古田史学および古田武彦について語るスレ(4)

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
 国家「公認」の、いわゆる「日本の歴史」が世界の「人間の目」の中で
消滅する日は、意外にも、遠い将来ではないのかも知れないのである。
 −Tokyo古田会News 2011年9月

 と、古田武彦は言っている。自説が定説になる日が近いということを言
ってるんだよね。

2日本@名無史さん:2011/12/25(日) 07:57:26.42
東北文明の理解者。
国粋主義や反日思想を排し客観的な資料を基に日本史を再構築した学者。
3サガミハラハラ:2011/12/25(日) 08:33:45.52
最初の三部作のころは、わたしもそう思ったことが有りました。
遠い昔のお話です。
4日本@名無史さん:2011/12/25(日) 09:44:23.54
アミノ酸も「日本」の歴史の解体を試みてたね。
5日本@名無史さん:2011/12/25(日) 10:20:48.97
>>1
>意外にも、遠い将来ではないのかも知れない

こんなもん、何も言ってないのと同じ。
6日本@名無史さん:2011/12/25(日) 10:54:46.13
総相 川端達夫 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟
法相 平岡秀夫 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟
文科相 中川正春 在日韓国人法的地位向上議員連盟
厚労相 小宮山洋子 帰化人。 在日韓国人法的地位向上議員連盟 自身の選挙区の太平建設と談合
国家戦略相 古川元久 パチンコ協会政治アドバイザー 

韓国人から賄賂を貰っている野田
韓国人の集いに参加している野田
野田は日本人じゃないだろ
7日本@名無史さん:2011/12/25(日) 22:08:39.00
もはやカルト
8日本@名無史さん:2012/01/03(火) 10:21:38.43
真実の古代史
9日本@名無史さん:2012/01/04(水) 21:26:38.74
私立図書館に古田先生の本いっぱいあるよ。安本の本より多いよ。
10日本@名無史さん:2012/01/04(水) 21:57:28.80
日本史の革命児>>>>>>安美典
11日本@名無史さん:2012/01/05(木) 06:29:39.78
んだな。ツガルなんとかに関わるまではけっこうはまってた。
あれで凡てのトンデモがあきらかになった。

今では、親鸞研究以外は評価してない。
12日本@名無史さん:2012/01/05(木) 06:52:14.18
親鸞研究は大丈夫か?
13日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:37:35.68
不思議な記事。
古田史学の会の新年賀詞交換会が古田武彦を招いて2012/01/14に行われる
と予告が出ていた。

ところが、下記のように賀詞交換会前の世話人会の報告だけされていて、
肝心の賀詞交換会の報告がない。古田は講演しなかったのか?

>古賀達也の洛中洛外日記
>第374話 2012/01/14

>全国世話人会を開催
>今日の新年賀詞交換会に先だって、午前中に「古田史学の会」全国世話人会
>を開催しました。
14日本@名無史さん:2012/01/23(月) 21:44:40.48
まあ、好太王碑の改竄説をブッこわしたことだけは評価できるんじゃねーの
15日本@名無史さん:2012/01/24(火) 01:13:50.01
九州年号や九州王朝は面白い。
16日本@名無史さん:2012/01/24(火) 06:39:11.07
>
好太王碑の改竄説をブッこわしたことだけは

あと、神話は創作やデッチあげではなく、
次の政権が自己正当化のために、みんなの知っている話を潤色した
つうのは大したものだと思う。

この先生に限らないけど、
自分の意見を修正しようとしない人多い。
百パー認める信者以外は全部敵と言うか。

はじめ安本氏とも同じ九州論者だったはず。
17日本@名無史さん:2012/01/24(火) 22:41:45.63
>>16
あのケンカ別れは大きかったよね。
あれがなければ大きなグループだったのに。

論争の仕方が激越すぎるのはあると思うよ。
だから、マスコミ受けは良くても職業学者にはあまりいい顔されない。

尤も、学問って言うのは本来そうあるべきなんだけどね。
安本氏の方もちょっと度量が狭すぎだし。

業績としてはやはり
古田>>>>>>>安本
なのは疑いない。
古田は、体系的でありながら、弁証法的構造を持っているから、個々の
仮説が独立して評価できる。一部で全部が崩壊しない。だから、十三湊
での脱線にも、影響を受けてない部分がほとんど。
安本氏は、どうしようもなく古臭い古代史学に近代科学的手法を数々取り
入れた事、古田に劣らず数々の合理的かつ大胆な仮説を提示した事は
評価されてしかるべきだが、文献史学面の弱さ、肝心の東遷説自体の弱さ
が弱点。正直逃げてる気がする。
18日本@名無史さん:2012/01/25(水) 06:34:53.82
安本は学者として扱われてるけど、
古田氏はオカルトライター扱いだ。

論文に古田のフの字でもでたら、
アウトってレベルだぞ。
19日本@名無史さん:2012/01/25(水) 07:14:24.97
>>18
学会がそんな」対応を続けているうちは、まともな科学者の集まりとは
認めてもらいないだろうね

理系に批判的な人が多いのは、やっぱり非科学性や危弁が多いって
いう点だし
20日本@名無史さん:2012/01/25(水) 10:14:06.97
ミネルヴァ書房『「九州年号」の研究』古田史学の会編というのが出たが、
所収されているのは彼らの会報に既出の短文(書き手の大半は古賀達也)ば
かりで、しかも古田の序文は一昨年に書かれている。

こんな使い古しの寄せ集めをミネルヴァが出すとは(o・・o)
21日本@名無史さん:2012/01/25(水) 10:44:47.56
ミネルヴァの古代史本は、誤植が大杉で読む気になれん
22日本@名無史さん:2012/01/25(水) 22:42:23.16
フルタ武彦、八切止夫、鹿島昇。

このあたりは踏むとおしまいになる。
23卑弥呼の都は久留米:2012/01/26(木) 15:33:31.91
  
古田武彦氏を踏むと討ち死になる。

だから古田武彦を相手にしない。無視し続ける。
24稗箕狐:2012/01/26(木) 17:45:32.53
クシふるたけのひととはかってにごがくゆうのつもりでし
25日本@名無史さん:2012/01/26(木) 20:50:38.75
すでに学問ではなく宗教と化してるからな
歴史学者が相手をするわけがない
26日本@名無史さん:2012/01/27(金) 07:23:49.02
うん。宗教と言うかカルトな。

親鸞の頃や、まだ「ヤマイチ」の頃まともだった。
いや「ヤマイチ」なんて信じてないけど。

27日本@名無史さん:2012/01/27(金) 22:39:54.78
楽な逃げ方だよな。
仮にツガル関係がアレだったとしても、夫々独立したテーゼの可否については
関わりがない。

例えば短里については、批判すらない状態だし、その他魏志倭人伝の読解について
最も深い学者の一人なのは間違いないだろう。のみならず魏志全体の意義を解明した
のも唯一と言っていいだろう。
記紀に出てこない遣隋使とは何か、女帝時代に大帝国に「聖徳太子」という平安初期
には早くも伝説化する人物が元首を詐称した謎、「阿蘇山あり」で終わるその記録の
謎、二つの日本代表の謎、など、誰も回答していない問題に光を当てた唯一の人で
はないのか。天神とは何か、法隆寺の光背銘や九州年号論争、九州の呼称、郡評論争、
天孫降臨の位置比定、枚挙にいとまがない。黒曜石産地の重要性など、縄文への
言及や、神話の前後関係なども興味深い。

その他にも、ダイナミックでかつ弁証法的な論理構造で結論に導かれたテーゼは
膨大な量になっており、それが大きくなるほど無視するしか手が無くなってしまって
いる。畿内説がつまらないのも、考古学の都合のいいねつ造と、文献学のいい加減な
つまみ食いばかりしてるからだ。

ヒステリックで異常な人格攻撃は、日本の古代史全体を暗いものにしてしまった。
職業ギルドの中での圧倒は、実は学問の品位と科学性を破壊してしまったと言って
いい。でも、そうやって引きこもるほど、我々庶民にとっては、本当の歴史と学者が
何なのか誰なのかを明確にしてくれる。
28日本@名無史さん:2012/01/27(金) 23:39:23.30
最大の罪は↑のような信者を生み出したことだな
29日本@名無史さん:2012/01/28(土) 08:35:43.09
別に信者でもないし、面識もない。
冷静に読んで冷静に考えてるだけだわ。
そもそも理系の研究者に歴史や考古学の専門知識などあるわけないだろw
ただ、論理学的修辞程度はわかるよ。
いい加減な方法論で文献をつまみ食いする考古学者や、すぐ「邪馬台国の可能性」とやらに
言及する偉いさんには閉口するがなw

なんで「古田」って文字列が出現する度にお前みたいなキチガイが湧くのか、
不思議だな。
30日本@名無史さん:2012/01/28(土) 09:02:56.53
学問的には古田説支持者の方がキチ扱いだということは自覚しておいた方がいい
31日本@名無史さん:2012/01/28(土) 09:56:01.64
しつこいな。そんなことくらい知ってるよ。
ここは学会じゃないし、何の制約もない人間にとってより合理的で明快な理論に惹かれるのは
当然だろ。土器一つとっても、いくら精緻な胎土分析をやろうが、理化学的正確さ以前に「矛盾
しない」なんて言辞が非常に多くて閉口する。無理とは言わないが、土器だけで全部説明しよう
とする「学者」の方がよっぽど常識に照らせばキチガイじゃないか。

まあ古田氏の言辞にも煽るような部分があるのは事実だし、特に華々しいデビューの頃は
態度にも問題はあったよ。でも、そういう学者は他にも沢山知ってるし、優秀な人も多い。
理系でも当然論争はある。

でも、所詮個人に対して異常な誹謗中傷を学会として続けている、すなわち人権意識の極めて
低い異常者集団と言われてもしょうがないよな。
32日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:13:49.21
歴史学や考古学の方法論とそれが抱える限界というものを理解してから出直してきた方がいい
33日本@名無史さん:2012/01/28(土) 10:35:13.21
>>31
このスレには珍しく、理性ある人物とみた。
この件で、ブログでも始めてはいかが?
34日本@名無史さん:2012/01/28(土) 22:03:10.24
>個人に対して異常な誹謗中傷を学会として続けている
どの学会?

各学会は市井のトンデモ論として無視してるぞ。
八切止夫レベル。
35日本@名無史さん:2012/01/29(日) 12:17:53.19
ところで、古田武彦って存命なの?
36日本@名無史さん:2012/01/29(日) 17:47:50.38
  
健康状態はあまり良くないようだ。
年だもの。
37日本@名無史さん:2012/01/29(日) 18:23:25.26
>>34
お前が言ってる学会だよ。
キチガイ。
38日本@名無史さん:2012/01/30(月) 05:50:14.97
御大亡くなられたら
ツガルのことは封印するか。

信者どもはどうすんだろ。
「もともと我々は信じてなかった」
とでも言い出すんだよなあ。
39日本@名無史さん:2012/02/08(水) 23:27:51.15
九州王朝は同意できないが、東北に焦点を当てたところは評価できる。
40日本@名無史さん:2012/02/10(金) 06:16:36.24
たとえばアンチ相対性論者とか、地球空洞論者ってとんでもがけっこういる。

物理学会全部がキ〇ガイ団体で、悪魔教の支配下にあって
真実を隠し続けていると信じてる。

そんなトンデモさんでも、うちわで盛り上がっているなら問題ない。
41日本@名無史さん:2012/02/13(月) 01:33:38.90
知っている人いたら教えてくれ。
古田は魏志の版本ではすべて「邪馬壹國」になっているから「邪馬臺國」ではない
と言ったが、これを覆して「邪馬臺國」が正しいと証明した人っているの?
42日本@名無史さん:2012/02/13(月) 06:36:06.23
古代の日本語は母音連続を避けてる
「YAMA」と言う名前はあり得ない。
邪馬臺國だと、まあ無理して「やまと」と
読める。
個人的には「ヤマダ」だと思うけど。
43日本@名無史さん:2012/02/13(月) 08:41:35.39
>>41
魏志倭人伝に「邪馬臺国」とあると証明するのは、不可能。
何故なら、「邪馬壹国」とあるのだから。

後漢書には「邪馬臺」という表記がある。
あとは、その人の論証および推定。
魏志倭人伝の「邪馬壹国」は版本間の誤写だとする、とか。
44日本@名無史さん:2012/02/13(月) 16:55:51.45
>>42
何か抜けてるぞ。
45日本@名無史さん:2012/02/13(月) 17:05:05.23
>>43
つまり古田説に対する信謬性の高い反論はないということ?
46日本@名無史さん:2012/02/13(月) 17:56:06.36
>>45
>古田は魏志の版本ではすべて「邪馬壹國」になっているから「邪馬臺國」ではない
この点に関する限りはね。事実なんで、反論できないだろ。
47日本@名無史さん:2012/02/13(月) 17:58:44.23
>>42
>「YAMA」と言う名前はあり得ない。
>個人的には「ヤマダ」だと思うけど。

矛盾してないかい?
48日本@名無史さん:2012/02/13(月) 18:03:10.42
あのぢっちゃんのは進化しつづけているから 最近のは

「邪馬壹國」の表記はいいふりこいた「壹與」たんのやらせだとかいってて

実際のところは「邪馬壹國」でも「邪馬臺國」でも「山門」でもなんでもええやつうスタンス

>魏志の版本ではすべて「邪馬壹國」になっている

とゆうのは新規に別系統の版本でも出てこない限りにおいては否定のしようもない
49日本@名無史さん:2012/02/13(月) 18:37:33.80
確かに「臺」が皇帝の居所に限定された貴字である以上、それを辺境の蛮夷に
使用すること自体が常識的にはあり得ないよね。
50日本@名無史さん:2012/02/13(月) 19:21:45.43
陳壽さんには辺境の蛮夷とかゆう認識は皆無だけどね

あのぢっちゃんのも初期のころは卑字がどおたらってやっていたけど

さいきんのはそおゆう扱いのはやめにしてるっぽいよ

やっぱり統一コードを持った漢字つうやつ自体の成立がどうなんだろうかって

想いを致すレベルに辿り着いているはずだとおれはおもふんだ

「臺」の使用を遠慮するつうのは

もすかして礼を失ってるかもしれん諸夏のひとだってそうなんだからさ
51日本@名無史さん:2012/02/14(火) 05:40:38.51
「やまい」は気から
52日本@名無史さん:2012/02/16(木) 16:45:55.17
この期に及んで未だに古田史学の信奉者が居るのにはびっくりだなw
53日本@名無史さん:2012/02/16(木) 17:09:33.40
「畿内説」信奉者が居るほどビックリじゃない
54日本@名無史さん:2012/02/16(木) 17:21:19.07
「畿内説」=「毛人説」信奉者はまぬけ
55日本@名無史さん:2012/02/16(木) 19:39:19.17
ゴッドハンドやった時点で全て終了だよw
56:日本@名無史さん:2012/02/18(土) 23:14:50.58

>>18
>論文に古田のフの字でもでたら、アウトってレベルだぞ。

その言葉が全てを表してることが実感できるから、その点には反論はしないが、
一般人としては次代をになう史学者さんにも古田氏の
「この当たり前を戦前はもちろん戦後もやらずに来た。この研究を今から行わなければならない。」
という態度を期待したいよ
でなけりゃ、なんのための史学なのかと聞きたいよ

古田史学は納得できないことも多いし批難されるのは仕方ないとは思うけど、いい仕事してると思うよ。

「金達寿さんはそれを理解できなかった。共通する単語があれば、朝鮮語だとしている。
つまり朝鮮人が日本に来たと考えられて、朝鮮人が帰化人になった証拠であると主張しておられる。
奈良県の「奈良」も、「ウリナラ(我が祖国)」の「ナラ」で朝鮮語である。そう主張されている。
 しかし考えてみたら、日本語の「なら」は「ならす」という動詞がある。
均したところが、「なら」です。日本には字地名に「なら」がいっぱいある。
日本は山だらけだから、均さなければ住めない。「日本平(にほんだいら)」と名詞など一群のセットである。
韓国語には対になる動詞がない。やはり名詞・動詞がセットになっているほうが元で、名詞だけのほうが伝播したと考えるのが筋だと思う。
(中略)征服者は、第一人称を征服したほうの自分の言葉で呼ばせる。「ナラ」は現地の人が言っている言葉である。
「ウリナラ」という言葉自身が、征服者と被征服者の関係をしめす証拠である。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kouen3/j3kouen6.html

もし「ナラ」という言葉が騎馬民族語の「ナラ」なら一番目には集安(高句麗の主都)を指さなければならない。
あるいはもっと北から騎馬民族が来たのなら、その故郷である中央アジアを指し、そう呼ばなければならない。
「ウリナラ」は必ず現在の朝鮮半島を指している。 つまり「ナラ」は倭語である。
(中略)だいたい海峡は隔てていても近いのから、あちらからこちらに影響しても当たり前であるし、逆にこちらからあちらに影響しても当たり前で、何の不思議もない。この当たり前を戦前はもちろん戦後もやらずに来た。この研究を今から行わなければならない。」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou52/wikuyi.html
57日本@名無史さん:2012/02/18(土) 23:30:20.53
そうすると、千葉県習志野も、倭語の「ナラ」かな
58:日本@名無史さん:2012/02/19(日) 00:01:07.48
碑文(「明治天皇駐蹕之処の碑」)を読んだことはありませんが、
習志野原の命名は明治6年ということになっているのではないでしょうか
59日本@名無史さん:2012/02/19(日) 00:05:04.32
質問ですがオナラも関係ありますか?
60山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/02/19(日) 00:26:29.97
ミネルヴァ日本評伝選、まさかよりによってこの先生に依頼するとは。
61日本@名無史さん:2012/02/19(日) 00:48:51.89
ミネルヴァの社長が信者であることを公言してるからね
62日本@名無史さん:2012/02/19(日) 01:03:53.73
男王なんて慣習に逆らって立てるから世の中が荒れるんだってばらしてくれるかなあ たのしみだなあ
63俾魅孤:2012/02/19(日) 01:17:35.42
「みかかん」とか「ひみか」とかわけわからんへんなことゆうのはやめてほしいけどね

甕棺とかは卵殻のこと連想できなきゃ嘘でしょ

さらに

甕棺たら亀棺とか変換できないようじゃ想像力がいまいちだろ

ようするにちょっと鈍いんだよな

「みか」ってへんな読みのこと信用しちゃう雑学知識が邪魔しているってゆうか
64日本@名無史さん:2012/02/19(日) 01:23:10.16
これキチガイのふりして遊んでるの?それとも本物?
65日本@名無史さん:2012/02/19(日) 01:55:26.82
>>57
>そうすると、千葉県習志野も、倭語の「ナラ」かな

習志野=ならしの=均し野
66日本@名無史さん:2012/02/19(日) 02:04:56.02
67:日本@名無史さん:2012/02/19(日) 10:14:41.94
万葉一四・三五四六
「青柳の張らろ川門(かはと)に汝(な)を待つと清水(せみど)は汲まず立処(たちど)奈良須(ナラス)も」
68須磨虎:2012/02/20(月) 21:03:04.58
>>41
>「邪馬臺國」が正しいと証明した人っているの?
おそらくは、日本一の古田説批判者であり、
アマチュアとしては日本一文献に詳しい男のサイトだ。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/5739/index.html

ついでに俺の「邪馬臺の証明」もみるといい。
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/c/a18461110a3c51b1376376e24eb6b029
ともに、古田シンパには趣致のサイトだろうが、そこいらの安っぽい論考とは別格だ。

>49
>辺境の蛮夷に使用すること自体が常識的にはあり得ないよね。
だから、12世紀に刷られた『三国志』刊本が臺に似た壹にすり変えた・てのもある。
何しろ、民間出版が華やかになった時代の刊本だ。


いずれにしても、歴史学者でもない外野手の一論説をもって、
「古田史学」というのはやめてくれ。刷り込み作戦意図をを感じさせるだけだ。
69須磨虎:2012/02/20(月) 21:45:37.57
ていせい
古田シンパには趣致のサイトだろうが、
↓↓↓
古田シンパには周知のサイトだろうが、

さらについでに。
俺の古田説批判は、古田得意の文字いじり・文献操作・解釈論議とは
まったく異質な視点からなっている。
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/c/a97f58d1dfdb8e1c04a3cce328d53de9

古代中国の歴史・制度・階級・常識・しきたりなど、
抜き差しならない歴史的事実をもって、
古田説は「土台からして・なっとらん」という指摘を展開している。

これらすべてに反論しきった者は一人もいない。
なぜならば、目くらましのエセ論理ではなく歴史的事実に依拠しているから。
歴史的事実は、いかなる方便・詭弁をもっても否定できない。

もう「古田史学」というのはやめたほうがいい。俺はムシズが走る。
別なタイトルにして、こんなタイトルのスレッドは放置して消せ。
70日本@名無史さん:2012/02/21(火) 20:58:14.85
寺沢の「王権誕生」では、古田武彦を引用してる部分あるけどな
最近では、これが“権威ある”書籍だろ。
まあ、専門の論文じゃないのかもしれんが
71日本@名無史さん:2012/02/22(水) 03:37:42.41
100の根拠を並べても次に出る新たな証拠により自説が全て崩壊しかねない歴史学の世界で、
誰も見たことのない遠い昔の真実の歴史を探求することに一生を捧げるなんて健気と言わざるをえない。
信じてる歴史が真実の歴史だと主張する人が大半の中で、
客観的日本史を模索しようとする姿勢はそれだけで評価に値すると思う。
都合のいい歴史だけを採用する人間は過去にも現在にも未来にも必ず存在する。
歴史家にとっての敵は時間と人間の保守的姿勢。
もし真実を知りたいと願うならどんな突飛な事を言う(ように思える)学者にも耳を傾けなければならない。彼らは真実の歴史の祖たりうるから。


唱えた学説の10000のうち9999が間違っているとしても、その内の1つでも確からしいなら
その学者は歴史家として大成したといえる。
真実の歴史はその一説一説を紡いでいくことからしか生まれないから。
古田氏を批判する人も支持する人も真実を求める探求心を、先入観や既存の歴史観に依存する事で曇らせてはならない。
誠意を持って歴史と向き合う者は誰でも無視してはならない。軽んじてはならない。
72日本@名無史さん:2012/02/22(水) 06:27:27.13
>>69
見せてもらった。
労作ではあるが、別にそこまで力みこんで人を罵倒するほどでもないな。
まあお疲れさんと言っておこう。
じゃあな。
73須磨虎:2012/02/22(水) 07:54:31.17
>>71
>誠意を持って歴史と向き合う者

史実検証は本来、純粋かつ崇高な行為だ。無欲の学問だ。
歴史と向き合う姿勢に正直さと誠意を感じるか。その検証手法と手順は正しいか。
これが論者・研究者を評価する基準となる。

>1つでも確からしいならその学者は歴史家として大成したといえる。
何様のつもりかは知らんが、つまらん勝手論を正論のように吹くな。
学者なればこそ、一つでも小細工やまやかしや詭弁があってはならないのだ。

古代史論とくに邪馬台国は「魔物」だ。
いかなる人格者であろうと、論じるとなると、立場・都合・思惑・好みといった我欲が支配する。
これに打ち勝ってきた邪馬台国論者は一人もいない。
(客観的に解説した真摯な学術論説と、いわゆる邪馬台国を論じた説は別物だ)

ここに日本でただ一人、それに挑戦する素人がいる。
「古田史学」とは、ちゃんちゃらおかしいぜ。もうやめとけ
74須磨虎:2012/02/22(水) 07:59:50.71
>>72
>別にそこまで力みこんで人を罵倒するほどでもないな。
WEB上には、妄信的素人シンパによるプロパガンダ行為が蔓延している。
こういうスレッドが立つこと自体がその顕著なところだ。それに対する反発もあろう。
なーにが「古田史学」だ。
こういう造語を「自発的に」使うこと自体が、心理的にはハッタリだし外野の印しだ。
75日本@名無史さん:2012/02/22(水) 08:26:19.63
こいつは、伊作とか言う2chでのケンカが目的のヤシ
スルー推奨
76日本@名無史さん:2012/02/22(水) 11:33:51.60
同じく
モリソン伊作は2ちゃんねるでケンカを売るのが生き甲斐の爺。
スルー推奨
77日本@名無史さん:2012/02/22(水) 11:46:44.57
すべてスルー推奨
78須磨虎:2012/02/22(水) 16:19:56.87
>>75  >>76
非紳士的に構築した論説をもって紳士的に語るよりも、
紳士的に構築した論説をもって侃々諤々のほうが遥かにましだ。
語るべき所にはどこへでも出没する。心しとけ
79日本@名無史さん:2012/02/22(水) 16:59:53.47
いさくもどきは死んだのか
80日本@名無史さん:2012/02/23(木) 13:41:38.83
 古田史学の会の古賀達也や正木裕は、古田武彦が死ぬのを指折り数えて
待っているに違いない。後は、古田の名前を適当に利用してオレたちが好
き放題できると。
 しかし、古賀や正木の駄文を金を出して読み続ける人間がどれ程いるの
か(笑)

 もっとも、古田自身も手足として古賀や正木を適当に利用してきたとこ
ろがあるから、これには文句が言えまい。

 悲喜劇と言うべきは、古田は一部の学者ボスや権力者を除いて自分の所
説を大多数の人間が支持していると思い込んでいることだ。と同時に、自
説を教科書に載せようとしたり露骨な権力志向を見せている。

 かつて、親鸞に私淑し、善鸞や蓮如の不純さ痛烈に批判した古田は、親
鸞の没年齢に近づくにつれて善鸞や蓮如の如くなってしまった。
81日本@名無史さん:2012/02/25(土) 07:17:40.19
学会で認められない=ウソ
ってわけではないが、この人の九州王朝説以降は、
ほぼトンデモ化してる。ツガル、がとどめをさした感じだ。

「ヤマイ国」までは正しかろうが間違っていようが、
学説として主張はできる。博多湾岸説もしかり。

それがなんで九州王朝なんてなんの証拠もない説に走ったんだろう。
例によって「証拠は朝廷が抹殺したニダ」になる。
そんなこと言い出したらどんな説でも唱えられる。
邪馬台国ムー大陸説とか……。

九州王朝説の「証拠」って、こじつけと捻じ曲げしかないし、
引用も同じ信者のものばかり。これじゃトンチキ宗教とかわんない。
82日本@名無史さん:2012/02/25(土) 08:07:39.73
「倭の五王」を畿内の天皇に比定するのが全くの無根拠だと説いたところが
古田の最大の功績だろう。
それにひきかえ「邪馬壱=山居」は仮名遣いを知らない小学生以下のレベル。
(イとヰはまったく別の音)
韓国をちんどん屋よろしく練り歩いた話はお笑いでも「山居」ほどひどくはない。
83日本@名無史さん:2012/02/25(土) 08:11:16.65
畿内に「王朝」があったなら九州にも「王朝」があっても不思議はない。
84日本@名無史さん:2012/02/25(土) 08:25:01.86
九州王朝というと異常に反応するやつが畿内の王朝と平気で言う。
詐欺師に洗脳されているか自身が詐欺師。
85日本@名無史さん:2012/02/25(土) 21:17:57.11
信者ごっこも大概にしないと。
トンデモ・カルトとして子孫まで差別されるぞ。

みんなわかってんだよ。
86日本@名無史さん:2012/02/29(水) 06:31:37.87
ウスバカ
87日本@名無史さん:2012/03/04(日) 00:08:28.61
九州王朝w
法隆寺や三輪山、飛鳥寺や四天王寺が九州にあったと言ってるデンパでしょう。
88日本@名無史さん:2012/03/04(日) 00:10:54.07
精薄
89日本@名無史さん:2012/03/04(日) 06:58:11.72
オウムみたいに本気で信じきってるわけじゃないでしょ、信者。

信じているフリをしてるんだ。
いまさら「自分たちはバカでした」と認めたくないから。
90日本@名無史さん:2012/03/04(日) 14:49:01.97
精薄
91日本@名無史さん:2012/03/05(月) 03:28:44.29
ひょっとしたら信者って、御大が正常な思考力失っていることをいいことに、
信じたふりして煽ってないか?
92日本@名無史さん:2012/03/05(月) 09:34:54.67
>>87
あったんだもん
93日本@名無史さん:2012/03/05(月) 22:06:30.90
古田とか九州王朝というとなんでこう必死になるんだろうなw
94日本@名無史さん:2012/03/07(水) 02:27:46.02
>>92
なかった
>>93
古田教の洗脳が看過できないほど強烈だから
95日本@名無史さん:2012/03/07(水) 06:34:01.80
大和一元史観を相対化する効果があるから価値がある。
96日本@名無史さん:2012/03/07(水) 07:14:34.29
いや、一時九州王朝説にハマりかけたことあったんだ。「ツガル」で
目が覚めて、完全に九州王朝なんてたわ言だと判った。
97日本@名無史さん:2012/03/09(金) 13:21:53.06
一部に鋭い指摘がないわけではないけど
九州王朝までいっちゃうのは飛躍に過ぎるなぁ

玉石混淆とは至言
98日本@名無史さん:2012/03/09(金) 20:41:14.26
古田氏が登場した頃は、ヤマト朝廷の歴史を短く見ようとしていた時代だったから、言ってみれば流行に乗っていたわけだけど、

こんなに短く見るのは無理やで、と分かってきたから、古田氏は取り残されて終わったわけだよな。
99日本@名無史さん:2012/03/09(金) 20:52:57.71
大和朝廷なんかを有り難がってる白痴どもが九州王朝と言われると目の色を変えてわめき出す。
大和王朝も九州王朝も武力と嘘が頼りの酋長権力にすぎない。
100日本@名無史さん:2012/03/10(土) 05:29:38.46
うん。短里とかチョーセン半島ジクザグ行程とか、
鋭いところはあった。

その段階でとまってりゃよかったのに。

九州王朝はあった。資料と証拠は大和朝廷が全部抹殺したって……
どっかの起源捏造みたいだ。
101日本@名無史さん:2012/03/10(土) 16:16:12.08
九州王朝という結論ありきで論を組み立てるからそうなる
それは科学の手法ではなくカルトや宗教だ
102日本@名無史さん:2012/03/10(土) 21:47:43.84
御大は詐欺師に担がれたと言う、やや同情すべき面もある。

問題は信者だな。

103日本@名無史さん:2012/03/12(月) 23:58:02.22
教祖様が間違いを認められなくなているのだから悪いのは教祖
信者の方こそ被害者だろう
104日本@名無史さん:2012/03/13(火) 06:11:03.63
信者だったとっくにわかってるさ。
終戦直前の陸軍首脳みたいなもんだ。
105日本@名無史さん:2012/03/15(木) 06:45:28.82
御大はとっくに間違いに気づいているけど、
「認めたら負けかと思ってる」
信者もとっくに判ってるけど、御大かついで楽しんでる。

どう考えてもツガルなんとかはニセモノだし、
九州王朝はトンチキだろう。

邪馬台国博多湾岸説までもどって、
キチンと「古田説」再構築しないと、それこそ
トンデモ日本史の愉快な一エピソードに終わってしまう。
106須磨虎:2012/03/15(木) 11:13:44.44
>>105
>邪馬台国博多湾岸説
それすらも歴史錯誤か、無理に好みの土地に持っていったのか。
天然の地形・地勢を最大の防衛構想としていた古代において、
国王の居する都が外的の侵攻を容易にかする海岸べりだった可能性はゼロだ。

他人こどのように好きな所を優先するのではなく、
自分が倭国王に鳴ったつもりになって、
防衛と安全(台風の害や外海からの津波なども含む)と権力の永続性と、
通交の利便性や生産性という相反する条件を満たす場所を模索したとき、
前原や博多湾を選ぶかい? 

大和における都がそうだったように、
台風の害や外海からの津波などの危険が少なく、幾重もの防衛網を敷いた大河川の中流部。
風水でいう「背山臨水」が都と相場は決まってるんだよ。
その視点でいえば、九州説の圧倒的大多数は「ガキのわがまま」レベルだ。
九州には、もっと王都に適した土地がある。
107須磨虎:2012/03/15(木) 11:15:23.46
ていせい。

国王の居する都が外的の侵攻を容易にかする海岸べりだった可能性はゼロだ。
↓↓↓↓
国王の居する都が外敵の侵攻を容易にする海岸べりだった可能性はゼロだ。
108日本@名無史さん:2012/03/15(木) 23:13:29.76
いや俺は大宰府説だけどさ、博多湾岸と主張するのは別にかまわん。
学問の内と思う。
それ以降の九州王朝とかが、もう宗教レベル。

なんで大宰府かと言うと、南の敵に備えつつ九州
北部を圧するのに都合いいから。
109日本@名無史さん:2012/03/16(金) 02:24:24.10
>>106
>九州には、もっと王都に適した土地がある。

そこにはどこで何という王都があったんだい?
110須磨虎:2012/03/16(金) 16:05:13.61
>>108
>なんで大宰府かと言うと、南の敵に備えつつ九州北部を圧するのに都合いいから。
白村江の戦いに負けて、いざ外からの侵攻が現実になって、
慌てて防衛だか籠城用の山城を築くていたらくの無防備地形だよ。太宰府は。

>>109
>そこにはどこで何という王都があったんだい?
おしえない。

背山臨水の立地構造をした吉地、
換言すれば倭国王都にふさわしい背山臨水の地形は、日本列島に2ヵ所しかない。
一つが九州にあり、もう一つが本州の大和盆地だ。

「背山臨水」をよく知った上で、山地盆地と相似形をなすエリアを九州で探してみ。
どう間違っても、玄界灘の出べそみたいな糸島半島や、博多湾や太宰府などではないはずだ。
111須磨虎:2012/03/16(金) 16:13:56.64
山地盆地と相似形をなすエリアを九州で探してみ。
↓↓↓
大和盆地と相似形をなすエリアを九州で探してみ。

ちなみに、古くは神様と貴人は山に住んでいるといわれたもの。
のちのち、神格化された天皇が「絶対」となって、
国内の平定と安定ができたとき、王都は平地におりてくる。
少なくとも、倭国王帥升以下男王たちの都は臺のような山の上だろうな。

さらにちなみに。
平地に出てきた天皇の宮城は中国のように厳重な城壁などない。
世界的にみても稀な現象だが、
倭人の国では、それほどに天皇崇拝が徹底していたということだろう。
112日本@名無史さん:2012/03/17(土) 06:09:04.77
なんで大宰府かと言うと、結局朝廷もあそこが九州抑えるのに
都合いいとおもって大宰府おいたのかな、と。
まだ南九州が反乱する恐れもあったし、海のむこうから
攻めてくる可能性もあった時期に。


邪馬台国は「ヤマダ国」と思ってる。

なんか嫌だけど。
113日本@名無史さん:2012/03/21(水) 17:41:57.91
>>110
>>109
>そこにはどこで何という王都があったんだい?
おしえない。

答えられない。
逃亡者。
114日本@名無史さん:2012/04/02(月) 06:57:01.85
御大の「博多湾岸説」は支持しないけど、
学問として主張することは構わないと思う。

そこから九州王朝とかツガルとか言い出すから
トンデモになっちう。
115笑っ虎:2012/04/02(月) 09:50:00.18
>>114
>そこから九州王朝とかツガルとか言い出すから

個人的な所感をいえば、彼は反逆者だな。
振り向いても暮れなかった学界に対する反逆精神。
これが彼の行動モチベーションのすべてだろう。
その論が無理造築であることは、本人がいちばんよく知っていたはずさ。

そうした反逆行動の極みが「古田史学」などという陳腐な造語だろう。
116日本@名無史さん:2012/04/02(月) 16:06:35.53
>>115
反逆者というより
従来の学者たちをメッタ斬りにしたテロリストだな
117日本@名無史さん:2012/04/02(月) 19:29:11.34
いや、本人はメッタ斬りしたつもりが
結局誰も斬られていないという現実w
118笑っ虎:2012/04/02(月) 20:09:52.46
>>117
そして今では、同じ外野の素人にメッタ斬りされている。
そうなることが、無理造築論を出したときに宿命づけられていたのさ。

119日本@名無史さん:2012/04/12(木) 21:27:33.90
>古田武彦氏講演会 
>5月6日(日) 13時30分〜 (開場13時) 
>演題:歴史の一変 ―「公偽私真」論―  
>会場:全国教育文化会館 エデュカス東京

 拝啓、古田武彦様。↑の「公偽私真」とは何を仰りたいのですか?
 かつて在野の孤独の探求者と自称したあなたも、いつしか権威主義と
権力志向の権化となり、「官房長官も私の読者だ」「正木さん(古田史学
の会の正木裕)は大阪府知事の橋下さんが記者会見するときには何時も
の一緒にいる高官だ」「雪解けも近い。教科書も書き変わる。私の提唱
で天皇陵も発掘できる」等々の発言に加え、畢生の書だと言う『俾弥呼』
では最高裁判事の可部恒雄も自分の研究を評価している云々と臆面もな
く述べて、心ある人の顰蹙を買いました。
 そのあなたが、老躯を物ともせずに東都へ赴いて「公偽私真」とは、
一体何を仰りたいのでしょう? 今更何を?です。

 公偽だなどと言うのなら、可部の最高裁判所判事の肩書きを自らの所
説の権威付けに利用したことは矛盾も甚だしいとお気づきになりません
か?
120日本@名無史さん:2012/04/13(金) 06:06:19.87
安本は大学では心理学の教授で、歴史学では素人だ。
古田は歴史学の大学教授で、古田古代史学専用の研究室まで与えられた。
どっちを信用する?
121日本@名無史さん:2012/04/13(金) 07:02:13.34
当然安本。

安本はともかく学者。
御大は老いたトンデモさん。
122日本@名無史さん:2012/04/13(金) 12:14:34.66
>>120
大学教授といっても、九州王朝説の人気を客寄せパンダにと考えた大学が後から雇った教授で、見識とは関係ないからなあ。
123日本@名無史さん:2012/04/13(金) 12:44:20.60
大和一元史観を打破した功績は大きい。
124日本@名無史さん:2012/04/14(土) 04:59:01.75
>>120
68 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2012/04/03(火) 06:00:47.62
古田は日本史専門の大学教授。安本は大学では心理学者。

70 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2012/04/03(火) 20:49:39.08
>>68
古田の売り物は大学教授などの旧来の権威に依存しない事だった筈なんだがなw

71 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2012/04/04(水) 23:13:11.36
  ↑そのとおりだと思う。
  結局、自分も権威になりたかっただけというのが古田武彦の正体だww

73 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2012/04/06(金) 16:52:41.09
>>68>>70>>71に一言も反論できずに逃走したみたいだなwww


125日本@名無史さん:2012/04/14(土) 04:59:58.75
まあ、SF小説家が文学的な名声で教授になったようなもので、
小説内での説が事実かと問われたなら
126日本@名無史さん:2012/04/14(土) 06:44:34.68
>125

あやまれ!SF者に思いっきりあやまれ!
127日本@名無史さん:2012/04/14(土) 21:37:38.39
岩木山を調査したらUFOが降ってきたり
岩山が実はUFO発進基地で超古代エジプトの支配者の血統が五所川原市民には受け継がれていたり
高知の岩山は実は太陽光エネルギー集散拠点で現在断崖になっている壁面には超平滑反射材が使われ世界エネルギーを集めていた

とか?
喜八郎ですな
128日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:25:23.40
全世界が私を支持している、と古田武彦。
何処かの某巨大宗教の領袖も似たことを言っていたような(笑)
129日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:37:46.74
まあでも、おまいらのような奴らが、
こうして粘着してるだけでも、
注目の学者であることは違いないわな。

この板でも、学者個人名のスレがあるのは、
古田武彦だけ、だしな。(見落としてるかも)
130日本@名無史さん:2012/04/19(木) 03:56:17.40
>>129
確かに。
これだけツッコミ所満載の学者(?)はザラには居ないな
131日本@名無史さん:2012/04/19(木) 04:26:17.62
>>129
それだけ害悪だってことさ
132日本@名無史さん:2012/04/19(木) 23:30:03.57
>>129-130
つかさ、そもそも、信者とかファン以外で古田氏を学者と認めてる人がいるのかとさえ思う。
133日本@名無史さん:2012/04/26(木) 07:14:21.27
>振り向いても暮れなかった学界に対する反逆精神。


それはむしろルサンチマン。

信者も人が悪い。とっくにアホダラ経とわかってて、
煽ってる。
134日本@名無史さん:2012/04/26(木) 07:28:21.46
死者を鞭打つのは良くない。
135日本@名無史さん:2012/04/27(金) 12:44:13.75
あれ?御大はまだご存命だろ
136日本@名無史さん:2012/04/27(金) 18:40:05.72
>>135
生ける屍
137日本@名無史さん:2012/04/27(金) 22:53:25.38
>古賀達也の洛中洛外日記第406話 2012/04/21
>古田先生緊急入院と退院

古田武彦の精神はとっくに死んでいる。
138日本@名無史さん:2012/04/28(土) 06:09:31.67
反骨の在野学者。権威に阿らず良心と理性にだけ
従ってひたすら真実を追求する硬骨漢。日本古代史学の
良心の灯。
139日本@名無史さん:2012/04/28(土) 07:37:52.72
>138 反骨の在野学者。権威に阿らず

↑君は古田の著作を読んでいるのか?
最高裁判所の判事も自説を支持しているなどと得意気
に書く古田武彦の何処が「権威に阿らず」だい?
140卑弥呼の都は久留米  :2012/04/28(土) 10:17:52.09
>>127
>高知の岩山は実は太陽光エネルギー集散拠点で現在断崖になっている壁面には超平滑反射材が使われ世界エネルギーを集めていた

違う。月の光を反射する岩の壁面。

九州にも月光を反射する凹面鏡のようになった岩面がある。
どこか忘れたが。
知っている方、教えて下さい。
141日本@名無史さん:2012/04/29(日) 06:08:50.56
>138


褒め殺し、って言うかワザと思いの逆書いてんな。
142日本@名無史さん:2012/05/09(水) 20:58:29.06
>119
>古田武彦氏講演会 
>5月6日(日) 13時30分〜 (開場13時) 
>演題:歴史の一変 ―「公偽私真」論―  
>会場:全国教育文化会館 エデュカス東京

 ↑これ聞いた人、感想書き込んで(^∧^)
 古田の信者とか古田に諂っておこぼれを頂戴しよう
とか言う人じゃなくて、古田説および古田の人間性に
批判的な人も講演聞きに行っていないかな?
143日本@名無史さん:2012/05/09(水) 21:14:22.19
>>142
行ったぞ。
面白かったよ。
おもに三国志の版本の話。
144日本@名無史さん:2012/05/10(木) 01:07:37.33
日本史で学者といえるのは網野さんと古田先生だけ。
145日本@名無史さん:2012/05/10(木) 01:34:01.03
網野先生は、論証に甘いところがあると言われたりもしたけど、いい学者だったじゃん。
きちんと実証をした実績があるし、学会に多くの影響を残してる。
学説の直接的継承者こそ多くはないが、賛否、様々な学者が多くの影響を受けてきた。
反対する学者にも、その研究を深める上で、影響を受けたんだよ。

対するに、古田氏は。

自分に激甘、反論は言論風説とか決めつけちゃって、まともな議論をしなかったから、
みずから泥沼に脚を踏み込む形になって、いかなる研究者からも無視されざるをえない結果となった。

反証に耐ええない、中途半端な論証しかできなかったからな。
結局、古田氏は学者モドキにしか成れなかったんだよ。
146日本@名無史さん:2012/05/10(木) 06:21:24.61
アミノ酸は政治的イデオロギー的発言を慎むべきだった。素晴らしい業績があるのに
学会の外では保守的な人に食わず嫌いされてた。
147日本@名無史さん:2012/05/10(木) 13:35:14.23
>>146
確かにそうだな。
「いつか日本が天皇を必要としなくなる時が来る」などの発言には
ええええええええええという感じがした。
148日本@名無史さん:2012/05/10(木) 22:00:03.09
ん?
私はナショナリストだが、天皇なんて要らんと思うよ。
149日本@名無史さん:2012/05/10(木) 23:09:05.63
網野は、過大評価されすぎ。
網野のいる世の中といない世の中、そこに何らの変化もない。

歴史オタならともかく、世間一般には、全くの無名、どうでもいい人。
歴史学者なんて所詮そんなもんだ。

>>148
お前は、もっと要らんだろう。
150日本@名無史さん:2012/05/11(金) 07:11:44.75
アミノ酸は天皇が嫌いと言うわけではなく、

大和民族とその文化による支配がいやだったんだ。

西日本と東日本では「人種が違う」とまで言い出した。
民族ならともかく、人種が東西まで違うとは
さすがに東大系の学者も閉口した。

東日本が千数百年かけて
「和人化」したことそのものを、
無駄な努力だったみたいな言い方もしてたし。
151日本@名無史さん:2012/05/11(金) 16:14:51.76
網野はまともな論証してなくて
歴史学の分野を広げた功績はあるけど研究自体は全く評価されてないし
152日本@名無史さん:2012/05/11(金) 17:15:15.34
>>151
それは、普遍例か特殊例かを区別できるほどの物証を出せてないってことで、
まともな物証を出せてない古田とは雲泥の差があるぞ。
物証不足、論証不足といっても、網野は一応、最小限には物証を挙げようとした。
だから、細部が否定されたあとも、部分的には受け入れられてるだろ。
古田は部分的にも受け入れられなかったんだから、大違いじゃん。
153日本@名無史さん:2012/05/11(金) 19:24:20.66
網野に与する気はしないんだが
他人にひどい罵詈雑言を浴びせる古田よりはずっとマシだろ。
154日本@名無史さん:2012/05/11(金) 19:44:57.43
古田さん、網野さんは、出世より学者としての良心を選んだところが素晴らしいです。
155日本@名無史さん:2012/05/12(土) 05:34:26.73
網野と古田をいっしょにするなよ。
網野に対する冒涜だ。
156日本@名無史さん:2012/05/12(土) 06:17:30.95
古田は史料の扱い方で躓いてるからな。学者としては論外だ。
157日本@名無史さん:2012/05/12(土) 07:43:47.65
>153
>他人にひどい罵詈雑言を浴びせる古田よりはずっとマシだろ。

 古田だって、『俾弥呼』の中で最高裁判所判事の可部恒雄のことは「司法界の俊秀」って
持ち上げてるよ。だから罵詈雑言ばかりじゃない(笑)
158日本@名無史さん:2012/05/12(土) 09:30:50.69
>>157
そりゃあ、古田だって自分が気に入った人はヨイショするだろうさ(笑)
特に、歴史学者じゃなくて判事なんだから
直接に自説と対立する立場のひとではないわけだし。
159日本@名無史さん:2012/05/12(土) 11:20:47.73
古田学説も和田家文書も既得権益を死守しようとする勢力によって
葬り去られたんだ。ガリレオの破門が解かれるまでに数百年
かかったんだから、この程度の迫害ではへこたれないぞ。
160日本@名無史さん:2012/05/12(土) 12:00:23.49
ガリレオの破門は宗教勢力によってなされたが
古田学説や和田家文書はそれ自体が宗教そのもの
161日本@名無史さん:2012/05/12(土) 15:34:43.47
>>159
その手の陰謀説が、古田擁護派が先述?した、
>「アポロは月に行かなかった」とか「9・11テロの黒幕はブッシュだ」とか
>「NASAはエイリアンの死体を隠している」とか言ってる連中
と同一の構造なんだよな。
その同一性に気付かずに、「偽書派」(ママ) と同一視しようとするあたりが笑止
162日本@名無史さん:2012/05/13(日) 10:06:41.36
>>159
まあ精々頑張ってねー
163日本@名無史さん:2012/05/13(日) 19:30:55.25
 今の古田武彦には、精神的な高みが微塵も感じられない。老いぼれた俗物。
 結局は初めから俗物だったんだろうね(笑)
164日本@名無史さん:2012/05/13(日) 20:31:37.03
>>163
古田にどんな恨みがあるんだ
言ってみろよ。何て言われたの?
165日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:05:16.55
網野さんは、史料を丹念に調べ上げ、お上が偽造した歴史の嘘を暴き出してみせた。
そのおかげで、現代の我々もこうやって歴史の真相を知ることができる。
網野さんほどではないかもしれないが、古田さんの業績も素晴らしい。
どちらも歴史学者の間での評価は高いのだが、国定教科書に載ることは永遠にないだろう。
166日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:14:18.08
>164
 恨みなんてないよ。呆れてるだけさ(笑)
 そして、そんな古田の著作を崇めている連中にもね。
167日本@名無史さん:2012/05/13(日) 22:46:17.42
>>165
古田が歴史学者の間での評価は高いだって?wwwwwwwwwwwwwwwww
168日本@名無史さん:2012/05/13(日) 23:45:28.25
網野もね、口を開けば西日本と我々は人種が違うだの、だから差別は正しいだの、
地域主義を振りかざしては相手を貶めようとするところがあって、全く賛成しないのですが。
169日本@名無史さん:2012/05/14(月) 05:48:34.16
>西日本と我々は人種が違うだの、だから差別は正しいだの

そうでなくて、西日本と
東日本では人種が違い、東日本では差別の問題がない。

これは西日本人種における
西日本の東日本人種に対する差別だ云々だと思う。
差別が正しいなんて言うわけはない。
170日本@名無史さん:2012/05/14(月) 12:06:28.31
それにしては、東日本の人間が西日本へ差別を加えるのは正義だの、変な説を色々叫んでおりました。
171日本@名無史さん:2012/05/14(月) 13:33:57.71
網野にアンチが多いのは、自らの出身地以外への差別抑圧罵倒姿勢が改まらなかったから。
東大のマルクス教条主義おじさんらが彼を仲間に入れなかったのも、網野が国家国民教化ではなく分裂相克を煽ったから。
172日本@名無史さん:2012/05/14(月) 20:10:15.88
日本は単一民族国家だと言い始めたのは戦後のことで、
昭和初期には多民族国家志向だったのにな。
といっても、韓国や台湾との一体化を推し進める目的だが。
173日本@名無史さん:2012/05/14(月) 21:50:58.93
網野は沖縄人からヤマトンチュと呼ばれて激怒してたからなあ。

ある意味、反ヤマト史観と言うか
八切たちの日本原住民史観をアカデミックに、
かつルサンチマンに満ちたものにした感じ。

でもツガルごときと比べるのはかわいそう。
174日本@名無史さん:2012/05/15(火) 06:36:39.77
>日本は単一民族国家だと言い始めたのは戦後のことで、
>昭和初期には多民族国家志向だったのにな。

後段には異論がある。
政府は、昭和初期から、台湾・朝鮮で日本人化政策を実行していたし、
国内では方言撲滅運動の強制という形で行ってる。
外国人も日本人も新しく作った日本国民という枠で縛ろうとしていた。
それは、19世紀の西洋において、国民国家の創造に乗り遅れた国々が、国民国家をさらに推し進め、
汎ゲルマン主義や汎スラブ主義などの名の下に全体主義へと流れていった動きと連動してる。
175日本@名無史さん:2012/05/15(火) 06:41:08.74
沖縄では復帰前まで
方言撲滅運動やってたって……ひどいことを。
176日本@名無史さん:2012/05/15(火) 22:05:36.44
その方言撲滅運動は誰の旗振りの下で行なわれたの?
177日本@名無史さん:2012/05/16(水) 02:20:18.45
そもそも、シベリアから樺太・北海道経由で入ってきた旧石器時代人と、
中国から韓半島経由で入ってきた中国人や遊牧民、それに朝鮮・韓国人、
東南アジアから海路で入ってきた南方人などか入り交じって成立したのが日本人なんだから、
起源的には他民族じゃないとおかしいんだよ。

それらを統一化する表層文化が強く規制してるから単一民族っぽく見えるだけでさ。
178日本@名無史さん:2012/05/16(水) 04:43:27.24
>>173
激怒まではしないがヤマトンチュと呼ばれるのはなんか嫌だ。
何で「同じ日本人」であるはずの沖縄県民から、異民族みたいな呼ばれ方されなきゃいかんの。って思う。
179日本@名無史さん:2012/05/16(水) 04:45:47.31
沖縄で七十年までやっていた方言札は、
なんとウチナンチュー自身の教育委員会が指導して
県民と言うか当日の琉球政府民が支持したんだ。

>老いぼれた俗物

麒麟も老いればなんとやらだけど、
はじめから威勢がいいだけの駑馬が
さらに老いたって感じだな。
180日本@名無史さん:2012/05/16(水) 21:38:39.30
>179
>麒麟も老いればなんとやらだけど、
>はじめから威勢がいいだけの駑馬が
>さらに老いたって感じだな。

 おそらくそれが正解だね(笑)
181日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:49:51.19
老いた駄馬をかついで、
おもしろがってはやしたててる信者、
相当罪深いな。
182日本@名無史さん:2012/05/21(月) 22:06:16.95
>放射能や原発、そして原水爆に対する闘いも、最後には必ず人間が勝つ。
http://www.seminarhouse.or.jp/kodaisi/index08_jissihoukoku.html

 ↑古田武彦の発言らしい。どうやって福島原発の破局から逃れるのだ?
この人、何も知らずに何でも知ってると威張ってるんだね(笑)

183日本@名無史さん:2012/05/21(月) 22:40:11.72
>>182
だから、おまいは古田からどんなイジメを受けたんだ?
詳しく告白してみろよ。聞いてやるからさ。ね
184日本@名無史さん:2012/05/21(月) 23:00:20.83
古田武彦ファンは題目については言い返せなくて、人格攻撃に入りました。
185日本@名無史さん:2012/05/22(火) 01:49:00.59
>>175
沖縄だけでなく、方言撲滅運動は本土においても戦後も引き続き行われていた。

>>179
戦前に教育委員会が存在してたと思ってる間抜けぶり。
尚かつ、その教育委員会が学習指導要領を作ってると思ってる間抜けぶり。


http://www16.ocn.ne.jp/~ondoku/esseikirai.html

明治43年の小学校作法教授要項・言語応対には
「下品なる言語及方言・訛語ハ之ヲ避クベシ」

昭和26年版小学校学習指導要領
「教科書や、いろいろな読み物の文を読んだり、ラジオを聞いたりするこ
とによって、自分の使っていることばの中に、幼児語・方言・なまり・野卑
な言葉などのあることに気づかせ、だんだんとよいことばや、共通語を使わ
せていくようにする。」
「正しい語法に基づいた共通語を話し、俗語や方言はできるだけ避けるようにする。」


昭和43年版小学校学習指導要領
「発音のなまりや癖を直すようにすること」

186日本@名無史さん:2012/05/22(火) 01:51:13.30
昭和55年版小学校学習指導要領
・なまりや癖のない正しい発音で話すこと
・共通語と方言とでは違いがあることを理解し、
 また、必要に応じて共通語で話すようにすること

平成4年版小学校学習指導要領
・なまりや癖のない正しい発音で話すこと
・共通語と方言とでは違いがあることを理解し、
 必要に応じて共通語で話すようにすること


なんと、平成の世になっても、文部省はまだ方言撲滅運動を指導してたんですなw
187日本@名無史さん:2012/05/22(火) 02:01:05.49
方言撲滅運動はファシズムの一種。
この狂気が頂点に達したものが敵性語の禁止。
188日本@名無史さん:2012/05/22(火) 05:54:05.60
方言撲滅運動か……ひどいな、

人格否定に近いなあ。

東北と沖縄でさかんだったらしい。


いや古田史学だけど、
いっとき信じかけた自分がなさけない。


間違っているとは思うけど、
「邪馬壱国」「博多湾岸説」までは
学説として通用すると思う。


それが飛躍して九州王朝とか
ツガルとか言い出すから、
八切止夫とか佐治芳彦扱いされちまう。

死ぬ前に九州王朝以降を自ら否定して、
博多湾岸説の検証を信者に託したらいいのに。
189日本@名無史さん:2012/05/22(火) 11:04:28.71
   
「邪馬壱国」「九州王朝説」は宜しい。

「博多湾岸説」「ツガル説」は頂けない。

「東北王朝説」は練り直しだ。
190日本@名無史さん:2012/05/22(火) 12:40:18.39
邪馬壱国から駄目駄目でしょ
191日本@名無史さん:2012/05/22(火) 15:25:44.51
>>189
邪馬壱国や九州王朝だって、テーゼとしての意義はあるが、学説と呼べるレベルに達してはいなかったぞ
提唱当時ならまだ通用したけど、その後、学説の要件が上がったのに、古田氏はそれについていけなかったから、そこで問題外のレベルに落ちた。
んじゃないかな。
192日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:58:37.17
>>191
>その後、学説の要件が上がったのに、

古田説を批判できない反論できない学会が、
古田説を封じ込める為に、学説の要件を変えたのだ。
193日本@名無史さん:2012/05/22(火) 19:36:11.11
>>191>>192
違う違う
最初から古田が歴史学の方法論を理解していなかった
それだけのことだよ
194日本@名無史さん:2012/05/22(火) 23:06:33.68
>>1
某スレで
「キナイセツ(この場合邪馬台国畿内説ではなくて考古学史学全般アカデミズムを意味する)は世界の笑いもの!」
とか言っている馬鹿を思い出したが元ネタはここからだったんだろうか?www

つうか何処が将来見直されるのか具体的に挙げているんだろうか?

勿論、「日本の特殊事情」今流行の言葉で言えば「ガラパゴス化(ガラケーならぬガラ学w)」している部分はあるとしてもだw
文字の差異から根本の枠組みを引っ張ってくるが如き手法は国内だろうが国外だろうが認められないだろうと・・・

一元史観に対する多元史観、アンチテーゼで一種カタルシスを感じさせるそれの登場は時代的必然はひょっとしたらあったのかもしれないが流石にもう過去の遺物としか思えない
195俾弥呼の都は久留米:2012/05/23(水) 00:00:57.59
>>194
日本の古代歴史学が世界の異端である、と言うこと。
196日本@名無史さん:2012/05/23(水) 00:03:41.20
>>195
そう信じてるおまいらの方がよっぽど異端な件
197日本@名無史さん:2012/05/23(水) 01:58:17.93
>>194
ガラパゴスというと...


土器編年はガラパゴスだよな。
脱ガラパゴス化のためには理化学年代は絶対条件だよな。
198日本@名無史さん:2012/05/23(水) 02:21:03.79
>>197
つまり歴博のC14年代観採用で
箸墓=3世紀→邪馬台国=ヤマトとなって
古田説敗北決定ということだな
199碑弥呼の都は久留米:2012/05/23(水) 08:33:36.36
>>198
>箸墓=3世紀→邪馬台国=ヤマト

上記のように、
キナイ説には論理的思考の欠如もある
200日本@名無史さん:2012/05/23(水) 12:25:57.78
>>199
「年代が合わないから、箸墓は卑弥呼の墓じゃない」という異議申し立てが却下されて、可能性が高まっただけだしな。
たしかに、確定ではない。
だか、他の候補は九州にはなくなってるし、畿内でない可能性はほぼゼロになった。
201日本@名無史さん:2012/05/23(水) 15:03:18.55
九州王朝説ってウリナラ起源説でしょ?
202日本@名無史さん:2012/05/23(水) 21:16:28.86
ウリナラ起源説は九州王朝説から
チョンが自説に都合がいい部分だけをパクったもの
古田もウリナラ起源説には批判的
203碑弥呼の都は久留米:2012/05/23(水) 21:47:41.20
>>200
箸墓が3世紀建造の可能性があるだけだ。
4世紀建造の可能性もある。

又、3世紀建造の古墳が卑弥呼の墓とするところにも論理的でない思考がある。
204日本@名無史さん:2012/05/23(水) 22:42:12.54
そりゃ根拠を明示することなく
妄想の上に妄想を積み重ねてる
連中には理解できないだろうね
205日本@名無史さん:2012/05/23(水) 23:25:51.50
三世紀頃築造の古墳には、卑弥呼の墓と想定しうるようなものは無いじゃん。

吸収には直系百歩前後の古墳そのものがなく、
「短歩」というギャグ的なシロモノを創作して無理矢理に九州実在の古墳を候補に挙げようと苦心惨憺したぐらいだ。

箸墓(など、マキムク)は、物資の集積度(集積された文物の出身範囲の広さ)など様々な理由から、
倭国の中心地と想定しうるような広域王権は、少なくとも三世紀半ば以降には、日本列島内では他に存在しない。
という理由から、箸墓が有力候補として提案されているだけだ。
反対派が箸墓否定の根拠としていた「箸墓の築造は新しすぎる」説が破綻したことで、可能性が高まったとされているだけだよ。

数多く提出された論拠のうちで、反対派が重視していた反論の部分だけ抜粋して「反論は壊れた」といわれてるだけ。
「年代が合う」は論拠じゃない。

206日本@名無史さん:2012/05/25(金) 20:46:19.72
>吸収には直系百歩前後の古墳そのものがなく、
>「短歩」というギャグ的なシロモノを創作して

「短里」は、70m〜75mであるから、
「短歩」は、23cm〜25cmの長さ。

径百歩の冢は、23m〜25mの径。


「短里」=70m〜75mであることを数学的に否定することは不可能である。
207日本@名無史さん:2012/05/25(金) 22:45:05.10
歴史学的には短里の存在を論証できてないけどなw
208日本@名無史さん:2012/05/26(土) 01:52:31.52
短歩なんてものは文献に明記されていないし、
その大きさを推定しうる材料もない。

比定地とか比定遺跡にあわせて適当な数字をでっち上げて持論にするヤツだけしか唱えていないのが実情で、
学問ではなくデムパと呼ぶべきシロモノ。

数学的な意味を持たないものを数学的に比定することはできんが、
それは「無意味すぎて数学の俎上に載せることができない」って意味に過ぎない。
209日本@名無史さん:2012/05/26(土) 04:35:24.83
>>208
>短歩なんてものは文献に明記されていないし、
>その大きさを推定しうる材料もない。

短歩は文献に明記されているし
その大きさを推定できる材料がある。

@ 周髀算経に短里が定義されている。1里≒75m
A 周制 三百歩 里と為す (孔子家語 王言解)。
B 井田制の短里による理解が1里=300歩の根拠
C 周髀算経が書かれたのはBC12世紀頃であると周髀算経に書かれている。


テレビ終わった、さあ寝よう。
210日本@名無史さん:2012/05/26(土) 10:25:59.85
修正
× C 周髀算経が書かれたのはBC12世紀頃であると周髀算経に書かれている。
○ C 周髀算経が書かれたのはBC1100年頃であると周髀算経に書かれている。
211日本@名無史さん:2012/05/26(土) 13:30:28.29
教祖と同じで史料批判に疎いんだな
212日本@名無史さん:2012/05/26(土) 22:53:52.24
>>211
何についての史料批判のことだ?

周髀算経及び井田制については史料批判済
213日本@名無史さん:2012/05/27(日) 20:50:09.86
古田氏は正式に歴史学の研究法を学んだことがないせいで、
文献批判の方法を勘違いして、本当にデタラメな方法で文献批判(と称する奇行)をしてるんだよな。

文献批判という手法が成立する前の古典的な方法論しか知らないとか、そういうレベル。
近代文献学の存在すら知らないと考えざるをえない、前近代的な水準だ。

そういう水準の連中が言う「周髀算経及び井田制については史料批判済」という言葉には、
信頼できる要素が欠片ほども含まれていない。
214日本@名無史さん:2012/05/27(日) 22:29:13.50
>>213
だからこそ素人騙しのレベルだと言われるんだよな。
215日本@名無史さん:2012/05/28(月) 08:20:34.18
論理的思考のできない輩のお手上げ宣言か。
216日本@名無史さん:2012/05/29(火) 07:10:48.48
>古田氏は正式に歴史学の研究法を学んだことがないせいで

具体的に。そういう無内容な悪口の場ではないので。
217日本@名無史さん:2012/05/29(火) 21:36:20.02
あのさ、信者と言うか古田氏に近い人、
せめて亡くなる前に本人から、自説を修正させない?

九州王朝はトンデモだけど、まあアレは主張していいからさ。

「和田に騙された! ツガルはインチキだ」って
宣言させて、罪と穢れをはらって死なせてあげない?

このままでは、在野のユニークな異端史家ではなく、
粗雑な詐欺の片棒担いだ、みじめな阿呆として終わってしまう。

あまりにも惨めと思わないか?
218日本@名無史さん:2012/05/31(木) 00:42:33.59
なんか、20年ぐらい前から、古田は根拠のない語源分析論を振りかざして、
あっちの世界(オカルト)に行ってしまった感がある。

だから今は、昭和40年代から構築してきた体系の外で、あれこれと
つついているだけであって、もはや「自説の修正」をする世界に住んでいない。
219日本@名無史さん:2012/05/31(木) 03:15:39.30
文献学ってさ、「どの写本が原本に近い」とかいう低レベルなことを論議する学問じゃないんだよ。

すでに原形を残さなくなった文献の、元の姿を復元しようと目論む技術といった方がいい。

ギリシャ〜ローマの哲学書とか、春秋戦国の諸子百家の論または四書五経の記述とか、
原文が一字一句間違いなく復元できていないと、その内容について適切な議論を行いにくいじゃん。

議論の前提として、できるだけ元の記述を正確に復元しようって事。

一例として。
唐の律令が、刑法典である律だけしか残存せず、令はほとんど散逸してしまっている。
日本の律令も、大宝律令などの初期のものは散逸して残っていない。
これらを不完全ながらも復元した研究だってある。


その技術を用いて考察したら、たとえば邪馬壱国よりも邪馬臺国という記述の可能性の方が高いって事になるんだよ。


史料批判ってのもそうだ。
自説と対立する内容を持つ文献を非難して捨て去るような行為の事じゃなくて、
この文献のこの記述はどのような意図があってどの程度に信頼できるかできないかを、
細々とした部分ごとに検証していくことであって、文献それ自体を批判することじゃない。

そんなことも分かってないようなド素人しか古田氏を信奉することはないってわけ。
220九州王朝大好き:2012/05/31(木) 11:52:19.77
卑弥呼の都は久留米」の書き込みに、数字の間違いを発見したので訂正する。

間違い数値の部分
周髀算経巻下には、北極樞と北極中大星のなす角度は、5.0°であると書いてある。
BC1100年頃の、天の北極(北極樞)と小熊座β星(北極中大星)のなす角度は、5.0°であった。

数年前「九州王朝大好き」が書き込んでいた正しい数値
周髀算経巻下には、北極樞と北極中大星のなす角度は、6.4°であると書いてある。
BC1100年の、天の北極(北極樞)と小熊座β星(北極中大星)のなす角度は、6.4°であった。


補足
>周髀算経 - Wikipedia の引用
>成立時期は不明であるが、『呂氏春秋』からの引用と考えられる箇所があることから
>戦国時代末期から前漢にかけての著作とされ、蓋天説が発生した紀元前2世紀前後の著作と考えられている。

しかし、周髀算経の原本の成立は、北極樞観測データから、商時代末期である西周勃興期のBC1100年頃である。
西周武王の約50年前に周髀算経の原本が書かれたのである。
なぜなら、北極樞(天の北極)と北極中大星(小熊座β星)のなす角度が6.4度になったのはBC1100年で、
この時が両者が最も接近した時だからである。
又、周髀算経が周公の商高(商の人)への問で始まることからも裏づけされる。
221日本@名無史さん:2012/05/31(木) 14:00:38.96
周髀算経の網羅的な研究として有名な
能田忠亮「周髀算経の研究」には、周髀算経の成立時期について

天文算法並に其の発達史の見地より見るも、周髀に見えたる天算の知識の多くは、後漢四分暦に基くものにして、周髀の
制作年代も略四分暦以後蔡?の頃迄の間に在りと為すべきであらう。然りと雖も、周髀に見えたる天文算学の概念及び方
法の起源は頗る古く、遠きは周代の天象、近くは春秋中期より戦国初期に至る間の天象を伝承せる部分あり、実に後世天
算の先駆と言う可きものである。(『東洋天文学史論叢』pp.167-168)

とあります。Wikipediaの記述がほぼ正しいと思います。

『周髀算経』の原本が周代に成立したという主張は、その原本そのものが見つかっていないこと、および『史記』や『漢
書』などに言及がないことなどから、原本の存在は疑わしいのではないでしょうか。
多分、周代の観測記録の一部がたまたま残っていたか、あるいは伝承されてきたものが、『周髀算経』に取り入れられた
ものではないでしょうか。『周髀算経』の冒頭が

昔者周公問於商高曰

で始まっているからといって周時代にできたものとはいえないでしょう。
権威付けに周公の名前を利用したのかもしれません。

なお、
>周髀算経巻下には、北極樞と北極中大星のなす角度は、6.4°であると書いてある。
とありますが、『周髀算経』巻下の原文には、6.4度という数値は見当たりませんが、何処に書いてあるかご教示ください。
222日本@名無史さん:2012/05/31(木) 18:20:28.92
>>220

おや、大好きさんお久しぶりですね。
いつの間にか、トリップ付けるのやめちゃったんですか?
223九州王朝大好き:2012/05/31(木) 21:35:31.23
>>221
「6.4」度という数値が書いてあるわけではありません。
直角三角形の辺の斜辺と他辺との比から三角関数を使って計算したものです。

http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59462 が記述部分。

斜辺の長さC[去表]=1丈3寸=103寸、他辺の長さB[相去]=2尺3寸の半分=11.5寸。

故に、北極樞と大星の角度は、arc-sin(11.5/103)=6.41°


一方、
小熊座β星の黄道の北極点からの角度は、17.4度。
BC1100年の天の北極の黄道の北極点からの角度は、23.8度(現在は23.4度)。・・・地球の歳差運動による変化。
故に、BC1100年の天の北極(北極樞)と小熊座β星(大星)のなす角度は、
23.8度−17.4度=6.4度となる。

周髀算経に書かれた天文現象はBC1100年のこととなるから、
周髀算経の原著の成立は、商時代BC1100年の頃である。

周公(武王の弟)は約50年前の商時代の天文学を商高(商の人)から教えてもらったのか、それとも、
商時代末期の周公(先王の一人)が同時代の商高(商の人)から教えてもらったのか、のどちらかとなる。
224日本@名無史さん:2012/06/01(金) 09:48:21.37
>>173
網野の本当に興味深いというか、面白いところは、
屈折した「板東(関東平野)中心史観」が見られるところなんだよね。
中世史を研究すれば、鎌倉政権が、意外に「中部地方(甲信駿豆)寄りの政権体質」であって、
関東の、特に(今の)利根川以北とは異質であることに、すぐに気付くはず。
そして、中世の関東平野というのが、
中央部の湿地帯で二分される、ある種の遷移的な「文化的草刈場」であることにも気付くはず。
網野は、一貫して「関東の統一的優位性」を疑うことが無い。
この「偉大なる単一不可分の大関東八州」が、「東日本に冠たる東国文化を指導する偉大なる中枢」として、
近畿の朝廷文化と対峙する、というのが、網野の基本的発想。

多分、これは「山梨生まれ、幼少期以来の東京育ち」という環境のもたらした「無意識の東京帝国主義」の結果。
山梨と東京を一体化した上で、東京の絶対的優位性がすり込まれる。

こういう、個人的なメンタリティーが、「○○史観」には極端に影響し得るという点は、
大変に重要だと思う。それも、網野の例で分かるように、やや屈折した形で反映する。
甲州人なのだから、山梨マンセーだろ?というわけでもない。
225日本@名無史さん:2012/06/01(金) 17:23:31.62
>>223
棒の太さとか諸々の要因による影長誤差が実在することを考えれば、
前漢末期の測定でも、その程度の長さで記載された可能性がある。
という指摘を受けてるわけで、周代の記録に違いないという決めつけは通用しない。

誤差はないという、有り得ない前提で逆算してみたら周代ということになるよ、という指摘以上のものではないんだよ。
226九州王朝大好き:2012/06/01(金) 19:43:43.19
>>225
>誤差はないという、有り得ない前提

角度の誤差は、0.5%以下であることが数学的に証明できます。


>棒の太さとか諸々の要因による影長誤差が実在することを考えれば、

北極樞の観測においては影の長さの影響はありません。
日影の長さの誤差については見当違いも甚だしいですね。
誤差論について十分に学習してから論じて下さい。


古代人の測量技術を見下してはいけません。
測量技術に関しても、現代の素人であるあなたの方が遥かに原始人であること自覚しなさい。
227日本@名無史さん:2012/06/01(金) 22:59:32.84
>>226
>0.5%以下であることが数学的に証明できます
自分自身に矛盾がないことを証明できる系はない。
当然、本それ自体が無矛盾であることを数学的に証明などできないだろ。

>古代人の測量技術を見下してはいけません。
測量技術が正しくても書物にその情報が正確に載ると限った話じゃない。

現代でも、たとえば厚生労働省の統計による交通事故死者数と警察庁の統計での交通事故死者数が大幅に違っているような、
集計ルートによる数値差は各所にある。
どちらも全数集計なのに、数値が2割3割も違うんだぞ。
(もちろん、数値の違いには必然的な意味があります)

そういえば、太陽高度の方は0.5度きっかりのズレがあったっけ
228日本@名無史さん:2012/06/02(土) 07:34:56.36
>この「偉大なる単一不可分の大関東八州」が、「東日本に冠たる東国文化を指導する偉大なる中枢」として、
>近畿の朝廷文化と対峙する、というのが、網野の基本的発想。

なんだツガルなんとかと変わらんじゃん。

それでも関西中心史観と単一民族論に
一石
を投じたのは評価できる。
古田氏も親鸞研究や、版本に検討が必要なこと、
神話が「創作」ではないことや
好太王碑文非改竄説は一定評価されてんだし。

まちがっているとはおもうけど
「やまいち証券」と博多湾岸説までは主張していいと思う。

九州王朝以降をなんとかして欲しいなあ。

言語学の碩学の大野だって、
晩年は「タミル語説」とかで晩節を汚したし。
229日本@名無史さん:2012/06/02(土) 10:27:27.63
>>227

「誤差」と「統計」の区別がつかないようだね。

さらに「確率」の考え方が入ってくると混乱して発狂しそうだね。
230日本@名無史さん:2012/06/02(土) 14:09:38.06
>>229
警察庁は厚生労働省のデータを使わず、厚生労働省は警察庁のデータを使わないという排他性のことを言ってるんだがな。
情報が広く共有されるなどという、あり得ない前提を捨てろ。
231229:2012/06/03(日) 14:53:56.71
   
>>230は、頭がおかしいようですね。
232日本@名無史さん:2012/06/04(月) 23:26:47.32
>>231 の目の前には鏡でもあるのか?
233日本@名無史さん:2012/06/05(火) 06:06:16.23
大学の頃はまったのよ、古田説。
今では邪馬台国博多湾説も含めて、全否定だけど。
最後に、なんとか間違ったことみとめて欲しいなあ。

九州王朝説は騎馬民族説なみに奇説だけど、
そこまでは主張してもいい。


ツガルだけは許し難い。
234日本@名無史さん:2012/06/05(火) 06:23:51.27
昔の人だから。
自分も>>224さんと同じように思う。
結論より先に立つものがあったんだろうね。
235日本@名無史さん:2012/06/05(火) 10:19:10.06
   
「邪馬台国はなかった」は、眉唾で読んだ。
古田氏は詐欺師ではと思った。

邪馬台国博多湾沿岸説は、もうそろそろ店じまいの時期だ。

九州王朝説は、部分的には間違いもあるが、素晴らしい分析だ。

ツガルは古田氏の汚点。残念なことだ。
236日本@名無史さん:2012/06/05(火) 14:30:34.85
古田の頭の中では、次のものが混然一体となって反感があるのだと思う。

畿内説=皇国史観=特高警察=戦時日本=軍事教練=君が代=靖国神社=学閥

つぎのようなものは、渾然一体となって親近感があるのだと思う

九州説=反体制=共産主義=憲法九条=東日流外三郡誌
237日本@名無史さん:2012/06/05(火) 14:36:28.67
>>236
実際には、過去に皇国史観と親和的だったのは邪馬台国九州説の方で、畿内説の方が反皇国史観だったんだがな。

畿内説は「天皇が中国に朝貢していた」となるのが、皇国史観的に不都合だったから。
238日本@名無史さん:2012/06/05(火) 14:56:10.90
>>238

本家本元の畿内説=新井白石は、中国に平身低頭した邪馬台国こそ、
九州の野蛮人=熊襲の国であったという皇国史観だったわけだが。
239日本@名無史さん:2012/06/05(火) 18:12:11.26
>>238
皇国史観そのものじゃなくて、その祖先だな
まだ黎明期だから、のちの皇国史観との違いも多いが。
240日本@名無史さん:2012/06/05(火) 23:31:44.97
いまさら気にくわない説を
皇国史観だ、いやアカだとレッテル張ることじたい
負け犬の遠吠えだろ。

古田も安本も、決史八代実在説だろう。
九州史観、ましてツガネは
右も左も関係ない。

バカかまともか、
ガイキチか正常かの違いだ。
241日本@名無史さん:2012/06/05(火) 23:46:21.87
>>239

だから、どちらの皇国史観もありうるんだよ。
しかし、古田が共産党系の雑誌『文化評論』に寄稿していることは確かだ。
242日本@名無史さん:2012/06/06(水) 04:04:18.52
古田は前史(研究史)を知らなかったから、
「邪馬台国畿内説が皇国史観由来」と事実誤認した、それだけだろ?
243日本@名無史さん:2012/06/06(水) 04:36:34.20
そうはっきり判断したんじゃなくて、
戦時中の軍国主義と畿内説とが、頭の中で一体のものに感じられていたんだと思う。
で、共産党だの中山千夏だの『文化評論』だのが近しく思えたんだろう。
244日本@名無史さん:2012/06/06(水) 06:25:05.18
右でも左でも、
「地球空洞説」はトンデモだろう。

同じく九州王朝もトンデモだ。

ただ、関西の歴史=日本の歴史とした
近畿一元史観とやらを批判したのは
とても評価できる。

ツガルの最大の犠牲者は
東北の真面目な歴史学者たちなんだ。
245日本@名無史さん:2012/06/06(水) 06:55:02.92
誰を真面目と呼ぶべきなのやら。

今や東北の考古学は骨の髄まで藤村新一礼賛派が占めているし、
特に宮城の藤村汚染は酷い。

そして東北地域主義を謳う人の主張を見ると、ヤマトへの対抗だの
薩長出身者への相手を問わない無条件破壊こそ正義だから学校でも職場でも陰謀をめぐらして彼らを蹴落とせだの
ダメダメな言葉が躍っている。脳内汚染が酷すぎるんだよ。
246日本@名無史さん:2012/06/06(水) 19:00:38.34
>>233>>235
古田の主張の中で、津軽なんちゃらは、そこまで悪質だとは思わないけどなあ。
あれは、最初から古田側の説得力の低い論争だったことと、
古田自身は気付いていなかったが欧州で数百年の伝統を持ち、真贋ネタなんてお安い御用という
フォークロア研究の方法論に、実はすっぽり飲み込まれてしまうもので、
既存の学問を、害意を以て完全破壊するものではなかったから、
「一つの学問分野の蓄積全部を、斜め上に吹き飛ばしてしまう」ような、真に悪質なものではなかった。

古田系の主張(本人とは限らない)の中で、有害なものがあるとすれば、
「王朝」の恣意的な語用論的定義と、あとは「源氏物語九州説」くらいかなあ。
王朝というタームを弄んだことは、実は大変に深刻な問題で、
弟子達が、「東北王朝」どころか、「大埼玉帝国を拠点に繁栄した『関東王朝』」というネタ話を
大まじめに展開するという事態になって、しっぺ返しを食らっている。
247日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:18:36.49
>>245
さすがに、今の東北では藤村は完全な黒歴史だよ。
本当は、東北の学会総出で、なぜどうやって藤村に騙されたのか、きちんと反省しないといけないんだが、
そこまで心の整理が出来てないみたいw

近代史に限ってはねー。会津を筆頭に、東北は、
明治という政権交代の「遺恨という債務の保証人」として苦しんでいるんだな。
この債務は、実は「余所の地域の他人事」なので、憤怒をきちんと自分で受け止められない。
だから、話が捻れておかしなことになる。
保証人ということは、つまり、主債務者がいる。
この、トンヅラをこいて「俺は関係無いよ」と言って、栄華を誇っている主債務者こそ、
愛知、静岡(そして東京)なんだな。
愛知の変な役者なんて、「わしらがこそ、天下を取れた偉大なる愛知民の武将でござる」なんて言って、
コスプレをして全国を回っているらしいし。
愛知と静岡は、きっちり政治的に冷遇されるべきだと思う。>>1とは全然関係無い話だがw
248日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:50:15.91
確かに、古田の「王朝という語の定義」はあいまいだね。
外国を睥睨する国ならなんでも王朝です、っていうノリだからね。
249日本@名無史さん:2012/06/07(木) 00:06:01.37
律令年号を持つ政治体制を「王朝」としただけだ。
九州王朝は6世紀初頭岩井から7世紀末まで。
8世紀からは大和朝廷が王朝になる。
「東北王朝」は、「邪馬台国はなかった」と同じで、
受け狙いのセンセイショナルな題名でやり過ぎ。

と思うが。
250日本@名無史さん:2012/06/07(木) 00:53:03.31
「九州王朝」命名のあとに「九州年号」を持ち出したはずたが
251日本@名無史さん:2012/06/07(木) 02:17:02.80
しかも、「九州年号」は「九州王朝」より圧倒的にトンデモだしな。
252日本@名無史さん:2012/06/07(木) 02:38:44.53
253日本@名無史さん:2012/06/07(木) 04:53:01.47
同じことを書くが、
古田氏はとっくにツガルがトンデモ偽書だと気付いてる。
まあ九州王朝は信じきっているかもな。

和田の詐欺の片棒担いだことを
意地でも認めたくないから、死ぬまであがき続けるだろう。

信者はそれでいいのか?
まあ九州王朝説信じるのは勝手だ。
人類文明は宇宙人が作った、と信じる程度には
害はない。
しかし信者は本当にツガルを信奉しているのか。
それとも、古田氏の暴走をしぶしぶ眺めているのか。
254日本@名無史さん:2012/06/07(木) 12:39:30.00
故高田かつ子会長が、和田家文書の信憑性を支持して、批判派を一喝したそうな。
古田自身は、初めて会った時の和田氏の胡散臭さを本にかいているとおり、
ペテン師であることはある程度分かっていたと思うが、和田氏が和田家文書群を
なかなか見せようとしないので、あからさまに和田氏の批判を言えない立場だったな。
結局和田氏は、寛政原本を死ぬまで古田に見せることはなかった。
和田氏は寛政原本を元にして、偽作古文書を作ろうとしていた可能性すらある。
255日本@名無史さん:2012/06/07(木) 14:00:39.25
偽作古文書作成とか愉しそうだな
256日本@名無史さん:2012/06/07(木) 22:05:44.75
>ペテン師であることはある程度分かっていたと思うが


じゃあなんで古田御大は……
このままでは親鸞研究すら将来否定されかねないぞ。

どう考えてもツガルはカス偽書だろ。
それとも何か、信者はオウムなみのキ〇ガイか?


それならあんたらとその子孫が差別されても、文句言えないぞ。
257日本@名無史さん:2012/06/07(木) 23:20:00.24
そんなに必死だと、反津軽厨と言われてしまうよw

津軽ネタは、学問の方法論的には、そんなに深刻な問題ではないんだ。
ルネッサンス以来の文献学というのは、真贋なんてさっぱり分からないカオス古文書の分析をその本業とする。
これはただの文芸趣味では済まされなかった。
ローマ法の原典なんて、誰がどこに手を入れたのか分からないような代物。
18世紀までは、欧州の裁判官は、そんなネタを根拠に、実際に判決を書かなければならなかったんだから。
人文主義は、こういうカオスが出た場合は、なぜそんなカオスが出てきたのか?を考える。
そこに、たとえば和田家をめぐる社会の構造を理解する。真贋自体にムキになることは、あんまりない。

むしろ、現在進行形で、古賀氏が繰り広げてい議論のほうが、問題が大きい気がする。
大化の改新懐疑論から、「難波宮=九州王朝副首都説」「関東平野への九州王朝の支配」と、
かなりヤバイ方向へ急激に進んでいる。
古田自身は、九州王朝説が、皇国史観の裏返しであることをよく知っていたから
九州王朝説を極端に膨張させることには、意外に懐疑的だったが、弟子はそうではない。
一番弟子により、ついに「日本列島全域を支配する【大筑紫帝国】」論という禁断の中毒理論にはまりつつある。
258日本@名無史さん:2012/06/08(金) 01:06:07.25
結局古田史学の会は会長以下の誰もが歴史学の方法論を理解していなかったの一言に尽きる
259日本@名無史さん:2012/06/08(金) 01:14:15.05
ペテン師が、ペテンじゃない原本を保有していたのが、運の尽き。
260日本@名無史さん:2012/06/08(金) 05:47:54.58
>>257
古賀は九州王朝一元史観なのかw
古田の多元史観を超えたな。
ご立派!
261日本@名無史さん:2012/06/08(金) 06:02:50.77
まあ、古田氏の「反近畿一元史観」と
「神話は想像ではない、事実の拡大誇張による伝説化」

ってのはかなり評価してんだけど。

それだけにツガルとかなんとか
頭にくる。
262日本@名無史さん:2012/06/08(金) 07:05:45.62
多少弁護もするか。

かなりアヤしいは思いつつも、いろいろあってペテン書に
「のった」。すると
御本尊より過激な、頭の悪い信者がツガルほ聖典視しだし、
古田氏もひっこみがつかなくなった。

どんどん深みにはまってカルト化しね
ついには原本捏造とか、超えてはいけない一線を超えた。


こんなところか。
まあカルトにありがちなことだがな。

今は古田氏も内心反省しているがいいだせない。
カルト信者が競って過激化しつつあるのだろう。
263日本@名無史さん:2012/06/10(日) 21:37:55.01
>>260
>>古賀は九州王朝一元史観なのかw 古田の多元史観を超えたな。ご立派!

いいぢゃないか。古賀のは道楽なんだから。道楽の自由だよww
264日本@名無史さん:2012/06/12(火) 18:36:05.34
古賀の道楽はご立派だ。
いろいろ好いことを言っているが、
ご当地史家への道を歩む危うさも感じられる。
265日本@名無史さん:2012/06/12(火) 19:07:00.38
>>264
>いろいろ好いことを言っているが
具体的にはどんなこと?
266日本@名無史さん:2012/06/13(水) 05:45:48.39
古賀はこれも九州王朝だと言うんだろうなw
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120612-OYT1T01538.htm?from=main8
267日本@名無史さん:2012/06/13(水) 20:44:03.04
九州王朝にも「評」や「進大弐」があったのでつか
268日本@名無史さん:2012/06/14(木) 11:29:19.17
九州王朝の支配組織が崩壊した698年以前の木簡であるのなら、
「評」や「進大弐」は九州王朝の名称。
C14で年代測定をすれば簡単に分かると思うが。

なお、698年は九州王朝の大野城落城の年。
269日本@名無史さん:2012/06/14(木) 12:17:05.45
>>266
九州王朝かどうかは判らんが、少なくとも大和大王家が管轄する戸籍では
なかろう
270日本@名無史さん:2012/06/14(木) 13:46:15.98
弐は次官で、大少があるから大弐と少弐ってなる
進 は進上すること
王侯への格別な尊敬を示す敬語じゃなく、役人の上下関係によるちょっとした尊敬を示す
防人(の原型?)に関する木簡だろう

その付近に九州王朝の影響が皆無だったことを示しているとしか思えんな。
271日本@名無史さん:2012/06/14(木) 17:13:13.86
死にかけの古田よりも古賀が気になる。
古賀のプロフィールヨロ。。
272日本@名無史さん:2012/06/14(木) 22:04:01.51
古賀は久留米出身で現在大阪在住。
京都の染色会社の技術者で古田に傾倒。
一時、古田と別れた時期もあったが、直に戻る。
定年後は身を入れて活動中。
273日本@名無史さん:2012/06/14(木) 23:55:34.60
>>272
ありがとうございます。。
年は30代とか勝手に思っていたけど、
“定年後”ということは50〜60代の方なんですか?
274日本@名無史さん:2012/06/15(金) 00:32:13.40
60代の方です。
今も未だ仕事もされているようなので、
京都のその染料会社の役員か嘱託をされているのかもしれません。

彼の「洛中洛外日記」の記事から上記の様に思っているだけです。
275日本@名無史さん:2012/06/17(日) 06:33:34.69
まあツガルは問題外としても、

九州王朝説は、邪馬台国四国説程度には
扱ってもいい。
本屋の「読み物」コーナーなんかに
自費出版の「安徳天皇は生きていた」なんかと
並んで置く程度には。
276日本@名無史さん:2012/06/17(日) 07:57:45.17
古田がくたばれば終わりだな
277日本@名無史さん:2012/06/17(日) 16:30:00.70
八切止夫みたいな感じ?
278日本@名無史さん:2012/06/17(日) 17:25:02.48
八切はまだユーモラス。

ほとんどが菊池山哉のパクリだけど、

パクったことを堂々と明らかにして、それを
どんどんトンデモ化してる。

まあ似てなくもないけどな。
279日本@名無史さん:2012/06/18(月) 17:07:54.33
中国の歴史書に登場する1C「漢委奴国王」2C「帥升」3C「卑弥呼」5C「倭の五王」6C「筑紫君磐井」7C「阿毎多利思北孤」ら歴代「倭王」は、
大和朝廷の大王ではなく、7世紀白村江の戦いで滅びた九州王朝の大王だったとする「九州王朝説」。

倭国=九州王朝、大和朝廷=関西扶桑国とするこの二王朝並立説は、
記紀的な大和朝廷一元史観の見直しを迫る画期的な説ではあるのだが…問題も多い。

-邪馬台国と大和朝廷の関係(邪馬台国は九州王朝の祖になったのか?東遷して大和朝廷に、敵対していた狗奴国が九州王朝の祖となったのか?)
-九州王朝と大和朝廷が並立していたとすればその力関係、役割分担はどうしていたのか?(年号問題、関西巨大古墳の存在)

これらに明確な答えが出せない限り、奇説に留まるだろう。
280サガミハラハラ:2012/06/18(月) 18:33:32.84
倭の五王は畿内ヤマト王朝の王です。
筑紫君イワイは豪族であって王ではありません。
阿毎多利思北孤はきないヤマト王朝の妃とです。おそらく聖徳太子。
二王朝並立説は九州王朝と大和王朝でいいんじゃない。
ところで多い問題とは?
邪馬台国は九州をはなれていません。大和朝廷は卑弥呼邪馬台国よりずっと以前に北部九州元福岡市西区山門の日向から出発して奈良盆地に定着したのです。
そこを拠点に勢力を拡大し、やがて九州の邪馬台国を吸収合併したのです。
邪馬台国が九州王朝の祖ではなく九州王朝そのものなのです。東遷云々は狗奴国は邪馬台国女王壱与にほろぼされていますよ。(ちと質問の意味がわからない)
並立していたのですが、双方ほとんど没交渉です。
年号などというのはもっともっと後の話です。
281日本@名無史さん:2012/06/18(月) 19:29:51.89
>>280

>倭の五王は畿内ヤマト王朝の王です。

ヤマトの王が朝鮮半島の覇権公認を中国側にお願いしているのに、
なぜ九州の覇権だけは中国側にお願いしないんですか?
倭の五王こそ九州の王としないと、勢力図がズタズタで説明になりませんよ。
282日本@名無史さん:2012/06/18(月) 19:46:20.71
>>280
>やがて九州の邪馬台国を吸収合併したのです。

4世紀の話?どうやって九州したの?
283日本@名無史さん:2012/06/18(月) 20:03:07.87
7世紀、隋・煬帝に書簡を出した「倭王」阿毎多利思北孤には妾が600〜700人、利歌彌多弗利という皇太子がいて、噴煙を上げる阿蘇山の記述がある。

その時、大和朝廷は推古女帝で厩戸「皇子」摂政ではなかったか? 

「阿毎多利思北孤」こそ九州の王としないと、九州王朝説は邪馬台国九州説と大差ないのでゎ?
284日本@名無史さん:2012/06/18(月) 20:07:07.84
283さん、正解です。
285日本@名無史さん:2012/06/18(月) 20:38:25.63
>>280
福岡市西区山門の日向?
日向峠なら西区吉武と金武と糸島市高祖の境となってますけど
そこで言う山門と日向の文献に見える初出の時期はいつなの?
286サガミハラハラ:2012/06/18(月) 20:53:39.87
>>281 大和による九州の支配はしっかりと確定しているのですが、半島については、半島の諸国がしたがわずにいろいろ画策するので、中国に認めてもらおうとしたのです。
邪馬台国が弱体化してしまったためです。
その問題は聖徳太子が本当は皇位についていたのではという問題があるのです。聖徳太子の謎ですな。
平安時代には山門庄というのが存在していました。
日向の文献ですが、古事記ということになりますから、奈良時代ということになりますか。
287日本@名無史さん:2012/06/18(月) 21:00:44.71
はあ?
学問のレベルじゃないでしょ
どこかの国の人間みたいな真似やめなよね
288日本@名無史さん:2012/06/18(月) 22:05:59.95
九州王朝説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC

>畿内地方には多くの巨大古墳が造営されたが、同一の王権が大規模な対外戦争を継続しながら、同時にこのような大規模な巨大古墳
>の造営を多数行うということは考えられないので、畿内地方に多くの巨大古墳を造っていたのは、朝鮮半島で活発に軍事活動を行っていた
>「倭」からはある程度独立した勢力だったとみられる。
>また、古墳文化の広がりをもってヤマト王権勢力の拡大と見なす意見があるが、宗教文化の広がりと権力の広がりとは必ずしも一致するも
>のではない。古墳文化の広がりは宗教儀礼の広がりでもあり、これとヤマト王権が結びつくとの意見もあるが、根拠は明確にされておらず、
>古墳文化の広がりを以てヤマト王権勢力の拡大とするには証拠として無理がある。
>古墳は豪族の墓であり、これが各地で造られたことは中央からは独立した地方勢力の存在を示すものであり、
>ヤマト王権勢力の支配力が拡大したとする説とも矛盾する。
>また、この時代は古墳の形態も地域によって特色があり、出雲や吉備等にも独立した勢力が存在したことを示している。

公共事業や宗教活動にしては、九州から東北まで前方後円墳という統一した形だし、
各地域(出雲・吉備・東海・関東)などの勢力を完全に取り込んでいなければ、このような統一した形式の墓にはならないはず。

九州王朝を強調したい勢い余って、大和朝廷を甘く見すぎなのではないか?
289日本@名無史さん:2012/06/18(月) 22:57:45.15
出雲は古墳形式が違っているな
290日本@名無史さん:2012/06/18(月) 23:03:35.74
wikiなんて持ってくんなw
291日本@名無史さん:2012/06/18(月) 23:05:15.85
>>289
前方後方墳か
これは出雲だけでなく古い時代の畿内にもあるな
292日本@名無史さん:2012/06/19(火) 00:04:39.22
>>286

>大和による九州の支配はしっかりと確定しているのですが

大和は5世紀に入ってすら、隣接した播磨を支配できていませんが?
九州支配なんて、夢のまた夢ですよ。
293日本@名無史さん:2012/06/19(火) 05:54:17.82
大先生の死後、天皇アラブ渡来説なみの珍説として
忘れ去られていくだろう。

294日本@名無史さん:2012/06/19(火) 06:52:57.89
まあ、江上波夫氏の「騎馬民族征服説」と同じ運命を辿るでしょうな。
295サガミハラハラ:2012/06/19(火) 07:12:25.69
大和による九州支配は300年代初期垂仁天皇の時代です。
支配する際に大規模な戦争等はありませんでした。衰弱していた邪馬台国等は
唯々諾々としたがうしかなかったのです。
そりゃ時折どこかで反乱があったりするでしょうが、だからといってそれまで支配下になかったというのはどうもねえ。
296日本@名無史さん:2012/06/19(火) 07:14:35.01
>>289>>291
http://teda.iza.ne.jp/images/user/20071015/152613.jpg
都出比呂志氏の研究成果によれば、
【@前方後円墳→A前方後方墳→B円墳→C方墳】の階層秩序が、古墳時代の北海道と北部九州を除く、日本列島のほぼ全域で存在していたことを示している。
さらに、周溝、段築、埴輪が多いほど格が高くなる。この【序列を造った】のがヤマト王権といえよう。単に【大きさを追求】していたのではないことに着眼されたい。

倭の五王が九州王朝の大王とすれば、頻繁に中国皇帝の冊封を求めているので、後漢・光武帝の薄葬令の影響を受けたと見られ、
ヤマト王権のように【巨大な墓で序列を作る】というようなことは、しなかったと思われ。
297日本@名無史さん:2012/06/19(火) 08:34:35.42
そんな古墳の進化モデル成立するかねえ?
どうみても近隣の前方後円墳より大きい円墳があったりするのに。

まず間違いなく前方後円墳で統一されるのって、
6世紀とか古墳時代後期のギリギリのところじゃなかろうか。
298日本@名無史さん:2012/06/19(火) 09:54:47.78
形式的には前方後円墳や多段構築は身分の高い人しか許されなかったろうけど
実質的な勢力権力的には大きさと比例すると思ってよいだろうさ
299日本@名無史さん:2012/06/19(火) 12:38:18.36
>>297
>どうみても近隣の前方後円墳より大きい円墳があったりするのに。

その円墳と前方後円墳の築造時期が同じと確定しているばあいにしか意味を持たない疑問点ですな。
300日本@名無史さん:2012/06/19(火) 13:36:10.00
>>295

だから、5世紀になっても大和は播磨すら支配できていないわけです。
九州支配など一切不可能です。
301日本@名無史さん:2012/06/19(火) 13:42:35.14
何で古田は東日流外三郡誌なんかに入れ込んだんだろうか。
今さら偽書だとは認められないしなぁ、、今では後悔してるんだろうか。
302日本@名無史さん:2012/06/19(火) 15:15:22.58
>>300
分裂状態から統合状態、統一権力にむかって一方通行で進むというのが間違ってる。
統一に向かいやすい時期もあれば分裂に向かいやすい時期もあるんだよ。
そういう傾向は、広い範囲で同時に訪れる傾向があるから、中国での分裂化と統合化の時期をみれば日本列島での様子も類推できる。

後漢末の分裂時代(群雄割拠時代)から再統合に向かった三國時代や西晋時代と、分裂傾向が強くなった五胡十六国〜南北朝時代(特に北魏の東西分裂期)では、日本列島でも同様な時期に統合化や分裂化が起きてるだろうさ。
複数王朝併存は、分裂時代に限られてるんじゃないか?
303日本@名無史さん:2012/06/19(火) 15:38:27.86
>>302

その話、理念としては面白いんだけど、
いくらなんでも大和が播磨すら支配できていなければ、九州支配など不可能。
倭の五王の時代も、列島側が無数の国家に分裂していた様子もない。
304日本@名無史さん:2012/06/19(火) 15:45:40.84
今、ふと思ったんだが、文字というか木簡というお手紙による通信手段。
これを利用するためには、司令部と各部隊に読み書きできる人員が必要。

この通信技術を利用出来る国と、利用できない国。
その2つの条件で、軍事力にどのくらいの差がつくか?

まあ、いま思いついただけなんだが、
ゆっくり考えてみるとするか。
305日本@名無史さん:2012/06/19(火) 15:51:22.03
山陰&北陸の前方後方墳と、東海近畿&関東東北の前方後方墳は、
たまたま行き着いた形が同じだけで、系譜的には「他人の空似」なんだがなあ…
山陰のものは、四隅突出の突出が集約され、四角の正面に一つとなって、前方後方墳となった。
東海のものは、方墳の付属部分(おそらく祭壇)が、徐々に発展して、前方後方墳となった。
306日本@名無史さん:2012/06/19(火) 16:51:07.03
>>303
全国を統一したあとでも、戦国時代が到来することが可能だったのに?
307日本@名無史さん:2012/06/19(火) 17:38:10.69
>>303
播磨すら支配できてないという根拠をおしえれ。
308日本@名無史さん:2012/06/19(火) 18:25:37.20
>>306

覇権を同レベルで争うから、戦国時代なわけでしょ?
古代は、戦国時代みたいに国家基盤がそれだけ熟してないんだよ。
古代なら、九州と近畿が無関係に国を作っても、お互いに勝手にやれば?の時代。
309日本@名無史さん:2012/06/19(火) 18:28:21.33
>>307

大和の犯人が播磨に逃げると、逮捕できなかった。
仏教を大和朝廷(ヤマト王権)に初めて伝えたのは、播磨から。
310日本@名無史さん:2012/06/19(火) 20:01:47.63
>>308
完全に統一状態を実現し、
日本という意識が全国的に普及した後でも戦国時代のような分裂時代の到来が可能だった。
ましてや、そういう意識が出現する前ならなおさら、統合から分裂への移行は容易だっただろって。

それとな、戦国時代に「(全国の)覇権を争う」レベルで戦った大名なんて、同時代に一人二人ぐらいがいいとこ。
ほとんどの大名は、国境紛争プラスアルファ程度の意識で戦っただけ。
基本、自分が滅ぼされないため、勢力削減されないために戦ってるだけだよ。

306で言ってるのは、
「後の時代で統一できてなかったから、その前も統一できていなかったに違いない」などという類推は成立しないって事。

>だから、5世紀になっても大和は播磨すら支配できていないわけです
という理屈は、それ以前に統一政権が存在しなかった根拠にはならんって事だよ。
311日本@名無史さん:2012/06/19(火) 22:27:59.65
高木彬光の古田武彦評
『古代史に詐話のタネを求め、真実には眼をとざして、独断を押し売りしている学匪』
312日本@名無史さん:2012/06/19(火) 22:46:48.46
>>310

考古学的にも、そんな言いがかりは無理。
播磨も制圧できないのに、ど〜〜んと九州まで支配するのは無理。
313日本@名無史さん:2012/06/19(火) 23:28:22.22
>>312
>考古学的にも、そんな言いがかりは無理。
>播磨も制圧できないのに、ど〜〜んと九州まで支配するのは無理。

そもそも古田あるいはその信者の世迷い言を支持している考古学者はいない
314日本@名無史さん:2012/06/20(水) 06:20:01.18
>何で古田は東日流外三郡誌なんかに入れ込んだんだろうか

焦った企業オーナーが、M資金詐欺にひっかかるみたいなモンだろう。

学会は九州王朝説を冷笑・無視し、
「邪馬壱国」説すら怪しくなってきた。古田説の全面崩壊。

その焦りの中で、自説の「証拠」となりそうな、
実は古田説も歪んで取り込んだ外三郡誌が出現。

最初は荒唐無稽ぶりに無視してたみたいだけど、
歳と焦りが判断力を狂わせた。

アラフォーの焦りまくった女が
ブサイクな結婚詐欺師に大金をつぎ込むのにも、やや似ている。
315日本@名無史さん:2012/06/20(水) 07:41:24.19
九州王朝説は、「記紀を敵視する古田史観」を捨てればかなりまともになると思う。

記紀は大和朝廷(近畿大王家)の正当化の歴史書なんだから、それはそれでいいじゃないか。

古田信者が、播磨の治外法権だけを針小棒大に取り上げて、大和朝廷の本州支配を過小評価するから、おかしなことになってるだけで、
現に九州王朝説を使えば、かなりの矛盾を説明できることは確か。

稲荷山鉄剣や江古田山鉄刀の「ワカタケル大王」は雄略大王でいいと思う。
ただ倭王「武」は雄略大王ではなく、朝鮮半島に盛んに派兵していた九州王朝の大王である可能性が極めて高いといわざるを得ない。

学会は国費を貰ってて、天皇制が廃止されない限り、先学を無視したり、記紀に反する説は唱えられないわけだから、
自由に考えて発言できる素人が独自に解明すればいいんだよ。

記紀と九州王朝説が互いに補い合えば、古代のほとんどは解明できるはず。
枝葉末節で足の引っ張り合いをやるから、いつまでたっても言葉の応酬に終わり、幹の部分を解明できないのだ。
316日本@名無史さん:2012/06/20(水) 08:17:39.11
ペテン師、詐欺師、古代史ゴロと呼ばれても古田は学者。 
その古田あっての古田史学。

死にかけの古田が野垂れ死にしたらそれで古田史学も尻つぼみで終了だよ。
317日本@名無史さん:2012/06/20(水) 08:49:43.56
古代史は老人向けのAKB商法なんだよ。

互いに喧嘩させてたほうが、たくさん本が売れる(出版社)
318日本@名無史さん:2012/06/20(水) 10:38:34.39
古田は貴重な発言もあるんだから上手く取捨選択したいよね。
盲信者は、自分の存在が却って古田再評価の邪魔になっていることに
気づいて欲しい。
古田には汚点があるのは明らかなんだから。
上手くいいとこどりしたいもんだね。
319日本@名無史さん:2012/06/20(水) 11:33:34.67
>「記紀を敵視する古田史観」

古田史観と記紀は仲良し、一体化している。

畿内説の記紀解釈が狂っているだけ。
320日本@名無史さん:2012/06/20(水) 11:40:42.58
古田信者は狂信的だから、そこから抜けられないんだよ

最近捕まったオウム信者と一緒
321319:2012/06/20(水) 12:19:18.84
わしは、古田信者ではないのだが。
322日本@名無史さん:2012/06/20(水) 12:55:53.08
古田は「師の受け売りはするな」「丸呑みするな」といつも言っていて、
古田の会の中で、古田批判を口角泡を飛ばしてやっている。
だから、古田の周囲にはそもそも信者がいないんだよ。
323日本@名無史さん:2012/06/20(水) 13:57:21.33
>>312
考古学者らが、
邪馬台国があった頃の日本列島は大和を中心とした統一政権時代で、
のちに統合が緩んでから、再度、統合に向かった

みたいにいってるのを前提としての話だよ。

それに対するキミの難癖について、意味のない反論だと、306と310で一蹴しただけ。

古田説信者のいう「考古学」ってのは、理化学年代全面否定派だし、半世紀前の古い知見が中心だし、かなりアレなんだよなあ。

>>316
学者になり損なった人であって学者じゃないぞ。
ひょっとしたら、「アマチュア学者」ぐらいなら言えるかもしれんけど。
某大学が古田氏を雇ったのは、古田氏の知名度に期待したのであって、学者としての手腕や業績を買った物じゃないしな。

>>318
まあ、九州王朝説を出した当時には、「貴重な発言もあるんだから」と言えたけどな、今では...
324日本@名無史さん:2012/06/20(水) 14:29:24.00
7世紀以前に、大和を中心に統一された事実なんか、どこにもないがね。
325日本@名無史さん:2012/06/20(水) 14:33:32.63
倭の五王があるだろ
日本だけでなく朝鮮半島も支配してたぞ
326日本@名無史さん:2012/06/20(水) 16:24:58.58
倭の五王は畿内の王と仮定すると、矛盾だらけで成立しない。
327日本@名無史さん:2012/06/20(水) 17:11:55.11
だが、九州地方の王だと考えても矛盾が減るわけではない。
北陸地方(福井県近辺)の王と考えるならまだしも。
328日本@名無史さん:2012/06/20(水) 18:55:04.22
北陸や畿内では、魏志倭人伝の記述にまったく符合しない。
329日本@名無史さん:2012/06/20(水) 20:35:34.68
伊都国とか奴国のあるあたりはもっと合わないだろw
出発地なんだから
単なる被支配地
おそらく畿内のな
いい加減認めたらどうだ?
330日本@名無史さん:2012/06/20(水) 20:38:27.25
温暖じゃない畿内は無理。
331日本@名無史さん:2012/06/20(水) 20:39:11.98
邪馬台国の東は海のはずだな。
奈良県の東はいつから海になったんだ?
332日本@名無史さん:2012/06/20(水) 20:47:36.21
伊勢まで勢力範囲だったなら東に伊勢湾があることになり筋が通る
おまえんとこの海峡は東じゃねーし北だし幅600mで10里もないだろww
九州も畿内もそんなに温暖寒冷に差はないし
そっちは雪積もったりしてんだろw
大阪なんかよりよっぽど雪国らしいわw
九州説完全敗北
333日本@名無史さん:2012/06/20(水) 20:53:48.15
畿内より阿波がもっと条件に合うんだが
334日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:06:24.87
九州がアドバンテージを得ていた時代もあったろうことは認めてやる
でもな、卑弥呼死亡から箸墓が出てくる時代まであったとして数十年
あんな大規模な土木工事を出来る事だけで考えても軍事力や予備生産力の差が推し量れる
そこからせいぜい数十年しか遡れない邪馬台国は畿内にあったとするのが自然だろ?
常識的に考えてみなさい九州信者よ
335日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:14:11.92
九州説さんの頼りとする大層大きな弥生遺跡の時代のまま生産力や軍事力国力がずっと変わらないなんてことはないんだよw
時代が進めば情勢は変わるんだよ
卑弥呼の死と同時とはしない、卑弥呼の墓ではない、数十年遡れる
畿内説がこれだけ譲歩しても畿内が自然と考えるだろう子供ですらな
336日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:17:14.51
古田氏は馬鹿ではないしくるってもいない。
しかし自分の間違いを認められない弱虫なだけ。

和田は先天的詐欺師。
337日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:27:11.08
>九州も畿内もそんなに温暖寒冷に差はないし
>そっちは雪積もったりしてんだろ

邪馬壹國は福岡平野ではない。筑紫平野だ。

筑紫平野には、雪がパラついても、雪が積もらん。
338日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:31:31.21
古田は詐欺師和田を擁護し、カネをむしり取る古代史ゴロ
339日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:32:53.39
>おまえんとこの海峡は東じゃねーし北だし幅600mで10里もないだろww

女王國の東の海は周防灘瀬戸内海。
340日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:33:35.70
#1 日本の借金の正体?増税への情報操作?

http://www.youtube.com/watch?v=9YZxWPSRVAg
http://www.youtube.com/watch?v=pIIhikWPZhk
http://www.youtube.com/watch?v=6vU3YpidSt0&feature=relmfu

動画の中で述べられている財務省の意見書です。→http://www.mof.go.jp/about_mof/other/other/rating/p140430.htm
その後に見たのが 共産党の志位委員長と民主党の国会答弁です。
http://www.jcp.or.jp/web_tokusyu/2012/02/stop103.html
以上の動画を見たら 国家の国民への気持ちがわかります。まじです。
動画の国会中継のやり取りなんか見たら 権力者や大金持ちばかり得して
庶民なんか税金だけ収めてるだけの存在でしかないような感じです。
庶民は 使い捨ての働き蜂でしかないのです。国は庶民の生活を全然考えてません。
341日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:37:17.41
で、寛政原本が出てこないわけだが その場合古田御大も「負け」と発言してたな?
負けを認める前に死にそうだがな。
八っつぁんところに ボチボチ逝きそうだなあ。
342日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:43:27.34
>>334
邪馬台国は3世紀末までに滅んでいる。
343日本@名無史さん:2012/06/20(水) 21:45:08.66
さっさと逝けばいいのにな。
でもくたばっても「負け」とは認めないよw
344日本@名無史さん:2012/06/20(水) 23:00:46.04
九州が抜きんでて栄えてたのは1世紀まで。
邪馬台国が登場するより、倭国大乱より前の2世紀にはすでに中国地方に抜かれてるレベル。
その中国地方の繁栄も、3世紀に入ると畿内に逆転される。
345日本@名無史さん:2012/06/20(水) 23:58:14.08
その畿内も、一気に滅んじゃうよね。>銅鐸国家
346日本@名無史さん:2012/06/21(木) 00:09:16.03
難しい話はいらん
とにかく南だ 温暖だ 鉄だ 九州なんだ!邪馬台国
347日本@名無史さん:2012/06/21(木) 00:38:52.15
邪馬台国は温暖と鉄  奈良盆地は底冷えと鉄無し

畿内の銅鐸国家が滅んだのは3世紀  滋賀は畿内ではない
348日本@名無史さん:2012/06/21(木) 00:52:54.19
華北の人からみたら、日本列島の過半(中部以西)は温暖だろう。
長江周辺(淮河以南)のことを温暖って呼ぶようなお国柄なんだし。

あと、銅鐸が栄えてた時期って中国地方(出雲とか吉備)が最盛期を迎える前で、
畿内が台頭するより古い時代の話だよ。
349日本@名無史さん:2012/06/21(木) 03:46:10.56
ちがうよ、なんとなく温暖なのではなく、「冬でも生菜を食べる習慣がある」ぐらい温暖だと指摘しているんだよ。。
350日本@名無史さん:2012/06/21(木) 06:49:15.07
「冬でも生野菜を食べる」の生野菜って、漬物のことかな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%AC%E7%89%A9

なら朝鮮にもキムチという生野菜があるけど、そこら辺は魏志はどう記録してるんだろう?
351日本@名無史さん:2012/06/21(木) 07:01:04.74
6世紀「磐井の乱」で滅ぼされた筑紫君磐井が倭王だとすると(百済本紀「日本の天皇・皇太子共に死す」)、大宰府にいたことになるよね。
だとすると、7世紀に隋の煬帝に手紙を出した倭王「阿毎多利思北孤」は筑紫から肥の阿蘇山麓に南遷したの?

そして「多利思北孤」の太子「利歌彌多仏利」の太子である「伊勢王」が死去し、その皇太子「筑紫君薩野馬」の代で起きた
663年「白村江の戦い」の時、唐の捕虜になった倭王「筑紫君薩野馬」は再び大宰府に戻っていたのかな?

古田史観ではここらへんはどう説明してるの?
352サガミハラハラ:2012/06/21(木) 07:08:08.71
>>334 古墳の築造であるが、大きいから大規模な工事が必要とはならないのです。
というのは、自然の地山を利用した場合まっ平らな平地につくるよりも工事はぐっとらくなのです。
仁徳天皇陵も平地の中の丘を利用したとの説もあります。箸墓においても丘を利用したのではとの説があります。
卑弥呼の墓である桜ヶ岡は、ほとんど自然の丘を整形したものであることがわかっています。

正しくは「倭の地は温暖、冬夏生菜を食す。」です。生野菜とは書いておりません。
北京菜館という名の店ありますでしょ。
中国では日本でいうおかず(料理)のことを菜というのですよ。
生菜ですから刺身、つまり魚や肉を生で食べているということです。
中国人は必ず熱を通したものを食べます。(近頃は日本の影響で生魚を食べるようになってきましたが)
353日本@名無史さん:2012/06/21(木) 08:03:37.40
薩野馬や磐井は基本的に、筑紫野君なので、
本拠地は太宰府と三潴を行き来する程度。
立ち位置は将軍。

天子は別にいて、アメタリシヒコの系統。
これが天皇の系統。
実質は宗教的、概念的だが、ここが肥国や豊国の上に立つ。
いる場所は当然大宰府。

ひょっとしたら、天子は
白村江前後に畿内に疎開した
かも。
354日本@名無史さん:2012/06/21(木) 08:21:02.45
>>353
天のタリシホコに阿蘇山の記述があるけど、大宰府から阿蘇山が見えるの?
355日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:36:07.19
>>353

久留米の三潴でも無理やね。

熊本に天子神社ってのがいくつか点在してるから、
アメ氏のルーツはそのへんの出身なんだろうか?

ん?、それが邪馬台国からの流れか?


薩野馬や磐井は地元豪族出身なんで、
そうそう地元から離れるわけにも行かないだろうけどね。

京都から東京に移った明治天皇のように、
天子は受け入れ先があれば移ることができたかも。
356日本@名無史さん:2012/06/21(木) 09:36:41.53
ごめん、

上は >>354 宛。
357日本@名無史さん:2012/06/21(木) 10:57:55.08
古田史観では、磐井もタリシホコも薩野馬も九州王朝の天皇としてるんじゃなかったの?
358日本@名無史さん:2012/06/21(木) 12:06:52.39
基本的に、祭祀の象徴たる天子は、自分では手を汚さない。
ごく一部を除いて。
359日本@名無史さん:2012/06/21(木) 12:48:42.43
九州王朝には「天皇」はいない。
九州王朝にいるのは、「天王(兄王)」と「日王(弟王)」。
どちらも天子である。
「日王(弟王)」を「法皇」と称しているケースはあるが、
「天王(兄王)」は「天皇」と称しているケースはない。未発見

磐井もタリシホコも薩野馬も九州王朝の「日王(弟王)」であり「天子」である。
タリシホコは「法皇」と称していた記録がある。
360日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:10:07.93
>>350

漬物は中国に古来からあるから、漬物はわざわざ記述しない。
キムチは日本から唐辛子が朝鮮半島に伝わった時代以降のもの。
日本が唐辛子を伝えたのは秀吉の頃だったかな。
361日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:24:18.93
筑紫野君薩野馬も、筑紫野君磐井も、筑紫君という一地方の
行政官であって、全体の管理者ではない。

もっとも、事実上筑紫が一番栄えており、
九州の行政官の中ではもっとも上位の位であり、
度々代表者としての仕事を任されたであろうことは
想像に難くない。
362日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:24:59.58
>>351
岩井と多利思北孤が都したは久留米。
多利思北孤は晩年に久留米から太宰府に遷都。618年元号倭京元年
薩野馬は太宰府に都した日王(弟王)天子。
363日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:30:14.46
>>359
>「日王(弟王)」を「法皇」と称しているケースはあるが、
>タリシホコは「法皇」と称していた記録がある。
どこのどんな記録なのか具体的に述べよ。
364日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:32:50.25
>漬物
製塩は始まって間もないし高級品だし日持ちさせるには野菜重量の1割かそれ以上の塩を使う。
仮に漬物があったとして習俗として記されるくらい普及していたかはかなり疑問がある。
生菜=漬物とするハードルは高い。
365日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:34:08.88
>>353
>ひょっとしたら、天子は白村江前後に畿内に疎開したかも。

天子(天王・兄王)が畿内に疎開したのは684年と思われる。播磨國の宝剣返納の年
366日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:38:16.44
当時の塩の単価は労働時間からすると劇的に高いよね。
西洋の一時期の胡椒と同様、グラム単価銀と同等。

367日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:42:27.34
>>354
>大宰府から阿蘇山が見えるの?

見えない。
隋使裴清の随行員が見た火山は雲仙普賢岳。
その時通過した門(海峡)は早崎瀬戸。
368日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:47:50.92
わりとどうでもいい話ではあるのだが、
古事記国生み神話において、

次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。

故、筑紫国謂、白日別。
豊国、言、豊日別。
肥国、言、建日向日豊久士比泥別。
熊曾国、言、建日別。


なんだかやたらと肥国の命名に、気合入りすぎだろ。
元々は、ここにいたから、思い入れが凄いんだろうか?
369日本@名無史さん:2012/06/21(木) 13:50:32.55
>>355
>熊本に天子神社ってのがいくつか点在してるから、
>アメ氏のルーツはそのへんの出身なんだろうか?

倭五王が熊本出身。
倭五王は日王天子。
アメ氏は天王天子の系統で福岡平野出身。
370日本@名無史さん:2012/06/21(木) 14:53:32.00
>>349-350
生野菜と違うぞ
生菜。一汁一菜の菜だろ?
菜という表記で野菜と連想してはダメだろう。
371日本@名無史さん:2012/06/21(木) 14:57:08.42
穀物以外。肉や魚をどかどか食うとかありえんから、実質的には意味が変わらないだろ。
372日本@名無史さん:2012/06/21(木) 15:49:20.86
>>359
九州王朝内に二人の天子(兄・天王と弟・日王)がいたとすれば、
どんな風に役割分担していたの?また、いつ頃どんな経緯で分かれたの?
373日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:03:55.72
天子ってアマコとも読めるから、中国地方の尼子氏はその末裔なのかもしれないね
374日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:44:38.08
天王(兄王)は祭祀担当 職務時間は夜
日王(弟王)は実務担当(外交軍事等含む)

卑弥呼の時代には既に分かれていた。
天王(兄王):卑弥呼、壹與
日王(弟王):難升米、掖邪狗

1世紀2世紀
天王(兄王):記録無し
日王(弟王):帥升
375日本@名無史さん:2012/06/21(木) 16:56:29.94
>>374
サンクス!
これからもくだらない質問しちゃうけどよろぴくね
376日本@名無史さん:2012/06/21(木) 17:02:54.48
記録がない謎(空白)の4世紀は仕方ないとして、
5世紀から7世紀に九州王朝が滅亡するまでの天王(兄)vs日王(弟)はどんな感じ?
377日本@名無史さん:2012/06/21(木) 18:10:06.45
>>371
そもそも、庶民の食事じゃなくて豪族や地方王や、接待されるがわの食事事情だよな。
冬でも新鮮な魚を食うとかって、日本列島のどこでもみられるような話しだろ。
少なくとも海辺なら。

内陸でも、京都に繋がる鯖街道みたいな輸送路があれば十分に可能

どこが九州のアドバンテージなんだ?
378日本@名無史さん:2012/06/21(木) 18:12:23.51
>>373
出雲の戦国大名 尼子氏は、近江の地名に由来する苗字だが。
近江佐々木氏(六角氏とか京極氏)の支流で、その近江の領地の地名から来た苗字ってだけ。
出雲に移住したのが室町時代半ばごろだしな。
379日本@名無史さん:2012/06/22(金) 07:29:20.66
「寛政原本東日流外三郡誌・解」
著者:古田武彦と古代史の会
校閲:京都大学文学博士 坂本義太夫
民明書房新社発行。
380日本@名無史さん:2012/06/22(金) 12:05:57.95
>>377
それじゃあ、「冬でも」という言及が全然意味をなさないじゃないか。アホクサ
381日本@名無史さん:2012/06/22(金) 19:59:11.18
>>376
>5世紀から7世紀に九州王朝が滅亡するまでの天王(兄)vs日王(弟)はどんな感じ?

殆どわかりません。
わかった部分は以下の通り。

天王(兄) 5世紀〜7世紀
 玉垂命、玉垂媛、高良玉垂命 5世紀〜7世紀
 中宮天皇 ?
 蘇我入鹿 684〜695
 薩末比売 696〜700 九州天王
 珂瑠皇子 696〜700 畿内天王 ⇒ 文武天皇 701〜 天皇

日王(弟) 4世紀〜7世紀
 旨 4世紀後半
 讃 4世紀末〜5世紀初頭
 珍 5世紀前期
 濟 5世紀中葉
 興 5世紀後期
 武 5世紀末〜6世紀初頭
 薈(磐井) 517〜528
 多利思北孤 590〜621
 薩夜馬 〜663
 中大兄皇子 664〜
 大海人皇子 672〜
 肥豪族 696〜700 九州日王
382318:2012/06/22(金) 20:47:52.87
>>323
そういうのがまさしくダメね。
拾うべきところが全然ないなんてのはあり得ない。
383日本@名無史さん:2012/06/22(金) 20:53:18.78
>>334
丸で話しになりませんな。邪馬台国がどこにあったかと、政治的勢力の
多寡とは関係ないね。
384サガミハラハラ:2012/06/22(金) 21:59:25.41
冬という言葉をつかっているのは、中国人です。倭人が冬に刺身をたべるのときいてのかんそうです。つまり、中国人にとって寒い冬に冷たいものを食するのは意外であるということです。
385日本@名無史さん:2012/06/23(土) 00:22:36.21
>>380
中国(のうちでも、中原地方)だと、
冬場に採取できる食料って、家畜の肉ぐらいだろ。
ほかは、秋までに収穫して保存食として加工したものと、穀物だけだろ。
冬でも収穫できる食料ってもの自体が貴重品だと思うんだが。
だから、「保存食ではない」って意味だけであったとしても、おかしな記述とは言えない。

>>382
研究者達が見落としているような部分、古田氏の慧眼が明らかだった部分ってのが、
当初にはたぶん存在はしたと思う。
しかし、そういった部分は、更新の研究者達が取り入れて乗り越えていったことで、
古田氏が優越する部分は完全に消滅した。

当初は少なからぬ学者達が古田氏の説を読み、時に反論を加えたりしたのは、
そういった、古田氏との論戦(?)が研究上の利点となる可能性があったからだと思う。
のだが、古田氏がそれを論難・難癖・攻撃・言論封殺などと言って切れたことで対話がなくなり、
古田説の持っていたわずかばかりの長所も乗り越えられてしまったんだろ。
そうして、いまでは古田説には残り滓しかなくなった。

拾うべき点は、過去にはあっただろうが、すでに存在しなくなったんだ。
386日本@名無史さん:2012/06/23(土) 05:23:05.26
>>385
例えばね、>>312に対して>>323じゃあね。
説得力のある話しではないですなw
証拠をあげてから言うんでないとね。

やっぱ>>382ですな。
387日本@名無史さん:2012/06/23(土) 05:28:11.62
古田の説は無論十分な証拠を欠いていて、議論として基本的な
弱さがあるというのはあるのだろう。
しかし、だからと言って明確に否定する根拠もまたあるわけでなしね。
そうなると蓋然性の高さという勝負にひとまずはなる。
ならば、必ずしも古田に分がないとは言えない。

九州王朝説は、まだ立論段階でしかない。
しかしそれは、可能性がないということを全く意味していない。
388日本@名無史さん:2012/06/23(土) 07:33:11.29
>>395
>研究者達が見落としているような部分、古田氏の慧眼が明らかだった部分ってのが、
>当初にはたぶん存在はしたと思う。
>しかし、そういった部分は、更新の研究者達が取り入れて乗り越えていったことで、
>古田氏が優越する部分は完全に消滅した。

古田氏の慧眼ってどの部分? もっとkwsk plz!
389日本@名無史さん:2012/06/23(土) 09:46:43.19
>>379
坂本義太夫w
390日本@名無史さん:2012/06/23(土) 22:41:04.82
>>386
観念論しかできないヤツが証拠を云々するのも笑止だな


>>387
>しかし、だからと言って明確に否定する根拠もまたあるわけでなしね。
説が出た当時だったら、そうだったんだろうがなあ。今では...


>>388
>古田氏の慧眼ってどの部分? もっとkwsk plz!

アレに対し、百歩ばかり譲っただけですがなにか。
391いい男:2012/06/23(土) 23:01:27.29
>>387
>基本的な弱さがあるというのはあるのだろう。
明確な根拠がないということだ。

>明確に否定する根拠もまたあるわけでなしね。
ある。

>必ずしも古田に分がないとは言えない。
ない。

>九州王朝説は、まだ立論段階でしかない。
「基本的な弱さ」というよりも土台からしてなっとらん。

>可能性がないということを全く意味していない。
「周到なやりくり解釈」に徹していて、
歴史的常識というものに対する配慮が抜けている。
392日本@名無史さん:2012/06/24(日) 11:02:20.34
>>391
だからそれを挙げて見ろと言ってるのw
393日本@名無史さん:2012/06/24(日) 11:03:38.46
>>明確に否定する根拠もまたあるわけでなしね。
>ある。

もちろんこれのことだぜ。

それから、
>邪馬台国があった頃の日本列島は大和を中心とした統一政権時代で、
>のちに統合が緩んでから、再度、統合に向かった

これもなw
394日本@名無史さん:2012/06/24(日) 11:05:09.32
取捨選択しなきゃね。

何の根拠を上げずに、┐('〜`;)┌ やれやれ見たいなこと言ってる時点で
どんだけアレな連中か良く分かるなw
395日本@名無史さん:2012/06/24(日) 11:06:23.38
>>390

>>386
>観念論しかできないヤツが証拠を云々するのも笑止だな

だからそれはオマエのことだって言ってるのアホ。

396よか男:2012/06/24(日) 11:27:57.86
>>392
俺は・そこいらの口先野郎とは別格なんだぜぇ。
前に提示したが、忘れたのか・見ていない新人か?
ほれ。正面から受けろよ。で・文句があったらかかってこい。

●古田武彦氏の史観検証01
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/3bfe9bd4f9f281d38e96fb69ac45c0cb
古田武彦氏の史観検証02
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/d1c06aba16d29b725cd423884f01240c
397日本@名無史さん:2012/06/24(日) 12:08:47.60
伊作は、古田の著作は一冊しか読んでないからな
確かに別格だわな、それで論評できるのはよ
398よか男:2012/06/24(日) 12:26:08.76
>>397
天才だ。俺も古田シンパの間でちっとは知られた存在にになったろう。

>一冊しか読んでないからな
実は一冊も読んでないから、まるめ込まれずに、冷静に批判できるのだ。
399日本@名無史さん:2012/06/24(日) 12:35:54.78
>>396
全然ダメですな。基本的な歴史事実すら無視するんだから
話しになりませんな。
例えばこれ。

>何よりも、これが九州と大和の王朝間の戦争であれば、敗れたほうは
>一族誅滅・国土没収が相場。すなわち王朝の滅亡である。だが磐井の
>場合は、領土の一部割譲だけですんでいる。

戦国時代ですら、相手が降伏したら許すというのはしょっちゅう
やってることね。話しになりませんな。こんなもの王朝同士の
戦いであったことを否定する論拠になど全くならない。

それからね、この部分は完全に逆に、九州王朝が存在したことの証拠な。
よく考えよう。
例えばオマエが一億円持っていたとする。オレがそのうち2千万円
くすねたとする。オマエとオレが喧嘩する。で、オレがまけて
ケツまくったとしよう。でオレが言う。「2千万の内1千万だけ
返すから許して。」

オマエは許すわけか?

400よか男:2012/06/24(日) 12:58:21.61
>>399
批判か反論のつもりなら、もう少しクォリティの高い内容にしろ。

>戦国時代ですら、相手が降伏したら許すというのはしょっちゅう
国は滅亡、国邑は没収され、運がよければ僅かな食邑をもらって諸侯の一人になりさがる。
たとえが的を射ていないぞ。

>王朝同士の戦いであったことを否定する論拠になど全くならない。
「王朝同士の戦い」と簡単にいうが、意味が分かってるのか?
そんな実例は多くはないが、その結末は僅かな領土割譲で済んだか? 
いかにも稚拙な言い分だな。

>九州王朝が存在したことの証拠な。 よく考えよう。
>例えばオマエが一億円持っていたとする。オレがそのうち2千万円くすねたとする。
>オマエとオレが喧嘩する。で、オレがまけてケツまくったとしよう。
>でオレが言う。「2千万の内1千万だけ返すから許して。」 オマエは許すわけか?

バカがよくやる次元の異なるたとえだな。話にならんぞ。
それで古田説を援護してるつもりなら、古田説に悪かろう。
401日本@名無史さん:2012/06/24(日) 13:07:21.20
>>400
あのな。オマエ話しにならない。
現実の歴史に対して、オマエの妄想で反論するな。

それから後半も何の反論にもなっていない。

402日本@名無史さん:2012/06/24(日) 13:12:39.06
>>396
>「長門以東は朕が制す。筑紫以西は汝が制し、賞罰も専行して煩頻に
>奏すなかれ」。

>「制する」とは
>「統制する」という意味で、断じて統治するという意味ではない。

んなら、近畿の天皇も単なる将軍になっちゃいますなw
アホじゃねこいつ。

403日本@名無史さん:2012/06/24(日) 13:19:39.74
相手が十分な戦力を持っている場合、戦争に勝っても相手を
完全に追い詰めずに許すというのは戦国時代でもよくあること。
なぜなら、滅ぼすまで徹底的にやるとなると自軍の被害も甚大なものに
なるから。つまり「反乱(?)」して負けても、なお余喘を保つことが
できるほどの巨大な勢力を磐井側は持っていたということな。
(逆賊(?)で敗死して滅んだハズなのに、巨大な墓があるしなw)

王朝同士の戦争でなかったことを示す根拠になど、全く全然ならない。
むしろその逆。

404よか男:2012/06/24(日) 13:31:27.46
比較的程度のよくない素人に属するタコども。
実際のところ、対応すべきレベルにないぞ。

>>401
>> 現実の歴史に対して、
だから。あり得ない「現実の事例」を出せといったろ。

>>402
「制する」とは 「統制する」という意味で、断じて統治するという意味ではない。
>んなら、近畿の天皇も単なる将軍になっちゃいますなw アホじゃねこいつ。
なにを独善思考で次元の違う話をしてやがる。

>>403
>相手が十分な戦力を持っている場合、戦争に勝っても相手を
>完全に追い詰めずに許すというのは戦国時代でもよくあること。
王朝とは何かを知ってるのか? 
その、王朝同士の戦いがあって、実際にどう収束したかを挙げてみろ。
中傷的な浪花節を並べてる場合じゃないぞ。

>王朝同士の戦争でなかったことを示す根拠になど、全く全然ならない。
だから。「王朝同士の戦い」だったことを証明しろ。
浪花節みたいな横車をいうだけで、「王朝同士の戦い」だったことにはならのだ。

お前ら、なにかこう・頭がよくないな。議論の筋とか論理が見えてないようだ。
405よか男:2012/06/24(日) 13:33:57.93
2ちゃんは、邪馬台国関連もレベルが低いが、
古田シンパもレベルが低いぞ。

もうちっと「ものの道理」が分かる奴を連れてこい。
406よか男:2012/06/24(日) 13:38:21.77
ほれ叩き台だ。反論の俎上に乗せろ。
俺で手が余るようならば、名うての反古田説者がいる。
(彼が2ちゃんに来るとは思わないが手助けはしてくれるぜ)

●古田武彦氏の史観検証01
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/3bfe9bd4f9f281d38e96fb69ac45c0cb

●古田武彦氏の史観検証02
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/d1c06aba16d29b725cd423884f01240c

ちゃんとした論理と論拠に基づく正統な批判だ。
これに勝る正統さをもって批判と反論を寄越せ。紳士的に
407日本@名無史さん:2012/06/24(日) 14:07:58.26
>>404
あのな、終わってるだろオマエw
408日本@名無史さん:2012/06/24(日) 14:10:04.29
>>404
王朝同士の戦いでないことは明白と>>406で言ってるから、
んなことは全然言えてないな、むしろどっちかって言うとその逆って話しを
したわけな。

しかし、回りくどい敗北宣言だなw
409日本@名無史さん:2012/06/24(日) 14:12:27.21
>>406

>>399>>402>>403ね。
はい反論どうぞ。

410日本@名無史さん:2012/06/24(日) 14:14:39.14
>>404
オマエまさか、戦国時代では勝ったほうが負けたほうを必ず
滅ぼしていたとか信じてる精神病者じゃないだろうなw
411三太穴:2012/06/24(日) 14:34:36.37
>>410
王朝対王朝の戦いの話だ。
その戦後処理の話で僅かな領土割譲で済んだ実例があるか否かの話だ。
論理で勝負だ。虚勢を張って逃げるなよ。

お前が持ち出す戦国時代に王朝は幾つあった?
王を名乗るのは幾らもいたが、周王朝以外に王朝があったか?
諸侯や諸侯上がりの自称王たちの戦いは王朝同士の戦いじゃないぜ。
そのあたりの整理もできずほざいてるだろ。ぼんくら
古田シンパもバカのバカの集まりか?
412三太穴:2012/06/24(日) 14:38:17.69
>>407
>あのな、終わってるだろオマエw
手も足も出ずか。お手あげだと正直にいえ。

>>408
>しかし、回りくどい敗北宣言だなw
論理なき虚勢。

>>409
>はい反論どうぞ。
それは俺のセリフでな。叩き台まで堂々と提示した。
じっくり読んで穴ポコを探してこい。
そして、古田説とどっちが穴ポコが多いか比較してみろ。
413三太穴:2012/06/24(日) 15:01:37.47
バカどもに冷や水。

王朝とはなんだ? 答えられまい。
日本列島に王朝と呼ぶべき政治体制なり統治機構が登場するのはいつだ? 答えられまい。
古田説では、弥生の日本列島、しかも九州に王朝があったといっている。歴史錯誤もしくは歴史欺詐だ。

大陸や半島との出入り口は、対馬・壱岐・九州の一つしかない。
まして瀬戸内への出入り口となると関門海峡だけだ。
「人・もの・文化・情報・技術・知識」の出入り口が一つしかないのに、
瀬戸内の奥の大和にどうやって九州と拮抗・競合するほどの勢力が自生し得たのか。
「武力支配の古代における朝鮮半島との通交ルートと関門海峡の支配の形と使われ方」という
この天才が提起した大命題について、畿内説も九州王朝説も明確に説明し切れない。

武力支配時代は「食うか食われるか・取るか取られるか・支配するか従属するか」だ。
王朝に「分家」はない。武力支配の時代に「ゆるゆるの連合」もないぞ。

ほれ。気づいたか。目を三角にして批判し合う畿内説と九州王朝説は、
実は、「仲の悪い双子か」「骨肉相食む異母兄弟」みたいなもんだってことよ。

俺はいつも、「狸とムジナのバカ仕合い」と、奥歯で笑いながら見物さてもらってるぜ。
414日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:59:33.20
磐井(倭薈)は九州王朝の日王(天子)である。
磐井は、年号律令を制定している。
年号を制定できるのは天子だけであるからだ。

磐井の乱は、磐井(倭薈)日王天子に対する玄界灘沿岸勢力の反乱である。
半島政策で過重な負担に耐えかねた玄界灘沿岸勢力が、
磐井(倭薈)日王を抹殺することを計ったのである。
その結果磐井日王とその太子・皇子は殺されたのである。

元は玄界灘沿岸勢力の地である磐井領糟屋を治めていた肥君系の葛子は、
糟屋を返還することで重罪から逃れたのである。
415日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:24:24.57
 古田武彦によって提唱されたということが、多元史観にとって
最大の不幸に違いない。
 かつて、林健太郎が古田のことをオウムの麻原と同じと評した
とき、林の下品さに呆れた私だったが、今となってその炯眼に感
服しているww
416日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:34:31.10
外三郡誌に手を染めなければよかったのになw
417三太穴:2012/06/24(日) 20:09:44.52
>>416
>外三郡誌に手を染めなければよかったのになw
古田にあれを「創作もの」と見抜けないはずはない。
あの手の「やりくり創作」が無性に好きな上に、
自論に有利に機能すると踏んだんじゃないのかな。
418日本@名無史さん:2012/06/24(日) 20:12:56.00
>磐井は、年号律令を制定している

こういう、史料の無い適当な言説をつなぎ合わせて作られたのが古田説なんだよな。

中世の知識人達が適当にでっち上げたシロモノを、古代史の重大史料と誤認しただけ。

史実と創作の区別が根本的に不可能なタイプの人間だったとしか考えられない。>古田氏
419日本@名無史さん:2012/06/24(日) 23:50:07.74
>>418
>>磐井は、年号律令を制定している
>こういう、史料の無い適当な言説

517年に初めて天子の住む都である「京」を置いた史料があるのを知らないようだな。

天子の住む都である「京」を置いた年が、継体元年(517年)にあたるのである。
420日本@名無史さん:2012/06/25(月) 01:43:06.91
>>419
>517年に初めて天子の住む都である「京」を置いた史料があるのを知らないようだな

それも
>中世の知識人達が適当にでっち上げたシロモノを、古代史の重大史料と誤認しただけ。
みたいなタイプだろ
史料じゃないものを史料と思い込んで証拠認定しただけで、実は無意味な主張に過ぎない
421日本@名無史さん:2012/06/25(月) 05:36:59.84
まあ、近畿一元史観を批判したことだけは
認めてやろう。


なんであんなことになっちまったんだろう。
422日本@名無史さん:2012/06/25(月) 08:05:52.83
>>420
お前は無知だ。

「中世の知識人達が適当にでっち上げたシロモノ」は、見当はずれな妄想。

妄想病に感染しているお前には史料が何か教える価値なし。
423日本@名無史さん:2012/06/25(月) 08:44:32.86
>>411
あのな問題外なんだよ。

バカなのか?

オマエたとえば天下三分の計も知らないわけか?

あのな。死ねバカ。

424日本@名無史さん:2012/06/25(月) 08:45:55.45
>>412
あのな、具体的に言ってるんだから具体的に答えろクズ。

>>399>>402>>403
な。

反論してみろクズ。

なんだこいつらは。



425日本@名無史さん:2012/06/25(月) 08:47:05.98
こいつら丸で問題外だな。
クソワロタ。バカじゃね?

426日本@名無史さん:2012/06/25(月) 08:51:47.69
>>396
>俺は・そこいらの口先野郎とは別格なんだぜぇ。
>正面から受けろよ。

んで、即座に反論されて、いやたたき台ですから、
自分で穴は調べろとかwww

こんなクズ見たこと無い。
ネタにしか見えないwwwwww

すげークズwwwwwwww

427三太穴:2012/06/25(月) 09:33:04.24
>>423
>天下三分の計も知らないわけか?
負けた方が、磐井のように僅かな領土割譲で生き残ったか。タコ

>>424
>具体的に言ってるんだから具体的に答えろクズ。
論理で反論できない奴に限って「反論しろ」とわめくのだ。
この↓↓↓↓どこが具体的なんだ。
・あのな、終わってるだろオマエw
・しかし、回りくどい敗北宣言だなw
・はい反論どうぞ。

>>426
>んで、即座に反論されて、
ガキの世迷いごとみたいなごたく並べて反論てか。
論とか反論の意味を知らないでよくいうぜ。

>いやたたき台ですから、自分で穴は調べろとかwww
そうだ。堂々としたもんだろ。
ちゃんと反論したかったら、いわれなくても根ほり葉ほり細かく見るぜ。
論理的な文章を3行も読むと眠くなるタイプだろう。

とっとと消えろ。WEBホームレスども。
428三太穴:2012/06/25(月) 10:54:35.62
●完全アウェイで孤軍奮闘。
WEBホームレスどもが、俺のサイトから「つつけそうな部分」だけを抜き出して騒いでるので、
きちんと議論できるように天才の古田説批判を提示する。
天才説は「論証の必要のない歴史事実と歴史的常識」が論拠だ。
論破とか反論とかのカギは、相手の論拠を論理で潰すことだ。さ・かかってこい

●筑紫の君・磐井は倭国王ではない。天皇家につながる一豪族だった。
九州には色んな君が実在した。宗像の君、筑紫の君、水沼の君、肥の君、阿蘇の君、
芦北の君、宇佐の君、大分の君。あげればきりがないほどだが、
「君」は天皇家の血筋から分かれた豪族が名乗った呼称である。
この多くの「君」たちは、朝廷から領地をもらって九州を分担支配していた。
支配者の親近血族に領地を与えて各地に配するのも古来からの通例である。
「筑紫の君」という響きから磐井を九州全土の支配者でもあるかのように考えがちだが、
実は、数多の君と並んで九州を分担領有していた一豪族にすぎない。

なぜ、九州に「君」を名乗る豪族が多いのか。
九州は大陸・半島との出入り口にあたる。
倭国政権中枢が大和に引っ越したあとも重要さは変らない。
そこで、不必要に力をつけすぎないよう領土を細かく分けて、
天皇家から分かれた血族豪族)に支配・管理させた。
それでも磐井のように力をつけすぎるのが出てくるというわけだ。
429三太穴:2012/06/25(月) 10:55:11.35
完全アウェイで孤軍奮闘。
●磐井の乱は皇位継承権のなかった継体に対する不平確執である。
継体天皇は物部麁鹿火に磐井の討伐を命じたあと、斧鉞を手にとって麁鹿火に授けていった。
「長門以東は朕が制す。筑紫以西は汝が制し、賞罰も専行して煩頻に奏すなかれ」。
(長門より東は私が制する。筑紫より西はお前が制し、賞罰も独断で行ない、いちいち報告しなくてもよい)。
◆ 賞罰の「賞」 とは軍功者の報奨・昇進。
この一文によれば、天皇の許可なくこれを独断で行なう権限(専断権)を授けたことを意味する。
◆賞罰の「罰」とは、命令に従わない者・軍旗違反者を処罰することである。
これも独断でできる権限を授与している。その印しが斧鉞である。
斧鉞を授けたことは部下の生殺与奪の権限を与えたわけで、全軍に対する絶対的命令権を授けたことを意味する。
◆「長門以東は朕が制す。筑紫以西は汝が制し」は、戦地となる筑紫以西に関する全権を将軍に委譲することである。
「制する」とは「統制する」という意味で、断じて統治するという意味ではない。
◆「煩頻に奏すなかれ」は「いちいち私の許可を得ることなく独断でやってよい」という意味だが、
戦場にあっては、「将軍は天子の命令をも退ける」というほどの極限状況にある。
九州の戦地から都の天皇に上表して指示や許可を仰ぐ暇などないわけで、これは至極当然の許可措置である。
この一連の文言の意図するところは、物部麁鹿火に心おきなく軍務(磐井の討伐)を遂行させるための方策である。
こうした専断権の委譲は中国でも古くから見られる。

※この文章の中から「制する」だけをとり出して、その意味解釈に対する異論をいうバカがいた。
ほかに食いつくところがない証拠だ。(天才説は構造的だ、どうでもいい部分反論しかできまい)。
430三太穴:2012/06/25(月) 10:56:50.04
完全アウェイで孤軍奮闘。
●継体は皇位継承権のない第4親等。これに対する不服で磐井は造反した。
磐井は、継体天皇の命を受けて半島に出兵する近江毛野臣を邪魔してこういう。
「昔、我とお前とは伴として、肩や肘をすりあわせて、共に器を同じくして食った」。
ここでいう伴(とも)とは、天皇につき従って仕えることを意味する。
つまり、かつては磐井は近江毛野臣とともに(継体以前の?)天皇に仕えていたことを示唆している。
(磐井の乱は、皇位継承権を持っていなかった継体の即位に対する不服の造反である)。

さらには、物部麁鹿火が磐井を討ったあと、磐井の息子の葛子は父に連座して誅されるのを恐れて、
糟屋の屯倉を献上することで死罪を免れることを求めた。
結果として葛子は筑紫君を名乗り生きのびている。
『日本書紀』のいう「父に」「連座して」「誅されるのを恐れて」とは、
どう見ても王朝同士の戦争や戦いではない。
これが王朝間の戦争であれば、敗れたほうは一族誅滅・国土没収が相場。すなわち王朝の滅亡である。
だが磐井の場合は、領土の一部割譲だけですんでいる。
これは、天皇家に連なる「君」と継体との身内の確執だったことを示唆している。

この文章の中から、「王朝同士の戦いでも領土割譲で済んだ」と、バカなことをいうタコがいた。
王朝同士の戦いで敗れたほうが、僅かに領土割譲で滅亡せずに生き残った例をもってこいといえば、
どう錯誤したものか諸侯たちの潰し合いとか、天下三分の計などを持ち出す支離滅裂ぶりだ。
431三太穴:2012/06/25(月) 11:10:05.75
反論とは、憶測や感情論をいうことではない。
俺の古田説批判は「文献やりくり」や「語句いじり」とは違って、
歴史的事実と歴史的常識でなっている。ここが、周到な古田説が放置してきた部分だ。
さ・歴史的事実と歴史的常識を否定する論理があるにならば、かかってこい。

なーにが「反論をどうぞ」だ。口先だけ虚勢を張りやがって。
432日本@名無史さん:2012/06/25(月) 21:42:28.43
九州王朝説は、
もはや近畿天皇家への反発から生まれた、資料の言葉尻を捕らえた拡大偏向解釈に基づく幻想に過ぎないということがよく判りますた!

だいたい安土桃山時代でも豊臣秀吉が天下を平定してやっと朝鮮に「派兵」できるまでになったのであって、
古墳時代の日本の人口から考えて、九州と大和に王朝が分立して、一方は朝鮮に派兵しながら、他方は巨大古墳築造に邁進するのはムリ。
中期古墳から石棺に阿蘇のピンク石が使われるのも、大和朝廷が短立していた証拠。

古田信者のみなさん、跡形もなく完全論破され、まことにおめでとうございます!
433日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:10:29.40
神武::第一次畿内九州王朝
崇神;;第一次畿内王朝
応神::第二次畿内九州王朝
顕宗::第二次畿内王朝
継体::第三次畿内九州王朝
欽明::第四次畿内九州王朝
天智::第五次畿内九州王朝
天武::第六次畿内九州王朝
文武::第三次畿内王朝
434ぷじょ:2012/06/26(火) 00:31:18.07
古田武彦氏の講演会が名古屋で開催されます。
詳細が決定!

■愛知サマーセミナー2012■
1日時:2012年7月15日(日)13時10分〜16時10分
2場所:愛知東邦大学 B103講義室 2階
     名古屋市名東区平和が丘3丁目11番地
     地下鉄「一社駅」徒歩12分
3演題:「真実の学問」とは何か
    〜 「邪馬壱国」と「九州王朝」論 〜
4参加費:無料
435三太穴:2012/06/26(火) 09:03:18.08
>>432
>九州王朝説は、もはや近畿天皇家への反発から生まれた、
うーん。当たらず・といえども遠からず。
天才流に総括すれば、「史実と学界に対する反逆」だな。

>資料の言葉尻を捕らえた拡大偏向解釈に基づく幻想に過ぎない
文献やりくり、解釈操作、語句いじり。この点では卓越したものがあったが、
史実検証という作業における「手順と手法」が根本的に間違っていた。

>九州と大和に王朝が分立して、一方は朝鮮に派兵しながら、他方は巨大古墳築造に邁進するのはムリ。
「武力支配の古代における朝鮮半島との通交ルートと関門海峡の支配の形と使われ方」という
この天才が提起した大命題が、邪馬台国畿内説も九州王朝説も沈黙させる。

>中期古墳から石棺に阿蘇のピンク石が使われるのも、大和朝廷が短立していた証拠。
さらに深く突っ込めば、装飾古墳の存在を放置してきた。これも欠陥の一つだな。
「〜君」を名乗る皇別豪族たちが展開したのが装飾古墳だ。
一説によると磐井の墓にも幾何学文があったという。
装飾古墳の登場時期と東遷の時期は必然的に重なる。

(九州年号とは何かは知らんので、ここは俺の考える時代の推移で憶測でいえば、
かつて倭国政権が九州にあった時使用していたものを、
九州に残った皇別豪族が継続使用したのではないのかな?) これは蛇足だ。
436三太穴:2012/06/26(火) 09:04:11.53
>>432
>九州王朝説は、もはや近畿天皇家への反発から生まれた、
うーん。当たらず・といえども遠からず。
天才流に総括すれば、「史実と学界に対する反逆」だな。

>資料の言葉尻を捕らえた拡大偏向解釈に基づく幻想に過ぎない
文献やりくり、解釈操作、語句いじり。この点では卓越したものがあったが、
史実検証という作業における「手順と手法」が根本的に間違っていた。

>九州と大和に王朝が分立して、一方は朝鮮に派兵しながら、他方は巨大古墳築造に邁進するのはムリ。
「武力支配の古代における朝鮮半島との通交ルートと関門海峡の支配の形と使われ方」という
この天才が提起した大命題が、邪馬台国畿内説も九州王朝説も沈黙させる。

>中期古墳から石棺に阿蘇のピンク石が使われるのも、大和朝廷が短立していた証拠。
さらに深く突っ込めば、装飾古墳の存在を放置してきた。これも欠陥の一つだな。
「〜君」を名乗る皇別豪族たちが展開したのが装飾古墳だ。
一説によると磐井の墓にも幾何学文があったという。
装飾古墳の登場時期と東遷の時期は必然的に重なる。

(九州年号とは何かは知らんので、ここは俺の考える時代の推移で憶測でいえば、
かつて倭国政権が九州にあった時使用していたものを、
九州に残った皇別豪族が継続使用したのではないのかな?) これは蛇足だ。
437三太穴:2012/06/26(火) 09:05:05.62
古田的手法に舌をまいて、それを妄信したタコどもへの総括。

●倭人は「黥面・文身・お歯黒・無文字文化」。これは長江流域の諸民族の習俗と同じだ。
わが国では、明治時代まで皇族・貴族もお歯黒をしていた。厳然たる事実だ。
●装飾古墳に描かれた幾何学文はすべて、長江流域の諸民族が神と崇めた最古の男女蛇神。
渦巻き文は蛇身人頭の蛇神。鋸歯文(連続三角紋・菱形文)は蛇神のウロコ。同心円文は蛇神の目。
●「寸鉄を帯びず」が鉄則で武器を所持して朝廷人の身辺にあって、
24時間不寝警護をしたのは「隼人」だった。(広義には九州の武力装置、物部のはじまり)
●隼人の文様習俗が渦巻き文・鋸歯文・同心円文。

身辺警護で最も信頼のおけるのは同族・親近血族と相場が決まっている。
日本の歴史書も、天皇家の習俗も、皇室警備の実態も。
天皇家が隼人と何らかの形で血族もしくは同族だったことを告げている。

いま、わが国の考古学社会は、指定漏れの中小の古墳や遺跡からでる遺物でもって、
倭国・日本という国家と、その支配層の歴史を語る(ささいなことで大きなできごとを語る)という、
極めて愚かなことを平気でやっている。

だが、大古墳の発掘調査が可能となった場合、
開けてみたら「蛇神」にまつわる装飾が施されている可能性は多分にある。
こんなこと、考えたことはあるまい。
真摯かつまっとうな歴史考察・史実検証とは、こういうことをいうのだ。
438三太穴:2012/06/26(火) 11:00:09.53
>>434
今さら行くバカはいまい。どうせ閑古鳥だ。

何ならこの天才が講演会をやってやろうか。わら
俺のツラを見てみたいという好奇心の塊どもが、
ウンカのごとく集まってくるだろうな。わら
439三太穴:2012/06/26(火) 11:52:53.01
>>430 ていせい

●継体は皇位継承権のない第4親等。
↓↓↓
●継体は皇位継承権のない第5親等。

(継体の時代は皇位継承権は第4親等までだったが、
のちの時代に継体の後継天皇たちによって、
とりつくろうかのように皇位継承権を第5親等まで拡大する)
440日本@名無史さん:2012/06/26(火) 12:19:43.49
邪馬台国九州説で止めて、素直に東遷説に繋げとけばよかったんだよね。

その後、邪馬台国畿内説を叩き潰したい一心で、

-6世紀「筑紫(君)磐井」と「日本の天皇・皇太子共に崩御(百済本紀)」の記事
-7世紀「倭王・阿毎多利思北孤」≠推古女帝の摂政・厩戸皇子

これらの資料解釈から、ヒステリックに九州王朝なるものを妄想したのが運の尽き。

>三太穴さん
あんた、使命を持ってる人だから、本書きなよ
441三太穴:2012/06/26(火) 13:14:51.40
>>440
yes ofのcourse. あたしゃ「持ってる男」さ。
天才的な才能。奇跡的なほどの正直さ。不正や小細工を極度に嫌う正義漢。
そして、「古代の神々に着せられた濡れ衣を晴らす」という使命。
あんたはよく俺が「使命を持ってる」と分かったね。

>本書きなよ
過去に書いたのは、今じゃ恥ずかしいほどの駄作。30点もとれていない。
完成度を高めて満足に出来上がったものは、
九州北部説・畿内説など既存の邪馬台国論をことごとく否定する論だからね。
中庸・不偏で、良識と勇気のあるところがあればいいが、なかなかなー。
442日本@名無史さん:2012/06/26(火) 17:11:14.70
暗号から判る邪馬台国
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0q-3.htm

古田武彦氏の説の嘘
景初3年が正しい理由
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-2-1.htm
古田氏によるミスリード
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-2-2.htm
443日本@名無史さん:2012/06/26(火) 21:30:37.62
清水守民〜ペンタクロス古代史〜
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross

この人も古田信者で、九州王朝を本家、大和朝廷を分家としている。
444日本@名無史さん:2012/06/27(水) 06:17:27.60
御大は没後、トンデモ古代史の一人として扱われるだろうなあ。

いっときは面白かったけどなあ。

どうしてこうなった。
445日本@名無史さん:2012/06/27(水) 07:18:28.26
改めて、邪馬台国研究がいかに羅針盤(理性)を狂わせる富士の樹海、バミューダの三角海域と実感!

ある意味、御大もその犠牲者と言えるのかもしれぬ
446日本@名無史さん:2012/06/27(水) 07:22:59.76
【訂正】
×邪馬台国研究→○邪馬台国論争
447日本@名無史さん:2012/06/27(水) 08:06:19.53
「九州王朝」はなかった  古田弐彦
http://www.minervashobo.co.jp/book/b51465.html
448日本@名無史さん:2012/06/27(水) 20:28:18.48
>>434
参加費無料って、スポンサーは誰なの?
449日本@名無史さん:2012/06/28(木) 06:12:13.70
ミネルヴァもなにやってんだろう。
そのうち教科書の指定、あちこちからはずされるぞ。
450日本@名無史さん:2012/06/28(木) 06:51:20.79
>>443
在日系の民主党支持者みたいだね

>>448
ヒュンダイかロッテ、総連ってとこじゃない?
451日本@名無史さん:2012/06/28(木) 16:39:09.00
>>450
古田史学はあくまで日本中心史観だから
チョンとは相容れないんじゃないかな
452日本@名無史さん:2012/06/28(木) 16:51:12.01
図書館で「九州王朝はなかった」を借りてきてパラパラ読んでみたが、

-邪馬台国畿内説を叩き潰したい
-朝鮮半島に派兵し続けたことが九州王朝滅亡の原因(歴史の教訓)としたい

この2つしか読み取れなかった。こんなものに騙されるバカの気が知れない。
453日本@名無史さん:2012/06/28(木) 16:54:47.63
そういえば、神功皇后の朝鮮征伐は史実かどうか?
本人がいなくても、仮託された別人が行った場合も含む。
454日本@名無史さん:2012/06/28(木) 17:24:41.15
朝鮮征伐は史実だが神功皇后は完全な創造人物か畿内と関係のないどこかから持って来てくっつけた話
自ら朝鮮に渡るわけないだろJK…
朝鮮征伐したのは葛城襲津彦だが辱めるために事跡を省略し、さらに女に誑かされて〜と侮辱したうえで、
例えば仮称九州王朝の伝承を神功のものとして付けたのだろう
周知の通り葛城氏は後に大王家と争い潰された
455日本@名無史さん:2012/06/28(木) 17:28:06.77
>>453
新羅征伐は筑紫王と神功皇后のコラボ。
456日本@名無史さん:2012/06/28(木) 17:39:51.37
筑紫君、宗像君、宇佐君、肥君、水沼君、芦北君・・・九州にはたくさんの君がいる
457日本@名無史さん:2012/06/28(木) 18:16:20.32
数ある君のうちで筑紫君が一番上位かもしれないが、
筑紫一国の王に過ぎない。

その上に天子(大君?)がいる。

倭国全体としては、天子が代表である。
458日本@名無史さん:2012/06/29(金) 03:23:40.61
一番上位になった「君」が筑紫君
なぜなら、一番上位になると筑紫平野高良山の近くに居するから。

一番上位とは、外交軍事を司る弟王天子(法王法皇)法=仏法
宗教を司るのは兄王天子(天王天皇)
459日本@名無史さん:2012/06/29(金) 08:30:39.39
古田武彦のチンカスどもがほざいております。
460日本@名無史さん:2012/06/29(金) 19:22:31.22
>>458
http://www2.ocn.ne.jp/~jamesmac/body.html
これおまえのサイトだろ?
461458:2012/06/29(金) 22:32:57.65
>>460
>これおまえのサイトだろ?

違うが、面白そうなので読んでみる。
何処が同じで、何処が違うのか、興味がある。
462日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:04:07.30
古田武彦は、品性下劣な人間である。
かつて口先で在野史学とか孤独の探求者などと称していたが、その実態は
権力志向、権威主義の権化である。

「俾弥呼」の結語で、最高裁判事であった可部恒雄も、自分の学説を支持
していると得意気に書いた古田。可部とは旧制広島高校の同窓だそうで、
要は「オレもエリートだ」と書きたかったのだ。恥知らずめ。

古田よ、ポックリ逝くなよ。今の程度の頭で、糞まみれになって老人ホー
ムに放り込まれろ。そして職員にヤキを入れられて思い知ったらよい、こ
れまでおまえが踏みつけてきた人々の痛みを!
463日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:08:55.13
>>462
どういう風に踏みつけられたのか、kwsk
464日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:54:59.16
メッキがはがれてただの電波だよな。
465日本@名無史さん:2012/06/30(土) 15:17:04.39
とわ言え、多くの人材を古代史に引き寄せた御大の著書「九州王朝はなかった」「失われた大和朝廷」の功績は大きい。
466日本@名無史さん:2012/06/30(土) 16:58:42.48
人材を引き寄せたっつっても
電波が電波予備軍を糾合しただけで
日本史という学問にとっては
害悪以外のなにものでもないだろ
467日本@名無史さん:2012/06/30(土) 21:23:23.88
古田氏をたいしたことねえよ、といっている割には
恨みを持ってる人間多そうだな。

それだけ影響力が大きかったということか。

俺は古田説に近いが、ちょっとデータを扱う方針が違うしな。
468日本@名無史さん:2012/06/30(土) 22:05:53.24
>467
 恨みなんか持っちゃいないよ。怒りを感じているだけさ(笑)
469日本@名無史さん:2012/06/30(土) 22:10:20.51
>>468
やはり、そうか。
その恨みを話してみろ。他人に話せば楽になれるぞ。
470日本@名無史さん:2012/06/30(土) 22:19:22.49
>>462
しかし、それだけ恨んでいながら
最新刊の「俾弥呼」をキッチリと読んでいるあたり
ほとんど病的だな
無関心にはなれんのかね
471日本@名無史さん:2012/07/01(日) 07:09:38.01
神話研究と、多元史観は評価している。

邪馬一国説も信じないが、説としては面白い。
ただ九州王朝と言い出してから、どんどんおかしくなる。

反体制派タレントとか、色魔お笑い芸人が
センセーセンセーと持ち上げるのはいいとして。

なんでキチンと教育受けた、それなりに地位のある人たちが
支持するんだろう。

オウムの時に感じたけど、いい学校を出る=勉強できることと
「頭がいい」ってことは相当違う概念なんだろう。
472日本@名無史さん:2012/07/01(日) 07:42:28.45
>>471は「頭が悪い」だろうな。
473日本@名無史さん:2012/07/01(日) 08:32:59.38
ペテン師は許せないんだよ
474日本@名無史さん:2012/07/01(日) 08:48:09.17
>470
「俾弥呼」を読んでそう思ったのさ。
病的なのは、おまえだよ(笑)
475日本@名無史さん:2012/07/01(日) 08:51:15.56
歴史的ですm(__)m
476日本@名無史さん:2012/07/01(日) 09:01:38.69
邪馬台国近畿説も、そのアンチテーゼとしての九州王朝説(多元史観)も誤りであることが明らかになった今、
日本の古代史もローマ帝国歴代皇帝を語るように語れる日は近いであろう。
477日本@名無史さん:2012/07/01(日) 09:21:41.11
このスレは、おかしな奴が多いな
478日本@名無史さん:2012/07/01(日) 10:07:03.48
邪馬台国をやってれば大概そうなりますよ。
479日本@名無史さん:2012/07/01(日) 10:09:50.38
邪馬台国論争(場外乱闘)がいかに人間の理性を狂わせるかを、御代は身を以って示したわけである。
480日本@名無史さん:2012/07/01(日) 10:48:46.06
古田の功績は、畿内説詐欺をしっかり叩いたこと。
481日本@名無史さん:2012/07/01(日) 11:05:35.95
古田の罪は、その勢い余って九州王朝なるものを捏造し、トンデモ電波を撒き散らした挙句、
邪馬台国畿内説に信憑性を持たせてしまったこと。
482日本@名無史さん:2012/07/01(日) 11:12:09.82
古田の功績は、専門家は誰も畿内説を口にしなくしたこと。
そして、今や畿内説は阿呆なアマチュアの玩具にしたこと。
483日本@名無史さん:2012/07/01(日) 11:53:55.33
古田の大罪は、九州王朝や「関東に大王あり」というトンデモ多元史観を捏造し、
邪馬台国九州説までをも変態カルトと世間に認知させてしまったこと。
484日本@名無史さん:2012/07/01(日) 13:18:08.71
>>480
戦前には、むしろ邪馬台国九州説のが主流だったが

東大閥が強力にプッシュしてたのが九州説

古田が出てきた頃には既に廃品みたいになってたところを、古田が生き返らせたと表現すべき
485日本@名無史さん:2012/07/01(日) 13:23:40.38
九州説は細かいところに違いがあるが、
素人が拙い推論でもたどり着ける。

畿内説は、プロが回りくどい論理を続けても、
辿りつけない。
486日本@名無史さん:2012/07/01(日) 16:32:32.52
古田の大功は「プロと呼ばれる学者たちが、いかに危ういか」を知らしめたこと。
その一例が「邪馬壹国」。

従来、何の論証もなく、先入観だけで排除されてきた原文の字面。
また、大家と呼ばれる学者たちが紹煕本を手にとって見ていないことをも明らかにした。
487日本@名無史さん:2012/07/01(日) 16:40:38.31
>>485
その表現の裏面を見れば。

九州説は素人の拙い解釈による奇説珍説がほとんどで、
細部の検証をするまでもなくおかしいと分かる物が多い。

畿内説は、様々な分野の専門家の研究を積み重ねた大規模建造物で、
堅苦しい論文をいくつも読み込まないとマトモに批判することすらできない。

という意味でもあるぞ。

ただし、文献の行程路を位置決定の手がかりとはしないってのが、素人には受け入れられないんだが。
488日本@名無史さん:2012/07/01(日) 17:18:06.51
>>487

書いた人間だが

素人の奇説が多いのは否定できまい。
だが、それは初歩的な錯誤を分別すれば、重要な要素も含まれるものである。
強い土台の上に立てた、素人のあばら屋といえようか。

そして、およそ原文に合わない土台を持ってきて
無理やり構築した大規模建造物も、また、弱いものである。

ある程度、あなたのニュアンスも含まれるような気がする。
そのニュアンスに加えて、表の意味をストレートに取れば、
事足りるだろう。
489日本@名無史さん:2012/07/02(月) 00:11:43.79
>>482
>古田の功績は、専門家は誰も畿内説を口にしなくしたこと。
>そして、今や畿内説は阿呆なアマチュアの玩具にしたこと。

九州説支持者にはこのようなウソつきが混じっています

>>486
>古田の大功は「プロと呼ばれる学者たちが、いかに危ういか」を知らしめたこと。
>その一例が「邪馬壹国」。

>従来、何の論証もなく、先入観だけで排除されてきた原文の字面。
>また、大家と呼ばれる学者たちが紹煕本を手にとって見ていないことをも明らかにした。

九州説支持者には先人の行ってきた勘校すら理解できていないアホが含まれています
490日本@名無史さん:2012/07/02(月) 06:26:25.46
邪馬台国は熊本にあったんだよ!
491日本@名無史さん:2012/07/02(月) 06:55:43.05
九州説をよみがえらせたのも古田だし、その後、九州王朝多元史観という蛇足を付けて、畿内説を勢いづかせてしまったのも古田。
492日本@名無史さん:2012/07/02(月) 07:08:51.55
俺は邪馬台国大宰府論だけど、畿内説がポシャッたわけではないと思う。
邪馬台国東遷ではなく、残存勢力が朝廷に流れ込んだとか。

そして古田氏の博多湾岸説も、支持派しないがおもしろいし、
主張していいと思う。

ただ、九州王朝とかツガルとか言い出すから、
邪馬台国九州論者ぜんたいがあのアホ説を支持している
と思われると腹が立つ。
493日本@名無史さん:2012/07/02(月) 12:18:40.60
古田氏の邪馬壹國博多湾岸説は誤りである。
邪馬壹國は筑紫平野。
博多湾岸は倭奴國。

九州王朝説は正しいが、東北王朝ツガル説も誤り。
東北王朝は仙台平野。

九州王朝は、617〜684と696〜700の期間である。
494日本@名無史さん:2012/07/02(月) 22:25:21.49
悪いが九州王朝説は、危険性のないオウムだ。
495日本@名無史さん:2012/07/05(木) 00:13:43.91
日本自体が来年には無くなるからどうでもいい
496日本@名無史さん:2012/07/05(木) 01:18:53.49
誤  九州王朝は、617〜684と696〜700の期間である。
正  九州王朝は、617〜683と698〜700の期間である。「継体」〜「白鳳」「大長」

   畿内王朝は、684〜694と695〜700の期間である。「朱雀」「朱鳥」「大化」
   大和朝廷は、701〜の期間である。「大宝」〜
497日本@名無史さん:2012/07/05(木) 04:58:56.59
古田説はむしろ邪馬台国九州説にメージだろ。

街宣右翼が、愛国運動にとって弊害であるように。
498日本@名無史さん:2012/07/05(木) 07:47:40.06
-古代における【関門海峡⇔瀬戸内海】外交・貿易ルートの重要性
-九州に弥生遺跡は豊富だが、古墳時代の遺跡が少なくなり、大和盆地に弥生遺跡は少ないが、古墳時代になると大増殖する

この2つに着目しただけで、誰もが

「九州にあった邪馬台国が東遷して大和朝廷になった」 という基本認識に達することができるはず。
499日本@名無史さん:2012/07/05(木) 22:15:09.40
邪馬台国が弥生時代だってどうやって決めてるんだ?
500日本@名無史さん:2012/07/06(金) 01:00:37.29
邪馬台国があった3世紀前半頃は、弥生時代の末期。
常識でしょ?
501日本@名無史さん:2012/07/06(金) 01:05:51.14
その常識とやらはどうやって決まっているのかね?
502日本@名無史さん:2012/07/06(金) 02:43:32.18
三世紀前半を弥生から古墳時代への移行期とする説や、
すでに古墳時代初期とする説までが出てる気がするが。

絶対に間違いなく弥生時代と断言できる根拠はあるのかね?
503日本@名無史さん:2012/07/06(金) 08:23:42.07
邪馬台国が弥生時代では困る方々が、
弥生時代そのものを変えようとしているようでございますな。
504日本@名無史さん:2012/07/06(金) 08:27:37.12
南を東に変え、
倭人伝の距離は見ない。
古墳年代は繰り上げ、
弥生時代区分まで変える。

ご苦労さまでございます。
505日本@名無史さん:2012/07/06(金) 08:53:42.28
畿内説(王権不動説)vs 九州説(王権移動説)の論争を有利にしようと、

後者の古田武彦が妄想し、文献を弄り回して生み出したのが、九州王朝説(王権不動説)である。
506日本@名無史さん:2012/07/06(金) 14:44:24.02
>>504
日本の歴史時代を短く見積もろうとして理科学年代を却下し続けてきたのが、もはや却下しきれなくなったから年代がくりあがったんだよ
出土遺物と製作年代が開きすぎる不都合を説明しようとして長期伝世仮説が採用されてたりな。
507日本@名無史さん:2012/07/06(金) 15:43:44.08
>古田武彦が妄想し、文献を弄り回して生み出したのが、九州王朝説(王権不動説)である。

古田説の九州王朝も7世紀後半には都を畿内に移動していたのでは?

副都期をも含めると640年代から
508日本@名無史さん:2012/07/07(土) 07:36:05.98
古田説で認められるのは、
例の朝鮮半島ジグザグコース説ぐらいだな。
509日本@名無史さん:2012/07/07(土) 09:50:16.02
古墳は4世紀から。弥生時代の始まりはBC100〜200
510日本@名無史さん:2012/07/07(土) 10:47:35.96
まあ、弥生時代の年代は通説どおりでよかろ。
特に変更する理由もないし
511日本@名無史さん:2012/07/07(土) 11:00:43.47
>>510
妄想的には適切だが、理科学年代と合わなくなったからダメだな
理科学年代をやってる研究者が少数だった、一昔前だったらともかくな。

だから否定派は、理科学年代をやってる研究者が少数であるかのように言って、まだ信憑性がないかのように装うんだよな。
512日本@名無史さん:2012/07/07(土) 11:12:16.52
九州の出土物はc14で概ね一致するからな。
あと、奈良時代以降の年代がはっきりしている建築物もね。

合ってないのは畿内の弥生時代とされる出土物だったはずだが。

で、昔から独自に理化学的年代と称する、
他人がチェックできない年輪年代に固執する。
513日本@名無史さん:2012/07/07(土) 12:55:00.30
昨年「邪馬台国関係では私の本が一番売れてる」と豪語し、売れすぎて今年の
初めには税金の申告に手を取られて研究の時間を割かれたと言っていた古田だ
った。

電波本ってのは、結構売れるよね(笑)
ミネルヴァ書房も儲かってようござんしたね。
514日本@名無史さん:2012/07/07(土) 13:13:42.68
おまえみたいのが読むからだろ
515日本@名無史さん:2012/07/07(土) 13:43:35.06
C14は世界中で莫大なチェックが成されてるから、理化学的年代測定法として、
差し支えないと思うが、

ロクにチェックを受けていない、計測する人の思い通りになる、
年輪年代法を理化学的年代測定法としちゃだめだよ。

まともに他の人の追試がされてないんだから。
516日本@名無史さん:2012/07/07(土) 14:34:28.29
そうだな。
追試ができない年輪年代法は理化学的年代測定法ではない。
追試、再試で確認できない測定方法は理化学的測定法ではない。
517日本@名無史さん:2012/07/07(土) 14:34:56.49
>>512
九州のC14年代だと、
弥生時代の開始は一部地域でBC1000ちかく、それ以外でもBC600以前。
紀元前後には最盛期が終わって、大陸との(というか実質は半島との)交易拠点は山陰に取られてしまってる。

あと、年輪年代だって、棺の材料とされることがおおい樹種こそ独占状態だが、
それ以外の樹種も含めたらかなり多くの人が研究してんだぞ。

それと、
年輪年代法による推定年代とC14年代は、互いを否定するような大きく離れた値を出してはいない。
まあ、年輪年代をそのまま受容できるかどうかは別にしてな。(さすがに現状では厳しいだろう...)
518日本@名無史さん:2012/07/07(土) 16:18:43.88
日本の歴史を出来るだけ古く遡らせたいらしいね。紀元二千六百年とか言い出しそうで気味が悪い。
また戦争になるのかな・・・
519日本@名無史さん:2012/07/07(土) 19:12:11.03
>>518
>日本の歴史を出来るだけ古く遡らせたいらしいね。
誰が?まさか古田が?
520日本@名無史さん:2012/07/07(土) 23:14:32.01
土器とC14では、おおむね100年から200年の範囲で、
離れている例が多い。

年輪年代では、名前を忘れたが、年輪年代の人、一名だけの
主張しか見たことないので、合っているのか間違っているのか
基準がない。
521日本@名無史さん:2012/07/08(日) 15:37:02.82
>>508
>古田説で認められるのは、
>例の朝鮮半島ジグザグコース説ぐらいだな。

古田説の大部分は認めるが、
例の朝鮮半島ジグザグコース説は認められんな。
522日本@名無史さん:2012/07/10(火) 23:16:48.60
   
古田説の大部分は認めるが、
例の伊都國、奴國、邪馬壹國の福岡平野説は認められんな。

末盧國の東南五百里の伊都國は佐賀平野だ。
だから、邪馬壹國、投馬國は筑紫平野だ。
523日本@名無史さん:2012/07/13(金) 06:40:02.04
 古田武彦は、自分のことを日本思想史に残る思想家だと考えているようだ。
 しかし、古田は邪馬台国クイズの一回答者でしかない。
524PC:2012/07/14(土) 07:47:10.34
古田史学などと、おこがましい、古田の古代史は学問ではなく、物語、お話にすぎません。

昭和、平成にわたる現代の疑書である。古田武彦に天誅を加えようでは、ありませんか。
525日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:58:01.46
トンデモ作家だな。
ツガルに関わるまでは、まだ市井の奇矯な「学者」だった。
もう八切止夫以下かもしんないなあ。
526日本@名無史さん:2012/07/14(土) 14:04:40.06
飛鳥昭雄説の大部分は認められないが、
例の日本列島逆立ち説は認められんな。

トンデモ作家だな。
527日本@名無史さん:2012/07/15(日) 04:32:27.63
東日流に手を出すまでは結構面白かったんだけどなぁ。
528日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:57:17.39
古田の評価は東日流ぬきでしている
529日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:24:47.43
古田の古代史における業績で積極的な評価が可能なのは
好太王碑文の改竄説の否定だけだろ。
530日本@名無史さん:2012/07/16(月) 04:29:01.63
神話はデッチあげではなく、次か次の代の王権が
自己正当化の為に伝聞をまとめた、つうのも評価してる。
531日本@名無史さん:2012/07/16(月) 05:32:03.17
>>528
古田の研究方法のもとでは、遅かれ早かれ、いつか三郡誌のような代物に漂着せざるを得ない。
ツガルは古田氏の欠点が露呈する事件だったとしか言いようがない。

結局、性格が研究者向きじゃなかっただけなのかもしれんな。
532日本@名無史さん:2012/07/16(月) 07:02:09.36
>>531
>結局、性格が研究者向きじゃなかっただけなのかもしれんな。
確かにそうだな。
古田の性格はアジテーター向きだな。
533日本@名無史さん:2012/07/19(木) 23:03:25.63
京都のミンメイ書房は古田先生の味方。
534日本@名無史さん:2012/07/21(土) 18:40:37.86
>>529
誰かがいずれやったのでは
535日本@名無史さん:2012/07/25(水) 06:29:11.05
実は改竄説否定は安本氏も積極的だった。

わかんないのは日本人、特に左がかったやつらが
必死で、改竄説を拡散したことだな。
536日本@名無史さん:2012/07/26(木) 15:24:04.99
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)→神武東征>>瀬戸内海>>大和
....................隼人(鹿児島)

日向投馬国王と筑紫邪馬台国女王「台与」との婚姻後、薩摩隼人との三つ巴で肥後狗奴国(後の熊襲)を滅ぼし、
その男系子孫であることを示すため、神武は本拠地・投馬国(日向)から大和へ東遷(東征)。大王に即位し、大和朝廷を樹立。

大和朝廷における、投馬国(日向)系大王と邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島支配強化で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=投馬(日向)系大王(天皇)


-継体・安閑・宣化=日向系大王→継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王(筑紫系大臣蘇我氏による日向系皇族大弾圧)→「乙巳の変」へ
-天智〜弘文=日向系大王、「白村江の戦い」惨敗で半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」、両系和解の記紀編纂(イリ三輪王朝の活躍>ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系「天皇」、筑紫系「天皇」の平城京から本拠地・琵琶湖近くの平安京に遷都
537日本@名無史さん:2012/07/30(月) 06:12:26.38
ちと脱線するが、1995年頃を境に、歴史学でも

自由に論議できるようになったな。
それまでは依然としてマルクス派と言うか
左巻きが幅きかせていて。

今はいい時代になったもんだ。
538日本@名無史さん:2012/07/30(月) 17:27:31.27
>>537
マルクス派もだが、
一番幅をきかせていたのは何と言っても津田史観だろ。
津田史観の否定はタブーだった。
539日本@名無史さん:2012/07/31(火) 06:50:01.98
津田左右吉は象徴天皇制支持論だったのに、左派は都合のいいところだけを
利用してやがったな。
540日本@名無史さん:2012/08/04(土) 07:05:02.04
>古賀達也の洛中洛外日記
>第449話 2012/08/03
> 昨晩は金沢市で宿泊しました。金沢へは年に何度か来るのですが、宿泊し
>たのは30年ぶりです。気のせいか、金沢や石川県は美男美女が多いようで
>す。何か歴史的背景があるのか、地域的特性なのか、ただ単にわたしの好み
>の問題だけなのかもしれませんが。

 古賀は、こんな落書きを論文と称して単行本にして後世に残したいなどと
言っているのだから呆れるね(笑)


541日本@名無史さん:2012/08/11(土) 07:02:04.86
           【現実】

        九州(東遷)説
.            ↑
【左翼】(非国民)←┼→【右翼】(無知蒙昧)
 九州(王朝)説 ↓  畿内説

           【妄想】
542日本@名無史さん:2012/08/15(水) 17:32:20.44
はじめてこのスレに来たが、申し訳ないがレスを全部は読んでいない。
既出だったら指摘してください。

「邪馬壹国」の名称と「短里」問題については、三国志の範囲では現在のところ確定的な結論と考えていいの?
543日本@名無史さん:2012/08/15(水) 17:44:28.79
いいです
544日本@名無史さん:2012/08/15(水) 18:06:14.44
>>543
ありがとう。

ちょっと横道にそれるけど、倭人伝には投馬国の役人(支配者?)の呼称として「ミミ」というのがあったと思うけど、これは記紀の神名(の一部)と同じと考えていいと思ってるんだけど、どうだろう?
545日本@名無史さん:2012/08/15(水) 18:13:07.94
>>544
それとも古田氏の著作にその指摘はでてるのかな?
546日本@名無史さん:2012/08/15(水) 19:05:40.24
>>544
その件は、どうだろう?と云われましても、なんともねえ。
ひとつの仮説として、おうかがいしておきましょう。
547日本@名無史さん:2012/08/15(水) 23:34:19.70
>>542
古田説の範囲では確定事項。
学者の支持はごく少数。
548日本@名無史さん:2012/08/15(水) 23:44:17.72
>>547
ありがとう。

反対する根拠にはどのようなものがあるんだろう?
549日本@名無史さん:2012/08/16(木) 00:55:36.55
むしろ古田の論拠の方に問題があるという流れなのだが
550日本@名無史さん:2012/08/16(木) 08:27:12.32
古田氏の著作を読む限り、現存する三国志はすべて「邪馬壹国」と表記してあり、「短里」は三国志全体の距離の分かる記述に当てはめた結果とあります。

反証が出ているのでしょうか?
551日本@名無史さん:2012/08/16(木) 19:50:16.65
三国志以外にも卑弥呼のことに触れた中国の史書は多々あるが邪馬「壱」国表記は三国志だけ

古田は中国の長い歴史において先人が行ってきた校勘という研究を一切無視してるんだよ
552日本@名無史さん:2012/08/16(木) 20:07:58.74
>>551
レス感謝です。

中国側でとくに三国志の倭人伝部分に触れた研究があるのでしょうか?
中国語は読めないので和訳があればありがたい。
あるいはそうしたことを指摘している日本の研究者の著作を教えてもらえるとありがたい。

また、そのことは古田氏自身が書いていて、その他の史書についても複数の写本を元にその時代時代の呼称として分析しているようです。
まさに校勘そのものだと思うわけです。
古田氏はもともと文献学者なので、そのあたりはきちんとしているのではないかと思ってる。

古田氏自身が指摘に再反論しているものはいくつか読みました。
553日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:35:10.72
書写・引用の系譜を追跡・分析する研究から、
臺→壱と誤写された可能性の方が、壱→臺と変わった可能性よりも圧倒的に高いと推定されている、のではなかったかな。
554日本@名無史さん:2012/08/16(木) 23:38:20.69
>>552
>古田氏自身が指摘に再反論しているものはいくつか読みました

最初の論考の時点では、不足点こそ少なくないものの、まだマトモな人扱いされてはいた。
が、再反論以後、急速にDQNな逆上ぶりがあからさまになったので、専門家からは相手にされなくなった。
555日本@名無史さん:2012/08/17(金) 02:10:02.58
古田説に対する批判の文章って、古田氏が著書内で引用した部分だけを見ると、どう考えてもおかしなことを言ってるんだけど、
元の文章を読むと、おかしなことは言ってない場合が多いんだよね。

こういうのって、古田マジックというのかな?
556日本@名無史さん:2012/08/17(金) 16:09:01.74
>>554
東日流がとどめだろうが、おかしなことに首を突っ込みやすい、他人を信じやすい、といった学者としてよくいるタイプだろうが、学会から距離を置いていたので、それを注意する人がいなかったんだろうと思う。
その辺はどこかの学閥と交流していれば防げたとは思う。

残念ながら双方にその器量がなかったとしか言いようがないのでしょうね。

それはともかく、だからといって古田氏の文献解釈までが否定されるということにはならない。
それを無視しているのは学閥側の大きな問題点でしょう。

依然として「邪馬壹」「短里」問題、つまり「邪馬○」国の名称と場所比定問題は古田氏に大きなアドバンテージがあるように見える。
これらのことを三国志自体から反証しないままで、古代史学者は気持ち悪いと思わないのでしょか?

>>553
古田氏は、壹も臺もそれぞれ正しいという立場だから、反証にはならないように思えます。

>>555
具体例をあげてもらえるとありがたい。
557日本@名無史さん:2012/08/17(金) 17:16:20.42
>>556
古田氏の性格として、敵と味方に峻別したがる点が特にネックだったんじゃないかな。
不足点を指摘されたら逆上して、言論封殺だと言い出してしまうので、学術的な議論ができなかった。

>それはともかく、だからといって古田氏の文献解釈までが否定されるということにはならない。

先行研究を無視しすぎで、アイデア止まりとしかいいようがない状況に陥ってしまった。

>古田氏は、壹も臺もそれぞれ正しいという立場だから、反証にはならないように思えます

反証というわけじゃないよ。
先行研究においてすでに、壱の可能性は低いとされていたのを覆せるような緻密な論証とは認めてもらえなかっただけ。
「壱ではなく臺』という結論を覆して「(臺でも)壱でも正しい」という結論を出すには論証不足すぎた。
「論証というよりコジツケ」と認定されたとも言える。
558日本@名無史さん:2012/08/17(金) 17:41:59.66
>>557
>先行研究においてすでに、壱の可能性は低いとされていたのを覆せるような緻密な論証

古田氏はその先行研究である、「臺」からの誤記、ということ自体に論証がないという主張をしている。
「臺」からの誤記というのは論証がなく、他の史書がそういう表記になっていて「ヤマト」の音に近いから、という理由だけで「邪馬臺」が正しいとされている、と主張している。

つまり、三国志「すべての系列の写本」が文字を取り違えるということがありうるのか、という点と、三国志内部では「すべての系列の写本」の他の記事に壹と臺の誤記は見つからない、という点。
これは反証しようと思えば簡単なことだから、その点の反証がなければ学問的事実として認めるほかはないと思う。
「短里」も同様です。

古田氏の主張が事実なら、自分には十分な論証に見えるが、どこが不足しているのだろう?
そういう意味で、その点の反証があるのなら知りたい、というのが自分の趣旨です。
559日本@名無史さん:2012/08/17(金) 19:02:21.59
三国志の全ての写本?
古田が依拠してるのは最古の刊本だろ
既に指摘されているように三国志以外の史書では「臺」が圧倒的多数
これら「臺」を用いる史書が全て誤字である確率と
三国志最古の刊本の元ネタのみが誤字である確率と
どっちがありえると思うかね?

いっとくが、写本の繰り返しによって伝えられ古文書では誤字、脱字、衍字、脱簡、錯簡はあたりまえ
それを理解していない主張を繰り返している時点で古田の古文書研究は研究者レベルとは言えないと判断されたんだよ
古文書の実態を知らないことが白日のもとにさらされたのがツガル
560日本@名無史さん:2012/08/17(金) 19:36:33.73
三國志は、演義の登場以前には評価が低かったからか、
(「注に記されているように、偽証疑惑が流布していたらしい。)
写本残存率が低かったんだよな。

「最古の刊本」を元にした刊本系統以外は残存していない。

古田氏は、引用物は信用できないという主張によって、刊本以外の文面を拒絶した。


文献学、考証学では、引用物の文面も利用して比較検証するんだよ。
なんせ、古代の哲学の内容を俎上に載せようという目的で発達した学問なんだ。
たった一文字の違いでも影響が大きい。
主張の内容が正反対になったりする危険が小さくないんだ。

あらゆる手がかりをピックアップしていって、元の文面を復元していこうって学問(技術)なんだよ。

どの本がいちばん原型に近いかという古田式検証なんて、児戯にしか見えなくなるほどの技術体系だ。


で、その手法から出た結論が、「壱ではなく臺」だったんだ、古田以前の時点で。
もっとも、倭人伝関係は日本以外での注目が低かったから、他の部分と比べたら検討が浅かった可能性はあるけども。

それを否定しようってときに古田氏が持ち出した手法は、結局はアレだったってことさ。
一見すると精緻に見えても、使っている原理が児戯だから、さほど有効な結論は得られようがない。
561日本@名無史さん:2012/08/17(金) 19:47:25.05
>>555
>こういうのって、古田マジックというのかな?

議論の際に、相手の主張を引用するときって、
よほど注意深く扱わないと、執筆者の意図と違う内容に化けてしまう恣意的引用に陥る危険が小さくないよね。
別に古田マジックと呼ぶ必要はないと思うよ。

頭に血が上りやすい人、敵と味方に峻別しがちな人なら誰でもやってしまってるんじゃないか?

ワンクッション置いて、相手の主張が本当にそういう意味だったかどうかを検証してから冷静に議論できる人は滅多にやらないだろうけど、
古田氏はそれができなさそうな人だから。
だってさ、敵と味方に峻別しようなんて狭量な視点を持たないなら、あの「踏み絵』事件は起こらなかっただろ。



>>551
>古田氏自身が指摘に再反論しているものはいくつか読みました。
今でも古田氏のファンを続けてる人って、古田説以外の本をあまり読まない人ばかりなんだよね。
古田氏による再反論って、古田氏が反論を読んだときに受け取ったイメージに基づく主観的理解が強くて、
適切な引用にはなってない場合が多いんだ。

議論の双方を読んで適正に判断できる人たちは古田ファンをやめてしまったという現状が、すべてを物語っている。
562日本@名無史さん:2012/08/17(金) 19:56:25.23
>>559>>560
そのような印象をもつ人は多いのだろうが、親鸞の文献研究では第一人者であるぐらいの文献学の専門家ではあったわけだから、そこまでいい加減な研究ではないと思う。
たしかに東日流では、逆に実質的な(真本であるという)反証をなにも出せなかったのに、「発見者」の言を盲信してしまうという学者にあるまじき論陣を張ってしまった。

しかし、だからといってすべての論考を葬り去ってしまうのは、一方で、やはり古代史学の後退になってしまう。
古田氏の文献学的な論考については十分な検証が必要だと思う。

三国志に関しては古田氏は現存する「すべて」の写本と書いている。
それが確かなら、陳寿は「邪馬壹」だと思っていたことは間違いないことになる。
引用はやはりあくまでも引用だろう。
引用された時代の読み方が反映されてしまうのも普通だと思う。

さらに、三国志全体で「臺」と「壹」の混同がないとするなら、陳寿自身の読み違い(書き違い)という可能性も非常に小さい。
古田氏の言うとおり、「邪馬壹」国という言い方が実際にあったとするほうが自然だ。

古田氏は他の史書も誤字だとは考えず、理由のある表記と考えている。
古田氏の言うとおり、一部の写本ならともかく、すべて、あるいは大多数の写本が統一された表記なら、誤字とするより、その表記に対応する言葉があったとするほうが誠実な態度かと思う。

三国志自体を取り扱った古田氏への反証を教えて下さい。
563日本@名無史さん:2012/08/17(金) 20:02:10.79
>>561
実は自分も古代史が好きで、考古学では森氏ぐらいですが、その他歴史学者のものはそれなりに読んでいます。
もともと古田氏以前に読んだもののほうが多いのです。
しかし、自分の狭い知見の中では三国志自体の文献研究で古田氏の指摘に答えていると思えるものがなかったので、ここを見つけて質問したわけです。

他意はありません。
564日本@名無史さん:2012/08/17(金) 20:08:42.98
>親鸞の文献研究では第一人者であるぐらいの文献学の専門家ではあったわけだから

古田氏の専門は文献学ではありません。
というか、文献学というのはそういう種類のものではありません。

むしろ、古田氏は文献学に関してほとんど素人と判断せざるを得ません。


>三国志に関しては古田氏は現存する「すべて」の写本と書いている。
>それが確かなら、陳寿は「邪馬壹」だと思っていたことは間違いないことになる。

八百数十年前に印刷された「最古の刊本」より以前に書かれた写本など残存しません。
現存するものはすべて、「最古の刊本」からの派生物です。

従って、「最古の刊本」の成立以前を研究するためには、引用物以外には何の手がかりも残っていないのです。

>引用はやはりあくまでも引用だろう。

という態度を貫く限り、「最古の刊本』の成立以前にはさかのぼれないのです。
565日本@名無史さん:2012/08/17(金) 20:29:24.33
>>564
>文献学というのはそういう種類のものではありません。

ご自身が文献学の専門家なら、三国志にまつわる一般的な研究書を教えて下さい。

>現存するものはすべて、「最古の刊本」からの派生物です。

「最古の刊本」というのは1種類しかないのですか?
古田氏はいくつかの系統をあげていたと思いますが。

また、最古の刊本の成立以前にさかのぼって確立した研究というのにはどんなものがあるのですか?
三国志の文献研究と併せて、普通の図書館にあるようなものなら読んでみたいと思います。
566日本@名無史さん:2012/08/17(金) 21:41:52.19
>ご自身が文献学の専門家なら
そもそも、専門どころか入門すらしてませんけどね。
引用物を無視するという古田氏の手法が文献学の基本ルールを完全に無視する暴挙であることから、
古田氏が文献学に関して門外漢だと判定せざるをえないだけですよ。


>「最古の刊本」というのは1種類しかないのですか?
北宋時代末期に作られた単一物です。

>古田氏はいくつかの系統をあげていたと思いますが。
それらが「派生物」です。南宋以後に作られた刊本ばかりですね。
「系統」と呼んでますが、系統ではなくて「刊本の種類」でしょ。

>また、最古の刊本の成立以前にさかのぼって確立した研究というのにはどんなものがあるのですか?
>三国志の文献研究と併せて、普通の図書館にあるようなものなら読んでみたいと思います。
古いものは中国語で書かれた清〜中華民国のものでしょうね。
または、江戸時代のもの。
普通の図書館にはないでしょう。

新しいものでも、たぶん、学術論文は普通の図書館にはありません。
国会図書館に依頼してコピーを入手するという方法しかないでしょうね。
.


PCの前に座ってるときにレスを見るとついつい返答してしまうが、
ここにID表示があったらオレ、真っ赤になってそう。hissi.orgに掲載されるレベルかも。

ところで、力不足が激しくて(ry なんですが、
>>549 さん、>>551 さん、>>559 さん他の皆さんもぜひご協力を
567日本@名無史さん:2012/08/18(土) 09:36:06.69
和田喜三郎なんていう希代の詐欺師にひっかかって東日流に関わってしまったのが運の尽き。
さっさと「東日流は偽書です、すみませんでした」って謝っとけばよかったのに自分も詐欺師になってしまった。

古田氏の主張が全て価値のないものとは言えないが、未だに「東日流はすばらしい」と発言する姿を見ると
ここで真剣に議論している方々がかわいそうでむなしくなる。
568日本@名無史さん:2012/08/18(土) 14:37:27.00
>>566
>専門どころか入門すらしてません

という方が文献学者(書誌学者)の専門的な研究方法を代弁するのはいかがなものかと。

研究方法には様々なアプローチがあるのは当然で、第三者がどれかを一方的に断罪するべきものではありません。
古田氏自身にそのきらいがあるとしても、お互い様ということになります。
あくまでも研究結果が大切です。

いずれにしても、古田氏の論証に対する具体的な反証をご教示いただけなかったのは残念ですが、レスいただいたことに感謝します。

それから、あまり関係ないけど、亡くなった吉本隆明氏も古田氏の研究には敬意を払っていた。
古田氏の古代の多元的な国家ついては有意義な見解だというようなことを書いてるし、親鸞については吉本氏自身の論考の趣旨には影響しないという注釈をつけながら、古田氏が指摘した文献的な誤りを認めている。

言いたいのは、優れた思想家が認めたから正しいとかいうことじゃなくて、論考の一つ一つにそれぞれ評価がありうるということだ。
まして、吉本氏は古代国家のあり方についても、親鸞についても、非常に深く追求を続けていた人だ。
学問でも木を見て森を見ないということは極力避けるべきだと思う。
569日本@名無史さん:2012/08/18(土) 14:56:31.45
>>専門どころか入門すらしてません

>という方が文献学者(書誌学者)の専門的な研究方法を代弁するのはいかがなものかと。

文献学がどういうことを研究してきたかという履歴をちょっと見れば、古田氏はおかしいと分かるレベルだと言ってます。

細かい文面兼比較はかなりの力作だと分かるのですが、方向がおかしかった。


>それから、あまり関係ないけど、亡くなった吉本隆明氏も古田氏の研究には敬意を払っていた。
>古田氏の古代の多元的な国家ついては有意義な見解だというようなことを書いてるし

古田氏の着想は優れてたと思いますよ。

>鸞については吉本氏自身の論考の趣旨には影響しないという注釈をつけながら、古田氏が指摘した文献的な誤りを認めている。

覆されることのなかった、本当の意味での成果は、これの他には少ないですよね。

>言いたいのは、優れた思想家が認めたから正しいとかいうことじゃなくて、論考の一つ一つにそれぞれ評価がありうるということだ

アイディアとしては悪くなかったけど学術的意義はほとんど残せなかった、それだけですね。
思想的には、それなりに大きなものは残したでしょう。

研究手法が間違っているという事実自体は、さほど深く調べなくても容易に分かることです。
570日本@名無史さん:2012/08/18(土) 16:07:09.55
>>569
具体的な指摘をしないまま「方向がおかしかった」とか、「研究手法が間違っている」とか決めつけるのは残念なことです。
申しわけないのですが、私とは考える方向が大きく違います。

私は、具体的な反証を知りたいだけです。
いくらなんでも反証の必要もないというのでは、三国志という資料に書いてある以上、専門家であるなら学問の放棄にも等しいでしょうし、素人であるなら出すぎた言い分だと思います。

古代日本の中国側からの表記については、倭、委、邪馬壹、邪馬臺、(ネットでは漢字が出ない)隋書での名称、そして日本、といくつもある。
ほかにもあるかもしれない。
それをどれかはどれかの誤記と決めつけてしまうほうが、おかしなことだ。

残念ながら日本では日本書紀以前の史書がほとんど失われている。
日本書紀の編纂者ですら自国の過去の史料を探しあぐねているように見える。

古代の日本像は中国の史書と考古学的な知見を頼りに組み立てるしかないのに、学閥によって見解がわかれるといいう惨めな状況を作り出しているのが日本の古代史学者たちだ。
学閥がなぜ研究内容を左右するのか教えて欲しいものだ。
結局は学者たちの恣意的な判断で研究内容が歪められているとしか見えない状況を呈してしまっている。

こうした中で孤軍奮闘している古田氏の業績を闇に葬ろうとしてはいけない。
先行研究があるから無視する、のではなく、古田氏自身の研究の当否を検討批判しなければいけない。
571畠山持国(時空移動):2012/08/18(土) 16:56:53.40
古田氏の手法のうちでも特に問題外な点は、引用物/引用文献はことごとく価値が低いと決めつけてしまった点だと思っています。

写本を作るときと同等かそれ以上に注意を払って引用された文献も多いというのに、それをことごとく切り捨ててしまっている。

書籍としての件数も、引用物の方が桁違いに多く存在するにもかかわらず、圧倒的に数が少ない刊本だけを対象としているのが問題なんですよ。


おそらくは、最初は暫定的に刊本のみを対象としてたんでしょう。
それが、反論を受けるうちに引っ込みが付かなくなって、引用物は価値が低いと嘯くようになったんじゃないでしょうか。

島嶼は真摯な論考をしていた古田氏が、徐々に論考ではなく強弁に切り替えていった様子を見るに付け、引っ込みが付かなくなった以後の古田氏の行動は否定されるべきだと考えています。
「孫聖壱の論考」とか、典型的に強弁ですね。


>古代日本の中国側からの表記については、倭、委、邪馬壹、邪馬臺、(ネットでは漢字が出ない)隋書での名称、そして日本、といくつもある。

おそらく、倭と委に関しては、最初のうちは倭を示す専用の文字が作られていなかったために委と記していたが、
まもなく専用に文字を作るようになって、ニンベン付きで区別しはじめたんでしょう。

ヘンなど部首を増設して文字を区別する、「文字の分化」(枝分かれ)的なものが、特に古代には多く行われていますからね。
後漢初期には倭という文字がまだ作られていなかったか、もしくは定着していなかったので、金印では倭ではなく委と表記されたのでしょう。

>こうした中で孤軍奮闘している古田氏の業績を闇に葬ろうとしてはいけない。
>先行研究があるから無視する、のではなく、古田氏自身の研究の当否を検討批判しなければいけない。

後代の研究によって、誤っていたことが確認された学説は極めて数多くあります。
今でも正しいと見なされている学説よりもずっと多い。

そういった、過去のものとなってしまった学説の列の中にのみ、古田説の行き場所が遺されているのでしょう。

かつて言われていた「古事記は偽書」説も覆されましたし、そういうのはすごく多いわけですよ。
572日本@名無史さん:2012/08/18(土) 16:57:23.88
ありゃ、名前欄がおかしい。無視してください。
573日本@名無史さん:2012/08/18(土) 18:09:33.54
ちょっと気になるので、書いとくけど

古田氏は後漢書の「魏志所謂邪馬臺者也」は否定してないよ。
5世紀段階で「邪馬臺」と呼ばれるものはあったとしてる。
3世紀段階(魏志倭人伝)で、卑弥呼が居たのは「邪馬壹国」である、としてる。

従って、他書の引用を否定してる訳じゃない(「太平御覧」は除く )。
詳しくは古田氏の著書で確認してね。
574日本@名無史さん:2012/08/18(土) 18:34:43.46
>(ネットでは漢字が出ない)隋書での名称

2chでは漢字が出る。

俀國
575日本@名無史さん:2012/08/18(土) 18:54:32.09
>>571
引用問題については>>573さんが書いてくれているので、ほかのところを。

表記の問題は、倭と委だけではありません。

中国の史書に日本らしき国名が登場してから日本という表記が定まるまでに、数百年以上の時間を経ている。
その間に何回名前が変わっているのか、その変更された理由はなにかということも、追求するべきことだ。

倭と委についても同義異字の可能性を含めて検討している。
だから金印を倭国王に与えたものという考え方だ。
それも他の周辺国との違いまで印文の検証をしている。

古田氏の論考を貶すにしても、やはり古田氏の主要著作は読んでからにして欲しいとは思います。
「邪馬壹」国をはじめ、いまは手に入りやすいようです。

>>574
ありがとうございます。不勉強でした。
「タイコク」で出るんですね。
576日本@名無史さん:2012/08/18(土) 19:27:00.17
>中国の史書に日本らしき国名が登場してから日本という表記が定まるまでに、数百年以上の時間を経ている。
その間に何回名前が変わっているのか、その変更された理由はなにかということも、追求するべきことだ。

「名前が変わっている」という主張自体が、古田説の一部でしょ。
古田以前は、「倭/ヤマト」→「日本」という、一回だけの改名とされていた。


何度も改名されたという説を既定の事実のように言ってしまうことが、
古田説を無言のうちに既定の事実と認定していることを示している。

古田以前には、「 ?國 」は「倭国の誤写」とされていたし、「邪馬壱国」は「邪馬臺国」の誤写とされていた。
古田氏がそれを否定したこと自体に疑義が付いたまま、
疑義を解消して定説化させることなく議論の舞台から去ってしまったから、
それらの主張はどれも、「古田説特有の主張」のままだ。

古田説を前提としない中立な議論を主張するなら、それらも当然ながら議論の対象としないといけない。
他の議論の中では前提のように扱われている部分なんだから、真っ先に、最初に議論されないと行けない部分だな。
577日本@名無史さん:2012/08/18(土) 19:52:22.13
つーか「魏志でいうところの邪馬『臺』」って引用があるのに
「魏志では邪馬『壹』が正しい」と主張してる時点で引用文無視してるじゃん
フツーならこの時点で主張がおかしいと気付くわな
578日本@名無史さん:2012/08/18(土) 20:11:44.74
>>576
その「誤写」である根拠を教えて下さいと言ってるわけです。

邪馬台国関係の本は結構読みましたが、何の注釈もなく「邪馬台(臺)」国としているものばかりでした。
ほかの国名表記についても、注釈なく「?国」を「倭国」としてあるか、注釈に「?国」とあるのは誤り、とあるだけで根拠を示していないものしか目にしたことがないのです。

だから、それが「誤写」や「誤記」である根拠を、具体的に言及した論考があれば教えて欲しい、と書いているのです。
579日本@名無史さん:2012/08/18(土) 20:17:34.71
>>577
引用と原典があれば原典がまずスタートラインに来るのは当然でしょう。

その上でどちらが正でどちらが誤か、あるいは双方正か双方誤か、といった検証がなされるわけです。
古田氏以外のそうした検証を見たことがない、ということです。

こだわりはないので、あるなら教えて下さい。
580日本@名無史さん:2012/08/18(土) 20:22:04.48
「?国」と出せなかったのでコピーさせてください。
「?国」は「俀國」です。
581日本@名無史さん:2012/08/18(土) 23:17:19.63
>引用と原典があれば原典がまずスタートラインに来るのは当然でしょう。

その考えが大間違い
原典であろうと引用であろうと誤写は等しく起こりうるので同等に扱わねばならない

中国で史書をはじめとする書物の編纂にあたった人間の多くは
できるだけ多くの書物に当たって裏をとることで自分の書物の内容の確からしさを高める努力をしていた
それが勘考や校合といった作業であり、その積み重ねによって「邪馬臺国」という表記が確からしいと認識されるにいたったもの
誰かの論考によって「邪馬臺国」といった表記が確からしいと提唱されたわけではないので
あなたが求めるような論文は存在しない
582日本@名無史さん:2012/08/18(土) 23:51:36.25
>>581
なさそうだということはわかりました。

多数の引用にそう書いてあるから原典が間違っている、というのでは論証にはならないでしょう。
同時代の書物での引用であれば原典と同列に扱えるでしょうが、時代の異なる史書の引用では、当然その史書が書かれた時代の表記の可能性を見なければなりません。

また、積み重ねといっても日本の大学では学閥の先行研究に異を唱えることができないという悪弊があるのは良く知られていることだと思います。
もちろんすべての学問でということはないのでしょうが、卑弥呼王朝の九州、近畿の比定問題ではそれが酷い状況になっているのは一般的な常識とすらいえます。
例外はあるとしても、日本の大学というのが師弟関係に固執した独善的な学問環境だということを前提に考えなければなりません。

誤写(誤記)説の論証がないとすれば、依然として、古田説をくつがえすことにはならないということです。
583日本@名無史さん:2012/08/19(日) 00:23:39.24
>また、積み重ねといっても日本の大学では学閥の先行研究に異を唱えることができないという悪弊があるのは良く知られていることだと思います。
>もちろんすべての学問でということはないのでしょうが、卑弥呼王朝の九州、近畿の比定問題ではそれが酷い状況になっているのは一般的な常識とすらいえます。
>例外はあるとしても、日本の大学というのが師弟関係に固執した独善的な学問環境だということを前提に考えなければなりません。

はいはい、トンデモの常套句がきましたw
先行研究に異を唱えることができないのならば
日本史研究はその近代的研究が始まった明治、
あるいは大転換を迎えた戦後すぐからまったく進展できていないことになるのだが?
教科書の内容も年々書き換えられてる事実をどう説明するのかね?

>誤写(誤記)説の論証がないとすれば、依然として、古田説をくつがえすことにはならないということです。

同じ国のことを説明しているのに発音が全くことなることが誤写説の根拠
時代ごとに表記がことなるなんて主張の方が「壹」が正しいという結論ありきの妄説
584ローガン:2012/08/19(日) 00:39:32.95
>>576
>「 ?國 」は「倭国の誤写」とされていたし、

え?混用なら常識なんだけど。
「誤写とされていた」と云うのは、印象操作が目的と捉えられても仕方ないように思うけどねえ。

585日本@名無史さん:2012/08/19(日) 00:51:20.29
>>583
異を唱えることと研究の深化はまったく別のことです。
教科書問題では、文科省の指示と意向に逆らえる状況にはありません。
内容の当否は別にして「家永裁判」でとどめを刺されたのです。

「トンデモの常套句」などとという前に東大と京大の双方根拠のないままの卑弥呼王朝の比定地あらそいを思い起こした方がいいでしょう。
まだ続いているんじゃないでしょうか。

>同じ国のことを説明しているのに発音が全くことなることが誤写説の根拠

さすがにこれでは、トンデモ論証、としか言えないでしょう。
586日本@名無史さん:2012/08/19(日) 00:51:22.02
>邪馬台国関係の本は結構読みましたが、何の注釈もなく「邪馬台(臺)」国としているものばかりでした。
>ほかの国名表記についても、注釈なく「?国」を「倭国」としてあるか、注釈に「?国」とあるのは誤り、とあるだけで根拠を示していないものしか目にしたことがないのです。

そりゃ、我々が目にすることのできる本は、それらの部分の検討過程を明示する論文ではありませんから、
検討の結果だけを紹介する(→「何の注釈もなく「邪馬台(臺)」国としている」とか「「?国」とあるのは誤り」など)だけなわけで。

中学程度の数学の教科書に、三平方の定理の証明とか円周率の求め方が出てこないようなものでしょう。


>古田氏以外のそうした検証を見たことがない、ということです。

そりゃ、単に一般の図書館に所蔵されてないだけでしょ。
論考の大半は中国の清代や中華民国時代の論文だったはずだし。

>時代の異なる史書の引用では、当然その史書が書かれた時代の表記の可能性を見なければなりません。

古田トリックに引っかかってる人が多い部分ですね。
太平御覧を含めた引用物の大半は、それを執筆した時代の一般的表記に合わせて表記を修正するようなことをしていません。
だから、同一書籍の中で、引用元ごとに表記がばらついたりする。
三國志から引用した部分と後漢書から引用した部分と(中略)随所から引用した部分などで、表記を統一しようとしなかったことが分かるはずですよ。
587日本@名無史さん:2012/08/19(日) 01:09:13.28
>>586
>中国の清代や中華民国時代の論文
等の論証を踏まえている旨の注釈等も見たことがありません。
そうした注釈をしている論考があれば御教示ください。

>引用物の大半は、それを執筆した時代の一般的表記に合わせて表記を修正するようなことをしていません
>三國志から引用した部分と後漢書から引用した部分と(中略)随所から引用した部分などで、表記を統一しようとしなかったことが分かるはずですよ

それを調べたのなら、その結果を具体的にご教示ください。
なお、古田氏はそうしたことを調べたうえで、結論を得た旨、記述しています。

>中学程度の数学の教科書に、三平方の定理の証明とか円周率の求め方
ぐらいは出ていたし、授業で教わった記憶もありますよ。
どうでもいいことですが。
588日本@名無史さん:2012/08/19(日) 01:40:38.17
>異を唱えることと研究の深化はまったく別のことです。

先行研究に異を唱えることが研究の深化につながっていくのですが?
もしかして学問や研究の進み方について全く理解できていないのではないですか?

>教科書問題では、文科省の指示と意向に逆らえる状況にはありません。
>内容の当否は別にして「家永裁判」でとどめを刺されたのです。

文科省が各社が作成した教科書の記載内容に指導を加えることと
研究内容の進展に従って教科書の内容が書き換えられていくことは全く別次元の話ですよ

>トンデモの常套句」などとという前に東大と京大の双方根拠のないままの卑弥呼王朝の比定地あらそいを思い起こした方がいいでしょう。

双方根拠はありましたが、何か?

>まだ続いているんじゃないでしょうか。

とっくに東大、京大の学閥の争いなんて状況ではなくなってます
考古学方面の研究成果により、畿内説優勢、九州説壊滅状態ですね

>さすがにこれでは、トンデモ論証、としか言えないでしょう。

なんで?
説明内容から同じ国のことであることは明白であり、かつ、形がよく似た字が異なっている
古文書を扱ったことがある人なら容易に想像がつく事柄ですよ

で、中国の書物の記述の中に古田氏が主張しているような
国名表記の変更に関する注(たとえば「魏志謂所邪馬壹国也今称邪馬臺国」)はあるのですか?
というか、普通は編纂者が注をつける内容ですけどねw
589日本@名無史さん:2012/08/19(日) 02:00:23.28
>>588
>双方根拠はありました

古田氏の説を根拠がないというなら、とてもそれ以上の根拠があるといえるものではありません。
だから決着がつかないのです。

>考古学方面の研究成果

倭人伝の記述を変更しないで適合するものはほとんどないと思いますが。
記紀に卑弥呼と魏の使者に関する記述がない以上、卑弥呼と大和王朝を連続したものとして考えること自体に無理があります。

>古文書を扱ったことがある人なら容易に想像がつく事柄

想像ではなく三国志に関する実例で教えてください。

>国名表記の変更に関する注

確かにそれは古田説の欠点ですね。
とはいえ、だからといって誤写節に根拠が生れるものでもありません。
590日本@名無史さん:2012/08/19(日) 02:40:51.10
>古田氏の説を根拠がないというなら、とてもそれ以上の根拠があるといえるものではありません。
>だから決着がつかないのです。

なんかやっぱり学問や研究について誤解してますね
学説の根拠 と 邪馬台国所在地論争を終結させる決定的証拠 とは全く別次元の話ですよ
歴史学の学説ってのはあくまでも現代に生きる学者が過去の時代を分析する際に提示する視点や手法のことで、学説=歴史的事実とは限りません
その学説に説得力があるとほかの研究者も納得されることができれば、引用もされるし賛同者も増えていきます
邪馬台国所在地論の場合は、決定的証拠がないからこそ、畿内説と九州説という学説が存在できてるわけですが、
今は九州説の賛同者は絶滅危惧種という状況ですね
あ、古田説は賛同者が得られないという状況はしっかりと把握しておいてください


591日本@名無史さん:2012/08/19(日) 02:41:59.35
>倭人伝の記述を変更しないで適合するものはほとんどないと思いますが。
>記紀に卑弥呼と魏の使者に関する記述がない以上、卑弥呼と大和王朝を連続したものとして考えること自体に無理があります。

そもそも文献史料は万能ではないですからね
すべての事象が記録されている訳ではなく、作成者(記録者)の立場や思想、知識などの諸状況によって自ずと「色」がつくものです。
都合のいいことは過大に、都合の悪いことは過小に記載あるいは無視といったことは当たり前です
「史料批判」といった言葉を聞いたことはありませんか?
意図的であるかないかに関わらず文献史料は正直ではないという前提で分析を進めなければ、だまされることになります
ですから研究者はほかの史料を集められるだけ集めて、その書物の記載を信じていいかどうかの裏をとるのです
これまでも倭人伝の記載だけでは邪馬台国の所在が明らかにならなかったように
倭人伝の記載を盲信するだけではこれからも未来永劫正解にはたどり着けないでしょうね

一方、考古学の成果(これもちゃんと先人の研究を乗り越えて進化してますがw)では
3世紀前後の日本列島内の首長層の動向が明らかになりつつありますからね

で、>記紀に卑弥呼の〜という立場からすれば、中国の各史書に倭国の表記変更の記載がないのですから
当然、古田氏の国名表記変更説は採用できませんよね?


>想像ではなく三国志に関する実例で教えてください。

古文書の誤写の一般論を話しているのに、なんで三国志の実例を挙げねばならないのですか?

ちょっと話がずれますが、中国国内の遺跡から発掘された三国志がありますが、その内容は現存のものとは異なる箇所が多々あります
現存本の内容を一字一句信用する、現存本を読んで「陳寿の気持ちになってみた」、という主張がいかにアホなことかわかる実例です


592日本@名無史さん:2012/08/19(日) 11:09:56.46
>>591
私が知りたかったのは、具体的な例証で、あなたの考え方や感じ方ではありません。

素人同士で、ああ思うとかこう思うとか言い合ってもしかたがありません。
具体的な例証をあげていく情報の交換ができれば、と思っています。

もちろん、こうしたところでの意見交換にも意味があると思いますが、結論だけで対象や相手を貶すのは意見ではありません。
あなたがご自身で読んでもいない古田氏の論考を貶すことでなにか「進化」するのでしょうか?

素人が理解を深めるためには本を読んで知識と識見を得るのは最低限必要なことかと思います。
そのための具体的な反証のある論考の紹介を求めているのです。
593日本@名無史さん:2012/08/19(日) 12:41:53.98
なんか勘違いがあるようなので、一言

古田氏は「邪馬壹国から邪馬臺国へと国名を変更した」という説では無いよ。
「邪馬臺」とは宮殿(のある土地)名という説。
594日本@名無史さん:2012/08/19(日) 13:04:30.30
ひとくちに古田説と言っても、内容の変動が小さくないからねぇ。
初期の説と今では、少なからず変わってるんだよな。

読者の多くが(多数派ではないが)今の説は知らないから、
お前さんが紹介してくれると助かるよ。>>593

騎馬民族王朝説とか照葉樹林分化説とかも、内容的な怪しさから、細部が激しく揺れ動いて、時間と共に内容が大きく変わっていったんだよねえ。
595ローガン:2012/08/19(日) 13:15:00.15
于禄字書
596日本@名無史さん:2012/08/19(日) 14:53:34.55
>>590
>なんかやっぱり学問や研究について誤解してますね

きちんと理解してるヤツは古田説に魅入られたりしないからではないかな。

通説に従えば、古代の出来事について、説明できないことが多すぎるからダメだ。だから古田説が正しい。
などという馬鹿げたことを平気でいうバカとかいるんだしなあ。

説明が付かないことを解明して、説明できるようにしていこうってのが研究なんだから、
先端研究で説明(ストーリー)が不十分なのは当たり前なのにさ。

小中学校の勉強みたいな、一問一答で明快な答えが付くものが学問だなんでデタラメを信じてるんだよな。
597日本@名無史さん:2012/08/19(日) 15:41:41.42
>>596
>>590は私に対するレスですので、私からも触れておきます。

繰り返しになりますが、あなたの考えを求めているわけではありません。
通説は説明できないからダメと書いたこともありません。

事実を自分の結論ありきで、都合のいいように変形した上で解釈をしているから信頼できないのです。
説明のつかないことは説明のつかないまま、仮説は仮説のまま、保留しておくというのが学問的な態度だと思っています。

「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(ヴィトゲンシュタイン)という言葉は、こういうことに使うべきではないのでしょうが、3世紀の日本を扱う専門家たちにそう言いたくなってしまいます。
もちろん古田氏も例外ではありません。
古田氏がそういう態度であれば、古田氏の業績にも認められるものが多かった気がします。

吉本隆明氏が古代史の歴史学者なんて打率3割あれば一流だ、と言い放ったことがあります。
さすがに碩学の大思想家だと思います。

私達のような素人はどうしても独善的になりやすいものです。
それを少しでも免れるためには、先入観を捨てて、確実なことを学び取ることが大切なのだと思います。
598日本@名無史さん:2012/08/19(日) 15:51:02.58
>通説は説明できないからダメと書いたこともありません。

ごめん、明記してないけど、別の場所で別の人が言ってた発言です。



>事実を自分の結論ありきで、都合のいいように変形した上で解釈をしているから信頼できないのです。

僕が古田さんに対して思ってるのと同じ感想ですね。
599日本@名無史さん:2012/08/19(日) 16:30:42.40

A地点からB地点までは現在は1キロメートルの距離だ

その距離のことをこの文献では10里と書いてある

当時の地図など他の文献によってA地点とB地点は当時も現在も大きな変化がないことがわかった

だから、当時の1里は100メートルだ

こういうことを論証といいます。
どこかに誤りがあれば、だれでも指摘できます。

「東」と書いてあるのは「南」の間違いだ

著者が勘違いしたのだ

そう解釈した結果、某所が○○国であることが判明した
あるいは
それなら日本の某所が○○国であるとなって、日本の史書と整合性がある

これは論証にはなりません。
仮定が入っているので、だれにも誤りを指摘することができないからです。
600日本@名無史さん:2012/08/19(日) 17:11:31.30
多くの文献から復原される当時の距離大系に基づいて
ある文献に記載された方向、距離に進むととんでもない場所に着いてしまう
したがって文献の記載に何らかの誤情報が含まれている可能性が高い

これも立派な「論証」ですが
601日本@名無史さん:2012/08/19(日) 17:35:37.13
全体の1%にも満たない少数の例外を針小棒大に取り扱う手口とも言える、ということですね。>短里の証明

って、「手口」なんて言っちゃいましたよ。
心の底で「古田説はインチキ」と思ってることが、思わず露呈しちゃいました。
602日本@名無史さん:2012/08/19(日) 18:03:59.62
>>578
>邪馬台国関係の本は結構読みましたが、何の注釈もなく「邪馬台(臺)」国としているものばかりでした。

我々が目にする本は、難しいものでもせいぜい概説書ぐらいであって、研究露文じゃないから、論証過程は載りませんよ。
そういうのは学術論文を読まなければなりません。

ところが、学術論文ってのは数が多いですからね。
どの論文に目的の論証が載っているのかを探すこと自体が大変です。

関連するテーマを扱った総説(多数の論文の内容を集めた総説、レビュー)を読んで、
巻末の参考文献・引用論文リストから目的の論文を探すことになるでしょう。

まず、著名な通史シリーズ本の、古代史を扱った巻を手に取り、巻末の参考文献一覧を見ましょう。
その中から、論文や論文集を除外して、総説だけを探します。
と言っても、慣れない門外漢である我々には、タイトルだけで論文と総説を区別することは難しいかもしれません。

とりあえず、その中から、関係しそうなテーマを扱った総説をピックアップして、
国会図書館か大学図書館に行って読んでみます。
国会図書館ならコピーサービスもありますが、必要なページが多くなるためにコピー代だけで数千円にもなってしまうはずですから、足を運ぶべきでしょう。

可能な限り多くの関連する総説をあたってみて、目的とする論文を紹介しているかどうかを判定し、
取り扱っていそうなら末尾の参考文献覧を見ます。
本文で「誰それの研究」などの形で研究者名だけは紹介されているはずなので、
参考文献の中から、その研究者の執筆による論文を探します。
さて、それは目的とする研究が載った論文だったでしょうか。心を落ち着けて読んでみましょう。



みたいな流れで論文を探すのです。
603日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:20:46.73
>>602  >>578です。

ご自分で具体例をあげることができないなら、私に対するレスはいりません。
悪しからず。


604日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:28:49.16
予想以上に尊大な方のようですね。あなたには失望しました。
605日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:32:25.22
>>600
それは論証ではありません。
推測です。

>>601
それなら、三国志の中から「短里」を否定できる箇所を探し出せばすむことです。
古田氏が再反論しているもの以外にそうした論考はあるのでしょうか?

古田氏は「少数の例外」ではなく、三国志の中のすべてと書いています。
前にも書きましたが古田氏に対して「心の底で」なにかを思いたいのなら、著作を読んでからにしたほうがいいと思います。
606日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:36:13.81
>>604

くだらないことしか書き込めない、あなたの期待に応える義務はありません。
607日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:43:55.19
このスレも東日流スレと同じかそれ以上の泥試合になってきたなw
608日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:51:50.51
>>605
>古田氏は「少数の例外」ではなく、三国志の中のすべてと書いています。

三國志中の文章なら、短里と考える方がおかしくなってしまう場所の方が多いと思うんだけどねぇ。


たとえば、荊州の劉表没後の混乱で、逃げる劉備を追いかける場面。
歩卒がいると速度が落ちるので騎馬兵だけで、かつ昼夜兼行で、大急ぎで追いかけるという表現になっていて、一日三百里。
短里が75mどころか100mであっても、歩兵が歩くだけで実現可能な速度にまで落ちてしまう。どこが急行軍だって? と。
逃げる劉備側は、一日に十里も進めなかったとある。
いくらなんでも1日1km未満って...

こういう表現の部分を、誇張表現だからおかしくないというなら、短里表現と明確に判る部分と主張している場所の方が誇張表現であって不正確な数字と反論されても否定の方法がなくなってしまうはずだが、なんと言って反論しているんだい?
609日本@名無史さん:2012/08/19(日) 19:59:16.09
>>606
これはひょっとして、一見すると真摯な人間でまじめな議論を欲しているかのように装っていたz氏と同じパターンじゃあるまいな。

他所の某掲示板の話だけど。


反論を示されても読まない。参考文献を示されても読まない。
自分で調べ物は一切しない。
古田説関係以外の文書は一文字も読みたくない。反論は目に入れない。

という、とてつもない人だったなあ...

>>603みたいなレスを読むと、どうしてもあの問題児の人を思い出してしまう。

自分で調べ物をしたくないとか、なにさまですか?
610日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:18:19.41
>>608
ありがとうございます。

そこの部分は古田氏が再反論してたところだと思います。
詳細は覚えていなくて申し訳ないのですが、天候だとか道の状況だとかだったような?

ご指摘部分の数字は覚えていないのでそのまま使わせていただきますが、長里だとしても十里だと1日数キロですから、困難な道には違いないのでしょうか?
長里で三百里は百数十キロ、短里で2、30キロ。
どうなんでしょうね?

いくら馬でも、1日百数十キロははどうなんでしょう?
動ける時間は明るいうちでしょうし、馬にも休憩や食事が必要です、





611日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:18:56.68
だからみんなネタだって。
古田御大ですら、多分もう自分がまちがってるって前世紀末には
きづいていた。

でもいまさら「間違ってた」と言えないんだ。

それか耄碌してオカシくなったか。

このままでは一応功績のある親鸞研究まで、
死後忘れさられるぞ。
612日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:22:42.88
>>610
失礼、途中でした。続きです。

人間に困難な状況だとすれば、馬にも楽ではないでしょう。

古田氏の再反論にもう少し例が多いといい、といった印象は持ちました。
また探して読んでみます。
613日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:25:30.78
>>609

具体的な反論には応えているつもりです。

参考文献を示されたことはありません。
具体的に参考文献を教えて欲しいと書き続けています。
614日本@名無史さん:2012/08/19(日) 20:30:05.05
>>609

補足です。

あなたのような悪意の人には、今後レスを返しません。
615日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:18:11.70
>>612
劉備側について行っている庶民は、家財道具の一部と、運べる財産の大半をもって逃げている一般人ですよ。
それも、(おそらくは)脚の弱った老人や、幼少児、それにひょっとしたら纏足をした女性まで加わった集団です。

整備された街道であっても、たいした速度では進めそうにありません。
ましてや、日々の食べ物を自分たちで炊き出さないといけない避難生活ですし。
ただ、いくらなんでも一日に数百メートルはないんじゃないかなあって程度の話です。

>人間に困難な状況だとすれば、馬にも楽ではないでしょう。

家財道具はともかく、財産を持ち出して逃げているわけですよ。
董卓の事件で洛陽から長安へ強制引っ越しさせたときもそうですが。
体力のある男性兵士(若者と中年、ときに壮年まで)ではなく、しかも荷物が多い人たちの移動は遅い。
董卓は、遅れた人を斬り殺すという方法で対処したとまで言われましたが。


「曹公、まさに、精騎五千をして之を急追せしむ、一日一夜、行三百余里。」
ですから、夜も行軍しているはずですよ。徹夜って事はないでしょうけど。


>長里で三百里は百数十キロ、短里で2、30キロ。

「長里」なら、百二十kmあまりってトコでしょう。
古田式短里なら、約75x300mで20kmあまり。
いくら武器や防具も持っているとは言っても、街道沿いでこの速度なら、歩兵で充分ですよね。
616日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:23:33.74
それは後漢時代(いわゆる長里の時代)の話だからなあ
617日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:26:21.50
あれ?
古田氏は、三國志本文中に長里と短里の混在はなくて、すべて短里で統一されてるって言ってたはずでは?
618日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:32:29.34
いやオレは、別人だけど、
古田説でなんと説明するのかは知らんが、
仮に長里と判明できたとしても、
後漢と魏の時代で使い分けてると言われたら、オシマイ
619日本@名無史さん:2012/08/19(日) 21:45:19.14
当方としては、「古田氏は言を左右にする人」的な認識がありますので、

>後漢と魏の時代で使い分けてると言われたら、オシマイ
みたいに言われたところで、
「三國志の中で統一されてると言ったり、時代によって使い分けてると言ったり、去就の定まらない人だなあ。」という認識を強めるだけですよ。

ちゃんとした見解が見つかるかな?
620日本@名無史さん:2012/08/19(日) 23:52:34.61
>>615  >>610です。

ご指摘ありがとうございます。
参考になります。

一般的に馬というのは、夜目は利くらしいので、夜の行進も可能でしょう。
ただ、負荷の状態によりますが普通に使える距離は1日数十キロといわれているようです。
それ以上の場合は馬の交換が必要なのでしょう。

モンゴルの騎馬民族の場合は1日70から100キロで、それが他民族には脅威だったのでしょうか。
それでも、100キロ程度が限界のようです。

また、当然軍隊としての行軍であれば、武器や食料などでそれなりの重量になるのでしょうし、負荷は多めといえるのではないでしょうか。
そんなことから想像すると、1日2、30キロというのも、あながち馬鹿にした数字とも思えません。

なお、旧日本軍の歩兵行軍距離は1日24キロ、秀吉の「大返し」は10日で200キロといわれています。
2、30キロでは確かに歩兵で十分なのかもしれません。

もし短里であるなら、馬を使った追跡行軍は、道が整備された街道だとするなら、速さではなく人間の体力を温存することに目的があったのかもしれません。
それにしても、短里で考えた場合逃げる側が1日1キロも進まないというのはどうかとは思うのですが、長里でも3、4キロですから、判断しにくいところです。

騎馬で1日120、130キロも不可能ではないのかもしれませんが、軍隊としての行軍と考えると無理がある気がします。
中国で当時どういう馬が軍馬とされて、どの程度の能力があったのか、専門家の考えを聞くほかなさそうです。
621日本@名無史さん:2012/08/20(月) 00:34:37.14
劉表の後継者となった劉jが降伏したことで、ようやく荊州平定〜
と一安心した直後に、荊州の中西部にある大都市「江陵」へ向かっているとの情報を得て、
劉備がもしここを拠点にして抵抗したら大変なことになると慌てて、大至急、之を阻止させるべく、急行軍を編成させたわけですよ。

三百里という数字には誇張もあるかもしれませんが(短里の場合は誇張なしで確定です)、
通常の行軍とは違う特別な場合であったことだけは確実です。

>騎馬で1日120、130キロも不可能ではないのかもしれませんが、軍隊としての行軍と考えると無理がある気がします。

まあ、多少は無理があったのでしょうね。
ですが、相手の劉備の元には軍隊らしい軍隊は残っておらず、同行者の大半は一般人だったようです。
軍の人も、大半は輜重隊で物資輸送を担当したようで、まともに戦うことはできなかった模様。

追いつかれたときの劉備は、側近ら十余人と共に即座に脱出しただけですよね。



>また、当然軍隊としての行軍であれば、武器や食料などでそれなりの重量になるのでしょうし、負荷は多めといえるのではないでしょうか。

うーん。
急行軍って事で、通常の軍隊よりも武器防具食料すべて削減してるのではないかと。
特に食料は、本当に最低限しか持たないでしょう。
それ以上は、立ち寄り先で調達できるように指令書かなにかを持参するだけではないでしょうか。
622日本@名無史さん:2012/08/20(月) 02:10:30.76
人に尋ねたら自分の欲しい論文を教えてもらえるとかどんな甘ったれだよ
学問に限らず、どんな事柄においても自分で汗をかいた人間が一番
自分は汗をかきもぜずに人の努力の結果の甘いところだけもっていこうとするやつは最低
623日本@名無史さん:2012/08/20(月) 02:15:32.62
>>605
「学説」ってのはもっともらしい「推測」のことで
「論証」ってのはその推測を得るまでの過程のことなんだけど分かってます?
624日本@名無史さん:2012/08/20(月) 02:36:52.38
安本氏が指摘しているように、
「定理」「必要にして十分な」など
古田氏(おそらく多くの古田氏支持派も)が用いる用語は
世間一般とは違っていることがあるからなぁ…。
625日本@名無史さん:2012/08/20(月) 09:47:58.39
>>622>>623>>624

君、もしくは君たちが、人を貶すことに楽しみを見出している寂しい心の持ち主だということは、わかりました。

残り少ない夏休みですが、楽しい思い出ができるといいですね。
626日本@名無史さん:2012/08/20(月) 11:45:10.62
>>625
人を貶すのは古田氏の得意技だろ。
627日本@名無史さん:2012/08/20(月) 12:32:07.57
用語を誤って理解していることを指摘されたら人をおとしめるとか…

残り少ない夏休みですが、誰かがあなたの求める論文を教えてくれればいいですねw
628日本@名無史さん:2012/08/20(月) 16:05:45.80
>>627

人の口まねしかできないような寂しい頭で用語の定義をするのは、無理じゃないですか?
629日本@名無史さん:2012/08/20(月) 17:36:06.75
自分で勝手に用語を定義する人がいるから会話が成り立たないんですね。
話がすれ違う原因がよく分かる返答です。


それはそうと。

無関係の人から無差別に質問されて、いちいちそれに答えてたら、学者さん達は自分の仕事が進みません。

大学などで、学生に教えるのは給料のうちだし、
記者会見とかの発表の場で受け答えするのは、将来に得られるであろう研究予算のための先行投資だからいいんですけどね。

そういうわけで、こういう掲示板に学者さんが現れて教えを垂れてくれることは滅多にありません。
専門にしてる学生が現れてくれたらいい方でしょう。


それでも、自助努力でがんばって勉強してる人に対しては、ボランティアでいくらか教えてくれることはあります。
まずは、そういう自助努力の様子を見せてみなければ、対話がはじまらんでしょうね。

我々相手にののしりあいを繰り広げる目的で書き込むなら、話は別ですよ。

その場合は。
あー、夏の風物詩だなあ。ってだけの話ですね。
630日本@名無史さん:2012/08/20(月) 18:59:21.05
>>629
はじめに戻ります。
このスレを見ている人に、古田説を否定する具体的な根拠があるのかどうかを尋ねたのです。

賛同しようと反対しようと、従来の説と本質的に異なっている古田説ですから、根拠のある反論を知っていてしかるべきだと考えました。
双方の立場の人がこのスレを見ているようなので、当然、そういうことが普通にやり取りされていると思っていました。
そこで>>542を書き込みました。

ところが、それに対して昔からの長い研究の中で、解決済みのことだから古田説に対する反論は必要がない、という書込が繰り返されました。
そこで、具体的にはどういうものか、と質問したわけです。

具体的な指摘がないまま、中国の文献を探せだの、古田の説は「文献学(書誌学?)」の基本ができていないだのいう、私とは異なる方向のことが書き込まれるようになりました。
その中に、おそらく>>629さんだと思いますが、>>602で大学入学時のオリエンテーションで案内されるような「論文の読み方」が書き込まれたわけです。
だからそんなレスはいらないと返事をしたら、執拗に絡まれたので適当に応対していたのです。
631日本@名無史さん:2012/08/20(月) 19:08:09.01
>>629 続きです。

自分でなにを研究したいからこれを教えてくれなどと書いたわけではありません。
ひとつには、なぜ「学会」が古田説を無視するのか知りたかったのです。
私は、自分の家族の経験から「学会」の守旧体質(出世願望)だと思っています。
私の家族は守旧側の人間でした。

結局、私が書き込んでからまともなレスがあったのは>>608だけです。
内容の当否はまだわかりませんが、そうした形で、古田氏への反論を知りたかったわけです。

たんなる古田読者であったとしても、たんなる歴史好きであったとしても、独善的な思い込みに陥ることを避ける必要があります。
素人としてできる範囲での史料や見解を求めることは当然のことだと思っています。
インターネットというのは目的を問わず、情報交換には非常に適した場なのですから。
専門家が応えることもあるでしょうし、素人同士の情報交換であることもあると思いますが、それぞれ自分の知見を出し惜しむなんてケチな人間が多いわけでもありません。
632日本@名無史さん:2012/08/20(月) 20:40:25.51
>>629-630
あなたが本気でそう思っているのなら、
少なくとも、3年くらいはかかるでしょうが、やはり自分で本や論文をきちんと読むしかないでしょう。
その量はとてもこのスレ巻き込みでえで簡単にまとめることなどできるものではありません。
特に、すでに指摘されているように、
古田氏の用いる用語の意味は世間一般とは違っていることがあるわけですし。
633日本@名無史さん:2012/08/20(月) 21:06:03.95
>>632

そんなくだらないレスはいらない、と何回書けば、いいのでしょうね?

私にレスをしたいなら、せめて私の書込を読んでからにしてください。
普通の読解力があれば、どれが私の書込かはわかると思います。
読むのに何年もかかるようなものではありませんから。

634日本@名無史さん:2012/08/20(月) 21:18:50.25
まあ、ここにそれ書いても答えは来ないと思うな

古田氏の説、面白いね
仲間内小説や、素人ゲームのネタに使わせてもらって結構好評だった
635日本@名無史さん:2012/08/20(月) 23:22:29.33
>>632
当方、629を、630や632のようなことを書くお子ちゃまと混ぜないでもらえたら...

自分が調べる努力とかしなくても、要求すればたいていのことは教えてもらえるとか、小中学生みたいな事を思っている彼の同類には見て欲しくありません。
636日本@名無史さん:2012/08/20(月) 23:35:41.30
>>635
そうやって、わざわざ火に油を注ぐような書き込みをするお前さんは明らかにオコチャマだろ
637日本@名無史さん:2012/08/21(火) 00:30:15.34
研究者ってのは自説で学界を席巻することを夢見てるもの
つまり革新者でありたいと願っているんだ
638日本@名無史さん:2012/08/21(火) 09:29:26.39
ここは古田に貶められて学会(など)で
大きい顔できなくなった奴の集まりなんで

新参者は、それを考慮して質問した方がいいぞ
639日本@名無史さん:2012/08/21(火) 15:58:09.40

「短里」の話に戻ります。

これこそ、もう何回も指摘されていると思いますが、韓伝には国の大きさとして、確か縦横4000里とありました。
長里だとすると1700キロ前後となるでしょうか。
現在の韓国の全部を指しているとしてもかなり大きすぎます。
短里であれば、300キロ前後と、まあ、ちょうどいい長さかと思います。

このあたりについての議論はあるのでしょうか?
640日本@名無史さん:2012/08/21(火) 18:27:49.81
>>638
学会で通用しなかった古田説に貶められたぐらいで、どうして学会で大きな顔をできなくなるんだね?

学会に所属するような人間で、古田氏のことを少しでも気にしてる人でさえ、
古田氏による通説批判や学会批判は、負け犬の董吠えと認識してる程度だろ。
大半の学者は、古田氏が何を言ってようが、歯牙にもかけていない。完全無視だ。

仮に学会で大きな顔をできなくなったヤツがここに来ているとしても、
古田氏とは無関係に落ちこぼれたヤツだろ。
641日本@名無史さん:2012/08/22(水) 06:18:44.50
古田氏が偽書をあれだけもちあげたのには、わけがある。
実は和田家には「裏三郡誌」と言う文書が伝わっていて、
国際紛争や天変地異、その他異常な事態はすべてそのシナリオどうりに
おきている。

その真相を隠しつつ、「約束の時」をむかえるため、
敢えて汚名をかぶっているのだ。
642日本@名無史さん:2012/08/23(木) 02:24:53.35
意外と盛り上がってるね。
過去のまとめスレってとこか?
643日本@名無史さん:2012/08/23(木) 04:24:54.99
>>642
>>629が荒らして
物好きのヒマ人たちがそれに付き合ってやってるだけだよ。
644日本@名無史さん:2012/08/23(木) 07:45:53.57
なるほど
645日本@名無史さん:2012/08/23(木) 21:49:12.02
偽書派は次の「和田家文書Q」を見てから文句を言え。

凡ての謎があきらかになるぞ。
646日本@名無史さん:2012/08/30(木) 12:41:34.81
「議員の生活が第一」でお馴染みの汚沢一郎先生がやってくれました!

小沢氏「韓国人の恨み慰める」竹島領有権放棄を李大統領に伝える

【ソウル=加藤達也】30日付の韓国紙、東亜日報は「議員の生活が第一」の小沢一郎代表が2009年12月、民主党幹事長として訪韓した際、李明博大統領との会談で、
自身が首相となれば竹島(韓国名・独島)の領有権を放棄すると発言していたと報じた。会談に携わった外交筋の話としている。

 報道によると小沢氏は李大統領に「日韓関係改善のためには韓国人の恨みを慰めなくてはいけない」として「(そのためには)竹島問題解決が最優先だ」と強調。
そのうえで「日本が領有権主張を中断し、韓国の領有権を認めなければならない」との持論を展開。「(自身が)首相になればそうする」と明言したという。
小沢氏はまた、日本側の竹島領有権主張の目的について「漁業に関連している」とし、竹島の領有権放棄の代わりに竹島周辺海域での日本漁船の活動の保障を要求したとしている。
647日本@名無史さん:2012/08/30(木) 13:46:58.92
>>646
こんな意図的な情報操作を引用するなよ。

スレ違いもひどすぎるし。

仕事かもしれないが、逆効果だよ。
648日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:20:48.14
>>647
あんた、ペンタなんとかいう在日の人?
649日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:28:01.93
>>647
「首相になれば独島放棄」 小沢氏が09年に李大統領に語る
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2012083091278

AUGUST 30, 2012 08:34
日本政界の実力者である小沢一郎元民主党代表が2009年12月に来韓して李明博(イ・ミョンバク)大統領と会談した際、
「条件付きの独島(トクト・日本名竹島)の領有権放棄」の用意を表明していたことが明らかになった。

小沢氏と李大統領の会談に関わった外交筋によると、当時政権与党民主党の幹事長だった小沢氏は、「韓日関係の改善のためには
韓国人の恨みを癒してあげなければならない」とし、「そのためには独島問題の解決が最優先だ」と強調したという。

また小沢氏は、独島問題の解決策に関連して、「日本が領有権の主張を中断して韓国の領有権を認めなければならない」として
「(自分が)首相になればそうする」と李大統領に話した。その上で、「日本の独島領有権主張は漁業と関係がある」とし、
領有権を放棄する前提条件として島根県漁民たちに独島周辺海域での漁獲活動を保証することを要求したと、同筋は伝えた。


非公式での発言ではあるが、日本の主要政治家が独島領有権の放棄用意を表明したのは大変異例のことだ。


さらに小沢氏は、また自身が首相になれば、日本王が百済系であることを日本王室の担当機関である宮内庁を通じて正式に発表するとし、
韓国併合100年になる2010年に日本王の韓国訪問を推進したいと話したという。
李大統領は、小沢氏の発言に反応を示さなかったとされる。
650日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:33:58.36
>>648>>649
結局選挙がらみのステマかよ。
そんなに小沢が怖いのか?

恥を知れよ工作員。
651日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:39:41.78
>>650
古代史に絡めて在日特権を必死で主張してるペンタなんとかさん?
652日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:43:29.81
>>651
もう一度書く。恥を知れ。
わずかな金で心まで売り渡す工作員よ。

日本人なら恥を知れ。
653日本@名無史さん:2012/08/30(木) 16:44:19.56
>>648>>651
>>443←こいつのことか?
654日本@名無史さん:2012/08/30(木) 21:53:09.55
>条件付きの独島(トクト・日本名竹島)の領有権放棄

たとえば在日の人は、資産を日本政府が適正価格で買い上げ、
かつ渡航費用も全部出すから引き上げてもらい、
日本からの有償援助は、一度三年ぐらいで全部回収。
あとはIMFその他通じて再融資。

と言うことなら竹島さしあげてもいい。
よく考えよう。どっちが得か。
655日本@名無史さん:2012/08/31(金) 06:33:47.88
>>653
そいつ日本人の振りしてるけど、間違いなくチョンだね。
656日本@名無史さん:2012/08/31(金) 16:30:27.58
>>655
するとそのうち、「九州の王朝は半島人が作った。九州王朝は半島人による王朝だから、その分家である大和朝廷も半島人。」とか言い出すのか。
657日本@名無史さん:2012/08/31(金) 17:38:29.03
古田説だと九州王朝は朝鮮半島の百済を支援するために出兵して敗れて凋落したんじゃなかったっけ?
658日本@名無史さん:2012/08/31(金) 18:06:42.18
>>657
その通り。
敗戦後672年、九州王朝の一部は畿内に移転。
684年に移転完了で正式に遷都。
695年に畿内九州王朝は畿内勢力に破れ九州に敗走。
697年から699年にかけて、九州王朝は文武に制圧されてゆく。
700年に九州王朝は薩摩の拠点で滅亡。
701年から717年までは、九州王朝は九州の弱小部族として残るが、
717年に大和朝廷に従った九州王朝の有力者は、唐に追放され、
ここに九州王朝は完全に消滅。
そこで、大和朝廷がおこなった事業が「日本書紀」の編纂開始。
その時参考にしたものは、九州王朝の歴史書「日本書」と推定される。
659日本@名無史さん:2012/08/31(金) 18:56:09.92
>>653
売国政治家汚沢支持の汚水チョンだな
660日本@名無史さん:2012/08/31(金) 19:26:27.41
>>658
ありがとう。

「日本」の称号も九州王朝がはじまりだと思ったけど、そのあたりはどう書いてあるのでしょう?
661日本@名無史さん:2012/08/31(金) 19:58:31.03
>>655
>さらに小沢氏は、また自身が首相になれば、日本王が百済系であることを日本王室の担当機関である宮内庁を通じて正式に発表するとし、
>韓国併合100年になる2010年に日本王の韓国訪問を推進したいと話したという。

うむ。
在日老人が古田史学を悪用して古代史を歪曲し、日本人名で小沢を支持するのも肯ける。
662日本@名無史さん:2012/08/31(金) 20:42:55.14
学問に政治を入れたがる人間がいるんだな。
学問は学問。

それがわからないやつらが日本を滅ぼすんだよな。
663日本@名無史さん:2012/09/01(土) 03:46:44.63
>>658
>717年に大和朝廷に従った九州王朝の有力者は、唐に追放され、
>ここに九州王朝は完全に消滅。
唐側の史料にに記録されてんの?
664日本@名無史さん:2012/09/01(土) 06:14:18.59
>>662
畿内説を潰したい余り、九州王朝なるものを妄想した古田史学。
それを学問と称して現在の政治と結びつけるチョンどもが日本を滅ぼそうとしているわけだな。
665日本@名無史さん:2012/09/01(土) 06:47:31.71
古田史観って、実は八切止夫を下敷きにしてないか?なんか主張が似てる。
666日本@名無史さん:2012/09/01(土) 07:01:38.79
★各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…西南九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
667日本@名無史さん:2012/09/01(土) 21:32:21.43
>>664
なぜ近畿説を潰すことが現代の政治と結びつくんだ?

ましてそれがどう朝鮮と結びつくんだ?

どれにしても、1000年も2000年も前の話だぞ?
668日本@名無史さん:2012/09/03(月) 04:22:19.48
いまだに、資本主義が崩壊して
共産主義の楽園が来るのぢゃ、と信じている人は
多分中国にも北朝鮮にもいない。いたらアレだ。

みんな信じているふりをしているだけ。


ツガルとか九州王朝説もそうだ。
御大すらもう信用していない。
669日本@名無史さん:2012/09/03(月) 06:14:16.40
資本主義が崩壊して共産主義の楽園が来るのぢゃ。ソ連の崩壊は共産主義の敗北ではない。
あんなのは本物の共産主義でも社会主義でもないから崩壊して当然。共産主義の理念は
不滅だ!!
670日本@名無史さん:2012/09/04(火) 06:40:58.44
実は大学時代少しはまったんだ、古田トンデモ説。

だから生きているうちに「悔い改めて」欲しい。

邪馬壱国まではまあ仕方ないとして、
九州王朝は根拠あいまい、またツガルにいたっては
詐欺師に騙されていたって。
671日本@名無史さん:2012/09/04(火) 17:53:22.09
>>670
ツガルはひどいが、壹、九州王朝、記紀の解析まではスタンダードになってもいいと思うけどね。

大和王朝が卑弥呼や倭の五王と直接関係ないのはどう考えても普通のことだろ。
現王朝の歴史が二千年でも千数百年でも大して変わらない。

古代から日本全体が一つの王朝に支配されていたと考える方がむしろ不自然だ。
記紀ですら、大和王朝は出雲王朝からの国譲りとしているわけだし。
ヤマトタケルだって必死になって全国制覇の旅に出てる。

なぜ九州王朝が先行していたのが不満なのかわからない。
672日本@名無史さん:2012/09/04(火) 18:15:42.39
>>670
悔い改める気なんてさらさらない。
もはや詐欺師www

伊藤恭と輝く瞳ラジオ〜日本の本当の歴史)「東北王朝」
http://www.youtube.com/watch?v=gspJ9ReZu5E
673日本@名無史さん:2012/09/04(火) 19:36:42.37
古田氏
まだまだ元気じゃないか
674日本@名無史さん:2012/09/05(水) 00:23:49.68
>>671
オレも昔はそう思ったこともあったが、結局のところ、壱や九州王朝説(言い始めた初期じゃなく、行き詰まってからの、後期の説な)もトンデモと判断せざるをえないと思うようになった。
675日本@名無史さん:2012/09/05(水) 02:13:45.84
>>674
どういうところが?
676日本@名無史さん:2012/09/06(木) 00:04:35.80
>>671
問題は国譲りやヤマトタケルの時代じゃなく
8世紀初頭まで九州王朝があったかどうかだろ。
677日本@名無史さん:2012/09/06(木) 13:27:56.88
なかった
678日本@名無史さん:2012/09/07(金) 07:27:59.75
>>671
4Cの日本に世界最大級の古墳を量産できる動員力を持った国家があって、
その国が日本統一できなかったほうが不自然。

記紀で南九州・関東・出雲を征服したヤマトタケルの話は記紀が書かれた7Cから
みて神話(ヤマトタケルは古代英雄を統合した象徴で実在しない)になるくらい昔の話。
679日本@名無史さん:2012/09/07(金) 10:57:29.30
前方後円墳も、6世紀いっぱいで、7世紀には
ほとんど一斉に突然消え去ったらしいのだが、仏教のせいなのかね?

それが、蘇我物部の戦いで変わったとするなら、
結構想像を超えた広い影響力となるが、あまり想像ができない。
680日本@名無史さん:2012/09/07(金) 12:09:53.47
>>678
ヤマトタケルについては、古田氏は九州王朝の九州制覇の話のパクリだと書いてたと思う。
説得力はあった。

前方後円墳の分布をみれば近畿が中心だと言えるが、かんじんの近畿の大規模古墳が発掘できない以上、分布の順番も政権の姿もわからないというしかないだろう。
大和王朝とのつながりですらほんとうはよくわからない。
埋葬の方法は王朝継続の大きな要素の一つと考えられるから、「ナガスネヒコの王権」が大和王権に敗れた結果と考えることも不自然ではない。

大和王権が3、4世紀には全国制覇を成し遂げていた、という考え方にはなかなか同調できない。
日本書紀以前の歴史書は公的にはすべて廃棄されていることも不自然だし、卑弥呼や倭の五王の記述が、日本書紀には引用や注釈程度としてしか記載されていないことも大きな疑問だ。
古事記にもあらわれないのだから、抜群の記憶力を持つ口述者に伝える人間がだれもいなかったことは確かだ。
681日本@名無史さん:2012/09/07(金) 16:51:15.22
>>680
卑弥呼や倭の五王の記述が大和朝廷と無関係かもしれないことには同意。
ただ、4Cには、ほぼ統一がされていたと思う。
地方の豪族や出先の長が日本国王を名乗ることは後世もあった話。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%8E%8B
682日本@名無史さん:2012/09/07(金) 18:10:48.48
>>681
>4Cには、ほぼ統一がされていたと思う

根拠はなにかある?
683日本@名無史さん:2012/09/07(金) 19:27:34.16
>>682
4Cの記紀にも登場する大和朝廷の有力豪族の葛城襲津彦なんかが新羅追討に
派遣されたと百済記にも登場するから、九州が大和朝廷の勢力圏でないのは
不自然。
日本全国及び朝鮮半島にもある前方後円墳で、最大のものがあるのは畿内。
684日本@名無史さん:2012/09/07(金) 19:33:41.28
>>683
ありがとう。

そこのところ記憶になくて申し訳ないんだが、日本書紀が引用してるところじゃなかったっけ?
685日本@名無史さん:2012/09/07(金) 19:37:27.71
>>683
そうすると、4世紀にはすでに全国規模の王権があって、それが大和王権に滅ぼされたという考え方?
686日本@名無史さん:2012/09/07(金) 20:12:21.88
>>680
強制的(もしくは自発的)に破棄されなくても、
誰かが積極的に残していこうと考えて大きな労力を注ぎ込まなかったら普通は消え去る。

残していこうという強い動機付けがなかったら、六国史レベルの書物でさえ、部分的には消え去ってるわけだしな。
687日本@名無史さん:2012/09/07(金) 20:44:01.70
>>686
あいまいな記憶で申しわけないが、日本書紀かなんかに、手元にある歴史書はでたらめなものが多いからすべて廃棄するように、とか命令した話があったような。

それで作り直したのが日本書紀じゃなかったっけ?
688日本@名無史さん:2012/09/07(金) 20:48:18.80
全然時代が違う話
689日本@名無史さん:2012/09/07(金) 20:58:27.11
>>688
7世紀の(敵対勢力による)焚書と日本書紀の成立のときの話のつもりなんだけど、なにか変かな?
690日本@名無史さん:2012/09/07(金) 22:22:50.78
氏族の伝承の乱れを正すためにつくられたのは古事記
誤りの多い書物を燃やしたのは桓武天皇

上の2つの話をごちゃまぜにしているのではないか?いずれも日本書紀には関係ない話だ

7世紀の焚書とやらの依拠史料はなんだい?
691日本@名無史さん:2012/09/08(土) 00:09:21.00
>>690
大化の改新(乙巳の変)じゃなかったっけ?
なぜか蘇我入鹿の館に貴重な国史があって、その館に火を放ったとかいう話。
692日本@名無史さん:2012/09/08(土) 03:35:04.19
焚書っつーたら、普通は、自分たちに都合が悪い本を焼却処分することだろ

己酉、蘇我臣蝦夷等臨誅、悉燒天皇記・國記・珍寶。船史惠尺、卽疾取所燒國記、而奉獻中大兄。
 ↑
これを焚書だと理解してる訳?
693日本@名無史さん:2012/09/08(土) 09:22:44.58
なぜかというか、まとめさせたのが聖徳太子と馬子だったから
天皇記のみ焼失したのは、のちに都合よく改ざんするための
鎌足、不比等系の企み説もあるけどw
694日本@名無史さん:2012/09/08(土) 15:24:52.89
どういう状況だったかはわからないが、大和王権に日本書紀成立以前の公的な歴史書が伝わらなかったことだけは確かだ。
なにか意図的なものがあると考えるのが普通だが、それは別としても大和王権の7世紀以前の全国統一に大きな疑問をもたらす根拠にはなる。

敵側が焼却したとしたら、なぜ敵側が所有していたのか?
なぜ、その他の残された歴史書までその後の王権が廃棄したのか?

「日本書紀」以前の大和王権に残された(王権が残した)史書がないのは偶然とは思いにくい。
7世紀には前方後円墳が消滅し、「日本書紀」は8世紀前半に成立した。
3世紀から連続した王権と考えるは難しそうだ。
695日本@名無史さん:2012/09/08(土) 16:08:13.28
売国泥棒集団「議員の生活が第一」

<民主岩手県連>「生活」移管資金 返還求め提訴へ
毎日新聞 9月7日(金)19時42分配信

 民主党岩手県連が管理する政治資金4500万円が、新党「議員の生活が第一」の衆院議員と県議2人の資金管理団体から新党に移管されていた問題で、民主党県連は全額返還を求める民事訴訟を盛岡地裁に起こす方針を固めた。既に弁護士と法的な問題点を協議しているという。

 両党によると、4500万円は新党の小沢一郎代表が民主党を離党した翌日の7月3日、県連口座から、菊池長右エ門衆院議員(比例東北)と佐々木順一・前県連幹事長(県議)の資金管理団体に寄付として送金された。

 民主党県連側は「分裂は解党ではなく単なる集団離党。離党者に対し資産を分配する選択肢はない」として全額の返還を求め、新党側は「原資は民主と自由両党合併の際の自由党の資金」などとし、返還を拒否していた。

 県連側は当初話し合いによる解決策を探っていたが、進展がなかったという。県連関係者によると、民事訴訟とは別に警察への被害届も検討しているという。【宮崎隆】
696日本@名無史さん:2012/09/08(土) 16:09:26.75
勝手に焚書認定してそこから妄想かよw
697日本@名無史さん:2012/09/08(土) 16:50:12.25
>>694
その日本書紀だって、部分的には失われちゃってるんだけど、分かってるか?
残そうと努力を払うに足る物しか残らない。

当事者にとって高い価値があると考えられていた、ごく限られた物件以外は、
よほどの幸運に恵まれた例外が断片的に残るだけなんだよ。

だから、日本書紀以前の歴史書が消されたのか消えたのかは判断不可能なのさ。

もっとも、多くの費用と人的資源を必要とする、史書の編纂などという大事業が、
奈良時代より以前の大和朝廷には不可能だっただろうとは思うがな。

九州王朝が、それだけのことができるほどに力があった時代が仮にあったとしたら、
せいぜい紀元前後のことなんだろうねえ。
698日本@名無史さん:2012/09/08(土) 16:59:50.23
どう考えても奈良時代以前の京都は豊前の京都のことだよね
こんなこと素人の俺でも記紀と中国歴史書と偽書()のホツマツタエと万葉集を合わせて読めば分かるわ
699日本@名無史さん:2012/09/08(土) 17:48:02.71
文字が下級役人にまで普及したのは6世紀になってから。
それ以前は銘文や金石文でしか残っていない。

文字と文章が普及しなければ、記録も残らない。
700日本@名無史さん:2012/09/08(土) 17:49:17.39
朝鮮半島の混乱がなければ倭の五王以後の空白もかなり埋められたはずだが
こればかりはどうしようもない
701日本@名無史さん:2012/09/08(土) 19:45:16.42
>>691
当時の蘇我氏の立場は中世の藤原摂関家に似ているが摂関家をも上回る権力者。
大臣の名は現在にも引き継がれているが、その地位は冠位を超越した存在。
その蘇我氏の邸宅に天皇記・国記が保管されていても別に不思議ではない。
それは物部氏の氏神石上神宮に大和朝廷の武器庫として七支刀が保管された
ことと同じ。
702日本@名無史さん:2012/09/08(土) 20:41:30.87
>>694です。
いろいろなレス感謝です。
こんな議論ができることを楽しみにしていました。

>>697

>当事者にとって高い価値があると考えられていた、ごく限られた物件

自分の王朝の歴史はまさにそれに当てはまるとしか思えない。

>史書の編纂などという大事業が、奈良時代より以前の大和朝廷には不可能だった

風土記が日本書紀と変わらない時期の成立らしいことを考えると、それはちょっと言い過ぎだと思う。
自分の支配領域の範囲であれば、それほど困難とは言えない。
703日本@名無史さん:2012/09/08(土) 20:42:56.05
>>699

国史を書くのは下級役人ではない。
最上級の役人とみるのが適切。
倭の五王の上表文がある以上、5世紀にはかなり自由に文章を書ける王権だったとみることができる。

上表文そのものの真偽を問う議論もあるが、それはさすがに作為的に過ぎるのではないかと。

704日本@名無史さん:2012/09/08(土) 20:51:06.96
>>695
>売国泥棒集団「議員の生活が第一」

ワロタw 
「俺たち議員だって国民だ!」とか平気で開き直りそうな連中だなw
705日本@名無史さん:2012/09/08(土) 20:53:27.33
>>701
自王朝の国史を保管しているのはその王権の名目上の最高権力者、つまり天皇家以外にはありえないと考えるのが普通だろう。
それに匹敵する権力者だったとすれば、むしろそこが実際には天皇家だったとも考えられる。

七支刀はただ上納されたものとみても齟齬はないが、国史は三種の神器に準ずるぐらいの重要なもの。
同じ水準でとらえることには無理がある。
706日本@名無史さん:2012/09/08(土) 21:01:38.76
>>705
国史を編纂したのが蘇我馬子なんだから、蘇我氏の邸宅で保管していても不思議でない。

皇太子・嶋大臣共に議(はか)りて、天皇記(すめらみことのふみ)及び国記(くにつふみ)、
臣連伴造国造百八十部併せて公民等の本記を録す。

『日本書紀』推古28年是歳条
707日本@名無史さん:2012/09/08(土) 21:07:42.00
>>703

少なくとも下級役人が読み書きできなければ、
最上級の役人が書いたものをだれが読むのか?

そして、役人と朝廷のスタイルは、文書がなければ成立できない。
莫大な行政管理は、大勢の下級役人がいなければ運用できない。

下級役人が読み書きできないとすれば、
すべて口頭で伝えなければならないが、
それでは大規模な朝廷が運用できない。

708日本@名無史さん:2012/09/08(土) 21:40:14.96
>>706
その記事のものだとすれば、勅命といってもいいのだろうから、出来上がったものは天皇家に献上する。
残すとしても、原本を献上して写本を残す、と考える以外に制作側の態度はないと思うんだが。

仮に献上されないまま自家に置いたままのものだとすれば、それは正規のものではないから、後年の事件の際に「天皇記」等と表記されることは考えにくい。
王権側が処分したものを敵対勢力のせいとしたか、王権は蘇我側にあったと考えるかのどちらかだろう。
709日本@名無史さん:2012/09/08(土) 21:47:56.05
>>707
どの程度の規模を想定しているのかわからないが、風土記は地方役人が作成献上している。
当然派遣された少数の上級役人だけで作成したわけではない。

これから見ても、ある程度の規模の王権であれば十分に記録を書きとめることができたことは確かだ。
必ずしも全国規模の王権でなければ、ということはないだろう。

5世紀には上表文が書かれ、7世紀には風土記が書かれている。
確か、記憶では、魏志倭人伝にも文字がないとの表現はなかったと思う。
710日本@名無史さん:2012/09/08(土) 22:27:54.95
>>708
当時、天皇に勅命を出させる決定権は蘇我氏にあり、天皇の選任権も蘇我氏が握り、
自分が選んだ天皇が気に入らなければ殺してでも天皇を変える権力が蘇我氏にはあった。
その蘇我氏の意に反した勅命を出すなどありえない。

ただ、蘇我氏は”天皇”ではなかった。それだけのこと。
711日本@名無史さん:2012/09/08(土) 22:46:15.52
>>703
五王の上表文を作成したのは日本列島内ではなく百済国内ではないか、
朝貢を仲介した百済が国書の作成そのものにも深くタッチしたのではないか。

といわれてはいる。

晋書(のもととなった古い史書)の文章から引き写したとおぼしい文章が含まれてるともいい、
単に文字を読み書きできるレベルではなく、中国の古文献を多種多様に取りそろえた大書庫を有する場所で書かれたことは疑いない

とは言われてるな。

>>709
風土記のうちでも、たしか某国のは藤原冬嗣の書いた名文だからって理由で残ったっぽいし、
上級役人が果たした役割も大きいだろう。

逆に、そういう名文が例外的存在だったからこそ、冬嗣の文章が際立ったのかもしれんが。
712日本@名無史さん:2012/09/09(日) 00:41:01.71
>>709

風土記は8世紀ですね。
最古級の7世紀後半の木簡が太宰府から出てきていますが、
木簡というのはいわば手紙ですから、読む相手がいなければなりません。
下級役人が文字を扱えるようになった、確かな証拠はここからです。
庚寅年籍も7世紀後半ですね。

普及期間もあるでしょうから100年位はかかったかもしれません。

おそらくは文字がなければ残らない、九州年号と思われる逸年号が6世紀初頭ですが
、これは文書が記録されなければ意味のない情報ですから、
文字が「実用的に普及」したのは、このあたりからでしょう。

そして、聖徳太子の非実在説といわれるくらい、確かな資料が少ないのは、
また文字が普及途中であり、記録が少なかったと推測できます。
残っていたとしても断片程度で、多くは伝承に頼ることが多かったのが、

遣隋使の日本と中国の記録の齟齬として現れたとおもいます。
713日本@名無史さん:2012/09/09(日) 02:47:49.82
思い込みや妄想しか根拠を提示できないのだから議論にはならんわな
714日本@名無史さん:2012/09/09(日) 07:26:00.93
上級、下級、もっと言えば役人という言葉自体、各々で違う意味でとらえているようだ

実際は早くから渡来系氏族が国史などの編纂はもちろん、
全国の税務の記録、書記的なことには長いこと関わってきた

記紀は文庫でも手に入るし、新解釈、研究も含めた新書でも
面白いものが出ているから読んだほうがいいよ

715日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:26:29.08

           【現実】
        九州(東遷)説
.            ↑
【左翼】(売国奴)←┼→【右翼】(無知蒙昧)
 九州(王朝)説  ↓  畿内説
           【妄想】
716日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:27:50.29
>>710
7世紀の日本書紀成立以前の政治状況をそこまで断定するのはさすがにどうかなあ?
「見てきたような・・」の枠を出ないんじゃないかと。
717日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:28:41.21
>>711
それはさすがに妄想の域を出ないと思う。
ひいき目に見ても、想像に想像を重ねたものとしかいえないだろう。
718日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:29:53.51
>>712
風土記も日本書紀もほぼ同時代といえる。
自分の記憶違いがなければ、倭人伝には文字が読み書きできないとは書いていない。
読み書きできなければ、その旨の記述があるのが当然だと思うので、3世紀には文字が読み書きできたと考える方が自然だ。
719日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:32:43.74
>>713
7世紀以前の日本の文字による歴史資料がほとんどない状況では、それもしかたがないかと。
残念だけど。
720日本@名無史さん:2012/09/09(日) 10:33:44.58
>>714

>新解釈、研究も含めた新書

読んだ範囲では古田説を否定できていると思われるものがなかった。
具体的な書名を教えてください。
721日本@名無史さん:2012/09/09(日) 11:37:32.89
最古級の木簡は、九州大宰府も、畿内藤原京も、7世紀終末から8世紀初頭。
そして、大宰府も藤原京もおそらくは初の条坊制都市

これ以前は、王宮と周囲の建築物はあれど、計画都市と呼ばれるものではない。

いわゆる役所としての朝廷の形を整えたのは。このあたりからといえるだろう。
そして、この時期に年号は九州から畿内に「チェンジ」する。
722日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:02:27.85
>>721
あまり断定的に考えるのはどうかと思う。
「計画都市」というのがどういうイメージかわからないが、倭人伝では「邪馬○国」を王朝と見ていることは確かだ。

木簡というのはよほどの条件に恵まれなければ残らない。
木は保存状態が良くなければ分解する。
通常の事務伝達を丁寧に残すのはまれなことだ。

どの主張も想像に想像を重ねているだけにしか見えない。
723日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:18:19.56
木簡の多くは、丁寧に残されたものではない。
丁寧に残されたものは正倉院の木簡くらいだろう。

かなりのものは、トイレ跡から出てくる事が多い。
また、大量に捨てられたゴミ廃棄跡の例も多い。

いうまでもなく、削って、拭いて、そのまま捨てられ、
水に浸かることで、分解されないまま、
結果的に保存されたものである。
724日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:32:29.87
>>723
だから伝達文の最古年代の根拠にはならないと書いたつもりだったんだけど。
打ち捨てられた中では、よほど偶然の好条件に恵まれたものだけが残る。
725日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:36:31.59
そういえば下級役人のことを「刀筆の吏」というね
726日本@名無史さん:2012/09/09(日) 12:44:18.05
たくさん使われていれば、好条件で残るものも多くなる。
余り使われていなければ、残るものは当然少なくなる。

つまり、それ以前の木簡は、余りたくさんは使われなかった
といえるだろう。

普及率の問題だから、それ以前に使われていないとはいわないが、
こういうものは、最初の普及は非常に遅く、ある程度読み書きできる人間が増えてくると、
一気に進む。

だいたい、日本書紀だって、下手くそな巻と、しっかりした巻があるといわれているのだ。

727日本@名無史さん:2012/09/09(日) 15:52:28.29
問題は日本書紀以前の史書が消えた(消された)ということにある。

日本書紀以前の史書についての手がかりは日本書紀の引用にあるとする古田氏の見かたは妥当だろう。
それらのものがいずれどこかから発見されることを期待するしかない。

期待しすぎてツガルみたいにならないように、慎重に扱うことが必要だが。
728日本@名無史さん:2012/09/09(日) 15:59:20.50
>>726
>日本書紀だって、下手くそな巻と、しっかりした巻があるといわれているのだ。

しっかりした漢文の部分は九州王朝の日本書からの転載と見られる。
下手糞な漢文の部分は大和朝廷によって書かれたものと見られる。
記事内容がこなれた漢文と稚拙な漢文として九州王朝と大和朝廷に対応している。
729日本@名無史さん:2012/09/09(日) 16:18:04.77
>>721
太宰府の条坊遺跡は奈良時代のものじゃなく中世、鎌倉時代後半から室町時代頃のものだろ。

中央の、南北に走る道路が最初に12世紀頃に作られてから、百年以上の時間をかけて少しずつ条坊が形成された模様
発掘した範囲内の場所では、奈良時代の条坊は見つからなかったみたいだね。

>>728
まあ、少なくとも、下手くそな部分は後から書かれたとは言われてるけどな。
物語的に面白い部分の多くが、この書き換えられた範囲に入るんじゃなかったかな。推古とか。
730日本@名無史さん:2012/09/09(日) 16:45:53.70
九州王朝ありきで妄想を重ねているだけ
典型的古田信者の症状だな
学問ではなく信仰だから相手するだけ時間の無駄
731日本@名無史さん:2012/09/09(日) 17:40:52.68
記紀は専門外だが、編纂時期や原史料のことも知らない奴が
偉そうに語ってるのを見てガッカリした
732日本@名無史さん:2012/09/09(日) 18:09:12.49
>>731
それが古田史学クオリティ
733日本@名無史さん:2012/09/09(日) 20:26:40.21
日本三大史家

佐治芳彦・八切止夫・古田武彦
734日本@名無史さん:2012/09/09(日) 21:18:03.37
>>730 >>731 >>732 >>733

そんなに古田史学を怖れることはないだろうw
ひとつづつ事実を積み重ねればいいのだから。

卑弥呼と倭の五王に関する記述は、大和王権の正史日本書紀にはない。
これが出発点だ。

1段階の仮説は許されるが、その仮説にさらに仮説を重ねたのではただの妄想になる。
古田説は、その第1段階の仮説を語っているだけだ。
反論は、その仮説を覆す事実を提示できていないし、別の仮説にさらなる仮説を重ねて反論しているものがほとんどだ。

実証が非常に困難な世界だからと言って、専門家と称して仮説を重ねた妄想を主張しているのは、哲学と古代史ぐらいかもしれないw
735ローガン:2012/09/09(日) 22:23:54.61
>>734
>そんなに古田史学を怖れることはないだろうw

>大和王権の正史日本書紀にはない。これが出発点だ。

史書に記録がなければならないのなら、
まず第一に、何の記録もない九州王朝なんかは 問題外。
…という主張ですな。
736日本@名無史さん:2012/09/09(日) 23:06:44.42
>>729

wikipedia 太宰府より

政庁第1期に対応する7世紀段階では、
条坊の存在に結びつくような遺構は確認できない。

政庁第2期に対応する8世紀段階において
条坊に関連すると考えられる遺構は、
政庁中央から南へ伸びる南北中央大路
(地元では朱雀大路と呼ばれる)周辺を中心として存在する。
これらの遺構は南北方向のものが顕著で、
東西方向のものは少ないことから、
整然とした条坊域が整備されていたのではない可能性もある。

政庁第3期に対応する10世紀段階の
条坊遺構は鏡山案の想定域に近い範囲に存在する。
この段階での一区画は面積8反を基準としているらしい。
区画溝などの遺構は11世紀後半から
12世紀前半にかけて埋没し、
条坊制による街区はこの頃に廃れたと考えられる。


というわけで、12世紀段階では、もう終わっているようですね。
737日本@名無史さん:2012/09/09(日) 23:28:00.42
>>734
>古田説は、その第1段階の仮説を語っているだけだ。
古田の主張すらよく理解できていないということが分かりましたw
738日本@名無史さん:2012/09/09(日) 23:45:22.04
>>735 >>737

なんで反古田の人は具体的な内容がかけないんだろう?

怖れることはないんだから、ひとつずつ指摘して言ったらどうだろう?
739日本@名無史さん:2012/09/10(月) 00:28:23.63
古田のやっていることは「俺様ルール」なのだから具体的もなにもない
あえて言うなら「あなたのルールでは同じ土俵には立てません」だな
740日本@名無史さん:2012/09/10(月) 00:44:16.86
>>739
なんでそうやって逃げるのかわからない。

どうせ書き込むならなにかひとつぐらい具体的な反論を書けばいいのにと思う。
741日本@名無史さん:2012/09/10(月) 00:51:58.82
野球の試合してるところに三角ベースやってるガキが試合を申し込んできたので
「僕らのやってることとお前たちのやってるものは別なものだよ」
と丁重にお断りしている話しなわけだが、理解できないのか?
742日本@名無史さん:2012/09/10(月) 01:38:08.86
>>741
だから、つまらないたとえを使って逃げるなってw

それならガキを相手に試合をしてみればいいじゃないか。
そうすればすぐにわかることなんだからw
743日本@名無史さん:2012/09/10(月) 02:51:31.05
だったら野球のルールを覚えて来な
744日本@名無史さん:2012/09/10(月) 10:33:24.46
>>743
君は勉強したり考えるたりすることが苦手みたいだね。

もういいよ。

745日本@名無史さん:2012/09/10(月) 12:30:25.70
>>743
>だったら野球の〜
それに対して
「試合はして欲しいが古田キャプテンの考えたルールじゃなくちゃやだっ!」
とごねたあげく、試合交渉が不調に終わると
「奴らは古田キャプテンに恐れをなしたんだ!」
と主張し始めるんですね
わかりますw
746名無しさん@お腹いっぱい:2012/09/10(月) 17:58:10.12
天文学も暦学も文字もない1−3世紀の日本の歴史を辿るには、
中国側からの史書を分析するしかない。
よって、古田氏の分析方法、過程には納得できる。
747日本@名無史さん:2012/09/10(月) 18:43:31.49
日本側の資料が充実した中世以降の中国・朝鮮人が書いた日本の記録を
とりあえず読んでみればいい。
誤字・脱字はあたりまえ。勘違い、どこでそんな話を聞いたんだ?という
内容のオンパレードだよ。
748日本@名無史さん:2012/09/10(月) 18:58:06.94
>>747
具体的には?
749日本@名無史さん:2012/09/10(月) 19:04:29.71
>>746
古田氏は、漢籍の読解力に問題があり、分析の仕方が恣意的だから、説得力がない。
750日本@名無史さん:2012/09/10(月) 20:10:01.21
>>749
漢籍の専門知識が豊富な人は、ぜひ具体的に指摘してください。

この論考に出てくるこの文の解釈はここがおかしい、といった具合に。
751日本@名無史さん:2012/09/10(月) 20:26:19.88
古田武彦という思想史学者は神さまになりました。
752日本@名無史さん:2012/09/10(月) 20:50:04.99
>>751
古田氏はもともと文献学者だろ?

思想史学者というのは丸山真男なんかのことを言うんだぞw
753日本@名無史さん:2012/09/10(月) 21:20:29.43
>>752
文献学者に失礼だぞ
754日本@名無史さん:2012/09/10(月) 21:34:47.67
>>748
本自体はここらで紹介されてるが一部しか抜粋してないので、原文をあたってみればよい。
http://www7.plala.or.jp/juraian/jkc2jkc.htm
755日本@名無史さん:2012/09/10(月) 22:18:12.73
伝聞をまとめたという形の史料、さらにその抜粋を示されてどうこう言われても困るが
756日本@名無史さん:2012/09/10(月) 22:57:50.60
>752
古田武彦は日本思想史学会の古参会員だよ。

今の古田は、ただの邪馬台国クイズの解答者で高邁な思想など微塵もないけれど(笑)
757日本@名無史さん:2012/09/10(月) 23:16:15.33
マインドコントロールとかも研究してたんだろうか
758日本@名無史さん:2012/09/10(月) 23:32:50.83
>>694
>どういう状況だったかはわからないが、大和王権に日本書紀成立以前の公的な歴史書が伝わらなかったことだけは確かだ。
>なにか意図的なものがあると考えるのが普通だが、それは別としても大和王権の7世紀以前の全国統一に大きな疑問をもたらす根拠にはなる。

単なる陰謀史観

>敵側が焼却したとしたら、なぜ敵側が所有していたのか?

乙巳の変時点では蘇我氏が政権中枢、中大兄はクーデター側
乙巳の変までの政治状況の初歩すら分かっていない

>なぜ、その他の残された歴史書までその後の王権が廃棄したのか?

王権が廃棄したなどという史料はない

>「日本書紀」以前の大和王権に残された(王権が残した)史書がないのは偶然とは思いにくい。
>7世紀には前方後円墳が消滅し、「日本書紀」は8世紀前半に成立した。
>3世紀から連続した王権と考えるは難しそうだ。

全く根拠の示されていない個人的所感

遅レスだけど具体的に指摘してみました
結局、個人的な思い込みしか述べられていませんね
これを「学問」だと勘違いできるレベルの人の集まりが
古田派だってことを示す好例ですね
759日本@名無史さん:2012/09/10(月) 23:41:43.50
>>754
紹介先の人は自分で素人の「妄想」だと書いてるが?

だいたい、原文をあたったって専門家同士の読解になにも言えるわけはないじゃないかw
せいぜいやっぱり「邪馬壹国」と書いてあるというのがわかるぐらいだろうw

古田氏の読みに対して、有名人なら例えば白川静とか、高島敏男とかいう人が異を唱えてるのかどうかということ。
760日本@名無史さん:2012/09/10(月) 23:42:56.64
>>756
「史学会」の会員でもあるらしいが。
761日本@名無史さん:2012/09/10(月) 23:48:08.46
>>758

日本書紀の記述をそのままの歴史として扱うのが学問だと思うのもなかなかのレベルだw
762日本@名無史さん:2012/09/10(月) 23:56:32.42
>>761

どの史料にも記載がないものをあると主張するよりよっぽど学問だと思うけどね

>>760
史学会も日本思想史学会も任意団体で会費を払えば誰でも会員になれるのだが
763日本@名無史さん:2012/09/11(火) 00:51:24.40
>>762
古事記にも日本書紀にも、卑弥呼も倭の五王も記述がないのに大和王朝と結び付けてるのは、どうするんだ?
764日本@名無史さん:2012/09/11(火) 01:24:08.98
>古事記にも日本書紀にも、卑弥呼も倭の五王も記述がないのに大和王朝と結び付けてるのは、どうするんだ?

あんたも日本書紀の記述を信じてるじゃんw
765日本@名無史さん:2012/09/11(火) 02:23:05.43
>>764
バカじゃないの?

仮説に仮設を重ねて無理やり結びつける論考と、一段階の仮説を立てることで合理的な説明がつく論考の区別がつかないなら、本なんか読むのはやめた方がいいよ。
今でも読んでないなら別にいいんだがw
766日本@名無史さん:2012/09/11(火) 03:32:44.67
>>765
>日本書紀の記述を信じてるじゃん

この指摘には反論できないんだなw

>仮説に仮設を重ねて無理やり結びつける論考
まさに古田説のことだな
もっとまともな本を読んだ方がいいよ
767日本@名無史さん:2012/09/11(火) 10:34:39.62
>>766
日本書紀の記述は信じてるよ。
反論なんかするわけがないw
信じないで記述を自分の説に都合のいいように改竄して歴史を捏造するより、書いてあることを適切に解釈、判断することで歴史の真実が浮かび上がってくる。
あたりまえのことだ。

古代の人々は物語を創ることはできなかった。
書かれたことは、そう信じられていたからそう記述された。
脈絡の分からない個別の伝承は編纂時にありそうなところへ当てはめた。
そう考えたのが古田氏で、それは古代の文書を扱うときにきわめて適切な方法だ。

すべての記述にその時代としての合理的な根拠がある。
ただの見間違いだの勘違いだのという当時の人々をバカにするような態度はとらない。
これはレヴィ=ストロースが未開地域を調査したときの態度と同じだ。
768日本@名無史さん:2012/09/11(火) 13:09:10.37
日本書紀をそのまま信じちゃダメだろ・・・・
769ローガン:2012/09/11(火) 14:29:50.58
>>763
>古事記にも日本書紀にも、卑弥呼も倭の五王も記述がないのに大和王朝と結び付けてるのは、どうするんだ?

記紀成立頃の日本の外交を考えれば、書かれなくても不自然じゃない。
そんな事より、それ以前に「記述がない」事が 否定の理由になるなら、史料皆無の九州王朝なんかは真っ先に否定される。
770日本@名無史さん:2012/09/11(火) 16:00:14.50
>>769
論理的な思考をするにはそれぞれの根拠を考えることが必要だ。

卑弥呼−魏志等はかなり詳細に記述、記紀には記述なし
倭の五王−宋書等は詳細に記述、記紀には記述なし

卑弥呼や倭の五王の記述が日本書紀になく中国側史書にあることを説明するには王朝が異なると考えるのが出発点。
大和王朝の前身であって、すでに全国制覇を成し遂げていたぐらいの大王権なら、国家事業として作成された日本書紀にまったくその旨の記述がないことは非常に不自然。
最低限に見積っても、大和王権側には記録も記憶もまったくなかったと考えるほかはない。
そこから古田氏は九州王朝説を唱えた。

別の王朝ではなく連続した同一王朝だと考えるならその根拠が必要だが、根拠を示した論考があるなら教えてほしい。
771ローガン:2012/09/11(火) 16:47:07.79
>>770
>国家事業として作成された日本書紀にまったくその旨の記述がないことは非常に不自然。

いや、不自然ではないと書いたんだ。勿論、理由が無いわけじゃない

>最低限に見積っても、大和王権側には記録も記憶もまったくなかったと考えるほかはない。

何故、「ほかはない」になるの?思考停止しないで、上で書いた「記紀成立頃の日本の外交 」を考えてご覧なさい。
不自然で無い理由は、後程書いてみるつもりだけど まずコレ
>>769『そんな事より、それ以前に「記述がない」事が 否定の理由になるなら、史料皆無の九州王朝なんかは真っ先に否定される。』
は、理解出来る?
772日本@名無史さん:2012/09/11(火) 16:50:29.54
>>770
記録がないことが不自然という根拠が知りたい。
親魏倭王の金印をもらった卑弥呼の話はともかく、宿敵、高句麗に惨敗し、
箔付の官位をもらうために朝貢したが、高句麗・百済よりも低い官位しか
もらえなかったなんてみじめな話を後世に伝えたいと思うかね?
773日本@名無史さん:2012/09/11(火) 18:08:30.41
>>771
>>770を理解できなかったみたいだな。
あれを理解できないところを見ると、君は論理的な思考が苦手なんじゃないか?

資料が皆無なのではなく、中国側には史料があると書いているんだ。
中国側の史料を史料として認めないなら、しかたがないがw

卑弥呼王朝は九州だというのが古田氏による魏志の読解。
まずこの時点での九州王朝は魏志の読解に基づくもの。
魏志の読解として明確な反論があるなら教えてほしい。
これは仮説ではなく読解だから、真偽は読み方の中にある。

読み方がはっきりと間違いならだれにでも指摘できるはずだ。
いくつかの読み方が可能なら、可能な読み方はそれぞれが根拠となる。
774日本@名無史さん:2012/09/11(火) 18:47:01.52
>>772
>卑弥呼の話はともかく
なぜともかくなんだw

>高句麗に惨敗
倭が好太王との戦いで負けたのは確かだろうが、その後も朝鮮半島の拠点を失ったわけではない。

>高句麗・百済よりも低い官位しかもらえなかった
「武を使持節・都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・幕韓六国諸軍事、安東大将軍・倭王に除す」(『宋書』倭国伝)
「武を進めて征東将軍と号せしむ」(『梁書』倭国伝)
このあたりは同等だろうし、認められないまでも、倭は百済を支配下においていると一貫して主張しているようだから、自分の主張だけを記録に残してもいいわけだ。

これらが大和王権での出来事だとすれば、中国側との交流まですべて記録から消し去るのは非常に不自然だというしかない。
その主張にはさらなる根拠が必要だ。
775日本@名無史さん:2012/09/11(火) 19:18:03.16
倭の五王時代の外交における中国側と日本側の認識が食違ってるからだろ
倭王武の上表文のような遜った姿勢が書かれた中国側の正史の存在を知ってるからあえて無視してるんだよ
何のために日本書紀編纂したんだよ
776ローガン:2012/09/11(火) 19:47:35.13
>>773
>資料が皆無なのではなく、中国側には史料があると書いているんだ。

あ、あのなあ、君大丈夫か? わからないようなので噛み砕いて云うとだ
中国史料に有る記述が、日本の史料に無い。これが、何らかの否定の根拠になるなら、
日本の史料に皆無の九州王朝なんか真っ先に否定せねばならんのだ。
にもかかわらず、九州王朝信者が「記紀に記述がないから云々」言い出したら、まともな人は笑うしかないだろう。
笑われるのは嫌だろうに。それを教えてあげてるんだ。

「中国側には史料がある」なんて 返信として、まともじゃない事に気づいてね。
777日本@名無史さん:2012/09/11(火) 20:08:09.39
邪馬台国の日本の文書資料は、畿内も九州も
なにもないよ。

778日本@名無史さん:2012/09/11(火) 20:27:31.74
横からですが、

九州王朝説というのは、「九州王朝」という名の国家があったという説ではないよ。
「倭国は、じつは当初は九州に在ったのだ」という説なんだよ。

そこんとこ、よろしく
779日本@名無史さん:2012/09/11(火) 23:24:40.29
>>773
>卑弥呼王朝は九州だというのが古田氏による魏志の読解。

それは、「読解」ではなく「解釈」。
書いてあることを書いてあるままに、こう書いてあるというのが読解。
書いてない部分まで、「それはこういうことである」と断定してしまうのは、
恣意的な解釈であり、小説なら許されるが、文献史学とは言えない。

古田氏の説は、多分に文献史学の枠を超えて歴史小説になっている。
喩えて言うなら、学問としての歴史学と、歴史小説としての司馬遼太郎の司馬史観のようなもの。
当然、歴史小説のほうが面白いし、熱心な信奉者も多いだろう。
780日本@名無史さん:2012/09/11(火) 23:33:49.99
>>778
>「倭国は、じつは当初は九州に在ったのだ」という説なんだよ。
九州王朝である倭と大和の日本は違う国というのが古田説だから。
それは古田氏の説くところの九州王朝説とは違うね。
781日本@名無史さん:2012/09/12(水) 00:17:26.52
>>775
>中国側の正史の存在を知ってるからあえて無視してる

大和王朝が3世紀から連続しているということを前提としてしまっている推論だ。
つまり、同義反復に等しい。
782日本@名無史さん:2012/09/12(水) 00:37:10.31
>>776
老眼だけじゃなくて頭も錆びついてるのかい?

中国側の正史に記載がある、ということは最低限、中国側が卑弥呼や倭の五王を倭国の王権として認識しているということだ。
それ以外の解釈は不可能だ。

そこまではわかるかな?

つぎに、当時の交通状況から考えて、「朝貢」に使者を遣わすというのは大事業だ。
数ヶ月をかけて多くの献上品やかなりの人数の生口を相当の人数で輸送する。
中小の豪族では無理だ。

これもわかるかい?

つまり、中国側の正史の記述をでたらめだとしない限り、3世紀から5世紀の間に、何年かに一度そうしたことを実行できるだけの王権があったということだ。
その王権を九州にあったと見るか畿内にあったと見るかは魏志の読解しだいだ。
九州にあったと読解すれば、それはまさに「九州王朝」だ。
783日本@名無史さん:2012/09/12(水) 00:47:41.17
>>779
読み方が確定していない以上、古田氏は魏志の読解を提出している。
「書いてない部分」を断定しているわけではない、というか、古田氏は書いてあることだけで「邪馬壹国」を九州にあったと読み解いている。

むしろ反古田論者の方が魏志の恣意的な解釈をしている。
あそこが書き間違い、ここが勘違い、といったように。
784日本@名無史さん:2012/09/12(水) 01:12:51.78
>>781
大和王権の成立時期については複数の資料を根拠に判断されるべきもの
大和王朝が3世紀から連続しているということを前提として推論してるのはあたりまえ
>>775では「中国史書に記載されている事項が書紀に記載されていないことが不自然」という指摘に
何も不自然ではないことに説明してあげてるだけのこと
九州王朝が存在したという根拠のレベルなどはそもそも前提としてない
785日本@名無史さん:2012/09/12(水) 04:19:07.16
>>783
>古田氏は書いてあることだけで「邪馬壹国」を九州にあったと読み解いている。

これが恣意的な解釈そのもの。
文献史学としては、
「幾つかの可能性が考えられるが、断定するだけの証拠はない。」
という結論しか得られない。
これじゃあ、面白くないし、本も売れない。
でも、それが学問だから、しようがない。
本来、断言できるはずもないのに、「九州にあった」と断言してしまうところが小説と同じ。
786日本@名無史さん:2012/09/12(水) 11:36:34.40
>>784
>大和王権の成立時期については複数の資料を根拠に判断されるべきもの
「大和王朝が3世紀から連続している」根拠となる資料を提示してみてくれ。

>>775みたいな、そう思う、程度のことは「説明して」くれなくていいw
どうせなら、五王の年代も系図も変えた理由ぐらいまで触れておいて欲しいものだw
787日本@名無史さん:2012/09/12(水) 11:47:13.95
>>785
>これが恣意的な解釈そのもの
>「幾つかの可能性が考えられるが、断定するだけの証拠はない。」

どこが恣意的か指摘しないと、その指摘自体が恣意的ということになるよ。

古田氏の読解は、それしか考えられないと言うもの。
あくまでも魏志の読解によればひとつの結論が導き出される、という論考だ。

もちろん部分的にはいくつかの読み方、解釈があるだろうが、魏志を整合性を持った正史として扱うことで、読み方、解釈の範囲は狭まっていく。
論理的な読解というのはそういうことだ。
反論するには、ひとつひとつの読解の間違いを指摘しなければならない。
788ローガン:2012/09/12(水) 13:59:31.38
>>782
駄文で論点ずらししては駄目。
「日本の史料に記述がない」事が 否定の理由になるなら、
九州王朝があったと主張する側は 万人が首肯できる「日本の史料にある九州王朝の記述」を提示しなきゃならん。
でも、それは不可能。皆無だから。皆無である以上、「史料に記述がない事は否定の根拠となる」という前提に従えば、九州王朝なんか真っ先に否定される。
つまり、あった!あった!と主張したいのなら、自身の設けた前提は取り下げなきゃならんのだ。ゆえ

>>734
>卑弥呼と倭の五王に関する記述は、大和王権の正史日本書紀にはない。これが出発点だ。

これ読んだら、笑うしかないわけ。
789ローガン:2012/09/12(水) 14:32:54.21
上、読んでみたら、野球のルールに喩えた方がいた。正にその通り。
自身の主張に都合の良さそうな前提を設けたつもりが、それは翻って自身の主張を頭から否定するものだった。
そこで都合の良さそうなものにのみ適用。あとは知らんぷり。おかしさを指摘されても答えず、あげく論点ずらし。
まともな人間とはルールが違うと云われて当たり前。
もっとも、その前提自体も極めて幼稚。目を覚ましなさい。(笑)
790日本@名無史さん:2012/09/12(水) 16:31:46.68
>>788 >>789
「おかしさを指摘されても」いないし、「論点ずらし」もしていない。
反論もできないくせに、「おかしい」だの「論点が違う」だのと泣き言を書かずに、ひとつぐらいは自分で具体的に調べてみたらどうか。

くだらない「極めて幼稚」な書き込みをしていないで、「目を覚ましなさい」w

君にはいくら論理的な説明をしても無駄のようだ。
論理というものが理解できない「大和信者」なのだろう。

せいぜい紀元前以来、大和王権が日本全国を支配していたという史料でも探し続けることだ。
いまのところそういうものは「皆無」かもしれないがw
791ローガン:2012/09/12(水) 17:29:53.03
>>790
>「おかしさを指摘されても」いないし、

三度ほど同じ指摘をした。「中国史料にあって、日本の史料に無いのが、否定の根拠となるなら、日本史料に皆無の九州王朝なんか真っ先に否定される」だ。
『日本の史料に無いのが、否定の根拠となる』が真なら、九州王朝は当然否定。
だが、言い出した人間がその存在を肯定した。それが、おかしさの指摘だ。

>「論点ずらし」もしていない。

>>773 資料が皆無なのではなく、中国側には史料があると書いているんだ。』
こちらは、中国側史料の存在の有無についての指摘は、一度もしていない。
言うまでもなく、上記「おかしさの指摘」とは 日本側史料に関する事。つまり論点ずらし。

>くだらない

そう。実にくだらない。まともな人なら、指摘を受けるまでもなく
>>734
>卑弥呼と倭の五王に関する記述は、大和王権の正史日本書紀にはない。これが出発点だ。

の、馬鹿さ加減に気付く筈。何度も同じ指摘をせねばならんとは、実にくだらない。
792日本@名無史さん:2012/09/12(水) 19:46:05.74
>>791
もう少し付き合ってあげるけど、やさしく書いてあげるからひとつずつ確認してね。

>中国史料にあって、日本の史料に無いのが、否定の根拠となるなら、日本史料に皆無の九州王朝なんか真っ先に否定される
>中国側史料の存在の有無についての指摘は、一度もしていない
>「おかしさの指摘」とは 日本側史料に関する事。つまり論点ずらし。

「論点」は「九州王朝」、これだけは忘れないでね。

「日本の史料に無い」ことを否定の根拠になどしていない。
「日本側史料に関する事」だけで「九州王朝」の存在の議論などしていない。

中国側の史料と日本側の史料を比較することで、歴史の実体を把握しようとしている。

このくらいの日本語は理解してもらわないと、なんの議論もできない。
論理以前の問題といってもいい。

だから、君は論理的な思考が苦手なんだろう、と書いたんだ。
793日本@名無史さん:2012/09/12(水) 19:47:41.09
>>786
しても意味ないだろ、九州王朝説信奉者は結論に繋がるネタを拾ってるだけなんだから
以前の状況と違って九州北部と朝鮮半島の遺跡の比較がきちんとできてれば、さしたる根拠もなく九州王朝などと
軽々しく叫ぶ日本人などおらんよ
倭人伝、宋書に記載のものが書紀にないことを論拠のスタートにするなど、中国コンプレックス、自虐精神の塊だろ
794日本@名無史さん:2012/09/12(水) 19:48:08.98
>>791 (つづき)
複数の史料を比較することからしか、古代の歴史は浮かび上がってこない。
あたりまえのことだ。

「存在の有無についての指摘」などしてもしなくても中国側の史料はある。
これはたんなる事実だ。

同じ時期の歴史として

A 中国側には記述がある
B 日本側には記述がない

何らかの理由があるのは当然だ。

倭の五王の記述が日本側の史書にない理由を、>>775のように「あえて無視して」年代や系列まで書き換えた、というんじゃ、説明にはならない。
合理的な(論理的な)説明が必要だ。

最も合理的な(論理的な)説明は、中国の史書に記載された王朝は日本書紀を制作した王権ではない、ということだ。
これ以外の合理的な(論理的な)説明はいまのところ、ない。
795日本@名無史さん:2012/09/12(水) 19:57:54.55
中国の記録が絶対という立場だな
北京に行ってデモに参加してきたらどうだ
796日本@名無史さん:2012/09/12(水) 20:05:43.85
>>795
君、マンガ以外の本を読んだことないだろ。

歴史と社会の区別もできないんじゃ、君の頭はかつらの台だな。
797日本@名無史さん:2012/09/12(水) 20:28:37.80
>>796
マンガ以外の本読んで、本を売りたい古田に餌与えられてだまされたのか?
領土問題と歴史的事実、史料解釈は無縁じゃねえよ?
お前がローガン氏に対して書いてることはそのまんまお前のことだろがw
798日本@名無史さん:2012/09/12(水) 20:39:33.03
>>797
やっぱり、ただのお花畑か。

歴史は歴史、と書いても、歴史の意味すらわからないだろうな。
国とはなにか、がわからないように。

少しは本でも読んで、人間は考えることもできるんだ、ということを知るのも悪くない。
799日本@名無史さん:2012/09/12(水) 20:45:14.74
>>798
お前の頭が目先の利益でいっぱいいっぱいなんだよw
800日本@名無史さん:2012/09/12(水) 21:49:06.34
著者(編纂者)が意図的に都合の悪い事実を伏せるなんて当たり前だろうに

ここの古田信者は、史料は完全無欠とでも思っているの
801日本@名無史さん:2012/09/12(水) 21:52:03.33
著者(編纂者)が意図的に都合の悪い事実を伏せるとか、
誤情報に基づいたために事実と異なる記載があるとか
なんて当たり前だろうに

ここの古田信者は、史料は完全無欠とでも思っているのだろうか
802ローガン:2012/09/13(木) 00:27:20.45
>>792
>「日本の史料に無い」ことを否定の根拠になどしていない。

ならいい。レスのやり取りの中で、言葉の省略があるのは致し方無いので あらためて云うと
「中国史料の記述を日本の史料が掲載していないからといって、それが某説の根拠にはならない」と云う事。
これが共通認識な訳だ。ゆえ「根拠」「出発点」言葉は違えど
>>734
>卑弥呼と倭の五王に関する記述は、大和王権の正史日本書紀にはない。これが出発点だ。

は、上で書いた通り、失笑もののレスである事は、当然共通認識な訳だ。
君のレスだと思ったんだが、どうも別の人だったようだ。
803ローガン:2012/09/13(木) 01:02:38.00
>>770
>最低限に見積っても、大和王権側には記録も記憶もまったくなかったと考えるほかはない。

これも間違い。「ほかはない」訳がない。勿論、一つの選択肢である事は確か。
しかし、「ほかはない」と言い切っちゃった。この幼稚なレスも「別人の横レス」としといてあげようね。
804日本@名無史さん:2012/09/13(木) 11:31:09.62
>>802 >>803

相変わらず論理のわからない老人だな。
>>792>>734>>770も俺の書き込みだ。
自分が大笑いされてるのも知らずに、ひとり失笑してるのも乙なものなんだろうw

自分でくどくど書いたことを修正して悔し紛れに「言葉の省略」などと言いわけしてみたり、俺のレスを勝手に別人にして無視しようとしたりするのは、みっともないからやめた方がいい。
後輩たちやいままでの自分の人生に向き合って恥ずかしくないのか。
自分の読み違いは読み違いとして認めることこそ、
老人のとるべき態度だ。
依怙地な老人は醜いし嫌われる。

>「中国史料の記述を日本の史料が掲載していないからといって、それが某説の根拠にはならない」

なんてのが「共通認識」なわけがない。
そこには理由があると考えるから、「根拠になる」のだ。

>「ほかはない」と言い切っちゃった

言い切るには言い切る理由がある。
記録や記憶があれば、注釈で「A書にBと書いてあるのはC代のD事項のことか」などといい加減な記述をすることはない。
それも理解できないようだから、頭が錆びついていると言うんだ。

錆落としにはやっぱり読書がいい。
なんでもいいから本を読めよ。
805日本@名無史さん:2012/09/13(木) 12:20:31.73
Aには載ってないが、Bには載っているもの。
あるいはA、B共に書かれてはいても齟齬のあるもの。
A、Bを「記紀」、続日本紀にあてはめるだけでもかなりの数。

基本的な史料の扱い方をわかっていないようだ
806日本@名無史さん:2012/09/13(木) 13:18:16.81
>>804
日本国王良懐が1386年に朝貢したと中国側の資料に記録がある。
当然1386年に日本国王である良懐という人物がいたということだよな?

http://www002.upp.so-net.ne.jp/shikado/muromachi/ryokai.htm
807日本@名無史さん:2012/09/13(木) 14:29:42.30
>>806
その話は知らない。

wikiには
”懐良親王が「良懐」として明と冊封関係を結んでしまったため、足利義満が日明貿易(勘合貿易)を開始する際に新たに建文帝から冊封をうけ「日本国王」となるまでは、北朝や薩摩の島津氏なども明に使節を送る場合は「良懐」の名義を用いねばならないという事態も発生した”
とあるから、特に問題にはならないんじゃないの?

808日本@名無史さん:2012/09/13(木) 14:31:44.84
>>805
一国の王朝(代表者)の話だぜ?
日本側からすれば天皇の話。
わかってる?
809日本@名無史さん:2012/09/13(木) 14:43:40.56
薩摩の詐称は有名な話だね

>>808
たとえば「日本府」に関する記述は『日本書紀』のみ、
しかも極限定された時期にしか出てこないよね?

倭の五王にしても、国名としての倭はもちろん、よく読むと倭という姓でもあることがわかる。
史料の示すことはもちろん、編纂された意味まで考えるのは当然のことでしょ
810日本@名無史さん:2012/09/13(木) 15:07:02.42
>>809
日本史オタクじゃないから知らない。

で、何が言いたいの?
詐称のこと?
その時代より千年も前の話だよ。
交通状況も貿易も全く違う。

「日本府」って「任那日本府」のこと?
ほかの時期に出てこないから、なんなの?

「倭という姓」と「編纂された意味」はどうつながるの?

思わせぶりに中途半端な書き方をしないで、はっきり書きなよ。
811日本@名無史さん:2012/09/13(木) 15:10:33.58
基本的な史料を知らないならなにも言うことはない。

古田さんの著作を読んで夢を古代に馳せてください。その行為自体は個人の自由だから
812日本@名無史さん:2012/09/13(木) 15:38:38.95
>>811
アンカーも付けずに、具体的なことはなにも書いていない。
議論することを怖れてるのか?

「極限定された時期にしか出てこない」こととか「編纂された意味」とかは、もういいのか?

もっとも千年後の事柄が古代を理解するための基本的な史料だと言われたんでは、レスの返しようもないけどな。
813ローガン:2012/09/13(木) 16:20:14.28
>>804
まだ、理解出来ないのか…
「中国側史料にある日本に関する記述は、日本側史料に書かれていなければならない」
私も含めたまともな人間は、これを偽であるとする。何故なら意図的に割愛した可能性が、当然考えられるからだ。
それに対して「共通認識が持てない」という君の言い分は
「日本側史料になければならないにもかかわらず、記紀に出てこないという事は、中国側史料にある記事は大和ではなく、他勢力のものである」だ。
この言い分を是とする為には、「日本側史料になければならない」という前提は必須。
よってレス冒頭命題は真でないと成り立たない。 これが真であるなら、日本側史料の存在しない勢力は該当しない。
つまり、君の言い分に従えば、九州なんか蚊帳の外だという事。
自身の主張の矛盾に気付きなさい。

>そこには理由があると考えるから、「根拠になる」のだ。

これまたおかしい。「理由があると考え」たものは、君の見解。
根拠とは、共有できるものでないとならないんだ。 君の見解など共有していない。
自身の見解が根拠だと言い張るようではなあ…
まあ、君の事をどうこう云うより、ゆとり教育の弊害だな。
814日本@名無史さん:2012/09/13(木) 17:25:12.91
5世紀あたりの事跡すら、日本で記録されていたかどうかは怪しい。

3世紀では、中国から来た人や、それに接することができる人間じゃないと、
文字を読み書き出来なかっただろう。

銘文や金石文、象がんでは、文字や書ではなく、
絵として模倣した形跡が見られる。

原稿はわかってる人が書いても、彫り職人はわかってなかったらしい。
815日本@名無史さん:2012/09/13(木) 17:28:29.90
>>813
君が論理的なことをまったく理解できない頭の持ち主だということはよくわかった。
錆びついているのではなく、もともと動かない頭の持ち主なのかもしれないw

ここまで日本語が通じない人間は、論文オジサン以来だな。
同一人か?

具体的なことは何一つ提示できずに、他人の言い分を捻じ曲げて自分のでたらめさを糊塗する。
俺が書いていないことを俺が書いたようにすり替えるのはやめろ。

いくら書いても理解できない人間に書くのはもう飽きた。
君みたいな中身のない薄っぺらな老人より、ゆとり教育で自由な発想を育んだ青年たちの方がはるかに素晴らしい実績を残すだろう。
816日本@名無史さん:2012/09/13(木) 18:07:14.67
>>770
>卑弥呼や倭の五王の記述が日本書紀になく中国側史書にあることを説明するには王朝が異なると考えるのが出発点。

これを出発点にするのはおかしい。
中国の史書に記述があるのに、なぜ記紀に記述がないのか?
そこが出発点で、論証を通して、「それは王朝がことなるからだ」という結論になるのなら話はわかる。
それなのに、いきなり結論を出発点にするのは、論証じゃない。
817日本@名無史さん:2012/09/13(木) 18:52:13.06
>>815
>君みたいな中身のない薄っぺらな老人より

ローガンは畿内説に凝り固まった青年(中年?)だよ。
818日本@名無史さん:2012/09/13(木) 19:36:55.27
>>816
なるほど。

>>817
老眼じゃなかったのか。
とんだ思い違いだったw

819ローガン:2012/09/13(木) 21:23:42.19
>>815
>君が論理的なことをまったく理解できない頭の持ち主だということはよくわかった。

その通りだ。
君のレスから察するところ、君の云う「論理的」とは、自己矛盾と循環論法を包含したもののようだ。
ゆえ、君が云う「論理的なこと」なんか私は全く首肯出来ない。それを指して「錆びついた」と君が思うなら、そう言われるほうがよっぽど嬉しい。
仮に、君に「論理的だ」と言われたら それは侮辱だ。
さておき、上で書いた
>>771
>「記紀成立頃の日本の外交 」を考えてご覧なさい。不自然で無い理由は、後程書いてみるつもり

を片付けておこう。
日本書紀は化外慕礼については書いている。書いていないのは臣従の記録だ。何故か?
紀成立頃において日本は対等国外交という立場を建て前としている。当時、唐とは臣従の関係にない。よって遣使は朝貢ではない。所謂、化外慕礼。
しかし、過去のある時期臣下として朝貢していた事実がある。標榜した対等外交と相反する過去の事例。
日本書紀は明らかに唐を意識している。唐を意識すれば、この「過去の事例」を単なる遣使に書き換える事には、抵抗がある。
よって、触れない、書かないという選択をしたものと思われる。
820日本@名無史さん:2012/09/14(金) 00:06:02.18
>>819

頭が空っぽなやつとやり取りしても無駄だから、やめる。
821日本@名無史さん:2012/09/14(金) 00:35:14.42
>>820
>>819に述べられている考え方が今の学界の主流だよ

きちんと『書紀』編纂の動機や背景まで含めて説明されているからね
「『書紀』に記述されないのは別の国だから」なんて表面的な部分しか説明できない回答とは別次元だね
822日本@名無史さん:2012/09/14(金) 16:42:01.97
大和王朝信者に聞きたいんだが、いつごろから日本が大和王権に統一されたと考えてるの?

そして、その前はどんな日本観を持ってるのかな?
823日本@名無史さん:2012/09/14(金) 17:22:43.65
>>822
まずは「日本」「統一」の定義を示せよ
話はそれからだ
824日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:07:44.03
>>823
「日本」はいまの日本から東北、北海道を除いた地域、ぐらいでいいんじゃないか?
「統一」というのは、他の地方権力が(あったとすれば)大和王権に帰順して定期的に朝貢する、ぐらいでいいんじゃないか?

それ以外の定義があるなら、その定義も含めて大和王朝の成立過程を書き込めばいいだろ?
825日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:34:02.74
九州南端や沖縄も忘れてもらっては困るな

この時代の話をするのに日本だとか統一、帰順なんて簡単に言っちゃうことが
古田指示派の底の浅さというか、思考回路の単純さを示している

と、嫌味はこれくらいにして、ちょっと出かけるので質問の回答は後ほど
826日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:42:45.96
>>825
別に嫌味とも思わないから気にしなくていいよ。
だけど、厳密に言えばきりがないだろ?

質問が気に入らなければ、大和王権の成立とその拡張、でも構わないというかそれをどう考えているのか知りたい。
827日本@名無史さん:2012/09/14(金) 18:44:03.53
ところで、大和王朝信者というのは>>825だけなの?
828日本@名無史さん:2012/09/14(金) 22:46:14.26
老眼も大和王朝信者
829825:2012/09/15(土) 00:56:27.92
帰ってきましたので回答を始めます

ヤマト王権の構造を理解できればその後の説明も理解しやすいかと思いますので
ちょっと長くなりますがそこから始めます

ヤマト王権は簡単にいってしまえば氏族の連立政権です
大王はその連立政権の代表者ってところ
大王家と政権構成氏族との間には絶対的な服従関係はなく、
氏族間の力関係が動揺すれば大王権もおおきく影響を受けます
氏族同盟があって大王はその盟主といってもいいかもしれません

氏族の中にも大小や階層性があり、政権に直接参画する氏族もあれば
そうした有力氏族の下で活動する氏族もあったりします
それぞれの氏族は、地盤(影響下においている地域)や職能(専門的技術・知識)などで
政権の中の立ち位置を確保しています
830825:2012/09/15(土) 00:57:43.33
続き

大王と氏族、あるいは氏族と氏族の間は個人的な関係によって結びついており、
政権中枢では累代的なものに変化していったようですが、
周縁部では1代限りで関係が途絶するようなことが起きています

そうした氏族主体の意思の統一がしがたい政権構造に対して、
中国を手本にした官僚制へ転換しようとする動きがおこります
いわゆる聖徳太子の改革がそうですが、不完全に終わっています
乙巳の変はそうした文脈の中で理解するべき事件ですし、
最終的には壬申の乱による天武の勝利によってようやく転換の下地がつくられます
831825:2012/09/15(土) 00:58:45.78
さて、そうしたヤマト王権の成立ですが、
いまのところ、3世紀のどこかの時点で
ヤマト(あるいはカワチも含むか)の氏族同盟の盟主が、
瀬戸内海沿岸地域同盟の盟主となったことが契機となったと考えられています
この同盟に東のオハリや日本海沿岸のイヅモ、コシなどが加わっていきます

領域については、
4世紀では、日本海側は新潟北部、太平洋側は宮城の仙台・名取あたりが北限で、宮崎中部、熊本中部あたりが南限です
5世紀から6世紀では、北限は、内陸で山形、岩手の奥州市まで北上、南限は大隅半島中部まで南下、朝鮮半島の全羅南道にも広がっているとみてよいでしょう

ただし、5世紀から6世紀にかけてのものはあくまでも瞬間最大領域であって、
それらの地域がその後も継続的にヤマト王権の影響下にありつづけるのではないこと、
面的なものではなく点的なものであったことは注意しておいてください

832日本@名無史さん:2012/09/15(土) 01:10:55.24

それぞれの根拠を説明する必要があると思う。

>>829
大和王権が氏族の連立だということの根拠

>>830
>大王と氏族、あるいは氏族と氏族の間は個人的な関係によって結びついて
いたことの根拠

>>831
3世紀に成立したことの根拠
大和から(拡大して?)瀬戸内沿岸の盟主になったという根拠
領域を示している根拠
833825:2012/09/15(土) 01:41:37.48
>>832
>大和王権が氏族の連立だということの根拠

『日本書紀』に登場してくる氏族は大王をいただきながらも
彼ら独自の利害関係で行動する場面が多い
有名な冠位十二階では有力氏族は対象外(蘇我だけじゃない)となっていて
彼らが大王家に対して独自性を持っていることは明白
また、前方後円墳がヤマト王権を表象するものだと考えられているが
前方後円墳は大王であろうと小氏族であろうと築造している
こうしたことから、大王には侵すことのできないような絶対的な権力があったとは考えがたい
なお、前方後円墳出現時の状況も各地の墳墓の特色を取り入れており、
連立(連合)を象徴するものであることをよく示しているとも考えらている

>大王と氏族、あるいは氏族と氏族の間は個人的な関係によって結びついて
>いたことの根拠

封建制をイメージして欲しい
江戸時代ですら将軍と藩主は個人的な主従関係にある
(江戸時代ほど絶対的な上下関係ではないが)
周縁部の前方後円墳は1代こっきりが多い
これは一度結びついても簡単に切れてしまうような関係性であったことを示している

>3世紀に成立したことの根拠
>大和から(拡大して?)瀬戸内沿岸の盟主になったという根拠
>領域を示している根拠

前方後円墳の分布状況が根拠だよ
834日本@名無史さん:2012/09/15(土) 10:30:54.11
>>833

「個人的な関係」というのをどういう意味で使ったのかはわかった。
俺はなにか個人と個人の友情のようなものをイメージしているのかと思った。
どういう支配形態であれ、利害と強弱による支配と被支配だと思っていたので確認した。
もちろん宗教的な理念の拡大による支配があることも当然だ

それはいいとして、ほとんど前方後円墳を根拠にしていることについてはどうなのかな?

日本書紀には巨大な前方後円墳を築造したという記事はなかったような気がするけど、俺の読み込み不足かな?
前方後円墳の築造に関する具体的な記述があるところを教えて欲しい。
835日本@名無史さん:2012/09/15(土) 15:34:23.11
まあ、「主従関係が個人対個人」という状態は、
世界全体で見ても、割とよくある状態ではある。

封建制というのはすべて、そういうシステムだしな。
中世ヨーロッパも含めて。

古代日本の律令制だって、郡司登用時の儀式中には、
往時にそういった個人的関係に基づいた主従関係が一般的だった名残が残っている。

古田氏らがよく言う「日本書紀に記事があってしかるべきなのに記述がない」については、
編纂者らが積極的に記録したいと考えた部分以外は偶然に書かれた物しか収録されていない、と考えるべき。

他のなにかを記録する際の描写、文章表現の中に偶然に紛れ込んだ断片ぐらいしか、記録には残らないものだよ。
そういう、偶然に紛れ込んじゃった断片情報を拾い集めて研究するのが現在の文献研究の主流じゃないのかな?

古田氏が行おうとした方向の研究は、主流を外れている。流行らなくなったと言うだけの意味であって、方向が間違っているという意味ではないけどな。
836ローガン:2012/09/15(土) 16:26:28.84
>>835
>「主従関係が個人対個人」

貴レス内容とはズレるけど… 稲荷山鉄剣銘に「奉事の根源」とある。
これ、拡大解釈かもしれないけど、自分が大王家に仕える理由、その源を辿れば、上祖が大王家に繋がる事である。 になるんじゃないなかなあ?
日本書紀は漢文で書かれた以上、唐を意識したのは言うまでもないが、同時に国内向けの発信は、
「臣下とした氏族は祖が大王家に繋がるものである。」ではないだろうか?
この「奉事の根源」を明文化し、遠近による優劣を付けつつ、擬制の血縁関係を構築する事により、自軍を持たない大王家の安定を図ったんじゃないでしょうか。
837日本@名無史さん:2012/09/15(土) 17:46:20.10
>>825
その連盟・連合の盟主(大君)が九州の女王台与、あるいは台与の息子(崇
神)である可能性が高いよ。当時、鉄製武器を一番たくさん持ち、一番強
い軍隊を持っていたのは九州だからね。
838日本@名無史さん:2012/09/15(土) 19:35:10.57
>>836
妄想の中で遊ぶのは確かに自由だ。
839825:2012/09/15(土) 23:31:57.56
>>834
今旅先なんで長文が打てないし
ソースが記紀どちらかあいまいだけど勘弁な

直接造墓に触れたものならヤマトトトヒモモソヒメの神婚説話がある

あと関連するものとして
ヒバスヒメ葬送時の埴輪起源説話があげられるかな

記紀の記す歴代天皇の葬地については面白い事実があるのだけれども
それは後日気が向いたら書き込みます
840日本@名無史さん:2012/09/16(日) 00:29:19.32
>>839
旅先ではしょうがない。
ゆっくり待つから、巨大な前方後円墳の築造に関する具体的な記事を教えてくれ。

倭迹迹日百襲姫の墓が箸墓と名づけられたとは書いてあるが、纒向遺跡の前方後円墳だという根拠は、記事と地域が同じということ以外になにかあるのかな?
つまり周濠内からの発掘品(馬具等)の内容や年代との整合に疑問がありそうなので、その辺の論議はどうなのか。

地域名だけだと被葬者の特定はほとんど無理そうだから、古墳の形とか構造が少しでも書かれている記事を教えて欲しい。
もうひとつ、それぞれの天皇をどの年代に比定するのかについても考え方も示してもらえるとさらにわかりやすい。
841日本@名無史さん:2012/09/16(日) 08:47:26.12
引用史料、参考文献名も挙げてね
このスレにかぎらず、あまりにも都合にあわせた解釈や、勘違い、思い込みが多すぎる
842日本@名無史さん:2012/09/16(日) 09:22:33.61
>>841
>>840の箸墓古墳については日本書紀の崇~紀と桜井市教育委員会の発表。
wikiにも出てる。
843日本@名無史さん:2012/09/17(月) 10:10:48.78
>>836
日本書紀と前方後円墳の関係はどう考えてるの?
844ローガン:2012/09/17(月) 15:20:12.66
>>843
日本書紀は場所はしめすが、形状、規模は記さない。規模が見えるのは延喜式。
又、形状に関しては、釋紀引用筑後國風土記逸文に見える「墓墳」と「墓田」から、先人は前方後円墳の後円部のみを墓とした事が読みとれる。
前方後円墳という名称は、単なる現在の考古学用語。
845日本@名無史さん:2012/09/17(月) 19:19:55.32
>>844
延喜式は300年後の10世紀の成立だから、日本書紀の補足史料とするには無理があるだろう。
まして、14世紀成立の釈日本紀の引用文では元の史料の位置づけも難しい。

大仙古墳をはじめとした大規模な陵を、おそらくは王権の威信をかけて長い年月をかけて築造したのに、形状はまだしも規模すら記述しない理由にはどういうことがあるのだろう?

日本書紀にも記述がないのだから「前方後円墳」が当時の名前でないことはわかる。
むしろ、その特殊な形状にもかかわらず、なんらかの名称もでてこないことをどう考えるのだろう?

盗掘から免れていないとはいえ、発掘調査も必要なのかもしれない。
846日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:11:19.55
>>845
横からだけど、中国の皇帝も、生前から膨大な労力をかけて皇帝陵を作ってるけど、
史記や漢書に規模も形状も記述はないよ。
中国の史書を模範としたのなら、天皇陵の規模や形状の記述がないのは不思議じゃないと思う。

あるいは、当時の人にとっては、特殊な形状じゃなかったのかもしれない。
847日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:17:28.94
>>846
魏志倭人伝には記述があるけどね。

「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩徇葬者奴婢百餘人」
848日本@名無史さん:2012/09/17(月) 20:26:14.91
>>847
遠い倭の国の女王の墓についての記述でしょう。
大陸の読者が見たことのない事物につて説明してる部分。

それに対して、自国(中国)の皇帝の陵墓について、規模や形状に言及しているかいってこと。
日本書紀編纂者が天皇の陵墓の形状・規模に言及しないのは、
中国人が正史の本紀で中国皇帝の陵墓の形状・規模に言及していないせいじゃないのかと。
849日本@名無史さん:2012/09/17(月) 21:02:12.56
>>848
大規模な墓をつくらせた(秦始皇帝)とか自分の墓を小さくしろと言った(文帝)とかいうのは後世の物語なのかな。
850日本@名無史さん:2012/09/17(月) 21:08:54.55
6世紀後半まで南九州から東北まで造られてる前方後円墳の記述が、8世紀の政権が編纂した書紀にない
ことをどう考えるか…かw
851日本@名無史さん:2012/09/17(月) 21:17:33.07
>>850
編纂した時は別の形になってたんだから、その時から見れば異質だろ?

形を変更した理由も書いてないし、気になるなあ。
852日本@名無史さん:2012/09/17(月) 22:19:16.85
>>849
その思い違いを説明するのが面倒なので、その記事を具体的にここに貼ってみて。
853ローガン:2012/09/17(月) 23:24:19.23
>>845
>延喜式は300年後の10世紀の成立だから、日本書紀の補足史料とするには無理があるだろう。

補足史料だとは誰も言ってないよ。なんと応えて良いかわからない、何をききたいのかわからない質問だったから、とりあえず参考までにって訳だ。
君だったら何と返信する?「日本書紀と前方後円墳の関係はどう考えてるの?」
これ質問の体をなしている?(笑)

>まして、14世紀成立の釈日本紀の引用文では元の史料の位置づけも難しい。

これは意味不明。「元の史料の位置づけ」て何のこと?

>むしろ、その特殊な形状にもかかわらず、なんらかの名称もでてこないことをどう考えるのだろう?

特殊?所謂「前方後円墳」って稀少かな?それに後円部が「墓墳」で、それ以外は「墓田」と区別している史料を提示したんだが。
854日本@名無史さん:2012/09/17(月) 23:41:10.48
つーか、現代に生きる自分が重要だと考える事柄が
過去に生きていた人々にとってもおなじように重要であるはずだと信じているのであれば
歴史学をやるセンスは全くもってないと断言できる
悪いことは言わないから首をつっこむのはやめた方がいいぞ
855日本@名無史さん:2012/09/18(火) 01:09:23.77
>>852
さすがにそれは面倒だ。
史記のそれぞれのところを見てくれ。
君は記述がないと断言しているところをみると史記の記述はおおよそ覚えているんだろうから、その部分を読み返すだけでいいはずだ。

なければなかったと知らせてくれるだけで解決だ。
856日本@名無史さん:2012/09/18(火) 01:14:05.37
>>853

>これ質問の体をなしている?(笑)

なるほど。
もとは>>833の人が前方後円墳の存在を大和王権の全国支配の根拠としてあげていたので、その流れで前方後円墳の被葬者が大和王朝の一族なのかどうかを知りたかったんだ。
発掘できない以上、確実なのは日本書紀に記述があるかどうかだろう、と。
記述はなさそうだから、ほかの大和信者の人は記述がない理由をどう考えているのかを聞きたかった。

>「元の史料の位置づけ」て何のこと?

これは普通に君が書いた「釋紀引用筑後國風土記逸文」がどういうものか来歴がわからないと、という意味だが、わかりにくかったかな?

>所謂「前方後円墳」って稀少かな?

特殊という言葉を稀少と受け取ったみたいだが、変わった形、という意味。
確かに世界にはいろいろな形の墓があるのだろうが、日本書紀編纂時点ではこの形はなくなっていたのだから、特徴的な形ではあったのか、と。
変えた(やめた)理由もあれば知りたいところだが。
857日本@名無史さん:2012/09/18(火) 02:15:31.36
>>855
こちらの指摘を誤解しているようだ。
まあ、史記の記述は知っているようだから、あらためて貼る必要はないだろう。
本紀の陵に関する記述は「置○○陵」「作○○陵」「葬○○陵」と書くのが体例で、
形状や規模は書いていない。

では、始皇帝と文帝は、なぜ言及があるか?
暴秦と言われるように、漢代では、秦は乱れた国家で、始皇帝は暴君ということになっている。
始皇本紀は、始皇帝が大規模な土木工事で、どれだけ民を虐げたかを記述している。
陵についての記述もその一環であって、墓制を記述することが目的ではない。

文帝は、逆に、大変な仁君という扱いで、歴代皇帝の中で抜きんでた倹約家。
文帝の陵に瓦器を使い金銀銅錫の飾りを付けず、墳丘を作らなかったという記述は、
直前の、寵妃に裾をひきずるような華美な服や帳の刺繍を許さなかったという記述と対になっている。
これも、質素倹約振りを記述することが目的で、墓制の記述が目的ではない。
漢書になると、この記述も、最後の賛の部分に移され、本文では触れなくなる。

つまり、史記漢書の本紀に、陵墓の規模や形状という墓制を記述する体例は存在しない。
中国の正史を手本にしたのなら、日本書紀に墓制を記述することはないと考えるほうが自然。
あるとすれば、始皇帝や文帝のように、特殊な意図がある場合。
特殊な2例を引っ張ってきて、前方後円墳の形に関する記述が無いのはおかしいというのは、おかしい。
858日本@名無史さん:2012/09/18(火) 02:25:04.82
>>849
× 大規模な
○ 盛大に
のような気もする。まあ、巨大なのはたしかだが。

陵墓のサイズに関しては、標準的なサイズってのがあって、
一般的じゃない異質なサイズの場合なら記述が入る場合もある、とかいうことはないのかな。
令に記述があるとかさ。
859日本@名無史さん:2012/09/18(火) 12:12:35.78
>>857
史記の記述が統一的な体裁を持っているかどうかも他の中国の史書がどうなのかも知らないから、反論はしない。
日本書紀が中国史書の体裁を貫いているかどうかについても議論する気はない。

日本書紀の編者は墓の規模や形状に関心を持たなかったことは確かなようだから、それがわかれば十分だ。

結局振り出しに戻って、前方後円墳はどの王朝のものかわからない、という考え方が残ったままということになる。
大和王権の可能性もあるが、他の王権の可能性もある、というのが今回のやり取りからの結論だろう。

大和王権が対外的な中央権力(全国統一と書きたいが全国とは何だとケチをつけられるから)となったのはいつだろう?という疑問に対して、発掘調査がなされないと前方後円墳を根拠にすることはできない、ということになるんだろうな。
860ローガン:2012/09/18(火) 15:40:56.29
>>859
>知らないから、反論はしない。
>議論する気はない。

他人の指摘に耳を塞ぎ、「そんなことはどうでも良い。大事なのは日本書紀の記述だ」という訳だ。(笑)

>結局振り出しに戻って、前方後円墳はどの王朝のものかわからない、という考え方が残ったままということになる。

それは、複数王朝の同時存在が、史実だとの認められてからの話。現状、複数の選択肢は無い。
又、君の大事な日本書紀に拠れば、筑紫國は応神帝代より、来日する賓客をもてなす職だ。
大和政権の構成員だ。日本書紀に拠ればね。
861日本@名無史さん:2012/09/18(火) 16:29:43.57
1 『日本書紀』の内容を信じる!

2 『日本書紀』には九州北半部を根拠としてヤマト王権に比肩するような継続的な勢力の記述はない

3 よっていわゆる「九州王朝説」は成立しない

はい、論破w
862日本@名無史さん:2012/09/18(火) 16:41:07.48
>>860
君へのレスじゃないんだけど、まあいいか。

なぜ本筋ではないことに反論や議論しないことが「他人の指摘に耳を塞」ぐことにつながるのか理解に苦しむ。

今回の話題のスタートは>>822
一つの見解として、>>833が書かれた。
そこで根拠とされたのが「前方後円墳」。
だから「前方後円墳」が大和王朝の墓だという根拠を求めた。

その根拠は提出されていない。
そこでこちらから日本書紀には「前方後円墳」の記事はあるのか?と質問した。
記事がない理由はいろいろでてきたが、ない理由が正当だとしても、大和王朝の墓である理由にもならない。

だから、その議論は不要だということだ。

大和王朝が中央権力として成立した年代とその根拠を求めている。
863日本@名無史さん:2012/09/18(火) 16:52:17.39
>>860

>現状、複数の選択肢は無い。

ということの根拠を求めているのだから、ただ断定しても意味はない。
根拠を示してくれ。
日本書紀の記述を前提としたところで、年代が比定できない記事(西暦が書いてあるわけじゃないしね)を元にしても根拠にはならない。

>筑紫國は応神帝代より、来日する賓客をもてなす職だ。

今(日本書紀編纂時)のそうした職らしいだれかの祖先がいた、とかいう書き方しか記憶にないので、具体的な記事を指摘してくれ。
読み直してみる。

書いてないことに書いてない理由を見つけても想像の域を出ない。
うっかりすれば想像の想像、つまり妄想になる。
一体に大和信者は日本には大和王権以外の王権が存在したことがない、という思い込みがすべて、というだけで論理的な話ができないことは再認識した。

ローガン君に振った俺も無駄なことをしたもんだが、ローガン君とはこれで終わりにするから、レスしても返さないよ。
864日本@名無史さん:2012/09/18(火) 16:55:37.16
>>863
念のため補足しておくけど、「根拠を示してくれ」たり「記事を指摘してくれ」たりするのは歓迎だよ。

思い込みのくだらない感想や想像には対応しない、ということだよ。
865ローガン:2012/09/18(火) 17:15:12.38
>>863:09/18(火) 16:52
>>860
>根拠を示してくれ

史料が皆無だから「無い」で終わり。 「無い根拠」なんて提示する必要無し。
無いものは無い。

>今(日本書紀編纂時)のそうした職らしいだれかの祖先がいた、とかいう書き方しか記憶にないので、具体的な記事を指摘してくれ。

宣化元年の詔

>書いてないことに書いてない理由を見つけても想像の域を出ない。うっかりすれば想像の想像、つまり妄想になる。

そう。正にその通り。
日本史料に書いてないから、中国史料の記録は、別の王朝の事だなんてのは、妄想。

866日本@名無史さん:2012/09/18(火) 20:20:39.78
実際問題大和以外の王朝が存在したという史料がない
「大和以外の王朝が無かった根拠」を求めるよりも「大和以外の王朝があった根拠」を示すのが筋だろう
867日本@名無史さん:2012/09/18(火) 21:22:50.09
>「無い根拠」なんて提示する必要無し。

キミの説は根拠のない妄言だって事か?
根拠があるなら、その根拠を提示しないとな。
868日本@名無史さん:2012/09/18(火) 21:27:41.39
>>859
>日本書紀の編者は墓の規模や形状に関心を持たなかったことは確かなようだから、それがわかれば十分だ。

端からみてるとなんでこんな結論になるのか理解に苦しむ
もっといろんな可能性があるのに自分の都合のいいように恣意的に解釈しているとしか思えないのだが
869日本@名無史さん:2012/09/18(火) 21:31:03.96
>>865
すまん、読み間違えたか。

史料が存在しないという現実がある、というだけの話だったんだな。

>>868
だよな。
編者にとって、自明だから書く必要がない、というだけのことだったかもしれんわけだし。
870審査委員長:2012/09/18(火) 21:40:20.07
>大和王朝が中央権力として成立した年代とその根拠を求めている。

さ、さ どうぞ、どーぞ 答えて下さいww
871日本@名無史さん:2012/09/18(火) 22:16:46.02
古田派や倭人伝至上主義者は
渡邉義浩『魏志倭人伝の謎を解く』(中公文庫2164)
を一読することをお勧めしとく
渡邉氏は三国時代を中心とする中国古代史や儒教などの中国思想史の専門家だ
倭人伝がいかに事実から捩曲げらるているかが語られているぞ
872ローガン:2012/09/18(火) 22:54:01.85
>>868
>>日本書紀の編者は墓の規模や形状に関心を持たなかったことは確かなようだから、それがわかれば十分だ。
>端からみてるとなんでこんな結論になるのか理解に苦しむ

まあ、いいじぁないですか。書紀が、大和の歴史の全てを網羅したものではない。という事に初めて気が付いた訳だから。

書いてたり、書いてなかったり…。

今日1人、「書いてないから別の王朝だあ 」なんていうお笑い説の麻疹が治ったという事ですな。
873日本@名無史さん:2012/09/19(水) 07:41:16.99
横から。流れほとんど読んでなくて無責任発言だが、

A「記録書にその事跡が書いてないなら、別王朝」
B「記録書にその事跡が書いてないけど、同王朝」

明らかにAが常識だろ。世界史的にも。
Bが常識なのは、天皇家一元主義=皇国史観という井戸の中のかわず。
874日本@名無史さん:2012/09/19(水) 07:49:55.52
同王朝とも別王朝ともいえない、じゃないかな?
875日本@名無史さん:2012/09/19(水) 09:14:31.40
大和信者の強引さはよくわかったな。
確かに信者とよぶのがふさわしい。

疑問点を解決することを拒否する。
食い違った資料は、ほかのところにも間違いがあるとか編者の勘違いとかで説明にもならない妄想を働かせる。

箸墓古墳のはしゃぎ方も異常だった。
どうせなら卑弥呼も倭の五王も中国側史書のでたらめだと言い切ればまだ一貫してるのに、中途半端に大和の権威付けに使おうとする。

思考を拒否するところは日中韓の領土騒ぎを起こしてる連中と同じレベルだ。
876日本@名無史さん:2012/09/19(水) 10:38:11.25
>>871
書評しか見ていないが、結局は結論ありきの邪馬台国=大和王朝論のようだ。
中国側の中華理念によって邪馬台国の位置が決められている、というさして目新しくはない議論が中心らしい。

念を押しておくけど、あくまでも書評を見た限りでの感想。
877日本@名無史さん:2012/09/19(水) 11:56:27.95
日本書紀だけを資料とするなら
A「記録書にその事跡が書いてない」→別勢力or渡来勢力
B「記録書にその事跡が書いてない」→同王朝
どちらも考えられるよ
大和王朝説は文献だけを根拠にしていないし、考古資料に拠る比重が大きい
九州(王朝)説とは基礎資料が違うから話は噛み合わないよな
話すだけ無駄、遊びたいだけなら別だが
878日本@名無史さん:2012/09/19(水) 14:06:06.98
今の場合、
「その事跡」とは「王が金印をもらった、中国から使者来朝」レベルの話だからなぁ

これを記録にとらない「王朝の記録」って何?てことだよなぁ
879ローガン:2012/09/19(水) 14:22:06.68
>>873
>A「記録書にその事跡が書いてないなら、別王朝」
>B「記録書にその事跡が書いてないけど、同王朝」
>明らかにAが常識だろ。世界史的にも。

それ、循環論法。
880日本@名無史さん:2012/09/19(水) 15:13:16.22
「九州王朝」というレッテルにこだわるとおかしくなる
要するに、「邪馬台国王朝」と「大和王朝」とは別王朝、というのが古田説。

絶対正しいとは言わんが、可能性高いだろ?
881日本@名無史さん:2012/09/19(水) 15:28:25.08
それは十分有り得ると思う
882日本@名無史さん:2012/09/19(水) 15:43:35.38
>>877 >>879

日本書紀だけを資料とするんじゃなくて、中国史書と日本書紀を突き合わせて、の話だろ?

別に循環じゃない。
883ローガン:2012/09/19(水) 16:37:35.17
>>882
>別に循環じゃない。

おいおい、そんなことすらわからないのか?
>>873の、A「記録書にその事跡が書いてないなら、別王朝」
これを常識だと言い切るためには、前提に「複数王朝の同時存在し、且つ、記録書とは全ての事跡を網羅したもの」が必要だろう。
ところが、言うまでもなく「複数王朝の同時存在」など、全く認められていないんだ。
「複数王朝の同時存在」というのは勝手な憶測を前提にした結論。だから、↓こうなる。
「複数の王朝があるんだから、書いていないという事は、同時存在した別王朝の記録だ。やはり大和以外にも王朝があったんだ!」


ほらね。
884日本@名無史さん:2012/09/19(水) 17:06:41.22
古代に単一王朝しかなかった、なんて世界史の非常識
日本古代史の常識は、世界史の非常識
885日本@名無史さん:2012/09/19(水) 17:18:53.53
>>883
それは頭から複数王朝の存在を否定し、その否定を前提としているからに過ぎない。
大和王朝信者の盲信。

単一も複数も、なにも前提としなければ、>>873のレスは普通の考え方。

全体的な古墳の発掘調査がなされていないから考古学的な検証には大きな壁がある。
参考にできるのは、8世紀に成立した日本書紀(と古事記)以降の記録しかない以上、その前のことは何かを前提とできる状況ではない。

それなのに大和信者は日本書紀の編纂者(王権)しか日本になかったということを前提にしてしまう。
今の時点では、それはただの妄想に過ぎない。

記録に矛盾があれば、その記事を疑う。
記録に整合性があれば、その記事を正として基準にする。

この矛盾と整合性というのは同一書内は当然だが、他の記録、具体的には中国側の史書との対照が求められる。
そのうえで、王朝の数にとどまらず、王朝の場所、性格、規模などを追及していければそれにこしたことはない。

これが普通の考え方だ。
886日本@名無史さん:2012/09/19(水) 17:55:32.08
文書が残っているわけではないが、記紀以前の文書記録は、
有力豪族が自家で記録していたのも含めても、
せいぜいが6世紀以降くらいだろ。

それ以前は、別王朝でも同系王朝でも、文書的にはわからない。

出雲系が別王朝なのを否定する人は少ないと思うが、
個人的には飛鳥朝も別系統ではなかろうか。

というか、蘇我、物部のような豪族に対して、天皇家が、
なぜ上に位置づけられ、乗り続けられたのかが、よくわからない。

豪族が持つ権力に対して、
なぜ、天皇家が権威を持っているのか?
単に天孫の血統という神話だけでそれを持つことが本当にできたのか?
887ローガン:2012/09/19(水) 18:29:30.86
>>885
>それは頭から複数王朝の存在を否定し、その否定を前提としているからに過ぎない。

あった!あった!と言い張るんなら、その別王朝とやらの自前の史料を提示してくれると、良いんだけどねえ。
何度も催促しているんだが、誰一人提示しない。(笑)

>単一も複数も、なにも前提としなければ、>>873のレスは普通の考え方。

『A「記録書にその事跡が書いてないなら、別王朝」  B「記録書にその事跡が書いてないけど、同王朝」』

の二択しかない、に限定するためには、「複数王朝が同時存在し、且つ、記録書とは全ての事跡を網羅したもの」という前提は必須。
この前提を設けなければ、他の選択肢を排除出来ない。(他の選択肢に纏わる私見は既出。)
二択にし、真偽を際立たせようとしたんだろうが、それに必須の前提(根拠と置き換えても良い)が自説だったという循環論法。
これを指して、君達は「普通だ」という。(笑)
論ずる際の前提(根拠)とは、双方が共有出来るものでないとならないんだよ。
888日本@名無史さん:2012/09/19(水) 19:28:59.36
>>873
3世紀の出来事を正確に記録している史書を8世紀初頭に持ってた国あるいは民族って、
普遍的に存在してるの?世界史的には。
お隣の中国が偏執的に史書にこだわる文化だから、当然のように考えているかもしれないけど、
「この記録が無ければおかしい」とか要求するのは、現代人の感覚なんじゃないの。

古事記という正史の編纂に口頭伝承をメイン資料にしているということは、
メインで使える文字資料なんか存在しなかったということだろう。
文字資料は、ゴミ箱に捨てたものが発掘されたりするくらいだから、
意図せずにのこることはあるが、
口頭伝承は、積極的に残そうという意志が働かない限り残らない。
だから、神の子孫であるはずの天皇が、中国皇帝に臣従していたなんて不都合な事実は、
3世紀から8世紀の500年の間に失伝したって、何の不思議もない。

一方で、九州王朝なるものが存在したとすれば、その子孫にとっては栄光の記憶だから、
必ず積極的に残そうとするはず。
伝承も記録も無い九州王朝なるものを想定するほうが、
500年の間に失伝した、あるいは、意図的に記述しなかったと考えるより、
仮定の度合いが、かなり大きいよ。
889日本@名無史さん:2012/09/19(水) 19:51:26.11
>>887

相変わらず論理音痴の大和信者ぶりを発揮してるねw

日本書紀の存在は8世紀にはあるひとつの王朝があったということを示しているに過ぎないんだよ。
それ以外のなにも意味しない。
その時代ですらひとつの王朝であったと断定することはできない。
そういう論理の基本は君にはわからないだろうな。

君の前提は論理的にことごとく間違っているんだ。
これ以上は論理のわからない君には何を書いても無駄だから書かない。
890日本@名無史さん:2012/09/19(水) 19:54:12.57
>>888
ない理由を妄想しても意味がない。
それはだれにもわからない。

いまあるものから矛盾と整合を見ていくほかはない。
891日本@名無史さん:2012/09/19(水) 23:50:11.65
>>890
>ない理由を妄想しても意味がない。
>それはだれにもわからない。

そうそう、まさに正論だ
だから「記録を残していないから別王朝」だなんて噴飯ものだよな
だから、
892日本@名無史さん:2012/09/19(水) 23:54:48.69
「別王朝があった可能性は否定できない」

「別王朝があった」
には大きな隔たりがあるのだが、別王朝派は両者をイコールとしている節があるな
893ローガン:2012/09/20(木) 00:04:51.46
>>889
>相変わらず論理音痴の大和信者ぶりを発揮してるねw

いつもの反応ありがとう。
前レスで、改めて催促したんだが、スルーって事は、やはり史料の提示は出来ないんだ。

>日本書紀の存在は8世紀にはあるひとつの王朝があったということを示しているに過ぎないんだよ。

なるほど、「『あるひとつ王朝』の存在根拠が日本書紀である」というのが君達の主張という訳だ。
で、同様の理路で、それ以外の王朝が同時存在した根拠は何?
勿論、「国内の該当史料が存在しないからといって、王朝が同時存在しなかったとは言い切れない」なんてのは、回答としては不適なのは言うまでもないので、貴レスと「同様の理路」で答えてね。

>君の前提は論理的にことごとく間違っているんだ。これ以上は論理のわからない君には何を書いても無駄だから書かない。

ほら、殻に閉じこもっちゃった。(笑)
私的には「論」「説」「解釈」「空想」…どれも結構なんだ。
ただ、公開の掲示板なんだから、書いた事について質問されたら答えないと。(笑)
勿論、その質問とは「該当する時代で、国内に於いて、複数王朝が同時存在した事を示す史料とは何?」だ。
真摯に回答する事が、「史料の裏付けの無い(=根拠の無い)妄想だ」 との蔑みを払拭する為に重要だと思うけどね。
まあ、無理なら仕方がない。 ではお休みなさい。

894日本@名無史さん:2012/09/20(木) 00:13:57.84

狂信者は相手にするだけ無駄w

時間はもっと有効に使おうw
895日本@名無史さん:2012/09/20(木) 02:35:05.68
別王朝の定義は?
例えば、奥州藤原氏を別王朝だとする考え方もあるし。
896日本@名無史さん:2012/09/20(木) 04:37:10.27
>>890
「記録を残してないから別王朝だ」というのなら、
その別王朝が、王朝そのものの記録を残していないことは問題にならないのか?

1、「大和のなかで、都合の悪い伝承が失われた・あるいは消された」

2、「日本のなかで、九州王朝の存在そのものの伝承が失われた・あるいは消された」

九州王朝説の人は、1を否定して、2を肯定するわけだけれど、
常識的に考えて、1の仮定より2の仮定のほうが、よほど大きな仮定なんだけど。

大和のなかで、オオキミが中国皇帝の官位を受けていたことを記録していないのはおかしいと主張するのに、
一つの王朝の存在がすべて消されてしまったと考えることには、疑問を感じないのかなあ。
897日本@名無史さん:2012/09/20(木) 06:11:40.24
それが古田教信者クオリティだもの
898日本@名無史さん:2012/09/20(木) 11:12:41.29
>>896
>「記録を残してないから別王朝だ」

と主張している人がいるのか?
記録が食い違っているから、別王朝が存在した可能性が高い、と主張している。
ただ「ない」だけと、食い違っている、の違いは大きい。

倭の五王に関する中国側の記述と日本書紀の記述には何一つ一致するところがないんだ。
それぞれ別人のことを記述していると考えるのが普通の解釈だろ?

中国側が(上表文がある以上)間違えたとか、日本書紀の編纂者が5代にわたって(最重要事項であろうと思われる)天皇の系譜まで捻じ曲げたというのは、かなり無理があるんじゃないか?
それなら中国側の資料はすべて中華思想を表現しただけの虚妄の書であるとか、逆に日本のどこかにいた貿易商人が勝手に名を騙ったとか決め付ける方がまだマシな気がする。
恣意的に過ぎる解釈ではあるが。

その解釈をとっても「日本書紀の存在は8世紀にはあるひとつの王朝があったということを示しているに過ぎない」という原点に戻るだけだ。
大和王朝しかなかったということを前提にして他の王朝がなかったと主張するのは同義反復だ。
ひとつの王朝しかなかったという根拠はどこにもない。

だから「九州王朝」や「出雲王朝」や「関東王朝」が、あるいは大和王朝とは別の「近畿王朝」などがあったのかなかったのかは、「日本書紀の存在」からだけではなにも結論付けることはできない。

はっきりしているのは中国側の史書と日本書紀には、記述のあるなしだけではない「食い違い」があるということだ。
大和信者が主張する「食い違う理由」に恣意的な想像の域をでるものをみたことがない。
899日本@名無史さん:2012/09/20(木) 11:16:05.54
>>896
>1、「大和のなかで、都合の悪い伝承が失われた・あるいは消された」
>2、「日本のなかで、九州王朝の存在そのものの伝承が失われた・あるいは消された」

1、を否定している人はいないと思うが。

古田氏の説は「九州王朝の存在そのものの伝承が失われた」のではなく、日本書紀に取り込まれたとする説。
900日本@名無史さん:2012/09/20(木) 11:27:53.92
>日本書紀に取り込まれた

つまり、書紀の内容はヤマト王権の事績をありのまま記録してあるのではなく
ヤマトの王権にとって都合よく編纂されている可能性を認める訳か
じゃ、中国の史書と必ずしも一致しなくても良い訳だw
901日本@名無史さん:2012/09/20(木) 11:31:55.37
>>900
あれれ?
自己矛盾おこしちゃってるw
902日本@名無史さん:2012/09/20(木) 11:54:09.46
>>898
「食い違う理由」を「別王朝があったから」とする方が恣意的解釈だと思うけどなぁ。
今のところ大和以外の王朝の存在は確認されていないんだからさ。
存在の確認されていない別王朝なんてモノをわざわざ引っ張り出さなくても説明は付くのだから、吉田説は弱いよ。
903日本@名無史さん:2012/09/20(木) 13:20:32.02
>>898
>倭の五王に関する中国側の記述と日本書紀の記述には何一つ一致するところがないんだ。
>それぞれ別人のことを記述していると考えるのが普通の解釈だろ?

これは、つまり、「中国側の倭の五王に関する記述は、日本書紀の人物とは別人なんだから、
日本書紀には、倭の五王の記述はない」という主張と同じだと思うんだけど、違うの?
904日本@名無史さん:2012/09/20(木) 13:30:23.91
>>898
>だから「九州王朝」や「出雲王朝」や「関東王朝」が、あるいは大和王朝とは別の「近畿王朝」などがあったのかなかったのかは、
>「日本書紀の存在」からだけではなにも結論付けることはできない。

これは、そのとおり。

>はっきりしているのは中国側の史書と日本書紀には、記述のあるなしだけではない「食い違い」があるということだ。

これも、そのとおり。それで、「食い違い」を説明するには、何かを仮定しないと仕様がない。

中国の史書の記述は、大和朝廷についてのものだという仮定と、別の王朝だという仮定ができる。
1、大和朝廷についてのものだとすると、食い違いの原因は、
 大和朝廷の意図的な改竄・意図していない失伝・中国側の誤伝などが考えられる。

2、別の王朝だとすると、食い違いは当たり前のこと。何も原因を考える必要はない。
 ところが、じゃあ、その王朝が存在したという伝承が無いのはなぜだという疑問が生ずる。
 古田氏によれば、日本書紀に取り込まれたということだが、
 ならば、大和朝廷や日本書紀編纂者は、ひとつの王朝の存在を消し去り、
 その歴史を自分のものにしてしまうという、歴史の改竄を行ったことになる。

1は、単に倭の五王についての改竄・失伝・誤伝の可能性を想像している。
2は、一つの王朝の存在を消してしまう、歴史の改竄の可能性を想像している。

想像と言ってしまえば、どちらも想像の域を出ないが、
どちらが恣意的かといえば、2の想定の方が圧倒的に恣意的だと言わざるを得ない。
同じ日本書紀内での改竄でも、倭の五王についての改竄と、
他の王朝の歴史を引っ張ってきて自分の歴史と言い張る改竄とでは、スケールが違いすぎる。
しかも、日本書紀内だけでなく、九州王朝の民の記憶・伝承まで消してしまわないといけない。
さらにスケールが大きい話になる。
905日本@名無史さん:2012/09/20(木) 14:31:20.71
>>898
>ひとつの王朝しかなかったという根拠はどこにもない。


だが複数の王朝があったという根拠もどこにもない
「なかった根拠」の提示を求めるよりも「あった根拠」を提示するべきでしょ
906ローガン:2012/09/20(木) 15:24:42.87
>>895
>別王朝の定義は?

ここで言うところの王朝の定義は、「国として中国と正式な外交を行った勢力」
本来の定義とは違うが、あくまで便宜上。よって出雲等は当然、該当しない。
定義を広げて、「複数王朝」 の印象操作しようとする輩がおり、微笑ましい。

>>905
>「なかった根拠」の提示を求めるよりも「あった根拠」を提示するべきでしょ

「幽霊が存在しないと言う根拠が提示出来ない以上、存在する可能性は高い。」
が、彼等の言う「論理」(笑)
907日本@名無史さん:2012/09/20(木) 17:28:09.00
>>903

そう書いたつもりなんだけど?

>>904
>中国の史書の記述は、大和朝廷についてのものだ

とすると、倭の五王で指摘したとおり、どちらかの史書か、あるいは両国の史書がともに、間違いと勘違いとでたらめのオンパレードになってしまう。
「別の王朝」だとすれば、双方の史書は、自己正当化は当然あるとして、基本的には経験した(伝承があった)範囲での適正な史実を記述していることを否定する必要はない。

>九州王朝の民の記憶・伝承まで消してしまわないといけない

から日本書紀だけを残したという考え方もできるし、理由は別として日本国内には日本書紀以前の史書がまったく残されていない以上、そうした資料があったともなかったとも決められない。
「どちらも想像の域を出ない」からどちらも先験的な前提とすることはできない。

ちなみに、二つの王朝の存在を否定することも、3以上の複数の王朝の存在を否定することも、先験的な前提とすることはできない。
あるいは複数の王朝が存在したということを前提とすることもできない。

何も前提とせずに、現存史料に向き合わなければいけない。

>>902 >>905
>>904へのレスのとおり。
908日本@名無史さん:2012/09/20(木) 19:18:45.13
大和朝廷っていつの世代だよw
日本書紀はヤマト王権の歴史書
909日本@名無史さん:2012/09/20(木) 19:20:16.31
>>907
>倭の五王で指摘したとおり、どちらかの史書か、あるいは両国の史書がともに、間違いと勘違いとでたらめのオンパレードになってしまう。

と、大和王権である可能性にはえらく厳しいのに、

>から日本書紀だけを残したという考え方もできるし、

と、九州王朝説には、えらく甘い判断をするんだなあ。

ひとつ、または複数の王朝の存在を、大和朝廷が痕跡も残さず消してしまった、それが可能だったというのは、
荒唐無稽な話ですよ。
中国の史書が日本のことを、何の間違い・勘違い・でたらめが無く、全てを正確に記述できるというの?
8世紀の日本人が、数百年前の出来事を、一切の間違い・勘違い・でたらめを排除して記述できるというの?

「大陸と列島の史書に、間違い・勘違い・でたらめが存在する」可能性と、
「大和朝廷が、ひとつまたは複数の王朝の存在を痕跡も残さず消した。史書も完全に破棄した」可能性。
一体、何も前提とせずに両者を見たとき、どちらが蓋然性が高く、どちらが荒唐無稽だと思う?
910日本@名無史さん:2012/09/20(木) 19:21:29.43
>>907
事実は、中国側の史書と日本書紀の記述が食い違っている、ということだけ。

九州王朝説が正しいとすれば、
日本書紀には中国側の史書の内容に相当する記述は無いということになる。
別の王朝なのだから、日本書紀に祖先のこととして記述があってはならない。

事実は、「食い違っている」ということだけ。
九州王朝説では、「記述は無い。あってはならない」が絶対条件。

「食い違っている」から「記述は無い」への飛躍を、どう証明するの?
911908:2012/09/20(木) 19:25:41.52
途中で送っちまった
続きはこうねw
日本書紀はヤマト王権の歴史書だけど編纂時の事情によりヤマト王権に都合の悪いことは書かれていない
っていう可能性を考慮しようとしない姿勢が前提バリバリにしか見えない
912日本@名無史さん:2012/09/20(木) 19:30:52.25
>>911
レスアンカーつけないと、誰宛かわかんないよ。
913審査委員長:2012/09/20(木) 19:41:14.81
まて、まて、ローガンは、なぜ九州王朝は無かったと言いきれるのかな?
九州王朝は無かったと言える証拠を提示してもらおう。

また、九州王朝は存在すると考える人は、その存在する証拠を提示してくれ。
914日本@名無史さん:2012/09/20(木) 19:53:27.98
>>913
ローガンじゃないが、誰も「九州王朝は無かった」なんて言い切ってないよ
「九州王朝があったとする根拠が無い」と言ってるんだよ
915日本@名無史さん:2012/09/20(木) 19:57:12.26
根拠なくていいなら楽だなw
俺の家系も王朝にしようかなw
916審査委員長:2012/09/20(木) 20:01:28.22
え、ローガンは、『九州王朝なんかは 問題外』て言ってますよ。

どっちやねんw
917日本@名無史さん:2012/09/20(木) 20:13:23.51
この仕切りたがり屋はなんか見覚えあるなw
918日本@名無史さん:2012/09/20(木) 20:17:49.22
根拠が無いから問題外なんだろ
この仕切り屋はアホなのか?
919日本@名無史さん:2012/09/20(木) 20:42:09.26
九州王朝ってネーミングがおかしいよな
多元王朝説なら九州に王朝がいくつあってもいい
九州説は比定地が数多いから○○町王朝とかにしとかないとw
920日本@名無史さん:2012/09/20(木) 20:44:44.39
>>909
>「大陸と列島の史書に、間違い・勘違い・でたらめが存在する」可能性と、
>「大和朝廷が、ひとつまたは複数の王朝の存在を痕跡も残さず消した。史書も完全に破棄した」可能性

故意に「オンパレード」を抜かしてはいけない。
特に、正史として最も重要と思われる天皇の系譜が「間違いと勘違いとでたらめのオンパレード」であるとするなら、史書そのものの存在意義がない。
同様に、「残されていない」を「消した」と「破棄した」に変えてはいけない。
そうした故意の改変は論理上の詐欺だ。

詐欺的言辞を弄さずに「現存史料に向き合わなければいけない」。
921ローガン:2012/09/20(木) 20:46:00.54
>>916:審査委員長
>え、ローガンは、『九州王朝なんかは 問題外』て言ってますよ。どっちやねんw

「中国史料に書かれた事跡が記紀には無いので、これは大和政権の事跡ではない」

この、国内史料に無い事が、否定の理由になるという彼等の主張に従えば、史料皆無の九州王朝は、真っ先に否定される対象。「問題外」だ。
よくよむように。改め君。
922日本@名無史さん:2012/09/20(木) 20:46:35.74
>>910
>中国側の史書の内容に相当する記述は無い

そのとおりだろ?
注記として中国史書を紹介している程度じゃない?
どこかにあったっけ?
923日本@名無史さん:2012/09/20(木) 20:47:19.21
「オンパレード」こそ詐欺的言辞だろw
924審査委員長:2012/09/20(木) 21:06:18.32
>>921
お互いの主張は分かったが・・・・

「九州王朝なんてあるワケが無い」というのを、お願いしますよ。
それが出来なければ、貴方も同じ。
925日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:06:23.83
>>923
ttp://www.bell.jp/pancho/travel/furuiti-mozu%20kofungun/goou.htm

他人のサイトを勝手に紹介していいかどうかわからないが、まとまっているのでこのあたりを参考にしたらどうか。
926日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:10:23.53
つーか、「史書の記載は編纂された時点での政治情勢などが反映されるもの」ってのが普通の考え方
記紀の天皇家の系図は8世紀の時点での観念が記されているものと考える訳で
それが中国の史書と齟齬をきたしていてもなんの問題もないのだがねw
927日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:19:25.14
>>920
九州王朝の存在を示す現存史料がない、という現実に先ずは向き合おうなw
928日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:21:18.58
>>926
なぜ問題がないと言い切れるのかな?

それなら自分の思想で自由に解釈すればいいことになって、日本書紀自体も中国の史書も史料としては無意味だ言ってるのと同じだ。
津田史学と同じ考え方だ。
929日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:23:55.29
>>927
7世紀以前の大和王朝の存在を示す資料もない。
8世紀には日本書紀を編纂した王朝があった、ということしか言えない。
930日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:34:57.29
資料がない…のか?w
931日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:36:46.74
>>930
あるなら教えてくれよw
932日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:39:02.85
九州王朝一元説とごっちゃになってないか?
933審査委員長:2012/09/20(木) 21:39:45.82
www
934日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:49:20.93
少なくとも日本書紀の上では7世紀以前から大和王朝が存在していた事になっている
しかし九州王朝についてはそのような史料も皆無
中国の史料と日本の史料の食い違いにしても、どうとでも理由付け出来る
現存史料と向き合えば、九州王朝が存在した可能性は極めて低いと言わざるを得ない
935日本@名無史さん:2012/09/20(木) 21:51:20.46
>>928
無意味?
あんたやっぱり歴史学のセンスないわ
936日本@名無史さん:2012/09/20(木) 22:02:06.59
ある時代から連携したかもわからんが、
筑紫系、肥国系、熊襲系くらいの豪族はいただろう。

だが、文化的に中国から見て、王朝風の形態を持っていたのは筑紫系と、
すこし遅れて肥国系だろうな。

この二つは博多湾と唐津という貿易港を
一応持ってて、それなりに中国文化をしっていただろうから。
937日本@名無史さん:2012/09/20(木) 23:43:12.48
半島との交流を九州の豪族が独占してたのは紀元前の話だろ。
1世紀に入ると、九州以外の地方にも、半島と独自に直接交流を行う豪族が現れてるじゃん。

九州の優位性は、その段階で早くも崩れはじめている。
それにもかかわらず、7世紀頃まで九州の豪族が優位に立っていたなどという虚言妄想を行うのが九州王朝説。
938日本@名無史さん:2012/09/21(金) 00:04:36.12
つーかA国の史書とB国の史書の内容が一致しないのはおかしいという主張は
A国史書の内容もB国史書の内容も正しい(事実を最大もらさず客観的に書いている)
という前提なしには成立し得ないんだよ
嘘だと思うならどっちかあるいは双方の内容に誤り(ねつ造、事実誤認、事実不記載など)があるという仮定で考えてみるといい

だから、古田教では日本書紀の内容を正しいものだとしなければならない
ところが、その日本書紀には大和の王権に対抗し王朝と呼べるような九州の勢力は記載されていない
つまり、古田教の教えそのものが矛盾するものだってことなんだよ

古田教信者とは、自分たちがどんなに滑稽な主張をしているのかを理解できない人々の集まりといっていい
939ローガン:2012/09/21(金) 00:05:27.57
>>924
>お互いの主張は分かったが・・・・


全然わかってない。その件(>>916)で此方は何の主張もしてないんだが。
書いたのは、九州王朝説とやらの論調に沿えば、九州王朝は、真っ先に否定せざるを得ない、という当たり前の指摘。

>九州王朝なんてあるワケが無い」というのを、お願いしますよ。

彼等の論を尊重すれば当然、導き出される結論。
940日本@名無史さん:2012/09/21(金) 01:09:01.51
>>938
論理が支離滅裂w
941日本@名無史さん:2012/09/21(金) 01:17:37.35
>>937

鉄の出土状況を見る限りでは、3世紀までは明らかに九州優位だね。
4世紀ころから山陰が急速に伸び出し、
5世紀ころに、山陰で製鉄が行われだすと九州優位がひっくり返る。

おそらく、航海技術の発展で、山陰出雲も貿易港となり得たんだろう。

で、記紀によると、その出雲を乗っ取った勢力が、大和朝廷の先祖。

少なくとも北部九州勢は、鉄も貿易港も持っているから、
出雲を遠路はるばる取りに行く理由はない。
942日本@名無史さん:2012/09/21(金) 01:57:21.76
>>940

オレには、>>938氏の論理は、至極まっとうに思えるのだけれど、
どういうふうに支離滅裂なのか、具体的に説明してもらえるだろうか。
943日本@名無史さん:2012/09/21(金) 02:07:20.36
>>942
せっかくのリクエストだから、1回だけw

>A国史書の内容もB国史書の内容も正しい
ことを
>事実を最大もらさず客観的に書いている
につなげるのは、まったく論理のない詐欺的言辞。

内容の正しさというのは編纂者側の正しさ。
以下説明不要。

たぶん君も>>938もローガンなるコテの自演だろうw
944日本@名無史さん:2012/09/21(金) 02:29:56.80
>>943
なるほど、わかった。

倭の五王の系譜に相当する皇統に関しては、
日本書紀に、一切の「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があることは認めないが、
九州王朝については、日本書紀に「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があるのは、別におかしくないと。
そういう論理ね。

それは、普通、ダブルスタンダードと言うんだと思うよ。
ちなみに、オレは、ローガンさんじゃないよ。
945日本@名無史さん:2012/09/21(金) 02:54:22.36
ちなみに、「史書の記載は編纂された時点での政治情勢などが反映されるもの」ということが、
事実、中国側の史書で起こっている。

たとえば、漢の初代皇帝は、高祖劉邦。二代は恵帝。
恵帝が崩御すると、母親の呂后が恵帝の小さな子供(本当は実子ではないと言われている)を擁立して実権を握る。
それが、三代少帝劉恭と四代少帝劉弘。
その後、呂后が崩御すると、呂氏一族が滅ぼされ、高祖の実子が、五代文帝となり、
三代・四代は皇帝としては認められなくなる。

それで、漢の皇帝の系譜をありのままに書けば、

《 @高祖劉邦→A高祖の子の恵帝→B恵帝の子の劉恭→C劉恭の兄弟の劉弘→D高祖の子の文帝 》・・・(1)

となる。ところが、文帝以降の時代に編纂された史記・漢書の系譜は、

《 @高祖劉邦→A高祖の子の恵帝→B高祖の子の文帝 》・・・(2)

となる。呂后と同時代人が系譜を書けば(1)になり、後代の史書では(2)になる。
こういうことが史書では起こるので、日本書紀と倭の五王の系譜が食い違うといって、
だから九州王朝ということにはならない。
946日本@名無史さん:2012/09/21(金) 10:10:53.18
中国の史官の記録のとり方をわかってない素人さん登場
947日本@名無史さん:2012/09/21(金) 10:24:34.88
>>946
具体的に間違いを指摘してくれ
948日本@名無史さん:2012/09/21(金) 11:13:36.97
>>944
>一切の「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があることは認めない

俺がどこでそんなことを書いてる?
それが詐欺的言辞だと何回書けばわかるんだ?

ローガン本人でも本人じゃなくても、論理の理解できないところと他人の意見を捻じ曲げるところはまったく同じだ。

論理がわからないだけなら説明のしようもあるが、詐欺的言辞を弄するやつに対応する価値はない。
大和教を妄信するのは自由だが、妄信者は他人と会話などできないことを知っておけ。
949日本@名無史さん:2012/09/21(金) 11:51:36.07
>>948
>>一切の「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があることは認めない

>俺がどこでそんなことを書いてる?
>それが詐欺的言辞だと何回書けばわかるんだ?

えっ?
倭の五王の系譜に相当する皇統に関して、
日本書紀に「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があると認めれば、
中国側の史書の記述と食い違いが生じるのは当然で、
九州王朝なんて、伝承も記録も何もないものを持ち出す必要はないよ。
九州王朝を主張すると言うことは、その部分に限ってだとしても、
一切の「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があることは認めないということと等価だよ。
詐欺的言辞でもなんでもなく、それが論理でしょう?
950日本@名無史さん:2012/09/21(金) 12:05:15.85
論理が理解できて無いのは吉田某支持者だろ
951日本@名無史さん:2012/09/21(金) 13:32:14.00
吉田って誰よw
952日本@名無史さん:2012/09/21(金) 15:01:06.26
>>949
そんなにかまって欲しいのか?
知恵も性格も幼稚園児並みなのか?

まあいいや、かまってあげようw

>>948をもう一度読め。
953日本@名無史さん:2012/09/21(金) 15:10:42.68
>>952
いや、純粋に不思議に思ってるだけ。

>>898に、以下の主張がありますね。

>記録が食い違っているから、別王朝が存在した可能性が高い、と主張している。
>ただ「ない」だけと、食い違っている、の違いは大きい。


中国側の史書が正確だったとしても、
日本書紀の皇統に「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」があれば、
食い違うのは当たり前ですよね。別王朝を考えるまでもない。

だったら、「九州王朝を想定する理由は、両者に食い違いがあるからだ」と言うかぎり、
中国側の史書の記述にも日本書紀の皇統にも、
「ねつ造、事実誤認、事実不記載など」はあってはならないですよね。

どこが間違いですか?
954ローガン:2012/09/21(金) 15:17:36.22
>>943
『>A国史書の内容もB国史書の内容も正しい
ことを
>事実を最大もらさず客観的に書いている
につなげるのは、まったく論理のない詐欺的言辞。』

938氏は、何も繋げていないが。「正しい事が書いてある」が「もらさず書いてある」に繋がる訳がなかろう。
勝手に否定し易くすり替えるのが、君達が使う「論理」の意味なんだな。(笑)
君、私の自演と判断したんだろう?つまり私のレスを読んだ訳だ。似たようなレスがある>>883にね。
『A「記録書にその事跡が書いてないなら、別王朝」
これを常識だと言い切るためには、前提に「複数王朝の同時存在し、且つ、記録書とは全ての事跡を網羅したもの」が必要だろう。』
これを読んだ上で、>>938が同一人と判断するという事は、
「A国史書の内容もB国史書の内容も正しい
且つ
(事実を最大もらさず客観的に書いている)という前提なしには成立し得ないんだよ」
と『且つ』を付加して読む以外に無い。同一人と判断したんだからね。(笑)
にもかかわらず、「A国史書の内容もB国史書の内容も正しい」から
「(事実を最大もらさず客観的に書いている)」が展開されたように書き換えた。
詐欺的言辞ってこの事じゃないかい?
955日本@名無史さん:2012/09/21(金) 15:42:46.74
>>945
中国の史書は不案内なので内容そのものの当否はわからない。

ただ、その史書に間違いがあるということが日本書紀にも間違いがあるという根拠には全くならない。
それにもしそれが根拠となるなら、日本書紀の記述すべてが間違っているかもしれない、ということを示しているだけだ。
倭の五王の比定に限定することはできないことは言うまでもない。

紹介された部分の食い違いの理由が倭の五王にも当てはまるという根拠がもしあるなら指摘してほしい。
これは日本書紀自体の問題なので日本書紀の記述から指摘してほしい。

多くの大和王朝支持者は、中国側の史書にこういう間違いがあるから日本書紀も間違っていると考えるべきだ、と主張する。
それはずいぶん奇妙な話で、もしそうなら日本書紀の記述はあらゆるところに間違いがあるかもしれないと指摘しているに過ぎず、どの記述も信用することができないと主張していることになる。

そういう主張なら、別にそれでいいのだが、一方では日本書紀の編纂者が主張する大和王権の正当性と連続性だけは正しい記述であるとして、すべての議論の前提とする。
これでは議論にならない。

様々な先入観を排して史料と向き合うことが歴史の真実を浮かび上がらせることになるのであって、あらかじめ結論を決めてからその結論に適した資料を探したり読んだりするのは真実の追及から離れることにもつながりかねない。
根拠のない自分の信念を固めようとしているに過ぎないということになる。
956日本@名無史さん:2012/09/21(金) 15:45:56.97
>>953>>954

いつまでも一人でやってろw
957日本@名無史さん:2012/09/21(金) 16:14:57.94
大和以外の王朝の存在を裏付ける史料は今のところ何処にも無い、
だから「大和以外の王朝があった」という仮説の俄然性は低い
と至極真っ当な見解を述べてるだけなんだが、
古田信者は「王朝が一つだけだったという根拠はない」と話を摩り替える
だから会話が成立しない
958ローガン:2012/09/21(金) 17:48:38.25
>>955
>ただ、その史書に間違いがあるということが日本書紀にも間違いがあるという根拠には全くならない。

史書には、意図的改変、失伝、誤記といったものに起因するあやまりが存在するという具体例を、示してくださったんだが。
勿論、日本書紀にもある。随文改称はいうに及ばず、例えば神功62年引用百済記に
「壬午年新羅不奉貴国々々遣沙至比〔足危〕」とある。
百済が自国の史書に、日本を貴国と書く訳はなかろう。引用といいながら、改変は明らか。
とはいえ、書紀批判に話をずらすつもりは無い。
我々の指摘は、「史書に意図的改変、失伝、脱稿、誤記等といったあやまりの可能性を認めれば、中国史料との内容の違いがあった所で何ら問題無し。
しかし日中史書間でそのくい違いの原因が、別王朝のものだと言う為には、改変、失伝、不記載の可能性を排除せねばならん。
つまり、史書は正確且つ、全てを網羅しているという前提は必須。
しかし、この前提に従えば、史料皆無の九州王朝とやらは真っ先に否定される。つまり自らの設けた前提が、自らの主張を否定するものである。
といって前提を破棄すれば、上記あやまりの可能性に高い蓋然性認めざるを得ない。
よって、君達が主張している九州王朝説とは、このようなお笑い説だ」ということ。
959日本@名無史さん:2012/09/21(金) 18:03:59.61
>>955
>日本書紀の編纂者が主張する大和王権の正当性と連続性だけは正しい記述であるとして、すべての議論の前提とする。

そんな奴はいないよ
単純に九州王朝説は何の史料も無いから眉唾物だと言ってるんだよ
相手の主張を歪めるなよ
960日本@名無史さん:2012/09/21(金) 18:40:01.94
>>956
どうも、自演ということにしたいようですが、>>953は、ローガンさんとは別人です。
>>953の論理のどこに誤りがあるというのですか?
九州王朝説が成り立つか成り立たないかの論理的な急所でしょう。
逃げずに、是非、具体的に説明してください。

それとも、貴方は>>898氏のいう「食い違い」とは別の理由で九州王朝説を主張しているのですか?
961日本@名無史さん:2012/09/21(金) 19:03:33.69
>>960
しょっちゅう同じような時間に書き込んでるし、内容も同じことを少し言いかえてるだけ。
よほど気持ちが通じ合ってるのだろうw

本人でも別人でもどっちでもいいよ。
962日本@名無史さん:2012/09/21(金) 19:08:11.08
>>959
日本書紀にある「大和王権の正当性と連続性」が正しい記述だと思っていないなら、7世紀以前の大和王朝の存在だって「何の史料も無いから眉唾物」だろ?
7世紀以前の史料があるなら教えてくれ。

どこが主張をゆがめてることになるんだ?
963日本@名無史さん:2012/09/21(金) 19:43:40.80
>>962
大和王朝についてはどこまで正確かはともかく日本書紀、古事記という史料がある
でも九州王朝については何もない
何の史料も無いから眉唾物だと言ってるのであって大和王権の連続性云々は関係無い
964ローガン:2012/09/21(金) 19:51:40.87
>>962
>日本書紀にある「大和王権の正当性と連続性」が正しい記述だと思っていないなら、7世紀以前の大和王朝の存在だって「何の史料も無いから眉唾物」だろ?

君、もうメチャクチャやね。
史書に混在する「あやまり」を認め、それぞれが意図的改変、不記載、失伝、誤記といったものに起因する可能性が充分ある以上、飛躍した空想の九州王朝など出る幕が無いが本来の指摘。
965日本@名無史さん:2012/09/21(金) 20:34:45.08
>>963
それについては何回か書いたが、8世紀に日本書紀という史書を編纂した王権があったということを示すだけで、それ以上の事実を示すものではない。
極端に言えば、内容が似てはいても大和王朝が保存してきたものではない古事記は別王朝の史書である可能性も否定できない。

日本書紀の「大和王権の正当性と連続性」に関する記述を信用しない限り、7世紀以前の王朝については確定的なことは何も言えないということだ。
また、その「正当性と連続性」を信用するなら、他国(中国)から見た記述と整合しないことに疑問がでてくる。

これも何回も書いている。
ひとつの史書しかないことを理由に他の王朝があったかもしれないということを否定することはできない。
なぜなら、ほかの人も書いているが、史書を保存、伝承するためには残すという強い意志かよほどの偶然が必要だ。

古事記ですら真偽が問題になるほど偶然の発見だった。
まして、仮に他の王朝のものがあったとしても残る可能性がどれほどあるだろうか。
中国のように記録を残すことに非常に強い姿勢がある国とは違うのかもしれない。

なぜか日本の資料はひとつしかなく、他国から見た資料と整合しない。
整合しない理由を「間違い、勘違い」とするのでは恣意的に過ぎるし、どちらかの「正当化」だとするなら、どちらかの内部自体から「正当化」の理由を示さなければならない。
倭の五王の場合は上表文そのものを疑うなら別として、そうでなければ日本書紀自体の記述から「正当化」の理由を提示することが必要だ。
966日本@名無史さん:2012/09/21(金) 20:59:52.60
>>965
そりゃ「可能性」だけなら何でもあるだろ
でも九州王朝説は史料皆無なんだから、現存史料から判断するに可能性は低い
単純明快な話だよ
いい加減理解してよ
967日本@名無史さん:2012/09/21(金) 21:05:50.31
それで理解できるような論理的思考能力を持っていたら
そもそも矛盾だらけの古田説に騙されたりしないよ
968日本@名無史さん:2012/09/21(金) 21:31:31.57
飽きてきたんだけど、次スレもこの話し続けるの?
969日本@名無史さん:2012/09/21(金) 21:51:11.14
次スレたてるならお花畑板にしてもらいたい
970日本@名無史さん:2012/09/21(金) 23:13:53.25
古田って日本じゃもう相手にされないけど、韓国の大学じゃ講演に招待されそうだな
971日本@名無史さん:2012/09/22(土) 00:12:04.24
>>966
なんだ、ローガンと同じこと書いてるだけかw

自演なんだろうが、どっちでも同じだな。
972日本@名無史さん:2012/09/22(土) 01:30:53.27
>>971
古田信者の主張には誰でも同じようなツッコミを入れたくなるってことだよ
大体自演する意味なんて無いだろ
つくづく古田信者は妄想が好きだな
973日本@名無史さん:2012/09/22(土) 07:14:35.20
>>955

>>945に示したのは、同一王朝の帝系でも、時代と立場が異なれば、
違う記述がなされうるという実例です。
だから、中国史書の倭の五王の記述と、日本書紀の皇統の記述が合致しないというだけでは、
両者は別の王朝の記述であるとは言えないということです。

「別の王朝かもしれないし、同一の王朝かもしれない。事実はわからない。」

これが、唯一確実な結論です。
「両者の記述には食い違いがある」という事実だけでは、
「だから別の王朝だ」とも「同じ王朝だ」とも何も言えないのです。
ここまでは良いですか?
974日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:10:49.62
朝鮮半島では12世紀に高麗で編纂された「三国史記」が現存する最古の史書だそうだ。
8世紀ごろまでの史実が記述されている朝鮮唯一の史書らしいが、三国(三王朝)以外の国(王朝)のことは何も書かれていないらしい。

書かれていないからといって、古代から三国時代まで他の国(王朝)がなかったと言う人はいないようだ。
史書というのは自国(自王朝)の歴史を扱うものだから、記述を正当化することは当然として、他国(他王朝)のことは同一地域でも記載しないこともあるのだろう。
975日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:14:33.16
>>973
そこまではいいとも言えるし、食い違いの質と程度を無視した議論ではよくないとも言えるよ。
976日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:20:16.68
>>975
>食い違いの質と程度を無視した議論ではよくないとも言えるよ。

具体的にはどういうこと?
倭の五王の記述と日本書紀の記述のどの食い違いが無視できない部分?
977日本@名無史さん:2012/09/22(土) 10:38:00.19
>>976
一般論としても質と量を無視して整合性の度合いを測ることはできない。

倭の五王に限定すいれば、天皇の年代も系譜も両方あわないという部分。
大和王権側からはもっとも大切なことだろう。

大和側が改変したとすると、明確な改変の理由がなければ、その程度によっては、王権の正当性を自ら否定することになる。
中国側史書が改変したとすると、中国側に明確なの改変の理由がなければ、その史書の日本に関する記述はほとんど信用できないことになる。

王の系譜と言うのは、自王朝の系譜というのは正当性の表明でもあるわけだから、そのくらいには大切なことだろう。
それを都合よく並べただけと見るなら、やはりその史書全体に大きな疑問が生じることになるだろう。
978日本@名無史さん:2012/09/22(土) 11:08:01.75
>>974
三国史記編纂者が自国の領土と認識する地域に過去存在し、
中国側に朝貢した記録があるほどの勢力を保持し、
しかも、三国史記に記録がない国ってあるのか。
979日本@名無史さん:2012/09/22(土) 11:16:22.48
>>977
>王の系譜と言うのは、自王朝の系譜というのは正当性の表明でもあるわけだから、そのくらいには大切なことだろう。

系譜の記録は、記述したときの支配者の正当性を表明するものだからこそ、
記述時の支配者の正当性と相容れない王がいれば、
その即位と支配は無かったことにされる。
逆に、曹操は実際には皇帝に即位していないが、曹丕の正当性を主張するために帝位を追贈されて、
皇帝ということになっている。
周の文王も、死後に息子の武王が殷の紂王を滅ぼして王位を追贈されている。
このように、即位していない王が系譜に組み込まれることもある。

上記の意図的な改変のほかに、失伝・誤伝があった可能性も否定はできない。
980日本@名無史さん:2012/09/22(土) 11:48:01.54
>>976
日本書紀は魏志倭人伝を意識しているが(~功39年の記事など)
宋書(いわゆる倭の五王)には配慮してない.
著者が宋書を知らなかったか?
二王朝併存を外国に知られたくなかったからか?
ただし、その後、遣唐使は倭国と日本国の並存を隠すことなく
述べている(新・旧唐書).だから単純に知らなかったのだろう.
いずれにせよ、日本書紀は中国人にも読まれることを十分に意識して
書かれたものだろう.渡来の工人・職人さえ文字を知っている本国
を無視するはずはない.
981日本@名無史さん:2012/09/22(土) 12:17:33.44
>倭国と日本国の併存を隠すことなく

腹痛いw
982日本@名無史さん:2012/09/22(土) 12:41:37.85
五王は倭にとって屈辱だろ。爵号にしても高句麗、百済王以下の扱いなんだから
983ローガン:2012/09/22(土) 12:46:57.36
>>974
>史書というのは自国(自王朝)の歴史を扱うものだから、記述を正当化することは当然として、他国(他王朝)のことは同一地域でも記載しないこともあるのだろう。

おお、えらいえらい。多くの指摘を受けて半歩前進という訳だ。(笑)
そうなんだ。全てを網羅している訳でもないし、全てが正しい訳でもないんだ。
君がいう所の「記述の正当化」について、随文改称等を含めた意図的改変がどのようになされているか? 又、意図的な不記載の記述についてはどうか?
又、「記述の正当化」とは直接関係ないにしても、失伝や誤記の有無等、 批判とは様々な史料を利用し上で行う。
書紀批判については、人により、論の違いはあるのは事実。私見は>>819等で既述。
しかし、そういう批判の場に、史料皆無の九州王朝説なんかは仲間入り出来ないんだよ。
まずは、その存在を直接示す史料の提示する事だ。
で、その提示された史料が批判を乗り越えたら、そこで初めて中国史料との差異が、意図的不記載ではなく、別勢力のことである可能性に言及でき、議論に参加することが可能になるんだ。
わかったかね。
984日本@名無史さん:2012/09/22(土) 13:40:53.55

いいえ わ た し は九州王朝のじじぃ〜♪

985日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:24:45.52
次スレを立てておきました

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1348294879/
986日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:35:14.69
>>979
>記述時の支配者の正当性と相容れない王がいれば、
>その即位と支配は無かったことにされる

ということが全巻にわたって貫かれているとせれば、信頼できる記事はないに等しいことになる。
少なくても、書く書かないの正当性の基準が明確にならなければ恣意的に過ぎる。

繰り返すが、中国史書はこう書いている(書いていない)ということを、日本書紀の記述の真偽をはかる基準にするのには無理がある。
基準を求めるなら日本書紀自体から求めなくてはいけない。
987日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:48:27.69
>>978
三国史記というのは、新羅、高句麗、百済の三つの国(王朝)のことしか記述がないんだそうだ。
朝鮮半島にあった、あるいはその当時併存していたほかの国(王朝)のことは触れていないらしい。

もちろん中国史書に朝貢していたという記事のある国(王朝)の記述もないとのことだ。
988日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:55:50.09
五王の最後を飾る雄略天皇の初期までは、記紀の年代は信憑性が乏しいだろ。
実際、非常識な長命ばっかりじゃん。

ありえない年代で書かれた記事が中国側の記事と合わないからって、矛盾と呼べるのか?
ただ単に「信憑性が乏しい」だけで終わる話だろ。
989日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:58:51.17
>>983
いつまで詐欺みたいなでたらめ言ってるんだ?
990日本@名無史さん:2012/09/22(土) 15:59:18.33
>>987
ないんだそうだ。
触れてないらしい。
ないとのことだ。

お前さんは伝聞以外のことを書けないのかね?

当該記事が正しいことを書いているかどうかを確かめようとも思わないのかい?
991日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:01:54.72
>>986
そんなの個々の記述に対して他の資料等と比較して総合的に判断するしかないじゃん
992日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:03:05.31
>>988
長命問題に関しては魏志の読み込みから古田氏が提出した2倍年歴(春と秋にそれぞれを1年とする)の賛同者もいる。
これは確か論敵の安本氏もとり入れていたと思う。

2倍年歴ならほとんど適切な年齢になるんじゃなかったかと思う。
993日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:05:09.21
>>990
wikiとかネット記載の情報しか読んでいないそう書いた。

wikiやネットの書き込みが間違いかどうかは原文をあたってみてくれ。
994日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:06:31.43
>>991
>>986だが、そのとおりだと思う。
そう書いているつもりなんだが。
995日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:08:05.77
>>993
>読んでいないそう書いた −>読んでいないからそう書いた

の間違い、失礼。
996日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:09:33.91
>>992
二倍暦なんて、初期の十代以上の天皇で不適合を起こす妄説じゃんか。

最初期の歴代は2倍どころか4倍以上に引き延ばされてるとしか思えない、超長命。
997ローガン:2012/09/22(土) 16:14:12.87
>>989
泣き言いってないで、具体的に>>983にある「でたらめ」を指摘してみたら?
998日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:15:41.94
>>994
だからその総合的な判断から導き出されたのが>>979等が言ってる事だろ
999日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:17:00.21
>>998
全く違う。
1000日本@名無史さん:2012/09/22(土) 16:18:37.33
とりあえず、おわり。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。