの無し。
途中で養子(血縁関係不明)入ってるが、子孫を名乗ってる。
そもそも、本物の品とか系図とか言ってるけど、
系図は江戸時代に裕福層を中心に流行ったし、先祖の品についても
鑑定が怪しいことはよくあることで、当てにならないでしょ。
(例)森蘭丸の鎧
まあ、自分は自称でも満足してるから、それでいい。
ちなみに多分ここにいる人は誰も知らない武将だよ。
645 :
日本@名無史さん:2013/06/10(月) 20:02:19.35
9割の人は姓なし?
648 :
日本@名無史さん:2013/06/10(月) 22:23:56.88
さっそく釣られたい人が掛かってきた。
>>647 たぶんだけど、士族以上=姓を持つ者っていう考え方じゃないかと。
実際は帰農した武士が姓を使い続けていたし、豪農くらいになると
他の農民との区別のために地名等を姓として使っていた者もいる。
そういう家は墓に俗名として姓も残すし、明治になってそのまま使う
ことが多い。
そういうのも含めたら、もっと割合は多くなると思うよ。
ただ、やっぱり大多数は姓が無かったとは思うけどね。
結局、劣等感が強すぎる連中が、親子で捏造しまくるんだよ。
先祖代々最下層だったような連中ほど、そういう方向へ走る。
ウチは郷土史にあれこれ記述があり、古い屋敷の写真も載ってる。
隣県の有名な城主の子孫とも遠縁だし、地域で一番古い神社の社家も同族。
が、一族の歴史について甥に話をすると、まともに聞いてくれない。
「その手の話は十中八九作り話だからね。」と言われてしまう(笑)。
で、なんとか納得させようと情報を集めたら、次々に出てくる。
地域の古い祭りの舞いが、ウチのご先祖様の伝承によるものだったり…。
それでも甥はまだ懐疑的。「同じ名字なだけじゃね?」という反応(汗)。
名字を真似した側じゃなく、真似された方なんだけど…。
で?
また時給718円のプロ固定が荒らし始めたのか
653 :
日本@名無史さん:2013/06/11(火) 12:26:27.28
そうらしい639以降酷すぎ
641
>>9割明治新姓は言い過ぎでは…!?殿様等の苗字を付けた例もあるんでしょうが、少なくとも私の今の地元と先祖の出身地域は、高持ち百姓クラスなら苗字ありましたよ。地域差もあるでしょうけどね。
>>653 何がそうらしいんだバカか。
お前、そのコテのこと本当にわかって同意してんのか。
>>639-640は長文の奴と関係ないだろうが、頭使え。
657 :
日本@名無史さん:2013/06/11(火) 17:02:49.93
郷土史に記述があるっていうか、郷土史作る前提の古文書や史跡を所有してないとおかしい。
自分とこに伝わるそれらを郷土史家や大学が調べにきて歴史として出来上がるものだし。
空襲に遭って無ければ、古文書が山ほど伝わってない所有してない旧家なんて無い。
658 :
日本@名無史さん:2013/06/11(火) 17:16:26.96
本物の大名や家老の士族だったら終戦までは華族だったしそれ以外は捏造でしょ。
あと旧家で確かなのは地域の庄屋や年寄役で、本家なら屋敷跡地に自治体が建てた石碑があったり
古文書多数あるのが普通。
瀬戸内海沿岸なら士族より水軍の方がお宝が伝わってるね。
659 :
日本@名無史さん:2013/06/11(火) 17:46:22.10
武田アンリの時に話題が出たけど、
仁科盛信の長男の子孫についてどう思う?
在日の方で箔をつける為に、滅亡した旧大名家の
子孫を自称したりする人がいますが、それと同じ心理でしょう。
何かを誇りにしないと心の支えがないから。
その嘘を何代もつき続けると系図も、先祖伝来の宝物も捏造され、
子孫たちは本気で末裔だと言い出すのです。
農地解放で昭和22年に田んぼを手に入れた書類を見つけちゃった。
一反の田ぼを1000円で買ったんだってさ…
じゃあ俺の先祖は小作人確定ってことか(机ドン!)
664 :
日本@名無史さん:2013/06/12(水) 23:32:04.73
あるいは一定面積以下の自作農、または生業が農業以外であったなど。
>>663 没落した家の可能性もあるんで何とも言えない
ただし過去帳があればある程度の事はわかるよ
>>662 ここは東京アクセスのbbsボーイ(プロ固定=2ちゃんねるのサクラ要員)が来る場所じゃないんだよ
>>664 >>665 お墓は江戸時代初期からあるけど過去帳は見たことないです。
三男の祖父が本家を継いだときに骨董品は大叔父の家系に譲ったって聞いたから
譲ったものの中に過去帳もあったのかな。
寝る前にその田んぼの水回りを見てくるね。
668 :
日本@名無史さん:2013/06/13(木) 00:55:18.49
664さんも書いているように、昔からその地域にいた家でも、大工とか、屋根屋とかが生業なら、
所有していた田畑は少なくても、不思議ではない。
もし、農地解放以前の所有土地面積を調べたければ、法務局の旧土地台帳を細かく調べればよい。
>>667 全然理解してないな。
過去帳は個人が所有しているもんじゃない。
菩提寺が持っているもの。
お前の家に先祖代々の菩提寺があるなら、そこが持ってる。
菩提寺が無いなら、まあ先祖には期待スンナ。
菩提寺すら持てなかった先祖って事だから・・・・・・
うちの地元は確か
農会が農地改革の資料を保管してる
>>669 ここは東京アクセスのbbsボーイ(プロ固定=2ちゃんねるのサクラ要員)が来る場所じゃない
相手が読んで不快になる煽り行為はやめるんだな
672 :
日本@名無史さん:2013/06/13(木) 11:55:47.10
うちの本家は元庄屋だけど昔の記録でも田んぼ持ってなかったのはどういう訳だろ。
自家用畑くらいはあるけど。
地域の他の庄屋や村役で田んぼ持って豪農とかも聞いたこと無いし。
そもそも元豪農というのが郷土史調べても出てこない。
江戸時代に庄屋らが集まって工面して感慨事業したらしいので失ったんだろか。
673 :
日本@名無史さん:2013/06/13(木) 13:15:31.92
>>669 ププッ。全然理解していないのは貴方ですよ。
所謂、菩提寺、つまり曾ての宗門寺から現在の「菩提寺」にある過去帳が
先祖調べの「過去帳」なのは事実だが、その一方で、個人の家の仏壇にあるものも、
過去帳というんだよ。これがないと、沢山いる先祖の命日や、遠忌が判らなくなってしまう。
また菩提寺というのは、お墓はないが、位牌が預けてあるある方の寺のことを
言う家もある、特に格式の高い名家になれば、お墓のある寺と、菩提寺が二つくらい別にある
なんていうこともよくある。知ったかぶりの煽りは恥ずかしい。
>672
山仕事で食ってるような地区だったんじゃね?
田畑が開墾された時期を調べてみろ
昔からの農地というのは実はそんな多くない
675 :
日本@名無史さん:2013/06/13(木) 14:03:44.79
庄屋は、有能だと雇われ庄屋として転勤します。中岡慎太郎の実家は、海辺の村から飢饉で困った山村のたち直しのために郡家老からあっせんされて移ってきた家柄。篤農家で、農村問題の解決と年貢皆済にたけた家柄をみこまれると、藩内で転勤を命じられる場合があった。
ほかには瀬戸内では水問題とか調停役職で、嫌われて庄屋をやめさせらて交代がくる場合もあったり。
林業とか漁業とか
>>669 バカ発見wwww
そういえば理解できないって一度書き込みしたことも忘れて連投したり、
他人には釣りとか難癖つけておきながら
自分も釣りしてやったって1人で浮かれてたバカもいたっけ。
あっ、
>>669お前か^^;
いつの間にか変なのが居ついてるな
669に異常に絡んでいる基地外がいるな。
皆、無視しようね。
絡まれるよ。
>>672 旧家とかで 田畑段寄帳とか年貢帳とかから所有地を推測できたりするけど
多くは 所有地を把握できないと思うよ
よく 自分の土地だけで何々に行けた みたいな口承はあるけど
あと 100石で上位の農家・地主だから
まあ 地域差が大きいけど、山林地主とか網元庄屋とかもいるし
地主さまが来てやったぞ〜!
683 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 23:10:47.91
まあ経験的な話では江戸期の墓とか
古文書等の資料を保有している家とは
何らかの形でつながりしかも珍しい苗字の人が多い。
うちも郷土史での記述もあるし、
本物の大名家、公家(堂上、地下)等は
直接親族は伝えないと思うが、郷土史の人名を
祖父に伝えたら本家も判明したぞ。
江戸時代の人口は2000万人強、それが現代1億2000万人
ということは、誰でも遡っていけばみな親戚になるので?
逆に、墓、古文書、位牌などを持っている本家と呼ばれる家などほとんどないと思われる。
みな分家だろうな。
そう考えるといかに残っている本家に行き着くことができるかが鍵だと思う。
685 :
日本@名無史さん:2013/06/16(日) 05:06:43.64
>>684 それは人類学的な話で実際には皆は遡れない。
本家分家というのは歴史用語で受領に限られる。
うちの本家は国司だし、公家衆でもある。
他は武士や庄屋でそのままじゃないの?
>>684 そう思いたいのは分かるが、ある一定以上の家は今でも婚姻には
それなりの家を選ぶ。
無名武士+江戸時代の庄屋のうちの家でさえ、昭和後期までは
相手の家格を気にしてたくらいだからね。
ましてや、大身旗本・大名・公家クラスになれば、現時点でもそうだろう。
つまり、そういう事です。
そんな家ごくわずかだろう
688 :
日本@名無史さん:2013/06/16(日) 14:11:25.41
源平ともに天皇家に遡る。武士の時代は700年。
しかも武士は人口の一割近くもいた。
当然のことながら、子孫は、落ちぶれても、その先祖の内の有名な
家を先祖であると伝承するから、日本中のみんなが、名家の子孫となる。
俺のことかw
要約すると「捏造ざんまい」ですね。
>686
そういう傾向があるのは事実だ
だがどんな家にも落ちこぼれというのは居てだな
権力闘争に負けて逃亡した武士だったり
何の役職も貰えなかった庄屋の分家の分家だったり
こういった連中が広まって子孫を増やしてく点も考慮すべきだ
>684ほどの乱暴な増え方ではないだろうが
長い目で見れば緩やかに増えていってるはず
公に子孫を名乗れるのは嫡子だけだろ
693 :
日本@名無史さん:2013/06/16(日) 21:06:51.88
先祖の出自など問題ではない。
もっとも賤しい人間は、コメンテーターの大谷昭宏のように、
「今、靖国に寝てる連中は…」と発言するような奴だ。
段々と話がずれて来てるから元に戻らないか。
大切なのは、単に立派な先祖を持つことなどではなく、
その「格」を落とさない「今」があるかどうか?だ。
だな
みんなどうだ?
>>686 日本の場合はそうでもない
そこまでこだわるのは余程の家系だけ
>>688 例の人を召喚しかねないのであまり書きたくないんだが
江戸初期の豪農や豊かな農家なんて、ルーツは大抵平安鎌倉室町期の武家だろう
実際、戦国時代までは武装して戦に出ていた家系が普通だったりするし
武家としての存続より、先祖伝来の田畑を護る為、士分を捨てたような人達
例えば信濃国伊那郡の武士達は、秀吉の時代
武家を続けたい者は、飯田城下に移り住め、というお触れが出た
まあ、大人しく言う事を聞いて、城下に出て武士身分を保った家もあったが
多くの家はそうせず、先祖伝来の田畑を護る事を優先させて、帰農した
もともと伊那郡でも天竜川西岸は南北朝時代に切り拓かれたもので
南北朝時代の城主格クラスの武将達が落ち延びて暮らし始めたとされている
戦国時代に成り上がって武士になった出自不詳の家系などとは異なり
正真正銘、武士の子孫なわけだが、それでも江戸時代の身分上は農民だった
戦国大名が亡んだ時、その家臣達が武家をやめて帰農する事は多々あったし
そんな感じで江戸時代には元武家の農家がゴロゴロしているような状態だったから
農家=出自不詳の庶民という考え方はしない方が良いと思う
698 :
688:2013/06/17(月) 13:10:12.07
>>697 「落ちぶれても」に反応したのかもしれないが、
皮肉と受け取らないで、文章を良く読んでくれ。
主旨はまったく、貴方と同じだ。先祖はみんな名家だと主張している。
「農家=出自不詳の庶民」なんてどこに書いてあるんだ。全然言ってないよ。
>>697 お前は親戚だな多分w
その地域にやたら多い姓だろ?
700 :
日本@名無史さん:2013/06/18(火) 09:58:52.61
700
701 :
日本@名無史さん:2013/06/18(火) 12:43:55.70
宗門人別帳で調べたことのある人いる?
一人を除いて名前が全部わかってるんだけど、
あれって姓が載ってないらしいし、調べ方って
やっぱり名で探っていくっていう感じになるのかな。
>>697 「大身旗本・大名・公家クラス」は余程の家系だろう。
与力だったうちでさえ相手の家柄を気にしていたフシがあるからな。
704 :
日本@名無史さん:2013/06/18(火) 21:38:24.65
>>702 該当する村の人別帳が、現存していて、なおかつ見ることが出来る場合は、かなり
運の良い人です。
実物でなくても、運が良ければ、該当する市町村の歴史資料編などに、翻刻されて掲載されている
場合があります。
その場合の、自分の先祖の家の探し方は、明治から現在まで存続している
事の多い、何兵衛、何右衛門といった屋号で調べることになります。
除籍謄本で集めた資料から、推定される家族の年齢を逆算して、
化政期以降幕末頃の人別帳ならば、家族の年齢と比較検討して、家の確認が出来るというわけです。
名前が違ったりするから注意
たとえば新太郎が新右衛門になってたりとか
うちの場合がそうだった
俺のは
江戸時代=山田庄治
明治時代=佐藤新右衛門
みたいな感じやったよ
郷士佐藤庄左衛門家の三男坊が
郷士山田家を継いで
山田庄治になったんだけど
本名は佐藤庄治やったみたい
ほんで幕末頃に
佐藤新右衛門になった
佐藤庄治→山田庄治(佐藤庄治)→佐藤庄治→佐藤新右衛門
707 :
日本@名無史さん:2013/06/18(火) 23:02:14.00
うん。確かに
城下町の城下侍は
士分持ちながら商人やってるような家は
屋号の佐藤十左衛門が藩士名簿にのる
佐藤十左衛門家の当主が弥兵衛なのに
佐藤弥兵衛とは藩士名簿にはのらない
村の郷士(城下の商人侍より格下)だと
当主の佐藤九右衛門がちゃんと藩士名簿に佐藤九右衛門とのる
俺んところは結構自由な感じ
他の藩は知らないが
709 :
日本@名無史さん:2013/06/19(水) 00:34:35.95
当然のことだけど、
江戸時代は、同一人物がどんどん名前を変えていきました。
たとえば商人なら、
丁稚時代 文吉
手代 文七
番頭 文兵衛
店主 文左衛門 とかね。
本百姓でも、当主が金右衛門の倅の代になったからといって、金右衛門を名乗らずに
銀右衛門になるとか、金兵衛になるとか、全兵衛にするとかいろいろ。
ただ、その家に共通する字などはどんな階層の家でも有り得ます。
710 :
日本@名無史さん:2013/06/19(水) 01:24:09.35
除籍も寺も墓も調べ終えた。あとは宗門改帳になるんだけど、どこにどうやって問い合わせるの?
サンクス。
とりあえず、夏休み取れたら調べてみようかな。
うちの先祖孫兵衛ばっかり(ときどき孫右衛門)で、子供の頃ワケわかめでワロたが、すまんかったご先祖。
あと士族だった系統の先祖の戸籍みてたらイトコハトコ婚ばかりでビビったが、明治初期でもそんなもんだったのかなと。
うちは祖父と祖母がいとこ
714 :
日本@名無史さん:2013/06/19(水) 22:31:42.82
>>710 久しぶりにレスします。
>>710 宗門人別改帳の残存状況を網羅的に把握している機関や研究者は存在しないと思います。江戸時代には、毎年、村(ほぼ現在の地区に相当)ごとに作成して、
当時のお上に提出していたものなのですが、提出された方の為政者側には全く保管されていません。運良く残っているものは、作成した側の名主(庄屋)
の家に伝えられた副本・文書の写し・下書きなどということになります。
したがって、原理原則的には、自分の探したい先祖の住んでいた村の、名主家のご子孫の方に、相談して、その家に残された古文書としての「人別帳」を
調べさせて貰うことになります。崩し字で書かれた文字を判読する能力や、見ず知らずの旧家に問い合わせるということは容易なことではありませんので、
一般的には、「諦める」ほうが良いです。
また、旧家の方が、伝来の古文書を地域の歴史資料館等に寄贈・委託している場合には、それが却って災いして、閲覧のみ許可されたとしても、複写やメモを
取ることが人別帳に関しては、禁止されている場合も多いです。
悲観的なことばかり言って恐縮ですが、市史の資料編などには、幾つかの村の人別帳が、翻字(現代活字になって)記載されている場合がありますので、図書館で
近年まとめられた市史全巻を調べてみて下さい。これに掲載されていなくても、その教育委員会の市史編纂委員の担当者が、市内の人別帳の残存状況や、市史編纂に
当たって収集した、内容の写しなどを見せてくれる場合も運が良ければ有り得ます。子孫の家・古書店・大学・博物館・図書館・個人コレクターなどが、持っている
わけで、どこに何があるかわかりません。一般的には、県立文書館・自治体の歴史博物館・公立図書館ぐらいしか問い合わせ先はありません。
715 :
714:2013/06/19(水) 22:37:22.85
前スレ83です。
改行も揃わない推敲の途中で送信してしまいました。
読みにくくてスミマセン。
716 :
日本@名無史さん:2013/06/20(木) 16:59:00.93
私の市では、人別帳は郷土資料館にありました。
ただ、天保期、安政期の計3通だけでした。
コピーもしてくれましたよ。先祖は百姓代と判明しました。
旧天領です。
717 :
日本@名無史さん:2013/06/20(木) 18:55:20.62
718 :
日本@名無史さん:2013/06/20(木) 18:58:36.47
言い ×
良い ○
個人情報保護って何を保護してるんだ?
720 :
日本@名無史さん:2013/06/20(木) 20:32:38.90
松本ドラゴンとか野中ヒロムとか、永遠に差別がなくなっては生きていけない解同とか、
ヨシフとかオータニさんみたいな、サヨクジャーナリスト・ライターの所為なの。
ああいう奴らに騒がれたり絡まれたら市役所職員として生きていけなくなるからね。事なかれ主義の典型
広い意味での同和利権だな
そういうの一体いつになったらなくなるんだ?
722 :
日本@名無史さん:2013/06/21(金) 02:23:44.82
先日の水戸黄門の内容なんですが、先祖が格上ということで
代官が庄屋に頭が上がらないという話でした。
もしかして、あの悪徳庄屋は君たちの糞先祖ですか?
>>720>>721 エ○系図作って喜んでる馬鹿と、買って喜んでる差別主義者の馬鹿が消え去らない限り、どうしようもない
閲覧禁止になった本当の理由はこっちだからな
>>722 そんな時代劇のような面白く仕立てあげたシナリオを事実のように言われてもねぇ。
庄屋って所詮身分は農民であって、先祖が格上なだけで代官より偉くなんてなりません。。
大体それを信じるってことは、もしかして水戸黄門が諸国を巡ったことも信じてるの?
>>722 その話って庄屋の先祖が代官より格上ってよりも庄屋が持ってる
家康公直筆の書状に恐れおののいている感じじゃなかったかな。
代官はおろか当代の将軍すらその庄屋に頭が上がらなくて
結局、黄門が破り捨てるってオチ。
>>723 隠してるからそいつらが喜ぶわけで
オープンにすればいいんだよ
727 :
日本@名無史さん:2013/06/21(金) 13:05:48.43
江戸幕府の代官ってもとは有能な名主(農民)出身が多いよ。
それと宗門人別帳には、被差別民は載っていないよ。
穢多人別帳と非人人別帳は、一般庶民の人別帳とは別だから。
だから、
>>723のいう「エ○系図」が何を示しているのか不明だけど、
似非系図、部落総鑑、エタ系図、のどれかだとしてもトンチンカンな、知ったかぶり。
エラ系図、エロ系図なら正しいのかも知れないけど。
穢多分とかってなってたんだよな
729 :
日本@名無史さん:2013/06/21(金) 22:56:28.72
>>726 関西行くと差別して喜んでる馬鹿が腐る程いるんだよ
そして差別して喜んでるクズに限って、同和利権があるせいで差別が残ってるんだ!と強弁する
保障してやる
あの差別して喜んでるクズどもは、同和利権がなくなっても絶対に差別をやめない
今度は貧乏なのは同和が怠け者だとかと嘲笑し出す
そういう歪んだ精神構造を持った頭のおかしい奴が、どういうわけか関西にだけ突出して多いんだよ
私個人は関西は嫌いじゃないし、関西に対して差別感情はないんだが
ことこの問題に関してだけは、関西人の精神構造の異質性だけが目につく
大阪民国なんて揶揄する言葉があるように、関西人って日本の中でメンタリティーが異質なんだよな……
だからこそオープンにすればいいんだよ
オープンにすればするほど
なんで差別なんかしてるんだって話になる
そもそも差別してる側は自分の先祖のこととか知ってるの?
オープンにして、歴史を知れば差別感は少なくなると思うんだけど
>>729 それ関西でも地域限定の話でしょ。
そりゃそれでいい思いしてりゃ、よく思わない奴もいるだろ。
橋下もそれで止めさせたかったんだろうし。
橋下は同和出身らしいが、それを気にしてるやつが殆どいないのも、
結局はそういうことなんじゃないの。
部落問題に限らず
日本の歴史教育は本当ちょっと考えた方がいい
特に近現代
735 :
日本@名無史さん:2013/06/22(土) 12:14:11.99
そこいくと、基本共産党は、もう同和差別は過去のものとしているのは、立派だよ。
同和利権で、儲けている被差別民の子孫を騙る連中を「似非同和」と断罪して
一般人が不利益を蒙る「逆差別」をなくすために、同和問題は解決されたものとしているんだ。
共産党のオバカさがプラスに働いている例だよ。
736 :
日本@名無史さん:2013/06/22(土) 12:16:23.20
おっと「基本共産党」は、「日本共産党」の誤変換でした。
内ゲバの結果そうなっただけだけどな
藩士は百姓を虐めてたクズ
藩による
740 :
日本@名無史さん:2013/06/25(火) 13:13:27.31
いまだに明治大正昭和時代の誤った歴史認識の奴いるんだww
曽祖父が○(苗字)の三男で高祖父△(苗字)の養子に入り、△(苗字)を名乗る
その養子が相続をして私にまで至っている
この場合先祖探しをもっと進めていく場合○(苗字)を調べていくのか△(苗字)調べていくのかどちらなのだろうか
DNAでつながってるのを考えると○家だろうけど・・・
742 :
日本@名無史さん:2013/06/27(木) 00:40:50.35
>>734 だけど興味があるだけまだマシだろうな。
最近は中高年でも戦前の家系じゃない人が相当いるみたいだよ。
僕なんかの20代だと親が婿養子だという知り合いが2人もいるし
案外戦前の家系を直接引くのは難しいみたいだ。
○も△も調べよう
>>742 男系を継ぐ事なんてそりゃ普通に無理だよ
自分も前までそうだったんだけど
曾祖父母8人の名前がすらっと出てくる人は
おそらく10人に1人もいない
んなもん1000人に一人も微妙だろ
747 :
日本@名無史さん:2013/06/27(木) 23:05:15.79
千人に一人なんて、こたあねえだろ。高祖父母の名前は知らなくても、
曾祖父母の名前ぐらいは子供の頃に、おじいちゃんや、おばあちゃんが遊び相手になってくれていれば
その親の名前ぐらい質問してるもんだろ。
核家族で育った年代にもよるのかもしれないが。
いま名前を言えと言われてもぱっとは出てこないけど、曾祖父母は全系統のうちひとりを除いてわかってる。
たったひとり曾祖父名がわからないのがすごく気持ち悪い。
取り尽くした古い戸籍とか人別改帖とか分限帖ではさらに把握。てかこのスレ住人だと戸籍全取得はざらだと思ってた。
>>748 えっ?戸籍全取得は常識じゃないの?
俺は母方はただの百姓の家柄だと分かってたけど、父方含め全部取ったよ。
だからざらって言ってんじゃん?
先祖の名前はわかっても
読み方がわからなかったりする
たとえば「又吉」だったら
「またきち」なのか「またよし」なのか
戸籍は全部取っておいた方がいい。
口伝があてにならないことがよく分かる。
本家と言われてたところが、曾祖母の実家というだけだったし。
本当の本家は全然別のところだったという。
客観的事実を検証する上では、取っておくのが良い。
741で書いたものなんだけど全部取得しておいたほうがええん?
父の父の父の父・・・だけみておけばおkと思ってた
高祖父がどこかからきた養子 高祖父の次も・・・
でもそこまで除籍として載ってただけいいのか
全部取得は基本中の基本
757 :
日本@名無史さん:2013/06/28(金) 13:44:55.74
少し不思議なので書きます。
うちの田舎では殆どの真っ当な家庭は先祖がどこに住んで何をしていたか
自分で分かってるだけでなく近辺でも伝わっていたりします。
郷土史で調べても伝承通りになってるし、お墓見ても分かる。
「あそこの家系は400年前に本州の○○から来た」とかまで知ってる人がいる。
どこから誰が養子に入ったとか、自分の曽祖父があそこの曽祖父にお世話になったとかも。
100年以上昔に何らかの縁戚関係にあった家、とか分かってる。
それでも以前よりは知ってる人が少なく薄れてもきたので
これがもっと薄れてしまってる形が、都会の人やここの皆さんみたいなんでしょうね。
758 :
日本@名無史さん:2013/06/28(金) 16:48:55.19
じいさまが、婿養子で、今の家の先祖とは、血はつながっていないと思っていたら、
数代前の次男が婿養子に行った家だったなどというのは、良くある話なんだよ。
だから、法的に取れる戸籍はもちろんのこと、遠い親戚のお墓まで全部調べるのが基本
>>758 苗字が違っていても婿養子で入っていれば戸籍はとれるのか!
でも今の苗字が希少で気に入っていただけに残念なんだよな
養子にはいって相続もされてるから希少苗字になってるわけでさ
その婿養子の苗字はありきたりな苗字で糞だと思った
でもDNA繋がりではそのありきたりな糞苗字を探すしかないんだよな
くそ
今思ってるというか願っているのはありきたりな糞苗字のやつの親が希少苗字になってることを祈るばかりだ
ありふれた苗字、どいつもこいつも一緒の苗字、まさに平民、
俺は特殊な存在なんだ!そんなの絶対に認めないと強く思う!
もともと先祖というか家系調べも俺の先祖が糞そろいだったら納得という理由で開始したものだし、
人間は全て生まれた環境と歴史によって決まるという思いではあるから糞なら糞で納得なんだけどな
希少苗字でももしかしたら農民とかゴミだったらやっぱりそうかと納得して人生諦められるものを、
ぬか喜びさせて婿養子(糞苗字)とか腹が立って仕方ない
マジで嫌だ・・・・・
苗字ランキングで検索したら10位どころか5本の指に入る糞苗字
マジで高祖父の次でも次でもいいから違う苗字の婿養子で入った設定であってくれ
よくある苗字でもオリジナルの血筋ひいてたらすごいよね
江戸時代に苗字を捨てさせられた家も多いから気にすんな
氏素性が確かな庄屋クラスでも平凡な苗字は少なくない
ここからは根拠のない推測だけど
おそらく江戸時代に名のある藩士から苗字を拝借することが横行したんだろう
ただでさえ庄屋と藩士の婚姻というのは双方にメリットがあるわけで
そのタイミングで庄屋に苗字を与えて派閥形成してきた藩士が居たんじゃないかと
>>759 DNA繋がりだったら婿養子も妻も両方繋がってるだろ。
>>763 > おそらく江戸時代に名のある藩士から苗字を拝借することが横行したんだろう
そういうケースが皆無とは言えないが、横行はしてないだろ。
>>761 上位に入っていれば入っているほど、元々由緒ある姓でかつ名乗りやすいため
明治期に名乗った人が多く、そして〇日も通●名で名乗ってたりする。
そうだよ、俺の苗字もそうなんだよ。
ノД`;)
むしろ珍しい名字ってbというのも聞いたよ。
てか私もはんこは文具店で売ってないシャチハタ特注なんだけど(・ω・)
自己紹介したら○○県出身ですか?と聞かれる事度々。銀山関係の庄屋だったみたい。
私腹を肥やす糞庄屋
在日は明らかにそれとわかる名字が多いな
部落はそうでもない
770 :
1両=20万円?:2013/06/29(土) 10:15:59.51
安倍総理といえば弟が岸家の養子に入ったが
岸信介の父は秀助でその父は要蔵になってるが
マスコミの間違いで秀助の父は信祐でその父が岸要蔵
771 :
日本@名無史さん:2013/06/29(土) 10:21:06.64
>>770 養子になってるんじゃなくて?
要蔵┳信祐━秀助
└秀助
これなら要蔵の子で間違いないよ。
室町時代の地侍ってどんな服装だったんだろうか。
大学時代、部○出身の女の先生が横柄だったんだけど
二人っきりで話したときにとうとうブチっときて
「俺は士族なんだ、就職先でも家柄でも、このゼミ室を一歩出たら俺のほうが偉いんだわかったか!?」
って言ったらしおらしくなって可愛いかった。
今でも交流があってこの女の先生が可愛い過ぎて好きだ。
>>775 釣りにしてもちょっと酷すぎるな
書いたあんたが人格に問題がある自覚なき異常者なのは理解できたが
>>776 事実だよ、大学ってもFランだからね。
正直、言い過ぎたって反省してる。
カチンとくると怒鳴るのは俺の悪いところ。
何年も前の話だけど家柄云々の話を聞くとつい思い出しちゃうのよ。
その先生とは、誘ったり向こうから誘われたりで焼き肉とか酒飲んだりと楽しい思い出を作れた。
ナンセンス
シュン…
>>775 士族の末裔の俺としては恥ずかしい限りの言動。
先祖に興味持つやつの一部にはこういう気持ち悪いやついるんだよなー
腫れ物触るような雰囲気で、ちゃんとした教育しないのがダメだな
その通り
というかさすがにネタだろ
さすがに今はしないけど、当時は自分より下って人が大嫌いで
品性のかけらもない行動をとってた。
その先生が新卒で取れなかった大企業の内定を
俺が取ったからって調子に乗ったのは反省してる。
歪んだ特権意識で人をバカにしてた当時をなんとなく思い出したんだよ。
786 :
782:2013/06/30(日) 14:41:11.49
若いうちは思い込みも激しく、感受性も迸ってるから、おかしなとこに心が嵌りこむことはあるからね
それがたまたまそういう方向だったんだね、大人になってわきまえてるってことは、俺の方が偏見があったかもね
>>786 大学生にもなって先祖が士族だーとか言い出すのは異常すぎるだろ……
788 :
日本@名無史さん:2013/06/30(日) 16:06:29.91
先祖が士族だと喜んでるのは足軽出身だけだろ
>>785 せっかくだし先祖の話してよ
家系図とか伝わってるの?
790 :
日本@名無史さん:2013/06/30(日) 16:35:34.74
レベルの低い書き込みがあると、俄然加速するなぁ
3○歳児なんだが先祖代々のせいで今の自分がいるわけで
資産家に生まれていれば貧乏なんて経験もしないし家の跡継ぎでもやればいい
すべて生まれが悪ければ終了という考え
士族(生まれた環境がラッキー)で先祖の人はそれを自慢すればいい
おれは農民か貧民か何かわからないから今調べてるけど
農民なら今の環境(資産家に生まれていない、貧乏、この歳までニート)が実感できるしすぐにでも自殺できるレベル
これが士族なら少しはやる気でるかなというか絶対やれるだろと勢いづくレベル
どっちかに賭けてるな
時代錯誤もいいところ
794 :
日本@名無史さん:2013/06/30(日) 21:05:16.04
質問があります
知人の年配の方に聞いたのですが昔(戦前)葬列の先頭のお坊さんが赤い傘を差していたのを
小さい時に見たことがある。
といっていました、
宗派が分かるでしょうか?
推測では真言宗や禅宗、日蓮宗かなと思うのですが・・・
よろしくご教示下さい。
時代錯誤という人は
先祖がゴミ苗字であきらめてる人
先祖が優良だったのに自分や父や近いレベルで没落してあきらめた人
先祖代々続いてるのはほぼ優良
たとえば資産家だったりとかね
自分のスタートラインが生まれたときから天と地ほどあるってこと
それを時代錯誤で片付ける(諦める、そうあってほしくないと自分に納得させてしまう)とするのは間違い
俺は生命賭けてるかrね今
うちは普通に資産家だけど
そういう考え方は時代錯誤だと思うよ
そりゃあ優良苗字で資産家で苦労せずこんな掲示板にレスできるまで成長させてもらってる身分としちゃあそう考えるだろうね
搾取する側はされる側のことなんて少しも考えないのと同じさ
だから時代錯誤だと書けちゃうわけだよ
言ってること変わっとるがな
>>786 >>787 大学時代だけ変に妙にはじけちゃった感じ。
>>788 !!!
足軽(卒)なんだけどお情けで士族になったようなもんだよ。
>>789 分限帳がPDFで公開されてる。
家系図はないけど自宅には高祖父が神主だった写真が遺ってる。
またいつかうpするよ。
足軽
部落だからってバカにするけど
足軽だったら当時の警察機構の末端で
穢多や非人と普通に協力し合ってたかもだぞ
藩によりけりなところもあるが一般的に卒族(足軽等の下級家臣)は士分に属さない。
明治初期に代々世襲の卒族が士族に編入されたが、それまでは頑なに別身分にみられた。
803 :
日本@名無史さん:2013/07/01(月) 23:29:37.30
どんな身分の人だって、ハンセン病に罹患すれば、非人なる。
804 :
日本@名無史さん:2013/07/01(月) 23:32:33.45
うわ、非人が熟語変換されなかったので、Deleteキーで消してたら
「と」が抜けちゃった。
「非人となる。」と読んでね。
http://suishinkyoukai.jp/shiryo/kouza/k_pdf/2009.pdf >益井家のこれまでの由緒をたどると、武士に匹敵するので平民ではなく士族にしてくれという運動をします。
>それが大阪朝日新聞に紹介されています。明治維新のあと朝廷が解体したわけですが、京都御所に仕えていた人たちのうち、
>公家は華族になりますが、その下で働いていた人びとの多くは士族になります。
>その中で小法師役についていた人々は、調査洩れで士族になれなかった。この小法師役の人々は千本にいました。
>千本にいて御所の清掃をする役目が続いていました。それが八軒あってその頭が益井家である。
>だから他の朝廷の役人と同じ様に士族にしてくれという運動をしたところ認められたということです。
>これが一九〇〇年のことです。益井信はだからといって自分は部落民ではないといっているわけではありません。
>一九〇三年に大阪で開かれた大日本同胞融和会、部落の人たちが集まった全国大会ですが、
>それに崇仁の人たちと共に参加して自分の意見を述べたり、また、生まれ故郷の井手で水害が起こるとそこに寄付金を出す。
>また、一九〇四年には養父の益井茂平が亡くなったときに香典など四〇〇円を社会福祉施設などに寄付をしています。
>その寄付の一部が先ほどの盲学校への寄付です。というような京都の名士としての活動を続けていきました。
>当時この地域は一四六軒あり、その中に借家を三〇軒以上持つような、税金を十円以上納めるような有力な資産家が三軒あったと記録にあります。
>一方、借家人は九三軒、そのうち家財道具がない家は三五軒あったとも書かれています。
>つまり、野口村というのは貧乏な人もいれば金持ちもいるという、ごく当たり前の村のひとつでした。
>その中で、益井家というのが最有力の一軒でした。そういう人物が部落の歴史研究の先駆けとなったのです。
>ただ、他の村に比べると貧乏な人の比率がかなり高かった。それが、部落の再生産と大きく関っていくのです。
興味深い
「足軽といえどもバカにされたら斬り殺してもいいからな」って幕府から言われてたというのは
一般庶民にとっての足軽がそういう存在だったってことだよなぁ・・・
それウソ
ウソとまでは言えないか
除籍謄本は先祖の生まれた年齢、結婚した年齢、子供ができた年齢、死んだ年齢などがわかっておもしろい。
それぐらいだったら
ある程度伝わってないか?
813 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 21:45:10.03
父方ならね。君は母方の曾祖父の事とか、その父や母のことも伝わってるの?
むしろ母方の方がそれなりの家だったので伝わってる
815 :
813:2013/07/03(水) 23:00:48.59
へぇ、実は私も母方の方が詳しく聞かされてるが、父方の曾祖母の実家に関しては
何の伝承もなく、手掛かりもほとんどなくて困っている。戸籍も空襲でやられているし。
816 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 23:27:47.14
おい、さっきの歴史ヒストリアで、江戸の武士の原型となる徳川武士団の出自の、
雑賀衆、甲賀衆、伊賀衆、根来衆、山伏・・等の紀伊半島の傭兵集団の出自は、
紀伊山中の貧農、そして漁師
とキチンとやっとったやいかいwwww
おいおい徳川直参の御家人衆は大半が、甲賀組、、伊賀組、雑賀残党、根来組 ちゃうんかいwww
最近話題の会津藩の鉄砲組も甲賀衆やろがいwww
これら徳川武士団の構成要員の大半たる紀伊半島出身の傭兵集団は山中の貧農と漁師とキチンとやっとったややないかいwwww
817 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 23:34:50.98
さらには、御三家の家老や旗本も、紀伊山中の傭兵出自いっぱいおるやないかい!!w
田宮、成瀬、霜、服部、鈴木、柳生、百地・・・言えばきりないほど徳川上級武士団にもおるやないかい。
ないなに?百姓のほうがよほど恥ずかしい?wwwww
なんなら次の関東有力百姓見んかい!!!w
818 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 23:42:32.70
【】下克上の化身、秀吉軍団による関東征伐の際の忍城攻防戦に出陣た近隣の在地の平安期よりの関東在地城主も見てみましょう 【】
↓
↓
★菖蒲城主 金田氏 → 有力豪農地主
>>城主の金田氏
>>初代の金田則綱は古河公方足利成氏の家臣となり、氏綱、顕綱、定綱、頼綱と続き
>>、6代秀綱の時に忍城主成田氏長に属し、豊臣秀吉の関東侵攻により廃城。
>>その後子孫は帰農。金田氏の墓所は曹洞宗久林山永昌寺にある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%96%E8%92%B2%E5%9F%8E ★本庄城主 本庄氏 → 有力豪農地主
>>平安時代、武蔵七党と呼ばれた武士団の一つである児玉党の庄家弘(しょういえひろ)が庄氏の祖である。
>>本庄氏は、天文年間のはじめ頃には関東管領の山内上杉氏に属し、天文15年(1546年)河越夜戦の敗戦で一族の本庄藤三郎が討死している。
>>天文21年(1552年)山内上杉憲政(のりまさ)が北条氏康(うじやす)に敗れ、越後国に逃亡した後は、小田原北条氏に従った
>>本庄実忠の嫡男である隼人正近朝(ちかとも)に代が替わり、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原の役が起こる。
>>本庄城は前田利家(としいえ)を総大将とする北国軍に攻められ落城した。
>>本庄氏は小田原北条氏の滅亡を機に帰農
http://takayama.tonosama.jp/html/honjo.html ★★幸手城主 武蔵一色氏 → 兄は旗本5000石、弟は名主、 に分かれる
>>武蔵国幸手城主の一色直朝には、小田原北条氏に属したため領地を失ったが、
>>徳川家康はあらためてその子義直に幸手領5000余石を与えた。
>>その弟政義はこの時渡辺を称し上川崎に土着した。この時に築かれたのが渡辺氏屋敷である。
>>江戸期に入ると、渡辺家はこの地方の名主として栄えた
http://www42.tok2.com/home/hakubutukan/musashi/watanabe.html
819 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 23:49:46.73
さらには、忍城の近くには、さらに鉢形衆と呼ばれる後北条家きっての名門関東武士団が存在するが、
これら忍城や鴻巣衆、本庄衆、鉢形衆を統括する、武蔵国北面武士団の棟梁を務めたのが、
後北条家の最上位武将衆に位置する評定衆の筆頭上田氏である
↓
↓
武蔵松山城主 後北条家評定衆筆頭、 武蔵北面武士団棟梁 である上田氏
★上田氏 → 有力豪農地主
>>武蔵七党のうち西党の裔
>>のちに武蔵国に扇谷上杉氏の重臣、のちに小田原北条氏に仕えた。
>>上田朝直は後北条氏に仕えて、武蔵松山城主に。
>>北面衆として相模東郡、武蔵比企郡、四百七十一貫四百七十文を領していた。
>>天正十八年、豊臣秀吉の小田原攻めに際して、憲定は小田原に籠城したが、北条氏没落のあと帰農
評定衆たる、関東武士団の最上位たる評定衆筆頭に位置し、
忍城主成田氏をも配下に置き、
さらには武蔵北面武士団の棟梁たる上田氏も、
東海下克上成り上がり傭兵軍団の関東征伐後は帰農・・・・・・
わかる?この出自の違いすぎを?www
関東在地は八王子千人同心みたいな村ごと名門武家出自なんてゴロゴロあるんだが?www
関東の在地有力豪農層こそ、真の名門武家衆なんですが???
真の武家衆とは、関東の在地有力豪農層を言うんですが???
820 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 23:57:35.72
★清水氏 伊豆下田城主→名主
・後北条家時代
伊豆下田城主 清水氏(後北条家の最上位に位置する評定衆の筆頭に名を連ねる最上位の武将) → 名主
>>小田原攻めの際の伊豆下田城主に清水康秀がなり
>>伊豆衆二十九人衆の筆頭とされ、伊豆衆の中でも知行は最も多い829貫700文余であった。
・江戸時代
>>小田原開城後に氏直に同行した後、幕末に至るまで名主や年寄などを務め、明治に入ってからは沼津郵便電信局を営んだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%B0%8F ↑ 比較してみましょう
↓
★大草氏 一介の大身家臣団→ 旗本3000石
・後北条氏時代
>>大草加賀守は「役帳」によると田方郡南条郷で 221 貫 420 文、伊豆東浦の多賀郷 文、で百貫文など、あわせて 391 貫余を領する
↓
その後
・江戸時代
上級旗本 寄合衆筆頭 3500石
http://hitosugi.web.fc2.com/2400.pdf ≪まとめ≫
旗本大草氏は、後北条家時代、評定衆でもなければ城主格でもないい、一介の上級武士団。
かたや清水家は、後北条家の最上位に位置する、評定衆であり、その中でも筆頭とされる家格。
旗本大草氏など、評定衆筆頭清水家の足元にも及ばないが、
江戸期は、
清水家→関東名主 大草家→上級旗本 寄合衆筆頭格 3500石知行
となる。
821 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) 00:59:38.39
!!!!!!!!!!!これではっきりわかっただろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
江戸の武士は(豊臣徳川武士団)は、どこが関東の有力豪農層より出自が真の中世武士なんだい????ww
関東在地は八王子千人同心みたいな室町中世武士団の豪農層だらけなんだが??www
おしえておくれよwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
822 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) 01:09:17.89
歴史ヒストリアによれば
徳川御家人衆、親藩譜代大名家臣団 = 伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆、根来衆、山伏 = 紀伊山中の貧農、猟師、
↓
↓
★この江戸武士より遙かに雑魚といわれてる現代の関東有力豪農は
↓
↓
江戸時代の関東有力豪農地主 = 平安末期や室町中期よりの超名門関東在地武士団がゴロゴロ
823 :
秀吉の関東征伐によるその後の在地名門領主層@:2013/07/04(木) 02:07:13.61
おい!これ見てみろ!!
http://www.youtube.com/watch?v=03jeVwWXLLk 忍城主 成田家=平安末期よりの武蔵七党直系の関東在地領主→のち改易、断絶
この画像の成田家レベルが!!この成田家レベルの平安末期より続く関東在地領主層の城主格が
秀吉の関東征伐で、江戸時代は一介の豪農地主なんだよ わかるか関東の在地を!!
【】秀吉の関東征伐後の在地領主層で成田氏以上の名門出自武将【】
★伊豆下田城主 清水氏(後北条家の最上位に位置する評定衆の筆頭に名を連ねる最上位の武将。成田氏よりはるかに格上) → 名主
★武州松山城主 上田氏(後北条氏最上位である評定衆の武将) → 有力豪農地主
★関東八館 千葉氏 →有力豪農地主
★幸手城主 武蔵一色氏 → 兄は旗本5000石、弟は名主、 に分かれる
★下野小山氏一党、 紀州小山氏 → 有力豪農地主
★毛呂氏館城主 毛呂氏 → 旗本、名主 にわかれる
★勝浦城主 正木氏 → 豪農、旗本、に分かれる
★江戸崎城主 土岐氏 → 有力豪農地主
★上野那波城城主 大和氏 → 名主
★大舘城主 大館氏 → 有力豪農地主
★蕨城主 渋川氏 → 名主
★坂田城主 木内氏 → 名主
★本庄城主 本庄氏 → 有力豪農地主
★菖蒲城主 金田氏 → 有力豪農地主
★獅子浜城主 大石氏 → 有力豪農地主
★深沢城主 阿久沢能登守→ 名主
★沼田城主 川田伯耆守 → 有力豪農地主
★深津城主 小林豊後守 → 有力豪農地主
★椿田城主 福地氏 → 名主
824 :
秀吉の関東征伐によるその後の在地名門領主層A:2013/07/04(木) 02:18:20.24
【】秀吉の関東征伐後の在地領主層で成田氏以上の格の名門出自武将A【】
★椿田城主 福地氏 → 名主
★青木城代 栗田氏 → 有力豪農地主
★浄円寺城主 和田氏 → 有力豪農地主
★瀬田城主 長崎伊予守 → 名主
★多和目城主 宿谷氏 → 名主
★矢作城主 伊能氏 → 名主
★下高井城主 高井下総守 → 名主
★秩父氏館城主 秩父氏 → 有力豪農地主
★矢上城主 中田氏 → 有力豪農地主
★上南摩上ノ城城主 南摩備前守 → 名主
★兎々呂城主 南条氏 → 名主
★勝沼城主 原島氏 → 有力豪農地主
★設楽館城主 設楽氏 → 名主
★羽賀城主 臼井氏 → 有力豪農地主
★世田谷城代 松原佐渡守 → 名主
★村田氏館城主 村田氏 → 有力豪農地主
★金子城主 金子氏 → 有力豪農地主
★後北条家側近 安藤因幡守 → 名主
成田氏クラスの城主格でこれな!
これらに仕える、平安、鎌倉、室町期より続く在地の土豪、地侍もほとんどが帰農してるんですよ!!!
825 :
秀吉の関東征伐によるその後の在地名門領主層B:2013/07/04(木) 02:31:09.81
【】逆に旗本になった旧後北条家武士団【】
☆後北条家の一介の奉行 大草氏 一介の上級武士団 →旗本3500石
☆幸手城主 一色氏 →旗本5000石
☆忍城主 成田氏 →烏山藩三万石大名
☆後北条家側近 中山氏 →旗本2500石
☆遠山氏 →旗本6500石
関東在地の豪農層は1000石旗本クラスの武家なんですわ!!!分かる?
一介の藩士程度と出自がちゃうゆうねん!!!!www
真の名門中世武士団やっちゅうねん!!
826 :
まとめ:2013/07/04(木) 03:10:02.35
歴史ヒストリアでも言われてた通り
☆徳川御家人衆、親藩譜代大名家臣団 = 伊賀衆、甲賀衆、雑賀衆、根来衆、山伏 = 紀伊山中の貧農、猟師、
↓
↓
この江戸武士より遙かに雑魚といわれてる現代の関東有力豪農は
↓
↓
★江戸時代の関東有力豪農地主 = 平安末期や室町中期よりの超名門関東在地武士団やら土豪、地侍、名主層がウジャウジャゴロゴロ
827 :
最後:2013/07/04(木) 03:31:16.62
上記に名が連ねられない格下の後北条氏の在地地侍名主層の、江戸時代の屋敷でこのクラスな
吉田家 → 現在で40代目という後北条氏の末端の有力在地地侍名主層 →江戸時代は有力豪農地主
http://www.youtube.com/watch?v=TmDSqCAxoEk わかる?江戸の一介の藩士程度と、出自やら在地権力が全く違うんですよ!!!
関東の豪農層は、平安、鎌倉、室町期よりの
武蔵七党
坂東八平氏
清和源氏庶流宗家
関東八屋形
藤原北家
足利公方家
室町守護大名家・・・・
などの名門出自なんてもう腐るほど!!南部、島津クラスが、在地に数百家クラス居る。
さらには、それらに従属していた、この動画クラスの在地土豪、地侍、名主層がまたさらにゴロゴロ。
これらが大半、下克上どもにより帰農してるんですよ。
一介の藩士程度と出自が違うんですよ。中世よりの真の武家衆、武士団が、関東の豪農層なんですよ
わかる?
さて、ここも終わりが近づいてきました。
>>813 うちは父の父が婿養子だから、逆に父の父の両親のことがほとんどわからない。
830 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) 13:00:27.20
>>829 うちは父の父の父の父が婿養子の上、生年が江戸時代だから縁組前の本当の父が
名前以外よく分からない。
除籍謄本をとれるだけとったが、昔は養子が多い。
大した家ではないのに養子が多いのはなぜなんだろ。
年度からして徴兵逃れでもない。
>>833 違うよ、単純な養子。
除籍謄本なんだから婿養子か否かはわかる。
>>832 昔は次男以下は養子に行ってるか、自分で分家を興してる。
だって、家に居たままだとただの穀潰しでしかないしね。
>>834 一見血縁が無いように見えても、血縁者ということはよくあるよ。
基本的に養子を取るときは、父方の血縁者→母方の血縁者→血縁はないが
過去に婚姻関係を結んだことがある家→縁もゆかりもない他家の順で取ってくる
からね。
養子やその妻の姓が違っていても、実は縁者だったってことはあり得るよ。
>>835 >>836 ありがとう、除籍謄本だけだとその辺はわからないや。
雑多な情報は誰かが記録しないとそれまでになるなあ。
不動産や動産も大事だけど平凡で退屈な事柄でも次の世代に伝えて欲しいもんだよ。
838 :
日本@名無史さん:2013/07/08(月) 18:00:49.12
>>832 残せるものがある家だったんだろうね。
何もないと絶家になってる。
江戸時代って、養子や婿養子が多い。離婚再婚もすごく多いらしい。
明治の前半まではその流れでやっぱり多い。
民法が出来たあたりから、離婚が減ってきた感じ。
近親婚って昔はあったのかな?
うちはおじめい婚があったりするんだよな
年はそれほど離れてないんだけど
叔父姪は現在でも存在するよ。
遺族年金で最高裁まで争った事例もあるし。
ただ少数なのは確かだけど。
法で認められてない夫婦関係だから。
江戸時代は知らないが、戦国時代は叔父姪・叔母甥の婚姻は多少あったようだ。
従兄妹婚はごく普通にあったようだ。
842 :
日本@名無史さん:2013/07/10(水) 23:44:59.68
とんちんかん過ぎて誰もコメントできない。
とんちんかん?
とんきち・ちんぺい・かんた の略だろう
うちの田舎は夜這いの風習あったみたい
848 :
日本@名無史さん:2013/07/14(日) 21:12:54.45
>>846 おもしろいね。
関西近辺にはないのか、調査できてないのかどっちだろ。
関西だが、昭和一桁まではいとこ婚は多い。うちでは明治生まれの大叔母が二人
いとこと結婚してるけど、子どもはいないか1人だけだ。
血が濃いから心配した、って別のおばが言ってたから、昔からあまり
いいこととは見てなかったんだろな。
その二人より下は、親戚じゃない人(と思われる遠方の人)と結婚してる。
夜這いの風習は聞いたことがない。
849 :
日本@名無史さん:2013/07/15(月) 22:00:39.00
んなこたねぇだろ。
てゆうかさ、夜這いは既婚者の一種のスワップみたいなもんで、
夜這いから結婚なんてロマンだから
850 :
日本@名無史さん:2013/07/15(月) 22:13:59.91
人妻に中出し孕ませ最高や
うちの祖父母いとこ婚
松浦厨
早くオープンな時代がきて
同和や在日の歴史をひっくり返してほしい
>>846は被差別部落じゃなくて一般の孤立集落の調査だろ
そう
859 :
日本@名無史さん:2013/07/19(金) 12:56:44.32
>除籍謄本は先祖の生まれた年齢、結婚した年齢、子供ができた年齢
、死んだ年齢などがわかっておもしろい
>>818 壬申戸籍には養子先の父の名前と本当のお父さんの
名前両方かいてあるの?
860 :
859:2013/07/19(金) 12:59:27.26
>>811の誤り
>除籍謄本は先祖の生まれた年齢、結婚した年齢、子供ができた年齢
、死んだ年齢などがわかっておもしろい
>>811 壬申戸籍には養子先の父の名前と本当のお父さんの
名前両方かいてあるの?
>>860 壬申戸籍じゃなくても、除籍謄本に載ってるでしょ。
うちの家は幕末に養子取ってきてるけど、除籍謄本に〇〇〇の□□□□の次男
が戸籍編製前に養子に来たと書いてあるし。
戸籍編製前だから縁組年月日は不明とも書いてる。
862 :
日本@名無史さん:2013/07/21(日) 18:03:42.29
自分の名字と同じ名前の村があり
そして 祖父以前はそこの出身らしいです
名字が村の名前と同じとはどのような場合が考えられますか?
>>862 1)明治以前から苗字を持っていた→初代当主がその村に住んだ時に名乗り始めた
2)明治以前には苗字が無かった→苗字を作るときに村の名から取った
3)たまたま住んだ村の名前と同じ苗字だっただけ
4)元々その地方の有力者だった→苗字にちなんで村の名前が名付けられた
大半は1〜3のどれかと思われる。
4は余程古い家(鎌倉期以前から続くような家)でない限りないと思われ。
気になるなら村の歴史から調べたら、村の名前の起こりくらいは分かるだろう。
>>862 ・地名を名字とした。
・名字を地名にした。
前者の方が蓋然性は高い。
>>863 3は苗字の由来がよくわからないだけでちゃんと調べれば1だと思う
>>863 うちの地元だと
村名(大字)と同じ名字の家は4
地名(小字)と同じ名字の家は2
って感じ
869 :
日本@名無史さん:2013/07/22(月) 12:25:17.70
どうでもいいだろ
どうどう
>>871 そうか?
田舎では珍しくもないと思うけど
>>866 それは出身地である他の場所の地名と苗字が同じということ?
それとも今すんでいる場所の地名と苗字が同じということ?
>>871 レアといえばレアなのかな
うちの市で4はうちの地元だけだと思う
>>873 後者というか
出身が今住んでる場所
876 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 02:16:14.48
じいさんのじいさんは刀があったと言うけど
それだけじゃ何もわからないよね
刀くらい農民でも持ってたぞ
878 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 09:57:11.89
紋付き袴は?
江戸末期頃までは何も調べなくてもご先祖の姓名は判明してる訳だけどw
裃って普通の農民でも持っているものなの?
881 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 14:04:30.23
>>878 それはごく稀。っていうか、大嘘に近い。なぜなら
祖父母 4人
曾祖父母 8人
高祖父母 16人 この辺りまでの姓名は知っている人もいるだろうけど、
その前 32人
江戸末期の先祖だと、20〜40人くらいの姓名を知ってないといけない。
882 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 19:26:51.55
>>881 あっそうか、そういう風にとる人も居るのか。言い方悪かったかも。
先祖っていうか殆どは父方の直系尊属の名前?
江戸時代末期ぐらいまで何人かで足りるけど。
そして袴というか侍の裃。
883 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 20:06:20.69
>>881 全員とは言ってないだろ。屁理屈甚だしい。
884 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 21:14:27.82
先祖探しのテクニックを語るスレで、父方だけなんて
調べるまでもないだろ。
このスレの住人にとっては、16高祖父母は最低限だよ。
なんで勝手に決め付けてんのw
横よりまず縦だろ
887 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 21:34:18.24
名主、与頭の村役から、ある程度の本百姓なら、
婚礼や葬儀に、麻上下は着用してるよ。
天領の俺の地域(山陽)での名字帯刀とは
羽織袴と脇差のスタイルだったらしい
889 :
日本@名無史さん:2013/07/24(水) 22:00:16.81
>>885 このスレは17だけど、前々スレぐらいまでは、32人の先祖を調べる
扇形系図と番号がテンプレに付いてたんだ。
あの無意味なコピペ貼ってたのお前か?
>>879 農民は苗字を持たなかったという説は間違いだぞ
公文書など公の場面で名乗ることが出来なかっただけ
みんな苗字を持っていたが、公に名乗ることが出来なかったためにそれを忘れる家もあった
江戸時代の衣装や刀が遺ってるってのが羨ましい
うちにあるのは寺子屋にあるような机だけ
894 :
887:2013/07/25(木) 01:10:45.15
>>892 麻はペラペラというかヘナヘナが普通で、それを糊を効かした上で
肩持ちという、クジラのヒゲで作った芯を肩に張り出すものです。
>>890 そんな負け惜しみ言っても無駄。
何世代にも渡って、嫁に行ったり、婿入りしたりしている付き合いの
深い親戚を調べることにより、謎だった先祖が解明したというのが、ここの
先祖スレの経験的な先祖探しのテクニックの一つだから。
つまり、父方の先祖を調べるにも、母方の親戚とかの先祖も調べることが欠かせない。
これは、ある程度以上の家柄にとっては、常識なんですよ。
まあ父方だけなら調べるまでもなく分かってしまう御仁ですからな
896 :
887:2013/07/25(木) 01:43:27.56
884は、私ではありません。
そうか
ところで
>これは、ある程度以上の家柄にとっては、常識なんですよ。
こういう表現が
>>1の4に抵触する虞は感じないかね
898 :
890:2013/07/25(木) 02:30:15.73
誰と同一視してるのか知らんが、俺じゃないよ
負け惜しみとか言われても当惑しちゃうし、お前の言ってることはテクニックでもなんでもないと思うのだが
俺が言いたかったのは単に、あの番号ふってたテンプレ(?)は使い道ないだろ、なんなんだってことだわ
養親の戸籍なんですけど
養子縁組を解消してても取れるんでしょうか?
900 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) 13:35:07.26
横レスで悪いが、会津藩士の著名人もみんな縁戚関係にあるからね。
縦の繋がりを深く調べたければ、先ず横の繋がりを調べろというのは本当だよ。
因みに俺は、無関係だと思っていた隣村の名主の家の墓を調べたら、俺の家から
嫁に行ったり、本家の婿に入ったりしていた家で、その家とは、戦国時代に
同じ大名に使えた侍大将同士だった。だから、先祖調べの初心者で、テクニックを
知りたい人は、頭をやわらかくした方が良いと思うよ。
>>899 養子として自分も記載されているものなら取れる
養親しか記載されていないものは直系の親族ではなくなってるから取れない
>>900 テクニックの話じゃなくてテンプレの話でしょ
だいたい調べた方がいいというのはテクニックじゃないだろ
調べるにあたっての方法とか手順とかなら分かるけど
心構えだな
903 :
900:2013/07/25(木) 14:09:01.37
横レスして損した。
なんだか知らないけど頭冷やした方が良いよww
気に触ったら勘弁してくれ。
904 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) 14:11:07.10
見当はずれな横レスなんてするもんじゃないわな
905 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) 16:01:37.21
そうだよな
頭冷やして横レスしてくれ
906 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) 17:56:08.97
907 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) 17:57:24.10
あ、等は誤変換です。
908 :
日本@名無史さん:2013/07/25(木) 21:42:33.02
>>906-907 いちいち粘着すんなよ。
防犯パトロール関係者とか言って、
米大使館他にテロ新興宗教信者仕立てあげ偽情報工作してはPRISMスパイソフトで追跡させて盗聴情報共有、
犯罪者仕立てあげ保険金殺人目論む基地外粘着創価夫婦ども。
証拠取られまくってる癖に何時までもやってんじゃねぇおまいらには関係ないスレだ。
一合枡に高祖父の名前が書いてあった
毎日米量る時に普通に使ってたわ
100年は使ってる?
亡くなる頃に買ったとして大体100年位か
その後に2回家建て替えてる
よく捨てられなかったもんだ
百年まではいかないけど戦前からの一升枡と一斗樽はあるな
居宅は一回移転して一回立て替えた
わりと捨てないもんなのかな
100年前の物か
そういえば写真があったな
曾祖父の若い頃の
うちはお婆ちゃんがもうすぐ103年もの
そうか
生きてる人もいるんやな
916 :
日本@名無史さん:2013/07/26(金) 12:58:35.91
>>900 俺も先祖調べ続けていて、同じような体験した。
父方に限らず、母方や、祖母の実家も調べないだめだなんだ。
>>908 恥の上塗りだよ。
917 :
日本@名無史さん:2013/07/26(金) 14:08:30.80
家には、瀬戸物が結構残っている。
918 :
日本@名無史さん:2013/07/26(金) 14:23:48.85
皆さんがうらやましい。うちは空襲で全部燃えちゃった。
区役所も燃えたので、父方の古い戸籍も辿れなかった。
だから、残っていて法的に取得できる除籍謄本は、全部取った。
幸いお寺で父方の先祖の名前がわかったので、江戸末期の先祖20人ほどの中で、
名前がわからないのは、母方の曾祖母の実母と、父方の高祖母の女性二人だけだ。
自分の高祖母のひとりが、未婚のまま17で子供産んではたちで実家で死んでるんだよね。父親も無記載。
なにか訳ありだったとは思うけど、なんか嫌なイメージもってしまう。
>>919 自分は曾祖母の一人が嫁いでくる前に実家で私生児を産んでいた
残念ながら早世してしまったし今日では誰も何も分からないけど
先祖について調べていると負の記憶?みたいのが蘇ってくるのが良いような悪いような
夜這いか村祭りで乱交?
酒を持って参れ
923 :
前スレ83:2013/07/28(日) 17:08:24.37
>>918 私の場合は父方の高祖母一人の名前が先祖調べをしていて長く不明確でした。
しかし、これが何と曾祖父自身による公的な資料により明らかとなったのです。
高祖母といっても八人いるわけですから、正確にはE高祖母です。
(E高祖母というのは、これは先行スレのテンプレにあった便宜番号で、どの
高祖母かを簡単に示すことができて無駄ではなかったのです)
父方の曾祖父(明治元年生)の東京の古い戸籍には、父親が□□右衛門(文政八年生)と
あるのに、母親の名前が空欄でした。明治19・明治30年式戸籍では母親名が空欄の
ことはよくありますので、疑問にも思いませんでした。
曾祖父が明治31年に東京で新所帯をもってからは、郷里では、曾祖父の兄が戸主となって、
その戸籍には前戸主、高祖父□□右衛門(文政八年生)・前戸主妻、高祖母△△(天保三年生)が
記載されています。もちろん曾祖父自身の名前も、前戸主妻△△(天保三年生)のすぐ隣に
亡戸主□□右衛門の二男として明治31年に「分家ス」と書かれて記載されています。
それで、私はてっきり曾祖父兄弟がともに同じ母親の子であると信じていたのですが、
曾祖父が都内を何度か転居して、最晩年に何番目かの息子孫夫婦と同居したときに、
孫の出生届けを区役所に曾祖父が届け出ていて、その時に、区役所の職員から、
東京に出てきてからの曾祖父本人の戸籍の母親蘭が空欄であることを告げられたらしく、
そこで曾祖父本人が、自分の実母は○○であると、戸籍課に届け出て、戸籍が追補完
されていたのです。
これは、古い戸籍ばかり探しても見つからなかったことです。みなさんも、曾祖父母
たち最晩年の戸籍まで全て取得することをお奨めします。
直系の祖先の戸籍を出生時から死亡時まで全部取得するなんて当たり前すぎるんでないの
だいたいあのテンプレの番号の付け方は恣意的すぎるだろ
父母から数え始まって祖父母、曾祖父母と遡るほどに数字が大きくなるのなら分かるけど
なんで高祖父母から数え始めるんだ?それ以前には関心無しか
高祖父母以前は負の数になってしまうのか
あのテンプレの数字をくっつけて○高祖父だの○曾祖母だのみんな言ってなかったじゃんw
┬1 父──┬3 祖父─┬7 曾祖父┬15高祖父
│ │ │ └16高祖母
│ │ └8 曾祖母┬17高祖父
│ │ └18高祖母
│ └4 祖母─┬9 曾祖父┬19高祖父
│ │ └20高祖母
│ └10曾祖母┬21高祖父
│ └22高祖母
└2 母──┬5 祖父─┬11曾祖父┬23高祖父
│ │ └24高祖母
│ └12曾祖母┬25高祖父
│ └26高祖母
└6 祖母─┬13曾祖父┬27高祖父
│ └28高祖母
└14曾祖母┬29高祖父
└30高祖母
こういう感じならまあ分かるけど
926 :
日本@名無史さん:2013/07/28(日) 19:09:06.66
わーい。
久々の83さんだ。前スレでの判読ありがとうございました。
>>924 >当たり前すぎるんでないの
といっても、それは
>>878みたいなのが出てきたからだろう。
なんか必死すぎるぞww
まあ、次スレは、925の作ったやつテンプレに推薦だなw
927 :
日本@名無史さん:2013/07/28(日) 19:49:46.87
1高祖父
17曽祖父
2高祖母 25祖父
3高祖父
18曾祖母
4高祖母 父
5高祖父
19曽祖父
6高祖母 26祖母
7高祖父
20曾祖母
8高祖母
9高祖父 あなた
21曽祖父
10高祖母 27祖父
11高祖父
22曾祖母
12高祖母 母
13高祖父
23曽祖父
14高祖母 28祖母
15高祖父
24曾祖母
16高祖母
高祖父母より古い先祖はどーすんの?マイナス番号なの?
929 :
日本@名無史さん:2013/07/28(日) 21:18:45.82
まずは、高祖父母を探そうってことなんじゃないかな?
それより遡ると32になるけど、さすがにそれは難しいと思うよ
16人の高祖父母がまずは最初の取り掛かりにはいいのだと思います。
これ以上さかのぼる場合は、たとえば11高祖父を遡りましたが・・・・
という表現でもOKではないかと思います。
まあ、先祖探しにルールなどないので、自分のやりやすい方法が一番ですけどね
>>925でいいじゃん
高祖父より前がわかる人も多いのに何で高祖父を1番にしたいの?
931 :
前スレ83:2013/07/28(日) 22:32:02.51
>>925さんご苦労様。わたしも925さんので良いと思います。
>>890さん(=924さん?)のお前よばわりや、揶揄や煽りは控えて楽しくやりましょう。
お前呼ばわりしたのは俺だよ
924の人は俺と違って、しっかりとした見解があって指摘してる人だから、誤解されたら気の毒かな
流れを切ってすまんね
天保時代の墓に釈妙栄って戒名の墓があるんだけど
一般農民の女性でも漢字の名前があったの?
我が家の明治の女性の名前には漢字が使われてない(カタカナ)だったから。
栄という漢字はおエイさんの当て字ってこと?
後者と思われる
頭に釈がつくのは浄土真宗ではない?
だとしたら戒名ではなく法名
>>934 ありがとう
うちの宗派は臨済宗なんだけど、
この人だけが浄土真宗の特徴なんだよねぇ。
この人の墓石の形態も、
太平洋戦争での戦死者の墓の形みたいな角柱で先が尖ってる墓なんだよね。
>>919 うちの家では結婚する前に一緒に1年〜2年程度住んで、正式に結婚したり
そのままご破算なんてこともあったよ。
当然結婚前提で住むので子供も作る。
大概後継者たる男子が生まれると、そのまま結婚に行っていたようだが、
女子が連続して生まれた時は御破算になってた模様。
ちなみにご破算になった時の子供については、父方が引き取ることもあったし、
母方が引き取ることもあったようだ。
919/920はそういったケースじゃないかと思うよ。
>>936 >>920だけどそれはないな
私生児を産んで早世した後に代々縁組する家の従兄(曾祖父)と結婚してる
曾祖母は長姉で家督はすぐ下の長男が継いだけど
この曾祖母の弟も代々縁組する別の家から婦を娶るも子が無かったので曾祖母の三男を養子にしている
婦聟は子供が無いとすぐ離縁されるイメージがあるけど養子をもらう場合も結構ある
938 :
日本@名無史さん:2013/07/29(月) 23:08:34.45
>>935 その墓は法名から浄土真宗です
935さんの家が臨済宗ということであれば、おそらく、まったくの赤の他人の墓を
管理しているのだと思います。
昔はよくあることです。
天保時代よりも前の先祖の墓で臨済宗形式の墓はありますか?
あれば、何かの縁で墓を管理していると考えられます
または、嫁に行った娘が何かの理由管理できなくなったために実家で管理
または、天保以前の墓がないのであれば、まったくの赤の他人の墓が誤って混入
代々の子孫が墓守をしているということもあります。
当時はその理由が分かっていましたが、さすがに200年くらい前の話ですので
現在では伝承も伝わっていないのでしょう。
>>938 赤の他人かどうかは様々な可能性を排除してから検討すべき
地域や家系によるから何とも言えないけど
ある家では男と女とで或は当家生まれの者と他家から縁組みで入った者とで宗旨が違う場合があった
既に指摘しているように宗旨の異なる他家へ縁組みした子女でも早くに亡くなった場合は実家で弔っている場合がある
何らかの事情でその家で弔うことになった親類縁者にあたる者や長く仕えて大事にされた使用人とかの墓碑がぽつんと存在していることもある
そもそも何らかの事情があったとするなら赤の他人という表現はおかしいでしょう
仔細が現代に伝わらないとしても何らかの縁者だからこそ今まで管理してきたわけで
無縁となって無造作に始末される墓が多くなる中で幸いなことだ
940 :
日本@名無史さん:2013/07/30(火) 17:16:11.84
おお素晴らしい
942 :
日本@名無史さん:2013/07/30(火) 18:23:43.84
もしさ、先祖が被差別部落出身者だった場合、
そして自分は知らない場合歴史を調べる過程で
被差別部落に関係したことを聞く可能性もあるよね。
そういう場合差別ということになって、部落団体からすると批難の対象になるのでしょうか。
943 :
日本@名無史さん:2013/07/30(火) 18:28:06.96
松平時代の岸和田藩の資料ないかなー
>>943 これはテレビ番組の話だけど
一般人でも問題になるんですかね。
なぜこういう質問をするかというと、行ったこともない先祖のいた村がそういう地域を含んだ村だからですけど。これは郷土資料を調べてわかったことですが。
先祖の出自もそうかもしれない。
お寺は特定できた。
>>946 うちの藩は特殊らしくて
部落だけの村とかじゃなくて、百姓とかと混在してたらしいです。
ただ、藩じゅうがそんな村だらけだったってわけでもないので、被差別階級だった可能性はあるのかなと思います。
まだ浅くしか調べてない話だけど部落の人用の寺が広域を対象にしてあったみたいですが、それもわかってますが、先祖の寺はそれとは違います。
その村にあった寺です。
ただ、これはわかってほしいけど、他人が差別しようが自分は差別する心とか
そういうことを気にするとかはないです。
先祖の歴史という興味はありますが。
気になるのは、調べる過程で差別してるのかって怒られるのは嫌だ。
長州藩です
>>947 もともと「部落」という言葉そのものには差別的な意味はない
少なくともこのスレでは言葉を正しく使おう
>>942 団体は意外と問題ない
それよか周りのタブーな風潮というか
そっちの方がネックになってくる
そこのブログ癖あるけど
面白い
俺の先祖は被差別部落出身です
957 :
日本@名無史さん:2013/07/31(水) 05:06:39.14
うちの藩はひさべつ部落なんていう存在じたいない
なんだそれ?ってかんじ
だから新百姓といえば普通に分家して農業を始めた人って意味でしか使ってない
うちの藩の新百姓取立名簿はみんな郷士だ
958 :
日本@名無史さん:2013/07/31(水) 05:18:36.15
加州金沢住長兵衛藤原清光(非人清光)
それはありえんな
呼び方は別にして役目は必ずある
>>951 団体がDQNだからそういう風潮になったんだろうが
その通り
部落==集落
つか、現代社会で被差別部落出身者が嫌われてるというより、
税金に寄生してるということで嫌われているだけ。
>>961 関西地方は差別が苛烈なんで、それで被差別部落の出身者が暴力団員になり、暴力を背景に差別する馬鹿共を黙らせてきた史実がある
つまり関西で住んでた住民達がDQNで、それで対応する被差別部落側も対応する為にDQNになったというのが実際のところだよ
現に今、きみは部落民がDQNだからそうなったと、住民が糞みたいな差別をして、暴力団員になるまで舐めて差別を続けた糞っぷりを隠蔽してるじゃないか
結局、住民達がDQNだったから、団体もDQN化したんだよ
大体、暴力団員になるまで差別して悪口を言いまくり、嫌がらせをやめないとか、どこまで性根が腐ってんだって話
また暴力を背景にした途端に黙るというチキンぶりも、余りにも汚らし過ぎて話にならん
二重の意味でおかしい
言いたかないが、余所の地域の人間から見ると、関西の人間って心底から腐ってんのか?って感想しか持たねえよ
まあ維新の会みたいなおかしな連中が支持される土地柄だから、あの地域だけが異質なのは誰の目にも明らかだが
自分で読み返してひどい論理だと思わんのか
団体がDQN化したのは利権化したからでしょ
部落にとって
同和対策事業って毒まんじゅうだったのかも
勉強なるわ
部落解放同盟最大のタブー「浪速闘争」
http://www014.upp.so-net.ne.jp/senku/07-10nijima.html 証言してくれた元活動家は最後に「浪速闘争以降、ヤクザの同和事業への介入が進んだ」と語った。
別の活動家は「同和が悪いんやない。同和に巣くうたヤクザが悪いんや」と吐き捨てるように言った。
『紅風』に掲載されたインタビューで長谷川はこう語っている。
「地区内の『同対』関係の建設事業に、地区内の企業が参加できないのはおかしい、という意見はもっともな意見のようにみえます。
けれども、もしこの意見を運動体が認めたら、利害がらみの混乱が起こるのは、今までの経験が証明している。
だから運動体は工事請負の問題についてはいっさいタッチしない、……利害がらみの分捕り合戦に運動体が巻き込まれたりしたら、
部落大衆の利益、部落大衆の願いなど、ふっ飛んでしまいます」
浪速闘争の敗北により、部落解放運動の最も大切な部分が「ふっ飛んで」しまい、ヤクザが大手を振って事業に巣くうようになった。
974 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 00:58:21.74
被差別部落が日本全体にあったとかいうのやめてほしい
俺の藩にそんな存在無いもん
部落なんて言葉は大字単位で使う呼称だよ俺の里では
> 部落なんて言葉は大字単位で使う呼称だよ俺の里では
あったとこでもそうだよ
部落は左翼とアウトローに食い物にされた印象だなあ
運動も戦前の融和運動の流れでうまくやってたら
ここまでDQN化することはなかった気がする
>>967>>969 そういうロジックで関西人の差別に対する糞さ加減、馬鹿さ加減を隠蔽しようとしても無駄だと言ってるんだがね
大体、暴力団員にでもならなければ嫌がらせや差別をやめなかった地域なんて、関西くらいしかないんだぞ?
だから異常だと他の地域の人間から非難されてるのに、きみら何もわかってないだろ
>>976 考えてみ
部落問題で地域がグシャグシャになってるのが実質関西だけって現実を
やり方が悪かったんでなく、関西だけが異常だった事の証明に他ならない
この問題に関してだけは、本当に関西人は酷いからな
福岡とか広島も関西並みに酷いと思うけど
福岡には松本龍がいる
広島には小森龍邦がいる
解同の実力者がいるとこはやっぱアレな地域だと思う
980 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:26:19.42
被差別部落って何で被差別部落なの?
お里に被差別部落が無いから僕わかんなーい
>>974 だから部落と呼ぶかどうかは別にして
斃牛馬処理とかの役目は全国どこでもあったんだって
それを否定するってことは、今の時代でいえば
うちの自治体はゴミ収集がないと言ってるようなもんだぞ
>>974 大体の地域では、部落差別問題は解消されてる
差別が限度を越して強烈かつ異常だった関西地方では、今でも差別が根強く残った
そしてその件に関する関西人の反応が傑作なんだよ
曰く「部落が利権化したから差別が残ったんだ!部落は利権をやめろ!」
関西では、1970年代くらいまで、店先に置いた釣銭を、一般人用、被差別部落民用と分けていた
本(部落関連の偏向した本じゃないぞ)を読んでその話を知って、ビックリしたわw
いいかい、1970年代だよ?
部落地名総鑑事件が発生したのは確かに1975年かも知れないが
日本全国では差別問題は確実に下火になり、確実に消えつつあったような時代だ
そんな時代に、関西地方でだけは、こんな馬鹿馬鹿しいえげつない差別が継続していた
結局、関西人ははなから差別をやめる気などないんだよ
利権がなくなろうが差別は続けるし、差別しないと生きていけない特殊なメンタリティーを関西人は持ってる
何でそんなメンタリティーが発達したのかは知らないが、関西地方ってとにかく異質で、普通の日本国民と気質そのものが違う
私は関西の人間じゃないので理解不能だが、関西人には差別対象を作って攻撃しないと気が済まないところがあるようだ
でもその事がばれると困るし、そう思われたくもないから、それでもっともらしい理由として
「部落が利権化したから差別が残ったんだ!部落は利権をやめろ!」とかと言ってるだけ
関西人がこれまでやってきた事を見れば、やめる気がない事なんて明白
>>978 変な話だけど、部落差別問題だけは、関西最強伝説が成り立つ
笑い話じゃないんでwを文末にはつけないが、関西人が何故あそこまで苛烈な差別を継続するのか、他地域の人間である私にはまったく理解できない
984 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:35:25.34
>>981 全国どこでもなんて断言するのはやめてほしい
俺の里では職業差別も被差別部落も無い
大工や鋳物職人や鍛冶屋は抱えられた職人もいるし
農業でも郷士身分もいる
小藩でろくが少ないから革を扱う職人は家中になってる人もいるくらいだ
日本全国に被差別部落があったなんてデマはやめてほしい
986 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:40:21.42
987 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:45:49.70
支配者被抑圧者、富裕層貧困層、普通部落被差別部落、弥生系縄文系…
これは左翼の典型的やり口だよ。
歴史施設も学者もそんなのやってて笑えるが。
そういうことやってて恥ずかしくないのかね。
988 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:48:40.97
その妄想の中の被差別部落の人が革を扱っているとよく聞くけど
そこでは革具足は誰が作ってるの?
被差別部落の人?(笑)
989 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 01:51:08.19
俺のお里では革具足の職人は抱えられた武士だけど
対立軸を作って融和を崩そう、階級闘争に持って行こうっていうね。
古典的なカビが生えたようなことやってからに。
戦後脳の老人方には早く引退して貰わないとな。
単に上か下かでしか関係を築けない獣のような朝鮮脳化してるのもいるのかもしれないけど。
部落とは地区のような使い方で全国的に使われていた言い方。
問題になってる地区のことを被差別部落と言うが、それを意図的に誤解によって拡大させようとした跡。
売国にしてもこういうやり口はあまりにもゲスすぎるな。
993 :
日本@名無史さん:2013/08/01(木) 02:18:48.27
うちにも部落問題あるわ
うちの部落は若い消防団が減少傾向で問題だわ
俺も誘われたけど入団しなかった
ジジイの世話は嫌だから
>>977 お前にはロジックがねえんだよ
組に入って人を脅しておいて、周りがそうさせたのが悪いとか誰が聞く耳持つんだアホか
越せばそれだけで解決への一歩なのに、それもせずに一方で差別はなくならないと騒いでは被害者ぶって既成事実化し、
それを盾に一方では社会の問題意識を利用して利権に与ってる
今や出自とは関係のない批判なんだよ
>>961です。
本当に反省しています。配慮が足りませんでした。今後このようなことは絶対にいたしません。
なにもこのスレで同和団体の遣り口を分かり易く踏襲する必要もなかろうに。
差別は時代と共に薄れつ消えつするのに、
同和利権を貪るクズどもと、差別解消を訴える愛の天使気取りのような、
本当になくなると困る輩が駆除されないおかげで、関西の賤民差別はいつまでも残る。
差別と黒人が大嫌いというネタがあるけど、
この御仁は差別と関西人が大嫌いなんだねw
金が絡むと人は変わるし、寄ってくる連中もロクなのが居ない。
そういう意味では近江八幡は正しい道を選んだんだな。
解同高知市協「差別手紙」事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E5%90%8C%E9%AB%98%E7%9F%A5%E5%B8%82%E5%8D%94%E3%80%8C%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%89%8B%E7%B4%99%E3%80%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6 1994年1月7日、部落解放同盟高知市連絡協議会(解同高知市協)に同和地区住民と朝鮮人への中傷文書が送られた事件。
後に関係者による自作自演と判明した。
文書の内容は高知市内にある高知市立特別養護老人ホーム福寿園に関わるものであり、
「朝鮮人を筆頭にエッタをつれて掃除をしているようであるがみるも汚らわしい」などという内容であった。
手紙の宛先人は解同高知市協に勤める在日朝鮮人で、その妻は福寿園に勤務していた。
この問題を受けて解同高知市協は、手紙に福寿園の内部事情が書かれていたことを理由として、犯人は福寿園職員であると断定。
同年1月18日には「差別手紙糾弾抗議集会」を開き、高知市長や幹部職員たち約100名を糾弾。
解同の追及を受けた高知市も、全職員にこの手紙のコピーを渡して感想文を書かせ、個別面談を行い、筆跡鑑定を行うなどの調査を開始した。
「差別手紙糾弾抗議集会」の席上、市長は解同の推進する「部落解放基本法」の地方版ともいうべき人権条例の制定に言及した。
ところが同年2月15日、この手紙の差出人が自首してきた。犯人は長年にわたって解同と深い関係を持ち、
職場の「差別落書き」事件などを取り上げてきた市役所主査で、部落解放研究会の会員でもある職場活動家だった。
動機は「(市に)人権条例を制定させるには、いろんな差別事例が必要だと思った」「部落解放のためにやった」というものだった。
このため、同年3月28日、高知市はこの市職員を分限免職(退職金あり)処分とした。
>手紙の宛先人は解同高知市協に勤める在日朝鮮人で、その妻は福寿園に勤務していた。
>手紙の宛先人は解同高知市協に勤める在日朝鮮人で、その妻は福寿園に勤務していた。
>手紙の宛先人は解同高知市協に勤める在日朝鮮人で、その妻は福寿園に勤務していた。
いい加減スレ違い
先祖探しに関わらない同和ネタは新スレに持ち越すな
余所でやれ
1001 :
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。