それでも邪馬台国は九州にあった14

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1竹斯の民
前スレ
それでも邪馬台国は九州にあった13
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                                     ,○ _______
                        ,_      _   //ー(^o^=,,)◎))3333Ξ<
                          \\/|\// //  __二二二二二二 ̄
                          > /|\ <  //ー(^O^@)◎))3333Ξ<
                    ワーイ. /二二二二\//  __二二二二二二 ̄
           .ハ,,,ハ           ̄(´∀` ) ̄/ー(^O^=,,)◎))3333Ξ<
           (´・ω・)           (    つ    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           c(,,____,)            (⌒)ヽ__) ))
           ''^"~ "          ""^ ''" ''^"~ " "
  ''" ''^"~ " "
                  ''^"~ " "
九州説のみなさん頑張ってください。
2日本@名無史さん:2012/04/09(月) 19:59:58.31
1 乙です。
3怒っ虎:2012/04/09(月) 21:27:08.82
天才だから「日本の」漢和辞典のいい加減さまで斬らされる。

「夫子至於是邦也、必聞其政」
@旺文社
驚いた。「や」と読んで「〜する時は」の意味で、件の用例を掲載している。
訳「先生はある国へ到着されると、必ずその国の政治に参与される」
A岩波文庫 (タコが提示したまま)
訳「うちの先生はどこの国にいかれても、きっとそこの政治の相談をうけられる」。

▼両者は、「是邦」を「ある国」だの「どこの国」だの勝手に変造している。
仮に、俺が「どこの国に至っても」「ある国に至っても」と読めば、
お前らは「そうは書いてない。是の国とある」。と叫ぶことだろう。
そうよ。明らかに「是の国」とある。

この「也」を「〜すると(〜する時は)」と訳するから、このザマだ。
▼旺文社「先生は【この国】に到着すると、必ずその国の政治に参与する」では文章がなり立たない。
▼岩波文庫「うちの先生は【この国】に行っても、きっと政治の相談をうけられる」では文章がなり立たない。
だから、「是邦」を「ある国」だとか「どこの国」だとかに変造しているのだ。

しかも、細かいことをいえば、「至」は「到着」「行っても」、
「政を聞く」は「政治に参与する」「政治の相談をうけられる」とまちまちだ。

▼もともと『論語』はシンプルすぎて難解な面のある書物だが、
旺文社と岩波文庫のいずれも、「也」を「や」と読んだ無理から、これに併せて「是の国」を変造している。
日本の漢和辞典もいい加減な面がある。
B三省堂
「や」と読んで「〜する時は」の意味、あるいは「〜して」「〜なので」とする。
C学研
「や」と読んで接続助詞の掲載なし。

「諸国歴訪の孔子先生が、ここにおいて、この国に到着された。ここでも必ずこの国の政を聞かれるだろう」
こういう意味の会話文章だと天才は断じる。
4怒っ虎:2012/04/09(月) 21:28:24.63
>「主語+之+謂語(+也)」で、ひとつの短語になる。

なにこれ?  くだらねー言い切り言説を垂れるでない。
所有格の「之」と所在格の「之」のほかに、「○○之」と書いて「誰それが」という用例はなかったろう。
無理に引っ張り出して「ある」と叫ぶのは、ウソかまやかしばかりだったろうが。
5日本@名無史さん:2012/04/09(月) 22:51:35.51
天才は、この文章の前後を読んでるのかな?
特に、後ろの部分。
6卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/09(月) 22:52:25.14
伊作よ、他社の辞典はどうでもいいから、私の挙げた角川「新字源」の 
子之哭也、壱似重有憂者 
を訳してみろ。ちゃんと、辞典に書いてある通り、
は。のは。ときには。指示。提示。で意味が通じるだろうが。

それからお前の訳、
>ここでも必ずこの国の政を聞かれるだろう
の、〜だろう、に相当する文が原文にはないぞ。
7日本@名無史さん:2012/04/09(月) 23:47:20.48
┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐                ┃
┃│.ワイプ.│        テロップ..  ┃ 
┃│ 画面 │        テロップ.. ┃ 
┃└───┘               ┃  <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃  【YouTubeの動画垂れ流し】   ┃
┃                     ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛       ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
   /\     /\     /\
 SE:え〜  SE:あははは  SE:へぇ〜

テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
もちろん買いに走る振りをさせて(やらせ)収録することもあるが

やらせインタビュー(裁判傍聴業者)
http://blog-imgs-44.fc2.com/h/i/m/himablo21/20100922213922a0d.jpg
8日本@名無史さん:2012/04/10(火) 00:35:55.95
>>3
>だから、「是邦」を「ある国」だとか「どこの国」だとかに変造しているのだ。

旺文社の字書編纂者や岩波文庫の翻訳者が勝手に改変してるんじゃない。
後漢末から魏の時代の何晏(かあん)の論語集解がそのように解釈しており、
北宋の??(けいへい)の疏がそれを踏襲しているので、
それらに従って訳してるだけ。
朱子の論語集註でも、これには何もイチャモンをつけていない。
現代人の著書の論語集釋にも、この部分に関するコメントは何もない。
つまり、3世紀から現代までの中国人は、「どこの国に行っても」と解釈してきた。
9日本@名無史さん:2012/04/10(火) 01:02:16.79
>>4
ウソでもまやかしでもない。
中国人がそう説明しているから、そのまま訳しただけ。
リンクを貼ったサイトにも同じことが書いてある。

ところで、所在格って何?
はじめて見たし、ググッても出てこないが?
10怒っ虎:2012/04/10(火) 08:09:49.58
>>5
>天才は、この文章の前後を読んでるのかな? 特に、後ろの部分。
いいたいことをはっきりいうように教育されて育たなかったらしいな。

>>6
子之哭也については、お前のウソを暴いた時点で終わってる。

>>8
>旺文社の字書編纂者や岩波文庫の翻訳者が勝手に改変してるんじゃない。
バカ野郎。是はあくまでも特定対象を指す文字で、
「どの」「どこの」「ある」という不特定対象をいう時には使わない。

>3世紀から現代までの中国人は、「どこの国に行っても」と解釈してきた。
ならば、「例外的解釈の一例」という前提でいうのが筋だな。
是は是だ。この理屈がわかるか・ぼんくら。
ここでも例外的解釈例を持ち出して、一般的だ通例だとする気か?
本題は 「也」を「や」と読んで疑問・詠嘆・強調・呼びかけのほかに、
接続助詞として使うか否かだ。
面白いから、その例外的な読みを適用して「〜しても」「〜する時は」という訳で、
『晋書』倭人伝の「宣帝之平公孫氏也」を訳してみせろ。どんな文章になるか見ものだぜ。

>9
>ウソでもまやかしでもない。 中国人がそう説明しているから、そのまま訳しただけ。
「例外的な解釈の一例」という高等な前提意識が抜けてただろ。タコ
11怒っ虎:2012/04/10(火) 08:10:43.09
>9   >所在格って何?
お前、 ちょい噛み来訪の断片衒学野郎か? もう二度ばかり提示してるぜ。

▼之を「の」と読ませて所有格として使った用例
・夏后少康之子封於会稽…「少康の子」
・断髮文身以避蛟龍之害…「蛟龍の害」
▼之を「の」と読ませて所在格として使った用例
・帯方東南大海之中...「大海の中」
・當在会稽東冶之東...「会稽東冶の東」
▼之を「これ」という代名詞で使った用例
 先に提示した語句を再度述べる場合に使う。
・好捕魚鰒、水無深浅皆沈沒取之...「好んで魚鰒を捕えるも、水の深浅となく皆沈没して之(魚鰒)を取る」
・国有市交易有無、使大倭監之...「国々に市あり有無を交易す、大倭をして之(市の交易)を監さしむ」

▼「之」を人名のあとにつけて「〜が」という使い方はしない。
・宣王攻破新城...「宣王、新城を攻め破る」(之はない)
・司馬宣王遣将軍胡遵等追討...「司馬宣王、将軍胡遵等を遣わして追討す」
(そもそも「誰々が」という時は名前のみで切り、之という文字は使用しない)
▼之を「ゆく」という動詞に使用した例。(『史記』秦始皇本紀)
三十二年、始皇之碣石、使燕人盧生求羨門高誓。
「三十二年、始皇、碣石に之(ゆ)き、燕人盧生をして求羨門の高誓を求めせしむ」。
(ここでも「始皇が」という場合、名前のみで切って「始皇之(の)」とはしていない。これが常識)。

「宣帝之平公孫氏也」「宣帝、公孫氏を平げに之(ゆ)くなり」。これが天才の天才的読み方。
「宣帝之平公孫氏也」「宣帝の公孫氏を平げるや……」では、まんま日本語だってことが分かったろ。
12怒っ虎:2012/04/10(火) 08:19:05.25
「宣帝之平公孫氏也」
この文章の読みは「宣帝の〜」てか。

『晋書』たるものがこんな下等な書き方をしたというも同然の、
愚かな日本人の読みと解釈は、何よりも『晋書』に対して恥ずかしいぜ。
13卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 10:15:25.95
伊作をからかうのも飽きたので、正直なことを書くと、実は私は、
宣帝之平公孫氏也 を、宣帝の平らぐ公孫氏なり、と読んでいたのである。
というのは山形明郷の本にそう書いてあったからだ。で、エーッ、卑弥呼は公孫氏だったのか! と驚いたものだ。

ところが後に、これが、宣帝の公孫氏を平らぐや、と読まれていることを知った。
そのときは、伊作と同じように、そんな馬鹿な、それでは日本語読みではないか、と思ったのだ。
それで、持っていた角川の「新字源」を調べてみた。そしたら巻末の助辞解説の也に、
や、と読み、意味は、は。のは。ときには。指示。提示。とあり、
子之哭也、壱似重有憂者 と、夫子之至於是邦也、必聞其政、の文例が載っていたのである。
で、それがどちらも〜之〜也だから、なるほどこういう構文があるのか、と思ったのである。

ついでにいうと本場の中国人学者に読ませても、宣帝之平公孫氏也 は、
宣帝の公孫氏を平らぐや、かもしくは、宣帝の平らぐ公孫氏なり、と読んでおり、
文脈から言って前者が正しいというのが大方の判断だ。

伊作のような無理な読み方をしている学者は一人もいない。
14卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 10:29:38.47
>>5の人が言いたいのは、たぶんこういうことだろう。ネットで調べると、

子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之與、抑與之與、
子貢曰、夫子温良恭儉讓以得之、夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。

後半にも 夫子之求之也、其諸異乎人之求之與 という文がある。
〜之〜也という構文と、人が、人の、の意味の、人之、という文が。

文章全体の意味を考えても、伊作のような説は到底成立しない。
15日本@名無史さん:2012/04/10(火) 10:43:04.20
子禽問於子貢曰。夫子至於是邦也。必聞其政。求之與。抑與之與。
子貢曰。夫子温良恭儉讓以得之。夫子之求之也。其諸異乎人之求之與。
-------------------------------------------------------------------------
子禽が子貢に問いて曰く「夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。之れ求めたるか、あるいは与えたるか。」
子貢曰く「夫子は、温・良・恭・儉・讓。以て之を得たり。夫子の之を求めるは、人の之を求めるには、これ異なるか。」
-------------------------------------------------------------------------
子禽「孔子先生がその国に来ると、必ずその国の政治を聞いている。
   これは、先生が求めてしているのか、人に請われてしている事なのか?」
子貢「(自ら求めて、しているのだ。)先生の人格には、温・良・恭・儉・讓が備わっている。
   その境地をもって、これを行っている。他の人が求めて政治を聞くのとは、訳が違うのだ。」
16日本@名無史さん:2012/04/10(火) 11:57:10.63
生兵法怪我の元
さてどのように対処すべきか。
さらに言い張って傷口を広げるのか。
17大訂正!:2012/04/10(火) 12:00:26.63
>>12 :怒っ虎:
>「宣帝之平公孫氏也」
>この文章の読みは「宣帝の〜」てか。
「宣帝之平公孫氏也」の「之」は『助詞のof』ではなく、『動詞のgo』との解釈することが正しい。
誰がどんな言語解釈しようが 、史実は変えられない。
「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都」

歴史に『もしも』が許されるなら、
倭女王が公孫氏に味方していたら、
公孫氏は和議に成功していただろう。

18卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 12:39:35.13
久留米説の久留米氏が喜びそうな論文を見つけたので書いておく。

新泉社「新・古代学 第4集」所収の、
古賀達也「九州王朝の筑後遷宮 高良玉垂命考」

これを読むとやはり九州王朝があったのか、という気になってくる。
やはり邪馬台国とは筑後山門だったのか、という気になってくる。
19大訂正!:2012/04/10(火) 12:50:18.70
>>1000 :大訂正!:2012/04/09(月) 12:30:27.94
「周旋」という熟語は色々な言葉を作っているが、
「周旋可 五千余里」の「「周旋」を名無しさんは、、

5. 環繞;曲。《列子・湯問》:“其山高下周旋三万里,其顶平处九千里。”
《三国志》:“衆議咸以 丹阳 地势険阻,与 呉郡 、
会稽 、 新都 、 鄱阳 四郡隣接,周旋数千里,山谷万重。”
元 王子一
《誤入桃源》第二折:“山環水繞 天台洞 ,勢周旋,形曲折。”
を基本解釈の原点に置いているだろう。




20怒っ虎:2012/04/10(火) 13:45:30.92
>>13
>伊作のような無理な読み方をしている学者は一人もいない。
みな・お前とどっこいどっこいの・バカか付和雷同だ。

>角川の「新字源」を調べてみた。
>子之哭也、壱似重有憂者と、
>夫子之至於是邦也、必聞其政、の文例が載っていたのである。

子之哭也を「孔子の哭や」と読んでくれたっけな。
この「子」孔子ではなく、相手に対する敬称だ。ウソがバレた。
角川はこんな解説をしているのか?
これは「孔子が泣くと」という意味ではなく、
「あなたの泣く様をもると」「あなたの泣き方たるや」という強調の用法だ。
角川もいい漢和辞典を出してくれたものだな。けらけら

>>14
>後半にも 夫子之求之也、其諸異乎人之求之與 という文がある。
〜之〜也という構文と、人が、人の、の意味の、人之、という文が。
角川の解説粉砕の意味も含めて、
「夫子之至於是邦也、必聞其政」については続けて詳しく反論する。
21怒っ虎:2012/04/10(火) 13:47:20.59
>>15
こんなのは、(にわか読みだったが)同じことを最初に俺が提示した。
とんだ読み下しの岩波訳を、無批判受け売りの・知ったふりで、ありがとうよ。
俺の勉強の成果を提示するから、観客に比較してもらおう。

子禽問於子貢曰。夫子至於是邦也。必聞其政。求之與。抑與之與。
▼タコ読み・子禽が子貢に問いて曰く「夫子の是の邦に至るや、必ず其の政を聞く。
之れ求めたるか、あるいは与えたるか」。
▼タコ翻訳・「孔子先生がその国に来ると、必ずその国の政治を聞いている。
これは、先生が求めてしているのか、人に請われてしている事なのか?」

▼天才読み・子禽、子貢に問いて曰く「夫子、是の邦に至るなり。必ずその政を聞く。
之を求めたるか、そもそも与えられたるか」。
▼天才翻訳・「孔子先生がこの国に至ったが、必ずその国の政治を聞く(はずだ)。
これ(政治を聞くこと)を先生が自ら求めているのか、そもそも与えられたものなのだろうか?」

つづくぞ。
22怒っ虎:2012/04/10(火) 13:49:02.03
つづき。

夫子温良恭儉讓以得之。夫子之求之也。其諸異乎人之求之與。
▼タコ読み・子貢曰く「夫子は、温・良・恭・儉・讓。以て之を得たり。
夫子の之を求めるは、人の之を求めるには、これ異なるか。」
▼タコ翻訳・先生の人格には、温・良・恭・儉・讓が備わっている。
その境地をもって、これを行っている。他の人が求めて政治を聞くのとは、訳が違うのだ」

▼天才読み・「夫子は、温・良・恭・儉・讓、以て之を得たり。
夫子の求むるは之なり。其の諸(これは難解)、人の之を求むると異なるかな」
▼天才翻訳・「先生は、温・良・恭・儉・讓をもって得ている。
夫子が求めるのは之であり、他の人が色々求めるのとは異なるものではなかろうか」。

子禽の質問に応えた子貢の返答が、「〜か」で終わるなんて愚の骨頂だ。
子貢の返答の末尾にあるのは「か」という疑問助詞ではなく、「かな」という簡単助詞だろう。
しかも、↓↓↓こんな読みはなかろう。
「夫子の之を求めるは、人の之を求めるには、これ異なるか。」

●ここに登場する「夫子之求之也」を「夫子の之を求めるや」と読んでも。
「也」は「夫子が之を求めると」という接続詞ではなく、「夫子が之を求めるのは」という意味だ。
23日本@名無史さん:2012/04/10(火) 13:49:38.68
>>17 大訂正!
●ここは九州説のスレッドだよな。

「宣帝之平公孫氏也」の解釈は、お前が気づいているように、
畿内説を否定する「景初2年説」の傍証となるものだ。

畿内説はこれを「「宣帝の公孫氏を平げるや」と読んで、
卑弥呼の朝献年を司馬懿が公孫淵を討伐したあとの景初3年とする。
これが、景初3年の年号入りの三角縁神獣と結びついて畿内説へと誘導することになる。
後先の見えない九州説のバカどもが巣一緒になって、
いま・畿内説有利の解釈を必死で応援やってるわけだ。わらわら

>「宣帝之平公孫氏也」の「之」は『動詞のgo』との解釈することが正しい。
そうだ、

>「景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡求詣天子朝獻
その通りだ。
24日本@名無史さん:2012/04/10(火) 14:37:08.85
>>23
イサク
25大訂正!:2012/04/10(火) 14:38:54.35
>23 名前:日本@名無史さん
>>17 大訂正!
>●ここは九州説のスレッドだよな。

はははは。。。。

九州説だろうが、畿内説だろうが
関係ない。

正しいのは史実だ。

26怒っ虎:2012/04/10(火) 14:41:57.61
>>24
天才の凄さが少しはわかったか?
27日本@名無史さん:2012/04/10(火) 15:50:35.38
「是」という字は、単数だけを指す指示代名詞ではなく、複数も指す。
だから、「夫子至於是国也」の「是」は複数であり、孔子が経巡ってきた国々をさす。
おそらく、この短い会話の前に、シキンと子貢の間で孔子が色々な国を経巡ってきたという話があったのだろう。
その部分が残っていれば、「孔子がこれらの国に至ると、必ずそれらの国の政治を・・・」と訳せるのだが、
現在の論語は、その前段の部分は採録していない。
だから、「どこの国にいかれても」といったような訳をすることになる。
28日本@名無史さん:2012/04/10(火) 16:16:50.44
じゃ、伊作が >>15のように、翻訳してみてくれよ
29日本@名無史さん:2012/04/10(火) 18:13:11.17
不耐城のご近所から衛星打ち上げするんですってね。。。
30日本@名無史さん:2012/04/10(火) 18:23:17.73
馬鹿の凄さが少しはわかった。
31怒っ虎:2012/04/10(火) 18:33:09.32
>>27
>「是」という字は、単数だけを指す指示代名詞ではなく、複数も指す。 だから、
バカ野郎。単数だ複数だの話ではない。なーにが「だから」だ。
「是の国」とあれば「この国」だ。
「どこぞのクニ」とか「ある国」とか、曖昧模糊とした訳などあるか。
万に一つあったとして、万に一つの例外的事例だ。普遍性はまったくない。

>「孔子がこれらの国に至ると、必ずそれらの国の政治を・・・」と訳せるのだが、
そもそも、漢文学を専攻したわけでもない、高校赤点レベルのタコどもが、
こんなところできーたふーな解釈談議をやることが異常なのだ。マンガだ。
そこへ、よりにもよって難解な『論語』からの引用を引っ張って、
あーでもない・こうでもないと。傍目にはマンガだ。

今度は、是の国が「これらの国」で、その国が「それらの国」にねつ造か。
よくやってくれるぜ。

>>28
>伊作が >>15のように、翻訳してみてくれよ
てめ。どこをみて何を考えてるんだ。くそ野郎
>>21>>22で俺の翻訳を比較提示してあるだろが。ボケ
32卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 18:45:09.98
伊作も往生際が悪いなw

子之哭也
これを、「孔子の泣くのは」と読んだのは私の間違いだが、意味は角川の辞典でちゃんと合っている。
「あなたの泣いているのは」←は。のは。ときには。指示。提示。

夫子之求之也
これも角川の辞典の解説でちゃんと合っている。
「夫子が之を求めるのは」」←は。のは。ときには。指示。提示。
伊作自身が「夫子が之を求めるのは」と訳している。

ついでにいうと是は強調の助辞だろう。

>>15の文にはいろんな訳し方があるようだ。たとえばここ。
http://home.owari.ne.jp/~shiva/part03/genbun01/rongo0110.html
33日本@名無史さん:2012/04/10(火) 19:00:38.36
>天才読み
>「夫子、是の邦に至るなり。必ずその政を聞く。之を求めたるか、そもそも与えられたるか」。

日本語でおk。

>天才の読み「孔子先生がこの国に至ったが、必ずその国の政治を聞く(はずだ)。
>これ(政治を聞くこと)を先生が自ら求めているのか、そもそも与えられたものなのだろうか?」

必ず聞くはずだと確認している者が「自ら求めているのか」どうかも分からんの?
「そもそも与えられたものなのだろうか」とは?日本語でおk。
34怒っ虎:2012/04/10(火) 19:07:35.62
>>30
何の意味も価値もない、オーム返しの切り返し投稿。
精神的矮小なコケザル。いいことを書いたつもりになってるところがバカの見本。

どこぞの隅からたった一つか二つの用例を無理に持ち出してきたが、
それらとて、「〜之〜也」で「誰それがなになにすると」という用例は一つもなかった。

まして「〜や」と読ませる末尾の「也」は、強調か詠嘆か、
あるいは「〜するのは」と、理由か目的をいうための接続詞だった。

ひるがえって「宣帝之平公孫氏也」をみてみろ。枝葉につき合ったが本題はここだ。
これを「宣帝の公孫氏を平げるや」では、まんまストレートな日本語読みだ。

くだけば「宣帝、之く(公孫氏を平げに)なり」で、
「宣帝、公孫氏を平げに之(ゆ)くなり」と読むのが出しい。
35怒っ虎:2012/04/10(火) 19:13:12.38
>>33
邪魔くさい野郎だぜ。
俺にまとわりつくのなら、俺と同じレベルまで高めた内容の書き方をしろ。
36怒っ虎:2012/04/10(火) 19:23:05.02
>>32
反伊作でかろうじて板にしがもついてる朝鮮人。お角違いの連続だぜ。

「あなたの泣いているのは」ではない。
「あなたの泣き方たるや」「あなたの泣く様子たるや」という強調用法だ。
意味は角川の辞典とぜんぜん違う。

夫子之求之也
俺は「夫子の求むるは之なり」と読んでいる。
これも「夫子が之を求めるのは」とする角川の辞典の解説とは違う。

あっちいってろ、不潔な乞食野郎。
37怒っ虎:2012/04/10(火) 19:41:36.69
バカどもには、これだけやりとりしている文章の意味がさっぱりだろう。
天才にはとっくに見えている。それを紹介してこの話題を締める。

子禽が問うた。
「諸国歴訪で孔子先生がこの国に至ったが、また必ずその国の政を聞く(ことだろう)。
これ(政を聞くこと)を先生が自ら求めているのか、そもそも与えられたものなのだろうか?」

子貢が答えた。
「先生は、温・良・恭・儉・讓をもって得ている。
先生が求めるのは之(温・良・恭・儉・讓をもって)(政を聞くこと)であり、
他の人が(政を聞くことを)求めめるのとは異なるものではなかろうか」。

こんなところだろう。
38卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 21:04:02.10
伊作よ、

>また必ずその国の政を聞く(ことだろう)。

また、に相当する語も、(ことだろう)に相当する語もないぞw
39卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 21:33:36.84
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之與、抑與之與、
子貢曰、夫子温良恭儉讓以得之、夫子之求之也、其諸異乎人之求之與。

この文は意外と難しいのだが、夫子之と人之の之は、の、であり、夫子の、人の、と読む。
それ以外の之は、これ、と読み、その政を聞くこと、を指す。

で、その政を聞くのは王侯だろう。王侯が孔子に政治についての意見を聞く、ということだろう。
で、そのことを孔子が求めているのか、それとも王侯が求めているのか、と聞かれ、
孔子に徳があるからそのこと(王侯が政治について意見を求めること)が得られるのであり、
孔子がそのことを求めるのは、他の人がそのことを求めるのとは理由や目的が異なる、ということだろう。
40日本@名無史さん:2012/04/10(火) 21:50:59.33
>>30
俺も分かってきた。
バカッ虎は
丹楊地勢險阻、與吳郡、會稽、新都、鄱陽、四郡鄰接、周旋數千里、山谷萬重
の周旋数千里を諸葛恪が兵士と巡り歩いた距離と解釈するような馬鹿だからなあ。
41怒っ虎:2012/04/10(火) 22:15:09.79
>>40
>周旋数千里を諸葛恪が兵士と巡り歩いた距離と解釈するような馬鹿だからなあ。
違うな。諸郡を経由して険しい道をたどる丹楊までの距離だ。(どこを基点にしたものかは不詳)
てめえらが単純に描くような一直線ではないからな。けらけら
42日本@名無史さん:2012/04/10(火) 22:17:56.45
>>40
で、丹楊地勢險阻、與吳郡、會稽、新都、鄱陽、四郡鄰接、周旋數千里、山谷萬重
の周旋数千里をどう訳すのかな?
43怒っ虎:2012/04/10(火) 22:22:07.32
>>38 乞食。
>また、に相当する語も、(ことだろう)に相当する語もないぞw
行間に隠れている意味を込めてわかりやすく翻訳すると、そうなるのだ。めくら
おい乞食。
「是国」は「どこの国」でも「ある国」もないと、なんで叫ばなかったんだ?
何でもいいから、伊作攻撃に限定してるのが見え見えだな。恨みでもあるのか。

そらそーだわな。
出すホラ、出すウソがみな暴かれて、伊作攻撃しか板で生きる道はないし。

けたけた
44日本@名無史さん:2012/04/10(火) 22:23:59.75
周囲は数千里 だろう。
45怒っ虎:2012/04/10(火) 22:27:22.36
●これで、モラルなき朝鮮人潰し終了●

俺にからんで人品と質のほどをさらした奴は、誰からも相手にされない。
俺が無視すれば、お前はもう誰もまともに相手にはしない。
そうやって消えたのが、過去にも掃いて捨てるほどいるぜ。
46日本@名無史さん:2012/04/10(火) 22:28:20.10
周旋は歌手だろう。
47卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 23:00:43.55
夫子至於是邦也 必聞其政

是邦の是が、この、であろうと強調であろうとどうでもよい。仮に、この、と訳すとして、

夫子のこの邦に至るや、必ずその政を聞く。
夫子この邦に至るなり、必ずその政を聞く。

どちらが自然な文章であるかは言うまでもない。
48日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:15:04.87
日本語らしい文章が本来の意味に近いということ?
49日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:20:52.54
加地伸行の漢文法基礎では、次のような読み方を説いているね。
夫子至於是邦也 必聞其政→夫子至於是邦 則必聞其政
(夫子の是の邦に至れば、則ち必ずその政を聞く)

50日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:22:16.03

「オウムは統一教会をラジカルにしたもの」
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
 【殺された石井こうきの発言から】

そうか、統一教会、オウム、朝鮮総連、民団→朝鮮人だらけの民主党
すべて繋がっている
51卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/10(火) 23:30:16.16
>>48
というより、どう読めば文章として正しく意味が通じるか、ということ。

伊作は、おそらく、之を、の、と読むのは日本語読みだと思い込んでいるのである。
それで、むりやり変な読み方を案出しようとする。

しかし之が、の、と読めることはどんな漢和辞典にも載っている。
夫子之道
惻隠之心 仁之端也 etc

しかし本人ももう懲りているようだから、今日はこれくらいにしといてやろうwww
52日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:32:25.86
>>41 :怒っ虎
>>40
>>周旋数千里を諸葛恪が兵士と巡り歩いた距離と解釈するような馬鹿だからなあ。
>違うな。諸郡を経由して険しい道をたどる丹楊までの距離だ。(どこを基点にしたものかは不詳)

わははは。恥の上塗りかよ。
丹陽郡の北西に鄱陽郡があり、南に(西から順に)新都郡、呉郡、会稽郡がある。東は海である。
當時孫権は呉郡に本拠を置いていた。丹陽に行くとすれば呉郡からだろ。
会稽や新都や鄱陽の諸郡を経由するなど考えられんわ。

>てめえらが単純に描くような一直線ではないからな。けらけら
おまえは恥をかくのに一直線で進んでいるな。げらげら
53日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:41:31.19
伊作は、日本語の文章は、なかなか上手な方なんだが、
漢文の訳文となると、からきしダメだな

人には、それぞれ適性というものがあるんだろう
54日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:43:29.87
ppp せっかく地図を調べてそんな説明しかできんのか?
丹楊地勢險阻、與吳郡、會稽、新都、鄱陽、四郡鄰接とあるが、それは
東から南側に隣接する郡だ。北側はどうなっているかな?
55日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:49:51.21
『文言虚字』 呂叔湘著

還有些「之」字,安在主語和謂語的中間。例如
(1)孤之有孔明、猶魚之有水也。
(2)大道之行也、天下為公。
(3)余之識君、且二十年。
(4)君子之愛人也、以コ。
(5)異哉、此人之教子也!
這些「之」字不是必要的、「大道行則天下為公」、「孤有孔明、猶魚有水」、「余識君且二十年」、「君子愛人以コ」、意義並無改変。
然則何以加用「之」字?
這裏的「之」字的作用可?是化句子形式為主謂短語。
句子形式是主語和謂語的配合,現在使主語變成加詞,謂語變成端詞,就成了短語的形成了。
但是這種短語和一般的短語有些不同,所以特稱為「主謂短語」。
56怒っ虎:2012/04/10(火) 23:53:27.30
>>49
加地伸行とやらは、「夫子至於是邦 則必聞其政」砕くか。
ここには「也」はない。逆に「則ち」と「夫子の」で「の」を加えている。
「夫子の是の邦に至れば、則ち必ずその政を聞く」か。
やはり「也」を「や」と読んでいるらしいな。日本人らしいや。

>>51 朝鮮外道。
だんだん不当な誹謗になってきたいるぞ。お決まりパターンだ。

>伊作は、おそらく、之を、の、と読むのは日本語読みだと思い込んでいるのである。
中国語で「之」を「の」とよむ事例は、所有格と所在格があると何度も用例を提示したが。
>>11 で三度めの提示だ。ほれ

▼之を「の」と読ませて所有格として使った用例
・夏后少康之子封於会稽…「少康の子」
・断髮文身以避蛟龍之害…「蛟龍の害」
▼之を「の」と読ませて所在格として使った用例
・帯方東南大海之中...「大海の中」
・當在会稽東冶之東...「会稽東冶の東」

俺のいい分をまったく認知せず、
ただ突っ込めそうな所を拾ってるだけのようだな。結果は不当な誹謗だ外道

>それで、むりやり変な読み方を案出しようとする。
>しかし之が、の、と読めることはどんな漢和辞典にも載っている。
>夫子之道 惻隠之心 仁之端也 etc
>しかし本人ももう懲りているようだから、今日はこれくらいにしといてやろうwww
57日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:56:10.50
「是」の解釈を間違えてるような気がする

字源
会意。上部は、「匙」の原字でまっすぐなさじを意味、下部に「足」を加えまっすぐであることを強調した。「これ」の意味は仮借による。
意義
1. (指示代名詞)これ、この。
2.正しい。
是非
3.賛成する。
是認
4.(現代中国)〜である。
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%98%AF

2か3の意味で解釈してみたらどうだろうか?
58日本@名無史さん:2012/04/10(火) 23:56:20.98
>>55の日本語訳

それから、主語と謂語(述語)の間に置かれる「之」の字がある。
(1)孤之有孔明、猶魚之有水也。(孤の孔明あるは、なお魚の水あるがごときなり)
(2)大道之行也、天下為公。(大道の行わるるや、天下を公となす)
(3)余之識君、且二十年。(余の君を識るや、且に二十年になんなんとす)
(4)君子之愛人也、以コ。(君子の人を愛するや、徳を以ってす)
(5)異哉、此人之教子也!(異なるかな、この人の子を教うるや)
これらの「之」の字は必ず要るというものではない。
「大道行則天下為公」、「孤有孔明、猶魚有水」、「余識君且二十年」、「君子愛人以コ」、
としても意味はみな変わらない。ならば、なぜ「之」の字を加えて用いるのか。
この「之」の字の作用は句子形式を主謂短語に変えるということができる。
句子形式とは主語と謂語の組み合わせだが、
いま主語を加詞に変え、謂語を端詞に変え短語の形式に変えている。
ただし、この種の短語と一般的な短語とは少し違いがある。それで特に「主謂短語」と呼ぶ。
59怒っ虎:2012/04/10(火) 23:57:57.75
>>52
>わははは。恥の上塗りかよ。
以前、「呉の都・建業からだろう」と書いたが、今回は謙虚に不詳としただけだ。タコ
何を気安く勝った気になってやがる。

>>53
>伊作は、日本語の文章は、なかなか上手な方なんだが、
>漢文の訳文となると、からきしダメだな
俺の理路説明に対してもお前の理解力がないだけだ。のぼせるなら。
てめえなどに批評されるほど落ちぶれちゃいないぜ。
60怒っ虎:2012/04/11(水) 00:01:51.93
>>54
連日完全アウェー状態で孤軍奮闘。
北朝鮮とのサッカー試合のような状態で、
一人で蹴散らしてるところ。これはサポートか?
61怒っ虎:2012/04/11(水) 00:16:32.67
>>57
どこにでもある漢和辞典をコピーして見せて何の意味があるか。タコ
進んだ議論が後戻りするだけだ。
『論語』学而が使った「是」を「どこの」とか「ある」と訳したところで、
それは万に一つの例外的事例だ。どこにでも当てはまるというものではない。
そもそも本題は「是」れ訳ではない。
たまたま、二本の漢和辞典がそういう苦しい訳をしているから「おかしい」と指摘したまでだ。
もうやめとけ。

>>59
で・てめ。いったい何がいいたのだ?
「之」の意味解釈についてはもう十分に出尽くした。
問題は所有格、所在格のほかに「の」と読んで
「誰それが」という使い方があるか否かだ。

お前が出した事例にある通り、「誰それが」というときは、
「誰それ之」など使わず名前だけで終わっている。
問題としてきた「夫子至於是邦 則必聞其政」もしかり。
「夫子之至於是邦」ではなく、「夫子至於是邦」だ。

本題は「宣帝之平公孫氏也」の読みだ。
「宣帝、公孫氏を平げに之(ゆ)くなり」。これが天才の天才的読み方。
「宣帝の公孫氏を平げるや……」では、まんま日本語のストレート読みだ。タコ
6257:2012/04/11(水) 00:23:23.84
>>61
意味不明のレスつけるな、ボケ
63怒っ虎:2012/04/11(水) 00:24:47.62
>>53
こういうタイプは特に気に食わねーな。
てめえ。俺みたいに一人のアウェー状態でやる度量と器量があるか。
見たこともない漢文の原文を引っぱり出して読みも意味も提示せず勝手に反論だけされて、
それを自力でにわか読みして「意味が違う」と暴いて討論できるか。

俺はダテに天才を自称してるわけじゃないぜ。
漢文学を専攻したわけでもないのに、
ここにツラだすお前らの誰よりも、まっとうに漢文を読んでみせている。
そのディティールをどうこういって何になるというのだ。
これまでに見せた天才的な解読力のほうほ褒められてもバチは当たらん所だぜ。

意味も価値もない投稿しかできないクズ野郎が。
64怒っ虎:2012/04/11(水) 00:27:16.82
>>62
そういうお前こそ、
何がいいたのか意味不明のレスをするな、ボケナス。
65怒っ虎:2012/04/11(水) 00:29:17.57
>>62
知ったふりをしたいだけなら、
「断片衒学投稿」というタイトルをつけてやれ。
そうすれば誰も顧みないで済む。
66日本@名無史さん:2012/04/11(水) 01:27:44.82
>>11
>お前、 ちょい噛み来訪の断片衒学野郎か? もう二度ばかり提示してるぜ。

それを聞いてるんじゃない。
所在格っていう言葉をはじめて聞いたが、それは遺作の造語かと聞いている。
67怒っ虎:2012/04/11(水) 02:37:36.20
>>66
>所在格っていう言葉をはじめて聞いたが、それは遺作の造語かと聞いている。
提示して見せた通り、非常にわかりやすい分類表現だろ。しかも的確だ。
説明の便宜上、日本語分類法から借用している。
『広辞苑』でみられるんじゃないか。

では親趣味
68日本@名無史さん:2012/04/11(水) 03:40:33.64
>>67
所在格って、広辞苑には載ってない。
おそらく日本語文法にも、こんな用語はない。
69日本@名無史さん:2012/04/11(水) 04:44:28.81

民主党政権になってからマスゴミが使わなくなった言葉
・説明責任・情報公開・閣内不一致・任命責任・コンクリートから人へ
・埋蔵金・政治主導・脱官僚・ガソリン値下げ隊・政治と金・直近の民意
・庶民感覚・密室政治・言論弾圧・解散して国民の信を問え
70日本@名無史さん:2012/04/11(水) 06:42:21.81
キ印なんかを相手にするなよ。
71卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/11(水) 09:54:17.35
伊作は、〜之〜也、を、〜の〜や、と読むのは日本語読みだと信じきっているのである。
しかしそんな例はいくらでもある。たとえば>>58

大道之行也 天下為公 (大道の行わるるや、天下を公となす)
君子之愛人也 以コ (君子の人を愛するや、徳を以ってす)

それからたとえば、
人之生也柔弱 其死也堅強 (人の生まれるや柔弱、その死するや堅強)

他にもこれまで議論に出てきたような例がある。探せばいくらでもあるだろう。
それなのに、小学生の駄々っ子のように、そんなのは日本語読みだと強弁しているのである。

ああ、やれやれ、困ったものだ…。
72日本@名無史さん:2012/04/11(水) 12:27:37.25
>>59 :怒っ虎
>>52
>>わははは。恥の上塗りかよ。
>以前、「呉の都・建業からだろう」と書いたが、今回は謙虚に不詳としただけだ。タコ
>何を気安く勝った気になってやがる。

ぎゃはははは。恥の重ね塗りかよ。
呉が都を建業に移したのは諸葛恪が謀略で山越兵を手に入れた出来事から随分年月が経った後のことなんだがね。
73大訂正!:2012/04/11(水) 12:27:50.89
>>3 :怒っ虎:2012/04/09(
>「諸国歴訪の孔子先生が、ここにおいて、この国に到着された。ここでも必ずこの国の政を聞かれるだろう」
>こういう意味の会話文章だと天才は断じる。

断じちゃいかYo. 
誰もが、「於」の一文字を軽く扱っている。
「来適」もそうだが、
「至 於」も。。。。。。。。。
 
《博雅》於,于也。
《爾雅·釋詁》于,曰也。 又往也。。。。。。。。

「夫子至於是邦也、必聞其政」

「夫子至於是邦也」は、夫子、是(この)国に往(於)きて至る也(なり)。
但し、
是国は「至於」で複数の国々と解釈することは正しいだろう、
その場合、至は到の意となる。

論語は、邪馬台国には関係ないのであまり興味はない。
74日本@名無史さん:2012/04/11(水) 12:32:29.07
>>73
>是(この)国に往(於)きて至る也(なり)。

勝手に語順を変えるな。於至是邦じゃない。至於是邦だ。
75大訂正!:2012/04/11(水) 12:51:35.33
74 名前:日本@名無史さん

「於」を良く良く学習してから
         出直して着なさい。

オウムという鳥をしっているかNe?
俵の鼠クン。
  
  


76大訂正!:2012/04/11(水) 13:20:47.03
「於」は鳥なら鴉だ。

「夫子至於是邦也、必聞其政」

「夫子到是邦也、必聞其政」
と記述することも可能だ

「夫子至於是邦也、必聞其政」
の方が
 より深みがあるな。
77大訂正!:2012/04/11(水) 13:31:56.45
>>3 :怒っ虎:2012/04/09(
>「諸国歴訪の孔子先生が、ここにおいて、この国に到着された。ここでも必ずこの国の政を聞かれるだろう」

の「到」の意は何?

78大訂正!:2012/04/11(水) 14:36:06.72
>>74 名前:日本@名無史さん :
ホイ!
ザリガニがでんでんむしか知らないが、
 チョンと頭を突付いたら殻に引っ込んだままか?


>勝手に語順を変えるな。於至是邦じゃない。至於是邦だ。


>>73
>是(この)国に往(於)きて至る也(なり)。
「至於是邦」を訳してみろ。


「至於是邦也」は
この国に至りて曰く(於)也(なり)。
て、か?
そんなはずは無いだろう。

「夫子至於是邦也」は、夫子、是(この)国に往(於)きて至る也(なり)。

の方が正解だろう。

「也」は『なり』だ。





79日本@名無史さん:2012/04/11(水) 15:48:09.81
>>78
大訂正!と伊作って同一人物か?って思うくらいレスの文体も、
他人への反応もそっくりだなあ。
80日本@名無史さん:2012/04/11(水) 17:14:04.96
81日本@名無史さん:2012/04/11(水) 17:29:34.80
なんだよ
82日本@名無史さん:2012/04/11(水) 18:34:41.91
過ちを指摘された時の態度で人物の程度が分かる。
伊作も大訂正!も間違いを指摘されるとむきになって反発する。
間違いであることの理解ができないのか、それとも分かっていながら認めることができないのか。

83怒っ虎:2012/04/11(水) 19:28:26.78
>>71
●同じような・朝鮮の卑怯・卑劣な誹謗をあばく。

>「大道之行也 天下為公」(大道の行わるるや、天下を公となす)
また『礼記』から引っ張ってきたか。
相変わらず、どの文献からの引用かもフェアに提示しないいま、都合のいい「部分」だけを見せる。
お前ほど卑怯なやり口の野郎は、この2ちゃんでも珍しい。軽蔑するに充分な汚れ野郎だぜ。

★これは観客に注目をおすすめする特注ものの事例だ★ 勉強になるぜ。
最低限文章の意味がわかる範囲を提示するのが紳士というもの。原文はこうだ。

孔子曰「大道之行也、與三代之英、丘未之逮也、而有志焉」。
大道之行也、天下為公。(以下に大道の具体的な説明が続く)選賢與能、講信修睦。……是謂大同。(説明の結び)。

この「孔子曰:「大道之行也、與三代之英、丘未之逮也、而有志焉」の也をそのまま「〜や」と読んでは
「大道の行なわるるや、三代の英「と」、丘、未だ之に逮(およ)ばず」チンプンカンプンで文章にならない。
★この也を「や」と読んで、提示した原文をまともに読める奴は皆無だと断言できる。
★やる気のある者はチャレンジしてみろ。

続けるから、読み違いのないよう・ついてこいよ。
84日本@名無史さん:2012/04/11(水) 19:28:54.75
@大道とは五帝たちが行なった理想の善政をいう。
Aこの大道が行なわれた治世を「大同」という。
B礼記のこの文章は「大同の世」に言及したものである。
C『礼記』の誤字・脱字・異同の可能性。(ここは簡単にする)
『三国史』『後漢書』も長い年月の中で写本や再版を何度も経て現在に至っている。
現存するものは12世紀宋代に、民間出版が盛んになった時代に刷られたのものである。
しかも、『三国史』の場合は百衲本といって、色んな時代の版の寄せ集めによって刷られている。
『礼記』は成立から辿った過程が複雑で、さまざまな時代の人間の手を経て選定し直され、
注釈が施されているようだ。(現在通行しているものは後漢の鄭玄注、唐の孔穎達疏の『礼記正義』や
陳澔の注釈した『礼記集説』など多数存在する。wiki)
こうしたことから、『礼記』もご他聞に漏れず、誤字・脱字・異同があった可能性は否定できない。

おそらくは「世」という文字を「也」と書き違えたか、後世の転写などで間違えたか。
天才はこの「也」を「世」の誤字とみた。そこで、この「也」を「世」に置きかえて解読してみる。

大道之行世、與三代之英、丘未之逮也、而有志焉。
大道之行世、天下為公。選賢與能、講信修睦。……
▼読み・「大道の行なわれし世と三代(夏・殷・周)の英、丘は未だ之に逮ばず、而して志有り」。
大道の行なわれし世は、天下を公と為し、賢を選び能に与し、信を講じ睦を修む。
……(大道の具体例が続き)。これを大同という。
▼翻訳・「(上古に)大道が行なわれた世と、三代(夏・殷・周)の英知に、丘(私)は未だ及ばない。
大道が行われていた世、(聖王たちは)天下を以て公とした。……(大道の具体例) これを大同という。

これで、「大同の世」について言及した文章としての意味が通る。さて。諸君の判断やいかに。
異論がある者は、この也を「や」と読んで、
「大道之行也、與三代之英、丘未之逮也、而有志焉」をまともに読んで見せること。
85怒っ虎:2012/04/11(水) 19:29:35.43
●ウソつき行為を重ねる朝鮮人。
自らろくに検証・吟味もせず、ただ天才説に反論できそうなのを引っ張ってくる卑怯者。
つぎも『礼記』か。
>「君子之愛人也以コ」(君子の人を愛するや、徳を以ってす)

▼原文「君子之愛人也以徳、細人之愛人也以姑息」。
▼読み「君子の人を愛するや徳を以ってし、細人の人を愛するや姑息を以ってす」。 
君子の「愛し方」は徳を以て愛するのに対して、
細人(朝鮮みたいな小人)の「愛し方」は姑息ををもってする。
この也(や)もまた、「愛し方は」「愛し方たるや」という強調の用例だ。

これは『老子』だな。
>人之生也柔弱 其死也堅強(人の生まれるや柔弱、その死するや堅強)
▼原文「人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒」。
▼読み「人の生たるや柔弱、その死たるや堅強。万物草木の生や柔脆、その死たるや枯槁。
故に堅強なる者は死の徒にして、柔弱なる者は生の徒なり」。
これも「生たるや(生きる様は)」「死たるや(死ぬ様は)」で、強調の用例だ。お角違いによる批判は誹謗だ。

この朝鮮野郎が提示したものを次々に解体して、ウソとお角違いの用例提示をさらしてきた。
こいつの性根が変わらなければ、いつまでやってもその卑劣な手口は変わらないだろう。
疲れるので、この野郎は金輪際無視・放置する。
86怒っ虎:2012/04/11(水) 19:31:51.29
>>68
>所在格って、広辞苑には載ってない。
>おそらく日本語文法にも、こんな用語はない。

『広辞苑』になかったか。俺の記憶でいえば、
助詞には格助詞・副助詞・係助詞・接続助詞・並立助詞・終助詞などがあって、
格助詞に、連体格・目的格(対象格)・所在格・所有格などがあったと思うぞ。
俺が勝手に思いつくような性格のものでないことぐらいは分かろう。

ま・せかすな。
どこで勉強し仕入れたものか、いずれ思い出すだろう。
87怒っ虎:2012/04/11(水) 19:32:48.78
>>82
>過ちを指摘された時の態度で人物の程度が分かる。
小細工や不正やウソを暴い見せ続けてるが、
認めず謝罪もせず、黙りこくって消える。お決まりのパターンだ

>伊作も大訂正!も間違いを指摘されるとむきになって反発する。
正義感が、小細工や不正やウソを許さないのだ。

>間違いであることの理解ができないのか、
>それとも分かっていながら認めることができないのか。
正論のロンキャクだ。間違いを言い張ったことはないぞ。誹謗ゲス
88怒っ虎:2012/04/11(水) 21:27:02.88
天才の天才たるところを見たか。

ケガの巧妙・2ちゃんから駒。
『礼記』の記録の「也」で通ってきた文字は「世の誤字ではないか」という、
天才独自の検証と問題提起は、天才のサイトに追加掲載する。新たな発見だ。

孔子曰「大道之行也、與三代之英、丘未之逮也、而有志焉」。 大道之行也、天下為公。
↓↓↓↓
孔子曰「大道之行世與三代之英、丘、未之逮也、而有志焉」。 大道之行世、天下為公。
8957:2012/04/11(水) 21:48:34.35
 「夫子至於是邦也、必聞其政」
「是」を2の正しい、あるいは3の賛成する、という意味ととることで、
 夫子は(政策が)正しい、賛成出来ると思った邦に至ると、必ずその政治手法を聞く、
という、極々当たり前の意味になる。

>>37の解釈は、酷・す・ぎ・る。
90怒っ虎:2012/04/11(水) 22:03:34.55
>>89
複数ある漢字の意味の中から、最も不適切な意味を採用して、
時空を超えた意味不明の解釈をしてみらせる典型例だ。
我流妄想タコ。俺にからむならレベルをあげてこい。
91日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:13:04.68
伊作の恥ずかしい歴史が、
ちゃくちゃくと2chのログに残っていくなあ
92日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:48:36.01

┏━━━━━━━━━━━━━━┓
┃┌───┐                ┃
┃│.ワイプ.│        テロップ..  ┃ 
┃│ 画面 │        テロップ.. ┃ 
┃└───┘               ┃  <ナレ:次の瞬間! と、そのとき!
┃  【YouTubeの動画垂れ流し】   ┃
┃                     ┃ <SEを被せる(ど〜ん、どし〜ん
┃     流れるテロップ・・・・    ┃  どか〜ん、ぴろぴろぴろぴろ・)
┃                      ┃ 
┃       やたらとデカイ      ┃  
┃         テロップ        ┃ <SE:え〜
┗━━━━━━━━━━━━━━┛       ナレ:このあと、○○にスタジオ騒然!(CMへ)
   /\     /\     /\
 SE:え〜  SE:あははは  SE:へぇ〜

テレビで
女性に人気の
とか言っているのを見て真に受けて買い求めに走る女とか見てると テレビっ言う宗教の信者なのかと思ってしまう
もちろん買いに走る振りをさせて(やらせ)収録することもあるが


やらせインタビュー(裁判傍聴業者)
http://blog-imgs-44.fc2.com/h/i/m/himablo21/20100922213922a0d.jpg
93日本@名無史さん:2012/04/11(水) 22:54:40.46
このおちゃらけ侍が
94日本@名無史さん:2012/04/12(木) 08:25:21.68
『文言虚字』 
「也」字用在句中、表示停頓的語気、正如白話裏用「口+阿」字一様。
這也可以分幾類來看。
有時候在主語之後用「也」字一頓 (例は省略)
有時候在副詞(尤其是表時間的)之後用「也」字一頓 (例は省略)
而小句之後用「也」字停頓的尤其多、例如:
(五)聽其言也、可以知其所好矣。
(六)吾聞之也、君子周急不濟富。
(七)惑而不従師、其為惑也終不解矣。
(八)使吾而是也、因得以明其是、吾而非也、因得以去其非。
還有、在列挙事物的時候也常用「也」字表停頓。 (例は省略)
95日本@名無史さん:2012/04/12(木) 08:27:14.18
>>94の日本語訳

「也」字は句の中に用いて、停頓の語気を表示する。
白話で「口+阿」の字を用いるのと、ちょうど同じである。これも幾種類かに分類してみることが出来る。

主語の後に「也」の字を用いる場合が一つ (例は省略)

副詞(特に時間を表す)の後に「也」の字を用いる場合が一つ (例は省略)

そして小句の後に「也」の字を用いて停頓するのがもっとも多い。
 (五)聽其言也、可以知其所好矣。(其の言を聴くや、以て其の好む所を知るべし。)
 (六)吾聞之也、君子周急不濟富。(吾これを聞けり、君子は急を周(すくう)も富めるを濟(すく)わず。)
 (七)惑而不従師、其為惑也終不解矣。(惑いて師に従わず。其の惑いを為すや終に解けず。)

また、事物を列挙する場合にも常に「也」の字を用いて停頓を表す。(例は省略)
96日本@名無史さん:2012/04/12(木) 08:30:18.51
   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
  | ●_ ●  | < ↑↓パチンコと売春の「うんこ日本」に生息する発達障害者(チビ、ブサ、異性にもてない、低学歴)♪♪♪
 (〇 〜  〇 |  \
 /       |  
 |     |_/ |
97日本@名無史さん:2012/04/12(木) 08:54:45.75
伊作は「夫子の是の邦に至や」「大道の行わるるや」と読む伝統的な訓読を誤解している。
「之」を日本語の格助詞の「の」、「也」を接続助詞と勘違いしているんだろう。

この「之」は>>58にあるように
>この「之」の字の作用は句子形式を主謂短語に変えるということができる。
であって、日本語には存在しない要素。

また、「也」も>>95
>「也」字は句の中に用いて、停頓の語気を表示する。
とあるように、語気助詞であって日本語にない要素。
例えば句末に用いる「矣」のようなものと類似している。

日本語に無い要素なのに「ゆく」や「なり」という、
日本語にもある実字として読んでしまっては間違い。
訓読の習慣で「〜の〜や」と読む場合が多いが、
文の構成上、そのように訓読するとリズムが悪くなる場合は、
そう読まない場合もある。禮記の例はまさにそれ。
「矣」を読まないのと同じである。

たまたま訓読の場合に「之」を「の」と読むと格助詞の「の」と同じ形になってしまうので、
伊作に限らず、これを格助詞と勘違いしているひとはいるだろう。
98卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 09:05:12.42
伊作があいかわらずワンワンキャンキャン吠えてるなww

大道之行也 天下為公 
君子之愛人也 以コ 

これは>>58の人が挙げた例を出しただけ。文句があるなら>>58の人に言え。

伊作は、〜之〜也、の也を強調と解しているようだ。角川の辞典では、
は。のは。ときには。指示。提示。

強調と解するより、指示、提示と解したほうが妥当であると思うが、それはまあどうでもいい。
肝腎なのは、〜之〜也、という用法が存在し、それを、〜の〜や、と読むのも一般化されているのに、
伊作がどこまでもそれを否定しようとしていることである。

かくなる上は、伊作は、日本の漢文学者に挑戦状を叩き付ければよいのである。
まあ、無視されるのは目に見えているがw
99怒っ虎:2012/04/12(木) 09:07:18.91
>>95
「断片的衒学投稿」というタイトルを書き忘れてるぞ。
天才の「総合力」に舌を巻いたろう。ん・んー?

ごたくはいい。
お前が拾ってきた「也」の意味を使って、この文章の読みと意味を提示してみろ。
お前の力量テストだ。ほれ

「宣帝之平公孫氏也」
「大道之行也與三代之英、丘、未之逮也、而有志焉」
100卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 09:17:46.14
>>97の人がおそらく正解だろう。

之や也は助辞であり、その助辞の意味と役割をどう解釈するかは読者や学者が勝手に判断すればよい。

文章というものは意味が通れば良いのである。伊作のように、
宣帝、公孫氏を平げに之くなり
と読んでは、前後の文脈からいって、意味の通らない、変な、ぎこちない文になるのである。
101怒っ虎:2012/04/12(木) 09:21:18.21
>>97
>「之」を日本語の格助詞の「の」、「也」を接続助詞と勘違いしているんだろう。
俺の見解何度提示すれば、この手の誹謗は尽きるのかな。
▼之を「の」と読ませて所有格として使った用例
・夏后少康之子封於会稽…「少康の子」・断髮文身以避蛟龍之害…「蛟龍の害」
▼之を「の」と読ませて所在格として使った用例
・帯方東南大海之中...「大海の中」・當在会稽東冶之東...「会稽東冶の東」
▼之を「これ」という代名詞で使った用例
・好捕魚鰒、水無深浅皆沈没取之...「好んで魚鰒を捕らえるも、水の深浅となく皆沈没してこれ(魚鰒)を取る」
・国有市交易有無、使大倭監之...「国々に市あり、有無を交易す。大倭をして監之これ(市の交易)を監さしむ」

▼也を「なり」と読んで断定助詞に使った用例
・辰韓者古之辰国也...「辰韓は古えの辰国なり」
・如中国用粉也...「中国の粉を用いる如くなり」
▼也を「や」と読む場合の用例
・疑問、詠嘆、反語、呼びかけなどに用いる助詞の「〜や」。
 
>日本語に無い要素なのに「ゆく」や「なり」という、 日本語にもある実字として読んでしまっては間違い。
▼之を「ゆく」という動詞に使用した例。(『史記』秦始皇本紀から)
三十二年、始皇之碣石、使燕人盧生求羨門高誓。
「三十二年、始皇、碣石に之(ゆ)き、燕人盧生をして求羨門の高誓を求めせしむ」。
ちゃんと返答しろよ。

>(之は)日本語には存在しない要素。
>(也は)語気助詞であって日本語にない要素。
その理屈で以下の文章の読みと意味を提示しろ。お前の力量テストだ。ほれ
「宣帝之平公孫氏也」
「大道之行也與三代之英、丘、未之逮也、而有志焉」
102怒っ虎:2012/04/12(木) 09:33:24.02
>>58  こいつを見逃してたようだ。

>大道之行也、天下為公(大道の行わるるや、天下を公となす)
>「大道行則天下為公」としても意味は変わらない。
じゃ・「大道行則天下為公」の読みと意味を提示してみろ。
文章全体がいわんとする主旨も眺めた上で、
チンプンカンプンにならんように注意してな。わらわら

>君子之愛人也、以コ(君子の人を愛するや、徳を以ってす)
>「君子愛人以コ」としても意味は変わらない。
じゃ・「君子愛人以コ」の読みと意味を提示してみろ。
原文と文章の性格が変わらなんようにな。わらわら
103怒っ虎:2012/04/12(木) 10:14:56.21
断片衒学野郎。いうだけいって沈黙かー。

虚詞・虚字は、文の細かい表情を決定する重要な文字だとされ、
意味・用法が多岐にわたり、複雑であり、時代的な変遷も大きいとされる。
それが、あってもなくても意味は同じとはどういうことだ。

もう一つ。お前が提示した用法と意味が、
以下の文章にそのまま該当するという確信があっての提示か。
「宣帝之平公孫氏也」
「大道之行也與三代之英、丘、未之逮也、而有志焉」
該当するというならば、読みと意味を提示しろ。

それとも。
該当するかしないか不確実の状態で、やりとりに便乗して衒学しただけか。ん?
104怒っ虎:2012/04/12(木) 10:30:24.89
●断片衒学野郎を潰す。

かっこつけて、さも時分の意見でもあるかのように、
どこぞの資料を貼付けて自分の見解はいわず。
「こういう意味に解釈すべきだ」とははっきりいわず思わせぶり。
たまに自分の見解をいうかと思えば、「あってもなくても同じ」だと。

古代において文字の読み書きを職業とした逸材たちが、
てめえなど足下にも及ばない超能力者たちが、
意味があって使用した文字を取り払ってしまうとは、乱暴なこった。
そこまでして、この天才をヘコませてみたいか。

ご苦労だった。ハナもちならないし気に食わねーから・もう来るな。
105怒っ虎:2012/04/12(木) 11:19:19.64
>>95 ●知ったふり衒学野郎の追討。

>小句の後に「也」の字を用いて停頓するのがもっとも多い。
>(五)聴其言也、可以知其所好矣。(其の言を聴くや、以て其の好む所を知るべし)
>(六)吾聞之也、君子周急不済富。(吾これを聞けり←吾これを聞くや、君子は急を周も富めるを済わず)
> (七)惑而不従師、其為惑也終不解矣。(惑いて師に従わず。其の惑いを為すや終に解けず)

(一)〜(四)の用例解説はどうした。わらわら
すべてをフェアに提示しなければ、件の文章がどれに該当するかを的確に判断できないだろ。

おーい。
>「也は句の中に用いて停頓の語気を表示する」。「小句の後に也の字を用いて停頓する」。
で・「宣帝之平公孫氏也」の也は、句の中に用いているのか、それとも小句の後なのか。
前者ならば停頓の語気で意味はなく、後者ならば停頓で意味はないのか?
いずれにしても「読まない」のなら、ここは、いったいどういう読みになるんだ?

このほかに、句の末尾にある「なり」は断定というわけか?
ならば、「宣帝之平公孫氏也」の也はどれに該当するというんだ?
せっかく資料から貼り付けたのだから、「こういことだから」「こういう判断になる」と、
自分の見解を誰にも分かるように書いてこそ投稿であり、正面から参加したことになるのだ。

ネコの小便みたいにチマチマするな。
106怒っ虎:2012/04/12(木) 11:24:43.30
●知ったふり衒学野郎の追討

「大道之行也、與三代之英、丘未之逮也、而有志焉」。
ここに二度登場する「也」はどれに該当して、
それがどういう読みになり、文章の意味はどうなるのか。
ついでに衒学してみてくれ。             

そうしないと、まったく無意味な投稿をしたことになるぞ。わーらわら
107大訂正!:2012/04/12(木) 11:51:10.64
>>103 名前:怒っ虎 :
>「大道之行也 」

「来適」もそうだが、
「至於」も。。。。。。。。。
そして、
之行も
之:《玉篇》是也,適也,往也。
行:《廣韻》適也,往也,去也。
同じ意の言葉を二度繰り返している。が、
「大道之行也」の「行」は『進んで止まる』
所謂、大同の先が無いことを表現している。
大同の世が続いて之(往)くことの意だ。
此処での「之」は
《說文》出也,
出也の意は、成長する。,


出:《説文》進也。




108卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 12:42:04.14
君子之愛人也以コ (君子が人を愛するは、愛するときは、徳を以てす。)
人之生也柔弱 (人は生まれたときは柔弱)

いずれも角川の、
は。のは。ときには。指示。提示。
で充分意味が通じ、かつ適切である。

伊作はこの也を勝手に強調だと解し、人を非難している。
109卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 12:51:31.89
宣帝之平公孫氏也

これを、宣帝、公孫氏を平げに之くなり 、などと読んでいるのは、
日本広しといえども、伊作と大訂正くらいなものであるw

まあ百人いれば、どうしようもないバカが一人や二人はいるのだから、仕方のない話ではあるが。
110大訂正!:2012/04/12(木) 13:00:22.17
>>109 名前:卑弥呼は朝鮮にいた :2012/04/12(木) 12:51:31.89

ホイ!
頓珍漢野朗。

 景初二年六月 倭女王遣大夫難米等詣郡求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都

という史実があるのに
何を寝ぼけたことを言っているのだ。

もとも
 お前は倭人伝を軽く見ての言い分だから
どのように解釈しようとお前の妄想でしかない。

妄想は妄想で好きなようにやれば良い。
 


111日本@名無史さん:2012/04/12(木) 13:01:59.21

日本人が3.11よりも忘れてはならないこと、それは―

4 . 1 2


塩 木 犯罪者による愚劣な飲酒運転事故を、我々日本人は絶対に許さない!!

飲酒運転犯 塩 木 犯罪者

違法駐車犯 塩 木 犯罪者

112大訂正!:2012/04/12(木) 14:15:46.15
「景初二年六月 倭女王遣大夫難米等詣郡求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都」

景初二年六月に大夫難米等は京都に到着していた。
では、難米等が倭国を出発したのは何月?
難米等は先ず郡に到りその後京都の許可を受けて後、大夫難米等を京都に送り届けている。
その日数を想像するや京都到着まで6ヶ月は要するだろう。
勿論、この間公孫淵はまだ健在で和議を画策していた。
八月、公孫淵は討ち取られる。
が、
大夫難米等はまだ京都で軟禁状態にあっただろう。
公孫氏問題がすべて解決(滅亡)して、
所謂、
倭は公孫氏の意を汲んで魏軍の背後を突くなく
魏の公孫氏討伐を黙認した。
ということだ。
それは、邪馬壹【臺】國・女王が古公亶父の末裔の血が濃かったといことだ。

「邪」は「古秦」だ。



113日本@名無史さん:2012/04/12(木) 14:56:58.33
>>112
>「景初二年六月 倭女王遣大夫難米等詣郡求詣天子朝獻 太守劉夏遣吏將送詣京都」
>景初二年六月に大夫難米等は京都に到着していた。

景初二年六月に大夫難米等は郡に到着した。
または
景初三年?
114大訂正!:2012/04/12(木) 15:05:43.77
>>113 名前:日本@名無史さん :2012/04/12(木) 14:56:58.33


「太守劉夏遣吏將送詣京都」

何時の出来事だ。
 隠れずに返答せ。
 ザリガニ君。
115大訂正!:2012/04/12(木) 15:11:15.35
「詣」

説文では「至也」
王編では「往也、到也」だ。

到なら、郡に寄り道してから京都に到着した
ということだ。

116ザリガニ君:2012/04/12(木) 15:58:40.64
>>114
>「太守劉夏遣吏將送詣京都」
は何時の出来事だ。

書いてないから判ろうはずもない。
景初二年六月に大夫難米等は郡に到着したと書いてあるる

>>115
>「詣」は
説文では「至也」
王編では「往也、到也」だ。

何も問題ない。

>到なら、郡に寄り道してから京都に到着した
ということだ。

また゛そんなアホ言っているのか。
117日本@名無史さん:2012/04/12(木) 16:15:14.73
《詩·大雅》靡國不到。

????? 靡國不至 ?????

118卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 17:33:32.66
大訂正よ、お前は、宣帝之平公孫氏也  の前後の文を知っているのか?
知っているなら、宣帝、公孫氏を平げに之くなり  などというバカな読み方はすまい。

それから伊作に言っておく。

君子之愛人也以コ (君子が人を愛するは、愛するときは、徳を以てす。)
人之生也柔弱 (人は生まれたときは柔弱)

これらの也は、条件、状況などの指示、提示だ。強調ではない。
119卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 17:40:47.38
大訂正よ、もし、宣帝が公孫氏を平らげに之っている間に卑弥呼が朝貢したのだから、
宣帝、公孫氏を平げに之くなり  と読むべきだというのなら、それは間違いである。

その場合は、宣帝、公孫氏を平げに之くや、と読むべきである。  
120卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/12(木) 18:18:39.85
そもそも之平を、平げに之く、と読めるかどうかは疑問である。
之+動詞で、〜しに行く、という用法があるかどうかである。
英語で書けば、之to平。 toに相当する前置詞が必要ではないのか。

それに卑弥呼の遣使が魏の都に到着したのは、おそらく公孫氏が誅殺された八月以降だろうから、
宣帝の公孫氏を平ぐや、と読んでも何の不都合もない。
121日本@名無史さん:2012/04/12(木) 18:44:47.37
始皇帝之く(碣石へ)。
宣帝之く(平らげに)。
122日本@名無史さん:2012/04/12(木) 18:56:44.69
礼記/檀弓上
孔子之喪、門人疑所服。
孔子之く喪に(孔子喪に之く)

莊子/則陽
孔子之楚、舍然蟻丘之漿。
孔子之く楚に(孔子楚に之く)
123日本@名無史さん:2012/04/12(木) 19:12:42.23
>>121
碣石=場所
平らげ=行動
両者はぜんぜん違う。

>>122
孔子之喪、門人疑所服。
孔子の喪に、門人 服する所を疑う。
孔子が亡くなったとき、門人たちは服喪をどうするか迷った。

孔子之く楚に(孔子楚に之く)
楚は場所だから「ゆく」でOK
124日本@名無史さん:2012/04/12(木) 21:14:48.73
>>123
きみの作った文法ルールによると、
どこかへ行くのはいいけど、
何かをしに行くのはダメなんだね。ありがとう。 
125日本@名無史さん:2012/04/13(金) 07:12:46.05
どちらか、見分けるのはなかなか難しいね。一つ覚えではだめだってことだ。
126卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/13(金) 09:12:35.56
話を変えるが、隋書 倭国伝に次のような記事がある。

又經十餘國 達於海岸 

普通は、これを読んで、大阪湾に達したと解釈するはずだが、
>>18で紹介した古賀達也という人は、秦王国を大宰府あたりと想定して、
そこから南下して有明海の岸に着いた、と解釈している。しかしそれはどうも苦しい。

まず、大宰府から有明海まで、おそらく、十余国もありはしないだろう。
それに、海岸に達するという表現は、普通、海上を航行してきて、ある海岸に着くという意味である。
陸地をやってきた場合は、海に出る、とか、海岸に出る、と表現するはずである。
127日本@名無史さん:2012/04/13(金) 09:34:45.51
>海岸に達するという表現は、普通、海上を航行してきて、ある海岸に着くという意味である。
海岸に達するというのは、海岸ではないところから海岸に到ることろう。
しかし、当時の水行は海岸に沿っていくんだろ? 海岸から海岸に達するでは不合理だよ。

128日本@名無史さん:2012/04/13(金) 11:05:23.84
>>126
隋書には「俀國伝」はあっても
「倭国伝」はありません
129大訂正!:2012/04/13(金) 11:54:22.11
>>118 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
>大訂正よ、お前は、宣帝之平公孫氏也  の前後の文を知っているのか?
>知っているなら、宣帝、公孫氏を平げに之くなり
>などというバカな読み方はすまい。
ホイ!  妄想屋。。。
お前は、宣帝之平公孫氏也 の也をやと読んで
膨らむお前の妄想に興味はないYo。
>>120
>それに卑弥呼の遣使が魏の都に到着したのは、おそらく公孫氏が誅殺された八月以降だろうから、
>宣帝の公孫氏を平ぐや、と読んでも何の不都合もない。
何を寝ぼけて事を言ってるんだ。
「是後倭韓遂屬帶方。」て知ってるか?
晋と司馬氏が周公旦とどのように係わっているか?
又、卑弥呼は周公旦とどのように係わっているか?
それが解れば、何故宣帝が難升米を向かえ入れたかを理解できるだろう。
「及文帝作相又數至」と記述した意もNa.
又、 
「泰始初遣使重譯入貢」から
邪馬台国の「邪」は「秦」だ
と言う事もDA.
以後、俺にはRESを入れるな。
妄想に付き合う気は全く無い。
解ったか、妄想野朗。。。。。


130大訂正!:2012/04/13(金) 12:06:19.12



128 名前:日本@名無史さん :2012/04/13(金) 11:05:23.84
>128
>隋書には「俀國伝」はあっても
>「倭国伝」はありません

「俀國」の意を理解しているのか?



131大訂正!:2012/04/13(金) 12:16:53.20
>>116 :ザリガニ君:

お前のレスに対する返事は

『《詩·大雅》靡國不到。

????? 靡國不至 ????? 』で
十分だろう。
>>114
>>「太守劉夏遣吏將送詣京都」 は何時の出来事だ。
>書いてないから判ろうはずもない。
>景初二年六月に大夫難米等は郡に到着したと書いてあるる
お前の脳もザリガニ程度だということが良くわかった。

132卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/13(金) 12:35:52.71
大訂正よ、お前の投稿は、いつも、何が書いてあるのかさっぱり分らんww

ところで、勉強のために、晋と司馬氏と卑弥呼がどのように周公旦と係わっているのか、を教えてくれ。

きっとお前には独自の見解があるのだろうから、それをここで披露してくれ。

133日本@名無史さん:2012/04/13(金) 13:14:45.72
>>132
「靡國不到」でググルと、最初に「研究会概要真説・魏志倭人傳」というのがヒットする。
やたら説文を引っ張ってくる大訂正氏って、これの関係者なんだろう。
岩元正昭氏本人だったりするかもしれない。
この人は、倭人伝を説文で読むと主張しているけれど、
肝心の説文の意味が解ってないし、段注も誤読している。
134卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/13(金) 16:46:47.72
>>133で紹介されているサイトを暇つぶしに読んでみた。一言でいえば論理不明確。

従と自、至と到、の違いについては、そこそこ理解できる。
しかし、行、の説明に至っては、なぜ投馬国の行程が帯方郡を起点としているのか、さっぱり不明。
又、の解釈も、このおっさんの勝手な解釈だと思われる。

こんなおっさんが北京大学の名誉顧問なのだから…(あとは言うまい)。
135日本@名無史さん:2012/04/13(金) 17:04:10.62
>>134
名誉顧問といっても医学部だからね。漢籍とは関係ない。
136日本@名無史さん:2012/04/13(金) 18:48:38.71
もしもお帯方郡の治所が帯方縣にあったとしたら

帯方郡治から狗邪韓國まで(7000里=210万歩≒539km)にはかなり無理があるよね

中間の上陸地点から狗邪韓國まで直線でカウントしたら辻褄とか合わせられちゃうけどね

ぜんぶ沿岸行きだと`数オーバーしやうこと必死だわな
137日本@名無史さん:2012/04/13(金) 18:51:17.97
実距離だと短里で9000里〜10000里位だな。
138日本@名無史さん:2012/04/13(金) 18:52:18.51
帯方郡治は朝鮮の領域にある

帯方郡治は韓の領域にはない

帯方郡治は韓の領域の北外側にある
139卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/13(金) 19:51:24.48
帯方郡治は熊岳。
現在の中華人民共和国遼寧省営口市ハツ魚圏区熊岳鎮。
140卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/13(金) 19:54:37.62
百済の始祖と言われる尉仇台の碑文を現在の韓国公州の地に移動させたのは、かつての日本の軍部と御用学者たち。
その碑文は、現中国遼寧省熊岳城に立っていたと伝えられる。

つまり百済ももともとは熊岳あたりにあったのである。
141日本@名無史さん:2012/04/13(金) 20:37:38.57
まぬけなとおさんが「熊」地名のだけからで妄想とかしているだけだろ

百済の故地は遼東でなくて遼西だからねメモしておこうね

そんな熊岳鎮なんて公孫氏本拠に近いところなら

明帝密遣越海定二郡とかのリアリティがど〜んと消し飛んでしまう罠
142日本@名無史さん:2012/04/13(金) 20:47:20.29
まああれだわ

そおゆうへんなところに公孫氏の事務所があったとしてだな

半島を本体攻略せんとする場合には

そおゆうとこ

たぶん船のこと得意な人とかに手伝ってもろてからに

渡海とかして

もって そこいらへん抑えても意味とか無いよな

143卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/13(金) 22:26:38.89
まぬけ からに のの  ←俾彌孤の文体

俾彌孤はまぬけだなw
帯方郡治がそういう近いところだからこそ、
明帝密遣越海定二郡が意味を持つんだよ。
144日本@名無史さん:2012/04/14(土) 00:09:30.57

640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『監査法人 (2008)』反体制・反社会

A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会

B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会


日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
145卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/14(土) 09:42:57.84
>>18で紹介した古賀達也という人は高良玉垂命を九州王朝の天皇と考えているようだが、
その系図を見ると、初代玉垂命の横にちゃんと物部保連(やすつら)と書かれているではないか。

そもそも命というのは古代における貴人の尊称なのだから、天皇とは直接の関係はない。
大善寺の由緒書によれば、玉垂命は仁徳55年にその地に来た、とあるのだから、
古賀氏の想像しているように、天孫降臨以来その地にいたわけではないのである。

要するに九州王朝などというのは幻である。
146あきれ虎:2012/04/14(土) 11:05:44.82
睾丸無恥の汚らしいのに構うな。
こいつがぬけぬけと居座るようでは閑古鳥が鳴くぞ。
147日本@名無史さん:2012/04/14(土) 11:22:57.56
(´・ω・`)・ω・`)
148卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/14(土) 13:12:41.68
伊作は私の朝鮮説を毛嫌いしているようだが、それは時代遅れ。
ネットを見ても、山形明郷に同調している人がポツポツ現れてきている。

進んでいる人は朝鮮説に注目している。
149匙投げ虎:2012/04/14(土) 15:06:46.57
>146
>こいつがぬけぬけと居座るようでは閑古鳥が鳴くぞ。

あんたが、まともな奴まで潰すからだろう
少しは手加減しろよ
面白くねぇだろ!
150日本@名無史さん:2012/04/14(土) 15:09:21.09
 「俀」のテスト投稿!
151大訂正!:2012/04/14(土) 15:17:50.49

 「漢光武時遣使入朝 自稱大夫」

 「安帝時又遣使朝貢 謂之俀奴國」

 「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」

 「安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」

 「俀奴國」と 「倭奴國」。
は、何を持って「 俀」、何を持って「 倭」。


 邪屆伊都 傍連斯馬 廣志曰 俀國東南陸行五百里 到伊都國 又南至邪馬嘉國 
百女國以北 其戸数道里 可得略載 次斯馬國 次巴百支國 次伊邪國 
安俀西南海行一日 有伊邪分國 無布帛 以革爲衣 盖伊耶國也 
中元之際 紫綬之榮 漢書地志曰 夫餘樂浪海中 有俀人 分爲百餘國 
以歳時獻見 後漢書 光武中元年二 倭國奉貢朝賀 使人自稱大夫 
光武賜以印綬 安帝初元年 俀王師升等獻主口百六十 
景初之辰 恭文錦之獻 槐志曰 景初三年 俀女王遣大夫難升未利等 
獻男生口四人 女生六人 布二疋二尺 詔以爲新魏倭王 假金印紫綬
 正始四年 倭王復遣大夫伊聲耆振邪拘等八人 上獻生口也




152日本@名無史さん:2012/04/14(土) 15:39:15.37
>>149
手加減なんかいらんが、汚い言葉はやめてくれんかな。
内容とか関係なしに、それだけで、もう、レスを読む気がうせる。
153日本@名無史さん:2012/04/14(土) 15:53:26.75
>睾丸無恥
伊作の汚れ
154日本@名無史さん:2012/04/14(土) 16:47:37.19

     _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ______________  __
         |街宣車両の正体  朝鮮人工作員     .| |検索|←をクリック!!
155日本@名無史さん:2012/04/15(日) 08:44:57.81
邪屆伊都 邪馬台国は伊都国に届く。放射式を明言した言葉ですね。
156日本@名無史さん:2012/04/15(日) 09:22:41.47
「邪届伊都、傍連斯馬」

其餘旁國は、伊都国と邪馬台国の間に連らなってるんだね。
伊都国から放射式が正解だろう。
有明海説では、少し無理があるよね。

157日本@名無史さん:2012/04/15(日) 09:47:57.91
>其餘旁國は、伊都国と邪馬台国の間に連らなってるんだね。
傍を傍らと読むのならば、伊都国と邪馬台国の間にあるのは斯馬国だけに
なってしまうよ。
傍連斯馬 傍は旁国の旁だろう。旁国は斯馬国に連なり記載されているとい
うだけの話だよ。全部を伊都国と邪馬台国の間にあったとみることはできない。
158日本@名無史さん:2012/04/15(日) 09:53:35.23
写真版で見ると、「屆」と「俀」は字体が原本と違ってるな。
どこの資料から取ってきたんだ?
159卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/15(日) 10:56:29.00
話を蒸し返すようで申し訳ないが、
夫子至於是邦也 必聞其政
この必聞其政は、必ずその政が聞こゆ(知れ渡る)、と読むのだろう。

通説の、王侯が聞く、の意味にしては、王侯に相当する語がない。
また、聞こゆ、には、申し上げる、という意味もあるが、その場合も、王侯に、に相当する語がない。

ゆえに、これは、聞こゆ、と読むのが正しい。話の意味もそれで完全に通じる。

孔子が来ると、必ずその政が知れ渡る。それは孔子がそれ(知れ渡ること)を求めるのか、
それとも孔子がそれを与える(自ら告げ知らせようとする)のか、という意味だろう。
160日本@名無史さん:2012/04/15(日) 11:20:11.19
王侯は孔子に尋ねる、それを聞くのは孔子。
161日本@名無史さん:2012/04/15(日) 11:21:24.90
>157
>傍を傍らと読むのならば、伊都国と邪馬台国の間にあるのは斯馬国だけに
なってしまうよ。

次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴利國、次有支惟國、次有烏奴國、
次有奴國。 此女王境界所盡。

連続だよ。

>全部を伊都国と邪馬台国の間にあったとみることはできない。

全部だよ。 でなきゃ、記載した意味がないだろ。
162日本@名無史さん:2012/04/15(日) 11:22:20.39
>>159
>通説の、王侯が聞く、の意味にしては、王侯に相当する語がない。

>>160さんも言ってるけど、通説は、「孔子が聞く」。「王侯が聞く」じゃないよ。
「孔子が、それぞれの国の主君の相談を受けて、その国の政治に関与した」ことを言っている。

論語・子路篇の
「冉子退朝。子曰。何晏也。對曰。有政。
子曰。其事也。如有政。雖不吾以吾其與聞之。」
(し のたまわく それ ことならん 
もし せいあらば われをもちいずといえども、われ それ これをあずかりきかん)
の與聞(あずかりきく)とおなじ。

「政治に参与する」という意味の「聞政」という熟語もある。
163日本@名無史さん:2012/04/15(日) 12:25:59.56
>>161
旁国があるのは行程の傍らではない。使者が尋ねた大国(投馬国、邪馬台国)の傍らだ。

164日本@名無史さん:2012/04/15(日) 12:59:02.07
旁国≒傍国が分からんのに21か国を記述
最後に前に述べた伊都国から東南100里の奴国に戻る
全部伊都国と邪馬台国の間にあったんじゃないの
165大訂正!:2012/04/15(日) 13:09:21.36
>>161
>>全部を伊都国と邪馬台国の間にあったとみることはできない。
>全部だよ。 でなきゃ、記載した意味がないだろ。

次有斯馬國から次有奴國。迄の国は
伊都国と邪馬台国の間に在るのではなく
「女王以北」にあるんじゃないの?
又、
廣志曰で、「百女國以北」とあるから
少なくとも
「凡百餘國 自武帝滅朝鮮 使驛通於漢者三十許國」以前の話ですね。
まだ、
邪馬台国建国前であるから「邪馬嘉國」とあり
この邪馬嘉國には「俀」は介入していなかった。
と。。。。。
さて、
「百女國以北」の領域は如何?

166日本@名無史さん:2012/04/15(日) 13:23:12.07
九州説でも畿内説でも二十一ヶ国の比定地はあるんだがかなりこじつけ
読みの一部に残ってるか読みとしても死んでるんだろうな
なんやねん華奴蘇奴って
167大訂正!:2012/04/15(日) 14:16:54.51



>>158 名前:日本@名無史さん :2012/04/15(日) 09:53:35.23
>写真版で見ると、「屆」と「俀」は字体が原本と違ってるな。
>どこの資料から取ってきたんだ?


http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/kannenn/framepage1.htm
です。

「屆」と「俀」
の字体の写真は
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE4ZdicBFZdic80.htm

http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicB1Zdic86.htm

ですか?

168大訂正!:2012/04/15(日) 15:17:35.54

「百女國以北 其戸数道里 可得略載 次斯馬國 次巴百支國 次伊邪國 」

「次斯馬國」の「次」を名詞の『順序』と解釈するか、それとも
「次」を『動詞』と解釈するか?
もし、『動詞』なら
次,舍也。——《 礼記・檀弓上》注。
舍捨二字義相同。——《説文》
捨,释也。从手,舍声。——《説文》
169日本@名無史さん:2012/04/15(日) 15:37:26.36
>>167
写真でみると、「届」と倭は人偏に立、女だよ。
170日本@名無史さん:2012/04/15(日) 15:48:53.06
てか、参照先URLでも「人+立+女」になってるべ
171日本@名無史さん:2012/04/15(日) 16:09:35.51
>>168
次有だろ
順序だよ
172日本@名無史さん:2012/04/15(日) 16:25:55.34
道里が分からんのだから、順序をつけることができたとも思えない。それから○○国がある、ということかな。
173日本@名無史さん:2012/04/15(日) 20:07:08.14
いい加減、目覚めなさい

日本という国は、そういう特権階級の人たちが、楽しく、幸せに暮らせるように、
あなたたち凡人が、安い給料で働き、高い税金を払うことで、成り立っているんです。
そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでいるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。 

世の中のしくみや、不公平なんかに気づかず、
テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら、上司の言うことを大人しく聞いて、
戦争が始まったら、真っ先に危険な所に行って戦ってくれればいいの。

174河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2012/04/15(日) 23:58:23.90
まだやってるねー


ガンバレ若者達
175日本@名無史さん:2012/04/16(月) 01:08:31.80
>>165
>次有斯馬國から次有奴國。迄の国は伊都国と邪馬台国の間に在るのではなく
>「女王以北」にあるんじゃないの?
女王以北にあるなら戸数道里が書いてないといけない。女王以北以外のところに
あるんだよ。

>廣志曰で、「百女國以北」とあるから
「百」は「自」の誤写だろう。つまり、自女国以北=女国より以北だね。

>邪馬台国建国前であるから「邪馬嘉國」とあり
「邪馬嘉國」は邪馬台国の誤写だよ。


176日本@名無史さん:2012/04/16(月) 01:27:44.64
誤写ばかり 仕事に対する責任感が足らん。
177日本@名無史さん:2012/04/16(月) 02:12:27.18

 <=( ´∀`)  
 (    )  朝鮮人は宇宙一ニダ
 | | |   
 〈_フ__フ


  Λ_Λ    
 < ;`Д´>  あ…
 (    )ポロ 
 | | |  ヽヽ
 (__フ_フ =( ´∀`)

朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。
178日本@名無史さん:2012/04/16(月) 12:55:12.68
投稿テスト
179日本@名無史さん:2012/04/16(月) 13:02:50.83
>>169
>>167
>写真でみると、「届」と倭は人偏に立、女だよ。
>>170
>てか、参照先URLでも「人+立+女」になってるべ
『人偏に妥』は『隋書』。
『人偏に委』は『後漢書、魏志』。
『人偏に妾』は『翰苑』で『人偏に委』と並列記述。

「宣公 名倭。一名接。 又作委。文公子。母敬嬴。謚法、善問周達曰宣。」
が、uikipedia では
宣公(せんこう、生年不詳 - 紀元前591年)は、魯の第21代君主。
名は餒(俀(たい))。文公の子で、文公の後を受けて魯国の君主となった。在位18年。
とあり、
倭が『餒(俀)』に成っているが、この記述の根拠は何?
している人が居たら教えて。。。。。

180大訂正!:2012/04/16(月) 13:17:11.56
>>179

HNを忘れた。
181大訂正!:2012/04/16(月) 13:25:32.00

>>174 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ

元気がでたら
    参加してね。
  九州説が盛り上がるからさ。
      それを崩すのもまた面白いから。
182日本@名無史さん:2012/04/16(月) 14:00:29.35
邪届伊都、傍連斯馬。
廣志曰。倿國東南陸行五百里、到伊都國、又南至邪馬嘉國、百女国以北、其戸數道里、可得略載。次斯馬國、次巴百支國、次伊邪國、安倿西南海行一日、有伊邪分國、無布帛、以革爲衣、盖伊耶國也。

出典 http://www.seisaku.bz/rekidai_waden/111_kan-en.html
183大訂正!:2012/04/16(月) 14:24:19.31
屆 の現代文字は届だと思うが、
届は何時ごろから使われた文字?

屆: 行不便也。一曰極也。从尸凷聲。古拜切〖注〗暨、艐,古文屆。

184日本@名無史さん:2012/04/16(月) 15:03:58.92
テスト投稿


185日本@名無史さん:2012/04/16(月) 15:10:10.96
倿は佞の訛り字
佞:説文解字
巧讇高材也。从女,信省。乃定切〖注〗臣鉉等曰:女子之信近於佞也

巧讇高材也。巧者,技也。讇者,諛也。・・・清代段玉裁『說文解字注』

186日本@名無史さん:2012/04/16(月) 19:00:13.39
大訂正!は自身にも分からないであろう内容の書き込みが多い。
目障りだ。他のスレに行ってくれ。
187日本@名無史さん:2012/04/16(月) 20:26:04.33
わかりますた。
188日本@名無史さん:2012/04/17(火) 01:33:53.30
陸路だと一ヶ月、水路だと10日だろ

その当時の道なんてけもの道みたいなもんだろうから、奈良まで一ヶ月

かかっただろう。

邪馬台国は奈良で何も問題ないな

189日本@名無史さん:2012/04/17(火) 02:19:07.38
河内湖の日下あたりに上陸したとして奈良盆地南部まで10数キロしか離れてないぞ
道程がぜんぶ獣道でも一月もかかるわけないだろ…
190日本@名無史さん:2012/04/17(火) 02:51:44.39
陸路だと一ヶ月、水路だと10日つーのはそこまで不自然なことはないが・・なぜ陸行せねばならん。
陸路だと船から荷物を下ろして人が運ばねばならん、小川以上の川には橋も無い、
獣や野盗から襲撃される恐れもある。
できる限り水行してかなり遠回りになるときだけ陸行したはず。
今の大阪府のどこかから一日かゆっくり行っても二日だね。
191日本@名無史さん:2012/04/17(火) 07:19:41.77
結局、大和説をいう以上、連続説、陸行1月は一日の誤記と言わざるをえんわけだ。
北九州から水行三十日陸行一日ならば何とか合いそうだということでね。
192日本@名無史さん:2012/04/17(火) 07:49:03.48
てか日本中どこでも陸行1月もかかるようなとこに都市とかあるのかな
193日本@名無史さん:2012/04/17(火) 08:48:47.72
>>190
あの時代には日本海側の角鹿(現在の福井県敦賀市)に
着港した可能性もあるそうだ。
実際に日本書紀が卑弥呼に比している神功皇后は、三韓征討の際、
大和(奈良)から越前へ向かい、角鹿から山口県まで水路を取っている。
遣隋使や遣唐使の時代の瀬戸内海往航しか道がないわけじゃない。
実際に古代に使われていた交通路という意味で。
194卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/17(火) 09:47:24.65
神功皇后は父親が近江あたりの皇族で、母親はアメノヒボコ系で日本海側と縁が深い。
それで角鹿から出発しているわけで、卑弥呼が神功皇后の伝聞だとすれば、
日本海航路説は大いにありうることである。
195日本@名無史さん:2012/04/17(火) 09:51:21.48
だが、日本海航路ならば北九州から東北へ向かうことになる。

196日本@名無史さん:2012/04/17(火) 10:44:12.87
瀬戸内海航路でも向きは東北だけどね
197日本@名無史さん:2012/04/17(火) 12:14:30.30
>>186
>大訂正!は自身にも分からないであろう内容の書き込みが多い。

君が理解出来ないだけだろう。
‘ 乍南乍東 ‘ はどうだ?
‘ 乍南乍東
乍東乍北
    乍北乍西
乍西乍南 ⇒  乍南乍東

という円環を‘‘ 乍南乍東‘と簡略記述している。

云う事は理解しているかな? 




198日本@名無史さん:2012/04/17(火) 12:43:18.94
>>186じゃないが、余計にわからん。
199大訂正!:2012/04/17(火) 12:47:36.00
>>198 名前:日本@名無史さん :2012/04/17(火) 12:43:18.94
>>186じゃないが、余計にわからん。

理解出来ていないから
 魏志倭人伝の『方位』問題が解決できないで居る。

只、それだけだ。
200卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/17(火) 12:51:48.61
倭人伝の行程記事で、リアリティがあるのは、伊都国まで。
そこから先はリアリティがない。

それで、魏使は伊都国までしか来ていない、という論が出てくるわけだが、
魏志は日本には来ていないのである。
201日本@名無史さん:2012/04/17(火) 13:12:23.26
>>198
いつもの説文病だろ
気にするな

先日、なんでも鑑定団で、オレのお宝はスゴイと自信満々で偽物もってきた人を見てて、
ふと大訂正とか伊作とかを連想した。
202日本@名無史さん:2012/04/17(火) 13:12:28.41
公里と短里の比率、1/6を、日数にも適用するだけで、
方位問題も距離問題も、そもそも発生しない。

一日15キロ程度の旅程で一月=三十日歩くと、450キロ
これを1/6すれば 70〜80キロ

これを一月の距離とするだけ。

これと同様の距離は、隋書倭人伝、百済伝でも使用されている。

後はそのまま倭人伝に適用すれば良い。
それ以外の特殊な解釈は全く必要がない。

さあ、倭人伝の日本語訳と、地図を見て、行程をたどってみよう。
203大訂正!:2012/04/17(火) 13:23:34.49
>>202 名前:日本@名無史さん :2012/04/17(火) 13:12

>公里と短里の比率、1/6を、日数にも適用するだけで、
>方位問題も距離問題も、そもそも発生しない。
『公里と短里の比率、1/6を、日数にも適用するだけで』、
という、新しい里程の発明など何の意味もなさない。
里程の発明によって展開される倭人伝は『貴方だけの倭人伝』でしかない。

断言は未だ早いが
魏志倭人伝は魏尺ではなく漢尺で記述されている可能性がたかい。


204日本@名無史さん:2012/04/17(火) 13:31:18.73
>>193

敦賀まで水路で10日で、そこからけもの道を一ヶ月でいい。

邪馬台国は奈良だ

205日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:09:01.87
黒潮の時速が40kmとして24時間、1ヶ月というとハワイか?
206日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:10:25.43
>>204
それは日数合わせの経路。
だいたい方向が違う。水行は東で陸行は南とか、あまりに都合が良すぎる。

そんなのが許されるなら、糸島から東に水行で大分まで行き、そこから東に陸行で
福岡市まで行く。ここが邪馬台国なんていうのもありえるわけで、もう日本中
どこでも邪馬台国になりえる。
207日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:12:50.96
>>203

大丈夫、隋書百済伝では、240キロ程度の距離を
三月行と記録されている。

また、周髀算経でも、同様の距離が算出される。

一応だが、根拠は存在している。

安心して、1/6換算して良い。
208日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:20:39.83
倭人伝の里は普通の里ではないことが分かるが、日数を6分の1する理由は
まったくない。
そんな無理な話ではなく普通に考えればいいんだよ。我々はどこかへ行こう
という時に、そんなに毎日15キロも歩くものではない。一生懸命歩いたら
翌日は休むとか、適当に休養をとりつつ歩くんだ。
まあ、自分で歩いてみることだな。1か月どれだけ歩けるかわかるだろう。
209日本@名無史さん:2012/04/17(火) 14:37:32.18
近代陸軍の一日の行軍速度(連日)で24キロが標準。
欧州もそれくらいを目安にしていたようですな。

ふりかえって、街道の宿場間距離は、最長でも16キロ程度。
これより短い宿場間の距離はいくらでもあるが、
これより長いものはない。

軍隊ではない旅程はそんなもんだろう。
一応、このペースで連日の旅はできたようである。

また、若干早いペースで数日歩いて、一日休み、
これの平均で一日15キロ〜16キロという説もあるらしい。
210日本@名無史さん:2012/04/17(火) 16:49:35.81
倭人伝が伝える日数を近代陸軍の行進速度で考えるわけにはいかない。
古代においては、荷物も人力で運ぶ、食事や宿所の準備にもかなりの
時間がかかっただろう。
211日本@名無史さん:2012/04/17(火) 17:36:05.66
流されて着くのが一番らくちん
212卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/17(火) 18:37:32.10
倭人伝の里数が約6倍の数値で書かれている、というのが、まるで既定事実であるかのごとく論じられているが、
そんなことはない。それは帯方郡がソウルにあったと想定しているからである。

帯方郡が遼東にあったとして、魏使が営口から出発したと仮定すると、
営口から半島西南角までは直線距離で約750km。これは公里で約1700里。
倭人伝はそれを7000里としているのだから、約4倍の数値で書かれている。

半島西南角から釜山までは約240km。これを足すと約1000km。これは公里では約2300里。
倭人伝はそれを7000里としているのだから、約3倍の数値で書かれている。

つまり約3〜4倍の数値で書かれているのであって、決して6倍ではない。
213日本@名無史さん:2012/04/17(火) 19:08:52.04
陳さんのでわ

夫餘のも高句麗のも東沃沮のも挹婁のも韓のも倭のも

ぜんぶ正規周里で記述されているのにきまりだわ
214日本@名無史さん:2012/04/17(火) 19:18:46.73
なんすか正規周里って?
215日本@名無史さん:2012/04/17(火) 19:30:50.65
>>212
>帯方郡が遼東にあったとして、

貴方は、まず、その前提をどうにか証明すべきであろう。
そうでない前提の上に、いくら論を盛っても、
砂上の楼閣というものである。
216日本@名無史さん:2012/04/17(火) 19:35:29.42
あと、倍率は違えども、数倍の倍率をかけて、
読むべし、というのは同意と見て良いのか?
217日本@名無史さん:2012/04/17(火) 20:26:01.41


スイス政府著「民間防衛」より転載


某国元首:費用のかからない方法で敵(国)を滅ぼすことができる。
魅力でひきつける宣伝は効果的な武器だ。我々の意図を美しい装飾で包み隠そう。
文化は立派な隠れ蓑になる。音楽・芸術・旅行などの口実で仲間をつくり、一方的な文化交流をしよう。
彼らは徐々に罠にはまっていく。


韓流、AKB商法の正体
もちろん、韓流、AKBは捏造ブームである。

ヨン様ファン?
もちろん在日ババアの動員ですよ。
テレビは愚民の思考を止めるために存在し、そのためにテレビ業界が役人、政治家により手厚く保護されていることを忘れないでください。
218日本@名無史さん:2012/04/17(火) 20:51:20.06
蛙のおおさまとかてなんかかわゆいよね
219日本@名無史さん:2012/04/17(火) 21:05:51.99
蛇仕立てのはんことかが好物なのが委那の王家なんだよね

皇帝さんて土人の好物のこととか良くご存知だ罠
220卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/17(火) 21:29:25.94
>>215
何回も書いたつもりだが、たとえば帯方郡の中に列口県というのがある。
列口、県名なり、列水の河口は遼東にあり (『資治通鑑』の「漢記」)
列は水の名、列水は遼東にあり(『後漢書郡国志』)
列、水名。列水在遼東(郭璞注山海經)
帯方は列口県に有り。『山海経巻十二・海内北経』
帯方県を按ずるに、疑うらくは、亦、今の省境に在り。『奉天通志巻五十三沿革志』
※帯方県=帯方郡帯方県、省=奉天省=今の遼寧省東部方面

高句麗本紀146年秋8月に、
王が将軍を派遣し、後漢の遼東西安平県を襲撃し、帯方令を殺し、楽浪太守の妻子を奪いとった、とある。

385年に高句麗は遼東を襲撃するのだが、
これより前に、燕王の垂が、帯方王の慕容佐に龍城を守らせていた、とある。

咸寧二年十月 分 昌黎 遼東 玄菟 帶方 樂浪等郡國五 置平州 (『晉書』地理志上 平州 )
平州とは現在の遼寧省つまり遼東。
221日本@名無史さん:2012/04/17(火) 22:46:44.01
「漢魏時代大同江称為列水」

漢魏時代は「大同江」を列水と呼んだ。んだんだ。
大同江の流れている場所ぐらいは分かるだろ。
222日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:01:31.71
どうやら、遼東半島の先端と、北西側の根本に、
列水と呼ばれる地名があったようだな。

それと、>>221の人が示した、今までの定説である平壌の南側にも。

探したら、もっと見つかったりして。
223日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:08:18.39
>>221
出典元は?
伝承が断絶した後の時代の解釈じゃないだろうな?
224卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/17(火) 23:10:12.68
>>221
>漢魏時代大同江称為列水

この出典は?
225日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:13:26.25
大同江を列水と呼ぶのは、現在の定説やね。
226日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:30:01.01
列水は遼東に在りから遼東半島に列水があったと思い込んだのが間違いだろう。
遼東というのは、遼河の東、遼東半島に限られるわけではない。
朝鮮半島も遼東だということだろうよ。
227日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:31:58.85
そして帯方郡は朝鮮半島東岸、日本海側。
228日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:38:56.88
帯方郡から楽浪郡を経て遼東半島だから、
帯方郡が遼東半島にあるというのは、ちと無理があるな。

このへんは定説通りでいいと思うが。

それと、列水という地名は複数あるようだから、
幾つかの川がならんだ状況を示す、普通名詞みたいな
もんじゃなかろうかね?
229日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:42:10.59
>>228
遼東郡から楽浪郡を経て帯方郡なわけだが
230日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:44:00.51
同じじゃん。
231日本@名無史さん:2012/04/17(火) 23:48:23.31
>帯方郡から楽浪郡を経て遼東半島だから、
>帯方郡が遼東半島にあるというのは、ちと無理があるな。
2行目が1行目の帰結になってないんだよな。
232日本@名無史さん:2012/04/18(水) 00:04:41.61
朝鮮氏の根拠崩壊?

いや、もともと氏の話が難解でろくに読んでいなかったけどな。
233日本@名無史さん:2012/04/18(水) 00:28:18.16
平壌市郊外の楽浪漢墓から漢代の漆器をはじめとして遺品が大量に出てるからねー
朝鮮氏は統治時代に日本軍が移設したといっていたが、2,000以上もの墳墓を移設って無理があるだろー
234日本@名無史さん:2012/04/18(水) 00:53:48.14
朝鮮氏は百済と朝鮮の区別ができないだけさ

遼西の巣から抜け出してすり替わった酋長さんのところも

遡って百済と称しているだけなのさ

てか 遼東と遼西の区別もできてねえ氏ね
235卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 09:35:24.66
そんなことはどうでもいいから、
>>漢魏時代大同江称為列水
の出典を出してもらいたい。

時代などという言葉を使っているところを見ると現代の書物じゃないのか?
古典籍なら漢魏時あるいは漢魏代と書くはずだが。

北朝鮮と、韓国の一部の学者が、楽浪郡も帯方郡も朝鮮半島外にあったと主張しているということは、
その動機が民族主義にあるにせよ、それなりの根拠があるはずなのである。

現に、私がここに書いていることは、私が調べたことではなく、本やネットで拾ってきた情報である。
日本の在野の研究者に、こういうことを調べている人がいるのである。

君らは、ただ単に、楽浪郡や帯方郡の位置について、関心も疑問も持っていなかったというだけである。
倭人伝の里数について討論するなら、まず帯方郡の位置について真剣に考察すべきである。

236日本@名無史さん:2012/04/18(水) 10:47:40.16
>北朝鮮と、韓国の一部の学者が、楽浪郡も帯方郡も朝鮮半島外にあったと主張しているということは、
>その動機が民族主義にあるにせよ、それなりの根拠があるはずなのである。
学者の言うことだからといって鵜呑みにしてはいけない。 楽浪郡も帯方郡も朝鮮半島外にあったという
主張に根拠らしい根拠はないよ。

>まず帯方郡の位置について真剣に考察すべきである。
そんなことは考察済みだよ。



237大訂正!:2012/04/18(水) 11:49:14.77
>>207
>>203
>大丈夫、隋書百済伝では、240キロ程度の距離を
>三月行と記録されている。
>また、周髀算経でも、同様の距離が算出される。
>一応だが、根拠は存在している。
>安心して、1/6換算して良い。
「南北三月行」を里程に換算するすると
3月×30日÷40日=二千二百五十里。
二千二百五十里 ≒ 2.25千里×432km=972km。
「俀國在百濟新羅東南水陸三千里」の「三千里」は
何処から何処まで?
「度百濟行至竹島南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國」の
魏志の對海【馬】國が都斯麻國で、
魏志の一大國が一支國なら、
魏志では對海【馬】國(都斯麻國)から魏志の一大國(一支國)の方位は
「南」なのに、
隋書では「東」に
なってるがこれを解決できるかね。

「又東至秦王國」の「秦王國」とは魏志の「邪馬壹【臺】國」に相当するが、ここの『秦と邪』は『古秦』の末裔になることなるが?

とりあえず、方位の『南を東』と記述されていることを解決できる者がいれば
高説を伺いたいものだ。

・・・・「乍南乍東」・・・・
238卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 12:50:10.66
>>236
君は、そういう北朝鮮や韓国の一部の学者の説を読んだことは、おそらく、ないだろうから、決めつけてはいけない。
そういう学者の本が日本で出版され、それを読めば、また考えが変わるかもしれないのである。

それより、>漢魏時代大同江称為列水 を挙げた人は、その出典を出してもらいたいのである。
私だとて、帯方郡が半島外にあったと強弁するつもりはないのである。
ただ、そう思われる資料がある以上、それを無視することはできないのである。
239日本@名無史さん:2012/04/18(水) 13:13:46.63
「朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕」
【注释】
@朝鲜:位于今朝鲜半岛。
A列阳:地名,“列”指列水,一说即今朝鲜大同江,“列阳”指位于列水南边的地方。
B海:指黄海。
C山:一说可能指长白山。
240日本@名無史さん:2012/04/18(水) 13:51:32.85
>>238
>そう思われる資料がある以上、それを無視することはできないのである。
そんな資料があるなら、それを紹介したらいいだろう。
ただ、あなたがこれまで述べているようなものはとても根拠にはならない。


241日本@名無史さん:2012/04/18(水) 17:53:51.53
朝鮮氏はのおみそがまぐろだから時間軸に沿った発想とか不得意

遼東が帶方故地であるとゆうのはそれはあたりまえのことだろ

遼東属国のネーミングで散見されるのが百濟の元種なんだろ
242日本@名無史さん:2012/04/18(水) 18:11:01.12
>>235
>そんなことはどうでもいいから、
>「漢魏時代大同江称為列水」 の出典を出してもらいたい。

http://zh.wikipedia.org/wiki/大同江
大同江历史/ 汉魏时代大同江称为列水;隋唐时期被称为浿水、
唐以及后来的渤海国与新罗以此浿水为界。高丽后此流域被朝鲜继承至今。

現代の「維基百科・自由的百科全書」というものだが、
「卑弥呼は朝鮮にいた」という人物の胡散臭い言説よりも遥かに信頼性がある。
243日本@名無史さん:2012/04/18(水) 18:16:23.79
http://zh.wikipedia.org/wiki/大同江

ただクリックするとタイトルページへ行く。
肝心のページへ飛ぶには、
表記したアドレスの「大同江」までをコピーして、
ブラウザのアドレスウインドウに貼り付けるとよい。
244日本@名無史さん:2012/04/18(水) 18:17:58.35
古事記や日本書紀で東遷したってあるけど
邪馬台国が九州とは限らんのじゃ?
245日本@名無史さん:2012/04/18(水) 18:44:34.57


ホリエモン  元ニート  でググれ


腹よじれてワロタwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
246サガミハラハラ:2012/04/18(水) 19:10:49.61
>>244
マスコミの情報しかしらない一般の人達は、邪馬台国は巻向だとおもっていますが、邪馬台国研究をしている人達、学界在野を問わず
邪馬台国は九州であることが分かっています。
これは世間的に畿内説をとっている人もおなじです。
247日本@名無史さん:2012/04/18(水) 19:20:16.46
邪馬台国があったのは各自の出身地です。
248卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 19:42:41.22
>>239>>242は現代の解釈だから、そんなものは根拠にはならない。
>>240
>>220で私が挙げた資料では根拠にならないというのなら、君は一体どんな資料を求めているのか。
資料を百ほど提示しなければ満足しないのか?
>>241
俾彌孤よ、そりゃ楽浪郡や帯方郡の位置が時代によって変遷しているかもしれない、ということくらいは、
私だって想定している。しかし地名や水名がそう簡単に移動するかは疑問なのである。

たとえば、楽浪遂城県有碣石山 長城所起 という資料がある。楽浪郡の遂城県が山海関あたりにあるという資料だ。
そしてこの遂城県というのは漢書と後漢書の楽浪郡の県名リストのどちらにもちゃんと入っている。   
そうすると少なくとも後漢代までは楽浪郡はそのあたりにもあったことになるのである、その後のことは知らないが。

仮に魏代には楽浪郡が遼東(普通の意味での遼東、つまり遼河の東)に移っていたとしても、
帯方郡七県のうち六県まではもともと楽浪郡に含まれていた県である。そうすると、
帯方郡はソウルにあったと主張する人は、楽浪郡はソウルまであったと証明しなければならないのである。
249卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 19:51:51.29
俾彌孤は遼東属国というのがソウル以南の百済のことだと思っているのか?

佃収「倭人のルーツと渤海沿岸」

私は今この本を読んでいるのだが、俾彌孤も一度この本を読んでみればよい。
その他の諸君にもお勧めする。
250日本@名無史さん:2012/04/18(水) 20:00:34.36
>>249
遺伝子レベルで中国の越の国に近いって出てるだろw
お前何時の時代の人間だ
251日本@名無史さん:2012/04/18(水) 20:03:43.53
遼東郡にも、帯方郡にも列水という地名があるとなると、
帯方郡が遼東半島まで伸びていたという証明は、
そう簡単じゃなくなるな。
252日本@名無史さん:2012/04/18(水) 20:04:36.31
朝鮮氏が守勢に立っているというのも、なんか新鮮だなw
253日本@名無史さん:2012/04/18(水) 20:30:14.23
  Λ_Λ  
 <=( ´∀`)  
 (    )  朝鮮人は宇宙一ニダ
 | | |   
 〈_フ__フ


  Λ_Λ    
 < ;`Д´>  あ…
 (    )ポロ 
 | | |  ヽヽ
 (__フ_フ =( ´∀`)
朝鮮人だらけの東京のテレビ局が日夜流す、デマや歪曲に騙されないようにしましょう。
254日本@名無史さん:2012/04/18(水) 20:41:23.90
要するに邪馬台国論争にかこつけて強引に朝鮮人の主張する朝鮮の歴史に話をもっていきたいだけだろ
255日本@名無史さん:2012/04/18(水) 21:02:54.37
朝鮮くんさあ

山海関が必要になってくるのはずうううとあとの時代になってからだからね

これみえるかなあ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E4%BD%99%E7%9C%8C_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
256卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 21:17:42.42
帯方郡七県のうち六県までは、もともと漢代と後漢代の楽浪郡に含まれていた県である。
そうすると、君らは、漢代にすでに楽浪郡はソウルまで広がっていた、と主張するのだな。

契丹古伝にこうある。
辰以蓋馬大山為固 以奄淥大水為城 拒漢

辰(三韓の古称)は蓋馬大山と鴨緑江を自然の防塞として漢の侵入を防いだという記事だ。
漢は蓋馬大山と鴨緑江以南に侵攻したことはないのである。

漢の領土がソウルにまで及んでいたというのはとんでもない誇大妄想である。
尤も君らは契丹古伝なんて信用できるか! というだろうが。
257卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 21:27:25.08
なにはともあれ、ここは九州スレだから朝鮮のことは書くな! という奴がいるだろうから、
その方面のことは別のスレで書く。

258日本@名無史さん:2012/04/18(水) 21:38:30.26
>>256
帯方縣を含む七縣のうち六縣までは、もともと漢代と後漢代の樂浪郡に含まれていた縣

含まれない一縣のはこれ樂浪郡の南部都尉の治所であったこの地域のコアな縣で

お名前が昭明縣から南新縣に変わったみたいですけどね

ここらへんのは北緯38度ラインの北側にあったらしいですね。。。


ソウル方面のは紀元前82年に撤退した真番郡あたりが相当するのかとはおもふが

そこののコアなところは霅縣たらゆうらしいですよ。。。
259筑紫の民:2012/04/18(水) 21:51:23.48
>>257 朝鮮の人
ずいぶん長く邪馬台国関連スレで頑張っているようだけど、
君は何が目的で邪馬台国を朝鮮にもっていこうとしているの?
260日本@名無史さん:2012/04/18(水) 22:57:28.97
>>257
九州スレだからじゃない ここは日本史の板だ 
卑弥呼が朝鮮にいたor邪馬台国が朝鮮にあったという場合でも、
その倭国の範囲が日本を含んでいないのなら世界史板のほうだ
261日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:03:36.04
扶余の虚像とゆうか化けの皮剥げかかってきているからまんんざらスレちがいともいえんよね

卑弥呼のが濊貊系みたいだとかって半ばばれてきたじゃん。。。
262卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/18(水) 23:04:27.43
>>259
何の魂胆もない。朝鮮人でもなく、右翼でもない。何のイデオロギーも持っていない。

ここに参加したときは基本文献も読んでいなかったので、この半年、基本文献を読みながら投稿してきた。
そのうち読む本も無くなり、書くネタもなくなったら退散しようかと思っているのだが、
まだ読むべき本はあるのである。次は弘仁私記とか桓檀古記とかを読もうかと思っている。

実は「卑弥呼は朝鮮にいた」という本を書こうと思ってかなり真剣に勉強してきたのだが、
目下、行き詰まりを感じているところである。何が何だかさっぱり分らなくなってきた、というのが正直なところだ。

これだけは言える。畿内説にも九州説にも、決定的な証拠は何もないということ。
もちろん私の朝鮮説にも証拠はないのだが。
263日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:09:34.39
>>262
どこをどう読んだら朝鮮に居たになるんだ?
糖質じゃないのか?
264日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:27:18.91
いいじゃないか、この板で。
邪馬台国エジプト説とかいろいろあるんだしな。
265日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:49:41.73
木村鷹太郎氏のエジプト説によると帯方郡はケルト人の国である。ケルト(Kelt)は「帯」を意味するギリシア語ケレト(Keletos)が語源である。
ケルトは古代のドイツ、フランス一帯の称。『魏志倭人伝』の旅行者は現在のヴェネツィア付近から出発した。
266日本@名無史さん:2012/04/18(水) 23:52:30.20
>>262は、朝鮮総連の工作員だから、卑弥呼が朝鮮人でないと困るのだ。
267日本@名無史さん:2012/04/19(木) 00:07:59.68
邪馬台国は月にあった
268日本@名無史さん:2012/04/19(木) 00:15:14.18
イザナギ、イザナミの話はギリシャ神話のオルフェウス、エウリディーチェの話とよく似ている。
どうやら地中海世界と日本の古代とは深い関係がありそうだ。
269日本@名無史さん:2012/04/19(木) 00:46:32.20
>>267
邪馬台国は筑にあった
270日本@名無史さん:2012/04/19(木) 01:01:22.03
須佐之男命が八岐大蛇を退治する話もペルセウスがメドゥーサの首を取ってくる話と似ている。
ヘラスに伝わる伝説に従えば、ペルシア人(ペルセス)はペルセウスがアンドロメダ姫と結婚して生まれた子ペルセスの子孫ということになる。
ペルシアの首都はスーサである。
271筑紫の民:2012/04/19(木) 06:47:33.16
>>262 朝鮮の人
先ずは畿内説なるものがどうして出来上がったのか調べるといいね。
邪馬台国が畿内にあったのではなく、もっていくためにどうしたか。
そして、なぜ、邪馬台国を畿内にもっていこうとしたのか。
畿内説の考え方は君の考えに非常に似ているよ。
272やや重ババ:2012/04/19(木) 09:39:51.82
すべては「手順」と「手法」の問題。

思いつきの自論に有利な記録はないかと文献漁りをして、
二流・三流・異聞とされる文献の部分記録に飛びつく。
その文献の性格や信頼性には無頓着で、部分記録の正否を検証することなく、
ひたすら論拠や論証に活用する。唯一の正当化口実は、「どこそこに書いてある」。
しかも、引用する記録の読みや解釈を自論に有利なようにごまかす。
これが、ナマかじり素人の定番手法。世人もバカではないから、そのことをすぐに看破する。
「卑弥呼は朝鮮にいた」の手法も例外ではないが、手順がなっとらん。
無批判・無検証に加え、確認不足・認識不足で、劣悪というしかない。

論説の基本価値は、どの文献に依拠するか、その記録をどうとらえるかで決まる。

倭・倭人・倭国に関する記録に依拠する場合、
『後漢書』倭伝すらも慎重な検証と取捨選択が要求され。。
まして三流記録の『梁書』四夷伝の倭や、『瀚苑』『広史』など異聞とされる文献、
『三国史記』『なんとか古伝』『なんとか古録』に依拠するのは論外。
こういう文献に依拠した時点で、世間では誰も顧みないと知るべきだろう。

やっている本人も通用するとは思っていないのだろうし、
自らの「思いつきの歴史」の中に埋没することに喜びを見いだしているのだろうから、
こういうのをみかけたら「オタクの自慰行為」と、相手にせず放置すること。
諸君は、「卑弥呼は朝鮮にいた」に長く構いすぎたのだ。

そういえば、さいきん。
『瀚苑』に依拠して解読したとかいう邪馬台国本が、
福岡にある九州北部説に偏った出版社から出たようだが、売れてるのかな?
273日本@名無史さん:2012/04/19(木) 09:55:21.90
      /| | ̄ ̄ ̄ ̄| |\
     /  | | //     | |//\
  ∧_||// | | ∧_∧.| | //||_∧ 
 (´-ω||// | | <#`Д´ | |   ||ω-`)      
 ( .⊃ ||/ / |__∧_∧_| .\  ||⊂ )
 ⊂_)|/   < 伊作 >    \|(_⊃
    |\    (  O  )    /|
    |  \   u―u'   ./  |
   ∧_∧| | ̄ ̄ ̄ ̄| |  ∧_∧
   (  -ω.| | ∧_∧.| | (ω-`  )
   (  . ⊃.|∩(;;  ;; )∩| ⊂   )
   (_) __) |_(    )| |/( __(_)
274やや重ババ:2012/04/19(木) 10:03:16.32
いかなる人格者の手になる論説にもいえることだが。

そこで駆使されている手順と手法が正しいか否か、
そこで行なわれている文献の引用や解釈が正しいか否か。
「手順」と「手法」の正否を見極めることで、
その論説の正否を簡単に見分けることができる。
その意味において、まっとうな手順と手法にのっとった論説は極めて少ない。

われわれ素人が手にすべき書物は、個人の欲望にまみれた「邪馬台国論説」ではなく、
数は少ないが、あくまでも客観的立場を貫いた解説本のほうだろう。(天才談)
275日本@名無史さん:2012/04/19(木) 10:33:33.62
>>220で私が挙げた資料では根拠にならないというのなら、君は一体どんな資料を求めているのか。
>資料を百ほど提示しなければ満足しないのか?
「列口、県名なり、列水の河口は遼東にあり」なんて記事に頼ってるだけではとうてい駄目だってことだよ。
遼東ってどこまでを遼東というのかな?朝鮮半島だって遼河の東にはちがいないじゃないか。
列水が太子河だというのならば、列水は遼河に合すという説明が必ずあるはずだ。都合の良さそうな記事だけ
探してこじつけてもだめだよ。
276日本@名無史さん:2012/04/19(木) 11:13:43.91
>>262

>>239の注が、何なのかわからないけど、

>A列阳:地名,“列”指列水,一说即今朝鲜大同江,“列阳”指位于列水南边的地方。

これは間違いじゃないかな。
山の陽は南側だけど、河川の陽は北側なので、列陽は列水の北側の土地だと思うよ。

「朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕」
この文は、どこで切るか解らないけど、
朝鮮が列陽にあるとしても、列陽の東にあるとしても、
列水は朝鮮より南側にあるということは変わりないね。
277卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/19(木) 11:30:40.03
>>275
「朝鮮に湿水、洌水、汕水あり、三水合して洌水となる」 (「史記三注本」の『史記集解』)

遼東に遼河と渾河と太子河が三水合している。
とすれば列水とは遼河かも。
278日本@名無史さん:2012/04/19(木) 11:51:44.06
柳河も合しているよ。
279不良ババ:2012/04/19(木) 11:51:47.62
>>275 と >>276がいわんとしているこを天才流にいえばこうさ。

>>220で朝鮮があげた文例についての検証欠如。
@その記録の信憑性の検証。
A各記録が書かれた時代の遼東の範囲の検証。
B各文献がどの記録を継承しているのかの検証
 (そういう記録を書いたのはどの文献が最初で、なぜなのか)

ただ「書かれている」ではなく、これらを自力で検証したうえで、
その記録が正しいことを証明してから論拠に使うべきである。
これが「まっとうな手順と手法」だ。
朝鮮の場合、これがつねに欠落している。
おそらくは論証の意味もわかっていないし、論証の仕方(手順と手法)もわかっていない。

諸君もそろそろ、ここから卒業したほうがいい。
280不良ババ:2012/04/19(木) 12:01:31.43
>>277
朝鮮の「湿水、洌水、汕水」と、遼東の「遼河と渾河と太子河」は違うのだが、
「三水合」という文言の共通性だけで、
朝鮮と遼東が一緒になり、さらに「列水とは遼河かも」になる。

まったく関係のない大木の枝先をつまみあげて、
似ているからと、それで大木の幹を語り・根を語る飛び石論法は、
「何でも朝鮮論」に普通にある手法だが、「卑弥呼は朝鮮にいた」の場合は格別乱暴だ。

そろそろ、こいつに関与するのをやめたほうがいい。 進歩も実りもない。
281日本@名無史さん:2012/04/19(木) 12:26:35.62
276 名前:日本@名無史さん
>>262
は、大訂正!の投稿です。

>>239の注が、何なのかわからないけど、
>A列阳:地名,“列”指列水,一说即今朝鲜大同江,“列阳”指位于列水南边的地方。
>山の陽は南側だけど、河川の陽は北側なので、列陽は列水の北側の土地だと思うよ。
陽の解釈を踏まえて明解ですね。
が、
>これは間違いじゃないかな。
指位于列水南边的地方は列陽の周囲の南が列水との境界になる。
から、列陽は列水の北側の土地でいいのではないですか。


「朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕」
>この文は、どこで切るか解らないけど、
>朝鮮が列陽にあるとしても、列陽の東にあるとしても、
>列水は朝鮮より南側にあるということは変わりないね。

興味津津の一節です。
「朝鮮在列陽北海西山東 列陽属燕」
と読んだら朝鮮、列陽のロケーションに成りますか?

魏志倭人伝の方位記述と同じです。


282大訂正!:2012/04/19(木) 12:31:38.78
↑281は大訂正!

>>232
は、
>>239の間違い

大訂正!の投稿です。



283不良ババ:2012/04/19(木) 12:31:51.03
>>262
>「卑弥呼は朝鮮にいた」という本を書こうと思ってかなり真剣に勉強してきたのだが、
>目下、行き詰まりを感じているところである。
>何が何だかさっぱり分らなくなってきた、というのが正直なところだ。

楽浪郡、帯方郡の所在した領域については、日中韓三国の学術社会ではほぼ一致をみている。
邪馬台国と卑弥呼が居した場所は日本列島にあったと、歴代の中国正史が証言している。
これを覆そうというのだから、それに勝る証拠と膨大な論証が求められる。

たぶん、人生を3度ほどやり直しても不可能・というよりも、絶対な不可能なことだ。
割り切ってフィクションとしてとり組めば、幾ばくかの人が興味を示すことはあり得るだろう。
それを「歴史」として語ろうとする所が無謀だし、構想計画の稚拙さがのぞく。

ドラマチックなフィクションに仕立てたほうがよかろう。
とはいうものの、観察していると・それほどの構成力・文章力・創作力はなさそうだ。
いずれにしても、そもそも場違いだった・ということだ。
284卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/19(木) 12:52:38.17
>>280>>283
伊作よ、史記が書かれたころは朝鮮といえば遼東のことだったのだ。
朝鮮半島の存在さえ中国人は知っていたかどうか。
韓という語が中国資料に現れるのは後漢末くらいだそうだ。

それから楽浪郡・帯方郡の位置については北朝鮮と韓国の一部の学者で異議が出されている。
日本の学者は、そんなことに興味を持っていないから、研究していないだけなのである。
285卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/19(木) 12:59:28.40
朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕 
楽浪郡故朝鮮国也在遼東

海北とは渤海の北ということ。
渤海沿岸と遼東に古朝鮮、楽浪郡があったということ。
286日本@名無史さん:2012/04/19(木) 14:10:58.63
>史記が書かれたころは朝鮮といえば遼東のことだったのだ。
倭人伝が書かれたころは?
287日本@名無史さん:2012/04/19(木) 15:39:11.04
すでに長い間研究されて定説になったものは、
何度も議論、論戦が繰り返されているだけに、
ひっくり返すのは容易ではない。

これらの先人の研究成果には十分に敬意を払って、
自説を構築すべきである。

ただし、盲信すべきでもない。
288日本@名無史さん:2012/04/19(木) 15:53:28.95
>>272 :やや重ババ

言うことは良いのだが・・・自分自身のことは見えていないようだ。
他人のふり見て我がふり直せという言葉があるのだが。

水行1日=千里がどのような漢籍に見えるのかな。
魏使は戦時下に来たなどどこに根拠文献があるのかな。
文献批判以前の問題だが。
289不良ババ:2012/04/19(木) 16:27:47.55
>>288
理解する能力と理解しようという意志のないものには、
いかなる説明も論も無きにひとしい。徒労。無意味。
290不良ババ:2012/04/19(木) 16:36:07.71
>>288
まだあった。
ブタに真珠・ネコに小判・馬の耳に念仏。
もはや、カスに説明して高等な論説を安売りする気などない。
291不良ババ:2012/04/19(木) 16:42:58.77
>>287
>ただし、盲信すべきでもない。

文献にしろ既存説にしろ、正否判断に必要なのは、
良質の批判精神に基づく正当な検証と批判。
どこからか漁ってきた記録を持ち出す手合いは「無批判の横流し」よ。
妄信のほうがまだ無邪気なのさ。
292日本@名無史さん:2012/04/19(木) 20:10:23.98
「遼東」

現代には遼東半島と呼ばれている半島がある。
そのことに惑わされてしまっているのではないだろうか?

「遼」
元々の意味は「はるか」
「遼東」で「はるか東」の意。

固有名詞として解釈するのはまちがっているのではないのだろうか?


293日本@名無史さん:2012/04/19(木) 21:06:45.44
>>289, >>290 :不良ババ
>もはや、カスに説明して高等な論説を安売りする気などない。

根拠を欠く妄想を高等な論説と思っているとは!!
救いようのない馬鹿だわい。
294日本@名無史さん:2012/04/19(木) 23:50:27.83
>>293
そうだな。
他人のふり見て我がふり直す気完全無だな。
295風の中のゴキブリ:2012/04/20(金) 05:13:55.19
もうさ、いい加減くだらねえハンネはやめろよ。
伊作でいいじゃん。
296大訂正!:2012/04/20(金) 12:19:35.60
「朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕」・・・・@

「朝鮮在列陽北海西山東 列陽属燕」と置くなら
『海を黄海』とし『山は長白山』で
朝鮮と列陽の位置関係どうりとなる。。

魏志倭人伝に「乍南乍東」とある様に『南は時間差ゼロで東』の如く
@ 方位を置き変えると正常な方位となる。

従って、
魏志倭人伝の方位も
「其北岸狗邪韓國」は「其西岸狗邪韓國」
となり、
「又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」の「南」は『東』とすることで、
隋書の
「都斯麻國迥在大海中 又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國」にある
都斯麻國(對海【馬】國)から一支國(一大國)の方位、「東」と一致する。
又、
此処で云う「瀚海」とは『太平洋』のことである。

297日本@名無史さん:2012/04/20(金) 14:18:21.71
僅かながら選挙の匂いが漂ってまいりました。

                    _____________
                    ||                      |
                    ||   ちょっと待て .  .     .|
                    ||         .           |
                    ||    その民主党員  . |
                    |l -――-               |
                     '"´: : : : : : : : :`丶 . 帰化鮮人|
                 ':.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ______|
                  /.::.::./.::.::.::.:j.::.::.:|.:ム;ヘ.::.:ハ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                  ,'.::.::.::i.::.::.::.:/|.::.:: l/  `|.::./7
                :.::.::.::j:|.:!.:_:/´|_.::_」   くV <|
                   |:ハ_::_ル'´     /⌒丶 j//V|
               |:::::::::i x==ミ     _ 〈/.:|.::|
               |:::::::::i:'"     ´ ゙̄Y}!.::.l.::|
                 八:::::::圦   、' _   "/_ノ.::,'.::j
             /⌒ヽ::::ト{\   _,.ィ__/.::/l:./
               / 丶∧::| 丶 `ニ´ 彡// :厶|∧
            {/  丶ヘ|     ノ / |:/ (こ ハ
                /       }ヽ、 ∧ /  'x┴〈 }_ゝ、
           /         \∨ ∨  /  ニW }  )
             〈       _ノ∧ 厶=7  ,.-、) 人ノ
           }⌒ヽ     `<__,>イ  |__ノ| |/∨
           /   ヘ   /  │  丶ノ.| |   \
             /    ヽ      \__/ | |    ノ
         /       >'"⌒\ 〃⌒\| ト、__/
298日本@名無史さん:2012/04/20(金) 17:37:55.80
>>296
本物のアホとしか思えない。
299日本@名無史さん:2012/04/20(金) 18:43:13.65
それは全ての人が知っている。本人は自覚していない。哀れだ。
300日本@名無史さん:2012/04/20(金) 19:42:46.20
朝鮮在列陽東海北山南列陽属燕

まあ、普通に読んで
朝鮮は、列陽の東、海北山の南に在り。列陽は燕に属す。

あるいは、
朝鮮は、列陽の東海、北山の南に在り。列陽は燕に属す。
301日本@名無史さん:2012/04/20(金) 20:57:31.18
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は




NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのだ。
302日本@名無史さん:2012/04/21(土) 08:07:10.98
さあ、土曜日だ。少しはまともな議論をしようか。
303大訂正!:2012/04/21(土) 12:41:54.87

>>298>>299 の2 ch の塵を相手にしても始まらないので
捨て置き前に進む。

「度百濟行至竹島南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國」・・・・@


>>296 名前の論旨を否定するなら、
魏志の一大國と一支國は全く違う国だ。
ということになるだろう。

@ の行程は
百濟⇒竹島。 竹島で第一行程は完了。

南望○羅國經都斯麻國迥在大海中は「魏時譯通中國三十餘國皆自稱王」の倭の一部のロケーション描写。

 又東至一支國の起点は竹島である。
この一支國が現壱岐ならその西である竹島は済州島か?
一支國の東の竹斯國は現・博多その東の秦王國は奈良で
「百濟新羅東南水陸三千里」の三千里の着点。
と言う事になる。

戻って、
對海【馬】國・一大國は
現・対馬、現・壱岐ではない。



304日本@名無史さん:2012/04/21(土) 13:51:01.04
大訂正!を塵と呼ぶべきか、それとも粗大ゴミと呼ぶべきか、・・・
305大訂正!:2012/04/21(土) 14:08:24.72
>>304

俵の隅にも噛み付けない
  溝鼠の出る幕はない。
     暗闇でジ〜〜〜として動くな。
306日本@名無史さん:2012/04/21(土) 14:26:28.28
噛み付く以前に、食えたもんじゃないから、
だれも食いつかない。

正しく、粗大ごみと言ってよろしい。
307日本@名無史さん:2012/04/21(土) 14:54:16.22
「国の借金」について

日頃メディアや、反日工作員が必死になって「国の借金」という単語を使い
財政破綻論を展開させていますが、現実、現在の日本には「政府の借金」1000兆円近く存在いたしますが、
「国の借金」は存在いたしません。

朝日新聞やNHKは、雇い主である中国共産党より日本人に対して不安や政府に対する不信を持たせ、煽るために
局内の共産党員を使用して既に数十年間、「国の借金」を連呼し続けております。

<違和感なく「国の借金が1000兆円もある」という幻想に浸ってしまっている一般の方々は、朝日新聞やNHKに見事に騙されて続けている訳です>

数十年もテレビや新聞から情報を得てきた方々の中には、「メディアが嘘を付く訳ない」と思う、そう思いたい方もいるでしょう。
  しかし、長い目で見れば、もともと戦前から日本を転覆させるために存在してきた報道機関ですから、
これくらいの嘘は朝飯前で御座います。

それでも、「国の借金は1000兆円ある」と考えをお持ちの方は、複式簿記の勉強をしてから、日本のバランスシートをご覧ください。
 
  実質中国の広報機関であるNHK、朝日新聞は、これからも嘘を付き続けます。デマを流し続けます。捏造し続けます。
   
 ---そのニュース 核心はヤラセだ       長文失礼いたしました。---
308日本@名無史さん:2012/04/21(土) 22:57:54.49
粗大ごみと言われたくなかったら、意味が分かるようにかかないとな。
309卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/22(日) 09:34:42.02
本来ここに書くべき話題ではないが、ここで問題になった話題なので上げておく。

http://blog.livedoor.jp/hangyoreh/archives/648620.html

楽浪郡はどこにあったか、という話題で、韓国でもそれは朝鮮半島内には無かったと主張している。
310日本@名無史さん:2012/04/22(日) 10:20:30.91
韓国人ならそういうだろう
馬鹿くさい
311大訂正!:2012/04/22(日) 12:46:06.62

>>308 >>310
己の無知を恥じよ。 藁。。。。。


漢書地理志における、楽浪郡は25県あり、
その楽浪郡の県に帯方県も朝鮮県もある。
>>309
平壌で「楽浪郡初元四年県別戸口多少」と題された木簡が出土しているが、
その木簡から、郡初元四年に、楽浪郡もその一県である帯方も朝鮮半島に在った

言う史実を認めざるを得ないであろう。


312大訂正!:2012/04/22(日) 13:48:12.62
暇人は
楽浪郡初元四年県別戸口多少
で、
クグレ!
313日本@名無史さん:2012/04/23(月) 02:40:49.89
結局纒向か
314日本@名無史さん:2012/04/23(月) 06:04:33.19
対馬の比田勝から壱岐を目指せば「ほぼ南」だな。逆に豆酘から壱岐を目指せば
「概ね東」だな。
壱岐以降は魏志倭人伝であれば「松浦」、隋書倭国伝であれば「筑紫」なにも
迷うことはない。
何をこねくり回そうとしているんだ?無限尿別バージョンか?
315大訂正!:2012/04/23(月) 11:39:52.95
>>314

距離ははどうだ?
発明しなけりゃいけないだろ。

千里は漢尺なら23cm、魏尺なら24cm
千里は400km以上になるが
  どうするんだ?

おい!発明屋。
   まだ有るぞ
方可四百余里、方可三百里はどうするの?

   たった一個の発明じゃ追いつかないだろう。

寝言は寝て言うもんだ。藁
316日本@名無史さん:2012/04/23(月) 12:03:30.65
横からだが、正しい数字じゃない。それだけのことだろ。
なんで東夷伝の数字は正確だという前提で議論しなきゃならんの。
317大訂正!:2012/04/23(月) 12:08:37.39
因みに
 列水(大同江)と呑列、分黎山=「太子河(中国遼寧東部を流れる)」
は、八百二十里とあるが、
 Googl地図での、大同江と太子河の二点間は338.424km。

338.424kmは 漢尺 の一尺23cmで
817.449里となる。

漢の時代でもかなり正確な測量技術があったことの証だろう。

北極星から現在の緯度を太陽から現在の経度を得て
 三平方の定理を使って距離を割り出していたのだろう。
318日本@名無史さん:2012/04/23(月) 12:09:25.73
別人で記述はそれなりに正確という立場だが、

>たった一個の発明じゃ追いつかないだろう。

に対しては、

「倭人伝の距離記述を1/6する」
「以上」

と返答したい。
319大訂正!:2012/04/23(月) 12:14:48.63

寝言は寝て言うもんだ。藁
>>316 名前
>横からだが、正しい数字じゃない。それだけのことだろ。
>なんで東夷伝の数字は正確だという前提で議論しなきゃならんの。

お前のような考えをするやつは
  邪馬台国は何処だから手を引け。

 宣言しておくが
  東夷伝の数字は正確だ。
が、
実測値でないものも含むが数字は正確だ。

 ↑の意味わかるか 君のような無知の者には解らないだろう。

320日本@名無史さん:2012/04/23(月) 13:13:16.56
>>319
オウム真理教の教義を知らない一般人を、
オウム信者は無知とさげすむかもしれないね。
それと同じレベルだと思うよ。
321大訂正!:2012/04/23(月) 13:52:26.44
>>320 名前:日本@名無史さん
>>319
>オウム真理教の教義を知らない一般人を、
>オウム信者は無知とさげすむかもしれないね。
は、
>>316 名前 の
>横からだが、正しい数字じゃない。それだけのことだろ。
>なんで東夷伝の数字は正確だという前提で議論しなきゃならんの。
は、
君が無知であると認めたといことか? 藁。

>それと同じレベルだと思うよ。
君が、オウム信者から無知と言われるというレベルだってことだよね。 藁。

どうだ、この見事なウッチャリは。。。。。。。

止まった時計ではどうしょうもないだろう。

『実測値でないものも含むが数字は正確だ。』
を、理解できなければ、距離の数字が正確だ
と、云うことが理解できないだろう。 と、云うことだ。

322日本@名無史さん:2012/04/23(月) 19:41:48.81
自信満々に俺様解読法を披露されてもねぇ
正しいかどうか証明しようがないのだからキチガイにしか見えないのよ
323日本@名無史さん:2012/04/23(月) 19:53:21.50
大訂正氏が随分長々と書き連ねているが、
正直言って意味不明。

自身が書くように突飛な「発明」を幾つも重ねないと、
目的の結論に辿り着かないような印象を受ける。

もうちょっとシンプルに書いてくれると、理解しようという気に
なるかもしれない。

あと、なんだかんだ言っても、長文で複雑怪奇に書き連ねるよりは、
シンプルな書き方のほうが、賛同者は増えると思うね。

長文のほうが、見かけはカッコイイ部分もあるが、
人に読ませるには向かない。

論文で言うところのアブストラクトみたいなのがあったほうが良い。
先に端的に結論を書いてね。
324日本@名無史さん:2012/04/23(月) 20:59:12.10
大訂正=無限尿 こねくり回し方がそっくり

どうやら、一支(壱岐)を竹島にもっていって東北目指そうとしているよ

大訂正(無限尿)もう夜勤かな?

ここではあまりがんばるなよ、ドンこいみたいに過疎化してしまうから

325日本@名無史さん:2012/04/23(月) 21:00:46.52
読んでもない。
326観客その2:2012/04/23(月) 21:48:51.86
>>17 :大訂正!:2012/04/10(火) 12:00:26.63
>>19 :大訂正!:2012/04/10(火) 12:50:18.70
>>25 :大訂正!:2012/04/10(火) 14:38:54.35
>>73 :大訂正!:2012/04/11(水) 12:27:50.89
>>75 :大訂正!:2012/04/11(水) 12:51:35.33
>>76 :大訂正!:2012/04/11(水) 13:20:47.03
>>77 :大訂正!:2012/04/11(水) 13:31:56.45
>>78 :大訂正!:2012/04/11(水) 14:36:06.72
327観客その2:2012/04/23(月) 21:49:20.01
>>107 :大訂正!:2012/04/12(木) 11:51:10.64
>>110 :大訂正!:2012/04/12(木) 13:00:22.17
>>112 :大訂正!:2012/04/12(木) 14:15:46.15
>>114 :大訂正!:2012/04/12(木) 15:05:43.77
>>115 :大訂正!:2012/04/12(木) 15:11:15.35
>>129 :大訂正!:2012/04/13(金) 11:54:22.11
>>130 :大訂正!:2012/04/13(金) 12:06:19.12
>>131 :大訂正!:2012/04/13(金) 12:16:53.20
>>151 :大訂正!:2012/04/14(土) 15:17:50.49
>>165 :大訂正!:2012/04/15(日) 13:09:21.36
>>167 :大訂正!:2012/04/15(日) 14:16:54.51
>>168 :大訂正!:2012/04/15(日) 15:17:35.54
>>180 :大訂正!:2012/04/16(月) 13:17:11.56
>>181 :大訂正!:2012/04/16(月) 13:25:32.00
>>183 :大訂正!:2012/04/16(月) 14:24:19.31
>>199 :大訂正!:2012/04/17(火) 12:47:36.00
>>203 :大訂正!:2012/04/17(火) 13:23:34.49
>>237 :大訂正!:2012/04/18(水)
328観客その2:2012/04/23(月) 21:49:43.53
11:49:14.77
>>282 :大訂正!:2012/04/19(木) 12:31:38.78
>>296 :大訂正!:2012/04/20(金) 12:19:35.60
>>303 :大訂正!:2012/04/21(土) 12:41:54.87
>>305 :大訂正!:2012/04/21(土) 14:08:24.72
>>311 :大訂正!:2012/04/22(日) 12:46:06.62
>>312 :大訂正!:2012/04/22(日) 13:48:12.62
>>315 :大訂正!:2012/04/23(月) 11:39:52.95
>>317 :大訂正!:2012/04/23(月) 12:08:37.39
>>319 :大訂正!:2012/04/23(月) 12:14:48.63
>>321 :大訂正!:2012/04/23(月) 13:52:26.44
329観客その2:2012/04/23(月) 21:55:40.01
大訂正=無限尿
あるいは老人ホームのおじいさん

いかん、相手にしてしまった
330観客その2:2012/04/23(月) 22:07:34.76
大訂正→あるいは、1年ほど前、青銅鏡を「反転して反転して・・・」って
ぼけたじいさんみたいにひたすら「反転」を連呼して
どこか<あさって>の方向に邪馬台国を持っていこうとした
「反転じいさん」か?
331観客その2:2012/04/23(月) 22:11:06.55
いかん、相手にしてしまった

ま、いいか、どうせ寝ているか、万が一夜勤だものな・・・
332日本@名無史さん:2012/04/23(月) 22:46:57.21
>>317
ぜんぜん読めてないじゃんwww
333日本@名無史さん:2012/04/23(月) 22:54:38.02
反転じいさん、せっかくしばらく遊ぼうと思ったのに誰かが速攻潰してしまった
334大訂正!:2012/04/24(火) 12:03:48.61
>>331 :観客その2:2012/04/23(月) 22:11:06.55
>いかん、相手にしてしまった
>ま、いいか、どうせ寝ているか、万が一夜勤だものな・・・
>>332 :日本@名無史さん:2012/04/23(月) 22:46:57.21
>>317
>ぜんぜん読めてないじゃんwww
>>333 :日本@名無史さん:2012/04/23(月) 22:54:38.02
>反転じいさん、せっかくしばらく遊ぼうと思ったのに誰かが速攻潰してしまった

やれやれ、 ニンニクの芽 がニョキニョキで臭くてたまらない。

「吞列,分黎山,列水所出。西至黏蟬入海,行八百二十里。」

結果的には、
>>17 :大訂正!
の通りだべ。
「吞列,分黎山」から黏蟬、黏蟬から海へ至る,その距離八百二十里。
列口の列水から海まで西へ42kmだけだべ。

「吞列,分黎山」から列口の列水までその距離八百二十里。

何か文句あるの。

君たち思量がたりないね。 困ったもんだ。
 でも、
釣りはたのしいの〜〜〜〜〜!




335大訂正!:2012/04/24(火) 12:44:05.20

『漢書』 卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬

http://www.ceres.dti.ne.jp/~alex-x/kanseki/kan-tiri1.html

においても

「行」の一字を置いて
 その行程は完了する。

云う記述になっている。
336日本@名無史さん:2012/04/24(火) 19:24:24.64
やっぱぜんぜん読めてない
337日本@名無史さん:2012/04/24(火) 19:26:13.09
樂浪郡
武帝元封三年開 莽曰樂鮮 屬幽州
戸六萬二千八百一十二 口四十萬六千七百四十八
有雲鄣 縣二十五
01.朝鮮
02.[言冉]邯
03.浿水 水西至搨n入海 莽曰樂鮮亭
04.含資 帶水西至帶方入海
05.黏蝉
06.遂成
07.搨n 莽曰搏y
08.帶方
09.駟望
10.海冥 莽曰海桓
11.列口
12.長岑
13.屯有
14.昭明 南部都尉治
15.鏤方
16.提奚
17.渾彌
18.呑列 分黎山 列水所出 西至黏蝉(05)入海 行820里(=63km)
---------------------------------------------
19.東暆 ----- 旧臨屯郡治(15縣)
---------------------------------------------
20.不而 東部都尉治
21.蠶台
22.華麗
23.邪頭昧
24.前莫
25.夫租
---------------------------------------------
338日本@名無史さん:2012/04/24(火) 23:35:04.53
                      -=-::.
  / 朝 鮮 人\:\ ♪ガッガーーウィイ
  .|  教 祖 様  ミ:::|
 ミ|_≡=、´  `, ≡=_、|;/
  ||..◎ .| ̄|. ◎ |─/ヽ  いい加減、ストーカーするの止めてくれる?
  |ヽ二/  \二/  ∂>
 /.  ハ - −ハ   |_/
 |  ヽ/ヽ/\_ノ  / |ナンミョ〜ソフォ〜レンングエ~キョーーナンミョ^フォテンジ゙エキョヤーーー
. \、 ヽ二二/ヽ  / / ナンミョ^フォーーーーーーレンゲヨー アニョハセヨーーーーーー
.   \i ___ /_/

      ,. < ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ > 、
    /     谷 垣      ヽ   _
   〈彡                Y彡三ミ;,   先生!支持率が上がりません!助けてください!
   {\    \|_ \>ー 、  ト三三ニ:}
   人{ >、,___.>、/三 ヾ\ |わ三彡;!  先生に見捨てられたら、もう自民党は終わりです!
  /./ トミ;,_       Y/  \>ノー〜=- "
  V / /!   ̄ ̄ ゝ  |   /  _       助けてください!おながいします!
  し/'┴──----─''|  ン}\-ヾ彡
              ヾ、___ノー'''`                
339卑弥呼は朝鮮にいた:2012/04/25(水) 08:31:48.06
遼東、遼西というのは遼水の東西という意味ではないと思われる文章発見。

何謂六川 河水 赤水 遼水 黒水 江水 淮水 
[註] 遼水出砥石山 自塞北東流 直至遼東之西 南入海 (呂氏春秋)

遼水が遼東、遼西の境界基準だとしたら、遼水が遼東の西に至る、という表現はおかしい。
ゆえに遼水が遼東、遼西の基準ではない。

また遼東とは遼河の東という意味でもない。
なぜなら医無慮(=おそらく医巫閭)山のある無慮県が遼東郡に属しているからである。

おそらく陳寿の時代でも、遼東=遼河の東というような共通認識は無かったと思われる。
340日本@名無史さん:2012/04/25(水) 17:49:39.22
遼水が遼東遼西の境界だとしたら、遼水が遼東の西で海へ注ぐのは必然だろうw
341日本@名無史さん:2012/04/25(水) 19:43:53.75
>>339
秦が遼東郡・遼西郡を置く前から遼東という地名はあった。管子に出てる。
遼河の東側という意味。
秦が遼東郡・遼西郡を置く時に、その境を遼河にせず、遼河の西側にした。
だから、遼河は、遼東郡の西部を南流する。

>遼水が遼東、遼西の境界基準だとしたら、遼水が遼東の西に至る、という表現はおかしい。

まったくおかしくない。

>ゆえに遼水が遼東、遼西の基準ではない。

遼東という言葉は先秦時代からあり、遼河の東側という意味である。
その意味では、遼河が東西の基準である。

ただし、遼東郡・遼西郡という秦代に設置された行政区画は、
遼河を境界線とはしていない。
それだけのこと。
342日本@名無史さん:2012/04/25(水) 23:50:31.40
樂浪郡 武帝元封三年開 莽曰樂鮮 屬幽州
建安中(196-220) 公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡
公孫淵滅(238)後
魏置東夷校尉 居襄平 而分 遼東 昌黎 玄菟 帶方 樂浪 五郡為平州
後還合為幽州
(晋)咸寧二年(276)十月 分 昌黎 遼東 玄菟 帶方 樂浪 等郡國五置平州


樂浪郡 統縣六 戸三千七百(3,700戸)  治所:朝鮮縣  なかのひととんでも少ない
帶方郡 統縣七 戸四千九百(4,900戸)  治所:帶方縣  なかのひとえろ少ないです

合わせて8,600戸とかて奴國の半分にも及ばないですよ

東西長可二千里 南北長可三千里 このあたりのサイズになりますね。

なかのひと希薄で 且 えろせまめですねえ。。。
343日本@名無史さん:2012/04/26(木) 00:10:13.21
ちなみに
初元四年(117)の出てきた木簡ののサムのでは
樂浪郡18縣で37.219戸ですたよ。
えろ減っちゃってる氏ね
344大訂正!:2012/04/26(木) 13:52:55.26
>>336
>やっぱぜんぜん読めてない
>>335 :大訂正!: に
何の反応もないなら
恐らく君も誤読の一人だろう。

>>337
18.呑列 分黎山 列水所出 西至黏蝉(05)入海 行820里(=63km)

63kmで何だ?
  「行」を全く理解していない。
暇な奴は
 03.浿水 帶水. 列水の長さの合計を幾らになるか
調べりゃ解る。
列水は北緯39度の平壌を流れ
帯水は北緯37度30分のソウルを流れている。
この
北緯39度の平壌が
後の樂浪郡と帯方郡の境界となる。
勿論
この同緯度が倭国の北限でもある。



345大訂正!:2012/04/27(金) 12:32:25.19
>>344 :大訂正!
>北緯39度の平壌が
>後の樂浪郡と帯方郡の境界となる。
>勿論
>この同緯度が倭国の北限でもある。
が、
「自郡至女王國萬二千余里」の着点である二千余里の女王國は
北緯38度として記述されている。
それは、「千里」という距離の基準が
北緯30度の会稽と北緯26度の東治【冶】の東に置いているからである。

北緯38度は新潟県新発田市で「自郡至女王國萬二千余里」の着点。

北緯30度から北へ北緯34度は下関市で魏志の末廬國

◎北緯30度・会稽の東は種屋久を含む口之島で魏志の一大國。

北緯26度・東治【冶】は沖縄で魏志の對海【馬】國

北緯22度は台湾・満州郷で魏志の狗邪韓國

一大國領域の最大さしわたしは「方可三百里=129.6km」
對海【馬】國領域の最大さしわたしは「方可四百余里≒172.8km」。

魏志の構図は上記の如しである。
346日本@名無史さん:2012/04/27(金) 13:27:27.00
訂正ばっかり繰り返しても誰も読まんぞ。
347日本@名無史さん:2012/04/27(金) 15:42:39.01
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会

大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、
画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は




NHKが汚れているから
 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。

薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのです
348日本@名無史さん:2012/04/27(金) 23:51:49.53
北緯とか持ち出した時点でトンデモ確定。
349大訂正!:2012/04/28(土) 11:48:56.86
>>348 :日本@名無史さん
>北緯とか持ち出した時点でトンデモ確定。
ほ〜〜い 馬の骨 !
尺貫法をメートル法で換算することはトンでも か?
此処で云う処の北緯30度というのは
ある地点Aでの『地平線と北極星の角度が30度』である時 
その地点は現・北緯30度とほぼ等しい。ということだ。
その地点は魏志では会稽にあたりその東は現・口之島・種屋久島になる。

平壌が北緯39度であると云うことは
平壌における地平線と北極星の角度が39度であるということだ。




350日本@名無史さん:2012/04/28(土) 13:02:39.68
京都の事故

44 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/04/12(木) 20:06:17.25 ID:LKXz/REk0
かつてはてんかん患者の自動車免許取得は法的に制限されていたが、
2002年6月の道路交通法改正によって、発作が起きても意識障害を伴わない又は、
発作が就寝中に限るなどの患者は、公安委員会の検査や、医師の診断書を提出するなどの条件付で取得に道が開かれた。
日本てんかん協会の運動で、てんかんでも免許取得が可能になった。
その結果、案の定、2002年以降、てんかん患者のひきおこした重大な事故が急増

2011/04 栃木・鹿沼   6人死亡 (持病を隠蔽、過去に事故2件)
2011/04 島根・松江   1人死亡 (持病を隠蔽、薬飲まず)
2011/05 広島・福山   4人重軽傷 (過去に事故2件)
2011/07 愛知・岩倉   2人死亡 (通院歴なしで不起訴)
2011/10 鹿児島・姶良 1人死亡4人重軽傷 (過去に物損事故、薬飲まず)
2012/02 栃木・宇都宮 6人重軽傷 (昨年7月に事故、運転しないと誓約書)

すると2002年の法改正で可能になった、てんかん患者の自動車免許取得を既得権益とする
共産党が支援している日本てんかん協会は
「てんかん患者の権利を守れ」と法務大臣に要望書を提出
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1334225953/

その三日後にまたしても死亡事故発生
2012/04 京都・東山区 7人死亡9人重軽傷     (数日前に発作、姉と相談)

日本てんかん協会 (共産党の支援団体)
住所 東京都新宿区西早稲田2-2-8

>>権利を守れ
>>西早稲田2-2-8    差別利権で食ってる団体だな
351卑弥呼の都は久留米  :2012/04/28(土) 18:05:33.37
>>349
>ある地点Aでの『地平線と北極星の角度が30度』である時 
>その地点は現・北緯30度とほぼ等しい。ということだ。
>その地点は魏志では会稽にあたりその東は現・口之島・種屋久島になる。

でたらめもいい加減にしろ。
魏志の時代(3世紀)には北極星は存在しない。
北極点に近い明るい星々は、北極点から7〜10°離れていた。
地球時点軸の歳差運動について学べ。

大訂正するんだな。


参考事項
周髀算経には、天の北極(北極枢)と其の近くの近い明るい星(大星)の角度は、
5.0度あると書かれている。
小熊座β星が北極に最も近い明るい星(大星)だと書いてあるのだ。
上記から周髀算経は紀元前11世紀頃の天文観測に基づいたものであると判る。
352日本@名無史さん:2012/04/28(土) 22:39:12.82
>>349
やっぱりトンデモじゃないか。
353日本@名無史さん:2012/04/28(土) 22:56:13.81
だからさやっぱぜんぜん読めてないてなんども
354日本@名無史さん:2012/04/29(日) 00:04:41.73
大訂正って人のスレ全く読んでないんだけどどこ説の人なの?
355日本@名無史さん:2012/04/29(日) 08:41:47.00
大訂正=無限尿=反転じいさん らしいよ。
共通点 根拠なし妄想・人の話を聞かない・何を言っているかわからない・
    昼間しか出てこない・ビービーギャーギャーうるさい
356大訂正!:2012/04/29(日) 12:17:48.85
>>351 名前:卑弥呼の都は久留米
>>349
>でたらめもいい加減にしろ。
>魏志の時代(3世紀)には北極星は存在しない。
>北極点に近い明るい星々は、北極点から7〜10°離れていた。
>地球時点軸の歳差運動について学べ。
・・・・・・・・・・
>周髀算経には、天の北極(北極枢)と其の近くの近い明るい星(大星)の角度は、
>5.0度あると書かれている。 。
>小熊座β星が北極に最も近い明るい星(大星)だと書いてあるのだ。

『小熊座β星』つまりコカブが北極星として使われてきた。
このコカブが北極星として使われたのは紀元前1500年から紀元前300年頃まで、
魏の時代において北極星として使われたのは小熊座・α星のポラリスであろう。
ポラリスが最も北極に近ずくのは西暦2100頃といわれている。
が、
紀元前300年を過ぎた頃からの北極星はポラリスでOK.。

>地球時点軸の歳差運動について学べ。
て、歳差の多少の知識があるなら
『歳差の影響を受けて春分点が西よりに移動する』ことは知っていると思うが、
それを理論的に、
この春分点を固定すると西は南その時南は東へと移動することになる。
それが、魏志の云う「乍南乍東」である。
故に、魏志倭人伝のおける日本列島の方位は、
『南を東』・『東を北』・『南東は東北』と読めば正常な方位となる。



357日本@名無史さん:2012/04/29(日) 12:45:55.63
>>356
そこまで変わるかこのペテン師が
いい加減にしろ板が汚れる
358大訂正!:2012/04/29(日) 13:03:01.00
>>357 名前:日本@名無史さん :
>>356
>そこまで変わるかこのペテン師が
>いい加減にしろ板が汚れる

喚け、泣け
  そして
    我が無知を恥じよ。。。。。藁。

359卑弥呼の都は久留米  :2012/04/29(日) 14:04:36.28
>>356
>魏の時代において北極星として使われたのは小熊座・α星のポラリスであろう。

魏の時代において、小熊座α星と天の北極点のなす角度は約10度。

北極点から10度も離れた星をポラリス(北極星)と言うとは、頭がどうかしている。

魏の時代において、小熊座β星と天の北極点のなす角度も約10度。


>『小熊座β星』つまりコカブが北極星として使われてきた。
>このコカブが北極星として使われたのは紀元前1500年から紀元前300年頃まで、

『小熊座β星』は『大星』と呼ばれたのであって、北極星(ポラリス)と呼ばれたのではない。


>『歳差の影響を受けて春分点が西よりに移動する』ことは知っていると思うが、
>それを理論的に、この春分点を固定すると西は南その時南は東へと移動することになる。

自転軸歳差運動によって、天の方向は変動しても、
地球上の自転軸が移動するのではないから、地上の方向に変動はない。
360観客その2:2012/04/29(日) 14:23:21.25
>>358 大ペテン師
>喚け、泣けそして我が無知を恥じよ。。。。。藁。

君が泣き叫んでいるように見えるよ、ペテン師君
対した根拠もなくちょっとした誤差を拡大宣伝して何がしたいんだい?

このスレで君に対して同調する人など全くいないだろう
この現実が全てなんだよ
361大訂正!:2012/04/29(日) 14:25:42.95
>>359 :卑弥呼の都は久留米  :
>魏の時代において、小熊座α星と天の北極点のなす角度は約10度。
>北極点から10度も離れた星をポラリス(北極星)と言うとは、頭がどうかしている。
>魏の時代において、小熊座β星と天の北極点のなす角度も約10度。

あのね、夜の海を航海している時の北は何で決めていたの?
君の目には北極点が見えるのかね。
魏の時代に於いて北の目印に成る星は
小熊座のα星か小熊座のβ星しかない。
だから、魏の時代の北極星は小熊座のα星でOKだ、と言ってるの。
それが、不満なら夜の北の方位は何を持って北としたのか教えて頂戴YO.

>>『小熊座β星』つまりコカブが北極星として使われてきた。
>>このコカブが北極星として使われたのは紀元前1500年から紀元前300年頃まで、
>『小熊座β星』は『大星』と呼ばれたのであって、北極星(ポラリス)と呼ばれたのではない。
『大星』でかまわないが、それは現代の北極星と云う意と変わらないだろう。
貴方が云う現時点の北極星は何?
それは何時から北極星だったの?
それとも、貴方には北極星という存在は無いの?


362日本@名無史さん:2012/04/29(日) 14:30:01.28
>>361
>あのね、夜の海を航海している時の北は何で決めていたの?

いつから魏は海洋国家になったのかね?
363大訂正!:2012/04/29(日) 14:40:24.59
>>359 :卑弥呼の都は久留米  :
>自転軸歳差運動によって、天の方向は変動しても、
>地球上の自転軸が移動するのではないから、地上の方向に変動はない。

『それを理論的』
に、
この春分点を固定すると西は南その時南は東へと移動することになる。
それが、魏志の云う「乍南乍東」である。
と記述した。
あくまでも、理論を立ち上げてということ。

伏羲の八卦図で
先天の図は方位の反転がある。
これも歳差を理論展開しているからだろう。
364観客その2:2012/04/29(日) 14:49:37.33
>>363 大ペテン師
その大したことのない誤差が航行に30度も90度も影響を与えるのか?
ペテンが見えてきたな
365大訂正!:2012/04/29(日) 15:07:40.63
>>362 名前:日本@名無史さん
>>361
>>あのね、夜の海を航海している時の北は何で決めていたの?

>いつから魏は海洋国家になったのかね?

へ〜〜
『郡使往來常所駐』
て、
夜の海は渡っていないんだ。
 魏使の乗り物は何?


366観客その2:2012/04/29(日) 15:13:14.36
>>365
では、倭国に渡海するにあたって夜の海を渡った根拠はあるのか?
367大訂正!:2012/04/29(日) 15:14:59.27
>>364 名前:観客その2
>>363 大ペテン師
>その大したことのない誤差が航行に30度も90度も影響を与えるのか?
>ペテンが見えてきたな
『その大したことのない誤差』とか『航行に30度も90度も影響を与えるのか?』
とか、
だれが言ってるんだ?
ROMを意味する観客の『ペテン』かNE. 藁。

368日本@名無史さん:2012/04/29(日) 15:20:45.54
夜の海は危険が危ない。潮流の早いところでは、すぐに自分たちの居場所を見失ってしまう。
朝鮮海峡を渡るときは命がけでした。太陽と星の位置が重要だったことがわかります。
普段は、昼間、陸地の目印を頼りに渡っていくのです。
宗像とは胸形、海の男が大好きなおっぱいの形の山です。
ちなみにわたつみ信仰の安曇族のほうは、お尻の形の山を好みました。
このころから日本はおっぱい星人とお尻星人の2派に別れて抗争を繰り返していたのです。
369大訂正!:2012/04/29(日) 15:25:51.27
>>366 名前:観客その
>>365
>では、倭国に渡海するにあたって夜の海を渡った根拠はあるのか?
では、
『倭国に渡海するにあたって夜の海』を渡らなかったという根拠はあるなか?


370観客その2:2012/04/29(日) 15:43:49.36
>>369
あるよ。
@朝鮮半島から対馬
A対馬から壱岐
B壱岐から唐津
@ABいずれも目視できる距離えあり目標うぇお確認しつつ航行できる。
わざわざ星を見ながら航海する必要はない。

星が何たらとか角度が何たらとかはじめたら、だいたいインチキのはじまりだわな
371観客その2:2012/04/29(日) 15:47:05.19
>@ABいずれも目視できる距離えあり目標うぇお確認しつつ航行できる。

訂正

@ABいずれも目視できる距離であり目標を確認しつつ航行できる。


ついでに、
古代であっても、そんな距離を2日以上かけて航海するのか?
372観客その2:2012/04/29(日) 16:07:03.46
>>369 大インチキ
もう終わりか?だわな、ペテンンだから

これでは朝鮮半島から倭国に出発できんわ日本海で漂流だわ
373日本@名無史さん:2012/04/29(日) 16:24:01.15
200km程度の直の濳軍浮海だと夜も海上だけどね
374日本@名無史さん:2012/04/29(日) 16:28:53.05
琅邪のとこのさきっぽのほうに生息していた無し女さんの同業者のひととかが魏のことサポートして濳軍浮海とかやらかしたんだろうね
375卑弥呼の都は久留米  :2012/04/30(月) 00:08:34.72
>>361 大訂正

北極星(ポラリス)と言う言葉ができたのは近代になってから。
5000年前のエジプトでも北極星と言う言葉はあったであろう。
しかし、過去5000年弱の間北極星と言う言葉はなかったのだ。
それは、現代に南極星と言う言葉がないのと同じだ。

しかし、南十字星と言う言葉はある。
3000年前、周の人たちも同じ様に言葉を作った。
天の北極を『北極枢』と言い、北極点に近い星を『大星』と言ったのだ。

天の北極点の移動
紀元前2790年頃、天の北極は竜座α星から1.0度ずれたところにあった。
天の北極点は年間約0.005度づつ移動し、
西暦2010年には小熊座α星から約0.6度ずれたところまで移動してきたのだ。
天の北極は、過去5000年間に天空を約20度移動して来たのである。
過去5000年の間少なくとも4000年間、北極星は無かったのである。

>>363
>この春分点を固定すると西は南その時南は東へと移動することになる。

魏志倭人伝と漢書地理志をごちゃ混ぜにしてるのではないの?
『樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云
 自危四度至斗六度,謂之析木之次,燕之分也』←天の方位
376大訂正!:2012/04/30(月) 11:12:30.70
>>370 :観客その2:
>>369
>あるよ。
>@朝鮮半島から対馬
>A対馬から壱岐
>B壱岐から唐津
>@ABいずれも目視できる距離えあり目標うぇお確認しつつ航行できる。
>わざわざ星を見ながら航海する必要はない。
へ〜〜〜、@ABが
『倭国に渡海するにあたって夜の海』を渡らなかったという根拠はあるなか?
の、答えかい。
その根拠となる原文を挙げてくれないかな。
“一蹴り”してやるから。はははは。。。。




377大訂正!:2012/04/30(月) 11:39:26.17
>>375 :卑弥呼の都は久留米
>しかし、過去5000年弱の間北極星と言う‘言葉‘はなかったのだ.。
言葉は無かったということは認める。

北極星としての星は存在した。
>紀元前2790年頃、天の北極は竜座α星から1.0度ずれたところにあった。
で、
竜座α星・トウバンが紀元前2800年頃から紀元前1100年頃までの北極星であった。

>天の北極点は年間約0.005度づつ移動し、
地球の歳差周期は
72年×360度≒25,920年 だから
一年間の移動は
1度÷72年=0.0138888度では?

>西暦2010年には小熊座α星から約0.6度ずれたところまで移動してきたのだ。
0.6度のずれかどうかは知りませんが、2010年の北極星は小熊座α星のポラリスである。
>天の北極は、過去5000年間に天空を約20度移動して来たのである。
天の北極が5000年間に移動する度数は
5000年÷72年=69.4444度では?

>過去5000年の間少なくとも4000年間、北極星は無かったのである。
???????


378大訂正!:2012/04/30(月) 11:51:45.65
>>377 名前:大訂正! :

【72年×360度≒25,920年 だから
一年間の移動は
1度÷72年=0.0138888度では?】
は、
歳差軌道が円と仮定した場合で、
実際の地球の歳差軌道は楕円であるから、
上記の数値とは異なるが、
  
  >天の北極点は年間約0.005度づつ移動し、

年間移動が0.005度と言う等間隔といことはないだろう。
379日本@名無史さん:2012/04/30(月) 15:09:29.42
 やらなけゃいけない
 電○の各局への圧力が半端ないんです
 昨日、一昨日前田AKB卒業ネタやった情報番組全てが前田AKB卒業ネタ中の毎分で視聴率がダダ下がりしました。
 各局本音では毎分視聴率ダダ下がりするこのネタははやりたくなかったけど原子力村以上に電○からの圧力が凄いんです

AKBの宣伝に税金が使われ、その税金が民主党に流れている。
ブーム捏造、枕営業、自社買い、サクラの動員そして
AKBの捏造ブームのために税金が大量に使われている証拠がこちら

やっと気付いた「AKBに電通が絡んでる」ではなく「AKBの正体が電通」な件 その127
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/133∵5468718/     ∵を外して貼り付け

テレビのやらせブームに騙されるな
380卑弥呼の都は久留米  :2012/04/30(月) 17:47:05.16
天の北極の移動について

天の北極は、黄道の北極を中心にして、半径23.4度の複合円弧上(一般的には円弧)を
ほぼ等速で移動しています。
現在の天の北極は小熊座α星のそばにありますが、
約5000年前にはりゅう座α星のそばにありました。
りゅう座α星と小熊座α星は約25度離れているから、
この角度25度を5000年かかって移動したのです。
これは1年間に約0.005度ずつ天の北極が動いていることを意味します。


BC1100年前後、天の北極点と北極点に最も近い星を、周髀算経では、
前者を『北極枢』、後者を『大星』として区別していました。
この『大星』は小熊座β星のことで、両者のなす角度は5.0度でであると周髀算経は述べています。

天の北極点から5度離れた星は「北極星」とは呼ばなかったのです。
この5度の距離は、天の北極の移動距離の1000年分に相当します。

BC2000年〜AD1000年の3000年間には、
天の北極の5度以内には、北極星と呼ばれてもよい星が存在しなかったのです。
「北極星」と呼んでもよい星を天の北極の2.5度以内とすると、
BC2500年〜AD1500年の4000年間「北極星」は存在しなかったのです。
381卑弥呼の都は久留米  :2012/04/30(月) 19:54:56.04
天の北極点の移動速度のより正確な計算

23.43*2*3.1416/25920=0.00568°/year

382観客その2:2012/04/30(月) 20:31:04.93
>>376
原文なんかないよ常識で言っているのさ
見えるものを目標に行ける日中に航海するのが常識であり、
その常識に逆らわなければならないのは夜間航行で君の言い訳

君のほうが「夜間航行をしなければならなかった理由」を
説明しなければならない。
383日本@名無史さん:2012/04/30(月) 23:15:18.16
某国政府著「民間防衛」より転載


某国元首:費用のかからない方法で敵(国)を滅ぼすことができる。
魅力でひきつける宣伝は効果的な武器だ。我々の意図を美しい装飾で包み隠そう。
文化は立派な隠れ蓑になる。音楽・芸術・旅行などの口実で仲間をつくり、一方的な文化交流(聞こえは良いが実際は押し付け→韓流)をしよう。
彼らは徐々に罠にはまっていく。


韓流、AKB商法の正体
もちろん、韓流、AKBは捏造ブームである。

ヨン様ファン?
もちろん在日ババアの動員ですよ。
テレビは愚民の思考を止めるために存在し、そのためにテレビ業界が役人、政治家により手厚く保護されていることを忘れないでください。
384日本@名無史さん:2012/05/01(火) 06:56:30.39
>>382
見えるといっても一日でたどりつけるとは限らないだろう。
野生号は釜山から博多までに半月かかったそうだ。
385日本@名無史さん:2012/05/01(火) 07:56:59.17
>>384
「野生号」ってどんな船だよ?
魏の使節の船ってどんなものかわかっているのか?

そんな稚拙な発言では議論の土俵に立てんな
386大訂正!:2012/05/01(火) 11:47:36.06
>>381 名前:卑弥呼の都は久留米  
>天の北極点の移動速度のより正確な計算 >23.43*2*3.1416/25920=0.00568°/year
25920は地球の歳差周期、3.1416=π と言うのは解るが23.43*2は何? 笑う。
地球の歳差を実験確認できたのは未だ2〜8年前のことだと記憶しているが。
その歳差周期は1度移動する年数が72年で一周(360度)では25,920年といこと。
であるから、一年間に移動する度数は
360度÷25920年=0.01388888度。   これは、数学の問題です。
>>380 名前:卑弥呼の都は久留米  
>天の北極は、黄道の北極を中心にして、半径23.4度の複合円弧上(一般的には円弧)を ほぼ等速で移動しています。
半径23.4度とはどのような意味。 笑。
>約5000年前にはりゅう座α星のそばにありました。
>りゅう座α星と小熊座α星は約25度離れているから、
>この角度25度を5000年かかって移動したのです。
地球の歳差なら5000年では5000年÷72年=69.4444度移動しますよ。
>これは1年間に約0.005度ずつ天の北極が動いていることを意味します。
地球の歳差では一年間に移動する度数は1度÷72年=0.0138888度です。
↓歳差による北極星の変遷
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%A
>天の北極点から5度離れた星は「北極星」とは呼ばなかったのです。
あのね、天の北極から5度以内ある星は距離的にと大きさに問題があるが
存在するだろう。北極星に相当する星は人間が選択したものだ。
だから、何時の時代でも北極星に相当する星はある。


387大訂正!:2012/05/01(火) 12:05:36.42

>>382 名前:観客その2
>>376
>原文なんかないよ常識で言っているのさ
>見えるものを目標に行ける日中に航海するのが常識であり、
>その常識に逆らわなければならないのは夜間航行で君の言い訳
魏志倭人伝は関係なく君の常識論ですか?
それじゃ、なんでもありで議論にならない根。
>君のほうが「夜間航行をしなければならなかった理由」を
>説明しなければならない。
おれは、常識に則って魏志倭人伝の原文を挙げる。
「對海【馬】國・・・又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」
の「千余里」は漢尺なら414km、魏尺なら432kmとなるが、
414km〜432kmを日中だけで乗り切る船はどんな船。
3ノットでの航行なら76日、千里船が存在しても24時間はかかるぜ?

観客はROMに専念したらどうだ。 
388日本@名無史さん:2012/05/01(火) 12:17:01.43
>>385
知らなかったら調べればいいのに。
宮崎県の西都原古墳群から出土した舟形埴輪を元に作られた古代船。
帯方郡(今の仁川港)から博多湾までを47日かかって航海した。
野生号は実験船なので、航海することに専念できるが、実際の船は
荷物や漕ぎ手以外の人も乗っていたと考えられ、もっと時間がかかったと
思う。
389卑弥呼の都は久留米  :2012/05/01(火) 13:08:57.98
>>384
>野生号は釜山から博多までに半月かかったそうだ。

対馬海峡の潮流を知らないと半月かかることになる。
海洋国である一大國の知恵を借りれば(一大國の水路案内)、三日で渡れる。

ルート
巨斉島南岸→対馬西北端→対馬東海岸→対馬南端→壱岐西北端→壱岐北海岸→壱岐東海岸→真っ直ぐ南行→松浦川河口
390日本@名無史さん:2012/05/01(火) 13:23:08.84
簡単な航海だったら、持衰なんかが存在する余地はない。
遭難も多かったんだろう。
391観客その2:2012/05/01(火) 13:53:15.00
>>387 ペテン師
>「對海【馬】國・・・又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」
>の「千余里」は漢尺なら414km、魏尺なら432kmとなるが、
>414km〜432kmを日中だけで乗り切る船はどんな船。
>3ノットでの航行なら76日、千里船が存在しても24時間はかかるぜ?

まあ「対馬〜壱岐ではなかった」とトンデモを言いたいがために曲解
しているわけだからまともに取り合わないほうがましだが・・・

朝鮮半島から日本に渡海するのに「半島〜対馬〜壱岐〜九州」が
最も安全であった常識を必至で無視するんだな

そんなところ、無限尿や朝鮮卑弥呼そっくりだよ
392観客その2:2012/05/01(火) 13:57:55.11
>>388 読めていないな
>宮崎県の西都原古墳群から出土した舟形埴輪を元に作られた古代船

魏の使節もそんな古い船を使ったのか?と言ったんだよ。
知らないのなら君こそ調べてみることだ。
393卑弥呼の都は久留米  :2012/05/01(火) 14:06:02.66
>>386 大訂正

wikiの間違った書き込みを信じるな。
私は間違いを修正しているだけだ。

23.43:黄道の北極と天の北極点のなす角度、地球自転軸の傾き
23.43*2:天の北極点の軌跡円の直径のなす角度
23.43*2*3.1416:天の北極点が描く円周一周分の見かけ角度

天の北極は、25920年かかって円周[23.43*2*3.1416=147.19°]を一周する。
147.19°÷25920年=0.00568°/年


歳差運動の周期については諸説あります。
歳差運動はいくつかの運動要素が重なったもので、条件選択により異なった計算結果になるのです。
月と太陽の影響だけで軌跡が円であるとして計算すると周期は26000年前後になりますが、
天の北極点の軌跡は円でも楕円でもない閉じられることのない渦状軌跡です。
394大訂正!:2012/05/01(火) 14:16:05.93
>>391 名前:観客その2 :
まあ「対馬〜壱岐ではなかった」とトンデモを言いたいがために曲解
>しているわけだからまともに取り合わないほうがましだが・・・
對海【馬】國が長崎県対馬で
一大國は壱岐だ
と、どのように証明できるかね。妄想屋君。藁。。。。

>朝鮮半島から日本に渡海するのに「半島〜対馬〜壱岐〜九州」が
>最も安全であった常識を必至で無視するんだな
そんなことは、魏志倭人伝には記述されていないがNE.
「郡使往來常所駐」とは記述されているが、「郡使」がどのような航路で伊都国に到着したかは記述されていないよ。
君の妄想では魏志倭人伝に記述されていると思っているようだけど。





395日本@名無史さん:2012/05/01(火) 14:25:15.49
>>392
古いって、魏使がやってきたのはいつで、西都原古墳の埴輪が作られたのはいつ?
それに、船については大陸よりも海洋国家の日本のほうが優れていたはず。
漢書・地理志にあるように、倭人は1世紀あるいはそれ以前から大陸へ往来している。
396大訂正!:2012/05/01(火) 15:18:39.78
>>393 名前:卑弥呼の都は久留米  
>23.43:黄道の北極と天の北極点のなす角度、地球自転軸の傾き
地球自転軸の傾きと一致しているのは、黄道傾斜角で
天の赤道に対する黄道の傾きをいう。
黄道に対して天の赤道は23度26分傾いている、この角度を黄道傾斜角という。
黄道と歳差軌道は別物。
地球自転軸の傾き角度を2倍してπをかけたもの何?

頭大丈夫か?
397大訂正!:2012/05/01(火) 15:25:03.15
>天の北極点の軌跡は円でも楕円でもない閉じられることのない渦状軌跡です。
を確認はされていないが基本的にはそれで正しいだろう。

結果的に、歳差軌道のほぼ出発点の位置をを26000年後 通過する。
だから、
歳差も周期は26000年と据えて問題なしとしている。
故に
一年間に移動する角度は0.0138度である。
 これは、世界が認める科学知識である。

398卑弥呼の都は久留米  :2012/05/01(火) 17:03:56.69
>>394-397 大訂正

君は地球物理についても理解できないようだ。

黄道に対して天の赤道は23度26分傾いている、この角度を黄道傾斜角という。
だから、
黄道の北極点に対して、天の北極点は23度26分傾いている。

上記は同じことだと理解できないようだね。

>>http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://en.wikipedia.org/wiki/Celestial_pole
上の図の中心点が黄道の北極
赤線が天の北極の軌跡

赤線円の直径が、23.43×2=46.86°
赤線円の長さが、23.43×2×π=147.19°

これで理解できたかな?

天の北極点の軌跡を計算してこんな図にしているひとも居るよ。
>>http://homepage2.nifty.com/turupura/yougo/Kansoku/saisaundou.htm
399観客その2:2012/05/02(水) 07:00:40.22
>>397 ペテン師
地名・地理・その他の歴史書(隋書倭国伝など)に基づく「状況証拠」
これを見ないのか?(見えないふりか?)
ペテンを展開するんだものな、知らんぷり通して突き進むわな。

なあ、そんなに自信があるのなら、こんな過疎板ではなくメジャーな
古代史議論板で展開してみろよ。
400大訂正!:2012/05/02(水) 12:39:54.36
>>398 :卑弥呼の都は久留米 
>君は地球物理についても理解できないようだ。
>黄道に対して天の赤道は23度26分傾いている、この角度を黄道傾斜角という。
>だから、 黄道の北極点に対して、天の北極点は23度26分傾いている。
>上記は同じことだと理解できないようだね。
まあ〜〜いいだろう。
正確には二者は別もの。
黄道傾斜角は年々値が変わるからね。
値軸の傾きは変化しないだろう。
>>http://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&langpair=en%7Cja&u=http://en.wikipedia.org/wiki/Celestial_pole
>上の図の中心点が黄道の北極 >赤線が天の北極の軌跡   は、OK.。だか
>赤線円の直径が、23.43×2=46.86° >赤線円の長さが、23.43×2×π=147.19°
は、何?
黄道傾斜角度を2倍した数値が何故、赤線円の直径に相当するの?
40,000km(地球の円周)÷3.14=12,738.83km・・・地球の直径
12,738.853km×cos(90−23.4)=5059.188km・・・地球歳差軌跡の半径。
地球歳差軌跡の円周は  5059.188×2×3.14=31771.65km
一年間の移動距離は  31771.65÷26000=1.22198km
一年間の移動角度は  360度÷26000年=0.013846年
でしょう?


401大訂正!:2012/05/02(水) 12:49:37.43
>>399 名前:観客その2
>地名・地理・その他の歴史書(隋書倭国伝など)に基づく「状況証拠」
>これを見ないのか?(見えないふりか?)
今度は、一般常識から隋書倭国伝にワ〜プかYO.
では、その隋書の「状況証拠」なる原文を挙げてみなよ。
一蹴りにしてやるから。 藁。

>古代史議論板で展開してみろよ。
↑のアドレス教えてよ。

402大訂正!:2012/05/02(水) 12:52:43.07
×一年間の移動角度は  360度÷26000年=0.013846年

◎一年間の移動角度は  360度÷26000年=0.013846度
403日本@名無史さん:2012/05/02(水) 14:57:13.36
独自理論を展開する輩は漏れ無く気味が悪い
404日本@名無史さん:2012/05/02(水) 15:22:18.15
この北極星の議論で、
東西南北の方向が変化するわけじゃないよね?
405卑弥呼の都は久留米  :2012/05/02(水) 15:51:58.41
>>400 論理思考不能か?

>まあ〜〜いいだろう。
>正確には二者は別もの。
>黄道傾斜角は年々値が変わるからね。
>値軸の傾きは変化しないだろう。
君は地球自転軸の傾き角度が年々変わるといっているのだよ。
北回帰線と南回帰線の緯度が毎年変わっていくと言っているだよ。

>赤線円の直径が、23.43×2=46.86° 赤線円の長さが、23.43×2×π=147.19°< は、何?

赤線円の中心は黄道の北極点
黄道の北極点と天の北極点のなす角度は23.43度(自転軸の傾斜角)
天の北極点の軌跡(赤線円)の直径の角度は、23.43×2=46.86度
天の北極点の軌跡(赤線円)の直径長さを角度で表すと46.86度である。

天の北極点の軌跡(赤線円)の直径長さが46.86度であるから、
天の北極点の軌跡(赤線円)の円周長さは、46.86×π=147.19度となる。

つまり、26000年間に147.19度の角度変化があることになる。
だから、1年間の角度の変化(天の北極点の移動速度)は147.19÷26000=0.00566度となる。

西暦2100年頃の天の北極点と北極星の距離(角度)
西暦2010年の天の北極点と北極星の距離(角度)は0.6度
上記天の北極点の移動速度0.00566度/年から計算すると、
西暦2100年の天の北極点と北極星の距離(角度)は0.3度となる。

逆に、天の北極点と北極星の距離(角度)変化を精密に測定することによって、
現在の歳差運動の周期を計算できる。
私は未だ歳差運動の周期について調査したことがないが、
歳差運動の周期が、25880年とか25920年とかと言われているのは、
北極星の回転円の直径角度の測定から得たものではないかとも思う。
406卑弥呼の都は久留米  :2012/05/02(水) 16:06:42.19
>>404
>この北極星の議論で、
>東西南北の方向が変化するわけじゃないよね?

影響する可能性がある。

三國志の方位測定が、太陽に基づくものではなく、星座の位置による方法であれば、
実際の方向は記述された方向より30度程反時計回り方向にずれていることになる。

ちなみに漢書は、星座の位置による方向測定になっています。
407卑弥呼の都は久留米  :2012/05/02(水) 16:10:19.01
修正
× 30度程反時計回り方向にずれていることになる。
○ 30度程時計回り方向にずれていることになる。
408日本@名無史さん:2012/05/02(水) 17:25:11.41
22 :可愛い奥様:2012/02/19(日) 20:10:14.60 ID:BAiCWuwH0

AKBを全面に出したバスが走ってて
http://www.akb-sg.net/akbus01.jpg

バスに書かれたリンクに行ったらAKBのページがあって
クールジャパンとは関係ないショップやカフェの広告が出てて
http://www.cooljapan.com.sg/akb48_live.html

クールジャパンとは関係ない現地のAKB企業HPへのリンクが貼ってあり
経済産業省の文字の真上で是非リンク先に訪れて下さいねと書いてある Please visit the official AKB48 Singapore website for the latest schedule of highlights!
www.akb48.com.sg

これのどこが日本の利益になるの?
税金使ってAKBと秋元康のバックにいる民主党への利益誘導をしてるだけでしょ
409卑弥呼の都は久留米  :2012/05/02(水) 22:58:08.30
>>407の修正は間違い

○ 実際の方向は、記述された方向より、反時計回り方向で約30度ずれていることになる。
410大訂正!:2012/05/03(木) 12:02:43.99
>>405 :卑弥呼の都は久留米  :
>黄道傾斜角は年々値が変わるからね。
>値軸の傾きは変化しないだろう。
値軸は地軸(地球自転軸)誤記。失礼。
>君は地球自転軸の傾き角度が年々変わるといっているのだよ。
↓の記述は正しいか否か?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%81%93%E5%82%BE%E6%96%9C%E8%A7%92
>赤線円の中心は黄道の北極点 ・・・OK。
>黄道の北極点と天の北極点のなす角度は23.43度(自転軸の傾斜角)・・・OK。
>天の北極点の軌跡(赤線円)の直径の角度は、23.43×2=46.86度    ・・・OK。
>天の北極点の軌跡(赤線円)の直径長さを角度で表すと46.86度である。
は、意味不明。内角と一辺の長さが存在しなければ他の一辺の長さは不定。
>天の北極点の軌跡(赤線円)の直径長さが46.86度であるから、
>天の北極点の軌跡(赤線円)の円周長さは、46.86×π=147.19度となる。
もし、君の言い分が正しいなら、直径が1cmであろうと4万kmであろうと、『天の北極点の軌跡(赤線円)の直径    長さ』は46.86度であると云うことにるよ。
『天の北極点の軌跡(赤線円)の直径長さ』は
『地球歳差軌跡の円周に等しく  5059.188×2×3.14=31771.65km』である。


411大訂正!:2012/05/03(木) 12:22:45.38
>>406 名前:卑弥呼の都は久留米  
>三國志の方位測定が、太陽に基づくものではなく、星座の位置による方法であれば、
>実際の方向は記述された方向より30度程反時計回り方向にずれていることになる
↓の北の位置にポラリスがいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Precession_N.gif

此処に春分点があり、方向は北である。
西暦4100年頃にはエライ(ケフェウス座γ星)が北極星となりその方向が北となる。西暦5900年頃にはアルフィルク(ケフェウス座β星)が北の方向となる。
上図のポラリスを北としての、方位を与えるなら
未来に於いては現在の位置からすると方位は北極星の位置によって変わらざるをえない。
周期が26000年と言う長さなので人がそれを体験することは出来ないが。

魏志倭人伝に於いて
陳寿は「乍南乍東」と断りを入れて歳差をはめ込んだ。故に魏志倭人伝の方位は
南は東、東は北、南東は東北と読めば
ほぼ正常な日本列島のロケーションとなる。
412日本@名無史さん:2012/05/03(木) 14:08:24.04
凄まじいな…
正気で言ってるんだろうか
413日本@名無史さん:2012/05/03(木) 14:21:16.25
字も似とるけんがやっぱり九州の耶馬溪あたりやないと?
414日本@名無史さん:2012/05/03(木) 14:37:18.23
何かすごい知識をもってるみたいだけど、結論をみるとただのトンデモだな。
415卑弥呼の都は久留米  :2012/05/03(木) 16:12:38.15
>>410 コテコテの文系頭脳さん

>>天の北極点の軌跡(赤線円)の直径長さを角度で表すと46.86度である。<
は、意味不明。内角と一辺の長さが存在しなければ他の一辺の長さは不定。

求める天の北極の移動速度(変移速度)の単位は、[角度/年]である。
であるから、長さ(変移)の単位は[角度]で、時間の単位は[年]で考えなければならない。

天の北極の軌跡の直径(変移量)を角度で表すと、46.86度となり、
天の北極の軌跡の円周長さ(変移量)は、直径×円周率で、46.86度×π=147.19度となる。
26000年間に天の北極点が移動する長さ(変移量)が147.19度なのである。

>↓の記述は正しいか否か?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%81%93%E5%82%BE%E6%96%9C%E8%A7%92

正しい。しかし、黄道傾斜角の小さな変動と歳差運動の小さなズレ変動の関係を君に説明するのは難しい。
天の北極点の軌跡が円ではなく渦巻き状になるのは、黄道傾斜角の変動がある為。
416大訂正!:2012/05/04(金) 12:16:28.63
>>415 :卑弥呼の都は久留米  
>求める天の北極の移動速度(変移速度)の単位は、[角度/年]である。
>であるから、長さ(変移)の単位は[角度]で、時間の単位は[年]で考えなければならない。
移動速度と変移速度はべつもの。
物理学における『変移』とは、物質のA地点からB地点へ移動をいう。
一般的には、H=Vot+1/2gt2 であらわされる。
Vo:初速度、g:【加速度{重力(980dyne)}】
『長さ(変移)の単位は[角度]』というのは、誰の理論で、なんと言う理論又は原理ですか?
>天の北極の軌跡の直径(変移量)を角度で表すと、46.86度となり、
『天の北極の軌跡の直径』とその直径をなす一点との角度は46.86度である。
『天の北極の軌跡』に至る長さに因ってその直径は異なる。
>天の北極の軌跡の円周長さ(変移量)は、直径×円周率で、46.86度×π=147.19度となる。
>26000年間に天の北極点が移動する長さ(変移量)が147.19度なのである。
という理論・原理は成立しないと思う。



417日本@名無史さん:2012/05/04(金) 12:24:03.73
クフ王が大ピラミッド造ってた時わが日本人は何してたの
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1336098301/
418卑弥呼の都は久留米  :2012/05/04(金) 16:11:07.52
>>416
>>求める天の北極の移動速度(変移速度)の単位は、[角度/年]である。
>>であるから、長さ(変移)の単位は[角度]で、時間の単位は[年]で考えなければならない。

>『長さ(変移)の単位は[角度]』というのは、誰の理論で、なんと言う理論又は原理ですか?

あなたが理解できるように説明するのは困難です。疲れます。


>>415で変換ミスがありました。
理解を困難にしたのかもしれません。すみません。

× 変移
○ 変位
419卑弥呼の都は久留米  :2012/05/04(金) 16:50:50.81
   
魏志倭人伝の方位は、平均約35度ずれている。

仮説であるが、
それは、星座の位置から方向を知ったからだ。
AD3世紀に、BC12世紀の天の北極を北としていたことに起因する。
BC12世紀の天の北極(北極枢)の位置は「周髀算経」に明示されている。
420卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/04(金) 21:11:08.28
久留米氏と大訂正氏の論争を検証してみたが、どちらも間違っていると思う。

歳差運動のため、天の北極は約25900年で円を描くように見える。
その円と、歳差運動をする地軸が形成する円錐の頂角は23.43×2=46.86°である。
地軸は最大46.86°ずれる。それは25900÷2=12950年経ったときである。
12950年で46.86°ずれるのだから、年に0.0036185°ずれる。
ちなみに時計回りの方向にずれる。

魏志が239年に日本に来たとして、現在との差は1773年。
0.0036185°×1773=6.4156005°。
つまりたった6°くらいしかずれていない。
421日本@名無史さん:2012/05/04(金) 21:31:39.88
数学知らない奴が数字を語るととんでもないことを言い出すな
三角関数くらい勉強しとけ
422日本@名無史さん:2012/05/04(金) 21:33:44.24
九州以外に考えられんのにな
423日本@名無史さん:2012/05/04(金) 22:06:53.93
朝鮮馬鹿が何を吠えても、全部信用されない。
朝鮮中央テレビのキャスターと同じだ。
424卑弥呼の都は久留米  :2012/05/04(金) 22:44:02.39
>>420

12950年間にずれる角度は、円錐の底面の直径を挟む角度ではない。

12950年間にずれる角度は、円錐の底面の円周の半分をトレースするときの角度である。
12950年間にずれる角度は、46.86×π×1/2=73.57°である。
12950年で73.57°ずれるのだから、年に0.005681°ずれる。
425卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/04(金) 23:13:31.97
>>424
地軸がぶれないなら、天の北極もぶれない。
地軸がふれる=歳差運動をするから、天の北極が円を描くように見える。
天の北極の円が半円になったとき、地軸が最大にぶれて、最初の位置と正反対の位置に来る。
そのときの、最初の位置との角度が46.86°である。
地軸はそれ以上はぶれない。その後はぶれは少なくなり、
25900年で元の位置に戻り、天の北極の円が完成する。

東西南北の方位は、どんなにずれても、46.86°以上ずれることはない。
426日本@名無史さん:2012/05/05(土) 03:59:23.41
元は九州だけど纒向に移ってたんだろ。
427日本@名無史さん:2012/05/05(土) 05:55:18.85
纏向は4世紀以降な。
428卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/05(土) 09:23:14.93
一部ミスがあった。方位は単純に同じ割合でずれるのではない。

sin23.43°=kとし、地軸が中心軸の周りに回転した角度をx°、そのときの方位のずれをy°とすると、
sin(y/2)=ksin(x/2)
という関係がある。

xが90°回転したとき、つまり6480年後の方位のずれは約32°である。
1773年後のずれは、約24.625°回転したときだから、約10°となる。

つまり魏使が日本に来たときより、現在の方位は、時計回りに約10°ずれている。
ちなみに12960年までは時計回りにずれる。その後は反時計回りにずれ、
25920年後に最初と同じ方位に戻る。
429日本@名無史さん:2012/05/05(土) 12:15:21.14
九州説は候補地すら絞れないって批判されるけど

議論の出口をヤマト王権に絞れて、ただ巻向さえ掘ればいい畿内説とは違って大変だよね

巻向はヤマト王権の発祥地であることは間違いないから、国から予算貰って掘りやすい
そこから、邪馬台国と関連付ければ一石二鳥だもんね
所詮、文字資料が期待出来ない時代だから、どんな凄い遺跡が発掘されても、「邪馬台国跡遺跡」なんて名前が付くことは無いんだろうな

まあ、九州説論者の皆さん、いろいろ大変だろうが頑張ってくれ
430大訂正!:2012/05/05(土) 13:05:21.47
>>425 :卑弥呼は朝鮮にいた:
>>424
>地軸がふれる=歳差運動をするから、天の北極が円を描くように見える。
天の北極が円を描くその円を歳差軌跡という。
>天の北極の円が半円になったとき、地軸が最大にぶれて、最初の位置と正反対の位置に来る。
>そのときの、最初の位置との角度が46.86°である。
>地軸はそれ以上はぶれない。その後はぶれは少なくなり、
>25900年で元の位置に戻り、天の北極の円が完成する。
>東西南北の方位は、どんなにずれても、46.86°以上ずれることはない。
歳差が停止したからか? 藁。
天の北極が歳差運動で円を描く、天の北極が北、北が決定できればその時に、東西南が有る。天の北極の方向は12960年後には最初の方向から46.8度ズレた位置に有る。
が、このズレは黄道の北極を中心として180度の円軌跡を描いていると同義である。
天の北極の方位を北とするなら、その北は12960年後には180度移動して南の位置に有ることになるが、天の北極の方向は北を刺していることになるから必然的に方位は黄道の北極を中心として180度ズレたことになる。
陳寿は歳差を知っていた。だから魏志倭人伝の列島の方位を歳差の知識があった証拠として「乍南乍東」と断って90度ズラして記述したのである。

431日本@名無史さん:2012/05/05(土) 13:09:07.92
ちからわざだな
正気なのか
432大訂正!:2012/05/05(土) 13:17:03.09
>>414 :日本@名無史さん:
>何かすごい知識をもってるみたいだけど、結論をみるとただのトンデモだな。
と言う結論を出すのは君がごく普通の人だ。と言うことだYO.

>>430 :大訂正!:2012/05/05(土) 13:05:21.47
を理解出来ないで
『結論をみるとただのトンデモだな。』と云うなら
君は、只の馬鹿だ。 藁・・・・・!



433日本@名無史さん:2012/05/05(土) 15:25:51.50
方角がズレてるズレてないについては三國志全体の方角表記を検証すべきだろ
北極星がどうとかアホかよ
434卑弥呼の都は久留米  :2012/05/05(土) 16:27:34.99
『乍南乍東』について
   
「從郡至倭 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東」

帯方郡から倭に向かうにあたって、

「乍南」
漢江河口を西向きに水行していたのが、90°南に方向を変え、
南向きに江華海峡を水行していくこと。

「乍東」
半島西岸沿いを南向きに水行していたのが、半島西南端の土末の岬で、
90°東に方向を変え、半島南岸沿いを東向きに水行していくこと。

「歴韓國」
半島西海岸沿い、南海岸沿いに水行しながら、倭人の住む韓地の国々に寄っていくこと。
435卑弥呼の都は久留米  :2012/05/05(土) 16:48:00.45
>>433
>方角がズレてるズレてないについては三國志全体の方角表記を検証すべきだろ

其の通りです。手始めが東夷伝。


>北極星がどうとかアホかよ

3世紀には北極星はありません。天の北極点の近くに北極星とするような明るい星はありません。

3世紀での方向を知る方法の検証も必要です。
@十二方位の星座配置から方向を知る方法・・・ズレが20°〜35°発生
A天の北極点を基準に方向を知る・・・ズレが8°発生
436日本@名無史さん:2012/05/05(土) 18:52:00.35
星がだめなら磁石だろ。
437日本@名無史さん:2012/05/05(土) 22:11:53.11
なんで3世紀に北極星がないの?
438日本@名無史さん:2012/05/05(土) 22:27:17.50
>>435
つうかね、「AはBの南にある」みたいな記述があって、AもBも現在の位置が特定出来ていれば方角表記にズレがあるかどうか分かるでしょ
そういう検証をすれば?って言ってんの
439日本@名無史さん:2012/05/05(土) 23:25:21.66

 | |l ̄|
 | |l民|
 | |l主|
 | |l党|
 | |l_|
 |   .|_∧  
 |   .|`∀´>
 |   .⊂ ノ
 |   .| ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
民主党とAKBの関係が遂に明かされようとしている
秋元康の後ろには蓮訪
蓮訪の後ろに前原、枝野 そして民主党全体

税金を使ってAKBを宣伝し、その税金が民主党に流れている
AKB自体が、税金目当ての捏造ブーム
440卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/05(土) 23:32:25.24
>>430
大訂正君は文章が可愛いので好感が持てるから、丁寧に解説しよう。
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso03-j.shtml
ここに歳差運動のシンプルな説明と図が載っているので、それで説明する。

地軸の下端をOとし、上端をAとする。地軸が左回りにx°回転したときの上端の位置をBとする。
そのときの地軸AOBのV字の角度をy°とすると、そのy°が、北の方位がずれた角度である。
このyをどうやって求めるか。
Aから中心軸に垂線を下し、その足をMとする。Mから線分ABに垂線を下し、その足(交点)をNとする。
で、ANの長さを求める。ANは、地軸の長さを1とすれば、sin(y/2)である。
またANは、AMの長さをkとすれば、ksin(x/2) であり、kはsin23.43°である。
ゆえに、sin(y/2)=ksin(x/2) となる。

この式が正しいことは、xが180°のときyは46.86°となり、
xが360°のときyは0°となることからも確かめられる。
441大訂正!:2012/05/06(日) 11:53:13.47
>>434 :卑弥呼の都は久留米  :2012/05/05(土) 16:27:34.99
>『乍南乍東』について
『乍』の意は瞬時、時間差は零、所謂、重なった状態にあるを意す。
では、貴方は、
梁書 卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳 東夷条 倭  の
「乍東乍南」はどうなるの?
おれなら、過去の史書の方位を除いて新しく記述された国の方位を180度反転して読むが。
それが、正しいい解釈だ。
何故なら、歳差を嵌め込んでいるからだ。
442大訂正!:2012/05/06(日) 12:07:05.08
>>440 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
君の提示した資料
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso03-j.shtml
によると、
歳差運動の項において
『天の北極は黄道の北極を中心として描かれた半径23.5゚の円周上を25,920年かかって1周します(図右)。つまり1年間に約50秒(360゚×60'×60"÷25,920年)ほどの角度で移動しているわけです。』といっている。
一年間に50秒移動すると言うことは、
72年間で
50秒×72年=3600秒移動することになる、3600秒は一度です。
俺は、
一年間の移動角度は  360度÷26000年=0.013846度
と、記述した。
72年での移動は
0. 013846度×72年=0.996912度≒1度。

同じこと云っている。




ここに歳差運動のシンプルな説明と図が載っているので、それで説明する。

443大訂正!:2012/05/06(日) 13:00:13.80
「文身國 在倭國東北七千餘里」は「文身國 在倭國西南七千餘里」、
「大漢國 在文身國東五千餘里」は「大漢國 在文身國西五千餘里」、
「扶桑在大漢國東二萬餘里 地在中國之東 其土多扶桑木 故以爲」は
「扶桑在大漢國西二萬餘里 地在中國之西 其土多扶桑木 故以爲」
と読む。勿論千里は432kmである。
又、
「其南有侏儒國 人長三四尺 又南K齒國 裸國 去倭四千餘里 船行可一年至」
との間に共通する○○がある。
444卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/06(日) 13:12:38.90
大訂正君、君の言っていることは、それはそれで正しい。
25920年で一周するのだから、1年で0.0138888…°動く。
要するに地軸の上端が、Mを中心として、25920年で一つの円を描くのである。

しかしそれと、方位のずれる角度は同じではない。ここがポイントだ。
早い話、地軸の上端は12960年で半円を描く。Mを中心とする円周上で180°動くのである。

しかしそのときの地軸AOBのなす角(最初のAOと移動後のBOのなす角)は46.86°なのである。
北の方位のずれる角度は地軸AOBのなす角である。
地軸の上端がMを中心とする円周上を動いた角度ではない。
445日本@名無史さん:2012/05/06(日) 13:39:42.50
日が昇る方角が東で沈む方角が西だよ

シンプルに考えた給へ
446大訂正!:2012/05/06(日) 14:25:46.26
>>444 名前:卑弥呼は朝鮮にいた

>しかしそれと、方位のずれる角度は同じではない。ここがポイントだ。
>早い話、地軸の上端は12960年で半円を描く。Mを中心とする円周上で180°動くのである。
>しかしそのときの地軸AOBのなす角(最初のAOと移動後のBOのなす角)は46.86°なのである。
此処まではOK.

>北の方位のずれる角度は地軸AOBのなす角である。
これが、根本的な間違い。
方向と方位を混同している。
『方位(ほうい)とは、ある地点における水平面内の方向を、基準となる一定の方向との関係で表した物。または、基準となるべき幾つかの方向に付けた名称である。方角(ほうがく)もほぼ同義である。』・・・ウエキ
君は仮想断面に方位を与えて論じているだけ。
『46.86°』の移動は方位の移動ではなく方向の変化である。
黄道の北極を中心として描かれた天の北極の軌跡だから
方位を決定できる。
この軌跡の360度の水平面図を造り
シュメールは12区分し、マヤは13区分してその方位をけっていしている。



>地軸の上端がMを中心とする円周上を動いた角度ではない。

447大訂正!:2012/05/06(日) 14:52:42.91

>>445 名前:日本@名無史さん :
>日が昇る方角が東で沈む方角が西だよ
>シンプルに考えた給へ
その通りだ。

君は、25920年というスパンを把握出来ない
只の馬鹿かNA?

448日本@名無史さん:2012/05/06(日) 15:11:40.34
当時と現代で日が昇る方角が違うとでも言うのかよ…
449日本@名無史さん:2012/05/06(日) 15:14:16.80
気違いに何を言っても無駄
450大訂正!:2012/05/06(日) 15:30:18.23
>>448 名前:日本@名無史さん
>当時と現代で日が昇る方角が違うとでも言うのかよ…

今日はよく釣れる日だな。 藁。。。

歳差の影響を受けて日の出の方角は多少はずれるが大きくはない。

日の出、日の入りというのは
歳差の問題ではなく地球の自転によって起こる現象です。

君が26000年以上生られたら本島のことがわかるだろう。
自転軸が変化しない限りは日の出、日の入りの方角は変わらないだろうYO。



451大訂正!:2012/05/06(日) 15:32:56.51
>>449 名前:日本@名無史さん
>気違いに何を言っても無駄

妄想遊びが君にはおにあいですYO.

452日本@名無史さん:2012/05/06(日) 16:05:16.90
>>450
だからさぁ・・・
日の出日の入りの方角に変わりが無いのだから、
当然当時と現在で方角に大きなズレなんて無いだろって話なんだが・・・
453卑弥呼の都は久留米  :2012/05/06(日) 16:30:50.36
卑弥呼は朝鮮にいた

大訂正!

解らないもの同士の論議

卑弥呼は朝鮮にいたは、幾何を学んだことがないらしい。
学んだとしても学校の成績は赤点

大訂正!には数学的に論理の飛躍がある。
26000年間に、地球の歳差運動のより天の北極が移動した角度(累積視角)が
360度であるとする根拠は何ですか?
そこを考え直しなさい。
そうすれば正しい理解が可能となる。

正解
26000年間に、地球自転軸の歳差運動により天の北極が移動した累積視角は147.21°
黄道の傾斜角は23.43°とする
歳差運動の周期は26000年とする
454日本@名無史さん:2012/05/06(日) 19:31:12.41
>>443
つまり「東夷伝」は「西夷伝」と読むのが正しいと
455日本@名無史さん:2012/05/06(日) 19:39:02.95
東日本大震災で地軸が少し傾いたって記事を見た記憶がある
456卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/06(日) 22:53:45.29
>>446
私は方角や方向のことを方位と書いたのだから、それは言葉の問題であって、本質的な問題ではない。
要するにAMBの角度をx、AOBの角度をyとすれば、xとyの間に、
sin(y/2)=ksin(x/2)
という関係式が成立し、このyが、北の方角がずれた角度であるということ、
それさえ理解してもらえればそれでよい。

>>453
>天の北極が移動した累積視角は147.21°
これが何のことやらさっぱり分らない。
私や大訂正君だけでなく、その他の人も理解できてないだろう。
久留米氏は理系の人のようだから、誰にも理解できるように説明しなければならないYO。
457卑弥呼の都は久留米  :2012/05/07(月) 00:54:39.96
>>456 卑弥呼は朝鮮にいた
「卑弥呼は朝鮮にいた」さんは、「大訂正!」と違い、理解しようする姿勢があるようなので説明する。

あなたが提示した下記資料を使い説明する。
http://www.astroarts.jp/alacarte/kiso/image/123.gif

円は25920年間に一周する天の北極の軌跡
円の中心の+印は黄道北極
地球の赤道は黄道に対して、23.43°傾いているから、
天の北極と黄道北極がなす角度は常に23.43°である。
即ち、図の円周(天の北極の軌跡)と黄道北極のなす角度は23.43°である。
故に、
図の円の直径がなす角度は、23.43°×2=46.86°
即ち、円の直径の両端がなす角度は、視角が変化した量(累積視角)でもある。

図の円周(天の北極の軌跡)を一周する時の視角変化した量(累積視角)は、
円周の一点から円周上を辿っていくときの視角変化を累積した(積分した)角度である。

円の直径がなす視角×π=円周がなす視角(円周がなす累積視角)
=23.43°×2×π=147.21°

一年間に天の北極が移動する角度は、
147.21°÷25920年=0.005679°/年


>つまり1年間に約50秒(360゚×60'×60"÷25,920年)ほどの角度で移動しているわけです。

提示の資料 ■歳差運動の第4段落、3行目の上記記述は間違い。

つまり1年間に約20秒(147.21°×60'×60"÷25,920年)ほどの角度で移動しているわけです。
458日本@名無史さん:2012/05/07(月) 07:00:26.78
あのさあ・・・ここで延々続いてる不毛な会話だけど・・・

その地軸のぶれの算出の根拠になってる計算式って、そんな単純な物じゃないでしょ。
ぶれ幅は毎年変わり続けてる。論拠自体が空虚じゃん。
地軸がぶれるのは主に太陽や月、ほかの惑星(特に木星)が引っ張りあって決める物であって
地軸がどの時機にどのような角度でぶれていたかの特定はまだなされていない。
だから、世界中の学者も3世紀時点のぶれは4~8度ってかなりおおざっぱな数字しか出してないし、
世界中で議論がかわされ続けてんじゃん。
スーパーコンピューターで算出を試みてまだ結論の出てない代物だよ?
こんなとこで素人数学で解が出るならとっくに世界中の論争結論でてるっつーの。
頭がいいアホってのはまさにあんたらの事だな。
459日本@名無史さん:2012/05/07(月) 08:07:00.56
それ以前に、基本的には、太陽の南中方向などで方位が決められる。
その時に妥当な星が北極星になるだけ。

せいぜい3度ほど方角が変化するだけで、それ以上大きく変わるはずもない。

現在、北極星となっている星が、二千年前に北極になかったとすれば、
その時代には、北極星として使われてるはずもない。
460日本@名無史さん:2012/05/07(月) 08:14:56.45
普通に考えて

「質量放出がランダムに変化し続けている球体の周りを回転している球体が大きな物で8個あります。
その球体の周りをそれぞれたくさんの球体がまわっていて互いに関係を及ぼしながら常時位置を変化させ続けています。
Aの球体は周囲の影響によってランダム毎秒傾きを変化させています。
Aの1700年前の傾きを答えなさい」

これの答えを出した奴はキチガイだろ。
461日本@名無史さん:2012/05/07(月) 08:36:11.91
補記
「なお、球体の傾きは最も近接する球体への小球体衝突や
予期せぬ出来事(フレア爆発などの立証困難な事象)によっても大きく変化する可能性も考慮しなさい。
また、球体表面上の気温変化による水と土の質量移動によっても変化する事をも考慮します。
なお、計算に使用するデータは信用に値する物はこの100年のもの限りますが、
必ずしも正確であるとは証明されていない事項が含まれている事も考慮しなさい。」

462卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/07(月) 09:25:53.61
>>457
私は別に理解しようと思って訊いたわけではないのだ。誰にも理解できるように説明しようとすれば、
君が自分の間違いに気付くだろうと思って書いたのだよw
それに君が挙げた資料は私が挙げたそれではない。私が挙げたのはこれだ。
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso03-j.shtml
君はそんな図しか見ていないから理解できないのだよ。
私が挙げたサイトの図を見ればすぐに理解できることなのだ。

そもそも、大訂正君にも指摘されていたように、角度にπを掛けるなんて意味不明だ。
君は、君自身、自分の言っていることが理解できていない。
君が書いている23.43°×2×π=147.21°というのは、
AMBの角度でもなければ、AOBの角度でもない。まったく意味不明の角度だ。
∠AMBは25920年で360°になる。∠AOBは12960年で46.86°になる。
それが最大で、それ以上の角度にはならないことは中学生にだって分かる。

そもそも北の方角が147.21°もずれるなら、北の方角は25920年前はほとんど南だったと言っているようなもので、
そんなことを公言すれば、失笑されるのが落ちである。

また、もし君が、147.21°は∠AMBだというなら、それも明らかな間違いで、
∠AMBは12960年後は180°だし、25920年後は360°なのである。
463日本@名無史さん:2012/05/07(月) 10:37:08.88
歳差運動は地球と自転軸ごと、太陽の公転面に対して回転するだけで、
地球そのものの北極は変わらない。
つまり、地球という大地に対して、南北が変化するわけではない。

歳差運動はいわば、地球儀の台座ごと、回転している現象であり、
地球の大地からみて、自転軸が変化する現象ではない。



464日本@名無史さん:2012/05/07(月) 12:16:51.72
>>296
>魏志倭人伝に「乍南乍東」とある様に『南は時間差ゼロで東』の如く
>@ 方位を置き変えると正常な方位となる。

>>441
>『乍』の意は瞬時、時間差は零、所謂、重なった状態にあるを意す。

そもそも、この解釈が間違ってるんだから、歳差運動とか天文学とか持ち出すまでもない。

465卑弥呼の都は久留米  :2012/05/07(月) 12:20:27.51
>>462 卑弥呼は朝鮮にいた
>私は別に理解しようと思って訊いたわけではないのだ。誰にも理解できるように説明しようとすれば、
>君が自分の間違いに気付くだろうと思って書いたのだよw
  数学的素養ない人に説明しようとしたのは間違いだった。
  特殊相対性理論に比べれば幼児レベルの非常に簡単なことなんだけれどね。

>もし君が、147.21°は∠AMBだというなら、
  25920年間の視覚変化を積算したものが147.21°であって、∠AMBとは全く関係ない。

>それに君が挙げた資料は私が挙げたそれではない。私が挙げたのはこれだ。
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso03-j.shtml
  君が提示したhttp://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso03-j.shtml の中にある図が、
  http://www.astroarts.jp/alacarte/kiso/image/123.gif であることにも気がつかないとは、
  君の理解能力の低さに呆れた。

>>463
>歳差運動は地球と自転軸ごと、太陽の公転面に対して回転するだけで、
>地球そのものの北極は変わらない。
>つまり、地球という大地に対して、南北が変化するわけではない。
  その通り。
  しかし、ここで述べているのは、天の星々に対して、地球という大地の南北が変化していることなのです。

補足
周髀算経の1000里が76〜77kmであることが理解できない人は、地球の歳差運動について議論しても無駄よ。
周髀算経では、天の北極(北極枢)と小熊座β星(大星)のなす視角が約5°と書いてあることも理解できないだろうから。
ちなみに、現在の天の北極と小熊座α星(北極星)のなす視角は約0.6°である。
(小熊座α星(北極星)と小熊座β星のなす視角は約18°)
466大訂正!:2012/05/07(月) 12:32:15.91
>>465 名前:卑弥呼の都は久留米   :
  >数学的素養ない人に説明しようとしたのは間違いだった。
何を云っているの。
君の記述は、数学でもなく、幾何学でもなく、物理学でもない。
『学』を与えるなら、
  何でもありの『文学だ』。

147.21°が距離ならメートル法に置き換えるとその数値は幾つだ?



467大訂正!:2012/05/07(月) 12:33:18.35
>>400 :大訂正!:2012/05/02(水) 12:39:54.36
>40,000km(地球の円周)÷3.14=12,738.83km・・・地球の直径
>12,738.853km×cos(90°−23.4°)=5059.188km・・・地球歳差軌跡の半径。
>地球歳差軌跡の円周は  5059.188×2×3.14=31771.65km
>一年間の天の北極の軌跡移動距離は  31771.65÷26000=1.22198km
>一年間の天の北極の軌跡移動角度は  360度÷26000年=0.013846年
で問題ない。




468大訂正!:2012/05/07(月) 12:46:13.63
>>464 名前:日本@名無史さん
>>296
>>魏志倭人伝に「乍南乍東」とある様に『南は時間差ゼロで東』の如く
>>@ 方位を置き変えると正常な方位となる。

>>441
>>『乍』の意は瞬時、時間差は零、所謂、重なった状態にあるを意す。

>そもそも、この解釈が間違ってるんだから、歳差運動とか天文学とか持ち出すまでもない。

落書きはやめたほうがいいYO.
もし、俺の解釈を否定するなら
   君の肯定する解釈を持って否定してくれ。
肯定文が無ければ駄々の落書きでしかない。
   解ったらそれに従いたままえ。


469日本@名無史さん:2012/05/07(月) 12:57:20.03
>>468
今は時間が無いから、今夜か明日かに書くYO
470卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/07(月) 13:01:17.81
>>465
もう久留米氏には何を言っても通じないことがはっきりした。大訂正氏だって呆れている。
角度にπを掛けるなんてことがいかにナンセンスであるかも理解していないらしい。

>25920年間の視覚変化を積算したものが147.21°であって、∠AMBとは全く関係ない。

ではこの147.21°というのは何なのだ? 地球から見た、北の方角がずれた角度か?
北の方角が147.21°もずれるなんてことを本気で信じているのか?
北がずれるなら、それに伴って東西もずれる。君の言っていることが正しいなら、
25920年前は、北はほぼ南であり、東はほぼ西であった、と言っているようなものだ。

そんなことを公言すれば、精神病院に収容されるのが落ちである。
471日本@名無史さん:2012/05/07(月) 13:49:12.39
邪馬台国の名の国はなかった。卑弥呼の
国はあったが、邪馬台国なんてない。
邪馬壹国はあったが、それは、イチヨの
国。
472卑弥呼の都は久留米  :2012/05/07(月) 16:24:18.19
   
∫f(t)dt=147.21
   
f(t):頂角46.86°の円錐底周上の時間tにおける頂点から見た角度
t=0→24920

>ではこの147.21°というのは何なのだ? 地球から見た、北の方角がずれた角度か?
  地球から見た、天の北極が背景の宇宙に対してのズレ角度を24920年間集積したもの。
  147.21°÷24920年=0.00590は地球から見た天の北極の移動の角速度

君らの脳味噌では理解できんだろう?
 
473日本@名無史さん:2012/05/07(月) 19:04:48.81
ヴァカのオレに教えてくれ
地元に邪馬台国があったらなんかいいことあんの?
474日本@名無史さん:2012/05/07(月) 19:17:18.25
誇らしい
475日本@名無史さん:2012/05/07(月) 19:31:10.20
>>473
観光での集客が見込める
476卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/07(月) 21:08:01.50
>>472
プッ 今度は積分か。こんなものを持ち出されても何の説明にもなっていない。
では関数f(t)の具体的な形を示してくれ。

どうせ示せやしないだろう。君はただ23.43°を2倍してそれにπを掛けただけだから。
で、私も大訂正君も、君がなぜ角度にπを掛けるのかが理解できないのである。
直径にπを掛けるのなら理解できるのだがね。

あるいは弧度法で表わされた角度にπを掛けるのなら、少しは話も分からなくはないが、
普通の角度で表わされた23.43°にπを掛けて、一体何がしたいのだ?

それに∠AOBが46.86°になるのは12960年後なのに、
君は25920年後のこととして46.86°にπを掛けているのである。
25920年後には地軸は元に戻って∠AOBは0になるのだがね。
477日本@名無史さん:2012/05/07(月) 21:24:34.65
もう止めてくれよ
方角表記にズレなんてないよ
常識で考えろよ
478日本@名無史さん:2012/05/07(月) 21:42:43.79
>>473
もはや邪馬台国をもってくるしか生き残る道がない
479日本@名無史さん:2012/05/07(月) 22:19:41.34
歳差運動による変動で、日常使っている方位が変化することはない。
ただ、既知の星が文献に記録されている場合、
その文献が書かれた年代を推測することはできる。
480日本@名無史さん:2012/05/08(火) 06:50:21.97
>>1
回を重ねるごとに、ぐぐいと引き込まれる大人のアニメ
感性豊かで仕事の感度も高い40代の大人もはまりはじめてますね

ジャズ、友情、恋愛で描き出す、過去最高評価の青春アニメ・坂道のアポロン
職場でも話題になり始めてるので、もうみなさん見てますよね

アニメに出てくるシーンの美しさ、登場人物の心の動きには
本当に心がゆさぶられますよね

もし、まだ見てない方は、オンデマンドで今ならまだ
1話から見ることが出来ますよ
http://fod.fujitv.co.jp/s/genre/anime/ser5164/

続きもBSフジで追っかけることが出来るので、職場での話題に
ついていって下さいね

ディスクユニオンの坂道のアポロンフェアも大好評のようですね
http://diskunion.net/jazz/ct/news/article/2/29798

アニメ・坂道のアポロン聖地の佐世保に?
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/anime/1336135170/99-

行ったことがある
行ったこと無い
行ってみたい
村上龍バリケード封鎖校が舞台

328 名前:風の谷の名無しさん@実況は実況板で [sage]: 2012/05/06(日) 03:06:28.14 ID:IHhSUyub0
学生時代に現代大衆史をやってた身からすると、時代設定とかよくできてるなあって思ってんだよw
だから続きが読みたくて読みたくてしかたがない。おっちゃんみたいな社畜にもわかる久しぶりの良作
嫁の家に原作おきに行こうかな・・・でもそんなことしたら嫁からネタバレ食らいそうだ・・・悩ましい
481卑弥呼の都は久留米  :2012/05/08(火) 08:04:35.30
>>479
>歳差運動による変動で、日常使っている方位が変化することはない。
>ただ、既知の星が文献に記録されている場合、
>その文献が書かれた年代を推測することはできる。

その通り。

@しかし、黄道二十八宿の星座の位置によって方向を知る場合、
 反時計回り方向に20°から35°のズレが生じる。

A北極樞(天の北極)を求める方法によって方向を知る場合、
 反時計回り方向に約10°のズレが生じる。

B又、十二支によって方向を知る場合、
 十二支自体に約30°のズレがある為、
 反時計回り方向に約30°のズレが生じる。

このようになる原因は、地球の歳差運動により天の北極が0.00568°/年移動していることにある。
482日本@名無史さん:2012/05/08(火) 11:37:54.30
>>481
倭人伝の方位はあんたの挙げた何れかの方法によって得られたものなのか?
その論証もなしに歳差運動がどうのこうの言い合っても無意味だよ
483大訂正!:2012/05/08(火) 13:17:38.46
>>479 名前:日本@名無史さん
>歳差運動による変動で、日常使っている方位が変化することはない。・・・@
日の出の方向は歳差の影響を受け多少の影響はあるが殆ど方向の変化は見られない。それは、地球の自転による日の出の方向を東としての方位を与えているからです。
その場合の方位とは平面的ではなく立体的で
日の出の方向が『東』、日の入りの方向が『西』、天の北極(地軸の上端)を『北』、
天の南極を『南』とし、その断面を取り出して、右左を東西、上下を北南としている。
>ただ、既知の星が文献に記録されている場合、
>その文献が書かれた年代を推測することはできる。A
『既知の星』が 歳差運動に因って見える位置の変化でその時の年代を推測できる。から。
歳差を知らずして年代推測は不可能。


484卑弥呼の都は久留米  :2012/05/08(火) 16:29:41.61
>>その文献が書かれた年代を推測することはできる。A
>『既知の星』が 歳差運動に因って見える位置の変化でその時の年代を推測できる。から。
>歳差を知らずして年代推測は不可能。

そこまで解かっているいるなら、
歳差運動による天の北極の移動速度が、
360°÷25920年= 0.01389°/年(50.00″/年)ではなく。
23.43°×2×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)であることが判るだろう。
485卑弥呼の都は久留米  :2012/05/08(火) 16:46:59.42
>>482
>倭人伝の方位はあんたの挙げた何れかの方法によって得られたものなのか?
>その論証もなしに歳差運動がどうのこうの言い合っても無意味だよ

その通り。
現在、@ABのいずれの方法かを検証中。
@かBのであろう。
486大訂正!:2012/05/09(水) 11:58:59.78
>>484 :卑弥呼の都は久留米  :
>そこまで解かっているいるなら、
は、俺が君に言う言葉だYO. 君は先ず、歳差文学を止めることだ。
>歳差運動による天の北極の移動速度が、
>360°÷25920年= 0.01389°/年(50.00″/年)・・・・@ではなく。
>23.43°×2×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)・・・Aであることが判るだろう。
ここが、君の文学だ。
先ず第一、@もAも『移動速度ではない』
@ は提示資料に『つまり1年間に約50秒(360゚×60'×60"÷25,920年)ほどの角度で移動しているわけです。』とあるように『角度移動』でしかない。
『速度』とは距離÷時間です。君はそれを速度=角度÷時間と言う文学を押し付ける。又、
A は、『23.43°×2』を歳差軌跡の直径であると言う君の文学を披露しているに過ぎない。
それから『×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)』と得られた数値は君の文学の極。
A の直径とは、何処から何処まで至った処での直径かも不明。
だからその歳差軌跡の円の大きさが『不定』と俺は記述した。
不定とは答えが何でも良いということ、例えれば、0÷0=不定だ。それは、
地球の直径を一辺としての歳差軌跡の距離を計算するもよし
ポラリス迄の距離230光年を一辺としての歳差軌跡をの距離を計算してもOK
とするのが、君の文学の極、
『23.43°×2×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)』・・・Aだ。
是で理解できなければ救いようが無い。
          










487卑弥呼の都は久留米  :2012/05/09(水) 17:47:44.59
>>486 大訂正

「角速度」と言う速度の一種である概念を知らないようだね。

天の北極が1年間に何度動くかを表す速度単位も「角速度」だ。

『23.43°×2×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)』は角速度だ。

数学or物理学を勉強しなおしなはれ。


>>476 :卑弥呼は朝鮮にいた
>普通の角度で表わされた23.43°にπを掛けて、一体何がしたいのだ?

『23.43°×2×π÷25920年』の式は、積分式『∫f(t)dt』を算数(和算)で解く方法だ。
488卑弥呼の都は久留米  :2012/05/09(水) 18:00:44.81
>>486 大訂正

追加解説
『360°÷25920年= 0.01389°/年(50.00″/年)』は、
黄道北極から見た天の北極(赤道北極)の角速度だ。
489卑弥呼の都は久留米  :2012/05/09(水) 18:09:54.40
>>484の追加
>現在、@ABのいずれの方法かを検証中。
>@かBのであろう。

「黄道二十八宿」@、「北極枢」A、と「十二支」B は、その基礎が商の時代に成立したようにみえる。
490大訂正!:2012/05/10(木) 12:15:14.19
>>487 :卑弥呼の都は久留米  :2012/05/09(水) 17:47:44.59
>『23.43°×2×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)』は角速度だ。
>>488 :卑弥呼の都は久留米  :2012/05/09(水) 18:00:44.81
>追加解説
>『360°÷25920年= 0.01389°/年(50.00″/年)』は、
>黄道北極から見た天の北極(赤道北極)の角速度だ。
あれ〜〜! 飛んじゃたの〜〜〜〜!
rad/sec 以外に角速度の単位があるとはしらなかった。  藁。。。。
>『23.43°×2×π÷25920年=0.0568°/年(20.45″/年)』は角速度だ。 も、
>『360°÷25920年= 0.01389°/年(50.00″/年)』は、
>黄道北極から見た天の北極(赤道北極)の角速度だ。 も
角速度ではない。
角速度の角度を視点として解説すると
円運動の支点(o)からの距離(r)と同等の円運動の軌跡の距離(L)の三点を結んだ時にできる内角約57度、その角度を1秒間で移動するベクトル量を1rad/secの角速度という。
通常は高速回転体のベクトル量を計測するのに用いられる。

君のでたらめに付き合うのはこれが最後です。

491日本@名無史さん:2012/05/10(木) 13:04:37.55
       久留米     大訂正
        ∧_∧   ∧_∧
        <ヽ`Д´> (`ハ´ #)
        ⊂ ⊂ ) ⊂ ⊂ ノ
      ⊂ ⊂ _ ノ ⊂ ⊂_ ノ
  ∩_∧∩  彡    彡
 /丿・∀・)    彡
/     ノ  エイッ
'"⌒"⌒"~'"⌒"~⌒"~ ゙゙̄"'ョ
゙~,, _ -=-‐√"゙゙T"~ ̄Y~"゙=ミ
T  |   l,_,,/\ ,,/l  |
,.-r '"l\,,j  /  |/  L,,,/
,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ /
_V\ ,,/\,|  ,,∧,,|_/
492日本@名無史さん:2012/05/10(木) 13:07:42.96
結局纒向ね
493卑弥呼の都は久留米  :2012/05/10(木) 13:20:05.32
>>490
>円運動の支点(o)からの距離(r)と同等の円運動の軌跡の距離(L)の三点を結んだ時にできる内角約57度、その角度を1秒間で移動するベクトル量を1rad/secの角速度という。

付け焼刃だけれど、よく勉強しました。
もう一息勉強すれば正しく理解できますよ。

角速度単位 : 角度の単位/時間の単位
rad : 角度の単位
sec : 時間の単位

1rad:半径Rの円周上における半径Rの長さの線分を円の中心Oから見たときの角度
1rad=360°×r/2πr=360°×1/2π≒57.297°  

>通常は高速回転体のベクトル量を計測するのに用いられる。

角度単位radは、運動エネルギー単位と換算なしに使え便利なことから、運動力学計算によく使われます。
つまり、角度単位radは、エネルギーとマッチングさせる為の角度単位なのです。


歳差運動について論ずるなら、もう少し勉強しようね。
494卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/10(木) 18:58:12.14
倭人伝と方角 まとめ

福岡市の、夏至の日の日の出の方角は、春分秋分の日のそれより、約28°北寄りにずれる。
さらに、卑弥呼の時代の北の方角は、現在より約10°反時計回りにずれていたので、
東の方角も、現在より約10°北寄りにずれていたことになる。

ゆえに魏使が、真夏に日本に来て、しかも日の出の方角だけで方位を判断したとしたら、
現在の真東より約38°北にずれた方角を東と判断したことになる。

ゆえに倭人伝に東南と書かれている方角は東であり、東は北東であり、南は東南である可能性がある。
しかし太陽の南中する方角は季節によらず不変だから、魏使が、南北を基準にして方角を判断したとしたら、
倭人伝に書かれている方角がそのまま正しいことになる。
495日本@名無史さん:2012/05/10(木) 20:42:00.83
三國志の他の箇所で、現在地が分かっている土地についての方角表記を検証すればいいでしょうに
496大訂正!:2012/05/11(金) 12:50:51.94
>>494 :卑弥呼は朝鮮にいた
>ゆえに魏使が、真夏に日本に来て、しかも日の出の方角だけで方位を判断したとしたら、
>現在の真東より約38°北にずれた方角を東と判断したことになる。

思考方向は評価するが、その方法では、
「又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」・・・魏志倭人伝と
「度百濟行至竹島南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國」・・・隋書の
『南と東』の書き換えはどのように解釈するかNE.
又、
「乍南乍東」・・・魏志倭人伝と
「乍東乍南」・・・・梁書
の『南と東の置き換え』はどのように解釈するNO.
497日本@名無史さん:2012/05/11(金) 17:22:09.98
>>496
まぬけだなあ

隋書のときの新羅は

半島の東南端に近いところから発生して

蔓延してからに半島全体せしめちゃっているだら

来る方の方向は正確といわざるをえないぞよ
498日本@名無史さん:2012/05/11(金) 17:41:38.97
南と東を置き換えるって…
違う世界に住んでいる御方なのかしら
499卑弥呼の都は久留米  :2012/05/11(金) 19:33:50.74
>>498
>南と東を置き換えるって…
>違う世界に住んでいる御方なのかしら

「乍南乍東」は、動作の順番に表記。
最初は南へ、次は東へ

「乍東乍南」は、慣用句的に表記
方向を「南東」と表記しないで、「東南」とするが如し。


>「又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」・・・魏志倭人伝と
>「度百濟行至竹島南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國」・・・隋書の
>『南と東』の書き換えはどのように解釈するかNE

ルートが異なる。
魏志倭人伝 : 対馬→壱岐
隋書 : 珍島(竹島)の沖→済州島(○羅國)の沖北→対馬(都斯麻國)の沖南→壱岐(一支國)の沖・・全く上陸していない。
500日本@名無史さん:2012/05/11(金) 21:23:26.78
卑弥呼は東国の王女だ。
徐服の子孫が作った富士王朝こそ邪馬壱国だった。
今でも歌に歌われているように、富士山は日本一の山、山壱なのだ。
徐服が探していた蓬莱山とは富士山のことだ。徐服はそこに国を作った。
そして、徐服の故郷である「斉」の芳に朝貢している。それが魏志倭人伝に記録されたのだ。
これに間違いない。
501大訂正!:2012/05/12(土) 11:52:54.38
>>499 :卑弥呼の都は久留米  
>「乍南乍東」は、動作の順番に表記。 最初は南へ、次は東へ
何のためにその様な表記が必要か?
>「乍東乍南」は、慣用句的に表記 方向を「南東」と表記しないで、「東南」とするが如し。
そんな下らない表記をしたら打ち首になっちゃうYO.
>>「又南渡一海千余里名曰瀚海 至一大國」・・・魏志倭人伝と
>>「度百濟行至竹島南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國」・・・隋の
>>『南と東』の書き換えはどのように解釈するかNE
>ルートが異なる。
>魏志倭人伝 : 対馬→壱岐
>隋書 : 珍島(竹島)の沖→済州島(○羅國)の沖北→対馬(都斯麻國)の沖南→壱岐(一支國)の沖・・全く上陸していない。
『全く上陸していない』は解るが、それでは『壱岐(一支國)』迄に至る方法は?
>現珍島が竹島で、現済州島が○羅國とする根拠は何?
「度百濟行至竹島」の「度」は全く無視して文学の世界に没頭するわけ?

「竹島」は北緯34度の現対馬、「百濟」は北緯38度に位置する現春川が北限
 と言うことだけは取り合えず書いとくわ。 
502日本@名無史さん:2012/05/13(日) 01:59:48.79
「度百済、行至竹島、南望眈羅国、経都斯麻国迥在大海中、又東至一支国、又至竹斯国」。
「百済を度り、行きて竹島に至り、南に眈羅国を望み、迥か大海中に在る都斯麻国を経て
又東して一支国に至り、又竹斯国に至る」。
503大訂正!:2012/05/13(日) 11:59:00.31
「百濟行至竹島」の「度」の解釈は「始度一海千余里」の「度」の解釈に習う。
 「度」は『法制也』。ここでの法制としての「度」は千余里≒432km。
故に百濟と竹島の間は千余里である。是に習って
望眈羅国から都斯麻国、都斯麻国から一支國、一支國から竹斯國、竹斯國から秦王國は各々千余里である。という無駄の無い表記に成っている。
地平線と北極星の角度は現在の緯度に相当するので、それを借用すると
百濟(北緯38度)
↓  千余里
竹島 (北緯34度)は現対馬。
・・・・・・・・・
竹斯國 (北緯34度)は現北九州市
↓  千余里
秦王國 (北緯38度)は現新発田市でイ妥國の北限。

 望眈羅国 (北緯22度)
↓  千余里
都斯麻国  (北緯26度)
↓  千余里
一支國   (北緯30度)

度、法制也。

 
504大訂正!:2012/05/13(日) 14:43:20.20
「度百濟行至竹島」と「南望○羅國經都斯麻國迥在大海中」の記述は
竹島と○羅國の間の同行程の連続性はない。
「度百濟行至竹島」の「行」の一字を持って百濟からの行程は竹島で終了している。
次行程は、竹島を突然ワ〜プ(南望)して○羅國⇒都斯麻國⇒と続ずく。


505卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/13(日) 17:41:25.39
>>496
あまり関心のない話題なので、質問にも答えなかったが、それも失礼なので、答えておくと−

中国史書にはデタラメも書かれているわけで、又東至一支國というのは、やはり、明らかな間違いであるわけである。
間違いは間違いだから、それをどう解釈すべきか、と悩む必要はないわけで、間違いは間違いとしてあっさり無視すればよいのである。

ただ、なぜ南が東に書き換えられたかといえば、推測だが、隋書の時代には、日本は東にも伸びている国だという認識が生まれたからだろう。
倭人伝の時代は、日本は南に延びている国だという認識だったのだが、実は日本は東にも伸びていて、
日本の中心部は、その東の大和というところにあるらしいと、中国人は気付いたのである。

それで、一支国、竹斯国 、秦王国などが、すべて東にあるように書かれたのではあるまいか。
506日本@名無史さん:2012/05/13(日) 18:24:38.77
>>503
>「度」は『法制也』。ここでの法制としての「度」は千余里≒432km。

無関係。
説文「渡、濟也。从水、度聲。」

「渡」という文字において、「度」は声符であって、音を示す要素でしかなく、
「度、法制也」という意味は失われている。


説文通訓定声「度、假借爲渡」

音が同じ字は、違う字も同じ意味で使う「音通」によって、
「度」が「渡」の意味で使われる。
もともと、「渡」には「法制也」という意味は皆無なので、
「渡」の仮借として使われる「度」にも「法制也」の意味は全くない。

漢書・王莽伝「度百里之限」師古曰:度亦踰越也。
水を越えるという原義から離れて、
抽象的な限度を越えるという意味にも広げて使われている。

「度百済」は「百済を渡っていく」という意味で、制度は無関係。

>次行程は、竹島を突然ワ〜プ(南望)して○羅國⇒都斯麻國⇒と続ずく。

南望するのは○羅國であって、竹島ではない。
507日本@名無史さん:2012/05/13(日) 18:31:24.37
× 「度百済」は「百済を渡っていく」という意味で、制度は無関係。
○ 「度百済」は「百済をこえていく」という意味で、制度は無関係。
508日本@名無史さん:2012/05/13(日) 21:18:50.55
>又東至一支國というのは、やはり、明らかな間違いであるわけである。
対馬から壱岐は東南だろう。それを倭人伝は南と表現した、隋書は東と表現した、
それだけのことだろう。対馬からのコースの取り方で南と感じる場合もあれば東
と感じる場合もありそうだね。
509大訂正!:2012/05/14(月) 12:05:16.35
>>506 :日本@名無史さん
>>503
>「度」は『法制也』。ここでの法制としての「度」は千余里≒432km。
>無関係。 >説文「渡、濟也。从水、度聲。」
>「渡」という文字において、「度」は声符であって、音を示す要素でしかなく、
>「度、法制也」という意味は失われている。
濟:从水齊聲・・・・説文。 齊も濟の意しかないってKA?
>説文通訓定声「度、假借爲渡」
現代的解釈はそうだ、といことじゃないの。
以下、君の解釈は逆立ちしてるYO.

漢書・王莽伝「度百里之限」師古曰:度亦踰越也。
に、渡の意は見当たらない。あくまでも、又に従いで、法制です。
『水を越る等』は君の説文逆立ち論です。藁。。。。
510大訂正!:2012/05/14(月) 12:08:50.73
>>505 名前:卑弥呼は朝鮮にいた :
>中国史書にはデタラメも書かれているわけで、又東至一支國というのは、やはり、明らかな間違いであるわけである。


間違いである、との根拠を教えて?


511卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/14(月) 12:41:56.21
>>510
あまり興味のある問題ではないが、答えておくと、
>>508のように、対馬から見て壱岐は東南だろうという意見もあるが、どちらかといえば南だろう。
対馬から壱岐に渡るとき、海流から考えて、南に向けて出航するはずで、東に向けて出航するとは思えない。

とにかく中国史書には誤りも多いということを念頭に置いておこう。
たとえば、百済の西は、海を隔てて、越州である、などと書かれているのだから。
512日本@名無史さん:2012/05/14(月) 13:08:28.79
>>509
>漢書・王莽伝「度百里之限」師古曰:度亦踰越也。
>に、渡の意は見当たらない。あくまでも、又に従いで、法制です。

「又に従い」って何?
513大訂正!:2012/05/14(月) 13:23:08.83
>506 :
>「度百済」は「百済をこえていく」という意味で、制度は無関係。

三國志 魏書 卷三十 東夷伝 倭人  (魏志倭人伝)
魏略 (逸文2) 翰苑 卷三十
梁書 卷五十四 列傳第四十八 諸夷傳 東夷条 倭
隋書 卷八十一 列傳第四十六 東夷傳 倭國
に於いて、法制として「度」を置いた記述は「千余里」以外にない。
言い換えれば、「千余里」を以って「度、法制也」と置いている。
木を見て森を見ず、ではだめよ。

「度百濟行至竹島」は百濟から竹島迄千余里と意で記述している。
「又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國」の「又」に「度」を委ねて
各国間は千余里と表記した。
千余里の尺取虫は何処をどのように尺取ったかは「東」の意がそれを決定する。





514大訂正!:2012/05/14(月) 13:28:29.09
>>512 名前:日本@名無史さん
>>509
>>漢書・王莽伝「度百里之限」師古曰:度亦踰越也。
>>に、渡の意は見当たらない。あくまでも、又に従いて法制です。

>「又に従い」って何?
度:法制也。从又,庶省聲。
で、いいかな。
515大訂正!:2012/05/14(月) 13:37:08.04
>>511 名前:卑弥呼は朝鮮にいた :
>対馬から壱岐に渡るとき、海流から考えて、南に向けて出航するはずで、東に向けて出航するとは思えない。

東は北なんだけど(委細はとりあえず割愛)、
「南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國 」
は、南に望んでからの行程は全て北上です。

516日本@名無史さん:2012/05/14(月) 15:22:45.94
>>514
>で、いいかな。

漢書本文と顔師古注の意味が解ってないからダメです。
517日本@名無史さん:2012/05/14(月) 19:33:47.96
各先生が、邪馬台国がどこにあったと考えているのか、もはや訳がわからない。
518日本@名無史さん:2012/05/15(火) 06:27:31.11
丹波(=投馬国?)、籠神社、海部氏系図などから考えるとすれば、
畿内説一択!
519大訂正!:2012/05/15(火) 11:28:43.46
>>516 :日本@名無史さん:2012/05/14(月) 15:22:45.94
>>514 >>で、いいかな。
>漢書本文と顔師古注の意味が解ってないからダメです。
へ〜〜!君はやっと解ったんだ。あまり期待はできないけどお披露目してもらえますか?
でも、

『507 :日本@名無史さん:2012/05/13(日) 18:31:24.37
× 「度百済」は「百済を渡っていく」という意味で、制度は無関係。
○ 「度百済」は「百済をこえていく」という意味で、制度は無関係。 』
と、慌てて訂正する程度の足の突っ込みじゃだめYO.
基本部分をしっかり押さえて解釈してNE.


520常識的史観の人の読み:2012/05/15(火) 11:45:00.69
●『隋書』の読みの別れるところ。
壱岐に向かうルートについて『隋書』はこう書いている。
「度百済行至竹島南望眈羅国経都斯麻国迥在大海中、又東至一支国、又至竹斯国」。

一般的には次のように読まれている。
「百済に度り、竹島に至り行き、南に眈羅国を望んで、都斯麻国を経るに、迥か大海中に在り。
又東して一支国に至り、又竹斯国に至る」。
だがこれでは、「何が迥か大海中に在るのか」が不明である。
さらに、対馬を経由したとなれば、対馬から壱岐への方角は「南」であり「東」ではない。

すなわち、この文章はどう読んでも矛盾が出る。そこで天才はこう読むわけさ。
「百済に度り竹島に至り行き、南に望んで眈羅国を経るに、都斯麻国は迥(はる)か大海中に在り。
又(眈羅国から)東して一支国に至り、又竹斯国に至る」。

つまり、竹島から南に向かって眈羅国(済州島)を経由して、遥か大海の中にある対馬を眺めながら、
東に向かって壱岐へ直行したと読むぜぇ。ワイルドだろぉ。
521大訂正!:2012/05/15(火) 12:14:18.82
>>515 名前:大訂正!
>東は北なんだけど(委細はとりあえず割愛)、
>「南望○羅國經都斯麻國迥在大海中 又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國 」
> は、南に望んでからの行程は全て北上です。
は、「度百濟行至竹島」の「度」は「法制也」を
理解していなければ正しく解釈することは難しい。
>>503 :大訂正!を別掲すると
百濟(北緯38度)・・・・・・・・秦王國 (北緯38度)は現新発田市でイ妥國の北限。
↓  千余里          ↑  千余里
竹島 (北緯34度)は現対馬。・・竹斯國 (北緯34度)は現北九州市
       ↑  千余里
一支國   (北緯30度)
↑  千余里
都斯麻国  (北緯26度)
↑  千余里
 眈羅国 (北緯22度)
という、行程表記をしている。
「東」は『北』と読む。何故なら、魏志倭人伝では、「乍南乍東」で「南」は「東」と表記されているから、当然『東』は『北』となる。
隋書の「東」は魏志倭人伝の方位を受けて、「東」と表記されていれば「北」である。

522大訂正!:2012/05/15(火) 12:26:36.68
旨くいかないので更に別掲。。。。
百濟(北緯38度)
↓  千余里          
竹島 (北緯34度)は現対馬。

秦王國 (北緯38度)は現新発田市でイ妥國の北限で百濟と同緯度
↑  千余里
竹斯國 (北緯34度)は現北九州市で竹島と同緯度で魏志の末廬國と同緯度で狗奴國にあたる。
↑  千余里
一支國   (北緯30度)は魏志の一大國にあたる。
↑  千余里
都斯麻国  (北緯26度)は魏志の對海【馬】國にあたる。
↑  千余里
 眈羅国 (北緯22度) は狗邪韓國にあたる。
という、行程表記をしている。


523大訂正!:2012/05/15(火) 12:42:05.52
誤解があるといけないので
竹斯國 (北緯34度)は現北九州市で竹島と同緯度で魏志の末廬國と同緯度で狗奴國にあたる。

竹斯國が狗奴國にあたる。のであって
末廬國と竹斯國は同緯度である。
524卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/15(火) 12:53:11.70
>>520
は伊作だと思うが、「迥か大海中に在る都斯麻国を経て」と普通は読むのではないか。
あるいは「都斯麻国を経るに、(倭は)迥か大海中に在り。」と読んでもいい。
525日本@名無史さん:2012/05/15(火) 13:02:51.12
「迥か大海中に在る都斯麻国を経て」と「都斯麻国を経るに、(倭は)迥か大海中に在り。」
では意味がちがってしまうだろうが。
「都斯麻国を経るに、迥か大海中に在り。」でいいが、迥か大海中に在るのは倭国ではなく
都斯麻国だ。
526大訂正!:2012/05/15(火) 13:12:54.03
>>520 名前:常識的史観の人の読み
>すなわち、この文章はどう読んでも矛盾が出る。そこで天才はこう読むわけさ。
>「百済に度り竹島に至り行き、南に望んで眈羅国を経るに、都斯麻国は迥(はる)か大海中に在り。
又(眈羅国から)東して一支国に至り、又竹斯国に至る」
駄目だ。。。。
「度百濟行至竹島」は『百濟至竹島そのさしわたし(一っ跳び)千余里』。だ。
『さしわたし、一っ跳び』は
漢書・王莽伝「度百里之限」師古曰:度亦踰越也。の問題だ。

「南望眈羅國經都斯麻國迥在大海中」は
南、眈羅國を凝視し(望)都斯麻國を經。眈羅國と都斯麻國は迥在大海中。
竹島は現対馬であり、眈羅國は台湾並びに八重山諸島で都斯麻國は沖縄であるから、「迥在大海中」という表現は妥当。
百濟行至竹島で第一行程は終了。
第二行程は、イッキにワ〜プし、南望で
眈羅國⇒都斯麻國⇒一支國⇒竹斯國⇒秦王國⇒十餘國⇒海岸迄。 
という行程。




527大訂正!:2012/05/15(火) 13:20:19.66
>>525
>「迥か大海中に在る都斯麻国を経て」と「都斯麻国を経るに、(倭は)迥か大海中に在り。」
>では意味がちがってしまうだろうが。
>「都斯麻国を経るに、迥か大海中に在り。」でいいが、迥か大海中に在るのは倭国ではなく
>都斯麻国だ。
で、貴方は「都斯麻国」は倭国ではないと解釈しているのかな。
それなら正解です。
倭国は北緯30度の一支國からで魏志の一大國にあたる。
魏志の女王国は、北緯26度の對海【馬】國からで隋書の「都斯麻国」にあたり、現沖縄です。


528日本@名無史さん:2012/05/15(火) 13:30:35.18
「都斯麻国」は倭の一部だよ。
529大訂正!:2012/05/15(火) 13:33:48.45
「自竹斯國以東皆附庸於イ妥」
の「竹斯國」に都という概念を嵌めると
周禮:距國五百里爲都。
その中心地を西都市とするなら半径五百里(216km)で
南は北緯30度の種屋久から北は北九州市までをすっぽりと包むのである。
「竹斯國」とは魏志の「一大國」と「狗奴國」の総体である。
530大訂正!:2012/05/15(火) 13:41:39.62
>>528 名前:日本@名無史さん :2012/05/15(火) 13:30:35.18
>「都斯麻国」は倭の一部だよ。
なるほど。
で、貴方の
「都斯麻国」の比定地は何処ですか?
俺の竹島の比定地は現対馬で、
「都斯麻国」は沖縄だ。
勿論、千里=432kmとし、方位、方可○里を満足させて。


531日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:13:21.16
私は倭人伝が書いているとおりにしか読まない。
532ローガン:2012/05/15(火) 15:25:36.00
これは、「文林郎裴清使於倭國」という単一テキストに基づく行程文。
百濟に渡ったのも、都斯麻國を経由したのも「裴清」。
「迥在大海中」の主語も「裴清」。

「又經十餘國達於海岸」ここで初めて裴清は上陸。
>>499
>全く上陸していない。

に同意。
533日本@名無史さん:2012/05/15(火) 17:06:09.99
つまらねえな

度百濟 行至竹島 南望[身冉]羅國 經都斯麻國 迥在大海中

ここのを実行程として理解したいやつはまぬけ乃至は荒氏だろ

ここのはおおまかに行き先の位置描写しているだけだろ

又東至一支國
又至竹斯國
又東至秦王國

ここのの実行程の基点が竹島なだけじゃん

へんてこりんによみたがるひとおお杉だな
534卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/15(火) 19:38:26.64
>>525
なるほど。どうやらおぬしの読みが正解のようだ。

漢文曲解帝王森村伊作の読みは明らかに間違いだな。
「南に望んで眈羅国を経るに」と読むなら、南望而経眈羅国 と書かねばならない。
535日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:43:57.57
卑弥呼の先祖のひとって朝鮮稗王かもね
536日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:53:14.14
もすかして朝鮮稗王て鮮稗のボスなのかなあ しらんけど
537日本@名無史さん:2012/05/15(火) 19:57:29.74
>>525
>「都斯麻国を経るに、迥か大海中に在り。」でいいが、迥か大海中に在るのは倭国ではなく
>都斯麻国だ。

その通りです。
538日本@名無史さん:2012/05/15(火) 21:06:42.13
「経都斯麻国、都斯麻国迥在大海中」(「都斯麻国を経るに、都斯麻国ははるか大海中に在り」)

という文で、都斯麻国が連続して二回出るので、一方を省略して

「経都斯麻国迥在大海中」(都斯麻国を経るにはるか大海中に在り)

となった構文です。
訓読しにくいですが、もともと外国語を直訳しようというのが訓読であって、
連続する名詞を省略するという現象が日本語に無いので、
直訳しようとすると多少無理が出るのは当たり前のことです。
539卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/15(火) 21:17:24.70
>>535-536
分かっているかどうか知らないが、稗とは補佐の意味で、稗将とは副将のことだから、稗王とは副王のことだろう。
尤も、稗王という名の王がいたなら話は別だが。
540日本@名無史さん:2012/05/15(火) 21:30:41.49
おっおっ ちょおさんたら よろこんじょるわ


稗王が副王

稗が副になりうる原始人ないし古代人の脳内構造に興味がありますがねえ

稗が高位の価値を持っていた時期があったであろうことはがちですねえ
541卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/15(火) 22:20:39.30
元封二年、漢使渉何譙諭右渠、終不肯奉詔。何去至界、臨浿水、使馭刺殺送何者朝鮮裨王長(師古云:長者、裨王名也。送何至浿水、何因刺殺之)、即渡水、馳入塞、遂歸報天子曰「殺朝鮮將」。
上為其名美、弗詰、拜何為遼東東部都尉。朝鮮怨何、發兵攻襲、殺何。

師古云:長者、裨王名也。
542大訂正!:2012/05/16(水) 11:48:56.21
>>531 :日本@名無史さん:2012/05/15(火) 15:13:21.16
>私は倭人伝が書いているとおりにしか読まない。
ふ〜〜ん! ま〜 想定内のアンサ〜だな。
一匹釣れたと言うことでそれ以上は突っ込まない。 笑。。。。。。
532 :ローガン:2012/05/15(火) 15:25:36.00
>これは、「文林郎裴清使於倭國」という単一テキストに基づく行程文。
ほぼOK.
>百濟に渡ったのも、都斯麻國を経由したのも「裴清」。
「裴清」は「百濟」には渡っているが、「都斯麻國」は凝視(望)したでけです。
「經」は「又經十餘國達於海岸」の「經」と関連するので此処では割愛。
>「迥在大海中」の主語も「裴清。」
凝視(望)との行為においての主語は「裴清。」であるが、「裴清。」が「都斯麻國」や「大海中」に居たのではない。
>「又經十餘國達於海岸」ここで初めて裴清は上陸。
これは、完全誤読です。
「又」、は「又東至一支國又至竹斯國又東至秦王國」の一連の行程延長で、勿論
「又」は「度」を引き受けての「又」である。
「又經十餘國達於海岸」の「十餘國」とは魏志倭人伝の「女王國東渡海千余里復有國皆倭種」に対応している。
であるから、「十餘國」の列島の領域は北緯38度以北で千余里で北緯42度、更に千余里で北緯46度の宗谷岬になる。
 「又」「經十餘國」「達」「於海岸」・・・・・・

543大訂正!:2012/05/16(水) 12:15:41.80
>>533 名前:日本@名無史さん :2012/05/15(火) 17:06:09.99
>度百濟行至竹島 南望[身冉]羅國 經都斯麻國 迥在大海中
>ここを実行程として理解したいやつはまぬけ乃至は荒氏だろ
>ここのはおおまかに行き先の位置描写しているだけだろ
行き先というより「百濟」を除いて列島(女王国、元女王国)の位置描写でしょう。
それに続く「又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 又經十餘國達於海岸」も
位置描写です。
>ここのの実行程の基点が竹島なだけじゃん
「度百濟行至竹島」の基点は百濟で
「南望[身冉]羅國 經都斯麻國 迥在大海中」 それに続く「又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 又經十餘國達於海岸」の基点は[身冉]羅國」です。

隋書も2行程で列島を位置描写している。
「都斯麻國 」と「一支國」を分割したのは二国が邪馬臺の倭国の境界だから。



544大訂正!:2012/05/16(水) 12:40:28.96
>>538 名前:日本@名無史さん :2012/05/15(火) 21:06:42.13
「南望[身冉]羅國 経都斯麻国、都斯麻国 迥在大海中」 の
「迥」は[身冉]羅國と都斯麻国に掛かります。
何故なら、「迥」は、はるかで遠いと言う意ですが、
指定したい地域から外れた道(行程)を表記する場合にも用いることが出来る。
此処での、「迥」はこの意です。





545日本@名無史さん:2012/05/16(水) 21:51:40.71
きちがいにはもうウンザリ
546日本@名無史さん:2012/05/16(水) 22:14:50.67
801 :日本@名無史さん:2012/05/15(火) 22:14:57.92
wiki邪馬台国の英語版を見たら「水行十日陸行一月」の部分が
[This journey] takes ten days by water and one month by land.
となっていて、この旅程全体の距離ということになってるんだが。
これだと、英語圏だと九州説確定になってしまうんだが、お前らこれでいいの?
547日本@名無史さん:2012/05/16(水) 23:04:29.13
確定も何も海外では九州で確定してる
548日本@名無史さん:2012/05/16(水) 23:08:37.17
𨈭羅國
(※ブラウザによっては見られないかも)
549日本@名無史さん:2012/05/16(水) 23:11:29.61
𨈭羅國
550大訂正!:2012/05/17(木) 12:10:15.92
「南望[身冉]羅國 經都斯麻國 迥在大海中」と「又經十餘國達於海岸」の「經」。
經:織也。从糸巠聲。・・・・説文 とあるから、
都斯麻國は[身冉]羅國に連結して織り込まれ、
「又經」で「十餘國」は、
「又東至一支國」 「又至竹斯國」 「又東至秦王國」に連結して織り込まれ、切り離せない関係にある。

「達於海岸」の「於」は説文に「凡經多用于。凡傳多用於。」とある。
これによれば、「南望[身冉]羅國 經都斯麻國 迥在大海中」の「迥在大海中」は
『南を凝視、[身冉]羅國 都斯麻國まで(于)←(經)』ということになる。

『傳は遽也』であるから、「十餘國」の全ては海岸に面している
と、いうことか? 
それとも、「十餘國」の一国が海岸に面しているということか?

『名無しさん! はどう思いますかNe?』

551大訂正!:2012/05/17(木) 13:04:23.07
「有阿蘇山」の「阿蘇山」とは古墳ではないか?
もし、「阿蘇山」が古墳なら
「邪馬臺國」の「臺」も古墳の意か?
552日本@名無史さん:2012/05/17(木) 13:08:27.84
もう、めちゃくちゃじゃのう。
553大訂正!:2012/05/17(木) 14:10:29.94
>>552 名前:日本@名無史さん :2012/05/17(木) 13:08:27.84
>もう、めちゃくちゃじゃのう。

有阿蘇山の阿は古墳で蘇は桂の木
の意がある。

めちゃくちゃ君 、調べてみたらどうだ。
554大訂正!:2012/05/17(木) 14:15:04.14
「有阿蘇山」は
「阿蘇山」が在るという意ではない。
所謂、「阿蘇山」は固有名詞ではない。
555日本@名無史さん:2012/05/17(木) 16:55:47.08
阿蘇山が普通名詞だという証拠はあるのかね?
今の阿蘇山以外の阿蘇山って、いくつあってどれとどれなの?
556日本@名無史さん:2012/05/17(木) 17:17:22.83
>>553
ほんとに、めちゃくちゃだ。
なんでもかんでも、説文引きさえすればいいと思ってる。
557日本@名無史さん:2012/05/17(木) 19:59:47.57
大訂正って、もともとまともじゃないとは思ってたが、
ここまで変な方向に走るキャラだったっけか?
558日本@名無史さん:2012/05/17(木) 20:18:05.26
大訂正は、漢文を多用するので、
それらしく論を進めているように見えるが、
基本はオチャラケ。
559大訂正!:2012/05/18(金) 11:37:19.88
>>555 :日本@名無史さん:
>阿蘇山が普通名詞だという証拠はあるのかね?
おれは、普通名詞だと記述したことはないがNE.
「有」については、天才君と色々問答があったが軍配は天才君に挙がっている。
それは、「有」と「在」を峻別していたからだ。
在、存也。・・・・説文
春秋傳曰。日月有食之。
「次有斯馬國」の21カ国も固有名詞ではないし、「有狗奴國」・「有侏儒國」の「狗奴國」・「侏儒國」も固有名詞ではない。
これらはその特徴をしるした造語としての表記であろう。
>今の阿蘇山以外の阿蘇山って、いくつあってどれとどれなの?
富士山をあそ山と呼んだという記録が残されているときおくしているが。
浅間神社の語源については諸説ある。
・ 「浅間」は荒ぶる神であり、火の神である。
・ 江戸時代に火山である富士山と浅間山は一体の神であるとして祀ったとする説。
・ 「浅間」は阿蘇山を意味しており、九州起源の故事が原始信仰に集合した結果といわれている。
・ 「アサマ」とは、アイヌ語語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味がある。
また、東南アジアの言葉で火山や温泉に関係する言葉である。
例えばマレー語では、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味する。
その言葉を火山である富士山にあてたとする説。・・・ウイキ
これも面白い。。。。
560大訂正!:2012/05/18(金) 12:24:03.73
>>558
オチャラケ君、君はあの馬鹿でかい古墳等があちらこりらに散らばっているのに
中華史籍にその記録が見当たらないことじたい不思議だとおもわないのかね。
「阿蘇山」の「山」が山陵(帝王の陵墓)のように墓としての意で使われているよ。
どちらかと云うとオチャラケは君の方かもNE.

邪馬台国吸収説は阿蘇山を溶かされると痛いのはわかるが、
最も重要なことは魏徴の意に背かないというととだろう。





561日本@名無史さん:2012/05/18(金) 13:11:06.60
古墳時代は4世紀以降。

そもそも、3世紀のこの時期に、
大型古墳がゴロゴロしてるわけもなかろう。

せいぜい弥生墳丘墓が稀に見つかるくらいだろ。
562大訂正!:2012/05/18(金) 13:15:07.01

>>561 名前:日本@名無史さん :2012/05/18(金) 13:11:06.60
>古墳時代は4世紀以降。

>そもそも、3世紀のこの時期に、
>大型古墳がゴロゴロしてるわけもなかろう。

>せいぜい弥生墳丘墓が稀に見つかるくらいだ

ふ〜〜〜ん!

三世紀に隋が中華に在った

か。
知らなかったYo.  オチャラケ君。
563日本@名無史さん:2012/05/18(金) 13:45:51.98
>>559

いや、だから君が普通名詞という語を使用しなくても、阿蘇山は普通名詞である、という
主張を君がしているんだよ。富士山が阿蘇山と一般的に呼ばれたことは無い。
で、他に無数にあるはずの「一般名詞としての阿蘇山使用例」は?
564大訂正!:2012/05/18(金) 13:55:56.53
>>563 名前:日本@名無史さん :2012/05/18(金) 13:45:51.98
>>559
>いや、だから君が普通名詞という語を使用しなくても、阿蘇山は普通名詞である、という
>主張を君がしているんだよ。

それは、君の勝手な解釈にすぎない。

阿蘇山は『その特徴をしるした造語としての表記であろう。』
が、俺の主張だ。勝手に捩るな。


富士山が阿蘇山と一般的に呼ばれたことは無い。
一般的であろうが、例外的にであろうが富士山が阿蘇山と呼ばれたことがあることを否定できない。

>で、他に無数にあるはずの「一般名詞としての阿蘇山使用例」は?

歴史文献に記述が無いことは いえないNe.
阿蘇山が一般名詞として使われたか否か」に関係なく、

隋書の「阿蘇山」は『王の墓』の古墳であろう。

565日本@名無史さん:2012/05/18(金) 13:59:32.16
つまらん
566日本@名無史さん:2012/05/18(金) 14:07:18.72
反転おじさん(現>>564)に餌やるなよ
567大訂正!:2012/05/18(金) 14:10:55.58
>>565 名前:日本@名無史さん :2012/05/18(金) 13:59:32.16
>つまらん

じゃなく、つまれてるんじゃYO.
568日本@名無史さん:2012/05/18(金) 14:55:27.21
>>564

「阿蘇山」という造語?
誰にも意味が通じない造語なんか、造語とは言えないだろ。
全世界の人にとって、九州の阿蘇山としか理解できないだろ。

百歩譲って阿蘇山が造語だちょして、造語の意味が読み手に
伝わるはずだと考える根拠は?
569日本@名無史さん:2012/05/18(金) 22:02:22.39
そんなこねくりまわして読まんでも
倭国は大国で九州の阿蘇のピンク石や糸魚川産の翡翠のことを書いとるだけだろもん

570大訂正!:2012/05/19(土) 11:58:58.73
>>568 :日本@名無史さん:2012/05/18(金) 14:55:27.21
>>564
>「阿蘇山」という造語?
>誰にも意味が通じない造語なんか、造語とは言えないだろ。
>全世界の人にとって、九州の阿蘇山としか理解できないだろ。
で、隋の時代に熊本の現阿蘇山が阿蘇山と呼ばれていたのか?
阿蘇山との呼び名は通称であり阿蘇山という名の山は現在でも存在しない。
>百歩譲って阿蘇山が造語だちょして、造語の意味が読み手に
>伝わるはずだと考える根拠は?
もし、阿蘇山という固有の名の山が存在するなら、
『在阿蘇山』と表記されるであろう、が、隋書には「有阿蘇山」と表記されている。
故に、阿蘇山という固有の名の山は存在しない。



571日本@名無史さん:2012/05/19(土) 13:20:06.23
>>570

お前の脳内に存在しないだけで、隋代も現代も阿蘇山といえば
世界に唯一、九州の阿蘇山だけが存在している。
これ以上屁理屈をこねると、お前の信用性を無くすだけだぞ。
572大訂正!:2012/05/19(土) 13:26:16.89
>>571 名前:日本@名無史さん :2012/05/19(土) 13:20:06.23
>>570

>お前の脳内に存在しないだけで、隋代も現代も阿蘇山といえば
>世界に唯一、九州の阿蘇山だけが存在している。
>これ以上屁理屈をこねると、お前の信用性を無くすだけだぞ。

君の妄想に付き合う気はもうとう無い。
隋の時代に現熊本に阿蘇山という山があった、という記述を拾ってこい。
それを示したら俺の論を素直に引っ込めるYo.



573ローガン:2012/05/19(土) 14:48:40.23
>>572
横失礼。
釋紀引用筑紫國風土記の 閼宗岳
574日本@名無史さん:2012/05/19(土) 16:35:56.09
あらら…
575日本@名無史さん:2012/05/19(土) 17:19:59.67
倭国の中心は四国だけどな。
九州説なんてもう根拠は何もないんだよ。
576日本@名無史さん:2012/05/19(土) 19:57:15.81
× 九州説なんてもう根拠は何もないんだよ。

○ 九州説以外に、根拠は何もないんだよ。
577日本@名無史さん:2012/05/19(土) 21:00:28.50
× 九州説以外に、根拠は何もないんだよ。

○ 九州説、意外に根拠は何もないんだよ。
578日本@名無史さん:2012/05/19(土) 21:08:06.14
>>570
在と有の区別ができてないようだ。

「Aがある」を漢文で表現する場合、
「A+在+場所」または「(場所など)+有+A」になる。
だから、阿蘇山が固有名詞で、「阿蘇山がある」という意味を表すのに、
「在阿蘇山」は、絶対にありえない。
「Xが阿蘇山に在る」なら「X在阿蘇山」という文はありうる。
579日本@名無史さん:2012/05/20(日) 01:27:47.98
在往者,在来者。……..《大戴礼•曾子立事》
580日本@名無史さん:2012/05/20(日) 01:30:07.04
>「Xが阿蘇山に在る」なら「X在阿蘇山」という文はありうる。

在河之洲。――《诗·周南·关雎》
人在室中。――清·薛福成《观巴黎油画记》
581日本@名無史さん:2012/05/20(日) 02:29:06.23
>>573
阿蘇山のアソと麻生氏のアソウは同根だったのか!
582日本@名無史さん:2012/05/20(日) 09:13:49.14
大訂正は自説を引っ込めるだろうか?
583日本@名無史さん:2012/05/20(日) 09:48:28.49
>>580さんの例について、前の句をちょっと補足。
關關たる雎鳩は河之洲に在り
やわらぎ鳴く雎鳩=ミサゴが河之洲にいる
584大訂正!:2012/05/20(日) 11:34:31.21
>>583 名前:日本@名無史さん :2012/05/20(日)
二番煎じは楽でいいNa.
>>579 名前:日本@名無史さん
在往者,在来者。……..《大戴礼•曾子立事》
>>580 名前:日本@名無史さん
>在河之洲。――《诗·周南·关雎》
は、俺の投稿だ。
在往者,在来者。……..《大戴礼•曾子立事》の補足はないの?
父母在,不远游。---《論語・里仁》とも「在」は使えるよ。
要するに、俺が言いたいのは『存在』に付いては、「在」だ。という事。
もしある現象や行為等に支点を置いた時には存在の「在」ではなく「有」を用いる。

有:不宜有也。《春秋傳》曰:“日月有食之。”从月又聲。
とある如しだ。
「有阿蘇山」は存在ではない。



585日本@名無史さん:2012/05/20(日) 11:40:45.79
次有斯馬国
586大訂正!:2012/05/20(日) 11:56:42.59
>>585 名前:日本@名無史さん :2012/05/20(日) 11:40:45.79
>次有斯馬国

当然だ。 斯馬国は固有名詞ではない。
音で語呂合わせしている者もいるようだが、所詮は妄想だYO.

587日本@名無史さん:2012/05/20(日) 11:59:36.15
ダメだこりゃ
588大訂正!:2012/05/20(日) 12:08:47.38
>>582 名前:日本@名無史さん :2012/05
>大訂正は自説を引っ込めるだろうか
引っ込めるかどうか、楽しみにしていなさい。藁・・・・・

>>573 :ローガン:2012/05/19(土) 14:48:40.23
>>572
>横失礼。
>釋紀引用筑紫國風土記の 閼宗岳
阿蘇神社の十二神を引っ張り出すとは想定外でったYO.
富士山があそやまと呼ばれたことがある又浅間山についても拾い書きしたのは
根底に阿蘇神社があったからだ。十二神といえばヤズルカヤの行進する十二神があまりにも有名であるが、ここ阿蘇神社からの引っ張りの『閼宗岳と隋書の阿蘇山』は、同じであるとローガンさんはおもわれますか?
是に答えてもらってから先に進もうと思う。




589大訂正!:2012/05/20(日) 12:39:05.91
>>587 名前:日本@名無史さん :2012/05/20(日) 11:59:36.15
>ダメだこりゃ

駄目なのは、「有と在」の峻別視できない君の目と止まった時計の君の頭脳だYO.
590日本@名無史さん:2012/05/20(日) 13:13:43.32
大訂正!も固有名詞でない。
591日本@名無史さん:2012/05/20(日) 15:23:33.44
固有名詞か否かは水掛け論だからな 好きに読ませときゃいいだろそれで満足なら
他のだーれもそういう読み方はせんから、会話もできんちゅうだけのことで


592日本@名無史さん:2012/05/20(日) 17:37:02.43
>>591 名前:日本@名無史さん

女王國東渡海千余里復有國皆倭種

 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里

 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至
593日本@名無史さん:2012/05/20(日) 18:58:01.59
>>584
>父母在,不远游。---《論語・里仁》とも「在」は使えるよ。

「父母いませば」は、「父母在」と書けるが、「在父母」とは書けない。
「父母在」とは「父母在世」の省略。つまり「主語+在+場所など」が「在」の基本構文。
だから、「阿蘇山がある」は、「阿蘇山在(場所)」とは書けるが「在阿蘇山」とは書けない。

>『在阿蘇山』と表記されるであろう、

というのは、「在」の構文としてありえない。



>在往者,在来者。……..《大戴礼•曾子立事》の補足はないの?

これ、「在往者,在来者」ではなくて「存往者,在来者」だと思うけど、それはさておき。

   http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9CZdicA8.htm
   (9) 省?;?察 [inspect]

    存往者,在来者。??《大戴礼?》

リンク先を見るとわかるように、この「在」は「省視・観察・inspect」という意味であって、
「存在・be living exist」の意味じゃないから、不適切な例文。
594大訂正!:2012/05/21(月) 11:50:36.06
>>593 :日本@名無史さん
>>584
>「父母いませば」は、「父母在」と書けるが、「在父母」とは書けない。
>「父母在」とは「父母在世」の省略。つまり「主語+在+場所など」が「在」の基本構文。
だから、>>592 布石として「又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里」をあげてある。それは君の言う通りであるが、
>だから、「阿蘇山がある」は、「阿蘇山在(場所)」とは書けるが「在阿蘇山」とは書けない。
>>『在阿蘇山』と表記されるであろう、
>というのは、「在」の構文としてありえない。
とする根拠は何?

>>在往者,在来者。……..《大戴礼•曾子立事》の補足はないの?
>これ、「在往者,在来者」ではなくて「存往者,在来者」だと思うけど、それはさておき。
   http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9CZdicA8.htm
   (9) 省?;?察 [inspect]
    存往者,在来者。??《大戴礼?》
>リンク先を見るとわかるように、この「在」は「省視・観察・inspect」という意味であって、
>「存在・be living exist」の意味じゃないから、不適切な例文。
「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》と俺は挙げたが、君はそれを「存往者,在来者」。??《大戴礼?》 と捩って、『この「在」は「省視・観察・inspect」という意、「存在・be living exist」の意味じゃないから、不適切な例文。』と反論している。
「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》は「存在・be living exist」の意味ですよ。だから君の解釈は間違っているYO.
君の   http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9CZdicA8.htm
の(2) 同本義 [be living;exist]の一番下を読みなさい。
チャント、「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》とあるでしょ。
誤魔化しはだめよ。







595大訂正!:2012/05/21(月) 12:07:07.37
>>588 名前:大訂正! :
『閼宗岳と隋書の阿蘇山』並列検討するより
『閼宗岳』は、「其南有狗奴國」と並列検討するほうが深い根を掘り起こせるかも。
ここの、「狗奴國」も固有名詞ではないし、
又、「狗奴國」の「狗」と「其官有狗古智卑狗」の「狗」の意は全く別物。
「狗奴國」の「狗」の意は『攻撃する』、「奴國」を攻撃する様の国を持って
「狗奴國」という。は真っ当な解釈だろう。



596日本@名無史さん:2012/05/21(月) 12:30:34.23
>>594
>とする根拠は何?

この構文は現代中国語にも受け継がれてるよ。
漢文・中国語を勉強した者の常識。

>「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》は「存在・be living exist」の意味ですよ。だから君の解釈は間違っているYO.

大戴礼記・曾子立事篇には「在往者,在来者。」という句がない。あるのは「存往者,在来者。」
つまり、
>「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》
というのは、ページ作成者の誤入力なわけです。

(9) 省?;?察 [inspect]
    存往者,在来者。??《大戴礼記》

の大戴礼記というところをクリックすると、大戴礼記の目次にリンクしてるので、
そのページの「曾子立事第四十九」をクリックすると本文が読める。
自分で確認してごらん。「在往者,在来者。」は無いから。
そして、本文を読めば、「存在・be living exist」ではなく、「省視・観察・inspect」なのはあきらか。

ネット上の情報は便利だけど、こういう間違いはゴロゴロしてるから、
単純に引用するんじゃなくて、自分でしっかり読んで、
おかしいなと思ったら別の情報源でも確認しないといけないYO
597日本@名無史さん:2012/05/21(月) 13:00:50.60
ここにも大戴禮記・曾子立事のテキストが載ってる。「在往者,在来者。」はないのが確認できる。

http://zh.wikisource.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%88%B4%E7%A6%AE%E8%A8%98/%E6%9B%BE%E5%AD%90%E7%AB%8B%E4%BA%8B

http://ctext.org/da-dai-li-ji/ceng-zi-li-shi/zh
598大訂正!:2012/05/21(月) 13:12:29.96
>>596 名前:日本@名無史さん :2012/05/21(月) 12:30:34.23
>つまり、
>>「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》
>というのは、ページ作成者の誤入力なわけです。
誤入力だって? 君の解釈は飛んでるね。
(2) 同本義 [live;exist]
存,存在也。---《雅爾》注:“存即在。” とあるけどNe.、
「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》が存,存在也。---《雅爾》注:“存即在。”に則って記述されているのに、君にいわせると『存,存在也。---《雅爾》注:“存即在。”も誤記となりるZo.
誤入力というのは君の勝手論だろうYO.





599日本@名無史さん:2012/05/21(月) 13:31:33.18
要するに、阿蘇山は固有名詞で、九州の阿蘇山なんだよ。
屁理屈言っても、これは変わらない。
600大訂正!:2012/05/21(月) 13:34:59.05
>>599 名前:日本@名無史さん :2012/05/21(月) 13:31:33.18
>要するに、阿蘇山は固有名詞で、九州の阿蘇山なんだよ。
>屁理屈言っても、これは変わらない。

寝言は寝て言うものだ。
隋書の「有阿蘇山」を現在の九州の阿蘇山とする根拠は何処にも見当たらない。
601日本@名無史さん:2012/05/21(月) 14:02:09.93
阿蘇山と書いてあって、
「これは阿蘇山ではない」という論調もなんだかなあ。
特に否定する材料がなければ、そのまま読むけどな。

なにか明らかな強い根拠があるなら別だが。
602大訂正!:2012/05/21(月) 14:12:39.41
>>601 名前:日本@名無史さん :2012/05/21(月) 14:02:09.93

>なにか明らかな強い根拠があるなら別だが。

「有阿蘇山」の「有」の一文字だよ。
「又有侏儒國在其南」を解釈すれば解ることだが、
「有」で「侏儒國」の様相を挙げ、「在」でその様な国の存在を表記している。
「有」「在」が峻別されて表記されている。
もし、「侏儒國」が固有名詞なら、「「侏儒國在」又は『在侏儒國』
で、事足りる。。
603日本@名無史さん:2012/05/21(月) 15:07:23.50
「有」があろうとなかろうと、「阿蘇山」という固有名詞の性格は不変。
「有」の位置が前だろうと後だろうと、「阿蘇山」という固有名詞の性格は不変。
「有」のあたりに錯簡があろうとなかろうと、「阿蘇山」という固有名詞の性格は不変。
604大訂正!:2012/05/21(月) 15:17:49.08
>>603 名前:日本@名無史さん :2012/05/21(月) 15:07:23.50
「有」があろうとなかろうと、「阿蘇山」という固有名詞の性格は不変。
「有」の位置が前だろうと後だろうと、「阿蘇山」という固有名詞の性格は不変。
「有」のあたりに錯簡があろうとなかろうと、「阿蘇山」という固有名詞の性格は不変。

現在の熊本の阿蘇山と隋書の「有阿蘇山」が同じであるとの根拠は何?
それを挙げてごらん。
それから、お話でもしようよNE. 藁。。。。。
605日本@名無史さん:2012/05/21(月) 16:18:36.18
ここは逆に「同じでない」ことを立証すべきなのではなかろうか?
606日本@名無史さん:2012/05/21(月) 16:41:30.23
この世で語られている「卑弥呼」だの「則天武后」だのが、
ぜんぶ違う人間を指しているはずがないだろう。

「阿蘇山には複数あるのだ」と主張している側が、それを証明すべき >>604
607  :2012/05/21(月) 20:42:36.74
大訂正!は何の病気持ちだ?

神経が病んでいる。
アスペルガー症候群とか?うつ病の類とか?
608日本@名無史さん:2012/05/21(月) 21:10:13.88
台底錆=反転おじさん
つまり世の中と反対のことを喋り捲る。
当然他人のことなど受け付けずひたすら喋り捲る。
無限尿と同一のこまったおじいちゃん。
相手にしなければ1週間で消えると思うけ
どみんなが少しづつ相手にして(餌を与え続けて)いるものだから
調子づいているんだよ
いい加減に放置して他の邪馬台国スレに引っ越しだ
609日本@名無史さん:2012/05/21(月) 23:25:41.51
>>598
>誤入力というのは君の勝手論だろうYO.

それで、《大戴礼•曾子立事》に「在往者,在来者。」という句はあったのかい。無かったのかい。
610日本@名無史さん:2012/05/22(火) 00:19:06.75
一体どこに火を吹く古墳があるというのか?
611日本@名無史さん:2012/05/22(火) 03:24:24.78
「有阿蘇山 其石無故火起」


古墳が有りその石室内では焚き火をしてはならない。

墓所焚火禁止令
612日本@名無史さん:2012/05/22(火) 10:24:31.85
其余旁國として「次有○○國」と紹介される国々の名前は固有名詞じゃないって言うのかよ…
613大訂正!:2012/05/22(火) 11:48:05.79
>>593
>>在往者,在来者。……..《大戴礼•曾子立事》の補足はないの?
>リンク先を見るとわかるように、この「在」は「省視・観察・inspect」という意味であって、
>「存在・be living exist」の意味じゃないから、不適切な例文。
>>596
>本文を読めば、「存在・be living exist」ではなく、「省視・観察・inspect」なのはあきらか。
>>609
君子不先人以惡,不疑人以不信;不說人之過,成人之美;存往者,在來者,朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。
と、あるが、「朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。」があるから inspect
と解釈が可能だが、「朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。」が無ければどうだ?
漢文が読めると自称する“あら捜し婆さん”よ。
存往者,はinspect と言う意か?
在來者,はinspectと言う意か?
生まれたばかりのメス猫の赤ん坊の産毛程度の語学力で大口を叩くな。
文句があるならhttp://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5ZdicA4ZdicB7.htm に連絡し
その一説を訂正させてみろ、そうすれば婆さんが正しかったと認めてやるよ。 藁。。。。







614大訂正!:2012/05/22(火) 12:01:37.74
>>554 :大訂正!:2012/05/17(木) 14:15:04.14
「有阿蘇山」は
「阿蘇山」が在るという意ではない。
所謂、「阿蘇山」は固有名詞ではない。
>>559 :大訂正!:2012/05/18(金) 11:37
>今の阿蘇山以外の阿蘇山って、いくつあってどれとどれなの?
富士山をあそ山と呼んだという記録が残されているときおくしているが。
と、書いたが、
>「阿蘇山には複数あるのだ」と主張している側が、それを証明すべき >>604
「阿蘇山には複数あるのだ」というのが俺の主張とは記述した覚えはない。
「有阿蘇山」と「在」ではなく「有」なので「有」には存在の意は無いので
現在の阿蘇山という固有名詞とは一致しない。と言うのが俺の主張だ。



615大訂正!:2012/05/22(火) 13:19:03.20
>>612 名前:日本@名無史さん :2012/05/22(火) 10:24:31.85
>其余旁國として「次有○○國」と紹介される国々の名前は固有名詞じゃないって言うのかよ…
「有」に存在 [there be]と言う意もあるが、
東有啓明,西有長庚。---《詩·小雅》を読んでも
明けの明星、宵の明星という“現象あり”を表現しているようだ。
俺は、「次有○○國」の国々の名は固有名詞ではない。だ。
「次有奴國」の「奴國」は固有名詞としての「奴國」ではない。



616大訂正!:2012/05/22(火) 14:48:40.14
>>611 名前:日本@名無史さん
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」
の、「其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」は原始仏教の教義か?



617日本@名無史さん:2012/05/22(火) 17:09:49.70
有如意寶珠、其色青、大如雞 卵、夜則有光、云魚眼精也。

如意宝珠(にょいほうじゅ)とは、仏教において様々な霊験を表すとされる宝の珠のこと。
サンスクリット語でチンターとは「思考」、マニは「珠」を指す言葉で、
「意のままに様々な願いをかなえる宝」という意味である。如意宝、如意珠、
または単に宝珠(ほうじゅ、ほうしゅ)とも呼ばれる。'''''wiki-pedia
618日本@名無史さん:2012/05/22(火) 17:20:24.56
>>614

その主張は、阿蘇山が複数存在する、という主張だ。自分で気づいていないだけ。
だから、富士山やその他の山も、阿蘇山と呼称していた証拠を提出しないと、
その主張は不成立だと気づけよ。
619日本@名無史さん:2012/05/22(火) 17:25:38.72
>>614
屁理屈はいいから。

難しい事は言わないので、富士山が阿蘇山と呼ばれていたと主張する根拠を述べなさい。
またそのことを証明できる文献なりなんなりがあるのならば、それを提示しなさい。

取り敢えず議論はそれから。
620日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:44:23.97
   
阿蘇山は阿蘇地域の山々の意味。

古代中国人は、ひとつの山塊をまとめて、○○山との認識をする。

偉大な「山」の場合は、「嶽」と表現する。
621日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:44:29.18
>>613
屁理屈を捏ねずに、「在往者,在来者」となってる版本があれば、それを提示すればいい。
大戴禮記・曾參立事に「在往者,在来者」という句がない以上、
どう屁理屈を捏ねようとも、「存往者,在来者」の引き間違いでしかない。


>と解釈が可能だが、「朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。」が無ければどうだ?

存や在の意味が、inspectかexistかは文脈で決まる。
「無ければどうだ?」なんていう問いは無意味。

>存往者,はinspect と言う意か?
>在來者,はinspectと言う意か?

大戴禮記・曾參立事の文脈はinspect という意味。
existという意味では文脈が通じない。
622日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:52:13.32
>>614
史記 蘇秦列傳
因東説齊宣王曰:「齊南有泰山,東有琅邪,西有清河, 北有勃海,此所謂四塞之國也。

斉は南に泰山があり、東に琅邪があり、西に清河があり、北に渤海がある。
これはいわゆる四塞之國である。

泰山も琅邪も清河も渤海も固有名詞だ。

史記封禪書の注 史記正義 齊有泰山,淮南有天柱山,

斉に泰山有り、淮南に天柱山あり。

天柱山も固有名詞。

>「有阿蘇山」と「在」ではなく「有」なので「有」には存在の意は無いので
>現在の阿蘇山という固有名詞とは一致しない。

間違い。
623日本@名無史さん:2012/05/22(火) 19:13:03.50
ローガンさんの書き込みの時点でさっさと自説を引っ込めてたら良かったのに。
624日本@名無史さん:2012/05/22(火) 19:31:52.28
人には文献出せゆうといて、出してきたら『閼宗岳と隋書の阿蘇山』が同じかといい
自分は『富士山をあそ山と呼んだという記録が残されているときおくしている』
これですむなら、なんでもありだよな。
文献を見た記憶があるで、地底人説だろうが宇宙人説だろうがなんでも作れるぞwww

625日本@名無史さん:2012/05/22(火) 19:55:03.80
アソとは火という意味だから噴火すれば富士山(浅間≒あそま山)も浅間山も有珠山も那須茶臼岳も阿曽山と呼ばれてしかるべきだ。

626日本@名無史さん:2012/05/22(火) 20:21:21.78
バレーボール日本対タイを見ているのだけれど、
日本選手とタイ選手の顔つきはかなり違うな。
しかし、苗族系のタイ人の顔は日本に長く住めば見分けがつかないだろう。
他人事のように読んでいる鈴木さん、
あなたも苗族の子孫なんだからね。
日本では最多姓です。
627日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:12:03.90
>>625
阿蘇山が固有名詞であろうがなかろうが、「在」と「有」には無関係。

「AがBにある」という文は
「A在B」か
「B有A」。

在か有かは語順によって決まることであって、
AやBが固有名詞であろうがなかろうが、関係ない。
628日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:19:59.33
「阿」
意義
1. 曲がって入り組んだ所。曲がり角。隈
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%98%BF

「蘇」は蘇州由来の人たちが拓いた土地という意味だろう

隈本は阿蘇の麓という意味なのか?

阿蘇と隈本という地名は密接に関係してそう
629日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:22:46.00
>>625
>呼ばれてしかるべきだ。
だから富士山が阿蘇山と呼ばれていたことを証明してみなさいって。
630日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:35:30.79
「富士山をあそ山と呼んだという記録が残されているときおくしているが。」で証明になるなら、

「大訂正!を麻原彰晃と呼んだという記録が残されているときおくしているが。」で死刑にできるな。
631卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/22(火) 21:40:39.52
桓檀古記 太白逸史 高句麗国本紀

先是陜父奔南韓居馬韓山中從而出居者數百餘家未幾歲連大裙流離遍路
陜父乃知將革誘衆塗糧舟從浿水而下由海浦而潛航直到狗邪韓國乃加羅海北岸也
居數月轉徙于阿蘇山而居之是爲多婆羅國之始祖也後倂于任那聯政以治
三國在海七國在陸初弁辰狗邪國人先在團聚是爲狗邪韓國
多婆羅一稱多羅韓國自忽本而來與高句麗早已定親故常爲烈帝所制
多羅國與安羅國同隣而同姓舊有熊襲城今九州熊本城是也

阿蘇山が多婆羅國にあったという文献資料。
この部分はたしかに支離滅裂だが、他の部分は貴重な情報が多い。
632日本@名無史さん:2012/05/22(火) 22:07:18.33
>>628を書いたあとで気づいた
「阿」と「隈」が同義なのなら、「熊襲」=「隈蘇」と「阿蘇」って同義なんじゃないだろうか?
633日本@名無史さん:2012/05/22(火) 22:35:29.92
阿=大土山 又山坡;山下
蘇=紫蘇、柴草

aso、asap(南洋)=煙、湯気
asoy-ye(アイヌ語)=穴を作っている溶岩
asso(ラテン語)=焼く、あぶる

いろいろあるな。 人生いろいろってことだなw

634日本@名無史さん:2012/05/22(火) 22:39:31.54
>>615
固有名詞でないと言うなら其余旁國の国々一つ一つどういう意味になるのか説明してくれYO
635俾弥呼の都は久留米:2012/05/22(火) 23:07:47.71
>>627
>阿蘇山が固有名詞であろうがなかろうが、「在」と「有」には無関係。
>「AがBにある」という文は
>「A在B」か
>「B有A」。
>在か有かは語順によって決まることであって、
>AやBが固有名詞であろうがなかろうが、関係ない。

その通り。
上記に加えて、
Aに来るのは、物を示す語であり、
Bに来るるのは、場所を示す語である。
636大訂正!:2012/05/23(水) 12:03:58.57
>>621 :日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:44:29.18
>>613
屁理屈を捏ねずに、「在往者,在来者」となってる版本があれば、それを提示すればいい。
大戴禮記・曾參立事に「在往者,在来者」という句がない以上、
どう屁理屈を捏ねようとも、「存往者,在来者」の引き間違いでしかない。
屁理屈を並べているのは君だ。「在」の(2)の同本義 [be living;exist]に、先ず、
「在,存也。---《説文》。」とある。是が有効なら、
「在往者,在来者。---《大戴礼·曾子立事》」の「存」が「在」に置きかえれれても
当然有効だ。・・・・@
>>と解釈が可能だが、「朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。」が無ければどうだ?
>存や在の意味が、inspectかexistかは文脈で決まる。
>「無ければどうだ?」なんていう問いは無意味。
文脈をいうなら、@の文脈を無視しているのは君じゃないKA。藁。。。

>>存往者,はinspect と言う意か?
>>在來者,はinspectと言う意か?
>大戴禮記・曾參立事の文脈はinspect という意味。
>existという意味では文脈が通じない。
そんなことは知っている。君の言い分は「存往者,在来者」は、inspect と言う構文にしか使用できない、といっているんだZo.
だが、この辞書には「在往者,在来者」はexistの意味もあると記述されているのDa.



637大訂正!:2012/05/23(水) 12:11:53.84
>>635 名前:俾弥呼の都は久留米 :2012/05/22(火) 23:07:47.71
>>627
>>阿蘇山が固有名詞であろうがなかろうが、「在」と「有」には無関係。
>>「AがBにある」という文は
>>「A在B」か
>>「B有A」。
>>在か有かは語順によって決まることであって、
>>AやBが固有名詞であろうがなかろうが、関係ない。

>その通り。
>上記に加えて、
>Aに来るのは、物を示す語であり、
>Bに来るるのは、場所を示す語である。
ハイ!質問です。
>>635 並びに>>627
『B』記述されていない場合はどうなるの?
例えば、「有阿蘇山」。



638日本@名無史さん:2012/05/23(水) 12:24:44.88
>>637
質問をする前に、まず富士山が阿蘇山と呼ばれていた根拠を示しなさい。
難しい事ではない筈です。

根拠も持たずに議論をしようとしてはいけません。
639大訂正!:2012/05/23(水) 13:11:57.36
>>638 :日本@名無史さん:2012/05/23(水) 12:24:44.88 >>637
>質問をする前に、まず富士山が阿蘇山と呼ばれていた根拠を示しなさい。
>難しい事ではない筈です。
>根拠も持たずに議論をしようとしてはいけません。
笑わせるね君は、
『>>阿蘇山が固有名詞であろうがなかろうが、「在」と「有」には無関係。
>>「AがBにある」という文は
>>「A在B」か
>>「B有A」。
>>在か有かは語順によって決まることであって、
>>AやBが固有名詞であろうがなかろうが、関係ない。

>その通り。
>上記に加えて、
>Aに来るのは、物を示す語であり、
>Bに来るるのは、場所を示す語である。』は、構文の問題であり、
富士があそと呼ばれたと言うこととは何の関係も無いよ。
尻尾を巻いて逃げる前の遠吠えてあるのかNe. 藁。。。。

君のでたらめには付き合い切れんYO。



640日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:24:48.46
>>636
>「在往者,在来者。---《大戴禮記;曾子立事》」の「存」が「在」に置きかえれれても
>当然有効だ。・・・・@

ということは、以下の事実は認めるね?

大戴禮記・曾子立事に「在往者,在来者」という句がない。
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9CZdicA8.htm
このページに引いている「在往者,在来者」は、
大戴禮記・曾子立事の「存往者,在来者」の句のことであり、
この句の存が在に置き換えられたものである。
641日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:32:52.50
>>637
>『B』記述されていない場合はどうなるの?
>例えば、「有阿蘇山」。

「B有A」の主語にあたるBが自明の場合、省略されます。
隋書倭国伝なので、何処に有るかといえば、場所は倭に決まってます。
だからBは省略されて「有A」となります。
つまり「倭有阿蘇山」の倭が省略されて「有阿蘇山」です。
642大訂正!:2012/05/23(水) 13:40:07.55
>>622 :日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:52:13.32
史記 蘇秦列傳
因東説齊宣王曰:「齊南有泰山,東有琅邪,西有清河, 北有勃海,此所謂四塞之國也。
やっとレベルが一つ上ったかな。
此処での「有」は(2) 同本義 [have;possess]
有,不宜有也。春秋传曰:“日月有食之。”---《説文》。か、
それとも
(4)の存在 [there be]
東有啓明,西有長庚。---《詩·小雅》のいずれかですが、
いずれにしても、実在、存在と言う意では使われてはいない。
それぞれが、「塞」の働きとしての意で使われているから「有」だろう。

643日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:51:53.07
>>642
「AがBにある」という日本語訳と、漢文の構文を混同してはいけない。
大訂正氏が誤解しているようだか、、
「B有A」の構文の「有」は存在するという意味じゃない。
所有するという、いわば他動詞。
だから、場所が主語となって、「B有A」の語順になる。
直訳すると「BがAを所有する」という意味になる。
「倭有阿蘇山」の場合、「倭が阿蘇山を所有する」になる。
しかし、場所であるBが所有するというのは日本語としておかしい。
だから「AがBにある」「BにAがある」「倭には阿蘇山がある」と訳す。

存在するという意味じゃないから、
絶対に「A有B」の語順にはならない。

他方、「在」は存在するという、いわば自動詞。
だから阿蘇山が存在するというとき、
主語は阿蘇山でなければならず、「阿蘇山在場所」になる。
絶対に「在阿蘇山」とはならない。
644日本@名無史さん:2012/05/23(水) 13:52:49.24
× 大訂正氏が誤解しているようだか、、
○ 大訂正氏は誤解しているようだが、
645大訂正!:2012/05/23(水) 13:55:07.63
>>640 名前:日本@名無史さん :2012/05/23(水) 13:24:48.46
>>636
>>「在往者,在来者。---《大戴禮記;曾子立事》」の「存」が「在」に置きかえれれても
>>当然有効だ。・・・・@
>ということは、以下の事実は認めるね?
大戴禮記・曾子立事に「在往者,在来者」という句がない。
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9CZdicA8.htm
このページに引いている「在往者,在来者」は、
大戴禮記・曾子立事の「存往者,在来者」の句のことであり、
この句の存が在に置き換えられたものである。
勿論、
>>613 :大訂正!:

君子不先人以惡,不疑人以不信;不說人之過,成人之美;存往者,在來者,朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。
と、あるが、「朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。」があるから inspect
と解釈が可能だが、「朝有過,夕改,則與之;夕有過,朝改,則與之。」が無ければどうだ?
と記述した時に認めている。
君は、『この句の存が在に置き換えられたものである。 』と云わず
【「在往者,在来者。」……..《大戴礼•曾子立事》
というのは、ページ作成者の誤入力なわけです。】と記述したんだよ。





646日本@名無史さん:2012/05/23(水) 14:55:25.30
>>645
http://www.zdic.net/zd/zi/ZdicE5Zdic9CZdicA8.htm
このページの詳細解釈のタブでは、

   (2) 同本? [be living;exist]
    在往者,在来者。??《大戴禮記 曾子立事》

とあるが、同時に

   (9) 省?;?察 [inspect]
    存往者,在来者。??《大戴禮記》

ともある。
大戴禮記・曾子立事の同一の句を(2)ではexistとして引き、
(9)ではinspectとして引いている。
つまり、(2)と(9)のどちらかが間違い。
ここまでは認めるかい?
647日本@名無史さん:2012/05/23(水) 15:46:00.65
認めるわけがないだろう
648碑弥呼の都は久留米:2012/05/23(水) 21:34:22.19
>>643
>「有」は存在するという意味じゃない。所有するという、いわば他動詞
>「在」は存在するという、いわば自動詞。

>>634についての補足
「有」と「在」の日本語訳は、反意語を念頭において考えればよい。

 有 ⇔ 無

 在 ⇔ 去 or 没
649日本@名無史さん:2012/05/23(水) 21:54:41.21
水行10日というと、ずいぶん遠くまで行けそうに思えるけれど、
実際は、船頭一人の小舟に分乗して、
日が昇ってから出発して日が沈む前に湊に停泊しないといけないから、
1日の移動距離はせいぜい5〜10キロくらいだ。
八代海が沿岸が有力だ。
650日本@名無史さん:2012/05/24(木) 06:33:31.06
有明海は潮流の関係で移動できる時間は非常に制限されるということも
指摘されているね。
651大訂正!:2012/05/24(木) 12:21:03.01
>>643 名前:

>「B有A」の構文の「有」は存在するという意味じゃない。
OK.
>所有するという、いわば他動詞。だから、
他動詞か否かは別にして、「有」の『所有する』とは『義』であってどのようなものを所有するかは
その文に依る。「有阿蘇山」とは「阿蘇山」は『倭国』にあると言う意ではない。
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」は、
「其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」が「阿蘇山」の所有するものである。
>場所が主語となって、「B有A」の語順になる。
>直訳すると「BがAを所有する」という意味になる。
>「倭有阿蘇山」の場合、「倭が阿蘇山を所有する」になる。
『有倭 阿蘇山』と記述されるのが正しい、『阿蘇山』の解釈が困難。
もし、阿蘇山が熊本の阿蘇山とする固有名詞なら阿蘇山在倭(熊本)だろう。

もし、君の論旨が正しいなら、
「女王國東渡海千余里復有國皆倭種
 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至」の
「有國皆倭種」、「有侏儒國」「有裸國黒齒國」も全て倭国内にあることになる。

「有國が所有するのは皆倭種であり」、「有侏儒國が所有するのは人長三四尺の侏儒」「有裸國黒齒國が所有するのは、裸で生活する人、お歯黒をする人である」
と、
俺は解釈している。

652卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/24(木) 12:42:16.91
くだらない議論が延々と続いているが、漢和辞典を引けば、有には、
存在する、実在する、という意味がちゃんとある。

大訂正君は漢文の読みばかりに拘っているが、そもそも何説なのかな?
九州説なのか畿内説なのか。

朝鮮説に思い至らないようでは、まだまだ甘い。
653卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/24(木) 12:48:22.07
そもそも邪馬台国論争がいつまでも決着しないのは、
魏志倭人伝には数々の錯誤が混入している、ということに多くの人が気付かないからである。

魏志倭人伝は、バラバラの原資料を、陳寿が継ぎ接ぎして作った、デタラメ文書なのである。
そのことに気付かないと、いつまで経っても真相が見えてこない。
654大訂正!:2012/05/24(木) 12:49:10.21
>>652 名前:卑弥呼は朝鮮にいた :2012/05/24(木) 12:42:16.91


>朝鮮説に思い至らないようでは、まだまだ甘い。

俺は、妄想だけは避けて通っているから、朝鮮説など思いつきもしない。

>>631 :卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/22(火) 21:40:39.52

有難う。

655卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/24(木) 12:57:09.23
>>654
感謝されるとは思っていなかったので、もうひとつ貼っておこう。阿蘇山は安羅にもあった。

桓檀古記 太白逸史 大震国本紀

日本舊有伊國亦曰伊勢與倭同隣伊都國在筑紫亦卽日向國也自是以東屬於倭
其南東屬於安羅安羅本忽本人也北有阿蘇山…
656日本@名無史さん:2012/05/24(木) 14:58:19.43
だ〜か〜ら〜、大震国本紀が言うには、九州阿蘇山の南に安羅国があったってこと。
朝鮮半島とは無縁。
657日本@名無史さん:2012/05/24(木) 17:32:50.41
>>651
最後のくだりふいたw
ありがとう
658日本@名無史さん:2012/05/24(木) 19:18:46.83
阿蘇山の阿蘇とは火山に着く名前です。
半島には白頭山を除いて火山はないので、半島には阿蘇山は存在しません。
659日本@名無史さん:2012/05/24(木) 19:21:43.50
>>651
>「有國皆倭種」、「有侏儒國」「有裸國黒齒國」も全て倭国内にあることになる。

「有」の省略された主語は、「倭国」ではなく「倭」である。
「有國皆倭種」、「有侏儒國」「有裸國黒齒國」も全て倭にあるのである。

ちなみに、侏儒國は土佐。(女王の居所から四千餘里、即ち倭種の東南)
裸國と黒齒國は、南関東沿岸の相模や房総である。(侏儒國の東方万二千餘里)

倭人伝の方向は、時計回り方向に約35°ずれているので、方向修正しなければならない。
南→東南、東南→東
船行一年 = 海行十二月 = 一万二千餘里 (海行一月=千餘里)


>>652
>漢和辞典を引けば、有には、存在する、実在する、という意味がちゃんとある。

現代語の漢和辞典にはあるよね。
古語を扱った漢和辞典には、「有」に、存在する、実在する、という意味はない。
「有」は、「無」に対しての意味のみ。
「在」は、「去」or「没」に対しての意味のみ。
660ほれほれ:2012/05/24(木) 20:45:54.43
>>655

日本舊有伊國
亦曰伊勢與倭同隣
伊都國在筑紫亦卽日向國也
自是以東屬於倭
其南東屬於安羅
安羅本忽本人也
北有阿蘇山
安羅後入任那
與高句麗早已定親
661卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/24(木) 20:57:07.50
>>656>>660
安羅や阿蘇山が日本にあるという文章であることくらいは最初から分かっていた。
面倒だから書かなかっただけ。

>>659
>「有」に、存在する、実在する、という意味はない。
そんなことを考えているのは君と大訂正君だけだろう。

>ちなみに、侏儒國は土佐。(女王の居所から四千餘里、即ち倭種の東南)
>裸國と黒齒國は、南関東沿岸の相模や房総である。(侏儒國の東方万二千餘里)
これらはすべて中国人の想像力が産んだ非実在の国。
どうしてもこれらを実在の国に比定したいなら、フィリピンかインドネシア。
662日本@名無史さん:2012/05/24(木) 21:03:03.18
だからよ「倭」「倭人」は血統的な制限を既に含んでんのよ。北方地域民族には使えん。
663日本@名無史さん:2012/05/24(木) 21:03:11.00
>>661

だ〜か〜ら〜そういう本人が、>>655

「阿蘇山は安羅にもあった」 = 「九州の阿蘇山とは別の安羅国阿蘇山があった」

と断定してるじゃないか。

664日本@名無史さん:2012/05/24(木) 21:06:26.22
「安羅本忽本人也」

「忽本人」は「鮮稗」のことだといっているひともいたりするけどさ
665卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/24(木) 21:13:47.96
>>663
ただし安羅は日本にあったのである。

と書こうと思ったが、面倒なので書かなかっただけ。
たぶん>>656のようなレスが来るだろうと思っていた。
666日本@名無史さん:2012/05/24(木) 21:53:52.45
所詮偽書。


667卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/24(木) 21:59:28.48
海東諸国記

日本は最も久しく、其つ大なり。其の地は黒龍江の北に始まり、我が済州の南に至り、琉球と相接し、其の勢甚だ長し。

黒龍江の北から琉球までが日本とされている。
つまり黒龍江の北から琉球までの民族称が倭なのである。
やれ三韓だの濊貊、扶余、沃沮、靺鞨、粛慎…などは国称で、その民族称はすべて倭なのである。
だから、卑弥呼の倭が日本とは限らないのである。
満州や朝鮮のどこかの国が、倭と称して朝貢したのかもしれないのである。
668日本@名無史さん:2012/05/24(木) 22:09:11.69
倭とか書いてねーじゃんw

669日本@名無史さん:2012/05/24(木) 22:38:40.93
安羅見てたのね〜♪都はるみは安羅人
670日本@名無史さん:2012/05/24(木) 22:38:59.78
朝鮮君は詳細とか判明しているところのも

とりあえずは混沌としているみたいにしておきたいのさ
671日本@名無史さん:2012/05/24(木) 22:41:32.29
安羅安羅

「安楽應寳秘命」さんはむこうに赴任していたのが帰ってきたみたいな扱いですよ
672日本@名無史さん:2012/05/24(木) 22:42:36.59
日本は樺太から沖縄までのすんごい長い土地だって書いてんだよw

673日本@名無史さん:2012/05/25(金) 07:04:27.25
樺太なんぞ書いてないよ。寒冷地があるなんて一言もない。
674卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/25(金) 09:11:46.95
「元経」 晋太元七年(382年)
王通が九月東夷五国来たり貢す
薛牧伝 東夷五国とは扶余、三韓、粛慎、倭人、稗離なり。玄菟の東北に在り。

文を読む限り、東夷五国はすべて玄菟の東北に在るという認識。
倭人もまた満州辺りにいるという認識で、これを単純な認識不足と笑っていいものかどうか。

とにかく、中国人は、倭人は呉越だけでなく中国東北部にもいると認識していたのである。
楽浪海中在倭人 もまたそのような認識の表れである。
675大訂正!:2012/05/25(金) 11:28:26.05
>>659 :日本@名無史さん:
>>651
>>「有國皆倭種」、「有侏儒國」「有裸國黒齒國」も全て倭国内にあることになる。
>「有」の省略された主語は、「倭国」ではなく「倭」である。
>「有國皆倭種」、「有侏儒國」「有裸國黒齒國」も全て倭にあるのである。
倭国から倭に変更ですか? 倭国も倭も魏志には記述されていないがNE.
書かれていないことは書けない主義のひとが倭国と書き、倭と書く。
都合では書けないが都合では書いちゃう。
倭、倭国、女王国、女王の概念を聞いてみたいが無理だろうね。
>ちなみに、侏儒國は土佐。(女王の居所から四千餘里、即ち倭種の東南)
>裸國と黒齒國は、南関東沿岸の相模や房総である。(侏儒國の東方万二千餘里)
『女王の居所』で何処?。
>女王の居所から四千餘里、即ち倭種の東南
の、四千余里の一里は何メーターですか?
まさか、漢尺、魏尺を越えて新しい里程を発明したんじゃないだろうね。
>女王の居所から四千餘里、即ち倭種の東南
という解釈事態が問題だ。
「又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里」とは
「侏儒國」より行く(去)「女王」迄四千余里だよ。
『女王の居所』とは何処を刺しているの?
「自女王國以北」の酋長は男王それとも女王?
もし女王なら君の『女王の居所』は複数になるね。






676日本@名無史さん:2012/05/25(金) 11:42:14.04
女王國東渡海千余里復有國皆倭種、又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至

倭種の地も侏儒國、裸國、黒齒國も倭の地の話ではないよ。
677大訂正!:2012/05/25(金) 12:07:39.81
676 名前:日本@名無史さん :2012/05/25(金) 11:42:14.04
女王國東渡海千余里復有國皆倭種、又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至

>倭種の地も侏儒國、裸國、黒齒國も倭の地の話ではないよ。

では、何処の話ですか?



678大訂正!:2012/05/25(金) 12:24:31.29
「卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩 徇葬者奴婢百余人」
の、「徑百余歩」とは前方後円墳の前方の頭から後円の尻迄の長さ百余歩
ということですNe。
つまり、
100歩×6尺×24cm÷100=144mで
約144mの前方後円墳が卑弥呼のお墓のようですYO。

 


679卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/25(金) 12:38:22.61
魏晋代の一歩は120.5cm → 百歩≒120m

http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/list/size.html

680大訂正!:2012/05/25(金) 12:51:42.35
>>679 名前:卑弥呼は朝鮮にいた :2012/05/25(金) 12:38:22.61
魏晋代の一歩は120.5cm → 百歩≒120m

魏晋の一歩が5尺という確証はなんだろう?
一歩=6尺が魏の歩尺なら 1歩は24cmで144mになる。

681日本@名無史さん:2012/05/25(金) 13:03:50.24
>>677
倭の地と他の国々の位置関係等を書いたまでだ。
倭種の国というのは本州、四国等だろう。侏儒国は奄美付近の島かな。
裸国、国歯国はメラネシアあたりかな。
682大訂正!:2012/05/25(金) 13:17:56.52
>>681 名前:日本@名無史さん :2012/05/25(金) 13:03:50.24
>>677
>倭の地と他の国々の位置関係等を書いたまでだ。
>倭種の国というのは本州、四国等だろう。侏儒国は奄美付近の島かな。
>裸国、国歯国はメラネシアあたりかな。

追求は止めます。


683日本@名無史さん:2012/05/25(金) 14:45:28.75
あら、私は追求されていたのかな? 教えてやっただけのつもりだが。
684日本@名無史さん:2012/05/25(金) 15:57:43.98
ねえ、過疎ってる?
685日本@名無史さん:2012/05/25(金) 17:46:44.74

もう大訂正に飽きてきた


686659:2012/05/25(金) 18:55:18.78
>>675
>倭国も倭も魏志には記述されていないがNE
固有名詞「倭國」は書かれていない。「倭」は書かれている。「從郡至倭」等
「及郡使倭國」の倭國は倭の国々の意。
「倭國乱」の倭國も倭の国々の意。
「奉詔書印綬詣倭國」の倭國は倭の国の意。

>倭、倭国、女王国、女王の概念を聞いてみたいが無理だろうね。
倭 : 倭人の社会の総称。倭の一部の属性を表現する場合には、「倭人」「倭地」となる。
倭國 : 倭社会にある国々(魏志倭人伝では固有名詞ではない)
女王國 : 女王が治めている国々。
女王 : 女性の王。卑弥呼又は壹與を指す。

>『女王の居所』で何処?
女王の都する所。筑紫平野の邪馬壹國内。

>四千余里の一里は何メーターですか?
>まさか、漢尺、魏尺を越えて新しい里程を発明したんじゃないだろうね。
1里=約70m(70m〜75m)
「歩」は、1里=300歩であるから、約23cm(23cm〜25cm)
「周里」「周歩」からきている。
周の井田法で、方100歩の土地9個が方1里であるから、
井田の正方形の一辺は300歩、これが1里。
井田一つが一戸(一里(さと))あたりの水田面積。

>「自女王國以北」の酋長は男王それとも女王?
伊都國の「世有王」以外には、以北に王はいない。「世有王」は性別不明。

倭種は周防。千餘里(約70km)の海を渡ったところ。
侏儒國は筑紫平野の東南4000餘里(約280km)で倭種の南南東で土佐。
有裸國と黒齒國は土佐侏儒國の東へ船行一年(約850km)で、相模と房総(東京湾岸武蔵も含む)。
687日本@名無史さん:2012/05/25(金) 19:10:43.63
688659:2012/05/25(金) 20:22:35.27
>>687
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%94%B0%E5%88%B6
上記は長里で説明しているところが間違い。
周髀算経によると、周は短里(1里≒75m)であるので、
1歩≒25cmとなる。

井田ひとつの面積は、75m×75m=5625u≒56eであるので、
それは、一戸(一家族)あたりの耕作面積であると考えなければならない。

なお、周髀算経の計測データが紀元前1100年頃のものであることは、別途証明できる。
689日本@名無史さん:2012/05/25(金) 20:23:50.63
有裸國? アリラン、アリラン・・・
690659:2012/05/25(金) 20:36:01.64
>周髀算経の計測データが紀元前1100年頃のものであることは、別途証明できる。

周髀算経巻下には、天の北極(北極枢)と小熊座β星(大星)のなす角度が、5.0°であるとの記述がある。
この表記内容は、BC1100年頃の星の観測を示すデータである。
691日本@名無史さん:2012/05/25(金) 20:46:27.79
それで周髀算経によると1里≒75mになる証明は?

692657:2012/05/25(金) 20:52:47.06
>>691
>それで周髀算経によると1里≒75mになる証明は?

周髀算経巻上に、1里=75m〜76mと書いてある。
693日本@名無史さん:2012/05/25(金) 21:04:12.43
実験の計測地点とか書いてあるの?

694日本@名無史さん:2012/05/25(金) 22:09:35.42
これに載ってる例題の計算結果が短里だね。
695日本@名無史さん:2012/05/25(金) 22:28:29.37
>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%94%B0%E5%88%B6
>上記は長里で説明しているところが間違い。

と久留米氏が断定するためには、1里=75m位という度量衡が井田制という周時代の土地制度に採用されていたこと
の証明が必要でしょ

まずは周時代に「一寸千里の法」の実験をした計測地点がはっきりしていて
周時代の役人が1里=75m位という認識があったのかなと思ってさ

696657:2012/05/25(金) 22:36:41.85
>>693
>実験の計測地点とか書いてあるの?

両観測点の緯度は書いてある。経度については記述無し。

>>694
>これに載ってる例題の計算結果が短里だね。

周髀算経の計測結果が短里を示している。
697卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/25(金) 22:55:40.98
周制 三百歩 里と為す (孔子家語 王言解)

周代の一歩は119.4cm → 三百歩=一里=358.2m

698日本@名無史さん:2012/05/25(金) 22:59:58.86
「一寸千里の法」は、計測結果と言うよりは、
距離の定義だからな。

8尺の棒の夏至の日の正午の影が、
一寸変化する南北二点の距離を千里と定める
699657:2012/05/25(金) 23:10:59.40
周制 三百歩 里と為す (孔子家語 王言解)

周代の1里は約75m → 1歩は、300分の1里で、約25cm。
700日本@名無史さん:2012/05/25(金) 23:24:04.66
どうして周時代の人間が1里=約75mを標準里にしたといえるの?
実測結果も無いのに

701日本@名無史さん:2012/05/25(金) 23:27:49.19
定義に合わせて計算した結果が75m前後。

地球の円周の4万分の一を1mと定める。
のと同じようなもんだ
702657:2012/05/26(土) 01:22:00.95
定義「一寸千里の法」の基準点は北緯35.2°。
703:2012/05/26(土) 02:53:10.14
>>651
大訂正氏が>>646にレスしないので、その後見てなかった。
>>659は僕ではない。

>もし、君の論旨が正しいなら、
>「女王國東渡海千余里復有國皆倭種
> 又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里
> 又有裸國黒齒國復在其東南船行一年可至」の
>「有國皆倭種」、「有侏儒國」「有裸國黒齒國」も全て倭国内にあることになる。

それよりずっと前に、「此女王境界所盡」と出ている。
そこまでが倭国三十国の地理的説明。
そこから倭国の風俗の説明。
そして、あらてめて「女王国東渡海千餘里」と地理的説明を始めているのだから、
さらに東に海を千里も渡った場所が倭国三十国であるはずがない。
その部分の文章はすでに倭国の説明ではないのだから、主語が倭国になるはずがない。
侏儒國も裸國黒齒國も倭国三十国の国ではない。

>>「倭有阿蘇山」の場合、「倭が阿蘇山を所有する」になる。
>『有倭 阿蘇山』と記述されるのが正しい、『阿蘇山』の解釈が困難。

たとえば倭人伝の「其山有丹」は「その山は丹を所有する」→「その山には丹がある」になる。
決して「有其山丹」にはならない。
「BがAを所有する」というとき、漢文は「B有A」であって、
「有BA」には絶対にならない。
「私はペンを持っている」が「I have apen.」であり、「have I a pen.」ではないのと同じこと。
「有」が「所有する」という動詞である場合、主語は必ず有の前に来る。
704:2012/05/26(土) 02:57:48.26
>>651

>もし、阿蘇山が熊本の阿蘇山とする固有名詞なら阿蘇山在倭(熊本)だろう。

だから、在・有と固有名詞かどうかは全く無関係だと言っている。
なおかつ、大訂正氏は、>>570

>『在阿蘇山』と表記されるであろう、

といったから、その語順は間違いで、「阿蘇山在」の語順になると言っている。
>>570の『在阿蘇山』と>>651の「阿蘇山在倭(熊本)」で語順が変わってしまってるよ。
漢文は語順で意味が決まるんだから、語順についてのセンスがいい加減だと漢文は読めない。


「阿蘇山在倭」と「倭有阿蘇山」は同じ内容の違う表現。
どちらも同じ意味で、阿蘇山が固有名詞かどうかとは全く無関係。
705日本@名無史さん:2012/05/26(土) 09:26:34.15
定義「一寸千里の法」の千里を実測していなければ
周時代の人間には定義の1里がどのくらいの長さであるかがわからない

706卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/26(土) 11:31:57.76
地球半径を6370kmとすると、6370×(16/80)=1274
これが16寸=16000里に相当するのだから、
1里=1274000÷16000=79.625≒80m となる。

また同じ周髀算経の中に、
呂氏曰 凡四海之內 東西二萬八千里 南北二萬六千里
とあり、仮に中国の東西南北をそれぞれ1600kmとすれば、1里≒60m、
2000kmとすれば1里≒70mとなる。
707日本@名無史さん:2012/05/26(土) 12:09:28.55
そんな計算のできるアルキメデスのような人間が中国にもいたというのか?
708大正解!:2012/05/26(土) 13:03:54.36
>>703 名前:有 :2012/05/26(土)
アンドル有難う。
>それよりずっと前に、「此女王境界所盡」と出ている。

倭国並びに女王国の南限は北緯26度の東冶の東、・・・・@
酋長が女王である国の南限、所謂、「此女王境界所盡」の位置は、北緯22度の狗邪韓國です。・・・・A.
狗邪韓國は酋長が女王ですが、共立卑弥呼の女王国には入りませんが倭です。

>そこまでが倭国三十国の地理的説明。
「 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑 舊百余國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國」の
「三十國」を『倭国』と解釈することに懐疑あり。
「舊百余國」の統一が進んで「舊百余國」が三十国になったとは記述されていない。
三十国体制という解釈は誤りだ。
>そこから倭国の風俗の説明。
倭国の説明ではない。
「計其道里當在会稽東治【冶】之東」の範囲の説明で、会稽は北緯26度で東冶は北緯30度。更に倭地との表記には狗邪韓國も入るであろう。

>そして、あらてめて「女王国東渡海千餘里」と地理的説明を始めているのだから、
>さらに東に海を千里も渡った場所が倭国三十国であるはずがない。
その部分の文章はすでに倭国の説明ではないのだから、主語が倭国になるはずがない。
>侏儒國も裸國黒齒國も倭国三十国の国ではない。
迄はOKだが、
では、
有國 有侏儒國 有裸國黒齒國 の主語は何?

↓以下は次回。。。。。。。


709日本@名無史さん:2012/05/26(土) 15:50:11.48
その山に丹がある、女王国は結局四国だよ。
記紀神話も倭人伝の記述でも一致する場所は。
710卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/26(土) 16:51:23.51
周髀算経に、日夏至南萬六千里 日冬至南十三萬五千里 日中無影 とある。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku14/atogaki.html
を参考にすると、A点から黄道点(無影点)までの距離が萬六千里である。
それは0.1974ラジアンで、地球半径を6370kmとすると1257438mである。
これが16000里だから、1里≒78.5mとなる。

夏至の太陽赤緯は北緯23.27°で、冬至は南緯23.27°
A地点は黄道点より11.3°なので、冬至の日は無影点より57.84°離れている。
57.84°≒1ラジアンだから、6370km。
これが135000里だから、1里≒47mとなる。

つまり夏至だけを参考にすると、一寸千里の法でも、1里≒80mだが、
冬至となると途端に1里≒47mとなり、ほぼ半分になってしまう。

だいたい、ちょうど千里離れると、影の長さもちょうど一寸長くなる、短くなるというのは、話がうまくできすぎている。
さらに、萬六千里とか十三萬五千里などという距離を実測できたとは思えない。

それより、凡四海之內 東西二萬八千里 南北二萬六千里 という観念が重要で、
こういう通念が魏代にもあったとしたら、陳寿が倭人伝を書くときも、それを目安にしたかもしれない。
711日本@名無史さん:2012/05/26(土) 17:02:58.45
 伊勢“夫婦岩”に異変!根元まで露出の不気味…巨大地震の前兆か
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20120425/dms1204251119006-n1.htm

伊勢「夫婦岩」の古文書記録は相当古い。 古代神道の重要なご神体。
この岩の間の海底に、半島出身の大王の墓があるという。
冬至に巫女が太陽神に祈りをささげていた。
712日本@名無史さん:2012/05/26(土) 21:10:26.66
>>710
一寸変化すると千里になるのではなく、
一寸変化する距離を千里と「する」のだ。

それを定義と言う。

あと、定義に夏至と書かれているのに、
冬至を出してくる意味がよくわからない。

冬至の時期は影が長くなり変化が大きくなるのは自明だと思うが、
それでは正確に距離を決められないのも自明であり、
そのため、定義の中で「夏至」と決めているのである。

>>707

周髀算経は数学書である。これや九章算術などは、
ネットでググれば容易に出てくるだろうから、
この程度の計算は普通にやっていることがわかるだろう。

713卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/26(土) 22:28:07.70
>>712
周髀算経というのは距離の定義書ではない。暦学、天文学の書だとWikiにも書いてある。
夏至における影の長さの差、一寸に相当する距離を千里とする、などとはどこにも書かれていない。
そんな面倒なことをして距離の定義をしたはずがない。

冬至の話も同じ。これは定義のために持ち出されているのではない。
冬至の日は南十三萬五千里では影が無くなるという観測結果の話だ。
その十三萬五千里はまちがいだということを私は検証してみたのである。
714日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:16:14.89
>>713
>周髀算経というのは距離の定義書ではない。暦学、天文学の書だとWikiにも書いてある。

前漢代に編集された周髀算経が、暦学天文学の書だ。

周代に書かれた部分の周髀算経は数学書で、商代の数学的知識を整理集大成したもの。

周髀算経には商代の天文現象が書かれているからだ。
715日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:29:08.12
>>707
>そんな計算のできるアルキメデスのような人間が中国にもいたというのか?

商代からピタゴラスの定理を操れる商人がいた。
716日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:29:09.15
>>713

間違いというか、ちょいと見ればわかる非常に単純な思考実験だろ。
地上を水平面と見て、太陽がどの距離の地表で真上に来るかを考えただけだ。

まず、一寸千里と定義すると、夏至の日の影の長さは一尺六寸だから、一万六千里南の
地表の真上にある。

冬至の日は一丈三尺五寸=135寸の影があるから、
135千里=一三万五千里南の真上に太陽が来る。

という非常につまらん話で、検証するまでもなく
地球が丸いと知っている現在の知識では、
間違っているとわかる。

前提が「一寸千里の法」であって、それから考えると
あくまでも原理上はこうなるという例題にすぎない。
717日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:34:34.05
周髀算経や九章算術を見る限り、
だれかが、数学ルネッサンスと表現した人がいたな。

この時期は数学が発達する時期だったんだろう。

九章算術を自信を持って解ける人間が、
現代人でも何割いるのかってところだ。

ちゃんと数学を学んでいれば何とかなるが、
不まじめだったら結構難問だぞ。
718日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:37:10.96
素朴な疑問だが、科挙の試験で用いられる
いわゆる四書五経というやつで、

周髀算経や九章算術に相当するような
数学は学んでいたのかね?
719日本@名無史さん:2012/05/26(土) 23:54:48.39
>>715
ソグド人?
720日本@名無史さん:2012/05/27(日) 04:51:22.14
>>719
>ソグド人?

商人(=商売人) 商の人  商王朝の都は殷墟
721大正解!:2012/05/27(日) 12:48:54.50
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」・・・@
>>>「倭有阿蘇山」の場合、「倭が阿蘇山を所有する」になる。
>>『有倭 阿蘇山』と記述されるのが正しい、『阿蘇山』の解釈が困難。
>たとえば倭人伝の「其山有丹」は「その山は丹を所有する」→「その山には丹がある」になる。
>決して「有其山丹」にはならない。
どちらも誤読から解釈で勝手論を展開しているだけ。
@ の本文に『倭有阿蘇山』という作者の意思は全く無い。
此処での「有」はthere is の有りである。
只、単に『阿蘇山有り』であり、「其石」と言うとき初めて阿蘇山の所有するものが確認される。@の本文に『倭有阿蘇山』の意は全く無い。
只の深読みに過ぎない。これをやると妄想論が展開されることになる。

↓以下は「有阿蘇山」には当てはまらない。一般構文解釈である。
>「BがAを所有する」というとき、漢文は「B有A」であって、
>「有BA」には絶対にならない。
>「私はペンを持っている」が「I have apen.」であり、「have I a pen.」ではないのと同じこと。
>「有」が「所有する」という動詞である場合、主語は必ず有の前に来る。
722大正解!:2012/05/27(日) 13:20:16.40
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」・・・@
「其石無故火起」・・・・
「接天者」・・・・・・・
「俗以爲異」・・・・・・
「因行ネ壽祭」・・・
の、意を追求すると阿蘇山の正体が解るだろう。


「接天者」とは、祈祷師それとも僧侶それとも死者?
723日本@名無史さん:2012/05/27(日) 14:33:08.45
野グソ人
724:2012/05/27(日) 15:11:35.19
>>722
>「接天者」とは、祈祷師それとも僧侶それとも死者?

全然関係ない。「者」は順接の助辞で「〜れば」と訓読し、「〜ので・〜だから」という意味。
「天に接するもの」じゃない。「天に接すれば」
大漢和の例文 史記・楚世家
「伍奢有二子、不殺者、爲楚國患。」
「伍奢に二子あり、殺さざれば、楚國の患いとならん」

それで、隋書の方は
「阿蘇山有り。其の石 故(ゆえ)無くして火起こり天に接すれば、俗 もって異となし、因りてネ壽祭を行う」
「倭には阿蘇山が有る。その石は、なにもしないのに燃えだして火は天に届くので、
ならわしとして異となし、ちなんでネ壽祭を行う」
725日本@名無史さん:2012/05/28(月) 03:33:49.72
>>713 卑弥呼は朝鮮にいた
>夏至における影の長さの差、一寸に相当する距離を千里とする、などとはどこにも書かれていない。

ほれ、書いてある。
http://ctext.org/zhou-bi-suan-jing/juan-shang/zh
「周髀長八尺 夏至之日晷一尺六寸 髀者 股也 正晷者 句也 正南千里 句一尺五寸 正北千里 句一尺七寸」
726日本@名無史さん:2012/05/28(月) 06:07:41.93
ほれ、書いてある。
http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59436
727日本@名無史さん:2012/05/28(月) 06:40:18.25
   
BC1100年頃の星座の状況を示している、
小熊座β星(大星)と天の北極(北極樞)のなす角度が5°と書いてあるところ。
立体幾何の計算でが角度5°が出て来る。
文中の「二尺三寸」が角度10°に対応している。
http://ctext.org/dictionary.pl?if=gb&id=59462
728日本@名無史さん:2012/05/28(月) 06:53:54.99
結局おまいら何いいたいんだかさっぱり。。。
纒向だろヤマト国は
729卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/28(月) 09:05:34.79
>>725-726
そんなことは書かれていない。
周髀長八尺 夏至之日晷一尺六寸 髀者 股也 正晷者 句也 正南千里 句一尺五寸 正北千里 句一尺七寸
これを訳すと、

周髀は長さが八尺である。夏至の日の影は一尺六寸である。
髀は股=直角三角形の、直角を挟む二辺のうちの長い辺のことである。
正影は句=短い辺のことである。
正南千里では句が一尺五寸である。正北千里では句が一尺七寸である。

正南千里では影の長さが一尺五寸、正北千里では一尺七寸である、と書かれているだけで、
夏至における影の長さの差、一寸に相当する距離を千里とする、などとはどこにも書かれていない。
730卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/28(月) 09:31:02.02
>>716の人も正しく指摘しているように、
冬至の日は南十三萬五千里では影が無くなる、というのは観測結果ではない。
そもそも、中国大陸は北半球にあるのだから、冬至の日の無影地点を実測できるはずがない。
冬至の日の無影地点は南緯23.47°の地点だからである。

とすると、冬至の日は一丈三尺五寸の影がある、というのは嘘で、観測して得られた数値ではない。
とすれば、南千里では影の長さが一尺五寸、北千里では一尺七寸、というのも、
果たして実際に観察して得られたものかどうかは極めて疑わしい。

要するに周髀算経だけでは、周代は短里であったと主張できる根拠にはならない。
731卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/28(月) 09:37:00.04
一部訂正

冬至の日は一丈三尺五寸の影がある、というのは中国でも測定できるから、
これ自体は嘘であるとは言えない。
732日本@名無史さん:2012/05/28(月) 09:52:56.73
   
ヤマト国は纒向だ

だれもが認めるところ。

ヤマト国は邪馬台国ではない。
733日本@名無史さん:2012/05/28(月) 10:20:14.44
>>729-731

周髀算経では太陽の高さを八萬里としているのを知らんのか?

周髀算経では、太陽の高さを八萬里とした上での論理の積み上げであることに気づけ。

君は大訂正氏以上に論理的思考ができないのだな。

734大正解!:2012/05/28(月) 12:19:17.55
>>724 :有:2012/05/27(
>「阿蘇山有り。其の石 故(ゆえ)無くして火起こり天に接すれば、俗 もって異となし、因りてネ壽祭を行う」
>「倭には阿蘇山が有る。その石は、なにもしないのに燃えだして火は天に届くので、
ならわしとして異となし、ちなんでネ壽祭を行う」
上記の様な解釈を誰が最初にしたのか知らないが、
結論を急げば「禱祭」は一度も行われた事は無かった。ということか?
何故って、『其の石 故(ゆえ)無くして火起こり天に接すれば』といことは現実には起こらない現象だから。起こるはずも無い現象を因として「禱祭」が行われる。可也無理のある解釈をしているな。

無理が通れば道理で変だ!

>「接天者」とは、祈祷師それとも僧侶それとも死者?
「接天者」の解釈が出来てないNA〜〜〜〜〜。
「天」は古代の君主を指すこともあるからNA。 

倭には阿蘇山が有る。とやってるようじゃ前途多難だNA.
735大正解!:2012/05/28(月) 12:33:09.14
>>733 名前:日本@名無史さん :2012/05/28(月) 10:20:14.44
>君は大訂正氏以上に論理的思考ができないのだな
君のは理論的思考というより妄想的考察がだとうだろう。藁。
周髀算経と尺の関係に係わる気は無いのであしからず。。。

736大正解!:2012/05/28(月) 12:57:08.48
>>735 名前:大正解! :2012/05/28(月) 12:33:09.14

>周髀算経と尺の関係に係わる気は無いのであしからず。。。

が、
北緯30度と北緯26度の影の差は幾らに成るか
知っていたら教えてくれる。

737卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/28(月) 13:01:59.90
>>733
おぬしは本末転倒しているのでアル。

一寸千里も、太陽の高さ八萬里も、観測結果を下に計算された数値であって、
一寸を千里と定義したわけでもなく、太陽の高さを八萬里と定義して里の長さを決めたわけでもない。

何度も言うが、周髀算経は一里の長さを定義した書ではないのでアルヨ。
738卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/28(月) 13:26:18.25
>>736
任意の日の太陽の赤緯をk°とする。
北緯30度とk°との差をa°、北緯26度とk°との差をb°とする。
北緯30度と北緯26度の地点に長さ1の棒を立てたとすると、
tanaとtanbがそれぞれの棒の影の長さである。
その差はtana−tanbである。

長さがnの棒なら、その差はn倍である。
739大正解!:2012/05/28(月) 13:35:52.36
>>738 名前:卑弥呼は朝鮮にいた :2012/05/28(月) 13:26:18.25
>>736
>その差はtana−tanbである。
で、八尺の棒の場合、その差は○寸になる。
の、○寸が知りたい。
宜しく。。。

740日本@名無史さん:2012/05/28(月) 14:55:49.86
>>734
>何故って、『其の石 故(ゆえ)無くして火起こり天に接すれば』といことは現実には起こらない現象だから。

「故無くして」というのは、隋があった時代の日本人の知識では原因がわからなかったというだけでしょ。
自然発火は、現実に起こらない現象ではない。現代の科学知識なら十分「故有る」現象だったんでしょう。
それなのに

>起こるはずも無い現象を因として「禱祭」が行われる。可也無理のある解釈をしているな。

というのは、可也無理した反論ですな。反論のための反論という感じ。

自然発火で一番考えられるのが火山。
僕は火山に詳しくないけれど、高温になった岩石に付着した硫黄が自然発火するらしい。
あるいは、「其の石」というのが特定の一つまたは数個の石ならば、
その石の下に火山ガスの噴出孔があって、自然発火していたとも考えられる。
火山ガスの自然発火は「火炎現象」といって、
現在でも阿蘇山をはじめとする火山で見られるらしい。
つまり、隋書の阿蘇山は、固有名詞かどうか、現在の阿蘇山かどうかは別にして、火山だと推測できる。

>「天」は古代の君主を指すこともあるからNA。 

君主を指す【ことも】あるだけ。
すべての場合の天が君主を指すのではない。
741:2012/05/28(月) 14:57:11.87
>>740にコテハン入れるの忘れてました。有です。
742卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/28(月) 17:48:27.40
>>739
夏至の場合で計算すると−

k=23°27’a=6°33’b=2°33’
tana=0.1148… tanb=0.0445…

8尺=80寸だから、
0.1148…×80=9.184…
0.0445…×80=3.560…

その差は5.624…寸
743日本@名無史さん:2012/05/28(月) 20:30:33.10
角度はα、βとかで置き換えてくれないとすごく見づらい
744日本@名無史さん:2012/05/28(月) 21:23:36.60
角度の表記は数学のルールに従え。非常識者め。

角度は、α、β等のギリシャ文字かA、B等の大文字で表記するもの。
745:2012/05/28(月) 22:20:55.38
>>737
>周髀算経は一里の長さを定義した書ではないのでアルヨ。

太陽の高さも一寸千里の法も定義の一部分。
周髀算経に書かれたものの大部分が「定義」。
周髀算経は「定義」の解説書。

前漢代に編集によって付け加えられた部分は除く。
746∠A,∠B:2012/05/28(月) 22:23:50.29
   
747卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/29(火) 09:09:15.19
>>745
ほう。それじゃ太陽までの距離は約1億5千万キロメートルだから、
それが八万里だというからには、一里は1875kmになるが、それでもいいのかな?

短里実在論者諸君よ、一里は1875kmだそうだ。君らの主張は完全に崩壊したぞw
748日本@名無史さん:2012/05/29(火) 09:17:39.23
苦笑
749∠A,∠B:2012/05/29(火) 09:37:52.19
>>747
君は周髀算経を読んだことがあるのかね。
全く読めていない。全く理解できていない。

太陽の高さが八萬里。太陽までの距離じゃない。
即ち、天の高さが八萬里。
北極中大星の高さも八萬里。
750大正解!:2012/05/29(火) 11:44:50.01
>>740 名前:日本@名無史さん :
>>734
>>何故って、『其の石 故(ゆえ)無くして火起こり天に接すれば』といことは現実には起こらない現象だから。
>「故無くして」というのは、隋があった時代の日本人の知識では原因がわからなかったというだけでしょ。
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」
接天者『天(君主)と  接する  者(原始仏教聖職者)』
君主=原始仏教聖職者

其石無故火起・・・非情界における一体具足
俗以爲異・・・・・有情界における生死一体具足の転生輪廻。

『無学』とは、仏語。煩悩を断ち尽くし、もはや学ぶべきもののない境地。阿羅漢果(あらかんか)。「―位」「―果」⇔有学(うがく)。 ...
「無故」とは?
其石と火起こった石は一体不二。
と書いても理解できないかも。
倭は共立卑弥呼女王を触媒として国体の安定を保持し、
イ倭国は、仏教を触媒として集団エネルギーを阿蘇山(古墳)造りに向けることによって国体の安定を保持した。


751卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/29(火) 16:58:15.55
>>749
周髀算経が太陽の高さを八万里としたのは−

八尺の棒に一尺六寸の影ができる。→ 南一万六千里では影ができない。→ その真上に太陽がある。
三角形の相似により、八尺:一尺六寸=八万里:一万六千里
ゆえに、太陽は八万里の高さにある。

という理屈で、要するに中国人の単純でお粗末な天文観を述べたもの。定義とは関係ない。
定義とは、たとえば、三百歩為里 のような文で、周髀算経にはそんな文は、どこにもない。
752日本@名無史さん:2012/05/29(火) 18:49:48.56
>>747
>君らの主張は完全に崩壊したぞw

完全に崩壊しているのは卑弥呼は朝鮮にいたのあ・た・ま
753日本@名無史さん:2012/05/29(火) 19:05:44.58
>>751

朝鮮氏はいま始めて理解できて楽しいんだろうけど、
まじめにやった人間なら、中学か高校ですでに終わったところなんだよ。

大抵の人は最初にチラ見した段階で見当ついてるんだよ。

三角形の相似、って中学だっけか?
小学校でもやってそうな気がするな。
754大正解!:2012/05/30(水) 13:23:05.95
「有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行ネ壽祭」
華人が其の山が火山である事を知って『阿蘇山』と表記する可能性は限りなく低い。
熊本の『阿蘇山』が『阿蘇山』と呼ばれたり、表記されるようになったのは
おそらく、6世紀中以後のことであろうと推測する。
6世紀中過ぎた頃から熊本地方の古墳造りが旺盛になる。
古墳がゴロゴロ見られる様になって初めて『阿蘇』と言う言葉が定着し、
阿蘇山にありる火山が阿蘇山と呼ばれる様になった。と思われる。

阿蘇山とは海幸山幸を祈る為に造られた古墳群のことだ。


755日本@名無史さん:2012/05/30(水) 16:28:00.78
古墳群だの妄想はやめてくれ。

三国志に「邪馬台国には古墳があった」なんて記述はない。
たった一つ「卑弥呼の冢」が出てくるだけだ。
756日本@名無史さん:2012/05/30(水) 18:53:48.06
>>754 おい、妄想ボケじじい
可能性は少ない・推測する・思われる・最後は根拠のない勝手な断定
えらく長〜〜〜い事ボケかましてんな
「阿蘇山とは海幸山幸を祈る為に造られた古墳群のことだ。」なんじゃ〜こりゃ?

おい、爺さん、とうとう脳が衰弱してきたようだぞ、家族に相談してみ
そして早急に病院に行くんだ。早急にだぞ。
757日本@名無史さん:2012/05/30(水) 23:20:21.05
>早急に病院に行くんだ。早急にだぞ。

いや、すでに手遅れだ。
758日本@名無史さん:2012/05/31(木) 00:43:40.01
× 大正解!
○ 脳溶解!
759日本@名無史さん:2012/05/31(木) 02:10:29.49
阿蘇山とは海幸山幸を祈る為に造られた古墳群のことだ。

760日本@名無史さん:2012/05/31(木) 08:08:20.27
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。
                 , ─ヽ
________    /,/\ヾ\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|__|__|__|_   __((´∀`\ )< という夢だったのサ
|_|__|__|__ /ノへゝ/'''  )ヽ  \_________
||__|        | | \´-`) / 丿/
|_|_| 从.从从  | \__ ̄ ̄⊂|丿/
|__|| 从人人从. | /\__/::::::|||
|_|_|///ヽヾ\  /   ::::::::::::ゝ/||
────────(~〜ヽ::::::::::::|/        = 完 =
761九州王朝大好き:2012/05/31(木) 11:49:03.55
「卑弥呼の都は久留米」の書き込みに、数字の間違いを発見したので訂正する。

間違い数値の部分
周髀算経巻下には、北極樞と北極中大星のなす角度は、5.0°であると書いてある。
BC1100年頃の、天の北極(北極樞)と小熊座β星(北極中大星)のなす角度は、5.0°であった。

数年前「九州王朝大好き」が書き込んでいた正しい数値
周髀算経巻下には、北極樞と北極中大星のなす角度は、6.4°であると書いてある。
BC1100年の、天の北極(北極樞)と小熊座β星(北極中大星)のなす角度は、6.4°であった。


補足
>周髀算経 - Wikipedia の引用
>成立時期は不明であるが、『呂氏春秋』からの引用と考えられる箇所があることから
>戦国時代末期から前漢にかけての著作とされ、蓋天説が発生した紀元前2世紀前後の著作と考えられている。

しかし、周髀算経の原本の成立は、北極樞観測データから、商時代末期である西周勃興期のBC1100年頃である。
西周武王の約50年前に周髀算経の原本が書かれたのである。
なぜなら、北極樞(天の北極)と北極中大星(小熊座β星)のなす角度が6.4度になったのはBC1100年で、
この時が両者が最も接近した時だからである。
又、周髀算経が周公の商高(商の人)への問で始まることからも裏づけされる。
762卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/31(木) 12:53:18.21
要するに、一寸千里というのが、観測的事実なのか、それとも机上の理論なのか、が問題で、
そういことは中国の度量衡について研究している専門の学者にでも聞かないと分らないだろう。

周制三百歩為里 という文献もあるのだから、周代が短里であったかどうかは簡単には決められない。
763九州王朝大好き:2012/05/31(木) 13:56:11.72
>>762
>一寸千里というのが、観測的事実なのか、それとも机上の理論なのか、が問題

中原の大平野のど真ん中北緯35.1度の南北1000里での観測事実である。
実際の測定は、1000里より短い距離、たとえば100里(7〜8km)でしたとも考えられる。

中国の度量衡について研究している専門の学者には、一寸千里法についての解析する為の知識知能は無いであろう。


>周制三百歩為里 という文献もあるのだから、周代が短里であったかどうかは簡単には決められない。

何で?
1里が75mなら、一歩は25cmになる。

1歩は踵から爪先の長さ。
  用途:土地(田畑)の大きさを測る単位。「畝(うね)」の基本単位。
1尺は手の親指と人差し指を広げた時の爪先の間隔。
  用途:身の回りの物の大きさを測る単位。

「歩」と「尺」は、相互関係の無い全く別の単位体系。
764日本@名無史さん:2012/05/31(木) 16:20:16.30
ここも自分の主張はするけど
皆に向かって問題を投げかけるというコテは少なくなったな
765:2012/05/31(木) 17:18:16.90
>>750
無学が仏語であることと、無故の解釈とに何の関係がある?
仏教大辞典にも禅学大辞典にも、無故は仏教用語として掲載されていない。
無学が仏教用語として使われるとき「学」は「学ぶべきこと」とうい意味になり、
普通の「学が無い」というときの「学」とは意味が変わる。
ひるがえって「無故」を見ると、
「ゆえなし」と読むときは、「故」は「理由・原因」などの意味で、「理由無く」などの意味。
「ことなし」と読むときは、「故」は「事故」の「故」の意味で、「事故無く」などの意味になる。
さて、

>其石無故火起・・・非情界における一体具足

この解釈には、「ゆえなし」も「ことなし」もあてはまらない。
「ゆえなし」「ことなし」以外の意味は、仏教大辞典にも禅学大辞典にも見当たらない。
大訂正説が正しい解釈だというのなら、この場合の「故」とはどういう意味なのか。
「無故」とはどういう意味なのか。
その意味で使うという典拠となる経典なり論典なりはどれなのか。
最低でも、これだけのことは言わないと、

>『無学』とは、仏語。

と言ったところで、「無故」の解釈には何の足しにもならない。
766日本@名無史さん:2012/05/31(木) 17:41:35.44
>仏教大辞典にも禅学大辞典にも見当たらない。

此方無故

順古故,多含故, 此方無故, 順古故, 尊重故,
767卑弥呼は朝鮮にいた:2012/05/31(木) 19:10:03.48
>>763
>実際の測定は、1000里より短い距離、たとえば100里(7〜8km)でしたとも考えられる。

それでは意味がない。私が言っているのは、実際に千里離れた地点で観測した事実なのかどうか、ということだ。

http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/list/size.html
ここに一歩=119.4cmとある。尤も、このサイトの作者がどこからこの数値を拾ってきたかは知らないが。
768日本@名無史さん:2012/05/31(木) 19:39:55.70
拾ってきたレベルのだって良く理解できてるじゃん
769日本@名無史さん:2012/05/31(木) 21:47:35.48
朝鮮野郎は長生きしているわ
こいつわ面の皮厚い上に根気あるわ
やっぱ朝鮮人なのかな?朝鮮人根性あるからね
770九州王朝大好き:2012/05/31(木) 21:52:06.98
>>767
>実際に千里離れた地点で観測した事実なのかどうか、ということだ。

中原の大平野のど真ん中、南北1000里離れた測定はできる。
測定したのは、東西南北に駆け巡り交易していた商の人だから。
商の中心地は殷墟。
771:2012/06/01(金) 01:17:44.81
>>766
これは大訂正氏のレスなの?
772日本@名無史さん:2012/06/01(金) 10:47:48.44
`>>771 :有:2012/06/01(金) 01:17:44.81
>>766
>これは大訂正氏のレスなの?

あたりです。

其石=火起 火起=貝輪 ?
773日本@名無史さん:2012/06/01(金) 11:29:10.23
>>772
此方無故
これ、無故の例じゃないよ。
あえて訓読すれば、「此の方に無きがゆえ」で、「此の方=中国に、(その語が)無いから (漢訳せずに音写する)」。
たとえば「其語」のような字が、「無」の後ろに省略されてる。
句のなかを、あえて区切ると「此方無(其語)、故」となるから、「無故」ではないことがわかる。
この「故」は「理由・原因」で、僕が
「其の石、ゆえなくして火起こり天に接すれば」
と読んだ、「故」の意味と同じ。
僕の説を補強する例文を引いてきてるね。

五種不翻のひとつ「此方無故」は仏教用語だけど、「無学」で「学」の意味が変わっているのとちがって、
「故」は、まんま普通の「故」の意味「理由・原因」で使ってる。
「故」を「理由・原因」と解して、どうやって

>其石無故火起・・・非情界における一体具足

という解釈が成り立つの?
774:2012/06/01(金) 11:31:04.18
またコテ忘れた。>>773は有のレスです。
775大訂正:2012/06/01(金) 18:08:03.95
>>773 :日本@名無史さん:2012/06/01(金) 11:29:10.23
>>772
>此方無故
これ、無故の例じゃないよ。
あえて訓読すれば、「此の方に無きがゆえ」で、「此の方=中国に、(その語が)無いから (漢訳せずに音写する)」。
たとえば「其語」のような字が、「無」の後ろに省略されてる。
句のなかを、あえて区切ると「此方無(其語)、故」となるから、「無故」ではないことがわかる。
この「故」は「理由・原因」で、僕が
「其の石、ゆえなくして火起こり天に接すれば」
と読んだ、「故」の意味と同じ。
僕の説を補強する例文を引いてきてるね。

五種不翻のひとつ「此方無故」は仏教用語だけど、「無学」で「学」の意味が変わっているのとちがって、
「故」は、まんま普通の「故」の意味「理由・原因」で使ってる。
>「故」を「理由・原因」と解して、どうやって

>>其石無故火起・・・非情界における一体具足

>という解釈が成り立つの?



此方無故(しほうむこ) - この地方(中国)にない意味や言葉であるがゆえに翻訳せず。たとえば、閻浮樹(えんぶじゅ、閻浮提にあるという想像上の大森林)、乾闥婆(けんだつば)、迦楼羅(かるら)などの語類がこれにあたる。

其石無故火起は, 其石此方無故火起。
其石とは火起のこと
火起の,火の音写は,くわがたいし【鍬形石】のくわ。
776:2012/06/01(金) 20:20:56.42
>>775
>火起の,火の音写は,くわがたいし【鍬形石】のくわ。

じゃあ、起はなんのこと?
777大正解!:2012/06/02(土) 11:33:03.75
>>776 :有:2012/06/01(金) 20:20:56.42
>>775
>火起の,火の音写は,くわがたいし【鍬形石】のくわ。
>じゃあ、起はなんのこと?
では、迦楼羅の迦とは何?楼とは何? 羅とは何?
有ちゃん答えられる? 
俺が、『火起の,火の音写は,くわがたいし【鍬形石】のくわ。』と書いたのは
火の音はKWAで、そのKWAは鍬形石のKWAと同じと言う意だ。
「其石」である「火起」とは鍬形石、石釧、車輸石の総称だ。


778:2012/06/02(土) 12:37:17.97
>>777
>迦楼羅の迦とは何?楼とは何? 羅とは何?

迦は、カルラ(ガルラ)のカを音写した文字。
楼は、カルラのルを音写した文字。
羅は、カルラのラを音写した文字。
迦楼羅は、3文字とも音を写している。

「火起」が鍬形石、石釧、車輸石の総称で、
「火」がクワガタのクワの音写だとしたら、
残った「起」は何?
何かの音写?それとも、漢文として機能する文字?


「起」って何?
779:2012/06/02(土) 12:47:56.98
>>777
http://kotobank.jp/word/%E9%8D%AC%E5%BD%A2%E7%9F%B3
くわがたいし【鍬形石】

古墳時代の碧玉製腕飾の一種。
江戸時代の収集家が,形が鍬に似ているとみて,鍬形石とか,狐の鍬石とかよびだしたのが,そのまま現在にいたった。


鍬形石という言葉は江戸時代の人が鍬に似てると考えたことが始まりということだけれど、
隋書の「火起」の「火」が「鍬形石」の「鍬」の音写なら、矛盾するよね。
そこのところどうなの?
780大正解!:2012/06/02(土) 12:56:13.83
>「起」って何?

火起 kwakiのkiの音写した文字。

「火起」は鍬形石、石釧、車輸石の総称だ。↓

http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/hazimeni/simayama.html


禱祭の跡だ。





781大正解!:2012/06/02(土) 13:01:14.89
>>779 名前:有 :2012/06/02

そんな事は知っている。
それも十年以上前に


http://www.setouchi.ac.jp/~dnagoh/hazimeni/simayama.html
で、
知った。
782:2012/06/02(土) 13:03:11.20
>>780
kwakiのkwaが鍬の音写なら、kiは何の音写?
いちいちこちらから質問しなくても、一回のレスで全部説明してほしいもんだけど。
783日本@名無史さん:2012/06/02(土) 13:05:39.60
>>781
だから、知ってるかどうかじゃなくて、それをどう考えてるのか聞いてるの。
江戸時代の人の思いつきってのを間違いだと考えてるの?
それとも、別の考え方があるの?
784大正解!:2012/06/02(土) 13:40:50.80

>>782 名前:有 :2012/06/02(土) 13:03:11.20
>>780
kwakiのkwaが鍬の音写なら、kiは何の音写?

「火起」は鍬形石、石釧、車輸石の総称だ.

鍬形石、石釧、車輸石の原始仏教の佛器のKIの同じ意の音写。





>>778 名前:有 :2012/06/02(土) 12:37:17.97
>>777
>迦楼羅の迦とは何?楼とは何? 羅とは何?

>迦は、カルラ(ガルラ)のカを音写した文字。
>楼は、カルラのルを音写した文字。
>羅は、カルラのラを音写した文字。
>迦楼羅は、3文字とも音を写している。





785大訂正!:2012/06/02(土) 13:42:45.14
『あえて訓読すれば、「此の方に無きがゆえ」で、「此の方=中国に、(その語が)無いから (漢訳せずに音写する)」。
たとえば「其語」のような字が、「無」の後ろに省略されてる。
句のなかを、あえて区切ると「此方無(其語)、故」となるから、「無故」ではないことがわかる。』
>この「故」は「理由・原因」で、僕が
>「其の石、ゆえなくして火起こり天に接すれば」 と読んだ、「故」の意味と同じ。
>僕の説を補強する例文を引いてき

「此方無(其語)、故」⇒「此方無迦楼羅、故」で意味が通じるのかYO.
『「此方無故」という熟語を崩しちゃって。

本来、「火起」を解釈しちゃいけない「一語」なのだが、
「火起」を飛んでも解釈しているから敢えてそれに挑んだ、「火起」とは
原始仏教佛器である其石の呼び名の音写である。
Kwaと云う音には、ゴホウラ、子安等のKwaの歴史がある。
黄色宝という沖縄の子安は殷に入り込んでいし、
Kwaという音は紀元前3500年頃の沖縄とフィリピンの貝の共通文化にまで遡る音である。
Kwaと云う音は、子狗の遠き旅路の跡と言う意の言葉でもある。

漢字遊びじゃ汲み取れないものが沢山有る。
有阿蘇山 其石無故火起接天者俗以爲異因行禱祭
の君の解釈は便所の落書きを拾ってきた程度の塵だ。


786日本@名無史さん:2012/06/02(土) 18:54:25.19
佐賀の県立博物館行ったら8世紀とかの木簡とか
吉野ケ里で出てきてたのね
結局それなりには続いてたのね
787日本@名無史さん:2012/06/02(土) 20:35:10.20
そろそろ皆、スレタイを確認したら?。スレタイに関係無いことばかりの議論になっているね。こんな議論の仕方をする人はウマシカということだよ。
788日本@名無史さん:2012/06/03(日) 00:09:52.05
漢文好きのじいちゃんが増えたな
789日本@名無史さん:2012/06/03(日) 10:53:15.99
>>740
何か妙な解釈をしているな。「阿蘇山有り。其の石 故(ゆえ)無くして火起こり天に接する。」
というのは単に噴火のことだろ。そして、一般の人々は不思議な出来事として、祷祭を行うという
だけのこと。石は岩、つまりは山そのものだよ。
790日本@名無史さん:2012/06/03(日) 21:30:30.46
昔の人は超能力があったらしいから古墳とか山とかを自在に宙に浮かせてたのかもしれない

791大訂正!:2012/06/04(月) 12:02:53.41
>>789 :日本@名無史さん:
>一般の人々は不思議な出来事として、祷祭を行うというだけのこと。

祷:祈祷,祈神求福 [pray]
祷,告事求福也。---《说文》
祷,祭也。---《广雅》

祭:同文義
[obit(死亡の日,命日,忌日);offer a sacrifice (生贄を申し出る)]
祭,祀也。——《说文》

祀:同文儀[worship Heaven]
祀,祭无已也。——《说文》
祀,国之大事也。

そんな単純な問題ではないだろうYO。



792大訂正!:2012/06/05(火) 13:17:59.68
安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見

◎  帥升とは五十国連合の王。

(袁術)奔九江、殺楊州刺史陳温而自領之、又兼稱徐州伯。
(『後漢書』袁術伝)

千里之外設方伯、五國以為屬、屬有長十國、以為連、連有帥、三十國以為卒、卒有正、二百一十國以為州、州有伯
(『礼記』王制)

自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

◎ 一大卒は二十国から三十国を検察する所謂刺史のような官職。

國:
《禮·王制》五國以爲屬,十國以爲連,二十國以爲卒,二百一十國以爲州。《孟子》大國,地方百里,次國,地方七十里,小國,地方五十里。 

793卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/05(火) 19:00:46.12
新羅鯨濤萬里,陳雄兵於明石,刑白馬而盟赤關

この明石というのは何処か、分かる人はいますか?
794日本@名無史さん:2012/06/05(火) 19:01:40.04
あいもかわらぬたんたんめんの杜撰読み
795日本@名無史さん:2012/06/05(火) 19:13:25.07
千里之外設方伯
     五國以為屬 屬有長
     十國以為連 連有帥
   三十國以為卒 卒有正
二百一十國以為州 州有伯

五十国連合の王とかわろす
訂正とか修正とかしてみてわ?
796大訂正!:2012/06/06(水) 12:08:24.33
>>794 :日本@名無史さん:2012/06/05(火) 19:01:40.04
>あいもかわらぬたんたんめんの杜撰読み
>>795 :日本@名無史さん:2012/06/05(火) 19:13:25.
>五十国連合の王とかわろす
>訂正とか修正とかしてみてわ?
ははは。。。。二匹釣れてたか。 藁。
>>794
其の通り、杜撰読みをして見た。
「舊百余國」ならその半分を平らげ、その女王、官、副あたりを生口として差し出せば150〜160にはなる、という単純計算から50国の王としてみた。が、
後漢書では「願請見」とあり、謁見を望んだが『皇帝』には会えなかったのだろう。
自称「倭國王帥升」であるが中華はそれを承認していない。 という事だろう。
倭国王を承認出来ない、その一つ因は、「 十國以為連 連有帥 」の「帥 」でしか無かった。という事。
「舊百余國」の十ヶ国を平らげただけでは倭国王にはなれない。
所謂
倭国王ではなく、「帥 」だ。と中華は仰せになってますNE. 藁。。。。
>>795
千里之外設方伯
     五國以為屬 屬有長
     十國以為連 連有帥
   三十國以為卒 卒有正
二百一十國以為州 州有伯

を、悪戯した覚えはないがNE.
797大訂正!:2012/06/06(水) 12:34:18.19
>>796 名前:大訂正! :2012/06/06(水) 12:08:24.33

それでも「帥升」は『五十ヶ国連合の王』であり『倭国の主』であった。

「有倭面上國王師升至」

議論する価値はあるな。



798卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/06(水) 12:55:50.68
だからその「舊百余國」とか「倭國王帥升」というのは日本のことじゃないんだってば。

三韓で78ヶ国だから、ほぼ百国だ。
馬韓で54ヶ国だから『五十ヶ国連合の王』だ。

つまり倭とは韓であり、帥升とか卑弥呼というのは馬韓の王なのだよ。
倭奴国も、金印は偽物だから、倭奴国は三韓のどこかの王なのだ。
799大訂正!:2012/06/06(水) 13:39:22.65
>>798 名前:卑弥呼は朝鮮にいた
韓:
又國名。《詩·大雅·韓奕箋》韓,姬姓之國也,後爲晉所滅,故大夫韓氏以爲邑名。
を、知ってる?

邪馬台国も帥升も季歴の後の魯の宣公の後だ。
左伝宣公元年(紀元前719年)の『経典釈文』に,
「宣公, 名俀, 一名接, 一名委。 文公子, 母敬『えい』。 謚法: 善問周達曰宣」とある。
この母敬『えい』の『えい』が秦の始皇帝の『えい』と同じ姓である。
「邪」は「秦」の血統だけが使える一文字である。

>倭奴国は三韓のどこかの王なのだ

漢委奴国王の「委」は『魯の宣公と秦』の末裔だYO.

半島とは関係無い。

半島の『韓』と同系は、狗邪韓國と拘邪韓國。
狗邪韓國は現・台湾から八重山諸島で
拘邪韓國は現沖縄本島に当る。

800大訂正!:2012/06/06(水) 14:12:40.98
「姬姓之國也,後爲晉所滅,」

紀元前1000年頃まで遡れば、
晉と魯
が見えてくる。

晉も魯
も国姓が「姫」である事も解るだろう。

其の上で、

後爲晉所滅の晉は誰の国か?

紀元前719年の魯の宣公を知るなら
其の違いがより明確になる。
801卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/06(水) 16:53:54.83
>>799-800
なかなか有益な情報だ。大訂正君はなかなか知識があるな。

「詩経注」に、顧と昆吾は姫姓なり、とあるそうで、顧は斉(山東省)にあるらしい。
で、日本は東海姫氏国とも言われたらしいが、東海とはどこかといえば、秦漢代に、

東海郡 山東省南半〜江蘇
北海郡 山東省北半
渤海郡 直隷省の渤海に面する方面

というのか゛置かれたようで、史書に東海、北海、渤海とあれば、まずここらを想定しなければいけない。
で要するに東海姫氏国とは山東省(あるいは斉)のことを指しているのではないかと私は睨んでいるのである。
802日本@名無史さん:2012/06/06(水) 17:32:12.29
邪馬台国は阿波だな、今のJKだよ。
803日本@名無史さん:2012/06/06(水) 17:45:53.94
金印が志賀島にあったのは、盗賊か何かが盗んできたもの
ですか?
804日本@名無史さん:2012/06/06(水) 18:38:04.55
たんたんめんたらむだに解析中途半端だしちょっとお手伝いしてまとめておいてあげよお

千里之外設方伯
     五國以為屬 屬有長
     十國以為連 連有帥
   三十國以為卒 卒有正
二百一十國以為州 州有伯


(中華方二千里) (2000里 = 154km * 154km)      ←当時の共通理解項目
千里之外設方伯     ←短里で読みたくない人は理由を述べてからにしてね
--------------------------------------------------------------
 州有伯 (伯は州に 1名) (州の伯は各210國を管轄) ←州刺史そのもの
 卒有正 (正は州に 7名) (卒の正は各 30國を管轄) ←有如刺史のひと
 連有帥 (帥は州に21名) (連の帥は各 10國を管轄) ←帥升さんはこのあたり
 屬有長 (長は州に42名) (屬の長は各 5國を管轄)
--------------------------------------------------------------
805日本@名無史さん:2012/06/06(水) 19:12:06.34
禮記王制篇の卒や帥が、一大卒の卒や帥升の帥と全く同じものだと、どうして言える?
806日本@名無史さん:2012/06/06(水) 20:14:17.42
アさて、アさて、さては南京王すだれ…
807日本@名無史さん:2012/06/06(水) 20:24:25.98
南京玉すだれは富山県五箇山の発祥。九州邪馬台国説はどこへ行ったの?。
808日本@名無史さん:2012/06/06(水) 21:08:57.63
鉄は北九州から東へ
古墳は東四国から大和そして西へ
当然卑弥呼の時代は古墳の頃で九州は虫の寝状態の時代です
邪馬台国の九州説があるとすれば、全盛の国ではなく窮地に陥った国が
名誉だけでもと海を渡り訴えた場合のみ考えられますね
809日本@名無史さん:2012/06/06(水) 21:27:50.80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A5%E5%91%89

ついでにこれも読んどけ
810日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:51:39.16
金印最中は、お金払って買ってきました>>803
811日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:58:10.51
中国製?
812卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/06(水) 23:15:42.05
江戸時代というのは文化が爛熟した時代で、偽書などが盛んに書かれたのである。
金印も然りで、あれには福岡藩の藩校の教授と大商人と、当時日本一といわれた金細工師が関与している。
中国の金印などの見本帳も出版されていたから、作ろうと思えば簡単に作れる。
費用は現在の金で20万円ほどでできるらしく、大商人にとってははした金だ。
三浦祐之「金印偽造事件」を読めば分かる。タイトルはふざけているが、まともな本である。
813日本@名無史さん:2012/06/06(水) 23:34:27.94
江戸時代に知見できなかった海外の金印・銀印と
おなじ工房で作られたものだと、今日なら判明している。
江戸期に金印の偽造品を作っても、それで得する奴がいない。

畿内説やら朝鮮説やら、誤った説を主張する人間にのみ、
金印偽作説の利益がある。
814日本@名無史さん:2012/06/07(木) 05:40:56.48
簡単に持ち運べる金印は、発掘状況が
はっきりしないと証拠にならんからな。
815卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/07(木) 09:22:15.96
あの金印には怪しい点が多々あるのである。
発掘場所も不明だし、発掘場所を確認に行った形跡すらない。
おまけに藩校教授と奉行所役人と大商人は友人で、姻戚関係すらあるのである。
藩校教授はのちに理由不明の免職を食らっており、それは金印偽造がばれたためだと思われる。
福岡藩は藩の恥だからそれを隠蔽したのだろう。
どうやら二個作っていたようで、捺印の形がやや異なる文書が残されている。
816日本@名無史さん:2012/06/07(木) 09:32:14.33
クズばかり。
817大訂正!:2012/06/07(木) 11:45:41.73
>>804 :日本@名無史さん:
>(中華方二千里) (2000里 = 154km * 154km)      ←当時の共通理解項目

中華方二千里って何処から拾ってきたNO?
「千里之外設方伯」の「千里」は「方千里」のことだYO.
勝手に二千里にしちゃいかんYO.
「千里之外設方伯」の「千里」は

王制:天子之田方千里,公侯田方百里,伯七十里,子男五十里。不能五十里者
から、引いたものだよ。
で、方千里ってどの位の広さかもしらないよね。
なんせ、KMでしか落書きしてないから。 藁。。。。

方千里とは
1800尺×24cm÷100000=0.432km
0.432km×0.432km×1000個=186.624平方キロメーター。

方千里=186.624平方キロメーター
だ。・・・・・・・
↓は上記の通り。 君のは単に君の発明であるというだけ。
千里之外設方伯
>     ←短里で読みたくない人は理由を述べてからにしてね


818大訂正!:2012/06/07(木) 12:01:32.08
>>817 :大訂正!

さて、「千里之外」を正しく解釈できるか
  楽しみだ。

とにかく、(中華方二千里) (2000里 = 154km * 154km)      ←当時の
という発明は駄目。

五百里爲都
819大訂正!:2012/06/07(木) 12:18:27.03
「漢委奴國王」の金印は本物だと思うに  一票   ・・・・
820日本@名無史さん:2012/06/07(木) 12:32:00.21
金印偽作説は、今日の九州説を排斥したいヤツだけが、
説得力のないまま主張しているというのが実体。
821日本@名無史さん:2012/06/07(木) 13:02:53.33
金印はその成分分析の結果、当時の中国の金製品と金の含有率や微量成分の比率などが一致したため、本物と確定された
騎馬民族説みたいに自分が一度信じた説を絶対変えない馬鹿が日本には多いな
822卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/07(木) 13:10:45.92
>>820-821
君らはまだ甘い。本物と確定しているわけではない。それはちょうど、
邪馬台国は大和と確定しているわけではないのと同じだ。
823日本@名無史さん:2012/06/07(木) 13:32:38.27
金印は本物だよ。そして、邪馬台国は大和ではない。
反論によほどの新証拠がでない限りそうゆうことだ。
824日本@名無史さん:2012/06/07(木) 15:47:05.03
>>822

× 君らはまだ甘い。

○ 俺らの脳は弱い。
825日本@名無史さん:2012/06/07(木) 16:44:03.78
金印の出土状況がはっきりしない以上は証拠にならないしな。
大体奴国が九州で何の問題もないよw
九州は倭人伝の記述には全く合致してないのが致命的だね。
826日本@名無史さん:2012/06/07(木) 17:58:12.68
倭人伝の記述には全く合致してない畿内説がなんか言ってるぞ。
笑ってやろう。
827日本@名無史さん:2012/06/07(木) 18:26:37.90
金印って積出港で管理してたもんじゃないの?
828ほれほれ:2012/06/07(木) 18:58:33.99
たんたんタンえ 釣りぎみのとこ上手につっこんでエロかったけど
ここのとこのは駄目ですねえ さらにまぬけまぜこんだりしている氏ね
--------------------------------------------------------------
方千里とは
1800尺×24cm÷100000=0.432km            (←尺使うな)
0.432km×0.432km×1000個=186.624平方キロメーター。(←まぬけw)
--------------------------------------------------------------
   300歩=1里 
    6尺=1歩 --- @
    24cm=1尺 --- A 

 @ 「歩」と「尺」はまるで異系統の身体尺の単位です
 @ 「歩」が「尺」に関連付けられた(換算値を設定)のは漢代のことです
従って
 A 「24cm=1尺」は漢代から眺めてそおゆうふうに見えたとゆうこと

「尺」を使用して距離換算とかしてはいけませんよ

   「300歩=1里」だけでのおぷろぶれむだすよ
--------------------------------------------------------------
方千里とは
  1里=300歩=300歩×25.5cm=76.5m (あばうとで)
1000里=76.5km
1000里×1000里=76.5km×76.5km≒5850km²
--------------------------------------------------------------
ちなみに
淡路島  592.26km²
福岡県 4,978.51km²
韓国  98,480  km²
    ↓↑
韓   93,636  km² (76.5km×4×76.5km×4)
「韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里」
829日本@名無史さん:2012/06/07(木) 19:09:53.51
魏志倭人伝の風景描写は、畿内とは似ても似つかぬ、
九州にふさわしい風景が描かれているのは紛れもない。
絹や鉄鏃等の出土品、金印も含めると、九州しかありえない。
830日本@名無史さん:2012/06/07(木) 21:48:39.12
いや、九州に相応しい風景は特に何もないよ。
831日本@名無史さん:2012/06/07(木) 22:28:19.63
>>828
> 1000里=76.5km
だと

対馬 方可四百餘里 30.6km×30.6km=936.36km²  ・・・696.10km²(属島を含まない)
壱岐 方可三百里 22.96km×22.95km=526.7025km² ・・・133.8 km²

なして?
832卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/07(木) 23:43:14.95
>>828
よくそんな嘘が平気で書けるな〜。
俾箕狐よ、いくら九州説の信者だからといって、嘘はいかんぞ、嘘は。

http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/list/size.html ←一歩は119.4cm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A9_(%E5%B0%BA%E8%B2%AB%E6%B3%95) ←一歩は約1.35m
833卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/08(金) 00:04:28.23
>>821
そんな成分分析の結果など、三浦祐之は、百も承知の上で、偽造説を唱えているのだよ。

どれほどの精度で一致しているのか、どれだけのサンプルを調べたのか、
中国に於ける古代と現代の金の成分の差、中国と日本の金の成分の比較、
金貨と金細工用の金の成分の差…等々、細かな検証をしないと、簡単に結論は出せない。
三浦がその点についてどのような反論をしていたかは忘れたが、とにかく一読の価値はある本だよ。
834日本@名無史さん:2012/06/08(金) 00:07:54.21
実際問題、金印って何のためにあったの?
輸出品の封印のためだったら都においても意味はない、最終積出港に置いて然るべきものだと思うけど
835日本@名無史さん:2012/06/08(金) 00:17:07.00
>>798
>金印は偽物だから
>>833
>細かな検証をしないと、簡単に結論は出せない。

朝鮮人のお前は簡単に結論だしてるじゃねーかよwww

836日本@名無史さん:2012/06/08(金) 01:11:48.11
韓地の方四千里を、4000里×4000里にすると、
現韓国の面積とほぼぴったりなんだよね。

これは、公里にしても、一平方里×4000にしても合わない。

対馬や壱岐は短里平方里ではかなり誤差があるが、
やはり、公里にしても、一平方里×300や400でも、
桁の単位で違ってくるから、これらの方法は
もっと悪い方法であって、採用できない。
837日本@名無史さん:2012/06/08(金) 01:16:02.75
奈良県で、どうやって海産物を潜水漁できるのか、畿内説では説明できない。
838日本@名無史さん:2012/06/08(金) 01:20:27.96
>>828
>>831

周、商の里
1里=300歩≒25.5cm/歩×300歩=76.5m
魏から隋の東夷里
1里=300歩≒23cm/歩×300歩=69m

「韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里」
韓國 98,480  km²
 帯方郡
 韓 方可四千里≒4000里×4000里≒4000×69m×4000×69m=58,030km²
 倭+帯方郡=韓國−韓= 98,480km²−58,030km²=40450km²
対馬 696km²
 對海國 方可四百餘里≒400里×400里≒400×69m×400×69m=762km²(周辺属島湾域を含む)
  (方可四百里=160000方里=200里×800里=13.8km×55.2km対馬概形) 
壱岐 134 km²
 一大國 方可三百餘里≒300里×300里≒300×69m×300×69m=428km²(周辺属島海域を含む)
839日本@名無史さん:2012/06/08(金) 01:46:43.54
海入れていいなら計算の必要なくどーにでもなるな

840日本@名無史さん:2012/06/08(金) 02:06:42.38
「一大國」のは「有三千許家」で

1家5名でざっとやらかすと15,000人とかの人口有することになるとゆうのがすごいところ

ちなみに過疎ってきているけど現在の島の人口は3万程度なんですとさ

「差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴」

船が使えないと飢えて死亡しちゃうってことだろ

 一
 大
 國

海が縄張りのとこだから陸地の面積限定で記述してくれてもこまるけどな
841日本@名無史さん:2012/06/08(金) 02:12:34.82
3,000人でも多すぎるがありえなくもない
842日本@名無史さん:2012/06/08(金) 02:28:17.48
壱岐國に属してる人がたくさん住める島ってどれよ?w
韓には海は入れないけど一大國は海入れるのOKって九州説どうしだけだよね納得するの
843日本@名無史さん:2012/06/08(金) 03:12:56.26
>>837
巻向からは鯛や鰺等の骨も多く出てるけどな。
つまり泉南、淡路島辺りから海の幸を持ってこれる関係だよ。
844日本@名無史さん:2012/06/08(金) 05:56:20.49
三韓人は内陸民、故にその勢力域は陸域のみ。

倭人は海洋民、故にその勢力域は陸域とその周辺の海域となる。
  對海國の勢力域は、浅茅湾等の湾と本島と周辺小島の間の海域を含む。
  一大國の勢力域は、本島と周辺小島の間の海域を含む。
  一大國の生計手段が市糴なので、その海域は他国より広くなる。
845日本@名無史さん:2012/06/08(金) 06:10:53.20
>>843
>巻向からは鯛や鰺等の骨も多く出てるけどな。
>つまり泉南、淡路島辺りから海の幸を持ってこれる関係だよ。

泉南、淡路島は全く無い。
紀ノ川経由で和歌山からと、山越えで伊勢から。
二十世紀半ば迄の奈良の魚供給ルートだ。

明石やさんまの父親(干し秋刀魚製造業)が和歌山出身なのは上記伝統に基づく。
846日本@名無史さん:2012/06/08(金) 09:04:38.47
八尾辺りまで海運で行けるのだから、普通は亀の瀬越えだな。
まぁ畿内説は瀬戸内との繋がりが証明出来ればOK、考古でも証明済みだし。
847卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/08(金) 10:18:46.46
>>838
だからその、周、商の1歩≒25.5cm、魏から隋の東夷1歩≒23cm
というのはどこに根拠があるんだ? 根拠も出さないでそんな計算をしても意味がない。

http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/list/size.html

を見ても分かるように、大体、中国はどの時代でも一歩を120cm〜160cmとしていたのであって、
一歩が23cm〜25.5cmなんてどこから拾ってきたんだ?

>>837
金印は偽物だというのは三浦の本を読んだ上での私の結論であって、
君らのように本も読まないで決めつけているわけではない。

大体、ここには、楽浪郡や帯方郡は半島内にあったことで確定、とか、金印は本物で確定、とか、
邪馬台国は畿内で確定、とか、九州で確定、とか書いている奴が多すぎる。
というかそういう奴ばかりだ。もっとまともな奴はいないのか。
848大訂正!:2012/06/08(金) 11:55:40.29
>>828 :ほれほれ:2012/06/07(木) 18:58:33.99
あまりにも出鱈目で相手に出来ない。
九章算術を勉強してから出直してきて。

>方千里とは
>1800尺×24cm÷100000=0.432km            (←尺使うな)
>0.432km×0.432km×1000個=186.624平方キロメーター。(←まぬけw)

君の言い分は↓の九章算術を虫した、只の寝言に過ぎない。 藁。。。。

今有田。 廣十五歩。 従十六歩。 問「為田幾何」。  答曰「一畝」。
今有田。廣一里。従一里。問「為田幾何」。答曰「三頃七十五畝」。

【足輪各“徑”六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里用較今法五尺為歩三百六十歩為里】

狂った頭の修正違法。↓
一里=千八百尺=三百歩、 一歩=六尺。であるから

1800尺×24cm÷100000=0.432km   と、
300歩×6尺×24cm÷10000=0.432km。

は、同じこと。



849大訂正!:2012/06/08(金) 12:13:53.60
>>828 :ほれほれ:2012/06/07(木) 18:58:33.99

「韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里」
の「方可四千里」は、韓と倭を正方形内に収め、その最大さしわたし距離が4000里
である。
「地方四千里」又は「方四千里」ならそれは地積の面積で、
>方四千里里とは
1800尺×24cm÷100000=0.432km            (
方四千里=0.432km×0.432km×4000個=746.496平方キロメーター。

『去女王(A)四千餘里又有裸國黒齒國(B)』
の四千餘里は、(A)と(B)の二点間距離。

君のやっている事は新発明による只の妄想ですYO.
850日本@名無史さん:2012/06/08(金) 12:17:03.50
【足輪各“徑”六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里用較今法五尺為歩三百六十歩為里】

これって、

直径6尺の円周は1丈8尺で、歩に直すと3歩。

1里は、昔は6尺を一歩として300歩だったが、
今は5尺を一歩として360歩となっている。

こんな意味かね。
851大訂正!:2012/06/08(金) 12:48:02.42
>直径6尺の円周は1丈8尺で、歩に直すと3歩。

故に、3歩は18尺で 300歩では1800尺で一里。

尺と歩の換算方ですね。

5尺を1歩とするなら一里は360歩、

両者の絶対値は1800尺に有りますね。

この1800尺というのが何処から来たか?
は、興味津津です。
852日本@名無史さん:2012/06/08(金) 12:56:19.89
>>851

歩の単位と、尺里の単位は、でどころが別な気がしますね。

歩は変化するけれども、尺と里は変化しないというのは、

歩は日常生活から出た単位、
尺と里はなにか別の基準から取った単位

のようにも読めます。
853大訂正!:2012/06/08(金) 13:11:29.93
>>852 名前:日本@名無史さん :201

>歩は日常生活から出た単位、
>尺と里はなにか別の基準から取った単位

誘導しようとしてもだめYO.
君がどんなに頑張っても

【足輪各“徑”六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里用較今法五尺為歩三百六十歩為里】


否定する事は出来ないYO.

854日本@名無史さん:2012/06/08(金) 13:51:21.61
>>853

そんなに警戒しなくてもいいじゃないか ww
純粋に興味と推論で遊ぶのも楽しいよ。

手段と目的がひっくり返ったりね。
仕事でなければ、それもまた楽しい。
855大訂正!:2012/06/08(金) 14:20:53.40
>>854

では、

「千里之外設方伯」の

「千里」分析でもしたらどうだ。

まだ、
「千里」の意を正しく解釈されてはいないのだから。
856日本@名無史さん:2012/06/08(金) 14:53:07.98
何が問題なのかよくわからんので、
読み返してみたが

>>817 にある

>王制:天子之田方千里,公侯田方百里,伯七十里,子男五十里。不能五十里者
>方千里とは
>1800尺×24cm÷100000=0.432km
>0.432km×0.432km×1000個=186.624平方キロメーター。
>方千里=186.624平方キロメーター

随分と天子の地にしては小さいと思うんだけどいいのかね?
福岡市の半分くらいだけど?

計算してみよう、ちょっと待ってね。
857日本@名無史さん:2012/06/08(金) 15:11:57.66
計算してみた。


公里の1平方里:0.187 平方キロ
短里の1平方里:0.0052 平方キロ

方千里の解釈

1,000×1平方里、公里の場合:187 平方キロ 福岡市の半分くらい
1,000×1平方里、短里の場合:5.2 平方キロ 東京ディズニーリゾート5個分

1,000×1000×1平方里、公里の場合:187000 平方キロ 日本の半分くらい
1,000×1000×1平方里、短里の場合:5200 平方キロ 福岡県くらい

さて、どの程度の大きさが妥当でしょうか?
858日本@名無史さん:2012/06/08(金) 15:40:10.46

>王制:天子之田方千里,公侯田方百里,伯七十里,子男五十里。不能五十里者
>千里之外設方伯、五國以為屬 屬有長、十國以為連 連有帥、三十國以為卒 卒有正、二百一十國以為州 州有伯

以上の資料をお借りしまして、このうちの伯七十里に着目する。


この七十里が、70×70×1平方里、公里の場合、4900×0.187=916.3平方キロ 
筑紫平野(筑後平野+佐賀平野)より若干小さい程度

この七十里が、70×70×1平方里、短里の場合、4900×0.0052 =25.48平方キロ 
福岡市南区より若干小さい程度

この七十里が、70×1平方里、公里の場合、70×0.187=13.9平方キロ 
海の中道の志賀島と能古島を足した程度

この七十里が、70×1平方里、短里の場合、70×0.0052 =0.364平方キロ 
東京ディズニーランドより若干小さい程度


となりました。大きさがわからなかったら、
google map か何かで確認してください。

あとは見てくれた人の直感で判断してくださいな

以上

859日本@名無史さん:2012/06/08(金) 16:55:37.61

>王制:天子之田方千里,公侯田方百里,伯七十里,子男五十里。不能五十里者

これを見る限り、方百里を100×100、
七十里を70×70と解釈すると、面積は半分になっていますね。

そうすると、
>千里之外設方伯、五國以為屬 屬有長、十國以為連 連有帥、三十國以為卒 卒有正、二百一十國以為州 州有伯
により、伯の面積が筑紫平野全域と仮定しますと、半分で正、更に半分で帥と、帥は1/4程度の面積ということになります。

筑紫平野相当の1/4の面積を支配する帥升は、福岡平野で妥当ということになるでしょう。

860日本@名無史さん:2012/06/08(金) 18:13:38.16
九州説にはアスペが多いのか?
861日本@名無史さん:2012/06/08(金) 18:19:37.73
大訂正氏の反応がこないな。
まあ、来ないほうがいいけど。
862卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/08(金) 18:28:17.34
よく知らんが、方千里とは千里×千里の面積だろう。
一里×一里の面積が千個あるという意味なら、千方里と書くと思うが。
863日本@名無史さん:2012/06/08(金) 18:31:05.94
それが常識だとは思うが、何を議論しているのかいまいちわからない。
864日本@名無史さん:2012/06/08(金) 18:51:23.96
ふつうのひとがふつうに300歩したら1里移動したことになるだけだよね

ふつうでないひとが300歩した場合においてはそれなりの補正とかいれるんだろ

海上を移動するときにはちとむずかしくて水面基準で脳内でカウントしたりするから

流れの存在するところのでは数値がでかくなりがちなのでわ

「寸尺丈」系の単位系のはもののサイズとかの計測専用なのが本来ので移動値とかには使わなかったんだろ

個体差の小さいところに見当つけてあげると尺骨の寸法が基準かなとはおもふよ

肘ついて掌反らしてあげたときの寸法が28cmくらいだけど

ここらへんのを寸法計測の基準になる「尺」に設定なのかもな
865日本@名無史さん:2012/06/08(金) 19:14:02.33
アスペというか高橋克也とかAleph信者みたいなもんだろ
866日本@名無史さん:2012/06/08(金) 21:18:19.64
>>848
>【足輪各“徑”六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為歩三百歩為里用較今法五尺為歩三百六十歩為里】

これって九章算術のどこの記述?
867日本@名無しさん:2012/06/08(金) 22:52:50.64
卑弥呼の邪馬台国は、もちろん、九州の高良山のふもとにあった。
台与になってから、巻向に東遷したってこと。
868日本@名無史さん:2012/06/08(金) 23:03:39.08
>>847
>金印は偽物だというのは三浦の本を読んだ上での私の結論であって、
君らのように本も読まないで決めつけているわけではない。

トンデモ本を真に受けるとは情けない。

>邪馬台国は畿内で確定、とか、九州で確定、とか書いている奴が多すぎる。
というかそういう奴ばかりだ。もっとまともな奴はいないのか。

卑弥呼は朝鮮にいた、なんて言う主張よりは間違いなく
遙かにまし。
869卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/08(金) 23:19:46.00
>>868
君は人を茶化す才能はあるが、上のはイマイチだったな。
>>824のようなシンプルなのを頼む。
870日本@名無史さん:2012/06/08(金) 23:38:06.39
自分の説の正しさを証明することより、他人の主張を論破することのほうが楽しい。
というヒネクレ者は、いつの世にもいるものだ。
871日本@名無史さん:2012/06/08(金) 23:58:55.35
卑弥呼の生きた時代に「朝鮮」と名の付く土地はあったのだろうか
「朝鮮」にいた、という表現自体があやしい
872日本@名無史さん:2012/06/09(土) 00:38:42.94
そもそも、朝鮮民族ができたのは新羅統一(676年)以後だ。
それ以前に朝鮮民族など存在しない。
873日本@名無史さん:2012/06/09(土) 00:47:16.75
その新羅は何民族なんだ?って話もある。
874日本@名無史さん:2012/06/09(土) 03:37:17.11
新羅と挹婁は同じ言語
875日本@名無史さん:2012/06/09(土) 07:59:56.93
九州説最大の弱点は魏志倭人伝の内容と一致しない点ではないでしょうか?
以前に信念の四国説とのやり取りで安○氏は九州説に対する複数の回答に対してまともな回答は一点のみであったらしい
質問者に信念と言っているが、どうやらことらは熱狂説の可能性もありようです(^^)
876日本@名無史さん:2012/06/09(土) 09:40:29.52
私は筑後の水運とか山の名前、地名に魅力を感じる
分かり切ったことだけれど、九州は大陸と交流する上での要所だから、大和政権が出来てから
突然九州の勢力が消えるのはおかしい。九州には何か重要な手がかりがあると思う。
877日本@名無史さん:2012/06/09(土) 09:51:43.33
>九州説最大の弱点は魏志倭人伝の内容と一致しない点ではないでしょうか?

100%一致する。一致しないと思うのは読み方が根本的に間違っているからだ。
878838:2012/06/09(土) 10:14:50.89
>>847
>だからその、周、商の1歩≒25.5cm、魏から隋の東夷1歩≒23cm
>というのはどこに根拠があるんだ? 根拠も出さないでそんな計算をしても意味がない。

BC1100年前の天文現象を書いた周髀算経では、1里≒75.5mである。
即ち、1歩≒25.5cmであることを示している。
(1里=300里は井田制から導かれれる。)

魏から隋の東夷1歩≒23cm は、漢籍(3世紀〜7世紀初頭編纂のもの)の東夷部から拾える数値の平均値(1里≒70m)から導かれる。
(周書は除く)
879日本@名無史さん:2012/06/09(土) 10:46:13.81
最近はdnaの研究も進んで朝鮮民族のルーツもわかってきたのではないでしょうか
稲作を伝えた江南の人たちや
衛氏朝鮮や楽浪郡を作った華北の人たちのdnaが
朝鮮民族の中にかなり入り込んでいることは間違いありません
8割くらい入っているらしいですよ

変な本ばかり読んでないでちゃんとした本を読んだほうがいいですよ
880838:2012/06/09(土) 10:51:49.94
×(1里=300里は井田制から導かれれる。)
○(1里=300歩は井田制から導かれれる。)

>BC1100年の天文現象を書いた周髀算経
北極樞(天の北極点)と北極中大星(小熊座β星)のなす角度が6.4度。
(大星が周髀の頂点を支点に東西に振れる長さが2尺3寸と書かれている[周髀算経巻下])

>(周書は除く)
周書はその欠損部分を後世に北史によって補われたものである為。
周書は北史をベースにした改竄文書と見てよい。
881日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:06:26.51
>>879
>衛氏朝鮮や楽浪郡を作った華北の人たちのdnaが
>朝鮮民族の中にかなり入り込んでいることは間違いありません
>8割くらい入っているらしいですよ
>変な本ばかり読んでないでちゃんとした本を読んだほうがいいですよ

上記は朝鮮民族ではなく韓國の人々のこと。
DNA的には朝鮮民族は存在しない。
「DNA」と「民族」と言う言葉は相容れない。
DNAは人種的生物学的分類、朝鮮民族は文化的分類だあるから。

正確な理解認識を得る為に、基礎知識を勉強しなおしたほうがよいですよ。
882日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:08:26.88
魏志倭人伝も普通に読めば倭国は北九州にあったとしか思えない
記紀を読んでも北九州にあった倭国(筑紫)と大和朝廷は3世紀の時点では別の国であったとしか思えない
考古学でも纏向遺跡なんかは記紀の記述が正しいことを証明しているとしか考えられない
たとえば東海地方の土器が大量に出てくるところなんかは
四道将軍が派遣されたという記紀の記述とあってて
東海地方にくな国連合があったっていう説とは合わないと思うんだ
883日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:10:58.14
>魏志倭人伝も普通に読めば倭国は北九州にあったとしか思えない
ひどい読み方をしているな。普通に読めば南九州だろうが。
北九州に上陸してから、少なくとも南へ水行十日陸行1月だぞ。
884日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:11:16.77
ごめんなさい
ホントは朝鮮人って書こうと思ったんだけど
なんか怒る人がいるかもしれないと思って
朝鮮民族って書いたの
今度から朝鮮人って書くね
885日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:14:44.74
だって南に熊襲がいるって書いてあるじゃない
熊襲よりは北でしょ
886日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:17:44.42
>たとえば東海地方の土器が大量に出てくるところなんかは
>四道将軍が派遣されたという記紀の記述とあってて

東海地方土器大量出土と四道将軍派遣を結びつけることは論理の飛躍。
東海地方土器大量出土は、東海地方と交流があったことを示すに過ぎない。
887日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:24:43.39
交流がどんなものであったかっていうと
支配下においていたっていうほうが
戦争状態にあったっていうより妥当じゃない?
大和朝廷は纏向に都を築くころには東海地方を勢力下においていたって言うのが正しいでしょ
888日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:34:50.13
>>884
>今度から朝鮮人って書くね

朝鮮人と書くと韓国人が怒るよ。
韓國人と書くと朝鮮人が怒るよ。

東アジア半島人はどうかな?
889日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:39:43.97
日本に住んで日本文化の中で日本人のつもりで暮らしてても朝鮮人は朝鮮人
890日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:41:26.73
>交流がどんなものであったかっていうと
>支配下においていたっていうほうが
>戦争状態にあったっていうより妥当じゃない?

では、日本列島は、一世紀から十九世紀までの二千年間、シナの支配下にあったと言うのかね。
891卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/09(土) 11:51:14.51
>>878
だからその、周髀算経の一寸千里というのが観測的事実なのかどうかは、確証がない。
私が>>832で上げたサイトやWikiも、何か文献的根拠があってその数値を挙げているのであって、それを無視することはできない。

また漢籍の東夷部に関する記述から割り出すというのは方法論として間違っている。
なぜなら中国人は東夷のことはよく知ってはいないのだし、
自国に関する記事でさえ、その距離記事は不正確だからである。
おまけに中国人というのは物事を誇大に書くという悪癖を持っている。
892日本@名無史さん:2012/06/09(土) 11:54:00.20
「支那」だからこっちが本流であっちが支流と空海さんも言っておられる
893日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:00:47.56
>だって南に熊襲がいるって書いてあるじゃない
>熊襲よりは北でしょ
そんなことはどこにも書いてないよ。かってな思い込みだ。
狗奴国はクマソではない。
894日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:01:35.86
古事記の範囲はオノコロ島(淡路島)、伊と予の国(四国)紀伊半島と及び奈良、九州全域
になります
常識的に考えるとこの地域内に邪馬台国はあると思われます
九州についてからの行程が現状に合わないのは、現在の生活様式からの陸路を考えているのではと?
例えば、四国には古くから高地集落が発達していまいた
つまり、山に多くの人が住んでいて栄えていたと考えられます
剣山とユダヤ人の関係、平家の落武者が祖谷地方へ逃げたこと
そして、武家屋敷を構えて生活のできる場所です
記紀でのかき回す(渦=鳴門?)淡路島、四国の流れは何か意味があるかもしれません
そして、不思議なことにこの記紀での地理上の中心は四国であり、現存している地名から考察すると
(紀伊水道の紀は和歌山)伊は東四国になります
また、この地域で発見される前方後円墳は大和地域のものより古く、邪馬台国の時代のものもあります
このことから考えると、邪馬台国はもっと広範囲の広い国の可能性もあり、その周囲に30カ国が合ったのではないでしょうか?
九州だけで邪馬台国と30カ国はあまりに狭すぎると思いますが(^^)
895日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:09:12.99
>九州だけで邪馬台国と30カ国はあまりに狭すぎると思いますが(^^)
対馬で一国、壱岐で一国だぞ。天草、甑島、屋久島、種子島もそれぞれ
一つの国だろう。九州で三十国といっても大した数ではない。

896日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:11:01.79
書いてないけど狗奴国は熊襲だと思うな
とにかく南のほうに敵対していた国があったのは間違いないわけだから
九州の北のほうでしょ
897日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:13:09.38
思い込みで考えるよりも、行程記事を素直に読むことだよ。
898日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:15:43.77
素直に読むと九州は絶対ないよね。
899日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:19:16.39
まあ何でもいいんですけど朝鮮人でもコリアンでも
とにかくdnaからみたら華北から来たdnaがかなり入ってるってことです
文献からも考古学からもdnaの研究でも
楽浪郡が朝鮮半島の中にあったのは確実じゃないですかね
900日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:21:42.47
>>891
>周髀算経の一寸千里というのが観測的事実なのかどうかは、確証がない。

まず、「周髀算経」は、周の人が商の人からの伝聞を書き記したものですよ。

一寸が千里に対応すると書いてあることは、
測量した事実と一致すると言う意味になる。

中原の大平野を縦横に交易していた商の人には、平地75kmの測定は容易い。
商人である彼らは、A点とB点は何里かを正確に知っていた。
それらを積算すれば、何処から何処までが正確に千里になるかも知っていても当然だ。
901日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:26:13.06
纏向遺跡から出てくる土器は四道将軍の派遣先と一致すると思うんだ
北九州の土器が出てこないのも
北九州から近畿までが勢力範囲の邪馬台国連合が
東海地方の狗奴国連合と対立していたっていうのと合わないと思うんだけど
むしろその当時長門に自分は王だと主張している人がいたって言う
日本書紀の記述と一致すると思うんだ

何であそこまでかたくなに記紀を無視しているのかわからないよ
902大訂正!:2012/06/09(土) 13:29:14.62
>>856 :日本@名無史さん:
王制:天子之田方千里,公侯田方百里,伯七十里,子男五十里。不能五十里者

『方千里とは
里=1800尺×24cm÷100000=0.432km
方千里=0.432km×0.432km×1000個=186.624平方キロメーター。 』

天子之田には、田畑という耕作地に樹木、谷までが含まれる。
天子之田は都の一部に当たりその都の大きさは、
「距國五百里爲都」に従い、
500里×0.432km=216km
216km×216km×3(π)=139,968平方キロ。  である。
都と云う時、その広さは139,968平方キロある、ということである。
さて、
「千里之外設方伯」の 「千里」は「方千里」のことなのか?
そうではないだろう。
「千里之外設方伯」の「千里」は、
「天子之田」の地の中心つまり都の中心と、『伯之田の地の中心』の二点間距離である。

「南至邪馬壹【臺】國 女王之所都」という時、
邪馬台国の中心から半径五百里(216km)以内に他の国の存在は無い
ということである。
つらつらと九州をながむるに、
西都市を中心として半径216kmの円を描くと
九州はほぼ其の円内に吸収されてしまう。

と、いうことだ。


さ〜〜〜〜頑張れ 諸君!!!!!
903日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:37:10.17
正確かどうかもわからない数字いじくりまわして
屁理屈こねたって時間の無駄だよ
904日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:39:33.02
弁韓と辰韓あわせて24カ国でしょ
30カ国なら北九州だけで十分さ
畿内までなら多すぎでしょ
905日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:41:09.72
>素直に読むと九州は絶対ないよね。
どうゆう読み方をしたらそんな結論になるのかね。不思議だねえ。

906大訂正!:2012/06/09(土) 13:41:58.00
>>904 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 13:39:33.02
>弁韓と辰韓あわせて24カ国でしょ

弁辰に都という記述はあるかい?

あったら教えて、原文でだ。
907日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:47:09.32
都?何いってんの?よくわからない
対馬も壱岐も松浦も国なんでしょ
30カ国なら北九州で十分だって
908日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:49:02.12
韓といっしょにすんな 韓と日本じゃ中国の対応が違う
909日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:49:47.28
小国ばかりならば北九州で十分だろう。しかし、戸数五万、七万の国がある
からね。その大きさを考えると、北九州にはとうてい収まらんよ。
910日本@名無史さん:2012/06/09(土) 13:55:17.59
戸数の数字が正確かどうかわからない
魏略の逸文じゃ伊都国の戸数が万余戸になってる
魏略と三国志で数字が違ってるし怪しいもんだよ
それに出雲や吉備のことも書いてないし奴国から先の記述は怪しいところだらけだ
911大訂正!:2012/06/09(土) 13:56:00.06
都という存在はないなら
邑:國也。

先王之制。尊卑有大小。从卪。尊卑謂公矦伯子男也。大小謂方五百里,方四百里,方三百里,方二百里,方百里也。土部曰。公矦百里伯七十里,子男五十里。從孟子說也。尊卑大小出於王命
から
0.186624km×0.186624km×100里×24国=83.5884平方キロ
方百里程度の国24国で83.5884平方キロで事足りる。
都という存在がある場合はそうはいかない。

さあ〜〜〜 頑張れ諸君!
912大訂正!:2012/06/09(土) 14:03:02.86
>>910 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 13:55:17.59
>『戸数の数字が正確かどうかわからない
魏略の逸文じゃ伊都国の戸数が万余戸になってる
魏略と三国志で数字が違ってるし怪しいもんだよ
それに出雲や吉備のことも書いてないし奴国から先の記述は怪しいところだらけだ』

君のほうがもっと怪しいZO.


913日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:04:49.19
都は国より大きいって言いたいのか
都がある場合は国の範囲が大きくなるって言いたいのかな
頑張ってるけどよくわからないよ
邪馬台国一国の範囲がかなり大きかったって言いたいのかな
その場合はどのくらいの範囲になると考えてるの
吉備や丹波は入るのかな
914大訂正!:2012/06/09(土) 14:06:08.89
>>908 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 13:49:02.12
韓といっしょにすんな 韓と日本じゃ中国の対応が違う

へ〜〜〜〜!
  国とか都とか、将とが日韓では解釈も違うの?
 
どのように違うが教えてよ。
  勿論、原文でだ。
915大訂正!:2012/06/09(土) 14:10:18.07
>>913

「距國五百里爲都」

「先王之制。尊卑有大小。从卪。尊卑謂公矦伯子男也。大小謂方五百里,方四百里,方三百里,方二百里,方百里也。土部曰。公矦百里伯七十里,子男五十里。從孟子說也。尊卑大小出於王命」

国と都の比較検討は可能でしょう。

頑張れ 頑張れ!
916日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:12:30.91
怪しいのはごめんなさいね
でも伊都国の戸数が魏略じゃ万余戸なのに三国志じゃ千余戸なのは事実じゃん
かなり重要な国なのに2万戸の奴国と比べても千余戸って少なすぎじゃない?
917大訂正!:2012/06/09(土) 14:15:32.87
>>916 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 14:12:30.91
怪しいのはごめんなさいね
でも伊都国の戸数が魏略じゃ万余戸なのに三国志じゃ千余戸なのは事実じゃん
かなり重要な国なのに2万戸の奴国と比べても千余戸って少なすぎじゃない?

伊都国問題を解決してみるかい?

918日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:22:45.93
頑張ってるけど何が言いたいのかよくわからない
要するに国と都じゃ大きさが違うってことかな
ところで邪馬台国の南にあったっていう21カ国はどこにあったって考えてるの
大和と東海地方の間?
滋賀県とか伊賀の辺り?
瀬戸内海で一カ国近畿で一カ国滋賀とか伊賀の辺りで21カ国?
おかしいでしょ
北九州で30カ国のほうが収まりいいでしょ
919日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:27:09.42
伊都国問題って何?無知でごめんね
何が言いたいかっていうと戸数はだいぶいい加減じゃないかなってこと
5の次に7が来てるのも綺麗すぎでしょ
920日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:36:49.74
それにしてもいつも思うのはですね
考古学でも出雲とか吉備とか丹波とか越とか国があったのは確実なわけですよ
でねこれらの国は記紀には出てくるけど魏志倭人伝には出てこないわけですよ
なのにどうして記紀をガン無視して魏志倭人伝を
それこそ細かい一字の意味とか数字にまでこだわって過去の日本のことを理解しようとしているのか
国の大きさなんて漢文の都と国の違いとかより記紀の記述を参考にすればいいじゃないか
考古学とも食い違ってないんだから
921日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:50:43.72
911

一国あたり4平方キロの集落ですか
922大訂正!:2012/06/09(土) 14:58:30.98
>>918 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 14:22:45.93
>頑張ってるけど何が言いたいのかよくわからない
>要するに国と都じゃ大きさが違うってことかな
都の中華概念、国の中華概念をしっかりと踏まえて議論をしようということ。
>ところで邪馬台国の南にあったっていう21カ国はどこにあったって考えてるの
の、原文が
「自女王國以北其戸数道里可得略載」
なら21カ国は「自女王國以北」という事になるが。
俺の「自女王國以北」の21ヶ国の位置は狗邪韓國に同じです。

>大和と東海地方の間?
>滋賀県とか伊賀の辺り?
>瀬戸内海で一カ国近畿で一カ国滋賀とか伊賀の辺りで21カ国?
おかしいでしょ
>北九州で30カ国のほうが収まりいいでしょ

923大訂正!:2012/06/09(土) 15:00:33.04
>>919 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 14:27:09.42
>伊都国問題って何?無知でごめんね
>何が言いたいかっていうと戸数はだいぶいい加減じゃないかなってこと
いい加減じゃありません。

>5の次に7が来てるのも綺麗すぎでしょ
この5と7って何?
意味が解らないので教えて。

924大訂正!:2012/06/09(土) 15:04:18.50



921 :日本@名無史さん:2012/06/09(土) 14:50:43.72
>>911

>一国あたり4平方キロの集落ですか

も、一小国としての概念に嵌っている

いうことです。
925卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/09(土) 15:07:34.73
>>899
君は何も知らないね。まあ契丹古伝も桓檀古記も読んでいないのだから、知らないのは当然だが。
楽浪郡は今の遼東、帯方郡は営口から旅順までの遼東半島にあったのだよ。
それはもう私にとっては確定済みで、君らと議論しようとは思わない。

朝鮮半島人に華北人のdnaが見られるのは当然だよ。
かつて灤河以東〜遼東に番朝鮮といわれる地域があったと思いなさい。いわゆる箕子朝鮮だ。
その後、燕に攻められて、番朝鮮は大凌河以東に後退した。
その後、秦が天下統一、のちに天下乱れて燕、斉、趙の民は番朝鮮に逃げ込んだ。
そのときに、かの有名な秦氏なども番朝鮮に逃げたのだ。
その後、衛満に攻められて箕準は朝鮮半島に逃げる。このとき秦氏らも一緒に逃げたのだ。
だから半島に華北人のdnaが見られるのは当然なのだ。

ついでにいうと、揆園史話には、現在の韓国あたりには古代は南夷の人が住んでいたと書いてある。
檀君二世がそれらの地域を平定して、満州人(原文は青丘の民)が移り住んだ、とある。のちの辰弁諸族は皆これである、と。
926日本@名無史さん:2012/06/09(土) 15:08:51.71
七五三みたいなww ごめんここはまあいいよ

女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の某國は遠絶にして得て詳らかにすべからず
これ邪馬台国より北の国は戸数なんかを載せたけどほかはわからないって事じゃないの
21カ国は南でしょ 違うの?
畿内説の屁理屈で言うと東 濃尾平野のくな国連合と戦争してるから
21カ国は奈良盆地と濃尾平野の間ってことにならない?
927大訂正!:2012/06/09(土) 15:11:37.19
>>920 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土)

>考古学でも出雲とか吉備とか丹波とか越とか国があったのは確実なわけですよ
>でねこれらの国は記紀には出てくるけど魏志倭人伝には出てこないわけですよ

『出雲とか吉備とか丹波とか越』という地名が魏志倭人伝には無いが
其の地域が魏志倭人伝では何と云う国名で記述されているかはわかりますよ。


928日本@名無史さん:2012/06/09(土) 15:19:40.11
桓檀古記って何かとおもってググったら1911年に出た偽書だってウィキベディアに出てたよ
読まないよそんなもん
929大訂正!:2012/06/09(土) 15:21:06.50
>>926 名前:日本@名無史さん :2012/06/09(土) 15:08:51.71

「自女王國以北其戸数道里可得略載」

「其余旁國遠絶不可得詳」
は、峻別記載している。
「其余旁國遠絶不可得詳」は、記述はすべき事は無い。
何も知らないから記載できない。

「次有斯馬國〜次有奴國 此女王境界所盡」は
「自女王國以北其戸数道里可得略載」
としての略載です。
で、
又、此処の「女王」と
「又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千余里」の
「女王」のロケーションは同じです。



930日本@名無史さん:2012/06/09(土) 15:33:58.63
>>929
次有斯馬國〜次有奴國 此女王境界所盡」には、戸数・道里が記載されてないじゃん。
931日本@名無史さん:2012/06/09(土) 16:18:45.48
戸数道里が記載されてるのが女王国より北の国で
戸数道里が記載されてなくて名前だけ書いてるのが女王国とくな国の間にある国でしょ
つまり21カ国は邪馬台国の南にあるってことでしょ
畿内説だと対馬から不彌國間で6カ国が九州
瀬戸内海に一カ国大和で一カ国
奈良盆地と濃尾平野の間に21カ国ってことでしょ
具体的に言うと伊賀とか甲賀とか琵琶湖の南だよね
932卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/09(土) 16:21:36.07
桓檀古記は、著者の異なる(あるいは著者不明な)バラバラの書物を集めて編纂したもので、記事にもいろいろ食い違いがある。
逆に言えば、そのことは、誰かが意図的に偽書を捏造しようとして企画したものではないことを証している。

桓檀古記は、玉石混交で、私が読んでも、(ああ、ここは間違っているな)と思われる個所もある。
しかし貴重な情報も多い。真偽を選別できる判断力さえあれば、読んで損することはない。

たとえば、西鴨緑河は今の西遼河で、その西は臨潢で、古の西安平で、古の槀離国だと書いてある。
私は前々から、鴨緑必ずしも鴨緑江ならず、と思っていたので、(やはりそうか!)と思った。
しかし遼河の西が西安平だというのはほぼ正しいだろうが、
臨潢(のちの遼の上京臨潢府と書いてあるので調べたら、どうやら今の内モンゴル自治区巴林左旗らしい)が、
古の槀離国だというのはおそらく間違いだろう。
というのは槀離国というのは、おそらくチチハルあたりだと私は見当をつけているからである。
(しかしもしかしたら私の見当が外れているのかもしれない。)

とにかく、このように真偽を判断できる史眼さえあれば、読んで損はしない書物である。
933日本@名無史さん:2012/06/09(土) 16:35:47.58
ちょうくんえ

領域呼称は時代に伴って移動する

とゆうか

故域の地名が拡散して広域を指し示したりすることがふつうにありがちだから

この時期には朝鮮はどうでしたとか

この時期になると朝鮮はどうでしたとか

こまかく騙ってくれんかね
934日本@名無史さん:2012/06/09(土) 16:39:09.28
檀君なんて三国史記に出てこないし仏教が朝鮮半島に伝わってからできた説話じゃないの
高句麗なんてどっちかって言うと満州人の先祖だし
韓族とは言葉も違っていたみたいだし高句麗と馬韓弁韓辰韓の人たちが
共通の建国神話を持っていたとも思えないんですけど
檀君が出てくる時点で全部うそでしょ
真偽を判断できるひとなら読んで損はしないとは思わないんじゃないかな
935日本@名無史さん:2012/06/09(土) 16:57:10.34
とにかくね魏志倭人伝じゃ当時の日本にどんな国があったかなんてわからないのです
出雲や吉備や丹波や越の出てくる記紀のほうが記述が正確だと思う
そう思わないのはおかしい
何で考古学者たちはかたくなに記紀を無視し続けるのか
纏向遺跡だって土器の出土状況から見たら
北九州から近畿まで広がる邪馬台国連合が東海地方の狗奴国連合と戦っていたっていうのより
四道将軍によって東海地方は勢力下に収めたけれどまだ北九州には別の国があった
っていうほうが妥当じゃないか
それに卑弥呼が死んだ後また内乱が起こったってことになってるけど
そんな後が纏向遺跡から見つかったのか
4世紀に廃れていったのも成務天皇が都を移したからだろう
何でそうまでして記紀を無視するのか不思議でならない
936卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/09(土) 17:00:17.60
>>933-934
ここで朝鮮のことを書くと怒る奴が出てくるから、今後はドン来いスレで書くことにする。

>>934
檀君のことは三国史記に仙人王倹としてちょこっと出てくる。
檀君王険のことは三国遺事に出てくる。
揆園史話の著者は三国史記の著者が朝鮮の歴史を何も知っていないと憤慨している。
937日本@名無史さん:2012/06/09(土) 17:02:45.60
魏志倭人伝の記述を正確と判断すると
一理は70〜75キロと推測でき
方向と距離を合わせると
岡山、徳島、高地、愛媛、宮崎が該当してきます
938日本@名無史さん:2012/06/09(土) 17:09:06.39
ねえねえ

水行の期間や風俗からみるとポリネシアぽくね。
939日本@名無史さん:2012/06/09(土) 17:10:53.02
>>936
前にもドン来いに行くといってまた戻ってきとるが
確か以前ここの住人がエジプト説も朝鮮説も歓迎しとったぞw
どんどんここに書け 山のように書けw
940日本@名無史さん:2012/06/09(土) 17:34:00.50
死ぬまで書き続けろw
941日本@名無史さん:2012/06/09(土) 17:53:20.25
>>910
あやしいとか何とかごまかす前に書いてあるとおりに考えろ。
942日本@名無史さん:2012/06/09(土) 17:55:54.62
「周制八寸爲尺 十尺爲丈 人長八尺 故曰丈夫」

これ読んでへんだなあって思わない人は不感症てやつだな

「人長八尺 故曰丈夫」をすんなりと受け入れられるわきゃねえよね

たぶんさ古い時期には丈尺寸系統の大きさ計測ようの単位系が

おくたるで構成されていた痕跡なんだろうね

もしそうだとしたら

八寸爲尺 8寸=1尺
八尺爲丈 8尺=1丈
人長八尺 8尺=160cm
     1丈=160cm
     1尺= 20cm
     1寸= 2.5cm

ちんさんの頃には10進に編成しなおされちゃってるみたいですけどね

たぶんさ「丈」のの手のうえにある十はtenのいみとちゃうんだろさね
943日本@名無史さん:2012/06/09(土) 18:19:53.35
夫餘  在長城之北去玄菟千里  方可二千里  戸八萬 76.5km 153km×153km
高句麗 在遼東之東千里     方可二千里  戸三萬 76.5km 153km×153km
東沃沮 在高句麗蓋馬大山之東 西南長可千里  戸五千      76.5km
挹婁  在夫餘東北千餘里              76.5km
濊   今朝鮮之東皆其地也         戸二萬
韓   在帶方之南       方可四千里          306km×306km
 馬韓                   總十萬餘戸 50余國
 弁辰                   總四五萬戸 24ヶ國
                   (ならすと1國あたり2000戸くらいだろ)
--------------------------------------------------------------
南至 投馬國        水行二十日     可五萬餘戸 (ざっと25ヶ國程度の統國)
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 可七萬餘戸 (ざっと35ヶ國程度の統國)
944日本@名無史さん:2012/06/09(土) 18:28:55.25
魏志倭人伝の記述を正確と判断すると
一理は70〜75キロと推測でき
方向と距離を合わせると
岡山、徳島、高地、愛媛、宮崎が該当してきます
945日本@名無史さん:2012/06/09(土) 18:34:32.29
千、二千、四千

フツー何か考えるよな
946日本@名無史さん:2012/06/09(土) 18:49:09.51
>>931
>戸数道里が記載されてるのが女王国より北の国で
>戸数道里が記載されてなくて名前だけ書いてるのが女王国とくな国の間にある国でしょ

原文を良く見ろ。
「自女王國以北、其戸數道里可得略載、其餘旁國遠絶、不可得詳」
『其』は何を指す?
『其』は『自女王國以北』指すのだ。

>つまり21カ国は邪馬台国の南にあるってことでしょ

つまり21カ国は女王國以北にあるのだ。
947日本@名無史さん:2012/06/09(土) 19:00:12.60
アホが集まる2ちゃんねる
948日本@名無史さん:2012/06/09(土) 19:23:35.94
朝鮮側の古代資料は、新羅統一から数百年も下ってから
朝鮮民族に都合よく作られた、いわば新作だから、
原典批判もせずに信用し過ぎると、朝鮮馬鹿になる。

朝鮮民族の「族譜」は、新羅統一以後に捏造された
一族の家系図だが、同時期に朝鮮人のダラダラした氏名は
中国人風に統一して改名している。

民族全員がこのように自分史を捏造し、従来名をすてて
全員が改名したという民族など、ほかにない。

このように捏造・改変した朝鮮民族が編纂した古代史書など、
よほど徹底的に原典批判しないと、使えない。
949日本@名無史さん:2012/06/09(土) 19:54:57.23
たいていの朝鮮の家系図は、高麗から始まってない?
950日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:00:29.72
女王国(邪馬台国)より北の国については戸数や道里を書くことができるが
そのほかの国については遠すぎて戸数や道里を書くことができない
で、そのあとに21の国の戸数や道里を書かずに名前だけ書いているわけでしょ
伊都国や投馬国については戸数やなんか書いてあるでしょ
つまり21カ国は邪馬台国の南にあるってことだよ

畿内説の屁理屈だと東だから大和と濃尾平野の間滋賀県辺りになるよね
おかしいでしょ どう考えても
951日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:05:50.03
>>946
もしかして、略載を、記載を省略していると勘違いしていないか。
略記と同じで、略式ながら記載するという意味だよ。
952日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:06:15.53
三国遺事は三国史記の100年もあとにかかれたものだ
三国史記は国が威信をかけて作ったもので
三国遺事は一人のお坊さんがちょっと怪しい話でもかまわず書いたものだよ
檀君神話には仏教の影響が強く感じられるしやっぱり仏教が伝わった後に作られた話でしょ
953日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:07:35.49
>>917

亀レスだが、伊都国が糸島の伊都国とすれば、
今現在一番人口が多い市街地は当時海なので、
千戸が妥当。
平原遺跡や細石神社あたりの集落だけなら、
今でも千戸くらいだったりしてな。

福岡が奴国だとして、その二万戸の半分なんて、とんでもない。


さらに、佐賀伊都国説だと、自分は小城を伊都国と推定するが、
それだと、千戸でやはり妥当だろう。
奴国を佐賀市から大和町(両方佐賀市だが)とする。
954日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:10:51.48
刀伊の入寇では高麗の支配が及ばない奴らが高麗に入り込んでた
こいつらが現在の朝鮮民族の前身だと思う
寄生して内部から食いつぶして乗っ取ったのだろう
955日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:25:33.49
さすが がめつい佐賀人w
956日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:28:25.44
放射読み、短里、一月は一日の誤り
でオケでしょ別に。

卑弥呼が居たのは吉野ヶ里近辺。
卑弥呼の後、倭の五王までのどこかで、都を朝倉へ移動した。
不弥国は宇佐。
投馬国は「つまこく」で、宮崎県西都原の妻。
狗奴国は熊襲、狗古智卑狗は菊池彦。

これでいいっしょ。
別に何も問題ない。
957日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:31:30.68
朝鮮半島に櫛文土器時代が現れるのが6000年前でしょ
この時点で朝鮮半島から満州シベリアにいたる大帝国があったっていうのは
さすがにひどい妄想としか言いようがないね
そのあと江南から水稲耕作が伝わるのが3000年前
朝鮮半島の北半分にはきし朝鮮や衛氏朝鮮といった漢人の作った国があったわけで
dnaの研究でも江南から来たと思われるdnaと華北から来たと思われるdnaが
8割に達しているわけで
櫛文土器を作っていた人たちのところに
大陸から人が来て住み着いて今の朝鮮人になっているってことでしょ
958日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:36:10.15
5〜6世紀くらいになると思うが、太宰府を本拠地とする倭国王が
大宰府と久留米(高良山)に時々本拠地を移している形跡があるんだな。

大陸との関係がきな臭くなってきた時に、退避していたのかもしれん。
959日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:40:01.36
>太宰府を本拠地とする倭国王
前提からして妄想マンマン
960日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:41:03.40
九州王朝説だ!
961日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:42:18.09
金印の倭国王帥升や天多利思比孤は筑紫の王だと思われ、
また中国側にも記録が残っているわけだが、

肥前、肥後を通る倭人伝の行程では、陳寿が別の国と気づかずに、
ごっちゃになってしまったということはないだろうか。

昔からの記録がある筑紫国旅行記と、倭人伝の肥国旅行記が
混ざってしまったとか。
962日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:45:42.91
>筑紫の王だと思われ
前提からして妄想マンマン
963日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:49:49.95
どっちにしてもですね
畿内説だと対馬と壱岐で2カ国松浦と伊都国と奴国とふみ国の北九州で4カ国
瀬戸内海に1カ国近畿で1カ国
残りの21カ国については大和と濃尾平野の間の琵琶湖の南辺りにあることになるけど
それじゃあんまりおかしいからごまかさざるを得ない
そして魏志倭人伝には連合国だとは一言も書いてないけど
東海地方に狗奴国連合があったということにしたいと
こういうことになるわけですよ
これをおかしいと思わないのはちょっとアレなんじゃないかな
964日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:53:40.13
>松浦と伊都国と奴国とふみ国の北九州で4カ国
前提からして妄想マンマン
965日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:57:46.26
伊都国は重要だよな。
郡使が往来するときつねにとどまるところとあるから、
これから放射読みの起点であることが分かるし、
一大率を置いて、邪馬台国へ入る物品の検査をやっていた
ことが銘記してあるから、邪馬台国が近畿とかありえない
ことも分かる。当然食物とかの検査もやっていただろうからな。
今で言う税関的な役割なんだから、伊都国から近畿じゃ
離れすぎ。近畿説はありえないことが分かる。
966日本@名無史さん:2012/06/09(土) 20:59:01.23
もうちょっと妄想ついでにいうと、

天皇に相当する天多利思比孤などの天子血統と、
白村江で出てきた筑紫君薩夜麻は別で、将軍に相当する、
実効部隊司令官にすぎない。

白村江で大敗北を喫して、筑紫君薩夜麻が捉えられると、
太宰府の天子は辞任、あるいは殺されて(斉明天皇のエピソード)

すでにある程度の勢力を誇っていた畿内勢力に権力が移行する。
天子の血統が畿内にも移動していたのかもしれない。

それであれば、同じ血を引く子孫ということで、大戦争を
起こさなくても権力の移行ができるというものである。
967日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:00:34.93
食物www
968日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:00:41.51
>>960
それでいいと思うよ。
倭の五王は、九州王朝説を取らないと、説明が全く不可能だからね。
969日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:01:00.26
倭の海人の本拠地は阿波周辺だろ、今更だけど。
九州王朝なんてのよりずっと可能性ある。
970日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:02:57.62
普通考えて分かる。3世紀に西日本全体を統括するような勢力の
存在はありえない。

なら、近畿説はあり得ない。
伊都国なんかに一大卒を置けるわけがないから。

近畿説って、バカが言う説w
971日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:04:17.72
記紀で国産みは淡路島からだと、はっきり言ってるしな。
九州は四国の後だよ。
972日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:05:25.67
一々妄想を指摘すんの面倒くさくなってきた
妄想の大量襲撃だーーー
973日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:05:40.02
>>971
本州は更にその後wwww
974日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:06:15.26
>>972
えらく簡単に敗北宣言だすのなw
975日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:06:49.64
元々九州説は妄想の積み重ねだしな、有り得ない話。
976日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:07:41.51
977日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:10:15.64
>>973
四国説が浮上して結果九州説は終了だよw
978日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:11:16.71
>>977
オマエだけで勝手に不浄しててくださいwww

>>970
たったこれだけで敗走するもんね畿内説ってw

歴博のモモソヒメ=卑弥呼もズタズタに反論されて
沈黙しちゃってる状態だし。
纒向から邪馬台国関連の出土なんてゼロだし。

勝負ありましたなw
979日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:11:44.16
四国がんばれ! 何かあったっけ? 墓? うどん?
980日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:13:08.85
九州の邪馬台国関連の出土おしえて〜www
981日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:14:59.54
定説に反旗を翻すオレって賢くてカッコイイーーー
これが本居宣長以来の九州説の伝統
982日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:16:55.13
>>981
そもそも定説でないwww

纒向が邪馬台国だと言っている学説など存在しないし、
モモソヒメ=卑弥呼に至っては、発表した直後に
これは学会の説とは関係ありませんとアナウンスされる始末ww
983日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:20:28.31
アホの頭のなかではマスコミが騒いだ=定説なんだろうな。
984日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:20:40.57
畿内説というかもう邪馬台国自体妄想の積み重ねだもん
諸国の王が共同で巫女さんを女王にしたとか
魏が特別に鏡を作ってくれたとかそれを配ることで権威を保っていたとか
すごい屁理屈だよ
985日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:21:33.64
九州歴史資料館に行って来ました。
出土物が大量に展示されていて、考古学の方に興味がある方なら、
九州国立博物館よりおすすめです。

出土資料の分類や分析を行なっているところを見ることもできます。

未処理の出土物がうんざりするほど並べられ、
積み上がっているのを見ることができました。

また、ここを建設する際に、弥生遺跡が出土したそうです。

以前と場所が変わっているので、
行く時には予め場所を確認しておくことを
おすすめします。
986日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:33:50.95
吉野ケ里から8世紀、9世紀の木簡が出てるんで、
3世紀以降吉野ヶ里が衰退したという説は、すごく疑問。
そこで役所機能をしてたってことだからね。

当時すでに肥前国庁が出来てるはずなんで、
かなりの部分を移管したんだろうけど、
形態を変えながらそれなりに続いてたんじゃないかね。
987日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:34:32.28
阿波には丹の山があるからな、それだけで九州説なんて終了だべw
邪馬台国は吉備や阿波から一団で畿内に入っただけの話。
988日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:36:03.28
九州説って妄想だらけだよね、って言って妄想を言う畿内説www
989日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:36:46.40
畿内説の最大の特徴は、自己紹介。
990日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:39:30.91
やっぱり九州説はアスペだw
991日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:41:13.11
自己紹介ご苦労さん
992日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:41:17.03
>>990

>>970

だから、自己紹介ばっかすんなってwww
それが反論になるかよクズwww
993日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:45:36.21
>3世紀に西日本全体を統括するような勢力の存在

これ主張してる説ってどの説???
994日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:47:04.83
>>970一発で敗走してしまうような畿内説なんてものが、正しいわけもなくwww
995日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:52:55.18
>>993
俺はそれを信じてるよ
方形周溝墓の分布から、同一文化圏がかなり広く存在してたとしか考えられない
996卑弥呼は朝鮮にいた:2012/06/09(土) 21:54:35.85
>>948
だからそのような、民族としての自尊心を失った朝鮮人に、民族の誇りを喚起させるために、
揆園史話や桓檀古記は書かれているわけだよ。

>>952
三国史記はたった一人の男が書いたもので、日本書紀のようなものではない。
また檀君神話には仏教の影響など見られないよ。

>>957
満州や朝鮮にわたって民族が住んでいたというだけで、別に国家としての名などはなかったのだよ。
だから妄想でも何でもない。日本にもその頃人は住んでいたが国家としての名はなかったのと同じことだ。

それに箕子朝鮮や衛氏朝鮮は遼東にあったのであって、半島北半分にあったのではないよ。
そんなことはちょっと歴史を調べればすぐに分かることなんだ。
997日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:55:38.80
>>993
そんなもん無いってのが、それこそ学会の定説ですwww
マスコミが言ったとかじゃなくてwwwww
998日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:56:12.17
方形周溝墓って九州のが古いよ?
999日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:57:31.38
銅鐸は、数は少なくなるものの、
九州から関東まで分布している。

多分、畿内勢力が広がる前は、うすくひろい文化圏があった。
支配、被支配の関係ではない文化が。
1000日本@名無史さん:2012/06/09(土) 21:57:52.74
>>998
でもここで問題にしてる時代には広く分布してるでしょ?
時系列を考えて欲しいんだが
10011001
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