古田史学および古田武彦について 5

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1日本@名無史さん
古田武彦
1926年 福島県に生まれる
1945年 東北帝国大学法文学部日本思想史学科入学、1948年卒業
(その後高校教員を続けながら親鸞の文献研究者として有名になる)
1969年 『史学雑誌』に邪馬壹国説を発表
1970年 教職を離れる
1984年 昭和薬科大学文化史研究室教授
1996年 昭和薬科大学退職
著書
「邪馬台国」はなかった(1971年朝日新聞社)
失われた九州王朝(1973年朝日新聞社)
盗まれた神話(1975年朝日新聞社)
ほか多数
2日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:23:21.81
前スレ
古田史学および古田武彦について語るスレ(4)
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1324766252/
3日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:32:04.43
前スレ>>986
>繰り返すが、中国史書はこう書いている(書いていない)ということを、日本書紀の記述の真偽をはかる基準にするのには無理がある。

九州王朝説は中国史書の記述を元にしているのに何言ってんだよw
こういうのをご都合主義っていうんだよ
4日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:36:15.97
>>3
論点が違うよ。

その前の両者の議論の流れを読みなおしてくれ。
5日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:45:27.97
古田信者に明史に記述されている日本国王良懐について解説をお願いしたい。

征西将軍に過ぎなかった懐良親王が、明から正当な”日本国王”として認められた
良懐と同一人物とかありえないだろ?
名前が違うし、懐良親王の死後も朝貢しているのだから荒唐無稽だよな?

室町時代に記録に残っていない”良懐”という人物が国王を務めるもう一つの日本が
存在し、日本の記録からは抹消されたでOK?
6日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:46:56.00
基本的には文献の記述を尊重する。
しかし、どうやっても矛盾する場合には、
間違いや書き換えを疑う。

って程度でよくね?
7日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:49:21.56
古田信者って陰謀論者なんだよね
オカルト信奉者と同じ臭いがする
8日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:52:15.29
>>5
君の考えを聞かせてくれ。
9日本@名無史さん:2012/09/22(土) 17:02:32.90
>>4
違わないよ
つーか中国史書を基準に日本書紀の真偽をはかっても何の無理もないだろ
比較史料はそれしか無いのだから
10日本@名無史さん:2012/09/22(土) 17:05:01.22
>>9
日本語を勉強しなおしてから書き込んでくれ。
11サガミハラハラ:2012/09/22(土) 17:15:34.53
>>996さん、ご明察です。
初代神武から垂仁天皇までは4倍年(暦)です。
12日本@名無史さん:2012/09/22(土) 17:21:40.50
>>8
当時、倭寇が猛威を振るい、これに手を焼いていた明の太祖(朱元璋)は
”日本国王”に倭寇の取り締まりを命じる使者を送った。

当時、北九州を支配し大宰府にいた懐良親王がこれを迎え、1371年に日本国王
良懐として倭寇によって奴隷としてとらえられた中国人70人などをつれた
朝貢使節を送った。

朱元璋は喜んで日本国王良懐として冊封した。

懐良親王が、なぜ日本国王良懐を名乗ったのは不明。
日本国王を名乗らないと朝貢ができなかったのかもしれない。
また当時、全国の南朝勢力で唯一室町幕府に脅威を与えうる自分が
京都に攻め上がれば、天皇になるという意識もあったかもしれない。

ただ、懐良親王自身が朝貢したのはこの一回のみ。

この後、数次にわたる日本国王良懐の朝貢は全て日本国王良懐を詐称して
行われた。(記録から島津氏や北朝勢力の関与が疑われている。)
13日本@名無史さん:2012/09/22(土) 18:44:58.08
>>10
君は論理的思考が出来るようになってから書き込んでくれ
14ローガン:2012/09/22(土) 19:13:44.94
>>977
>王の系譜と言うのは、自王朝の系譜というのは正当性の表明でもあるわけだから、そのくらいには大切なことだろう。

系譜の食い違いがあれば、別王朝だってか(笑)
「永徽初其王孝徳即位改元曰白雉獻虎魄大如斗碼碯若五升器。時新羅爲高麗百濟所暴高宗賜璽書令出兵援新羅。未幾孝徳死其子天豐財立死子天智立。
明年使者與蝦[虫夷]人偕朝。蝦[虫夷]亦居海島中其使者鬚長四尺許珥箭於首令人戴瓠立數十歩射無不中。天智死子天武立。死子總持立。(唐書)
書紀に拠れば、天豐財は孝徳の子じゃない。持統は天武の子じゃない。 ただ食い違いがあるだけ。
空想の九州王朝など出る幕無し。
15日本@名無史さん:2012/09/22(土) 19:15:35.77
>>13
そうか、君は日本語が苦手なことは認めるのか。

潔い態度に感服したw
16日本@名無史さん:2012/09/22(土) 19:22:54.14
>>12
>この後、数次にわたる日本国王良懐の朝貢は全て日本国王良懐を詐称して行われた

詐称というより、明側がその名じゃないと許さなかったから、という説もあったような?
17日本@名無史さん:2012/09/22(土) 19:23:32.77
>>13
俺は論理的な思考は得意だけどね。
18日本@名無史さん:2012/09/22(土) 19:43:59.93
古田信者たちもここまでコケにされてるんだから
九州王朝(仮名)が存在した根拠をズバーンと出しちゃいなよ!
19日本@名無史さん:2012/09/22(土) 19:47:24.07
>>16
日本国王良懐と名乗れば倭寇でもOK?

明が日本国王と認めたのは良懐だけなんだから良懐以外の日本からの
使節は認めないのは当然だろ。
20日本@名無史さん:2012/09/22(土) 20:14:28.03
死ぬ前に御大、和田に騙された、と認めてくれないかなあ。
21日本@名無史さん:2012/09/22(土) 20:26:48.70
>>19
日本国王としての国王印が下賜されてるだろ? 普通は。

その日本国王印が真正の証明だから、それを持ってる人物にそれなりのものを払って朝貢(貿易)したんだろ? 詐称というより。
22ローガン:2012/09/22(土) 23:35:19.50
>>18
>古田信者たちもここまでコケにされてるんだから

わざと煽っているんだが、なかなか詳しい方が、出て来ないんですよ。幼稚な僕ちゃんだけでねえ。
ただ、スルーきめこめば 返信不可能の未熟さをごまかせると 、自分に言い聞かせてるのが、手に取るように見えるのが 哀れと思いつつ…
23日本@名無史さん:2012/09/22(土) 23:37:49.37
>>22
レス乞食は無視されるから、違うコテにしてみたら?
24ローガン:2012/09/22(土) 23:50:28.39
ほら、2分で屑レスは返せても 既述のスレタイに沿った投稿に関しては、
予想通り返信不可能。
25日本@名無史さん:2012/09/22(土) 23:59:59.79
前スレで出てきた「三国史記」のことで、だれか詳しい人はいる?
26日本@名無史さん:2012/09/23(日) 00:15:58.50
素朴な疑問だが、記紀と、漢籍で年代まで一致している、
最古の人物は誰だろう。
名前まで一致すればなおよし
27日本@名無史さん:2012/09/23(日) 01:55:50.12
聖徳太子でさえ、ほぼ間違いなく別人だからなあ。
28日本@名無史さん:2012/09/23(日) 13:04:19.86
 このスレ、古田の人間性を云々する書き込みが少ないね。
 古田ってさ、思想家として登場してきた面もあったはずだ。親鸞の如くあらん
ってね(笑)
29日本@名無史さん:2012/09/23(日) 13:24:07.97
聖徳太子は居なかった
邪馬台国はなかった
九州王朝は存在した

なんか同じ臭いがする
30日本@名無史さん:2012/09/23(日) 13:24:35.07
>>26
>記紀と、漢籍で年代まで一致している、最古の人物は誰だろう。
>名前まで一致すればなおよし
   
乙祁 : 扶桑國王 「名國王爲乙祁」梁書扶桑國伝

億計(仁賢天皇) : 播磨系畿内王権(顕宗・仁賢・武烈)
31日本@名無史さん:2012/09/23(日) 17:22:13.51
>>30
ちょっと書いてる意味が分からないんだが、「乙祁」と「億計」が同じ名前ということなんだろうね?
そうなら二つの疑問が出てくる。

元の字も当時の発音もわからないのでただの疑問だが、「乙祁」は「オツギ、オチギ」または「イツキ」あたりの読みが近いのかな?
同様に「億計」は「オクケ」または「ヨクケイ」あたりが近いのかな?
あまり似てないように感じる。

次に「扶桑國」。
これが日本(倭?)のことだという説もあるようだけど、それ自体もどうなんだろう?

それぞれ少し無理があるんじゃないだろうか。
32日本@名無史さん:2012/09/23(日) 19:10:52.16
>>31
T.
@扶桑國には、宋大明二年(458)に佛法が伝わっている。
A「扶桑在大漢國東二萬餘里(1400km) 地在中國之東」
  ここで、大漢國は梁の都の地(現南京)にあたる。
B扶桑國の風土が播磨國に似ている。「其地無鐵有銅不貴金銀」等。
以上から、扶桑國は播磨國を指していると看做せる。

その他『梁書』諸夷傳(東夷条)扶桑國伝を参照のこと。

U.
「乙祁」オケ 呉音
「億計」ヲケ

「億計」ヲケの弟に「弘計(顕宗天皇)」オケがいるが、億計が播磨國王である。
33日本@名無史さん:2012/09/23(日) 19:38:15.58
>>32
T.についてはなんともいえないというか、仏教伝来とか鉄がないとかいう風土の関連で同じと言えるかどうかよくわからない。
なお、2万里は普通に読めば8000キロ前後かと。

U.の「乙祁」を呉音だとすれば「オツギ、オチギ」?、短くして(短くできるの?)「オギ、オキ」ぐらい?
「億計」は呉音なら「オクケ」、短くして「オケ」?

両方とも前提がちょっとあいまい。
あいまいなもの同士を重ねて結論付けるのはどうかなあ?
34日本@名無史さん:2012/09/23(日) 20:58:15.47
「億計」は「ゥオケィ」で「ヲケ」 [wokei]
「乙祁」は「オケ」と「オキ」の中間音 [oke]

2万里は、短里70〜80m/里で。1400〜1600kmである。(私は短里70m/里説)

鉄が産地がなくて、銅銀金が豊富に産出する。
銅銀金鉱山があり、播磨の4本の川からは砂金が採取できた。
35日本@名無史さん:2012/09/23(日) 21:31:12.76
九州王朝の直接証拠は
日帝がぜぇんぶ焼き尽くしたニダ。
36日本@名無史さん:2012/09/23(日) 22:22:05.84
倭王武=雄略天皇、という説が正しいとしても、これが上限になるな。
それ以前は年代なんて無いようなものだし。

上限案2は、タリシヒコ=聖徳太子説か。
名前の一致はないが。
37日本@名無史さん:2012/09/24(月) 02:37:39.65
聖徳太子関連では、
ついでに遣隋使記事も一致しないんで、
多分まともに記録が残っていなかったと考えたほうが良い。
38日本@名無史さん:2012/09/24(月) 07:17:12.53
清水守民〜ペンタクロス古代史〜 http://blogs.dion.ne.jp/ pentacross

この在日も古田信者で、九州王朝を本家、大和朝廷を分家としている。
39日本@名無史さん:2012/09/24(月) 07:39:13.02

           【現実】
        九州(東遷)説
.            ↑
【左翼】(朝鮮系)←┼→【右翼】(無知蒙昧)
 九州(王朝)説  ↓  畿内説
           【妄想】
40日本@名無史さん:2012/09/24(月) 07:51:51.60
古田史学は、要するに、

「邪馬台国畿内説をなんとしても叩き潰したい!!」ここから脳内妄想の大暴走が始まって、

-(邪馬台国畿内説に基づく)大和朝廷が百済王子を人質に取っていた史実を、磐井の乱、百済本紀やアメノタリシホコを根拠として九州王朝を妄想捏造することで歪めた
-その脳内妄想・九州王朝が朝鮮半島に軍事介入し、最終的に「白村江の戦い」で滅亡したことにして、歴史の教訓としたかった

こういうことだろ?
41日本@名無史さん:2012/09/24(月) 08:12:35.19
随分と被害妄想がひどいな。
42日本@名無史さん:2012/09/24(月) 08:19:35.11
>>40
まぁ、そういうことだね。
在日韓国人が古田史学に飛びつく理由もそこにあるんだろうね。
「日本に追いつけ追い越せ」が国是だから、今の天皇家の先祖に自分たちの王子が人質に取られていたという史実はどうしても受け入れられないんだろう。
43日本@名無史さん:2012/09/24(月) 11:01:04.74
>>34
発音についても『梁書』についても何かを言える知見はないのでその説をとってみるが、それでも疑問がでてくる。
「扶桑國」を日本のことだとすると、同じ梁書の倭国伝(倭伝)との関係だ。

梁書倭国伝ほとんど他史書からの引き写しにも見えるが、それはともかく、「扶桑國」を「扶桑略記」との関連で見れば国名だろうが、日本の国名だとすれば、「倭」と「扶桑」は別の国として認識されたことになるんじゃないだろうか?

「慧深」という人の話として「扶桑國」と紹介しているようだから、日本の地域名と見る見かたもあるかもしれない。
ただ、地域名とすれば、「乙祁(乙?)」は立太子前にそこの「領主」であったということになりそうだが、仁賢天皇の逸話からみるとそれは難しそうだ。

そのあたりの疑問についてはどう考えているんだろう?
44日本@名無史さん:2012/09/24(月) 12:05:40.77
古田信者は梁書倭国伝、扶桑略記まで持ち出して、大和朝廷は近畿の一地方政権に過ぎず、
九州王朝こそ一貫して列島を代表する政権だったと言い出す始末。
妄想に妄想を重ね、推論に推論を重ねて、歴史を捏造していくのが古田史学。
45日本@名無史さん:2012/09/24(月) 12:18:00.83
>>44
「億計」と「乙祁」の話か?
「梁書倭国伝、扶桑略記まで持ち出」すと「大和朝廷は近畿の一地方政権に過ぎ」ないことになるのか?

>大和朝廷は近畿の一地方政権に過ぎず、九州王朝こそ一貫して列島を代表する政権だった

誰かがそんなこと主張してるのか?
古田氏はそんな主張してないと思うんだが?

もしかしたら、自分が「妄想に妄想を重ね」ちゃってるんじゃないか?
46日本@名無史さん:2012/09/24(月) 18:14:37.02

ウリナラの百済王子を人質に取っていたから、九州王朝は滅びたニダ!

チョッパリは九州王朝の滅亡を歴史の教訓にするニダ!
47日本@名無史さん:2012/09/24(月) 18:55:48.57
この辺で古田氏の説を整理してみる。
だいぶ前に読んだので記憶違いがあると思うけど、著書が手元にないので誰か修正してね。

邪馬壹国

一般に3世紀の「邪馬臺国」と言われているのは、魏志倭人伝の表記によれば「邪馬壹国」。
現存する魏志倭人伝には「邪馬壹国」表記以外はない。
「邪馬壹国」は魏志全体の方位や距離の表わしかたと整合させると、現大宰府付近にあったと記述されていることになる。

九州王朝

宋書倭国伝に記述のある5人の倭国王を検討すると、卑弥呼、壹与の後継者と考えられる。
邪馬壹国から続く九州の王権を九州王朝と名付けることにする。
この九州王朝は「武」の後、「白村江」を象徴とする朝鮮半島での戦いに惨敗して急速に勢力を失った。

大和王朝

2、3世紀頃に南九州(現日向市付近)にいた邪馬壹国に連なる有力豪族が東へ新天地を求めて移動。
この豪族の首長が「神武天皇」であり、この時の移動が「神武東征」説話として伝えられた。
神武は近畿の「ナガスネヒコ王朝」を撃破して近畿王朝を立てた。
6世紀後半に九州王朝を滅ぼして全国統一を成し遂げた。
4832.34.:2012/09/24(月) 20:26:00.18
>>45
>「億計」と「乙祁」の話か?
>「梁書倭国伝、扶桑略記まで持ち出」すと「大和朝廷は近畿の一地方政権に過ぎ」ないことになるのか?

そうだ。
日本書紀の「億計」と梁書扶桑國伝の「乙祁」の話だ。
播磨國の「億計」は、弟の「弘計」に大和朝廷を征服させ、大和朝廷を支配した。
その「億計」とは、扶桑國王の「乙祁」のことである。

「顕宗」「仁賢」「武烈」三代の天皇は大和を支配した播磨王である。
だから、この三代の期間の大和朝廷を「播磨王朝」とした人(畿内派学者)もいる。

「其地無鐵有銅不貴金銀」梁書扶桑國伝
播磨國では、鉄の産地がなく、銅銀金が豊富に産出する。
銅銀金鉱山があり、播磨の4本の川(加古川・市川・夢前川・千種川)からは砂金が採取できた。

なお、扶桑木は青桐のこととみなして良い。


私は、古田説を一部支持するが、古田信者ではない。
49日本@名無史さん:2012/09/24(月) 21:21:27.12
もう長くない。
一トンデモ研究者として終わるのか。
50日本@名無史さん:2012/09/24(月) 21:23:39.12
古田氏は逝かれる前に全てを告白していただきたいな
51ローガン:2012/09/25(火) 01:00:57.74
古田氏は著書に「陳寿を信じ通した」と書いている。(魏志倭人伝を徹底して読む)
言い換えれば、「三国志に、何一つ間違いは無いと仮定すれば」という前提で立論を試みたんだろう。
つまり、通常の史料批判には有り得ない手法で自説を述べたに過ぎない。
勿論、「陳寿を信じ通した」と公言した上で書いている訳であるから、それ自体はアンフェアではない。
ただ、自身で決めた前提に基づいて持論を展開したのだから、通常の批判を受ける対象ではない。
52日本@名無史さん:2012/09/25(火) 05:04:48.03
>>51
実は「陳寿を信じ通した」のではなく、
南宋時代の刊本を信じ通しただけなんだけどなw
53日本@名無史さん:2012/09/25(火) 06:53:44.73
>>51
「信じ通した」という表現は、確かに誤解されやすい点だが、
それまでの論者がやたら原文を恣意的に改訂しまくってたので出た表現だ。

やってることを見ると、古田の史料批判はかなり正当と言える。
それを理解するには、彼の親鸞の一連の著作を読むと良い。
ちょうど同じ手法なんだが、結果、それまで誰も明かせなかった事実を突き止めた。
54日本@名無史さん:2012/09/25(火) 07:11:38.81
>それまで誰も明かせなかった事実を突き止めた。

kwsk
55日本@名無史さん:2012/09/25(火) 08:41:01.57
>>53
逆に、邪馬台国にからむ古田氏の論証の仕方を見ると、
親鸞研究も、プロの学者から本当に学問的に評価されていたのかと疑わしくなる。
56日本@名無史さん:2012/09/25(火) 09:24:15.67
>>48
「文身國、在倭國東北七千餘里」
「大漢國、在文身國東五千餘里」
「扶桑在大漢國東二萬餘里」

扶桑國は、倭國のやや東4万里ほど。
短理を採用したとしても、6000キロ前後だ。
この方位、距離を否定するなら、ほかの記事も信用するのは難しい。
銅はともかく、金銀が珍しくないぐらい豊富だというのはちょっと日本の風土に合わない。

「無兵甲、不攻戦」

兵士や武器がなく、戦いがない。
これもどうだろうか?

たまたま「億計」や「弘計」と「乙祁」と音が似ているかもしれない、ということだけで結びつけるのはどうかなあ?
「乙祁」ではなく「祁貴人」を王の名と解釈する人もいるようだ。

仏教も扶桑國は5世紀にインドからともあるが、日本書紀の仏教公伝は6世紀に百済から。
その前に伝わっていたとしても、インドからというのはどうか?

なかなか一致するところを見つけ出すのが難しい。
57日本@名無史さん:2012/09/25(火) 09:27:45.65
>>52 >>55
文献がはじめから間違っていることを前提にしても無意味だろ?
5832.34.:2012/09/25(火) 11:10:33.55
>>58
@「倭者、自云太伯之後。俗皆文身。去帯方萬二千餘里、大抵在會稽之東」
A「其南有侏儒國」(魏志倭人伝では東南)
B「文身國、在倭國東北七千餘里」
C「大漢國、在文身國東五千餘里」
D「扶桑在大漢國東二萬餘里」

Cの大漢國は、倭國から万二千里(850km)の毛野(関東平野である。)
Dの大漢國は、宋代に荊州(湖北省)に来ていた扶桑國の留学僧慧深からの伝聞であるから、
新興国「梁」の都である建康のある江蘇省南京付近である。
大漢國(江蘇省)の東二萬餘里(1400km)は近畿地方。

>銅はともかく、金銀が珍しくないぐらい豊富だというのはちょっと日本の風土に合わない。
播磨は古代の銅銀金の大産地。生野銀山等は現在まで名前が残っている。

>「無兵甲、不攻戦」
>兵士や武器がなく、戦いがない。これもどうだろうか?
銅鐸社会のあった近畿全体に言えることである。
兵甲皆無であるのではなく、シナで言うところの「兵甲」が無かったのである。


>仏教も扶桑國は5世紀にインドからともあるが
インドからの直伝ではない。
罽賓國から荊州に伝えた仏教がそのまま播磨に伝えられたのだ。
5932.34.:2012/09/25(火) 11:13:33.24
アンカー間違い
>>58 ⇒ >>56
60日本@名無史さん:2012/09/25(火) 11:29:32.94

たしかに近年の古田氏は、見つけたものを手当たり次第に自説に引き寄せていく強引すぎる論考が目立つ。
万葉集を朝鮮語だとする論とあまり変わらないくらい支離滅裂に見えることすらある。

とはいえ、初期?の「盗まれた神話」までの論考の力強さは簡単に否定できるものではない。
人間の老いというものは、残念なことに避けられる人はいないということだろう。
61日本@名無史さん:2012/09/25(火) 11:59:13.86
>>58
「大漢國、在文身國東五千餘里」の

>大漢國は、倭國から万二千里(850km)の毛野(関東平野である。)

ここまではそういう読み方ができないこともないかもしれない、と言ってもいい。

「扶桑在大漢國東二萬餘里」のときの

>大漢國は、宋代に荊州(湖北省)に来ていた扶桑國の留学僧慧深からの伝聞であるから、
>新興国「梁」の都である建康のある江蘇省南京付近である。

と読んだのでは、なぜ同じ「大漢國」を異なる国(場所)とするのかちょっと理解できない。
「漢」はそのときよりはるか昔の国名だ。
「梁書」で自国を「漢」と呼んでいるなら別だが。

「扶桑在大漢國東二萬餘里」
他の部分は伝聞なり、前の記録の引き写しであったとしても、これは5世紀の「慧深」が話したことだろうから、短里で話したということも理解しにくい。

>播磨は古代の銅銀金の大産地

どこかに根拠があるのだろうか?

ここまで強引ではこじつけの域に入ってしまうだろう。
62日本@名無史さん:2012/09/25(火) 12:18:36.62
古田説は九州王朝というものを史上にくっきり描き出してくれた事に関しては評価するが
天智系の復活が九州王朝の血筋の復活とか言い出したあたりからついていけない
最後の倭国王が西暦700年に大和朝廷に倒されて、これが大化の改新と呼ばれたものであった・・・ここまでで終わっとけばいいのに
63ローガン:2012/09/25(火) 14:57:34.96
>>53
>「信じ通した」という表現は、確かに誤解されやすい点だが、

そうかな?「三国志に間違いは無いという前提で論じてみました」の意味以外はないだろう。
誤解しているのは信者連じゃないかな?
「陳寿が間違える訳がない」とか「倭人伝に間違いなど無い」とかいう投稿を、時々、見かけるがね。

>>57
>文献がはじめから間違っていることを前提にしても無意味だろ?

逆! 疑ってかかる事が史料批判。
頭から、肯定してたら、古文書っぽいのにひっかかるだろう。
6458:2012/09/25(火) 16:12:29.69
>>61
>なぜ同じ「大漢國」を異なる国(場所)とするのかちょっと理解できない。

Dの「大漢國」は、扶桑國の留学僧慧深が梁の人に証言した中に出てくる国名である、
宋代に留学した慧深は、新王朝梁に対する敬称として「大漢國」使ったのである。

>これは5世紀の「慧深」が話したことだろうから、短里で話したということも理解しにくい。

「慧深」が話したからこそ、東夷で使われていた「短里」で表現したのである。

>>播磨は古代の銅銀金の大産地
>どこかに根拠があるのだろうか?

ここで根拠を説明できるものではありません。
播州地域についての多くの方々の郷土史等民間諸研究を調べて下さい。
65日本@名無史さん:2012/09/25(火) 18:33:44.47
>>64
>新王朝梁に対する敬称として「大漢國」使った

他の同様の使用例を出してくれ。

「短里」が >東夷で使われていた  という根拠は?
特に日本で使われていたという根拠は?

>播州地域についての多くの方々の郷土史等民間諸研究

当該部分だけでも引用してくれるとありがたい。
せめて題名だけでも教えてくれ。
66日本@名無史さん:2012/09/25(火) 18:54:54.52
>>65
>「短里」が >東夷で使われていた  という根拠は?
>特に日本で使われていたという根拠は?

横からだが、文書記録が残る時代にならないと、
証明不可能な設問じゃないかね?

67日本@名無史さん:2012/09/25(火) 18:58:46.24
>>66
なにも根拠がなければ、立論の前提にできないというだけのこと、だろ?
68日本@名無史さん:2012/09/25(火) 19:37:45.65
>>57
文献に何一つ間違いは無いことを前提にするのはもっと無意味じゃないのかな?
69日本@名無史さん:2012/09/25(火) 19:43:00.59
>>57
間違っていない伝本なんてない、ということを出発点にして、
「どう工夫したら原文の形を復元できるのか」を熟考するのが普通の研究。

原文を復元しようという努力を捨てたのが古田式。
70日本@名無史さん:2012/09/25(火) 19:48:28.65
>>68
すべて検討結果でてくるもの。

古田氏も倭人伝、東夷伝、魏志、さらに三国志全体を十分に検討した後に、倭人伝は基本的な部分で間違いはないと確信して、さらに詳細な部分の検討を進めると、非常に合理的に書かれていることに気がついた。
その後、さらに多くの中国史書を検討している。

その読み込みについてのまともな反論は見たことはない。
71日本@名無史さん:2012/09/25(火) 20:37:34.92
で、古田は陳寿の思想や晋の史官としての立場、三国志という書物の性格を考慮しているのかね?
三国志を詳細に分析したと豪語はしても、日本史学者だけではなく東洋史学者にも相手にされていないという現実をよく考えてみることだ
72日本@名無史さん:2012/09/25(火) 21:00:54.07
三国志に東夷の国では短里(made in japan)が使われていたなんて書いてないし、
距離を実測したような数字でもない
中国には度量衡が統一されてなかった時代はあっても、
短里なるものが度量衡に使われていたことを示す記録はない
東夷伝の方位も間違ってるであろう箇所がある
古田の解釈も数多く立てられる仮説の一つでしかない
古代のように不明確なことがほとんどであるような時代は、
得られる情報すべてから総合的に推論せず、一つをピックアップして拡大解釈してしまうと
どんな妄想でもできてしまう
73ローガン:2012/09/25(火) 21:02:00.47
>>70
>その読み込みについてのまともな反論は見たことはない。

普通、誰もまともに相手せんだろう。
「高峻二十余里」を道のりではなく海抜だという類いに。
74日本@名無史さん:2012/09/25(火) 22:42:51.64
>>72
>三国志に東夷の国では短里(made in japan)が使われていたなんて書いてないし、

隋書までに編纂された史書の東夷部分は全て短里で書かれています。
(短里の1里は70〜80m、周髀算経によればBC1100年頃の1里は約75.5m)
75日本@名無史さん:2012/09/25(火) 22:44:43.80
約76.5m
76日本@名無史さん:2012/09/25(火) 23:20:01.62
>隋書までに編纂された史書の東夷部分は全て短里で書かれています。

嘘はよくないな
九州王朝説の人はいつも平気で断言するが
東夷伝に書かれた起点と終点はすべて判明してるのかね?
周髀算経の理論が度量衡に使われたという記録もない
唐代に大掛かりな実験をしたことなら記録として残っているが
こういうのを恣意的解釈というんだよ
77日本@名無史さん:2012/09/25(火) 23:41:46.60
短里の基本は、倭人伝からの逆算だろうな。
ただ、周髀算経でも、近い数値となるから、存在の可能性が
高まるってことだな。

逆に、倭人伝で全く一致しない以上、公里の使用は明確に否定される。
78日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:16:21.92
実は倭人が周代の数学書に書かれた里数を知っていたという仮説だな
公里の距離は東夷伝では合わないのは確かで、可能性はいくつか考えられる
魏の公里に合わないから周髀算経の里数が東夷の国で使われていたというのは
一つの可能性を明確に否定する文献・物証が今のところないというだけ
東夷伝の千里単位の大雑把な里数からは可能性が高いとはとても考えられない
79日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:29:56.39
個人的には、実際の正しい距離や日数を、
陳寿、または報告者が知っていたが、

何かの理由で、短里に該当する、特殊な距離単位に換算して記載したと、
疑っている。

現実に短里に該当する単位「名」が存在しないからである。
例えば、「周里」が短里相当であれば、話が早いが、勿論そんなことはない。

しかし、周髀算経で数学的に処理できるような、体系的にきれいな単位であり、
数学的に導き出された、仮想単位なのかもしれない。
80ローガン:2012/09/26(水) 00:30:05.65
>>77
>短里の基本は、倭人伝からの逆算だろうな。

なるほど、では末廬國はどこ?伊都國はどこ?その根拠は?
81日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:30:16.20
>>76 >>78
東夷伝からでも、魏志全体からでも、明らかに「短里」がなりたたない例を示せばいいんじゃないか?
82日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:37:24.63
>>80
>なるほど、では末廬國はどこ?伊都國はどこ?その根拠は?

ローガンさんは、まず、自説を説明してからにしてくれませんかね?

末廬國はどこ?伊都國はどこ?その根拠は?
83日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:53:05.20
>>81
典型的な「悪魔の証明」だな
84日本@名無史さん:2012/09/26(水) 00:58:16.05
>>83
なんで?
一番簡単なことじゃない。

とりあえず朝鮮の大きさは「短里」でぴったりだったんだから、それを否定するならそれに反する例を示さないといけないのは当然だろ?
85日本@名無史さん:2012/09/26(水) 01:00:13.67
古田説も知らないただの「自分の家の近く説」だろw
86ローガン:2012/09/26(水) 01:12:59.82
>>82
末廬國は多分、唐津辺り。
伊都國は糸島一帯。
楽浪系遺物から見る原之辻経由、半島との交易ルート。古地名の一致。潟港の機能等
自説の来倭ルートは狗邪韓國→伊都國。長くなるので、あとにする。
切り返しの質問の前、私の質問が解決してからね。

で、末廬はどこ?伊都はどこ?その根拠は何? その根拠に基づいて確定した二国間の距離が、「短里の基本」なんでしょう?
私の説云々は、これを片付けてからにしましょう。
87日本@名無史さん:2012/09/26(水) 02:42:02.08
>>86

なるほど、それでは、

末廬國までは、同じく一般的な定説に沿った、唐津あたり
ここまでの里程記事と実測距離の計算から、誤差はあるが
一里あたり80m程度とする。

ここまでの里程距離を根拠として、これから先を推測すると、

倭人伝のとおりに唐津街道を南東に進み、多久を経由し小城へ
記事では500里だが、小城の弥生遺跡群は、400里相当のところ。
弥生後期の朝鮮半島由来と推測される銅器なども出土している。
ここが伊都国に相当すると考える。

また、倭人伝のとおりに進むと佐賀大和である。旧大和町から、
佐賀市に至る広域の領域を指す。大和町史によると、
この領域には環濠が確認されている集落遺跡が少なくとも5箇所、
確認された大小古墳が2000以上、住居跡600以上という、大集落群である。
大国として記録されている奴国として妥当なところであろう。

88日本@名無史さん:2012/09/26(水) 02:42:34.76
あと、数値計算の実測値と計算過程を示しておく。


@「韓地は帯方郡の南にあり、方4000里」、より求める。

方4000里を平方里とすると総面積は、16000000平方里、現在の韓国の総面積は、98480平方キロ

これより、1平方里=0.006155平方キロ=6155平方メートル、従って、1里=√6155m=78.453m

A海州から釜山巨済島付近までの海上距離が7000里、実測距離が630キロ、従って、1里=90m

おなじく、平壌から釜山巨済島付近までの実測距離が754キロ、従って、1里=107m

B釜山巨済島から、唐津までの、各島の主要港をたどった場合の距離が207キロ
倭人伝では3000里ということから、1里=69m

C唐津までの総行程距離1万里に対して、実測距離が630+207=837キロ
従って、1里=83.7m
89日本@名無史さん:2012/09/26(水) 03:24:30.65
>>84
そんな説明を証明と呼ぶのは信者だけだ。

その説明の実態は、
朝鮮半島の大きさの表現を直線距離表記と仮定したら1里≒80m近辺になるという一点だけ。

その想定通りに諸国の位置を推定したら、候補地がまさにその国だったと確定する必要がある。

で。
現実には、倭人伝に記されている倭国内の国々の位置は一つとして証明されていない。
どの説明もすべて空論だろ。
90日本@名無史さん:2012/09/26(水) 03:39:11.10
方四千里なんて表現は、

・天子の治める国=方万里
・諸侯の治める国=方千里
の中間的なものという、理念的な表現に過ぎないだろうに。
91日本@名無史さん:2012/09/26(水) 04:13:36.17
>>79
>周髀算経で数学的に処理できるような、体系的にきれいな単位であり、
>数学的に導き出された、仮想単位なのかもしれない。

それは君の夢想。
周髀算経には、BC1100年頃の天体観測のデータも書かれている。
BC2世紀商時代の北極星(大星)と天の北極(北極樞)の位置関係を正確に測定している。
92日本@名無史さん:2012/09/26(水) 08:27:31.11
『古代は輝いていたT』p193以降、「『三国志』の里程」の論証がおかしいことについて

--------------以下引用-----------------------------
〈その一〉
山険に縁りて行き、二千里に垂んとす。(呉志十五、鐘離牧伝)
これは鐘離牧が武陵から五谿まで進軍したときの記事だ。
この間(川沿い)の実距離は、倭人伝と同じ「里単位」(短里)で、
ほぼ二千里に当っている(五谿は、入口まで。湖南省常徳県)。
----------------引用終わり--------------------------

二千里は、一里434mなら868km、一里76mなら152km。
鐘離牧が進軍した二千里は、どちらで解釈すべきか?

古田氏は下記ページで、
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic24.html
「武陵郡治(常徳)から五渓の中心部たる「元*陵(辰州) ーー 辰渓」に至るまで、
約一五〇〜一八〇キロメートル(魏晋朝短里、約二〇〇〇里。長里、約三五〇〜四〇〇里だ。」

と主張しているが、百度地図の測距を利用して川沿いの距離を見ると、
常徳から辰渓まで約300kmあった。
これだけでも、短里だと四千里近くになってしまう。長里なら七百里程度。
さらに、古田氏は川沿いの距離で検討しているが、
「山険に縁りて行き」だから、川沿いとは違う。
ワインディングと高低差という二つの要素によって、
移動距離は川沿いより伸びる。
これを2倍から3倍と見積もれば、短里だと八千里から一万二千里になってしまうが、
長里なら千四百里から二千百里となって、垂二千里と合致する。
私見では、郭純が駐屯していた遷陵・赤沙のあたりまで進軍したのではないかと思うが、
それでも距離はあまり変わらない。
93日本@名無史さん:2012/09/26(水) 08:28:31.59
--------------以下引用-----------------------------
〈その二〉
潜中、天柱山有り。高峻二十余里。 (魏志 張遼伝)
この山は、歴史上著名な名山であり、現存する。その高さ、一八六〇メートル。
したがって、やはり倭人伝の「里程」と同じ里単位と見なしたとき、妥当する。
----------------引用終わり--------------------------

上記ホームページで、古田氏はこの一八六〇メートルを海抜と言っている。
3世紀の中国人が山の高さを海抜で表現することに、何の疑問も感じないのだろうか。
短里で考えると海抜一八六〇メートルと合致するということは、
逆に、二十余里という数値が、短里による高さの数値ではないということの証拠。
上記ホームページでは、
「もしこれを山麓より山頂付近までの“道路距離”と解しても、大異はない。」
とも言っているが、現代の登山ではないので、傾斜45度の山を直線で登攀するわけがなく、
短里の数値がこれに合致するということは、
やはり短里による“道路距離”でもないことを示している。
94日本@名無史さん:2012/09/26(水) 08:29:09.44
--------------以下引用-----------------------------
〈その三〉
(イ)江東に割拠す、地方数千里。 (呉志 周ユ伝)
これに対比すべき好例がある。
(ロ)江東、小なりと雖も、地方千里。(史記 項羽本紀)
三世紀の読者にとって、(ロ)は周知の名場面だった。その目で(イ)の記事を読む。
必然に、(ロ)の世界(秦・漢代の長里)と(イ)の世界(魏・西晋朝の短里)との里単位が
「一里対・数里」の比率をもってちがっていた、そのことが明示されているのである。
----------------引用終わり--------------------------
古田氏は、他の例も引いて、上記の比率を「約五対一」としている。

(ロ)は、項羽が劉邦に負けて逃げ帰ってきたとき。
東越の地(今の福建省)は、劉邦に帰順し、項羽と敵対していた。
一方、三国・呉では、東越の地を支配している。
(イ)と(ロ)では時代も五百年離れており、漢の時代の領土拡張があって、
同じく江東といっても、その指し示す領域は全然違う。
そこを考慮せずに、単純に同じと思い込んだ結果の誤り。
95日本@名無史さん:2012/09/26(水) 08:47:32.23
『古代は輝いていたT』p194以降、「『三国志』以外の里程」の論証のおかしなところ


〈その一〉
北軍(魏の曹操)を去る二里余、同時発火す。  (『江表伝』)
古田説のポイント。
現地(赤壁)の川幅は、ほぼ「四〜五〇〇メートル」。
「短里」によるときは、妥当する(二里余=約一八〇メートル)
「長里」によるときは、全く妥当しえない(二里余=約一キロ)。
「短里」が用いられていることが判明する。
--------------以下引用-----------------------------
 呉の周瑜の部将、黄蓋が策を建て、十艘のもやい舟を率いて「中江」(真ん中あたり)に出た。
さらに北岸(魏軍側)に近づき、偽っていっせいに「降服する」と大叫した。
そしてさらに北岸に近づき、「北軍を去る二里余」の地点で、兵は小舟で去り、
無人火船を北岸の、鎖でつなぎ合っていた魏の大船団に突っ込ませ、大勝を博した、という。
----------------引用終わり--------------------------

古田氏は、「北軍を去る二里余」を「北岸を去る二里余」と読みかえて論じてしまっている。
魏軍は上流から、呉軍は下流から進軍している。
十艘のもやい舟が突っ込んで損害を与えられるということは、
魏軍はかなり密集して停泊していたのであり、
p194の第11図のような、川岸に船が一列に並んでいる布陣はありえない。
江表伝は、下流の呉軍から上流の魏軍への長江の流れに沿った奇襲の話だが、
古田氏は、これを長江を横断する奇襲と誤解したのだろう。
96日本@名無史さん:2012/09/26(水) 08:49:32.25
--------------以下引用-----------------------------
〈その二〉
(イ)海を度ること千里、復た国あり、皆倭種。
倭人伝にも、同類の文がある。
(ロ)女王国の東、海を渡ること千余里、復た国有り、皆倭種。
右の「千余里」が、いずれも同一の実定距離をしめしていることは、明瞭だ。
すなわち、『魏略』と『三国志』が同一の「里単位」にたっていることがしめされている。
「短里」だ。
----------------引用終わり--------------------------

『魏略』と『倭人伝』が、同一系列の資料をもとに編纂されたことは、
両者を見比べれば、誰にでもわかる。
ならば、文章や数値が似通うのは当然。
「『魏略』と『三国志』が同一の《《里単位》》にたっていることがしめされている。」
のではなく、
「『魏略』と『三国志』が同一の《《資料》》にたっていることがしめされている。」
両者が同一の資料に拠っていることと、その数値が「短里」かどうかは、無関係。

引用はしないが、〈その三〉の漢書地理志の注についての論も、同様のミスリード。

〈その四〉の海賦は読むのが大変なので、今回はやらない。

97日本@名無史さん:2012/09/26(水) 09:35:29.70

>>84だけど、ありがとう。
こういう指摘を期待していたんだ。

>>92
武陵、五谿と言ってもそれなりの大きさのある地名だろうから、起点と終点の選び方によっては距離が違うだろう。
また、道としての距離を記述したものか、大雑把な直線距離を記述しているのかの検討も必要だろう。

>>93
これは海抜というか、山の高さの表現の例がもう少しないと断定できない。
そのころ山の高さをどう表現していたか、という検証が必要だ。

これはもちろん古田氏にも言える。
古田氏がその検証をした上で論証したのであれば古田説が正しいと言うことになるが。
98日本@名無史さん:2012/09/26(水) 09:42:58.29
>>94
これは逆に、そのころの江東の広さを提示できなければ反証にはならない。

>>95
指摘が正しいかどうかはわからないが、仮にその指摘が正しいとしても、古田氏の論証のひとつが消えるだけで「短里」の否定にはつながらない。
この部分は「短里」に関する、この戦闘を基にしての誰かの反論に対する再反論じゃなかったかな?

>>96
前資料を参考にしていたとしても、明らかにおかしいところがあれば修正するなり注釈を入れるなりするだろう。
修正したと添えるか添えないかは別として。

古田氏は倭の五王で他の史書を扱ったときには、そのあたりのことも検討したうえで論証している。
99日本@名無史さん:2012/09/26(水) 09:45:19.14

いろいろ否定的なことを書いてしまいましたが、こうした検討が史実に近づくにはとても大切だと思うので、ぜひ続けてください。
100日本@名無史さん:2012/09/26(水) 12:49:17.53
>>97
>道としての距離を記述したものか、大雑把な直線距離を記述しているのかの検討も必要だろう。

即率所領,晨夜進 道,?山險行,垂二千里,從塞上,
斬惡民懷異心者魁帥百餘人及其支黨凡千餘級,純等散,五谿平。

具体的な進軍の記述だから、大雑把な直線距離ではないです。
起点は、そうそう異論はないでしょう。
終点にしても、「純等散」とあるように遷陵・赤沙に駐屯していた郭純の軍が壊滅しているのだから、
五谿の入口付近でうろうろしていたわけではないことは明らか。


>そのころ山の高さをどう表現していたか、という検証が必要だ。

海抜という3世紀にない概念で論じている時点でアウトでしょう。

>これは逆に、そのころの江東の広さを提示できなければ反証にはならない。

これは原文を読めば解ります。
東越の地は、先秦では中華の領域ではありません。中華の領域になるのは前漢武帝期以降。
項羽の根拠地となりうるのは、長江以南、東越より北の地域です。
一方、周瑜伝の江東は、孫権の支配地域を指しています。
同じく江東という言葉を用いても、両者の指し示す領域は時代差のために大きく異なっています。
101日本@名無史さん:2012/09/26(水) 12:53:07.75
>>98
>古田氏の論証のひとつが消えるだけで「短里」の否定にはつながらない。

ひとつではないです。
『古代は輝いていたT』は、海賦の例を含めて、7例で論証しています。
今回、海賦には言及していませんが、6例まで全滅です。
論として成り立っていないのではないでしょうか。

>前資料を参考にしていたとしても、明らかにおかしいところがあれば修正するなり注釈を入れるなりするだろう。

おかしいとか修正とかではなく、現存する魏略と倭人伝を見比べても、
「『魏略』と『三国志』が同一の《《里単位》》にたっていることがしめされている。」
という結論には、論理的に到達できない。
「『魏略』と『三国志』が同一の《《資料》》にたっていることがしめされている。」
ということしか言えない。
ということです。
102日本@名無史さん:2012/09/26(水) 14:01:56.62
>>100
>具体的な進軍の記述だから  ということが
>大雑把な直線距離ではない  ということにはつながらない。

行政視察ならまだしも、戦争中の進軍距離を測って記録したりはしないと考えるのが普通だ。
史書の記述者が後からその距離を記載するか、そのこと一般的に言われている距離を記述したとみるのが妥当だろう。
どちらにしても「長里」の場合は少し距離がありすぎる気がする。

起点終点については自分に知見がないのでわからない。
あくまでも一般論として書いた。

>海抜という3世紀にない概念で論じている

「海抜」云々ではなく、そのころ山の高さをどのように認識していたのかということが重要だろう。
「山の高さ」という認識はあったわけだから、高さの表示基準?もあったのではないかと思う。

古田氏が「海抜」と書いたのは勇み足なのかもしれないが、いずれにしても当時の山の高さの表わしかたがわからないと結論付けることはできない。
「海抜」的な高さの考え方はなかったのだろうか。
里の長さとは別に検証できることだと思う。
103日本@名無史さん:2012/09/26(水) 14:23:44.16
>>100
>周瑜伝の江東は、孫権の支配地域を指しています。
>同じく江東という言葉を用いても、両者の指し示す領域は時代差のために大きく異なっています。

これも自分に知見がないのに申しわけないが、「呉」の時代の地域としての「江東」の広さがわからないと結論は出ない。
「孫権の支配地域を指して」いると読み取って間違いないのかどうかどうかわからない、という意味も含めてだが。

>6例まで全滅

ひとつ消えると書いたのはあくまでも、「赤壁の戦い」に関して古田氏が読み違えていたとしてもという意味。
読み違いという断定がなされているわけではない。
古田氏の説が正しい可能性もある。

まして、そのことで他の例までいきなり全滅、と切って捨てるのは極めて恣意的な書き方だ。

>現存する魏略と倭人伝を見比べて

「魏略」と「三国志」同じ資料に基づくという前提は無理があるのではないか?
「魏略」は散逸した記録の集成とのことだし、「三国志」は陳寿自らが書いたものとされている。
なぜ同じ資料が元になっていると言い切れるのかが理解できない。

同じ資料による部分もあれば、異なる資料あるいはどちらかは実際の見聞による部分もある、というだけのことだろう。
104ローガン:2012/09/26(水) 14:28:22.50
>>88
>倭人伝では3000里ということから、1里=69m

いや、各1000里なんだ。 3等分しなきゃ意味は無い。
3等分した上で、各々の地点間1000里が 、短里という基準で書かれている事を確定ささないと。(笑)
でも3等分は不可能。ゆえ計算で、発明された尺度になんの意味も無い。

>>77
>短里の基本は、倭人伝からの逆算だろうな。

逆算に使う地点の確定が不可能ゆえ、短里で求めた推定比定地から計算。というわかりやすい循環論法。


前に、壱岐と対馬の面積比の不整合は?と質問したら、「下県となら合う」と真面目に答える信者がいて、馬鹿笑いした事を思い出した。
105日本@名無史さん:2012/09/26(水) 14:30:15.42
>74

>(短里の1里は70〜80m、周髀算経によればBC1100年頃の1里は約75.5m)

このサイトではあたかも明白な事実のように扱われていますが、一里が70〜80mという説は、
谷本茂「中国最古の天文算術書『周髀算経』之事」(「数理科学」1978年3月)という論文
に基づくもので、この論文では、大地が球形であると仮定して
いるが、当時地球が球形であると認識されていたという証拠
が薄弱である。
この記事は『周髀算経』の上巻にあるが、上巻では「天円地方」
の蓋天説を論じた巻であるから、地球は平坦だとする大前提と
合わない。
詳しくは、『中国天文学・数学集』(「科学の名著」2、朝日出版社)p.314)参照

106日本@名無史さん:2012/09/26(水) 14:40:40.78
>古田氏が「海抜」と書いたのは勇み足なのかもしれないが、いずれにしても当時の山の高さの表わしかたがわからないと結論付けることはできない。

すると、分からないことを論拠にして「山の高さが短里」という結論を作っちゃったんですよね。
古田氏の本には、そういう勇み足が多すぎませんか?
107日本@名無史さん:2012/09/26(水) 14:59:25.56
>104

細かいツッコミがあるのは想定内だが、
良い論を出して、対抗してくれ。

持論を出していただかないと、
どっちがよいかわからない。

108日本@名無史さん:2012/09/26(水) 15:02:19.34
>>106
変なところで揚げ足を取ってもしかたがない。
>>102で自分は「海抜」という言葉が「勇み足」だと書いただけで、高さを認識する考え方自体を否定したわけではない。

勇み足が多いと思うなら具体的に指摘することだ。
109日本@名無史さん:2012/09/26(水) 15:08:52.29
やっぱり古田氏の説は無理があるね
特に>>96の〈その二〉
魏略と三國志の「千余里」が仮に同じ「里単位」だとして、何故それが「短里」だと言えるのか、何の説明もない
こんなのが「論証」と呼べるのか
110日本@名無史さん:2012/09/26(水) 15:20:30.76
>>109
いくらなんでも論考の途中の、それもごく一部を取り出して、これでは論証にならない、なんて書くのはやめようよ。

古田説を否定する側の>>96氏だって困惑するだろう。
111ローガン:2012/09/26(水) 15:59:28.52
>>105氏に追加で…
「蓋天之説周髀是也」(隋書志十四天文上)

蓋天説で、大地三万里だから、地中は万五千里。八尺の棒の影尺五寸で太陽高度八万里。影長一寸が千里。
ところが、周髀にはどこからどこまでが千里とは書いていない。つまり、単なる机上計算と考える他は無い。
隋書には、洛陽で開皇年間に影を測った 記録が有り
「夏至影一尺四寸五分」 周髀が周公由来のものなら、地中は陽城。 北にある洛陽の、影が短いのが笑える。
短里とやらの根拠ってこんなもん。
112ローガン:2012/09/26(水) 16:30:07.27
>>107
>どっちがよいかわからない。

どっち?とか云う選択肢は無いんだけどね。つまり「短里」も「長里」も無い。あるのは公定里のみ。
客観的な根拠(詔での言及や、志の記事、又は考古資料等)があって初めて、選択肢の仲間入り。
だが、ある時期に限り、五分の一の度が使用された記録など皆無。


持論は「観念的数字の 帯方東南萬里。これに基づいた机上計算により生まれた数字が、実際の地理の距離と乖離していた」ということ。
113日本@名無史さん:2012/09/26(水) 17:44:38.26
>112

なんだ、いつものように倭人伝は信頼できないというだけか。
つまらん
114日本@名無史さん:2012/09/26(水) 18:39:29.56

『周髀算経』の該当部分は、夏至と冬至の南中時の一定の高さの棒の影の長さを、おそらく周の都と思われるある地点を基準に、北と南にそれぞれ千里ずらした時に、影の長さがどのくらいになるかということを記載したもの。

この影の長さを角度に換算して、その角度の差によって、「千里」の距離を割り出し「1里」に換算すると、1里が7、80mになるというのが谷本氏の考察。
地球が平らでも丸くても誤差の範囲におさまるし、元の測定地点や千里の場所が具体的にどこであるのかも誤差の範囲。

人間が普通に住んでいる北半球のどこかという程度で十分。

これは日照による角度と距離の単純な三角関数の問題なので、間違えようがない。

『周髀算経』のこの部分で使用されている「1里」は7、80m以外にはありえない。
115日本@名無史さん:2012/09/26(水) 19:04:15.03
>弥生後期の朝鮮半島由来と推測される銅器なども出土している。
ここが伊都国に相当すると考える。

小城から神崎にかけては韓系のものは銅器だけじゃなく、いろいろ出るよ、DNAも
あのあたりは半島人の定住が多かったという見解は一致してるから
2chは他の板でも在日系が多いから具体的に実例を書かないだけで、
この論争に入ってこられると連呼でうざいから
郡使も楽浪人も中国人で、帯方郡の比定は未確定だけど、楽浪郡が平壌の郊外に比定されてるのは
楽浪漢墓から漢代の中国産遺物が大量に出てるからだよ
外交窓口の伊都国からは韓系のものじゃなくて、楽浪系のものが出ないとおかしいくらいはわかるだろ
116日本@名無史さん:2012/09/26(水) 19:07:38.18
>確認された大小古墳が2000以上、住居跡600以上という、大集落群である。
大国として記録されている奴国として妥当なところであろう。

長い期間で人が住んでた遺構の数から、周辺のクニをまとめる国が想定されてるわけじゃなくて
遺物、遺構の内容だから
九州北部は渡来の入口だから弥生期全般を通したら遺構・遺物はどこでもいくらでも出るよ
吉野ヶ里でも大和町周辺でも集落に対してやけに墓が多いなと感じないかな
少し後になると南九州との境界に東西岸一斉に大和王権の象徴の墓ができるよ
117日本@名無史さん:2012/09/26(水) 19:12:18.66
弥生時代末期の筑紫、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。

【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)筑紫/宇佐→安芸→吉備→「大和」
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向↑ 【神武東征ルート】
....................隅国(鹿児島)

卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。神武は男系祖先の本拠地・投馬国(日向)から船出し、
首都を筑紫・博多から「大和」へ東遷。「大王(おおきみ)」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。

※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。

-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島へ軍事介入で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王

-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系の活躍≧筑紫系の活躍)→「道鏡事件」へ
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の平城京から本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都→「南北朝時代」へ
118日本@名無史さん:2012/09/26(水) 19:18:20.61
>>117
よくここまで根拠のないでたらめが書けるなあ。
別スレに行くか、別スレを立てるかしたほうがいいよ。
119日本@名無史さん:2012/09/26(水) 19:25:56.35
根拠と言えば、道鏡って故・横山ノック大阪府知事並の巨根だったんだってね!
120日本@名無史さん:2012/09/26(水) 19:59:26.94
『周髀算経』の「一寸千里の法」は地球が完全な球体であり地球の表面(測影面)が鉛直線に
対して垂直であることを前提にしてる机上の理論だから
実際に地表で距離を計測しようとしたら、誤差が生じるあらゆる要素をクリアしなければならない
大掛かりな設備が必要なことくらいは考えような
山地が多い地域では実用性に乏しい計測法で、後代に実験された以外に利用された記録もない
121日本@名無史さん:2012/09/26(水) 20:19:50.19
>>120
数学か物理に少し詳しい人に聞いてね。

用意するのは棒一本でいいんだ。
122日本@名無史さん:2012/09/26(水) 20:20:23.61
あ、メジャーも必要だ。
123日本@名無史さん:2012/09/26(水) 21:08:28.84
長さ八尺とかになってくると、
棒の太さに起因する誤差、太陽が点光源じゃなく、広がりを持っていることに起因する誤差、
大気の屈折による誤差、等の影響で、影の先端部がボヤける。
影が長くなるほど、ボヤケ方が激しくなる。

また、棒の角度が鉛直からずれることによる、設置の誤差もおこる。

影の先端のボヤケ部分のどの程度の位置を先端と認定するかを決めておかないと、測定値がかなり狂う。

あと。
『周髀算経』の「一寸千里の法」は、『周髀算経』側が主張する論拠としては、
地球が完全な平面であり、太陽高度が低い(現実の月軌道よりも地球に近い)と想定している。
決して地球球体説を主張してはいないよ。
124日本@名無史さん:2012/09/26(水) 22:59:49.15
古田の九州王朝説も短里説も、「ま、そういう可能性もあるよね」としか言い様が無い
支持するのは信者だけ、みたいな
125日本@名無史さん:2012/09/26(水) 23:05:35.15
>>119
横山ノックが銭湯の風呂椅子に座って身体を洗っていた時、誰かが熱湯を洗い場の床にぶちまけたら、
ノックだけが「アッチチチ!!」って飛び上がったらしいよw
126ローガン:2012/09/26(水) 23:35:10.38
>>113
>つまらん

まあ、大概、そういったもんだ。
ただ、そういうものをつまらないと判断し始め、
アンチ通説、独自性などに、痛快さを期待すると 史学ではなくなる。
127日本@名無史さん:2012/09/27(木) 00:30:08.82
「古田史学」は飽くまでエンターテイメントってことだね
ジャンルが違う
128日本@名無史さん:2012/09/27(木) 00:50:31.08
大和信者はついに反証ができなくなって、逃げ支度を始めたかw
129日本@名無史さん:2012/09/27(木) 01:24:22.93
反証されまくりなんだが
130日本@名無史さん:2012/09/27(木) 02:11:41.46
>>121
>>120
>数学か物理に少し詳しい人に聞いてね。
>用意するのは棒一本でいいんだ。
>あ、メジャーも必要だ。

ヒモと重りも必要だよ。

でも、>>120な様な人は、高校程度の数学と物理に弱く、天文学にも弱いので、
理解できないのだよ。

周髀算経には、BC2世紀末の商の知識を、
周の人が商の人に教えてもらって、
その知識をまとめたものが書いてあるのだよ。

周髀算経の出だしに其の様に書いてあるよ。
そして、周髀算経の最後に、
BC2世紀末の天体について書いて締めくくってある。
131日本@名無史さん:2012/09/27(木) 02:14:34.85
>周髀算経には、BC2世紀末の商の知識を、
>周の人が商の人に教えてもらって、
>その知識をまとめたものが書いてあるのだよ。

文献批判の水準が未熟だった頃は、そう言われてたよね。
132日本@名無史さん:2012/09/27(木) 02:19:31.80
実のところ、殷・周のころの文字史料なんざ、金石文しか残されていない。
青銅器に鋳込まれた文章以外はほとんど無いってわけだ。

官僚制が始まった戦国時代、書籍として残された史料の上限は戦国時代までに留まっているのが実情。

孔子や老子ら、春秋時代の人の活動を示す書籍も、
戦国期の門人達が書物としてまとめ上げたことで残されただけ。
春秋期から本になっていたわけではないよ。
133日本@名無史さん:2012/09/27(木) 03:37:34.31
>>130
アホだろお前w
134日本@名無史さん:2012/09/27(木) 05:35:44.41
>>130
>周の人が商の人に教えてもらって、その知識をまとめたものが書いてあるのだよ。

南宋・嘉定六年に書かれた序文にそうあるけれど、
伝説の域をでないよ。南宋だもん。
黄帝内経は黄帝と臣下(だったっけ)の問答だし、
周公と殷の人間の問答って、事実じゃなくて、そういうふうに編纂しただけ。
135日本@名無史さん:2012/09/27(木) 06:43:58.76
>>126
そして「騎馬民族征服説」「九州王朝説(多元史観)」という覚醒剤を打たれた連中は、
もはや史実では満足できなくなるのだよ。
136日本@名無史さん:2012/09/27(木) 08:30:32.76
>>131-134
BC2世紀末の天体についての知識が
周髀算経の最後に書かれていることは、
周髀算経の記述内容が商代BC2世紀に成立いたことを意味する。
であるから、アホだ、バカだ、伝説だ、金石文として残っていない等は、
反論にならない。


>>131
>文献批判の水準が未熟だった頃は、そう言われてたよね。

周髀算経に書かれた天文現象がBC2世紀末のことであると
正確に求められるようになったのは21世紀に入ってから。

文献批判の水準が未熟だっただったのではなく、
ひねくり廻さないないで、素直に読んでいたのが正しかっただけ。
137日本@名無史さん:2012/09/27(木) 09:11:33.04
>>136
一般的な話として考えてみる。

ユークリッド幾何学と言われるものが紀元前3世紀。
ギリシャ文明と言われるものの発祥が前20世紀以前。

中国文明の発祥をどこにとるかは難しいにしてもギリシャ文明よりは古そうだ。
周髀算経の元が前2、3世紀であることには何の不思議もない。
古代アジアの場合は農耕のために灌漑施設が作られていたという説もあるから、測量技術もあったかもしれない。

あるいはギリシャと中国の間での交流も当然想定できる。
そうした中からヒントを得たこともあるかもしれない。

古代の文献は意外と確かな根拠を持っていそうだ。
138日本@名無史さん:2012/09/27(木) 10:10:24.74
>>137
「一寸千里の法」も、商の時代に中原の大平野で生まれた
土木灌漑技術ののひとつとしての土地測量技術と考えられる。

又、商の人々が商人として中原の大平野で交易するにあたり、
「一寸千里の法」は中原の地図作成にも必要不可欠なものであったのであろう。
139日本@名無史さん:2012/09/27(木) 10:23:21.06
「周」の意味も、商人が中原の大平野を交易の為に移動するにあたり、
中原の大平野の端っこ(周辺・周囲)のことでないだろうか。

逆に、「周」が中原の大平野の端っこにいたから、
周辺・周囲という言葉が生まれたのかもしれない。
140日本@名無史さん:2012/09/27(木) 10:26:54.33
「周辺」「周囲」だけでなく「円周」も
141日本@名無史さん:2012/09/27(木) 13:05:31.43
>>136
>周髀算経に書かれた天文現象がBC2世紀末のことであると

これは、周髀算経のどの部分?
それと、それがBC2世紀末であるとの論証は、どのサイトなり論文で見られるの?
この話は、よく書き込まれるけれど、この記述が・こういう理由でと
具体的に説明されたのを見たことがないので、
教えてくれるとありがたい。
142日本@名無史さん:2012/09/27(木) 14:47:39.37
『周髀算経』云々という人で、どれだけの人が、
『周髀算経』の基本文獻である。
能田忠亮「周髀算経の研究」(『東洋天文学史論叢』、恒星社、1943年、所収)
を読んで論じているのだろうか。
初心に帰って能田の論文を読み返してから、議論をしたら
どうだろうか。
143日本@名無史さん:2012/09/27(木) 17:46:32.68
そういえば、現代語訳しか読んでないなあ。
そんなにひねくれた本でもなかったようではあるが。
144日本@名無史さん:2012/09/27(木) 19:54:25.50
>>141
>周髀算経のどの部分?

周髀算経 巻下 3 
「欲知北極樞 璿周四極 常以夏至夜半時北極南游所極 冬至夜半時北游所極
冬至日加酉之時西游所極 日加卯之時東游所極 此北極璿璣四游
正北極璿璣之中 正北天之中 正極之所游 冬至日加酉之時 立八尺表
以繩繫表顛 希望北極中大星 引繩致地而識之 又到旦 明日加卯之時
復引繩希望之 首及繩致地而識其端 相去二尺三寸 故東西極二萬三千里
其兩端相去正東西 中折之以指表 正南北 加此時者 皆以漏揆度之
此東西南北之時 其繩致地所識 去表丈三寸 故天之中去周十萬三千里
何以知其南北極之時?以冬至夜半北游所極也北過天中萬一千五百里
以夏至南游所極不及天中萬一千五百里 此皆以繩繫表顛而希望之
北極至地所識丈一尺四寸半 故去周十二萬四千五百里 過天中萬一千五百里
其南極至地所識九尺一寸半 故去周九萬一千五百里 其南不及天中萬一千五百里
此璿璣四極南北過不及之法 東西南北之正勾」

>>http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59462
145日本@名無史さん:2012/09/27(木) 19:58:42.48
>>135
確かに。
幹を追わず周髀算経なんて行き止まりの枝葉を追いかけて足の引っ張り合い。
信者どもの生き様は古田の生き様とピッタリ重なる。まさに「類は友を呼ぶ」だな。
146日本@名無史さん:2012/09/27(木) 20:10:10.62
>>145
そんなに逃げ腰にならないで、きちんと反論しろよ。
147日本@名無史さん:2012/09/27(木) 20:16:02.57
>>142
>能田忠亮「周髀算経の研究」(『東洋天文学史論叢』、恒星社、1943年、所収)

21世紀の天文学知識について知らないところが欠点。
その為、おかしな論理展開になっている。
能田忠亮氏なら、現代最新の天文学を知れば、異なった論理展開になったと思われる。

最近では、周髀算経の北極中大星と北極樞の位置関係がBC125年頃と推定した人がいる。
これはほぼ正しいが、天文データが古いもの(1980年〜2000年)を根拠に使っているようだ。
148日本@名無史さん:2012/09/27(木) 20:53:09.73
>>136
BC2世紀、前漢代の知識ですな。

周代の天体という説はかつてあったが、実は前漢頃の知識ではないかと反駁されたまま、再反論できなくなってるんじゃなかったかな。
前漢代(以前)の知識が残されていることは言えるが、周代までさかのぼれる目処は立ってないんだよ。

ところで、BC2世紀が周代なんて妄言いってるのはあんた一人だけだよな?

>>147
BC125年ってえと、前漢の最盛期、武帝の頃だが。周ねえ。やれやれ。
>武帝(ぶてい、紀元前156年8月10日 - 紀元前87年3月29日)は、前漢の第7代皇帝(在 位:紀元前141年3月9日 - 紀元前87年3月29日)。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は 孝武皇帝。
149136 147:2012/09/27(木) 22:28:45.74
>>148

>>136の下記間違い修正
× BC2世紀
○ BC12世紀

>>147の書き間違え修正
× BC125年
○ BC1125年
150日本@名無史さん:2012/09/27(木) 23:38:57.30
数式を使った論証ってのは、
ある前提条件のもとに、論理で結果を導きだしていくものだから、
前提条件が変われば、当然結果も変わる。

しかし、実際の地球と太陽の位置関係でも、周髀算経が前提としている位置関係でも、
結果はあまり変わらない。

つまり、太陽の見かけの高さが変わるのは、

地球が平面だが、移動すると太陽の見かけの高さが変わるほど近いところにある場合、

太陽は非常に遠方で高さ、角度は変化しないが、見かけ上の高さが変わるくらい地球が丸い場合、

である。そして、どちらでも計算は可能。

太陽の高さが定義されていたが、これが現実の数値と一致する以上、
何らか観測によって得られた数値であろう。

151日本@名無史さん:2012/09/27(木) 23:41:44.57
つまりは、

一寸千里の観測をした場合、

地球が平面という前提と、
地球が球である前提の、

両方で距離を導き出せるということだ。
152日本@名無史さん:2012/09/27(木) 23:43:05.76
ごめん、まちがい。



球が平面という前提と、
地球が球である前提の両方で

一寸千里が証明できるということだ。
153ローガン:2012/09/28(金) 00:23:40.37
>>152
>球が平面という前提と、地球が球である前提の両方で一寸千里が証明できるということだ。

なので、千里とされる地点の記述のない周髀算経にある
「天象蓋笠.地法覆槃.天離地八萬里」
これを「蓋天」ではなく球体に置き換えると、影が伸長する。
球体に置き換えると、千里を短く計算可能になる。
支持派は、この考え方が恣意的だと、気付かないのかねえ。
わからないならただの〇〇
なんとなくわかっているが、認めたくない向きは、胸に手をあて、
今までも何度となく経験した、更正の機会がまた訪れたと自覚してね。
154日本@名無史さん:2012/09/28(金) 00:56:18.50
数式的に表現すると、X+Y=p (pは適当な定数)

みたいな関係。

太陽の高さと地面の曲率が、互いに関係を持つということ。
X=0 ならば、Y=pみたいに、
それだけで決まるものではないが、
どちらかの数値が前提条件で与えられていれば、
計算が可能であるということ。

前提として、高さ8万里という数値が与えられているから、
短里相当の距離が導き出されていることがわかる。
155日本@名無史さん:2012/09/28(金) 00:59:09.08
あ、pは、この場合、観測結果ね。

X=3という前提条件、p=10、という観測結果、
これから、Y=7が導き出される。

って感じかな。
156日本@名無史さん:2012/09/28(金) 01:10:06.48
だから、周髀算経の論理展開そのものには、
特に間違いはない。

というか、周髀算経や九章算術を見て、
簡単に論理に隙があると思ってたら、足を掬われる。

中学校程度の数学能力では、多分負ける程度の厚みはある。
157日本@名無史さん:2012/09/28(金) 01:11:46.57
もっとも、それを利用したひとの間違いまでは、
責任は持たない。
158日本@名無史さん:2012/09/28(金) 02:20:07.66
ローガンは高校程度の三角法がわからないらしい。
ローガンは高校の時には数学の劣等生だったようだ。
ローガンは高校の時の数学の授業中にはお客さんだったようだ。
159日本@名無史さん:2012/09/28(金) 06:59:56.23
>>153
>支持派は、この考え方が恣意的だと、気付かないのかねえ。
>わからないならただの〇〇
>なんとなくわかっているが、認めたくない向きは、胸に手をあて、
>今までも何度となく経験した、更正の機会がまた訪れたと自覚してね。

ローガン、GJ!
つまり古田史学とは、統一教会や幸福の科学みたいなもんだね。
一旦洗脳にはまると、そこから脱洗脳するには大変な苦労がある。
桜田淳子しかり、山崎浩子しかり、飯干景子しかり、小川知子しかり。
160日本@名無史さん:2012/09/28(金) 07:33:41.74
>>159
オセロ中島も占い師に洗脳されて大変な目に遭っている

古田信者は古田武彦に脳をレイプされていることに気付いて、まともな古代史に開眼してほしい
阿毎多利思北孤≠推古女帝+聖徳太子 というだけで、
御大のご都合主義とご乱心の産物・九州王朝説をとりあえず支持しとくのはもうやめようではありませんか
161日本@名無史さん:2012/09/28(金) 08:14:42.54
>>159-160は数学を知らないのだ。
きっと、1+1≠2と言うのだろうな。
だから、
「一寸一里の法」「北極中大星はこぐま座β星」は理解できないのだ。
話は飛ぶが、りゅう座α星から導かれたクフ王のピラミッドの築造年代も否定するのだな。

まあ、何でもかんでも否定してろ。
「独島対馬は我領土」と言う半島人と同類の洗脳基地外だ。
162日本@名無史さん:2012/09/28(金) 08:17:37.17
↑うゎ、本物のキチガイが来た!
163日本@名無史さん:2012/09/28(金) 09:55:48.39
まあ、数値、数式ってのは、わかる人がみれば、
誰でも検証できるのがいいところ。

ケムに巻いてごまかすことが少ないから、話がしやすい。
もっとも、嘘をかけないから、他人を煽動
するには向かない。
164日本@名無史さん:2012/09/28(金) 10:00:26.80
>>158
高校どころか、あれじゃあ中学の数学だって理解するのは難しいんじゃない?
165日本@名無史さん:2012/09/28(金) 10:10:03.81
学会で発表してて、数式出したら、
突然、音立てながら計算はじめた人がいて、
とんでもない間違いやらかしたんじゃないかと
ビビったわ。

幸い、ミスはなかったようで、
これ以上突っ込んで来なかったので、ほっとした。
166日本@名無史さん:2012/09/28(金) 22:01:23.05
古田真理教は一握り。
あとは、今更「間違いでした」と言えないヘタレ。
そもそも御大すらとっくに間違いに気づいているさ。
167日本@名無史さん:2012/09/28(金) 22:06:54.09
>>166
数学の話が出るとまったくお手上げみたいだな。
文系脳とか言う以前に、数を使ったり言葉で論理を組み立てたりする抽象的な作業が理解できないないんだろうな。
だから大和信者になっちゃうんだろう。
168ローガン:2012/09/28(金) 23:51:02.60
>>167
じゃあ聞くが、地中はどこ? 実測したんなら、簡単に答えられるよね?
千里先の地名はなんて云うの?実測したんなら簡単に答えられるよね?
「天象蓋笠.地法覆槃.天離地八萬里.」
地が平らと書いているんだから、天も平ら。ここでは 球体に対する日光の角度は関係ないの。
でも、実測で求めた事にしないと、地球の径は使えない。
使えないと「短里」とやらの連呼が出来ない。 で、冒頭の質問に戻って
「実測した地中はどこ?千里先はどこ?」

前に信者連に聞いたら、影が一寸違う所が千里だとの返事だった……。
169日本@名無史さん:2012/09/29(土) 00:53:57.03
>>168
1+1=2 の「1」って何? りんご? それともバラの花?
もうひとつの「1」は、お茶碗? それともアジの開き?

と聞いてるようなものw
りんごとアジの開きかな?
170日本@名無史さん:2012/09/29(土) 03:06:44.55
三角形の内角の和は、いついかなる時でも180度だ。
みたいに思ってるヤツが、

三角形の内角の和が180度ではない系の話題に横槍を入れて、
オレはお前より数学ができるんだ。なんて思ってるみたいな雰囲気だな。

>>161よ、お前さんが知っている浅い範囲よりも、数学の世界はずっと奥が深いんだぞ。

A+B≠B+A
とか、
A*B≠B*A
となるような系もあるんだ。
171日本@名無史さん:2012/09/29(土) 03:17:24.89
>>170

非ユークリッド幾何学系の存在をいいたいんだろうけど、
この場合はどうかしら?

そして、そういう議論をする場合には、
空間が定義されてないから、

「こういう空間系を定義する」
「その系ではこういう関係になる」

って流れで論を構築しないと、話が通じないんだよ。
何も定義しないと、デフォでは通常の系を指すよ。
172日本@名無史さん:2012/09/29(土) 03:22:22.86
平面、直交空間での性質を前提に議論するのが、
いわゆるユークリッド幾何学での普通の数学だから、

非ユークリッド幾何学というのは、「普通のユークリッド幾何学系ではない」
という意味しかない。

だから、非ユークリッド幾何学で議論をしたければ、
ユークリッド幾何学に変わる空間を、まず決めなければならない。
173日本@名無史さん:2012/09/29(土) 03:26:35.86
そして、非ユークリッド幾何学系の定義も、デタラメに決められるわけではなく、
系として閉じなければならない。

つまり、その系のなかで同じ操作をしたら、
同じ結果が出てこなければならない。

法則が変わるだけで、でたらめな自由空間というわけではない、
174日本@名無史さん:2012/09/29(土) 05:51:11.57
とりあえず球面幾何学にしときませんかw
175日本@名無史さん:2012/09/29(土) 07:31:48.89
>>169
>1+1=2 の「1」って何? りんご? それともバラの花?

足し算できないものを足そうとするバカ頭。
計算できるのは同じ属性のものとする前提があるんだよ。

アホには教えてあげよう。
 1+1=1
となるものもあるんだよ。

証明できないもの
 1+1=2

「1+2=3」は、「1+1=2」の前提があって成立するものなんだよ。
176日本@名無史さん:2012/09/29(土) 08:19:58.82
>>168
ローガンよ
これ以上アホぶりを晒す質問は止めようよ。

>地中はどこ? 実測したんなら、簡単に答えられるよね?
周髀の測定データから北緯35°付近。
即ち、中原の大平野の南北三地点。

>地が平らと書いているんだから、天も平ら。
天が平らか凸凹かどうかにはふれていない。
天と地が八萬里離れていると書いてあるだけ。

>ここでは 球体に対する日光の角度は関係ないの。
古田氏の資料を読んで数学的に理解しろよ。
177日本@名無史さん:2012/09/29(土) 08:46:29.64
太陽の位置が夏至の日の正午と規定されてるから、
同じ位置で、太陽の位置は点と考えて良い。
つまり、天が丸くても平面でも、関係がない。
178日本@名無史さん:2012/09/29(土) 08:47:50.19
つまり、天蓋の、丸と平面を質問すること、
そのものがナンセンス。
179日本@名無史さん:2012/09/29(土) 10:11:14.69
牽強付会って言葉を思い出す。書けないけどね
180日本@名無史さん:2012/09/29(土) 10:36:45.90
>>175
あれれ、小学校の足し算がわからない人がでてきちゃったw

>足し算できないものを足そうとする

なんでも「1」という概念で抽象できれば足し算の対象になるんだよ。
りんご1個とバラの花1輪、それぞれの「1」を足して「2」という概念を導き出す。

数という抽象性についていけない人って、いるんだな。
181日本@名無史さん:2012/09/29(土) 10:49:25.61
>>176
横だが、千里先の地名は?
182ローガン:2012/09/29(土) 11:08:41.27
>>176
>これ以上アホぶりを晒す質問は止めようよ。

ごめん。答えにくい質問だったようだね。

>周髀の測定データから北緯35°付近。即ち、中原の大平野の南北三地点。

どこかわからないのか。つまり、実測とは言えない訳だ。単なる机上計算ならそれでいい。

>天が平らか凸凹かどうかにはふれていない。天と地が八萬里離れていると書いてあるだけ。

じゃあ、地が平らでないとして、八万里を求める計算式を教えて。
加えて、高度が80000×0.075=6000km は、観測結果に基づくデータ?(笑)
183175:2012/09/29(土) 11:59:32.03
>>180
>なんでも「1」という概念で抽象できれば足し算の対象になるんだよ。
>りんご1個とバラの花1輪、それぞれの「1」を足して「2」という概念を導き出す。

抽象化することは、その属性を同じくすることですよ。
184176:2012/09/29(土) 12:30:00.52
>>182
>ごめん。答えにくい質問だったようだね。
君の質問には全部答えたぞ。

>どこかわからないのか。つまり、実測とは言えない訳だ。
君の論理展開が理解できない。君は宇宙人か?

>高度が80000×0.075=6000km は、観測結果に基づくデータ?
距離6000kmは、地面が平面である条件下における観測データに基づく結果である。
185日本@名無史さん:2012/09/29(土) 12:59:01.60
実測ならば計測地点が何処だったかの記録が残っているはず、という事でしょ
186ローガン:2012/09/29(土) 14:20:34.61
>>184
>君の論理展開が理解できない。君は宇宙人か?

実測地点が不明なら、単なる机上計算だと指摘に反論出来ない。
にもかかわらず、式に6357kmと、24゜を代入しちゃった。
てことは、実測結果に基づいている事を既成事実としている訳。
では、それを検証するために必要な地点の地名は?と訊かれて当然。しかし答えられない(笑)

>距離6000kmは、地面が平面である条件下における観測データに基づく結果である。

そう平面だ。平行な天も勿論、平面。古い蓋天説な訳。
地中が影尺五寸なのは、決まり事。「日至之景,尺有五寸,謂之地中」
夏至の太陽直下まで15000里、高度80000里も単なる三角形の相似。
ここには、地「球」という概念は無い。ゆえ、地中での0.1853は無意味。
だが、実測したんならそうは言えない。だから、尋ねているんだ。その地名をね。
187日本@名無史さん:2012/09/29(土) 15:42:36.02
>>183
抽象化というのはいろいろな段階がある。
一番わかりやすい例を挙げよう。

幼児が遊ぶ四角い積み木を思い浮かべてくれ。
同じ大きさで表面には絵が描いてある。
りんご、バラの花、ミカン、お茶碗。

「この中で赤い色のものはいくつありますか?」
という問いに、りんごとバラを合わせて2個、と答えさせるわけだ。

「食べ物はいくつでしょう?」
これはりんごとミカンでやはり2個、だ。

そういう問いを繰り返すことによって、だんだん物自体から、つまり物自体の属性を離れて抽象的な数という概念が育っていく。
数学的なことを考えるためにはこの数という抽象性を理解しないと無理だ。

周髀算経での「短里」は測量史の専門家である谷本氏だけではなく、数学者である半沢氏なども確認している。
数学や測量的な視点からこれを覆すのは無理があるだろう。
188日本@名無史さん:2012/09/29(土) 16:12:31.64
三角形の相似だから、8尺の棒で1尺5寸の影と、
8万里の太陽高度と、太陽の真下までの1万5000里の比は同じ。

8:1.5
太陽高度:太陽の真下までの距離、で相似形。

このうち、太陽高度と、真下までの距離がわからなければ、
計算では距離を導き出すことができない。

従って、太陽高度をs、真下までの距離をtとすると、
s:t=8:1.5、となり1.5s=8tとなる。

導き出すことができないので、二点間の距離を計測する。

そこで、現在位置が影1.5尺の位置であり、南に旅をして、
1.4尺になるところの距離を、歩行や計測車?のようなもので測ってみたら、
千里だったとする。逆に、千里行ったところで計測したら、たまたま1.4尺だった、
でもかまわない。

このとき、1.5s=8t 、 1.4s=8(t−1000)、の2つの式ができる。
あとは、連立方程式を解くだけ。

0.1s=8・1000 より、s=80000 太陽高度8万里
1.5・80000=8t より、t=15000

と、二点を観測するだけで、両方の数値が定まる。
189日本@名無史さん:2012/09/29(土) 16:25:03.94

地面を平面と仮定すると、8尺の棒と1尺5寸の影の比は、
太陽の真下までの距離と、太陽の高さの比と同じ。

つまり、太陽高度h:真下距離s=8尺:1.5尺

これより、1.5h=8s,という式となる。
これだけでは解けないので、現在位置に加えて、
南にいくらか移動し、新たに観測した結果、
同じ真夏の夏至の正午で、1.4尺だとわかった。
移動した距離は千里だった。

これより、1.4h=8(s-1000) が導かれる。

これを連立方程式にして解くと、

1.5h=8s
1.4h=8(s-1000)

より

0.1h=8・1000
h=80000 となる。

同様に、1.5・80000=8s より、
s=15000 となる。

二点間の距離と角度を計測するだけで、
太陽の真下までの距離と、太陽の高度が導き出される。


190日本@名無史さん:2012/09/29(土) 16:26:28.29
ごめんなさい。調子が悪くて二回送ってしまいました。
191日本@名無史さん:2012/09/29(土) 17:37:00.56
子午線上のABC地点で夏至の南中時に観測したなら、冬至の日にも同3地点で観測すればよかったのにw
192183184:2012/09/29(土) 17:59:01.38

ローガンが書いていることを理解できないのは私だけか?
測定地点の地名がわからないと実測でないと言うのも。

>>186
>夏至の太陽直下まで15000里、高度80000里も単なる三角形の相似。

その相似ではないよ。
太陽の直径の挟角から測定地点と太陽の距離を100000里と計算している。
測定地点と太陽の距離が100000里だから、太陽の高度が地上80000里となる。

>>187
その通り。
属性を
193183 184:2012/09/29(土) 18:08:28.43
ローガンが書いていることを理解できないのは私だけか?
測定地点の地名がわからないと実測でないと言うのも。

>>186
>夏至の太陽直下まで15000里、高度80000里も単なる三角形の相似。

その相似ではないよ。
太陽の直径の挟角から測定地点と太陽の距離を100000里と計算している。
測定地点と太陽の距離が100000里だから、太陽の高度が地上80000里となる。

>>187
その通り。

属性を揃える作業の各段階の終点が完全抽象化。
自然科学では、属性を揃えた段階を示す為に、数字に色々な単位系を付けている。
194183 184:2012/09/29(土) 18:18:17.58
>>187
属性を揃えた段階を示す為に、数字に色々な単位系を付けている例

圧力の大きさは同じだが、
1000mbと1000hPa
195日本@名無史さん:2012/09/29(土) 18:55:14.39
>>194
何回書けばわかるのかな?

「りんご」1個と「バラの花」1輪を足した後は、「2」という抽象的な数の概念になるんだよ。
196ローガン:2012/09/29(土) 20:16:20.50
>>193
>測定地点の地名がわからないと実測でないと言うのも。

測定地点の地名がわかれば、検証可能だと言ってるんだ。わからなければ、実測によるものか?机上計算だけなのかは不明。
しかし、古田氏のサイトにある谷本氏の言 「幸いにも、一寸千里の法の根拠が挙げられていることにより、我々は一里が何メートルであるか正確に知ることができる。」
これは当然、実測が前提にある。なにも氏の計算自体を批判しているのでは無い。
実測を前提とするなら、その測定地を尋ねられて当たり前だろうに。勿論、ご本人はいないので、信者連に尋ねているのだが。
197日本@名無史さん:2012/09/29(土) 20:21:08.00
つーか実測だという根拠はあるの?
無いでしょ
198日本@名無史さん:2012/09/29(土) 20:26:11.82

「一寸千里の法」に関して言えば実測である必要はないしねw
199日本@名無史さん:2012/09/29(土) 21:05:56.43
数値が一致してることが根拠、とか寝言を言ってる人もいるが、
そんな程度では、偶然の一致ではない、必然だという証拠がない。
実測であると断言するためには、もっともっと確実な根拠を出すことが必要なんだ。

証拠と呼べるほどの確実な証拠を出すことができない以上、
「一寸千里法」は短里の証拠どころか、諸々の可能性の群衆の中の、その他大勢の一員に過ぎないんだよ。
「そういう可能性もあるね」以上のことなど、一つも言えないのさ。

そういうあやふやなものを寄せ集めて作られた、いわば砂上の楼閣みたいなのが九州王朝説であり、邪馬壱国説なんだ。
200日本@名無史さん:2012/09/29(土) 21:26:34.70
>>199

「短里」の証明に「一寸千里の法」が実測であるかどうかなんか関係ないってw

その「千里」が現在の距離に換算すると何キロになるかということが必要なだけ。
それは「周髀算経」の当該部分の記述から計算上求められる、ということ。

どうしても数学が理解できない人にはこれ以上の説明は無駄なのかな?
「周髀算経」の当該部分の説明を理系の知人に見てもらって、直接丁寧に説明をしてもらった方がいいよ。
その論が正しいというか間違っているというかは別にしても、適確な答えが得られると思う。

それでも理解できなかったら、数学を扱うのはあきらめた方がいいと思う。
201日本@名無史さん:2012/09/29(土) 21:29:00.30
現状では実測であるともないとも言えない。

実際の地球の計算でも合うし、
平面での設定でも合う。

当時の人間がかなり緻密に、矛盾がないような
系を作っている。

少なくとも、計算上からは否定する根拠はない。
202日本@名無史さん:2012/09/29(土) 21:40:00.28
当時の宗教家の空想の産物であって、距離自体が実態から外れている、
短里という距離単位も含めて、すべて妄想の中にのみ存在する。
といったんだが?

実測である必要がないのは、角度だけじゃなく距離も同じ。

あの文中にある千里は現実の距離とは関係がない。
203日本@名無史さん:2012/09/29(土) 21:48:00.24
>>202

しかし、現実の距離と角度で、矛盾はない。
おそらくは、先に観測結果があって、
それに合うように、太陽の高さ80000里か、なるものを
設定したのだとおもう。

太陽の高さ80000里を8000里に設定するだけで、
まとも計算不可能になる。
204日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:01:06.47
実測して短里という距離の基準が使われたのかが論点であって
何が否定されてるのかわかってないんだな
『周髀算経』や谷本氏の夏至の日の1寸の影の差ができる距離の計算
を否定してるとでも思ってるのかな
205日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:05:41.60
太陽の高さ80000里は、実測しなければ出てこない数字じゃなかろうか?
206日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:08:19.54
違う
207日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:12:12.40
当時の人間の地面は平面であるという間違った認識と、
実測した一寸千里から、太陽の高さ80000里は出てきた。

逆に理念的に太陽の高さを100万里にしたら、
一寸千里にはならない。
208日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:22:26.33
どうやって千里を測ったんだ?
209日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:28:54.03
一寸千里が、一番基本的な定義である場合に限り、
全てを机上計算にすることが可能になる。
地球の子午線の1/40000を、1mと決めたように。

つまり、一寸千里が、すべての計算の根拠となるのだ。

それを根拠として計算した結果が太陽高度80000里を導くことになる。
210日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:31:20.27
つまり、1尺5寸の影が、一寸変化する距離。
これを千里と定める。

という定義である。
211日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:34:36.12
そして、実際に一寸変化するところにまで、
観測、計測しながら移動し、
千里は、70+数キロとわかるわけである。
212日本@名無史さん:2012/09/29(土) 22:38:27.40
ぜんぜんわかってない
213日本@名無史さん:2012/09/29(土) 23:26:45.66
そもそも8万里という距離自体が儒教的理念から導出された観念的なシロモノであって、
実測から算出したものではない。

算出順序を順逆自在に組み替えて、架空の数値をいじくった数字遊びの果てが短里説なんだろう。
214ローガン:2012/09/29(土) 23:27:04.80
>>208
>どうやって千里を測ったんだ?

難しいですよね。実測の為には、凸凹の無い、まるで左官が押さえたような直線道路の存在は、必須。
215ローガン:2012/09/29(土) 23:40:40.54
>>204
>何が否定されてるのかわかってないんだな

ありがとう。私、書くのがヘタで…
216日本@名無史さん:2012/09/29(土) 23:50:47.87

このスレで「一寸千里の法」を否定しているのはほんとに数学がわからない人。
だからいくら説明しても同じレスを繰り返す。
文系と言うより理系がまったくわからないというだけの人。

「周髀算経」の該当部分を読んでもまったく数字の根拠が理解できないし、谷本氏や半沢氏の論にいたっては読むだけでも困難なんだろう。

一生懸命説明してきた人も、あきれ返ってレスをしなくなってる。

ここまできたら、大和信者同士で理系に対する無理解を晒しあってればいいんじゃないだろうか。
217日本@名無史さん:2012/09/29(土) 23:59:02.80
抽象化された数字と現実との対応付けができなくなって、思考の迷子になったヤツだけが、一寸千里法を現実的な数字とおもってんだろ。

あんなものは、現実の地形から完全に乖離した、どこの土地にも対応しない架空の数字だろ。
中央、関中に対応した数字だけが現実の数字に近いほかは、すべて架空。

現実の地球とは異なった、まったく独自の地形の空想空間内でだけ成立するシロモノだよ。
とうぜん、短里も現実世界に対応する里程ではない。
218日本@名無史さん:2012/09/30(日) 00:04:33.50
都合の悪いことは見ない聞かない。

まあ、いつもの畿内説論者ですなwww
219日本@名無史さん:2012/09/30(日) 00:28:31.30
都合の悪いことを薬袋聞かないのは古田信者だろ

自説に反する内容の発掘や研究発表はことごとく陰謀認定・大本営発表認定したり。
専門家からは相手にされていなくて、黙殺放置されてるだけなのに、誰も反論してこない、反論できないなどと嘯くんだしな。
220日本@名無史さん:2012/09/30(日) 00:38:57.97
いや、きちんと魏志倭人伝の行程記事も、
今書かれてる漢籍の周髀算経も取り込んでるよ。

でも、それをなかったコトにしたいのが畿内説だろ。

だいたい、公定里以外は、見たくもないと電波まき散らしてるのは
ローガンだしな。

信頼出来るデータは一応尊重して、論に組み込んでいくのが九州説だ。

畿内説は、まず魏志倭人伝の行程記事からして、拒否してるからな。
221日本@名無史さん:2012/09/30(日) 01:08:56.48
>>220
>行程記事からして、拒否してるから

そうしないと邪馬台国畿内説は成り立たないから。

畿内説を成立させるためには、「倭人伝」の距離も方向も間違えていることにするしかない。
それなら、いっそ「倭人伝」自体がでたらめで卑弥呼などいないし邪馬台国なんかなかった、とでも言い切ればいいのに、卑弥呼と邪馬台国にはしがみつく。

おかしな人たちだ。
現存する「三国志」ではなくて別系統?の古い「三国志」が発見されて、やっぱり「邪馬壹国」ではなく「邪馬臺国」と書いてあったとか、行程記事が畿内にぴったりだったとかすれば、古田説の出番はなくなるけどね。
222日本@名無史さん:2012/09/30(日) 01:36:58.47
落着けよw
古田説じゃないんだろ
223日本@名無史さん:2012/09/30(日) 01:48:17.70
>>222
なに言ってるんだ?

「邪馬壹国」九州説は古田氏の説だぞw
224日本@名無史さん:2012/09/30(日) 01:57:55.01
2chの九州説は古田の短里と王朝だけ使う有明海沿岸説多いよなw
225日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:03:52.38
>>222 >>224

>>221だが、俺は古田説を支持してるんだよw
226日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:07:13.07
純粋な古田支持もまだいるのか
部分取りのほうが多いぞw
227日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:16:29.78
>>226
アンカーつけろな。

「邪馬壹国」の名称と比定地
卑弥呼から倭の五王あたりまでが九州王朝の中核
神武の東征により近畿のナガスネヒコ王朝を滅ぼして第1次大和王朝が成立
九州王朝を滅ぼして全国を統一した大和王朝が成立。

このあたりまでは支持してるよ。
228日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:22:54.96
アンカーつけなきゃならんほど話題分散してないだろw
同じ九州説でも自説と違ってたら議論しないのか
229日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:27:02.31
>>228
アンカーつけないやつは、人の考えを勝手に自分で捻じ曲げる甘えた心性を持ってる。

>>222の思い込みレスによく表われてる。

そういうやつとやり取りすると気持ちが悪い。
230日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:28:31.37
>>229
じゃお前が俺にアンカーつけなきゃいいんじゃねぇのか?
231日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:30:32.59
>>230
俺はお前みたいな甘えた心性の持ち合わせはないからなw

くだらないからこれでやめる。
232日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:32:32.93
>>231
俺もくだらないからアンカーつけねぇんだよw
233日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:39:59.98
>>205-213

周髀算経の原文を読めよ。
>>http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59436

読めない人、読んでも数学的に理解できない人は論ずる資格なし。
234日本@名無史さん:2012/09/30(日) 02:43:02.28
周髀算経を否定してると話をすり替えたいんだよなw
235日本@名無史さん:2012/09/30(日) 10:39:01.97
数学が苦手で私立文系に進んだ俺は素通りさせていただきます
236日本@名無史さん:2012/09/30(日) 11:03:45.35
古田氏のは、魏晋朝短里説であって、周髀算経等や韓半島や倭での短里表記の存在の成否とは
あまり関連しない。
周髀算経等や韓半島での短里表記の可能性の指摘は古田氏のオリジナルでもない。
237日本@名無史さん:2012/09/30(日) 14:58:19.07
以前にも話題になったが、魏志の「短里」表記説は否定できてる畿内論者はいそうもないな。

いまのところ魏志の「短里」表記説は正しいということでOK?
238日本@名無史さん:2012/09/30(日) 15:29:34.77
うん
239日本@名無史さん:2012/09/30(日) 16:08:28.94
短里が存在したという証明ができていないから、正しいとは言えない。

ただ単に、否定できていないってだけのことだ。
240日本@名無史さん:2012/09/30(日) 16:08:50.19
>>236-238

東夷の短里は商の短里である。


東夷の短里は魏晋の短里ではない。

東夷の短里は周の短里、

すなわち、周髀算経の短里。

周髀算経の短里は商の短里。
241ローガン:2012/09/30(日) 16:11:04.80
>>211
>そして、実際に一寸変化するところにまで、観測、計測しながら移動し、千里は、70+数キロとわかるわけである。

ああ、可笑しい。「観測、計測しながら移動し」てたら、時間ずれるんじゃない?

>>220
>だいたい、公定里以外は、見たくもないと電波まき散らしてるのはローガンだしな。

逆。公定里以外に、その二割程度の度が同時存在した事を記す史料を、見たいんだ。誰も提示しない。
勝手な解釈は、必要ないんだ。2つの極端に違う度が同時存在したを示す、皆が首肯できる史料を提示するだけで済むのに、誰も提示しない。
242日本@名無史さん:2012/09/30(日) 16:54:13.66
>>241
>ああ、可笑しい。「観測、計測しながら移動し」てたら、時間ずれるんじゃない?

それで反論のつもり?www
243ローガン:2012/09/30(日) 18:03:03.94
>>242
論には根拠が必要。>>211は、論ではないので、反論は不要。よって、「反論のつもり?」という質問はトンチンカン。

「必死で千里移動して影測ったけど、正午じゃないので結果を採用されなかった図」 を思い浮かべて笑っただけ。
244日本@名無史さん:2012/09/30(日) 18:04:24.99
>>240
んな、証明も何もない(というか、証明する方法もない)空想を延々と書き連ねる愚行自体が、
真書派の知的水準の低さを如実に物語ってしまうわけだがな。

そういう無茶苦茶な内容で証明できてるとか、どれだけデムパ汚染されてるのか興味深い。
245240:2012/09/30(日) 19:16:35.01
>>244
>証明も何もない(というか、証明する方法もない)空想を延々と書き連ねる愚行
>そういう無茶苦茶な内容で証明できてるとか、どれだけデムパ汚染されてるのか興味深い。

今年の2月頃から9月の三つの邪馬台国関連スレを併せ読むと証明済みとなる。
その証明を知りたいのなら、自分で拾って読んでくれ。
246日本@名無史さん:2012/09/30(日) 19:29:10.10
マジでデムパだね
247日本@名無史さん:2012/09/30(日) 19:39:31.00
>>244 >>246

証明というのは読む側にも一定の能力が要求されるからなあ。
その能力がない人にとっては証明されたものが、証明がないことになってしまう。

残念なことだ。
248日本@名無史さん:2012/09/30(日) 19:47:45.25
こうして独り善がりの「証明」がまた一つ増えていくわけですな
249日本@名無史さん:2012/09/30(日) 20:10:02.96
>>248
ついに自分の能力のなさを公表にしたか
250日本@名無史さん:2012/09/30(日) 21:30:59.97
>>245
証明であると客観的に認められるために必要な、最低限の要件を満たさない、
欠陥満載のエセ証明しかありませんでしたよ。

あんなシロモノしか提出できないから、世間から相手にされてないんですよ。
251日本@名無史さん:2012/09/30(日) 21:40:40.96
>>250
それなら具体的にひとつずつ指摘してみたらどうだろう?
「周髀算経」は解決済みなのでもういい。

>証明であると客観的に認められるために必要な、最低限の要件

てなに?
252日本@名無史さん:2012/10/01(月) 09:34:41.04
『古代は輝いていたT』p204、205「歴史の皮肉」の誤りについて

方今水コ之始,改年始,朝賀皆自十月朔。衣服旄旌節旗,皆上K。
數以六為紀,符、法冠皆六寸,而輿六尺,六尺為歩,乘六馬。(史記・始皇本紀)

【集解】張晏曰:「水,北方,K,終數六,故以六寸為符, 六尺為歩。」
?曰:「水數六,故以六為名。」
?周曰:「歩以人足為數,非獨秦制然。」 
【索隱】管子司馬法皆云 六尺為歩。?周以為歩以人足,非獨秦制。
又按:禮記王制曰「古者八尺為歩」,今以周尺六尺四寸為歩,歩之尺數亦不同。

古田氏は、この?周の説は、秦が作った里制を蜀が継承していることを、
魏が非難しているので、?周が弁解しているとしている。
----------------------------------以下引用-------------------------------------------------
「これに対し、?周の答えは苦しい。
“歴史的淵源は新しくとも、人間の肉体的条件という、自然の条件にかなっている”というのである。
しかし、?周も里制の歴史においては、蜀の里制が秦朝の創始になること自身は、否定していない。
むしろ、新しさを身体的条件への合致論で補おうとしたのである。
 けれども、秦の新里制造作の根拠が、「五行説による『六』尊重。それによる秦朝の自己讃美」にあったこと、
それは『史記』の秦始皇本紀に明記されたところだったのである。
秦の始皇帝は、決して「この里制は、人間の身体的条件に合致するから」などとはいっていない。
?周、苦肉の弁明だったのである。
 陳寿は、青少年時代、?周の愛弟子であった。右の師の弁明も、耳にしていたことであろう。」
----------------------------------引用終わり--------------------------------------------

253日本@名無史さん:2012/10/01(月) 09:36:04.40
「?周曰く、歩は人足を以て数と為す。独り、秦制のみ然るにあらず。」
これの意味は、正しくは、
「六尺を一歩とする制度は、人の足が基準となっているのであって、この制度を採用しているのは、秦だけではない。」
ということ。
だから、史記索隠は、
「(事実、秦より古い)管子も司馬法も、六尺爲歩を言っている。
だから?周は、六尺爲歩は人の足が基準になっていて、秦だけの制度ではないと言ったのだ。」
と、?周説を追認する解説をつけている。
古田氏は「秦朝の創始になること自身は、否定していない。」と書いているが、
?周は、まさに六尺爲歩が秦朝の創始であることを否定しているのであって、
「歴史的淵源は新しくとも」などとは言っておらず、
「里制の新しさを身体的条件への合致論で補おうとした」のでもない。古田氏の誤読は明らか。

そして、張晏の説は、「五行の水徳は、方角に配当すれば北、色は黒、数字は六だから、六寸・六尺を基準とした」と、
史記の本文を解説しているだけで、「秦の新作の里制にすぎない」などという非難がましいことは何も書かれていない。
?の説も同様、非難の言葉は何も書かれていない。
この部分で、秦・漢の里制を継承した蜀を、短里を使う魏が非難し、蜀が弁明しているのだというストーリーは、
古田氏の誤読に基づく小説的想像であって、張晏や?周の注とは何ら関係ないことがわかる。
254日本@名無史さん:2012/10/01(月) 09:38:32.07
文字化けしていたので、再投稿。
『古代は輝いていたT』p204、205「歴史の皮肉」の誤りについて

方今水コ之始,改年始,朝賀皆自十月朔。衣服旄旌節旗,皆上K。
數以六為紀,符、法冠皆六寸,而輿六尺,六尺為歩,乘六馬。(史記・始皇本紀)

【集解】張晏曰:「水,北方,K,終數六,故以六寸為符, 六尺為歩。」
サン曰:「水數六,故以六為名。」
ショウ周曰:「歩以人足為數,非獨秦制然。」 
【索隱】管子司馬法皆云 六尺為歩。ショウ周以為歩以人足,非獨秦制。
又按:禮記王制曰「古者八尺為歩」,今以周尺六尺四寸為歩,歩之尺數亦不同。

古田氏は、このショウ周の説は、秦が作った里制を蜀が継承していることを、
魏が非難しているので、ショウ周が弁解しているとしている。
----------------------------------以下引用-------------------------------------------------
「これに対し、ショウ周の答えは苦しい。
“歴史的淵源は新しくとも、人間の肉体的条件という、自然の条件にかなっている”というのである。
しかし、ショウ周も里制の歴史においては、蜀の里制が秦朝の創始になること自身は、否定していない。
むしろ、新しさを身体的条件への合致論で補おうとしたのである。
 けれども、秦の新里制造作の根拠が、「五行説による『六』尊重。それによる秦朝の自己讃美」にあったこと、
それは『史記』の秦始皇本紀に明記されたところだったのである。
秦の始皇帝は、決して「この里制は、人間の身体的条件に合致するから」などとはいっていない。
ショウ周、苦肉の弁明だったのである。
 陳寿は、青少年時代、ショウ周の愛弟子であった。右の師の弁明も、耳にしていたことであろう。」
----------------------------------引用終わり--------------------------------------------
255日本@名無史さん:2012/10/01(月) 09:39:49.99
「?周曰く、歩は人足を以て数と為す。独り、秦制のみ然るにあらず。」
これの意味は、正しくは、
「六尺を一歩とする制度は、人の足が基準となっているのであって、この制度を採用しているのは、秦だけではない。」
ということ。
だから、史記索隠は、
「(事実、秦より古い)管子も司馬法も、六尺爲歩を言っている。
だからショウ周は、六尺爲歩は人の足が基準になっていて、秦だけの制度ではないと言ったのだ。」
と、ショウ周説を追認する解説をつけている。
古田氏は「秦朝の創始になること自身は、否定していない。」と書いているが、
ショウ周は、まさに六尺爲歩が秦朝の創始であることを否定しているのであって、
「歴史的淵源は新しくとも」などとは言っておらず、
「里制の新しさを身体的条件への合致論で補おうとした」のでもない。古田氏の誤読は明らか。

そして、張晏の説は、「五行の水徳は、方角に配当すれば北、色は黒、数字は六だから、六寸・六尺を基準とした」と、
史記の本文を解説しているだけで、「秦の新作の里制にすぎない」などという非難がましいことは何も書かれていない。
サンの説も同様、非難の言葉は何も書かれていない。
この部分で、秦・漢の里制を継承した蜀を、短里を使う魏が非難し、蜀が弁明しているのだというストーリーは、
古田氏の誤読に基づく小説的想像であって、張晏やショウ周の注とは何ら関係ないことがわかる。
256日本@名無史さん:2012/10/01(月) 11:37:36.68
『古代は輝いていたT』p206「短里の再廃棄」の誤りについて
古田氏は、元帝の詔を誤読して、以下の論を立てている。
-------------------------------引用開始-------------------------------------------
「魏・西晋朝の短里」、それはいつ廃棄されたか。わたしたちはその回答を、
『晋書』の帝紀に見出すことができる。

詔して曰く「(中略)昔、漢の高祖、沛を以て湯沐の邑と為し、光武も亦南頓を復す。
優復の科、一に漢氏の故事に依る」と。   (『晋書』元帝紀)

西晋朝は、建興四年(三一六)、新興匈奴の劉曜等の攻撃によって滅亡した。
天子、孝愍帝は降服し、劉聡(曜の父)の従僕のように使われたあと、殺されたという。
 このあと、建康(今の南京)に建国したのが、東晋第一代の天子、元帝であった。
彼は亡国の西晋朝の遺風を一掃し、もっぱら漢制に復帰することを宣言した。それが右の一文だ。
「劉氏」を名乗って、漢室(の血脈)を継ぐと称した新興匈奴に対し、
真に漢制を保存する中国の正統の国家たることを主張しようとしたのであろう。
本来、魏・西晋朝は漢より禅譲をうけた王朝だったのであるから。
 かくして「里制」も、ふたたび漢の長里に復帰し、
以後、南朝の各王朝、さらに隋・唐朝へと大異はなかったのである。
------------------------------引用終わり------------------------------------------
257日本@名無史さん:2012/10/01(月) 11:42:36.95
上記引用の晋書・元帝紀の詔のなかに出てくる「復」「優復」は、税の免除の意味で、「復帰する」という意味ではない。
「復」は「ふく」ではなく、「ほく」と読む。「優復」は「ゆうふく」と読むのが習慣だけど。
古田氏が省略した部分を含めてこの詔を訳す。

秋七月丁亥,詔曰:「先公武王、先考恭王臨君琅邪四十餘年,惠澤加于百姓,遺愛結于 人情。
朕應天符,創基江表,兆庶宅心,繦負子來。琅邪國人在此者近有千戸,今立為懷コ 縣,統丹楊郡。
昔漢高祖以沛為湯沐邑,光武亦復南頓,優復之科一依漢氏故事。」

秋七月丁亥、詔して曰く、「(元帝の)先祖の武王と亡父恭王は琅邪を四十余年治め、
その恵みは百姓に加わり、遺愛は人の心の中に残っている。
朕は天符に応じて江表に(東晋を)創業したが、多くの民が昔の恩愛を忘れずに、子供を背負って朕に付いてきた。
そのなかで琅邪国の人は千戸ほどある。今、その琅邪の人々の住む土地を懐徳県として丹楊郡に属させる。
昔、漢の高祖は沛を湯沐の邑とし、光武はまた南頓を復(ほく)した。
優復の科(税免除の規定)は、ひとえに漢氏の故事に依れ。」

つまり、漢を創業した高祖や後漢を中興した光武帝が、自分にゆかりのある土地の税を免除した故事にならって、
東晋を中興した元帝も、自分の父祖が治めた琅邪の人々が移り住んだ懐徳県の税を免除すると言っている。
 この詔は、懐徳県の税免除のことしか言っていないので、
古田氏説のごとくに「彼は亡国の西晋朝の遺風を一掃し、もっぱら漢制に復帰することを宣言した。」のではないし、
「新興匈奴に対し、真に漢制を保存する中国の正統の国家たることを主張しようとした」という内容とは、全然違うことは、
一読すれば誰にでもわかる。
古田氏がどうしてこのような誤読したのか不思議。
258日本@名無史さん:2012/10/01(月) 14:06:34.72
>>254->>257
乙。
こういう反論がいいね。

続きを楽しみにしてる。
自分のように中国語がわからない人間にも理解できるように、訳文をていねいに載せてくれてるところがいい。

まとまった段階で、古田氏側からの再反論にも期待したいし、それへの再々反論もほしい。
古田説が否定されても肯定されても、こういう風に具体的に論議されていくのはとてもいい。
259日本@名無史さん:2012/10/01(月) 22:48:01.00
短里では歩と尺と里の関係はどうなるの???
歩は6尺
里は300歩
里は1800尺でいい?
260むらかみからむ:2012/10/01(月) 22:52:26.09
古代史やるなら 古田武彦などより
石渡信一郎です

九州に王朝などあったわけがない
261日本@名無史さん:2012/10/01(月) 23:51:02.67
どれもこれも仮説・推論でしかない
そこを弁えて論争しようではないか
262日本@名無史さん:2012/10/01(月) 23:58:29.94
>>259
基準になるのはやはり尺なんじゃないかな?
一尺の長さはどの時代もそんなに変わらないのに、
一里の長さが極端に違うなんてちょっと考え難い
263日本@名無史さん:2012/10/02(火) 00:23:48.69
>>259
短歩(1歩=1尺、1尺は普通の長さ))を採用するヤツと、
短尺(1尺が普通の1/6ぐらいに縮小)を採用するヤツと、
1里=50歩=300尺(歩と尺は普通)のヤツが乱立してたんじゃないかな。

短歩説と短尺説が二大派閥だった気が。

まあ、デムパ人たちの妄想は理解困難だけどさ。
264日本@名無史さん:2012/10/02(火) 00:29:29.85
長さや量は税や経済に関わることだから、古くからどこにでもあって誰もが大きさを想像できるものが基準になってきたんだよ
そして次第に明確な定義が定められるようになった→尺斤法 黄鍾秬黍説
誰も知らないような、誤差が大きく出るような長さが基準であったら、古代から各地にものさしを大量に配布していなければならない
265日本@名無史さん:2012/10/02(火) 00:30:43.37
「一寸千里の法」の「一寸」はどの位の長さだったのかな?
266日本@名無史さん:2012/10/02(火) 01:04:45.70
>>265
>「一寸千里の法」の「一寸」はどの位の長さだったのかな?

一寸≒15mm・・・商制 一尺≒15cm  
推定:周尺=商尺として。 
周は商文化圏の群雄の一つだから。
「尺寸分」は商交易圏の取引の単位。
267日本@名無史さん:2012/10/02(火) 01:11:15.44
   
「尺寸分」は商交易圏の取引の基準長さ単位。
268日本@名無史さん:2012/10/02(火) 01:35:54.63
周代の発見されている「ものさし」は22〜23cmだね
269日本@名無史さん:2012/10/02(火) 01:36:08.01
そこから推測される一里はどの位の長さだったの?
270日本@名無史さん:2012/10/02(火) 01:40:19.31
1尺=22.5cmで1里=405m
271サガミハラハラ:2012/10/02(火) 05:18:56.29
周の時代では、一里は五十歩だったらしい。五十歩百歩の諺は、一里逃げるか二里逃げるかということだったらしい。
よって一里は67.5mということになります。これは、当時の地理上の行程を書いた記録により証明されております。 
これが、一里400m ぐらいにかわったのは、秦の時代である。
秦の始皇帝は、各国バラバラだった度量衡を統一したのです。その際一里は6倍されたのです。  
272日本@名無史さん:2012/10/02(火) 08:18:54.68
>>271
>周の時代では、一里は五十歩だったらしい。五十歩百歩の諺は、一里逃げるか二里逃げるかということだったらしい。

これの根拠となる文献は何ですか?
273日本@名無史さん:2012/10/02(火) 08:26:57.31
>>268
>周代の発見されている「ものさし」は22〜23cmだね

周公旦以降の統一周の成王の頃に一尺が15〜16cmから22〜23cmになったのでは。
周公旦が改定したとも考えられる。(周公旦は周髀算経の周公か?)
274日本@名無史さん:2012/10/02(火) 09:17:08.86
周代に井田制があったことから、
1里が300歩であることがわかる。

1歩が23cmなら、1里は69mとなる。
1里が76mなら、1歩は25.3cmとなる。
275日本@名無史さん:2012/10/02(火) 10:57:00.94
>>274
「歩」と「足」の違いを理解できない短歩説論者がお出ましだ。
276日本@名無史さん:2012/10/02(火) 11:01:09.36
>>275
横だが「足」ってなに?
277サガミハラハラ:2012/10/02(火) 11:06:04.96
>>272 魏志倭人伝の各国間をはかると、一里が66mから68m、それもかなり68mに近い値がでます。
このことから私は一里67・5mであったということをみとめました。
福永晋三という高校教師の方の説です。
278日本@名無史さん:2012/10/02(火) 11:32:40.44
>>277
どうもありがとう。
279274:2012/10/02(火) 11:58:41.89
>>275
周代の「足」の単位が「歩」。
1歩=1足=22〜23cm(成人モンゴロイド男性の足の長さ)

>>277
商代以降隋迄の凡その東夷の1歩は22.8cmで1里は68.5m。

280日本@名無史さん:2012/10/02(火) 12:22:49.18
東夷の歩だの里だの、よく臆面もなく書けるもんだ
281日本@名無史さん:2012/10/02(火) 13:36:20.74
周による中原の統一迄(武王、周公旦迄)

1歩≒22〜25cm、1尺≒15〜16cm

周による中原の統一以降(周公旦、成王以降)

1歩=1尺≒22〜23cm
282日本@名無史さん:2012/10/02(火) 14:04:43.83
無知のまま妄想ばかりしてないで、「周尺」について少しくらい調べてからレス書けよw
283日本@名無史さん:2012/10/02(火) 14:05:22.19
>>274
井田制は、一里四方を九区画に別け、真ん中の区画が税、残りの八区画が八家族の食い扶持になる。
一里が69mなら、一家族の区画は、23m四方になる。
農業のことは何も知らないんだが、23m四方の耕地で、一家が一年食えるのか?
あまりに狭すぎると思わないか。
284日本@名無史さん:2012/10/02(火) 15:08:34.66
>>282
「周尺」が何かは済んだ。

「周尺」の成立時期と経緯を調べろよ。
285ローガン:2012/10/02(火) 15:08:41.58
>>263
>短歩説と短尺説が二大派閥だった気が。

では、彼らの大好きな周髀算経から
「即平地徑二十一歩.周六十三歩.令其平矩以水正.則位徑一百二十一尺七寸五分.」
径21歩の円形の平地をつくり、径121尺7寸5分を水平としたんだから、一歩=六尺でちょうどいい。
一歩=一尺とかだと意味不明(笑)。
彼らの大好きな周髀算経は、一歩=六尺。
又、短尺とかだと、八尺表は、22.5cm÷6×8=30cm 影差一寸とは、3.75mm。
なんと、現実味のない数字か…(笑)
彼らの大好きな周髀算経は、短歩も短尺も否定している。
286日本@名無史さん:2012/10/02(火) 15:21:24.44
>>283
1里=400mなら1区画1.7ha、430mなら約2ha
一家族が一年間食べていくのに必要な面積ってこれぐらいは必要だよな。

23m四方って、農業じゃなく商業か工業で食ってる前提じゃないだろうな、デムパ人たちの発想は理解できない。


>>279,281
「歩」という文字は、足の形じゃなくて、歩くときの下半身、コンパス状に脚を開く形を描く象形文字から来てる。
1歩≒1尺とか、ありえないな。
287日本@名無史さん:2012/10/02(火) 15:25:55.96
>>277
短里を前提として諸国の位置を決めて、その位置関係・距離を根拠に短里の長さを算出したのか。

明らかに循環論法だな。学説として成立してないよ。
その教師がデムパ人だと判明する以外の結論は出しようがないな。
288日本@名無史さん:2012/10/02(火) 15:40:49.36
>>283
>井田制は、一里四方を九区画に別け、真ん中の区画が税、残りの八区画が八家族の食い扶持になる。

上記は長里説に基づく解釈。

短里説で説明すると下記となる。
井田制は、一里四方を九区画に別け、真ん中の区画が税、残りの八区画が一家族の食い扶持になる。

井田制は、連作障害を避ける為に、百里四方(23m四方)の土地ごとに、8通りの使い方をする指針と考えられる。
289日本@名無史さん:2012/10/02(火) 16:14:02.73
>>288
おいおい、それじゃ孟子の言ってる事と違うぞw
290日本@名無史さん:2012/10/02(火) 17:16:46.25
>>286
横だけど。

日本の1尺は30センチほど。
1フィートと同じぐらいだけど?

1歩が1尺でも1フィートでもいいんじゃない?
291日本@名無史さん:2012/10/02(火) 17:51:06.90
いまウィキペディア見てたら、
周代とそれ以外の時代で、
面積の広さは4倍くらい違うんだな。

逆算すると、長さは二倍くらい違うことになる。
292日本@名無史さん:2012/10/02(火) 17:51:48.29
>>288
>井田制は、連作障害を避ける為に、百里四方(23m四方)の土地ごとに、8通りの使い方をする指針と考えられる。

それ、どの文献に出てくるの?
文献の名前と、できれば原文を紹介してくれ。
293日本@名無史さん:2012/10/02(火) 19:03:20.64
>>289
>それじゃ孟子の言ってる事と違うぞ
>>292

孟子の原文読んだのか?
従来説は長里を前提として書いてある。

一里が短里だとして読み返してみると、
従来の井田についての解釈がおかしいことになる。
294日本@名無史さん:2012/10/02(火) 19:31:00.34
>>293
つまり、

>>井田制は、連作障害を避ける為に、百里四方(23m四方)の土地ごとに、8通りの使い方をする指針と考えられる。

には、文献的根拠はないということかい?

>一里が短里だとして読み返してみると、
>従来の井田についての解釈がおかしいことになる。

逆でしょう。文献的根拠から短里の存在が導き出されなければいけないのに。
短里が存在したという前提で、それに合わないからという理由で、現存する文献を否定するなんて。

事件捜査に喩えれば、証拠を積み上げて犯人を割り出すのではなく、
最初に、お前が犯人だと決め付けて、都合の悪い証拠は間違いだと否定する。
典型的な冤罪の構図だ。

文献的根拠が無ければ、短里に辻褄を合わせるように想像したとしか評価されないよ。
295日本@名無史さん:2012/10/02(火) 19:33:27.18
孟子が説明した内容が>>283だよ
「井田制 孟子」で検索してみ
296日本@名無史さん:2012/10/02(火) 19:55:25.27
>>293
横から>>295を補足すると、孟子・滕文公章句上の本文に出てくる。
297日本@名無史さん:2012/10/02(火) 20:42:49.33
この板じゃ、1日2chに貼り付いてプータロー脳で考えた1歩=1尺≒22〜23cm を元に議論してるのか?www

『禮記』王制篇くらい読めよw 「周尺」の語が見られる最古の文献だ

古者以周八尺為歩、今以周尺六尺四寸為歩、古者百畝、當今東田百四十六畝三十歩、
古者百里、當今百二十一里六十歩四尺二寸二分」

連作障害?w どういう作物に連作障害が出るか調べて考えろwww
298ローガン:2012/10/02(火) 21:05:22.25
古田スレ この頃ずっと上にあるやん。
既存の邪馬台スレが、おかしな具合だから みんな集まって来たとか…
299日本@名無史さん:2012/10/02(火) 21:45:39.43
>>288
その解釈だとしても、69m四方の土地で1家族。(その一部、23m四方の範囲が税)4200平米、42アール、0.4ヘクタールだろ
1家族を半年間ばかり養う程度の収穫すら得られない狭さだぜ
300日本@名無史さん:2012/10/02(火) 21:48:20.37
>>297
麦?
301日本@名無史さん:2012/10/02(火) 21:50:05.84
>>294
>>井田制は、連作障害を避ける為に、百歩四方(23m四方)の土地ごとに、8通りの使い方をする指針と考えられる。
>には、文献的根拠はないということかい?

文献的根拠がないから推定である。
8区分にして作付けをした理由は次のようにも考えられる。

水稲の場合にかぎるが、連作障害はないが、
天候病虫害によって収穫量が大きく変わる。
稲の品種や作付け時期をずらすことにより、
日照り水害等の天候や病虫害による壊滅的な収穫量減少を避けることができる。
比較的安定した収穫量を確保する為、2種類以上の品種の米を植え、
かつ、作付け時期を変えるのは、古代以来、近世までの水稲作では常識である。

つまり、8地区の各地区ごとに異なった栽培方法を取ることにより、
大豊作になることはないが、飢饉になることは避けられるのである。
302301:2012/10/02(火) 21:58:02.49
近世日本の東北地方の大飢饉は、
収量の多い品種の米に作付けに絞った為に起きた人災である。
303日本@名無史さん:2012/10/02(火) 22:12:18.62
>>301

文献まるっきり無視だなこいつwww
朝鮮人のほうがまだレベルが高いw

304ローガン:2012/10/03(水) 00:10:10.20
>>303
>朝鮮人のほうがまだレベルが高いw

かくしてや
昭和に生まれた短里の火
語りつがねば泡沫の
峰にたなびく霧となりぬる
305日本@名無史さん:2012/10/03(水) 01:27:19.75
こうやって仮説を押し通すためにさらに仮説を重ねていき
どんどん史料事実から離れていくのが「古田史学」の正体なんだな
306日本@名無史さん:2012/10/03(水) 05:27:30.78
>朝鮮人のほうがまだレベルが高いw

駄目だよ そんな事言ってはー
「ゾンビのほうがまだレベルが高いw 」が正解w



307日本@名無史さん:2012/10/03(水) 09:32:29.28

大和信者は、「 おまえのかーちゃん でーべそー 」 しか言えなくなってきちゃったんだなw

負けたときは、もっとスマートに逃げようね。
308日本@名無史さん:2012/10/03(水) 10:00:56.82
短里・長里はともかくとして、

倭人伝が「対馬から壱岐を1000里」「壱岐を1辺300里」としているのは動かせない。
しかも、この縮尺で倭人伝全体を書いているらしい、ということ。

極論すれば、中国伝統の里の概念なんてどうでもいい話。
これが実証主義。
309日本@名無史さん:2012/10/03(水) 10:34:27.03

少なくても倭人伝(東夷伝)の範囲では短里ですべてが整合するし説明がつく。
長里では、倭人伝はでたらめな記事ということになってしまう。

それなら倭人伝はすべてでたらめだから、卑弥呼もいないし邪馬台国も存在しなかったと言い切ればいいのに。
大和信者は中途半端に自分の都合を押し通そうとしてるだけだね。
310日本@名無史さん:2012/10/03(水) 11:26:52.22
でもね、存在しない卑弥呼に金印を下賜したといって、詔書の文面まで捏造する動機が
陳寿にはないから。
だとすると、卑弥呼や邪馬台国の存在を疑うのは、非論理的。
311日本@名無史さん:2012/10/03(水) 12:37:15.80
でも邪馬台国の位置については
(意図的かどうかは別として)
事実と異なる記載とする背景があるんだけどな
312日本@名無史さん:2012/10/03(水) 17:24:50.64
>>308
「千乗の国」「万乗の国」のごとき理念で作られた、現実の地理に対応しない記載の可能性をまったく無視している件について。

現実の地理に合わない数値を使う理由なんか考えられない以上、里程(距離単位)が違うとしか考えられない
という論法に、「他の理由が考えられない」わけではないという反証が出る。


そもそも、人口だって九州王朝説と矛盾するんだぞ。
倭の人口が理念的な数値で現実無視と考えない限り、邪馬台国は日本列島の過半を統一する大国だったと考えざるを得ないんだからな。
313ローガン:2012/10/03(水) 17:51:14.36
>>308
>倭人伝が「対馬から壱岐を1000里」「壱岐を1辺300里」としているのは動かせない。

なんで対馬に触れないの(笑)

>極論すれば、中国伝統の里の概念なんてどうでもいい話。

あら、又、卓袱台ひっくり返したな。
昨日まであれほど「周髀算経、周髀算経〜」って言ってのはもういいの?
314日本@名無史さん:2012/10/03(水) 17:54:19.87
>>312
短里で説明すれば距離も方向も日本のある地点に比定できる。
これを偶然と考えるのには無理がある。

読み方についての反論はあるだろうが、少なくても倭人伝に関する限り古田氏の読み方に明確な誤りがあるわけではない。
倭人伝(東夷伝)で記述されている「里」が、これも否定できる明確な根拠がない「短里」の採用によってすべて合理的な説明がつくのだから、偶然の一致とするのは無理がある。

人口については説明を聞いてみたい。
倭人伝記載の邪馬台国(邪馬壹国)の人口はどのくらいで、その数を想定する根拠はどこにあるのか説明して欲しい。
さらに、当時の関東以西の総人口も想定できるのなら、それもあわせて頼む。
315日本@名無史さん:2012/10/03(水) 18:03:58.68
>>313
「周髀算経」自体の1里の距離は解決済み。
観測と計算による「1里」=「7、80メートル」だから、議論してもしかたがない。

数学、物理による計算結果を否定するなら話は別だが、その場合はそれぞれの学会かなんかに発表した方がいいと思う。
とにかく「周髀算経」は理系の書物だから、議論の余地がない。
316日本@名無史さん:2012/10/03(水) 18:15:45.77
>>313
申送れましたが、私は横からの者です。
今までの流れはあまり読んでなくてスマン。
対馬に触れなかったのは、解釈がいろいろあり得るからよ。

@
1辺400里の正方形と同等の面積を有する島、と解釈するケース。
A
現在の対馬(2つの島から成る)の一方だけを「対海国」と読んだ、
と解釈するケースがあり得ること。
317ローガン:2012/10/03(水) 18:25:52.58
>>314
>倭人伝(東夷伝)で記述されている「里」

同一人物による同一書内のごく一部にだけ、他の大部分と大きく乖離した度が使われたって?(笑)。
頑なにならず、常識で考えてごらん。で、その例証があるかい?(笑)

>>315
>議論してもしかたがない。

ならいい。平地前提の単なる机上計算を、地球に置き換えて
計算した所で何の意味も無いことに気付いてくれたようだ。
318日本@名無史さん:2012/10/03(水) 18:28:33.44
>>317
「周髀算経」には「1里」=「7、80メートル」と書いてある、という意味だよ。
319ローガン:2012/10/03(水) 18:31:25.10
>>316
い、いや、だから…
万関瀬戸
320日本@名無史さん:2012/10/03(水) 18:32:48.97
>>317
他の例の問題ではなく、倭人伝で合理的に解決されてるということ。
また、魏志全体で「短里」である可能性も高そうだから、指摘はあてはまらない。
321日本@名無史さん:2012/10/03(水) 18:36:45.85
短里なんて裴松之が注を付けてない時点でドボン
322日本@名無史さん:2012/10/03(水) 19:34:59.01
>>317
>ならいい。平地前提の単なる机上計算を、地球に置き換えて
>計算した所で何の意味も無いことに気付いてくれたようだ。

平地前提でも、現実の地球前提でも一致するやん。

一致しなかったら、地球が丸いって事がわかっただろうけどな。
それには、北回帰線の更に先まで観測することが必要だが。
323日本@名無史さん:2012/10/03(水) 19:45:34.60
北回帰線で北緯24度
観測したであろう場所で、35度付近だとすれば、
角度は10度しか違わない。

ましてや、千里程度なら、1度も違わない。

つまり、三角形で近似しても、ほとんど誤差はない。
324ローガン:2012/10/03(水) 20:00:14.82
>>320
>他の例の問題ではなく、

君の主張するような内容を相手に理解させようとする場合、
直接の根拠(つまり短里とやらが該当時代の王朝の度であった事)を示さなければならん。
しかし、無いので無理。なら、某かの例証、用例を提示するのは当然のマナー。
しかし、それすら、出来ない。無いからだ。
同一人物が記した同一書内の、ごく一部だけが、他の大部分と大きく乖離する度を用いた例証などない。
君の主張は非常識だという事。

>また、魏志全体で「短里」である可能性も高そうだから、

でも君はその具体例を提示出来ない。
325日本@名無史さん:2012/10/03(水) 20:15:44.19
短里説は仮説としては面白いが、どうにも胡散臭いというか何というか
「短里ですべて説明がつく」っていうけど、比定地未確定の国ばかりなのに何でそんな事が言えるのかね
326日本@名無史さん:2012/10/03(水) 20:25:01.70
>>325
「短里」で読めばすべて九州各地におさまる。
現在の地名とつながると思える記載も多い。

「長里」では方向も距離も変更しないと日本全国どこにも比定できない。
どちらが可能性が高いか、ということ。
327日本@名無史さん:2012/10/03(水) 20:26:38.50
>>324
「周髀算経」の件は理解できたのか?
328ローガン:2012/10/03(水) 20:31:58.93
>>327

上で当の谷本氏の言を引用した。明らかに実測が前提だ。
で、どこで測ったのかね?地名をよろしく。
329日本@名無史さん:2012/10/03(水) 20:35:29.75
>>328
やっぱり理解できなかったのかw
330日本@名無史さん:2012/10/03(水) 20:47:11.09
>>326
可能性で言うとそもそも「短里」が存在した可能性が低い訳でね
まあオレも九州派なんだが、短里はちょっと受け入れ難いな
331ローガン:2012/10/03(水) 20:55:12.30
>>329
>>285で書いたんだが
で、表は30cmかね?(笑)
332日本@名無史さん:2012/10/03(水) 20:56:23.35
>>330
個人の趣味の問題じゃないけどね。

合理的なものは現実的。
現実的なものは合理的。

だそうだ。
333日本@名無史さん:2012/10/03(水) 21:09:25.91
それ近代的合理主義が広まったあとでないと言えないんじゃないかな?

前近代なんて現代から見たら不合理な思想に基づいた現実ばかりだと思うんだけど
334日本@名無史さん:2012/10/03(水) 21:14:38.17
>>332
合理的・現実的に考えたら短里が存在した可能性は低いでしょ
短里の存在を示す史料は無いしね
大体一里の長さが極端に変わったらみんな混乱しちゃうじゃん
そんな極端な単位の変更をすると思う?
335日本@名無史さん:2012/10/03(水) 21:41:45.98
>>334
中国の長い歴史の中で「短里」があったこと自体は間違いない。
「周髀算経」もその一つの例。
問題はそれが倭人伝で使われていたかどうかということ。

倭人伝の記述では、「短里」を使うことによって日本の地理が合理的に説明できる。
336日本@名無史さん:2012/10/03(水) 21:46:35.19
ヤマト王権と奈良時代以降の朝廷とのつながりに対して
「『日本書紀』に明記されてないから関係ない可能性が高い!」(キリッ)
って主張してる人いませんでしたっけ?

書かれてなければ否定するのであれば、短里なんてお話しになりませんよね?
337日本@名無史さん:2012/10/03(水) 22:05:56.06
ヤマト王権=奈良以降の朝廷と考えるのが一番合理的だなw
『日本書紀』に朝貢記事がないのも威信に関わるからシカトしたって考えれば
日中で体系化されてるいろんな学説や史料とも矛盾しないから一番合理的だなw
338日本@名無史さん:2012/10/03(水) 22:30:01.86
短里って、結局のところ何の物証も存在しないシロモノなんだよな。
理念的存在であり、仮想的な存在である。

始めから終わりまで、空想の中にしか存在しないんだよ。
339日本@名無史さん:2012/10/03(水) 22:37:26.01
新唐書

そこの俗は女が多く男が少なく、文字があり、仏教の教えを尊ぶ。
その官には十二等級がある。王姓は阿毎氏、自ら言うには、
初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。

彦瀲の子の神武が立ち、改めて「天皇」を号とし、大和州に移って統治する。
次は綏靖、次は安寧、次は懿コ、次は孝昭、次は天安、次は孝靈、
次は孝元、次は開化、次は崇神、次は垂仁、次は景行、次は成務、
次は仲哀という。
340日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:09:09.66
周髀算経では、太陽高度を8万里、その真下までの距離を1万5千里としている。
これは8尺の棒と1尺5寸の影の相似形といえるわけだが、
貴重な当時の観測精度の記録でもある。

これから角度を計算すると、1尺5寸の時で、太陽の高さは79.42度
1尺4寸の時で、80.11度である。

その角度の差は0.69度となる。

当時の人間は地球が球であるとは、知らなかったらしいので、
地球の周囲の距離4万キロなど、知るはずはないが、

一周が360度なので、0.69度=千里=76mとすると、39437kmである。
非常に実際の地球の大きさに合う数字である。
4万キロから逆算すると、77m前後である。

これがもし、公里であれば、225000kmとなり、全く合わない。

これにより、周髀算経の数値は観測したものであること。
そして公理ではないことが証明できる。

341日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:15:30.45
>非常に実際の地球の大きさに合う数字である

76mが地球の極半径を使って算出してるんだからあたりまえだろがwww

342日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:24:38.23
「周髀算経」の里には76mだろが400mを代入しても太陽の高さがかわるだけで成り立ってんだよw
つまり地球表面上で1寸の影の差ができる2地点間の距離を実測して平面の地球に代入してしまうと
太陽の高さが間違ってることになるんだよw
343日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:27:24.09
>>341

つまり、倭人伝からの推測距離でも、
地球からの算出距離でも合うということですな。


さらに、太陽高度と真下までの距離の比と、
8尺の棒と1尺5寸の比は同じであっても、

千里あたりの角度0.69度は変化しないため、

短里の8万里と1万5000里でなければ、
数値は合わない。

短里で0.69度が、公里では、3.90度となり、明らかに違うのである。

したがって、周髀算経では短里が使われており、
公里が使われていないことが説明できる。
344日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:39:07.08
曹魏あるいは三国時代の東夷で単里とやらが使われていたという証明にはまったくなっていないがな
345日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:43:51.13
>>432
>「周髀算経」の里には76mだろが400mを代入しても太陽の高さがかわるだけで成り立ってんだよw

成り立たない。

太陽の角度は、79.42度と80.11度で一定である。
その差は0.69度である。

太陽の高さを比例させても、角度は変化しない。
高度8万里と距離1万5000里、

一里77m換算で、6160kmと1155kmと、
一里435m換算で、34800kmと、6526kmでも、

同じ比ならば、角度は変化しない
つまり二点の角度の差は0.69度で変わらない。

で、地球上の子午線の0.69度は、かわらず77km相当である。
あくまでも、角度の比で距離が決まるのである。
346日本@名無史さん:2012/10/03(水) 23:48:53.30
歳差運動・・・
347日本@名無史さん:2012/10/04(木) 00:00:32.99
>>345
アホじゃなかろか
「周髀算経」の里に代入してみろw
地球表面上で1寸の影の差ができる2地点間の距離76mは、地球〜太陽間が約1億5000万kmで太陽光線が平行とみなしてよいことが前提になっている
地球〜太陽間が6000kmなら太陽は点光源にもならないし、太陽光線は平行にもならないし、影もできない
「周髀算経」の平面の地球では長さ全てが定義された2地点間の距離の何倍、何分の1であるから成り立っている
348日本@名無史さん:2012/10/04(木) 00:18:46.02
太陽の角度は、79.42度と80.11度であり、これは実際に観測した値である。
現実には当然ながら、太陽光は事実上平行光である。
これはそのまま、子午線の角度差である。
これが77kmに相当するのは、前に書き込んだとおりである。

しかし、当時の中国人は地面は平面であり、太陽が、わりと近いところにあると考えた。
平面を前提にして、二点の観測結果から、太陽の高さを計算すると、
以前 >>188に書いたように、高さ8万里、太陽の真下までの距離15000里が導き出される。
他の結果はないのである。

実際の距離でも、中国人の考えた仮想平面モデルでも、同じ結果が出ることを無視してはならない。
高さ8万里、距離1万5000里をでたらめにすると、同じ結果が出ないことに着目すべきである。

実際の距離が一致することは、かなり精密に観測したことを示しており、
仮想平面モデルから算出された高さ8万里、距離1万5000里は、
この観測結果を、現実と違った平面モデルで計算した結果算出されたものと考えるべきなのである。
349日本@名無史さん:2012/10/04(木) 00:56:05.74
>>348
>実際の距離が一致することは、かなり精密に観測したことを示しており

「周髀算経」のどの距離が実際と一致した???
76m以外の距離を代入してみて成り立たなかった?

「周髀算経」の太陽の高さ、太陽の真下までの距離は
平面の地球上で1寸の影の差ができる距離Aを定義することにより同時に
太陽の真下(影の長さ0)までの距離16Aが定義され(観測地での影の長さ一尺六寸から)
勾股弦の法により太陽の高さ80Aが定義されてるんだよ
「周髀算経」が成り立つためには、地球上の距離A離れた地点は書けない

谷本氏が算出してる「地球表面上で1寸の影の差ができる2地点間の距離」は、実際の太陽の距離約1億5000万km
離れた極半径6357kmの完全球体の地球上での1寸の影の差ができる距離76kmで
>>154で説明されている平面上と曲面上(球面)の関係が理解できないのであれば
平面上=「周髀算経」での説明と曲面上=谷本氏の算出を全く別と考えたほうがいい
350ローガン:2012/10/04(木) 01:06:16.24
>>340
>貴重な当時の観測精度の記録でもある。

ああ、可笑しい。
その八万里って どうやってもとめたん?
あとでいいよ。他の方々との話済んでからでね。
351日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:12:40.36
>>76m以外の距離を代入してみて成り立たなかった?

実際の地球の大きさと照合するのは、いわば検算だが、
連立方程式で一意に決まり、ただの多項式だから
他に答えはないと思うぞ。
あったら教えてくれ。


>>>154で説明されている平面上と曲面上(球面)の関係が理解できないのであれば
>平面上=「周髀算経」での説明と曲面上=谷本氏の算出を全く別と考えたほうがいい

すまないが、>>154を書いたのは私だ。
352日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:16:16.12
>>350

ローガンは笑うしかないだろ。算数ついていけてるか?
353日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:20:02.71
>>351
>>154本人w
>前提として、高さ8万里という数値が与えられているから
と書いておきながらかw

実際に「周髀算経」の里に76m以外を代入して成り立たないなら、
例を書いてみてくれ
354日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:22:56.48
>>350

>>189を見てくださいな。
355ローガン:2012/10/04(木) 01:24:30.08
>>352
いいや。算数はきらいだ。
しかし 345(さしご)の直角三角形が、79゜の角度を持たない位は解る。
356日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:34:00.10
>>353

これも同じく、>>189 を見てもらえばわかるが、
短里の実距離はなくても、8万里は出るのだ。
千里という数値と、棒の高さと影の長さの比でね。

しかしこれだけでは短里の実距離は求められない。
だから、実距離を出そうと思えば、地球の大きさや、北緯の数値が必要になる。

そして、それからもとめると、千里は北緯の0.69度に相当する。
これは実距離では77キロである。

さて、一里は何メートルでしょうか?
357日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:38:24.57
>>356
連立方程式で解くとメートル法が書かれていない「周髀算経」に
1里=76mが出てくるのか?w

君は前提条件というものがわかってないようだな
358日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:41:40.44
>>357

いちおう丁寧に書いたつもりだが、
さすがにそこまで書けば、
言い返せない駄々こねだとわかるぜ。

言い返すなら、正攻法でこい。
359日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:43:46.41
>>358
短里の証明より「周髀算経」での太陽の高さが間違っているといっているにすぎないな
360日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:47:02.49
>>359

そんなどうともとれるような逃げ腰じゃ、わからんよ。
趣旨を明確にしてくれ。

無視してほっぽっといても、全く影響のない文章だ。
361日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:49:42.70
>>360
>>349
>「周髀算経」の太陽の高さ、太陽の真下までの距離は〜

以下の説明は君は理解できたのかね?
362日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:50:22.07
さあねえ、わかりやすい解説を頼む。
363日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:52:29.04
>>362
暗算でもできるような連立方程式をたてる必要もなく、1寸の影の差ができる地点での観測など
必要ないんだよ
364日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:54:44.66
そんな逃げ腰はいいから、
きちんと解説を頼む。

>暗算でもできるような連立方程式をたてる必要もなく、1寸の影の差ができる地点での観測など
>必要ないんだよ

なぜ必要ないか?、もきちんと論理的にな。
365日本@名無史さん:2012/10/04(木) 01:57:12.95
>>364

>>349を興奮せずに読めば小学生でもわかるよw

366日本@名無史さん:2012/10/04(木) 08:52:42.59
いろいろ議論が出てるが、日本のどこかで同条件で実験してみればいいんじゃないか?

1里70メートルとすれば南北70キロの地点で比較。
1里400メートルとすれば南北400キロの地点で比較。

同じ経度で南北400キロは日本では大変だろうが、70キロ地点での影の長さを比較することはできるだろう。

数値は一致しないとしても、6倍の差があるのだから、どちらが事実に近いか確かめられるんじゃないか?
それとも影の長さのデータはどこかにないのかな?
367日本@名無史さん:2012/10/04(木) 10:21:21.50
>>366
実測値がどうなるかという議論ではないよ

大地が平面という前提で机上計算した場合は一里=76m以外でも成り立つか否かという議論だよ
368日本@名無史さん:2012/10/04(木) 10:43:27.82
>>367
計算が正しいかどうかは素人が議論してもしかたがない。
谷本氏や半沢氏は専門家なんだから、その程度の計算が間違えていたら専門家でいられないだろ?

本筋は千里の地点は1寸の影の差があるということなんだから、試せばいいじゃない?
8尺の棒と1寸の長さの比率は一定としていいんだろうから、その比率と千里の場所でわかることだろ?

実際にやるのが難しければ専門家が気象庁あたりに問い合わせれば回答してくれるかもしれない。
あるいは気象関係の学科がある大学ならすぐわかることなんじゃないか?

369日本@名無史さん:2012/10/04(木) 11:39:20.48
>>368
だからさ、谷本氏や半沢氏の計算が怪しいという話じゃないよ。
実測したら地球上で1寸の影の差ができる距離は76kmで間違いは無いだろ。
でも彼らの計算はあくまで実際の太陽との距離や地球の大きさ、形が前提となっている。

でも周髀算経の「一寸千里の法」は実際の太陽との距離や地球の大きさ、形を知らない古代中国人が
大地は平面という前提で机上計算したもので、一里=76m以外でも成り立つ。
だったら「一寸千里の法」での一里は76mとは言えないのではないか?
という話だよ。
370日本@名無史さん:2012/10/04(木) 12:02:38.56
>>369
実測して1寸の差ができるのが76キロということは認めるのか。

それならそれだけで十分じゃないか。
実測の結果かも知れないし、試してみたやつもいるだろう。

>一里=76m以外でも成り立つ

かどうかは専門家の領域だから、こんなところで力んでもしょうがない。

実際の影と距離に問題がなくて谷本氏や半沢氏の計算を信じるなら、なにが問題なんだ?
371日本@名無史さん:2012/10/04(木) 14:35:19.85
朝鮮人犯罪があまり報道されない、そしてテレビが日常的に嘘を吐く理由。(間借りしているだけなどと言う工作員に注意)
(間借りしているだけだ等と言う社員と工作員には注意)

韓国文化放送(MBC) 〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F
フジテレビジョン 、、 〒137-8088 東京都港区台場2-4-8 

韓国聯合TVNEWS(YTN) 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6
TBSテレビ     、 、、 .〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 

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京郷新聞  、、、、、、〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
(サンケイスポーツ、夕刊フジ、日本工業新聞社)

朝鮮日報   、、、  〒100-0003 東京都千代田区一ツ橋1-1 4F
毎日新聞東京本社 〒100-8051 東京都千代田区一ツ橋1-1-1

日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C
372ローガン:2012/10/04(木) 14:49:08.88
>>370
>実測して1寸の差ができるのが76キロということは認めるのか。

で、一向に答えないが、その実測地点の地名は何?
いいかい、影長尺五寸は地中だ。一辺三万里の平らな大地という古い概念が前提なのは言うまでもない。
時代が下がれば、そんなに狭く無いことがわかってくる。
で、高度八万里はそのままに、太陽直下まで六万里とし、 3:4:5(さしご)で太陽までの距離十万里だと云う儒家もいる。
又、「天之去地六萬餘里,」(論衡説日篇) 太陽高度六万里だと云うのもいる。儒家により様々だ。
さて、都合の良い数字が得られたものを実測だと主張するなら、その実測地点とはどこか?
と訊かれて当然だろう。しかし答えられない。検証不可能だ。
(実測については、先に書いた通り、隋書天文志にあるがね。)

数学なんてあまり知らんので、詳しい諸氏に尋ねるが、こんな恣意的な学問なのか?
373日本@名無史さん:2012/10/04(木) 15:34:52.87
>>372 老眼殿
数学が恣意的な学問なのではなく、
君の思考パターンが恣意的なだけなのだよ。

>太陽までの距離十万里だと云う儒家もいる。
周髀算経に太陽までの距離が十万里とかいてあるが判らないないようだね。
君は数学に弱いだけでなく、からっきし漢文も読めないようだね。

>その実測地点とはどこか?
BC12世紀に於ける華北平原(中原)の南北に並んだ
北緯34.4度、北緯35.1度、北緯35.8度の3地点。
周髀算経には、東経の指定はない。
3地点の東経がどこであれ、「一寸千里の法」は成立する。

緯度経度が地名である。GPSの地名の決め方と同じ。
374日本@名無史さん:2012/10/04(木) 15:45:53.90
>>371
わかった、わかった。
日本は政治、経済、マスコミ、学問のすべてにわたって韓国の支配下にあるわけね。
日本人に能力がないんだからしょうがないじゃない。

このコピペばらまくやつって、そういう反応を期待してるのかな?

375日本@名無史さん:2012/10/04(木) 15:49:02.40
>>373の補足説明

谷本氏の採用した基礎数値に誤りがある。

地球の傾斜角23.5度を計算に使っていることである。

周髀算経の実測したBC12世紀では、地球の傾斜角は23.8度であった。
376日本@名無史さん:2012/10/04(木) 16:09:27.38
>>375
すごいな、そんなことまでわかる時代になってきたのか。

まるっきり素人の出る幕じゃないなw

377ローガン:2012/10/04(木) 16:22:00.08
>>373
>3地点の東経がどこであれ、「一寸千里の法」は成立する。

久しぶりですね。縄…
「案宋元嘉十九年壬午,使使往交州測影。夏至之日,影出表南三寸二分。何承天遙取陽城,雲夏至一尺五寸。
計陽城去交州,路當萬里,而影實差一尺八寸二分。是六百里而差一寸也。」
陽城から交州が10000里。影差一尺八寸二分。一寸=600里

「稱永平元年戊子,當梁天監之七年,見洛陽測影,又見公孫崇集諸朝士,共觀秘書影。
同是夏至日,其中影皆長一尺五寸八分。以此推之,金陵去洛,南北略當千里,而影差四寸。則二百五十裡而影差一寸也。
況人路迂回,山川登降,方於鳥道,所校彌多,則千里之言,未足依也。其揆測參差如此,故備論之。」
洛陽金陵間は、ほぼ千里。(ちょっと疑問符はつくが…)
影差四寸。一寸=250里。 いずれも隋書天文志にある実測の例。
一寸千里かい?
378日本@名無史さん:2012/10/04(木) 18:47:47.67
>>377
横でなんだけど、ちょっと教えてほしい。
陽城と交州、洛陽と陵間というのはそれぞれ正南北に並んで万里だったり千里だったりするの?
当時の地理がわからない。
379ローガン:2012/10/04(木) 21:24:49.69
>>378
>陽城と交州、

登封市とハノイ。数字は丸めすぎ…というか古くからの概念の距離感でしょう。
ほら、「帯方東南萬里」みたいなもの。経度はピッタリではないが、目くじらをたてるほどじゃない。

>洛陽と陵間
金陵は、建業辺りか。距離も方角もええ加減。
時代下ってもこんなもの。という実測の例。
その遥か昔に、全く同じ経度、かつピタリ千里の実測を前提 にするなど 非常識。
ゆえ、実測に基づかない単なる机上計算。
380日本@名無史さん:2012/10/04(木) 21:28:41.89
76mは理論値な
実測するとこれに誤差が加わる
谷本氏も言っているように誤差を考慮する必要がある
1年に1日南中時、北緯35度付近の距離な
こんな使いにくい距離基準が実際使われたかどうかを
文献、考古資料で見てみると、そんな距離基準の存在はない、議論もない
周尺の議論は古くから、秦漢尺よりも短い20cm前後の周尺が存在していたか否かで
その場合1歩=8尺な
381日本@名無史さん:2012/10/04(木) 22:10:25.85
>>379
あの、素人が横から口を出してなんだけど、隋のころなら陽城というのは現在の山西省の南部、交州はハノイじゃなくて隋の紀州、現在の甘粛省の北部ではないの?
もしそうなら、地理的な距離でも10000里はなさそうだ。
700キロぐらいで見ることはできるかもしれないが。

どこに比定しても南北4000キロはないよね。
もちろん、河南省からハノイなら地理的に4000キロはあるだろうが、南北じゃなくて東西と言ったほうがいいしね。
洛陽と陵間はどうなんだろうね。

どの場所だとしても、南北の距離がわからないところの実測値を「1寸千里」の反論につなげるのは無理じゃないのかな?

それから「机上計算」だとしても千里の長さを76キロ?と認識していたことに変わりはないから、それも反論にならないんじゃないの?
382日本@名無史さん:2012/10/04(木) 22:52:14.35
興味深いので検証してみようか。

「案宋元嘉十九年壬午,使使往交州測影。夏至之日,影出表南三寸二分。何承天遙取陽城,雲夏至一尺五寸。
計陽城去交州,路當萬里,而影實差一尺八寸二分。是六百里而差一寸也。」
陽城から交州が10000里。影差一尺八寸二分。一寸=600里

交州で夏至の日に南に影が3寸2分、
北回帰線を超えたので影の長さがマイナスになってる。
陽城で夏至の日に影の長さが1尺5寸

棒の長さは8尺のままでいいのかな?

この影から北緯を求めると、
交州(ハノイ)で、計算上、21.15度
河南省登封止で、同じく計算上は、34.03度

実際にこれらの町の北緯もそんなもんだ。
かなり正確なんだな。
383日本@名無史さん:2012/10/04(木) 22:59:16.43
>>377

北緯35度付近ならば、東経が何度でも成立するってことなんで、
その例では北緯35度付近ではないので、ナンセンス。

384日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:08:54.74
>「机上計算」だとしても千里の長さを76キロ?と認識していたことに変わりはないから

「机上計算」だと千里の長さを周代の人間が76km相当と認識することはないな
385日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:16:13.38
直線距離の公里で、4000里位だな。
あとは道なりで、1万里になるかどうかは知らん。
386日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:23:12.68
直線距離でもなく、南北に位置してもいない、
さらに、前提条件である北緯35度からも大幅に外れる例を
持ち出して来たのは、頭が悪いか悪意があると見て、
さしつかえない。

387ローガン:2012/10/04(木) 23:23:41.38
>>381
>現在の甘粛省の北部ではないの?もしそうなら、地理的な距離でも10000里はなさそうだ。700キロぐらいで見ることはできるかもしれないが。

悪いが読んでから参加してくれないか。
「夏至之日,影出表南三寸二分。」

>南北じゃなくて東西と言ったほうがいいしね。

登封市と交趾なんだが。九州王朝脳ってヤツか?

>どの場所だとしても、南北の距離がわからないところの実測値を「1寸千里」の反論につなげるのは無理じゃないのかな?

悪いが読んでから参加してくれないか〜
「時代下ってもこんなもの。という実測の例。その遥か昔に、全く同じ経度、かつピタリ千里の実測を前提 にするなど 非常識。ゆえ、実測に基づかない単なる机上計算。」

>それから「机上計算」だとしても

オーケー。「机上計算」前提ね。

>千里の長さを76キロ?と認識していたことに変わりはないから、

紀元前の机上計算が、共通の理解の上で、なんで、地球の極半径数字を代入するん?紀元前の机上計算に。

だから、地名を尋ねているんだ。しかし一向に誰も答えない。

>反論にならないんじゃないの?

質問に答え自身の見解を述べただけなんだが。
70mとやらが、実測前提の計算に基づいたものは谷本氏の言で明らか。
で、その「実測地点の地名はどこ?」は当たり前の疑問。君が私に陽城、交州、金陵とはどこか?と尋ねたようにね。
でも、誰も答えないんだ。
388日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:29:38.48
計算に地名を欲しがるのはローガンだけだな。
389日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:38:21.45
>>383
>>386
登封市って、北緯34度27分19秒 東経113度1分31秒なんだそうだけど、
これで、北緯35度から大幅に外れることになるん?
390日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:46:37.59
>389
もういっぽうのハノイは?
391日本@名無史さん:2012/10/04(木) 23:47:49.72
   
「一寸千里の法」が成立するのは、北緯34度から北緯36度付近。
この緯度から大きくずれると「一寸千里の法」は成立しない。

又、北緯34度から北緯36度付近の地域は、華北平原すなわち中原である。
中原の大平野は、商と西周が活動した中心地域である。

「一寸千里の法」は、商と西周が実生活で経験した法則なのである。
中原の大平野において、正南北に1000里離れた任意の二地点に
夏至正午の垂直に立てた八尺棒の影の長さが一寸(棒の長さの1.25%)異なる
と言うのが「一寸千里の法」である。
392日本@名無史さん:2012/10/05(金) 00:07:16.88
しかし短里なる尺度が存在していたとして8尺の棒っていったら、1里=1800尺として34cmくらいか
誤差出まくりだろうなw
393日本@名無史さん:2012/10/05(金) 00:14:04.87
夏至の正午にしか成立しないのに、「実生活で経験した法則」なわけが無い
単なる机上計算値
394日本@名無史さん:2012/10/05(金) 00:23:56.64
影1寸って4mmか・・・ 測れんのかw
395日本@名無史さん:2012/10/05(金) 00:50:31.07
素朴な疑問なんだが、短里説では一尺は何寸で、一歩は何尺で、一里は何歩なの?
一寸は何センチとしてるの?
396日本@名無史さん:2012/10/05(金) 00:58:07.64
1尺:22〜23cm(周)、15〜16cm(商、周初頭)

1里=300歩 1歩=22〜25cm

「歩」と「尺」は独立した長さの単位体系
「歩」は土地の大きさを測る長さの単位
「尺」は身の回りのものの大きさを測る長さの単位

397日本@名無史さん:2012/10/05(金) 01:03:36.43

また文献無視の有明海妄想がはじまったな

398日本@名無史さん:2012/10/05(金) 09:38:11.50
>>396
一歩=22〜25cmの根拠は?
399日本@名無史さん:2012/10/05(金) 09:51:45.57
>>397

文献曲解よりはマシかもしれない
400日本@名無史さん:2012/10/05(金) 15:52:42.50
>>398
>一歩=22〜25cmの根拠は?

@ 周髀算経の一里75mから逆算すると、1歩≒25cmとなる。

A 隋書以前の東夷伝の里から求めると、1歩≒23cmとなる。

B 「歩」が足の長さであることから求めると、1歩≒22〜23cmとなる。
401ローガン:2012/10/05(金) 16:29:37.07
>>396
>1尺:22〜23cm(周)、15〜16cm(商、周初頭)
>1里=300歩 1歩=22〜25cm

周髀算経から
「即平地徑二十一歩.周六十三歩.令其平矩以水正.則位徑一百二十一尺七寸五分.」
即ち、径21歩(462cm〜525cm)周63歩(1396cm〜1575cm)の地をたいらにし、
水正をもってその平を測らせる。則ちその径は121.75尺(1826.25cm〜2800.25cm)に位する。

キチンと水平にした土地が、事前に整地した土地より、 はるかに大きいという非常識。
402288:2012/10/05(金) 16:33:31.15
>>288の修正

「死徙無出鄉,鄉田同井。出入相友,守望相助,疾病相扶持,則百姓親睦。
 方里而井,井九百畝,其中為公田。八家皆私百畝,同養公田。」 孟子滕文公上

短里説で説明すると下記となる。
井田制は、一里四方を九区画に別け、真ん中の区画が税、
残りの八区画が課税単位である井田を構成する八家の食い扶持になる。

井田を構成する八家は、他の数ヶ所の井田にもそれぞれ参加しているのである。
全ての農家は幾つかの井田に各自参加しているので、
農家のネットワークにおいて、各井田が立体的な網の目の様になり、百姓親睦が強化されるのである。
又、百姓親睦により井田制も成り立つのである。
403日本@名無史さん:2012/10/05(金) 17:53:52.21
>>402
その規模の狭い田地だと、30〜50箇所ぐらいの井田に参加しないと1年分の食料を得られないんだが。

あまりにも荒唐無稽すぎる。
404日本@名無史さん:2012/10/05(金) 21:23:10.79
>>403
何も荒唐無稽なところはない。
井田の一区画は100畝約5eであるから、10ヶ所の井田に参加すると、
50eとなり、日本の年貢米のない五反百姓の規模となる。
405日本@名無史さん:2012/10/05(金) 21:28:24.98

「古者以周八尺為歩」 『禮記』王制篇

「古法六尺為歩三百歩為里」 『新校本宋史』

【 周の1歩=6尺=大尺  1歩=8尺=小尺 】


「古者三百歩為里」 『穀梁伝』宣、十五
        
「周制三百歩為里」 『孔子家語』王言解

【 周の1里=300歩=1800尺=大尺 】

【 周の1里=300歩=2400尺=小尺 】


406日本@名無史さん:2012/10/05(金) 23:24:07.37
>>405
『禮記』王制篇や新校本宋史の記述は、現代の短里を否定する人たちと同じ。
周商代の断片的な記録を、長里視点に合致する様に編集しただけである。

小尺としたものは、商と西周初頭の1尺15〜16cmに対応したもので、
大尺としたものは、西周の1尺22〜23cmに対応したものと見做せる。

「三百歩為里」についても、当時の商周よりの伝承から編集されたものと見做せる。
孟子滕文公上の記述内容についても同様である。
407日本@名無史さん:2012/10/05(金) 23:37:39.67

>>406

それは君が個人的に考えてることだから、学問板で議論することは
>>405以外の文献の存在を提示しなきゃ

ソースは何もなく自分はこう考えるなんてのは、他の板でやってくれないかな、きりがないから


408日本@名無史さん:2012/10/05(金) 23:50:53.78
>>404
理由1:華北の人たちは米ではなく小麦を食べています。
面積当たりの収穫量が米より大幅に少ないので、作物の違いだけを考えても、水田の場合より何倍も広い田地が必要です。

理由2:古代と中世では農業技術の差があり、面積当たりの収穫量が違います。

理由3:小麦は混めと違って連作障害があるので休耕地も必要です。

これらの理由をあわせると、「日本の年貢米のない五反百姓」の事例よりも十何倍も広い田畑がないと生きていけません。

おおざっぱな目算では、理由1の影響が3〜5倍ぐらい、理由2が1.5〜2倍ぐらい、理由3は1.3〜1.5倍ぐらいです。
積算すると、6〜15倍ぐらいなので、300アール=3ヘクタールから750アール=7.5ヘクタールぐらいが、五反百姓と同レベルという意味での目処って感じかと。

実際には、そこまで広大な面積が必要とは思いませんが、最低でもヘクタール単位は絶対条件でしょう。
409日本@名無史さん:2012/10/06(土) 05:36:59.88
>>408
>理由1:華北の人たちは米ではなく小麦を食べています。
@ 華北の人たちではなく、華北平原すなわち中原の北緯35度付近の米作地帯の人たちです。
A 井田制についての記述ですから水稲作中心の農業であることは明らかです。

以上により「理由1」は成立しません。

>理由2:古代と中世では農業技術の差があり、面積当たりの収穫量が違います。
「理由2」は成立する。

>理由3:小麦は混めと違って連作障害があるので休耕地も必要です。
「理由1」により「理由2」は成立しません。

五反百姓では5eの田に年貢米の生産も含まれています。
だから年貢のない五反百姓ですから、面積5eで十分でしょう。


410日本@名無史さん:2012/10/06(土) 05:44:36.12
>>407
>それは君が個人的に考えてることだから、学問板で議論することは
>>405以外の文献の存在を提示しなきゃ

文献学だけが学問ですか? そうですか?

文献だけに絞っちゃいけないよ。
411日本@名無史さん:2012/10/06(土) 06:12:05.84
近代に入って大規模な灌漑が行われるまでは、
華北平原はもっぱら畑作地帯。

淮河を境にして北側は畑作で小麦、南側が水田稲作。
畑作地帯で米を作ったときも、田の作物に合わせて陸稲を栽培したぐらいだ。

周よりずっと後の、三国時代に入っても、事情は同じだったさ。
淮河以南でも、蜀とか小麦を作ってたぐらいだぞ。

春秋戦国期でいえば呉越と楚、三国時代なら呉だけが稲作地帯だ。

関中あたりは水田と無縁の、完全な畑作小麦地帯だぞ。
412日本@名無史さん:2012/10/06(土) 08:32:13.10
>>410

考古でも構わんよ
周代の遺構、遺物から1里=?歩=?尺がわかればね
成果は出てないようだけどな


413日本@名無史さん:2012/10/06(土) 09:20:24.96
>>411
華北平原は淮河(淮水)の流域とその周辺地域。
この地域で商西周の古代国家が興ったので「中原」と言う。

関中は中原の西の外れ。
商の殷墟は中原の北の外れ。
西周が興ったのは中原の西の外れ。
南の外れは秦嶺山脈に連なる山地。
東の外れは黒陶・灰陶の龍山文化。

何故「治水」なのか。
古代シナには大河が三つある。
「河」(黄河)、「水」(淮水)、「江」(長江)である。
その「水」(淮水)を治めるから「治水」。

淮水流域(中原)の北と西の源流部以外は水稲米作地帯である。


「井田」だから、田すなわち米作だよね。間違っても畑作ではないね。
(陸稲は田ではなく、畑で栽培される)
414日本@名無史さん:2012/10/06(土) 09:26:51.41
>>412
>考古でも構わんよ

文献と考古だけですか? 自然科学のいろんな分野を取り入れるのはだめですか?
415日本@名無史さん:2012/10/06(土) 09:41:06.45
井田制は

「宅地として1戸に5畝の地が割当てられ、その周囲に桑の木を植えて蚕を飼い、衣料に充てる
難・豚・犬など小家畜を飼育して食肉にする」 『孟子』

とあるから、

1歩=1.35mの場合・・・5畝の宅地≒30m四方の土地ならちょうどよさそうだが

1歩=22.5cmの場合・・・5畝の宅地≒5m四方の土地じゃ無理だろ

416日本@名無史さん:2012/10/06(土) 09:46:40.14
>>415の訂正

1辺が30m四方の土地と
1辺が5m四方の土地ね
417日本@名無史さん:2012/10/06(土) 11:07:01.09
>>415
>「宅地として1戸に5畝の地が割当てられ、その周囲に桑の木を植えて蚕を飼い、衣料に充てる
>難・豚・犬など小家畜を飼育して食肉にする」 『孟子』

上記は『孟子』の何処にある?
長里視点からの曲解翻訳にすぎない。
418日本@名無史さん:2012/10/06(土) 13:22:15.12
>>417
横からだけど、梁恵王章句上に二ヶ所、ほぼ同じ記述がある。

五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者 以て帛を衣るべし。
?豚狗?の畜、其の時を失うなくんば、七十の者 以て肉を食うべし。
百畝の田、其の時を奪うなくんば、數口の家 以て饑うるなかるべし。

後の記述では、「百畝之田。勿奪其時。八口之家。可以無飢矣。」と、
百畝の田で、八人家族が飢えずに生活できると書いてある。

>>402
>井田を構成する八家は、他の数ヶ所の井田にもそれぞれ参加しているのである。
というのは、想像し過ぎ。
419日本@名無史さん:2012/10/06(土) 21:45:01.08
>>413
>「井田」だから、田すなわち米作だよね。間違っても畑作ではないね。
(陸稲は田ではなく、畑で栽培される)

そこが最初の勘違いか。
畑って字は日本で作られた国字で、中国では麦畑のことも田地、田と呼ぶわけだが。少なくとも、古代、隋唐以前はな。
米作依存度が高くなった明以後は、ひょっとしたら畑と水田を呼び分けてたりしたかもしれんけど。
420日本@名無史さん:2012/10/06(土) 21:47:58.97
>>418
百畝、つまり「うね」だろ。明らかに、水田じゃなくて畑地ではないか。
421日本@名無史さん:2012/10/06(土) 23:22:16.17
>>420
畝は面積の単位だから、必ずしも畑のウネを指すわけじゃないんじゃないかな。
それでも、孟子に拠れば、百畝で一家が生活しているのは明らかだから、

>10ヶ所の井田に参加すると、

なんていうことはないから、
畑か米かに関係なく、>>402は間違いでしょ。
422ローガン:2012/10/09(火) 17:37:43.43
>>400
>周髀算経の一里75mから逆算すると、1歩≒25cmとなる。

その周髀算経に1歩≒25cmを代入すると、>>401の通り。(笑)
423日本@名無史さん:2012/10/09(火) 18:15:24.49
>>392
短里って存在しないの?
何か一生懸命短里ならとか言ってる人達がいるんだけど
オレ的には中国の一部では使われてるのかと思ってた
424日本@名無史さん:2012/10/09(火) 18:36:55.31
>>423
周髀算経の影の長さに関する部分については「短里」であるとする理系の専門家の指摘が複数あり、専門家による反論はない。
ほかの部分は議論中。
周髀算経がはじめからまとまった書物ではなく、断片的に追加されて成立した可能性もあるようだから、すべての内容について「短里」かどうかはわからない。

魏志では「短里」を採用しないと、東夷伝はでたらめな面積やめちゃくちゃな旅程の記事となる。
「短里」で記述されていないとする場合、倭人伝の内容はすべて虚偽だと考えた方がいいと思うが、なぜかそういうことを言う人はいない。
「短里」を採用する場合、魏志の他の部分も当然「短里」によっていなければならないが、その点は議論中。
425ローガン:2012/10/09(火) 19:06:50.86
>>423:10/09(火) 18:15
>>392
>短里って存在しないの?

しない。

>オレ的には中国の一部では使われてるのかと思ってた

都合に合わせた昭和の発明。
426日本@名無史さん:2012/10/09(火) 20:43:55.67
>>424
一つの過程を置くと、こういう結論が得られる。

という内容なわけだが、その過程の部分について、現実離れ扱いされている。
それで、結論部分についても、意味のある結論ではないという扱い。

要するに、専門家が無視してるだけなんだよな。
反論する価値があると認定されていない。
427日本@名無史さん:2012/10/09(火) 21:51:04.77
もともと数学書で、
数学ってのはある前提条件の元に、
論理を適用するもの。

そしてその中では、矛盾なく成立する。
三角形という現実には違う前提で。

その結果が現実とかけ離れてるなら、
ただの仮想的数学問題で終わったが、

実際には現実の距離とも非常に良く
一致することがわかっている。

つまり、机上の空論ではない、
実際に測量した可能性が高いのである。
428日本@名無史さん:2012/10/09(火) 21:55:02.68
古田は新しい史料を見出だした訳でもなんでもなく、既知の史料の読み方を変えることで短里を主張している訳だが、
現代日本人である古田など足元にも及ばないほど漢語に精通した古今の中国人学者たちが
短里の存在について記録はおろか指摘すらしていないという事実が全てだと思うがな
429日本@名無史さん:2012/10/09(火) 22:05:43.58
>>426
× 過程
○ 仮定

この誤変換で文意が激変してしまった。

>>427
一つの論理体系の中では、その体系が無矛盾であることを証明できない。
ユークリッド幾何学が無矛盾であることを、ユークリッド幾何学の枠内では証明できない。ってのがあるよな。

>その結果が現実とかけ離れてるなら、
ただの仮想的数学問題で終わったが、

>実際には現実の距離とも非常に良く
一致することがわかっている。

おいおい。
短里が現実の地理と確実に一致する事例なんて、三國志全体の1〜2%ぐらいの少数例だろ。
事例の大半は、「現実の地理と一致するようにこじつける余地がある」ってだけだ。
430サガミハラハラ:2012/10/09(火) 22:10:37.80
本土では長里短里などというのは存在しません。
本土のものよりより短い里は、夷テキの地においてのみ(周代以前
は除く)使用されているからです。
431日本@名無史さん:2012/10/09(火) 22:19:45.59
「一寸千里の法」は実測すると「一里=約76m」としないと成立しないんでしょ
これって単に「実測しなかった」或いは「実測値が正しくなかった」のどちらかなんじゃ無いの?
「当時の一里は約76mだった」というのはご都合主義が過ぎる
432日本@名無史さん:2012/10/09(火) 22:37:06.55
計算対象のモデルがおかしいってだけで、
観測自体はかなり正確だからな。

我々が知っているちゃんとしたモデルをつかえば、
観測データで地球の大きさも求められるぜ。
433日本@名無史さん:2012/10/09(火) 22:37:43.49
数学はまるでダメなおいらにちょっと教えて欲しいんだけど
「一寸千里の法」の解説で三角比の話が出るってことは、
太陽の真下にあたる点(1)と影の計測点である2点(2・3)の計3点は
同一の水平面にあると考えてるってことでいいのかな?

例えば2より3の方が5mほど標高が高かったとしたら
「一寸千里」は成り立つんですかね?
434日本@名無史さん:2012/10/09(火) 22:44:20.29
>>433

底辺1万5千里高さ8万里

これが5m違ったらどのくらいの誤差になるか、
計算してみたら良い。
435日本@名無史さん:2012/10/09(火) 23:01:14.78
じゃ逆に考えて、どのくらいまでは誤差とできるの?
436サガミハラハラ:2012/10/09(火) 23:17:44.79
一寸千里の方とは、殷や周の時代の話ですか。その時代、中国では各国まちまちな
尺度をつかっていたようで、一里75mの国もあったのでしょう。
秦の始皇帝が度量衡を統一して一里400mぐらいとしたのです。
時代によって尺度がことなるのですから、議論のさいにはその記録の時代をキチンとわりだしてからろんじる必要があります。r
437サガミハラハラ:2012/10/09(火) 23:20:16.86
中国の諺には、殷や周の時代にできたものがあります。
ですから、その諺の中に出てくる単位は、殷周時代の度量衡であるわけです。
438ローガン:2012/10/09(火) 23:28:16.59
>>430:サガミハラハラ
>本土では長里短里などというのは存在しません。本土のものよりより短い里は、夷テキの地においてのみ(周代以前は除く)使用されているからです。

短里とやらがあったと、結論先取りすると、
中華に於ける文献資料には「短里」なんて皆無だから、そう主張せざるを得ないのは、わかります。
では、その根拠を聴かせて貰えますか?
「何処やらの先生が言ってたから」なんて云う寝言は不要ですので。
439日本@名無史さん:2012/10/09(火) 23:31:30.70
>>430

朝鮮半島は箕子、衛氏、漢四郡と統治者が本土から来ているのでそれはおかしいです

440日本@名無史さん:2012/10/10(水) 03:12:17.40
>>439
箕子朝鮮は、衛満が衛氏朝鮮を建てる際に語っただけの、論証できない物体です。
441日本@名無史さん:2012/10/10(水) 06:55:29.93
>>415-416
>>418-419

真面目に、周の1歩が何cmかの議論をしろ。

梁惠王の国である戦国時代のBC4世紀から
BC3世紀の中原の一部地域における
井田制について論じて何の意味がある?

百年後には秦の度量衡統一がある。

梁惠王の国では、1歩が6尺の約1.4mの1歩が使われていたことがわかる。

宅地は5畝で、住居家畜小屋と170本の桑を植える広さがある。
この広さの土地は1000u位必要だ。
5畝が1000uなら1歩は1.4mとなる。
442日本@名無史さん:2012/10/10(水) 10:01:21.15
>>441
>1歩は1.4mとなる。

結論は賛成。
ただ、井田制は、梁の制度じゃなくて、周の制度といわれてる。
儒家では、周公旦が制定した周の理想的な土地制度とされていて、
それで、現代では、理想化された架空の制度じゃないかとも言われてる。

儒家は、孔子以来、周の文化を正統に受け継いでいると自負していて、
儒者の孟子が、遊説して、梁の恵王と斉の宣王に、
周代の理想的な土地制度である井田制を説いている場面。

その井田制で、五畝の宅地に住んで、百畝の土地で8人家族が食べていけるとある。
だから、孟子の井田制は、短里では成り立たない。
普通は、これで、周は短里を使っていなかったと考えるけれど、
もしかしたら、周代の短里を孟子が換算して言ったと主張する人がいるかもしれない。
それでも、孟子の時代、梁も斉も短里を使っていなかったと言える。
443日本@名無史さん:2012/10/10(水) 10:16:15.31
wikipediaの「度量衡」に、畝の面積が載っている。
444日本@名無史さん:2012/10/10(水) 10:20:25.22
>>442
何ヶ所もの井田に参加するかどうかという議論があったけど、日本では普通にあることだよね?
村人の公平さを守るために水利や日照のいいところや悪いところが割り当てられてる。

いつごろからか知らないが、そういう村は今でも多いんじゃないだろうか?

中国に当てはめることができるかどうかは知らない。
445日本@名無史さん:2012/10/10(水) 10:44:35.75
>>438
すべての中国史書を読んだみたいなこと書いちゃいけないよ。
書き込みの信憑性も疑われかねない。

それに「短里」なんて単語があるわけないじゃない。
度量単位にはさまざまな基準があったようだが、いちいちそれを断ったりもしてなさそうだし。
446日本@名無史さん:2012/10/10(水) 10:55:14.27
まずは短里の証拠を出せばいいだけなのに
無い物を出せという矛盾
致命的にバカじゃね
447日本@名無史さん:2012/10/10(水) 12:36:13.57
>>444
ウィキには日本の井田制って、ひとつしか例が出てなかったけど、そんなにあちこちでやってたの?
井田制は、架空・理想化された制度で、中国でも王莽なんかがやろうとして失敗したんじゃなかったかな。
いずれにせよ、孟子でも他の経書や注疏でも、一人が複数の井田に参加したって記述は無いから、
中国には当てはまらないと思う。
448日本@名無史さん:2012/10/10(水) 14:18:57.76
>>443
いくらなんでも、wikipediaは論拠に用いることができないから...
449441:2012/10/10(水) 14:32:29.88
>>442
>孟子の時代、梁も斉も短里を使っていなかったと言える。

孟子の時代から50年〜100年後に、秦の度量衡統一があったのだから、
梁も斉も短里を使っていなかったとするのは当然である。
450日本@名無史さん:2012/10/10(水) 14:44:54.22
>>446
なにが証拠になるの?
451日本@名無史さん:2012/10/10(水) 14:46:33.62
度量衡統一以前に、
朝鮮半島は、そもそもそのころ、秦の版図に入ってなかったからな。
度量衡統一は、秦の影響力のある範囲でのことだろう。

秦から見れば、秦に服していない東夷など、
知ったことではなかろう。
452日本@名無史さん:2012/10/10(水) 14:54:17.75
>>447
田舎に知り合いでもいれば聞いてみれば?
あっちの田んぼとこっちの畑、向こうの山のあっちとこっち、なんてぐあいに耕作地が分かれてるところが多い。
はっきりした所有は明治以降かもしれなしが、実質的には古くからそういう割り当てだったようだ。

それが日本の村のあり方。
庄屋以外は結構平等。

日本の場合は田の面積で年貢が決まっていたから、そうしないと村民同士の水争いや諍いが起きる。

中国は知らないが、農作物は水と日照だからそうした配慮があっても不思議じゃない。
453ローガン:2012/10/10(水) 14:56:02.92
>>445
アンカー私だったのか…

>すべての中国史書を読んだみたいなこと書いちゃいけないよ。

勿論、勉強不足は認めるよ。しかし此方に立証責任は一切無いんでね。史書の全てを、読んだか否かは関係ないんだよ。「転嫁」してはいかん。幼稚な子供のやる事だ。
短里とやらが「あった!あった!」と寝言を千回繰り返しても駄目。主張するなら立証責任を果たしなさい。
出来ないなら、取り下げることだ。
454日本@名無史さん:2012/10/10(水) 14:58:41.10
>>453
転嫁とか関係ないからw
あまり見栄を張った書き方をすると信用されないよ、と書いただけ。
以後自重されたしw
455ローガン:2012/10/10(水) 15:10:04.34
>>454
信用? そんなの初めから無いし。
立証責任がそちら側にある事、理解出来ていればそれで良し。
456日本@名無史さん:2012/10/10(水) 15:45:53.05
>>455
もともと信用されてない人だったのかw
自覚してるんならしょうがないねw

ところで「そちら」というのは、「短里」存在主張側ということだね?
>>446と同じ意見みたいだけど、なにが証拠になるの?
457441:2012/10/10(水) 15:51:33.01
>>451
だから、東夷には周の短里が残ったのであろう。

その短里も唐軍の東夷侵攻と共に消えたようだが。
458日本@名無史さん:2012/10/10(水) 15:57:10.63
>>456
今も中国で短里が使用されてるとか
文献に載ってる箇所で短里が使用されてると明確に解るとか
要は普遍的に使用されてる、もしくは一時的にも使用されてると解るものがあればいいんじゃね
459日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:07:45.17
>>456
例えば>>396の主張を裏付ける文献だったり当時の物差しだったりがあれば、それが証拠になるね
460日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:14:30.58
>>458
>今も中国で短里が使用されてる

古代の度量衡では、厳密に言えば今使われているものの方が少ないんじゃないの?
「里」の長さも、時代によっても地域(国)によっても変わっているし、極端な話、日本と中国では同じ「里」でも全く違う。

>文献に載ってる箇所

「周髀算経」の少なくても一部では「短里」使用は証明済みといっていい。
これを否定するのはユークリッド幾何学を否定するようなもの。

東夷伝での当時の韓国の大きさ、日本までの途中の島までの距離、これも「短理」で正しい距離となる。

これだけでも、少なくても「一時的」には使用されていた証明だと思うんだが。
461日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:24:57.56
>>459
「文献」については、いま議論中のようだし自分にはわからない。

「当時の物差し」を要求するのは想像力が不足し過ぎてる。
仮に発掘されたとしても、そこに尺だ歩だとか書いてある可能性はないだろ?
物差しらしいものがあっても、それがどの単位かはその時使う人にとってはわかっているわけだから、いちいちその棒に書いてあるわけがないだろ?
462日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:33:51.04
>>461
要は証拠なんか無いよってことね
了解
463日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:36:42.61
>>462
なんだまた逃げるのかw
464日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:42:46.74
>>463
文献も出せない物差しも出せないって言って逃げてるのはあなたでしょ
465日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:44:14.35
証拠が無いなら無いと素直に認めようよ
屁理屈並べても単里は立証されないよ
466日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:47:37.70
>>464
>>396に関する文献は知らないと書いただけ。
「周髀算経」と「東夷伝」は出してる。

「物差し」は論外。

ごまかすんじゃねえよ。

467日本@名無史さん:2012/10/10(水) 16:48:31.32
>>465
>>460が証拠にならない理由を書いてくれ。
468日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:03:32.90
>>452
山の中は基本的に「入会地」(共有地)だぞ、明治初期までは。

明治初期に、入会地の大半が国有地にされた後、国有地の払い下げによって個人所有になったところが多い。
山中の田で、それ以前から個人所有だったところがあるとしたら、秘密裏に隠し持っていた隠田じゃないかな。

それとな、田の面積と年貢の関係についても、お前さんは二つの勘違いをしている。

まず、田の面積だけじゃなく、良田〜下田のようなランク付けがあって、ランクに応じて「面積当たりの年貢額」が決まる仕組みで、
面積当たりの年貢額そのものが一定じゃない。

次に。
この年貢額は、村から大名や幕府に納める年貢額の算定に用いられる数値であって、
個々の農民が村に納める額の割り当ては、それぞれの村の裁量に任されていた。
公平になるように田の良否を細分化するも自由、特定人物の年貢を軽くするも自由ってわけだ。
(もっとも、不公平な割り当てをすると村内の争いに発展するから、恣意的で不公平な配分は、たいていの場合は不可能に近かったのだが。)

まあ、水利の悪いところとか日当たりに問題があるところの年貢はたいていの村では軽く設定しただろうさ。

>>457
周の時代に短里があったという証拠物件など実在しないのにな。
年代が分かる物差が出土したら最強の証拠だ。

>>460
あんなものを証拠と思っちゃうような頭だからデムパに汚染されちゃうんだな。
周髀算経の記述が周代のものを反映してるって部分からしてデムパ。
469日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:11:37.62
>>468
>>452に書いてあることとどこが違うんだ?
470日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:12:55.11
>>468
物差に「尺」とか「歩」とか書いてあると本気で思ってるのか?
471日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:17:23.14
>>466
誤魔化してるのはあなたでしょ
証拠を出せと言われて「証拠とは何?」と返す時点で逃げる気満々
>>460が証拠だと思うなら最初からそれを出せば良いじゃん
ま、>>460は証拠には成らないけどね
「一寸千里の法」は要するに「千里移動すると影が一寸変化する」と言ってるだけ
公里を前提とすれば「一寸千里の法は出鱈目」という結論になる
逆に言うと単里を前提としないと「一寸千里の法」は成り立たない
「一寸千里の法」が正しいと言うならば単里の存在を証明しなければならない
「一寸千里の法」が単里の存在を証明しているというのは話があべこべ
472日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:20:53.74
>>470
「物差しでもあれば証拠になる」と言ってるだけだよ
そんなに噛み付くとこか?
証拠が無いから話を逸らすのに必死なんだろうけどさ
473日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:27:08.51
>>471
「周髀算経」が間違っていると主張するのは無理だよ。
他の記述の検証で十分な観測結果を基にした正確さが証明されてる。
これを否定するのはユークリッド幾何学を否定するのと同じ。

だから「周髀算経」のその部分の記述者は「短里」を使っていたことが証明されてるわけ。

こればかりはいくら言い張っても無駄だよ。
古田氏の論考を否定するのはいいが、別の方向からじゃないと自分の無知を晒すだけ。
474ローガン:2012/10/10(水) 17:36:38.02
>>466
>「物差し」は論外。

甘粛省 新城2号墓出土 骨製魏尺 23.8cm
北京 八宝山西晋墓出土 西晋尺 24.1cm
前漢 馬王堆墓出土 黄鐘 17.65cmなど。

論外なのは、昭和に発明された短里。
475日本@名無史さん:2012/10/10(水) 17:52:36.86
>>473
八尺棒の影の長さが一寸変化する距離は76kmだっけ
公里だったら千里には遠く及ばない距離だよね
だから「一寸千里の法」を正しいと言うならば「当時の千里は76kmだった」ってことを証明しないといけないワケ
理解した?
476日本@名無史さん:2012/10/10(水) 18:12:18.40
>>468
繰り返すが、当時の韓国の大きさや日本までの旅程記事は「短里」でないと説明できない、つまり倭人伝はでたらめだということになる。
倭人伝がでたらめな長さで書かれていると主張するならそれでもいいが、それなら倭人伝のほかの記述も信用できないことになる。

卑弥呼と邪馬台国(邪馬壹国)の存在自体を否定するなら「短里」はないと言ってもいいが、肯定するなら「短里」の存在を認めなければならない。
つまり、証拠となる。

距離の長さだけ間違えてるなんていうのは、まさに「デムパ」w
もう少しマシな反論を考えてくれw

>>472
逆に、物差しがあっても証拠にならない、と書いたんだけど?

>>474
ありがとう、参考になった。

だけど、だれも普通の「長里」がなかったなんて言ってないし、尺と里の関係も議論の範囲。
これだけでは「短里」の否定にはならないよw

倭人伝を肯定するのか否定するのか、の問題も説明してくれ。
477日本@名無史さん:2012/10/10(水) 18:15:32.04
>>475
君の頭では「周髀算経」が理解できないことを、理解したよw
478日本@名無史さん:2012/10/10(水) 18:43:46.24
周髀算経の記述での、影が1尺5寸の北緯と、1尺4寸の北緯は明確に計算できる。
その北緯の距離は76キロである。

そして、一寸千里と定義されている。

つまり、一寸が変化する距離は76キロであり、これを千里と定義している。

以上。
479日本@名無史さん:2012/10/10(水) 18:53:37.86
これは、一寸千里の定義そのものである。
定義であるから修正の余地はない。

これを元に、地上平面モデルを用いると、
太陽の真下までの距離1万5千里、
太陽の高さ8万里が導かれる。

我々が知っている地球−太陽モデルでは、二点間の角度の差は0.69度となる。
地球が球である以上、一周は360度だから、521.74×千里である。

一里を76mとすると、一周は39652.24kmとなる。



480日本@名無史さん:2012/10/10(水) 18:58:01.20
話があべこべ
千里移動すると一寸影が変化すると言ってる
千里の定義をしている訳ではない
だから千里が76kmでないと「一寸千里の法」は成立しない
その為には「単里」の存在を証明しなければならない
481日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:02:58.00
>>480

どちらでも良い。
一寸影の長さが変化する距離は、
北緯35度付近、南北方向、夏至の南中時、
という条件を満たせば、かならず同じだからである。

つまり、一寸影が変化するまで移動したら、
そこがたまたま千里で、76キロ移動したということになる。

または、千里移動してみたら、一寸影が変化したということでもある。
482日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:08:27.50
横からだが、
つまり「一寸千里の法」から導ける里は、計算上「短里」以外あり得ないってことだろ。

ただ、このことが、「短里」が歴史上実際に使用されていたことの証明にはならん、ってことだよな。
483日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:31:11.76
まあ、一寸千里は、必ず短里相当の距離を表しているということだ。
484日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:34:14.66
>>482
書物としてある以上、書かれた時代のその地域では使われてた、としか言えないだろ?
485日本@名無史さん:2012/10/10(水) 19:39:59.84
一寸百五十里の法、なんてのがあれば、
公里の証明になるかもしれない。
486ローガン:2012/10/10(水) 19:47:39.02
>>476
>だけど、だれも普通の「長里」がなかったなんて言ってないし、

ほら又、宿題が増えた。今度は「5倍も違う度が、同時存在した事」をも論証せにゃならん。

>尺と里の関係も議論の範囲。

いいや、「度」について触れている文献資料を提示するだけでいいんだ。議論など不要。

>これだけでは「短里」の否定にはならないよw

否定は「無い」で良いんだよ。「有る」側に立証責任があると言っているんだが。

>倭人伝を肯定するのか否定するのか、の問題も説明してくれ。

史料は、「間違いが含有されている」を前提に読むのが、当たり前。例えば、
通典新羅伝「其國在百済東南五百余里」
梁書新羅伝「其國在百済東南五千余里」
これ、どちらも間違いないとは、言わんだろ?
どちらか、もしくは両方間違いしかない。で君なら、新羅伝そのものを全否定するのか?(笑)
さて、倭人伝も同じ。はるか南の海で最終行程が、一月の陸行なんだから、明らかに間違いを含有しているんだ。
勿論、間違いがあるというのは、想定内。
「全肯定でなければ全否定」なんておそらく、君等だけ。
487日本@名無史さん:2012/10/10(水) 20:11:47.22
>>486
倭人伝が間違っていることの証明は必要ないのか?w
ほかに間違えてる史書があるから、とか、「想定内」なんてのが「論証」になるなら、頭に描いたものはすべて「論証」になっちゃうよw

倭人伝が間違っているという証拠がなければ、それが発見されるまでは記載の合理性が「証拠」であり、「証明」だよ。
「周髀算経」にも「短里」が存在した「証拠」があるし。

「短里」はあったという「証拠」はあるが、なかったという「証拠」はないんだ。
だから、「短里」がなかったと言いたければ、「短里」はなかったいう「論証」が必要なんだ。
488日本@名無史さん:2012/10/10(水) 20:43:28.10
東夷伝から短里を主張しているのにそれが根拠とか笑える
489ローガン:2012/10/10(水) 21:05:34.31
>>479
>これを元に、地上平面モデルを用いると、太陽の真下までの距離1万5千里、太陽の高さ8万里が導かれる。

地中の影長尺五寸は、予め決まっているんだよ。地の中心だから。

>我々が知っている地球−太陽モデルでは、二点間の角度の差は0.69度となる。

球体に於ける数字を代入した時点で、影長の実測が前提になるんだ。
で、その測定地の地名は?
私が>>377で挙げた、隋書にある実測地に対し「陽城は何処?」「交趾は?」君等から複数の質問があった。当たり前だ。
「実測」である以上、その地点がどこか? を問われて当然だ。
だから、問うているんだが。「一寸千里」の実測地点をね。しかし、答えられない。どこにも地名どころか、実測したとも書いてないからね。
にもかかわらず、実測前提で、数字を代入。
もし、君が逆の立場なら、これに首肯できるかい?
490ローガン:2012/10/10(水) 21:14:11.76
>>487
私は君の「倭人伝を肯定するのか否定するのか、の問題も説明してくれ。」
に対する返信をしたんだ。
「全肯定でなければ全否定」は、まともな思考ではないとね。
それが、理解出来ないのかな?
ではまた、後でね。
491日本@名無史さん:2012/10/10(水) 21:28:50.05
「周髀算経」の1里が76mであるという主張は、
「周髀算経」での太陽までの距離や太陽の直径を求める方法が幼稚であるために間違っているという主張にしかならないね
しかし「周髀算経」には2観測点の位置は書かれていないし、地球は平面として説明している
「周髀算経」と度量衡とは無関係

『韓伝』の「方可四千里」は韓の範囲が明確ではないので、短里の根拠にはならない
『倭人伝』についても狗邪韓國の位置、対馬は南北に80km以上あるので對馬國の都市部、壱岐は原の辻でよいだろうが、
末盧國の港の位置、これらが考古的に確定できてない
方位も距離も短里の根拠とはいえない

492日本@名無史さん:2012/10/10(水) 21:39:23.27
>>490
大和説に都合のいいところを肯定して、都合の悪いところは否定する、ということはよく理解したから安心してくれ。
「証拠」もないのに、はじめに「大和」ありき、なんだなw

>>487は別の質問だからねw
「倭人伝が間違っていることの証明は必要ないのか?」
493日本@名無史さん:2012/10/10(水) 22:17:55.55
>>489

ああ、8尺の棒と、1尺5寸の影、夏至の南中時、
南北方向の距離、があれば計算はできるから、
場所の名前なんかいらないよ。

ローガンが出した例では、この基本条件が満たされているか、
確認したかったから、位置情報が必要だっただけだ。
案の定、基本条件が満たされていない例だったよね。
494日本@名無史さん:2012/10/10(水) 22:21:08.32
さらに、その例でも、条件を満たすように修正すれば、
観測値自体はかなり正確だったね。
495日本@名無史さん:2012/10/10(水) 22:23:33.52
>>491

気に入らないのは全否定。
典型的な畿内説脳やね。

それなら、邪馬台国と卑弥呼そのものもひていすればいいのに。
496日本@名無史さん:2012/10/10(水) 22:34:08.52
>>491

地球が平面でも、球でも、なぜか結果は一致してしまうんだよ。

平面モデルの数式と、球モデルの数式の、
連立方程式が解けるようなものなんだ。

これは、中の数値がでたらめだったら絶対解けない話。
だから、現実の影を計測した根拠になるのさ。
497日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:08:45.37
>>495
>気に入らないのは全否定

気に入らないんじゃなくて根拠になってないんだよ


>>496
>地球が平面でも、球でも、なぜか結果は一致してしまうんだよ

一致しないよ、球体での計算は太陽光線は平行を前提としているから
太陽までの距離は算出できない
谷本氏は「現代の我々の知識からすれば何とも幼稚極まりないし、その方法の誤りも明らかである」という主張ね

498日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:24:08.13
>>497

現実の地球太陽モデル

地球が球で、太陽光が平行光ならば、
二点間の距離は、短里千里となり、公里は成立しない。

中国人が考えた平面モデル

地面が平面で、太陽の真下までの距離が1万5000里、
太陽高度8万里、でも、やはり一寸千里。
ただしこちらは、比例関係が成り立つので、
平面モデルだけなら、短里でも、公里でも成立する。

つまり、絶対に短里は否定出来ない。
また、現実の地球太陽モデルで、公里は否定される。


谷本氏の本を読んだことがないから、なんとも言えないが、
幼稚って言い切っていいものかなあ。

周髀算経や九章算術みたら、俺なんか、
当時の人も侮れないと思うけどなあ。




499日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:31:46.87
>>498
>現実の地球太陽モデルで、公里は否定される

私は以前から「周髀算経」の里には76mだろうが400mを代入しても成り立つと書いている
中国人が考えたのは平面モデルなので現実の地球太陽モデルでの76mだけではないことになる
つまり「周髀算経」と度量衡とは無関係

500日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:39:22.16
>>499

しかし、400mでは、現実の一寸千里は成立しないよ。
なにもかもが、仮想的なものと言いはるならそれまでだが、

現実に両モデル、および現実の計測で一致する短里に対して、
平面モデルだけでしか成立できない公里。

どちらが説得力あるかな?
501日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:41:15.13
>>481
どちらでも良くは無いよ
あなたの言ってる事はあくまで「八尺棒の影の長さが一寸変化する距離が正しく実測されており、かつその当時の千里は76kmだった」と言うのが大前提なんだよ
だから「八尺棒の影の長さが一寸変化する距離が正しく実測された」ことと「当時の千里は76kmだった」ことを証明しなければならない
あなたの論理展開はいつもあべこべなのよ
502日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:46:14.44
短里
千里南北に移動すると、一寸千里が成立する。
平面モデルでも、太陽高度と距離が導き出せる。
現実の地球太陽モデルで、地球の大きさが一致する。

公里
千里(400キロ?)移動すると、おそらく、6寸弱変化するので、一寸千里は成立しない。
平面モデルでは成立する。
二点間の角度は。0.69度と決まっているので、
その二点間を400キロとすると、とんでもない数値になる。(地球の円周二十万キロ以上)

503日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:50:15.48
つまり公里だと一寸千里の法は成立しない
だから一寸千里の法は間違ってる
正しいと主張するなら単里の存在を証明しなければならない
ということなんだよ
504日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:56:33.69
短里では、現実でも、中国人の想定したモデルでも成立するが、
公里では、想定したモデルでしか成立できない。

つまり、公里は、当時の中国人の想像した、
現実には存在しない仮想単位である。

なんて結論になったりしてね。
505日本@名無史さん:2012/10/10(水) 23:58:27.96
>>500
「周髀算経」では地球太陽モデルでの太陽光線が平行であることを想定していない
太陽光線が平行であれば、平面上の2点間に影の差はできない
周代の「周髀算経」に想定されていないモデルを度量衡の基準の根拠にはできない
谷本氏も言っているように76m+誤差を考慮しなくてはならない
実測していたなら1里=76mにはならない
理論値と実測値を混同してはならない

>>502
>現実の地球太陽モデルで、地球の大きさが一致する

君は76mが周代の中国人が知らない極半径6357kmを使用して算出されていることを理解できていない
一致しなかったら単なる計算間違いだよw
506日本@名無史さん:2012/10/11(木) 00:04:06.08
>>505

いやあ、一寸変化するところまで移動すれば、
いやでも76kmが出てくるから、
地球の大きさなんてわからなくてもいいんだよ。

むしろ、地球が球で、太陽が非常に遠方であることを、
当時の中国人に教えれば、地球の大きさは、当時の中国人でも計算できるよ。
507日本@名無史さん:2012/10/11(木) 00:10:24.70
>>505

太陽がそこそこ近いところにあれば、地面が平面でも、
移動すれば、太陽の傾きが変化するだろ。

太陽が非常に遠方にあって、平行光でも、地面が丸ければ、
移動すれば、太陽の傾きが変化するだろ。

どっちで考えても、偶然にも傾きの変化は同じなのだ。
むろん、偶然ではない。

さきに計測結果があったから、その傾きを前提とした、
太陽までの距離と高度が導かれたと考えるべきなのだ。
508日本@名無史さん:2012/10/11(木) 00:24:02.13
だが、別の文献では10尺棒で1寸千里が成立すると記されているぞ。
509日本@名無史さん:2012/10/11(木) 00:30:56.20
>>506-507
地球上では球体であるため一定距離間では棒の影に差ができる
この現象を距離の測定に利用したか否かであって
「周髀算経」で説明されている近い太陽のモデルでの理論とは関係がない

何度も書いているように1寸の差が出来るところは実測すると76kmにはならない
現実には影の差にはあらゆる誤差を生じる要素があり、76km+誤差になるのは1年に1日南中時北緯35度付近だけ
同じ北緯35度でも周での実測結果は得られないので
距離の基準とするためには、周で実測し設定した1尺の物差しを中国のみならず東夷の国々に配布しなければならない

510日本@名無史さん:2012/10/11(木) 08:07:32.15
>>508

ほう、35度よりも南での計測なのかな?

ソースがあれば検証できるかも。
511日本@名無史さん:2012/10/11(木) 10:04:53.72
>>508
>別の文献では10尺棒で1寸千里が成立すると記されているぞ。

本当にあるとすれば、別の文献は越or呉の文献になる。
「越髀算経」or「呉髀算経」とでもいうのかな?

計測地点は、北緯30度〜北緯32度
1里≒62m
512ローガン:2012/10/11(木) 15:13:40.04
>>492
>>487は別の質問だからねw

で、その前の
『490:ローガン 10/10(水) 21:14
>>487
私は君の「倭人伝を肯定するのか否定するのか、の問題も説明してくれ。」に対する返信をしたんだ。
「全肯定でなければ全否定」は、まともな思考ではないとね。それが、理解出来ないのかな?』
には、何故答えないかな?
君等の考え方「むちゃくちゃな二択」が誤りである事、指摘によりようやく気がついたので 違う話に変えようとした…で良いかな?
まあ、「倭人伝を肯定するのか否定するのか、の問題も説明してくれ。」が馬鹿げた質問である事に気づいてくれたならなにより。
513日本@名無史さん:2012/10/11(木) 15:13:51.50
>>511
後漢の、黄巾より以前の文献だから、それはない。
514ローガン:2012/10/11(木) 16:11:37.38
>>493
ローガンが出した例では、この基本条件が満たされているか、確認したかったから、位置情報が必要だっただけだ。案の定、基本条件が満たされていない例だったよね。

基本情報が不足?(笑)
「夏至之日」,「影出表南三寸二分」「夏至一尺五寸」「路當萬里」
「夏至日」「影皆長一尺五寸八分」「南北略當千里」「而影差四寸」
天文志上では、蓋天 周髀とは何か?に関して儒家、周髀家の言も含め、詳しく述べている。それを踏まえ、上記実測の記録を残しているのだが。
にもかかわらず、さらに位置情報を求められる。
そうなんだ。これは必要なんだ。実測ならね。
だから、位置情報不明どころか、実測をしたとも書かれていない周髀算経の記述を実測前提で考える事は出来ないのだよ。
つまり、君等が交趾はどこ?陽城はどこ? と私に尋ねた段階で、周髀算経一寸千里は、実測に基づいたものではないと認めた事になるんだよ。
515日本@名無史さん:2012/10/11(木) 17:11:29.30
>>512
また勝手な改竄かw

「倭人伝を肯定するのか否定するのか」
というのは、ある部分を根拠なく否定するなら、他の部分も根拠なく肯定することはできない、ということだよ。
算数だけじゃなくて、国語も苦手なのか?

馬鹿げてるどころか、もっとも重要な視点だよ。
>>487>>486の答えに対する質問だから、別の質問w

ちゃんと>>492に書いといただろ。
結局君は、「大和説に都合のいいところを肯定して、都合の悪いところは否定」してる、という情けない姿を晒してるだけなんだよ。
516日本@名無史さん:2012/10/11(木) 17:18:58.09

そういえば、算数が苦手な子は文章の読み取りができないんだ、と小学教師の友人が言ってたな。

国語の読解をやらせると、算数も伸びるんだそうだ。
517日本@名無史さん:2012/10/11(木) 18:08:42.69
>>512
一部が確実に間違ってる資料で、他の部分について確認取れない資料は
基本的に全部間違ってると思わなといけないんじゃね?
何故なら確認取れないんだから
もちろん、一部が正しいと確認とれるなら、その該当する一部については正しいで構わないだろけど

まぁ基本的に魏志倭人伝は信用できないで間違いはない
518日本@名無史さん:2012/10/11(木) 18:11:23.82
つか、他の史料による裏付けがとれない記事ってだけで信憑性を疑われる文献研究の世界で、
他の史料に見られない独自内容について信憑性が高いなどと口走ったら非常識人扱いだよな。

和田家文書にせよ周牌にせよ。
519日本@名無史さん:2012/10/11(木) 18:17:27.35
>>518
日本書紀だって裏付けられてるわけじゃないけどな。
折口博士もやわらかい口調だが記述の信憑性に疑義を提示してる。
520ローガン:2012/10/11(木) 18:52:01.03
>>518
>和田家文書にせよ周牌にせよ。

まあ前者はさておき、
後者は、漢代に否定され、周髀家からも反論が出なかった代物。
521日本@名無史さん:2012/10/11(木) 19:22:43.70
>>519
ああ、書かなかったけど、そのとおりだ。

他の史料で裏付けがとれた部分以外は、信憑性がある記事だと証明しない限り利用できない。
一つ一つの記事ごとに個別の証明が要求される。

信憑性のある記事が一つや二つ混じっている程度ではぜんぜん証明にならないんだよな。
同じ基準を和田家文書や周牌算経に適用したら、古田説の論拠にされているような部分は全滅する。
522日本@名無史さん:2012/10/11(木) 19:48:01.69

和田文書を持ち出されると古田説支持者もたじたじだよなw
523日本@名無史さん:2012/10/11(木) 20:54:10.31
ちなみに、周髀算経の注を読むと、例の一寸千里の法の部分、
「周髀算経の本文ではない【非周髀之本文】」って書いてある。
周髀算経がいろんな時代の記録の寄せ集めで、
昔の人も、一寸千里の法が周代のものとは信じてなかったことがわかる。

栄方陳子是周公之後人、【非周髀之本文】、然此二人共相解釈、
後之学者謂之章句、因従其類列於事下、
又欲尊而遠之、故云昔者、時世官号未之前聞。


周公と商高の問答で始まった周髀算経が、急に栄方・陳子の問答になる。
注の「栄方・陳子は、是れ周公の後の人」というのが本当かどうかはわからないけど、
周公と商高の問答の文献と栄方・陳子の問答が別々に存在して、
それを内容が似てるからくっつけたんだというのが注の主張。
そして、記述に箔をつけるために時代を遠くに設定しようとして、
冒頭に「昔者(むかし)」と書いたんだ。
何時の時代のどんな官職の人物だったのか伝承がないとも言ってる。
524日本@名無史さん:2012/10/11(木) 21:09:10.27
なるほど、後世の計測なら、一寸千里の法が、
正確なのも、
当然なのかもしれんな。
525ローガン:2012/10/11(木) 21:12:00.51
>>515
>また勝手な改竄かw

いいや。(笑)↓
>>309『それなら倭人伝はすべてでたらめだから、卑弥呼もいないし邪馬台国も存在しなかったと言い切ればいいのに。』
これ、言い換えれば、「全肯定しないのなら全否定しなさい」だ。
君のレスかどうかはどうでもいい。これが君等の根底にある考え方な訳だ。
我々は通常、そういう考え方はしないと述べたんだが。

>「倭人伝を肯定するのか否定するのか」というのは、ある部分を根拠なく否定するなら、他の部分も根拠なく肯定することはできない、ということだよ。

意味わからん。
では「ある部分を某かの根拠に基づいて否定したなら、他の部分は根拠なく肯定出来る」のか?
違うだろう。全てにおいて根拠が必要なんだよ。ただ有無に関して、立証責任があるのは、「有」を主張する側だと
再三、言っているんだが。
526日本@名無史さん:2012/10/11(木) 21:19:28.32
まあ、根拠云々いいだしたら、
邪馬台国と大和朝廷のつながりなんて、
まったく根拠がないわけです。
527日本@名無史さん:2012/10/11(木) 21:19:39.47
>>525
>>516は君のために書き込んどいたんだよ。
日本語の読解をがんばってくれ。
528日本@名無史さん:2012/10/11(木) 21:24:40.77
またそうやって都合が悪くなると逃げるんだから
529日本@名無史さん:2012/10/11(木) 21:30:58.49
>>528
また日本語の理解できないやつが出てきたw

すべての答えはすでに書いてある。
読み取れないのは日本語が読解できてないから。
議論を初めから読み返せばいいだけのことだ。

読み返してもわからなければ、中学国語からやり直すことだ。
だから、>>516を書いといたんだよ。
530日本@名無史さん:2012/10/11(木) 22:23:50.96
>>514
はい、ダウト!

必要なのは、二点間の南北距離、北緯35度付近であること、
そして、夏至南中時の8尺棒の影の長さ。

そのうち、まともに書かれているのは、影の長さだけ。
あとは、あってもなくてもどうでもいい情報でしかない。

だから、位置をきいて、足りない情報を補って検証してあげたんだよ。

そうしたら、そもそも南北間距離ではなかったし、方向も違う。
北緯35度付近でもない。
つまり前提と基本情報がまるでなってない。

でも、ローガンは周髀算経と同じ議論に載せようとしたよね。
だから、ローガン詐欺だと言うんだよ。
531日本@名無史さん:2012/10/11(木) 22:30:05.66
>>523

もともと数学書だから、いろいろな時代の良い例題を
集めて作られることはよくあること。

でも、条件を満たせば、8尺の棒の影が、1尺5寸から、
一寸変化するときの距離は、常に同じ。

これは、信頼出来ないとか、かき集めた資料だったとか、
とは関係のない話なのさ。

北緯35度付近の影が1尺5寸であるのは、
実測でも机上計算でも同じだよ。
532日本@名無史さん:2012/10/11(木) 23:33:41.49
>>531
数学的な当否は措くとして、しかし、『古代は輝いていたT』のp201の以下の論は正しくない。

-----------------------------------以下引用-------------------------------------------------------
「周朝において、『短里』の使用された時期と場所があった」。この一事を疑うことは、むずかしいのである。
なかでも、もっとも重要な点、それは次の二点だ。
1、『周髀算経』の冒頭は、周公と殷高(殷人)との天文に対する対話であり、それは、紀元前1122年頃の
「星の運行」が語られるという。したがって、この天文算術書の実体が、周初に遡ることが判明するのである。

2、同時に、先に述べたように、『周髀算経』の編成が漢末に成立したことから、魏・西晋朝人の認識において、
この書の「短里」が”殷代から周初にかけて、周公の使用していた里単位”として見えていたこと、
この一点が、今の問題にとって重要である。
------------------------------------引用終了--------------------------------------------------------

古田氏の文を読むと、あたかも周髀算経が全編一貫した書物であって、
一寸千里の法が、紀元前1122年ころ天文現象と関係があり、
周初から伝わっているかのようだが、それは、断片的な真実を、都合よくつないだミスリードになっている。
533ローガン:2012/10/11(木) 23:42:19.60
>>527
>>516は君のために書き込んどいたんだよ。日本語の読解をがんばってくれ。

ありがとう。では頑張って>>309を読解してみよう!

>少なくても倭人伝(東夷伝)の範囲では短里ですべてが整合するし説明がつく。長里では、倭人伝はでたらめな記事ということになってしまう。
>それなら倭人伝はすべてでたらめだから、卑弥呼もいないし邪馬台国も存在しなかったと言い切ればいいのに。
>大和信者は中途半端に自分の都合を押し通そうとしてるだけだね。

『皇帝専権事項の公定里による記述だと、全ては出鱈目だと主張すべきだ。卑弥呼や邪馬台国も存在しなかったと主張しなければ、中途半端である。中途半端はいかん。』

私には、残念ながら、この書き込みに対しこれ以外の読み方は判らない。
で、我々の考え方を指して「中途半端」と云う以上、これを書いた人物(及び、それを否定しなかった仲間達)の言い分は、両極にのみ存在すると判断した。
ゆえ「全肯定でなければ全否定が、彼らの主張」と結論付けたんだが。
おかしいかな?>>309の読み方が。
言葉の解釈でおかしい所があれば、是非、ご教示を。勿論言うまでもなく、敷衍は不要。
534日本@名無史さん:2012/10/11(木) 23:58:42.88
「『周髀算経』の冒頭は、周公と殷高(殷人)との天文に対する対話である」のは真実だが、
一寸千里の法の部分は周髀算経の本文ではないので、一寸千里の法の年代とは無関係。
「それは、紀元前1122年頃の「星の運行」が語られるという」のは真実でも、
周髀算経は、時代の異なる記録をつなぎ合わせた書物だから、
紀元前1122年ごろの天文現象が記録されていたその部分だけが
紀元前1122年ごろの現象の記録であるというだけで、
一寸千里の法の年代とは無関係。
しかも、周公と殷高の対話も、後代の編纂者が、聖人周公旦に仮託したというのが常識的判断。
『孝経』は孔子と曽子の問答だが、両者に仮託されたもので、現実の孔子と曽子の問答の記録ではない。
先秦〜漢の文章には、こういう架空の人物や有名な人物に仮託して、
その問答で論を進めるというのがよくある。周髀算経も、そのひとつ。
周公の問答だから周初だというのは、あまりに短絡的。

つまり、「この天文算術書の実体が、周初に遡ることが判明する」という古田氏の説は間違いで、
この天文算術書には、周初に遡る記録も含まれているというのが正しい。
それは一寸千里の法が考案された年代を決定するものではありえない。
だから、周髀算経は、数学的に正しかろうが間違っていようが、
「周朝において、『短里』の使用された時期と場所があった」証拠にはならない。
その上、>>523の注にあるように、一寸千里の法の部分は、
周髀算経の本文とは別のものをくっつけたという認識だから、
古田氏が2、で述べるような
「魏・西晋朝人の認識において、この書の「短里」が”殷代から周初にかけて、周公の使用していた里単位”として見えていた」
ということはありえないのではないだろうか。
535日本@名無史さん:2012/10/11(木) 23:59:25.59
>>534は、>>532の続きです。
536日本@名無史さん:2012/10/12(金) 00:05:04.46
数学的に一寸千里と短里が正しいことは、
個人的には保証しても良いが、

それが使われたか、使われてないかを
証明するものではないのは事実だな。
537ローガン:2012/10/12(金) 00:21:05.19
>>530
>必要なのは、二点間の南北距離、

「影出表南三寸二分」「路當萬里」
まさか尺五寸の影が北ではないとは、言わないよね?これ南北なのがわからない?

>北緯35度付近であること、

あらら、慌てて>>493「8尺の棒と、1尺5寸の影、夏至の南中時、南北方向の距離、があれば計算はできるから」
に付加するのね。それにそもそも、平面前提なんだがね。一寸千里は。(笑)

>そして、夏至南中時の8尺棒の影の長さ。そのうち、まともに書かれているのは、影の長さだけ。

だから、「天文志上では、蓋天 周髀とは何か?に関して儒家、周髀家の言も含め、詳しく述べている。それを踏まえ、上記実測の記録を残しているのだが。」
と書いたんだ。言うまでもなく既述。測定時や表の定義に関して、読者との摺り合わせは完了済み。
事前に、出典は明記していたんだがねえ。(笑)
538日本@名無史さん:2012/10/12(金) 00:36:17.37
>>537
>「影出表南三寸二分」「路當萬里」
>まさか尺五寸の影が北ではないとは、言わないよね?これ南北なのがわからない?


あれ?、その距離何里でしたっけ?
そして、それは実際の地名の南北距離と一致してたっけ?

地名大好きだから答えられるよねえ?
539ローガン:2012/10/12(金) 01:39:04.10
>>538
>あれ?、その距離何里でしたっけ?

萬里が史料実態。これで4度目。

>そして、それは実際の地名の南北距離と一致してたっけ?地名大好きだから答えられるよねえ?

さあ?一致しているかなあ?どうでもいいので、キチンとは計ってないんだが。
ただ、周髀算経と違い、位置が明記されており、実測があったことを疑う余地が無い事はわかるだろう。
だからといって、勿論その記載される地名(位置)と表の影から得られる数値から、「度」を発明したりしないけどね。(笑)
さておき、影の向きから、2点が南北にある事は、理解してくれたようだ。
で、君等の云う基本情報に関して何ら不足が無いのは、書いた通り。にもかかわらず、こうして再三、地名について言及してくる。
正に、実測なら位置情報は欠かせない訳だ。だから地名どころか実測があったことすら書かない周髀算経は、「単なる机上計算」ということ。
ゆえ、実測前提の、ある数字を代入するのは、結論先取りの恣意的行為である事は明白。

余談だけど君は「地名大好きだから答えられるよねえ? 」というが、
回答の可否の可能性が、「地名好き」に由来するとする君の言い分が私には理解出来ない。

寝る。
540日本@名無史さん:2012/10/12(金) 02:20:42.50
>>534
紀元前1122年頃とは言ってるけど、実態は [1122 ± 700]年頃だろう。
最大で1000年近い誤差を許容できる程度の数字のようだ。
541日本@名無史さん:2012/10/12(金) 04:21:40.55
>>539

必要なのは、二点間の南北距離、北緯35度付近であること、
そして、夏至南中時の8尺棒の影の長さ。

これがなければ、一寸千里の検証をすることができない。

>で、君等の云う基本情報に関して何ら不足が無いのは、書いた通り。

 >>530で書いたように全く情報が足りない。それどころか、

>さあ?一致しているかなあ?どうでもいいので、キチンとは計ってないんだが。

と、結局情報を出せなかったね。というか、都合の悪い数値だから出したくないんだね。

  >>381-382であるように、基本情報が足りず、条件もあっていない例を出されても、
まったく反論にならない。

>、「度」を発明したりしないけどね。(笑)

ついでに、簡単な角度と北緯が理解できないで、測量の話をするのはいかがなものか。

またおいで。

542日本@名無史さん:2012/10/12(金) 08:55:17.28
>>525
読み方がおかしいよw

答えは>>515>>519に書いてあるから、もう一度読むこと。
それでわからなければ、さらにもう一度。

どうしてもわからなければ、中学国語の教科書から勉強をやり直しなさい。
そうすれば算数や数学も少しは理解できるようになるかもしれない。

まず、国語の勉強からがんばってくれ。
543日本@名無史さん:2012/10/12(金) 09:48:02.77
単里クンを見てると
「自衛隊は非戦闘地域でしか活動出来ない事になってるが、非戦闘地域とはどんな場所か?」
と問われ
「自衛隊の活動している場所が非戦闘地域だ」
と答弁した小泉さんを思い出すよ
544日本@名無史さん:2012/10/12(金) 10:06:33.38
一寸千里そのものを否定するならともかく、
一寸千里を短里以外にするのは無理。

机上でも実測でも、公里では6寸弱変化するから。
545日本@名無史さん:2012/10/12(金) 12:22:38.87
>>539
>実測なら位置情報は欠かせない訳だ。

何故?
位置情報とは何?

位置情報に関する周髀算経の前提は、
商と西周の活動地域である中原の平野がある華北平原で、
東経112度〜東経117度、北緯35度付近である。
546日本@名無史さん:2012/10/12(金) 12:29:27.71
>>542
老眼は日本史板に来るにしては根本的に基礎学力が不足している。
547日本@名無史さん:2012/10/12(金) 14:44:20.44
笑うとこか?

どっちもどっちだろ
548日本@名無史さん:2012/10/12(金) 15:13:59.66
実測だったか問うているのに実測を前提に論を進める
単里が存在した根拠を問うているのに単里の存在を前提に論を進める
これじゃ議論に成らない
549ローガン:2012/10/12(金) 15:54:53.83
>>541
>またおいで。

はい。今来た。
「出典を明記してある」と上で書いただろ?件の実測記事は天文志上の末尾辺りだ。唐突に現れる記事じゃない。
そこまでに地中や影、表などについて、詳しく述べてある。
●先儒皆云夏至立八尺表于陽城其影與土圭等
●其于周禮在大司徒之職以土圭之法測土深正日景以求地中日至之景尺有五寸則天地之所合四時之所交百物阜安乃建王國
●日至之景尺有五寸謂之地中天地之所合也
まだあるがキリがない。夏至の正午に表(八尺)の影を計ったのは、言わずもがななんだよ。
>>537を読んでね。

>と、結局情報を出せなかったね。というか、都合の悪い数値だから出したくないんだね。

君は何か勘違いしているようだ。数字に「都合」なんか無いんだよ。君等と違ってね。
論点を変えたい気持ちはわかるが、私が挙げたのは、影長一寸が何里に相当するか?を実測により求めた例だ。
勿論、君が>>493で述べた
「8尺の棒と、1尺5寸の影、夏至の南中時、南北方向の距離、があれば計算はできるから、場所の名前なんかいらないよ。」

の基本情報とやらを持つ例であるのは、上で述べた通り。出典も事前に明示してある。
その上で、君等は陽城はどこ?交趾はどこ?と訊きたがった。
つまり、必要な情報というわけだ。実測ならね。だから、周髀算経の測定地の地名も求められて当たり前。実測前提ならね。

出た数字が、都合いいとか悪いとか どうでもいいんだよ。
550日本@名無史さん:2012/10/12(金) 16:01:28.15
>>549

>●先儒皆云夏至立八尺表于陽城其影與土圭等
>●其于周禮在大司徒之職以土圭之法測土深正日景以求地中日至之景尺有五寸則天地之所合四時之所交百物阜安乃建王國
>●日至之景尺有五寸謂之地中天地之所合也

何度呼んでも、南北方向の距離がないのだが、どこにある?

551ローガン:2012/10/12(金) 16:11:19.34
>>542
>読み方がおかしいよw

そうかねえ。では

>>309『それなら倭人伝はすべてでたらめだから、卑弥呼もいないし邪馬台国も存在しなかったと言い切ればいいのに。』
↓ ↓ ↓
距離方角記載に誤りがあるという事は倭人伝は、全てデタラメだとなる。全てデタラメである以上、卑弥呼も居ないし、邪馬台国も無いと主張すべきである。

以外の読み方ってある?(笑)
552日本@名無史さん:2012/10/12(金) 16:18:31.11
>>549

おそらく、>>377の派生だろうが、どうみても、南北方向の基本情報がない。
あるのは斜めでどちらかといえば、東西方向に近い距離だけ。

それも、実測直線距離ではまるで違ってるから、
基本情報がない例であるといえる。
553日本@名無史さん:2012/10/12(金) 16:56:16.13
>>377

>「稱永平元年戊子,當梁天監之七年,見洛陽測影,又見公孫崇集諸朝士,共觀秘書影。
>同是夏至日,其中影皆長一尺五寸八分。以此推之,金陵去洛,南北略當千里,而影差四寸。則二百五十裡而影差一寸也。
>況人路迂回,山川登降,方於鳥道,所校彌多,則千里之言,未足依也。其揆測參差如此,故備論之。」

これを検証してみようか。

まず、洛陽の北緯を計算すると、34.57度、大体合ってる。
同じく、金陵の場所がわからんが、31,79度(影が短い方に移動した場合)

その角度の差は、2.78度、地球上の距離にして、309.07km
これが千里ということなので、一里は309m

一寸あたりの距離は、77.27キロ
554ローガン:2012/10/12(金) 16:59:33.83
>>552
>どうみても、南北方向の基本情報がない。あるのは斜めでどちらかといえば、東西方向に近い距離だけ。

ようやくわかったかね。地名が付加されたからそれが判るんだ。
位置の情報が無ければ、北尺五寸と南三寸二分を合算している事から南北の関係にあると考える以外に無いんだよ。
で、その距離が「路當萬里」とあるのが史料実態なんだ。(上で書いたように 丸めすぎた数字ゆえ、帯方東南萬里の如きものだとは思うが)
だが、位置情報が与えられると、「南北じゃないやん。」と言える訳だ。
だから、実測前提なら地名を書いてごらんと云っている。
555日本@名無史さん:2012/10/12(金) 16:59:34.38
一寸千里なら、一里あたり77m
四寸千里なら、一里あたり309m

一寸千里なら、文句なく短里、
四寸千里なら……公里にしては随分違うな。
556日本@名無史さん:2012/10/12(金) 17:01:43.69
>>554

>の基本情報とやらを持つ例であるのは、上で述べた通り。

つまり、基本情報がなかったから、これ、詐欺だよね。
557日本@名無史さん:2012/10/12(金) 17:10:31.81
>>553
>戦国時代に呉を征服した楚は金陵邑を設置。
という説明があるのは南京市だな。南京市の北緯は32度03分
31.79度ではない模様
558日本@名無史さん:2012/10/12(金) 17:16:59.55
しかし、まあ、寸単位の荒っぽい計測で、
結構正確に出るもんだな。
559日本@名無史さん:2012/10/12(金) 17:24:18.97
洛陽から南京までは直線距離で650kmぐらい、角度は真東よりも南寄りに25度ぐらい。ほぼ東南東だな。
直線距離では1500里ぐらいだが、これを南東方向と誤認してて1500 ÷ √2≒ 1000里
みたいに考えたのなら、南北1000里と書かれててもおかしくはない。
560日本@名無史さん:2012/10/12(金) 17:49:01.09
東南東で、30度くらいなら、sin30’で、直線距離の1/2となるな。
ざっと直線距離650キロで、南北方向300キロ
561日本@名無史さん:2012/10/12(金) 18:28:31.43
>>551
またかい?

答えは>>515>>519に書いてあるから、もう一度読むこと。
それでわからなければ、さらにもう一度。

もう少し、中学国語の勉強をしてから読み直してくれ。
562日本@名無史さん:2012/10/12(金) 19:02:31.17
方位の認識がせいぜい八方位程度で、さほどの正確さじゃなかった、
もしくは距離の認識が直線距離じゃなく道のりだった

ぐらいの理由を想定してたら、南北400km余りと思い込んでてもおかしくない程度の位置関係ではあるし、
金陵=南京でいいだろ。と思わなくはないぐらいの数字が出たな。
563日本@名無史さん:2012/10/12(金) 22:52:22.10
>>544
お前は馬鹿だな
机上では一尺=十寸であれば一里の長さが何であろうが関係ないよ
「八尺棒の影の長さが一寸変化する距離は千里」って前提で太陽までの距離を算出しているだけなんだから
それともわざと馬鹿のフリをしてんの?
564日本@名無史さん:2012/10/12(金) 23:23:47.53
>>544
「単里以外にするのは無理」とは「単里が存在しないと一寸千里は成立しない」ってことだ
だから一寸千里を正しいとするなら先ずは単里の存在を証明しないといけないんだよ
つまり単里の存在は一寸千里の前提条件であって、一寸千里が単里の存在を証明している訳ではない
先ずはそこを理解しなさい
565日本@名無史さん:2012/10/12(金) 23:25:50.17
>>563
>「八尺棒の影の長さが一寸変化する距離は千里」って前提で太陽までの距離を算出しているだけなんだから

意味不明
お前は馬鹿だな

「八尺棒の影の長さが一寸変化する距離は千里」であるから、太陽の高さが八万里と算出しているのだ。

566日本@名無史さん:2012/10/12(金) 23:36:28.19
>>565
また論点ずらしか

論点は一里の長さが何であろうが関係ないってことだ
567ローガン:2012/10/12(金) 23:46:49.30
>>561
>またかい?答えは>>515>>519に書いてあるから、もう一度読むこと。

気分悪くさせたんなら謝る。私がアホなんだろう。

568日本@名無史さん:2012/10/13(土) 03:43:48.85
実測すれば、一寸変化する距離は76キロ前後で変わることはない。

一寸千里なら、短里で、
一寸百五十里なら、公里に近くなる。
569日本@名無史さん:2012/10/13(土) 03:46:24.27
>>568
その説明って、
「短里はあったんだから、一寸千里法は実測を元にしたに違いない」と言ってるのと同じ意味だぞ。

一寸千里法が実測に基づいたものだと主張するなら、もっと適切な説明を考案しろ。
570日本@名無史さん:2012/10/13(土) 04:02:35.36
一寸変化する距離を、定義にあわせて計算すれば、必ず76キロ前後になる。
これは地球の大きさで決まるものだから、私にだって、変えたくても変えられない。
同じ計算を机上でやろうが、実測しようが同じ。

もし、妙な計算や下手な測量でおかしな数値になったとしても、
長い間使用されるうちに、おかしな値であることがわかれば、
必ず是正されるだろう。
571日本@名無史さん:2012/10/13(土) 09:52:19.16
>>569
横だが、もういい加減に諦めろよw
理解できなくてもいいが、客観的な観測や数学的な計算を否定してもしょうがないよ。

いくらゴネても、観測と計算の結果は変わらないw
文系がガンバっても意味ないよ。
572日本@名無史さん:2012/10/13(土) 10:16:17.72
わからん人間には、恣意的で自由に操作できるものに
見えてしまうんだろうなあ。
573日本@名無史さん:2012/10/13(土) 11:20:23.87
   
>>569も老眼と同じで、

基礎学力不足である。
574日本@名無史さん:2012/10/13(土) 11:32:58.90
   
短里実在否定者はディベートが好きだなぁ。

ディベートは勝ち負けだけを決める道具。
ディベートで歴史を論ずることは無意味。

歴史を論ずることは、アメリカの大統領戦とは違う。
575日本@名無史さん:2012/10/13(土) 11:37:01.16
ローガンみたいに、勝てないと詐欺までして、勝ちを取ろうとするからな。
学問に勝つためだけのディベートは無意味。

まあ、それが数学に通用すると思ったのは、基礎学力が低い。
576日本@名無史さん:2012/10/13(土) 13:30:20.92
>>570
76kmって距離は地球と太陽の大きさ・形、太陽までの距離が判明している上で算出した値
一方周髀算経に出てくる「一寸千里の法」の「千里」が76kmだったかどうかは計測地が不明な為検証不可能
だから「一寸千里の法」は「当時の千里は76kmだった、つまり単里が存在した」という事の根拠には成らないんだよ
何度言っても理解出来ないようだがね
577日本@名無史さん:2012/10/13(土) 13:35:58.36
>>576

すまんが、私もあなたの論旨が意味不明。
578日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:15:32.96
>>576のように、話を逸らして、イミフな話にするのも、ディベートのテクニックなんだよな。
579日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:17:21.28
全然イミフじゃないと思うが
イミフ扱いにしてごまかしたいんだろうけど
580日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:21:46.46
では、わかりやすく解説たのむ。
581日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:38:54.97
>>580
要は76kmという数字と「一寸千里の法」の「千里」をイコールとする根拠は無い(「千里」の実距離が検証不可能である為)、
だから「一寸千里の法」は単里の存在を示す根拠にはならないってこと
582日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:42:59.85
>>581

うむ、数学と測量では、一寸が76kmであることしかわからない。

そして、一寸が千里なのか、百五十里なのかは、知ったことではない。
583日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:45:33.56
一寸千里なら短里だろうし、百五十里なら、公里だろう。
584日本@名無史さん:2012/10/13(土) 14:58:58.62
>>581
また横で悪いが、そういう日本語の理解だと、日常生活で支障をきたすことはないのかい?
585日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:06:06.31
>>584
>>582にはちゃんと理解して貰えたが、やはりキミには無理だったか
まぁそういう煽りでごまかすのは止めなさい
586日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:24:01.97
>>585
>>582も千里という表記は76kmのことだと書いてるんだよ?
587日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:32:52.67
>>568
おいおいw
どう読んだらそういう理解になるんだよ
588日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:34:09.28
www
589日本@名無史さん:2012/10/13(土) 15:50:58.00
『周髀算経』には、夏至の時太陽が真上にくる場所から
太陽までの距離は8万里と書いてある。
そうすると、太陽までの距離は1億5千万kmだから、
太陽までの距離に比べて地球の半径(6千キロ余り)は簡易
計算のために無視するとして、
太陽までの距離から計算した一里の距離は、

150,000,000(km)÷80,000(里)=1875(km)

となってしまう。
2地点間の距離が書いてある2地点から計算したこの
値は、谷本氏の説を金科玉条とする数学云々をいう
諸氏はどう思われるのでしょうか。

590ローガン:2012/10/13(土) 16:40:56.15
>>575
>ローガンみたいに、勝てないと詐欺までして、勝ちを取ろうとするからな。

今来た。まあ、そういうな。(笑)
しかし「勝てない」とか「勝ちを取る」とか云う所を見ると、こだわっているのは君等のように思うがね。 どうでもいいけど。(笑)
76kmだ!短里だ!といっても、夏限定だ。冬だともっと短里になるわけだ。
影長は実測だと主張する君等の言い分なら、
周髀算経にある二十四節気の影長は 実測になるね。しかし影差は等分なんだ。
まさか、実測は夏限定かい?
591日本@名無史さん:2012/10/13(土) 16:47:54.91
>>589
君の脳は壊れているよ。

自身では自覚できないだろうが。
592日本@名無史さん:2012/10/14(日) 08:54:01.59
   
ローガンの脳も壊れているみたいだ。
593日本@名無史さん:2012/10/14(日) 10:07:07.27
ローガン詐欺、開き直ったか。
594日本@名無史さん:2012/10/15(月) 19:14:31.48
この板、滅茶苦茶アカデミックだね(^_^;
もっと次元の低い書き込み希望。

たとえば、古田武彦は勲章が欲しくてたまらない人物だと言ったようなね(^^)
595日本@名無史さん:2012/10/15(月) 19:48:19.70
>>594は、お呼びでない
596唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/10/15(月) 20:45:30.06
あげ
597日本@名無史さん:2012/10/15(月) 22:35:47.36
どこがアカデミックだっちゅーの
598日本@名無史さん:2012/10/17(水) 01:50:49.87
>>597
その意見には、偽書派・真書派の別を問わず広い賛意を得られるだろう。

アカデミック以前の問題ばっかりだよな。
せめて基礎ぐらい勉強してこい、みたいな。
599日本@名無史さん:2012/10/17(水) 07:40:46.59
   
歴史学の基礎の勉強
@「南」は間違いだから「東」と読み替えなければならない。
A 改竄された史書を根拠にしなければならない。
B 論理思考をしてはならない。
D 科学技術を理解できるようになってはならない。
E アホでなければならない。又アホであることを自覚してはならない。
600日本@名無史さん:2012/10/17(水) 09:11:44.59
>>599
まさにアカデミック、だな、うん。
601日本@名無史さん:2012/10/17(水) 09:18:02.63
結局単なる煽りに終始
まさにアカデミック
602日本@名無史さん:2012/10/17(水) 09:21:55.31
>>599
距離も無視しなきゃいけないよ。
603日本@名無史さん:2012/10/17(水) 09:31:39.39
>>599
新たな単位を勝手に創設する大胆さも必要だな
604日本@名無史さん:2012/10/17(水) 09:51:13.63
>>603
それは負け犬のなんとかw
605日本@名無史さん:2012/10/17(水) 12:30:04.84
自覚無しか
本当に大胆なんですねw
606日本@名無史さん:2012/10/17(水) 12:33:28.40
>>605
論理と算数のわからない人に言われてもねw
607日本@名無史さん:2012/10/17(水) 16:18:13.95
>>599
そういう間違った基礎を伝え聞いているお前さんが真書派だということは分かる。
そんなデタラメな「基礎」は実在しないからな。

他の史料で裏付けることができない情報は信憑性が低い。
傍証のない情報は信頼できない。
誤記誤伝や誤写を含まない史料は無い。
とか、そんな程度で充分かな。
608日本@名無史さん:2012/10/17(水) 16:55:01.22
>>606
単里信者の論理展開には問題があると、何度も指摘してやったんだがね
論理の分からん奴には理解出来なかったか
609日本@名無史さん:2012/10/17(水) 19:35:52.45
>>607
>他の史料で裏付けることができない情報は信憑性が低い。
>傍証のない情報は信頼できない。
>誤記誤伝や誤写を含まない史料は無い。

全部「日本書紀」にもあてはまっちゃうぞw
610日本@名無史さん:2012/10/17(水) 19:37:35.68
>>608
君の論理は自然科学を無視した論理。

もちろんそれは論理じゃないw
611日本@名無史さん:2012/10/17(水) 19:44:06.92
>>610
君は「数学」とか「自然科学」とか言われると思考停止しちゃうんだろうな
だから正しく論理展開出来ない
可哀想な人だね
612日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:03:50.35
>>611
1+1=1 とか 1+1=3 になることだってある、とか書いてた人?

確かに、その論理にはついていけないやw

613日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:07:47.84
>>612
そんなこと書いて無いよ
やはり馬鹿は馬鹿な書き込みしか覚えられないんだな
614日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:09:44.47
>>613
仲間割れかよw

あれは君の仲間じゃなかったのかい?

615日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:13:12.71
>>609
あてはまると何か不都合でもあんの?
バカなの?
616日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:13:42.52
>>613
あれ書いたのは、大和信者だったことだけは確かだからな。
617日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:14:04.89
>>614
話題逸らしに必死だな
いい加減、自分の馬鹿さ加減と向き合ってみたら?
あ、馬鹿だから自分の馬鹿さ加減が理解出来ないか
こりゃ失礼
618日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:20:30.45
>>615
君たちは「倭人伝」やなんかを、無理やり「日本書紀」に結び付けてるんじゃなかったっけ?
「信憑性が低」く、「信頼できない」、「誤記誤伝や誤写を含」む史書同士を突き合わせて、どうしようっていうんだ?
おりこうさんなの?

「倭人伝」と「日本書紀」が無関係なら、それでもいいんだw
619日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:21:11.80
>>617
中身のないピーマンレスになっちゃったなw
620日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:24:59.22
>>618
君たちって、短里アンチ=日本書紀信者なの?
すげぇー単純バカなんだな
編纂者違うし当然別物じゃん
621日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:27:11.55
>>620
相手間違えてるよw
622日本@名無史さん:2012/10/17(水) 20:32:52.55
まず間違いなく、死後は八切止夫以上の
トンデモさんとしての扱いになり、やがて忘れ去られる。


時折、親鸞関係の論文で出てくるか、
ムーみたいな雑誌で取り上げられるかだな。
623日本@名無史さん:2012/10/17(水) 23:15:41.93
>>609
>全部「日本書紀」にもあてはまっちゃうぞw

そだよ。
だから、ここの記述はこれこれこういう理由で信頼できると、いちいち、個別論証してからじゃないと利用できない。
無分別に記紀の記述を信用しちゃうような専門家は、専門家とは呼ばれないんだよ。

当然ながら、記紀の記述と偽史の記述に矛盾があっても、問題は発生しない。
単に、どちらの記事にも充分な信頼性が備わっていないだけだからな。
624日本@名無史さん:2012/10/18(木) 00:00:55.62
>>623
古墳の発掘でもしない限り「日本書紀」の検証なんかできないじゃない?

題名からして疑義を持たれてるんだから。
625日本@名無史さん:2012/10/18(木) 00:08:08.08
原田氏の著作で、親鸞関係でも論法が古代史の論争で使ったのと同じレトリック
(牽強付会、立証責任の転換等々)を使ってて、親鸞論文でもやってることが同じ
だったてのを書いてたのがあったな。

早めに古代史に転進したせいかどうか、アラが古代史ほどは目立たないけど、
親鸞関係の論文って今ではどういう評価なんだろうね?
釈の十年が成立しないとか、方法論は評価されても、具体的な成果は否定なら
古代史と一緒だけど。
626日本@名無史さん:2012/10/18(木) 00:33:48.04
>>619
結局話題逸らしに終始か
いつもそうだね君は
627日本@名無史さん:2012/10/18(木) 00:44:51.16
>>626
どこをどう話題をそらしているのか教えてくれよw
628日本@名無史さん:2012/10/18(木) 01:03:29.16
>>624
もっと記述を細分化して検討するみたいだぞ。

たとえば。
この部分は、儀式の内容を記したものであって、政治的意図による改変が加わる余地が小さいから、脚色されてないんじゃないか。とか、
この記述は三国史記の内容と矛盾しないからとか、
これは○○文書の文面と整合性が高いとか。

それこそ、一つの文章の中に複数の論点が入り乱れたりする。
この文章は、ここは信用できるけどここは改変されていると思われる、なんて感じに。
629日本@名無史さん:2012/10/18(木) 01:03:48.69
>>626
また話題そらしとか言われてもいけないから、整理しておこう。

元はこのあたり >>603
>新たな単位を勝手に創設する大胆さも必要だな

「勝手に創設」というのはこれまでの議論を見る限りまったくあてはまらない。
いつの時代であるかは別としても「短里」は存在した。
これを否定するのは「周髀算経」の観測と計算を否定すること。

「東夷伝」の面積記事、距離の記述を見る限り、「短里」で合理的な説明がつくし「長里」では説明がつかない。
これも論理のひとつだ。

それを >>608
>単里信者の論理展開には問題があると、何度も指摘してやった
>論理の分からん奴には理解出来なかったか

と書いたから、それは「自然科学を無視した論理」だと反論した。

それに対して >>611
>君は「数学」とか「自然科学」とか言われると思考停止しちゃうんだろうな

これでも君がまともに反論できてると言い張るのかな?
あとはおまけだよw
630日本@名無史さん:2012/10/18(木) 01:11:37.17
>>628
改変さがしばかりだねw

>儀式の内容を記したものであって、政治的意図による改変が加わる余地が小さい

例として挙げたんだろうけど、これは根拠は薄いだろう。
古代は儀式と政治体制は一体とも考えられるし、自王朝の儀式である保証もない。
恣意的な切り分けだと思う。

「三国史記」って数百年あとの12世紀の史書を頼りにするのはどうなんだろうね?

古田氏の方法より優れていると考えられるものは、何かあるのかな?
631日本@名無史さん:2012/10/18(木) 09:37:09.74
>>629
やっとそれなりのレスしてきたか
改めて説明すると、周髀算経では「千里移動すると影の長さが一寸変化する」と言ってる(所謂「一寸千里の法」)
一方古田氏や谷本氏は影の長さが一寸変化する距離は76kmと算出した
千里は大体500kmだから「一寸千里の法」は「500km移動すると影の長さが一寸変化する」という事であり、これは76kmという算出値と合わない
従って「一寸千里の法」の「千里」は実測に基づかない観念的な数字である

普通に論理展開するとこうなる

しかし君は「この「千里」は76kmの事だ」と主張する
であるならば、一里=76mとする所謂「単里」が存在した事を示す文献などの根拠を提示しなきゃいけない
或いは、この「千里」が実測値であるという根拠を提示出来れば、
「一寸千里の法」の作者は千里=76km程の距離と認識していた事になるので、「単里」の存在を示す間接的な根拠となる
そして君はどちらの根拠も提示出来ないでいる

て事だ

理解出来たかね?
632日本@名無史さん:2012/10/18(木) 10:08:43.22
>>629
あと「単里だと説明がつく」という主張だが、
説明がつくような単位として「単里」を創設したんだから説明がついて当然。
そういうのを「循環論法」っていうんだよ
633日本@名無史さん:2012/10/18(木) 10:53:32.84
>>631は自然の観察と計算の結果だから、執筆者が「千里」を今で言う距離の「76km」前後とみなしていたということ以外の結論はない。

>>632は「短里」とすれば、東夷伝の改変を考えずに、地理的な状況が合理的に説明できる、ということ。

君の「論理」と「根拠」は俺の論理と根拠と違うから、議論してもしかたがない。
君独自の「論理」を「理解」してくれる人もいるかも知れないが、そう多くはないと思う。

他の大和信者も、それぞれ独自の「根拠」と「論理」を提示しているから、大和信者スレには「理解」してくれる人もいるんじゃないだろうか?
俺は君との議論を終わりにするしかない。
634短里発見:2012/10/18(木) 16:49:09.49
周髀算経
日夏至南萬六千里.日冬至南十三萬五十里.日中無影.以此觀之.從南至夏至之日中十一萬九千里.
夏至の日の太陽の真下から、冬至の日の太陽の真下まで、119000里
これに、実際の数値を代入。
北緯23.5度+南緯23.5度=47度
2πr×47÷360≒5200
5200÷119000≒0.044
一里は44m弱
周髀算経の新短里だ!
アホらし。
635日本@名無史さん:2012/10/18(木) 17:24:46.70
夏至の正午に太陽が真上に来る北回帰線だったら、
冬至に真上に来る南回帰線と違って、中国本土から往来できる範囲にあるはずなんだから、
少なくとも北回帰線までの距離ぐらいは実測できていてもおかしくないはずなんだよな。周牌信者の言説通りだったならば。

だから、この萬六千里に関しては、荒唐無稽な数字が出てたらおかしいことになる。
んだが、どうなんだったっけ?
636日本@名無史さん:2012/10/18(木) 17:39:25.03
>>633
>自然の観察と計算の結果だから、執筆者が「千里」を今で言う距離の「76km」前後とみなしていたということ以外の結論はない。

上記レスは単に「千里は実測値だ」と言い張ってるだけじゃん
「自然の観察と計算の結果」という言い回しでうやむやにしているが、
谷本氏が算出した値が76kmだという事と、「千里」が観察の結果(つまり実測値)であるか否かには何の関連性も無い
こっちは千里が実測値である根拠を求めているのに、君は「千里は実測値だ」と言い張るだけ
論理も根拠もへったくれも無いでしょ

論理が違うというより、君には論理が無いわけよ
確かに議論しても無駄だわな
637日本@名無史さん:2012/10/18(木) 18:15:26.55
>>636
実測値だろうが計算値だろうが関係ないよ。

「周髀算経」に太陽の観測の結果として記述した「千里」という距離の概念があって、それは現在の観測、計算の結果としての76km前後に相当する、というのはたんなる事実。
だから「周髀算経」の執筆者は、この「千里」という距離を、現在ので言う76km前後として把握していたことになる、と言ってる。

確かに論理というほどのことじゃないw
「千里」が実測値であるかどうかなんて、君が勝手に問題にしてるだけで、「短里」の議論とはまったく関係ない。

繰り返すが、「千里」という距離の概念を、当時の執筆者が、どのくらいの長さの距離として考えていたかということだけが問題なのだ。
638日本@名無史さん:2012/10/18(木) 19:57:02.79
>>637
なんで話が噛み合わないかようやく分かった
君は「千里」が実測値か計算値のどちらかだと思っている訳だな
でも俺は実測値でも計算値でも無い無根拠な数字だと言ってる
76kmは計算値だが、「千里」は計算値ではない
算出するには地球と太陽の距離等の情報が必要だが、「一寸千里の法」の作者はこの情報は知らない
(知らないから一寸千里を前提に太陽の高さ等を算出している)
従って「千里」は実測値でないといけない
しかしその根拠はない
だから「千里」は実測値でも計算値でも無い、無根拠な数字だとしか言いようがない

理解出来たかね?
639日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:26:54.32
>>638
同じことの繰り返しだよ。

君には観測も計算も、もちろん論理も、理解する能力がない。
それだけのことだ。

これ以上書くことはないよ。
640日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:34:05.13
当時の世界観を無視してる時点でアウト
641日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:39:02.61
>>693
そういう中身の無いレスはいらないからさ
「観測」「計算」「論理」という言葉を並べても空虚なだけだよ
反論があるならちゃんと書きなよ
それともやはり理解出来なかったのかな?
642日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:50:26.12
あ、>>639だった
すまぬ
643日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:50:44.18
>>641
では書いておこう。

>>637をもう一度読め。
わからなければ、さらにもう一度。

それでもわからなければ、中学校の国語と数学と理科を勉強しろ。
644日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:55:48.78
>>643
>>637には>>638で問題点を指摘済み
君は反論に窮するといつもその捨て台詞でごまかすね
そういう態度は良くないよ
645日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:56:38.16
   
「周髀算経」を読んだことがない若しくは読めない人達の短里批判の場になっているようだ。

いや、「周髀算経」を読みたくない人達の短里批判の場だ。

周髀算経の原点は、中原の平野の南部中部北部の3地点の棒影の測定である。
3地点が正確に南北に並んだときの3つの棒影長さが1寸異なる場合、
3地点間の距離が千里(76.5km)であることを知ったのある。
又は、千里と定めたのである。

上記のことから、北回帰線が中原の中部の南一万五千里であることを計算した。
周髀算経の棒影測定によって得られた北回帰線の位置は、実際の値より北へ約1°ずれているだけである。

又同時に、太陽の高さも八万里でありことを計算したのである。

これらの数値を基礎に、幾つかの観測結果を加えて順次種々の数値を計算したのである。
646日本@名無史さん:2012/10/18(木) 20:57:15.88
>>644
指摘になっていない。

>>637をもう一度読め。
わからなければ、さらにもう一度。

それでもわからなければ、中学校の国語と数学と理科を勉強しろ。
647日本@名無史さん:2012/10/18(木) 21:05:42.89
>>646
指摘になってるよ
しかし堂々巡りになるので指摘になってるかどうかはさておき、>>638に反論してみてくれ
648日本@名無史さん:2012/10/18(木) 21:11:49.13
>>647
そもそも>>638が無意味な議論。

>>637をもう一度読め。
それでもわからなければ、中学校の国語と数学と理科を勉強しろ。

それでも、>>645氏のレスまでは理解できるようにはならないだろうが。
俺のレスぐらいは理解できるようになるかもしれない。

がんばれ。
649日本@名無史さん:2012/10/18(木) 21:24:47.78
>>648
結局いつもの様に逃げると
相も変わらずワンパターンだねぇ

>>645も同じこと
根拠なく実測を前提としているので論外だよ

君も>>645も、もう少し論理的思考力を高めた方がいいんじゃないのか?
650日本@名無史さん:2012/10/18(木) 21:37:04.80
>>649
犬に論理を説明しても無駄なように、いくら説明しても理解できない人間もいるんだよ。
君みたいにね。

だから相手にしないんだよ。
理解できたかな?

わからなければ、中学校の国語を勉強しなさい。
数学と理科はそのあとでいい。
651日本@名無史さん:2012/10/18(木) 21:45:20.42
>>645に同意。
そもそも、一寸変化する距離は、
地球の大きさからくるもので、
解釈で自由に変えられるものではない。

私が気に入らないからといって、
屁理屈こねても変わるものではない。

実測しようとしまいと、1里が76mだろうと、
435mだろうと、関係がないのだ。

北緯35度付近の、夏至の南中時、
影が一寸変化する南北感の距離は、現在の距離に直して、
76Kmなのを変えることはできない。

ただし、その距離を千里とするか百里とするかは、
その当事の人の勝手である。
652日本@名無史さん:2012/10/18(木) 22:17:27.75
>>650
もしかしてさ、君は一寸千里の法について「影の長さが一寸変化する距離を定義したもの」みたいに捉えてない?
それ違うからね。
あくまで「千里移動したら影の長さが一寸変化する」って言ってるだけだから。
(この違いを理解出来るかな?)
影の長さがどれだけ変化しようと千里は千里、つまり約500km。
そして実際に影の長さが一寸変化する距離は500kmではなく約76km(谷本氏の計算によるとね)。
だから一寸千里の法は出鱈目、という結論になる。
これでやっと話が噛み合うかな?
653日本@名無史さん:2012/10/18(木) 23:04:06.20
>>652
全く噛み合わん。

君は宇宙人。鳩星人かな?
654日本@名無史さん:2012/10/18(木) 23:14:57.82
>>653
君が宇宙人なんだろ
それか、反論出来ないからごまかしてるだけ?
655日本@名無史さん:2012/10/18(木) 23:17:57.25
>>654
君が反論の説明を理解する能力がないだけ。

656日本@名無史さん:2012/10/18(木) 23:26:27.61
>>655
そういう中身の無いレスはいらないって言ってるだろ
657日本@名無史さん:2012/10/18(木) 23:40:56.01
今一度>>637に反論してみよう
>「周髀算経」に太陽の観測の結果として記述した「千里」という距離の概念があって、

と君は「観測の結果」なんてさらっと書いてるが、こっちは観測の結果である根拠を尋ねているんだよ
観測の結果でなければ「千里」は単なる観念的な数字という事になるからね
だが君はその根拠を提示出来ない
だから議論を堂々巡りにしてごまかしてる
そうとしか思えん
658日本@名無史さん:2012/10/18(木) 23:45:12.50
そもそも、76kmでも500kmでもいいけど、どうやって南北の直線距離を測量したんだろう。
659日本@名無史さん:2012/10/19(金) 00:36:59.82
>>658
距離の測量
中原の中央部は、低い丘陵しかない大平野であるから、
ピタゴラスの定理を応用した三角測量と推測できる。

方位の測量
北極星(北極中大星)の観測。
660日本@名無史さん:2012/10/19(金) 00:57:17.00
そりゃ、数百メートル単位の細かな三角測量データの合算でしか、長い距離は測定できんわな。


三角測量が実用化される以前には、距離の単位は別の手法で作られていたわけだが、
影の長さ一寸に対応する距離が偶然に千里だったから一寸千里なのか、
それとも一寸千里法が成り立つように再定義された(もしくは新設された)単位なのか、どっちなんだよ。

もし三角測量の方が古いのなら、その定義が周代からあった可能性は無いがな
661日本@名無史さん:2012/10/19(金) 00:57:27.53
>>659の追加
距離の測量
三角形の相似形の利用
太陽の直径を測定した方法。
662短里発見:2012/10/19(金) 02:07:57.92
冬至日丈三尺五寸.夏至日尺六寸.冬至日長.夏至日短.日損益寸.差千里.故冬至夏至之日.南北遊十一萬九千里.
135寸−16寸=119寸。
ここに、寸の差は千里と書いてある。この「一寸千里法」によると、太陽の位置は、夏至と冬至で119000里の差がある。
これに実際の数値を代入
夏至…北回帰線 北緯23.5度
冬至…南回帰線 南緯23.5度
地球上における中心角47度の弧が、影の実測から得た119000里にあたる。
実際の地球上でのこの距離は、2πr×47度÷360度
これを119000で割ると 1里は約44mである。
よって周髀算経の編者が認識した1里とは44mである。
もし、76mが真なら、44mも当然真である。
しかし、どちらも真、と云う解答は無いので、76mも44mも成り立たないのが、結論。
663日本@名無史さん:2012/10/19(金) 09:34:41.06
>>660
>それとも一寸千里法が成り立つように再定義された(もしくは新設された)単位なのか

そりゃー無いわなw
わざわざ「夏至の日の正午に八尺棒の影の長さが一寸変化する距離」を千里の基準にするわけがない
664日本@名無史さん:2012/10/19(金) 09:35:43.33
>>652>>657

俺は>>637であり>>650でもあるが
「わからなければ、中学校の国語を勉強しなさい。」
と書いたのは間違いだった。

君は、小学校の国語からやり直す必要がある。
665日本@名無史さん:2012/10/19(金) 10:13:33.69
>>664
あ〜あ
何も言い返せないのね。可哀想に。
掲示板なんだから殻に閉じこもらず 思った事書けばいいのに
666日本@名無史さん:2012/10/19(金) 10:26:44.58
>>665
犬に論理を説明しても無駄なように、いくら説明しても理解できない君のような人間に、普通の話をしても無駄だからね。
他の人にも同じこと書かれてるだろ?

ただかまって欲しいだけなんだろうが、かまってあげるにしても、日本語のわかる相手じゃないとおもしろくないよ。

理解できたかな?
667日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:15:07.45
短里が存在しようがしまいが、魏志倭人伝に載ってる邪馬台国は見つかってない
それは不変
であるのに、何故そんなに短里に固執するのか
まぁ、ボクの邪馬台国の道程に都合がいいからなんだろうけど
不毛だな
ボクの邪馬台国なるものが基準としてあるだけだけら
ボクの邪馬台国を信奉してるバカ連中の中でも答えは変ってくる
健軍神社でも掘りにいけば
668日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:17:03.48
>>666
なるほどなあ。では、>>637
>実測値だろうが計算値だろうが関係ないよ。

主張は理解した。

>「周髀算経」に太陽の観測の結果として記述した「千里」という距離の概念があって、それは現在の観測、計算の結果としての76km前後に相当する、というのはたんなる事実。

では>>662 も事実だね。寸千里とあるし、谷本と同様の計算なので、76mを求めた方法と同じ。

>だから「周髀算経」の執筆者は、この「千里」という距離を、現在ので言う76km前後として把握していたことになる、と言ってる。

と共に、千里が44kmであるとも把握していた訳ね。

>繰り返すが、「千里」という距離の概念を、当時の執筆者が、どのくらいの長さの距離として考えていたかということだけが問題なのだ。

つまり、当時の執筆者の距離の概念は複数存在したと云う主張ね。
669日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:27:50.94
>>668
>>662みたいなこと書くから日本語も算数も理科もわからないと笑われるんだよw
670日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:40:23.97
>>664
またかよ…
まぁもう一回説明してやるよ
>>637
>「千里」が実測値であるかどうかなんて、君が勝手に問題にしてるだけで、「短里」の議論とはまったく関係ない。

「一寸千里の法」から「短里」の存在を導き出す場合、「千里」は実測値でないといけない。
理由は>>631で説明済み。
そこで俺は実測値である根拠を尋ねているのだが、
君は>>633でも>>637でも「『千里』は実測値(君の表現だと『太陽の観測の結果』)だ」と根拠なく言い張るだけ。

君は無条件に「千里」は「太陽の観測の結果」だと捉えているから話が噛み合わないのだろうね
671日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:46:08.93
>>670

やっぱり、「君は、小学校の国語からやり直す必要がある。」
672670:2012/10/19(金) 11:47:25.19
>>>662>>665>>668は別人なんで、よろしく
673日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:51:54.22
>>671
だからそうやってごまかすなよ
こっちは懇切丁寧に、噛んで含むように反論してあげてるんだぜ
こっちの主張に具体的に反論してみなよ
ま、無理なんだろうけど
674日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:54:01.39
>>672
へえ、よく2人(以上)も日本語がわからない人が集まったね。

日本語が理解できないから「大和信者」になるのかなw
675日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:56:02.84
>>674
真面目な話、日本語が理解出来てないのは君だと思うよ
676日本@名無史さん:2012/10/19(金) 11:58:38.08
>>673
何回も何回も
>懇切丁寧に、噛んで含むように
説明されても理解できない人間が、なにを言ってるんだ?w
677日本@名無史さん:2012/10/19(金) 12:01:58.82
>>676
日本語が理解出来て論理的思考力があれば>>631に対して>>633>>637で反論したつもりには成らないよ
君は日本語が不自由で論理的思考力が皆無なんだよ
678日本@名無史さん:2012/10/19(金) 12:04:30.82
>>675>>677
なんだ、かまってほしくて、わざとわからない振りしてるのかと思ってたのに、ほんとに理解してなかったのかw
679日本@名無史さん:2012/10/19(金) 12:19:26.82
>>678
だからそういうのはもういいから
結局君は>>631を理解出来てないんだよ
理解出来ているというなら、>>631の何処がおかしいか具体的に指摘してみなさい
680ローガン:2012/10/19(金) 12:55:08.04
>>669
>>662みたいなこと書くから日本語も算数も理科もわからないと笑われるんだよw

私のレスなんだが、これ、76mを求めたのと同じ理路。
故に、君から言わすと、76mを算出し、短里だと主張する輩も「日本語も算数も理科もわからないと笑われる」と罵られる訳だ。(笑)。
681日本@名無史さん:2012/10/19(金) 15:30:24.32
>>680
なんだ、国語と算数の苦手な君の書き込みだったのかw

誰かに頼んで書いてもらったのかもしれないが、全然違うよw
682ローガン:2012/10/19(金) 15:37:31.19
>>681
>全然違うよw

でも、どう違うか?を君は書くことが出来ない。
683日本@名無史さん:2012/10/19(金) 15:56:14.11
>>682
俺もふくめた何人もの人間が、何回も何回も「懇切丁寧に、噛んで含むように」説明している。

これ以上繰り返すほど親切じゃないし、辛抱強くもない。

684ローガン:2012/10/19(金) 16:46:09.55
>>683
>俺もふくめた何人もの人間が、何回も何回も「懇切丁寧に、噛んで含むように」説明している。

ところが残念ながら、件の投稿は昨日まで控えてたんだ。よって「全く違う」事の説明は無い。
控えた理由は数日前まで、君等は「実測前提」だったからね。
>>176「周髀の測定データから北緯35°付近。」
>>189「移動した距離は千里だった。」など。
勿論、私が引用した谷本氏の言も実測前提だ。実測前提の主張という事なので 119000里からの計算など出しても無意味ゆえ、放置していたんだ。
ところが、突っつかれたらその主張が
>>637
>実測値だろうが計算値だろうが関係ないよ。

と変化した。

>「千里」が実測値であるかどうかなんて、君が勝手に問題にしてるだけで、「短里」の議論とはまったく関係ない。

さらに、実測かどうかは短里の議論とは全く関係ないとの主張になった。
という事は単に、周髀算経の記述に、実際の数値を代入して得た76mが1里だと主張している訳だ。
なので、同様の理路で周髀算経にある「太陽直下の夏至冬至間距離」に実際の数値を代入して1里が44m…というそれまで控えていたものを投稿したんだ。
「全く違う」んなら、具体的に指摘してごらんなさい。(笑)
685日本@名無史さん:2012/10/19(金) 17:21:16.23
ん、?
35度付近の一寸千里の距離から、
北回帰線が1万6千里、南回帰線が13万5千里と推測する記事なのに、

いつの間にか、南回帰線と北回帰線の間の
11万9千里が実測したという話になってんのか?

谷本氏もそんなことは書いてないはずだが。
686日本@名無史さん:2012/10/19(金) 17:27:43.80
周の地の1尺6寸をベースとして、1尺5寸のところと、1尺7寸の両方の距離を計測した、
これ以上の実測したと思われる情報はないが、

他の距離で実測したとされる情報があったら、ソース付きで提示していただきたい。
687日本@名無史さん:2012/10/19(金) 17:58:22.07
> 119000里からの計算など出しても無意味ゆえ、

だろうな。
もともと北緯35度付近前提なのに、北緯24度から、南緯24度付近の
例を同じと主張すれば、白痴と呼ばれても仕方がない。

中学校の図形と角度……いや小学校の図形と角度が理解できてないと
見たほうが良いか。
688日本@名無史さん:2012/10/19(金) 18:11:28.90
もともと、平面モデルと地球モデルは、一致するものではないが、
平面モデルの太陽の高さや距離を、周の35度付近で実測した値で合わせれば、
その付近だけでは、両方のモデルで数値が合う。

遠く離れれば離れるほど、太陽モデルとの乖離が激しくなるのは当たり前のこと。
それをわざと、乖離が激しくなる場所で、乖離が大きいことを指摘しても、
なんの価値もない。

地球が丸いところに、三角定規を当てたようなもの。
当たったところは一致してるだろうが、
当たってないところでの数値が合うはずはない。

小学校の算数で、三角定規と分度器を触ってれば、そもそも、直感でわかり、
>>662 のような屁理屈をこねる気もなくなるはずだ。

>>662は白痴と断言して良い。 
689日本@名無史さん:2012/10/19(金) 18:12:53.99
一寸千里は各計測地点の地名が明記されていたら実測だと判断できるが、何も書いて無いからね
何を根拠に実測(太陽の観測の結果)だと思っているのか教えて欲しいよ
いやマジで
690日本@名無史さん:2012/10/19(金) 18:14:06.92
>>684

ローガンも、>>662 を見て、直感的に頭がオカシイと感じなかったか?
それとも同程度なのか?
691日本@名無史さん:2012/10/19(金) 19:07:18.96
短里派はあってるあってないなんて気にしてないじゃね?
そういう答えがあったという事だけを注目してる
更に、その短里を魏志倭人伝にも使ってると言いたい
だた、それだけ
数学的にありえようがどうしようがどうでもいい
短里が存在したってことだけいいだい
その短里は約76m?
この"約"も重要、自分の都合にあわせて変えられるから
692日本@名無史さん:2012/10/19(金) 20:17:49.40
>>691
彼等は論理的整合性は気にしないし、そこを指摘しても理解が出来ない
もはや信仰みたいなもの
信者にしか通用しないロジックで説明しようとするから、話がまるで通じないんだよね
693日本@名無史さん:2012/10/19(金) 20:23:00.30
>>692
もちろん大和信者のことを言ってるんだろ?

大和信者に、ぴったり当てはまる名言だな。
694日本@名無史さん:2012/10/19(金) 20:58:51.10
>>693
実際そうじゃん
地球が平面じゃないことはさすがに理解出来てる
あくまで当時そういう考え方があったと言いたいんだろ?
数学的に実際はありえなくても
で、それが魏志倭人伝にも使用されてると

主張は違うの?
695日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:02:48.46
A地点 夏至の正午に8尺棒の影の長さが1尺6寸のとき、
この棒の立っている位置は、北緯35.1度であった。

B地点 夏至の正午に8尺棒の影の長さが1尺5寸のとき、
この棒の立っている位置は、北緯34.4度であった。

C地点 夏至の正午に8尺棒の影の長さが1尺7寸のとき、
この棒の立っている位置は、北緯35.8度であった。

ABCの各地点が一直線上に正南北に並ぶとき、
A地点B地点間の距離は76.9km
A地点C地点間の距離は76.3km

上記を絶対に理解できないローガンにいくら説明しても徒労に終わる。
696日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:09:29.82
>>695
それはあくまで実測だったらその地点になるって話
じゃあ実測だったという根拠はなんなの?
地名も明記されてないのになんで実測だったと思えるわけ?
みんなそこを問うてるんだよ
697ローガン:2012/10/19(金) 21:18:02.75
>>690
いや、それ私のレス。
そうなんだ。意味無いんだ。76mと同じでね。勿論実測なら話は別。しかし>>637にこうある

>「千里」が実測値であるかどうかなんて、君が勝手に問題にしてるだけで、「短里」の議論とはまったく関係ない。

これをからかっただけ。実測なんかどうでもいいなら、実際の数値を代入する事に意味が無いんだ。76mと同じでね。
影長地中尺五寸は約束事なんだ。平面ゆえ、どこまで行こうと影差一寸は千里。
76mなんて単なるチェリーピッキングなんだ。
698日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:38:51.92
大体「一寸千里」なんて切りがよすぎるだろ
周髀算経の当該箇所の主旨は「太陽の高さ(及び太陽の真下までの距離など太陽関連の数値)はどの位か?」だからね
一寸千里はこれを算出する為のパラメーターでしかなく、別に「八尺棒の影の長さが一寸変化する距離はどの位か?」がテーマじゃない
計算しやすい様に一寸千里としただけの、単なる観念的数字だろう
699日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:39:41.66
>>697
犬に論理を説明しても無駄なように、君は何をどう説明してもらっても理解できない。

だから相手にしないんだよ。
700日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:41:32.95
>>697

あのさあ、たとえ、平面の三角形モデルでも、
「平面ゆえどこまで行っても一寸は千里」
ってありえると思う?

小学校からやり直したほうが、いいよ
701日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:47:17.28
>>662 ってのは、馬鹿が馬鹿な計算をしたら、
馬鹿な結果が出た。

というだけの話に過ぎないので、
まともな計算を否定する根拠には、全然ならんでしょ。
702日本@名無史さん:2012/10/19(金) 21:50:33.85
>>662 はローガンさんでしたか。
なかなか、馬鹿がにじみ出ている文章でしたな。
703日本@名無史さん:2012/10/19(金) 22:15:58.42
皮肉が解らないってある意味幸せだな
704ローガン:2012/10/19(金) 23:03:47.12
>>700
うふふ史料に尋ねてね。
冬至日丈三尺五寸.夏至日尺六寸.冬至日長.夏至日短.日損益寸.差千里.故冬至夏至之日.南北遊十一萬九千里.

>>702
その通り。『>>637「千里」が実測値であるかどうかなんて、君が勝手に問題にしてるだけで、「短里」の議論とはまったく関係ない。』んだから
実測なんかどうでもいいと云う君等の主張に敬意を表して駄レスを書いたんだ。
笑って貰えたなら秀逸。
705日本@名無史さん:2012/10/19(金) 23:49:27.32
>>699に自分を理解出来ないのは犬並みの脳であるととれる書き込みがある

アホバカはよく聞くが犬並みとかは言い過ぎと思う

こんな書き込みする人に常識とか通じるのだろうか?

何が楽しくて他人を犬並みの脳と断じるのだろうか?

さまざまな持論があるのは分かるが他人を犬並みとかは見てて不快である

彼と同じ論の方々は同じ感性の持ち主なんだろうか? そうでないことを望む
706日本@名無史さん:2012/10/19(金) 23:57:25.02
>>705
彼は反論不能になると苦し紛れに相手を罵倒するんだよ
このスレを読み返せば分かる
気にする事は無いさ
707日本@名無史さん:2012/10/20(土) 00:01:39.21
しかし、自分の書き込みを駄レスとまで言い切ってしまっては、
ローガンさんの書き込みを真に受けて、一生懸命に書き込んでいた、
畿内説の方々もお気の毒でございましたね。
708日本@名無史さん:2012/10/20(土) 00:05:26.52
どうしたらそういう解釈になるのかねぇ
相変わらず斜め上を行くね
709日本@名無史さん:2012/10/20(土) 01:29:01.61
>>685
つまり君らは、周牌算経の数字の中から自説に都合のいいとこだけ抜粋して拡大解釈してたんだね。
710日本@名無史さん:2012/10/20(土) 01:33:54.89
周代に8尺棒で、後漢では10尺棒で、三国時代には再び8尺棒で、「1寸千里の法」が成り立つということは、
その間に里程が大幅に変わったってことなんだな。
(オレは周牌算経は前漢のものだと思ってるんだがな)

8尺棒の影と10尺棒の影は長さが2割違う(2割短いか2割半長いか)から、
一理の長さや一寸の長さが同じならどちらかが成り立たないはずだもんな。
711日本@名無史さん:2012/10/20(土) 01:59:53.96
>>710
周髀算経って、稷下の学士の論のような気がする。
五行の?衍とか白馬非馬の公孫竜とか、同じようなニオイがする。
712日本@名無史さん:2012/10/20(土) 05:13:46.65
「天下=方三千里説」ガン無視
713日本@名無史さん:2012/10/20(土) 09:18:13.25
>>710
一寸千里が成立したという前提で一里を逆算するからそういう発想になってるけど、普通は逆でしょ
当時の一里の長さが先にあって、その前提において本当に一寸千里が成立したのか?と考察するべき
一里の長さは時代によって変遷するが、定説では概ね400〜500mの範囲
となると八尺棒でも十尺棒でも一寸千里は成立しないよね
714日本@名無史さん:2012/10/20(土) 10:37:12.81
>>705
>>704みたいな論理のわからない人間には、どう言えばいえばいいんだ?

もちろん俺のを理解できないだけじゃなくて、他の人の書き込みも理解できない。
自分が不利だと思うと、中身をすりかえて「反論」する。

邪馬台国大和説をただ固持したいだけなのか、それともかまって欲しいだけなのかは知らないが、どちらにしても纏わりつかれるのは鬱陶しい。

同じ話を何回説明しても、勝手にこちらの趣旨を改竄して同じ「反論」を繰り返す。
そんな人間にどう対応すればいいんだ?
715日本@名無史さん:2012/10/20(土) 10:46:58.84
自分の都合の悪いことは、見たくないとだだをこねてるだけ。

一応、ローガンは馬鹿なことを書いてると、自覚はあるようだが、
案外、真剣に書いたあとで、指摘されて気づいたのを、
取り繕っているだけかもしれない。
716日本@名無史さん:2012/10/20(土) 11:29:17.13
>>714
>邪馬台国大和説をただ固持したいだけなのか、それともかまって欲しいだけなのかは知らないが、どちらにしても纏わりつかれるのは鬱陶しい。

固辞することが最大の目的。
固辞する為には手段を選ばず。

>同じ話を何回説明しても、勝手にこちらの趣旨を改竄して同じ「反論」を繰り返す。
>そんな人間にどう対応すればいいんだ?

猿犬豚並みに扱えばよい。
717日本@名無史さん:2012/10/20(土) 13:50:09.01

『日本猿』『豚の足=チョッパリ』は朝鮮人が火病を発症したときに、日本人に対してよく使う

韓国起源説の特徴
『主張の根拠は似非科学から語呂合わせや民間語源、一切根拠の無いものまで多岐にわたる』
『事実無根の起源説が別の起源説の根拠になるなど、仮説や希望的観測に基づいた虚構が「歴史的事実」として流布されている』
『日本文化に対する起源説の主張では、小中華思想と公教育に基づいた強い対日蔑視の視点で主張される事が多い』
『日本が朝鮮半島の文化・文化財をことごとく抹殺・略奪したというもので、
  「現代の朝鮮半島に存在しない文化も、日本に抹殺・略奪される前には存在したはずだ」との前提』
『「証拠がないことこそ証拠である」という論理で、文化抹殺説に反論する事は悪魔の証明となってしまうことが多い』


見事に一致する

718ローガン:2012/10/20(土) 15:31:25.12
>>717
確かに。
>>716の「猿犬豚並みに扱えばよい。」
は、我々日本人が、あまり使わない言い回しですな。
本性を現したようだ。
719日本@名無史さん:2012/10/20(土) 15:35:20.34
>>713
全くもって正論
だがここでは通用しないようだw
720ローガン:2012/10/20(土) 15:46:03.25
私も若い頃、信者の一人だった。とある方の紹介で、御大にもお会いしたことがある。
当時は、今とは違いファンも多かった。
さて、「猿犬豚並みに扱えばよい。」という投稿があり、誰もたしなめない所をみると、
信者が日本人から外国の方々にシフトしている…という状況だろうか。
721日本@名無史さん:2012/10/20(土) 15:58:28.94
>>645
>3地点が正確に南北に並んだときの3つの棒影長さが1寸異なる場合、
>3地点間の距離が千里(76.5km)であることを知ったのある。
>又は、千里と定めたのである。


↑これってさ、どうやって計測したの?
計測は夏至の日の正午に限定されるから各地点で同時に実施する必要があるよね
しかも何処で一寸変化するか分からないから何ヵ所にも人を配置する必要があるよね
南北、少なくとも約150kmの直接上に一体何人の計測員が必要になると思う?
722日本@名無史さん:2012/10/20(土) 15:58:38.46
なんつーか、畿内説のお葬式会場ですかな。
冷たい風に身を震わせながら、愚痴ているのが、
目に見えるようです。
723日本@名無史さん:2012/10/20(土) 16:02:33.84
駄レスだけは素早いね
724日本@名無史さん:2012/10/20(土) 16:20:27.22
いや、まったく、そのとおりで
725日本@名無史さん:2012/10/20(土) 16:30:55.69
>>721訂正
×直接上
○直線上
726日本@名無史さん:2012/10/20(土) 16:48:22.36
>>720
ありゃ、転向者の自分語り、を気取ってらw

やっぱりただの「かまって君」だったのかよw
727710:2012/10/20(土) 16:49:26.50
>>713
だから、「成立してたって前提だと、おかしいよな」と言ってるんだよ。

様々な言説の中から、自説に都合のいい数字だけピックアップしただけじゃん。で終了する。
728日本@名無史さん:2012/10/20(土) 18:46:59.70
周代の1里約400mは畿内説の根拠でもなんでもないんだな
日本も、中国内での文献、考古資料を根拠とした通説どおりで、畿内説も通説に異論もないという立場だろ
韓国でも短里なんぞ作り出しても得るものないから
日中韓で存在してるのは周代の小尺=20cm前後の議論のみ
中国の度量衡の歴史を否定してるのは、有明海沿岸及び南九州内陸部住民くらいか

【がめつさ】というのは本当に研究には障害になるな
729日本@名無史さん:2012/10/20(土) 19:18:40.09
江戸時代に「日本橋〜品川の距離は千里」という文献があったとする。
日本橋〜品川は当時の里では二里だから上記文献は言うまでもなく間違いである。
これを「日本橋〜品川は7.9kmだからこの「千里」は7.9kmである。だから当時一里=7.9mとする里が存在した」と主張する者は普通はいない。
だが短里信者はこれと同じ理屈で「短里はあった」と主張する。
いかに滑稽な主張であるかがよく分かる。
730日本@名無史さん:2012/10/20(土) 20:42:12.70
>>729

ふむ、これは、
馬鹿が馬鹿な脳内設定を考えて、馬鹿な証明をした。
そして、馬鹿な結論が出たという例だな。
731日本@名無史さん:2012/10/20(土) 20:54:02.34
>>730
そういう事
「一寸千里」から「短里があった」と主張するのは馬鹿が馬鹿な結論を出したって事だ
732日本@名無史さん:2012/10/20(土) 21:06:54.92
>730

同意
733ローガン:2012/10/20(土) 21:10:59.28
>>721
>これってさ、どうやって計測したの?

周髀算経の記述は、一歩=六尺だから一里が76mだと、一寸は4.22cm。
実測でこのミリ単位の影差を正確に掴む為には、
起伏の全くない直線道路を造り、多くのポイントに人員を配置した上、彼らの漏刻を全て揃える事が出来れば、測影は可能。
現実味はまるでないが。
734日本@名無史さん:2012/10/20(土) 21:50:17.55

1里=76mの場合  1歩=25.33cm   1尺=4.22cm  1寸=0.422cm=4.22mm
735日本@名無史さん:2012/10/20(土) 22:20:24.44
>>729
「日本橋〜品川は7.9kmだからこの「千里」は7.9kmである。だから当時一里=7.9mとする里が存在した」
「影長が一寸変化する距離は76kmだからこの「千里」は76kmである。だから当時一里=76mとする里が存在した」

全く同じロジックですなw
736日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:05:14.04
>>733
>周髀算経の記述は、一歩=六尺だから一里が76mだと、一寸は4.22cm。

ローガンは♬♬♫、こんな嘘を根拠に嘘を積み重ねていく♬♬♬♬♩

周髀算経に、一歩=六尺の記述は無い。
737日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:11:08.12
見事に誤読してるね
それに話のポイントはそこじゃねえだろ
738日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:11:26.33

再掲

「古者以周八尺為歩」 『禮記』王制篇

「古法六尺為歩三百歩為里」 『新校本宋史』

【 周の1歩=6尺=大尺  1歩=8尺=小尺 】


「古者三百歩為里」 『穀梁伝』宣、十五
        
「周制三百歩為里」 『孔子家語』王言解

【 周の1里=300歩=1800尺=大尺 】

【 周の1里=300歩=2400尺=小尺 】

739日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:20:23.93
>>721
>南北、少なくとも約150kmの直接上に一体何人の計測員が必要になると思う?

太陽の直径を計算した方法を使い、
この測定方法を20回もくりかえせば、
150kmの測定はわけもなく可能である。

測定地域は大平野の真ん中で見通しが良いんだよ。
視力3.0もあれば十分だ。
視力5.0〜6.0の人がぞろぞろいた時代だろうから。
740日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:28:25.70
>>739
すまないが意味が分からん
その方法って具体的にどういう作業を行うの?
何人位でやったという想定?一人?
一人で20回も繰り返したら正午を過ぎてしまうと思うのだが
それに八尺棒の影の長さを測るのに視力3.0とか5.0とか何の関係があるの?
741日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:36:42.76
>>739
もしかして150kmを計測する方法を述べてる?
俺が聞いてるのは八尺棒の影の長さがどの地点で一寸変化するかを計測する方法だよ
742日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:53:07.69
>>738
>>周髀算経に、一歩=六尺の記述は無い。
>「古者以周八尺為歩」 『禮記』王制篇
>「古法六尺為歩三百歩為里」 『新校本宋史』

それみろ。、周髀算経に書いていない。

「周髀算経」はBC12世紀頃の天文知識を書きまとめたもの。
「八尺為歩」「六尺為歩」は、千年以上後世の人間が勝手に想像しただけ。
743日本@名無史さん:2012/10/20(土) 23:58:35.56
>>742
>それみろ。、周髀算経に書いていない。

書いてなければ、周代のことが書いてある文献から拾わなければならない

再掲

韓国起源説の特徴
『主張の根拠は似非科学から語呂合わせや民間語源、一切根拠の無いものまで多岐にわたる』
『事実無根の起源説が別の起源説の根拠になるなど、仮説や希望的観測に基づいた虚構が「歴史的事実」として流布されている』
『日本文化に対する起源説の主張では、小中華思想と公教育に基づいた強い対日蔑視の視点で主張される事が多い』
『日本が朝鮮半島の文化・文化財をことごとく抹殺・略奪したというもので、
  「現代の朝鮮半島に存在しない文化も、日本に抹殺・略奪される前には存在したはずだ」との前提』
『「証拠がないことこそ証拠である」という論理で、文化抹殺説に反論する事は悪魔の証明となってしまうことが多い』

744日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:00:21.17
一寸千里、ってのは、0.5寸500里でもある。
むりせずに測れるところ数カ所で測って、

その法則が成立すること。
その数カ所の南北間距離から、
一寸あたりの距離が、千里になることが
計算出来れば良いのさ。

また、計測地点では一人づつ付けて、少し前から影の長さを書き込んで、
逐次記録させておく。

一番影が短いところが南中時だ。
745日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:05:38.81

1里=76mの場合  周代の0.5寸=2.11mm

746日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:10:33.37
>>744
それはちょっと違うでしょ
一寸千里は「影の長さが一寸変化した距離が千里だった」という結果から導き出したもの(のはず)
君の方法は計測前から一寸千里が既に前提になってしまっているよ
747日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:16:42.44

快晴でも半影本影のミリ単位の見きわめが難しいが、曇りであった場合はまた来年ということになる

748日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:21:49.43
一年に一回しかチャンスがないからね
しかし何の為に棒の影の長さが一寸変化する距離なんて測ったんすかね?
どうにも大掛かりな計測になりそうなのに、そこまでしてそんな物を測る必要があったの?
749日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:22:40.88
数年かけてもいいんじゃないかね。
長い間の経験則を確かめるもんだろうから。
750739:2012/10/21(日) 00:23:12.01
>>740-741
150kmの測定方法
見通しの良い季節を選んで、数人で一年もかければかなり正確に測定できる。

太陽の直径の測定方法
周髀算経に書いてある。太陽までの距離が10万里、太陽の直径が1250里と書いてあるところ。
太陽直径測定では、長さ8尺内径1寸の筒を覗く方法。望遠鏡の様に。

地上の千里測定の為には、筒の長さと直径を変えたものになるだろう。
地上の見通し距離と地形に応じて、筒の内径と長さを変えたほうが使いやすくなる。
751ローガン:2012/10/21(日) 00:24:13.59
>>734
ごめんなさい4.22mmに訂正します。
4cmは尺だった。

>>736
即平地徑二十一歩,周六十三歩。令其平矩以水正,則位徑一百二十一尺七寸五分

上で書いたんだけど、なんで今頃なん?
752日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:27:57.82
>>750
150kmの計測方法も太陽の直径の計測方法も聞いてないのですが…
俺が聞いてるのは八尺棒の影の長さがどの地点で一寸変化するかを計測する方法だよ
753日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:28:52.21
>>751

あまりに短すぎて間違えるよねw

754日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:30:14.02
>>749

天文学書ならそれでいいだろうが、その方法で度量衡の距離の基準としたと本気で考えるのかね?

755日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:36:09.46
4.22mmに関しては俺も疑問だな。
数式的には比率の問題なので、一寸76キロは変わらないが、
一尺が4.22cmにしかならんので、精度が落ちる。

観測するにはスケールアップしたほうがいい。

あと、これは南北間距離の計測にも言えることで、

短距離なら距離は正確に計測できるが、誤差が大きくなる。
遠方に行けば行くほど誤差は小さくなるが、距離を正確に測るのが難しい。

まあ、当時の技術でできる範囲でやるだろう。
756日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:39:03.92
>>754

いや、どう見ても天文学書だろ。
一寸千里は、あって当然の前提条件のような扱いだぞ。
757日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:39:53.52
>>747
>快晴でも半影本影のミリ単位の見きわめが難しいが、

棒を1寸2分以上の角材にすればよい。
棒の半影部分の幅が1寸2厘であることを知っていたから、
1ミリ以下の誤差で影の長さを測ることができる。
758日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:42:44.97
>>756

そうだろ? 天文学書であって度量衡とは関係ない
観測結果が出るまで、千里の距離がわからない

759日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:49:43.35
>>757

>棒の半影部分の幅が1寸2厘であることを知っていたから

天気の状態で変わるだろw

760日本@名無史さん:2012/10/21(日) 00:54:49.80
半影部分の大きさってのは、太陽の大きさからくる角度で決まる。

太陽は完全な点光源じゃないからな。
761日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:00:51.58
>>752
>八尺棒の影の長さがどの地点で一寸変化するかを計測する方法だよ

計算する方法はない。
北緯35度付近の千里南北に離れた二地点の実測でしか影の長さ1寸の違いを計測できない。
その為には南北に千里離れた二地点の距離の計測が必要。
762日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:05:06.20
>>761
計算方法じゃなく計測方法を聞いてるんだけど…
ワザと焦らしてる?w
763日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:05:35.85
短里否定派は自らのアホを晒すような反論ばかりしてくる!
764日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:07:58.22
>>760
目視だから太陽光が弱いと半影と本影のそれぞれの境界の見極めのほうが難しいんじゃないかな
765日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:08:45.79
>>750
一冊の周牌算経のなかで、太陽までの距離が八万里に縮んだり十万里に伸びたりしてるってことか?
766日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:13:35.73
>>764

>>757 で書いている人がいるが、先端を尖らせればいいんだよ。
小学校とかで日時計やったら、そうなっているね。
767日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:15:13.40
>>765

一寸千里はあくまでも夏至の話。
冬至まで太陽は遠ざかり続ける。

周髀算経にそのへんの問答がどっさり出てくる。
768日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:17:44.33
>>766

日時計は数ミリ違っても時刻にはたいして影響ないからね
4.22mmで76km違うんだよ?

769日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:20:39.83
>>768

そう、だから正確に測るにはスケールアップしたほうが良い。
一尺が4センチでは難しい。

10倍にスケールアップすれば、4.22センチになって、だいぶ測りやすくなる。
縦横比をきちんと計算すれば、一寸76キロは変わらないし。
770761:2012/10/21(日) 01:22:20.77
>>762
>ワザと焦らしてる?w
二行目と三行目で計測方法をかいているよ。
771日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:27:20.97
まあ、測りにくければ、測りやすいように
工夫して測ればいいんじゃないかね?
772日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:31:25.43
   
周髀算経の1尺(商尺)は約16cm

周尺は1尺が約22cm
773日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:32:20.58
>>769

しかし「周髀算経」には8尺の棒=33.76cm、影の差1寸=4.22mmと書いてある
里と歩と尺の関係を変えたいなら、そういう度量衡の基準があったという何らかの根拠が必要だよ

774日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:36:49.03
>>773

1尺が10寸であれば、何も変えなくていいよ。
一寸あたり、現代の距離に直して76km相当というだけ。

それを千里と呼ぶか百里と呼ぶかは、
計測過程と結果には何の関係もない。
775日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:37:46.35
>>767
それじゃ10万里はいつの季節なんだよ。
書いてないとしたら無意味な数字だから、絶対に書いてるんだよな?

夏至に八万里で冬至に十三万五千里だったか。
十万里は、その間のどこかなんだよな?
春分/秋分よりは夏至に近いだろうけど、いつなんだ?
776日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:40:00.86
>>774

1尺は10寸だよ??


777日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:40:48.05
>>770
君の方法だと最初から千里の地点で棒影長を計測したって事になる
でも>>645では
>3地点が正確に南北に並んだときの3つの棒影長さが1寸異なる場合、
>3地点間の距離が千里(76.5km)であることを知ったのある。

って事なんだから、棒影長が一寸異なる地点が千里なのか二千里なのかはたまた五百里なのかはまだ分からないわけでしょ
だから南北の直線上の複数(しかもかなりの)の地点で八尺棒の影の長さを計測しないと、何処で一寸変化するかの結果を得る事が出来ない
しかも夏至の日の正午限定だから複数地点で同時に影の長さを計測しないといけない
これをどのような方法で実施したのかと聞いてる
778日本@名無史さん:2012/10/21(日) 01:42:45.86
>>775

どっさり書いてあるから、原文呼んでくれ。
ググれば出てくる。

どの問答で出たかまでは覚えてない。

理解したら、わかりやすく解説してくれると助かる。
779日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:14:16.41
>>742
>「周髀算経」はBC12世紀頃の天文知識を書きまとめたもの。

これは間違った認識です。
BC12世紀の天文現象の記録を一部含む、複数の時代にわたる知識をまとめたものです。
特に、注に拠れば、一寸千里の法の部分は、後から付加された部分だということです。

>>532>>534を読んでください。
780日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:14:51.52
>>772
は出土遺物の根拠に基づいてるね

781日本@名無史さん:2012/10/21(日) 02:56:45.52
>>777
>しかも夏至の日の正午限定だから複数地点で同時に影の長さを計測しないといけない

同時である必要はない。夏至正午であれば1年ずれようが5年ずれようが関係ない。

又、北緯35.1度付近の南北に千里(76.5km)離れた2地点での計測で影長1寸差を知ることができる。
782日本@名無史さん:2012/10/21(日) 03:27:17.00
>>779
>これは間違った認識です。
>>532>>534を読んでください。

周髀算経の周公は周公旦と断定できない。
周髀算経の周公は、紀元前12世紀の先王とも考えられる。
つまり商の支配下にあった西周の先王である周公が商高から教えを請うたともかんがえられる。

周髀算経には「殷高」は出てこないよ。
出て来るのは「商高」である。
改竄してはいかんよ。

周髀算経本文に「注」はない。
「注」を付けたのは後世の解説者。
過去の研究者は紀元前12世紀の北極星について知らなかったのだから、
過去の周髀算経の研究については全否定からスタートしなければならない。
783日本@名無史さん:2012/10/21(日) 07:41:31.67
>>781
どうも質問の主旨を理解してないようなので、聞き方を変えるね
まず前提として棒影の長さが一寸変化する地点が基準点から何里先なのかはまだ誰も知らない
この状態から棒影の長さが一寸変化する地点を見つけ出すにはどうすれば良いのか?
その方法を教えて欲しい
784日本@名無史さん:2012/10/21(日) 08:08:37.29
してるかどうかは知らんが
離れたとこで数点やれば後は比例関係じゃね?
785日本@名無史さん:2012/10/21(日) 08:23:32.44
谷本さんは一寸何cmで計算したのか誰か知ってる?
786日本@名無史さん:2012/10/21(日) 08:47:37.13
しかし、一寸って何センチだと思ってるのだろうか?
3.3センチ
特定の日の特定の時間に影から長さを測る
かなり誤差を含むことは用意に想像出来るけど
そして、そのわずか数ミリが結果に甚大な影響を与える
787日本@名無史さん:2012/10/21(日) 09:03:21.84
>>784
なるほど
それなら色んな地点で同時に計測する必要は無いか

だけど計測用の棒はどれも寸分違わず同じ長さじゃないといけないし
影長の計測もミリ単位での正確さが要求されるよね
それに各計測地点には少しの高低差があってもいけない
そう考えると正確な値を得るのはかなり難しいのでは無いかと思うのだが
788日本@名無史さん:2012/10/21(日) 09:17:06.01
単純に、たまたま千里の位置で測ったら偶然にも一寸だったのではないでしょうか?
789ローガン:2012/10/21(日) 12:06:36.80
>>787
>影長の計測もミリ単位での正確さが要求されるよね

いや、1寸が4.22mmなんだから、小数点以下の正確さが必要。0.55mmが、10kmに相当。
790日本@名無史さん:2012/10/21(日) 12:23:47.28
>>788の言うように千里の位置で測ったらたまたま一寸だったってことだと思う
当時の千里は偶然にも都合良く一寸変化する距離だったと
791日本@名無史さん:2012/10/21(日) 14:38:12.95
>>782
>周髀算経には「殷高」は出てこないよ。
>出て来るのは「商高」である。
>改竄してはいかんよ。

僕がみた周髀算経も「商高」だったんだけど、
古田氏が『古代は輝いていたT』で、「殷高」と書いているので、それにならった。
殷は商の別名だかから、古田氏がみた版本には殷高とあったのかなと思ったんだけど、
古田氏が改竄したの?
792日本@名無史さん:2012/10/21(日) 15:52:56.89
ふむ、一寸が3cm程度なら、計測した結果を、
もう少し詳しく1寸2分3厘とかしてもおかしくない。
1.5寸とかね。

でも、周脾算経では、ガンとして寸単位でしか表していない。

1寸が4mm程度だから、それ以上精度を上げられなかったのかもしれないな。

ちょっとした疑問だったが、それが理由かもね。
793日本@名無史さん:2012/10/21(日) 16:53:05.86
一寸って約3センチじゃなく、約4ミリなの?
794日本@名無史さん:2012/10/21(日) 16:56:46.06
ローガンはそう言ってる。
795日本@名無史さん:2012/10/21(日) 17:05:11.34
日本だと約3.03センチ
古代中国でも多少バラツキはあるものの
2センチ〜3センチの間だと思うけど
796日本@名無史さん:2012/10/21(日) 17:25:34.24
十寸一尺の単位系が変わらなければ、一寸千里は変わらないから、
一寸76kmを主張する人間としては、4mmでも、3cmでも、どっちでもOK。

さすがに、三寸一尺とかになると、一寸千里の根拠も変わってしまうが、
そのような可能性はまずあるまい。

ただ、4mmだと、精度を確保しにくくなるのは事実だな。
工夫次第で、精度を上げることはできるが。
797日本@名無史さん:2012/10/21(日) 21:22:34.89

「周髀算経」はやっぱりかみあわないまま、これで終りだな。

次は旅程の話題でどうだろう?
798日本@名無史さん:2012/10/21(日) 21:25:43.87
一尺=十寸は変わらないとしても、一寸4mmと3cmでは影が一寸変化する位置はかなり違うんじゃないの?
谷本氏は一寸何cmとして76kmを算出したのかね?
谷本氏が一寸とした長さは一寸千里計測時の一寸の長さと本当に同じだったのかね?
799日本@名無史さん:2012/10/21(日) 21:42:25.66
>>798
いや、棒の長さと影の長さの比率の問題だから一寸が何センチでも関係ない
800日本@名無史さん:2012/10/21(日) 21:59:00.87
だが一里が76メートルだったのなら他の単位もその分短かったはず
そうなると一寸は4ミリ程度だったと考えるのが妥当
801日本@名無史さん:2012/10/21(日) 22:04:11.03
>>799
あーそうか
確かにそうだね
これは失礼
802日本@名無史さん:2012/10/22(月) 03:09:18.12
一寸千里の法が古代の実測に基づいた古代学であり、
なおかつ高精度な測定による極めて正しい数値であったと仮定して、
そこから一里が76mであって短里だったと算出するためには、短尺や短寸があったらおかしくなってしまわないのか?
803日本@名無史さん:2012/10/22(月) 03:11:54.71
スマン、6時間ほど前に同じ問答があったばかりだったか。出直してくる。
804日本@名無史さん:2012/10/22(月) 05:27:50.95
距離という文化を持ってない国なら単位を発明する必要があるけど
既に距離という文化がちゃんと存在するのに、新たにそんな不確かな距離の単位なぞ必要とせんだろ
バカなの?
805日本@名無史さん:2012/10/22(月) 09:01:28.78
>>804
古田信者には必要なんですぅ
806日本@名無史さん:2012/10/22(月) 09:36:07.89
後漢の一里はおよそ415mと言われている
これを魏朝が76mとしたのなら必ず記録に残るはず
記録大好きな中国人がこんな大幅な度量衡の変更を無視するはずがない
807日本@名無史さん:2012/10/22(月) 09:48:42.12

いくら「短里」を否定しても、「周髀算経」の当該部分と「東夷伝」では1里76m前後という距離の認識で記述されているんだから、しょうがないじゃない。
808日本@名無史さん:2012/10/22(月) 10:07:40.78
>>807
それは古田信者がそう思っているだけでしょw
普通は無茶苦茶な距離表記だと判断するよ
809日本@名無史さん:2012/10/22(月) 10:19:40.03
>>808
「東夷伝」の距離表記は無茶苦茶?

どのあたりが?
810日本@名無史さん:2012/10/22(月) 10:22:48.03
公里400m余りを使う限りは、
倭人伝を永久に否定し続けるしかない。
811日本@名無史さん:2012/10/22(月) 10:34:15.10
>>809
無茶苦茶だと思ったから短里を開発したんだろ
何言ってんだよw

>>810
倭人伝の距離表記には誤りがある、との判断にはなるね
他の記述は他の記述で検証するだけ
812日本@名無史さん:2012/10/22(月) 10:38:16.89
>>807
まだこんなこといってるヤシがいるのか・・・

ここまでのスレを読んでないのか 理解できてないのか・・・

わかるまで読み返せ
813日本@名無史さん:2012/10/22(月) 10:43:28.96
>>812
古田信者には理解できまへん
814日本@名無史さん:2012/10/22(月) 17:43:16.89

1歩≒25.5cm
1尺≒16cm

西周
1歩≒25.5cm
1尺≒22cm

>>798
>一尺=十寸は変わらないとしても、一寸4mmと3cmでは影が一寸変化する位置はかなり違うんじゃないの?
>谷本氏は一寸何cmとして76kmを算出したのかね?
>谷本氏が一寸とした長さは一寸千里計測時の一寸の長さと本当に同じだったのかね?
>>802
>そこから一里が76mであって短里だったと算出するためには、短尺や短寸があったらおかしくなってしまわないのか?

バカの質問である
1尺=10寸であれば、谷本氏の計算は常に成立する。
815日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:01:42.67
>>783
>この状態から棒影の長さが一寸変化する地点を見つけ出すにはどうすれば良いのか?
>その方法を教えて欲しい

北緯35.1度付近の南北に百里(7.65km)離れた2地点の棒影の長さは1分異なる。
測定精度を上げるため、2地点の距離を千里(76.5km)にすると精度は10倍になる。

「1分百里の法」→精度10倍→「1寸千里の法」
816日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:09:59.22
当時百里をそんなに正確に測れるとは思えんが
817ローガン:2012/10/22(月) 18:14:26.92
>>769
>そう、だから正確に測るにはスケールアップしたほうが良い。一尺が4センチでは難しい。
>>771
>まあ、測りにくければ、測りやすいように工夫して測ればいいんじゃないかね?

そうはいかん。
周髀長八尺.夏至之日一尺六寸.髀者.股也.正者.句也.
正南千里.句一尺五寸.正北千里.句一尺七寸.
これが史料の実態。これが実測の記録だと主張するなら、スケールアップなどという史料改竄は不可。
一里が76mとの主張なら、一寸は4mm。
0.5mmの差で10km違う訳だ。 実測を主張する君等をしても疑問視せざるを得ないものだ。
ゆえ、前提に置いた実測が間違いな訳。
818日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:20:10.86
>>791
>古田氏が『古代は輝いていたT』で、「殷高」と書いているので、それにならった。
>殷は商の別名だかから、古田氏がみた版本には殷高とあったのかなと思ったんだけど、
>古田氏が改竄したの?

それが本当なら、古田氏は改竄したことになる。
「殷」は「商」の一地域の名前です。
819日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:32:55.08
>>817

計測測量ってのは、発明工夫の歴史だぜ。
工夫しなけりゃ、一里だって測れないが、それでいいのか?

まあ、工夫されたら、一生懸命考えた反論が壊れるから、
必死なのはわかるがwww
820日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:39:44.05
ついでに書いとくと、高さ30cm程度の日時計で、
精密に測れば、0.5mm単位が測れる。

4mmが一寸として、その1/8くらいは測れるんだよ。

周髀算経の単位は全部寸単位だから、十分な精度だ。
821日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:42:21.85
>>814
>商  1歩≒25.5cm  1尺≒16cm
 西周 1歩≒25.5cm  1尺≒22cm

これの根拠は?
822日本@名無史さん:2012/10/22(月) 18:54:34.05
>>820

0.5mm単位で精密に距離を測れたという実測結果がない

823日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:02:03.21
>>822

普通、そんなもんいちいち残さない
逆に他の例で、実測結果があったら示せ。

他では立派に測ってるが、周髀算経では測ってないので、
正確ではない、という議論なら乗る。
824日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:08:25.00
>>823

韓国起源説の特徴の一つ

【仮説や希望的観測に基づいた虚構が「歴史的事実」として流布されている】

中国度量衡の歴史の中国における通説を否定しているわけだから
通説と同レベルの根拠を提示してもらいたい

825日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:12:16.23

これも書いとこ

韓国起源説の特徴の一つ

「証拠がないことこそ証拠である」という論理

826日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:15:39.97
>>823
ならば
実測と見られる場合、他では計測地名が明記されているが
周髀算経には明記されていないので実測とは言えない

てことでよろしい?
827日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:20:56.21
スケールアップした例だが、現代では、日時計を二分単位で計測している例がある。
あくまでも影を読んでの話である。

先端に球をつけて、半影の中心部に、真影が少しできる程度の大きさにしておく。
ぼんやりとした大きな円影の中心部に、濃い影ができるという仕掛けだ。

そもそも18世紀くらいのグリニッジ天文台でも、日時計で分単位の計測やっていたはずである。
工夫すればそれくらいはいけるのである。
828日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:24:32.59
日時計がwikipediaにもあったが、誤差30秒だそうである。

ここまでくると、わたしでも想像を絶するものがある。
829日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:26:15.00
>>815
「その方法を教えて欲しい」
への回答が
「精度は10倍!!」
って…

こうこうこういう方法で一寸変化する地点を見つけ出した
という感じに回答してくれないとさっぱり意味が分からないよ
830ローガン:2012/10/22(月) 19:36:20.84
>>819
>必死なのはわかるがwww

あはは、君の心情の投影と受け取っておくよ。
考えてごらん。だいたい、一部の信者を除いて、誰も相手にしない短里なんてものに、
必死に反論するような奇特な人物がいる訳もなかろう。
831日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:37:00.66


Aさんが計測した300里地点だと、0.3寸違った。
Bさんが計測した700里地点だと、0.7寸違った。

「ひょっとして、千里だと、一寸変わるんじゃね?」

「来年、千里まで旅して測ったら、もっといい数値が出るんじゃないか?」
「やってみるべか」
「お前ら、昔っから、それくらいの比率で変わるのはジョーシキだべ
何千年まえからみんな旅のとき、日時計使ってると思ってんだ」


こんな程度のもんだろう。
携帯用日時計なんてのもあるそうな。






832日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:41:10.36
つーか千里で一寸て都合良すぎるよね
この時点で怪しさ満点
833日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:45:26.21
周髀算経で測定に使った長さ8尺の「表」は、先端が三角形(圭)になった棒
であった筈。
先端がとがっていると、光の回折効果によって、先端の本影は
正確な三角形にならず、或る程度の幅を持った形になるので、
0.5mm程度まで測れるとは思われない。

ついでながら土で先端を三角形に尖らせたものを「土圭」と
いう。これが「時計」の語源という説もある。
834日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:45:37.94
>>832

うん、だから、ある時期に一寸を千里と決めたと、自分は思ってるんだよ。

あと、秦の統一例の時期に、一歩6尺のような、6進法がある時期に入ってきて、
6倍修正がされたと睨んでいるのだが。

なんか、宗教的というか思想的に、6倍修正がされたような気がしてならない。
835日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:50:00.13
おもいっきり蛇足だが、

短里が公里の約1/6であるのは、周知の事実。
ついでに、日数も1/6すれば、当時の歩いての旅行の速度からして妥当。
更に、それで万二千余里の数字も合う。
ついでに、佐賀方面に抜ける道なら、地勢的にも問題なし。

と、1/6説を推しときます。
836日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:54:20.98
>>834
夏至の正午限定の距離を基準にし、一里をすっ飛ばして千里を先に規定するなんて、ちょっと現実的でないよ
837日本@名無史さん:2012/10/22(月) 19:57:34.24
>>816
>当時百里をそんなに正確に測れるとは思えんが

太陽の直径が1250里と計算している。
誤差1%以下の精度で測定する技術があったのだ。
838日本@名無史さん:2012/10/22(月) 20:00:02.57
日時計を精密に測ると、そのまま暦になるからねえ。
839日本@名無史さん:2012/10/22(月) 20:02:01.85

周代の度量衡は周代の中国人が決めたもので

通説は中国の文献、考古資料に基づいて中国の学者によって判断されている

現代の佐賀人、熊本人、都城人がスケールアップした現代の日時計と18世紀くらいのグリニッジ天文台の日時計を根拠に

どう考えるかは一切関係ない

840日本@名無史さん:2012/10/22(月) 20:04:58.03
>>822
>0.5mm単位で精密に距離を測れたという実測結果がない

君が実験すればすぐわかる。 君がアホでないのなら。
841日本@名無史さん:2012/10/22(月) 20:06:39.00

1250×76m=95km

太陽の直径=約139万2020km

どこらへんが誤差1%以下の精度で測定する技術なの?

842日本@名無史さん:2012/10/22(月) 20:13:36.11
>>840
>君が実験すればすぐわかる。 君がアホでないのなら。



数字が小さ過ぎて計測の段階で頓挫
九州説でも公里で十分
短里なんて反論の餌を与えているだけ
843日本@名無史さん:2012/10/22(月) 20:16:36.90
>>840

よく火病を発症している人だね? 佐賀県人?

844日本@名無史さん:2012/10/22(月) 21:10:28.79
>>841
後世の人間が>>837を読んで「この時代の1%は100分の1ではなかった」なんて言い出すかもねw
845奈良県人:2012/10/22(月) 21:29:27.97
>>843
>>840
>よく火病を発症している人だね? 佐賀県人?

ちゃうわ。
846日本@名無史さん:2012/10/22(月) 21:39:11.29

>>845

またわかりやすいw やはり佐賀県人かw
最近2chは隠れ朝鮮人が増えているな

847日本@名無史さん:2012/10/22(月) 21:39:50.79
朝鮮人とか佐賀県人とか話を逸らしてる段階で負けだよ。

それ以前にこういう所で、佐賀県を出さないでもらいたいなぁ

佐賀県人
848日本@名無史さん:2012/10/22(月) 21:45:01.20
>>847

話は逸らしていないよ
2chで短里を根拠にしている地域はだいたい限られている
その中で火病を発症するのが佐賀を含む地域に比定する佐賀県人
経験に基づいている

再々掲

韓国起源説の特徴
『主張の根拠は似非科学から語呂合わせや民間語源、一切根拠の無いものまで多岐にわたる』
『事実無根の起源説が別の起源説の根拠になるなど、仮説や希望的観測に基づいた虚構が「歴史的事実」として流布されている』
『日本文化に対する起源説の主張では、小中華思想と公教育に基づいた強い対日蔑視の視点で主張される事が多い』
『日本が朝鮮半島の文化・文化財をことごとく抹殺・略奪したというもので、
  「現代の朝鮮半島に存在しない文化も、日本に抹殺・略奪される前には存在したはずだ」との前提』
『「証拠がないことこそ証拠である」という論理で、文化抹殺説に反論する事は悪魔の証明となってしまうことが多い』

849日本@名無史さん:2012/10/22(月) 21:51:17.66
>>848

うわあ、真性の方でしたか。
850日本@名無史さん:2012/10/22(月) 22:06:50.60
まあ、こういう真性は時々いるな。
自己主張して、叩かれて、壊れて、大暴れした挙句、出てこなくなるパターンが多い。
851日本@名無史さん:2012/10/22(月) 22:10:48.27

>>850

2chの佐賀県人にとっては冷静に議論する日本人が異常で
火病を発症して罵声をとばすのが正常のようだね

そして説の内容は韓国起源説の特徴の特徴と見事に一致する

852日本@名無史さん:2012/10/22(月) 22:13:19.83
>>851の訂正 

そして説の内容は韓国起源説の特徴の特徴と見事に一致する →×

そして説の内容は韓国起源説の特徴と見事に一致する →○
853日本@名無史さん:2012/10/22(月) 23:10:51.74
>>818
たしか、殷王朝は自らを院と呼んだことはなく、
自称では商王朝だよな。

院という呼び名は、後代の王朝(かな?)が命名したものだったはずで、
同時代史料でもなく、子孫による呼び名でもない。

である以上、改竄と言われてもしかたがないような軽率な改変の1つってことになるわな。
こういった軽率さゆえの、三郡誌事件ってわけだ。
854日本@名無史さん:2012/10/23(火) 01:09:25.02
横からだが、半影に起因する計測誤差は、
棒の長さに比例するから、
一尺が30cmでも、4cmでも変わらないよ。

30cmなら、その分ボケるし、
4cmなら、影がくっきり映るだけ。

30cmで十分計測できるなら、
影がシャープに映る4cmでは、
同じように計測出来る。
855日本@名無史さん:2012/10/23(火) 01:33:38.41
>>854

棒の長さが短くなれば、同じように影の差の長さも短くなるからその分精度は落ちる
856日本@名無史さん:2012/10/23(火) 07:37:41.22
>>854 
確かに。

大きい8尺で記録できたのなら、
小さい8尺でも記録できると気づくべきでした。
当然ですが。
857日本@名無史さん:2012/10/23(火) 09:35:28.09
一寸も千里も切りが良すぎて実測値とは思えん
言っちゃ悪いが与太話の類いだろ
与太話が成立する距離を計算してみたら76kmになったってだけ
858日本@名無史さん:2012/10/23(火) 10:28:03.63
76kmが都合よさそうだからそこだけ切り取って採用したという与太話
859日本@名無史さん:2012/10/23(火) 19:45:20.05
実際に使ったかどうかは別の問題だが、
一寸千里の論理も、計測可能性も妥当。

周髀算経そのものを否定するのは難しい。
860日本@名無史さん:2012/10/23(火) 20:00:35.04
>>859
横からだけど、古田説は、短里が周朝の里単位で、それを魏・西晋朝が復活・使用したってこと。
だから、単に周髀算経が成立するということとは、問題が違うと思う。
861日本@名無史さん:2012/10/23(火) 20:00:49.61
>>837の間違い修正

「誤」
太陽の直径が1250里と計算している。
誤差1%以下の精度で測定する技術があったのだ。

「正」
太陽の直径が1250里と計算している。
誤差7%以下の精度で測定する技術があったのだ。

>>841
>1250×76m=95km
>太陽の直径=約139万2020km
>どこらへんが誤差1%以下の精度で測定する技術なの?
>>844
>後世の人間が>>837を読んで「この時代の1%は100分の1ではなかった」なんて言い出すかもねw

君達の計算方法のレベルには説明不能。
862日本@名無史さん:2012/10/23(火) 20:40:26.45
>>861
95kmと1400000kmの誤差が7%?
863日本@名無史さん:2012/10/23(火) 20:45:28.88
>>859
いや、一寸千里の法は一里が76mじゃないと成り立たない
でもそんな「里」の存在は確認されていない
だから一寸千里の法は正しいと言いたいならば一里=76mの「里」の存在を証明しないといけない
864日本@名無史さん:2012/10/23(火) 20:59:03.47
>>858
同意
865日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:07:47.47
>>859
その書の存在は誰も否定してないよ
度として76km=1里てのが使用されたという根拠が無いんだよ
866日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:33:29.28
周脾算経の計算や計測が出鱈目とか、
仮にも二千年以上精査されてきた文書を
敵に回した方がおられませんでしたか?
867日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:40:09.11
千年以上誰もその存在を記録していない度を存在したといい張っている人ならいます
868日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:41:36.29
>>866
中国の度量衡の歴史を敵に回すのは構わないのですか?
869日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:42:27.26
二千年以上なんて言ってのける時点で
歴史学であることを放棄しているわな
870日本@名無史さん:2012/10/23(火) 21:48:58.59
誰か>>861の言ってる事が分かる人いる?
871日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:01:23.89
>>862
>95kmと1400000kmの誤差が7%?

そうですよ。
観測点と太陽までの距離が760kmにおける95kmは、
観測点と太陽までの平均距離が15000万kmにおける140万kmと
誤差が7%以下です。
872日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:08:09.36
>>871
なんか屁理屈な気がする…
873日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:08:10.77
議論が途絶えて、罵倒合戦になり始めたんで、
そろそろ、

終了、やね
874日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:16:32.79
>>871
>観測点と太陽までの距離が760kmにおける95kmは

76m×100000=7600km

計算ミス多いね
875日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:21:29.83
>>868
>中国の度量衡の歴史を敵に回すのは構わないのですか?

中国の度量衡の歴史を敵に回すのではありません。
中国の度量衡の歴史の間違った解釈のを否定です。
876日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:29:01.07
>>875
普通に考えたら76km=約百五十里≠千里で周髀算経の方が間違ってると思うのですが
877871:2012/10/23(火) 22:29:58.94
>>874
>計算ミス多いね

計算ミスではありません。
7600kmを書き間違えて、760kmとしたものです。
878日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:30:38.85
でも、そう書いてあるのだからしかたがない。
しかも、倭人伝ではぴったり。
879日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:31:45.05
7600km÷80=95km
15000万km÷80=1875000km

実際の太陽の直径≒140万km

1875000km÷1400000km=1.339…

机上計算での誤差=約34%
880日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:34:18.02
>>878
どこがぴったり?
881878:2012/10/23(火) 22:41:12.03
>>879

式を見ると、あなたの考え方が間違っています。
882日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:42:27.90
>>881

君の誤差の計算を書いてみて
883日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:45:37.37
モデルを分けないで計算したって、
永久に正解は出ないよ。
884日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:50:18.10

「周髀算経」は平面モデルでしか説明してないよ
885日本@名無史さん:2012/10/23(火) 22:54:25.34
どういう計算か分からないけど、仮に7%だとしても都合のいい数字だけをピックアップしてるように思える
886878:2012/10/23(火) 22:58:28.78
>>882
計算式をかくのは複雑なので考え方をかきます。

@地上で見る太陽の直径のなす角度で比較します。

A太陽と地球の距離は、BC12世紀の北緯35.1度で太陽の仰角がarctan(8/6)の角度をなす時の値です。
887日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:02:03.24
>>878
>しかも、倭人伝ではぴったり。



え?三国志ではピッタリの書き間違いではないんですか?
倭人伝て確か
魏書呉書蜀書 あるうちの魏書の中で、その中に沢山ある紀と列伝。
のごく一部の、東夷伝のごく一部にあるだけの文章ですよね?
なぜそんなとこだけ切り取って書くの?倭人伝ではぴったりって
中国で使われた尺度なんだろうから、三国志が全部、その尺度ですよね?
尺度がいろいろあったら読者はまともに読めないし……
倭人伝では は、三国志では の書き間違いですよね?
888日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:02:17.58
>>886

「周髀算経」の記述を全く無視してない?
「穴の直径一寸長さ八尺の竹筒をとって太陽を見れば、その穴と太陽がほぼ一致する。」
889日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:05:34.49
計算は得意なんだろうけど読解力、文章力、論理的思考力に若干難がある様に思える
890878:2012/10/23(火) 23:12:15.76
>>888
>「穴の直径一寸長さ八尺の竹筒をとって太陽を見れば、その穴と太陽がほぼ一致する。」

だから、「@地上で見る太陽の直径のなす角度で比較します。」 なのです。

又、「A太陽と地球の距離は、BC12世紀の北緯35.1度で太陽の仰角がarctan(8/6)の角度をなす時の値です。」なのです。
   (8/6)は8万里/6万里のことです。
891日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:22:24.80
>>887
>倭人伝では は、三国志では の書き間違いですよね?

888ではないが、
書き間違いではありません。
わたしは「東夷伝では」でも良いと思います。
892日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:23:52.29
>>890

「周髀算経」では股8万里、勾6万里だから弦が10万里(観測点における太陽までの距離)で
10万里に1寸/8尺(1/80)を乗じて1250里を求めてるんだよ?
893日本@名無史さん:2012/10/23(火) 23:50:02.74
>>891
>888ではないが、書き間違いではありません。

??
では、三国志って読者は二種類以上の度を読み分けしないといけない特殊な史書だと主張している事になりますが?
もしこれが特殊ではないとのことなら他の例を教えて下さい。是非読んでみたいと思います
894日本@名無史さん:2012/10/24(水) 00:25:23.14
「古田説なら従来の学説の矛盾を説明できる!」と信者はよくのたまうのだが
古田説を主張することによって生じる新たな矛盾についてはろくに考慮しないんだよな
895日本@名無史さん:2012/10/24(水) 00:27:12.22
すくなくとも、周髀算経では、短里を使っている形跡はあれども、
公里、または公里相当の単位を使っている形跡はない。

周髀算経、あるいはその原文の書かれた時代は、
短里相当が、里として使われていたといえる。
896日本@名無史さん:2012/10/24(水) 00:37:21.46
>短里相当が、里として使われていたといえる。

「私はそう信じたい」と、根拠なく日本のごく一部の人が言い張っても
本国の中国でも世界中の研究者からも相手にされてなきゃしょうがないもんね

897日本@名無史さん:2012/10/24(水) 00:39:43.69
>>895
それは周髀算経の一寸千里の部分以外もすべて確認した上での結論でしょうか?
大体一寸千里の問答の部分についても、太陽の高さや直径は短里で計算しても間違ってます
単に「一寸千里の法」が成立する「千里」を計算したら76kmになった、というだけの話だと思います
898日本@名無史さん:2012/10/24(水) 08:23:04.06
>>897

周髀算経では、基本的に平面モデルが使われているが、
平面モデル上で、間違っている部分があれば、
指摘してください。

原文はググれば出てきますし、一部分なら、
解説も多く見つかるはずです。
899日本@名無史さん:2012/10/24(水) 09:24:54.37
>>898
いや,>>897は実際の数字と違うと云ってる
すり替えないと答えられないようだ
76だけは合うという御都合主義を笑っているだけなんだが
900日本@名無史さん:2012/10/24(水) 09:44:40.28
>>898
一寸千里の話は周髀算経の一部です
一寸千里の話以外の記述も全て読んだ上で「公里を使用した形跡は無い」との結論に達したのですか?
そうであれば例を挙げて下さい
それに一寸千里の法についても「短里」で記述されているのではなく公里で記述されていると思います
「公里だと計算が合わない」と言うかも知れませんが、計算が合わないということは一寸千里の法が間違っているという事に他ならないと思います
901日本@名無史さん:2012/10/24(水) 10:35:40.08
>>892

「即取竹,空徑一寸,長八尺,捕影而視之,空正掩日,而日應空之孔。由此觀之,率八十寸而得徑一寸」

周髀の弦長が十尺の時の測定なので、
竹筒長が十尺であると間違った思い込みで計算していました。

筒長10尺の計算では誤差は約6%ですが、
筒長8尺で計算すると誤差は約25%になります。
902日本@名無史さん:2012/10/24(水) 10:59:45.06
>>893
>もしこれが特殊ではないとのことなら他の例を教えて下さい。是非読んでみたいと思います

隋書以前に成立した史書の東夷伝

梁書と隋書の東夷部分が比較的わかりやすい。
周書は北史のコピーなので対象外。
903日本@名無史さん:2012/10/24(水) 11:12:59.55
随書も適当だろ
琉球伝とか
当時国なぞ成立してないのにあたかもあったようにしてるし
904日本@名無史さん:2012/10/24(水) 11:23:39.28
>>903
隋のころには流求國はあっただろ、いくらなんでも。

国という言葉を現代風に解釈したらだめだろ?
905日本@名無史さん:2012/10/24(水) 11:39:45.85
>>903
6世紀の西南諸島は無人島だったとでも言うのかね。
人々が住んでいれば社会がある。それが国だ。

隋が琉球で捕虜にしたのは、言葉を話す類人猿とでも言うのかね。
906日本@名無史さん:2012/10/24(水) 11:45:29.07
ないない
社会が出来れば国になると思ってるのか?
バカなんじゃね

それに琉球伝は対象はあくまで国だ
故に適当書いてると言ってんの
907日本@名無史さん:2012/10/24(水) 11:49:39.92
千戸で1つの小国なら、琉球は大国だと思うが。
908日本@名無史さん:2012/10/24(水) 12:05:15.57
国が成立してないのにどういう大国なんだ?
琉球っていつ頃国が成立したと思ってんの?
色々人によって違いはあるだろうが、どう遡っても11世紀、9世紀なんて人はまずいないんじゃね
隋は約580年〜620年
どうやっても重ならないの


それとも何か隋は11世紀まで続いていたっていいたのか?
909日本@名無史さん:2012/10/24(水) 12:56:16.90
しかし、何でそんなに年表とか地理とか嫌うの?
ボクの邪馬台国に都合がいいかどうか意外は興味無し?

でないと短里なぞ信じられんのか
910ローガン:2012/10/24(水) 15:40:21.62
>>902
ご丁寧にありがとうござります。では三国志
「夫餘在長城之北,去玄菟千里,南與高句麗,東與婁,西與鮮卑接,北有弱水,方可二千里」
「高句麗在遼東之東千里,南與朝鮮、貊,東與沃沮,北與夫餘接。都於丸都之下,方可二千里,」
ええと 高句麗は遼東の東76kmにあり、方は一辺152km その北に接する夫余の方は、同じく一辺152km。
直線距離で考えても、夫余の真ん中あたりを長春ぐらいとせざるを得ず
そんなに狭いエリアと捉えると、アムール川までの距離が遠すぎ、「北有弱水」が意味の無い文になりますね。
松花江よりも南なんだから。
911日本@名無史さん:2012/10/24(水) 15:53:45.35
>>906
君の考えてる国の概念てどんなもの?
912日本@名無史さん:2012/10/24(水) 16:07:40.67
>>909
オレは短里なんか信じてないが、隋の時代にも沖縄に人は住んでいたんだから、
そこが隋に流求国と呼ばれたとしても、おかしくはないと思うよ。
それは、後世のいわゆる琉球国じゃないという意味で、君の言うことも正しいと思う。
その前身かもしれないし、別物かもしれない。
ただ、裸国や黒歯国より、よほど信憑性が高いと思う。
913日本@名無史さん:2012/10/24(水) 16:11:42.09
>>910

「弱水」はアムール川本流の南側のアムール川支流の「松花江」です。
914日本@名無史さん:2012/10/24(水) 16:25:50.96
>>912
>ただ、裸国や黒歯国より、よほど信憑性が高いと思う。

裸国と黒歯国は相模と武蔵です。
裸國は相模と武蔵、黒歯國は房総と常陸とも考えられます。
915ローガン:2012/10/24(水) 16:26:00.89
>>913
で、王朝さん、これも短里?
「東卻夫餘,西烏孫,盡據匈奴故地,東西萬二千餘里,南北七千餘里,」引用魏書
916日本@名無史さん:2012/10/24(水) 16:36:52.59
>>915
>「東卻夫餘,西烏孫,盡據匈奴故地,東西萬二千餘里,南北七千餘里,」引用魏書

上記文は何の何処に書かれているのですか?
原文を読んでからお返事します。
917ローガン:2012/10/24(水) 16:44:13.29
三国志鮮卑伝引用魏書です
918日本@名無史さん:2012/10/24(水) 17:49:09.79
>>912
単純に交渉事って最低2人いないと始まらない
この場合は国対国と隋書は書いてる
しかし、6世紀前後の琉球には国はない。
(くだらないから人が住んでれば国だとかアホな事は言わないで)
6世紀頃の琉球は漁獲採集や貿易をして暮らしていたけど、支配層はまだ居ない
支配層が生まれるのは稲作を本格的にやり始める11世紀頃
もう少し前から社会は発達しだしてるとは思うけど。それでも500年は遡らない

支配層が居ないのに誰を代表として従えとか朝貢しろって言えるの?
略奪はあったかもしれんよ。それは否定しない
只、交渉は無理。相手がいない
それをあたかも交渉相手がいた様に書いてるのが不自然過ぎなんだよ
919日本@名無史さん:2012/10/24(水) 19:05:25.30
>>918
>6世紀頃の琉球は漁獲採集や貿易をして暮らしていたけど、支配層はまだ居ない

根拠は?
それから、支配層ってなんだと思ってる?

氏族社会でも「族長」はいるし、部族まで拡大していればなおさら。

農耕等の経済基盤とは関係なく共同体内に序列があって「首長」がいるのは、文化人類学の本でも読めばすぐわかる。
当然、対外的な決定を下すのも「首長」だ。

まさか、漂流してきたロビンソンクルーソーの後裔みたいな人達の親戚、数家族だけだったなんてことはないんじゃないか?
920日本@名無史さん:2012/10/24(水) 19:20:12.61
>>919
頭でっかちになるのはいいけど
少しはWEBなりで調べても分ることだろ

まぁー仮にその首長でもいいや
その首長が朝貢出来そうか?
中国からわざわざやってきて、中国までとても来られなそうな少数グループの首長と
約束を交わして意味あんのか?
貿易やってるから来れるかな?多分逃げそうだな
まぁー仮に来たとして、それで中国の皇帝は満足できそうか?

随書に載ってるのはあくまで国だ
921日本@名無史さん:2012/10/24(水) 19:46:21.99
>>915 to ローガン

取りあえの回答。

>「東卻夫餘,西烏孫,盡據匈奴故地,東西萬二千餘里,南北七千餘里,」

「南鈔漢邊 北拒丁令 東卻夫餘 西擊烏孫 盡據匈奴故地,
 東西萬二千餘里 南北七千餘里 罔羅山川 水澤 鹽池甚廣」

先ずあなたの引用部分が短すぎ。又「擊」が抜けている。

「東西萬二千餘里 南北七千餘里」は、
東西7000里(500km)南北12000里(900km)で
南北に縦長の地域です。

もう少し裏づけ検討が必要ですので、時間が必要です。
922日本@名無史さん:2012/10/24(水) 19:58:36.81
>>920
>その首長が朝貢出来そうか?

流求は朝貢していないが流求國として扱われている。

流求は隋に抵抗したが戦いに破れ、数千人が捕虜となっている。
これは、流求を国とみなしている証拠だ。
923日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:01:48.36
まーね、万二千里を公里で換算すると5000キロ、
どこから始まるか知らんけど、中東まで行っちゃうね。

現在の中華人民共和国にモンゴルを足したより、
少し大きい程度かな。
924日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:04:50.10
>>920
たとえば倭人伝で元百余国とあるのは有名だ。
比定に異論の少ない対馬を今と変わらない大きさだとすれば、あの大きさでも「国」だ。

それに、朝貢したというより、数千人が隋の捕虜となったからしかたなく奴隷を差し出した、と考えるのが普通だろう。

7世紀以降10世紀まで複数の史書にも「流求国」とあるようだ。
925日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:07:39.98
>>922
話が通じてないんだな

国がないのに国っていってのるのがそもそもおかしいんだよ
略奪すれば人は捕らえらるだろ
もっとも数千人を船で連行したってのは眉唾くさいが
きみ、もしかして中国の史書には全く間違いはないと思ってるの?
時折いるよな、当時の先進国だから間違いはないとか言ってるアホが
926日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:08:10.68
ちょっと脱線してるよね
程々にしましょう
927日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:16:47.39
まあ言えることは、>>925よりは
唐代宮廷の高官・知識人(=隋書の編纂者)の方が
信用できるてことだな
928日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:23:44.40
>>926
隋書の信憑性を考えるのは全然脱線じゃないだろ?
929日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:25:28.30
古田スレでそこまで関連ある?
930日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:27:21.02
>>929
隋書タイ國(倭國?)伝は大きな論点。
931日本@名無史さん:2012/10/24(水) 20:45:24.24
>>907,919
律令期の越中国で2千戸なんだぞ
千戸ってのは、その半分にも達する規模だ。

考古学的には、琉球で人口が増えたのは、本土でいう平安末期頃。
それまでは、住人の存在を確認すること自体が難しくなるほどの人口密度(無人ではない)でしかない。

人口が増え出した頃にも、住民の大半が九州からの移住者であって現従者/先住者は少数派だったようだ。
それからまもなく、琉球各地に小国が成立した模様。

逆に言えば、隋書の時代に琉球に国家があったとは考えがたいってことだ。

もし隋王朝当時の琉球島から何千人もの住民が連れ去られたら、ほぼ無人の荒野になってしまう程度の人口密度だよ。
932ローガン:2012/10/24(水) 21:09:00.30
>>921
ごめんなさい。携帯なので… ではこれでよろしいか?
兵馬甚盛、南鈔漢邊、北拒丁令、東卻夫餘、西撃烏孫、盡據匈奴故地、東西萬二千餘里、南北七千餘里、罔羅山川,水澤,鹽池甚廣。
漢患之、桓帝時使匈奴中郎將張奐征之、不克。乃更遣使者齎印綬、即封檀石槐爲王、欲與和親。檀石槐拒不肯受、寇鈔滋甚。乃分其地爲中東西三部。
從右北平以東至遼、東接夫餘,〔[シ歳]〕貊爲東部、二十餘邑、其大人曰彌加,闕機,素利,槐頭。從右北平以西至上谷爲中部、十餘邑、其大人曰柯最,闕居,慕容等、爲大帥。
從上谷以西至燉煌、西接烏孫爲西部、二十餘邑、其大人曰置[革建]落羅,日律推演,宴茘游等、皆爲大帥、而制屬檀石槐。

それともう一つ
>>913
>「弱水」はアムール川本流の南側のアムール川支流の「松花江」です。

『晋書』粛慎伝「 肅慎氏一名ユウ婁、在不咸山北、去夫餘可六十日行。東濱大海、西接寇漫汗國、北極弱水。」
不咸山は、山海経大荒北経に「大荒之中有山、名曰不咸、有粛慎氏之国」とあり
長白山なら松花江の水源。ユウ婁はその北で尚且つ
三国志魏書「ユウ婁在夫餘東北千餘里、濱大海、南與北沃沮接、未知其北所極。」
夫餘の東北千餘里なんだから、ユウ婁の西側を北に流れる松花江は「北極弱水」には該当しない。

これも検討して下さいね。
933日本@名無史さん:2012/10/24(水) 22:02:47.46
>>931
考古学的には7世紀から9世紀にかけて中国との交易(貝など装飾品の材料)が盛んになったようだ。
それ以前は日本との交易が古くから盛んだったようなので、隋書の記述もあながち無視できない。
交易があるということは、それなりの人口があるということでもある。

>>924にも書いたが、このころの「国」という概念は今とは違う。
対馬も「国」として認識されている。
流求は対馬の3倍の面積だ。

地理的条件からも時代的にも単純に比較はできないにしても、現在の人口(140万人と3万4千人)比だと数十倍。

対馬を国とするのだから、流求(島嶼)をひとつの国として認識するのは当然だ。

現代の「国」概念を、昔の「国」の概念に当てはめても意味がない。
934日本@名無史さん:2012/10/24(水) 23:10:30.70
>>932
>ユウ婁の西側を北に流れる松花江は「北極弱水」には該当しない。

同意。
しかし、長春の北側を北西に流れる松花江は、扶余の北の弱水です。
又、反転して東へ流れる松花江が挹婁の「北極弱水」です。
935日本@名無史さん:2012/10/25(木) 01:16:56.13
>>921
>「東西萬二千餘里 南北七千餘里」は
>東西7000里(500km)南北12000里(900km)で
>南北に縦長の地域です。

横からだけど、東西と南北の距離を取り違えてるよ。
東西が12000里で南北が7000里の横長の地域。
936日本@名無史さん:2012/10/25(木) 08:09:52.29
>>935
東西と南北の距離を取り違えていません。

「東西萬二千餘里 南北七千餘里」は
東西7000里(500km)南北12000里(900km)で
南北に縦長の地域です。

間違えていません。
937日本@名無史さん:2012/10/25(木) 09:08:48.91
普通そんな書き方しないだろ
938日本@名無史さん:2012/10/25(木) 10:04:23.34
>>937
>普通そんな書き方しないだろ

省略部分を加えると以下の文になります。

「東西(境長)萬二千餘里 南北(境長)七千餘里」

7世紀以降現代までの表現方法をとると、
「東西(境間)萬二千餘里 南北(境間)七千餘里」

わかりやすい例では隋書百済伝の耽牟羅國(済州島)にみることができます。
「其南海行三月 有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里」
済州島は東西に長い横長の島です。
其::百済
耽牟羅國::原文は「[身冉]牟羅國」
海行三月=三月行≒250km(1月行≒80km)
939日本@名無史さん:2012/10/25(木) 12:28:37.30
よーするに自分の都合によいように原文歪曲
940日本@名無史さん:2012/10/25(木) 13:04:05.67
>>938
そういう表記は一般的なのか?
941日本@名無史さん:2012/10/25(木) 13:15:27.01
一般的とか関係ない。ボクの邪馬台国に都合よければOK
942日本@名無史さん:2012/10/25(木) 13:35:35.86
隋書/百濟
「其國東西四百五十里,南北九百餘里,南接新羅,北拒高麗。其都曰居拔城。」

百濟は縦長の国

「其南海行三月,有耽牟羅國,南北千餘里,東西數百里,土多獐鹿,附庸於百濟。」

「平陳之歲,有一戰船漂至海東耽牟羅國,其船得還,經于百濟」

耽牟羅国(済州島)には漂着し、船を得て還っただけなので島全体の形がわからなかったのでしょう
東西距離不明、記述は鹿のみ


隋書/ 地理上
「東西九千三百里,南北萬四千八百一十五里,東南皆至於海,西至且末,北至五原,隋氏之盛,極於此也。」

隋書/ 高麗
「其國東西二千里,南北千餘里。都於平壤城,亦曰長安城,東西六里,隨山屈曲,南臨浿水。」

隋書/婆利
「自交阯浮海,南過赤土、丹丹,乃至其國。國界東西四月行,南北四十五日行。王姓剎利邪伽」

隋書/吐谷渾
「自西平臨羌城以西,且末以東,祁連以南,雪山以北,東西四千里,南北二千里,皆為隋有。」

隋書/高昌
「去敦煌十三日行。其境東西三百里,南北五百里,四面多大山。」

参考
http://zh.wikipedia.org/wiki/File:China_Sui_with_around_county.png
http://zh.wikipedia.org/wiki/File:IndonesiaBali.png
943ローガン:2012/10/25(木) 16:09:28.03
>>934
>反転して東へ流れる松花江が 婁の「北極弱水」です。

いいや。王キの遠征時では、日本海に沿うている事はわかっても、北の端がわからない。
晋書になって、日本海に沿ってあるユウ婁の北の端が「川」であることがわかっている。
沿海の終点が川なので、河口の無い松花江は対象外。アムール川が常識的な解釈。

>>921
>「東西萬二千餘里 南北七千餘里」は、東西7000里(500km)南北12000里(900km)で南北に縦長の地域です。

東西12000里まで勢力を伸ばした檀石カイの領土は
東方は夫余に接する辺りから、西方は敦煌の西の烏孫に接する辺りまで。
貴方の云うような東西500kmじゃ 直線距離でも長春から北京の北、辺りまでしか行けない。
敦煌は遠い。
944日本@名無史さん:2012/10/25(木) 16:26:37.23
>>942
例に挙げた全部が「東西境長○○里 東西境長□□里」の例になります。
945日本@名無史さん:2012/10/25(木) 17:01:15.13
扶余に接するってことは、高句麗もしくは百済あたりに相当する地域に近接してるってことだな。
遼東か遼西の近辺が東端ってことか。

そこから、烏孫に接する辺り、敦煌周辺までの距離が500kmとか700kmとかなはずはないなあ。
何千キロあるんだよ。
946日本@名無史さん:2012/10/25(木) 19:31:50.98
>>944の書き間違い修正

>>942
例に挙げた全部が「東西境長○○里 南北境長□□里」の例になります。
947日本@名無史さん:2012/10/25(木) 19:37:54.93
ん〜
無いな
948日本@名無史さん:2012/10/25(木) 19:50:51.50
今の議論に古田真理教の真髄が現われていると思う

史料を信じるという前提に立った結果がこれで
行き着く先が東日流全面肯定なのは周知の事実

史料の記述が意図的であるかそうでないかに関わらず
事実と異なっていた場合に古田のスタンスだとどうなるか?
人並みの知能を持っていれば理解できるはずさ
949日本@名無史さん:2012/10/25(木) 19:59:21.05
>>943
>晋書になって、日本海に沿ってあるユウ婁の北の端が「川」であることがわかっている。
>沿海の終点が川なので、河口の無い松花江は対象外。アムール川が常識的な解釈。

意味不明。
松花江は南側のアムール川だよ。北側のアムール川が本流。
950日本@名無史さん:2012/10/25(木) 21:11:48.80
>>948
なるほど
史料の記述と現実との間の齟齬をなんとかするために生み出されたのが短里であり珍読ってことだな
951日本@名無史さん:2012/10/25(木) 21:17:38.90
珍読はともかく、現実の公理では説明できないから、
短里が生まれたのは間違いではない。

952日本@名無史さん:2012/10/25(木) 21:22:15.41
>>946

君が「境長」を挿入してるように、>>942の中で東西、南北が境界の距離として読まないと矛盾するものを
証明してくれるといいよ
「耽牟羅國」については東西の距離が不明なので除外して
君は「7世紀以降現代までの表現方法」ということだから、6世紀までと東西、南北が同じ書き方だったら
読む側は皆6世紀までと同じ読み方するはずだからね

953日本@名無史さん:2012/10/25(木) 21:25:32.14
実際のところ、隋書百済伝の済州島のように、
明らかに縦横が逆の例があるが、どういう経緯なんだろな。

境界の表現というのも、一つの案ではあるが、
個人的には余り納得行かない。
954日本@名無史さん:2012/10/25(木) 21:32:48.25
済州島の場合の「東西數百里」は九百餘里でも「數百里」だからね
距離がわからかったとしかいえないから、縦横が逆の例にはならないね

955日本@名無史さん:2012/10/25(木) 22:27:17.64
>>952
>君は「7世紀以降現代までの表現方法」ということだから、
>6世紀までと東西、南北が同じ書き方だったら
>読む側は皆6世紀までと同じ読み方するはずだからね

意味不明


>>943
鮮卑問題についてはお待ちください。
956日本@名無史さん:2012/10/25(木) 22:34:32.39
>>955

証明もできないなら、ただの珍読だよ

957日本@名無史さん:2012/10/25(木) 22:43:14.14
「東西境長○○里 南北境長□□里」の他例
 俀國の範囲

隋書俀國伝
「俀國在百濟 新羅東南 水陸三千里 於大海之中依山島而居」
「其國境東西五月行 南北三月行 各至於海」

「其國境長東西五月行 境長南北三月行 各至於海」
 (五月行≒400km、三月行≒250km、1月行≒80km)

対馬〜大隅の距離は約400km、五島〜豊後水道の距離は約250km
958日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:00:25.76
>>957

仮説を前提にした俀國伝の解釈を例に出してもだめだよ
そのために隋書の俀國伝以外の記述内容を検証するわけだからね

959日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:26:24.45
>>951
いや、短里を強弁すればするほど珍読しかない。
ただそれだけ
これが周髀から続く今のスレの有り様
短里が市民権を得られないは当たり前
ただ変な奴の跋扈する他の邪馬台国スレよりは幾分マシ
960日本@名無史さん:2012/10/25(木) 23:37:47.29
>>948
・史料を信じる、という古田の手法では史料の間違いを指摘することができない
・史料の記述に一致する「現実」を生み出す必要にせまられる
これじゃ史実にはたどり着けない罠
961日本@名無史さん:2012/10/26(金) 00:38:37.29
日本の邪馬台国の比定地論争だけではすまないことを平然と言うからね
アジアの歴史全体に関わることを

962日本@名無史さん:2012/10/26(金) 00:45:14.77
>>957
>「其國境東西五月行 南北三月行 各至於海」

東西に伸びる国境の長さが五月行、南北に伸びる国境の長さが三月行という意味で、
東と西の国境の長さがそれぞれ五月行云々という意味じゃない。
963日本@名無史さん:2012/10/26(金) 03:11:41.75
ボクの素直読み最強だなwww
964日本@名無史さん:2012/10/26(金) 10:26:13.16
「其國境東西五月行 南北三月行 各至於海」

其の国の東と西にあるそれぞれの国境の長さが五月行であり、
南と北にあるそれぞれの国境の長さが三月行であって、
それぞれの国境の先は海である、
という意味で、
東の国境と西の国境の間隔が五月行である云々という意味じゃない。
965日本@名無史さん:2012/10/26(金) 12:55:00.70
>>957
>東西境長○○里

>其國境東西五月行

境と東西の語順が違うよ。
語順が違うと意味が違うから、
「其國境東西五月行 南北三月行 各至於海」は、
「東西境長○○里 南北境長□□里」の他例にはならないよ。

きちんと訳すと、
「東西の境の長さは○○里」
「その国境は東西に五月行」
で全然意味が違う。
966日本@名無史さん:2012/10/26(金) 15:54:29.27
>>965
>全然意味が違う。
語順が異なっても意味は同じ

@「其國 境(長)東西五月行 (境長)南北三月行 各至於海」

A「其國 東西(境長)五月行 南北(境長)三月行 各至於海」

@とAは意味は同じ。

文節の区切り方を間違えたため、
日本語への訳し方が違うものになってしまっている。
967日本@名無史さん:2012/10/26(金) 18:31:22.79
方角も自由自在に解釈出来ますね〜
968日本@名無史さん:2012/10/26(金) 18:39:10.07
>>967
「邪馬台国」近畿説はそうしないと成り立たないから。
969日本@名無史さん:2012/10/26(金) 19:22:29.70
珍読という点では古田信者も大和信者も同じだねっ
970日本@名無史さん:2012/10/26(金) 19:23:39.84
ボクの素直読みに都合がいいかどうかが全てだからな
しゃーないよ
971日本@名無史さん:2012/10/26(金) 19:49:35.12
素直読みじゃなくてかなりのアクロバット読みだと思うが
972日本@名無史さん:2012/10/26(金) 20:01:07.34
>>966
>語順が異なっても意味は同じ

漢文の語法を根本から否定してるね。

国境を切って、「其国 境長東西」としてみても、
また、「>東西境長○○里」の頭に「其国」をくっつけてみても、
「境(長)東西」と「東西(境長)」が語順が違う限り、同じ意味にはならない。
なぜかというと、どちらも「境長」が主語で、「東西」が、主語の前に来ると形容詞、
主語の後にくると副詞。同じになるわけがない。

@「其國 境(長)東西五月行 (境長)南北三月行 各至於海」
その国 境長は東西に五月行、南北に三月行、おのおの海に至る。

A「其國 東西(境長)五月行 南北(境長)三月行 各至於海」
その国 東西の境長は五月行、南北は三月行、おのおの海に至る。

全然ちがう。
973日本@名無史さん:2012/10/26(金) 20:20:01.90
>>969
古田信者なんかと一緒にされたくねえ
974日本@名無史さん:2012/10/26(金) 20:43:23.02
>>973
それはたぶん、お互い様、だろう。
975日本@名無史さん:2012/10/26(金) 20:58:15.50
>>972
>主語の後にくると副詞。同じになるわけがない。

意味は同じ

@「其國 境(長)東西五月行 (境長)南北三月行 各至於海」
「東西」と「南北」が副詞になる為には動詞の省略がある。

省略された動詞を補足すると、下記の文になる。
@「其國 境長(在於)東西五月行 境長(在於)南北三月行 各至於海」
その国 東西にある境長は五月行、南北にある境長は三月行、おのおの海に至る。
976日本@名無史さん:2012/10/26(金) 21:02:32.76
>>974
   
私も畿内信奉者なんかと一緒にされたくない
977日本@名無史さん:2012/10/26(金) 21:03:50.16
ないない
978日本@名無史さん:2012/10/26(金) 21:21:31.38
どんどん書き加えていってるよwww
979日本@名無史さん:2012/10/26(金) 21:26:59.99
ボクの素直読みですから
そのほうが都合が良いとなれば何でも付け足します
何なら10行くらい付け足しましょうか?
980日本@名無史さん:2012/10/26(金) 21:32:55.98
>>975

「境長(在於)東西」だったら、「境の長さが東西にある」で文になってないよ。
在於を補うんなら、境の後に「長」は補えない。
981日本@名無史さん:2012/10/26(金) 23:22:21.48
>>980
>在於を補うんなら、境の後に「長」は補えない。

何故?
「境長」で一つの言葉だよ。
日本語で考えてはだめよ。
「境長」は「境をなす線分」の意味で使ったのだけれど、
もっと適切な言葉あればそれに変えます。
982日本@名無史さん:2012/10/26(金) 23:27:42.46
「境長」なんて言葉ホントにあんの?
983日本@名無史さん:2012/10/26(金) 23:47:34.34
中国のデータベースで「其國境東西○○行南北○○行」「其國境東西○○里南北○○里」を
「其國,境東西○○行,南北○○行」「其國,境東西○○里,南北○○里」
みたいに「國」と「境」の間で区切ってるのとか見たことないんだがw

984日本@名無史さん:2012/10/27(土) 10:19:40.90
「長」に「境長」の使い方はないな。

「長」の用法にあわせた文にすると

@「其國 境東西五月行 南北三月行 各至於海」
 は、
@'「其國 境東西(長)五月行 (境)南北(長)三月行 各至於海」
 の省略形になる。

参考に現在の表現方法では、
@「其國 境東西(間)五月行 (境)南北(間)三月行 各至於海」
 の省略形になる。

以上に修正。
985日本@名無史さん:2012/10/27(土) 11:03:53.17
史料にも間違いがあるって認めればいいだけなのに
986日本@名無史さん:2012/10/27(土) 11:35:15.62
>>985
>史料にも間違いがあるって認めればいいだけなのに

同じ様な間違いが何度も繰り返されると考えるのは誤りだ。

「其南海行三月 有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里」隋書百済伝(済州島)
 は、
「其南海行三月 有耽牟羅國 (境)南北(長)千餘里 (境)東西(長)數百里」
 の省略形になる。

「其南海行三月 有耽牟羅國 (境)南北(間)千餘里 (境)東西(間)數百里」
の省略形と考えると、済州島は南北に長い縦長の島になってしまう。
987日本@名無史さん:2012/10/27(土) 15:06:02.22
ないない
988日本@名無史さん:2012/10/27(土) 15:40:29.54
横だし、中国語の解釈はできないので一般的なことでちょっと気になることを。

中国語は英語と同じように語順で意味を表している。
語順の変更はできないことが前提。

原資料には間違いがないとは言えないだろうが、編纂者は当時第1級の知識人たちであることは間違いない。
それも一人ではなく、複数の人の手によるものと考えるのが当然だろう。

写本にしても写した人は下級の役人や職人であったとしても、読むのは一流の知識人。
大きな間違いは指摘されて修正されていくだろう。

それでも修正前の写本が残されているだけだったり、時代的な制約で間違えているものも当然あるだろう。
だからと言って、東西、南北、近隣国の大きさ、のような極めて重要で知識人なら誰にでもわかるようなことを間違えた写本だけが残るというのも考えにくい。

史料の間違いはあるかもしれないが、それは一時留保して、基本的には正しいものとして、どこまで検討できるかという態度がとられてしかるべきだろう。
989日本@名無史さん:2012/10/27(土) 15:43:49.15
>済州島は南北に長い縦長の島になってしまう。

済州島の形に合わせるために、漢文の語法の教科書を全部書き換えろということになるね。
990日本@名無史さん:2012/10/27(土) 15:52:18.98
>>988
>史料の間違いはあるかもしれないが、それは一時留保して、基本的には正しいものとして、
>どこまで検討できるかという態度がとられてしかるべきだろう。

基本的に正しいものとするために、文法を変更するっていうのは、正しい態度とは言えないでしょう。
史書の正誤・信憑性より、言語の語法・文法は優先するよ。
991日本@名無史さん:2012/10/27(土) 17:04:57.98
その時代最高の知識人であっても所詮はその時代における知識体系の中でのこと

それに、史書を編纂するのは学者であってもその基となる史料の作成者がそうであるとは限らない
史料にいかに誤った情報が記述されているかということは、
実際に史料を分析したことのある者なら誰でも知っている
992日本@名無史さん:2012/10/27(土) 17:24:55.68
元の情報が誤ってたらどうしようもないだろうに
どんな天才でも無理だよ
993日本@名無史さん:2012/10/27(土) 17:52:30.29
結論出たようだし次スレ居る?
994日本@名無史さん:2012/10/27(土) 18:03:43.96
>>990
「語順の変更はできないことが前提」というのはそのつもりで書いたんだが。

>>991
知識人というのは上級官僚を当然含むし、むしろほとんどがそうだろう。
地方官に任ぜられたり視察団に随行することも当然ある。

史料の編纂は大半がそうした人達の手によると思うんだが。
995日本@名無史さん:2012/10/27(土) 18:22:47.74
現に記述に誤りがあるのだから何言っても仕方ない
996日本@名無史さん:2012/10/27(土) 18:53:35.54
   
現に記述に誤りがあると思っているだけ。
   
誤りであるとするなら、それが誤りであることを証明しなければならない。
997日本@名無史さん:2012/10/27(土) 19:16:13.82
次スレたてました

古田史学および古田武彦について語るスレ6
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1351332875/
998日本@名無史さん:2012/10/27(土) 19:39:37.20
>>997
999日本@名無史さん:2012/10/27(土) 19:48:28.39
埋めます
1000日本@名無史さん:2012/10/27(土) 19:49:15.93
1000なら短里厨脱糞
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。